仏教議論スレッド49

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43神も仏も名無しさん
古仏のなんたらという道元の言葉だが
山川草木のもの思わざるままそのまま枯れ果てていく姿に
仏のあり方を見ているものなのではないでしょうか
ひょっとして山川草木は過去世において すでに悟った仏が
衆生にその悟りを教えんがために顕現した姿なのではなかろうかと。
まあ、石の方なった方が幸せだと俺は思えないので、つーかそれを一般化すべきではないと思うので
賛否分かれる味わいではなかろうかと思うが

そんなことはどうでもよく
道元はこの言葉を一般人に伝えるために書いたものではないと思います。
禅語は前知識がかなり必要で、とくに中国のお寺の歴史など、
それが分かって初めて当人の自然な心境が流れ込んでくるものです。
人間にはある程度共通知識がないと
伝えることができません。
誰にどれほど伝えたいのか、それをきちんとわきまえてから
何事も書いた方がいいのではないでしょうか。
かくすればかくなるものとしりながらということはあるでしょうが