1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 17:34:34.85 ID:qwydMH2K
1さん素敵〜!
3 :
前世は一在家:2013/01/12(土) 17:41:25.07 ID:brDhaWC7
>>998 >足許の蟻を見ながら「不去不来」を連続奏上する生命は妄想患者でしょうか。
皆が知っている「去る者は去らず」ですが、よく考えますと「去る者は去らずか去るかは分からない」でしょう。
よってもし有部が「去る者は去らず」と主張すれば、龍樹は背理法で別のことを説いていたかと推察します。
4 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:03:33.28 ID:MJeW2rap
>>3 去りはしません。心に残っている限り。
心に残っていなければ実質去ります。
しかし、当の本人は去ると自覚できないでしょう。
記憶に残ってないのであろうから。
つまり当の本人にとって去るはどこにもありません。
5 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:07:05.67 ID:xoCI2A70
>>932 のパーピマン氏の解釈、いいね。
>その『言語による把握、論理、思考、表現の否定』であるから、・・・・・すなわち
>「戯論寂滅」であるので、しばしばその記述において論理矛盾のように思われる
>表記が散見される。それは論証の失敗というものではなく、
>寧ろ、そのような論理的整合性の破棄を示すことで、西洋的論理思考
>による不可能性、言語による把握の忌避などを訴えようとしたと思っていたのだがねw
>つまり、「空」の論理的実証を試みたのではなく、正反対に「言語による見解等による
>規定の不可能性の提示」だったのでは?
合ってると思うよ。それも、有部の言葉を借りてそれを行っているというのが、釈迦っぽいんだよなぁ。
(ご隠居さんのレスはお断りします。)
>>933 >そういう見地から中論を見るなら、
>中論で説かれる相衣性は「空」ではなく「色の本質」を示してることにならないかな
「空」は釈迦の「諸法無我」に近いと思う。つまり、「法」の本質が空、空っぽだということ。
6 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:08:34.98 ID:pNcYyO1P
前スレ
>>995 >誰も生命と量子の実在証明なぞには捉われていない。
敗北宣言 乙!
実在は執着の原因となるものだ。
ブッダの本懐から鑑みればありえない設定である。
ゆえに、涅槃とは一切不可得かつ戯論消滅のめでたい境地であるがゆえに、
ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである。
(中論25-24)
仏教なるものは妄想である。
7 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:25:57.79 ID:MJeW2rap
>>6 じゃあ君が敗北宣言せーよw証明できないんだろ?w
捉われないものは勝利も敗北もないのである。
8 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:27:53.24 ID:xoCI2A70
>>996 >>「煩悩即菩提」「生死即涅槃」
>それを世俗諦という。
>勝義ではない。
いや・・・さすがに、それらは勝義諦と解釈するのが妥当だろう。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html を参照してね。
「無明や菩提というのは仮設された法であって、空性という法性では平等であるということです。」
つまり、世俗的に使われる「煩悩」や「菩提」と言った言葉を借(仮)りて、
煩悩と菩提の不二平等という勝義諦へ導く。
一切の見解を離れた仏からすれば、煩悩も菩提も区別ないからね。
煩悩に煩悩の自性を、菩提に菩提の自性を見出そうとする衆生に合わせて、仮に2つを分けて説く。
9 :
前世は一在家:2013/01/12(土) 18:31:50.57 ID:brDhaWC7
>>6 >ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである。(中論25-24)
仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、という話の否定でしょうか。
まあ、龍樹の「主張はしていない」というのは分かるような気もします。
いやー今日も遊んだ遊んだ
これ以上遊ぶと楽しくなくなる疲れるだけ
皆様には感謝!
11 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 18:41:01.28 ID:pNcYyO1P
>>3 >「去る者は去らず」
前スレ
>>940参照。
ゼノンのパラドックス参照。
言語の論理関係性(二重性の否定)のみで、言語自体を否定することはできない。
言語論理による戯論寂滅は不可能である。
>>996 ><世俗> <勝義示唆>
>即煩悩即菩提 非煩悩非菩提
>即生死即涅槃 非生死非涅槃
生死即涅槃が世俗って、どんなハイレベルな世俗の話だよ・・・w
世俗的には生死と涅槃は別だとされるだろう、少なくとも龍樹の言い方から察するに、有部は別って考えてたでしょ。
「大智度論」にも、こうあるよ。
「声聞・辟支仏の法中には世間即涅槃と説かず。何を以ての故に。智慧深く
諸法に入らざるが故なり。菩薩の法中に世間即涅槃と説く。智慧深く諸法に入るが故なり」
非生死非涅槃と言い方は、勝義諦の1つの示し方という点では同意。
ただ、不二平等という点では、あんまり生死即涅槃と意味が変わらない気がするよ・・・うん。
>>3 >皆が知っている「去る者は去らず」ですが、よく考えますと「去る者は去らずか去るかは分からない」でしょう。
その通り!「去る者」という言葉に「去る作用」を認めると、言語活動が成り立たないということだね。
去ったり去らなかったり、移り変わり行くそれは、「去る者」と仮設するしかないってことだね。
有部などは「去る者」という言葉の中に意味や存在を求めるが、
仏教的には、変わりゆくものを見てから、言葉を仮設するという順番をとる、と自分は解釈しています。
14 :
前世は一在家:2013/01/12(土) 18:53:58.67 ID:brDhaWC7
>>11 >言語の論理関係性(二重性の否定)のみで、言語自体を否定することはできない。
有部「馬から落馬した」
龍樹「馬から落馬はせず」
凡夫「そうか、落馬はしないのか」
龍樹支持者「偉大な龍樹は落馬はないことを論証した」
有部「馬から落馬せず」
龍樹「馬から落馬せずに非ず」
凡夫「そうか、落馬はするのか」
龍樹支持者「偉大な龍樹は落馬することを論証した」
確かに貴兄のおっしゃる通りで、八不では時間と運動のないことは論証していないことになりますね。
まあ、龍樹本人が「主張はしていない」そうですので。
15 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 19:00:35.40 ID:pNcYyO1P
>>12 >生死即涅槃が世俗って、どんなハイレベルな世俗の話だよ・・・w
無分別の分別。
分別(広義の色)→無分別(空)→無分別の分別(還滅色)
それが出世間のまなざしで、世間の只中で暮らす、ということ。
>>9 前世は一在家さんへ
>> ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである(中論25-24)
> 仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、という話の否定でしょうか
釈迦は
“私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた
如来の教法には、あるものを弟子に隠すということはない
教師の握りしめた秘密の奥義(師拳)はない”
と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示した
“身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである”
“みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として … ”
として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた
これが「自灯明・法灯明」の教えである
17 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 19:08:38.66 ID:tdKbhcta
>>9 >仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、
>という話の否定でしょうか。
残念ながら、その通りだな。「自分(竜樹)のような教えは説かなかった」
という意味だろう。「全否定」だ。
なお、「去る者は去らず」は、「去る者」自身についての話。去っていない
他の者からみれば、去る者は去っている。当たり前の話。中論は、愚かな
ことは言わない。
さらに、中論は「無」の概念を否定している(関係性)のだから、
「無我」も「無明」も「無常」も否定される。
>>9 >>ブッダは、いかなる教え(仏教)も、どこにおいても、誰のためにも説かれなかったのである。(中論25-24)
>仏陀は五十年ほど各地を回って、衆生に四諦と八正道を説かれた、という話の否定でしょうか。
>まあ、龍樹の「主張はしていない」というのは分かるような気もします。
「仏陀に対する問いがあるとき、仏陀による答えがある」
っていう、縁起の理法に含まれてるってことじゃない?
「誰それが〜する」っていう、特定の主体を認めるような文、見方を離れるのが縁起の特徴だと思う。
19 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 19:17:34.99 ID:tdKbhcta
同じく去っている電車から、併走している去っている電車を見れば、その電車
は動いてはいない。まさに「相対性原理」。
20 :
前世は一在家:2013/01/12(土) 20:15:20.07 ID:brDhaWC7
>>16 >“みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として … ”
>として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた
>これが「自灯明・法灯明」の教えである
其時弟子達は四方から寄って来て、「どうか聖人よ聖人よ、今おかくれになってしまっては光明を失ってしまって頼る処がないのです」と申し上げた。
その時お釈迦様はじゅんじゅんと言われるには「仏のみのりは智慧から生れたもので、肉や体の如く母親から生れたものではない。
遂に仏の道は遂げ終って、もう云い残す事なし、心の鏡はわしの、のりじゃ、お前等の心にちゃんと燈台が出来ている。
自分の心の帰依性を求めるじゃない、それであるからこの娑婆は苦しみの世じゃ。
けれどもわしは今なくなると、家を見ても新しい内は立派じゃが段々と腐朽してくるが大地は永久じゃ、体は家じゃ、心は大地じゃ、
わしは去ろうとも心のみのりはわしの言葉と思って………。自分の心の帰依性を求めてはならん。」
遂にあさましい人間達に終を告げられて幸に沙羅双樹の下に入滅せられて何千年。
(「浄土への道標」昭和7年 第4回)
>>20 前世は一在家さんへ
> … 自分の心の帰依性を求めてはならん
「 自帰依自灯明、法帰依法灯明 」 という場合の 「 帰依 」 は
「 この世で自らを島(洲)とし自らを拠り所にして … 法を島(洲)とし法を拠り所として … 」
という意味である
22 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 20:40:08.99 ID:8cRi2s3F
23 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 20:47:47.20 ID:8cRi2s3F
>>14 >確かに貴兄のおっしゃる通りで、八不では時間と運動のないことは論証していないことになりますね。
>まあ、龍樹本人が「主張はしていない」そうですので。
そう、前スレに引用した『中論』27-30
> 慈悲を持って、一切の見解を断ずるために聖なる法を教え示されたゴータマを拝する。
そして『中論』13-8
> 空性は一切の見解からの出離のために勝者たちは説かれた。
> 空性を見解とするものたち、彼らは救われないものと述べた。
と説かれる通り、空性を思想、見解ととって『中論』を論証とするなら、
それは「空性を見解とするものたち」で「彼らは救われないもの」に他ならないでしょう。
それは遊びのように断見で解釈しようが、生命教のように素朴実在論で解釈しようが、現象と実在説で解釈しようが、何らかの見解、思想を述べてると採るなら同じことです。
24 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 20:55:08.27 ID:8cRi2s3F
>>16 だから、それは前段を抜いて読んでも意味が通らない
次の梵が『中論』25-24はこんなかんじ
> 一切の知覚が鎮まった、めでたい戯論寂滅。
> [それについて]ブッダによって何処でも誰にもどんな法も説かれなかった。
だから、勝義の戯論寂滅、涅槃については何も説けない境地だということ。
ただし、ウダーナや、ウダーナ・ヴァルガでは譬喩表現はされてるが、
それは法ではない。
言い換えると、勝義、戯論寂滅、涅槃という記号で示されるものは、
アートマンや神といった実在ではないということも言えるでしょう。
そんなの龍樹菩薩にしろ、その弟子筋の中観派の諸師にしろ、
釈尊が四諦などの法輪を転じられたことを認めない方は誰もいない。
そもそも『中論』自体が、最初から最後までアーガマ・ニカーヤに依ってるし。
>>17 中論で言うところの「去る者」は、「去る」という自性を内包した「者」のことで、
今の日本語で言う去る者として解釈したらおかしくなると思うけど。
>>22 ああ、前スレの
>>983を見て理解しました。
ところで、その第一義空経の「業報有るも而かも作者無し」
って、
>>18の話と関連する?
27 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 21:15:42.69 ID:8cRi2s3F
>>26 関係はするけど、アナタは誤解してるから
一旦、自分の見解を捨てないと理解できないでしょう
ええ!?どこが。見解でも何でも捨てますよ。
29 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 21:57:58.31 ID:8cRi2s3F
>>28 失礼しました。遊びと間違えました。
すいません。
>>29 ...とるに足らないものとはいえ、自分の努力が水の泡になったかと思いましたよ!
「また、また、壊して一から理解しなおすのかよ・・・何回、俺の"分かった"は破壊されるんだよぉぉぉ」
とはいえ、自分も偉そうなことを言いながらも、
実はぜんぜん自信が無かったりするので、ツッコミ大歓迎です。
>>30 >「また、また、壊して一から理解しなおすのかよ・・・何回、俺の"分かった"は破壊されるんだよぉぉぉ」
それが色であり空であるらしいから諦めてw
32 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:09:34.54 ID:8cRi2s3F
いえいえ、少なくとも私よりは功徳高いと思いますよ
分かってないのに偉そうな人ばっかりな中で輝きます
33 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:20:51.28 ID:tdKbhcta
>>32 >分かってないのに偉そうな人ばっかりな中で輝きます
君はそれが分ってるという訳?w
>>31 >それが色であり空であるらしいから諦めてw
うむ、まさに、「わかった!」っていう理解も滅びゆく性質なんだね・・・。
いや、実際、わかったと思うとそれに固執して中々、空ずることができないのだけどw
特に、断言した考えとか長い間持った考えって撤回が難しいんだよね。手放したくなくなる。
ところで、その「あきらめる」って、諦って字で表すのが意味深だね。satya的な意味もあるんだろうか。
>>32 うお〜よっしゃ〜!
なにか、迷宮を1人で不安に苛まれながら歩いていたので、救われました。
いつも、御高論ありがとうございます。
35 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:28:43.89 ID:tdKbhcta
中論を分っている人って、誰もいないのではないの?注釈書を見ても
それぞればらばら。「定説」などない。
いかにして自分自身で、現代にも通用する合理的な解釈が出来るか否か、
である。
>>35 だからw
それって、もとの意味はどうでもいいってことだし、
原典なくてもいいよね。元ネタ無しのオリジナルでいいじゃん。
なぜ、君達の素晴らしき独創的考察に、元ネタが必要なんだい?
37 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:36:50.32 ID:XpAtlaK7
>>34 軽薄な匂いがするな
>>35 ベン図を使わないと、中論は理解できないだろう
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf 反論者は、こう言うであろう
空性論者は、すべての存在が空であると言うが
もし、すべてのものが空であるなら
何も生じることがなく
過ぎ去って行く事物も存在しないであろう
何も存在するものがないのであれば
自己も存在しないし
迷妄も固執も存在しないわけであるから
いったい誰が何を捨て去ることができるというのだろうか?
人間が我欲を放棄することによって
あるいは、やめることによって
どうして涅槃が生じるなどと言えるだろうか?と
(中論25-1の意訳)
39 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:42:37.79 ID:8cRi2s3F
>>36 そこだ。テキストがどうでもいいって人は、仏教に拘る必要ないよね〜
つまり、ここで話す意味がないと思うんだけど
まあ、逆縁も何世かの内に良縁になるんでしょうけど
40 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:43:42.08 ID:XpAtlaK7
>>38 その通りだと思うな。龍樹は詭弁を弄しているだけ。
41 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 22:47:33.67 ID:XpAtlaK7
>>39 テキストって、具体的に何?
それを示さなくては話にならないだろ。
>>39 その論法だと、解脱目指さないって人は仏教に拘る必要ないよね〜
で、熱心者以外排除でよろしいかという話になるが。
>>42 そう?
ここでいうテキストは、「師匠や先輩による継承及び助言」のことだから、
道路標識、道標みたいなもん。
或る一つのルートが、釈尊以来提示されていて、その標識があるわけだけど、
その標識を無視していいってなら、他のルートでいいでしょ、ってこと。
44 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 23:13:54.83 ID:pNcYyO1P
<有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續>
#業(おこない)と報(むくい・異熟)はあるけれど、作用の主体はない。
#(作用・機能(はたらき)は現象としてあるよう知覚されても、その主体も対象もない。)
#ある諸要素の集積の作用が已めば、因縁にしたがい、次なる異なった諸要素の集積の作用が起り続ける。
<世俗> <勝義示唆>
・即心即仏 非心非仏
・即因即果(不昧因果) 非因非果(不落因果)
★即業即報(不昧業報) 非業非報(不落業報)★
あたかも大河の流れのような、無量・無辺且つ無常・無窮な連続的変化(方便)が縁起=無常の様相ですから、
そもそも有意味の“因果”概念として「特定」すること自体が不可能であって、
十二支縁起のような特因特果の硬直した観念はありえません⇒『除俗數法(十二支縁起の否定)』が当然です。
第一義空経はこの当然の様相を闡明にしました。*せいぜいヘタクソな比喩的説明でしかありません。
このことは同じく縁起=無我の様相ですから, 『除業報輪廻転生』も当然であって、第一義空経で業報輪廻転生論は廃棄されたといえます。
*不落因果(特定可能な因果はない)、不昧因果(縁起の関係性はある)⇒随縁且従容(良寛)自受容三昧(道元)
>>43 仏教を手に取る必要性とは、仏教でしか得られないものを得るためでしょう。
しかるに、仏教による果報を求めないなら仏教に拘る必要も無い。
標識以前にそもそも路上に出るまでもないって話だね。
46 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 23:19:33.17 ID:XpAtlaK7
>>43 >ここでいうテキストは、「師匠や先輩による継承及び助言」のことだから、
>道路標識、道標みたいなもん。
お前の好き勝手に決めるな、増長慢のボケッ
>>46 w
じゃ、他の定義をすればいいだろw
で、貴方はそれで話を進めればいいでしょ。
>>42 俺があなたの意図を誤解してたらごめんだけど、
2chで出来ることなんて解釈の正しさを経典や論書で確認して、
どれが仏教の中で通説となってるかを確かめる程度しか出来ないと思うよ。
で、その経典や論書自体が間違っていると思う人は、仏教スレに用は無いよねって話。
1+1=2を自明の公理として認めない人にとって、数学スレが無用なように。
49 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 23:31:18.45 ID:XpAtlaK7
>>47 お前もなー 自分のやりたいように勝手にやってろ
結局、テキストなど関係ないってこと
>>48 仏教による果報を求めないなら、そもそも仏教に用は無いよね。
果報というのが知識欲だと強弁するならそりゃ止めないけどさ。
なんというか、○○だからと理由をつけて仏教から遠ざけようという姿勢が不快というか認められないというか、
まぁ、そんな感じ。快も不快も俺の内心の問題だからあんまり気を悪くしないでね。
51 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 23:37:09.94 ID:XpAtlaK7
>>48 バカなことを言うもんじゃない。
そんなこと言ってたら、何一つ進歩しないじゃないか。
古い誤りを訂正することもできない。
>>50 ああ、経典や論書を好き勝手に読んだり誤解しては、修行するのも果報を求めるのも難しいんじゃない?
実際、その果報や因果応報というものを否定している人もいるんだし。
もちろん、正しく解釈するだけでは十分ではないけど、必要だとは思うよ。
>○○だからと理由をつけて仏教から遠ざけようという姿勢が不快というか認められないというか
遠ざけようとしてるって、誰が?理解おそくてすまそ・・・。面倒だったら無視してください。
>>51 え、進歩しないって何で?古い誤りって?
>>49 w
たとえば、源氏物語という物語があるのは知ってる?
>>52 おおう、ごめん。人を勘違いしてた。
>>39の人ではないのね。
遠ざけよう云々は君のことでなし。
正しく解釈することすら解脱する気のないものにとっては必要ではないでしょ。
解脱以外の金、知識、名声、権力etcを求めるなら、仏教よりもっと適したルートあるからそっちを勧めるよ。
必要ないから他所へ行けば? という論法を原理主義の様に適応したらこうなるよなと思ったわけです。
55 :
神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 23:59:46.65 ID:XpAtlaK7
56 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:02:55.68 ID:xGSoxL4w
>>48 それでは、「学問」ではなく単なる「信仰」。「学問」とは、従来の見解を批判した
上で、それを一歩前進させることが生命。学問と小学校の「お勉強」とは異なる。
2ちゃんには、まさか小学生はいないはず。みな、れっきとした「大人」である。
57 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:04:48.88 ID:R+7YotVz
>>56 w
仏教は、学問でもなければ哲学でもなければ科学でもなく、
「信仰」であり「解脱・涅槃への道標」ですよ。
今更何言ってるんですかwwwww
59 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:05:56.11 ID:xGSoxL4w
中論のテキストというなら、ここの住民はすでに少なくとも1、2冊は読んでいるはず。
死語であるサンスクリットを完全にマスターするのは、数十年を要し、貴重な人生の
時間の無駄だから、専門家の訳文に頼るべきである。言語の本当の意味は、それが現実
生活において話されている状況においてのみ把握できる。その意味で、死語のマスター
は不可能であるといえる。
釈迦の思想に近づけようとすると、中論は理解できない。恐らくは非信者である西洋の
学者は、「両者は全く異なる。世界の宗教史でも稀有の例」だとさえ言っている。
たぶん逃げるだろうと思ってたら、やっぱり逃げたw
>>57
62 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:11:40.71 ID:xGSoxL4w
>>58 信仰なら、議論するものではないw。それを「神学論争」とよび、
「不毛さ」の代名詞。
63 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:15:26.13 ID:xGSoxL4w
文献学も、客観性を生命とする「人文科学」ですよ。「信仰」があったら、
科学は成立しない。
>>63 w
小説は学問か?
“それ”に対するアプローチの方法が、学問(この場合「文学」)なんだろ?w
アプローチの仕方で、「仏教学」か「仏道」か、或いはそのハイブリッドか、が分かれてくるんじゃないw
貴方こそ、「学問」とか「科学」とかいうものをまるっきりわかってらっしゃらないじゃないですかw
65 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:24:32.55 ID:xGSoxL4w
66 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:28:20.66 ID:xGSoxL4w
文学は人文科学として、作品の思想内容に対する「批判」がある。
「批判」が全く不可能なのが、「宗教・信仰」w。
>>65 wwwww
比較するのはそこじゃねーよwww
或るAに対して、
信仰しようが、情報源としようが、発想の源泉としようが、批判対象としようが、
そんなことはどうでもいい。
その時の(そうしたものとして扱おうとしたときの)手法についての話じゃねーか。
『それぞれがどういうもになのか』は、
《A学》《A哲学》《A社会学》《A倫理学》《A科学》《A民俗学》・・・etc.etc.なのか、は、
そのアプローチの方法に依存しているって話。
んと、頭悪いな・・・ orz
69 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 00:41:53.79 ID:PplymMPo
前スレ 939 の > ID:pwN+ipc0
>「言語による把握の否定」を主眼とした見地で中論を読むなら、
>中論では「色」が自性のものではなく無自性の相衣性によってなりたつものだと語られただけで、
>「空」についてはなんら語られてない。
>って見解になるんじゃないかなと思ったわけです。
ちとレスが遅くなったがww
俺が思うに、(勿論、これは推測だよww)
竜樹は中論で、少なくとも→『これが空である』ということを、『論証』もしくは『実証』
しようという意図はなかったのでは? と考えるのだが。
もし、そのような意図があれば、竜樹は「空というものが言語、論理により実証可能なものと
考えていたことになる」よね?
竜樹の言う「空」とは、果たしてそのようなものだったのか?
竜樹は「空」を論理的追求により、実証可能なものと捉えていたのかね?
オレにはそうは思えないんだがw
竜樹は、「空」を論理的帰結として導きうるものとは決して考えなかった。それどころか、
寧ろ正反対に論理的帰結、言語による表記等による、あらゆる規定に反発するものとして
捉えていたんじゃないのかな?
それがたとえどのように精密で優れたものであれ、「空とは・・・・である」と、やって
しまった瞬間に「空」とかけ離れる。
「あらゆる規定、規格化、定形化を忌避する。よって、言語によるアプローチである如何なる
見解も受け付けない。→ 戯論寂滅」・・・・・こんな感じなのでは?ww
70 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 00:42:59.90 ID:PplymMPo
これは「空」というのが、単に「言語表記を超越するすごいもの」というのではなく、
(もしそうであるならば、天才的言語表記能力を有するものが登場したら、「空」の記述も
可能だけどwwww)
『原理的に』一切の定型化を受け付けないという本質があるからではないかと勝手に想像している
んだけどww 強く言えば、「言語化を超越」しているのではなく、「言語化を決して受け入れない
本質を有する」のでは? と「妄想」しているwww
だから、竜樹は苦労したんじゃないの? どうやって伝えようかとw
無限性を有する「空」を言語によって解説しなければならない。 それには当然、「語らなければ
ならない。」・・・・しかし、語ればそれは「空」でなくなるw
「空とは・・・・である」とはとても規定不可能w
なら、(前にも言ったが)、外堀を順に埋めていくかのように、非常に遠まわしに語っていくしか
なかったのでは?
だから、俺は竜樹は中論で「空」について「語っている」とは思うよ。だが、空について、
「空とは・・・・・である」のような、何かしらの見解を述べたものとは考えていないんだ。
その正反対に「あらゆる見解を退けるもの」と言いたかったのでは?
以上は仏教部外者の「私見」ですwwww
オレは中論以外は、竜樹の著作と言われてるものは飛ばし読みくらいしかしてないので、
かなりずれた視点である可能性が大ですwwwwww
>>54 いや・・・>39をもう1度読んだけど、さすがに詭弁だよ〜。
>解脱以外の金、知識、名声、権力etcを求めるなら、仏教よりもっと適したルートある
「仏教の解脱、仏教の知識、仏教による名声、仏教による諸々を求めるなら仏教より適したルートがある」
って言ってるように聞こえる。そりゃ、ないだろう。
>必要ないから他所へ行けば? という論法を原理主義の様に適応したら
じゃなくて、議論が成り立つための土俵自体を否定したら、他の土俵に行くしかないでしょって話。
で、「どの土俵が最も優れているか」を知りたいなら、哲学スレで普遍的真理を追究すれば良いと思うよ。
>>69 論理的な記述を受け付けないとするのは「涅槃」じゃね?
「空性」そのものは諸行が内包する「次のものに転ずる性」として諸行無常に諸法無我でまると説かれてる。
ただ、中論では空の成り立ちを依存性で証明しようとしたというより、自性つまり永続性の否定を説いた色が強いんじゃないかなって。
今で言うなら絶対静止系の否定のようなものでしょう。
言葉の細かい表現なんだけどね。
>>71 だから、解脱以外のものを求めるなら仏教に拘る必要ないよね?
他のルートで手に入るんだし。
だから仏教の名を借りて持論を語りたいとか議論したいとか知識ひけらかしたいとかならどっかいけば? って。
土俵の優劣でもないよ。仏教である必然性とかそういうもの。
74 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 00:59:56.80 ID:PplymMPo
>>44 は、「遊び大王」か?ww
>#業(おこない)と報(むくい・異熟)はあるけれど、作用の主体はない。
>#(作用・機能(はたらき)は現象としてあるよう知覚されても、その主体も対象もない。)
この文意は、以前、セブンが同趣旨のこと言ったと思うが、こう言えるだけでも
大したもんだと思うんだがね、オレはwwww
ここが最大のポイントなのでは? と考えているんだがw
(一代は嫌うがwwww)
>>70 >「空とは…である」のような、何かしらの見解を述べたものとは考えていないんだ
そうそう。空が見解になると、「空見」と呼ばれ、救われない人になっちゃうからね。
>無限性を有する「空」を言語によって解説しなければならない。
>それには当然、「語らなければならない。」・・・しかし、語ればそれは「空」でなくなる
厳密に言うと、語ることができる、相手に伝えることが出来るのは、それらの言葉が「空」だからだね。
言葉が空でないということを仮定するために有部の言葉を借りて、
因果とか言語活動が成り立たないということを、背理法で明らかにした。と自分は解釈してる。
>>72 これはあくまで俺の解釈なんだけど、空も涅槃と同じで無為法なんだと思うんだわ・・・。
つまり、壊れたり滅んだり論破されない。文字通り、空という法自体が空っぽ。
空が有為法だと仮定すると、空が生じたり滅したりする性質ってことになっちゃうから。
>>73 >だから、解脱以外のものを求めるなら仏教に拘る必要ないよね?
いや、数学でも科学でもなく、仏教の考え自体が知りたいという人もいるだろう。
俺はどっちかというとそうだな。解脱もできればしたいけどw
あなたは「仏教」という言葉の中に、「解脱を目指すもの」という自性を見出してるようだけど、
「仏教」というものの現れ方は、人によると思うよ。
始めは知識欲とか名声で仏教に取り組む人がいても、その目的が途中で変わる人もいるだろう。
女にモテたくて格闘技はじめたら、いつの間にか格闘技自体が目的になる人がいるように。
で、そんな色んな現れ方をする「仏教」というものをめぐって、
2chで共通に皆が頼りに出来るツール、土俵が経典とか論書って話。
>>76 んー、人を批判するような言葉ではなく、餅は餅屋の話なんだけど。
病気苦しいなら医者へ行け、金が欲しいなら働け、人に愛されたきゃ恋人作れ、解脱したけりゃ仏教どうぞ。
仏教に触れる理由が好奇心だと強弁するなら止めはしないて。個人的には法門開きっぱなしだから。
ただ、知識欲から仏教に触れようが、持論語りたいで仏教に触れようが、さして違いが見出せないのよね。
だって仏教以外で良いじゃないそれ、と言うならどっちもどっちだもの。
78 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 01:16:55.99 ID:PplymMPo
>>72 涅槃と空を異なるものと捉えているようだけど、今まで見てきた資料の
なかでは、それらを等価なものとして扱っていたものが多かった記憶があるが?
そこをさらに突っ込んで、それぞれの語彙が指示するものの差異を定義し直して
論じるのは、煩雑になるので、今ここでやる気はないけどw
>>77 >知識欲から仏教に触れようが、持論語りたいで仏教に触れようが、さして違いが見出せないのよね。
そうだね、そこは、さして違いはないかもね。
>だって仏教以外で良いじゃないそれ、と言うならどっちもどっちだもの
いや、いや、ここは俺と違うなぁ。他の学問じゃ満足できないもん。
生きるのが目的なら、カレーでも寿司でも良いじゃないかって言って、
カレー好きな人からカレー取り上げて寿司を食わせるってどうよ。
>>76-77 う〜ん・・。
今の流れは、
「源氏物語現代語訳」のアレンジは、
どこまでが原作の反映でどこまでのインスパイアなら原作の諸々を保持していると言えるのか?
って話でしょ?
で、(宝珠や在家もそうだけど)隠居は特に、
オリジナル思想を陳述していながら、それがあたかも原作そのものであるかの如く言うから叩かれてるわけで・・。
>>78 俺も記憶にあるよ。
ただ、中論に限って語るなら、空の説明書というより色の仔細に渡る解説書に見えるんだよね。
「色と言うのは最終的に空に尽きるんだよ」って。そして、空とはなんであるかについては他に任せるって投げやりな。
「言語による把握の否定」を目的とした、という見地から見るとの話ね。
82 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 01:23:02.71 ID:PplymMPo
それから、横レスなんだがww
オレは解脱目指してないんだが、仏教に関心もっちゃいかんかね?w
オレは、認識論のひとつとして仏教的認識論に興味があって、関わって
いるんだが、いかんの?w
皆が皆、解脱めざして精進せんと、あかんかい?w
>>80 だからさ、泣くまで叩けば良いじゃない。
出てけと言わないでさ。
出て行け、仏教に触れるな、と法門を個人所有する態度が気に入らないだけ。
叩いたり蹴ったりは、いいんじゃまいかと。
>>82 いいんじゃない? 仏教がそんなに懐狭いとは俺も思ってない。
なんか俺の立ち位置が勘違いされてる気がする
。
仏教にかこつけて持論語るならここから出て行けという態度に、
じゃあ解脱求めない奴も一緒の扱いで良い? 駄目でしょ、だから彼も居る事は認めようよって立場よ。
>>83(
>>84)
う〜ん、「出て行け」というのとは違うかなぁ・・w
テキスト無視を許すかどうか?って話しゃなかったけ?
たとえば、(勿論、解釈の範疇を出ないという指摘は踏まえた上で)
手塚治虫のブラックジャックは、
「自分の腕・技術を自慢しながら、貧乏人から金をまきあげる漫画」、
「その証拠はこのシーン(エピ)」と言って甚大先生の話を持ってくるとか。
それは明らかに誤読なわけで。
未読の者に、そのエピソードを紹介する時、それではよろしくないんじゃないの?って話だから。
>>84 >なんか俺の立ち位置が勘違いされてる気がする
勘違いしてたらマジでごめんよ・・・
>>85 >テキスト無視を許すかどうか?って話しゃなかったけ?
うん、俺はその話のつもりなんだけど・・・。
87 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 01:35:43.19 ID:PplymMPo
>>84 ああ、なるほどw
だが、一代たちが言っているのは、
「仏教と全くかけ離れていることがらを、『これこそ真の仏教だ』みたいに
語るのは止めてくれよ。」ってことだと思うがw
オレは仏教徒ではないんで、その辺の感情はないが、真摯に取り組んでいる
者には、間違った情報を流布されることが見過ごせないんだろ?
88 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:37:39.51 ID:xGSoxL4w
>>78 中論25章は「涅槃の考察」だよ。まず同章の解釈から始めればよい。
>>86 >>43の言う別のルートって表現は柔らかいが要は「出てけば?」ってことでしょ。
そこだけ、言い回しかもしれないが、法門の個人所有だけはどうしても許せない。
テキスト無視を許すかどうかについては、許すも許さないも個人の意思を尊重しますって日和見主義。
そこではないのよ、俺がケチ付けてるのは。
90 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 01:44:38.85 ID:PplymMPo
隠居、来た〜〜〜〜〜wwwww
さあ、何か面白い見解しめして笑わせてくれwwww
91 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 01:51:38.88 ID:xGSoxL4w
>>90 「面白い見解」などではなく、25:19、25:20にちゃんと書いてるではないか。
それも読めないのかw。
>>89 すまんが、>39とか>43が、俺の目には法門の個人所有をしているようには、見えないんだけど。
>>92 >ここで話す意味がない
>他のルートでいいでしょ
この辺かな。表現は柔らかくともその実、仏教から遠ざけようとしてるから。
「議論スレ」であるならそれも良かろうが、あいにく「仏教」だからそれは認められないと。
なんにせよ縁は縁だから切る方向に動くわけにはね。
94 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 02:01:10.34 ID:xGSoxL4w
テキスト、テキストと言うが、そもそもテキストの解釈に「定説」が
あるのか?wテキストの思想内容の批判はできないのか?それでは人文
科学とはいえない。単なる信仰、それも盲信。
95 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 02:01:29.18 ID:PplymMPo
>>89 たとえばねえ、隠居ってのを知ってるかな?
こいつは、それこそ中論を初めとするテキストを勝手に自分読みし、
「これこそが真の大乗仏教だ」みたいな言動をくりかえしているわけよw
仏教徒であるなら、それに異議を唱えるのも分かる気がするんだけどねw
「法門の個人所有」・・・・・・・かいw これまた表現がキツいなあww
確かに、一代は自己の見解に固執するところがあるとは思うが、オレは
それも仏教というものに対する一途さから来るものとして、好意的に見てる
んだけどw
う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、う〜〜〜〜〜〜〜ん、w
其のへんは、同じ仏教徒であるセブンにまかそうwww
>>95 ちゃんと隠居も知ってるよ。
面白いよね独自の見解が独自すぎて。
昔々のトラウマがあってね悪い表現をすると、
「我執に捉われ、頭の巡りが悪く、仏の道理を理解しない人は徒労に終わるのだから違う道探せばいいのにね」のようなことを俺が言ったら。
「お前のような仏敵こそ違う道に行けばいいのにね」と返されてヒヤッとしたわけさ。
だから、過敏になりすぎてるのかもしれない。
>>89(
>>93)
ガンダムの作品の歴史知ってる?
或いは、(自分は読んだことないがw)○○超訳とか。
知ってたら、明日明後日にでもその方向で譬えるけど。
知らんかったらもういいやw
>仏教から遠ざけ
そういう言い回しになるまでに、いったいどれだけの遣り取りをしてきたか・・w
最後の最後の台詞だよ。それまでは「そうじゃないよそうじゃないよ」と
辛抱強く解説してきてるんだから。
少し皮肉って言えば、
オウムのポア思想(殺人肯定の志向性)も仏教の本質である、
と貴方は考えているの?それを是とするの?ってことでもあるんだが・・・。
ノシ
98 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 02:08:25.15 ID:xGSoxL4w
>>95 私は大筋は、中村元大先生に忠実に従っているのだが。中村大先生を否定する
一代氏が、「真の大乗仏教徒」なのかね?w
100 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 02:13:09.35 ID:xGSoxL4w
101 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 02:18:32.69 ID:xGSoxL4w
>>95 スッタニパータのパーピマンは、釈迦を的確・痛烈に批判できたが、君は絶対に
できないのか。ならばそのコテ使うなよ。
102 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 02:19:49.08 ID:PplymMPo
>>96 仏敵ねえwww
そういう捉え方自体が好かんねw オレはw
「自己の信じるものこそ絶対的に正しい」・・・・・と、やるのは、しばしば
間違った方向性を生み出すからなw
ただ、「信」がなければ宗教とは言えず・・・・そのあたりが難しいとこでしょ?w
とりあえず、自分が正しいと信じた道を進みましょうw
でも、もしかしたら他者の言うことが真かもしれない・・・・
だから言下に拒絶しない・・・・こういう謙虚さが欲しいところだね、宗教者にはw
(でも、隠居は例外ww こいつだけは即、却下OKwww
どわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜wwwwwwwwww)
>>97 最後の最後でも言っちゃ駄目だろ。
仏教への愛が強すぎて仏敵になっちゃ本末転倒さ。
切ることの是非について述べられる程のご身分じゃないから是非もない。
ただ、身の程を知らず切ることを選ぶのは無責任にも程があるとは知ってる。
>>102 止めればいいのにってのも個人的には良かれと思って、助言だと思って言ってる。善意の悪事?
ただ、やっぱり、止める止めないというのは私が断じることではなく下手の横好き続ける当人が選ぶことだよ。
仏法に携わるものを選ぶ権利が私にはない、法門は私のものではないということを忘れた増上満を指摘されて赤っ恥をかいたんだわ。
誰にでも開かれている法門を自分の好き嫌いで閉じようというのだから仏敵以外のなにものでもないさ。言われて仕方がない。
105 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 02:28:50.99 ID:xGSoxL4w
>>102 >「自己の信じるものこそ絶対的に正しい」
それが宗教じゃないか。信者にとっては「間違った方向性」などありえない
ことも分らんのか。君は何を言ってるのか。宗教の本質さえ理解していない。
君は例の「宗教の黒幕」だな。
106 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 02:58:24.66 ID:PplymMPo
>>104 なるほどね、そういうことかw
しっかし、其のへんは、兼ね合いが難しいところだわなw
能力的云々ではなく、明らかにとんでもない方向に走っている者がいたら
どうする? 例えば、オウムとかさw
それも「仏法に携わるもの」として、その個人の選択を尊重するかい?
それとも、「貴方はしばらく仏教から遠ざかり、世間においてその「世俗的認識」
をまず、学ばれたほうがよい。」と助言する?
>君は例の「宗教の黒幕」だな。
は〜〜〜〜〜〜い、そうで〜〜〜〜〜〜すwwwww
黒幕で〜〜〜〜〜すwwwwwwwww
>>106 >明らかにとんでもない方向に走っている者がいたら
その「明らか」が能力云々に戻るわけよ。
「えー、そんな馬鹿な話信じてるの〜、止めなよー」とも言い難いんだよね。
真言・浄土・禅宗の三すくみのような。
仏教から離れ〜ではなく、他の法門勧める、かな。オウムから離れ、ウチんとこ着たら? って。
それが最善であるかはさっぱりだけど、近くにいれば助言した分の面倒は看られる。
108 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 03:10:53.41 ID:0ZtyuPht
>>106 やっぱり図星だな。
カルトは常に、宗教であることを隠して、またはいかにも中立的な
態度で近づいてくる。最も陰湿で悪質。注意しなければならない。
若い時に仏教の本を読むと何かすごいことが書いてあるような気がして非常に興味深く
読むものですが、なにせ全部読むととても長いしまとめ方もそれぞれだし、読んで理解するのも骨が折れます。
でも、その後にはそれなりのものが得られると思いますのでがんばって読むといいと思います。
本を書く側の人でも公平に書くことが難しいほど内容が豊富ですので範囲は広いです。
2ちゃんねるを離れて雑音を入れず黙々と本を読むのもいいですよ!
110 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 05:37:16.19 ID:TKGYM69w
>>41 例えば『中論』あるいは龍樹菩薩はこう言っているとか、
言っている人は『中論』に矛盾して、最後は『中論』も不完全というなら意味がないでしょう。
111 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 05:44:01.69 ID:TKGYM69w
>>74 だって、最終的には断見でしょ。
こういうこと
>>22 『勝義空性経』は業は認めてるし、それは輪廻も認めてることを暗示してる。
もちろん、縁起・空性・仮設としてだけど。
112 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 05:48:31.47 ID:TKGYM69w
>>82 別にいいよ。
問題は、自分の妄想を仏教ということ。
だから、テキストの根拠がないとだめだというのはそういう意味。
なぜなら、ここでは仏教とはどんなものかということが議論され、
それが仏教だという根拠、証拠として客観的に確認できるのはテキストしかないから。
113 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 06:57:18.92 ID:PplymMPo
>>112 根拠をテキストに求める・・・・というスタンスはOKさw
オレもそれには同意するよ。 自分の勝手な妄想を「これこそ真の
仏教である」と、やられてもたまらんだろうww
だがな、そうすると必ず「では、仏典に記述があることは全て真実か?
それらのうち、倫理的要請からくる方便、釈迦の神格化を目的とした
比喩、誇張や後代の仏弟子たちの創作はないのか?
もっと具体的に言うと、釈迦は生まれてすぐに話したのか?
解脱後、空中を飛び回ったのか? 舌が顔を覆うほど異様に伸びたのか?
・・・・・・これらのことが現実に我々が住するこの世界で起きたのか?」
という疑義が出されるだろう?
一代は、仏典の記述は、(方便であるという但し書きが付されていないものは)
全て事実であると看做すと言ったよな?
現在、上記のような現代科学的視点から見て、明らかに不合理な記述を
「事実である。決して方便などではない。」と看做す仏教徒はどれ位いる?
チベットの仏教徒たちは、上記のような出来事を方便や比喩ではなく、
「実際に起きた出来事」として認識しているのか?
少なくとも日本の仏教徒たちは、多くが「比喩、方便」とすると思うのだが、
世界的に見て全仏教徒たちの何割位が、それを「事実」と認識しているのかな?
まず、それを聞いてみたいな。
114 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 07:03:28.03 ID:PplymMPo
そして、仏典の記述は全て真実であり、実際にあった出来事である・・・・というのが
現在でも仏教徒の間で、主流の認識であるなら、それはそれで結構だ。それが「信仰」
なんだから、外部がとやかく言うことでもあるまい。
(唯、俺から見ると現代的知見を考慮しない、ちょっと異様な集団に思えてしまうが。)
そうではなく、たとえ仏典にある記述でも、あるものについては「比喩、方便」であると
考えるのであれば、そこには「判断基準」が必要になるわけだ。
どこで線引きする?
そうなると、テキストにある記述を字句通り是とするのではなく、「どのように解釈」
していくのかという問題が生じると思うが。
オレ的には、外部から眺めての感想だが、1000年、2000年前ならいざしらず、
現代において、「釈迦は母親の脇の下から誕生しました。これは事実です。比喩でも
神格化でもありません。」というのは、もう無理があるのでは?
伝統的にそれが事実と伝承されてきたのだから、それを受け入れなければ仏教ではないと
するかい?
釈迦の舌が伸びたのも信じなければ、仏教徒失格か?
それらは、全て「現代常識への阿諛」と断定するのかな?
オレとしては、仏典における記述を軽視することは決して良しとしないが、全て真実として
それらを全肯定するのにも疑問符がつくのだが。
まあ、オレは宗教的見解を超えた普遍的認識というものが存在するという立ち位置
(例えば、地球は球形であるとかw)なんで、いくら伝統的にそれが真実であると伝承されて
来たからといって、もう、「釈迦が母親の脇の下から誕生した」なんてのは神格化の一端と
しても、いいんじゃねえの? って思うのだがww
115 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 07:14:50.19 ID:TKGYM69w
>>87 そういうこと。
別に真摯に取り組まなくてもいいけど、
そういう基準を設定しなければ議論にならないでしょう。
116 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 07:18:10.93 ID:TKGYM69w
>>113 >現在、上記のような現代科学的視点から見て、明らかに不合理な記述を
>「事実である。決して方便などではない。」と看做す仏教徒はどれ位いる?
>チベットの仏教徒たちは、上記のような出来事を方便や比喩ではなく、
>「実際に起きた出来事」として認識しているのか?
基本的にそう。
ただし、宇宙論とか解剖学的な記述は、当時の言い習わしに従っているものもあるとは個人的に思うけど。
そういう面は、あくまで言い習わしで、実在ではないというのが縁起・空・仮設だと考える
117 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 07:41:31.75 ID:TKGYM69w
>>114 線引、基準としては勝義的視点、空性の視点で説かれるものが了義で、
その他は方便というのが一般的ですね。
最終的には教えは全て方便なんだけど、空性の視点で説かれているものが、
王道、中心的であると思う
まあ、上に書いた通り
神格化というのは、どうかなと思う
常識で信じられないことも、いくらでも起きる
それが縁起・空・仮設なわけだから
118 :
前世は一在家:2013/01/13(日) 08:02:45.16 ID:Hdq+GSoE
>>70 :パーピマン氏
>だから、竜樹は苦労したんじゃないの? どうやって伝えようかとw
>無限性を有する「空」を言語によって解説しなければならない。 それには当然、「語らなければ
>ならない。」・・・・しかし、語ればそれは「空」でなくなるw
私も同じような所感を持ちました。
また「中論」は誰の為に書かれたのかを検討しました。
現時点では将来の菩薩候補の為であり、彼らであれば分かるようなヒントを残したのだろうと仮説します。
さて「議論」についてですが、釈尊は「言い争うな」と説き、龍樹もそれに従ったそうです(参考:「龍樹と語れ!」石飛)。
通常は龍樹は論争好きのイメージがありますが、言い争わない八種類の論法を「方便心論」にて説かれております。。
「言い争わない」テクの一つが「初同後異」、同じ前提から初めても見解を持つ相手と異なってくる、ということだそうです。
また「戯論を断つ」には、「それは戯論だ」と否定するのではなく、論理を用いて説明し受け入れない論拠を示す必要があります。
まぁ仏法なんてものは実施事項を行った末に至る果報であり結果論だからね
無我、無常、空、縁起、涅槃、悟りも所詮は果報であり、
そんなふうに観える感じるだ。
当然の如く理論や論理の中にそれはないが実施事項に至る前提としての
理論や論理はあって然るべきだ。
龍樹がハウ・ツーを示しているかどうかわからんが、
釈迦はスッタニパータ等でハウ・ツーを分かりやすく示している。
分かりやすいんだから実践すればいいだけの話で、
あまりごちゃごちゃ分かりにくいことを突きまわすのもどうかと思うが
>>96 >>103 >>104 >>107 お〜、やっと君の気持ちがわかった!その通りかもしれないね。
とはいえ、>39で言われてることは、もっと素朴に、>112の話のようなことだと思うよ。
とはいえ、俺も考えさせられる話だったよ、ありがとう。
121 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 09:47:22.83 ID:TKGYM69w
122 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/13(日) 09:48:21.04 ID:vhcJfP+B
仏教は本来、師から弟子へ継承されてきた教えであり、論理学や近代哲学という疑似科学と比するべくも無き「宗教」。
それを近代哲学や論理学的なノリでテキスト第一と疑似科学やってるからおかしな話になる。
(^。^)とか言うと原理主義者が噛みついてくれます♪
123 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 09:54:55.15 ID:TKGYM69w
>>122 >仏教は本来、師から弟子へ継承されてきた教えであり、論理学や近代哲学という疑似科学と比するべくも無き「宗教」。
宗教という言葉にどういう意味を与えるかだが、リリジョンでなく、シッダーンダというインド的な意味でなら、珍しく意見があう。
そうでなくサイエンスの対立概念としてのリリジョンなら、ちょっと違うな。
>それを近代哲学や論理学的なノリでテキスト第一と疑似科学やってるからおかしな話になる。
そういう方向以外、ここで話す方法はないでしょ。
もっとも、君自身のいつもの立場は、正に「疑似科学」的な常識とナショナリスティックな反キリスト教への怨念に満ちていると思っていたんだけど。
>>113 >>114 >少なくとも日本の仏教徒たちは、多くが「比喩、方便」とすると思うのだが、
>世界的に見て全仏教徒たちの何割位が、それを「事実」と認識しているのかな?
現代、「事実」というと、誰もがそれを事実と認める「客観性」のようなものを意味していると思うけど、
仏教においては事実ということの現れ方も人それぞれって考えるんだと思う。
聖者の経験も、語りえることとして含めてしまう。
あるいは、「それはリンゴである」ということが「客観的事実である」という言葉の前提には、
皆が認識するリンゴの共通部分として、リンゴの自性を認めているような気がするんだよね。
その自性を認める存在論を、仏教はとらないわけだから。
個々の主観を扱っても、間主観は扱わないんじゃないかっていう。
>オレとしては、仏典における記述を軽視することは決して良しとしないが、全て真実として
>それらを全肯定するのにも疑問符がつくのだが。
>もう、「釈迦が母親の脇の下から誕生した」なんてのは神格化の一端と
>しても、いいんじゃねえの? って思うのだがww
ってことで、「釈迦が母親の脇の下から誕生した」って言ってのける存在論と認識論を
持つことが、仏教のキーポイントなんじゃないかと思ってる。
それが、
>>117で言われる縁起・空・仮設なんだろうなぁってね。
>>121 ふむ。釈迦は2500年前の人々と会話して納得させただけでしょ。
わかりにくいはずがないと思うが。
わざわざ分かりにくくする必要もあるまいに
126 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:03:10.64 ID:TKGYM69w
>>124 >ってことで、「釈迦が母親の脇の下から誕生した」って言ってのける存在論と認識論を
>持つことが、仏教のキーポイントなんじゃないかと思ってる。
>それが、
>>117で言われる縁起・空・仮設なんだろうなぁってね。
おお! その通り。
そう言えない人は、実在論に立って唯一絶対の実在を皆が見ていると思ってるわけだ。
それを打ち破る教えが、無常であり、無我であり、縁起・空・仮設だと確信している。
127 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:09:59.92 ID:TKGYM69w
>>125 それは色々単純すぎるは
先ず、古人が自分より素朴だと思ってるだろうし、
スッタニパータという経典の構成、成立事情が考えられていない
スッタニパータは、色々な会話や前提を捨象して、
核心部分だけを集めたものだよ。
釈尊の言葉は、多層的に説かれているので色んな意味で読める。
それで表層だけ読めば、『梵網経』で釈尊自身が「つまらないこと」だけ採ることになる。
それに対して『中論』は核心的な意味でしか理解できないように工夫している。
まあ、信じないだろうけど、これも確信してる。
128 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:16:53.97 ID:VfOjtD2e
釈迦は処女懐胎なのか?
129 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/13(日) 10:24:59.25 ID:vhcJfP+B
>123
「宗教」はもちろん、「仏教八万四千諸宗の教え」。
自らを島とし、法を島とするならば、迷信を断じて理非を糺すのも一興とすべきや。
我は元より狂夫の論を承り奉るのみ。
汝等法嗣を謳うならば将に法を以て破すべし。
論に拠りて迷悟を分かつは仏家の習也。
(^。^)なぁ〜んてな。(笑)
たまに正論も混ぜないと釣れないからやってるだけだよ。
>>127 結局〜をすればいいってだけの話だよ
それ以外の話や論議は全部不毛ってのはここが証明している
倫理道徳に集約されまくるってことだけだ
まぁ素朴かどうかしらんが、考えることしか楽しみのない
暇人というのは確かだろうね。
それに服もあってないような裸みたいな生活だったろうし
132 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:33:19.54 ID:agYI5DrP
「開祖と経典の盲信」こそが、カルトの唯一最大の特徴。
その意味で、釈迦仏教もオウムも聊かの違いは無い。
すべての宗教者の自戒すべきこと。
注釈書は、単なる各人各様の「解釈」。厳密な意味でのテキストではない。
注釈書を絶対だとすると、寧ろテキスト主義に反する。
中論以外の、その注釈書や竜樹の著作とは確認されていない異書の依存しすぎ。
中論一本から、その真意を探る努力をすべきではないか。さまざまな注釈書や
異本に振り回されては、竜樹も迷惑であろう。
竜樹に実践道というものがあるの?
134 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:36:04.45 ID:VfOjtD2e
中論と他の竜樹に帰せられる本の作者が違うとされる理由って
何だっけ?
>厳密な意味でのテキストではない。
お前はなにをいっているんだ
135 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:45:17.59 ID:agYI5DrP
>>134 竜樹の著作だと確定しているのは中論だけ。
注釈書は、各人各様の主観的解釈にすぎない。それらにひたすら依存する
ことは、単に、他人の主観的解釈の追従・物真似でであり、中論というテキスト
からの逸脱である。
お前こそ何を言っているのか。
839 師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、
戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、私は説かない。
『教義がなくても、学問がなくても、戒律や道徳を守らないでも、
清らかになることができる』とも説かない。それらを捨て去って、
固執することなく、こだわることなく、平安であって、
迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」
これ割りと重要。捨て去る、固執しない、平安、迷い。
これが実践道。依存心の害悪が語られるものであり、迷いというものであり
心の平安を妨げるものである。
137 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:53:44.94 ID:VfOjtD2e
理由という日本語の意味を知らないらしい。
>中論というテキストからの逸脱である。
時代も価値観も違う原典というのは、それだけでは解読できないんだよ。
著者を取り巻く文化や環境も知らなくてはならない。
竜樹の場合は、彼を取り巻くコミュニティ、そこから連なる伝統を
参照するのが読解の手がかりになるわけ。
千数百年も後の、地域も文化も違う、さらに同時代の大多数の国民とも乖離した
思考回路を持つジジイの思いつきよりは少なくともマシなの。
138 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 10:54:35.16 ID:agYI5DrP
恐らくは非宗教者である西洋の学者の「釈迦と中論とは本質的に異なる」
という解釈こそ、もっと重視すべきであろう。
中論は、それだけで完結した一大論理体系。何が何でも釈迦と関係付けよう
とするのは、すでに方法論的誤り。
捨て去る、固執しないが中道だよ
中論もまた固執すべきものではなく、捨て去らなければ
ならないのもまた中道なんだけどね
141 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:03:44.03 ID:VfOjtD2e
聞く側の立場によると思う。
相手が俺なら少なくともいきなり中論読めとは言わないんじゃないかな。
ラトナーヴァリー的に諭してもらえるだけ。
仏教徒にふさわしい心がけとかね。
142 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:03:57.02 ID:agYI5DrP
>>137 そんな時代も価値観も異なる大昔のことを、現代に持ち込んで、一体
如何なる意味があるのか。そもそも、そんな大昔のことが完全に分る
などと考えるほうが倒錯。現代の裁判で、裁判官があらゆる証拠を
精査しても、「真実は闇」であることが殆どである。
中論に固執したいのは個人の自由だが、
それは釈迦の見解と相容れないんだな。
まぁ竜樹教を信奉したいならそれでもいいけど、
固執しない、捨て去るの方が楽だから俺はそっちに固執する
144 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:09:31.54 ID:agYI5DrP
>>141 釈迦と中論とが「本質的に異なる」ものだとしたら、むしろいきなり
よむべき。釈迦を引きずっていたら、理解は不可能。
145 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:10:47.64 ID:VfOjtD2e
>>142 >如何なる意味があるのか。
山を登る理由のようなもんだ。好きな奴がやるんだよ。
やるなら、せめてマシな手段を心掛け準備を整えるまでだ。
>そもそも、そんな大昔のことが完全に分る
そんなこと言う人もいるんだね〜
で?
146 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:13:37.59 ID:VfOjtD2e
>>144 本人はそう考えている様子ではないね。
頭の中身や品性が隠居とそっくりそのままとも思わない。
147 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:18:12.05 ID:agYI5DrP
>>143 >それは釈迦の見解と相容れないんだな。
当たり前のことだ。両者は「本質的に異なる」ものだから、相容れたら
むしろおかしい。その「開祖盲信」こそ、釈迦カルトの刻印。
日本の大乗仏教徒であれば、「大乗仏教がなぜ発生しなければならなかった
のか」の必然性くらいは、理解すべきである。
中論なんか理解せんでもいいんだよ
何があるわけでもないしさ
ここ観ると迷妄であり俺が俺がの我執であり害悪の方が大きいのが
解からんヤツは駄目だ。
それが真実なんだから固執しないってのは極めて正しい。
捨て去れよなw
149 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:27:14.79 ID:agYI5DrP
「開祖盲信」故に、「本質的に異なる」はずの中論を、何とか釈迦に
近づけようとする「方法論的誤り」が、中論解釈の混乱の原因。
150 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:32:55.22 ID:VfOjtD2e
竜樹が釈迦と一致すると判断するか
竜樹が釈迦と自分が一致していると考えていたと判断するか
どちらも内容を支持するかとは関係ないのに、たまげたなあ……
では、中論は何を説く?関係性からなる慈悲を説く?
それならそれだけのものでいいじゃないか。
152 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:36:22.20 ID:t5nn7i5a
>>111 >『勝義空性経』は業は認めてるし、それは輪廻も認めてることを暗示してる。
第一義空経の『業』は単なる“行い”(因)であって、意味的カルマのデータベース付きの意味はまったくありません。
『報』も単なる“効果”(果)であって、意味的カルマのデータベース付きの意味はまったくありません。
一切行無常の縁起の様相において、『業』『報』の特定はありえません。
単なる妄想=フィクション言語ゲームでしかありません。
勝義ではまったく意味がありません。
結局、業報輪廻転生論はあなたのように、縁起を掴めず悟りを得ていないもののタワゴトでしかありません。
<世俗> <勝義示唆>
・即心即仏 非心非仏
・即因即果(不昧因果) 非因非果(不落因果)
★即業即報(不昧業報) 非業非報(不落業報)★
→
>>44 前スレ
>>983 またアニミズム精霊信仰の日本の共同幻想においては、まったくリアリティーのない観念論でしかありません。
まさしく生まれによる差別(Sn.136・142)を正面から認めるレイシズム(→カースト制度)の反仏法です。
153 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:36:47.32 ID:agYI5DrP
釈迦抜きで中論を解釈すれば、言わんとするところは極めて単純で当たり前
のこと。倫理・道徳・自然科学全般にわたる、「人類の教科書」。その中心
思想を分りやすく書き直せば、小学生の基本教科書としても最適。今後の
人類の方向性を示したもの。
154 :
ノスタルジア:2013/01/13(日) 11:37:08.25 ID:+jCHOSGM
夢で昔言われた回向の意味理解をするための譬えだが、
【あるところに男の子と女の子がいました。その二人は犬を追いかけて、
一方通行のところに行きました。この男の子と女の子を救えればそれが回向
である】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E5%90%91←回向のwiki
一緒に私の夢を破邪してみませんか?なぜならその人達に寄りかかることはしたくないし、
私自身のためでもあるからです。そしてあなたたちの生きている道しるべにもなるかもしれ
ません。なぜならあなたたちは回向していくんでしょう。極楽浄土を題として・・・。
私は別にあなたたちに皮肉を言っているわけではありません。しかし、あなたたちを
劣等的に見る癖は致し方ないことではありますが。なぜなら劣等的に見てしまうような、
物言いだったのは事実だからです。すみません。ありがとうございました。
私の夢の解釈は少し入っていますが、しかし夢の住民達の言霊は十分伝わるだろうと思います。
俺たちかっこ悪いなーと夢の住民は言っていましたが・・・。私の中で印象に残った夢の紹介でした。
誰か答えてくれよー。 この言葉を声に出して喋った夢の住民達は私(=私たち)に
何を伝えたかったのでしょうか?このスレッドの人達はこのような興味深い思慮の題材にも
目をくれさせてくれませんでしょうか?
>>149 まず「開祖盲信」「竜樹盲信」のその錯覚をなんとかしろ。
どっちが偉いでもなく、どっちが誤ってるでもないだろ。
つまり、良いこと言ってるから支持されてるんだろ
では、その良いことを抽出すればいいだけだろ
156 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:43:55.92 ID:t5nn7i5a
>>153 生命とやらと量子とやらの実在証明をやってから出直してきなさい。
仏法には形而上学的妄想は通じない。
老人の妄想でしかない。
157 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 11:48:59.02 ID:agYI5DrP
>>155 精神医学的にみれば、釈迦は精神病者、竜樹は飛び切りの健常者。
同じ盲信でも、その性質は全く異なっている。
158 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 11:51:41.48 ID:PplymMPo
>>124 >現代、「事実」というと、誰もがそれを事実と認める「客観性」のようなものを意味していると思うけど、
・・・・・・・・・ 以下
「テキストに依拠する」とは、まさにその「客観性」を認めることでしょ?
リンゴを「お互いが」リンゴとして共通認識をもつことからスタートしなくては
成立しない。
>ってことで、「釈迦が母親の脇の下から誕生した」って言ってのける存在論と認識論を
>持つことが、仏教のキーポイントなんじゃないかと思ってる。
wwwwwwwwwwwwwww これは良いなw
うん、確かにそうなんだろうw そこで、「釈迦が母親の脇の下から誕生した」
と声高に叫ぶ奴をオレは決して嫌いではないww と言うより、寧ろ好きだねww
「これぞ、信仰者だ。お前ら見たかww」ってな感じだwww
(唯、そのスタンスを真実として自己の認識の正当性を主張するのであれば、
オレも真っ向から反対するがねwww)
>>156 まだ、そんなものに固執するかw
>>157 では釈迦が精神病な論拠と竜樹が健常者の論拠をどうぞ
160 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 12:01:04.27 ID:PplymMPo
>>152 で、また、遊び大王が過激に叫んでいるがww
オレとしては同意なんだな、これがw
何で、業報論者というのは、輪廻に「善因善果」「悪因悪果」のような
価値論を混入させるのかね?w
それらは、倫理的要請からの付加と考えられないのかな?
何をもって「善」となし、何をもって「悪」とするか?
その判定は? 「誰(何)」によって、「どのように」規定されるのか?
単に「現象の連鎖」と捉えるのならともかく、「善悪の価値論」を混入させる
ことにより、輪廻が却って胡散臭いものとして映ると思うのだがねw
仏法自体が良いこと善いことに集約されるよ
ここんとこさらに重要
もはや出家とか僧とかに良いこと善いことがあるとは誰も思ってない。
何をもって善というのは親孝行とか嘘つかないとかだよ
162 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 12:15:00.15 ID:VfOjtD2e
ムスリムが「豚肉が駄目なのは、ムハンマドの時代に豚の寄生虫が問題だったから」とは考えないように
釈迦とかも「輪廻に業報がセットなのは、それだと道徳教えるのに都合がいいから」とは考えないんだろうな。
163 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 12:16:54.98 ID:PplymMPo
縁起ってのは、そもそも、無限連鎖の干渉性のことでは?(勿論、言語的表記によればだがww)
釈迦は、その干渉性(因果)を説くために、極限まで単純化し
「これあらば、これあり」と言ったが、それはあくまでも、無限の干渉
の中からの一側面の切り取りでしょ? それが、倫理的要請と絡んで
善→善、 悪→悪 となっていったのでは?
ある行為(現象)が、それに後続する行為(現象)に、なんらかの干渉を
及ぼしている(因となっている)というのであれば、まだ分かるが、
そこに「善悪」という人間視点の価値基準を混入させるのは、?????と
となるのだがねw
164 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 12:19:30.98 ID:VfOjtD2e
「そいつをぶち殺せば、天界で1000000000000000000000000000000000000000000ユガの間、
酒池肉林のウハウハ生活を送ることができる。天界での生が終わる時も天人五衰のようなつらい目には遭わない。
それでも殺すのはやめなさい」という教えならそれはそれで魅力的だと思う。
165 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 12:31:37.45 ID:VfOjtD2e
>>163 「同性愛は『不自然』ゆえに悪」みたいな通念を
数倍濃くした感じなのかなあ。
いかにも恣意的だが、本人たちにとっては自然、という。
まぁ俺自身ガキの頃カーストじゃないが部落差別というものがあって
なんとなくそこに住んでいる人達を可哀相と思ってたけど、
それは部落差別があると信じていたわけで、ある時、いやまてよ、
部落差別という本質は何もねーなという想いに至る。
これが明覚みたいなものであり部落差別そのものが存在しにくくなるんだよ。
これは現実には部落差別はまだあるかもしれんが、個人的心情において
その差別意識は無くならないかもしれないが、確実に薄らいでいくんだよ。
167 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 12:33:17.80 ID:agYI5DrP
>>159 >では釈迦が精神病な論拠と竜樹が健常者の論拠をどうぞ
精神医学を勉強すれば自明。釈迦にはすべての症状が当てはまる。
釈迦とは違って、竜樹には論理矛盾が皆無であり、すべての真理が
衆生(生活者)に存することを知っている。
>>167 まぁそれが真実として、うつ病患者がうつ病を認知療法で解決した
涙ぐましい努力があるかもしれんし、妄想癖が完治しなかったかもしれない。
しかし長すぎる期間支持されてきたわけであり、そこに何か良いことがあるんだよ。
竜樹の論理は全部生活者密着型なの?それならそれで良いんじゃない?
169 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 12:55:09.41 ID:t5nn7i5a
>>167 >竜樹には論理矛盾が皆無であり、すべての真理が
>衆生(生活者)に存することを知っている。
真⇔偽は相対矛盾ですよね。真理⇔偽理です。
勝義は矛盾の無い「空」の様相ですよね。
矛盾が無いから一方への執着はありえません。
苦しみは一方への執着を原因としますから、
勝義では苦しみという観念自体がありえません。
これが無<苦集制(滅)道>(般若心経)です。
ところが龍樹は勝義『諦』(中論24-8・9・10)とか、『究極』(同25-20)という二項相対概念を使っています。
これを指して『竜樹には論理矛盾が皆無』ではなく、徹底していない誤りのひとつだと言うのです。
実際は龍樹は優れた学僧ではあっても、
悟達体現者ではなかった可能性が高い(→菩薩?)といえます。
なるほど、論理矛盾をこじつけの究極で解決したというんだな
まぁ苦しみの因はほぼ錯覚ということでいいんじゃないかな?
息止めりゃ誰でも苦しいのは錯覚でないのはもちろんのことだが…
究極には息止めれば苦しいでいいんじゃない?
171 :
169:2013/01/13(日) 13:29:53.25 ID:t5nn7i5a
>>169では、
>苦しみは一方への執着を原因としますから、
>勝義では苦しみという観念自体がありえません。
かつて、こうコメントしたことがあります。
『436 :神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:01:45.87 ID:MiqyN0Bu
一切が苦なら、苦そのものが観念できない。一切が黒なら色の観念はない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて苦があり、黒がある。
一切が楽なら、楽そのものが観念できない。一切が白なら色の観念がない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて楽があり、白がある。
その意味で、一切皆苦は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。』
これを煩悩即菩提(即煩悩即菩提)といふ。間接現実の様相である。
直接現実の如きにては非煩悩非菩提と示唆しうる。
ところが、<一切皆苦で業報輪廻転生しないなら、自殺すればいい>というお方がおられます。
このお方は上記仏法の『一切皆苦』法印がまったく掴めていないことを自覚すべきなのです。
徹底思考=大疑団でいち早く法を体得されますことを祈念いたします。
172 :
基地子♀菩薩:2013/01/13(日) 14:10:51.29 ID:cRT31tpb
>>170 ∩___∩
| 丿 _, ,_ヽ
/ ● ● | ・・・
| U ( _●_) ミ
彡、 ヽノ ,,/
/ ┌─┐´
|´ 丶 ヽ{ .茶 }ヽ
r ヽ、__)ニ(_丿
ヽ、___ ヽ ヽ
と____ノ_ノ
_____
(\ ∞ ノ
ヽ、ヽ /
`ヽ)⌒ノ
 ̄
,_,..._
∩ノ \∩
l________∞_____)
/ ● ● |
| ( _●_) ミ
彡、 ヽノ ,,/
/ ┌─┐´
|´ 丶 ヽ{ 茶 } ヽ
r ヽ、__)ニ(_丿
ヽ、___ ヽ ヽ
と____ノ_ノ
173 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 14:31:13.47 ID:an1M4WEF
>>169 >ところが龍樹は勝義『諦』(中論24-8・9・10)とか、『究極』(同25-20)
>という二項相対概念を使っています。
中論25章は、釈迦の2諦を引き合いに出して、それを世俗諦で否定・止揚・
一元化したものだと解する。25:19、25:20が、竜樹の結論である。
「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示されえない」。即ち、
「世俗的なこと」以外は、何も含まれていない。
174 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 14:36:25.56 ID:an1M4WEF
大乗起信論は、中論25章の上記のような解釈から導かれたもの。
175 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 14:44:55.09 ID:an1M4WEF
>>171 「一切皆苦」は、釈迦の鬱病の症状以外の何物でもないから、問題に
するに及ばない。衆生(健常者)は、そんなことは考えない。
176 :
基地子♀菩薩:2013/01/13(日) 15:06:29.03 ID:cRT31tpb
177 :
169:2013/01/13(日) 15:17:41.17 ID:t5nn7i5a
>>173 >竜樹には論理矛盾が皆無(167)
>世俗諦で否定・止揚・一元化したものだと解する。
前スレ
994 :神も仏も名無しさん:2013/01/12(土) 17:17:24.78 ID:pNcYyO1P
>>989 ・隠居が縁起と空性とを破壊するならば、 ←勝義の破壊
隠居はまた、世間における一切の言語慣習を破壊することになる ←世俗の破壊
(中論24-36)
・二つの真理(二諦)の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深遠な真理を知ることが無い
(同24-9)
>「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示されえない」。即ち「世俗的なこと」以外は、何も含まれていない。
世俗的なことにもとづいたとしても、第一義は『説示』されえない。
中論24-10は龍樹の誤りだ。
世俗的なことから第一義は『示唆』し得るのみ。
即ち、・比喩(〜の如き) ・沈黙 ・気合音(喝〜ツ!など) ・動作 ・無関係語など
>大乗起信論
隠居が如来蔵思想論者だとは知らなかったw
178 :
177:2013/01/13(日) 15:23:34.88 ID:t5nn7i5a
>世俗的なことから第一義は『示唆』し得るのみ。
敷衍すれば、言語ゲームの場合は非・不・異・無の否定言辞による両端否定形式(四句第4)によって
『示唆』することになる。
非〇〇非△△
179 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 15:42:07.13 ID:an1M4WEF
>>177 >世俗的なことにもとづいたとしても、第一義は『説示』されえない。
>中論24-10は龍樹の誤りだ。
テキスト無視w。
「示唆」も「世俗的なこと」からだけ。それ以外にはない。結局は、「世俗的な
こと」が唯一の基盤。
180 :
177:2013/01/13(日) 15:54:08.79 ID:t5nn7i5a
>>179 >テキスト無視w。
お前は、先達者を乗り越えるのが弟子たるものの本分と言っていたではないかw
>「示唆」も「世俗的なこと」からだけ。
月(勝義:無分別)を示唆する指(世俗的なこと:分別)であって、月(無分別)そのものではありえない。
181 :
ノスタルジア:2013/01/13(日) 16:42:29.49 ID:+jCHOSGM
>>154 誰も返答してくれないので、私が自分の見解を述べようと思う。
まず俺たちかっこ悪いなーって言っていることがキーポイントだと思います。
なぜならこの譬えを出したことに恥ずかしさを感じているからかっこ悪いと言っているのです。
何が恥ずかしいかが問題なのです。つまりこの譬えに出てくる回向が取りも直さず、
恥ずかしさの源泉なのでしょう。それでは回向のwikiの重要点を解釈したいと思います。
>>。「善根」は常に自ら以外の方向に振り向けられて「功徳」となり、我執が除去
される。ここに回向の必然性がある。
↑このwikiの文の回向の恥ずかしさとは何か?善根を持っていることが恥ずかしさなのか?
それとも、そのようにして我執が除去されることにより成長する自分が恥ずかしいのか?
次!
>>浄土へ往生したものを、再びこの世で衆生を救うために還り来たらしめようとの願いを言う
↑これを還相回向というのだが、この行為があったため恥ずかしがっているのか?
つまり夢の住民は極楽浄土からこの娑婆国土に還ってきてほしい人々を自分達で
私(自分たち)のために呼んだから、恥ずかしがっているのかもしれない。
男の子と女の子という他愛もないコンビが犬を追いかけているという他愛もない状況に
その男の子と女の子を救うということで、回向が起きることになり、自分自身までも、
その二人の子と一緒に救われる。そのような他愛もない出来事として夢の住民は言っているのでは
ないでしょうか?
182 :
ノスタルジア:2013/01/13(日) 16:44:22.57 ID:+jCHOSGM
154と181を読んでなんか不思議な嬉しい感情が起こったなら、その人はもう、
私からみたら、真理を向いているね。
183 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 17:37:30.85 ID:8nx1sZrH
>>180 >お前は、先達者を乗り越えるのが弟子たるものの本分と言っていたではないかw
ご立派、ご立派w。それでこそ仏弟子。
> 月(勝義:無分別)を示唆する指(世俗的なこと:分別)であって、月(無
>分別)そのものではありえない。
そこにすでに分別がある。
2諦説については、「シリーズ大乗仏教6 空と中観」参照。様々な学説がある。
世俗諦を勝義にしようとする動きが見られる。「直接現実・間接現実」一本槍
というほど単純なものではない。
184 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 17:46:08.75 ID:8nx1sZrH
>>176 >日常的に考えてまっせ! 兄さん。
「嬉しいこと」も多いのでは?「苦しいこと」との比率は?
「一切皆苦」なら精神科へw。
185 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 17:53:40.55 ID:8nx1sZrH
サンスクリット語・パーリ語に精通し、仏典などの解説や翻訳に代表さ
れる著作は多数にのぼる。「生きる指針を提示するのも学者の仕事」が
持論で、訳書に極力やさしい言葉を使うことでも知られた。その最も端
的な例として、サンスクリットのニルヴァーナ(Nirvāṇa)およびパーリ
語のニッバーナ(Nibbāna)を「涅槃」と訳さず「安らぎ」と訳したこと
があげられる。訳注において「ここでいうニルヴァーナは後代の教義学
者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和に
よって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。」としている。
(Wiki「中村元」より)
>>179 w
テキストに依るのは、開祖盲信じゃなかったのか?w
古代人のテキストに依るのは、愚かなことじゃなかったのか?
君が依拠しているのは何時代のもなんだ?
もしそれが、現代の者であるなら、
それは「テキスト」ではなく、「単なる『参考書』」に過ぎないぞw
>>185 それは絶対ありえない。
なぜなら、中村さんは自ら涅槃を見たわけではないから。
涅槃を見た者の感慨は、まさに ウダーナ8.1-4 の如きものであろうから。
中村さんは、偉大な“学者”ではあるけれども、
所詮、テキストを切り刻んだだけのひとでしかない。
これが判らないうちは、たぶん仏教は理解できないよ。
188 :
ノスタルジア:2013/01/13(日) 18:59:55.70 ID:+jCHOSGM
私はみなさんに頭があがらない。なぜなら、本と対話しているんだって、お父さんは。
俺なんか本と対話してないで、ゲーム感覚でごちゃごちゃ言ってた。もちろんそれは
末に役立つのだろうが、今は必要じゃない。今必要なことは思考内におさめるべき、
ものは、本だってこと。思考の外に出すのは、インターネットの仮想であるということ。
そのパソコン依存症って言うのは本当に善くない。ましてや何も知らない若者がそういう風に
パソコンに依存することはよくないことだ。俺はパソコンをしばらく離れる!
>>187 セブン氏
>これが判らないうちは、たぶん仏教は理解できないよ。
どちらかというと御隠居は仏教を理解することを目的とはしていません。
>中村さんは、(…略…)所詮、テキストを切り刻んだだけのひと
グスタフ・クリムトにしても、琳派の(世界の美術史にも冠たるべき)ウルトラゴージャスな作品を描くのが目的(動機)ではなかったでしょう。
彼は琳派の作品を切り刻みコラージュして、淫猥な女性の裸体をラップする“ネタ”として利用したに過ぎません。
そして彼の創作の主目的・動機・主眼は、琳派の素材によって飾られる“マネキン”の側の方でした。
中村先生の場合は、仏教をやはり単なるラッピングの素材として使った点はそうですが、まあマネキンの方はどういったものかというと、極めて原始的・素朴なアニミズム的な、文学的というか詩的(ポエマー)なセンスの価値観・人生観の像ですね。
なので、御隠居のマネキンと中村先生のマネキンとでは大分開きがあると思います。一方、“技法”(手口)は共通しています。
190 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 19:30:38.99 ID:8nx1sZrH
>>187 >なぜなら、中村さんは自ら涅槃を見たわけではないから。
「安らぎ」なら、皆、感じていますが、何処が違う?
>>171 a.k.a. 閻魔大師
「一切皆苦」をそこで述べておられるように、六師外道サンジャヤ・ベーラッティプッタの立場でカテゴラズされている不可知論の立場で解されるのであれば、
><一切皆苦で業報輪廻転生しないなら、自殺すればいい>という
意見は、
>『一切皆苦』法印がまったく掴めていないことを
意味するとすることは可能かもしれません。
ただし、当初の「一切皆苦」の解について疑義があります。
「無分別の境地」を象徴したいがためであれば、なぜ「一切皆楽」ではなく「一切皆苦」の方を選んだのか?
カレイとヒラメが両方自然界に生息するように。
歴史考古的に考えても、原初の釈尊の時代に遡れば遡るほど、仏教は出家志向であり、脱俗志向であり、「一切皆苦」を「必然・確信的に」選択しています。
これを、確かに、価値観的に中国化して以降は、禅宗の系譜においてタオイズムの影響を受けて、閻魔大師のように、
不可知論的、相対化論的に考える流れが徐々に加わり、煩悩即菩提のような発祥地のそもそもの古代インド仏教では考えられなかったような志向が見られるようになります。
>>191 続き
これ(一切皆苦という“ヒラメ”の方だけである点)を「マハーカッサパ陰謀論」という形で押し切ることは難しいでしょう。
もし、釈尊の時代から仏教が「一切皆苦」と「一切皆楽」を平等に法印としており、出家も在家も「どっちでもいいよん〜♪」というような宗派だったとしたら、
それは(マハーカッサパ長老の影響を受けて現在に存続している)仏典の情報だけでなく、ジャイナ教などの異教徒側の記録にも仏教の批難すべき特徴として残るのが蓋然的だからです。
(ジャイナ教などは仏教の出家者の安居の仕方が「甘い」という理由で批難したりするほどです。)
193 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:36:17.99 ID:TKGYM69w
>>130 >結局〜をすればいいってだけの話だよ
>それ以外の話や論議は全部不毛ってのはここが証明している
>倫理道徳に集約されまくるってことだけだ
まあ、勝手にそう思ってればいいんじゃない
194 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:38:38.34 ID:8nx1sZrH
>>189 「手口」などという言葉を使うのなら、御大の釈迦の「手口」をも追及すべき
であろう。
釈迦のラッピングの内容(マネキン)は、何ですか?
195 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:44:05.21 ID:TKGYM69w
>>160 >何で、業報論者というのは、輪廻に「善因善果」「悪因悪果」のような
>価値論を混入させるのかね?w
>それらは、倫理的要請からの付加と考えられないのかな?
それは、世俗でそう縁起するから。
因果は否定できないから。
>何をもって「善」となし、何をもって「悪」とするか?
>その判定は? 「誰(何)」によって、「どのように」規定されるのか?
>単に「現象の連鎖」と捉えるのならともかく、「善悪の価値論」を混入させる
>ことにより、輪廻が却って胡散臭いものとして映ると思うのだがねw
仏教において善悪は簡単だよ。
自分を基準にすれば善は楽を生む行為、悪は苦を生む行為。
苦楽は、自分がそう感じること。
他人を基準にすれば悪は他人を傷つけること、善は他人に楽を与えることを、
動機とした行為。結果より思い、動機が重要。
196 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:46:20.73 ID:8nx1sZrH
何らかの思考を行なう前に、まず、己の思考の基盤は何であるかを
思考し、決定する必要がある。思考は、その基盤次第で百人百様、
無意味なものでありうるからである。
その基盤が、すべての人間につき普遍でなければ、思考はまた無意味に
なり得る。
197 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:50:35.56 ID:TKGYM69w
>>169 >ところが龍樹は勝義『諦』(中論24-8・9・10)とか、『究極』(同25-20)という二項相対概念を使っています。
>これを指して『竜樹には論理矛盾が皆無』ではなく、徹底していない誤りのひとつだと言うのです。
そんなの『中論』24-10で言ってる通り仮設に決まってるでしょ。
究極は戯論寂滅だよ。そう述べてるでしょ。
『中論』1-1, 13-8, 18-7, 25-24, 27-30 などで。
198 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:55:28.89 ID:TKGYM69w
>>171 サッパリ、わからんなアナタは一切皆苦について妄想して独自解釈してるだけなんじゃないかと思うは、そういう変な説の根拠となるテキストは何?
と思ったら、なんだ遊びか なんだ南無金に根拠求められて答えられないから、コテ変えたのかい?
返事はいいは、無駄だから
コメントはしなかったことにしてくれ
199 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 20:55:40.93 ID:8nx1sZrH
>>195 他人に対する「行為」であるから、その他人にとっては、行為者の思い、動機
など無関係だと思うが。また、知り得るすべもない。
毎回ループしてっけど
文献学的アプローチと実践的アプローチの二種類の方法が有ることをいい加減理解しろよ
201 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 21:01:50.57 ID:TKGYM69w
>>187 つか、中村先生の読みは、『中論』にしろ『スッタニパータ』にしろ
訳の中で質の悪い方から数えた方が早いと思うは
『スッタニパータ』はタニッサロ、水野、荒牧あたりがいいように思う
202 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 21:06:41.85 ID:TKGYM69w
>>200 実践的アプローチの方が書いてることが妥当だと、どう確かめるわけ?
ここだとテキスト以外にないと思うけど、あるなら教えてほしい
最低な証明として神通で目の前に現れることなどがあるけど、
もしできたとしても、それは神通がある、三昧に入れる程度の証明にしかならず、
しかもネットでそんなことできたオレオレ悟りの人に出会ったことはないよ
203 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 21:16:14.20 ID:8nx1sZrH
>>201 中村先生は、辞書引き引きの直訳ではなく、ご自分で意味を理解して、その意味を
伝えようと努力されたのではないですか。
204 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 21:19:52.93 ID:TKGYM69w
>>203 生命教、オイラも直訳とかのレヴェルは超えてるつもりだよ
逆に中村先生は、文として理解するより、言語分析に拘って中途半端な訳になっているというのがオイラの見方
これは大方の学者も同じ見方をしてると思うよ
205 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 21:29:30.70 ID:PplymMPo
>>195 >仏教において善悪は簡単だよ。
> 自分を基準にすれば善は楽を生む行為、悪は苦を生む行為。
> 苦楽は、自分がそう感じること。
真正の殺人嗜好者は?
彼は、殺人を行うことがまさに快楽、至上の楽しみ。
彼が殺人を行うことは善か?
>他人を基準にすれば悪は他人を傷つけること、善は他人に楽を与えることを、
>動機とした行為。結果より思い、動機が重要。
ある精神異常者がいたとする。彼は100%の善意をもって、知人が悪行を積むことから
救済するために ポアしてあげた。
彼はそれが、知人のためであると心底信じ込んでいて、自分は善行を行なったと
信じている。 彼の行為は善か?
>>202 逆に、文献学的アプローチが十割間違っているとすればどうだろう。
体験を伴わないアプローチは、
目の見えないものが言葉を頼りに視覚について仔細な説明を述べているようなもの。
表面上の言葉では正しく見えても、本質的には正しくない。
確かに、実践的なアプローチの九割は正しくないだろう。懐疑を持ってあたるべきだ。
しかし、文献学的アプローチが十割正しくないのであれば、どちらを妥当とするかは自明というものじゃないかな。
>>194 御隠居殿
>釈迦のラッピングの内容(マネキン)は、何ですか?
「慈悲」です。(ただし、何らかの思想だとか見解だとかいう意味で、また俗世間的な意味で単純に「慈悲」という単語を解すだけにしないでください)
>御大の釈迦の「手口」
「対機説法」でしょう。または「法」そのものとしてもいいかもしれませんね。
208 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 21:44:20.53 ID:PplymMPo
ある人が、今まさに強盗によって殺害されようとしている。
彼を助ける方法は、その強盗を殺害するしかなく、やむを得ず強盗を
殺してしまった。(法律上は言うまでもなく、正当防衛の適用で無罪であるが)
この事例も複雑だよ。
この行為は、助けられた人にとっては善だろう。 しかし、強盗にとっては殺害される
という苦を与えられたわけだから善ではない。やむを得ず強盗を殺してしまった
自分は、一人を助けたが、もう一人を殺してしまった。善悪混合だよね?
何が言いたいかわかるかな?
100%の善、100%の悪と断定できる事例の方が非常に希少であり、
ほとんどの場合は善悪混合でしょ? あらゆる行為が。
いったいそれを、「誰が(何が)」「どのような基準において」評価してるのかな?
善悪の評価というのは、それを判断するものによっていくらでも変化する
非常に恣意性の強いものでしょ?
単純に、「自分の心情」のみによって白黒つけられるものでもないでしょ?
わるーいオオカミさんが良い子のウサギちゃんを食べようとしてます。
キャー助けなきゃ。って仏教はメルヘンでほのぼのするね。
>>208 いや、目的はあくまで心の平静にある。苦楽二項からの離脱だ。
上記の例では強盗を殺すのが筋。それで何も問題ない。
個人的恣意性の範疇でおさまる。
211 :
神も仏も名無しさん:2013/01/13(日) 21:57:33.22 ID:9K+Ao45m
>>202 どっちが妥当って話じゃないんだ。
まったく別物って事を言いたかった。
真宗学の立場と仏教学の立場は全く違うのと一緒。
文献やるなら文献とか史学的資料しか用いちゃダメだろ
実践的アプローチに基づいた見解や解釈は文献学的アプローチに基づく人にとっては先入観を与える害悪に過ぎねえだろ
もし実践的アプローチに基づくのだったら、資料は実践的アプローチで得た主観的資料に基づいて解釈するだろ
そうなったらこれは仏教学じゃなくて宗学ってジャンルになるだろ
色々な所属思想があるんだしさ、ゲルグ的理解と、カギュ的理解は外面一緒でも中身全く違うだろ
そこを無理に統一しようとするから無理ができてんじゃねえの
212 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/13(日) 21:57:53.28 ID:PplymMPo
もし仮に仏教が、あらゆる人の全ての行為の善悪を正確に評価し、それに見合った
「応報」を割り当てるような・・・・・それも完璧に間違いなく行う・・・
こういう絶対者、超越的存在を設定してるのであれば、
「ある善行には、それに見合った善果」「悪行にはそれに対する報い」・・・
みたいな話しでも良いが、仏教にはそういう存在いないでしょ?
「時」と「場所」によって、それこそケースバイケースで善悪どちらにも
評価可能な無数の行為を「応報」を間違いなく執行してるのは誰なのかな?
>>212 言いたいことはわかるが、そのような絶対者、超越的存在はいない
応報を執行しているのは間違いなく自分だ。
>>184 / /,_ュ_>、 \
/ | ヽ ン' | \
l ,. 、 -‐l ゚i(○)i!゚ l- 、,,_ ヽ
\ / ヽ、`'''゙ ノノ `'ヽ、 /
`| __,.. -_‐ ニニニ ‐_- 、 _ l ,.-'゙
〈.r '' ´ ` '' -={}
/:::!`ァ- 、..,,____,,,.. -、,''゙ソ:::ヘ
/:::::l ゙ ,.r= ` ´ ァ=-、 ` l::::_ィ
〈ヽ| '゙ ノ i 丶 l/,' | >>お前には精神科よりも留置所が
. , ‐ 、 | 〉! l l | リ お似合いみたいだな!(笑)
. ヽ. ヽ ヽ`| l _ k/
. ヽ ヽ l」 , ` ヽ l-゙
ヽ. ', / ̄〉 ヘ ' 、ー――一ァ /
', '、, べ、 l ヽ ヽニニニシ /
゙, / _ ヽ! lヽ -―- /l
. У_. イ ヽ 〉 _,| ` 、 / l_
ノ ´_,. ‐ ヽヽ/; / ヽ ; ̄ ̄ ,.イ l
| ヽ | Lノ \_ ヽ _,.ィ´ L_
| `´〉 / ! l フー/ / `〈_` ' ‐ 、
_」 ゝ,l_| l ヽ / ̄ ̄ヘ / ` ' - 、`tォ、,_
,.ィ「|,,.ゝ、 ヽ. l ヽ ∧ ハ / `' -、 /ス、
. /Y゙´ ヽ l l ヽ. / 〉t‐ 〈 ヽ/ ` - ト、
/ | | | l ` l | | | i
そして自分を形成するものは教育等を含めた自然環境だ
横縦の縁起の理解はもちろんのこと自我を考えない
社会正義の考慮が必要なのは言うまでもない。
216 :
基地子♀菩薩:2013/01/13(日) 23:07:54.06 ID:cRT31tpb
>>215 生き地獄に社会正義も糞も無い
でしょう? (大笑) (^。^)y-~
今日も理解するのに必死だったけど、
こんな素晴らしい議論無料で見せていただけるなんて、
僕は感謝しております。
ありがとうございました。
218 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 00:00:06.71 ID:BmL5QY80
>>217 宗教を理解した、いいこと言ってると思った時が、洗脳の瞬間です。一旦洗脳
されると、殆ど一生涯離脱は困難です。常に、現実社会に照合して「批判」する
ことを忘れてはなりません。
219 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 00:04:30.18 ID:BmL5QY80
>>217 精神医学的には、すべての宗教は、「開祖の精神病の感染」という、
恐ろしい危険があることを、片時も忘れてはなりません。
精神病は感染します。精神科医は、患者からの感染(逆転移)を、常に
極度に警戒しています。
220 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 00:29:19.21 ID:NwjEMgu3
>>192 不説氏
>もし、釈尊の時代から仏教が「一切皆苦」と「一切皆楽」を平等に法印としており、出家も在家も「どっちでもいいよん〜♪」というような宗派だったとしたら、
苦の無い涅槃を悟った仏が「一切皆苦」、「諸行無常」と説かれた場合は、「一切」と「諸行」(有為)には「仏」と「涅槃」の無為は含まれません。
もし「一切皆楽」であれば、苦を滅する為の「四諦」、「八正道」を釈尊は五十年近くも説かれなかったことでしょう。
一人でも多くの衆生を苦しみから救うこと(衆生済度)が宗教であり、仏教であり、初転法輪への意思であったのだと認識しております。
そして衆生済度の願いは菩薩達に受け継がれ、龍樹もまた将来の菩薩候補者達の為に中論を残し、月称の入中論も同様かと存じます。
221 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 00:30:52.97 ID:BmL5QY80
>>217 オウムの信者たちは、あれほどの事件を起こし、教祖麻原を初め多くの信者が
死刑判決を受けたのに、未だ洗脳から離脱することができず、仏教の修行を
続けています。中東では、殆ど毎週のように宗教同士で殺し合いを続けて
います。国内でも多くの若者たちが、宗教に嵌ったが故に、自分の家庭や
社会関係を破壊して、一度きりの貴重な人生を無駄にしています。
宗教の狂気の感染により、現実感覚と社会常識が破壊されるためです。
宗教には、絶対に近づいてはなりません。気付いた時は、もう遅いのです。
222 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 00:39:43.87 ID:NwjEMgu3
>>219 >精神医学的には、すべての宗教は、「開祖の精神病の感染」という、恐ろしい危険があることを、片時も忘れてはなりません。
IF 宗教は「開祖の精神病の感染」という恐ろしい危険がある THEN 仏教も開祖の精神病の感染である
IF 原発は「放射能の汚染」という恐ろしい危険がある THEN ○○原発は放射能で汚染される
条件はある程度納得できますが、結論は如何でしょうか、説得力がありますか?
尚、私の兄弟は精神科医ですが、貴兄と違った認識をし、釈尊に帰依しておりますよ。
以降、精神医学関係者が皆貴兄と同じような見解だと繰り返されないように。
223 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 00:44:50.67 ID:BmL5QY80
>>220 >一人でも多くの衆生を苦しみから救うこと
人類に苦しみをもたらした最大の原因は「宗教」であることを忘れては
ならない。君は、史上及び現在の多くの宗教戦争及び国内のカルト被害を
一体どう考えているのか。
宗教専門の精神医学者は、君の真光を「最も危険なカルト。絶対に近づいては
ならない」と言っている。
224 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 00:45:32.99 ID:NwjEMgu3
>>218 >宗教を理解した、いいこと言ってると思った時が、洗脳の瞬間です。一旦洗脳
されると、殆ど一生涯離脱は困難です。常に、現実社会に照合して「批判」する
ことを忘れてはなりません。
「八不」を理解した、いいこと言ってると思った時が、洗脳の瞬間です。一旦洗脳
されると、殆ど一生涯離脱は困難です。常に、現実社会に照合して「批判」する
ことを忘れてはなりません。
(現実世界での事例)
産婦人科にて「不生」と大声で言う。
足許の蟻を見ながら「不去不来」と連続奏上する。
225 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 00:47:42.39 ID:BmL5QY80
>>222 すり替えるなよ。君の兄弟だから、祖父同様に同様に釈迦に嵌ったの
だろう。精神科医としての資格なし。
226 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 00:55:18.66 ID:NwjEMgu3
>>223 >人類に苦しみをもたらした最大の原因は「宗教」であることを忘れては
>ならない。君は、史上及び現在の多くの宗教戦争及び国内のカルト被害を
>一体どう考えているのか。
人類に副作用をもたらした最大の原因は「薬」であることを忘れてはならない、ですか。
もし釈尊とイエスとが出会っておりましたら争ったでしょうか。
イエスとマホメットが出会っておりましたら争ったでしょうか。
真理を悟った「道の人」は互いを尊重し争わない、という教えの出典は原始仏典でしたか。
ふと思ったが真光の信徒って何て呼べばいいんだろう?
自ら崇教と名乗ってるから崇教徒と呼ぶべきなんだろうか。
228 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 00:58:30.54 ID:NwjEMgu3
>>225 >精神科医としての資格なし。
世界中の仏教徒の精神科医はすべて精神科医としての資格なし、ですか。
229 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 00:58:58.01 ID:BmL5QY80
>>224 中論は「宗教破壊の宗教」だと思うので、カルト撲滅に有効だと考える。
但し、釈尊抜きで解釈した場合に限る。釈迦は強力なカルトである。
中論の「相互依存性・関係性・相対性」を自覚すれば、すべての宗教は
吹っ飛ぶ。宗教こそ「言葉による戯論、開祖への執着、信仰の絶対性、
現実と社会常識からの逸脱、家庭の軽視・否定」の塊ではないか。
イエスは、家庭の破壊と異教徒の排除を、公然と強要しているではないか。
230 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 01:01:50.67 ID:NwjEMgu3
>>227 >ふと思ったが真光の信徒って何て呼べばいいんだろう?
神様と組むから「組み手」と自称しておりますが、他教からは普通に「信者」で良いと思います。
>>230 いやいや、「信者」じゃなんの信者かわからんちん。
仏教徒といえば仏教の信者だとわかるでしょ。
真光の信者と毎回言うのもなんかしまりがないじゃない?
232 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:05:25.31 ID:AqddlMvq
>>229 こんなところで.吠えて居たキチガイわんこ.
元精神科医の哀れな末路であるな.
あと数年でくたばる隠居ジジイが.こんな状態とは.
233 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:07:48.12 ID:BmL5QY80
>>228 まず、同じ仏教でも、南方仏教やチベット仏教は、「日本の」大乗仏教
とは本質的に異なることを理解する必要がある。
オウムは、原始仏教、チベット仏教、キリスト教から発生した。
真光も、明らかにキリスト教の影響がある。
カルトは、竜樹は道元には絶対近づかない。かれらが「宗教破壊の宗教」
だからである。
234 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 01:08:49.84 ID:NwjEMgu3
>>229 >中論は「宗教破壊の宗教」だと思うので、カルト撲滅に有効だと考える。
>但し、釈尊抜きで解釈した場合に限る。釈迦は強力なカルトである。
帰敬序で釈尊に敬意を示された方が浄土で真っ赤になっておられるかと存じます。
やはり菩薩候補者(慈悲+菩提心+智慧)以外に中論を読ませるべきではなかったと。
>>233 完璧に間違っています.あなたは0点です.
.
236 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:10:45.62 ID:BmL5QY80
>>232 キリスト教に嵌った愚かな仏教徒が、何を言うのやらw。
237 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 01:18:03.33 ID:NwjEMgu3
>>227 >自ら崇教と名乗ってるから崇教徒と呼ぶべきなんだろうか。
「崇教徒」って良い響きですね。呼び名も空ですのでご自由にどうぞ。
>>236 既に.あなたは何の役割の無くなった人です.
せめて死に道近いのだから.まともな事を言ってみなさい.
あなたは.貶してばかり居る.あなた自身の真っ当な考えを一度も聞いた事がない.
批判だけならな.中学生でも出来る事だ.
239 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 01:23:32.71 ID:NwjEMgu3
>>235 >完璧に間違っています.あなたは0点です.
只今浄土から「我○居を救わずば正覚をとらじ」との有難いみ声が聞こえたような。
最後の一厘で救われるかも知れませんね。
240 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:35:16.61 ID:BmL5QY80
>>238 >あなた自身の真っ当な考えを一度も聞いた事がない
生命の根源性については、繰り返し説いている。ご丁寧にも、複数の
宗教に洗脳された君には、聞こえないだけ。
他の宗教でも、キリスト教の影響を受けると「例外なく」カルト化して
いるのが現状である。
日本は大乗仏教国であったので、幸いにもキリシタンの毒牙を逃れる
ことが出来た。キリシタンを論破して追い返したのは禅僧であった。
開国によってキリスト教が進出してきたため、多くのカルトが発生した。
イエスの狂気の感染力は特に大きい。西洋かぶれの出口王仁三郎が軽薄にも
キリスト教の影響を受けたため生じた大本(教)が、日本のカルトの
源泉である。真光も、その系列である。「手かざし」は、聖書を真似た
もの。
241 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:40:02.03 ID:BmL5QY80
>>235 君の一言で、超カルト在家の確信が飛躍的に強化されたのを身よ。
カルトは、常に自己の正当化を必死で求めている。発言には、十分に
注意されたし。
>>240 >>聞こえないだけ。 ・・いや.聞いた事が無い.馬鹿げた考えなら聞いた事かあるが.それは論外だ.
※日本人なら.せめて此れを受け入れよ.
聖徳太子:十七条憲法 「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり。」
( 聖徳太子:574年2月7日〜622年4月8日:今から1,391年前である )
.
243 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 01:47:03.02 ID:BmL5QY80
>>242 日本人なら、邪教キリスト教を棄てよ。
聖徳太子は大乗仏教である。
>>243 お前は.サロメ級の馬鹿だな.俺が耶蘇の邪神を拝むと思うのか.
>>聖徳太子は大乗仏教である。
ならば.大乗仏教を受け入れよ.そして篤く仏法僧へと帰命すべし.
ご隠居には.あまり時間がないのだよ.
245 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 02:06:47.47 ID:BmL5QY80
>>244 君は、キリスト教系グノーシス。クリ板に出入りして、邪教キリスト教
とイエスをそれとなく肯定している。少なくても否定はできていない。
246 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 02:06:55.77 ID:NwjEMgu3
>>243 >日本人なら、邪教キリスト教を棄てよ。
>聖徳太子は大乗仏教である。
横レスで恐縮ですが、現代のキリスト教よりも、焚書されたキリスト教文献の中に大乗仏教に類似したものが結構ございます。
死海文書の中の「エッセネ派宗規要覧」や、ナグハマディ文書の中の「トマスの福音書」などは大乗仏教、特に法華経と法が似ているように存じます。
(トマスの福音書 3章)
イエスは言われた。「あなた方を惑わす者たちが[見よ、神の国は天にある]
あなたがたに言うならば、空の鳥があなたがたより先にそこにいるであろう。
彼らが[それは海にある]とあなた方に言うならば、魚があなた方より
先にそこにいるであろう。しかし神の国はあなた方の中にある。そして、外にも
ある。あなた方は、自分自身を知るならば、知られるであろう。そして、自分
が生ける父の子らであることを知るであろう。
(トマスの福音書 50章)
イエスは言われた。「人々があなた方に[どこから来たのか?]と尋ねるならば、
こう言いなさい。[わたし達は光から来た。光が自ら生ずる場所から。
それは立って彼らの像において現れた]。彼らがあなた方に[あなた方は
だれか?]と言うならば、[わたし達は彼の子らである。わたし達は生ける
父の選ばれた者たちである]と言いなさい。」
247 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 02:16:17.01 ID:BmL5QY80
>>246 狂人イエスを、大乗仏教と関連付けるな。汚らわしい。
鎖国までしてキリシタンの進出を防いだ、往時の為政者の叡智と努力を無にし
てはならない。
豊臣秀吉は、当時としては先進的な信教の自由を認めた。しかし排他的な
キリシタンだけは認めなかった。「信教の自由」と矛盾するからである。
信教の自由を最も侵害しているのは、実は宗教自身であることを自覚しなければ
ならない。
248 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 02:21:41.82 ID:NwjEMgu3
>>247 >狂人イエスを、大乗仏教と関連付けるな。汚らわしい。
仏教を始めた方を狂人とシュプレヒコールしていた方がこの板におられたような。
尚、仏教を始めた方に敬意を表した方が大乗の開祖だったと認識しております。
249 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 02:26:47.83 ID:NwjEMgu3
>>248 >尚、仏教を始めた方に敬意を表した方が大乗の開祖だったと認識しております。
IF 大乗の開祖が狂人に敬意を表した THEN 彼は嘘つきで作品も読むに値しない
.
つい最近.書店で偶然に面白き書籍を見つけた.
少しばかり立ち読みしていて.思わず笑った(今様に言うなら「ふいた」)
イエスは「ブッダの教え」を知っていた
発行日:平成23年11月15日
著者:道明寺龍雲
ISBN978-4-434-16203-9
※実に痛快にして簡潔明瞭な語り口.突っ込みどころも屡あれども気にする以上に痛快なり.
キリスト教或いはパウロ神学に疑問抱きし者は.どうぞ御一読あれ. 特に >>ご隠居
道元と竜樹にカルトが近寄らないのはメジャーでないからであり
二番煎じ茶だからだよ。派手なのが好きなんじゃない?
遥か昔は教育者がいなかったんだよ。
教育的リーダーが必要だったんだよ。
絶対神やノスタルジアは生まれるのが2500年遅かった。
今、僧の必要性は皆無。教育者ならいくらでもいる。
適してるかどうかは知らんが僧もまた同じ。
倫理、道徳、正義を説かない教育者はいらん。
故に仏の必要性も皆無。仏とはただの人間が死んだものであり、
僧の延長線上のものだ。死んだだけで2階級特進させるんじゃないw
仏法の必要性も皆無。法律があるし学問の分野も多岐にわたる。
残るは宗教の悪徳商売や霊や神が見える的精神病しか残らないから
迷惑極まりない。
.
因みに
>>250 の本は.グノーシス家のシモン教授と俺の2ch書き込みをパクったのでは.
と思えるほどに.見解が酷似している.
.
253 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 03:25:20.70 ID:NwjEMgu3
>>250 Johannes
>イエスは「ブッダの教え」を知っていた
イエスが仏教を知っていても不思議ではないですが、私はイエスはエッセネ派ユダヤ教だったと仮説しております。
尚、事例を示しましたが、エッセネ派は他派と比べて仏教と似ております。
(根拠)
・イエス当時の歴史家(フィロン?)がユダヤ教の三大派(パリサイ、サドカイ、エッセネ)を歴史書に記載。
・ヨルダン川で水の洗礼を行ったヨハネはエッセネ派だったとの学説が近年多い。
・新約聖書では、パリサイ派とサドカイ派には「蝮(悪魔)の子ら」と罵倒したヨハネだがイエスはウェルカム
>キリスト教或いはパウロ神学に疑問抱きし者は.どうぞ御一読あれ.
パウロ神学に加えて、ヨハネ(洗礼者ヨハネとは別人でヨハネの福音書の筆記者)神学があります。
このヨハネ神学を初期教父のエイレナイオスが担ぎ、彼を崇拝したアタナシウスも支持しました。
ニケーア公会議で勝利した大司教アタナシウスは復活祭書簡で現代の聖書以外の文献は焚書を命じました。
しかし第二次大戦後に各地から焚書したはずの文献が次々に発見され(復活)誰でも原始キリスト教を読めます。
以上、神仏のご意思、御経綸かと存じます。
>>113-114 絶賛。パーピマンはいいことをいう!
わたしは、
それらの神格化や迷信をも伝統(伝承)の名の下に、
これこそが唯一にして正しい仏教を宣言して伝統法門の権威を振りかざすのならば、
「そんなものが仏教だというならば無用!!」と見なします
(もちろん、当人らがそれを信奉し続けるのはまったくのご自由です)。
私は、過剰な神格化や無用な迷信に対しては、
徹底して冷徹な姿勢であったのがかのゴータマだったものとして敬意、申し上げているのでね。
ご自分に対する弟子たちの無用かつ過剰な礼拝行為も制したエピーソードからもそのことがよく伺われる。
であるから、神格化で祭り上げたりなど決してしてはならないこと
(たとえそれがゴータマに対する尊崇の念からくる信仰心からであったとしても)。
けれども、この一代はダメ。もう無理。
これらすべての神格化と迷信の類も“縁起・空・仮設”の言葉で煙に巻いて、
自分達の迷信の正当化を謀るから。
これを理由にすれば、すべてが通るものと勘違いしてる。
(つづき)
私もパーピマン同様、
全般的には仏典に信頼性を寄せはするけれども、
あとは余計な神格化や迷信を排除すべく“線引きの問題”なのであり、
それが何処何処であるか?という論証の問題だということ。
ここに個々の人々による視点の違いが当然、出るわけですから。
本当は議論すべきはそこ。
私個人は、
伝統を正当性の理由にするのならば、
そんな仏教とやらは(自分自身には)“要らない”という立場です。
一代の場合には無理。
もうすでに出家生活が長く、諸外国まで修行に行っていたというほどの嵌りよう。
今更、引き返すようなことはできようがないし、恐らく出家得度の際には、
仏典に対する一切の疑いの心を捨て去るという堅い誓いを立てたのでしょう(絶大なる信仰心です)。
この世界、師弟関係においても、もしも師を信じることで地獄に堕ちるのならばそれも本望。
“師の行くところ地獄の果てまで突き従う”と誓うものです(ただし、神智学はそういう姿勢は採らない)。
だから、宗教から迷信はいつまでも消えない・・・。
尚、仏教の場合には、
それらの神格化や迷信にさほどの害悪は殆どないものと思われるところが救いです。
256 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 05:18:34.20 ID:v9sP1AQK
>>205 >真正の殺人嗜好者は?
>彼は、殺人を行うことがまさに快楽、至上の楽しみ。
>彼が殺人を行うことは善か?
それは殺人が彼に楽でも結果は苦となると説かれます。
例えば、セックスが楽でも結果として業の報いは苦になるように。
>ある精神異常者がいたとする。彼は100%の善意をもって、知人が悪行を積むことから
>救済するために ポアしてあげた。
>彼はそれが、知人のためであると心底信じ込んでいて、自分は善行を行なったと
>信じている。 彼の行為は善か?
そういう極端微妙な例は私には分かりません。
257 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 05:20:55.77 ID:v9sP1AQK
>>206 つまり、話すなということかな
それは正しいと思うけどね。
一応、オイラは実践もしてるけど、そんなことを根拠に妥当性を言うことができるのはブッダだけだと思う。
258 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 08:23:59.15 ID:wXG/YyGb
縁起一代への批難は全てブーメランなのだが。
「食中毒で死んだのは、本人の意図するところであった」
は神格化ではなく
「前世で動物に自分の体は食べさせてあげた」
は神格化ではない。
人のことをとやかく言える立場ではないが、その恣意性に自覚的ではない。
不思議で仕方ない。
259 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 08:26:48.25 ID:wXG/YyGb
「前世で動物に自分の体は食べさせてあげた」
は神格化である。
訂正しとく。
食中毒となり死ぬということが事前に分かっていたとすることも十分に神格化でしょ。
表面はヌメリ、匂いが酸っぱく、これもう駄目だろって明らかに腐ってるのでもなければ判らんよ。
261 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 09:01:26.62 ID:M4bkEpFG
>>256 >それは殺人が彼に楽でも結果は苦となると説かれます。
> 例えば、セックスが楽でも結果として業の報いは苦になるように。
それでは、 以下の説明に矛盾するのでは?
> 自分を基準にすれば善は楽を生む行為、悪は苦を生む行為。
> 苦楽は、自分がそう感じること。
この真正の殺人嗜好者は、「自分は完全な『楽』を感じている。罪悪感など
全くなし。」 であるならば、『楽』を生んでいるわけだから、これは「善行」
ということになる。
セックスについても、「楽を生む行為が善ならば、何故、結果としての業の報いが
苦となるのかな?」
自分が楽と感じるか否かが、基準なんでしょう?
262 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 09:01:38.29 ID:v9sP1AQK
>>208 そりゃそうだ。
仏教の因果や業は、他人の現象を判定批判するためにあるのではなく、
自分の行為を律するためにある。
だから、色んな現象を評価する必要はなく、基準・原理によって
自分の行為を少しでも良い方向に変えていくことが重要なんです。
仏教では、完全に守れなくても少しでもより良くなることを教えますよ。
もちろん、完全に守れる方がいいに決まってますが
あー、もうここ、最高だよ
2ちゃんねる内で1番有意義な場所だよ
264 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 09:11:34.81 ID:wXG/YyGb
>>261 でも、それで自動的に善趣に行ってしまえたほうが、
宇宙の法則としては「自然」であるよな。
天災で人が死ぬようなもので、ある程度はあきらめるしかない。
「善」というのは、だいたい社会道徳でオッケーですよ、程度の意味で。
たとえ人殺しで天国に行ける奴がいたとして、
それでも人を殺さしむるなかれ、と。
265 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 09:29:06.10 ID:M4bkEpFG
>>264 >でも、それで自動的に善趣に行ってしまえたほうが、
>宇宙の法則としては「自然」であるよな。
オレが言ってるのは、「自動的に善趣に行く」とする理由は?
その基準は? 悪趣にいくことはないの?・・・・ということなんだがw
>「善」というのは、だいたい社会道徳でオッケーですよ、程度の意味で。
「社会道徳」基準で善悪判定するのであれば、それは「時代」「環境」によって
大きく左右されるものであるから、そんなものを全時代、全環境にわたって
妥当する「業論」などに適用させることがおかしいでしょ?
善因善果、悪因悪果など嘘っぱち。倫理的、道徳的要請からの方便であり、
「真実の現象」などとは、とても言えないだろう?
266 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 09:41:01.53 ID:M4bkEpFG
オレが言っているのは、
「善因善果」「悪因悪果」・・・・これらが三世にまたがる業論に妥当するとする
主張は、「単に倫理的、道徳的要請から方便として説かれたもの」であって、
これを「真実、この世俗で起きている現象」とするのは、不合理でしょ? って言うことw
善悪自体が、時代、環境に大きく左右されるし、また、それを判定評価するもの
によっても大きく変わる。視点によっては、善が悪になったり、悪が善になったり
することもよくある。 善悪というのは、あくまでも人間がそのように
規定してるだけであり、全宇宙きぼで見れば、勝手な人間だけに通用する価値基準でしょ?
それを、全宇宙に適応する法に持ち込むことの不合理を理解できないのかな?
267 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 09:51:49.54 ID:v9sP1AQK
宝珠ちゃんは、ルノワールの『チベット 真実の時Q&A』か『仏教と西洋の出会い』読むといいと思うよ
>>261 そりゃ、因と果を混同してるから。
セックスして楽を感じるのは、かつての善業の結果。
楽を貪るセックスという行為は、未来に苦という果を導き出すということ。
>>264 >「善」というのは、だいたい社会道徳でオッケーですよ、程度の意味で。
だいたいいいけど、問題は現象でなく動機が主要だということが仏教の特徴
そこが難しく、また、素晴らしいとこだと思います
>>266 >「善因善果」「悪因悪果」・・・・これらが三世にまたがる業論に妥当するとする
>主張は、「単に倫理的、道徳的要請から方便として説かれたもの」であって、
仏教では方便ではなく、それが法性、自然の法則と捉えています。
もちろん、縁起・空・仮設だけど。
>これを「真実、この世俗で起きている現象」とするのは、不合理でしょ? って言うことw
実在じゃなく縁起・空・仮設だけど、それが世俗の現象法則という意味です。
信じるか信じないかは別にして仏教では、そう説かれてます。
268 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 09:52:11.42 ID:wXG/YyGb
>>265 「善」というラベルを貼る理由がたまたま社会道徳とかぶっていた、ということね。
ひとは自分の価値観を「自然」と考えがちなので、
釈迦や他のマジな人達も、作為的なものとは考えないだろう。
『「善」というのは、だいたい社会道徳でオッケーですよ、程度の意味で』は
そういうマジな面子の目からすると、「茶化しやがって」と映るかもしれない。
「業報の基準を俺らの社会道徳に合わせたんじゃなくて、真理であるところの業報の基準を
社会道徳の基準としたのが我々なのだ」ということになる。
「ヴェーダを聞きやがった低カースト野郎の耳に溶けた金属を注いでやる!」という道徳は
マヌ法典が書かれた土地と時代の社会道徳的に正しいだけでなく、未来永劫真理である。
なぜならマヌ法典などは永遠の理法(サナータナ・ダルマ)を書き取ったものだからだ。
けしてバラモンの都合じゃないんだよ(彼ら視点)。
むしろ心が痛んでも(自分の道徳に反しても)サナータナ・ダルマを優先しないといけないよ。
こっちが普遍だからね(彼ら視点)。
269 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 09:55:08.32 ID:M4bkEpFG
例えば、人間に害をなす生命体・・・・何でも良いが、害虫とでもしようか
これを駆除して人間の生命を守ることは、現在、当然のこととして受容されている。
(ジャイナ教はどうか知らんがww)
人間にとって見れば、これは「人間の生命を守る」ことなんだから、「良い行い」だろ?
オレもそれに異論を唱えたりしないわ。
でも、駆除される害虫にとっては、それこそ「とんでもない行為」なわけだw
このように、善悪というのは、あくまでも「人間が自分にとってどうなのか?」を
基準に決めていることが、ほとんどなわけよ。
そして、その人間間でもお互い「自分たちこそ善」であるとして、争いが絶えない
わけだ。 万人が同意する絶対的善、悪というものは、ほとんどないでしょ?
そんなものを全てに妥当する「法」に投射すること自体、人間の恣意性の現れと
考えないのかね?
だから、動物や虫に仏性があるかないかの問答になる訳か
動物や虫にも仏性があるなら基準があやふやになるものな
271 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 09:59:50.44 ID:wXG/YyGb
>>269 >そんなものを全てに妥当する「法」に投射すること自体、人間の恣意性の現れと
>考えないのかね?
当事者には無理だろう。何せ順序が入れ替わっている(×:人間の都合→法、○:法→人間の都合)。
可能だとするなら、信仰はしていないから、と考えられる。
文化的○○教徒というやつだ。
272 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:01:43.98 ID:Zm76sUol
輪廻転生論(業報論)は、善悪いずれも行なった者(すべての人間がそうである)の
来世はどうなるかについての回答ができない時点で、既に完全に破綻している。
「無我」「無明」「無常」と同様、釈迦の初歩的論理矛盾、勘違いである。
釈迦は本当に頭が悪かった。それに、覚者と凡夫という、理由のない人間差別も
甚だしい。釈迦は、信じるべき人間では、初めからない。
釈迦の誤りと狂気を正したのが、古今東西比肩する者のない竜樹の卓越した頭脳
である。中論の帰敬序に騙されはならない。そこで言っていることには、釈迦の
思想は皆無であり、すべて竜樹自身の思想である。釈迦にかこつけて、すべて
自分の思想を述べているものであることを看破すべきである。
273 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:04:14.19 ID:wXG/YyGb
普通に考えれば相殺だろうね。
差し引きゼロになっても、それに対応する来世に送られることになる。
ここは別に矛盾でも何でもないな。
274 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 10:07:53.71 ID:M4bkEpFG
>>267 >セックスして楽を感じるのは、かつての善業の結果。
いやいや、これじゃあ何も答えてないのと同じでしょ?
一代は、「善行というのは楽を生み出す行為であり、楽というのは自分がそう
感じるか否か?」 と言ったよな?
その「楽」を感じる原因が、過去の善行とするならば、過去に無限遡及させている
だけでしょ?
ある行為について・・・・・それは善行です。 なぜなら、「楽」を生み出すからです。
「楽」か「苦」かの識別は「自分が楽と感じるかどうかです。」
そして、→「楽と感じるのであれば、それは貴方が過去において善行を行なったからです。」
ん? では、その「過去の善行」は何故、「善行」なのかな?
・・・・・それは、貴方がそれ以前に善行をおこなったからであり・・・・・
だめでしょ?w
275 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 10:11:19.92 ID:M4bkEpFG
>仏教では方便ではなく、それが法性、自然の法則と捉えています。
うん、だから、自然の法則であるなら、善悪の判定はどのようになっているのかな?
と聞いているのだが。 どのようにして、善悪を判別し、善→善、悪→悪 と
応報させているのか? ということ。
正邪につながる善悪の文字で表すのは確かに障りになるのかもな。
薬因癒果毒因渇果とか、現行の日本語との対応を考えたほうがいいのやら。
277 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:16:12.21 ID:v9sP1AQK
>>274 何が分からないのか?
例えばかつて他の生物に楽を与えた結果、今、セックスで楽を感じている。
善因楽果だ。その楽に愛着したため、未来に苦を体験する。
悪因苦果だ。
だから、善悪というのは果から見れば楽をもたらすものが善。
それがどういう行為かという点からみれば、他を害するものが悪
他を利するものが善だ。
無限遡及といわず縁起といってくれよん
278 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 10:18:08.07 ID:M4bkEpFG
>>268 であるなら、 業論などは とても全宇宙に妥当する自然の法則
などとは言えないだろう?
それを信じる者たちだけに通用する「信仰」の範疇をでないでしょ?
「彼らにとっては」真実かもしれないが、他宗やそれを信じない者たちにとっては
ファンタジーだろ?
279 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:24:08.51 ID:v9sP1AQK
>>275 ああ、それは神通で直接知覚した因果関係から演繹した結果、
他を害する行為が、苦を感じる結果をもたらし、
他を利する行為が、楽を感じる結果をもたらす、と簡潔に言われるわけだ。
その結果、十善十悪が一般的に基準として具体的に立てられるわけ。
つまり、殺、淫、盗、妄などが現象的で具体的だけど、根本は意業の貪、瞋、邪
貪、瞋、邪という意識でなされた身口意の行為が悪なわけ。
その逆が善だと規範的に示される。
280 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:27:01.87 ID:Zm76sUol
>>269 いいたいことは分るが、それを考えているのはあくまで「人間」であり、
他の種属の動物のことはその動物に成り変れない限り絶対に分らないの
だから、他の動物にまで広げる必要はない。さもなければ、それも人間の独善に
過ぎなくなる。
なお、善悪をさかんに唱えながら、それを定義できた宗教の開祖は皆無
である。彼等は、自分でも理解していない「言葉」に、自己陶酔して
いただけ。彼等に代わって、私は次の通り定義する。
「善とは、自他の生存を助ける行為。悪とは、自他の生存を害する行為」。
「行為」であるから、内心の意思を問わないことが重要。東洋哲学が、他者には
窺い知れない内心の意思ではなく行為を問題としているところは、
西洋思想には存在しない優れた特徴。イエスのように「心の中で姦淫の
罪を犯した」などというアホなことは言わないのである。
安楽死は悪?
282 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 10:34:28.58 ID:M4bkEpFG
>>277 いやいや、だめでしょ? 「縁起」という言い方に変えようが
全ての原因を無限の過去に追いやることによって、それでは現在の行為に
個人の自由意思、感性、判断、認識・・・・・を否定しまうでしょ?
いいか?
「善」とは、楽を生み出す行為。 そして、「楽」とは、本人がそれを
楽と感じるかどうかである。・・・・・これが一代が言ったことだ。
ここまでは良い。 それはそれで一つの見解だ。 だが、 この
「楽と感じる原因」を、また、さらに過去の善行に求めるなら、
現在の彼が「それを楽感じるか? 苦と感じるか?」に関して、現在の彼本人の
感じ方に主体性などないでしょう?
どう感じようが、「それは貴方が過去に・・・・・を行なったからです。」
で全て終了だw
言い換えれば、現在の彼が、何を感じ、どのような行為をなそうとも
「それは貴方が過去に・・・・を行なったからです」となってしまう。
悪く言えば、現在の自分に対する責任放棄でしょ?
283 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:35:21.61 ID:Zm76sUol
>>281 >安楽死は悪?
そうやって、直ぐに極端な例を持ち出さないで(これがカルトの著しい特徴)、
一般的な事例について考えよう。例外的な事例も、上記の善悪の定義で解決
することは可能である。
>>283 カルト?
真理なら、答えがあると思っただけだよ
例えば、自分が地獄に落ちるとわかっていても
人の安寧のために身を捧げるものは善であるとか
そういった類の
それに、安楽死はの問題は極端かな?
一般的な疑問だとおもうけど
285 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 10:45:57.39 ID:v9sP1AQK
>>281 現象だけ見て一概に分からないのが仏教
そもそも善悪にしろ業因果にしろ、自分を律するためのもので、
他人の行為、現れを見て判断、批判するものではありません。
逆にそれはやってはいけないことでしょう。
ただし、師匠なら別だと思いますが。
>>282 >どう感じようが、「それは貴方が過去に・・・・・を行なったからです。」
>で全て終了だw
そう。それが万能のカルマ
>悪く言えば、現在の自分に対する責任放棄でしょ?
いやいや、今、行為を行うのは本人以外にない。
未来の業は今の行為にかかってる。
だから、十善に努力するのが仏教の基本ですよ。
>>285 ありがとうございます
とてもわかりやすい
287 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 10:48:33.90 ID:M4bkEpFG
>>279 それは、まさに一般的通念における非常に概略的な枠組みでしょ?
一般道徳と言い換えても良い。
しかし、現実のあらゆる行為は、前に言ったように、概略的にくくれる
ものなど殆どないぞ。
例えば、一般的に「悪」であるとされる「殺人」であろうとも、個々のケースに
おいて、その害悪度は無限に分割されでしょ?
被害者側の原因、加害者の生い立ち、殺人に至った理由、・・・・・ひとつとして
同じ害悪度の事例など存在しない。(勿論、法的には大雑把に括るしかないが)
現在、世界中の70億の人間が、秒刻みで行なっている全ての行為の善悪を
いったい誰が、どのようにして善悪度を評価し、それに見合う応報を割り当てて
いるのか?
288 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 10:55:48.46 ID:M4bkEpFG
>>285 いやいや、だめでしょ?
>いやいや、今、行為を行うのは本人以外にない。
「今の行為」は、「カルマによって」→『そうさせられているんでしょ?』
そこに「現在の本人の意思」を持ち込むのであれば、
なんで、「楽」と感じたのは、過去の善行のせい としたの?
楽と感じたのも「現在の彼」が、そのように感じたでいいじゃない。
そこは過去の行為に因を求め、それ以外は「現在の彼の意思」とするのは
ダブルスタンダードでしょ?
289 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 11:01:27.71 ID:Zm76sUol
>>284 臨終時の苦痛は、生命が死と闘っている現象。臨終時の苦痛があるから
こそ、人間は死の恐怖、生の尊さを知るのである。
苦しみがあるから殺すというのでは、それは「苦」が生命の維持に
不可欠ということに思い至らなかった、釈迦のような勘違いを生み出す。
まず己の生存を維持するのが、人間の本性。それを忘れると、他者の
苦しみを助けるために己の生命を犠牲にするという、殉教者や自爆
テロリスト、オウムの倒錯が生じる。
290 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 11:02:58.80 ID:v9sP1AQK
>>286 お役に立てたなら嬉しいです。
>>287 だから規範であって、重要・主要なのは動機で、
各自が自分で内省して自分自身を律するためのものなんだって
他人の行為を評価・批判するためのものではないし、
それはやってはいけないこと、確実に不善業だと思うよ。
>>288 それが縁起だから。全ての現象は何か一つに還元できない。
そう還元しようとし、本質、アルケー、アートマンを求めようとするのが
間違っているというのが仏教の縁起・空・仮設に他ならないよ。
>>289 そっか、だからカルトって言ったんだね
苦しみから逃げるのはいい事ではないというわけか
ありがとうございました
292 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 11:05:58.23 ID:XIorJ4eH
293 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 11:18:11.90 ID:M4bkEpFG
>>290 だから、
>だから規範であって、重要・主要なのは動機で、
>各自が自分で内省して自分自身を律するためのものなんだって
は、目的論になっちゃうでしょ?
「それは・・・・を目的とするものです。」
今言っていることは、「何を目的としているものか?」ではなく、
業論というシステムの不合理性の論議でしょ?
>それが縁起だから。全ての現象は何か一つに還元できない。
ちょっと待ったあああ!
これを言うか? オレは、ちょっと前にも言ったが、
「縁起ってのは無限の連鎖の干渉性であり、因果というのはその一側面の
切り取りに過ぎない。」・・・・・・こう言うスタンスだ。
業報論は、善なら、その果は善・・・というものだ。
ここで見ているのは、まさに一対一対応だぞ。
現在、とんでもなく悪い出来事が起きた・・・・これは過去の悪行のせいである。
これが悪因悪果だ。
この、「現在起きたとんでもなく悪いこと」の原因を「過去の無数の因」に
求めるのであれば、もうそれは「悪因悪果」でもなんでもない。
過去の良い行いが、その「とんでもなく悪いこと」の因になっているかもしれないからね。
294 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 11:26:07.38 ID:v9sP1AQK
>>293 そりゃ、逆に業因果を自然科学理論のように捉えてないか?
そうではない、解脱のための説明・方便だよ
ただし、方便といっても、そうなってるもので、
騙して導くという意味ではない。
悪因悪果とは言わない。
悪因苦果という。
まあ、これ以上テキストもなしに議論しても仕方ないと思うよ。
終わりにしよう。
疑いを持つとは「それ=悪」ではなく「=不明なもの」とするのが妥当で
可能性について縦横斜めから見るべきですね。
面倒な作業ですが
言葉が身に染み渡る
パーピマンの言ってる事もわかるし
他の人の言ってるのもわかる
298 :
ブッダの深甚なる法:2013/01/14(月) 11:42:04.66 ID:NPTwmlDg
前スレ
>>562(南無大師遍照金剛)
>南無金に根拠求められて(
>>198)
>二つの様相に基づいて提示される諸々のブッダの深遠なる法とは例えばどの様なものが有りますか?
>その意義も含めてお教え下さい。 ←(失念しておりました。
>>198の指摘で探してやっと気づきました。失礼。)
識りません。
その問いには、直答不能です。
(1)縁起の直接現実→非有非無の時空際断=空=中道(の如し)にては言及すべき観念そのものが成立しません。
真理も真実も意義も観念不能です。執着すべき主体も現象も行為も、その観念自体がありません。
したがって、還滅した間接現実にては直解説できず「不識」(達磨)としかいえないのです。
ただそれは般若智直覚で照見する(縁起の現観)のみです<般若心経 冒頭文言>。
(2)仏が、矛盾なき(直接現実)を矛盾(間接現実)のうちに示唆(仮設&仮説)されたものが仏法です。
直答不能ゆえに、間接的に仮に示唆するしかありません。
それが『仮』(言語ゲーム仮設・意味仮説:仮観)にとは、まさに『生已盡滅』=生成即消滅の様相だからです<第一義空経>。
仏法は一切行無常→生成即消滅ですから、固定化された「仏教」なるものはありえないのが当然です。
従って、仏教は妄想です、パラドックスです。
法(縁起の直接現実)は菩提心自己の身心脱落で無分別智直覚するしかないのです。
これがブッダの深遠なる法の様相です。
ゆえに、アタシは仏教徒ではありえないのです。
299 :
大滝秀治 :2013/01/14(月) 11:51:47.89 ID:NPTwmlDg
>>192(不説 ◆zanKI/5r4A)
>「一切皆苦」と「一切皆楽」
そもそも、ブッダの本懐は実存(妄想)分別苦の根源的超克にあります。
ブッダ未成道状態では「分別苦」だったからこそ、
ブッダの『縁起の直接現実=無分別の悟り』の四法印<無常=無我=涅槃=無分別苦(一切皆苦)>があります。
一切皆苦(の悟り)は逆説的な「無分別の悟り」=縁起の現観⇒涅槃寂静でです(
>>171)。
一切皆苦(分別)は一切皆苦ではない(無分別)、ゆえに一切皆苦と名づける(無分別の分別)。
無分別法印の体得による、娑婆での慶安(慈悲を含む)な暮らしがブッダの本懐です。
これで掴めなかったら、放置プレーとなります。
>禅宗の系譜においてタオイズムの影響を受けて、閻魔大師のように、不可知論的、相対化論的に考える流れが徐々に加わり
不可知論、相対化論は間接現実での分別論です。
仏法は縁起の直接現実の無分別智直覚ですからマト外れな妄想です。
>「マハーカッサパ陰謀論」
仏教なるものは妄想です(
>>298)。
300 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 11:54:25.10 ID:M4bkEpFG
>>294 では、まとめよう。
「業論」というのは、どこまで行っても「世俗」の話しなわけだ。
勝義であれば、そもそも「善悪」などという判別、分別自体がない。
元は、単に「悪いことをすれば悪い結果になる。だから良い行いをしなさい。」
という、『倫理的要請』から生じたものでしょう。(それ自体は悪いことではない
と思うが)・・・・・(但し、過去世→現世は別だがw)
それを説く時、衆生に解説するとき、当然、「世界の自然法則」としてそのように
なっていると解説したんでしょう、仏教徒たちは。
しかし、世俗に適用する法との前提で話をするのだから、せめてその世俗で
通用する論理的整合性を整える位の労力を費やすべきだったでしょう?
「だって、そうなっているんだから」だけでは、無理なのでは?
キリスト教のように、全智全能の神、絶対者、超越者を設定して、
「貴方の全ての行いを神は見ています。」・・・と、やるなら、それはそれでOKだ。
後は、そのような絶対者を信じるか信じないかの問題だけだ。
しかし、仏教はそのような絶対者を立てない。「法」として、「そのようになっている」
というだけだ。 であるなら、尚更、その不合理性を排除するような努力を
するべきだったと思うのだがね。
地球は球形である。・・・太陽は東から昇る。・・・・水は100°で沸騰する。・・・
「これらの法則と業論が同レベルにこの世界で起きている法則である」と主張するのなら、
やはり、その真実性を担保する同等の証左が必要でしょう?
証左が(例えば、現在の科学レベルでは)不可能というのであれば、せめて、論理的不整合の
解消位は行うべきでは?
ただ、「そうなっているんだから」だけでは、どうもねえ・・・・と、多くの者が考えうると
思うのだがw
>>158 パーピマン
>「テキストに依拠する」とは、まさにその「客観性」を認めることでしょ?
うん、仏教学ということに関しては、そうだよ。
>(唯、そのスタンスを真実として自己の認識の正当性を主張するのであれば、
オレも真っ向から反対するがねwww)
そうだね、自分が見たことは、誰にでも見えてるはずだってのも、五見の1つだと思う。
仏教って、悪業があったからカラスとか犬に生まれたんだって言ってるよね?
一方で、あらゆる命には仏性があって皆、貴いっていってるのもある。
どっちが本当の仏陀の意見なの?
303 :
大滝秀治 :2013/01/14(月) 12:03:15.59 ID:NPTwmlDg
>>197 >そんなの『中論』24-10で言ってる通り仮設に決まってるでしょ。
仮設ではありません。
勝義→ニルヴァーナ説明に直肯定的分別言辞はありえません(中論 帰敬序、25-3参照)。
龍樹のように勝義を『究極の真理』(中論24-10)などと直接肯定表現することはありえません。
勝義が『諦』=真理という二項相対矛盾様相なら、般若智直覚(般若心経)でなく言語論理で分別「理解」すれば足ります。
悟りなどという面倒なことは不要なはずです。
また『究極は戯論寂滅』とやらもあり得ません。
毒(言語論理)で毒(言語論理)を寂滅させることは矛盾そのものです。それ自体毒(言語論理)だからです。
『仮設』(言語ゲーム仮設・意味仮説:仮観)とは、まさに『生已盡滅』(第一義空経)=<生成即消滅>の様相←世俗様相です。
矛盾があります。
「眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。生已盡滅。・・耳鼻舌身意。亦如是説。」(「第一義空経」より)
ところが、勝義様相の示唆はまさに<不生不滅>(の如し)です(中論 帰敬序 25‐3参照)。
不生不滅の様相だからこそ戯論寂滅・寂静と世俗から形容するのです。
言語論理・概念・観念=分別そのものがありえない無分別中道だからです。
中論24-10は龍樹の誤りです。
世俗的なことにもとづいたとしても、第一義は『説示』されえません。
世俗的なことから第一義は『示唆』し得るのみです。(
>>177>>178)
業報の立場からすると、食べあわせや組み合わせの合成から生まれる毒をどう理解するんだろ。
卵食べました、アレルギーでした、死にました。
あれ食べました、これ食べました、胃の中で毒になりました、死にました。的な。
因果の一対一がよくわからんくなる。
>>163 >何をもって「善」となし、何をもって「悪」とするか?
>その判定は? 「誰(何)」によって、「どのように」規定されるのか
パーピマンの中論解釈によれば、「言語による見解等による規定の不可能性の提示」とある。
まさに、あなたのこの解釈が参考になると思うんだけどw ちなみに
>>2で引用させてもらった。
釈迦は、善が実在するから善と説いたのでもなく、悪が実在するから悪と説いたわけじゃないよ。
一代氏の言うように、縁起・仮設・空性の現われとして、衆生を導く方便として説いてるだけだから。
方便っていうのは嘘って意味じゃないよ、凡夫の眼には、真実として現われるから。
善悪の教えを聞いて、善悪を定義しようとか考えだすと、せっかくの方便が方便にならなくなる。
それは、「無常」という教えを聞いて、有部が「変化する性質」という実在を見出そうするのと構造的には同じだと思う。
(この辺りは、自分の有部に対する理解が間違っているかもしれないけど。)
中論は、これらの無常とか善とか悪といった法が空であると示した、と理解している。
>>220 前世は一在家氏
>苦の無い涅槃を悟った仏が「一切皆苦」、「諸行無常」と説かれた場合は、「一切」と「諸行」(有為)には「仏」と「涅槃」の無為は含まれません。
>もし「一切皆楽」であれば、苦を滅する為の「四諦」、「八正道」を釈尊は五十年近くも説かれなかったことでしょう。
これは厳密な指摘だね、その通りだと思う。「一切」とか「諸」っていうのは注意が必要なんだよなぁ。
「一切皆苦」とか「一切の見解からの出離」の「一切」は有為しか指さないんだけど、
「諸法無我」の「諸法」は有為法も無為法もどっちも含むから。
307 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 12:19:01.83 ID:M4bkEpFG
>>305 違う違うww
オレがここで言っている「業論」というのは、いわゆる「釈迦の言辞の真意」
とかとは全く無関係のもの。
勝義視座からの洞察、とも無関係。
そういうのではなく、 ごく世俗一般に(勝義への導きとは無関係に)
倫理的な話として、「この世界で実際に起きている現象」との前提で話される
業論のこと。 単純かすれば、
「悪いことはすれば地獄に落ちる」みたいな話のことだよ。
それを「良い行いをさせるための方便」とするなら、勿論、異論はないが
業論支持者は、そうではない。 現実に起きている自然現象として話をするのさw
308 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 12:24:02.42 ID:M4bkEpFG
時間がないので一旦、オチwww
>>300 >>305 ああ、ごめんごめん、世俗のレベルでも論理的・経験的に証明しろって話かw
>「だって、そうなっているんだから」だけでは、無理なのでは?
>証左が(例えば、現在の科学レベルでは)不可能というのであれば、せめて、論理的不整合の解消位は行うべきでは?
え〜…。俺はこの悪因苦果の話を聞いて以来、少し暴言吐いただけで苦しくなったけどな。
で、それが「自然法則として成り立つかどうか、論証できるか」ってことになると、
そもそも土俵が仏教から哲学とか科学の方に移ると思うし、
俺は因果応報の厳密な論証というものには関心は無いなぁ…。
逆を言えば、因果応報の論証を哲学としてやる人もいるんだろうね。知らんけど。
いや、でも確かに、「善業悪業をしても楽果苦果が返ってこないけど、どういうこと?」
という問いに、釈迦がどう答えたのかは、気になるところだ。
310 :
無為法批判 大滝秀治 :2013/01/14(月) 12:39:37.96 ID:NPTwmlDg
>>306 >「諸法無我」の「諸法」は有為法も無為法もどっちも含むから。
『無為』観念は縁起撥無の反仏法です。
宝珠の超越論と同じく、その根底には広義の心霊主義(スピリチュアリズム)という反仏法に毒された神秘主義があるのです。
ブッダの無常法印は、ダルマ自体も無常だということです(
>>298)。
ましてや、縁起しない実体である「無為法」の存在はブッダの法印とはかけ離れたものです。
自性(スバヴァーヴァ)を主張されるなら中論の批判論証を提示すべきです。
龍樹の「空」(の如し)はこういったマハーカッサパ教スコラ部派のアビダルマ哲学を批判し、
すべての存在はブッダ本来の「縁起」「無常」「無我」というあり方をしていることを再確認し、
徹底させたのです。
スコラ部派の教学によって、一度骨抜きにされてしまった「無常」ということばを捨て、
「空」という新鮮な言語革命を実行したのだと考えます。
それにしても、このスレには無自覚なスコラ部派が多い。
>>310 >ましてや、縁起しない実体である「無為法」の存在はブッダの法印とはかけ離れたものです。
>自性(スバヴァーヴァ)を主張されるなら中論の批判論証を提示すべきです。
俺も最初はそう思ってたよ、無為法なんてアートマン的な自性はあるはず無いって。
でも、「諸法無我」の無我って部分に注目するべし!
無為法も無我なんだよ、つまりは涅槃のこと。空とか不生不滅とかも多分そうだと思う。
一方で、アートマンとか自性なるものは、そもそも「法」じゃない、「非法」と言われる。
『大宝積経巻52』
「一切諸法は或は名づけて法と為し、或は非法と名づく。
何を以っての故に、もしよくかくの如き諸法は皆空、無相、及び無願なりと了知せば、即ち一切法は並びに名づけて法と為す。
もし我、及び我所の諸見、随眠に計著することあらば、即ち一切法は並びに非法と名づく」
312 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 12:54:55.36 ID:0oyvryks
一代はどこの寺で出家した坊さんなの?
まさかオウムとか、チベット寺院じゃないよね。
313 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 12:59:55.35 ID:v9sP1AQK
314 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:15:01.12 ID:0oyvryks
>>313 やっぱしオウムで出家したのか。事件後に遍歴ね。
しかし出家したと言いながら、一日中ネットにかじりついて、
ずいぶん俗っぽい生活だな。生臭い坊さんだね。
315 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:19:19.57 ID:v9sP1AQK
>>312 真言宗ですよ
オウムだったことは一度もないですよ
316 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:30:18.77 ID:0oyvryks
317 :
無為法批判 大滝秀治 :2013/01/14(月) 13:30:49.88 ID:NPTwmlDg
>>310 >無為法も無我なんだよ、つまりは涅槃のこと。空とか不生不滅とかも多分そうだと思う。
仏法の仏法たるゆえんは縁起です。
無為の世界や悟りの世界などを超越的な世界として捉え、
それについてあれこれ語りはじめた『物語(フィクション)』が、
ブッダの預かり知らぬ後代の作り事であることは明確です。
未達者坊主連中の妄想です。
そもそも無為法というような縁起撥無概念を生み出してくる背景には、神秘的超越主義の密輸入であり、
仏教のバケモノ超越仏への「信仰」宗教化戦略があったのだという意図を見抜くべきです。
(とくに大乗在家の、修行よりもお手軽信仰による我執を満たす御利益クレクレニーズに合わせる)
涅槃はあくまで悟りに達した覚者の一切内における「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ 33-1-3)の境地です。
当然、世俗「一切内」の縁起の機能です。
無分別の分別ともいう。慈悲心もこの無分別の分別です。
無為法は誤謬且つ無用観念です。
318 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:35:28.60 ID:v9sP1AQK
まあ、エロオヤヂなのは確かだが、松本に会ったことはなく
彼の著書も読んだことも記憶の限りない
そりゃ
>>302への答えだがな
オイラは一貫して松本には否定的だよ
まあ、貶したいだけなら、どうぞご自由に
オイラはこれで終わりにするけど
319 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:40:32.02 ID:0oyvryks
>>318 >そりゃ
>>302への答えだがな
だから、オウムで出家したのは本当だってことだろ。
自分でそう答えているじゃない。
320 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 13:45:09.62 ID:NwjEMgu3
>>302 >仏教って、悪業があったからカラスとか犬に生まれたんだって言ってるよね?
>一方で、あらゆる命には仏性があって皆、貴いっていってるのもある。
オイラ氏
>>313 も回答されましたように、どちらも仏説かと思料します。
全ての人には仏性と欲心があり、聖者(仏、菩薩)にもなり得ますし、罪人(獣)にもなり得ます。
どちらになるか決めるのが自由意思でしょうか。
エッセネ派でも「人は創造時に光のコアと闇のコアを与えられ、聖者にも獣にもなり得る」と説かれております。
またサタンですら元大天使でしたから。
良いカルマと悪いカルマの蓄積結果がプラスなのか、マイナスなのか、刈り取る果も変わりますでしょう。
または金銭のカルマがマイナスで、対人のカルマがプラスであれば、それらカルマが縁で相応の果も起きるでしょう。
321 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 13:50:02.84 ID:0oyvryks
何気に聞いたんだが、
ここでカミングアウトしてくるとは思わなかったよ。
凡夫一代はオウムで出家し、その師匠が麻原だったとはねえ。
師匠が麻原じゃ説得力ゼロだろ。ビックリ。
>>317 >無為の世界や悟りの世界などを超越的な世界として捉え
>それについてあれこれ語りはじめた『物語(フィクション)』が
大滝さんは超越的な世界としては捉えないんだよね?
それは、生死即涅槃という言葉に示されるように、その通りだと思う。
ただ、その大滝さんの「涅槃は超越的なところにはない」という解釈と、
有為法(輪廻)と無為法(涅槃)の両立は矛盾していないってことを言っているのよ。
>涅槃はあくまで悟りに達した覚者の一切内における
一切内って有為法の中ってことでしょ?それだと、非想非非想処とかと変わらない。
「涅槃」は、そのような滅する性質のものではないよ。
とはいえ、大滝さんは、
>>303で
>また『究極は戯論寂滅』とやらもあり得ません。
と言っている辺り、涅槃が無為法とするのは中々、受け入れられないと思う。
涅槃が一切の見解からの出離ではなく、
何かしらの見解の1つに過ぎないなら、そりゃあなたの言う通り、有為だし一切内の話になる。
>>319 w
何がしたいの?(´・ω・`)
彼の身元知ってる人からすると、貴方の発言は失笑ものでしかないんだが・・。
325 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:12:51.43 ID:dWormtQu
>>291 >苦しみから逃げるのはいい事ではないというわけか
「苦」は「生命の維持」に不可欠な要素。そして、人間は、苦との闘いの中に、
(無意識にでも)生の喜びを感じているのである。
釈迦は全くの勘違い。
>>325 ( ・∀・)∩ ウンコビ━━━━━━━━━━━━━━ム●
327 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:20:24.97 ID:0oyvryks
312 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 12:54:55.36 ID:0oyvryks
一代はどこの寺で出家した坊さんなの?
まさかオウムとか、チベット寺院じゃないよね。
313 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 12:59:55.35 ID:v9sP1AQK
>>302 どっちも本当だよ
328 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:25:20.50 ID:dWormtQu
「無分別」などというが、人間の唯一の普遍の要素は「生存本能(生命)」。
状況に応じて生存を維持するためには、あらゆる「分別」が必要になる。
従って「生存のための分別」は、「そのままで真実」「法」である。
「言語」も「共生のための分別」の一つであり、そのままで「法」である。
「言語の改革」には、共同体全員の合意を有する。言語表現を一人で「戯論」
呼ばわりしても全く無意味。言語は、「私有物」ではなく、まさに「法」
「真実」なのだから。
「生存に無関係な宗教上の分別」は、「迷妄」以外の何物でもない。
329 :
無為法批判 大滝秀治 :2013/01/14(月) 14:29:25.93 ID:NPTwmlDg
>>322 何度もいうように仏法はシンプルです。
仏法は「縁起の直接現実」一本槍だからこそ、
あらゆる束縛(特に自我)からの自由を鋭く提示しうるのです。
無為法も業報輪廻転生もゴミ戯論として廃棄されるべきです。
涅槃は見解ではなく「現実生活からはなれた、超越的世界のことを言っているのではなく、
日常生活の無欲の実践、無執着の実践にニルヴァーナは実現する」(中村元・田辺祥二『ブッダの人と思想』NHKブックスp172)。
これがアタシの言う「二相の相即的実践」です。
330 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:32:34.53 ID:dWormtQu
>>318 >松本に会ったことはなく
>彼の著書も読んだことも記憶の限りない
仏教があれほどの問題を起こしたのに、「彼の著書も読んでいない」とは、
仏教徒としてあまりにも無責任ではないのかね。
その言葉だけで、君は胡散臭い。
>>327 バカジャネw ( ´,_ゝ`)プ
332 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:42:11.61 ID:dWormtQu
>>329 >日常生活の無欲の実践、無執着の実践
日常生活(生)は、「欲」と「執着」と「分別」がなければ不可能。何をアホなことを
言ってるのか。
「迷妄」としての釈迦や仏教から離脱しなければ、「真実知」は不可能。
333 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:44:29.72 ID:v9sP1AQK
>>329 >涅槃は見解ではなく「現実生活からはなれた、超越的世界のことを言っているのではなく、
>日常生活の無欲の実践、無執着の実践にニルヴァーナは実現する」(中村元・田辺祥二『ブッダの人と思想』NHKブックスp172)。
見解でないというのはいいとして、これが凡夫の現状肯定論、あるいは観念仏教
無執着、無欲という観念で暮らすだけ
だから、『梵網経』で凡夫は「つまらないこと」しか称えないと仰るわけだ。
レッテルを貼る論法止めろ、折角面白い話読ませて
いただいてるのに。
バカ混じると台無し。
そんなこと言うなら、全て宗教的な話しをする際、哲学的な
話しの際、オウムの反省からやわないとダメな事になる。
バカしか思いつかない理屈しか言えないなら黙ってろよ。
335 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:46:24.64 ID:dWormtQu
釈迦は、生存努力から逃避した人間。人間についてのいかなる真実も
判る訳がない。まさに迷妄の徒であった。
80まで生きたのだから、生きる努力はしたと思う。
337 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 14:50:42.23 ID:NwjEMgu3
>なぁ、横レスだが、なんで
>>302へのアンカが
>>312宛てになってるんだ?
>>321 ID:0oyvryksの一方的な思い込みでしょう。
そういえば、帰敬序で龍樹は嘘をついたとの思い込みの人もおりましたし。
人間についての真実とは?
339 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 14:55:14.01 ID:v9sP1AQK
>>337 まあ「思い込み」の程度の問題で凡人を超えてるだけのこと
みんな「思い込み」があって、その「思い込み」を断つために仏教がある
それなのに「思い込み」に合わせて仏教を語り、「思い込み」に合わない部分はテキストが間違ってるとか、それじゃだめなんだが
結構、そっちのが受けたりするんだよね
おそらく今の常識以上の200年先に常識を今教えられても理解できると思う
341 :
無為法批判 大滝秀治 :2013/01/14(月) 15:02:45.69 ID:NPTwmlDg
>>333 >これが凡夫の現状肯定論、あるいは観念仏教 無執着、無欲という観念で暮らすだけ
おやおや、お構いなくw トンチンカンな揶揄は却下。
<坐水月道場:色即是空:無分別:出世間のまなざしで>
<修空華万行:空即是色:無分別の分別:世間の只中で慶安にある(生き直す)> *仏は無矛盾を矛盾で説く。
これがそもそものブッダの本懐ではないですか?
この無分別の分別の相即的実践を道元さんは『修証一等』と言っていられます。
法は(日常的)実践のなかでしか顕現しません。
これが仏法の本道です。
アタシはあなたのような殺人肯定密教とは無縁です。
どうぞ下山せず、山中で護摩を炊きまくってお暮らしくださいませ。
中論というのは中村元先生の講談社学術文庫を
読めばいいのですか。
>>329 お、おう…。
文末に「〜べき」って言い方は、便利だから、なるべく縛った方がいいよ。
>>317でも思ったけど。
釈迦カルトって言っている人もよく使う気がする。飛躍をもみ消すのに便利。
「〜べき」より、「私個人としては〜するのが好き」って言い方のほうが、個人的には好きだなぁ。
極端な話し止めないか。
道元支持者が道元の名を穢している。
オウムがブッダや仏教を貶めたように。
345 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 15:12:10.56 ID:v9sP1AQK
ありがとうございます。
龍樹 あるように見えても「空」という (構築された仏教思想)
で宜しいでしょうか。
明日早速立ち読みして、良さそうなら買います。
347 :
無為法批判 大滝秀治 :2013/01/14(月) 15:17:41.79 ID:NPTwmlDg
>>332 >日常生活(生)は、「欲」と「執着」と「分別」がなければ不可能
だからこその『無分別の分別』ですよ(
>>341)。
第二矢を受けず(ブッダ)、二念を継がず(白隠)です。
慈悲も無分別の分別として、おのずから顕現するものです。
宗教コピーとして振り回すものではありません。
>>342 中論偈頌の日本語訳なら、その中村さんので俺個人は問題ないと思ったけど…。
その他の解釈に関しては、中村さんのは読まなくていいと思う。
石飛さんの『龍樹』と『ブッダと龍樹の論理学』と『ブッダの優しい論理学』がオススメ。
とはいえ、石飛さんの著作は平明な言葉で書かれてあるから、読み流して分かった気になるのが怖い。
かと言って、他の本で代用が利くか、と言われると、利かない。
分からないことがあれば、
>>333のオイラさんに聞けば、色々と教えてくれると思います。
>>344 はけ口みたいなもんだからね〜、ここは。
>>346 それそれ。
349 :
無為法批判 大滝秀治 :2013/01/14(月) 15:23:12.99 ID:NPTwmlDg
>>345 >いえ、それは読まない方がいいです。
536 :考える名無しさん:2012/09/26(水) 16:13:29.48 0
>>535 >誤解してるから見ない方がいいよ
>上山春平の部分は読まない方がいい。
仏教生齧りのお前ほど我執の強い人間は滅多にいない。
お前が悟っていないことはその文章からビンビン伝わってくる。
悟ってもいないくせに、読む本について上から目線でアレコレ指図しているなんざ、
ほとんどマンガの図だ。固定硬直分子とはお前のことだな。反仏教だ。
我執まみれのおまえには、ブッダの悟りは絶対に現観できないことは断言しておく。
人に勧めるなら、〜こういう考えもあるからよく学んでください、というべきだ。
つけあがるな!
350 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 15:24:56.13 ID:v9sP1AQK
>>343 断定、命令、義務表現を多用する人は怪しいよね
>>346 そうです。簡潔明瞭ながら、私が知る限り龍樹菩薩文献研究では世界一です。
素晴らしい本ですよ。
それを理解した後で、リンク先の国訳大蔵経で『中論』を読めば基本的に分かると思います。
>>348 国訳大蔵経の宇井梵文和訳とたいして変わりないですよ。
誤解している人にとってそれは当たり前なので
それは違いますと言っても意味が無いです
352 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 15:32:50.37 ID:v9sP1AQK
罵倒・中傷ってのはつくづく自分の煩悩を映す鏡だね
クッキリ、スッキリ映っててもなかなか本人には見えないもんだけど
オイラもかw
>>351 だからこそ、テキストに依るわけだ
テキストに依れば、自分が誤解してることに気づける
ところが、テキストより自分の妄想が優れている、正しいと思ってる人は、
アナタの言う通り、話にならない
要するに自分の言うことを信じるか、信じないか、それを繰り返してるだけに過ぎない
ありがとうございます。ぜひ参考にします。
oshiete.goo.ne.jp/qa/281928.html
私は、この記事で中論に興味を持ちました。
私なiPadから書いていますが、国訳というのは
電子書籍として読めます。
「行く者は行かない、行かない者も行かない。行く者と行かない者を離れて第三の行く者は存在しない」
という意味になります。
同様に第九、十偈の意味も以下のようになります。
「行く者が行くと言うなら、そんなことがどうしてあり得るだろうか。行く事を離れて行く者はあり得ないのだから」(第九偈)
「もし行く者が行くというのなら、二つの『行く』があることになるだろう。つまり、行く者の『行く』と行くことの『行く』である」(第十偈)
何のことだ、と思われるかも知れませんが、よく考えるとここには言葉の本質をえぐる議論がなされています。「行く」という概念は、果たしてどういうことなのか、それは果たして「行くもの」と離れて存在するのか、と常識を問い直しているからです。
355 :
基地子♀菩薩:2013/01/14(月) 15:43:03.38 ID:XIorJ4eH
息抜きにゲームをどうぞ! (^。^)y-~
, '´  ̄ ̄ ` 、
i r-ー-┬-‐、i
| |,,_ 仏_,{|
三 N| "゚'` {"゚`lリ
ト.i ,__''_ !
i/ l\ ー イ|
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アッー!
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| ω .| | ω .| | ω .| | ω |
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i|i
∩ ピュッピュッ
(::)(::)
______________________________
3 凸 凸 CREDIT 00
356 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 15:44:21.49 ID:v9sP1AQK
357 :
カーラーマ経第四 大滝秀治 :2013/01/14(月) 15:44:55.66 ID:NPTwmlDg
教本・テキスト・経典の中にあるからといって信じてはいけない(カーラーマ経第四)。
テキスト批判さえできない学者・坊主はいっぱいいる。
現在はもちろん、過去にもインチキ自称ブッダがいっぱいいるのである。
石飛道子に下記はムリ
『<有業報而無作者。此陰滅已。異陰相續>
#業(おこない)と報(むくい・異熟)はあるけれど、作用の主体はない。
#(作用・機能(はたらき)は現象としてあるよう知覚されても、その主体も対象もない。)
#ある諸要素の集積の作用が已めば、因縁にしたがい、次なる異なった諸要素の集積の作用が起り続ける。
<世俗> <勝義示唆>
・即心即仏 非心非仏
・即因即果(不昧因果) 非因非果(不落因果)
★即業即報(不昧業報) 非業非報(不落業報)★
あたかも大河の流れのような、無量・無辺且つ無常・無窮な連続的変化(方便)が縁起=無常の様相ですから、
そもそも有意味の“因果”概念として「特定」すること自体が不可能であって、
十二支縁起のような特因特果の硬直した観念はありえません⇒『除俗數法(十二支縁起の否定)』が当然です。
第一義空経はこの当然の様相を闡明にしました。このことは同じく縁起=無我の様相ですから, 『除業報輪廻転生』も当然であって、第一義空経で業報輪廻転生論は廃棄されたといえます。
*不落因果(特定可能な因果はない)、不昧因果(縁起の関係性はある)⇒随縁且従容(良寛)、自受容三昧(道元) 』
なるほど、言われるまで気が付きませんでした。
井筒俊彦さんの「意識と本質」や頼住光子先生の道元研究と
結びついていると思いました。
359 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 15:54:08.19 ID:v9sP1AQK
オイオイ、中村訳『般若心経』のニローダ説から妄想してたのは、全くテキスト批判も何もないけどな
>>358 井筒先生は意図的かもしれないけど、表象/実在説で仏教の縁起は分かってないよ
360 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 15:54:25.95 ID:dWormtQu
>>353 >oshiete.goo.ne.jp/qa/281928.html
>私は、この記事で中論に興味を持ちました。
その回答を読んだが、「無我」をベースとしてるように思われる。
しかし、中論の「空」は「非有非無」だから、「無」などと言ったり
たちまち矛盾する。「無常」「無明」にも当てはまる。
中論は「無」「無我」など説いているのであろうか。誰か上記回答に対する
コメントを頼む。
ありがとうございます。
さしあたって、明日必ず石飛先生と中村先生の本は立ち読みして来ます。
要するに、言語の分節化機能に固執すると悟れない
と受け止めました。
または「月指」の喩えが分かりやすくかんじました。
363 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:05:44.16 ID:dWormtQu
「行くものは行かない」の意味は、中論自身がその2:11でちゃんと
「すでに行っている者が、行くという動作を同時に二度することは
できない」と、ちゃんと解説している。「無我」即ち主体がなければ、
「行く」という動作はありえない。
中論の言わんとするところは、「行く者」とは「行かない者」との相対
においてのみあり得る、ということではなかろうか。
364 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:08:13.74 ID:v9sP1AQK
>>363 >「無我」即ち主体がなければ
この解釈が凄い
これならなんでも適当に思い込めるわけだが、普通の人には支持されない
365 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:10:54.04 ID:dWormtQu
>>364 中論は「無」「無我」など説いてるの?どこで?
全く仏教のことは知りませんが、
瞑想、坐禅は、言語の分節化機能を停止すると何が見えて来るのか、
ということなのだと思いました。
素人勝手読みですが。
>>360 中論18-6が参考になるんじゃない。
仏は世俗的な言い方を借りて、「我」と説き、「無我」と説いた。
究極的には、「我でもなく、無我でもない」という中道に導くために。
「非有非無」というのは、有にも無にもよらないという意味では中道に近いかな。
あるいは、一切の見解から出離した仏の境地は、有でも無でもなく、空であると言っても良いと思う。
368 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:17:41.80 ID:dWormtQu
>>367 だったら、「無」「無我」などと断定したら、中論の全体系は崩壊するね。
369 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:17:46.30 ID:v9sP1AQK
>>366 坐れば坐ったようにしかならないのだから、
あれこれ理屈や結果を考えるだけ無駄ですよ。
あんまり頭でっかちの論理持ち込んじゃいやん。
372 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:24:17.43 ID:v9sP1AQK
>>367 >「非有非無」というのは、有にも無にもよらないという意味では中道に近いかな。
違います。「非有非無」だと掴んだなら、それは見解に他なりません。
「非有非無」は四句分別という論理形式の一つに過ぎず、中道ではありません。
「非有非無」は空、空性というより、神秘主義でしょう。
論理を超えた境地ですが、そこで「非有非無」のアートマンとか実在を掴んだら、
空でも縁起でもなく、それは戯論に絡め取られています。
>あるいは、一切の見解から出離した仏の境地は、有でも無でもなく、空であると言っても良いと思う。
そう言うことはできますが、それを見解、思想として捉えるなら救われない人になります。
そう言って、戯論寂滅の境地へ導くわけです。
戯論寂滅の境地では、そういう見解も思想もありません。
373 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:26:25.45 ID:Eh3XWQp3
じゃネイティブアメリカンとか原宗教も真理は調和と愛じゃないか!
374 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:26:59.09 ID:dWormtQu
>>359 「表象=実在」でなければ、現実感覚が失われ、気が狂ってしまう。
仏教がそんなことを教えたとすれば、邪教(カルト)以外の何物でもなくなる。
参考urlありがとうございます。
私の思い込みですが、言語の分節化機能が強すぎるとエゴになり、
自分!と言う意識を守ために思考するため、
人間は言葉を使って考えてばかりいると自我意識を拡大したくなり、
それが執着になり、無意味な争いになる。
瞑想すると、エゴは実は幻想だった事に気がつくため、
苦しみから解放される、という論筋かな、
と考えています。
376 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:28:25.41 ID:v9sP1AQK
私の思い込みですので気にしないで下さい。
>>372 >違います。「非有非無」だと掴んだなら、それは見解に他なりません。
いや、見としての「非有非無」ではなく、
有という見も無という見も離れた戯論寂滅の境地を無理やり言語表現したもの、
という意味で言ったのですが。
もちろん、神秘主義に見られる見としての「非有非無」があるのも、聞いていますよ。
>そう言うことはできますが、それを見解、思想として捉えるなら救われない人になります。
自分もそう理解しておりますよ〜。
でも、「月指」ってそういうことですよね。
380 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:35:13.26 ID:v9sP1AQK
>>378 了解です。
生命教にそんなこと言うと誤解するだけだと思いますよ
彼は普通の文をキッチリ読むのも怪しいんだから
381 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:37:16.33 ID:dWormtQu
>>371 >どういうこと?
何物かが「無い」と言ったら、その何物の有を前提とする。従って、
空は成立しない。
釈迦は「無我」を断定した。また「非我」と言った。これは「我」の存在
を前提とする。
382 :
ノスタルジア:2013/01/14(月) 16:41:29.49 ID:TYn5XpuH
【阿弥陀仏の譬え】
日常者一人と非日常者4人ついての譬えでもある。
日常者とは、日常的に過ごし仏教用語(全ての言葉)をただなんとなく使っている人である。
非日常者は全部で四人いる。
仏説のことに感情移入する人間はわるもんである。
仏説を曲解させることがいいもんのやること。
仏説のことをさも分かった気でいるのは、ダメ問題であり偽のいいもんのやることであり、
・なんかさも自慢しいしいな感じで、そのままの答えをいう人間。
・ちょっと自己流な概念を使ってそのままの答えをいう人間。
の二人の偽のいいもんがいる。
阿弥陀仏の譬えと言ったのはその仏説とは浄土三部経のことであるからである。
すべての世界は浄土三部経の坩堝だ。君たちはこの五人の内どーれだ?
私から逃げれると思ったら大間違いだぞパーピマンwwwパーピマンもこのスレッドにいる
全員がこの五人の枠組みから逃れられないぞよ。しかしただ一つ、人は一人の肉体でいる
わけだから、全員一つしか選べないことを考慮に入れたい。さあ、私から逃げるのか?
私はちなみにいいもんだから曲解ののち、この譬えから逃れることは可能だが、
みなさんにはいつも付きまとうのが、この譬えである。
参考文献は、頼住光子先生の「道元」と「道元の思想」と
白取春彦「はじめて知る仏教」と、
エックハルト・トール「ニュー・アース」
です。
ありがとうございました。
384 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 16:58:49.15 ID:dWormtQu
人間は、物質に100%依存し、物質の「有」と「無」とを、五感の
知覚により「一義的に」判断しなければ、一瞬も生存できない。
これはまさに「法」の中の「法」である。生存できなければ、仏教も、
覚りもへちまもないのだから。
従って、「非有非無」は「法に反するものとして無効」。やはり、もろもろ
の存在は「厳然たる有」であるとし、その存在が「相互依存性・関係性・
相対性」という「抽象概念」によって成立しているが故に「執着すべき自性
がないだけ」と解釈しなければ、いかなる解決もありえない。
釈迦の「己の我を以って無我を説く」という初歩的論理矛盾、勘違いが、
すべての混乱の原因となっている。釈迦の誤った思想から離脱することが、先決。
>>380 ああ、自分の「非有非無」っていう言い方がマズかったですね。
しかも、相手が生迷教の方とは、気づきませんでした。
>>381 >何物かが「無い」と言ったら、その何物の有を前提とする。従って、空は成立しない
あ〜、聞いたことある。 梶山先生か何かの本にあったっけ?
例えば、「それはアートマンではない」って言っただけで、
アートマンが実在することになるって話だよね。
それ、アートマンは、
>>369のリンクに貼られたサンユッタ・ニカーヤの、
「言葉だけに終わらざるを得ない」ものなんじゃないの?
つまり、
>>311でも書いたように、非法という分類に括られる。
仮に、それでも「我を見た」と言おうものなら、『梵網経』の六十二見に含まれるんだと思う。
386 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 17:10:20.04 ID:dWormtQu
>>385 「言葉だけに終わらざるを得ない」ものとは、「人間が生存し得る
この唯一の現実」と合致しないもの、の意である。常に「現実と照合して」
言葉の真実性を検証することが必要。さもなければ「言葉だけで終わる」
即ち「戯論」となる。
387 :
ノスタルジア:2013/01/14(月) 17:10:43.28 ID:TYn5XpuH
日常者は天界に帰るだろう。
偽のいいもん(=善人)は方便化土に行くだろう。
わるもん(=悪人)は真実報土に行くだろう。
いいもんは曲解により導き出した答えのあるところに行くだろう。
竜のように曲がりくねって、とうとうその人は真理を見るのである。
最後に言っておくが、もし、あえて、もしというが、五逆の罪を犯したらその人間は
地獄=魔界に真っ逆さまに落ちるだろう。
せっかく善根積んで、この地球に生まれたのにね!
388 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 17:11:02.09 ID:TPZW+GOR
これは今月の傑作っぽいね
312 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 12:54:55.36 ID:0oyvryks
一代はどこの寺で出家した坊さんなの?
まさかオウムとか、チベット寺院じゃないよね。
313 :神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 12:59:55.35 ID:v9sP1AQK
>>302 どっちも本当だよ
巨大な反安倍自民ネット工作
IT業界の役員から聞いた実話
安倍政権の経済政策の要である円安デフレ脱却におののいた
南朝鮮にべったりのチョン系企業がネット世論工作を業者に依頼したという
安倍政権批判がネットで反乱しているのもその影響かもしれない
ネット業者は政治家と深い関係の会社や暴力団フロント企業も少なくないという
さて、民団総連を主体とした在日、日本国内の特ア工作員もネット工作してるとなれば
その数は莫大なものとなり、また民意がゆがめられ3年前の過ちを繰り返す危機があります。
390 :
ノスタルジア:2013/01/14(月) 17:35:45.18 ID:TYn5XpuH
偸むということを本心からしてないのであれば、その人は未だ牢屋にはいないだろう。
牢屋にいる偸んだ人とは、確実に偸む行為をしたということが法律の名のもとに
裁かれる。
同じように邪淫というのも、それが邪だったかということが本心で受け入れられなかったら
その人は邪淫してないのだろう。
しかしその人は牢屋に入って邪淫したことが明るみに出たらその人は邪淫をしたのだろう。
ということで牢屋に入る入らないで、私はそれが悪業になるかならないかが
決まるのだろうと思う。住むことがあるから。牢屋で住んでいたらその人は
牢屋の住民になるということである。本心で人の考えを盗んでいなくて咄嗟に
思いついたのであれば、その人は偸むことをしていないのだろう。
此処が分からないで苦しんでいる人がいるとしたら、私が効き目のあるこのレスという
薬を与えよう。
391 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:12:42.37 ID:pI4k906d
仏教を志しながら善行善果。悪行悪果の業報を否定する人達の心は
基本的に悪だよ。彼らは自分のエゴを愛してやまないのさ。
実社会でもろくなことやってないんだろ。ここの唯物論者を代表する
隠居とパーピマンを観察してると気付くと思うけど、ガチガチの唯物論者になれば
なるほど非常に強い我を撒き散らす。隠居はキリスト教を抹殺せよと
抜かし、パーピマンにいたっては業報自体をこのような掲示板ですら語るな
と抜かす。彼らは思想の自由を認めない。面白いね。ガチガチの唯物論者ほど
エゴの塊。これが何を意味するのか賢い人はわかると思う。世の中よくできてるよ。
392 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:14:54.51 ID:pI4k906d
>>302 >仏教って、悪業があったからカラスとか犬に生まれたんだって言ってるよね?
>一方で、あらゆる命には仏性があって皆、貴いっていってるのもある。
>どっちが本当の仏陀の意見なの?
どっちもだろ。君はアホだね。本当、アホばっかり。
わー、賢い人が来た
賢い人は流石に違うね
394 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:23:06.05 ID:pI4k906d
善と悪は妄想です。そんなものはありません。
私がこれからバットで殴り殺されるとわかっていても、それは妄想です。
生死など妄想なのですから。もちろんそこに苦なんかありません。
苦楽などというものも妄想なのですから。早く言えばこれが空理空論中論教の
妄想。たしかに勝義からいえばそうなのだが、賢い人なら
なんかおかしいことに気付くだろ。バットで殴り殺されるときにいくらこれは妄想
だと言い聞かせても実際に痛いし、死んでしまう。竜樹の中論に毒されると
頭の中が妄想でいっぱいになって、まともな会話すら困難な人になってしまう。
395 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:23:41.78 ID:TPZW+GOR
どうだかな〜 幻の人じゃない?
396 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:26:00.55 ID:pI4k906d
>>303 妄想の世界で遊ぶのは楽しいか?
お前が一番言語ゲームに夢中だってことくらい早く気付けよ。
>>254 宝珠さんへ
> … すべての神格化と迷信の類も “ 縁起・空・仮設 ” の言葉で煙に巻いて …
「 無我・縁起・空 」 は、相手を煙に巻いて、敵前逃亡する時の捨て台詞などではなくて
永久不滅 ・ 常住不変のアートマンを土台としたバラモンなどの概念を滅する為に
そして、自我を滅するとともに、如来のすべても滅する為に
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html 我執によって強固な幻を作りだし、その幻によってさらに我執を強くする
幻と我執は、蘆の束のように互いに支えあって立ち上がり、ますます太く強くなる
これまであなたたちは
(バラモンなどによる信仰を主体として)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない(それ故に)
あなたたちは、( 無我・縁起・空 を観察する為の)練習が必要だ
およそ、禅定に入ろうとする人は …
… この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます
398 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:27:04.85 ID:TPZW+GOR
>>395は → >>393はあてな
393 名前:神も仏も名無しさん :2013/01/14(月) 18:17:13.32 ID:BOPWZpfV
わー、賢い人が来た
賢い人は流石に違うね
400 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:28:18.32 ID:pI4k906d
>>317 縁起も妄想だってことに気付いてるか?
じゃぁその妄想は誰が観てんだよ。
まさか、妄想だけが単独で成立してるなんて言うなよ。
自性はどこにもないんだからよ。
401 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:33:28.80 ID:pI4k906d
パーピマンは悪人だよ。
必死で業報を否定しようとも、人はそれぞれ自分の行いに
応じた報いを受ける。もちろん詭弁で飯食ってる連中もね。
402 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:36:58.13 ID:pI4k906d
ここのアホ共は何が善で、何が悪かもわからないらしい。
屁理屈ばかりで善悪の判断もできないなんて、精神年齢が幼稚園児だな。
403 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:39:32.42 ID:pI4k906d
で、何で人を殺しちゃいけないんですか?てか(爆笑)
一生屁理屈垂れてろ、アホ共。
>>299 a.k.a. 閻魔大師
> ブッダ未成道状態では「分別苦」だったからこそ、
>一切皆苦(分別)は一切皆苦ではない(無分別)、ゆえに一切皆苦と名づける(無分別の分別)。
私はそうは思いません。
覚られる前の釈尊は、普通に、相対的な苦楽の間を行き来するような境地に留まられていたのではなかろうかと。
逆に覚られて正自覚仏となったからこそ、「一切皆苦」を法印として示されるようになったのだと思います。
ただし、覚られてから後に「一切皆苦」というキーワードを得たのか、覚られる際に「一切皆苦」が必須の鍵となったということなのか、といったことは私にはわかりません。
>>304 「業」は単一的な因とは限らず、結果としてこの様な宿業だったと言う話。
「業」と言っても身・口・意と、それぞれの在り方が漏れ無く傾向性として作用していく。
406 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 18:47:41.54 ID:TPZW+GOR
>>403
カラスさんかな?
在家さんが一代に洗脳され始めているよ
でもほっとくか
>>405 茶のしずく石鹸を使ってお肌すべすべ、でも小麦アレルギーに、知らずにパンを食べ、悶えて死んだ。
この何処を悪因に認めるのかって話だよ。業報論の立場なら、どっかに悪を見出さなきゃ。
過去世は無しとして。
408 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:03:38.41 ID:diXLIO/B
>>406 在家はすでに洗脳済みなので、やはり釈迦カルトの一代に反応しているだけ。
釈迦仏教が超カルトであることを如実に証明しているスレだな。中村先生の
「生きるための仏教」の要素が、一体どこにあるのか。人為的な変性意識と
観念の遊戯による「精神のオナニー」以外の何物でもない。
釈迦仏教からオウムが発生したのは、少しも不思議ではない。一代氏その他は、
「オウムの精神的指導者」の資格十分。
すべては、釈迦の「無我」という単なる勘違いによって迷わされた結果である。
>>393 カラスは寂しがり屋さんなんだよ(´∀`)b たぶんw
410 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 19:11:09.32 ID:pI4k906d
>>406 そうだよん。
一代って、サマーディ時に縁起観を直観智で知ることが悟りだと
それの意味することもわからず言ってる縁起脳のアホのことか?
確かにその通りなんだが、あいつは意味もわからず言っているところが
痛い。在家さんのことは、ほっとけばいいんじゃない。
>>400 w
ふ〜ん・・。 誰か「観てる」「人」が居るんだ・・。 ふ〜んw
きっと、観てる人は『単独で存在してる』んだねwww
>まさか、妄想だけが単独で成立してるなんて言うなよ
相変わらずお花畑思考絶好調だね。
そりゃ、宝珠と意見が合う筈だわw
412 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:13:16.20 ID:diXLIO/B
精神病や妄想は「現実からの離脱」をいう。釈迦やイエスは狂気の発生源。
>>403 ん?
どこの誰と戦ってるの? (´・ω・`)
仮想敵相手にシャドウボクシングするのも、いいかげん止めたら?w
414 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 19:17:08.75 ID:pI4k906d
>>411 妄想(観られるもの)と観照者は二つで一つ。
どちらが一方が無くなれば、そこにはなにも無いんだよ。
415 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 19:20:08.18 ID:pI4k906d
>>413 女は黙って男の言うこと聞いてりゃいいと思うよ。馬鹿だし。
女がでしゃばるとろくなことは無い。女が男を殺したんだよ。
女が黙れば男は再び生きる。
416 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:20:52.79 ID:diXLIO/B
釈迦の「無我」で洗脳されて、必死に「存在」を「無」にしようとしている。
「存在」が有だと、釈迦の「無我」が崩壊するからだけの話。
元凶は、釈迦の「無我」という、小学生にも明らかな初歩的論理ミス、
勘違いである。
417 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:26:34.35 ID:TPZW+GOR
>>408 問題児は凡夫一代だよね
実際にどうかは別に、かれは本質的に「オウム」じゃないかと思う
418 :
ノスタルジア:2013/01/14(月) 19:31:23.83 ID:TYn5XpuH
無仏の世にさー阿弥陀仏に感情移入してさーどこか阿弥陀仏と会えると思っている
人もいるだろうけど、その人は会えないだろう。なぜなら阿弥陀仏に感情移入しても
阿弥陀仏に会えるわけもないからね。実力のない者や、因果の道理を無視するなら、
その人は感情移入するしかなくて、その感情移入により、「助けてください」とか、
「救ってください」とか言ったりして・・・。ある意味極楽浄土に行けるだろうけど、
そしてそれは間違いのない道だろうけど。そこで気づいたらみんながむしゃらにやっているから、
今度はまた降りてくるしかないんだよね。此処とかに。だって同じようなわるもんの集団に
一人大きなこと出来る人ってなかなかいないからね。だってみんな性分がわるもんなんだから。
だから素直(笑)に、極楽浄土に行くってのはばかげたことであって、本願どうのこうのの
以前の話ではないだろうか?ようは三願転入の階段なんだけど、そのようなものは
おかしいのではないか?
そんでねー無仏の世で、阿弥陀仏について分かった気でいるのは偽のいいもんの
やることだと思ってて、それはなんかさも自慢しいしいな感じでそのままの答えを
言う人間と、ちょっと自己流な言葉を使ってそのままの答えを言う人間の二通りが
あるんだけどね。つまり分かって気でいるってことは、知識披露か自己流解釈に、
埋没しているってことなんだ。そんなことしてどうなるんだろうねー。俺は、
阿弥陀仏について分かるよりも、曲解というか、自分で言語で哲学をしていきたい
って思うんだけど・・。それがいいもんのやることだろう?
日常的人間と五逆罪者はどうでもいいや(笑)関係ありたくないしねww。
まあ、天から天上界に日常的人間が来たらもしかしたら極楽浄土と同通とか
しちゃったりするかもね。 (俺は天と天上界を分けて考えている。だって
違うだろうー。)
419 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:40:29.12 ID:TPZW+GOR
>>411 いつだって見ている人がいるんだよ。
神様も仏様も観音様も見ている。
見ている人がいなければ、いったいだれが報告する?
>>414 ああ、なんだ。
隠居と同じ思考だったのかw なのに、なんでそんなに仲悪いの?(´・ω・`)
>>417 >実際にどうかは別に >本質的に
んっと、姑息だなw そんなに自分のミスを認めるのが嫌か?
こういう姑息なプライドの高さは、
隠居カラス在家(宝珠)(閻魔)みんなに共通してるなw
>>419 残念だけど、それは仏教じゃないよ。
他の宗教は知らんけど。
422 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 19:47:48.87 ID:pI4k906d
>>420 俺の話と隠居の話のどこが一緒なんだよ(苦笑)
で、俺にミスがあるとしたらどこがミスなのか言ってみな。
どうせ
>>414の意味も理解せずにいってんだろうけど。
423 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:50:45.27 ID:TPZW+GOR
424 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 19:53:52.76 ID:diXLIO/B
>>421 「仏教とは何か」を分かりやすく説明してくれ。南方仏教やチベット
仏教ではなく、「日本の仏教」で頼むw。
このスレからは、「仏教とは何か」がサッパリ分からん。「基地外集団」
にしか見えない。
425 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 19:57:46.47 ID:pI4k906d
426 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:04:06.64 ID:pI4k906d
ちなみに日本の大乗仏教ではなくゴータマの仏教は、
人は業報に応じて輪廻転生している。だが輪廻転生して生まれ
生老病死で終わる我々の生存は苦しみでしかない。だから八正道を修めて
輪廻の輪を断ち切ろう。そこに涅槃静寂。真の幸せがある。
というものである。なにも難しい話ではない。それを難しくしてしまい
元の教えと違うものにしてしまったのが後世の頭でっかちな弟子達であり、
今の大乗仏教。
427 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:06:50.76 ID:diXLIO/B
>>425 >>394のようなことを語る日本の僧侶には会ったことがないぞ。皆、例外なく、
「現実界における生き方」を語る。本も沢山出てるだろ。
君が釈迦仏教にかぶれているだけではないの?w「日本の仏教」は、スッタニパータ
のようなカルトではないことは確かだ。
428 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:07:45.34 ID:fDF5yJFD
いつも亜流は自分が本家であると主張するもんなんだな。
どっかで見た光景に見える。
429 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:07:50.87 ID:pI4k906d
430 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:09:55.67 ID:diXLIO/B
>>426 君はやっぱり釈迦カルトじゃん。それは「日本の仏教」ではないぞ。
431 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:10:55.27 ID:pI4k906d
>>428 それは日本の大乗仏教のことだろう。
どうみてもゴータマの仏教とは違う教えになっている。
432 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:13:56.11 ID:pI4k906d
>>430 だから日本の仏教はゴータマの仏教とは違うと言ってるんだよ。
433 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:15:27.41 ID:TPZW+GOR
>>427 君はバットで殴られて痛くないの? 死ぬだろ。
434 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:16:01.04 ID:diXLIO/B
日本の仏教スレに、「日本の仏教徒」が皆無なことの不思議。
中国による日本の侵略よりも由々しき事態w。
435 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:17:36.15 ID:pI4k906d
>>434 くだらないナショナリズムに囚われている限り、おまえは助からないよ。
436 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:23:09.63 ID:TPZW+GOR
>>434 君はバカですか。共産中国によって、
チベットという大乗仏教国が滅びようとしている。
仏教では国を守れないという証拠だね。
437 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:27:10.14 ID:diXLIO/B
>>435 宗教も、他の文化と同じく、その存在地の人間の生存努力、即ち、風土、国民性、文化に
合わせて、長い長い時間をかけて熟成されたもののみが本物。「日本の仏教」であれば、
比叡山以来の日本人の、比類の無い叡智が結晶されたものでなければならない。
さもなければ、スレタイは「外国仏教議論スレ」に変更すべきであるw。
善とは何か?悪とは何か?
人間視点の勝手な概念には違いない
では、法とは何か?
人間が本質的に求めているものとは何か?
それが答えであり、そこに導く行為が善である。
439 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:33:54.35 ID:pI4k906d
ナショナリズムほどエゴイズムのもたらす最悪の結果をもたらすものはない。
人は歴史からは学ばない。なぜなら貴方と私を分けるエゴを持って生まれてくる
我々の心の要めはこのエゴイズムなのだから。
ま、ガチガチの唯物論者ほど救いようのない我の強さを持つものだ。隠居をそういう目で
観察してると面白いよ。
440 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:33:57.38 ID:TPZW+GOR
>>437 ならば問う。比叡山以来の日本人の叡智とは何か。
具体的に聞きたいものである。
441 :
ノスタルジア:2013/01/14(月) 20:35:27.39 ID:TYn5XpuH
442 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:35:27.61 ID:diXLIO/B
>>436 日本の禅僧たちは、その卓越した論理でキリシタンを論破して、追い払い、
日本をキリシタンの毒牙から守った。勿論、鎖国までしてキリシタンの
進出を防いだ当時の為政者も偉かった。
443 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:37:34.59 ID:fDF5yJFD
定期的にチベット仏教至上主義だとかゴータマ至上主義とかでてるけど、
日本の仏教も日本仏教って一つのカテゴライズなんだからチベットのが正しいゴータマのが正しいって
議論する事がそもそも間違いじゃねえの
444 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:38:15.25 ID:pI4k906d
>>442 善悪を否定する禅宗は邪教だよ。
道徳の完成こそが涅槃へと至る道。八正道はその道を説いている。
我々は善の修行を完成しないとそこには帰れないんだよ。
445 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:39:44.07 ID:TPZW+GOR
446 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 20:41:37.43 ID:pI4k906d
>>443 ゴータマの仏教と違う教えを説くなら仏教を名乗るなよ。
ただそれだけの話。
諸々の我からなる欲望が
人間が本質的に求めるものを阻害するのである。
448 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:45:08.99 ID:fDF5yJFD
相手の論述の内容云々でなく相手が気に入らない
450 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:47:06.18 ID:diXLIO/B
>>440 例えば、道元さんの「眼横鼻直」。これは中国の師の言葉ではないらしい。
451 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 20:51:53.41 ID:diXLIO/B
>>445 キリシタンは、「諸法実相」ではないから。その対極である。
>>440 横で悪いんだけどさ、叡山以前は外来宗教の研究に過ぎなかったけど、
鎌倉新仏教以後は地に貼った信仰としての仏教に変化して、
色々創造されてきたっていう大拙が言う所の霊性を伴った宗教って事を言いたいんじゃないの?
>>444w
んと、世間知らずだなw
どこに、そんな禅宗があるんだ?
どの宗派?どこのお寺さんで聞いたの?
毎度毎度の、居もしない敵を作り出して攻撃しての御満悦ぶりは大したもんだw
454 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 21:07:23.13 ID:pI4k906d
>>453 で、善悪に囚われない獣は生まれながらにして悟っているだと?
寝言は寝てから言え。禅宗は仏教を名乗るなよ。
>>454 それは、禅宗でなく本覚思想でしょ。
獣だなんて絶対言わないだろうけどw
456 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 21:18:33.67 ID:TPZW+GOR
>>452 叡山以来と言うからには、天台宗のことかと思ったのですね。
ここに天台の僧侶はいませんか〜 いたら天台を簡単に紹介キボンヌ
中論プラス法華経、これって結局、
本覚思想や煩悩即菩提のような気がしてならない(*^_^*)
457 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 21:27:22.56 ID:pI4k906d
>>455 獣はエゴのまま生きる。そこに善悪と言う概念はない。
獣は生きない。生きながらに死んでしまっている。
本当の本覚思想とはさ、人の良心のことを言うんだよ。
獣のように自己の利益のために他者を不幸にしても何にも思わないことを言うんじゃない。
エゴイズムを滅ぼすことができるのは言葉で思考できる「人」だけだ。
言葉は識別智。言葉は人を殺したが、この言葉こそが死人の我々を生かすことができる。
君らは根本的なところで救いようのない勘違いをしている。
458 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 21:29:07.40 ID:fDF5yJFD
>>456 そういうことじゃなくて南都六宗のときは外来宗教の研究だったけど、
叡山設立を契機に日本の独自性を追求し始めて、
鎌倉新仏教に至って日本独自の仏教が開花した。
って事じゃねえの、大拙の受け売りなんだけど。
それと天台の教義ぐらいググれよ、いつから煩悩即菩提になったんだよ。
459 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 21:31:44.71 ID:fDF5yJFD
>>457 君のいうゴータマの仏教って何?
なんでそれがゴータマの仏教だって言い切れるの?
そしてなんで日本の仏教はゴータマの仏教じゃないって言えるの?
君にお告げか何か有ったの?
釈迦は悟ったと言った
しかし誤りを言わないとは一言も言ってない
釈迦の決定的勘違いの一つは女性蔑視である
釈迦後2500年の叡智は釈迦矛盾を払拭したといえる
そこに捉われるのも誤りであり釈迦は正しいっちゃ正しいのだが
まぁ釈迦の自分さえよければ論に振り回されることはない
461 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 21:33:17.19 ID:TPZW+GOR
>>458 天台と真言をスルーですか
それがこのスレのウイークポイントかもしれないよ
>>457 獣云々の言い回しからして仏教的でないってこともわからない?w
463 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 21:37:46.70 ID:pI4k906d
>>459 スッタニパータを読めば日本の大乗仏教は違うと普通の感性を
持つ人ならすぐにわかると思うけどね。君らは普通の感性じゃないんだろう。
ま、君のような屁理屈垂れるような人とは話しても時間の無駄なのであしからず。
>>459 >お告げか何か有ったの
彼は、そこについてコメントしたことはないね。
自分の主張の根拠・源泉がどこか?(体験か、学び・知識か?)を、彼は明かしてないよ。
465 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 21:42:03.15 ID:pI4k906d
>>462 日本人は日本のことを日本と呼ぶが欧米人達はジャパンと呼ぶ。
表現は違うが指しているものは同じだ。ここは本当に馬鹿ばっかりだな。
466 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 21:46:31.34 ID:v9sP1AQK
467 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 21:46:54.00 ID:fDF5yJFD
468 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 21:53:28.67 ID:pI4k906d
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、
良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、
求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
>>464 聖霊は誰の心にも宿っている。同時に悪霊もね。
聖霊が下るも下らないも、本人が求めるか求めないかの違いでしかない。
真理の言葉(聖霊)を受け入れられる者が求めるなら与えら得れる。
だが真理の言葉(聖霊)を拒否する者は決して与えられない。
わかりやすくいうと道徳を否定する者には与えられないということ。
日本の大乗仏教のような神話みたいのよりスッタニパータの方が
まだ現実味があり真実には近い。
じゃあ、もうちょっと突っ込んで考えてみたらどうだろうか?
釈迦は完璧か?釈迦は人外か?
2500年前に80才まで生きた経験しかないのではないか?
470 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 22:04:10.09 ID:v9sP1AQK
>>468 >聖霊は誰の心にも宿っている。同時に悪霊もね。
>聖霊が下るも下らないも、本人が求めるか求めないかの違いでしかない。
>真理の言葉(聖霊)を受け入れられる者が求めるなら与えら得れる。
>だが真理の言葉(聖霊)を拒否する者は決して与えられない。
こんなこというと伝統仏教では邪見と言われはすれ、
インドにも東南アジアにも中央アジアにも東アジアにも何処にも伝統仏教ではないな
まあ、サーティ以来そういう勘違い野郎は沢山いたから
今でも新興宗教が沢山あるでしょ
471 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 22:15:17.88 ID:pI4k906d
>>470 また、盲人は聖霊という単語に反応してその真意を理解せずにものを言っている。
伝統仏教を自称するバッタもんの末法仏教の僧侶ならそういうだろうね。
言葉は命だ。ゴータマさんなら否定しない。スッタニパータを読めばわかるが
ゴータマさんは決して言葉を軽視していない。だいたい今の仏教徒はどんな高僧であろうとも
真理に到達している人はいない。ゴータマ自身は真理に至ったのだろうが、彼の残した
仏教と言う宗教自体は違う人達をヴェーダから隔離するためにできたようなものだ。
違う人達のエゴで真理を歪められたら困るからね。言わんとするところは。
ゴータマの仏教を歪めて違う教えにしてしまった今の仏教界を見ればよくわかるだろう。
472 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 22:31:35.66 ID:32iRn43b
>>446 >ゴータマの仏教と違う教えを説くなら仏教を名乗るなよ。
外部者から見れば、その「開祖の盲信」こそが、宗教の最大の病理。
そこに、「精神医学的要素」が存在する。1個人である開祖が言ったからとい
って、それが真理であることは、論理的にはどこからも出てこない。真理とは
「誰が言っても真理」のことである。
釈迦仏教徒は、「己の我を以って無我を説く」という、小学生にでも判る
釈迦の滑稽な初歩的論理ミス、勘違いと、「一切皆苦」という釈迦の鬱病の症状
を、いい加減で棄てるべきである。師の誤りを正すのが、弟子の義務であるはず。
その釈迦の「単純ミス」に何とかして合わせようと必死になるから、様々な
無理とひずみが生じてしまう。
さすがに中論は、「無我」とか「無」などとは一言も言っていないと思う。
言ったとすれば、それに対する反論の前提。「諸仏によって、我があるとも
仮設され、また無我であるとも教えられた。またいかなる我もなく、無我も
ないとも説かれた」(中論18:6)。これは明らかに釈迦とは違うね。
473 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/14(月) 22:33:56.70 ID:M4bkEpFG
なんか、オレのこと言ってる奴がいると思ったら、キチガイカラスかwwwwwww
ならいいかwww キチガイ相手にしてもしょうがないしwwww
>>471 2500年の仏教の歴史の中、
貴方と同意見の人物は登場していないんですよ。
これが何を意味するか解りますか?
貴方が腐す日本仏教だからとか、そういう問題じゃなく、
2500年の仏教の歴史の中で、(貴方が時折触れるスッタニパータの伝承者も含め)、
貴方のような考え方の弟子は、只の一人も居ないんですよ。
だから、貴方が言うように「仏教はゴータマ只一人にしかなかった」ということも不可能ではないよw
イエスの法が、イエス只一人にしかないように・・。
でも、それ言っちゃったら、学びも体験も、何も継承できないし、
この境地を貴方にも( >_ )-♥ 、という慈悲が虚しいでしょw
475 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 22:36:53.93 ID:pI4k906d
>>460 君は宗教的な意味の女性とは何かから学ばなけれいけない。
その意味を理解できればなぜ仏教もキリスト教も女性蔑視ともとれる
話があるのか理解する。女が男を殺したんだよ。だが処女は男を再び生かすだろう。
476 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 22:41:38.22 ID:pI4k906d
>>474 そう?俺の話はゴータマの話と変わらないと思うけどね。
ただ表現の仕方が違うだけ。それはイエスとゴータマも同じ。
彼らは表現の違いはあれど、いってることは同じ。真理は一つなんだよ。
はっきりいえることは、君ら末法仏教徒は、ゴータマの仏教とは
違う話をしている。これだけは間違いないから。
中論は本質なしの空だろ?
五蘊が空であることを説明だから釈迦踏襲で問題ない
我を五蘊の産物とすれば空であり無我といえる
この我というものは問題のある我(エゴ)を指すものであり、
別に普通に私(我)と言っても何も問題はない。
478 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/14(月) 22:54:14.87 ID:pI4k906d
蜃気楼は幻だが、それは無ではない。幻は幻としてそこにある。
>>477 現象世界は無自性な空だが、かけがえのない命はそこにあるんだよ。
479 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 22:55:19.56 ID:32iRn43b
>>477 >この我というものは問題のある我(エゴ)を指すものであり、
>別に普通に私(我)と言っても何も問題はない。
五蘊も我から生じる。死者には五蘊は生じない。
問題があろうとなかろうと、我は我。その「問題」を判断するのも我。無我論
の崩壊だな。
480 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 23:00:59.89 ID:AoMM0kRD
隠居はゲームセンターで店員に「右のアームで押すといいですよ」と
アドバイスされた時に
「ガラス戸が邪魔で右腕で押すなんて出来んやろ(ドヤ顔)」
と謎の抗弁をするのだろうな。
481 :
前世は一在家:2013/01/14(月) 23:04:55.21 ID:NwjEMgu3
>>468 :カラスの唄氏
>聖霊は誰の心にも宿っている。同時に悪霊もね。
>>476 >ただ表現の仕方が違うだけ。それはイエスとゴータマも同じ。
>彼らは表現の違いはあれど、いってることは同じ。真理は一つなんだよ。
エッセネ派ユダヤ教:光のコアと闇のコアが誰にでも宿っている。
マリアの福音書:心魂と欲心が誰にでも宿っている。
法華経:仏性と欲心が誰にでも宿っている。
貴兄と認識は同じかと存じます。
無自性空は運命論的でちょっと始末に困るな
恣意性は空に操られているみたいだw
まぁ他から影響を受け、他に影響を及ぼすってのは確かだし、
影響を遮断すれば止むのが事実だが、それさえも影響のなせる業だろう
というわけで影響により寝ますw
実体と捉える→執着→苦
仮設と捉える→執着が消える→苦が消える
ではなぜ実体ではなく仮設なのか。
なんで?
>>483 「なぜ」という問いがおかしいわけです。
縁起の連鎖によって顕現している事象を、
実体と見做すか仮設と見做すかの違いでしかなく、
強いて言えば、涅槃を見ようと思うなら仮設と見做しなさい、ということです。
485 :
神も仏も名無しさん:2013/01/14(月) 23:46:22.76 ID:AqddlMvq
カラスの唄という人は.どうも.考え過ぎて変になっている.
この人はカトリック(パウロ教)の人のようだが.キリスト教の枠組みで仏教を解するのは.
ほぼ絶望的に困難です.全く異なる構造とシステムで機能しているのが仏教と心得るべし.
>>471 君.自分勝手に語って「これが日本の仏教だ & だから日本の仏教は馬鹿なのだ」風味の言い方は改めた方がよかろう.
どうしても言いたいなら「これが俺の仏教だ & だから俺の仏教は馬鹿なのだ」と言うのが正しい.
当の仏教の者から見るなら「どこのカルトだろう」としか思えない異国情緒満点ですから.
>>483 縁起による有は、仮の有だからだよ。
ミリンダ王とナーガセーナのやりとりが面白くて参考になるよ。
(ナ)「大王よ、もしあなたが車で来たのなら、車を私に告げてください。大王よ、いったい轅(ながえ)が車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。 (ナ)「車軸が車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「車輪が…車のかごが…車の杖が…くびきが…手綱が…むちが車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「大王よ、いったい轅および車軸および車輪および車のかごおよび車の杖およびくびきおよび手綱およびむちが車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。
(ナ)「大王よ、それなら轅・車軸・車輪・車のかご・車の杖・くびき・手綱・むち以外のものが車なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」と。…
(ミ)「尊者ナーガセーナよ、私は偽って言うのではありません。轅によって、そして車軸によって、そして車輪によって、そして車によって、そして車の杖によって、車という、名称、通称、概念、慣用、名が起こるのです」と。
(ナ)「実に結構です。大王よ、あなたは車を理解なさいました。まさにこのように、私もまた、髪、体毛…脳…物質…意識によって、ナーガセーナという名称…名のみのものが起こりますが、最上義(勝義諦)からは、ここに自己は発見されないのです。」
ttp://www.manduuka.net/i/p/r/milinda/mi13.htm
487 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 00:01:54.92 ID:AoMM0kRD
でも「系」という形で実体視しちゃうのも問題らしいね。
488 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 00:07:09.89 ID:Oj9wsOZo
>>486 生きた人間と死んだ人間との相違に思い至っていない。死体は、放置すれば
腐敗して分解し、土に帰る。死体は、いかなる生命現象も表わさない。
489 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 00:17:58.24 ID:kRwCiFFs
o
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
/ このスレは無事に /
/ 糸冬了いたしました /
/ ありがとうございました /
/ /
/ 基地子♀より! /
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
∧_∧ / /∧_∧
( ^∀^) / /(^∀^ )
( )つ ⊂( )
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(__)_) (_(__)
>>488 wwwwww んっっとアホだなw
(ナ)「大王よ、もしあなたが生命であるなら、生命を私に告げてください。
大王よ、いったい身体が生命なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「心臓が生命なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「脳が…呼吸が…筋肉が…骨が…血流が…心が生命なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「大王よ、いったい心臓及び脳及び呼吸及び筋肉及び骨及び血流及び心が生命なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「大王よ、それなら心臓及び脳及び呼吸及び筋肉及び骨及び血流及び心以外のものが生命なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ミ)「尊者ナーガセーナよ、私は偽って言うのではありません。
心臓によって、そして呼吸によって、そして筋肉・骨によって、そして血流によって、そして心によって、
生命という、名称、通称、概念、慣用、名が起こるのです」(生きているという状態が顕現するのです)
(ナ)「実に結構です。大王よ、あなたは生命を理解なさいました。まさにこのように、
私もまた、髪、体毛…脳…物質…意識によって、ナーガセーナという名称…名のみのものが起こりますが、
最上義(勝義諦)からは、ここに自己は発見されないのです。」
(ナーガセーナと呼ばれる事象が、(所縁によって)顕現するのみなのです)
ミリンダ王の話って、
マクロ構造はミクロ構造に依存してるからマクロに固定された形はないってだけで、
素粒子まで遡っちゃうと意味ないんだよな。
「私」って内部構造もたない粒子が存在したらドキドキもんだ。
>>490 おお〜うまいね〜
>>491 極微なるものも、縁起として扱われるんだと思うんだけど、どうやって説明したら良いんだろう。
たとえば、眼と顕微鏡を因縁として、極微が生じる、って感じだろうか。
眼と顕微鏡が極微というわけではなく、眼と顕微鏡を離れたところに極微があるわけではない、的な。
仏教では少なくとも認識されないと「ある」ってことにはならないからね。
>>492 微細の方向での説明ではそれ以上分割できないもので止まってしまうから、
空の思想は無自性空の方向に流れたんじゃろ。
魂は内部構造持ちません(キリッ とされるとどうにもな。
>>490 隠居が現れるたびにそれ貼ってやれよwww
仏教とは人生哲学。
言語による妄想を捨てて、ただ今に集中して働く。道元が、中国に留学した際に、料理係のおじいさんのお坊さんにら叱られて悟った故事が物語っている。
496 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 02:22:11.86 ID:2IwYdPrI
>>490 人間が「部品の集合体」に過ぎなければ、人を殺しても殺人罪は成立せず、
単なる器物損壊罪となる。恐らくは何処の国でも、殺人罪が最大の罪である
ことが説明できない。
497 :
安堂:2013/01/15(火) 02:34:07.40 ID:gLavoOPt
>>496 刑法第199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
「人」は法律では特別ですよ。
「命」は大切ですが、わたしら人間は動植物を殺して、
「命」を奪って死骸を料理して喰らって生きながらえてるだけです・・。
だから食事の時は、「命」同士ののやりとりですからね・・・。
「うっまそ〜だなー」とか「よだれがでるな〜〜」とか鬼畜の戯言ですね。
肉や魚にしても、殺されたのです。
牛や豚や鳥が屠られる姿を想像するのです。
魚に包丁が入れられる姿を想像するのです。
そうやって他の動植物の命を奪って生きながらえているのが人間という憐れな生き物の姿なのです。
498 :
絶対神:2013/01/15(火) 02:37:41.89 ID:dGTAny6/
>>495 「そんな思考停止がうまくできないからこそ」
『そもそも世界にこんなに形而上学的宗教があるんだよ』w
どっちにしろ仏教って「どう転んでも根本的に非現実的でおかしい」
んだよね
『宗教の否定って結局「一種の宗教」ですからね』w
自覚してないやつが結構いるけど
>>496 >人間が「部品の集合体」に過ぎなければ、人を殺しても殺人罪は成立せず
そう、仏教的には、悪や罪も実在ではなく、罪悪感といった苦しみとして現われる。悪因苦果。
>単なる器物損壊罪となる。恐らくは何処の国でも、殺人罪が最大の罪であることが説明できない
そうならないように、カントさんとかは人間の実践理性とか自由意志とかを仮定するように、
どこの国でも人間にかけがえのない個人、それこそ我とか自性を前提にして法律ができてるんだろうね。
善とか悪も哲学的には実在と考えられるてるんじゃない?
サンデルさんの授業とか見る辺り、その規定は明確ではないにせよ。
500 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 02:39:53.04 ID:Xt5KDNqY
501 :
絶対神:2013/01/15(火) 02:41:41.97 ID:dGTAny6/
「で、かなり前にも言ったけど」
『電気や空気の実在だって本当の意味で多くの人間は確認している訳ではないの』
「自分より偉い人間や知識のある人間や優れた人間が」
『言っている事を信じる事によってこの世界の大部分は成り立っているの』
(それは知識が増えて専門的になればなるほどそうなっていかざるを得ない
の)
「しょせん、自分の知覚を重視する仏教は「時代遅れ」って事」
502 :
絶対神:2013/01/15(火) 02:46:20.51 ID:dGTAny6/
「自分の能力や知覚や知能の『限界』が近い事を理解しない」
『そして、それを超えた領域に「幾らでも実在するものがある」事を理解しない』
「私は、段々、仏教なんかより、盲目的に神を信じる考えの方がましなんじゃないかと思い始めたよ」
上の存在に十分な知識があり、下に対する悪意がないのならば
『確かに信じるという事は十分に機能する』
よしんばそうでない状況でも
「この世界の多くの部分は「ある程度、盲目的に信じる」事によって成り立っている事は、
誰にでも判る」
子供を超えて教育できる「親」が実在する以上は
『神が実在するとした方が社会はうまく機能するかもしれん』
503 :
絶対神:2013/01/15(火) 02:48:59.58 ID:dGTAny6/
「そもそもそうでなかったとしたら」
『世界がこんなに「宗教的」である訳がないのだ』
「恐らく仏教は、「宗教に反抗する」という事を重視するあまり」
『逆の極端に行って、「言いすぎて」しまっているんじゃないかと思う』
504 :
絶対神:2013/01/15(火) 03:24:25.95 ID:dGTAny6/
『人間には、どうしても』
「「神」か、「神みたいなもの」を求めていく『本能』がある」
「それを否定しても「しょうがない」」
『人は「神を信じない限り、結局、満足しない」』
>>310 >『無為』観念は縁起撥無の反仏法です。
>宝珠の超越論と同じく、その根底には広義の心霊主義(スピリチュアリズム)
>という反仏法に毒された神秘主義があるのです。
違います。
反仏法どころか、仏典において明確に看破宣言された重要部分でしょう。
もう何度もやりましたよね。
自分が認めたくない事柄を勝手に心霊主義のせいにしないように。
>>329 >無為法も業報輪廻転生もゴミ戯論として廃棄されるべきです。
やはり、単なる唯物主義者が正体なのですね。
これでは仏教にならない。
ただ都合のいい仏教用語を使って鎧固めし、
仏教者の振りをしてるだけ。
>>311 >俺も最初はそう思ってたよ、無為法なんてアートマン的な自性はあるはず無いって。
>でも、「諸法無我」の無我って部分に注目するべし!
>無為法も無我なんだよ、つまりは涅槃のこと。空とか不生不滅とかも多分そうだと思う。
違うと思います。
「諸法」とは“現象界に限定する仏教が説く諸法則”(性質についての教え)のこと。
よって、「有為」に限定されたものであり、涅槃はこれに含まれずです。
涅槃(無為)は“造られたものではない(現象界ではない)”とウダーナに説かれていた通りです。
>『大宝積経巻52』
何でも在りの大乗経典や文献に根拠を求めるのはこの場合には相応しくないと思われます。
再度、ご確認下さい。
『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。(p160)』
『諸行とは生滅変化する一切の現象法を指し、有為と同義である。すべての現象は一瞬の停止
もなく、無常にして生滅変化するというのが諸行無常である。(p158)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
尚、
>>322の内容については全面的に同意します。
>>314>>316>>ID:0oyvryks
私は、このスレで最初から一代の投稿を見続けてきたけれども、
一代ほど真摯に己れの人生のすべてをかけて仏教に取り組んできた者はいない(と思う)。
まさに驚嘆するほどの篤き信仰心と固い決意で修行に励んでこられた方。
この私とは対照的で、常に伝承と伝統を重んじて、自分勝手で軽はずみな解釈に浸ることをしない。
そんな氏が表面上だけの仏教を装った偽りの新興カルト殺人教団の徒などのわけがない。
麻原教義の矛盾と狂信の原因はすべて見抜いています。
根拠もなくオウム呼ばわりは辞めなさい。
とにかく、失礼にもほどがあるから。
>>267 >宝珠ちゃんは、ルノワールの『チベット 真実の時Q&A』か『仏教と西洋の出会い』読むといいと思うよ
これらを私に奨める意図が不明ですけれど、早速「Amazon」にてチェックはしてみました。
まずは、価格的に『チベット 真実の時Q&A』から取り寄せてみます。
読めばお奨めの意図も氷解するでしょう。
あっ、“ちゃん”付けを有難うです(照)
----阿闍梨さまへヽ(´ー`)ノ
>>397 (以前にも、この私に殆ど同様の指摘レスをしていましたが・・・)
そのサイトを少し見ましたが、
「“業報輪廻は無記に反するもの”であるから、
外道(仏教以前のインド思想)から流入したものだ」とみなしていますよね。
こういうのは、やってはいけない最も初歩的なミスと勘違いなので論外なのです。
まず、基本が分らないのなら(仏教を)理解できる筈がありません。
510 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 07:11:51.31 ID:rB6aptDV
>>507 >一代ほど真摯に己れの人生のすべてをかけて仏教に取り組んできた者はいない(と思う)。
>まさに驚嘆するほどの篤き信仰心と固い決意で修行に励んでこられた方。
そんないいもんじゃなく、エロオヤヂだよん
511 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 07:21:52.50 ID:TLfsF4iW
>>485 >カラスの唄という人は.どうも.考え過ぎて変になっている.
>この人はカトリック(パウロ教)の人のようだが.キリスト教の枠組みで仏教を解するのは.
>ほぼ絶望的に困難です.全く異なる構造とシステムで機能しているのが仏教と心得るべし.
長年カラスの唄氏のかきこを読んでおりますが、貴兄の誤解ではないでしょうか。
・彼はパウロ教には否定的である
・むしろ二ケーア公会議前の原始キリスト教や原始ユダヤ教に近いスタンス
尚、現代の仏教とキリスト教に比べて、原始の仏教とキリスト教とは説法が似ているというのが私の認識です。
釈尊が「真理を悟った道の人は互いを尊敬し争わない」と説かれたように。
512 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 07:24:49.86 ID:rB6aptDV
>>511 >釈尊が「真理を悟った道の人は互いを尊敬し争わない」と説かれたように。
それは似ているかもしれないけど、神、創造主などのなんらかの実在を想定しているので、そこが全く違うと思うんですけど
513 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 07:32:20.29 ID:TLfsF4iW
>釈尊が「真理を悟った道の人は互いを尊敬し争わない」と説かれたように。
参照:スッタニパータ 884
514 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 07:33:29.87 ID:kRwCiFFs
おまいらは所詮仏典読みの
仏教知らずじゃよ!(微笑) (^。^)y-~
515 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 07:40:23.58 ID:TLfsF4iW
>>512 >それは似ているかもしれないけど、神、創造主などのなんらかの実在を想定しているので、そこが全く違うと思うんですけど
原始仏典でも過去七仏、大梵天、梵天、神々が説かれております。
ただ実在というより、縁起すると解釈されているようですので、「全く違う」というよりも世俗的には似ているかと存じます。
例、宇宙初発に「光あれ!」と言った創造神、無量寿の如来
516 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 07:48:42.49 ID:rB6aptDV
>>515 仏教で登場する神々は、自らも輪廻の住人で、いずれ業が尽きれば転生する存在
セム系宗教の神々は、世界の絶対的創造主。そしてそれら宗教の基本理念は神の命令に従うことでしょう。
そこらへん一緒にしちゃ、全く分かりませんよ仏教は。
517 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 07:54:56.45 ID:TLfsF4iW
>>511 あるクリスチャンが仏教徒に改宗しました。
後に彼はトマスの福音書(ナグハマディ文書の中の一文献)を読みました。
彼「もし先にこれを読んでいたら、改宗しなかった。」と。
先に紹介しましたが、トマスの福音書には如来蔵を思わせる説法が複数含まれております。
518 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 08:01:14.47 ID:TLfsF4iW
>>516 >仏教で登場する神々は、自らも輪廻の住人で、いずれ業が尽きれば転生する存在
仏教で登場する神々は、むしろキリスト教では「天使」に近いでしょう。
天使は堕落することもありますし。
またキリスト教での創造神は、仏教では梵天(大梵天)に近いでしょう。
無量寿なのでともに宇宙初発から存在すると言っても矛盾はないかと存じます。
519 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 08:12:16.11 ID:DyFs9ycY
「光あれ!」は、赤ちゃんが産道から外にでたときを現している。
神とは赤ちゃん。
神の創造とは赤ちゃんが言葉によって世界を認識して概念を作ること。
最初に作られた神(赤ちゃん)によくにた男女とは赤ちゃんの両親のこと。
520 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 08:45:04.56 ID:rB6aptDV
>>518 >またキリスト教での創造神は、仏教では梵天(大梵天)に近いでしょう。
仏教だと梵天(大梵天)も輪廻する存在です。
>無量寿なのでともに宇宙初発から存在すると言っても矛盾はないかと存じます。
「宇宙初発から存在する」神、創造主を仏教は認めませんよ。
「宇宙初発から存在する」のは如来蔵ですが、それは空性で、本来、存在するとか存在しないとかの四句表現を超えてますが、セム系の神や、ブラフマンなどの実在ではありません。
521 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 09:19:48.53 ID:TLfsF4iW
>>520 >仏教だと梵天(大梵天)も輪廻する存在です。
法華経では釈迦如来も輪廻されたそうですね。
本来、阿羅漢以上の菩薩や如来は輪廻する必要がないのですが、衆生済度(教化)の為に方便力で輪廻されてます。
以上は仏教テキストに基づいた解釈です。
阿弥陀如来「我汝を救わずば正覚をとらじ(涅槃に入らず)」
仏教が哲学でなく宗教である所以でしょう。
522 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 09:34:32.74 ID:rB6aptDV
>>521 それはいいとして、キリスト教と仏教は違うという点は了解してもらえましたか?
トマス福音書に説かれるようなグノーシスは、私から言えば表象/実在説であり、
『梵網経』で外道の聖者とされる境地です。
つまり、三昧・禅定によって表象は超えるが、その三昧体験を実在ととるものであり、縁起・空・仮設がないので実在を超えられないと通仏教的に言われるものです。
ちなみに通仏教といった時は、私が知る限りインドの大乗・部派仏教、チベット、
東南アジア、東アジアの諸宗派で伝統仏教とされるもの全てが認めるという意味です。
523 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 09:43:49.49 ID:kRwCiFFs
∧∧ ピコッ ☆
( ^o^)っ―[] /
[ ̄ ̄ ̄] (^o^)
>>522
524 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 10:04:18.10 ID:TLfsF4iW
>>521 >仏教が哲学でなく宗教である所以でしょう。
龍樹が王に説いたのが「宝行王正論(ラトナーヴァリー)」です。
月称菩薩が龍樹作だと、中論に次いでよく引用されました。
(宝行王正論 4-99)
在家者の為の法はことに布施と戒と忍と真実であるといわれる。その本質は慈悲である。それを堅固に保持すべきである。
仏教徒、大乗の方々はもちろんですが、異教でも2chかきこの際にも「慈悲」は意識致しましょう。
尚、「慈悲」を孔子は「仁」、イエスは「愛」と幾度も説かれております。
意識された作り物の「慈悲」か。
悪い冗談。
526 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:13:38.14 ID:rB6aptDV
>>524 そういう問題点をはぐらかすとこが悪いクセですね
この問題を保留したままでは、仏教の経論をいくら読んでもあまり意味がないと思いますよ
オイラは、違うと言ってるだけで、別に悪いとか否定してるわけじゃないですよ
違うものを同じとされるのは困る、それだけです
入中論を勧めたのは、アナタが私の見方を知りたがってるようなのでですよ
いろいろ、誤解されますね
527 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 10:19:31.21 ID:TLfsF4iW
大乗の特質は我法二空を説くことでなく、六波羅蜜と慈悲を本質とすること、六波羅蜜は利他・自利・解脱の行であること、だそうですね。
「空」の論議に夢中になって、「慈悲」を忘れないことが寛容かと存じます
528 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:23:20.16 ID:rB6aptDV
>>527 相手の「思い込み」「誤解」を解くことも「慈悲」じゃないですか?
自分の「思い込み」に都合よく経論を利用するのは重い悪業だと思いますよ
もちろん、話し合うことを望まないのでしたら、そう言ってくれればいいだけです
529 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 10:29:58.80 ID:TLfsF4iW
>>526 >オイラは、違うと言ってるだけで、別に悪いとか否定してるわけじゃないですよ
>違うものを同じとされるのは困る、それだけです
>>522 >トマス福音書に説かれるようなグノーシスは、私から言えば表象/実在説であり、
>『梵網経』で外道の聖者とされる境地です。
外道の聖者とされる境地という貴兄の解釈は認識しましたよ。
だから私も「同じ」という言葉はさけて「似ている」という言葉を使っております。
「同じ」と「違う」の分別ですが、「似ている」は「同じ」に近いでしょうか。
同じ、似ている、かなり違う、全く違うと0,1で表せない現象界の論理をファジーと申しますか。
尚、釈迦の慈悲、孔子の仁、イエスの愛も同様に「同じ」ではないかも知れませんが、「似ている」と申しております。
530 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 10:39:23.23 ID:TLfsF4iW
>>528 それから、
>>524 >>527 のかきこはオイラ氏宛てではないですよ。
もしそのようなことをしましたら、「在家に長部」が「在家に入中論」と替わるだけですから。
531 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 10:42:56.19 ID:rB6aptDV
>>529 では、似てるか似てないか話ませんか?
私は上に説いたように似てない、全く違うという見方です。
この点をハッキリさせるのが重要だと思います。
そうでなくボンヤリと似てるかもしれないというような見方で、経論を読んでもしかたないように思います。
なぜなら、仏教の導きはそういう「思い込み」という戯論・妄想を断つことにあると思うからです。
532 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 10:54:22.39 ID:TLfsF4iW
>>531 オイラ氏
>では、似てるか似てないか話ませんか?
それならば、話せますね。 尚、もうじき外出します。
>>520 >「宇宙初発から存在する」のは如来蔵ですが、それは空性で、本来、存在するとか存在しないとかの四句表現を超えてますが、セム系の神や、ブラフマンなどの実在ではありません。
旧約聖書の創造神は最初に「言葉あれ!」と発せられました。それまでは四句表現を超えていたからではないでしょうか。
だから如来と似ていると思った次第です。
尚、四句表現を超えたAとBとが同じか、異なるかは分かりません
533 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 11:06:48.86 ID:rB6aptDV
>>532 >旧約聖書の創造神は最初に「言葉あれ!」と発せられました。それまでは四句表現を超えていたからではないでしょうか。
>だから如来と似ていると思った次第です。
実在が言葉を超えているというような表現は、セム系じゃなくても道教でもヒンドゥーでも色んな所にありますよ。
それを類型化して見せたのが井筒俊彦『意識と本質』だと思います。
以下のように、そういうものを認めないのが仏教です。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html それをもっと明解に書いているのが中観系です。『入中論』『中観荘厳論』なんか端的です。
なぜなら、そのような実在を掴んでいる限り戯論寂滅できないので、輪廻から解脱できないからです。
四句分別のように論理形式を明確にして、それを超えた中道と、戯論寂滅への導きを設けられたのは釈尊の流れだけでしょう。
西洋へはピュロンが伝えていますが、それは確実に仏教から教えをインドで受けたものと思います。
ですから、聖書と仏教の四句分別とそれを超えた中道は全く別だと確信します。
起源論ほど無意味なものはないな
すべての宗教は同一だとかさ
似たような言葉は必ずどこにでもあるよ
でも、細部までことごとく同じということはありえない
それをおしなべて同じということはすべての宗教にとって失礼だし
他の宗教がまったく役に立たないというのは他宗教の言葉を狭く見すぎだ
自分でも思い至ることはたいてい他人も思いついてるよ
不思議なのは、
在家も宝珠もカラスも、
「なんで、(自分たちの考えが)、 『“仏教と同じ” でなければならない!』」 と思うんだろう、
ってこと。
違ってていいじゃんwって思うんだけど、こだわるよねぇ・・ ┐(´ー`)┌
536 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 11:46:44.81 ID:rB6aptDV
>>535 恐らく真理は唯一だと考えてるじゃなかろか?
しかし真に神仏を信仰しても目の前に食い物は運ばれて来ないんですよ
538 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 11:49:36.44 ID:rB6aptDV
>>537 行者とかが本当に死にそうになると運ばれてくることはよくある
(ナ)「大王よ、もしあなたが真我であるなら、真我を私に告げてください。
大王よ、いったい身体が真我なのですか」と。
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「心臓が真我なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「脳が…呼吸が…筋肉が…骨が…血流が…心が真我なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「大王よ、いったい心臓及び脳及び呼吸及び筋肉及び骨及び血流及び心が真我なのですか」
(ミ)「いいえ、尊者よ」
(ナ)「大王よ、それなら心臓及び脳及び呼吸及び筋肉及び骨及び血流及び心以外のものが真我なのですか」
(ミ)「そうです、尊者よ」
(ナ)「・・・・・・」
(ミ)「尊者ナーガセーナよ、私は偽って言うのではありません。
心臓によって、そして呼吸によって、そして筋肉・骨によって、そして血流によって、
そして心によってあるのではなく、
それらに縛られない、それらの上位にある、真の自己というものがあるのです」
540 :
ノスタルジア:2013/01/15(火) 12:44:55.91 ID:JOievfLU
【釈迦は夢想家か?】
釈迦は悟りを得た後、説法を開始した。
そして肉体から離れていなくて入滅の際に、完全な涅槃を得たという話だが、
それは仏弟子たちの見解である。
釈迦は自分が肉体を逸脱した者であるということを言えずにおられたのではないだろうか?
つまり説法している釈迦はもはやあの悟りの開いた前の釈迦ではなくて、
もっと身に潜む者による釈迦ではないのだろうか?
釈迦の行動、言動を知り尽くした、仲間がいたのではないか?
つまり彼よりも・・・なんらか違うアノマリーな者達による。
つまり此処じゃないどこかではなく此処にあるアノマリーである。
此処を逸脱したらアノマリーはどうもこうも出来ない。
その媒体としての悟った釈迦。その代わりに、アノマリーな者達は
釈迦という人物像を完成させた。
そうではなきゃあの、独創的思想を肯定することは容易くは出来ないだろう。
541 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 13:54:58.08 ID:3DbH7Dut
>>538 > 行者とかが本当に死にそうになると運ばれてくることはよくある
それを運んでくるのは、神仏ではなく人間。運ばれてくる食物も幻ではなくアートマン。
それがなければ行者は死ぬ。死ねば、修行も、釈迦も、宗教も、覚りもへちまもない。
人間は霞を食っては生きられないし、幻の女を抱いても、子は生まれない。
「釈迦は五蘊以外にもアートマンを認めない」。この釈迦の誤り、勘違い、倒錯が、諸悪の
根源。「無我説」は、中論や前レスですでに崩壊した。
「人間は、表象により実在を判断しない限り、一瞬も生存できない」。これが人間界
における「法」の中の「法」。この法から逸脱することが、「人間界においては赦されない
地獄に堕ちるに値する最大の罪」。
釈迦もイエスも、この「最大の罪」を犯したのである。現代人は、もはや彼等の罪を
繰り返してはならない。人類は、その発生以来、どのようにして現代まで存続して
いるかを考えよ、もっと人類史的な視野を養え。
542 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 13:57:58.04 ID:IOM8s2bO
543 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 13:58:47.02 ID:kRwCiFFs
∧∧ ピコッ ☆
( ^o^)っ―[] /
[ ̄ ̄ ̄] (^o^)
>>540
544 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 14:05:06.95 ID:3DbH7Dut
>>542 釈迦の単なる勘違いに執着しまくる仏教こそ秋田県。「執着を去る」のが仏教ではなかった
のかねw。
世俗的な幸福の追求をすれば人類は満たされるのかね
無ければ無いで苦しみ、有れば有ったで苦しむ、それが人間の本性だと思うけどねぇ
日本は世界から見れば恵まれているがそれでもやはり苦しんでいる人はいる
泣いて人を罵る者もいれば、己のみが苦しんでいると他を見下す者もいる
まさか自分が恵まれているとは気づかない、いかに日本がひどいかを血眼になって探す
彼らが生きていくためのあらゆる方法がすばらしい教えなら
きっとその教えは生きていくことを肯定的にとらえるために常に未来に明かりを求めさせつづけることになる
そして、それは逆に現在をひたすら苦しいと言い募ることにもなる
生きていくことだけが大事な人が持っているのは底なしの飢餓感ではないかな
彼らは結構幸せなのだ。未来は必ず明るいのだから
しかし、人は必ず死ぬ
明るい未来は永遠には存在しないのだ
実は現状には不満が充満しているのだが
だからこそ、未来が明るかった
裏を返せば、未来が暗くなれば、現在には何もないのだ。
死を宣告された人間が茫然自失するのはだからだ。
予定が狂うのだ。いつだって死は突然で、期待を裏切る。
しかし、ただ生きていくことが幸せな者には解答が出せない。
宗教が必要となるのはここだと思う
誰か人の遺伝子に植物を組み込んで光合成する人間作って。
無理だったらネズミでもいいよ
548 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 14:38:26.86 ID:kRwCiFFs
∧∧ ピコッ ☆
( ^o^)っ―[] /
[ ̄ ̄ ̄] (^o^)
>>547
光合成には水と窒素がいるよ、そしてその栄養をとりこむには分解するための酵素がいる
植物の葉緑体を人間の細胞に入れるにしても、そこに水と窒素を供給する組織がないし
葉緑体が他の組織と共存関係にあるとも限らない
完全に動物と植物が一つの生命体とはならないなら、どちらかが死ぬことになると思う
>>509 宝珠さんへ
> … 基本が分らないのなら(仏教を)理解できる筈がありません
チベットのゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B 「空」の本当の意味を深く知るには
中観自立論証派と帰謬派の見解の僅かな差を吟味する必要があります
チベットのゲルク派は
帰謬派の見解を、思想哲学の究極と位置づけています
これに次ぐのが、中観自立論証派の見解です
それゆえ、最高の見解と次位の見解の差異を吟味することにより
究極の真理である「空」の意味を深く知ることができるわけです
両学派の見解の差は、空の論証方法の相異です
一番本質的な差異は、世俗の次元での自相(自性)の有無です
自相(自性)とは
「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」
と私たちが自然と思い込んで執着している心の働きです
自立論証派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」
という自相(自性)を、世俗の次元では承認します。これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
帰謬派は、そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します
551 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 15:36:04.78 ID:rB6aptDV
>>550 だから、それはゲルク独自の特殊な方便説で、
中観一般の教えと全く違うんだって
? は何回いっても分かってくれないけど、他の人のために書いとくね
私は観音になりたい。
553 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 16:13:21.53 ID:kRwCiFFs
>>552 人
(´・ω・)/ 観音はうんこ♪
( \ )
( )
 ̄T ̄T
人 うんこは観音♪
\(・ω・`)
( / )
( )
 ̄T ̄T
554 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 16:15:06.49 ID:lnyuLbB4
>>550 >帰謬派は、そのような自相(自性)を、世俗の次元でも否定します
帰謬派は「己が人間であることを忘れて」、生存体としての人間の知覚・思考
能力以外のことを知覚・思考しようとしている。従って、「法」に反するから
誤り。知覚・思考の異常としての治療対象になるだけ。
しかし、帰謬派にも、いるいろとニュアンスの違いがあるのだか、そう単純には
言えないのではないか。
555 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:08:36.51 ID:lnyuLbB4
「言語」をいくら「戯論」として排除しようとしても、言語こそが、人間が
その生存努力の長い長い期間において、起源的には、生存に関係する具象物を
指示・特定して他の成員に伝達するための「記号」として作り上げた、人類
最大の発明。従って、言語こそは「法」であり、共同体の他の全員の合意なく
しては、勝手に加減、変更は不可能なもの。さもなければ、共同体としての
人間の生存そのものが破壊されるからである。
統合失調症患者の使う言語は、共同体の他の成員にとって「了解不能」である。
※仏教は今の西暦2013年を考慮してかかれておりません
557 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:13:00.70 ID:lnyuLbB4
>>556 生存主体としての人間の本質は、当時でも、さらには人類、生命体の発生以来
同じである。だから、現在まで存続している。
558 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:19:35.66 ID:lnyuLbB4
「他の動物は言語を持たない」というのは、単に「人間の言語と同様の
言語を持たない」というだけの意味。他の動物も、一糸乱れぬ共同生活を
して今日まで生存している。渡り鳥の群を見ても、彼等が「人間の言語とは
異なる言語」で、お互いに意思を疎通していることが、十分に推測できる。
>>557 その通り。さらに当時を考慮して書かれた部分も無視していいぐらい
560 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:52:51.86 ID:IOM8s2bO
一切行無常なのに「仏教」があると妄想しているこのスレの住人はアホなのでしょう。
561 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 17:53:00.63 ID:lnyuLbB4
>>559 いつの時代にも、精神病者は発生し、しかもそれは感染する。当時はそのことが
分らなかったばかりか、「希少物」として珍重されたw。しかし、圧倒的多数の
人間(生活者、衆生)は、健常者であった。
562 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 18:03:07.60 ID:lnyuLbB4
言語が「戯論」なら、維摩居士のように、一切口を利いてはならないことに
なる。それでは、人間の共生は全く不可能になる。
言語が現実(具象物)と対応している限り、それは「戯論」ではない。
しかし、宗教ほど、「現実に対応しない言語」即ち「戯論」を饒舌に使う
ものはないw。
>>520 >「宇宙初発から存在する」神、創造主を仏教は認めませんよ。
ゴータマがいった、
如来が出現しようがしまいがこの世に無始の元より作用している諸法則がロゴス(神)。
ロゴスの持つ特性の部分ですよ。この力(作用と諸法則)なしでは如来すらも出現することができない。
(注---ロゴスは人格神ではない)
神を説くか説かないかは、
伝統や教えにおける手法の違いに過ぎない。
>>共同体の他の全員の合意なくしては、勝手に加減、変更は不可能なもの。 ・・否定する.
>>511 残念ながら「誤解」ではありません.
カラス唄氏は一貫して日本仏教(彼は末法仏教と呼ぶ)を侮蔑批難攻撃し続けている.
それは現代日本仏教にある私へのそれでもある.
十回に一回.現代日本仏教の立場から彼の俺様仏教解釈を「否定」したからとて問題はない.
沈黙は「認めている」との誤ったメッセージとなりかねない.
565 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 18:16:23.69 ID:IOM8s2bO
今は価値のあるいんたーねっつとか100年後に価値があるかどうかも分からないよね
>>515 前世一在家氏
>原始仏典でも過去七仏、大梵天、梵天、神々が説かれております。
それらを同列に並べているところにあなたの誤解ポイントが表われています。
仏(如来)と、梵天・神々は全く別のカテゴリーです。
>世俗的には似ているかと
「世俗的には」とご自分で表現されている通り、世俗的な観点で把握しうるのは、梵天・神々・人間・畜生・餓鬼・地獄であり、またそういう観点では、仏陀(如来)はあくまでも生身の人間ですから、人間にカテゴライズされる存在です。
この世俗ヒエラルキーにおいて、例えば、
◎ヒンドゥ教の世界観では梵天(ブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァ等)
◎セム一神教では絶対支配神(ヤハウェ・天の父・アラー等)
が頂点に位置します。
なので、仏教のヒエラルキーと比較対照するのであれば、ヒンドゥのヒエラルキー同様、梵天が該当すると判断すべきです。
568 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 18:28:57.61 ID:TLfsF4iW
>>535 >在家も宝珠もカラスも、
>「なんで、(自分たちの考えが)、 『“仏教と同じ” でなければならない!』」 と思うんだろう、
>>536 >恐らく真理は唯一だと考えてるじゃなかろか?
宝珠氏とカラス氏は御自身から回答いただくとして、私見の説明をば。
・まず法(真理、ものごとのあり方)は複数あります。
・その中に人類が幸福になる為(衆生済度)の法があります。
・聖者達の多くはその法を悟ったと仮説します。
・尚、その真理(法)に達する手段(道)は複数あり、聖者達が説かれたと仮説します。
・以上の仮説を各教のテキストを読みながら、順番に私は確認しております。
テキストによれば、釈尊は梵天の懇願により、イエスは天の父に、モーゼはヤハエに、マホメットはアラーに従い布教を開始されました。
このプロセスは「全く異なる」というより、法輪動機も含めて「似ている」と認識しております。
尚、梵天、天の父、ヤハエ、アラーが実在か縁起(空)かは証明できないないので重要な関心事ではないでしょう。
>>567 続き
仏陀(如来)が世俗の中でその身を置くの(色身)は、あくまでも人間界です。無理にこじつければ(あくまでも無理なこじつけでしか不可能ですが)、ヒンドゥのアバターラとかキリスト(救世主)のポジショニングに比せられます。
ただ、その救世主(キリスト・アヴァターラ)と仏陀の色身が紐付けされる先に決定的違いがあるわけです。
前者は、梵天や絶対支配神等の「世俗的には」把握しうる世界のヒエラルキーのトップに君臨する存在(実在)に紐付けされます。
なので、これらに拘っている人々は、その実在を「無我」「仮設」とすることに強い拒絶反応を示します。「出世間」という枠で捉えていない(俗世間の枠で捉えている)から当然です。
一方、仏陀(如来)の色身が紐付けされている先は、「出世間(脱世俗)」の論理のカテゴリー(涅槃)です。これは「無我」と関連させることに何ら障害のないものです。
なので、仏教と各宗教のパンテオンを比較対照する出発点として、「仏、梵天、神々」と一括りにしてしまう所に大きな誤りがあります。
俗世間内のヒエラルキーの比較でしたら仏教と諸々の異教との間の比較照合は「御自由にどうぞ」といった感じになりますし、そこはむしろ「万教帰一」、「同じ一匹の象を撫でている」のでありましょうというのが私の考えです。
570 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 18:34:05.74 ID:TLfsF4iW
>>567 不説氏
>またそういう観点では、仏陀(如来)はあくまでも生身の人間ですから、人間にカテゴライズされる存在です。
確かに応身の如来は人間ですが、法身の如来は無量寿で、最初の大梵天が誕生した時期も知っているそうです。
571 :
基地子♀菩薩:2013/01/15(火) 18:39:00.08 ID:kRwCiFFs
>>568 ,、ァ
,、 '";ィ'
________ /::::::/l:l
─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、 __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !|
. : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l| またまた ご冗談を!
、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ! ,、- 、
.ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙::: rー-:'、 / }¬、
. \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''":::::::::: ,...,:::,::., :::':、 _,,/,, ,、.,/ }
ヽ:ヽ、 /::::::::::::::::::::::::: _ `゙''‐''" __,,',,,,___ /~ ヾ::::ツ,、-/
`ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ- _| 、-l、,},,  ̄""'''¬-, ' ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ
_,,,、-‐l'''"´:::::::' ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、, ,.' j゙,,, ´ 7
,、-''" .l:::::::::::;、-''" ,.-' ゙、""ヾ'r-;;:l 冫、 ヽ、 / __,,.ノ:::::ヽ. /
l;、-'゙: ,/ ゞ=‐'"~゙゙') ./. \ / '''"/::::;:::;r-''‐ヽ
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,、‐'゙ ン;"::::::. "´ '゙ ´ / ゙、 ,' /
' //::::::::: {. V /
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. / /:::::::::::::::::. ',. / ,.、 /
572 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 18:39:16.29 ID:TLfsF4iW
>>570 続き
法身:大日如来
報身:観世音菩薩
応身:釈迦
三身一体のようなイメージを持っております。
あんたらすげーからもっと短く簡単にまとめられますか?馬鹿でも分かるように
574 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 18:47:38.60 ID:TLfsF4iW
>>573 >あんたらすげーからもっと短く簡単にまとめられますか?馬鹿でも分かるように
法身:如来←無量寿・無量光
報身:菩薩
応身:聖者
より短く、三身一体のようなイメージを持っております。
575 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 18:51:00.36 ID:I1lss3t2
>>507 宝珠愚者さん
>根拠もなくオウム呼ばわりは辞めなさい。
>とにかく、失礼にもほどがあるから。
ダイヤモンドには意識があるんだよね。冗談ならともかく、
そんなあなたには、説得力なんてまるでないぞ。
>>568 前世一在家
>テキストによれば、釈尊は梵天の懇願により、イエスは天の父に、モーゼはヤハエに、マホメットはアラーに従い布教を開始されました。
>このプロセスは「全く異なる」というより、法輪動機も含めて「似ている」と認識しております。
>>567>>569 に述べたように、
釈尊:懇願された(教導をお願いされた先生としての位置付け)
モーセ・イエス・ムハンマド:絶対神に従って(あくまでもエージェント、しもべとしての位置付け)
という決定的な違いがあります。また紐付け先は釈尊の場合は仏陀自身(涅槃)であり、誰かの使い走りではありません。
>>570 前世一在家氏
>最初の大梵天が誕生した時期も知っているそうです。
釈尊に転法輪を懇請した(大)梵天を、(異教のヒエラルキーの頂点に位置付けられる)絶対神等と同列に比定するのでしたら間違っていないと思います。
最初といっても、この劫の宇宙における「最初」という話でしょうけど。
578 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 19:10:19.74 ID:I1lss3t2
オウムサリン事件
オウムは1995年、阪神淡路大震災(1月)の後、
地下鉄サリン事件(3月)を起こした。あれから18年が経つ。
この事件は仏教に深刻な影響を与えた。
この時に、仏教は実質的に終わったのかもしれない。
日本人の心が、仏教から離れてしまった。
579 :
前世は一在家:2013/01/15(火) 19:13:12.99 ID:TLfsF4iW
>>576 不説氏
>釈尊:懇願された(教導をお願いされた先生としての位置付け)
>モーセ・イエス・ムハンマド:絶対神に従って(あくまでもエージェント、しもべとしての位置付け)
懇願とか「勧請」という言葉に惑わされずに、テキストで検証しましょう。
また『在家に長部』と揶揄される長部経典で恐縮ですが、「大本経」では、
・過去七仏の中で最初の仏ヴィパッシンは悟りを開きました
・ヴィパッシン仏は「人々は私を理解してくれないだろう。煩いとなろう。」と意欲低下
・大梵天の中の一方が現れ、天眼にて初転法輪の対象者を提示しました
・ヴィパッシン仏は心変りして初転法輪へ
人類への大慈悲と仏をも超える天眼力の大梵天を仏より格下と見做してきた根拠は如何でしょうか。
親が子供に、先生が生徒に善行をお願いしたら、懇願した方が格下だという理由にはならないでしょう。
580 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 19:27:52.55 ID:I1lss3t2
仏教がオウム事件から逃げられないのは、
オウムの教義が仏教のテキストを基にしているからである。
仏教経典に、大量殺人、ポアの思想が隠れている。
ポアの思想が仏教経典にある以上、それを根絶やしにするには、
息の根を止める以外にないだろう。
仏教は邪教である。
無自性空の発想は確かに鋭い。
拘るべき価値に値するだろう。
涅槃や悟りの所在を示すものであり
それは当然の如く無自性空の範疇の出来事となる。
つまりは個人における一切であり幻や幻覚も含まれるのである。
つまりスッタニパータ等に出てくる神々や悪魔は、
自分世界の幻影または暗喩を示唆していることを示す。
582 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 19:42:04.51 ID:I1lss3t2
このスレでもテキストテキストと騒ぐバカがいる。
仏教が社会秩序を乱す邪教であることを知らないからだろう。
無我を説く仏教の時代は終わった。邪教は滅びよ。
新しい日本の、新しい精神を作ろう。
583 :
タントラヴァジラヤーナ:2013/01/15(火) 19:54:55.05 ID:IOM8s2bO
584 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:00:50.20 ID:qtle8XBn
>>564 >・・否定する.
「法」とは、人間が否定できないもの。
いくら自分勝手に「新語」を作ってみても、共同体がその意味を受け入れなければ
言葉として通用しない。いくら自分勝手に言葉を否定してみても、その意味について
共同体の合意がある限り通用する。
「言葉とは何か」「人類に、言葉はどのようにして発生したか」を考えてみよう。
言葉は、起源的には、人間が、生存に関係ある具象物を、他の成員に対して指示・
特定するための「記号」として発生した。具象物に対応しない言葉(観念語・抽象語)
の意味は、百人百様であり、実は伝達の機能も果たしていない。
585 :
タントラヴァジラヤーナ:2013/01/15(火) 20:01:05.44 ID:IOM8s2bO
586 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:05:09.48 ID:I1lss3t2
空を説く大乗仏教は、チベットのように国を滅ぼす。
大東亜戦争の下手人は、法華経信者・石原莞爾ではないだろうか。
かれらは最終戦争を無意識に考えている。麻原と同じである。
麻は麻薬の麻。麻の原。空論者は酔っ払いだね。
テキストに依拠したらいかんのよ
テキストが正しいという錯覚に陥る
何故テキストが正しいと思うかというと
悟った人が言ったんだから絶対だという錯覚がある。
何故悟った人の言うことが絶対かと思うかというと、
多くの人が信仰し拝んでるものであるという錯覚がある。
何故多くの人が信仰し拝むかというとご利益があるという錯覚がある。
なぜご利益があるかと思うとそう教えられてるからである。
教育の段階で勘違いが発生してるから、お経(テキスト)がありがたいなんて
馬鹿な発想に結びつく。
588 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:14:25.26 ID:qtle8XBn
>>578 原因は、開祖の精神病の感染による「開祖盲信と執着」。釈迦盲信も、イエス盲信も、
「原理的には、全く同じ」。
589 :
崇教カルト マヒカリ:2013/01/15(火) 20:15:43.42 ID:IOM8s2bO
590 :
創価学会は北朝鮮宗教である:2013/01/15(火) 20:18:44.52 ID:IOM8s2bO
あえて言うなら分裂社会ですかこれは?
宗教というものは、ただの人間を曲解させるものである。
そうさせるものは人間の弱き依存心に他ならない。
故に各個人が強くなれば、宗教は滅びるのである。
>>584 俺が何を否定したのか知らないで.アンタなに言ってんの?
.
つまり宗教、仏教が絶対正しいと思う者は、
自分は依存心高めの弱い人間ですよと自白しているようなものである。
595 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:34:02.40 ID:I1lss3t2
ネット社会になり、新しい宗教のチャンスが生まれつつある。
たとえば、仏教議論スレで悟りを目指すことも可能になっている。
昔のように、師匠から弟子へと奥義を伝える時代ではない。
いまだに師匠だなどと言っている人は、カビ臭い時代遅れだよね。
仏教とは宗教を滅ぼし且つ仏教もまた滅ぼす非常にありがたい教えなのである。
597 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:48:42.35 ID:qtle8XBn
己の生命は、この永劫の時間においてただ一度きりのものであり、この大宇宙さえ
認識して、それを存在せしめている至上の存在であることを自覚しよう。
死ねば、感覚器官も至高器官も灰になり、すべては無となる。火葬場で誰しもが
感じること。
だからこそ、この限りある人生が尊いのである。
人間が依存できるのは、厳然として実在する人間としてのすべての他者と大自然のみ。
「架空の神仏」などではない。
598 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 20:54:08.66 ID:qtle8XBn
故に仏教の求めるものは苦を苦とも感じぬ肉体的及び精神的強靭性である。
しかしそれだけでは、人としてどうなん?の疑問符がつく事態に陥る。
故に必然性としての慈悲や善意識が語られるのである。
600 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:11:06.80 ID:I1lss3t2
御隠居の話には、神を否定する部分を除き、
いつも啓発されている。似たような話が多いような気もするが、
逆に安心して読めるのかもしれない。
全体に、神(悟り)に相当肉薄していると思うが、あとちょっと。
最後の最後は進化論的ではなく、百尺竿頭進一歩。
601 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:18:10.82 ID:qtle8XBn
>>599 苦は、己の生命の維持のために不可欠な心理作用。そのことを自覚して、
感謝して受け入れることにより、初めて苦は止む。苦を意識して「異物」と
して排除しようとするから、苦は却って増大する。
痛い注射でも、それで己の生命が助かることを自覚すれば、苦どころか注射の
痛みは喜びに変わる。
人間は、苦と真正面から対峙して闘っている時、実は意識せずして最大の生の
喜びを感じているのである。若し、苦がないのなら、喜びもない。苦の無い世界
(涅槃・天国)とは、実は地獄の同義語である。
602 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:24:42.37 ID:I1lss3t2
>>599 空の仏教では、慈悲の心がつかめない。
愛されて愛を知るのであり、神に愛されないと慈悲はわからない。
この慈悲を語る点で、釈迦は神を知っていると思う。
釈迦の本当の姿は十分に知られていない。
それを知る資料が少なく、また粉飾があって読み取りが難しい。
それぞれのイメージを出ないのかもしれない。
>>587 > テキストが正しいという錯覚
> 悟った人が言ったんだから
> 多くの人が信仰し拝んでるものである から
> 教育の段階で勘違いが発生してるから、お経(テキスト)がありがたいなんて馬鹿な発想
> そう教えられてるから
それだと、
これが涅槃への道標です(これが仏教です)という導きが不可能じゃない?
テキストでもなく、悟った人の言葉でもなく、教育でもなく、etc.としたなら、
いったい、どこから学びが始まり、それが涅槃へ向かわせているとわかり、信じられるのでしょう。
そこで、師資相承相互信頼はまた別の話として、辛うじて客観性が仄かに感じられるわけだし。
(テキスト以外に於いては、言ったもん勝ちを避けるのは困難だよ。)
604 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:33:37.73 ID:I1lss3t2
大滝さんはいいよね。
荒削りなところが、逆に可能性を感じさせる。
もしかしていちばん近いかもしれない。
カラスさんは以前よりずいぶん洗練されてきた。
何かあったのかな。霊的にいい感じ。
>>601 その件ではダニアで語られている。
喜びがあるから苦しみがある。
故に喜びを捨て去る強靭性が語られ結果として苦が消滅するのである。
故に苦と快楽の二項離脱が説かれ静寂(涅槃)が説かれるのである。
606 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:43:26.75 ID:I1lss3t2
凡夫一代はだめだな。いったん仏教から離れた方がいい。
何で生きているんだろう? これを常に頭の片隅に置いておけば、
師などいなくても本能的に悟りに近づいていく。
不思議な力に導かれる。振り返れば導かれたとしか思えない。
>>602 慈悲もまた無自性空である。
神という自性はなく、神が無自性空の認識なら正しいといえる。
諸々の現象からなる経験が慈悲概念に他ならない。
>>606 >師などいなくても本能的に悟りに近づいていく
その方向は、どう担保され得るのか、って問題なんだがなw
どう担保されるの?
その方向が涅槃の方向であることを担保するのが、
師でありテキストなわけ。それ以外に担保しうるものが無いんだよ。
師やテキストに依るのはやむを得ないのさ。
609 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 21:57:30.88 ID:rB6aptDV
>>608 その人はオイラを腐したいだけでしょ
だから、生命教、遊び、カラスを褒める。
単にオイラに対立してるからでしょ
書いてる内容も単にオイラを扱き下ろしたいだけだと思うよ〜
相手にしても仕方ねえと思うは
諸々の現象からなる経験こそが真実であり、
テキストとはその確認の場の範疇でしかない。
師とは万人であり、万物でもある。
>>611 如来蔵が。カルトに無事禅と言われてもそれしか。
>>611 涅槃とは静寂である。
この認識のない師についたなら担保もへちまもない。
静寂は基本的に師を必要としない。
個人の恣意性の範疇で決まるからである。
614 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 22:33:59.58 ID:I1lss3t2
>>608 師についてテキスト中心に学んでいた凡夫一代は悟った?
かれが悟っているならわかるけど。
釈迦は結局独力で悟っている。空海も夢窓もそう。
自分の心の問題だから、結局は自分で考え努力しないと悟れない。
師とかテキストは参考に過ぎない。いまの宗教の現状では、
たぶん何もない方がいい。自分の運とカン。
615 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 22:43:03.54 ID:I1lss3t2
それから、どう担保されるのかという発想がよくない。
悟れなければ、それはその人の運命だろう。
悟ろうと思うから担保という発想になるのかな。
そんなこと考えないで一生懸命に生きる方がいいと思う。
悟りは運に左右される。気づきが重要。
>>611 あ、ごめん。前段の
>何で生きているんだろう? これを常に頭の片隅に置いておけば、
を見過ごして横レスしてた。
612は無し無し。
617 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 22:59:24.87 ID:I1lss3t2
>>607 普通は経験から愛を学ぶ。周囲の人間に愛されて愛を知る。
でも、これだけだと人間的な愛で終わる。
よくよく突き詰めると、自分のために愛するという愛でしかない。
空などと思ったら、この人間的な愛にもブレーキがかかる。
慈悲が無自性かどうかは、簡単には言えない。
たぶんそれは、無自性ではない。
人間には愛する能力が最初から潜在的に備わっている。
しかし愛されないと活性化しないのだと思う。
>>505 宝珠さん
>「諸法」とは“現象界に限定する仏教が説く諸法則”(性質についての教え)のこと。
法は現象界(有為)に限定しない、「教え」としても矛盾は起こらないと思いますよ。
諸法無我の諸法が有為法しか示さないとすると、
スッタニパータ758の「虚妄ならざる法は、涅槃である」という部分で
釈迦が涅槃を法(ダンマ)と呼んだ理由がうまく説明できないんですよ…。
>何でも在りの大乗経典や文献に根拠を求めるのはこの場合には相応しくないと思われます
大乗が原始経典と矛盾すると結論するのは早計だと思いますよ〜。
少なくとも、自分は大乗と釈迦の直説の矛盾を今のところ見出せません。
御隠居の話には、神を否定する部分も含めて、
いつも馬鹿だと思っている。似たような話が多いので死んでほしいが、
逆に安心してくたばるのかもしれない。
全体に、神(悟り)から遠ざかりつつあると思うが、あとちょっとで棺桶。
最後の最後は進化論的ではなく、断末魔。
ねえ、悪魔は誰がつくったの?
>>620 そんなものは.いない. と.元精神科医で.もうすぐくたばる隠居は言っている.
622 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:23:23.61 ID:qtle8XBn
>>619 ご丁寧に、二つも宗教に嵌った低脳者が何を言うのか。社会人として恥ずかしく
はないのかね。
聊かでも知性(批判力)のある人間は、宗教などに嵌らない。
>>622 反応鈍くなったな.老化だろう.
施設入所してオムツ交換される.バラ色の未来は目前にある.
時間は夢のように過ぎ去るだろう. あと数年だ.うれしいか?
624 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:33:18.52 ID:qtle8XBn
宗教患者の末路を多数見ているが、みな乞食並の生活。
宗教テキストによって現実感覚と社会常識が完全に破壊されるので
当然のことだが。
外部者から見れば、宗教者は基地外にしか見えないことを、一刻も
忘れないように。
現実上の根拠皆無な事柄を、単に教典い書いてあるというだけで、
よくもあそこまで無批判に信じ込まれるものだ。
現代では、小学生でも、「自分の頭で考える」ことを学ぶぞ。
死んだら人はどうなるの?
626 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:40:13.11 ID:I1lss3t2
>>620 物質に執着を抱く人間が神界に入ることはできない。
物質が汚れだからだが、そういった人間が神界に入ろうとするなら
よりひどい境遇に落とされる。これが試練なのだが、
試練に負けて物質への執着に舵を切ると、たぶんそこそこに恵まれる。
しかしこの恵は最終的によい結果をもたらさない。
ここで悪魔だと思われているのは、神界を守護している天使であり、
欲深い人間が悪魔だとカン違いしているだけ。
人間は、黙示録の赤いドラゴンを悪魔(死神)だと思っている。
物質への執着心が死神なのに。ややこしいね(^^)
627 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:43:32.15 ID:I1lss3t2
.
サロメみたいなメンヘラ相手に薬物投与と診断書で一儲けして来たご隠居.
大勢を廃人にしても.一体何人を治療回復させたのだ.
どちらにせよ.人は死ぬ. たから知ったことかと言うのが精神科医の本音だろう.
何様のつもりでも.精神科医本人が最期は発狂するか廃人となって.くたばるのが可笑しくてたまらない.
生命が不可知と言うのは構わないが.それは医者の無力さの吐露である.
素直に.自分にそう言い続けるとよかろう.そして死ね. 死人に口無し.だろ?
629 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:50:57.25 ID:qtle8XBn
630 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:57:52.72 ID:I1lss3t2
凡夫一代の逆をやると悟りに近づくだろう。
現実が幻の如く見えたら危険信号だから、精神分析をしよう。
色メガネがなくなり、現実が鮮明に見え出したら正常。
凡夫一代が勧めるカビ臭い本は、読まない本のリストに入れよう。
かれ自身が、そんなもの読んでも悟れないという生き証人。
631 :
神も仏も名無しさん:2013/01/15(火) 23:59:02.73 ID:gzBUVRKk
おかしい奴のとどめを刺す(廃人化)のは善行ですw
>>629 ついに.妥当な言葉すら失ったのか.
徐々に死に逝く人もいれば.突然に死ぬ者もいる.
ご隠居の場合は.案外シブトク生きるかも知れぬが.それは一層哀れである.
施設で唯物教を語っても.介護さんにテキトーにあしらわれるだけ.
家族とてほとんど来ぬであろふぞ. そして植物人間となり.虚ろな夢の中に沈み.消える.だけ.
633 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 00:02:04.77 ID:Itp9q1oL
634 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 00:03:21.54 ID:Itp9q1oL
呼んで
635 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 00:09:33.04 ID:/En6C20x
カルト、カルトと騒ぐが、問題はむしろ伝統宗教にあることが、このスレ
からも明らかになった。
カルトもすべて伝統宗教を母体として発生し、その洗脳テクニックを
すべて利用している。伝統宗教は、選民意識があるから、一層始末が
悪い。
現在では、カルトと言う言葉は、社会的に批判を受けた宗教を、伝統宗教が
区別し、己を護るために使っている。
伝統宗教自体を廃止しない限り、カルトは後を絶たずに発生する。
そもそも、伝統宗教(釈迦、イエス)が、発生時においては超カルト
であった事実を忘れてはならない。
宗教は、世俗に近づけば近づくほどマトモになる。最初から間違っている
証拠である。
宗教は、精神の麻薬。両者の有害性には何らの差異もない。同様に取り
締まるべきもの。
>>630 そういう誹謗は、貴方自身が悟れた上で言ったら?w
それか、
貴方自身に悟れる可能性が開かれており、その目途が立っている時に
正当性が担保されるわけだし。
>>635 笑
ヒトのみならず.全ての生命種は「死」を前提として生存している.
何故だと思うのかね?
「生命」なのだから.永遠に生き続けようとしてもよいとは思わぬか.
此処にこそ哲学が必要なのである.
愚かな一神教徒(クリスチャンら)は.神話へと逃げる.
原罪などと馬鹿な事を21世紀になっても言っている.しかし.ご隠居は医師だろう.
そのお歳となっても.哲学がないと云うのは実に驚きである.
638 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 00:33:34.02 ID:/En6C20x
>>637 「永遠の生命」などというアホナことを言ったのは、君が信じて止まない
イエスだろ。イエスは、すべての生物は「新陳代謝」を要することさえ
気付かなかった。
「生命哲学」を超える哲学はない。すべての哲学も宗教も、生命の機能、
生命の奴婢にしか過ぎないのだから。
639 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 00:36:30.65 ID:/En6C20x
>>638 >>生命哲学 (爆笑)
で.なに? それ.
つまらないパラドックス設定で.自分を騙して自分を洗脳するのは勝手だが.
他人様まで巻き込むなら.カルトと変わらない.
少しは真面目に勉強したら.と.思う.
.
>>563 追記補足:
“縁起の法”もロゴスの力(作用)の部分です。
また当然、ニルヴァーナ(涅槃)もロゴスの特性です。
ロゴス(神)から出られるものはなし。
輪廻を免れない神(諸宗教の迷信的人格神や神通存在など)とは異なる。
以上、ご参考まで。
642 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 00:59:28.27 ID:/En6C20x
>>640 せいぜい、生命の末梢機能に過ぎないイエスや釈迦で踊ってろw。
彼等は、その精神病ゆえに、「頭のてっぺんでの観念の遊戯」に耽るばかり
りで、生命の根源性に思い至れなかったが、衆生(生活者、健常者)は、
すべて思い至っていた、悟っていたことがミソ。
>>563(
>>641)
>神を説くか説かないかは伝統や教えにおける手法の違いに過ぎない
「神」という言葉で誤魔化されそうですが、この一文はこのようなことでしょう?
『唯一絶対の“存在”を説くか説かないかは伝統や教えにおける手法の違いに過ぎない』
で、仏教では《唯一絶対の“存在”》なぞ説かれていないわけです。
阿含から大乗まで含めたあらゆる経典を精査しても、(スッタニパータ、ウダーナの中にもw)、
出てこないのです。
考え方の原理が違うんですよ。
また、百歩譲っても
>ロゴスは人格神ではない
『人格神ならざる神』も、仏教の文脈中には存在しません。
そういった“存在”はなく、『諸法が縁起するのみである』と喝破したところに、
お釈迦さんの偉大さがあるわけで。
で、
>>535 となるわけですw
>>642 自分は「>>衆生(生活者、健常者)」だから.
「>>すべて思い至っていた、悟っていた」と言いたいのかね.
爺さん.そんな詭弁ひとつで.無限にループさせる気なのか.ミンシュ党みたいですね.
だが.ご隠居の寿命が無限ではないとは.誰だって納得了解することでしょう.
誑かしは患者さん(メンヘラ)相手にやって来たでしょう.何時迄続ける気ですか?
俺はご隠居と違って現役なので.もう寝るよ.
以前にも紹介した.この本.読んでいたら可笑しくて腹筋が痛くなる.
ROMの皆さんも.ご一読ください.否定も肯定も自由ですが.兎に角笑えます.
イエスは「ブッダの教え」を知っていた
発行日:平成23年11月15日
著者:道明寺龍雲
ISBN978-4-434-16203-9
因みに.この本で取り上げられている「問題」の殆どは.20世紀に欧米知識層には知られていた事ばかりです.
何故か.我が国のクリスチャンと呼ばれる人達は「不思議なキリスト教(笑)」ワールドになっています.
やや古くなった言い方ですが「馬鹿なの死ぬの」と言いたい.
>>575 諸鉱物のエネルギー放射はその次元における
彼等の意識作用(自然科学が説く意識の定義とは異なる)です。
これらは神智学の概念であり、
到底、あなたのレベルでは理解できないでしょうから気にしなくてもいいです。
別にこれらについて知らなくても日常生活には何も困らないから、
どうぞ、あなたは忘れてしまっても結構です。
>>578 >この時に、仏教は実質的に終わったのかもしれない。
>日本人の心が、仏教から離れてしまった。
一体、どういった認識なのでしょうか??
オウム事件が仏教のせいだと社会が烙印を押したとでも?
どこの誰の評価??
>>580 >仏教経典に、大量殺人、ポアの思想が隠れている。
だというならば、その殺人ポアなる典拠を提示願う。
もちろんオウム教団のではなくて、正統な密教経典や文献から。
ポアは殺人思想じゃないからね。
>>618 >スッタニパータ758の「虚妄ならざる法は、涅槃である」という部分で
>釈迦が涅槃を法(ダンマ)と呼んだ理由がうまく説明できないんですよ…。
つまり、それは無為法ということでしょう。
また別の言い方をするならば、有為を克服した末に涅槃があるわけですよ。
>大乗が原始経典と矛盾すると結論するのは早計だと思いますよ〜。
>少なくとも、自分は大乗と釈迦の直説の矛盾を今のところ見出せません。
もちろん、仏弟子の系譜において書かれたものですから、
継承された部分はありますよ。だから、仏教を自称してるわけです。
しかし、異なる部分や矛盾を引き起こす部分の存在は明らかであって、
原始経典と区別されるのは、その内容の違いにも現れているからでしょう。
だから、大乗諸経典は仏説とはいわないのです。
これは仏教学上の統一見解ですから(ただ個人的な信条や信仰上の伝統は別)。
>>618 補足:
注意すべき重要ポイントは、
「法」には、---1.教説、2.因、3.徳、4.もの---の四つの意味があって、
諸法無我の場合の「法」とは、4番目の“もの”(造られたもの)のことです。
ですから、諸行無常の諸行と同じくこの現象界のことなのです。
(参照:『東洋思想5/水野 弘元著「縁起説の基礎としての法印/2.諸法無我」』東京大学出版会刊p134)
“諸法無我”の「諸法」とは、現象界(造られしもの/有為)の性質のこと。
要するに、諸法無我というのはこの現象世界には自分の我といえるもの(我れも我れのもの)はない、
という意味です。
では、無為(涅槃)には我(アートマン)は在るのか?
これについては無記として解答を与えなかった(「無い」などとは云ったことがない)。
これがゴータマの採った姿勢です。
>>643 >『諸法が縁起するのみである』と喝破したところに、
>お釈迦さんの偉大さがあるわけで。
その性質と作用(力)が神智学の説くロゴスです。
これをまた別の人は「神」とも呼ぶ。
仏教は単に神の概念を用いなかった。
推察されるその理由はゴータマの姿勢と意図にあり、
つまり、従来までの迷信だらけの諸宗教における神の概念と混同されないためです。
合理主義のゴータマの姿勢はこれを説く必要なしとみて排除したのです。
もちろん「いない」という意味ではなくて、無記としてこれを説かなかっただけ。
>と喝破したところに、
>お釈迦さんの偉大さがあるわけで。
それは大いに認めますよ。
ただ、平均的仏教徒の殆どが「いない」ものと勘違いを起して、
ロゴスを“輪廻を免れない仏よりも下位の存在”などという誤解をされているので、
これを指摘したまで。
>>647 >>648 宝珠さん
>しかし、異なる部分や矛盾を引き起こす部分の存在は明らかであって
>これは仏教学上の統一見解ですから
マジか。ちなみに、原始経典と大乗経典の矛盾点として一番強調されるところってどこなの?
>では、無為(涅槃)には我(アートマン)は在るのか?
この文は、「涅槃はアートマンなのか」と言い換えても良いかい?
>これについては無記として解答を与えなかった(「無い」などとは云ったことがない)
そうなんだ、典拠を聞いてもいい?
無為こそ過激
仏教その他考え方は何でもいいんですが、国として個人を
犯罪などをしないように自らの行動を制限、ある意味限定しながら
・・・・・某ドラマでならぬものはならぬと言ってますが・・・・・・
あらゆる可能性も考えられるって無理なんですかね?
涅槃とはニルバーナであり静寂に過ぎない。
法とは静寂である。
人間が真に求めるものは静寂と釈迦は喝破したに過ぎない。
故に宗教患者が静寂なる世間から基地害と喝破されるのは
事実であり当たり前のことである。
故に宗教とは世俗の最も顕著な例であり行過ぎた代償行為であると
釈迦は喝破したのである。批判対象は腐敗したバラモン教であろう。
故に行過ぎた代償行為は仏教内で制限されるものとなる。
理由は静寂に至らないに他ならない。
法身報身応化身の違いってのは
法身てのは色も形もないようないわば悟りの本体のようなもんだろ
報身てのは、報われる身体なのだから、我々が悟りというものを体感する身体であり、
自受容と他受容がある、自受容は自分が悟りを実感するための身体、
他受容は他人に悟りというものは何かを分からせるためにある身体、阿弥陀仏はコレ。でもこれも仮初めの身体だ。
応化身ってのは、応身、化身とに分けられるが、これは言うばれば奇瑞みたいなもん
犬がどこかからお経を咥えてやってきた、そこには真実が書かれていた、きっとあの犬は仏の化身だったのだろうみたいなさ
>>649 >仏教は単に神の概念を用いなかった
なぜ用いなかったかということが重要でしょう?w
そこでいう(“ロゴス”としての?)神概念を相当させるものを見出せなかったからじゃないですか。
また、人格神でないものを、なぜ『いない』と表現するのですか?
>諸法則がロゴス(神) (
>>563)
>(注---ロゴスは人格神ではない) (
>>563)
>「いない」ものと勘違いを起して (
>>648)
法則が創造主なんですか?
>如来が出現しようがしまいがこの世に無始の元より作用している諸法則がロゴス(神)。
>ロゴスの持つ特性の部分ですよ。この力(作用と諸法則)なしでは如来すらも出現することができない。
法則が、(目的的に)、何かを作り出しているのですか?
単に生じ来っていることを指して、創り出している、というのは擬人化のレトリックではありえても
それ以上ではないでしょう?
それを、文字通り創り出していると見るならば、それが人格神でなくて何でしょう。
そして、もし神智学が、法則、理法等を至上とするなら、上記理由により、
神智学もまた『神』の存在に否定的でなければなりません。
これだけ予想を外してなお生き残ってるってことは
予想と逆に張ってた可能性がある
659 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 11:54:05.08 ID:cYcH4uul
660 :
1/2無為法批判 大滝秀治:2013/01/16(水) 12:31:40.47 ID:TUsnn5Dv
釜で知り合いの菩薩が二人変相された。
合掌
ちょっと離れたら、うどんと同じでよく伸びるスレだなあw
>>322(Uylznq7B)
>ただ、その大滝さんの「涅槃は超越的なところにはない」という解釈と、 有為法(輪廻)と無為法(涅槃)の両立は矛盾していない
>涅槃が一切の見解からの出離ではなく、何かしらの見解の1つに過ぎないなら、そりゃあなたの言う通り、有為だし一切内の話になる。
涅槃の境地(慶安::安らぎ)にはまったく神秘的意味はありません。
あくまで「一切の見解からの出離」→悟達(縁起の現観:無分別の悟り:色即是空)者が、
娑婆で暮らす「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ31-1-3)の様相(無分別の分別:空即是色)です。
無為、有為観念はお捨てください。古代馬鹿坊主の迷妄タワゴトです。
661 :
1/2無為法批判 大滝秀治2/2無為法批判 大滝秀治:2013/01/16(水) 12:37:15.96 ID:TUsnn5Dv
>>505(宝珠)
>反仏法どころか、仏典において明確に看破宣言された重要部分でしょう。
>>618(SjH6WLpJ)
>スッタニパータ758の「虚妄ならざる法は、涅槃である」という部分で釈迦が涅槃を法(ダンマ)と呼んだ理由がうまく説明できないんですよ…。
“無為”観念などに迷妄しているあなたがた(宝珠&SjH6WLpJ)が愚かだからです。
いったいあなたはなにをお勉強してきたのでしゅか?w 落第です。
法(ダンマ)に意味や理由を掴ん(Begriff:ハイデガー)だら、仏法にならんわw このどアキメクラ!
空海の果分可説とおなじパンク形而上的言辞=戯論=迷妄フィクションにしかすぎません。
そもそも前提として,仏法の基盤である「縁起の現存・現実」(Dasein:ハイデガー:あるがまま)を、有為⇔無為と分別すること自体がナンセンスです(→中論7-33)。
勝義示唆で「非有非無(四句第4」(の如し)なら<非有為非無為>なのが当然です。
ナンセンスな無為観念の廃棄が当然ですから、相対である有為観念もありえません。
龍樹に満腔の賛意を表します。
★『以上(中論7章)のように、<生>と<住>と<滅>とが成立しないから、有為は成立しない。
また有為が成立しないなら、どうして無為が成立するだろうか(成立しない)。』(龍樹 中論7-33)
★『安らぎは虚妄ならざるものである』(Sn.758: 中村元 岩波文庫p170)
安らぎ=慶安=涅槃の境地は還滅間接現実における吾達者の「心と心の作用」(実在でも虚妄でもない)だから当然です。
『ブッダによってあたかも幻の如くである、あたかも夢の如くである、あたかも蜃気楼の如くであると生起<生>が説かれ、
持続<住>が説かれ、生滅(滅)が説かれているのである。』(同7-34)
仮観としての間接現実は言語ゲームとして仮設され、意味として仮説されているのが縁起の様相だと龍樹はいっています。
要するに、無為は妄想言語でしかない。
無為を妄想視して超越論を奉じる心霊主義の宝珠はナンセンスな漫談でじつに嗤える。
662 :
ウダーナ8-3再論 大滝秀治:2013/01/16(水) 12:46:46.31 ID:TUsnn5Dv
>>506(宝珠)
>涅槃(無為)は“造られたものではない(現象界ではない)”とウダーナに説かれていた通りです。
無為観念は既述のとおり論破済み。
ウダーナの神秘主義的曲解だよ。
妄想を更に曲解するなんて、恥の上塗りで漫談心霊主義レイシストの面目まるだしですなあw
そもそも勝義においては無矛盾無分別ですから<生じる云々>という観念そのものがありえません。したがって、
★勝義示唆の<生じたものでないもの>(無分別示唆)と、世俗の【生じたものでないもの】(分別)は異なります。★←ココ重要
ゆえに、ウダーナ8-3は 、
世俗の【生じたもの】⇔【生じたものでないもの】(分別)という二項相対戯論を寂滅(出離)することによって、
<生じたものでないもの>(無分別“示唆”:不生(不滅)の如く) ⇒縁起の直接現実(あるがまま)の無分別智による直覚=悟り=大覚成就があるという趣旨です。
ウダーナ8-3は宝珠のような浅学者やパンク外道には誤解されやすいところですが、
(直接)縁起撥無は仏法ではありません。
宝珠も一代も「仏教」妄想に災いされて、<仏法のゲシュタルト>を掴めていないのです。
8:1 (因縁略)。
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。
そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、
空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、
無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、
この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。
比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、
没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
664 :
ケロンパ宝珠へ 大滝秀治:2013/01/16(水) 12:58:19.24 ID:TUsnn5Dv
>>506(宝珠)
>やはり、単なる唯物主義者が正体なのですね。
宝珠は論破された相手には「唯物主義者」と決め付けて、自己欺瞞で逃げ回るのが悪いクセだw
観念論(宝珠)も唯物論(隠居)も形而上学的論議(戯論)だ。
相変わらず浅薄かつワンパターンなチンケ揶揄だなw
仏法は時空際断=空・中道(の如し)、戯論ではありえない。
>>400(カラス)
おまえはスルー(爆笑
665 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 13:19:02.73 ID:uhs49zXS
>>664 釈迦に執着している限り、君の迷妄も解けない。
中論は、すべて、釈迦に対する反論であることくらい看破せよ。
思考が具象物(現実界)に基づいている限り、それは形而上ではない。
戯論から離脱する唯一・無二の手段だ。
666 :
ケロンパ隠居へ 大滝秀治:2013/01/16(水) 13:38:18.46 ID:TUsnn5Dv
>>665 >釈迦に執着している限り、君の迷妄も解けない。
ゴータマ・シッタールダもナーガールジュナもかなり優秀な筏やで。
到彼岸で仏法博物館に寄贈するorした?
自帰依←<大疑団> ―フィードバック― <菩提心>→法帰依
仏法はシュルレアル=徹底した縁起の「現実」(現存:Dasein:あるがまま)である。
ついてこれないんだから、口出し無用。
667 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 13:43:19.45 ID:uhs49zXS
>>664 「行くものは行かない」も、「行く」という「現実の行為」を否定して
いるものでは決してない。あくまで「現実(もろもろの存在)」を構成
する「相互依存性・相対性」という形而下原理を言いたいがため。徹底した
「現実肯定」。
人間は物質を離れては一瞬も生存できない。当然のことである。
釈迦とは異なり、竜樹は低脳者、妄想患者ではなかった。
668 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 13:52:24.82 ID:uhs49zXS
>>666 「彼岸」も「直接現実」も「唯一の現実(具象物)」に対応していない
から「戯論」の最たるもの。「無我」という釈迦の初歩的論理矛盾に
引きずられたため。人間が生存できる唯一の世界は「具象界」のみ。
具象物に対応しない「戯論」は一切廃棄しない限り、君ら宗教者の
「迷妄」は、絶対に離脱し得ない。
669 :
基地子♀菩薩:2013/01/16(水) 16:01:08.38 ID:u+CKkApN
>>725 人
(´・ω・)/ 人を煙に巻く事と〜♪
( \ )
( )
 ̄T ̄T
人 悟る事は別物〜♪
\(・ω・`)
( / )
( )
 ̄T ̄T
670 :
ゲッパリラ:2013/01/16(水) 16:08:12.00 ID:X3jyRJoy
なんでコジキって頭剃って袈裟着てんの?
671 :
ゲッパリラ:2013/01/16(水) 16:26:50.00 ID:X3jyRJoy
日本の乞食とインドの乞食が殴り合ったらどっちが勝つの?
>>668 あらゆる具象からまぬがれているものこそが自己
そういう自己があると思っていませんか?
そのような自己はないとあきらかに観ずることが肝要です
674 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 18:01:13.44 ID:FgcdrViE
>>646 宝珠愚者さん
>どうぞ、あなたは忘れてしまっても結構です。
ルビーやダイヤモンドに意識があるという、
こんなインパクトのある話をどうして忘れられるものか、
けっして忘れられない(*^_^*)
君は鉱物の意識とやらを証明しなければならない。
そうしないと、君の話など、だれも信用しないと思うぞ。
まずは議論の前提を調えるべきだろう。
675 :
前世は一在家:2013/01/16(水) 18:26:14.75 ID:mrRxGD4o
>>625 >死んだら人はどうなるの?
肉体を離れた意識の往き先は大きくは5つだそうです。
長部経典33経の「等誦経」にて、舎利仏がまとめております。
・五つの趣(赴く先)。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
尚、地獄についてはスッタニパータの第3章に詳しく記載されております。
現代の丹波哲郎さんの研究成果もあまり変わりないようです。
修羅道はあとからつけられたらしいね
もともと五悪趣
677 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 18:50:18.36 ID:FgcdrViE
平安時代、天台宗と真言宗によって日本の仏教が成立した。
天台宗は、諸法実相〜この現象世界が真実であると説く。
真言宗は、この世界はマンダラ〜如来の体であると説く。
どちらも、この世がすべてであると考えている。
神もあの世もないと教える。
この考え方は、中論そのもののような印象を受けないだろうか。「
678 :
大滝秀治 :2013/01/16(水) 18:53:16.99 ID:TUsnn5Dv
>>675 霊肉二元論のカルト在家が、
カルト・マハーカッサパ経典にむしゃぶりつくのは当然の図かw
679 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:15:43.15 ID:FgcdrViE
中論は、現象も本質も空である、と言っているようである。
日本仏教は、本質は空だが、現象は真実だと主張している。
日本仏教は中論そのものではないが、中論の精神を継承している。
なぜなら、本質が空なら、現象も虚構でしかないからである。
それなのに日本仏教が、現象は真実であると主張する理由は?
何もない。そう言わないと日本人に支持されないからにすぎない。
この世界は虚構、無意味だと言うわけにいかないから、
真実だと言っているだけ。方便である。
680 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:19:46.11 ID:m5EfvSpU
>>672 >そのような自己はないとあきらかに観ずることが肝要です
そう「観ずる」のは一体誰かね?w
小学生にでも分る釈迦の「初歩的論理ミス」「勘違い」に、いつまでも
「執着」しているのは、本当に見苦しく、愚かで、滑稽そのもの。
「執着を去る」のが、仏教のはずだろw。
「無我」を認めると、「すべての存在」に「無我」を認めなければ「無我」
は崩壊するから、論理が滅茶苦茶になる。中論が、折角釈迦のこの誤りを
是正してくれているのに、釈迦カルトは、その「開祖盲信」故に、気付かない、
気付きたくないw。
「五感の知覚によって物の有無を判断して生存する」ことこそ、人間界
における「法の中の法」。釈迦の「無我」は、「法に違反した、全くの
ナンセンス」に過ぎない。
681 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 19:43:42.45 ID:m5EfvSpU
>>677 >この考え方は、中論そのもののような印象を受けないだろうか。
まさに中論そのものである。日本の仏教徒ではない釈迦カルトたちが、釈迦の
「無我」に忠義立てして、それを認めない、認めたくない、だけの話。
釈迦とは異なり、竜樹は健常者で、しかも釈迦とは桁違いの頭脳の持ち主。
682 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 20:04:12.03 ID:FgcdrViE
>>681 日本型に修正しているが、
最澄や空海は中論を踏まえた上て立宗している、としか思えない。
それを早くから見抜いた御隠居はすごい(^^)
683 :
基地子♀菩薩:2013/01/16(水) 20:05:37.32 ID:u+CKkApN
>>679 諸法無我 色身廃壊す。如何に?
南無 (-人-)
>>680 誰でもないさ、顕微鏡で拡大された映像は誰が見なくとも、やはり拡大されて映されているだろ
観ずるのは心の働きであって誰がを必ずしも必要としない
686 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 20:22:41.50 ID:m5EfvSpU
>>684 >観ずるのは心の働きであって誰がを必ずしも必要としない
その「心」は、一体どこから生じる?「我」以外にはないだろ。まだ、釈迦に
対する執着が残っている。その執着を去れ。
チャンドラキールテイも、釈迦の「無我」に執着して、「認識が実在する」と
する唯識論者を激しく批判しているが、己の「無我の認識の実在」はどうなのか?w
687 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 20:25:45.17 ID:FgcdrViE
平安時代の天台、真言の後は、
鎌倉時代の浄土系と禅宗系と日蓮系の登場になる。
この動きには、武士勢力の台頭、朝廷権力の衰退が背景にある。
朝廷の援助が細れば、僧侶の出世が困難になってしまう。
そこで新たな支援者を開拓しようとしたのが鎌倉仏教ではないか。
末法思想はそのために強調され、利用された。
>>686 心は我ではないよ、時々湧き上がってくる感情というものは
水中に溜まった澱のようなもので、それは業によっている
それを我だと勘違いしているが、そのような勘違いがなくとも心はある
>>687 ということは、このスレも新たな支援者開拓のための道具なのかもな
691 :
前世は一在家:2013/01/16(水) 20:44:49.65 ID:mrRxGD4o
>>678 >カルト・マハーカッサパ経典にむしゃぶりつくのは当然の図かw
摩訶迦葉ではなく、「等誦経」はサーリプッタの編纂だと認識しておりますが。
>>689 そう思っている人もいるだろう。
しかし仏教の正体がわかってしまったので相当難しい。
仏教に限らず、いまは冬の時代かもね。
別に仏教の、とは言ってないけどな
大雪の中、死んでしまう生き物もいるのだろう。
695 :
世素:2013/01/16(水) 21:58:20.95 ID:k3XcZm77
スレ立てお願いします。
スレッド:【恩讐】キリスト教と同性愛=新ぱーと16【和解】
名前:世素
メール欄(省略可)
本文:今までに、10人の方が謝罪されました。これからもローマ法王が謝罪するまで、
このスレッドを続けていきましょう。
なお、このスレッドを立てた人は、末代まで神様の祝福があります。(天国の同性愛者たちが
神様に祝福を取り次ぎます)
696 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 22:42:23.30 ID:0AF3gNkh
>>688 そう考えているのは、一体誰?wいくら「我」を以って屁理屈を捏ねても、
それは我の存在を証明しているだけ。
中論によって「無我」の概念が崩壊すれば、「無常」も「無明」も崩壊する。
他の事物(即ち、他の我)も「有」でなければ、論理が一貫しないからである。
そもそも、「無」という概念は、「有」という概念を前提とする。いくら「非定立
的否定(有を前提としない無)」と、己の我で屁理屈を捏ねて見ても、現実界と
いう「法」によって一蹴される。
だからこそ中論は、「無我」や「無」という言葉の使用は、慎重に避けているのである。
これが「非有非無」、即ち「関係性」という抽象概念である。
「人間は、その五感の知覚により、有と無とを一義的に区別することによってのみ
生存できる」という「法の中の法」を、何人たりとも否定することはできない。
何で生きているのだろう、生きている意味は何だろう、
そう悩みながら生きているとき、
生きることに意味なんてない。人間は空であり、カラッポなのさ。
この世間が人間の真実だよと、だれかに言われても、
そうだ! とは絶対に思わなかったろうね。
そういう意味では、仏教に縁がなくて本当によかったと思う。
698 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 22:52:52.16 ID:0AF3gNkh
「空」とは「無」の意味ではなく、厳然たる実在であるが、その実在が
「相互依存性・関係性・相対性」という「抽象観念」によって成立して
いるに過ぎないから、執着すべき「自性(絶対性)」は無い、という
意味。それが中論の「空」である。釈迦には、念頭にさえ浮かばなかった
概念。
699 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:06:03.28 ID:0AF3gNkh
>>697 >そういう意味では、仏教に縁がなくて本当によかったと思う。
日本の「大乗仏教」では、竜樹の類い稀な頭脳により「釈迦の誤り」が
是正されているから、そんなことはないと思う。
中論の「空」(相互依存性・関係性・相対性)は、万物万人に通用する真理で
あり、人類の向うべき方向を示す、古今東西比肩するもののない、唯一の大思想である。
700 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:15:03.64 ID:FgcdrViE
四句分別で見れば、空が無であることは明らか。
1句 有
2句 無
3句 有かつ無 → 矛盾
4句 非有非無 → ありえない論議領域 無 → 空
>>698 > 厳然たる実在であるが、
> その実在が
> 「相互依存性・関係性・相対性」という「抽象観念」によって成立しているに過ぎないから、
《 >「抽象観念」によって成立している >厳然たる実在 》ってどういうこと?w
実在なのに、観念によって成立してるの?(´・ω・`)
>>696 言葉だけで突き詰めると、「我が有るという意識がある」しか残らないよ。
[我が有るという意識は我のものである]という意識がある
[〈我が有るという意識は我のものである〉という意識は我のものである]という意識がある
…以下、無限後退。
ほら、「〜という意識がある」という形でしか示せない。
「意識」は
>>688の言う「心」と置き換えても同じ。十二因縁の「行」で置き変えてもいいかも。
デカルトの発想を、縁起的に言い直すと、我が生ずるとき、心や意識が生ずるって言うのだろうけれど、
よく考えてみると、これ逆だよね。心や意識が生ずるとき、我や有が生ずるんだよ。
十二因縁がこれをよく示している。
「我は思う」っていう文と、「思いがある」っていう文、どっちが素朴だと思う?
明らかに後者なんだよ、仏教はこれをよく看破している。
704 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:26:25.08 ID:FgcdrViE
四句分別は、有と無に関する全論議領域だから、
この領域以外に有と無との何かが設定されることはありえない。
有でもない無でもない領域は4句になる。
そして4句は常に無である。
関係性や縁によって成立することと執着が生まれることは無関係じゃね?
>>699 日本仏教の恥部をどう説明するの?w
あれは、純粋に日本的価値観と、仏教の日本的理解・解釈に依るんだけど?w
707 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:42:26.55 ID:FgcdrViE
不去不来で使われている「三時論破」は1〜3句であり、
なぜ4句を省略しているのか。
4句が無であり、まさに空だからに他ならない。
708 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:44:28.84 ID:0AF3gNkh
>>701 >実在なのに、観念によって成立してるの?(´・ω・`)
そういうこと。「相互依存性・関係性・相対性」は、「抽象観念」です。
万物が、「素粒子の関係的集合」によって成立しているが如し。
その素粒子もまた、既知または未知の素粒子の関係的集合である。
また、「動く」という概念は、「動かない」という概念との相対性に
おいて成立する。平行して同速度で走っている電車の一方から他方を
見ると、他方は「動いていない」。
濁があるから清があり、醜があるから美があり、誤があるから正があり、
死があるから生があり、悪があるから善があり、闇があるから光がある。
すべて「相対的」。
「個は、他との関連においてのみ存在し得る」。これが大乗仏教の
中心思想。
但し、これらすべてを認識・思考するのは「生命」だから(死者には
不可能)、生命だけは「なんともいえねー」w。生命を以って生命を
対象化することは不可能。
仏教議論スレッドってあるけど、どちらかというと仏教妄想落書きスレッドだな。
妄想をめぐる議論すらできない。言いたいこと言って終わり。
710 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:57:10.83 ID:lUd2rqD3
もともと隔離スレだからね。
こんな具合で質問箱埋め尽くしていたから、
せめて質問箱の機能は維持させんと
ということで設けられたんさ。
711 :
神も仏も名無しさん:2013/01/16(水) 23:58:23.97 ID:FgcdrViE
5割みのれば合格でしょ
>>708 >そういうこと。「相互依存性・関係性・相対性」は、「抽象観念」です。
いやいやいやいやw
そうじゃなくてw
「相互依存性・関係性・相対性」は、「抽象観念」だとしても、
『実在』は「抽象観念」じゃないですよね?w
『実在』と『実在』の関係性なんですよね? 関係性が抽象観念だというのは耳タコです。
『実在』は抽象観念じゃないんですよね?
その『実在』は何なんですか?
713 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:07:08.10 ID:P62seRad
>>703 いくら自分で「我有り」と思ってみても、他者が我の身体を知覚してくれない限り、
「我は無い」。デカルトのコギトは、「共同体性」「相対性」の概念が欠如した誤り。
西洋哲学の誤謬の根源である。
714 :
基地子♀菩薩:2013/01/17(木) 00:10:52.44 ID:4f+QiWfz
715 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 00:12:00.41 ID:8K6hxff0
月称菩薩の中論入門(入中論)を少しずつ、考えながら読んでおります。
(本頷より抜粋)
・種と芽が異ならないことは承認されない
・因が消滅しても果が見られるから、それらが同一とは世間では承認されない
・麦が稲を生じさせるものとは認められない
もっともな論理ですが、種の遺伝子と芽の遺伝子は同じです。
もちろん麦の遺伝子は稲の遺伝子と異なります。
716 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 00:15:25.26 ID:8K6hxff0
>>715 続き
種→芽→花→種→芽→花→と植物は輪廻を繰り返しますが、環境情報(カルマ)は遺伝子に蓄積されていきます。
同様に牛乳、ヨーグルト、バター、醍醐と変化しても「乳製品としての特質(遺伝子似)」は保持しております。
本日は入中論を読んだ縁で数年前のこの板でのポッタパーダ経での議論を思い出しました。
心理作用はアートマンと異なる理由は、心理作用が生成・消滅するからだったと記憶します。
科学が進みました現代では、譬え話も工夫が必要かと感じた次第です。
以上、「また在家が入中論を曲解した」と言われそうですので、主張ではなく所感(幻)と致します。
>>716 その理解だと、犬に食われて糞になればカルマは消えるんだな。
719 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:19:51.95 ID:MqQRjWWw
ご隠居との会話を試みるセブンを
NASAはエイリアンとのコンタクト要員として雇うべきではないだろうか。
720 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:20:16.94 ID:P62seRad
>>712 >その『実在』は何なんですか?
「実在」とは、(必要な場合には観測装置を使って)、人間の五感で知覚できる対象。
それ以外を、「空想」「妄想」と呼ぶ。実在・非実在を考え、判断するのは、
あくまで「人間」という動物の一種だから(他の種属の動物には、それぞれの異なった
世界があると推測さる)、実在は、「人間の生命の維持に関係する作用・効果」を
有するものとなる。チベット仏教でも、実在とは「作用効果」を有するものとしているが、
その作用効果を観測するのは「生きている人間」だから、あくまで「人間の生命に対する
作用効果」でなければならない。
721 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 00:27:09.32 ID:8K6hxff0
>>718 >その理解だと、犬に食われて糞になればカルマは消えるんだな。
植物も乳製品も犬に食われて糞になれば遺伝子も乳製品の特質も消えますね。
カルマの乗り物も消えるということでしょう。
722 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 00:36:11.82 ID:8K6hxff0
>>721 >カルマの乗り物も消えるということでしょう。
現代で譬えますと、ソフトウェアのWindowsとOfficeはバージョンアップ(輪廻)を繰り返しますが、バグ(カルマ)を蓄積します。
ソフトも空で常住ではないので、やがて消滅すればバグも消えることでしょう。
723 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:40:07.88 ID:P62seRad
>>715 入中論も、中論の多数の注釈書のうちの一つに過ぎない。月称も、他のチベット注釈書
と同様、釈迦の「無我」という誤りに捉われているから、そのまま信じるべきもの
ではない。「宗教的要素」が特に強いから、一代氏が訳したのだと思う。
同じ対象を「覚者が見れば空」「凡夫が見れば有」では、理屈にならない。帰謬論証派の
人々は、「己が人間である」ことを忘れているフシがあるから、人間としての精神の分裂
状態にあり、問題にならない。
>>716 >同様に牛乳、ヨーグルト、バター、醍醐と変化しても「乳製品としての特質(遺伝子似)」は保持して
てめぇは、んとにムカツク奴だな(怒
そうではない、と詳説したろ?
>>720 だからw
そうした『実在』は、【寧ろ、関係性以前に】存在してなきゃならないでしょ?
何度も確認しますけど、《実在と実在の関係性》なんですよね?
【関係性を成立させるのが『実在』】なんですよね?
つまり、≪『「空」という関係性』は、『空でない実在』あってのもの≫ということになりませんか?
725 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:46:28.64 ID:P62seRad
>>724 >何度も確認しますけど、《実在と実在の関係性》なんですよね?
それぞれの実在も又、関係性の所産である。量子の関係的集合の例を挙げた。
726 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 00:56:00.67 ID:P62seRad
>>724 量子力学や相対性原理の勉強をしたほうが早いよ。中論の空そのまま。
空が、「もろもろの存在」の構成原理である所以。
その空である実在を、人間が見ると一定の固定した形に見える。この理由は、
未だ誰にも分らない。生命の不思議である。だから学者たちは、「観測による収縮」
という、「根拠の無いことが分っている概念」を導入せざるを得なかった。
>>725 いやいやいやw
『関係性が、実在と実在によるもの』なんですよね?
>>726 いやいやいやw
『関係性(=空)が、実在と実在によるもの』なんですよね?
無限遡及の回避法を示していただきたいものです。
相依存によって説かれた空が近代科学が見つけた現実に適合しないなら、
空は間違いでしたの一言で離れてしまえばいいのに。
なんで空をくっつけようとするかな。
730 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 01:21:22.43 ID:P62seRad
無限遡及するから、空なのである。
しかし、人間が見ると厳然たる実在だから、気にしなくてもよい。
殆どの素粒子は質量がないのに、物質は質量がある。この物質を物質
たらしめる粒子(ヒッグス粒子)は、「神の粒子」と言われる。神とは、
物質だった訳であるw。物質界が「神の国」であることになる。唯物論
の最終的勝利w。
>>730 いやいやw
だからw
『その神』も、実在と実在との関係性によって成立してるんですよね?
732 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/17(木) 02:03:22.18 ID:H6mmgEJ3
>殆どの素粒子は質量がないのに、物質は質量がある。この物質を物質
>たらしめる粒子(ヒッグス粒子)は、「神の粒子」と言われる。神とは、
>物質だった訳であるw。物質界が「神の国」であることになる。唯物論
>の最終的勝利w。
このバカは、また何も分かってねえのにネジ曲げて自己肯定しやがるwww
何が、 神=物質だ バカタレwww
733 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 03:00:52.01 ID:ZT/CiYvj
>>731 「もろもろの存在」は、「中身スカスカ」だから「空」でいいんじゃないの。
そして、実在である素粒子を結合している「関係性」は抽象概念だから、どこまで
行っても実在ではない。
>>732 「宗教の黒幕」が必死だなw。
>>733 ?(´・ω・`)
実在は、実在と実在の関係性で成立してるんですよね?
関係性が実在でないのは当然のこととして、それでいいんですよ。
問題は、
関係性によって成立する実在が、同じように成立している実在と相互関係にあり、
【《その相互関係》を《空》と称している】のでしょう?
つまり、【実在は(もろもろの存在は)】空でない、ということです。
御自身の発言が支離滅裂であることが、まだわかりませんか?
735 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 03:18:01.40 ID:ZT/CiYvj
>>732 人間を存在せしめ、生かしてくれているのは、100%物質だから、「神は全物質
(全実在)」以外にはありえない。旧約聖書でも、神の唯一の自己定義は「全実在」
である。
人間もその他のすべての生物も、「地球」という「物質」から発生し、地球上で
生存している。。そして地球も、宇宙という物質から発生した。
ビッグバンも「物質現象」である。
736 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/17(木) 03:25:15.70 ID:H6mmgEJ3
>>735 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
でた〜〜〜〜〜〜〜〜、隠居の珍説wwwwwwwwwwwwwwwww
「神は物質」wwwwwwwwwwwww
では、その神の基礎構造をここに書いてくださいwwwwwwwww
737 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 03:27:09.16 ID:ZT/CiYvj
>>734 「無自性空」とは、「中身(内容)がスカスカ」の意味ですよ。岩波仏教辞典で
調べてご覧。「すべて無」という意味ではない。
738 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 03:40:01.28 ID:ZT/CiYvj
>>736 「全実在」だから、それぞれの実在物によって構造は異なる。神とはそれほど
複雑なものなのです。しかし、すべての物質は「中身スカスカ」だから、神も
人間が執着すべき自性はない。
人間が生まれながらに執着しているのは、その「生存本能(生命)」のみ。
生命が何であるかは、生命を以っては絶対に理解できない。理解主体と理解対象とが
同一だから、理解の正しさの「担保」は皆無である。
739 :
世素:2013/01/17(木) 03:42:42.86 ID:5aPC4haN
スレ立てお願いします。
スレッド:【恩讐】キリスト教と同性愛=新ぱーと16【和解】
名前:世素
メール欄(省略可)
本文:今までに、10人の方が謝罪されました。これからもローマ法王が謝罪するまで、
このスレッドを続けていきましょう。
なお、このスレッドを立てた人は、末代まで神様の祝福があります。(天国の同性愛者たちが
神様に祝福を取り次ぎます)
740 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/17(木) 03:48:56.07 ID:H6mmgEJ3
>>738 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いつのまにか、アホ隠居が有神論者になってるwwwwwwwww
それも、物質=神 と言う珍説教義の新興宗教だwwww
ホント、お前は笑わせてくれるwwww
今年も期待通りだなwwww
物質が神なら、ゴキブリも当然、神かwww
糞も神だよな?www
神様、トイレに流しちゃったよ、オレwwwwwww
741 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/17(木) 03:53:04.32 ID:H6mmgEJ3
まあ、よくある 宇宙=神 という汎神論的世界観の劣化版かwwwwwwwww
しかし、隠居ってこんなにバカだったか?
こいつ、ホントに痴呆が入ってきて、壊れかけてんのかね?www
742 :
池田大作:2013/01/17(木) 06:20:04.16 ID:Mehxs6Y8
創価諸君よ!
田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部
高橋裕之氏が1月31日の宝くじ
及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように
金を持っている大島優子似の女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高20億円と刑事権力から護り抜く
祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか!横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか!
また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい
いいね!
創価学会名誉会長
池田大作
743 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 06:42:21.83 ID:I3dbTbJ2
>>715 それらの文は入中論の主張や見解じゃないから、
相手の主張や見解を鎮めるための遮断の文だから
それを理解せず、切り取って入中論の主張や見解、思想としては全くの誤解
ちなみに学会のほとんどは、そうしてきた。
中論も同じ。だから、中観の思想というのは噴飯ものなんですよ
744 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 06:47:40.98 ID:I3dbTbJ2
>>716 >種→芽→花→種→芽→花→と植物は輪廻を繰り返しますが、環境情報(カルマ)は遺伝子に蓄積されていきます。
業は無自性である。それ故、不生なので消え去らない。6.39~40
諸行の果が報いるのは思慮を超えている。6.41~42
以上からアナタの理解は入中論、および以上の根拠である、中論、
大乗仏教、仏教と相入れません。
よく読んでみてください。
745 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 06:51:19.11 ID:I3dbTbJ2
>>733 >「もろもろの存在」は、「中身スカスカ」だから「空」でいいんじゃないの。
これはその通り。
>そして、実在である素粒子を結合している「関係性」は抽象概念だから、どこまで
>行っても実在ではない。
仏教では有部のような一部を除き、素粒子を実在とは認めない。
素粒子を実在と認めるなら、縁起でも空でもなくなるよ。
>>737 また関係ない話を始めるw
どこの誰が(どのレスが) >「すべて無」 と言ったんですか?
つーか、そうじゃなくて、
貴方の言う「空」や「縁起」は、「関係性」なんですよね?
で、それは、「物と物との関係性、実在と実在の関係性」でしたよね?
ですから、お尋ねしているのです。
>>730や
>>720始め、最小単位を想定しておられるようですが、
その最小単位は、関係性を成立させるものであり、
関係性によって成立しているわけではありませんよね?
なぜなら、【関係性を成立せしめるのは、物と物、実在と実在】なのですから。
最小単位を構成する関係性が(更に下位の実在)が必要になります。
(図で示さないとわからないかな?www)
747 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 07:42:58.08 ID:A8oIL/rN
>>744 >>種→芽→花→種→芽→花→と植物は輪廻を繰り返しますが、環境情報(カルマ)は遺伝子に蓄積されていきます。
>業は無自性である。それ故、不生なので消え去らない。6.39~40
生物が世代を重ねるにつれて環境に適応していくのは、環境情報を蓄積していくからでしょう。
環境情報(情報、ソフト)は質量は零ですし、無自性ですが、運ぶ遺伝子が無くなれば情報も消滅します。
これは他事例(Windowsのバージョンアップでのバグ)でも同様です。
>中論、大乗仏教、仏教と相入れません。
科学が進んだ21世紀でも仏教で説明できるのではないかと思いアップした次第です。
たかだか2500年は劫と比べたら瞬きみたいなものですから。
>>729 >相依存によって説かれた空が近代科学が見つけた現実に適合しないなら、
>空は間違いでしたの一言で離れてしまえばいいのに。
空のいくつもある解釈の一つが間違いだったかも知れませんが、空が間違いとはまだ検証できていないでしょう。
748 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 07:51:35.78 ID:A8oIL/rN
>>738 >生命が何であるかは、生命を以っては絶対に理解できない。理解主体と理解対象とが
>同一だから、理解の正しさの「担保」は皆無である。
CTで自分の内臓を見ることができますし、顕微鏡で自分の細胞の活動を見ることもできます。
「あー、私はこうやって生きているのだな。」って、現代では。
尚、昔でも自分の顔や目を水面や鏡で見ることはできました。
749 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 07:57:34.98 ID:I3dbTbJ2
>>747 何か基体を想定するなら、それは見解・思想として掴んでることになるよ
科学的説明も実在論的形而上学を想定して、何か基体を設定することが説明と考えるなら、それこそ中観が遮断する見解・思想に他なりません
この点を理解して初めて中論、中観の門が開きますよ
ここが分からないと、非論理の詭弁ととるか、適当な妄想見解を掴むかのどっちかになるでしょう
750 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 08:03:22.60 ID:A8oIL/rN
>>726 >その空である実在を、人間が見ると一定の固定した形に見える。この理由は、
>未だ誰にも分らない。
質量の無い素粒子の集合体の分子、分子の集合体の物質。
その物質の反射光線の中で可視光線のみで人間は色・形・大きさ・距離等を認識しております。
反射光線が可視領域を超えていれば実在しても見えません。
五感の他の感覚でも同様に可能な感知領域が存在します。
751 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 08:18:40.57 ID:4ZDtqpNL
中観を思想と捉える、と中観そのものの目的に反することになるか。
仏教の他の部分はどうなんだろう。
浄土や密教、各宗派の教学を「思想」として捉えることは仏教的にはどうなのか?
752 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 08:19:22.88 ID:A8oIL/rN
>>749 >この点を理解して初めて中論、中観の門が開きますよ
>ここが分からないと、非論理の詭弁ととるか、適当な妄想見解を掴むかのどっちかになるでしょう
月称菩薩が「戒・布施・忍に住し、慈悲と菩提心のある人に空性の門を開け」というような内容を説かれていた通りかも知れません。
753 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 08:27:29.69 ID:I3dbTbJ2
>>751 基本的に間違いでしょう
どれも道としての方便・仮設ですから
>>752 それは意味がずれますね。
本来はそのような器根の高い人のための教えという意味です。
ですが、今のようにいろんな妄想中観説が流行している状態では月称菩薩もそうは仰らないと思います。
在家さんは、口当たりはソフトですが自説には頑固ですよね
中論の、論理としては分かるんだけど
要するに、教え、実践、果実の教行証のうち、行証が欠けているのが問題じゃないのかね
>>753 そ。
慇懃無礼というか、確信犯というか、狡猾腹黒というか。
いずれにしろ、
何を指摘・助言・批判されても右から左、馬耳東風。
言葉だけ丁寧に使用して、言葉だけ賛同或いは聞き入れたフリをして、
実際は、相手の意見なぞ、これっっっぽっちも聞く気がない。
聞かないどころか、何とかして自分の考えを捻じ込み、正“統”化しようとする。
だから姑息で反吐が出ると言うんだ。
>>754 それは思う。
鞘(や束)の無い刀と言ってもいいかも。
そこがアビダルマが衰退した理由でもあるよね
>>757 少し位相が異なるけど、日本仏教の現状も同じかもね。
世間のトレンドからズレてるからな
でも、デカルト以来の精神と肉体の分離によって仏教的手法そのものが
世間からズレてきているから対処のしようがないかと
>>759 だから、(こんなこと言うと一代が血相変えて異を唱えに来るだろうがw)、
エッセンス、精神、心がけで良いよ、という簡易大乗に乗っかって、
辛うじて日本仏教は存続し得ているわけで、
或る意味、賢明な対処法を見出したとは言えるかも。
(一代的に言えば「阿諛迎合」かもしれんがw)
761 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 08:58:31.21 ID:I3dbTbJ2
>>754 オイラも最初はそんなかんじで唯識の方を評価してた
が、間違いだった。それは『四百論』『勧戒王頌』『宝行王正論』『大智度論』
『菩提資糧論』『入中論』『入菩提行論』『菩提道灯論』などを読めば一目瞭然
そのような印象を抱くのは学会でもっぱら『中論』を取り上げ、
しかもそれを思想として取り扱っていることが原因だと思う
その背景にはゲルクのようなアビダルマ中観を中観正統説と捉えてしまった
ペテルスブルク学派の影響が大きいと思う
しかし、これが是正される時期に来ている
中観は極めて実践的で、行者の仏教であり、釈尊の伝統を最も伝えていると思う
恐らくインドでは中観は、あまり流行しなかったように思う
マイナーな行者の仏教だったように思う
やはり、システマチックな部派や唯識のような教えの方が僧院には合っていたのではないだろうか
チベットでゲルクが流行したように
一つの考え方、ってとこに落とし込もうとされるわけですな
実践によって得られる永続的な境地というより、
ちょっとしたウィットで、目から鱗的情報にすぎなくなった
クイズや知恵の輪的な一回性で価値のなくなる慰みものに近い
763 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:02:56.41 ID:I3dbTbJ2
>>760 >エッセンス、精神、心がけで良いよ、という簡易大乗に乗っかって、
それはいい。阿諛じゃない。問題は本当にこころがけているかどうか
本当に心がけてなく、適当にゴマかしてる場合が阿諛追従。これが多い。
本当に心がけている人は妙好人のような人になる。
そして本物は学ばなくても教えがキッチリわかる。
妙好人の何人かでそういう人が出てるし、浄土宗でも江戸時代に徳本行者という方がそうだった。
引用断片を読むと、凄く高い見解をやさしく語っていて本物としか思えない。
764 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:07:09.57 ID:I3dbTbJ2
>>762 そうそう。教科書とか問題集になっちゃう。
知識として捉えちゃう。
最初はそれでいいけど、後になると単なる知識から本物を否定する頽廃現象が起きる。
まあ、オイラもそうならないように気をつけたいものです。
本物の説く仏教は、なんつうか広々として拘りなく、愛にあふれていて、しかもきっちり筋が一貫してる
これはもう何度も体験してて圧倒されます。
先週もしたばっかり、本物は違うは。しかも今回は日本人だった。
>>761 じゃあ具体的にどうやって行ずるんすか。そして、証果はあったんですか?
あるときは悟ったと思え、あるときは悟っていないのではないかと思うような心は境地とは言えないっすよ
766 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:15:22.00 ID:I3dbTbJ2
>>765 まず、仏・法・僧の三宝に帰依します。
次にあらゆる生き物を悟りをもたらすために悟ろうと発心します。
次に悟るために六ハラミツを行じます。
布施、他者に持てるものを与えることです。
戒律、十善行などをなし十不善行をなさないことです。
善とは他者に楽を与えること。不善は他者を傷つけることです。
忍辱、怒らないことです。
精進、法に専心することです。
禅定、意識を集中することです。
般若、無我・空を観じることです
それらを実践したら、あらゆる生き物が悟るまで普賢行を行う誓願を立てます。
最後に以上の功徳をあらゆる生き物に廻向します。
ざっと、こんなかんじです
オイラはエロオヤヂなんで悟ってるわけないでしょ
>>764 演ずることはできる
しかと、自分がその境地を体験しなければやせ我慢でないと説得できないでしょう
麻原を信奉する信者と区別つかないよ
>>766 そのくらいの知識はありますよ
そして、私もある程度自分で実践したことはあります。
その理解の延長で判断すれば、自分の自己満足する心は消せないと結論せざるをえないですよ
>>761 前も言ったけど、
中論【とは別に】
>『四百論』『勧戒王頌』『宝行王正論』『大智度論』『菩提資糧論』『入中論』『入菩提行論』『菩提道灯論』などを
【読まなきゃならない】でしょ?
それらを読まず【中論オンリーだったら】ってこと。
>>763 極、数人本物が現れるかどうかの問題じゃないっしょ。
「形式」の問題と直結するものだから。
世襲妻帯の流れに抗せず、
(ま、実際不可能とも言えるかもしれんけどw)「仕方ないから」、
「心がけることで、僧侶たろうとしている」わけだけど、
これが迎合でなくて何?
僧俗の垣根がなくなって、【みんな同じ菩薩だという理想形】になったと言えないこともないが、
だとしたら、「僧形」や「立場、待遇の違い」は何に依拠するものと見做せるだろうか。
同じ凡夫、同じレベル、同じ修行階位にあるとき、
そこに生じている待遇や威儀の差異を正当化する理由はどこに?
770 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:21:09.48 ID:I3dbTbJ2
>>767 >麻原を信奉する信者と区別つかないよ
まあ、外から見たら一緒かもね
でも、それは違う。
なぜなら、麻原の場合、始めっから公害への復讐が目的だったから
そして内容も縁起・空性の理解がないことと、
伝承がなく、サマヤを壊してることから、全く仏教とは言えない
多少、神通とかプラーナが使えることは認めるけど。
まあ、アナタがオイラの言うことを信じるか信じないかは別にして、
これは確実ですな。
771 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:22:21.58 ID:OUJkHGUX
最澄や空海は、この現実、現象世界を肯定している。
これが日本型仏教の伝統であり、御隠居はこの立場で話している。
そういう意味では、仏教型仏教の正統派じゃないの。
>>766 横レスというか笑い話だけど、
>生き物が悟るまで普賢行を行う誓願を立てます。
の行く末を考えてみると、誰も彼もが普賢行に入り誰も悟りを得ない、
全員で全員の足を引っ張る未来予想図になるよねw
773 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:26:56.71 ID:I3dbTbJ2
>>768 それは自己満足というより不安だよね
その不安は、完全に悟るまでつきまとう。
例え、禅定体験や空性体験があったり、神通や神変があったりしてもね
それは三宝や師匠を信じるか信じないかでしょう。
オイラは確信してる。
三宝には30年ほど、師匠には20年ほど就いてるけど裏切られたり、
がっかりしたことは一度もない。
オイラは他人に厳しいヤツなので、こんなことは先ずなかった。
世俗の人は、偉いとか言われてる人でも身近に接すればほとんどがっかりしたことがある。
774 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:30:02.60 ID:I3dbTbJ2
>>769 なるほど、中論なら、そう言えるかもね
中道の観、戯論寂滅の導きに特化した教えだから
世襲妻帯は迎合でしょ。
それは間違いない。
775 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:30:56.76 ID:OUJkHGUX
>>714 >基地子♀菩薩 可可大笑!南無 (^人^)
葬儀参列者の注目を浴びる(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
>>772 そそ、大乗はそうならざるをえない
大海の水をスプーンですくい尽くそうとしているかのような絶望
すくってるそばから雨や川から水が注がれ続けてるのに。
だから、救われたい者は、他人を救おうとしてたら永遠に救われない
まず自分が救われてから他人を救わないといけないのだが
それじゃあ菩薩心そのものに反する。結局救われない。
だから、救われる=悟るということの意味に変質が起こらざるをえない
777 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 09:38:18.76 ID:I3dbTbJ2
>>772 よくそういう人いるよ
有情も輪廻も無限なのに、全てを悟らすことなんかできないとか
そこはそういう限界に囚われた世俗的な見方でなく、
一味平等、法界無辺の不可思議な見方なわけだ
それは『普賢行願讃』を読めば頷くことができると思う
そこには一片の塵のなかに、あらゆる宇宙があるという境地が説かれている
これと同様に、ミラレパがちょっと慢心した弟子の前で、
雹が降ってきた時、落ちていたヤクの角穴に入って雹を避けた
弟子になんで入らないのかと言ったが、弟子にはその力がなかった
その時、角が大きくなったのでもミラレパが小さくなったのでもない
まさに『普賢行願讃』でも塵が大きくなったのでも宇宙が小さくなったのでもない
>>777 つか、畢竟、四弘誓願の28文字ってことでしょw
ところで、『普賢行願讃』の定番の読み(音読)ってあるの?
スリーセブンおめw
>>773 よく分からんが、観というのは禅定している間だけの一時的なもので終わるのではないだろう
平常時においても空を貫徹した心的状態が永続する必要がある
たとえば、菩薩行をするにおいて、他人に布施をする場合など
私が与えてやった、どうだうれしいだろう、どうして喜ばないのか、お礼もしないのかと
我が身かわいさの怒りの心が湧いてくる。そういった心はとても空とは言えない。
三輪空とは布施の大原則ながら、子供でも大人でも知っているような当たり前のこと。
しかし行うことははなはだ難い。
ある信仰体験をしたことが、悟りであると勘違いし、その体験できた幸福感が永続すると思っているなら
君は師匠からまだ教わることが多いと思うけどね
悟りとは体験ではないよ
>>776-777 なんか勘違いされたような?
A「Bくんはやく悟りなさいよ」
B「いやいや、僕はAくんが悟るまで悟らないって誓願したのさ。Aくんこそ悟りなさいよ。」
A「いやいや、僕はBくんが悟るまで悟らないって(以下エンドレス)
な、ジョーク。
>>773 おそらく、君の信心は仏教への童心的愛着、憧憬であろう
それは一つの仏縁であり喜ばしいことであるが、その見方で人を導くのは誤っていると言わざるをえない
>>777 不可思議であるからと言って、それは君がこれから実践するべきことであろうよ
絵にかいた美しいものがらをこれから現実にしなければならないのだよ
それが菩薩行なんだから
>>779>>781-782 >よく分からんが
>悟りとは体験ではないよ
うん、確かにわかってないねw
彼は、貴方が言ってるようなことをずっと言ってきてるし、実践もしてるよ。
その上で、個々の流れの中で言葉を紡いでいるんじゃない。
その一片のみを単独で掬い上げての批判は、少々不当な気もするが・・w
>>783 論理は分かるよ
しかし、実践を経た説得力がまるで皆無
行証が欠けていると言っているわけだが
785 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:01:35.45 ID:I3dbTbJ2
>>778 四弘誓願でもいいけど、それだけじゃ分かんないんで
上の譬喩から自分が無量になったのでも有情が有量になったのでもないと分かるでしょう
ども
>>779 それはどうかな、説明しないが分かってないな
もちろん、師匠から学ぶことは多い
>>780 分かってる。その勘違いの答え
>>781 だから、ここは悟った人が導き教えるスレじゃないって
テキストに基いて、妥当性を話し合うとこね
ネットで導こうなんておこがましいことは全く考えてないよ〜
>>785 どうせ、はぐらかしだろうが
布施に必要な心構えをあぷしてくれないかな
それだけで君がどれだけ行をつんだか分かるというもの。
やはりネットにさえも法友とはありがたいものだな
787 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:12:09.40 ID:2079Ee3v
>>766 で、あんたの仏教でなんでそれらの行が必要なのか
説明してもらえませんかね。
788 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:12:24.13 ID:I3dbTbJ2
>>786 さっきアナタ自身が言っただろ
布施も施物と受け手と施し手が無知覚(無所縁)できなければ幻と見よ
789 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:13:45.91 ID:I3dbTbJ2
>>787 行が必要なのは煩悩と所知の障害に阻まれてるからでしょう
>>785 勘違いも何もただの数学、排他の論理ですが。
1=0だからすべて問題ないみたいな論理破綻を不可思議な見方だとか盛られましても。
792 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:24:13.71 ID:I3dbTbJ2
>>791 >勘違いも何もただの数学、排他の論理ですが。
分からないでしょうが、四句分別、つまり、
x、非x,xかつ非x、非{xかつ非x}のような論理形式で何か掴むこと、
それが妄想戯論なので、それを鎮める道なんですよ
>1=0だからすべて問題ないみたいな論理破綻を不可思議な見方だとか盛られましても。
不可思議というのは、可思議はx、非xの論理形式なので、
それを超えた四つの論理形式で考えられるような領域、現れ、知覚が鎮まった境地
それを譬喩的に示したのが『普賢行願讃』などなわけ。
x、非xのような二値論理で記述する本質主義的な世界じゃないんです。
>>792 うんうん、知ってる。
でもさ、なら語るなって。論敵記述を否定するなら何も。
矛盾が発生すれば即不可思議に逃げ込むならさ。
794 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:27:22.99 ID:2079Ee3v
>>789 だからそれらの行がなぜ煩悩と所知の障害に阻まれてる状態
から脱することに繋がるのかを説明してもらえませんかね。
795 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:40:05.64 ID:I3dbTbJ2
>>793 分かってないな。
それじゃ x っていう何かを追求することになっちゃうでしょう。
最終的には真っ白なわけ。その真っ白とも言えない何かを不可思議と指示したり、何らかの譬喩で指示したりするわけだ
>>794 縁起・此縁性「これあらばこれあり、これなくばこれなし」
「無明あらば行あり、無明なくば行なし」
と、生が生じ、苦が生じ行が生じて際限ない円環運動としての輪廻が生成するのが流転門、それを行によって断じて無明を止め、輪廻から解脱するのが還滅門
具体的には縁経とか因縁心論とか入中論とか読んでね〜
あるいは本当に知りたいなら、ちゃんとした師匠から直接学んでください
あら探しなら、これ以上付き合えないっす
>>795 わかってるって。
論理矛盾などの都合が悪いことは全部不可思議で終わらせるんでしょ?
いやほんと便利だね。その性根。
797 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:51:04.30 ID:I3dbTbJ2
>>796 分かってないって。
論理的整合性という仮設が消えた場合と、その仮設の中での整合性を混同してるでしょ。
そういう姿勢が二諦を知らないというんだ
仏教の教えは仮設だよ。しかし、仮設の中で整合性はある。
しかし、それは勝義について扱った部分ではない。
まあ、後は堂々巡りでしょうから、これぐらいで止めとくね。
798 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 10:58:05.63 ID:JCUyHlAc
>>766 >次にあらゆる生き物を悟りをもたらすために
随分と思い上がった、傲慢な言葉だな。それで仏教徒が名乗れるのか。あらゆ
る生き物は、生存努力という大修行の中で既に悟っているよ。
悟っていないのは、ひたすら開祖に執着し、「悟りたい」という煩悩と分別に
にまみれ、自己陶酔にふける釈迦カルトだけ。
注釈書や師に依存するのは、テキスト主義の対極。
オウムそのままじゃん。
エロオヤジなら、何故理趣経でも熱心に信仰しないのか。
>>797 論理的な破綻があると都合よく勝義を持ち出すその性根をわかってるといってるんだよ。
仏教はただの間違いを、あれでこれで勝義だから実は正しくて〜って言い訳が多すぎる。
800 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 11:00:15.02 ID:2079Ee3v
>>795 だから最終的には真っ白を目指すのになぜ煩悩を滅しなければならないのか
なぜ行が必要なのかと聞いてんだけど。で、
>縁起・此縁性「これあらばこれあり、これなくばこれなし」
>「無明あらば行あり、無明なくば行なし」
これでいうとあんたの推奨する行自体無明の賜物だよね。
>>800 水を飲むのにコップを使わざるを得ないようなもんさ。
ここで、“コップ”なんか使わなくてもいい、お玉でも湯呑でもスプーンでも、
或いは、自分の手で飲めばいい、と言うかもしれないが、さすがにそれはポイントが違い過ぎる。
コップを摂取するわけではなく(手酌で飲んだ場合の自分の手も同様だが)、
水のみが、摂取されるべきものだし、水しか摂取し得ないでしょ?
コップ(自分の手)を摂取し得て、且つ栄養になる?
そういうこと。
それを用いて導かれている、ということでしょ。
802 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 11:14:16.76 ID:JCUyHlAc
>>799 >仏教はただの間違いを、あれでこれで勝義だから実は正しくて〜って言い訳が多すぎる。
多すぎるどころか、勝義の目的はまさにその言い訳のためだと、月称菩薩も言っているw。
>>802 月称は触りしか知らないんだよな。
とにかく相手の瑕疵を批判する口うるさいジジイのイメージがあって。
いやまぁ、知らないからこそのイメージだろうが。
なんぞ面白おかしく月称を知られるお勧めとかある?
804 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 11:37:34.98 ID:JCUyHlAc
>>745 >仏教では有部のような一部を除き、素粒子を実在とは認めない。
>素粒子を実在と認めるなら、縁起でも空でもなくなるよ。
あなたは、「無我」という「釈迦の誤り」に未だ捉われている。その「釈迦の
誤り」を是正したのが中論であることを理解できなければ、「無自性空」は
理解できない。
805 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 11:48:53.43 ID:JCUyHlAc
>>803 >なんぞ面白おかしく月称を知られるお勧めとかある?
「無我という釈迦の誤り」に捉われている注釈書を何百冊読んでも、無意味な
ばかりか、寧ろ有害。中論一冊だけを、「その中心思想を追いながら」読み込む
べき。それがテキスト主義である。
806 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 12:05:52.86 ID:I3dbTbJ2
>>803 >とにかく相手の瑕疵を批判する口うるさいジジイのイメージがあって。
批判じゃなく戯論寂滅への導きだよ
そういう理解だから、分かってないわけ
『全訳 入中論』図書館で見てみて
807 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 12:07:50.21 ID:JCUyHlAc
>>732 >何が、 神=物質だ バカタレwww
神が「物質」でなければ、それは「空想・妄想」。「物」には、これ二つ
しかないよ。他に一体何がある?w
>>806 止めとくと言ってこれか。ずいぶん軽い口ですね。
口先だけの寂滅教は黙ってなって邪魔だから。
809 :
基地子♀菩薩:2013/01/17(木) 12:39:23.92 ID:EDGj5JRo
>>804 \ ∩─ー、 ====
\/ ● 、_ `ヽ ======
/ \( ● ● |つ
| X_入__ノ ミ そんな餌で菩薩様が釣られクマ〜〜!
、 (_/ ノ /⌒l
/\___ノ゙_/ / =====
〈 __ノ ====
\ \_ \
\___) \ ====== (´⌒
\ ___ \__ (´⌒;;(´⌒;;
\___)___)(´;;⌒ (´⌒;; ズザザザ〜〜!
810 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 14:03:39.92 ID:A8oIL/rN
>>753 >在家さんは、口当たりはソフトですが自説には頑固ですよね
>>755 >慇懃無礼というか、確信犯というか、狡猾腹黒というか。(中略)だから姑息で反吐が出ると言うんだ。
月称菩薩も「怒ることで善を一瞬で滅ぼす。それ故、耐え忍ばない以上の罪はない。」と。
自称中観派でも解釈が異なる内容を異教があれこれ解釈しても、怒る必要もないかと存じます。
まあ罪を生む原因がこう申しても恐縮ですが。
811 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 14:08:39.69 ID:A8oIL/rN
>>810 「我一在家(または隠居、宝珠、隠居)を救わずば正覚をとらじ」の慈悲から生じる菩提心。。。菩薩道への入門。
812 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 14:10:12.08 ID:A8oIL/rN
>>811 >「我一在家(または隠居、宝珠、隠居)を救わずば正覚をとらじ」の慈悲から生じる菩提心。。。菩薩道への入門。
「我一在家(または隠居、宝珠、カラス)を救わずば正覚をとらじ」の慈悲から生じる菩提心。。。菩薩道への入門。
善巧方便を知らなければ、権仮も分からんわな
814 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 14:43:48.58 ID:V0+1q1e7
一代氏は、日本でチベット仏教や釈迦カルトを布教しようとしている。
何処から見ても完全に狂っている。宗教とは、「開祖の精神病の感染に
過ぎない」という私の主張が如実に証明されている。
彼はこのまままでは、宗教の狂気という害毒を流し続ける。即刻、入院して
治療を受けるか、さもなければ、祖国チベットに帰って焼身自殺されたし。
それ以外には、菩薩道はあるまい。
815 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 15:00:22.70 ID:A8oIL/rN
>>814 隠居(または在家、宝珠、カラス)を見ること我が子を見るが如し、有情への慈しみを試されているのかも。
816 :
「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治 :2013/01/17(木) 15:30:50.14 ID:tCsHDf/K
>>691 >「等誦経」はサーリプッタの編纂だと認識しております
これは驚倒的かつ大胆な新説です。凄い!
長部 (diigha-nikaaya (pali)) : 長阿含経郡が、後代のアビダルマ部派ではなく、
ブッダ存命中に、しかもサーリプッタによって、口伝ではなくパーリ語またはサンスクリット語で直接編纂されていたのだ!!
ブッダ存命中にも拘わらず、なんと「大パリニッバーナ経」まで?????!
ブッダ没後三百〜九百年ごろといわれる(櫻部建著 「仏教の思想2 存在の分析」 P18 角川ソフィア文庫)アビダルマの論師達は、
ブッダ存命中に存在して「等誦経」を含む長部 (diigha-nikaaya (pali)) : 長阿含経郡を纏めたのか?
是非、詳細明確な論文をお書きいただきますようお願い申し上げます。
817 :
「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治 :2013/01/17(木) 15:32:40.12 ID:tCsHDf/K
818 :
1/2真言『密教』、チベット『密教』 大滝秀治:2013/01/17(木) 15:38:05.55 ID:tCsHDf/K
>>646(宝珠)
>その殺人ポアなる典拠を提示願う。 もちろんオウム教団のではなくて、正統な密教経典や文献から。
遅い横槍だが、『仏教経典に、大量殺人、ポアの思想が隠れている。』(
>>580)のではなく、
ヒンドゥ勢力による謀略注入経典に、である。
チベット『密教』および真言『密教』はヒンドゥ教の謀略スパイ潜入秘密教団の末裔だと仮説できる。
最近の仏教議論スレッド49〜50を嫁。
<理趣経より>
・二段 (覚証の法門) 大日如来の巻より
金剛手 若有聞此 四出生法 讀誦受持 設使現行 無量重罪
必能超越 一切惡趣 乃至當坐 菩提道場 速能剋證 無上正覺
( 金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの四つの悟りを生み出す法を聞いて、
これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、たとえ今ここで数えきれない重い罪をなしたとしても、
必ず一切の地獄に墮ちるという報いを超えて、そのままで無上正等覚(さとり)を証することであろう。)
・三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻より
金剛手 若有聞 此理趣受持 讀誦 設害三皆 一切有情 不墮惡趣
爲調伏故 疾證無上 正等菩提
(金剛手菩薩よ。もしあなたたちがこの「悪にその性なし」という理趣を聞いて、これを読み誦え、
身に保ち持っていたならば、たとえ三界の一切の生き物を殺したとしても、決して悪の報いを受けて地獄に墮ちることはない。
それどころか悪しきものを調伏(うちなび)かしたことの果報を得て、速やかに無上正等覚(さとり)を証することであろう。)
819 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 15:47:06.85 ID:tt5pcUvP
また
>>810-812の如く、
「意見を陳述するのは自由・権利。指摘・非難する方が悪い。(≒反省したら?)」
といった態度も、下劣で品性のないやり口だよなw
んとにに下衆な奴だよ、お前は・・・ ( ゚听)、ペッ
820 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 15:54:51.04 ID:tt5pcUvP
>>819補
そして、決して自分の誤りを認めない。
(悪いのは自分じゃない、参考にした書物が悪い、相手の説明の仕方が悪い、
自分には落ち度がないと言わんばかりの書き込みをどれだけ続けてきたか・・。
そうして、何度同じ内容をリフレインしていることか・・。)
再犯率の高さと性質の悪さは隠居と1・2を争うレベルだわ・・・。
821 :
2/2真言『密教』、チベット『密教』 大滝秀治:2013/01/17(木) 16:14:55.72 ID:tCsHDf/K
秘密金剛乗 五仏の法則 密教タントラ・ヴァジラヤーナ
(真言宗の金剛経などにも見られる教えであって、仏教の『五戒』を完全否定する反仏教思想を“秘密”裡に仏教内に潜入させられている。
完全に洗脳が終わったロボット連中たとえばオイラ氏などに教える謀略秘密教だ。ありがたく護持せよ:大日如来)
(1)金剛の一族に属するものは殺生を行うべきである。 ⇔不殺生戒
(2)剣の一族に属するものは真実でない言葉を語るべきである。 ⇔不妄語戒
(3)宝珠の一族に属するものは他のものの財産を盗むべきである。 ⇔不偸盗戒
(4)蓮華の一族に属するものは他のものの配偶者を盗むべきである。 ⇔不邪淫戒
(5)宝輪の一族に属するものは酒と諸仏の明かり(五肉と五甘露)と
あらゆる良き対象によるべきである。 ⇔不飲酒戒
“鉞の一族”に属するものは、最低のカーストに属する女性の
最も汚い部分をあざけるべきではない。
あなたはこの身と富とを命あるもののために捧げるべきである。
あなたは自分本位にそれを持つべきでない。
ああ、良き一族に属する子よ。
勝者は、あなたはこれによって仏陀になるであろう。
そうでなければ無数の劫をへても仏陀にはなれないであろう。
>>772 >全員で全員の足を引っ張る未来予想図
(他は全て彼岸に渡り終えて)世間に菩薩たちだけが残って互いに千日手に陥っている状況ですね。
循環参照によるデッドロックに陥った場合はスーパーバイザー(超越的な仏陀)という“他力”の介在のような設定が必要になるのかもしれませんね。
その辺のことを突っ込んでこねくり回していくと我がテーラワーダのような非大乗な仏教観からは隔ってくるわけですが……。
>>818>>821 a.k.a. 閻魔大師
ヒンドゥにせよ仏教の密教にせよタントリズムというのはその頃インドで流行った表現形態だったのではないですか?
それこそ、あなたが好きな「逆説的表現」という奴で、それらのタントリズム的な象徴表現を、「まんま受け取るべきもの」とは【見做さない方が適切】と考えてもいいのではないでしょうか?
カイエソバージュって本に不老長寿の薬であるソーマはなんだったのかっていう推論が書かれているのだけど
キノコを食べたあとに出る小便だったって話があったな
幻覚をもたらす作用があるらしい
インド文化ってそういう朦朧とするものに至高の価値をもたせるもの多いよね
まあおっさんの妄言かもしれんが、あずまんがすごいと言ってたから読んでみたよ
でも、熊楠がシンデレラの逸話が中国にあるといった話は初耳だったからおもしろかったけど
825 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 17:37:37.51 ID:xQKznVSx
>>818 ><理趣経より>
それはオウム並みの理趣経の大きな誤解である。理趣経は「すべてのもの(現
世、欲望)は清らかなり」と言っているのだから、「現世(例えば苦や欲望)」
を否定する者は殺してもよい」と言ってるのである。何故なら、現世は人間が
生きている唯一の世界であり、それを否定する者は、人間を否定しているから
である。真っ先に殺されべき者は誰かは、明らかであろう。
理趣経の「現世肯定」と照合して、すべての経典を見直し、改訂し、否定
すべきであろう。
理趣経の説く真理は、人間の根源に迫るものとして、他の経典に比較して
最も深遠であるといわざるを得ない。理趣経の教えこそ,「人間」の営みと
しての宗教の基盤をなすべきもの。
義務教育では教えない合理主義哲学 感情自己責任論 m9(`・ω・)ビシ
・「日本語・風紀・世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影
・問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法やマナーを必要とする
・真実・事実・現実・史実・常識・正義は人の数だけある
・「真実は一つ」に執着する者だけがその矛盾(煩悩、争い)を体験する
・憤怒激昂は無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど辛辣に批判する
・あらゆる社会問題の根本原因と解決策は「教育」に集約する
・地球上で最も売れているトンデモ本は新約聖書
・十分なリテラシー教育を受けてない者ほど宗教や偏向思想に洗脳される
・体罰肯定論は指導力忍耐力創意工夫力に乏しい教育素人の責任転嫁
・死刑は国家による合法的集団リンチ殺人。廃止した方が凶悪事件は減る
・虐めの原因は「虐める者の精神疾患」。真に救済すべきは加害者
・犯罪加害者に必要なのは懲罰ではなく救済。被害者のみ救済は偽善
・投票率・政党支持率・出生率・消費マインドの低下は社会成熟の証
827 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 18:12:54.90 ID:T/8GTMhu
みんな、夜遅くから朝早くまで、よくやるね。
ざっと流した感じでは、御隠居、名無しさんの切れ味鋭さと、
凡夫一代の凡夫らしさ。頭にカビが生えている。
829 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 18:25:23.97 ID:T/8GTMhu
凡夫一代は現代を、新聞もテレビも出版物もない時代と
カン違いしているね。いまはネットもあるのに。
何が師匠だ。目を覚ませ、時代遅れ。
>>753 >在家さんは、口当たりはソフトですが自説には頑固ですよね
実は俺もひそかに思ってたこれw
>>777 >有情も輪廻も無限なのに、全てを悟らすことなんかできないとか
>そこはそういう限界に囚われた世俗的な見方でなく、
>一味平等、法界無辺の不可思議な見方なわけだ
なるほど!「一味平等、法界無辺の不可思議」の境地において、衆生を教え導くというのには、
こう言うと怒られてしまうかもしれませんが、何か神秘を感じますね〜。
この辺りの神秘性を明らかにしているのが、密教経典だったりするのでしょうか?
831 :
基地子♀菩薩:2013/01/17(木) 18:48:48.41 ID:EDGj5JRo
>>似非仏教徒へ
_,,、--――-- 、,
/´::::::::::::::::::::::::::::::::::::`',
,r''j´ ̄ `ヽ、 /::::_;;、--――-- 、;;;:::::::l
/ / ヽ /゙´,,. --―――-- 、,,`゙ヽ!
l / |l;:´---;=t;;ァ┬┬t;;ォ、、,_`ヽ|
l, ,'::ハ,゙´ ノ,、 l, ヽ,゙l::〉‐、
人 ノ ' ヽ、... 'r'゙ ヽヽ、.... -' Y 〈
/ `''┬―‐'´ヽ-、 l''ー;=、;_―゙ニ゙-----__,ニ'' | ヽ
/ `''ー、,、 `ト-!、__| ̄Τ ̄「 ̄|__,/ j ノ あなたは一生葬式仏教の虜です
./ , / ,、 ハ;ト 、,.二,^,二,二´,./ /-ヘ ホーホホホ〜ッ、ど〜ん!
| `''ー---|. 〈 ヽイ \、L.,,__|__,,.」.../ ,イ:::::::::゙i,
| ,ハ、,Уヽヽ、.`''ー---‐''゙´ _,,//|:::::::::::: l,
\ ''ー――' )/::l V:::``ヽ、_,,. -'´l / .|:::: _,、-┘
ト、,__ ,∠/::::| .l、::::::::::
832 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:02:56.70 ID:T/8GTMhu
>>753 >>830 自分だって頑固じゃないのか。人のことなど言えんぞ。
それから、一味平等とか法界無辺とか、変な日本語を使うな。
日本人なら日本語で話そう。
833 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:05:20.21 ID:xQKznVSx
>>831 >あなたは一生葬式仏教の虜です
葬式仏教のみが、社会に貢献している。君たちも一度は必ずお世話になるw。
人の嫌がる死後の始末を、厭わずにやってくれる、
その他の仏教は、すべて自己満足、心のオナニーという汚らわしいもの。
社会には、クソの役にもたたないばかりか、人間の狂気を招くという弊害を
垂れ流している無用の長物、人間界における諸悪の根源。
834 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 19:09:30.84 ID:A8oIL/rN
>>816 :「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治氏
>
>>691 >>「等誦経」はサーリプッタの編纂だと認識しております
>
>これは驚倒的かつ大胆な新説です。凄い!
>長部 (diigha-nikaaya (pali)) : 長阿含経郡が、後代のアビダルマ部派ではなく、
>ブッダ存命中に、しかもサーリプッタによって、口伝ではなくパーリ語またはサンスクリット語で直接編纂されていたのだ!!
>>820 (多分、セブン氏)
>そして、決して自分の誤りを認めない。
> (悪いのは自分じゃない、参考にした書物が悪い、相手の説明の仕方が悪い、
> 自分には落ち度がないと言わんばかりの書き込みをどれだけ続けてきたか・・。
「等誦経」を読みますと、サーリプッタが仏陀の教理を集成し229法に分類したとあります。比丘達への口伝ですが。
「参考にした書物が悪い」か否かは私レベルでは分かりませんよ。
テキストが信じられなければ、サーリプッタがまとめた法の元も仏陀でなく後代のアビダルマ部派が創作した可能性が高いとなり得るでしょう。
かの「梵網経」も後代のアビダルマ部派の物語(戯論)ですか。
835 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:10:50.88 ID:T/8GTMhu
>>831 もうすでに葬式仏教ですよ〜ん
これからは葬儀屋勤めのサラリーマンでしょう
>>832 頑固だったらいつまでも因果応報も輪廻も大乗も否定し続けていたところだよ
一味平等とか法界無辺は、一切の見解や分別を離れて、
あらゆるものに特定の自性、相、特徴を見いださない境地のことを言っているのではないでしょうか
837 :
真言『密教』、チベット『密教』 大滝秀治:2013/01/17(木) 19:21:26.57 ID:tCsHDf/K
>>823(不説 ◆zanKI/5r4A)
>タントリズム的な象徴表現を、「まんま受け取るべきもの」とは【見做さない方が適切】
たった一言、<タントリズムは反仏法である。>
まさにタントラは「魔境」というしかない。
それが密教の本質だ。
不説 ◆zanKI/5r4A には無理だから説かない。
>>825の馬鹿隠居の裸踊りが典型だ。
自称「覚者」とバクチを打たざるを得ない「迷いの衆生」の関係をまったく無視している。
・『理趣経の「現世肯定」』 ⇔ 【大滝秀治】覚者には<肯定⇔否定>の相対にはない。
・『理趣経は「すべてのもの(現世、欲望)は清らかなり」と言っているのだから、「現世(例えば苦や欲望)」
を否定する者は殺してもよい」と言ってるのである。』 ⇔ 【大滝秀治】覚者には<清浄⇔汚濁>の相対にはない。
肯定でも、否定でもない。現世という観念がない。
こういう完全馬鹿を防ぐことはできない。
清⇔濁の二項相対矛盾による苦しみを無視し、空即是色→『無分別の分別』をまったく掴めない迷妄衆生が自称「覚者」に操られて
殺人事件を起こす。
この構造がオウム事件の本質だ。
838 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:34:03.36 ID:xQKznVSx
>>836 >一味平等とか法界無辺は、一切の見解や分別を離れて、
>あらゆるものに特定の自性、相、特徴を見いださない境地
何を寝惚けたことを言っているのか。いい加減で目を醒ませ。
そんなことをしたら、人間は一瞬も生きてゆけない。生きて行けなければ、
釈迦も、仏教も、無我も、空も、一味平等も、法界無辺もへちまもない。
すべての真理は「生きるための分別」と「生きるために、あらゆるものに
特定の自性、相、特徴を見出すこと」に「のみ」存する。何時までも、明ら
かな精神病者の釈迦の勘違いに執着すべきではない。
釈迦に執着・分別しまくって、何が「執着・分別を去る」か。滑稽極まりない。
839 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:35:44.07 ID:T/8GTMhu
>>836 自分は頑固じゃない? いつの日か、自分もそうだってことがわかるさ。
一味平等、法界無辺とやらの境地を体験してないなら安易に使うな。
言葉でごましているとしか思えない。要するに意味不明。
840 :
:「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治氏:2013/01/17(木) 19:42:08.96 ID:tCsHDf/K
>>834 >後代のアビダルマ部派が創作した可能性が高いとなり得るでしょう。
だからカルト・マヒカリが『カルト・マハーカッサパ経典にむしゃぶりつくのは当然の図かw』
これが明確になったろう。
「梵網経」に述べられた思想がブッダ存命時、すべて存在したことを証明せよ。
矛盾が明確になる。
841 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 19:43:08.22 ID:xQKznVSx
>>837 と、現世のみで得意げに語る愚か者w。
麻原絶対肯定と釈迦絶対肯定との間には、いささかの微細な相違もない
ことを悟れ。
>>838 >すべての真理は「生きるための分別」と「生きるために、あらゆるものに
>特定の自性、相、特徴を見出すこと」に「のみ」存する。
おお、そうだとすると、とっつきやすくて良いね。
確かに、凡夫の自分には、それはそれで真理の究明になるような気がする。
それはただ、ひたすらに知性を磨くことで得られるのかな?
>>839 >自分は頑固じゃない? いつの日か、自分もそうだってことがわかるさ。
ああ、いつも怯えてるよ。
>一味平等、法界無辺とやらの境地を体験してないなら安易に使うな。
分かりました、少なくともあなたには使わないようにします。
843 :
前世は一在家:2013/01/17(木) 19:54:47.25 ID:A8oIL/rN
>>840 :「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治氏
>「梵網経」に述べられた思想がブッダ存命時、すべて存在したことを証明せよ。
大滝さんは「梵網経」に述べられた思想がブッダ存命時に一つでも存在しなかったことを証明できるということですか。
このような課題を異教に出されても、回答できないことは御存じでしょう。
どうやら貴兄は長部経典が嫌いのようですね、仮説ですが。
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.";".";": ..;;( (⌒( .i| ト .|i⌒) ) )⌒".;
.;.;"..;.;"..;.;". ;.;"..;..;.;". ;.;"..;..;.;". ;.;.;"..;.;".
ちっとは疑って読めと仏教に書いてありますが?
846 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 20:53:54.57 ID:+tCyHp0G
最澄や空海は、この現実、現象世界のみを肯定しているのではない。
これが日本型仏教の伝統であり、御隠居はこの立場を知らないままで話している。
そういう意味では、典型的な外道じゃないの。
何も無い。あるもの について無くてもどこか共通点がある
しかし無いならあるうちには、はいら
ず、ゆえに物たりずしかし精神的共存すべきだが無いなら
物たりず悶々する、それを煩悩というものでしょうか。
848 :
「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治氏:2013/01/17(木) 23:22:28.56 ID:tCsHDf/K
>>843(一在家)
>このような課題を異教に出されても、回答できないことは御存じでしょう。
いかにも知っているが如くに語られるカルト洗脳異教者の無責任な戯言物語はその根性においても醜悪である。
知り得ないことについて知っているかのように語られるあらゆることは物語(フィクション)である。
「梵網経」も「業報輪廻転生」も「等誦経」も、「大パリニッバーナ経」も、嘘でも本当でもない。
文字通り物語である。
その物語をホントウのことだと「信じる」ことで、人生の意味と理由が与えられたように思うのが“信仰”宗教者である。
池田晶子は言う。
『しかし、自分が「存在」するということは、それ自体で生死を超越しているのだから、「生前」「死後」が眼中になくなる。
逆に、存在の不思議(神秘)の前にはそういった神秘体験なるものはすべて物語りだということがはっきり見えるのである。
生きていることの神秘を実感すれば、死後の神秘に用はない。
つまらない物語を追うまえに、一輪の花が咲く、地球が廻る、我々が生まれ死ぬ
ーそういった当たり前の神秘に驚かずに、人生の意味と理由が理解できるはずがない。
カルト、オカルト霊媒師が宇宙開闢以来のすべてが見え、あなたのカルマはこうだといっても、私はなにを理解したとも感じない。
かれらが物語を語った、たんにそれだけのことである。
人生が存在する、存在が存在することの神秘は、
いかなる仕方によっても理解することができないということを、私は理解しているからである。』
(池田晶子 週刊新潮2006/7/13号 人間自身158 改)
849 :
「等誦経」はサーリプッタの編纂? 大滝秀治:2013/01/17(木) 23:29:26.77 ID:tCsHDf/K
850 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 23:30:18.29 ID:OeutH5Ak
生命教も同じことを言ってるのに、池田晶子が言うとありがたくなるその心理w。
851 :
神も仏も名無しさん:2013/01/17(木) 23:32:05.41 ID:tt5pcUvP
>>834 てめぇは、ホントに糞野郎だな(怒
原仏スレ時代も含め、いったいどれだけの誤情報を指摘されてきたよ?え?
で、微に入り細に入り、それらの瑕疵を指摘され、貴方自身が、
それら指摘を受け入れ、謝罪訂正したにも関わらず、
訂正前の情報を、さも、新規の、正しい情報として提起する。
んんんんんんとに、人間として最低だよ、お前は・・・。
852 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 01:21:18.94 ID:tWPNAMNP
>>848 その池田晶子の言葉を、まず、釈迦とイエスに言ってくれ。二人とも、一瞬で
吹っ飛ぶ。
>>650 >マジか。ちなみに、原始経典と大乗経典の矛盾点として一番強調されるところってどこなの?
一言では難しいかもしれません・・・。
まずいえることは、本当に「“仏法僧の三宝”さえあれば仏教」ということで済ませられるのか?
そして、“縁起・空・仮設”を理由にすれば何でも許されるか(仏教の正当性として本当に妥当か?)
ということです。これさえ説いていれば本当に何でもありでいいのですか?と。
>この文は、「涅槃はアートマンなのか」と言い換えても良いかい?
それは、
必ずしてもそうであるとはいえないでしょうね。
自己の本質であるアートマンの自覚、または、
アートマンとの融合(合一)を果たした境地が涅槃であるかどうか?
ということでしょう。
で、伝統仏教者の理解は、
アートマンなどというものは元々ないから、それが涅槃である筈もない。
もしくは、アートマンの境地などというものは涅槃に至らない低き境地であって、
涅槃ではないから、再びいずれ輪廻の生死に迷い出るというものです。
>そうなんだ、典拠を聞いてもいい?
まず、これを読まれてみてください。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm
>>643 >で、仏教では《唯一絶対の“存在”》なぞ説かれていないわけです。
>阿含から大乗まで含めたあらゆる経典を精査しても、(スッタニパータ、ウダーナの中にもw)、
>出てこないのです。
仏教が説く唯一絶対のものとは“法”(ダールマ)のことです。
説一切有部が諸法そのものは恒常不滅であるから、これを実体視するに至った経緯もここにある。
この恒常不滅の諸法こそが神智学の説くロゴスの存在を示すものです。
諸宗教ではこれを単に“神”と呼称する。
前投稿訂正:
×「仏教とは考えなくてもいいです」
○「仏教徒は考えなくてもいいです」
>>648 追記:
重要部分にて、
原文を転載しておきますね。
諸法無我は現象界に限定される法です。
『つぎに諸法無我とはパーリ語で sabbe dhamma^ anatta^「一切の法は無我である」ということ
であって、ここに法とは「もの」のことである。元来、法(パ dhamma 梵 dharma)にはいろいろの
意味があるとされる。パーリ註釈書の説明によれば、法には(1)pariyatty 教説、(2)betu 因、
(3)guna 徳、(4)nissatta-nijjivata^ もの、という四つの意味があって、ここでいう法はこの中の
第四の場合である。(p134)』
(『東洋思想5/水野 弘元著「縁起説の基礎としての法印/2.諸法無我」』東京大学出版会刊)
856 :
前世は一在家:2013/01/18(金) 05:49:14.52 ID:VUygTXUH
>>851 多分、セブン氏
>で、微に入り細に入り、それらの瑕疵を指摘され、貴方自身が、
>それら指摘を受け入れ、謝罪訂正したにも関わらず、
>訂正前の情報を、さも、新規の、正しい情報として提起する。
>んんんんんんとに、人間として最低だよ、お前は・・・。
瑕疵(欠点)を指摘された例の分類
1)前後のテキストを不理解のままテキストの切り取り
2)翻訳者により違い
3)その他、教義の浅い理解
2)は自歓喜経で中村元監修訳と片山訳との違いがありましたので、貴兄らが原文に戻って指摘。
1)2chでは長文を入力できないので、切り取りテキストの意味が誤解したまま記載。
3)は色々ありました。
ポッタパーダ経での乳製品の特質はアートマンではないと貴兄らが原文に戻って指摘したことは覚えております。
ただ今回は中論入門(入中論)で「種と芽とは異なる」という記載がありましたので、遺伝子レベルでは?かなと思い、参考までに似た乳製品の特質を再掲しました。
また自歓喜経の常住論は梵網経の常住論とほぼ一致していることも認識しております。
857 :
前世は一在家:2013/01/18(金) 05:53:26.81 ID:VUygTXUH
>>848 大滝氏
>「梵網経」も「業報輪廻転生」も「等誦経」も、「大パリニッバーナ経」も、嘘でも本当でもない。
文字通り物語である。
スッタニパータも大乗経典も物語ですか。 口伝伝承の箇所は残っていると思っております。
858 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 06:47:35.20 ID:zllBwBJS
鎌倉仏教 〜 戦乱と末法思想
禅宗系 ・・・ 末法思想に距離を置く。布教対象は武士。
武士たちは戦場での心構えを禅宗系に求めた。
浄土系 ・・・ なぜ浄土三部経なのか。
布教対象として農業、漁業、狩猟従事者を視野に入れる。
法華経にはこれらの人々への差別が書かれていた。
日蓮系 ・・・ なぜ法華経なのか。
すでに浄土系、禅宗系が先行していた。
布教対象は、必然的に商工業関係者が中心になる。
859 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 07:06:06.28 ID:zllBwBJS
江戸仏教 〜 葬式仏教の成立
檀家制度により、権力の末端組織に組み込まれる。
寺院経営が安定するとともに、住職の世襲化により僧侶の質が低下。
庶民の側にすれば、仏教が差別の最前線にあった。
その実像を目にし、偉そうにしている僧侶への不信感がつのる。
(つづき)
『仏教は時間空間を超えた実体は、われわれの経験外にあるから、その存在を肯定することも
否定することもできないとして、これを取り扱うことを禁じた。それは時間空間内の限られた経験
能力しかもたないわれわれは、時空を超えた絶対者の存在を証明することが不可能であるばか
りでなく、かりにその存在が証明されたとしても、それは現象内だけに限られているわれわれの
世界とは無関係である。すなわち本体界はわれわれの苦悩やその解決にも、修行やさとりにも
無関係のものであるから、これを問題とすべきではないとしたのである。(p133)』
(『東洋思想5/水野 弘元著「縁起説の基礎としての法印/1.諸行無常」』東京大学出版会刊)
ただし、これらは我々凡夫や未完成者にとって当て嵌まることであって、
大いなる能力を獲得しているゴータマのレベルにはまったく当て嵌まらないことです。
我々の役には立たないから説くのを辞めただけです(ゴータマの指導方針として)。
861 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 07:30:45.56 ID:zllBwBJS
明治から戦前の仏教 〜 廃仏毀釈と新興勢力
廃仏毀釈によって仏教と神道が切り離され、
さらに僧侶の肉食妻帯が一般化し、
これらによって仏教への信頼がうすれ、葬式仏教が確定する。
既成仏教が衰退する中で、霊友会や立正佼成会や創価学会などの
日蓮系宗教団体が登場する。
かれらは病気癒しを中心とする現世利益で信者を増やしていく。
ウソを方便として認めている法華経は布教に便利だった。
862 :
基地子♀菩薩:2013/01/18(金) 07:40:10.81 ID:0eBQUxCj
もしかしてこのスレにカキコして
いる人達って、全員ナマポなのか
しら? σ(^_^;)?
863 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 07:49:58.09 ID:zllBwBJS
戦後の仏教 〜 宗教法人優遇税制、宗教を語る詐欺集団
既成仏教は、葬式収入と宗教法人優遇税制で生き延びている。
オウム事件は、その教義もいかがわしいことを世間に暴露した。
もはや、仏教は過去の遺物になっている。
他方、日蓮系の宗教団体は、現世利益を中心に勢力を拡大した。
篤い信仰心ではなく、信者同士の助け合いや、
政治力を利用した便益の提供が人々の目をひきつけている。
いまや、金儲けをたくらむ悪徳宗教ばかりである。
、
日蓮系の教義ってあんまここじゃでないな
創価が嫌われてるせいかな
宮沢賢治も戦前国柱会っつう日蓮系の団体にいたのに
道元、親鸞、法然やその高弟たちはたいてい貴族や武士の子なんだが
日蓮だけは庶民の出なんだよな
そして、天台宗から出ている鎌倉仏教の祖たちがそれぞれ立宗していく中で
日蓮だけは天台の教えに戻そうとした。
庶民に教えが広がっていく中でいかに天台の教えを広めていくか苦慮し
法華経を最上の教えとし、その題目を唱えるだけで救われるっていう
浄土宗のパクリのような教義だが、日蓮の人生てのはそれなりに人として評価できるものでもあるよ
ルサンチマン、狂人のそれとも言えるけどさ
彼の人生が一つの悲しい物語とも言えるわけで、恨みをもつような人たちを慰める一つの手法だと思うよ
鎌倉仏教は、禅、浄土、日蓮で分けられるが
俺の中では、禅は中国に本物の仏教があると信じて留学した道元らによる外国かぶれ
日蓮は、日本独特の日本を主として仏教を受容しようとした結果の国粋仏教で
浄土は、国の外も内も関係なく現状そのものを厭って、超然として悟りに至ろうとした つう印象だな
866 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 08:56:10.62 ID:zllBwBJS
かって、命がけで海を渡り、雪と氷のアルプスを越え、
砂漠を超えたのは何のためだったのか。人間には本質などない、
空でしかないということを知るためだったのか。
神はいない。これが答えか。あまりにも悲しい答えではないか。
そうじゃないだろ。そんなはずがない。
空だの縁起だのいっても修行しないと何の意味もないよ
神など認知不可能
869 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:06:08.81 ID:pWR7Nd0I
ヒンドゥー側も仏教側も想定しない「第三のアートマン論」を設定して
釈迦をその立場に立たせる、といういつものあれですな。
870 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:21:46.44 ID:zllBwBJS
>>864-865 日蓮は、空ではなく、法華経を生きたような印象を受ける。
法華経で自我を確立したのかも。無我じゃないね。
>>866 の訂正 アルプス越え → ○ ヒラマヤ越え
法華経を最上とするのは天台の教理だけどな
872 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:34:36.22 ID:pWR7Nd0I
無量義経に相当するものが金光明経に作られてたら
金光明経が最上、ということになってたんだろうなあ。
法華経は流布しまくってる経典なのにセットのはずの
無量義経はさっぱり、というのが圧倒的な嘘臭さを醸し出してるな。
873 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:38:26.73 ID:tLWiUYKa
>>865 そう日蓮は、ナショナリストで我の宗教、非仏教なのでここでは批判の対象になっても仏教を論ずる根拠としては扱われないから
874 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:39:52.13 ID:tLWiUYKa
>>867 それはそうだけど、修行の内容や体験についてここで話し合うのは無意味でしょう
875 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:41:23.22 ID:zllBwBJS
>>871 天台教学は、法華経の「諸法実相」や「十如是」や「一乗思想」に
注目している。日蓮の関心は少しズレてるような。
876 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:50:12.83 ID:zllBwBJS
>>874 仏教自体が壊滅的状況だから、
修行方法や修行体験も議論しないと復活しないな。
戯論ではなく、体験が必要なんだよ。
877 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 09:56:50.02 ID:zllBwBJS
>>842 >>自分は頑固じゃない? いつの日か、自分もそうだってことがわかるさ。
>ああ、いつも怯えてるよ。
人間は本当に頑固で変わらない。
昔の友がまったく変わってないことに、思わず吹き出しそうになる。
878 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:03:09.99 ID:90/3sJlA
>>876 リアル世界での個別指導なしでテクだけ語り合っても、
つまみ食いの三昧大好きっ子が増えるだけだと思う。
879 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:14:19.50 ID:tLWiUYKa
>>876 体験は重要だけど、間違った行の体験ならしない方がいいよ
その典型がオウム、プラーナや光明体験してるが、間違っている
禅とかニューエイジも三昧体験を悟りと勘違いしてるけど、間違っている
そういう勘違いではどうしようもない
あるいは、体験したいなら本物の伝統につけばいいだけだ
880 :
基地子♀菩薩:2013/01/18(金) 10:23:15.62 ID:0eBQUxCj
>>867 仏教は直感智で有り苦行や修行等と
は無縁ですよ!仏縁無き者が努力で
獲得出来る境地でも有りません。
南無 (-人-)
881 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:38:25.23 ID:cO++6739
>>879 >体験したいなら本物の伝統につけばいいだけだ
今は末法の世。空しか語れない現代仏教のどこに、本物があるというんだ?
間違った師に付いても間違った道に進むだけ。智慧ある者は、末法の世で正しい悟りを
目指すなら独覚を目指すしか道はないと知っている。そう考えると誰一人正覚者を
排出していない、自称伝統的と称しながらその実末法仏教でしかない現代仏教の教え
に傾倒するほど愚かなことはない。
882 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:44:11.70 ID:90/3sJlA
前々から日本は壊滅状態であることは指摘してて
チベット系とビルマ系薦めてんじゃん。
883 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 10:47:01.10 ID:90/3sJlA
現代日本仏教団体の面々が「空を語れてる」ともみなしてないぞ多分
884 :
ノスタルジア:2013/01/18(金) 11:03:29.57 ID:NCq65SVR
お釈迦様が使う否定表現をみんな好んで使っている時点でみんな坩堝なんだけどね。
さらには日常的に何気なく使っている否定表現はたくさんあるが、それを
使うことも、否定表現なんだろうな。方便として言葉をお釈迦様が使ったのは、
よっぽど、有法が弟子達には通用しなかったんだろうね。これは一なる悟りや
涅槃や菩提って話とは別の問題で、性格の問題だったんだろうね。つまり、
否定表現を好む性格。私は否定表現って言うものからもう卒業して有法のみ
を説きたいんだけど、やっぱりお釈迦様と同様に、方便を使うんだよね。
よーく見て見なよ、君たちの言葉否定表現のオンパレードだよ!
わたしは有法の実体があると思ってて、それは実有であるのだと思っているよ。
これを肯定表現で乗り越えて見なよ! いつも否定表現ばっかり・・・。
私の意見の正当性は、例えば、自然よりも景色が先であるということから明白だね!
↑この一文の意味伝わっていますかー。
ごく基本的な戒律も守らないエセ僧侶が、思いっきり他宗教の影響受けて理屈コネ回したのに何の価値があるのかねぇ……。
886 :
ノスタルジア:2013/01/18(金) 11:43:50.75 ID:NCq65SVR
>>885 否定表現を肯定表現で返答するのは難しいです。乙。
どうでもいいだろ
勉強しなさい→今しようと思ってたのに
がんばれ→うるせーよ
部屋から出てね→いやです
勉強しようとしてるのね→ま、まあな、仕方ない勉強しとくか
がんばってるのね→お、おう、もう少しがんばってみようかな
ネットで社会勉強してるのね→そろそろ社会に出るか
んなわけねーだろw
888 :
心霊商法と密教 大滝秀治:2013/01/18(金) 11:53:04.84 ID:gbv+kx5V
>>880 >悟りと勘違いしてるけど、間違っている
>体験したいなら本物の伝統につけばいいだけだ
このあたりの口上は、門前の香具師の口八丁やTVの心霊商法婆子そのままだなw
迷妄衆生にとっては計り知れない地点への飛躍であるため、ただただ本物と自称する覚者サマを信じる他に手立てはない。
これは完全なバクチである。
自称本物覚者サマも神の声なのか、悪魔の声なのか、詐欺師の声なのか、立証する手立てがない。
麻原もフンパンものの空中遊泳とやらをやらかした。
密教では、自称本物覚者サマを迷妄衆生が真似事をするのが基本の方法論だ。
自称本物覚者サマが煩悩即菩提だといえば、迷妄衆生も煩悩即菩提と唱える。
迷妄衆生にとって「煩悩」は「菩提」ではない。一歩外に出れば、煩悩はあくまで煩悩である。
密教にとって如来の身・口・意を衆生のそれとは異なる「秘密の象徴」として捉えたとしても、
それは飽くまで信じるものは救われるによる身勝手な想像力によって創り出した心の戯れゴトに過ぎない。
ウソも方便機能をもつことがあるにしても、迷妄衆生にとってはウソはあくまでウソである。
結局、ベニテングダケから抽出したソーマと呼ばれるドラッグを使ったり、
苦行による脳内ドーパミン放出によって快楽体験をさせて、それを甘露(アムリタ)のリアリティだとゴマカス。
理趣経のセックス賞賛もその一環である。
カルマ落とし殺人を回向と捉えるポアのとき、脳内ドーパミン放出で多大な快感を感じていたはずだ。
完全な魔境である。
889 :
ノスタルジア:2013/01/18(金) 11:59:57.39 ID:NCq65SVR
>>887だから性格が否定表現を好むと言ったんだよ。それが向上心を題材とした
あなたのフィクションであったとするならね。
890 :
心霊商法と密教 大滝秀治:2013/01/18(金) 12:04:49.72 ID:gbv+kx5V
>>889 否定表現うんぬん言う前に明日をいきたいならガムシャラ
考えている暇はない
やる理由など求める必要はない、やらざるをえない
喧嘩のやり方なんてない、はじまったら手が出てるもんだ
その後に、適切な終わり方という問題が起こる
その時にルールができて、こうしろああしろとなる
いきなりこうしろああしろ言って分からないやつは根本が欠けてる
892 :
ノスタルジア:2013/01/18(金) 12:28:50.78 ID:NCq65SVR
>>891 なんで言葉を此処(迷界)の現状に向けるのでしょう?
私は学校でいじめられても、パンチを返せませんでした。
パンチを出すことは難しい。
私の正義。
だから解放されている。
今も解放されている。
893 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 12:45:15.06 ID:zdFKifda
「死にとうない」。これが究極の悟り。その他すべては、単なる精神の汚らしい
オナニー。
894 :
基地子♀菩薩:2013/01/18(金) 12:54:23.97 ID:0eBQUxCj
この世の無常を体感出来ない君達は
仏教を学び知識を得ても救われる事
は無い。南無 (^人^)
>>865 禅の開祖はインドから来た。
発展は中国だけれどね。
>>892 パンチを返せなかったんならパンチを出すように武道でもすれば?
武道ってのは技術は覚えられるが、試合で本気で相手を倒そうとすれば
はじめは自然ブレーキがかかる、自分の中で枷があるからな
そいつを吹っ切るにはお互いが真剣に向き合わないといけない
あとは慣れ。
ガキってのはそういう自分の力と向き合うことを知らないから手加減もできない
分からないなら使わないでいようと引きこもる
そういうのは正義でもなんでもない、かわいそうな自分を正当化しようとしてるだけ
自己完結で終わりたいならそれでもいいけどな
>>895 道元は中国にこそ本物の仏教があると思ってた、それだけ
漢訳の悪弊か、ニュアンスが知りたかったんだろうな
>>897 禅はそれまでの中国仏教のカウンターなんだけどね。
道元とかは禁欲的で厳格極めてテラワダよりかも
カウンターでもなんでもないだろ
中国への仏教伝播は西回りが一般
だから、北朝経由で入ってきたが
達磨は南朝に直接やってきたから、他の支那仏教と異質なだけ
要するに、ミャンマーあたりの文化を取り入れてたんだろうな
梁の武帝が仏教加護者として有名、おそらく北魏あたりから広まった仏教
その権威が南朝にも及んで、危機感覚えた南朝出身者が独自に
高僧を招聘しようとした結果じゃないかと思うけどな
羅什あたりは北涼から招聘されたあと、後秦に脅された北涼から長安へって感じだったかな
それもこれもひすいの戦いで前秦がボロ負けした結果なわけだが
あの時期の支那の衰亡はおもしろいな
ちなみに日本は法隆寺が南朝式の建築らしいな
900 :
ノスタルジア:2013/01/18(金) 15:49:40.73 ID:NCq65SVR
>>896 俺「囲碁の打ち合いのようなマネはしたくないんで」
あなた「あっそ」
終了。
私には、そのようにしか見えないし、8万4千の煩悩の渦が肥大化するだけなので、
あまり、そのようなやり取りに興味はない。それでいいんだ。これでいいんだ。
高いレベルを求めているときりがないよ。
>>899 >カウンターでもなんでもないだろ
なんで?
>>899 嫡々相続の禅でミャンマーの上座の影響なんて考えられないんですけど。
そんなの信用できんがな
それはお互い様だろ。
平安仏教でも浄土宗でも日蓮系でも他宗に関する批判を教義に入れているが
どれも皮相的で的を得ていないな。
素人への布教のために使ってるのだろうか?
例えば
>禅とかニューエイジも三昧体験を悟りと勘違いしてるけど、間違っている
もよくきくけど、禅でも三昧なんて悟りとは認められんだろ。
>>881 >>空しか語れない現代仏教のどこに ・・嘘も大概にしろ.この末法野郎.
>>伝統的と称しながらその実末法仏教でしかない現代仏教の教えに傾倒するほど愚かなことはない。
・・仏教がキリスト教だと思うのか.
何故「仏教哲理」が.くだらない「創世記神話」を説明するする必要があるのだ.
君は日本仏教への侮蔑を続けるが.所詮は君の出自である耶蘇頭を基礎にしたままの侮蔑である.
インチキな創世神話へ帰って一生其処に居ればよかろう.
908 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 17:37:53.51 ID:nthDLTKn
>>893 わしゃ死にとうない。のただの俗人一休が悟ってるなんてするところが
日本の仏教界の迷妄ぶりが伺える。わしゃ死にとうないが悟りなら現世に執着しまくりの凡夫ははじめから
悟っていることになるわけで、はなから仏教などいらないって。まぁ違う人達にかかればここまで
曲解が進んで元の教えとは真逆な教えにねじ曲げれるといういい見本だな。末法仏教徒達の能書きを聞いてる
と、ゴータマはビシュヌの化身で、皆を惑わす為に仏教を立ち上げた。
仏教は違う人達からヴェーダを守るために、違う人達から真理から隔離する為に出来たという話しも、
なるほど頷ける。
お弔いをすべき地獄のような状況が日常にはなかなか無いので
意味しているところの理解が難しくなってます。これは良い事でもあるのですが
912 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 18:04:28.23 ID:nthDLTKn
>>907 末法仏教の分際でなにが伝統仏教だ、ボケェ。
おまえはグノーシスなんかじらないでバッタもんの末法仏教を有り難がって
伝統仏教だと執着しまくってりゃいいんだよ。アホにはそれが相応しい。
>>909 ミャンマーも十分インドだろ、イギリスの分割統治で分けられただけでさ
そもそも21祖が世親だから、そこから28祖の達磨までの間に変化が混入してないと説明つかない
どこで禅宗特有の経典をもちいない教風ができたかと言えば、
経典をもってこずにやってきた神異僧あたりの口伝だろうから、
直近の祖の般若多羅、達磨があやしいと思うのが人の情というものだろう
そもそも達磨なんて名僧がいたかどうかも不明で、どうせなんらかの仮託なんだろうけどさ
字が読めなかったからです
>>913 神異僧w
それは空手源郷の道元のことをいっているのか?
まあ知識のためこみが仏道だと思うならお好きに。
世間一般の得る道の他に捨てる道というのがあるのさ。
訂正 空手還郷ね。
べつにひけらかすつもりはないんだけどな
それに経典もってないといけないとも言ってないし
神異ってのは高僧伝で使われる布教に貢献した僧の分類方法の一つだよ
俺は禅宗に対して評価はしてるつもりだよ
ただ、禅宗だけを最上とする世間知らずが嫌いなだけですわ
最上とかそういうのも煩悩だろ。
自分をもてはこんでるだけ。
対話しようぜ
さっきからしとるぜよ。
あはは
なんつーかね
子供が明らかにはぶてて相手にしてくれないのを
なんとか機嫌を治そうとして走ったり転んだりしてるのに
別におこってねーし、って言われたみたいなさ
なんじゃそりゃみたいな、まー機嫌治ったんならいいかみたいなオチだな
できた大人は子供に目線をおろすんですぜ、
大人の旦那さんよ
いやぁ勘弁してください
そんなのは囲碁がやりたいのに、対戦相手のいないおじいちゃんがさびしくて
子供に囲碁教えて互角な対戦者に育てるために
小遣いもやり、石を9個も置いて、機嫌とりながら
地道に木を育てるがごとく接するような悲惨さだよ
とくにネットでそんな呑気なことやってるやつは頭がおかしいだろ
3行目後半で、既にカラス色くっきりだもんな・・・w
>>908 懲りないやっちゃw ┐(´ー`)┌
>>912 くやしいのか(笑
ドめくら末法耶蘇教徒
インチキ創世神話ワールドでヤハウェと一緒に死んでいろ.
.
928 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 19:48:46.74 ID:nthDLTKn
>>927 アホか。誰が今のキリスト教の教える創世記物語りなど信じるか。あれの本当の意味を知る者は、
今のキリスト教徒では皆無に等しい。正統派を自称している今の伝統的キリスト教も、
おまえの大事な末法仏教と同じくゴミなんだよ。わかったか?
ゴミでしかない自称伝統的末法仏教徒さんよ。
>>928 とことん雑魚は雑魚だな.この末法野郎.
猫の糞は臭くてたまらぬわ
>>創世記物語りなど信じるか。 ・・で.末法耶蘇の成れの果て分際で仏教を腐しているのかねw
.
930 :
基地子♀菩薩:2013/01/18(金) 20:03:23.02 ID:0eBQUxCj
____
/ \
/ \
/ ⌒ ⌒ \
| ///(__人__)/// |
(\/) /(\/)
(ヾc) \ (っ'')
>>853 宝珠たん
>一言では難しいかもしれません・・・。
どうぞ、いくらでもご教示ください、僕も気になっていたところですので。
>そして、“縁起・空・仮設”を理由にすれば何でも許されるか
"何でも"って、たとえば何?
>まず、これを読まれてみてください。
読んだよ!ありがとう、中々おもしろかったよ〜。
で、「無為(涅槃)には我(アートマン)は在るのか?これについては無記として解答を与えなかった」
という文に相当するのは、どこ?
宝珠さんは、諸法無我の法は存在(もの)を意味するが、無為法の法は教説を意味するって言いたいの?
人間と世界を作ったので当時は神とか天使悪魔の概念は無かったんです
へびは悪魔に通じますがね
934 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 20:27:34.69 ID:nthDLTKn
>>929 おまえの伝統的とかいうゴミ仏教を貶されてそんなに腹が立つか。
俺はキリスト教を貶されても何とも思わんぞ。未熟者めが。正統派と自称している今のキリスト教も、
おまえの大事な伝統的と自称する末法仏教も目糞鼻糞なんだよ、ゴミが。
横ですが末法思想というのは
大乗から生まれてきたもんなんですがね。
原始仏教にはないでしょ
末法と言われると明日かもしれないと考えるのが人間というものです
937 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 20:41:04.37 ID:tLWiUYKa
>>906 >もよくきくけど、禅でも三昧なんて悟りとは認められんだろ。
野狐禅ね
938 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 20:58:01.17 ID:tLWiUYKa
>>913 >ミャンマーも十分インドだろ、イギリスの分割統治で分けられただけでさ
そんな説だれがいってんの?
>そもそも21祖が世親だから、そこから28祖の達磨までの間に変化が混入してないと説明つかない
その法灯が妥当だとする、さらにヴァスバンドゥだとして倶舎・唯識の世親だと確定できる根拠は何?
倶舎・唯識以外の世親なら、あんまり変化といってもしょうがないし
939 :
基地子♀菩薩:2013/01/18(金) 21:56:23.87 ID:0eBQUxCj
>>938 ∩___∩
/ ノ \ ヽ
| ● ● |
彡 (_●_) ミ 何マジレスしちゃってんの?
/、 |∪| ,\ この鮭の切り身やるから寝ろよ!
/.| ヽノ | ヽ
,,/-―ー-、, --、 .|_,|
r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
|,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
.ヽ,′ ; `"";;;;;⌒゙')
´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛ `゙´
| .‖ /
("___|_`つ
>>934 笑) 馬鹿なのか.お前は. ああ違った.末法耶蘇野郎だったな.
それも違うな.猫の糞だった.
なにが未熟者だ.
お前は隠居やサロメと変わらぬよ.そうやって地べたを這いつくばっていろ.虫.
.
943 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 22:32:13.15 ID:tLWiUYKa
>>941 なんだ、話す気は無い人か
独り言なら、コテつけてね〜
>>656 >それは『「仏教(お釈迦さんの教え)」でない』し、『仏教である【必要】はない』でしょう?
>と言っているのです。 なぜ、そこに『仏教という看板』が必要なんですか?
>違うものは違っていていいじゃないですかw
それは、あなた方がいうところの伝統とやらが、
正しく仏教を継承してきたものとして私は見なしていないからです。
基本的部分は仏教学的根拠に基づいて、この私は“違う”と見なしています。
>>648 >>(「無い」などとは云ったことがない)
>
>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356500644/671 >ただ、少なくとも、釈尊以来2500年間、例外は見出されていない
仏滅後の2500年間、
ゴータマが「アートマンは(無為にもどこにも)ない」と明言した経文などは存在していません。
ゴータマが述べたのは、“この現象界にはアートマンはない”(限定付)というものであり、
「それらのどれもアートマンではない」というその言い回しは、
敢ていえば、「アートマンはあるがそれらは違う」
という意味を内包していることを示唆するものである可能性すらもある(可能性としてはです)。
ただし、これについては説くことを辞めたのです(姿勢として指導方針として)。
無いといったのではなくて、単に説かれなかった。これがアートマンに対する無記。
このことには2500年間、例外がない。
>>657 >なぜ用いなかったかということが重要でしょう?w
>そこでいう(“ロゴス”としての?)神概念を相当させるものを見出せなかったからじゃないですか。
そうではなく、
神はアートマン同様、凡夫及び未完成者には覚知されないからです。
たとえゴータマは覚知していても、確認不能である我々には役立たずと判断してこれを説かなかった。
>また、人格神でないものを、なぜ『いない』と表現するのですか?
ロゴスは“意識”存在ですから、
ただ、便宜上の表現として人の“いるいない”という言い方が端的に用いられます。
人格神ではないという意味は、諸宗教の信仰上の神と混同されることを避けるためです。
要するに、聖書のような“怒って裁きを与える我侭な神”とは異なるから。
ロゴスは、怒ったり嫉妬したり喜んだりしない。もっと高次の意識です。
>法則が創造主なんですか?
>法則が、(目的的に)、何かを作り出しているのですか?
以前にも述べたことがあるように偶発的なものはないのです。
その法則(業報や縁起)の存在には理由も目的もある。
偶然、たまたま生じているわけではありません。
つまり、そこには明確な意志の介在があって存在します。
まっ、仏典は触れられてないでしょうから、仏教徒は考えなくてもいいです。
考えられる余裕のある人は、ご自分でどうぞ。
947 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 22:48:33.90 ID:tLWiUYKa
948 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 23:00:28.78 ID:nthDLTKn
>>940 キリスト教に末法思想などないんだが。
この末法仏教徒はアホちゃうか。
949 :
神も仏も名無しさん:2013/01/18(金) 23:22:55.01 ID:7J7GcGaD
>>948 >キリスト教に末法思想などないんだが。
イエスの「神の国」思想が「終末論」、即ち末法思想である。
「終末論」は、精神医学では「世界没落体験」と呼び、統合失調症の典型的
症状の一つ。この意味で、イエスも釈迦も「同じ穴の狢」の精神障害者。
但し、イエスの統合失調症に対し、釈迦は双極性障害(躁うつ病)であり、
後者は気分(感情)障害で、通常、「人格の崩壊」は生じなが、釈迦は
前者とのボーダーラインであった可能性もある。
>>947 そのwikiの内容には全面同意ですが、それでも
「常住のアートマンはない」はというのはちょっと厳しい気がしますが、どうでしょうか。
認識されるものすべてを「一切」といい、その「一切」は縁起、空性、仮設ですよね。
梵網経に関するwikiを参考にすると、常住のアートマンは、「別の一切」になりますよね。
もし、「アートマンはない」と言ってしまうと、この「別の一切」を法として説くことになってしまう気がします。
やはり、認識される「それ」が「アートマンではない」と言い、
「それ」が「一切」の1つであって、「別の一切」ではないこと示すしか出来ないのではないでしょうか。
宝珠さんが気になってるのは、この辺りだと思います。
>>944 > 基本的部分は仏教学的根拠に基づいて、この私は“違う”と見なしています。
だから、「“仏教”でなくてよいでしょう?」と言うのです。
> ゴータマが「アートマンは(無為にもどこにも)ない」と明言した経文などは存在していません。
その言い方の愚鈍さは、wの人に任せるとしてw
> 「アートマンはあるがそれらは違う」という意味を内包していることを示唆 するわけねーだろw
> このことには2500年間、例外がない。
そういう意味での「例外」じゃないんだけどな・・w
>>945 > 確認不能である我々には役立たずと判断してこれを説かなかった。
我々に役立たずなものでは駄目なんですよ。
> ロゴスは“意識”存在ですから
・・・・・・・
> 怒ったり嫉妬したり喜んだりしない。もっと高次の意識です。
意味不明です。 日本語でおながいします。(´・ω・`)
> その法則(業報や縁起)の存在には理由も目的もある。
それが仏教的じゃないということが、なぜわからないのでしょう。
中観を待つまでもなく、目的論的縁起なぞ笑止。
> 偶然、たまたま生じているわけではありません。
目的を持っていないという意味で、「たまたま」「偶然」なんですよ。
> つまり、そこには明確な意志の介在があって
「縁として、意が作用する」という形でならね。
> 仏典は触れられてないでしょうから、仏教徒は考えなくてもいいです。
だから、仏教でなくていいでしょう? と言うのです。
>>948 パウロなんて嘘吐きは.キリストの来臨(終りの日)が数十年程度で来ると言いふらしていた.
キチガイ・パウロは末法思想で人心を煽ったカルトの先駆.
. わかったかね.末法耶蘇君
954 :
前世は一在家:2013/01/18(金) 23:52:10.62 ID:VUygTXUH
大乗の特質は我法二空を説くということでなく、六波羅蜜と慈悲を本質とし、六波羅蜜は自利、利他、解脱の行である、と聞きます。
慈悲:全ての衆生を我が子のように慈しむ。
菩提心:衆生済度の決意。
もし菩薩も衆生も実在でなく空性ならば、空性が空性の救いを決意することになります。
もし菩薩も衆生も仏子ならば、仏子が仏子の救いを決意することになります。(衆生にも分かり易い。)
このような考察になりますから、龍樹は空性はそれを聞くための功徳が備わっている人に説くべきと言われたのかも。
(参照:入中論 6-6)
2chでは、空性が空性に、アホ、カス、糞と言い合っておりますが、これまたどうでもよい(空性)ことで、怒りも生じないでしょうか。
955 :
ノスタルジア:2013/01/18(金) 23:54:47.38 ID:NCq65SVR
このような私でさえ、過程(=道)がある。それは業(=カルマ)となって私に付き纏う。
しかし言葉の計算をしているとき、つまり言葉で試行錯誤をして、必死にもがいているとき、
私は過程(=道)にいないので、理法(無理、統理、理屈、理由、理想像etc)の影響を
受けない言葉の上の平等なところにいる。それは智慧となって、私を因果の道理に
導く。つまり言葉の公式を作ることになる。私はいろいろな計算を同時にしているので、
時に言葉の公式がたくさん出来上がることがある。言葉の公式が出来上がらせるためのヒントは
無数にあり、よって無数の言葉の公式が出来る可能性があるが、それは甚深微妙な
縁起の法のもとで、ルールにより、自分の仏性にある出来上がった言葉の公式達は、
あるがままの制限を受けて、他人の仏性との調和が保たれている。ここまでの
私のこのレスは、一つの言葉の羅列の方程式(=仏性、仏陀)としてまとめられている。
しかしその外がある。それを造語と言い。それが空の真理(=法)なのである。
さらに有法というものがあり、さっきの理法と空の真理(=法!)と合わせたものが
諸法無我だと思っている。有法とは肯定的表現であります。付け加えとして、
縁起の延長線上に、空の真理(=法)があります。空の真理(=法)を乗り越えて有法にたどり着くことが私の目標であります。
私のテーマは【言葉の羅列で空を乗り越える】ということです。
私はまだ未熟者であって、まだまだ進歩が足りませんが、私の今日までに学んだ、
今念頭にある全部を出しました。計算をして公式を作り、その公式を合わせて方程式を作る
ということです。造語や空という概念を使ってもやっと真理に追いつくくらいです。
私は構造を話しただけであり、私の造語はこのスレッドでは公表しないし、
しても嫌な顔されるだろうし、ま、どうせ僕なんか・・・。ま、計算は多少
このスレッドで見せたかな?公式までは見せたかな?方程式が分かれば、
悟り、菩提、涅槃と同義だしまだまだ。
---お願い---
申し訳ありませんが、
投稿の順序が(代行の関係にて)前後バラバラになってしまいました・・・。
どうか、この矢印の順で読んでもらいたいと思います。
そうすれば前後の繋がりで意味が通るようになります m(__)m
>>944 →
>>860 >>854 →
>>945 (長期の投稿規制に遭っています)
>>958 いいかげん●なりp2なりに手を出せば?
スレから離れられんのだろうし、精神衛生上そっちのほうが良いと思うよ。
>>947 >これで証明されてるでしょ。
>
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html >アーガマ・ニカーヤも律もアートマンなどないとしてる。
それらはすべて“五蘊無我説”というものです。
ですから、現象界(色一切)における話なのですよ/限定意。
>もちろん、その後は大乗も部派もそう。
それが更に後代になってからは、
アートマンそのものがないという話へと拡大解釈されるようになったわけです。
これは仏教学的にほぼ確定的な事実です。
>もちろん、仮設の我、アートマン、言葉だけのアートマンは認めるけど。
それはもちろんです。
『三昧・禅定体験の感受を、我・アートマン・実在・本質と捉えるのは、五取蘊のどれかを
捉えているに他ならないと釈尊は説かれる。その点で諸テキストは一致しています。』
(
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html)
ですから、これまで私も何度もいってきたように、
「魂」のレベルというのはアートマンではないのですが、
バラモンたちは自分達の三昧・禅定体験によって、これが究極のアートマンであると錯覚し誤解を起しました。
この魂存在(及び魂を自覚する高レベルの三昧状態)に固執してしまうとそこから抜けられなくなって、
結果的に輪廻を脱することに不成功に終わるのです。
最終段階では、この魂次元の自己すらも放棄して死を体験しなければならない。
これは完全なる究極的な自己の死としての体験であり、消滅の大変な恐怖を味わうことになります。
このことが、『梵網経』が指摘したゴータマによるバラモン批判であったと私は見なしています。
>訳もいいよ。読んでみて。
はい、わかりました。
一代による推奨本は“確かである”ことは私も認めますから。
今にして思えば、民主党って大乗に似ていたような。
公約(誓願)ばかり立派で、その方法論を尋ねれば埋蔵金(勝義・六波羅蜜)でと絵に描いた餅を出してくる。
それにつられちゃうあたり、今も昔も人間って変わりないんだな。
>>961 「アートマンではない」という非我説は認めるけど、
宝珠さんの解釈はやはり仏教ではないと思うよ
有為法はアートマンではない、ここまではいいよね
無為法もアートマンではない、だと思う。
なぜなら、あらゆる有為を離れた境地が無為なのだから。
有為なる一切を離れてるのなだから、涅槃は空っぽなんだよ。
なんで空っぽのものにアートマンがあるのさ
なんで空っぽのものがアートマンであるのさ
セブンさんも言ってるように、その信仰は1つの信仰として認めるけど、
仏教の名を冠するのは厳しいよ
964 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 00:42:00.66 ID:IGtIKZjE
>>962 >今にして思えば、民主党って大乗に似ていたような
民主党やサヨクは、まんまキリスト教。「現実から遊離した理念の尊重」と
「富(経済成長)に対する憎悪(実は羨望と嫉妬)」。イエスの思想そのまま。
釈迦も同様。
965 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 00:42:27.21 ID:WtRHloL3
>>953 それは末法と言わず終末思想というんだよ、タコ。
たく、サロメ、隠居レベルなのはどうみてもお前の方なんだが。
ほんまこの末法仏教徒はアホやの〜。
966 :
1/2妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 01:24:43.51 ID:gUjf7TJB
>>944-945 知り得ないことについて知っているかのように語られるあらゆることは物語(フィクション)である。
宝珠の言説は“すべて”ご都合主義「物語(フィクション)」そのものでしかない。(
>>848)
無為法、ウダーナ8-3については>>660-
>>662で論破しておいた。
ゆえに却下。
>仏教が説く唯一絶対のものとは“法”(ダールマ)のことです。(
>>854)
根本的に仏法が掴めていない。“法”(ダールマ)は言語としての仮説でしかない。
ゆえに却下。
>その法則(業報や縁起)の存在には理由も目的もある。(
>>945)
理由も目的も観念できない。即業即報 非業非報。
時空際断の様相にては神も素粒子も法(ダンマ)も含め総てが観念できない。
中道である。
涅槃寂静。
直接現実=仏法に、意味などない。
そもそも、法(ダンマ)に意味や理由を掴ん(Begriff:ハイデガー)だら、仏法にならんわw このどアキメクラ!(
>>661)
仏法には「唯一」も「絶対」などの観念は非相対で“ない”。
時空際断の様相だから観念できない。
涅槃寂静
967 :
2/2妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 01:28:57.06 ID:gUjf7TJB
>>944 >ゴータマが「アートマンは(無為にもどこにも)ない」と明言した経文などは存在していません。
当然だ。
馬鹿かお前は!姑息なことにかけては一在家と共通の心霊主義(スピリチュアル)に共通だな、まさに悪霊主義だw
すべてに「アートマンは存在しない(無我)」となどというのは形而上学的主張(戯論)に他ならない。
それはまさしく『物語(フィクション)』でしかない。
・しかし、経験的検証内(一切内)では、アートマンは“無い!”(無我)。
「弟子たちよ、『我(アートマン)』や『我がもの』などは、真実として捉えられるものではないのであるから、
このようなものに立脚した教え、つまり、『我と世界は一つである』とか、『我は、死後、永遠不変に存続して生き続けるであろう』
というような教えは、まったく愚かな教えであると言えないだろうか。」「まったくその通りです、師よ。まったく愚かな教えであると言わねばなりませぬ。」
(マッジマ・ニカーヤ22)
・経験的検証外(一切外)では無記(問題にするにも値しない、形而上的立場に堕落しない)。
神智学スレは低レベル連中ばかりだから、馬鹿相手にお山の裸の馬鹿大将でもやっておれw
968 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 01:34:57.81 ID:WtRHloL3
>>966 空理空論中論教患者のお前は一度病院でみてもらったほうがいいぞ。お前、重症だから。
>>661 >有為⇔無為と分別すること自体がナンセンスです(→中論7-33)。
>勝義示唆で「非有非無(四句第4」(の如し)なら<非有為非無為>なのが当然です。
>ナンセンスな無為観念の廃棄が当然ですから、相対である有為観念もありえません。
有為・無為⇔非有為非無為と分別すること自体がナンセンスです
勝義示唆で「非(有・無)非(非有非無)」なら<非(有為・無為)非(非有為非無為)>なのが当然です。
ナンセンスな非有為非無為観念の廃棄が当然ですから、相対である有為・無為観念もありえません。
「無為」は「非有為非無為」を仮に無為と言っているんだよ〜
非有為非無為を観念として持っちゃあ、どれだけ否定を重ねてもキリがないね。
このように限りなく否定を重ねることを「百非」といい、百非を絶した戯論寂滅へ導くための方便なんだよ。
>>965 笑
お前.自分の耶蘇頭.まず初期化しような.
差し当たり.一向門徒の隠居に弟子入りしたらw
. 南無阿弥陀仏.
971 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 02:00:12.22 ID:gUjf7TJB
>>969 >非有為非無為を観念として持っちゃあ
あくまで間接現実における勝義示唆です。
無分別の分別です。
仏は矛盾なき(無分別・戯論寂滅)を、矛盾のうちに(分別)の内に説く。
般若智直覚→縁起の現観はオイラ氏には無理でしょう。
972 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 02:03:09.32 ID:gUjf7TJB
× 矛盾のうちに(分別)の内に説く。
〇 矛盾のうちに説く(分別)。
>>971 >間接現実における勝義示唆です
なにそれ、直接現実における勝義示唆ってものが、また別にあるの?
>仏は矛盾なき(無分別・戯論寂滅)を、矛盾のうちに(分別)の内に説く
面白い表現するねw まあ、そう言えないこともないかもね。
仏は戯論寂滅していて、確かに完全に無分別の境地だ。
じゃあ、どうやって法を説くのか。
ここで出てくるのが世俗諦だよ、衆生(世俗)の分別を借(仮)りて法を説くのよ。
つまり、本当は生死と涅槃は異ならない生死即涅槃なのだけれど、
衆生が分別してしまうのを察して、最初はその分別を借りて説かざるを得ないわけ。
大滝さんの忌避する因と果もそう。勝義からすれば涅槃も因も果も離れているけど、
まずは衆生に合わせて因と果を説くの。世俗諦によらなくては、勝義諦に至れないから。
974 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 02:27:15.50 ID:gUjf7TJB
>>973 >直接現実における勝義示唆
そもそも、法(ダンマ)に意味や理由を掴ん(Begriff:ハイデガー)だら、仏法にならんわw このどアキメクラ!(
>>661)
仏法には「唯一」も「絶対」などの観念は非相対で“ない”。
時空際断の様相だから観念できない。
色即是空
涅槃寂静
>じゃあ、どうやって法を説くのか。
空即是色
即因即果(還滅間接現実) 非因非果(直接現実)
975 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 02:36:17.80 ID:gUjf7TJB
>>973 >本当は生死と涅槃は異ならない生死即涅槃なのだけれど ←還滅間接現実(サンユッタニカーヤ31-1-3)
間接現実での勝義示唆(無分別の分別)で 非<生死>非<涅槃>
>>974訂正 × 非因非果(直接現実)
〇 非因非果(間接現実での勝義示唆:無分別の分別)
976 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 02:38:45.81 ID:gUjf7TJB
半分寝ながらのカキコ失礼。
寝ます。
977 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 02:45:33.74 ID:WtRHloL3
>>970 お前は無意味な念仏を一生唱えてろ。意味の無い念仏を
有り難がって毎日唱えてる奴ってアホ丸出しなんだよ。
978 :
前世は一在家:2013/01/19(土) 02:48:30.62 ID:L4z8l06W
>>956 >>957 済みませんが私のブラウザではリンク先が全て見えません。
もっとも関係のありそうな前世スレをコピペ願います。
>>963 >有為なる一切を離れてるのなだから、涅槃は空っぽなんだよ。
>なんで空っぽのものにアートマンがあるのさ
なんで空っぽのものに「慈悲」があるのさ ←今回のネタです
なんで空っぽのものに対し「菩提心」があるのさ
>>978 >なんで空っぽのものに「慈悲」があるのさ ←今回のネタです
>なんで空っぽのものに対し「菩提心」があるのさ
さぁ、なんでなんだろうね
菩提心は果というよりは因だからさておき、「慈悲」が本当に分からん
だから、空っぽと思いながらも神秘を感じちゃうんだよね
>>978 何にもわかってないってのが明らかな台詞だなw
「慈悲」もまた世俗的な心的志向なのさ。
だから、【空っぽな所に、因により縁により菩提心が生じ慈悲が生じる】のさ。
というよりも、【空っぽであるからこそ、そこに慈悲や菩提心が生じ得る】のさ。 (´∀`)b
981 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 03:09:22.28 ID:gUjf7TJB
トイレから帰ったら、またマト外れなw
ボタンを最初から掛け間違えている。
まあ、お好きなようにw
982 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 03:13:28.72 ID:WtRHloL3
>>967 言葉遊びを極めればレベルが高いんでちゅね。わかります。
983 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 03:44:29.65 ID:WtRHloL3
>>980 随分苦しい説明だな。そういうのを屁理屈と言うんだよ。
アホの末法仏教じゃなぜ慈悲の心、四無量心などが必要なのか合理的な説明ができない。
そりゃそうさ。大滝なんとかの能書き聞いてもわかるように日本の大乗仏教はただの言葉遊びだからな。
真理はただの言葉遊びとは違う。勝義だのとただの言語が作り出した妄想、絵に描いた餅を持ち出して偉そうに
能書き垂れられても実質的には全く意味が無いわけだよ。
ま、アホにいくら教えてあげても聞く耳持たずだろうけど。
984 :
基地子♀菩薩:2013/01/19(土) 04:28:31.90 ID:mfIVRvx9
985 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 04:44:22.13 ID:WtRHloL3
禅被れのアホを観察してるといつも思うんだが、
本質的には無意味な言葉遊び、詭弁しか語れないのになんであんなに散漫になれるのか不思議に思う。
ある意味感心するよ。
986 :
パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/19(土) 05:10:12.65 ID:w2BnlXYW
>>951 >その言い方の愚鈍さは、wの人に任せるとしてw
wの人?? もしかして、オレのことか?wwww
では、 >宝珠
「Aが無いと言わないことは、Aがあることにはならない」wwww 当たり前のことねw
釈迦ってのは、緻密な思考、慎重な言い回しを好む人だったんだよw
「・・・・・が、無い」という言明は、不存在の主張になってしまう・・・・
これは原則、不可能なわけだ。(不存在証明の不可能性ねw)
だから、確認出来る範囲において、「・・・・と言いえるものはない」 と、こういう
言い回しにおいて「我」の存在を否定した。
文言上は「非我」でも、実質その意味するところは「無我」なんだよ。
ある教師が、「金星人の存在を主張する生徒」と以下のような会話をしたw
生徒「金星人はいますか?」
教師「貴方のお父さんは、金星人ですか?」
生徒「違います。」
教師「それでは、貴方の友達、知り合いは金星人でしょうか?」
生徒「違います。」
教師「それでは、貴方は金星人と出会ったことはありますか?」
生徒「ありません。」
教師「なるほど。つまり、金星人と言われるひとは今まで確認されたことは
ないわけですね。」
生徒「でも、もしかしたら、どこかに居るかもしれないでしょう?」
教師「はい、そうですね。私は決して「いない」とは言いません。」
上記の会話では、教師は「金星人はいない」とは言ってませんな。
それでは、この教師は「居ないと言っていない」のだから、「実は金星人は
居ると思っている」のだろうか?wwww
987 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 05:38:11.77 ID:WtRHloL3
988 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 06:47:08.99 ID:R5FkDJwm
>>950 そうですね。「アートマンはない」と掴むのは間違いですね
同時に「アートマンはある」と掴むのも間違いです
宝珠さんが問題にしてるのは、そうでなく五蘊以外、あるいは一切法以外の「アートマンはある」でしょう。
989 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 06:51:08.21 ID:R5FkDJwm
>>960 >それらはすべて“五蘊無我説”というものです。
>ですから、現象界(色一切)における話なのですよ/限定意。
一切以外はないということで、アーガマ・ニカーヤも大乗も部派も共通ですよ。
ただし、部派の一部には例外があると思います。
そういう部派は誤解してるか、方便説なだけです。
>>961 それは誤解だって
ここの堂々巡りなんだけど
990 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 06:54:07.54 ID:R5FkDJwm
>>969 その通りなんだけど、あの陳腐な妄想で分かった気になって、
経論を誤解してると指摘しても、経論が間違ってると言うんだから話しても無駄でしょう。
基本的に生命教とかカラスと同じで、自説の妄想を垂れ流してるだけですから
991 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 07:31:03.62 ID:gUjf7TJB
ナンセンスな無為観念の廃棄が当然ですから、相対である有為観念もありえません。
龍樹に満腔の賛意を表します。
★『以上(中論7章)のように、<生>と<住>と<滅>とが成立しないから、有為は成立しない。
また有為が成立しないなら、どうして無為が成立するだろうか(成立しない)。』(龍樹 中論7-33)
★『安らぎは虚妄ならざるものである』(Sn.758: 中村元 岩波文庫p170)
安らぎ=慶安=涅槃の境地は還滅間接現実における吾達者の「心と心の作用」(実在でも虚妄でもない)だから当然です。
『ブッダによってあたかも幻の如くである、あたかも夢の如くである、あたかも蜃気楼の如くであると生起<生>が説かれ、
持続<住>が説かれ、生滅(滅)が説かれているのである。』(同7-34)
仮観としての間接現実は言語ゲームとして仮設され、意味として仮説されているのが縁起の様相だと龍樹はいっています。
要するに、無為は妄想言語でしかない。
>>950 仏教では“別の一切”は認められていません。
ですから、私がこのことを述べようとする際には、「一切」と「一切外」(その一切の外)の二つなのです。
そしてなんと、原始仏教においては本来、この一切には涅槃は含まれていませんでした。
ここが、また一つのミソ(伝統信奉者の受け入れ難い部分)なのです。
『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関するかぎ
り、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界などとした場合、
それらはすべて時間と空間の中にあってわれわれに認識され得る現象界だけを意味した。(p112)
われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
>>951 >「アートマンはあるがそれらは違う」という意味を内包していることを示唆
>するわけねーだろw
まっ、セブンは認められないのでしょうが、
そのよう(私同様)に見なしている学者らは何人だっていますよ!
仏典研究を掘り下げるほどに、それは妥当な判断といわざる得ないことになるのです。
>>963 >涅槃は空っぽなんだよ。
一体、誰が何処でそんなことをいってるのですか?
まさか・・・「寂静」「寂滅」 を以って空っぽだと?
或いは、涅槃も空であるとして(ではないのだが)、
「空」とは“空っぽ”のことなんだとでも理解しているのかな?
994 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 07:46:11.48 ID:gUjf7TJB
>>978 >なんで空っぽのものに「慈悲」があるのさ ←今回のネタです
>なんで空っぽのものに対し「菩提心」があるのさ
『ゼロはカウント(分別)できるが、空であることはカウントできない(無分別)。
哲学はあくまでカウント(分別)できる相のハナシ→言語論理だが、
仏法は、分別相を手段として、カウントできない(無分別)相を透過させる。
カントの物自体もあくまでこの分別相での問題設定であって、
無分別相の空であることとは、まさに相が違うのだ。
この違いは、仏法の本懐が実存苦の根源的超克にあり、
このためには苦しみの原因である我執は相対分別の一方への執着であるがゆえに、
必然的に、無分別相の透過を問題とせざるをえないからだ。』
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1287385458/606 空であることは、からっぽではありません。からっぽという観念そのものがありません。
慈悲も菩提心も間接現実での「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ31-1-3)です。
しかし、菩提心は未達者のモチベーション(色→空)であるに対し、
慈悲は達悟者(覚者)の還滅世俗(無分別の分別)の心の様相(空→色)を言います。
もう、ひょっとしたらココからは卒業させていただくかも分かりません。
皆様が法を直覚されんことを祈念いたします。
995 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 07:48:53.33 ID:R5FkDJwm
>>994 >もう、ひょっとしたらココからは卒業させていただくかも分かりません。
それがいいよ。場違いの自分語りなんだから
>>773 >三宝には30年ほど、師匠には20年ほど就いてるけど裏切られたり、
>がっかりしたことは一度もない。
一代と比べるのは何だけども・・・
ただ年数的には、どうやら私も仏教との出遭いから30年だから、そういう意味では親近感をおぼえます。
(もちろん、一代の凄みには到底及ばないけれど)。
ただ、私は生まれつき幼少時からの求道者だから、求め続けて50年なのかな・・・。
個人的な印象としては、
たぶん、私と最も近しい理解と認識にあるのがカラスさんですが、
(読んでいて)自分と気質や性格がとてもよく似ているような気がしているのが、
実は一代だったりしています ヽ(´ー`)ノ
997 :
神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 08:00:24.65 ID:R5FkDJwm
>>996 >(読んでいて)自分と気質や性格がとてもよく似ているような気がしているのが、
>実は一代だったりしています ヽ(´ー`)ノ
あ〜、オイラもそう思う。
出会いの違いだと思う。
>>988 横槍ですが、
もちろん仏教的には「アートマンはある」も間違いです。
はい、要するに私は仏教徒ではないのでね。
(私は、アートマンを実際に体現し、
それを確認された非仏教の覚者存在によるアートマン教示体系の徒ですから)
>>989 仏教が説く「一切(法)」とは、
“現象界に限定されたもの”であると水野氏は繰り返し繰り返し明言されています。
私は氏のこの解説に光明を見ています。
このことにより、あらゆる矛盾を解消することができますから。
>それは誤解だって
はい、どうもすみません・・・。
それは見解の違いということで。
(まっ、世の中すべで一つで選択枠がないときっとツマラナイでしょう?)
>>990 同意。私も相手できません・・・。
999 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 08:55:11.04 ID:R8rhF4aa
1000 :
妄想物語を排す 大滝秀治:2013/01/19(土) 08:56:01.00 ID:R8rhF4aa
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。