【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】6

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564旧7
>>560
しょうがない。
重要でもないし、片山訳の事例にもならんが、色んな意味で(w)“このスレ的に(!)興味深い部分”を挙げよう。
一在家が新しく引っ張り出した『大譬喩経(漢訳阿含名「大本経」)』から。
 (季刊原始仏教7巻P.19) 〈 〉は註。 《 》は複註。 ( )は訳者挿入。

20 比丘たちよ、この【法則】があります。すなわち、菩薩が母胎に入っているとき、
 菩薩の母は、【自然に】、戒をそなえ、殺生を離れ、盗みを離れ、邪婬を離れ、
 妄語を離れ、怠惰の原因となる穀酒・果酒を離れています。
 これが、その場合の法則です。
【法則】 dhammatA ・・・この内容(菩薩の出生に関する一連の記述の最初の節の註。)
〈自性〉(sabhAva)、〈定則〉(niyAma)、あるいは、《自然なこと》(pakati)と言われる。(以下はおそらく訳者の要約)
〈定則〉に
(1)業の定則(kamma-n')、善《業》には好ましい異熟の施与が、不善には好ましくない異熟の施与があるという場合。
(2)時節の定則(utu-n')、蓮の花が昼に開き、夜に萎む場合など。
(3)種子の定則(bIja-n')、稲の種から稲の実のみが生じる場合など。
(4)心の定則(citta-n')、それぞれ前の心心所法はそれぞれ後ろの心心所法の近依縁によって縁であるから、
 このように眼識などに直接、領受などの生起がある場合。
(5)法の定則(dhamma-n')、諸菩薩が母胎に入るなどのときに一万世界が震動することなどが起きることがある。
ここでは(5)の「法の定則」が意趣されている。
【自然に】 pakatiyA
《他のもとで得るのではなく、自ら、自性(sabhAva)によってのみ、ただ自分で》の意。
〈伝えによれば、仏がまだ現れていないとき、{云々〜 と続く}〉

だってさw やっぱり、パーリの自性は単純素朴なものみたいだね。
少なくとも、大乗の各経各論が血相を変えて否定するほどの大きな位置付けや役割は無さそうだ・・。

ちなみに、原文見てはいないが、おそらく文章的にも、まるっきり五戒まんまだろうねw