20 1/2 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 13:57 ID:Fdoknzlk
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/630 語義としては、632のデジタル大辞泉にある通り。
『第一の意味・意義』『最上の意味・意義』『真の(本当の)意味・意義』ということ。
(「意味」と「意義」は別した方がよい面もある。たとえば、ある事柄が語られた時、
「字面だけでなく、総合的に何が述べられたのか」を指す場合は、『意味』として見る。
「語られた事柄に、《どのような価値を見るか・位置付けをするか》という視点に於いては」
『意義』として見ることになろう。
前者の具体例としては、《「一切有爲法如夢幻泡影」は勝義として真である》などのように言うことができる。
「一切法の【真の在り様は】夢幻泡影の如きである」、この【こと(意味)】が述べられたフレーズである。
この意味は、世俗的常識とは異なる。世俗的には、私も貴方も山も川も湖も幻ではないから・・・。
だから、「そうではない意味として(→最上の・真の意味として)何かが述べられる時」
≪勝義に於いて≫と言われる。
21 2/2 to 決着】転生どう扱う? sage 10/01/11 13:59 ID:Fdoknzlk
後者の具体例としては、「出家遊行生活に踏み出すこと」と「家庭や生業を守り、護持し継続継承すること」と
どちらの価値を高く見るか、どちらを優先するか、といった場面に用い得るだろう。
世俗的には、非生産的生活を志向し、一切を投げ打つことは褒められるべきことではない。
だが、「一切の苦の滅、完全なる平安が望まれる時」、価値観は逆転されている。
この時、このことを、「出家遊行生活は≪勝義に於いて≫最上の在り方である」と言える。
この【出家という在り方の意義】は【最上のものであり】【苦を(世俗を)厭う者が目指すべき意義】を有す、と。)
ま、厳密に分別する必要はないと思われるが、(↑は寧ろ拘り過ぎだな・・・w)、
ニュアンスとしてそうした(微妙な)差異もあり得るという一例として軽く流して貰えばいいw
ただ、いずれにしても、
(常に、世俗の常識的価値観と対比される形で)、≪【仏の立場から見た】意味・意義≫
であるということは忘れてならないと思う。