1 :
独ソ戦なんでも語れ! :
01/11/28 15:17
ありがたや また存分に語らせて頂きます。
>
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/army/993164998/901-1000 >日本の対ソ参戦=関特演は戦略的には両面戦争でソ連側にとって非常に脅威ですが
>日本軍の実態は数字の上ではかなり寒い様です。が対米戦のように一時の勢いが
一時の勢いがつこうがつこまいが、対米戦は対ソ戦よりもはるかに寒いです。
それとも日本軍にとっては対独連戦連敗のソ連よりも太平洋で無傷で待ち
構えていたアメリカの方が組しやすいと考えた?、そりゃまさかです。
対ソ戦ならハンガリーやルーマニアでさえも宣戦布告しているのに、
日本だけがしなかったのはソ連を同盟国と考えたからに他なりません。
>1様 続スレ立てお疲れ様です、ROMらせて頂きますので頑張って下さい。 前スレの反省としてもう少し外交面からの考察があったら良かった と思いますがそれでは歴史版? 老兵はこの辺りで。前スレでは御協力有難う御座いました。
(till 2 July). The Allied Sea-Operation "Neptune":
6 June: Meer 5.000 ships and landings-crafts carried 5 Allied
divisions to the French coast.At the first 48 hours, 107.000 men landed.
12 June: In total 326.000 men, 104.000 ton material and 54.000 vehicles
were carried to the french coast
17 June: 587.000 landed
2 July: In total 929.000 men, 586.000 ton material and 177.000 vehicles landed
15 August: About 2.000.000 men landed
http://www.euronet.nl/users/wilfried/ww2/1944.htm#top
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30476636 また,2個の機甲擲弾兵連隊,ひいては師団全体の状況を推測するうえで
参考にしていただきたいのが,SS第26連隊第2大隊は,アルデンヌ攻勢
開始当初に装備されていた105台の自動車のうちの38台を喪失し,
1月末の数字では残された67台のうち34台,つまり最初の数字の
32%が稼動状態を保っているという車両装備状態であった。興味深い
ことに,保有されていた車両の内幕(牽引車を除く)は以下の通りで,
これら6種類のメーカーのうち,3種が捕獲車両であった。フォードV8
13台,オベル・ブリッツ 10台,ブラガ 1台,フィアット 14台,
スチュードベーカー 2台,ベッドフォード 1台。
このようにしてみると,部品の交換や修理に相当苦労したであろうことは,
想像に難くない。
↑嫌な予感がするので一応布石を置いとくと、突然 それをいうならドイツ機の機械的信頼性もクズだった。 ノルマンディ戦でのルフトヴァッフェの稼働率をみるといい。 パウル・カレルもそういっている。(関連リンク貼り付け) いやむしろここは実際に対戦もしたことのない両国を比べるのは馬鹿馬鹿しい。 むしろドイツはソ連の技術と比べなければ意味が無い。 ドイツはT-34のエンジンをコピーすることさえ失敗している。 ソ連邦万歳! とか言う奴が出てきても完全無視でお願い。
ハルダーの日誌によると、ドイツ軍の平時の年間トラック損失量が新たに配備される 数より6,000両近くも多く、まして戦争中ともなれば何処の戦線も車両が慢性的に 不足して、競って敵の車両を捕獲して使ってたらしい。 (特にCCKW、フォード、スチュードベーカーやジープなどの米軍車両が好まれ、 スコルツェニーの米ニセ部隊編成の際、わざと故障を装って提供を拒んだりしたとこも あったらしい...。)
10 :
名無し三等兵 :01/11/30 00:12
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P287
フランスにおける大敗走と堕落の光景についての恥ずかしい話がヒトラーの
耳に届いた。ある地区では五つの別々の師団に属する五つの混乱した隊列―が
東に向かって同じ道路をベルギーもしくは西部防壁に向かって流れ下っている。
別の地区では将校がピストルで脅して自分の自動車を橋の隘路を通させているし、
あるいはかけがえのないレーダー装置や砲や弾薬が敵の手に落ちるのに、空軍の
トラックが家具や掠奪物をのせて基地から出て行く、その間敵の飛行機はこの隊列
を一〇〇フィート上空からずっと機関砲や機関銃で悠々と掃射している。
11 :
パブロフ二等兵 :01/12/01 22:20
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201 西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と 勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。 東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、 飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。 各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。 「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、 われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死 することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、 穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30847673 P226
《前略》・・・・命令する時、ボルマンは党員に使い古されたスローガンを
もう一度よく言い聞かせた「ろくでなし、敵に攻撃された大管区を離れる者、
最後の一息まで戦わない者、そんなやつらは脱走兵として軽蔑されるのだ。
いま通用するスローガンはただ一つ、『勝利か死か』だけだ。」・・・《中略》
一九四五年三月九日に彼は全高官に通知状を出して、ついに「敗残兵をかき
集めて前線を強化する」という強硬手段を行きわたらせた。本来ボルマン
にとって敗残兵というのは存在しなかった。部隊とのつながりを失ったもの
は戦闘の喧噪に近づいていって、そこにいる部隊に従えばよいのだった。
そうしなければ脱走兵として即決裁判で銃殺するだけだ。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P237、238
4 総力戦下外国人労働力の大動員とその階層秩序的処遇
これまでみてきたところから明らかなように、ホロコースト政策の進展は、
ユダヤ人の置かれた悲惨な状態をそれ自体として歴史総体の諸連関から切り
離してみているかぎり、理解できない。ホロコーストは「理解不可能」なの
ではなく、見る方法が問題なのである。四五年四月、ドイツ領域内の強制
収容所の扉が開かれ、ブーヘンヴァルト、ドラ、ダッハウ、マウトハウゼン、
フロッセンビュルク、ノイエンガメなどの累々たる死体の山をはじめ驚愕
すべき写真の数々は世界を震撼させた。だがたくさんの大工場のそばに設置
された収容所の支所に関心をいだく人はほとんどいなかった。囚人労働力が
ドイツ戦争経済の不可欠の構成要素となっていた。四四年一一月段階に八〇〇
万人に近い数に上った戦時捕虜・外国人労働者、収容所囚人を雇用するたくさん
のドイツ企業が戦争経済の基礎を構成していた。
14 :
パブロフ二等兵 :01/12/02 10:05
>「続ドイツ空軍戦記」(S・W・ミッチャム 手島尚訳)のP127より > オリョール攻防戦の期間、第1航空師団のパイロットの出撃は1日平均 >五回から六回にもなった。師団の出撃回数は延べ三万七千四百二十一回、 >ソ連機撃墜は一千七百三十三機、味方の損害は六十四機の喪失だった。 >対地戦闘の戦果は戦車一千百輌以上、トラックなど一千三百輌以上を破壊、 >ソ連軍戦線内の目標への投弾は二万トン以上である。 ・・・というような戦果を信じて東部戦敗北を認めぬファシスト勢力に必要な のは断固として<ソヴィエト軍によるベルリン陥落>、これ以外には無かった。 そうだそれでこそどんなにドイツ軍の優れた戦術・科学兵器とやらが強調され ようとも、ベルリンはソ連邦大祖国戦争勝利記念都市であり続けるのだ。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30468676P464 ヒトラーの返事は二十四日午前八時三十八分、無線で届いた。
冒頭に≪総統命令≫とある。最高かつ最厳重の命令段落だ。ヒトラーは
包囲網に対し、戦線を構築しドン西岸の部隊をすべて包囲網に収容せよ
とはっきり命令し、「現在のヴォルガ戦線を死力を尽くして守れ。空輸する」
と結んでいた。いまや第六軍は至上命令によりスターリングラードに釘付け
にされたのだ。軍集団、軍、現地空軍司令官が空輸の可能性を疑っていたにも
かかわらず、どうしてこんなことになったのか?
これまではゲーリング個人が空輸を保証し、それによってヒトラーの
致命的な決意を招いたとなっているが、どうもそうではないのだ。
伝説とはちがい、山荘でヒトラーと最終的な話をかわしたのはゲーリング
ではなく、その参謀長で慎重なイェショネクだったのだ。彼は空輸問題に
ついてのゲーリングの積極的な支持を提案したが、それに一連の条件をつけた。
たとえば前線飛行場の確保と好天などである。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=06728546 P487
米英ソ三国首脳のヤルタ会談は、ほぼ一方的に米英側の対ソ譲歩に終始したといえる。
とりわけて指摘されるのは、戦後の世界の平和の維持体制について、一応は米国が
主導する“世界議会”(国連)システムが合意されたものの、ソ連の立場が過大に
評価されて“米ソの世界秩序”が容認されたことである。
ほかにも、ソ連は、戦後ヨーロッパの焦点となるポーランド問題その他で米英側に
譲歩させる成果をあげたが、このような「政治」の交代をうながしたのも、マーシャル
元帥に代表される「軍事」側の判断であった。
いや、米英とくに米国側の「軍事」の弱味の自覚が起因であった、といえる。
連合軍はすでにソ連軍に“救援”を求め、現にソ連軍はそれに応じて冬季攻勢
を実施中であった。
しかし、ヨーロッパ戦線だけでなく太平洋戦線でも対日戦をおこなう米国に
とっては、さらにソ連軍の援助・対日参戦が望ましい。
マーシャル元帥は、対ドイツ戦の終結を「早くて七月一日、遅くとも十二月一日」、
対日戦終了日を「ドイツ降伏十八ヵ月後」とみこみ、英軍首脳部も同意した。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19559803 P70
かくして、ナチがソ連国境を粉砕する一週間前の一九四一年六月十四日、モスクワは
『タス』を通じてひとつの声明を発表する運びとなった。「わが国が得た情報によれば、
ドイツはわが国と同様、独ソ不可侵条約の条項に誠意をもって応じるとのことである。
これに鑑み、わが国は、ドイツに条約破棄とソ連攻撃開始の意図ありとするうわさは、
まったく根拠なきものとかんがえる」この驚くべき声明を発表してから、
スターリンはおそらく、ヒトラーからも同様の声明が聞けるものと期待していた
であろう。しかし、ベルリンから返ってきたものは完全な沈黙だけであった。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P398〜399
以上見てきたような内部崩壊状況にたいして、親衛隊中枢の意識はどうであったか。
四四年九月末、親衛隊本局の局長ベルガーがヒムラーに宛てた手紙は、それを象徴的
に明らかにしている。彼は親衛隊ライヒ指導者の命令で、武装親衛隊の将軍として
スロヴァキアへの前線勤務に投入されたことをうれしく思うと中枢幹部らしい模範的
な心情を吐露した。・・・・《中略》・・・・
彼は自分の新しい任務について明確な像を得るために、出陣の直前、九月二三日
と二四日、西部戦線のすべての部分について知っている武装親衛隊、陸軍、空軍の
知人から、情報を聞いた。・・・・《中略》・・・・
ベルガーが彼らから得た情勢に関する判断は、まったく同じだった。彼らは国防軍
将校の戦闘意欲を厳しく評価した。すなわち、敵が突撃軍の出動準備に成功すれば、
敵はこの突撃軍でルール地方まで突進するであろう・それは、ドイツ人兵士がもはや
戦おうとしないからではなかった。「中尉以上のドイツ将校の神経の力が全体として
すっかり消耗しつくしてしまっている」のであった。そこでは親衛隊中枢とは違って、
あらゆる理想主義が死に絶えていた。・・・《中略》・・・すなわち、空軍最高司令部
は空軍の三五万人の人員のうちわずかに一〇万人についてしか所在を把握していなかった。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363648 P235、236
いまやヒトラーはペタン元帥を説得して、イギリスに対し組織している
“大陸ブロック”にフランスを参加させる方をずっと重視した。スペインの
領土要求はいまや無視しても構わなかった。・・・・中略・・・・・・
彼はペタンが政府から反対されるとは思ったが、やり遂げようと手をつけた
すべてがモントワール会談で達成されたと信じた。このことは彼が三軍に
出した新たな指令の第一節に反映している―
今後イギリスと闘うのに可能な最も効果的な仕方でフランスと協力するのが、
私のこの国に対する政策の目的である。ここ当分の間は、ドイツの戦闘司令部
がフランスの領土で、必要な場合自らの防衛兵力を動かしてこれらの措置を
支援することを課せられた“非交戦国”の役割がフランスに与えられるよう。
フランスの最も緊急な任務は、西および赤道アフリカの植民地をイギリスと
ドゴールの運動から―防衛的および攻撃的手段で―守ることである。
この任務から対イギリス戦争への全面的参加が生まれる。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19915980 P23、24
スターリンはこの切り札を投げ捨てたため、次第に弱い手しか打てなくなった。
第一に、一九三九年以前は、ロシアはドイツと国境を共有していなかったが、
新しい領土は、これまでドイツの奇襲攻撃を不可能にしていた独立国ポーランド
という緩衝地帯を失わせてしまった。第二に、ヒトラーはヨーロッパ全土を
制圧すると、その資源と住民を彼の戦争目的のため動員することができた。
第三に、一九三九年八月のスターリンとの協定で、ドイツに石油、種々の非鉄金属、
食料などの戦略的原料を供給したことも、ヒトラーの西部戦線の制覇に貢献した。
さらに、スターリンはフランスの敗北後も、事実上の保護費として、これらの資材の
輸送をきちょうめんにつづけたため、これがソヴィエト連邦に対するヒトラーの攻勢
準備を助けることになった。その結果、一九四一年六月には、ドイツは一九三九年
とはくらべものにならないくらい、恐るべき敵になっていた。
同じ頃、スターリンはこの協定によって得た息継ぎ期間のあいだに、自分自身の
立場をさらに悪くしてしまった。新しい国境の防衛線が完成する前に、古い国境の
防衛線を撤去してしまったのである。併合した領土にソヴィエトの社会主義制度を
導入したため、そこの住民から完全にそっぽを向かれてしまった。だが、それ以上に、
一九三九―40年のフィンランドに対するスターリンの「冬戦争」は、ソヴィエト軍
の指揮系統、戦意、装備に重大な欠陥があることを露呈した。このような情勢の
展開で大胆になったヒトラーは、一九四〇年夏に東部戦線に出撃することを決意し、
その年の終わりには、攻撃計画はできあがっていた。一九四一年五月中旬に計画
されていた進攻は実際には六月二十二日に開始された。
22 :
名無し三等兵 :01/12/02 18:26
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P296
・・・前略・・・クライペ将軍が九月三日燃料状況について―すべての
爆撃機および一部の戦闘機と急降下爆撃機の作戦を切り詰めなければ
ならないほどいまは深刻であると―説明したあとで、ヒトラーは
「空軍をすっかり解体して、対空火砲を三倍にすることを考えている」
と述べ、空軍参謀総長をたまげさせた。ゲーリングが五日、“狼の巣”
に恐る恐る再び姿をみせると、ヒトラーは空軍攻撃を繰り返した。
クライベの日記はこう記録している―
総統がまずしゃべった。空軍非難の長広舌、空軍は全然よくない、年ごとに
悪くなる、生産数字と航空機の性能についてもずっと嘘をつかれた、フランス
における完全な崩壊、地上員と無線部隊は陸軍の戦闘を援けようとしないで
命からがら飛行場を捨ててあわてふためいて逃げ出した、と。
Me262の件が再び議論になった。なんで「高速爆撃機」しか考えられない
かについての同じ議論、将来はMe262だけ生産するとともに、対空火砲を
三倍にする考えを前より穏やかな形で再び展開。・・・・・・わが方の戦闘機の
設計はみな間違っている、四発爆撃機と闘うのに必要なのは、大口径の
機関砲を備えた双発の重戦闘機である、全国元帥の要求で、戦闘機中隊
を指揮している〔ハンス・〕ベーム=テッテルバッハが呼び入れられた。
経験から彼は、戦闘機に護衛された重戦闘機でさえも重爆撃機と闘う最善の
方法でないと説明した。ベーム=テッテルバッハは乱暴に退去を命ぜられた。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30476636 9・2 スロヴァキア戦開始時の師団の編成と状況
・・・中略・・・かくして、「ヒットラー・ユーゲント」師団の兵力は、ハンガリー
での作戦開始時、1、703名の不足状態にあった。このような状況にあって
特に注目すべき事実は、205名の将校不足(32%)を下士官で補っていた
点であり、よってもともとの不足分である1、953名を加えた2、158名
分の下士官職(52%)には、兵が補充されていたことになる。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30563528 P89
それでも、ドネツ地区の撤収・破壊作戦のため、ドイツ国防軍は
今日に至るまでひどい非難を受けている。将軍・将校・兵には、
この結果、戦後ソ連で重刑に処せられた者が多い。死刑さえあった。
フォン・マンシュタイン元帥も一九四九年、ハンブルクで英軍事法廷
から刑を宣告された。≪焦土≫作戦についての起訴は一七項目に
ついては無罪とされた。法廷がこれは戦争に必要なものと認めた
からである。だが、一項目だけはそうではなかった。住民の一部を連
れ去ったことである。それでフォン・マンシュタインは有罪とされた。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30693820 発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号>
この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面
において我方の軍事力の大半を注入することとなり、極度の努力が求められ
てきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。しかし状況は
変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が
西部正面に出現している。アングロ=サクソンの上陸作戦である!
東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、
ドイツの中枢部に致命的な打撃を与えることはない。
西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を
突破すれば、当面の結果は予測がつかない。すべてが示唆するのは只一つ、
敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、
もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上
弱体化させるようなことは、責任上できない。そこで余は、特にイギリスへの
長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して
くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との
決戦生起が、ここであるのは間違いない。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19559803 P39、40
・・・中略・・・八月十四日、シュレンブルクは、「ドイツとロシアの関係は転換点
にさしかかっており」、「両国のあいだには利害関係の対立は存在せず」、
「両国はこれまで友好によって利益を得、反目によって損害を受けてきた」
とのベルリンの見解をモロトフに伝えるよう訓令を受けた。・・・中略・・・
・・・・・モロトフはその会談で、独ソ間の相互不可侵条約に関心がある点も
表明した。人民委員はその他の問題点を持ち出したが、特に問題としたのは、
日ソ関係改善に向けてドイツは日本に影響力を行使する用意があるか、
バルト諸国に対する保証問題を話し合う用意はあるか、という二点だった。
Freeman,R;The US Stategic Bomberによれば、1944年1月から翌年 4月までで、米第8航空軍のoperational lossesは、203、271、345、 420、376、320、352、331、374、177、 209、119、 314、196、266、190.第15航空軍のそれは、54、128、85、 194、175、196、317、254、94、140、132、205、 88、147、149、83となっている。
29 :
名無し三等兵 :01/12/03 00:09
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30652156 搾取と略奪
ヨーロッパ征服によってドイツの経済は豊かになった。労働力と食料と資金が
ドイツに流れ込み、ドイツの戦争への熱意を煽った。
・・・中略・・・
経済的な搾取の手段は地域ごとに異なり、また時とともに変わった。1930年代
の終わりに奪った地域では、工業と農業がドイツの経済に密接に結びついた。4ヵ年
計画は、産業を組織的に奪取することと、ドイツが何を必要とするかを明確に示す
ことに大きな役割をはたした。奪取した産業は国有の帝国工場「ヘルマン=ゲーリング」
が運営した。帝国工場はオーストリア、チェコスロバキア、ポーランド、のちにベルギー
と東部フランスで、鉄、鉄鋼、石炭、機械などの企業を吸収して、世界有数の大企業となり、
その資産は1944年には43億7500ライヒスマルクに値した。獲得したなかで最も重要なのは、
有名なチェコのシュコダ兵器工場で、帝国工場は1940年末にはその株の63%を買収していた。
占領したヨーロッパの他の地域からの搾取で、主に占領軍の必要をまかなったり、
ドイツの軍事行動の資金にあてたりした。戦後の計算では、占領地域は、750億マルク
ほどの貢献をし、占領コストは530億だったとされている。衛星国を含めドイツが
支配したヨーロッパの全体が、ドイツに1200億マルクの貢献をした。つまり、戦争に
費やされた資金の約20%である。・・・・・中略・・・・・
・・・・1944年のピーク時には、ドイツには760万人の外国人労働者がいた。うち570万人
が一般人で、190万人が捕虜だった。・・・・中略・・・・
・・・・1944年の8月までに、ドイツの労働人口46%は外国人労働者と捕虜で構成され、
採鉱労働者は3分の1がそうだった。
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P215、216 一九四五年一月一二日、すなわち第二次世界大戦におけるソ連軍の最後の冬季攻勢の 開始日に至るまで、東部ドイツの住民が赤軍の侵攻に対してどれほど不用意であったか を知ると、いつも驚きもし震撼させられもする。ソ連を奇襲しても赤軍の侵攻はないだろう、 という考えが人びとの心に深く根を下しており、それがさらに何らかの「奇蹟的兵器」への 非合理的な希望によって増幅されていたにちがいない。同時に、すでに数年も続いていた 「計画的撤退」については、国防軍発表が一九四三年夏以降ほとんど毎日伝えられていた にもかかわらず、この時点までの東部戦線移動の経過についてのほとんど信じられない ほどの無知も確認される。一九四五年の一月とそれが直ちにもたらすであろう結果が 生じる以前に、東部戦線について現実に即した考えを持っていた者は、ごくわずかだった に違いない。ソ連陸軍が千キロ以上も二十か月近くにわたって西方に前進した後では、 この圧倒的進軍がよりにもよってドイツ国境で阻止されうるであろうと考える、 いかなる理由もなかったのである。
31 :
名無し三等兵 :01/12/03 10:09
米英ソが1944年9月12日に調印した協定によって、ドイツを戦勝国が分 割占領すること、そして、ドイツ東半をソ連の占領担当地域とすること が決定されました。ドイツの西半分を具体的にどのように分割占領する かについては、協定調印後も米英両国の間でなお調整が続けられましたが、 上記協定調印の一週間後に妥結しています。 その後、フランスがドイツ占領への参加を要求してきたため、1945年2 月のヤルタ会談において、米英両国の占領地域の一部を割いてフランス 占領地域を設定することが決定されました。 戦争遂行の過程で各国軍隊の侵攻・占領範囲が予定領域とずれることも ありましたが、軍事的必要がなくなり次第、ヤルタ会談での決定通りに なるよう、占領担当者の交代が行われました。特に、米英軍の最前線は 事前に決められていた分割占領ラインを大きく東に越えていたため、 ソ連軍が来るのを待って漸次後退するということが行われました。 以上のように、ドイツの分割占領については、その担当地域の割り振り も含め、ドイツが降伏する前から合意・準備ができていました。
http://sunsite.sut.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/mil_hist_inst/w/ww2eto7b.asc http://www.excite.co.jp/world/text/ US battle casualties in the European Theater, 7 Dec 1941 to 31 Dec
1946, totaled 586,628, as follows:
Killed.......116,991
Wounded......381,350
Captured......73,759
Missing.......14,528
For the period 16 Dec 1944-2 Jan 1945, the US suffered 41,315 killed,
wounded and missing. The official Ardennes campaign extended to
25 Jan 1945 and included American counteroffensives. Total US battle
casualties for the entire campaign, including those of the Army Air
Force, were 105,102.
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)
パルチザンの射殺ではなく逮捕を明確に禁止したのも、フォン・ライヒェナウだった。
その命令がヒトラーによって「すばらしい」と賞賛されたので、他の陸軍司令官も
この命令を発した。歩兵隊のエーリヒ・フォン・マンシュタイン将軍も一九四一年
十一月二十日、同様の命令を発した。「この戦闘はソ連軍に対し、ヨーロッパ戦争の
規定のみに従って 従来の形で行われているにあらず。前線の背後でも闘いが継続
されつつあり。・・・・・ユダヤ的・ボルシェヴィキ的組織は一挙に根絶せしめるべし。
それがわれらのヨーロッパ生活圏に再び侵入するようなことがあってはならぬ。
したがってドイツ兵士は、この組織の軍事的権力手段を打ち砕く 任務を
帯びるにあらず。ドイツ兵士は民族的理念の荷い手として、彼およびドイツ
民族とに加えられたあらゆる残忍な行為に対する復讐者としても行動すべし。・・・・・
ボルシェヴィキ的テロの精神的荷い手であるユダヤ人が罪滅ぼしをする必要性に関し、
兵士は理解を示さねばならぬ。 その理解は、ほとんどユダヤ人によって企図される
全ての反乱を 萌芽のうちに摘み取るためにも必須なるべし。」
最後に,エーリヒ・フォン・マンシュタインは,「軍人たる名誉」を誓った。
陸軍第十一軍の司令官マンシュタインは、この軍人たる名誉なるものを
ナチスの根絶・絶滅政策に対する彼の個人的支持と結びつけたばかりでなく、
その後一九四九年には、ハンブルクにおけるイギリス軍軍事法廷で彼が
とった態度とも一致させることができた。私はジャーナリストとしてこの
裁判を傍聴した。フォン・マンシュタインの弁護体制は鉄のように固かったが、
全く信用するに値しないものだった。自分が直接危険にさらされていると感じても、
記録文書で証拠がない場合には「記憶にございません」と言ったり、そっけなく
否定した。彼自身が発した命令が裁判所に提出されて有罪の心証が避けがたい
場合などには、自分の役割を過小評価したり弱めたりする。彼に好都合と思わ
れた時には、事実次第で責任を上や下に押しつける。私はこの見すぼらしく、
いつも言い訳や逃げ口上を考える人物、かつては大軍の将であった者が、
ローテンバウム大通りのクリオ・ハウスの中の法廷被告席で見せたあの姿を、
決して忘れないだろう。イギリス軍事法廷により十八年の懲役の判決を受けた
この貴族の既決囚は、時の流れの恩恵と彼の同類たちにたいするアデナウアー
時代のおぼしめしによって、わずか四年服役すればよかった―一九五三年、
彼は再び自由の身になったが、何も学んでいなかった。彼は、その回想録に
『失われた勝利』というタイトルをつけた。
Order of the Commander of the Eleventh Army, von Manstein
http://www.netbistro.com/electriczen/documents/wehr2.html
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30782907 P391
以上で戦争末期の現実の一端、しかし重要な側面を紹介してきた。
「七月二〇日」事件でエリートの将校や将軍がヒトラーに反乱を起こす
ほどの戦況は、民衆のなかに「激しい不穏状態」を引き起こしていた。
さらに、まとまった部隊の形であれ、ばらばらになってであれ、続々と
国境を越えて敗残の兵が帰還してきた。ソ連国境のオストプロイセン、
総督府はもちろん、ヴァルテガウ、ベルリン、デッサウ、その他の中部
ドイツ深くまで、たくさんの敗残兵が姿をみせるようになった。各地の
治安警察・保安部が集めた通報によれば、民衆は野戦郵便などから得る
情報と敗残兵の話から東部戦線の中央が崩壊したことを察知した。また、
撤退とはいっても「逃亡のような」ものである点でも敗残兵の話は一致
していた。彼らの話には部隊を見殺しにした将校への非難が頻出した。
放置された兵士のモラルは低く、部分的には武器を売るものもでている
とのことだった。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=07047444 P118
戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を
描いた名著『A Bridge too far (邦題:遥かなる橋)』の著者でもある
コーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の
抵抗組織からの正確な情報などを提供し作戦成功に役立てようとしたが、
すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=00862635 P297、298
大規模な退却が、始まっていた。もはや、それについては、疑いはなかった。
数日前から、ディートリッヒの第六機甲軍が東方に進路を転じていたし、
つい最近まで自信満々で攻撃してきたマントイフェルの軍も、いまやその
退却行に加わっていたのである。
みんなが退却する中で、どこまでも追撃してくるアメリカ軍に対して
後衛戦闘の任務を受けて、破壊された建物やわびしいたこつぼに頑張っていた
ほんのわずかの、選ばれた歩兵たちだけが、その例外であった。これらの後方部隊
をつとめたドイツ兵たち―いずれも若年だったか、老人すぎたか、役に立たない
とみられて選ばれて残されたのだ―は、絶望の中で勇敢に戦った。彼らは、自分たちが
友軍の精鋭部隊をジークフリート線の中へ無事に戻すために残されたということが、
ドイツ人の哲学だったのだ。これと同じことは、フランス領内でも起こった。
一四歳から一五歳の少年兵たちが、手が銃に凍りついてしまって、凍傷で腐った
足がまっ黒になったままの姿で発見されたし、地下室で発見された五〇歳以上の老兵
達の死体は、ポートウィンのような顔色をして、傷口の血がすっかり凍っていた。
しかし、退却する部隊の困難もまた絶大であった。彼らの隊列はつねに、空からの
攻撃と、あとを追ってくる砲撃におびやかされていたのだ。アルデンヌで戦ったドイツ
兵の中で、あの残酷ではるかに優勢だったアメリカ軍の砲兵を忘れる者は、ひとりも
いないだろうといわれているほどだ。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=00862635 P303
翌一月二二日には、サン・ヴィストに向う両面からのはさみ撃ち攻撃は進展
していった。北からは第七機甲師団がヒューニンゲンから、わずか三マイルの
ところに近づいていた。南からはパットンの部隊が、トロワ・ヴィルージュ
で方向を転換して北進した。第一、第三両軍間の距離は一時間ごとに
短縮していったのである。
その日、連合軍の航空隊はヴィアンデンとダスブルク付近の道路上で動きがとれ
なくなっていた戦車、装甲車、馬力牽引砲車の大郡を発見して、これにロケット弾と
高性能爆弾の雨を降らせた。その与えた損害は、すさまじいもので、一一七七輌が
完全に破壊され、五三六輌にもかなりの損害を与えたのである。
パットンは、ブラッドレーに電話をした。勝ち誇る彼は、もうじっとしてはいられ
なかったのだ。「ブラッド、いまこそ全軍に総攻撃を命じるべきだよ。兵隊がどんなに
疲れていようと、損害がどんなにであろうと、そんなことを考えている場合じゃない。
いまこそ、攻撃の時だ」
39 :
名無し三等兵 :01/12/04 00:30
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363648 P218、219
新たに元帥に任命された人々が八月一四日、ヒトラーの手から宝石で豪華に
飾られた元帥杖をもらいに首相官邸に集まった時、彼は戦略的考えを明らかにした。
・・・《中略》・・・ヒトラーは空軍がイギリスの決意を悪天候が始まるまでに
変えられるかどうか疑問であるといい、それが失敗すれば、侵略についての決定
を一九四一年五月まで延期する、と語った。
昼食の終り頃のヒトラーの興味深い政治的演説のレープによる記述は重要
なので、詳しく引用しよう。
イギリスが和平しないのには、おそらく二つの理由がある。
第一は、イギリスは合衆国の援助を期待している。しかし合衆国は
一九四一年までは大きな兵器引渡しは始められない。
第二は、イギリスはロシアをドイツと闘わせようと望んでいる。だがドイツ
は軍事的にロシアよりはるかに優越している。フィンランドにおけるロシア
の戦闘のフィルムには、実に笑うべき光景があった。〔ロシアから〕石油が
来なくなっても、ルーマニアから容易に補える。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P354
この一月十二日のヒトラーの主要作戦会議のニュースは、コーネフ元帥の
強力な歩兵と機甲部隊がパラノフ橋頭堡を封じ込めているドイツ軍三個師団
を蹴散らし、すでに西に一〇マイル前進し、この押し寄せる敵軍を阻む
ものはなかった。ドイツの機甲師団はずたずたとなり、壊滅したのだった。
そして今度は三五〇の砲列からの二時間にわたる弾幕放火のあとで、
戦車と歩兵の新たな洪水が東プロイセンに対する第二の攻勢が、
今度は南側面から開始された。この方面の攻勢のゼロ時間が分かって
いたので、ドイツ軍は集結するロシア軍部隊と砲兵隊に砲弾の雨を
降らせ、一時的にはロコソフスキー元帥の部隊をたじろかせた。
だが敵戦車二四五輌をすでに叩き潰したのに、一五日には全東部戦線
が激戦中で、敵が戦略的中央突破に成功したのは明らかだった。
南ポーランドのキエルツェは陥ちた。ワルシャワはまだドイツ軍の
手にあったが、北と南で迂回された。クールラントと東プロイセン軍
があんなにうまく敵を寄せつけなかっただけに、この突然の崩壊に
仰天したヒトラーは、最も信頼する副官のひとりのフォン・ベロー大佐に
「もう希望はない」、ドイツを救えるのはいまや奇跡のみであるといった。
http://www.vfw.org/magazine/sep97/18.shtml U.S. Air Force combat Casualties
Listed in descending order
War Years Killed in Action Percent of Total
WWII (Europe) 1941-45 36,320 65.5%
WWII (Pacific) 1941-45 16,687 29.6%
Vietnam 1961-73 1,741 3.0%
Korean 1950-53 1,198 2.3%
WWI 1917-18 237 .42%
Cold 1946-70 88 .15%
Persian Gulf 1991 20 .03%
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P366
・・・・燃料不足でアントワープに対する空の闘いはいまは単発の戦闘爆撃機に
制限された。一月末ヒトラーは今後西部戦線は東部戦線を援助するため、燃料と
弾薬不足に耐えねばならないと決定した。ルントシュテットはアイゼンハワーが
いつルールに対する新たな攻撃を始めるかもしれず、それに対応して予備を前線
に展開する燃料が欠けているのに、SS第六機甲軍がハンガリーに出発する前に
これに補給するため燃料を失わねばならなかった。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=07047444 P28
一九四四年六月六日のノルマンディー上陸作戦いらい、連合軍のヤーボ
(戦闘爆撃機)に叩かれ続けたドイツ地上軍をその脅威から救うべく、
「ラインの護り」作戦とリンクして実施された一大航空攻勢が、
一九四五年一月一日のボーデンプラッテ(基地地盤)作戦であった。
一五個航空団三三〜三六個飛行隊の約八七〇機の昼間単発機を主軸と
した合計約九〇〇から一〇〇〇機は、午前九時過ぎに各飛行場を飛び立ち、
ベルギー、オランダ、フランスの計十八か所の米英連合軍飛行場を
一斉に強襲した。
ベルツ少将の第二戦闘機軍団の全力をあげて敢行されたこの攻勢は、
時間にしてわずか一時間程度の電撃のような一撃だったが、連合軍機
三〇〇〜四〇〇機(資料によって違いがある)を破壊する戦果をあげた。
しかし、連合軍の被害のほとんどが、飛行場に止められていた機体
のみで、パイロットの多くが生き残ったのに比べ、なけなしの戦力を
投入したドイツ空軍は、中佐・大佐級の航空団司令三名、飛行隊長九名
をはじめ、ベテラン搭乗員五九名など、パイロット二一四名と航空機
二九三機を失うという、当時のドイツ空軍にとって致命的ともいえる
損失をこうむってしまった。
すでに弱体著しかったドイツ空軍にはもはやこの損害を補充する力はなく、
「ボーデンプラッテ」が最後の航空攻勢となった。
http://www.militaryartcompany.com/luftwaffe.htm http://www.excite.co.jp/world/text/
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30847673 P375
ドイツの軍事的予備はとっくに尽きかけていた。二月二七日ヨードルは
ヒトラーに、二月に約束された五万二二一五人の兵のうち到着したのは
わずかに一万一九〇二人に過ぎなかったと激しく苦情をいっているルント
シュテットの電報をみせた。マルチン・ボルマンは五〇万以上の脱走兵が
ドイツ国内に隠れているとみて、二月中旬以降この“臆病の流行病”退治
運動を始めていた。彼の部下は大管区指導者カール・ハンケが最近ブレス
ラウ狂気の防衛に有効であったといっている“名誉ある死を恐れる者には
死と不名誉を”のスローガンの下にそういう連中を公開絞首刑にすること
を提案した。ヒトラーはヒムラーに脱走兵を恥じさせて部隊に帰らせる二つ
の思い切った解決策を提案した、「男性の態度に適切な影響」を与えるため、
ドイツ婦人指導者ショルツェ=クリンクに婦人大隊を創設することを相談する、
第二に十五歳の少年六〇〇〇人を徴募してヒムラーの後方防衛線を強化する
というものだった。ボルマンは部下への覚書の中で、「これはいまやわれわれ
が戦線を強化するために婦人と十五歳の者を召集しているということである」
と辛辣にのべた。
「第二の罪」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P230、231 ああした来歴をもつ反共主義については事情はまったく違っていた。ゴーロ・マン は一九四五年五月のヒトラー・ドイツの降伏から四十周年にあたる一九八五年二月 の「ツァイト」紙に寄せた文の中で、反共主義の狂気の投影がどれほど深く戦後に 入りこんでいるかについて次のように確認している。 「私に言い寄ろうとする、おそらくたいていは元ナチス党員だった人びとから、 私はよく次のような問いを受けた。<なぜ西側連合国は、ヒトラーの敗北がすでに 確定していた一九四四年の晩冬に、“同盟の逆転”を実行し、ヒトラーとその一味 抜きのドイツ人と結んでロシア人と対決しなかったんですか>と。純粋に技術的に はそのようなことは困難だったろうが、可能ではあった。というのはアメリカは かつてないほど無傷のままであり、豊かであったし、ロシアは恐ろしいほど荒廃 し疲弊しきっていたからだ。そのようなことを考えるのさえ不可能だった原因は、 心理的なもの、道徳的なものにあった。」
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P15、16
・・・・・一一月二四日、第六軍の補給係将校は一日に二〇〇トンの燃料
と二〇〇トンの弾薬および二七日以後はある程度の小麦粉を要求したが、
二五日国防軍総司令部の戦史係は、パウルスの「七〇〇トンの要求」は
明らかに誇張されていると書き、やがて三〇〇トンの数字が承認された。
十分なユンカースが手に入らないとのリヒトホーフェンの反対は信じられず、
第六軍は南西方向に脱出する以外にないとの彼の電話による勧告は無視された。
彼は日記にこう書いている。「総統は私のいうことによく耳を傾けてくれたが、
反対の決定を下した。軍が持ちこたえられると信じ、二度とスターリングラード
に到達できると思われないからだ」。ゲーリングに連絡しようとリヒトホーフェン
は試みたが、連絡できなかった、全国元帥はパリに行っていた。空軍参謀本部は
明らかに楽観的だった。というのは国防軍総司令官戦史係は二回こう記して
いるのである、ユンカース二九八機が動員できる、一日の能力六〇〇トンである、
わずかしか、一日二、三〇機しかスターリングラードにまだ到達していないが、
天候が良くなって空中輸送が始まったら、事態は変わる、と。それでヒトラーは
安心した。一一月二七日午後のヒトラーの戦争会議についての国防軍総司令部の
記録はこうなっている、「スターリングラード周辺の敵の配置は第六軍の意図にと
ってこの上もなく好都合である、スターリングラードの食糧事情は思ったよりよい」。
北西前線を撤退させるパウルスの計画はうまく進展していた。二九日の会議の記録は
フォン・マンシュタイン元帥の情勢判断にふれ、「総統と同じ結論に到達」といっている。
マンシュタインの意見はヒトラーに高く評価されており、この場合の
ヒトラーの決意を強めたのは疑いない。一一月二四日ヴァイクスの
作戦会議に到着したマンシュタインは、パウルスはスターリングラード
を放棄し、脱出する以外にないとの同将軍の判断を断固として退け、
明らかに脱出はまだ可能であるとともに「最も安全な道」であり、
弾薬と燃料状況から固守するのは甚だ危険だが―とマンシュタイン
の報告はなっている―
・・・・・・私は少なくとも徹甲弾、歩兵の弾薬、燃料の適切な補給が
あるかぎり―これは不可欠である―B軍団の脱出熱には賛成できない。
原註1 発見された国防軍総司令部の戦闘日誌に、スターリングラード 危機の絶頂における一九四二年一二月二一日のヒトラー、イェショネク、 ツァイツラーの決定的な議論が述べられているが、そこの「しかしいつも のようにまたなんら大胆な決定は下されてない。総統はもはやそうする力 を持たないかのようである」との文章は一九四五年のでっち上げで、 一九四二年の原文にはなかった。 >パウルスの「七〇〇トンの要求」は明らかに誇張されていると書き 原註4 国防軍総司令部戦争日誌の著者グライナーは一九四五年に この文句を削除し、のちに出版された原文には出ていない。 >全国元帥はパリに行っていた。 原註5 ところが一九四二年一一月二五日の「日記」にエンゲル少佐はゲーリ ングが“狼の巣”にいることにしてなんとヒトラーと劇的会談をやらせている。 >ユンカース二九八機が動員できる、 原註6 グライナーはあと智慧で一九四五年に記録を「改竄」し、「第四空軍 は輸送機は二九八機しかない、約五〇〇機が必要である」と直している。 >総統と同じ結論に到達 原註6 この妥協的文句はグライナーの一九四五年の改竄された原文 からはすっかり削除された。 原註8 もとの文書が残っている。マンシュタインは出版された 回想録の中で、私の引用したのっぴきならない言葉遣いを「改竄」し、 第六軍は脱出の機会が失われた以上、救出を待つべきである、それも 適当な空中補給が行われるとの「条件」でである、としている。
48 :
パブロフ二等兵 :01/12/04 18:03
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19326193 英米蘭との戦争をあえて辞せず、進出方向を南方に移すという一九四一年の
日本政府の決定が、部分的には一九三九年におけるノモンハン事件での関東軍
の敗退に由来するものである点については、旧日本軍関係者の沈黙にも関わらず、
同感する人が多い。
ソ連の歴史家ポノマリョフらは、赤軍によってノモンハンで日本軍が
喫した敗北は、横暴な日本の軍国主義者の思い上がりをある程度冷やし、
独ソ不可侵条約の締結は、反ソ的企図に出る基盤を失わしめたと推測している。
#ハルヒンゴルの対ソ敗北は、尾崎秀美などのソ連理解派の発言権を強めた。
#彼らはソ連赤軍が単独でもファシスト軍に抗戦しうる実力があることを知っていた。
#ソ連邦大祖国戦争の意義を正しく理解していた日本人がかなりいたことは,注目に値する。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P270、272
米陸軍は世界最大の船団の持ち主
アメリカ陸軍は世界最大の船団を保有した。そういっても間違いではあるまい。
大戦中、アメリカ陸軍が指揮下に置いた船舶数は十一万一千隻。これに対しm
海軍は一万四千隻から一万七千隻(船の分類の仕方で変わってくる)の戦闘艦
を指揮下に置いた。船の数でいえば陸軍のほうが多いわけだが、ただし陸軍は
一隻の軍艦ももっていなかった。
第二次世界大戦での上陸作戦のほとんどは陸軍が主導権をにぎっていたのだから、
陸軍が大船団を擁していても不思議はないかもしれない。陸軍は千六百二十五隻の
小型(千トン以下)外航船、それに一万一千百五十隻の内航船(曳き船、機雷敷設船、
燃料用艀、浚渫船などを含む)ももっていた。こういう分野は海軍が手を出したがらない。
50 :
名無し三等兵 :01/12/06 18:57
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18738106 P307
― 八月三十一日、
ヒトラーは、外相J・リベントロップの覚書をうけとった。
外相は、ソ連軍のルーマニヤ進攻によってドイツは最重要戦略物資である
石油の確保に支障をきたすことになった、これはこれまでに失った資源事情
をさらに極度に悪化させる、と指摘した。
ドイツはすでにポルトガル、スペインのタングステン、ウクライナのマンガン、
トルコのクローム、南フランスのボーキサイトの入手をふさがれた。
フランスでは、米英軍の進出でドイツ側が各地に配備した大量の工作機械
も放棄する結果になっている。
いま、ルーマニヤをソ連にわたし、さらに他のバルカン諸国もドイツ陣営
から離脱する気配を見せはじめた点を考えれば、「終戦」の時期にさしかか
ったと判断すべきであろう。
「本職は、ここに総統が賢明なる決断を下し、本職に対米英和平交渉の権限
を与えられんことを要請するものである」
外相リベントロップは、そうヒトラーに献言していた。
51 :
パブロフ二等兵 :01/12/06 22:20
(”ドイッチュラント・ユーバー・アレス”のメロディーで) ♪”ドイツ軍隊 世界で一番!” ベンゼン虚しく わめくだけ 自慢の種の 兵器に兵士 結局犬死に 無駄使い マース川も メーメル川も 今となっては よその国 ”人間以下”の スラヴの国に 侵略したけど 返り討ち
>>51 二等兵!ヨソのスレでひとの作った替え歌勝手に使うんじゃねぇヴォケ!
53 :
名無し三等兵 :01/12/07 06:08
ここは「オレの読んだ本」引用スレなのかい?
54 :
名無し三等兵 :01/12/07 16:43
55 :
名無し三等兵 :01/12/08 09:06
56 :
パブロフ二等兵 :01/12/08 11:23
>>11 >>13 >>29 ソ連邦の人工衛星打ち上げも、彼らはドイツからの盗用だと盛んに揶揄した。
彼らはヒトラーと一部ナチ幹部にだけに何から何まで全ての責任を押し付けて、
自分たちが国家民族総力をあげてやった東欧での収奪を都合よく忘れていた。
57 :
名無し三等兵 :01/12/08 23:09
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=00862635 P309
戦いは終った。
<ラインの守り>は、傷ついた巨大な獣のように“祖国”にはおもどっていった。
ドイツの兵隊たちは、麻袋で足をまいて、頭には婦人用のショールをまきつけて、
よろよろと雪の中を歩いていった。感覚を失ってしまった足を引きずって歩く
彼らの背後からは、氷のような風が、爆弾が、そして砲弾が追いかけてきた。
そしてそのあとには、大量のトラックや大砲が、燃料がなくなってしまったのと、
修理が届かなかったために捨てられてあったのである。
負傷兵と病兵も東へ逃げていった――腹の中が腐ってしまったのや、
凍傷で鼻が球根のようにふくれたものや、しらみだらけのものや、
化膿した傷がそのまま凍ってしまったのや、おちてしまった耳の穴からうみが
出ているものや、そんなのがいっしょくたになっていた。
退却する隊列は、死体とまさに死体になろうとする者でいっぱいに
なっているはたけや森を通り抜けていった。アメリカの兵隊が立ったまま、
まるでこじきがもの乞いするように手をひろげた形で、凍死していた。
ドイツの通信隊の兵士が、そのこちこちになった指に電線をひっかけるという、
気味の悪いいたずらをしたので、そのアメリカ兵は人間の電信柱みたいだった。
しかし、退却する者は、そんなものには目もくれなかった。ただ逃げるとい
うことだけで、彼らの頭はいっぱいだったのだ。巨大な悲しい行進は、東へ
東へと流れていった―自分の吐く息が凍ってえりのところがまっ白になり、
足は凍りつき、心は死んだように無力で、身体は病んでいた。その上に赤痢
がまんえんしていた―彼らがふらふらと通りすぎたあとには、雪の上に血便
の糸が続いていたのである。
58 :
名無し三等兵 :01/12/08 23:14
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30693820P234 、235
ヒトラーには、東部正面の状況を憂慮する理由がいろいろあった。しかし、
さしせまった危機は西部正面にあった。一九四一年時点では、ヒトラーから
みると、イギリスなど、自己の無力を認めないだけで、実際には力のない
存在であり、背を向けていても構わなかった。それが今では、二年前に終わる
はずだった対ソ電撃戦はすでに失敗してヒトラーの軍隊は押し返され、一方の
地中海防衛にも錐で穴をあけられるように貫通され、友邦は離反していた。
しかも、それよりもさし迫ったさらにおおきな脅威が、彼の背後に生まれていた。
無力な西側が復讐の念に燃えて立ち上がりつつあった。東部正面に三度目の
ロシアの冬が訪れ、戦闘が凍結した状況にある時、指令第五一号がだされた。
絶対に回避するとあれ程約束していたニ正面戦争が恐ろしい現実となり、
ヒステリックな調子が文面ににじみでている。
59 :
名無し三等兵 :01/12/08 23:27
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P230〜231
第二次大戦を通じ、もっとも長期的で、大規模で、かつ激しく破壊的
だった戦闘の一つ、それは英米空軍によるドイツ大空襲だった。しかし、
その実態はあまり世間に知られていない。空襲は一九三九年から始まっていたが、
本格的になったのは一九四三年の「戦略爆撃攻撃作戦」が軌道に乗ってからである。
この作戦で、四発の戦略爆撃機が百五十万トンの爆弾をドイツ領内に投下し、
戦闘爆撃機(単発・双発を含めて)がさらに百十万トンの爆弾を落とした。
≪中略≫
爆撃行で受けた損害もまた大きかった。空軍の戦死傷者は十五万九千人(英米軍半々)。
未帰還機は爆撃機で二万一千九百十四機(うち英軍機は一万一千九百六十五機)、
戦闘機で一万八千四百六十五機(うち英軍機は一万四十五機)に達した。
爆撃に参加した爆撃機はのべ百五十万機、千機につき十五機の損耗率である。
戦闘機はのべ二百七十五機で、こちらは千機につき七機の損耗率だった。
爆撃の発信基地は、ほとんどイギリス。ここから発進した爆撃機が投下した
全爆弾の半数はドイツ国内に落ち、二ニ%はフランス国内に落とされた。
一方、イタリアを発進基地とした爆撃行の標的は、主にイタリア領内(総計中の十四%)で、
オーストリア、ハンガリー、バルカン諸国が七%、残余の地域が七%である。
60 :
名無し三等兵 :01/12/09 10:04
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P355
東部戦線についての参謀本部の一二月初めの呑気さを戦後の回想録が
黙っているのはわかる。しかし捕虜になったブルクハルト・ミュラー
=ヒルレブラント少将が一九四五年八月同僚の将官に、グデーリアン
が東部軍の参謀長を一二月五日ツォッセンの陸軍総司令部に召集した
時のことを語っているのを聞かされた。「まずはちきれんばかりの
食物の物凄いご馳走、ついで酒宴、グデーリアンは午前二時まで残り、
その頃にはみんな大うかれになっていた。私はむかむかした」。
毎晩、陸軍総司令部は王侯のように酔っていた、と彼はいった。
61 :
名無し三等兵 :01/12/09 14:16
「Panzer Trppen2 1943-1945」のP110に、1943年の2月から 12月までの東部戦線の戦車保有数と稼動数がのってます。 例えば9/30は、保有1953両に対して稼動数は605両です。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18714510 P315
この憲法改正によるフランスの全体主義化は、たぶんに英艦隊の仏艦隊攻撃
の反動を主因にしているとは思いながら、フランスがそれほどにヒトラーに
接近または迎合姿勢を示すとは、夢想外であったからである。
「フランスがわがナチズムを信奉しているとは、知らなかった」
「そうです。まるで同士討ちをしてきたようなものです」
ヒトラーとOKW(国防軍総司令部)長官W・カイテル大将は、互いに、
あまり巧みでない皮肉を述べ、意外感を表明しあった。
OKW(国防軍総司令部)は、はりきった。
すでにフランスは軍事的に無力化している。問題にする必要はない。が、
いわば“ナチス化宣言”にひとしい憲法改正をしたのは、積極的にドイツ
陣営に参加したことになり、対英、対ソ連いずれの作戦を遂行する場合にも、
「内側からの反抗」を顧慮する必要がなくなるのである。
63 :
名無し三等兵 :01/12/09 23:33
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18775719 P66
抵抗したのちに降伏するだけでんく、米軍をもとめて歩いてくる独兵も多かった。
四月十一日以降は、ほとんど「二千人」単位で投降し、「五千人」の集団投降も現出した。
四月十二日、第十八空挺軍団は包囲網の中央を突破し、独軍部隊を分断した。
投降する独兵を世話する兵力の余裕がないので、同第七十八師団第三〇一連隊の場合は、
兵一人に投降兵六十八人を引率させて後方にむかわせたが、その兵が連隊補給所にたどり
ついたときは、途中で加わった独兵をふくめて投降人員は「千二百人」をこえていた。
師団長E・パーカー少将はいう。
「師団司令部では、千二百人の捕虜を連れ帰った兵を表彰すべきかどうかで議論が
わかれた。第一次大戦の英雄ヨーク軍曹に匹敵するという意見と、いや、むしろ
厄介者を連行した愚兵だという見解が対立したのだ」
64 :
名無し三等兵 :01/12/12 11:53
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19321717 P41
同じころ、ドイツ空軍戦闘機部隊は中部ドイツに大々的に兵力を集中させた。
九月十二日には四〇〇機以上が防空任務に出撃できる体勢にあったが、悪天候
のため離陸命令は取り消された。ところがゲーリングはこの決定に納得せず、
自らしゃしゃり出て戦闘機に出撃命令を出してしまった。この馬鹿げた命令
によって戦闘機部隊は出撃機の一〇パーセントを失ったといわれ、そのため
九月の戦力収支決算はますます落胆すべきものとなった。本土防空に投入された
戦闘機は三七一機の損失に対し、敵機撃墜は三〇七機であった。ただしドイツ
空域に侵入した連合軍機の数は、防空側戦闘機の出撃数よりも一八倍も多く、
損失率はそれぞれ〇.七パーセント対一四・五パーセントとなるのである。
この数字はとても引き合わないどころではすまないものであった。
65 :
名無し三等兵 :01/12/12 14:41
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 嵐の強まる様子は九月十八日のクライペの日記にはっきり描かれている。
その日はそうでなくてもヒトラーはひどい頭痛で一睡もできず、機嫌の悪い
日だった。「総統の会議の間に」とクライペは書いている、「オランダに
空輸上陸があったとの新たな知らせが入る。総統は怒り出し、空軍の無能
をののしり散らし、敵を迎え打つために戦闘機が何回オランダに出撃したか、
いま直ぐ知りたいという。私は航空団“ライヒ”に電話し、天候のせいで
今日はほとんど出撃しなかったのを知る。総統は私のこの旨の報告を最も
辛辣な批評に対する言い訳と受け取り、「空軍全体が無能、臆病で苦境に
ある私を見殺しにする。数多くの空軍部隊がライン川を渡って退却して
いるとの新しい報告を受けている」という。
66 :
名無し三等兵 :01/12/14 00:38
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=00862635 P225
すべてが終ったのは、午前一〇時半だった。奇襲の効果は完璧で、
ブリュッセルからエイドホーフェンにいたる間の二七ヵ所の連合軍の基地
は廃墟と化し、三〇〇機が破壊されてしまった。<大打撃>作戦は見事に
成功したのだが、しかしドイツ軍にとっては自殺的であった― 五九名の
教官クラスを含む三〇〇名の戦闘機パイロットを、ドイツ軍はこの作戦で
失ってしまった。ドイツ空軍は、壊滅してしまったのである。
67 :
パブロフ二等兵 :01/12/14 18:45
「われわれの社会全体がアウシュヴィッツに協力したのだ」
責任をアウシュヴィッツにとどめず、この場所をヒトラー・ドイツの
中心的シンボルにするマルティン・ヴァルザーのこの言葉に、誰があえて
異を唱えようか。これに対して、どのような異議、真剣に受けとれるよう
などんな異議がありえようか。皆無なのだ。これは、ヒトラー下のドイツ
人の集団責任についての、極度に圧縮した決定版的表現なのだ―
「八〇〇〇万人中数千人」によるヒトラーへの抵抗ということだけでも、
そのことを証明している。
http://members.tripod.co.jp/postx/ron/minzokuron1.html
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P93
戦争に行けば、殺されるか、負傷するか、の危険を負う。アメリカでは
締めて千六百三十万人の男と女が軍務につき、作戦中に死んだ者は二十九万
一千五百五十七人で、一・八%。事故や病気などほかの原因で死んだ者は
十一万三千四十二人で、〇・七%、戦闘で傷ついたが生き残った者は
六十七万九千八百四十六人で、四・二%である。
さらに戦闘参加者の半分以上が、事故か病気にあっている。しかし、この数字
ははっきりしない。戦闘以外に将兵が出あう危険というのは、あまりにも幅広い
からである。そのなかでも最多なのは性病だ。それも動きが不自由になるだけの
淋病から、潜在的に死の危険をともなう梅毒まで範囲は広い。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P118
大体においてヨーロッパ戦域は、ジャングル病、マラリア、デング熱、
そのほか熱帯特有の病気に冒されないだけでも、まともな戦場といえた。
大戦中もっとも病気が恐ろしかった戦場は二つあり、一つはビルマで、
もう一つはニューギニアだった。イギリス軍の経験では、一九四三年
にビルマ戦線で戦闘による負傷者を一人後方に移送するたび、戦闘以外
の原因で後方に移送する者は百四十人を数え、その大半がマラリア
および他の熱帯性の病気の罹患者だった。この数字は一九四四年には、
徹底した防御策と新薬の導入により六十人に落ち、一九四五年には
四十人へと激減した。それでもなお、罹患者数は実に多い。
アメリカ軍に目を向けてみよう。アメリカを離れなかった軍人や非戦
闘区域にいた軍人などを含め、アメリカ軍全体で考えると、戦闘による
負傷で戦闘不能になった者の率は、わずか一八%にすぎない。ビルマ、
ニューギニア、その他の熱帯地域で戦った軍人は、イギリス軍と同様、
数多くの熱帯性疾病の危険にさらされた。罹患者は敵軍による負傷者
より多い。敵軍がいなくても、病気の危険は去ってくれないからだ。
アメリカ軍はメラネシアにあるサンタクルス諸島のヌデニに飛行
基地をつくろうと企てたが、多数の工兵が次々とマラリアに倒れ、
計画を放棄せざるを得なかった。それに加え「内国地帯」(軍事用語
=交戦国内で作戦地域を除く地域)での事故率が、飛び抜けて高かった。
一九四三年だけで、軍事関係の飛行事故で五千人が死んでいる。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P295
太平洋戦争の特徴の一つは、非戦闘要因で破壊された航空機が多いことだ。
戦争全体を通して見ると、敵側の行動で失われた航空機は、たったの二五%
にすぎない。残りの原因は天候不順、空母からの発着艦ミス、急造滑空路に
よる事故と、熱帯性気候による航空機の損傷だった。こうした太平洋独自の
状況のため、航空機のロスは欧州戦線などよりはるかに高かった。アリュー
シャン作戦では、なんと八七%が非戦闘要因による損害だった。たしかに
アラスカには熱帯性の気候はなかったが、北極の悪天候が航空機の寿命を
大幅に短縮したのである。
73 :
名無し三等兵 :01/12/16 20:30
Table 1--UNITED STATES ARMED FORCES TOTAL STRENGTH AND CASUALTIES
IN WORLD WAR II, DEC. 7, 1941-DEC. 31, 1946
Table 2--ARMED FORCES PEAK STRENGTHS AND BATTLE DEATHS OF THE
PRINCIPAL ALLIED POWERS
Table 3--ARMED FORCES PEAK STRENGTHS AND BATTLE DEATHS OF THE AXIS POWERS
Table 4--UNITED STATES BUDGET EXPENDITURES, JULY 1, 1940-AUG.
31, 1945 (Billions of dollars)
http://gi.grolier.com/wwii/wwii_16.html
75 :
名無し三等兵 :01/12/19 19:46
76 :
名無し三等兵 :01/12/20 15:43
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ) 所によっては報復への不安がはっきり確認されることになったが、 その背景には、自己を過大に評価する人間に典型的な、あの深い 不安感もひそんでいた。長いこと抱いてきた優越感の幻想が、いまや 世界史のなかで正当に報いられることもなく崩壊に直面するや、今度は、 これまでとはまったく変わった条件の下で、自らが行った苛酷な行為が どんな結果をもたらしうるかという、臆病な疑念が忍びよってきた。 ミッチャーリヒ夫妻がナチ・イデオロギーの核心部分に関して次のように 論評している予感が頭をもたげてきたのだ。 「軍事的崩壊とともに、<ドイツ人種の保護>のための措置は、ナチスの 狂気の範囲外で判断されていたものに再びなった。犯罪なのだ!」 ナチスの狂気の範囲外・・・・・・。すべての期待、憧憬、願望、希望、そして 教え込まれたファナティズムに反して、一九四五年一月以後は、東方戦争が もうすぐ「下等人間」の勝利に帰するであろうことには、何らの疑いもなかった。
77 :
名無し三等兵 :01/12/22 18:32
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=04093523 P185
広い額に黒い髪、がっちりとして引き締まった体格のワシーリ・イワーノヴィッチ・
チュイコフというロシア人が、第二次世界大戦が起こったとき、ソヴィエト陸軍武官
として重慶に勤務していた。彼は、彼が開いたといわれる記者会見で、蒋介石がソ連
から受けている大量の軍事援助について語り、その結果外交上の騒ぎがもち上がった。
そのため一九四二年のはじめにチュイコフはモスクワに召喚され、一九四二年三月、
戦線に参加した。予備軍司令官代理をほんのわずか務め、自動車事故で軽い怪我をした
りしたが、やがてスターリングラード戦線を補強するため司令部とともに派遣された。
78 :
名無し三等兵 :01/12/23 11:16
「世界歴史体系 フランス史」(山川出版社)P316 ダルランが統治した時期には、ボーキサイトを安価でドイツに売り渡したり、 ベルギーから預かっている金をドイツに引き渡したりしたが、特質すべきことは 航空機の共同生産である。ドイツはかねてよりフランスの航空機産業に強い関心 をもっていた。フランス側も失業対策や、プラントをドイツに引き渡さなくて すむことなどから、ドイツの注文に応じた。ドイツは休戦協定に反するかたちで、 自由地区の兵器産業や航空機産業にも発注する。フランス政府も、自由地区内の 航空機工場へドイツ軍が機材を発注するのを追認した。一九四一年四月に、 工業生産大臣のピュシューがドイツ軍向けの兵器類の製造を約束する。同時に 仏独間で航空機の共同生産計画の協議がなされ、一九四一年七月二十八日に 調印された。この協定でフランスは、ドイツに従属したかたちでの航空機生産 を認める。この結果、フランスはユンカース五二型輸送機の生産ではおおいに ドイツに貢献することになる。一九四三年には、ドイツはフランスの全航空機 産業を併合した。かくしてフランスは毎年、工業生産物の三割から五割におよぶ 物資をドイツに供給するのである。航空機の一〇〇パーセント、自動車・建設・ 石炭・セメント・造船の七五パーセント、ゴム・塗料・化学・織物の六〇 パーセントがドイツ向け製品であった。
79 :
名無し三等兵 :01/12/24 14:36
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19991946 P211
ソ連は1930年代初期に、英・米・独とほぼ同時にレーダーの研究をはじめた。
レーダー・システムが開発され、一部は1941年以前に生産段階に入っていたが、
その進捗状態はレーダー支持者が望んだほど急速なものではなかった。実用と理論の
うえで、まだ克服されない障害があり、科学者や軍関係者の間にも若干の懐疑論が
あった。それだけでなく、ソ連無線工業は必要な装置の製造に困難を感じていた。
粛清もまた、ソ連のレーダー開発に大きなマイナスの影響を与えた。
戦時中にようやく政治指導部はレーダーの重要性を理解した。1943年7月、
国家防衛委員会はレーダー評議会を設置し、マレンコーフが議長となって研究・
開発を調整し、装置の生産を拡大することになった。レンドリースによって米・
英・カナダから供給されたレーダーが、コピー生産された。航空工業人民委員部
にレーダー総局が設置され、機器製造工場の1つがレーダー製造に切り替えられ
た。
終戦時にレーダー評議会は特別調査団をドイツに派遣して、レーダー設備と
ドイツの電子工業を調査させた。この調査団は詳細な技術リポートを作成したが、
これが米英のレーダー研究とあいまって戦後のレーダー開発の基礎を作った。
ドイツのレーダー専門家がソ連に連れて来られ、ソ連の各工場に配属された。
評議会はレーダー開発3ヶ年計画を作成し、1946年7月に政府はこの計画を
承認した。ソ連はかなり立ち遅れており、1946年の米国諜報機関の評価では、
ソ連のレーダー開発は米国より少なくとも10年は遅れているとされた。しかし
1946年初までにソ連は、大規模なレーダー開発の基盤を築き上げていた。
80 :
名無し三等兵 :01/12/25 23:30
http://www.joric.com/Conspiracy/Manstein.htm http://www.excite.co.jp/world/text/ "Stahlberg told Manstein that 250,000 Jews had been killed in
Manstein's theater of operations. Manstein said: 'No! That's
impossible!' Stahlberg told him that many would fill the Olympia
stadium in Berlin. Manstein replied: 'We would have heard about
that! No, don't let your friends tell you such nonsense. I'll
have nothing to do with such things. What I don't know doesn't
concern me.' That was Manstein's answer."
http://www.thirdworldtraveler.com/Fascism/Slaughter_B_CS.html The Nazis deliberately used famine as a political weapon in the East,
and it soon became the largest single killer. As the German invasion
of the USSR began, General (later Field Marshal) Erich von Manstein
ordered that "the Jewish-Bolshevist system must be exterminated....
In hostile cities, a large part of the population will have to starve."
Nothing, Manstein continued, "may, out of a sense of mistaken humaneness,
be distributed to prisoners or to the population-unless they are in the
service of the German Wehrmacht."*
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社) 戦争勃発以降、軍首脳の頭脳中に起きた変化を示す印象的な例がある。 砲兵隊のゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将は一九三九年、ポーランド 在住のユダヤ人に対する大量虐殺のあと、彼の下にあった親衛隊の分遺隊は 「ドイツ陸軍の面汚し」なのでその管轄地域から出ていくよう、激怒して陸軍 司令部に要求したことがある。この同じ人物がその後、陸軍第十八軍の最高 司令官と上級大将に昇進し、一九四〇年八月、次のような命令を下しているのだ。 「余は、陸軍のすべての兵士、特に将校が、ポーランドにおいて遂行された ドイツ民族性の闘争、例えばポーランド少数民族、ユダヤ人、それに教会の 事項の取り扱い、これらに対する批判を控えるよう働きかけることを求める。 数世紀末、東部国境で展開されているドイツ民族性のための闘争は、最終的 解決のために比類ない、厳しい措置を必要とする。党と国の特定の分遺隊に、 この民族性のため戦闘の遂行が委ねられた。したがって兵士は、他部隊の この任務と関わらないようにしなくてはならぬ。兵士は批判によってこの 任務に介入すべきではない。」
83 :
名無し三等兵 :01/12/30 09:43
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19896811 p30、31
ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
84 :
名無し三等兵 :01/12/30 22:34
コンラート・アデナウアー首相 「本日、この議会において私は連邦政府の名において宣言いたします。気高い軍の伝統 の名において、地上や海上、あるいは空で戦った全ての兵を我々は是認します。ドイツ 軍人の誉れと偉大な功績は、過去数年の間に傷つけられはしましたが、まだ生き続けて おり、さらに生き続けることを確信するものであります」 ヘルムート・シュミット元首相 「国防軍の犯罪展」について 「私にはカタログだけで十分でした。あまりにも一方的なものです。祖国に対する ある種の自己暗示的なマゾヒズムを、自分達の職務だと考える人たちがいるわけ です・・・ああゆう者達はどこの国にもいます」 「ここ数年、ある巡回展で、何百万ものドイツ兵を、茶色や黒、灰緑の制服を着た 犯罪人といっしょくくたにした者たちがいる。こういう極左の意見は、危険なの にも関わらず、禁じられていません」
85 :
名無し三等兵 :01/12/30 22:51
パブロフは大晦日も頑張ってるな・・・
86 :
名無し三等兵 :01/12/31 14:52
87 :
名無し三等兵 :01/12/31 17:44
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=07026370 P94
英本土航空戦・それぞれの損害
イギリス本土およびイギリス海峡上空を舞台に、激闘をくり広げること114日間。
この間に英空軍は航空機1.023機、パイロット527名の損害を出し、ドイツ空軍は
1.887機、乗員2.662名を失った。 文/岡部いさく
≪前略≫
戦時中に英空軍が発表した戦果は、七月一〇日から九月三〇日までの期間で
二四〇〇機以上というものだったが、これは非常に誇張した数字であった。一方、
ドイツ軍が国民に伝えた損失もまた大幅に過小なもので、七六二機でしかなかった。
実際にドイツ空軍が失った機数は一四〇八機であったから、イギリス側は約一・八倍
に戦果を膨らませていたことになり、片やドイツ側は半分近く損失を隠していたのである。
ドイツ側は戦果についても誇大に公表し、海峡航空戦を通じて三〇五八機のイギリス機
を破壊したとしている。しかし、実際に英空軍が失った戦闘機の総数は一〇二三機であり、
約三倍の誇張となっている。
88 :
パブロフ二等兵 :01/12/31 23:24
東部戦は、ソ連が目下英仏と戦争中のドイツの背後を襲ったのでは無い。 <ドイツの方が>、不可侵条約を一方的に破って攻撃してきたのである。 ドイツの領土が、産業施設が、働き手が奪われたというのも全てドイツが 東欧でそのようにやってきたことの結果だ。また二正面作戦なったのが まずかった、というのもそもそもドイツ自身の犯罪的対ソ攻撃行為の結果。 全ては、★★ドイツ自身が招いた侵略の結果としての当然の報い★★なのだ。
89 :
名無し三等兵 :02/01/01 19:18
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=06867304 P38、39
一九四二年の春が訪れても、ドイツの軍事情勢にはほとんど変化が見られなかった。
東部戦線は膠着状態にあったし、ロンメルの新たな砂漠攻勢の備えはまだ万全では
なかった。日本のうち続く勝利のほかには朗報といえるものはほとんどなく、日本の
勝利に対するヒトラーの喜びも、同盟国が、彼の希望通りに戦争を遂行することを、
言葉は丁重だがかたくなに拒否したために、水をさされる始末だった。リッベント
ロープは大島を通じて、大規模な攻勢をインドに向けるようひっきりなしに日本に
圧力をかけたが、いっこうに効き目がなかった。またヒトラーも大島をヴォルフス
シャンツェに招いて同じ要請を繰り返したが、不成功に終わった。国防軍はコーカ
サスに侵入しようとしており、この油田地帯を占領すればペルシアへの道が開ける、
と彼は力説した。そうすればドイツ軍と日本軍は巨大な挟撃作戦によってイギリス
の極東兵力を一網打尽にすることができると。これは誘惑的な提案だったが、日本
はこの機会を辞退した。彼らはすでに西側との交渉を考慮中だったのである。東条
首相は皇居に呼ばれて、「戦争終結のいかなる機会も見のがすことのないよう」
天皇に指示されていた。
ご苦労。パブロフ
91 :
名無し三等兵 :02/01/03 00:08
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30816716 敗北―総括
1 多正面戦線、ソ連奇襲と関連した目的の失敗、それに大西洋戦における連合軍の
勝利―こうした展開が戦局のむかうところを遅くとも一九四三年にははっきりさせた。
2 戦艦<シャルンホルスト>の出撃とその沈没(一九四三年十二月二十六日)
は、まさに悲劇的であった。ソ連むけの兵器を運ぶ船団を撃滅し、直接東部
戦線にてこ入れしなければならないという要請は、戦艦が北極の冬ではほと
んど手も足も出ないという海軍みずからの経験を塗りつぶしてしまった。
3 <シャルンホルスト>の大きさ、装甲、火力の“優勢”はしばしば強調され
ていたが、結局は机上のものでしかなく、戦いでは通用しなかった。真の優勢は、
一見弱体に見えても、装備と経験にすぐれた英軍のほうにあったのである。
4 そこで主役を演じたのがレーダーであった。海戦における高周波兵器の
革命的意義はドイツではまだ一般にみとめられていなかった。―偵察手段として
みずから電探装置をさかんに使っていたにもかかわらず、そして、とりわけ
Uボート戦において敵のレーダーにさんざん悩まされたにもかかわらず。
5 極北の冬の闇夜においてこそ、ドイツ戦闘グループを投入させる場合、
敵味方の電波探知の抗力があらゆる作戦思慮で優先されるべきであったのに、
それがなされなかった。
6 英海軍は一九四三年以降その到達距離と正確さにまさるレーダー装置
を巧みに扱うことで大きく先んじていたのに、ドイツ軍は、性能は劣る
というものの前からあった艦首の電波探知機にスイッチも入れなかった。
電波探知機についても“無線管制”を施したということは、その重要性
についての認識不足を証明している。
7 今次大戦におけるドイツ海軍の指揮は、努力は十分にみとめられるが、
運がなかった。上層部は戦争に伴う技術革命についていけなかった。
軍事指導部と科学・技術の緊密な協力が行われたのはいつでも手遅れで、
ほとんどが度重なる打撃に対する反応としてであった。
8 その最後の作戦、二〇〇万人をバルト海をわたして救ったことで、残存艦隊と
商船・軍艦の乗員たちは、もう一度能力のほどを証明した。崩壊の渦中において、
彼らは、軍人の唯一の倫理的存在理由とされる使命を完全に果たしたのである。
敵の攻撃に対して自国民を守り、迫る危険から財産と生命を救うということを。
92 :
名無し三等兵 :02/01/03 01:04
// ̄| ̄ ̄\ / /___! -‐‐<二ヽ (^^^) / ̄ / / \| |=| | / (・) (・)| / ̄ ̄ ̄\/ ├、l ⌒l ヽ / \ |6 _____ | 、! ―――‐-、 | (・)(・) | └、 \___ノ/ / ̄ ̄(K) ̄\| ● | \____/| ∠二二二二二_\、____ / / > - |/|┌―‐┐i─‐┐ノ\\__ノ_/| / /| 。 ├‐|‐| >├|< || /⌒ / ⌒\ \ \| 亠 |B/└―‐┘)―‐┘ 人 。 。 八 ヽ \ ⊇ /干\└‐、 __, | \| 亠 // ノ | |\ \_ / ■□■ □■/干 \ ( / ( /⌒v⌒ | U ̄ ̄ U/□■/ ̄ ̄ ̄ ̄\ ズコズコ| /⌒ - - |U ∠_____ | / \ | | || |/ \ | | / ノ\_ | |。___。ノ| U | ( ・)(・ ) | | (⌒⌒⊃ / パンパン| | \| |\ | ⊂ 6) / (⌒⌒っ /__/ | | | |  ̄⌒ゝ____, |⌒ヽ / \ \ ⊆ | |_⊇_ \\_/ |⌒v⌒\\ \  ̄ ヽ 人 。 ̄ ̄。 ハ | \ | \ / /
93 :
名無し三等兵 :02/01/03 02:55
いつみても活気のあるスレッドですね。 なんというかはつらつとしてます
94 :
名無し三等兵 :02/01/05 15:08
>軍隊におけるデブの利用価値 屠殺して脂肪と肉にすれば良い。ドイツ軍にもっと沢山のデブが居たならば, 燃料にも食糧にも困らず暖も取れてモスクワを制圧できたにちがいない。 ドイツにもっと沢山のデブが居れば,モスクワは陥落していたはずだ。
シルエットや影が革命を見ている もう天国への自由の階段はありはしない 無線電話だ 天国それとも地獄 でかい頭とドラムだ フル・スピードと未開人だ これはゲームなんかじゃない 俺は事件から締め出され 本当になにが起こっているか分からない どこに道徳があるのか 人々は指を折られて この独裁者に卑しめられている 頽廃だ 俺には我慢できない これはゲームなんかじゃない 難民の記録映画 標的を背にする恋人たち 道に石を投げれば こなごなに砕け 昨日にブラインドをおろせば 恐怖ばかりが増す 俺の頭に弾丸を打ち込めば 新聞は書き立てる これはゲームなんかじゃない
96 :
名無し三等兵 :02/01/07 17:36
スケアスリー・モンスターズ!
97 :
名無し三等兵 :02/01/09 14:10
バルジ戦におけるパイパー戦闘団の燃料が片道分しかなく、しかも敵から燃料を分捕って 作戦を遂行せよとは末期ドイツを象徴する言葉ではないであろうか。 ただ、パイパーは任務を遂行し、敵の腹に穴を開けた功績は認めてあげねばならないが。 後退時には自らの兵器群を爆破しての徒歩の後退というのもむなしいものだ。 やはり、ヒトラーの絶対制空権のない戦闘というものを認識できなかったところに 彼の限界が読み取れる。 作戦当初の天候は確かにドイツ軍に有利に働いたのは事実であり、 ゲーリングの空軍の働きが少しでも加勢していればと思われる。
98 :
名無し三等兵 :02/01/09 21:32
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19321717 P49
ドイツ,アメリカ両軍の報告による損失数を比べると,評価検討のため
入手もしくは参照した数字を見る限りでは,大きく異なる結果が示されている。
これは一九四四年十一月二日の戦闘だけにあてはまるものではなく,双方の
数字が大まかに合致していたり,相互に対照できるような関連を見いだせる
ことすらも極めて稀である。従って一方の撃墜数と相手側の損失数が食い違う
のは何ら珍しいことではなく,敵側の損失はたいてい過大に報告されている。
撃墜報告の中には翌日,あるいは一週間もたってから訂正しなくてはならない
ものもある。同様にして味方の損失が,とくに公式発表やコミュニケなどで,
過少に示されることもしばしばである。
ドイツ側の損失報告によれば,戦闘機部隊は十一月二日に少なくとも九八機
を失い,そのうち二四機は突撃部隊の機体であった。第I戦闘機軍団の文書で
は一二〇機,うち突撃飛行隊のもの三〇機という数字が挙げられている。
アメリカ側は,先に述べたとおり,敵戦闘機一三四機撃墜を報告している。
アメリカ第8空軍の公式記録には,十一月二日には合計四〇機の四発爆撃機の
損失が記されており,そのうちの二六機がドイツ戦闘機に撃墜されたとしている。
99 :
名無し三等兵 :02/01/09 22:03
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19321717 一九四五年四月七日 土曜日
<前略>
しかし最終的な結果を見ると,その数字は恐るべきものとはいえ,予想どおり
期待をはるかに下回るものであった。出撃したドイツ戦闘機のうち,基地に戻っ
たのはたった一五機でしかなかった。パイロット七七名が戦死もしくは行方不明
となり,残りはパラシュートで脱出に成功した。無意味な犠牲であった。ドイツ
側は一三三機の喪失を認め,敵機五〇機を撃墜したとしている。たとえこの数字
が正しいにせよ,戦局の推移には何ら影響を及ぼすことはなかった。対照的に
アメリカ側は戦闘機による五九機を含めドイツ機一〇〇機を撃墜し,それに
対し失った爆撃機はわずか八機であったと報告している。おそらくどちらかの
数字が多すぎ,どちらかが少なすぎるのだろう。
100 :
暗黒の木曜日 :02/01/11 11:31
「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)下巻P148 ゲーリングとガラントとふたりして戦闘機隊に気合を入れ、十〇月に米爆撃機 隊に痛烈な損害を与えた。一〇日までの三日間の空襲で敵は爆撃機八八機と 九〇〇人近くの乗員を失った。一〇月十四日シュヴァインフルトのボール・ ベアリング工場を攻撃した時には、それぞれが何回か出撃した昼間戦闘機 は爆撃機六〇機を撃墜し、さらに一七機に重大な損害を与えた。
101 :
名無し三等兵 :02/01/11 11:47
>>59 戦略爆撃はいくら損害を受けても嫌になったら止めればいいだけだから、
撤退すれば追撃される地上の戦いよりそのぶん楽だったろう。しかも
大戦全体を通じてなら出撃数に比しての損耗率はそう高くもない。
102 :
名無し三等兵 :02/01/11 12:16
ジルビッヒの本によると、欧州航空戦で敵戦闘機の航続距離が どれだけ伸びたかでドイツ防空部隊の運命が決まったとある。 また同書によると双発戦闘機は護衛機がつかない場合は絶大 な効果があったが、単発機との空戦になるとからきし弱くて、 しばしば双発戦闘機を逆に護衛する戦闘機が必要になったと。
103 :
パヴロフ2等兵 :02/01/13 10:54
>>103 そう言っておきながら、世界史板では論破されまくっていたようだけど?
ソ連など所詮は恐怖政治によって成り立った国。平等など嘘だった訳だね。
自ら崩壊の道を選んだのも潔い。その布石を敷いたのが我がドイツだったわけだ。
自分が論破されてもひつこく電波を出し続ける便厨
107 :
名無し三等兵 :02/01/15 10:41
ソ連は大祖国戦争で2500万人もの死者を出しながらも戦後は米国に 対抗しうる唯一の大国となった。2500万人もの死者を出したら普通 国力は衰退してしかるべきなのに,ロシアの場合はその逆だった。 これは原子爆弾やジェット機,人工衛星打ち上げで確認できる。 ソ連の場合は戦争で無くとも国内で粛清やら内乱鎮圧やらで人間が 沢山死んでいるのだから,人命損失は領土拡大で補えたのかも。
108 :
名無し三等兵 :02/01/15 15:32
WW2でのソ連軍のレーダー技術って、どうして問題にされることが少ないんだろ。
109 :
名無し三等兵 :02/01/17 19:29
レーダーだけでなく兵器技術の優劣なぞ独ソ戦では微々たる影響しか無かった。 何よりナチの傲慢かつ過酷な占領政策が東欧人に反発されたことが大きい。
110 :
辻ちゃんです。 :02/01/17 21:47
ドイツ軍の用兵術の素晴らしさをなんで誰もレスしない?
111 :
名無し三等兵 :02/01/17 22:02
用兵でカバーできないところまで戦線を拡げてしまったから
112 :
名無し三等兵 :02/01/18 23:49
113 :
名無し三等兵 :02/01/18 23:52
114 :
名無し三等兵 :02/01/21 10:55
>ソ連は大祖国戦争で2500万人もの死者を出しながらも戦後は米国に >対抗しうる唯一の大国となった。 まあ其の前のロシア革命で1億人が死亡した訳だろうし ロシアの当時の人口は一体何人だった訳なのだろうか
116 :
名無し三等兵 :02/01/21 12:22
ドイツ軍は1940年ダンケルク以来、ずっと連戦連勝だった。 バトルオブブリテンは敗北したのではなく英本土攻略の意思が 無かっただけ。本気で対英打倒戦をやりたいのなら陸用機甲 部隊では無く、空母機動部隊を養成したであろう。 負けるようになったのは対ソ戦長期化・アメリカ参戦に他ならない。
117 :
名無し三等兵 :02/01/21 12:25
>空母機動部隊を養成したであろう。 その前にゲーリングを抹殺しなければ。
118 :
名無し三等兵 :02/01/24 15:52
それぞれ民族ナショナリズムを極めたのがスターリニズムとナチズムかな。 同じ「社会主義」でもスラブ社会主義とゲルマン社会主義ではあまりに違いすぎる。
119 :
名無し三等兵 :02/01/26 22:30
1943年後半 独地上軍ドニエプル河畔まで後退、空軍基地移動。前線で整備隊の不在及び 修理部品不足による損傷機の喪失が始まる。 1944年 独地上軍東部ウクライナ、クリミア半島から撤退、空軍基地移動。 ドイツ本土・西部戦線へ向け空軍部隊転用本格化。6月時点で東部戦線保有の 単発戦闘機は395機。 6月18日、ソ連軍集結地ゴメリ爆撃。 6月21日、イタリア-ウクライナ間でシャトル爆撃を行っていたB-17を目標に、 ウクライナのポルタヴァをHe111,Ju88の180機で爆撃。69機のB-17が全損-損傷、 備蓄航空燃料炎上。 6月22日、ソ連軍バグラチオン作戦開始。 40機のHe117が地上攻撃に出撃、25%が未帰還。 独空軍、ルーマニア、ハンガリー、フィンランドから撤退。 10月、ソ連軍進撃鈍る。 燃料備蓄、爆撃隊解体によるパイロットの確保、生産された戦闘機の受領に よる戦力補充に努めるが、東部戦線の航空戦力比は5:1と算出。
120 :
名無し三等兵 :02/01/30 12:05
アメリカが参戦しなかったら30年戦争の再来になってたかもよ。 何度にもわたって遠征が行われたがうやむやになった十字軍戦争とか。 ドイツ軍もソ連軍もお互いに相手を屈服させられず共倒れ・・・
121 :
名無し三等兵 :02/01/30 18:08
ナチのホロコーストはヒトラー一味だけがやったことで大多数のドイツ人 は関係なかったなどと信じている西欧人もいるが、そんなわけはない。 あれだけ大規模な殺人工場をヒトラー一味だけで運営できたわけない。 そうではなくてあれは東部戦争遂行の為に必要不可欠な「機能」だった。 あれだけ大きな遠征をやるのに反対者の処遇や兵器生産・戦略物資補給 もホロコースト産業によって支えられていたといってよい。
122 :
パヴロフ2等兵 :02/01/31 22:47
私はドイツに恨みや反感を持つ人間では無い。むしろ今のドイツは 自由で豊かな社会という認識でさえある。しかしそれは <『東方スラブ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落> があってのものだと確信している。今となってみればこれはドイツ自身 にとっても歓迎すべきことに思える。ベルリンは独露友好記念都市だ。
その理論では当然長崎や沖縄も、、、
>>118 >同じ「社会主義」でもスラブ社会主義とゲルマン社会主義ではあまりに違いすぎる。
どう違うの?
125 :
名無し三等兵 :02/02/01 08:33
ロシア人とドイツ人では、政権の主義主張以前にそれぞれ言語も生活習慣も全く違う。
126 :
名無し三等兵 :02/02/04 09:25
ナチス党イデオローグとして「20世紀の神話」を書いたアルフレード・ローゼン ベルグ東部占領地相は、ラトヴィア生まれで、小国家群の尊重を主張し、占領地域 出身の義勇兵のドイツ軍編入に尽力した。もし、以下に述べられている彼の主張と 共産主義打倒の方針が充分に徹底していれば、枢軸軍がソ連邦を屈服し欧州戦に 勝利していた可能性さえも否定できない。1942年2月22日、ナチス党綱領 記念日における演説は以下のとおりである。 「ドイツ国民の政治教育を行うに当たっては必ず守らねばならぬ一つの限定的法則がある、それはドイツ 国民が他国の生活圏と権利を認めその創造力を促進せねばならぬということである、同時にドイツの保護 下に立つ小国民をしてヨーロッパ大陸の精神的創造のあらゆる分野に参加せし むることがドイツにとって偉大な義務である、したがってドイツ国民における 自由とは権利よりもむしろより多くの義務に結びつく観念である、かくて ドイツの将来は同時に他のヨーロッパの創造的国家にとっても更正を意味する ものでなくてはならない」(要旨・朝日新聞 同年2月24日付より)
127 :
パヴロフ2等兵 :02/02/06 20:58
ドイツは折角聖都キエフ制圧など緒戦で輝かしい勝利を収めたのに、残虐極 まりない収奪・絶滅政策で全東欧人の怒りを買って逆襲されることになった。 ★★ドイツ自身が犯した犯罪の結果としての当然の報い★★ なのだ。
128 :
名無し三等兵 :02/02/08 10:53
ドイツの戦争って、やってドイツの国益になったと思われることってある? 何百万、何千万の東欧人を殺して、何かいい事あったんか?
129 :
名無し三等兵 :02/02/08 11:10
もともとどこも手出しできないような圧倒的戦力を有しながら、 占領地住民に虐政を敷いて奴隷の反乱で滅ぼされるなんて最低。 これでは完全に「自業自得」というものだ。 最初から負けを承知で強国に抵抗して純粋に軍事的実力で負けた 方がよっぽどまし。「力でねじり伏せられただけ」なんだから。
130 :
名無し三等兵 :02/02/09 22:59
1.ドイツ、全てに冠たる、世界に冠たるドイツよ 護らん時は何時なりとも 兄弟の如く結束せん マース川からメーメル川、エッシュ川からベルト海峡まで ドイツ、全てに冠たる、世界に冠たるドイツよ ドイツ、全てに冠たる、世界に冠たるドイツよ 2.ドイツの女、ドイツの誠、ドイツのワインとドイツの歌を 世界に誇るべし それらの古き良き音色が 善行と感動へと 我らの人生を導かん ドイツの女、ドイツの誠、ドイツのワインとドイツの歌よ ドイツの女、ドイツの誠、ドイツのワインとドイツの歌よ 3.団結と権利と自由は、祖国ドイツの為にあり!そのために我ら全員、力を尽くさん 心を共に、手を結び、兄弟の如く!団結と権利と自由は幸運の証しなるぞ 栄えあれ、この幸運の輝きよ 栄えあれ、祖国ドイツよ 栄えあれ、この幸運の輝きよ 栄えあれ、祖国ドイツよ
> 129 そういうの、どっちもどっちとか目糞鼻糞とかいわんかね。
132 :
名無し三等兵 :02/02/10 09:49
ドイツとポーランドで、どっちもどっちとか目糞鼻糞?
133 :
名無し三等兵 :02/02/14 10:50
ドイツ連邦議会1952年9月17日ニュルンベルグ裁判について 連邦司法相フォン・メルカッツ(キリスト教民主同盟) 「法的根拠、裁判方法、判決理由、そして執行の点でも不当なのです」 メルテン(社民党) 「この裁判は正義に貢献したのではなく、まさにこのためにつくられた法律を 伴う政治的裁判であったことは法律の門外漢にも明らかです」 エーヴァース(ドイツ党) 「戦争犯罪人という言葉は原則として避けていただきたい。無罪にも関わらず 有罪とされた人々だからです」
134 :
名無し三等兵 :02/02/16 15:45
135 :
名無し三等兵 :02/02/17 09:24
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30902058 P270
鉄条網内には、米軍がとても面倒を見きれないほど膨大な捕虜が
集められていた。西独政府捕虜史委員会の報告にこうある。
「いくら一般市民が餓えようとも、自軍の配給の方が優先された」
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
136 :
名無し三等兵 :02/02/17 10:27
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30902058 P372
そして、こうした残忍さはすぐに、パルチザンに捕まったドイツ兵
にも向けられた。一九四一年晩夏に、ベオグラード近郊の山中で罠
にはまって捕まった何人かのドイツ兵はすぐに撃たれて死んだが、
同年冬にはもう、後のチトー元帥の配下たちは、ドイツ兵を首吊り
にするか、短剣で殺すようになっていた。
騎兵大尉ジークフリート・ハイデンライヒは一九四七年十月、
宣誓のうえこう証言した。「一九四三年五月中頃、あるドイツ兵
はパルチザンによって串刺しにされ、火で焼かれて死にました」。
第二装甲軍司令部ナンバー3の参謀将校ペーター・ザウファー
ブルッフ少佐は、宣誓の上こう証言した。「切り取られた鼻や耳、
そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。
また、ゲリラの罠に掛かった直後の部隊報告には、地面に倒れて
いる負傷兵の手足を発見とか、短剣で切り取られた腹部や目を
発見、とかいった知らせが、ほとんどいつも入っていました」。
ザウファーブルッフ→ザウアーブルッフ に訂正。
138 :
名無し三等兵 :02/02/17 11:39
139 :
名無し三等兵 :02/02/17 11:40
追加。ドイツ軍師団は1944年夏。
140 :
名無し三等兵 :02/02/17 11:52
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30652156 P118
1919〜24年
ドイツ側の見積額 516億金マルク
連合国側の評価額 80億金マルク
連合軍の要求額(単位=一億ライヒスマルク)&実際の支払い額(国民所得に占める割合)
1925 10.0(ドーズ案) 10.6(1.8%)
1926 12.2(ドーズ案) 11.9(2.0%)
1927 15.0(ドーズ案) 15.8(2.3%)
1928 25.0(ドーズ案) 20.0(2.8%)
1929 19.4(ドーズ案) 23.4(3.2%)
1930 17.0(ヤング案) 17.1(2.6%)
1931 16.9(ヤング案) 9.9(1.8%)
1932 17.3(ヤング案) 1.6(0.4%)
141 :
名無し三等兵 :02/02/18 09:35
「生きて虜囚の辱めを受けず」の日本軍のほうが正しかったかもよ。 降伏したからって、身の安全はどこにも保障は無い。
142 :
名無し三等兵 :02/02/21 15:08
切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。
143 :
名無し三等兵 :02/02/23 00:06
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30902058 P309
地雷が戦闘の勝敗を決したこともあった。一九四一年十一月、
ロストフ南端で八キロの正面から攻撃をかけたロシアの三個師団は、
三〇〇名のドイツ擲弾兵によって三日の長きにわたって進軍を阻まれた。
ドイツ側は、防御陣地の前方に位置する氷結したドン河に、巧妙に
地雷を敷設した。地雷は雪の中の埋設され、さらに新雪が積もって
見えなくなった。ロシア軍は腕を組んで突撃し、対人地雷の爆発で
次々と吹き飛ばされた。
もう一例、一九四三年夏の東部戦線、クルスクの戦闘。ヒトラーは
いわゆる「城塞」作戦によって、この戦争を自軍に有利な方向に転じよう
と図った。クルスク屈折部にいるソ連の大軍を包囲し、撃滅すべし。
この戦闘計画の要はラウヘルト装甲旅団の投入にあった。当時の夢の
戦車「パンター」二〇〇両をもってソ連軍の防衛線を断固突破すべし。
だが、重量四五トン、七・五センチの長砲身カノン砲、前面装甲八〇
ミリから一一〇ミリというこの鉄の猛獣は、未発見のロシア地雷原に
入り込み、旅団はにっちもさっちも動かなくなった。「城塞」における
攻撃頓挫の主因は、地雷だった!
144 :
名無し三等兵 :02/02/23 09:00
>「いくら一般市民が餓えようとも、自軍の配給の方が優先された」 >「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、 >ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」 4月で米軍はエルベ川で進軍を止めた。放っておいてもどうせソ連軍攻勢 だけで十分なのだから、アメリカとしてははもうめんどくさくなって「放置」。
145 :
名無し三等兵 :02/02/24 09:46
ともかくヒトラー自身が「イデオロギー上の殲滅戦」を宣言してますから。 リデル・ハートあたりがなんといおうと、騎士道的ドイツ国防軍という 神話は、永久に汚されました。 後方兵站線確保のために、41年の秋ぐらいから、アインザッツグルッペン と国防軍の作戦区分は、そうとう入り乱れてました。
146 :
名無し三等兵 :02/02/26 16:06
切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。
147 :
名無し三等兵 :02/02/26 17:06
148 :
名無し三等兵 :02/02/27 18:51
149 :
名無し三等兵 :02/02/28 12:21
切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。 切り取られた鼻や耳、そして性器が、死んだ兵士や負傷兵の近くに転がっていました。
150 :
パヴロフ2等兵 :02/03/03 12:59
良スレあげ
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363648 P423
たいていの場合、ヒトラーは実際家だった。窮屈な輸送スペースを使って、
ユダヤ人を抹殺するだけの目的で何百万と東に移送するのは、ヒトラーら
しからぬことだったろう。産業が労働力不足を叫んでいるのに、彼が喜んで
その労働力を破壊するはずもなかった。連合国のラジオが、ユダヤ人はみな
殺しされているとの発表を放送したときのヒトラーの腹立ちまぎれの言葉を
ハインリヒ・ハイムは想起している、「全くね、ユダヤ人は私がちょっとばか
り厳しい仕事しかさせないのを感謝すべきだ」と。ユダヤ人はヨーロッパから
「最終的に消え去る」必要があるとのヒトラーの命令を残忍な徹底さで解釈
しなのは、ハイドリヒと東の狂気じみた大管区指導者たちだった。ヒムラー
個人の役割はどっちつかずである。一九四一年一一月三〇日、彼はヒトラー
との秘密会談に“狼の巣”に招かれ、そこで明らかにベルリンのユダヤ人
の運命が話題になり、午後一時三〇分、ヒムラーはヒトラーの地下壕から
ハイドリヒに電話で、ユダヤ人を抹殺しないこととの明確な命令を伝えざる
を得なくなった。翌日ヒムラーは強制収容所組織全体の責任者SS将官オスヴァ
ルト・ポールに電話で命令した、「ユダヤ人はそのままにしておくこと」と。
152 :
名無し三等兵 :02/03/04 20:32
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=02363657 P238、239
東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日
の正午の会議で、総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団
引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、救えると思うのは幻想にすぎ
ない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この
災厄でこれまで中央軍団にどれだけ損害があったか、静かに訊ね、「一二
から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団に上る
でしょう」と告げられた。
なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは
三五万の訓練済みのドイツ兵をロシア側に奪われたのだった。
154 :
名無し三等兵 :02/03/09 12:23
チェコ外務省イリー・シトレル第一領域局次長(対ドイツ交渉担当) 「冷戦期、西ドイツはチェコを含む東欧、中欧のナチス犠牲者に補償する国際法上の 義務がありながら一貫して補償を拒否してきました。東ドイツと外交関係にある国に 対しては補償を払わないとの規則があるなどという理由でした。冷戦終結後もチェコ に対しては拒否の態度を変えようとはしませんでした」 チェコ大統領府政治局顧問ミロスラフ・クンシュタート 「1950年代に賠償要求を放棄したポーランドと違い、チェコ共和国はドイツに 対する犠牲者らへの補償要求を今でも決してあきらめてはいません。現実に両国の 妥協が成立する可能性はほとんどありませんが」
155 :
名無し三等兵 :02/03/09 23:42
…フィンランドにもドイツ軍が展開していたはずですよね。 一体、どのくらいの規模が展開していたんでしょう? レニングラード攻めなんて、フィンランド軍の協力が旧国境線まで だったとしても、可能な感触濃厚なのですが。 既出だったら、そして半分教えてクンでスマソです
156 :
パヴロフ2等兵 :02/03/13 00:46
ドイツヲタ氏ね
157 :
名無し三等兵 :02/03/13 00:59
カレリア地峡側にはドイツ軍は展開してなかったのでは? ムルマンスク攻略作戦の出撃陣地はあったようだが。
158 :
名無し三等兵 :02/03/14 15:18
159 :
旅人 ◆.eiIUl2E :02/03/14 16:08
映画スターリングラード 93年米・独合作と01年米 最初の15分悲惨な映像だったな01年の米の作品は。 凄い悲惨な話の93年の合作。 01年の方を先に見たからあまりにも落差にショックを受けた・・・。 主人公達みんな氏んじゃうんだもんなー・・・ かの地に向かったドイツ人何十万のうち生きて帰ってきたのは約5000人・・・・
スターリングラードに出てくるドイツ兵は馬鹿ばかり なので見ていて冷めてくる。 独ソ戦を描いた映画は「ヨーロッパの解放」以外に ないね。
こういうスレを見つけた。
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/news2/1015219626/l50 なぜナチズムが断罪され共産主義は断罪されないのかといった観点
から共産主義を暴力・抑圧・テロルを軸に豊富な資料で克明に描い
た学術的な社会科学、歴史、政治、人文思想書です。
「共産主義黒書 -犯罪・テロル・抑圧- ソ連篇」
A5判、342頁、上製本、3000円
戦争と革命の世紀であった20世紀、ナチズムの犠牲者は2500万
人に対し、共産主義による犠牲者はソ連で約2000万人、中国
で6500万人、全世界では合わせてなんと1億人を数える。民族・
人種によるジェノサイドと階級・思想によるジェノサイドはど
こが違うのか?
歴史の一幕としての共産主義弾圧の一コマとして独ソ戦もあると思うが
ナチや日本は狂言回し?
自分の人生を充実させましょうや。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=04093523 P186
第六四軍に任命された彼は七月一六日、スターリングラードに到着したが、
そこでの士気の低さと無秩序にあきれ果てた。陽差しの強い大草原を西へ、
ドン河に向かっていたとき、彼が出会ったのは、暑さにばてて、最後の
食料を食いつぶしながら歩いている兵の群であった。どこへいくのだ、
と彼は聞いたが、「意味のない答が返ってきた。彼らはみんな、ヴォルガ
河の対岸でだれかをたよりにしようとしているようにみえた」。彼は将校
たちに、ドイツ軍の陣地はどこか、部隊の所在位置は、と尋ねた。知って
いるとは思えなかった。第六四軍司令官ゴルドフ将軍にもなんの感銘も
受けなかった。チュイコフにはゴルドフの冷たい眼差しはこういっている
ように見えた。「情勢のことなどわしに聞かんでくれ。そんなことはみんな
わかっている。だからといってわしにできることはなにひとつありはしない。
それがわしの運命だ」
163 :
パヴロフ2等兵 :02/03/17 23:41
>なぜナチズムが断罪され共産主義は断罪されないのか 独ソ開戦当時、ソ連共産主義の強圧的支配を嫌ってドイツ軍に協力した者 がたくさん居た。だのにドイツは残虐極まりない略奪暴行を繰り返しては、 「ドイツ軍の科学兵器・戦術は世界一ィィィ!!」などとふんぞりかえって ばかりで、残虐な占領政策を止めようとはしなかった。アウシュヴィッツが他 と比較できるかどうかはどうでもいい。要はドイツが国土分断されたのは、 ★★ドイツ自身が仕掛けた強欲な収奪征服戦争の結果としての返り討ち★★ であったということだ。
独ソ戦の前にスターリンのソビエトがフィンランドに侵略戦争を 仕掛けたのは周知の事実です。 また、北方の不凍港ムルマンスクとロシアを結ぶ鉄道線を作ったのは、 第一次大戦で捕虜になったドイツ兵で、過酷な労働環境のせいで多くの 捕虜が死んでいます。 独ソ戦が始まってからも、比較的豊かだったウクライナ地方の人たちは ドイツ兵をそれほど憎んではいなかったようです。 パルチザン活動が激しかったのは、主に白ロシア地域(ミンスクなど)でした。 ドイツの東西分断以前に、バルト三国やウクライナやコーカサス地方などの さまざまな生活・文化を持っていた地域が強引にソビエトに併合された 事実について考えるべきだと思います。
バルト三国やポーランドなどと同じく、旧東ドイツもスターリンの ソビエトに「食われた」というだけの話です。
ところで、1943年のクルスク戦での史上最大の戦車戦(プロホロフカ の戦闘)は、実際にはどうだったのでしょうか。 ソ連軍の戦車軍団が武装親衛隊の装甲師団に接近戦を挑んでドイツ側 に大損害を与えたそうですが、最近の資料を読むとドイツの戦車隊は 自分たちの数倍もの損害をソ連の戦車部隊に与えたそうです。 まあ、マンシュタイン自身も「ほとんどの師団はまだ十分な作戦能力 を持っていた」書いていますけど。
正直、まだパヴロフの相手をする人たちがいるのに驚いた。 ベンゼンや駄通の相手をするのと同じこと。 時間の無駄ですよ。
168 :
名無し三等兵 :02/03/18 03:25
>156 こいつ、偽者じゃねえのか。
169 :
パヴロフ2等兵 :02/03/18 08:56
「ヒトラーの戦争」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房)P107 だが“城塞”作戦ではロシア側の損害の方が大きく、死者一万七〇〇〇、 捕虜三万四〇〇〇を出し、戦術予備軍は激減していた。それで次の週の ロシアの夏の攻勢は腰のふらふらしたものになることになった、七月十七日 にマンシュタインの南の戦線に攻撃をかけてきたが、マッケンゼンの 第一機甲軍とカール・ホリット将軍の新しい第六軍はこれを撃退し、 二週間で一万八〇〇〇を捕虜にし、戦車七〇〇輌を破壊することができた。 #マンシュタインが攻勢続航を主張した理由はこれだ。
170 :
名無し三等兵 :02/03/19 19:12
WW2ドイツの科学力は世界一ィィィィ! 負けたのはただ米英ソ挟撃で大兵力・大物量で押し切られただけで、質的に戦闘それ 自体は常に常にドイツが優位であったのだ。 だからMe262とTa152とキング タイガーを米独協力で大量コピー生産してれば、 ソ連はその時点で崩壊していたはず なのだ。出来なかったのは米国がトロかったからだ。だいたいあんなチンケな小国日本 相手にのんびりやって、欧州には後から攻めてきて漁夫の利を得たにすぎん。 ドイツ>>>>アメリカ>>>>>>>>>>>>>>日本
171 :
名無し三等兵 :02/03/19 20:14
>170 大出力レシプロエンジンさえキッチリ開発できない国が世界一なのか
172 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/03/19 20:18
>170 >だからMe262とTa152とキングタイガーを米独協力で大量コピー >生産してれば〜 稼働率がねぇ……
>170 パブロフ独版というか本人か(w
174 :
名無し三等兵 :02/03/19 21:04
>パブロフ独版 それはベンゼン(w
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19650038 P417
ハジ・アミン・アル=フセイン エルサレム地方のイスラム教の最高指導者で、
戦前から熱心なナチ協力者だった。一九四一年のイラクでの反連合国(親ナチ)
反乱が失敗するとドイツに逃げた。ドイツではナチの熱烈な宣伝屋となり、
ボスニアなど各地のイスラム教徒の武装親衛隊入りを促進した。ヒムラーに
対して、できるだけすみやかにパレスチナまで範囲を拡大すべきだと「ユダヤ
人問題の最終解決」を助言した。戦後派連合軍からおかまいなしの自由の身と
なったが、それは処刑はイスラム世界に不安を引き起こすとイギリスが心配し
たためだった。アラブ諸国のさまざまな首都をめぐって余命をすごした。
176 :
パヴロフ2等兵 :02/03/22 21:06
> なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは >三五万の訓練済みのドイツ兵をロシア側に奪われたのだった。 バグラチオン作戦は西側連合軍のフランス上陸に呼応して行われたにせよ、 それでもやはりソ連航空技術の優位を示すものだったといえよう。
177 :
名無し三等兵 :02/03/24 21:25
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」はとてもいい本だ。 ドイツ人捕虜1100万というのは確かに西と東で数えていった数字だった。 しかしながらその内容を読んでいくと、「誰も書かなかった」という理由も わかる気がする。あれほど強いと言われたドイツ軍が、殆ど乞食の集団 みたいなものになってしまっただなんて信じたくもないんだろう。
178 :
名無し三等兵 :02/03/26 09:39
>>55 ソ連空軍は無線も無いのにバグラチオン作戦なんてことがやれちまうんだからすげえや。
180 :
名無し三等兵 :02/03/31 19:36
ドイツの兵器技術はすごかった,それにひきかえ日本はいまでは信じられない くらい、あらゆる分野で当時の日本の技術は遅れていて、合金の開発力 そのものも、欧米の後塵を拝する事甚だしかったという事です。 ドイツがタ−ボでアメリカに遅れをとったのは、主に触媒にする白金 の不足からでしたが、日本の場合はそんななまやさしい理由ではありません。 今だから言える、というわけでして、ベルリンの郊外の町工場で山積みされ ているような、さもない部品を潜水艦ではるばるきた日本の高級技術者が 大喜びで持ち帰り、ドイツ人があきれてびっくりした、という話しもあります。
181 :
名無し三等兵 :02/04/02 20:05
ただの伝聞でどうこう言っても説得力無いね、一次資料で示さないと・・・
「失われた勝利」(E・V?マンシュタイン 中央公論社) P467 一九四四年四月三日、私はレンベルクにあったわれわれの司令部を後にした。 停車場には私に真心を献げてくれた部下全員が見送りに来てくれた。列車が すでに動き始めた時、最後の一声が私の耳に達した。それは私の愛機操縦者 のランガー中尉の声であった。彼はいかに不良な天候状況にあっても、安全 確実に私を送り迎えしてくれた。今夜は、駆逐戦隊に転属を命ぜられたが、 間もなく空中戦に戦死を遂げた。 私は私の忠実な戦友たちの餞の言葉として彼の声を掲げる。彼は叫んだ。 「元帥閣下! 私は本日、愛機からクリミア盾章<われわれの勝利の記念> を取り除きました!」 #「バグラチオン」の「バ」の字も無しにこれで終わりとは、何故だ?
183 :
名無し三等兵 :02/04/05 08:51
ドイツが補償したのは国内のユダヤ人問題に限られるが、東欧での占領政策 に対しての補償は、今後ともありえないと思う。それどころか逆にドイツの 方が固有領土とそれに伴うあらゆる産業施設が旧共産圏に「略奪」されたと 被害者意識を持っているであろう。ソ連の人工衛星打ち上げがドイツから のパクリだなんて主張が根強いことからも明らか。
184 :
名無し三等兵 :02/04/08 22:52
「Panzer Trppen2 1943-1945」のP110によれば1944年9月末は、 ドイツの東部戦線における戦車稼動は保有1953両に対して605両。
185 :
名無し三等兵 :02/04/11 21:22
Prelude to Operation Overlord - General Dwight Eisenhower, from a caravan in
the woods near Portsmouth, issues orders for the invasion of France. He
has under his command 1,700,000 Americans, 1,000,000 British and
Canadians and 300,000 Free French, Poles, Belgians, Dutch, Norwegians and
Czechs.
http://sunsite.tus.ac.jp/pub/academic/history/marshall/military/wwii/50.years.ago/jbd/jun1944.txt
187 :
名無し三等兵 :02/04/16 11:46
芝健介『武装SS』(講談社選書メチエ)はおすすめ。 この人はドイツ思想史関係だけど、こと第3帝国に関しては、 凡百の軍事評論家より、ドイツ哲学・思想史関係の研究家のほうが、 ナチスの皮をかぶった<暗黒のドイツ国防軍>というテーマ、 ディープに研究していると思う。
188 :
名無し三等兵 :02/04/20 22:55
44年は東部戦線で攻勢しても無尽蔵とも言えるソ連軍のに対して効果は 薄いので、西部戦線での攻勢(ラインの守り作戦)になったけど 東部戦線で攻勢を仮にするとしたらどこで攻勢するんだろうか? マンシュタイン閣下が機動防御戦するんだろうか?この頃軍集団司令を 罷免されてたっけ?
189 :
名無し三等兵 :02/04/23 14:20
>マンシュタイン閣下が機動防御戦するんだろうか? 機動防御→ハリコフ奪還はお見事だったけど、2回目、できたかどうか? デビッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」(ハヤカワ文庫NF)って、多少内容に眉唾の 歴史書があるんだけど、そのなかでの主張の白眉は、 「スターリンは1943年、人的消耗に耐えきれずドイツとの単独講和を考えていた」 というの。 これって、マンシュタインが永久にハリコフを維持できるってのくらい、 無茶な気がする
190 :
名無し三等兵 :02/04/23 14:38
Dアーヴィングはソースがなくて旧ナチ党員からのオフレコの「談話」を 元に書いているらしいので・・・。 >東部における単独講和 スターリンがカイロ会談かどこかで「第2戦線をこさえなければ単独講和もあり得る」 とチャーチルを脅したのは事実だけど、実際に可能性は、ねえ・・・?
大戦当初「花の戦争」の頃は英仏、独、ソの三つ巴であって ドイツ対仏侵攻時はモスクワは完全に独側の声明を出してるな 例えば 「この戦争は民主主義のためと装いながら、その実英仏資本家の為の戦争 であり国家社会主義破壊のため企み以外の何物でもない」 モロトフが 「赫赫たる戦果に対し祝福を申し上げる」 独裁国家にとっては独裁者の利益以外に判断を持たないから もしかすると独ソ左右DQN国家は仲良く共存できたのではないか? (されなくてよかったが)
192 :
名無し三等兵 :02/04/26 22:50
>もしかすると独ソ左右DQN国家は仲良く共存できたのではないか? 力のバランスが取れていれば、それもありうる。フィンランド戦争がなか ったなら、ドイツがソ連を過小評価することはなく独ソ開戦も無かったかも。
193 :
パヴロフ2等兵 :02/04/29 15:53
「バグラチオン作戦」の効果については、
>>50 の通りだ。
194 :
名無し三等兵 :02/05/02 12:11
まんこまんこまんこったらまんこ!!
195 :
名無し三等兵 :02/05/03 17:41
このような死の行進がSSの監視と銃の下に続けられている頃、赤軍は着々と
アウシュヴィッツとヘウムノへ向けて突入した。また同日ウッチがチュイコフ
将軍の率いる軍の手に落ちた。西部戦線のドイツ軍は一月二〇日、アルデンヌ
攻勢の発起地点まで押し戻された。戦いに倒れたアメリカ兵は一万五六〇〇名、
これに対しドイツ軍の損失は二万五〇〇〇名を数え、その上七万五〇〇〇名
が捕虜になった。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=19434233 P308
第二次世界大戦 人類史上最大の事件 下 / マーティン・ギルバート/著 岩崎俊夫/訳
>195 語りたい気持ちはあるがコピペしかできないところがパブロフ君の限界ですな
197 :
名無し三等兵 :02/05/03 19:07
1994年8月1日に行われた「ワルシャワ蜂起」50周年記念式典でのドイツの ヘルツォーク大統領(当時)演説によると、 「八月一日という日は、ドイツ人によってポーランドにもたらされた計 り知れない苦しみを思い起こさせます。……しかし、ポーランド国民 の苦難のはじまりは、この日ではなく、一九三九年九月一日でした。 第二次大戦で、ポーランドほど多くの犠牲者を出した国はありません。 塹壕や爆弾のあられ、ガス室やここワルシャワの路上で、数百万もの 市民が亡くなりました。……本日、私は、ワルシャワ蜂起の闘士やす べてのポーランド人戦争犠牲者のまえに頭を垂れます。ドイツ人が彼 らにしたすべての行いについて、許しを請います。」 『〈戦争責任〉とは何か:清算されなかったドイツの過去』(木佐芳男 中公新書)P226
198 :
パヴロフ2等兵 :02/05/03 19:30
戦争末期、強制収容所での囚人大量処刑が相次いだのは、それまで
「ドイツの科学兵器は世界一ィィィィ!」などとふんぞりかえって
いたドイツ人とドイツヲタどもが、バルジ戦でのあまりに急激な
戦線崩壊に直面してあわてて証拠隠滅を図ったからだ。これは
>>195 の本に詳しく述べられている。ヒトラー「総統命令」とは違う。
ウェルテルの正体って今でも不明なのでしょうか。
兵一人を支える重さ 大戦中、百万人の将兵が北アメリカからヨーロッパへ送られた。そういうのは簡単だが、 送り込むには五千人から一万五千人を運べる大型輸送船七隻が、百七十五往復もしている。 そのうえ、人間だけを運べばいい、というわけにはいかない。まず部隊というのは、装備が 必要だ。そして、それは一人一人の装備に限らない。部隊装備、必要量の燃料、各種の部品、 弾薬等々で、そうした資材をも同時に送り込まなければ、敵軍に対して戦いを挑めない。 したがって、兵士一人を海外に送り出すと、その一人につき、アメリカは十二トンに及ぶ 兵器、装備、補充資材をも送り込んだ。さらに、その後は毎月一人につき、およそ一トンの 必需品を送りつづけた。糧食、衣類、医薬品、弾薬、部品、雑用品、そして郵便という具合である。 第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著 大貫昇/訳
201 :
名無し三等兵 :02/05/05 19:04
独ソ開戦の原因というのはつまり早い話、ドイツヲタどもがいきなり、 「ドイツの近代科学戦は世界一ィィィ!!」 などと言って東欧人を無理矢理隷属させようとしたからだ。
202 :
名無し三等兵 :02/05/08 23:27
「一八歳の被告の一人は、毎日のように殴られ、読みあげられたとおり の陳述を書いた。六〇ページになったところで、この少年は独房に監禁された。 早朝、ちかくの房にいたドイツ人は彼が、“もうこれ以上の嘘はいわない”と呟く のを聞いた。その後、ニセの陳述を仕上げるために彼を連れ出しに来た看守は このドイツ人の少年が独房の梁で首をつっているのを発見した。 だが、サインをするのを逃れるために首をつったドイツ人の少年の陳述は 他の被告の裁判に使われ、証拠として採用された」 パウル・カレル/ギュンター・ベデカー共著 「捕虜〜鉄条網のむこう側の1100万の生と死」
あぼーん
204 :
名無し三等兵 :02/05/10 00:36
206 :
名無し三等兵 :02/05/12 18:31
207 :
名無し三等兵 :02/05/14 22:54
208 :
名無し三等兵 :02/05/15 21:08
もっとも効果的だった対潜兵器 アメリカ海軍の飛行船は潜水艦二隻を撃沈しただけだったけれども、九万隻に のぼる商船を護衛し、そのうちの一隻たりとも沈められていない。アメリカが 戦争中に使った飛行船はおよそ二百機。船団を護衛する飛行船の利点は、上空を ゆっくり漂っていられることだ。潜水艦は潜ったらスピードが極端に落ちるので、 船団にある程度浮上して近づかなければならない。飛行船の速度は比較的速い (時速八十マイル=百三十キロ前後)ので、船団の周囲の広い海面をパトロール して監視できる。速くしか飛べない通常の飛行機より、ずっと適任ということだ。 飛行船は爆雷と爆弾を装備していたが、それ以外の防衛装備はつけていない。 にもかかわらず、敵の攻撃で撃ち落された飛行船は、一機だけである。一九四三年 七月十八日にドイツのU134潜水艦に撃墜されたK74飛行船で、乗員十人の うち一人が死亡した。すばらしい兵器というべきだろう。 一九八〇年代になって、アメリカ海軍は対潜用に飛行船を再び導入しようと したが、冷戦の終結でこの計画は立ち消えとなった。 第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著 大貫昇/訳
209 :
名無し三等兵 :02/05/16 13:16
海軍は比較的疎遠と思われがちだが、通商破壊の戦果を誇るという発想はやはり ナチだったといわざるをえない。枢軸以外の通商は一切認めず、中立国のもので も平気で攻撃してそれを「戦果」としていたからだ。こういうことでデーニッツ もやはり戦犯に問われて有罪判決を受けている。グイド・クノップ「ヒトラー の共犯者たち」でカール・デーニッツのことが触れられていたが、あれは事実 だったと思う。
210 :
パヴロフ2等兵 :02/05/18 21:37
>>207 ドイツの何が「ホロコースト」かについて私なりに言えば、ドイツヲタどもが
「ドイツの科学戦は世界一ィィィ!!!」という思い込みで、いきなり東欧に
攻め込んで横暴の限りを尽くしてきたことだ。ドイツ軍の戦術は、近代兵器は、
全て優越しているのだから、英米以外に攻め込んでも反撃はないはずだ、と。
だから「ホロコースト」をユダヤ人問題に限定するのは非常に偏っている。
★★ベルリンに揚がったのは米英で無くて『ソヴィエト国旗』だった★★
これ以外に、西欧優越ドイツヲタどもを黙らせる方法は皆無であった。
211 :
名無し三等兵 :02/05/19 17:35
四月一〇日、ベルリン北方でアメリカ軍のパイロット達は“ジェット機大殺戮戦” として知られるようになった作戦を展開し、ドイツ軍のジェット機一四機をオラニ エンブルク上空で撃墜した。同日、イギリス市民は首相の発表によって一九三九年 九月から一九四五年二月までの間の、戦争によるイギリス人の死者の規模を知らさ れた。それによると、陸海空における戦闘員の死者は二一万六二八七名、空爆、飛行 爆弾ロケット攻撃による民間人犠牲者五万九七九三名、商戦乗組員三万一九七名で、 その合計は三〇万余名となった。
212 :
名無し三等兵 :02/05/19 17:37
>その合計は三〇万余名となった。 その合計は三〇万余名に上った。 第二次世界大戦 人類史上最大の事件 下 / マーティン・ギルバート/著 P343
213 :
名無し三等兵 :02/05/19 17:55
もしね、イタリアが参戦せずにドイツよりで中立してれば エジプト遠征しなくてよかったし、地中海も安泰(ジブラルタルを落とせれば) 当時、イタリア陸軍の評判はよかったはずだから結構にらみ担ったとおもう そうなるとかなり負担が低減できて善戦したんじゃ無かろうか? ま、ソ連戦の前にイギリスと和平が実現できれば確実にモスクワの空に ナチスの鍵十字が掲げられたのでは?
214 :
名無し三等兵 :02/05/19 18:02
>>213 イタリアが強くなっては却ってイタリアがドイツの言いなりにはならず、
枢軸は分裂していたかもしれない。両雄並び立たずとはよくいったもので、
ムッソリーニはヒトラーに権力闘争を挑んだであろう。
>>213 パブロフ様のお愉しみスレに外部者が書き込んではいけません。
チェーカーに捕まりますよ。
>>215 すいません。スレを変えます。
もう、こねえよ〜 ウワァアアアアン!
217 :
名無し三等兵 :02/05/19 18:13
ちんぼちんぼちんぼ、まんこまんこまんこ!! ちんぼちんぼちんぼ、まんこまんこまんこ!! ちんぼちんぼちんぼ、まんこまんこまんこ!! ちんぼちんぼちんぼ、まんこまんこまんこ!!
>ソ連戦の前にイギリスと和平が実現できれば これが一番難しい....。 あとジブラルタルはスペインの了承を得られるかどうか
219 :
名無し三等兵 :02/05/22 19:15
幸いなことに戦争中、マラリアは致命的な病気ではなかった。ことにベトナム 戦争では、第二次大戦の経験を生かしたため、マラリアに罹患した将兵五万八千 人のうち、死んだのは百十七人にすぎない。しかし、感染したら軍務につけない。 そのうえマラリアには、多くの種類がある。ある種類の死亡率は高く、治療の 効果も薄い。そういった理由から、第二次大戦の太平洋地域では、マラリア感染 にてこずらされた。北アフリカとシシリーでも一九四三年夏の一時期、連合軍内 で戦傷者と同じくらいの数の兵士が、マラリアのため戦線を離脱した。 第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著 大貫昇/訳
220 :
名無し三等兵 :02/05/22 21:53
>>11 ドイツは少なくとも最後まで国民に所定の栄養価の有る食料を配布し続けたし、
国民保護に努力を怠らなかった。 人命軽視の日本とは大違いの先進国だった。
221 :
名無し三等兵 :02/05/23 16:51
222 :
名無し三等兵 :02/05/24 20:44
フィンランド人はドイツ武装親衛隊のヴィーキング師団ノルトラント連隊に加わり (一部はヴェストラント連隊)戦争中期まで公式に東部戦線でソ連軍相手に活躍して いるし、部隊解体後も一部は留まり終戦までドイツ軍として戦ってますが。 フィンランドにとってカレリアを狙うソビエトの敵は味方よいう位置付けなのだろうが、 客観的に見て1944年以前は明らかに枢軸側に見える。その後ドイツの負けが込んで来た 時にいきなりソ連側について供与されたドイツの戦車・航空機でドイツ軍を攻撃したり している点がよく非難される始まりなのでは。
223 :
名無し三等兵 :02/05/24 20:47
>>213 >イタリアが参戦せずにドイツよりで中立してれば
あとリビア油田を元に自国経済を発展させてれば、戦争で疲労した英仏独を尻目に
ムソリーニが夢に描いた古代ローマ以来の盛況にイタリアがなってたかもしれない。
>>223 「独伊鋼鉄同盟」とは公言してたけど、やっぱり両雄並び立たずだからね。
イタリアは参戦して間もなく、軍事的に劣弱なことが明らかになっていったから、
ドイツへの隷属を余儀なくされた上、連合軍との休戦さえ認められなかった。
「一ヶ月かかって(敵を)出発点にも押しもどせないのは、失態だ」 中将にしてみれば、独軍攻勢のさい、東方をむいていた第三軍をそのまま突進 させて独軍の背後を突けば“アルデンヌ攻勢軍”をせん滅できる、と考えていた だけに、北方に直角に転進させられたのが口惜しい。 しかも、いまや独軍が退却しているというのに、連合軍最高司令部はなおも 「追撃よりは追尾」戦略を採用する、という。 「自信とリーダーシップは、勝利をもたらす双子の兄弟だ。私にはそれがある。 だが・・・・・・われわれの上級立案者たちは、兵士よりも臆病のようだ」 中将は、そう、最高司令部の弱気を批判したあと、日誌に書き加えた。 「及び腰の作戦は、必ず不要の損害をもたらす」 中将の予言は、やがて的中する。 アルデンヌ戦の彼我の損害は大きく、独軍側は八万千八百三十四人、うち戦死 一万二千六百五十二人と記録されている。 連合軍側は、英軍千四百八人(戦死二百人)と少ないが、米軍の場合は十万四千 九百四十四人、うち戦死一万五千九百八十二人という独軍側を上回る数字である。 そして、この米軍損害のうち、戦死七千五百七十五人をふくむ二万九千四百六 十二人は、パットン中将の言葉を裏書きするように、一月十七日以降のものとなる のである・・・・・・。
↑児島襄「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」より。
連合軍はドイツ軍の勢いを押しとどめると、南北から「バルジ」部分をしめつけた。 12月31日、ヒトラーは予備兵力をヴォージュ山脈での「ノルト・ヴィント(北風)」 作戦に割いて結局失敗し、貴重な戦力を浪費した。もはや彼には、連合国軍の攻撃を さえぎる力がほとんど残されていなかった。1945年1月15日、アメリカ軍は「バルジ」 中央に位置するウファリーズで連結し、月末には戦闘が終了した。この戦いでドイツ 軍は12万の将兵を失い、装備面についても補うことができないほど大きな損失を出した。 「第二次世界大戦」著者:ジョン・ピムロット/著 田川憲二郎/訳 牧人舎/訳 174頁
228 :
名無し三等兵 :02/05/25 22:17
229 :
名無し三等兵 :02/05/28 20:15
230 :
名無し三等兵 :02/05/29 20:49
231 :
一等自営業 ◆O8gZHKO. :02/05/29 20:52
>222 フィンランド義勇軍は44年までの契約でヴァイキングに在籍して いたのです。
正直、アンブローズの強烈な愛国臭は好かん。 アイゼンハワー財団系の人だからしょうがないけど。
233 :
名無し三等兵 :02/05/29 21:18
>アンブローズの強烈な愛国臭は好かん。 どんな戦史でも、著者の主観は排しきれない。むしろ中立を自称してるほうが怪しい。
234 :
名無し三等兵 :02/05/29 21:31
>欧州戦の米空軍は最後の最後まで高射砲による損害を出し続け、 高射砲による防空は受身的だけども、低空爆撃阻止にはかなり有効だったと思う。 ブロエスティ油田爆撃で建物のすぐ上を飛んでるB24の写真も見たこともあるが、 あのような大出血はそう何回もやれたものではない。日本空襲でルメイ将軍が夜間 低空爆撃を好んだのも、日本には大規模高射砲部隊が無かったからだろう。
235 :
名無し三等兵 :02/05/29 21:35
高射砲で、何処にでも好きに配置して好きに撃てるわけじゃないから。 それに位置ばれちゃったら、迂回されるだけだし。
主観にも限度あり。度を越すともう見てらんない。
237 :
名無し三等兵 :02/05/29 21:42
世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」 <中略> ドイツ空軍地上軍の半分以上は、高射砲部隊に属していた。いちばん多いとき (一九四四年末)は百万の兵士(数千人の女性兵士含む)が、二万基以上(陸海軍 所属の高射砲は別にある)の空軍の対空砲とサーチライト部隊に配属された。連合 軍の進撃にともない、これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった。 ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし、兵士をも訓練してあった。 第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著 大貫昇/訳
238 :
名無し三等兵 :02/05/29 22:44
>>230 航空関係の事故で陸軍の非戦闘死者の43%にあたる35946人の死者を
出したと、その本に書いてあった。飛行事故はアメリカでさえそれくらいか。
239 :
名無し三等兵 :02/05/30 17:02
>むしろ中立を自称してるほうが怪しい。 特に三野正洋『ドイツ軍兵器の比較研究』なんてそうだと思う。
僕に言わせれば、戦史本について「著者独自の研究」「客観的考察」なんて ものほどのマユツバは無い。歴史研究は長年の研究の積み重ねであること、 そして人間の歴史である以上、それぞれの主観は排しきれないということ。 「零戦」ひとつとってみても、乗った人・造った人それぞれ違ったものの 見方をしているのだろうが、その当時に書かれた文書こそが最重要史料だ。
>>240 当時ってのは思いこみってのもあると思うんだよね だからよくある話で広くたくさんの資料をあさり 自分で取捨選択を行うべきじゃない?
242 :
名無し三等兵 :02/06/02 21:14
>当時ってのは思いこみってのもあると思うんだよね それでも当事者の書いたものなら、その本人の思い込みってことで歴史史料になる。
>>242 それを真実と思い信じ続けるDQN多し
紫電改の源田部隊マンセー野郎とか、
“ラインの守り”―1944年末、ドイツ軍が次第に絶望の色を深める戦局を
挽回すべく試みた最後の大攻勢の暗号名―は、結果的には目的を達せず終わった。
その第一の原因は、ドイツ軍にはこの作戦の大胆かつ野心的な構想に見合うだ
けの兵力がなかったことである。かたや連合軍は膨大な力をもって対抗したが、
その背後にはほとんど無限ともいえるアメリカ軍の物量があった。しかし確かに
ドイツ軍は“ラインの守り”とそれに続くバルジの戦いの後、その開始時の位置
まで押し戻されはしたものの、連合軍も敵の賭けを逆手にとって突出した敵兵力
の大部分を撃滅することには失敗したのである。当時のドイツ第5戦車軍参謀長
カルル・ヴァーゲナー中将はそれについて次のように述べている。「アルデンヌ
攻勢は、その最終段階の退却だけを取ってみれば成功だったといえる。最後の
ところで我が軍の思惑どおりになったのである。敵はあらゆる面で優位に立ちな
がらドイツ軍を突破することも包囲することもかなわず、疲弊しきった攻撃側を
完膚なきまでに撃破するほどの反撃も加えられなかった」
バルジの戦い 上巻 / ジャン・ポール・パリュ/著 岡部いさく/訳
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18845869
245 :
名無し三等兵 :02/06/05 20:50
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社) <前略>・・・・・・ヴァルター・Hは、次のように続ける。 「われわれの中で一九四五年五月八日を体験し、辛酸をなめた者は誰でも、 この日以降ドイツ人が法の保護を失ったことを知っている。そのとき、ありと あらゆる勝手な振る舞いが、掠奪が、家屋敷からの追い出しが、人間狩りの暴力 行為が、東側だけではなくわれわれの側にも飢餓が、工場の解体が、われわれが もっているパテントの剽窃その他もろもろのことが、始まったのである・・・・・・」 世界史上の大いなる不正はいつ始まったのか。この退職牧師の見解によれば、 何千万人の死者を数えて第二次世界大戦が終わったあの五月以降に始まった、 と知らされるのだ。彼が列挙したのは、きわめて不完全で過小評価されている とは言いながら、一九四五年五月八日以前のドイツ占領下のヨーロッパの状態 そのものであることが、この退職牧師の頭には思い浮かばないのだ。
246 :
名無し三等兵 :02/06/07 00:55
247 :
パヴロフ2等兵 :02/06/07 22:51
西側連合軍はバルジでドイツ軍を破ったといわれるけれども、
>>244 である通り、
米英側は一ヶ月で損害8万以上を出しており、追撃もそう速くはならなかった。
やはり、そのような西側連合軍の苦境を救ったのもソ連だった。チャーチル首相
でさえもソ連に逆攻勢を求める親電を送ったのであって、米英といえどもソ連軍
の戦力をそれだけ頼りにしていたのだ。そのようなソ連の頼もしさを考えれば、
レンドリース代ごときでどうこう言う筋合いはなかったのである。
パヴロフ、そろそろラーゲリに逝こうか。
249 :
パヴロフ2等兵 :02/06/07 23:30
それでも米国のレンドリースは大戦後半の対独反攻を助けていたのであって、 ロシアはアメリカとの友情関係は決して忘れてはない。少なくともソ連のミグ やスプートニクが、ドイツからの「略奪」だなどという、 ★★被害者から報復を受けた強盗殺人犯の一方的な逆恨み★★ とは断じて同一には論じられないのだが。
250 :
名無し三等兵 :02/06/08 17:51
・・・・・・ドイツのファシストも、われわれの連合国もソ連軍のすべての兵士を
ロシア人と呼んで、ソ連とロシアを同一視していた。この同一視は正しい。
偉大なる多民族国家ロシアが戦っていた。戦って勝利を収め、世界にロシア魂
の偉大さを顕示し、ロシア製武器の評判を定着させ、偉大なるロシア戦士たち
の築いた伝統が不滅であるともう一度証明してみせた。
「憂国」(A・レベジ 徳間書店)416ページより
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=28319668
なんですか、このスレ? 引用合戦?
252 :
名無し三等兵 :02/06/08 21:51
>>18 スターリンはこの前のフィンランド戦争の負け戦とそれに伴う国連除名で、
すっかり気落ちしてたと思う。一方ドイツはその間に西部戦線で圧勝して、
占領地拡大で大幅に強くなってる。ソ連はまともに戦える状態じゃなかった。
そういや3chさん見かけないなあ
254 :
名無し三等兵 :02/06/08 22:11
255 :
名無し三等兵 :02/06/11 22:18
ちょっと話題をかえて、と ドイツは対ソ連戦をどう決着つけるつもりだったんだろう? たとえモスクワ、スターリングラードを占領しても 降伏したんだろうか? 日本軍が南京を占領しても結局奥地に逃げられたし ユーラシア大陸の西と東で同じ事をしてたのか? 結局日本は点と線になったけどドイツならどう対応したんだろう? もしたとえ決戦が行われて快勝しても日露戦争のように ドイツは1回全力、ソ連は2,3回はOKでは無かったでしょうか 以上、駄文で失礼
何も考えてなかったのでは?目先の勝利を追っかけていただけみたいだし。
257 :
名無し三等兵 :02/06/12 22:59
引用太郎
ヒットラーは・・・ モスクワを占領して、アルハンゲリスク=アストラハンまで進撃すると、 スターリン政府は崩壊するという。希望的観測で独ソ戦を始めた。 あくまでモスクワを占領するとスターリン政権は崩壊、AAラインまで いくと軍の組織的な抵抗は無くなるということになっている。 しかし現実にはアメリカは援助するし(アメリカが見切りを着けるとは思わない)、 41年の春頃にはウラルに疎開した工場の生産ラインも軌道にのり、 モスクワの東側でも500万くらいは徴兵できる。ウラルにドイツ軍が進撃 しようとしても焦土作戦にあって東に進めないと思う。 占領政策は、現地人に傀儡政権を作らすというのは考えずらくて、管区に分けて 統治し、その土地を搾取し尽くして住民を絶滅させるかな? ドイツ軍は作戦でなんとでもなるという作戦万能論というのがあって、 経済とか外交とかに疎いところがあるけど、ヒットラーとの確執や 方針の違いは知っての通りですが、 ヒットラーにとって戦争経済を成り立たせる資源の獲得戦争という側面が あったけど、政府の崩壊が先か、資源の獲得が先か判断がつかなかった んだろうけど
261 :
名無し三等兵 :02/06/14 20:56
>>659 だよな〜
まさかスターリン政権と和平も考えられないし
傀儡国家建設もなんだかなだし
占領しても大軍を駐留させれば二面作戦と
同じ事だもんな・・・・
ヒットラーって・・・ハァ
262 :
名無し三等兵 :02/06/15 18:44
対独戦略爆撃について。アメリカ空軍の昼間爆撃は良く効いたが、イギリス空軍 の夜間爆撃はあまり効いてなかったと思うのだがどうだろう。ビッグウィーク だとか、ブロエスティ油田爆撃だとかはみんなアメリカ空軍。ドイツ空軍が出撃 できなくなったのもアメリカ空軍の爆撃で燃料もろとも地上で撃破されたから。 イギリスは夜間爆撃で多くの市民を殺傷しているが、例えば英空軍主体で最も 大きな成功を収めたとされるドレスデン大爆撃が、如何ほど戦局を変化させたか。
263 :
名無し三等兵 :02/06/15 20:25
ドレスデン爆撃は大戦も末期のことなので、 他の例を当るべきだと思います。
>>262 犠牲の割りには効果無かったという人もいるし、いやいやそんなことは・・・
という人もいるみたいですね。
英軍中生存率が最も低いのが爆撃機部隊で、平均して100名中24名しか無傷で切り抜ける
ことができなかったとか。出撃30回でそれ以上のミッションは免除されるのだけど、現実の
出撃回数は14回が平均。
で、迷信がはやったそうな。飛行機から投下したビール瓶は、敵の探照灯を消す力がある等々。
私見では、ドイツ空軍の少ないリソースを分散させる意味では効果あったように思います。
1943年以降は、米英共同で昼夜兼行の爆撃ですからな。
でも、生産施設などにはあまり効果なかったかもね。
ドレスデンは議論を呼ぶ爆撃ですなあ。軍事的には効果なかったそうですけど。
265 :
名無し三等兵 :02/06/17 19:03
その結果、本来、欧州の戦後秩序を打ち立てることを目的として行われたポツダム
会議(1945年7月17日−8月2日)で成立した協定は、表面化した緊張を解きほぐす
どころか、かえって対立を深めるものとなった。ドイツの非ナチ化、非軍事化、
経済力の拡散化、ならびにドイツ人の民主化教育については、各々の意見の一致
が見られ、さらに西側諸国は、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアから
ドイツ人を追放するという重大な決議にも同意した。しかし、追放は「人道的に
実行すること」という西側諸国の但し書きがあったにもかかわらず、その後約
675万人のドイツ人が残酷に放逐された。
http://www.doitsu.com/doitsu/reisen/doitsujouhou/history02.html
266 :
名無し三等兵 :02/06/19 20:47
>ドレスデン爆撃は大戦も末期のことなので、 大戦末期でも、ソ連の対日参戦は日本政府首脳をして一気に無条件降伏に追い込 んだといえるのでは。鈴木首相だってソ連抜きのポツダム宣言は「黙殺」してる。
>>244 「連合軍も敵の賭けを逆手にとって突出した敵兵力の大部分を撃滅
することには失敗した」ことはやはり確かで、バルジ戦もやはり
ソ連軍攻勢こそが西側連合軍を救ったといえよう。
アメリカの昼間爆撃は戦略的な軍事行動。 ドレスデンはロンドンやコベントリー無差別爆撃への私怨を晴らすべく単にイギリスの仕返しです。
269 :
名無し三等兵 :02/06/20 13:50
そういや爆撃に限らず、民間人無差別殺戮が戦争の勝敗を決定したという 話はないな。ナチスドイツは東部戦線で何百万人ものユダヤ・スラブ住民を 殺害したけれども、却って住民の反抗を招いただけではなかったか。米英の 戦略爆撃調査団なんかはそれとはちがう、爆撃による市民殺傷は戦争勝利に 繋がったと主張するのだが、どうだろう。東京大空襲のあとも神風特攻の出撃 は続いてるし、広島原爆でも日本はソ連と交渉してた。
もしポツダム協定が完全に実施されていたら、ドイツはまったく違った 形になっていただろう。ドイツの統一をはかるためにはそれ以外の方法は なかった。しかし当時の米・英・仏の首脳はソ連との合意事項を破棄した。 さらに西独内の政策の支持者たちも、ポツダム協定に反対した。彼らに とってそれは受入れがたいものだった。その結果は周知のとおりだ。 当然ながらわれわれは、「ドイツ問題はまだ解決されていない」とか、 「東側諸国」ではまだすべてが片づいてはいない、あるいはヤルタと ポツダムの協定は「不法」だといった発言に対しては、警戒の念を抱か ざるを得ない。ドイツ連邦共和国では、このような発言がしばしば聞か れる。だが率直に言って、「統一ドイツ」の復活を求めるこうした発言 はドイツ人の言う「レアルポリティク」、つまり現実主義的な政治と かけ離れたものだ。過去四十年間、これによって西独で達成されたもの は何もない。「一九三七年当時のドイツの国境」を再現するというのは、 幻想にすぎない。こうした幻想をかきたてることにより、西独は隣国や その他の国々の信用を失うことになる。 M・ゴルバチョフ「ペレストロイカ」(講談社 田中直毅 訳)289頁
271 :
名無し三等兵 :02/06/20 23:47
>>269 米戦略爆撃調査団ね。あんなのも読んで「空爆で日本降伏、民主化をもたらした」
なんて信じてるやつはコヴァの言う「ポチ・ホシュ」。これはタリバンでも同じ。
空爆のおかげで女性が解放された、ブルカを脱いだなんて単なるプロパ。
民間人大量虐殺して「自由解放」ならナチスの人種政策だってそうだナ。
272 :
名無し三等兵 :02/06/21 08:39
>しかし当時の米・英・仏の首脳はソ連との合意事項を破棄した。 ヤルタ・ポツダム協定って米英ソの合意じゃなかったの、何で一度合意した ことを後になって反対されるの。西ドイツ政府の巻き返しかな。
273 :
パヴロフ2等兵 :02/06/21 12:31
>>244 にある通り、バルジ戦で西側連合軍はドイツ軍の残り大半を撃滅
したわけではなく、むしろ重要なのは
>>40 のソ連軍攻勢だった。これは
チャーチル首相がソ連に救援要請の親電を送って為されたものであった。
アメリカにとって本当に頼もしい同盟国は、イギリスではなくてソ連だった。
イギリスなぞ目くそ、日本軍さえもノモンハンであれだけ負けたとはいっても
ソ連国境沿いで軍を維持してたのに、英軍の場合はダンケルクでは第二戦線を
放棄して逃げ去ってしまった。ドイツと国境沿いで対峙してこそ「第二戦線」だ。
ドレスデンの爆撃は、ただ彼らの報復感情を満たしただけで、戦局への貢献はない。
ドイツ軍は強かった、彼らの「タイフーン作戦」は世界人類を恐怖のどん底に
叩きこんだ。そしてオーバーロード・バグラチオン両作戦と相次ぐ空襲でも
降伏はしなかった、ドイツ軍科学兵器の優秀さは、世界が認めている。
★★『東方スラヴ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★
そんなドイツ軍にうってつけの贈り物が、ここにある。
民間人大量虐殺して「自由解放」はタリバンとパレスチナかも
275 :
名無し三等兵 :02/06/22 10:08
>>272 ソ連の東欧支配はヤルタ・ポツダム協定で西側の国々の承認を受けている。
全ては合意のもとで、円満かつ平和的に終戦を迎えることができた。
276 :
名無し三等兵 :02/06/22 20:56
277 :
パヴロフ2等兵 :02/06/24 23:09
そもそも「第二戦線」とは、フランス上陸以外には考えられなかった。 北アフリカはイタリア・フランス、その他植民地現地人部隊が主力であって、 そこを攻略したとてドイツ軍主力に対抗しうるものでは全くない。
278 :
名無し三等兵 :02/07/02 15:15 ID:nvC4g49u
・・・私はジュネーブ行の途次ロシアに立寄つたのであるが、 当時のソヴェート・ロシア国民の消費生活は実に惨憺たるもので、 道を歩いて居る女や子供は皆蒼い顔色をして、ひょろひょろしておる 有様であった。それにもかかわらずスターリンは実に頑強な鉄の意志を以て、 何の仮借するとことなく、第一次、第二次の五ケ年計画を強行する、 国民も亦世界に類のない彼のスラブ魂を以て辛抱強く耐えて行く、 当時ウクライナ地方の大飢饉では何百万の人が餓死したといわれるが、 政府も国民もびくともしない。そして第一次、第二次、第三次と 次から次に大きな国家統制の力で計画経済をやり上げてしまつた。 そのためにあらゆる重工業面の画期的な、否革命的な大発展を遂げたのである。 その結果がすなわち、御承知のごとくノモンハンの戦争に現れて来たのである。 彼の大量な新鋭の武器、彼の完全な近代的な輸送の整備は、皆そこから 来たのである。誠忠勇敢な皇軍の将兵なればこそ、それを迎えて敵の心胆を 寒からしめるような豪勇無比な戦争が出来たのである。欧米自由主義国の 人々は皆ソ連国民の消費生活の悲惨を憐み、或は密かに嘲笑さえもしていた、 否、我々日本国民もこれらの民主主義国家の尻馬に乗つて、我々の日常生活の 豊かさを誇り奢侈に耽つて、大に優越を感じてさえも居たのであるが、 スラブ魂は兎に角万難を排してそれをやり上げた。 我々日本国民はおおいにそれを学ばねばならぬ。 ―松岡洋右「興亜の大業」1941
http://www.yale.edu/lawweb/avalon/decade/decade17.htm XII. ORDERLY TRANSFER OF GERMAN POPULATIONS.
The Three Governments, having considered the question in all its
aspects, recognize that the transfer to Germany of German populations,
or elements thereof, remaining in Poland, Czechoslovakia and Hungary,
will have to be undertaken. They agree that any transfers that take
place should be effected in an orderly and humane manner.
X. TERRITORIAL TRUSTEESHIP.
The Conference examined a proposal by the Soviet Government on the
question of trusteeship territories as defined in the decision of the
Crimea Conference and in the Charter of the United Nations Organization.
http://www.yale.edu/lawweb/avalon/decade/decade17.htm ヤルタ会談で為された米英ソ間決定は、トルーマン大統領も再確認している。
このヤルタ・ポツダム協定は、確固たる国際的合意として後世まで受け継がれる。
痔 痴 厨 で す 。 ク ソ ス レ の た め 閉 鎖 し ま す 。 以 後 の 書 き 込 み は 禁 止 し ま す 。
284 :
名無し三等兵 :02/07/05 12:32 ID:j+WmHdN+
ヤルタ・ポツダム協定って、今も有効なのか? チェコ政府はミュンヘン協定を無効だって主張してるそうだけど。
>>284 ソ連崩壊で効力は消失したと考えるのが妥当ではないか?
>>282 イギリス人がいくらバトルオブブリテンのレーダー防空戦とやらを
誇ってみたところで、ダンケルクの壊滅的敗北を拭い去ることには
全くならない。ヤルタ・ポツダム協定に文句をつける前に、自分たち
の無力さを嘆くべきだった。この点は日本のシベリアと同じ。レーダー
や海軍なぞ目くそ、陸軍力と航空力こそが勝敗の決め手だったのだ。
ドイツ軍の強さ、科学力を強調することは、そのドイツの首都ベルリンを 制圧せしめたソ連赤軍の実力を正しく評価することに繋がる。開戦当時 ソ連はファシスト枢軸軍の大半を、ただ一国で受け止めていた。それにも 関わらずモスクワは完全に守られた。西側の陸海空での反攻はその後日増 しに増大してその結果、ドイツ分割占領となったが、 ★★『東方スラブ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★ というのは以前は夢想だにされなかったことで、世界史的転換点とみるべきだ。
>>287 確かにダンケルクは英国史上最大の敗退で汚点の一つではある。
しかし、ソ連がそれ以上の損失をミンスク、キエフ、ヴィヤジマで何度も被ったのに
比べ、ソ連よりずっと人的資源の限られた英国が、失敗すれば祖国存亡に
関わりかねない状況の中、見事撤収に成功し、ヒトラーに大量の英軍捕虜という
譲歩の部分を与えなかったことは賞賛に値する。
忘れてはならないことは英国はドイツとWW2の初めから最後まで戦った唯一の国であり、
あのドイツの威勢のよかった40〜41年は英国一人でドイツに対して戦ったのである。
そしてドイツ軍の膨張防ぐため、海や空で如何に英国のレーダーが重要で活躍してたか
はいうまでもない。
さいきんになって英国でも44年後半ドイツ軍を打ち破って大戦の行方を決めたのは、
ソ連軍の夏から始まった猛攻(バグラチオン作戦)だったことを認めてる史家も
出ている。
だからロシア側もドイツ側に制海権のあったバレンツ海で、英海軍が何十もの輸送船を
撃沈されながらも必死に戦車や飛行機を送った努力も認めて、対独戦における
互いの功績を尊重すべき時代にきているのである。
東ドイツやポーランドなどのソ連邦衛星国とは、その国の住民の自由意志で、 かつ英米仏の合意で成立したのだろうか。そうでないとすれば、それは専ら WW2欧州戦終了時での軍事力による強制的分割であったというほかはない。
バトルオブブリテンで、キングタイガーを300両ほど投入できてたら、 ロンドンにハーケンクロイツが揚がったであろうことは疑いない。
>>291 バトルオブブリテンで戦車をどうやって投入するのか小一時間(以下略)
>>221 世界史板化石みたいな左翼(≠サヨク)多すぎ
てかうじゃうじゃいすぎ
「ユダヤ人迫害や衛星国の民族主義的な勢力を弾圧したことは、倫理的に正
しいとは思わないが、政治的には理解できる。」
書いている事のレベルがパ○ロフやベン○ンみたく低くない
なんと言語学まで引用している
こんな事言う奴今時皆無だよ てか何才だよ
しかもナチ批判は感情的なのにたいし何なんだあのスタへの手厚い擁護
実権者が論文書くわけまたそれを理系の実験のように実践するわけなかろ
この中でアルメニア人迫害がぼろくそ言われていたが
これが社会主義国じゃなかったら
「看過できない人種差別」「噂だけで犯罪」
ってな風潮だろうな
てか資本主義ってだけで低い評価?おかしんでないの
大祖国戦争の期間で、ざっと見積もって2600万のソ連邦国民が死亡したと いうのがソ連解体後の定説。ファシストたちは軍民問わず残虐なやり方で略奪 と殺戮と破壊をほしいままにして、彼らはそれもこれも「戦果」とみなした。 しかしながらそれは却ってスラブ民族の団結心を固めることに繋がった。 ★★『東方スラヴ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★ ソ連の東欧支配は、スラブ人2600万の血であがなったもので、 その正当性は米英もヤルタ・ポツダム会談でしっかり認めている。
ヒトラー時代のドイツの戦力は、帝政時代のドイツほどには振るわなかった と思う。東からロシア軍が攻めてきて首都陥落・国土分割なのだから。第一次 大戦は、東で優勢確保で講和、西は米参戦で敗れたとはいえ国土は維持してた。
ソ連とかドイツとかが「強かった」ってのは、侵略で占領支配地域を増やして、 あちこちから収奪しまくったことが大きいと思う。ワイマールドイツは世界恐慌 で大インフレに見舞われたが、もともとのドイツ経済が弱かった証拠だろう。 ドイツが軍事的に強くなったのは、ヒトラー政権が侵略を進めてからのこと。 同様にソ連邦解体に伴って、ルーブルが暴落したのも同じ理由に思える。
英空軍のドレスデン大空襲は、戦局に何らの変化も及ぼさなかった、ただの市民 殺戮だった。英空軍の夜間爆撃なぞ最大限に成功したとしても、こんなもんだ。 爆撃ごときで、ドイツ軍を打ち負かすことなど、不可能だった。 ★★『東方スラヴ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★ それはドイツ自身が選んだ、名誉ある勲章だった。西側第二戦線無くしてソ連の 対独本土進撃など全く考えられなかったからだ。ドイツはソ連と妥協して国土を 維持する選択を自ら拒否したのだ。
独ソ和平なら、困るのは専ら英米だな。
299 :
名無し三等兵 :02/07/17 13:43 ID:E4a4nDLt
第二帝国以来のドイツ帝国主義の伝統的対外膨張政策が、 第三帝国の対外侵略の原因。 独占資本・金融資本は勿論、多くの中産階級や農民も 帝国主義政策を支持していた。
ドイツが首都ベルリンをソ連に奪われ、国土が分断されたのは専らドイツ自身の選択。 ドイツ自身が、ソ連との和平を拒否してアメリカに宣戦布告して米ソ挟撃を招いた。
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html From 6 June 1944 to 8 May 1945 in Europe the Allies had
200,000 dead and 550,000 wounded
私は何も西側連合軍を無視してソ連の対独戦勝ばかりを言い立てているのではない。
西部欧州戦線での米陸軍戦没者は13万5千にもおよぶ。東部ドイツがソ連占領下
に置かれたのは、ドイツがソ連の和平申し入れをきっぱり拒否した結果であった。
わが精強ドイツ軍は、米ソ挟撃でもあれだけ闘い抜くことができた。ソ連が参戦し
たからといってすぐ降伏した日本とはわけがちがうのだ。
★★『東方スラヴ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★
それは、ドイツ帝国74年の敢闘を称える、輝かしい勲章だったのだ。
>ソ連との和平を拒否して ドイツが侵攻した全ヨーロッパ諸国から撤退することを条件に出さない 限り、イギリスが講和のためのテーブルにつく可能性はありえないでしょう。 ソ連との講和も、侵攻前のソ連外相モロトフとの会談で、ドイツと組んで イギリスに対抗する同盟の提案について何ら興味を示さず、ただ自国の 安全保障の必要を表明したソ連側からすれば、ドイツ軍の全面撤退以外 なんら興味がないことは当然。 結局のところ、自身の戦略目標である東方膨張政策を放棄し、全占領地からの 撤収、更にはポーランド回廊までを手放すことにヒトラーが我慢できるか どうかですが...。
★★『東方スラヴ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★ ドイツは不可侵条約を一方的に反故にしてソ連に攻め込んだ。決してソ連が 目下英仏と戦争中のドイツの背後を襲ったのではない。またドイツは日本 参戦に呼応してアメリカにも宣戦布告した。ソ連の和平申し入れを拒否 して、Dデイ以降米ソ挟撃となった。決してソ連が単独でドイツ本土を 攻撃できたのではない。ドイツ軍は強かった、一時は世界人類を恐怖の どん底に叩き込んだ。ドイツはドイツ軍の科学戦能力の優秀さを世界に 知らしめることができた。精一杯闘えて、もはや悔いはなかろう。 ★★『東方スラヴ民族による』ドイツの首都ベルリン陥落★★ イギリス空軍のドレスデン爆撃なぞ、ただの市民殺戮にすぎなかった。 そういう中でソ連赤軍がいかに歴史的偉業を成し遂げたかがこれでわかる。
304 :
:02/07/19 10:02 ID:???
>ソ連の和平申し入れを拒否して、 これホントなの?ソ連側からいつ?
>304 シッ!糞犬なんかにかまっちゃいけません!脳内に蛆が湧きますよ!
ドイツ軍科学兵器・戦術がいかに日本より優れていたかを語ることで、 そのドイツの首都ベルリンを陥落せしめたソ連赤軍が、いかに日本も 含めて世界中から尊敬されていたかが、くっきりとみえてくる。
Germany 3.25 million 2.44 million 5.69 million
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html いずれも諸説あってはっきりしないし、他の枢軸諸国の参戦状況も含める
と何ともいえないが、敗者のドイツ軍の戦闘死者は勝利者のソ連軍よりも
圧倒的に少ない。これは軍隊としての強弱というよりは、敵味方の捕虜の
扱いなど、政治的な問題が大きい。ドイツ軍は西部戦線や地中海戦線でも、
戦闘損害自体は連合軍と大差は無かったようだが、捕虜が多すぎ
>>135 。
キルレシオだけでドイツ軍の強さを語るのは完全におかしい。
>310 別に全然おかしくない。 キミの大好きな135の著者の諸作品を読めば(w
312 :
名無し三等兵 :02/07/24 22:02 ID:qQx+os1X
43年2月中旬、SS装甲軍団のハウサーがヒットラーの死守命令してハリコフを 放棄した。ハリコフ解放で勢いずいたソ連軍はドニエプル川を目指し攻勢を開始する。 ソ連軍が南方のミウス川周辺のドイツ軍防衛線が突破できず、また北方では ハリコフ西方のドイツ軍防衛線(大ドイツ装甲師団など)に当り進撃スピードが遅れた た。中央部はあまり抵抗を受けずソ連軍第6軍、ポポフ兵団にそのまま前進をした。 そこでパウログラード周辺でソ連軍が突出した形になる。 そのうち第6軍、ポポフ兵団は燃料が欠乏し進撃が鈍り、待ってましたとばかりに マンシュタインは装甲部隊SS装甲軍団(アドルフヒットラー装甲師団、トーテンコ ープフ装甲師団、ダスライヒ装甲師団)、第40装甲軍団(第7装甲師団、第7装甲師団) 、第46装甲軍団、(第6装甲師団、第17装甲師団)を突出した第6軍、ポポフ兵団の側 面を攻撃させ壊滅させる。 そのあとソ連軍第3機甲軍を急行させるが、SS装甲軍団の真ん中に突っ込んでしまい これまた壊滅、ソ連第25親衛狙撃兵師団がハリコフを防衛(取り残された?)していたが 、SS装甲軍団と第48装甲軍団がハリコフを包囲、アドルフヒットラー装甲師団 が市内に突入し、3月中旬ハウサーが放棄していらい一ヶ月ぶりにハリコフを奪還する。 そしてハリコフ攻防戦とよばれる一連の攻防は終了し、ドイツ軍はこの作戦で自信をつけ、 東部戦線で3度目の大攻勢をかける希望を見つけたのであった?
>>310 独ソ戦は貴族軍と土民軍の戦い。学識や技能では貴族が勝るにしても、
無教養でも命知らずの土民の群れが雲霞の如く押し寄せてきたのでは、
坊ちゃん育ちの貴族軍は命惜しさに白旗揚げるしか無かったってこと。
夏ですね
厨尉ですね
独ソ戦とは春から秋に掛けてドイツが攻め、秋から冬に掛けソ連が攻める。 そんな繰り替えしが続いたんだね。
ホントニデタヨ・・・
ドイツは4ヵ年計画戦争経済のためにアウシュヴィッツなど東欧人 から財産を取り上げ強制労働に就かせ、何百万と死に至らしめたが、 軍隊としては西欧文明の威風があった。ヒトラーといえども兵隊 を消耗品扱いしたことはない。ソ連軍の場合は兵なぞ消耗品で、 命知らずの蛮族の集団が怒涛の如く押し寄せていく。
便・パヴ狂宴中
近代国家市民軍(トルメキア軍)VS未開遊牧土民軍(土鬼軍)・・・・
そんなにドイツは近代科学が発達していたといえるのか。そうだとしたら、 そのドイツの東半分を牛耳ったソ連は、ドイツより先進国だったといえるのか。 そうでないとすれば、未開の原始人が近代文明国を征服するなんてことあるのか。
>>318 つーかよ
第三者としてみれば、
どんなに”西欧文明の威風”とやらを背負ってようが
やってる事がただの他民族への侵略と略奪に過ぎない”気取りやの悪党”より
少々”野蛮”でも自国防衛と解放の為
命を進んで投げ出す連中の方に親近感を感じるね。
あいにく俺はどこぞの千葉県民と違って生粋の日本人なんでね。
「ソヴィエト社会主義共和国連邦」はドイツをも破った先進工業国で いいのですね。崩壊後のロシアも、G8サミット(主要先進国首脳会議) のメンバーで異論ありませんよね、そうでしょみなさん?
http://yasai.2ch.net/army/kako/993/993164998.html 1 名前: 3ch 投稿日: 2001/06/22(金) 08:09
第2次大戦のハイライト、人類史上最大・最悪の戦場なのに最近の研究や
ソ連側の情報公開によりこんなに酷い状態にあったサムイ(映画スターリン
グラードの銃殺部隊など)ソ連に勝てなかったドイツってかなりイタくない?
今まではドイツ軍の超人的な活躍が強調されていたけどドイツ神話
を煽ってたホビージャパンも今やアニオタ誌。
ほんとのところどうだったのかマターリしたドキュンな情報求む。
最近の説(学研の歴史群像)ではソ連軍が先に先制攻撃しようと準備中の
ところドイツの先制攻撃で奇襲効果となってソ連軍に大損害が出たらしい。
325 :
322 :02/07/24 23:31 ID:???
>>323 つーか今や世界最大の産油国だし(藁
国民が資本主義的ライフスタイルを身に付けたら
へたすりゃ今の中国より恐いかもよ…
丁度”唯一の超大国”アメリカのバブルが
ついおととい弾けたばっかだしね。
プロホロフカ戦車戦についての記述は本によってまちまちだが、ソ連解体で 出た資料によると、ロシア側が大敗して反撃もままならなかったとのこと。 やはりヒトラーその他の軍幹部がみんな作戦中止を考えた中で、ひとり マンシュタインだけが「攻勢続行」を主張していただけのことはある。
>>326 完全に、にっちもさっちも行かなくなった北翼とは違って、
南翼に関して言えば、航空優勢と初っ端から戦車の突進力を活かしたことがあって、
部分的な成功を収めていたために、
軍集団レベルで、作戦目標を密かに変更していたわけですね。
すなわち、赤軍の南翼部隊の掃滅、
戦車予備兵力の引き出しと直接戦闘による殲滅。
すなわち、クルスク突出部を孤立させるという戦略的勝利を断念して、
赤軍の消耗を図るという戦術的勝利の追及に作戦を転換したわけです。
で、これは成功しかかっていたわけですよ。
プロポロフカの東方に向けて、ケンプフ軍支隊が迫っていて、
SS装甲軍団との戦闘で大打撃を受けた、ステップ方面軍の戦車軍の
側面を突いてトドメといくはずだった。
ところが、ヒトラーの戦闘中止命令。
結局、突破されて後退がままならなくなっていた赤軍の部隊の掃滅だけに終わり、
南翼の戦闘も打ち切り。
で、その後は、それなりに部隊は消耗したし、回復はままならないし、
SS装甲師団の引き抜きもあったし……。
赤軍は、逆に一息ついて、補充後に一気の攻勢に移った。
そして、ここから南翼の崩壊が始まったわけですな。
328 :
名無し三等兵 :02/07/25 23:58 ID:YX0N9Rd/
対独戦に限らずソ連軍は兵隊でも平気で使い捨てにするから、勝った戦い でも敵側よりはるかに多い人的物的損害が出ていても驚くには値しない。 そもそもキルレシオだけで軍の強さが示せるだろうか。マンシュタインも ユダヤ人根絶を「闘争」と言ってる、それなら略奪も立派な戦利獲得だし、 殺戮はみんな輝かしい「戦果」ってことになる。
ソ連側の統計では、重戦車の生産がJS2になった1944年のその年に在籍した 重戦車の損害率が16%で、1941,1942,1943年のKVシリーズ時代と比較 すると損害率は60、37.5、44.8%となり、ドイツ軍にとってJS2がいかに 強敵であったかわかります。(ちなみに中戦車の損害率は、1941-1945で、 74.2、46.5、61.5、52.7、40.5%です。)
331 :
330 :02/07/26 09:05 ID:???
>東部戦線軍死者はわずか三百数十万。 「三百万以下」に訂正。 ドイツ軍は立派で強い軍隊だ、僅かな兵員損失(西部でほぼ敵と同数、 東部では敵の何分の1。日本はへたれだ、ガ島やインパールで米英には ありえない餓死者続出で、敵の何倍もの死者をだした。ドイツが立派に 本土決戦を成し遂げたのは、やはりドイツの優れた科学戦のお陰だ。
三百数十万も戦死者を出して僅か…( ゚Д゚)ポカーン この辺の理性の欠落っぷりが太郎たる所以か、それともベン公か
人員損失をソ連の何分の一、西側連合軍と同等程度にまで抑えて、 潔くベルリンをソ連邦に明け渡したドイツ軍は、立派だったと思う。
>>327 「PANZER」の2001年9月号の古是三春氏の記事によると、ドイツのLAHが90-88輌で
損害2輌、ソ連の第5親衛戦車軍630-374輌で損害256輌、白石光氏の文章ではドイツ
側150から200輌で損失が50から70輌、ソ連側750から800輌で損失が350から400輌。
G.Fクリヴォーシェーエフ中将編纂「20世紀におけるソ連の犠牲者・戦闘喪失」
London1997ではドイツ側4万9822名に対しソ連側17万7847名。マンシュタイン
指揮の南方方面軍の完勝、ロトミストロフの第5親衛戦車軍はほぼ完敗してた。
粛清を免れたのは、よほどうまく立ち回ったからとしか思えない。
>331 三百万も失ったのにどこがわずかなわけ?バグラチオンやコルスンのときのやられっぷりはみじめだったぞ。ハリコフ戦大勝利したときだって勝ち試合なのに11500名をSS装甲軍団だけで失ったぞ。独がめちゃくちゃ強かったのは事実だけどもうすこし考えてもの言えよ。
>人員損失をソ連の何分の一、西側連合軍と同等程度にまで抑えて、 >潔くベルリンをソ連邦に明け渡したドイツ軍 カリウス「彼ら(西側連合軍)は補給さえ受け持ってくれればいい。 すれば、我々は今すぐやつら(赤軍)を国境外まで押し出してやれるのに」 と著書で発言。当時、状況をどこまで知っていたのかは定かではないけど。 その自信は大したものだな。
>>336 反対に往生際が悪いのは日本人とロシア人。
>>334 大軍で攻めておきながらその大半を失って後退したのがばれたら、
その司令官は粛清される。だからソ連では特に敵の兵力と損失を
過大に言い立てて、自軍の損害をわざと少なく見積もることが多い。
そして失われた兵と武器を補充すべく、無理やり駆り集める。
ロスケの消耗ぶりはすごいからな。ハリコフ戦で先日独に与えた、第六軍30万以上の損害をこうむったし。圧倒的大勝利したバグラチオンのときも20万近くを失い、キュストリンからベルリン攻防にかけては推定戦死30万以上らしいし。戦争全体での負傷は天文学的数字だろうな。
キルレシオでしか戦争を語れないのって, いかにも”大戦略”あたりのゲームから軍事に入った厨房の発想だな。(プ クラウゼヴィッツから読み直せアフォが。
>>340 そんだけ殺しても勝てなかったドイツ軍って一体?(藁
>キルレシオでしか戦争を語れないのって, キルレシオに捕虜を加えて考えれば、かなりましになると思う。労働力として使 える捕虜なら、寧ろ死傷戦果より大きなものになる。キルレシオだけならドイツ 軍はソ連軍を圧倒してるし、西部戦線でもだいたい互角。日中戦争だって日本軍 の戦果は戦闘死傷よりも投降捕虜がずっと多かった。汪精衛の南京政権なんて、 日本軍に投降してきた捕虜が集められたようなものだ。太平洋戦争での日本兵は 捕虜にはならず独軍とは比較にならない圧倒的キルレシオで餓死病死していった のだが、こんなことを大東亜全域でずっとやられたらそれこそきりがない。
>そんだけ殺しても勝てなかったドイツ軍 寧ろそんだけ殺したから、スラブ人の恨みを買って最後には負けた。兵隊でも 降伏して捕虜になったものを何百万人も殺したのでは、それ以降降伏してくる 敵兵はいなくなってしまう。
〃───、
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/ /´ (_ _)ヽ <日中戦争で日本兵は常に圧倒的キルレシオで中国兵を…
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|(6 ゝ | カタカタカタ・・・ ←
>>311 の打通太郎
|ヽ θ ノ _____
ヽ|\_/ | | ̄ ̄\ \
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| \ |つ |__|__/ /
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>343 341のタワゴトなんか放置しときなよ。どうせ大した知識もないシロートがほえてるだけ。
ならこちらも”戦争”の何たるかを知らない
>>346 は放置するとしよう。
>340 露助の国力+アメリカからの援助が圧倒的で、そこから生まれる 戦力を殺し尽くせなかったから、かな
スマソ>342へのレスね
でも、ドイツって、そんな国に自分から攻め込んだんだよね? ”腐った足の巨人”とか、”ドアを蹴破りゃ家ごと崩れる”とか高くくりながら(藁
〃───、
/ _____)
/ /´ (_ _)ヽ <独ソ戦争で独逸兵は常に圧倒的キルレシオでソ連兵を…
||-○-○-|
|(6 ゝ | カタカタカタ・・・ ←
>>346 |ヽ θ ノ _____
ヽ|\_/ | | ̄ ̄\ \
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352 :
:02/07/28 10:17 ID:???
そう、今も昔も戦争は、組織をつなぐ結線を破壊することで、 はじっこからキルレシオで全消耗めざして戦ってたわけじゃない。 たいていの時代は、第1は「士気」で、 (通信と補給でもある) 組織をつないでる結線が切れた時、崩壊が起きる。 その崩壊の中で、損害の大半は生じる。 「大戦略」って言ったのは、あながち揶揄ばかりでは無いだろう。
>組織をつないでる結線が切れた時、崩壊が起きる。 >その崩壊の中で、損害の大半は生じる。 だから崩壊が起きた時の「損害」は、戦死傷者よりも捕虜が圧倒的に多い。 アメリカはUボートの捕虜から機密情報を盗み出している。またソ連は バグラチオン作戦で得たドイツ捕虜を、モスクワで行進させた。同数でも 戦死傷による損害よりも、捕虜によるそれのほうが明らかに大きい。
354 :
:02/07/28 10:31 ID:???
>ドイツは対ソ連戦をどう決着つけるつもりだったんだろう? かなり中世的な思考の人物なんじゃ?ヒトラーとは。 ヨーロッパ・ロシアまで植民して、あとは放置とか? 「我が闘争」に書いてあると思う。 そのまま表明する、大きく書けば陰謀家は信じない、と言う 稀有な文書。
独ソ戦は正面幅数千キロで縦深数千キロの決戦 多分2度と無いレベルの有史以前から続く戦いのうちの人類最大の野戦だろうな
357 :
名無し三等兵 :02/07/28 19:36 ID:bZQlbCTs
ドイツはソ連から石油を買っていた。 対仏、対英戦はソ連の石油で戦った。 ソ連に攻め込んだドイツは石油・燃料の調達を本気で考えていたのだろうか? 日本も緒戦はアメリカから輸入した石油、航空機用ガソリンで戦った、だから 緒戦のゼロは強かった!? ドイツも日本もソ連も、米英メジャーに掌の上で躍らせれていた様なものか?
359 :
名無し三等兵 :02/07/29 00:22 ID:snKhueKq
ドイツ降伏直後(1945年5月)の朝日新聞に どうしてドイツは負けたのかの解説記事があった。 戦線を二つ作ったことや、自民族優越主義で他の同盟国がついて行き難かったこと ソ連と開戦すれば、反共の名のもとにアメリカもイギリスもみーんな味方になるだろうと 甘すぎる読み(イスラエル攻撃すればアラブ諸国みーんな味方になると思ってた フセインみたい)をしていたこと等を的確に指摘していたよ。 勿論、同じ紙面には、沖縄戦線や特攻隊や本土防空戦の大本営発表。 他人のことなら結構正確に見えるのかな。人間って。
>358 意味が分からん・・・ >359 興味深い話。 お説のとおりではないかと。
アンブローズの「ワイルド・ブルー」によれば、欧州戦の米空軍の捕虜も含めた
全損害人員は8万人近くにものぼったという。爆撃機の双発四発あわせて喪失は
約一万機。投下爆弾の7割は1944年7月以降で、ドイツ空軍機なぞ滅多に
飛んでいない時期でも、対空砲火による損害は出し続けている。とはいっても
欧州戦の全期間でそれだけの損失ならば、かなり効率が良かったといえるので
はないか。同書によると、バルジ戦だけで死傷捕虜8万だったのだから。
USAAF bombers in the European War, 1942-45
http://danshistory.com/ww2/usab.html
362 :
名無し三等兵 :02/07/29 08:31 ID:9BzVe5kX
>>359 その話ははじめて聞きました。おっしゃるとおりだと思います。
>>361 ふむ。米戦略爆撃隊の損害はドイツの場合も日本の場合も喪失率は1.4%
前後で同じくらいか。わが日本陸軍の場合は対空火砲なんてもったいなくて
使えなかった。しかしそのぶんわが日本陸軍には震天特攻隊の勇士達がいた。
敵方が百回出撃して一機か二機失われるのに対し、わが神風・震天特攻隊は
一回飛んで成否の有無を問わずそれっきり。これなら松根油掘りで十分賄える。
神風・震天・対戦車・震洋特攻の勇士達は、それが成功してもしなくても
みな平等に靖国の英霊になれる。だからわが陸軍将兵たちは奮い立ったのだ。
ジサクジエン・・・
365 :
曹長 :02/07/30 00:21 ID:???
何か将官クラスの会話だよな… 後方司令部での会話はすこぶる良かろうよ。 地平線が見えるロシアの雪中で必死になって戦っている地図上の「点」の兵士たち…
ドイツ軍のように捕虜として生き延びてしまっては、靖国の英霊にはなれない。 だから制海権取られて空爆と封鎖で飢えと病気でよろめきながらも、捕虜より は死ぬまで戦ったほうが、日本兵にとっては幸せであったのだ。キルレシオで 比較すると日本兵の死亡は米独のそれをはるかに凌ぐ。靖国神社という神聖な 場所で死後も英霊になれることは、この圧倒的日本軍死亡率が示す通りだ。
靖国神社、それはなんと神々しい響きであろうか。戦争で死ねば靖国の英霊に なれる、そして死んだ戦友たちにも再開できる。だから太平洋の日本兵たちは ドイツとは比較にならぬ一方的ともいえる圧倒的キルレシオで死んでいったのだ。
369 :
名無し三等兵 :02/07/30 01:06 ID:UYh51Q0V
>>368 おい、落ち着けよ…
あのさ、親兄弟恋人友人の居る所に帰りたいと思わないの?
孤独なのか?>打通さん
というかさ そんなに靖国にいきたきゃテメーが真っ先にいけよ。 貴様のような屑が英霊の名を出すだけで虫唾が走る。今すぐ氏ね、いや死ね
えっ? 打 痛 さ ん っ て ネ タ 師 で し ょ ?
ジ サ ク ジ エ ン い た い た し い ぞ(W 要するに346にシロート呼ばわりされたから必死なんだろ孤独な347ちゃん
>あのさ、親兄弟恋人友人の居る所に帰りたいと思わないの? 沖縄戦では、ひめゆり部隊も特攻隊員も対戦車体当たり肉攻兵たちもみんな、 親兄弟恋人友人そろって靖国神社の英霊となったのだ。
「一億総玉砕」を望んでおられるようだ… アキレタ
375 :
347 :02/07/31 21:34 ID:???
>>372 ハァ?俺ゃてっきり
>>352 に手前の薄っぺらいキルレシオ至上主義を論破された
哀れな嫌露厨の
>>346 =駄痛=便厨=パブロフだとばっかリ思ったがね。
376 :
パヴロフ2等兵 :02/07/31 21:48 ID:++r2QH++
ドイツ軍は良くも悪くも科学と合理精神で動く軍隊だから、不利が明らか
になればそこで集団投降する。これに対し日本軍は、戦局の有利不利に全く
無関係に死を選ぶ。つまりドイツ兵は賢く勇敢だが、日本兵はキチガイだ。
脳が壊れて苦痛に対する感覚がマヒしているキチガイに、催眠スプレーは
効かない。だからヤルタでもポツダムでもアメリカはソ連対日参戦を望んだ。
あのソ連嫌いのトルーマンですらポツダムでソ連と妥協してた。
http://homepage1.nifty.com/kaminosumukuni/sayoku/kinyou3.htm 藤原彰著『餓死した英霊たち』(青木書店)には、昭和18年以後の日本軍
の7割は餓死、1割は輸送中の沈没死だったろうと書かれています。
377 :
名無し三等兵 :02/07/31 21:52 ID:iolILgBK
南国の海がやけにきれいだな・・・
378 :
パヴロフ2等兵 :02/07/31 21:56 ID:++r2QH++
藤原彰著『餓死した英霊たち』(青木書店) これ一冊丸暗記するまで読んでおけば、日本軍の本質がよくわかる。 沖縄戦で海上封鎖を空爆と艦砲射撃が完璧でなお、あの狂信ぶり。 それはまさに脳が壊れて苦痛に対する感覚が完全にマヒして、 スタンガンを浴びてもヘラヘラ笑ってる、精神病患者だった。 これを目の当たりにしたホワイトハウスは、空爆と封鎖だけでは 対日戦は終わらないと悲観論をますます強めることになった。
379 :
監視兵 :02/07/31 22:04 ID:3NFqOHcv
>376 ドイツ軍は最後まで戦った。栄光のドイツ軍を誹謗するな。 ロシアの森で圧倒的なソ連軍に囲まれ,弾薬も尽きても降伏はしなかった。 そして殺され,あるいは自決してロシアの大地に埋められた。 多くのドイツ軍の英霊がロシアの大地に眠っている。 彼らは勇敢だった。 >38 朝鮮人か。 日本の英霊を誹謗するものは報復を受けるだろう。 日本人は報復する権利がある。
380 :
某研究者 ◆TkxmpUgI :02/07/31 22:24 ID:6o1mjcnQ
まあ四国協商が実現した場合 米国との戦争は亜細亜等での代理戦争以外しない可能性も 有ったと言う事なのか (ロシア側からのドイツ攻撃と言うのが当面は無いなら ドイツが仕掛けない限り暫くは四国協商は続いた可能性は無い訳なのだろうか) まあ日本が米国を攻撃したのと同様 独がロシアを攻撃したのは誤算だった訳だろうが (しかし米英はバルバロッサ作戦を事前に察知していたのだろうか) 独がロシアを攻撃せねば日本は米国を攻撃しなかったと言う事は 無い訳なのだろうか(矢張り独がロシア・米国に勝てると見ての バルバロッサ作戦直後の対米開戦である訳だろうか)
381 :
名無し三等兵 :02/07/31 22:28 ID:LfbNGtZA
ドイツは合理的だからこそ1944年辺りからヒトラー暗殺未遂が何度もあったんだよ。 彼は運が良すぎただけだ。ナチスを一掃出来たかどうか分からんが、終戦は早くなる。 日本は無いでしょ?逆に終戦間際、クーデター起こして日本壊滅の危機があった位。
駄痛と糞犬、それに便前、こいつらまとめてこの世から消せれば、 軍事板はもっとよくなるんだろうな
>>382 軍事オタクの偏見像を地でいってるからなぁ…
384 :
346 :02/08/01 07:58 ID:???
キルレシオ至上主義だなんて大げさな。ただ具体的な数字を提示しただけ。つーかベンやパブなんぞと間違えてる時点でアフォ決定。
>346 お前は奴等と同レベルだよって事だろ(藁
>385 今日も煽りご苦労様 (W ところで家にひきこもってないで外にでてみろよネクラ君。太陽が気持ちいーよ (藁
387 :
347 :02/08/01 20:20 ID:???
>>386 ところで俺は385とは別人でな、生憎こちとらぁまっとうな勤め人でよ。
お前みたいに親の脛かじって真昼間からチマチマパソコン打ってる程暇ねぇんだよ。
で、手前と便公や犬ッコロが同一人物だろうがどうか知らんが
死人の数だけで”戦争”を語る薄っぺらい煽り厨房には違いあるまい?
おお、荒れてるスレ発見。ageてやるぜ。 荒れろ荒れろ、ギコハハハハハハハハハ!!!
355>独ソ戦は正面幅数千キロで縦深数千キロの決戦 アメリカ>ソ連>ドイツなら、ドイツは十分凄かったといえる。しかし、 アメリカ>>>>>>>>>>ソ連>ドイツだとすると、どうだろう。
アメリカ>>>>>>>>>>ソ連>ドイツ>>>>日本>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>中国 やっぱりドイツは凄い!!!
「独ソ不可侵条約」って、独ソ両国にとってどんな意味があったのでしょうか。 秘密議定書まで交わしておいて2年も経たないうちに戦争になるのでは、条約そ のものの意義を疑わざるを得ません。議論になりそうなら新スレ立てましょうか。
やめときな。このスレ定住の、複数の語り系アフォ荒らしがまた出現するぞ。
393 :
名無し三等兵 :02/08/04 14:14 ID:3LRYQrRA
まあ、今の大国が大規模戦争しないのは経済的に損するだけだからなぁ。
得るものより失う物の方が多い。
>>391 確か、ソ連は対日戦を考えていて、ドイツは対イギリスフランス低地諸国戦を考えていたので
背中をお互い見せられるということで条約した訳です。
1941年6月にドイツによって破られた訳ですが、1941年12月にソ連は「日本はソ連に攻め込まない」
事がはっきりしたので、シベリア極東方面のかなりの兵力をモスクワに援軍として移動し、
ドイツ軍をモスクワ前面にて撃退成功した一因になってます。極東方面の援軍がなければ
モスクワにもっと迫っていたかもしれません。
同じ12月に日本はアメリカと開戦し、この時点で「枢軸国の運命は決まった」と言えます。
394 :
名無し三等兵 :02/08/04 16:14 ID:g9uRY7iX
>>355 有史以来、前後に例の無い至上空前の陸上戦をやったドイツ。
同じく有史以来、後にも先にも太平洋戦争でしか行われなかった
「機動部隊同士の航空戦」をやった日本。
・・・先人は偉大だった。
我々は、後知恵でなんとでも言うことができる。
しかし、当時の人間の立場に、我々が立ったとしたら・・・
きっとあれほどの作戦を実行に移すことはできなかった
のではないか?
ドイツはどうだか知らないが、少なくとも日本の組織形態は
戦前よりももっと柔軟性をうしなってるからね。
>1941年6月にドイツによって破られた訳ですが ドイツがソ連との不可侵条約締結を望んだのは、1939年当時のドイツはまだ肩身が 狭かったからだろう。ポーランド一国を攻めるのに、ソ連の協力が不可欠だった。 また宣戦布告してきたのは英仏のほうからであって、ドイツからではなかった。 フランス征服とダンケルクでの大勝利、そしてソ・フィン戦争でのソ連軍大敗は、 ヒトラーをこの上なく舞い上がらせたであろうことは疑いない。
396 :
名無し三等兵 :02/08/04 23:33 ID:Nt/qCcaf
ドイツ軍は確かに勇敢だった、、
しかし
比較的勇敢だったのは東部戦線(赤軍に報復されるから)のドイツ軍、武装SS,
ユーゴのドイツ軍(パルチザンにつかまれば惨殺ケテーイだったから)くらい。
他の戦線では意外とあっさりと降伏してた。(特に大戦末期の西部戦線)
国防軍の結束があっさり崩れ去ったことについては
>>368 の本に捕虜自身による記述がある。
団結を崩さなかった例外はWAFFEN SSと日本軍兵士の捕虜だったらしい。
これにはドイツの国防軍将校も感嘆していた。
ドイツ軍は優れていた。日本などと比べると時代がまるで違ったものだった。 ソ連に奇襲攻撃をかけたが攻めきれず、米ソ挟撃で最終的に首都ベルリンは ソ連に奪われた。だがそれはソ連赤軍がもっと凄かったからである。
398 :
00 :02/08/07 00:28 ID:L6HHIqrL
ソ連とドイツが戦争しなければ ドイツはイギリスに勝てただろうか?
ドイツ軍科学兵器・戦術の日本と比べた優秀さを語ることは、戦後なぜ あれだけ多くの日本人がソ連に憧れていたかを理解することに繋がる。 ソ連赤軍は、そのドイツの首都ベルリンを陥落させてしまった、これ にはいくらソ連嫌いの日本人も脱帽するしかなかったであろう。
400 :
名無し三等兵 :02/08/08 00:35 ID:ZGxSth5b
>>399 ソ連がベルリンを陥落できたのは、米英による膨大な軍事援助のおかげ。
401 :
400 :02/08/08 00:37 ID:ZGxSth5b
したがって、 必ずしも独力でドイツ軍に勝てたわけではなし。
Dデイ前後のアメリカの支援は大きかったが、イギリスは目くそ。 むしろ独ソ開戦によってイギリスのほうがソ連のおかげて助かった。 独ソ戦が起こらなければ、イギリスはドイツあいてに白旗あげてた。 それに何と言っても、 ★★ベルリンに揚がったのは米英でなくてソ連国旗だった★★
403 :
400 :02/08/08 00:47 ID:ZGxSth5b
イギリスが目くそなのは事実だが、アメリカはどう?
ソ連はずっと守りに手一杯で、陸海空全てを合わせての第二戦線無くして ドイツ本土進撃など考えられなかった。しかし、ドイツはソ連の和平申し 入れを何度も拒否したのであって、それが米ソ挟撃に繋がった。 イギリスはダンケルク以降目くそで、ろくな対独反撃もしていない。 北アフリカの砂漠なんてどうでもいい場所だ。北アフリカが歴史上、 どれほど重要なことがあったのだろう。クレオパトラの時代にまで 遡らねば、何も無い場所だ。 ★★ソヴィエト赤軍はドイツの首都ベルリンに進撃してこれを陥落させた★★ このことがいかに大きな世界史的転換点か、理解できよう。
>イギリスは目くそ。 バレンツ海のレンドリース船団を守ってたのはどこの国よ?
>>404 貴様はスエズ運河の意義と
地中海の制海権について考えた事があるのかと小一時間…(以下略)
407 :
名無し三等兵 :02/08/08 01:00 ID:ZGxSth5b
スエズ運河はヨーロッパについで重要です。
そのスエズ運河だか、戦前はイギリス管轄だったのが、戦後原住民の 反乱が起こってナセル政権のエジプトに帰属することに変ったそうだが。
とはいえイギリスがヤルタ協定とポツダム協定を承認したことだけはよかった。
410 :
404 :02/08/08 01:11 ID:???
>>408 あくまで二次戦中の意義について聞いておるのに、それでは答えにならん。
どうせならついでにスエズ動乱におけるソ連の役割でも語って見せたらどうだ?
所詮ジョルダーノを読み齧っただけの
俄か二次戦限定ソ連ヲタにはこの程度が関の山か?(藁
ソ連は英仏のスエズ動乱鎮圧を強く非難してたろう。ヨーロッパについで重要 なはずのスエズ運河にしても、どっちみちイギリスの手に帰ることはなかった。 イギリスなんて、ボロボロやんけ。
「ヨーロッパについで重要なはずのスエズ運河」たって、どっちみち 手放す予定ものだったんだろ。またアラブ人ごときの反乱で大英帝国と もあろうものが手をやいているようでは、その実力はたかが知れている。
413 :
404 :02/08/08 19:52 ID:???
>411 所詮名無しで書き込んだとて貴様の知識の底の浅さは隠せぬのう(w その後の中東戦争や アフリカ諸国の紛争への介入を通したソ連の中東政策等をからめ もちっとビシッとはまる書き込みは出来んのか? >412 後半についてはほぼ同意だが 戦中において英国がスエズ運河を手放す予定だった事を示す証拠はあるのか? 大体50年代の事実からWW2戦中の実力を語る貴様の実力とて知れたものだ。 それでは90年代連邦崩壊直後の状況を無理やり60〜80年代のソ連に当てはめ そのこじつけの理屈を以て戦後ソ連の実力を語ろうとする 一部嫌露厨どもの論法と変わらぬではないか?
414 :
かおる :02/08/08 22:05 ID:???
後期になればなるほど、ヒトラーの国防軍への不信感が高まっていったのは、 国防軍がひとえに、兵士の人命尊重が見られたことだと思うね。 その点、武装親衛隊は兵士の死などそれほど重要視されていなかったような気がする。 まあ、ヒトラーの火消し役とまで言われれば、その活躍はさぞかし華やかであり、 裏では常に過酷な戦闘を強いられていた訳である。
>ヒトラーの火消し役とまで言われれば、 大戦後半になると、我がドイツでも食糧事情が次第に悪化の一途をたどった。 包囲されたスターリングヤードでは、軍馬が殺して食べられたり、スコップの柄が 焚き付けに使われるなど清算な状況だったらしい。 絶望的な苦境の中でも最期まで戦い抜いた我が戦友たちに敬礼せよ。さもなくば射殺だ。
我がドイツ軍の強さはその優秀な火器による物だけではない。 彼等の精神力が無敵のドイツ軍を創り上げたのだ。ヨーロッパ最強の陸軍国 プロイセンの伝統を受け継ぎ、我がドイツは度重なる敗戦をも物とせず、 今、また歩き出そうとしている。
このところの便廚=パブロフの荒らしは本当につまらんな。 冗談抜きでいじめられっこの鬱憤晴らしにしか見えん。 こんな性根の腐った事ではこの先まともな人生を送る事も出来まい。 そんなわけで便廚=パブロフは、もう人生あきらめて死んだ方がいい。 煽ってるわけじゃなくて本気でそう思うよ。 もしこれを読んでむかついたんなら、荒らしで対抗するより 『2ちゃんねるで中傷されたから死にます』 という遺書を残して首でも吊る方が、よっぽどここのみんなに 迷惑が掛けられるよ。 迷惑がられたいんだろ? やってみたらどうだ?
418 :
打通さん :02/08/08 23:35 ID:v6QGvwVn
>「ヨーロッパについで重要なはずのスエズ運河」たって、どっちみち >手放す予定ものだったんだろ。 バカロフには「Dデイ」と「大祖国戦争」しか頭にない。西欧植民地支配を 覆し東亜独立に向けて現地人戦闘部隊を要請したのは、わが帝国陸軍である。 これによりマレー・ビルマ・インドで反英独立闘争となり、アフリカにも 広がったのだ。反西欧とはいっても、おれさまはバカロフとは全く違う。
419 :
打通さん :02/08/08 23:41 ID:v6QGvwVn
「要請した」は「養成した」に訂正だ。 日本陸軍は、敗退したとされるノモンハンでも実は善戦敢闘してた。 詳しくは「ノモンハン事件の真相と戦果」(田端元 小田洋太郎)。 日本陸軍こそがアジアの「日本精神」であった、おれさまはそう信じる。
>>419 日本陸軍こそがアジアの「日本精神」であった、おれさまはそう信じる
意味不明! オナニーレス不要
俺は当時のドイツ兵の気持ちが分かる。読んでみると時代錯誤になるだろうな。 自営業氏も俺を自分がドイツ兵と思っていると言っておられただろう。そこまで 感情移入しなければ物語のリアルティは無くなるわけだ。惰性で俺が単にドイツ軍 のヘルメットがカッコいいからとレスしてたら、ただの名無しさんのままだ。 固定ハンドルネームを使用しているには俺の特異性もあるわけだけど。仮想戦記の 嫌いなところは、データのみで実戦に参加してもいない機種が大活躍するんだよね。 これって、宇宙船艦ヤマトと同じ感覚なんだよね。単に読み物ならいいけど文学には入らないんだよね。
【藤原新太郎(千葉県東金市在住)の使用HN一覧】 (2002年8月8日現在) ・ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ ・アルカディア・平泉理・不動明王◆IkDDise2 ・ワーグナー少佐・OZAKI・藤原真・ZAP・B・美術人・ショッキングピンク ・なきねこ ・◆7LTDpsxQ ・31.pool1.ipcchiba.att.ne.jp ・5.pool1.ipcchiba.att.ne.jp・bb・かおる・関西人・ずごっぐ ・ホプラン大尉・ジゴロ大佐・藤原地五郎大佐・カイテル・マルクス ・デイビッド・ジョーンズ・豊原悦司・中尉・ユンカース・デビルマン ・ホセ・アントニオ・ヒロヒトラー天皇・二代目昭和天皇・ムカツク念・与那嶺 ・総統・某少佐・御託研究者・ゴジハム君・バロン男爵・ZAP・J (*この他多数の未確認自演用HNあり。また名無しでの自演も多数。) (他人のHNを無断使用した例) ・海の人・砧大蔵・ごっぐ・まいんかんぷ・ロンメル太郎・少佐・ナナシニコフ・某研究者
423 :
かおる :02/08/10 12:49 ID:???
ノルマンディ上陸時、ドイツ軍の指揮系統に乱れが生じ連合国の進撃を 止められなかったという事実があるが、ドイツはフランスで静養中のAH師団や、 HJ師団も急遽派遣された訳だし、ドイツの精強部隊にはかなり手を焼いたそうだ。 最後の戦の方になると、ドイツ軍はほとんど武装SSが中心になっている感がするのだが、 連合国の物量の前に消耗されていったのは現実だった。 戦車教導師団なんぞ、爆撃で壊滅しているわけであるし、ドイツにとっては空軍が 制空権を握っていれば、戦況はかなり改善されたはずだが、枢軸国に共通の工業生産量、 空軍におけるパイロットの消耗はかなりの数で、まともな練習飛行もしてないパイロットを送り、 落とされるのは当たり前である。 熟練パイロット達はそんな戦を生き抜いた者も多かった。
>>423 独ソ戦のスレに西部戦線の話を持ってくる板違いはカエレ!
もしスモレンスクからモスクワに直進してしたとしても、初期の電撃戦程の 効果(ロシア側では予期していて、防御の準備も整っていた)は望めなかった だろうし、極端にモスクワへ突き出た形は、キエフ北からの側面脅威が生じるため、 キエフへの攻勢を転じたヒトラーの方が正当性があった。 モスクワ占領による経済的な利益は、南部で入手できる資源等には及ば ないし、心理的、政治的な崩壊を招くかについては、1941〜42年に莫大な 人名と資材の損失に耐えてきた国民からすれば甚だ疑問。 仮に占領後モスクワをソ連の冬季攻勢から死守しても、モスクワがドイツ軍の 大突出部の最先端のため、スターリングラードのような包囲撃滅戦になりうる 可能性は十分ある。 Barry Leachによる
426 :
名無し三等兵 :02/08/11 15:18 ID:5dlrnQWG
ソ連がナゼあれだけの損害に耐えられたのかは、 諸説あるが、どれもいまいちピンと来ない
>>442 ドイツ軍はナチズムのイデオロギーに凝り固まっていて、必ずしもドイツに
敵対していたわけではなかったウラソフ師団などの反ソスラブ人も虐待して
しまったからな。無差別大量殺戮は戦争の勝利に貢献しない。同様に大都市
戦略爆撃は敵戦力撃破には繋がらなかったと思う。ドレスデン空襲や東京大
空襲がそれぞれ軍指導部の降伏画策を強めたという証拠はどこにもない。
コベントリー空襲のように暗号機密保持のためわざとやられた例もある。
ソ連の貧しい国力では独力で対独本土進撃はまず不可能。とはいえドイツ軍も
1941年冬の以降、モスクワ攻撃を再開することはなかった。英米が第二戦線に応じ
ない場合にそなえ、ソ連は日本などの中立国を通じた独ソ和平工作も進めていた。
アメリカ太平洋で膠着状態になれば、東部戦もそれに合わせて膠着が続いただろう。
http://maisov.oops.jp/oss/index.htm このため、1941年中にはアメリカはほとんど物資を届けることが出来なかった。
ソビエト国内での物資の振り分けにかかる時間も考えに入れると、ソビエトは
最も困難な1942年夏までの期間を、ほとんど対ソ援助の恩恵を被らずに切り抜
けたことになる。
ドイツは米英空軍による史上最大規模の戦略爆撃を受けながらよく降参せずに 戦い続けた、凄い国だったと思う。首都陥落まで闘ったその武勇は敬服に値する。
425>Barry Leachによる 本当に原典を読んで話していますか? その「引用」とはどこぞの本の孫引きではありませんか? 私は本当に疑問です。 私が書いた内容が該当文書に書かれているのは事実です。偽りはありません。 もし、君がそれを読んでいての発言でしたら、ある程度の留保はありますが、 失礼ながら、どうも、そうでは無いような気がします。 もし、そうであるならば、こうした見当違いな批判と書き込んだ当人への 誹謗中傷は恥ずべき行為です。いい加減に気が付かれては如何でしょうか。 そう言う態度を私は限りなく愚かだと思います。
リデル・ハートをはじめ、冷戦時代の西側の戦史本はどうもソ連の役割を過小 評価しすぎる。リデル・ハートはヤルタ会談でソ連に東欧と満州を譲ったのは 失策と言ってるが、ソ連の戦力的価値を考えれば、米英側が対独・対日戦争 両面で人員損失を少なくするには、ソ連の助力を頼むしかなかったことは自明。
434 :
パヴロフ2等兵 :02/08/21 22:33 ID:HGnF6Tn5
ドイツ軍がモスクワ攻撃を為しえたのは1941年秋だけで、その後は一度もない。 そしてこれは冬将軍などという自然条件ではなく、極東方面軍というソ連の人的条件 によって撃退されたのである。むろんそれだけで全戦線がカバーできるわけではなく 手薄な南方が翌年のブラウ作戦で狙われることにはなったのだが。 ソ連は西側の支援無しでも十分に対独抗戦できた。ドイツに残された選択は、 西側の第二戦線が来る前にソ連と和平して国土を維持することだったのだ。 赤軍のキエフ奪回は1943年秋で、陥落から約2年。余裕は十分あった。
>ソ連と和平 スターリンの暗殺が前提だね
ソ連軍はレーダー無くても勝ったんだから、WW2でのレーダー技術は戦局を 左右する決定打ではなかったと思う。何より大事だったのは航空技術だろう。
日独両面作戦でモスクワが陥落しても、ソ連は抗戦を続行していただろうか・・・
日本軍は満州国境地帯を抜けませんが何か?
>>436 レーダーが花形兵器たりうるのは専ら海戦で、陸戦にはあてはまらないと思う。
ドイツの科学兵器はダントツ世界一!!! 戦争の勝敗とは何の関係もなかったが・・・
(”ドイッチュラント・ユーヴァー・アレス”のメロディーで) ♪「ドイツ軍隊 世界で一番」 便厨虚しく喚くだけ 自慢の種の 兵士に兵器 結局犬死に 無駄使い マース川も メーメル川も 哀れや今はヨソの国 ”人間以下”のスラヴの国に 侵略したけど 返り討ち(藁
444 :
パヴロフ2等兵 :02/08/29 21:26 ID:OATFE3+v
>>39 〔ロシアから〕石油が来なくなっても、ルーマニアから容易に補える。
・・・・などと自信満々に豪語して不可侵条約を一方的に破棄してソ連征服
を目論んだドイツ。しかしながら、バグラチオン作戦のころになるとルフト
ヴァッフェは東で西で飛べなくなっていた。燃料不足云々というのは要する
に米空軍の油田爆撃に加え、ソ連軍のバグラチオン作戦でルーマニアその他
傀儡枢軸の大半が離脱したからだ。だから燃料不足云々はルーマニアをみす
みす明け渡したルフトヴァッフェ自らの無力ぶりをそのまま告白したものだ。
クリモフがDBより上なことは、これで確実に証明されている。
>>429 ドイツ軍のモスクワ攻撃が翌年再開されたことはなかった以上、ソ連は
西側の援助無しで戦っても負けることはなかったといえる。西側の支援は、
ソ連を救ったのではなく、対独本土侵攻を促すものであった。バグラチオン
作戦にしてもあれは明らかにアメリカ製補給車両・補給物資そしてアメリカ
空軍によるルフトヴァッフェ壊滅が引き金となっている。アメリカ製車両と補
給物資が満足に届かないと伸びきった補給線を支えることができなかったのは、
スターリングラード戦後のハリコフ失陥でもわかる。アメが物資をやらなけ
ればいつまでたっても攻防の繰り返しでこう着状態になってたであろう。
ナチスドイツの航空戦力が、大増産にも関わらず1944年以降ほとんど ふるわなくなってるようだが、これは奴隷労働・収奪経済の限界に思える。 そういうやり方で資材集めや技術更新を進めるというのはどだい無理な話。
>446 航空燃料と操縦士の不足が原因だよ。熟練兵士は量産できない あと生産した航空機が前線に到達するまでに破壊されてしまうという罠 それに、大増産した数字でも連合国には到底及ばない。 本土防空戦で戦闘機隊が消耗して、前線に回らなくなる。 すると、前線防空や爆撃機護衛が出来なくなるという、ジリ貧スパイラルに 陥っていた。 増産 → 資材集めは成功していた 技術更新 → ドイツの航空宇宙技術は戦後の航空宇宙開発の基礎となった ということから見て、論理展開が苦しいと思われ。 奴隷労働・収奪経済ならソ連の方が上…
448 :
名無し三等兵 :02/08/31 20:48 ID:esXvAIxK
ドイツ経済っていうか、 枢軸国全部合わせてもカナダの経済にすらかなわないって知ってた? まあ僕の知る限り確実に資料化してるのは金保有量だけなんだけどね。
>ドイツの航空宇宙技術 ヒトラーとボルマンは、宇宙ロケットで大気圏を越えていったという話もあるしな。
ドイツ軍は、英米の空爆ごときでは降参するほどヤワな軍隊ではなかった。 論より証拠、あのドレスデン大爆撃でさえも平然と耐えてしまったのだ。 何と言っても首都陥落まで徹底抗戦したのは凄い。ドイツ軍にしてもここ まで精一杯善戦敢闘できたのなら、もう悔いはなかったものと思われる。
ソ連人死者は大祖国戦争前後で差し引き2600万。しかしながら東欧支配確立 により、実質的な人口増加はそれをはるかに上回っており、国力は拡充された。
. .┌────┐ . .├────┤ . .├────┤ . .├────┘ . .| . ..Φ . .|~~| ,,,,,,,,,,,,, . |~~| .[,,|,,,ж,,|,] | .| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .( ´Д`)/ / < ソ連がロシアになっちゃったよ、せんせ〜 . ./|\/| ./ \___________ .. ./ |~~|:~~ / ____| | |: | __ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ ||\ \ ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| .|| ||
454 :
名無し三等兵 :02/09/01 01:20 ID:D3vE7jXP
>>450 パブロフ・ドイツオタである証拠のレスだあ!
ファシスト・ドイツ軍はロシア民族の大敵ではあったが、世界水準からみた 敵の強さを評価することで、それを破った赤軍の実力を称えることに繋がる。
となるとソ連軍を打ち破ったアフガニスタン人は世界最強・・・ アフガン軍万歳!!
457 :
名無し三等兵 :02/09/01 18:30 ID:GzCWfTKA
ハウニフ゛て゛、にけ゛た、、、?
http://www.amazon.com/exec/obidos/search-handle-url/index =books&field-keywords=Captured%20Tanks&search-type=ss&bq=1/002-7908803-1203258
この中で『Captured American & British Tanks Under the German Flag』を
持っていますが、西方戦において捕獲されたフランス戦車の内、約半数が使用可能
な状態だったそうで、あてはめて考えれば「200輛のMk6軽戦車、80輌の巡航戦車、
65輌の歩兵戦車が使用可能できたはず」と書いています。
数字的なことはこの本にもあまり出てきませんが、断片でもあげるとシャーマン
がノルマンディーの後に、第21戦車師団で4輌・第25装甲擲弾兵師団で4輌、SS第10
戦車師団「フルンツベルク」で10輌、第5降下猟兵師団で6輌、そしてアルデンヌの
偽部隊・第150戦車旅団が10輌(しかし『バルジの戦い・上』では、とてもそんな
に持っていない!)、他多数の部隊で使われたとあります。
460 :
名無し三等兵 :02/09/10 11:31 ID:JHPEsIBu
モスクワ大攻防戦を見た。 士官学校生徒が街を奪回したが、ドイツ軍の反撃で全滅するシーンには 感動した。砲撃命令を伝言リレーで伝えるのには爆笑。 防衛線につっこみ野砲の餌食になっていく長砲身のW号戦車 には萌え。ぶんT-55の改造だから砲身長いまま? それにしてもジューコフ万歳の映画だったなぁ・・・・ あとグーデリアンってトルストイの館に行った時記帳していたったのか 不明。
461 :
名無し三等兵 :02/09/10 11:36 ID:JHPEsIBu
赤いグーデリアンこと ○ブロフ上級大将ってドイツ軍の装甲集団による包囲戦を理解できず 100万の兵力を失った愚将だったんですね・・・・・
サウスウェスト科学博物館による紹介記事。
http://www.smecc.org/pfuze.htm ”Electronic countermeasures” のセクションに次のような解説があります。
『「バルジの戦い」で VT 信管がドイツ軍の手に渡り、我々(米軍)は彼等がコピーす
ることを懸念した。VT 信管対策手段の開発がライト・フィールドにおいて開始され
た。当初 VT 信管の開発者は「原理的に妨害不可能」とまで言っていたが、研究の結
果2週間で VT 信管を早期起爆させる装置を完成させることができた。VT 信管は砲
弾の先端をアンテナとして利用するため、その発振周波数が 180〜220MHz に制限さ
れる。この周波数帯に対応した電波妨害装置 APT-4 を改造し、周波数を自動的に上
下させ VT 信管の発振帯をカバーさせる装置を付加し B-17 に搭載して実験を行った。』
『VT 信管のサイズが大きく目標指示弾には装着できなかった為、実弾を用いた射撃
実験が行われた。安全のため射撃は機体から 30 ミル(1.7 度)外した照準線で行われ
たが、のちには 12 ミル(0.6 度)にまで下げられた。平時ならとても考えられない危
険な実験だが、独軍による反攻の危機に備えるため当時はやむを得なかった。もし
ジャミング装置がうまく働なかった場合、射撃距離 20000ft において機体の 240ft
先で実弾が炸裂することになる。』
独ソ開戦から1943年頃まで、自動車化歩兵大隊は2個小銃中隊、1個短機関銃中隊、 1個迫撃砲中隊(82ミリ迫撃砲6門)から成っています。ソビエト軍の一般歩兵大隊と 比べると、重機関銃中隊と対戦車砲小隊を欠いており、小銃中隊がひとつ短機関銃 中隊に置き換わっています。この短機関銃中隊は乗車戦闘を意識して、分隊の人数 を戦車に乗れるぎりぎりの人数とされた8人とし、分隊長以下全員が短機関銃を持っ ていました。現場では編制表を超えて、他の中隊に短機関銃小隊を作るなど、勝手 に短機関銃の比率を高める例が多かったようです。 1943年以降、機械化軍団(ドイツの装甲師団に対抗できる規模を持つ打撃部隊)の 自動車化歩兵大隊には重機関銃中隊と対戦車銃中隊が配属されていきました。 独ソ開戦直後、ソビエトは不足する戦車を各地でばらばらに使わざるを得ず、大規模 な戦車-歩兵チームを組むことができませんでした。その時期を抜け出した1943年頃の ソビエト戦車軍団・機械化軍団は、168〜229両の戦車・自走砲に3個大隊の歩兵という、 当時のドイツ装甲師団より少し戦車の比率が高いものでした。ソビエト軍も深刻な人員 不足に悩んでいたこともあり、この戦車優位は翌年にかけてもう少し強まって行ったよ うです。しかしこうした兵科連合の考え方は各国共通になっていましたから、自動車化 歩兵の役割も、戦車を敵歩兵の接近から守り、他の歩兵部隊が追いついてくるまで占領 地を確保する、という常識的なものであったでしょう。 参考文献 D.M.Glantz 'The Red Army in 1943' C.C.Sharp 'Soviet Infantry Tactics in World War II'
>>429 ソ連はイギリスと違ってアメのレンドリース抜きでも枢軸と互角以上に
やれたわけだ。ソ連の発言権が強かったのも、この点だったろう。また
ソ連軍がレーダー兵器を殆ど使わなかったことを考えると、この時代の
レーダーはそれほど戦局に影響するものではなかったように思える。
とはいえ西からのアメの支援無しでソ連軍の対独本土進撃はまずありえず、
従ってアメを敵に回した時点でソ連邦解体は運命づけられてたといえる。
>短機関銃中隊は乗車戦闘を意識して、分隊の人数を戦車に乗れる >ぎりぎりの人数とされた8人とし、分隊長以下全員が短機関銃を持っていました。 これが2,3日が寿命というタンクデサントか…ガクガクブルブル(((( ;゜Д゜)))
ドイツが彼らの蔑む「東からの野蛮人の軍隊」に本土半分以上を牛耳られた ことを考えると、日本は中国軍というそれより更に酷い野蛮人の軍隊に占領 されなくて本当に良かったと思える。これもみんな大陸打通作戦のおかげ。
西欧の国々ってっしばしば戦争もするけど、人の往来はとても活発なのね。 アメリカ人とはいってもカポネはイタリア系だし、アイゼンハワーやキッシ ンジャーはドイツ系。対外戦争といってもこれじゃ親戚同士で、まるで南北 戦争のようなものだ。イギルスのジョージ王もドイツから来てたのだし。
ロシアもエカテリーナやニコライの妻を初め、医師や技術者などドイツ系は結構多い。 WW1までの帝制時代は結構ドイツ系の名前の将軍がいたけど、WW2ではほとんど 聞かないからスパイとして軍幹部からドイツ系は一掃して粛正されたのだろうか。
「ソヴィエト赤軍興亡史」(学研)によれば、ソ連も対独先制攻撃を想定しての 計画と訓練に励んでいたとある。しかしそれはあくまで想定目標の段階であって、 ソ連がドイツに戦争挑発行為をしていたわけではない。なぜならばナチスドイツ のソ連攻撃に少し前、「タス通信」でソ連はドイツと戦争する意図がないことを 内外に発表していたからだ。独ソ不可侵条約に加え西方戦役で圧倒的勝利を収め ていたドイツに対して、フィンランド戦争で散々だったソ連が積極的に攻撃する 理由はないだろう。1941年春時点でのドイツは強者でありソ連は弱者であった。 太平洋開戦前の日米とは根本的に違う。ソ連の対独攻撃のシナリオが考えられる とすればアメリカが参戦してソ連に対独参戦を要請しかつフランスに侵攻した時 くらいしか考えられない。条約破棄はソ連の常套手段だが、相手が強いうちは決 してそのようなことはしない。太平洋戦争でもアメリカはずっとソ連に対日参戦 を要請していたが、これに応じたのはヤルタで帝政時代の権益復活という代価を 約束されかつ原爆が投下されてからだった。それ以前は参戦どころか航空基地 使用さえも拒否し続けていた。
>ソ連も対独先制攻撃を想定しての計画と訓練に励んでいた 現状では、アレクサンドル・ワシレフスキー参謀次長(41年当時)の個人文書の中か ら、国防人民委員ティモシェンコ元帥・ジューコフ上級大将が連名で41年5月15日に スターリンに提出したと思われる「独およびその同盟国に対する戦争の為の戦略開進 計画」(赤軍による先制攻撃の重要性を強く主張し、具体的なプランを記した物)の 草稿が見つかったそうだが。
471 :
名無し三等兵 :02/09/23 00:38 ID:Nrkp5zyF
>>469 じゃあやっぱりドイツとしてはあのタイミングで
攻撃するのがベストだったように思える。
ただ、ヒトラーが作戦に口挟んでるようじゃ駄目だね。
どう考えても、速攻でモスクワ落とすべきだったと思うよ。
473 :
名無し三等兵 :02/09/25 20:14 ID:+n7+pGgW
移転荒らし対応age
>どう考えても、速攻でモスクワ落とすべきだったと思うよ。 日本軍はどう考えても、速攻でハワイ落とすべきだったと思うよ。 ハワイを占領していたら日本は太平洋戦争に勝っていた。
アルデンヌ攻勢での死傷者数はドイツ側、連合軍ともに大きく、それぞれ8万人台
に達している。
連合軍側では、暫定的な報告で戦死8,607人、行方不明21,144人、負傷者47,139
人という数字があげられている。戦死・行方不明者合計29,751人の内訳は次のよう
になる。アメリカ第一軍56パーセント、第3軍42パーセント、イギリス第XXX軍団2パー
セント。しかし実際の連合軍の損失数はおそらくさらに大きかったと思われ、アメリカ
第3軍では12月の後半2週間だけで、戦闘による死傷およそ20,000人、戦闘以外の死
傷13,778人(塹壕足炎の患者数4人も含む)を出し、同様の数字は第1軍でも2,2000
人に達しているのである。
ドイツ側では各部隊の死傷者リストからの数字が陸軍総司令部の“野戦軍人員死
傷”に10日毎にまとめられており、12月10日から1月30日の間の合計は戦死10,749人、
行方不明22,487人、負傷34,225人となっている。ドイツ軍総司令部の国防軍司令部
のまとめたリストの数字は、これよりも若干大きい。陸軍総司令部の戦死・行方不明
合計33,236人を、攻撃にあたった3個軍の内訳で見ると、第5戦車軍38パーセント、
第7軍32パーセントとなる。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18845869 バルジの戦い 下巻 / ジャン・ポール・パリュ/著 岡部いさく/訳
ナチスドイツは2正面作戦を挑んだから壊滅させられたというのはどうだろう。 同じドイツでも第一次大戦のときは2正面作戦でも東で講和して西で負けた ものの、国土はしっかり維持している。日本の場合は米中ソ3正面作戦だ。
263 名前:ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/09/29 22:10 いやあ!軍事板のカスどもをからかうのは実に気持ちが良い。 ↑週末の2chが唯一ハケ口の35才毒男。(彼女イナイ歴も35年)
478 :
名無し三等兵 :02/09/29 23:47 ID:aB0JIAQq
ナチは一方で勝てなかったからしかたなくて第二戦線を張ったんでしょ。 陸性軍隊のドイツはイギリス艦隊よりもソ連軍に勝つ自信が強かったわけだし。
TACTICAL OPERATIONS (Ninth Air Force): The Luftwaffe launches an attack of
700-800 aircraft against Ninth AF and Allied airfields, mainly in the
Brussels, Belgium and Eindhoven, the Netherlands areas, and to a lesser
degree in the Metz, France area; 127 operational Allied aircraft are
destroyed;
http://paul.rutgers.edu/~mcgrew/wwii/usaf/html/Jan.45.html
480 :
名無し三等兵 :02/09/30 00:50 ID:2RO4BPaj
>>477 一式ライターと戦略戦闘機零戦をドイツにレンドリース!!
バトル オブ ブリテンはドイツの勝利!!
ドイツからは日本に3突をレンドリース!!!
ソ連を挟撃ィ!!
・・・どうやって輸送すんだよ?
>>480 そっとしておいてあげましょうよ…(憐憫
V1V2ロケットは英本土報復爆撃で国民を動揺させたそうだが、いかほど 戦局の変化をもたらしたんだろう。市民無差別殺戮は敵対感情を煽るだけで 戦争遂行力を衰弱させるものとはいえない気がする。これは英空軍の対独 夜間都市爆撃にも当てはまるのではないか。
484 :
名無し三等兵 :02/10/04 10:23 ID:gN9CWwNW
2000万の死者って粛清も含まれているわけ?
485 :
名無し三等兵 :02/10/07 12:24 ID:Vf1IWEIy
>484 だろうね、もしこの数が戦死者だけだったら戦後の復興はもっと遅かったんじゃない。
1100万人も捕虜になったドイツ陸軍よりも、捕虜にはならず全軍玉砕の末、 支那派遣軍百万の精鋭を中核に最後まで残った日本陸軍の方が強かったのだ。
487 :
名無し三等兵 :02/10/08 12:11 ID:CEXvsf9y
>>486 ちなみに日本軍の捕虜はどのくらい居たのですか?
ソ連製兵器を輸入した中東の国々でもその品質の粗悪ぶりは有名なのに、 そのソ連に工作精度が丁寧なことで有名なドイツが屈服してるのだから不思議。
現代戦ならまだしも当時は精度が全てじゃないってこった。 美術館に入っていそうなくらい綺麗に仕上げられた76mmと でこぼこできったね〜仕上げの122mmの群れでは122mmが勝つ。 当時のソ連の限度を知らない資源と生産能力を舐めてはいけない。
宮廷の道場で華麗な技を追求してきた名門貴族の騎士と、荒野に放り出されて 生死を彷徨いつつケンカ慣れしてきたあらくれ者では、どっちが強いでしょう。
491 :
名無し三等兵 :02/10/09 22:55 ID:xHkgH90U
正直クルスク戦さえなければ 半年戦争が長引いてた
僕のような生粋の独逸人の天才将校が指揮していれば かっこいい戦争をして我独逸を勝利に導けたのに。
>美術館に入っていそうなくらい綺麗に仕上げられた76mmと >でこぼこできったね〜仕上げの122mmの群れでは122mmが勝つ。 技術の優劣がいかに戦争の勝敗とは無関係であるかは、独ソ戦が証明してると思う。
>>492 Reserve Offizier Nachwuchs
↑ これの意味を日本語訳して教えて下さい。
生粋の独逸人将校なら絶対に解りますよね?
ギャハ
>>491 なければって...、
自分達から攻勢しけなければ無かったという罠
ベルリンに突入したのが西からの米英軍でなく東からの赤軍で、本当に良か ったと思う。西欧人は一般に東欧やアジアの国々を過小評価しずぎるからだ。 赤軍は中央アジア系が混じっているから、西欧人の自尊心を打ち砕くにはうってつけ。
パブロフが元ドイツ軍ヲタって本当か もしそうなら偉大な先駆者の名をとって、 これからはパウルスくんと呼ぼう。
ネッツノ〜アプリリア道(字幕のヴェントゥーノ、アートゥリリアは それぞれ誤り)とは、橋頭堡西側の国道7号線に向かう道路である。道路 の争奪戦が繰り返され、各種車輪の残骸が路傍に放置されている。映像 では、数多くのシャーマン戦車が撃破されているようだが、車体左側面 に《天使の輪を持つ歩行者》のイラストが描かれたシャーマンは、イギ リス流に「エルザポッピン2」とあだ名を書かれたシャーマン戦車と同一 車輌であり、角度を変えたカット割りで戦果を多く見せようとする映像 のトリックであることがわかる。二両のユニバーサル・キャリアと呼ば れる小型装甲兵員輸送車の残骸を右隣に従えた、別のシャーマン戦車の 映像も何度も使われているので、注意してみると面白い。
>497 君、ベルリンに行ったことある?ベルリンの壁の跡とか見たことある?ベルリンにはいまだに でーーーーっかなソ連兵の銅像が立っていて、その両脇にはT−34戦車と122ミリ砲が 飾られているんだよ。ウィーンにもソ連兵の銅像があるし、あと、東欧の多くの都市にもソ連兵 の銅像がある。 日本の場合もソ連軍の対日参戦があと2ヶ月ぐらい早かったら、北海道なんかは確実に ソ連領になっていて、再び日本領になるのは共産圏の崩壊が始まった1990年頃。そして、 札幌にはでーーーーっかなソ連兵の銅像が「ソ連と日本をファシズムから解放した英霊の ために」なんていう題名がついて、ソ連邦解体後の今でも立っていることになっていたんだよ。
>日本の場合もソ連軍の対日参戦があと2ヶ月ぐらい早かったら、 日本軍が独ソ戦に呼応して対ソ参戦していたら、シベリアなんかは確実に 日本領になっていて・・・・ ・・・って、所詮は、「たられば論」ですなぁ。
>>501 日本が対ソ参戦したところで、ソ連には勝てないでしょう。
ソ連が「対日戦における最大の犠牲と貢献」を理由に、
領土の割譲を要求されてしまうだけ。
ドイツが対ソ攻撃したところで、結局どうやってもソ連には勝てなかった。 ソ連が「対独戦における最大の犠牲と貢献」を理由に、領土の割譲を要求 されてしまっただけ。ドイツ自らが招いた自業自得と言うより他はない。
ナチスドイツの西欧優越主義は、東で講和して西で降伏した、第一次大戦 に大きく由来していたろう。西欧科学こそが常に優位で、東欧やアジアは 常にその後塵を排しているのだと。日露戦争にしても劣った非西欧の国 同士が米英独仏といった西欧の国々の力でやった代理戦争だったと。 第二次大戦でも、西欧の国々では独ソ戦や大東亜戦争、戦後アジアの 独立戦争はあまり語られない。主戦場がアジアではなく欧州であった のならなおのこと、ベルリンに突入したのはソ連軍だったのだから、 彼らの自尊心は癒しがたいものがあったろう。
>>505 イギリス人の対独勝利のホラ話は間に受けちゃいけない。あいつらご自慢
のエルアラメイン勝利ってのは、大半がイタリア軍相手だったのだから。
>ベルリンにはいまだにでーーーーっかなソ連兵の銅像が立っていて、 かっこいいよね。ドイツへ旅行行ったら、その銅像と一緒に写真撮りたい。
>>500 北海道に「北日本民主主義人民共和国」(札幌)が出来ていたでしょう。
勿論、北朝鮮みたいな国家になっていたでしょうな!!将軍様独裁国家が今も続いていたよ。
00万歳と日本人が言う姿は恐ろしいが!欧州の社会主義国家が崩壊しても「日本の社会主義国家」が崩壊するとは限らん。
現実には赤軍の日本上陸は占守島で撃退されてるがな。
>>511 それはあくまでも日本が本土決戦した場合。まあソ連赤軍が北海道に新たな国を作ったのは違いないが。
ソ連が連合国の日本統治当時に北海道の割譲を要求していましたがマッカーサーが拒絶した事実もあります。
安保条約で日本を共産主義の侵略から守ったのはアメリカだ、日本は安保 ただ乗りをしている、などというアメのプロパ宣伝に騙されてはいけない。 ヤルタ協定でソ連参戦を依頼したのはアメリカ自身なのだから。
打通さん はやく 死 ん で く だ さ い
>>502 さんへ
そうともいえんでしょう。
巧妙に米英との戦端を避けて、、、
1941年夏から秋にソ満国境を日本軍が越え、ウラジオに艦砲射撃で陸戦隊上陸なら、
ジェーコフのシベリア軍団は極東に釘付け。よって、ドイツ軍モスクワ占領。
日本軍はそのジェーコフの方面軍との死闘でイルクーツクの東半分を簡単
には制圧できないが、以後、ソ連は二正面で戦うことになり、ジリ貧ですな。
長い航続距離を誇る日本機なら、占領したモンゴルの航空基地からウラルの
工業地帯も爆撃圏内だしね。
>占領したモンゴルの航空基地 簡単に日本軍の拠点にできるのか?
モンゴルの草原ならニューギニアの密林に比べて遥に攻撃しやすい。 ただあくまでも爆撃機による援護があれば日本軍の有利だろう。 幾ら重装備の赤軍でも爆撃機による空爆では耐えれない。 独逸がモスクワ占領でスターリン体制が揺らぐことは明らか。赤軍の造反は目立ちソ連軍が総くずれする確立が高まる。 対ソ戦に望めば不可能ではない!
>>515-517 問題はだ、515が書いているように、
>巧妙に米英との戦端を避けて、、、
ということができるかだ。
で、日本の外交能力で、それができたかは、はなはだ疑問だと、思う。
「敵を壊滅するのだ!」 ゲオルギー・ジューコフ(赤軍参謀総長) 6月22日4時10分には、西方と沿バルトの両軍管区から、地上陣地に対しても ドイツ軍の攻撃が開始されたことを報告してきた。 午前4時半には政治局員全員が集合した。私と国防人民委員も閣議室に通された。 スターリンは青ざめていて、タバコの詰ったパイプを持って椅子にかけて言った。 「すぐにドイツ大使館に電話する必要がある」 大使館の回答は、フォン・シューレンブルク大使の方で緊急報告するために 面会を求めている、というものであった。 大使の接見はモロトフ(外相)にまかされた。そうするうちにも、 参謀本部第一代理のワトゥーチン大将は、北西および西方一帯の軍管区に対して、 ドイツ歩兵隊が猛烈な砲撃を行った後進撃を移りつつあると報告してきていた。 しばらくすると閣議室にモロトフが足早に入って来ていった。 「ドイツ政府は、われわれに宣戦を布告しました」 スターリンは椅子に深く身を沈め、じっと考え込んだ。長い、苦しい沈黙がつづいた。 私はあえてこの沈黙を破った。そして、国境の各軍管区は、全力をあげて 敵の崩れそうな部分に集中攻撃をかけ、その態勢を崩さないように 維持し続けるようすぐ命令することを提案した。 「維持するだけはない、敵を壊滅するのだ」とティモシェンコが強調した。 (朝日新聞社刊『ジューコフ元帥回想録』より)
520 :
名無し三等兵 :02/10/24 16:35 ID:LkaZIPMH
>日本が対ソ参戦したところで、ソ連には勝てないでしょう。 ソ連が対日参戦したところで、史実が示す通り占守島で撃退されて、 どっちにしろソ連の北海道占領なんて夢のまた夢。
ドイツ軍占領時代の初期ほど騒動が少なかったことは、フランス史上で もまれだった。ドイツ軍の急襲で、一九四〇年六月二十二日の停戦により、 フランスの抵抗精神はなえてしまっていた。ドゴールが亡命先から抵抗を 呼びかけても、その炎の叫びは大方むなしく響いていた。ドイツと協力し たのは、ペタン将軍の政権(いわゆるヴィシー政府。フランス南部)だけで はない。大勢の政治家、企業家も宿敵ドイツが怖くて、結局は完全協力して いた。ドイツ軍に入隊したフランス人は三十万人を数えたし、ドイツ軍の ために自発的ないし強制的に働いた人数は、九百万人に及んだ。ユダヤ人 と反対派、計二十万人を強制収容所に輸送するときでさえ、ゲシュタポは フランス当局の支援を当てにできたのである。 戦後50年 決定的瞬間の真実(グイド・クノップ 文藝春秋)
フランスが事実上ドイツと同盟か。それいうなら韓国だって、事実上日本 と同盟してた。朴正煕大統領をはじめ大陸打通作戦で日本兵と共闘した 朝鮮人兵士はいっぱい居たんだ。後方支援ひとつとってみても、朝鮮人の 協力無くしてあのような大作戦は不可能だ。だから、キム・ワンスプ 「親日派のための弁明」こそが真実の日韓関係史なのだ。
ペンゼン氏のオフ会か・・・・・ 生ペンゼン氏にあった人いるの?
ドイツ軍ファンは多いのに、ソ連軍ファンが少ない理由を、誰か教えて下さい。
526 :
nanasi :02/11/02 21:28 ID:ygfGD3Yf
>525 不可侵条約やぶったからじゃねーの?
T34と襲撃機があれば、独逸には勝てる。 独逸はヘタレ。
>525 たぶん、あれほど人命軽視な軍隊は他にないからだと思う……。
>525 私も大祖国戦争限定の赤軍萌えですしね。 やはり旧(今も)敵国というのはちょっと…
531 :
パヴロフ2等兵 :02/11/03 23:25 ID:08yQ+cb1
日本には倒錯した西欧崇拝のドイツヲタが多すぎだ。中立条約を破って対日 参戦したり、シベリア抑留をやったことがやはり印象が悪いのだろう。だが ヤルタでソ連参戦を申し入れたのは米国なのだし、原爆も投下している。 米国は良くてソ連は悪いという理屈はやはり倒錯している。 とりわけ大祖国戦争は目下英国と戦争中のドイツの背後をソ連が襲ったので はなく、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に攻めてきたのだ。ソ連はずっと 孤独にドイツの攻撃に耐え続けたのであり、米国の支援はその後のこと。 ベルリン総攻撃で西欧人の思い上がりに鉄槌を下したのも、ソ連だった。
とりあえず、T34は最高。 どんぶり3杯は食える。
戦後東欧でドイツ人がいっぱい追放されたのは、ドイツ軍がへたれで全部壊滅した証拠。
http://wio.boom.ru/galgrnd/partizan.htm ドイツ軍はパルチザンを違法行為と言うが、笑わせる。
何故ならドイツ自身が戦争で犯罪を行っているからだ。
思い出して欲しい、ドイツの宣戦布告なしの侵攻、村畑の焦土戦術、
捕虜の処刑、さらに市民への抑圧、奴隷、殺人、盗み、レイプ…。
パルチザンの数は、ベラルーシで374,000人、ロシアで260,000人、
ウクライナで220,000人参加している。
535 :
パヴロフ2等兵 :02/11/10 23:08 ID:Bvz6C0e9
戦後でも旧ドイツ軍人らは対ソ戦の敗北を認めたがらない。マンシュタインの 回想録でも、バグラチオン作戦以降が全く書かれずその直前で終わっている。 ルフトヴァッフェもソ連機大量撃墜のエース武勇伝ばかりを語って、ソ連空軍 はカモだったと言わんばかりだ。だがスターリングラードで空輸作戦が失敗した 理由を考えてみれば、クリモフがドイツ機に勝ったことは明らかである。
What all this cost the Wehrmacht is impossible to say. It is known
that losses in materiel were very high-and these no longer could be
made good. The only general indication of German casualties is found
in railroad reports which show that about 67,000 troops were evacuated
from the Army Group B area by rail during December. This figure, of
course, would include some of the battle casualties from the earlier
fighting east of Aachen, as well as disease cases. A number of German
division commanders have made personal estimates of the casualties
suffered by their own divisions during the last half of December,
and in the cases of those formations continually in the line from
16 or 17 December the average is between two and three thousand
"combat effectives" lost per division. Whatever the true number of
casualties may have been on both sides, it is a fair assessment that
over-all, in this particular instance, the troops on the offensive
sustained heavier losses than those on the defensive.
http://www.ehistory.com/wwii/books/bulge2/0674.cfm
>>535 クリモフ?
スターリングラードにおける空輸作戦の失敗の最大の理由は天候ではないだろうか??
あ、パヴロフにマジレスしてしまった……。
The Battle of the Bulge was one of the most devastating battles
in WWII because of how many lives were lost. This battle began on
December 16, 1944 and ended on January 28, 1945. The Allies had
about 82,400 casualties (soldiers captured, killed, or wounded.),
and the Germans had 220,000 casualties!
http://library.thinkquest.org/CR0215466/world_war_ii_europe.htm
>>537 ドイツの将軍の回想録だとみんなそう言ってるけど・・・
540 :
パブロフ二等兵 :02/11/11 13:25 ID:VcVAfUVK
国防軍とナチは別、なんてまず大嘘。 将軍の回想録なんて、ヒトラーに責任転嫁してるだけ。 冬将軍・泥将軍に負けただけなんて、ただの負け惜しみ。 単純に赤軍の実力が勝ってたから。
541 :
パブロフ二等兵 :02/11/11 14:03 ID:LVGbxvUg
ドイツ空軍将校らの回想録をみてると、スターリングラードでの航空戦では圧倒的に勝っているかのようだ。 しかし、それはルフトバッフェの力を過信した錯覚的過大報告にすぎない。 そんなにソ連空軍をカモにしていたのなら、空輸作戦は容易にやれてしかるべきだ。 天候のせいにするのなら、例のキチガイ軍隊がインパールで大量餓死したのも、暑い天候のせいだ。
>>534 全くもって禿同意。
ドイツ軍の言うソ連がジュネーブ規定に反してるなどとは笑止千万。
570万のソ連兵捕虜の内、330万が人間以下の環境で放置されて死亡。
一人のドイツ兵殺傷事件で、50から100人のソ連市民への銃殺を布告。
330万人の市民が強制労働者としてドイツに連行され、その大半が帰れなかった。
さらに3年余りの戦乱で、1710の町と7000余りの村落が焼かれた。
所詮ナチにとって都合のいい道義を押付けてるにすぎない。
>>541 今だかつて、天候に左右されなかった長期戦線・戦闘などあっただろうか。 (中略) おそらく、パブロフ二等兵はシミュレーションゲームでも天候をoffして やるようなヘタレってことだな。 インパールとスタリングラードを同列にするなど、パブロフはヘタレ。
544 :
名無し三等兵 :02/11/11 20:48 ID:htmHTiC5
>天候に左右されなかった長期戦線・戦闘などあっただろうか。 天候に左右されるのは敵味方とも同じで、一方に有利に働くことはない。
>544 ドイツ装甲部隊の最後の反撃の「バルジ大作戦」って知っている?もちろん、最終的な敗因は 圧倒的な物量の差であって、予想より早かった天候の回復ではないけどね。でも、悪天候下で なければ、ドイツ装甲部隊が連合軍の防御線を突破できなかったのは確か。
ところでバルジの戦いにおける米独両軍の参加兵力と損失状況について、 本によって記述が全然違うような。米側が一ヶ月で死傷捕虜8万1千で いいとして、ドイツ軍が8万だとか10万だとか12万だとかまちまち。
>>544 誰も一方的とはいってない。
空輸が必要なのは一方なの。それもわからない?
あんた、うすらバカ?
548 :
名無し三等兵 :02/11/11 22:28 ID:htmHTiC5
空輸を阻止する側のソ連空軍も同条件だろ
パブロフ君、うすらばかでもよく聞いてくれよ。 空輸作戦が天候に左右されることはどんな”うすらばか”でも理解できるよな。 ソ連も空輸していたなら別だが。 また、この悪天候だか…… あ、うすらバカを相手するなんて、おれもバカだ。 今後、パブロフのことは”うすらバカ”で通すことにしよう。
アルデンヌ攻勢での死傷者数はドイツ側、連合軍ともに大きく、それぞれ8万人台
に達している。
連合軍側では、暫定的な報告で戦死8,607人、行方不明21,144人、負傷者47,139
人という数字があげられている。戦死・行方不明者合計29,751人の内訳は次のよう
になる。アメリカ第1軍56パーセント、第3軍42パーセント、イギリス第XXX軍団2パー
セント。しかし実際の連合軍の損失数はおそらくさらに大きかったと思われ、アメリカ
第3軍では12月の後半2週間だけで、戦闘による死傷およそ20,000人、戦闘以外の死
傷13,778人(塹壕足炎の患者数4人も含む)を出し、同様の数字は第1軍でも22,000
人に達しているのである。
ドイツ側では各部隊の死傷者リストからの数字が陸軍総司令部の“野戦軍人員死
傷”に10日毎にまとめられており、12月10日から1月30日の間の合計は戦死10,749人、
行方不明22,487人、負傷34,225人となっている。ドイツ軍総司令部の国防軍司令部
のまとめたリストの数字は、これよりも若干大きい。陸軍総司令部の戦死・行方不明
合計33,236人を、攻撃にあたった3個軍の内訳で見ると、第6戦車軍30パーセント、
第5戦車軍38パーセント、第7軍32パーセントとなる。
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18845869 バルジの戦い 下巻 / ジャン・ポール・パリュ/著 岡部いさく/訳
>>535 >戦後でも旧ドイツ軍人らは対ソ戦の敗北を認めたがらない。マンシュタインの
>回想録でも、バグラチオン作戦以降が全く書かれずその直前で終わっている。
そりゃそうだ。
マンシュタインの軍歴は、その時点では、とうに終わっている。
春先の第1装甲軍の包囲救出作戦の半ばで、マンシュタインは南方軍集団司令官を
解任されて、以後、軍の指揮を執ることはなかった
回想録に書きようもない。
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/news2/1018491089/l50 そんなにドイツは偉いのか!? Part2
「狡猾なやり口で巧みに責任逃れを行い、侵略の尖兵であるナチスドイツ軍人達を
免罪・賞賛し、また侵略した相手国に対する補償を拒否しながら、その一方でヌケ
ヌケと戦後、追放されたドイツ人財産の補償請求を行うドイツは偉い」
そして「ドイツのプロパガンダに引っかかって『過去を謝罪・反省し、誠実に補償
しているドイツは偉い』等と主張する日本人は戦前のナチス礼賛者と同様の愚か者
である」と言う事になりましたが、引き続き日本における「ドイツ礼賛」について
語りましょう。
553 :
パブロフ二等兵 :02/11/13 22:39 ID:4jmvGcRt
諸説は分かれるにせよルフトヴァッフェの空輸作戦は確かにゲーリング大将ら 空軍首脳の強い要望で実行されていたはずだ。悪天候だからといって決して中 止になったわけではない。クリモフの敢闘で阻止されたのだ。
555 :
パブロフ二等兵 :02/11/13 23:30 ID:4jmvGcRt
>>554 軍司令官としての頭脳は確かだったが、頑迷なナチ主義者であった。
556 :
パブロフ二等兵 :02/11/13 23:58 ID:4jmvGcRt
ノモンハン戦史も独ソ戦史も、グラスノスチ以降のロシア側資料を加えて もっと再検討すべきだと私は思う。西側のソースだけで第二次大戦におけ るソ連の役割を過小評価すべきではない。
557 :
パブロフ二等兵 :02/11/14 14:38 ID:RIZrRjKD
戦後ソ連は、人類初の宇宙飛行をなしとげたが、ドイツヲタ どもはそれをドイツからの略奪にすぎないなどと言い張る。 略奪云々と言うならば、ドイツが東欧でやった、四ヶ年計画を見過ごしてはならない。 国防軍とナチスは最高司令官アドルフ・ヒトラーの下に全く同一かつ一体の侵略戦争遂行機関だった。 ドイツこそ東欧からの収奪なしで戦争遂行はできなかった。
558 :
名無し三等兵 :02/11/15 21:22 ID:xhKgTyQ2
>独ソ戦史も、グラスノスチ以降のロシア側資料を加えてもっと再検討すべきだと私は思う。 ソ連公刊戦史の大祖国戦争史は、ソ連軍の戦闘における損失を常に低く発表してる。 例えば、66万の捕虜が出たキエフ包囲戦。 この本の中では20万と低く押えて書かれてる。 またほぼ同数の捕虜が出たヴィヤジマ包囲戦にいたっては、 この長大な本の中で捕虜の数の明記すらしてない。 (全体の捕虜数については、ドイツ側が発表した数字(570万)を そのまま採用してるが、これは如何に大量のソ連軍捕虜が 苛酷な目にあったかを強調するためでもある) 西側がソ連側のソースをいま一つ信用しきれないのは、 半世紀近く前に出した本の内容に対する疑問を旧ソ連側の方で ほとんどされてないことに不信感を抱いているからで、 こういった秘密主義は人命軽視のロシアならではである。
東部の戦場へ送られた将兵は数百万、 で、戦後に生還した将兵は1万人程度 生還率は僅か0.3%前後、凄まじい。 マッキンやタワラで粉砕した日本軍と ほぼ同じだ。
みんな、ドイツの敗因って何だと思う? 戦略物資だったら占領地から好きなだけ略奪できて十分に足りていた と思うのだけれども、その横暴なやり方が自らの首を絞めていたような。
561 :
FW190Ta152H-1 :02/11/16 14:00 ID:fqfh7dJI
相手の戦力の方が自軍より上回っているのだから、そういう時は一度撤退して 部隊を再編成すればあれほど悲劇的にならずに済んだかも・・・・。
独軍による無遠慮な食料・穀物徴発が、 割と親独だったウクライナをレジスタンスの方へ向けさせました。
563 :
Zzz :02/11/16 20:07 ID:l/yg1aU6
・・・ロシア人を侮ってしまったからと思います。 彼らにも、「頭があること」を忘れてた! そして、当然ながら、兵力の分散です。バルバロッサ作戦は、もとより、 青作戦でもコーカサス、スターリングラードと兵力分散してしまった。 青作戦は、これが無ければ成功していた可能性があると推定します。
564 :
:02/11/16 20:10 ID:j+LmeDic
ちょび髭の介入のせいというのは国防軍神話の一部?
565 :
パブロフ二等兵 :02/11/16 20:39 ID:XlBBaj4k
とにかく第二次世界大戦の締めくくりはヤルタ・ポツダム協定だった。 私がイギリスを目くそと言い続けているのは、このヤルタ・ポツダム協定 におけるイギリス外交の位置付けである。翌年チャーチルは「鉄のカーテン」 などとソ連の東欧支配に文句をつけてきたのだが、ヤルタ協定では確かに 調印したはずだ。私もソ連のやり方は覇権主義的にすぎると思ってはいるが、 それならなんでヤルタ協定で合意したのだ。後になって文句を言うのは、 ただの因縁づけだ。ヤルタの席で文句言えなかったその無力さを歎くべきだ。
566 :
Zzz :02/11/16 20:50 ID:l/yg1aU6
ベルリン陥落、瓦礫の山から、ちょび髭のはやした男が這い出して 赤軍参謀本部へこう報告しました。・・・任務完了!
567 :
パヴロフ2等兵 :02/11/16 21:25 ID:XlBBaj4k
「米ソ2大戦勝国」とはいっても、元からソ連は米国のような豊かな国ではなく、 米国から戦略物資援助も受けていたし、国土は戦場になり恐ろしい程荒廃していた。 これは確かな事実だ。 しかし、だからといってそんなボロいソ連なぞ、西側の援助無しではドイツに 負けていたに違いないなどとソ連を殊更に過小評価する見解は、間違っている。 ソ連は独力でドイツ+枢軸軍の大半を、長い間孤独で受け止めていた。 モスクワ防衛戦のときはアメリカの物資は殆ど届いていなかった。 ソ連対日参戦を要請したのも米英のほうだった。後になってヤルタ協定をも 否定しようとする西側のソ連過小評価に、日本人は騙されないようにしたい。
568 :
FW190Ta152H-1 :02/11/17 11:10 ID:W+lAwSiq
>563 スターリングラードにはこだわりすぎた。目的はコーカサスの油田地帯のはずだった のに。レニングラードと同じで包囲するだけでよかったかも。ヒトラーは「スターリン の町」を占領したかったのだろうが、それが大失敗だったとしか言いようが無い。
569 :
Zzz :02/11/17 15:22 ID:xs4vEWNc
>568 同感ですが、兵力を集中して、@スターリングラードを占領し その後、コーカサスに進軍するか、Aスターリングラードを包囲した まま、コーカサスへ進軍するかを選べば良かったと考えます。 地理およびロシア軍の反撃を考慮すると、私は@を採用し、ハルダー参 謀総長案のようにマイコプ占領、できれば、グローズヌイ進撃を計画し ます。要は、兵力を集中し拠点を確実に落としていけば有利な戦いとなっ たでしょう。
570 :
パブロフ2等兵 :02/11/17 17:47 ID:iHdVHa5o
ドイツの場合は日本と違い同盟にもあって、 物資も豊富で余裕があり、ソ連の和平申し入れを受け入れるだけで国土は助かった。
571 :
Zzz :02/11/17 19:03 ID:UZQViU/F
>570 まさしく、そのとおりだと思います。 ドイツ第三帝国は、スターリングラードでの大敗北後は、ロシアと和平を 結ぶべきでした。(それを実行しなかったヒトラーは、政治家としても失 格でしょう・・・個人のイデオロギーでドイツ国民を不幸のどん底にした のですから) ここからは、if話になります。 仮にドイツが和平を受け入れたなら、当然、損害賠償の話になります。地 図を広げると・・・結果的にドイツ軍はコーカサスまでやってきてます! そのまま、スターリンにこう言えば・・・「ドイツ軍をバグダッド、テヘ ランへ侵攻させてくれ!領土の半分はロシアのものだ!」 目的はイギリスの領土獲得です。そのうち、アフリカ軍団の作戦計画も 有利になるでしょう。そして、インドへ・・・・ドイツはロシアに負けて もイギリスの領土で利益を得て、結果的に戦争勝利におわったかも知れま せん・・・・(笑)。
>>570 そんなことはない。
ドイツからことごとく資源をはぎ取っていくであろう。
>>571 ヒトラーが政治家として失格……すでにドイツ国家そのものと化していた独裁者がにとって、
失格も糞もない。
574 :
ゆうか ◆9a1boPv5wk :02/11/18 01:16 ID:GVKrpufp
ヒトラーの見方は一面正解です。 英雄は英雄を知る、ならぬ独裁者は独裁者を知るというべきでしょうか、 スターリンが自らの名を冠した街を簡単にあきらめるわけがないのですから。 包囲するだけで進撃を続けたならば、いざ解囲軍が編成されたとき、対処できなかったでしょう。 結局は強力な楔を打ち込まれ、コーカサスのドイツ軍全てが袋の鼠と化す最悪の事態になったかと思います。 純軍事的には皆さんのおっしゃるように、包囲にとどめるべきだったでしょう。 ですが政治的要素をからめるなら、なんとしても落としておくべき街だったと思いますね。 そうである以上、全力を投入すべきだった。 戦力の配分を誤ったというべきでしょう。後知恵だから何とでも言えるのでしょうが。
575 :
名無し三等兵 :02/11/18 01:44 ID:jb/+ToDg
ぐだぐだ言ってもドイツが敗北したのは歴史的事実。
576 :
Zzz :02/11/18 20:54 ID:7fnGc8PX
>575 ・・・・そうです・・・。 でも その後の戦闘、特にロシア軍のドイツ侵攻やドイツ敗戦後 東欧で起きた悲劇を思うと、話半分としてもつらいものがあります。 ぐだぐだのひとつも・・・・(笑)まあ戦争仕掛けたドイツが悪い のでしょうが・・・。 話は脱線しますが1940年6月フランスが降伏したあと、スターリンは いつ、ドイツとイギリスが和平を結ぶかひやひやしてたそうですが・・・ もし、私がスターリンだったら(こわ)イギリスに宣戦布告したなぁ! そうしたら、中東、インドは、支配下に・・・火事場泥棒でも利益は 利益だっ! ヒトラーは歯ぎしりし、ルーズベルトは、頭を抱えるでしょう。 チャーチルには一言。 「まっ!そのうち、いいこともあるさ!!」
>>576 そうなると、アメリカがまってましたと戦線布告します。
ポーランド、フィンランド、イギリスとなったら、こら、当然です。
そうなった場合、アメリカは日本との敵対をいっきに止めて 満州からソ連を攻める案もあったでしょう。 ちょうどソ連にイギリスがレンドリースしたように。 そうなったほうがどれだけよかったか……。
カチンの森事件ですけど、「ドイツの自作自演説」にはどのような根拠があったのでしょうか?
580 :
パヴロフ2等兵 :02/11/19 13:20 ID:EzVbfq2j
ドイツ軍兵器がいかに優れて強かったかを語ることを通じて、それを破ってベル リン入りしたスラブ民族ソ連邦大祖国戦争の世界史的意義を再認識しておきたい。 どんなにグラスノスチで旧ソ連の問題点が浮き彫りにされようとも、ベルリン に揚がった栄光のソヴィエト国旗が否定されることにはならない。世界史の中 のスラブ民族ソ連邦大祖国戦争は、今こそその意義が再確認されるべきである。 同じ戦勝国でもソ連は特に貧しく国民が飢えており、米国からも物資援助を受け ていたのは確かなこと。しかしだからといってそんなボロいソ連なんて、西側の 助けが無ければドイツに負けてたにちがいないなどとの物言いは間違っている。 モスクワ攻防戦はどこの支援もなしにソ連だけで耐え抜いた。ドイツ軍が精強で 優れていたことは、ダンケルクでの英軍敗走でも明らか。戦略的撤退とはいうが、 それは第二戦線を放棄したということ。第二戦線はあくまでフランス上陸、 それ以外は目くそ。例えばエルアラメイン枢軸軍7個師団のうち、ドイツ軍は 1個半に過ぎなかった。 ソ連の東欧支配が悲惨だったとも言われるが、ソ連があの広大な東欧を支配下 に置いたというのも、最強ドイツ軍を破ってベルリン入りを果たした結果である。 特にバルジの戦いは、航空爆撃ごときでわが精強ドイツ軍を屈服させることは 不可能だということ、そして東からのソ連赤軍がいかに西側にとって頼もしい ものであったかを確認させる契機となった。ドイツ打倒の主役はやはり赤軍で、 ベルリン総攻撃はやはりソ連軍単独で行われたのである。
581 :
名無し三等兵 :02/11/19 13:41 ID:xjb6KPjt
>エルアラメイン枢軸軍7個師団のうち、ドイツ軍は1個半に過ぎなかった。 嘘つきなさい。エルアラメーンの枢軸軍は、 【ドイツ軍】 ・第164師団 ・第15機甲師団 ・第90軽歩兵師団 ・第21機甲師団 ・パラシュート旅団 【イタリア軍】 トレント師団 ボローニャ師団 トリエステ車輌化師団 リットリオ機甲師団 ブレシア師団 ファルゴーレ師団 パヴィア師団 アリエーテ機甲師団 主戦場になった北部戦区でも独3、伊4だぞ。
「いまさらマルクス・レーニン主義やボリシェビズムの防衛などといった スローガンを持ち出したところで気の抜けたビールと同じだ。 兵士達を奮い立たせるには”大祖国戦争”という言葉ほど効果的なものはない……」 (ニキータ・フルシチョフがクルスク戦南方部地区の部下の政治委員に行った訓示)
583 :
Zzz :02/11/19 20:38 ID:O8EjEtiS
大戦後、アメリカの記者が赤軍参謀へインタビューしました。 米記者:「私たち、アメリカ人がおこなった物質援助の中で、一番 勝利に貢献したものは、何ですか?」 赤軍参謀:「それは、”飾緒”だ。」 米記者:「???」 赤軍参謀:「あれつけてると。賢く見えるためか、兵士どもがよく命令 を聞くようになったんだ。」 失礼しました.
>582 兵士達を奮い立たせるにはウオツカほど効果的なものはない……」
585 :
パヴロフ2等兵 :02/11/19 23:34 ID:EzVbfq2j
586 :
名無し三等兵 :02/11/19 23:52 ID:opv2VG5f
587 :
パヴロフ2等兵 :02/11/19 23:58 ID:EzVbfq2j
スマソ、私の完敗だ・・・
588 :
名無し三等兵 :02/11/20 00:34 ID:8Cq3s6Pa
ところでスターリンが講和を持ちかけたのはその後ベルリンまでに 支払った進撃の代償を考えたら正解だったと思うがいかが?
ほんと、パブロフ=打通な反応だ。
590 :
名無し三等兵 :02/11/20 02:20 ID:6jHT6Z3u
>特にバルジの戦いは、航空爆撃ごときでわが精強ドイツ軍を屈服させることは ^^^^^^^^^^^^^^^ なんだか、パブロフ=便厨説を裏付ける証拠って奴なんだろうか(藁
591 :
名無し三等兵 :02/11/20 07:20 ID:8Cq3s6Pa
みんな、
>>587 でパヴロフは兜を脱いだのだしこのスレ上での追い討ちは止めてあげようね
白旗をあげた者を攻撃するのは国際戦争規約上禁止なわけだしw
負けを認めるのだからそのまま逃げる厨より彼は立派だ
592 :
パヴロフ2等兵 :02/11/20 23:35 ID:jr0LZxYB
書店でも第二次世界大戦におけるアメリカ・日本・ドイツ・イギリスについて の本はよく出てるのに対し、ソ連のものは少なすぎる。冷戦時代は資料的に 困難としても、現在はグラスノスチが進んでいるはず。 WW2欧州戦の主人公はやはり西欧ファシスト軍の強欲な略奪奴隷狩り戦争 から祖国の地を守るべく勇敢に抵抗した、悠久の歴史あるロシア民族であっ たのだ。主人公のいない戦史なんて、全然つまらない。
芝健介『武装SS』(講談社選書メチエ)はおすすめ。 この人はドイツ思想史関係だけど、こと第3帝国に関しては、 凡百の軍事評論家より、ドイツ哲学・思想史関係の研究家のほうが、 ナチスの皮をかぶった<暗黒のドイツ国防軍>というテーマ、ディープに 研究していると思う。
594 :
名無し三等兵 :02/11/25 12:08 ID:dDsGwW+6
WW2のドイツによる暴虐が、ナチスのような一部によるものだけではなく、 実はドイツ人の性格に根を張ったものだったということか
>>595 暴虐を暴虐と感じないで事務的に処理しちゃったらしいね
今の日本の役人もヤバそう
児島襄の「ヒトラーの戦い」より↓ 「ソ連攻撃はほかならぬ首相ダラディエの発案であり、陸軍総司令官ガムラン大将も、 フィンランド戦が結着した三月十二日、作戦計画の概案を首相に提出していた。 英中近東軍と協力してイラン、イラク、トルコの基地からソ連カフカズ油田地帯に 進攻する計画である。一説には、ソ連はこの仏軍の計画を知ってフィンランド戦を 急いで終結させたともいわれるが、ソ連攻撃案がフランス側の最高機密であったことは いうまでもない。」 「とにかくフランスがソ連に眼をむけたのは、ドイツに注目したくなかったためらしい。」 「つまりは、ドイツよりはソ連が弱そうだ、それにドイツにとってソ連は結局は敵だから、 フランスがソ連を攻撃するのはドイツのためにもなり、その代わりにドイツは フランス攻撃をひかえてくれる・・・。たぶんに、そのような考え方がフランス指導者層を 支配していたとみられ、首相ダラディエも同種の思想の持ち主であったらしい。」
598 :
FW190Ta152H-1 :02/11/27 16:32 ID:SrKm15e9
フランスがソ連攻撃を計画していた事は1975年頃のイギリスのTV局製作のWW2 に関する ドキュメンタリーのVTRでも見た記憶がある。フランス軍のある将軍にインタビューして いるシーンで「そういう非現実的で馬鹿げた計画」があったと言っていた。そういう風に 記憶している。
ソ連軍夏期攻勢(バグラチオン作戦)の決定打は、ソ連邦の経済的・ 精神的高揚の結果なのだ。・・・ソ連では愛国心が大いに高まり、 いく百万人が最後の血の一滴まで戦おうと誓いがたてられた。 一例をあげよう。第103戦車旅団の女性通信兵ヴェラ・プロジーナは 自分の考えと気持ちをこう公表した。 「きょう私の夢が満たされるのです―――戦車に乗ってヒトラー兵をやっつけ、 人民の苦しみ、私自身の不幸の仇をとる夢が。 父と母はファシストに殺されました。 だからヤツらを容赦なく殺し、ソ連の少女にどんな力があるか見せてやる。 呪われたる侵略者に死を!」 (パウル・カレラ著『焦土作戦』より)
すげーな、少女を戦車兵として乗っけるとは。。。おそるべしロシア...
ヒトがいなかったんだよ.犬まで兵隊だし(藁
ドイツは当時先進国だったの? そうだとすればそれに勝ったロシアも? アメリカよりはロシアとどっこいどっこいじゃなかったのかなぁ・・・
>601 レニングラードじゃ工場からのKV戦車とそれを作ってた女工と 女子学生で編成した一個旅団が随伴してドイツ軍と戦って、 破壊した戦車の中にも女性の死体が入ってたそうだ。
ウラー
606 :
名無し三等兵 :02/12/12 23:01 ID:v/VOGhNI
>>604 「女工と女子学生」で編成
戦力になってないような
ドイツなんて糞以下。 懲りずにネオナチが、有色人種(黒人とか)を、年間に何人も 殺してんだぜ。 黒人のせいで、ドイツ人の仕事が減ったとかの理由で。 まったく糞ドイツ人の本質は、ナチ当時と変わってないよ。
ヤルタでアメに媚びて対日参戦を決めたソ連だが、あれでもまだ中国より はまだ信頼できる国だった。日ソ中立条約で満州国を承認したからだ。 満州国の正当性を全く認めない中国は、ソ連より邪悪な国だったのだ。
ナチドイツと軍国日本に死を!!! ソ同盟と中国共産党の団結万歳!!!
610 :
名無し三等兵 :02/12/24 09:25 ID:2t63DjOF
何で2000万も死んだんだ?これって大戦後からスターリンが死ぬまでの粛清の数も含まれてるの?
611 :
名無し三等兵 :02/12/24 16:22 ID:lEbiyljC
自軍の女性兵士はヤラなかったのか?露助どもは。
>607 ネオナチがメインターゲットにしてるのは戦後大量に流入した (というか、西ドイツ政府が積極的に誘致した)トルコ系移民。 迫害に遭った黒人は比較的少数と思われ
613 :
パヴロフ2等兵 :02/12/26 11:53 ID:EDlpul3S
>日ソ中立条約で満州国を承認したからだ。 ソ連が中国との同盟を無視してそのような傀儡政権を承認するというのも 決して良い事とはいえないが、それでもファシストと結んでポーランドを 分割したあの独ソ不可侵条約秘密議定書よりはずっとマシであったろう。
まだ存在したのか>パブロフ
615 :
パヴロフ2等兵 :02/12/26 13:15 ID:EDlpul3S
「アメリカ人兵士の損害を少なくするための弾よけ」として 参戦してほしかったのだよ。
500>日本の場合もソ連軍の対日参戦があと2ヶ月ぐらい早かったら、 タラレバ仮想戦記を空想してみるのも面白いかもしれないな。
ドイツとソ連はどちらも支那事変では散々中国に肩入れしていた嫌な国 であったが、それでも満州国を承認した時点で日本の友好国とみなせた。 満州国を承認するかしないかによって、日本の敵か味方かが決まった。
619 :
パヴロフ2等兵 :03/01/03 22:53 ID:6nJxXS3O
>まったく糞ドイツ人の本質は、ナチ当時と変わってないよ。 それは違うと思う。ドイツという国はベルリンに赤軍が入ってからは、 二度と侵略征服戦争に乗り出すことは無くなった。赤軍のベルリン突入は、 ドイツ自身にとっても西欧優越主義の奢りを殺ぎ落とす、いい経験だった。 冷戦も終わって、ロシアとドイツは互いにますます友好国となってきている。 この点イスラエルのようにユダヤ人だけがナチ犠牲者であったかのように 振舞いドイツから援助金をたかるようなやりかたは最低である。
>>619 の
「ドイツ」に「日本」
「ロシア」に「アメリカ」
「イスラエル」に「韓国・北朝鮮」
「ユダヤ人」に「朝鮮民族」
「ナチ」に「日本帝国主義」
を代入すると、あ〜ら不思議(以下略)
パヴロフは元ドイツ軍ヲタに見えてならない
よくソ連は米国の支援で助けられたのだとも言われるが、少なくとも1941年 中に米国物資が前線で使われたことはなかったはず。モスクワ戦はソ連が独力で も十分にドイツ+傀儡枢軸に対し抗戦継続が可能であることを示したと思う。 スターリングラードやクルスクやバグラチオンは米国参戦がかなり進んでから のことなので、モスクワほどの転換点にはなってないと思う。
>>622 ソ連国内のインフラが未整備だっただけ
あと、純粋に性能だけで独火砲に対抗できる戦車があったことかな
>ソ連国内のインフラが未整備だっただけ なら中国はどうなるんだ。中国のインフラなんてもっともっと未整備 だったはずなのに、日本陸軍の大陸打通で真っ二つにされたのだぞ。
625 :
パヴロフ2等兵 :03/01/10 10:11 ID:hESZkXX2
私は日本軍が嫌いで、ドイツ軍とちがって日本軍が最終的勝利を収める可能性なぞ 皆無だったと信じている。だが日ソ中立条約が結ばれず、もし日本がノモンハンの 復讐を国是としていたなら、どうだろう。冷戦時代のソ連は損失隠蔽が常套手段で、 秘密議定書やノモンハン関係の資料が公開されるようになったのは近年のこと。 そして大祖国戦史そのものがまた新たな視点を加える必要も出てきたわけだ。 スターリンの通訳だったW・ベレシコフも日本海軍の真珠湾攻撃をよく調べ 察知していたと近年出たその著書で証言している。 いかなる理由があれ、イタリアやルーマニアさえ参戦した東部戦線に、 日本が参戦しなかったのはとてもいいことだったと思う。ソ連を過小評価 しドイツに媚びた東欧傀儡枢軸は、戦後はファシスト軍メンバーとして 処罰されるのは当然だった。倒錯したドイツヲタの末路は、こうだった。 だが「ノモンハンで赤軍は<日本陸軍よりは>強かった」、という認識だけ ではまだ不足だ。赤軍は日本陸軍のみならずドイツ陸軍よりも強かった。 この認識があれば、日本は隣国から大量にクリモフエンジンを買えた。
飛燕のエンジンをクリモフにしていたら、ニューギニア戦はどうなりましたか?
627 :
パヴロフ2等兵 :03/01/16 20:52 ID:ztqglgK6
ドイツヲタや西側の反ソ主義者たちは、ソ連が経済的に貧しく米国から 物資支援を受けていたことを理由に、ソ連なんて米国の支援で辛うじて 生き延びたにすぎない、ドイツはソ連より上だ、などと言う。 しかし、モスクワ攻防戦のときは米国はまだ参戦していなかったのであり 従ってこの時点でドイツ軍を撃退したのは全く純粋に赤軍だけの実力だった。 また後半になって米国の対独参戦が進展したからといってソ連の抗戦能力 を過小評価するのも誤り。バルジ戦の危機を救ったのもソ連軍攻勢だった。 その証拠にチャーチル首相もソ連に攻勢を早めるよう電報を送っている。 最終的にベルリン入りしたのが西側連合軍でなくソ連赤軍であったことは、 ナチズム根絶に大きく貢献した。赤軍がベルリン入りしなければドイツヲタ たちの西欧優越主義は絶対消えなかった。これはWW1の匕首伝説で証明済み。
ソ連は(ドイツの同盟国で潜在的敵国である)日本に高性能の航空機用 エンジンを売ってくれるのでしょうか? 百歩譲って売ってくれたとしても、独ソ戦の始まりとともに戦略物資は 輸出が一切禁止されてしまい、それ以上の輸入など夢物語になってしま うのがオチではないですか? 日本の技術ではDBエンジンよりはクリモフの方がずっと扱いやすかった でしょうが、日露戦争以来満州を奪いあった相手に気安く戦略物資を 売ってもらえるとは思えません。 終戦間際までソ連に米英との和平を仲介してもらえると信じこもうとして いた人に似ています。甘すぎる幻想です。
>日露戦争以来満州を奪いあった相手 でもソ連は中立条約で満州国を承認したんだぞ。
中立条約を一方的に破棄して満州を壊滅させたのもソ連なわけだが。
>>629 ルーマニアやフィンランドに中立条約を押し付けて領土を勝手に割譲させたのもソ連だね。
バルト三国なんぞ通告なしでソ連に併合されちまったよ。
いいんだよ衛星国はソ連に併合されるくらいで! ハンパにやるとユーゴスラビアみたいに民族分断の悲劇に見舞われるんだぞ!
赤色太郎の降臨だ。
>>633 赤色太郎くん。どう見てもチェチェン紛争とかコーカサスとかバルトとか分断されまくてるねソ連邦は
おまいら、ドイツの敗因って何だと思います? 英国を残したまま対ソ戦に突入して2正面戦争になったから?
637 :
名無し三等兵 :03/01/17 22:17 ID:cpaqucSY
一ヶ月速く冬が来たからかな。はっきしいってソ連には有能な軍人は残ってなかったんでしょ?スターリンが粛清しちゃったから。
ドイツの敗因は英ソ2正面作戦発動とは言いがたい。何故ならば最初の数ヶ月 は確かに連戦連勝で、しかも英国から背後を脅かされることもなかったから。 キエフ攻略も大勝利だから敗因とはいえない。翌年の夏季攻勢で軍を2分した ことも特に敗因ともいえない。南方作戦はこれまたドイツ側の圧勝だったからだ。 ドイツが対ソ攻勢作戦に固執したさきにスターリングラードやクルスクがある。 しかしドイツの戦争経済の根幹は収奪と強制労働であってこれは避けて通れない。 また制空権の喪失はそのまま1944年半ば以降の戦線崩壊に繋がってる。 科学技術力世界一を自負するドイツも、実は東部戦の挫折で頭打ちだったか。
639 :
名無し三等兵 :03/01/17 23:13 ID:7HSJP5wN
ナチの人種的信条では、いぜんスラブ民族は劣等人種であり、 軽蔑すべきものとしていたが、心からナチに心服しているものがほとんどいない ドイツ軍の将軍たちは、すでにスターリンの農民兵の頑強さや、 元は帝政ロシア軍の兵卒や下士官で、現在はソ連軍の召集兵を指揮している 将軍たちの指揮ぶりに、かなりの畏敬の念を持つようになっていた。 ローゼンベルクなど、ナチの理論家たちが、ロシアの大衆はドイツの農場で 働くしか能のないヤツらだ、とがなりたてるのは勝手だとしても、 このロシアの大衆と戦場で直面しなければならないドイツ軍の将兵は、 違う考えを持つようになっていたのだ。 戦争の第一日目から、適切に指揮され、十分に装備された場合には、 ソ連軍の兵士たちが恐るべきものであることを、ドイツ軍の将兵たちは 思い知らされたのである。(サンケイ出版『クルスク大戦車戦』)
パウルカレルの結論 兵力が少なかったから。
いや単純にヒトラーのせい>パウルカレルの本 ヒトラーの所為で〜の作戦を止められた、取り消されたという記述がやたら多い。 (つまりその横やりがなければうまくいったといわんばかりの内容)
あと空軍元帥ゲーリングがよく責められるけど、ルフトヴァッフェの力を過信し すぎたというのはドイツ空軍全体にあてはまることだと思う。空軍は圧勝だから 補給は空輸でやろうと。だがゲーリング個人だけを槍玉にあげるのは筋違い。 P・カレルもその著書でイェショネクらの合意もあったと記している。
合意ったってイェショネクは完璧なイエスマンやんか
645 :
名無し三等兵 :03/01/20 01:42 ID:3EVkT/NT
伊太利屋が何もせんでくれてたら…
死ぬ気で戦えば勝てた。
根性が足りなかった。
>645 単純に兵力が不足するだけ >646 死ぬ気で戦っていなかったと思うならカレル本読め
>>636 おまけにアメリカとも戦争始めたから。
ゲーリングは責められてもしょうがないな。
リヒトホーフェン達の反対を無視して点数稼ぎに走ったからな。
それにカレルは条件付空輸承認によって最終的責任をヒトラーから他に転嫁してはいかん、
と書いてたぞ。御大はその前から死守一本槍だったからな。
それにカレルはヒトラーにばかり責任を押し付けてはいないと思うぞ。 軍のミスも指摘してるしな。
651 :
山崎渉 :03/01/22 11:20 ID:???
(^^;
>>650 禿同
まず1941年の冬季反攻に対する死守命令については、カレルは完全にヒトラー指示だ。
後退の困難を考量して、死守命令は戦線崩壊を免れるためには、適切な処置だったとしている。
その前段階。モスクワ攻略戦の可否については、前線の将軍達にちっとばかり厳しい指摘もある。
カレルは、モスクワ直行が最善策と考えている点で、ヒトラーを批難する。
しかし、やや無理のあるモスクワ攻略作戦の発動に関しては、
ヒトラーにだけに罪があるのではないという書きっぷり。
すなわち、前線の将軍たちも望み、また、モスクワ攻略が可能と考えていたと指摘することを忘れていない。
カレルのヒトラーへの指摘が厳しくなるのは、1942年のブラウ作戦をめぐるあたりから。
で、『焦土作戦』は、概ね、マンシュタイン贔屓というトーンになってしまう。
>英国を残したまま対ソ戦に突入して2正面戦争になったから? 第一次大戦のときだって2正面作戦だったが、ロシアと和睦して国土は維持してる。 ヒトラーの第三帝国は首都をロシア人に奪われて国土分割された。アメリカ参戦 も敗因のひとつに考えられるにせよ、第三帝国はドイツ史でも特異的ではないか。
独ソが同盟を組むことはできなかったのかねえ。
スターリンが結ぶことのできる同盟は「裏切りの可能性のある同盟」だけ
WW1のときは旧体制(帝政)が崩壊して国内が混乱してたからつきいる隙もあったけど、 スターリン体制は一枚岩の盤石で、ドイツ軍が国境まで完全撤退する条件でないと 和睦には応じないだろうし、ヒトラーもロシアには絶滅戦争を指示し、 彼のイデオロギー思想からは相容れないだろうから両者歩み寄ることはほぼないと思われ。
西ドイツのコール首相ね。 あの人が雑誌でインタビューに答えていたけど、日本人の考えるドイツ人像とまるで違うのね。 彼の考えだと、ドイツはずっと社会主義の国。 「ナチも国家社会主義だからね。マルクス生んだ偉大なる大ドイツということだ」 ソ連は、社会主義でも共産主義でもないそうだ・・・たんなるロシア恐怖帝国。野蛮な国。 だから社会主義を誤解するなオマエラ!と。 アメリカは、もちろん後進国。 「資本主義はいかん。何故イカンかというと国家によるコントロールが無いから・・・」 ちなみに、バブルで地価高騰した日本と違いドイツは地価が国家で操作されてるから完璧らしい。 モチロン、株価もそうみたい。大恐慌にならないようコントロールするのがドイツ社会主義。 どうもコールさんの言われる社会主義は福祉国家?と思わないでもない。 貧乏人を奴隷にするアメリカの資本家はケシカラン!野蛮なり!という論調も感じました。 理想国家を追求する頑固親父・・・そんな風にも見える。 「大戦でドイツが戦ったのも大義のため、野蛮なロシアを押さえるために血を流して戦ったのが ドイツ人で、それを他国に批判されるいわれは無い」 第二次大戦は、あくまでドイツ人にとって聖戦のようです・・・ ヒトラーに関しては沈黙してましたが、社会主義の偉人なんじゃないですかね(折れの想像 どのみちロシアがヨーロッパに野心を抱いていたのは事実なので先制攻撃した? 奴らに大損害を与えて西洋世界を守ったのだ!という言い方だから・・・
独が敗れた後に、英米は引き続きソ連に攻め込むことは全く考えていなかったのだろうか。 ソ連がガイキチ国家であり、いつか覇権を英米と争うことになることは予想出来ただろう。 攻撃の口実もいくらでもつくれただろうし。 やはり、独ソ戦のソ連の頑張りが英米に二の足を踏ませたのであろうか。
>英米は引き続きソ連に攻め込むことは全く考えていなかったのだろうか。
英米はポツダム会談でドイツ人追放に合意してたんじゃなかった?
ソ連勢力圏に直接手出しはできないにしても、わざわざソ連の行動に
承認を与えなくても・・・・
http://www.yale.edu/lawweb/avalon/decade/decade17.htm XII. ORDERLY TRANSFER OF GERMAN POPULATIONS.
The Three Governments, having considered the question in all its
aspects, recognize that the transfer to Germany of German populations,
or elements thereof, remaining in Poland, Czechoslovakia and Hungary,
will have to be undertaken. They agree that any transfers that take
place should be effected in an orderly and humane manner.
アメリカが対日戦でソ連の助力を必要とする限り、ソ連とは否応なしに 協調せざるをえなかったということでは? 自由の国アメリカが自らの国策としてドイツ人追放を推進するだろうか?
エルベの誓いは、最終的に守られた訳だが
>>652 つーかその頃から(元からかもしれんが)ヒトラーの戦略は庇いきれんよ、誰でも。
カレルのヒトラー冬季死守命令擁護だって論難する論者の方が多いっていうしな。
米英は東欧での自由選挙に過大な期待を賭けてた面もあるよ。
チェコやポーランドは何とかなると思ってたから。それが甘かったんだが。
そもそも、ヒトラーのクルスク戦以降の撤退を許さない命令は間違いで、 モスクワ戦の現地死守命令だけはよかったと評される理由がわからない。
>「大戦でドイツが戦ったのも大義のため、野蛮なロシアを押さえるために >血を流して戦ったのがドイツ人で、それを他国に批判されるいわれは無い」 ドイツヲタってダブスタだね。日中戦争は日本軍の侵略暴行云々を声高に 非難するくせに、独ソ戦の場合はもうすこしでドイツが勝っていたのだと。
たんにナチシンパじゃなく一国を代表する首相が言っててマズくないだろうか>コール >野蛮なロシア ロシア人から見ればドイツ人の方がよっぽど乱暴で野蛮極まりない連中だけどね。
>>665 「野蛮なロシア」ってのは好意的に解釈すると、スターリンのことで、
ロシア人のことを指していないのでは。
スターリンはグルジア人なんだけどね。 「国防軍とナチは別」なら、「赤軍とスターリニズムは別」なのかな。
「赤軍とスターリニズムは別」 粛清前の赤軍であれば当然でしょう
ヒトラーはドイツ国民を愛していたが、スターリンはロシア国民を愛していなかった。 スターリンが愛していたのは思想だけ。 ヒトラーの方がましな独裁者だろう。
ヒトラーは意図的にドイツを負けさせたとしか思えん。ユダヤ系の血が流れていたという話も あるし。 ダンケルクで英軍主体の連合軍33万以上を逃がしたことによって、大軍を西部戦線に張り 続ける必要が生じ、致命的な2正面作戦を強いられたが、ソ連戦でも同じ“ミス”をやった。 もともとバルバロッサ作戦では、モスクワ占領が最優先目標であり、ボック元帥の中央軍 集団にはそのために2個機甲集団を割り当てていた。で、中央軍集団がモスクワに迫った とき、ソ連軍の中央方面軍が側面から攻撃をしかけてきが撃退。そのままモスクワへ進撃 を再開。その時、モスクワの防衛はわずか10万だった。スターリンは遷都準備を開始して いた。ところがヒトラーはキエフのソ連軍南西方面軍殲滅を優先し、グデーリアンの第2機甲 集団を180度方向転換させて南方軍集団との共同作戦に合流させた。グデーリアンは もちろんのこと、陸軍総司令部その他、軍幹部はことごとくヒトラーの指令に反対し、モスクワ 優先を主張。「統帥の危機」とまで言われた。ヒトラーは「モスクワは記号にすぎない」と 戦争経済優先の立場からキエフ占領を主張。南西方面軍は壊滅させたが、その間に モスクワは60万の防衛体制を構築。おまけに中央方面軍がモスクワに肉薄した時には 秋雨の季節で、地面が泥沼となって進撃できなくなり、更に一ヶ月も早く冬将軍が到来で ジ・エンド。 ちなみに、米国の対ソ物資・武器援助は、ドイツ軍がモスクワで撃退されたのを見てから だった。 あのまま中央軍集団がモスクワを陥落させていれば世界史は変わったかもしれない。
となりの兵隊同士が言葉が通じなかったり、普通の軍隊なら規律がなくなり崩壊してしまうような、強姦、略奪の限りを尽くしても機能するソ連軍はある意味最強。
真面目に戦わないと督戦隊のひとに殺されます。
http://wio.boom.ru/galgrnd/ww2infg4.htm ”ドイツの指揮官の言う恐るべきロシアの冬という不平や訴えはもはや滑稽です。
一体全体、ドイツ中の誰もがロシアの冬が寒いことを知らなかったと言うのでしょうか?
「冬将軍」が12月にいきなり来たとでも?
その準備をしていなかったというなら、その軍隊は失格です。
反対側から見れば、ソ連の軍隊もまた、同じ理由で苦しみました。
しかし、冬期装備のための準備は怠りませんでした。”
↑大賛成。ドイツヲタのソースなんておおかたその類のもんだ。 まったくドイツヲタって痛いやつらだよな、死ななきゃ分からないんだよな!!
>>657 ドイツが統一した頃、サッチャーとある英大臣がオフレコで
「ドイツは再び世界征服を目論んでる」という会話がスッパ抜かれて批判されてたけど、
コールの会話とか見ると、案外ドイツ人って本音では全然変わってないなと実感。
でも正論だよね。 スラブ人なんて野蛮人だし 資本主義なんて奴隷で成り立っているシステムだし ドイツには正義があるよ! 俺たちもドイツ色に染めて! ジーク・ジオン!
>675 勿論ヒトラー以下分かってたよ。でも彼らはスターリンが条約を反故にして 攻め込んでくるのを読んだ上でカウンターの電撃をしたの。スターリンは 境界線付近でドイツ軍が集結、赤軍と小競り合いがあることは知ってたが、 防寒装備に不可欠な羊の毛皮が値上がりしてない等の理由から、油断して 何もしなかった。防寒装備なしで冬が来るまでにソ連を殲滅する、という 思惑通りドイツは深く攻め入ったが、その年に限って冬が異常な早さで 到達したというのがドイツ軍には不運であった。一週間でも遅ければスターリン はウラルの東に逃げていたであろう。
http://www.skalman.nu/third-reich/statistics.htm WW2ドイツ軍データベース
Military losses
Losses on the Eastern front
Losses per age group
Losses per branch
Losses per branch & theater
Losses per branch & year
Losses per region (present borders)
Losses per theater
Losses per theater & year
Losses per year
>678にマジレスすべきかどうか考え中。 ていうか2ちゃんだし、やっぱやめ。
逃げの定番としては弱いな チキンめ。
だってあまりにも厨すぎるんだもんw
>>679 各国のおけるドイツ軍捕虜の死亡率
POW Dead %
France 34.033 3,6
UK 21.033 0,5
US 22.000 0,7
USSR 363.343 11,8
(% of number imprisoned)
Source: "Deutsche militarische Verluste im Zweiten Weltkrieg" by Rudiger Overmans
ドイツはソ連軍捕虜を60%近く死亡させたのに、(570万人の内、330万人死亡)
ソ連のドイツ捕虜死亡率は10%強。
本来皆殺しにしてもおかしくないはずなのに寛大ですねソ連の処遇は
そういえば、昨日はスターリングラード戦終結から60周年の日だった。ロシアの放送局の ニュースをBS1で見ると、大々的にこのことをやっていた。プーチン大統領はモスクワの クレムリン前?での軍事パレードに参列していた。ドイツのZDFニュースでは、このことに ついては何もコメントしていなかったけど。
>「冬の寒さ」のせい ドイツ軍が乾坤一擲で臨んだ夏のクルスクの戦いでもちゃんと負けてるしなw
P・カレルも指摘してるが、1944年夏の急激な戦線崩壊の原因は決して 「物量の差」じゃない。米空軍の白昼爆撃で制空権が奪われてしまったからだ。 ドイツ第三帝国は「四ヵ年計画」で周辺諸国から無尽蔵なまでに工業製品やら 資材原料やらを得ることができた。その工業生産力は米ソに次ぐ巨大なもので、 日本などはとても足元にも及ばなかった。航空戦力のお粗末さが敗因だ。
688 :
名無し三等兵 :03/02/04 11:37 ID:mkr58pfN
ソ連兵は二倍の兵力差じゃドイツ軍に蹴散らされて、三倍の兵力差 でようやく勝てた、と昔読んだ本に書いてあった記憶があるんだけど それは事実なのか?事実だとしたら、何年頃まで?
>>688 時と場合にもよるだろう。キエフやスモンレスクでは3倍どころか5倍
以上でもソ連軍が惨敗してた。逆にモスクワ攻防戦では対峙した独ソの
兵力差はそんなになかったのにも関わらずドイツ軍は撃退されてる。
また1944年の冬ごろまでは数倍のソ連軍相手に持ちこたえていた
ナチの精鋭たちも、米空軍の「ビッグウィーク」、そして「オーヴァ
ーロード作戦」で航空戦力が枯渇してくると一気に押しつぶされてる。
>688 42年ころまではドイツの将軍も質の悪さ(特に下・中級将校)を指摘してて、 緒戦は2年以上経験差のあるドイツ軍に、大幅な将校団粛正とスターリンの 現地死守命令によってソ連軍が包囲壊滅した例は多々あったけど、 42〜43年の冬期攻勢の頃から兵士の質がよくなったとドイツ側も認めている。
>三倍の兵力差で勝てた ランチェスターの攻者三倍の法則で照らせば理にかなってるし、別に問題ないと思う。 相手よりも常に多い兵力で勝った豊臣秀吉より、少ない兵力で勝った毛利元就や 桶狭間の信長の方が注目されてて、小が大を打ち破った小手先の部分ばかりに 目がいって、勝つために必要な兵力を動員した秀吉のマネージメント力をもっと評価すべき
“イタリアの降伏は、あるひとつの汚れた取り引きだった。全世界は勝利と 敗北の戦争の歴史を数え上げたが、イタリアはどうだったか?ただ言える事は イタリアはこの戦争を恥辱にまみれて敗れ、RSI軍(サロ共和国軍)の兵士達の 犠牲によってのみかろうじてその面目を救われたのだ。” ―在ヨーロッパ米軍総司令官アイゼンハワーの『戦時日記』より
>>687 ティーゲルなんて造らなくても良かったんだ。
88ミリ高射弾道砲を3倍造れば良かったんだ。
・・・と言ってみるテスト。
>>674 の改定版
”ドイツの指揮官の言うロシアの兵力が何倍も上という不平や訴えはもはや滑稽です。
一体全体、ドイツ中の誰もがロシアの人口が多かったことを知らなかったと言うのでしょうか?
「シベリア軍団」が12月にいきなり来たとでも?
素早く根こそぎ動員していなかったというなら、その軍隊は失格です。
反対側から見れば、ソ連のもまた、内地で人手不足という理由で苦しみました。
しかし、ドイツは占領国から搾取し、その国の人間や捕虜を軍需工場で働かせました。”
航空戦力にも「物量の差」があるわけだが
>691 禿同。勝つ為に必要な兵力を多く揃えるのは当然の考え方。 あとやたら物量の差があった言われてるけども、ウクライナやロシア西部の主要な 工業、鉱物資源、穀倉地帯を奪われながら、疎開したウラルでドイツ軍を圧倒する ほど戦車や航空機の生産したことに評価がいかないのも不思議。
>691 信長は相手よりも大きな兵力を用いるのが常。桶狭間は例外。
698 :
名無し三等兵 :03/02/07 17:26 ID:LrGCYnD0
「…他のソ連側の戦史に共通している特徴だが、彼ら(ソ連軍)は 戦いに勝つために、戦場に敵を圧倒する兵力を集中したことを誇らしく述べる。 これは戦いに勝つための大前提であり、彼らがそれを実行したことを 勝利を得たことと同等視していることは間違っていない。 しかも、大規模な兵力をある地点に集め、その部隊が作戦を展開する間、 必要な補給を行なえるような兵站を後方に整えてることは正しく大事業であり、 その文脈は、彼らがロジスティックとフロントを同格に見ていることを示している。 この意味では、ドイツや日本のように、敵より少ない兵力で相手を打ち破ったことを 誇る傾向にあるのとは対照的である。 すなわち彼らは戦いは最前線のコンバットだけではなく、 その前に勝つための物理的状況を作り出すことから戦いは始まっていると考えている (この辺はアメリカの考え方とよく似ている)。 戦いの基本原則に即した健全な思考と言わなければならない」 (PANZER1988年9月号「クルスクの戦い」より)
ミリ哲阻止
民族別階級ピラミッド /\ /ロシア人\ / ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ドイツ人 ̄ ̄\
702 :
:03/02/14 19:24 ID:3LnVI4Oo
女性の美しさ 〜25歳 スラブ>>ラテン>>日本>ゲルマン 25歳〜 日本>>スラブ>ラテン>ゲルマン で良い? 白人て歳をとるとなんで太っちゃうんだろうね。 ゲルマン系は基本的に色気がない気がするなあ。
705 :
パヴロフ2等兵 :03/02/17 23:10 ID:DvhbwKw8
http://wio.boom.ru/galgrnd/ww2infgv.htm Victory !
"Да, враг был храбр.Тем больше наша слава."
"Yes, the enemy was brave,so we are more glorious."
ドイツ軍は凄かった。ドイツ軍の科学兵器・戦術は優れていた。しかし、
ソヴィエト赤軍はもっともっとすぐれていた。みんなそう言ってる。
>>698 確かに勝つための必要な兵力を揃えるのはセオリー通りだし、
モンゴメリーもそうやってロンメルに勝利した。
しかし戦記の読み物としては、信長が10倍の今川義元の軍勢を破ったり、
義経の鵯越の奇襲や、数カ国を相手しながらフリードリッヒ大王がロイテンで勝利した
話とかの方が読み手により興味を沸かせるというのもある。
>>691 >勝つために必要な兵力を動員した秀吉のマネージメント力をもっと評価すべき
秀吉の朝鮮出兵失敗はどう捉えればいいんだろうか。
http://www.danshistory.com/ww2/usab.shtml USAAF bombers in the European War, 1942-45
bomber
Type Number of
Sorties bombs
Tonnage US Aircraft
Lost in combat Enemy Aircraft Claimed
Destroyed in Air*
B-17 291,508 640,036 4688 6659
B-24 226,775 452,508 3626 2617
B-26 129,943 169,382 911 402
B-25 63,177 84,980 380 193
A-20 39,492 31,856 265 11
A-26 11,567 18,054 67 7
Total 762,462 1,396,816 9937 9889
* claims of enemy planes shot down by bombers are notoriously inaccurate
スターリングラード空輸作戦における輸送機数は、1943/1/13で帳簿上Ju52/ He111/He177/Ju290/Fw200等の各機種合計519機、また他戦線からJu52/He111 が合計して306機が転出途中でしたが、当日の作戦可能な稼働機数は47機ですよ…。 この時期の稼働率は30%代が最高で、下手をすれば上記のように10%を切ります。 よりドイツ空軍の耐寒装備・経験が乏しい1941年冬期に長期間の空輸作戦を行っ た場合、大型機の稼働率がこれより良くなったとは思えません。実際デミヤン スク戦時における輸送機の稼働率は精々20〜30%代ですね。 あとデミヤンスク戦時の空輸距離は240km、スターリングラード戦の際空輸距離 は250kmでしたが、400km離れた地点であれば飛行時間・ターンアラウンドの時間、 また長時間飛行に伴う悪天候による飛行作業中断の可能性等を含めて考えれば、 スターリングラード戦時より輸送効率が低下する事は容易に想像できます。スター リングラード戦で輸送機が同日に複数回作戦飛行が出来た日が数えるほどしか無い 事は、冬期の悪天候下において、より遠い地点に対して行なう同日複数回の輸送が より困難である事を示しているように思えます。 スターリングラード戦で目標輸送量に達したことは135機が着陸して366トンを 運んだ1942/12/7(当日稼働機134機)と158機が着陸して310トンを運んだ12/31 (稼働機数85機)の二度のみ、というのを良く考えたほうが良いでしょう…。
>この時期の稼働率は30%代が最高で、下手をすれば上記のように10%を切ります。 誉エンジンよりひどいわぁ・・・・
ドイツの将軍の回想録だとよく冬は寒い冬の天候で、夏は雨とぬかるみで っていうふうなこといってる。なら飛燕がニューギニアで稼働率激減ってのも、 インパールの大量餓死病死も天候や地形が問題だったのだろうか。 天候や地形の問題というのも全くの否定ではないが、それならそれでそういう 場所での攻勢作戦は最初から誤りだったともいえる。ドイツは東部戦線での 攻勢作戦を、日本はニューギニアを早めに放棄すべきだったんだろう。
716 :
名無し三等兵 :03/02/27 14:21 ID:AKbirEXw
最近でた「モスクワ上空の戦い」って本にも、東部戦線におけるドイツ空軍の出撃 状況のお粗末さ描かれてるな。日本機ばかり稼働率がどうのこうのってのは不公平。
>>1 「本当はどうだったの?」って聞かれてもねぇ。
本当は史実の通りだったんじゃねぇか。
スレ違いかつ独断と偏見との批判を承知で、おれさま日独航空比較論。 工作精度では独が勝ったそうだが、そんなものは戦闘機の性能には無関係だ。 論より証拠、一式戦隼は南方の整備施設の悪い場所でも稼働率は抜群だったし、 また稼動性が劣るとされる疾風だって内地なら47戦隊など、よく稼動してる。 >下手をすれば上記のように10%を切ります。 ふん。それではもう航空戦力としては限りなくゼロに近くなるな。 比島での4式戦疾風の稼動悪い悪いったって、そこまで酷かったか?
719 :
名無し三等兵 :03/02/28 02:42 ID:Md/EoSmY
なんだかんだ言って日本より独逸の方が燃料の質が悪かった。 それでもあそこまで戦い続けたルフトバッフェと日本陸海軍航空隊の差は何だったんだ・・・
>>719 日本の相手は世界最強の航空戦力を持ってたアメリカだぞ。
ドイツにはB-29も原爆も来なかったじゃないか。
燃料の質はあんまり関係ないだろ。
>>719 どちらかというと、米国とソビエトの航空戦力の差ではないかと。
>>719 > なんだかんだ言って日本より独逸の方が燃料の質が悪かった。
ソースきぼぬー
>日本の相手は世界最強の航空戦力を持ってたアメリカだぞ。 日本の相手は世界最低のゴロツキチンピラナラズ者の集団だった中国だぞ。
日本軍強力主張程、故我勝其中国軍偉大証明也哉
725 :
パヴロフ2等兵 :03/03/02 22:58 ID:15TYidAp
>
http://wio.boom.ru/galgrnd/ww2infgv.htm >"Да, враг был храбр.Тем больше наша слава."
>"Yes, the enemy was brave, so we are more glorious."
ドイツ軍は凄かった、だからそのドイツ軍を破ってベルリン入りを果たした
ソヴィエト赤軍は世界中の賞賛の的となり、米国に対抗しうる唯一の大国と
なった。ソヴィエト赤軍は他のどの連合国より長く激しくこの巨大な巨大な
敵と闘い続けた。スラブ民族ソ連邦大祖国戦争こそ、世界最終戦争だった。
726 :
パヴロフ2等兵 :03/03/02 23:39 ID:15TYidAp
>それでもあそこまで戦い続けたルフトバッフェ それだけ精一杯闘い続けたわが精強ドイツ軍にとって、ベルリンに揚がった ソヴィエト国旗はまさに勲章のようなものだった。ドイツ軍の兵器・戦略戦術 の優秀さは、それ自体を論じるのではなくて、スラブ民族ソ連邦大祖国戦争が <いかに恐るべき巨大な敵との戦いであったか>を知るための手段として捉えたい。 ソ連邦は強大なファシスト軍を相手に苦闘を続け、ざっと2600万人の国民を 失い、やっとの思いでベルリン入りを果たしたのである。ベルリンは全ソ連邦 スラブ民族2600万の膨大な血であがなった土地で、それを手放すのは 大祖国戦争の世代がいなくなってからのことだった。
「独ソ不可侵条約」について。 ドイツはポーランドや英仏との対決を控えて2正面作戦を避けるとしても、 ソ連側の理由はノモンハンでの対日戦以外に、どんな理由があったのだろう。 英米仏からは嫌われていたにせよ、ソ連との戦争近しなんてことはない。 むしろドイツこそ一貫してソ連にとって最も危険な宿敵だったはず。 またドイツとの戦争は避けておいて、ポーランドやフィンランドには 積極的に攻め込むってのも変。これは恥も理念も捨てて強きに媚びて 弱きを挫いただけだったのか。
>701 ドイツは悲惨だな、最終的に自分たちより下がいなくなってしまった。 日本の場合は支那派遣軍百万の精鋭健在で、中国人という最低の生き物 をその隷属下に置いたまま終戦を迎えることができた。
729 :
名無し三等兵 :03/03/10 08:17 ID:+bWPzaC+
スターリングラードやクルスクでは独ソ両軍が正面衝突してたが、 戦闘自体はどちらかというと互角に近く、ドイツ軍はそう負けてなかったと思う。 ドイツ打倒の決定打は何と言っても米ソ挟撃のオーバーロード・バグラチオン作戦。
731 :
山崎渉 :03/03/13 15:08 ID:???
(^^)
民族別階級ピラミッド /\ /ロシア人\ / ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ドイツ人 ̄ ̄\
>>732 ロシア人の人口が多いことはよく分かった
734 :
名無し三等兵 :03/03/16 21:09 ID:2yVN7D4P
>>730 あのねェ〜・・・実際負けてるんだけど・・・
43年の段階でドイツの勝ちは無くなってるよ。
バルバロッサ作戦の直前に、ドイツ空軍の輸送機部隊は壊滅的と言って良い損害 を出しています。メルクールでの被害は被撃墜こそ少ないものの、Ju52は本国の 教育部隊やノルウェー方面での補給に必要な機を除く、使用可能なほぼ全力である 493機が投入され、そのうちの174機を失っています。35%を超えています。つまり 部隊としては全滅に等しい。つまり、バルバロッサ作戦の実施されつつある時期は、 ドイツ輸送機部隊としては再建中という状態なわけです。バルバロッサ作戦開始日 の空軍輸送飛行隊で使用可能だったのはたったの238機、在籍Ju52のすべてをかき 集めても350機に達しません。 作戦開始後の酷使を反映して、8月には前線での可動機は200機を割り込んでいます。
>メルクールでの被害は被撃墜こそ少ないものの、 >つまり部隊としては全滅に等しい。 この点あの「ベルリン空輸」を成功させたアメリカ航空軍は、本当の意味で 世界最優秀航空軍と断言できると思う。なまじっか戦闘機があるからといって、 アメリカ航空軍に正面から航空決戦を挑むこと自体、戦略的大敗ともいえる。
「ドイツ空軍88ミリ両用砲」について質問。 これ最後まで強かったんですよね。飛行機なんてロクに飛べなくなっても、 これにやられた飛行機・戦車は数知れず。どれだけ戦後外国でコピー生産 されたことでしょうか?
ドイツの敗因について、私見交えて言えば・・・・ @ソ連に対する過小評価(ソ連は6週間で潰せる) A過酷な占領政策(アウシュヴィッツ・強制労働・四ヵ年計画収奪経済) B空軍が期待はずれ(空輸失敗・米航空参戦以降は制空権喪失) C米ソ2正面作戦(ノルマンジー・バグラチオン作戦) 違ってるかな、また他にはどうかな。
レンドリースはCに含まれるんだろうな。
しっかし西側史家やドイツヲタって、何かと赤軍の人的抗戦力を過小評価しよう とするもんだね。ヒトラーの介入だの冬将軍だの泥将軍だの、米国の支援だのと。
>>740 はぁ?バカ?
人的抗戦力は@に含まれてんじゃん。
742 :
740 :03/03/21 14:03 ID:???
ナチスドイツ軍最優秀兵器を挙げるとすれば、「88ミリ両用砲」だと 僕は思う。空でも陸でもこれが脅威となって進撃が遅れたと、米側戦史に よく書いてある。空軍が壊滅しても、これで長く持ちこたえたともいえる。 おまえらはどう思う?
米軍の退役軍人にとっては88(エイティエイト)はいろいろな意味で忘れ得ぬ存在だそうです。
実質的な米独決戦は、ノルマンディ上陸作戦に限ると思う。勝利はやはり 損害を出しつつも一歩一歩歩兵が進撃するしかないものと決まってる。
748 :
名無し三等兵 :03/03/31 21:11 ID:qac+v+MV
冬将軍だの泥将軍だの、広大なロシアの土地だのとは、見苦しい言い訳だ。 ロシアの冬が寒いとか、ロシアが広くて荒地が多いことを知らないで 攻めてきたとすれば、それは近代軍隊として失格ってこと。
>>749 近代軍隊つーか、近代的な「組織」一般として、失格だと思う。
組織的行動の根幹となるべき計画策定の能力がなっちゃいない。
バルバロッサ作戦に関しては、「計画」一般としてダメダメ。
事前の情報の不足。
計画の前提となる現状認識の誤てる分析。
組織上位層内における方針の分裂。
過少な必要資源の見積もり。
計画の執行に当たっての、柔軟性とは名ばかりの行き当たりばったり…。
独軍オタどもよ、よかったな。
1941年6月の赤軍が油断しきった上に、思いっきりヘタレで。
そうでなかったら、短期間に独軍のほうが負けてたって不思議じゃないぞ。
あと「二正面作戦を強いられて負けた」との見解もあるが、1944年6月 22日の段階で「強いられた」事実はない。ソ連が目下英国と戦争中の ドイツに攻め込んだのではなく、ドイツがソ連を全面的奇襲攻撃で襲い 掛かったのだから。独ソ戦で攻撃をはじめたのは専らドイツ側であって、 有名なワイツゼッカー元大統領演説もこの点についてしっかり触れている。 何にせよ英国には対独反撃の能力は無かった。 本当に「2正面作戦を強いられる」のは1944年になってから。
752 :
名無し三等兵 :03/04/02 17:03 ID:PvQ5YRky
>>749 防寒具を大量に発注したら作戦がバレてしまうし、難しいところだな。
一気に冬までに決着をつけるという判断は間違いとは言えない。
753 :
名無し三等兵 :03/04/02 18:26 ID:NrlTLDv4
>>751 >1944年6月22日
???バルバロッサ作戦開始日なら1941年6月22日。
ノルマンディー上陸なら1944年6月6日では???
>>745 88oが優れた兵器だって事には同意。んでも、ハチハチって、高射砲としては
どうなの?最大射高って、どんくらいあったっけ?
漏れとしてはMG42を推したいんだどもね。
755 :
名無し三等兵 :03/04/02 18:32 ID:S9hJ1SLg
米陸軍>>>>>>ソ連陸軍>ドイツ陸軍>>日本陸軍>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>米式装備中国軍
↑打通さんのコテハン忘れてます
758 :
:03/04/07 20:50 ID:???
ドイツに勝ったソ連って、ホントに凄い国だったの?
もう超大国ソ連のイメージを知らない世代が増えたのか・・・・
>超大国ソ連のイメージ 2600万人死んでも、「ソ連邦衛星国」含めて人民と土地が大幅拡大した のだから、国力は拡充されたってことになるんだろうな。世界最多の死者を 出した国が世界第二位の強国なのだから、死者数は軍事的強弱とはあまり 関係無さそう。つーか、単なる人命軽視か。
WW2 イタリア軍と米式中国軍が衝突したらどうなんの 冷えたものが食えない民族体質だから 飯時になれば休戦か? 掟破りの「C兵器」でイタリアの勝ち?
「ハチハチが優れた高射砲・・・」 マジっすかー? 八八式高射砲・・・撃ってもB-29の高度に到達しないじゃん あんな昭和一ケタ前半兵器
763 :
パヴロフ2等兵 :03/04/08 23:59 ID:yuhoA+4k
モスクワ攻防戦の意義について。 この時点で米国はまだ参戦してなかった。レンドリースも始まったばかりで ないに等しかった。 言ってしまえばこの時点でソ連は完全に独力でファシスト軍の攻勢から 首都モスクワを守り抜くことができた。そしてその後2度とモスクワ が狙われることはなかった。 冬将軍だの泥将軍だの、ドイツヲタの言い訳なぞ聞くに耐えない。
>>763 > この時点で米国はまだ参戦してなかった。レンドリースも始まったばかりで
> ないに等しかった。
ふむふむ
> 言ってしまえばこの時点でソ連は完全に独力でファシスト軍の攻勢から
> 首都モスクワを守り抜くことができた。
そう、冬将軍と泥将軍のおかげでね
> そしてその後2度とモスクワ
> が狙われることはなかった。
いや狙わなかっただけ、冬将軍と泥将軍、それからレンドリースと米の参戦が
あったから
> 冬将軍だの泥将軍だの、ドイツヲタの言い訳なぞ聞くに耐えない。
なんか論理がいとも簡単に破綻してしまってますよ
いやドイツの戦争遂行能力は、モスクワ攻勢失敗の段階で事実上頭打ち。 むろんその後も何度かヒトラーの勝利はあったが、モスクワ攻略を再開 できないということで、どう頑張ってもソ連以上にはならないことは明らか。 空軍主力のBf109戦闘機も頻繁に改造されて最後まで一線だったが、 発展性のある設計だったというよりはこれで頭打ちってことだろう。 これは日本の零式艦上戦闘機と似てる。野原茂は猛反対するだろうが、 余裕があるのなら米国のF6F、P-51など、戦中期新機種開発生産が当然。
766 :
元グリンベレー大尉 :03/04/11 15:09 ID:gVb9hFPI
リデル・ハートの本には、1942年の夏頃にソビエト軍は人的・物的の両面で 前年の大損害から回復していなかったので、ブラウ作戦が成功した可能性 もあったというような記述が見られます。 ドイツについては、1943年になるまで工業生産などが総力戦体制になって いなかった事情もありますし、もう少し早く態勢を整えていればかなりの 所まで進撃できたと思います。
767 :
パヴロフ2等兵 :03/04/11 23:50 ID:lmXuSa9Q
>「続ドイツ空軍戦記」(S・W・ミッチャム 手島尚訳)のP127より > オリョール攻防戦の期間、第1航空師団のパイロットの出撃は1日平均 >五回から六回にもなった。師団の出撃回数は延べ三万七千四百二十一回、 >ソ連機撃墜は一千七百三十三機、味方の損害は六十四機の喪失だった。 >対地戦闘の戦果は戦車一千百輌以上、トラックなど一千三百輌以上を破壊、 >ソ連軍戦線内の目標への投弾は二万トン以上である。 私はこのような、ドイツ空軍の戦果記録など絶対信じていない。しかも奇襲 された開戦当初ならいざ知らず、赤軍のオリョール奪還は次の月の8月だ。 ドイツの将軍の負け惜しみ的主張ばかりが出回って、冬将軍だの泥将軍だのと、 赤軍の人的抗戦能力があまりに軽視されている。 あのへたれ日本軍機が7面鳥撃ちにされたという「マリアナ海戦」でさえも、 その日米損害比は3〜4対1だ(数字は諸説あるにせよ)。それをはるかに超 えたキルレシオが、赤軍航空相手にドイツ空軍が達成できたとは笑止千万。 上の数字を信じる者たちに問いたい。赤軍航空は本当にマリアナ7面鳥 にもはるかに劣る存在だったのかと。
つーか、冬将軍とか泥将軍に負けたってのは、やっぱり良いわけに過ぎない。 ロシアの冬が寒いのは当たり前だし、秋には泥濘の季節を迎えるのも当然の自然の摂理。 そういう、ロシアの自然現象を甘く見て、それ相応の備えを怠ったドイツ軍は 冬を迎える前に短期決戦が可能と考えた、ドイツ軍の失敗といえるし、 大出血を強いられながらも、粘り続けたロシア側の善戦とも言える。
769 :
768 :03/04/11 23:59 ID:???
むう、訂正個所がある。 誤:それ相応の備えを怠ったドイツ軍は :冬を迎える前に短期決戦が可能と考えた、ドイツ軍の失敗といえるし 正:それ相応の備えを怠り冬を迎える前に短期決戦が可能と考えた、ドイツ軍の失敗といえるし
確かに勇敢ではあったかも知れないが、七面鳥以下だったんじゃ ないの?そのときのソ連空軍は。 ハルトマンみたいな撃墜王が出てくるくらいだから、ソ連軍は 陸でも空でも膨大な損害を出しながら、最後は数でドイツを押し 切ったんだろ? それだから戦争に勝っても二千万以上もの人的損害が出たんじゃ ないの? 1733機落とされてドイツ機をその半分の800機落とすような戦いが ソ連に出来たら、ドイツの戦力なんかたちどころにケシ飛んで45年 まで保たなかったってトコロなんじゃないかな。
ソ連の航空機生産は41〜43年はドイツの約1.5倍、44年はほぼ同数。 しかし45年に入るころには東部戦線でソ連は航空機でドイツ軍の17倍の優勢を確保していた。 767にあるようなキルレシオではこの結果は考えられない。
>赤軍のオリョール奪還は次の月の8月だ。 それが実に不思議なところだな。これ以降になるとドイツ軍の戦果報告も 大本営日本海軍撃沈報告に近くなるようだ。
ドイツも日本も初期の戦闘の勝利に酔って、戦時体制がまともじゃなくて、 膠着状態になってから立て直し。 敵は初期の敗北でしゃかりきになって量産体制。 ……WW1の反省はなかったのか、アイツラは。
第1次大戦の時のドイツはヒンデンブルク・ルーデンドルフによる 軍事独裁でした。 第2次大戦の時はそれよりもさらにひどいヒトラーとナチスによる 独裁体制でした。 独裁体制だと、どうしても生産・陸海空軍・行政などの各分野の間での 自由な意見の交換や協力が難しくなると思います。 「分割して統治せよ」がヒトラーのやり方だったようですし。 それでは、ボルシェヴィキ体制はどうだったのかと言われると・・・ ・・・謎が多いですね。
>>766 同じくリデル・ハートは、その著書「ソ連軍」の中で、
「ソ連を救ったのは何よりも兵の粘り強さである。苦しみに耐え、
どんな西欧の軍隊をも参らせてしまうほどの条件下でも戦い続ける能力である」
と、気象条件云々よりも、その兵の実力を第一条件にあげている。
戦時経済については、ドイツより少ない人口のイギリスでさえ、
戦争が始まった1939年暮れから早くも総力戦型経済体制に移行し、
なかなか電撃戦型経済体制から脱却しきれないでいるドイツを、
1940-41年にかけて完全に生産数量で追い抜いている。
(ドイツ側のある兵器に限っていえば、1941年度生産量で見ると明らかに落ち込んでおり、
如何にドイツがロシアで敏速に勝利が得られるかという楽観主義的な反映がみれる)
>774 有能な航空技師、ツポレフの場合、事実無根の「反革命言動」をちクラレ 戦争の真っ最中に収容所送りに そこで彼が命じられたのは「高速汎用爆撃機の設計」 でTu-2が世に出た・・・・こんな話いっぱいありますね 彼は後日「邪魔が来ないのではかどった」といってたとか
「多くの諸国民の罪のない人々に対して大虐殺(ホロコースト)をおこなっ たのはドイツ人である。ドイツ人は今日でも、むしろ五十年前よりももっと はっきりと、自分たちの当時の政府や自分たちの父親たちの多くが、大虐殺 に責任があり、ヨーロッパの諸国民に破滅をもたらしたことを知っている。 ドイツ人の多くはそのことに苦しんでいる。そしてまた自分自身の苦しみも 忘れていない」戦争が終わって五十年たったときに、国の大統領が、こうい うことをドイツ国民の前で訴え、“戦争はどんな戦争も悲惨なものだ”とい う一般論に逃げないで、ドイツの戦争責任をはっきりと示すのです。つづい て去年二〇〇〇年にはこういうことがありました。ナチス・ドイツの強制労 働によって被害を受けた人々に補償をする、そのための約五千四百億円の基 金が設けられました。この基金の名称は「記憶・責任・未来」とされました。 この基金設立の法案をドイツ議会に提案するとき、シュレーダー首相が提案 演説をおこないましたが(四月十日)、首相は、強制労働の犠牲者に対して 財政上の支援をすることがドイツの歴史的責務であることを訴えると同時に、 「しかし、財政上のことだけが問題なのではない。なによりも、過去の犯罪 の繰り返しをこれからのあらゆる時代を通じて阻止する、その目的でこの歴 史の記憶を持ち続けることが重要なのだ」と語りました。この法律の前文に は、「ドイツ議会は、ナチズムの犠牲者に対して政治的・道徳的責任がある ことを認める。ドイツ議会は、これらの人々に加えられた不正の記憶を将来 の世代に伝える」と書きこまれています。この歴史とその責任を将来にわた って忘れてはならないという前文をもって、この基金の法律が設けられたの です。れからまた、ドイツの刑法には、七年前につぎのような条項が追加さ れました(一九九四年十二月)。「ナチズムの支配下でおこなわれた民族虐 殺を、公の秩序を乱す形で否認したり、故意に過小評価したものは五年以下 の禁固刑または罰金刑に処す」
>>767 ,771
レンドリースは入ってます?
(P40・P39・P63)9438機
A20 2908機
その他もろもろあるはずだけど・・・
>>779 航空機生産数
・・・・・ドイツ・ソ連
1941 11,776 15,735
1942 15,409 25,436
1943 24,807 34,900
1944 39,807 40,300
1945 7,540 20,900
レンドリースは小さくはないが戦力比が大きく
変化するというほどでも無いと思う。
よくそんなんで勝てたな>赤軍
まあドイツの場合は、本土、西部戦線、地中海戦線、東部戦線と戦力を分散 させなければならないから、東部戦線だけならソ連空軍が数倍優勢だったこと は確かだろう。
784 :
名無し三等兵 :03/04/14 22:52 ID:C1sdDveT
>777 独ソ戦というテーマから外れてしまいますが、貴殿は情報戦というものを ご存知ですか? 別に、湾岸戦争や、現在のイラク戦に限ったことではありません。 第二次大戦の時代も実際の殺し合いとは別にその宣伝戦、情報戦はその 真っ只中にありました。 貴殿が言っている、ホロコーストもその一角でありました。 ニュルンベルグ裁判も戦犯と称される人たちへの目に余る拷問と、甘言で どこまで真実かわからない罪を強引に認めさせ処刑しましたよね。 政治的な目的で。(裁判官や検事の多くはユダヤ系だった) 戦後も、その政治的な目的はイスラエルへの賠償という形で続き、 戦争を知らない世代に対しても続いた。 それは、まだ生まれていないドイツの世代に対しても降りかかって いくのですか。 「公の秩序を乱す形で否認したり・・・」、このような法律を 作らなければならないほど、ヨーロッパではホロコーストやニュルンベルグ 裁判にに対して疑惑を持っている人たちが多いということではないのですか。 言論の弾圧、自由な議論の封殺以外のなにものでもないのではないですか。 ここは日本です。
785 :
名無し三等兵 :03/04/15 00:50 ID:raaHwoV9
パウルカレルの焦土戦術を見ていると、中央軍集団のカンネー戦がでてくる。 40個近い師団が短い期間で壊滅してしまった原因が、ドイツ空軍が 西側連合軍を迎え撃つために西方へいってしまったこと、反対に赤色空軍が 大挙して押し寄せてきたことがあげられているんだけれど。 でも、なぜ、あーもあっさり全滅してしまったのか? 過去のドイツ軍の戦いぶりからして、何かどうもすっきりしない。
>>785 あと、初動における機動予備戦力が全くといっていいほどなかった。
確か、装甲師団だったか、機械化歩兵師団だったかが、
ビテブスク方面に1個くらいだったか?(すまんね、手元にソースが今ないもんで)。
焦土作戦を読んでならわかると思うけど、ガリチア方面に赤軍の主攻勢はあると考えられていて、
東部戦線の装甲兵力の主力はそこに集結していた。
赤軍の機動兵力の突破進出に対処できる部隊に欠けていたわけさ。
モーデルが装甲部隊の増援とともに反撃主体で戦線の穴を埋めようとしたのは、
ミンスクあたりまで戦線が進んでから。
789 :
山崎渉 :03/04/17 11:02 ID:???
(^^)
何でソ連軍よりドイツ軍のほうが人気あるの???
>>790 1……ナチースの征服がかっこいい。
2……電撃戦に夢をみている。
3……キルレシオ命だと思っている。
4……ベルリン攻防戦には耳をふさいでいる。
以上!
田宮模型の責任もあるだろ。 赤軍戦車の発売が遅すぎ。
でも、しょっぱなが2号じゃ、萌え萌えにはならんぜ。
>>790 持ち駒が同じなら、ドイツのほうがはるかに強い。
ドイツかっこいい!!!
>>794 センソーは「結果」命です。
>持ち駒が同じなら、ドイツのほうがはるかに強い。 ロシアは中国ほどには人口も多くは無い。それにドイツの他にも 傀儡枢軸国も参加してる。死亡キルレシオでドイツが圧倒していても、 捕虜も含めた全損失ではそうでもない。P・カレルの著書「捕虜」 によれば、西独捕虜委員会が提出したドイツ人捕虜は1100万。 ドイツ軍は常に自軍と互角以上の戦局で戦い、劣勢ならすぐ降伏する。
中国のことかくと打通さん召喚だぜ。
>>797 > ドイツ軍は常に自軍と互角以上の戦局で戦い、劣勢ならすぐ降伏する。
死ぬのが分かってて突撃するようなソ連だから人気がないのでは?
800 :
山崎渉 :03/04/20 05:23 ID:???
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
この午後のヒトラーの国会演説はとくに変わった点はなかった。 彼は一九四三年にヨーロッパに侵入するローズベルトの意図を明らか にした「戦争計画」を最近暴露したシカゴ・トリビューン紙に言及し、 日本と調印したばかりの協定のテキストを読み上げたが、心の奥底 では本能が総統に、これから展開する出来事を歓迎すべきではないと 警告していた。ベルリンの鉄道駅に出迎えた空軍関係者フォン・ベロー 少佐は、彼が真珠湾の長期的影響について自信がないのを知った。 リッベントロップも(のちに)、合衆国を参戦させないための三国 条約がいまや合衆国をドイツと直接対決させるに至ったので狼狽 したと告白した。だが彼もヒトラーも日本の起草した世界を作戦地域 に分ける軍事協定にはなんの意義も唱えなかった。それによると、 ドイツとイタリアの作戦地域で、この線から東は、英領インドを 含めて日本の作戦区域となっていた。日本をイギリスとの厳しく長期 の紛争に巻き込み、単独平和の可能性を排除するにはこれしかない、 とドイツの指導者は判断した。 #デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」より。
日本のシンガポールとオーストラリア進出でイギリスはインド軍部隊 とアンザック(オーストラリア・ニュージーランド)部隊をとくに地中海から撤収 せざるを得ないし、合衆国はイギリスとソ連への兵器供給を削減しな ければなるまい―こういった戦略的利益があるのに、ヒトラーがつぶ やくのが聞かれた、「私は事態がこうなるのを全く望んではいなかった。 いまや彼ら」―つまりイギリス―「はシンガポールを失うだろう」と。 彼がヘーヴェルにこの言葉を語ったのは、“バルバロッサ”作戦が冬の 最初の危機に陥ろうとして彼が“狼の巣”に帰還したあとだった、 「日本の援助でわれわれが極東における白人の地歩を叩き潰す―そして イギリスがボルシェヴィキの豚どもと一緒にヨーロッパと闘うというのは、 なんと奇妙なことか」。外相は冷静に戒めた、「アメリカの補給がムルマ ンスクとペルシア湾を通ってロシアに到達しないようにするのにせいぜい 一年しかありません、日本はウラジオストックをなんとかしてくれるで しょう。これがうまくいかず、合衆国の軍需潜在力とロシアの人的資源 とが一緒になったら、戦争に勝つのがむつかしい段階に入ることになり ます」。これにヒトラーは答えなかった。 #デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」より。
>こういった戦略的利益があるのに、 ドイツがソ連を攻め切れなかったのはアメリカの参戦ではなくて、 ドイツ自身の戦力不足だったろう。日本と結んでの対米宣戦布告は、 長期的には辛いが短期的にはもうしばらく東部戦線に専念できる。 あくまでドイツが対ソ大攻勢で決着をつけようと考えるのなら、 日本と米英を戦わせる必要がある。日独同盟がドイツにとって有害 だったとすれば、それはドイツが米英ソと和解するにあたっての話。
804 :
名無し三等兵 :03/04/21 21:56 ID:Psw3hEar
>797 ドイツ軍は常に自軍と互角以上の戦局で戦い、劣勢ならすぐ降伏する。 ほう! 典型的なハリウッド戦争映画、米英仏の戦争娯楽番組を見すぎた 救いようのない阿呆の発言としか思えませんな。 本当の戦史についてもっと真っ当な勉強したほうが・・・手遅れか。
Losses per branch
Branch (incl. pow) Dead %
Heer 4.202.030 79,0
Kriegsmarine 138.429 2,6
Luftwaffe 432.706 8,1
Waffen-SS 313.749 5,9
Volkssturm 77.726 1,5
Police 63.462 1,2
Auxiliary 53.231 1,0
Support org (non-aux.) 37.198 0,7
Total 5.318.531
Branch (pow) Dead %
Wehrmacht 393.013 8,14
Waffen-SS 28.264 9,01
Volkssturm 21.099 27,15
Various 17.099 16,99
Total 459.475 8,6
(% of those inprisoned)
http://www.skalman.nu/third-reich/statistics-losses-branch.htm 捕虜を除いても、WW2間におけるドイツ軍人死亡は4.859.056人とのこと。
806 :
名無し三等兵 :03/04/23 23:45 ID:TFpuDJRw
モスクワを落とせたかどうかなんて議論は、なんの意味もない。 落としたところで、より後背地に首都を移して継戦するだけ。 では、ドイツはどうすれば勝てたか? 対ソ戦に集中すればどうか? 米に、自分らの真の敵はソ連であることを理解させ、英と和平を結ばせ、 その上でいくばくかの支援を受けつつ対ソ戦に徹する。これならどうだ?
807 :
bloom :03/04/23 23:46 ID:H3lXG9Vp
別に洩れはナチス万世ヲたじゃねーが >804 に一票。 殆どの作戦で、常に敵(米英・露)より劣勢 >806 ユダヤ迫害を止めれば何がしかの可能性はあったかも でも、それをすれば那智須が存在意義を失う・・・てことだよね
独ソ不可侵条約と、秘密議定書について。 この時点では独ソ双方とも弱みを抱えていた。ドイツはドイツ一国だけ では戦争経済を賄えないし、ソ連はバルト諸国の独立運動とノモンハン での日ソ衝突でドイツと対決できる状況ではなかった。現に独ソ貿易と バルト・ポーランド問題、日本問題が会議の焦点だった。 だが後にドイツは東欧攻略・フランス征服に成功すると、とたんに態度が変わる。 ヒトラーもフランスと協力して戦争経済を確立するだとか、ルーマニアがあれば ロシアの石油は必要ないとか、フィンランドで赤軍はヘタレだったと公言してる。
ま、フィンランドでのソ連屁たれ具合を観たのも ヒトラーが「毒素不可侵条約」一方的破棄に繋がったのでは
>>806 バグダドが落とせるかどうかよりも重要じゃないかな。
モスクワは首都であると同時に輸送網の中心だし。
シュミット元首相だったかな、「ドイツには欧州に友好国が沢山あるが、 日本にはアジアの友人はいない」と。 欧州にはナチスドイツの支配下に入ったり協力したりする国が沢山あっ たのに対し、アジアは中国が日本の敵で、他はみんな欧米の植民地だった。 要するに欧米からみればアジアといえば中国しか眼に入らなかったらしい。
>>814 日本・アメリカはカナダ・アメリカなみに緊密な関係なんじゃないかな
817 :
名無し三等兵 :03/04/29 07:05 ID:sxSrW2z4
>803 日本と米英を戦わせる必要がある? どうしてドイツにそんな必要があったろうか? 当時のアメリカのルーズベルトは、ww2に参加したくてしょうがなかった。 ただ、米国民が強く反対していたため、動きが取れなかった。 そこで、あらゆる手段で、ドイツを挑発し、戦争をしかけてくるよう仕向けたが、 ヒトラーは耐え、乗ってこなかった。 だから、その矛先を同盟国の日本に向け、石油禁輸やABCD包囲陣をしいて 挑発にかかった。 日本に先に攻撃させるよう仕向けた。 案の定、日本はその挑発にのって、真珠湾を攻撃した。 参戦の理由を日本が 作ってくれたわけで、ルーズベルトは大いに感謝、チャーチルは小躍りしたに ちがいない。 結果として、ドイツは2正面作戦に引きずりこまれることになり、米陸軍の大兵力は 太平洋ではなく、ヨーロッパに主体を置いて展開されることになる。 その意味では、日本はドイツの足を引っ張った訳で、対ソ戦に集中は出来なくなった。 その後の、連合軍のシチリア上陸はチタデル作戦を終焉させ、圧倒的な米空軍は ロシア戦線でのドイツ空軍の大兵力を本土防空のため大幅に縮小させるのに寄与した。 ドイツが本当に日本に望んだのは、独ソ開戦直後の対ソ戦への参加ではなかったのか。 それがなっていたら、後日、ソ連に背後をつかれることも、北方領土問題もなかった にちがいない。
>日本・アメリカはカナダ・アメリカなみに緊密な関係なんじゃないかな 米・加関係は「大人の友人関係」→「やあ元気かい?」「うん元気!」 日米関係は 「親分子分関係」→「イラクを殺る!おめーは5千億ほど都合してこい!」
緊密なことには変わりはないな
独ソ戦は、しばしば「史上最悪の戦争」と呼ばれます。 犠牲者の多さが異常ですし、戦闘以外の人種絶滅作戦による死者が ものすごい。アインザッツグルッペンによる虐殺には慄然とします。 実際の戦闘も悲惨な市街戦がいたるところで行われ、零下数十度の 吹雪の中をシラミだらけの頭で戦い、倒れた独ソ将兵は一千万を超えます。 双方捕虜に対する扱いは劣悪で、ほとんどが虐待や飢餓により死亡。 ウクライナの平原には累々たる屍が積み上げられていきました。 まさに史上最悪の戦争とよべるでしょう。
>812 あと台湾とか 大体アジアと一口に言っても数千の言語と民族の集合で、ヨーロッパの補集合じゃん。 なにか歴史的文化的に共通性のある地域というわけでなし。 ドイツがアフリカに隣接していたとしてカメルーンやケニアに友人を求めるようなもんだ。
>>820 以前見たドキュメンタリーで素っ裸のロシア人が次々
処刑される映像とか、東欧に侵攻したソ連軍が捕らえた
ドイツ将兵を公開処刑する場面があった。身の毛もよだつな。
日本が歴史を隠蔽してる云々いってるより、独ソ戦の実態を教科書に載せたほうが反戦に有効な気がする罠。 ソ連と中国の20世紀の歴史を生徒に教えないのはなんでだろう。 もっとも繊細な中学生には人類に対する絶望感を植え付けるかもしれんが。
>>823 カリキュラムが悪い。現代史と世界史を別の教科にすれば、卒業間際で
現代に近いところは省略ってのがなくなるかも。
映像の世紀って番組はすごかったな。 ドイツ兵はロシアの村に侵攻すると家を破壊し、焼き払い、住民は虐殺。 バックに流れた「絶滅戦争」を主張するヒトラーの演説が怖かった。
828 :
名無し三等兵 :03/05/02 22:01 ID:ep/gv0P3
スターリングラードを世界史の時間に見た。 ちなみ見たのは クレオパトラ コロンブス など・・・・2時間が潰れるからよかったけど、感想文が800字が辛い。
>>828 世界史板に書かれていることを繋ぎ合わせれば800字なんて余裕。。。といってみるテスト
>>827 やっぱ絶滅戦争はイカンよ。何しろ相手が死力を尽くしちゃうから。
831 :
名無し三等兵 :03/05/02 22:33 ID:4hTklNAn
そうそう、相手を利用して自軍組織に組み込まなくては。そうすりゃあ 弾除けぐらいにゃなるし、何より反体制なやつらは、敵戦線後方でゲリラ として使える。
>>27-28 Static Air Offensive Eighth USAAF (Aug.1942〜May1945)
TOTALS Sorties 332,904 Dropped 621,877 Losses 5.548(657)
The figuers shown in brackets after Eighth USAAF Monthly losses were
those aircraft lost operationally for reasons other than being shot
down by hostile A-Afire or aircraft, and they are included in the
monthly total of losses.
Sources; Webster,C.and Frankland,N., The Strategic Offensive aganst Germany,
1939-45,Vol.4, (London,1961),and Freeman,R., The US Starategic Bonber(London,1975).
>>831 実際ナチの東方大臣ローゼンベルクはウクライナやベラルーシを
独立させ、味方に付けて利用するよう進言したが、
総統は耳をかさず、逆に残虐な占領政策を支持したそうだ。
http://www.feldgrau.com/stats.html German Population
Gender and Age
Wehrmacht
Heer
Luftwaffe
Kriegsmarine
Waffen-SS
KIA/MIA/WIA, by Campaigns
KIA/MIA, by Month 9.39 - 11.44
昨日、CNNを見ていたら、第二次大戦中、アルジェリア方面で米英軍と フランス軍が数ヶ月にわたって戦闘を繰り広げたと言ってました。第二次大戦 の連合国は、米英仏ソで、フランスと米英は同盟国のはずなんですが・・・ 確かに当時のフランスは対独傀儡のヴィシー政権でしたが、そうならばむしろ フランスは枢軸側の敗戦国で、国連の常任理事国になるのはどうかと思うのですが・・・ 植民地の軍隊ならば、むしろ米英と協力し、本国奪回を図ることもできたはず ですが、なぜ米英と戦う必要が有ったのですか。
映像の世紀第五話でドイツ軍が1944年にフランスのある村を完全に破壊して 住民のほぼ全てを殺したたそうなんだが、あの時期ってドイツにそんな余裕 があったのかな?
838 :
名無し三等兵 :03/05/09 14:47 ID:3ppPF7GQ
ソ連の犠牲者は2000万人だっけ?長い戦線で、とことんやったもんだ よね。あんなのは、ごめんだなあ。
>>836 植民地といえどヴィシー政府の一部だったから。
フランス降伏時点で植民地の帰趨についてはいろいろあったみたいだよ。
フランスの植民地ってそこここにあったからね。
>837 "オラドゥール"で検索すると色々出てくるよ
>>840 検索してみました。
大抵はドイツが残虐な行為を行ったもので、戦争の悲劇として忘れてはいけない、
というようなサイトが出てきますね。
論争してる所だと、民間人がレジスタンスを行っており、それを殲滅するために
仕方なかったということですね。
結局、結論は勝者は全ての罪を勝利の代償と良い訳することができ、敗者は全ての罪、
そして犯していない罪も背負わされるってことですかね。
オラドゥール・スュル・グラヌ
http://www.kk.iij4u.or.jp/~anne/info-oradour-sur-grane.htm >この何もない平和な村に、突如ナチの武装親衛隊の小隊がやってくる。
理由としてレジスタンスへの報復、武器の保管庫と見なされたため、などが挙げられている。
例外を除いて全ての村人642人は何カ所か分けて集合させられ、そして無惨に殺された。
この悲劇から逃げることが出来たのは、ほんの6人しかいなかった。
ナチスは例によって虐殺の事実を徹底的に隠蔽するために、爆薬と火を用い、
薬莢なども回収したそうである。
西欧人がドイツ人のことを”野蛮人””フン族”と呼んで蔑視するのも分かるな…
ウクライナ、ベラルーシの悲劇 住民全員虐殺も多く、生き残っても強制労働。 スタの粛清とナチの破壊の傷跡は今でも癒えていない。
845 :
:03/05/11 14:02 ID:???
オラドゥール、リディツェ、マルツァボット、ジェノバ、ローマ、バービィ・ヤール、ワルシャワ…
>842 結局、結論は勝者は全ての罪を勝利の代償と良い訳することができ、敗者は全ての罪、 そして犯していない罪も背負わされるってことですかね。 全く同感・・・ 所詮、勝てば官軍か、正直言ってこのHPもどこまで信じていいやらわからん。
この前TVでネオナチのやつもそんなこと言ってたよw
独ソ戦ではドイツのソ連領内での蛮行もひどいが ソ連兵のドイツ東部での暴虐もすさまじかった。 大量のリンチ、処刑が横行し、女性は兵士の餌食となった。 史上最悪の戦闘といわれる背景には戦闘の悲惨さだけでなく こうした無法状態の戦争犯罪が日常茶飯だったこともあるだろう。
850 :
842 :03/05/12 19:45 ID:???
>>848 げ、俺はネオナチと同じ思考だったのか・・・(´・ω・`)ショボーン
>848 救いようのない馬鹿者! 何でもこの類の批判があるとすぐネオナチだ、 なんだというのがこの手の救いようのない阿呆どもの言い草だ。 ホロコーストも最初に批判したのは、その収容所に実際に入っていたレジスタンス の経歴の持ち主から始まったことだ。 左翼も、ユダヤ人自身からもこの手の 批判があることは終始の事実だ。 ついでに言えばレジスタンスというのは、現在で言うテロリストの集団であり、 かつての連合赤軍となんら変わりない。 通常は、一般人のなかに紛れ、彼らが頭をもたげるのは、自分たちに生命の 危険がないときに限られる。 彼らは戦ったのではなく、少人数の兵や病院車など をだまし討ちにしたのだ。 この国際法にも劣る戦闘のなかでは、相手が見分けられない以上、無関係な一般人が 巻き込まれる可能性は極めて高い。 当初ドイツ軍とフランス一般住民の関係はきわめて良好であった. それを、このテロリストどもはすべてを台無しにした。 中国戦線でも、八路軍によるゲリラ(レジスタンスと同等)も、通常は一般農民に 紛れ、病院車や負傷兵、要するにレジスタンス同様、自分に害がないと確信した とき初めて相手を攻撃しなぶり殺しにする。 その彼らが逃げ込んだ先の村で、彼らを追って憎悪をつのらせた日本兵が どういう行動に出るか、わかりきったことである。
853 :
名無し三等兵 :03/05/13 19:32 ID:i5eN1n91
独ソ戦にくわしいホムペないかなあ。 開戦当初の両軍の戦車の数ってどんな感じだったんだろう。
>>851 お前が大馬鹿者
フランス、ベルギー、オランダを侵略したのは何処の国だ?
英仏の平和協定を破ってチェコを占領し、更にポーランドに侵攻した国は何処だ?
ちょっと皮肉めいた言葉に過剰反応し、議論もできずに怒り出す短気なお前はネオナチ並み。
ナチ厨の特徴は、ドイツが欧州中を侵略したという最も基本的な視点が欠如して、
自分達の意見だけを一方的に主張する、一人よがりで独善的なとこ。
ドイツがダンケルクで英仏軍を逃がした理由は色々議論されてるが やはり人種的理由ではないか。ソ連軍捕虜に対する過酷な扱いに比較すると そう思う。ナチの戦争は総統の人種編成構想に基づいてるから ロシアの占領地から撤退するとき捕虜はほとんど殺害して逃げた。 備品にいたずらしたロシアの子供も木に吊り下げたというから、恐ろしい。
人種っつか民族かな。 > 備品にいたずらしたロシアの子供も木に吊り下げたというから、恐ろしい。 そういう子供まで利用しようとしたロシアはもっと恐ろしい。
>>857 子供の話は、以前ガガーリンの特集やってたときに故郷の親戚が
ガガーリンの兄弟にそういう子がいたと話してた。別にパルチザンじゃなくて
単にふざけただけ。すぐに家族がおろして助かったようだが。
>>858 > 単にふざけただけ。すぐに家族がおろして助かったようだが。
だからただのおふざけがおふざけに見えなくなっていたってことでは?
イラク戦争で自爆攻撃があってから米軍が過敏に反応するようになったのと
同じことでは?