>>602 >つまり、龍樹の禅定体験は、未熟で実践という意味では、中論などの龍樹の著作は大した意味を持たないと言う仮設です。
>
>あくまで、仮説ですが
あの滅尽定ってのは迷い道で、最終的な境地ではないというのが、
以下のようにアーガマ・ニカーヤ、諸論書の説くところではないでしょうか?
PTS, DN II, 156: 九次第定で涅槃する時にアーナンダが涅槃と勘違いする
倶舎自註 ad 2.43 ff.: 滅尽定は心・心所の止滅。非想非非想処の境地。聖者がこれが涅槃であると勘違いする境地。
ただし、前に示したように青目註『中論』は以下のように、滅尽定は心・心所が止滅し、不生不滅の諸法実相で、寂静相で涅槃のようと述べています。
これは私の知る限り唯一の例外です。青目註の誤解か、羅什三蔵の誤解、あるいは誤伝と考えるのが妥当と思われます。