>160 :名無しさん@M :03/02/10 23:37
>・・・「神の国」(神の一元的支配)の到来・・・
【 国語辞典(講談社) 】
いちげん【一元】(名)@一つのもと。A事物の根源的原理を一であるとして、
その一つですべてを説明すること。←→二元・多元。・・・
−てき【−的】(形動)←→二元的・多元的。
@すべての事物の変化の根本はただ一つであるとするさま。「・・・」
A表面にはさまざまな姿・形を示していても、
ある一つの原理により統一されているさま。「・・・」
−ろん【−論】(名)←→二元論・多元論。哲学で、
@ただ一つの原理、たとえば概念とか物質などだけで、一切を説明しようとする考え方。
唯心論・唯物論など。
A物質と精神は対立せず、究極の実在、たとえば神を考えて、
両者を統一的、一元的な実在であると見る論。
※
唯心論:たとえば中期大乗仏教の唯識論。近代思想のユング・フロイトの心理学。
唯物論:たとえば近代思想のマルクス経済学や共産主義政治思想。
>160 :名無しさん@M :03/02/10 23:37
>@生きている間は、信者の霊において(ガラテヤ2:20)、キリスト者の肉体の死後は、霊的な世界で
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
ガラテヤ2:18−3:5
19 とを示すことになります。−わたしは律法によっ
て律法に対して死に、神に対して生きるようにな
ったのです。わたしはキリストとともにもはや十
20 字架につけられています(9)。−生きているのは、も
はやわたしではなく、キリストこそわたしのうち
に生きておられるのです。今わたしがこの世に生
きているのは、わたしを愛し、わたしのために身
をささげられた、神の子に対する信仰によって生
21 きているのです。−わたしは神の恵みを無にはし
ガラテヤ【2】(9)本節中の「律法によって死ぬ」については
本書簡3:13(なおその注(9))を、「律法に対して死ぬ」についてはローマ7:4を、
「神に対して生きる」についてはローマ6:10〜11を、
「キリストとともに十字架につけられる」についてはローマ6:6を、
それぞれ照合することによって、本節全体をよりよく理解することができよう。
ローマ6:3〜6、10〜11でパウロは、どのようにして、
キリスト者は洗礼により罪に対して、すなわち、罪の支配に対して死んだのか、
そして今は、彼の内にある古い自己がキリストとともに十字架につけられ、
キリストの内にあって「神に対して生きる」者となったのか、を述べている。
ローマ7:4で、パウロは、人がキリストとともに死んだことは、律法に対して、
すなわち律法の支配に対して死んだことであり、
律法の要求はもはやキリスト者を拘束できないことを述べている。
>160 :名無しさん@M :03/02/10 23:37
>あるパラダイスにおいて(ルカ23:43,ピリピ1:23)、神の国はすでに到来している。(>68)
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
ルカ23:35−47
43 た。−イエズスは、「あなたがたによく言っておく。き
ょう、あなたはわたしとともに楽園にいるであろう」と
仰せになった。
ピリピ【1】(8)パウロは「イエズス・キリストの霊」が、
パウロの生活を地上の上でのイエズスの生活と同じようなものにするという考えを、
19節でほのめかしている(2:5、特に、ガラテヤ2:20参照)。
この地上で生活するパウロにとって、
キリストはパウロが行なうすべてのことを鼓舞し動かすと同時に、
到達点そのものでもある。死は人生の終わりではなく、いのちの新しい状態への移行、
すなわち、この地上におけるあらゆる制約や制限のない、
キリストとともに生きるいのちの始まりである。
したがって、パウロは「死ぬことはまさにもうけものである」と言う。
また、23節でも、自分のことに限って言えば、
以上の観点から、「死のほうがはるかによい」と述べている。おそらくこの時、
パウロは自分が死刑に処せられるかもしれないと考えていたと思われる。
【 カトリック要理(サンパウロ) 】
第十四課 死と死後のこと
天国・地獄・煉獄
・・・(ローマ14・8)
60 人間は死んでから、どうなりますか。
人間は死んでから、からだは土にかえり、霊魂は一生の善悪について神にさばかれます。
各人は死後神のさばきを受け(私審判)、すべての人びとは世の終わりに、
よみがえってから一緒にキリストのさばきを受けます(公審判)。
・・・(ヘブライ9・27、ローマ14・10−12、Uコリント5・10参照)
61 死後のさばきを受けて、人間はどのようになりますか。
・・・。
・・・(ルカ23・43)・・・(ピリピ1・23)
62 天国の幸いは何を意味しますか。
・・・。
・・・(黙示録21・27)・・・(マタイ5・8)・・・(Tコリント13・12)
・・・(黙示録7・9)・・・(Tヨハネ3・2)・・・(黙示録21・3−4)
64 煉獄のきよめは何を意味しますか。
・・・(マカバイ記下12・45、質問50の3参照)
・・・(ヘブライ9・27参照)・・・(マタイ25・31−46参照)
・・・(マタイ25・26参照)・・・(マタイ22・13と25・30)
・・・(マタイ25・41参照)・・・(『教会憲章』48)
【 ウェストミンスター信仰基準(新教出版社)日本基督改革派教会大会出版委員会編 】
ウェストミンスター信仰告白p108−109
第23章 人間の死後の状態、死人の復活について
ニ 終わりの日に生存している者は、死を味わわないで変えられる1。
死人はみな異なった性質をもってではあるが別のものではない
まったく同じからだをもってよみがえらせられ、彼らの霊魂に再び永久的に結合される2。
1 Tテサロニケ四・一七、Tコリント一五・五一、五ニ。
2 ヨブ一九・二六、二七、Tコリント一五・四ニ−四四。
第33章 最後の審判について
一 神は、イエス・キリストにより、義をもってこの世界をさばく日を定められた1。
すべての権能とさばきとは、み父から彼に与えられている2。
その日には、背教したみ使いたちがさばかれるだけでなく3、
かつて地上に生きたことのあるすべての人も、彼らの思いと言葉と行いとのために申し開きをし、
また善であれ悪であれ彼らがからだで行ったことに応じて報いを受けるために、
キリストの法廷に立つ4。
1 行伝一七・三一。
2 ヨハネ五・二ニ、ニ七。
3 Tコリント六・三、ユダ六、Uペテロニ・四。
4 Uコリント五・一〇、伝道一ニ・一四、ロマニ・一六、一四・一〇、一ニ、
マタイ一ニ・三六、三七。
>162 :名無しさん@M :03/02/11 00:27
>Pさんの場合、「患難時代前携挙説」と、「生きている間にイエスを信じなかった者はすべて
※ 携挙ほか
一テサロニケ4:13−18 眠った人々のことについては、・・・
ニテサロニケ1:5−10 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、・・・
【 現代日本における キリスト教の異端(ニューライフ出版社)森山諭著 】
p68 ・・・空中再臨と地上再臨・・・
空中再臨されますと・・・(Tコリント一五・五〇−五四)・・・(Tテサロニケ四・一六〜一七)。
これを「携挙」(ラプチャア)と呼びます。
それから地上は、七年間の大艱難時代に入ります(ダニエル九・二七=一週とあるのは七年のこと)。
p70 ・・・目下日本の十二教団で組織する・・・「日本福音同盟」では、
その信条の中に、「本連盟はイエス・キリストの可視的(注、目で見えることができるの意)
再臨を信ずる」の一項目を入れてあるのです。
第三、再臨の期日を設定するものは異端であります。・・・
p73 ・・・ 第五、いま一つ、再臨と「千年王国時代」の問題・・・、
三つの異なる立場があるのです。
(1)、千年期前再降臨説(プレ・ミレニアリズム)
(2)、千年期後再降臨説(ポスト・ミレニアリズム)
(3)、無千年説(アンチ・ミレニアリズム)
・・・前再降臨・・・支持する者に、ブラックストン、サエス、ゴーデー、
アルフォード、ルサフォード、ファーン、ベルゲンなどがいます。
・・・後再降臨説は、・・・D・ホイットビー、スノーデン、ジャックソン、ケイズなどがいます。
無千年説の支持者は、・・・G・L・マーレー、ハミルトン、フロイドなどがいます。
p74
・・・初代教会・・・「千年期前」・・・ヨハネの弟子ポリュカルポス[教父]、パピアス[教父]、
ユスティヌス[教父]、イレナエウス[異端反駁]、テルトゥリアヌス[三位一体]などがいます。
・・・三一三年・・・教会に迫害がなくなり・・・聖霊降臨を再臨と見、
教会制度を千年時代と見た者[アウグスティヌス[恩寵説]]も出てきましたが、
マルティン・ルターの宗教改革以来、・・・前再降臨説を正しいと認めています。
>163 :名無しさん@3周年 :03/02/11 00:48
>イザヤ48章は、45章の間違いでした
>ダニエル書は聖徒たちが地上の王国を永遠に受けるとのべています
【 実用聖書注解(いのちのことば社) 】
注解 イザヤ 44−45章 45−47章
44章 本章は,イスラエルの神と周囲の偶像の神々とを対比して描写することにより,
・・・〈クロス〉が〈わたしの牧者〉と呼ばれ,
エルサレム再建のために用いられることが預言されている(28).・・・
45章 「わたしの牧者」(44:28)と神に呼ばれたクロス王は,
この45章の冒頭では〈油注がれた者〉(1)と呼ばれている.
この語は「メシヤ」という語と同じ語源で「救世主」の意味も含んでいる.
・・・神がなさることは被造物である人間には理解し得ない部分があることを認め,
偶像ではなく,神にのみ救いがあることを告白している(16−17).
最後の部分(18−25)は,創造主であり,歴史の支配者である神は,
ご自身の御旨をすべての者に掲示すること,本当に神を求める者には正義と公正が示され,
預言はすべて成就することが記されている.それ故神は,ご自身に立ち返り,
救いの恵みにあずかるように,と招いておられるのである.
緒論 ダニエル書 4.ダニエル書の使信 (3)救い
・・・天の神は,人間の帝国とは異なった
普遍的で永遠的なもう1つの王国を建設されるのである.・・・
・・・神の国が他のすべての帝国(四帝国)に代って支配するという形で歴史に介入する.
・・・そこで迫害を受けた者は,聖徒も殉教者も,後にみな神の国に入る,と述べる.
最後に,義人と悪人が復活するという,個人の復活を述べる.
・・・その方の教会はその幻の完全な実現を望み,・・・御国と完全な救いは,
キリストにおいて姿を現すのである.
【 新約聖書 】
ローマ: 2: 1 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。
あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。
さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。
・・・
2: 3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。
あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。
・・・
2: 6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
【 新約聖書 】
ローマ-14: 1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
・・・
14: 3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
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14: 4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。
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しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。
このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
14: 5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、
どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
14: 6 日を守る人は、主のために守っています。
食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。
食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
【 出典の詳しい箇所が見つからない。。。ソウカにピッタリなんだが。 】
クねずみ?ヒねずみ? 宮沢賢治
屁をひった幾つひったの輩? 夏目漱石
善女を殺す機会をいつも狙った悪女が地獄に落ちた? 仏典
ダルマを獲物でも狩るよう師匠から狙って破門された? 仏典
【 仏教聖典(仏教伝道協会) 】
法句経
戦場において、数千の敵に勝つよりも、
自己に勝つものこそ、最上の戦士なり。(一〇三)
もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行い、
おのれの心を浄くす。これ諸仏の教えなり。(一八三)
「なかま」第三章 仏国土の建設 第一節 むつみあうなかま
p244 六・・・王は王子を見つけて、「長く見てはならない。短く急いではならない。
恨みは恨みなきによってのみ静まるものである。」と、ひとり言のようにつぶやいた。
p245 ここに「長く見てはならない。」というのは、
恨みを長く続かせるなということである。
「短く急いではならない。」というのは、友情を破るのに急ぐなということである。
各章節の典拠
p276
「なかま」第三章 第一節 五 パーリ、律蔵大品、一〇−一−ニ・・・二四四 一
六の典拠の記載がない。。。