>>630 “出世間智によって把握される対象”
『《(梵)param?rthaの訳》仏語。最もすぐれた道理。第一義。
第一義とは/仏語。最高の道理。究極の真理。勝義。』
(『デジタル大辞泉』)
『「勝義」(paramattha)とは、人の願うところの最上のものであり、人間として思念し能うかぎりの
最高善であり、人間の生活の終極の標的である。そして出家の生活とは、この最高なる善の実現
のために、他の一切を賭(と)するものに他ならなかった。』
(増谷文雄著『仏陀-その生涯と思想』p141-142/角川学芸出版刊)
〜だそうです。
>>631 >一切を超えることは、一切の一部、 一切においてのみ生存可能な人間にとって無意味なこと。
>「一切を超える業力」とは、それ自体言語矛盾。
それは、ただの凡夫の実態のことです。
仏陀(完成者)とは、その一切(の囚われ)からの解脱者です。
あなたは仏典の何を読んでるのか?
自己都合のいいところだけを端折り読みしてるということ。
ハッキリいうと、仏典があれば中論など不要(勝て都合に利用するだけなら害悪でしょう)。