仏教議論スレッド74

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1神も仏も名無しさん
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2基地にゃん♪:2013/10/06(日) 00:25:44.64 ID:fp94OXU0
一番乗りにゃん♪ ("⌒∇⌒")ノ
3しんしょー君 ◆IHSXPiND6Q :2013/10/06(日) 09:08:52.86 ID:/4kEyh5+
『酸下吐(さんげと)』

「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
4基地にゃん♪:2013/10/06(日) 09:18:15.64 ID:fp94OXU0
>>3
  _,.-‐''"        ''‐,,
   ,.-'      ,.--、      \
   / /~~\  / /ёl\__     ゙i,,     ハ    /
 . / l /ΘヽV | ー'| | 丶、   ゙i,,   /   ̄`ヽ/      ふ
 /  /ヽ 二 |、 ̄ У    ヽ、  ゙i,, _,/  な       な な  ぅ
 l /  ヽ___/ ヽ_/      L,,-‐''i" ′  る.     る .る (
 |/      (  |       ,,..-‐"|   | .|    ほ      ほ ほ  )
‐‐|--,,.___   `T゙         | __,,⊥-!   ど     ど ど む 
  'i,        |         ̄l  /<    |
  'i,       '-、     丶、/  /   \   __ ノ\
   'i, /     -<    |   /丶、'              ` ー― ´
 _,. -‐く /    ー′  l  ,'  ∠
     X  ',      /  ,' r'
    / \  '--─一'´   r'"     ___________
        ''‐- __,,...‐'、   .j゙~~| | |             |
  __/          \  l__| | |             |
  | l /   ,              \n||  | | 人生達観が大事にゃん♪
            |
  | l /   /         r.  ( こ) | |             |
  | l | ⌒ ーnnn        |\ (⊆ソ .|_|___________|
   ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二  _|_|__|_
5神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 12:51:18.62 ID:v3R3MQbd
>>914
>・己の我:世俗的自己(仮設)
>・「我」:超我

超我・仮設などを意識・思考しているのも、釈迦の世俗的自己(肉体)。釈迦が
死ねば不可能。すべての人間が仮設なら、仮設が常住。

超我を意識したら、それはもはや世俗的自我の一部になる。無意識を意識したら、
それは意識となる。

釈迦の超我を以って超我を否定することも、同様に論理矛盾。

釈迦は、躁うつ病を超えて、精神分裂病であった疑いが大きい。

世俗には、超我などという概念はない。「世俗的なことにもとずかなければ、
第一義は説示しえない」。超我は、「世俗的なこと」ではない。

真っ先に病院に行くべきは、釈迦であることは明らか。
6神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 12:51:34.76 ID:tkxZRcpk
容量オーバーになったみたいですね
7神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 12:52:58.94 ID:tkxZRcpk
>>5
あなたは目的論的にしかものごとを見れないのでしょうね、きっと
8神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:07:40.84 ID:v3R3MQbd
>>7
釈迦も、「輪廻からの解脱」「悟り」という、「妄想上の目的」があったw。
9神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:17:52.38 ID:v3R3MQbd
前スレ>>938

釈迦は、バラモン教の「輪廻転生」の洗脳が全く抜けていなかったから、
本当に信じていたのだと思うよ。

宗教洗脳から「解脱」することは、それほど容易ではない。

中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった、と言っている。
10神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:23:56.23 ID:v3R3MQbd
前スレ>>914
>・己の我:世俗的自己(仮設)
>・「我」:超我

「超」とか「仮」とかいう言葉を使えば、どんな非論理でも可能だよw。
しかしそれは「論理」とは言わない。
11神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:35:37.09 ID:tkxZRcpk
>>8
それは邪推というものですよ
12神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:37:32.04 ID:7G2q9mmz
三法印と十無記(十四無記)とは同時に成立しないと思うが、
みなさんはこの点どう考えますか。
 
諸行無常 ・・・ 世界は常住か無常か 
諸法無我 ・・・ 霊魂は有るのか否か
涅槃寂静 ・・・ 死後は存在するのか否か
13神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:39:56.68 ID:tkxZRcpk
>「超」とか「仮」とかいう言葉を使えば、どんな非論理でも可能だよw。

意味がわからない。じゃあ紫外線はウルトラバイオレットだが、超論理なのか?
14:2013/10/06(日) 13:45:18.75 ID:mdueuhdS
 
> @最古層に輪廻業報は書かれていない
> A輪廻と無我は論理的になりたたない
> は二つとも崩れているように見えるけど

「 何かの偏見に、とらわれているものは輪廻を繰り返す 」 と言う意味だと思います

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
877
かの聖者は 『 これらの偏見はこだわりがある 』 と知って
諸々のこだわりを塾考し、知った上で、解脱せる人は
論争におもむかない
思慮ある賢者は種々なる変化的生存(次の生)を受けることがない

仏教 議論スレッド 29
http://mimizun.com/log/2ch/psy//1324746559/215
水野訳
877
彼等(諸見者)を依著者なり【と知り】、かの現慧ある牟尼は依著【を知り】
「慧者は《種々の有》に戻り来たらず」【と知りて】、解脱者は諍論に至らず
 877(884)
 ete ca 【JatvA】 upanissitAti, 【JatvA】 munI nissaye so vimaMsI
 【JatvA】 vimutto na vivAdameti, 《bhavAbhavAya》 na sameti dhIro ti
  ※墨括弧、二重山括弧は引用者が付加

やはり中村訳「変化的存在」は、bhava(有、生存、存在)だったか
(862(869)から、少なくとも875(882)から連続した偈と見るべきだし)
15神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 13:46:38.57 ID:tkxZRcpk
(1)世有常(この世は永遠か)
(2)世無有常(この世は永遠でないか)
(3)世有底(この世は有限か)
(4)世無底(この世は無限か)
(5)命即是身(魂と身体は同じか)
(6)命異身異(魂と身体は別物か)
(7)如来終(如来は死後存在しないか)
(8)如来不終(如来は死後存在するか)
(9)如来終不終(如来は死後存在し、かつ存在しないのか)
(10)如来亦非終非不終(如来は死後存在せず、かつしないでもないか)

世界は常住かに対する無記ではない。永遠かどうか
霊魂があるかに対する無記ではない。霊肉二元かどうか
(霊魂が存在しないのなら、答えられるはずがない。)
死後存在するのかに対する無記ではない。如来の死後についての無記
16神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 14:00:36.42 ID:7G2q9mmz
大昔の人々の世界は、自分の周囲の天地ぐらいであろう。
そこでは、その天地が常住で、それ以外の風景や生物などが無常だった。
かれらは天地が無くなることなど夢にも思わなかった。
しかし現在では、地球も、太陽も、銀河系も、いずれは無くなることが
科学的に論じられている。かっての常住は無常になった。
 
ではこの宇宙自体はどうなのか。常住ではないのか。
このレベルになればさすがに「無記」としか言いようがないだろう。
従って大乗の「諸行無常」は断見だと言わざるをえない。
17神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 14:04:20.96 ID:v3R3MQbd
>>13
紫外線は観測可能だから、単なる「物質の名称」。論理の問題ではない。
18:2013/10/06(日) 14:12:07.80 ID:mdueuhdS
 
> 釈迦も、「輪廻からの解脱」「悟り」という、「妄想上の目的」があった

妄想ではなくて

「 衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた 」 と言う事だと思います

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99

一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
(輪廻から解脱して目覚めた)
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる

仏教は輪廻と解脱の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる

その苦しみから抜け出すことが解脱であり
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

中論觀四諦品第二十四

衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である

但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
19神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 14:20:28.51 ID:7G2q9mmz
>>15
(1)〜(4)をまとめると、世界は常住か無常かであり
(5)〜(6)をまとめると、霊魂が有るのか否かであり
(7)〜(10)をまとめると、死後は存在するのか否かになる
 
霊魂と肉体が同一なら、肉体が無常だから霊魂も無常になる。
霊魂と肉体が別々のものなら、霊魂は常住かもしれない。
霊魂問答なら、まず霊魂の有無を明らかにする必要がある。
それが問いの中に含まれていることを洞察すべし。
 
大乗は「諸法無我」であり、霊魂無しの断見に落ちている。
20:2013/10/06(日) 14:32:09.09 ID:mdueuhdS
 
> 如来の死後についての無記

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二

諸法の、実相は、性空であるが故に、如来の滅後を、こう思惟してはならない
有るか? 無いか? 有であり無であるのか? と
如来は本より、畢竟じて、空なのだ
況して、滅後は言うまでもない

如来は、戯論を過ぎるが、而し

 − これに対して −

人は、戯論を生じて慧眼を破る

戯論を
「 憶念に従って、相を取り、此と、彼とを分別して、仏の滅、不滅等を言う 」 と名づける
是の人は、戯論に、慧眼を覆われるが故に、如来の法身を見ることができない
21神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 14:32:44.91 ID:IFhj3ZLu
22神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 14:41:58.97 ID:7G2q9mmz
>>15
>死後存在するのかに対する無記ではない。如来の死後についての無記
 
これも霊魂の問いと同じ。
如来の死後を語るには、死後の世界の存在を明らかにする必要がある。
それに如来もわれわれと同じ人間だと気づくべし。
 
大乗の「涅槃寂静」は、寂しく静まり返っているわけだから、
まさに死の世界を形容したもの。これも断見ですね。
23神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 15:02:16.09 ID:S+vBsKay
前スレの >924 を見逃してた。

>また、変化してもいいし、滅しまた生じてもいい。
>長野の竈で火を焚いたら、長野の、その竈に、灰が生じなければならない。
> 決して、鹿児島の竈に灰が生じることはない。
>三世に跨る場合と、日々の自己同一性との違いはここにある。

ここでいうところの、長野で火を炊いて、長野の窯にその灰が生じるってこと・・・・
ここにもし連続性のある何かを見るならば、それは仏教的じゃない、ってことです。
例えば、現世の確固たる肉体の連続性により、AさんをAさんと確認するならば、それは仏教的な考え方ではないと思います。
凡夫の考え方ということになると思います。
で、無我とか、無常というのは、「そういう連続的にあると見えるものは、幻想のようなものだ」、ということだと思います。
ですから、もし、「長野で火を焚いて、長野の窯にその灰が残る」 という、確かにそのものが継承している・・・ ということを見るならば、
それは無我に反して、「我」を見ているということになります。
もし、「凡夫にはそう見えるのだろ」 というなら、その 「凡夫の見かた」 で、
輪廻に主体は在るか、無いか、ということを話してはいけないと思います。
仏教外から、「輪廻はない」 という主張をされるなら、 「現世の肉体の連続のように、
継承される確かなものがないと認められない・・・」 というのはもっともなことだと思います。
ならば、「無我」 も否定されるべきです。
なぜならそこに、有我を認めているからです。
24神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 15:24:50.74 ID:CgHCfPaP
この世のものはすべて変化し続ける〜(無常)の観点から輪廻転生を見て
輪廻の主体も変化し続けるので、過去世Aさんと今世Aさんを識別は出来ない〜
紐の様なもので繋がってはいるが、紐の色は変化するので識別できない〜
さらに輪廻の回数は有限であり、解脱により解消されるので無我と矛盾しない。

仮にこれが正しいとして、輪廻から解脱するためには何をすれば良いのでしょうか?
瞑想ですか?
業の解消のためには何をすれば良いのでしょうか?
瞑想ですか?
宿命通を獲得することは輪廻解脱のために必須ですか、獲得のために何をすれば良いのでしょうか?
瞑想ですか?
25:2013/10/06(日) 15:29:26.02 ID:mdueuhdS
 
>>23 ID:S+vBsKay さんへ

例えば仮に、仮設としての

末那識(まなしき)は
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
  _  _  _

それ自体の自性ではなく

因だけではなく
縁だけでもなく
因と縁の依存によって現れ
因と縁の依存によって滅する

仮設としての末那識(まなしき)によって
何かが 「 連続(相続)している 」 と妄執分別して捉えようとしている
そのような心の働きが現れている

 ↑ こんな感じですか?
26:2013/10/06(日) 15:44:26.51 ID:mdueuhdS
 
> 輪廻から解脱するためには何をすれば良いのでしょうか?

私の場合は
瞑想は実際には、おこなった事がないけど
( ↓ 解説書だけで自分かってに実践すると危険な場合があるらしい )
教学としては ↓ こんな感じであるらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81
中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法
四念住(四念処)四種の観想
四正断(四正勤)四つの努力
四神足(四如意足)四つの自在力
五根、五つの能力
五力、五つの行動力
七覚支、七つの悟りを構成するもの
八正道

http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
1026
無明が頭であると知れ
明知が
信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて
頭を裂け落とさせるものである
27:2013/10/06(日) 15:58:33.11 ID:mdueuhdS
 
>>26 の続き

クンダリニー(クンダリーニ)は危険であるらしい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC

クンダリニー症候群

自律神経系のうち交感神経系の暴走からくる自律神経失調症をはじめ
至福恍惚感、全身の激しい脈動、脈拍数の増加と高血圧、片頭痛、急性または慢性の疲労

性欲の昂進あるいは減退、統合失調症的症状、幻視・幻聴、抑鬱
神経症などを発症するおそれがあり、臨死体験や空中浮遊、脳溢血や半身不随

自殺などを招いてしまうなどと主張するグルもいる

元々境界例や自己愛的な病を患っていたり精神病を潜在的に抱えている患者に
クンダリニー覚醒に先立って元々の病が押し出されるという説もある
28神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 16:00:14.02 ID:CgHCfPaP
八正道の正定が瞑想でしょうが、在家は毎日禅寺に通って坐禅を組む事は不可能です。
正定のキーワード「集中力」「心の安定」「精神統一」を元に、寝る前に5分なり10分静かに座る
というようなもので構わないでしょうねえ。
29前世スレ記憶:2013/10/06(日) 16:12:09.09 ID:ic7IbV3S
(議論ネタ1)
・無我と輪廻とは論理矛盾する
・非我と輪廻とは必ずしも論理矛盾しない
・「アナッタン」を非我と訳さずに無我と訳したから混乱が拡大した

(議論ネタ2)
・縁起とは相依相関ではない
・世俗諦では縁起とは因果の法である(時間・運動を含む)
・勝義諦も世俗によらなければならない

誤解@(アナッタン=無我)、誤解A(縁起=相依相関)、と仮設して対話しております。
勿論、隠教と近代仏教学では、縁起=相依相関=無我、だとは認識しております。
30前世スレ記憶:2013/10/06(日) 16:14:22.27 ID:ic7IbV3S
(祖師達の輪廻の説法)
★親鸞「教行信証」
悲しいかな、垢障の凡愚、無際より已来、助・正間雑し、定・散心雑わるが故に、出離その期無し。
自ら流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし
「正信偈」
生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す

★日蓮「船守弥三郎許御書」
過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあ
われみ給うか。
「四条金吾殿御消息」
日蓮過去に妻子、所領、眷属等の故に身命を捨てし所いく幾そばく許かありけむ
或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。
然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。

★道元「正法眼蔵」十二巻本第八
善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。
 一つには、「順現報受」… 現世において報いがある場合。
 二つには、「順次生受」… 来世において報いがある場合。
 三つには、「順後次受」… 第三世において報いがある場合。
仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、
爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。
当に知るべし。

★空海「秘蔵宝鑰」
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
31前世スレ記憶:2013/10/06(日) 16:18:09.85 ID:ic7IbV3S
>>9
>中村博士は、釈迦には独創性は皆無だった、と言っている。

竜樹も、自分には独創性は皆無だった、と言っている。(廻諍論29)
32神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 16:23:54.81 ID:DwFx3BsJ
>>31
>竜樹も、自分には独創性は皆無だった、と言っている。(廻諍論29)

自分からそう言ったのなら、それば竜樹の謙遜。釈迦とは違う。
釈迦は、中村博士から「言われちゃった」のであるw。
33神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 16:33:35.26 ID:ic7IbV3S
前世 >>851 道元禅の崩壊 序曲 

晩年に於ける道元の「三時業」の論理はどう考えても小乗アビダルマからのパクリだ。浅薄外道がそれに脊髄反射しているだけだw
これ、晩年の迷いの道元禅師が、アビダルマ(小乗)の論書である「大毘婆沙論」からの引き写しだと言うことに注意。
かつて論破したはずの小乗「大毘婆沙論」に依拠して無理にも『三時業』を説かなければならない背景には、
ただ坐禅にうちこむことが最高の修行である=★<只管打坐スタイルが、じつは「因果撥無」ではないかとの根本的疑念>★があるからだ。

前世 >>859 パーピマン氏
「三事業」ってのは、ざっくり言えば「積んだ業は必ずいつかは、我が身に降りかかる。それが良くても、悪くてもね」っていうことだがww

それは、一般衆生に対しては倫理的教訓となるが、修業中の仏僧に対してであれば生活全てが修行なんだから、
「修行がんばれよ。良かれ悪しかれ、今の君たちが積んだ業は必ずいつか、その果を現す。」・・・・・っていう、
励ましととることに 何の疑問が???www

晩年の道元禅師を覚者から普通のお坊さんに引きずり降ろしたような両氏の解説でした。
曹洞宗の方からみて、真に同感なのか、異論があるのかをお待ちしております。 
私からは「道元禅師の語った輪廻」は止論と致します。

また「親鸞、日蓮、空海が語った輪廻」にはどなたからも異論は出ておりませんので、無記でご納得でしょうか。
34神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 16:51:50.43 ID:BF8U3ErK
>>19


基礎からやり直して来いw
35神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 16:52:44.82 ID:BF8U3ErK
>>22
それはどこの新興宗教だよwwwww
36神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 16:54:00.18 ID:BF8U3ErK
>>23
だからw


お前さん、意外と頭悪いな・・・。
行為と果報が断裂してしまうと言ってんの。
37神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 17:00:05.43 ID:pgik60hN
輪廻からの解脱にこだわるのは、
宇宙人の襲来を恐れる議論のように思うがどうだろうか。
 
実感できない、有るのか無いのかわからないような輪廻では、
精神的に死ぬような体験に到達できない。 
なによりもまず苦労し、ひたすら苦を滅することを願うの王道だろう。
苦労知らずの、お坊ちゃん育ちでは絶対に解脱できない。
 
本ばっかし読んでる本の虫、キミは絶対に解脱できないよ。
38神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 17:03:06.19 ID:BF8U3ErK
>>37
1000年後の津波を恐れるようなもの、と思っときねぇw
39神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 17:08:28.48 ID:BF8U3ErK
ただ、(一代は断固反対するだろうがw)
輪廻(や生まれ変わり)を感性として(実感的に)信じていない現代人には、
輪廻抜きの教義の構築がされてもいいとは思うよ。もし、それが可能ならば、ね。
 ※「死後の世界」(=霊界)はまた別の話だし、仏教の世界観でもない。
40神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 17:10:01.24 ID:pgik60hN
>>34-35 >>38
却下ー! まず汝の偏見を取り除け。
41神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 18:21:54.32 ID:S+vBsKay
内容:
>>36
>行為と果報が断裂してしまうと言ってんの。

いや、これはよく分かるよ。
当たり前だよね?
一般常識からすれば、 死んだら肉体が相続しないわけだから、
そこに引き継ぐ何者かがないと、行為と果報は断裂してしまう・・・・
で、これに対しての反論も、 行ってきたと思おうけど・・・・
もし、「行為と果報の断裂」 について、これ以上の深い意味があるんなら、
それについては理解していない。
しかし、 「お前さん、意外と頭悪いな・・・」 という言い方から、 単純なことが理解出来ていない、という趣旨だから、
おそらくそういうことでしょ。
で、 「行為と果報が断裂する・・・」 ということが、もし、「継承付ける何らかのものがなければ・・・」 という意味ならば、
それは今まで言われてる通り、「識」 でもいいし、なんらかの 「記録」 のようなものでもいいし、
スピリチュアルで言われるところの 「幽体、霊体」 でもいい。
そしてそれが、「常住」 でるか、「非常住」 であるか・・・ という議論が、
仏教的な論理でなされればいいわけです。
しかしもし、 その 「なんらかの継承付けるもの」 を、明確に示せ・・・ というのなら、
それが 「識」 などの観念的なものではなく、  実際にあるもの・・・・ 継承づける実際の存在を示せ・・・ というんなら、
それは世俗的な証明の要求であって、仏教論理外のものとなります。
で、例えば 「識」 でもいいが、それがどうして 「記録」 のように、その人を継承させるか・・・・ 
っていうことなら、 それは専門的な仏教の範疇に入ると思います。
それはそれでまた別にやればいい。
ただ、ここで言われてることは、あなたも 「霊魂でも識でも何でもいい」 と、言っている通り、
そういうことが問題なんじゃなくて、  「継承付ける実在の証明」 のことを言ってるんでしょ?
それは、 「あの世があるなら魂を見せてみろ」 というのと同じくらい、
凡夫的視点に立った言い方だと思いますね。
42神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 18:24:17.31 ID:S+vBsKay
>>36
「継承付けるものを設定すると、それは常住なものとなる。」  ここが一番の論点ではないですか?
で、「仮に決定付けるものがあっても、それが常住とは限らない」 といってるわけです。
「ではその決定付けるものとは何か・・・? 」 ということに対して、あなたは、「幽霊でも魂でも何でもいい」 と言ってるわけです。
だから、「そういうものがあるとして・・・」 という仮定の話に入っていくわけです。
で、面倒くさいので、 仮に 「霊魂」 というのをそこに設定したとして、
それのどこに不都合が生じる(無我に反する)のですか・・・?  といいたいのです。
つまり、霊魂を設定したとしても、無我として仮定することが出来ますよ、と、言っているのです。
もしその霊魂を証明してみせろ・・・というなら、それは一般常識論で、話がかみ合いません。
43神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 18:33:41.23 ID:S+vBsKay
>>25
八識についてはあまりよく調べたことがないので、よく分かりませんが、
だいたいそういう感じな気がします。
阿頼耶識が世俗でいうところの真我なのか・・・ ってことは、ちょっとよく調べてみないと分かりません。
もしかしたらそれも、「無常のその人を決定付ける存在」 なのかもしれません。
ここのところは深く調べたことがないので、よく分かりません。
44神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 18:39:24.12 ID:pgik60hN
霊魂は五蘊じゃないから、各自が瞑想して見る以外にないのだよ。
 
そのうえ瞑想しても簡単には見ることができない。
 
本の虫や、その辺のお坊ちゃん育ちには絶対に無理。あきらめろ。
45神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 18:46:30.74 ID:pgik60hN
?氏は坐禅を実際にやったことがないからダメだよ。
 
古文書を頼りにしてるだけだから。
 
あたるも八卦、あたらぬも八卦みたいな占いのようなものだ。
46神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 18:50:26.58 ID:S+vBsKay
前スレの >938 パピーマンさん

ガッチガチの唯物主義者だったら、仮に子供をとがめるにしても、そのようなたとえ話をするとは思えません。 が、
可能性の問題なら、全くないとはいえないです。
で、片方は子供を戒めるということ、片方は、「人間の苦を超える」 というブッダの壮大な教えです。
そもそもウェイトが違いすぎます。
で、例えばそういう唯物論者の学者がいるとして、その人にとって子供を戒める言葉を使うのは、日々の生活の中で主たるものじゃない。
学者という職業があるなら、そっちのほうが主体です。
で、問題は、そっちのほうでもそのような喩えが使えるか・・・? ってことです。
唯物論的な学説を発表しているときに、あえてそのようなたとえ話を使うでしょうか・・・?
冗談ではなく、ストレートな言い方で。
そのようなことは、ほとんど考えられない。  それも何度も・・・・
ただ、可能性としてはないわけじゃないけど、 少ない経典の中にいくつもその話が出てくるということ。
出れば出るほど、その話を肯定していると受け取れること。
言い方が、比喩とは思えないほど、あいまいな言い方になっていないということ。
以上なことから、ブッダが輪廻が無いにもかかわらず、比喩に用いるということは、
考えにくいと思います。
4743へ:2013/10/06(日) 18:53:42.03 ID:8Ek7zhDV
>阿頼耶識が世俗でいうところの真我なのか・

??
唯識では阿頼耶識と五識のみで生きることがいいとされており
そうすることで、阿頼耶識は仏の四智になる。
真我ではない、世俗も関係ない。認識作用(働きである)が悟りの認識の作用(仏の四智)に変化する
4847どうれ外道叩くぞw:2013/10/06(日) 18:56:28.61 ID:8Ek7zhDV
44は異端外道だなあ。霊魂だなんてw
4947は取敢えず唯識派で行ってみるw:2013/10/06(日) 19:05:38.12 ID:8Ek7zhDV
ワイの唯識学のクォリティー低いがガンバってみようw
唯識派の基本認識は、特定の人間しか見えないものは真実でないと排除する。
むろん霊魂が見える云々という外道思想も。
唯識派は基本誰にでも説明可能な明確な認識作用を選択するらしい・・・
50パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 19:11:13.51 ID:pFQzaYax
セブンじゃないがww    ⇒「お前、ホントに頭悪いなwwwww」

「構造比較」ってのが出来ないのか?wwww
このスレでは最低限の基礎知識なんだがww

閻魔を信じてない父親が⇒子供に教訓を説くために、それに言及する
輪廻を積極的に説く気はない釈迦が⇒世俗の誰かしらに「倫理的教訓」の必要性から  
                 輪廻に言及する
wwwwwww同じなのww
お前は、それを勝手に「い〜〜え、釈迦の教えの方が大切ですから」って、「軽重」つけて
否定してるわけwww
そして、勝手に子供への教訓は重要でない、学説の発表では使えないでしょ?  とか
自分で勝手に状況設定を変更して、「ほら、こういう場合はダメじゃん」とか言ってるのww

それは「在家がよく使う手だが(かつては、机もやってたwwww)
そんなことやってると、ここでは、相手にされなくなるぞwww)  
51神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 19:14:37.69 ID:BF8U3ErK
なるほど。
一代が身を引くだけのことはある・・・と言いたい所ですが、

>>41
>それは世俗的な証明の要求
そう。まさにその通りです。世俗の事象なれば世俗の論理で語られねばなりません。

>「継承付ける実在の証明」 のことを
そうじゃなくて・・、
継承不可能でしょ?と言ってるの。実在かどうか?じゃない。
システムとして可能か?ということ。もとより勝義では無問題なれば、
なぜ、世俗に於いてだけ、一対一対応で継承されるのか?
それを、「継承されている」という見做しが妄想であるなら、
実は何も継承されていない、ということです。

業論が、あくまで世俗の論理であるなら、
その中での説明にブラックボックスを設けざるを得ない、ということなのです。

>>42
>で、面倒くさいので、 仮に 「霊魂」 というのをそこに設定したとして
名称はどうでもいいのです。
【その『担っている役割』】こそがポイントなのです。
数多の心霊系との分水嶺を喪失するのです。
(殆どの新興宗教は、その名称の付け方で、他との差別化を宣伝します。)
5247唯識派:2013/10/06(日) 19:24:36.27 ID:8Ek7zhDV
バービーマン混乱し過ぎですね。
53パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 19:28:53.09 ID:pFQzaYax
>>52 誰? オレのこと??www

んで、お前だれ??  もしかして、馬鹿な方の「だいおう」?www
54神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 19:30:17.97 ID:BF8U3ErK
>>51

だから、下図なのです。
で、 b が a を担保するから、三世に跨って業果を恐れることができるのです。
そして、≪【宿命通によって『遡及する』から】逆に辿れる≫だけであって、
≪【結果的に】、【後付で】、連続性を付している≫・・という見方もできるのです。
(この方が筋の通りはグッと良くなるような気はしますが・・w)


529 神も仏も名無しさん sage 2013/09/28(土) 15:53:22.52 ID:JAk3wNoa
    .a
●   →  ○
╂────╂
■━━━━□
    .→
    b


http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1380000713/512
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1380000713/529
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1380000713/642
5547唯識派:2013/10/06(日) 19:33:05.26 ID:8Ek7zhDV
ああ、最近はヒンズー・ヨガの外道にハマっている方だw
バービーマン落ち着きなさい。
56パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 19:34:51.25 ID:pFQzaYax
>>55 ん?  オレと絡みたいのか?w

ノスやぽったんは飽きたのか?ww
57神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 19:39:06.73 ID:pgik60hN
>>54
宿命通を信じてるわけ? バカ?
58パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 19:40:21.70 ID:pFQzaYax
>>51
>なるほど。
>一代が身を引くだけのことはある・・・と言いたい所ですが、

違うってwwww  一代が言ってたのはべつの奴ww
オレと二三レスやり取りしたかなw、最近w
59神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 19:44:35.73 ID:BF8U3ErK
>>58
いや、同じのような気がするけど・・。
縁起の海に全てが霧消してゆく中観的視座とか、徹底した護教スタンスとか。
若干、今の人の方が言葉遣いが荒い(乱暴な)ような気もするけど・・w
60パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 19:52:00.48 ID:pFQzaYax
>>59 違う違うww  一代が言ってたのは、オレが最近、ちょと挑発して
からもうとしたやつww
美的論にすり替えてさっと躱すようなようなスキルもってるやつw

経典の知識も、一代、セブンに次ぐ位の見識があると思うぞww
いわゆる正統の伝統派ってやつだよww
(それだけに、敬意は表するが、俺とは水と油wwwwwwww)
61神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 19:54:24.08 ID:BF8U3ErK
>>60
そうかな・・?
ま、それこそ確かめようは無いけれども・・w
62パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 19:57:48.15 ID:pFQzaYax
>>61 しかし、一代出てこんなあww

オレがこんだけ暴れてんだから、「それは仏教ではありません!!」
とか言って出てきても良さそうなもんだがww

本格的に修行生活に入っちまったか?ww
63神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 19:58:50.59 ID:BF8U3ErK
ああ、でも
>>12http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1380473345/767)の滅茶苦茶さ
をスルーってのは、一代の系譜らしからぬとも言えるが・・・w

(常連で見限ってない限りはw)
ああいう歪さにはツッコまずにいられないのが一代流だしwww
64神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:17:52.10 ID:CgHCfPaP
ところで、輪廻転生はあるに違いないと信じている人に伺いたいのですが、
輪廻転生は人間だけがするものでしょうか?生物全般がするものでしょうか?
インドでは人間=他諸生物間の輪廻が信じられていますが、そういう輪廻観念
と同じという事でしょうか?
65神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:23:37.56 ID:BF8U3ErK
>>62
こんな所に出入りすること自体が、そもそも不健全だってのを忘れてないか?w


また、
彼は、論文を量産するタイプではないけれど、それなりに小さな仕事は幾つも受けてるだろうし、
彼が、今年は行や学びを中心にしよう!とか言ったら、チベットやブータン等アッチ系の現場でしょw
2chどころではなかろうて・・・。


>>64
そりゃ生物全般でしょ。仏教の枠組みではね。
でないと六道(五道)輪廻にならない。

だから、人間にしかない、とか言ってるのは、仏教じゃないと判別できますw
66神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:26:47.93 ID:CgHCfPaP
あらゆる生物が輪廻の対象となるとウイルスとかも含まれるわけですね。
今世は人間だったが、来世はインフルエンザウイルスとか。
67神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:33:50.74 ID:BF8U3ErK
>>66
さあ?w

漢訳に「含識」って訳語があるからなぁ・・・。
68神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:38:12.59 ID:CgHCfPaP
ではその「識」がない生物というのは例えばどのようなものがありますか?
ウイルスにはないのですか?他には?
69パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 20:41:29.58 ID:pFQzaYax
・・・・・・・・ オレの前世はバッタ
70神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:43:23.83 ID:BF8U3ErK
>>68
それは、『これから決めていくこと』でしょ?
或いは、現代人から出た仏陀が説くことでしょ。
俺らが決めることじゃないwww

当時はウイルスなぞ知られていなかったのだからw
71神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:50:01.31 ID:CgHCfPaP
「識」というのは意識のようなものだと思いますが、細菌やウイルスにも
「識」があると研究により判明されれば、輪廻転生の対象になるという事ですね。
木のような植物も昔は木に意識なんて無いだろうと思われていたが、最近の研究では
木などの植物にも意識はあるようだと。
生物学者の言ではシャーレの中で培養している細胞にも機嫌の良い時と悪い時があって
構ってやらないと機嫌が悪くなると言ってました。
細菌やウイルスの様な単細胞生物(ウイルスは細胞ではないが)から植物まで対象になるわけですね。
そのような世界を想定するのも面白いと思いますよw
前世がヘルペスウイルスで今世たまたま人間だったが来世は大腸菌〜とかねw
72神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:51:56.53 ID:BF8U3ErK
>>71
だから、皆「良き後生を願う(祈る)」のですw (´∀`)b
73神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 20:54:29.86 ID:CgHCfPaP
しかし願い(祈り)は届かず、とんでもない生物に輪廻転生する事も大いにありうる、という事ですね。
まあ、大腸菌には大腸菌の楽しみがあるのだろうから、とんでもなくはないがw
74神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 21:18:49.84 ID:BF8U3ErK
>>73
そりゃ、たいていの場合、(欲求ベース快楽ベースの)
良き後生と言ったときの「良き」とは、俗っぽいハイグレードな生活水準であることが多いけれどw


けど、
苦悩や憂いや病無く、安穏に生きられますように・・・(そういう次生でありますように・・)
が、理想だし、多くは望まないから、故人の(たとえばおじいちゃんお婆ちゃん、お父さんお母さんの)
後生がそういうものでありますように・・という素朴なものもあるだろうし、一律に断じることはできんけどねw


そして、凡夫は常に、今現時点の生しか認識し得ないからね・・。
そう考えると、
今90代以上の女性方の忍辱&タフさは頭下がるわね・・。
現状を受け入れる諦観とか・・。
75神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 21:38:37.58 ID:tVsZWuzl
パーピマンがどんなに言葉を重ねてもの二大論拠が崩壊してるのはまちがいないでしょ
何をそんなに粘着してるのかよくわからないんだけど?
76神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 21:43:13.54 ID:ic7IbV3S
>>64
インドでは人間=他諸生物間の輪廻が信じられていますが、そういう輪廻観念
と同じという事でしょうか?

人から動物に転生し、また人に転生はあると思います。
最初から動物だと転生はしないと思います。
理由は輪廻には無明、執着等が条件であり、知能が無かったり執着が無ければ条件を満たさないからです。

また前世記憶に関連する文献を見ましても、「元々は獣だったが、人間に転生した」という証言を読んだことはございません。
77神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 21:45:10.75 ID:tVsZWuzl
>>74
ちょうどいい。よくわからないんだが
>>54であなたは何が言いたいの?
輪廻が論理的に矛盾していると言うなら、俺はまちがっていると思うが・・。
だが、輪廻が検証不可能というなら、賛成だよ
俺の言ってること分かる?物理と数学のちがいが分からない人がたまにいるからねw
78神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 21:48:42.58 ID:CgHCfPaP
>>76
>人から動物に転生し、また人に転生はあると思います。

>最初から動物だと転生はしないと思います。
は矛盾でしょう。

あなたの論では人から動物に転生して動物になったらそこで輪廻終了でしょう。
なぜなら、>輪廻には無明、執着等が条件であり、知能が無かったり執着が無ければ条件を満たさないからです。

動物から人に戻れるのなら、最初が動物でも構わないわけで。
79神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 21:50:43.79 ID:S+vBsKay
>>50
あのね・・・・、ブッダは解脱によって、すべてのことを知りえたのでしょ?
それで、もし輪廻が無いということを知り得たのならば、それは、閻魔を信じる、信じない、ってもんじゃない。
如実に知ってるわけ。
で、当時はいろいろな輪廻思想が出回ってて、常住のアートマンがあるとか、うっかりすると
間違った方向にいっちゃうわけ。
そしてそれを防ぐために、「無記」 という姿勢をとったわけ。
その 「無記」 という姿勢をとったブッダが、なんでたかだか論理的な教訓のために、
あえて 「無記」 の姿勢を破って、輪廻に類するものへの言及をしますかね・・・?
その弟子が信じちゃったら、どうするのですかね・・・?
「輪廻に類するもの」 への言及は、 親が子供を戒めるときに比喩を使うより、もっと慎重に行われなければ
ならないものなんですよ。
遥かにウェイトが違うんです。
例えば手術をしているときに、命が懸かっている時に、 手術の手順を間違えてはいけないようなものです。
輪廻に類するものへの言及は、 仏教の根幹にかかわることです。
簡単に言及していいもんじゃない。
輪廻が存在しないと明らかに知っていて、それで 「無記」 という姿勢をとるなら、
それは今までの輪廻思想を否定しなければならないから、 絶対に、比喩であろうが触れてはいけない。
もし、今までの常住のアートマンという思想にとらわれる危険性があると知りながら、それでも説くということは、
輪廻など、それに類するものが基本としてあり、その上に立つ見解の違い(主体が常住であるか、否か)ということで、
基本の部分を否定する必要がないから・・・ ということも言えるでしょ。
80神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:03:00.59 ID:ic7IbV3S
>>78
>動物から人に戻れるのなら、最初が動物でも構わないわけで。

最初から獣と、人間から転生した獣とは、まず知能、経験、カルマ等で格段の差異があります。

知能、経験、カルマも相対的に無いに等しい存在に無明、執着、名色という輪廻の条件はないというモデルですよ。
あなたが質問されたから、私見で答えました。これ以上、あれこれ言われても仕方がないかと思います。
81神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:15:22.18 ID:S+vBsKay
>>51
>世俗の事象なれば世俗の論理で語られねばなりません。
>勝義では無問題なれば、
>なぜ、世俗に於いてだけ、一対一対応で継承されるのか?

どうも、「世俗諦」 ・・・というのを、勘違いされているように思えてなりません。
「世俗諦」 というのは、「世俗の視点で分かるように、真理の説明をする。」・・・ってことですよね?
世俗でも分かるように、世俗を超える話をする・・・ってことです。
世俗の考えそのままを、肯定することじゃありません。
世俗の考えを肯定したままでは、 真理は説けません。
この世に於いて、自分というものが、体を含めて確かにあると思ってる・・・・
これが、「世俗の幻想」 です。
で、これらを超えさせるのが、覚者の説法ですが、 勝義諦でいくら、「空」だ、「無」だ、・・といっても、
通用しません。
だから、世俗の目線に降りて、その真理を分かりやすく説明するということです。
目線に降りるだけじゃダメです。
そこを超えさせないと。
で、 「肉体は時間的連続によって確かに継承されている。」 ・・・というのは、
世俗的な分別なんです。
その世俗的な分別そのままに、 だから輪廻に主体があってはおかしい、というと、
それは世俗『諦』ではなく、 単なる世俗の思考です。
>世俗の事象なれば世俗の論理で語られねばなりません。 ←これでは言葉不足です。
「世俗の論理で、『真実』を語らねばなりません」 ←これが世俗諦のことです。
「色」は確かに存在してるんだ〜 という凡夫の見かたそのままに、
だからこの「色」のような存在が無くては、輪廻において継承されてるとは言えないんだ〜 と言ったらダメなんです。
それは凡夫観の延長線に過ぎないと思います。
82神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:17:59.26 ID:CgHCfPaP
>>80
>最初から獣と、人間から転生した獣とは、まず知能、経験、カルマ等で格段の差異があります。
つまり、世の中の動物には2種類あって、生粋の動物と元が人間の動物があると。
動物園に行った時、念頭に置いて動物達を眺めることにしますw
そして、動物→人間に転生できるのは「元人間の動物」であり生粋の動物には転生は無いと。
宿命通を獲得した人間はそういう面では面白いでしょうねえ。
動物園に行くのが楽しくてたまらないでしょうなあ。
「あ、あそこに元人間のレッサーパンダがいる〜」とかw
83神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:24:46.87 ID:CgHCfPaP
しかも動物だけじゃなくて植物や単細胞生物にまで及ぶとすれば、これは驚異的な事ですねえ。
この木は元人間、あれは生粋の木〜この大腸菌は元人間、これは生粋の菌〜とか
宿命通を獲得した人はこういう密かな楽しみを持っているのですかw 
いや〜羨ましい。俺も瞑想勉強して宿命通を取ろうかなw
84神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:28:32.58 ID:SHhmVukW
>>79
>あのね・・・・、ブッダは解脱によって、すべてのことを知りえたのでしょ?

根拠も検証も皆無。あくまで、釈迦の自作自演だろ。詐欺師の典型。
「悟ったと思う者は、悟っていない」(道元)

輪廻転生の基準は、「現世における我の行為」。現世において「善と悪の両方の
行為をなしたもの(釈迦を含め、すべての人間がそうであろぅ)」の来世は、
いずれの行為が原因になるのか。それは一体誰が決めるのか。釈迦とという
常住の「神」かw。

輪廻転生が概念は、入り口で、既に破綻している。

そもそも「善悪」とは何か。釈迦は定義さえできていない。自分でも意味の判らない
「言葉(記号)」に意味があると勘違いして、それに自己陶酔していただけ。
85神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:30:28.98 ID:ic7IbV3S
>>83
>しかも動物だけじゃなくて植物や単細胞生物にまで及ぶとすれば、これは驚異的な事ですねえ。

原始仏典で説かれている「入胎の法」では、識が母胎に宿ると記載されております。

植物や単細胞生物に母胎があるのか否かですが、そこまではテキストベースでも保証されておりません。
86神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:36:55.58 ID:ic7IbV3S
>>82
>宿命通を獲得した人間はそういう面では面白いでしょうねえ。
> 動物園に行くのが楽しくてたまらないでしょうなあ。
>「あ、あそこに元人間のレッサーパンダがいる〜」とかw

まず宿命通を獲得した修行完成者は慈悲深い方ですので、面白がることはないでしょう。
憐れんで読心通にて「来世ではまた人に生まれるのだよ」と語りかけると思います。

この方法でレッサーパンダでもウサギとでも話せますね。
87神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:39:55.21 ID:tVsZWuzl
目の前に本がある、しかし、本などという常住不変なものはない、
では、私の目の前にあり、手に触れ、たたけば音が鳴り、臭えば少しかび臭いものはなんなんだろう?
私がつくった虚妄であろうか?しかし、そこにはなんらかの確からしさがあり、これを否定することはできないように思われる。
その何かを仮に本と名付けることはできないのだろうか?
この提案を否定する者はあまりいないと思う。
つまり、本とよばれる存在を虚妄と言うのか、本とよばれる存在の常住を虚妄と言うのか
といった場合、前者はあまり否定されないと思われる。
私はこれを全体のゆらぎと境界のゆらぎの問題であると思う。
たとえば、本という存在は絶えずほころんでいく方向へと向かっている。ほぐれたり、やぶれたりしながら。
しかし、存在そのものがあるときはパッタリ消えて、あるときは出現するようなことはないだろう。単純に移動することはあるかもしれないが。
前者が境界のゆらぎと言えるものだが、この世のものはそのように全体ではなく、境界がゆらいでいるからこそ
無常であり、またある時間的な範囲において、常住とは言えなくとも本という存在を仮定できるのではなかろうか。
この仮定(仮説)できるというこの世の傾向を、仏教の自立論証派は、実世俗と名付けたのではなかったか。
(アインシュタインは私が見ていないところでは月は確率的にしか存在しないと言ったが、私はちがうと思う
たしかに量子レベルにおいてはそうであろうが、マクロのレベルではそれは境界の問題にすぎなくなるのではないか。)

しかし、帰謬論証派はこの世のすべてを虚妄とする。
実世俗はそもそも正確に言えばまちがった見方であるのだから、どこまでも認めないのである。
88神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:40:03.10 ID:CgHCfPaP
>>85
最近の研究では木にも意識があるそうです。細胞にも機嫌が良い時と悪い時があって
意識がある可能性が高いです。(識)
輪廻転生とは母胎を前提とした観念ですか?オス・メスの両性で繁殖する生物が
輪廻の対象なのですか?そうなると単細胞生物やらウイルスが候補から落ちますねえ。
残念な事ですが、仏典に書かれていないのなら仕方ありませんね。
雄しべと雌しべで増える植物には転生はあるという事だから植物には転生はあるという事ですね。
89神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:40:31.43 ID:tVsZWuzl
私も勝義においてはただ帰謬論証派に従うべきだと思うが
仮に、私という存在を認めるならば、それは実世俗によって規定されるというべきであろう。
でなければ、仮定すらできないと思われる。
また、実世俗は無明に含まれるのか?と言えば、もちろん実世俗は無明に含まれると言うべきだと思う。

では実世俗=確からしさとするとき、それを人間がすべて把握できているか、と言えるであろうか?
たとえば大昔の人はそれをすべて知ってはいなかった、と言えるように、それは人間が把握するしないを超えて存在している
と言える。ならば、人間に検証不可能であっても実世俗はありうると言える。もちろんそれを人間は信じる信じないで判断しなければならないが。
90神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:50:52.82 ID:SHhmVukW
>>81
>世俗の考えそのままを、肯定することじゃありません。
>世俗の考えを肯定したままでは、 真理は説けません。

ならば、勝義は、一体何を根拠としているのか?何によって検証したのか。
修行による人為的変性意識という狂気(脳内妄想)か。狂気は、真理などには
成りえないことは自明だろう。

「人間界における真理」は、成員の生存努力のみに存する。生存努力を離れた
お遊び、趣味に過ぎない修行による変性意識など、問題にならない。

世俗を肯定し、世俗が納得しなければ、第一義など誰も問題にしない。
中論は、「世俗の一切の慣習」を無条件の前提とし、それに反することを
何度も戒めているではないか。

宗教者は、人前で、己の脳内妄想を語ってはならない。オナニーは、人に隠れ
てやるものだ。
91神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:52:28.00 ID:CgHCfPaP
>>86
>憐れんで読心通にて「来世ではまた人に生まれるのだよ」と語りかけると思います。
逆でしょうw
「よく人間から離脱できましたね。羨ましいかぎりです。来世また人間に戻るかもしれませんが
気落ちしては駄目ですよ」
だと思いますがねえ。
92神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:58:50.24 ID:SHhmVukW
>>85
>原始仏典で説かれている「入胎の法」

入胎や転生は「身体」の現象。身体の現象は医学、生理学、産科学、遺伝学など
最新の自然科学の専権分野。

2500年前の原始仏典やその作者の出る幕ではない。基地外か。
93神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 22:59:10.85 ID:tVsZWuzl
もう一つ、考え方があると思うが、私はあまり賛同できない。
それは、確からしさというものは所詮、夢の中で空を飛ぶことができるのと同じように
夢の中のルールであって、ルールそのものが虚妄であるという見解できない。
そもそもなら、縁起も夢の中のルールである可能性を否定できなくなる。
そして、縁起のみが正しいと言えるどんな論理も導き出せない以上、仏教そのものが
信じる信じないの問題に堕しうるから。
94神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:06:01.67 ID:tVsZWuzl
>>90
勝義というのは空のことか?空は客観的事実であろう。
素粒子ですら、反物質との寿命の差によって片時存在しているにすぎないよ

でもおたくが言っているのは無我のことだろう?
常住不変の我は存在できないことは誰もが納得する。この世は空であるから。
しかし、確かに一生の間の我は仮定できるのは認める。
だが、同時に、一生の間の我が外界に働きかけようという業をつくらなくなったとき
生きている間であっても一生の間の我はありうるであろう。
95神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:07:52.23 ID:tVsZWuzl
>>93
修正w
なんかへんになってる
>それは、確からしさというものは所詮、夢の中で空を飛ぶことができるのと同じように
>夢の中のルールであって、ルールそのものが虚妄であるという見解できない。

「見解である」ね
96神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:13:14.99 ID:pgik60hN
前スレで紹介されていた三木悟氏の「現代仏教学」動画で、
東洋大学の岩井昌悟准教授の「輪廻」に関する話を二つも見たよ〜ん。
 
何も知らないで三法印と十無記を話していたが、パワーアップしたぞ。
やっぱし大乗は変だ。中村先生の初期仏典の研究成果、韻文がより古層だ
という紹介には真に納得した。最初は「口伝」だものね。
  
97神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:15:38.44 ID:tVsZWuzl
動画仏教w
98神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:26:53.77 ID:tVsZWuzl
輪廻に無記だったら、おそらく悪業をつくるような輩が増えまくっただろうね
そして、仏教はそいつらを助長するのか!って言ってつぶされてた。
国家権力が絶大な現在とちがって、昔はそういう人たちを予防するのは何より宗教であったわけで
仏教も輪廻の効用を無視することはできなかった。
そういうことじゃないかね
それ以外のまったく神学論争じみた、無意味な検証不可能命題については沈黙した。

輪廻が論理的な無矛盾体系であるのは上に示した通り。
これで解決だと思うけどねー
99神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:27:39.06 ID:BF8U3ErK
>>81
>「世俗諦」 というのは、「世俗の視点で分かるように、真理の説明をする。」・・・ってことですよね?

いや、私はそうは理解していない。
真理の説明であれば(≒提示・説示であれば)それは勝義諦ですよw
勝義が、世俗の言葉、世俗の事象を借りて示されているだけです。
それは、ツールが世俗文法であるだけで、示されているのは勝義じゃありませんか?

世俗諦とは、『世俗に於いて真とされることがら』だと、私は理解していますが、どうでしょう?
100神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:30:10.06 ID:pgik60hN
>>97
動画もバカにできない。語る方は大量の古文書を読んでいる。
それらを要約して話しているから有り難いよね。
しかし残念だが、岩井昌悟氏の話には同意できなかったのだ orz
 
今夜もまた、輪廻という宇宙人が来襲するんだろうねえ。
身体を壊さないように戦ってくれたまえ
101神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:35:05.70 ID:pgik60hN
>>99
>勝義が、世俗の言葉、世俗の事象を借りて示されているだけです。
>それは、ツールが世俗文法であるだけで、示されているのは勝義じゃありませんか?
 
バカ?
102神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:35:49.77 ID:BF8U3ErK
>>101


馬鹿はお前だ。
103神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:37:18.25 ID:tVsZWuzl
>>90
私たちが確からしさにだまされるのを戒める修行は仏教にはたくさんあるよ
要するに無常を観ていく修行だけどね

麗しい女性であっても、たとえば死罪にされたあと、それが朽ちていく様子をずっと見るとか
はじめは赤みをさした湿潤な肌であっても、眼窩から目玉がとびだし、うじがわき、腐臭をたてはじめる様には
千年の恋をした若者であっても、恐ろしくてとんで逃げ出すような醜悪さに変わって見えるものだ。
一昔の女優が恥をさらして活動している様にも同様な感慨をもつ人は多いはずだよ
ひときわ大きな悲鳴が聞こえたのは天地真理とかかね
まあ、そういうのは析空観と言って、瞑想修行者には一段ひくい修行であるとされてはいるが
縁起、無常を見つめるよい修行だね、そういう素朴なところから勝義が導かれていると知るべき
104パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 23:39:45.03 ID:pFQzaYax
>>79 wwwwwwwwwwwwwww  それ、全部、お前の希望的観測からくる想像でしょ?www

なら、反対に

「当時は、インドにおいて、一般民衆の間には輪廻業報論が当たり前のこと
として信じられていた。これは多くのバラモンが主張するところで、もし
釈迦が輪廻業報などないと説いたならば、たちまち多くのバラモンとの
間に論争が起こることを釈迦は分かっており、そのためにそれについては
「無記」とした。釈迦は、そのような論争が起こることを好まず、そのようなことに
関わり合って、肝心の 「無我を悟る」⇒苦の滅 という修行に差し障りが
出ることの方を恐れたのである。  

しかし、現に破滅的行動をとるものがいて
彼にそのような行動をやめさせるのに、業論が有効であると判断したときは、
それを方便として用いた。一般的に知られている思想を用いて話すほうが
理解がされやすかったと言う面がある。  今、現在、悪業を繰り返す者たちに
「まず、その悪行をやめさせること。」・・・これが何よりも優先されるべき
事例においては、業論を方便として用いることも可とした。 たとえ、それによって
アートマンがあると一時的に錯覚させる可能性があっても、今現在、繰り返される
悪行を改めさせることのほうが重要であると考えたからである。 仮に、業論を聞かされて
アートマンがあると一時的に錯覚を起こしても、のちの修行により、真実がわかる
ということも、勿論、考慮されていた。

wwwwwwwww  こんな物語もつくれちゃうんだけどww
105神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:41:25.35 ID:pgik60hN
>>102
お前は大乗という偏見を取り除けw
 
何が宿命通だ! バカでマヌケのアンポンタンめがw
106神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:47:06.97 ID:CgHCfPaP
>>104
その「なら、反対に」以降の物語は信憑性が高い物語ですねえ。
私も全くそのように想像します。
107神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:48:48.47 ID:tVsZWuzl
物語がつくれる=無矛盾な論理体系がつくれる、ということだろ?
それが真実であるかどうかはともかくさ

何度も言ってるわけだが。
108パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/06(日) 23:55:13.22 ID:pFQzaYax
>>106 ちょっと聞くが、貴方自身、植物に意識があると考えてるのかな?ww
109神も仏も名無しさん:2013/10/06(日) 23:59:45.80 ID:CgHCfPaP
人間のような意識ではなく原始的な感覚のような意識はあると信じます。
110パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/07(月) 00:02:51.56 ID:e+4TvqNE
>>109 原始的な感覚のような意識・・・か、

まあ、どんなもんかちょっと想像しにくいなw
111神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 00:06:18.38 ID:7ZQ0SKC6
>>110
インドでは木に名前を付けるらしいですよ。
ペットに名前を付けるように。
112神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 00:13:51.56 ID:7ZQ0SKC6
屋久杉なんて高齢な木はすごいですねえ。
前世はどこかの偉い人間だったのかも。
逆にはかない一生を送る生き物もいますねえ。
人間から見れば極端に一生が短い。数時間〜数日とか。
しかし屋久杉から見れば人間も極端に一生が短いという事ですねw
113神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 00:32:53.70 ID:hcykbnZo
>>パーピ

コイツ(>>101>>105)も、お前が見性スレから呼び込んだ輩じゃねーのか?w(怒



>>103
折角の熱弁だが、
残念ながら、隠居相手にその言葉は届かんよ・・w
114神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 00:35:39.80 ID:iq4Q+nIh
>>84
>「悟ったと思う者は、悟っていない」(道元)

「覚知に交わるは証則に非ず」 ・・・ってやつですかね?
ブッダ自身の我で、悟った・・・と、思わなかったと思います。

>輪廻転生の基準は、「現世における我の行為」。現世において「善と悪の両方の
>行為をなしたもの(釈迦を含め、すべての人間がそうであろぅ)」の来世は、
>いずれの行為が原因になるのか。

これは善悪入り混じってる場合、 善人として生まれてくるのか、悪人として生まれてくるのか、
どちらの原因が種となって、来世の結果が決まるのか・・・・ ってことですよね?
答えは・・・、 両方入り混じると思います。

>>90
究極の正しい生存努力って、 無我から出てくると思うんですよね・・。
出てくるというのは、 自然のありのままの姿がそのまま現れるということで・・・。
正しい生存努力をするためには、 余計な我は邪魔だということで、
それを追求すればするほど、無我に近づく・・・ ってことだと思います。
115パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/07(月) 00:56:14.41 ID:e+4TvqNE
>>113
>コイツ(>>101>>105)も、お前が見性スレから呼び込んだ輩じゃねーのか?w(怒

う!!  その可能性も否定出来ないw  ・・・が、ちょっと弁解させて
もらうと、最近、オレは他スレでは書き込みはしてないんだがww
(だが、 あいつじゃねエのか?と思い当たるふしもwwwww)
116パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/07(月) 00:58:34.47 ID:e+4TvqNE
>>111 
>インドでは木に名前を付けるらしいですよ。
>ペットに名前を付けるように。

ほ〜〜〜〜、インド人の感性は面白いなw
117神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 00:58:36.09 ID:iq4Q+nIh
>>99
そういう風に言われると思って、いろいろと調べていたのですが、
ちょうどいいブログを見つけました。
梶山雄一という人の言葉らしいんですが・・・・

ブログで申し訳ないんですが、的を得ていると思います。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/jojon_folk/5734034.html

この中で、ブログの人が・・・、
『月をさす指が世俗諦であり、月が勝義諦です。』  と言っていますが、
これは私は的を得ていると思います。

で、世俗において真とされることをいくら追求しても、それは世俗から一歩も出られないと
思うんですよね。
泥水を泥水で洗うが如し・・・・ っていうか、いくら経っても泥水は落ちることはない。

こういうもありました。
「世俗の真理を一旦認めて、その上で勝義を示す・・・・」 っていうのも。
これだと、後に泥水が落とされるので、 幾分いいかなぁ〜 と思うんですが、
ただ、一旦世俗の真理・・・・ 体がある、 存在がつづく、 物が確かにある  ・・・というのを認める必要があるかなぁ〜 と、思いますね。
「認めたうえで・・・」 というのは、やはりおかしいと思います。
認めて、否定する、というのは、 道理に合わないような気がします。
やはり、 「世俗の立場に立って、 真理を指し示す・・」 ということの方が、道理にかなっているような気がします。
118神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 01:06:10.43 ID:i21ukFUY
>>117
超同意。
譬喩として世俗は利用できるのみだと思う。
あるは筏として。
それが月を指差すことだと思う。
だから自立論証派はダメだと思うんだよね
119神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 01:42:57.00 ID:7ZQ0SKC6
人間は地球で生まれた一生物に過ぎないという自覚を持つ事が大事だと思います。
死ねば地球に戻るのです。
人間がDNAを子孫に伝える構造は、人間以外の生物にも共通の構造です。
人間vs人間以外の生物という相対立した観念は捨てるべきです。
人間だけは他の生物と違って賢いものだ、生物の長だとかいうのは思い上がりも甚だしい。
輪廻転生大いに結構。輪廻転生なしで一生が終わればそれまでというのも大いに結構。
輪廻転生なんて分からない〜分からないものは分からないも大いに結構。
しかし、そんなつまらない解釈世界が面白いですか?

輪廻がないと好き勝手生きたもん勝ち〜だから道徳上ないと困るって?
そんな考えは駄目です。ないと困るのは人間です。人間は地球上の一生物に過ぎません。
人間中心思想の破棄こそが大事なポイントです。
輪廻なしに、この一生で人生終了と思っている人間の方が多いと思いますよ。(インド人除く)
将来は今の人間の理想の持ち方によるのですよ。人間は理想に向かって進む生き物ですからねえ。
酒と女と美味い食い物だけが生きがい〜阿弥陀仏の極楽浄土に行きたい〜地獄で閻魔様と酒酌み交わしたい〜
静かな世界、喧騒な世界〜色々ですよ。さてどのような未来が来る事でしょうかねえ。
120宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/07(月) 01:51:18.20 ID:ShH7yU1p
これは輪廻転生に関する、人間と他諸生物間の輪廻の関係やその有無についてのまったくの私の個人的見解です。

まず、私の採っているスタンスと立場から述べると、この私は“仏教だけが唯一の真理“であるといった考え方を
まったく認めていません。そして更には、現存する自称仏教なるものには、残念ながら、ゴータマの言説が完全に
正しく継承されたところなどは一つもないのだ、と見ています。
以上のことを前置きとしつつ、この議題に関しての持論を述べさせてもらうと、

人間以外の他生命である動植物も輪廻はしますが、それはそのレベルと次元においての展開なのであって、植物は
植物間だけの輪廻であり、植物はその種全体が大きな一つの生命体であるので、元々から殆ど不死的な生命だという
こと。そして同様、動物界は動物界だけの次元で輪廻しており、肉体の死後はその個的な生命活力(動物魂)は生存時に
獲得した経験の情報を動物界全体としての意識塊である超魂(オーバーソウル)への還元集積されて、個としての動物魂
は超魂へと帰化します。そして再び、情報の還元された超魂から、また新しい肉体動物へと転生することを繰り返し
ている。
太古の人類発生の段階においては、極一部の限られた進歩した動物の魂は人間へと転生できたが、これは現在におい
ては事実上の停止状態にあります。このことは、進級できなかったものは学年が上がれないことに似ています。
121宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/07(月) 01:53:09.08 ID:ShH7yU1p
要するに、人間が動植物や他の下等動物に転生することはないし、また、その逆が起こることも決してないというこ
と。人間として犯した過ちの責任と果たされるべき果報としての責務は、やはり、同様にして人間として背負い果たさ
れるべきものなのだということ。そして、そうなっている。

そもそも仏教の説く「六道輪廻」というのは、これはやや後代になって成立した教義なのであって、本来、元々ゴー
タマが実際に説いたものとは異なるものだ、これが私の見解です。
本来の「畜生道」とは、生存する動物に生まれ変わることを意味するものではなくて、畜生のようなレベルの境遇に
生まれるという意味だったのです。
「餓鬼」も同じく、生存中の人間であってもその境遇が餓鬼地獄に落ちているということが本来的な意味でした。
ただし、餓鬼については肉体無き状態の餓鬼地獄に落ちた存在もいる、と。
このことについては、伝統法門からの教えから知ることにはまず無理があり、唯一、近代仏教学の研究によってある
程度を知ることができるものと思われます。

以上、これらを皆さんが認められる必要性はまったくありません。
ただの参考意見までですから。
------失礼
122宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/07(月) 02:00:18.19 ID:ShH7yU1p
>>前スレ913
>>輪廻の主体は、「魂」(ジーヴァ)です。
>その存在を六処によって証明してください。

輪廻の主体「魂」(ジーヴァ)は、
五蘊の「識(蘊)」(阿頼耶識)が肉体崩壊後にも存続している状態のことを指すものと思います。
従って、六処でいえば「意(処)」に該当するでしょう。

証明ということではないですが・・・。
(尚、http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1380473345/762 は、その根拠となり得る情報かと思います)
123神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 03:06:05.93 ID:7ZQ0SKC6
>>121
>そもそも仏教の説く「六道輪廻」というのは、これはやや後代になって成立した教義なのであって、
これは、「輪廻転生」を当てはめても言えそうな言葉ですね。
そもそも仏教の説く「輪廻転生」というのは、これはやや後代になって成立した教義なのであって、
124宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/07(月) 03:37:22.10 ID:ShH7yU1p
>>123
いえ、それはあり得ないでしょうね。
何故ならば、「輪廻転生」を認めなければ、
あらゆるすべての仏教教理が成立しなくなるからです。
困難な仏道修行の生涯を過ごすことの意義すらなくなる。
苦の滅も、自殺すれば済むことだという論理矛盾すら回避できない。

---------まっ、議論の中心は皆さんにお任せしますけれどね・・・
125神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 03:44:51.61 ID:rFHJRhKF
>>118
>譬喩として世俗は利用できるのみだと思う。

専ら世俗によって生かされていながら、「世俗は利用するのみ」とは、随分
尊大な言い方だね。「己のみ尊し」という、思い挙がった選民思想そのもの。

釈迦も布施がなければ生きられず、イエスもパンがなければ生きられなかった。
彼等は、自分を一体何様だと思っているのか。宗教者どころか、人間としても
最低の人格。

自分を生かしてくれているものに対する感謝は、人間として最低限度の要件で
ある。
126基地にゃん♪:2013/10/07(月) 03:58:28.89 ID:wcwVKuRZ
見返りを求めて修行するなら

まったく無意味にゃん♪www
127神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 04:12:04.96 ID:rFHJRhKF
>>114
>ブッダ自身の我で、悟った・・・と、思わなかったと思います。

では、誰が「仏陀は悟った」などと確かめたのか。全体的には、仏陀は
「己が悟った」という前提で、上から目線で教えを説いていることは明らか。
悟っていない詐欺師と何らの相違も無い。

>答えは・・・、 両方入り混じると思います。

それでは答えになっていないよ。「善因善果 」「悪因悪果」に全くなって
いない。「いくら悪をやっても、ちょっと善をやれば大丈夫」「いくら善を
やっても、ちょっと悪をやればダメ」。倫理道徳指針の意味をなしていない。
釈迦を初めすべての人間は、現世において、善悪いずれの行為も行なうもの
である。善悪の基準は、状況によって全く異なる。その比率の計算は、何人
にも不可能である。

輪廻転生論は、その入り口から、すでに論理的に破綻している。
128神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 04:18:13.19 ID:rFHJRhKF
>>126
釈迦を始めとする仏教徒の修行は、すべて「輪廻から離脱する」「苦を脱する」
という「最大の見返り」を追求して行なっている、煩悩丸出しの行為なのだがw。
129カフカ「審判」の不条理:2013/10/07(月) 07:03:35.93 ID:uzPICHpv
>>124
>「輪廻転生」を認めなければ、あらゆるすべての仏教教理が成立しなくなるからです

崩壊する「仏教」とは外道の密輸入「成りすまし仏教」だけだw

実は業報輪廻転生論者は“お子様ランチ躾論”なのだという自覚がない。

悪業(カルマ観念)を「罪」とする神的概念であって、
勝手に設定された前世とやらのまったく身に覚えのない罪で「責任』を取らせられることであり、
★検証できる自覚的な帰責条件(期待可能性のある故意・過失)を前提として教育効果を狙う「因果応報」観念自体に矛盾する。

カフカの「審判」と同じであり、ナンセンスである。
身に覚えのない「罪」を無理やり認めさせるカルト信仰以外の何ものでもない。

業報輪廻転生論は倫理的効果が認められない不条理である。
1301/2ブッダの業報輪廻転生論者への問い:2013/10/07(月) 07:16:56.39 ID:uzPICHpv
>>124
>「輪廻転生」を認めなければ、あらゆるすべての仏教教理が成立しなくなるからです

ブッダは業報輪廻転生を信じるジャイナ教信者に以下のように問いかける。

『友よ、ニガンダ派の人たちよ、あなたたちは、
〈 前世において私たちは存在していた、存在していなかったのではない 〉と知りません。
 また、
〈 前世において私たちは悪業を行った、行わなかったのではない 〉と知りません。また、
〈 私たちはこのような悪い業を、あるいはまたあのような悪い業を行った 〉と知りません。また、
〈 これだけの苦が滅尽した。あるいは、これだけの苦が滅尽するはずてある。
  あるいは、これだけの苦が滅尽したとき、すべての苦が滅尽するはずてある。 〉と知りません。また、
〈 現在、この世において、不善の事柄を捨て去り、善の事柄を私たちは備えている 〉と知りません。

このように、何も知らないのならば、それでは何故、
あなたたちは、
「人が感受するところのものは、楽であれ、苦であれ、苦でも楽でもないものであれ、
 すべては前世に行なわれたことを原因とする。
 それゆえ、苦行によって古い業を消滅させて、新しい業を作らないことによって、未来に結果がなくなる。
 未来に結果がないことにより、業が消滅する。
 業が消滅することにより、苦が消滅する。 
 苦が消滅することにより、感受が消滅する。
 感受が消滅することにより、すべての苦が滅尽するであろう」、と答えることができるのでしょうか?

それらをすべて知っているのならば、そのように答えることは正しいでしょう。
しかし、何も知らないのならば、そのように答えることは正しくないのではありませんか?』
                                     (中部 101)
1312/2ブッダの業報輪廻転生論者への問い:2013/10/07(月) 07:23:09.63 ID:uzPICHpv
>>124

ブッダの問いは、★業報輪廻転生論成るものが、すべて検証不能の<一切外の事柄>だからであり★、
業報輪廻転生論の肯定にせよ否定にせよ断定するにせよ、
菩提心自己の凡夫にとっては、縁起の現実(因果時空関係)を正確に如理作意(八正道4正思)できない妄想・形而上的見解・物語・フィクション・
イリュージョン・錯視に他ならないからである。
このような様相に「帰責関係=縁起の現実(因果時空関係)」は成立しない。

そもそも仏道は菩提心自己の凡夫のためにある。
悟達者は仏法からも解脱している(中部22)文字通りの【卒業生】であって、悟達者には教えそのものがない(中論25-24)。
教えそのものがないのに、悟達者にどうみえたかなどは、菩提心自己の凡夫には関係がない(Sn.908)。
仏法は「信仰」宗教ではないのである(相応部6)。
132基地にゃん♪:2013/10/07(月) 08:21:57.94 ID:wcwVKuRZ
>>128

だとしたら無意味な修行にゃん♪

達磨は否定しているけどね!



  _,.-‐''"        ''‐,,
   ,.-'      ,.--、      \
   / /~~\  / /ёl\__     ゙i,,     ハ    /
 . / l /ΘヽV | ー'| | 丶、   ゙i,,   /   ̄`ヽ/      ふ
 /  /ヽ 二 |、 ̄ У    ヽ、  ゙i,, _,/  な       な な  ぅ
 l /  ヽ___/ ヽ_/      L,,-‐''i" ′  る.     る .る (
 |/      (  |       ,,..-‐"|   | .|    ほ      ほ ほ  )
‐‐|--,,.___   `T゙         | __,,⊥-!   ど     ど ど む 
  'i,        |         ̄l  /<    |
  'i,       '-、     丶、/  /   \   __ ノ\
   'i, /     -<    |   /丶、'              ` ー― ´
 _,. -‐く /    ー′  l  ,'  ∠
     X  ',      /  ,' r'
    / \  '--─一'´   r'"     ___________
        ''‐- __,,...‐'、   .j゙~~| | |             |
  __/          \  l__| | |             |
  | l /   ,              \n||  | | 人生達観が大事にゃん♪            |
  | l /   /         r.  ( こ) | |             |
  | l | ⌒ ーnnn        |\ (⊆ソ .|_|___________|
   ̄ \__、("二) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l二二l二二  _|_|__|_
133道元の修道論:2013/10/07(月) 08:53:18.45 ID:uzPICHpv
>>126
>仏教徒の修行は、すべて「輪廻から離脱する」「苦を脱する」
>という「最大の見返り」を追求して行なっている、煩悩丸出しの行為なのだがw。

隠居は道元を評価しながら、相変わらず

修証一等=二相の相即的実践=自己をならふ=得一法、通一法、遇一行修一行が掴めていない。
134道元の修道論:2013/10/07(月) 09:01:09.36 ID:uzPICHpv
『見成これ何必なり』(道元 現成公案より)

【一切門】透過による【般若門】突破は般若智(無分別智)直覚による縁起の直接現実の現観である。
135神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 10:23:54.87 ID:OYHDc907
>>133
>修証一等

大いに認めているが、それは「生存努力の擬制」に過ぎず、悪い言葉で言えば、
「お遊び」、「趣味」である。目を半眼に開いて具象物の一点を見つめ続ける
ことは、現実との繋がりをを維持し、観念まみれの瞑想を一切排除する。

しかし、選択の自由のない、現実の生存努力という「大修行」に比べれば、はるかに
及ばない。
136神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 10:42:35.26 ID:OYHDc907
釈迦が、「一切皆苦」「実存苦」などという精神病理を持ち込むことにより
ダニヤを初め多くの若者を狂わせ、他人の弟子を多数奪ったことは、まさに
地獄に堕ちるに値する大罪である。イエスと同様、現代のカルト教祖そのまま。
137神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 10:58:14.75 ID:OYHDc907
人間の「狂気」とは、端的には、継続的または不可逆な「現実との接触の喪失
(loss ofcontact with reality)]である。すべての宗教信者に当て嵌まる。
「精神病の開祖の盲信」のなせる業である。
138:2013/10/07(月) 11:13:32.44 ID:J6+bnFK0
 
>> 八識についてはあまりよく調べたことがないので、よく分かりませんが
>> 阿頼耶識が世俗でいうところの真我なのか・・・ ってことは、ちょっとよく調べてみないと分かりません
>> もしかしたらそれも、「無常のその人を決定付ける存在」 なのかもしれません
>> ここのところは深く調べたことがないので、よく分かりません

> 唯識では阿頼耶識と五識のみで生きることがいいとされており
> そうすることで、阿頼耶識は仏の四智になる
> 真我ではない、世俗も関係ない
> 認識作用(働きである)が悟りの認識の作用(仏の四智)に変化する

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩
深層的な自我心(末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
煩悩障(自己に対する執着)
所知障(外界のものに対する執着)の
二種の障害を根絶することによって
阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
これがすなわち、汚れを離れた領域であり、思考を超越し
それを得たものは解脱身であり
仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)
139神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 11:17:10.32 ID:dXmjVM4K
プロテスタンティズムが資本主義を用意したというウェーバーの論理は受け入れなれないだろうかね
彼らの狂気が天職概念をもたらし、効率的に仕事を強いる社会を生み出したとされる
昔の人は勤勉だったというが、一部の学者はたしかに君の言う学究の信徒であったかもしれないが
ほとんどの人が牧歌的でおおらか、それでいて残酷で身分社会的な雰囲気の中でまどろんでいた。
そう考えれば、共産主義は資本主義の狂気に対する対極の狂気と言える
君も現代の狂気から無関係とは言えないんだよ
君がやっているのはむしろ、いじめられっ子をいじめることでいじめから逃れられていると勘違いしている共犯者であり
同時に、それが責められればなんでそんなことを自分がやっていたのか分からないほど、無知な状況の被害者なのさ
140基地にゃん♪:2013/10/07(月) 11:24:28.78 ID:wcwVKuRZ
産まれて来て生きて後は

死んで逝くだけにゃん♪

それ以上でも無くそれ以下

でも無いにゃん♪ ("⌒∇⌒")ノ
141神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 11:25:37.51 ID:OYHDc907
>>138
最高次元の「阿頼耶識」は、人間の「生命そのもの」だから、人間の生命を以って
対象化することは出来ない。勘違いも甚だしい。
142:2013/10/07(月) 11:34:54.92 ID:J6+bnFK0
 
> 異端外道だなあ。霊魂だなんて
> ワイの唯識学のクォリティー低いがガンバってみよう
> 唯識派の基本認識は、特定の人間しか見えないものは真実でないと排除する
> むろん霊魂が見える云々という外道思想も
> 唯識派は基本誰にでも説明可能な明確な認識作用を選択するらしい …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E5%B8%AB%E5%9C%B0%E8%AB%96
瑜伽師地論(ゆがしじろん)は唯識派の重要な文献

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
我愛と戯論(けろん)と善悪業によって → 中有が形成される ←
その中有が次に生まれるべき処を求めて母胎に入り
父母の精子が結合する時、中有が滅すると同時に生有が生じ
一切の種子たる阿頼耶識がこれに結合する

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)
1431/2:2013/10/07(月) 11:35:48.40 ID:hcykbnZo
>>117
> 『月をさす指が世俗諦であり、月が勝義諦で
仰ることはよくわかるのですが、
 *(たとえば別のフレーズで「月(お悟り)そのものを示すことはできないので、指で差して示すが如く、
  言葉で以て指し示す」というものもあります。
  どちらも、さきほど貴方が言われた如く、勝義(悟り・涅槃、教えのコア)を示す為のツール或いは方便として
  世俗の言葉(或いは譬喩ならば事象)はあるものでしょう。
しかし、それでは、「諦」(≒sacca)になりません。所詮虚妄なのですから。
示されているのは、視線の導き先は、常に勝義であり、またそれしかありません。
その場合の構図は「世俗方便:勝義諦」であり、「世俗諦:勝義諦」ではないのではありませんか?
たとえば、(少し中観的に言えば)
因果があり、業とその果報がある、というのが世俗諦(世俗の真理)なら、
因果も無く、業(作者)もなく又果(受者)も無し、が勝義諦(仏の視座に於ける真理)でしょう?
というか、こうした対比をしてこそ、「世俗諦:勝義諦」という表現の意味がある、と私は考えるからです。
 *(尤も、ここまで鋭利な聖俗の対比は中論や空観ベースの話で、
  上座部や初期仏教の聖俗の別は、明確ながらも、もっと柔らかいでしょうけれど。
  ちょうど>>136で出てきてますがw、Snダニヤの章の如くに・・・。)
1442/2:2013/10/07(月) 11:36:38.11 ID:hcykbnZo
>>117
> で、世俗において真とされることをいくら追求しても、それは世俗から一歩も出られないと
> 思うんですよね。
そうですね。
ですから、一連の遣り取りは、当然、「涅槃に資さないもの」であるのは確かでしょう。
本来は、毒矢の喩えが如く、ブラックボックスのまま捨置すべき所でしょう。
しかしながら、勝義の手前に、1クッション必要な場合は多々あると思いますし、
これは、業果という倫理道徳・作善不作悪の側面と直結する以上、避けて通れません。
倫理観の確立無しに、(或いは、縁起、空のしっかりとした理解無しに)、
「業(作者)無く、果(受者)無し」を言うのはリスクが大きいいでしょう。
そこではやはり、来世に於いても自業を自得するということが言われなければなりませんし、
なぜそうなのか、について、幾許かの解説は必要です。(特に、輪廻という世界観になじみが無い文化に於いては・・。)

> 「世俗の真理を一旦認めて、その上で勝義を示す・・・・」
まさにその通りと思いますよ。

> 「認めたうえで・・・」 というのは、やはりおかしいと思います。
> 認めて、否定する、というのは、 道理に合わないような気がします。
う〜ん・・・。
私は中論はテリトリー外なので何ともいえませんが、(24.8-10及び当該漢訳釈にあるように)、
認めることは必要でしょうし、ここでの「否定」は、
まさに貴方が、古層の「輪廻」表現について、或いは並川説について批判する際の
「そういう意味の“否定”ではない」ということではないでしょうか?

> 「世俗の立場に立って、 真理を指し示す・・」
というのは、勿論その通りで、それが、「教えが説かれること、姿」と思いますが、
それのみでは、やはりそこには勝義諦しかなく、二諦の意味が無いのではないかと私は考えます。
145神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 11:44:04.48 ID:OYHDc907
>>139
>資本主義の狂気

資本主義は自然発生の生存努力だから、狂気ではない。本来、生存に必要な
物資・サービスの購入手段に過ぎない貨幣そのものに「最大の価値」を認める
即ち「貨幣信仰」という倒錯に陥ったから、狂気化したのである。教典、開祖
盲信の宗教と同じ。

ウェーバーはクリスチャン。典型的な観念論。全く評価できない。彼に対しては、
強力な批判がある。
146神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 11:51:33.42 ID:OYHDc907
>>142
最初から論理矛盾している、時代遅れの経典など、いくら引用しても無意味。

現代人なら、現代人としての己の頭脳のみで考えること。
147神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 12:10:03.41 ID:dXmjVM4K
因果も無く、業(作者)もなく又果(受者)も無し

こうやって言葉で示すことが世俗諦じゃないっすか?直截に真実を表している。
でも、言葉で示してもそれは理解されないし、結局指を差す以上にはならない
148神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 12:13:13.28 ID:dXmjVM4K
>>145
じゃあ、ウェーバーが言っているように、正確に、近代資本主義と言うよw
149道元の修道論:2013/10/07(月) 14:57:15.04 ID:uzPICHpv
>>135
>現実の生存努力という「大修行」

仏法で問うのは『現実の生存努力』による苦しみ(貪・瞋・癡)とは何かであって、
『大修行』に伴う苦しみそのものを問題にしている。

ブッダが行なったのはコペルニクス的転回(いわば全動説)であって、
隠居はじめほとんどがコペルニクス以前の知見(天動説)に固執しているに過ぎない。

隠居の天動説は一種の宗教でしかないのである。
150神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 15:08:35.94 ID:hcykbnZo
やっぱり、そうかなぁ・・。>>147

『世俗に於いて(言葉によって)示される勝義』が世俗諦、と。

でも、だとしたら勝義諦って何?ってことになるわけで・・w
世俗でなければ、(言葉に依らないなら)、いったいどこでどのように示されるのか、と。
いや、示されないのかw
どこまで行っても、我々は世俗諦しか見ず(見えず)、その向こうの勝義に想いを馳せるだけ、と。

なるほどね・・。
或る意味、秘され、遂に面を表さず、深奥に横たわる勝義を示すための・・・・

そうすると、今度は「世俗諦」じゃないよなぁ・・w
勝義が種々の手段(方便)によって示されているだけで・・。

どちらにしても、そこでは「勝義諦=世俗諦」なんだよねぇ・・・。
151道元の修道論:2013/10/07(月) 15:10:49.60 ID:uzPICHpv
>>147
>因果も無く、業(作者)もなく又果(受者)も無し

ほぼ同意。
でも、勝義は(如)非相対非分別だから言語論そのものの撥無だから。
仏法は機能的には縁起の現実なのだから、「不落因果(勝義)」「不昧因果(還滅)」が当然だ。

>こうやって言葉で示すことが世俗諦じゃないっすか?直截に真実を表している。
>でも、言葉で示してもそれは理解されないし、結局指を差す以上にはならない

微妙で難解なところだが、道元曰く、
『得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられむずるとならふことなかれ。
 証究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも見成にあらず、見成これ何必なり。』(道元 現成公案 十一段 現成と見成)

#(大滝秀治 訳) 悟りは必ず、自ら知的論理的に理解できるのだ、と学んではいけない。
          修証道によりあるがままの様相は現出しているのであるが、
          必ずしも、そのままに気づくわけではない。
          あるがままは、必ずしも気づけるわけではないのだ。

*都々逸の比喩で言えば、菩提心凡夫にとって
『気配はすれども姿は見えず、ほんにお前(あるがまま)は屁のような』かなw
 
<説似一物即不中>
  
152神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 15:14:29.73 ID:OYHDc907
>>149
世俗からのコペルニクス的転回を「狂気」と呼ぶのだよw。

健常者は、生存努力に伴う苦しみを、極端には苦にしない。「苦あれば楽あり、
楽あれば苦あり」という「真理」を既に悟っているからである。従って、どんなに
苦しい人々でも、ささやかな楽を見出し、笑いさざめいているではないか。

宗教とは、開祖の精神病の感染という、精神医学的現象以外の何物でもない
ことを、自覚するよう努力されたし。
153神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 15:43:32.51 ID:EdNDSMYn
>>150
いや、勝義は我々が月を見ることでは?
言葉は別に月を見る行為ではないでしょ
154道元の修道論:2013/10/07(月) 15:46:16.32 ID:uzPICHpv
>>152
>世俗からのコペルニクス的転回を「狂気」と呼ぶのだよw。

隠居の言説は、当時のローマカトリックのコペルニクスやガレリオへの非難と同じだな。
さすがにお里が知れるw

それでも、一切は動く(一切行無常)。

一切が無常ならば、無常そのものが観念できない。一切が黒ならば、色の観念がない。
矛盾(無常⇔恒常、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて無常があり、黒がある。

一切が恒常ならば、恒常そのものが観念できない。一切が白ならば、色の観念がない。
矛盾(無常⇔恒常、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて恒常があり、白がある。

その意味で、一切行無常は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。

これを煩悩即菩提(即煩悩即菩提)といふ。
還滅(間接)現実の様相である。
直接現実の如きにては非煩悩非菩提と示唆しうる。

一切は中道である。
155道元の修道論154:2013/10/07(月) 15:53:44.50 ID:uzPICHpv
直接現実の如きにては、非無常非恒常とも示唆しうる。

縁起の直接現実に意味、価値、実体、相、矛盾、分別はない(非有非無の如し)。
156神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 16:00:43.07 ID:EdNDSMYn
むう、自分はまず感覚的に仏教を把握しているので
いちいち文字化するのがやはり苦手だ
俺は、仏教では「信じる」をすすめていないと言いながら、同時に信じるという言葉を使いがちになる
俺が言いたいのはだね、おまえらバカだからとりあえず信じろとか、盲信とかいうのではなくて
仏教で言う、「信じる」は「許容」に近いのではないかと思う。
俺自身、輪廻転生は信じていない。でも、一応、俺が真宗の安心をいただく上でそれらを判断の留保として
受け入れてきたのは確かで、弥陀の本願も信じている、というよりは許容している
なぜなら、それが言わんとしていることが分かるから。
輪廻も同様。それは実証不可能であり、人間には真実であるかどうか分からない。
だから、俺には信じられない。だが、証果とよべるものを得るために、それらは方便として必要だと分かるし
分かったあとであっても、それは必要だったと許容できる。だから他人の前ではそれが間違っていると言うことは
避けるべきであると思うし、むしろ証果をうるためにその人らはまず判断の留保をして受け入れるべきだと思う。
そういう意味において信じるべきだと言っている。ということかな。
過程(プロセス)においては判断の留保であり、証果の後には許容である。
よって、その方便は解釈しうるものでなければならないと言える、ということになる、と思われる。
157パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/07(月) 16:07:29.35 ID:e+4TvqNE
>>150 ほとんど、語彙の定義の話だと思うがww

例えば、「月と指」の話など、「勝義」を世俗のツールを用いて解説したってことで
あって、それを「世俗諦」っていうのか?ww

「世俗諦」という語彙の指示するところは、もっと一般的な「この現世において
正しいとされている真理」みたいな捉え方でいいんじゃねえの?
つまり、俗世間における「価値体系」みたいなw
・・・・・例えば、「殺人はいけません」みたいなww  これは、世俗においては
「真理」でしょ?w
でも、勝義視点では、「良いも悪いもねえ」www

違うのか?www
158神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 16:30:53.85 ID:EdNDSMYn
あと、知れば知るほど、キリスト教もどうかなと思うんだよね
予定説には共感できるものではあるが、それは相当信仰が極まっている人が語る極意に対してのみなんだよな
多くのキリスト教徒は、たとえばファンだメンタリストだとか、そこらのいわゆる信者さんたちとは
会話が成立しないことが多い。彼らは理智的じゃないもんで。
キリスト教の神は、ユダヤやイスラムほど厳格な神ではないが
それらの系譜を引いていることもあって、盲信を強いるんだよね
それもそのはずで、神に従わなければ地獄行きと脅されるからなんだよ
ああ、キリスト教に実は地獄はなくて、正確には神の国で永遠の生を得られず、永遠の死を受けることらしいんだけど。
とにかく、神が何よりも先立っていて、倫理はあとづけなんだよ
倫理が先にある、仏教とは相容れない。
弥陀の場合は、こちらが助けてくれって動機ではじまるわけだが、
助からない理由は自分に因果上の原因があるわけ。
弥陀の方は、頭を下げてたのむからおまえを助けさせてくれって言っているわけなんだよね
(キリスト教では助からない理由も神が決めている)
で、弥陀に助けてもらうには念仏と信心が必要なわけだが
人間は念仏、(真宗ではその段階では名号と言うが)、それをとなえただけでは
とても助かるとは信じきれないんだよ。だから、その信じきれなくさせている自分の疑情というものをどうやって取り去るかの
問題になるんだけど、解決のために悪戦苦闘していくうちに、自分の我欲に気づかされていくプロセスを歩まされるってわけ。
常に上から目線のキリスト教とはちがうし、信じなかったからと言って地獄に行くわけでもない。もともと六道輪廻だし。
異教徒はみんな死ねやって感じとか、そのへん、キリスト教ってなんなんだろうなって思うんだよなあ
まあ、早い話が、宗教の前提がちがうから、まったくちがう論理になるというだけなのかもしれないがさ
159神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 16:37:52.22 ID:EdNDSMYn
予定説も、サクラメントや免罪符(一種の呪術)、あるいは聖職者の戒律、本来聖書にはそんなもので
助かるとは書いてないらしいんだけど、それを歴史の中で肯定的にもちいはじめたカトリックに対する批判としてあるだけなんだよね
歴史的には。そこもどこまで共感してよいやらという気分にさせる理由の一つだわ
160神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 16:38:40.63 ID:EdNDSMYn
すまん、なんかスレちがいだわw
161神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 16:45:58.17 ID:EdNDSMYn
>>157
俺的には方便も含めて、世俗諦だと思うが。
162神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:01:59.28 ID:EdNDSMYn
仏教て、むちゃくちゃ経典あるから、正典がない、あるいは各宗派で異なる、ということになるわけだが(大乗ではとくに)
中国に入ってからは教相判釈、いわゆる教判てやつができて、他の経典は方便と言われることが多いんだけど
方便にも権仮方便と善巧方便とがあって、彼岸への乗り物として象徴されているところの方便は善巧方便の方だと思われる。
163神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:03:28.58 ID:hcykbnZo
>>157
>違うのか?

いや・・違わないんだけどさ・・・(^^;



>>160
そこから、仏教(或いは真宗)とキ教との根本的な「構造的差異、或いは類似」について話が広がれば、
十分、このスレ的w
164基地にゃん♪:2013/10/07(月) 17:32:09.39 ID:wcwVKuRZ
仏教を哲学にして

誰特にゃん? (;¬_¬)ノ
165神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:43:18.72 ID:DK+ewFIP
方便って結局、自分の気に入らない経典や経典の部分を貶めるレッテル貼りに過ぎないのがなんとも
166神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:49:27.25 ID:EdNDSMYn
仏教の「信じる」という作法を日本人はけっこう無意識に了解していると俺は思うんだよねえ
よく、戦後、アメリカ人が、日本人が戦争をおこした原因は天皇信仰にあるらしい
だから、天皇は神の子孫ではなく、単なる人間だと思わせれば、日本を解体できると思って
自分らでも信じていない進化論を教えようとしたところ、日本人がみな当たり前に教養として知っていて
驚いたというエピソードが語られることあるじゃん。
このエピソードを日本人は科学的な思考が実はできないという逸話として語る人がいるけど
その人はキリスト教的な見方で語っているように思えるんだよね
でも、日本人が日本神話を信じているというのも、やはり許容的なあり方であって
それは自分たちの国(共同体)がとも共有している団結の歴史の一表現としてのあり方だと思うんだよね
つまり、倫理が先にあって、その後付として神話があるわけだよ
でも、神がすべてに先立っている人たちにとってはそれが理解できなかった、そういうことじゃないかなと思うんだが
どうだろう?
167神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:50:04.99 ID:EdNDSMYn
仏教の「信じる」という作法を日本人はけっこう無意識に了解していると俺は思うんだよねえ
よく、戦後、アメリカ人が、日本人が戦争をおこした原因は天皇信仰にあるらしい
だから、天皇は神の子孫ではなく、単なる人間だと思わせれば、日本を解体できると思って
自分らでも信じていない進化論を教えようとしたところ、日本人がみな当たり前に教養として知っていて
驚いたというエピソードが語られることあるじゃん。
このエピソードを日本人は科学的な思考が実はできないという逸話として語る人がいるけど
その人はキリスト教的な見方で語っているように思えるんだよね
でも、日本人が日本神話を信じているというのも、やはり許容的なあり方であって
それは自分たちの国(共同体)がとも共有している団結の歴史の一表現としてのあり方だと思うんだよね
つまり、倫理が先にあって、その後付として神話があるわけだよ
でも、神がすべてに先立っている人たちにとってはそれが理解できなかった、そういうことじゃないかなと思うんだが
どうだろう?
168神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:51:00.01 ID:EdNDSMYn
大事なことなので・・・・、すまんうちのjaneのやつが勝手に・・・
169神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:54:38.81 ID:DK+ewFIP
陰謀論は別スレでどうぞ
日本解体どころか、それを抑えて自分達の味方につけるために日本人自身じゃできなかった改革をまとめてやってくれたじゃん
こうやって自由に意見表明すること事態、そのアメリカの恩恵だぞ
170神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:58:09.97 ID:EdNDSMYn
これ山本七平ってユダヤ人騙ったオッサンの話らしい
陰謀論でも別に構わんが、俺が言いたいのは陰謀論が正しいというところじゃないよ
171神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 17:58:26.94 ID:hcykbnZo
>>169
どこの誰が陰謀論を書き込んでんだよwww

他所のスレから誤爆してんじゃねーのか?w
172神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:01:50.92 ID:ceFByDj4
>>169
まあいいじゃないか。スルーしたらいい。
自分の考えに合わないからと、すぐに拒絶反応を起こしたらあかん。
このスレには根っからの悪人はいないと思う。
 
173神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:06:15.85 ID:Pcx609a+
テスト
174神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:08:47.11 ID:ceFByDj4
>>167
倫理と言うより、日本人の根底は霊魂信仰だと思うな。
たぶんアニミズムだよね。
175神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:14:44.55 ID:G5XqeutH
>>157
>「勝義」を世俗のツールを用いて解説したってことで

「ツール」という言葉は、やはり「言語習慣」という言葉に捉われている。
「説示」という以上、言語に決まっている。言語習慣などと言ったら、類語反復
になる。

「言語」とは、まさに「世俗習慣」の集合体。世俗が納得済みのこと。
だから、「言語習慣=世俗的なこと」となる。「言語習慣でしか、説示できない」
ということは、「内容的にも、世俗を一歩も踏み出してはならない」ということ。
踏み出せば、世俗は納得しないから、「説示」の機能は果たせない。
176神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:15:21.29 ID:ceFByDj4
空海も最澄も日本人のアニミズムに接近している。
 
山川草木悉有仏性はそれだよね。
177神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:18:51.93 ID:EdNDSMYn
しかし、どうなんだろうね、トルコは世俗化がかなり進んできているけど
一神教の国が他宗教国家と仲良くできるということはありうるんだろうか?
俺はキリスト教と仏教を同じ論理で語ろうとすることは好きではない
論理こそが大切だと思うから。
つまり、キリスト教やイスラム教、それぞれの宗教の論理を尊重したほうがいいと思うのだが
(当然、同じ仏教内の宗派間でもその教理を尊重すべき)
争いに宗教を利用される論理を克服する努力は求めたいところだよ
まあ、争いは利害が対立すれば避けられないことなのは当然であるが。
みなごろし思想とかはやめてほしいわ、
いまのところ、そいつは人権概念が回避しているのだが、それもなんか暴走気味だよね
178神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:21:38.67 ID:YAdvIDLk
>>120
人間、植物、動物と大雑把な分類ですが、猫から犬に転生はしますか?アサガオから屋久杉に転生はしますか?
猫は猫、アサガオはアサガオでしょうか?
179神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:25:03.63 ID:ceFByDj4
>>177
何年先になるかわからないが、神を知る人間が増えれば争いは終わる。
問題は、どうやったら神を知り、自分を知ることができるのか、
という所にあると思う。
180神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:27:58.85 ID:EdNDSMYn
なんだか論点先取だね
181基地にゃん♪:2013/10/07(月) 18:28:43.56 ID:wcwVKuRZ
>>178
男らしく無い生き方をすると

女に生まれ変わって、女らし

く生きると獣か虫けらに生ま

れ変わるにゃん♪ \(^o^)/
182神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:30:38.18 ID:G5XqeutH
>>157
>でも、勝義視点では、「良いも悪いもねえ」www

勝義でも、善悪をさかんに語っているw。

「善悪」とは、共同体における共生のための「技術概念」である。「価値概念」
ではない。人間が独りで生きているのなら、「善悪概念」など生じない。
183神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:40:33.92 ID:EdNDSMYn
>>182
多数者間のいわゆる倫理は存在しなくなるけど
ヤリすぎると、死が早まるし、それは悪じゃね?節制はしないと
184神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:40:43.42 ID:G5XqeutH
宗教の開祖たちは「善悪」をさかんに語るが、それを定義できた者は皆無である。
自分でも意味の判らない言葉(記号)に自己陶酔していただけ。

開祖たちに代わって、私は、「善悪」を次のように定義する。

「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」。
「行為」であることが重要。共同体では、「内心の意思」など問題には
ならない。
185基地にゃん♪:2013/10/07(月) 18:46:04.48 ID:wcwVKuRZ
>>157

悪魔が言う事を誰が

信じるにゃん? (;¬_¬)ノ
186神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 18:48:39.85 ID:YAdvIDLk
なんか数日前に戻ったような話が出てますね。
善悪は人間が人間のために作った概念です。
人間が発展する方向ならば善、人間の発展にブレーキをかけるものなら悪。
行為だけでなく内心の思いに対しても善悪の判断は下される。
187神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 19:02:08.97 ID:EdNDSMYn
>>184
そうかな?
労働は生存を助けるが、苦しい
単純に快不快で分けたほうがいいが
つーか、善因楽果、悪因苦果と言った場合
楽苦から逆算的に善悪が導かれると思うのだが
ただ、個人的な快楽がそのまま全体の快楽にはつながらないから
そのときに、倫理的な善悪のベクトルが働いて
飛び道具的に苦果がテキメンすることもある危険がつきまとう
それが、没して没しをはりて還りて出づ、出でをはりて還りて没すというところ
188神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 19:53:52.59 ID:G5XqeutH
>>186
>善悪は人間が人間のために作った概念です。
当たり前。神でも仏でも閻魔大王でもない。

>人間が発展する方向ならば善、人間の発展にブレーキをかけるものなら悪。
「人間の発展」とは何?意味不明。
189神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 19:56:23.34 ID:G5XqeutH
>>188の続き
>>186

>行為だけでなく内心の思いに対しても善悪の判断は下される。
共同体においては、他人の内心の思いなど誰にも判らないから、知ったことではない。
あくまで、他者に対する行為として表現された場合にのみ問題になる。
イエスの「淫らな気持ちで女を見たら、姦淫の罪になる。目玉くり抜かれる」は誤り。
「殺したい」と思っただけで、殺人罪になってしまう。倫理道徳とは、共生のために、他者
(他我)を害する気持ちを「行為」に表わすことを抑制すること。
190神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 20:06:30.42 ID:YAdvIDLk
人間の発展とは経済的発展、文化的発展、精神的発展〜全てを含んだものです。
思いだけでは善悪は判断付かない〜というのはもっともです。思うだけではいくら
よこしまな思いを抱こうが善悪で他人からは判断されない。しかし、それを見ている
自分は騙せません。自分がよこしまな悪を思い描き、それを自分で認識していれば
自分で自分を悪と判断する事になります。脳の障害で認識不可能であればこの限り
ではありません。
191神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 20:06:36.13 ID:G5XqeutH
>>187
意味不明。定義をよーく読んでくれ。

自分の苦楽なら、自分が一番よく判る。他者の生存を助けた時の喜びが最も大きい。
「苦労が報われた」というではないか。

他人の苦楽は判らない。状況によって変わる。「女心と秋の空」w。
192基地にゃん♪:2013/10/07(月) 20:15:03.60 ID:wcwVKuRZ
悪魔が作ったこの生き地獄に

楽など存在しないにゃん♪

火責めから水責めに変わる

迄のタイムラグを楽と錯覚

しているだけにゃん♪

この世界は火宅にゃん♪

(;¬_¬)ノ (;¬_¬)ノ (;¬_¬)ノ
193神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 21:24:25.82 ID:pHM2QXYh
難しい話題にはついていけんわ
心とは環境適応し生きようとする生命と定義するなら
ウイルスにもアリにも心はあるんだろうか
194神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 21:30:02.35 ID:YAdvIDLk
ある
195神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 21:32:53.93 ID:YAdvIDLk
そして伝統仏教ではそれらにも輪廻転生しうると。
前世がインフルエンザウイルスで今世がたまたま人間で来世は大腸菌〜という世界は大いにありうる〜という世界らしい。
そのような世界を認める認めないは個々人それぞれです。認めない人間は仏教を語る資格なし〜とは言われません。
196神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 21:35:48.56 ID:ceFByDj4
>>98
>輪廻に無記だったら、おそらく悪業をつくるような輩が増えまくった
   
今の日本がそうだが、輪廻を信じなくても国家秩序は維持できる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、輪廻に関して積極的に言及しない。
それでも国家宗教として機能してきたよ。
 
釈迦もカーストを否定することで間接的に輪廻を否定している。
螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのではない。
生まれによってバラモンなのでもない。真実と理法を守る人は、安楽である。
かれこそ(真の)バラモンなのである。〜真理の言葉 393
197193:2013/10/07(月) 21:37:11.23 ID:9JTPbpH+
なんで神は不必要なものまでつくられたのか
それか進化の過程なら
行き着く先はなんだね
198神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 21:39:19.36 ID:YAdvIDLk
「不必要」という言葉自体誰の為の言葉か?
現在の人間にとって必要が無ければ「不必要」か?
人間中心思想を捨てる事が最も大事。
199神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 21:51:13.17 ID:ceFByDj4
>>124 宝珠@神智学徒
> 何故ならば、「輪廻転生」を認めなければ、
>あらゆるすべての仏教教理が成立しなくなるからです。
>困難な仏道修行の生涯を過ごすことの意義すらなくなる。
>苦の滅も、自殺すれば済むことだという論理矛盾すら回避できない。
 
縁起や四諦八正道は輪廻転生とは無関係だよね。
輪廻には現実性がなく、仏道修行の原動力にはならない。
苦を原因とした自殺は日常的にあり、別に論理矛盾ではない。
200神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 22:53:03.00 ID:iq4Q+nIh
>>104
>釈迦が輪廻業報などないと説いたならば、たちまち多くのバラモンとの
>間に論争が起こることを釈迦は分かっており、そのためにそれについては
>「無記」とした。

これは説得力がないですね。
ブッダは常住のアートマン説に対して、 ハッキリと、 「愚かな教え」 といっています。
当時主流の常住アートマンを、堂々と否定してます。
そもそも 「無我」 というのが、それですよね・・・?
もし、ブッダが本当に争いを避けようとするなら、 「無我」 もまた、 「無記」 としなければなりません。
「無記」 というのは、修行者が余計な捉われを起こさせない・・・ということであって、 当時の思想との対立を避けるため・・・ じゃありません。
201神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 23:06:52.45 ID:iq4Q+nIh
>>118
自立論証派って、 結局、自性を認めてるんですよね?
まるで説一切有部みたいに。
結局、どうしても現存物に空を認められない人が、 釈迦の無我と、無理やりつじつまを合わせようとすると、
こうなると思います。
そういう人は昔にもいたし、 現在にもいると思います。
一番基本の諸法無我を勘違いしちゃってるから、 それはもう仏教じゃないですよね。  
202神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 23:14:27.22 ID:YAdvIDLk
>>200
>これは説得力がないですね。
そうでしょうか?
私は最も説得力のある説だと思います。
「無我」は重要度の高い教えで「輪廻」は方便で使うだけ〜というのは確からしい想定です。
無記というのは結論の出ない問題で、問題の提起自体無意味〜だから無記なのです。
修行僧が余計な捉われを起こさせない〜等ではありません。
203神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 23:19:49.61 ID:EdNDSMYn
>>201
自性みとめてないですよ
世俗諦ではみとめるという話です。
つまり、当時、インドでは論証形式というのがあって
その形式にのっとって空を論証しようとしたのが彼らです。
インドではその論証形式にのっとらないと説得に応じてもらえなかったんですよ
だから、世俗に合わせるために実世俗を認めようってなったんです。
それもひとつの慈悲の発動だったんですよ
204基地にゃん♪:2013/10/07(月) 23:22:50.26 ID:ueBTqa2C
哲学が好きならプラトンでも

学べば良いのにね!仏教は哲

学じゃ無くてよ。 (´д`)
205神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 23:44:37.06 ID:hcykbnZo
>>204
哲学的な側面を持つってだけだが、何が言いたいんだ?

空腹を満たすだけなら、料理に工夫や味付け要らねーよw



名前変えやがってw 前の名前はNGぶち込んであるのに。
このコテもNG追加しとくわ。
206パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/07(月) 23:52:05.41 ID:e+4TvqNE
>>200 wwwwwwwwwww は〜〜〜〜〜〜??   
>これは説得力がないですね。

何が?www

>ブッダは常住のアートマン説に対して、 ハッキリと、 「愚かな教え」 といっています。

あったりまえじゃんww  「無我」という釈迦の根本教説と真反対の「アートマン」など
認めるわけ無いでしょ?  そこは、はっきりとそんなもんは無いと言うに決まってるじゃんww
諸法無我 は、根幹教説でしょ?  「常住の我」はありますか?  と問われれば「ない」というに
決まっとろうがww  そこは絶対にはずせないとこでしょ?  そこで「アートマンはある」なんて
言おうものなら仏教が崩壊だよwww

もう、その時点でバラモンの「アートマン輪廻業報論」に反対のスタンスであることは、はっきり
してるのww     そこから、さらに発展させて、「業論」まで否定したらどうなるの?w
当時の民衆、特に低カーストの者たちはバラモンの教えを信じて、来世により良い境遇に生まれ
変わることを信じて現在の悲惨な境遇に耐えていた者たちも多かったわけだwww
そういう人たに「輪廻業報」なんてウソですよ、とあえて言う必要があるか?
反発喰らうだけで、はなから一切、話を聞こうともしなくなるのがオチでしょ?ww

釈迦にとって、何より重要だったのは「無我」を了解させることw
それによって、現在の苦を滅することw
・・・・・その障害となるアートマンについては、はっきりと否定的スタンスを示す必要が
あるが、それ以外の事項については、それが論争を引き起こして修行の妨げになる可能性が
あるなら、沈黙を是としたw・・・・・・十分、有り得るんだがww

毒矢の喩えにあるとおり、釈迦は「今、何が重要なのか?」を常に意識する人であり、
最古層文献にも繰り返し、「論争するな」と説示されてるところを見ると、こういう推測も
十分、ありえるんだがwwww 
207神も仏も名無しさん:2013/10/07(月) 23:53:32.16 ID:iq4Q+nIh
>>127
釈迦が悟ったかどうかは誰にも分かりませんよね。
問題は、信じるか、信じないか、 悟ったと洞察するか、しないか、 だと思います。
で私は、 「釈迦は悟った」 と、洞察し、信じます。


>「いくら悪をやっても、ちょっと善をやれば大丈夫」「いくら善を
>やっても、ちょっと悪をやればダメ」。

こういうことじゃないと思いますよ。
善をやれば悪が帳消しになる・・・ ってことじゃないですよね? 「善因善果」・・ってのは。
二つセットなんですよ。
「善因善果」 と、「悪因悪果」 は。
どちらか一方だけ出るってことじゃない。
208神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:06:06.87 ID:eXuqwWdY
>で私は、 「釈迦は悟った」 と、洞察し、信じます。

仏教徒なら当然です 私も仏教徒
悟るとはなんだろう
209神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:11:51.48 ID:tXipaQKH
善因善果悪因悪果はそのとおりです。
しかし、自らの努力が100%自らが望むように報われるかといえばNOです。
世の中は、こうすればあーなる〜なんて固定したものではない。流動的で非確実性です。
で、輪廻転生はその流動的な世界に固定的な世界を押し付けたいのですか?
これこそが真実で道徳上大事な概念である〜と。
そんな人間中心的な思い込みは妄想です。
210神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:13:49.22 ID:UG5jUAXg
>>138
>末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

そして、

> 阿頼耶識が変化を起こす(転識得智=てんじきとくち)
>それを得たものは解脱身であり
>仏陀の法と呼ばれるものである(大円鏡智=だいえんきょうち)

ということであれば、 第七識を滅することによって、ようやく真の行に入ることができ、
その結果、第八識が変化して、 悟りの境地になる・・・・ ってことで、
第八識を超えることが、解脱・・・・とも取れますね。
211神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:16:13.85 ID:tXipaQKH
7でも8でも構いませんが、これが6でこれが7でこれが8〜なんて数えているのですか?w
阿呆らしい世界観ですねえ。
212神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:34:02.34 ID:UG5jUAXg
>>143
>その場合の構図は「世俗方便:勝義諦」であり、「世俗諦:勝義諦」ではないのではありませんか?

ここでいう、「世俗方便」 だけでは、言葉不足だと思います。
「世俗方便で真理を指す・・・」  もちろん、 この「指す」というのは、
そのまま真理を現す(示す)ということじゃありません。
真理は世俗の言葉では現すことは出来ません。   それが、勝義諦ということになると思います。
この『諦』というのは、真理であっても、 世俗か、勝義かの、 条件が付けられてるわけですよね?
「世俗諦」・・というのは、 世俗の視点から見た真理であって、
「勝義諦」・・というのは、 勝義の視点から見た真理ということで、
どちらも、それぞれの立場から見た真理・・・という意味では、同義だと思います。
「因果も無く、業(作者)もなく又果(受者)も無し」  というのが、勝義の視点から見た真理ならば、
「因果があり、業とその果報がある、そしてそれらは実体の無いものである」 というのが、
世俗の視点で見た真理・・・ ということになると思います。
両方とも同じ真理を見ているという意味では、同じです。
それは例えば、 富士山の頂上にいて、頂上を見るのと、 五合目から頂上を見るのと、
どちらも同じ頂上を見ているが、 視点、立ち位置が違う・・・というのと同じことです。
世俗の立ち位置のままに、 頂上を見上げなければ、 いつまで経っても五合目のままです。
213神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:36:08.08 ID:vzY9W+OQ
>>212
解ってんじゃんw
どこに問題があったのさ?w
214神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:36:19.26 ID:tXipaQKH
>>212
もっと簡潔にあなたの言いたい事をまとめてくれませんか?
短く短く〜
215神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:38:34.33 ID:c8BQQG4/
>>207
>善をやれば悪が帳消しになる・・・ ってことじゃないですよね?

ならば、一度悪を行なった者の厚生を否定するわけだね。それでは「道徳律」
として全く無意味。むしろ有害。論理はもはや滅茶苦茶。

李稲転生は「善悪二分法」のはず。
216神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:47:00.68 ID:vzY9W+OQ
あ、と思ったら、余分な言い回しを付加しとるやんw

>>212
>「因果も無く、業(作者)もなく又果(受者)も無し」  というのが、勝義の視点から見た真理ならば、
>「因果があり、業とその果報がある、そしてそれらは実体の無いものである」 というのが
これ、おかしいでしょw

それだと両方とも勝義(諦)なの。
そこでの対比に於ける後者は、
 >「因果があり、業とその果報がある、そしてそれらは実体の無いものである」
ではなくて
 >「因果があり、業とその果報がある」 で止まっていなければなりません。
何となれば、後段『 >そしてそれらは実体の無いものである 』は、まぎれもなく勝義(諦)だからです。

同様に、最初2行も、余分な台詞がついちゃってるのです。
『 >「世俗方便で真理を指す・・・」 』は、そのまま、というかw、それこそが『方便』なのです。
少しざっくり言えば、《世俗の言葉や事象で真理を匂わせる(示す)》のも《方便》の一つでしょう?

ですから、最初の私の書き方も冗長なのです。本来は
>その場合の構図は「世俗方便:勝義諦」であり
ではなく、
『 その場合の構図は「方便:勝義諦」であり、・・・・・・ 』
で良かったのかもしれませんw
217神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:48:01.39 ID:c8BQQG4/
>>215の訂正
×李稲転生
○輪廻転生
218佳子様にゃん♪:2013/10/08(火) 00:48:34.87 ID:rolF/DkJ
>>205

器の小さい詰まらない男ね!

カルト宗教の信者かしら?
219佳子様にゃん♪:2013/10/08(火) 00:52:13.85 ID:rolF/DkJ
毒矢が刺さっているのに、何

処から飛んで来たとか材質は

何だとか言っている間に死ん

でしまうわよ!バカ丸出しね!
220神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:54:34.84 ID:vzY9W+OQ
>>219
だったら、炊かずに生のまま米食っとけw
221神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:55:42.65 ID:tXipaQKH
>>219
あんたのその書き方が馬鹿っぽいんですけど?
にゃんは良いんですが、もっと真面目に書いた方が分かりやすくて良いと思いますよ。
222神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:56:27.75 ID:WLX7DfJb
今、日本に台風24合が接近してるだろ
台風がある、といっても、「台風物質」なるものがあるわけではない。
物質的に有るのはあくまでも空気で、台風はその流れという現象として、
それも、太陽熱や海流なんかの直接的、間接的要因によって一時的に存在しているわけだ
(色即是空 空即是色、因縁生起)

やがて、台風は台風ではなくなる。
台風24号と呼ばれていた一連の待機的現象の系が、熱帯低気圧に変化したとしよう
この場合、台風の台風たる主体(自性)がないから熱帯低気圧と断絶してるというだろうか?
無我でも輪廻してる、台風主体なるものが存在しなくても現象としてつながってるといえるんじゃないか
223神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 00:59:06.09 ID:vzY9W+OQ
>>219
ああ、それとも、
こうした議論してる人間は、料理だけして自分は食べないとでも思ってんのかね?w

んなわけーねーだろw
てめぇが見てる部分が、たまたま哲学的な話の部分であるだけで、
人生すべてがそれだと思ったら大間違いだw
所詮2chの議論板で何言ってんだか・・・ ┐(´ー`)┌


それとも、君にとっての世界は、この議論スレだけなのかい?



自分で自分にマジレス乙と言っておこうw
224神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:01:58.27 ID:vzY9W+OQ
>>222
冗談のような話になるがw、
その熱帯性低気圧に、台風時代の被害の責任を追及できるかどうかだな。
(これは、人間でも同じだが・・・。尤も、時効ってのがあるようだが・・w)
225パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/08(火) 01:06:15.44 ID:Fc0mlKHW
輪廻業報支持者の大半は、その現象的連鎖のみに注目して、「業の引き受けてたる基体性」
には、殆ど触れようとしないwwww

あえて、見えないフリしてるのか?wwww
226神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:15:43.44 ID:UG5jUAXg
>>144
まず、言葉の問題だと思います。
「諦」 とは 「真理」 のことですよね。
「真理」 とは、一つしかないと思います。
仏教的に言えば、 「諸行無常」 とか、「無我」とか、 そういう仏教の真理のことです。
目指すべき一番のもの・・・、 もっとも正しいもの・・・ということだと思います。
で、 「世俗の真理」 というとき、この言葉は矛盾しているように感じます。
「真理」に「世俗」も「勝義」もへったくれもないような気がするんですね。

>(或いは、縁起、空のしっかりとした理解無しに)、
> 倫理観の確立無しに、(或いは、縁起、空のしっかりとした理解無しに)、
倫理観の確立無しに、(或いは、縁起、空のしっかりとした理解無しに)、
「業(作者)無く、果(受者)無し」を言うのはリスクが大きいいでしょう。

まさにこれが、二諦の必要とするところじゃないですか?
「業(作者)無く、果(受者)無し」 と言われても、世俗には何のことか分かりません。
そこで、空や縁起・・・といった、世俗の言葉を用いた教えになってくるわけです。
この現象世界には、業果があるが、それもまた無我である・・・と、空や縁起を世俗的に説明するのです。
別に業果を否定しているわけではありません。
言ってることは同じですよね。
「業果無し」 だと、いきなり頂上ですよね。
「迷いがあるから業果の世界を輪廻するんだ・・・・  迷いの世界に実体は無いんだ・・・・」 というのが、
世俗の立ち位置から、頂上を指してる・・・・ってことですよね。
どちらも言ってることは同じです。
だから、倫理観の崩壊には、つながらないと思います。
迷いがあるうちは、業果の影響をモロに受けるわけですから。

「世俗の立場に立って、 真理を指し示す」 =  勝義諦  ・・・じゃないと思います。
「世俗の立場」 に立った時点で、 「勝義」 ではなくなると思います。
喩えて言うなら、 五合目に立った時点で、 頂上そのまま(勝義)とは、いえないです。
227神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:15:44.02 ID:tXipaQKH
自分の業が永遠と続く〜
なんかホラー物語のような感じがしますねえw
228神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:31:18.33 ID:UG5jUAXg
>>202
もし輪廻が無いとするならば、 無我の重要度が高ければ高いほど、
常住のアートマンを設定しかねない、輪廻の話は敬遠されると思います。

>問題の提起自体無意味〜だから無記なのです

もしそうだとするならば、極端な話、 「我があるのか、無いのか」 というのも無意味です。
「無我」もまた、 「無記」 としなければなりません。
勝義一本でいくなら、すべてが 「無記」 です。
あるいは、 「それも無く、それも無く、それも無く、・・・」 です。
229神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:36:16.42 ID:vzY9W+OQ
>>226
>「世俗の真理」 というとき、この言葉は矛盾して

私もそう思いますよw
実際、二諦が言われるのは中論以降と見ていいと思いますし。(ちょっと不確かw)
それ以前は、「(聖)諦」「sacca」と言えば『四諦』(及び三法印)(と『涅槃』)しかないのですから。
 *ですから、私個人は、「勝義:世俗」「勝義諦:世俗」という言い方はよくしますが、
  世俗諦という言い方は、自分の中でも場面が限られているような気がします。
しかしながら、
世俗の在り様は世俗の在り様として、それ以外に無い真の在り様や価値体系を有します。
(ここは物凄く重要ですがw)、
逃亡中にお悟りを開いた大悪党に刑罰を与えるのは、
勝義に於いて是か非か?世俗に於いて是か非か?と。
ここで、「刑罰を与えるべき」というのは紛れもなく世俗諦です。
そして、
いや、全てを懺悔し、全てが改まり、聖者として新生しているのだから、
もはや過去の罪を問うべきではない、(それこそ、業の作者も果の受者も居ないのだから)というのが勝義です。
どちらも一緒(のことを言っている、などと軽々しく言うことはできません。)
230神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:38:45.70 ID:tXipaQKH
>>228
私は「無我」を想像する事ができます。
いかにも、その通りであろうと思います。
一方、「輪廻」を想像する事が出来ません。

この両者の違いは、論理的に説明が出来るか否かという事です。
我が無いのは論理的に説明可能です。
輪廻の実在は論理的に説明不可能です。
論理的に説明できないものを無記とするのは当然です。
妄想を語るよりはるかにマシです。
231:2013/10/08(火) 01:41:39.22 ID:hSsc6a7D
 
>> 自立論証派って、 結局、自性を認めてるんですよね?

> 自性みとめてないですよ
> 世俗諦ではみとめるという話です

チベット ゲルク派の場合は
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

自立論証派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」

という自相を → 世俗の次元では承認します ←

熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

 − これに対して −

帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
232神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:45:12.12 ID:UG5jUAXg
>>203
いや、私にはそうは思えませんね。
一方の世界では空と認め、 もう一方の世界では自性を認める・・・・ってことをやったと思います。
つまり、世界を二つに分けて、 それぞれの世界で別々の真理を作った。
これはどうしても、 現象世界が空だとは思えなかった・・・ ということだと思います。
今ここにある実体は、その実体として、確かに存在しているものではないが、それを擁立している何かがあるはずだ・・・
その何かこそ、まさに 「自性」 ですよね。
で、「実世俗」 を認めようとすると、 こうなるわけです。
空の真理を理解していないから、こうなる。
「実世俗」 を認める・・・・ じゃなくて、 「実世俗」 があるように見えるが・・・ ですよ。
認めた瞬間に「自性」を生み出す。
名前は中観だが、 実質は説一切有部と似たようなもんです。
233神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:57:21.42 ID:UG5jUAXg
>>206
>あったりまえじゃんww  「無我」という釈迦の根本教説と真反対の「アートマン」など
>認めるわけ無いでしょ? 

根本教説と真反対ってことは、相手にとっても真反対なわけです。
あなたの論理だと、 最大の争いとなるところですよね?
もし、争いを避けるんであれば、 絶対に 「無記」 とすべきところです。
こっちは争いを控えるが、あっちはあえて争う・・・というんじゃ、道理に合いません。
だから、 争わないように 「無記」 にした・・・ってことじゃないです。

>反発喰らうだけで、はなから一切、話を聞こうともしなくなるのがオチでしょ?ww

聞かないくらいならいいじゃないですか?
もともと無我を設定しただけでも、聞かない人は聞かないですよ。
そんな人はお呼びでないでしょう。
234神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 01:57:42.20 ID:tXipaQKH
>>232
そうじゃありませんよw
自性は生きている間はあって当たり前。
死ねば無くなります。
空はゼロの世界です。ゼロサムって言葉があるでしょう。
世の中はプラスマイナスゼロという世界観です。
生まれもしなければ死にもしない〜
しかし、生きて今存在する自分は確かなものだと〜
そして、努力は報われず正義は滅びるが挑戦の日々を繰り返すのが人間なのですよw
235:2013/10/08(火) 02:08:10.44 ID:hSsc6a7D
 
> 第七識を滅することによって、ようやく真の行に入ることができ
> その結果、第八識が変化して、 悟りの境地になる・・・・ ってことで
> 第八識を超えることが、解脱・・・・とも取れますね

私の場合は ↑ そんな感じだと思います

中論觀法品第十八
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm

八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する

諸の禅定の中で、滅尽定を以って、第一と為し、又、終に、無余涅槃に帰する
  _  _  _

> 7でも8でも構いませんが、これが6でこれが7でこれが8〜なんて数えているのですか?
> 阿呆らしい世界観ですねえ

唯識(ゆいしき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98

個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)
八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)
ここで、八種類の識とは
五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す

諸存在は無常であり
時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう
即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)
このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている
236パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/08(火) 02:10:20.57 ID:Fc0mlKHW
>>233 wwwwwwwwww  アホですか?

相手から、たとえ反発を受け、反論されようとも、ここだけは言っておかなければならない
という一線はあるのwww
それが、教説の根幹部分なのwww   それ以外は、無用に論争する必要はない・・・
あえて論争を招くようなことに言及する必要もない・・・・ごく普通の思考だが

>こっちは争いを控えるが、あっちはあえて争う・・・というんじゃ、道理に合いません。

全ての言説が等価なわけではないのwwww

そんなことも分からないくらい馬鹿なの?wwwww
237神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:11:09.12 ID:UG5jUAXg
>>208
もともと、このままで悟り・・・って言う人もいますよね。

>>209
「善因善果」 ってのは、 自分本位なものじゃないでしょ。
自分は努力した・・・・ それが真理にとって正しいかどうかは、
分かりませんよね?
例えば、 自分は一生懸命介護をしたつもりではあったが、 実は、相手に不愉快な思いをさせていて・・・
相手を痛めつけていた・・・・ ということになれば、 それは「悪因悪果」ということになると思います。
しかし、 そればっかりじゃなくて、助かったこともあったでしょ。
その部分は善因善果ということになるでしょ。
で、 微細な部分まではどうなるか分かりませんが、 「人を殺してはならない」 とか、 「物を盗んではならない」 とかは、
ハッキリと分かることでしょ?
それも戦争とかではなくて、 「物を盗むために人を殺した・・・」とか。
決定づけられるものではないですが、 大まかなところでは分かるわけです。
微細なところは、今自分のやってることが、真理に照らし合わせて正しいことをやっているか・・・ってことを、
洞察するしかありません。
238神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:21:03.39 ID:UG5jUAXg
>>211
仮に言っているのですよw
本当は、そんな枠はありません。
名称も必要ありません。

>>215
いえ、違います。
もっと大きな更正法です。
微細な悪も、大きな悪も、 本来、それを為すべき自己も、 みな「空(無我)」ということです。
自己の力ではどうにもならない・・・・ それは今、自分が為したのではなくて、
すべては業の為せる業なんだ・・・といって、完全に許せるんです。
その上で、 その苦しみを乗り越えるためには、  そういう世界に執着してはならない・・・と、説くわけです。
しかし、この世の真理は、 「真善美」 と誰かが言っていましたが、
これが世界の基本なら、 無我になれば、これがそのまま現れてくると思いますし、
それにとった行動をとることが、 真理に近づくことにもなろうかと思います。
239パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/08(火) 02:23:28.09 ID:Fc0mlKHW
っていうか、この馬鹿、毒矢の喩えも 読んだことねえのか?www

釈迦ってのは、「今、重要なのは何か?  優先されるべきは何か?」を
考慮する人間なのに、 味噌も糞も一緒に等価に扱うなんて、アホすぎるwww

釈迦ってのは、それぞれの項目の重要性も判断できないほどの馬鹿だと
思ってるのかね?wwww
240サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/08(火) 02:25:15.06 ID:PmQym/pe
>>235
唯識論支持なのは あなたの瞑想体験の結果ですか?
241神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:27:04.50 ID:tXipaQKH
>>237
>「善因善果」 ってのは、 自分本位なものじゃないでしょ。
そのとおり。
自分が善と思っても悪になる事はある。
また逆に自分が悪と思っても善になる事もある。
しかし、そんな事は大した事ではない。
あなたの想いが未来を作る。という事です。
人間は理想に向かう生き物です。
人間全員が、おぞましい世界を理想とするのは有り得ませんw
242神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:28:32.52 ID:c8BQQG4/
>>238
「空とは無でなはい」と、中村博士は繰り返し言っている。君のように、空を誤解して
いる仏教徒が、それほど多いということ。

釈迦の「無我」「無」は、彼の単なる勘違い。誰にでもある誤りだ。それに執着する
ほうが、よほど悪い。
243神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:37:18.14 ID:UG5jUAXg
>>216
>そしてそれらは実体の無いものである 』は、まぎれもなく勝義(諦)だからです。

この言葉を約める言葉があると思うんですが、 どうも上手い言い方が出来ない。
なので、二重の言い方になってますが、  本来は一つの言い方で、言い表せるはずです。
つまり、「業も果もあるように見える」 とか、そんな感じです。
何がいいたいかというと、 「業」と「果」を「無い」とはいわず、しかもそれを 「夢幻のようなもの」 とすることです。
「ある」 といってしまうと、 それは単なる「世俗」になってしまいます。
「ない」 というと、それは単なる 「勝義」 になってしまいます。
「不有不無」的な言い方が出来れば、 それは 「世俗諦」 ということになると思います。
で、  >「因果があり、業とその果報がある、そしてそれらは実体の無いものである」 というのは、
それらを長ったらしく言ったものです。
分解して 「実体が無い」 を抽出すれば、 それは「勝義」になると思いますが、 全体の意味はそうではありません。
>「世俗方便:勝義諦」
「世俗方便」 だけでは、 何のことを言っているのか分かりません。
何の方便か・・・ というのをハッキリさせないと、完全な対比になりません。
「世俗の言葉や事象で真理を匂わせる(示す)」 = 方便  じゃないですよね。
「世俗の言葉や事象で「何かを」匂わせる」 =  方便  です。
244神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:41:31.34 ID:UG5jUAXg
>>222
それは私もず〜〜〜っと喩えようと思ってました。  台風。
台風が一番、空・無自性を現すのに、いいですよね。
で、 それをもっと広めていけば、 地球全体の関係となり、
地球と太陽の関係となり、 果ては宇宙大に広がっていくと思います。
最終的には、宇宙の枠を外れると思います。
これが完全なる解脱の境地ですよね。
245神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:43:27.62 ID:c8BQQG4/
大乗では「常・楽・我・浄」。釈迦の誤りを既にきちんと訂正している。

中論は、「無我」だの「無」だの、アホなことは、一言も言っていない。
246神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:45:21.25 ID:tXipaQKH
>>243
そんなわけのわからない世界が仮にあったとして、何なのでしょうか?
で、あなたの言いたい事は?
247神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 02:59:43.13 ID:UG5jUAXg
>>239
人が親切、丁寧に反論してるのに、 アホバカ呼ばわりで話を進めてはダメだろ。
本当はこっちもアホバカ呼ばわりしたいところだが、 あえてあなたに合わせて話を進めてるの。
非常に困難なんだよ。
あなたがアホバカ呼ばわりをやめて、こっちに合わせようとすると、非常に困難だろ?
アホバカ呼ばわりしてしまうのは簡単。
いらついたことをそのまま言ってしまうのは簡単。
これは子供のやることだろ?
自分本位に相手を見るんじゃなくて、相手に合わせようとする忍耐力を持てよ。
248神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 03:02:55.42 ID:tXipaQKH
>>247
あなたは言いたい事を出来るだけ短くまとめて書くように練習した方が良いと思いますよ。
長すぎて、何が言いたいのか分からない。
249サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/08(火) 03:06:15.46 ID:PmQym/pe
>>243
じっくり読むと見えてくるレスだと思います
250:2013/10/08(火) 03:16:01.12 ID:hSsc6a7D
 
> 唯識論支持なのは あなたの瞑想体験の結果ですか?

解説書だけで自分かってに実践すると危険な場合があるらしいので

私の場合は、瞑想は実際には、おこなった事がないけど

教学として

密教 → 瑜伽師地論(ゆがしじろん) → 根本仏典 → 中論 → 般若経

などに興味があって勉強させて頂いております

瑜伽師地論(ゆがしじろん)に中有のことが書かれていて

瑜伽師地論(ゆがしじろん)を理解するには

瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)も勉強しなければ

理解することができない

ということであるらしい  屮(_ ._)屮
251神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 03:19:33.26 ID:c8BQQG4/
>>248
自分でもわかっていないのだから、まとめられるわけが無い。

ソロメは判っているそうだからw、3行以内にまとめてみよ。それは出来ない
のだろw。
252サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/08(火) 03:21:58.11 ID:PmQym/pe
>>250
了解です おやすみなさい^^
253神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 03:30:43.25 ID:c8BQQG4/
釈迦の「無我」「無」は、彼の初歩的論理ミスだから、たとえ1万年議論しても、
正当化は絶対に不可能。壮大な時間の浪費。人類は、その発生以来、五感の知覚に
より「有」「無」を区別することによってのみ、生存を維持してきた、維持できた、
のだから。

釈迦の「無」は、この「人類最大の法」に真正面から反している。彼の心の病の結果である。

宗教とは「釈迦の精神病の集団的一大感染という精神医学的現象に過ぎない」、という
私の結論が、如実に証明されているスレである。
254:2013/10/08(火) 03:39:13.83 ID:hSsc6a7D
 
>>250 の続き

教学として ↓ 勉強させて頂いております  屮(_ ._)屮

秘密経典理趣経/八田幸雄

大日経住心品講讃/松長有慶

空海 般若心経の秘密を読み解く(増補新装版)/松長有慶
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4393172841/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
255パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/08(火) 03:49:07.35 ID:Fc0mlKHW
>>247 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜、うん、うん、 期待通りの進行だwwwwwww

アホは、反論できなくなると、必ずこちらの悪口を問題にして逃げ出すのwww
毎度のパターンwwww

しかし、早かったなwww  もう少し、粘れるかなと思ったが、w
ま、こんなもんかねwww
256:2013/10/08(火) 04:24:24.48 ID:hSsc6a7D
 
たたかれたことがある人

私(ID:hSsc6a7D)と
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE さん
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk さん
隠居先生
机先生
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 さん
縁起一代先生( ← キリスト関係の人に、たたかれていたことがあった気がする )
サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A さん

これ以外に抜けている人がいればリストに追加しておいて下さい  屮(_ ._)屮
257:2013/10/08(火) 05:16:24.94 ID:hSsc6a7D
 
>>256 の続き

仏教議論スレッド47
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1349669547/

703 :暇人:2012/10/17(水) 07:45:44.29 ID:L2PvFTzV
「九次第定」について本派を離脱されてテーラワーダにかぶれている
藤本晃氏の論文がある
http://ci.nii.ac.jp/els/110002707419.pdf?id=ART0002989166&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1350426344&cp=
『パーリ経典に説かれる「九次第定」の成立と構造』
九次第定を釈尊が唱えたという護教論を私は否定するのだが
九次第定について整理されていると思う

704 :暇人:2012/10/17(水) 07:50:45.81 ID:L2PvFTzV
色界四禅+無色界四等至+想受滅(滅尽定)のうち
色界四禅と無色界四等至とは仏教外他教の悟りであり
これに仏教の悟りである滅尽定を加えて整理したとある
つまり包括主義である。他教の悟りを否定するのではなく
取り入れ序列化し低位に置く。そして仏教の悟りが一番と説く

705 :暇人:2012/10/17(水) 07:54:06.52 ID:L2PvFTzV
私の見るところ、滅尽定を悟りとする初期仏教経典は沢山あるが
(梵網経しかり、スッタニパータしかり)
滅尽定と涅槃は別の境地だとする経典はない
別だと主張されている方々は何を根拠に主張されているのだろうか
あるいはなぜそんな主張をされるのであろうか
258:2013/10/08(火) 05:45:48.89 ID:hSsc6a7D
 
>>257 の続き

【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm

847
(受と想を滅させて)
想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない
智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない

 − これに対して −

想いと偏見とに固執した人々は
互いに衝突しながら、世の中をうろつく
259神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 08:47:27.36 ID:XIi9kt+q
世俗諦:十二支縁起の順観
勝義諦:十二支縁起の逆観、涅槃に至る道

>>256
>たたかれたことがある人

セブン氏、パーピマン氏、えんま氏(←反論者に叩かれていた)
260佳子様にゃん♪:2013/10/08(火) 09:08:59.05 ID:dbmDYSDj
野郎共、お早うにゃん♪

("⌒∇⌒")ノ("⌒∇⌒")ノ("⌒∇⌒")ノ
261神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 10:02:37.36 ID:hSsc6a7D
 
えんま氏って

(大滝秀治さん)ID:uzPICHpvさん ← この人?
262神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 10:27:13.79 ID:hSsc6a7D
 
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/gensi-engi.htm

原始仏教における縁起説

十二支縁起説は、苦が起こる縁を列挙している

「無明」によって、「行」があり、・・・ないし、・・「触」によって「受」あり、受によって「渇愛」あり
「渇愛」によって「取」があり、「取」によって、「有」があり、「有」によって「生老死」の「苦」が起こる、とされる(順観)

無明→行→識→名色→六処→触→受→愛(渇愛)→取→有→生→老死

このゆえに、逆に、「無明」が滅すれば、「行」が滅し、・・・・「苦」が滅する(逆観)

無明は、解脱前の意識では信じるしかなく、八正道の修行の後に、はじめて、無明が明(般若)に転じるので
無明->行->識は、厳密に言えば、八正道の修行をしない限り、真に理解したとはいえない

その意味からであろうが、縁起説は、一方で、甚深難解とも言われる
十二支縁起説は、初期の段階で、自己の上で観じてある程度理解されるものであるとされていた
十二支縁起説は、経典に多く書かれているので、書かれている限りは、ある程度、思惟理解できるものと考えるべきであろう
それなのに、四聖諦に「八正道」が組み込まれているのは、修行なしでは無明の滅が達成されないということであろう
263神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 10:33:57.00 ID:vzY9W+OQ
>>243
>なので、二重の言い方になってますが
いいえ。そうではなくて、別の事柄が同時に述べられている、ということです。
二重なのではありません。また、
>本来は一つの言い方で
それは、勝義に於いて(仏の視座で)「一味」であるという点ではそうですが、
それが八万四千の方便に分かれているとも言えます。
ですから、この場合に一行に両者を含めるのは不適切なのです。
なんとなれば、今は、世俗(諦)と勝義(諦)を対比させ、どこに違いがあるのかの話だからです。
それを、併記して同義として示すのはTPOに適っていません。
 *そもそも二諦なぞない、と言っているようなものでw元も子もありません。
 いや、畢竟、そうなのでしょうけど、今はそういう話ではありません。

>何の方便か・・・ というのをハッキリさせないと、完全な対比になりません
そうでしょうか?
ここでは、勝義という色と世俗という色を比べているようなものです。
「何を」ということ(具体性)よりも、それぞれがどのようなものなのか(という構図上)の部分が
対比されるべきかと思いますので・・・。
ま、単に「諦」の字を「方便」に置き換えただけだったんですけどね・・w
264神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 11:30:04.75 ID:+Rbd5KLW
>>263
>ま、単に「諦」の字を「方便」に置き換えただけだったんですけどね・・w

ならば、勝義諦、世俗諦と大騒ぎする必要はありませんねw。黙って生きれば
よいw。
265神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 12:54:31.54 ID:+Rbd5KLW
2真理説という観念まみれの2項対立は、初めから胡散臭かった。
266神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 17:25:43.59 ID:3Ihra3o4
>>253
>釈迦の「無我」「無」は、彼の初歩的論理ミスだから・・・
釈迦ではなく、竜樹が中論で無我を説いてる。

>宗教とは「釈迦の精神病の集団的一大感染という精神医学的現象・・・
宗教を目の仇にするのも宗教の木霊なのだろう。
宗教を再生産する鋳型のようなもの。
267神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 17:45:21.75 ID:3Ihra3o4
>>259
>世俗諦:十二支縁起の順観
>勝義諦:十二支縁起の逆観、涅槃に至る道
これは間違い。世俗諦とか勝義諦とかは竜樹の後だろう?
十二支縁起はそれ以前からあるし、縁起の視点から見ても誤り。
順観(このことがあるとき)と逆観(このことがある)という
縁起の二項が順観と逆観では?
 
>たたかれたことがある人
コテハンは目立つからレスも多いけど、逆に反発も多い。
反発されるのが嫌ならコテハンをやめればいい。どっちかだろね。
268神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 17:48:43.80 ID:QBnySQEl
>>266
>釈迦ではなく、竜樹が中論で無我を説いてる。

参考まで、中論の何処で?それは、批判のためではないの?

空とは、非有非無だから、「無我」「無」などといったら、空とはモロに
矛盾する。釈迦とは異なり、中論には、論理矛盾は皆無なはずだが。
269神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 17:57:37.17 ID:3Ihra3o4
>>268
中論第1章1詩「もろもろの事物は・・・あることなし。」
 
これは事物に実体が無いことを語っているよ。
人間には実体が無いのだから、無我ということになるのでは。
これが竜樹の「大乗」宣言じゃないかと。
270神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:07:07.00 ID:QBnySQEl
>>269
中論の空とは、「厳然たる実体」はあるが、「関係性」という抽象観念に
よって構成されているから、執着すべき「自性」はないということ。

中論第一章は、「もろもろの存在」という言葉で始まる。「存在」を大前提
とする。

「幻の如き」とは「幻」ではない。あくまで「無自性空の説明」のための喩。
271神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:09:55.97 ID:QBnySQEl
>>269
中論1:1は、釈迦の「因果関係」を否定し、「関係性」を説いているもの。
272神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:25:41.86 ID:3Ihra3o4
>>260
中論第1章10詩には、事物には実体が無いのだから
縁起が成り立たないとある。
 
凡夫一代が現実を幻と見る訓練をしていると聞いてビックリしたことある。
しかし中論を正確に読めば凡夫一代の方が経典通りかもしれない。
経典通りにやれば頭がクルクルパーだし、悩ましいね。
 
でも中論が間違っていたと考えればすっきりする。
273神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:28:04.86 ID:XIi9kt+q
>>271
>中論1:1は、釈迦の「因果関係」を否定し、「関係性」を説いているもの。

龍樹は「自分には主張はない」と言っている。
彼は正直であり、謙遜ではないだろう。
274神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:30:53.47 ID:XIi9kt+q
龍樹は修行僧、特に菩薩候補者の為に中論を残した。

釈迦の「因果関係」を否定したと読むとしたら、想定読者外だろう。
275神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:35:02.71 ID:XIi9kt+q
>>272
>でも中論が間違っていたと考えればすっきりする。

想定読者外が中論を読むと危ない、と月称菩薩もわざわざコメントしている。

想定読者:八正道を実践し、功徳を積んでいる菩薩候補者
276神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:41:51.16 ID:3Ihra3o4
>>274-275
それで、あなたは、自分が想定読者だと思っているの?
277神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:46:00.05 ID:QBnySQEl
>>272
釈迦の非信者でなければ、客観的な解釈は不可能。釈迦の盲信者は、必然的に
なりふり構わず、釈迦の「無我」「無」を正当化しようとするからである。

「もろもろの存在は、どこにおいても、いつでも、決して自己より生じたもの、
他者より、両者より、さらに無因より、生じたものとして存在するのではない。」
(平川彰訳、中村元監修)

釈迦の「因果関係」の明白な否定である。

中論の縁起(空)とは、釈迦のような一方向的、経時的因果関係ではなく、
相互依存性、相対性、関係性である。両者は本質的に異なる。
278神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:51:54.65 ID:XIi9kt+q
>>それで、あなたは、自分が想定読者だと思っているの?

八正道の実践もできておらず、功徳も積めておりませんので、想定読者外ですよ。
279神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:56:51.59 ID:XIi9kt+q
>>277
>釈迦の「無我」「無」を正当化しようとするからである。

釈迦の「無我」「無」を正当化する必要はないでしょう。
むしろ説法相手によっては「我」重要性を説いておられます。
この対機説法を龍樹は「四悉壇」と解説しました。

釈尊は「自分が、自分がという意識は真実の意識ではない。真実の意識に目覚めなさい。」と「我執から離れよ(無我)」を説かれた。
初期経典を読むと、釈尊が自己を語る説法が多い。
「法は自ら見るべきもの、自ら観じるべきもの」、「怠ることなく勤めなさい(誰?)」
「自燈明、法燈明、自己(アートマン)を拠り所とせよ」
280神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:01:27.68 ID:QBnySQEl
「一方向的、経時的因果関係」なら、原始人でも幼児でも判ること。
例えば、「火に手を近づければ近づけるほど熱い」。ましてや「菩薩候補者」
なら、釈迦からわざわざ教えられなくても、とっくに判っているはずw。
281神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:02:20.48 ID:3Ihra3o4
>>277
もろもろの存在は、どこにおいても。いつでも、
決して自己より生じたもの → 自性
他者より → 時間的因果
両者より → 相互依存の縁起
さらに無因より → あの世での化生がそれ  
生じたものとして存在するのではない。 〜 ということは、
 
事物は無であり、空であると竜樹は言っている。
282神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:14:00.90 ID:3Ihra3o4
>>278
>八正道の実践もできておらず、功徳も積めておりませんので、
>想定読者外ですよ。
 
自分には中論を読む資格がないと語りながら、
なぜあなたは中論を読み、中論を語っているのか。
それを、おかしいと思わないのか。
大丈夫ですか。
283神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:14:12.18 ID:QBnySQEl
>>281
「より生じたもの」とは、まさに因果関係。中論が、「そんなものはない」と言ってる
ことは、1:1の文理上自明。

「因果関係によらざる存在」が、中論の縁起(空)である。

釈迦が、縁起を「因果関係」としたのは、専ら彼の忌むべき「業報論」を維持する
目的のため。彼は「相対性」には思い至っていない。
284神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:22:16.64 ID:o0eDzBpU
空でありながら世俗にはちゃんと合わせるご都合主義宗教
285神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:25:02.57 ID:hSsc6a7D
 
> 中論で無我を説いてる

最終的には
「 何かを掴み取ろうとする心の働きを滅させる事が出来る場合がある 」
と言う意味かも

龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
6.
感受によって条件づけられたものが渇愛である
渇愛は感受のせいで生じる
それが生じるとき、固執/掴むことも生じる
四つの種類の固執/掴むことである
11.
無知(無明)が止まると行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は瞑想と知恵(智)を通して生じるのである
12.
これによってあれが生じるということを止めることで
これによってあれが生じるということは表に出ないものとなってくる
大いなる苦しみのすべてが
ここにおいて実際に、すべて消滅するのである
286神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:34:48.76 ID:vzY9W+OQ
あーあ・・。

結局、両極端(隠居陣営vs宝珠在家陣営)しか残らないのが、2chの限界かね・・・。
287神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:34:56.68 ID:3Ihra3o4
>>283
>「因果関係によらざる存在」が、中論の縁起(空)である。
そうじゃなくて、竜樹は縁起とは無関係に、事物が空だと言っている。
竜樹の空や無は縁起に関係ないから、無がより正確だろうと思う。
 
>釈迦が、縁起を「因果関係」としたのは、専ら彼の忌むべき「業報論」
>を維持する 目的のため。彼は「相対性」には思い至っていない。
釈迦は苦集滅道を説いたのであり、業報輪廻転生は説いていない。
まちがった思い込みで釈迦を批判するのはよくない。
288神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:41:27.84 ID:QBnySQEl
>>284
それが中論の比類の無い偉大さ。世俗(生存本能、生存努力)以外には、真理は
存在しない、1個人の脳内には真理は存在しないことを、中論は知っていたからである。

「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性(即ち、生命)である」。
見事な決めである。
289神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:41:42.23 ID:3Ihra3o4
>>284
>空でありながら世俗にはちゃんと合わせるご都合主義宗教
 
ひかえおろう、という水戸黄門の印籠が、
大乗の「空」かもしれない。
290神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:48:28.37 ID:QBnySQEl
>>287
>釈迦は苦集滅道を説いたのであり

「無苦集滅道」「無もまたない」(般若心経)
291サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/08(火) 19:48:33.35 ID:4demtrLk
>>256
一代さん 叩くクリスチャンなんていたの?

そんなのわたしがお相手するのに^^
292神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:51:41.06 ID:QBnySQEl
>>286
>隠居陣営vs宝珠在家陣営

そうではなく、「大樹仏教 vs. 小乗仏教・釈迦カルト」。
293神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 19:53:48.90 ID:QBnySQEl
>>292の訂正
×大樹仏教
○大乗仏教
294神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:07:01.60 ID:rwNJDyXa
>>292

あなたは無宗教ですね
科学者を目指してください
数学で宇宙の真理を解明してくださいな
295神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:07:28.20 ID:Yaag9aPD
釈迦がそうであったように、仏教の目線は常に『人』にあるんだよw

逆に言えば『人』を離れて仏教は無いと云える。
296神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:07:43.17 ID:3Ihra3o4
>>290
>「無苦集滅道」「無もまたない」(般若心経)
 
般若心経は偽経だよ。釈迦が説いた教えではない。
無が無いだってぇ、同義反復じゃん、プ
297神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:08:11.63 ID:UG5jUAXg
>>263
>世俗(諦)と勝義(諦)を対比させ、どこに違いがあるのかの話だからです。

これは違うと思いますね。
「対比させ、どこに違いがあるのか・・・・」 ということじゃないと思います。

>併記して同義として示すのはTPOに適っていません。

世俗諦と勝義諦は、視点は違うが同義だと思います。

「諦」 というのは 「真理」 ということで、 「真理」は一つです。
こっちの世界の「真理」 と、 あっちの世界の 「真理」 という、それぞれの世界によって違う真理などありません。
たとえば、 「諦」 というとことに、 「仏教の真理」 という言葉を当てはめるべきだと思います。
「勝義における{仏教の真理}」  が、 「勝義諦」。
「世俗における{仏教の真理}」  が、 「世俗諦」。 
で、 「世俗における仏教の真理」・・・とは、 「世俗が理解できるように、分かりやすい言葉で説明された、真理・・・」 ということになると思います。
勝義は本来、言葉では表現出来ないものであって、
勝義だけでは身動きが出来ない・・・・
そこで、「世俗の言葉で真理を説明する必要があった・・・・」  それが、「世俗諦」 ということだと思います。
なんの説明もない、「空、無」 と、 世俗観における現実性を比べても、 そこに答えは出ません。
ただ平行線をたどるだけです。
298神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:13:58.04 ID:UG5jUAXg
で、ツォンパカの二諦の説明を見つけたのですが、  その内容は・・・、

>師〔釈尊〕の聖言全ては、世俗と勝義の二諦に関して生じたものであり、その二〔諦〕の区分を知
>ないならば、教えの真実を知ることはできないので、二諦〔という〕観点から〔釈尊の〕聖言を解釈
>る仕方もまた、それ(=自性に関して空であることの意味は縁起の意味であるということ、LN, p.18,
>l.14–15)に他ならない。

>ぜならば、依って仮設され、あるいは依って生じた(=縁起)という性質
>持つ多様なものとして説かれたもの一切は世俗諦であり、勝義はその〔縁起していること〕を理由に
>て、それ固有の特質によって成立したものではないという空性のみに尽きるからである。(LN, p.20,
>l.15–19)

ここでは・・・、 
「依って仮設され、あるいは依って生じた(=縁起)という性質を持つ多様なものとして説かれたもの一切」
 = 「世俗諦」   ・・・ということになってます。
「世俗の実在の世界」 = 「世俗諦」 じゃないです。 
「仮設されたもの、縁起しているもの」 = 「世俗諦」  ということです。
勝義と対比される、 「世俗の実在の世界」  じゃありません。
勝義における 「空性」 と同義語の、 「縁起の世界」 ・・・ということです。
299神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:25:00.83 ID:vzY9W+OQ
>>297
>ということじゃないと思います
そうじゃなくてwww

「俺は」、「お前の」「語用についての異議」「に対してレスをしている」んだから、それでいいんだよ。

>「世俗における{仏教の真理}」  が、 「世俗諦」

だから、最初からそう言ってるじゃねーかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
300神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:28:57.37 ID:vzY9W+OQ
>>299

それからな、

>「世俗における{仏教の真理}」  が、 「世俗諦」
ここで  「世俗における{  勝義  }」  が、 「世俗諦」。 
などと代入することはおかしいの。
世俗に於ける勝義なんてないの。

わかる?
301神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:30:38.82 ID:UG5jUAXg
つづいて、

>人も法も〕勝義においては等しく存在せず、言説においては等しく存在する。・・・二諦のいずれ
>おいても存在することと存在しないこととは〔両者に〕等しいからである。(LN, p.124, ll.10–12)

とあります。
ここで勘違いされやすいのは、 「言説においては等しく存在する」  という部分です。
前で言われているとおり、 「等しく存在する」  というのは、 「縁起によって存在する」 ということであって、
「世俗の事物そのままに存在する」  ということではありません。
なので、  「存在することと存在しないこととは〔両者に〕等しいからである」  となります。
つまり、 「世俗諦」 と、「勝義諦」 の「真理」は、同じ・・・ということです。
つまり、 縁起として存在することも、 空として存在しないことも、 等しい・・・ と言ってるわけです。
で、>>216での言い回しですが、
「〜は仮説として存在する」 とか、 「〜は縁起している」 という言い回しが出来ると思います。
そしてそれは、 「因果も無く、業(作者)もなく又果(受者)も無し」 というのと、等しいと思います。
等しいということは、逆に言えば、 世俗の言葉で真理を説明出来る・・・ということを意味していると思います。
302神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:32:09.26 ID:vzY9W+OQ
>>298
>「仮設されたもの、縁起しているもの」 = 「世俗諦」  ということです
まさに、その通りです! だから、「世俗(諦):勝義(諦)」なんじゃないですかw

>勝義と対比される、 「世俗の実在の世界」  じゃありません
あのなw (^^;)

なんで、「実在(の世界)」と対比すんだよwww なんで対比相手が【実在限定】なんだよw 馬鹿か?
303神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:37:36.35 ID:vzY9W+OQ
>>301
>ここで勘違いされやすいのは、 「言説においては等しく存在する」  という部分です。
>前で言われているとおり、 「等しく存在する」  というのは、 「縁起によって存在する」 ということであって、
>「世俗の事物そのままに存在する」  ということではありません。
おおw
まさにその通りだろうよ。
だからこそ、「ある」という語句を使えば、
『世俗に於いては【ある】』のであり『勝義に於いては【ない】』わけ。

【>「世俗の事物そのままに存在する」  ということではありません】
というのは勝義であり、
≪【世俗に於いては】【依然として、そのままに】存在する≫の。
304神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:38:16.65 ID:UG5jUAXg
>>300
あなたは>>216で、

> これ、おかしいでしょw
>それだと両方とも勝義(諦)なの

といってますよね・・・・?
そして・・・

>今は、世俗(諦)と勝義(諦)を対比させ、どこに違いがあるのかの話だからです

といっています。
この理解に問題があると言ってるんですよ?
両方とも勝義諦・・・  当たり前です。
真理というのはもともと勝義なのですよ。
言葉では説明がつきません。
それを世俗に分かりやすく説いたのが、「世俗諦」 です。
もし、ここでいう真理が同義でないとするならば、 世俗に関するもので、真理は説けない・・・ということになります。

>世俗に於ける勝義なんてないの

バカですか?
これだったら一生世俗は救われませんよ。
世俗は勝義を分からないままです。
305神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:38:50.47 ID:vzY9W+OQ
>>303

>≪【世俗に於いては】【依然として、そのままに】存在する≫ からこそ、輪廻するんじゃねーのか?wwwww
306神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:41:02.59 ID:vzY9W+OQ
>>305
>もし、ここでいう真理が同義でないとするならば、 世俗に関するもので、真理は説けない・・・ということになります

ハァ?(゚∀゚)
てめぇは上座部&初期仏教を馬鹿にすんのか?w  ってのは冗談にしても、
説示は、同義だから可能とかそういうことじゃねーだろw 何言ってんだ?
307神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:46:16.44 ID:UG5jUAXg
よく分かんねーなぁ〜・・・

>>303
>【>「世俗の事物そのままに存在する」  ということではありません】
>というのは勝義であり、

あのね・・・、 このままでは勝義かどうか、分からないの。
この後なの。
そのままズバリと、「無い」 あるいは、「空」 と説くのが勝義諦なの。
そんで、 縁起によって・・ とか、 仮設によって・・・ とかいうのが世俗諦なの。
308神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:48:26.51 ID:UG5jUAXg
ちょっと続き待ってくれる・・・・?
全部投稿するから。

で、反論はまた深夜にするよ。
309神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:50:56.48 ID:UG5jUAXg
次に、チャンドラキールティの『プラサンナパダー』(丹治昭義氏訳注)における世俗諦の解説ですが、

>しかし、言語表現と言語で表現されるべきもの、知と知られるべきもの等と規定さ
> れる言説を容認しないでは、勝義を教示することは決してできない。そして、
>教示されていないものは証得されることはできないし、勝義を証得しないでは涅槃は
>証得されることができないと教示するために ・・・・

とあります。
この、 「世間の言説を容認しないでは、 勝義を教示することはできない」 というのは、逆に言えば、
「世間の言説を用いて勝義を教示すること」 が、「世俗諦」 ということになると思います。
で、 「世間の言説を容認する」 というのは 「世間の事物を容認する」 ということじゃないです。
教示するための手段として、 「世間の言説(言葉による説明)を容認する」・・・ということです。

勝義についてプラサンナパダーでは、

>すべての戯論を思出している。〔すなわち、〕それは説かれもしないし知られもしない。

と言っています。
つまり、 勝義のままでは、(真理を)世俗に説くことは出来ない・・・・ と言っているのと同じですね。
そこで世俗の言説を用いて、真理を説明しなければならない・・・・ という必要性が出てくるわけです。
これが、「世俗諦」 が必要になる・・・ということだと思います。
つまり、 世俗の言葉で分かりやすく真理を説明する・・・・ ということが、世俗諦だと思います。
310ノスタルジア:2013/10/08(火) 20:52:30.48 ID:Z619Tj2t
>>297 非世間世俗ということですね? 世間の人々にとっても存在するとは
認められない、幻に等しい認識対象ということ。なんで、あなたは、
認識対象ではあるのに、認識する者のことが分かるでしょうか?

パーピマンへも言いたいことですが、境地でしたかな、境地ということで
優越性をとられるのが嫌いだからと、パピーマンは言っていました。
つまり、そのような輩は妄想空想の類で、まったく議論する価値のない
者であり、邪魔であり、排除されるべきであると言っていました。

きみもパピーマンもどこが違うのでしょうか? ただ仏教の捉え方が
違い、言葉の出し方が違うだけであって、お互い言葉の虚構を作っている
だけではないでしょうか? というか言葉そのものに、実体がないといよりも
実態がないということもない、というか、もう初めから、世間の人々に
とっては、どうでもいい者たちなのではないでしょうか?

さて、世間は実在するのか? それはありえません。世間は実在しません。
なぜなら、非世間世俗で精いっぱいであり、釈迦の虚栄に縛られる筋合いはない
からです。それがもし虚栄ではなく、栄であるとするなら、もっと素晴らしい
経典や論釈が残っていたはずであります。まずそこをどう思われますか?
311神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 20:54:46.30 ID:UG5jUAXg
で、
>〔師は〕言説に依拠しないで勝義は示されない。
> 勝義を証得しないでは涅槃は証得されない。(第二四・−o偶)
>と説かれた。
>それ故に、涅槃を証得する手段であるから、水を求めるものによって器
>〔が最初に取られる〕ように・・・

と、続いていますが、 ここで 「水を求めるものによって、最初に器が取られる」 というのがまさに、
「真理を求めるために、言説を用いる」  ってことです。
「言説に依拠する」 ということであって、「(世俗の)事象に依拠する」 ってことじゃありません。
また、「比較によって・・・・」 ということでもありません。

>師は〕言説に依拠しないで勝義は示されない。

ゆえに、 言説に依拠して勝義を示す必要があるわけです。
それが、「世俗諦」 ということでしょ。

アホらしくなってきた
312佳子様にゃん♪:2013/10/08(火) 20:59:55.30 ID:dbmDYSDj
思考の迷路みたいにゃん?(;¬_¬)ノ
313神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:14:50.89 ID:vzY9W+OQ
>>311
ついでに
24‐8の訳も宜しくw
314神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:18:33.49 ID:XIi9kt+q
>>282
>自分には中論を読む資格がないと語りながら、
>なぜあなたは中論を読み、中論を語っているのか。

衆生済度の功徳を積んでおられる(と私が認識している)僧侶や仏教学者の
中論への解説を読んで本スレで紹介しているに過ぎません。

紹介者の私自身は主張の無いので「空」です。
315神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:29:33.42 ID:XIi9kt+q
勝義諦を一番世俗の言葉で表現したのが「四句分別」でしょう。

4通りの言語表現を全て否定したら、沈黙するしかないでしょう。

または4通りの見方がどれも成り立つという見方もあります。
相手に応じて真理を説き分ける四悉壇のようにです。

ヨーグルトを見て、牛乳だ、牛乳ではない、牛乳であり牛乳ではない、
牛乳であり牛乳ではないという訳でもない。
現代人であれば、この事例は大体ご理解いただけるかと存じます。
316神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:32:10.03 ID:UnpRMxZw
あのー
2500ねん前からインドの優秀な哲学者が
議論して結論がないのに
2ちゃんで議論してもなー
結論分からん
317神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:39:12.21 ID:QBnySQEl
>>316
大乗仏教では、結論は出ている。「常楽我浄」。
318新右翼☆花形慧:2013/10/08(火) 21:40:46.17 ID:7KXxHMRK
>>312
をい!
皇族の名、名乗るんじゃねえぞw
319神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:48:02.67 ID:QBnySQEl
中論は、「釈迦の縁起に新しい意味を与え、それを換骨奪胎した」(中村・三枝)。
320神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:50:31.70 ID:JEa1EGw3
般若心経を理解する。全ては理解できる。覚醒しろよ。
321神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:50:45.09 ID:XIi9kt+q
>>316
>2500ねん前からインドの優秀な哲学者が議論して結論がないのに

多分、優秀な哲学者達が10万年議論しても結論は出ないでしょうね。

それは仏教が哲学ではなく実践実証のプラグマチズムだからです。
八正道をできるところからコツコツ実践し、正しい禅定を重ね、
人々に親切にして功徳を積む毎日を送ることが一番近道ではないかと。
322神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:03:32.48 ID:QBnySQEl
「勝義とは、世俗から、論理的に、また中論の文言に基づいて追求され、
反論に窮した場合の、神秘主義的逃げ口上」。

チャンドラキールテイさえも、同趣旨のことを言っている。
323神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:08:09.42 ID:XIi9kt+q
>>315
>ヨーグルトを見て、牛乳だ、牛乳ではない、牛乳であり牛乳ではない、
牛乳であり牛乳ではないという訳でもない。
現代人であれば、この事例は大体ご理解いただけるかと存じます。

また、作られたものは無常で変化しますが、どんなに輪廻しましても
オレンジジュースとかコーヒーとか呼ばれることはないでしょう。
324神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:14:01.83 ID:QBnySQEl
>>311
>「言説に依拠する」 ということであって、「(世俗の)事象に依拠する」
> ってことじゃありません。

言語とは、「世俗の事象、世俗の慣習、世俗の思考」の集合体。言語を作った
のは、専ら世俗(生活者)。

従って、勝義が「言語によらなければ説示しない」ということは、換言すれば、
「世俗的なことから一歩も踏み出せない」ということ。一歩でも踏み出したら、
それはもはや勝義ではないのである。
325神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:22:45.51 ID:UG5jUAXg
>>234
>そうじゃありませんよw
>自性は生きている間はあって当たり前。
>死ねば無くなります。

書こうか書くまいか迷うところですが、 自性というのは、「他の何者にもよらず、自立している」 ことです。
当然、 人間の肉体にも左右されないため、 死んでも残ります。
つまり、 常住ってことです。
この 「死んでも残る」っていうのは、 この世でも、あの世でも、どちらを設定しても構いません。
だから、生きてるうちはあっても、死んだらなくなる・・・っていうのは、自性じゃありません。
3261/2:2013/10/08(火) 22:26:20.87 ID:vzY9W+OQ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/571
中論(青目釈)観四諦品第二十四 [ T1564_.30.0032c16からT1564_.30.0033a07まで ]

復次、
08:諸佛依二諦 爲衆生説法  >諸仏は【二諦に依って】衆生が為に【法を説く】。
   dve satya samupAzritya buddhAnAM dharmadezanA.
  一以世俗諦 二第一義諦  >【ひとつには世俗諦】を以ってなし、【ふたつには第一義諦】とす。
   lokasaMbRtisatyaM ca satyaM caparamArthataH.
09:若人不能知 分別於二諦  >もし、人の【二諦を分別することを知る能わざれば】、
   ye anayor na vijAnanti vibhAgaM satyayor dvayoH.
  則於深佛法 不知眞實義  >すなわち、深き【仏法に於いて真実義を知らず】。
   te tattvaM na vijAnanti gambhIraM buddhazAsane.

世俗諦者一切法性空而世間顛倒故生虚妄法。
 >世俗諦とは、一切法の性は空にして而かも世間の顛倒せるが故に虚妄法を生ず。
於世間是實。
 >是れ【世間に於ける(真)実なり】。
諸賢聖眞知顛倒性故知一切法皆空無生。
 >諸賢聖は、真に顛倒性と知るが故に、一切法は皆な空にして生無しと知る。
於聖人是第一義諦名爲實。
 >【聖人に於いては】【是れ第一義諦にして】、【名付けて(真)実と為す】。
諸佛依是二諦而爲衆生説法。
 >諸仏は、この二諦に依って衆生が為に法を説く。
若人不能如實分別二諦、則於甚深佛法不知實義。
 >もし、人の、如実に二諦を分別すること能わざるときんば則ち、甚深の仏法に於いて(真)実なる義を知らず。
3272/2:2013/10/08(火) 22:27:36.32 ID:vzY9W+OQ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268863382/587

若謂一切法不生是第一義諦不須第二俗諦者是亦不然。何以故、
 >もし、一切法の不生は是れ第一義諦なり、第二俗諦を須(もち)いずと謂わば是れまた然らず。何を以っての故に、

10:若不依俗諦 不得第一義  >もし、【俗諦に依らざれば、第一義を得ず】。
   vyavahAram anAzritya paramArtho na dezyate.
  不得第一義 則不得涅槃  >【第一義を得ざれば、則ち涅槃を得ず】。
   paramArtham anagamya nirvANaM na adhigamyate.

第一義皆因言説。言説是世俗。
 >第一義は、皆な【言説に因る】。【言説は是れ世俗なり】。
是故若不依世俗。第一義則不可説。
 >この故に、もし【世俗に依らざれば】【第一義は則ち説くべからず】。(…説き得ない、説かれ得ない)
若不得第一義。云何得至涅槃。
 >もし、第一義を得ざれば、云何が涅槃に至るを得んや。
是故諸法雖無生。而有二諦。
 >この故に、【諸法は生無しといえども】而かも【二諦あり】。

────────────────────
 ※ 例によって連声の解き方はテキトーw ※
328神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:31:51.01 ID:vzY9W+OQ
>>311
チベット釈は扱えないしSktは不得手なんでw、
過去レス再貼付のみになるが、(ざっとSkt俯瞰しても)
貴方のような読みまで踏み込んでいないと思っていましたし、
貴方の解釈では《二諦の【意味】がない》と私は見ました。
月称のその註も、貴方のような踏み込み方には見えません。


私が浅いんでしょうかね・・・?w
329佳子様にゃん♪:2013/10/08(火) 22:37:26.53 ID:dbmDYSDj
>>318

本名、名乗って

何が悪いにゃん? (;¬_¬)ノ
330神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:42:42.00 ID:UG5jUAXg
>>328
この、>326 >327 の文章・・・・ 素晴らしいですね。
見事に 「世俗諦」 を説明してますよw
前に上げたものと、 ほとんど同じです。

ちょっと整理したから投稿します。
文章が下手なので、 時間がかかるw
331神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:49:21.02 ID:hsi4LFDO
>>325
そのような自性を想定して、我に執着する姿勢を仏教では非難するわけですが。
無我で無自性で空です。
332神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 22:50:17.15 ID:vzY9W+OQ
>>330
いやいやwwwww

>素晴らしいですね
>前に上げたものと、 ほとんど同じです

ったりめーだろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
一行目読んでねーのかよ。

単なる青目釈の読み下しだよw   orz
333神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:08:01.34 ID:UG5jUAXg
>>332
何が言いたいのかザッと書いてくれる?
ただ文章投げつけて、 ほら引っかかった〜w じゃ、話にならないよ。
あなたが本当に議論したいんなら、 最低限の説明でも付けたらどうだい?
もし、 話の本筋以外でバカにするだけが目的なら、 それはごまかし以外の何者でもないわ。
っていうのは、 あなたの論理が間違ってることに、100%の自信があるから。 こっちは。
だから、あったりめーだろww じゃなくて、 本筋の話をしませんか?
334神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:09:42.56 ID:vzY9W+OQ
待ってる間に少し評を加えておけば、

≪ >>327 >>もし、【俗諦に依らざれば ≫が、踏み込み過ぎた漢訳になっていることに気付く。
Sktは、「世俗 loka 」とも「諦 satya 」とも言っていないから。
ただ、文脈(>>326>lokasaMbRtisatyaM 及 dve satya samupAzritya buddhAnAM dharmadezanA )から
類推されるのみ。( vyavahAra,vohAra によって示されるのみ。ここで、vohAra=sacca ではない。)


だから、よく「二諦」「二諦」と言われるが、実は、
諦(→ariyasacca,Aryasatya )としては勝義しか言われていない、と見ることもできる。(「二諦」は漢訳の勇み足だった、と。)
そうであれば、上の月称註の整合性は格段に増すし、
中論以前には、諦は勝義のみであったこととの整合性も保たれる。


が、それでは、24-8の読みとして、どうなのかなぁ・・とも思うわけでw
335神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:13:07.52 ID:vzY9W+OQ
>>333
>ただ文章投げつけて、 ほら引っかかった〜w じゃ

そうじゃなくて、これからの話の種でしかなく、
そこまで「素晴らしい!」と驚嘆するなんて、青目釈を知らなかったのかと驚いただけ。
だから、あの両レスを褒める・称賛する必要は皆無ということ。

で、ザッと書けば、

 世俗には世俗の論理がある、ということなんだけど。
336神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:19:05.48 ID:UG5jUAXg
>>335
で、何が言いたいわけ?
最初のバカにした言い方からすると、 >>326 がこれまで出ているもので、 >>327 はどう解釈するんだ・・・? ってこと?
つまり、 >>327の解釈をすればいいわけ?
それとも両方ともってこと?
どっちも同じように見えるんだけどね・・・・

で、あなたがもっとも勘違いしてる部分は、

>第一義は、皆な【言説に因る】。

この部分だと推察するんだけどね・・・・ どうなんだろ?
337神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:19:52.53 ID:ckmbMhB7
 
 
そもそも、世俗諦・勝義諦がどう解脱に役立つのか。
 
そこのところを棚上げにしていたら、いくら議論しても無意味だろう。
 
机上の空論だよね。
 
 
338神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:26:32.13 ID:vzY9W+OQ
>>336
いや・・
まさに >>51>>81>>99(&>>157w) なんですけどね・・・。


(余談かもしれませんが、今、レスフィルタしてて、貴方の157への評は、まだのようですね。)



>この部分だと
ごめん、それだけだと、ちょっと自覚・自省のカギが見えないw
339神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:33:03.71 ID:ckmbMhB7
 
 
解脱に役立たないような知識や議論は空理空論だろ。
 
世俗諦や勝義諦は解脱にどう役立つのか。
 
そういった問題意識はある?
 
340神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:39:27.50 ID:vzY9W+OQ
>>336
ああ、(的確にできるかどうかわかりませんがw)
少し例を出せば、

≪ 【田中さん】が、【腐った豆腐】を【食べ】て、【その果】として食中毒になって、【苦】しんだ ≫
という事象があったとします。
このとき、勝義では、『中などという存在もなく、豆腐も無く、果もなく、苦もない』わけですが、
世俗としてはそうではありません。
『田中さんがあり、豆腐があり、食べ、苦がある』わけです。
これ(田中さんが苦を受けていること)は【世俗として“真理”】です。

私は、狭義の「諦(sacca,satya)」は四諦・三法印・縁起限定と思いますが、
広義の「諦」は、上に縷々述べてきたようなものと見ています。
でなければ、諦と言う必要も無く、ただ「言説に依る」だけで済みます。


>>339
新入りは黙ってろw
それしか議論してきてないとでも思ってんのか?w おめでたいな。
341神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:39:40.13 ID:UG5jUAXg
>>338
その上げられてるレスの私の説明は、  >326 >327 に、ピッタリ合うと思うんですよね・・・・・
ってか、 前のレスのほうが上手く書けてる。
後半に行けば行くほど、 いろんなレスを相手にしてるので、 上手く文章が書けてない。
どんどん文章がへたくそになってるw

で、 >>327 について、自分なりの解釈をしたいと思います。
ちょっともう少し時間を下さい。
ってか、 最初に326について延々と書いていたら、 >>332のレスが来て、
全部消しちゃったんだけどね。
だから書き損になるのが恐い。  が、 ちょっと書いてみます。
342神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:42:30.44 ID:ckmbMhB7
 
 
中論第1章1詩で、事物には実体が無いと宣言し、
 
さらに10詩で、それゆえ縁起は成り立たないと言っている。
 
縁起は関係ない。この世は最初から「空」なのだね。
 
343神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:54:50.58 ID:UG5jUAXg
>>340
>『田中さんがあり、豆腐があり、食べ、苦がある』わけです。
>これ(田中さんが苦を受けていること)は【世俗として“真理”】です。

ここですよねw
ここをいつも説明してるんですが・・・・・

世俗としては、 「田中さんが腐った豆腐を食べて、 食中毒になった・・・」 というのは事実ですよね?
つまり、 実際にそこに、確かにある・・・ と思ってるわけです。
これは世俗というか、 一般常識的な見かたです。
で、ここを超えさせるのが、 「勝義諦」 であり、 「世俗諦」 なわけです。
田中さんが腹を壊した・・・ という世俗の、一般人から見る現実には、 いくら「勝義」で
「空」だ、 「無」だ、・・・といっても通じません。
目の前に本当にあるんだから。
そこで、世俗にも分かりやすく説く必要があるわけです。  世俗の言説を使って・・・・。
それが 「世俗諦」 です。
「空」 だ、 「無」 だ、 ・・・と言っても通じませんから、  縁起や、仮設として、 
「田中さんが腹を壊している・・・という現実は、 諸所の縁によって、仮に起こっているものであり、
あなたの苦しみも、 腹を壊しているのも、 すべて仮なのだ・・・ 縁起によって生じているだけなのだ・・・・」
というのが、 世俗による真理の説明・・・・・ つまり、「世俗諦」 ということになります。

ここで、「空だ、」 とか、 「無い」 と断言すると、 そこに引っかかられる思うので、
慎重に、 「縁起」 「仮説」 という言い回しをしてみました。
で、多分、ループすると思いますw
というのは、 この説明と返答を、今まで何回も繰り返しているからですw
344神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 23:57:35.55 ID:mhmoYsvd
>>334
なんか、カッタルい議論が続いてますなあw
こんなとこ過去すれで散々やったとこじゃん。

勝義は時空際断の如くだから<説似一物即不中> 、
『百丈野狐(無門関2)』で黄檗が百丈和尚の横面をぶん殴って説示させなかった境涯だ。

世俗言語を借りて、せいぜい示唆(その代表スタイルが両端否定形式)するのみ。

ちなみに勝義は<説似一物即不中> で相対分別不立だから、
龍樹?や青目の▼一以世俗諦 二第一義諦=二諦▼という表現は完全な誤りだということは指摘済み。
上記中論24-8〜10は全面改訂が必要だ。

>諦(→ariyasacca,Aryasatya )としては勝義しか言われていない、と見ることもできる。(「二諦」は漢訳の勇み足だった、と。)

これはまったく逆。諦(→ariyasacca,Aryasatya )としては世俗でしかいえない。

龍樹や青目より黄檗のほうが縁起の現観に達している。
諦=真理なら相対分別世俗でしか成立できない。
勝義は諦=真理ではありえない⇒したがって『10:若不依俗諦 不得第一義 』は誤り。
正しくは『10:若依俗諦 不得第一義 』だ。これが【般若門】の関である。

まあ、おきばりやすw
おやすみ。
345神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:06:39.12 ID:NsucwO73
>>342
>縁起は関係ない。この世は最初から「空」なのだね。
 
アホ⇒中論24-18
346神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:09:14.71 ID:gHEI8R/Z
>>342
>中論第1章1詩で、事物には実体が無いと宣言し

「存在」という言葉を使っている以上、「実体がない」などとは言っていない。

「因果関係から生じた実体はない」と言っているのである。釈迦の「因果関係」の
明示的な否定である。

「(実在性のないものに)これが有るときに彼があるというこの(法則)は、
得られないのである」(中論1:10)。

これも、釈迦の命題の明示的否定である。
347神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:10:46.77 ID:EVSNdpJW
>>343
なるほど。
永遠平行線か・・・w

つか、そうすると、悔しいがやっぱり
 『パーリは見解が低い』
という評を払拭できんな・・w
一代は、「阿羅漢止り」「一切智の欠如」を理由にしてたけど、
新たに「世俗の事象は世俗の事象としてアリ」な点が加わって駄目押しされてしまうなwww

ま、(過去何度かボヤいたことだけどw)中論ほど“トガろう”とは思わないからいいけど・・。
348神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:11:06.20 ID:oe2P7ZeD
>>340
>≪ 【田中さん】が、【腐った豆腐】を【食べ】て、【その果】として食中毒になって、【苦】しんだ ≫
という事象があったとします。

十二支縁起の応用問題として見ましょう。
世俗諦:【田中さん】が無明だから【腐った豆腐】を【食べ】て、【その果】として食中毒になって、【苦】しんだ
勝義諦:【田中さん】が明智だから【腐った豆腐】を【食べ】ず、【その果】として食中毒にならず、【苦】しまない
349神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:13:47.47 ID:NDgF2Ogp
>>345 
それじゃあ、中論第1章1詩と10詩をどう説明する?
 
これを説明しなければ、先に進めないのと違う?
350神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:15:08.42 ID:gHEI8R/Z
>>348
釈迦が腐ったもの又は毒物を食べて食中毒になり死んだのは、彼が無明だった
からだなwww。
351神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:17:27.95 ID:oe2P7ZeD
>348
>勝義諦:【田中さん】が明智だから【腐った豆腐】を【食べ】ず、【その果】として食中毒にならず、【苦】しまない

勝義諦2:【田中さん】が明智だから【腐った豆腐】を【食べ】て、【その果】として食中毒になって、【苦】しんで他界した
自殺せずに他界したい場合のオプションでしょう。
352神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:20:45.51 ID:NDgF2Ogp
>>346
存在でもいいが、事物に実体が無いことを「空」という。
運動を否定したり、時間を否定したり、作用主体を否定したりするのは、
事物に実体が無いことを証明しようとしている。
353神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:22:14.11 ID:FNlyCGLq
>>347
で、>>327を私なりに解釈すると、

>もし、一切法の不生は是れ第一義諦なり、第二俗諦を須(もち)いずと謂わば是れまた然らず。何を以っての故に、

これは、 「一番絶対な教えは、 勝義諦である・・・  世俗諦はいらない・・・ というけど、そうではない、」  ってことで、
>>311 と同じ、
「言説に依拠しないで勝義は示されない。  勝義を証得しないでは涅槃は証得されない。(第二四・−o偶)」 これと同じこと出すわけですよね・・・?
つまり、
「世俗諦」 によらなければ、「勝義諦」 は得られない。
「勝義諦」 が得られなければ、 「涅槃」 は得られない。  ・・・と。
(これはお釈迦さまの言葉ですかね・・・・?)

そして、 
>第一義は、皆な【言説に因る】。【言説は是れ世俗なり】。   と来るわけです。

「第一義は、皆な【言説に因る】。」 とは、 「勝義」 は言説で示される・・・・ ってことです。
そしてその言説とは、 「世俗の範疇にあるもの・・・・」(←表現が難しい・・・誤解を生む可能性も・・・) というニュアンスです。

>この故に、もし【世俗に依らざれば】【第一義は則ち説くべからず】。(…説き得ない、説かれ得ない)

「(世俗の範疇にある)言説というものによらなければ、  勝義は説かれない。」

こういう風に解釈するのが、自然だと感じます。
なかなか上手く説明できない。    ちょっと言葉をミスると、 即誤解につながりますからね・・・・
そのつど応答していけばいいですが、 これも基本姿勢が変わらなければ、ループになります。
354神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:26:16.81 ID:EVSNdpJW
>>348
てめぇは、巣鴨の地蔵さんの頭に手をかざしとけw
355神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:27:44.92 ID:FNlyCGLq
>>347
その辺のことは、何を言われているのか、私にはさっぱり分かりませんが、
説明していただいて、 こっちもそれなりに調べれば、 どういうことか分かるんですけどね・・・・
ちょっと世俗諦で手一杯ですね;;
356神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:30:34.48 ID:gHEI8R/Z
>>342
>縁起は関係ない。この世は最初から「空」なのだね。

確かに、中論第一章は、「釈迦の」縁起(因果関係)も明示的に否定して
いるね。

要するに、釈迦と空論とでは、「縁起」の意味が本質的に異なるのである。
中論は、「釈迦の縁起に新たな意味を与え、それを換骨奪胎した」とされる
所以である。

仏教徒はさかんに「縁起」という言葉を使うが、上記のいずれの意味であるかを、
常に明示すべきである。
357神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:33:16.85 ID:EVSNdpJW
>>353>>355
う〜ん・・・
なんつったらいいのかなぁ・・w


幼稚園児の孫が、どんぐりに絵の具を塗って、紐つけて
「ほら、宝石のペンダント」とくれたとき、
勝義では「只のどんぐり」すら超えて、「所縁により仮設された、どんぐりという名称の果実」なわけ。
でも、
爺ちゃん【に於いては】、そこに(孫が宣言した(=名付けた)通りの)【宝石のペンダント】以外の何ものでもない。
前者が勝義諦で、後者が世俗諦。
こういう喩えだとどう?w
358神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:35:55.14 ID:EVSNdpJW
ああ、これも参考になるかもw

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/25-26
359神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:38:31.05 ID:hGMN2Da7
 
>>285 の続き

中阿含経などに説かれた、仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法によって

受と想を滅させて、すべての見解を棄てる、と言う事かも

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama27.pdf

第二十七章 見解(邪見)の考察

30
(受と想を滅させて)
すべての見解を棄てるようにと導く
真実の教え(法)を
慈悲の心から説いて下さった
ゴータマにひれ伏します
360神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:38:54.87 ID:NDgF2Ogp
>>356
1詩では「他のものからも」で因果関係
「自他の二つからも」で相互依存も考慮しているから、
竜樹の「空」は釈迦の縁起(因果関係)を拡大解釈している。
この世は「空」だと言っている。話の途中だけどオチ。
361神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:54:05.82 ID:gHEI8R/Z
>>360
「自他の二つからも」「生じたものとして存在するのではない」だから、やはり
因果関係である。相互依存とすると、「存在するものではない」では、中論の
「空」も否定してしまうことになる。中論は、存在について「生起」の概念を
否定しているのである(1:7)。関係性であれば、もろもろの存在は「関係性
の変化」に過ぎず、「生起」の概念は生じ得ないのである。
362神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 00:55:22.64 ID:FNlyCGLq
>>357
う〜ん、「宝石のペンダント」 を認めている状態なんですよね・・・・?
それがある、と思ってる・・・・   これは世俗諦じゃないと思います。

で、 、「所縁により仮設された、どんぐりという名称の果実」 ・・・・この説明こそ、
「世俗諦」 だと思います。

この場合の勝義とは・・・・、、 ただ 「どんぐりは無い、 空だ、 宝石のペンダントもない、」  ・・・ということだと思います。

単純に言うとそういう感じだと思いますが、 ちょっとした言葉の言い回しや、 読み違いによるミスによって、
誤解を招きそうで恐いような気もしますが・・・・・
363神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:03:55.45 ID:EVSNdpJW
>>362
ああw
だから、決定的に平行線なんだな。

まさに、
≪『どんぐり=ペンダント』を【世俗に於ける】【諦】【と見做す】か否か?≫
が、貴方と私の境界だからです。

仏教で「(聖)諦」といえば、原則「四諦」のみです。これは、釈尊以来の基本原則となります。
が、そこで少しでもカバー範囲を広げるなら、その広げる範囲が千差万別となるのでしょう。


しかしながら、「言語で示された勝義が世俗諦」というテーゼには、
まだ首肯できずにいます。
が、今日はこの辺でw  ノシ
364神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:05:34.68 ID:gHEI8R/Z
>>362
仏教徒は「仮設」という言葉は使うべきでない。「仮設」は「常設」を前提と
するし、すべてが仮設なら、仮設が常設である。論理的に、極めて違和感を
感じる。

中論に仮設が使われえ入るとすれば、それは、説明の困難さゆえに「やむを得
ず」使っただけ。
365神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:06:53.68 ID:hGMN2Da7
 
>>291 サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A さんへ
> 一代さん 叩くクリスチャンなんていたの?
> そんなのわたしがお相手するのに^^

仏教議論スレッド47
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1349669547/

643 :カラスの唄 ◆jPpg5.obl6 :2012/10/16(火) 02:52:28.89 ID:M+nVTYDm
… 暇人のカトリック神父の話に対する反論にしろ …

705 :暇人:2012/10/17(水) 07:54:06.52 ID:L2PvFTzV
… 滅尽定を悟りとする初期仏教経典は沢山ある …

想受滅(滅尽定)
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅(滅尽定)を成就する

 − これに対して −

縁起一代先生の場合は
「 滅尽定(想受滅)は、青目(ピンガラ)という人物の勘違いである 」

 ↑ こんな感じの議論の流れだったような気がする
366神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:10:06.53 ID:EVSNdpJW
隠居と閻魔も茶茶入れしかできてないがw、
パーピは、勿論、積極的に参加できるよな?w
このシリーズの古株だし、一代から賢者の称号も貰ってるし、
是非、ワシと彼との間での膠着状態を解きほぐしていただきたいものだwww
367サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/09(水) 01:10:15.84 ID:wzwEaDS3
>>365
カラスの唄氏も暇人もクリスチャンではないです

暇人は仏教もキリスト教も近代主義の まぁ団塊世代の典型ですね
368神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:14:01.84 ID:EVSNdpJW
>>364
>すべてが仮設なら、仮設が常設である

相変わらず・・┐(´ー`)┌
隠居節絶好調だなw

すべてが「赤でない色」なら、「赤でない色」は「黒色」なのか?w
白色だったり黄色だったりしないのか?w
369神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:14:51.61 ID:FNlyCGLq
>>363
というか、あなたの喩えに合わせるのが、苦労するのです。
最初のお題がどんなものであろうと、 それにあわせますよ、こっちは。
今真剣に、 托鉢の例について、 長時間、頭を悩ませていたところです。
他人のテリトリーで議論するってのは、 難しいです。
向こうが一方的に与えた題目に、答えるわけですから・・・。
それで一方的にガッカリされても困るわけですが。
一方的にお題を与えて、 一方的に突き放すんでは、  あわせ損です。
あなたの方も、回答に対してなんらかの合意点というか、あるいは、そうならないことへの説明をするとか、
そういうことしないとこっちが疲れるわw
さんざん頭悩ませた結果がこれかよってw
370神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:17:28.69 ID:EVSNdpJW
>>369
・・・・。

「言語で示された勝義が世俗諦」というテーゼには首肯できない。
371神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:18:24.98 ID:EVSNdpJW
途中で送信しちゃいましたが、
>>370の一点ですかね・・・。


ノシ
372神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:21:28.22 ID:gHEI8R/Z
>>368
君は、喩が下手糞w。

「すべてが赤」なら、「赤」という概念は生じない。「相対的ならざるものは
ない」。言語の機能は「選別」である。
373神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:28:11.31 ID:FNlyCGLq
>>370
そう、それならばそれでいいんですが、 それだったら最初からそれで終わりです。
っていうか、 そこはおそらく曲げないだろうな・・・・ って思ってました。
そこを曲げては、あなたの今までの、 「輪廻の主体は存在しない・・・・ を導くのは、 この世の世俗的常識」 だからです。
これが崩れると、 あなたの 「無我説による、輪廻に主体はない・・・」 というお題目が崩れるからです。
ところで、 学者たちはどう思っているのでしょう・・・・?
どうも、 世俗の現象そのままの理で、  輪廻の説明がなされなければならない・・・・ という風には、
学者は解釈しないと、思うんですよね・・・・・
なぜなら、 その解釈は、 「世俗諦を、 世俗の常識の真実とみる」 ・・・ということですからね。
これだと一歩間違えると、 大変なミスになってしまうからです。
事実、 私は間違えてるとみますし、  下手な学者でなければ、 そう思ってるはずです。
おそらく学者は、 「無我により、 輪廻の主体はない」 止まりではないですか・・・?
そこに世俗諦の解釈のミスは入ってこないはずです。
輪廻の主体はない・・・と主張されるほとんどの学者は、  世俗諦のそういう解釈によって、
継承される、時間的に移動される、基体というものが説明されなければならないと、 そういう論をはってるんですかね・・・?
もしそうだとすると、 仏教学は終わりです。
374神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:28:21.77 ID:EVSNdpJW
>>372


>すべてが赤」なら、「赤」という概念は生じない
全てが赤なら、それは赤じゃんw 赤という概念かどうかなぞ関係なく、
或る一定の様相Aであるわけだ。

で、全てがAであるなら、それはBである、と>>364は言ってるわけ。

わかる?w
375神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:36:52.50 ID:gHEI8R/Z
>>374
「仮」という言葉がおかしいのだよ。よーく考えてご覧。
376神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:46:57.06 ID:hGMN2Da7
 
>>365 の続き

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama17.pdf
第十七章 行為/カルマ〔業〕とその果実の考察
15.捨てること(断)によっては、それは捨てられない
放棄は瞑想(修道)によって見いだされる

http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama26.pdf
第二十六章 十二の鎖の環(十二因縁/十二縁起)の考察
11.無知(無明)が止まると行為(諸行)は生じなくなるだろう
無知の停止は瞑想と知恵(智)を通して生じるのである

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
諸の禅定の中で、滅尽定(想受滅)を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する

 − これに対して −

縁起一代先生の場合は
「 滅尽定(想受滅)は、青目(ピンガラ)という人物の勘違いである 」

 ↑ こんな感じの議論の流れだったような気がする
377神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 01:54:49.05 ID:hGMN2Da7
 
>>367 サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A さんへ
> カラスの唄氏も暇人もクリスチャンではないです
> 暇人は仏教もキリスト教も近代主義の まぁ団塊世代の典型ですね

 ↑ 了解致しました、そして >>376 も御確認下さいませ  屮(_ ._)屮
378サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/09(水) 01:58:28.38 ID:wzwEaDS3
>>377
ご丁寧にありがとうございます

暇人は真宗系の人間なので輪廻転生に否定的であったり
そこらあたりのバイアスが強いです
379パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/09(水) 02:03:04.62 ID:bY45P78W
>>366 wwwwwwwww いやいや、横から乱入してもいけないかと
思って、静観してたんだがwww

オレは、言わんでも分かると思うが、基本、セブンの見解に同意ww
「世俗における真理」というものを認めるよw

「言語で示された勝義が世俗諦」・・・・・これは、限定しすぎじゃねのか?w
所詮は、語彙の射程範囲の問題だと思うがw

「世俗諦」という語彙をそのような意味合いに使用することもあるかと思うが、
それのみに限定してしまうと「二諦」を立てた意味がねえようなww

テラワダなんかでは、はっきりと「現世における真実、事実」・・・・
これは例えば、「水は100度で沸騰する」 みたいな科学的真理も、「世俗諦」の
射程に含めて解説してたんじゃねえの?w

勿論、セブンがあげてた心情面における真実・・・・「おじいちゃんにとっての宝石」
ってのも含めてなw

「言語で示された勝義が世俗諦」・・・・これに限定しちまうと、「世俗視点による
価値体系の否定」につながってしまうわけで、例えば、「AさんがBさんを殺した」・・・
これなんか、勝義的視座から見れば、「縁起によってそのような現象が起きた。」という
単なる「現れ」としか看做さないわけだが、世俗視座からすれば、それは、「悪」・・
あってはならないこと、という、善悪判断が生じるw
仏教は、世俗おいては、そのような「分別」を認め、『悪業をなすな』・・・を真理として
いるわけだわなww  このような「一般社会における真実」というのも『世俗諦』という
語彙の射程に含めていいと思うがねw

っていうか、この「俗諦」ってえのw 宗派によって、かなり意味合いが異なるようなw
(まあ、今のところ、あんまり調べてないんで、わからんがww)
380パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/09(水) 02:09:57.36 ID:bY45P78W
>もしそうだとすると、 仏教学は終わりです。

ホント、分かってねえなwww
「業論」自体が、「バリバリの世俗」なんだから、それに解説入れると
すれば、それこそ「世俗の論理」が要求されるだろうがww

そこをすっ飛ばして「仏教ではそうなってるんです」しか言えねえのなら
それは「信仰」なんだよwwww
381神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 05:12:56.71 ID:bY45P78W
ざっと、見てみたが、 一言で言ってしまえば、「時代、宗派によって」
様々だね、「二諦の解釈」はww

一例を挙げると、真宗などは、もろに「世俗諦」=「世間の真実、道理、道徳」
みたいな捉え方してるし、 世親の『倶舎論』でも、現象して現れてるもの・・・
勿論、勝義視点で見れば空であるが、「水は水として捉え、瓶は瓶として捉えることを
世俗の真理として容認している」なw

これらに共通するするスタンスは、勝義視座からのアプローチでは「全て空」と
「無分別」であることを真とするが、世俗においてはそれぞれの「顕現」「現れ」を
そのまま「世俗における真理」として捉えていこうとする姿勢だなw
つまり、「全てを勝義一本で括るのではなく、世俗における視点、世俗としての真理
も許容していこう」という姿勢だねw

諸悪莫作 や 衆善奉行 は、「世俗の真理」としなけりゃ仏教として
どうかと思うがwwww
382神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 06:44:11.86 ID:oe2P7ZeD
勝義諦を一番世俗の言葉で表現した良い事例が「四句分別」でしょう。

4通りの言語表現を全て否定したら、沈黙するしかないでしょう。
または4通りの見方がどれも成り立つという見方もあります。
相手に応じて真理を説き分ける四悉壇のようにです。

ヨーグルトを見て、牛乳だ、牛乳ではない、牛乳であり牛乳ではない、
牛乳であり牛乳ではないという訳でもない。
現代人であれば、この事例は大体ご理解いただけるかと存じます

また、作られたものは無常で変化しますが、どんなに輪廻しましても乳製品であり、
オレンジジュースとかコーヒーとか呼ばれることはないでしょう。

「ワレは乳製品」としての特徴はヨーグルト、チーズには中々確認できないので
「非我」と説明するべきかと仮設しております。
383神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 06:52:34.31 ID:oe2P7ZeD
>>372
>「すべてが赤」なら、「赤」という概念は生じない。「相対的ならざるものはない」。
>言語の機能は「選別」である。

現象界にピンクという色があります。勝義諦では言語の「選別」機能が寂滅します。

ピンクを見て、赤だ、赤ではない、赤であり赤ではない、
赤であり赤ではないという訳でもない。
現代人であれば、この事例も大体ご理解いただけるかと存じます。

さて地蔵さんにも手かざししましょう。。(^o^)/
384神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 07:02:09.83 ID:oe2P7ZeD
>>383
ピンクを見て、赤であり赤ではない、は「中道」です。

「中道」も勝義諦を世俗の言葉で表現した良い事例でしょう。
385神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 07:06:18.59 ID:x7jPVg+C
猫は赤色を見ることはできない
猫の世界には赤色はない
色もまた絶対ではない
386ノスタルジア:2013/10/09(水) 08:13:12.74 ID:SQ0AbTmZ
あわわ・・・。だからおぞましく見えるから逃げる。吐き捨てて逃げる。
これがまかり通る世の中はやはり末法だね。

しかしぼくがレトリック(レートリケー)を重んじているから、仕方のないことだ。
誰しもが、レトリックを嫌う傾向になる。それはソクラテス・プラトン・アリストテレス
が重要視していることであるからである。
ぼくは、そのようなものにはまったく関心がない。まああえていうなら、プラトンだが、
でもそれでも、そこまで関心がない。

キミたちを魅惑させるような文章を書くと、キミたちは惑うから、キミたちは
僕の文章を嫌う。しかし、魅惑的な文章が形骸化したならば、もうこの世には
価値はなくなる。言葉が形骸化しているので、価値がなくなるのである。
もし、キミたちがレトリックを行動の中でできなくなるならば、もうキミたちは
脳内生物か人口ロボットみたいになるのだろう。ちなみにこの文章もレトリックで
書かれている。知恵あるキミたち、智慧あるキミたちは、もうこのようなことは
学習され終わっているのだろう。しかし、知恵や智慧が最終到達地点である
キミたちは、やはり末法の世に暮らしている。境地が優先ではない、最終到達地点に
立っているキミたちの方がすごいではないか。すごいよ、キミたちはすごいよ!
387345:2013/10/09(水) 08:20:15.32 ID:NsucwO73
>>349
>それじゃあ、中論第1章1詩と10詩をどう説明する?

縁起の現実の、
時空「際断」(道元)様相を、無理やり世俗の時空因果関係としての<一重の諦>=論理で示唆“説明”したものが1-1。
*既生事物から更に同一事物が生じることは時空因果関係としては、ありえないという原理。
無量因無量果(≒多因多果)縁起把握のポイントだ。縁起は十二支縁起のような特因特果ではありえない。

時空際断では、(世俗言葉で示唆された)無自性・無実体(の如く)だから増上縁(A→B)も非有非無の如しというのが1-10の趣旨。

但し、これは般若門透過体得の菩提心をもつ一切法門透過の凡夫を前提とする待機説法だから、24-11・12の処方上の注意書きがある。

菩提心もなくアタマだけでこねくり回す輩には、「無理」。
388ノスタルジア:2013/10/09(水) 08:22:25.70 ID:SQ0AbTmZ
キミたちは、フラクタルを繰り返しているだけである。行動の次は新しい行動。
その繰り返し。その中で、成長していると仮定するが、その仮定はむなしく時に
任せるしかないのだ。そして智慧で、仏陀になる如来になる。すべてを見通す。
でも、慧という字には悪賢いという意味があるそうだ。キミたちが悪賢く
なっていない理由はどこにある?

ぼくがもしこの世にいないと言っただけで、動揺する世の中でしかない、
この幻の世にいて、行動・人相の繰り返しをするだけならば、それはもう
人間の行動である、人間の人相であるとはいえない。

フラクタルであるキミたちがレトリックに怯えるのは当たり前ではないか?
なぜなら、単純な行動をしていた中に、異質分子を持った者が入ってきたら、
誰もが、顔をしかめるのだろう。それを顔をしかめるのは、人相が醜くなるということだ。
そして責任転嫁とかもする。

境地を自慢する者たちが嫌いと、パピーマンは言っていた。
ぼくは強くその意見に反対する。ようするに単一的な境地にみんなを貶めているからだ。
それで、その言葉を実際、昔から言っているでしょう?もう態度は変わらないのだよ。
つまり、単一的境地を受け入れて、それ以上のことはいらないと棄てているのだ。
これはもう手におえないし、仏性を刈り取っている、仏陀・如来なのだろう。
御立派だよ。そんなのぼくはおかしいと思うが。
389ノスタルジア:2013/10/09(水) 08:34:45.21 ID:SQ0AbTmZ
どのような境地が本来の境地なのか? そのようなことを考える探求者を
形骸化させる発言は毒である。境地というのは阿頼耶ということである。
または阿耨多羅三藐三菩提という。ここにおいて、ぼくは唯識学派に触れる
つもりはない。阿頼耶と阿頼耶識はちがう。

阿頼耶を探究している者たちを形骸化させるならば、法蔵菩薩も見えなくなるし
いい人もいなくなる、善友もいなくなる、善人もいなくなる。善がなくなる。
法蔵菩薩が見えなくなるならば、浄土も見えなくなる、観音も見えなくなる、
親鸞も見えなくなる、南無阿弥陀仏も見えなくなる、化学も見えなくなる、
それで損失するものが多大だということである。ほとんどの学習が困難になり、
学習が形骸化するだろう。

この世が変わるのではなく、自分が変わるのではなく、どのように変わるのでもない、
変わり方があるのだ。ぼくは変わるのではないという表現を連発したが、
そのどれかが変わるかもしれないし、真相は分からない、なぜなら、ぼくは
ここに今もいるし、阿頼耶の探求をしているわけではないからだ。
であるから、境地自慢という部類には当てはまらない。境地自慢する者たちは
もうこの世にはいない。でもそれは、如来・ブッダになるということでもないし、
如来・ブッダにならないということもないし・ないということでもない・・・etc

ぼくは阿頼耶に至り、阿耨多羅三藐三菩提に至りたいのだ。
390神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 09:20:38.24 ID:FdAT3Cyz
>>99 :神も仏も名無しさん[sage]:2013/10/06(日) 23:27:39.06 ID:BF8U3ErK>>81
>「世俗諦」 というのは、「世俗の視点で分かるように、真理の説明をする。」・・・ってことですよね?

いや、私はそうは理解していない。
真理の説明であれば(≒提示・説示であれば)それは勝義諦ですよw
勝義が、世俗の言葉、世俗の事象を借りて示されているだけです。
それは、ツールが世俗文法であるだけで、示されているのは勝義じゃありませんか?

世俗諦とは、『世俗に於いて真とされることがら』だと、私は理解していますが、どうでしょう?
391神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 09:33:12.06 ID:FdAT3Cyz
>>274 :神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:30:53.47 ID:XIi9kt+q
龍樹は修行僧、特に菩薩候補者の為に中論を残した。
釈迦の「因果関係」を否定したと読むとしたら、想定読者外だろう。

>>275 :神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:35:02.71 ID:XIi9kt+q
>>272 >でも中論が間違っていたと考えればすっきりする。

想定読者外が中論を読むと危ない、と月称菩薩もわざわざコメントしている。
想定読者:八正道を実践し、功徳を積んでいる菩薩候補者
392神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 09:45:42.98 ID:FdAT3Cyz
>>278 :神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 18:51:54.65 ID:XIi9kt+q
>>それで、あなたは、自分が想定読者だと思っているの?
八正道の実践もできておらず、功徳も積めておりませんので、想定読者外ですよ。
 
>>314 :神も仏も名無しさん:2013/10/08(火) 21:18:33.49 ID:XIi9kt+q
>自分には中論を読む資格がないと語りながら、
>なぜあなたは中論を読み、中論を語っているのか。

衆生済度の功徳を積んでおられる(と私が認識している)僧侶や仏教学者の
中論への解説を読んで本スレで紹介しているに過ぎません。
紹介者の私自身は主張の無いので「空」です。
393神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 10:37:13.99 ID:xyKoRfo5
>>392
それではあなたはすべて他人(注釈者)の見解の借り物ですか。まるで仏教ロボットですねw。
ナンセンス。
394【般若門】:2013/10/09(水) 10:44:28.96 ID:NsucwO73
>>390
>真理の説明であれば(≒提示・説示であれば)それは勝義諦ですよw

こんな間違った「説明」は【般若門】に達していないお方の特徴です。
その僧侶や学者やそれを平然と紹介するあなたもね。
世俗においては如理作意不足の未達者への一定の「効果」のある「原因」となるのです。

真理の説明であれば(≒提示・説示であれば)それはあくまで世俗諦ですよw
アタシに言わせてもらえれば、この論争はどっちもどっちですねw
勝義は「真」「理」=真の知的論理ではありえない。
縁起の直接現実(勝義)はあくまで「現実」(の如く)であって相対論理はない。
真理は<真理⇔偽理>の分別相対前提の知覚間接現実の様相←共同幻想でしかない。

勝義は<説似一物即不中>⇒>>344
(机龍之介氏の言われるように)【一切門】で無門関2「百丈野狐」を徹底的に如理作意することが必要と思います。
「不落因果」「不昧因果」の“説明”を百丈和尚にさせずに、その横面を黄檗が殴ったところがポイントです。
「不落因果」「不昧因果」の両者共に【般若門】透過を前提とするからです。
一種のパラドックスですね。なんと、道元さんも晩年ここで迷いが生じた?ようです。
【般若門】に言葉は不立です。
毒(言語)によって毒(言語)を制することはできません。あくまで毒(言語)でしかないからです。
ここでペンキ屋一代さんもずっこけておられましたw

おきばりやすw
395【般若門】:2013/10/09(水) 11:01:52.20 ID:NsucwO73
勝義の説明とやらは、
仮に時空を生み出したビッグバンなるものがあったとして、
<ビッグバン“以前”>を問うのと同じぐらいの愚かさナンセンスです。
時空際断の様相に相対言語論理はありえず、問いや説明もありえないのです。
396神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 11:03:05.13 ID:EVSNdpJW
>>373
┐(;´ー`)┌


そう。 近代仏教学は、今貴方が指摘した形式で輪廻排除をしています。
(一代はそれを嘆いておられましたw)

ですが、それはそれとして(近代仏教学の又別の問題です)、
なぜ(中論嫌いのw)私が中論ベースの二諦に付き合うかと言えば、
「業論」成立に欠かせないからです。
「世俗に於いて真である因果の連鎖(→業果は必ず受ける)」を認めずに、七仏通戒偈も無いからです。
貴方が言う「言語によって勝義が示されるだけ」では、業論を支えられないのです。
(現に貴方は、一度もココへ返レスしていないでしょう? なぜです?)

アングリマーラが、人々から仕打ちを受ける。
この事象は、世俗(諦)以外の何ものでもありません。
(尤も、このエピの後半描写を新層の創作とするのも一つの見識ですが・・)
勝義に於いては、業も果も仕打ちも受者も居ないのですから。
しかし釈尊は言います。 来世で受くべき果を、今、受けているのだ、と。


貴方の言い分は、多くの輪廻否定論者(及び勝義原理主義w?)と同じく、
『輪廻なぞ勝義に於いてはない』『来世を懼れる必要はない』ということなのです。
しかし貴方は輪廻を肯定し、来世への懼れも肯定し、
その上で「輪廻からの解脱」を仏教に於けるコアとしていませんでしたか?
世俗諦としての輪廻という世俗の事象を首肯しながら、世俗の事象は諦ではない、と。
そこに違和感を覚えたことも、粘着の理由の一つです。
(勝義厨の多くは、それが勝義でないという理由で、幾つかの要素を捨象するからです。)
それは、まぎれもなく、「【世俗の】(loka-)sacca」だからです。
「【聖】諦【ariya】-sacca」とは別立てと見て初めて二諦が立て得ると、私は考えます。
397神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 11:12:22.77 ID:EVSNdpJW
>また、作られたものは無常で変化しますが、どんなに輪廻しましても乳製品であり、
>オレンジジュースとかコーヒーとか呼ばれることはないでしょう。

お前は、またそれを言い出したのかw  >>392
『どこまで行っても乳製品』って縛りは、
人間で言えば、一回の生の中の存命中の個々人の変容と同じなの。
スパンの切り方が短いだけなの。
それを超えたら、乳製品の枠を超えるの。オレンジジュースやコーヒーもあり得るの。
そこで、『いや、乳製品(人間)にしかならないんだ』としているのが神智学でしょう?w

いったい、この長いシリーズのどこを見てきたのでしょう・・・・。   orz
398パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/09(水) 11:13:20.47 ID:bY45P78W
>>394 だから、そういう話じゃねえってw

「勝義」が言語を超越している・・・・これに異論を唱える者は少なくとも
ここにはいないってw

その言語を超越している「勝義」に世俗からアプローチするなら、
世俗のツール、言語、および文法等を使用するしかないw
そのようにして、言語をもって「勝義」を説明したとき、それを
「世俗諦」という語彙で表すのは適切か?  ということだろ?w

そこで説かれてることは、(もちろん、本来、言語によって説かれることなど
不可能なことは言うまでもないが)、その説かれてる内容は、勝義でしょ?
勝義の解説なんでしょ?  ていうことさw

だから、それを「世俗諦」という語彙で指示するのは(もちろん、そういう意味合いも
含有する時もあろうが)、  誤謬を招く場合が多いんじゃないの?
「世俗諦」という語彙は、「世俗、この現象界において一般的に真理として
認知されていること」・・・・こういう意味で取られることのほうが多くないですか?
・・・・ってことだと思うぞwww
399神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 11:20:31.63 ID:EVSNdpJW
>>396
ああ、こんなのがありましたね・・・。

梁武帝問達磨大師。
如何是聖諦第一義。
磨云、廓然無聖。


>>398 うん、↑のようにね・・w
400パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/09(水) 11:22:44.65 ID:bY45P78W
wwwwwwwwwwww 「真理は勝義一本。 二つとなし。」
こういうスタンスでいくなら、そもそも業論支持とはならんわなww
(まあ、これが閻魔の立ち位置なんだろうがw 筋は通ってるw)

「一方では、勝義のみを叫び、他方では業論を叫ぶ」 かwwww
401ノスタルジア:2013/10/09(水) 11:26:26.11 ID:SQ0AbTmZ
異質分子は外野の異質分子である場合は、いらない。
そのようなものがあると思う方は、おかしくなる。
であるから、外国の思想はほどほどのしておいた方がいいが、日本もあるいみ
外国なので、この世の思想にそこまで執着してはいけないことになる。
そういう点では、日本語というのは、唯一の助け舟であり、そこに
入り込む、人名、たとえば阿弥陀・弥勒などは、異質分子として除外される
べきである。このような言葉が根底にあるわけがないのだが、あるように
自分を誤魔化さないといけず、ある意味、宗教と言うより呪術的な側面が
強調されていることに気づいたのだぼくは。

レトリックとフラクタルの関連性について指摘しましたが、キミたちは
その行動のフラクタルに支配されていると言っているのである。それは
行動・人相の衣替えが転生という季節ごとにあるだけで、その時に
回っているのだと言っているのだ。

ここでは、ぼくの境地における、阿弥陀と彌勒の不用について話した。
では、なぜ、ぼくは南無阿弥陀仏と称えていけないといけないのか?
それを超えるために称えるわけではなく、いつも前を見る中で、ひとびとに
気づいてほしいから、ぼくは南無阿弥陀仏を称えるのである。気づき出すと
南無阿弥陀仏はけっして不用なものではなく、むしろ必要なものである
人々もいることに気づくだろう。

ギリシャの人びとの習気は気持ち悪いことも分かった。恐ろしく気持ち悪い。
あんなものに関心があった自分をちょっと違和感を感じている。それなら
まだインド人の方がましだ。でも、その頂点であるはずの、阿弥陀・釈迦・弥勒
などが気持ち悪いので、やはり気持ち悪いのだ。この気づきは大きいよ。
たいせつなことは、清浄になることであり、それは、気持ち悪いことを
うけいれることではない。気持ち悪いものは気持ち悪いと言わねばならない。
そして、ぼくを気持ち悪いとすれば、ぼくの中に眠る、真実を見えなくなるのだ。
そして、ぼくは厄介で、ぼくを信じないと、ぼくは真実を見せないのだ。
402神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 11:36:42.78 ID:xyKoRfo5
勝義とは、端的に言えば、宗教屋の職域維持の道具だね。宗教屋は、世俗から
世俗的なことに基づき突っ込まれると必ず負ける。何故なら、宗教とは、世俗的な
ことから見れば、すべて妄想だからだ。それゆえ、宗教屋は、反論に窮すると、
勝義を持ち出して言い逃れようとする。それだけの話。詐欺の一種である。
403ノスタルジア:2013/10/09(水) 11:36:56.25 ID:SQ0AbTmZ
法名・僧名・仏名 なんでもいいがそれらを信じることは、日本語を裏切ることである
ことを覚えておいてほしい。釈迦・弥勒・観音・法蔵・阿弥陀などのもろもろの仏は
ぼくは気持ち悪く感じる。しかし世尊という言い方には気持ち悪さを感じない。
さらに、いうなら、唯識の考え方には気持ち悪さを感じない。人間臭がすれば
すごく、悪臭を感じる。そういう点では、ぼくは自分のことを人間味のない、人間臭のしない
者であると思っている。

ぼくはキリストはホログラフィー技術で再生すると考えている。
逆にいうなら、ぼくはホログラフィー技術でとうとうこの文明が滅ぶまで
(文明の名を変えても一つの文明として見るが)異質分子とされるだろう。

キリストはアラム語を使っていたらしい、そのアラム語は正しい語であるが、
アラム語を使うキリストはホログラフィー技術で再生されるほどの他愛もない
存在であると考えている。なぜならアルトー論でいうなら、器官なき身体
でしかないキリストはホログラフィー技術で再生されるしかないからである。
404ノスタルジア:2013/10/09(水) 11:40:01.67 ID:SQ0AbTmZ
オブジェクト指向プログラムの設計において「直接依存するオブジェクトに対してのみ、
通信を行いオブジェクト同士の無駄な依存関係を排除することが出来るようにする設計方針」。
つまり「直接の友達とだけしか話さない」事で任意のオブジェクトが自分以外(サブコンポーネント含む)
の構造やプロパティに対して持っている仮定を最小限にするオブジェクト指向プログラムの
設計におけるガイドラインをデメテルの法則とか最小知識の原則という。デメテルというのは
オリュンポス十二神の一柱でその名は古典ギリシア語で「母なる大地」を意味する「デーメーテール」
「掟をもたらす者」という意味の「デーメーテール・テスモポリス」という
添名がある女神に由来する。つまりこれがバビロニアサーバーの生体パーツ、マリオネットに過ぎない
あなた方の思考原則の架せであり、自己の内部構造以上の事は知らすのは
システムの邪魔になるという私があなた方に入れ知恵する事が「疎まれる」意味である。
私はソースファイル・ソータの命令を受けて予めソート(選別)されて産まれてきたから
そういう予定通りの「クラス」に属している。つまりサーバーの自己オブジェクトの内部構造以上のデータで
システムを圧迫させるという「最小限の知識原則」を犯していない。

上記ノイズ氏への回答↓

セルフ= http://ja.wikipedia.org/wiki/Self

セイン=役職http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E8%81%B7
405【還滅門】:2013/10/09(水) 11:43:26.87 ID:NsucwO73
>>400
>真理は勝義一本。

縁起の直接現実(勝義)に真理観念は不立と何度言ったらいいのかw

アタシは・(縁起の間接現実で)縁起を知覚する者は四諦を見る(中論24-40)
    ・(縁起の直接現実で)縁起を直覚する者は空四諦を現観する(般若心経)
    ・(縁起の還滅現実で)縁起を統覚する者は即四諦即非四諦に慶安す(閻魔)


    これだけですよ。
406パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/09(水) 11:47:27.94 ID:bY45P78W
こいつ、とにかくスタンスに一貫性がないんだよなwww

「輪廻もうさぎも共に経典上に記述があるが、『輪廻は重要なファクター
だから真実で、うさぎはそうでないから方便』  である。」・・・とか

⇒「それぞれの事項の重要性について自分が言ってたくせに」  後には、

「釈迦が、自己の説法の中で輪廻を方便として語ったなんてことは有り得ない。
論争を避けたいのであれば、(その内容の重要性など考慮せず)絶対に話に
出すはずがない・・・・なんて、全てを等価に扱い、各事項の重要ファクター度
無視の見解を平気で主張するww

ただ、その場その場で議論に勝とうとしてるだけだから、スタンスに一貫性が
欠落しとるんじゃねえのか?www
んで、反証が破綻すると、スルーするとww
407神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 11:48:41.54 ID:oe2P7ZeD
>>397
>『どこまで行っても乳製品』って縛りは、
人間で言えば、一回の生の中の存命中の個々人の変容と同じなの。
スパンの切り方が短いだけなの。
それを超えたら、乳製品の枠を超えるの。オレンジジュースやコーヒーもあり得るの。

あるA国で牛がいて乳を搾られ、B国ではチーズとなり、またC国ではヨーグルト、D国ではバターとなりました。
もしバターが宿命通を得たとしたら、「我は昔、A国で牛の乳と呼ばれていたな。」と。
同様にワインも宿命通を得たとしたら、「我は昔、K国でブドウと呼ばれていたな。」と。

スパンの切り方の長短には関係ないでしょう。
勝義諦の「中道」で言えば「バターは牛乳であって牛乳でない」ということでしょう。
勝義諦の「四句分別」で言えば「バターは牛乳であり、牛乳でなく、牛乳であって牛乳でなく、牛乳であって牛乳でない訳でもない」ということでしょう。

>いったい、この長いシリーズのどこを見てきたのでしょう・・・・。   orz

この長いシリーズの前世では、「ポッタパーダ経」で釈尊が我を説いたか否かを貴僧と議論し、その時は説かなかったということで決着しました。
現スレでは同じ題材を見方を変えて、勝義諦の「中道」や「四句分別」ならばどう言語表現するかを提示しております。
以上、論点も「空」にて無常です。 (^0^)/
408パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/09(水) 11:53:46.32 ID:bY45P78W
>>405
>縁起の直接現実(勝義)に真理観念は不立と何度言ったらいいのかw

wwwwwwwww お前の言う「直接現実」では、真理、不真理という観念を
立てることすら不可ってんだろ?www
いいんだよ、それでww

しかし、この掲示板のような「間接現実」w において、対話を成立
させるには、「真理」というような語彙を利用するしかないのwww

「!%&%&’()’()=〜&」・・・・・これじゃあ、」分からんだろ?www
409神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 12:04:21.42 ID:oe2P7ZeD
>縁起の直接現実(勝義)に真理観念は不立と何度言ったらいいのかw

初めて「象」を直接視た人が他者に言語表現で正確に伝えることは無理があります。
電子顕微鏡で「ゲノム」を直接視た現代人が2500年前の衆生に言語表現で正確に伝えることは更に無理があります。
真理うんぬんではなく「直接ありのままに観じる」以外に仕方がない事例です。
410佳子様にゃん♪:2013/10/09(水) 12:36:01.06 ID:bWYPRw0r
>>409
だからこその直指人心

にゃん♪ \(^o^)/
411だいおう:2013/10/09(水) 12:39:55.93 ID:XJChIwr8
バービーマンが正統な知識見識があるのか、ないのか?
うーーん、ワイには理解不能w
ま、考えた事ねえw世俗諦なんてえw
ま、既存仏教の教義上での話では無いだろうなあというのは推定できるけどなあ、
既存仏教で考えるであろう宗派は法相宗唯識、天台宗、チベット密教ゲルク派ぐらいだろう。
412神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 12:45:53.78 ID:FNlyCGLq
>>396
>「言語によって勝義が示されるだけ」では、業論を支えられないのです。

ここですよ・・・・
なぜ業論を支える必要があるのですか・・・・? (現実存在として)
業果もまた 「空」 ですよね・・・?
業果もまた縁起しているってことです。
業論をそのまま認めるってことは、 この現象世界を自性のあるものとして、そのまま認めるってことと等しいです。
そのまま認めてたら、 解脱はありませんよ。
業果などない・・・ というのが 「勝義」 であり、 そこでは業果は認められていません。
しかし、実際に凡夫の側から見ると、 業果は存在してるわけです。
だから、 「無」 だ、 「空」 だ、・・・と、 一方的に言われても、信じることは出来ません。
そこで、 「業果は縁起によって仮に仮説されているものだ・・・」  という、 世俗の言葉を使った、 つまり、
世俗の立場で、「勝義」 を説明する必要があったわけです。

で、 >>323 の vyavahAram というのは、「世俗の言語習慣」 ・・ってことですよね。
中論以前には、「勝義」 しかなかった・・・ ならば、何を世俗諦・・・と呼んだか・・ってことですよね?
「第一義」 っていう時に、  まだ 「諦」 はついてないのですかね・・・・?
もしそうだとすると、  当然ですよね。     「諦(真理)」 そのものだからです。
「第一義諦」 ・・という言葉はいつ頃から出てきたのですかね・・・?
おそらく、 二諦の概念が出来た時だと、思うのですが・・・・
つまり、 「真理」 を指すものに、二種のものがあるため、「第一義諦」・・という言葉を作る必要があったと思います。
ようは、
「世俗の言語習慣によらなければ、 {最上の立場} を説くことは出来ない」 ということで・・・・、
ここで、「最上の立場上の真理」 と、  「世俗の立場上の(言語習慣で説かれる)真理」 とに、 二つの概念が出てきたことになります。
つまり、 「二諦」 という概念が出てきた。
前者を 「勝義諦。   後者を、「世俗諦」 ・・・と、分類した・・・。
そういう解釈をしたから、 後の訳は全部、 前者を 「勝(第一)義諦」。  後者を、「世俗諦」。 と訳すのでしょ。
413だいおう:2013/10/09(水) 13:02:23.88 ID:XJChIwr8
理屈で「二諦」の分類て・・・・
ゲルク派のツォンカバの論書で十分じゃねえの・・・
  
後は、法相宗唯識 ,ここでの業論は、たぶん修行の階梯とプロセスを想定して(ゲルク派もそうだろうなあ)
後は論理的でない天台宗で・・
414神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 13:09:47.14 ID:FNlyCGLq
>>396
ああ〜、言いたいことがようやく分かった。
つまり、仏教では布施によって、よい業を積むことが推奨されてるわけだ。
そして、悪いことはするな・・・と。
これは縁起により仮設されている 「業報」 というものを、つかむ行為じゃないかと・・・。

ここについては説明がつくと思いますけど、 今は時間がないので、また後で。
415神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 13:10:27.36 ID:FdAT3Cyz
>>361 
>「自他の二つからも」「生じたものとして存在するのではない」だから、
>やはり 因果関係である。
この読み方では、因果関係を示した直前の「他のものからも」と重複する。
 
>相互依存とすると、「存在するものではない」では、中論の「空」も否定
中論の空を否定したのではなく、縁起による実体の発生を否定しただけ。
 
>関係性であれば、もろもろの存在は「関係性の変化」に過ぎず、
>「生起」の概念は生じ得ないのである。
関係性の変化とは生滅そのもの。不生不滅にはならない。
416だいおう:2013/10/09(水) 13:15:07.19 ID:XJChIwr8
415あたりでバービーマンは突っ込みをかけるという気がするなあ。
ゲルク派、法相宗でない意味で。
関係性の変化は関係性の変化のままに不生不滅であるとか・・
417神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 13:19:15.49 ID:FdAT3Cyz
>>382
>勝義諦を一番世俗の言葉で表現した良い事例が「四句分別」でしょう。
 
四句分別は論議領域のことであり、世俗とか勝義とは無関係だよ。
方角で言えば、東西南北のようなもの。
418神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 13:40:54.89 ID:FdAT3Cyz
>>387
>縁起の現実の、 時空「際断」(道元)様相を、無理やり・・・

中論1章1詩は、何を根拠に主張されているのか。
三世問破や一異問破を使い、運動を否定、時間を否定、作用主体を
否定することによって、全般的普遍的に「空」が証明された
と考えることに基づいている。
だから犬も猫も、縁起とは無関係に「空」だと宣言される。10詩
 
これに対して縁起は、相互依存する二項の「空」を語るに過ぎない。
これでは、苦楽や善悪は空だが、犬や猫は空にならない。
419神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 13:42:12.13 ID:xyKoRfo5
>>415
>この読み方では、因果関係を示した直前の「他のものからも」と重複する。

「決して自己より生じたもの」という言葉に注意。「自己からの因果関係」も
否定しているのである
 
>中論の空を否定したのではなく、縁起による実体の発生を否定しただけ。

中論でいう「実体がない」とは、「執着すべき自性がない」というだけの意味。
実体(存在)そのものは、厳然としてある。
 
>関係性の変化とは生滅そのもの。不生不滅にはならない。

「関係性の変化」とは、抽象概念であり、要素の存在は前提とするから、生滅
ではない。その要素もまた、関係性の変化の産物。
420神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 13:53:02.46 ID:xyKoRfo5
石飛さんが、中論の縁起・空を「因果関係」としているのには驚いた。

釈迦カルトの彼女が、中論を釈迦と合致させたい一心であろう。

釈迦の縁起・空と、中論の縁起・空とは、全くの別物。中論が「釈迦の縁起」
をすべて否定していることは、前レスの通り。
421神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 14:21:27.33 ID:FdAT3Cyz
>>419
>「決して自己より生じたもの」という言葉に注意。
この部分は「自性」を意味している。
 
>実体(存在)そのものは、厳然としてある。
中論は無我、すなわち事物に実体が無いことを論証している。
 
>「関係性の変化」とは・・・要素の存在は前提とするから、
>生滅ではない。その要素もまた、関係性の変化の産物。
意味不明。具体的に話してください。
422神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 14:37:00.37 ID:xyKoRfo5
>>421
>意味不明。具体的に話してください。

量子力学的に言えば、すべての物質は、超高速で運動している粒子の関係的
集合体であるが、人間が見れば厳然たる実体。

粒子の種類は限定されているが、異なる無数のすべての物質は、その粒子の
関係性が変化しただけのもの、即ち、粒子の組み合わせ(関係性)の相違に
過ぎない。

「関係性の相違」という「抽象観念」だから(中身はスカスカ)、自性はない、
と言っているのである。
423神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 14:38:32.95 ID:FdAT3Cyz
全般的普遍的に事物の「空」を主張することと、
相互依存する二項の縁起から「空」を主張することは意味が違う。
この二つを区別できないから議論が混乱する。
 
別に縁起を否定しているわけではない。
縁起には縁起の射程があり、それは非常に役立つ理法なのだ。
苦集滅道には縁起の理法が欠かせない。
424神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 14:49:21.46 ID:FdAT3Cyz
>>422
関係性の変化を原子レベルで語れば、
生滅とは無関係に変化を語れると思ったら大間違い。
生と死の違いが無視され、肝心の命がどこかに隠れてしまう。
生滅がないのではなく、生滅を無視しただけ。
425神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 14:55:32.88 ID:FdAT3Cyz
>>420
石飛さんの中論は興味が湧かないので読んでない。
しかし、中論の縁起を、釈迦の因果関係の縁起と同じにしたら
まちがっている。仰るように、釈迦と竜樹の縁起は違う。
426:2013/10/09(水) 15:49:35.69 ID:hGMN2Da7
 
>>378 サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A さんへ
> 暇人は真宗系の人間なので輪廻転生に否定的であったり、そこらあたりのバイアスが強いです

浄土真宗で↓滅尽定(想受滅)肯定派の人もいるらしい

藤本晃(釈慈照) 宗派:浄土真宗

正しい禅定の作り方
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta3.html
5ー4 は悟りの体験

九番目の禅定

想受滅とか滅尽定などと呼ばれていて
想がはたらいているかどうかも分からない非想非非想処からさらに進んで
想で全ての触れることの滅を感受して、それでお終いになるのです
後は滅だけで、想もない状態です

お経で 「 非想非非想処を超え → 想受滅に達する 」 と説かれてます

最初の八つの禅定は感受を減らしていくもので、悟っていない人でも瞑想の達人なら達せられるものですが
この九番目の想受滅だけは、減らすだけでなく、滅するという、レベルの違うことをするのです
427:2013/10/09(水) 16:12:34.38 ID:hGMN2Da7
 
>>426 の続き

八正道を修習して

我、我所を滅する因縁の故に

非想非非想処を超えて

滅尽定によって、受と想を滅させて

無我、無我所を得て、智慧を決定する

と言う意味だと思います
428だいおう:2013/10/09(水) 16:20:55.10 ID:XJChIwr8
バービーマンが馬鹿にするぐらい、屁理屈こねている気がするなあw
ゲルク派のツォンカバの論書を容認するしないは別として取り敢えず基礎学習した方がいい方が多そうだなw
429:2013/10/09(水) 16:48:00.70 ID:hGMN2Da7
 
チベット ゲルク派 2013年7月8日最終更新
http://rdor-sems.jp/index.php?%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%91%E3%81%AE%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%AF%86%E6%95%99

ツォンカパのチベット密教

宗祖ツォンカパ大師の密教に関する主著として名高い
『真言道次第広論 (ガクリム・チェンモ)』をテーマに
ゲルク派の伝統教学沿って研究を行ない
その成果をまとめて書きおろした内容です

第T章では、仏教全体の教理・実践体系との関連から、密教とは何かを明らかにします

第U章では、『真言道次第広論』全十四品の内容を、順次概観してゆきます
第1節は、『真言道次第広論』第一品の概説です
第一品は、全篇の総論となる重要な内容で
顕教と密教の区別、四部タントラそれぞれの区別などを説いています

第V章は
無上瑜伽タントラ生起次第の行法を説く『真言道次第広論』第十二品の和訳と詳しい訳註です
第十二品は、『真言道次第広論』全篇の中でもとりわけ充実した内容で
灌頂を受けた修行者の実践にすぐ役だつ教誡が満載されています
430:2013/10/09(水) 17:06:26.56 ID:hGMN2Da7
431神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 17:34:24.86 ID:6EU8jfzf
>>421
>この部分は「自性」を意味している。

自己と同様、他者も、自他も、無因も、自性があるとすれば、それらから因果関係に
よって生じた存在にも自性がある。因果関係では、自性は否定できない。
 
>中論は無我、すなわち事物に実体が無いことを論証している。

中論は、引用や否定する場合を除いては、「無我」「無」などという言葉は、
一言も使っていない、 
432神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 17:41:06.28 ID:6EU8jfzf
>>424
「生命」は、思考や宗教に先立つ最高位次元、すべての根源だから、生命を
以って、生命を対象化することは不可能。

現象的に見れば、生命も、「相互依存性・関係性」の産物であることは、明らか
である。
433:2013/10/09(水) 18:06:13.27 ID:hGMN2Da7
 
>>49 47は取敢えず唯識派で行ってみる さんへ
> 唯識派の基本認識は、特定の人間しか見えないものは真実でないと排除する
> むろん霊魂が見える云々という外道思想も

瑜伽師地論(ゆがしじろん)は唯識派の重要な文献であるらしいけど

瑜伽師地論(ゆがしじろん)の中有に対しては否定派ですか?

http://reigaku.jugem.jp/?eid=424

人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された我愛が現起して
その力にうながされて
自己に愛著して
無始の時以来続いて来た執着された戯論(けろん)と善悪業によって
中有が形成される
434神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 18:29:55.13 ID:EVSNdpJW
>>412
貴方が、中論(≒二諦)以前の仏教を仏教と認めていないことがよく判りました。
もういいです。
貴方とは決して解り合えないw

一応、初期仏典の通読だけ薦めておきます。(片山訳が良いよw)
この話はこれで打ち止めということで。 ノシ
435神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 18:32:48.87 ID:FNlyCGLq
>>434
いやいや、誤解がありますよ、
今レス読んでたのですが、 後半のくだりは誤解だらけです。
最後にそこのところだけ、 言及します。
436:2013/10/09(水) 18:40:46.06 ID:hGMN2Da7
437神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 18:53:42.81 ID:oe2P7ZeD
>>420
>釈迦の縁起・空と、中論の縁起・空とは、全くの別物。中論が「釈迦の縁起」
をすべて否定していることは、前レスの通り。

龍樹は釈尊に敬意を表し「自身には主張はない」と表明した方です。
もし彼が「釈迦の縁起」をすべて否定しているならば、彼は嘘つきですね。

菩薩は嘘つきですか。
438神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 18:58:54.73 ID:XweNi82g
自身には主張はないと言う人が論敵を論破するために中論を書きますか?w
439神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:06:04.29 ID:rVwIge81
>>431
>自己と同様、他者も、自他も、無因も、自性があるとすれば、
そうじゃなくてw 並川訳なら「決して自己より生じたもの」という言葉
中村訳なら「自体からも」という部分が自性を意味している。
 
>中論は、引用や否定する場合を除いては、「無我」「無」などという言葉は、
>一言も使っていない、
1章の1詩がそれなんですよ。
もろもろの事物は・・・あることなし → 実体なし、無我、無のこと!
440神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:11:57.49 ID:rVwIge81
>>432
>「生命」は、思考や宗教に先立つ最高位次元、すべての根源だから、生命を
>以って、生命を対象化することは不可能。
それを対象化して知ることが悟りです。
そんなことは不可能だと、いったいどこで学びましたか?
 
>現象的に見れば、生命も、「相互依存性・関係性」の産物であることは、明らか
>である。
では、生命は何と相互依存してますか?
441神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:12:14.80 ID:FNlyCGLq
>>396
何を誤解しているか、だいたい分かるんですよ。
つまりあなたは、 仏教におけるスピリチュアルな部分を、到底信じきれないんです。
まず、 「輪廻」 を仏教の真理・・・・という風に扱っておられるところから、そう感じます。
ゆえに、 「輪廻」 を肯定しながら、 これを否定する・・・・ というところが受け入れられないのです。
確かに 「輪廻」 は、世俗の知れるところではありません。
だからそれが明らかにされた場合、 「仏教の真理が明らかにされている・・・」 と感じるのは当然のことです。

それは、この一文で明らかです。
> 世俗諦としての輪廻という世俗の事象を首肯しながら、世俗の事象は諦ではない、と。

あなたはここで、「世俗諦」 と表現しています。  決め付けてます。
なんども言いますが、 「輪廻」 というのは、 仏教の 「真理」 ではありません。
「あの世の存在」 が明らかになったとしても、 それは 「この世」 と同じく、 現象的世界です。
つまり、 「この世の存在(自性のある存在)」 が、「真理」 である・・・・ といっているのに等しいんです。
「この世」 も、 「あの世」 も、 「輪廻」 も、 世俗の事象・・・・  迷いによって生じた、幻のような世界なのです。
輪廻だけでなく、 「この世」もまた、解脱の対象なのです。
もしかしたらあなたは・・・・・、 解脱の対象を 「輪廻」 と設定してませんか?
そして 「この世」 は、「事実としてあるんだ」 ・・・と。
これは違いますよ。
これでは説一切有部です。   自立論証者です。
そしてそれは、 お釈迦さまの 「無我」 を、 真に理解しているとはいえません。
仏教的な真理とは、 「諸法無我」 とか、「涅槃寂静」 とか、 そういうことです。
つまり、 「迷いの世界を脱した状態」 のことを言うのです。
これが本当の真理です。
442神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:14:50.78 ID:FNlyCGLq
>>396
「迷いの世界」 を解明して、 それが 「明かされた」 とて、それは 「真理」 とはいえません。
なぜなら、 「迷いの世界」 をいくら明かしただけでも、 それを超える世界を示さなければ、
「迷いの世界」 から脱することは出来ません。
で、 迷いの世界を超えた世界を現すのが、 「勝儀諦」、 「世俗諦」 ・・・ということになるのです。
ここが分からないと、 本当の意味で、「無我」 や、「無自性」 を理解していることにはなりませんよ。
それは仏教ではなく、 「仏教を研究する{学問}」 止まりです。
おそらくあなたは、 仏教のスピリチュアル側面を理解することを拒絶しているため、
仏教の 「無我」 や、「無自性」 の意味を、真に理解出来ていない・・・と思います。

>『輪廻なぞ勝義に於いてはない』『来世を懼れる必要はない』ということなのです。
>しかし貴方は輪廻を肯定し、来世への懼れも肯定し、
>その上で「輪廻からの解脱」を仏教に於けるコアとしていませんでしたか?

「来世を懼れる必要はない」  ・・・・というのは、「勝義の立場」 です。
「迷いの世界であるから、 それは認識の生み出した幻想だ」 ・・・というのです。
しかし、世俗の人々は、その世界から抜け出せない・・・・
だから、解脱の教えが説かれるのです。
上の文章を矛盾しているように捉えているようですが、全然矛盾していないです。
ともかく、あなたは・・・・  世俗に知られない 「輪廻」 を明らかにしたことが、「真理」 だと思ってる・・・・
その 「真理」 を理解するのが、 「世俗諦」 と捉えている・・・・
なので、 「輪廻」 が 「空」 として否定されれば、 これが成り立たなくなる・・・・
こういう感じも、あるんじゃないかな〜、と思います。
あと、スピリチュアル的側面を排除したいという気持ちを、強く感じます。
これでは無我は、理解出来ません。   学問的な意味じゃなくて、 腹に落ちる・・・ 
心の底で、納得する・・・ という意味においてです。
443神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:18:54.46 ID:rVwIge81
>>435
あなたの主張はわかりにくいが、
空と輪廻を両立させようとして登場した「仏性」派なのだろうか。
 
セブンも煮え切らないが「霊魂」派だろうかなあ〜?
444神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:22:17.31 ID:FNlyCGLq
>>443
詳しく指摘していただいたら、答えることが出来るんですが・・、
445神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:27:43.98 ID:rVwIge81
>>444
仏性派と話すのは何だか疲れそう。
霊魂派なんだけど、あなたとはいずれ元気な時に議論したいよ。
446神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:30:41.73 ID:FNlyCGLq
>>445
了解ですw
仏性派というのが何を指すのか分かりませんが。
447神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:31:07.21 ID:rVwIge81
>>438
絶対に書かないでしょうね
448神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:44:55.51 ID:NsucwO73
仏性とは無仏性である(道元)

駿馬時代の道元さん、さすがやねw
449神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 19:45:14.49 ID:WMV4KYOp
>>440
>それを対象化して知ることが悟りです。
>そんなことは不可能だと、いったいどこで学びましたか?

己の生命を対象化しようとするのは、己の生命。対象化主体と客体とが同一だから、
対象化の正しさの保証は皆無である。定規は、自分で自分の長さは測れない。
 
>では、生命は何と相互依存してますか?

受精は、両親の相互依存w。両親の親、そのまた親も、また然り。「父母未生以前の面目」。
受精卵は、精子と卵子の相互依存。社会は、その成員間の生命の相互依存によって形成・維持
される。
450神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 20:01:11.27 ID:WMV4KYOp
>>439
>そうじゃなくてw 並川訳なら「決して自己より生じたもの」という言葉
>中村訳なら「自体からも」という部分が自性を意味している。

文頭から読まれたし。「・・・・・・より生じたものとして存在するのではない」。
「先行語句すべて」の否定である。即ち、因果関係(釈迦の縁起)の全否定。
 
>1章の1詩がそれなんですよ。
>もろもろの事物は・・・あることなし → 実体なし、無我、無のこと

上記を参照。「存在」という言葉で、既に存在(実体)を前提としている。
中論のいう「実体ではない」とは、「厳然たる実在だが、執着すべき『自性はない』」
という意味。
451神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 20:08:25.51 ID:rVwIge81
>>449
>定規は、自分で自分の長さは測れない。
夢に驚いて夜中に目を覚ます。夢の中にいた自分を、目覚めた自分が
夢の中の自分についてあれこれ考える。
そういった経験はないですか。
 
>受精卵は、精子と卵子の相互依存。
そっちに行っちゃいますか? そうすると自分が無限に分裂する。
そうじゃなくて、あなたはひとつ、霊魂じゃないのか、
という公案かと思うのですが・・・
452神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 20:14:20.21 ID:rVwIge81
>>448
>仏性とは無仏性である(道元)
>駿馬時代の道元さん、さすがやねw
 
どこがw、意味不明じゃww
453だいおう:2013/10/09(水) 20:20:55.84 ID:XJChIwr8
449ポンコツは隠居だぞw
どうりでオカシイ文章なはずだw

しかし、霊魂派なんていうのも、隠居と同じで、
まともな学者サイドが現実把握次元で書き込みしないから抽象的な連中増大がオナニーするんだろうなあw
454神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 20:26:51.98 ID:rVwIge81
>453
やっぱし隠居だったか、なんかおかしいと思ったよ
 
でも後半は失礼だぞ
わかり憎いから、わかりやすくレッテルを貼ったのだよ(^^)
455神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 20:31:25.43 ID:WMV4KYOp
>>453
「オカシイ文章」なら、「オカシクない文章」で、反論ドゾ。それは出来ない
のだろw。
456サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/09(水) 20:31:36.51 ID:rVZI3Hgm
>>453
しつもーん

仏教の基本としてよい行いで悪い行いの報いを消すことが出来る?

ヒンドゥでは出来るって教えてるけど
457佳子様にゃん♪:2013/10/09(水) 20:53:32.12 ID:QsbOq6W9
>>456

見返りは一切無いわよ!w
458神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 21:09:41.69 ID:v/+Dsy0w
>>457
悪い行いをすれば輪廻で罰せられるのに、良い行いには見返りは無いw。

輪廻転生は、最初から論理破綻。
459神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 21:11:12.09 ID:SKuGmJzh
報い自体ありません
ひたすら念仏でご浄土に行きます
460神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 21:16:54.20 ID:v/+Dsy0w
>>451
夢とは、睡眠中における脳細胞の混乱状態。何の根拠にもならない。

自分が分裂するどころか、受精卵は完全な統一性を以って分裂し、各器官が
発生する。宗教などとは比較にならない、驚くべき複雑さ、驚異と神秘である。

釈迦もイエスも、これらのことに全く無知であった。
461神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 21:20:15.11 ID:EVSNdpJW
462佳子様にゃん♪:2013/10/09(水) 22:00:47.24 ID:QsbOq6W9
>>458

本来、良いも悪いも無い

にゃん♪ 人間の偏見が

善悪を決めているだけにゃん♪
463神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 22:02:50.55 ID:7cXEqTqO
仏教は時代遅れだろ
仏教は時代錯誤だろ
仏教は古臭いだろ
4641/2:2013/10/09(水) 22:06:37.09 ID:EVSNdpJW
もう少しお付合いしますか・・w


>>435>>412
>業果もまた 「空」 ですよね・・・?
まったくその通りと思います。

>業果もまた縁起しているってことです。
まったくその通りと思います。

>業論をそのまま認めるってことは、 この現象世界を自性のあるものとして、そのまま認めるってことと等しいです。
なんで?w
なんでそこで、(急に)、【自性あるものとして認める】ことになっちゃうの?
ここが、貴方の意見の中の最大の謎部分ですw
仏教で『そのまま』というのは、漢訳で言う『如実に』ということでしょう?『yathA-bhUtaM』ってことでしょう?
50歩譲っても、事象の裏の(勝義としての)在り様をそのままに見る、ということにしかならない。
で、そういう意味での“そのまま”でもなく、
なんつーのかな・・・、「テーブルの上にリンゴがある」と言ったとき、
勝義でどうかとは別に、世俗に於いては、やっぱり『テーブルの上にリンゴはある』わけ。
少なくとも、中論(及び空・般若思想)以前全ての仏教はそうなの。
勿論、中論以前に、これをsaccaと呼んだりはしない。少なくとも仏教の文脈では。(従前の語用は又別としても。)

>そのまま認めてたら、 解脱はありませんよ。
いや、親鸞じゃないがw、そこを認める懺悔と軌道修正無しに、気付きも向上もないでしょw
(また、上では判り易く、端的な「業」を引き合いに出したが、実際、それだけじゃない。)
4652/2:2013/10/09(水) 22:13:25.71 ID:EVSNdpJW
>>435>>412
>業果などない・・・ というのが 「勝義」 であり、 そこでは業果は認められていません。
まったくその通りと思います。

>しかし、実際に凡夫の側から見ると、 業果は存在してるわけです。
まったくその通りと思いますw

>中論以前には、「勝義」 しかなかった・・・ ならば、何を世俗諦・・・と呼んだか
世俗諦などと呼ばないのです。 単に「世俗(→世間)に於ける○○」「世俗(→世間)においては○○」
と言われるのみです。で、そのときに、「対して勝義では・・・」と。

>「第一義諦」 ・・という言葉はいつ頃から
>おそらく、 二諦の概念が出来た時だと
いや、かなりの初期からあるのだと思いますよ。parama-atthaとして。
 仏教議論スレッド 5
 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/125
 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/126
 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/127

  *(もし、厳密さを求めるなら注意すべきは、sacca とは言われていない、という点だろうかw
   つまり、少なくともパーリに於いてはsacca「(聖)諦」とは、基本、四諦以外にはない、ということです。
   *(つまり、saccaではないがparamatthaであるparamattha上のことである、ということがあり得る。))

>ここで、「最上の立場上の真理」 と、  「世俗の立場上の(言語習慣で説かれる)真理」 とに
まったくその通りと思いますよ。
466サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/10/09(水) 22:24:15.03 ID:wzwEaDS3
>>465
いまは●の過去ログ見る機能が停止してるので
過去スレ直リンしても読めない人多いと思われ
467神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 22:41:25.64 ID:oe2P7ZeD
>>420
>龍樹は釈尊に敬意を表し「自身には主張はない」と表明した方です。
もし彼が「釈迦の縁起」をすべて否定しているならば、彼は嘘つきですね。

>>438
>自身には主張はないと言う人が論敵を論破するために中論を書きますか?w

>>447
>絶対に書かないでしょうね

龍樹は釈尊の「言い争ってはならない」という教えを忠実に実践した菩薩だと伺いました。
もし部派仏教徒と言い争う立場ならば、それは「空」ではなく、言行不一致だからです。
468神も仏も名無しさん:2013/10/09(水) 22:51:27.34 ID:oe2P7ZeD
将来の菩薩候補者の為にのみ中論を残しました。

そして弟子に看取られることもなく一人寂しく蝉の抜け殻となったそうです。
最期の決めセリフ「私はいない方がよいと思うか。」
469宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2013/10/09(水) 23:06:31.51 ID:mf3ZKLhD
>>466
私の過去ログ保管ウェブページでは、
すでに「Mimizun」変換してあるURLにてリンクしてあるので、
ただ希望するスレ板のURL末尾に指定したいレス番をつければそれで問題ないです。
皆さまにご活用を推奨します。

http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
470神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:08:34.91 ID:Ju+KLtCw
>>464
>この現象世界を自性のあるものとして、そのまま認めるってことと等しいです。
これが・・・・  まさしく・・・、
>世俗に於いては、やっぱり『テーブルの上にリンゴはある』わけ。
↑ これなわけです

>これをsaccaと呼んだりはしない。
当然ですよね。
テーブルに存在している・・・・だけでは、 単なる世俗の事象にすぎない。
世俗にとっては、 「そこに確かに存在している」 ・・・ということになります。

>仏教で『そのまま』というのは、漢訳で言う『如実に』ということでしょう?
え〜っと、そういう意味じゃないです。
「そのまま」 とは、 「実在のものとして・・・」  ってことです。
世俗が、「机の上のりんご」 を認めるのと、 同じことです。

どうも言葉のスレ違いが多々あるようです・・・・

>そこを認める懺悔と軌道修正無しに、気付きも向上もないでしょw
あ〜、なるほど・・・、 「懺悔と軌道修正」 ←もしこれが解脱につながるなら、 その教えはまさしく 「世俗諦」 です。
ただし、「輪廻」 そのものは、「真理」 じゃありません。
輪廻を軸に、 軌道修正の方法を教えるなら、 それは「世俗諦」ということです。
その場合、「輪廻」 は、 超えるべき対象として捉えられるのであって、 そこにしがみつく・・・ ってことじゃないです。

例えば、  業報の教えを聞いて、  良い果報のために、 良い行いをする・・・というのは、欲ですよね。
人に施しをして、見返りを期待するなら、 それは我欲です。
だから、「輪廻」 だけでは、 まだ 「真理」 になりません。
「輪廻」 を超える、 「懺悔と軌道修正」 があって始めて、 「真理」 になると思います。
471神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:11:21.82 ID:Ju+KLtCw
>>465
>parama-atthaとして。

parama-atthaでは、 まだ 「勝義」 ですよね?
paramattha-sacca になったのはいつ?  ・・・ということです。
「第一義」 が、「第一義{諦}」 ・・・・となった時のことです。
中論以前は、 「第一義」 が、「真理」 ということですよね・・・?
他の真理が無いわけですから、  比較する必要がないわけです。
だからいちいち、parama-attha の次に、sacca をつける必要が無かった。
ところが、sacca に二つの意味が出てきたときに、  どっちのsaccaなのか・・・という区別が必要だった。
そこで、「第一義の{真理}」  「世俗言説による{真理}」  となったと思います。
この場合のsaccaは、 =(イコール)のはずです。
472神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:26:43.93 ID:C9Q/5Rgj
>>467
>もし彼が「釈迦の縁起」をすべて否定しているならば、彼は嘘つきですね。

師の誤りを訂正するのは、弟子の義務である。

釈迦の誤りをすべて訂正した竜樹は、最高の弟子といえよう。まさに、自灯明・
法灯明を実践した「唯一の弟子」である。
473神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:29:43.08 ID:Z8AzT03T
>>471
だから、貴方の中には「中論以前の仏教」が存在しないのでは?と言うのですw

>中論以前は、 「第一義」 が、「真理」 ということですよね
いいえ、違います。
「真理」は「第一義」の一部です。少なくとも「術語」の上ではそうです。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1278424122/127
(勿論、仏教の文脈以前の、従前のインド語(SktやPali等プラークリット)としては大きく被るものでしょうし、
 所謂日本語で言われる《広範囲使用に耐える「真理」》としては別でしょうが・・。
 PTS辞書でsaccaを引いてみるとよいでしょう。)

 http://dsal.uchicago.edu/dictionaries/pali/
 Sktなら
 http://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/monier/
474神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:31:54.66 ID:Ju+KLtCw
>>465
(471穂)
>他の真理が無いわけですから、  比較する必要がないわけです。

「他の真理」 とは、第一義(最上のもの)を示すものが、二つない・・・ ということです。
 比較がない、ということです。
475神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:34:02.04 ID:ZuzAEkmy
 
仏教議論スレッド 5
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1278424122/
476神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:35:39.30 ID:5nd76bBt
>>472 隠教?
>釈迦の誤りをすべて訂正した竜樹は、最高の弟子といえよう。

IF 龍樹は釈尊の誤りを全て訂正 THEN 大乗仏教でなく大乗龍教
477神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:40:24.06 ID:Ju+KLtCw
>>473
>「真理」は「第一義」の一部です

これを簡単に説明してもらえますか?
いきなりパーリを調べろじゃ、 議論の中身の前に、 言語の問題でつまづきますよw。
パーリを知らないなら、議論できん・・・ というならそれまでですが、
真理は第一義の一部・・・・というのは、簡単に説明できるのじゃありませんか?
だったらちょっとこちらにあわせてもらって、分かりやすく説明していただけませんかね?
478神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:41:21.62 ID:Z8AzT03T
>>473
>「真理」は「第一義」の一部です。少なくとも「術語」の上では

一般語義としては、逆になるかもしれませんね。
ただ、その場合は、「仏教の枠組み以外での真理」、も
語義として許容する事にならざるを得ませんが・・。
で、その中でも、仏教的に最上とされる「意義」が勝義であり、その中での真理が勝義諦、と。

構図は、こんな感じでしょうか・・。 真理一般>勝義>勝義諦
で、473は、               勝義>真理(四諦)
4791/2:2013/10/10(木) 00:44:45.10 ID:Z8AzT03T
20 1/2 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 13:57 ID:Fdoknzlk
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/630
語義としては、632のデジタル大辞泉にある通り。
『第一の意味・意義』『最上の意味・意義』『真の(本当の)意味・意義』ということ。
 (「意味」と「意義」は別した方がよい面もある。たとえば、ある事柄が語られた時、
  「字面だけでなく、総合的に何が述べられたのか」を指す場合は、『意味』として見る。
  「語られた事柄に、《どのような価値を見るか・位置付けをするか》という視点に於いては」
  『意義』として見ることになろう。
  前者の具体例としては、《「一切有爲法如夢幻泡影」は勝義として真である》などのように言うことができる。
  「一切法の【真の在り様は】夢幻泡影の如きである」、この【こと(意味)】が述べられたフレーズである。
  この意味は、世俗的常識とは異なる。世俗的には、私も貴方も山も川も湖も幻ではないから・・・。
  だから、「そうではない意味として(→最上の・真の意味として)何かが述べられる時」
  ≪勝義に於いて≫と言われる。

21 2/2 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 13:59 ID:Fdoknzlk
  後者の具体例としては、「出家遊行生活に踏み出すこと」と「家庭や生業を守り、護持し継続継承すること」と
  どちらの価値を高く見るか、どちらを優先するか、といった場面に用い得るだろう。
  世俗的には、非生産的生活を志向し、一切を投げ打つことは褒められるべきことではない。
  だが、「一切の苦の滅、完全なる平安が望まれる時」、価値観は逆転されている。
  この時、このことを、「出家遊行生活は≪勝義に於いて≫最上の在り方である」と言える。
  この【出家という在り方の意義】は【最上のものであり】【苦を(世俗を)厭う者が目指すべき意義】を有す、と。)
ま、厳密に分別する必要はないと思われるが、(↑は寧ろ拘り過ぎだな・・・w)、
ニュアンスとしてそうした(微妙な)差異もあり得るという一例として軽く流して貰えばいいw

ただ、いずれにしても、
(常に、世俗の常識的価値観と対比される形で)、≪【仏の立場から見た】意味・意義≫
であるということは忘れてならないと思う。
4802/2:2013/10/10(木) 00:46:01.07 ID:Z8AzT03T
22 1/3 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 18:35 ID:Fdoknzlk
もう少し補足しておいた方がいいか・・・。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/632
>“出世間智によって把握される対象”
この言い方は微妙だ。『対象』という言い方は不適切に感じられる。
勿論、「意味」として或いは「法(≒理(ことわり))」としてそれを「対象」と称し得、
よって、その意味で、《「勝義という対象」が「出世間智に於いて」「把握される」》とは言い得るかもしれない。
≪出世間智に於いて見出される(炙り出される)(真の)意味・意義≫としてならばわかる。
阿羅漢果、或いは涅槃の境地を指して、「paramattha(勝義・第一義・最上義)」とすることもある。
(この場合のatthaは「(最上の)価値」という語義として見られるべきものだろう。)
そうした、涅槃に資するものとして『知らるべき意味・意義』としての(概念的)対象、
或いは「涅槃そのもの」を指して、「目指すべき対象」ならば許容しよう。
 (※しかし、彼が想定しているのは、それ以上のモノであろう・・。)

23 2/3 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 18:36 ID:Fdoknzlk
だが、あくまでも「勝義」とは、仏の眼で見た場合の「意味、意義、内容」、
或いは「(仏道に於いて)目指されるべき、知られるべき、意味・意義、境地」のことを、
(「最上のもの、第一のもの」と形容して)言うのであり、《「具体的対象」として何かがあるわけではない》。
引用した632の言い方を踏襲するなら、
≪出世間智に於いて(のみ)見られる(理解される・把握される)意味≫
≪出世間の立場から見られた(理解された・把握された)意味≫
とでもした方が座りはいい。
481神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 00:50:14.47 ID:Z8AzT03T
>>478
仏教に於いて、真理は四諦のみ&勝義は種々TPOで多様
となれば、
勝義の一部が四諦(真理)ということになります。そういう構図のことです。
482神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 01:06:49.15 ID:Z8AzT03T
24 3/3 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 18:38 ID:Fdoknzlk
ちなみに、PTS辞書「parama」の項では以下。

paramattha(parama-attha) [cp. class. Sk. paramArtha]
the highest good, ideal; truth in the ultimate sense, philosophical truth.
 ※ここにおける“ultimate sense”は同辞書で
  “arahantship”或いは“amataM NibbAnaM”と言われるところのもの。

また、類義語として atthaの項に以下。
uttama-attha;the highest gain, the very best thing (= arahatta ); parama-attha

 ※ paramaとatthaに、一旦は分解することも必要だが、最終的には端的な語義として、
   完結した複合語「paramattha」一語として見るべきだろう。

 *ttp://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.0:1:538.pali
━━━━━━━━━━━━━━━━
sacca (adj.) [cp. Sk. satya]:real, true
 (nt. as noun) saccaM:the truth
 pl. (cattAri) saccAni:the (four) truths
 the 4 ariya -- saccAni are the truth about dukkha, dukkhasamudaya, dukkha-nirodha, and dukkha-nirodha-gAminipaTipadA.
 A shortened statement as dukkha, samudaya, nirodha, magga is freq. found, e. g. Vin i.16

ariyasacca:a standard truth, an established fact
483神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 01:42:02.77 ID:C9Q/5Rgj
ニーチェは、「真理」「真理」と喚くイエスに対してピラトが発し、イエスが答え
答えられなかった「真理とは何か?」という質問が、「聖書の中で唯一の価値ある
言葉」だといっている。
484神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 03:09:55.40 ID:Ju+KLtCw
>>481
あ〜、分かりました・・・、 、  「勝義」 = 「真理」 じゃないってことですね。
なぜなら、 他にも 「真理」 があるということで・・・・。
で、ここのところを訂正するとすれば、 >>474のような感じですかね・・・・。

この部分ではお手数をお掛けしました、
完全に解釈を間違ってましたね・・。

それで・・・・、 問題の核心部分・・・ (世俗諦について)の部分は、 この誤った解釈の影響を受けないので、
もう少し話をさせてください。  最後にしますので・・・。

中論以降の 「世俗諦」 というのは、何を指しているのか・・・・? というと、
この部分だと思うんですよね ↓

「世間の言説を容認しないでは、 勝義を教示することはできない」

つまり・・・、 「世間の言説を用いて、 勝義を教示する」  ってことです。
それが 「世俗諦」 ・・・ということだと思うんです。
「世俗諦」 という言葉の中に、 「勝義」 の意味は確かに入ってませんね・・・
しかし、 上の文章を約めたものに、 間違いはないと思うんです。
それで、 「世間の言語用いて、最上のものを教示する」  ということと、 「最上のもの(そのまま)」  ということが、
二つ出てきたことになります。
485神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 03:12:28.31 ID:Ju+KLtCw
そしてこれを、 「片方ではこういうことがある、 もう片方ではこういうことがある」、 と、 対比させる必要が出てきたと思います。
 とくに、「世間の〜〜〜〜」 というのは文章になっていて、 対比には不向きです。
約めた上に、 同一のものとして縛る必要があった・・・・
どちらも 「仏教上の真理]  なわけですから、
「〜の真理」 と 「〜の真理」 という風に、対比出来るようにする必要があったと思います。
なので、 対比させるようになってから・・・と、同時に、 「諦」 という言葉が付与されたと思います。

で、>>412の後半で、それを説明しているわけですが・・・・、 
>「第一義」 っていう時に、  まだ 「諦」 はついてないのですかね・・・・?
>もしそうだとすると、  当然ですよね。     「諦(真理)」 そのものだからです
ここの部分の言語的解釈が、間違っていた・・・ということですね。
それ以降の解釈は、そのまま変わらないんですが・・・・。

一番指摘したいのは何かというと、、「世間の言説を容認しないでは〜〜〜〜」 の部分が、 「世俗諦」 になったのではないか・・・、ということですね。
「真理」の解釈については、お手数をお掛けしました・・。
486:2013/10/10(木) 07:32:12.37 ID:ZuzAEkmy
 
>>484 ID:Ju+KLtCw さんへ

> 「世間の言語用いて、最上のものを教示する」「最上のもの(そのまま)」

衆生を引導する為に、世俗の人の為の言説によって
第一義諦に導く、と仮名の空を以って説いた

 ↑ こんな感じですか?

中論觀四諦品第二十四
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

世俗諦とは、一切の法は、性空だが、而し
世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ、世間には、是れが、実である

諸の、賢聖は、真に、顛倒の性を知るが故に、一切の法は、皆、空で、無生だ!と知り
聖人には、是れが、第一義諦で、実と名づける

若し、俗諦に依らなければ、則ち、第一義諦を得られない
若し、第一義諦を得られなければ、則ち、涅槃を得られない

第一義諦は、皆、言説に因るが、言説は世俗である
是の故に、世俗に依らなければ、第一義諦は、則ち、説くことができない
487:2013/10/10(木) 07:51:52.46 ID:ZuzAEkmy
 
>>486 の続き

中論觀四諦品第二十四
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる

是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である

但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた
488神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 09:02:20.09 ID:5nd76bBt
諦:真理
世俗諦:世俗に説かれた、空性の説明
勝義諦:菩薩候補者に説かれた、涅槃への道(虚妄ならざる法)

参考:「ブッダと龍樹の論理学」石飛
489神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 09:05:25.68 ID:5nd76bBt
中論:菩薩候補者が想定読者。対象外が読むと危ない。
490神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 09:18:34.45 ID:1KJZ/FDi
>>452
>>仏性とは無仏性である(道元)
>>駿馬時代の道元さん、さすがやねw
>どこがw、意味不明じゃww

<@修⇔証(一切法門)  A非修非証(般若門) B即修即証(還滅門)>の法門とその修道の問題。

道元さんは導師としてストレートにBから弟子に対するが、
@にさえ到りついていないアホ弟子のアホ悟りには、終生悩まされる。
晩年の三時業論も、アホ相手に慙愧のうちに書かねばならなかったのだろう。
それをアホは更に誤解するから、ホンマにアホにつける薬はない(龍樹 中論 帰敬序の趣旨)。

『しるべし、無仏性の道取聞取、これ作仏の直道なりといふことを。
 しかあれば無仏性の正当恁麼時、すなはち作仏なり。
 無仏性いまだ見聞せず、道取せざるは、いまだ作仏せざるなり。』(正法眼蔵 仏性 より)

勝義悟達において、仏性云々そのものが不立だ。それを敢えて無仏性という。
491神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 09:30:18.87 ID:1KJZ/FDi
>>488

だから、石飛道子はアホなんやw→>>490

菩提心なき婆子のタワゴトでしかない。
492ジャギ:2013/10/10(木) 09:34:49.63 ID:2joE7NOQ
屁理屈など暴力の前では

屁の突っ張りにもならんわ!

俺の名を言って見ろ!www
493だいおう:2013/10/10(木) 09:59:16.00 ID:Szqj5TIj
勝義が真理でないとかの抽象論で盛り上がる
ホント、何をやりたい、書き込みたいか理解不能だわな。
これがまさに、戯論だろうw
494神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 09:59:52.87 ID:Z8AzT03T
>>484-485
なるほど。
やはり、最初の予感通りw、
「(中論及び各註釈によって確立した)二諦」という分別に於いては、
私の「世俗諦」の語義解釈がずれていた(広過ぎた)、ということかね・・。

が、やっぱり、
《「言語によって(=世俗・世間に於いて)示された勝義(諦)」を世俗諦と言う》
という説明には、まだ今一つ納得しきれてないのよねぇ・・w
だから、振り返ってみても、自分は「世俗諦」という言葉をほとんど使わないし、
対比はいつも「世俗:勝義」で、「勝義諦」という言い方も、実はあまりしないw
(その辺は、自然、パーリが軸になってるからかもしらんけどw  で、その延長で考えると、
 今一連述べてきたような「世俗諦:勝義諦」という対比でないと意味が無いと思えるわけで・・。)

が、スタンダードな二諦解釈は、
《「言語によって(=世俗・世間に於いて)示された勝義(諦)」を世俗諦と言う》
ものなのかもしれませんw
だとするなら、個人的には「世俗諦」という表現は今後控えていくよう気をつけたいと思います。
自分の考えとずれてもいるしね・・w
495神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 10:01:02.82 ID:G796W/Q4
>>489
衆生を引導するために、何故に、世俗的なことに基づき菩薩候補者に説くのか。
完全な論理矛盾。

釈迦仏教(小乗仏教、チベット仏教)は、釈迦の狂った脳内観念に基づき衆生
を引導(洗脳)する超カルト。人間社会にとって極めて有害。

釈迦仏教は、苦の概念を植え付けて脅迫し、それからの解脱という甘言で衆生
を誘惑し、信者を勧誘する悪質な超カルト。キリスト教が、罪の観念を植え付
けて、永遠の生命という甘言で誘惑し、信者を獲得するのと、パターンは全く
同じ。いずれも健常な人間性を破壊するマッチポンプの邪教。人間社会におい
て許すべからざる害悪。

釈迦とイエスが、すべてのカルトの源泉であることは、このスレだけからも
明白。
496神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 10:02:31.01 ID:Z8AzT03T
>>493
たまたまその話をしてる所へ突然入ってきて何言ってんだかw ┐(´ー`)┌

昼飯にコンビニおにぎり食べてるサラリーマンに、
お前は毎日コンビニおにぎり食べてんのか?!と怒る様なもんだ。
普段は愛西弁当で、今は産婦人科に入院中かもしれないのにw

んと、身勝手な奴 ( ゚听)、
497だいおう:2013/10/10(木) 10:14:20.40 ID:Szqj5TIj
物事を正確に把握しようと修行された釈迦の意思と反した抽象的執念がよくできるものだと。
理論的なゲルク派のツォンカバの論書は、修行の階梯とプロセスの為に理論を立てているのだが。
抽象的執念の方々戯論に燃えているようで、
まず、せめて、採用するしないは別としてツォンカバの論書ぐらいまじめに読んでから意見を書き込んだ方がいいね。
498神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 10:35:02.89 ID:Z8AzT03T
>>497
話の流れが見えてないなら口挟むなw
499神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 10:39:17.92 ID:G796W/Q4
>>497
自称日本の禅者が、中論や道元をさておき、釈迦やチベット仏教などを信奉
することの不思議w。

オウムが、釈迦仏教、チベット仏教、キリスト教から発生したことを、忘れては
ならない。
500神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 11:11:58.97 ID:2joE7NOQ
犀の角の様に唯一人歩めと

言われているではないか?

何故徒党を組必要がある?
501神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 11:18:46.34 ID:Z8AzT03T
>>500
研究してみたら?w
(発端は自然発生的なものだったかもしれんが)
「サンガの成立がなぜ必要だったか?」。
近代仏教学史に名を残せるぞw
502神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 11:35:35.90 ID:7PmiZV5q
>>490
>仏性とは無仏性である(道元)
この文章は日本語ではない。黒は黒ではない、という文章は変でしょ?
これを変だと思わないのは、道元に洗脳されているからだろう。
 
中論は、縁起だけでなく、三時問破や一異問破を駆使し、
主として説一切有部に反論する形で、運動や時間や作用主体を否定する。
その目的は「空」の論理的普遍的証明にあったわけだ。
これに対して縁起は、苦楽や善悪という相互依存であり、空・仮・中は
こういった範囲に限られる。世俗諦も勝義諦も同じ。
般若の空>縁起の空なのであって、それを混同するから話が混乱する。
503パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 11:35:59.25 ID:q5LuvmIJ
>>494 
>今一連述べてきたような「世俗諦:勝義諦」という対比でないと意味が無いと思えるわけで・・。)

仏教ってのは、どうしてもその根幹部分に、「世俗否定、在家否定」みたいな部分が
あるじゃない?w   「在家としてのあり方」を否定しない ということを言うけど
やっぱり出家推奨みたいなところがw だから、当然のことながら、「世俗諦:勝義諦」
のように、両者を等価に取り扱うことは避けたいんだろうw

ダニヤにしても、 勝義 VS 世俗 として話を展開してるが、最後にはダニヤが
帰依するみたいなww  まあ、「仏典」なんだからしょうがないんだろうがww 
(オレとしては、あの 31 と 32は蛇足だと思うがねww)
二つの価値体系を並立のまま、終わらせて欲しかった。其のほうが、返って
釈迦の説く勝義視座が際立って効果的だと思うんだがねw
あの31と32をくっつけると途端に「クサくなる」www

⇒《「言語によって(=世俗・世間に於いて)示された勝義(諦)」を世俗諦と言う

「世俗諦」という語彙をこの意味に限定してしまうと、
少なくとも、「語られる、説示される、説かれる」真理は、「全て世俗諦」ということになるなw
ダニヤとの釈迦の言説も全て「世俗諦」かw
勝義諦は「語られること不能」・・・・語られた時点で、それはもう「世俗諦」ってことかw

まあ、仏教用語の語彙解釈の問題に過ぎないわけだから、そんなにとやかく言う必要も
なかろうが、  世俗における真理、価値体系というのもしっかり認めないと
諸悪莫作 や 衆善奉行  も、空々しさが残ると思うが?www      

っま、日本の各宗派は「世俗諦」を「世俗の真理」として捉えているところも多いわけで、そいういう
 勝義 と 世俗 を「対比」させていく視点も大事だと思うがねw
504神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:00:49.63 ID:G796W/Q4
>>503
勝義の「根拠」は、一体何?釈迦の鬱病の症状かw。

世俗諦には、「人間の生存努力」という巨大な根拠があるのだが。
505神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:07:40.65 ID:7PmiZV5q
仏教の「空」は縁起では証明できない。
証明できると思うから、議論が混乱して悟りから遠ざかる。
もう一度、中論をていねいに読むべきだろう。
 
中論の前半は重要であり、主として説一切有部への反論を通し、
竜樹の詭弁とも思えるような論理が展開される。
ここから世界の「空」を導く。
 
縁起の空・仮・中と切り離し、前半部分を検証したらどうだろうか。
それでも世界は「空」だと言えるのかどうか。
506神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:22:15.24 ID:G796W/Q4
>>505
>仏教の「空」は縁起では証明できない。
>証明できると思うから、議論が混乱して悟りから遠ざかる。

なりふり構わず、釈迦の「無我」「無」に合わせようとするから、果てることの
ない混乱が生じている。

>竜樹の詭弁
現代の最新科学においても、竜樹の「万物の相互依存性・関係性」はすべて証明
されているから、「詭弁」とはいえない。竜樹の説明の労苦を、体感すべき
である。
507神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:39:36.95 ID:7PmiZV5q
苦に対して、苦楽という「縁起」がどう作用するのか。
 
苦と楽を精神的に相対化できるではないか。これが重要なのだ!
 
苦を滅するまでには届かないにしても、
 
苦にこだわり、苦に拘束される必要がないことに気づく。
 
それは苦を滅する道具であり、苦を滅する最初の一歩になる。
508神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:43:45.57 ID:7PmiZV5q
>>506
隠居の話は詭弁っぽいんだよな。だまされそうだよ(^^)
509神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:57:51.52 ID:Ju+KLtCw
>>486
> 世俗諦とは、一切法の性は空なるも、而も世間は顛倒の故に虚妄の法を生ず。
>世間に於いては是れ実なり。

これはそのものズバリだと思います。
「?」 さんはいつも的確な経典を探し出してきますよね・・・・  スゴイ。
この句もっと早く発見できれば、 説明が楽だったかも・・・。

で、このことを、>>442で・・・・、
>「迷いの世界であるから、 それは認識の生み出した幻想だ」 ・・・というのです。
>しかし、世俗の人々は、その世界から抜け出せない・・・・
と言ったり・・・・、
>>412で、
>そこで、 「業果は縁起によって仮に仮説されているものだ・・・」  という、 世俗の言葉を使った
と言ったり、
極めつけは、>>343で、
>「空」 だ、 「無」 だ、 ・・・と言っても通じませんから、  縁起や、仮設として、 
> 「田中さんが腹を壊している・・・という現実は、 諸所の縁によって、仮に起こっているものであり
・・・・というわけです。
で、さらに言うならば、>>301で、
>ここで勘違いされやすいのは、 「言説においては等しく存在する」  という部分です。
> 前で言われているとおり、 「等しく存在する」  というのは、 「縁起によって存在する」 ということであって、
>「世俗の事物そのままに存在する」  ということではありません。
こういう言い方をしてるわけです。

ただ、あなたの上げた句の、その訳ですが・・・・
「虚妄の法を生じ、世間には、是れが、実である 」  この 「生じ・・・」 という部分は誤解を与えかねない。
本文だと、 「虚妄の法を生ず。」 と、一旦切られているわけです。
つまり、ここまでが 「世俗諦」 の意義です。
その後の、「世間に於いては是れ実なり。」 というのは、その付属です。
510神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 12:58:25.69 ID:Z8AzT03T
>>508
「ぽい」んじゃなくて「そのもの」なんですけどね。
511神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:00:21.16 ID:Ju+KLtCw
>>493
いや、 「勝義」 は確かに 「仏教の真理」 なのですが・・・・、
「勝義」 の意味は、 「(仏教の)真理」 という意味であると、確定しちゃってた・・・ってことです。
広い意味があると思ってた。   
ところがそれだと、 「第一義諦」 は、 「真理真理」 になっちゃう。
で、「勝義」 の本当の意味は、「最上(の真理)」 ということだった・・・ というわけです。

ところが、「最上」 という言葉に限定されてたため、 逆に世俗諦の意義がハッキリしてきた。
今までは、 「真理」 という解釈で、 果たしてこれが、 「世俗的な事象の事実」 なのか、 「仏教的な真理」 という意味か、
まだハッキリと証明することが出来なかった・・・。
しかし、それでも私は、 これは 「仏教的真理」 のことであると、 主張してきたわけです。
ただ、これでも、その 「仏教的真理」 が、「世俗の事象の事実」 という極大解釈が出来ないわけでもない・・・・
そこで、 経典の句を通じて、断定出来ずに、 いろいろな喩え話に反論するしかなかったのです。
ところが、 「世俗言説によって、{最上のもの} が教示される」 ことが、「世俗諦」 の意義となったことで、
この 「最上のもの」 が、「世俗の事象の事実」 とは、異なることが明白になったのです。
512神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:01:00.29 ID:Z8AzT03T
>>509
とすると、
やっぱり、仏教は中論(及びその釈)を境に断絶してるわな・・・w
だとしたら、ワシは中論以降の仏教は要らんわ。
(隠居が鬼の首を取ったように喜々としそうだが・・w)
513神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:09:30.35 ID:G796W/Q4
>>510
釈迦の詭弁に「既に」騙されカルト信者が、必死だなw。
514神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:09:56.79 ID:Ju+KLtCw
>>494
>私の「世俗諦」の語義解釈がずれていた(広過ぎた)、ということかね・・。

そう思いますね・・・。

>《「言語によって(=世俗・世間に於いて)示された勝義(諦)」を世俗諦と言う》
>という説明には、まだ今一つ納得しきれてないのよねぇ・・w

世俗諦の解釈は、それで確定だと思うんです。
ようは、その 「世俗で説く」 というところの意義を、どう考えるかですよね。
「世俗諦」 とは、「最上のものを、世俗の言説で説く・・・」 ということですが、
「仏教の真理」 を 「世俗的事実」 と対比させるか、
あるいは、 「仏教の真理」 は、「世俗的事実」 との対比では、 説けないとするか、
そういうスタンスの違いはあるわけです。
そのスタンスは、個人の思想の違いということで、 「世俗諦」 の議論とはまた別のところで
行われるべきだと思います。
ようは、「世俗諦」 の解釈は抜きにして、 そういうスタンスはありだ・・・ ということです。
515神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:19:51.41 ID:G796W/Q4
>>512
>やっぱり、仏教は中論(及びその釈)を境に断絶してるわな・・・w

そんなことは、恐らくはすべて非信者である西洋の学者たちが、とっくに言っている
いること。「世界宗教史上、稀有の例」とさえ言っている。

中論を論じるなら、「入門書」である中村元の「龍樹」くらいは勉強してね。

まあ、前にも書いたように、テーラーワーダという超小乗カルトに嵌った
セブン氏には、理解は全く不可能だと思うがw。
516神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:27:04.32 ID:Ju+KLtCw
>>512
>やっぱり、仏教は中論(及びその釈)を境に断絶してるわな・・・w

あなたのスタンスだと、そうなりますねw
「世俗の事象的事実」 をひとまず完全に認めて、 それと 「仏教の(現象世界を超えた{真理})」 を対比させ、説明しようとするのですから・・・。
中観以降の、 「世俗の事実を仮設として、 顛倒夢想として、」 扱い、「仏教的真理」 を説明しようとするのは、
全く違います。

ここでいつも私は思うのですが、 世俗の事実を一旦認めてしまっては、 それは仏教の空や無我に反するわけですから、
永遠に平行線になる・・・ ということです。
AとB,二つの意見に整合性を持たせない限り、 永遠に平行線です。
整合性を持たせるのが、 縁起、仮設、空、ということですね。
AとB,まったく違うものをいくら対比させても、 二つをつなげるものは永遠に現れないです。
それが、「輪廻に主体はない・・」 とする一連の議論です。
517神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:31:09.00 ID:rLSQcqM0
瞑想真面目にやっていればわかる
自分の体も心も、一瞬一瞬で生滅を続けてる
今、自分が自分であると意識しているのは錯覚にすぎない
それを体感すれば、自然と執着は消えていく
世の中どころか、自分の心さえ思い通りにならないのは当たり前、と気付く
518神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:32:43.00 ID:G796W/Q4
>>510
>それは仏教の空や無我に反するわけですから

「仏教」といわずに、きちんと区別して「小乗仏教」「チベット仏教」と言っ
てくれ。ROM者に誤解を生じる。

日本の仏教は、大乗仏教である。
519神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:35:04.42 ID:Z8AzT03T
>>516
スリランカで、大乗諸経が知られていながら、
なぜ、ブッダゴーサ始め諸賢が、排した形で三蔵をまとめたか。
それで十分だから。
既に過不足なく勝義は示された、と見做したから。
私もそう思う。(この「尖った中論」「世俗寄りのパーリ」という議論も、一代とよくしたよw)

だとするなら、やっぱり、私には中論は不要だわw
普段使いできない教えに何の意味があろうか・・。

>あなたのスタンスだと
残念ながら、パーリ・上座部のスタンスなんですよ。
上にリンクコピペした通りにね。
520神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:37:38.24 ID:G0eiRnRD
バーミヤン遺跡で日本人が新たな石窟発見
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20131010/k10015175681000.html
521神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:42:43.64 ID:G796W/Q4
>>519
そんなに小乗が好きなのなら、日本を出国して南アジアに永住したらどうですか。

大乗国日本で釈迦カルトを布教されるのは、極めて目障り。
522神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 13:59:41.19 ID:Ju+KLtCw
>>519
>残念ながら、パーリ・上座部のスタンスなんですよ。

ゆえに、 大乗仏教が作られる必要があった・・・、というわけですね。
説一切有部など、 上座部仏教は、 どちらかというと、自性を設定してしまう方向に
流れてしまってた。
これは完全に、「無我」 と反します。
釈迦以前がそうであったように、 釈迦の 「無我」 を信じることが出来ない人が、
やっぱりいつの時代にもいるわけです。
で、 年月が流れると、やっぱり常識的な方向に流されてしまう・・・・
そこで龍樹が、「そうではない・・」 と、引き戻したわけです。
中観においてさえ、そういう傾向がありましたよね・・・。
自立論証派というのがそれです。
いつの時代も、常識にそってブッダの教えを理解しようとする人がいるものです。
これは釈迦の 「無我」 を、真実信じ切れていない・・・ ということです。

>ブッダゴーサ始め諸賢が、排した形で三蔵をまとめたか。

ブッダゴーサは真に 「仏陀の無我」 を理解出来ていなかった・・・ ということですよ。
だから大乗の教えが分からなかった。
当時のスリランカは上座部が主流だったのでしょ。
だから大乗を認められなかった。
523神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 14:08:06.22 ID:1KJZ/FDi
>>502
あなたが間接現実(世俗論理)一辺倒で直接現実(勝義)を<理解>できると思う程度の浅薄だから、
勝手にヘンだとおもっているにすぎない。

>黒は黒ではない、という文章は変でしょ?

全然ヘンではない。

一切が苦ならば、苦そのものが観念できない。一切が黒ならば、色の観念がない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて無常があり、黒がある。
黒(分別)は黒ではない(無分別)、これを黒と名づける(無分別の分別)。(→>>154参照)
その意味で、一切法黒は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。

これを煩悩即菩提といふ。

>その目的は「空」の論理的普遍的証明にあったわけだ。

これだけで、あんたがまったくハチャメチャだということの証明です。
そもそも対象化できないものの『論理的普遍的証明』はありえない。
仮説としてのビッグバン以前を問うのと同じ以上の愚昧さです。

仏法は、機能的には縁起であり、内容的には(如)空=中道=時空際断です。    
なんのことかわからないでしょうがw

徒労です。
524神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 14:15:45.78 ID:kdtpZaJY
大乗って他宗教からのパクリ、権力への媚び売り、戒律やぶりの正当化とかいらんもんばっかだよね
もちろんすべてがそうじゃないけど、多くがどうしてこうなったレベル

「大東亜戦争に勝利することが、天皇と仏教精神の勝利の証になる!喜んで敵を頃して喜んで氏ね!」
 ↓
ボロ負けして、天皇精神も(日本)仏教精神も駄目なモンだった、と自爆

こんなことやった日本仏教の堕落は、その典型
525神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 14:33:22.62 ID:Z8AzT03T
>>522
なるほどw
そういう立場の人でしたか・・・(^^;
判ってたら、相手せずスルーだったんですけどね。久々に人物観察を読み違えたw

一度
「パーリ仏典入門」(片山一良/大法輪閣)(&「ダンマパダ全詩解説」(同/大蔵出版))でも読んどけ。
自分がいかに偏見に凝り固まってるかがわかるから。 ノシ
526神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 15:07:46.86 ID:PwxfgnzV
無分別の分別とか全く理解できない概念ですね。
第一、分別しているのなら分別でしょう。無分別ではありません。
黒一色の世界にいれば、黒の認識が無い→当たり前です。
キチガイがキチガイを認識できない、メクラ(元からの)がメクラを認識できないのと同じ。
そんな世界を無分別の分別で悟りの世界〜なんて阿呆らしい詭弁にしか見えません。
527神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 15:39:23.10 ID:1KJZ/FDi
>>526

ええ、ですから『徒労です。』と書きましたw

天動説を頑迷に信じている人に、
ブッダのコペルニクス的転回(全動説=一切行無常)は文字通り『無理』です。

間接現実(世俗)の一切行無常は、直接現実(勝義)への示唆で<(如)非無常非恒常>となります。

菩提心なきお方には徒労ですから、早く諦められたほうがいいです。
隠居の二の舞になりかねません。
528神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 15:43:39.31 ID:PwxfgnzV
諦めるというのは志向している人のための言葉です。
元々志向していない人間に諦めるもなにもない。
無分別の分別は詭弁だと言っているだけです。
天動説が分別で地動説が無分別の分別〜という例えも全くナンセンス。
第三者が見て、妄想と区別できない世界を真実世界〜と妄信するのは哀れですよ。
529神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 15:51:48.83 ID:1KJZ/FDi
>>528
ええ、ですから、菩提心なきお方には徒労ですから、早く諦められたほうがいいです。

>第三者が見て、妄想と区別できない世界を真実世界〜と妄信するのは哀れですよ。

一切外妄想と勝義を混ぜるな!危険。
勝義は『真実世界』とやらではないと、何度言ったら・・w
このレベルで分かった風な口を利くのだから、オハナシになりません。

志向していないなら菩提心なきお方ですから、速く離れた方がいい。
                         以上
530ノスタルジア:2013/10/10(木) 15:54:35.27 ID:HQKxjMrM
粛清ははじまった・・・
531だいおう:2013/10/10(木) 16:26:14.45 ID:Szqj5TIj
498の話の流れていうのは抽象的理屈であることは理解できるな。
ツォンカバの論書をまじめに読んだことがあるので、なんと出鱈目を・・と思うわw
ツォンカバの論書を見る限りは普通、世俗諦は修行プロセスの確認、勝義諦は悟った時の究極的視点であり、
どちらも真理であるのだが・・・空想的抽象論病の方々は・・・

隠居は神だからなあw隠居神の脳から生まれる思考はすべて真実になるなるらしい、一番アサハラに近いタイプ
じょーゆー隠居と議論してもなあw
532だいおう:2013/10/10(木) 16:33:24.59 ID:Szqj5TIj
>っま、日本の各宗派は「世俗諦」を「世俗の真理」として捉えているところも多いわけで

また、バービーマンはいい加減なw
禅、唯識以外、現在日本仏教宗派の多くは仏性実在論のみだろう、物事の分析と悟った視点というのを考えない仏教が多いから、世俗、勝義もねえだろうw
自然そのままが仏みたいな、天台本覚論みたいな・・
臨済宗は今も昔も否定論法マニアで、現在曹洞宗宗門は別として道元当人は欲望放棄徹底してたらしい。
533だいおう:2013/10/10(木) 16:45:28.38 ID:Szqj5TIj
勝義諦と世俗諦か、ツォンカバの論書でややこしいこと書いていた気がするんが、勝義と勝義諦は意味が違うとか(本を読まねばW)

まあともかく、勝義諦と世俗諦は真理であるとかないとかくだらぬ意味論の為には無かろうね。
まあ空、無、有(具体的事象と実体な無い空、悟った視点)の扱いを認識論的にどうとらえるのかが本流の問題なんだが、
むろん、宗派のよって解釈が異なる訳で、
むろん、ここにありがちな抽象論戯論とは無縁のものでw
534神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 17:16:10.90 ID:VkWFscO5
>>531
>一番アサハラに近いタイプ

釈迦、イエス、麻原が、「すべての人間は、生命において等価・至上」などと
言えたかね?w「善・悪」の定義が出来たかね。念頭にもなかっただろうw。
535神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 17:34:59.63 ID:5nd76bBt
>>488
>諦:真理
>世俗諦:世俗に説かれた、空性の説明
>勝義諦:菩薩候補者に説かれた、涅槃への道(虚妄ならざる法)

中論:菩薩候補者が想定読者。想定読者外が読むと誤った見解をいだき危ない。
(参考、石飛「ブッダと龍樹の論理学」、月称菩薩「入中論」)

>>512
>やっぱり、仏教は中論(及びその釈)を境に断絶してるわな・・・w
>だとしたら、ワシは中論以降の仏教は要らんわ。

少なくとも八正道を実践し、正しい禅定を行い、相応の功徳を積んだ菩薩候補者達が
中論の想定読者だったそうです。
龍樹存命中にも想定読者がいれば「君も私がいない方が良いと思うか?」と辞世の
台詞を残して独り寂しく蝉の抜け殻にはならなかったかと推察します。

その中論を想定読者外が担いで「これぞ真理、勝義諦」と浮かれているのが現状でしょう。
まさに「化中論上の夢」でしょうか。

5年以上前、私が初めて本スレに再生した際は、「末法の世の因は龍樹」だと仮設を立てました。
数年前から「末法の世の因は想定読者外が中論を読んだこと」と修正しております。
536神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 17:49:54.12 ID:5nd76bBt
>>529
>志向していないなら菩提心なきお方ですから、速く離れた方がいい。

貴兄は下記の@とAの何れの意味で「菩提心」という言葉を使われてますか。

【菩提心】
@菩提(悟り)を強く求めるこころのこと。(Wikipedia)
A慈悲が根本となって全ての人々を救おうとする決意。(入中論)

悟り、涅槃よりも衆生済度の展開に向かうのが菩薩候補者ですね。
そして龍樹が中論を遺した将来の想定読者でしょう。
537神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:06:02.33 ID:BfBpe9I8
>>535
あなたは菩薩候補者でもないのに中論を読んだんだよね。
 
自分は菩薩候補者でもないのに読んでいるくせに、
 
他人には読むな、などと、偉そうなことを言うんじゃない。
 
ホントに恥知らずなヤツだな
538神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:14:31.76 ID:BfBpe9I8
>>535
お前はまず自己批判から始めろ
 
そうじゃなければ、だれもお前のことを信用しないぞ
539神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:19:37.67 ID:5nd76bBt
>>537
>あなたは菩薩候補者でもないのに中論を読んだんだよね。
> 自分は菩薩候補者でもないのに読んでいるくせに、
> 他人には読むな、などと、偉そうなことを言うんじゃない。

私も想定読者ではないのに中論を読みました。そして、大きく誤解しました。
読後に「中論」という劇薬の「処方箋」(by 石飛、月称)を見つけました。

そこで「処方箋」の紹介をしているだけです。
540神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:24:12.81 ID:BfBpe9I8
>>539
中論のどこをどう誤解したんだね。
 
それを語らずに何が処方箋だ。ほんとにやな奴だな。
541神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:26:24.67 ID:5nd76bBt
>読後に「中論」という劇薬の「処方箋」(by 石飛、月称)を見つけました。

ゲノムの研究が進み、一塩基多型という個人差が明らかになってきております。

一塩基違いで、主作用が効かず、副作用のみが生じる人達が大勢おられます。
抗がん剤のいくつかは90%の人に主作用が効かないとの論文もございます。
542神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:29:35.71 ID:5nd76bBt
>>537 あなた
>>538 お前
>>540 やな奴

私の呼び名も空性ですね。
543神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:30:06.10 ID:BfBpe9I8
地面から湧いて出てきた菩薩でさえ怪しいのに、
 
菩薩候補者などと言ってるバカをだれが信じるのかね。
 
冗談もほどほどにしろ。
544神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 18:37:53.70 ID:BfBpe9I8
だいぶ前、このスレに「アリさんとアリさんがごっつんこ」とか
 
言ってる気持ち悪いバカがいたが、まさか同じ人?
 
そうじゃないよね? 
545だいおう:2013/10/10(木) 19:32:03.05 ID:Szqj5TIj
ますます535みたいなオカシナ隠居タイプが増殖するなあ、
隠居は隠居の思考そのものがアサハラレベルで全知全能と思っている神だから、まともなコミュニケーション不可能とみてよいw
546神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 19:49:14.18 ID:Dpw6K5Ll
>少なくとも八正道を実践し、正しい禅定を行い、相応の功徳を積んだ菩薩候補者達が
>中論の想定読者だったそうです。
>龍樹存命中にも想定読者がいれば「君も私がいない方が良いと思うか?

って論敵である上座に言った言葉だよな
上座が正しい禅定も功徳持つんでないから
菩薩こうほでないって
意味不明
547:2013/10/10(木) 19:49:38.23 ID:ZuzAEkmy
 
> 「君も私がいない方が良いと思うか?」と辞世の
> 台詞を残して独り寂しく蝉の抜け殻にはならなかったかと推察します

龍樹(りゅうじゅ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9

… またその時小乗の仏教者がいて常に龍樹を憎んでいた
龍樹は彼にお前は私が長生きするのはうれしくないだろう
と尋ねると彼はその通りだと答えた
龍樹はその後静かな部屋に閉じこもり
何日たっても出てこないため
弟子が扉を破り部屋に入ると彼は既に息絶えていた

龍樹の死後 100 年
南インドの人たちは廟を建て龍樹を仏陀と同じように崇めていたという
548神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 19:55:22.30 ID:5nd76bBt
>>540
>中論のどこをどう誤解したんだね。

「八不」にて、言語論理世界で時間と運動が無いことを証明した=机上で空を論じた、龍樹ってね。
実際に現象世界では不可逆ですので因果の法が自然な法則でしょう。
この龍樹が大乗の開祖と持ち上げられた縁で末法の世が起こったとね。
549神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:00:20.06 ID:Dpw6K5Ll
我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、
汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと
550神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:03:26.82 ID:5nd76bBt
>>548
その後に中論の処方箋(石飛、月称菩薩)を読みまして、中論が輪廻世界で苦しむ衆生に向かって
直接説かれているのではなく、涅槃を目指す仏道修行者に向かって説かれたことを知った次第です。

本スレでも中論を担ぐ人達は多いようですが「涅槃を目指す仏道修行者」はどれだけおられますか。

>>549
>我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず

心底そう思われる方々は想定読者でしょうね。
551神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:09:49.09 ID:Dpw6K5Ll
末法思想も菩薩道ももっぱら大乗の布教で用いられてきたものだよ
それで大乗を攻撃するのは筋が違うでしょうね
552神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:11:26.73 ID:Ju+KLtCw
>>525
おかしいな・・・、またそれだ。

>「パーリ仏典入門」(片山一良/大法輪閣)(&「ダンマパダ全詩解説」(同/大蔵出版))でも読んどけ。

この言い方は、あなたの解釈を、人に押し付けてるのと同じですよ。
あなたはさんざんこの言い方を、上でやってきたわけです。
人の考えも理解せずに・・・・

あなたは私のレスから、ひとまず誤解をするわけです。
そして、その「偏見」に基づいて、 人をバカにする・・・。

あなたはまず、自分の誤解と、人の意見を、すり合わせる努力をしたほうがいい。
そうしないと、世俗諦云々で犯したような間違いを、 また犯すのです。
一方的に自分の偏見で決めつけ、  人の深い意見を聞こうとしない・・・・
聞く耳を持たない。
これが偏見といわずして、なんと言いましょうか・・・?
どこをどうとって偏見と決め付けたのか・・・・ なんとなく想像はつきますがw
しかし、あなたはいつもそれを相手から先に引き出そうとする・・・w
あなたの論理に最初から付き合う必要はないのです。
何度もあなたの論理に付き合いましたがw
本当は、世俗諦の意味をああいう風に捉えた時点で、こっちがスルーです。
反論のために、 輪廻に現実継承される基体を一時的に設定した時点で、スルーです。
かずかずのスルーをかいくぐって来ましたがw 
553神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:38:48.12 ID:Z8AzT03T
>>552


最後に、貴方の、この台詞の解説でもしていただきましょうか?
>>509
>これはそのものズバリだと
>いつも的確な経典を
>この句もっと早く発見できれば、 説明が楽だったかも

ここで言われてるそれ、マンマ青目釈なんだぜ? 今、話の中心素材の24-8の釈だぜ?
何言ってんだよ・・・。

少し前にワシも貼ったが、今更かよ・・・(呆
そもそも、それすら知らずに中論の二諦について話してたのか?
他の釈の話をするから、当然踏まえたものだと思ってたが、
実は何も知らないんじゃないか?って疑念のままだったし、今でもね。
貴方は一体何を見てその自説を展開してるのか疑わしくなってしまうくらいに・・。

で、どうせ「上座部=説一切有部」とでも思ってんだろ?
あまりにも酷過ぎるわ。
554神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:38:57.81 ID:5nd76bBt
>>551
>末法思想も菩薩道ももっぱら大乗の布教で用いられてきたものだよ

「菩薩道」はそうかも知れませんね。

でも「末法思想」はどうですか?
タイミング的に見て、像法と末法の世を招いた縁は「大乗」群ではないですか.
555神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:39:31.86 ID:laxnF1ia
 山川草木国土悉有仏性(さんせんそうもくこくど しつうぶっしょう)

問う、門前の痩せ狗にも仏性はございますか。

答える、無。

教え : 居ぬが赤狗なら、(胸倉をつかんで)さあ!喰え!喰え!喰え!。(三喰え)

理念、 : さとりとは揀.擇(けんじゃく、好き嫌い)しない喰え、一如である。

仮きゅらむ : なすべき事をただちになせ。喰え。

1、門前のやせ狗を見たら、馬上からの弓矢で射殺(いころ)せ。(悟る為に必修)
2、その狗が赤犬なら、煮て喰え、焼いて喰え。(食中毒注意、サルモネラ菌、腸炎ビブリオ)
3、狗がエロ狗なら、内臓を抜き(無い臓)、詰め物をし吊るし、木片チップで燻(いぶ)し喰え。(殺菌狗ベーコン)
4、学ぶ事が無く、ひたすら太った犬は、撲殺(ぼくさつ)せよ。(僕さあボクサー)
5、主流派、多数派の権力に擦り寄る狗は、蹴殺(けころ)せ。(サッカーは物書きか)
6、狗も歩けば30俸を喰らわせ!聞き回り、訪ね周り、食い物にありつく狗の舌を塩タンで喰う。(舌即是喰う)
7、物乞いの狗には薬石効無(やくせきこうな)く傷口に塩を塗り込み一夜漬けで喰え。(ふつかと置くな腐る)
8、朝霧の出会いは、かはたれ(彼は誰)、夕霧の出会いは、たそがれ(誰ぞ彼)、逢えば分かれる一期一会。
9、フレンチブルドッグはソーセージにしてホットドッグで喰う。(辛子添え)
10、居るのに居ぬとほざく狗oU`X´Uノ"彡☆ ガルルルゥー!! は、山伏の尻当て毛皮に仕立てる。(カワハギ)
556神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:44:56.35 ID:Dpw6K5Ll
>>554
末法思想を上座が説いたらどうなるか?
それは上座の根幹たる伝統の修行法を否定することだと解ってますか?
故にそれが上座を否定し大乗を否定することも
557神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:45:54.13 ID:Dpw6K5Ll
×大乗を否定する→大乗を肯定する
558神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:52:54.40 ID:5nd76bBt
>>556
>末法思想を上座が説いたらどうなるか?

Q.正法の世、像法の世、末法の世を説いたのは誰ですか? 経典名は?
A.大集経、大乗の経典。

Q.末法の世を大乗が説いたらどうなるか?
A.両刃の刃となるでしょう。
559神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:55:35.83 ID:8t5K6e8Z
>>545
>隠居は隠居の思考そのものがアサハラレベルで全知全能と思っている神だから

それはまず、最も大物の釈迦とイエスに対して言ってくれw。彼等に比べれば、
麻原ははるかに小物。
560神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 20:57:48.85 ID:Dpw6K5Ll
大乗はなんともないんだよ
時代遅れの小乗を捨てて大乗の末法に相応しい仏教をやれと主張しているだけです
念仏とかね
561神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:07:05.40 ID:5nd76bBt
>>560
>時代遅れの小乗を捨てて大乗の末法に相応しい仏教をやれと主張しているだけです

そして末法の世を正法の世に還す仏教をやれと主張しているのはどこですか。
562神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:10:17.28 ID:Dpw6K5Ll
んー、末法思想を受け入れた上に正法の世、すなわち
大乗から上座部へ帰る主義は無理があるんじゃないですかね?
563神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:13:07.26 ID:5nd76bBt
>そして末法の世を正法の世に還す仏教をやれと主張しているのはテラワダですか。

今から40年以上前に、黄檗山万福寺(大乗禅宗)の岡崎大僧正が、
「本当の釈尊の教えを知るには原始仏教を調べる必要がある。」と力説されました。
それが縁で私は仏教スレの住人の一人となっております。
564神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:17:18.31 ID:5nd76bBt
>>562
>大乗から上座部へ帰る主義は無理があるんじゃないですかね?

十二支縁起の逆観(涅槃に至る虚妄ならざる法)も説かれておりますから、
大乗→上座部(部派)→釈尊の本来の教え、へ還ることも発願次第かと存じます。
565神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:18:52.22 ID:Dpw6K5Ll
一度無効になった法が有効に戻る、しかも個人でなく世でね
末法思想って世界のシステム的なもんだよ
だから受け入れてからは無理がある
それにね禅宗は
「末法思想を受け入れてないんだよ」
566神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:19:59.32 ID:Z8AzT03T
そうそう。
>>555
>世俗諦云々で犯したような間違いを
現時点では、間違いだとは思っていませんよw 上に何度か述べ、パーピが補足した如くにね。
他の人から指摘されたならともかく、少なくとも、貴方の意見(=論述)からは首肯できませんね。
(これが一代だったら即座に謝罪撤回修正してたかもしれんが・・w)

パーリも、世俗諦という語・概念を立てはしないが、考え方の構図は同じだ。
(日本的語義で言えば、ハレとケが一方に偏向することなきが如く)、
勝義(出世間)と世間、聖と俗は、同様な対比概念だ。
だから、もし、パーリに世俗諦の語を輸入するならば、
貴方の言うような意味でなく、私やパーピが言う意味のポジションへ置くことになる。
貴方が言う(中論で言うような)限定的意味合いでは、パーリの世界観を包括し得ないからです。
抜け落ちる部分があるから。

ま、(自分でも滑稽と思う)弁明はともかくw
何がカチンときてるかっつーと、畢竟
 >>464 >>業論をそのまま認めるってことは、 この現象世界を自性のあるものとして、そのまま認めるってことと等しいです。
 >なんで?w
 >なんでそこで、(急に)、【自性あるものとして認める】ことになっちゃうの?

 >>522 >説一切有部など、 上座部仏教は、 どちらかというと、自性を設定してしまう方向に >流れてしまってた。
 >これは完全に、「無我」 と反します。
 >ブッダゴーサは真に 「仏陀の無我」 を理解出来ていなかった・・ ということ
などとのたまう。 何も知らんのかと思っちゃうじゃんか・・。
貴方の >>552
 >あなたは私のレスから、ひとまず誤解をするわけです。
 >そして、その「偏見」に基づいて >あなたはまず、自分の誤解と、人の意見を、すり合わせる努力をしたほうがいい。
 >そうしないと、世俗諦云々で犯したような間違いを、 また犯すのです
等々、そっくりそのままお返ししたくなるんですよw
567神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:24:13.07 ID:5nd76bBt
>>565
>一度無効になった法が有効に戻る、しかも個人でなく世でね

法身の如来は2500年前も21世紀も無効にはなっておられないでしょう。
568神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:27:11.90 ID:Dpw6K5Ll
>>567
ではあなたは末法思想を受け入れないということでいいですね
569神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:30:48.17 ID:5nd76bBt
ウルトラ7も前世に比べて、ずいぶんと気が長くなったように観じられます。

2chで輪廻するたびに、一歩一歩。。。 (^0^)/
570神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:33:41.72 ID:5nd76bBt
>>568
>ではあなたは末法思想を受け入れないということでいいですね

末法の世の次には正法の世が来ると、願っている者の一人です。
世界も輪廻するというのが仏教ですからね。
571神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:34:54.44 ID:Dpw6K5Ll
戯論を捨てて、議論の種なんかほっぽりだして
2ちゃんねるなんかで争わないで慶安に過ごす
龍樹が主張したいにはそういうことじゃないんですか
572神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:40:19.58 ID:5nd76bBt
>>571
>龍樹が主張したいにはそういうことじゃないんですか

Sn.832
偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々に汝は言え、
「論争が起こっても、汝と対論する者はここにいない」と。
573基地にゃん♪:2013/10/10(木) 21:58:28.06 ID:2joE7NOQ
閑話休題 一休みするにゃん♪

笑ゥせぇるすまん 第1話〜第6話 .

http://www.youtube.com/watch?v=3w7et83waNA
574神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 21:59:39.19 ID:Ju+KLtCw
>>553
また決め付けが始まった・・・・・
あなたは何が言いたいのか、意味不明なんですよ。
いや、 だいたい分かりますよ。
ただ、本来自分で説明する部分を、 「俺の言ってることを、お前が理解しろ」  って態度なんですよ。
全部こっちに推察させるわけ。
それが卑怯だって言ってんだよ。
自分で勝手に例題作っといて、 普通だったら、「なんですか?  そのたとえは・・・?」 っていうところを、
こっちがあなたの言いたいことを頭をひねって考えて、出来るだけあなたに合わせるようにして、苦労して説明したら、
「ああ、やっぱりなw 」 って来るでしょw
あわせ損なんですよ。
まず、あなたはあなたの考えることが絶対だと思ってる。
それを前提に、人をバカにしたり、質問を投げかけたりしてる。
だから、それが一方的になりやすい。
こっちから合わせるのはもうゴメンなんですよw
あなたが合わせたらどうですか?w
575神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 22:08:35.06 ID:Ju+KLtCw
>>566
つまり・・・、言ってることは同じでも、人により認めない・・・ってことですか?w
もうお話にならないです。
あなたは24-8に振ったが、  そもそもここで議論の対象になったのは、「世俗諦」 についてなんだわ。
事実、あなたがその言葉を使ったんだよ。
少なくとも 「世俗諦」 について、そういう認識でいたわけだ。
何をいまさら・・・・ って、感じですね。
とにかく、自分の都合のいいように合わせないと、気がすまない。
こういう人と議論するのは、非常に危険なんですよ。
なぜなら、自分の解釈を最優先して、  「真実を求める・・・」  っていう姿勢に欠けてるから。
真実を求めることが目的になってない。
だからいつまでも平行線になる。
もし、真実を求める人だったら、 間違いがあったらすぐそれに気づくし、 建設的な議論が出来る。
ところが、最初から自説を主張することが目的なら、 どんなことをしても、ひっくり返せない。
まるであなたの言う、 「本当に連続してるものをもってこい・・・」 って言ってるのと同じ。
576神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 22:18:10.36 ID:Ju+KLtCw
>>566
> >>464 >>業論をそのまま認めるってことは、 この現象世界を自性のあるものとして、そのまま認めるってことと等しいです。
>  >なんで?w
>  >なんでそこで、(急に)、【自性あるものとして認める】ことになっちゃうの?

またここですか・・・・
ここはずいぶん、説明しましたけど・・・  何が不満なんですかね・・・?
なんだか、自性の意味を履き違えてるような気がするんですけど・・・・

ブッダコーサはともかく、分別説部って、法有を認めてないんでしたっけ?

まあいいや、 とにかくあなたは質問に詳しい説明をつけてない。
だから、あなたがどんな批判思考をしてるのか、分からない。
ここをこちらが曖昧に推察して答えるならば、  あなたの意見を一生懸命頭を悩ませて推察したとしても、
それが間違えたらこっちがバカ呼ばわりされる。
だから、そういう人にこっちから合わせるのは危険なんです。
577パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 22:22:23.32 ID:q5LuvmIJ
>もし、真実を求める人だったら、 間違いがあったらすぐそれに気づくし、 建設的な議論が出来る。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

>>406 を100回読んでから、出直してこい、バカタレがwwwwwwwwww
578神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 22:37:46.20 ID:Z8AzT03T
>>569
それは、褒めてんのか?嘲ってるのか?w
579基地にゃん♪:2013/10/10(木) 22:45:13.51 ID:2joE7NOQ
笑う門には福来るにゃん♪

スネークマンショー
ストップ・ザ・ニューウェーブ

http://www.youtube.com/watch?v=VJr2j54yyyU
580パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 22:56:26.07 ID:q5LuvmIJ
この馬鹿、妄想型の統失、入ってんじゃねえの?www

オレと絡んでた時も、  しきりと
「わかります。わかります。  貴方は、きっと・・・・・・と考えているのですね。
でもそれは違います。・・・・・」  と、一人で勝手にこっちの見解を決め付けて
そしてそれの否定を始めるとwww

そして、その決め付けが全くポイントのずれた妄想でwwww
それが、コイツの言う「相手に合わせる」ってことなのか?wwww
いやだねえww  オレは、そんな妄想したくねえなwwww
581神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:00:53.81 ID:Ju+KLtCw
>>577
おまえは頭が悪いわw
さんざん付き合って損したよ。
おまえのレベルに下げて、一生懸命論じたが、 そうすればするほど、おまえのおかしな論理に巻き込まれていくわけ。
しかし、巻き込まれないで同等の話をすることは出来ない。
だからそこまで下げたわけ。
そうしたら、罵倒の連続だろ?w
もう話にならんわ。
おまえは知識は持ってるが、それを使いこなせてない、バカだよ。
582神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:01:52.62 ID:5nd76bBt
>>578
>それは、褒めてんのか?嘲ってるのか?w

もちろん前者ですね。
583パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 23:07:17.59 ID:q5LuvmIJ
>>581 wwwwwwwwwwwwwww

反論できずに逃げ出したバカが、必死に自己防衛ですか?wwwww

反証につまったら、相手の見解を「おかしな論理」と言って、逃走かwwww
ホント、どうしようもないカスだねwww
584パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 23:10:11.53 ID:q5LuvmIJ
そして、最後はバカが逃げ出す時の常套句、

⇒「お前はレベルが低い」wwwwwwwwwwwwwwww
  「話にならん」wwwwwwwwwwww
585神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:11:06.89 ID:Ju+KLtCw
おまえの反論って何?w
おかしな理論に付き合うことか?ww
で付き合うと、  バカにするわけだ?w   どうにもならんな、こりゃw
586神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:12:19.52 ID:jP5CwUKl
何時になく、斬新的な意見が出ているな。

仏教は奥深い。だから、止められないって話しだな。
587パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 23:14:51.60 ID:q5LuvmIJ
>>585 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?????

お前、自分が反論できずに逃げだしたことも覚えてないの????
そんなにバカっだたの???wwwwwwwwww

んじゃ、とりあえず  >>406 に反論挙げてみwwww
588神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:17:43.25 ID:Ju+KLtCw
>>587
そもそも、「経典に書いてある」 はい、これで終わりだ、バカが。
あれだけハッキリ書いてあるのに、 否定するほうがおかしいわw
否定するんなら、仏教やめろ。
もし、否定の確たる根拠があるなら、 それを出してみろ、マヌケ。
今までの理屈じゃ、到底根拠にならんわw  ガキかw
↑ 
と、本当はもっと前に言いたかったんだけど、ず〜っとお前に合わせてたのな。
つまり、 おまえのお守りをしていたも同然なんだよ。
真摯に対応すればこちらも真摯に対応するが、 いくら合わせてもバカにするなら、
こっちもバカにするわ。
おまえは議論する前に、 まず一般常識を学んだほうがいいぞ。
議論してる相手をバカにしてんじゃねーぞ、この野郎
589神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:18:55.81 ID:PwxfgnzV
輪廻転生で、仏陀の対機説法で修行完成者には輪廻を説き、大衆には無記で語らなかった〜
というのがあったけど逆なんじゃないのかな?
大衆には方便で語る事はあったかもしれないが、修行完成者には無記で語らなかった。
こっちの方が信憑性があると思う。
590パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 23:24:34.31 ID:q5LuvmIJ
>>588 wwwwwwwwwwwwww

やっぱり、反論できねえじゃんwwwwwwwwww
そして、罵倒オンリーで逃走かよwwww

ここは、論理的な思考ができない人はお呼びじゃねえのwwww
妄想語りたいんだったら、他でやりな、カスwwwwwwww
591神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:30:44.50 ID:Ju+KLtCw
>>590
妄想じゃねーよw  てめーに付き合ってたんだよw
当たり前のこと言ってるだろ?w  バカか?
あの世や来世の話が、経典にのってるだろ?
現実的かどうかはともかく、仏教はあの世と来世を設定してるだろ?
分かんねーの?
だったら経典来いよw このバカがw
仏教批判するんなら、てめーの方がお呼びじゃねーんだよ。
592神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:36:39.42 ID:Ju+KLtCw
だいたい、 「世俗有」と「世俗諦」、 勘違いしやがって・・・。
「世俗有」 と 「勝儀諦」 は、つながんねーぞ、おい。
いつまで経ってもよ〜。
「世俗有」 で説明するんじゃねーんだよ、この説一切有部の生まれ変わりがw
593神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:40:38.00 ID:q5LuvmIJ
はい、それでは、このバカがどれ位アホなのか、まとめておくねwwww

このバカは、初め「輪廻業法は経典に記述があるから」真実だ・・・と言ってたのw
そこで俺がね、「んじゃ、経典にはしゃべるウサギも出てくるんだけど、あれも真実?」
と聞いたら、「それは、違う「輪廻業報は重要ファクター」だから真実だけど、ウサギは
そうでないから方便だ」と答えたわけww
はっきりと、それぞれの項目の重要度を主張してるのwwww

ところがだww  オレが、
「釈迦は、業論を積極的には支持していなくて、何か他の重要なことを説示するための
方便として言及した」・・・・ということも考えられる。  と言ったら、この馬鹿
何といったと思う?wwww

「いえ、絶対にそんなことはありえません。 たとえ、仏教の根幹教説・・・ここだけは
外せないという・・・ところにおいても、自分が信じていないことなど方便として言及
するわけはない。」・・・・と、こうくるわけだwww
つまり、ここでは「何を優先すべきか?」なんて思考は有り得ない  って言ってるわけwww

・・・・・・・wwwwww
言ってることがバラバラwwww
その場その場で言い逃れしてるだけwwww
 真のカスですwwww
594神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:42:15.95 ID:Z8AzT03T
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/564
564 旧7 sage 2009/06/29(月) 22:16:40 ID:W3YA8vZd
>> 560
しょうがない。
重要でもないし、片山訳の事例にもならんが、色んな意味で(w)“このスレ的に(!)興味深い部分”を挙げよう。
一在家が新しく引っ張り出した『大譬喩経(漢訳阿含名「大本経」)』から。
 (季刊原始仏教7巻P.19) 〈 〉は註。 《 》は複註。 ( )は訳者挿入。

20 比丘たちよ、この【法則】があります。すなわち、菩薩が母胎に入っているとき、
 菩薩の母は、【自然に】、戒をそなえ、殺生を離れ、盗みを離れ、邪婬を離れ、
 妄語を離れ、怠惰の原因となる穀酒・果酒を離れています。
 これが、その場合の法則です。
【法則】 dhammatA ・・・この内容(菩薩の出生に関する一連の記述の最初の節の註。)
〈自性〉(sabhAva)、〈定則〉(niyAma)、あるいは、《自然なこと》(pakati)と言われる。(以下はおそらく訳者の要約)
〈定則〉に
(1)業の定則(kamma-n')、善《業》には好ましい異熟の施与が、不善には好ましくない異熟の施与があるという場合。
(2)時節の定則(utu-n')、蓮の花が昼に開き、夜に萎む場合など。
(3)種子の定則(bIja-n')、稲の種から稲の実のみが生じる場合など。
(4)心の定則(citta-n')、それぞれ前の心心所法はそれぞれ後ろの心心所法の近依縁によって縁であるから、
 このように眼識などに直接、領受などの生起がある場合。
(5)法の定則(dhamma-n')、諸菩薩が母胎に入るなどのときに一万世界が震動することなどが起きることがある。
ここでは(5)の「法の定則」が意趣されている。
【自然に】 pakatiyA
《他のもとで得るのではなく、自ら、自性(sabhAva)によってのみ、ただ自分で》の意。
〈伝えによれば、仏がまだ現れていないとき、{云々〜 と続く}〉

だってさw やっぱり、パーリの自性は単純素朴なものみたいだね。
少なくとも、大乗の各経各論が血相を変えて否定するほどの大きな位置付けや役割は無さそうだ・・。

ちなみに、原文見てはいないが、おそらく文章的にも、まるっきり五戒まんまだろうねw
595神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:45:24.29 ID:jP5CwUKl
大乗では四聖が加味されるので、
六道輪廻が絶対的な在り方というのは否定されているよね。

六道輪廻というのは、あくまでも小乗経の範囲でしょ。
596パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/10(木) 23:46:46.20 ID:q5LuvmIJ
>>591 wwwwwwwwwwwwwww  また、初めに戻ってやがんの、この馬鹿wwww

んじゃ、ウサギもしゃべるんだねwwww
狐もカワウソも羊も話をするんだwwwww   あれは全部真実で、方便じゃなかった
わけだwwwwwwwww
経典に載ってるんだから、そうだろ?wwwwww
597神も仏も名無しさん:2013/10/10(木) 23:56:08.64 ID:Ju+KLtCw
>>593
だから・・・・、 輪廻に関することは何度も出てきてるのに、「うさぎは話をするのだ、 かわうそは・・・・」 って、
教えとして話が出てくるのか・・・?  ってw  アホか?  お前はw
これだから合わせ損・・・っていうんだよ。
こっちは建設的に議論しているつもりでも、 おまえは最初っから、あら捜しが目的だったんだよ。
非常に悪質なヤツ。
おまえは人格が破綻してるわ。
仏教の死後の世界を否定したいんなら、  仏教やめてしまえ。
こいつがなんでそれが出来ないか・・・っていうと、 もうすでに日本人の生活に仏教が根付いてるからなんだよ。
だから仏教は捨てられない・・・・・  されど、輪廻は認められない・・・・
そこで、自説に仏教を引き摺り下ろしたわけだ。
外国人だったら、仏教やめればいい話だからな。
ところが、 お寺におまいりしたり、 法事でお経を上げてもらったり、
仏教に密着してるから、それが出来ない。
そんで洞察力もないのに、勝手に経典に踏み込んで、  死後の世界は方便だの何だのw
てめーは何さまのつもりなんだよ?w
仏罰が酷いぞ。
てめー、教えを捻じ曲げると大変だぞ。
もっとも罪が重いからな。
それから、もうてめーの低レベルの話はいいわ。
さんざん付き合ったけど、 あまりにもアホすぎるんだよ。
理屈が 稚 拙 なの。
598神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 00:00:25.28 ID:0pGSJVb5
>>594への、
一代による補足:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/567
誰かによる感想:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245923448/573



>>576
だな。
ワシの雑な性格がすべての元凶だ。(一代との素朴実在の話を思いだしたよw)
騒がせてすまんかった。厳密に言えば貴方の言う通り。
中観及び空思想系の大乗は、(厳格な)空思想を持たないパーリ(現行上座部)より、
その点に於いては上質優位であろうと思う。それは確実なこととして言えるだろう。
 *(分別説部が、有部よりなのか現行パーリ寄りなのかは、私はまだ詳らかにしていないので保留。)
  →(コレhttp://www.horakuji.hello-net.info/treasures/vibhajjavadin_cetasika.htmとか?w
    或いは宝珠や在家(やカラス)がこぞって触れる心性本浄説
    http://fallibilism.web.fc2.com/051.htmlとかw、批判のネタは確かに一杯あるけどね・・・。 >>現行上座部)
いずれにしても、世俗に於いて「ある」という言説が成立するだけの諸法の顕現
(―これを法有というかどうかは、パーリ内部にそうした考え方がない為、外部の評に任せるしかないが―)
を指して、「世俗(世間)ではこうである」とは言う。
これを、(法有としている)本質あるものとしていると言うならば、それ以上反駁のしようがない。
が、語用として錯誤が確実であるようなので、以降「世俗諦」の語は使わないようにするよw
これまでも気をつけていたつもりではいたけど、何でも中途半端だから。
正直すまんかったw  m(_ _)m


 ※ちなみに、自性という語はパーリにも出てくるし、それは、
  それぞれがそれぞれとして特徴付けられる、(それをそれたらしめる)それにしかない性質としてのものとして言われる。
  >>594の如く。
  縦から見ても横から見ても、中論で言われる自性とは、色合いを大きく異にしている。
599パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/11(金) 00:02:24.36 ID:FcUtRtK+
>>597  ナルホド、ナルホドwwww

反論できなくなると罵倒オンリーになるわけかwwww
俺の方は、たとえ罵倒してもちゃんと、論理的反論はあげてるんだけどねwww

なんか、マジで酷いねwwww
「仏罰が酷いぞ。」・・・・・今度は脅迫かwww
なんちゃって宗教者の悪いところを凝縮したような馬鹿だねww
お前のようなバカがいるから、真摯な宗教者まで誤解されて、「宗教は悪いもの」
なんて勘違いされるんだよwwww

他の宗教者に謝れ、バカタレがwwww
600パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/11(金) 00:05:24.33 ID:FcUtRtK+
>こいつがなんでそれが出来ないか・・・っていうと、 もうすでに日本人の生活に仏教が根付いてるからなんだよ。
>だから仏教は捨てられない・・・・・  されど、輪廻は認められない・・・・
>そこで、自説に仏教を引き摺り下ろしたわけだ。

また、勝手な妄想による決めつけwwww
こいつマジで妄想型統失、入ってるだろwwwww
601神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 00:12:49.27 ID:y74MJNAb
>>599

>>599
横レスだが、真摯な宗教者ほど、嵌り込みが深くて困るのだよ。それが宗教の特質。
「宗教は善」が「誤解」なのである。

いずれも、現実を見れば自明のこと。
602パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/11(金) 00:21:58.50 ID:FcUtRtK+
>仏教の死後の世界を否定したいんなら、  仏教やめてしまえ。

結局、「俺の考える仏教だけが真の仏教。それが認められないなら仏教やめろ」 とww
なんという独善性www

そして、
>仏罰が酷いぞ。
>てめー、教えを捻じ曲げると大変だぞ。
>もっとも罪が重いからな。

脅迫とwww  まさに、絵にかいたようなキチガイ宗教者だねwww

逃げ出す時の捨てセリフも

>それから、もうてめーの低レベルの話はいいわ。
>さんざん付き合ったけど、 あまりにもアホすぎるんだよ。

実に陳腐wwwwwwww    う〜〜〜〜〜〜ん、 S級のカスだwwwwwwwww
603神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 00:29:04.17 ID:0pGSJVb5
>>602
別に胡麻擦るわけじゃないがw
彼は彼なりに誠実だよ。仏典の記述は仏典の記述として受容して初めて、というのはその通りだろ?
(尤も、その
 仏典の記述は記述として認めて、ということと全く相似形に、
 世俗の在り様は世俗の在り様として認める、ってとこだったんだが、
 語用としては、彼に軍配だからね・・w
 それは、「存在、実在」或いは「幻、虚妄、顛倒妄想等」の語用(一般的先入理解)ともリンクするとこではあるけれど・・)
604神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 00:53:24.79 ID:FcUtRtK+
>>603
>彼は彼なりに誠実だよ。・・・・・どこが?wwwwwwwww

>仏教の死後の世界を否定したいんなら、  仏教やめてしまえ。

こういうこと言う奴が誠実????www
黄檗宗の坊さんたちに聞かせてやりたいわww

>仏典の記述は仏典の記述として受容して初めて、というのはその通りだろ?

「仏典に記述がある」・・・・・・というだけで、それが「釈迦の教説」であることの
担保になるのかい?
「もし、それのみをもって、釈迦の教説 であると認定する」のであれば、それこそ
「古代の動物たちはしゃべっていた」ということに、なってしまう。しかし、それは
認めないだろう?  なんで???  それは非常識だからw  現在の知見に照らして
考えると有り得ないからwww    んじゃ、なんで業論はOKなんだ?
現代の知見からすれば、同様に却下だぜw  一方を是として、他方を否とするのであれば
そこに明確な基準が必要となる。  それは何かな?

いわゆる、伝統仏教がその教説を支持してきた・・・という歴史的事実は認めるぞ。
しかし、それが「釈迦は業論を積極的に支持した」・・・には繋がらず、多くの疑問が
提示され、伝統仏教側からはそれに対する論理的反証というものがなされていないのが
現状でしょ?

継承されてきた時間の長さをいうかい?  それも良いだろ.しかし、それは、長いあいだ
そのように信じられてきたという「信仰」の問題でしょ?

オレは、何も「経典の記述を勝手に捻じ曲げて、「それこそが真の仏教である」  と主張すること」を
許容してるわけではないぞ。 それは逆の意味で、またイカンでしょ?w
俺が言ってるのは、「ただ単に 経典に記述があるからといって、それのみを根拠に
俺の仏教こそ真の仏教だ、  それが信じられないなら、仏教やめろと喚く  キチガイを
認めないだけさwwww
605神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:00:57.05 ID:sWdfTYZ6
輪廻転生はお釈迦様の教えです
死後、消滅するのなら
修行なんかする必要はないんです
悟りを開くまで生命は永遠に輪廻転生するのです
606神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:11:05.86 ID:y74MJNAb
>>605
釈迦の教えではなく、バラモン教の教えだろw。

確かに、人間は死ねば灰になるか腐敗し、原子に分解し、自然界を循環する。
しかしこれば、悟った人も、悟らない人も同じ。修行は全く無意味w。
607神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:12:43.17 ID:7J9h1Y+u
仏教は断見にあらず常見にあらず。
仏教では中道や無記を説き、両方の偏った見方に依らない、不断不常の中道を宗旨とした。
608神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:16:59.93 ID:bKIZuMjH
>>605みたいな低脳が修行サボらないように脅しただけじゃないのw?

いまどき輪廻なんて信じてるの、まともに教育受けてないやつだけ。
閻魔様に舌を抜かれるとか信じてるレベル。
もし釈迦が本気で輪廻を説いたのなら、所詮その程度の人で現代ではもう崇めるには値しないだけのことだよな。
609神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:21:15.01 ID:0pGSJVb5
>>604
いや、まあ、・・・w
言わんとする事は(付き合い長いしw)解るけどさ・・・(^^;
ちなみに、「世俗諦」に関して彼に軍配が上がる理由は↓の小論が簡潔明解かも。
(たぶん、自分でも随分昔にプリントアウトしてたような気がするけどw)、今、ちに検索してみて見つけた。

 http://ci.nii.ac.jp/naid/110002707219

彼はヴァーヴィベーカの立ち位置を採っているということになるのかな・・。


 ※lokasaMvRtisatya(世俗諦)
   http://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/monier/
   saM-vRti :f. closure / covering , concealing , keeping secret /
         dissimulation , hypocrisy / obstruction HYog.

   上のSkt上の一般語義からしても、解釈に種々生じたのも已む無しかな・・(^^;
610神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:21:29.43 ID:y74MJNAb
宗教者同士は、必ずこうやって解決不能な争いが生じる。

私のように、宗教の上位次元から言いっぱなしにすれば、何の争いも生じないし、
また批判・非難も問題にならない。何しろ、次元が違うのだからw。

宗教者も、「下位次元」である開祖や経典ばかりに執着しないで、常に、人間にとって
「最高次元とは何か」を追求すべきであろう。
611パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/11(金) 01:23:55.91 ID:FcUtRtK+
>彼は彼なりに誠実だよ。・・・・・・・ それでは、セブンに聞くわw

このバカは、最初、輪廻業報は「仏典に記述があるから真実である」と言ったわけだw
(間近でも繰り返しているがw)   そこで、オレは、んじゃ、「 ウサギがしゃべる」
ってのも真実かい?  と聞いたら、「輪廻業法は、重要ファクターだから真実だけど
ウサギはそうでないから方便である」と回答したわけだw
⇒ここでは、はっきりと、それぞれの項目の重要度、優先順位というものを認めているw

ところがだ、w      オレは一つの可能性として、
『釈迦は、業論を自己の教説として積極的に説く気はなかった。 しかし、それを「否定」
してしまうと当時のバラモンたちと論争が起こるので「無記」とすることを是とした。』
・・・・・こういうことも有り得るでしょ?  と言ったわけw

ただし、経典には、「釈迦が業論に言及した記述がある」・・・  それについて、
(釈迦が本心は積極的に業論を説く気がなくとも)、
「目の前で悪業を繰り返している者、例えば、殺人を繰り返しているような者に
その悪業を止めさせるために、業論を方便として説くような場合も想定できるでしょ?」と
言ったわけだw  たとえ、業論が釈迦の根本教説である「無我」に抵触しようとも、
「今、まさに行われている悪業を止めさせるためなら、あえて業論を方便として用いる」
可能性もあるでしょ?  と言ったわけw

すると、この馬鹿、なんと言ったと思う?www
「同じく論争を引き起こす可能性があるなら、絶対に言及するはずがない。あっちが
ダメで、こっちはOKなんてことは有り得ません。」と、それぞれの重要度、優先順位、
完全否定だぜwwwwwww

その場その場で、コロコロと意見を変えて言い逃れをするww
こんなやつの一体、どこが「誠実」なの???????
612神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:25:05.57 ID:0pGSJVb5
もはや、マジで教祖様の域だな・・・(^^;)  >>610


ネタ・釣りなら、(この長い年月の間演じ続けた点も含め)、お見事としか言いようがないw
613神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:36:15.16 ID:0pGSJVb5
>>611
そこはなぁ・・w
重要度の差異というより、
輪廻の諸相は仏(覚者)によって見られ得るが(そのような法(理ことわり)はあるが)、
ウサギが人語を話すという法(そのような理ことわり)は無いから、
ということになるのかなぁ・・。

確かに、そこに、事象の性質に依る選別(ランク付け)がされてはいるけれど・・・。
この線引き・選別基準は、単なる好き嫌いや欲の強弱或いは願望に依存する優先順位と違って、
諸縁の転変の中での可能性としてありえるかどうかの面だ、と・・。

それこそ、長野の竈と鹿児島の竈の連関は見出し難いが、
隣り合った竈間での連関は見出し得る(あり得る)、と・・・。

本人じゃないし、ちょいと弱いか・・(^^;
614パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/11(金) 01:36:27.29 ID:FcUtRtK+
>>609
>ちなみに、「世俗諦」に関して彼に軍配が上がる理由は↓の小論が簡潔明解かも。

「世俗諦」問題に関しては、(俺の書き込み見ても分かるとおもうが)
正直あまり関心がないw
あくまでも「仏教用語の語義解釈であって」、それこそ、パーリで最初にどのような
用法で使用され、 それがどのように変遷していったのかを追跡することも、必要でしょ?
原初の用法のみ、すなわち「諦」が付加された当初の語義を問題とするなら、それこそ
セブンの領域だろ?wwww

おれに関心があるとすれば、勝義 Vs 世俗 の構図だよw
そこに「諦」を付加するか否かは、どうでもよく、「世俗の価値体系」というものを
否定する姿勢には賛同できない・・・ということさw

勝義一本でいくなら、それこそ、「机」の領域だwww
615神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:42:05.70 ID:DXE3bzq5
釈迦とバラモンの関係がどういう関係であったのか確認しておきたい。

当時のバラモン社会では、聖人の出現が予言され、また欣求されていた。
その中で、釈迦ガ修行を終え悟りを得たという噂はバラモン社会に知れ渡っていた。
釈迦の説法時に、聞きつけたバラモンの僧達も多くいたとされ、その中で釈迦は説法する。

バラモン教では、釈迦を神の一人として祀っているのはその為。バラモンの教義の中に仏教と同じ教義があっても何ら不思議な事ではないと言うこと。
616神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:55:28.28 ID:DXE3bzq5
>>615続き
当初バラモンという名称がヒンズー教と言われるようになったのは、
釈迦以前をバラモン教と呼び、釈迦を取り入れた後をヒンズー教と言うようにした。

これは、考古学的に分かり易くするために
イギリスの考古学者が付けたものなのである。
617神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:55:43.43 ID:y74MJNAb
>>615
釈迦の言ってることって、結局は、バラモン教や六師外道からの寄せ集めだろ。
中村博士は、「釈迦には独創性は皆無だった」と述べている。

唯一の独創性と思われる「一切皆苦」は、現代の精神医学では、彼の鬱病の症状
に過ぎないw。
618神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 01:56:52.58 ID:bKIZuMjH
仏の教えが究極であるというのは仏教徒の「約束事」でしょ。
現代哲学レベルでも通じる真理を求めるのか、ゴータマという歴史上人物の実像を発掘したいのかどっちかはっきりしないと。
まあ実際はきちっとした哲学書を書いたわけじゃなく、相手に応じていろいろ説法した聞伝えが残ってるだけ。
経文もどれがオリジナルか後世の加筆か厳密にはわからんのだし、ゴータマが実際に説いた説かないを議論しても不毛じゃないの。
619神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:02:47.56 ID:y74MJNAb
>>618
だったら、仏の教えが究極である、という仏教の「約束事」は無意味だという
ことになるね。

なお、中論では、仏を「諸仏」と複数にしている。決してゴータマ一人では
なかった、ということ。
620神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:03:25.64 ID:YSUNQjy4
お釈迦様の言った通り修行をすると
お釈迦様の言った通りの結果が出ます
これがお釈迦様が正しいという証拠です

科学は人間の苦しみを消してはくれないでしょう
621神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:05:11.43 ID:YSUNQjy4
経典にウサギが喋ったと書かれているんですか?
622神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:07:42.74 ID:0PvlHesy
>>617
バラモン教には悟りを開く方法がなかッたのです
お釈迦様が発見したのです
623神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:12:26.82 ID:y74MJNAb
>>620
>科学は人間の苦しみを消してはくれないでしょう

馬鹿ですか。現代において、人間の苦しみを救っているのは、専ら科学。
科学者達の長年にわたる寝食を忘れた努力を侮辱してはならない。

宗教者が、虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら祈っても、世界中の宗教者が
同時に祈っても、絶対に治らないが、消炎鎮痛剤1錠飲めばケロリと治るのは、
一体何故かね?w。
624神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:16:46.99 ID:y74MJNAb
>>622
「悟り」とは、具体的に一体何?誰が確認したの?釈迦の自作自演ではないの?
「世俗的なことに基づき」説明してね。
625パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2013/10/11(金) 02:17:09.44 ID:FcUtRtK+
>経典にウサギが喋ったと書かれているんですか?

ジャータカw
626神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:21:48.83 ID:bKIZuMjH
>>619
まさにそうだね。

本来は普遍的な真理を求めるのが目的だったはずなのに、いつの間にか「仏教的真理」にすり替わってる。
だから釈迦が輪廻を説いたから輪廻は存在するとか言い出すのが出てくるんだよな。
仏が唯一絶対神になっちゃってんだよね。
627神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:25:10.34 ID:0pGSJVb5
>>614
>領域だろ?wwww
いやいやw ワシはパーリヲタクなだけだからw

まあ、
今、南伝総索引めくってみたんだが、sammuti-saccaという語のみ「世俗諦」と訳されてるな。
「論事」と「ミリンダ」。訳者は佐藤良智。 が、論事は買ってないしコピーもしてないので参照できないw
第5品第6章世俗智論にあるところをみると、言説に依る説示という捉え方ではなさそうだな・・。

で、(こっからが本題だがw)、索引見てて気付いたw
そう、「世間法、世俗法」という言い方だわ。 勿論、その意味するところは、これまでワシや君が言って来たことだ。
ローマナイズは loka-dhamma、lokiya-dhamma 。 (それ見たことかw「法有」じゃねーかwと言われそうだなwww)
だから、彼と齟齬をきたしたわけだ・・w
この世間法と同義と見てしまってね。 そりゃ、先入観による誤解そのものだわな・・。
その意味でも、彼の方が分がいいんだよ・・・(^^;) 少しは持ち上げとかないと・・・w

けど、齟齬の原因が判って、なんかすごいスッキリしたわw  彼には迷惑かけて悪かったけどwww


ちなみにPTS辞書の Sammuti (f.) [fr. saM+man]
1. consent, permission Vin iii.199. --   2. choice, selection, delegation Vin iii.159. <->
3. fixing, determination (of boundary) Vin i.106. <->
【4. common consent, general opinion, convention, that which is generally accepted; as ? -- conventional, e. g
【sammuti-sacca conventional truth 】(as opposed to paramattha-sammuti the absolute truth) Miln 160;】

再び、法有に繋がるパーリは見解が低いと認定されそうだなwwwww

おやすみ ノシ
628神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:29:13.21 ID:y74MJNAb
中論全体の文言と趣旨から見ると、中論は、2諦説を否定して世俗諦一本に
止揚しているのだと思う。勝義は釈迦の単なる脳内妄想であり、現実上の根拠は
皆無だからである。中論が、「一切の世俗習慣」を無条件の前提とし、それに反
することを何度も戒めていることからも、十分に窺われる。2諦への言及は、単に
「釈迦はそう言ってるが」の意味であろう。
629神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:33:52.48 ID:DXE3bzq5
釈迦が菩提樹の下で悟ったとされるのが、森羅万象の悉くみすえた
『諸法実相』だとされている。

ジャータカにみるように、釈迦の過去世の修行時代を描く内容は他の経典にも
、描かれている。
これは、仏教が三世に渡る生命の永遠性を示していることに他ならない。
630神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 02:34:50.54 ID:0pGSJVb5
あ、5以降もあったわw  >>Sammuti (f.) [fr. saM+man]

5. opinion, doctrine
6. definition, declaration, statement
7. a popular expression, a mere name or word
8. tradition, lore; combd with suti at Miln 3.

いずれにしても、中論釈の解釈とは重ならんな・・・(^^;


ノシ
631:2013/10/11(金) 02:36:45.06 ID:NL+3efIG
 
> 勝義一本でいくなら、それこそ、「机」の領域だ

机先生の場合は

『 因と縁によって現れる仮設としての心の働きも無い 』

『 因と縁によって現れる仮設としての輪廻から → 解脱する為の三十七菩提分法も必要ない 』

とか逝ってた気がする
632:2013/10/11(金) 02:55:45.25 ID:NL+3efIG
 
>>631 の続き

因と縁によって現れる仮設としての心の働き

              ↓

因と縁によって現れたり滅したりしている仮設としての心の働き

 ↑ 訂正して、お詫び申し上げます スマソ 屮(_ ._)屮
633神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 04:15:39.51 ID:yy96VVrM
>>627
>>630
その英文による定義から見ると、「言語習慣」などという意味は、少なくともメインの
意味としてはどこからもででてこない。やはり誤訳であろう。【4. common consent,
general opinion, convention, that which is generally accepted; as ? --
conventional, e. g 【sammuti-sacca conventional truth 】(as opposed
to paramattha-sammuti the absolute truth) Miln 160;】が正しい意味だろう。
平川訳の「世俗的なことに基づかなければ」が、最も正確な意味を表している
ことになる。「言語習慣」は、釈迦の2諦に合致させるための意図的な意味の
捏造だろう。

勝義(the aboslute truth)には、根拠は皆無。
634神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 04:36:20.94 ID:NL+3efIG
 
中論觀四諦品第二十四
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm

若し、俗諦に依らなければ、則ち、第一義諦を得られない
若し、第一義諦を得られなければ、則ち、涅槃を得られない

第一義諦は、皆、言説に因るが、言説は世俗である
是の故に、世俗に依らなければ、第一義諦は、則ち、説くことができない

                ↓

世俗的なことに基づかなければ第一義諦を得られない

世俗的なことに基づかなければ第一義諦を説くことができない

 ↑ こんな感じですか?
635神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 04:37:54.25 ID:6IDK184S
>>623
子供の非行に悩む親の苦しみも
夫の不倫に悩む奥さんの苦しみも
会社を倒産させた経営者の苦しみも
末期ガン患者の苦しみも
身体障害者の苦しみも
親族を亡くした悲しみも
科学は救ってくれないでしょう
636神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 04:39:14.72 ID:6IDK184S
>>624
悟りとは欲望のエネルギーを消すことです
637神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 04:40:52.98 ID:6IDK184S
>>625
ジャータカは作り話です
三蔵はお釈迦様の言動を正確に記録したもの
638神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 04:52:10.79 ID:yy96VVrM
>>633の続き

従って、勝義とは、「世俗(生存努力)に存在する真理を見出すこと」となる。
世俗(生存努力)は、人間界における唯一・最大の根拠だからである。

なお、ジャータカにおける不合理性を問題にするのなら、仏典全体における
不合理性をも問題としなければ、恣意的、片手落ちとなる。
639神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 05:04:30.96 ID:yy96VVrM
>>635
人生には、苦しみがあるからこそ、喜びも存在しうる。差し引きゼロ。しかし、苦しみ
より喜びの比率が大きいからこそ、人類は現在まで存続し、ますます発展を続けている。

末期がん患者や身体障害者の苦しみの軽減にも、科学は最善の努力を尽くし、明らかな
成果を挙げている。

宗教は、単なる気休め、自己欺瞞であり、何の実質的救いにもならない。
640神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 08:55:52.31 ID:/VgcQ367
>>613
>ウサギが人語を話すという法(そのような理ことわり)は無いから、

>>625 パーピマン氏
>>経典にウサギが喋ったと書かれているんですか?
>ジャータカw

長部経典の半数近い経典にも修行完成者は「読心通」が得られる法が説かれております。

IF 修行完成者である THEN 彼は動物とテレパシーで話せる
IF 修行完成者が転生したウサギである THEN そのウサギは人間とテレパシーで話せる

同様に修行完成者は宙に浮くことも、物質をすり抜けることも可能と言う法が説かれております。
菩薩が「宙に浮いて(立ち上がったように見える)話した」、「母の脇から出てきた」ということは
長部経典の仏説が正しければ一応説明がつきます。

尚、長部経典の仏説が正しいとしても、「広長舌」は説明できませんので、何かの譬えではないかと
思料します。

【参考】
ヴァチカン公認のエクソシスト達が報告している悪魔憑き者達は「読心通」、「透視眼」、「千里眼」を
使い、宙にも浮いた事例もあります。
長部経典に記載されている仏説を、現代の科学常識で否定する信仰姿勢は如何でしょうか。
641神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:11:31.63 ID:/VgcQ367
>>640
>ヴァチカン公認のエクソシスト達が報告している悪魔憑き者達は「読心通」、「透視眼」、「千里眼」を
>使い、宙にも浮いた事例もあります。

釈尊は修行完成者は「神通」を得られると説かれましたが、同時に「神通」と同じようなことは
魔術でもできると説き、「神通」の欠点を明確に残されておられます。
(詳細は長部経典第十一経「堅固経」)

魔術でもできるのであれば、西洋の悪魔憑き者らができても不思議ではないでしょう。
尚、これらの超常現象が伴わない場合は、悪魔憑き者ではなく、普通の精神病と見做して対処しているそうです。
642神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:20:01.71 ID:/VgcQ367
>>634
>若し、俗諦に依らなければ、則ち、第一義諦を得られない

まず空性の説明である世俗諦を知っている者の中から、涅槃を目指す第一義諦の対象者がでます。
643神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:37:53.20 ID:oMMpsos5
>>536(アホ在家)
>悟り、涅槃よりも衆生済度の展開に向かうのが菩薩候補者ですね。
>そして龍樹が中論を遺した将来の想定読者でしょう。

★修証一等=二相の相即的実践⇒悟り(証)そのもの、慈悲(衆生≒自己済度)そのものは「修」なくしてはありえない、本然一体だ。
これを修道する決意を「菩提心」という。

そもそも証や慈悲は対象化できない。
【般若門】未透過の凡夫が慈悲の何たるかが掴めるわけがない。
アホ在家の問いは【菩提心門】未透過凡夫の観念的妄想でしかない。
『慈悲するうちは、慈悲に心あり。
慈悲熟するとき、慈悲を知らず。
慈悲して慈悲知らぬとき、仏というなり』(至道無難 「即心記」より)

Aは在家主義による信者獲得のためのキャッチ・フレーズだw
スッタニパータに菩薩概念が登場するのか?
そもそも「菩薩」なる観念は、強者の戦略により、
シルクロード往来の諸宗の神々から、ヒンドゥ教を意識しパクッて作った自己犠牲理念のバケモノキャラだ。
上記の本然一体把握からは菩薩行それ自体はありえない。

でこの浅薄競合戦略はランチェスター法則通り失敗し、インド仏教滅亡となった。
644神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:39:28.43 ID:fRJ4/xjc
>>523 閻魔
>あなたが間接現実(世俗論理)一辺倒で直接現実(勝義)を<理解>できる
>と思う程度の浅薄だから、 勝手にヘンだとおもっているにすぎない。
 
>黒(分別)は黒ではない(無分別)、これを黒と名づける(無分別の分別)。
>その意味で、一切法黒は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。
>これを煩悩即菩提といふ。
 
あなたの間違いは、間接現実(世俗)と直接現実(勝義)を縁起させている
ところにある。煩悩即菩提もこの間違いから必然的に生じる。
世俗と勝義を縁起させては落第だよ〜ん
645神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:47:36.27 ID:fRJ4/xjc
>>523 閻魔
>そもそも対象化できないものの『論理的普遍的証明』はありえない。
>仮説としてのビッグバン以前を問うのと同じ以上の愚昧さです。

> 仏法は、機能的には縁起であり、内容的には(如)空=中道=時空際断です。    
>なんのことかわからないでしょうがw

竜樹は、空の論理的普遍的証明を、主として説一切有部を対象に展開する。
それを論破すれば、間接的に空の証明になるだろうと考えた。
しかし、それによって空の証明ができたかどうかは疑問だがね。
646神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:50:35.45 ID:NL+3efIG
 
菩提(ぼだい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90

サンスクリット語でボーディ(bodhi)の音写である
言語学的には英語のbodyと語源を同じくすると推定され
本来的には有情世間に相対する、器世間の一つの「体」として提示されるものである

中国の仏教では
早くから菩提を身的なものとして捉えるか、心的なものとして捉えるかの議論があった
心的なものと捉えて
サンスクリット語のボーディ(bodhi)を菩提ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが
「覚」と訳出した他のサンスクリット語があるなどして混乱の元となった

日本の仏教でも、漢訳の菩提を敢えて和訳する際には
「悟り」を始めとした語が用いられるなどして混乱をきたしてきた
菩提を身的に捉えるか心的に捉えるかの問題はあるが
いずれにしても「菩提を弔う」などの意味表現は原義に沿った用例であると言える

発菩提心(ほつぼだいしん)
菩提を求める心を発(おこ)すこと
略して発心(ほっしん)ともいう
悟りや智慧の獲得をめざして菩薩道を歩むこと
修行を始めること。衆生が成仏を願う心のこと
悟りを得るための条件として第一に発菩提心があげられる
647だいおう:2013/10/11(金) 09:54:02.81 ID:+9MKvAnF
なにせ意味不明な抽象クン増大させる勝義諦と世俗諦、定義を仕切ってみるかw
ツォンカバ論書、本の題名見るの忘れたw
四聖諦
苦諦:苦という真理
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理(→八正道)

のうち、ツォンカバは中観派の考えとして、滅諦が勝義諦
残り三つが世俗諦と定義している。
ほんと抽象空想戯論増殖で意味不明化しちょるなあw
648神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 09:55:55.27 ID:fRJ4/xjc
在家は内心、他の連中は凡夫だが、
自分こそは菩薩候補者だと思っているのだろう。

こいつは慇懃無礼なんだよね。
649神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 10:20:42.68 ID:NL+3efIG
 
1)苦しみを性質とするものを滅尽させて → 縁起したものを離れる
2)縁起したものを離れる方法によって → 苦しみを性質とするものを滅尽させる
3)その他

ウダーナヴァルガのギルギット写本
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの
  起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く

… 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり、安楽である
650神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 10:25:00.63 ID:oMMpsos5
>>644
>世俗と勝義を縁起させては落第だよ〜ん

そうですかw 恐れ入ります。

仏法は機能的には縁起であり、内容的には(如)空=中道=時空際断です。
縁起の現実のみであって、知覚による間接現実、直覚による直接現実、統覚による還滅現実の
<相の違い>です。
喩えますと、幻の如き同じ富士山の朝、昼、夜のグラデーションを伴う表相の違いです。

仏道=八正道の実践なくして仏法はお判りいただけないでしょう。
【菩提心門】にさえ入らないお方には、銭湯の富士山を「論じる」が如きナンセンスです。
651神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 10:33:23.14 ID:NL+3efIG
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6

苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)
苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)
苦の滅は「実現すべきもの」(成就)
苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)

滅諦(めったい)
「苦滅諦」といわれ、煩悩が滅して苦のなくなった涅槃の境地を言い
いっさいの煩悩の繋縛(けばく)から解放された境地なので解脱の世界であり
煩悩の火の吹き消された世界をいう
または、苦の滅があるということを認識すること
すなわち苦の滅の悟り、または苦の滅を悟ることを滅諦という

道諦(どうたい)
「苦滅道諦」で、苦を滅した涅槃を実現する方法、実践修行を言い
これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である
その七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程が八正道である
652神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 10:42:42.33 ID:fRJ4/xjc
>>647
それは四諦(因果関係)から世俗・勝義を定義する場合ね。
 
ただ中論は相互依存(相関関係)の縁起を説いている。
たとえば苦楽(世俗)という縁起は空・仮・中だと言っている。
その意味は、縁起とは苦と楽の相互依存であり、二項の関係であり、
その関係の真ん中は「空」(実体が無い=勝義諦)である。
 
苦とか楽と言うのは「仮説」(言葉上の設定=世俗諦)であり、
苦や楽の真実は空であるとして相対化するのが「中」(中道)である。
653神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 10:44:35.36 ID:NL+3efIG
 
>>649 の続き

1)苦しみを性質とするものを滅尽させて → 縁起したものを離れる
2)縁起したものを離れる方法によって → 苦しみを性質とするものを滅尽させる
3)その他

                         ↓

1)苦しみを性質とするものを滅尽させる方法によって → 苦しみを性質とするものを滅尽させて
2)縁起したものを離れる方法によって → 縁起したものを離れる
3)その他

 ↑ 訂正して、お詫び申し上げます スマソ 屮(_ ._)屮
654神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 10:44:47.49 ID:oMMpsos5
それにしても、
ながながと「仏教←仏法に非ず」哲学めいた討論をしてきても、

四諦そのもの、四諦(諦だから当然に間接現実)からの発想がまったくないのが不思議だわw
すべては実存苦<一切皆苦>の超克という本懐のために仏法はある。
中論では24-40が全てだ。

哲学的な世界観の構築は「仏教」教義論議でしかなく、
動いてやまぬ(方便)仏法を固定化する誤りを犯す「仏教」の
さらに誤りの上塗りでしかないだろう。


  
655神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:00:10.69 ID:NL+3efIG
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察

40.
依存的に生じること(縁起)を理解する者は誰であれ
苦しみ(苦諦)をも理解し、そして
それが生じるということ(集諦)を理解し、そして
その方法(道諦)とともに
それが消滅するということ(滅諦)を理解するのである
656神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:03:20.46 ID:fRJ4/xjc
ながながと議論しているが、
その中心テーマは中論にあり、その中論の是非にある。
どうも中論自体に大きな誤りがありそうなんだよね。
大前提の「般若の空」が証明できていない。
これが大乗の土台なのにね。
 
こういったことを議論しても、伝統仏教には何も影響しないよ。
これからも今までのように葬式仏教で維持される。
坊さんも職業意識を捨て、安心して真理を探すべきだろう。
職業意識があると真理から遠ざかる。
657神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:04:29.48 ID:+v1eLGev
>>654
>すべては実存苦<一切皆苦>の超克という本懐のために仏法はある。
>中論では24-40が全てだ。

「実存苦(一切皆苦)」は、精神医学的には、釈迦の重度の鬱病の症状に過ぎない。
健常者には、そんなものはない。従って4諦は釈迦の迷妄。「無苦集滅道」。
中論24章は、「言葉尻に捉われないで」「最初から読んで」真意を理解されたし。
658神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:17:41.00 ID:NL+3efIG
 
> 中論24章は、「言葉尻に捉われないで」「最初から読んで」真意を理解されたし

根本仏典も含めれば ↓ こんな感じになるかも

仏教(ぶっきょう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教は輪廻と解脱の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる
その苦しみから抜け出すことが解脱であり
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった

渇愛(タンハー)
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう、客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
659神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:22:08.51 ID:oMMpsos5
>>647
>ツォンカバは中観派の考えとして、滅諦が勝義諦
>残り三つが世俗諦と定義している。

すべて世俗(諦)です。
ツォンカバは完全に間違っています。
これではダメです。

矛盾なき勝義に相対言語観念はありえません。
せいぜい世俗言語観念(指)を借りて勝義(月)を
否定スタイル(中論 帰敬序・25-3など)で<示唆>するのが限界です。
たとえば、「無苦集滅道」(般若心経)←四諦という観念そのものが(如)非有非無=空。
これも当然世俗諦です。

勝義に矛盾はありません。相対化・対象化はありえません。
そうでなければ苦の原因となる「我執」観念を生み、その原因解体はありえません。

なんであれなにものも執着されるべきでない−
“Sabbe dhamma nalam abhinivesaya.”
660神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:28:59.00 ID:+v1eLGev
>>656
>大前提の「般若の空」が証明できていない。
>これが大乗の土台なのにね。

「相互依存性・関係性」は、現代のあらゆる科学分野において完全に証明され
ている。

葬式仏教のみが、社会に貢献している。出家修行(オウム)は、醜悪な「心の
オナニー」。社会には、クソの役にも立たないばかりか、巨大な害悪をもたらす。

甘ったれたお遊び、趣味、娯楽の修行では、悟りなど一切得られない。「他者
との係わり合いの中での生存努力」という「大修行」で悟れ。釈迦の迷妄とそ
れに基づく苦概念への執着から、いい加減で離脱する努力をせよ。第二、第三
のオウムの出現を許してはならない。
661神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:34:17.73 ID:oMMpsos5
>>657
>健常者には、そんなものはない。

もうおまえのウソには秋田県。

貪り、怒り、無知は健常者なら誰でも持っている。
ケンカ、刃傷沙汰は絶えない。
健常者が絶望し、苦から逃れたいから毎年3万人以上が自殺する。

とにかく【菩提心門】に入らないものには無駄な論議だ。
ここに居つく必要はない。
662神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:49:51.63 ID:oMMpsos5
>>656
>大前提の「般若の空」が証明できていない。

相対化・対象化し六処で検証証明できるのなら「般若の空」ではない。
間接現実一切内だ。
ちなみに、六処で検証証明できず、且ついくらでも言語で語れるものが「一切外」=無記事項だ。

仮説としての時空を生み出すビッグバン以前を問うのとおなじレベルの愚問だ。

だからこその仏道【般若門】だ。
663神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:53:43.38 ID:0pGSJVb5
>>633


「言語習慣」の方は vyavahaAra、vohAra の方だったろw
こっちは、お前さんの言う通り、世間法("loka"law、common-Law・natural-law)のことだw

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356500644/53
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356500644/55



んと、いつもいつもテキトーだなぁ・・・w
664神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 11:59:22.09 ID:NL+3efIG
 
>> 健常者には、そんなものはない
>> 4諦は釈迦の迷妄 「 無苦集滅道 」

> もうおまえのウソには秋田県

それ自体の自性ではなく
因だけではなく
縁だけでもなく
因と縁の依存によって現れたり
因と縁の依存によって滅したりしている

仮設としての苦集滅道を

衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた

と言う意味だと思います
665神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 12:01:30.52 ID:oMMpsos5
>>660
>「相互依存性・関係性」は、現代のあらゆる科学分野において完全に証明されている。

現代のあらゆる科学分野において検証証明されているのは「時空因果関係」の範囲でしかなく、
「相互依存性・関係性」ではない。
たとえば「一切外」SFでは<タイムマシーン>の物語はいくらでもあるが、
「時空因果関係」では証明されていない。
「相互依存性・関係性」が証明されているというおまえの妄想が正しいなら、
時空を逆行できる<タイムマシーン>を証明・検証・製作してみろよw
アホかw
666神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 12:06:42.13 ID:+v1eLGev
>>661
>ケンカ、刃傷沙汰は絶えない。
中東において殆ど毎週のように生じている、生存に無関係な架空の神概念に起因する
集団的・意図的大殺戮に比べれば、桁違いに少ない。「すべての人間は、生命において
等価・至上」の自覚によってのみ、防止できる。この自覚が出来た宗教の開祖は「皆無」
である。

>健常者が絶望し、苦から逃れたいから毎年3万人以上が自殺する。
来世を信じ込まされて自殺した子供もいるぞ。自殺の最大の原因は、釈迦と同じく鬱病。
鬱病の15%が自殺する。釈迦の狂気を、これ以上拡散してはならない。また、経済的
困窮も大きな原因であるが、これは、生存に必要な物資・サービスを購入する手段とし
ての金銭の供給によってのみ解決できる。宗教で、また金を吸いあげられたら、泣き面
に蜂である。何の解決にもならなばかりか、事態はさらに悪化する。

純粋に精神的な苦は、自己中心主義から生じる。万物・万人の関係性(中論の空)を
自覚し、家族などの身近な他者に心を移すことにより、軽減・消滅する。これにより、
人間社会は維持されているのである。
667神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 12:07:57.91 ID:NL+3efIG
 
仏教議論スレッド52
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1356500644/
668神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 12:19:58.00 ID:oMMpsos5
>>666

そういったおまえのような状態をまさに三毒<貪・瞋・癡>というのだよ。

おまえには貪・瞋・癡すべてがあるが、特に<癡>がひどい。
これは<癡>を因とする釈迦に対する逆恨みの<恨>だ。
これを「無明」という。
669前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/11(金) 12:32:58.80 ID:/VgcQ367
>>643
>【般若門】未透過の凡夫が慈悲の何たるかが掴めるわけがない。
>アホ在家の問いは【菩提心門】未透過凡夫の観念的妄想でしかない。

他人のことをアホ、アホ、アホ、と連呼する貴兄は【般若門】と【菩提心門】との透過者ですか?

NOならば、アホという言葉が自身に返ってきます。
YESならば、大して重要な2門ではないでしょう。


>>648 セブン氏
>在家は内心、他の連中は凡夫だが、
> 自分こそは菩薩候補者だと思っているのだろう。

流石、前世、前々世、前々々世、前々々々世、前々々々々世、前々々々々々世、でも
私と根気よく対話して下さったのでよき理解者ですね。

自分も現世で菩薩になれるだけの功徳があれば宜しいのですが、
常々「菩薩候補者や如来の化身を見つけてお手伝いをしたい」と考えております。
難しい議論をあまりせず、衆生済度を発願し、凡夫にも分かり易い言葉で仏法を説かれている
ことが証(目印)ということで、既に何人か見つけております。

勿論、宗教者以外でも政治家や科学技術者の中にもそういう応身の方々がおられます。
670神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 12:36:48.67 ID:7J9h1Y+u
無限遠点は検証可能の一切内〜とか言っていたのに、手のひら返してビッグバン以前は一切外とでも
言い出しそうな雰囲気w
閻魔とか言う人もコロコロ態度変える爺ですねえ。
671神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 12:37:44.98 ID:+v1eLGev
>>668
無明の典型が釈迦。何しろ、生命を無明だと思っているのだから、己が一番の
無明。

生命は、己の説教を含む人間のすべての営みの根源であることに、全く思い至って
いない。

中論は、釈迦の無明をすべて是正した。だから、釈迦カルトは、中論を嫌うか、
「釈迦に合わせて」歪曲・捏造する。釈迦が否定されれば、己自身が否定されると
勘違いしているからである。己の心を、開祖と言う赤の他人によって占拠されている
のが、統合失調症の典型的症状の一つ。
672神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 13:15:47.95 ID:NL+3efIG
 
無明(むみょう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%98%8E

仏教用語で、迷いのこと
また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう
法性(ほっしょう)に対する言葉である

仏教では十二因縁の根源に無明をおく
すべての苦は、無明(迷い)を原因とする煩悩から発生し
智慧によって無明を破ることにより消滅すると説く
我というものが存在するという見解(我見)が無明である
無常であるものを常住と見るが、それが失われると苦しみを生じる
すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く
この苦しみを消滅する方法は
初期経典には定型文句として四諦、八正道であると説かれている
この四諦、八正道を知らないことも無明である

智慧の光によって、苦しみはたちまち姿を消す
苦しみが、何か実体を伴って存在しているわけではない

実際には無いものを有ると考えるのは無明である
673前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/11(金) 13:22:07.45 ID:/VgcQ367
>>671
>無明の典型が釈迦。何しろ、生命を無明だと思っているのだから、己が一番の無明。

>>672
>無明(むみょう)は法性(ほっしょう)に対する言葉である

釈尊は「生命を法性だ」と思っておられたのであれば、ご隠居もやっと成仏できそうですね。

映画「人間革命」で戸田先生は「仏とは生命だ!」と叫ばれました。
674神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 13:26:03.84 ID:oMMpsos5
>>669(アホ在家)
>アホ

アホは<癡>の現代風訳だw アホ在家やには隠居には極めて正確な訳だな。

>【般若門】と【菩提心門】との透過者ですか?

【菩提心門】は自覚だからまだしも、
他の法門は、
『★修証一等=二相の相即的実践⇒悟り(証)そのもの、慈悲(衆生≒自己済度)そのものは「修」なくしてはありえない、本然一体だ。』(>>669
悟りは無分別の直覚であり「心不可得」(金剛般若経18)なのに、★修証本然一体において悟りそれ自体など有り得べくもない。
相対化・対象化=分別は不能だ。
「悟りは悟りではない。これを悟りと名づける。」悟りそれ自体はあり得ず、無意味だ。

ただ、先覚者の師匠に推測認定(印可)していただくか、本懐である(還滅)世俗で慶安に過せるかで測るしかない。

盤珪さんは言われます。
『無為の心はもとより不生、有為が無き故迷い無し』(中論7-33参照)
    →迷い無ければ、悟りなし(閻魔上記:煩悩即菩提

『迷い悟りはもと無いものじゃ、親も教えぬ習いもの』

『悟る悟るとこのごろせねば、朝の目覚めも気が軽い』(盤珪)
675神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 13:30:25.91 ID:NL+3efIG
 
>> 無明(むみょう)は法性(ほっしょう)に対する言葉である

> 釈尊は「生命を法性だ」と思っておられたのであれば、ご隠居もやっと成仏できそうですね
> 映画「人間革命」で戸田先生は「仏とは生命だ!」と叫ばれました

般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html

一切の有情には仏性があるといわれる
なぜなら、縁起によって空から生まれた無我なる現象であるから
解脱すれば仏だという
解脱してみたら仏だった
解脱してあなたたちは思う
変化する世界のすばらしさ、世界のすべてとともに現象する喜び、空の力への感嘆
そして我執は消え、みずから苦を創り出していた自分の愚かさに気づく

しかし 「 解脱すれば仏だ 」 という事に

 → 気づくまでは、気づくことは難しい ←

悩み怒り悲しむことのできるもの、迷うものだけが、気づくことができる
悩み怒り悲しむ心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを理解することができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、慈悲の心を持つことができる
悩み怒り悲しみ妬む心を持つものだけが、悩み怒り悲しみ妬むものを解脱に導くことができる
676神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 13:33:25.68 ID:oMMpsos5
>>671
>生命を無明だと思っているのだから
>映画「人間革命」で戸田先生は「仏とは生命だ!」と叫ばれました。

おお!<癡>(アホ)者の意見が一致したなw

『生命』を実在と妄想する隠居とか創価学会の戸田とかを無明といっているのだよw
677神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 13:44:26.06 ID:oMMpsos5
>>670

なんだ、かついで渡川させてやった女の感触がまだ忘れられん執着痴れ者がいあたのかw
【菩提心門】外の餓鬼がまだいたw

アタマと根性の悪い小心なチンピラは相手にしない。
678神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 13:50:30.65 ID:U3Kvyy6T
馬鹿ですか。現代において、人間の苦しみを救っているのは、専ら科学。
科学者達の長年にわたる寝食を忘れた努力を侮辱してはならない。

宗教者が、虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら祈っても、世界中の宗教者が
同時に祈っても、絶対に治らないが、消炎鎮痛剤1錠飲めばケロリと治るのは、
一体何故かね?w。


今の医学では治らない病気がたくさんあります。
子供を亡くした親の悲しみも癒せません
鬱病も治せません
科学には精神的苦痛を消す方法がありません

仏教にだけその方法があります
679神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 14:05:48.78 ID:oMMpsos5
>>678
>祈っても、絶対に治らないが、消炎鎮痛剤1錠飲めばケロリと治るのは、
> 一体何故かね?w。

それを“知覚を通した”縁起の(間接)現実=時空因果関係というのだよ(>>665)。
そのままじゃんw
680神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 14:09:21.60 ID:+v1eLGev
>>678
>子供を亡くした親の悲しみも癒せません
子供を失った親が悲しまなければ、その親は人間ではない。悲しい時には
悲しみ、嬉しい時には喜ぶ。このような自然の感情は、人間の生存に不可欠
な要素。宗教による自己欺瞞で、自然の感情を抑えることは、人間が人間
ではなくなる、ということ。

> 鬱病も治せません
現在では、多くの鬱病治療薬が開発されて、広く使用され、それなりの効果を
挙げている。

宗教とは異なり、「何でも判る」などとは言わないのが科学。「判らないことは
何か」を知り、一つ一つ観察と実験を重ねて検証する。だから進歩がある。宗教
には、2000年間以上も、進歩は「皆無」。
681659へ、だいおう:2013/10/11(金) 16:07:18.89 ID:+9MKvAnF
君の意見の通りならば、勝義諦 、世俗諦なんぞ、君の説明、定義は放棄したほうがいいねw
定義、説明、理屈に固執している連中向けだからね、ツォンカバ引用は。
ま、君は空想的理論と自分勝手な解釈中途半端な説明を止めるべきでしょう。
682659へ、だいおう:2013/10/11(金) 16:10:02.39 ID:+9MKvAnF
681の意見は批判と受け取るようなら、君は程度が低いだろうね。
君の意見の選択した上での言い回しですからね。
683659へ、だいおう:2013/10/11(金) 16:20:47.07 ID:+9MKvAnF
閻魔を相手していたのかw
曹洞宗流引用派ね。
しかし、閻魔の路線なら普通、勝義諦 、世俗諦を分けずに同時性という方が
まともだろう。
理屈家のツォンカバは禅嫌いだから、同時性を批判する。
いいたい方向性は理解できるが、理屈が過ぎるww
ま、閻魔も実践の修行不足だろうなあw
684神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 16:23:30.20 ID:7J9h1Y+u
>>683
私はコテを好まないので付けませんが、誰かと勘違いしてませんか?
685659へ、だいおう:2013/10/11(金) 16:31:51.61 ID:+9MKvAnF
659は何者だ?教えてくれえw
隠居みたいなコテを付けられぬ精神薄弱の輩が多いからなあw
ま、ワイ、修行上のある程度の確信有るしと粘着虐待殺しののプロだから堂々コテつけられるけどなあw
686前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/11(金) 17:01:33.32 ID:/VgcQ367
>>669
>他人のことをアホ、アホ、アホ、と連呼する貴兄は【般若門】と【菩提心門】との透過者ですか?
>NOならば、アホという言葉が自身に返ってきます。
>YESならば、大して重要な2門ではないでしょう。

>>674
>ただ、先覚者の師匠に推測認定(印可)していただくか、本懐である(還滅)世俗で慶安に過せるかで測るしかない。

YESとは言えないので(実質NO)、アホ<癡>という言葉が自身に返ってきました。
687神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:06:20.02 ID:/VgcQ367
>>684
>私はコテを好まないので付けませんが、誰かと勘違いしてませんか?

ID:oMMpsos5が>>659で、ID:7J9h1Y+uは多分、セブン氏

なぜか、ずっと前の前世からセブン氏はIDを読み間違うことが多い。視力がかなり弱いのかも。。
688神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:10:09.65 ID:+gYTB8yx
>>663
>んと、いつもいつもテキトーだなぁ・・・w

自分でも、少しテキトーだとは思っていたよw。しかし、梵英辞典の一般の
読み方としては当てはまる。

「言語習慣」も、「第一義」との関連で使用されているのだから、世俗諦とは
同義であると考えてもよい。どなかたの前レスで、注釈者は「言語とは世俗で
ある」と言っていなかったか?私は「言語とは、世俗のすべての集まり」とい
う趣旨を述べた筈。

いずれにせよ、梵英辞典の引用多謝。
689神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:11:47.02 ID:0pGSJVb5
>>687
違ぇよw
俺のIDは、今日 0pGSJVb5 、昨日 Z8AzT03T 、一昨日 EVSNdpJW だw  >>669
690神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:26:07.73 ID:+gYTB8yx
>>663
セブンさんも、是非一度は中論全文を、注釈書なしで自分の頭で読んで、竜樹の「言わんと
する中心思想」を解明してくれ。その過程で、あなたの洗脳も解けるかも知れない。保証は
しないがw。筑摩書房の「大乗仏典」の平川訳は、「中論としてあまり重要でない章は省略」
してあるから(編者中村元)、読みやすい。
691神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:38:55.08 ID:yMtvtVtW
>>660
>「相互依存性・関係性」は、現代のあらゆる科学分野において完全に証明されている。
原子レベルでの「関係性」は確かにあるだろう。しかし苦楽は原子じゃない。
>>671
>無明の典型が釈迦。何しろ、生命を無明だと思っているのだから、己が一番の無明。
生命と無明はさすがにレベルが違う。
生命を定義できないところが、隠居の最大の弱点だろうか。
あと一押しで悟れるのに何をしている? 
 
692基地にゃん♪:2013/10/11(金) 17:44:00.18 ID:BJrmLuCQ
寝言は寝てから言うにゃん♪w

http://i.imgur.com/9HeSmMO.jpg
693神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:52:38.03 ID:yMtvtVtW
>>650
>仏法は機能的には縁起であり、内容的には(如)空=中道=時空際断です。
> 縁起の現実のみであって、知覚による間接現実、直覚による直接現実、
>統覚による還滅現実の<相の違い>です。
 
そんな難しいことを言うから空理空論になるんじゃない?
でも空を生きようという気持ちはわかる。
その生き方には同感するよ。自分もそれをやったからねえw
694神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 17:57:12.76 ID:+gYTB8yx
>>691
「生命とは、生命現象を現す肉体」と既に定義している。つまり、無明、無我
と口パクする釈迦の肉体が生命。
695神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 18:06:06.93 ID:yMtvtVtW
一在家も宝珠も凡夫一代も現世では悟れないだろう。
 
輪廻して来世以降で悟りを目指せ。
696神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 18:11:27.62 ID:yMtvtVtW
>>694
唯物論はダメだよ。
竜樹でさえ、五蘊以外を排除して推論しているのですね。
神や霊魂は五蘊ではないのですよ。
697だいおう:2013/10/11(金) 18:26:27.71 ID:+9MKvAnF
なるほど、セブンは南伝派か・・・
659はやはり、閻魔か。
ほんと直接だの、間接だのと、勝手な抽象解釈、より意味不明だわw
ツォンカバの論書ですらややこしいのにw一度理解したつもりが、
しばらく読まんと理屈が元の木阿弥で意味不明にw

694は隠居だぞ、
おれ、隠居の思考回路マスターしちょる、うーーん修行の成果、妙観察智w
698神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 18:30:16.79 ID:yMtvtVtW
それからチベット仏教だけど、基本的に大乗仏教の流れにあり、
竜樹や世親と近いと考えていいんじゃない。
チベットの焼身自殺は法華経だよね。
 
しかし一切を「空」にするから、現在のチベットがあると思うよ。
国が発展しようが滅びようが、どうでもいいのが「空」だ。
これじゃあ必ず滅びるよね。
 
創価も同じ、それが創価の恐さだと思う。
699だいおう:2013/10/11(金) 18:51:28.52 ID:+9MKvAnF
688の>注釈者は「言語とは世俗で
ある」と言っていなかったか?私は「言語とは、世俗のすべての集まり」とい う趣旨を述べた筈。

ツォンカバによれば、世俗諦と世俗は違うものらしい、
世俗諦は世俗の者のに対して、理屈で教えようとしたもの、世俗の者がいるから成立する。
究極的には世俗諦も空ではあるが・・・とか書いてあった。世俗(世俗諦を知らぬ)と 世俗諦は別物と・・
688の言い分の方向なら(曹洞宗風なら)、やはり世俗諦と勝義諦は同時で、言葉は世俗とは言えぬ、
700だいおう:2013/10/11(金) 19:01:21.97 ID:+9MKvAnF
「言語とは、世俗のすべての集まり」と言いそうな、ぶっ壊しマニア宗門でもw
勝義諦否定クレイジーを前提とした上で言葉は世俗とは言わないな。
修行体系と修行経験が明確でないと、定義もいい加減なものだなあ。

698へ、空想的な無茶な定義だぞ。
チベット仏教は大まかに、禅寄り(中沢新一の流派)の2派と論理性を重んじる2派があるが、
当然4派とも、一切空のみはずがねえぞ、密教の基本構造は別物、基本学習に空海著作でも読んでね。
701:2013/10/11(金) 19:07:11.04 ID:NL+3efIG
 
> 霊魂は五蘊ではないのですよ

瑜伽師地論(ゆがしじろん)
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
我愛と戯論(けろん)と善悪業によって中有が形成される
  _  _  _

漢訳 第一義空經
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
… 此の陰滅し已らば異陰相續す …
  _  _  _

因縁が続く限り、生死もまた繰り返す
http://www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html
我慢を断滅することせざるがゆえに、此の蘊を捨て己(おわ)りて異蘊相続して生じる
702神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 19:09:44.24 ID:yMtvtVtW
>700
空海密教もチベット密教も「空」がベースでしょ?
 
真言など「空」そのものだよね。
703神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 19:13:10.45 ID:yMtvtVtW
?氏は落ち武者体験しかないからダメなんだよ。
 
古文書漁りしていてもダメだぞ。
704外道主人:2013/10/11(金) 19:16:50.52 ID:+9MKvAnF
702?、あのころは、はっ!和田アキ子チョップ張り手をくらわすぞw
密教はチベット、真言含めて、世俗、欲望肯定、理趣経の現在語訳でも真面目に読めよ。
チベット本尊はセックス本尊だぞw空て・・・まったくw
705:2013/10/11(金) 19:21:52.65 ID:NL+3efIG
 
> 基本学習に空海著作でも読んでね

空海 般若心経の秘密を読み解く(増補新装版)/松長有慶
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4393172841/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

大日経住心品講讃/松長有慶

秘密経典理趣経/八田幸雄

ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

仏法 テーラワーダ仏教の叡智/ポー・オー・パユットー
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4901679643/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる/アルボムッレ・スマナサーラ
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4904507169/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ブッダのことば パーリ仏典入門/片山一良
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804612718/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

『ダンマパダ』全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道/片山一良
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804305742/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
706神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 19:22:59.86 ID:OS91xnAd
>>680

>子供を失った親が悲しまなければ、その親は人間ではない。悲しい時には
>悲しみ、嬉しい時には喜ぶ。このような自然の感情は、人間の生存に不可欠

仏教は人間と生存を止める方法です

>現在では、多くの鬱病治療薬が開発されて、広く使用され、それなりの効果を
>挙げている。

抗鬱薬は何の効果もないです
医学は不治の病で苦しむ患者を救うことはできません

>宗教とは異なり、「何でも判る」などとは言わないのが科学。

真理には反証性がありませんので、科学ではありません
科学では人を救うことはできません
707神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 19:25:44.29 ID:zm+z6/fa
精神的苦痛をすべて消し去るのが仏教です
708神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 19:29:33.58 ID:bPLY55I3
良い人間は天国に行き、悪い人間は地獄に堕ちるとハッキリわかれば
戦争も犯罪もなくなります
そのための方法が仏教です
709だいおう:2013/10/11(金) 19:34:04.78 ID:+9MKvAnF
なんか、立て続けに、へんな仏教定義ですな、
現実の物事の道理を正確に把握して、判断するが、仏教でしょうに・・
変な解釈すると現実喪失した教祖の隠居が出てきてカルト連呼するぞw
710基地にゃん♪:2013/10/11(金) 19:57:55.94 ID:BJrmLuCQ
末法の世に何の仏教ぞ?\(^-^)/
711神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 20:06:22.75 ID:lwTpEfTE
悟りを開くと目の前で子供を殺されても悲しいという気持ちも怒りも起こりません
悟りを開くと性欲がなくなるので、そもそも子供を作ることができません
悟りとは人間を止めることです
712神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 20:07:47.85 ID:1BpFAriH
議論のための議論に陥り、自分と違う意見を持つ人間を罵倒する書き込みを一日中やってるのを見ると、ホントくだらねーな、と思う。
713神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 20:18:43.97 ID:0pGSJVb5
>>712
見なければいいと思うよ (´∀`)b
714神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 21:04:36.25 ID:aQBLrjnS
仏教とはヴィパッサナー瞑想のことです
ヴィパッサナー瞑想を極めれば
悟りが開けます
715神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 21:36:28.60 ID:w2FANJWi
理論なんかどうでもいいんですよ
ヴィパッサナー瞑想さえすれば
それでいいんですよ
716神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:00:51.88 ID:/VgcQ367
>>689
>違ぇよw
>俺のIDは、今日 0pGSJVb5 、昨日 Z8AzT03T 、一昨日 EVSNdpJW だw 

前世、前々世、前々々世、前々々々世、前々々々々世、前々々々々々世、でも
私と根気よく対話して下さったセブン氏が分からず、大変失礼しました。
717神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:16:06.94 ID:/VgcQ367
>>695
>一在家も宝珠も凡夫一代も現世では悟れないだろう。

私なりに仏教の目的を2つに分類しております。
@衆生済度(衆生の極楽浄土入り)
A到彼岸(修行者の涅槃入り)

釈尊は@とAを説かれ、主に@故に悟った後も50年間、四聖諦の説法をして歩かれました。
一方、龍樹はAの為に中論を遺されました。

私も現世では原始仏典をよく学んで、@のミッションの方々(菩薩、如来化身)の
分に応じて一助になればよいと考えております。

>輪廻して来世以降で悟りを目指せ。

ただ、このまま温暖化が進み地球環境が悪化しますと、来世で再生する為の健全な肉体は
得られないのではないかと科学的予測にて危惧しております。
718神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:44:58.85 ID:aQBLrjnS
>>717
氷河期に入るより温暖化したほうが
生物は生きやすいでしょ?
719神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:47:09.99 ID:pzfPNFLl
多くのカルトを見てきたが、カルトは、必ず、釈迦、イエスを引用するが、
中論や道元を引用することは見たことが無い。

釈迦とイエスのカルト性が如何に高いかを、如実に証明している。
720神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:47:38.95 ID:aQBLrjnS
>>717
仏典をいくら読んでも
ヴィパッサナー瞑想をしないと
悟れません
721神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 22:50:35.44 ID:mIWPSkuZ
>>719
釈迦とイエスは二大スーパースターだから
致し方ないでしょう?
新しい宗教なんか作らないで
お釈迦様の言った通り修行をすればいいんですよ
722神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 23:07:32.75 ID:XuxBOT81
お釈迦様はなんと言ったの
723神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 23:18:19.89 ID:7J9h1Y+u
出来る範囲で八正道を実践しなさい。
724神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 23:26:45.35 ID:/VgcQ367
>>718
>氷河期に入るより温暖化したほうが 生物は生きやすいでしょ?

生き残った動物に転生ですか? 気楽で宜しいですね。

【因】地球の温暖化
【果】
・海面上昇:今世紀末に1m上昇だと海抜の低い大都市は水没→高い場所へ移動
・異常気象の多発→各地で食糧危機が頻発→食品自給率の低い国民は飢える
・気温の上昇:熱帯や亜熱帯の伝染病が北上する
・以上の生活環境の悪化が起こり各国で人心不安化→局地戦の多発→世界大戦の引き金

そして、22世紀以降は輪廻すべき健全な人類は激減。。。
725神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 23:42:06.00 ID:pzfPNFLl
>>721
>釈迦とイエスは二大スーパースターだから

「精神病」の二大スーパースター。

君もカルトだな。
726神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 23:59:03.13 ID:/VgcQ367
>>725
>「精神病」の二大スーパースター。

あなたはスッタニパータの「コーカーリヤ」の道を歩むのですか。
727神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 00:41:29.72 ID:+tyEHsxh
お釈迦様の教えはインチキだと触れ回る人は
その後、どんなに反省しても善行を積んでも
地獄に堕ちるそうです
728神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 00:43:42.21 ID:zWIHh1LD
>>726
精神病は、病状が重いほど、その感染力も強い。

精神医学的に見れば、宗教信者とは、開祖・教祖の精神病の感染者に過ぎないことを、
いい加減で気付け。

スッタニパータは、完全なカルト書。読んではならない、読ませてはならない悪書No. 1。
729神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 00:46:56.56 ID:/uXZJcOs
>>724
温暖化になれば動植物がすくすくと成長するのでは?
寒いほうが作物が枯れるんじゃないですか?
あなたは次も人間に生まれるんですか?
730神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 00:47:45.49 ID:/uXZJcOs
>>728
地獄に堕ちますよ
731神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 00:54:46.54 ID:RYKTUgrD
ま、脅迫と甘言で絡めとる、という点では、
宗教は押しなべてカルト的ではあるか・・・w
732神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 00:54:59.85 ID:UBI88Nlc
>>728
精神医学は精神病患者の苦しみを救うことはできない
鬱病さえ治せない
精神医学こそ詐欺

イタリアは精神病院を廃止したよ
733神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 01:09:50.01 ID:K9YJ+SR6
>>723
それに尽きると思うなあ
ウソを吐かないことの途方もない難しさとかさ
毎日、痛感する
734神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 01:27:57.50 ID:zWIHh1LD
>>732
>鬱病さえ治せない

君は、抗鬱病薬であるSSRNは、6ヶ月以上継続服用しないと、効果が生じない
ことを知っているのか。飲めば直ぐ利く解熱鎮痛剤とは違うよw。

精神医学は、その性質上、他の医学分野に比べて進歩は遅いが、それでも、
最近の無数の抗精神病薬による早期介入によって、進行の抑制や自殺の防止に
実は大きな効果を上げているのである。

精神病が、脳内神経伝達「物資」の異常によって発生するという発見は、人類最大の
発見の一つであろう。

世の中に、精神病院がなくなることがあると思うか?ますます増加している
ではないか。
735神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 01:35:19.51 ID:zWIHh1LD
>>734の訂正
×SSRN
○SSRI
736神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 01:36:19.47 ID:z0g84K1J
仏教議論スレッド74…ってw
沢山、教典を読んでも瞑想しても議論はつきませんかぁ…
なんだかな♪w

あっ!!そうそう♪
>>720
ヴィパッサナー瞑想しても、悟れませんよ。

何故かって?
『覚り』と『悟り』は意味が違うからです♪w

意味が同じなら2種類の漢字での表現は要らないですよね♪w

仏教って、何かを一旦『区別』をして、道理を知り『分別』出来ないと『覚り』すら難しいですよ♪w

後、『さとり』と言う言葉は他人に向かって表現する時に許されるのは、『覚り』までです♪w
『悟り』と言う言葉は他人から認められる時にだけ使う事が出来るのですよ♪w

区別し分別を心掛けながら、自分の人生経験や世間を見渡すと、自ずとこの答えになるかと思いますが♪w
『プロのギターリストになりたい。』と『(さとり)たい。』は同じ事♪w
『僕、プロのギターリストなんだよね。』と『僕は覚ったんだよね。』も同じ事♪
ただ、『僕も悟ったんだよね。』となれば、恐らく、終わりの無い議論が続くと思われる♪w
『あの方の演奏は巧いよな!流石はプロ♪』と『あの方の言う事には説得力有るな、お陰で迷いが無くなった!流石、悟った方だ♪』も同じ事♪w
ヴィパッサナー瞑想は、楽器の個人練習と同じ♪w

個人練習で演奏が素晴らしくてもプロにはなれない。アンサンブルが巧くてセミプロかなと…
リスナーの為に曲が書けてプロかなと…即ち、利他行かと思うが、まだ議論が必要?
知識を与えあわないの?
奪い合いをすれば足らなくなるわな♪しかし与え合えれば余るわな♪w
737神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 02:14:28.09 ID:zWIHh1LD
>>736
楽器をいくら練習しても、気が狂うことはないが、ヴィパッサナー瞑想は、
小乗仏教が人為的変性意識を生じさせるための技法であり、気が狂うだけ。
精神の濫用、精神のオナニーとして、決してやってはならないこと。
738不説 ◆zanKI/5r4A :2013/10/12(土) 02:28:46.04 ID:hOvj+/Mx
住人の皆様お久しぶりです。
荒れ狂う2ちゃん管理の規制が逆に流出事件で麻痺するに至ったというのも、仏教(業)的には中々興味深いかもしれません。
私はここのところこちら方面に向けるエネルギーがないので、規制解除後もそのまま足が遠退いていましたが、外道異教の身近な知人に手を焼く出来事があり、何となくフラっと立ち寄ってみました。

522>>ブッダゴーサは真に 「仏陀の無我」 を理解出来ていなかった・・・ ということですよ。
522>だから大乗の教えが分からなかった。

南伝パーリ≒原始仏典が(それだけで必要かつ十分という状態で)使い込なせなかった、読みこなせなかった人々が、だから「(まだ悟れていないので)足りない」と感じ大乗仏典を生み出すことを必要とした、という言い方も、しようと思えばできます。

たまに、Macのマウスのボタンが1つしかないからと、その一事を以ってボタン2つを前提としているWindowsの方がレベルが高いという主張の仕方をするWindows派の人を見掛けますが、それに近いものを感じます。
むしろ、単純に1つのものを2つ3つ4つと増やせばその方が優れているという判断様式自体が、稚拙ではないかと、Mac派の人は思うでしょうね。

下のジョークは本来はソ連を茶化すためのものが元ネタになっているようですが、それを改変して反対にアメリカを茶化すものに作り替えられたもののようです。
例えば、セブンさんなら(このジョークにおけるアメリカ←大乗経典群、ソ連←パーリ経典群として)、気に入っていただけるんじゃないでしょうか?

宇宙のボールペン
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/tech/1151583119/494
494 :デフォルトの名無しさん:2007/05/19(土) 20:10:22
宇宙のボールペンのジョークを聞いて、本気にしてしまった男がいた。
アメリカの科学者は、彼に、その話がジョークであることを納得させようと
して、毛細管現象とは何かというところから始まり、ボールペンのインクの
成分やその粘度がどれぐらいか、など小一時間に及ぶ説明を行い、ボールペ
ンはそもそも無重力でも使えるのだということを納得させた。
一方、ソ連の科学者は、紙を上にはりつけて下からボールペンで字を書いて
見せ、ボールペンが上下逆でも使える=無重力でも使えることを納得させた。
739神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 02:28:52.53 ID:zWIHh1LD
>>736
自分が生来的に持つ人格を「人為的に」変えようとすると、必ずみずみが
生じる。内観やった人さえも、周囲から見ると、違和感を感じる「臭み」がある。

自分が持って生まれた自然の人格を、精一杯発揮させることのほうが大切。
740神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 03:33:12.95 ID:P/suTu/q
>>738
稚拙な喩えだな。
741神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 03:59:33.99 ID:K073rGt/
>>734
抗鬱薬は何の効果もないです
副作用でますます自殺者を増やしています
子供を亡くした悲しみを薬で癒すことはできません
医学で治せない病気はたくさんあります
医学は人を幸福にはしません

幸福になる唯一の方法が仏教です
742神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 04:06:15.59 ID:5nwFQ1XU
>>737
悟りを開いた人は目の前で自分の子供が殺されても平気ですから
一種のキチガイですよ

子供が殺されて泣きわめくのが、本当はキチガイなのです

何がキチガイで何が正常なのか
人間は知らないのです
なぜなら人間は無明だからです
743神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 04:14:12.15 ID:4SKSFnSF
>>736
ヴィパッサナー瞑想で自分の肉体を構成する素粒子が消滅する瞬間をハッキリと観察できたら
覚りが開かれます
744神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 05:10:19.69 ID:z0g84K1J
>>737
>楽器をいくら練習しても、気が狂うことはないが…

確かに、楽器の練習で気が狂う話は聞かないが…
喩えが違う様な気がする。

「さとり」と「プロ」、「ヴィパッサナー瞑想」と「個人練習」を「やり方の間違ったヴィパッサナー瞑想は気が狂うだけ」を喩えるなら「やり方の間違った個人練習は腱鞘炎になる。」どちらも、「さとり」と「プロ」の目標から遠ざかる。なら分かるがね。
745神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 05:30:12.25 ID:z0g84K1J
>>739
>「人為的に」変えようとすると、必ずみずみが 生じる。

言いたいことは分かる。
でも、{「人為的に」変えようとすると}には、二通りの解釈が有るよ。
例えばダイエットなら、急激な食事制限なら貴方の言う通りだと思う。でも「自分を鏡で見てこれではダメだ。」と思い、生活習慣、軽い運動、バランスのとれた食事等、出来る範囲のダイエットなら歪みも少ないし
貴方の言う「自分が持って生まれた自然の人格を、精一杯発揮させることのほうが大切。 」になるが…
まあっ!僕には今のところ二通りの解釈が有るから、貴方の意見に概ね賛成しときます。
746神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 05:40:30.07 ID:z0g84K1J
>>734
あれ?
何か誤解されてませんか?
ヴィパッサナー瞑想で「悟り」は認めていませんが「覚り」なら 認めてますよ。
但し、「自分の肉体を構成する素粒子が消滅する瞬間をハッキリと観察できたら 」 は貴方の個人的な意見だと思いますので、否定も肯定もしません。
747神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 07:04:20.34 ID:UjcHg1jV
>>732
>イタリアは精神病院を廃止したよ

そしてヴァチカン公認のエクソシスト達(牧師)が一番活躍しているのもイタリア。
21世紀の今ヴァチカンではエクソシストを養成する講座が行われている。

聖書でイエスが、原始仏典で釈尊が眼には見えない存在と語っていますが、
現代常識だけで否定しない方が宜しいでしょう。
748神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 07:33:44.14 ID:5nwFQ1XU
>>747
日本の精神科は誰一人として患者を完治させてないのです
なぜなら脳病は薬では治らないからです
治らないどころか薬の副作用でさらに病状が悪化しているのです
精神科は患者を薬づけにして金儲けしているだけです
749神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 08:07:19.85 ID:UjcHg1jV
>>748
>精神科は患者を薬づけにして金儲けしているだけです

本スレにも精神異常は脳内物質の異常で説明がつくと断言していた住人がおります。

身内の精神科医が言ってました。
精神科以外の病院では家族は「一日も早い退院を希望」します。
でも家族にお金があれば、精神科は逆の場合が多いそうです。
750神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 08:18:11.32 ID:UjcHg1jV
>>747
>そしてヴァチカン公認のエクソシスト達(牧師)が一番活躍しているのもイタリア。

主に欧州のキリスト教のお坊さん達(牧師)は頑張っております。
日本の宗派で退魔(憑依した中有を除く)ができるのは密教系だけでしょうか?
他の宗派でも可能であればまたご教示下さい。
751:2013/10/12(土) 08:55:25.84 ID:ivEU+cre
 
>>738 不説 ◆zanKI/5r4A さんへ
> 住人の皆様お久しぶりです
> 規制解除後もそのまま足が遠退いていましたが
> 外道異教の身近な知人に手を焼く出来事があり、何となくフラっと立ち寄ってみました

 ↑ 何があったのか、わからないけど、とりあえず、お疲れさまでした  屮(_ ._)屮
  _  _  _

止観(しかん)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E8%A6%B3

奢摩他(サマタ)・毘鉢舎那(ビバシャナ)
仏教では瞑想を「止」と「観」の二つに大別する

止(サマタ瞑想)とは
心の動揺をとどめて本源の真理に住することである

観(ヴィパッサナー瞑想)とは
不動の心が智慧のはたらきとなって
事物を真理に即して正しく観察することである

止は禅定に当たり、観は智慧に相当している
「止」だけでなく「観」を重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある
752神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 09:02:00.88 ID:RYKTUgrD
>>738
それは、ジョークのままの方が、さきの流れに関しては適切でしょw

その譬えは、「理屈、ギミック、メソッドの解説・解説法より、実地に使ってみる方が早い」
というものだから。(これは寧ろ、学究部派と現場大乗という対比に近いですw)
所謂、百聞は一見に如かず、案ずるより有無が易し。
でしょ?w

ジョークのままの方が、
「新たな要素付加、新規製品の希求をせずとも、既存ツールで十分」
ということで、上の流れには適しているかと。

また、ジョークそのものには含まれていませんが、
寧ろ、他の気にすべきこと(デメリット・不具合、或いは副作用)が生じてくる可能性もありえるわけで・・・。
(ま、そういうことを言い出すと、逆に、既存のままでは不足部分、補えない部分、そのことによる不都合が生じる、ということもでき)、
どっちもどっちできりがないわけですが・・w)
753:2013/10/12(土) 09:13:49.94 ID:ivEU+cre
 
> 日本の宗派で退魔(憑依した中有を除く)ができるのは密教系だけでしょうか?

瑜伽師地論(ゆがしじろん)
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
我愛と戯論(けろん)と善悪業によって中有が形成される

 − これに対処する為に −

加持(かじ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
密教においては
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
双方が相応一致することで

 → 死後の成仏をはじめとする ← 各種の効果を成就させる
754だいおう:2013/10/12(土) 09:18:22.27 ID:e9QvHavk
はははは・・反論する奴がいねえや、実用的解釈がだれもいねえ、
中途半端の知識で隠居みたいに「俺は偉い」ていう輩がほとんどだなあ・・
712 :神も仏も名無しさん:2013/10/11(金) 20:07:47.85 ID:1BpFAriH
議論のための議論に陥り、自分と違う意見を持つ人間を罵倒する書き込みを一日中やってるのを見ると、ホントくだらねーな、と思う。

イエス・アイ・ドゥー
南伝仏教氏ぐらいかもな、案外まともなのは・・・
737サイコパス隠居の精神医学の知識はオウム教義・レベル滑稽だからなあw
755さりながら死ぬのはいつも他人:2013/10/12(土) 11:16:52.95 ID:/Q8c/tXE
1968年に亡くなったダダイスト画家マルセル・デュシャンの墓碑銘には下記が彫られている。
          『さりながら死ぬのはいつも他人』
だから俺は死んではいないとデュシャンは墓の下で嘯いているのだ。

そうならば『さりながら、生まれるのもいつも他人』といえるだろう。
デュシャン自身は生まれてもいないのを認めざるを得ない。

<不生不滅>である。
756基地にゃん♪:2013/10/12(土) 11:32:59.15 ID:9lqwP1r/
閑話休題!一休みするにゃん♪

http://livedoor.blogimg.jp/chihhylove/imgs/3/4/34f70622.gif
757神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 13:40:19.95 ID:rLbFjfHE
>>749
>身内の精神科医が言ってました。

その精神科医自身が宗教患者ではないのか?もしくは、医学の急速な進歩に
付いてゆけないのだろう。精神科医の資格はない。

戦中・戦後を知る者から見れば、現代は、たとえ解決すべき問題は残っていた
としても、人類史上最も恵まれた時代。まさに天国である。

先人の努力に感謝し、己も精一杯生きて、後代に残そう。

時代錯誤に過ぎない大昔の宗教に嵌るなど、現代人としては言語道断。何の
ために義務教育を受けたのか。
758神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 13:50:47.43 ID:g2EpktbF
 
悪魔との対話 〜 梵天懇請
 
わたしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、しずまり、
絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。
ところがこの世の人々は・・・人々には・・・縁起という道理は見がたい。
またすべての・・・やすらぎ(ニルヴァーナ)というこの道理も見がたい。
だからわたしが理法(教え)を説いたとしても・・・疲労が残るだけだ。
わたしには憂慮があるだけだ。・・・ 
 
759神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 13:59:30.66 ID:rLbFjfHE
このスレは、釈迦・イエスの狂気に感染した基地外の集まり。まさにオウムスレ。

もはや薬剤では効果が無く、電気けいれん療法(mECT)という究極の治療法の適応
と思われる。筋弛緩剤を使用し、微弱な電流を脳に流すだけだから、全身けいれんの
心配はない。住民諸氏は、是非試みられたし。釈迦もイエスも神も仏も、一瞬にして
吹っ飛ぶ。
760神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 14:07:13.16 ID:RYKTUgrD
はい。
新たなお題が来ましたよw >>758

一見すれば、
なるほど、そうかもしれないと思わせるが、一歩立ち止まって文言を拾うと
奇妙なことに気付く。

はて? お釈迦さんは菩提樹下でお悟りを開いた筈だが、
どうして悟った者に「憂慮」が生じるのであろうか?
A:悟っていなかった
B:悟っても憂慮は生じる
C:生じているのは憂慮ではなく、憐憫慈悲である
D:お悟りの段階として、菩提樹下では、慈悲がまだ完全に開かれきっていなかった
E:(B2)お悟りは、あくまで「智慧」に関することであり、現場のTPOについては、都度都度の心的反応はある
F:その他

貴方ならどれを選ぶ?w
761神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 14:16:56.67 ID:rLbFjfHE
>>760
基地外である釈迦の論理はちゃめちゃの言葉に、一々大真面目に耳を傾けるのも基地外。
感染の恐れがあるから、すべて無視すべきもの。
762神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 14:19:03.08 ID:yvfNU46L
「非想非非想処定」〜なんて「思わない且つ思わないでもない」という訳の分からない世界観で
ココから中道という世界観に繋がるのだと思うけど、その中道も中論によって単に「有る無い」の
両極につかないからあらゆる両極につかない〜に変化して結局あらゆる場面でYES、NOの選択を
排除する〜という非現実的な世界観に変わっていった。だから龍樹は自らに主張なし(YES、NO)〜
と言ったと思うんだけど、その自らの極端に拡大解釈した非有非無の中道を積極的に主張するという矛盾に陥っている。
無論、説一切有部が仏教の有る無しの両極につかず〜を無視して法は実有であると主張したのも中道に矛盾している。
763神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 14:33:39.13 ID:SgY0BqB5
>>340
遅レスなわけだが・・・
お許しいただきたい。

世俗は諦をつけちゃいけない的な話になってるわけだが
月を差す指であれば、世俗諦なわけじゃないの?
たとえば、おまえの母ちゃんでべそでハッと気づいて悟る人もいるかもしれない。
まあ、ありえないが、鞭の影を見ただけで、あるいはそれが毛に触れただけで無常を知り、
悟る頓機なる人たちはいると言われるわけだから
世俗諦ってやつは、コレ!って限定できないわけだよね
だけど、明確に骨にこたえるような言い方であれば、因果などない、みたいな言い方になると思われ

まだ全部よんでないから、すでに答えている人いたらスマン
764神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 14:39:24.46 ID:g2EpktbF
>>760
Bですかね。悟っていても病気や怪我をする。
病気や怪我をすれば、元気に晴れやかにとは行かない。
説法しても、誤解されたり、嫌がられたら、気が重くなる。
釈迦の疲労・憂慮は生体反応じゃないかな。
765神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 14:45:47.27 ID:g2EpktbF
悪魔との対話 〜 梵天懇請
釈迦が内心、そう思ってからすでに2500年が経過した。
 
今や、釈迦の時代とは社会状況が大きく変化している。
人間に関する学問は発達し、世界中の知識から学ぶことができる。
過去の「経典」に頼らなくても間に合う時代になった。
そのうえネット社会だから、家で学び、家で修行することができる。
 
悟りに必要なのは、生きることに苦労し、その苦から逃れたいと
心底思うことにつきる。悟りとは苦の滅を言う。
766神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 15:04:19.52 ID:g2EpktbF
苦と楽という縁起があった時、
苦は苦、楽は楽として一喜一憂しているのが世俗になる。
中観派はそれを、それは縁起しているから空(勝義諦)であると説き、
苦と楽は仮に言葉で設定したものだから仮設(世俗諦)といい、
苦と楽を相対的に観じられる立場を中(中道)という。← 中観
 
世俗は、空の洗礼を受ける前の苦と楽
世俗諦は、空の洗礼を受けた後の、相対化された苦と楽
みたいな感じですかね。
767神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 15:54:29.69 ID:yvfNU46L
>自らの極端に拡大解釈した非有非無の中道を積極的に主張するという矛盾に陥っている。
この点では後世になって非有非空と改めても同じだねw
768神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 16:14:37.49 ID:SgY0BqB5
>>441
スピリチュアルというのは正確ではないと思うが、
レス相手が仏教を分かってないことにはなんとなく同意。
彼のことはけっこう見てきたが、観念的なところから抜け出せてないのだろうな
まあ、縁がある人にしか言葉はとどかんし、ネットでは伝わらないと思うわ
769神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 16:36:53.98 ID:SgY0BqB5
>>522
同意、久々にわかってる人に会ったきがするわ
770神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 16:54:15.16 ID:msugyvnx
>>757
いまの医学でも科学でも精神的苦を消すことはできない
苦を消すことは仏教にしかできない
771神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:05:04.20 ID:2z23ZoZn
菩薩の段階ではまだ揺らいでしまうこともあるんだよね
如来になると完全にも重ねて完全に揺らがなくなる
772神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:34:47.02 ID:/p5Ewf4B
>>770
>いまの医学でも科学でも精神的苦を消すことはできない

馬鹿なことを言うな。殆どすべての苦は、病気や生存に必要な物資、サービス、それらを
購入するために必要な金銭の不足から生じる。「生老病死」は、すべて身体の苦。これらの
苦を軽減・除去しているのは、すべて、医学を含む科学。宗教など、何の役にも立たない。

純粋に精神的な苦は、専ら自己中心から生じる「幼稚な甘え」に過ぎない。

宗教の起源は「古代人の生存の『手段』」であったことを、忘れてはならない。
773神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:34:49.43 ID:SgY0BqB5
>>597
輪廻を切り離せるかどうかは俺はサンガの問題だと思うなー
別に俺はなくせと言わんし、なくていいとか言ってるやつらもアホだと思うが
774神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:39:49.88 ID:SgY0BqB5
>>597
まあ、相手を助けたいと思えばこそ感情的にもなるんだよな
だが、ミイラ取りがミイラ、助けるつもりが二重遭難
少し頭ひやしたほうがいい
775神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:41:51.12 ID:SgY0BqB5
>>618
最高だとかは考えるべきじゃないと俺は思うけどなぁ
まあ、経典に従わないといけないがなw
だが、それは相対的究極ではなく、絶対的な究極だと思うけどなぁ
776神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:48:49.25 ID:yvfNU46L
禅宗三祖僧粲の有名な至道無難、唯嫌揀択という文句も、後に趙州が
使って僧に聞き返された、「至道無難、唯嫌揀択」も揀択ではないか?
これは中道についても言え、構造的に無限スパイラルに陥る危険性を孕んでいる。
中道も中道を主張すればその事がひとつの辺(極)となり自らの主張に矛盾する。

結局、真意を腹に収める事が最も大事で、これをネタにあれこれ言うのは阿呆という事ですね。
趙州も聞き返してきた僧に「どこが揀択か?」と逆に迫って聞いてきた僧をあたふたさせている。
禅宗ではあたふたしたら負けw

輪廻があるかないか?というのも、有る言えば誤、無いと言えば誤、だから無記で中道なのですよ。
777神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:56:48.73 ID:SgY0BqB5
>>738
上にはりつけて書くとボールペン書けなくなるんだが・・・
間に空気が入るやつはダメだ
778神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 17:57:00.24 ID:T11RS9nS
まず苦があり、それを解決するために、釈迦や多くの人々が努力してきた。
神とか霊魂とかは、苦を滅する途上で発見されたのですね。
だからそれゆえ、最初から神や霊魂を説くのでは転倒になってしまう。
 
悪魔との対話 〜 梵天懇請 
耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。
おのが信仰を捨てよ
779神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:05:56.93 ID:SgY0BqB5
なんか、世俗諦=科学法則みたいな議論がされてたみたいだけど、ちがうだろww
たとえば、親が死んだのを聞いて、悟った人にとっては親の死が世俗諦だろ
常にそれが月を差す方向に向かっていなければ、諦とは言えねえよ
親の死を聞いても、フーンで流すやつからすれば、それは世俗諦ですらない。
そもそも、それが衆生救済に向かっていないと、仏教からすれば、世俗という次元が生じることすら無意味だろw
悟ったんなら早く飯も食わずにそのまま寂静に入れや()って話だよ
なんで大乗が起こされるに至ったかまるでわかってねえなって話ですわ
780基地にゃん♪:2013/10/12(土) 18:06:22.35 ID:9lqwP1r/
確か釈迦の直弟子で知識一番

と呼ばれていた人は、死後地

獄に落ちたと仏典に書かれて

なかったっけ? (;¬_¬)ノ
781神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:10:04.99 ID:T11RS9nS
月と、月を差す指
 
これは山頂と道路標識の関係であって、縁起ではない。
だから、勝義諦だとか世俗諦の話ではない。
こうしたら悟れるよ、という話だね。
782神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:13:20.20 ID:SgY0BqB5
月を指差しても、月を見ないで、何が一番なの?って聞くやつもいるんだよなぁ
でも、人は指を差すことしかできない
こいつが一人で死のうとした釈尊の絶望的な心中ってやつなんだろうな
783神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:24:32.18 ID:T11RS9nS
でも時代は変わった。2500年前に比べたら月とスッポン。
 
悟り人を輩出できる環境が整ったのだ。
 
耳ある者は聞け、と呼びかけるのに相応しい時代がやって来た。
 
早い者勝ちだよ〜
784神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:26:32.02 ID:SgY0BqB5
お、おう
785神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:44:31.46 ID:SgY0BqB5
つーか、俺は真宗の現代的解釈ってのをやってるが
それで信をいただくのが早くなるかっていうとむしろ逆だと思うわ
そうやってはじめから信なるものをうかがって、だいたいこうなるのが信なんやなって
あてをつけることそのものが、真宗で言うところの「計らう」ってやつなんだわぁ
いわく、自力の心ってやつな。自分がこう思っているのが信なんだって思うことによって
発現する信。救済の予定概念というかんじね。
他人の話を聞いて、あの人はああやって信をいただいたからって信てものを把握しようとする
そして、自分もだいたいこうやったら悟りってやつが分かるかな?って救済ってのを期待していく
こういうのは違うって1000年前から言われ続けている。昔っから同じようなやつがおるってこっちゃ
だからこそ、聞けと、・・・
いや、こんだけここで月に指差してきても無駄だったんだし、広讚にも飽きてきた。
南無阿弥陀仏と称えるのがやっぱ念仏者としては一番だな、南無阿弥陀仏
786神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:47:54.20 ID:yvfNU46L
阿弥陀仏の極楽浄土を目指しているのですか?
私は目指すというのを破棄したいです。
787神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:48:34.54 ID:T11RS9nS
ごく簡単に言えば、悟りには「止観」が必要だと言われている。
これはOK。悟りは「止観」で達成される。
止(サマタ)は坐禅での精神集中を言う。観は自己分析を言う。
止の深さは観のレベルに左右されるから、まず観からスタートしよう。
 
観から始めるにしても、観をどうやるかがわからない。
ネットで調べたらマハシ系(スマナサーラ、実況中継)とかゴエンカ系とか
いくつかあるようだが、いずれも本当の観だとは到底思えない。
今現在の自分の身体などを観察しても無意味に近い。
そうではなく、もっと引きつけ、自分の精神を分析する必要がある。
788神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 18:49:14.70 ID:SgY0BqB5
>>786
好きなようにしたらいんちゃう?
そんなのあなた次第ですよ
789神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 19:04:22.36 ID:T11RS9nS
自分の精神を分析するにはどうしたらいい?
ただ坐っていたら分析できない。フロイト著作集を利用するのがいい。
フロイト自身がこういった問題で悩んでいた人だと思う。
 
ただぼんやり読むのではなく、自分を分析するための手段として、
フロイト盲従ではなく、フロイトと格闘しながら読み進める。
変だなと思うなら保留しておく。荒唐無稽な夢の背景に性欲がある?
ウソだろで、ユングのように否定したらダメ。
フロイトは荒唐無稽な夢にも何らかの意味があると主張している。
 
観 〜 坐るのではなく、フロイト著作集を読む
790神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 19:09:14.33 ID:SgY0BqB5
数息観いいよ
791神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 19:24:18.60 ID:T11RS9nS
フロイトと並行して、もうひとつやるべきことがある。
それは縁起の理法を知ることだが、仏教経典は全部敬遠して近づかない。
中論を読んでも頭が混乱するばかりだよ。
 
それより、正・反・合を説く、簡単な唯物弁証法を学んだ方がいい。
唯物弁証法を、ああそういうことかと納得いくまで学ぶ。
正と反が→苦と楽、合が→空に相当する。
 
ここで、どのくらい苦労しているかが問われる。
本当に苦労していたら、あなたは弁証法の合、すなわち空に飛びつく。
なぜなら、それによって苦労が癒されるからである。
792神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 19:58:33.95 ID:T11RS9nS
苦労が相対化されたら、それによって苦労が癒される。
苦労をしているほど、弁証法の合(空)を信じて生きようとする。
ここには、空を信じるほど、苦労が癒される構図がある。
 
これで苦の滅がある程度達成できる。しかし50%程度だろう。
その先は、どれほど空を信じ、空を生きるかによる。
ある日突然、実は、空を生きていなかったことに気づく。
 
それに気づくことで、甘露(不死)との出会いができるかも。
ここまでが観。ここに至れば後は止。止は簡単だよ。
止は数息観。何も恐れず徹底的にやれ。
793神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 20:08:39.10 ID:RYKTUgrD
>>779
どこで >世俗諦=科学法則みたい な話がされてたんだ?w
794神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 20:12:57.00 ID:T11RS9nS
経典を研究するヒマがあるなら、フロイトと唯物弁証法をやれ。
観が成功すれば、坐禅など簡単にできる。
自分はそれまで坐禅などやってなかったが、坐禅を始めたその日から
ほぼ1時間の坐禅を毎日できるようになったよ。
 
空への菩提心などウソだよ。神がいないと信仰心は湧かないね。
こんなことを2chで書き始めてから十年近くが経つ。
 
耳ある者は聞け 〜♪
795神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:09:59.59 ID:NVvQQqGa
我我は神はいないと思う
だから仏教徒なんです
796基地にゃん♪:2013/10/12(土) 21:17:11.85 ID:9lqwP1r/
>>794

仏教オナニー乙! ("⌒∇⌒")ノ
797神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:22:13.59 ID:T11RS9nS
>>795-796
仏教オナニーも何も
 、
釈迦は好きだけど、仏教には無関心というスタンスだよね
798神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:43:53.99 ID:NVvQQqGa
なるほど
釈迦は哲学者
799神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:44:31.13 ID:SgY0BqB5
>>441
これはどうもちがうな

確かに、唯心論か唯物論か、あるいはその中間か、
そのどれかについて、我々が「これが決定的に正しい」と証拠を提出することは
できんよ。科学が正しいと言えるのは、あくまで我々がこの現実世界に共に住んでいるという共通
認識を重んじている場合に限る。つまり、大乗的な前提がなければなんでもあり
毎日寝て暮らそうが、それも夢だと思ってそのままむなしくなればいい。
だって、この世が夢であっても、誰もそれを否定できる明確な証拠なんて出せない。
そいつが殴られて死んだとしても、そいつがそれを夢だと思い続けるなら、そいつを否定できないよ
そいつの世界観は完全に完結している。
もちろん、そいつがなぜ夢であるこの世にいつづけようとしたのか、その理屈がわからんがな
相手という存在も夢なら布教になんの意味もないだろうに。
仮に迷っている相手を、自分の心の現れというなら、誰とも合わなければよい。
さびしいというなら、それも迷いだろう。
結局、その観点に立てば、我を仮設している時点でそいつの負けなのだ。
仮設を認める、つまり、自我をこの現実社会の中で働かせるというのは、
その人物が自分の夢に一定の正しさを認めているという行為をしているにほかならない。
800神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:48:30.26 ID:yvfNU46L
人恋しくも無く、一人犀のように進むだけ。人は生まれる時も死ぬ時も一人です。
大事にしている人とも物ともお金ともお別れです。
来るものを拒まず、去るものを追わず、至道無難、唯嫌揀択の中道の世界こそ私の道です。
801神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:52:47.12 ID:SgY0BqB5
>>442
たとえば、スピリットというのは霊という意味だけど
よく西洋で、霊・肉・魂をおくけど、魂というのは生きているということ
つまり、霊肉をつなげる生命という意味だね。
だから、霊とは人間の精神的な側面という意味に介されるけど
早い話が、日本人が考えるところの人魂てきなもんなんだよ

君は、そういう意味でスピリチュアルって使ってるわけかい?
輪廻思想に、そういった人魂的なイメージが不可欠と。そういうことなら
それは君の勝手であるが、仏教に対して普遍的にそういう考えを求めるのは
まちがっていると思うよ?
802神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 21:57:35.67 ID:T11RS9nS
体験が重要なんだよ。
 
古文書を重視しても、テキストを重視しても、わからない世界がある。
 
それは体験しないとわからない。
 
主張には、体証、理証、文証(一番値打ちがない、カス)が必要だよね。
803神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:11:38.48 ID:yvfNU46L
>文証(一番値打ちがない、カス)
これによらねば仏陀の説いた真実世界が見えない。妄想の瞑想の世界こそ真実〜というのが最も危ない。
804神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:21:57.84 ID:UjcHg1jV
エドガーケイシー(Wiki)
彼の「ライフ・リーディング」では、人の魂は死後も永遠に存在し続け、転生を繰り返すという、
自身が信教していたキリスト教の教義や現在の常識ではにわかには受け入れがたい概念を示した。
805神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:26:25.58 ID:UjcHg1jV
>>804
彼の情報源であるアカシックレコードは、魂の記録と呼ばれるとおり、情報の性質によって得手・不得手があり、
例えば、前世の行為に基づく災難や病疫、聖書の記者に聞かなければ理解できないこと、
質問者の個性や長所、治療や健康に関する医学的な質問、といった属人的な情報は比較的有用であったようで、

クリスチャンのエドガーケイシーが前世のカルマによる現世での果を多く語った点は興味深いです。
806神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:27:27.69 ID:SgY0BqB5
>>802
体験じゃなく智慧なんだよ
自転車にのるような感じかな
体験だと過去のことになっていくだろ?
それは色褪せる
807神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:34:01.89 ID:SgY0BqB5
感情の起伏とかある変性意識とか、そういう経験をしたことが悟りではなくて
あることを経験したことで、その後も継続的に身になっていることが悟りなわけ
だから、俺は悟りとは体験じゃないと言っているのだよ
自転車や一輪車にのる、あの感覚を、コレとはうまく伝えられないだろ?
一輪車にしても5mのれたじゃ意味ないわけ
ずっと乗り続ける、維持できるあの感覚ってやつが必要なわけであって
そいつは特定の体験すれば身につくわけじゃない。その感覚という智慧を身につけるべくいろんな道筋があるわけ
そりゃ、なんらかの体験をしたのはそうだろうが、自分の体験にこだわっていくとまちがう元。
体験はある種月を差す指なわけだよ、体験を通して、ある智慧が体得されるそれが大事なんだよ
808神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:35:29.14 ID:T11RS9nS
あなたたちの誰一人、神も霊魂も知らない。
 
それでぇ 神や霊魂を知ってると言たら、全部妄想で片づける?
あなたは何言ってんだか。
あなたの立場は結局、神や霊魂を否定するだけじゃない?
 
釈迦の憂慮は、あなたのような人を言っている。
809シモン・エレクシア ◆/bVPRrlaFM :2013/10/12(土) 22:35:39.48 ID:fIqDRRmk
:::::::::|::::::::::::::::::::::::::::::::/:::::::::::l::::::::/;;;;ヾ:/l:::::::::|
'¨\|:::::::::::::::::::::::::::::::l::::::::::/.!:::::/`''ヾシ;;;!::::::::|   釈迦は人間の自己を構成する身体・心理的
/ `|:::::::::::::::::::::::::::::::l:::::::/ |:::/    ¨ |::::::::!   要素を分析的に考察し、それを「五蘊」に類別した上で、
  _,l|:::::::::::::::::::::::::::::::|::::/  .|::i       |:::::::l   その全てが常住不変ではない、ゆえに「我(アートマン)」
 /: |::::::::::::::::::::::::::::/|::/_   l::!       |::::::l     ではないとした。
 ヽ |:::::::::::::::::::::::::/__!:!__`'-、l_       |:::::l      ここから、仏教は「無我」を説くとされ、実際、大乗や
 ´ l:::::::::::::::::::::::l 、,,芯ソヽ   ´  ,x-‐'!:::::!     多くの諸派はそのように解釈している。だが、はたしてそうか。
'.-、 l::::::::::::::::::::::l  |  ̄´ ノ   芯ソ/::l::::j     釈迦に先行するウパニシャッドの哲人ヤージュニャヴァルキア(BC7~6)は
:::::::| !:::::::::::::::::::::! .l , ‐'´     | ̄/::/!/    アートマンは感覚世界の筆舌では捉えがたく否定(〜ではない)でしか
_ノ | l::::::::::::::::::::l /         │/:::/        把捉しえないものであると説く。釈迦の説く輪廻の対象も感覚世界の先にこそある。
. 八. l::::::l:::::::::::l´      __   |:′!    我々グノーシスにおいては、人間は「霊」「魂」「肉」の3要素から
.  ∧l::::l !:::::::::!       `-‐'´::::i     構成されると教え、人間の身体・心理的機能は「魂」と「肉」に
    `!::! !::::::::l   -‐==‐ ,イ::::::::l     属するがゆえに、人の死と共に滅するとされる。
ヽ,    レ'ヽ!::::::!     ̄ ̄/:::::::l::::l     「霊」は一者に淵源する至高の光であり、覚知せぬ限り輪廻転生を繰り返す。
三\     !:::l、     ,イ!:::::::::/!:::lヽ     釈迦の直説を真に理解しうるのは俺たちグノーシス派だけだ。
810神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:41:11.58 ID:yvfNU46L
>>807
あなたの言っている事は体験ですよ。
体験じゃないと良いながら体験しないと分からない〜と言っているw
自転車や一輪車の例えは意味無し。
811神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:42:54.62 ID:SgY0BqB5
>>808
妄想とは言わないが、それが真理というのは仏教ではまちがいね

ところで興味深い話がある。
宗教体験には、他霊憑依型と幽体離脱型があるそうだよ
憑依型の宗教はあの世がこの世の延長線上にある。あの山の向こうとか、恐山とか立山とかね
というのも、そばにその霊がいないと憑依することがありえないからね
一方、離脱型の宗教はちがう。天とか地下とかこの世から隔絶したところにあるそうだよ
812神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:48:06.27 ID:SgY0BqB5
>>810
体験にこだわってるわけじゃないと言いたいわけ。
そりゃ、なんの体験もなく継続的な智慧をうることはできないからね
ただ特別な体験だとか、こう体験することが悟りをうることだというのは、
上でおれが書いたけど、救済の予定概念をつくりだす誤りだということだよ
こうすれば、こうすればっていう虚妄を人に植え付けるだけだからね
813神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:49:38.65 ID:yvfNU46L
何かしらの体験が必要かと考えれば、良書を探り当てる体験は必要かもw
中村元さんは誤訳がある〜との批判もありますが、分かりやすく学者として
の見解も深く良書だと思います。
814神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:51:15.15 ID:SgY0BqB5
>>813
それを悟りの条件としているやついねえだろ
悟りを売るための必要条件かもしれんがさ
815神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:53:13.27 ID:SgY0BqB5
>>809
バカすぎワロタ
816神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 22:57:41.27 ID:yvfNU46L
彼の書では悟りと言うものは志向するものではない〜というのが伝わってきます。
覚り、悟り、何でも構いませんが志向するものではない。
皆は志向するから駄目なのですよ。
素朴な中道で良いのではありませんか?
龍樹を持ち出す必要も無し。
言えば言うほどドツボにはまるという形式です。
817神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:02:24.38 ID:SgY0BqB5
志向しないから、何もしなくていいと考えられるのも困りものなんだけどな
だから、ここまで衰退してるんじゃないのかとも思うほどだから
志向しなくていいというのは、志向しなければ分からないんだよ
諦という漢字にあきらめると訓じるのも、理由のないことじゃないんだよ
あきらかにみる、が、あきらめる に変化したとかなんとか、詳細は知らんw
やってみなければ、諦めるということはない
818神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:03:00.06 ID:T11RS9nS
>>809
グノーシスの考え方はわかるけど、一元論ですよね。
 
自分は完全な二元論で、神(命)と大地(物質)の結婚が生き物になる。
 
でも大地(物質、死)が悪魔だと誤解されている。
819神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:03:05.15 ID:UjcHg1jV
>>811
>憑依型の宗教はあの世がこの世の延長線上にある。あの山の向こうとか、恐山とか立山とかね
> というのも、そばにその霊がいないと憑依することがありえないからね
>一方、離脱型の宗教はちがう。天とか地下とかこの世から隔絶したところにあるそうだよ

どちらも正しいと伺っておりますよ。

死後、肉体から抜け出た霊(意識)はあの世(天、浄土、大半は地獄)へ行って数百年後にまたこの世の母胎に宿るのが正常なルール(法)。

ただし、現世に執着が強過ぎる霊(意識)はルールを破り、あの世へ行かずにこの世に留まります。
死んだ場所をうろうろしてたら地縛霊か浮遊霊、生者に憑依すれば憑依霊と分類されております。
820神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:06:26.93 ID:yvfNU46L
地縛霊、浮遊霊、、憑依霊等を見たこともなければ感じたことも無い。
心底信じられない人間にそれは見えますか?
821神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:08:19.38 ID:UjcHg1jV
前者の輪廻の法を釈尊は説き、後者の憑依の法は聖書に見られます。

道の人は異なった真理を互いに褒め讃えあう。(Sn.884)
822神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:10:02.77 ID:RYKTUgrD
>>820
空気や電磁波や放射線やらみたいなのは
目に見えないけど(→本人が気付かない(→【知り得ない】)けど)、【影響を与えている(→作用している)】、
という考え方が適用されると思われ・・。
823神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:14:56.84 ID:yvfNU46L
地縛霊、浮遊霊、、憑依霊等は放射線の様なもので目には見えない〜
また、科学的に測定も出来ない。
出来ないのオンパレードだが、あるかもしれない。
あるかもしれない〜のならOKです。確かにあるかもしれない。
しかし、それをあると断定、前提とするのは間違い。
あるかも〜で止めるのが正常な人間の判断。
824神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:15:27.90 ID:UjcHg1jV
>>820
>地縛霊、浮遊霊、、憑依霊等を見たこともなければ感じたことも無い。
> 心底信じられない人間にそれは見えますか?

幽体をまとっている地縛霊、浮遊霊は条件がそろえば写真にもビデオにも映りますので、心底信じられない人間でも見えます。

憑依霊の方は霊媒師を通して間接的に話をするか、霊動現象で相手の話を心底信じられない人間でも聞くことができます。
故人しか知らない筈の情報(例、遺品の隠し場所、遠くのお墓の場所)が提示された場合には後日確認することで検証できます。
825神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:16:19.32 ID:SgY0BqB5
>>819
へー、じゃあ日本では、富士の洞穴にあの世があると考えてるんだが
日本人はみんなこの世への執着が強いわけねw
あるいは太平洋の伝承では、自分たちが住む島から見える小島に先祖がいると考える。
ちょっと遠いところにあるが、あの世をこの世の延長にあると考えるわけだ

一方、あの世をここではないどこかに設定している宗教は
夢によってまったくどこでもない場所を体験しているからだろう
幽体離脱はその一変化だろうね、だが意識を自由自在に飛ばしているのは共通
826神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:16:46.18 ID:yvfNU46L
そんなものは見た事ないしTVの出鱈目放送は阿呆と思っている人間もいるw
827神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:27:54.24 ID:T11RS9nS
 
おい、一在家路線にダマされるな
 
一在家はアラヤ識に覆われて輪廻する宿命にある
 
アラヤ識だってよ〜 ヽ(^o^)丿
828神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:32:28.45 ID:yvfNU46L
私は一在家ではないw
妄想瞑想にこそ騙されるべきではない。
829神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:33:20.37 ID:yvfNU46L
私はかつて紐だとか言われていた者だw
コテは使わんよ
830神も仏も名無しさん:2013/10/12(土) 23:38:55.19 ID:T11RS9nS
あ〜ごめん この人が一在家 → UjcHg1jV
831神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 00:23:17.00 ID:JvSCbRTp
まあね・・。
スピ系心霊系オカルト系ニューエイジ系神秘主義系神智学系etc.etc.を
完全否定(≒却下)できない理由の一つは、ココだからね・・w  >>820
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6511113
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6511382
日本語版公式サイト:http://faculty.ms.u-tokyo.ac.jp/users/dim_jp/
解説:http://www.dimensions-math.org/Dim_CH2_JP.htm

とは言いながら、伝統各宗教も、同様の構図で、真理の知り難さ・気付き難さ・到達のし難さを言うしね。
勿論、仏教(特に大乗系)も・・。

体験部分、或いは核(コア)の部分は、
畢竟、平面トカゲに塔の高さを実感させるようなものかもしれないが・・。
832神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 00:32:50.65 ID:SopX+iLx
人生では経験も重要。他からの影響も重要。瞑想だけでOK〜なんてものではない。
不可思議な世界もあるかもしれない、がしかし、それこそが貴重な世界と思うのは間違い。
そもそも、自分が生きて今存在する事自体が不可思議。それを越える不可思議は無い。
小手先のマジックに騙されてはいけない。
833基地にゃん♪:2013/10/13(日) 01:45:21.34 ID:MK2YufYV
>>832

賢者は歴史に学び、愚か者は

経験に学ぶと言うにゃん♪

   (~)
 γ´⌒`ヽ
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}
 ( ∩ω∩)  いないいない・・・
  (:::::::::::::)
   し─J

   (~)
 γ´⌒`ヽ
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}
 (*´・∀・)   ばあーか
 ⊂::::::::::::つ
   し─J
834神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 01:54:20.70 ID:SopX+iLx
おっさんもヒマやなあw
835神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 02:36:08.03 ID:gUPyPGlo
仏教とはヴィパッサナー瞑想のことです
836神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 02:40:30.05 ID:WgYNXNu3
良い人は死後、天界へ逝きます
天界に住んでいる幽霊が神です

神の正体は元人間の幽霊です
神は無数に存在し、創造主はいません
837神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 02:42:20.87 ID:WgYNXNu3
この宇宙は自然現象で誕生しました
生物はダーウィンの進化論通りに誕生しました
838神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 05:50:10.59 ID:gytXBvUj
>>809
> 「霊」は一者に淵源する至高の光であり、覚知せぬ限り輪廻転生を繰り返す。
正解!
言い換えるならば、
「悟り」は一者に淵源する至高の光なのサ
覚知せぬ限り輪廻転生を繰り返すのかどうかはわからないw
839神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:03:22.43 ID:gytXBvUj
>>809
グノーシスは良いね、釈迦の教えの神髄を学ぶのには最適
仏教経典は、俗人の手垢塗れサ
840神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:26:31.01 ID:cLqsKGe9
>>831
>とは言いながら、伝統各宗教も、同様の構図で、真理の知り難さ・気付き難さ・到達のし難さを言うしね。
> 勿論、仏教(特に大乗系)も・・。

普通の現代人にAさんは「あなたも空、私も空、存在しない」と言い、Bさんは「あなたも私も霊魂がある」と言いました。
さて、どちらの支持率が高いでしょうか? 少なくとも半数以上はBさんに賛同します。

まず産婦人科で「不生不滅」と言えば、頭のおかしい人だと見做されて、周囲の人がひくでしょう。
841神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:26:56.79 ID:mzKkhYy3
そういうのが、救いの予定概念って言われるわけだが・・・。
それを方便と思えないなら、仏教が分かってないとなるわな
あるいは自分の体験に執着している、というか。
表現なんてどうでもいい。君の気持ちは分かるが、そこからは何も生まれないよ
むしろ争いの元になる。仏教がすごいのは、まさにそういう虚妄を廃していったところだよなぁ
釈尊かしこいよ釈尊
842神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:33:05.17 ID:cLqsKGe9
>>836
>神の正体は元人間の幽霊です
>神は無数に存在し、創造主はいません

原始仏典を読みますとあなたの言う通り、人の転生先には天も梵天界もあります。
そして神も宇宙も輪廻すると説かれております。
宇宙が終わるとほとんどの生物は光音天に再生し、次の宇宙ができるまで待ちます。
これをずっと繰り返していると如来は説かれております。

それを知っている無量寿の法身の如来を他教で創造主と呼んだ場合は、「創造主はいません」と
言えるか否かは議論対象でしょう。
843神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:41:51.74 ID:WS306l2I
>>842
宇宙を造ったのは神ではないと
お釈迦様が言ってます
この宇宙はただの自然現象として誕生しました
844神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:42:10.39 ID:cLqsKGe9
>>842
>宇宙が終わるとほとんどの生物は光音天に再生し、次の宇宙ができるまで待ちます。
>これをずっと繰り返していると如来は説かれております。

この壮大な法則(法)の立法者(意志)を「創造主」と定義しても宜しいかと思います。
かのアインシュタインの神の定義と似ております。

他例では「万有引力の法則」が無ければ、地上で生命は生存すらできません。
845神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:45:56.87 ID:mzKkhYy3
しかし、ウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神おもしれーわww
ルター派とかカルバン派とかの神秘主義傾向(瞑想的傾向)、禁欲主義的傾向、など
プロテスタンティズムの中の、とくにカルバン派がが資本主義の前提となった理由を他宗派と
区別して論じているわけだが、分かるわーが多いなw
俺も宗派が勧める行、真宗では念仏となっているが、それに不満な時期ってのはあったもので
自分の実存を満足させるのは、世俗的な成功だろと思っていた時期はある。
今でも、そいつがやりたいようにやればいい、そいつが無理だと思わなければなんの解決もしないだろって思うから
行は念仏にとどまらず、そいつの実存が満足するかぎりにおいて、すべて行であると思うわけだが
それが、天職概念にまで高めたのがカルバンなわけだな、つまり、カルバン派は念仏ではなく、世俗的職業への邁進が
行なんだよ。真宗は、今でこそ称える人は少ないが念仏こそ報謝の行と言う。人間の勝手な行いより念仏こそ救いにもっとも
有効と見るからね。しかし、俺はどちらかというとアウトローで念仏するより広讚の方がみんなとの接点になると
考えるし、所行派だから、カルバンの気持ちが分からなくはない。
まあ真宗は基本、というかその歴史の起こりからして頑張るの嫌いなんだけどね
846神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 06:51:45.33 ID:WxrJ45GP
>>840
>まず産婦人科で「不生不滅」と言えば、頭のおかしい人だと見做されて、
>周囲の人がひくでしょう。

まだそんなこと言ってる。君は、まだ空を無だと誤解している「頭のおかしい人」。
釈尊と同じく基地外。
847神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:00:24.37 ID:mzKkhYy3
>>844
なんか、思うんだが、宇宙の構造論を立てたり、
あなたが苦しんでるのは、実は前世の行いが原因だったんですよ〜とか明かすと
なんか納得して、救われた〜て思う人がいるわけだが
それ、なんの解決にもなってない気がするんだけどなw
目の前ににんじんぶら下げるのは、こうすれば幸せになる〜ってのと何がちがうんだろう
夢には二つの悲劇がある。叶うことができない悲劇と、叶ってしまう悲劇らしいのだが
救いを無限遠点()に置いてしまうのが君たちのように思うよ。両方の悲劇を塞げるからね。
仏教の智慧とは、おまえが満足することなど根本的にない、そしてそう明らかに見ることが根本的な満足であると
言ってるんだよねぇ。絶望の中にこそ救いがあるわけだが、こればっかりはやらないとわからんわな
848神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:23:45.14 ID:cLqsKGe9
>>846
>まだそんなこと言ってる。君は、まだ空を無だと誤解している「頭のおかしい人」。
> 釈尊と同じく基地外。

そういう貴方は普通の人にはどう見えますか?
849神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:24:00.50 ID:/+rjHH6H
>>844
自然現象に意思などありません
850神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:28:21.26 ID:XeXUEO6E
>>847
火を消さないと火事になるよと言うのではなく
実際に火を消すのが仏教です

言うのではなくて、実際に鍛練するのです
851神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:30:31.10 ID:XeXUEO6E
空とは蜃気楼のように、現象としては存在するが、実体はないということ
無とは蜃気楼もなんにも無いということ
852神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:31:44.16 ID:Ga0MR6cW
神に意思を持たせているものの1つに集合的無意識があります。
853神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:42:15.27 ID:WxrJ45GP
>>848
中村博士も、「空とは、無ではない。厳然たる実在」と声を大にして注意している。君のよう
な頭のおかしい愚かな宗教患者が多数いるということ。
854神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 07:50:17.99 ID:WxrJ45GP
釈迦は、「世界を空と『観ぜよ』」と言った。これはモロに世界が「実在」で
あることを前提としている。もともと「空」なら、わざわざそうと「観じる」
必要は全くない。
855ノスタルジア:2013/10/13(日) 08:15:11.31 ID:1UW8/fYO
>>853 釈迦は釈迦じゃないからね。釈迦は仏陀になったから、釈迦仏だよ。
釈迦仏はキチガイというよりも、釈迦がキチガイだったんだよ。
釈迦はキチガイから更生した、更生した人だよ。だから今はキチガイではない。
昔キチガイだったんだよ。
856神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 08:22:08.96 ID:wymu+pR/
集合的無意識は、抑圧によって肥大してゆきます。
857ノスタルジア:2013/10/13(日) 08:24:09.98 ID:1UW8/fYO
それで、阿弥陀仏という釈迦仏の影を釈迦仏は見つけたんだけど、それは
今の世の人びとを救う唯一なんだ。南無阿弥陀仏と称えることで、
救われる。

帰命無量寿如来・南無不可思議光 とはじまる、正信偈を読誦することが
いいことではなく、『帰命無量』つまり『きみょ〜、むりょ〜』それだけで
いいんじゃないかな? 無量の人たちが釈迦仏に帰依して寄り添っている、
それで、いいんじゃないの?よって、やはり、南無阿弥陀仏だけで十分。

釈迦仏に帰依することで、みなさん一人一人のじぶんの命が『ある』。
それで、はじめて、地球に生まれて良かったとなる。
つまり、生きては死んで、生きては死んでの、繰り返すのを終えて、
救われていくのです、みなさま一人一人が。
858神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 08:25:51.46 ID:mzKkhYy3
庭で遊んでいられるのは明るいうちだけ
859護心:2013/10/13(日) 08:40:12.68 ID:1UW8/fYO
wikipediaで調べればわかることだが、阿弥陀仏は心の外にあるんだよ。
であるから、みなさんの心を護るものがいなくてはならない。
大丈夫、心置きなく、阿弥陀仏に会ってこいw ぼくは、ここで十分だ。
860神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 08:49:23.91 ID:cLqsKGe9
>>854
>釈迦は、「世界を空と『観ぜよ』」と言った。これはモロに世界が「実在」で
あることを前提としている。もともと「空」なら、わざわざそうと「観じる」
必要は全くない。

その点は同感ですね。

「感興のことば」26.21
「不生なるものが有るからこそ、生じたものの出離をつねに語るべきであろう。
 作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する。」
861神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 08:51:03.30 ID:mzKkhYy3
>>859
唯心の弥陀批判は、道綽を見るべし
862護心:2013/10/13(日) 09:42:07.59 ID:1UW8/fYO
>>861 ぼくの手に手錠をはめるのかね? 
863神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 10:47:29.39 ID:VQDVuqAi
>>860
>作られざるもの(無為)を観じるならば、作られたもの(有為)から解脱する

不生なるものが有るならば、それは不生ではない。
生じたものの出離をつねに語ることは不毛である。
作られざるもの(無為)を対象として観じるならば、作られざるもの(無為)ではない。
作られたもの(有為)から解脱するならば、作られざるもの(無為)はありえない(中論7-33)。

「感興のことば」26.21 は「不生なるもの」「作られざるもの(無為)」に<自性>を見る反仏法である。

>「世界を空と『観ぜよ』」と言った。これはモロに世界が「実在」であることを前提としている。

「世界を空と『観ぜよ』」とは<縁起の現観>をいう。

縁起の現観において実在⇔妄想の分別はありえない。
864神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 11:26:02.64 ID:mzKkhYy3
但空批判ね、まあ、世俗との距離の取り方の問題だよなぁ
インドには布施の習慣があったから自然に出家集団の形成が可能だった。
そのインドの慣習なしに釈尊時代のそのままのあり方をつづけるのには限界があった。
従来の裕福な在家たちが没落して大乗運動がおこったのも当然だよ
865神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 11:36:41.12 ID:zrjyfWxr
>>860
言ってることが矛盾してないか?
実在なら、不生じゃねーだろ
866神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 11:40:48.49 ID:zrjyfWxr
>>838
わっかんねーかなぁ・・・・
実在を認める〜 てことは、不生ならざるものを認める〜 てことなんだよ
867神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 11:47:47.52 ID:cLqsKGe9
>>863
>「感興のことば」26.21 は「不生なるもの」「作られざるもの(無為)」に<自性>を見る反仏法である。

反龍法の間違いでしょう。
868神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 11:53:00.25 ID:cLqsKGe9
>>865
>実在を認める〜 てことは、不生ならざるものを認める〜 てことなんだよ

そうとも言えないと思います。
例えば涅槃が常住だとしますと、これは「不生不滅」でしょう。多分、「八不」全てを満たすかも。
869神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 11:55:20.53 ID:cLqsKGe9
>例えば涅槃が常住だとしますと、これは「不生不滅」でしょう。多分、「八不」全てを満たすかも。

同様に如来は常住だとしますと、これは「不去不来」でしょう。
870神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 12:18:43.55 ID:VQDVuqAi
>>868>>869
>例えば涅槃が常住だとしますと、これは「不生不滅」でしょう。多分、「八不」全てを満たすかも。

常住は無常を相対とする縁起の間接現実(世俗)の分別「観念」でしかない。
分別観念でしかないものが常住であるわけがない。
無常は菩提心凡夫の六処で経験的に検証できるが、常住は検証不能だ。
したがって一切外の無記であることが当然だ。
常住は無限観念に包摂できる。
有限の相対思考によっては無限は把握できない、従って常住は矛盾であり、妄想でしかない。

一切行無常は四法印の一として世俗における仏教的「真実」である。

涅槃・如来が常住であるとの仮説そのものが誤っている。

*浅薄すぎて、もうちょっと先まで読んでねw
871神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 12:24:10.85 ID:VQDVuqAi
>>868>>869

自性観念そのものの批判なんだけど、

アホ外道の浅薄アタマでも分かるよな?w
872神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 12:59:48.43 ID:zrjyfWxr
>>868
いや、もし涅槃が八不を満たすなら、不常住、不非常住と言わなければならない。
無常 = 不常住、不非常住
873神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 13:03:23.32 ID:JvSCbRTp
>>868等は、真光ベースだからねぇ・・
874神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 13:04:16.30 ID:zrjyfWxr
>>870
無常を常住と相対する観念とするならば、無常もまた、分別「観念」と言わざる負えなくなるところが、
むずかしいところだね。
それゆえ、八不の意義が必要になってくる。
875神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 13:13:42.88 ID:VQDVuqAi
>>874
>無常を常住と相対する観念とするならば、無常もまた、分別「観念」と言わざる負えなくなる

そうです、まさしく分別観念です。

ですから、間接現実からの直接現実(勝義)“示唆”として、
<非無常非恒常>(四句第4)の如く、と世俗の表現のひとつである言語を借りるわけです(中論24-10)。
876神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 15:44:40.79 ID:cLqsKGe9
>>870
>常住は無常を相対とする縁起の間接現実(世俗)の分別「観念」でしかない。
分別観念でしかないものが常住であるわけがない。

>>875
>>無常を常住と相対する観念とするならば、無常もまた、分別「観念」と言わざる負えなくなる
> そうです、まさしく分別観念です

分別観念でしかないものが無常であるわけがない、というオチでしたか。

>>871
>アホ外道の浅薄アタマでも分かるよな?w

また一つカルマを積まれましたか。。
877:2013/10/13(日) 17:09:17.36 ID:59BRvWxV
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama27.pdf
第二十七章 見解(邪見)の考察

29.
すべての存在が空であるならば
永遠性(常恒)などのどの見解が成立し得るであろうか
そして誰について、いつ、なぜ、および何に関して
そうした見解が成立し得るであろうか

29.意訳
すべてが空であるならば永遠性(常恒)などに関する見解は成立しない
878神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 17:24:53.40 ID:i/8RT325
仏教は常見につかず断見につかず。
879:2013/10/13(日) 17:31:25.80 ID:59BRvWxV
 
>>877 の続き

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

ダライ・ラマの「中論」講義 第18・24・26章 89〜94ページ参照

因と縁の依存によって 「 滅している 」 ものは
それ自体の自性で 「 滅しているのではない 」

因と縁の依存によって 「 生じている 」 ものは
それ自体の自性で 「 生じているのではない 」
  _  _  _

ウダーナヴァルガのギルギット写本
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

『 生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの
  起こったもの、縁起したものを離れることがある 』 と私は説く

… 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり、安楽である
880神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 18:53:53.87 ID:YgnLJxGC
?氏は。事物には実体があると思っているのですか。
881:2013/10/13(日) 19:29:30.34 ID:59BRvWxV
 
> ?氏は。事物には実体があると思っているのですか

「 変化しながら相続している何かがある、と捉えようとしている心の働きがある 」 かもしれない

今の段階ではチベットのゲルク派の自立論証派に近いかも

チベット ゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B

自立論証派は
「 火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ 」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう

 − これに対して −

帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
882神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 19:32:47.11 ID:BFdQ+uyx
仏教は学問ではなくヴィパッサナー瞑想を極めることです
ヴィパッサナー瞑想をしないと無意味です
中村元さんは仏教を哲学と勘違いして
無駄な研究を続けた哀れな人です
883だいおう:2013/10/13(日) 19:34:59.42 ID:TrrWUbpW
882残念賞、たぶん、駒沢よりだから・・・
原理主義な奴だなあ、君は・・・
884:2013/10/13(日) 19:41:50.70 ID:59BRvWxV
 
>>881 の続き

「 変化しながら相続している何かがある、と捉えようとしている心の働きがある 」 かもしれない

                             ↓

変化しながら相続している何かがある、と捉えようとしている仮設としての心の働きが現れている

 ↑ 訂正して、お詫び申し上げます スマソ 屮(_ ._)屮
885神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 20:01:47.07 ID:YgnLJxGC
>>883
だいおうは事物に実体があると思ってるの?
886:2013/10/13(日) 20:03:45.14 ID:59BRvWxV
> 仏教は学問ではなくヴィパッサナー瞑想を極めることです
> ヴィパッサナー瞑想をしないと無意味です

実践した事がないので、断定する事は出来ないけど
止(サマタ瞑想)とは
心の動揺をとどめて本源の真理に住することである
観(ヴィパッサナー瞑想)とは
不動の心が智慧のはたらきとなって
事物を真理に即して正しく観察することである
止は禅定に当たり、観は智慧に相当している
「止」だけでなく「観」を重視するところに
仏教の瞑想法の特徴がある
と言う事であるらしい

> 中村元さんは仏教を哲学と勘違いして
> 無駄な研究を続けた哀れな人です

私(ID:59BRvWxV)の場合は
「 霊的なものも含めたものとしての宗教である 」 と考えているので
前世は一在家さんと似てるようなところもあるかも
887神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 20:08:58.49 ID:YgnLJxGC
?と一在家と凡夫一代の共通点は何なの
888:2013/10/13(日) 20:27:03.31 ID:59BRvWxV
 
> ?と一在家と凡夫一代の共通点は何なの

私(ID:59BRvWxV)と
前世は一在家さんと似てるようなところもあるかもしれないけど

縁起一代先生のことについては
私(ID:59BRvWxV)には、わからないので

セブン先生に聞いてみて下さい

都市伝説的な噂によれば
縁起一代先生は
真言宗の阿闍梨(あじゃり)さまであるらしい ← 間違っていたら スマソ

勤行の際に唱える真言
普礼真言 − オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ  屮(_ ._)屮
889神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 20:38:54.60 ID:WWRNdpZc
サマタ瞑想で集中力を養います
その養った集中力でヴィパッサナー瞑想を行い
肉体を構成する素粒子が消滅する瞬間をハッキリと観察できたら
覚りが開かれます
890神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 20:48:23.76 ID:G6gSfPuB
>>880
すべては人間の脳が作り出していますので
すべては幻覚ともいえます
音も人間の脳が作り出しているもので
音というクオリアが存在しているわけではありません
891前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/10/13(日) 20:50:48.39 ID:cLqsKGe9
> ?と一在家と凡夫一代の共通点は何なの

落武者の霊を見た体験のある?氏と、霊動体験の多い私とは、肉体無き後の霊(意識)の存在を信じているとこかな。

一代氏とは石飛先生に敬意をはらっているとこかな。
892神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 20:52:56.25 ID:yHHqWAmA
だいおうは遁走したか。まったく臆病なヤツだな。
>>888
阿闍梨は解脱してるわけ?
>>889
それは自分で体験した話?
893神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 21:07:43.00 ID:JvSCbRTp
NHKスペシャル、現在放送中。必見。
894神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 21:32:16.53 ID:yHHqWAmA
密教の阿闍梨は、密教の坊さんのことらしいね。
 密教では大日如来や諸仏菩薩を指す場合もあるが,狭義には灌頂
 の導師および伝法灌頂を受けたものを阿闍梨という。
 
凡夫一代は質問スレと議論スレに常駐し、他人の書き込みに対し、
ただ「うは〜」と驚いたように言って小バカにし、
石飛ほか、何人かの本を読めと繰り返し書き込んでいたよね。
神通力でも騒いでいた。そうか、真言の阿闍梨なのか。 
895神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 21:39:27.99 ID:YmtVG5/j
いるんだよな
本人がいないと とたんに強気になるやつ
896神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 21:39:40.78 ID:yHHqWAmA
落ち武者を見たという?氏の話はホント?
それは夢の話だよね。
それが昔の不浄霊だとどうしてわかったの。
襲い掛かって来たわけ?
恐怖のあまり、夢から覚めてしまった?
897神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 21:43:22.26 ID:yHHqWAmA
あれ〜あんた誰よ? 凡夫一代とは直接やりあったけどね
898神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 21:47:04.28 ID:YmtVG5/j
単にアホ扱いされてることがやりあってたというなら
そういうことにすれば?
899基地にゃん♪:2013/10/13(日) 22:06:46.57 ID:MK2YufYV
無能な仏教徒達に捧げるにゃん♪

http://www.youtube.com/watch?v=c2lVZ2d_bKw
900神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 22:19:45.68 ID:zrjyfWxr
>>884
>変化しながら相続している何かがある、と捉えようとしている仮設としての心の働きが現れている

記憶がそうさせてるんだろ。
記憶が無ければ、ただ今、このありのまま。。 てことになる。
前と後をつなげるのは記憶であって、実体のある何かじゃない。
901神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 22:24:45.18 ID:kZeD2LD6
ブッダが何故様々な経典を説いたのか、
そんな事を誰一人として疑問に思う者が出てこないというのも不思議な話しだな。
自分の関心事しか目が向かないのだろう。
それを良いことに、空だ、無我だと自己満足の世界に耽る。

それが却って仏教の心を殺していることにも気付かない。
実は、仏教にとって時を知ることは実に重要な事であって、

事実、仏典には『正法』『像法』『末法』の三時を教えている訳で、
それを無視して幾ら学んでも仏教としての効力など出るわけ無かろうと言うもの。
だからと言って、多くの仏典や外典が無駄になると言うものでは無く、
すべては流通文としての働きがある。無駄はないと言うこと。
それらを理解した上で取り組んでもらえばいいと思うのだが。
902神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 22:39:04.19 ID:yHHqWAmA
カビ臭い経典など、ほとんど偽経だよ。掃いて捨てるべし。
 
末法を作り出した原因のひとつは、
 
仏教をメシの種にしようとする堕落坊主がいたことだろう。
 
偽経だらけの、カビ臭い経典など、もはや役に立たない。
 
今は、鎌倉時代以上の、仏教大変動の時代じゃないだろうか。
903神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 22:47:12.14 ID:kZeD2LD6
まあ、
哀れとしか言いようがない。これも末法の所産であろう。
『末法』とは機根として、そう言う時だと言うこと。
だから末法何だと言うことだな。仏典の言うとおりだ。
904神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 22:51:07.29 ID:YmtVG5/j
単に自説を強化したいだけね
ちっともエゴだなんて思いもしないんだろうな
905神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:01:53.75 ID:yHHqWAmA
今が末法なら、
南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も只管打坐もないと知れ。
法華経や教行信証や正法眼蔵を読むこと、理解することが苦行だよ。
 
古臭い経典はカビ臭い。カビ臭い頭で仏法を説いても無意味だろう。
もはや、その証明に失敗した「般若の空」は通用しない。
新しい時代が始まっている。
906神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:03:32.10 ID:sSnPZmAL
2500年前の真実なら今も誰にでも再現されている筈。それ以外は全部ウソポ。
907神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:03:36.84 ID:YmtVG5/j
カルトの教祖が口を揃えて言う言葉だよな
聞き飽きたよ
908神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:10:56.99 ID:kZeD2LD6
ある意味釈迦仏教は終わっているわけだ。
これも仏典での話し。


ただ『法』は年月関係なく、一貫して存在しているわけよ。
909神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:12:44.73 ID:yHHqWAmA
カビの生えた経典に頼っているから覚者が誕生しない。
覚者誕生、解脱などほとんどありえない。
カビ頭の坊主ども、お前たちがこんな悲惨な状態にしたんだよ
 
空海や最澄の昔は、最新の情報に命をかけた。
今のカビ臭い頭に呪いあれ。
910神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:20:03.39 ID:eqnTOoD/
だけど密教は中二病w
911神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:21:33.83 ID:kZeD2LD6
>>905
修行方法を言うのであれば、古代の何もない衆生の機根と、
あらゆるものが進んだ現代人の機根が同じである訳はなく、
よって、悟りを得る修行方法が異なるのは理に叶っていよう。

ただ、『棚からぼた餅は無い』は古代も現在も変わらない。
912神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:26:52.61 ID:yHHqWAmA
>>911
だったら今現在の修行方法は何だろうか。
 
念仏、唱題、只管打坐?
913神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:30:16.27 ID:kZeD2LD6
>>909
覚者とは何ぞや?


どういう状態を覚者というのだろか?
914神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:36:39.48 ID:yHHqWAmA
>>906
>2500年前の真実なら今も誰にでも再現されている筈。それ以外は全部ウソポ。
>>907
>カルトの教祖が口を揃えて言う言葉だよな 聞き飽きたよ
 
この二人は、自分だけを正しいと思っているバカの標本だね。
それから竜樹は、2500年前からじゃないから。
915神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:39:11.91 ID:yHHqWAmA
>>913
バカ? 最新の情報がわからんかねえ
916神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:39:13.71 ID:ON1LAyZ3
遍照金剛さんこと空海どんを忘れんなよ
917神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:43:58.56 ID:yHHqWAmA
>916
空海も最澄も、さすがに古いのだよね。
918神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:45:48.16 ID:ohbQ7AtD
堂々とカルトの宣伝かよ
宣伝ならさっさと終わらせろ
919神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:47:48.16 ID:i/8RT325
仏陀の仏教はカルトではありません。
カルトというのは暴力的、犯罪的なものを言うのです。
仏陀は暴力や犯罪を否定しています。
仏教の宗派戦争のようなものを指して言っているのならますます誤です。
そのような宗派は仏教ではありません。
勝手に仏教を名乗っているだけで、真の仏教徒は争いに加担しない。
論争に加担しない。
なぜなら中道だからです。
どちらにも組しない。
920神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:48:37.20 ID:kZeD2LD6
小乗経で悟れると思い込んでいるのも何だな。

ブッダと同じような修行が、この現代で出来ると思っているのだろか?

修行時代のガリガリに痩せた骨川筋衛門になって生きていればいいが、
贅沢三昧に慣れきった現代人には無理と言うもの。億五千の貯蓄があればいいが、それでも無理だろなw
921神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:51:01.97 ID:yHHqWAmA
>>918
仏教をメシの種にしている坊主どもはこれだものな。
恥を知れ。クソ坊主!
 
ネットでいくら真理を説いても一銭にもならない。
そんなことも理解できないの?
922神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:52:18.82 ID:+B6HrNW3
ヴィパッサナー瞑想を極めると覚りを開くことができますが
現代人にはほぼ不可能ですね
923神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:53:46.83 ID:i/8RT325
ネットに書き込んでいるのが糞坊主だけとは限らないんだよ。
俺は非仏教徒だが仏陀を好んで愛読している。
仏教に論争なし〜論争する奴は仏教徒にあらず。
非仏教徒の俺でさえコレくらいは分かっている。
924神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:54:27.51 ID:+B6HrNW3
仏教の本を読んで知識を深めることぐらいしか
できないでしょうね
そして輪廻を繰り返す

なんとも哀しいですが
致し方ないですね
925神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:54:28.09 ID:ohbQ7AtD
>>920
ガリガリに痩せるまで修行せよ、なんて苦行を仏教がするわけないだろう
本当に無知で出鱈目だな
926神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:57:00.20 ID:ohbQ7AtD
>>921
ネットで説いても一銭にもならんと言っといて
他人には金のために説いていると誹謗するのか
どんだけ二重基準なんだ
そもそも坊主じゃねえし
927神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:57:20.54 ID:IQq5yfpO
苦行は止めろとお釈迦様がちゃんと言っておられます
いまだに苦行をしている密教の僧はバカですね
928神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:57:31.56 ID:kZeD2LD6
>>915
見ず知らずのお宅に馬鹿と言われてもなw
悟りを妄想で描いたアブクみたいな事だと言い出すんじゃないかと
老婆心混じりに心配しているわけよw
929神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:59:48.97 ID:i/8RT325
瞑想だけで覚り?とかの世界を目指すのは誤。
日常の生活に八正道を組み入れる事こそ重要。
930神も仏も名無しさん:2013/10/13(日) 23:59:56.39 ID:ohbQ7AtD
>>919
あんたどこから見てもカルトと仏教の違いもわからずに
まあ適当なことが言えるよな
931神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:00:50.94 ID:yHHqWAmA
>>928
そういうことを言い出すタイプだと思ったから
バカだと言ったのだよ。
932神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:01:14.09 ID:IQq5yfpO
2ちゃんねるなんか止めて
ヴィパッサナー瞑想をやることですね
933神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:01:48.15 ID:C03P6Hpe
>>930
では、あなたが仏教とカルトについて解説してください。
934神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:03:49.70 ID:/E7eKrfd
>>929
本当は八正道を実践しなくても
ヴィパッサナー瞑想を極めれば
覚りは開けます
935神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:05:02.31 ID:y58Xz2Uk
仏教→非暴力

カルト→暴力
936神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:05:23.72 ID:YpURipSx
いまさ、カビ臭い凡夫一代を血祭りにあげてるのだよ。
 
みんな、それがわかるか?
937神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:06:31.92 ID:wHEJgAnb
瞑想やるには指導者につかないと
自分独自にやると頭狂うらしい
938神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:06:39.42 ID:cmTitNeD
939神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:11:43.55 ID:cmTitNeD
>>936
血祭りだって

本性が出たな
940神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:12:01.15 ID:W+eyvxrP
>>931
単なる逃げじゃねえかw

説明出来る奴ならそんな逃げ口上いわねえしw
941神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:14:18.77 ID:C03P6Hpe
瞑想は寝る前5分静か座るだけで良い。
>>938
真光がカルトなのは分かりますが、仏教はカルトではない。
942神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:14:37.79 ID:SihzSKIJ
>カルトというのは暴力的、犯罪的なものを言うのです。
>仏陀は暴力や犯罪を否定しています。

宗教が、信者の生来の人格を変容させ、現実感覚と社会常識を奪い、その結果
として、社会関係や家庭を破壊するのは、犯罪ではないのかね。

開祖・教祖の盲信という点において、伝統宗教もカルトも「原理的には」何らの
相違も無いことを知れ。
943神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:16:38.21 ID:SihzSKIJ
釈迦仏教が「苦概念」を植え付けて脅迫し、「解脱」という甘言で誘惑して
信者を獲得しようとするのは、キリスト教が「罪概念」を植え付けて、救い
という甘言で誘惑して信者を獲得しようとするのと全く同じ。極めて悪質な、
地獄に堕ちるに値する精神的不法行為である。

現代のすべてのカルトは、釈迦とイエスから発生している。
944神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:16:49.72 ID:YpURipSx
>>939
呪うものは呪はれよ〜 
945神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:19:25.85 ID:W+eyvxrP
火事と喧嘩は江戸の鼻と言うが、血祭りはどうなんだ?
何やら血生臭いなw

そもそも仏道者は平和主義だろw
946神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:19:32.33 ID:cmTitNeD
>>944
そんなに自分を卑下するなよ
あんたは呪うものだが呪われてはいけない
947神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:19:37.06 ID:C03P6Hpe
>>942
仏教は社会常識を奪っていない。
社会常識の中で生きる事が前提な宗教だ。
妄信ではなく、正しく仏陀の説いた事を理解する〜という姿勢だ。
カルトは仏教にあらず。仏教はカルトにあらず。
興味の無い人間は去れ。興味の無い人間を勧誘したりはしない。
興味の無い人間に触らない宗教がどうしてカルトになりえるのか?
948神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:23:18.83 ID:cmTitNeD
949神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:26:40.61 ID:SihzSKIJ
仕事と家庭を大切にし、明るく誠実に生きているダニヤに「苦への興味を持たせ」、
狂わせて、仕事も家庭も破壊した釈迦は、そのまま現代のカルト教祖の姿。
950神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:30:24.24 ID:wHEJgAnb
カルトの定義はなに
反社会的な行為を隠れてする団体?
昔あったな花売りするする少女ら
951神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:30:35.17 ID:W+eyvxrP
オウム真理教以来、小乗経は形無しじゃあるまいか。

殺人まで犯しちゃ、もはや仏教とは言えんよ。
何でも、麻原はダマイ・ラマの高弟だったようだな。
十万ドルの寄付がそれを物語る。
952神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:33:10.27 ID:C03P6Hpe
>>947
カルトか否かより、そのような宣伝、集客をしている団体に入る気が知れない。
自分で原子仏典を紐解く方が遥かにマシ。
何で人に救ってもらおうとするのか?
人に救ってもらうのはOKでも、自分で仏典を読んで吸収しようとは思わないのか?
他人が手を出してアナタを救ってくれる事はありません。
自灯明法灯明を自覚するべし。
953神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:33:52.83 ID:YpURipSx
今夜はバカどもを相手にして、
 
隠居の隠れた楽しみが何となくわかってきたよ
 
954神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:36:51.16 ID:wHEJgAnb
麻原を擁護した宗教学者たちはどうなったんだろ
テレビにでてたあの人

千行こう
955神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:39:50.59 ID:W+eyvxrP
>>953
そりゃお互い様だろw
だいたい内容が無さ過ぎ。
こちとら骨折り損 の感多しだわw
956神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:41:34.31 ID:C03P6Hpe
下らんレスは読み飽きた。
まともな書き込みを期待するw
957神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:42:47.50 ID:SihzSKIJ
>>950
オウムを本質的に批判できた伝統宗教はない。原理的に批判すれば、すべて
自分に跳ね返って来るからである。結局は「社会が悪い」というありきたりの
「逃げ」で終わっている。

釈迦盲信と麻原盲信とでは、一体どこが違うのかね。いずれも精神病者であり、
信者達は100%の善意であることは同じ。
958神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:49:07.36 ID:K5dKyfvC
>>929
道理だと思います。

>>934
道理から外れていると思います。
959神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:51:07.82 ID:SihzSKIJ
麻原もまた、釈迦とイエスの痛ましい犠牲者であるといえよう。彼が宗教に
さえ嵌らなかったら、今頃は、腕の良い鍼灸師として、社会に貢献していたはず
である。
960神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:51:30.10 ID:wHEJgAnb
>信者達は100%の善意であることは同じ

それをいったらおしまいよ
宗教の本質
宗教が必要な人もいるし
961神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:51:41.14 ID:C03P6Hpe
>>957
麻原と仏陀の違いなど明瞭。
麻原-ポアで自らの業を減らせ〜
仏陀-生き物を殺したり暴力を払ってはいけない〜

同一視する神経が分からない。
962神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:54:17.24 ID:8s7WL6rb
宗教の中でも仏教は実践実証、プラグマチズムが特徴でしょう。

四諦の法や八正道を実践して、衆生の苦が少しでも減れば正しさが分かり、口コミでも広がります。
同様に正しい瞑想を実践して、読心通や宿命通が得られれば正しさが分かり、師は弟子に伝えます。

逆に四諦の法や八正道を実践しても、衆生の苦が少しも減らなければ、口コミで広がりません。
すべて因果の法です。
963神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:54:58.70 ID:sriDwepc
>>876
>また一つカルマを積まれましたか。。

なんら検証されていない過去のカルマとやらを記録する媒体が、
サムスン製ならすぐにクラッシュするから気にしなくていいw

で、世代を超えて通用するデータベースの記録媒体の存在およびメカニズムを証明してみ。
964神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:56:26.08 ID:SihzSKIJ
>>960
>宗教が必要な人もいるし

人の弱みに付け込んで、「宗教を必要とさせる」のも、また宗教。

「苦概念」や「罪概念」の意図的植え付けは、それだけで悪質は精神的犯罪。
965神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:58:26.91 ID:C03P6Hpe
読心通や宿命通を持った人間に会ったことがない。
そんな人間はいるのか?
見るまで信じられない。見ても私は疑いの念を深く持って見る。
966神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 00:58:52.69 ID:8s7WL6rb
>>961
>同一視する神経が分からない。

同一視する生命を説くのが隠教の特徴でしょうか。
967神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:00:41.37 ID:ZAK4XTSG
お前等、今日のNHKスペシャル再放送探して見とけw
中国の現代宗教事情の断片レポだから。

(隠居は、「それ見たことかw 貪欲に人々を“囲っていく”この醜悪な姿が宗教だ」とか言いそうだし、
在家他心霊系は、「やはり現代社会に必要なのは、現代常識・唯物主義拝金主義・近代的価値観でなく、
宗教的要素(≒神秘的要素?)だ」と自説の補強に使うだろうし、
真面目な宗教支持者は、今がまさに、心の時代であることを痛感するだろう。
勿論、文革の大罪は大前提としても。)


つか、70近くスレ進んでて中身無しとか・・w
968神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:09:11.79 ID:8s7WL6rb
>>963
>で、世代を超えて通用するデータベースの記録媒体の存在およびメカニズムを証明してみ。

仏教で説く阿頼耶識、エドガーケーシーが説くアカシックレコード、異教で説く霊魂、等々。
そこから読みだされた情報の信ぴょう性でまず検証することでしょう。

ゲノムという記録媒体の存在およびメカニズムも最近分かってきました。
科学者ほど五感で感受できる存在の極めて少ないことを理解しております。
最新の科学技術では「光メモリ」というのも開発されております。まさに光子レベルのメモリです。

旧約聖書で「神は光」と説かれ、光は波でエネルギー、波動は素粒子に相互変換され、素粒子は物質を形成します。
我々も元を辿ればある種の光だったのかも知れませんよ。
969神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:12:24.52 ID:SihzSKIJ
四諦も八正道もナンセンス、四諦は苦概念の植え付けだし、八正道は「正しい」という
言葉を八回も繰り返しながら、「正しさの基準」は示せていない。釈迦は自分でも意味
の判らない「言葉」で、自己陶酔していただけ。

宗教により苦が滅したと思うのは「自己欺瞞」に過ぎない。本質的には、苦はさらに
増加しているのである。宗教により「病気が治った」と思っても、検査すればさらに
悪化しており、最悪の場合には死に至るのが通例。

肺結核なのに「生命の実相」を読んで働き出し、コロリと死んでしまった人を身近に
見ている。、
970神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:16:32.94 ID:cmTitNeD
おまえも同じ見解を百回くらい繰り返してるだろ
ナンセンスにも程があるぞ
971神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:16:39.57 ID:wHEJgAnb
>968
なるほど
でその光はどこから来たんだろ
972神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:18:08.49 ID:SihzSKIJ
>>967
>つか、70近くスレ進んでて中身無しとか・・w

宗教は、現実から遊離した饒舌な言葉と観念の遊戯だけで、中身は元々「ゼロ」。
973神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:18:49.72 ID:cmTitNeD
記憶倉庫ってアラヤシキのバッタもんみたいだな
974神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:19:13.44 ID:8s7WL6rb
>>967
>お前等、今日のNHKスペシャル再放送探して見とけw
中国の現代宗教事情の断片レポだから。

【要約】
今、人々の間で急速に求心力が高まっているのが、2500年の伝統を誇る中国生まれの“儒教”だ。
「他人を思いやる」「利得にとらわれない」ことを重要視する儒教にこそ、中国人の心の原点があるとして、
儒教学校の設立や、儒教の教えを経営方針に掲げる企業が続出。
現代風にアレンジした新興グループまで登場し、中国全土に儒教ブームが広がろうとしている。

孔子の説かれた「仁」は釈尊の「慈悲」、イエスの「利他愛」と同様に「仁愛」で根本原理は変わらないでしょう。
やがて人口で中国を抜くインドもまた仏教ブームが広がるかも知れませんね。
975神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:20:50.42 ID:K5dKyfvC
>>926
>逆に四諦の法や八正道を実践しても、衆生の苦が少しも減らなければ、口コミで広がりません。

驚きました!w
「衆生」の苦が少しでも減る為に八正道があると?
なら、貴方も>>800の方と同じ「一人犀のように…」の韻文の意図が理解出来ていないと思われます!w

「区別」があり道理でもって「分別」の出来ない方はヴィパッサナー瞑想しても大きな進展は望めないと思います!w
800の方の書き込みを読んで確信しました!w
976神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:21:23.56 ID:sriDwepc
>>968

サムスン製がスグにクラッシュすること以外は、

2500年間、まったく証明されていないw

菩提心凡夫の六処で経験主義的な検証<相応部35-23・70>を行え!
書かれているではまったく証明にならない。

これは無責任な発言を恥ずかしくもなく続けるお前への命令だ。

すくなくとも、2500年間出来ていないことを検証されるまでは、業報前提の発言を辞めろ!
977神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:23:20.20 ID:XyraGZrX
仏教を信じるもの同士が議論するなら意味があるけど、
仏教を部分的に否定してるヤツとか、勘違いしてるヤツが混ざるから、
不毛の論争になる。
水中から出ないヤツに、いくら話ても無駄。
こういうヤツが多いから、釈迦も一時は説くのをやめようとしたんだろ。
水上に出る華は、ほんとに数が少ない。
978神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:25:02.42 ID:8s7WL6rb
>>974
参考)「浄土への道標」P96,世界の三聖

http://minamotonoshin.life.coocan.jp/8nen33xx.html
979神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:25:57.45 ID:cmTitNeD
ここはそういうところなんだと
早く悟りなされ
980神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:28:04.19 ID:SihzSKIJ
>>974
「仁」とは「人が二人いる」ということ。あくまで「あるがままの人間」が基盤。
「未だよく人に仕えず。いずくんぞ鬼神に仕えん」。佛教やキリスト教とは、基盤
が異なる。

後二者は、「あるがままの人間を、開祖個人の恣意で変えようとする」のが目的。
981神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:29:56.47 ID:wHEJgAnb
>仏教を部分的に否定してるヤツとか、勘違いしてるヤツが混ざるから

そこが2ちゃんのいいとこだよ
なんでも書けるから
982神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:32:39.18 ID:8s7WL6rb
>>975
>驚きました!w
>「衆生」の苦が少しでも減る為に八正道があると?
>なら、貴方も>>800の方と同じ「一人犀のように…」の韻文の意図が理解出来ていないと思われます!w

貴方は釈尊が悟りを得た後も50年もの間、衆生に説いて廻られた意図を理解されてますか。
「一人犀のように…」と説かれたのでしょうか。
983神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:34:48.86 ID:K5dKyfvC
ここはそういうところと知っていて、思う事があって書き込んだ!W
984神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:38:00.81 ID:JqPevO1W


釈迦やイエスとは異なり、孔子には精神病理は見られない。だから、集団的大感染が
生じなかったのである。

同じくユダヤ人であるフロイトとマルクスにおいて、無神論者で、優れた臨床精神医学者で
あるフロイトには狂信者は生じなかったが、クリスチャンであるマルクスには無数の狂信者
が生じ、人間に巨大な害悪をもたらした。
985神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:40:45.94 ID:8s7WL6rb
>>963
>で、世代を超えて通用するデータベースの記録媒体の存在およびメカニズムを証明してみ。

>>968
>ゲノムという記録媒体の存在およびメカニズムも最近分かってきました。
科学者ほど五感で感受できる存在の極めて少ないことを理解しております。

>>976
>サムスン製がスグにクラッシュすること以外は、 2500年間、まったく証明されていないw
>すくなくとも、2500年間出来ていないことを検証されるまでは、業報前提の発言を辞めろ!

私は2500年前には具体的に説かれていなかった、遺伝の法、ゲノムの事例を提示しましたよ。
細胞分裂の際にゲノム複写でエラーが入れば、カルマのように後の世代に伝えられます。

貴方が他人のかきこをあまり読んで、理解されていないことが証明されたということです。
986神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:41:24.42 ID:cmTitNeD
犀の角ってアレだろ、
こんな連中と一緒に仏道修行するくらいなら
一人でやってたほうがマシだって
思うことをお釈迦様がお許しになったってこったろ
987神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:45:14.91 ID:sriDwepc
>>985
ホントに姑息な奴だ。

⇒菩提心凡夫の六処で経験主義的な検証<相応部35-23・70>を行え!
988神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:47:44.31 ID:JqPevO1W
釈迦は何故「犀の角のように」黙って独りで歩まなかったのかね。それどころか、
途方も無い長距離を歩き回って、しゃべって回ったw。

これは、双極性障害における躁状態の症状。疲れを知らず動き回るから、患者の
体重が減少する。
989神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:48:01.38 ID:8s7WL6rb
>>979
>ここはそういうところなんだと
早く悟りなされ

ヘーゲルの「正反合」という言葉がございます。
同じ方向の意見ばかりだと新しい考え、より高い智慧は出てこないでしょう。

このスレは2chでも稀有の「正反合」の議論板だと私の眼には観じられます。
ただ反対者を「アホ、馬鹿、基地外」と罵倒するのは「大人の対応」とは言えないでしょう。
990神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:51:03.62 ID:sriDwepc
>>985
ホントに姑息な奴だ。

御都合主義のコジツケ妄想ではなく、
カルマの実在、データベース、メカニズムを、
⇒菩提心凡夫の六処で経験主義的な検証<相応部35-23・70>を行え!と言っている。

はよやれ!
991神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:53:33.42 ID:cmTitNeD
アウフヘーベンというより
永劫回帰なスレだよな
de ja vu でいっぱいだ
992:2013/10/14(月) 01:54:04.71 ID:uUg0imlc
 
> 阿闍梨(あじゃり)は解脱してるわけ?

解脱してない人も ↓ いるかも

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D%E6%A2%A8
現在の日本密教では阿闍梨は職業上の「習得資格」の名称であり
伝統的な仏教上の名称と「四度加行」という行道を一応は踏襲してはいるが
実質的な内容を伴うものではなく
例えば
高野山真言宗では一般の僧侶が持つべき最低限の資格ともされている
  _  _  _

> 落ち武者を見たという?氏の話はホント?
> それが昔の不浄霊だとどうしてわかったの
> 恐怖のあまり、夢から覚めてしまった?

戯論を生じて慧眼を破っているので、今も夢から覚めていない

そして、今でも落武者の霊を見た時の恐怖は相続している

落武者の霊だったので、今の時代より昔の時代だと思ふ
993神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 01:58:56.02 ID:sriDwepc
コジツケ妄想の禁止を徹底せよ!
994神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:00:35.38 ID:8s7WL6rb
>>979
>無神論者で、優れた臨床精神医学者であるフロイトには狂信者は生じなかったが、
>クリスチャンであるマルクスには無数の狂信者が生じ、人間に巨大な害悪をもたらした。

参考)ユングWiki (プロテスタントの牧師の家に誕生、クリスチャン)
ユングの患者であった精神疾患者らの語るイメージに不思議と共通点があること、
またそれらは、世界各地の神話・伝承とも一致する点が多いことを見出したユングは、
人間の無意識の奧底には人類共通の素地(集合的無意識)が存在すると考え、
この共通するイメージを想起させる力動を「元型」と名付けた。

仏説の阿頼耶識や如来蔵と似ているように思います。

多分、天才ユングも精神異常と隠教では説かれるかも。。
995神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:01:21.04 ID:wHEJgAnb
>落武者の霊を見た

幻覚だよ
仏教を否定する人がここにいるから聞いてみ
996神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:02:39.63 ID:8s7WL6rb
>>990
>⇒菩提心凡夫の六処で経験主義的な検証<相応部35-23・70>を行え!と言っている。

代わりに科学技術的見地で説明しましたが、何か?
997神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:02:48.41 ID:JqPevO1W
これからの宗教は、1個人に過ぎない釈迦、イエスのような「低次元」ではなく、
すべての人間に宿る「生命」という最高次元・唯一の普遍。ひたすら生命の指示に
従い、何をやってもよいが、「生命」という一点では踏みとどまる。釈迦もイエスも
一切思い至れなかったこと。

「すべての人間は、生命において等価・至上である」。教義はこれだけ。すべての
生活者が既に知っており、それを基盤として生存努力を続けている教義。
998神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:13:50.66 ID:sriDwepc
>>996

証明せよ!と言っている。

コジツケ妄想の禁止を徹底せよ!
999神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:16:31.08 ID:sriDwepc
>>996

結局、アホ在家は妄想コジツケでインチキ「説明」せざるをえないのだ。
1000神も仏も名無しさん:2013/10/14(月) 02:17:23.46 ID:8s7WL6rb
>>998
>証明せよ!と言っている。

釈尊にも「教えを証明せよ!」とあなたは言うのでしょう。
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