>>194 > これは、私が述べてきた「不死」の仏教的意味であり、であるから涅槃とは「常住」の意味になるのだということ。
>>274の 1 & 3 。
> あとは、ここに涅槃とは「無我」であるという意味の説明があることが問題の部分でしょう・・。
>>274の 2 & 4 。
> 【いわゆる絶対的な我としてのアートマンと同一視されることはありえません】は、バラモン
> の説くアートマン観には同意しないということであって、しかし、「アートマンがない」といったわけではない。
「 >バラモンの説くアートマン観 」でないアートマンなぞ仏典の中に無いだろ?
少なくとも私は知らない。教わったこともない。余談的に耳にしたこともない。
解釈として、読み解き方として、
「禅で言う真の自己」や「デカルト的残滓としての主体」、「田上の若き論文のような意味でのアートマン」等
(その他色々、主体の種類はありそうだが)、を見ることは不可能ではない。
が、外堀が埋められるが如く、「アートマンの不存在」が浮き彫りにされる様相が仏典にはある、ということだ。
> しかし、否定理由の候補から外されることになるでしょう。
否定理由は
>>84の1〜4番目。
> 涅槃が無我という部分だけがやや不明確ということ
>>274の 2 。
> では何がどう常住するのか?ということが不明瞭のままです。
>>274の 3 & 4 。
そして、
≪ 「何が」、どう「常住する」のか? ≫ という問い自体が、
≪ 「有為なるもの(無常なるもの)」を「常住なるもの」にしようとする思考(迷い・顛倒) ≫
であることに気付くべきでしょう・・・。
涅槃については単純明快です。 縁起性でなく、所縁のものでなく、完全なる滅であるが故に、
不滅、常住、と評され得るのだ、と。