【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】8

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704旧7
>>697
>>165>>274-275>>294

>それでは、肉体の死後/無余涅槃においては一体、何が智慧を持つのか?
その時、智慧を持つ者はいない。そのような主体はない。
般涅槃は五蘊の滅だと言われている。
(このとき、貴方方は、五蘊以外にアートマンがあり、
 アートマンが涅槃に「入る・至る・到達する・一体化する・同化する等」と言うわけですね。
 で、涅槃に入ったまま存在し続ける、と・・・。)
また、≪「涅槃」=「智慧」ではない!≫(←ココ重要w)

>智慧はどこに生じたのか?
修行者の識に於いてでは?w それ以外のどこに智慧が生じ得ようか・・・。

>涅槃は自覚であるともいってる・・。では、何が自覚してるのか?
五蘊仮和合のその修行者では? 或いは修行者の心或いは識では?w

>無余涅槃で何もないなら断滅論(外道)でしょう
だから、如来は存在し続け、法を説き続けねばならないわけですか・・・。
まるで大乗仏教、法華経、或いは法身の世界ですな・・w
釈尊の般涅槃も断滅だと? 断滅であってはならないから、どっかで生きてて衆生を見守っていると?w
ところで、「断滅」(uccheda)と「涅槃・寂滅」(nibbAna/nirodha、santi)、或いは「般涅槃」(parinibbAna)
の違いはどこにあるんだろう・・。

相変わらず笑わしよる・・・。


てか、「常住」という言い方は、やはり良くないんだろうな・・・。
(真言氏の苦々しい顔が目に浮かぶようだ・・・w このレスにも、アチコチ異議を唱えたいであろう・・・w)


てか、寝る・・・。