1 :
名無しさん@1周年:
エホ症とプロテスタントを遍歴したもとぴさんが、
自らの聖書理解を熱く語ります。
もとぴさんと聖書解釈について論じたい方はこちらへどうぞ。
関連情報は
>>2-10あたり。
2ゲット
3 :
名無しさん@1周年:03/01/17 21:45
4 :
名無しさん@1周年:03/01/17 21:46
[もとぴさんの人物像]
527 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/09/07 10:36
初めて書き込みします。私は元プロテスタントです。
14年前に4ヶ月間ほど桃実の糖の「研究生」しました。
539 名前: 527 元プロテスタント 投稿日: 02/09/07 20:21
私は 23歳から33歳まで プロテスタント教会に行っていました。今、43です。
インターネットを始めたのがつい最近です。
なぜ、教会を離れたか、、
まあ、ある時期から、教会に 行けば 行くほど 苦しくなったからでしょうな。
そーゆうわけで、日曜日には サカナ 釣ってます
656 名前: もとぴ よぱらいモード 投稿日: 02/09/27 19:14
それからですね。JWの教理とプロの教理とを比較対照するようになったのは。
私は、時間をかけて、調べたこと、わかったことを、この場でカキコさせていただいているだけのことです。
でも、まあ、諸事情がありまして、それほど長くは続けられないと、自分では考えています。
このようにカキコできるのは、今のうちと思って、カキコしてます。
5 :
名無しさん@1周年:03/01/17 21:48
6 :
名無しさん@1周年:03/01/17 21:49
もとぴさん、がんばれ!
7 :
クソスレ立てるな!:03/01/17 21:49
2chではコテハンスレッドが禁止されています。
このスレは削除対象となる可能性があります。
8 :
名無しさん@1周年:03/01/17 22:15
9 :
アルミ堕天使 ◆4C4LwQ/4Dg :03/01/17 22:35
10 :
FW190Ta152H-1:03/01/18 17:57
パート2ですか、なかなか充実しているみたいですね。どっかの某エ証スレの荒廃ぶり
とはエライ違いですよ。まったく連中ときたらどうなってるんでしょう?
14 :
名無しさん@1周年:03/01/18 19:24
エホ証が再三いっている14万4000人だけが天の王国を受け継ぎ、
あとは地上を受け継ぐという説に関してはもとぴさんはどう思われますか?
1さん!
新しいスレをたててくれて、ありがとうございました!!!
みなさん、よ ろ し く (ハアト
それと、>12のようなカキコは、蒸ししてやってくださいね。
16 :
名無しさん@1周年:03/01/18 19:28
もとびさん、オアシスにも遊びにきているのかにゃ(はぁと
がんばってくらまい
17 :
名無しさん@1周年:03/01/18 19:59
神の子と人の子について、キリストの照合から説明して下さい。
知りたいのでマジメにお願いします。
842 :もとぴ :03/01/17
>839 わけあって さん。
どのような質問が来るのかと、待っておりました。
私が過去に受け止めてきた いろいろなメッセージを要約して、お答えします。
プロテスタントの立場がベースですが、牧師にもいろいろと個性がありまして、、、
個性的な内容を紹介しますので、これがプロテスタントの定説と思わないでくださいまし。。。
聖書には、永遠から永遠が記されています。神が、万物を創造される前から、神はおられた。
神が、万物を創造された時、「それは非常によかった(創世記1:31)」。(神の一元的支配)
しかし、神に創られた「霊的存在」の中から、神の支配に反逆する存在が、現れた。
サタンと、その使いである悪霊です。
神は、アダムを「エデンの園」に置いて、そこを管理させた。(2:15)
【エデンの園】は、神のご支配の中で、人が神とともに住むという、一元的世界であった。
・・・ しかし、サタンの誘惑によって、アダムとエバが、神の命令に背いて
「善悪の知識の木」(2:17)から実を取って食べた時、人間は
「善と悪」「いのちと死」「祝福と呪い」、、、というような、二元的世界に入ってしまった。
【神の目的】というのは、「神のご支配の中で、人が神とともに住む」という一元的世界を、
回復(または、新しく創造)することにあると、解釈してよいのではないかと、私は考えています。
そこには、神の計画があり、段階があるようです。
@ 霊的な意味 → 【パラダイス】
A 地上の御国 → 【千年王国】 (エホ証では【地上の楽園】)
B 永 遠 → 【新しい天と新しい地】
【パラダイス】 ・・・ 囲いのある庭園を表わす古ペルシャ語に由来する語 ・・・
パラダイスは、ふつう「天国」のことと解釈しますが、(Uコリント12:2-4)
もう一つの意味は、「キリストと共にいること」です。
これは、「場所」であるとともに、「状態」をあらわしています。(ルカ23:41-43)
> スレ1‐840 新しいエルサレムってどこですか? (ヨハネの黙示録21章2)
「新しいエルサレム」は、「最後の審判」(大きな白い御座のさばき:黙示20:11-13)の後で、
「新しい天と新しい地」(21:1)において、「神のみもとを出て、天から下って来る」(21:2,10)。
新しいエルサレムは、「長さも幅も高さも同じ」(21:16)で、それぞれが2220km(ほぼ日本列島の長さ)。
質問の件ですが、新しいエルサレムの場所は、、、 わからない。。。
この世のものとは思えないし、事実、この世のものではないと思います。
24 :
名無しさん@1周年:03/01/18 20:45
もとぴさんに質問です。
予定説についてどう思われますか?
神が全能ならば、ルシフェルの叛逆もアダムとイブが罪を犯すことも、ご存じなのでは?
>>14さん。
私にとっては、「?」な説です。
黙示録7:4-9の解釈に無理があると思います。
>17さん。
> 神の子と人の子について、キリストの照合から説明して下さい。
「キリストの照合から、、」というのは、どおいう意味ですか?
24さん。
難しいテーマなので、私は「放置」しておりました、です。
しばらく時間をください。
24さんは、どのようにお考えですか?
28 :
名無しさん@1周年:03/01/18 22:27
29 :
FW190Ta152H-1:03/01/18 22:30
>15 もとぴさんへ
大丈夫です。12氏は了見の狭い気の毒な人物なんでしょう。そういう狭量な人間
を救済するのが宗教の果たす重要な使命なのでしょうけど・・・。かなり手こずる
でしょうね。チョッと自分には難しいですが。
31 :
名無しさん@1周年:03/01/18 23:11
12氏は>10の意見に同調しているようにも見える。
もし、そうだったら12氏がかわいそ〜う。
32 :
名無しさん@1周年:03/01/19 00:24
17ですが、
『神の子』と『人の子』を、それぞれキリストと照らし合わせた場合、
どういう説明ができるのかを、簡単にで良いので知りたいのですが。
お願いします。
33 :
FW190Ta152H-1:03/01/19 01:16
>31
12氏に同情したり憐憫の情を寄せるのもある意味では必要かもしれんが、
それにはおのずと限度があるはず。12氏自身が悔い改めないことには。
>17
キリストは、神と人をつなぐ「新しい契約」の「仲保者」。(新共同訳聖書の後ろの説明を参照)
人はエリヤや預言者というがイエスの問いに対するペテロの告白『神の子』『キリスト』です。
『神の子』
父と同一本体(ホモウシオン:ギリシア語)→ 世の初めからいる。
神の三位一体(三一性:ラテン語)で「子位格」→ 洗礼者ヨハネからの洗礼、今日あなたを生んだ。
『人の子』
メシア:ヘブライ語(ギリシア語:キリスト)→ 油注がれし者・ユダヤ王(十字架での罪名)。
救い主(ギリシア語:ソーテール)→ 罪の赦しのために、人を救いに来られた。
>>24 おい、何もかも神のせいにするのか?その他被造物でしかない輩に自由意志が与えられた
だけでも感謝すべきではないか?
>>12を書き込んだ者です。
>>10さんの意見に激しく同意して
『そうだね。連中ときたらうざすぎるよね』と言いたかった
だけなのに、何がいけなかったんでしょうか・・・。
でも、確かに他人のことを一方的に『うざい』とか
『荒廃してる』とか『狭量だ』とか『気の毒だ』とか
決めつけてしまう私の態度にも問題があったのかも
知れませんね。
>>29さんのご意見に心から賛同します。
37 :
名無しさん@1周年:03/01/19 01:45
>10 の発言内容がそもそもいただけないものであることが原因かと
38 :
名無しさん@1周年:03/01/19 01:49
悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
ここの中で哀れみを行った>31が正しかったことになる。
愛は勝利するということか。
39 :
名無しさん@1周年:03/01/19 01:52
「うざいしね」
は、「うざい氏ね」
と、「うざいし、ね」
の二つがある
40 :
名無しさん@1周年:03/01/19 01:53
>37
だから、悔いていると思われ。それ以上追求しないのがまた信仰かも・・・
41 :
名無しさん@1周年:03/01/19 02:13
>>35 神の責任にするなんて一言も言ってないのだが。
42 :
名無しさん@1周年:03/01/19 02:48
神は全能だから予知能力があるのではないかについて、
人間でもそのくらいの推理ができるのなら宇宙の所有者
の考えは超越していると考えたほうが良いでしょう。
逆に地球が存在してから、現在までという時間も神の時刻観念では
一瞬ほどであるということも理解したほうが良いと思います
何時もご丁寧にお答え下さってありがとうございます。
エホ証から僕が聞いたのは
【パラダイス】=【地上の楽園】という事で
【新しい天と新しい地】の(新しい地)にあたります。
(新しい天)は、天の政府、つまり神の王国らしいです。
>@ 霊的な意味 → 【パラダイス】
>A 地上の御国 → 【千年王国】 (エホ証では【地上の楽園】)
>B 永 遠 → 【新しい天と新しい地】
このあたりがちょっと僕の頭のなかで、混乱してます。
前スレ28〜63あたりでは納得してたのですが。
もうひとつ質問なんですが、イザヤ51:3のシオンとは、パラダイスなんですか?
>>41 >神が全能ならば、ルシフェルの叛逆もアダムとイブが罪を犯すことも、ご存じなのでは?
では伺いたいのですが、もし神がご存知ならばどうだというのですか?
神から頂いた自由意志の神秘と、神の予知の深さは計り知れないとは考えないのですか?
つまり、
自由意志の神秘>神の予知の深さ
なのか?・・・分らない。ただ過去に起こった悲劇が再び起こらないように、
長い年月を用いてご計画によって悪の器を耐え忍んでいるとすれば、どうだろう。
事実これらの奥義は弟子たちの宣教によって明かにされたのだが・・・。
すなわちイエス・キリストの十字架による罪の許しと復活のしるしとそれによる信仰である。
神様は完全な世界を今も作りつづけておられるのではないだろうか?
>>24 予定説・・・これも人間が議論することでもないでしょうが、強気のパウロがそのようなことを記した点においては読者は注意して読むべきだろうと思われます。
すなわち私はつい16年前には滅ぶべき罪人であり神を知りませんでしたが、神の憐れみによって例外的に救われたと私は思っております。
そんな奇跡もあるのですから、神の救いの予定など最期の最期まで分らないと思います。
私個人としては聖書を個人的
に解釈を進めると、地を受け継ぐ者と天の王国に入るものの二者に別れる
という考えが正しいと思っています。
イザヤに出てくるシオンとは神の王国、つまり天の王国の事です
神の王国は神1人でのものではなく人間のなかから、選ばれ、天で共に支配
する者達がいます。イザヤではその王国を彼女=シオンと呼んでいます
48 :
名無しさん@1周年:03/01/19 16:50
>34
ありがとうございます。
10さん。12さん。
「
>>10うざいしね」 には、@10の意見に同調(>31)、 「うざいし、ね」(>39) と、
A「うざい氏ね」(>39) の、二通りの受け止め方があったとは、、、
12さんの真意は、「>10さんの意見に激しく同意」(>36)で、わかりました。
12さんのカキコを、私がAの意味と誤解して15にカキコしたことについては、
10さんにたいしても、12さんにたいしても、本当に申し訳ないことで、ここでお詫びします。
(10さん12さんの発言内容については、私は否定も肯定もしませんです)
>>32 (17さん)。質問の主旨はわかりました。 『神の子』は、聖書ではいろいろな意味で
使われていますが、「キリストと照らし合わせた場合」には、どのような意味を持つのか?
【神の子】 ・・・ キリストは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。
◇ へブル1:3 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ、、、 」
キリストは、神の本質の完全な現われである
◇ へブル1:5 「あなたは、わたしの子。 きょう、わたしがあなたを生んだ。」
「きょう」は、永遠の現在を意味している。キリストは、父から生まれ、永遠に存在される。(へブル7:24)
【人の子】 ・・・ キリストは、マリヤから生まれ、人の本質・本性を持たれた。
51 :
名無しさん@1周年:03/01/19 17:16
どうもです
42です・・自分の考えを少し・・・
神はみ使いを自分と同質の精神をもつ者として創造し、人間も同質の精神
を持つものとして、物質の形に創造した、人間や未使いは魂であり、
神は各々の精神の核を見抜いていて、愛したり、滅ぼしたりする。
神は自分と同じ自由意志を持つ者を存在させていいのかという実験を
している。と、いうのが私の考えです。
エホバの証人の教理にはほぼ賛成ですが完全肯定ではないです
>43わけあってさん。
> イザヤ51:3のシオンとは、パラダイスなんですか?
【シオン】 本来はエルサレムにある一つの丘の名前。
後に、神殿あるいはエルサレム全体を指す名称となった。
また、神の都エルサレムおよびその住民という意味もあった。
エルサレムの住民は「シオンの娘」と呼ばれることもある。(新共同訳聖書 巻末付録)
56 :
55のつづき:03/01/19 19:10
【イザヤ51:3】の解釈
直接的には「選民イスラエル」に関する預言です。 とともに、「地上の御国」の預言として、
解釈することもできるようです。
〔解説〕
前スレでも触れましたが、救いはまずユダヤ人に差し出された。ユダヤ人の多くはキリストの福音を
拒否し、使徒13:46-47にあるように、異邦人宣教へとつながっていく。
しかし、「選民イスラエルにたいする神の計画が、すでに終わってしまった」というわけではない。
ユダヤ人にたいする神の預言は、まだ未来に残っている。
イザヤ51:3は、選民イスラエルに関する預言であるとともに、異邦人にたいする神の計画をも
含んだ、「地上の御国」の預言であると、解釈します。
57 :
55のつづき:03/01/19 19:12
天国、パラダイス、地上の御国、新しい天と新しい地、、、 と、いろいろなことばが関連して、
ややこしい話です。。 プロテスタントの信徒であっても、これらの用語をわかりやすく説明する
ことは難しいと思います。
おまけに、エホ証さんと、プロテスタントでは、同じ用語を使っていても、用語の意味や
教理体系がまるで違います。
さらに、「パラダイス」と「地上の御国」の関連で、「復活」もリンクします。
・・・ まずは頭の中に、「エホ証」と、「プロテスタント」の、二つのチャンネルを用意してください。
【黙示録7:4-9】の解釈 (
>>14、>25)
聖書全体としては、ユダヤ人にたいする神の計画と、異邦人にたいする神の計画があります。(前スレ-837)
@黙示録7:4-8の「イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、14万4000人であった。」
というのは、選民イスラエルにたいする神の計画の結果として救われる者たちのことであり、
A9節の「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、、」というのは、異邦人にたいする神の計画
の結果として救われる者のことであると、解釈するのが自然と思います。
*ここは解釈の難しい箇所なので、参考程度にしておいてください。
(今日はこれで、カキコ終わります)
59 :
FW190Ta152H-1:03/01/19 23:30
>12,36から40、49番のもとぴ氏へ
10番の私の発言が結構波紋を呼んでいるようですね。私も誤解していた部分があった
ように思います。やや私も被害妄想的に早合点したみたいで、ただ・・・12番の書き込み
には句読点は無かった様に見受けられたので、ネガティブに解釈してしまいました。真意
と違いましたのならお詫びを申し上げます。また、お返事が遅れて申し訳ございませんでした。
60 :
名無しさん@1周年:03/01/20 01:54
>50(もとぴさん)
17ですが、大体分かってきました。
ありがとうごさいます。
>58もとぴさん 新スレおめでとうございます
前スレでは神の名についていろいろとお話でき、楽しかったです
14万4000人の解釈なんですが、
JWは、生来の血統に関わりなく、ある期間内に集められた
霊的な意味で真にイスラエルな人とみなしています
割礼を受けていない異邦人もイスラエルとみなされることがあります
保証の刻印をつけられる異邦人もいます
パウロはその点をエフェソスや他の地域のクリスチャンに述べています
関係ないかもしれないけれど、JWではない一般のキリスト教信者は
イエス以前の忠実なイスラエル人もこの14万4000人に含まれると信じてるでしょうか?
これはマジに疑問な点ですが、どうなんだろう・・・
59(FW)さん、60さん、どーもでした。
>12については、12さんの真意がわかって(>36)、よかったと思います。
>21は、【神の目的】についてアウトラインのみを書いたものでして、
わかりにくかったようですね。主題を【神の国】として、あらためて考えました。
ここでは、「神の国」とは「神のご支配の中で、人が神とともに住むという、一元的な世界」(>19-20)
という意味として用いることにします
「神の国」、「一元的世界」、とはいっても、それが完全なものとされるのは、
黙示録21章に記された「新しい天と新しい地」においてでしょう。
>53 42さんありがとうございます。
>エホバの証人の教理にはほぼ賛成ですが完全肯定ではないです
どのへんが、肯定できるのでしょうか?
>55、56、57 ありがとうございます。
>まずは頭の中に、「エホ証」と、「プロテスタント」の、二つのチャンネルを用意してください。
基本的なことをわすれてました。
もうひとつ質問ですが、プロテスタントの教理では、
今現在、パラダイスはあるのでしょうか?
67 :
名無しさん@1周年:03/01/20 22:27
ぼくちん、今がパラダイスだよ。必要なものは揃った。これ以上何を求めようかってとこ。
今の政治家は大変だなぁ。「義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう」
かなぁ。
@霊的意味での「神の国」の到来
◇生きている間 − 信者の霊 において (ガラテヤ2:20) 参考 ルカ17:20-21 マタイ1:23
◇肉体の死後 − 霊的世界であるパラダイス において (ルカ23:43)
プロテスタントの教理では、今現在、パラダイスはあります
>61さん。どーもです。
イエス以前の忠実なイスラエル人は、今はパラダイス(天国)でしょう。
パラダイス(天国)には、住まいがたくさんあるらしい。 (ヨハネ14:2-3)
最近、パソコンが不調で、、 今、サテンでカキコしてます。
今日は、二行書き込むことが精一杯でした。。
70 :
名無しさん@1周年:03/01/21 18:22
神の国の到来〜全人類の復活と、各人が死後天国にいくこととは、初期のキリスト教徒の間では並立して信じられていた、と、
ポール・ジョンソン『キリスト教の2000年』に書いてました。
終末的緊急感の衰退とともに、地上での復活・神の国の到来という考えは衰退し、
「良い生活」〜天国という期待に伴う教会の指導が強調されるようになった、ということです。
神の国の到来
@霊的意味での「神の国」の到来 (>68のつづき)
パラダイスには、どのような人たちがいるか?
◇キリスト者。 救い主キリストにあって死んだ者。(ピリピ1:23)
◇旧約時代の聖徒
旧約聖書の時代においては、人間の死後の場所は【シェオル(よみ)】だけであった。
エペソ4:8は、キリストの昇天の時に、キリストは、よみの“慰めの場所”にいた旧約の聖徒たちを、
パラダイスに引き連れて行かれたと解釈される。
>もとぴさん
パソコン大丈夫でしょうか。すぐに治るとよいのですが。
もし全く手がつけられないようであれば専門の業者に任せるしかありませんが、
ちょっとしたことが原因であれば2chや他の場所で解決できるかもしれないですね
http://www.2ch.net/guide/map.html#computerとか >イエス以前の忠実なイスラエル人は、今はパラダイス(天国)でしょう。
>パラダイス(天国)には、住まいがたくさんあるらしい。 (ヨハネ14:2-3)
バプテストのヨハネは偉大な人でしたが、
天国にいる一番小さい者でも、彼より偉大であるとイエスは言われました
ヨハネが天国に入ったならばこれは理不尽かもしれません
>70
>地上での復活・神の国の到来
これは面白いですね。
もう大丈夫ですか?>71もとぴさん
、、、なぜか、今日は書き込める。とてもうれしい。>72-73さん ありがと。
きのう書き込みたかったことを少し書いて、今日はこれで。。。
【神の国】・・・ 神の支配 神の支配されるところ
「天国」は天における神の国。「千年王国」は地上における神の国。
、、というように、「神の国」ということばは広い意味を持っています。
「新しい天と新しい地」は、永遠における神の国。。かなあ
>もとぴさん
>【神の国】・・・ 神の支配 神の支配されるところ
基本的にkingdom【王国】は
王が治める政府、もしくは支配下にある領地や民族のことらしいです
ので、もとぴさんの解釈はそれで正しいですね
「新しい地」とは,地上に住む人々の正義の社会のことであり,
「新しい天」とは,完全な天の王国,人々のこの地的社会を支配する政府のことです。
・・・とJWのパンフには書かれています
実際、天や地という語句を適用できるとする箇所は存在します
さて黙示録の新しい天と地なのですが、
予告された滅びを疑問視する人々がまだ存在する「エホバの日」のうちに
古い天と地は過ぎ去ることをペテロは述べています
この句を無視するかどうかは、各人の解釈でしょうか。
もしこの聖句をふまえて、またJWのパンフの解釈の下に、黙示20と21章を解釈するなら、
千年王国の始まる前に古い天と地は過ぎ去り、続いて新しい天と地が始まります
(サタンがつながれる時、古い天と地は存在しません)
という結論も可能かもしれませんね
クッキーの設定をしなければ。。
書き込みはできるようですね。
>ALLもとぴスレ住人へ。
ヨハネ黙示録は東方教会(ギリシア語世界)では、
7世紀まで新約正典(カノン)には加えられていなかったシロモノです。
千年王国が単純に313年のミラノ勅令から1000年だと、
1313年までローマ法王庁が西方教会を、この世的にリードした事になります。
しかし、ご存じのようにプロテスタントの代表的信条の使徒信条は、
8世紀前半に出来、14世紀まで約600年間、信者の間で信条告白が支配しました。
しかし東西分裂前を基準にしても、東方教会は15世紀まで使徒信条を知りませんでした。
そういう根拠からして、なぜ、もとぴ関係者(エホ証ぐみ)は、
そんなに新しい天地に拘るのですか?
日本語訳聖書の功績者で、
ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語を分かるアメリカ人のヘボン博士は、
「王国」と訳さず「み国」と訳しました。
>78 つづき。
確かにヘボン博士の知る英語訳聖書では「キングドムで王国」です。
しかし、ギリシア語「バシレウスは単純な訳で王国」ですが、
バシレウスは軍事的な王の意味ではなく、祭祀を司るアテナイの太古の王の意味で、
アルコンというアテナイの9人の執政官(裁判官)の第二位者(まるで、
神の三位一体の第2位のごとき)で、祭祀の王なのです。
ポリス国家のアテナイの軍事の王は「バシレウスなる王のほかに」別にいました。
新約聖書の「バシレウス:王」の意味は、
本来は、そーゆー軍事支配以外の「まつりごと」でなく「まつり」のオサの意味なのです。
ヘブル人への手紙の「大祭司」を解釈してください。
また、ペルシアが任命のユダヤ人ネヘミア知事によるバビロンよりのユダヤ地方解放から、
ヘレニズム・ギリシア(セレウコスギリシア人王朝)の逆転圧政に対する、
表彰式の歌にあるユダヤの独立を象徴するマカバイ王朝は、
祭司にして王なるヨナタンという、その肩書きのあり方に注意してください。
ユダヤ(ヤコブの家・イスラエル)は、
預言者が選ぶ王(油注ぎの者:メシア)の神政政治をする国という事を記憶してください。
イスラエルの国のあり方の理想型(モデル・タイプ)は、
たとえるなら大主教(または法皇)イコ−ル王様(または皇帝)という一種の哲人政治なのです。
>ろんぎぬすさん
JWの現役からいえば、
千年王国というものはあなたの引用しているようなものではないですよね
聖書で言うハルマゲドンがそれに先立つのではないかと
それは過去ではなく将来のことではありませんか
祭司という点は黙示録の該当箇所で銘記されています
(しかし他の句によれば、大祭司はイエスのみに適用されますね)
ご意見は興味深いのですが、
できれば、正典とされる書の中からの注解をお願いします
81 :
名無しさん@3周年 :03/01/22 22:14
ヨハネ黙示録はイエスの御心にそわなかったかもしれない?
>80
黙示録の記述順番通りに信仰するか。前後するのかは。何ともいえません。
ただ、解釈の一つとして、
キリスト教寛容派のコンスタンチヌス帝と、
キリスト教迫害側の対抗皇帝候補の決戦が、
ハル・マゲドン(丘・メギド、意訳:決戦の丘)なら、
何も問題ない気がしますが。
>24さん。お待たせしました。
> 神が全能ならば、ルシフェルの叛逆もアダムとイブが罪を犯すことも、ご存じなのでは?
神は・・・人に自由意思を与えれば人は罪を犯す、ということがわかっていながら、人に自由意思を与え、
そして、人が罪を犯したからといって、人に苦しみと死をもたらせたのかも。。。です。
もしそれだけなら、だれも神の愛を信じることはできないと思います。
しかし、神(父)は、み子キリストを地上に遣わした。
み子キリストは、人の子として生まれ、名を「イエス」と付けられた。
イエスは、罪は犯さなかったけれど、人の罪の身代わりとして神(父)のさばきを受け、苦しみ、死なれた。
そして、復活された。 (参照 Tヨハネ4:9-10、ルカ23:34、Tペテロ2:22-24)
イエスによって、神の国は到来した。 (現在は、霊的意味での「神の国」の到来 >68)
では、キリストが人の罪を負って、人の身代わりとして死なれたのなら、すべての人が救われているのか。。?
私が思うに、人を、神に立ち返らせる「聖霊」の助けは、すべての人にあるのではないか。。
しかし、その聖霊の働きかけを最後まで拒み続ける(神の支配を拒否する)ことで、救いの機会を失って、
ついに滅びに至るのではないか。。。
「救いの機会」や「さばき」について、人は、すべてのことがわかるわけではない。(参照 ローマ11:33)
「さばき」は、神のなさること。人は、神に近づくこともできるし、神から、遠く離れることもできると
思います。 (つづく)
(83のつづき)
次に、創世記の「エデンの園」と、黙示録の「新しい天と新しい地」について。
善と悪がない、罪がない、死もない、サタンの支配もない、、、
つまり、「神のご支配の中で 人が神と共に住む、という一元的な世界」という意味では同じ
でしょう。 けれども、相違点もあります。
まず、人の数です。(人の数だけ、人生があった)
人は、神に与えられた自由意志に加えて、罪を知り、苦しみを知り、悲しみ、叫び、死を知った。
そして、神の愛を知り、信じ、神の支配をよろこぶ。
「エデンの園」でアダムが持つことのなかった、新しい霊が、人に備わっていると思うのです。
もしかしたら、【神の目的】とは、このような【神の国】を創造することにあるのではないか。
・・・ 以上が、私の考えです。
85 :
名無しさん@3周年:03/01/23 19:51
! 81さんに、座布団 1枚!!!
>ろんぎぬすさん 幾つか補足します
新しい天と地についてあなたは拘らないようですが、
「新しい天と地」については、旧約正典もそれに触れています
ですから、聖書の研究者のある人たちがそれに関心を持つのは正常なことかもしれません
ハルマゲドンについては「全能の神の日」の中の戦争です
ペテロはその手紙で滅びをもたらす「エホバの日」の詳細を語っています
旧約の句にもこれと同じものを検索できます、
それらは恐らくコンスタンティヌスや続く中世の時勢とは関連がありません
むしろ「末の日」「終わりの日」とよばれる時代に関係があります
もうひとつ。コンスタンティヌスの行いは、
聖書がクリスチャンに求める基準に反する面が目立つといわれています
また彼は晩年に至るまで、信者にはなりませんでした
寛容派としてだけならともかく、あなたの言う聖書の戦いにおいて、
コンスタンティヌスは神の側の真の代表者として聖書的に不適格です
ここで黙示録が、そのような人たちの戦争のことに限定して述べているとは思えません
むしろJWのようにいえば、
神やイエスが直接、ご自分に反対する人間たちと戦われることを想定できます
関連スレ(ふざけるな)をたどってください
88 :
名無しさん@3周年:03/01/23 21:01
神の元で何も困難なく願えば何事もできた人が不満を抱いた。「やすらぎに満ち溢れているこの
世界はたいくつである」あとその人々に与えられるのは何であろうか?困難である。
神はサタンが快楽で人を釣るのを黙認し困難とともにこの地で生きることを許された。
天国は神と共に愛に満ち溢れ平安である。この地の者も愛を喜び平安を求めるなら
天国に入ることを再び許そう。その代わり快楽と享楽、物に対するこだわりはないよ。
つまらんか、そうか、やっぱりな。永遠に呪われよ。この地で困難に遭い神を心底求める
までほっとこう。って感じに思えます。
>87さん
今生きているアナタには、新しい天と地は関係が生きている間中に在りますか?
死んだ後の世に、新しい天と地が関係がありますか?
十字架のAD33年以来、もう1970年経っていますが、
1970年間このかた、今を生きている人たちには、
1970年前と変わらぬ、今まで通りの天(青空)と地(地面)だと思いますがね。
どう新しいのでしょうかね。空はエーテル体で地は砂金にでも成るんですかね???
信条や主の祈りを日々して、洗礼でも受けて、日曜に教会にでも行って讃美歌うたって、
昼にウドンでも食って帰ってきて、臨終の時にカトリックなら塗油でも受けて、大往生するば、
キリスト教徒の信仰生活の一生としては、別に問題ない気がするんですが。
ああ、あとハンサムな外国人の神父様に感動するとか、
ゴッツイ司教様とか会って有り難がって、献金でもして教会に貢献して、
ほかに深く考えないで、悩みゼロで、信心深く生きればいいんでないの???
カイヨウになるの嫌だからさ。
はた目には単に愚民を演じているだけだが。
聖書辞典と聖書が在れば、注釈書とかに取り立てて書かれていない部分については、
解釈もヘッタクレも在るんですかね???
辞書には、新しい信仰生活くらいにしか書いていない気がするんですよ。
特に目新(まあたら)しい注釈がないから。
90 :
名無しさん@3周年:03/01/23 22:02
欲望0で、悩み0か。いいなぁ
91 :
名無しさん@3周年:03/01/23 22:09
>92 補足。
聖書辞典では、ハルマゲドンは直訳でメギド山の意で、
メギドは昔からバビロン方面(セム族)勢力と、エジプト方面(ハム族)勢力の、
カナン州(パレスチナ地方)領有の決戦の場であったので、
メギドと言えば決戦の代名詞でした。
黙示録的には、神とサタンの決戦の場だと解説しています。
>89 ろんぎぬすさん 丁寧に説明していただき感謝します
聖書事典からの釈も興味深く拝見しました
>今生きているアナタには、新しい天と地は関係が生きている間中に在りますか?
>死んだ後の世に、新しい天と地が関係がありますか?
ワタシの場合はどちらとも関係ないですが、
現役JW信者の理解は>75に簡単に書かれています。
新しい「地」を構成する人々は地上で生きており、
新しい「天」を構成する人々は天の政府に入るため、地上での命を後にします
彼らの解釈では、天地が文字通りの空や地球ではないことに注目してください
聖書では支配権のことを述べる時に「天」や天体に言及したり
諸言語を用いる人々を指して「地」と述べる例などがあります
ろんぎぬすさん自身の解釈は、どのようなものですか?
余談ですが、嵐を静める力をイエスは持っており、
嵐を静めるために湖や海をなくす必要はありません
預言書からすれば、ヨブが述べる生き物が荒々しいという点にもそれは当てはまります
ですから不安定さを象徴し、取り除かれる「海」も文字通りの海ではありません
イザヤ57を参照してください
クリスチャンや現役JWの方は聖書を持っているので
平安な生活を送る助けがありますね
>黙示録的には、神とサタンの決戦の場だと解説しています。
ろんぎぬすさんもそうお考えであれば、コンスタンティヌス帝はここで論外です
95 :
子連れ羊@おあしす ◆Fw190Tn4p2 :03/01/24 11:47
こんにちは。もとぴさん、魂と霊の定義、違いは何でしょうか?
日本語では霊と魂は混合されていますが・・・・
おながいします。
>95 子連れ羊@おあしす さん。
> 魂と霊の定義、違いは何でしょうか?
【プニューマ ・ プスケー ・ ソーマ】 (Tテサロニケ5:23)
--- 新改訳/新共同訳−霊・魂・体 文語訳/口語訳−霊・心・体 ---
【人間の構成】 人間は、物質的と非物質的の両方の資質を備えている
【二分説】 (西方教会は、全般的にみて、二分論をとっている・・らしい)
・人間は、物質的部分(肉体)と、非物質的部分(プニューマとプスケー)とを区別するのみ。
「プニューマ」は、霊的な実在につながるものとして、または、そのような関係が可能なものとして、
また、「プスケー」は、肉体につながり、あるいはそのような関係の可能なものとして、人間の高級な
部分である。 人間の非物質的部分(プニューマとプスケー)は、力の二重性をもちながらも、なおその
本質においては統一されている。 (「組織神学」 ヘンリー・シーセン著 聖書図書刊行会)
・プニューマ(霊)とプスケー(魂・心)は、厳密には区別されない。
プニューマは時に「心」とも訳し得る〔マタイ5:3〕。(「増補改定 新約ギリシャ語辞典」岩隈直著 山本書店)
>75 名無しさん@3周年 さん。
Uペテロ3:10-13の解釈ですね。。。
「新しい天と新しい地」(13節)の解釈。 また、「地上の御国」との、時間的関係。
・・・ 少し、時間をください。
>88さん。
結局、神は、高いところから ・・・ 地上に生きる人間の 罪、苦しみ、悲しみ、叫び、死を、
見おろしているにすぎない。。 と、思っておられるのでしょうか? (関連
>>83-84)
私は、「イエスは神ご自身である」と信じるからこそ、神の愛を信じることができる。
・・・ もし、イエスが「神に造られた者」であったなら、神の被造物を遣わして、その者が
苦しんだり、悲しんだり、あるいは死んでくれたとしても、ただそれだけのこと。
「神は愛なり」と、信じることはできないと思う。
新約聖書は、「イエスは神である」という告白のうえに、「神の愛」を告白しているように思う。
(父は神。子も神。〔ヨハネ1:1、18、3:16〕 でも、神は唯一)
100 :
やったー!:03/01/25 20:31
100だよ
101 :
名無しさん@3周年:03/01/25 22:18
>100 おめ。
>98 質問スレ26のたしか725、参考。
肉や魂との霊の比較が話題だったので蛇足と思い書かなかったけど、
霊は「見えない、静かなダイナミズム」全般。連想から派生した意味としては、
息、息吹、風、活力、感情の動き、奇跡を顕わす力。
また、朽ちる肉に対しては、不朽の象徴表現。俗に対する聖と似ていて、その意味でも用いられます。神を含め、天の生き物つまり魂を「霊」と表現するので、その不朽性から連想したみたい。
「見えないものは不朽だ」てな感じ。
>99 アブラハムは息子だったっすね。
>97 ご苦労さまです。
103 :
名無しさん@3周年:03/01/27 23:45
>75
「地上の御国」(千年王国・千年期)と、「新しい天と新しい地」との時間的関係。
Uペテロの3章7節に注目。
「しかし、【今の天と地】は、、【不敬虔な者ども】のさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。」
【不敬虔な者ども】は、千年期の終わる時に、「海べの砂のよう」に数多く存在します。(黙示20:7-8)
今の天と地が、不敬虔な者どものさばきと滅びの日まで、保たれているのであれば、
千年期が終わるそのときまで、今の天と地が保たれている、ということでしょう。
・・・千年期の終わりに不敬虔な者たちのさばきと滅びがあり(Uペテロ3:7、黙示20:7-10)、
天と地は過ぎ去り(Uペテロ3:10-12、黙示20:11)、最後の審判が行なわれ(黙示20:11-15)、
そして、「新しい天と新しい地」が到来するでしょう。(Uペテロ3:13、黙示録21章)
104 :
名無しさん@3周年:03/01/27 23:57
103の補足
終末の預言の「主の日」といえば、プロテスタントでは通常は「キリストの再来とさばきの日」を意味
しますが、Uペテロ3:10の「主の日」の場合は、今の天と地が過ぎ去って、新しい天と新しい地が到来
することを意味するように思います。
「もとぴ」は、「荒らし」とみなされたようです。
私は、今後、「もとぴ」のコテハンは使いません。書き込みも自粛します。
時々、「名無しさん」として参加させて頂く程度にします。
みなさまの、聖書に基づいた活発なカキコを期待します。。。
106 :
名無しさん@3周年:03/01/28 00:29
>105
卒業したわけではないからね!!!
(103と104は、もとぴのパソコンでは書き込みができなかった。。。)
107 :
名無しさん@3周年:03/01/28 01:15
もとぴさん、多分違うと思います。
カキコ出来なかった時に表示された文章をコピペしてください。
最近は鯖が重いのでそのせいかも知れませんよ。
>103-104 もとぴさん
>「地上の御国」(千年王国・千年期)と、「新しい天と新しい地」との時間的関係。
>Uペテロの3章7節に注目。
ペテロはそこでノアの洪水を対となる例にしています
聖書の中では福音書の中のイエスや手紙の中のペテロ自身が
ノアの時代の滅びを「キリストの再来とさばきの日」の時期について述べる中で
例として引用されていますので、そう解釈するのが自然かもしれません
千年紀の終わりに不敬虔な人たちがいることはJWも認めますが、
聖書からいえば>75でいう古い「天と地」は
千年紀の前(=ハルマゲドン)で滅ぼされるという解釈ですね
>107
どこかでホスト規制くらったとか、あのウイルス騒動とか?
外典エノク書によればもとぴさんの解釈が正しいですね。
『 第七週(背信の世代)が過ぎたのち、第八週すなわち義の週が来る。……
そののち、第九週に全世界に対する義の審判が示される。不信者のわざはことごとく地から消し去られ、この世は破滅へと定められる。
このことがあってのち、第十週の七節目に大いなる審判が来る。最初の天は去って新しい天が現われ、……』
111 :
名無しさん@1周年:03/01/29 00:23
112 :
名無しさん@1周年:03/01/29 00:27
[豆知識]
カバラ(ギリシア・ピタゴラス学派でも?)で111は太陽数で宇宙の真理、
6は完全数なる7に至らず不完全数。
よって666は、神から見たコノ世の真理の出来損ない。
つまりマガイ物の神を表す。
>110 有/無さん
>外典エノク書によれば・・・
エノクがその時代に天で栄光を受けたとする外典ですね
イエスによれば、人の子のほかには誰も天に昇ったことはありません
できれば正典からお願いします
(旧約外典と新約正典との重複部分は読者からの質問で昔扱われました)
>111
カトリックが存在するようになってから1000年間を考えれば
聖書翻訳に対して加えた弾圧の歴史があります
千年王国は別の期間に成就する預言と考えられませんか
114 :
名無しさん@M:03/01/29 18:46
>108さん。今の天と地が千年紀の前(=ハルマゲドン)で滅ぼされる、という解釈は、
聖書の、どこから、解釈できるのですか?
116 :
名無しさん@M:03/01/30 19:17
>107さん。
ほにゃにゃらで荒らす人がいるので書けません。詳しくは、ほえほえ 。。
って感じ。
>114 Mさん
>今の天と地が千年紀の前(=ハルマゲドン)で滅ぼされる、という解釈は、
>聖書の、どこから、解釈できるのですか?
>86を参照してください
ぺテロは比喩的な天と地の滅びに関連して主(エホバ)の日のことを述べています
旧約預言書の幾つか(ヨエル書やゼパニヤ書)を参考にするなら、
それはハルマゲドンと著しく関係してます
他の聖書的なそーすは、現役の方にお尋ねください。
>115
当時は一国民が使う言語に翻訳することも許されないケースもあったのですよ
(グレゴリウスZの場合などはそうです)
当時、そうした考え方は幅を利かせていたのでしょう
ドイツ語訳聖書をことごとく焼き捨てた教皇もいます、他の例も多数
これやったのがエホ証なら、あなたから徹底的に叩かれていますよね
聖書を自国語で読む必要性が生じていたのに、
翻訳そのものに過剰な反応を示していた個々の教皇も、
聖書の黙示録の言う千年の支配に加わっていたとあなたはお考えですか?
それは聖書と調和しないのでは
120 :
FW190Ta152H-1:03/01/30 22:36
105 もとぴさん へ
コテハンやめちゃうんですか?それは残念。
>>118 >私は過去の罪を赦す赦さないを論じているのではなく、現在の事を言っています。
わたしは、過去のカトリックに千年統治が成就したという
ろんぎぬすさんの一解釈の是非を、歴史に沿って問うているんです
> 313年ミラノ勅令、またはコンスタンチノープル信条採択381年から千年は、
>1313年や1381年ごろです。聖書翻訳はそれ以降に始まりました。
翻訳そのものは14世紀以前から始まっています
あのインノケンティウスVは、ドイツ語聖書を焼却処分にする指示を与えました
その他にも望ましくないことやってます
122 :
名無しさん@M:03/01/31 20:25
>117さん。
・患難時代の終わりにハルマゲドンが起こる。(黙示16:12-16)
・キリストの再来によって、さばきがあり、千年王国が到来する。(「主の日」) (黙19:19-21)
・サタンは閉じ込められ、地上に「神の国」(地上の楽園)が到来する。(黙20:1-6)
・千年の終わりに、サタンが開放され、地の四方にある諸国の民を惑わす。(黙20:7-8)
・不敬虔な者たちは、海べの砂のように多く、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲む。(黙20:8-9)
にゃんと、千年王国の終わりは、今の世と それほど変わらんではないか。。。
【主の日】には、「さばき」と「神の国の到来」の二つの主題があると思います。
千年王国の終わりにおけるサタンと不敬虔な者たちへのさばき、そして「新しい天と新しい地」の
到来は、「主の日」と呼ぶにふさわしいと思う。 (参照Uペテロ3:7-13、黙20:7-11、21章)
123 :
名無しさん@M:03/01/31 20:32
>120
FWさん。やはりスレ名のコテハンはマズイのではないかと。。。
それに、たしかに一度に大量のカキコはよくないと思うし、、、反省してますのです。
124 :
名無しさん@3周年:03/01/31 20:55
なんでもとぴが荒らし?
荒らしはFW190Ta152H-1だと思うが。
126 :
名無しさん@M:03/01/31 22:04
>124さん。
私は、Part2になった頃から、カキコが次第に困難になっていました。
一時は書き込みができなくて、サテンでカキコしたものです。
その頃に私のパソコンに表示されたもののひとつが>116です。
それで、私は、「荒らし」とみなされたのかなあと思ったのです。
>114からは、私のパソコンからの書き込みです。
FWさんは、以前、私のカキコによく同意してくれました。荒らしではないです。
128 :
名無しさん@M:03/02/01 18:37
>126
> FWさんは、以前、私のカキコによく同意してくれました。荒らしではないです。
これは、誤解を招くような表現であったと思うので、お詫びします。
私のカキコに、同意してくれても、反論しても、「荒らし」ということとは関係ありません。
前スレにおいて、私(もとぴ)とろんぎぬすさんは、大量のカキコを繰り返しました。
それは、やはり、「荒らし」だったと思うのです。
117さんのような存在は、このスレにおいて貴重です。これからも、よろしく。
129 :
FW190Ta152H-1:03/02/01 18:41
>124
オレに何か言ってくるヤツは殆ど匿名なんだよな。
130 :
名無しさん@3周年:03/02/01 20:19
売春婦とバリサイ(ファリサイ)のやり取りは ギャル信者の容姿を叱る 高慢な 堅い牧師とのやり取りに似てます。あと金や石を拝むなは 石でできた 教会や金の十字架だけを礼拝するなと解釈できます。教会を祈る信者がどれ程多いか。
>122 もとぴさん
>・千年の終わりに、サタンが開放され、地の四方にある諸国の民を惑わす。(黙20:7-8)
>・不敬虔な者たちは、海べの砂のように多く、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲む。(黙20:8-9)
>千年王国の終わりは、今の世と それほど変わらんではないか。。。
そうですね。だとすれば、JWの信者が
古い天と地の滅びを今の時代に当てはめてもおかしくないかもですね
ノアやロトの時代の滅びの言及も福音書と比べると、そうなるかもしれません
でも、もとぴさんと同じ解釈の人もいるかもしれませんね
>125
>ラテン語聖書からの翻訳だったので、対象外として放っといたのです。
あなたの意見に関しては了解しました
実際にカトリックの「千年統治」の期間中になされた翻訳要請に対する某教皇返答はこうです
「聖書がすべての者にはっきり明らかなものになることによって、
聖書があまり重んじられなくなったり不敬に扱われたりするようなことのないためである」
>>その他にも望ましくないことやってます
>聖書に限らないですがね。
>プロテスタントとかエホ証とて、望ましくない事をしました。
これも、流れを考えてください。
いわゆる千年統治の適用期間についてあなたは述べているのですか?
132 :
名無しさん@3周年:03/02/02 01:17
JWの場合、千年統治は未到来です。
133 :
名無しさん@3周年:03/02/02 01:19
もとぴさんは、あしたもつりに行くの?
寒いけどつれたらいいね
137 :
名無しさん@M:03/02/02 18:12
>131さん。
「古い天と地」について、解説をお願いします。
@ 聖書のどこに「古い天と地」と記されていますか?
A 「古い天と地」の意味と期間
>132さん。プロでも、千年王国は未到来。
>133さん。今日は寒かった。5時間釣って、フナが5匹でした。
>137 もとぴさん
過ぎ去る天と地は「新しい天と地」の描写の中で出てきます
古い天と地というのはそれを指します
JWの解釈(既出)を参考にすれば、
サタンや悪霊たちが人間社会に支配力を振るってきた期間に限定されることになります
(物質の天地の存続期間よりも明らかに短い)
詳しいことは私も調べてみますね
小旅行に行きますので、帰ってきてからのレスになるかと思います
>ろんぎぬすさんスレの人
何気に誤爆してるようで・・・でもきっとよい人ですな
139 :
名無しさん@M:03/02/03 19:41
>138さん。
【古い天と地】は、聖書に記された語句ではなく、エホ証用語のようですね。
「古い天と地」が、「過ぎ去る天と地」を指す(>138)のであれば、
Uペテロ3:7の解釈はどういうことになりますか?
「今の天と地は、、、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれている」
のであれば、
【古い天と地】は、千年王国の終わりの、サタンと不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで
保たれている、ということになりませんか?
>139 M
キリ質問箱でも我慢できずに思わず突っ込み入れたが、相変わらずカワイイですね。
えっと、『新しい憲法の話』ってのを、昔、児童向けに文部省が出してたらしいんだけど、
あなたのレスはね、
「『新しい憲法』なんて憲法はありません」と同レベルの言葉遊びなんだね。
せっかくの良スレなんだから、くだらないボケは他でやってくださいね、はぁと。
143 :
名無しさん@M:03/02/04 20:00
「古い天と地」「新しい天と新しい地」のカキコが続いているけれど、
私自身はこれらの言葉にそれほどこだわっているわけではないです。
でも、エホ証的には、
> 千年王国の始まる前に古い天と地は過ぎ去り、続いて新しい天と地が始まります (>75)
というように、ハルマゲドンと地上の楽園との関連で、大切な教義のようで。。。
ところで、「天と地」は、文字通りの物質的な「天と地」なのか、それとも比喩的な「天と地」なのか?
これはプロテスタントのなかでも見解の分かれるところのようです。
私としては、「天と地」は、文字通りの意味として解釈する立場を支持しています。
比喩的な意味に解釈する場合には、人間の解釈や推測が、少なからず介入してきます。
144 :
名無しさん@3周年:03/02/04 21:50
無礼ながら、>143 M
新しい・古い、は筆者にすれば時の経過からみた相対的な形容で、読者も含めて、新しいとくりゃ「古い」を想像するのもまた当たり前。
また、だれかが文を書くとして、新しい天・新しい地だろうが何だろうが、引用した文脈での特定の語句を「 」付きで、
その言葉を主題にしたりまたは念頭においた文脈では、そのまま使うか、
人によっては冠詞付けたり取ったり「 」付けたり字体変えたり。
そういうのを用語とはいわない。むしろ釈義。
で、「新しい天と地」の釈義が話題なんですよね?
私も知りたいな。
146 :
名無しさん@M:03/02/05 19:32
>144さん。
【釈義】 文章・語句などの意義を説き明かしたもの。
【用語】 特定の部門によって使われる言葉。
75・108・131では「古い天と地」は用語のように使われています。その釈義が>138でしょう。
「新天新地」の釈義については、私はあまり関心がなかったです。
というのは、143で申し上げたとおり、私は、文字通りの新しい「天と地」と理解しているから。
では、、比喩的に「新天新地」を釈義すると、どのような理解になるのか、、 う〜ん ワカラン。
だれか、、「新天新地」の釈義をお願いします。
・・・ところで、最近のアメリカとイラクはどうよ。
そこの あなた!! 春マゲドンが近いとか、思ってるでしょ!!!
147 :
俺様 ◆f0ugTrYQRI :03/02/05 19:34
(;´Д`)ハァ〜 ぼくちんと一緒にアルミ書を解釈しようでちゅ〜
>139 もとぴさん、
>【古い天と地】は、千年王国の終わりの、サタンと不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで
>保たれている、ということになりませんか?
時期に関しては、ペテロはサタンの滅びの時についてここで述べてはいませんが、
福音書で述べる裁きと通じるものはあります(>131見てください)
ヨハネは黙示録で新しい天と地を見たとき、
新しいエルサレムという花嫁が婚宴の支度を整えたことを述べました
これを同じ書の示す19章にある花嫁と同じと考えるとすれば、
時期に関して、必ずしも千年統治の後と限定できません
JWは「啓示の書の最高潮」の中で、
黙示録21章を千年統治の終わりではなく「初め」の時期以後に適用しています
これは聖書全体と調和しているように思えます
149 :
名無しさん@M:03/02/06 18:58
>148さん。
> 黙示録21章を千年統治の終わりではなく「初め」の時期以後に適用しています
私は、「黙示録21章」を、「千年統治の終わりの時期」に適用してはいません。(>103)
148さんにとっては、「ハルマゲドン」=「不敬虔な者たちのさばきと滅び」
=「古い天と地が過ぎ去る」=「新天新地の到来」「黙示録21章」である、と 察します。
しかし、プロテスタントの見解では、これらがすべて同時期に起きるということではないです。
@千年統治の終わりにあるのは、「不敬虔な者たちのさばきと滅び」です。
A千年期の後、今の天と地が過ぎ去り、 B最後の審判(大きな白い御座のさばき)があり、
Cそれから、「黙示録21章」の新天新地の到来です。
(黙示録20章〜21:4を繰り返し読めば、これらの時間的関係が明白なのでは。。。)
それから、131の主旨がよくわからないので、申し訳ないがもう少し具体的にカキコお願い。
150 :
名無しさん@3周年:03/02/06 19:04
@-Cがその順序の通りであり、同時に起きないとすれば、
今の天地が過ぎ去って(千年王国が終わって)から新天地が到来するまでの間、
幾らかの空白の期間ができますね。
地上にいる人々はその間、どうなるともとぴさんはお考えですか?
>(黙示録20章〜21:4を繰り返し読めば、これらの時間的関係が明白なのでは。。。)
前レスで新しいエルサレムというキリストの花嫁について触れましたが、
彼女が花嫁として支度を整えたのは、黙示19章によれば
千年紀の終わりではなくその初めの時期と関係していませんか?
そうでなければ、同じくハルマゲドンも千年紀の終わりということにもなりかねません
少しややこしいですね
>131の主旨
マタイやルカなどで述べるノアの日やロトの日の預言的な成就は、
いずれも千年期よりも前の時代の出来事かと思います
ペテロの書簡自体、今ある教会内での出来事にそれを当てはめています
この点は、>104の前半で述べられていることがそのまま当てはまります
エブリボデ バイ ダ ウェイ
「エホバの証人」には「洗礼」や「聖餐」のサクラメント(秘蹟)があるんですか?
福音派教会の「洗礼」とドッチが有効なんですかね?
どっちが「聖書的には正統」なんですかね?
「聖餐」がないとイエスの十字架による「罪の赦しの契約」は成立しないですよね。
また、私審判(死後裁きにあう)と、公審判(終わりの日の裁き)の「裁き」の時は、
一体「何を」問われるのでしょうかね?
153 :
名無しさん@3周年:03/02/08 19:22
聖餐、杯。私の体を食べ、血を飲め。ね。いい例がある。
イエスが、わが血を飲み体を食わねばならぬ、と言ったとき、聴衆はあまりのひどい話にイエスから離れていく。
意味を理解できなかったからです。のちに「人食い」という誤解を信者は受けます。
で、祕蹟は逆方向の過剰反応かも。
ペトロの福音書には、「(おまえがしっかりしないから)もう一度十字架に懸かりに行く」と十字架を背負ったイエズスが言った、で、ペトロ殉教の逆さ磔・・と書いてあるが、
同じメンタリティを感じるです。
これを書いた人もまたイエスの死について理解していない。
154 :
名無しさん@M:03/02/08 20:32
>151さん。
> 地上にいる人々はその間、どうなるともとぴさんはお考えですか?
Tコリント15:50
「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」
・・・ここの「神の国」は、黙示録21章に記された「新天新地」のことであると思います。
「血肉のからだ」には、今の天と地が必要です。
しかし、人の霊が血肉のからだを離れた時、今の天と地の必要は、なくなります。
千年期の終わる時、地上にいる人々は、血肉のからだを離れる(あるいはすでに離れている)
と、考えます。
155 :
名無しさん@M:03/02/08 23:16
(つづき)
黙示録19:7-8の「(キリストの)花嫁」と、21:2の「新しいエルサレム」は、はっきりと区別
できると思います。 前者の「(キリストの)花嫁」は、「聖徒たち」のこと。(19:8)
・・・婚姻は、(本来は)本人同士の意思によるものです。
つまり、新郎の意思が100%であり、新婦の意思もまた100%。
婚姻の比喩のなかに、キリストの「選び」と、聖徒の「信仰」が、表現されているような。。。
一方、後者の「新しいエルサレム」は、「聖なる都」です。(21:2)
聖なる都、新しいエルサレムについては、9-27節に、より具体的な啓示があります。
(特に、27節に注目してください)
>131の主旨が、私にはまだわかりません。聖書の箇所を示して、具体的にお願いします。
>154 もとぴさん
>Tコリント15:50
>「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」
>・・・ここの「神の国」は、黙示録21章に記された「新天新地」のことであると思います
つまり、新天地は文字通りの天地ではないということですね
霊の領域の中で「新しい天地」が生じ、
物質の天と人の住んでいた地が存続するかどうかは分からない
でも、これでは天地創造の当初の目的は果たされずに終わってしまいます
神が初めに望まれたのは、罪や悪のない地球で人々が生きることです(イザヤ48:18)
アダムの時代以降、それを阻もうとする要素は多くありましたし
千年の間でさえ、地上にいる罪人と神との仲立ちである祭司たちは必要とされます
(この意味で、「残りの死人は1000年の終わりまで生き返りません」)
神の初めの意図が実現するのは、その後のことではないかと思います
もとぴさんが運命論者でなければ、理解していただけるかもしれないです
>黙示録19:7-8の「(キリストの)花嫁」と、21:2の「新しいエルサレム」は、
>はっきりと区別できると思います。
19章は子羊であるイエスの結婚式に花嫁が支度を整えたことを述べます
21章は子羊であるイエスの書に花嫁の都となる人々が記されることを述べます
同じかもしれません
(JWはエホバと子羊と新しいエルサレムをそれぞれ区別しています)
>>131の・・・聖書の箇所を示して、具体的にお願いします。
マタイ24章ではノアの時代とこれから成就する滅び結び付けています
31節を黙示録の箇所と結びつけるなら、それは千年期の前です
ルカ17章はロトの日に言及しています
ペテロ第二は、教会内の偽教師たちに対処するための保証です
160 :
名無しさん@M:03/02/10 23:37
>158さん
「血肉のからだは神の国(新しい天と新しい地)を相続できません。
朽ちるもの(血肉のからだ)は、朽ちないもの(新しい天と新しい地)を相続できません。」
Tコリント15:50については、そのような解釈です。
・・・「神の国」(神の一元的支配)の到来・・・
@生きている間は、信者の霊において(ガラテヤ2:20)、キリスト者の肉体の死後は、霊的な世界で
あるパラダイスにおいて(ルカ23:43,ピリピ1:23)、神の国はすでに到来している。(>68)
A地上の御国は、キリストの再来によって、今の天と地(文字通りの意味)において到来する。
・・・千年期の後、今の「天と地」(文字通りの意味)は過ぎ去る。血肉のからだも過ぎ去る・・・
B永遠の、「新しい天と新しい地」が到来する。
161 :
名無しさん@M:03/02/10 23:55
>158さん
黙示録21:27の「子羊のいのちの書に名が書いてある者」と、19:7-8の「(キリストの)花嫁」は
同一であると私は解釈していますが、158さんはどう考えますか ?
131の解説をありがとう。・・でも、あなたが何を言いたいのか、今もよくわからないです。
「主の日」の到来のことなら、私は「主の日の到来は、千年期の前」と信じています。
そのうえで、「主の日は千年期の終わりにも到来するであろう」と言っているのです。(>104,122)
162 :
名無しさん@M:03/02/11 00:27
さばき・・・・・と言えば、私は以前から漠然と感じていたことがある。
それは、PさんもEさんも、「さばき」に関しては、エゴが強いのではないかなと。。。
Pさんの場合、「患難時代前携挙説」と、「生きている間にイエスを信じなかった者はすべて
ハデス(よみ)で苦しみを受け、最後の審判の後、ゲヘナ(地獄)で苦しむ」という教理。
Eさんの場合、「ハルマゲドンのエホ証的解釈」
要するに、「救いか滅びかを握っているのは、キリスト教会あるいは組織である。
だから信者になって、信仰生活をまっとうせよ。」と言われているような。。。
・・・信仰生活をまっとうすることはよいとしても、あれやこれや要求されて、悩んだり
ウツになったり、脱落していく者が続出するのでは本末転倒ではないかと思う。
>159さん タイプミスあったので訂正です、ごめんなさい
イザヤ48章は、45章の間違いでした
>160Mさん
うーむ、解せないです
新しいエルサレムに入る人々は「永遠に」王として支配します
これは誰に対してでしょうか・・・。人のいなくなった地球に対してですか?
ダニエル書は聖徒たちが地上の王国を永遠に受けるとのべています
>161Mさん
>黙示録21:27の「子羊のいのちの書に名が書いてある者」と、19:7-8の「(キリストの)花嫁」は
>同一であると私は解釈していますが、158さんはどう考えますか ?
私もそう考えています。JWもそうです
Mさんはてっきり別の解釈をなさっているのかと思いました
(聖徒たちの意味についてはお互いに違う理解をもっているかもしれませんけれど)
>「主の日」の到来のことなら・・・信じています
JWによればイエスキリストという主の「日」の範囲に千年紀までを含めていますが、
新しい天地の到来についてはもとぴさんのおっしゃる理解とは別のようです
ですから、
>そのうえで、「主の日は千年期の終わりにも到来するであろう」と言っているのです。(>104,122)
これは千年紀の終わりまで続いているであろうという意味では、合っています
聖書は、キリストの臨在とその期間中の到来があることは述べていますが、
千年紀の終わりの到来に付いては述べていません
165 :
名無しさん@M:03/02/13 22:57
>163さん。
> 新しいエルサレムに入る人々は「永遠に」王として支配します
これは、エホ証的解釈。時間的には、「千年期」から、それに続く永遠まででしょう。
プロでは、「新しいエルサレム」は、千年期の後、「新天新地」になってから。(>149参照)
> これは誰に対してでしょうか・・・。人のいなくなった地球に対してですか?
「人のいなくなった地球」って?
「王」ということばから、必ずしも、「支配する」という意味に解釈することはないと思う。
人が人を永遠に支配するということが、神のご意思であるとは、思えない。。。
> 聖書は、キリストの臨在とその期間中の到来があることは述べていますが、
> 千年紀の終わりの到来に付いては述べていません
「キリストの再来」と「主の日」について、私の見解は、>122でカキコしたとおりです。
167 :
名無しさん@M:03/02/14 11:19
>165の修正
× 時間的には、「千年期」から、それに続く永遠まででしょう。
○ 時間的には、「地上の楽園」から、千年の終わりのテスト(サタンの誘惑)を経て、
その後の「永遠」の時間を意味するでしょう。
>165 :名無しさん@M :03/02/13 22:57
>これは、エホ証的解釈。時間的には、「千年期」から、それに続く永遠まででしょう。
>「王」ということばから、必ずしも、「支配する」という意味に解釈することはないと思う。
エホ証の解釈で採用するしないとに関係なしに、
コイネ・ギリシア語で「王(バシレウス)」は「支配(バシレウス)」なんですよ。
現代ギリシア語の政府や支配は違う単語・語彙ですがね。
キリストは、王の王、主[人]の主[人]でないのですか?
現代ギリシア語では、ご主人様、何々様が「主(キュリオス)」ですよ。
ラテン語だとドミヌス。スペイン語は主人はエル・シッドだが、
別にセニョール。英語はマスター?。
ラテン語で、ドミヌス・イエズスは、主イエス。
エスパニア(スペイン)語でヌエストロ・セニヨール・ヘス・クリストは、
われ等の主人イエス・キリスト。
ヘスはヘスースとも発音し、イエズスの意味。
>168 補足。
異教や偶像崇拝から離れて改心すれば、千年期だろうがなかろうが、
生きている自分の心(こころ)の中に、主の支配がありイエスの御言葉が豊かに住んでいる。
聖霊の中(うち)に父なる神に祈るっているのですよ。と、思って日ごろ暮らしていますが。
ルルドの聖水を頭から被った以外は、キリスト教会で正式な洗礼は受けていないが、
日々、主の祈り(パーテル・ノステル)と信条(クレド)ぐらいは祈ってますよ。
>169
× 聖霊の中(うち)に父なる神に祈るっているのですよ。と、思って日ごろ暮らしていますが。
○ 聖霊の中(うち)に父なる神に祈っているのですよ。と、思って日ごろ暮らしていますが。
あと、指導者はコイネや古典ギリシア語でアルコン。
ポリス(都市国家)アテナイの指導者(アルコン)は、9人の役割分担があるが、
アルコン・バシレウスは祭祀の指導者(王)。
アルコン・ポレマルコスは軍事の指導者(軍事長官)。
といった具合。支配の分野が違う。
→ パイドロス プラトン著 岩波文庫 青601−5 p155
ポリスの支配者はアルコン(指導者・政務官)だったが、
後にペルシャ王を、単にバシレウス(王)と区別して呼んだ。
そして、ペルシャが倒れると、
マケドニアのアレキサンダーを大王(ホ・メガス・バシレウス)と呼んだ。
>170 補足。
新約聖書のペトロの1日が千年とか、
神学者ヨハネの黙示録の千年の支配の千年単位のネタは、
たぶん紀元前6世紀頃のプラトンの
人間の「人生における賞罰期間が千年」の思想概念が由来と推定される。
→ パイドロス プラトン著 岩波文庫 青601−5 p167
ほかにプラトン・ネタには、旧約聖書ダニエル(紀元前2世紀)の
金・銀・青銅・鉄&土の巨人に例える王国のように、
プラトンの「金・銀・銅・鉄の理想国」の思想概念が当てはめられる。と推測される。
→ イラスト西洋哲学史 小阪修平著 JICC ¥1860 p78
主の平和。アーメン。
>「人のいなくなった地球」って?
文字通りに天地がなくなったならば、
新しいエルサレムがその後に支配をする王国の領域は一体何なのかということです
>「王」ということばから、必ずしも、「支配する」という意味に解釈することはないと思う。
>人が人を永遠に支配するということが、神のご意思であるとは、思えない。。。
支配しない王という考え方は恐らく無理です
聖徒たちによる支配に付いては、
パウロはコリント人やテモテへの書簡で、彼らが王として支配すると述べました
ダニエルは人の子が持つ支配権と聖徒たちのそれとを並列して記述しています
つまり人の子だけでなく聖徒の支配を受ける民がいることになります
>167
地上の楽園というのは、
時期として千年紀の終わり(テスト)の前からあるのですよね
これはJWと同じです
>171
昔JW関連スレでダニエルの前2世紀説を唱えていた人が叩かれていました
175 :
名無しさん@3周年:03/02/16 22:15
お話の筋から少し外れますけど、気になったので書き込みます。
レスを見て考えるに、もとぴさんは暗黙の前提として、
平等は善で差別は悪、
共和制は善で専制は悪、
と無意識に感じてらっしゃるのでは?
別スレで憎まれ口を叩く者が言うのもなんですが、そういう「二元的」な裁定に慎重であろうと、もとぴさんは、なさっているのでしょ?
それに、>174、支配とか奴隷って、あまり受けがよくない言葉ですからね。
読者はどうしても、今それが持っている意味で言葉を想像するわけで。
支配、服従、文脈によっては奴隷だって、その概念は本来、美しいはずだ。しかし人々が力を誤用することによって言葉を汚した。
支配という言葉に、福音主義の背景を持つ人が比較的に違和感を感じるのも無理はありません。しかし、
ヘブライ・アラム・ギリシャ語各聖書を本当に大切に思うのなら、不当に汚された言葉に本来の美を帰して、神の栄光をたたえるのが筋ではないかと思います。
176 :
名無しさん@M:03/02/17 17:42
> 新しいエルサレムに入る人々は「永遠に」王として支配します (>163,165)
【新しいエルサレムに入る人々】(>163) = 天国に入る者 = 【新しい天】(>75)
= 人々のこの地的社会を支配する政府(>75)= キリストの花嫁(>151) = 14万4000人(>14)
【新しい地】 = 地上に住む人々の正義の社会(>75)
ハルマゲドン後は、【新しい天】が、【新しい地】を、永遠に王として支配する。
163さん。エホ証さん的には、このような理解で、よかったでしょうか?
もし、私の理解が間違っていたら、教えてください。
177 :
名無しさん@M:03/02/17 17:54
★ 黙示録22:5 「 彼らは永遠に【王】である。」
ここで用いられているギリシャ語の語は、ローマ字であらわすと、【basileysoysin】。
これは、【basileyoバシレウオー(動詞)が、語尾変化したもの(未来能動、三人称、複数)】、のよう。
バシレウオーの意味は、【王である、統治(支配)する】
バシレウオーは、王の地位にあることを意味し、必ずしも支配・統治することは含まれない、ようです。
(支配することが含まれるか含まれないかは、聖書の翻訳においても見解が分かれているよう)
178 :
名無しさん@M:03/02/17 18:07
★ 黙示録 20:4の【王】と、22:5の【王】について
- - - - - 20:4 「 彼らは生き返って、キリストともに、千年の間王となった。」 - - - - -
千年王国の期間においては、善と悪の二元支配があると考えられる。
従って、「王」(第一の復活にあずかる者〔20:5〕)が、「諸国の民」〔20:3〕(おそらく、大患難時代を
生き残った未信者たち〔マタイ24:30〕)を、指導する、と考えられる。
- - - - - 22:5 「 彼らは永遠に王である。」 - - - - -
21章の「新しい天と新しい地」は、場所をあらわす。
「新しいエルサレム」は、新天新地における「聖なる都」のこと。
その聖なる都に入ることができるのは、「子羊のいのちの書に名が書いてある者だけ」(21:27)。
彼らは、永遠に王である。
この「永遠」においては、善と悪の二元支配はないと考えられる。(22:3)
新天新地においては、人が人を支配したり指導したりする必要はない。
従って、「王」とは、ここでは「王の地位・身分で、神に仕え、そして人に仕える」という意味ではないか。
(王の地位は、他の人の権威の下にはなく、他の人から命令されることもない。そして、自由意志がある)
179 :
名無しさん@3周年:03/02/17 19:29
>>177 そこの翻訳の差異は、解釈の違いというよりは、未来形能動態の動詞を表現するための工夫の違いではないでしょうか。
>>178 同時代の王たちにとっては、それぞれの格の違いやより高位の支配者への従属がむしろ当たり前でした。
たとえばローマ内オリエントの最高実力者はほぼ一貫してシリア総督であり、その管轄下に王・総督・太守などがいました。
もちろん、だからといって、もとぴさんの述べたような意味合いがありえないわけではありません。
ただ、関連する文脈をさらに比較参照するとよろしいのでは。
>175さん
>>174、支配とか奴隷って、あまり受けがよくない言葉ですからね。
これは確かに・・・。
>もとぴさん
176ですが、
新しいエルサレムの実体に関してはそのように解釈されています
その結婚の時期の適用についての詳細の解釈は曖昧ですが、
バビロンの滅びやハルマゲドン、千年紀の始まりと関係があります
イエスが王国で支配するように、聖徒たちも王となるだけではなく支配します
ダニエルは聖徒たちの王国について述べています
それは「人の子」の場合と似た仕方で王国を受け、また支配します
彼らに従う人々はいます。
或いはもとぴさんのお考えに沿って表現すれば、
彼らの支配に自発的に、または従順に応じる人たちがいます
ここでの論題に戻りますが、
もし黙示を全てその記述順序に読み取って千年の終わりに新しいエルサレムの支配が始まり、
また天に復活する人は皆そこで奉仕し、
同じ時に文字通りに地がなくなると解釈するならば、そうした支配対象(従順に従う人々)は
存在しなくなります
182 :
名無しさん@M:03/02/19 19:41
>175さん。
「無意識的に、、、」ということなので、ご指摘の件については、否定も肯定もできませんが、
私が普段からなんとなく考えることといえば、「理不尽は、罪」 ということかなあ。。。
>180さんに、お尋ねしたいことがあります。
黙示20:15の「いのちの書」に、名が書いてある者は、
【新しい天=天国に入る者=キリストの花嫁=14万4000人】だけでしょうか?
それとも、【新しい地=地上に住む人々】も、そこに、名が書いてあるのでしょうか?
・・・プロテスタント的には、黙示20:15の「いのちの書」に名が書いてある者は、【キリストの花嫁】。
すなわち、神の愛とキリストを信じ、キリストの血によって、罪の赦しを受けているすべての者。
>180
> もし黙示を全てその記述順序に読み取って千年の終わりに新しいエルサレムの支配が始まり、
私は、「黙示を全てその記述順序に読み取って」とは言っていません。(>149)
>175 :名無しさん@3周年 :03/02/16 22:15
>平等は善で差別は悪、共和制は善で専制は悪、と無意識に感じてらっしゃるのでは?
>それに、>174、支配とか奴隷って、あまり受けがよくない言葉ですからね。
>支配、服従、文脈によっては奴隷だって、その概念は本来、美しいはずだ。
>しかし、ヘブライ・アラム・ギリシャ語各聖書を本当に大切に思うのなら、
アテナイは共和制。アレキサンダー大王は専制・君主制。どっちもギリシアだが。
ユダヤに友好的なエジプト・プトレマイオス王朝アレキサンドリアのユダヤ人社会で、
ヘレニズム思想による旧約聖書のギリシア語への翻訳事業があった。
しかし、ユダヤの地を支配したシリア・セレウコス王朝はユダヤに敵対的で、
ゼウス礼拝とバッカスの祭り?で神殿娼婦を強要するユダヤ教迫害に反発し、
ユダヤ人によるマカベア反乱を引き起こした。
その後に現れたパウロは、旧約のユダヤの各王国時代の知恵を持ち合わせつつ、
ローマ支配下で神の国を解釈しギリシア語で新約に書いたわけだが。
h
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1041074650/388-419
>182 もとぴさん
>黙示20:15の「いのちの書」に、名が書いてある者は、
>【新しい天=天国に入る者=キリストの花嫁=14万4000人】だけでしょうか?
新しい地を除外してよいか。ということですね
そう考えてよいです。
JWの理解に関してここでのカキコの細かい点を修正しますが、
「新しい天」は新しい政府を指します。
ですからこれには天に復活した後、王として即位されたイエスを含みます。
イエス自身は子羊であり、彼は新しいエルサレムには入りませんから「花嫁」となり得ません。
黙示20:15にあるその書にはその名が記されません。
([新しい天]は、厳密にいえば、[子羊]+[花嫁=新しいエルサレム=14万4000人]です)
バプテストのヨハネは花婿でも花嫁でもなく、花婿の友人でした(ヨハネ3:29)
ですから彼も黙示20章にある「子羊の命の書」に名が記されません。
彼も新しいエルサレムに入りません。恐らくそれ以外の祝福を受けます
文字通りの地が存続し、そこで天の政府に喜んで服する人々がいるなら、
彼らも、黙示20章にある「子羊の命の書」に、同じく名が記されていません
天の花嫁である新しいエルサレムに入るわけではないからです
そのような人々を指して、JWたちは「新しい地」と述べています
大患難やハルマゲドンを生き残る人たちは、
研究用の冊子によれば「新しい地の基礎」となる部分を構成します
>> もし黙示を全てその記述順序に読み取って千年の終わりに新しいエルサレムの支配が始まり、
>私は、「黙示を全てその記述順序に読み取って」とは言っていません。(>149)
了解しました・・・
訂正
>ですから彼も黙示20章にある「子羊の命の書」に名が記されません。
・・・「子羊の命の書」は>21章でした、ごめんなさい
186 :
名無しさん@M:03/02/20 19:01
>184さん。ご回答をありがとう。
プロ的にもエホ的にも、次の点では一致しているようですね。
・ 黙示20:15の「いのちの書」と、21:27の「子羊のいのちの書」とは、同じもの。
・ 「いのちの書」に名が書いてある者は、19:7で、「子羊(キリスト)の花嫁」と呼ばれている。
それでは、「キリストの花嫁」とは誰のことか?
これについては、両者はまったく異なった解釈です。
・ エホ的には、キリストの花嫁=新しいエルサレム=14万4000人 (>184)
・ プロ的には、キリストの花嫁=教会=キリストを信じて、キリストの血をもって買い取られた者たち
(使徒20:28、エペソ5:25-27)
*〔教会〕は、ここでは、普遍的な霊的共同体としての「目に見えない教会」の意味。
*〔新しいエルサレム〕は、人がそこに住むということからも(21:27、22:3)、文字通り「都」と解釈される
ところで、黙示20:15には、
「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」と書いてあります。
・・・黙示20:15の「いのちの書」、あるいは21:27の「子羊のいのちの書」に、
【名が記されていない】、ということは、【滅びを意味する】のでは?
>187 いろいろ読んだ末の現時点での個人的解釈だが。
新しいエルサレムは、キリストの復活体。
キリストが「三日で神殿を建て直す」と言ったのは比喩で、
自らの体を神の霊を宿す神殿とした、肉身の復活を言った。
花嫁は、キリストを主と信じる
集会(エクレシア:教会)の信者(クリスチャン:キリスト者)。
教会の頭はキリストであり、キリスト信者は肢体であり、
キリストの復活を祝う日曜(主日)に、
礼拝(ミサ)で、キリストの血(ワイン)と肉(パン)に預かり、
洗礼後の罪の赦しを得る。
>188 つづき。
いろいろ読んだ末の現時点での個人的解釈だが。
新しい天と新しい地で言う「新しい」は、
ギリシア語で「カイノン」と言って、
新鮮な「フレスコス」でも更新・復活の「アナスタス」でもない。
その意味合いは「出来たばかりの状態の新しさに戻った新しさ」であるから、
エデン(楽)の園で罪が存在しなかった時の
「天地の新しさ」をパトモスのヨハネは見たと考えられる。
その新しい天は罪のない天国(パラディソ)であり、
新しい地は罪の赦された地上の天国なる教会(エクレシア)の聖堂であり
礼拝(リトゥルギア:ミサ)の事と考えられる。
ロシア正教会(900年ごろのキエフ公国のロシア人[ウクライナ人])が、
コンスタンチノープルのハギア・ソフィア聖堂での礼拝に言った時の状態を、
地上の天国と説明した。
>189
× コンスタンチノープルのハギア・ソフィア聖堂での礼拝に言った時の状態を、
○ コンスタンチノープルのハギア・ソフィア聖堂での礼拝に「行」った時の状態を、
191 :
名無しさん@1周年:03/02/22 18:10
>189 :名無しさん@1周年 :03/02/22 16:47
>190 :名無しさん@1周年 :03/02/22 16:49
コンスタンチノープルのハギア・ソフィア聖堂での礼拝に[行]っ[て参加した]時の状態[や様子]を、
地上の天国[のようです]と[キエフ公に]説明した。
192 :
名無しさん@1周年:03/02/22 18:10
舌(した)足らずでした。
>188 :名無しさん@1周年 :03/02/22 16:31
>新しいエルサレムは、キリストの復活体。
新しいエルサレム[の神殿]は、キリストの復活体。
>自らの体を神の霊を宿す神殿とした、肉身の復活を言った。
自らの体を神の[息やロゴス]を宿す神殿とした、肉身の復活を言った。
【 新しいエルサレムの城壁・土台・門 】
○城壁は「信仰」と関係があり「悪魔の火矢を防ぐ大楯なる信仰と、
城壁の土台の宝石は、神殿の至聖所で祈る祭司の胸当てのエフォド服に縫いこんだ宝石」、
○土台は「預言者・キリスト・使徒・教会」と関係があり「彼らの書き記した真理の書である、
聖書(預言書・福音書・書簡)と、それを解釈する使徒の教会」、
○門は「ハデスの門・羊の門」と関係があり「イエス・キリストを通して救われること、
また、キリストに通じるためのカギはペテロ(使徒の教会)が握っている」。
193 :
名無しさん@1周年:03/02/22 18:12
>192 :名無しさん@1周年 :03/02/22 18:10
【 参照箇所 】
ヘブル11:30 信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、
その城壁はくずれ落ちました。
黙示録21:19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。
第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、
Tコリント3:11 というのは、だれも、
すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。
その土台とはイエス・キリストです。
エフェソ2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石です。
Tテモテ3:15 それは、たとい私がおそくなったばあいでも、
神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。
マタイ16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。
わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
ヨハネ伝10:2 しかし、門からはいる者は、その羊の牧者です。
ヨハネ伝10:7 そこで、イエスはまた言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
ヨハネ伝10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。
また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
黙示録21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
黙示録22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、
門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。
194 :
名無しさん@1周年:03/02/22 18:17
>193 :名無しさん@1周年 :03/02/22 18:12
> 城壁の土台の宝石は、神殿の至聖所で祈る祭司の胸当てのエフォド服に縫いこんだ宝石」、
祭司→大祭司。
エフォドの宝石は、旧約の12部族の象徴だが、
新約はキリストを信じる12の神の民。
つまり神の教会を支えるキリスト信者たちの色とりどりの信仰。
195 :
名無しさん@3周年:03/02/22 19:55
>>194 なるほど。ギリシャ語の説明など、よく調べてるんですねえ。
「新しい天と新しい地」、これはイザヤ65章にも言及ありますね。
また新しいエルサレムとよく似た一連の描写があって、それはエゼキエル47章に。またゼカリヤ14章でも。
ほかにもゼカリヤと啓示(いわゆる黙示)には似た表現があります。いくつか紹介しますね。
ゼカリヤ2.2<>啓示11.1-2
ゼカリヤ3.3-7<>啓示7.9-15
ゼカ3:8-10;4:2、3、10-14<>啓示1:4、12、20、 3:1、 4:4、5、 5:6、 11:3、4
ゼカリヤ12:7、8では、エルサレムを防御する神の働きという文脈で、
ダビデの家またエルサレムの栄光がユダに対して大きくなりすぎないようにする、と書いてから
「その日、彼らの中で最も弱い者もダビデのようになり、ダビデの家は彼らにとって神のように、彼らに先立つ主の御使いのようになる」
とされています。
エルサレムの別名自体、また特に核となる地区は「ダビデの都市」と呼ばれました。ダビデ自身は、いわば「ユダ族のライオン」です。この美称はキリストにも用いられます。
「ダビデの家」はダビデ王家の子孫のことです。キリストもそうでした。
キリストの義兄弟となる人の「養子縁組」についてパウロが長々と説明しているのは、ある程度、ゼカリヤのこの部分のためであるように思われます。
また、ゼカリヤでは「ネーツェル」という者について予言されています。(6:12-15)
これはヘブライ語ですけど、「ナザレ」と同じ語根をもちます。
新共同訳では王(ネーツェル「若枝」)「の傍らに祭司がいて・・・」と、もう一人いるように訳していますが、
ここではむしろ、ネーツェルが祭司王として王権と祭司権の二つから平和をもたらす、という意味に訳せるようです。
>185
どういたしまして。励まされるというかほめられると思わなかったもんで。
日キ教の略解もあるし、ヘブライ語原典もあるから、
新教出版社といのちのことば社の2つの聖書辞典とを、
丹念に調べようと思えば調べられるのですけどね。
自分は、かばねやみ(体病み[仙台弁]:めんどくさがりや)なので、
カキコがいつも適当なのです。
祭司王の思想は、すでにマカベア王朝の時代に一時的に実現しています。
死海写本などに出るヨナタンは祭司王です。
次元が違う話になりますが、日本で運動会などの「表彰式の音楽」なんか、
ヘンデル?のオラトリア?だかいう「マカベアのエルサレム入城」の曲ですしね。
日キ教(新教)系統では讃美歌にもなっています。
マカバイ記T〜Wは旧約外典や偽典にはされていますが、
死海写本やマカベア時代の思想の、新約への影響は大きいですよ。
死者へのミサ(レクイエム)や煉獄(リンボ)思想にも影響があります。
マカベアの時代の諸々の事は、プロテスタントの正典聖書にはないですけれども、
カトリック教会や東方正教会の典礼や祭式の原型みたいなものです。
>196 :名無しさん@1周年 :03/02/22 20:39
いきなり間違え。
× 185
○ 195
>196 :名無しさん@1周年 :03/02/22 20:39
>日キ教(新教)系統では讃美歌にもなっています。
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/index-j.html ★讃美歌130番 (表彰式の曲)「よろこべや たたえよや」
ヘンデル作曲オラトリオ(ユダ・マカバイウスのエルサレム入城)マタイ21:9
1.よろこべや、たたえよや シオンの娘、主の民よ。
今しきますあまつきみ、 今しきます平和の主。
よろこべや、たたえよや、 シオンの娘、主の民よ。
2.さちあれや、主の民に、 ホサナ、ホサナ、ダビデの子。
今ぞきたる神の国、 今ぞ成れる主のちかい。
さちあれや、主の民に、 ホサナ、ホサナ、ダビデの子。
3.むかえよや、さかえの主、 ホサナ、ホサナ、ダビデの子。
平和の御座(みざ)、ゆるぎなく、 めぐみの御代(みよ)かぎりなし。
むかえよや、さかえの主。 ホサナ、ホサナ、ダビデの子。
>186 もとぴさん
>次の点では一致しているようですね。
エホバの証人は、命の書と子羊の命の書を区別しています
これは>185からも読み取って頂けるかと思います
前者には地上であれ天であれ、永遠の命を受ける見込みのある人の名が記されます
後者には天でキリストの花嫁となる成員の名が記されます
つまり天に復活する人はそれぞれの書に名が記されることになります
理解の点でこれは異なります
>・・・黙示20:15の「いのちの書」、あるいは21:27の「子羊のいのちの書」に、
>【名が記されていない】、ということは、【滅びを意味する】のでは?
最終的に、少なくともどちらかの書に名が記されなければ滅びるという意味で、
そのとおりです
「啓示の書の最高潮」の本(88年ごろ出版)は黙示のJW的解釈を知る助けになります
出版後も理解の変遷はいくらかあったと思いますが、
基本的なJWの理解を知るのには有用かもしれません
もし気が向いたら、これを入手してみてください
200 :
名無しさん@M:03/02/25 18:06
>199 :名無しさん@3周年さん。
> エホバの証人は、命の書と子羊の命の書を区別しています
> これは>185からも読み取って頂けるかと思います
これを、185から読み取ることはできない。
あなたは、>182の私の質問
> 黙示20:15の「いのちの書」に、名が書いてある者は、
> 【新しい天=天国に入る者=キリストの花嫁=14万4000人】だけでしょうか?
> それとも、【新しい地=地上に住む人々】も、そこに、名が書いてあるのでしょうか?
に答えて、>184で
> 新しい地を除外してよいか。ということですね
> そう考えてよいです。
と回答しているではありませんか!
185は、この回答について訂正したわけでないことは明白です。
それが、いつの間に
>199
> 前者には地上であれ天であれ、永遠の命を受ける見込みのある人の名が記されます
となったのですか?
201 :
名無しさん@M:03/02/25 18:32
最近、他のスレですこしカキコしてました。
「‡プロテスタント‡」スレ、(119〜163の間)と
「★★ みんなで作ろう「エホ証用語の基礎知識」6」スレ、(153〜163の間)です。
私は、「用語スレ」で、「10年」さんを招きました。
「10年」さんが、このスレに来て下さるかどうかは、もちろん本人次第ですが、
その準備として、「用語スレ」から、162と163を引用しておきます。
・・・気が向いたら、みなさんもレスを付けてやってください。
202 :
「用語スレ」162 @M:03/02/25 18:36
(用語スレの) 120さん。
> エホバ=イエスという意味では?
「わたしはアルファであり、オメガである。」 (黙示1:8、黙示22:13)
黙示1:8では、YHWHである神が、そして黙示22:13では、イエスが、
「わたしはアルファであり、オメガである」と、同じ名称を、ご自身にたいして使われた。
・・ しかし、だからと言って「YHWH=イエス」ではないです。
父が、「アルファであり、オメガである」、という名称を持っておられる。
そして、子イエスも、「アルファであり、オメガである」、という名称を持っておられる。
つまり、イエスが、神性を示す名称を持っておられる、と解釈されます。
〔補足〕
@イエスの永遠性
「あなたは、わたしの子。<きょう>、わたしがあなたを生んだ。」 ヘブル1:5
<きょう>は、永遠の現在を意味している。
イエスは父から生まれ、永遠に存在される(ヘブル7:24)。
Aイエスの神性
「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ、、、 」 ヘブル1:3
イエスは、父から生まれ、神の本質・本性を持っておられる。
B神の三位一体性とは?
〔YHWHの本性・本質〕のなかに、〔父と子と聖霊の三位格〕がある。
私たちは、イエスのうちに、完全に、神YHWHはどのようなおかたであるかを見る。
(ヨハネ1:1、14:8-9、ヘブル1:3)
203 :
「用語スレ」163 @M:03/02/25 18:41
(用語スレの) 123、155、 10年さん。
> エホバは死んだ事は無いし、イエスは神ではありません。
「神」「主」(YHWH)は、聖書の中で、次のような解釈が成り立つようです。
@ 〔父と子と聖霊〕を示している (Tヨハネ4:16) 「〔神〕(父と子と聖霊)は愛です」
A 〔父〕を示している (ヨハネ1:1) 「ことばは〔神〕(父)とともにあった」
B 〔子〕を示している (ヨハネ1:1) 「ことばは〔神〕(子)であった」
C 〔聖霊〕を示している (使徒5:3-4) 「、、聖霊を欺いて、、。あなたは・・〔神〕(聖霊)を欺いたのだ」
それで、あなたのおっしゃる「エホバ」は、「父なる神」のことですね。
〔父〕と〔子〕と〔聖霊〕は、その働きにおいて、違いと順位があります。
〔父〕は、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされた。 (Tヨハネ4:9-10)
・・・〔父〕は、死んだことはありません。
〔子〕は、処女マリヤの胎に宿って 人の子として生まれた。イエスは、地上の生涯において、ひとりの人として生き、
そして私たちの罪の身代わりとなって、血を流した。(ヘブル9:22、マタイ26:28)
人は、〔聖霊〕の助けにより、子(キリスト・イエス)を信じる信仰によって、父なる神に義と認められる。(Tコリ12:3、ガラ2:16)
・・・イエスを信じる者は、父なる神を信じる。イエスを見る者は、父なる神を見る。(ヨハネ12:44-45)
聖書は、「イエスは、神YHWH(B)である」 ことを、証言している。(ヨハネ1:1、20:28)
10年さん。レスがあれば、お願いね。できれば「もとぴスレ」に。
>200もとぴさん
間違いをお詫びします
私は>182の質問からとっさに黙示20ではなく21章に脳内変換してレスしていました
>184の答えはもとぴさんの質問を21章の「子羊の命の書」と考えたときの答えです
文章の推敲も自分のレスの範囲に限定してました、
>185は、この回答について訂正したわけでないことは明白です。
>それが、いつの間に……
これは上記の点によるものです
理解を混乱させてしまってごめんなさい
実際には>199にあるとおり、JWの中では
20章の「命の書」と21章の「子羊の命の書」は別々に解釈されています
これで意図を汲んでいただけますか?
205 :
名無しさん@M:03/02/26 19:20
>204さん。
> JWの中では 20章の「命の書」と21章の「子羊の命の書」は別々に解釈されています
了解しました。
ところで、204さん。いかがでしょうか?
ややこしい話が続いたので、〔地上の楽園/千年王国〕 と 〔新しい天と地/新天新地〕について
お互いの立場で、過去のカキコを簡潔に整理しておくことにしませんか?
・・・私としては、ここで少し時間をかけて、「千年王国」と「新天新地」を主要なテーマとして、
プロテスタントの立場で簡潔にまとめたいと考えています。
今日は飲み会で疲れた
また、気が向いたらね
207 :
名無しさん@M:03/02/27 18:16
中年おやじ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧ ∧ < レス、つけてくれるの?
(゚Д゚ )__ \____________
/ ̄ ̄∪ ∪ /|
/∧_∧ //|
/_ ( ´∀`)_// ┌─────────
|| ̄( つ ||/ < 気 が 向 い た ら ね 〜
|| (_○___) || └─────────
10年
>206 10年さん。
熱 烈 歓 迎 !!!
208 :
名無しさん@M:03/02/28 19:59
>205
私がプロテスタントの教会に行っていたのは、私が21才から33才の頃でした。
(>4の23才は書き間違い)
私はその間に、「患難時代」「ハルマゲドン」「千年王国」「新天新地」・・・の説教を
聞いたことがほとんどない。(「キリストの再臨」の説教は、時にはありました)
プロの信徒は、一般に、
「イエス様は、私の罪の身代わりとなって、死んでくださった。」
と信じています。
信者は、このイエスにあって、御子の血によるあがない、すなわち罪の赦しを受けています。
だから、「信者は 死後 みな天国に行く」 と、信じています。
「天国に行く」とはいっても、「天国で、人を支配する」と考えている者は、プロではだれもいない
と思います。
・・・ 天国に行く者は14万4000人で、彼らが地上の人々を支配する。
・・・ 地上にいる者は、その支配に従順に従う。
これは、プロにとっては、なんとも理解しがたいのです。
「神の国」において、人に、「王」という身分があるなら、その人は、イエスが言われたように、
自分を低くし、皆に仕える者のことであると思うのですが。。。(マタイ18:1-4、20:26-28)
>208 :名無しさん@M :03/02/28 19:59
>私はその間に、「患難時代」「ハルマゲドン」「千年王国」「新天新地」・・・の説教を
「患難時代」__ → 異教徒によるキリスト教徒への迫害の時代。
「ハルマゲドン」 → ギリシア語でメギド山(メギドの丘)の意味で、
・_______ ・ 心の内でか、信じる者が違う集団同士でか、
・_______ ・ 天王山とか関ヶ原とかいう、天下分け目の神と悪魔の決戦の意味。
「千年王国」__ → 古代ギリシアの考えで輪廻説ではあるが、人間の報いの賞罰期間は千年単位。
・_______ ・ だから、地上の神の国たる教会の支配が千年という説も出た。
・_______ ・ たとえば、ロシア正教が900年ごろから共産革命の1919年や、
・_______ ・ 北ドイツ布教が500年ごろからルーテルの宗教改革が1500年代だと、
・_______ ・ つじつまは合う。
「新天新地」__ → 食べたら死ぬ前の楽園で罪のなかった頃の この世の有様。
・_______ ・ 海はなくなったは、不安がなくなったの意味。
>212 ついでに、
「新天新地」__ → 別解釈として、新天:見えない教会・新地:見える教会。
「新しいエルサレム」 神の教会・キリスト教会の聖堂。
「神殿」____ → 十字架から復活と3日で神殿建て直しのイエス・キリストの神秘体。
・_______ ・ 別解釈として、キリストの御聖体・肉(パン)と御尊血(ワイン)。
・_______ ・ 新しい神殿の象徴としての十字架。
>213 :名無しさん@1周年 :03/03/01 09:41
>「新天新地」__ → 別解釈として、新天:見えない教会・新地:見える教会。
見えない教会: 天にいます父なる神や御使いや聖徒らの集まり。
見える教会: 地にいる聖霊に導かれた使徒以来のキリスト者の集まり。
【 聖書的に「万人祭司」は疑問 】
マタイ23:8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。
あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
ヘブライ5:12 あなたがたは年数からすれば
教師になっていなければならないにもかかわらず、
神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。
あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
ヤコブ3:1 私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。
ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
【 聖書的に「権威は聖書が唯一」は疑問 】
Uテモテ3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。
聖書はあなたに知恵を与えて
キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
Uテモテ3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
>214 :名無しさん@1周年 :03/03/01 10:01
【 聖書的に「権威は聖書が唯一」は疑問 】つづき。
Uペテロ1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。
すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
Uペテロ3:16 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、
このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。
無知な、心の定まらない人たちは、
聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、
自分自身に滅びを招いています。
219 :
名無しさん@3周年:03/03/01 15:10
>>208 そのような印象は無理もない、しかし・・・という意味で
>>175を書いた者です。
民主主義と資本主義的自由にたいして、カトリックが公然と反対していた時代が何世紀もつづいたのはなぜだかわかりますか?
それに対して反動的という否定的な言葉がもちいられる場合はあっても、反聖書的という表現はほとんど用いられない。
教会なんだからあたりまえ、とは言い切れないと思います。なにせ反聖書的との告発を種々の新興キリスト教各派から受け続けた時代ですから。
僧職と俗権との分離が深まっていった時代だからでもありますが、
少なくないプロテスタント教会が了解していた人種差別政策を除くとしても、権威主義・専制・位階制(階級支配と服従の要求)について採ったカトリックの肯定的態度の理由は利害関係だけではなく、
それが聖書が示す天国の姿だと信じていたからでもあります。すくなくとも反聖書的などとは言われない。
これはプロテスタントでも広く認められる考え方だったはず。
資本主義的に有利な意味での平等・自由などなどについて、
それが人類の普遍的な価値だと無意識的に信ずるから、文脈で示されている「支配」に抵抗感を抱くのではないでしょうか?
そういえば、一時期ランバダが流行(?)していた頃にテーマ曲のように流れていた曲がありました。曲に対するそのときのイメージはわたしには悪かったんです。それしか知らなかったから。
あれを、今になってオカリナなどでスローテンポに奏でられると、なんてきれいな曲か、と思います。
「支配」という曲も、そうではないかな。
220 :
名無しさん@M:03/03/01 19:58
>219さん。どーもです。
> 民主主義と資本主義的自由にたいして、カトリックが公然と反対していた時代が何世紀も
> つづいたのはなぜだかわかりますか?
当時の西欧世界の時代背景としては、カトリックと近代フリーメイソンの対立関係があったから、
ではないかな。。。
・・・ 近代フリーメイソンについて、簡単に解説 ・・・・・
1717年、イギリスにおいて、「ロッジ(フリーメイソンの集会場)を統括するロッジ」という意味の
「グランド・ロッジ」が結成された。この時をもって、「近代フリーメイソン」の発足とされる。
近代フリーメイソンは、18世紀の時代精神(啓蒙思想、科学主義、、、自由、平等)の受け皿
として機能し、発足から30年ほどの間に、当時のローマ・カトリック教会に匹敵する一大ネット
ワークを、ヨーロッパ全土に完成させた。
そして、アメリカ大陸に進出。アメリカは、フリーメイソンによって建国された。
このように、近代フリーメイソンは、西欧世界を縦断した、巨大な組織であり、ネットワークです。
(私の過去のカキコからの要約。「ふざけるなスレ20」164,183)
221 :
名無しさん@M:03/03/01 20:01
> 【 聖書的に「万人祭司」は疑問 】
プロ的には、「すべての信者が神の祭司」どえす。その聖書的根拠はTペテロ2:5-9にあります。
【患難時代】について
神の国の、「産みの苦しみ」(マタイ24:8)の時代
患難の二つの面
@サタンの煽動と、人間の罪の増大による患難
A神の怒り、さばきによる患難
【ハルマゲドン】(黙示16:16)
@ハルマゲドンの文字通りの意味は、「メギドの丘」。
Aハルマゲドンの象徴的な意味は、「戦い、戦争」
イスラエル北部のメギドは、ヨーロッパ、アジア、アフリカを結ぶ交通の要所で、
軍事的にも重要な場所とされ、しばしば大きな戦いが なされてきた。
そのために、ハルマゲドンは 「戦い、戦争」の意味を持つようになった。
ハルマゲドンの戦いには、「神の大いなる日の戦い」(黙示16:14)と、「人類の最終戦争」
の、二つの側面があるようです。
222 :
名無しさん@3周年:03/03/01 20:23
イエスキリストは聖ミカエルですか?
223 :
名無しさん@M:03/03/01 20:45
>222さん。
イエス・キリストは、ミカエルではありません。
>222
【 ミカエルのこと 】
ダニエル10:13 ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、
そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、
私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
10:21 しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。
あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。
12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。
国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。
しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
ユダ9 御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、
あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、
「主があなたを戒めてくださるように。」と言いました。
黙示録12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。
それで、竜とその使いたちは応戦したが、
>223
【 主イエスの再臨 】
Tテサロニケ1:9 私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、
また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
1:10 また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、
すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが
天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。
4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17 次に、生き残っている私たちが、
たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
Uテサロニケ1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、
神の正しいさばきを示すしるしであって、
あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、
報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。
そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
1:9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、
永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
227 :
名無しさん@M:03/03/02 14:31
【ミカエル】
ミカエルは、天使長のひとりで、戦いの御使いです。
ダニエル書では、ユダヤ人のためにペルシャと戦い、(10:13)
世の終わりに、神の民のために立ち上がる。(12:1)
ユダの手紙では、モーセの遺体をサタンから守った。(1:9)
黙示録では、サタンを天から追い落とす。(12:7-9)
ところで、私は今朝、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」を見ました。
【特集「アメリカがイラクを攻撃する本当の理由」〜Aキリスト教原理主義者の政治力〜】
・・・この番組を見た人も多いと思いますが、何か気になることのあった人は、ここにカキコ
してみませんか。
私も、気になったことをカキコします。
>227
>【特集「アメリカがイラクを攻撃する本当の理由」〜Aキリスト教原理主義者の政治力〜】
テレビ無いから見ちゃいないし分からないけど、戦争は反対でない。
いずれしないといけないだろう。サウジやエジプトみたいに大人でないから。
中近東からの貿易品、たとえば石油とかが滞り、
原爆や原子力や化学兵器・細菌兵器で、今後とも世界貿易に問題が起こらなければ、
日本での生活には問題ないですけどね。
北朝鮮の偽ドル工場から輸出された偽ドルは、
リビア経由で本物のドルに交換されて、ロシアからの技術供与や、
中東の反米諸国との取引に使われていますよ。
北朝鮮が、パキスタン・アフガニスタン・アルカイダ・イラク・リビアと、
これからも関わって、
北朝鮮のテポドンやパキスタンの原爆をイラクが改良して、
リビアに輸出されたら、たまらないですよね。
リビアの向かいのシチリア島やサルディニア島・コルシカ島にイタリア・ローマが、
角度を変えて距離があるがテポドンなら届く、
フランス・マルセーユや、イタリア・ミラノに、スペインの端イギリスのジブラルタルが、
攻撃されれば、
地中海世界の西半分は、そう簡単に軍事的反撃も、経済復興もできないでしょう。
でも攻撃した側は、
もともとが貧しく、自活するのが西洋に頼っていないから、
外交的にも貿易とかで困らせられないし、困った存在ですよ。
軍事力の威嚇や行使以外に取引の仕様がない。
229 :
名無しさん@3周年:03/03/02 23:11
踊る仮面達…我、神を敬い神を頼らず、己を信じ棘の道を行く…イエス
>208 もとぴさん
JWの集会では聖書が示す日常生活の指針の話もありますが、
教理の説明の話もあります
その中にはハルマゲドンや神の王国についての話も確かあったと記憶しています
毎年の主の記念式の話でもそれに関係する濃い話がありました
JWもプロと同じく贖いを信じていますが、その多くは
罪のない環境の下で、地上で永遠に生きるという希望を持ちます
これは当初アダムに与えられた希望と同じです
天に行く人々がイエスのように王とされ、支配することは聖書から明らかです(>174)
謙遜さが必要であるという意味で、もとぴさんのご意見も正しいです
でもそれは支配する王としての仕事を度外視すべきものではないと思います
教会の中の責任を伴う立場の資格についてパウロは何度か述べましたが、
資格があればその立場として仕事をしなくてもよいという意味ではありませんでした
(マタイに関しては、ルカ22章に似た記述がありますが、
天の王国に行く謙遜な人たちと支配権がここでも結び付けられています
>>222>>225>>227 ゼカリヤ3・4章をユダ9、啓示各章と比較。
ユダ9 しかし、み使いの頭ミカエルは、悪魔と意見を異にし、モーセの体について論じ合った時、彼に対してあしざまな言い方はせず、ただ、「エホバがあなたを叱責されるように」と言いました。
ゼカリヤ3.1-2 それから彼は、大祭司ヨシュアがエホバのみ使いの前に立っているのを見せてくれた。そしてサタンは、彼に抵抗しようとしてその前に立っていた。
その時、エホバのみ使いがサタンに言った、「サタンよ、エホバがあなたを叱責されるように。エルサレムを選び取られるエホバがあなたを叱責されるように。この者は、火の中からつかみ出された丸太ではないか」
文脈を追っていくと
ゼカリヤ3.8-9 (さきのみ使いが大祭司ヨシュアにエホバの言葉を告げて)「『大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前に座すあなたの友たちも、どうか聞くように。これらは、異兆となる人々だからである。
今わたしは、自分の僕である新芽(ネーツェル)を携え入れるのである。
見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石がある!その一つの石に七つの目がある。今わたしは、それの彫り込みを行なう』と、万軍のエホバはお告げになる。『そして、その地のとがをわたしは一日のうちに取り去る』
「七つの目を彫り込んだ一つの石」とは?
啓示5.6 するとわたしは、み座と四つの生き物との真ん中に、また長老たちの真ん中に、ほふられたかのような子羊が立っているのを見た。それには七つの角と七つの目があり、その目は、全地に送りだされた神の七つの霊を表している。
「七つの目=神の七つの霊」でつながる「ひとつの石」と「子羊」。
神の七つの霊についてのさらなる比較はこのつづきに…
「七つの目(神の七つの霊)」でつながる「ひとつの石」(ゼカリヤ3.9)と「子羊」。
神の七つの霊についてのさらなる比較。
啓示4.5 そして、み座からは、稲妻と声と雷が出ている。また、火のともしび七つがみ座の前で燃えており、それらは神の七つの霊を表している
ゼカリヤ4.2-3(ゼカリヤと話していた別のみ使い)そうしてわたしにこう言った。「あなたには何が見えるか」
それでわたしは言った、
「わたしが見ますと、ご覧ください、全体が金でできていて、その頂にひとつの鉢を載せた燭台があります。また、その七つのともしび皿、ちょうど七つがその上にあります。その頂にあるそれらのともしび皿には、七本の管が付いています。
そして、その傍らには二本のオリーブの木が、一本は鉢の右側に、一本はその左側にあります」
「二本のオリーブの木」と、その真ん中にある七つのともしび皿をもつ燭台……それはつづきに。
ユダ9とゼカリヤ3.1-2の比較から、ゼカリヤ3章に出てくる、大祭司ヨシュアの前にいるみ使いをミカエルと類推できます。
(ここで、
「ユダ9のミカエルはモーセの体について悪魔と論じていた。しかしゼカリヤ3.1-2では、モーセではなく汚れた衣をまとった大祭司ヨシュア(ゼカリヤ3.3)についての対決ではないか?」
と思う人がいるでしょう。この点についてはこのつづきでちょびっと考慮します)
そのみ使いは神の言葉をヨシュアに告げ、ゼカリヤ3.8では「新芽」(ネーツェル)について、さらに3.9で「わたしがヨシュアの前に置いた石がある」と万軍のエホバの言葉を語ります。
それらが示すのは、「彼はナザレ“ネーツェル”人と呼ばれるであろう」と言われた人物、また「ほふられたかのような子羊」です。
預言者ゼカリヤが見たその場面で、はじめからヨシュアの前にいたのは誰か?
そう、ゼカリヤ3.1の「み使い」、おそらくミカエルです。
さて、「二本のオリーブの木」と、その真ん中にある七つのともしび皿をもつ燭台(ゼカリヤ4.2-3)について。
七つのともしびが「神の七つの霊」を表す場面が啓示4.5にある。同様に…
ゼカリヤ4.10 小さな事の日を侮ったのは誰であろうか。しかし、彼らは必ず歓び、ゼルバベルの手に下げ振りがあるのを見るであろう。これら七つのものはエホバの目である。それは全地を行き巡っている」
(ゼカリヤ4.10は、七つのともしび皿をもつ燭台と、傍らの二本のオリーブの木の意味を、ゼカリヤ3.1とは別のみ使いがゼカリヤに教えている文脈の一部。
しかしオリーブの木についてはこのあとで別に説明しているから、ここは七つのともしび皿についての説明であることがわかる)
したがって、ここでの「七つのともしび皿をもつ燭台」を、「七つの目」をもつ「ほふられたかのような子羊」(啓示5.6)と推定できる。
では「二本のオリーブの木」とは何か、なんですが、長くなったのでそれはつづくレスで。
「二本のオリーブの木」(ゼカリヤ4.3他)とは何か。
ゼカリヤ4.14 すると彼はこう言った、「これらは、全地の主の傍らに立つ二人の油そそがれた者たちである」
啓示11章と比較。(可能なら、「神のイスラエル」「新しいエルサレム」に関する聖書の文脈を参照してください)
啓示11.3-4、6 …そしてわたしは、わたしの二人の証人に、粗布を着て1260日の間預言させる」。
これらの者は、二本のオリーブの木、また二つの燭台によって象徴されており、地の主の前に立っている。
「二人の証人」について考えるのに、つづく6節が役立ちます。でもこれはまたあとで。
「二本のオリーブの木」(ゼカリヤ4章)が表す二人の預言者また証人について、啓示11.6を考慮します。
(6)彼らには、天を閉ざして、その預言するあいだ雨を降らせないようにする権威があり、また、水を制してそれを血に変え、あらゆる種類の災厄をもって何度でも望むだけ地を撃つ権威がある。
「二本のオリーブの木」すなわち「二人の証人」とは誰か?
彼らは「1260日」、文脈で「42ヵ月」(啓示11.2)のあいだ預言し、証する。42ヵ月はつまり三年半。
「天を閉ざして、その預言するあいだ(1260日間)雨を降らせないようにする権威」
列王上17.1 それから、ギレアデの住民の出のティシュベ人エリヤはアハブに言った、
「わたしがまさしくその前に立っているイスラエルの神エホバは生きておられます。わたしの言葉の命令によらなければ、ここ何年間かは露も雨もないでしょう!」
ちなみにこのあと、三年半干ばつがつづきます。
「水を制してそれを血に変え、あらゆる種類の災厄をもって何度でも望むだけ地を撃つ権威がある」(これは明らかに、エジプトのナイルを血に変えた人、つまりモーセを連想させます)
つまり、「二本のオリーブの木」は、1260日間預言する二人の証人、それは象徴的な意味で「モーセ」と「エリヤ」。彼らはユダヤ教の聖典、「律法」と「預言者」の代表者。
大祭司ヨシュアは、ゼカリヤの時代、モーセの律法の代表者でした。(モーセ自身は律法のみならず、バプテストのヨハネまでの最重用の預言者でしたが。そのヨハネは「来るはずのエリヤ」)
「律法と預言者」、これはヘブライ語『聖書』の、昔からの別名ですね。
さらにその真ん中に神の七つの霊をもつ者(啓示3.1)、七つの目の彫り込みがある石、七つのともしび皿がある燭台、つまり七つの目があるほふられた子羊、イエス(ちなみにヘブライ語ならヨシュアか)。すなわちミカエル。
この点、さらに言えば、ゼカリヤ3章の「み使い」は4節で大祭司ヨシュアに、「見なさい、わ た し はあなたのとがをあなたの上から過ぎ去らせた」と、
述べています。
この言葉は贖い主キリストの権能を想像させます。
あと、モーセとエリヤの真ん中に立つイエスの幻は、福音書(とペテロ書簡)「にも」あるのを、みなさんはご存じのはずです。
ゼカリヤの預言はこのように、黙示録の預言や記述を解釈するための、いわば「合鍵」のような部分が特に多いどす。
236 :
名無しさん@M:03/03/03 20:04
>228さん。
今、【キリスト教原理主義】について、カキコの用意をしているところです。
少し時間がかかります。
>230さん。
またゆっくりと考えておきます。
>231〜235さん。お疲れ様でした。
レスを付けたいのですが、とても長い文章なので、
要点を箇条書きにして、まとめていただけませんか?
>236
>少し時間がかかります。
了解。
>236
長文
>>231-235を、主張または解釈ごとに出来るだけ整理してみました。
@ミカエルと名指しはされていないものの、ユダ9との比較から、
ゼカリヤ3.1-2で書かれているみ使いをみ使いの頭ミカエルと類推できること。
Aゼカリヤ3.9「七つの目の(彫り込みのある)石」と啓示5.6「ほふられたかのような子羊」の類似。
Bゼカリヤ4.2「七つのともしび皿(をもつ鉢、それが頂にある燭台)」と啓示4.5 七つのともしび の比較、「七つのともしび」は神の七つの霊であること。
よって、ゼカリヤが見たという七つのともしび皿をもつ鉢、または燭台全体は、「子羊」のことであろうこと。
Cゼカリヤ4.3、11-12、14燭台の左右の「二本のオリーブの木」が、啓示11.6などから「モーセとエリヤ」によって象徴されていると言えること。それは「油そそがれた」二人の「証人」。
ゼベダイの子らとペテロが見たという、イエス(ヨシュア)の変貌(マルコ9.4やペテロ第二1.18)と比較。
D大祭司ヨシュアの前に置いた、とか、一日のうちにとがを取り去る、という文脈で語られている(七つの目のある)「石」(ゼカリヤ3.9)と、
そのときヨシュアの前にいてそれを告げているみ使い自身の類似(ゼカリヤ3.4)。
@から、このみ使いをミカエルと解釈すれば、ミカエル…七つの目のある石…ほふられたかのような子羊 とつながる。
239 :
名無しさん@M:03/03/06 19:52
・・・ H15.2.2 テレビ朝日「サンデープロジェクト」より ・・・
アメリカのイラク攻撃。現在、掲げている理由は、大量破壊兵器所有、アルカイダとの関係。
隠された本音は、フセインシンドロームと9/11テロ、2004年大統領選挙、石油利権、経済停滞隠し。
ブッシュ政権がイラク攻撃にこだわる理由の一つとして、「キリスト教原理主義者」の存在と政治力がある
というふうに言われている。
彼らは、聖書を文字通り解釈するプロテスタントで、中西部や南部に多い。(テキサス州、カンザス州、ジョージア州)
彼らの主張は、内政では、進化論教育の反対、妊娠中絶の禁止、同性愛者の人権制限、銃規制に反対など。
対外政策では、「強いアメリカ」を主張、軍備拡大に賛成、敵対国には武力行使を含む強硬策。
つまり、おおむねタカ派的で、超保守的な政策を支持している。
アメリカ国民のおよそ10%にあたる、2000万〜3000万人が「キリスト教原理主義者」だと言われ、
これに近い信仰を持つ者は、7000万人にも達するとされる。
もともと南部を中心に古くから根付いてきた「キリスト教原理主義」は、レーガン政権誕生の80年代頃から、
強力な指導者のもと、組織化されていった。そして、3000万人ともいわれる信者数の力でとくに共和党の
最大の支援母体となり、大統領選挙にも介入した。
2年前の大統領選挙では、「キリスト教原理主義者」が支援した3000万票にも助けられ、ブッシュ候補は大接戦
の末大統領になった。ブッシュ大統領は就任後、「キリスト教原理主義者」を政権内の重職に登用した。
240 :
名無しさん@M:03/03/06 19:55
(つづき)
「キリスト教原理主義者」のあり方には批判も多い。とくに、彼らの圧倒的多数をアングロサクソン系
の白人が占め、移民にも反対し、排他的な思想が目立つことから、同じ宗教界からも批判が強い。
・・・キング牧師の運動を継ぐフレッド・テイラー牧師のインタビュー・・・
「彼らは、政治的野心を実現するため、宗教を利用しているにすぎません。宗教というより〔白人主義〕
だと私は思います。」
ブッシュ大統領自身が、今から16年前(1987年)39才の時にテレビ伝道師のビリー・グラハム牧師の
再洗礼を受け、「キリスト教原理主義者」となっていたという。
ブッシュJRの政権になってはじめて、大統領も「キリスト教原理主義者」、それを取り巻く主要閣僚も
「キリスト教原理主義者」になったという。
「キリスト教徒だけが天国に行ける」「天国に行けるのはキリスト教徒だけだ」
専門家は、「キリスト教原理主義」の最大の特徴は、自分たちだけが正しく、それ以外は
悪(邪悪=evilイーブル)であるとする【善悪二元論】だという。
そして、力ずくでも自分たちの価値観を押し付けようとするものであり、
それがイラク攻撃に向けても一貫して流れている、という。
・・・「来週は アメリカの正義を疑うシリーズ 第三弾」とのこと。。。 2月9日の放送です。
質問ですけど?
キリスト原理だというと、誤弊がありますが、
中西部のペンテコステ派と、南部のバプテスト派が中身ですよね。
メソジストとかアングリカン、各国リフォームドにプレジピテリアン、
カトリックに少数ながら正教など、支持していないのでしょ。
個人的に私は、キリスト教徒はキリスト教の天国へ行けばいいのであって、
ユダヤ教やイスラム教や仏教の天国には、キリスト教徒は行かないから、
別に大した発言に聞こえませんけど。
7つの天の内のどれかいいのを選べばいいじゃん。
全部がキリストの福音を聞いて死んだわけでなし、
キリストの福音を聞かなかった時代や地域の人は、
死んで律法に当てはまる義人であれば、天国に行くわけだから、
7つの天が全部、キリスト教徒の天国である訳じゃないし。。。
>241
イエメン(シバの女王のアラビア半島南部)で、
バプテスト派の教会や病院がテロにあったじゃないですか?
ロシアで、
ペンテコステ派が正教やイスラムに目のカタキだし。
>242
アメリカ臭ければ、世界各地の何処でも何でも狙われるんだよ。
マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、バーガーキング、
日本でも(仙台しか見ていないが)ケンタッキーが閉店し、
赤黄青のシルエットに「草家」という店名で、
漢字とハングルで書かれた韓国家庭料理店(キムチと焼肉)の店が開店した。
>243
だって本当だもん。
仙台、ソウカに狙われているし、仙台藩揺れるとか市バス広告に伊達騒動の浮世絵、
それに、スプレー落書きなど嫌がらせ続出。。。
彼らに、
ジェントルマン(紳士)もナイト・スピリット?(騎士道)も、
減った暮れも無いし。
>244 揺れると言えば。
そういえばこの前、(宮城県で)地震があった。
呪われている鴨?
248 :
名無しさん@M:03/03/06 22:16
訂正
>239 ×H15.2.2 ○H15.3.2
>240 ×2月9日の放送です。 ○3月9日の放送です。
>241さん。
私はキリスト教の教派については、あまり興味がなかったので、よくわかりません。
今から21年ほど前のことですが、日本で「ビリー・グラハム国際大会」が開催されました。
当時の日本のプロテスタント諸教会は、ビリー・グラハム牧師を、熱狂的に迎えたのでした。
・・・日本のプロテスタント教会には、「キリスト教原理主義」の政治的な面での影響はないでしょうが、
神学的な面では、「キリスト教原理主義」の影響を少なからず受けている、と私は思います。
牧師のメッセージは、たいてい二元論的だし。。。
・・・ キリスト教徒以外は「邪悪」ってか。。。
はっきり言うと、「ファンダメンタル」と「善悪二元論」をキーワードにすると、
日本のプロテスタントと、エホ証は、似てるのよ。。。 (これは 問題発言鴨)
249 :
名無しさん@M:03/03/06 22:38
>248の修正
> ・・・日本のプロテスタント教会には、「キリスト教原理主義」の政治的な面での影響はないでしょうが、
> 神学的な面では、「キリスト教原理主義」の 【影響を少なからず受けている】、と私は思います。
・・・日本のプロテスタント教会には、「キリスト教原理主義」の政治的な面での影響はないでしょうが、
神学的な面では、「キリスト教原理主義」の 【影響が少なからずある】、と私は思います。
250 :
名無しさん@3周年:03/03/06 23:06
Mさん
>>338についてキリスト教ではどう考えているのですか?
251 :
名無しさん@M:03/03/07 23:05
>250さん。 >338とは>238のことでしょうか?
238さん、お待たせしました。
あなたが、結論として「イエスはミカエルである」と言いたいことはわかりますが、
その結論に至るまでの過程、つまり、その「根拠」は、とてもわかりにくい。
それで、私なりに、あなたの主張の概要をまとめてみました。
>238
> このみ使いをミカエルと解釈すれば、ミカエル…七つの目のある石…ほふられたかのような子羊 とつながる。
・エホバのみ使い(A)=ミカエル(B)。(類推。ユダ9との比較から)。 A:ゼカ3:1-2 B:ユダ9
・七つの目のある石(C)=ほふられたかのような子羊(D)。(類似しているから)。C:ゼカ3:9 D:啓示5:6
・七つの目のある石(C)=エホバのみ使い(A)。(類似しているから)。 A:ゼカ3:4
エホバのみ使い(A) = ミカエル(B) と 解釈すれば、
ミカエル(B) = 七つの目のある石(C) = ほふられたかのような子羊(D) とつながる。
・・・つまりは、「A=B=C=D」ということでしょうか。。。
252 :
名無しさん@M:03/03/07 23:07
>230さん。お待たせしました。
> 天に行く人々がイエスのように王とされ、支配することは聖書から明らかです
私としては、次の三点を記しておきます。
【千年王国】においては、
〔第一の復活にあずかる者。聖なる者〕が、〔諸国の民〕を指導する、と考えられる。(黙示20:3-6)
黙示20:15の【いのちの書】は、【子羊のいのちの書】(21:27)である。
罪ある人間は、子羊イエスの血によって、罪の赦しと、永遠のいのちにあずかる。
【新天新地】は、千年王国と最後の審判の後に到来する永遠の〔神の国〕である。
神の一元的支配が完全に回復する。 (サタンの支配からの開放と、善悪の二元支配からの開放)
・・・簡単ではありますが、このカキコをもって、
>205
> 〔地上の楽園/千年王国〕 と 〔新しい天と地/新天新地〕について
> お互いの立場で、過去のカキコを簡潔に整理しておくことにしませんか?
に対する、私の答えとさせていただきます。
254 :
名無しさん@3周年:03/03/08 03:25
>>252 そのようです。
それについてはどう思われますか?
やはり、イエスはミカエルだったんでしょうか?
それとも、やはり子なる神ですか?
255 :
名無しさん@3周年:03/03/08 13:28
>251
「とてもわかりにくい」とのご指摘、お恥ずかしいかぎりです。
ミカエルがキリストであるとの主張が、文脈の示唆するところを逸脱した解釈とは必ずしもいえない、という事に傍証を付けたため、ずいぶんまわりくどくなりました。それは同時に以下の論点への伏線です。
ゼカリヤとヨハネの啓示についてのさらなる考慮をいずれカキコします。それがもともと主眼でした。
それによって
T「新天新地」
U「王として統治」
V「復活と天と地」
W「最後の審判」
X「144000」
Y「新しいエルサレム」「聖なる都市」
Z「祭司 王」
[「24人の長老」
そして
\「子羊」
]「エホバ」
こういった部分の話ができそうです。
256 :
名無しさん@M:03/03/08 20:18
254さん。255さん。
>251は、とりあえず >231-235 >238のアウトラインを把握しなければと思って
とりあえず まとめたものです。
挙げられた聖句については、私はまだ十分な検討をしていません。
ところで、254さんや、255さんは、
〔エホバのみ使い = ミカエル = 七つの目のある石 = ほふられたかのような子羊〕
が、聖書の真理であると、信じておられるのですか?
258 :
名無しさん@M:03/03/09 18:02
>254、257さん。
> やはり、イエスはミカエルだったんでしょうか?
> それとも、やはり子なる神ですか?
聖書の中で、「イエスは〔ミカエル〕」、と告白している箇所は一つもないし、
また、「イエスは〔子なる神〕」、と告白している箇所も、一つもないと思います。
(「ひとり子の神」と告白している箇所はあります。ヨハネ1:18)
聖書は、「イエスは〔神〕」、と告白しています。
ここでは、ヨハネ1:1とヨハネ20:28を紹介します。
259 :
名無しさん@M:03/03/09 18:05
【ヨハネ1:1】の 本文と訳
ギ) エン 【アルケー】 エーン ホ ロゴス,
英) In the beginning was the Word In the beginning was the Word,
日) 初めに あった ことばが 初めに、ことばが あった。
カイ ホ ロゴス エーン プロス 【トン セオン】,
and the Word was with the God and the Word was with God,
そして ことばは あった とともに 神 ことばは 神 とともに あった。
カイ 【セオス】 エーン ホ ロゴス.
and God was the Word and the Word was God.
そして 神 であった ことばは ことばは 神 であった。
参考: 【ヨハネ1:1のアルケー(初め)】は、創世記1:1の「初め」とは違う意味を持っている。
創世記1:1の「初め」は、天地創造の「初め」。
ヨハネ1:1の「初め」は、天地創造以前の「初め」。
(ヨハネ伝における天地創造は1章3節)
260 :
名無しさん@M:03/03/09 18:10
>259 ・・・禿げしく ズレました。。。 未熟者なので、ゆるしてね。
カイ 【セオス】 エーン ホ ロゴス. (ことばは神であった。)
・・・ヨハネ1:1の、冠詞の付いていない【セオス】の解釈(1)・・・・・
解釈と訳語
A.述語名詞が、連結動詞の前に置かれるなら、その名詞には冠詞を付けない
主語:ホ ロゴス(ことばは) 連結動詞:エーン(であった) 述語名詞:セオス(神)
訳語は 【God】
B.この〔セオス〕には、冠詞がないから、神(God)と同一ではない
@ ウイリアム バークレーや、J・ハロルド・グリンリーの見解。
訳語は、Aと同様に【God】を用いている。
A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 言葉は神性を備えた者であった。
訳語は 【divine】(ディバイン)。
B ロゴスのある特質を表わしているに過ぎない。
訳語は 【a god】。
Aの解釈と訳語が、ギリシャ語学者の一般的な見解のようです。
Bの解釈には、@ABの見解があるようです。
次に、Bの@について詳しくカキコします。
261 :
名無しさん@M:03/03/09 18:12
・・・ヨハネ1:1の、冠詞の付いていない【セオス】の解釈(2)・・・・・
Bの@について。イギリスの聖書翻訳者William Barclay(ウイリアム バークレー)の著書から引用。
(聖書註解シリーズ5 「ヨハネ福音書 上」 ヨルダン社 \2000円 1968年第一刷発行)
・・・ヨハネは、言葉は神であったという。これは確かに私たちにとって理解しにくい言葉であり、ヨハネが
福音書を書いたギリシャ語は、英語と違ったいい方をしているのでむずかしいのである。
ギリシャ語で名詞を用いるときには、ほとんど常に定冠詞を用いる。神に対するギリシャ語は〔セオス〕であり、
定冠詞は〔ホ〕である。ギリシャ人が神について語るときは、ただ〔セオス〕といわずに、〔ホ・セオス〕という。
ギリシャ語が名詞に定冠詞を用いないときは、その名詞は形容詞のようになり、その人の人格、素質を
あらわす。
ヨハネは、言葉は〔ホ・セオス〕であったとはいわなかった。
そういったとすれば、言葉は神と同一であったということになったであろう。
ヨハネは定冠詞なしに言葉は〔セオス〕であったというのである。
それはいうなれば、言葉は神と全く同じ人格、素質、本質であったという意味である。
ヨハネが言葉は神であったといったとき、彼はイエスが神と同一者であるといったのではない。
彼はイエスが精神において、心において、また実在において神と全く完全に同じであり、
私たちがイエスのうちに、完全に、神はどのようなおかたであるかを見るのである、
といったのである。
> 私たちは、イエスのうちに、完全に、神YHWHはどのようなおかたであるかを見る。
このカキコ(>202)は、この本の53ページから引用したものでした。
262 :
名無しさん@M:03/03/09 18:14
・・・ヨハネ1:1の、冠詞の付いていない【セオス】の解釈(3)・・・・・
Bの@について。 J・ハロルド・グリンリー著「新約聖書ギリシャ語釈義文法の手引」から引用。
【ホ セオス】・・・冠詞の付いているセオス (トン セオンは、ホ セオスの語形変化したもの)
神的称号に冠詞が付く場合には、人格すなわち彼はだれか、に強調点が置かれる。
【セオス】・・・冠詞の付いていないセオス
神的称号に冠詞がなければ、その本性や働きに、すなわち彼は何か、に強調点があると考えられる。
解釈 ・・・ 「ことばは神 (神の本性や本質について言われている) であった。」
263 :
名無しさん@M:03/03/09 18:20
・・・・・ トマスの告白 ・・・・・
【ヨハネ20:28】 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
ギ) ホ キュリオス ムー カイ ホ セオス ムー
英) The Lord of me and the God of me My Lord and My God.
日) 主 私の そして 神 私の 「 私の主。 私の神。 」
264 :
名無しさん@M:03/03/09 21:23
>259の修正版です
ギ) エン 【アルケー】 エーン ホ ロゴス,
英) In the beginning was the Word In the beginning was the Word,
日) 初めに あった ことばが 初めに、ことばがあった。
カイ ホ ロゴス エーン プロス 【トン セオン】,
and the Word was with the God and the Word was with God,
そして ことばは あった とともに 神 ことばは神とともにあった。
カイ 【セオス】 エーン ホ ロゴス.
and God was the Word and the Word was God.
そして 神 であった ことばは ことばは神であった。
265 :
231-235:03/03/10 13:08
>256-264のレスを読みました。254さん、
>>258の指摘の通りかと思います。
>256 キリストがミカエルであるというのが聖書の真理であると信じているのか?とのご質問に答えます。
信じていません。
「妥当な推測だと判断する」のみです。証拠を組み立てて推理する人のような気持ち。
ドラマでも、「信じたくはないが…」てな感じの台詞がありますね。
だから、ヘブライ・アラム・ギリシャ語聖書の記述と不整合なら、たとえ不愉快でも不当だと判断するでしょう。
つまり、「妥当な判断」と「信じる、信じない」とは少し違うと思っています。
そういう意味で、「信じていません」
266 :
名無しさん@3周年:03/03/10 13:30
そういう意味で
267 :
名無しさん@M:
>257(=254)さん。>265さん。
>231-235、>238で挙げられた聖句について、検討を始めました。
難解(てゆーかわかりにくい)なので、しばらく時間をください。
遅くとも、一ヶ月以内には回答できると思います。
>259-262の ヨハネ1:1については、私が、今から14年ほど前にいろいろ
調べてまとめたことどえす。
思い起こせば14年前、>260のように頭の中で整理されるまでには、
かなりの時間がかかったのだ。
それが、こうして他の人に読んで頂けるとは、思ってもいなかった。
・・・でも、少し訂正しておきたい。
>260
× A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 【言葉は神性を備えた者であった】。
○ A ロゴスがセオスと同じ特質を有している。 【ロゴスは神性を備えていた】。