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旧7:
もう一つ、少々乱暴だが、興味深い対比を試みてみる。
宝珠他「アートマン系の何か」の存在を肯定する人々に共通の、
ある特徴的な「考察の順序」が見られる。
涅槃という常住なる(完全なる滅という)境地がある。
↓
それを見る・得る・そこに入る・安住する『何者か』が必要。
↓
アートマンが無ければならない(或いはアートマンでないにしても、それより高次の主体がなければならない)。
この展開が、伝統上座部ではこうなる。
涅槃という常住なる(完全なる滅という)境地がある。
↓
それを見る(≒得る、入る)修行者がいる。が、彼は五蘊仮和合の存在。
↓
彼の五蘊が滅する時、それを般涅槃と称する。涅槃は已然としてある。
(※ 「アートマン(我)」は不要。)