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258 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/23 21:37
【 正統と異端の境目:私的考察 】
★キリスト教は、ユダヤの世界観を、聖書の記録に使用したのも含めて、
グノーシスや古典などギリシアの哲学用語で説明していた。
★グノーシス思想は、ユダヤの神の説明を言葉尻を捉えて揶揄して、
ギリシアの世界観に、組み込んで説明していた。
【 キリスト教成立のキーワード:私的考察 】
@罪(ハマルティアαμαρτια) 神との契約違反で天国の自由を失う
地上生活と人類の「原罪」の発生
A愛 地上生活での神の戒め 神と人への『愛(アガペーαγαπη)』
B契約(ディアテーケスδιαθηκησ) 律法と預言書と詩篇から最期の晩餐による
肉(パン)による信者の繋がりの教会と血(ブドウ酒の杯)による「贖罪」の「契約」
C十字架(スタウロスσταυροσ) 神との新しい契約としての人類の原罪の贖い
贖いで足りない所を補う 主への讃美と善行と施しをイケニエとして捧げる事
行いの有る『信仰(ピスティスπιστισ)』
D復活(アナスタシンαναστασιν)
古いものを捨て「神のロゴスθεοσ λογοσ」によって新しく生きる甦りの命と
最後の審判でのキリスト(χριστοσ)の弁護による救い(ソーテールσωτηρ)
天国に戻る『希望(エルピスελπισ)』
E教会(エクレシアεκκλησια) 契約により
キリストを頭(かしら)として肢体になった信者は
天国(パラディソ)を相続する自由人の女から生まれた子となり
聖霊(ハギア・プネウマ)の賜物として 異言(グロッサ)や霊的な歌や癒しの奇跡を得る
F公会議 同質・同一本体 三位一体 神人一人格 各信条
総主教制 神の母の呼称 聖書(テモテU3:16)の選抜などを決定
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319 :名無しさん@1周年 :03/02/08 13:50
【 実用聖書注解(いのちのことば社) 】
ヨブ7:1−6 エファリズに反論していたヨブは,ここで急に神に向かって語りかける.
・・・〈苦役〉(1)の原語は「軍隊」あるいは「戦争」の意味.「兵役」(新共同訳).
〈日雇人〉の原語は「雇われた者」という意味で,必ずしも日雇い労働者とは限らない.
「傭兵」(新共同訳).〈機の[木予]〉(6)とは,製織の際,
横糸を通すのに用いる木製の舟形の道具.素早く動くことから,時の経過が早いことのたとえ.
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
一コリント【9】(8)「務め」は、文字どおりには「管理(職)」である。
パウロの宣教活動がしてもしなくてもよいこと、
つまり、彼自身の自由な意思の決定に基づくものであったならば、
自由な人間が労働について契約を結ぶ場合のように、報酬を要求することもできたであろう。
しかし、パウロはキリストから選ばれ、
福音宣教のいわば管理者の任務をゆだねられたのであるから、キリストの奴隷であると言える。
なぜなら、当時、
主人からなんらかの管理の務めをゆだねられた者のほとんどは奴隷だったからである。
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345 :名無しさん@1周年 :03/02/11 12:01
>160 :名無しさん@M :03/02/10 23:37
>@生きている間は、信者の霊において(ガラテヤ2:20)、キリスト者の肉体の死後は、霊的な世界で
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
ガラテヤ2:18−3:5
19 とを示すことになります。−わたしは律法によっ
て律法に対して死に、神に対して生きるようにな
ったのです。わたしはキリストとともにもはや十
20 字架につけられています(9)。−生きているのは、も
はやわたしではなく、キリストこそわたしのうち
に生きておられるのです。今わたしがこの世に生
きているのは、わたしを愛し、わたしのために身
をささげられた、神の子に対する信仰によって生
21 きているのです。−わたしは神の恵みを無にはし
ガラテヤ【2】(9)本節中の「律法によって死ぬ」については
本書簡3:13(なおその注(9))を、「律法に対して死ぬ」についてはローマ7:4を、
「神に対して生きる」についてはローマ6:10〜11を、
「キリストとともに十字架につけられる」についてはローマ6:6を、
それぞれ照合することによって、本節全体をよりよく理解することができよう。
ローマ6:3〜6、10〜11でパウロは、どのようにして、
キリスト者は洗礼により罪に対して、すなわち、罪の支配に対して死んだのか、
そして今は、彼の内にある古い自己がキリストとともに十字架につけられ、
キリストの内にあって「神に対して生きる」者となったのか、を述べている。
ローマ7:4で、パウロは、人がキリストとともに死んだことは、律法に対して、
すなわち律法の支配に対して死んだことであり、
律法の要求はもはやキリスト者を拘束できないことを述べている。
善とはなんですか?罪とはなんですか?
h
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1025475849/99 99 :名無しさん@1周年 :02/08/18 19:43
【 聖書での善と罪の概念(共立女子聖書学院院長など歴任の著者による) 】
善 実践上の価値概念で悪の反対語。
聖書では神の伝達的属性(知識、知恵、善、愛、聖、義、真、主権)
の一つとしてとらえている。
イエスは絶対的な意味で神のみが善であると断言している(マタ19:17
「良い方」、マコ10:18「尊い方」、共に[G]アガソスが用いられている)。
「神が造られた物はみな良い物」である(Tテモ4:4)が、
その善は造られた神によるものだからである。
善とはなんですか?罪とはなんですか?
h
ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1025475849/99 99 :名無しさん@1周年 :02/08/18 19:43
罪 1.旧約における罪。
(1)用語。おもな語は次の4種。
a。[H]ハーターは「失敗する」(士20:16)、
「失っている」(ヨブ5:24)、「つまずく」(箴19:2)など、
もともとは「的(目標)、または道をはずす」の意の一般的な語。
神との関係においては「罪」と訳され(創4:7、出10:17)、
神が人に定められた道を踏みはずすという意味を表す。
2.新約における罪。
(1)用語。a。[G]ハマルティアの動詞、
ハマルタノーはもともと「的をはずす」、
あるいは「迷う」「誤る」を意味する一般的な語であったが、
70人訳において[H]ハーターのギリシヤ語訳として用いられ、
専ら「罪を犯す」という聖書特有の意味を表す語となった。
・・・具体的な罪の行為や律法違反を意味する(・・・)。
また、行為だけでなく人間の持っている神に敵対する性質をも
意味して用いられる(・・・)。
罪人 善でも悪でもない中立的立場の人はいない。
すべての人間が罪人であり(ロマ3:23)、
例外はない(5:12−21、Tコリ15:22)、
・・・罪人であるがゆえに罪を犯すのであり、ことばや思いや、
行為において絶えず罪を犯し続けているのである(ヤコ4:17)
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553 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/15 22:25
★アポリナリオスは人間を身体(ソーマ)、霊魂(プスケー)、霊(プネウマ)に分ける
聖パウロの周知の分割法を採用した(Tテサロニケ五・二三)。
彼の心理学〔霊魂論〕によると、霊は(動物にない)人間の理性的、道徳的、霊的〔宗教的〕機能、
すなわち人間の持つ特に人間的な要素(人格)であり、
霊魂は肉体的生命、人間と動物とが共有している機能である。
★罪 [ヘブライ語]ハーターは「失敗する」(士20:16)、
「失っている」(ヨブ5:24)、「つまずく」(箴19:2)など、
もともとは「的(目標)、または道をはずす」の意の一般的な語。
★罪 [ギリシア語]ハマルティアの動詞、ハマルタノーはもともと「的をはずす」、
あるいは「迷う」「誤る」を意味する一般的な語であったが、
・・・また、行為だけでなく人間の持っている神に敵対する性質をも意味して用いられる(・・・)。
★四、罪
人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。
他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・
しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け、
自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。
★45 的をはずれると「罪」
神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態、神に背を向けた状態をいうのです。
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553 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/15 22:25
★Tコリント15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
★ガラテヤ 3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、
わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
★ヨハネ伝 3:16 神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。
★ガラテヤ 3:14 それは、アブラハムに与えられた祝福が、
キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、
★ガラテヤ 3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
★ガラテヤ 3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、
アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
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21 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/17 22:20
【 律法の定めを果たす 】
ガラテヤ 3:12-4:1
@神のアブラハムへの約束
(祝福:法律的に有効なものと定められた契約)→BC2000−1700年頃から四百三十年後
Aモーセの律法
(相続が違犯を明らかにする為の律法(養育係)に由来し、
聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めた(違約の民を呪った)。)→BC1290以降
Bキリストの福音
(律法の呪いを果たし、イエス・キリストへの信仰する洗礼を受けた相続人、
つまり、約束に由来する「あなたの子孫とに」祝福が与えられた。)
▼
キリストの時代からアブラハムの時代までは、チョット2000年前、
イスラエル共和国建国からキリスト出現やユダヤ滅亡までは、チョット2000年前。
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21 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/17 22:20
▼
ガラテヤ 3:12 律法は、信仰をよりどころとしていません。
「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
3:13 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、
わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
3:14 それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、
また、わたしたちが、約束された““霊””を信仰によって受けるためでした。
・・・・・・
3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、
男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
3:29 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、
とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
4:1 つまり、こういうことです。相続人は、
未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、
4:2 父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。
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338 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/05/05 22:13
聖書が原語で読めたなら
−−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会
57 いつも喜んでいなさい p136
テサロニケ人への手紙第Tの5:17の
17 αδιαλειπτωσ προσευχεσθε.(註:語尾のσは別文字)
アディアレイプトース プロシューケッセ「絶えず」「祈れ」
45 的をはずれると「罪」 p107
神に背を向けた状態
「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。
これはもともと「失敗」という意味があり、
槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。
新約聖書においては、
このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく、
罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し、
神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態、
神に背を向けた状態をいうのです。
αμαρτια(単数形)ハマルティアー
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338 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/05/05 22:13
正教要理 p39 四、罪
人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。
他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・
しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け、
自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。
・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。
無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを
することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために
救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。
私註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・。
私は、プロテスタントと正教は「罪」解釈の元がギリシア語なんだから、
「的」はずれ、て言う意味でイイと思うんだが?「背」って語を遣わなかったからか?
正教の言うギリシア語がロシア語経由とは言え、意味は同じだと思うんだがなぁ?
輔祭の食ってかかって、君は「違う」と言った「違い」がわからんが?
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258 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/09/22 18:48
>238
【 ロシア的「罪」の理解 その1 】
宗教的「罪」は、грех:グリェーフ(グレーフ)と呼ぶ。
使い方として、
@しかたない損も(責任も)半々に(半分こに)грех пополам
Aグリェーフを使う、若気の過ち грехй молодости
失敗・間違いの語を使う、若気の過ち ощйбки молодости
B彼を虐めるのは可哀想
грех его(彼を)обежить:アビジャ−チ(怒らせる:侮辱する)
とあり、このことから、法律ではなく生活上の罪、
ロシア的な宗教的「罪」の使い方は、
「神様を怒らせるような事をしでかした」「どっちの人間にもある過失」
「人生一度は誰もがする失敗」と理解できる。法律を破ったの意味ではない。
慣用句というか、決まった言い方に、
人間は皆、罪人です все Люди грещнь?
罪の赦しを神に祈る замолить грех
とあり、似た語幹に、
греция:ギリシア(国名・民族名)や、
@原罪A背信という意味に、грех−опадение の単語がある。
ギリシャな奴、とは、罪創りな奴って事か?これは言葉のあやです。
ロシア文学「罪と罰」で使われる「罪」は、
Пре−ступление:プレ−ストゥプレーニエ
越える−歩む(踏み越えてしまう)という法律上の罪を意味する。
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259 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/09/22 18:50
【 ロシア的「罪」の理解 その2 】
→ ドストエフスキー 罪と罰(下)江川卓訳 赤613−7岩波文庫
定価(本体760円+税)
p428 ロシア語を知らないと気がつきようもないが、
この長編の題名の一要素である「罪」の原語「プレストゥプレーニエ」
は「越える」を意味する「プレ」という接頭辞(せっとうじ)と、
「歩む」を意味する「ストゥパーチ」という動詞の合成語から派生した名詞で、
原義は「ふみ越えること」の意味なのである。
ロシア語で「罪」をあらわす言葉には、このほかに、
主として神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」という名詞があるが、
「プレストゥプレーニエ」のほうは、人間の定めた掟を「ふみ越えた」罪、
つまり、犯罪なのである。
p429 ・・・ソーニャは自分のことを「罪の女」と呼んでいる。
この「罪の女」の原語は、神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」
から派生した「グレーシニツァ」である。
ということは、神を信ずるソーニャが抱いていた罪意識を、
「ふみ越えた」という言葉によって、
ラスコーリニコフが強引に自分の罪意識に引き寄せ、
彼女を自分の「同類」にしようとしていることを意味するのだろう。
ちなみにキリスト教徒で「罪の女」と聞けば、
売春婦とか、マグダラのマリア(マグダレーナ)を思い浮かべるだろう。
帝政ロシア時代の売春婦は、黄色い免許証を持っていた。つまり公娼制だったのである。
中国と同様に「黄色」だった。日本だけ「桃色」。アジアじゃないかも。
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>>339 :名無しさん@1周年 :03/02/09 19:55
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262 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/23 22:51
復刻 死海文書 テキストの翻訳と解説 日本聖書学研究所 山本書店
宗規要覧(1QS)T出所、外観、書体
一九四七年(あるいは四五年)にクムラン洞穴1で最初に発見された
数個の巻物のうちで最も重要な文書の一つである。
V年代
巻物のうちで最も古いとみなされる『聖マルコ・イザヤ書写本』についで
古いことが判定され、その年代は前一00〜五0年と考えられる。
・・・クムラン宗団の設立にまで遡ることが可能である。・・・
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262 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/23 22:51
宗規要覧(1QS)Y p102−103
一 彼の故に罪を負わ 二六 ない 一 ようにしなければならない。
また隣人を証人たちの面前で忠告しないで いきなり多数者に訴えてはならない。
二 彼らはどこに寄留していても、隣人とともにいるときはいつも、
一 このように 二 歩まねばならない。
そして仕事や財産に関して、低いものは高いものに服従し、共同で食事し、
三 共同で讃美し、共同で審議しなければならない。
<共同体>の会議に属する者が十人いるところには必ず一人の 四 祭司が
三 その中にいなければならない。
四 そして各々その順位に従って彼(祭司)の前に坐り、
こうしてすべての事に関する彼らの議事を審議する。食事のための食卓または
五 飲むための 四 ぶどう酒を用意したら、
五 最初に祭司が手をさしのべてまずパン(または飲むためのぶどう酒を祝福する。
最初に祭司が手をさしのべて 六 まずパン)とぶどう酒を祝福する。
また十人いる所には、七 互いになすべきことについて 六 日夜 七 絶えず
六 律法を研究する者がいなければならない。
多数者は一年中毎晩三分の一夜ずつ共同で起きていて(聖)書を朗読し、
おきてを研究し、八 共同で讃美しなければならない。
以下は多数者の集会に関する規律である。
各々その順位に従って祭司たちが第一に坐り、長老たちが第二に、
そして残りの 九 民すべてが各々その順位に従って坐る。・・・・・・
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384 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/03/18 22:45
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
6.ペラギウス主義
ペラギウス(360ごろ−420年ごろ)は英国?アイルランド?の修道士。
パレスチナのヒエロニムスと、
アフリカ(カルタゴ?)アウグスティヌスの恩寵主義に対して、
個人的道義の責任を主張し、原罪を否定して自由意志を高調した。
1.アダムは罪に陥らなくても死ぬべきであった。
2.アダムの罪が全人類に及ぶはずがない。
3.人間は、堕落以前のアダムと同じ状態で生まれてくる。
4.全人類は、アダムの罪によって死ぬのでもなく、
キリストの復活によって生きるのでもない。
5.人間は律法を行うことによって、福音によると同じく、天国に入ることができる。
6.人間は主の再臨前にも、完全にきよめられた者となり得る。
「アウグスティヌスは、善悪に対して人間の責任能力を否定するもの」と解して、
「個人的良心の責任」を確立しようと図った。
ケレスティウスをはじめ、共鳴者が出たが、カルタゴ会議(412,16,18年)
エルサレム会議(415年)ディオポリス会議(415年)などで、
「原罪の否定」として退けられ、異端宣告を受けた。
7.ネストリオス派
コンスタンチィノポリスの総主教ネストリオス(428−431年)は、
第2戒のカットと第十戒の2分割の異教の偶像に変わるキリスト教の偶像崇拝容認と、
「マリヤの永生処女説」「マリヤの無原罪説」「被昇天説」
イエスの名に替えてマリヤの名で祈る、ローマ教会の罪を告発した。
431年のエペソ総会議では、正統説が「神の子と呼ばれます」(ルカ1・35)で、
「彼女は人としてのイエスを生んだ。」というネストリオスの説は、
神性を薄くしたとして異端宣告を受けた。
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386 名前: ろんぎぬす 投稿日: 02/03/18 22:47
●現代日本におけるキリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭 著
第三章 正統キリスト教の規準
4.聖霊観
使徒信条では「我は聖霊を信ず」とあるとおり。
御子は父より生まれ、聖霊は父より『送り出された方』(詩編104・30)
第一、エホバの証人の言う、単なる「神の力」ではない。
第二、モルモン経典の言う、「エーテルの一種」ではない。
第三、聖霊は主イエスのように自らを現さない。
理性と愛情を持つ、悲しみ(エペソ4・30)痛み(イザヤ63・10)
うめかれる(ローマ8・26)助け主(ヨハネ14・16)
真理の御霊(ヨハネ14・17、16・13)で、あらわれる。
栄光を現す方(ヨハネ16・14)潔め主(マタイ3・12)
イエスの言葉を思い出させる力(使徒1・8)語らせる(マタイ10・20)
不法を阻止(Uテサロニケ2・7)
よみがえらせ栄化させる(ローマ8・11、Uコリント3・18)働きをする。
5.贖罪観
創世記3章15節「敵意」が預表、「皮の衣」が血の犠牲(創世記3・21)
アベルの羊の初子(創世記4・4)
新約ではイエスご自身が十字架の死を預言。人類の罪のあがないであると。
使徒パウロは、
十字架の死と復活が、罪人が義とされる唯一の道、神との和解の道とした。
イレナエウス(130ごろ−200年ごろ)は、「罪と死と悪魔から救い出すため」
オリゲネス(185ごろ−254ごろ)は、賠償説「悪魔に支払った代償」
アンセルムス(1033−1109年)満足説、神はキリストの支払いで満足。
アベラルドゥス(1072ごろ−1142年)道徳感化説「愛の最高の表現」
トマス・アクィナス(1224−74年)ローマ教会の贖罪論「罪深さと慈悲の偉大さ」。
ルターもカルヴァンも、道徳感化論を非難。パウロ説に戻す。
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367 :ろんぎぬす :02/03/17 21:29
霊操(岩波文庫)イグナチオ・デ・ロヨラ著_門脇佳吉訳・解説620円
諸規則_[疑悩についての規則]p284
345疑悩とわれらの敵の誘いを察知し悟る上で、次の注意事項は助けとなる。
[解説]この規則はイグナチオが修行の初期段階のマンレサで体験した
激しい疑悩体験から生まれたものである。
まず、「誤った判断」(第一注意)と区別して、
「真の意味ぼ疑悩」を明確に定義する(第二注意)。
次に疑悩には積極的な価値があることが述べられ(第三注意)、
更に疑悩によって落ち入る二つの危険性について警告する(第四注意)。
最後に、このような危険な状況において
魂が取るべき方策について述べる(第五・第六注意)。
真の疑悩はただ単なる心理的反応なのではなく、
「われらの敵」が私の魂のうちに起こす「誘い」が問題なのである。
それは魂の中で行われる霊的戦いの実現である。
だから、「罪を犯したという思いが外から(de fuera)私に入ってくる」
と言われている。
346第一注意 俗に「疑悩」というのは、
われわれの判断力と自由から起こるもので、
罪でないものを罪と思い込む時の如きものを言う。
たとえば、十字架の形をした藁くずをある人が偶然に踏んだことを、
罪を犯したと自分の判断で思い込むような場合である。
これは厳密には誤った判断であって、真の疑悩ではない。
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363 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/29 22:40
【 創造主であり唯一の神との契約 ユダヤ教のシェマァの祈り 】
★マルコ伝12:29 イエスは答えられた。
「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
★マルコ伝12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
★申命記6:4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
★申命記6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
★申命記6:6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
★申命記12:31 あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。
彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行ない、
自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである。
★申命記12:32 あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行なわなければならない。
これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。
★申命記13:1 あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現われ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、
★申命記13:2 あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、
「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう。」と言っても、
★申命記13:3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。
あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、
ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。
★申命記27:26 「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」
民はみな、アーメンと言いなさい。
★ヤコブ書1:15 そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
★コリントα書15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
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324 :名無しさん@1周年 :03/02/09 02:06
>323 つづき。
聖書的には、教会の頭はキリストで信ずる者達はその手足、
キリストはブドウの幹であり信ずる者達は枝、
同じパンを食べ同じキリストの体の一部になる集まりが教会では?
旧約の民は主の集会の幕屋の除酵祭で同じパンを食べた。
ではエホ証の集まりは?といえば、幕屋や教会ではなく聖書研究会か同好会なはず。
ところで、
@幕屋はカハール、王はメレク(メルキド?)。
A都市はポリス、王はバスィレゥス(ワシリー)、指導者はアルコーン。
B会堂はシナゴグ、王はメシア(マーシーアハ:油注がれた者)。
C教会はエクレシヤ、王はキリスト(クリーストス:油注がれた者)。
Dへブライ語で、救いの神はハエル・イェシュアテーヌ、主はアドーナイ。
Eギリシア語で、救いはソーテーリア、主はキュリオス。
参考箇所、
@キリスト教の異端p75 聖書が原語で読めたならp71
A聖書ギリシア語入門p9 聖書ギリシア語入門p31 エウセビオス教会史1p42
B新共同訳聖書−用語解説(22) 聖書が原語で読めたならp45
Cキリスト教の異端p75 聖書が原語で読めたならp45
Dヘブライ語聖書対訳シリーズ33詩篇68篇20節 新共同訳聖書−用語解説(30)
Eエウセビオス教会史1p13 新共同訳聖書−用語解説(30)
●ろんぎぬすの専用スレッド6■
161 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/19 14:24
三位一体の第二位者は、裁きをする神の子で、第一位者は父なる神で直接は裁かない。
つまり、アテネ(アテナイ:Αθηναι)の
司法長官の9人の執行官(アルコン−テス:αρχοντεσ)の第二位者と同じ。
ニカイア信条の「審判する為に還来たり、その支配(=国)終わりなからんを」とは、
新約聖書の言う携挙の際に天に昇って、生ける者と死せし者が、天の支配地で見合わないのかね?
パリサイ人との会話で、硬貨を見せて納税の質問の時に、何の銘(書き名)であるのか。
と言って、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい、
ではなかったのかね。つまり、この世はカエサルに任すが、神はこの世の者ではない。
それにパリサイ人との復活についての会話で、
神は、アブラハム・イサク・ヤコブの神で、生きている者の神、とも言った。
ピラトとの会話で@この世の国のものかAユダヤ人の王なのかB真理とは何か、
と言った時、@この世のものでないAその通りであるBあかしの為に世に来た、と答えた。
十字架に掛かった時のピラトの書かせたへブル語・ラテン語・ギリシア語の罪状(書き名)が、
ギリシア語・新約聖書・ヨハネ19:19 @Ιησουσ Aο Ναζωραιοσ
Bο βασιλευσ Cτων Ιουδαιων
CユダヤのB王(支配者)Aナザレ人@イエスなら、へブル語とラテン語の記述が意味を左右する。
多分「王」という単語だとは思うが、手元にないので何ともいえない。
少なくとも「この世」の王国(支配する国)の王国会館ではないし、王の王は「皇帝」であろうから。
またニカイア信条に「一つの聖なる公なる(カトリック)使徒の教会(エクレーシア)」とあるように、
この世には、イエスを頭とする「教会」エクレーシア(集会)がある。
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164 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/19 14:37
>俺サンへ、ギリシア語で「偶像」の定義も危ういモノがある。
使徒5:15 影を投げかける επισκιαση(エピ スキア セ)
コロサイ2:17、ヘブル8:5 影(暗黒) σκια(スキア)
ヘブル10:1 影(肖像、形) εικων(エイコーン)
ヤコブ1:17 影(移りゆく影) αποσκιασμα(アポ スキア スマ)
ειδωλα(エイドラ:偶像)と、
εικων(エイコーン=イコン:影・肖像・形)は、語彙としては明らかに違う。
ただ、まかり間違うと「影かたち」と言えど「偶像」の誹りを免れない。
マルコ12:16
彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、
「これは、だれの肖像(εικων)、
だれの記号(銘=罪状書:επιγραφη)か」。
彼らは「カイザルのです」と答えた。
マルコ15:26
イエスの罪状書き(記号=銘:επιγραφη)には、
「ユダヤ人の王」(Ο βασιλευζ των Ιουδαιων
ホ バシレイウス トン イウダイオン)と、
しるしてあった。
Tコリント15:49
すなわち、わたしたちは、土に属している形(εικονα)をとっているのと同様に、
また天に属している形(εικονα)をとるであろう。
コロサイ1:15
御子は、見えない(神のかたち:εικων του θεου)であって、
すべての造られたものに先だって生れたかたである。
と、あるように「天に属する形」「神のかたち」を見て敬うので、
「イコンを天国の窓」と称しているモノと思われる。
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆
578 :名無しさん@1周年 :02/12/29 14:21
>569
× 1人の祭司、1人の将軍、6人の裁判官という役割分担の9人の執政官とも違うようです。
○ 1人の主席、1人の祭司、1人の将軍、6人の裁判官という役割分担の9人の支配者とも違うようです。
で、
主席は筆頭アルコン、王であり祭司のアルコン・バシレウス、
軍事や外人事務のポレマルコス、裁判官は司法を扱うテスモテテス、
アルコンは第一人者・高官・支配者の意味。
のち民主制のポリスの政治は10人の将軍(ストラテゴス)に移行した。
ドーリア人など西方方言のポリスでは、アルコンの語を用いず、
デミウルゴス(共同体の為の働き手・公共職人)という名称だった。
新約聖書を書いたコイネ・ギリシア語([万国]共通ギリシア語)は、
アッティカ方言(東方方言)のギリシア語から派生。
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆Part2
170 :名無しさん@1周年 :03/02/14 20:11
>169
× 聖霊の中(うち)に父なる神に祈るっているのですよ。と、思って日ごろ暮らしていますが。
○ 聖霊の中(うち)に父なる神に祈っているのですよ。と、思って日ごろ暮らしていますが。
あと、指導者はコイネや古典ギリシア語でアルコン。
ポリス(都市国家)アテナイの指導者(アルコン)は、9人の役割分担があるが、
アルコン・バシレウスは祭祀の指導者(王)。
アルコン・ポレマルコスは軍事の指導者(軍事長官)。
といった具合。支配の分野が違う。
→ パイドロス プラトン著 岩波文庫 青601−5 p155
ポリスの支配者はアルコン(指導者・政務官)だったが、
後にペルシャ王を、単にバシレウス(王)と区別して呼んだ。
そして、ペルシャが倒れると、
マケドニアのアレキサンダーを大王(ホ・メガス・バシレウス)と呼んだ。
阿含宗という宗教27
361 :名無しさん@1周年 :02/10/10 06:06
>360 つづき。
ポリス(都市国家)時代のアテナイでは、
バシレウスを9人のアルコン(執政官・政務官・裁判官)の内で、
最高裁判官(最高判事)を意味する言葉となった。
この事からバシレウスは、
ペルシャの世の最後の闇と光の戦いのあとの最期の審判の審判者になぞらえ、
ペルシア王の称号となり、
ついでペルシアを征服したアレキサンダー大王(アレキサンドロス・ホ・
メガス・バシレウス)と呼んだ。
そのギリシア世界を唯一のユダヤ神が選んだ、キリストが最期の審判者となるという発想なので、
極東漢字文化圏でたとえるなら、死後の裁きの閻魔大王その方とも、
閻魔大王を父として、息子が弁護側の弁護士になぞらえる事ができる。
父の神に対して、子の神キリスト・イエスは、
自分の十字架イケニエを信じる者に、無罪放免を主張する、
弁護士の役割を果たすからだ。
それで、イエスはユダヤの契約違反の罪のツグナイ。
キリスト信者の失敗のアガナイのイケニエだといった。
父なる神は無限の存在で、人間は有限な存在とされた。
無限の神の子イエスが律法を違反した場合は、
負債を負うルールの呪いを解く為に十字架イケニエになり、
契約違反なる罪なる負債を相殺したので、
その相殺を信じた者(キリスト信者)を、無限に赦せる立場と考えられた。
阿含宗という宗教27
360 :名無しさん@1周年 :02/10/10 06:06
>バウさんへ。
ヨク別の思想・別の宗教の発想の根底を理解して下さい。
地中海式発想とインド式発想と日本の新興宗教家の発想と、
違いの分かる人になれますように。
メシアでカチンと来たから、もう幾つか。
ユダヤ人だけの一国・一王国の王を、
へブル・ヘブライ語で「メシア」と称したが、
当時、英語みたいに共通語(コイネー)で使われた言語がギリシア語だった。
ヘブライ語「メシア」をコイネー・ギリシア語で、
翻訳に当てはめた語彙(ボキャブラリ)が「キリストス」で、
現代ギリシアは訛ってニコライ堂のような「ハリストス」と発音した。
ギリシア語で「キリスト」という場合は、
単に油を注がれた者でユダヤ王だけでなく。
当時知られていた地域の「全世界の王」の意味で使っていた。
救世主・救い主は「パントクラトーラ」だけでなく、
「ソーテーリアン」という別の語彙もある。
コイネー・ギリシア語でいうユダヤ王、ユダイオン「バシレウス」は、
現代英語だと、ジュー「キング」という。
古典ギリシア語でいうバシレウスは、
古代アテナイ(アテネ)の祭祀をする王という意味で、
ギリシア系ペリシテ民族と戦った、
武力によるユダヤ王サウルと性格の違う「王」の意味であった。
阿含宗という宗教27
360 :名無しさん@1周年 :02/10/10 06:06
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2003−02−19訂正。
× 「パントクラトーラ」
記憶違いの可能性があります。まだ図書館で調べていません。調べ日は未定。
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●ろんぎぬすの専用スレッド6■
16 名前: ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM 投稿日: 02/10/17 22:16
【 天国についての考察 】
パチンコ屋の「パラディソ」は[ギリシア]語で「天国」の意味。英語への外来語でパラダイスの語源。
@天国(ペルシア語・園や庭)とA神の国・B御国=王国(ギリシア語)は語彙が違う。
マタイ伝3:17、神の国は近づいた。は、エック・トン・ウラーノン・レゴーサ。
ウラーノンは「天[国]」の意味だ。
神はテオとかテオスだから神の地?テオ・イア?
王国はバシレ・イア(支配−地)で、王はバシレ・ウス(支配−者)。
ソクラテスの弟子に無理やり弟子入りしたディーオゲネース・ホ・キュオーン、
(犬のディオゲネス)にアレキサンダー大王は、
エゴー・エイミ・アレクサンドロス・ホ・メガス・バシレウス。
(わしがアレクサンドロス大王である)と名乗った。とあるから、
ヘレニズム時代ごろの王=バシレウスは間違いないだろう。
エゴーは「私」でメガスは「大きい」の意味。エゴイストのエゴとメガトン級とかのメガ。
また天国は、
ギリシア語が「パラディソス:παραδεισοσ」
ペルシア語が「ベヘシュート」アラビア語が「ジャンナ」
ペルシア語の庭園は「ハーグ」花園・バラ園は「ゴレスターン?」で、
垣や囲みの語を「ペルシャ語会話本?」から見つけられませんでした。
語幹を探し出せませんので、今のところ何ともいえません。
また、
現代ギリシア語で「ギリシア」の事を「Ελλαδα:エルラダ」と言い以下、
ギリシア人(女性)「ελληνιδα:エルリニダ」
ギリシア人(男性)「ελληνασ:エルリナス」
ギリシアの「ελληνικοσ:エルリニコス」でした。
「おばあさん」を「νονα:ノナ」で、
「名親(男性)」を「νοννοσ:ノンノス」と書きます。
「キリストは・よみがえり給えり」は、
「Χριστοσ:ハリストス・Ανεστη:アニスティ」
「キリスト教徒」は「χριστιανοσ:ハリスティアノス」
●A●マリヤ崇敬反対分家スレッド●A●
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ttp://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1033738160/844 844 名前:ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/21 22:29
>カトリックの方へ?
>1のDの否定で、キリストの受肉の解釈は コレでヨイでがしょうか?
ドケティズム__霊は神で肉体は悪魔。天使が人となって仮に現れ、十字架後に人を捨てて天に戻った。
サベリウス___神は、父なる神から子のイエスに変身し地上に現れ、復活・昇天後は聖霊に変化した。
アポリナリオス_霊は神で、魂と肉体は動物と同じ人間となって現れた神。
正統教理____霊も人性と神性(神のロゴス)を持って、原罪の贖罪や神の啓示の役割を果たす。
____受肉は、神のロゴスが霊(理性)・魂(心・精神作用)・肉体の3つの人格にともに宿り、
____3つの人格に人性・神性が、分かたれず混ざらずに存在する。
____主なる神の父・子・聖霊の3つの側面を神格と呼んだ。
動物には、人間特有の「道徳を知覚し理性」が存在する霊はなく、魂と肉体だけの生き物である。
マリヤは、霊(神)魂(人)肉体(人)を生んだ(アポリナリオス異端説)のではなく、
マリヤは、霊(神のロゴス・人)魂(神のロゴス・人)肉体(神のロゴス・人)を生んだ。
肉体には復活ゆえに人にはない神性があり、霊には神にはない原罪の贖罪ゆえに人性が存在した。
マリヤは、子の側面の神格を生んだので、神を生みし者(テオトコス)と称した。