>>19 >Aと非Aは、二元ではなくその本質において一元である
>(便宜上やむを得ず名称付加して) 般若波羅蜜多 という名称で呼ぶのである。
そうです。実質的に、アタシの説明と同じですよ。
Namamatra(名称)→vyavahara(言説)の無実体の言語ゲームです。(瓜生津 龍樹p228参照)
ところが、彼らは言語ゲームであること(“是名”)を無視して、
超越的神秘主義(スピリチュアリズム)不二一元論によって、A=非Aだと金剛経を曲解するわけです。
それはまさしく金剛経が批判する<(実体的)一合執(玄奘 訳)>そのものです。
一元論は多元論との二項相対で成立する間接現実(世俗)内の論でしかなく、
直接現実(勝義)にはとどかない戯論でしかありません。
こんな陥穽に陥る根本原因は、中国的華厳思想にイカレテしまっているからです。
縁起の直接現実は不一不異(不一不二)の空(元論)←縁起の現観が中観・中道です。