●ろんぎぬすの専用スレッド8■
>250
カバラという読みはヘブライですが、ギリシアはゲマトリア?という読みです。
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆Part2
>114
「ハル・マゲドン」(ハル(の山・の丘)・メギド)を日本語に意訳だと、
単に、神と悪魔の決戦で日本の天下分け目の東西決戦や赤組白組の意味で、
地名の当てはめだと「関が原」という意味です。
☆もとぴさんと一緒に聖書を解釈しよう☆Part2
>113
>聖書翻訳に対して加えた弾圧の歴史があります
原語解釈と翻訳語解釈のズレをなくすためでした。
一般人には翻訳聖書は平易ですが、本来的な意義を理解できません。
旧約(申命記?)の「聖絶」は、ヘブライ語で単に「皆殺し」でしたし、
新約でピリピ書の「固執」の原語「ハルパグモン」も単に「獲物の争奪」の意味でした。
「奪う」「守る」で意味が違いながら、対象は「獲物」だったのです。
このように翻訳聖書規制は「翻訳による言葉尻」で、
聖書の「原義を捻じ曲げる」新興宗教や異端分派の協会を生み出さない為の、
正統キリスト教会における組織統制政策の一環だったわけです。
しかし今では、宗教改革以降の良心の究明と、科学また理性に基づく市民革命による国民国家や、
自由主義な議会制民主主義の普及における、国民一般への無償の初等教育の普及により、
母国語や外国語の理解が、一般人や下層民にも理解出来るよになり、
プロテスタントによれば、原語理解を聖職者の専門家に礼拝説教で任せ、
大雑把な意味を翻訳聖書で理解するという、低レベルの聖書教育の発展を担いました。
教育の行き届いた現代では、カトリック教会も日本語の翻訳聖書を出しています。
市販においてはフランシスコ会訳とバルバロ神父訳と新共同訳の3つです。
正教会でも新共同訳を教会の礼拝(奉神礼)の黙読や勉強会で本棚には置いています。
正教会は、聖職者の聖書の朗読で正教会の翻訳聖書で読み、
信者は礼拝朗読箇所を新共同訳聖書を読んで理解する二重構造です。