902 :
名無し三等兵:01/11/20 19:21 ID:d5jV3gEL
903 :
名無し三等兵:01/11/20 19:58 ID:d5jV3gEL
ソ連は大祖国戦争で2500万人もの死者を出しながらも戦後は米国に
対抗しうる唯一の大国となった。2500万人もの死者を出したら普通
国力は衰退してしかるべきなのに,ロシアの場合はその逆だった。
これは原子爆弾やジェット機,人工衛星打ち上げで確認できる。
ソ連の場合は戦争で無くとも国内で粛清やら内乱鎮圧やらで人間が
沢山死んでいるのだから,人命損失は領土拡大で補えたのかも。
904 :
1:01/11/20 20:26 ID:ezeWd6OP
やっと黄色い表示が出てもう一頑張り、ジムはやはりほっとかれてる。
>868
コテハン同士でしかわからない創作小説ですか。
>902
>>830で詳しいですが
>1950年にアデナウアー首相が連邦議会に提出した資料によると、終戦時点で生存が
確認されていたにもかかわらず帰還しなかった兵士が140万7千人もいたそうです。
彼らは、ソ連やアメリカ・フランス管理下の捕虜収容所で長期拘束中に亡くなった
と考えられています。
ドイツ側の調査では、そうした未帰還兵士を含め第二次大戦による戦没兵士は
最も多く見積もった場合、431万1千人だったとされています(民間人は335万人)。
こうした点を考え合わせると、戦時中のドイツ軍の死者は最大で290万人と推定され
と言う事でソ連側の捕虜450万?など第2次世界大戦における全ての捕虜の意味ではないでしょうか?
ソ独両国の捕虜でも600万?まだ半分なので詳しい方御教授下さい。
>903
だから概数で確か2000万の人口が新たに加わったわけですが(北方領土からは住民は残らなかった)
他の過去スレにも有りましたがこの偉大な勝利でペイできたのでしょうか?
個人的には生き残りたいが無理な作戦で多くの不具者が生まれ、都会で志をねだって
生活していたのですがある日…と言う事もあったそうです。
905 :
名無し三等兵:01/11/20 20:41 ID:mJhRuGSj
906 :
1:01/11/20 22:12 ID:YaRHSuCQ
>905
>>776で詳しいですが
>なお、ドイツの動員兵力は延べで1800万人、実人員で1000万人(含む勤労奉仕隊)だ
そうです。全戦線にわたる野戦軍の兵力が最大になったのは、クルスク戦の前の1943
年7月1日で490万人、1945年1月1日現在で420万人、同年5月9日現在の東部戦線
所在の兵士は158〜173万人だとか。
>>712にあるように
単純に東部戦線の独ソ兵力比を見てみると、
Mid-Year Manpower On The Eastern Front Year
Soviet German
1941 5 million 3.3 million
1942 5 million 3.1 million
1943 6.2 million 2.9 million
1944 6.8 million 3.1 million
という事で当時のドイツの全人口が約7000万であった事を考えると
ドイツ軍の捕虜1100万人は考えられないのですが…
本もサイトを見ると違う本で「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」
は全てドイツ軍捕虜とは言っていない気がするのですが…
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」は11月に出たばかりの本のようで調べてみます。
どちらにしても他の方の意見を待ちましょう。
>>906 おっと捕虜の話になってしまいましたか。
なんていうかちょっと忙しくて時間がアレなんで、海軍関係はバルトの撤退行動と極洋関係が
少し分かったのですが、いずれスレ終末までにということで。
>全てドイツ軍捕虜とは言っていない気がするのですが…
軍人だけではないですね。
公職関係は結構パクられています。民間人も大勢。
ナチ党関係は当然かもしれませんが、酷い場合には制服着てただけで「オマエちょっと来い」。
なんとホテルのボーイまで巻き添え食ったみたいです。いや確かに制服なんだろうけど・・・。
あと何とか「長」も危なかったとか。ドイツ語で「フューラー」ですからな。
デンジャラス。
>>906 追加で
「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」と
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」は
おそらく同内容かと思われ。私も確認してみますが。
フジ出版の旧版の再刊ではないかな。
909 :
名無し三等兵:01/11/21 09:55 ID:wb5tCHup
>当時のドイツの全人口が約7000万
ドイツ本土だけではそれだけでも、オーストリアやチェコスロバキア
などの在外ドイツ系住民を含めれば9000万くらいになるのでは。
戦後チェコで報復措置として300万のドイツ人が追放されたのは有名。
910 :
名無し三等兵:01/11/21 10:53 ID:OUfItTMJ
>だから概数で確か2000万の人口が新たに加わったわけですが(北方領土からは住民は残
>らなかった)他の過去スレにも有りましたがこの偉大な勝利でペイできたのでしょうか?
戦争以前にソ連は大量餓死・大量粛正で大勢の国民を失ってる。
死者2500万といっても玉石混合ソ連軍にしてみれば大半は「捨て石」で、
特にドイツの捕虜になった兵士なぞ上記の本に書かれている通り
ほとんど「裏切り者」扱いだったよう。ソ連邦全体からすれば
支配領土さえ増えれば人員の損失なぞいくらでも補えたのだろう。
911 :
名無し三等兵:01/11/22 03:40 ID:8E5dvdLC
>>863 ただ種類が雑多なだけでなく,外国製にすらあれだけ頼ってたんだな。
1944年の大増産にも関わらずドイツ車両事情がこんなにお寒いとは意外。
912 :
1:01/11/22 16:46 ID:Vyjotgwq
レス有難う御座います、が本当色々あるので手短に行かせていただきます。
>907
バルトの撤退行動では生き残ったドイツ水上艦艇が難民撤退,支援砲戦に活躍しましたが
大抵西側連合国空軍の爆撃で行動不能となりソ連軍の接近で自沈に追い込まれた様です。
ソ連海軍の戦果とすれば1944年に防空巡洋艦ニオベを沈めた事や1年間に60万t
輸送船304隻と軍艦294隻を撃沈した事がブルジョワ編史学者に疑問視されていると
わざわざ注まで作ってバルト海だけで軍艦輸送船252隻の損傷を外国の原典が示している
のにソビエトの統計が信頼が置けないと言っていると自己弁護してますが,ニオベの撃沈
は明らかに誤り。(確かアドレア海で西側連合国空軍の爆撃か魚雷艇の襲撃で撃沈)
極洋は最も近く最も危険なルートだが総貨物量の4分の1で半分は鉄道輸送が大変長くても
太平洋経由。ベルシャ湾経由はイランの鉄道.港湾施設に問題ありだかここで残りの4分の1
なのでしょうか?「第二次世界大戦史8」P205-6
捕虜に関しては民間人も抑留されればですか?
>908
再版?550Pと600Pで微妙に違いますが…
>909
無条件降伏だから人口全体が捕虜のようなものなのでしょうか?
また戦後西ドイツが人口4500万で東ドイツが2500万ぐらいでしょうか?
東ドイツが共産圏支配化で捕虜?でもないですね。
>910
>特にドイツの捕虜になった兵士なぞ上記の本に書かれている通り
「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」と
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」を読まれたと言う事ですか?
「戦うソヴィエト・ロシア」に拠れば(元はA.Dallinの「German rule in Russia」でOKW文書によっている)
ソ連軍捕虜で全体が516万,解放されたのが80万,生き残ったのが100万差し引き300万以上
の人が御亡くなりになった様です。
しかも新領土の人々にもソ連の法律が適用になり反ソ連煽動で25年の刑は法体系からおかしいと言う
ソルジェニーツィン氏の主張もあります。
今の技術革新の上ではやたら異民族を抱え込んでいても分離独立される事も多いと思いますが…
>911
ドイツは兵器の絶対量が少なくアフターケア能力が優れていたので捕獲装備が正式化
(番号まで付く)されたのでは?
1944の大増産は燃料不足と技量低下で相殺された様ですが…
あと他スレ、シャーマン戦車は傑作か?でソ連軍は援助が無くても
負けはしなかったのではないか?
とか,どうしたら日本は勝てたか?では東京裁判でソ連側は日本の
参戦をかなり恐れていたとの書き込みもあります。
が「戦史業書」では越冬準備だけで大変だったとあり「ソヴィエト赤軍興亡史U」
では日本軍が約50万に対し1942年7月でも145万で関東軍は満州事変から終戦まで
一時も優位を保てずまた1941の8,1石油全面禁輸でバイカル湖付近までが限界と
檜山良昭氏の仮想戦記の様に日本が参戦してもモスクワ陥落は難しいでしょう。
AH社の「独ソ戦」でも1ヶ月早く増援が来る代り1コマづつ極東に転送するも43?
以降はノモンハンと同じく日本軍が壊滅して送らなくても良いと言う悲しい設定がありました。
また戦略的にも満州国は三方から包囲されている形の上1936年度すら
人員で3.6倍,航空機で5.2倍,戦車で8倍だったそうです。質については言わずもがなでしょう。
ただ越冬準備の17億円(41当時の一般会計の軍事費が30億円)が12月の開戦による臨時追加で解決したのは良かった?
913 :
名無し三等兵:01/11/22 22:22 ID:oYZS7TSL
>ソ連軍は援助が無くても
1942年前半は援助が僅かゆえモスクワ防衛に成功した他は、
対独反撃が行き詰まって逆に南方に攻め込まれてるでしょう。
アメリカの豊富な物資援助と第二戦線無しでは対独進撃は不可能です。
但しモスクワ防衛に成功した以上は単独でも長期抗戦継続は可能ですから、
こと寧ろ米英のほうがソ連に対する軍事的依存が大きいと言えます。
「ソヴィエト赤軍興亡史」でもそのあたりの関係は詳しく書かれています。
>どうしたら日本は勝てたか?では東京裁判でソ連側は日本の
>参戦をかなり恐れていたとの書き込みもあります。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/989154351/163 クックス教授の説が最も説得力がありそうですが、あくまで日本軍部の
政略構想は独ソ和平工作推進による対米和平ですからそうはいきません。
914 :
名無し三等兵:01/11/23 17:30 ID:0nauJD0I
915 :
1:01/11/23 17:51 ID:jioV+rtA
>913
前にも書きましたがハルダー参謀総長の日記でモスクワ戦の頃でドイツ軍の損害が約100万
1942,9,10で1637000と質的な事を考えればこの損害によりソ連領の維持が難しそう。
米英の援助が果たしてどれだけソ連軍の勝利に貢献したかというのはこのスレでも
重大な論争の一つですが自分はソ連側に少し思い入れている部分がありますが
米英の援助が無くともソ連領の回復ぐらいは出来たかと。
結果として東欧諸国の統治も酷いものだったわけだからその方が良かったかもしれません。
ただ最近の援助兵器の稼動率の高さやこのスレでの論争による米英空軍による活躍などは
決して過小評価してはならないと思いますがなんと言っても死者が
ざっとソ連約2000万:米英約100万「新詳世界史図説」なので概数。
から来る不公平感を埋める事が出来ないので米英援助の重要性が認められないのでしょう。
日本の対ソ参戦=関特演は戦略的には両面戦争でソ連側にとって非常に脅威ですが
日本軍の実態は数字の上ではかなり寒い様です。が対米戦のように一時の勢いが
あればかなりはったりが利くかもしれませんがもしソ連にドイツが勝った場合
あるいは独日で世界分割などドイツが最後に日本を倒すつもりであったらしく
日本の方も
>日本軍部の政略構想は独ソ和平工作推進による対米和平ですからそうはいきません。
という事でそこまで飛躍していなかった様ですね。
ただノモンハンでソ連側が断固たる措置に出なかったら,あるいはジューコフ将軍
以外の不適切な指揮が行われていたら,リュシコフ三等大将まで亡命していたわけですが
やはり中国との関係がネックとなって対ソ戦までは手が廻らないと思われますが。
これも日本は勝てたかスレで中国に大人になる(近代国家になる)勧告とかありますね。
あと
>>659 Development of the First Soviet Three-Coordinate L-Band Pulsed Radar
in Kharkov Before WWII"
で紹介された論文が来ましたがやはり
It must be admitted,however,that on the Soviet-German front,rader was
never a major factor,compared to its role in the Battle of Britain.
という事で大半はウクライナのハリコフで戦前からレーダーの開発が行われていた
概要が民族主義的?な面から詳しく説明されています。真空管とか日本も
H.Yagi(40)K.Okabe(41)氏が紹介されています。
また結局ソ連軍は生産できなくて米英カナダから124ユニット貸与されたとかあります。
>914
どうも,可能な限り読めたら読んで見たいのですが。
>>915 最終段階ですが、海軍話がまだ書けない。
912の「60万t輸送船304隻と軍艦294隻」はちょっと多すぎですかね。特に軍艦は
総保有量を超えてしまうような。
極洋は確かに危険なんですがソ連側の拘りも強かったそうです。1週間に1度は
船団を出せとか言ったりして。結局のところイラン経由が一番多かったという
記述を見かけたことがありますが、遺憾ながら書名を失念。
ちょっと戻りますが、895でご指摘の「Uボートの作りすぎ」というよりはむしろ
足りなかったと思われ。それも初期においては絶望的に。だからこそ陸の第二戦線
(北アフリカでは1942年から)形成を許したわけですからね。
また第二戦線というのは空・海では1939年から存続していたわけで、例えば英国の
観点からみると東部戦線こそ第二戦線と見れるわけです。
ソ連の反転攻勢には米英の物資(カフカス戦線では米国製軍服が出回り、43年以降は
トラックが威力を発揮「焦土作戦」)が貢献したでしょうし、西側の大陸再上陸に
向けたブラフも独軍兵力拘束に効いてます。実際ディエップなんかがありましたしね。
もちろん、西側もソ連の進撃に大きな恩顧を被っており、中庸的な見解しか持てない
私なのですが。
それと、
「捕虜 鉄条網のむこう側の1100万の生と死」と
「捕虜 誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」
の件ですが、著者と訳者が同じなんですよね。頁数の違いは付録ではないでしょうか。
私はまだ確認してませんが。
917 :
名無し三等兵:01/11/24 22:44
>It must be admitted,however,that on the Soviet-German front,rader was
>never a major factor,compared to its role in the Battle of Britain.
>という事で大半はウクライナのハリコフで戦前からレーダーの開発が行われていた
>概要が民族主義的?な面から詳しく説明されています。真空管とか日本も
>H.Yagi(40)K.Okabe(41)氏が紹介されています。また結局ソ連軍は生産
>できなくて米英カナダから124ユニット貸与されたとかあります。
しかも実戦での使用は首都周辺に限られてたよう。ソ連軍の組織的な
レーダー運用・敵レーダー妨害作戦をやったという記録は見つからない。
その2は? やるの?
昨日は河口湖マラソンで25kmで時間オーバー,個人的な事も余り語るべきで無いかもしれませんが
理論を振りかざすのもどうかと思うので参考までに。
>916
じっくり調べて書いてください。
「第二次世界大戦史9」のP280に拠ればバルト艦隊により敵は1945には40万6000トンの輸送船151隻
と軍艦補助船舶98隻を失ったと有りますがこれも疑わしそうですか。
といっても前半陸軍が苦戦していた時の人員輸送やレニングラードへ木材など物資を届けた事の方
が真の戦果なのでしょうけど。
その意味で潜水艦というのは弱者の兵器というか相手に海域を使わせないためのものなのと43以降
Uボートが不振になってから他の兵器同様生産が急増したので新型が出来るまで他の兵器を作った
方が良かったのでは?という事ですがそんな簡単に転用も難しいでしょうね。
>917
「第二次世界大戦史9」のP283ではバルト海で駆潜艇第124号は水中電波探知機で潜水艦U-679を発見
して撃沈とありますが例外でしょうか?
陸戦では砲兵隊の音響や目視の観測の方が効果的だったのでしょうか?
捕虜の尋問による作戦開始時間前の先制攻撃なども良く出てきますが。
>918
その2は限界,恐らくやりません。歴史板にミラーサイトがあって誘導しようと
思いましたが揉めて今は書きこみが止まっています。
スレ主レス返し方式で数は伸びてますが独ソ戦スレの決定版と言うのには
至ってないと思うので新しく立てて頂いても結構です。
あと80がまず長い。
ようやく海軍関係の話など。
黒海、バルト海ときたので、お次は寒い寒い極洋です。
この海域では、ソ連向け連合軍輸送船団(PQ・JW船団)とそれを阻止せんとする
ドイツ軍との戦いが繰り広げられました。
1941年9月から12月までは、PQ船団は妨害を受けることなく目的地に着きますが、
1942年1月頃から次第にドイツ海軍による攻撃が始まります。
同年5月には、複数の輸送船団をめぐって大規模な交戦があり、ドイツ側は駆逐艦2隻、
英海軍は巡洋艦、駆逐艦各1隻と輸送船数隻を失っています。
最大の戦闘は7月のPQ17船団をめぐる戦闘で、同船団は36隻中24隻を失う大損害を
蒙ります。これは保全艦隊の幻影に怯えた英海軍の失態との見方もあります。弱体な
ドイツ海軍水上艦艇は、早くも1942年4月には燃料不足で出撃を制限されるようになって
いたのですが。
その後、12月のJW51B船団に対するドイツ海軍水上艦艇の攻撃は失敗(独英とも駆逐艦
1隻ずつを喪失)に終わり総統は激怒、艦隊解体要求を突きつけレーダー総司令官
は辞任、デーニッツが後を継ぐことになります。
以後、水上艦艇の活動は下火になります。
次にUボ−トですが、個々の活動と極洋に限った戦果はちょっと区別できませんでした。
バレンツ海とカラ海(1944年8月に作戦)で失われたUボートは30隻。うちソ連軍が沈めた
のは2隻とのことです。
Uボートの所属戦隊は、ベルゲンの第11潜水群とトロンヘイムの第13潜水群でした。
第11潜水群の司令(ヴィーレンブロック中佐)は、小説(後に映画化)「Uボート」の艦長
のモデルになった人です。
この人、戦後も活躍したようで戦友(メルテン艦長)とライン河のサルベージ業に従事したり、
ヨットでアルゼンチンまでの冒険航海を行ったりしているようです。商船に乗り組んでいた時は、
難破したブラジル船を救助、原子力船オットー・ハーン号の船長を務めたこともありました。
戦時中は騎士十字賞、戦後は連邦功労十字賞を受賞しています。映画の撮影にも立ち会って
いたようですね。
第11潜水群は、フランス失陥後のUボートの避難基地にもなっていました。
なお積荷ですが、英国のハリケーンとスピットファイア4,300機は北極航路で輸送された
とのこと。一方、米国援助航空機(P39、A20など)14,800機の大半はアラスカやイラン
経由で輸送されたそうです。37万輌のトラック、鉄道レール54万トン、軍靴1,500万足も
同様だとか。
全般的に見て、この方面でのソ連海軍の影はいささか薄いような気がします。
英側からすれば、ムルマンスクやアルハンゲリスクから出てこないとの不満があったようで。
極洋の戦いのバランスシートを大雑把にみると、連合軍の艦艇喪失は18隻、商船は98隻。
一方ドイツ軍は艦艇4隻とUボート30隻を喪失しています。
極洋経由でソ連に届いた積荷は約400万トンで、戦車5,000輌と航空機7,000機が含まれていました。
Uボートの生産についてみると、1944年度には新型Uボート(21型及び23型)の生産に
切り替わっているのですが、これは遅すぎたのでしょう。新技術満載なので仕方がない面も
あるのですが、120隻以上引き渡された21型の実戦参加は1945年4月末で時間切れ。
23型は2月から実戦参加、損害なしで5隻を撃沈(イギリス沿岸)。
以上は、
カーユス・ベッカー「呪われた海」中央公論新社、
デヴィッド・ミラー「Uボート総覧」大日本絵画、
リデル・ハート「第二次世界大戦」中央公論新社、
Uボートネット(HP)
等を参照しました。
潜水艦は確かに弱者の兵器なのでしょうね。戦後の潜水艦戦ものでは、米ソ対決を扱った
S.ソンタグ/C.ドルー/A.L.ドルー「潜水艦諜報戦」新潮OH文庫という本が
面白かった。TVドラマ化されたP.ハクソーゼン/I.クルジン/R.A.ホワイト
「敵対水域」文藝春秋も良かったです。
追加で捕虜の件ですが、軍人や行政関係者、警察官以外に多数の純然たる民間人が抑留
されていたことは事実で、例えばフランス管理下の一収容所(ディータースハイム収容所)
の記録によると、1945年7月、アメリカ軍から賠償労働力として引き渡された抑留者103,500人
のうち、老人、女性、14歳以下の少年、患者と障害者が32,640人もいたそうです。
旧東ドイツ地域では、1945年4月〜1950年夏ごろまでに11の収容所が存在し、160,000人が
収容され65,000人が死亡したとか。ここで抑留されたのは、企業経営者、警察幹部、教会
指導者、社会民主党員だったそうです。
今からみると問題がある話ですが、当時のアメリカ軍(正確にはアイゼンハワー将軍と
その周辺)の報復的取り扱いはいささか常軌を逸していたようで、米・仏軍管理下(英軍は
問題なし)で死亡した抑留者は100万人を超え、しかも当時の記録は破棄されているそうです。
そして冷戦下、行方不明者140万人の発生原因の一部はソ連のせいにされました。
P.カレル/G.ベデカー「捕虜」フジ出版社では、元がブラント政権下の「捕虜史委員会」
だったせいか西側への配慮が優先し曖昧にしているところがありますが、J.バクー「消えた
百万人」光人社ではその辺はっきり書いてます。
抑留者1,100万人には重複もあり短期の拘束者も含まれていると思いますが、1945年5月9日
現在の野戦軍兵力が全戦線で300万人であったことから考えると、訓練部隊、トート機関や
ナチ党関係者以外の理由なき民間人拘束者が多数あったことが推察できます。
有名人の中には、東プロイセンからホーエンツォレルンに避難してきたプロイセン王国皇太子
などもいたようで。
足立邦夫「ドイツ傷ついた風景」講談社、W.パウル「最終戦」フジ出版社も参考。
旧満州でも同じようなことがあったので(J.ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店)、
個人的にはあまり驚かないのですけどね(正当化する気はありませんが)。
小生、民間人抑留者の末裔でして。
>サイズが496KBを超えています。512KBを超えると表示できなくなるよ。
おっと上記の表示が出てしまいました。長文書き込みすぎたようですみません。
そろそろ限界ですかね。
書き込めなくなった場合に備え、お付き合頂いた1氏(旧3ch氏)に感謝の意を
述べさせていただきます。小生の駄文を読む羽目になった皆さんには陳謝する次第。
923 :
名無し三等兵:01/11/28 07:29
ソ連軍の本格的国産レーダー実用化は,
>>370や「ソヴィエト赤軍興亡史3」
にある通り,戦後になってからだとい得る。WW2時は首都周辺に輸入品が配備
されるだけだったにしても,戦後はレンドリースが無くなった代わりに東ドイツ
も含めた東欧諸国を丸ごと併合できたのだから,そっちのほうから取り寄せれば
良かったのだろう。まあ「国産」といっても占領地収奪なのはナチと同じか。
924 :
名無し三等兵:01/11/28 08:27
925 :
名無し三等兵:01/11/28 12:14
昔、あるところに、当時としては遅れた後進国とみなされていた地域があった。
そこでは農奴たちが貧しい暮らしをしていた。
ところがある時、その地域の辺境で謎の巨大な爆発があった。どうも隕石が落ちた
らしい。
すると、ちょうどそれと同じぐらいの時期のその地域に、それまでにない新しい制
度の文明が現れた。
そして、その文明は、あれよあれよといううちに、大きな戦争に勝ち抜き、周囲の
国々を従え、独自の技術を発展させた。
最盛期にはその文明は世界の半分を支配し、その技術力で宇宙に人を飛ばすことさ
えできたという。
だが、その文明は、やがて禁断の力に手を出し、その力を制御できずに大事故を起
こしてしまう。
そして、わずか70年ほどの繁栄の後に、その文明は滅んでしまったのだ。
だが今でも中東などでは武器にその文明の技術の名残を見ることができると言う。
その文明の名は……ソビエト連邦。
昼頃状況を知りましたが疲れが残っていたのでやはり夕方まで寝て起きてみたら
状況が変わりましたね。自分もコミケに向けて全力投球しなければ成らないので
潮時でしょう。
>920
詳しい記述ありがとうございます。北洋ルートが半分なのでしょうか?4分の1は少なすぎそうですね。
「敵対水域」は少し読みましたがソ連側にとっては最も技術差があって絶望的だったそうです。
>921
>小生、民間人抑留者の末裔でして。
それは大変でしたね。自分の祖父は徴兵不適格という事で本人は悩んだ様ですが。
近所の地域でもシベリア抑留者は今の自分の年代(30代後半)にやっと帰国された
人もいたそうです。もっともどちらが幸福な人生を送れるかは別ですけど…
>922
自分もここに感謝の意を示しておきます。
できればHPなど紹介してください。ほんの2,3日後に立った
"えがったんかいバルバロッサ作戦"などこちらが先だったのでつぶされて
しまったのを覚えてますが…
>923
レーダーなどは捕獲しても使えるのでしょうか?
>924
結果的に実現は難しいと思います。ウラソフ中将も捕虜になる時女性がいた?
はウソっぽいですが身分を示す書類を引っ張り出したりとか何か引っかかりますが。
>925
19世紀末?ツングースカの隕石大爆発ですか。確かにそれ以降急に木の成長が早く
なったり何らかの影響があったかとも思いますがもう少し歴史的な解明が必要では?
>926
新スレ立てどうも、これから皆様其方の方も盛り上げてください。
後書きこめる限り書いておきます。
ひとまず皆様有難う御座いました。
一応一区切りついたので気楽な一人旅?
今月の歴史群像は日本の合戦が多かったが一等自営業氏のモスクワ冬季反攻
はきちんとT-70など軽戦車を先頭に描かれてあった。
この時工場疎開で数合わせに生産されたのであろう。
月も変わってそろそろ赤軍の反攻準備?
最近の週刊文春でT-34/85のアフガニスタンでの写真を見る。
息の長い戦車だ。
WCUPサッカーは日本とロシアが同じ組。日本にとって最大の脅威だろう。
>931
このスレは自分が立てたものではありません。
あまり考えないで続編の新スレで話題を振ってください。
ドイツ軍艦の場合条約に縛られた装甲艦など防御が薄いと思いますが。
シュペーなど写真を見ると舷側が穴だらけですが。
ソ連海軍は売却されたヒッパー級重巡のタリンなど完成出来なかったようですが。
疲れた,結局12時間ぐらい寝てしまった。
1942ならスターリングラードでソ連軍によるドイツ軍の逆包囲が進行中。
>894
事故で沈没したU-Bortの再就役と言う事ですがシャーマン戦車スレで新品同様に
修理しても死臭が消えないので乗務員は嫌がったと言う事です。
今日辺りからソ連軍のモスクワ反攻開始,ドイツ軍モスクワ攻略放棄。
日米開戦60周年age、がドイツ軍はモスクワ攻略失敗。先見性が無い?
age無くても書き込めば大丈夫なのか?
そう言えばこの時期ドイツ軍は退却しソ連軍は反撃すると言う方式なのか。
果たしてあと何スレ書き込めるのか?
1000本ノックというか何でも1000回すると大体形になるが。
ドイツのエースハルトマンは360機でソ連のエースゴシェトフは61機だった記憶が。
戦車のエースはどれぐらいなのだろう?
ビットマンが50台ぐらい?
アフガニスタンのように多国籍軍が来ていたらさすがにソ連崩壊なのだろうか?
スターリン大元帥の好きだった言葉が「人民は肥料だ」という事で神学生として
不熱心だったが聖書でアダムが塵から作られたという部分は信じていた様だ。
サンケイ出版のメッサーシュミットを買ったがハルトマン352機で話半分としても
大した物だが結局ソ連側はエースに頼らず消耗戦なので問題無いという事か?
ベトミンもディエンビエンフーでは人蟻戦術だったし。
自分も絵を描かなければアニメ製作者の肥料に過ぎない。
一言なら1000行けるのか?しかしこの本独ソ戦の項目が殆ど無いが
メッサーシュミット整備員を二人乗せて飛べるのは凄い。
この本に拠ればアメリカのエースボングで40,イギリスのエース
ジョニー・ジョンソンで38機撃墜だそうだ。かと言ってドイツ
エースの記録は全くの嘘でも無い気もするが…
とにかく事故などを含めた総合的な数字が大切な事は間違い無いが…
今どうしたら日本は勝てたかスレの元気が良いが天皇はしばしば独ソ講和の斡旋をされていたそうだ。
第三者的に見れば其の方が得なのだがドイツ側(ヒトラー総統)の思いこみがそれを許さない。
アフガニスタンは最終局面に入りT-54/55やT-62が砲撃を行っていた。
ラディン氏も夫人数人,子供42?人と言うのが萎え。
そうするとスターリン大元帥よりレーニン首相が偉大なのだろうか?
何もしていないのに上がっている気が…
それは良いとして大体ソ独の損失比は戦闘でざっと5:1でその他の事故などの
損失を加えて3:1ぐらいなのだろうか?
人口3倍,国力もそれぐらいとしても戦力二乗の法則や人命軽視など考えて十分
ソ連側は元が取れるのだろう。ドイツ側は9:1ぐらいにしないと勝てないのでは?
ネタが…アフガンではT-62が砲塔の先端に白い布のようなものを巻きつけて
T-55などと見分けられない様にしているのだろうか?
やっとあと50,ageとか言って全部埋めるのも。1941なら今日は赤軍クリン奪回。
といっても12時間ぐらい時差が早いのか?
このスレの中で紹介されたHPの掲示板を見ると次のような数字が載っていました。
>ソ連軍は装軌車両類を13万両製造して9万両失ったと
>(1941/6/22-12/31) 2300
(1942) 6600
(1943) 14700
(1944) 13800
(19451/1-5/10) 7500
これから考えると、40000両以上のT-34が失われたことになります
という事だそうです。このHPの管理人さんは会った事がありますが
2ちゃんねるに公開して欲しく無いようだったので引用を明らかにしていません。
原典のサイトも貼りませんがここに引用させてもらいます、失礼しました。
>952
久し振りの貼りこみどうも、といっても今一つ意図や文献の内容が
わからないのですが…
どちらにしてもアメリカやイギリスは戦上手ですね。
尤もイギリスはソ連以上にアメリカの援助に依存していて代金も
踏み倒した様ですね。他スレに有りましたが終戦と同時に米貸与の
コルセア機を空母甲板から落とすとか。
あともうKBが残り少ないので張り込みや引用はなるべく御遠慮下さい。
アフガニスタンも佳境で日本のせんぐく時代の終わりに日本惣撫令?を出した
豊臣秀吉や徳川家康の様な事をアメリカが提唱しているようだ。
今回の犠牲で世界連邦的な事に少しでも行けば良いが。
アメリカの主導権には反発も多いが。
ビン・ラディン氏は逃亡に成功か?あと例のHPの書き込みによるとソ連軍の
軽戦車が製造中止になったのは1943に工場が爆撃されたというのもありました。
空襲に備えるより生産重視のため集中して工場が設立されていたため損害が
大きかったとか。
何故か何もしていないのに340から165に上がっていた。
といってもネタが。ドイツから引き渡されたヒッパー級重巡リュッツオウは
タリンからペトロパブロフスクに改名されたが結局完成しなかった。
模型誌を立ち読みした所ビットマンは80台の戦車を撃破し100門の砲を撃破したとか。
カリウス大尉はまだ健在で100両近くの戦車を撃破したという話だ。
が飛行機以上に修理回収される場合が多いのだろうか?
週刊文春の連載小説ではカンボジアの虐殺は当時の人口が700万として
300万はベトナムの侵攻正当化の産物だそうだ。
今の定説は120万ぐらい?ナチのように工場化してなかったのでそんなに
大量に虐殺できるはずが無いという話だがどうだろうか?
共産主義政権下の虐殺はしばしば公式の数字がびっくりするほど大きくても
過小に見積もっているという話もあるが…