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428名無しさん@1周年
【 教会暦(カトリック) 】
2003年2月23日(日)年間第7主日 テ・デウム歌う日 
第T朗読 イザヤ43:18−19,21−22,24b−25 先の事どもを思い出すな【新改訳】
第U朗読 ニコリント1:18−22 しかし、神の真実にかけて言いますが【新改訳】
福音朗読 マルコ2:1−12 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると【新改訳】

●聖書用語検索(新改訳)http://www.gospel-haiku.com/info/biblesearch.htm
●『新共同訳聖書』検索 http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/bible01.NSF/76ed8fbcd879657149256540001bebc0/$searchForm?SearchView
★聖書とは http://www.bible.or.jp/info/inf01.html

★聖書で読み解く欧米人の深層心理!http://home.att.ne.jp/wood/aztak/honnyakunosekai.html
★私生活での祈祷 http://www.orthodox-jp.com/nagoya/nandemo20.htm
★公教要理 索引附 --昭和27年3月5日-- http://www.aba.ne.jp/~mikami/catech.htm 
★ニカイア信条を学ぶ(日本キリスト教団・改革長老教会・鎌倉雪ノ下教会)
ttp://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
429名無しさん@1周年:03/02/22 13:55
【 聖書の世界(自由国民社) 】
旧約聖書ダイジェスト 後の預言書 後の預言書の構成 
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルの三大預言書とホセア以下の一ニの小預言書は総括して、
「後の預言書」と呼ばれる。「前の預言書」が、実際には、歴史書であるのに対し、
「後の預言書」は古代イスラエル預言者たちのことばをその内容としており、
預言書と呼ばれるに相応しい。

 古代イスラエル預言の特徴 
古代イスラエル預言者(ヘブライ語でnabi’〈nb’「呼ぶ、語る」〉)の主たるつとめは、
将来の出来事の予告にではなく、神ヤハウェの意思の告知にあった。
ヤハウェの意思を民に語るべく、ヤハウェの召命を受けた人物、これが預言者であった。
・・・非日常的な幻聴体験と幻視体験である。
「主(ヤハウェ)のことばが・・・・・・に臨んだ」とか
「主(ヤハウェ)が・・・・・・に語られた」とかいわれる場合が前者であり、
「・・・・・・が見た幻」とか
「主(ヤハウェ)が・・・・・・に示された(=見させた)」と報告される場合が後者である。
もっとも、幻聴や幻視の体験を通して神の意思を知る、
ということ自体は広く見られる宗教現象であって、古代イスラエル預言の特質ではない。
・・・伝統とは、モーセ時代以来の倫理的契約宗教としてのヤハウェ信仰であり、・・・。

 預言書の成立
総じて預言書は、個々の預言者が語ったことばを中心に構成されている。それらが、
預言者自身によってあるいは預言者に親灸[シンキュウ]した者たちによって書き留められ、
編纂され、最終的には預言者の時代から数百年を経て、
捕囚後に、現在のような形にまとめ上げられたのである。・・・とくに、
捕囚後の教団国家の時代、神殿で朗唱される際に改変された部分も少なくない。
しかし各書の中核には、・・・。伝承させた内的原動力はここにあった。
430名無しさん@1周年:03/02/22 13:56
【 実用聖書注解(いのちのことば社) 】
イザヤ 42−44章 43章
そして最後に,かつてイスラエルをエジプトから奇蹟をもって救い出された神が、
これから後,イスラエルを回復させるのみでなく豊かに祝福し,
一方的な恵みを与えると約束される.イスラエルの民には罪赦される何の功績も根拠もない.
先祖たちも偽預言者たちも背いたので,エルサレムの聖所は破壊され,
民はバビロンに捕囚となりののしられるようになる(16−28).

【 新約聖書略解(日本基督教団出版局) 】
マルコ 2章 ニ・一〜一ニ 中風の者と罪のゆるし(マタ九・一〜八、ルカ五・一七〜ニ六)
・・・イエスは罪が病苦の唯一の原因とは信じなかったようだが(ルカ一三・一〜五、
ヨハ九・二以下)、
人間の苦悩の根源を罪にもとめ、霊的回復がからだの健康に不可欠な条件と考えていた。
・・・確かに旧約思想によれば、
罪のゆるしは神の大権で(出三四・六以下、イザ四三・ニ五、四四・ニニ)、
この権限の侵害は冒涜であり、・・・ついにはそれがイエスの死の訴因となった(一四・六四)。

【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
マルコ【2】(1)この家はペトロとアンデレの家のことであろう(1:29参照)。
(2)今日でもそうであるが、当時のパレスチナの屋根はテラスのように平らであった。
屋根は木の枝などの上に粘土を約三十センチの厚さに置いて、固めたものである。
したがって屋根に穴をあけるのは容易であった。
431名無しさん@1周年:03/02/22 13:57
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
ニコリント【1】(6)17〜20節のパウロの論旨は次のようなものである。
神の子イエズス自身が、神のすべての約束の具現者という意味で、
その全存在を挙げて神の意思に対する不変の応答、つまり、
「はい」にほかならないように(20節)、ひたすらこのキリストを宣べ伝えるパウロの宣教は、
神の意思に対する「はい」である。パウロの全行動は宣教と一体をなしており、
計画の変更は、「はい」から「いいえ」に変わるというようなものではなく、
コリントの信者のためを思うことによって生まれた新しい状況に対処するための
今一つの「はい」である。
計画の変更は、パウロ自身の無責任や、利己的な、あるいは身勝手な(「人間的な」−−−
文字どおりには「肉による」)動機によるものでもなく(17節)、かえって、
キリストにおいて自分と一致しているコリントの信者を苦しめることのないようにという、
聖霊に導かれた思いやり、愛が動機となっている(21〜23節参照)。
(7)黙3:14では、キリスト自身のことを「アーメンである方」と呼んでいる。
コリントの信者は典礼の際、キリストにおいて、キリストによって、
「アーメン」と唱えることにより、パウロの宣教の対象であり、
また生命の根拠ともなっている(ガラテヤ2:20)キリストの真実の証しをする。
(8)聖霊は、キリストと一致した者にとって新生活の生命の源であり(ヨハネ7:37〜39)、
キリスト者が神の子であり、したがってまた、神の栄光をやがていつか受け継ぐことになる者である、
ということをキリスト者自身の霊とともに証をする(ローマ8:15〜17、
ガラテヤ4:6〜7参照)。入信者にこのように恵まれる聖霊は「手付け」と呼ばれているが、
ここでは未来における完全な救いを保証するものとして、
前もって与えられる部分的な恵みを意味している。
同様な考えが、ローマ8:23(その注(10)参照)では「初穂」の例えで表されている。
5:5とエフェソ1:14でも、聖霊に関して「手付け」という語が用いられている。
432名無しさん@1周年:03/02/22 13:58
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
ローマ【8】(10)ニコリント5:2〜4参照。
「初穂」とは、ここでは、現在すでに与えられている賜物を指し、
将来与えられる完全な賜物を保障するものである(一コリント15:20、
ローマ11:16、なおニコリント1:22、5:5、エフェソ1:14参照)。
聖霊はすでに「初穂」として与えられており、
われわれの終末的栄光を保障する(ニコリント3:18参照)。
433名無しさん@1周年:03/02/22 14:21
【 新約聖書(フランシスコ会聖書研究所訳注) 】
黙示録【21】(9)新エルサレムの叙述はエゼキエル40〜47章に基づくものである。
(10)同じような表現はイザヤ60:1〜2:19、ゼカリヤ2:〔5〕、9に見られる。
(11)出28:21、エゼキエル48:30〜35参照。
新エルサレムの構築は、城壁、門、土台の三つで出来きている。
新エルサレムは天から下ったもので、天使たちがこれを守る(イザヤ62:6参照)。
(12)エフェソ2:19〜20参照。
(13)エゼキエル40:3参照。
(14)前節の「正方形」は、完全の象徴。昔の有名な大都市(例えば、バニロンやニネベ)は、
いずれも正方形であった。「一万二千スタディオン」は約二、三〇〇キロであるから、
文字どおりとるべきものではなく、十二部族の十二に千を掛けた象徴的な数であろう。
「百四十四クビト」は十二の十二倍であり、これも同じく象徴的な数であろう。
なお一四四クビトは約六十五メートル。
(15)19〜20節の十二の土台の宝石は大祭司の胸当てにちりばめられた石と
ほとんど同じである。(出28:17〜39:14参照)。
また、ツロの王の着物を飾った宝石とも、いくらか似ている(エゼキエル28:13参照)。
なお、18〜21節については、トビト13:17、イザヤ54:11〜12参照。
(16)エルサレムの神殿の滅亡は、古い契約の終わりとなり、新しい契約が始まる。
以後、キリストの神秘体は、新しいエルサレム神殿となる(ヨハネ2:19〜21参照)。
(17)本節の概念はイザヤ60:1〜2:19〜20と符合する。
(18)24〜26節はイザヤ60:3、5、11に基づく。
(19)イザヤ35:8、52:1、ゼカリヤ13:1〜2参照。
「いのちの書」については3:5注(4)参照。

黙示録【3】(4)本節は終末的な報いを表わすものである。
「白い衣」は、勝利のしるしであり、栄光に上げられた殉教者の象徴である。
これと同じ概念については3:18、4:4、6:11、7:9,13参照。
「いのちの書」については、出32:32〜33、詩69:29、黙20:12参照。
「父の・・・・・公言する」についてはマタイ10:32、ルカ12:8参照。
434名無しさん@1周年:03/02/22 14:24
ギリシア語で「万能(万物・全世界)の主」は「パントクラトール」。
→ギリシアの歴史の本のイエスのイコンの説明から。

ヘブライ語で「万軍」は「サェヴァオト(サワオフ)」。
サヴァオは「出でる」の意味、万物を出だす、万物の統治者に意味がつながる。
→いのちのことば社の聖書辞典とミルトスのヘブライ語聖書の説明から。

正教の聖書で「サワオフの主」と書くのは、
明治時代の当時の中国は清国の満州王朝で、
その満州軍を、満軍の発音と同じ発音で万軍とされて紛らわしいので、
サワオフの単語に当てたと思われる。
正教の日本語の聖書は、中国版漢訳聖書からの翻訳と思われる。