1 :
保守考 ◆WkReason5A :
04/07/04 11:44 ID:jmqp/Dt9
2 :
右や左の名無し様 :04/07/04 11:46 ID:jmqp/Dt9
3 :
右や左の名無し様 :04/07/04 11:50 ID:jmqp/Dt9
4 :
右や左の名無し様 :04/07/04 11:53 ID:jmqp/Dt9
5 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 11:54 ID:zYNxwrtp
softenを以て尊しとなす 【soften】−動:他ー @...を柔らかくする A...を優しくする、ほぐす B...を柔弱にする C...(声・音など)をやわらげる、低くする D...(色・光など)を和らげる、おだやかしにする
6 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:20 ID:jmqp/Dt9
あと、こんなのもあった。 699 名前:保守を考える :03/11/17 18:26 ID:GcKzC/jk 『天皇(制)とフィクションについて』 フィクションと言う時、その訳語として、仮構・虚構・擬制又はウソと想念されるが これらは、いずれもその用途が違う。それは辞書的解釈でも明らかな事だが、 独の哲学者、ファイヒンガーはこのフィクションを、「アルス・オプの哲学」として 自説を展開する。つまり 「 我々の科学的、日常的な知識は多くの作り物の網の目の上に組み立てられている。 しかしこの作り物であるフィクションを、実在するかのように扱う事によって、人間は 知識を深め、生活の便宜を向上させるのである。」 このように、非常に当たり前の事を述べているのだが、意味の判らない者は、一度、 何でも宜しいから、一つの物体を想念すればよい。その物体は、現実世界には絶対に存在しない。 また、このようなフィクションの有り様を相互に認識し合う形体を間主観性と呼ぶが、 それは天皇の万世一系神話に於いても、通歴史的にそうであった事は何度も論証した。 現代の非宗教信仰や非神話信仰の唯物観念は、明治以降に於いても、多くの庶民がそれに 毒され、マルクス・レーニン主義に傾倒した事でも明らかであるが、そういった傾向を 危険思想として認識していた庶民もまた片方で多く存在した。 この事は、森鴎外の「かのやうに」を読んだ事がある者であれば、納得してくれるだろう。 つまり、秀麻呂の手紙と綾小路との対話にそれが集約されているが、ここでの彼の苦悩は 勿論、天皇神話に他ならない。(まあ、一読してくれ。) 話はそれたが、フィクションの有用性は、実生活を営む我々や、今ここで、PCを通して 対話を試みている事でも証明される。 そうした観念の中に、法学的擬制概念もその合目目的効果を発揮することに繋がり、 それは、憲法一条を始めとする天皇制や通歴史的な天皇そのものにも当て嵌まる。 ここにこそ、天皇(制)の合理性の発見の手がかりがあるのではなかろうか?
7 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 12:23 ID:zYNxwrtp
>>6 フィクションは有用でも有害でもある。
天皇制擁護につごうがよいから、と有用といっているなら、つまらん。
>>一つの物体を想念すればよい。その物体は、現実世界には絶対に存在
しない。
一昔前の、相対主義っつーやつ?スカン。
8 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:29 ID:jmqp/Dt9
天皇制擁護? 散々言ってきたが、言うまでもなく意味不明の用語だな(笑 しかし、相対主義を突き詰めると、確かなモノが何一つとしてなくなるから 「主観・客観論」が盛んになるわけだが、想念されたモノは現実世界に存在しない。 という命題は、普通に真だと思うが、何か面白い見解があるのかな?
9 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 12:35 ID:zYNxwrtp
>>7 モマエが意味不明なんだよw 天皇制擁護は天皇制を擁護する
という明々白々の意味がある。それ以外になにがあるの(ワラ
>>相対主義を突き詰めると、確かなモノが何一つとしてなくなるから
「主観・客観論」が盛んになるわけだが、想念されたモノは現実世界に
存在しない。 という命題は、普通に真だと思うが、何か面白い見解が
あるのかな?
ある思考、理念、イデオロギーといったものは、物理的存在ではない
のだからあたりまえすぎる。まあ、とりたてて、いまは、不必要に噛み
つくひつようもなかろ。
10 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:37 ID:jmqp/Dt9
そうか。 天皇制擁護という言い方は、「反革命」みたいな使い方か?(笑 なんか、鳥肌がたっちゃうね(笑
11 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:38 ID:jmqp/Dt9
>>9 おっ。
勝手にキレ出したぞ(笑
まあ、ガンバッテ総括してくらさい。
12 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 12:39 ID:zYNxwrtp
>> 「天皇制擁護」という言い方は、「反革命」 寒イボでんのはこっちw。「天皇制」は「天皇制」。キョーサン がどーたらこーたらいうのはDQN
13 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 12:40 ID:zYNxwrtp
14 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:41 ID:jmqp/Dt9
だからさあ〜(笑 天皇制(ぷ を何から擁護するわけなのさ。 チミらのような山荘引き篭もり連中からなの?(笑
15 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 12:42 ID:zYNxwrtp
>>14 チミらのような山荘引き篭もり連中からなの?(笑
ほいよ。
>>12 でもくらえ。
寒イボでんのはこっちw。「天皇制」は「天皇制」。キョーサン
がどーたらこーたらいうのはDQN
16 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:44 ID:jmqp/Dt9
>フィクションは有用でも有害でもある。 >天皇制擁護につごうがよいから、と有用といっているなら、つまらん。 つまらん。という理由を述べないから、キレていると見えるわけで・・・。
17 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:51 ID:OlYgcD8T
>>15 まあ、まあ、ノウガキはいいから、何から擁護するのかに
回答を与えてくれんと、それこそ「総括」されちゃうぞ(笑
18 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 12:55 ID:OlYgcD8T
「天皇制」は「天皇制」。 ぷ。 この人、「トートロジー」って言葉すら知らないのか・・・・。お可哀相に。
19 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 13:09 ID:zYNxwrtp
「天皇制」「擁護」に「つごうがよい」から、と「有用」と いっている「なら」、つまらん。 理由は明快に書いてある。「キョーサン」を読みとったのは そちらさんでっせ。あんさん、おもわずアンチ「キョーサン」的 なカキコをしてしまってるけど、こういう発想にもとづいた発言 「なら」、「合目的的」な態度が見え見えだから、つまらん、 ってかいたの。
20 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 13:12 ID:zYNxwrtp
>>17-18 ほいよ。
>>18 とーとろじーなんかいわんでもいいの。
「天皇制は天皇制」、という発言はフツーの日本語表現だ。
21 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 13:15 ID:OlYgcD8T
>>19 はぁ?
私がアンチ共産を目的として
>>6 を書いたかも知れないゆえ、つまらん。と書いた?
すげー、久々に毒電波に襲われたと喚く、奇特なヤシを発見してしまった(大笑
22 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 13:16 ID:zYNxwrtp
「何から擁護するのかに回答を」 「何から擁護するのだろう?共産主義からだろう!」という発想が 見え見えなのは保守タンでつねw 保守タソは、なにゆえ「天皇制の合理的発見」をしたいのかにゃ????
23 :
中宮祟@ぷろ2ちゃんねら ◆aT7oJ3v1Xw :04/07/04 13:17 ID:zYNxwrtp
>>21 そんなことをいいつつ、共産的言辞、つまり「反革命」とか
書いたのはお前ではなかw
24 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 13:18 ID:OlYgcD8T
>>20 まあ、(あんまし奇特な人を相手にしても、可哀相に思うくらいなので)
どうでもいいや(笑
25 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 13:20 ID:OlYgcD8T
>>22-23 奇特な人が言うには、
>キョーサン がどーたらこーたらいうのはDQN
らしいよ(ぷ
天皇制といっても、戦前日本の天皇制と戦後天皇制は共通点もあれど、やはり 変質しているわけで、戦前の日本の天皇制支配と戦後の天皇制との差異を確認した 上で前者はもちろんのこと、後者についても弊害があるのか否かの議論が必要ではない かと思うのですが。戦後天皇制の持つ構造が、日本社会の民主的達成と自由の維持・向上 にとってどれほど大きな影響力を持つかを勘案するべきでしょう。 戦前の天皇制国家はごめんこうむりたいところですが、現在の日本にとって 天皇の日本社会に持つウェイトは低下しており、もはや天皇を社会統合の中心として 権威主義的に祭り上げようとしても無理と思われるほどに、天皇制の持つ有害性が 顕在化するような環境でもなくなりつつあるのではないかと思います。 現憲法は天皇条項が存在しますし、さしあたり憲法の範囲内で国事行為を 形式的に粛々とやっておけばいいでしょう。その意味で廃止する必要性までは 感じません。もっとも天皇をこれまで以上に祭り上げようとする試みには大反対ですが。 渡辺治のように戦後天皇制が政治史の中でどう扱われ、陰に陽に政治利用されてきたかを 論じる人もいますが。
>>24 「奇特」のつかいかた、微妙に違うような(ワラ
皮肉表現にしても、「可哀想に思うくらい...」といっているから
一貫性にかけるしw
28 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 14:37 ID:ZRUgwfiI
>>26 まず前者(明治憲法下の天皇制度)の弊害を列挙し、その弊害部分が
現行の象徴天皇制度に受け継がれているのか否かを明らかにしてくれませんか?
あと、渡辺治に限らず、現行制度の中での諸問題、例えば、内奏なり、米や中共訪問なり
或いは、昭和末期の自粛、記帳に見られる国民感情論など、いろいろな識者が
取り上げてますね。
前にも述べたように、天皇が倫理的価値の実体として超越し、あるいは 「温情あふれる」家父として個人の内面の領域にまで侵食する機能を果たした一方、 立憲君主政体の外皮をまとった政治的主権者として君臨したところでしょうか。 天皇制支配体制が究極のところ政治外的な領域に基礎づけられた歪な近代国家形成を 促し、倫理的実体と絶対的君権の一体化が権力の自己抑制を不十分なものにし、 国民への権力行使者の責任の自己隠蔽、権力の無制限の拡張をもたらしてしまったこと でしょうか。 もっとも、天皇制国家を下支えする社会構造の問題点もありますが、さしあたっては 明治憲法体制における弊害の重要部分であると思います。 戦前の天皇制が戦後の象徴天皇制にどの程度受け継がれているのか、ということですが、 私としては大部分は戦後の改革により無害化されたと思います。 もちろん戦前の権威主義的支配へのノスタルジーの持ち主も存在することはしますし、 近代的個人の創出がなされたか、と言われれば疑問もつきましょう。 ただこれは天皇制ばかりにその要因を帰すわけにもいきませんが。 いずれにせよ、余程のことがない限り、天皇が倫理的価値の実体として浮上し、 個人の内面領域の確保がままならなくなり、またそのレジームを下支えした 共同体が復活するとまでは考えがたいです。戦後の改革も原因していますが、 消費社会化の加速化の方が大きな要素であるでしょうから。
基本的に和の理念と神道の関係性について整理して述べたいのだが、有りてあるものを 特殊であると説明するのは極めて骨が折れる。 和が先ず確立すれば衆議が可能となり、衆議の中から合理性による結論が得られる。それゆえ 共同体がうまく運営されるためには、先ず和の確立が大切だ。と、和が確立されたなかでの 衆議は何事も解決できる期待をもつ。(まぁ、2chを見てもそうだが、討論で合理的結論が 得られるためには双方が和らいでいる必要がある罠。) で、なぜ衆議に期待が寄せられるかといえば、「人みな心あり。心おのおの執るところあり。 かれ是とすれば、われは非とし。われ是とすれば、かれは非とす。われ必ずしも聖にあらず。 かれ必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。 あいともに賢愚なること、鐶の端のなきがごとし。」だからである。 「鐶の端のなきがごとし。」は環(イヤリング)のように端っこがない・・・である。 まぁ現代風に言えば、価値は人それぞれ多様であり、合理を誰も定めることが出来ない、 誰かが聖で合理を定められるわけでもないし、誰かが賢くて合理を定められるものでも ない(人は皆、賢愚合わせ持つ凡夫だ)から、衆議に期待するほかはない。 和らぐ・和むと和・環・輪が関連するということで、ここに神道が意味を持つ。 全員一致を目指した衆議(妥協や譲歩によって全員一致が可能な議論でなければ、和らぐこと など望めない)は、ひとつの決断をさせられるわけだが、「和が確立されたなかでの衆議何事も 解決できる」と期待するものの、現実にはその決定に不服を持つものが出ることは、やむを得 ない。時に徹底的には離反するものも出てくる。 では、そういう者は排除するかといえば、排除しない。徹底抗戦しても排除しないという証こそ が、神道である。怨念を持ち現世に悪影響をもたらすモノを顕彰し、輪に組み込む理由は そのような意味がある。 誰でも諍いと平安では後者が好ましい。諍いは排除に対する抵抗でもある。 合議によって自分の主張は排除されたわけだが、しかしその共同体の一員であることは確保され る。必ず確保されるということが重要であり、だからこそ和らいで衆議に参加し、主張を繰り広げ る事が可能となるのである。(議論の保障)
31 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/07/04 17:04 ID:4J6+25Hv
前スレ782より、クズ本収集家氏へのレス再掲載。 >天皇制国家体制を構築するにあたり、ありもしない物語をでっち上げたわけですから。 ほうほう・・・・、ありもしないでっち上げの論証を頼むよ。断言した以上論証責任はあるわな。 何をして「でっち上げ」というのか、まぁ具体的に論証を再度お願いしておきます。
>>31 完結に言うと、戦前の日本の「国体」概念は、万世一系の皇統を中心として
これまでも同一性を維持してきたことを前提にして成り立っています。
この時点でインチキな内容でしょう。日本列島で営まれた生活が
万世一系の皇統を崇敬し、この皇統を中心として日本という同一性が維持されて
きたとする根拠がないのではないですか。それは、これまでも論じられてきた
のではなでしょうか。
そもそも、近代国民国家として成立した以後と以前とでは、同一性をそのまま
過去に当てはめることは容易にはできませんよ。例えば前スレでも登場した
網野善彦の研究成果一つとっても日本的同一性など前提にできないというものでは
かなったのではないでしょうか。
明治国家成立以前は、天皇の存在すら知らない者に対しても、国民化の過程で、
天照大神と天皇が絶対的権威であるとの言説が繰り返され、また教科書で再生産
されていったわけでしょう。「ありもしない物語をでっちあげ」とは、このような
明治国家の維持装置としての天皇制イデオロギーを指しています。
33 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 17:45 ID:o/p/x7IF
>>29 >前段
抽象的過ぎて、何を根拠としてそう言っているのか、理解できません。
>後段
これも何に対する説明になっているのか判然としません。
また、倫理的価値を天皇が持ち超越(何から?)する存在であったと、何度も出てくるのですが
これは、倫理ではなく、寧ろ今現在も受け継がれている道徳ではないかと。
天皇家自身の倫理は天皇家で継承され、完結されており(高橋絋:象徴天皇と皇室)
ある意味、道徳規範のみが、国民に対して影響を及ぼしている。と言った方が適切かと。
34 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 17:54 ID:o/p/x7IF
>>32 それは、時代区分をしっかりとして貰わないとなんともいえませんよ。
有史以来、皇室が存在していた事は事実なのですから、
その認知が、前近代において、どこまで浸透していたかの話であれば尚更ですな。
つまり、前近代と時代を一括りにして、何が立証されるわけじゃないでしょ。
さしあたり、律令国家体制創設期に、誰の名において、国司が各地に派遣されたのか?
或いは、寺社の高僧、神官は誰の名において高名を授かったのか?
この当たりから、話をはじめませんか?
>>32 クズ本研究家氏
時代を特定・・・あ、それは既に保守考氏が・・・。
>>34 無論理念の由来ですから、多少の修飾語は入っているでしょう。
日本国憲法にいわく「これは人類普遍の原理であり」「人間相互の関係を支配する崇高な理想」
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「国会は、国権の最高機関であつて」
で、同質性は既に書いていますから、時代や事象を特定して反証してください。
神道の八百万の神々を伴に顕彰し、その神仏を媒介に人同士が起請文で誓約するという事象は
価値の同質性の論証のひとつですが・・・。
まぁ世界各国で、災害をもたらした「モノ(モノノケのモノの意)」を顕彰し、儀礼を尽くし
その存在をして媒体とし誓約するという事象があり、その動機が諍いの忌避であったという
事象があれば、日本特有ではないとはいえるでしょうが、しかし稀ではありましょう。
また衆議主義(上で書いています)における価値多様の認識と人皆凡夫なりという思想も
共有されていたと考えます。(必要であれば説明します。)
>網野善彦の研究成果一つとっても日本的同一性など前提にできないというものでは
>かなったのではないでしょうか。
網野氏の言説はどちらかというと単一性の否定であって、、単一ではないけれども同質の価値を
もっていたかどうかについては、明言していないような・・・。
>天照大神と天皇が絶対的権威であるとの言説が繰り返され、
はへ・・・・・・?いつ明治政府は神道を否定したんですか?冗談でしょう。
>>33 抽象過ぎてわからないのですか?どうも失礼しました。しかし、この程度の
表現は別に抽象的でもなんでもないと思いますし、しかも別段私の独自の見解
でもなく、その主張に賛同するかともかく政治思想史研究では良く出てくる表現
だと思いますよ。丸山真男、石田雄、藤田省三などおそらくお読みになられている
でしょうから。
>>34 近代天皇制の話に律令制の頃を持ち出すのですか?王権が当時もあったということを
証しするものですかないと思われますが。
>>35 >神道の八百万の神々を伴に顕彰し、その神仏を媒介に人同士が起請文で誓約するという事象は
価値の同質性の論証のひとつですが・・・
なぜ同質性の論証になるのか理解に苦しみます。
>いつ明治政府は神道を否定したんですか?冗談でしょう。
明治維新後の諭書やら教科書ご覧になればいいでしょう。
>無論理念の由来ですから、多少の修飾語は入っているでしょう。
単なる修飾語というなら、なぜ「国体」に反するとのかどで発禁処分になったり、
思想弾圧が起こるのでしょうか?
>>36 >なぜ同質性の論証になるのか理解に苦しみます。
どこが分らないかを書かないと説明のしようもありません。
理解したくない人に説明できるわけもありません。
>明治維新後の諭書やら教科書ご覧になればいいでしょう。
天照大神と天皇が絶対的権威であるとの言説を、ひとつでいいから出してください。
妄想でないなら一つぐらい出せますよね。
>「国体」に反するとのかどで発禁処分になったり、
>思想弾圧が起こるのでしょうか?
ですから、具体的に事象を出してください。というか「国体に反するかど」で発売禁止や
思想弾圧できるためには法律が必要ですね。法律の留保はあったわけでしょう?
で、具体的な法律の名称はなんですか?法律なくそのようなことが行なわれていたとす
れば、重大な憲法違反ですが・・・。
第二十九条
日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
>>37 なんだか空しくなりますが、それはともかく、滝川事件や天皇機関説事件として
言われる出来事をご存知でしょう?
滝川事件に関しては衆議院・貴族院両院が取締り要求の決議を行い、
内務省が滝川教授の著作を発禁処分し、ついでに滝川教授への辞職を要求、
最終的には休職処分を下しました。
天皇機関説事件に関しては、美濃部達吉の天皇機関説が国体に反するとして
国体明徴に関する政府声明が出され思想弾圧がなされました。
根拠法はおそらく出版法でしょう。「皇室の尊厳の冒涜」「安寧秩序の妨害」が
名目として立てられたのでしょう。治安維持法も改正され、思想統制・刑罰強化
が為されていくことになります。基本的な知識だと思うのですが・・・
諭書に関しては講義で触れたところなので、いつの時点かは失念しましたが、
ノートを見てみますよ。たぶんうちの大学の近代日本法政史料センターに所蔵
されているものと思うのですが。調べたいですが、閉館中なんでどうしましょうか。
>>30 ながながと書いているが要約し評価したいと思う。
(1) 衆議は合理的な結論を導き出す手段である
(2) 討論で合理的結論が得られるためには双方が和らいでいる必要がある
(3) 和は衆議の前提である
(4) 衆議は、時として不服を生む
(5) 神道は、不服者であっても排除しない
(6) 衆議には、神道が前提となる
これまたいつものごとく我田引水な論理展開。「神道から和が導かれそれが
衆議の前提となる」と言うことを言いたそうではあるのだが、論理になっていない。
神道から和が導かれると言いたいなら、そこを重点的に説明すべきである。
前半の(1)から(3)までは、和が衆議の前提であることを述べたものであるし、
後半の(4)から(6)は、神道が衆議の前提であることを述べたにすぎない。
通常の論法では、神道から和、もしくは和から神道、そして一方から導かれた
どちらかから衆議を関連づけて論理を展開するのが定石である。
>>30 の文章の
論理的欠陥は、ここにあると言うべきだ。
>>30 は「和」と「神道」の関係が曖昧なまま、それぞれがバラバラに衆議と
関係づけて論理が展開される。そのため、当初の目的であった「和の理念と神道
の関係性について整理」することに失敗する結果となっている。
内容的に言えば、神道と和の関係性について(4)から(6)の部分に説明らしき
ものはあるが、オカルティックな説明なのでこれでは一般人は納得しないだろう。
神道的に受容されると言うのは、ようするに衆議で排除され殺されても、
祭祀から排除されることはないと逝っているにすぎない。現実の和解と祭祀レベル
の和解を渾然とした単なる錯誤・詐術にすぎない。衆議で問題になるのは、
現実の衆議への参加権の確保なのである。それが神道やら和によって保障される
ことを論理展開するならともかく、祭祀上の和解とごっちゃにしたところで
意味がない。と言うか、上級の観察者でなければなにを言っているのかさえ
理解できないと思う(藁
>>38 とりあえず美濃部達吉は天皇機関説を支持し、「勅撰議員」となったのですが・・・。
明徴運動でそのようになりましたが、それは明徴運動が原因であって、明治憲法の問題ではな
い。
(以下あるところからの私の書き込みのコピペ・・・もういいかげんに・・・)
天皇機関説は,ドイツにおいて国家法人説が意図したものに最も近い形であり,日本の天皇機関説
を代表するものである。
すなわち,明治憲法体制(天皇制)を認めつつも
【天皇に絶対無限の権力が存するとする立場に反対し】
国家法人説を理論的基礎として明治憲法を立憲主義的・自由主義的に解釈しようとしたもので,天皇
の独裁的権能を狭く解釈し国務大臣の補弼を広く解釈し,国民の意志を一応代表する帝国議会の権限
をより一層認めようとする学説である。この学説は美濃部達吉に代表されている。
美濃部達吉
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/minobetatukiti.htmより抜粋 東京帝国大学で、1920(大正9)年から憲法第2講座を兼担する。
議会中心の立憲政治を根拠づける明治憲法の「立憲主義的解釈」の憲法理論を確立した。
他方、治安維持法を批判、さらに1930(昭和5)年のロンドン(海軍軍縮)条約を支持するなど
、政治の分野でも論陣をはり、1931(昭和6)年には「貴族院勅選議員」となった。
42 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 19:25 ID:q2pNhB35
>>36 >しかし、この程度の表現は別に抽象的でもなんでもないと思いますし、
え?
>しかも別段私の独自の見解でもなく
は?
>丸山真男、石田雄、藤田省三
つまり、私とは議論したくない。ということかな?
では、津田、折口、和辻、石母田、原、坂本・・・・、或いは、キーン、ベネディグト
フレイザー、更には、シロニー、ルオスなんかをどうぞ。
>近代天皇制の話に律令制の頃を持ち出すのですか?
と、いわれても
>>32 で
「明治国家成立以前は、天皇の存在すら知らない者に対しても、国民化の過程で、
天照大神と天皇が絶対的権威であるとの言説が繰り返され、また教科書で再生産
されていったわけでしょう。」
と、言っているのはあなたの方ですよ。
>>41 あのね、私は戦前日本の国家体制を言っているわけですよ。その中で「国体」
概念が陰に陽に機能しており、それを口実に思想弾圧があったわけでしょう、と
申し上げているわけですが。美濃部さんが勅撰議員だったかなんてこの問題に関して
どうでもいいことだと思いますよ。
いいことだと
>>34 規範的に同一であることを導き出すために、現在とはことなった社会システムの
機構を持ち出すのは適切ではないだろ(藁
例えば、カソリックが司教の任免権とか権威を及ぼした地域が、規範的に同一性を
持つかと言えば、そうとは言い切れまい。近代以前の国家機構もそうで、為政者が
支配のために地方官を任命したり、地方の権力者を承認したことが、地域民衆
すべての規範的同一性を導き出すものではあるまいよ(藁
>>42 議論したくないとは思いませんよ。
ただあの表現ぐらいは政治思想史の著作を紐解けば頻繁に出てくると
思うのですが、自分にとって慣れている表現だからといってそういうものも
読まない人にとっては当たり前の表現ではないでしょうから、さらに噛み砕いて
説明することに努めたいと思いますよ。
46 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 19:33 ID:q2pNhB35
>>44 私は、規範の同一性よりも、権威の浸透性を主眼に述べているのだが。
形式的に言っても、何を論証したいのか、というそもそもの立論や、語義の定義(例えば
>>35 、単一性と同一性を区別しているらしいが、
それぞれどういう意味が当てられているのか、他の人間には全くわからん)をきちんとしないから
不毛な議論が繰り広げられるわけよ。
それはともかく、
>>41 >天皇機関説は,ドイツにおいて国家法人説が意図したものに最も近い形であり,日本の天皇機関説
>を代表するものである。
これはすごい文章だな。最早日本語の体をなしていない。
主語と補語が二つとも天皇機関説なのか。
こんなもの、何回もコピペしたとか言われてもねえ。
クズ本収集家氏の言説のまとめ。 国民化の過程で、 天照大神と天皇が絶対的権威であるとの言説が繰り返され、また教科書で 再生産 されていった。 同時代に【天皇に絶対無限の権力が存するとする立場に反対し】 天皇機関説を支持した美濃 部達吉は、帝国大学において憲法第2講座を兼担するなどして「勅撰議員」となる。 のちに15年戦争に突入する時期の国体明徴運動により、政府の消極的態度が押し切られ思想 弾圧がなされた。 どこに明治憲法のイデオロギーの問題点が潜んでいるのやら?????????????? たのむから、分るように説明してくれ。
>網野氏の言説はどちらかというと単一性の否定であって、、単一ではないけれども同質の価値を >もっていたかどうかについては、明言していないような・・・。 しかし、まあ此の様な杜撰な発言が良くできるものだ。網野は「世界の中にまれにみるほどの同質性をもつと いわれている日本人が、たしかに相対的ににはそのようにいえるのかもしれないとしても、決してそれほど 一色にぬりつぶせるものではなく、(中略)先の通念に基づいて描かれる歴史像が虚像であることを、はっきり させてみよう」(東と西の語る日本の歴史/はじめに)と述べている。内容は読めばわかるが、東西文化の違いを 生活の基盤や食生活婚姻風習のちがい、東北地方と東国、西国の興亡史などを通して同質性が虚構である事を 論証している。沖縄や蝦夷地の文化圏としての違いにも勿論言及しているが。
>>48 >国民化の過程で、 天照大神と天皇が絶対的権威であるとの言説が繰り返され、また教科書で
>再生産 されていった。
>同時代に【天皇に絶対無限の権力が存するとする立場に反対し】 天皇機関説を支持した美濃
>部達吉は、帝国大学において憲法第2講座を兼担するなどして「勅撰議員」となる。
>のちに15年戦争に突入する時期の国体明徴運動により、政府の消極的態度が押し切られ思想
>弾圧がなされた。
これはクズタンの言説のまとめじゃねー。つーか、もう、やべぇな。
>>46 文脈的に言えば、日本なるものに一定の規範が流通するかと言う文脈で、
「同一性」云々の話がでてきたワケだろ。
52 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 19:41 ID:q2pNhB35
>>45 普通、具体的な事象を述べるのに、先行学説の引用を使うわけで
いきなり、抽象概念を羅列(或いはコピペ)されたものを、
読み手が理解できないと責められても・・・ただ当惑する限りです。
つーか、理解とは、その著書の要点を他者に説明できてこそだろうね。
しかし、あれで、議論が成立していると、本気でおもちゃっているんですか?
53 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 19:45 ID:q2pNhB35
>>51 文脈では、国司、高僧の名などを認証する天皇の権威。
文言では、単に天皇の認知。
>文脈では、国司、高僧の名などを認証する天皇の権威。 こういうこといっていたら、神聖ローマ帝国とかも同一性を持った国だ、ということになりかねないな。
>>52 別に抽象概念でもなんでもありませんよ。
天皇が価値の源泉として諸個人の内面へと侵食していったということの
どこが抽象的なのかわかりません。
「国体」概念と結びつき、個人の思想信条の自由が実質的に保障されては
いなかったわけでしょう。天皇が統治権の総覧者として君権を持ち、かつ
価値実体として臣民を内面的に束縛した二重性を持った特殊な構造を簡潔に
説明しただけなのですがね。
だから基盤となる社会によって、違うだろう。 例えば、ローマ皇帝と呼称され認知されていても、帝政ローマのそれと、 ビザンチン、フランク、神聖ローマのそれは違うだろう(藁 ローマ皇帝なる存在を民衆が認知し、ローマ皇帝の施政下にあった 民がすべて規範的同質性とか、ローマ皇帝に同質の権威を認めることは あるまい。ローマ皇帝がいるから、ローマ皇帝を権威として認知している から、五賢帝時代のアフリカにすむローマ人と、滅亡寸前の コンスタンティノープルの市民、ナポレオン戦争に狩り出されたマジャール人が すべて同質な民であるとは言えまい(藁
57 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 19:57 ID:q2pNhB35
>>54 は?
今現在、神聖ローマ帝国って実存しているの?
まあ、ヨーロッパの概念が何由来するのか、よう判らんが、トルコや北アフリカが
EU加盟問題に浮上するのは何故だろうか?(関係ないけど
>>39 アズマタン
(1)〜(3)OK
(4)・・・衆議の結果の決定は時として不服をうむ。
(5)まぁね。
(6)全然違う。和の調整機構のひとつだといっている。
以降はこの誤解によって意味をなさない。
神道はアマテラスとの対立者で前為政者を神とし、仏教より天皇よりも尊重している。
神道は、天皇家を民となすと呪った天皇を神とし祭祀顕彰している。
神道は、新皇と名乗ったとされる反逆者を神とし祭祀顕彰している。
そして、この顕彰について民は了解している。こんな異常なことを了解し、その神々を
媒体とした誓約を行ないそれが有効に機能はしている。(機能とは役割を果たしていると
云うことで、約定の厳守が確保されているという意味ではない。)
なず反逆者や、為政者への呪いをかけたもの、怨霊として現世に悪影響を与えたものが
顕彰されて、神様としてあがめられて、ノー問題なんだ?何でその神社は成立する?
和の精神が了解されているからだろうよ。そこに価値の同質性を見ることができると
いっておるのだよ。
「諍いなく衆議しよう。人は皆凡夫だから衆議以外に決定方法はないよ。人の価値は
多様だから、衆議で譲歩妥協してみんなが納得する方向で決めるようにしようよ。」
これが共有されているから、そういう不服を生んだのはその人だけが悪いんじゃなく、
不服を持たせたほうにも責任がある。だからせめて顕彰し慰霊鎮魂しようと同意でき
八百万の神々の全てを顕彰することに同意するんだが・・・。
>>56 は
>>53 宛て
つまり、天膿を認知しているからと言って、それが規範的な同質性とか、
社会の同質性を意味することの証拠にはならない(藁
60 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:00 ID:q2pNhB35
>>55 だから、私は具体的に説明してくれ。と言っているだけなんだけど。
>>56 同質な民?
どっから沸いてきたんだ?
>>49 >たしかに相対的ににはそのようにいえるのかもしれないとしても、決して「それほど」
>一色にぬりつぶせるものではなく
プッ どう見ても明言していないような・・・。 すっこんでろや。
62 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:02 ID:q2pNhB35
>>59 だから、天皇は認知されてるんだろ(笑
なんで、同質性を問題にしているのか、意味がわかんねーのだけど
存在意義とかそういうのって、(for whom? 誰にとって)がキーワード だと思う。「日本にとって」とか言う奴の存在が一番日本にとって危険な 存在だ。
64 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:05 ID:q2pNhB35
若しかして、クズ本氏は、今ごろ、あの教授がこういってたんだけどなー、 何処に、ノートをとったんだろう・・・。と頭を抱えているのかな(笑 なんか、太宰の「浪漫燈篭」に出て来る末弟のようで、面白いね。
>>58 誤解と言われてもこまる。
>>30 が論理の体をなしていないのだから。
>>30 は、
「和の理念と神道の関係性について整理」することを意図して書かれたものだろ。
そらにそこから展開して、神道と和が衆議と密接な関係を持つことを説明したい
ワケだろ。これができていない、と指摘しているのだが(藁
で、具体的に出てきたのが明徴運動がらみだけなんだが、 明治の、その天皇絶対権威とか、アマテラス絶対権威の話でも、 それ以前の同質性の話でもいいから 具 体 的 事 象 を 特 定 し て 議 論 し よ う や 。 >クズ本収集家氏その他の諸兄。
>>61 読んでないんだろう?
此の本を読んで、同質性に言及していないと捉えてるとしたら
相当な・・・
>>64 別に頭抱えていませんよ、ご心配なく。
諭書の内容を速記したはずなので、その文言が出せればと思ったのですよ。
講義はまめにノートにとっておかないとテストのとき困りますからね。
史料とりにいけばいいのですが、あいにく近代日本法政史料センターは
2ヶ月間休館なのです。
>>62 つまり認知されていたダケということだろ。
つまり天膿が認知されていようがなかろうが、それは社会の
同一性とか同質性、現在とのかかわりとは一切関係ないワケだ(藁
つまり言葉遊びがしたかったわけね。チキンな態度だ罠(藁
>>65 アズマタンの感想はいいから・・・。理解したくない人に理解させることは望んでいないし、
具体的な指摘がなければ意味もない。単に叩きたい奴は糞チキンだと認定する。
糞かどうかは、具体的指摘があるかどうかだろう、なぁ継続議論はそういうもんじゃなかった
のかよ。当該レスの下段にも解説がある。
71 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:14 ID:q2pNhB35
>>68 うん。若さに溢れたレスで、なかなか宜しい。
>>69 は?
天皇の権威が認知され、それが、時代ごとに継承された事実を否定してどーすんだ?
で、キミは何が言いたいの?
存在意義といっても、憲法のイの一番に書かれているわけで、今更そんな疑問を 持つ事自身がおかしいんでは?皇室疑問は憲法疑問者?
網野が云う「日本人の同質性という通説の虚像」とは、正にかの人が云う同質性の事だろうな。 衆議?奥州藤原氏は衆議によって滅ぼされたのか?東国独自の暦を用いて西国からの独立を図ったのは 東国武士団の統領である頼朝だ。日本がくまなく朝廷のヒエラキーの同心円内にいたなど、虚妄以外の 何ものでもない。しかし、網野ですらオレ流に解釈してしまう精神構造って・・・
なんか、さすがに疲れる。
>>57 一体神聖ローマ帝国が一体性を持った国であったかどうかという問と神聖ローマが現存しているか
どうかという問はどう関係するのだろう。
>>71 なんだかんだ言って、若いうちの方が頭の回転は速いからね。
もう保守氏はぽけちっているのだろが。
天皇の権威が認知され、それが、時代ごとに継承された事実を否定してどーすんだ?
>
>>67 すっこんでろって。
何かに何かが書いてあるんだろう?それをおまえが理解して、説得できる程度に開陳できなかったら
単に眺めていることとカワランだろうよ。情報のソースならそれでもいいが、見解についてだぞ。
「アミノがこういっている、おまえ読んでいないだろう」・・・だからどうした。
おまえが何かいうなら聞いてやるよ。網野の丸写しでもナ。書いてみろな具体的に。
>>29 >大部分は戦後の改革により無害化されたと思います。
天皇に全てを帰結できなくなったという点では。
だがこれは公務員や政治家は、天皇に対して責任をとる必要がなくなった
ということであり責任は矮小化され、別の有害性が発現したということでもある。
>>75 どうせオレ流に翻訳してしまうんだろう?
知らない、読んでないなら素直にそう云えばいいのに。
ちょ=====ばかばかばかばかばかばかしい〜〜〜〜〜〜!
>>73 >奥州藤原氏は衆議によって滅ぼされたのか?
妄想妄想妄想!!!!!
>日本がくまなく朝廷のヒエラキーの同心円内にいたなど、
・・・誰がそんなことを言っているんだ?妄想妄想妄想のオンパレードだなぁ。
やっぱ前言撤回。すっこんでろって。
79 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:25 ID:q2pNhB35
>>74 だから、一体性を持たないから滅んだんじゃないの?
れさん カットワリを相手にすると精神が 破壊されてしまいますよ。
>>58 >「諍いなく衆議しよう。人は皆凡夫だから衆議以外に決定方法はないよ。人の価値は
>多様だから、衆議で譲歩妥協してみんなが納得する方向で決めるようにしようよ。」
>これが共有されているから、そういう不服を生んだのはその人だけが悪いんじゃなく、
>不服を持たせたほうにも責任がある。だからせめて顕彰し慰霊鎮魂しようと同意でき
>八百万の神々の全てを顕彰することに同意するんだが・・・。
相手にしないのも哀れなので少し。これが、現実の和解と祭祀レベルの和解を
渾然とした主張なワケでしょ。不服で反乱を起こした人が悪いんじゃないなら、
もっと現実レベルで対処すればいいだけの話でしょ。
祭祀レベルで和解することが、現実レベルでの和解とか衆議の公正性に結び付く
んだ、と言うことを論理展開できなければ、怨霊DQN以外の一般人を説得する
ことはできないワケで。
神道から和を説明し、和から衆議を関係づけたいなら、神道の発想が現実
レベルの話し合いの中で和としていかに機能したか、それを説明しなければ
まともな論理にならないと言うことが解っていない(藁
>>79 >だから、一体性を持たないから滅んだんじゃないの?
は?中川八洋じゃあるまいし、何いってんの?
大体、俺は>一体神聖ローマ帝国が一体性を持った国であったかどうか
を説いているのに、>一体性を持たないから滅んだ
と答えてどうする?基本的に、君は関係ない方向にレスづらしすぎ。
では、何故神聖ローマ帝国は一体性がなかったといえるのだね?
>カットワリを相手にすると精神が破壊されてしまいますよ。 もう破壊されているのでは。
84 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:35 ID:q2pNhB35
>>82 と言われても、何ゆえ、神聖ローマ帝国が出てきた必然性が、良く判らん。
>何故神聖ローマ帝国は一体性がなかったといえるのだね?
文脈上、君がそう主張したいんでしょ。
カットワリたちは、まともに議論できないから、論点ずらしで議論を攪乱する。 どうしようもないのはどっちだ。
>>79 >だから、一体性を持たないから滅んだんじゃないの?
なに馬鹿なこと言ってんだか。「天膿」なる存在を認識していたから、
古代の日本も現代の日本も、ハヤトもアズマもコシも一体性を持つと
逝ってるんだろ。
それに対して、だったら「ローマ皇帝」なる存在を認識していた、
帝政ローマ人やビザンツ市民、ナポレオン戦争時代のマジャール人も
一体性を持つのか?と問いかえしているんだろ。
それに対して、「一体性を持たないから滅んだんじゃないの?」では
答えにすらなってないだろ。アルツハイマーがかなり進行してきたらしい(藁
87 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:37 ID:q2pNhB35
>諸君 ユーロ決勝の為、そろそろ寝るとします。 では、また後日。
>と言われても、何ゆえ、神聖ローマ帝国が出てきた必然性が、良く判らん。 はあ。君が、天皇が認知されていただの、官職がどうだの言っていたから、ローマ帝国を出したんだよ。
89 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:40 ID:x25uae7y
>>86 律令制下に問題になったのは、蝦夷人(つまり俘囚)だけだが・・・。
他に何かあったか?
そもそも俘囚問題って、同化政策なんだけどね(笑
で、神聖ローマ帝国の同化問題って何?
90 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:43 ID:x25uae7y
>>88 ん?
だから、神聖ローマ帝国と、律令制以降の日本を比較(無論、土壌となる諸条件を一致させ)
して、君は何が言いたいの?
91 :
むっちょ :04/07/04 20:43 ID:???
別に神聖ローマ帝国を持ちださずともねえ。 フランスやイングランドだってそうだし、あるいはデンマークにスウェーデン、 スペイン、ロシアどこを持ち出しても同じなんだけど。
>>89 >律令制下に問題になったのは、蝦夷人(つまり俘囚)だけだが・・・。
>他に何かあったか?
>そもそも俘囚問題って、同化政策なんだけどね(笑
ホントにひさしぶりにゾッとした。
何気なく書き込まれた言葉の裏にある「意思」に戦慄。
>>78 >誰がそんなことを言っているんだ?妄想妄想妄想のオンパレードだなぁ。
じゃ、何が同質性の根拠になるんだ?君は神道、天皇による和の精神が日本人の同質性の根拠にしているんだろう?
其れに対して私は網野を引いて、東西文化の違いや東北地方の独自性があり天皇による同質性などは無いと
云っている。(いつものことだが)君が誤った網野の引用をしているから、指摘しているんだが。彼ははっきりと
「同質性は虚像」だと書いている。(また書くが、東と西の語る日本史/はじめに24頁〜26頁)
>>89 >律令制下に問題になったのは、蝦夷人(つまり俘囚)だけだが・・・。
>他に何かあったか?
>そもそも俘囚問題って、同化政策なんだけどね(笑
>で、神聖ローマ帝国の同化問題って何?
ついに逃げにでたか。同一の呼称の支配者を認識したところで、それが
社会の同一性とか同質性の根拠にはなりえない。
古代、中世の民が、天膿なるものを仮に民が認識していたとしても、それを
証拠に現在の社会と古代、中世、さまざまな地域社会が同一・同質であったこと
の証明にはならない。ローマ皇帝の存在を認識する、古代ローマ市民と
中世ビザンツ人、近世ボヘミア人が同一・同質とは一般に理解されないように(藁
さらに言えば、古代ローマ人が皇帝を頂くにはそれなりの理由があるし、 中世ビザンツ人が皇帝を頂くのもまた別の理由がある。近世のマジャール人や ボヘミア人が皇帝を頂くのもそれなりの理由がある。 それらを「ローマ皇帝」を根拠に共通の理由・根拠とか導き出そうと するのはあまりに馬鹿げている。程度の差こそアレ、それは天膿に ついても言えること(藁
96 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 20:52 ID:x25uae7y
で、日本においては、どのような社会構成の差異があるわけ? そもそも、他国を紐解いて、それを日本の場合に当てはめるやり方は その他国と日本との同一性を見出している、という前提に気が付いていないね(笑 哀れなかぎりだ・・・。 つーか、もう寝るぞ。 お休み。
97 :
むっちょ :04/07/04 20:54 ID:???
えー?「比較史は可能か」というところから始めなければならんの?(呆
>>96 >その他国と日本との同一性を見出している、という前提
同じ人間である以上、同一性はあるだろ。俺はカルトと違って、
民族ごとに行動様式が染色体によってわかれ、まったくことなった
社会体制を生み出すとは考えないから(藁
それに俺はこの議論で、日本社会の差異を問題にしているのではない。
天膿を認識していることが、かならずしも同一性とか同質性と
結びつくことはない、と言うことを問題にしているにすぎない(藁
99 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 21:00 ID:x25uae7y
で、いつ私が、天皇を認識している事をもって、 同一性だとか同質性を導きだしたのかね?(笑
まあ、日本特殊論者が比較史を必死で否定したがるのは分からんでもないが。 ヴィーコを見てもわかるように。ただそういう奴に限って世界史を全然知らない ということが多い。たとえば、日本の天皇は聖性を持っているという点でイギリス国王や フランス国王とは異なると。こういう人は、カントロヴィッチやフーコーの議論をどう 思っているのだろう。まあ、多くの場合は知らないんだろうが、宮台真司がそのようなことを 言っているのはかなり解せない。
101 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 21:02 ID:x25uae7y
>同じ人間である以上、同一性はあるだろ。 で、日本にも同一性があったつー事を、主張したかったのか?(笑
>>37 諭書について。
長崎御諭書と奥羽人民告諭にありました。
長崎御諭書
「此日本ト言フ御国ハ、天照皇大神宮サマカラ御継ギ遊バサレタ所天子サマ
ト云ガゴッザサッテ是ガムカシカラチットモ変ワッタ事ノ無イ此日本国ノ
御主人サマヂジャ(中略)天子サマト云モノハ色々御難渋遊バサレナガラ
今日マデ御血統ガ絶ズドコマデモ偉ヒナキ事ジャナイカ・・」
奥羽人民告諭
「天子様ハ、天照皇大神宮様ノ御子孫ニテ、此世ノ始ヨリ日本ノ主ニマシマ
シ、神様ノ御位正一位ナド国々ニアルモ、ミナ天子様ヨリ御ユルシ被遊候
ワケニテ、誠ニ神サマヨリ尊ク、一尺ノ地一人ノ民モ、ミナ天子様ノモノ
ニテ、日本国中ノフボニマシマセバ・・・・」
一応ご参考まで。
105 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 21:08 ID:x25uae7y
まあ、予め用意されていた結論に、私が誘導されない事に地団駄を踏む 気持ちは判らんでもないが、言っていない事にイチャモンをつけられても どうすることも出来ないわけで・・・・。
>>105 >言っていない事にイチャモンをつけられても
というか、自分の立論をはっきり言えば?
前から言っているが、ガキじゃないのだから、何時までもあれは言っていない、これは言っていないではなく、
自分はこれこれこういう風に考えている、とはっきり書けば?
107 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/04 21:17 ID:x25uae7y
>>106 じゃあ、後日の課題とするから、お題を出しといてくれ
>>107 といわれてもね。何か君は主張したいことがあるわけでしょ、皇室の存在意義、存続意義を説くにあたって。
俺自身の立論は極簡単で、天皇制はリベラリズムに反する、というものだ。
本来、内面の領域は個々人に委ねられるべきだが、天皇制は、というか国家によって擁護されるタイプの天皇制は
各人の内面の領域に干渉することとなる。
仮にこの問題が存在しないとしても、金食い虫であること、また、天皇や天皇により近い皇族は離脱、退位が
不可能であり、彼らの人権(という言葉をあえて使う)が著しく侵害されているわけで、
あえて保存するだけの意義を見いだせない。
更に言えば、天皇制を民営化することが、天皇制の本質を損なうことになるとは思えない、ということもある。
上述のことは既に何度も述べた。
これに対して、君(たち)は、天皇には退位の自由が制限されていないだの、内閣の助言を一定の場合には拒絶できるだの
いって、天皇の存在意義を提示しようとしたわけだが、少なくとも、憲法学説レベルでは
そのような主張は根拠がないことを俺は提示したわけだ−文句があるのであれば、よけいな言葉は良いから
そういう学説を提示してね−。
それはそれでいいとして、では、次は君たちはどういう手段をもって、皇室の存在意義を説きたいのか、
というのが問題となる。それがさっぱり見えてこない。
日本に一体性があろうがなかろうがどっちでも良いが、それと天皇制の存在意義がどうかかわってくるのか
よくわからないし。
まず、初心に返って、君の考える天皇制の存在意義がどこら辺にあるかを提示し、ついで、そのために、自分が何を論証しなければならないかを
示した上で、最後に、具体的な論拠の提示をしてくれ、というところか。
一言で言えば、議論の目的を提示し、その上で論拠の提示を行ってくれ。
>>104 諭書が各地に告論された意味も教えてあげれば?
じゃないと文面を分解して、宗教的な意味を解説しだすよ。
>>81 アズマタン
>もっと現実レベルで対処すればいいだけの話でしょ。
イヤ、ダカラ、あなたの感想案手道でも言い訳で、具体的歴史の事象で、どんな対処が
ありえたのか書いてくれなければ、どうにもならん。花畑の脳内でそういわれても、ねぇ。
徳川封建体制の時代のころ、一般に汎通していた「権威」は徳川将軍家であり、 また地元の藩主であったわけで、天皇は徳川将軍家の必要に応じてその制限を こうむる「消極的な権威」に過ぎなかったと言われています。 明治維新以後、急速な近代化、それにともなう国民化を行う必要に迫られ、 明治新政府の正統性を担保するための天皇の「権威」が召還されましたが、 他方天皇の権威が日本社会に浸透しているとは言いがたく、だからこそ「御諭書」やら 様々な仕方で天皇の権威を浸透させ、天皇を中心とする国民国家を形成しようと 試みたものと思われます。ある種の国民化の階梯と言えるでしょう。
112 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/07/04 22:02 ID:YcTE6DQR
>>104 クズ本研究者氏(アレ?間違えて収集家氏と書いていたみたいだね。スマソ
それって、貴殿のノートじゃなくてこれ?
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kyouikutyokugo.htm まぁ、全く同じ書き方だから・・・。出自はどこでもいいけどさ。
で、どこにアマテラスの絶対権威が書かれているんだか説明してくれる?
アマテラスが絶対権威であるとかかれていないんだけど・・・。全くどこにも。
まぁ具体的話になると妄想ばかりに人は、もう独りいるけど、あなたは違うと
期待しているんだけど・・・。
きちんとどこのどの部分が「アマテラスの絶対権威を表現しているのか、
論証責任はあるよね。まさかなんとなくそういう文章だなんていわないよね。
きちんとかいていただけますか?私が無知であなたはちしきユンユンナンだろう?
>>112 奥羽人民告諭と長崎御諭書とわかり、内容は其処から転載させてもらいました。
あと絶対的権威ですが、この文言から天皇を絶対的な権威として担ぎ出そうとする
意図が読み取れませんか?天皇が単なる国家の一機関であり、かつそれが相対的な
概念ならば、このような文言は書けないと思いますけどね。
諭書が出され、教育勅語が出され、その後も「国体」概念と結びついて 治安維持法や思想犯保護観察法が制定されていく文脈を見ても天皇の絶対性が 流布されていったとみるのは、とりわけおかしな推論でもないだろうと思うのですが。 間違いであるなら指摘してください。
あれれ、ここわコテハン以外立入禁止ですか?
>>114 とりあえず
れたんは相手にしないほうがいいよ。「どこに書いてある」だの
ロジックだの言い出して、仮にこちらが証拠をあげて説明しても
「それわ政府がいってるのでわない」とか「出したときにわその意図わ
なかった」だの、あげくは論点をずらしてくるし、やめといたほうがいいよ。
保守考が馬鹿にしてた、岩波新書『天皇の肖像』には、視覚において どのように明治の天皇制を浸透させていったかが、書かれています。
>クズ本研究者様 頑張ってますね。政治思想史の理解としてはもっともだと思うけど、 それぞれのバックボーンがあまりにも違いすぎるから、かみ合わないところも あるんじゃない?基礎知識が欠如している人いるし。どの大学でどの学問を専攻している かって意見にしやすいだろうから。おじゃましました。
>>93 だからそれを具体的に網野氏の記述から提示しろや。
たとえばな、
外房で、分棟造りという建築様式がある。一棟の建築物をあたかも二棟あるかのように
寄棟屋根を二つくっつけ、谷部分に落ちる雨を再利用する。水平の谷を作ることは、
屋根構想の基本三原則(水平谷禁止・勾配の統一・軒高の一致)を逸脱する。
そういう文化の違いというのは多々あるわけだ。(上記は気候風土からくる文化の相違)
其れ以外に網野氏によれば、産後の胎盤の処理とか被差別民の扱いなど、そういうタブー
に関する事項にかかる文化の相違を指摘して、単一でない文化(東西)の存在を指摘し
単一の日本という表現が、例えば「日本の縄文時代・弥生時代」などという形でされるこ
とは虚像だといっているわけだ。瑞穂の国日本が悠久の歴史の中で初めからあったと
言う認識に異を唱えていて、其れはまさしくそのとおり、文化の同質性が開闢以来継続した
などと思うほうがヴォケである。単一の文化が現代の日本を形作っているかといったら、
それは間違いだということだ。
環状集落から環濠集落への変遷だけを見ても、其れは気候風土に無関係に広がっているわ
けだから、多少古代について興味のあるものなら、継続した文化の同質性など、あると信
じていないのが普通だろう。
だが一方、文化を決定付ける大きなファクターである言語は、同一だ(文字による意思疎
通が可能な程度には=抽象概念の単語が通用する)。言語による文化への影響とは、概念
の把握が言語によってなされる(例:ブラザーに上下関係はなく、兄弟は上下関係がある)
という部分ガ大きい。すなわち、価値観を左右するということである。
だから、価値の同質性はあるといっているに過ぎず、共有される同質的価値があるのであれ
ば、理念はそれに由来するとしたところで、虚構でもなんでもないといっているわけだ。
ここは、といったところが議論の「前提」として理解されている場だろう。
それをふまえて、時代・事象を特定して見解を書き込めよ。出来ないならすっこんでろや。
>>114 クズ本研究家氏
だから、なんで明治維新前後に出されたものと、立憲のころ出されたものと、
国体明徴運動の頃の事象を、ひとつのこととして捉えることが出来るのか
サパーリ分らんのだが・・・。
概ね明徴運動前後から終戦までの、言論や宗教に対しての制限の事象は
明徴運動という熱狂や、戦争(しかも国家存亡の戦争)遂行に原因する
ものが多々あるわけで、それを、明治維新当時や、立憲当時にまでその
原因/理由を遡れるのか、全く説明がない。
まして、天皇やアマテラスの絶対権威化だという飼料に、そのようなことはか
かれていないだろう。(あるなら具体的にその文言部分を提示してください)
維新あるいは明治立憲に遡れるとしたら、立憲以降、明徴運動以前についても
同様の事象は存在するだろう。
皆さんそういう事象は出してこないわけだし、無理に結び付けていると指摘される程度に
充分な年月がその間に存在するでしょう。
で、アマテラスの最高権威の論証はどこに言ったの?論証責任あるよね。断言したんだから。
>>118 下の文章は、すべて君が書いたものだ。自らの一貫性の無さを反省しなさい。
民族的に単一であるということとその中の文化に多様性があることは、はっきり言えば民族と
いうコトバの定義にもよるだろうし
単一といったって複数の人間、複数の地域、気候も諸条件も違い、現実に通じない程度に方言も
ある。多様だが、では半島の人たちとは明らかに違う、大陸の人たちとも明らかに違う一群が
存在することも事実。ではその共通性はどこらあたりにあるのかということを解き明かせば
概ね他のの日本人と現代では変らないだろう?じゃ時代を特定しなければ
議論にならんだろうよ。
天皇を知らずとも日本国の存在と八百万の神々が認識されていたことは確実。それが
価値にどう影響を与えていたかなどはこれからの議論。
えー明治憲法理念は、古き時代よりの天皇と臣民の関係性を由来としています。
神道の八百万の神々を伴に顕彰し、その神仏を媒介に人同士が起請文で誓約するという事象は
価値の同質性の論証のひとつですが・・
網野氏の言説はどちらかというと単一性の否定であって、、単一ではないけれども同質の価値を
もっていたかどうかについては、明言していないような・・・。
多少古代について興味のあるものなら、継続した文化の同質性など、あると信
じていないのが普通だろう。
>>108 簡単に言えば、国家の安定に寄与する重しというか、重心だね。
この重心が歴史の年月を経て、国家の最下層に定着している。
それを取り払うと、国家が容易に転覆しやすくなるという理屈かな。
まあ、これを論証していくには、天皇が日本史に果たした役割を紐解いて
いかなければならないし、今現在、我が国において、民族紛争も独立運動も
果ては、宗教戦争も起きていない。これは、正当性の根拠として君臨していた
天皇の権威に変わる存在が現れなかったことに尽きるわけで、その観点からも
この不易な伝統を棄て去る理由は全くない。(日本の存続を願うのであれば)
しかし、天皇(制)を支持している国民の大多数が、その存在意義について
何がしかの、理屈をもっているものでもないとも思う。そういった理屈にならない
部分も含めて、天皇(制)のエニグマを解き明かす一端を発見出来るのであれば
幸いだろうな。という気持ちで私は出席しているのだが、
如何せん、やれ存続だ、だから廃止だ、と不毛な議論が続くのはツマランね。
>>118 其れと、人に求めるわりに自分では根拠の出所を出さないのも君の悪いところ。
例えば「天皇を知らずとも日本国の存在と八百万の神々が認識されていたことは確実。」とは
「いつ」「だれが」「どのような」理由、若しくは背景の上で確実なのか書かなければ
君の発言論拠が分からない。そうした議論の姿勢は問題だろう。
そんなことでは、やっぱりお相手はいたしかねる。 >亀哲人氏
亀哲人氏はどうにもこうにも・・・。
>>120 を矛盾と感じる・・・その理由は推測するに
1、何か刷り込みとか思い込みがあって、日本語を読めない。
2、議論に向くほどに論理的思考が出来ない。というか私も誉められたもんじゃないが・・・それ以前。
3、文化/民族/価値、各々の同質性とか同一性の議論が、同質でないことを理解できない。w
4、ただの・・・略
>122に至っては完全な・・・ry。網野氏の日本人意識に関する「起請文」を(根拠出所)として
提示し、(どのように)起請文の、人と人との誓約を八百万の神々の媒体とした形式で行な
うことについて、(だれが)僧侶武家から農民の名主まで広がっている事象が(いつ)13世紀に
認められている事・・・が確実だということを論拠として、
八百万の神々を全て顕彰する神道を、当時の人々が(其れは漁民海洋民の含めて)了解し共有
していたであろう事を確認し、八百万の神々を全て顕彰するという神道は衆議主義における
和の精神から派生した調整機構であることを説明し、和という価値を上位に置くという
価値の同質性を説明しているわけだが、全く分らず
>「天皇を知らずとも日本国の存在と八百万の神々が認識されていたことは確実。」とは
>「いつ」「だれが」「どのような」理由、若しくは背景の上で確実なのか書かなければ
>君の発言論拠が分からない。
と書く。こういう馬鹿は、そのようにしか扱わないということで・・・亀哲人氏はすっこん
でなさい。
>>124 >が確実だということを論拠として、
>八百万の神々を全て顕彰する神道を、当時の人々が(其れは漁民海洋民の含めて)了解し共有
>していたであろう事を確認し、
論証になってないよ(苦笑
東国の人間が誓っていたのはその地方特有の神だとしか網野は言っていない。
そこから>八百万の神々を全て顕彰する神道を、当時の人々が(略)認識していた
とするのは君の推測。
>>121 上三行
まあ、あなたの唱える仮説として聞きましょう。
>今現在、我が国において、民族紛争も独立運動も
>果ては、宗教戦争も起きていない。これは、正当性の根拠として君臨していた
>天皇の権威に変わる存在が現れなかったことに尽きる
これは論証として飛躍に過ぎるな。
民族紛争他が起きていない国ではどこでも天皇、天皇類似の存在があるというなら格別、
多くは共和国の形を取る大抵の先進国も又それなりに安定している以上、根拠としては
さほど強くないだろう。この主張だけではそれこそクズ本の主張とほとんど変わらない。
127 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/07/05 14:21 ID:MY6pGsDu
>>125 亀哲人氏
無知もはなはだしい!すっこんでろ。
>東国の人間が誓っていたのはその地方特有の神だとしか網野は言っていない。
おまえ日本語読めるのか?起請文について網野氏がそういっているわけがないだろう。タコ!
じゃぁ、日本六十余州とか五機六道というのはどんな文脈で起請文に出てくるんだよヴォケ!
起請文は誓約内容たる前文と、神文に別れていると既に説明したやっただろう。
誓約を破ったら、日本六十余州の神々、神社、神社仏閣、などに罰を与えられることも、
致し方ないという文脈でしか、日本という国の認識は表現されない書式。だから
網野氏は、そのように起請文において日本という言葉を、神社仏閣や神々の説明(神文)に
書いていることをひとつの証明とし、又其れが形式的でなく具体的な知識があったことを
他の史実から論述し、日本という意識があったということを言っているんだろう。
おまえ本を読んでもなお、そういうことが分らないのか。クソダナオマエ。
すっこんでいたほうがいいよ、無理なようだから。
もうこれ以上無知と恥をさらしながら「議論を邪魔するのは」止めてくれ。頼むよ。頼むから
すっこんでいろや。
128 :
右や左の名無し様 :04/07/05 14:30 ID:0nAjVhQm
>>127 >>125 は私ではなく猫氏の発言。
人のレスをちゃんと読んでない事を、自分で証明してどうするかね?
130 :
右や左の名無し様 :04/07/05 15:32 ID:pjymydYG
なぜ猫氏にしても亀氏にしても、電波発言をスルーしないのか不思議で仕方ない。
バカほどカワイイって、いうじゃなぁ〜い? でも、れ は 基 地 害 ですから、 残 念 ! れ れ れ の れ 斬 り !
大変失礼した。>亀哲人氏 今日は反省のため引きこもる。
あらためて、猫氏の、でたらめな
>>125 に於ける記述・・・
>東国の人間が誓っていたのはその地方特有の神だとしか網野は言っていない。
という妄言について、網野氏の「日本の歴史00、日本とは何か」講談社、P212−3を引用。
--------------------------------・・・は中略を示す-----
日本という国号が現れる文書を・・・平安時代・釜管時代のほぼすべての文書を集めた「平安
遺文」「鎌倉遺文」を索引を用いて検索して見ると・・・圧倒的な部分が神仏・異界を意識し・・・
発せられた文書に見らられる・・・。
中でも最も事例が多いのは・・・起請文の・・・神文と通称される文書に現れる場合である。・・・
「日本朝中大小神祇冥道」という文言が多少形を変えつつも定型化して、・・・神文に必ず姿を
顕すこととなる。・・・・
通常の起請文などの神文には 日本国中という 包 括 的 な 表 現 の 前 後 に
・・・東国の起請文には伊豆箱根三島のほか香取鹿島などが見られるのに対して、天照大神
派挙げられないのである。そして起請文には荘園、公領などに即した地域の神々の名前が
挙げられるのが通例であった。
-----------------------------------------------------
「日本朝中大小神祇冥道」・・・日本朝の中の大小の神祇冥道。
日本朝が日本国となったり、また日本国中五機七道大小信義冥顕・日本国大小神祇1万三千
七百余座之冥顕と書かれているバリエーションがあり、「其の前後に」伊豆箱根三島のほか香
取鹿島などが見られ、荘園、公領などに即した地域の神々の名前が挙げられるのが通例、な
のである。
引用ご苦労様。で、明らかに君の読み方が間違っていることがこの引用では示されているようだが(苦笑
テクスト解釈すら……か。
>>132 少し休んで頭を冷やした方がいいんじゃない?
>>133 の引用も神道によって同質性や天皇に帰結するどころか逆に読めるよね。
特に日本の中世では神仏混合が著しく進行した時期で、仏教の神道への浸食があったのは事実。
其の事実だけでも「神道」「天皇」「同質性」「和の精神」が安易な結びつけだと分かる。
本当に、休んだ方がいいと思うよ。
>>119 一々説明しなければならないのでしょうかね。
学問に対する国家の干渉は、昭和に入ってからだけではなく、1892年に
久米邦武の論文への攻撃による休職事件もありますよ。
喜田貞吉の南北朝正閏問題での休職処分など有名どころであります。
また憲法制定過程においても「国体」概念は「建国ノ体」という形でも反映させよう
としていましたし、穂積八束の見解をみればわかるでしょう。さらに穂積さんの
弟子筋にあたる上杉慎吉は、帝国憲法をなるべく立憲主義的に解そうとしていた
美濃部達吉の見解を「国体に関する異説」で論難したのは1912年です。
昭和に入って以後しばらくしてから、日本社会に急に「国体」を理由とした
言論弾圧・思想弾圧が厳しくなりますが、だからといってそれ以前では自由で
あったというのも無理のある話ですよ。
教育勅語は、大日本帝国憲法と並行する形で世に出たわけですが、皇祖皇宗の
建国の偉業に対して忠孝をもって応えることが国体の精華であるいうような表現
もみられましょう。
天皇は天照大神の子孫であり、これまでの一貫した日本の統治者であるとの
前提に立っていたわけでしょう。天皇の「聖性」はこの天照大神の子孫である
ことにより担保されているという構造がありますね。まさか「絶対的権威」との
直接的な表現を求めているのですか?
「国体の本義」においては、「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて
永遠にこれを統治し給ふ。これが、我が万古不易の国体である・・・」と表記されています。
帝国憲法1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を踏まえ、天照大神という実体に
万世一系の皇統が根拠づけるという構造が読み取れるのではないでしょうか。
当たり前の前提知識だと思っていたのですが、結局れ氏は戦前日本の明治憲法体制
をどう考えているのでしょうか。
>>117 そうですね。これまでどういう教育を受けてきたかという条件は重要ですね。
バックバーンが皆それぞれ違いますからね。
>>137 訂正
「天照大神という実体に万世一系の皇統が根拠づける」
↓
「天照大神という実体が万世一系の皇統を根拠付ける」
>>137 訂正
「バックバーン」→「バックボーン」
どうもすいません。
一所懸命本を転写したのに徒労に終わってしまったどころか、逆効果w ププ ( ̄□ ̄;)!!しっ、しまった! ↑ れれれのれ
スジ追えてないけどスレッド見て、おもいついたから言う。 全国的に日本の民俗社会、非農業民の社会では、 天皇などの中央の権威から正当性を調達する、直につながろうとするんは、よくある事態だよな。 ほら、かならずしも皇族、天皇じゃないけど貴種流離譚、全国のかくれ里、山村の、落人伝説。 こゆのはまあ、心のうごき、生活のひつようから理解しやすい。 んで木地師は天皇の免状持ってた。木地師はマイナーな集団じゃあなくって、 10世紀くらいから記録があって、江戸期まつにも数万人いて、東北から九州までひろくくらしてた。 木地師は二流あって、りょうほうとも天皇の免状もってて組織化されてる。 辺境の東北、山んなかにいたマタギも二派、天皇と弘法さまのゆらい、 全国の被差別部落のあちこちで、長吏由来の書ってもってて、天皇とのかんけいいってる。 漂流する芸能民、すもうとりの興行も、天皇の免状あるんだよな。
出所にうるさそーな場だから、でも本おぼえてないから、名前だけゆうと、 千葉徳璽、網野、宮本常一、宮田登、桜田勝徳とかの文でたしかおれは、こゆの教わったんだ。 いじょう。
ばくと、てきや、
てきやの正当性は中国ゆらいだな。すくなくとも天皇ちょくじゃないようだ。ばくとは知らない。
>>143
あそだ、ばくとてきやじゃなくって、現代やくざの一部のなりわいは、直に天皇ふりまわすことでなるね。 まあ、むかしの木地師マタギと、心のうごき、生活のひつようにおいて使い方にてるなあ。 すこし木地師マタギに失礼かもな。
あさぶろはいって、健さんのえいがとかおもいだしつつ、 ばくと、くりかえしだけど天皇からもらった免状があるかどうかは知らない。 社寺からはもちろん営業許可もらったりするわけだから、 木地師、マタギ、神農の徒らとちがって、ばくとは地付きの権威でまかなってるっていえるかもな。 直のつながりをいいたいひとは、明治維新におけるーとかいうかもしれない。
>>137 クズ本研究家氏
>一々説明しなければならないのでしょうかね。
論証責任はあるでしょう。具体的に明確に・・・。
>皇祖皇宗の
>建国の偉業に対して忠孝をもって応えることが国体の精華であるいうような表現
>もみられましょう。
誤読でしょうね。皇祖の偉業というのは明治憲法理念である五箇条のご誓文の正当性の
由来ですよ。で、「わが臣民、よく忠に、よく孝に、億兆ココロを一つにして、世々その美を
なせるは、わが国体の精華にしてして、教育の淵源・・・」ですから、偉業に応えることが精
華であるという読解は当たらないでしょう。
国民道徳協会訳では
「そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、
見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが
、私は教育の根本もまた、・・・」です。(意訳なので好きではありませんが文脈としては正しいで
しょう。)
>天皇は天照大神の子孫であり、これまでの一貫した日本の統治者であるとの
>前提に立っていたわけでしょう。
そうなんですか?まぁ統治という意味が、「スベシラス・スベオサム」という意味ならあながち
マチガイではないと思いますよ。そういう認識に立っていた。「統べ知らす・統べ収む」・・・。
>まさか「絶対的権威」との 直接的な表現を求めているのですか?
いや、あなたが言い出したアマテラスの権威の絶対化が一体どこに現れているのか、教えてください。
当時の公文書は多数残っているわけで、其れを見る限り、そうは書いていない。
明治憲法において天皇は「聖」なんですか?多分違うと思いますよ。神聖不可侵なら違う意味で
しょう。
国体の本義は政府の消極的姿勢に対する国民的運動の結果として出てきたものですから
一概に其れが明治の一貫した見解であるとするのは、既に申し上げた美濃部の勅撰議員という事象
ひとつとっても間違っています。それ以降は分けないと正当な明治憲法下が評価できない。
誤まった評価から正しい反省もできないということです。
つづき >学問に対する国家の干渉は、昭和に入ってからだけではなく、1892年に >久米邦武の論文への攻撃による休職事件もありますよ。 神道は宗教でなく東洋の祭天の一つであると主張する論文『神道は祭天の古俗』を発表したため、 神道家や国家主義者から排斥され東大を辞職。・・・国家の干渉ではないでしょう。しかも辞職。 その後大隈の『開国五十年史』編纂にも従事した。 >喜田貞吉の南北朝正閏問題 此れも、国家の干渉というのは余りにに穿った見方で、実態は文部省(国家側)に対して 藤沢元造代議士が、国定教科書を槍玉に、挑戦的感情的な質問を行い、その結果として 全国に政府追求の世論が沸騰し、休職に追いやられたというのが実情でしょう。 そういった国民世論に柔軟に対応して(押されて)いる事象をまで、国家の干渉として明治政府悪 玉論を印象付けるのは、いささか不適当ではと思う次第です。
久米邦武のいわゆる筆禍事件の直接の契機は神道家らによる非難です。 その非難の高まりの中で、久米邦武は東京帝国大学を免官されるわけです。 なぜ辞めなければならないのか、そもそも問題でしょうが、それはともかく、 久米さんが奉職していた編年史編纂掛自体が廃止に追い込まれました。 考えてみれば、例えば天皇制研究の学者の元に、右翼の皆さんが押しかけ、 それを受けて当の学者が実質的に職を追われ、その後に当の学者の所属して いる研究室自体が廃止されるとなると、これは学問の自由が保障されていると 判断しがたいのではないでしょうか。単に国民運動の高揚の中で辞職した という方がどうかしていると思います。 喜田貞吉の件にしても、休職を命じられたのであって、 好き好んで辞めたわけでもなんでもありません。 国民運動の中で政府が「柔軟に対応」した、という表現はいかがなものでしょうか。 もっとも私は、満州事変ごろから急速に弾圧が強まるのであって、 それ以前も全く同程度の弾圧があったとまでは断言しません。 とはいえ、自由であったわけでもなく、一定の抑圧が陰に陽に作用していた ことに関しては変わりないと思いますが。 京都学連事件においては、社会科学研究会への検挙がなされましたしね。
あと149の内容は、私の主張に対する何の反論にもなっていません。 明治憲法体制とは、何も成文化された明治憲法のみならず、それをめぐる 政府の解釈・運用およびそれに付随する様々な法令や勅語、それらを 運用するための行政官庁内部での解釈、行政行為、「国体」概念、 そしてそれらを根拠にした動向等一連の事象を総体して呼ばれるものです。 これは現憲法に関しても言えることです。日本国憲法という成文化されたもの だけでは、ただの紙切れであって、この憲法をめぐる政府解釈や運用などの積み重ねの上で、 その総体として日本国憲法の体制であるということになりましょう。 その上で見ていくべきであると思います。 治安維持法が1925年に制定され、その後内務省の「治安法の条文適用釈義」に、 「我帝国は、論ずるまでもなく万世一系の統治せらるる君主国体なり 国体は歴史に基づく国民の確信に依りて定まるものにして成典に依りて定まるものにあらす」 という見解が提出され、それをうけて「統治権の総覧者としての天皇の絶対性の・・・・」 という表現が見られました。 それと、「明治政府悪玉論」というのがどういうものかわかりません。 決して私は善玉・悪玉といった二元論で何もかも整理するつもりはありません。 もちろん、私としては明治憲法体制と現憲法体制とを比較して、社会の民主的達成や 国民の自由を考えるならば、少なくとも前者より後者の方が好ましいとは思いますけどね。
>>それと、「明治政府悪玉論」というのがどういうものかわかりません。 決して私は善玉・悪玉といった二元論で何もかも整理するつもりはありません。 宗教スレでも、ひとこと戦前の反省に立って政教分離を・・・とか誰かが言うと 「明治政府は悪くない」だの「明治憲法のせいではない」とか言い出して 延々と妄説を陳述しはじめてやめないのでホント疲れたヨ
>>154 現在の価値に照らせば、到底許容できない原理原則によって運営され、
市民の自由の圧殺し、近隣諸国に対する殺戮と侵略を繰り返した、
筋金入りの悪の組織と言うべきだ。
山羊ひで屑流に言えば、明治天皇はショッカーの大首領、伊藤博文は
死神博士、軍神はショッカーの怪人、臣民は平戦闘員だろ(藁
薩長簒奪占領憲法からして、テロリスト(伊藤)やら蝦夷地の囚人を
使い殺すことを提言した和製アイッヒマン(金子)が作ったトンデモナイしろものだ。
この際、薩長簒奪軍事ファシスト後継政権と薩長占領憲法は、悪の組織
と悪の教え、と適切な歴史的評価を加えるべきだろ(藁
冷静に歴史を見れば、蛤門の変はミュンヘン一揆、大政奉還は 授権法の制定と対象関係にある、とみるべきだ。テロリストの ゴロツキどが地方政府をハイジャックし、さらに全権を一見合法に 見える手段で盗んだ。これが薩長ナチズムの歴史的本質だ! ナチズムが侵略戦争で自滅したように、薩長ナチズム天膿政府も ヒトラーと同じ道を歩いて自滅したのだ。 ヒトラーやナチズムは悪玉である。同様に天膿と薩長ナチズム政権も 悪玉である。これは曲げようのない歴史的事実であろう(藁 薩長簒奪政府が悪玉でないなら、ナチスやタリバン、フセイン政権も 悪玉ではあるまい。この際、薩長簒奪政権は悪玉であり、唾棄すべき 存在だったことを、国民的共通認識として持つようにすべきだ(藁
>>アマテラスの最高権威の論証はどこに言ったの? 横レスで経過がよくわからない者ですが、天壌無窮の神勅があれば 十分ではないでせうか???
神道学者の阪本も、「天皇を天照大神の子孫として神聖視するが ゆゑに、日本の統治者と観念したのは・・・明らかであり、・・・ 「聖別」は、一般的にはほぼ自明のことであつたと思はれる。」と 述べている。
誰が見ても自明だよw
明治の起点としての「五箇条のご誓文」が、連綿と継続した日本の同質性や正当性の根拠とする 言説について考えてみたい。大政奉還を経て国是となる基本方針として発布されたものだがその 原型となる竜馬の「船中八策」から軍事面と経済面を削ぎ落として、政治面による方針を示した ものだ。幾度かの推敲を経て最終的に木戸孝允によって完成し、明治天皇が神に誓う形態により 示された。此の誓文には三つの特徴が見られる。 一つは木戸や竜馬に見られる開明派の特徴だ。 原型の「船中八策」では「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」が「上下議政局を設け、議員を 置きて、万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事」となっており、欧州議会の二院制 を意識したものである事が解る。 二つ目は藩閥体制の正当化だろう。 「官武一途庶民ニ至ル迄」「旧来ノ陋習ヲ破リ」とあるのは、江戸幕藩体制の瓦解を示し新体制 による政治形態を採ると宣言したものだ。維新当初に台閣に列したのが公家9人、諸侯7人、藩士 9人という体制が其れを物語っている。 三つ目が新体制の正統性の根拠を示した事だ。 「大ニ皇基ヲ振興スヘシ」「天地神明ニ誓ヒ」とある通り、王政復古が正当な由来によるものだ と宣言している。由利公正が起草した「議事之体大意」を修正した「会盟」5か条では、天皇と 大名が盟約する形を取ったが、三条実美らの反対によって木戸が修正を加えている。
以上の事からも解る通り、「五箇条のご誓文」は新体制の宣言文である。 連綿と継続した同質性による宣言文とすると、幾つかの矛盾が散見する。 「船中八策」で云う「上下議政局を設け、議員を置きて、万機を参賛せしめ、 万機よろしく公議に決すべき事」を原型とするならば「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」 は、正に西欧の政治体制を是から採用すると云う意味であり、日本独自の価値観を 示したものではない。つまり「以和爲貴」とする憲法十七条に記載されている精神ではなく 西欧で機能している議会制の其れだからだ。草案者である竜馬や木戸が開明派であることから、 その様に捉える方が自然であろう。「広ク会議ヲ興シ」「智識ヲ世界ニ求メ」からも 読みとることができる。はてさて、「五箇条のご誓文」は復古なのか新興なのか。
>>148 何を言っているんだ?
単に当時において民衆レベルにおいても「日本」という意識が−主に対外的意識を伴って−
存在した、というだけであるならそれはその通りだろう、網野の言っているように。
そして網野のテクストからはそこまでしか読みとれない。
君がそれ以上読み込もうとするところの、
>>124 >八百万の神々を全て顕彰する神道を、当時の人々が(其れは漁民海洋民の含めて)了解し共有
>していたであろう事を確認し、八百万の神々を全て顕彰するという神道は(略)
だとか価値の同質性があったとかは網野は言っていない。
寧ろ、東国の地域にあってはアマテラスが信仰対象から意識的に排除されていたこと(網野193頁)を考えれば、
日本という意識が当時存在したことから、この意識を支えているのは神道だの和の精神だの
いう君の議論は君の先入見に大きく左右されていることが理解されてしかるべきだろう。
神道だの和の精神だのを日本的一体性のしるしであると考えている人はいたであろうが、
そのような考えを持った人がいたことと、現実に一体性が存在することは全く別の問題である。
例えば、日本の国民食はカレーであると考えている人とそばであると考えている人が存在した場合、
彼らは共に何らかの国民的一体性の存在を想定しているのであろうが、客観的に見れば、
一体性は存在しない、と見るべきだろう。
無論、アマテラスが信仰の対象となっていようがいまいが、当時の日本には広く土俗信仰が
存在しており、それらを全てひっくるめて神道と呼ぶ、と言うことは自由なのかもしれないが
このような神道の定義と、通常、現代において「神道、ひいては天皇こそ日本的一体性を支えるもの」
と唱えられるときの神道は全く別概念である。
現代日本にも天皇教の教徒は少なからずいるだろうし、一万歩譲って神道の一形態たる天皇教による国民的一体性が
あると考えたとしても、この信仰は最早八百万の神に対する信仰と言うより、天皇(家)それ自体に対する信仰であるにすぎない。
両者の信仰を共に神道と呼んでもかまわないが、だからといって両者が同一の性質を持つわけではない。
>>162 猫氏
>そして網野のテクストからはそこまでしか読みとれない。
おっしゃるとおりかと。
>価値の同質性があったとかは網野は言っていない。
其の通りですが・・・。だからむっタンにも言ったとおり、神道の把握の相違でしょう。
神道を和の調整機構と捉えれば・・・ということで展開しているます。
でアマテラスが除外されても尚神道自体を否定していないことも、其の神道把握を
補完することになるでしょう。アマテラスに連なる神々を除外しているにもかかわらず
多神(反逆しあるいはのろいをかけたそれらの神々)をすべからく顕彰することを肯定
する・・・、そここそが神道の基本的な論理です。
其の基本論理を支える前提の価値が、和であるといっているのです。
貴殿が誤解している点は、天皇からの統一的な一体的神道組織や論理・教義の存在を
私が確信しているかのごとくしているところです。
全く逆に、「土俗信仰」や仏教、そして地域ごとの信仰対象の違いがあるにもかかわらず
神道の基礎である、多神を容認し、災いをもたらすなどするそれらも含めて「神として顕彰」
することを共有していたからこそ、其の同一性があるといっているます。
>>152 それなら「国家の干渉」という言葉は不正確でしょう。
>>153 >この憲法をめぐる政府解釈や運用などの積み重ねの上で、
>その総体として日本国憲法の体制であるということになりましょう。
>その上で見ていくべきであると思います。
おっしゃるとおりかと・・・。
で、そういうさまざまな現象を、国家の干渉というきわめて不適切(どちらかといえば
右翼や神道学者の主張を契機とした国民の声に押されて・・・が正しい)に把握する
ことは、貴殿の言う其のことを阻害するのではありませんか?
教育勅語についても過去形の精華を未来系に把握する、最後の一行
君臣一体となって努力するから(これは天皇が進んで一体となるということで一体にな
ること命じている文章ではない)と前置きして、「こいねがう」と締めくくっているものである。
どこの絶対君主が、「私から擦り寄って一体となって努力するから頼むよ」と「こいねがう」
のだろう。そういう恣意的な文章の把握も、正確な状況把握を阻害するんじゃないのかね。
で、』文章ではなく実態だということで、事例が出れば、概ね明澄運動がらみ以降でしょう。
其の時期は、国家存亡の戦争の時期なのだから、それ以前の時期とは、さまざま
な政策が当然に変化しているはずだし、其のきっかけは明徴運動であることが明らかなん
だから、そういう区分けがきちんとできていない人は明治期を正しく把握できないでしょう。
仮に「れ」の妄想(明治憲法は政教分離を目指していたとか、天皇は聖ではないとか、 教育勅語は儒教精神とは関係なく臣民に忠義をといたものではなかったとか、 国体の本義は政府の見解ではないとか)が正しかったとしても、戦争でさんざんになった 歴史の事実を見れば、全然明治憲法はダメダメだったってことになるかと思うのですが? 「れ」は何故こうも必死になるのでしょうか? 一体なにを擁護したいの?
>>165 >「れ」は何故こうも必死になるのでしょうか? 一体なにを擁護したいの?
それは当然、「れ」のプライドでしょう。
戦争でさんざんになったのを憲法の問題に集約しようとするところに、 護憲派の憲法フェティシズムの源泉があるんだなぁ。
>>167 集約しなくとも、充分抜け道の多い
問題のある憲法だったと思うが。
>>163 さっぱりわからん。
>神道を和の調整機構と捉えれば・・・ということで展開しているます。
といわれてもなあ。そんな前提は共有されていないし。
>でアマテラスが除外されても尚神道自体を否定していないことも、其の神道把握を
>補完することになるでしょう。
当時の人間が「神道自体」を否定していない、と意識していたわけでもあるまい。
どっちにしろ、現在の視点から見れば、アマテラス抜きの−というよりアマテラスを意識的に排撃した−
神道を神道とは呼べないだろう。従って、そのような神道を、現在まで通じている意味での神道とは呼べない。
>多神(反逆しあるいはのろいをかけたそれらの神々)をすべからく顕彰することを肯定
>する・・・、
顕彰ということばは褒め称えるために用いるのだが。
けんしょう ―しやう 0 【顕彰】 (名)スル
隠れた功績・善行などをたたえて広く世間に知らせること。
「―碑」「長年の功労を―する」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?kind=jn&MT=%B8%B2%BEエ 既に網野に触れたように、当時、アマテラスは意識的に排撃されていた地域があるのだが。
>神道の基礎である、多神を容認し、災いをもたらすなどするそれらも含めて「神として顕彰」
別にどうでも良いが、この理屈だと、サタン信仰を持っている人とキリスト教徒とは同一性を有していることとなるぞ。
サタン信仰もいわばキリスト教に由来する故、キリスト教文化を背景として持つとは言えるかもしれないが。
そのようなものを同一性と呼ぶとして、一体それにどういう意味があるんだ?
>>168 まあ、客観的に見れば、明治憲法が治安維持法だの許していたわけだからな。
当時、治安維持法が違憲であったわけでもあるまいし。
れタンの場合、和の信奉者という一種の信仰であったことが 本人から吐露されたわけで・・・こうなった場合、もはや 理性による評価は不可能になったのではないかと。 >>顕彰ということばは褒め称えるために用いるのだが。 神社非宗教を唱えていた戦前の神社関連法規解説本などによると、 神社はいわゆる西欧の神のような信仰の対象ではなく実在した 先人を国家に対する功労者として顕彰する場所であるなどとあった。 いかにも神社の伝統を無視した言説ですな。
>>164 反論になっていませんよ。
編年史編纂掛は廃止されたのですよ。久米邦武のみがいたわけではありません。
国体明徴声明以前と以後とでは弾圧の度合いと範疇が異なるわけですが、
以前に弾圧がなかったことにはなりません。これは触れましたので反復は控えます。
>>神道を和の調整機構と捉えれば・・・ということで展開しているます。 のなら、ヤスクニには是非、皇軍の殺ちたシナ人やヤンキーの霊も祀ってほすい よな。 って、いいたいところですが、和はやはり天皇に服属した民のみの間で しか通用しない概念でしょうか? なんか八紘一宇みたいだな。天皇教。
>>169 >そんな前提は共有されていないし。
説明済みですのでそうでないというなら反論を・・・。
>当時の人間が「神道自体」を否定していない、と意識していたわけでもあるまい。
おっしゃるとおり過。も一回起請文を説明しないとわかりませんか?
否定していないと意識しない限り価値の同質性が証明できないわけでもないでしょう。
>どっちにしろ、現在の視点から見れば、アマテラス抜きの−というよりアマテラスを意識的に排撃した−
>神道を神道とは呼べないだろう。
えー、この部分は突っ込みどころがいっぱいありすぎて。
1、意識的に排除すれば起請文の「日本国中大小神祇」という表現はありえない。
2、其の定型部以外において提示される神々についてアマテラスが排除されているということは
あっても。そもそも定型部分にアマテラスは含まれている。
3、そもそも意識的に「排撃」した時点で神道とは呼べない。(それはアマテラスであっても他の
どの神々でも同じである。)・・・現代の視点であっても1000年前であっても同じ。
神道上の神とするのは顕彰することだろう。
でアマテラスが意識的に排除されていたのは、定型部分の前後につく部分である。
アマテラスが、神道のトップの神とでも勘違いしていないか?
サタンとキリストを同等に対立しない融和するモノとして顕彰するとしたら、神道である。
対立しているそれとするなら、好ましい価値が異なるわけだから、価値の同質性はない。
(だから、ありてある神道の特殊性を理解していないし、説明が面倒くさい)
>まあ、客観的に見れば、明治憲法が治安維持法だの許していたわけだからな。
おっしゃるとおりかと。いろいろ問題があったことはすでに認識を示しているよね。
>>171 イヤ、ダカラ、国の干渉について明瞭な事例が出ていないでしょう。
弾圧というか干渉はさまざまにあると思いますよ。(それは現代でも)
で、ようは、天皇の絶対化、アマテラスの絶対化という部分で、国がさまざまに
思想や宗教に干渉したという事例を議論しています。あなたはそういう絶対化があったと
主張しているので、具体的事例をお願いしているところです。
弾圧がなかったということは申し上げていませんが、何でそんな話になるんですか?
其の弾圧とか干渉が、天皇の絶対化、アマテラスの絶対化の意図で起きたとあなたはいい
私はそういう意図ではなく、一言で言えば世論に押されてそういう事象が発生したと
言っています。
無論、ではそういう弾圧とか思想統制がどうなのかという問題はありでしょうが、天皇絶対化
の話をしていたんでしょう?
何でどんどん話がずれるかなぁ。十分反論になっているでしょう。天皇絶対化の意図を
論証する事例ではないといっているわけですから。
>>173 >説明済みですのでそうでないというなら反論を・・・。
単にあなたが独断的前提としているだけでは?
>否定していないと意識しない限り価値の同質性が証明できないわけでもないでしょう。
というより、あなたの言う「神道自体」なるものが後世の人間−つまりれ氏−の概念的再構成の
産物でしょ、というわけなんだが。つまりアマテラスの存在にかかわらず、存在し得るような
「神道の本質」なるものがあり、彼らはこれを信奉していた、と考えることが出来たとしても
−多分出来ない−それは講学上の概念的再構成であって、「現実の」一体性の証明にはならない。
>1、意識的に排除すれば起請文の「日本国中大小神祇」という表現はありえない。
「現実には」意識的な排除も、「日本国〜」という表現も共存していた。
当たり前だが、史学的に見れば、現実と君の理屈が矛盾している場合、間違っているのは後者に他ならない。
>そもそも定型部分にアマテラスは含まれている。
含まれているのか?
>3、そもそも意識的に「排撃」した時点で神道とは呼べない
それは君の神道観だろ(苦笑 つーか、循環論法或いは論点先取だろ。
日本には和の精神という伝統が支配的であり、それは神道に基づくという命題の証明のために
アマテラスの意識的な排撃を行う教派は神道に含まれない、とするのは論証にもなっていない。
もっと客観的な神道の定義を採用しないと、脳内妄想から一歩も外へでれないぞ。
大体、和の精神を唱えつつ、ずいぶん偏狭的な神道観だな(笑
>でアマテラスが意識的に排除されていたのは、定型部分の前後につく部分である。
そうだとして、どういう意味があるんだ?アマテラスが意識的に排撃されていたことには代わりはあるまい。
>対立しているそれとするなら、好ましい価値が異なるわけだから、価値の同質性はない。
既に触れた網野−の参考としている他の学者の論文(未読)−の記述によれば、
アマテラスは虚言を仰る神だから信用できない、とするらしいぞ。
どう考えても、対立しているだろ、東国と西国では。
>>174 いいえそんなことはありませんよ。
明治憲法体制には、「国体」概念が非常に重要な概念として機能しており、
この「国体」に背く思想は様々なかたちで抑圧を受けていましたよ。
そして「国体」とは、天皇の絶対性を含んでいたと見るべきでしょう。
これは先述しておりますので繰り返しません。
例えば治安維持法一つとってもそうでしょう。この法律にとって「国体」概念に
則り、それを理由として弾圧が行われたのではないですか。何度繰り返せばよろしいのか。
>「現実には」意識的な排除も、「日本国〜」という表現も共存していた。 正確には、「日本国〜」という文言があったとは書かれていなかったな。 「だとしても」東国の王権、鎌倉幕府は「西国の王権、天皇を首長とする王朝とは異なる宗教と結びつき、 東国社会独自の神に対する信仰を背景に、独自の神々の体系を形成していた(網野前掲194頁)」 わけで、東国は日本に含まれない、という定義をするならいざ知らず(苦笑、あなたの言う和の精神だの に基づく神道が日本全土を支配していた、ましてやそれが天皇と必然的に結びついていた と考えるのは単に嘘だろう。 この手の嘘くさい日本=単一論は、それが単に嘘であるから問題なだけではなく 政治的な観点からすれば、日本の歴史に対する敬意を一見見せているように見えるにもかかわらず、 実際は日本のそれなりに多様で豊かな文化・歴史を、自らが持つ政治理念モデルに合致するように、 単純化した上で利用、動員する点が問題である、といえるだろう。
もし仮に天皇が絶対的な存在ではなく、あくまで相対的な概念でしかないと するなら、何ゆえ天皇・皇后の「御真影」をおさめた奉安殿がつくられ、 最敬礼が義務付けられねばならないのでしょうか。教育勅語が読まれ、 場合によっては火災の際に、奉安殿の「御真影」を守るために小学校の 校長が焼死するような事態が起こりうるのでしょうか。私には甚だ疑問です。 もはや常軌を逸しているといわざるをいません。 「国体」概念として天皇という存在がどのように扱われ、また社会的にどう機能 していたかを考えてみるべきではないでしょうか。
もう少しわかりやすく書くか。 日本中世の東国には、意識的にアマテラスを排除する文化があった(事実)。 しかし、アマテラスを意識的に排除する文化は最早神道とは言えない(れ氏の主張) と考えるならば、東国には神道は存在しないという結論が導かれる他はない(三段論法)。 と考えるならば、神道が日本の伝統的宗教であるとは言えないし−尚、付言しておけば、 これは俺の歴史認識そのものを示すわけではない。俺の乏しい歴史知識とれ氏の議論を組み合わせれば 論理的帰結としてそうなる、と言っているに過ぎない−和の精神が日本の伝統文化であるとも言えない。 従って、現代の天皇制を、日本独自の文化たる和の精神だの神道だのに基づいて正当化しようとすることは、 歴史的知見からして正当化できない。
なるほど、「日本」という言葉を確かに使っている。それはいい。しかし、 考えてみてくださいよ。当然ながら、今のようにテレビやラジオなどで家にいながら 全国の情報が一挙にわかるわけではない、いや正確な日本地図さえ見たことがない人間たちが、 共通の「日本」という表象を認識可能だと思う? たとえば、キリスト教がヨーロッパ全土に広まったとき、そのことでヨーロッパ人は 「(教会の考えるような)キリスト教」的観念を持ったのだという説は、現在ではかなり 否定されている。むしろ重要視されているのは、彼らがキリスト教を、どのように自分たちの 価値観に合うものとして再解釈をほどこし、受容したのか、という点についてだ。 これを「文化横領」という。よく、日本人は外来文化を自分たちに合うように受け入れてきた という点で特異な民族であるとか言う人がいるが、そんなのはウソで、文化の再解釈という行為は 世界中どの集団においても行われていることであって。 多神教なんてのは世界中どこにでも存在するわけで、別に珍しくない。 「多神を容認し、災いをもたらすなどするそれらも含めて「神として顕彰」 すること」なんて、これが基礎だったらほとんどの多神教にあてはまるだろw。 それを日本の諸地域が共有したところで「だから?」としか思えん。むしろ重要なのは、 「神道」信仰がどのように文化横領されていったのかという点につきる。
>>175 猫氏
>単にあなたが独断的前提としているだけでは?
ですから、あなたがそう独断的に断定されているのでなければ反論を。
>というより、あなたの言う「神道自体」なるものが後世の人間−つまりれ氏−の概念的再構成の
>産物でしょ、というわけなんだが。つまりアマテラスの存在にかかわらず、存在し得るような
>「神道の本質」なるものがあり、彼らはこれを信奉していた、と考えることが出来たとしても
>−多分出来ない−それは講学上の概念的再構成であって、「現実の」一体性の証明にはならない。
いや、言っていることがよく分らないんだが、つまりアマテラスの存在にかかわらず、存在し得るよ
うな 「神道の本質」なるものがあることは当然至極であり、彼らは「此れを」の「此れ」が何をさ
しているのかよく分らないが、八百万の神々の存在を信奉していたことは明らかだ罠。
雲太、和二、京三・・・でも詳しく調べれば?
>>そもそも定型部分にアマテラスは含まれている。
>含まれているのか?
明らかに含まれている。というか、含まれていないと思うこと自体が、まことに神道に対する
知識不足です。断言します。日本国中の大小の神祇にアマテラス/伊勢は確実に含まれています。
どうも、基本的なことから知らないようなので、説明するのも馬鹿馬鹿しいのですが、八百万の
神々の中の、どの神を強く意識するかという相違は国内にあるわけですよ。その意味で「起請文や
願文」において「日本国中の神々」をあげ、その前後に「特段この神々に」と表現するに当たって
アマテラスが排除される場合はありうるわけで、例えば地鎮祭において降りてくる神々の指定が
地域地方、神社によって異なることは当然にあるわけです。TPOで、呼び出す神は異なる。
一神教ではないのですから、アマテラスも誰も「万能」ではないということです。
ということで、後段の指摘はそのあたりの誤解からのようです。
>>176 ですから、天皇絶対化の事象を、国体明徴運動以前で提示してください。
今までの其れは、輿論に押されてのものであって、輿論に押されるということは
天皇の絶対化とは逆のベクトルです。
>>177 >正確には、「日本国〜」という文言があったとは書かれていなかったな。
はぁ?私のあげた具体的ソースも読んでいないのですか?
>ましてやそれが天皇と必然的に結びついていた と考えるのは単に嘘だろう。
嘘だと思いますよ。というか誰もそんな嘘は信じていないし、そう申し上げてもいない。
何か別の脳内妄想に語りかけておられるようで・・・。
>>179 あるTPOにおいて特定の神を買い激することと、八百万の神々を信奉することは矛盾しません。
ですから、起請文や願文において、日本国中の神々を媒介とし、と国その中でもという表現
において排撃されることはありうる(というか其れが神道では普通至極のこと)
八百万の神々を信奉している中で、アマテラスが排撃されているということではないでしょう。
>>180 ムッチョ氏
まぁあなたが考える程度のことは網野氏も考えていて、その上でということですから
ご確認ください。
後段は重要で、確かに多神教は世界各国で見られます。
有りてあるものの特殊性の説明が必要な尾でしょうけれども、その多神を「神として顕彰」
することは、多神教でありうるわけだが、その各々を神と顕彰すること自体が対立しないと
捉えるところが日本の神道だと申し上げているんだが、まぁ基礎知識ですよね。
対立すると捉え、上下関係・主従関係を設定することはよく見られますが・・・。
仏教でもそうですよね。まぁ宗派によっても異なりますが大日如来を最高峰とするという
序列によって、様々な菩薩を調整しています。こういう絶対序列が神道にはないんですよ。
だから雲太なんです。
【起請文について】 ある誓約を確かなものにするために起請文は書かれる。 ご自身が受け取られる側に立てば分ることであるが 1、ある特定の神の罰を受けてもかまわない 2、日本国中の大小の神社仏閣の、神罰仏罰を受けてもかまわない。 3、日本国中の大小の神社仏閣の、特に地域に密着した○○、△△、□□の神・仏から 神罰/仏罰をうけてもかまわない。 起請文を受領する側としては。3、が比較的信憑性を感じるだろう。 たとえば、徳川にとっては「日光東照宮の罰を受けても」と書くことは相当に重みが あることであるから、軽軽に書かない(リアルすぎ)だけれども、日光東照宮以外の神々に と書くわけもない。また、外様で、家康にだまされたという認識をもっている藩において 「家康に誓って約束は守る」といわれても、受け取る側は、「フザケルナ」となるだろう。 約定厳守という場面において評価は異なるけれども、顕彰される神であることまで否定は されない。このように アマテラスが、約定を守らないものに罰を与える神として適任かどうかという検討は 人の社会においてありうるわけで、西国において敵印と思われ、東国でそう思われなくとも 其れが神道だというほかはない。 天壌無窮の信託をしたからえらいというものでもない。事実何回かオオクニヌシの排除を 試み失敗し、最後に成功したわけだから万能でないことは古事記でも証明されている。 日本の八百万の神々は万能ではない。大陸の「天」や一神教の「クリエーター」とは異なる。 というイロハを説明しなければならんのだから、法学論争における猫氏には申し訳なかったと 反省する次第である。
>>183 うっそだあ。神道では一般的にアマテアスが最高神だとされているじゃない。
少なくとも国家神道はそうだよね。むろん、折口が指摘するように、そのように国家に
回収させられる以前の、民俗宗教としての神道は違ったのかもしれない。
ただそれを言うなら世界中に類型がありますよ。ギリシア、ローマだってそうだし、
ケルトもそうだし、ヒンドゥーだってそうじゃないかな。良く知らないけど。
ああ、北海道出身者として言えば、アイヌもそうだぞ。
ギリシアにおいても、ローマにおいても、神々は対立しないぞ。喧嘩はするが。
一応ユピテルやゼウスが最高神だとランクづけはされているが、じゃあ地方にいけば
どうだったかというと、その地方の神様がゼウスなんかよりもしっかりと祀られていたという。
>まぁあなたが考える程度のことは網野氏も考えていて、その上でということですから
ご確認ください。
ところでこれは何だ?網野氏は俺が考える程度のことはもちろん考えていると思うし、
だから日本社会において、共有される価値があったというを否定してるんでしょ。
その上でもクソもないわけだ。
あと、仏教を多神教に含めるのはまずいだろう。さんざん教義にこだわっているあなたが。
>>185 ムッチョ氏
いや、だから雲太といっているんだが。13世紀に国家神道とやらがあったとも思えないし。(プッ
国家神道がアマテラスを最高神としたというのも、極めて杜撰というか、なんというか。
神道において最高神はいません。なんか萎えるというか、ムッタンを素人談義に付き合わせた
ことを反省します。今、あなたの気持ちがわかりました。
で後段の日本人意識というものは13世紀には農民の名主クラスまで(ということは僧侶や武家にも)
具体的な国の制度などの知識を伴って広まっていたということを、網野氏は言っているわけだ。
だから、五機七道とか私は言っているわけですよ。
で、その日本人意識の検討において述べられている、もうひとつ確実なことは、日本国の中の大小の
神祇(神祇と言うのは天神と地祇、天つ神と国つ神という意味で、前者は、、高天原から降臨した
神、また、その子孫。後者は 天孫降臨以前からこの国土に土着し、一地方を治めた神のこと-だか
らアマテラスは前者に確実に含まれると猫タンに断言しているわけだが-)その「両方」を媒体として、
誓約を取り交わすという事実があるわけで、その事実は網野氏が述べている。そういう様々な神々に
関する「神仏の罰(だから神仏習合における仏教はこの中に含まれてくるわけで最終行の批判は当た
らないわけだが)」を担保とした約定が存在する以上、其れを是とする(了解する、受け入れる)と
言う価値の存在というのは認められるよね。
ところが此れを特別なことではなく、どこにでもあることだと、ムッタンのように考える人は
いるわけで、網野氏がそうかどうかは分らないけれども、重要視はしていないわけだね。
ありてあるものを特殊と説明することが困難であることといっているのはそこのところで、
すべての天つ神・国つ神を誓約の媒体としていることが、ムッタンには極めて特殊なことだとわから
ないかなぁ。(もう少し説明してもいいけど)
まぁ、天壌無窮の神託の存在は、伊勢から発せられてわけでもないし・・・。
>>186 だから、解釈はいくらでも可能なんだって。ただ、あなたの解釈を受け入れる人間が、
この狭い掲示板上ですら誰もいないのと同様に、当時の人間においてもあなたの解釈を
受け入れる人間はいないだろう。あなたがたとえば鎌倉時代にタイムスリップして、
その時代の農民にあなたの説を開陳して、納得してもらえると思う?
そんな解釈にどのような意味があるのか?
国家神道というのはそのたとえだ。明治時代や大正時代の人間が、国家神道というものに
触れたとき、本当にアマテラスを最高神として捉えていなかったと思う?さらに、
アマテラスを最高神とするなんて、国家神道は神道ではない!と感じていたと思う?
重要なのはそういう部分であって、けして教義から導かれるものではないわけ。
特殊という話を言えば、そりゃあ世の中には同じ神話は一つとしてないわけで、あらゆる
ものが特殊といえる。うまくこじつければ、ギリシア、ローマの宗教にさえ最高神というものは
いないと言うことも可能だろう。でもそんなことは重要ではない。問題は、ユピテルの性格付けに対する
ある政治的な意図だし、他の宗教との比較による構造的な把握だったりするわけだ。
>ムッタンのように考える人はいるわけで、 逆に、まともな歴史学者であなたみたいな説を唱えている人間はいるのか?
>>187 >明治時代や大正時代の人間が、国家神道というものに
>触れたとき、本当にアマテラスを最高神として捉えていなかったと思う?
えー昭和に入ってからが初見の国家神道というコトバが、明治や大正に存在していたという
前提がおありのようですが、其れは一体具体的に何のことをさしているか、ご提示ください。
まぁ例えならもう少し、マギレのない適切なものを・・・。
ま、アマテラスが最高神というより「至高の神」とは国体の本義(昭和に入ってからですが)
で説明されていることは事実ですが、神として最高であったかといえば、違うでしょう。
なぜなら、その前に複数の神が存在し、初めの三柱は特別の存在とされていたでしょう。
オオヤシマ(日本の国土)を生み出したのもアマテラス以前の神々ですし。
だから至高ではあっても最高ではないわけです。そんなことはみんな知っていたことですが・・・。
私は異端の解釈をしているのではなく、13世紀ごろ農民の名主にまで知られていた、古事記とか
日本書紀の記述からして、最高神であると規定することがいかに馬鹿馬鹿しいかを、神道理解の
常識として申し上げています。無論天皇家にとって至高であることは事実ですが、神仏習合状況の
明治以前において、一般にとって至高でさえないでしょう。国つ神と天つ神を並列に神祇と表現し
、その中でも特別二と前置きして「国つ神の系統」を複数上げることが東国の起請文においては
普通だったと、網野氏は言っているわけですから。
最高神が、オオクニヌシ征伐に複数回失敗しますか?こじ付けではなく一般常識ですよ。
明徴運動以降において最高神ではないけれども至高の神として持ち上げられたという事実はあり
ますが、其れは国家元首の祖先であるという儀礼としてはありうることで、親等全体から見れば
ほんの一時期のことです。むろん、江戸時代はお伊勢参りもありましたが、再交信だからという
飛んでもなり勇ではありませんし、東照宮が江戸幕府にとっては上位でしょう。
>>188 マトモな宗教学者で神道の最高神はアマテラスだといっている人もいないような・・・。
天皇家にとっても、重要な神の一柱ではありましょうけれども、最高神かと問われれば違うと
いうでしょうね。
だから初めから、雲太・和二・京三を提示しているわけで、最高神であるならば、伊勢太になら
なければおかしいでしょうし、道鏡の禅譲を阻止した神託は、宇佐ではなく伊勢に問い合わせ
なければ矛盾するでしょうよ。
至高であるが、最高ではないとか、分けわからん。
至高と最高、脳内解釈で使い分けしてるんだろw そのうち究極とかでてくるに違いないw
私はナナシをNGワードに指定していますから、
>>192 から
>>194 は読めません。
したがって、IEで、今回は読みましたが、どなたかがおっしゃるとおり
至高は二つあるでしょうが最高は二つありません。究極が二つあるかどうかは微妙ですね。
至高というコトバは「国体の本義」にかかれていますから、其れが最高神と同等の表現
でないことは確認できますよ。
続けて三つも糞ナナシがあったのでIEで見てみましたが、やっぱりスルーに限りますな。
まだ「国家神道」という単語が存在しなかったから「国家神道」は無かった なんて妄言吐いてるんだなぁ、やんなっちゃうw 明治時代に「おっぱい」という単語がなかったから「おっぱい」は存在しなかった なんていうのと同じことなんだがねぇw スルーしとけw
【至高】 この上なく高く、すぐれていること。また、そのさま。最高。 「―な(の)精神」「―至善」
れれれのれの愛読書が「美味しんぼ」だとは・・・
んっ?どの奈々氏が、至高は二つあるとか言ってるんだ? れ は目も悪いのか?
>>196 上手いこと云うね。
宗教と政治スレでも散々論証してるのに、此処でも否定するとは。
今日もれタン袋叩き大会かよ。鬱になるな。 しかし、アズマの俺としては実に喜ばしい形でここ数日議論がすすんでいる。 数年前から俺がアズマスレ等でうったえつづけてきたことが、やっと広宣流布 されてきたか。それに対して、天膿制支持者やナショナリストはなすすべないときたんもんだ(藁 原始的・古代的な社会において、自然崇拝、氏神、部族神信仰がまずあった。 それが社会の広域化とともに文化的結合が進行し、地方権力や地方宗教センターが しだいに形成されていった。さらにヤマト王権の成立過程で、ヤマト王権と地方権力 の関係と対象するように、部族神信仰、地方宗教センターがヤマト王権の信仰・祭祀 と関連付け編制・序列化されて語られるに至った。これが神道の出自だ罠。 公式な、つまりヤマト王権から見た神道が、天膿や天膿祭祀と関連付けて語られる のは当たり前だ。なぜならそれを意図して、ヤマト王権が部族神を取り込んで全国的な 信仰や記紀の神話を捏造したんだから。作為された信仰を持って、全国的な統一性 ・関連があるとか言うのは本末転倒だ罠。 アマテラスが最高神ではないとかグズグズ言ってる馬鹿がいるが、ヤマト信仰と ヤマト神話はヤマト王権と地方権力の関係と対象関係にある。だから、ヤマト王権 と地方権力との関係が対等でなければ、ヤマト王の氏神と地方権力の氏神が 対等関係にあるワケがない。バカも休み休み言うべきだ。ヤマト王が最高・至高 であれば、ヤマト王の氏神もそれと同等の価値を持つ。それが作為され作られた 信仰・神話の存在意義だろうに(藁
カットワリの自作自演かorz
ゼウスは最高神だけどデルフォイの神託はゼウスの名で出されるものではないし、 絶対的な力を持っていたことでもないし、というのは常識だよねえ。 天地創造はクロノスだしなあ。別に「至高」でも「最高」でもどっちでもいいけどw。 基準は全く同じなわけだから、イイタイコトは変わらないよねえ。どっちにしても序列あんじゃんっていう。 神話の類型に関して言えば日本はむしろオーソドックスな部類に入るわけで。 当時の人々の心性を、脳内解釈から導き出された常識で判断するのはどうか。
中央権力や地方権力が自らの正統性誇示のために、信仰や神話の関連付けを 意図し演じたところで、それが民衆本来の信仰にいかなる影響を与えたかが 問題にされなければなるまい。 社会の発展とともに、しだいに自然崇拝や地方宗教センターは中央や 他の地方と関連付けられていったワケだが、それは主として中央権力や 地方権力の都合だ。民衆にとっての信仰や神とは、彼らの実生活に関係を 持つものだ罠。 秋の実りを祈願したり、祟りを払ったり、そう言った身近な祈念や畏敬の念を ささげる対象は、身近な信仰対象でしかありえない。民衆にとっての神や信仰とは、 まず第一に自分が見える範囲のところにある氏神や巡礼にいける範囲の地方宗教 センターの神であり、見たことも聞いたこともない伊勢やヤマト王権の神など 自分達の生活とは本来無縁のものだ罠。 伊勢信仰にしても、社会が安定し人々往来が盛んになってからしだいに広まった もので、江戸期以前に伊勢の地方神・ヤマト王権の祭神を、どの程度他の地方の 地域民が畏敬を払っていたか、認知していたかは疑問だ罠。 本来バラバラに存在してきた地域信仰を、ヤマト族の祭神を中心に序列化し 編成したものを「神道」と定義する以上、それを定義できないのは当たり前の ことだ。民間信仰的意味で言えば、「神道」などと言う単一の信仰は存在しない。 日本人なるものが共有する単一の「神道」とは、ヤマト中心史観が作り出した マボロシにすぎない(藁
ここはデムパを披露し合うとこですか?
れれれのれだけが疲労するところです(ry
日本の中世期は神道よりもむしろ仏教が普及した時期だ。 日蓮宗や曹洞宗は鎌倉期の民衆に広く普及した。承元の専修念仏禁止は、法然や親鸞の影響力を 無視できなかったからであり神道と仏教の合祀が広く進んだ時期でもある。両部神道 の様な 真言宗から生まれた神道が誕生したのも此の時期だ。鎌倉時代頃に成立源氏の氏神とされる八幡神が 各地の武士土豪により祭祀されたのだが、鎌倉の八幡神社では「八幡大菩薩宇佐宮」と云われる様に 仏教神なる神仏混合様式を採っている。是は天台宗の伝教大師と真言宗弘法大師が、宇佐に参拝した ことで習合されたと云われている。網野の論文でも示されているが、東国と九州は親和性が強く そうした関係から東国の鎌倉に影響を与えていると云われている。日本の中世期は神道が衰退した 時期であるとされているのだが、果たしてこの時期に神道による同一性が形成されていたかは かなり疑問があると考えるべきだろう。
中世になって仏教が広まったのは信仰上の理由もあろうが、寺院が文化センター として機能した面もあるだろ。当時の寺院は、中央や唐天竺との関連を持った 文化センターだった。寺院が盛んに建立されたのは、信仰心ばかりではなく、 文化的面での功利性もあったのだろう。寺社自体が有力な社会勢力になり 自己増殖していったのもあるのだろうが。 形や記録に残るのは、これら形にのこる信仰だけだが、中央や地方の 有力者、寺社関係者によって作られる宗教施設や教義を、民衆がいかなる目で 見ていたかが問題だろ。 民衆の信仰は、権力者によって推進された文化事業や信仰事業に影響され ながらも、別の形で存在してきたと考えるべきだ。民衆にとって八幡さんや お不動さんが宗教的にいかなる意味を持つかは重要ではない。彼らは 彼らの論理で、それらを自分なりに崇拝するダケだろ(藁 だから、仏教や神道による同一性などは、支配層や知識階級が意図して 推進しても、それが民衆レベルで受け入れられているとは必ずしも言えない。 統一的な教義を持った仏教や中世キリスト教でさえそうなのだから、教義すら持たない 神道が民衆に多大の影響を与え、統一性・同質性を民衆に与えるワケがない(藁
>>208 >寺院が文化センターとして機能した面もあるだろ。
勿論其の通りだ。医療や美術、音楽(平安期の雅楽奏者の多くは渡来人だった)、文学など
最先端の文化を取り入れる機能を果たしていたのは間違いない。
>民衆の信仰は、権力者によって推進された文化事業や信仰事業に影響され
>ながらも、別の形で存在してきたと考えるべきだ
其の顕著な例が、親鸞などのいわゆる「念仏仏教」だろうな。
民衆の救いはそうした救済的仏教が役割を担っていたのだろう。
>>209 民衆と言うか個人と結びついた宗教運動が生じてきたのも、部族や地域ごとの
信仰では対応しきれない事象が社会的に生じてきたからと考えるべきだ。
社会が広域になり、氏族や地域からある程度の独立性を有した人々のあり方が
生じてきて、それにマッチした信仰のあり方が求められた。そのようなものが
民間信仰と結びついた仏教運動の背景にあるのだろ。
>>210 末法思想が流布されたのもこの時期だね。
厭世気分が支配的な時期と云われるが、其れまでの価値観では
すくい取れない時代背景だったのかも知れない。
古事記において国産みをなしたイザナギは最後にアマテラスを 産んだとき「汝は高天原を治らせ」と命じるわけです。 で、アマテラスは天孫降臨の際、皇孫に「瑞穂の国は我が子孫の君たるべし 国なり」と神勅を下すわけです。 造化三神は姿がないし、イザナギまでは既に幽れてしまったので、 現に権力をもっているのはアマテラス(天)と天皇(地)なわけです。 あと、神宮は延喜式の時代から別格で神位も超越した唯一の存在でした。 明治期の日本型政教分離体制下でも神宮の扱いは別格でした。 ちなみに、雲太・和二・京三は建物の大きさのことで神格には関係ない話です。
ちなみに神宮の御神体であるところのヤタノカガミの 所有権は皇室にあることが国会でも確認されています。
れれれの脳内だと、 「最高神を祭るならば建物も一番でっかくするんじゃね(ニッコリ)」 っていう幼稚園児なみの理屈でご満悦ってとこだなw
>>181 >「神道の本質」なるものがあることは当然至極であり、
こういう独断的前提でもって語られてもね(苦笑
資料的根拠を示しなさい、といっておくか。
>明らかに含まれている。というか、含まれていないと思うこと自体が、まことに神道に対する
>知識不足です。断言します。
君に断言されてもなあ。憲法解釈上の議論でも、どの学者も言ってないような嘘解釈を
断言してたじゃん(苦笑
いい加減、ろくに根拠を示さず「至極当然」だの「断言」だの語るのはやめなさい。
>どの神を強く意識するかという相違は国内にあるわけですよ。
君ね、網野をまじめに読んでないでしょ。網野は東国においてアマテラスは「虚偽をおっしゃられる」神だから
信用されていなかった、とする論文を引用しているわけだよ。
単にTPOに応じて、アマテラスが名前が出されていなかった、というのではなく、半ば「意識的に」
アマテラスは排斥されていたわけ、網野によれば。
ギリシア風に言えば、例えば美を願うときにゼウスにねがわないよね(アフロティーテに願う)
とかそういう話ではなく、そもそもゼウス自体が信用されていないから呼び出されない、という場合と
同じ話。
俺は神道なんて全然知らないけど、それでもれ氏の議論の論理構造が著しくおかしいことぐらいは指摘できるよ。
あと細かい話をしておくと、至高と最高の違いね。
至高は二つ有り得るが最高は二つあり得ない、まあ、こんな議論はくだらないと思うが、
別にくだらないからと言って駄目なわけではない(笑 したければすれば、てな話だ。
問題なのは、れ氏が勝手に意味を与えた「至高」なり「最高」なりの意味と、文献上用いられている
「至高」と「最高」の意味の用い方は違う、ということだ。
通常、至高も最高も、特別な定義が与えられない場合、互換的に用いられるわけだ。
それ故、たいていの場合、ある人がアマテラスは至高であるといい、別の人がアマテラスは最高であると表現した場合、
両者は結局同じ事を言っているわけだ。
>>195 なんかはどうしようもないほどひどくて、「本義」が至高と最高を区別した上で、アマテラスはあくまで前者の地位が認められるだけで、
後者の地位は認められないということが確認されてはじめて
>其れが最高神と同等の表現でないことは確認できますよ。
と言えるわけだ。「最高神」なるものはれ氏の脳内概念で、本義にとっては全く興味のない概念である、
という事がれ氏の頭には全く思い浮かばない。「自分が」至高と最高を区別するのは自由だが、
他の人間も又、同様に至高と最高を区別している、と考えることは出来ない。こんなのはいちいち説明するまでもなく、
通常は義務教育から高校の間に自然に身に付く考え方だと思うのだが。
ずいぶん前にも何回も言ったことだが、れ氏は自我と他我の境界線(俺の世代的に言うとATフィールドというやつだな)
が極端に弱いんではないの。
和の精神云々に対する極端な信頼もそこから来ているのだろう。確かに議論は重要である、
重要であるが、議論しても分かり合えないことはあるし、自分の主張を誠心誠意語っても受け入れてもらえるとは限らない。
政治システムの必要性はこの、人が分かり合えないという事実から生じるのであり、
問題は、議論が折り合わなかった場合、どういう対処がなされるべきか、という点にある。
和の精神だの衆議だの「だけ」語っていても、まともに政治的問題に対処出来ないだろう。
>「最高神」なるものはれ氏の脳内概念で 「至高」と区別された最高神なる〜
>>200 すっこんでろヴォケ。国家神道がなかったなんていう言説をはいた覚えはない。
人の主張自体を理解できない奴が議論に参加できるわけがないだろうよ。
>>201 アズマタン
全然叩かれている自覚はないんだけど。ムッタンとか猫タンの「日本の歴史」についての
基礎知識のなさが明瞭になってきつつあるよね。
神道の出自については、違和感があるね。むろん、天皇/朝廷側が提示した神道論理が
そのまま受け入れられ、全国一律の(単一的な)宗教秩序が存したかといえば、それは
違うでしょう。逆に、全国ばらばらだったというのも変でしょう。(そういう単純な話
ではない)
で、あなたも無知なようだが、大和朝廷を上位とするからアマテラスは最高神だという
話にはならんだろう。古事記でも読んで皆さんセ。
(一番の貴殿へのお勧めの古事記は、石の森章太郎のそれだな。東国の天才が書いているから
親しみが湧くだろう)
>>204 > 秋の実りを祈願したり、祟りを払ったり、そう言った身近な祈念や畏敬の念を
>ささげる対象は、身近な信仰対象でしかありえない。
そういうお花畑妄想は辞めなさい。種まきも種籾の管理も、暦という朝廷が出したもの
に従うということで成り立っておる。神道的八百万の神々の系譜が自然発生したという
妄想は辞めたほうがよろしい。だいたい農耕の神はそもそも国つ神だろう。
なぜ、オオクニヌシが農耕の神なのか、其れが自然発生的にどう一律に広がる。
>>203 ムッチョ氏
では、オオクニヌシと同様の立場にあるギリシャ神話の神の名前を教えてください。
>>219 >人の主張自体を理解できない奴が議論に参加できるわけがないだろうよ。
自分のことを云っているのか?
君の駄目なところは(何度も指摘しているが)自覚の欠如だ。其れと認識の欠如もある。
至高と最高を使い分けしたり、自分の狭い知識で知らないからといって決め付ける。
無自覚だから指摘しても理解できない。君は議論しているつもりかも知れないが、
他の諸氏は君の誤った認識を指摘し、更に輪を掛けて君が電波発言をするといった
悪循環が繰り返されているだけだと自覚すべきだが、恐らくは君は其れが出来ないのだろう。
カットワリにそれを言う資格があるのか(と小一時間…
天照大神が最高神として位置付けられると云う学者はいくらでもいるし、 其れは明治以降、どんなに早くとも江戸後期の国学によって体系化されたと云うのは 常識の範疇だろう。中世の神道を論じ、其の出典として網野を引くのなら そうした基礎的な教養は必要だし、「神道では」等と十把一絡げで表現する馬鹿らしさを 少しは認識できるはずだ。神道と呼ばれてるものは、古代から中世、近世では仏教や儒教、 道教と云う外来宗教の影響を多々受けており、混沌としており純然たる宗教の体を為してはない。 明治を起点として神道が純化され天照大神が最高神(至高でもいい)とする体系化が出来た。 いい加減、電波発言を止めて少しは休んでみてはどうか?余りにも痛すぎる。
とりあえずなんでもいいから、相手に質問してみて相手が返答に窮すれば 質問した自分が正しいとか思ってるんだろうなあ・・・
>>216 猫氏
「神道の本質」は一神教でもなく、最高神・絶対神から連なる神々の序列による多神でもなく
八百万の神々の同列的存在の確信だろう。
資料的根拠といっても、一神教ではないことはご存知のとおり。
最高神/絶対神からの序列があるなら、雲太荷はならないと史実で証明しているし、称徳の禅譲
事件において宇佐におか外を立てていることからも、自明でしょう。
というか、そんなことから証明しなければならんほどの相手は外国人だけと思っていたが。
何を証明して欲しいのか、具体的に書いてください。
>君に断言されてもなあ。
明らかに含まれているということは、「神祇」というコトバだけで充分でしょう。
アマテラスの系譜が否定されているなら「日本国中大小神祇」ではなく「地祇」となる。
アマテラス系譜の神々だけなら「天神」(
>>186 に続いて二回目なのに、まだ言うか?)
>網野は東国においてアマテラスは「虚偽をおっしゃられる」神だから
>信用されていなかった、とする論文を引用しているわけだよ。
真面目に読んでいてその理解だから基礎知識がないといっているわけだ。
虚偽を言うから「起請文という誓約を確かなものにするために書く神文にふさわしくない」
ということだろうよ。真面目に読んで、こういう意味がわからんから知識不足といっているわ
けだ。だから、「日本国中の神祇(アマテラス系の神々と地方法系の神々をあわせた総称)」
をあげた後に、特段に指定する神々の名前としてアマテラスが排撃されているという事から
均一で統一的な宗教秩序が存在していないことを、網野氏は論証していて、其れは私も事実だろ
うと了解している。均一で統一的でない=ばらばら、ではなく、八百万の神々を全部認める
価値は存在していたという極めて普通のことを言っているんだが・・・。
>暦という朝廷が出したものに従うということで成り立っておる。 東国は独自の暦を使用していたと云う網野の論文を既に紹介しているのに どうしてこんな無知が強弁できるやら。
>すっこんでろヴォケ。 やっぱりあれですか?ちゃんと反論できないから 議論から逃げたい心理状態が、此の様な卑俗な表現をさせるのですか?
スレを荒らしているのは内容のない書きこみを続けるおまえでは?
れタンが頑張って戦ってるのに、今まで何度となく援護射撃をしてもらってた保守考タンが沈黙とは、冷たいネ。
>>217 猫氏
おいおい、至高といっているのは私ではなく「国体の本義」であり、国体の本義を読めば
その捉え方は「最高神」とは違うといっているんだが、其れが違うというなら、国体の本義を
引用して論証すればいいことでしょう。
無論「国体の本義」が示す天皇像や神道把握が、国民との関係性において、日本の継続した
神道とはかけ離れていると私は言ってはいるし、まぁ其れは間違いないだろう。
まぁ古事記でも読んでみなさい。(石の森の其れではない奴を。アズマタンと違って妄想は
しないタイプでしょうから・・・)
上位の神とされていたことは事実でしょう。むろん、コトアゲ(アマテラスの子孫がこの国を
おさめるというそれ)し実現したわけだから、上位になる罠。
しかし最高かといえば違うでしょう。国土を生み出したのはアマテラスではないし。
国体の本義おいてのロジックというのは、天皇という側から見れば至高なのであって、其れを
臣民にも同じようにしようと、国家への中世に結び付けているわけだね。
で、神道の実態から言えば、アマテラスが最高ならば、出雲大社はなぜ最高の高さを誇る神殿で、
伊勢は其れよりもはるかに小さいのかなぁ。神道的には最高神であるということはいえないわけ
で、天皇家にとって至高であるということなんだけど、そうい視点が抜けているんじゃないの?
「天皇家にとっては至高の神はアマテラス」「東国の武士などにとってアマテラスは信用できない
から、約定の場面では役に立たない神」「徳川家にとっては至高の神は東照大権現」「地鎮祭にお
いては、○○の三柱の神々」「結婚式においては」「種まきと豊作を祝うときは」「かまどを新調
するときは」「厠では」「戦闘の時には」・・・・という諸々が矛盾しないモノが神道だよ。
231 :
市井の人 :04/07/09 10:10 ID:ROCkoQ49
自分の専門以外には何も知らないからって、常識に瑣末な難癖、 屁理屈を付けて議論をかき回すのは、アカならではですね。 理屈の上では旨く発言しているつもりでしょうが、常識的に考えれ ば、一般的な認識、常識からかけ離れている。 アカに染まった頭でっかちは、書庫で紙魚との会話がお似合い。
どうもよく分らないのだが、 「日本の神道」において「アマテラスは最高神だった」という認識が、歴史的に全国一律に 広がり認識されていたといっている人がいるのか? まぁ、網野氏は其れを否定しているし、しかし、神道的儀式としての起請文は全国一律に 「日本国中大小神祇」という定型分が定着し、しかしながら、約定という部分で、東国においては アマテラスはその約定を担保する任にあらずとしているなどのことから、一律に同等の 神々の系譜や上下関係が了解されていない・・・としているわけだろう。 だから、その13世紀ごろ、神道的振る舞いは全国的に同様の振る舞いが認められること、 日本国という意識は、ある程度の具体性をもって農民の名主レベルまで認識されていたこと、 が、網野氏の研究からは認められるわけだ。 にもかかわらず >天照大神が最高神として位置付けられると云う学者はいくらでもいるし、 という人がいる。其れは明治以降のことであって、元々の神道の本質ではないことは自明だろう。 暦にしても、アズマタンの言うその時期は、当然に日本以前であり、暦が複数出てきたのはもっと後 だろうよ。 単に批判したいだけの人はこうやって、時期とか対象をまぜこぜにして批判する。 既に書いているとおり、農耕作に関わる知らしめる機能というものは、初期(日本号が発生する はるか以前)において重要であり、地域の信仰体系の形成にも重要な影響を与えているわけで 其れが自然派生的・地域内部での自己完結的に信仰が発生したということは出来ない。 で、農耕作の技術が浸透すればそういう知らしめる機能は徐々に少なくなってくるのは当然だ罠。 しかし独立した信仰を持っていたということは網野氏の研究からは否定される。 あくまで神道という枠内での独自性があるわけだ。(八百万の神々という存在は否定しない。)
>にもかかわらず
>>天照大神が最高神として位置付けられると云う学者はいくらでもいるし、
>という人がいる。其れは明治以降のことであって、元々の神道の本質ではないことは自明だろう。
はあ?
>天照大神が最高神として位置付けられると云う学者はいくらでもいるし、
>其れは明治以降、どんなに早くとも江戸後期の国学によって体系化されたと云うのは
>常識の範疇だろう。
と
>>222 で云っているんだが、人の発言をトレースする見解を披瀝して「にもかかわらず」とは
どの様な意図によるものなのだろう?本当にこの人は解らない。
アマテラスを最高神ではなく至高の存在だとして、 最高神とする見解の学者は知らないと云ったのは誰でしょう?
だからすっこんでろや。マトモな宗教学者なのかよ、それが。ヴォケ。
>>191 再掲載
マトモな宗教学者で神道の最高神はアマテラスだといっている人もいないような・・・。
具体的に名前を挙げられないならすっこんでろ。
ではアマテラスを最高神として国家神道(語彙は別として実態として)の権威の源泉と定義している 論者の意見を紹介してみよう。対象時期は勿論明治以降だ。 司馬遼太郎 「明治以前には平田篤胤みたいな人がいましたが、彼はたしか「天御中主神」という不思議な、 なるほど古事記、日本書紀に一度しか出てこない神を神々の世界を統治する最高神”ゴッド”の 位置においてきました。・・しかし国家神道では「天御中主神」というあまり抽象性の高いものは はずされて、具体的な「天照大神」になってしまう。・・」 カーメン・ブラッカー博士(ケンブリッジ大学東洋学部) 日本民族に他の国民とは異なる特別の誕生の場と役割を与え、日本人は比類なく特別な国民であり、 共通の聖なる起源と宿命によって、ともに結びつけられているのだと論証することだった。 この目的のために為政者たちが巧妙に利用したのは、8世紀に作成された古事記の古典神話だった。 それにより,l868年以前には多くの地方で知られていなかった太陽神の天照大神が、以前には まったく享受することのなかった最高の栄誉を受けることになった。天照大神は皇室の祖神であると 宣言され,そこから発した天皇の継承は,現在まで連綿として続き、その世襲によって日本は 他の国にはない比類なく神聖な特性が授けられているのだとされた。
桂島宣広氏(北京日本学研究センター) 本地垂迹説の展開の中で、アマテラスが思弁的な最高神の位置に昇華せしめられ、いかに密教の教説の 付会ではあれ、普遍神的性格を帯びているのが特徴的である。もっとも、いわゆる神国思想の成立に 見られるように、それは飽くまで皇祖神として「日本」に結びつけられた存在ではあった。 国は是れ神国也。道は是れ神道也。国主は是れ神皇也。太祖は天照太神也。一神の威光、遍ク百億の 世界ヲ照らし、一神の付属、永ク万乗の王道ニ伝ふ。天ニ二ノ日無く、国ニ二ノ主無し。故ニ日神天に 在すの時、月・星は光を双べず。唯一天上ノ証明是れ也(『唯一神道名法要集』)。 この主張から窺えるのは、アマテラスが「太祖」として皇祖神でありながら、しかし最高神・普遍神と して強調されている点である。だがその両者の関係を見るならばアマテラスの普遍性と絶対性が 強調されつつ、他方、その普遍性の権限が「此国の主」「日本国ノ大棟梁」であることが述べられ、 「普遍的神性・神格の統べる日本の神国性」が主張される論理構成になっている点が浮かび上がるのである。 「復古神道と民衆宗教」より引用
>マトモな宗教学者なのかよ、それが。ヴォケ。
私。(
>>222 )
>天照大神が最高神として位置付けられると云う学者はいくらでもいるし、
>其れは明治以降、どんなに早くとも江戸後期の国学によって体系化されたと云うのは
>常識の範疇だろう。
君。(
>>232 )
>にもかかわらず
>>天照大神が最高神として位置付けられると云う学者はいくらでもいるし、
>という人がいる。其れは明治以降のことであって、元々の神道の本質ではないことは自明だろう。
君が自分の発言に疑問を持っていないとしたら、破壊深度が進んでいると云わざる得ない。
239 :
右や左の名無し様 :04/07/09 11:35 ID:IbDH3QXz
もっともらしく、偉い学者を引用すれば、自分も何か言ったつもりになれる。 まあ、サヨクの場合は、大元のマルクスが出鱈目なので、出鱈目な発言しかありえないわけだがw
カーメン・ブラッカー博士の云う「l868年以前には多くの地方で知られていなかった」事実に関しては 明治維新後明治政府が各県に発布した「人民告諭」が証明している。
だからすっこんでろって。其れ全部宗教学者じゃないだろうよ。 何で聡論点を摩り替えてまで邪魔するんだよ。ヴぉけ。
>>239 コピペが論証だと思っているカットワリ
>>241 相手にしなきゃいいじゃんw
カットワリにエサを与えるのハン板だけで十分
しかしひでーなぁ。 神道の本質という議論で、神道が本質的にアマテラスを最高神とするかと、議論しているときに (猫氏とはそのような議論である。) 「歴史小説家」の司馬遼太郎の国家神道論だもんなぁ。他も似たような話しだし。 大体、アマテラスが至高とされるのは天壌無窮の神託だったわけで、此れが流布され承認され ていたから、明治以前においても神道の本質はアマテラス最高神である、というならば分るけれ ども、それは明治期の皇国神道の捉え方であって、そんなことはなかったと、その識者達も言って いるわけだろうよ。 だから神道の本質はアマテラスを最高神としないといっている私に、横から邪魔して、 最高神としていたじゃないかと、亀哲人氏は言っているわけだが、馬鹿の限りだよね。 まぁ明治期においても、至高であって、最高神だというわけはないんだけれども(其れは国体の本義を 宗教的知識で見ればあきらかだが)その話と、神道の本質の話を分けて読めないほどに ヴォケな亀哲人氏は、邪魔だから、すっこんでてください。
矢張り破壊深度は深刻的なレベルにまで達してる様だ。 >其れ全部宗教学者じゃないだろうよ。 おや?「具体的に名前を挙げられないならすっこんでろ。」と云ったのは君なのだが? じゃ、君が信頼できる学者の意見を紹介すれば? オレ流脳内理解ではなく。 >何で聡論点を摩り替えてまで邪魔するんだよ。ヴぉけ。 「マトモな宗教学者で神道の最高神はアマテラスだといっている人もいないような・・・。」 是も君の発言。すり替えではないよね。「神道の最高神はアマテラス」の識者の見解を 君が知らない様だから、紹介したして差し上げたまで。
>「歴史小説家」の司馬遼太郎の国家神道論だもんなぁ。 君の認識より遙かに説得力があるし、日本史に関する知識は多分君より豊富だと思うが? 君と司馬と二者択一しか選択肢が無ければ司馬の見解を選択する人の方が多いんじゃない? >他も似たような話しだし。 そりゃそうだ。ちゃんと分析すれば同じ様な理解に進む。君と同じ理解の学者や識者が 何処にいるのかね?
れも粘着だが、粘着勝負でカットワリには勝てまい。
問題にしているのは
>>185 ムッチョ氏
>うっそだあ。神道では一般的にアマテアスが最高神だとされているじゃない。
という国家神道/皇国史観の認識が一般的神道認識だとしている「日本宗教音痴」
少なくとも国家神道でそういわれているといっているが、其れは一般的な把握では
ないことさえ知らないらしい。
>>169 猫氏
(起請文という場面において)
>どっちにしろ、現在の視点から見れば、アマテラス抜きの−というよりアマテラスを意識的に排撃した−
>神道を神道とは呼べないだろう。
という、神道に対する不可解な思い込み。というか神道とは適時八百万の神々の中から、適任の
神々に祝詞をささげるなどするものであって、それは普通のことだということさえご存知ない。
なわけだ。で、もう一回解説しておいてやるから、きちんと読解するように。
神道とは八百万の神々の存在がその本質である。一神教との比較において言えることは、
絶対神・造物主(すべてを作り出したそれ)の存在を見ていない。天岩戸に隠れたアマテラスを
引き出すのに、神々は話し合い協力して其れを行なう。しかもアマテラスの意思に反して(騙して)
岩戸を少し空けたところを、力ずくで開いていることからも分る通り、アマテラスに出てこいと
命令する神もいないし、アマテラスの意思が変化して出てきたわけでもない。
アマテラスが最高神なら、意思に反して出されたことで、出した神は罰を受けなきゃならん。
がそのような神話はない。だから基本的に神の特質としての違いはあっても、神としての上下関係は
ないと考えられる。
アマテラスは、オオクニヌシ(アマテラスの系譜でない神)がおさめている国を、自分の孫がおさめ
る国だとして、譲り受けるわけだが、その前に、少なくとも二回それに失敗する。しかお、譲り受ける
のであって、命令により奪取するのでもない。(現実の話ではなく神話としてである)。
最高の神なら、命令し逆らえば討ち果たすということで完結するが、話し合いで解決するというロジ
ックになっている。ここにオオクニヌシとアマテラスの上下関係も否定される。
(続き有り)
(つづき) で、今度は現実の話・・・ 出雲大社(オオクニヌシ)は最高の高さの神殿であると平安時代には信じられ、事実であることは 確認された。次に高いのが、大仏殿であり、その次が御所であるという。ここに伊勢神宮(アマテ ラス)は出てこない。最高神なら、国つ神・異国の神・現世の統治者よりも、小さいことはアリエ ナイだろう。 もうひとつは、称徳天皇が行為を非血統たる僧侶に禅譲しようとしたときに、伊勢神宮ではなく 和気清麻呂の宇佐八幡の神託奏上をもって解決している。わざわざ、伊勢のアマテラスではなく 九州の宇佐八幡にお伺いを立てているのである。応神天皇・神功皇后・多岐津姫・市杵島姫・多紀 理姫を祭祀する神社えある。最高神ならば、近くの伊勢神宮にお伺いを立てればいいことである。 まさか、この事件に老いてアマテラスは排撃されていて否定されていたとは言わないだろう。 ねぇ、猫タン。起請文の日本国中の神祇の後に並べられる神々にアマテラスが出てこないということは その場面から除外されていただけで、アマテラス自体を否定していたと捉えればマチガイなわけだよ。 すなわち、このように、国家が編纂した神話であっても、アマテラスは最高神としては扱われてい ない。無論、地鎮祭においてもアマテラスは降神されないし、厠の増築でも出てこない。 だから最高神でもなければ、万能の神でもないということである。だからある場面で降臨を求めなく とも、神道的には普通のことであるということだ。
>まぁ明治期においても、至高であって、最高神だというわけはないんだけれども(其れは国体の本義を >宗教的知識で見ればあきらかだが)その話と、神道の本質の話を分けて読めないほどに そもそも此の出発点からして間違ってるんだよね。神道の本質などと云ってみても純化した神道は 明治以降しか定立してない。強いて言えば飛鳥時代以前の原始宗教の時期が其れに相当すると 云えなくもないが、あくまでアニミズム的色彩が強く教義や宗教的な道具立てなのは未熟なままだ。 その間は儒教や仏教、道教などと習合し「神道の本質」など語れる体を為していない。 そうした系統だった思想や教義などは江戸期の国学隆盛まで待たなくてはいけない。にもかかわらず、 「神道とは」等と語ることが如何に馬鹿げた発言かを、私は指摘している。
>>251 間違いは認めないの?
男の度量が試されてるよ?
>邪魔だからすっこんでろ。 此のスレは君の私物なのかな?
カットワリはハン板に帰れよw
都合の悪い所はレスをしないで、部分的に条件反射する人に罵倒されてもなあ。 なんだかスレを私物化して、電波垂れ流す事を私は良しとはできないんだよね。
↑ カットワリ〜なw
いいから黙ってすっこんでろって。 宗教学者の名前を挙げろといっていることさえも理解できないノウタリンは無理だって。 人の議論に横から入って、無意味な長文コピペを貼り付けているし、議論の流れも理解できずに 粘着しているから、すっこんでろと言っている。 なんか議論らしきものを提示するなら勝手にやれや。その場合私に依存せず、他の人とでも 議論になる形でやるんだぞ。頓珍漢な理解での私への粘着はやめろといっているんだよ。
駄目だな。
>議論の流れも理解できずに粘着しているから、すっこんでろと言っている。 間違った発言をしてるから、間違いを指摘してるだけ。 >その場合私に依存せず、 いや、別に君に依存などしてないのだが。 >頓珍漢な理解での私への粘着はやめろといっているんだよ。 まあ、お好きに電波を垂れ流し続けて下さい。 私も楽しませて貰います。
260 :
右や左の名無し様 :04/07/09 15:32 ID:IbDH3QXz
反論できずに論破され。カットワリ〜なw
261 :
右や左の名無し様 :04/07/09 15:44 ID:ZFiu4ZbH
明日は選挙だ!ワッショイ!祭りだワッショイ! 将来を考えると民主党! 株価を考えると自民党! あなたならどっち?
262 :
ガクガク((( ((;゚Д゚)) )))ブルブル :04/07/09 15:47 ID:aDDcUKP1
263 :
右や左の名無し様 :04/07/09 16:12 ID:ZFiu4ZbH
選挙だワッショイ!祭りだワッショイ! 自民党だったけど、たまには民主党にしてみるか〜 人生色々! 社員も色々! 会社も色々! 政権も色々だ〜! ワーショイ!
>>219 たとえば、ゼウスさえも手を焼いたという意味では、ティタン族やデュポンとの戦闘が挙げられるだろう。
オオクニヌシの農業神的性格(死と再生)を考えれば、アドニスなど……。
話合いで解決すれば上下関係は否定されるって、マジで言ってるのか?征服の歴史を神話で糊塗するのは
歴史の常套だろう。その上で、支配―被支配の関係があるかぎり、上下関係の存在は免れ得ない。
この関係を前提とした上で、たとえば地方の人々がアマテラスなんかオレらの神様より上じゃねーと
考えていたとするとだね、それはつまり地方が中央に対して「ヤツラとは違う」意識を持っていた
ということに他ならないわけ。そして、江戸後期以降、特に明治以降、「日本人」という国民意識を
つくっていく段階において、アマテラスを最高神(至高でもいいけどw)とする体系化された神道が、
その一翼を担ったというわけ。これは現在の学問動向的にごく常識的な見方なわけで、それに対して
「独自見解で」無知といわれても困る。学科は違ってもおおまかな研究史の情報は入ってくるのだよ。
あと神殿の大きさってなあ……。大きければ偉いんだ!?小学生かっていう。
あと、神道の本質なんて言っているけど、それって結局形而上学的議論にしかならないわけでさー。
宗教学は、もちろん宗教史というものもあるわけだが、やはりどうしてもテクスト解釈学にならざるを
得ない部分があって(むろん、それはそれで価値はあると考えるが)、そういう意味では「歴史における神道」
の議論においては「一般的に」宗教学者よりも歴史家や文化人類学者などの見識のほうにより分があると思う。
司馬遼太郎を歴史家と考えるのは噴飯モノだが、少なくともれ氏よりは1000倍マシだろうなあ。
265 :
右や左の名無し様 :04/07/09 17:09 ID:ZFiu4ZbH
明日から選挙だワッショイ!祭りだワッショイ! 自民党だったけど、たまには民主党にしてみるか〜 人生色々! 社員も色々! 会社も色々! 政権も色々だ〜! ワーショイ!
>>264 >司馬遼太郎を歴史家と考えるのは噴飯モノだが、
歴史家として紹介してる訳じゃないよ。あくまで「識者・論者」として紹介している。
それ以外にも2人ほどの学者を併せて紹介してるんだけどね。
まあ、ぶっちゃけて云えば司馬遼太郎を出すことで どんな反応を示すかも期待していたのは確かだ。 期待通りだったが。
>>264 ムッチョ氏
だからさー、神道におけるオオクニヌシの存在というのは
1、神々の系譜として、天つ神ではない(いわゆる元々その土地に存在した神)である。
2、系譜が異なるが、争いでも禅譲でもよいが・・・があり、後にアマテラスの下位の神
ではなく、顕彰されている。
という特徴があるわけでしょう。一方ティタン族はプロメテウス、オケアノス以外の神は
オリュンポスの神々との戦いに参戦したためにタルタロスに封じられる。とされているわ
けでしょう。封じられた後に(まぁオオクニヌシも封じられていると把握してもかまわない
というか、最新の神殿における配置を見ると、まさに封じ込められていて、(だから注連縄も
逆向きで、現世が結界を形成していると見ることも出来るんだけれども)顕彰されているという
神話はあるのかなぁ。
で、デュポンも、ガイア(ティタン族の女神)の子供だけれども、エトナ火山の下敷きになって
此れも滅びるわけだが、その後にどうなったのかという部分が重要なんですわ。
そこがギリシャ神話と日本神道の違いです。日本では、神として顕彰され、農耕の神として
様々な神社において祭祀され、と気にアマテラスより重要な神とされているわけで・・・。
で、まぁ明治に入って方のアマテラス云々は、最高神というのは杜撰だといっているだけで
無論天皇の皇祖なわけだから、明治以前よりも伊勢神宮が重きを置かれたとか言うことなら
まさに事実だよ。というか最高神という部分は神道を知らん人間が言うセリフでしょうよ。
少なくとも明治以前も含めて其れが一般的だとあなたは言ったわけだが、それは違う。
で、後段についてはまさに網野氏の研究によって明らかにされているじゃない。
「日本国中の神祇」を媒介に「起請文という様式」」で、誓約がされている事象が、13世紀
には、武家僧侶から農民の名主にまで浸透していたと。
この行為自体が神道的行為だといっているわけで・・・。
私が宗教学者云々といっているのは、ムッタンの
>>185 ムッチョ氏
>うっそだあ。神道では一般的にアマテアスが最高神だとされているじゃない。
とか、猫氏の
>>169 猫氏
(起請文という場面において)
>どっちにしろ、現在の視点から見れば、アマテラス抜きの−というよりアマテラスを意識的に
>排撃した− 神道を神道とは呼べないだろう。
に反応しているわけで、どう考えても、アマテラスを特別の神に仕立て上げるというのは明治維新
以降に見られるのであって、元々の(本来の・本質的な)神道において、アマテラスが最高だなんて
言う認識は、「皇国神道系」ではありうるけれども、一般的でもなんでもないという事実を
示しているということですよ。神道の研究家がそんなことを言うわけもなく、また、出雲大社の扱いや
国つ神の扱い、称徳の禅譲未遂における宇佐神社の扱いという、神道の基本書である古事記や、日本
書記記述とさえ矛盾が出るでしょうと、具体的にやさしく説明しているじゃない。
で、明治以降のそういうものは、そもそも議論としては枝葉末節なわけで、まさか「国体の本義」
が神道理解のテキストだというわけでもないでしょう。
で、まだあなたが、明治以降の(というより国体明徴運動以降の)アマテラス至高神という把握が
明治以前においても一般的だというなら、その出雲大社の扱いとか、宇佐の神託について、どう矛盾
しないかを説明するしかないでしょう。
>>268 それはギリシアの歴史を考えてみればわかる。ギリシアには統一的な中央政権が無かったから、
ゼウスと他の神が対立し、ゼウスが勝利し、破れた神は顕彰されるという神話はつくる必要がなかったわけだ。
少なくともゼウスは最高神だが万能ではない。つまり、最高神≠万能ということね。
たとえば共和制ローマにおいては神話という形態はとられなかったが―というのは既に高度な文明を持っていたので―
征服した地方の神々はそのまま顕彰されている。特にギリシアの神々はローマ古来の神々よりも
むしろ高位に置かれる場合もあったという。まあ、それだけローマ人がギリシアを「模範」として仰いでいたということだが。
後段については何度も指摘されているでしょ。「日本」という言葉から、そのまま日本人意識というものを見ることは出来ず、
また、その形式は征服―被征服関係がある以上、同じであるのは当然で、むしろその形式の再解釈要素を読まなければいけない。
その中でアマテラスが意識的に排除されるという事象はまさに地方の独立性を象徴していると考えられる。これが、
網野氏の研究に対する「普通の」読み方でしょ。まさにギンズブルグ「歴史を逆なでに読む」のお手本のような。
>>270 >少なくともゼウスは最高神だが万能ではない。つまり、最高神≠万能ということね。
これはOK。万能でも全知全能でもない。無論万能で全知全能の神がおわせば、彼が神であり
其れ以外は、天使であったり使徒であったりするわけだろうから、多神になりえないかも。
で、ここが重要。
>それはギリシアの歴史を考えてみればわかる。ギリシアには統一的な中央政権が無かったから、
>ゼウスと他の神が対立し、ゼウスが勝利し、破れた神は顕彰されるという神話はつくる必要が
>なかったわけだ。
中央政権が日本にはあったから、破れた神は顕彰されるという神話はつくる必要があったという
意味なら、そんなことはない。邪神が(いや、むしろ人が)滅び去ったという神話でOKでしょう。
その方が中央政権にとっては都合が良い訳で・・・。
少なくとも、大陸では前為政者は不徳の極悪非道というフィクションをつけられて排除されて
いるわけで、その選択もありえるのに、どうして神として顕彰するのかということです。
ここが神道の核なんですが・・・。
で、少し別の解説をすると、神道と言うのは、まぁ皇国神道系の吉田神道は伊勢神道でして、
伊勢では当然にアマテラスが至高だといえますが、同時に出雲大社ではオオクニヌシが至高ですし
東照宮ではイエヤスが至高なわけです。
八坂神社では、スサノウ(アマテラスの弟)とオオクニヌシとスクナヒコ(オオクニヌシ征伐に使
わされた神)が祭神です。青麻神社では天之御中主神・天照大御神・月読神です。鶴岡八幡宮では
源氏の氏神が祭神です。だから、神道において、各神社ごとに至高の神々はおわすと考えないと
「日本国中の大小の神祇(天つ神と国つ神)」を媒介とした誓約である起請文は成立しないわけで
す。
>>269 >以降に見られるのであって、元々の(本来の・本質的な)神道において、アマテラスが
>最高だなんて言う認識は、「皇国神道系」ではありうるけれども、一般的でもなん
>でもないという事実を示しているということですよ。
アホですか?アマテラス=最高神、国津神=格下、と民衆が見ていたかは
ともかく、ヤマト王権によってそのような位置づけをされていたのは確かだろ。
延喜式などがヤマト族の祭神を上位とし、他部族に起源を持つ祭神を下位
として位置づけたのは、事実ではないとでも言うのかね?
本来的なヤポネシアの土俗的な自然信仰・氏神信仰に位階は存在しない、と考える
のは自然な発想ではある。しかし、ヤマト祭神を中心にした神話を捏造し、部族神に
位階まで与えヤマト王権に組み込もうとした事実は、ヤマトの祭神が他部族の神とは
別格であることを示している。
ヤマト王権中心の作為的な信仰体系を「神道」と呼称しないなら、そもそも
「神道」なるものを信仰する地域に統一性はない。各地の部族神信仰の雑多な
集まりを単に「神道」と分類しているにすぎないのだから。しかし、ヤマトの祭神を
中心にした作為された信仰を「神道」と呼称するなら、ヤマト王家の祭神の
アマテラスは別格の地位を示すことになる。しかし、ヤマトの祭神が民間信仰で
必ずしも受け入れられていないことは、アミノ酸等によって指摘されているワケだろ(藁
>>271 >中央政権が日本にはあったから、破れた神は顕彰されるという神話はつくる必要が
>あったという意味なら、そんなことはない。邪神が(いや、むしろ人が)滅び去った
>という神話でOKでしょう。
オロチのように滅された例もあるだろ。オロチも恐らく神だろ(藁
オロチはともかく、ヤマトにとっての邪神を祭神として奉じる部族を取り込む
必要があるだろ。ヤマトの神を奉じる部族とアズマの神を奉じる部族があり、
侵略戦争の結果ヤマトの民がアズマの民を支配下においたとする。その場合、
アズマの民を少ないコストで接収するには、祭神ごと接収するに限るだろう。
その場合にすべきことは、ヤマトの祭神にアズマの祭神を組み込むことで、
これは世界各地の神話に往々として見られる現象だ罠。部族神信仰を持つ
社会にあっては、部民は祭神と密接な関係を持つから、下手に相手の部族民の
信仰を破壊するより、それを利用しつつ自らの支配の正統性を誇示した方が
支配の手法としてよりスマートな場合がある。
日本神話の捏造や民間信仰の捏造はそこにこそ理由があるワケだろ。
ヤマト中心の単一・同一の神道・民族なるものが存在するとする発想自体が、
ヤマト支配のための道具。なんでそう自虐的な発想に立つのか理解に苦しむ。
俺は、自らの出自に誇りを持つアズマ人だから、ヤマトの捏造を信じる義理はない(藁
>>270 >後段については何度も指摘されているでしょ。「日本」という言葉から、そのまま日本人意識というものを見ることは出来ず、
>また、その形式は征服―被征服関係がある以上、同じであるのは当然で、むしろその形式の再解釈要素を読まなければいけない。
>その中でアマテラスが意識的に排除されるという事象はまさに地方の独立性を象徴していると考えられる。これが、
>網野氏の研究に対する「普通の」読み方でしょ。まさにギンズブルグ「歴史を逆なでに読む」のお手本のような。
この指摘は当方が言いたいわけで
日本というコトバだけでなく、その農民の名主の書き起こした文書から「具体性を持った知識としての
日本」が意識されていたことを先ず認めなさいな。そう網野氏は論述しているわけだ。
その上で、しかしながら均一・単一な意識ではなかったことを、アマテラスが排除されていることを
示して論証しているわけで、それは神道としては特殊ではないと
>>271 の後半でも、
申し上げている。まさに神道と言うのは、各神社ごとの独立性があるということであって、それは
現代でも全く同じでしょう。(というか知らない?・・・まさぁね)
ただ、完全に独立している価値体系があるわけではなくて、神道全体として信じていることは
ある。其れは八百万の神々の存在と、其れが対立しないモノとして捉えられているということ。
神々は各々にその属性が異なるわけで、どこかの神社が祭祀に反対するというような事象がないという
意味で、すべての神々は承認されているわけです。
>>272 妄想や辞めてくれ。朝廷という場所が、古において各部族と対等な天皇像でも見出しているん
かいな。天皇/朝廷においては至高の神はアマテラスを初めとする天つ神だろうよ。
だから朝廷におけるそれが、アマテラスを上位としていることと、同じ時期に出雲大社では
オオクニヌシを至高としていることは矛盾せん。
>>273 妄想は辞めてくれ。だったら、天つ神と国つ神に分別せず、一系統の系譜を創るだろうよ。
頭悪すぎ。
>>274 >「具体性を持った知識としての日本」
「具体性」の使い方間違ってないか?どこが具体的なんだ?
脳内で完結してないで、分かるように説明してもらわないと。
多神教が神殿ごとの独立性を有するのは当たり前で、単にそれだけではない、
地域の独立意識を、網野氏は史料の中に見出しているわけだろ?
人の議論を曲解するのはやめようよ。
>>274 >まさに神道と言うのは、各神社ごとの独立性があるということであって、それは
>現代でも全く同じでしょう。(というか知らない?・・・まさぁね)
>ただ、完全に独立している価値体系があるわけではなくて、神道全体として信じて
>いることはある。其れは八百万の神々の存在と、其れが対立しないモノとして
>捉えられているということ。
>神々は各々にその属性が異なるわけで、どこかの神社が祭祀に反対するというような
>事象がないという意味で、すべての神々は承認されているわけです。
それぞれの部民が自分達の部民を勝手に自分達の祭神を祀っていた信仰が
あったんだろ。それを後から、ヤマト王権があたかも一つの信仰であるかのように
捏造したダケの話だ罠。部族神に対する祭祀を中心にした社会を束ねるために(藁
そもそも日本なんて存在しないし、単一の神道など存在しない、と言うべきだ。
各地ごとにそれぞれ微妙に異なった信仰・祭祀がベースにあり、それがヤマト王権
との関係で、外面だけ統一されたかに見えるにすぎない。
ヤマトにまつろわぬ民と神は、徹底的に滅ぼされ名前さえ残らないのは、
エミシやウチナーの例を見てもわかる。古代の土蜘蛛の民なども祭神を持って
いたのだろうが、それが現在知られていないのは、土蜘蛛の部民が根絶やしにされたか、
部族神信仰を禁じられたからだろう。
ヤマトの王権とヤマトの祭神を中心にした信仰は、自分に対立した民と祭神を
許さない。ヤマトにとって「和の精神」とは、ヤマトに媚びへつらい隷属する
ことを意味するにすぎない。もし、和の精神とやらが存在するなら、なぜ我々は
エミシなどの古代部民の神々を知らぬのか?大いに疑問とするところではある(藁
>>275 >妄想は辞めてくれ。だったら、天つ神と国つ神に分別せず、一系統の系譜を
>創るだろうよ。頭悪すぎ。
一系統の系譜を作るにしては無理があったからだろ。おおかた、天津神とやらを
奉じるヤマトの部民は、大陸あたりからでも来たんだろ。土着の誇り高き
部民が、毛唐と一緒の系譜ではなっとくせんだろ。ヤマトから見れば、土着の
土人と一緒にされたくはないだろうし(藁
ヤマト族が他の部民を侵略し併合する過程で、ヤマト系列の祭神たる天津神
と非ヤマト部民の祭神たる国津神との関係が捏造された。それが、古来より
各地にあった信仰の上に乗っかったのが「神道」なるものの正体だろ(藁
神道などヤマトの妄想。この国の伝統なあり方として、神道など存在しない。
神道と呼称されるさまざな地域信仰が存在するだけだ。単一の神道観自体が
ヤマト中心の郷土自虐史観によって歪められた虚像にすぎない(藁
279 :
右や左の名無し様 :04/07/09 22:11 ID:Pr5zkL8C
「天皇杯」開催の私案披露 1リーグ制で渡辺オーナー 巨人の渡辺恒雄オーナーは9日、東京都内のホテルで開かれた読売 新聞社の有力販売店などが集まった会合で講演し、プロ野球が1リー グ制に移行した場合、選手権者と東西対抗戦覇者が日本一を争う大会 を開催し、大会名称を「天皇杯」とする私案を披露した。 同オーナー案では、選手権の試合数を減らし、その後に全球団を東 西2地区に分けて総当たりのリーグ戦を実施。東西の1位同士が「天 皇杯」進出を懸けて対戦する。渡辺オーナーは「競馬、サッカー、大 相撲にあるように、これを天皇杯とできればありがたい」と話した。
>>279 サッカーでは天皇杯の価値が過去に比べて落ちているね。
余り優れたアイディアとも思えないが…
東西戦覇者と選手権覇者が同一チームだったらどうするんだろ? つか全チーム総あたりの選手権という究極の形があるのに わざわざ変則的な形での勝者を作る意味がワカラン(w 単に「天皇杯」がやりたいだけか?(w
網野の主要敵は、唯物史観、農民中心主義な。 それをたたくためにも、非農業民を動員する天皇の普遍性、革新性を発見することさえしてる。 んだと思うなあ。
まあ、またスレのスジ追えないまま思いついたこと言ってるんだが、
その話してるかどうかわからんが、たとえば近世に天子さまが広く知られてたかっていうと、
まず、文字を知ってる範囲は知ってただろうな。役人、坊主、もちろん神官、庄屋豪農レベル。
都市の大衆文化を享受する層もかたい。農村でも識字率が高けりゃ、その範囲はひろいんだろ。
歌詠めば、読めば、天子さま知らんわけない。
あと、
>>141 にかいた非農業民、とくに被差別や漂泊するれんちゅうは、そうとう知ってったんじゃないかなあ。
網野の本業、漁民はわかんない。船魂さまってどうなんだろ。あ、でも河川の漁民、鵜飼は天皇のちょっけつだな。
なんつっても長良川の鵜飼いは国家公務員、いまでも宮内庁職員だもんな。
天子さまへの権威がひろくみとめられてたかというと、
>>141 に木地師のことかいたけど、
活動範囲が東西にひろがり移動して、地付きの連中と地域の資源をめぐってコンフリクトをおこす連中が、
免状もってたってことは、天皇が正当性のかくほにやくにたってないとはおもいにくいな。
>>283 >その話してるかどうかわからんが、たとえば近世に天子さまが広く知られて
>たかっていうと、
単純に認知してるか否かの問題ではない。ナショナルな意識で天子を理解して
いたか否かを問題にしている。
ローマ皇帝を認知していたからと言って、中世ドイツ領邦の民衆がナショナルな
意味で同属意識を持ちローマ皇帝に権威を認めていたとは限らん。しかし、このスレ
の天膿制支持者は、「天子・神道の神々の認知=民衆レベルでの日本人としての
統一性・同一性」の証拠と安易に言ってるワケだ。それは違うんじゃないの?
と指摘しているワケで(藁
>あと、
>>141 にかいた非農業民、とくに被差別や漂泊するれんちゅうは、
>そうとう知ってったんじゃないかなあ。
西国の散所とヤマト王権は中世に至っても密接な関係を持っていたからだろ。
隷民自体が天子を認知していたかはともかく、隷民を取り纏める層は天子を認知し
理解していたかもしれん。しかし、散所長者とか中世隷民が日本国なるものを意識し、
そこに君臨する君主に隷属する階層として自分達を認知していたかは疑問だ罠。
さらに言わせて貰えば、天膿と密接な関係を持つ散所とか中世隷民が、天子の権威が
及ぶ地方以外にも存在しかたか自体疑義を投げかけたい。アズマ人として言わせて
もらえば、天皇ちょっけつの散所とか中世隷民が取り立てて目立つ存在ではない、
アズマやエミシの地まで「天子」「日本」でくくることは心外である。もし、
日本が均一なら、天子とちょっけつの関係を持つ中世隷民も、全国展開していた
ハズだ。アズマの地にも、西国同様に中世隷民が多数存在していたハズである。
しかし、常識としてそれはない罠。それこそが、天子の影響がアズマの地に及ばず、
日本なるものが存在しなかったことの証拠だろう(藁
最後に「天膿制が中世隷民を作った」「天膿制こそ悪の元凶」「部落問題をなくす
には天膿制廃止を」とでもドサクサにまぎれて逝っておくか(藁
そもそも、部落問題が禁忌地方に偏って存在することこそ、中世の時代、現代人が 意識するような「日本」「日本王」なるものが存在しなかったことの証だ罠。 中世において「日本」とは天子の権威が強く認められた地方、天子による権威に よって組織された中世隷民が顕著に存在した地域、そここそがヤマトすなわち日本だ。 それ以外の地域は「日本」ではない「別のなにか」だ罠(藁 中世に天子の権威が存在し、天子の権威を認める部民や一定の調整原理として 天子を意識する層が存在したことは認めるが、それこそが「日本=禁忌地方」であり、 中世アズマはそもそも「日本」ではない「別のなにか」だったのだ。 郷土の伝統をなにより大切する一伝統主義者として、4Mの進歩的かつナショナルな 歴史捏造体質を強く批判したい!(藁
「馬に念仏」とはれれれのれのためにある言葉だったんだねw 必死に念仏唱えてる香具師もこっけいに見えて来たw
288 :
右や左の名無し様 :04/07/10 08:46 ID:rnVzi/KS
試験
289 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/10 08:53 ID:rnVzi/KS
上で、アズマが、「ナショナルな」と言っているのは、「民族」という意味で 使っているのか? その文脈で中世日本の、アイヌと琉球を語るのなら兎も角、「アズマ」って何だよ(笑 中世日本にアズマなる民族が存在したと逝っているのであれば とりあえず、日蓮が何民族なのかについて答えてくれな(笑 しかし、未だにナショナリティとエスニシティの分別が出来てないらしいから 議論する気が、あんまし起きん・・・。
>>276 いや、だからサー、あなたのため網野氏の著書を私が書き起こす必要があるんかいな。
具体的とは、五機七道・全国の神社仏閣の数などの表現や、同時期に農民の名主が書いた
とされる古文書における記述などから推測できる知識としての日本の形及び制度が、ある程度
まで(まぁ古事記とか日本書記の多少の内容まで)具体性をもっていたと書いているよ。
「日本国中大小の神祇」の日本国中が、単なる定型文として形式定期に書かれていたのではな
いと否定している。だから、日本人意識というものがある程度浸透していて、起請文という
神道的な行為も統一されているけれども、均一・他につではないと網野氏は言っているんだよ。
まぁ網野氏から言わせれば、「単一・均一の否定」という表現になるだろう。
で、全く同じ事を「単一・均一ではない」という前提に立っている私から見れば、「ばらばら
でもない」と表現する。網野氏だって「ばらばらだ」といっているわけではなく「単一・均一では
ない」と言っているに過ぎないでしょう。
網野氏の研究というものは非常に尊敬に価するわけで、「国体の本義」に示されているような
全国一律の(単一均一の)文化の否定が学術的研究によって明らかにされ、士農工商という
身分制度の存在への疑問、百姓と農民は違う、奈良時代にはダイナミックな物流がある海運が
あったなど、非常に参考になっている。私は、その多様な文化集団が一つにまとまっているという
認識が重要であって、だから日本は「和の国・衆議主義」が発生しうると考える。
考えてみれば分るが、単一文化の単一民族であれば、
「われ必ずしも聖にあらず。かれ必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれか
よく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端のなきがごとし。 」
と衆議主意の原点の人間観を持ち得ないだろうし、そういう人間観があるから会合で席の序列を
決めず、ひざまずいての礼もせず
「会合での座席や起居の順序には、父子や男女の区別がない。人々は生来酒を好む。
大人(たいじん)の敬意のあらわし方を見るに、だだ拍手をするだけで、それでひざまずいて拝す
る礼の代わりとしている。」(魏志倭人伝)
というスタイルになるんだろう。
で、神道と言うのは最古も究極もなく、至高はあるとかいていたら、究極に言及している人がいた。 天つ神の背後にはもう神々はない。しかもこれらの神たちがなお卜占を用いるとすれば、この神々 の背後になお何かがなくてはならぬ。それは神ではなくしていわば不定そのものである。 即ち最後の天つ神たちさえも不定者の現れる通路であって究極者ではない。究極者を神として把握 しようとする意図はここにはないのである。 ……究極者は一切の有るところの神々の根源でありつつ、それ自身いかなる神でもない。 いいかえれば神々の根源は決して有るものにはならないところのもの、即ち神聖なる「無」である。 (和辻哲郎『日本倫理思想史』) ここでいう天つ神というのは、古事記で最初に出てくる三柱の神のことである。 天つ神の系列を遡って最終的にたどり着いたその天つ神も、卜占(うらない)を用いる。 究極の神ではないということらしい。 「われ必ずしも聖にあらず。かれ必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれか よく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端のなきがごとし。 」 は神々にも 当てはまるようだ。
またしても壊れた・・・ >網野氏だって「ばらばらだ」といっているわけではなく「単一・均一では >ない」と言っているに過ぎないでしょう。 「単一・均一ではない」状態を普通はバラバラというんじゃないか? >その多様な文化集団が一つにまとまっているという認識が重要であって、 誰がまとまってるといってるんだ?明治政府が無理矢理まとめたんじゃないのか?
ムッタンあたりの判断で一番おかしいことは 「均一/単一ではない」=「ばらばらだった」と思い込むことである。 網野氏が研究しているように、まず「起請文という人の誓約」において 「日本国中対象の神祇・ことさら○○○と言う神仏」の神罰仏罰を受けてもかまわない と、神仏のすべてを文書に書く(コトアゲ)して、誓約することが浸透していたという事実を 見ようとしないことである。 文化/価値がばらばらなら、 ある地域では、○○の神、別の地域ではその地方全体の神々、又別の地方では為政者を媒体にし 、むこうの地方では仏だけを媒体にする、あっちでは神の御前での誓約であって、その罰は 神によってなされない・・・というような様々な事象が確認されるはずで、 「日本国中の対象の神祇」の神罰・仏罰を担保として人と人とが誓約するという統一性があったこと は事実でしょう。 なぜ其れは統一されたんでしょうね。人と人の誓約において見られる(公との誓約に限られない) ということなんだから、そういう形式を受け入れうる同質の価値があったということでしょう。 私は初めからあったというつもりはないが、同化する仮定で認められてきたんだと思うよ。
>なぜ其れは統一されたんでしょうね。 そんなの朝廷の武力制圧に決まってる。 大和朝廷は九州から北上して近畿地方に根を下ろしてからは 東側を武力で支配下においたんだよね。
,.r‐'''' ̄ ̄ ̄.-、 /:::::::::::::::::::::::::::::::ヽ !::::::::::::::::::::::れ::::::::::::i !::::::::::::::::::_,,、-'''''' ̄ ̄`'ヽ |ミシ ̄ ̄__,,,〜,__ !'''" 何でこんなに .(6ミシ ,,(/・)、 /(・ゝ | ボコボコに殴られるんや し. "~~´i |`~~゛ .i ミ:::|:::::........ f ・ ・)、 ...:::i ちくしょう・・・ ノ_ヽ::::::::::::-=三=-:::/ /| | |\ヽ:::::::::::゛::::ノ/
..__,冖__ ,、 __冖__ // _,.r‐'''' ̄ ̄ ̄ ̄``-、 `,-. -、'ヽ' └ァ --'、 / //...........:::::::::::::::::::::::::::::.\ ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ 〔/ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ ..__,冖__ ,、 ,へ /:::::::::::::::::::::::::::::::::れ:::::::::::::::| `,-. -、'ヽ' く <´ /:::: ,::::::::::::::::::::::::::/三三三三\ ヽ_'_ノ)_ノ \> 7_//::::::::::::::::::::;// `\\ n 「 | /:::::::::::::::::;// .__,,,〜,,,__,.i\__) ll || .,ヘ /:::::__ノノ ,,(//)、 /(\ゝ| ̄ ll ヽ二ノ__ | ̄ ,-、 i "~~~´i |`~~゛`.i l| _| ゙っ{ / ハ `l /...(.´ ,,ノo o)、 .| |l (,・_,゙>  ̄フrソ ..... ,r',,/ ̄''''‐-...::::i ll __,冖__ ,、 ,イ{ ' ノ ..... / / /ニ二ニ''ァ`) l| `,-. -、'ヽ' > >-'::::::::..... i' | |''" 〈/ ,ノ |l ヽ_'_ノ)_ノ \ :::::::::::...l .| | i { ll __,冖__ ,、 ┌ー :::::::::::::| .| | || ll `,-. -、'ヽ' | (::::::::::::::: | |/~~Y~`.| .| .n. n. n. ヽ_'_ノ)_ノ {ゝ::::::...ゝ::::::::::::::::.! ! { ! ! .|! |! |! . l |゙`'''- \:::::::::::::i' `''''ー‐-' } ..o o o ,へ l | |\\、 ヽ、__ ノ l \| | | ::. | ``ー-`ニフ´
で・・・ もっと頭の悪いアズマタンあたりは、ヤマト一族が武力により制圧し強制したんだろうというわけ ですな。 そうであるなら、公権力との誓約においてそのような起請文が発生しうるでしょうが、民間同士 においては、様々な形態が考えられるわけです。 単純な方法からすれば、アマテラスでもなんでも良いからそういう大和の神々を祭祀させ、 そこへの礼拝を強制すればすむことで、わざわざ国つ神や氏神を保全する必要など毛頭ないわけ です。事実中南米などでは武力により制圧され神々は廃棄させられ、今はキリスト教国に なっています。 そもそも大和朝廷に、 「われ必ずしも聖にあらず。かれ必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれか よく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端のなきがごとし。 」 という思想があり、其れが神々の系譜にも適用され、だから、地域の神々は保存され、対等に 衆議する一員として同化したということでしょう。 天つ神もアマテラスも必ずしも聖ではないし、地域の神も氏神も必ずしも愚ではない。 是非の理を誰かが専制的に定めることなどできようはずがない。あいともに賢愚であるとする 思想が衆議主義につながっているわけで、制圧強制の思想はありませんな。 無論衆議主義に反抗し武力をもって対応する人多tには武力で対抗するというリアリズムは 平安以前はあるわけで、そのあたりは旧社会党あたりとは違うわけですが・・・。 (まぁ平安時代には似たようになってはくるわけですが・・・)
>>289 >しかし、未だにナショナリティとエスニシティの分別が出来てないらしいから
>議論する気が、あんまし起きん・・・。
「君の考える」ナショナルとエスニシティの分別をしないことはナショナルとエスニシティの
分別をしないことにはならないよ。
何とかの一つ覚えのようにエスニシティが云々かんぬんと言ってないで、
両者の簡単な区別とその類の議論の意義でも書いてから偉そうなこと言いなさいや。
ところで両者の区別が出来ていない人って勿論れ氏のことだよね。
>>298 無論、「エスニシティ」を定義できるなどと、私はうぬぼれてはおらんが、
私が区別できていないとしている貴殿は、区別できているのでろう。
「あなたの考える」それを、保守考氏に依存していないで、
両者の簡単な区別とその類の議論の意義でも書いてから偉そうなこと言いなさいや。
>>299 は?俺はここまでの議論でエスニシティがわかってなければ議論が出来ない等言っていないのに
>両者の簡単な区別とその類の議論の意義でも書いてから偉そうなこと言いなさいや。
何でこんな事しなきゃいけないのかな?暑さで頭が壊れたのかな?
しかし、自分でテクニカルタームを用いておいて、相手に定義をせまる手法が好きだなあ、君たちは(苦笑 人工国家の時もそうだが、俺が定義しても意味があるまい。 あらゆる学問的議論の基礎たる「定義」をする気がないなら テクニカルタームを一個出して、それで議論に勝ったつもりになりなさんな、と。
>>300-301 じゃ、
>>298 の最後の私に関する一行はイランだろう。
俺もここまでの議論でエスニシティがわかってなければ議論が出来ない等言っていない
んだから・・・。
れが猫から一本とったみたいw
>>297 >わざわざ国つ神や氏神を保全する必要など毛頭ないわけ
一方的な見解に過ぎない。キリスト教も多くの土着神を取り込んでいる。
キリスト教に限らず、宗教は政治の、同時に政治は宗教の道具なのだ。
政=祀=祭・・・・・・・・・・・
政治的支配を目論めば、まず宗教を支配するのが早道なのだ。
宗教を先導者として送り込み、後から政治が乗り込むのが常套手段。
特にキリスト教はシステム的にこれをズ〜ッとやって来たのだ。
日本の宗教もその点は人後に落ちず同じことをやって来たってだけだ。
同化政策は世の習いだからね。ごたぶんに漏れず日本の朝廷も同じようにやってきたでしょ。 どうしても和合する共通性を見いだしたいんだろうけど、ちょっと論理構成が強引だよね。
久々に書くしかないようなので、ざっと日本国の各民族の融和と朝廷の価値体系について・・・。 基本的なこと。 1、継体天皇即位(507年)のころ、福井から大阪に移り即位。九州から福井ぐらいまでは 既に、融和されているとみなす。 2、17条憲法は604年ということになっている。 3、東北のエミシが融和されたのは、『続日本紀』などの正史にようとアテルイは、802年に征 夷大将軍・坂上田村麻呂に降伏するまで3度にわたって朝廷軍を相手に交戦。 まぁアズマタンに敬意を表して802年に東北が降伏する時期から遡ること200年前において、 猫氏言うところの役人の心得である17条憲法において展開されている「人間観や価値観」は、 その役人のココロ構えという目的は別にして、当時の思想を如実に反映しているということは 出来るだろうし、また其れを推し量る有効な資料であるとはいえるだろう。 「和をもって尊しとなす」は個人の徳目としてではなく、人と人との関係の倫理・共同体社会 の運営そのものに関する思想である。 心の怒りを絶ち、おもての怒りを棄てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。 心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われは非とし。われ是とすれば、かれは非とす。 われ必ずしも聖にあらず。かれ必ずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれか よく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端のなきがごとし・・・ と、和の思想の哲学的根拠をのべ、これは、「価値観の多様性」への寛容と「人間皆凡夫」とい う基本的人間観からの衆議主義を裏打ちしている。 その上で、理(当時としては三法)を尊重し、決まったら詔が出るから必ず従えと、 第三条で述べているのである。
つづき 先に書いた通り、神々もまた人と同一線上にある神道において、神もまた「価値観の多様性」 があり、神もまた是非の理、たれかよく定むべけんやと、専制や絶対性を否定されているのであ る。その後の13世紀においてあらわされている起請文における神の扱いとも全くリンクしている わけで、其れが五箇条のご誓文まで連なっているということであるが其れはさておき、 エミシやハヤトの融和にこういう理念が示されていることは疑いないのであって、戦闘は あったものの、基督教のように、あるいは大陸のように、取り込んだ人々の宗教的権威、 その祖先信仰等を、価値の多様性として引き受け、同等に尊重したからこそ、エミシもハヤトも そのアイデンティティまでを剥奪されず、融和できたのであろう。 13世紀には存在してた価値の同質性とはそういう、価値多様の承認と寛容であるべきとする価値観 、絶対的権威、の否定による衆議主義・・・であり其れが宗教の多様性と融和性という事象として 認められる。
訂正 基督教のように、あるいは大陸のように、 ↓ 基督教と異なり、あるいは大陸とは異なり、
>>289 >しかし、未だにナショナリティとエスニシティの分別が出来てないらしいから
>議論する気が、あんまし起きん・・・。
( ´,_ゝ`) プッ ロンパされるのが恥ずかしいくせに。強がってるよ(藁
310 :
右や左の名無し様 :04/07/10 23:49 ID:KPOT4elx
このコテ半どもが出てくるスレは、たちまち一般2ちょんねらーがレスする 気分を一気に萎えさせる糞スレに成り下がる。 言ってることの正否は別として、非常に害のある存在だ。
311 :
右や左の名無し様 :04/07/10 23:51 ID:mLM/xsMM
ウンコすれ
312 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 11:47 ID:A/3l5SOK
象徴でいいんだよ こいつらへの対応で日本に対するその国の対応がわかる 皇族=日本 あったほうが都合がよい
誰も指摘してないけど、三法じゃなく三宝だよね。 仏・法・僧、つまり仏教を尊ぶという意味で、理とは違うよね。 それとももう、アレすぎて誰も相手にしないのか?
ウンコすれ
315 :
MMMM :04/07/11 14:44 ID:439hjGBe
いなり、はちまん、すわ、ひかわ、 近世以前の農民が、かりに自分のすむ地域の神社がどっかの末社だったとしても、 そこと中央のつながりは意識されない。農民の人生にとって神社はいっこしかない。 生活世界がほぼムラのうちに限られるものにとって、お宮さまはひとつ、そういう事情。 だから天子さまもまた、意識されない。知っていても、将軍さまとか弘法さまとか仏さまとかの偉いひとの一人、 移動、被差別のたみは外の世界を意識、接触せざるをえないれんちゅう、そいつらは、 地域の固有性をこえた、普遍性のひつよう、それへの希求がある。 権威で正当化された、われわれ意識をもつことになる。そいつらの世界の外延、日本へあと一歩。 一歩ふみだせば、日本だ、六十余州にかくれのねえ、賊徒のしゅりょう、 日本駄右衛門。
316 :
MMMM :04/07/11 14:50 ID:439hjGBe
って、そのうえでアズマくん、
>>141 、
>>283 でひいた木地師、東日本にもひろく分布し、
おなじく天皇にも営業権をほしょうされてる猟師、東日本でのいいかたがまさしくマタギなんだ。
それおいといて、東日本のわれわれ意識ってーのは、農民レベルであったのかね。
赤坂のりおくんとかは、もうそれを捏造したくってたまらんように見えるが、
そいいうのを、はやりの文化研究でなんというんだっけなあ。
>>316 MMMMタン@おひさぶりんこ
だからさぁ、時期時代を特定しないで聞いたって、無理。
「13世紀ごろには、農民の名主レベルまで、具体的な日本という国の知識を伴って
日本国中とか、日本第一のという表現で認知されていたと」いうのは、網野氏の研究
結果なわけだ。で、その中でも、一律というか単一というか均一な日本人意識という
事ではなく、地域毎の特性・特徴というものは合ったわけだし、事実、タブーなどに
関わる変りにくい文化の相違が「東日本と西日本」にはあるわけだから、その13世紀ごろ
に限定すれば日本人のひとつの分類として、アズマ人(表現の妥当性は別として)は
あっただろうね。
たぶん(違うかもしれないけれども)そう言う意味でアズマ人はナショナリティというコトバ
とは、別の次元でしょうな。
うんこスレ
まぁ、無理やり17条憲法に結びつけて書き込んでいるのはわけがある。 猫氏などの基本的な論理というのは、先ず日本国憲法がある。 で、この日本国憲法は国民主権・平和主義・人権尊重が基本理念としてあって、そこと天皇制が 矛盾するだろうという。 で、我々素人から見ると、何で矛盾しているの?とも思えるわけだ。 例えば国民は法のもとに平等だと書いてあるが、国民が法のもとで平等であれば、天皇・皇族が 必ずしも平等でなくてはならない理由はないだろうと、とりあえず思ってしまう。(笑 (まぁ、天皇に対して親しみを多くの国民がもっていることは事実なんだろうから、少なくとも 皇族に差別されていると感じる人は少なかろう。少ないからOKとか言う話でもないが) で、そういったことを議論していると、出てくる話しは、その理念の根本である人権思想とい う奴だったり、自然法だとか出てくるんだが、どうもそこが憲法の基礎理念になっているのかと いえば、憲法条文から2〜3歩専門的な部分に飛び込まないとわからないらしい。 考えてみれば、憲法条文から「直ちに」矛盾が説明できれば、その憲法は欠陥商品だろう。 そうではなく憲法をつぶさに観察し論理的に突き詰めれば、天皇制と憲法理念は矛盾するといっ ているんだろう。 はっきり言ってしまえば、人権尊重は、日本国民の権利としてあれば、そんな基本理念などイラン だろうと思ってしまうわけで、「人が生まれながらに享有する権利」などと捉えなくとも、 「日本国民が憲法で保障されている権利」で充分だろうと思うわけだ。日本国民以外に基本的には 適用されないんだから、人類全体なんぞ見渡す必要もないだろうと・・・。 一言で言えば、Human RightsではなくCivil Rightsしか明確には憲法から導き出せないだろうよ、と 思ってしまうのである。
つづき で、実際のところ、日本人において 「人は平等だ」「基本的人権の尊重」は充分に共有されているんだけれども 「国は人の基本的人権を守るためにあるんだ」とか「○○は人類普遍の原理」とか 「個人は最大限尊重され、尊厳ある存在だ」とかそういわれると、そ・・・そなのか?と 実際思う罠。憲法のそういう修飾語を取り除いた決まりの部分は、了解されるんだけれども 其れを貫いているはずの、基本理念は、まぁ、ムッタンなどもよく擬制というように、建前で あって、本気で信じちゃいない。 こういう部分を猫タンご推薦の樋口陽一さんあたりも 「日本国憲法のアイデンティティは一般的説明では三本柱(主権在民、平和主義、人権尊重) というのは正しいのですが、もう一歩突き進めば、三つ束ねる「遡った価値」というものが あって、それは個人の尊重・尊厳です。」とのたまい いや日本には日本のやり方があると模索しても良いじゃないかというと 「それではいけない、もっと人間としてふさわしい生き方がある」とか言っちゃう。 このあたりになると、どうも、猫タン達の言説にも感じる「人権思想というかその理念」の押し付け があるんじゃないの?と思う次第である。押し付けられていると、私は感じる。 結局個人というものの捉え方が違うんではなかろうかいなぁと思慮する次第である。 とすれば、「個人は独立していて尊厳ある存在として尊重されなければならない」などと考える 必要は普遍なのかということになってくる。 まぁもちろん、個人として尊重されなければならないといわれればそうだが、国家や共同体をも 超越して尊重されるほどに尊厳があるかといわれれば???だな。 で、17条憲法あたりで、古い日本人は個人というものをどう捉えているんだろうと、調べるのも 意義がありはしないだろうかと、こう思うのである。
つづき で、何回も書いている通り、17条憲法における「個人」の把握・・・まぁ人間観だな・・・ は、まぁ、分りやすく書けば「個人というものを認識し、党派心はよくないとする」「絶対ではな いが強い性善説」「生まれだけでは人を従えさせられない」「人の価値観は相対的で、誰が定めるこ となどできない・・・衆議による」という極めて妥当な内容である。 現代でも十分に通用する人間観である。 ただ、「個人は人として尊厳ある存在として尊重されなければならない」という結論にはなってい ない。なってはいないんだけれども、ここから、基本的人権の尊重は導けそうだ。 「人の価値観は相対的であって、だから全員の衆議で決定しましょう。」そのためには、 全員がその衆議に参加できなければならないし、どういう意見があるかは自由に表現できなければ ならない。弱者は公平に衆議に参加できる程度に保護されなければならないし、出自によって 必ずしも聖・賢愚であるわけではないから、差別されてもいけない。 大体の基本的人権(国民の権利としての其れ)は導けてしまう。人としての権利であろうと、国民 としての権利であろうと、国民にとっては保証されれば同じことだな。 大きな違いは、個人は尊厳ある存在として国家などを超越して尊重はされないということかな? まぁ、憲法というものは基本的には国家の決まりであり、国家を制限するという役割なのだろうから 国家を超越した個人を見渡す必要はない。 千数百年前から自分達の祖先が継続して保有してきた人間観なら、信じてもいいだろうしそのフィ クションはNGではないだろうと思う次第である。 で、この衆議主義は、国民においてその衆議を確保できる限り、極力衆議の自由は確保されなけ れ場ならない。なぜなら人は皆現愚併せ持つ存在で、正解・真理・原理を決められるほどに、聖では ないからである。だから、国民において不都合のない天皇制は、みんなで決め維持する分には問題が ないという、極めて多くの国民において共有されている結論に落ち着くのである。
うんこスレ
>>316 >
>>141 、
>>283 でひいた木地師、東日本にもひろく分布し、
>おなじく天皇にも営業権をほしょうされてる猟師、東日本でのいいかたが
>まさしくマタギなんだ。
中世隷民が全国的に組織化され、固定化されていったのは近世になってからだろ。
木地師とかが、天膿との関係性を古代にまで遡って自称しているからと逝って、
それが事実とは言えんだろ。
それとも何かい、エミシとかアズマとかの山奥にいた木地師とかマタギは、
天膿家の裔であり、古代から連綿として天膿家から営業許可を得たと称して
仕事をしていた、とでも言うのかね?だとすれば、なぜエミシのマタギとかは、
アイヌ語地名を使うのだろう。彼らが天膿家の裔や彼らにアイデンティティーを
感じる存在ならアイヌ起源の言葉を使うのは解せない(藁
ヤマト地方は知らんが、被差別民が全国的に組織化されていく過程で、営業許可
云々の話も全国規模で騙られるようになったんだろ。そもそも、被差別民の形成は、
地域によってバラツキがあるワケで。江戸期以前に、全国一律に天膿に免許された
被差別民がいると考えること自体が妄想だ罠。そのようなものが形成されて
いったのは、被差別民が組織され固定された江戸期以降の話だろ(藁
>それおいといて、東日本のわれわれ意識ってーのは、農民レベルであったのかね。
農民がアズマの名を認識して使っていれば、それダケで東日本意識は存在して
いたんだろ。だって、天膿を認知していれば日本意識が存在するんだろ。だったら
アズマとか東国なる言葉を認識していれば、そいつはアズマ人と言えそうだ罠。
同時に唐天竺の存在を認識していれば、唐人でありインド人だろ。概念を
認知していれば〜人と言うなら、論理的必然として当然そうなる罠(藁
>>317 >その13世紀ごろに限定すれば日本人のひとつの分類として、アズマ人
>(表現の妥当性は別として)はあっただろうね。
ひっかかる言い方だな。それなら、シナ文化の下風に立ち、中華皇帝陛下に
臣従していた日本国王と日本人は、シナ人のひとつの分類として存在したことになる。
少なくとも、日本国王源義満治下のヤマト人は、シナ人の一分類としての
ヤマト人だったワケか。源義満はシナ皇帝に臣従する臣下なのだから、
源義満政権下のヤマトもシナ人の一類型だ罠(藁
そもそも、アズマ人やらエミシ人、ハヤト人、クマソ人は、ヤマト王権に臣従し、 文語としてヤマト言葉や漢語を強制させられていただけの別民族だろ(藁 かつて、大君やアズマの棟梁が中華皇帝に臣従し、公用語・文語として漢語を 使用していたように、アズマ民族やエミシ民族もヤマト王に臣従し、支配言語の ヤマトの文語を使用していたんだろ(藁 「日本人」など近代まで存在しない。それ以前は、支配権や支配言語を 強制されたさまざまな民族が現在日本と呼称される地方に存在してきた。 現在でも俺のようにアズマ民族のナショナリティーを強く意識する者に とっては、アズマ民族は確固として存在する。人工民族「日本人」など存在しない(藁
れタンは悪名高い方言札を知らないんだろう。
つうより起請文の説明が激しく大間違いだわな。 神文が八百万の神々に誓ったなんて、日本の中世史知ってるなら間違ってもいえない。
ド素人の自己流脳内解釈だととっくに気付いてるので最近は読む気も起こりません。 だらだら相手にしてるコテもキモイと思う。
えー自宅PCではNGワードは設定していないので
>>327 >神文が八百万の神々に誓ったなんて、日本の中世史知ってるなら間違ってもいえない。
というか、
一 この度、直丸様御附き仰せられ候上は、御為大切に存じ奉り、聊か以て御後ろ闇き儀仕らず、
御取扱等の儀、諸事入念に及び相勤め申すべき事。
一 御付添の女中共にも諸事念を入れ候様常々申し含むべき事。
一 奥向きの御用筋、堅く他言仕り間敷く事。
一 御威光を以て私の奢り仕り間敷く候、御為に対し奉り相役と中悪敷く仕らず、万相談を遂げ
宜しき方に付相勤め申すべき事。
右の條々相背くに於ては
末文 梵天帝釈四天王総じて日本六十余州大小神祇、殊に八幡大菩薩神罰を蒙るべき者也、
よって起請文件の如し。
安永七年三月 川井新七郎。
のような起請文が残っていて、神文というのは「末文 梵天帝釈四天王総じて
日本六十余州大小神祇、殊に八幡大菩薩神罰を蒙るべき者也、よって起請文件の如し。」
の部分であって「日本六十余州大小神祇」は日本国中の大小の天神地祇」の意味で
「天神地祇」とは「天つ神と国つ神の総称」なんだから、八百万の神々等を媒体にして
それら神仏の罰を担保として、人と人が誓約しているといっているわけだが。どこか違うのか?
クソナナシにたまには付き合ってやるよ。ほら、どこが違うか言ってみろ。
>>324 大変申し訳ないが、日本という国号は、東の国という意味だから、
シナ国の一部と日本人が考えているわけがない。
「日本人は13世紀には存在したと、保守系ではない歴史学者が言っているんだし
17条憲法はどう見てもシナ国の思想とは根底から違うわけだから、妄想に浸られても
どうにもならないわな。
人口でない民族・・・ふーん、神にでも創造された民族なのか・・・。それとも、土の中から
生えてきたのか・・・。
>>330 だからシナ国の属領だったんだろ。アズマもシナ皇帝の属領のヤマト王
に使える属領の属領だったんだろ。属領だからと逝って民族が同じとは言えないなら、
アズマもヤマトじゃないだろうが。
自分達が〜人だと信じれば〜人なんだろ。「日本人」だって捏造民族なワケだし(藁
>>331 釣りだろ。安永年間と明記されてるんだから。
そこまで、バカじゃないだろ。何がやりたいかわからんが(藁
釣るなら狡猾にやんなきゃ。 日本史の常識では江戸時代は近世、中世といえば普通は鎌倉幕府前後の時代だわな。 まさか江戸時代を中世と考えてるんじゃなかろうか?
そもそも起請文というのは、神仏を仲介にした前文と神文によって構成された誓約書。 で、牛王宝印と呼ばれる護符を捺印し内容に間違いない旨を誓った。 最も有名なのは「御成敗式目」だが、この神文に梵天帝釈天権現八幡明神日本六十余州大小の神々への誓いが 記されている。そのなかの注釈書には、アマテラスを「虚言を仰 らるゝ神」という記述があり、 網野さんが指摘してるのもこのことだと思われる。安永年間の起請文を読む限り、「御成敗式目」の 注釈書のない神文とほぼ同じだが、江戸時代「御成敗式目」は武家の教養として広く流布していおり その影響を受けてのものと思われる。 中世の起請文には百姓の手による「弓削島庄百姓等連書起請文」があるが、ここで誓われている神文の 対象は「弓削島七社大明神」だけだ。中世末期の戦国大名北条氏康の起請文の神文には「梵天帝釈」 「八幡大菩薩」「天満大自在天神」「三嶋大明神」「伊豆箱根両所権現」「惣而日本国大小神祇」が列挙され、 「御成敗式目」の影響がかいま見ることができる。起請文には様々な形態があり、神文対象は 必ずしも共通してるわけではない。
335 :
MMMM :04/07/12 00:43 ID:r567YmLU
えーと、説明のくりかえし、もすこしていねいにいうんだけどね、 人生をムラですごす農民は、東も西もとわず、 天子さまの権威をひつようとしない。日本人としてのわれわれ意識もないだろう。 だって、ムラの人生なんだもの、ムラの外は、となりむらと年貢のおさめさきだな。 人口のおおかたをしめる農民にとって、天子さまの絶対的な権威、権力は、 あるいは、日本国は、あまり予想されたなかったもの。人生はムラなんだもの。鎮守の森あれば伊勢も宇佐もいらんもの。 日本民族のにんしきなんかない、民族ってしらんもの。もちろん東日本のわれわれ意識もない。 いっぽうでね、非農業民のいくらかには、天皇などのひろい範囲で通用する権威が必要とされる側面があったの。 コンフリクトを避ける生活の必要、人生をほこりを持って生きる心理的な必要、 いくらかの根拠があって、あるいは偽書で捏造で、それでもムラをこえる普遍をひつようとして、主張する文書にもしたりした。 そいつらには、武士が日本をとらえたのとおなじよーに、日本につながる契機があった。 こゆのね、べつにおれイデオロギッシュにいってるわけじゃないの。 おれのりかいによるところをいってるだけ。 ヤケになってつまんねえこと口走ると、色々つまんなくなるんじゃねえかなあ。
336 :
MMMM :04/07/12 00:46 ID:r567YmLU
やけになってつまんないことの例、アズマくん、
>>325 の、
>現在でも俺のようにアズマ民族のナショナリティーを強く意識する者に
>とっては、アズマ民族は確固として存在する。人工民族「日本人」など存在しない(藁
みたいなの。
>>315 の前半、後半で説明すんだと思ってたんだけど、うまくねえんだろな。
>一歩ふみだせば、日本だ、六十余州にかくれのねえ、賊徒のしゅりょう、
>日本駄右衛門。
なんて、うまいこと言ったとおもってたんだけどな。
>>332 アズマタン
前段:じゃ、アズマ人の実態たぁ、一体なんだよ。
後段:13世紀の起請文の形式が違うというなら、ソース示せや。
339 :
MMMM :04/07/12 10:34 ID:91rf117g
れくんと話すと、面倒なこと言い出すんでアレなんだが、起請文のリクツの話ね。 起請文、おれ知らないんだけどさ、いっぱんてきに契約、 契約時に、当事者れんちゅうがきょうつうに奉じる権威があるばあいは、 それひとつにちかうだけでいい。 地域、血族、郎党、職業集団などごとにたいせつにしてるそれぞれの神さま仏さま権威があるばあい、 たいせつにする権威がことなる当事者間の契約のばあい、どちらかのいっこだけってわけにはいかない こゆうのは、契約だけじゃなくって支配の正統性をどっかの権威からもってくるときにもおこる問題。 それを諸権威かんのカンケイをどうにかつくって、それらの上位の権威をねつぞうしてもちだすって手もあるし、 器用しごとで権威間の関係を組み立てることもせず、それぞれの権威を並べ立てるって手もある。 前者で神話とか、宗教教義体系とかつかって組み立てがうまくいくと、超越的な権威、体系的な権威の体系ができる。
340 :
MMMM :04/07/12 10:35 ID:91rf117g
日本ではどーしてたかってーと、 たとえば八幡さまってのは、すこしだけ組み立ててみたカンジだよな。 もちろん、日本の神話もそれをねらってる。 ただ、それもほかの神さま仏さまと並立になっちゃってんだから結果的にはあんまうまくいってなかったんだな。 まんだらのような、三位いったい四位一体のような、アッラーのような、超越あるいは体系ってのは、 日本ではあんましうまくいったためしがないんだろう。
341 :
MMMM :04/07/12 10:40 ID:91rf117g
そういう事情からすれば、
>>334 くんのほうこくにあるように、一本だけの権威をつかう起請文もあるだろーし、
てあたり次第にかみさまほとけさま並べ立てる例もあるだろう。やおよろず、ってかんじで文面の節約もする。
神さま仏さまかきあつめた定型、フォーマットもなんとなくできる。趣味で事情で羅列のなかからおとしたり入れたりもする。
まあ、おなじむらの農民間では成文化された契約書がいらんかったりもするなあ。文なら、からかさ連判の例もある。
ってわけで、起請文で神さまが並んでるのは地域、血族、郎党のそれぞれの権威をこえる権威ができなかったためだろう、
起請文をひとつの根拠にして、衆議を重要視する超越的な権威が、諸神諸仏の並立を許容したとかんがえるのは、
すごくムリがある。とかんがえるな。
>>339-340 >それひとつにちかうだけでいい。
いやそういわれても、きちんとした研究家が、13世紀には「日本国中大小神祇(日本国中の
大小の玉つ神・国つ神」+地域やその共同体や個人の選んだ神々(仏も含む)を、併記する
形式で、起請文という誓約の形式が、百姓の名主レベルにまで浸透していて、
「日本国中大小神祇」は定型文として定着していたと書いているわけで、その形式は、上で
示した通り、そして落語の「三枚起請」にもあるように・・・幕末太陽伝でもでてきているが
その原作のひとつのネタ・・・江戸時代も同様に継続されているんだけど。
無論、人同士の約束も破られるということは当然あったわけで・・・うまく行くとか行かないと
いう話ではないな。
で、契約の正統性付与の権威としての神仏という形式じゃないわけで、「神仏の罰を受けても
良いというほどに確かな遵守意思がある」という個人の意思表示が、その誓約の確実さを担保
するという形式だわさ。それが相手の知らない神仏じゃ話しにならんわけで共通の認識は
あるんだろうさ。その共通の認識の中に「日本国中大小神祇」があったということでしょ。
神仏の上下関係というものは意識される必要がないわけで、神仏に対する価値の多様
性は神道では認めているでしょう、基本的に・・・。各神社が多様な価値観の元に、特定のいくつ
かの神々を祭祀するのが神道なんだから、体系的である必要は民衆にとって必要ないでしょう。
>衆議を重要視する超越的な権威が、諸神諸仏の並立を許容したとかんがえるのは、 別にそんなことは言っておらんが、どこを読むとそういう印象を受けんの?
344 :
MMMM :04/07/12 12:23 ID:uGh3JvWn
>>343 のれくん、
そだな。どこらへんかわからんけどな。
>>341 最後、いちぶ変えてみよう。
衆議を重要視する超越的な原理が、諸神諸仏の並立を許容したとかんがえるのはムリがある
もしくは、
>>342 からひろって、
多様な価値観を許容する思想が、諸神諸仏の並立を許容したとかんがえるのはムリがある
ってーいうと、れくんへの文句としてあたってる気がするかな?
あと、
>>342 前半中盤は、
>>339-340 でしゃべってることにどうかんけいあるのかよくわかんない。
>>344 なにか外国人とでも話しているような気になるんだが、
日本の神道では神々の諸神諸仏の並立を許容しているよね。しているのは事実でしょ?
場所場面によって、同じ人が、時にかまどの神様を拝み、ときに便所の神を拝み、・・・
ということは分るよね。其れは八百万の神々がいるということを認めていることでしょ?
あの神様の存在は信じる、この神様の存在は信じないということじゃないよね。
で、例えば誓約の時にはこの神様、勉強についてだったら道真公、安産だったら鬼子母神
という関わり方をするわけでしょ?其れは神社でそうしろといっているわけじゃなく、
民間として神社や神の性質を判断してやっているわけだよね。だからサッカーの神として
現代では道真公がいたりするじゃない。
それは、何か決め事があって、超越した神様が各々の神に役割分担させたわけじゃない。
だって、超越した神がいないのが神道だよ。だから天つ神の最初の三柱も卜占をする。
絶対権威や超越したモノは否定されているんでしょう。
神道は神様も人も同一線上にあって、コトアゲを実現したりした場合神になる。
じゃぁ神も人も同じでしょう。超越的な何ものもないと否定するから、お互い和らいで
議論して、譲るところは譲って、みんなで決めましょうや・・・となる。
此れを超越的な思想とか原理とか言われると、困るなぁ。
346 :
右や左の名無し様 :04/07/12 13:32 ID:R/OKxxRk
王室のない国なんて海外から相手にされないよ。
>>344 MMMMタン
>あと、
>>342 前半中盤は、
>>339-340 でしゃべってることにどうかんけいあるのかよくわかんない。
えー、なんというか、
まぁ現代の地鎮祭でも、神様は三柱ぐらい出てくるわけだし、上棟式やら結婚式なんかの祝詞も
複数の神々がでてくるわさ。必ずしも同じ神社で祭祀されているわけでもないし、その儀式を
行う神社に祭祀されっていない神々も出てくるわけで、そういうのが神道でしょう。
勿論プールを作るとき便所の神様は出てこないし、棟上のときに火の神様は出ないんだけれども
そういう役割とか、神社の格式とかはあるんだが
組み立てる意図がうまくいかなかったということじゃなくて、組み立てる必要が神道には
基本的にないということなんだけど。
権力の根拠に神々がなったということはないと思うけどねぇ。たとえば、源氏は鶴岡八幡だが
此れは氏神なわけで、権力の根拠にはなっていない。其れは天皇だけが神々の末裔ということで
「権威の根拠」にはしているだろうけれども、それだけのことだよね。
348 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 18:21 ID:qaY7hJM4
しかし、廃止派君どもは、前近代に日本は無かったといったり、 近世(無論、近代ではない)には形成されてきたといったり、 そして中世は無かったと言ってみたりと・・・・。 しまいには、紀元前に日本は無かった。と言い出しかねない勢いだな(笑
349 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 18:30 ID:qaY7hJM4
因みに 「近世」 外が浜 今日からは日本の雁ぞ 楽に寝ろ (一茶) 「中世」 むつのくの 奥ゆかししくぞ思ほゆる 壺のいしぶみ 外の浜風 (西行) 或いは、「真名本曾我物語」に記述されている安達盛長の夢の話には 頼朝が、左の足で(奥州)外が浜を踏み、右の足で(西国)鬼界ヶ島を踏む。 とあり、これをして日本の支配範囲を示唆している。
おれは、権威を共有しないあいだでの誓約で、 それぞれの奉じる権威を並立させることがリクツ上であるだろうと言った。 起請文で神仏がならべられてることは、それで理解できるとせつめいした。 定型化、集合名詞のりようによる節約も、そのスジからはなれないこともふれた。 あげられる神仏が当事者によって変わることも、へいりつの成立の事情をうらづけるだろう。 れくんは、神道が多神教であるということをたのみに、 諸神仏の並立は、神道がカンテツしてるおかげだと、れ くんはいう。 そこからさらには、神道には衆議のやわらぎの原理があるとくりかえす。 その原理が適合しそうなすべての場を支配できる、れ くんの神道に対して、 おれはもうなすすべもない。どうやって反証すればいいのか、おもいつかないな。 かみがみに、わらわれるな。 そんなカンジだな。
まさにくだらない神学論争が繰り広げられているな。ここは。
>>350 MMMMタン
いや、だからさぁー
>れくんは、神道が多神教であるということをたのみに、
>諸神仏の並立は、神道がカンテツしてるおかげだと、れ くんはいう。
>そこからさらには、神道には衆議のやわらぎの原理があるとくりかえす。
なんて事を言っていないんだが、どこを読むとそう感じるの?
私は、初めに「人は賢愚あわせ持つ存在だ。だから誰かが何事かを、専制的に決めることは
出来ない」という人間観がある、といっている。しかし決めなければ国や共同体は運用でき
ないから、衆議主義(和を伴った)が我が国にはあると結論付けるわけだ。
だが、必ずしも全員一致とはならない。(此れは現実)。衆議さえされない場合もある。
しかし人は皆賢愚あわせ持つ凡夫だから、衆議で敗れようと、暴力で敗れようと、敗れた側
が不正である・不徳であるという考え方には至らない。
で、破れた側が怨念を持つ場合もある。其れはそうだろう。そっちが賢愚の賢の場合もありう
るわけだ。だから、怨念を持たせた側にも、衆議が正常に機能しなかったとか、諍いになった
という自省が必要であると当然考えられる。だから、彼らは神として顕彰され祭祀されるとい
う必要性があるわけで、神道はそういう調整機構だといっているんだけどなぁ。
>>335 被差別民の形成が一律に天膿とか国とかと結びつけてなされたかを問うている
ワケだが。被差別民が確立する過程で、彼らの一部が天膿との結びつきを持ち
出す場合もあったろうが、それが全国規模で行われたのは被差別民としての身分が
確定される江戸期以降の話だろ(藁
マタギとかは、成立過程において天皇よりアイヌ文化の方に親和性を持つわけ
だろうし。天膿関連の由緒書き云々は江戸期以降の話じゃないのか?
お前さんの世界観を受け入れるなら、「もののけ姫」の「アシタカ」は、天朝様
から免許を貰ってエミシの地で暮らしており、ヤマトの支配を望んでいたことになる。
さらに禁忌地方のどこかにあるシシガミの森のタタラ師や牛飼いは、天朝様の書付を
楯にタタラ製鉄を行っていたことになる(藁
つまり、アミノ酸とかの中世賤民観を下敷きに作られた「もののけ姫」の舞台設定は
嘘八百だと。史実に忠実なリアル「もののけ姫」は、天朝様免許皆伝のアシタカや
タタラ師が、日頃から敬っている天朝様の書付にしたがって、荒ぶる神々を退治する
物語にすべきだ、とこうなる罠(爆藁
現在のナショナルな枠組みで、過去の社会を見るのは、十分イデオロギッシュな 世界観に毒されている、と指摘しておこう。さまざまな支配関係・権利関係の錯綜 する中で、特定の地域の特定の人々に天膿が権威として持ち出されることがあっても、 それを全国一律・全時代的に安易に結びつけるのはいかがなものか? 日本を古来から文化的に統一された社会と見る見方自体が、一つのイデオロ ギッシュな世界観なワケで。別の時代の別の社会を見るなら、現在の世界観で 過去を見る誤ちを、きちんと自覚してかかるべきだ。近代を境に現在「日本」と 呼称される地域は、社会的・文化的断絶があると言うべき。近代以前には、 現在我々が認識するような単一の主権を持ち、統一体として機能する「日本」 など存在しなかった。「日本」なるものが、近代以前にもあたかも存在するか のような発想自体が、ナショナリストのペテンだろ(藁 禁忌地方を中心とした散所と天膿が一定の関係を持つとしても、それは一部の地域、 一部の人々に見られた現象にすぎないのじゃないのかね?それを現在のナショナルな 社会を前提に置いて、アズマ等の他の地域に敷衍して考えるのはいかがなものか? アミノ酸も、アズマは西国と異なり、鎌倉幕府等が由緒書の権威として一定の 機能を果たしていたことを指摘してたろ。別に天膿や日本でなくてもいいわけだし、 実際にそうであったワケだ。日本とか天膿にこだわるのは、現在のナショナルな ものの見方に脳髄まで犯されているからだろ(藁
355 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:16 ID:089VzsCv
>アズマは西国と異なり、鎌倉幕府等が由緒書の権威として 鎌倉幕府の歴代将軍が誰だか、チミは知っているのかね(ぷ
356 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:24 ID:089VzsCv
>近代以前には、 >現在我々が認識するような単一の主権を持ち、統一体として機能する「日本」 >など存在しなかった。 前近代、直近の事象から、聞いてみようか(笑 黒船に乗ったペリーは、日本に何しにきたの?(大笑
358 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:29 ID:089VzsCv
そうか?(笑
>>356 >黒船に乗ったペリーは、日本に何しにきたの?(大笑
お前さんの言いたいことは、ハジメからわかってる。
ペリーは、天膿からアグレマンを与えられるためにきた、
と言いたいんだろ(爆藁
ペリーって、日本を大航海時代の補給地として利用するために来たんと ちゃうのん? けど、その後、日本で1:5だった金銀の交換レートが欧米 では1:15だったのに目を付けたケトウどもが大挙して押し掛けて、金に 交換していって経済的にかなりの失墜を致したとかもあったかな。 横レスでしけど。
361 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:35 ID:089VzsCv
>ペリーは、天膿からアグレマンを与えられるためにきた、 >と言いたいんだろ(爆藁 おまえは、「ハリス」の事も知らんと思うから、話にならんな(笑 ↑ この意味、ワカリル? ところで、チミはアズマなの?
>>360 いやいや、天膿は古代から現在に至るまで一貫してアグレマンを与える
権限をもっているんだよ。ペリーは、それを確認するために日本にきたのさ(藁
363 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:44 ID:089VzsCv
>天膿は古代から現在に至るまで一貫してアグレマンを与える 何か、電波が襲ってきたようだ(笑 そもそも、アグレマンの意味が判ってないらしい(大笑
>>363 1〜2スレ前のあてつけが理解できないなんて・・・・((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
>>363 相手にしない方がいいdempaのようでし。酔っぱらっているのでなければ
完全なデムパ
366 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:47 ID:089VzsCv
いつも(P6以降)そうなんだが、 アズマは自分の電波史観が指摘されると、すぐ雲隠れするね(笑 やっぱ、やるきしねーな。 日本史を教えてやる義理もないし(笑
>>366 どうみてもネタキャラだからそれでいいんでねーの? 本気であづま
独立を考えているとも思えない。
368 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:51 ID:089VzsCv
>>365 まあ、そういう事ですわ。
因みに横レスに返事しておくと、当時以降実質的に「銀本位制」になり
これが銀の世界的急落になるころには、日本経済は大変だったらしいですよ。
369 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:53 ID:089VzsCv
>>367 私の一人よがりですが、アズマの長文を律儀にも、読み続けた仕打ちに
マジで嫌気が刺してきた、今日この頃です。
370 :
ぁゃιぃアグレ人(マン)@東 :04/07/12 20:55 ID:EmlSjLu7
>>366 >アズマは自分の電波史観が指摘されると、すぐ雲隠れするね(笑
>やっぱ、やるきしねーな。 日本史を教えてやる義理もないし(笑
くやしいかて、くやしいかて。しかし今日はめずらしく元気だな。
数スレ前に戻って、途中で終わったアグレマンの続きの話でもシル?(藁
371 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/12 20:58 ID:089VzsCv
何が悔しいのか、マジにわかんねーぞ(笑 そもそも、おまえと「アグレマン」の話をした覚えはないし(大笑 あの話は、日本インド戦に熱中し過ぎたお詫びを、猫君にはしたはずだが
>>369 読んでみるとおもしろいんで、最初は熱心に読んでいた。けどあの長文
ゆえにその後はパススルーしてますでし。けど、よーあれだけネタが続く
と感心することだけは甚だしい。かつて、2ちゃん祭りに集まった、私と
Queenタン、つたや氏の3名ともにそのことを指摘しておりました。
>>372 ルールがないとゲームが成り立たない。雑談だけしててもつまらんだろ。
俺は阪京さんとは芸風が違うからなあ。
それより、つたやさん最近2chにこないじゃん。どこいったの。HN変えたのか?(藁
>>373 いや、メールや電話の連絡もないところもみると2ちゃんは卒業したん
じゃないの? おそらく結婚でもしたかと。新婚家庭で夜には2ちゃん
でカキコというのは想像しづらい。
>>374 つたやさんの芸風はペーソスと皮肉さと投げやりな態度が調和してて
面白かったのに。つたやさんも逝ってしまれたか・・・(-人-)
しかし、数年前とくらべると個性的なHNが減ったよなあ。初期頃の勢いが
感じられない。板乱立とアナーキーさに嫌気がさしてしまったんだろうな(藁
376 :
阪京 ◆/Z7uecnQUY :04/07/12 21:40 ID:5FwvR6Qg
>>375 コテハンたちの右翼度というメールをもらったことがあって、右翼度を○○度と××度の2次元性
から評価していておもしろかったので、「スレ立てたら?」と薦めたことがあったけど、実現しな
かったなぁ。○○、××は失念。
その時の記憶によると、
右翼度(○○度)
つたや:100%
地球市民@:100%
阪京:80%
Queen:50%
となっていて、私やQueenたんがなんで100%でないのか非常に興味深かったので、聞きたかったんだ
けどなー。
確かに「板」が大杉。ここなどまだコテハン率は相当に高い方で、よそをたまに訪れるとほとんど
名無しばかり。けど、ログ記録を残すようになってから、無意味な文字列の羅列などの荒らしがなく
なったのは朗報だけどね。
377 :
MMMM :04/07/12 21:42 ID:Q8RjRpF0
マタギが狩猟をなりわいとするアイヌのことばをもってるのは不思議はない。
んでマタギ、人類学的な血統はまったく日本人。そんで、先住のアイヌの権威はつかわなかった。
天皇の営業許可のはじまりはいつか知らない。天皇つかってるてんから江戸よりむかしなんじゃないかなあ。
江戸期は天子さまのつかいがってがあんまよくねえからな。
連中はけだものころすところから仏教つか、密教の権威もかさねてもってたな。
木地師が天子さまの営業許可証ふりまわすんは、
>>141 にかいた記録のある10世紀くらいいぜんからだな。
江戸期よりもまえ。江戸いこうにはっせいした中央の権威をかりる営業許可の例は淀川のくらわんか船とかもあるな。
木地師もくらわんか船も、とじた共同体のなかで生きてないから、共同体をこえる権威をひつようとするでしょ。
だから、威光のはんいがひろい天皇や家康をひっぱってきたりしてる。
「もののけ姫」はみるとそのロマンチックにかならずむかつくはずなので、見てないなあ。
あとな、
>>354 、現在の世界観で過去を見る誤ちをおかしちゃあいかんとおれもおもうな。
ひきんなれいでは、きみの東日本主義で東日本の「ナショナリティー」なりをねつぞうしちゃいかんだろ。
きみの、
>>353-354 とかなあ、もう。
つか、きみはマトモにあいてされることをのぞまない人なんか?
>>376 >となっていて、私やQueenたんがなんで100%でないのか非常に興味深かった
芸風だからだろ(藁
>ログ記録を残すようになってから、無意味な文字列の羅列などの荒らしがなく
>なったのは朗報だけどね。
いまできてるんだから、2、3年以上前からやっとけばよかったんだよな。
kova板とか極東ができる前に。板が分裂して、さんざん荒らされたから
コテハンがやる気なくしたり、流出してしまった(藁
>>377 >天皇の営業許可のはじまりはいつか知らない。天皇つかってるてんから江戸より
>むかしなんじゃないかなあ。
偽作であるなら、時代はわからんだろ。後世日本がある程度の統一性を意識
してきた頃に、過去に遡って天膿の営業許可を得たと捏造したかもしれんし。
江戸以前に、禁忌以外で天膿の営業許可を被差別民が使っていたと言う
確かなソースはあるワケ?(藁
禁忌あたりの木地師が、天膿とか関係性を逝っていたのは、かなり時代を
遡ってありうると思うが、散所のいない地方ではそれはなかったんじゃないの。
例えば、東北地方の木地師が10世紀くらいから、天膿に関する由緒書とか免許状を
使っていたとの確かな証拠でもあるわけ?過去に遡ると称する由緒書とかがあっても、
それが確かにその時代のもので、そこで機能していたと言う証拠がなければ
わからんでしょ(藁
>現在の世界観で過去を見る誤ちをおかしちゃあいかんとおれもおもうな。
まずは自覚することだろ。自覚して敢えて、過ちを語るか語らないかは個人の
自由だ罠(藁
380 :
阪京 ◆/Z7uecnQUY :04/07/12 22:05 ID:5FwvR6Qg
>>378 >芸風だからだろ(藁
そんなもんか。Queenタンも「皇后」つーコテで十二単のホムペだったら100%だったわけかw?
けど、これじゃ逆にウヨの反感買いそう。現状でもその気配があるらしいのに。
>kova板とか極東ができる前に。板が分裂して、さんざん荒らされたから
>コテハンがやる気なくしたり、流出してしまった(藁
確かにこれは残念だったな。スクリプトを使ったとおぼしき「上げ荒らし厳禁」クンつー
荒らしとその後の異様に重いサバが決定的だった。けど、異常に思いサバは8月15日には
ウソのように軽くなったので、オリもQueenタンもチョソの仕業だと認識していたけどね。
「つくる会」会員のおりはその2・3ヶ月前にチョソのDoS攻撃によるホムペの閉鎖を経験
していたので。
>>380 >確かにこれは残念だったな。スクリプトを使ったとおぼしき「上げ荒らし厳禁」
>クンつー荒らしとその後の異様に重いサバが決定的だった。
なにものの仕業かはわからんが、アレはひどかったなあ。異常な重さは、
前後のかなりの期間にわたって続いたし。板もしばしばdj状態だったしなあ(藁
382 :
阪京 ◆/Z7uecnQUY :04/07/12 22:16 ID:5FwvR6Qg
>ぁゃιぃアグレ人(マン)@東 あのそれと。つたちゃんの自白によると「自分はそれほど知識がなくって、 書いていたのははったりだけ」だったそうな。そいや、おりが古典音楽の 話を始めると、なんかばつの悪そうな態度になって、しどろもどろ風になって いたのが思い起こされる。ネタ切れなんでしょ。たぶん。と、煽ってみる。
383 :
阪京 ◆/Z7uecnQUY :04/07/12 22:18 ID:5FwvR6Qg
>>381 あれもチョソの仕業かも。あのあたりから、おりは、かつてはアジアの同胞
と認識していたシナ、チョソを口を極めて罵るようになってしまったんですわ。
実は。
>その共通の認識の中に「日本国中大小神祇」があったということでしょ。 ただの無知かと思ったらほんもののバカだったのか?
>>379 アジア、日本、アラブ、ユダヤ、それぞれにいくらかの対照物をもち、理念に昇華して、
おおくの人生の必要を背景に、民族国民を動員して軍事力をもつまでにいたった妄想、
くらぶるに、「日本」のまんがをロマンチックに縮小再生産する東日本主義、
たかだかおのれひとりの人生をなぐさむるにふさわしい妄想だとおもうな。
>>352 のれ くん、
さらにあからさまな信仰告白には、おれ、ひきつづきなかえすことばもないんだ。
>>386 まぁ、信仰告白だといわれれば、付き合っていただく必要もないわけだ。
現実に存在している17条憲法から読み取れる当時の人たちの人間観などの存在
が、私の信仰だと思えるなら、致し方ないでしょう。
まぁ事実の記述と、推論の記述があるわけで、事実認定がおかしいというなら、
反論可能だろうし、推論に無理があるというなら、どのあたりが無理なのか書けば
議論にはなるわけで、そのために必要な根拠の提示を求められれば、書く用意はあ
るのだが、そんなものは信仰だといわれれば、それでおしまいだね。
そうやって目を瞑ることも、あなたの選択肢の一部だから、まぁそういうことで・・・。
388 :
右や左の名無し様 :04/07/13 13:32 ID:cw36EUGW
皇室は世界でもっとも長く存在している歴史のあらせられる存在なのです 御公務ばかりで多忙であられるだろうし 勉強も高水準にしなければならないし 何しろ純粋であられなければならない ・・・ま そんな事は置いといて 眞子さま佳子さまがいるだけでそれで良し!
反論可能な場合でも、反論が理解不可能な「れ」相手にはいったいどうしたら よいものやらw 有体に言って、無視するのが得策。
れタンにはどんなリクツも反撃不可能です。 だれにもまねのできないプリズムを持っているので すべての事実は屈折し、れタン色に変色してしまいます。
しかし、まぁ五〜六回同じ事を書かないといけないわけだが、日本の歴史を ご存知ない人が日本の政治についての思想を語っているものだと、不思議に思う 今日この頃である。 17条憲法は、ひとつの重要なファクターでしょう。 その十条でかかれている 「十日、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。 我必非聖。彼必非愚。共是凡夫見耳。是非之理、 言巨能可定。相共賢愚、如鐶无端。 是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同擧。」 「十にいはく、こころの怒りを絶ち、おもへりの怒りを棄てて、人の違ふことを怒らざれ。 人みな心あり。心おのおの執れること有り。彼是すれば我は非す。我是すれば彼は非す。 我必ず聖に非ず。彼必ず愚に非ず。共に是凡夫ならくのみ。 是く非き理、たれか能く定むべけむ。相共に賢く愚なること、みみかねの端なきが如し。 是を以て、彼人いかるといふとも、還へりてわがあやまちを恐(れよ。 我ひとり得たりといふとも、衆に從がひて同じく擧(おこな)へ。」 という「価値観の多様性をっ認めていること」「人はすべて「賢愚あわせもつ凡夫」にす ぎないことにおいて平等である。」「自分を聖とし他を愚とするような独善や独断が否定されて いること」など、現代の民主主義と遜色のない哲学があらわされている。 ただ西洋の人権主義・個人主義と異なるところは「人は皆凡夫である」とする思想であり 「人は尊厳ある存在として尊重される」とはしていないところである。
>>ただ西洋の人権主義・個人主義と異なるところは「人は皆凡夫である」とする 思想であり「人は尊厳ある存在として尊重される」とはしていないところである。 ここでいう凡夫は佛教用語ではないかい? 聖徳の佛教好きは言うまでもないだろ。 ところで凡夫には、みな仏種というものがあって、いずれは悟りにいたるべき存在だ。 これこそが佛教の真髄であって平等感のルーツでもある。(なんと動物まで含めて平等!) したがって聖徳は凡夫にこそ限りない尊厳をもって接すべきと考えていたと思うわけです。 17条の憲法をひいてまで、人権をないがしろにすることもないと思うよ。 せっかく衆議主義とかいうすばらしい信仰をお持ちなのにシメがよくない。 西洋文明の影響が国粋主義的に気にイランのかもしらんが、17条の憲法だって 佛教を含め先進的な大陸(外国)の文化をとりいれた結果のものだろう。 これじゃ聖徳太子もがっかりだよ。
法学でやりこめられ、歴史でバカにされ、最後の砦である神道でもメッキが剥がれたか・・・ 朱子学、起請文、十七条の憲法と、とどまることを知らないトンデモ説は続くよどこまでも 野を越え山越え、谷越えて
猫が来なくなったのは オナニーのやりすぎで 両腕が腱鞘炎になったからだ 間違いない
>>392 禿同。
独自の文字を持たず、外国の文字を変形させて日本の文字としたこの国では、
外国の文化の影響を抜きには語れない歴史がある。
ことさら排除しようとすることに無理が生じる。
>>393 禿同。
気付いてないのは本人ばかりなりw
>>394 禿同。
まあしかし、オナーニくらいは許そうやw
古事記や日本書紀も結局外来思想の影響の下作られたものだよ。 律令制度も幕藩体制も明治憲法も外国の影響を受けている。 歌舞伎や狂言もそう。 完全に日本独自のものなんてあるの?
ななし五連発なので見たが、まぁ外国人なのだろうか・・・。 他国の影響を受けない文化も存在しないだろうが、独自性がない文化もない、ということ ぐらい誰にでもわかることである。 無論日本の場合、さまざまな抽象概念が言語として形成される前に、漢字が入ってきた のであるから、抽象概念や思想という場合、漢字を使って表現されるというだけでなく、 漢語(外来語)が日本語となっている。 単純に言うと、「雨降り・晴れ・曇り」というのはヤマト言葉であり、「天候・気候」は漢語である。 天候・気候に対応するヤマト言葉はない。 日本語とは、やまと言葉+漢語+其の外で成り立っており、当然に外国の影響を受けてい るのである。 であるから、そこに表されている内容において、大陸や半島と思想的共通点があるかという 比較検討が為されなければならないわけで、17条憲法は、言語的にも大陸・半島の 影響は受けている(というよりも漢字だけで書いてある・・・というか文字は漢字以外にない) けれども、思想的には完全に異なることは、理解できるであろう。 なにせ、当時の大陸の思想は、有徳の君主が何事も決められる、としているのだから・・・。 完全に日本独自のもの・・・日本の国土であり、人であり、其の文化だろう。影響を受けている ということは独自であるという意味だよ。個人に当てはめて御覧なさい。あなたはさまざまな人の 影響を受け、しかしあなたは独自のあなたなんでしょう? 誰の影響も受けていない独自のあなたは、他者を認知していないということであって、独自かどう か検討しないでしょう。
>個人に当てはめて御覧なさい。あなたはさまざまな人の 影響を受け、しかしあなたは独自のあなたなんでしょう? 影響受けてるから>思想的には完全に異なることは、理解できるであろう。 とはならないんじゃないの?完全に異なってて影響を受けるなんてあり得ないでしょ
日本の文化の独自性というなら、相当数上げることができる。 特にいえるのは、デフォルメのすばらしさだな。 仁王像などに代表される、怒りや悲しみを表現した仏教彫刻などは基本的に日本独自である。 なぜなら、仏教はそういう怒りとか悲しみから解脱すべきものであるから、日本型というか 神道的思想がなければそもそも作られない。 詩や和歌・物語もそうである。架空の物語は大陸では極めて卑しいものとされているから、 世界最古の小説(そもそもこの言葉が架空の物語を卑下している)は、日本で誕生している。 大陸の詩は、そのような架空の世界を表現しない。 無論浮世絵(特に北斎)の世界美術への影響は、よく知られている。 誇張するということは、デッサンが的確だから可能である。日本の漫画が、世界に通用するのも この歴史的な流れ、的確にデッサンしデフォルメするということがあるからであり、歌舞伎なども その典型である。 現実を的確にデッサンし、改変する・・・これは和魂洋才といわれる日本人の特質として、宗教 科学技術などにおいてもそのように特徴がある。 的確にデッサンしデフォルメするということが可能な思想というものはあるわけで、そういう部分が 日本人において当たり前(常識)だから意識されない。意識されないという部分こそが独自性 である。
北斎が印象派に与えた影響は、デフォルメではなく構成とアングルなのだが?
401 :
れファンクラブ :04/07/14 08:56 ID:5/DljdUP
>>399 「世界最古の小説」には諸説あるのだが、サテュリコンは除外ですか?
402 :
れファンクラブ :04/07/14 09:11 ID:5/DljdUP
>>401 【日本語の表現上の問題について】
401の指摘に対して、れ君はおそらく「日本文化の独自性について大陸との比較で述べているのだからここで言う『世界』とは中国文化圏を
指していると読むべきである」と反論すると思われる。
実際、彼の意図を読み取るための努力と推測を最大限に好意的に行えば、「詩や和歌(中略)大陸では極めて卑しいものとされている『から』、
世界最古の(略」となっているので、『から』で結ばれている後段でいう「世界」を前段でいう『(中国文化圏)世界』と解釈することは、(極めて
難しいし限りなく不可能に近いが)不可能とまでは言えない。
従って、文章の書き方としては修飾語の省略法、語法ともに誤りである。
れの作文では、この類の単語の用法の誤り〜一般的用法での語法で語るべき「地の文」と文脈や状況に依存した単語の用法が許容される部分
の不明確な交代〜が非常に目立つ。そのため読者に単語の意味の誤読を誘発させているということを、れは深く認識すべきだろう。
文章力の向上を切に願うものである。
>>401 ここでは源氏物語をさすことはわかるだろうが、世界最古の長編小説と訂正しましょう。
で、ご存知の通り、それは文字で書かれており、大陸・半島に先んじて日本において、
其の世界最古の長編小説が生まれたのは、物語・フィクションに対する考え方の違い
=独自の文化・・・があったからだという意味ですわ。まぁ話の流れから言うとそ言うことで、
語っているのは影響を受けたであろう大陸・半島との文化の相違についてである。
何について話しているかを理解しないとつまらない指摘が出るのだが、何を語っているの
かを把握する能力の向上と、其の議論への参加を
>>401 -402には切に願う。
れタンの脳内では大陸と半島が世界なんだなw
405 :
れファンクラブ :04/07/14 12:29 ID:5/DljdUP
>>404 402の内容を完全に無視した403の訂正がすごく爽快感のある読解力のなさを感じるでしょう。
れタンはすごいんだよ。
406 :
れファンクラブ :04/07/14 12:31 ID:5/DljdUP
もっとも、402で予想される反論を書いておいたもののここまで予想の斜め下を行くとは思わなかったがw
常人の予想をくつがえし、はるか斜め下を逝くのがれタンの真骨頂です。 たぶんれタンと衆議しても和合するのは我々常人には不可能です。
408 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/07/14 14:28 ID:8y+u9Qkk
しかし、常識的なこと(源氏物語が世界最古の長編小説と言われていること、大陸には小説
などの架空の物語を卑下する文化があること)を簡単に書くと、いちいちうるさし
詳細に書けば長いとか言われるんだが、
>>407 はどっちが望みなんだ?
ところで、なぜ源氏物語が書かれたのか、知っているかな?此れも文化的に重要な意味合いがあると
されているんだが・・・。能書きをたれたんだから、多少は貴殿のその知識なりを披露しな。
どだね、この時期になぜ源氏の君が主人公の長編物語が、書かれたか・・・。
中国における「小説」と、フランス文学からでた「小説(ノベル)」と 日本の明治期以降に出てきた「小説」がごちゃごちゃだな。
410 :
れファンクラブ :04/07/14 15:11 ID:5/DljdUP
このあたりで、諸兄にはれが話題逸らしを出来ないよう話題を最初に引き戻すことを切に願う。
はは・・・茶化すだけでなんも答えないんだ。 そのようなレベルのお人だということで、無視して差し上げよう。
412 :
れファンクラブ :04/07/14 15:35 ID:5/DljdUP
私もあなたの意図や返答など最初から無視して、あなたの記述についてのみ書いているので、わざわざ無視宣言など不必要ですよ。
>>412 了解しました。誰か同じような口調のコテハンさんがおられたが、まぁがんばってください。
きょうのれタンの妄想 >17条憲法は、言語的にも大陸・半島の影響は受けている(というよりも漢字だけで書いてある・・・ >というか文字は漢字以外にない)けれども、思想的には完全に異なることは、理解できるであろう。 仏教の思想的な影響は無視ですか? >世界最古の小説(そもそもこの言葉が架空の物語を卑下している)は、日本で誕生している。 >大陸の詩は、そのような架空の世界を表現しない。 →ここでは源氏物語をさすことはわかるだろうが、世界最古の長編小説と訂正しましょう。 「世界最古の小説」には諸説あるのだが、サテュリコンは除外ですか? 「小説」という言葉を日本で最初に使ったのは坪内逍遙。 最古の用例は『荘子』外物篇でつまらない言説を飾り立てる出世主義者を批判して使われた。 女性が著わした世界最古の小説は、紫式部の「源氏物語」。 多分れタンの脳内から「女性が著わした」が激しく欠落していると思われる。 >無論浮世絵(特に北斎)の世界美術への影響は、よく知られている。 北斎が印象派に与えた影響は、デフォルメではなく構成とアングル。 海外で評価されてるところまでは知ってるが、評価の対象を脳内妄想ででっちあげ。 れタン恐るべし
>>414 れれれのれの出鱈目構文、妄想長文は読むのしんどいから、
毎日とはいわないがときどき講評してくれないか?
今日の「ひと笑い」の一助となるw
>>415 いいでつよ
れファンクラブタンもぜひ!
>愛子さま成長で東宮侍従増員=厚労省事務官を起用−宮内庁 [時事通信社]
> 皇太子ご一家のお世話をする東宮侍従に厚生労働省事務官の吉野隆之氏(43)を
>新たに充てる人事が決まり、12日付で発令された。ご夫妻の長女敬宮愛子さま(2つ)
>の成長に伴い、今年度からの増員が決まっていたもので、今後、幼稚園入園などが
>予定される愛子さまの教育に関する事務などを担当する。これで同侍従は5人になる。
http://news.fs.biglobe.ne.jp/social/jj040712-X243.html 後退死付きの侍従職が増員されたらしい。新しい職員は、厚労省からくるとのこと。
宮内庁採用のキャリアはいないから、各省庁に派遣者枠があり、各省庁は枠内で誰を
派遣するか決めるのだろう。今回は純粋な増員だから、人事院が各省庁と相談しながら
決めたのだろう。他の例に漏れず、派遣職員は2〜3年宮内庁で働き、出身省庁に戻る
のが通例なんだろうな。
宮内庁とは派遣職員が2〜3年の間、腰掛として勤める職場であり、この各省庁の
派遣職員が天膿制の運用を行っていることになる。もちろん、天膿制の運用は、
内閣の指揮監督の下で、総理府や外務省などの省庁も関係して行われるから、
宮内庁にいる各省庁の派遣職員の裁量ですべてが決められているワケではあるまい。
しかし、天膿制の基本部分は、2〜3年の短期間だけ宮内庁で勤める事務方職員が
運用していると言ってかまわんだろうな。
カルト諸氏は、職務において天膿が独自の判断権・裁量権をもっているかの ように言われるが、具体的に天膿に国事行為等の職務を行わせている黒子は、 各省庁からの腰掛宮内庁職員だ。天膿は、各省庁からの腰掛職員に操られ、 いいなりに仕事をしているダケだ罠。 カルト諸氏は、天膿が「元首」だとか「発意権」を持つとか、恥ずかしい妄想を 陳列する前にもっと現実の制度をみるべきだと思う。天膿制の起源がどうであれ、 現行制度上、そのあり方を決めるのは憲法であり、具体的な運用をする権限・責任を 有するのは内閣だ。天膿が内閣から独立したなんらかの権能を有すると言いたいなら、 それを支えるスタッフが天膿直属でしかもある程度の企画立案能力を持たす必要がある。 天膿に独立した権能を認めたいなら、組織的に内閣の管轄下にあり、しかも腰掛職員が 主体の「宮内庁の実態」を批判してしかるべきだ。そのような声がいっこうにカルト 諸氏の間から聞こえてこないのは、カルト諸氏の政治的制度的知識の貧困さから 来ているだろう(藁
>>399 > 仁王像などに代表される、怒りや悲しみを表現した仏教彫刻などは基本的に日本独自である。
> なぜなら、仏教はそういう怒りとか悲しみから解脱すべきものであるから、日本型というか
> 神道的思想がなければそもそも作られない。
これはもう笑うしかない。
チベット密教を知らないようだな。
如来や菩薩は慈悲の表情、忿怒像は強烈な怒りの形相、男性尊と女性尊が絡み付く合体像等、
こういった造形は、チベット密教の深遠な奥義を具象化し、教え導く重要な手段なわけだ。
マンダラの空間に代表される宇宙観を有する壮大な密教の世界において「仏教は怒りとか
悲しみから解脱すべきもの」などと偏狭な発言にはまいるね。
>>419 >チベット密教を知らないようだな。
チベット密教もそうだけど、忿怒面の表情をもつ明王などは密教そのものの特徴のひとつだね。
「怒りや悲しみを表現した仏教彫刻などは基本的に日本独自である。」じゃなく、
空海が日本に持ち帰ったのが密教で、そのとき忿怒相の明王が輸入されたんだよね。
どうして「神道的思想がなければそもそも作られない。」ってなるんだろうね。
>>414 和の思想が仏教にあると思っている馬鹿がいる。
仏教では、何事も人が話し合えばうまくいくという思想はない。
仏教においては、人は皆凡夫ではない。釈迦も、又其れ以外の解脱者も容認される。
したがって、根本の部分で17条憲法と仏教思想は異なる。この理解がない宗教音痴は
まぁ多いかもしれない。(日本人だねぇ、こういう部分に違和感をもてないのは・・・。)
女性が書いたことは源氏物語の歴史的本質ではない。
女性だと書いてかまわないという論拠がない。其れよりも紫式部は誰の庇護を受けて
(研究では多数の女官が清書などを行ない手助けをしているようだ。)
いて、その庇護者と源氏の関係はどうかという部分が説明できないと、源氏物語の不思議
は理解されないだろう。こういう部分に違和感をもてないのも日本人的だねぇ。
後段については、アングルや構図の確かさが評価されているわけではないだろう。
斬新さが評価されているのだから、その斬新さとデフォルメは同質の感覚だろうよ。
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏のアングルと構図が、デフォルメされた感覚であることは
普通に理解されているところではあるが、何か疑問でもあるのか?
>>419 君はどうも密教とヒンズー教の区別がつかないみたいだね。
チベット密教は大乗だよ。
>>420 で、持ち帰った我が国と、その基礎になった大陸で、どう仏教美術は発展したのかということだよ。
中国の仏教美術も、喜怒哀楽を表す数々の宗教画が存在しているといっているのか?
笑っちゃうね。
423 :
れファンクラブ :04/07/15 13:00 ID:bpxyr3FT
誰か翻訳するなり解説するなりしてくれ。 どの部分がどのレスの発言内容に対応しているのか、何を言いたいのか分からん。
きょうのれタンの妄想 >仏教では、何事も人が話し合えばうまくいくという思想はない。 >仏教においては、人は皆凡夫ではない。釈迦も、又其れ以外の解脱者も容認される。 >したがって、根本の部分で17条憲法と仏教思想は異なる。 もはや論理性を放棄して意地になってるだけですね。 >女性が書いたことは源氏物語の歴史的本質ではない。 >女性だと書いてかまわないという論拠がない。其れよりも紫式部は誰の庇護を受けて 世界最古の長編小説という話題はどこへいったのでしょう? 誰が源氏物語の歴史的本質を話題にしたのでしょう?不思議です。 「女性が書いた最古の小説」が、どうしてれタンのプリズムを通すと >女性だと書いてかまわないという論拠がない。になるのかが、とても不思議です。 >後段については、アングルや構図の確かさが評価されているわけではないだろう。 >斬新さが評価されているのだから、その斬新さとデフォルメは同質の感覚だろうよ。 >富嶽三十六景 神奈川沖浪裏のアングルと構図が、デフォルメされた感覚であることは >普通に理解されているところではあるが、何か疑問でもあるのか? 「アングルや構図の確かさ」ってどこから出てくる妄想なんでしょ。 そんなことは誰も言ってないはずですが。斬新さって誰が評価したんでしょうか? 斬新さとディフォルメは同質なんでしょうか?さっぱり分かりません。 >君はどうも密教とヒンズー教の区別がつかないみたいだね。 >チベット密教は大乗だよ。 これは理解不能。なにがいいたいんでしょ? >で、持ち帰った我が国と、その基礎になった大陸で、どう仏教美術は発展したのかということだよ。 >中国の仏教美術も、喜怒哀楽を表す数々の宗教画が存在しているといっているのか? 神道思想がなければそもそも作らないから変わったみたいです。 暑さで尚一層壊れてるみたいです。
425 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 13:03 ID:GUruhqlL
426 :
れファンクラブ :04/07/15 13:07 ID:bpxyr3FT
427 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 13:18 ID:GUruhqlL
>>426 たとえば憲法十七条でいわれてる「和」は儒教からのパクリです。
「凡夫」は仏教からのパクリですね。れタンの場合、こうした構造上の影響力を
激しく無視して神道思想とやらに収斂させてしまいます。
げに恐ろしき所業といえましょう。
>>424 >もはや論理性を放棄して意地になってるだけですね。
極めて一般論を申し上げていますが何か?どこが矛盾しているかを指摘しないあなたが
論理性を放棄していると普通は言いますよ。
仏教思想は人を「皆」凡夫としているんですか?人がどんなに誠意と情熱をもって人のために
働いても真実を知らない行為は意味がない(害悪がある)という法話はいくつもありますが・・・。
源氏物語は世界最古の長編小説とされて「いない」といっているんですか?
というかなぜ、その女性最古でも長編最古でも結構ですが、其れが誕生したのかという
話をしています。なぜ、同じ文字を使っているはずの、しかも彼らのほうが早く使っているのに
日本が最古となったのかということで、そういう文化や価値の違いがあるということを
申し上げています。そうでなければスレ違いでしょう。
偶然だということですか?何を言いたいのですか?
>斬新さって誰が評価したんでしょうか?
へ?此れも極めて一般論として申し上げていますが。斬新さが評価されているのは常識なん
ですが。というか、あの富岳百系を見て「構図やアングルが斬新だなぁ」と思わない美術家
は少ないと思いますよ。
>斬新さとディフォルメは同質なんでしょうか?さっぱり分かりません。
まぁ、分らないんでしょうね。まぁ富岳百系を全部、一枚一時間でも眺めてみれば
分りますよ。
429 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 13:22 ID:GUruhqlL
影響を受けたうえで、日本独自、編纂者独自の解釈によって力点を変えてるというなら 我々凡人にも理解できます。れタンのばあいは「仏教思想は異なる」と言い切ってしまいます。
430 :
れファンクラブ :04/07/15 13:28 ID:bpxyr3FT
>>427 彼の記述内容を以前から観察していると、
・○○はキリスト教由来だから日本的でない・日本人になじまない
・○○は外来思想のようだが実は神道由来
・(日本に於いては)仏教思想・儒教思想は神道思想の下位概念
というパターンが非常に目立つよね。
あと、○○に入る概念が実際にキリスト教由来であるか、神道由来であるかという検証なしに「である」調で断定してしまうから
その後の議論の流れがおかしくなる。
431 :
れファンクラブ :04/07/15 13:29 ID:bpxyr3FT
そりゃ確かに富士山をバックに走る新幹線は絵になりますけどねw
432 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 13:35 ID:GUruhqlL
>>428 オレは美術が専門なのですが、最初から印象派が影響を受けたのが「構成とアングル」といってますよ。
画家によってはドガのように色彩に強く影響された人もいます。北斉が衝撃を持って受け入れられた
主な理由は斬新な遠近法と構成(構図)です。また、最初にオランダに紹介されたのは「北斎漫画」と
いわれており、その精緻なデッサン力が評価されてます。
あなたの意見を読むと、ディフォルメに特徴がありそれが評価されたように読めますね。ディフォルメとは
対象を変形させて表現することであり、美術の世界では構成やアングルとは別なテーマです。
>>427 >たとえば憲法十七条でいわれてる「和」は儒教からのパクリです。
無知とは恐ろしいですなぁ。
こういう無知な方が、何事かを考えるとイイガカリになるという見本ですなぁ。
儒教徳目に「和」はありません。
>「凡夫」は仏教からのパクリですね。
ほうほう、気の毒ですなぁ。抽象概念を示す単語はすべて漢語から来ているのですと
日本語を説明しているでしょう。
人皆凡夫という思想は仏教にはありません。(大乗の大乗
は17条憲法時には存在していません。)
というか日本語とはどういうものなのかさえ無知な上に、儒教思想にも仏教思想にも
見識がない人ですね。まぁよくいるたぐいですが、それにしても程度が・・・。
434 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 13:40 ID:GUruhqlL
>>430 あ〜、そうでつね。確かにそうです。由来を無視してしまってるというか、
たとえば凡夫という仏教用語なのに神道独自っていきなりいっちゃうから
「あれぇ?」ってなりますよね。
435 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 13:58 ID:GUruhqlL
いってるそばから、妄想サンプルをご当人が提供してくれました。 ありがたいことでつ。 >儒教徳目に「和」はありません。 東洋学の中村元博士は次のように語っています。 「この和という主題は第一条のみならず、憲法全体に特徴的なことである。ある学者は、”和”という言葉が 『論語』に出ているところから、その概念も儒教から採られたものであると主張している。しかしながら、 『論語』において”和”はその人の身分にふさわしい礼儀作法を意味している。」 まず、論語に「和」があるから、ないとする見解は完全に間違いです。いうなれば、儒教的な「和」を 独自の解釈で日本的にアレンジしたというなら正解です。れタンの特徴的な言い切りなのですが、 立点が間違えてるからその後の展開がつじつまが合わなくなるのでつ。
>>432 えーまず斬新さが評価されたということをご理解いただき、まぁ当然ですが
デタラメに叩きたい人ではないことが理解できて幸甚です。
>あなたの意見を読むと、ディフォルメに特徴がありそれが評価されたように読めますね。
そうですか?
日本は美術について発展している・・・ということで海外の評価を持ち出しているわけで
すが・・・。文脈を確認してください。
で、発展してきているんですが、鳥獣戯画にしても、仏教彫刻にしても、浮世絵にしても、
漫画(ここではコミックスという意味)にしてもデフォルメが日本は一流ですよね。
架空やデフォルメが許されない文化というものもあるわけです。日本は許される文化です。
文化の比較の話です。北斎スケッチでも、数多くの架空のものが書かれていますよね。
だから、現実にはありえない視点での構図・・・写実ではない絵画が発展するわけで、
そういう意味で、デフォルメと構図やアングルの斬新さは同質でしょう。
手塚治虫という天才は、デッサン力が一流なんですが、そのデフォルメが天才でしょう。
そして、構図において天才でした。それまでの客席から舞台を見るような構図の漫画界に
鳥瞰・俯瞰・クローズアップ窓の映画の手法を取り入れたから天才なのですが、ほら
デフォルメと構図とかアングルの斬新さというのは大体リンクするんですよ。
美術のご専門ならこの感覚は分るでしょう?
ところで、北斎スケッチは、どういう目的で書かれたか知っていますか?まさか北斎の
日常的なスケッチだと思っていないでしょうね。
437 :
れファンクラブ :04/07/15 14:13 ID:bpxyr3FT
>>435 一応、原文も載せておきましょうかね。参考まで、ですが。孫引きも悪いとは言いませんが原文があるにこしたことはないでしょう。
有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也
論語 学而第一 より
どう見ても、十七条憲法のオリジナルに見えますがねぇ。
>>435 儒教「徳目」の徳目という意味がわからないんでしょうね。
「論語に和がある」と「儒教徳目に和はない」は全く無人市内のですが・・・
無知とは恐ろしいものですね。
無人市内→矛盾しない・・・失礼した。
440 :
れファンクラブ :04/07/15 14:20 ID:bpxyr3FT
441 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 14:23 ID:GUruhqlL
>>440 まったくわかりません。
論語と儒教徳目を別のものと解釈してるんですかね?
>>437 そういうことは散々昔から言われていて、全く無関係であるとは言わないけれども
(当然作者はその文言を知っていたということでもあるから)
しかしながら表されている「思想」は、全く違うことだということも常識の範囲なんだけどねぇ。
というかその論語を提示して、ここが第一条の表現の原典だと言う人はいるけれども
第一条の原典だと言う人は皆無だと言うこと。
と言うか常識だからそんなことまで説明しなければならんほど、低レベルな人は、
ここでは下記こまんだろうと思っていたが・・・。
日本語の抽象概念を表す言葉は、ほぼすべて漢語なわけです。だから、思想的なこと、道徳的
なことを書けば、必ず論語なり五経なり何かにそれは出てくるのです。
だから、内容が儒教的であるかどうかが重要で、第一条は全く儒教的ではないでしょう。
443 :
れファンクラブ :04/07/15 14:33 ID:bpxyr3FT
444 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 14:45 ID:GUruhqlL
>>436 >日本は美術について発展している・・・ということで海外の評価を持ち出しているわけですが・・・
意味が分かりかねます。オレは北斎の評価と印象派に与えた影響について論じているんです。
個人的にディフォルメが優れているとすれば、そのように捉えられるでしょ。でも北斎が評価され
印象派の画家に与えた影響は、遠近法を駆使した画角の斬新さです。これが構図とアングルですね。
富岳三十八景には鳥瞰を使ったものもあります。また、架空のテーマで描かれた絵画は日本に限らず
西欧絵画でもみられます。宗教画などは実在しない天使や悪魔などを描いていますね。
>手塚治虫という天才は、デッサン力が一流なんですが、そのデフォルメが天才でしょう。
手塚のディフォルメ技法はディズニーの模倣です。彼がディズニーにあこがれ、技法を徹底して研究した
のは有名ですね。特に初期の作風にはそれが顕著です。
>ところで、北斎スケッチは、どういう目的で書かれたか知っていますか?
「スケッチ」とは何を指すものでしょ?「北斎漫画」のことですか?
445 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 14:49 ID:GUruhqlL
>>443 書いてる内容は近似だけど、思想が全く違うというのもれタンの特徴のひとつでつね。
いやはや・・・でもって違う根拠は特になかったりするんですかね?
>>440-441 はぁ?儒教徳目も分らないのに、そんなにからんでるの?
じゃぁ、その中村博士の
「『論語』において”和”はその人の身分にふさわしい礼儀作法を意味している。」
と言う意味もわからないわけだ。
中村 元 によると、
「ある学者たちは、「和」という言葉が『論語』に出ているところから、その概念も儒教からとら
れたのであると主張している。
しかし、『論語』では、「和」は礼儀正しさないし礼儀作法との関連で用いられているだけで、
主題となっているわけではない。
ところが太子は和を人間の行動原理として提唱したのである。
彼の態度は仏教の慈悲の思想に由来するもので、【儒教とはっきり区別されるべきである】と思
われる。」とし、「聖徳太子の憲法は民衆の福祉を尊重し、民衆に思いやりを注いでいる。」と
のべた。
中村氏は、同書でこう解説している・・
この和という主題は
第一条のみならず、憲法全体に特徴的なことである。
ある学者は、”和”という言葉が『論語』に出ているところから、その概念も儒教から採られたも
のであると主張している。
しかしながら、『論語』において”和”はその人の身分にふさわしい礼儀作法を意味している。
(和は議論すべき対象ではなかったが、太子はこの徳を人間の行為を規制する主要な原理として主
張した。太子の態度は仏教の慈悲の思想に由来するもので、【儒教の礼節の思想と明らかに区別され
る必要がある】)。
http://honda4377.hp.infoseek.co.jp/iori-10.htm より
447 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 15:03 ID:GUruhqlL
確認のため前のレスを読み直してみたのですが、やっぱりディフォルメについて語ってますよ。
>>399 >特にいえるのは、デフォルメのすばらしさだな。
>無論浮世絵(特に北斎)の世界美術への影響は、よく知られている。
>誇張するということは、デッサンが的確だから可能である。日本の漫画が、世界に通用するのも
>この歴史的な流れ、的確にデッサンしデフォルメするということがあるからであり、
>>444 >オレは北斎の評価と印象派に与えた影響について論じているんです。
ここは天皇スレですから、そういうものの文化的な相違と言うものが議論にあがるわけで
・・・其れ以外の議論なら適切な場所へ誘導いただければ応じますよ。
>「スケッチ」とは何を指すものでしょ?「北斎漫画」のことですか?
・・・
>【教えて】皇室の存在意義【下さい】part28
日本人は、序列言葉を発して感覚を刺激し、序列感覚を奮い立たせて仕事に励む。
「義理 (序列) が廃れば、この世は闇だ」と考えている。
天皇制は、家元制度のようなもので、日本人の精神的な支えである。
「上と見るか、下と見るか」の判断は、日本人の常にいたすところである。
それは、日本語に階称 (言葉遣い) があるからである。
ものの上下の心得がなくては、正しい日本語も使えない。
ものの上下は勝負で決まる。受験戦争も、個人格差の検出を求める行為に他ならない。
日本人は、序列判断 (上下判断) が発達していて、理性判断に乏しい。
You can read more at
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
>>447 その引用の一行目と二行目の間には何もないのか?
で、中村博士は
>彼の態度は仏教の慈悲の思想に由来するもので、【儒教とはっきり区別されるべきである】と思
>われる。」
と、和の思想は「仏教であって、儒教ではない・・・と言っているのである。
>>427 の
>たとえば憲法十七条でいわれてる「和」は儒教からのパクリです。
を
>>435 で補完しようと、中村博士を出しているんだが、中村博士は「儒教とはっきり区別される
べきである」と言っているわけだが、まさかここまで 馬 鹿 を披露していただかなくても。
で、
十七条憲法にある和の思想の由来を仏教思想あるいは中国の儒教や老荘思想の中に求める人がいる。
例えば、福永光司氏によれば和の思想は中国の荘子の影響が大きいとされる。
冒頭の「和を以て貴しと為す」は、『礼記』儒行篇の言葉をそのまま用い、
「さからうこと無きを宗と為す」は、『荘子』刻意篇に「さからうところ無きは居の至りなり」、
同じく天道篇に「帝王の徳は天地を以て宗と為す」とあり、「党有り」は『左伝』僖公九年に
「党有れば必ずあだ有り」、「さとれる者」は『荘子』斉物論篇に「唯ださとれる者のみに通じて
一たるを知る」などとある。(『日本の名著:最澄・空海』)
しかし、思想内容そのものを検討してみると、仏教説も儒教説も老荘思想説も、和の思想の由来と
して考えるには無理がある。
和の思想はどうしても仏教や儒教の思想にうまく収まらない。仏教思想は本来無知を克服して悟り
を得るのをその本質としており、「和」が一番大切であるという教えはない。
仏教にはまた慈悲の教えもあるけれど、それもまた「和」とは違う。
また、儒教は「仁、礼、信、義、智」をその徳目としているが、「和」という徳目はない。
また、老荘思想も人為を捨てて自然に生きることを説くのであって、自然との神秘的
な合一のことを「和」と表現していることもあるけれど、人と人の間の「和」を説くものではない。
つまり、思想内容に焦点をあてて見ると、和の思想の由来を仏教や儒教や老荘思想のなかに見つけ
ることは無理。 ということだな。
なにやら源氏物語等の話題で楽しそうに盛り上がっているが。源氏物語って 妄想さかんなヤマト同人女の書いた変態淫乱マザコン・ロリコン小説だろ。 天膿と縁続きの変態貴族(藁)が、金と権勢にまかせて義母や監禁少女等とヤリ まくる話が延々と続く。天膿家やその藩屏の淫乱(天膿が実は間男の種とか)が 赤裸々に描かれる、ヤマトが世界に誇る長編変態宮廷ポルノ小説。なんか解説する ダケでヨダレがジュルジュル、もとい吐き気がしてくる罠。 確かにヤマト同人女の伝統は、いまでも受け継がれている。フランス書房とか、 コミケとかで。もっとも現在では、営業的理由で長編変態小説より短編や絵巻物が 主流になってはいるが(藁 しかし、アズマの伝統までも軟弱なマザコン・ロリコンの変態性文化でくくられるのは いささか心外である。伝統的なアズマの変態性文化は、マザコン・ロリコンではなく、 武士の間で盛んだった男色である、と断言しておこう。鍛え抜かれた勇壮な肉体と肉体 がぶつかり合う躍動感。これこそアズマの伝統的変態性文化にふさわしい(オエ~ 「(軟弱)ヤマト=マザコン・ロリコン ←→ アズマ=男色(勇壮)」ここにも、 ヤマト人とアズマ人との差異が顕著にあらわれている。源氏物語にみられるような 軟弱な変態性文化の伝統は、アズマのものではなくヤマトの伝統である!(
「倭」がどうたらこうたら逝ってるが、そもそも軟弱な「倭」などアズマの伝統 ではない。アズマの伝統とは「士道」であり、その源流となる「男道」である。 伝統的アズマ人はなにより名誉を重んじる。名誉を汚されることは、死に値する ことである。アズマ人が名誉を汚された場合、その相手が同輩であれ主君であれ、 刃を向け恥じをそそがねばならない。「倭」なぞにかかずりわって恥じをそそがないのは、 男道に背く軟弱者のすることである。主君であろうが同輩であろうが、名誉のため にはブチコロす。これこそ勇壮で豪放なるアズマ人の伝統である。軟弱でへなへな したヤマトの奴隷道徳など、断じてアズマ人の伝統ではない!(藁 江戸期パックス・アズマーナ時代に確立した「士道」とは、男道のより洗練された 形である。男道がどちらかと言えば、私怨と結びつきがちだった。男道の 名誉感情を一定の規範と結びつけたのが士道である。アズマの士道は、男道の 伝統を引く精神的伝統であるから、規範によって根拠づけられた名誉を 傷つけられた場合、アズマ人は恥じをそそがねばならない。仇討ちなどは その典型であろう。忠臣蔵のように、主君の恥は将軍の方針にさからってでも、 あくまで主君の仇をぶち殺してでも恥じをそそぐ。これこそ、アズマ人の 潔い精神文化である。ヤマトの奴隷道徳と一緒にするな!(藁
>>451-452 アズマタン
貴殿がきちんとアミノの文献を読んでいることはわかっているが、それでも尚
アズマ人とのたまうのがよくはわからん。
源氏物語は源氏だよ。東国の士道、そしてさまざまな権威の根源は、源氏じゃないのかね。
しかも、藤原氏全盛のときに、源氏が政権をとる物語だよ。そう馬鹿にするものじゃない。
結局被差別民の東国と西国の違いというのは貴殿が書いている、そういうことだよ。
穢れと無関係ではないということだな。(穢れの思想の共有しているんだよ、東国と西国は。
権威の根拠を朝廷に求めれば、穢れに対する忌避は強くなるし、権威の根拠を武家に
求めれば、武家はもともと穢れと直結した集団(人の死に近く、また皮革製品を武具で使用し
身にまとう)だから、穢れに対する忌避は西国よりも弱くなる。
それは文化ではなく、管理主体が貴族か武家かという違いだろう。
で、源氏は其の出自が皇族から臣下になったから権威なんだろう?
>>日本人だねぇ、こういう部分に違和感をもてないのは・・・。
あれほど、日本文化の独自性・均一性を称賛しておきながら日本人を誹謗するとわ・・・
れさんこそ外国人でつか?
>>414 和の思想が仏教にあると思っている馬鹿がいる。
といいつつ・・
>>446 中村 元 によると、
>>「彼(太子)の態度は仏教の慈悲の思想に由来するもので、儒教とはっきり区別
>>されるべきであると思われる。」とし、「聖徳太子の憲法は民衆の福祉を尊重し、
>>民衆に思いやりを注いでいる。」とのべた。
と引用しているところを見ると、馬鹿とは中村博士のことでつか?
>>454 誹謗と読むのは君の勝手だが・・・私は別に誹謗していないよ。
日本人は特別に優れているとも、劣っているとも思っていないし、西欧人や大陸半島の民族
と同様に、各々違いがある(おんりいわん)・・・と思っているから・・・。
>馬鹿とは中村博士のことでつか?
まぁ、そういう誤読がおよびでないのだが・・・。
中村博士・・・聖徳太子の態度とか17条憲法全体に対するもの。
私・・・17条憲法第一条の和の思想に対するもの。
こういう読解力のなさというか、・・・以下略
>>455 さすがに突っ込むぞ……。国語の問題だ。
「彼の態度」とあるが、これを20文字以内で言い換えるとどうなる?
本文に即して言い換えると
>>456 代わってお答えしよう。
和をもって尊しとする太子の態度は仏教から来るものだが、
和をもって尊しとする太子の思想は仏教とは何の関係もないのだよ。
れの脳内では、これは見事に一致するのだ。
てか、れの回答(脳髄反応)はみんな読めてただろ(藁)
459 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/15 22:51 ID:GUruhqlL
>>450 >その引用の一行目と二行目の間には何もないのか?
一行目「 日本の文化の独自性というなら、相当数上げることができる。 」
二行目「特にいえるのは、デフォルメのすばらしさだな。」
日本文化の独自性としてディフォルメを賞賛してますね。
それに続いて「無論浮世絵(特に北斎)の世界美術への影響は、よく知られている。 」
ときています。これを日本独自のディフォルメの素晴らしさのひとつとして、
浮世絵の世界美術(こんな言葉は普通は使いませんが)への影響として語られてると
受け取れますよ。
なんかさ、例のトンデモ教科書でも縄文式土器がどうだの 仁徳天皇陵がどうだのと日本人の優性をやたら強調してたよね。 まあ、まんざら共感しないでもないが、ところで縄文人も天皇の臣民だったのか?
れタンには、いかにして民衆が自由を獲得していったかとか いかにして人権思想を育てていったとか、いかにして立憲主義が 生まれたかとかはあまり重要なことではなく、 天皇陛下を中心にした日本人の美しい和の世界(衆議主義)のみに 興味があるわけだよね。 天皇もいやだろうな、こんな妙な連中に持ち上げられて。 彼はアメリカ人からいろいろ啓蒙を受けてるからな。
>>456 はは、やっぱ酒飲んで書くもんじゃないな。ぜんぜん違うことを書いてしまった。
中村博士の段は以下に訂正。
中村博士の場合、単語とか表現の共通性ではなく内容において評価している。
凡夫が仏教用語だとか、書き方が論語というレベルではない。
従って、馬鹿とかはいえない。私と意見が違うということである。
最大の馬鹿は、論語との共通性を補完するためにに、それを全く否定している
中村博士を持ち出し、しかも引用した馬鹿。
464 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 00:51 ID:tXvY5f6D
きょうのれタンの妄想 本日は少し多めに餌をまいたので、サンプル数が多めです。 >極めて一般論を申し上げていますが何か?どこが矛盾しているかを指摘しないあなたが >論理性を放棄していると普通は言いますよ。 れタンなりに、「一般論」と「学説」を使い分ける知能はあるみたいです。 >源氏物語は世界最古の長編小説とされて「いない」といっているんですか? もはや世界最古の小説には諸説あるという議論はなかったがごときです。 >あの富岳百系を見て「構図やアングルが斬新だなぁ」と思わない美術家は少ないと思いますよ。 いつのまにか論点がディフォルメから構図とアングルに変わっています。 >まぁ富岳百系を全部、一枚一時間でも眺めてみれば分りますよ。 多分「冨嶽三十六景」と勘違いしている。「富岳百系」を書いたのは太宰治。 小説を眺めても分かることは文字が並んでることだけです。 >儒教徳目に「和」はありません。 これはおあそらく、儒教で不変の徳目とされる「五常」を指すものと思われます。 「五倫」を確立するために必要な「仁・義・礼・智・信」ですね。 ところでれタンは後述で「儒教は「仁、礼、信、義、智」をその徳目としている」としています。 「礼」の変わりに「義」を入れ替えている意図がつかめません。論語では「義」は正道論で 語られていますが、それは君子の発揮すべき徳の力としてものもで、徳目ではないからです。 >人皆凡夫という思想は仏教にはありません。(大乗の大乗は17条憲法時には存在していません。) これは全く意味不明です。大乗仏教は紀元後2世紀頃成立し、2世紀頃から中国へ伝わっています。 インド密教は6世紀頃から発展し、大乗教学の理論的帰結を伴い中国や日本に伝来しています。 日本の仏教伝来は538年で、聖徳太子が重用したのは大乗仏教の「法華経」です。
465 :
419 :04/07/16 01:12 ID:???
>>422 アフォデスカーw
日本独自の文化の一例として「れ」の掲げた仁王像の怒りの表現について、
チベット密教の関連を挙げ説明したわけですが、どうしてヒンドゥー教が出るのかなぁ?
頭は大丈夫ですか?
プププ
チベット密教は大乗だね、もちろん。
で、それが何か?
466 :
419 :04/07/16 01:14 ID:???
>>464 バカの世話は大変ですな。
聖徳太子は「勝蔓経」「法華経」を推古天皇の御前で講義し「勝蔓経義疏」「法華義疏」という経典の注釈書を残していますな。
「法華経」には「和合僧」という、仏教教団が平和に運営されることを示す考えがあり、
これが「和」の由来とする説があるね。
「和」は儒教の表現をお借りして仏教の思想を強く反映させたものといえるのかもね。
まっ、諸説あるから結論は俺や「れ」が出すべきものじゃないなw
467 :
右や左の名無し様 :04/07/16 01:26 ID:lG9LtPyZ
猫が来なくなったの オナニーのやりすぎで 腰が粉々に砕けたからだ 間違いない
仏典から来ているか太子独自の思想かは別にしてどっちにしろ 「和をもって尊し」 は 「合議制の優位」を述べているんだよ。実は。 「内戦や暗殺にならないよう、議論で決着をつけようぜ」ってことなんだよな。
それがなんだか今では田舎の談合っぽく 「議論なんかやめてマターリいこうぜ」な感じに読まれてしまって 「何が正しいか考えたりしないでみんなで共犯関係になろうぜ」 「単一の権威に服従するのが利口だぜ」 とか、どんどん堕落してるんだよなあ。
470 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 07:46 ID:U7q2kRmP
>>466 中村さんは仏教学の立場から見ていますからね。
いずれにせよ仏教、儒教の影響抜きに憲法十七条を語ることはできないでしょ。
個人的な感想としては「和議」をことさら強調しているのは、当時の政治風土が
対立を極めていたという背景は無視できないと思います。
みんながステハンを付けてくれていて、やれば出来るジャンと感謝しよう。
>>646 上三つ・・・だから何?
>「冨嶽三十六景」と勘違いしている。
おっしゃるとおりで訂正します。
徳目について。
まぁ儒教徳目には諸説ある。ワンパータンといえば8つだし。
しかしどこにも「和」が大切としている儒教はありませんよ。
というか、徳目と言うのは、個人がもっている徳の項目であって、和と言うのは
そういう部類ではない。個人としての態度は「党派心を捨てる」という行為であって
その二いる全員がそういう行為を行なえば「和」という状況が生まれる。
ということですから、そもそも徳目でさえないでしょう。
で、
>>450 に和についてはまとめていますが、その由来について何も反論はないので
しょうかねぇ。
大乗仏教についての記述はそのとおりですが何か?
大乗の大乗という言葉の意味さえわからないとしたら、日本仏教について
余りにご存知ないのでしょうね。人が皆凡夫(賢愚あわせ持つ)なら、その凡夫が
「和をもって衆議すれば何事かさせぬことはない」とする第一条と、仏教思想は
対立するでしょう?そういう話なんですが・・・意味わかります?
>>470 いや、だからさー
>いずれにせよ仏教、儒教の影響抜きに憲法十七条を語ることはできないでしょ。
って、影響の内容が全然違うと言っているわけだよ。君は第一条は儒教のパクリだと
言っているわけだね。(中村博士は其れを明確に違うと言っているわけだよ。)
私は、【人が党派心を捨てて、和をもって衆議すれば何事森にかなう」とする
17条憲法の第一条は、儒教思想でもなく仏教思想でもない(両方と対立する思想だ)
といっているわけで、そこを理解できないのかなぁ。
まぁ理解できないのは、徹底的に対立を検討しない、日本人の特質ではあるけれども
貴殿がまともに、17条憲法第一条の意味と思想を捉えた上で、その思想と仏教思想や
儒教思想との対立を重く見ないなら、極めて日本人らしい、対立を回避しようとする
信条が露呈されているわけで、其れは和の思想の影響だろう。
逆に、対立が理解できているなら、儒教の影響があるとはいえても、儒教のパクリだとは
いえないわなぁ。
で、最も可能性が高いのは、第一条がどのようなことをあらわしているか意味理解して
いないと言うことだ。
で、
>>466 の言うとおり諸説あると言うことだよ。
仏教の立場から言えば全体を見渡すと仏教思想だという人もいて、儒教だと言う人もいて
・・・だからそういう諸説あると言うことはどういうことかというと、「オリジナルな思想」
だからと見れば納得できるだろう。
表現・文言として儒教の言葉がかかれていたり仏教用語が使われているけれども、思想において
儒教的でも有り仏教的でもあり・・・諸説がまとまらないのなら、思想においてオリジナルだ
と言い切ることは可能でしょうよ。アタマワルイイネー
で、そろそろ17条憲法と天皇との関係に言及しないとスレ違いと批判されるかもしれませんから 書きましょう。 17条憲法の思想的ない部分と言うのは 「人は皆凡夫で賢愚あわせ持つ。だから、誰かが聖だから・誰かが賢だから、何事かを決定でき るとするのは誤りである。又人は党派心があり、悟っているものも少ない。だから皆で衆議して 決定することがよろしい。」である。 国のことを決定するに当たって、誰も何も決定できないとするなら、衆議を開催しその決定を決定 であると認定するものが必要だと言うことである。そういう立場を決定しておかないと、衆議主義 は機能しない罠。衆議の都度選べば良いと言うのは嘘だ罠。衆議したくとも関係者全員を招集しなけ ればならんから、其れは無理だわさ。 17条憲法の頃において天皇(当時はオオキミ)は群臣の推戴によって選出されていた。選出された オオキミが、群臣とオオキミの関係を再度確認すると言う儀式形態が、雄略天皇期にみられ、 継体天皇の即位経緯を見ても、群臣の意向というものが重要視されている。 オオキミの意思によって次期天皇が決定されるのは、17条憲法制定当時以降に見られる事象だ。 権力と権威の分化だな。 衆議を召集し、衆議結果を決定と認定するだけなら、その役割はある一族に固定してもカマワンだ ろう。議長なんて概ね名誉職だわさ。オオキミの即位式の状況の変化(群臣の推戴を必須としてい た時代から、世襲・・・前オオキミの意思の尊重への変化というものがこのころにあるわけで、 其れは衆議主義と無関係ではない。
474 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 12:57 ID:7CphXwwH
仁王像の怒りの表情については、れタンならではの記述の変遷がみられます。 >仁王像などに代表される、怒りや悲しみを表現した仏教彫刻などは基本的に日本独自である。 >なぜなら、仏教はそういう怒りとか悲しみから解脱すべきものであるから、日本型というか >神道的思想がなければそもそも作られない。 れタンのこの文面は次の三段論法で構成されています。 命題として 怒りや悲しみを表現した仏教彫刻は日本独自(大前提) 何故ならば 仏教は怒りとか悲しみから解脱すべきもので(小前提) 神道的思想がなければそもそも作られない 故に 仁王像などの表情は日本型 (結 論) 反論1 「仏教は怒りとか悲しみから解脱すべきもの」は偏狭な発言。何故なら チベット密教には忿怒像は強烈な怒りの形相があり教え導く重要な手段である。 反論2 空海が日本に持ち帰ったのが密教で、そのとき忿怒相の明王が輸入された。 >君はどうも密教とヒンズー教の区別がつかないみたいだね。チベット密教は大乗だよ。 反論1に対する返事がこれ。不動明王がシヴァ神を由来としてるという意味でしょうか? それだと真言密教そのものを否定することになり、この発言意図は意味不明です。 >で、持ち帰った我が国と、その基礎になった大陸で、どう仏教美術は発展したのかということだよ。 >中国の仏教美術も、喜怒哀楽を表す数々の宗教画が存在しているといっているのか? 反論2に対する返事がこれ。すでに小前提が崩れており、反論の素材として「発展」という 継続性に活路を求めだしましたが、重文の報恩寺、楽山大仏、甘粛・四川の石窟群の仁王像の ことは知らないようです。存在の有無にすり替えても一緒、日本型とはなりません。
476 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 14:32 ID:7CphXwwH
れタンは『霊的権威』を主張しているから「れ」なんですね(w バカボンに出てくるお掃除オジサンが由来かと思った
>>476 賛同者は見たこと無いけどな。その単語が彼以外の書き込みに現れた例は無いんじゃないかな。
478 :
右や左の名無し様 :04/07/16 15:23 ID:EIZuTeXs
なるほど。ではなぜ議会制民主主義が日本に輸入されたんだろう。
479 :
れファンクラブ :04/07/16 15:38 ID:kboxCqs2
>>478 旧幕臣が既得権益を守るのに都合のいいシステムだったからだろう。
480 :
れファンクラブ :04/07/16 15:40 ID:kboxCqs2
訂正 旧幕臣組と薩長組との得失の妥協点として都合のいいシステムだったからだろう。
>>474 だってあなた頓珍漢な宗教把握でしょう。
>「仏教は怒りとか悲しみから解脱すべきもの」は偏狭な発言。
と言うような把握の仕方では、話にならない。偏狭も何も、基本中の基本だよ。
で、日本には「仁王像などに代表される、怒りや悲しみを表現した仏教彫刻など」(此れが主語)が
多数あると言うことも理解している?多数ある・・・発展していると言うことで、そんなことは
いちいち書かなくともそういう議論をしようとする人は知っていることなんだけどねぇ。
で、知らないあなたが、チベット仏教にもあるし重文の報恩寺、楽山大仏、甘粛・四川の石窟群
の仁王像もあると言うけれども、別にあったっていいんだよ。けれども、「基本的に」日本独自
だと言っているんだが、そういう基本もわからず、何を言いたいのかな?
ほほえましくもあるんだけど、まぁそういう基本を押さえた上でレスくれないかなぁ。
日本の場合、あなたのように仏教の基本中の基本である解脱と対立すると言うと、偏狭だ
と思う人が多いからこそ神仏習合になった。そういう仏教美術が発展した。
何度もいうけど文化の違いを話しているわけだよ。君自身が私の主張を補完しているわけだね。
そういう日本人だから、ビルマの竪琴と言うフィクションが、日本ではおかしく思われず
ビルマでは大笑いされるんだよ。僧侶が音楽と言うものをやるわけがないと・・・。
鳴り物のことじゃないよ、音楽(楽しみ)は解脱すべきひとつなんだよね。仏教の基本では。
まぁそういうことであなたのように基本を偏狭と思う人が日本人には多い。
それは、聖徳太子の頃と変らんわけだよ。だから、仏教思想と対立する和の思想の次に
厚く三宝を敬えと書ける訳だね。
482 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 16:50 ID:Kt0Pnr4b
れタンへのお願い 昨日は自分の専門分野領域である美術について間違った見解をおっしゃっておられたので つい反論してしまいましたが、オレの基本姿勢はれタンウォッチャーでつ。論理展開の解析の 必要性から合いの手は入れますが、そこをご理解下さい。 また、「仏教は怒りとか悲しみから解脱すべきもの」は偏狭な発言。というのはオレの発言 ではなく、419さんとあなたのレスのやり取りを簡便にまとめたものでつのでご了承下さい。
483 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 17:01 ID:Kt0Pnr4b
れタンの変遷 >仁王像などに代表される、怒りや悲しみを表現した仏教彫刻などは基本的に日本独自である。 >なぜなら、仏教はそういう怒りとか悲しみから解脱すべきものであるから、日本型というか >神道的思想がなければそもそも作られない。 「そもそも(怒りや悲しみを表現した仏教彫刻などは)作られない。」 ↓ >で、持ち帰った我が国と、その基礎になった大陸で、どう仏教美術は発展したのかということだよ。 >中国の仏教美術も、喜怒哀楽を表す数々の宗教画が存在しているといっているのか? ↓ 存在する事実の提示 重文の報恩寺、楽山大仏、甘粛・四川の石窟群の仁王像の ことは知らないようです。存在の有無にすり替えても一緒、日本型とはなりません。 ↓ >多数ある・・・発展していると言うことで、そんなことは >いちいち書かなくともそういう議論をしようとする人は知っていることなんだけどねぇ。 「作られない」「存在しているといっているのか?」から「多数ある」へ変遷を遂げました。 れタン以外で分かる人がいるのでしょうか? >別にあったっていいんだよ。けれども、「基本的に」日本独自 >だと言っているんだが、そういう基本もわからず、何を言いたいのかな? 何が基本的に日本独自なのでしょうか?さっぱりわかりません。
>>483 長レス読まなくて住むよ、ホント助かる。感謝。
れれれの脳みそはきっとそのスジの研究者にとっては貴重な研究対象で
あるに違いないな。
常識でははかりしれない論理展開で相手を戦意喪失させることが
ある意味れれれの高等(皇統?)テクニックだともいえるけどもw
>>483 >何が基本的に日本独自なのでしょうか?さっぱりわかりません。
いや…だから…わかろうとしない人を分らせるつもりはないと、何度も
申し上げているところです。あなたが分らないと言っても、べつにだから分らせようとは
思っていませんし。
あなたが
>神道的思想がなければそもそも作られない。
に拘るなら、神道的思想がなければそもそも作られにくい、仏教思想とは対立する。
と訂正しましょうか。
それとも、逆に、神道的思想(ここでは多神を認め、神仏の喜怒哀楽を認める)「的な要素」
があったから、他国の仁王像も作られたと言うことでも、別に間違いではないでしょう。
または、純粋な仏教思想だけでは(神仏の喜怒哀楽を認める神道的ななにかがなければ)そも
そもつくられない、と訂正しましょうか。お好きにどうぞ。
ようはそういうこと(仏教思想の基本)をあなたが理解していないから「分らない」んでしょ?
密教って喜怒哀楽をありのままに認める宗教じゃね? マンダラ〜マンダラ〜れれれのれ〜
>れタンは爆裂妄想族タン 議論って、何のためにするものだったっけ。 自分の意見を理解しようと努力してくれる人にのみ持論を開陳することって、「議論」と呼んでいいのかな。
488 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/16 21:01 ID:g9iEt7Ar
>れファンクラブさま れタンのばあい、議論を求めてはいません。(たぶん) ご自分の見解を開陳されることが目的と思われます。 なぜなら意味不明のご意見をおっしゃっても、その反論はうけつけませんね。 れタンならではの定型文があります。直近に事例がありますが、 「あなたが理解していない」 「いや、だからサー」 「基本的なこと。」 「別にそんなことは言っておらんが」 「〜をご存知ない」 「笑っちゃうね。」 「読解力のなさ」
外国からとるべきはとりいれ日本風のアレンジでうまくこなしてきた。 聖徳太子の仏教受容なんて天地がひっくりかえるほどの大事件だったろうし、 律令制度そのものも中華帝国のコピー(都城のつくりかただって同じだね)。 明治には優れた欧米の文化を導入し天皇以下なんでも洋風にアレンジされた。 そして戦後は優れた人権思想、民主主義をとりいれて今の繁栄を築いたわけだ。 で、なんでウヨどもは最後に取り入れた人権思想や立憲思想だけを目の敵にして 国粋主義を吹聴するのだ? しかも帰るべきは明治だという。 まあ、確かにそれ以前の権力者は将軍様だし、皇室の宗教も仏教だからな。 国家の基軸を天皇や神道におきたい勢力には確かに都合が悪い。
>>485 横レスすまんです。 何を論議してるのかは存じませんが、
仏を憤怒の相でつくるということは、それが煩悩を打ち降す様を
表現したもので、「神仏の喜怒哀楽を認める神道的ななにか」とは
全く関係ないのではないでしょうか?
仁王は天部ですからともかく、明王の本地は如来ですから
記紀神話の神様のように単に感情から喜怒哀楽に左右
されるような存在ではもはやありません。
まあ、日本の神祇にしても喜怒哀楽とは普通失礼ですから、
荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂などといってあげてはどうでしょうか。
なんかもーテンション下がってしまった。 どうせ議論にならないの判ってるからアフォらしくて。 「れ」は勝手に暴れてなさいって感じ。
相手に対して理解を得ていただくことを放棄したつもりはありませんが、スレタイなどを考慮し メインとなる議論以外の部分での、内容については「見切り」もやむを得ないかと・・・。 どこかに誘導いただけば議論はすると申し上げていますし・・・。
493 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/17 11:00 ID:n3nUnzH2
ほかのスレで、興味深い指摘がありましたので検証してみたいと思います。 「佐倉哲エッセイ集」というサイトとれタンの主張との類似性についてです。 まずはれタンの発言 450 名前:れ ◆r0FmiN9ADk メェル:sage 投稿日:04/07/15 15:27 ID:??? で、 十七条憲法にある和の思想の由来を仏教思想あるいは中国の儒教や老荘思想の中に求める人がいる。 例えば、福永光司氏によれば和の思想は中国の荘子の影響が大きいとされる。 冒頭の「和を以て貴しと為す」は、『礼記』儒行篇の言葉をそのまま用い、 「さからうこと無きを宗と為す」は、『荘子』刻意篇に「さからうところ無きは居の至りなり」、 同じく天道篇に「帝王の徳は天地を以て宗と為す」とあり、「党有り」は『左伝』僖公九年に 「党有れば必ずあだ有り」、「さとれる者」は『荘子』斉物論篇に「唯ださとれる者のみに通じて 一たるを知る」などとある。(『日本の名著:最澄・空海』) しかし、思想内容そのものを検討してみると、仏教説も儒教説も老荘思想説も、和の思想の由来と して考えるには無理がある。 和の思想はどうしても仏教や儒教の思想にうまく収まらない。仏教思想は本来無知を克服して悟り を得るのをその本質としており、「和」が一番大切であるという教えはない。 仏教にはまた慈悲の教えもあるけれど、それもまた「和」とは違う。 また、儒教は「仁、礼、信、義、智」をその徳目としているが、「和」という徳目はない。 また、老荘思想も人為を捨てて自然に生きることを説くのであって、自然との神秘的 な合一のことを「和」と表現していることもあるけれど、人と人の間の「和」を説くものではない。 つまり、思想内容に焦点をあてて見ると、和の思想の由来を仏教や儒教や老荘思想のなかに見つけ ることは無理。 ということだな。
494 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/17 11:02 ID:n3nUnzH2
つぎに「佐倉哲エッセイ集」
十七条憲法にある和の思想がどこから来たのかという問いに対する従来の答えは、仏教思想
あるいは中国の儒教や老荘思想の中に求めるものであった。例えば、福永光司氏によれば
和の思想は中国の荘子の影響が大きいとされる。
冒頭の「和を以て貴しと為す」は、『礼記』儒行篇の言葉をそのまま用い、「さからうこと
無きを宗と為す」は、『荘子』刻意篇に「さからうところ無きは居の至りなり」、同じく
天道篇に「帝王の徳は天地を以て宗と為す」とあり、「党有り」は『左伝』僖公九年に
「党有れば必ずあだ有り」、「さとれる者」は『荘子』斉物論篇に「唯ださとれる者のみに
通じて一たるを知る」などとある。(『日本の名著:最澄・空海』)
しかし、思想内容そのものを検討してみると、仏教説も儒教説も老荘思想説も、和の思想の
由来として考えるには無理がある。十七条憲法には確かに仏教思想と中国思想の影響が顕著
である。しかし、和の思想はどうしても仏教や儒教の思想にうまく収まらない。そもそも、
和の思想の由来に関して、従来の説に仏教説や儒教説や老荘説などの諸説があって一致がない
という事実が、そのことを雄弁に語っている。仏教思想は本来無知を克服して悟りを得るのを
その本質としており、「和」が一番大切であるという教えはない。仏教にはまた慈悲の教えも
あるけれど、それもまた「和」とは違う。また、儒教は「仁、礼、信、義、智」を
その徳目としているが、「和」という徳目はない。また、老荘思想も人為を捨てて自然に
生きることを説くのであって、自然との神秘的な合一のことを「和」と表現していることも
あるけれど、人と人の間の「和」を説くものではない。つまり、思想内容に焦点をあてて見ると、
和の思想の由来を仏教や儒教や老荘思想のなかに見つけることは無理があるように思える。
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/origin_of_wa.html
そのサイトは随分前にここでも紹介していますし、参考にしていますが何か? 面倒くさいときはある程度コピペしてから、省略して書くことは別にいつも(ここに限らず) やっていますし。 もっとも、この際と全体について全面的に賛成と言うことではありませんが。
496 :
右や左の名無し様 :04/07/17 11:06 ID:WPsONqdA
ンナ粗探ししなくてもいいじゃん
497 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/17 11:07 ID:n3nUnzH2
「佐倉哲エッセイ集」でも「儒教は「仁、礼、信、義、智」をその徳目としている」
と書かれており、れタンの書き込みとそっくり同じです。オレは
>>465 で
>「五倫」を確立するために必要な「仁・義・礼・智・信」ですね。
>ところでれタンは後述で「儒教は「仁、礼、信、義、智」をその徳目としている」としています。
>「礼」の変わりに「義」を入れ替えている意図がつかめません。論語では「義」は正道論で
>語られていますが、それは君子の発揮すべき徳の力としてものもで、徳目ではないからです。
と書いていますが、れタンが「仁・義・礼・智・信」ではなく「仁、礼、信、義、智」を
儒教の徳目だとする理由が氷解した思いです。
まぁせっかく紹介していただいたから(top-pageは
http://www.j-world.com/usr/sakura/index.html )
についてご紹介します。(ご本人もリンクフリーであるとサイト内で述べられています)
この人は和の思想と言う言い方をしていますが、私は和の理念と言う考え方です。
17条憲法についての把握は、ほとんど私に近いし、随分と参考にさせていただいた
サイトです。
各宗教への批判も具体的で特に聖書批判は、大変面白く、政治と宗教スレなどでの
議論で大変参考にさせていただき、パクらせてもいただきました。
岡山出身でコンピューター・プログラマー(米国) という事しか知りませんから、その内容について
正確かどうかは、自分の知識と他の書物確認の上で必要な部分は引用し、あるいは自分なりに
改変して書かせていただいております。
私との意見の相違もあります。たとえば17条憲法の中の衆議主義と第三条を、佐倉氏は
矛盾と捉えております。しかしながら、私は矛盾とは捉えていません。
其れは雄略期に確認されている即位儀式から、聖徳太子の頃までは、あくまで衆議によって
オオキミは推戴されていて、太子の頃から「オオキミの意思による世襲」がはじまっている
からです。そこには、権力と権威の分化と言う事象の発生と無関係ではないと、書いています。
他にも多々相違点はありますが、なかなか参考に出来るサイトですので、是非多くのページを
ご覧下さい。
>>479 れタンは爆裂妄想族氏
しかしそんなにコピペしなくとも、サイト名を挙げ、ここがその書き込みのネタだね?
と聞かれれば、「そだよ」と答えるよ。随分前だけど、この際とはここの過去スレで
紹介しているからね。
で、その結果が
>「仁・義・礼・智・信」ではなく「仁、礼、信、義、智」を 儒教の徳目だとする理由が
>氷解した思いです。
ということ?その議論は「和」が含まれているかどうかについてだから、その議論で序列は
無視していいでしょう。単純に順番が違うだけだから。里見八犬伝・ワンパータンでは徳目
は8個だし・・・。
で、あなたに願いしているのは、スレタイや議論内容に即してレスしてくれないかなぁ、と
いうことなんですよ。
なんなら、新しいスレでも建てて、「発言に異議有り」でも(コテ名が入ればルール違反だ
けど)とか、「発言の出自探し」とかやっていただいて結構だけれども、このスレはそういう
スレじゃないわけで、そのあたりをわきまえていただきたいなぁと思うわけです。
「ウォッチ」して叩くなり批判するなりは、別スレに誘導していただければ付き合いますと
約束しているわけで、例えば可笑しな発言があったが、しかし議論と直接には関係しない場合
に、ここにその旨「異議有り・誘導先URL」を書くとかいった具合でやればいいんじゃないの?
で、どうしても其れもイヤだ、このスレで「れ」のウォッチと、議論スレタイに無関係なことでも
批判を展開したいと言うなら、皆さんに迷惑だから、私はネタフリを自粛しますよ。
500 :
れタンは爆裂妄想族 :04/07/17 12:17 ID:n3nUnzH2
>>499 れタンへの返答
>しかしそんなにコピペしなくとも、サイト名を挙げ、ここがその書き込みのネタだね?
>と聞かれれば、「そだよ」と答えるよ。
オレがそうした理由はふたつあります。ひとつはあなたが議論をする姿勢があるのかという
疑問を持つ意見があり、(オレも同意なんですが)あたかも自説であるかのレスであったこと。
ふたつめは素材として引用するレベルではないと判断して掲載しますた。
>あなたに願いしているのは、スレタイや議論内容に即してレスしてくれないかなぁ、と
>いうことなんですよ。
何人かの方かた賛同のレスをいただいていますので、微妙なところです。おっしゃってる意味は
分かるのですがあなたのレスは非常に分かりにくいものが多く、なおかつ長文であるために
理解するのが困難です。また、ご本人の意図は別としてレスの論旨がそのたび毎に変わるように
読めます。(例えば仁王像の件)そうした問題解決の一助になればというのがオレのスタンスです。
>>500 了解しました。当分の間、ネタは書き込みません。誰かが振ってくれた議論に参加するのみと
いたします。
長文レスの弊害。 学者さんが綿密に内容を吟味し検討し推敲を重ねた文章であれば、使用語句の概念・定義、 多義語の用法、論理性等、さほど口を差し挟むべき項目も少ないと思われる。 が、れれれのれを含めた我々一般人レベルの人が長い文章を書けば、いたるところに疑義が生じ 論点が複数生じてしまうもの当然ではある。 その論点すべてを詰めていくことは、レスを等比級数的に増加させるだけで 何の解決にもならない。 レスは論点を絞り、短文とし、少なくとも相手に論旨が伝わるよう心がけ、 とりわけ同時平行的に複数の論点を議論する愚は避けるべきである。
504 :
れファンクラブ :04/07/17 19:30 ID:4WG9tg77
>>502 その通りだな。
やっかいなのは、記述内容が整理されて結果的に長文になっている例と、整理されていない内容故に長文に
なってしまっている例と、一言長文と言われても性質が違うことを理解できん人がいそうなところですな。
内容と文章の長さは反比例する。 ソクラテス
506 :
右や左の名無し様 :04/07/17 21:53 ID:grzQ3zBf
イギリス兵による捕虜虐待事件が発覚した時、英軍の幹部が兵に対しての戒めの言葉で、 「女王陛下の軍(ry」と言っていたが、軍人の精神を引き締め、 統一する際にはかなりの効果があると思われ。 どんな事であれ、極限の状態になった時、結果を左右するのは精神的強さだと思う。 また、過去の栄光や精神的統一を示す事により、精神的強さを補強する事が出来ると思う。 そういった意味で、皇室は精神的象徴になり得るし、非常に重要だと思う。 日本が安保条約でアメリカに依存しきっている現状では、不必要と言われても仕方ない。 だが、今後、日本が自立していけば、懐刀としてかなりの期待が見込めると思うし、 同様の理由で廃止すべきではないと思う。 いきなりの長文、失礼しますた。
仏蘭西兵は「我が共和国軍」って言うじゃん。 何も王や天皇だけが精神的強さを補強する手段じゃねーべ。 家族や恋人を守るでもいいし。 英吉利だけ例に出されてもな。
まあ、れタンの長レスが実はパクリとコピペであったことが暴露されたわけでつが >>人間は皆凡夫であり、それゆえ誰も自己の正義や価値観を他人に押し付ける権利をもたない、 >>また他人の意見が自分と違うからといってそれを排斥してはならない、むしろ、皆和して衆議に >>よって得られる理によって共同体を運営せよ 衆議主義の信奉者たるれタンはどう見ても自己の正義や価値観を他人に押し付けようとしてたし、 議論が平行線になると、すぐ意見が自分と違うからといってそれを排斥するような態度をとって いたし、だいたいが和して衆議するというスタンスが全くなかったよね。 というか衆議によって得られる理ってなに? これって民主集中制のこと??
509 :
右や左の名無し様 :04/07/18 00:12 ID:AaoXFN25
>>507 確かに、フランスの歴代皇帝は悪人が多く、国民の力でそれを追放し、
共和制に移行したというのは統合や象徴になり得ると思います。
アメリカも、宗主国を倒し、王制国家全盛の時代に、
それらの国を抜け出した庶民が頂点に立ち、自ら国を治めたという栄光や、
奴隷解放を表す「自由」という言葉を、統合及び象徴として使っていますし、
象徴=王制とは言えないのは事実です。
しかし、全軍人或いは、全文民の統一の象徴になり得る対象とは、
どれも過去の戦闘での勝利及び大義、市民が団結して悪政と戦った歴史であると思います。
特に戦争においては、
「開戦に到った経緯」「何の為に戦ったのか」「何の元で戦ったのか」
が重視されると思います。
アメリカは、
「相手国が自由を侵したため、それを守るために、自由の元で戦った。」
という場合が多いように思います。
日本は、大東亜戦争及び日露戦争で、
「相手国が亜細亜に危機を及ぼした(また、その危険性がある)ため、
亜細亜及び日本の地を守る為に、軍を統率する天皇陛下の元で戦った。」
という大義だったと思われます。(正当性等は抜きにして)
この時代以外の戦争は、大した戦果を挙げていませんし、古すぎて大義がいまいち伝わってきません。
ですから、近代日本の礎を築いた「天皇陛下」という存在以外で、
軍人の士気を高める事ができる対象は無いように思えます。
日本では、悪政と戦い、革命を起こした歴史はありませんし、
有事の際に全文民を統一することはできないでしょう。
なので、「天皇陛下」を使わないと、有事の際に国民がバラバラになると思います。
テレビでとあるフランス人が年金や天下りの問題に触れ、
「他の国だったら革命が起きてる」
と言ってましたが、その通りだと思いました。
革命ができれば、自分たちで象徴を作り出すこともできるんでしょうけども、
それができない以上、皇室に頼るほかは無いような気がします。
510 :
右や左の名無し様 :04/07/18 04:03 ID:5T8ctp7W
フランス皇帝? ナポレオンのこと? フランス王じゃなく?
>>502 瑣末的論点をすべて詰めていかなければならんとする前提が間違いである。
>>504 其れを貴殿が理解しているとは思い難い。
>>508 元ネタのサイトも紹介しているんだから、人に聞いていないで其れを読め。
そんなことを聞くようでは、前段の批判などできないだろう。
512 :
右や左の名無し様 :04/07/18 10:30 ID:+kLAKkoY
コピペと言えば、wikipediaの記事を丸々コピペしたのをバラされてファビョってたコテがいたな。 亀何とかって言ったっけ。w
>>509 あなたがそういう気がしたりそう思ったりしてるのは分かりましたが、私はそうは思いません。
>>511 >瑣末的論点
そんなことありません
>理解
そんなことありません
>>元ネタのサイトも紹介しているんだから、人に聞いていないで其れを読め。 でわ、今後れはこのネタでカキコすることわないわけだ。 れの場合、ヤスクニも国家も天皇もなんでも結論わ衆議主義ダタカラナ。 政治思想版でまた名物コテハンが撤退か。残念だね。
猫が来なくなったのは オナニーのやりすぎで 枯れ果ててしまったからだ 間違いない
>>518 保守考が書き込まないからじゃないか?れじゃ相手にならんだろうし
>>517 当分の間がどの程度かは、私の主観による。
どちらにしろ猫が来なくなったのはオナニーの やりすぎだということで結論が出たようだ。 皆も気を付けろよ。
522 :
右や左の名無し様 :04/07/19 18:08 ID:3+dlug1v
>>513 要は、代わりの象徴を作れと。
それができないなら、今の制度に従え。
れタンはNHKに抗議しなくちゃw 国家神道なんて存在しないってw
526 :
右や左の名無し様 :04/07/22 04:17 ID:cFu6A+Vq
もれは、日本の下級階層が今まで革命を起こしたことがないのが納得がいかないというか、 むしろ恥だと思っている。 流血革命は時代遅れにしても、国民が武力蜂起したら旧政体は降伏し、 下のほうから意見をくみ上げたものが新政体になるというような無血革命すら起こっていない。 だから、天皇を象徴にしてまで日本国民を統合しておくのに反対。 逆に言えば、そうでもしなければ統合できない日本なのだったら、別れたほうが100倍まし。 とは言うものの、実際に下層階級が革命を起こしたら、その革命の記念碑なんかが 新政体の象徴となり、日本国民が新政体の元に統合する象徴にはなりそう。 北朝鮮の主体思想塔なんかも「政体および国民統合の象徴」の一種なのかな。
まだこんなのがいたんだね
>>525 どうも君は私に粘着しているようだが、「国家神道などない」といった覚えはないが・・・。
まぁ、あるとかないという前に、国家神道とは何?と質問すると明確に答えられない
人ばっかりだから、それ以上議論が進展しない。
私は国家神道とは宗教たる神道から、国家儀礼としての振る舞いを抽出したものであると
考えているが、何か?
(-o- )/ ⌒-~ ポイ!
530 :
右や左の名無し様 :04/07/25 05:51 ID:JtUhOQWc
そろそろ、れタンの勝利宣言が欲しい
今更ながら、園部の『皇室法概論』を若干立ち読みしてきたよ。 つーか、園部自身、天皇は、それが明白に違法だろうと、内閣の決定に従わなければならない(108-109頁) と書いているじゃん。 内閣は、無論、手続き、内容共に違法な助言をすべきではないが、「だから」天皇はこのような助言を 拒否できる、という立場を明白に退けている。理由は、違法な助言であると判断する権限は天皇にはないから。 即ち、俺やアズマがさんざん言っていたのと全く同じ見解だね。わざわざ樋口を探しに行かなくても、 保守氏がさんざん引用していた文献に答えが書いてあったわけだ。 しかし俺は園部説と全く同じ説を唱えていたにもかかわらず、よくまあ保守氏は俺の見解を 電波だのなんだの言えたものだ。園部=猫説を採用しない事自体はかまわないが、 自分が依拠している本の見解を電波だとけなしてどうする(笑 しかし、手元にあって、さんざん引用している本なんだから、ちゃんと読めばいいのに。 そのものずばりの論点が書いてあるのに、全く触れないですますような態度はどうかと思うけどね。 単に、ちゃんと読んでないだけなのかもしれないが。 他にも、従前の園部の引用に関して、おいおいと思う箇所もあったが、まあそっちはおいておこう。
533 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 21:28 ID:Enzzzh9E
>>532 何を今更言ってんだろうか?
園部は樋口と同じく、『儀式』について問題にしているのであって(勿論、君が儀式について
触れたとき、公示行為と儀式行為は本質(実定法上の)において異なるから、別個に考察しなければならない。と
私は、言明している)公布(公示行為)について言及していると捉えるのは、どうかな?(という疑問が私としては残っている)
※この話は、以前にマサカド氏が、園部を読んだ後のレスに対するところで、ちょっと触れた。
園部はその頁で
「内閣が仮に政治的な意味を有する儀式を国事行為として天皇に行なうことを助言した場合であっても、
天皇は「内閣の助言とおり行動すべきであって・・・・・・」
に続き、
「助言が違法であることが明らかであっても当該行為(注:当該行為は無論、儀式を指す)に対する拒否権は
ないことになる。
憲法典には、儀式を行なうとしか明示していない。そのことを踏まえて、園部が指す「明らか」が何を意味しているのかの
説明は見当たらない。樋口は、近代憲法学云々、憲法Tにおいて「明らか」を明言していない。
前に、樋口が「明らか」を明言していると言った猫氏は「明らかにウソをついた」ので
はっきり言ってやる気がしない。といったところだが、樋口の教科書に於いて、法に対する解釈権を
有する存在は司法と憲法典が明示しているという説明に遵えば、無論、天皇に解釈権がないの得心出来る。
しかし、芦部注釈に於いて(頁数は忘れた)天皇が仮に、公示行為(公布)を拒否した場合、
天皇を裁く実定法上の根拠がないことから、天皇の拒否行為を無視して、行政権を有する内閣の意思によって
内閣がその判断で、公布しても問題ないとしている。
要するに、国政に関する権能を有しない天皇が、裁可(という行為)しようが拒否(という行為)をしようが
何も問題ないことになる。したがって、天皇の拒否行為が実定法上、その存在意義に何ら影響を及ぼさない事を意味する。
534 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 21:32 ID:Enzzzh9E
因みに、アズマに同調している猫氏は アズマが唱える 「天皇は内閣が代替わりする毎に、その存在的スタンス(お言葉の内容をころころ変えたり) 変える、変節漢」だと主張しているのか、はっきりとしてもらいたいな。
>>533 はあ、相変わらず憲法学が出来ない人だね。
>園部は樋口と同じく、『儀式』について問題にしているのであって
儀式は例示だね。儀式以外は当てはまらない、とどこからよめるのかね?
>公示行為と儀式行為は本質(実定法上の)において異なるから、別個に考察しなければならない。と
>私は、言明している
だから?根拠は?樋口も園部も例示として儀式を挙げているだけだよね。
公示と儀式が、助言承認問題に関して本質的に異なると云っている学者はいるの?
>前に、樋口が「明らか」を明言していると言った猫氏は「明らかにウソをついた」ので
は?どこで?君は、日本語能力が著しく低いんだから、安易に他人を嘘つき呼ばわりするのは感心しないね。
>内閣がその判断で、公布しても問題ないとしている。
それが君の議論とどういう関係にあるの?
>要するに、国政に関する権能を有しない天皇が、裁可(という行為)しようが拒否(という行為)をしようが
>何も問題ないことになる。
一体何が要する」なの(笑
ど素人の憲法解釈につきあってあげているんだから、勝手に「要」しちゃだめだよ。
536 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 21:50 ID:Enzzzh9E
>>535 ?
例示?
何故、両者とも例示が「儀式」になるわけ?
私は、憲法典に明示されている部分をちゃんと指摘して説明しているのだから
君がその核心(儀式と公布が同じ)を論じてくれんと・・・イヤハヤ。
それと、樋口は何処で、「明らか」と書いているわけ?
>一体何が要する」なの(笑
プロ(?それで本当に飯を食っているとは思えんが(笑)なら、素人が何を言っているか
汲んでくれないと。取りあえず、芦部は読んだの?
大体、例えば樋口が何故儀式を例としてあげているのかわかっているのかね。 例えば首相任命、衆議院解散、そして樋口は挙げていないが、法律の公布といった天皇の意思が 全く介在する必要がない完結した行為は天皇が内閣のロボットになることに議論の余地がない、 と樋口は云っているわけだ(近代憲法108頁)。 儀式を問題としているのは、それが天皇の政治利用につながりかねないからだよ。 このような場合に関して、内閣が天皇をロボットにすると云うことは天皇の政治利用を意味する可能性があるわけで、 −当たり前だが、法律公布の場合は天皇の政治利用云々は問題になり得ない− この場合は、天皇にロボットにされずに、憲法尊重擁護義務から発生する拒否権的なものが 認められるのではないか、という議論な訳だ。無論、樋口も園部もそのような権利は認めないが。 法律公布の場合には、天皇には拒否権があろうはずがないことは、自明の前提なんだよ。 翻って、政治的な性格をもつ儀式の場合に、天皇がどう振る舞うべきか、というのが問題となっているわけだ。 儀式は拒絶できないが、公布は拒絶できる、という議論は単に電波議論だよ。 樋口や園部の議論に従って論じれば、公布は拒絶できないのは当たり前だが、しかし儀式については 争いがあるよね、という議論な訳だ。
538 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 21:53 ID:Enzzzh9E
>公示と儀式が、助言承認問題に関して本質的に異なると云っている学者はいるの? じゃあ、何故、色々な憲法学者がその教科書で、国事行為の各行為を分類しているんだ?(ぷ
>例示?
>何故、両者とも例示が「儀式」になるわけ?
>>537 でかいたね。園部は今手元にないからなんともいえんが、樋口は、よんだのなら、
何故儀式を俎上に挙げているかすぐ理解できると思うが。
>私は、憲法典に明示されている部分をちゃんと指摘して説明しているのだから
は?どこが?
>それと、樋口は何処で、「明らか」と書いているわけ?
は?
>素人が何を言っているか
>汲んでくれないと。取りあえず、芦部は読んだの?
素人が何を云っているかはくめるが、「日本語能力のない、論理的思考能力のない」しろうとが何を云っているかを
くむのは多大な労力を要するね。芦部に関しては調べても良いが、まずねページ数の提示−出来ないならこっちで調べるが−と
芦部を引用して、「何が云いたいのか」をはっきり述べてもらわないとね。
540 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 21:57 ID:Enzzzh9E
>法律公布の場合には、天皇には拒否権があろうはずがないことは、自明の前提なんだよ。 だから、その前提は、これまで何度も説明してきた通り 公布の条件である、法律の制定の権限を内閣が持たない以上、内閣が偽法律の公布を 助言出来ない。から来ているんだよ。 で、樋口はどこで、「明らか」と書いているわけ?
541 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:00 ID:Enzzzh9E
>>539 君ははっきりいって、議論する気がないでしょ。
ぶっちゃけ、私も最近ヒマじゃないんで、素人(厳密な意味で)の自己マンに付き合ってやる
義理はないよ。
また、非常にヒマになったら、レスしてあげるね(笑
>>538 >じゃあ、何故、色々な憲法学者がその教科書で、国事行為の各行為を分類しているんだ?(ぷ
君は馬鹿だね。各国事行為を分類したからといって、各国事行為が全く異なって性格をもつわけではあるまい
−もしそうなら、最早国事行為というカテゴリーが観念不可能となる−。
仮にね、助言の拒否が可能な国事行為とそうではない国事行為という分類がなされるならば
−樋口が想定している反樋口的学説はそのようなカテゴリーを行い、儀式が前者に属し、他の行為は後者に属する−
君の議論は意味があるよ。実際は、各国事行為の分類を行う際に、助言の拒否が可能・不可能という基準は
立てられていないだろ。国事行為が分類されていることから、公布と儀式は本質的に違う、
などとはいえんよ。
>公布の条件である、法律の制定の権限を内閣が持たない以上、内閣が偽法律の公布を >助言出来ない。から来ているんだよ。 馬鹿だねー。園部は、天皇は法律に対する判断権を持たないと云っているだろうに。 良くまあそんな馬鹿な説を繰り返し述べられるものだ。 いい加減反論したら。 一体、天皇は解釈権がないのに、どうやって内閣の助言が違法だと認定できるのですか? >で、樋口はどこで、「明らか」と書いているわけ? は?抑もそんなこと俺は書いてないですが。「明らか」に固執しているのは君だろ。 >君ははっきりいって、議論する気がないでしょ。 そりゃ、君は園部の云っていること理解してないでしょ。 まず園部の云っていることを理解しなよ。
>また、非常にヒマになったら、レスしてあげるね(笑 というより、日本語能力を身につけてからのレスを期待したいが。 ま、本当にレスする気があるならいい加減そろそろ、 一体、天皇は解釈権がないのに、どうやって内閣の助言が違法だと認定できるのですか? という問に答えてほしいものだ。
545 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:16 ID:Enzzzh9E
>>542 それは、各学者が国事行為をさらに分類している説明になっていないよ。
儀式について、憲法典は「儀式を行なふこと」としか明示してないから
それを助言する内閣にその解釈を建前上、委ねていると出来るから、
(樋口は解釈権を内閣は持たないという説を唱えるが)実際上内閣が解釈している事を
鑑み、更に、天皇に解釈権はないという前提を踏まえれば、
「儀式」について、天皇は内閣に従うしかない事になる。
しかし、公布はどうか?
散々説明してきた通り、公布の前提になる法律の制定権を内閣が持たない以上、
内閣が天皇に偽法律の公布を、求めることは出来ない。
従って、内閣は偽法律を公布したい場合は、内閣が自身の責任に於いて、
勝手に公布すれば宜しい。
よって(要するに)天皇が裁可(という行為)しようが拒否(という行為)をしようが
内閣がしたい違法行為に全く関係ない。
546 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:18 ID:Enzzzh9E
>>544 「明らか」という言葉は事実判断であって、何も「解釈を要しない」。と
散々、言ってきたが・・・・。
早く、日本語を覚えてね。
もう、半ば諦めているが(笑
>「明らか」という言葉は事実判断であって、何も「解釈を要しない」。と >散々、言ってきたが・・・・。 (笑 あなたのお国では、例えば、検閲制度−これが憲法違反なのはそれこそ自明だが−が 憲法に反すると考えるのは事実判断だ、というのですか。 本気で言っているなら、憲法解釈以前だな。 事実判断というのは、テーブルの上にリンゴが一個ある、とか、AがBに切り傷を与えたとか、 AがB会社から購入した車が火を噴いて爆発したとか(購入は厳密には事実判断の対象とも言い切れないが) そういうことだよ。 まじめな話、君は法律用語がほんの少しもわかっていないんじゃないの。
548 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:24 ID:Enzzzh9E
P26 レス番46より >この俺の主張の典拠に関してはずいぶん前から樋口の文献(とりあえず『憲法』)を指示しておいた。 >判断権がない以上、「明らかな不法な助言」を拒否することは出来ない。 ↑ 一体これは何ザンショ?
549 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:28 ID:Enzzzh9E
>>547 はぁ?
マジで、日本語の判らない人とは、これ以上何も言う事はないよ。
>これが憲法違反なのはそれこそ自明だが
さて、この「自明」は解釈を有している。と判断している人は誰でしょうか?
>>545 >散々説明してきた通り、公布の前提になる法律の制定権を内閣が持たない以上、
>内閣が天皇に偽法律の公布を、求めることは出来ない。
そうだね。園部も同趣旨のことを書いているね。内閣の行為規範として、その助言が手続き・内容とも合法でなければならない
−うろ覚えだが−と書いているね。
>従って、内閣は偽法律を公布したい場合は、内閣が自身の責任に於いて、
>勝手に公布すれば宜しい。
はあ?あいかわらず論旨が飛ぶね。問題は「内閣の違法な助言に対して天皇はどう振る舞うべきか」
であって、「内閣は違法な助言をどのようになすか」ではないよ。
後者について議論したいなら、ホームページでも作って勝手にやってください。
551 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:31 ID:Enzzzh9E
例えば テーブルにりんごが一個ある。 A「君、テーブルにりんごが一個あるのは、明らかだろ?」 B「はい。明らかです。」 A「では、りんごが二個ない事は、自明だよな?」 B「は、はい・・・・・。自明です。」
>>548 相変わらず日本語能力がいちじるしく低い。
前後もコピペしてね。
従って、このような判断権を天皇に与えることは出来ない。
この俺の主張の典拠に関してはずいぶん前から樋口の文献(とりあえず『憲法』)を指示しておいた。
判断権がない以上、「明らかな不法な助言」を拒否することは出来ない。
樋口は明らかな不法や明らかでない不法の区別をしない−というより保守氏的議論だと
明白・非明白の区別の基準が天皇に委ねられてしまうことになるので(注)−で、そもそも天皇に
判断権は存在しないと全称判断的に語っているので、少なくとも樋口説は間違っている、
或いは、樋口は「明らかな不法」と「ただの不法」を区別するべきであった、と論じない限り、
保守氏の見解は間違っていることになる。
これを読んで、樋口が明らかな不法について語っている、と読む人はいなかろう。
そこまで汚いことしてまで議論に勝ちたいのかね。
>>549 >マジで、日本語の判らない人とは、これ以上何も言う事はないよ。
何故きみはそこまで法律の勉強をしたがらない?
少しでも法律やれば、法的三段論法くらい学ぶだろうに。
>さて、この「自明」は解釈を有している。と判断している人は誰でしょうか?
は?何を云いたいんだ。
とりあえず、法的三段論法について語ってみ。
554 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:35 ID:Enzzzh9E
>>550 >下段
それは、芦部注釈だよ。(つまり、当該図書の3・4・7条だね)
まあ、HPでやるよりも、読んだらいかが?(自称プロならさ 笑
>>551 うん、それは事実判断だね(笑
で、どうしたの?
例えば、内閣が国会の議決なしに法律公布の助言をしようとした。
これは事実行為だね
−正確に云うと、「議決」は解釈を要する以上(例えば警察法改正無効事件を参照せよ)事実行為というのは正確ではないが−。
で、これが事実行為だとして、だからなんなの?
天皇は内閣の助言に従わなければならない、という大命題があるわけだが、このことと、この事実行為はどういう関係にあるわけ?
保守氏の脳内だと、リンゴが机に一個あるという事実判断だけから、それが違法であるとか 合法であるとか認定できるらしい(苦笑
557 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:44 ID:Enzzzh9E
>判断権がない以上、「明らかな不法な助言」を拒否することは出来ない。 で、この「」内は何を意味するわけ? 君の脳内設定を公言しただけかな。 であれば、樋口を引用したという文言に続けるのは、不適切だよ(笑 >下段 何故、事実判断を、解釈論である法三段論法に合わせなければならないのか 意味が判らん。 まあ、あえてするのであれば 内閣は法律を制定出来ない。(41条) 内閣は制定されていない法律を公布するよう、天皇に助言できない。(41・66−3・73−1・99条他) 従って、天皇は制定されていない法律を公布する事は出来ない。
558 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 22:50 ID:Enzzzh9E
事実行為と事実判断の違いを出来てない人に 何を、どう説明しなければいけないのだろうか・・・・orz
これは学部一年生レベルの議論であって、実際の法解釈はもっと複雑であることが指摘されているが、 まず基礎から確認していこう。 法解釈は、原則として以下の順序でなされる。 規範命題の提示→事実認定→法的結論 例えば、「リンゴを机に置いたものは(行為規範)、死刑に処す(裁判規範)」という法規範があったとしよう。 これが大前提である。 小前提として、事実認定がなされる。例えばAが机にリンゴをおいたとか。 そして結論として、Aの行為は先ほどの法規範における行為規範に合致するから、Aは死刑に処されるべし、 という結論が出る。事実認定だけでは、違法とも合法ともいえないのである。 単にAがリンゴを机においたと云うだけで、それだけでは、それがいくら自明であろうが、なんの意味もない。 リンゴをリンゴを机におくという事実行為と、机においたら死刑という法規範が結びついて、 初めて法解釈はなされるわけだ。 実際には、事実認定にも解釈の余地が存在する。即ち、「机」や「リンゴ」の内包はどこまで及ぶか、 という問題である。例えば、いすの上に置いた場合はどうか、リンゴのたねだけおいた場合はどうか、 という問題である。 法解釈が自明だと言えるのは、誰がどう見ても机の上にリンゴをおくという命題の意味が明らかであり、 そして誰が見てもそれに合致した行為が存在した場合である。
>>556 >君の脳内設定を公言しただけかな。
寧ろ君たちの脳内設定だよ。
>であれば、樋口を引用したという文言に続けるのは、不適切だよ(笑
不適切だとしても−別にそう思わないが−樋口が「明らかな不法」について語っている
と読むはずがないが。
>事実行為と事実判断の違いを出来てない人に
>何を、どう説明しなければいけないのだろうか・・・・orz
は?理解できていないのは君だろ。
>従って、天皇は制定されていない法律を公布する事は出来ない。
はあ?樋口も園部もその結論し退けているだろ。
理由は、「天皇には解釈権がないから」。何回も書いたが、俺も同結論だ。
君の理屈だと、樋口も園部も事実行為や事実判断のなんたるかがわかっていないことになるが、
その結論はおかしいと思わないのかね?
561 :
右や左の名無し様 :04/07/26 22:59 ID:0mKKge8v
>>559 知識馬鹿にはそこまで説明しなきゃならんのか?
コリャ大変!
562 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:03 ID:Enzzzh9E
>>559 だから、始めから君に聞いているのだが
内閣が、制定されていない法律を、天皇に対し、公布を助言した時
この違法行為(モトイ、君の言からは、違法かどうか判らない行為)について
早く、その行為が合憲だったと、弁護を始めてくれよ(笑
>>561 実際、法的三段論法を保守氏は理解してないだろ。
正直、エンギッシュの「視線の往復」の方がよほど説明しやすいのだが−法的三段論法は
あまりにも嘘くさい−、さすがに学部一年生以下には法的三段論法からやってもらわないと。
>早く、その行為が合憲だったと、弁護を始めてくれよ(笑 合憲などと一言も言ってませんが。 内閣の行為が違憲であったかどうかは立法府、司法府が決定する問題だとさんざん言ってますが。
565 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:05 ID:Enzzzh9E
>>560 はぁ?
だから、どこで
>>従って、天皇は制定されていない法律を公布する事は出来ない。
>はあ?樋口も園部もその結論し(を、か?)退けているだろ
となるのか意味が判りません・・・・・orz
567 :
童貞の遠吠え :04/07/26 23:08 ID:3ypwTGpX
チンコをマンコに入れるだけで死刑にすべきだ!
>だから、どこで >>>従って、天皇は制定されていない法律を公布する事は出来ない。 >>はあ?樋口も園部もその結論し(を、か?)退けているだろ >となるのか意味が判りません・・・・・orz はあ?内閣の助言に対する拒否権がないからだろ。 理由は、内閣の行為を合憲・合法or違憲・違法を判断する資格がないから。 違法、違憲だと認定できない以上、天皇はその助言を拒否することは出来ない。 助言が違法だろうが合法だろうが、助言を拒絶できるなどという超異端説を採るなら別だが、 その場合は園部に依拠するのはやめた方がいいね(笑
569 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:10 ID:Enzzzh9E
>>563 はいはい。
>>564 >誰がどう見ても机の上にリンゴをおくという命題の意味が明らかであり
から、
少なくとも君の脳内において、内閣が偽法律の公布を助言した行為は
「明らかな違法」ではないんだろ?(笑
なんか、自分が今(過去は兎も角)言っている事を解ってないヤシに
何をどう言えばいいのか、マジで判らないので、オチるわ。
570 :
右や左の名無し様 :04/07/26 23:10 ID:0mKKge8v
>>563 事象(判決)には理由をつける必要があるってことだよね。
事象それ自体は理由を説明してない。
571 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:13 ID:Enzzzh9E
>>568 だから、園部が天皇自身の行為において、どのような責任が発生し
その結果どのような、責任のとらされ方が考えられるか(106頁)を読んでこいよ。
>>569 >少なくとも君の脳内において、内閣が偽法律の公布を助言した行為は
>「明らかな違法」ではないんだろ?(笑
抽象的には、内閣は偽法律を公布せしめることは出来ないと言えるだろうが、
現実には、偽法律か合法に成立した法律かの区別は容易にはつかないからな。
君は、誰にでも即座に理解できる「法律違反」なるものがむき出しに存在するとでも考えているのかね?
>なんか、自分が今(過去は兎も角)言っている事を解ってないヤシに
>何をどう言えばいいのか、マジで判らないので、オチるわ。
うーん、次までには日本語の勉強をしてきてくれ。マジで。
>>570 そういうこと。
例えば
俺が570を殴ろうが、それだけでは俺に罰が下されるわけではない。
それが刑法違反、つまり暴行罪だという裏付けがされてはじめて、俺は罰金なり懲役なりを
喰らうわけだ。
なんつーか、確かに保守氏は知識馬鹿なんだろうな。
知識だけ集めて、それを整合的に組み立てることが出来ないと云うか。
いや、その知識も大概間違っているんだけどね(苦笑
>>571 >だから、園部が天皇自身の行為において、どのような責任が発生し
>その結果どのような、責任のとらされ方が考えられるか(106頁)を読んでこいよ。
(苦笑
「天皇自身の行為」として例示として上がっているのは、本を何頁目から読む行為とか、
天皇家の儀式とかだろ。
今の話とは全然関係ない。日本語よめねえんだろうな。
少し考えりゃあわかるが、法律の公布のような行為が「天皇自身の行為」なわけねえだろ。
576 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:24 ID:Enzzzh9E
>法律の公布のような行為が「天皇自身の行為」なわけねえだろ。 マジで笑った。(いや、本気で) 天皇が法律の公布を拒んだ行為が、「天皇自身の行為」に決まってるだろう。 なるほど、猫君は、自明なる判断が出来ないようだ(笑 ・・・・・orz
577 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:29 ID:Enzzzh9E
>現実には、偽法律か合法に成立した法律かの区別は容易にはつかないからな。 ぷ。 で、その具体例は? 前に論破されたことを忘れて(忘れたいんだろうが 笑)何が言いたいの?
>>576 >天皇が法律の公布を拒んだ行為が、「天皇自身の行為」に決まってるだろう。
>なるほど、猫君は、自明なる判断が出来ないようだ(笑
園部はそう論じているのかね。
園部が「天皇が法律の公布を拒んだ行為が、「天皇自身の行為」に決まってる」
と論じた箇所を引用してくれるかな。
>で、その具体例は? 既に挙げているが。警察法改正無効事件。
580 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/26 23:38 ID:Enzzzh9E
>>578 なるほど、君は公布を拒む行為が「天皇自身の行為」と考えてないんだ?
ならば、その根拠を実定法上から導いてくれ。
>>579 同法は両院において議決を経たものとされ適法な手続によつて公布されている以上、
裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法制定の議事手続に関する所論のような事実を審理して
その有効無効を判断すべきでない。
従つて所論のような理由によつて同法を無効とすることはできない。
で、何が言いたいの?
マジで寝るわ。
じゃあ、また、ヒマになったらね。
581 :
右や左の名無し様 :04/07/26 23:40 ID:0mKKge8v
>前に論破されたことを忘れて 論破って・・・猫タンがいうとおりかも。 センスわるい。
天皇の国事行為などについて、園部逸夫元最高裁判事に参考人質疑
山口富男衆院議員は、3月6日、憲法調査会・最高法規小委員会に出席し、園部逸夫元最高裁判事にたいする参考人質疑をおこないました。
園部参考人が、天皇は権威の源泉としての地位にあり、現実の存在である以上、国事行為のほか、公的性格をもつ行為を認める必要がある、とのべました。
山口議員は、「国民主権原理に立つ象徴規定であって、天皇に権威の源泉としての地位を認めたのではない」と指摘。
園部氏も「国民主権原理に立つ規定」とこたえました。
また、山口議員は、天皇は「国政に関する権能」をもたず、国事行為の規定は厳格に解するべきで、国事行為のほかに公的な行為を広く認めることは憲法規範に反すると主張しました。
http://www.t-yamaguchi.gr.jp/kokkai/2003/3-6ke.html
>>579 >なるほど、君は公布を拒む行為が「天皇自身の行為」と考えてないんだ?
>ならば、その根拠を実定法上から導いてくれ
抑も公布を拒むことがあり得ないから。
拒んだ場合どうなるか、という問題はあるが、それは「天皇自身の行為」というカテゴリーとは
別に取り扱われるべきである−基本的に憲法は沈黙を保っていると見るべきか−。
そんなことより、俺の問の答えになってないぞ。
>園部はそう論じているのかね。
>園部が「天皇が法律の公布を拒んだ行為が、「天皇自身の行為」に決まってる」
>と論じた箇所を引用してくれるかな。
>で、何が言いたいの?
君、「この事件では定足数や過半数の計算さえされてなかった事態から明白な憲法五十六条違反であるようにも思われる」
(判例百選四版)と論じられているの知らないんでしょ。
>マジで寝るわ。
>じゃあ、また、ヒマになったらね。
暇というか、人並みの日本語能力を身につけたらまた来てね。あと、法律学の入門書も読んでおいてね。
どうせわからないだろうが、少しだけ。 具体例を挙げておこう。 第五十六条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。 まあ、議会があるわな。 わかりやすくするため、議員定数は百人だとしておこう。 ということは、34人が出席していないと議事は開けないはずだ。 頭を数えて、34人しっかりいたかどうかを判断するのが、事実認定だ。 で、34人未満だったら、憲法五十六条の条件を満たしていないから、このような疑似議会でなされた議決は 無効、ということになる。 しかし、話はそう簡単ではない。まず総議員とは一体何を意味するのか、という問題がある。 これを議員定数であると上では考えたが、現在いる議員の総数とも考えられる。 当たり前だが、これは事実判断ではなく、法解釈である。例えば、総議員の意味を後者で取るとしよう。 彼に今現存議員が六十人であれば、三分の一は二十人という事となる。 総議員とは何を意味するのか、という問題に対して解釈が必要である以上、仮にこの件について 天皇が判断を行おうとすれば、法解釈の領域に踏み込まざるを得なくなる。 裁判員制度も導入されることだし、いわゆる陪審制について説明すると、陪審が行うのはこの事実認定である。 普通、陪審は刑事裁判において行われるものだから、ここで挙げるのは変なのだが、 陪審は出席議員数が何人いたか、ということしか判断しない。 総議員が何を意味するのか、はあらかじめ裁判官が指示しておく。 総議員数の概念が裁判官によって特定された上で、陪審が事実認定を行い、具体的な結論を出すこととなる。
とりわけ憲法の法文はそうだが、非常に抽象的であり、何を云っているかわからないことが多い。 ある事実が自明だとしても、結論も自明となるわけではない。 「さきのリンゴを机の上に置いたら死刑」の話で続ければ、机の上にリンゴのたねが置いてあることは 自明だとしても、リンゴのたねがリンゴに含まれるかどうかは決して明らかではない。 つまり、法規範における「リンゴ」の内包が決して明らかではないわけである。 天皇が違法な手続きに基づく助言を拒否できる、と述べることは、天皇が立法手続きについて解釈を行う 事に他ならない。例えば、総議員とは何を意味するのかを天皇は判断しなければならない。 無論、そんなものは事実判断でも、自明事でもないのだが。
保守考タンは、公法学の基本となる発想がわかってないんだろうな。 公法学の学者は、権力者の恣意を押さえるために「法の支配」を念頭において 法解釈とか論理を展開する。さらに民主国家においては、できるだけ権力の 運用を民主的統制の下に置こうと考える。 天膿ロボット論に関する一連の議論で言えば、法の支配の原則から恣意的な 行為を許さない意味で天膿の行為を公務と私事に分けて考え、公務については 法律上の要件とか、内閣による統制を要求するのが普通である。また、 天膿の職務の民主的統制についても、天膿の公務に関するすべての行為が、 内閣の管理下で内閣の責任において行われる行為とすることで、最終的には 民衆の判断で行為の是非が問われるシクミを法制度上要求している。これが 基本原則から導き出される一般的な解釈だ罠(藁 以上のとおり、「法の支配」と「国民主権」から、天膿は内閣のロボットである との結論が必然的に導き出される。これには例外は認められない。例外を認めて しまえば、基本原理に背くことになるから。天膿独自の判断による違法命令の 拒否も例外ではない。天膿がもし民選機関である内閣の命令に背けば、もはや その行為はリーガルな手段でその是非を問うことはできない。民衆は天膿の 行った拒否行為の是非をイリーガルな手段を用いてしか責任追求できない。これは 「法の支配」にも「国民主権」にも反することになる。例え内閣の行為が 違法であったとしても、なんら国民的基盤を持たない天膿はそれを拒否する 権限を持たないと言うべきである。こんな当たり前のことすらわからないから バカにされる。公法学の原理原則から学びなおして再出発すべきですな(藁
「法」の指先が国民の方に向かってると思ってる節があるからなぁ。 説明するのは難しいよ?
猫と保守考の罵りあいは見ていて見苦しい。
>>588 キャットファイトは人気あるみたいですよ。
しかしあれだな、保守考は 居酒屋で野球中継を見ながら高橋や阿部のバッティングを批判して 身振り手振りで講釈垂れてる中年おやじのようだw 聞きかじりのバッティング理論は、門前の小僧経を読むがごとしw
592 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/27 21:47 ID:V8n7ld0Y
日本語が通じない。 論旨をコロコロと変える。 過去に返答した内容を忘れて蒸し返し。 などなど・・・・。 そんなヤシを相手に何をどうすればいいのか。 まあ、私はもう厭きたよ(笑
保守皇さんは学部の2年次くらいの方でつか? 国立?
594 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/27 21:55 ID:V8n7ld0Y
595 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/27 22:00 ID:V8n7ld0Y
>>593 っていうか、もう十年以上前の話だから、忘れた。
大体に於いて、私の生活上、法学や政治学を直接使う機会が、あんまし無し。
>>592 意外と暇なんですね。せっかくなら、法的三段論法の勉強位した方がいいとおもいますが。
>日本語が通じない。
あなたの用語法が間違っているだけの話です。
俺がまともなテクニカルタームの使い方をしているのに−例えば事実認定と法解釈の関係−
君の「独自の」日本語解釈でもって対抗されても困ります。
>論旨をコロコロと変える。
俺は一回も論旨を変えていませんが?不適切な表現を訂正することはありますが、その旨は毎度書いています。
具体的に変えた論旨を教えてくれますか。
>過去に返答した内容を忘れて蒸し返し。
「忘れて」はいません。
寧ろ俺からすれば、毎度毎度あなたの答えは俺の問のまともな返答になっていないから、
蒸し返されているように見えるだけです。あなたが「まともな返答」をしているのに俺が蒸し返すことは問題ですが、
あなたが間違った返答をしている場合、俺が蒸し返すのは当然です。
ところで、事実認定について調べましたか?
>>546 にある>「明らか」という言葉は事実判断であって、何も「解釈を要しない」。
あきらかという言葉は=事実判断ではないと思いますが(笑
ある形容詞が事実判断だといわれても、全く理解できません。
純粋に日本語として理解できません。こういう人に日本語が出来ないと云われるのは、只当惑するだけです。
>>594 まじめな話、わからないのですか?
警察法改正無効事件は一体何が争われた事件なのですか?
>>595 そりゃ、法学の知識を日常的に用いているなら、事実判断がどうこうとは、
絶対に云わないでしょうからね。
事実認定と法解釈の関係は、法律を囓っている人間なら、絶対に知っておくべき、
最低限度の了解です−結果的に、この関係を俺が上で示したのとは別様に考えるにしても−。
例えば、
>>558 で>事実行為と事実判断の違いを出来てない人に
とありますが、事実行為という言葉を理解していなかったのはあなたであって−前々スレ、前スレにおける
アグレマンの法的性質に関する保守氏の議論を参照−俺に押しつけるのはやめてほしいのですし、
大体、行為と判断を対比として並べる日本語感覚も俺は良く理解できませんが、それはともかく、一体事実判断とはなんなのでしょうか。
通常、事実判断という言葉は法律学ではあまり使わないのですが、事実認定のことなのでしょうか。
疑問です。
自分がまじめに法律用語を知らないからといって、そのような不確かな知識に基づいてなされた議論の見地からして、
まともな知識を有している俺の議論を批判されても困ります。
最低限度の法律知識がなければ俺の議論は理解できないでしょうし、あなたが法律用語を
間違って覚えていたからといって、そこまで斟酌して議論してくれ、と俺に期待するのは甘えが過ぎます。
保酒考の法律知識も実は見掛け倒しで、れに至っては単なるコピペと妄想。 まあ、改憲を唱える政治家が立憲主義を全く理解していないのと同じで 結局、ウヨのよるべきは法律ではなく、伝統や物語でしかないわけでして。 ・・・その伝統や物語がこれまた捏造もいいところなんだけどね。
もともと話が噛み合わないのも、穗酒酵の法律用語に対する認識不足と 法的基礎概念のけんけつが原因だからなぁ。 イデオロギーに凝り固まった無知者を説き伏せるのはとうてい不可能なんだが。 諦めてカキコを止めた猫はおとなだなぁと思っていたら、 そうでもなかったということだろうなw
やめても良かったんだが、本屋でたまたま見つけたら立ち読みした園部「皇室法概論」に この問題の答え、即ち天皇は内閣の助言に如何なる場合でも、明らかに違法であっても、 従わなければならない、が書いてあったからさ。
むっちんのレスにあった「構造」とは何かをずっと考えていたら 返事するタイミングを逸してしまったよ。アンソニー・スミスの 「エトニー」については、最近読んだ「柳田国男と文化ナショナリズム」 に手際のいい記述がなされていたので、そのうち、引き写しで 論じるとしよう。
国事行為と公的行為についての論争が、再度勃発したようだが、国事行為に おいては天皇の発意が認められず、公的行為においては発意が認められると いうのがもっとも筋が通った解釈じゃないの、やはり。そもそも通説とやらは 公的行為の存在を認めてるわけでしょ。(佐藤や樋口などは公的行為について どういう見解を持っているのかしらないが)そして通説は、公的行為は、内閣の 民主的コントロールの下にあると主張するわけだが、民主的コントロールの 存在を認めたとしても、ただちにそこから、コントロールされるものが コントロールするもののロボットであるという帰結を導けるわけではない。 そうでないというなら、司法機関は最高裁長官のロボットであるとか 省庁は担当大臣のロボットであるという主張を立証していただきたいものだ。 (大臣が役人のロボットである事の方が、むしろしばしば見受けられる。) 公的行為における天皇の発意の存在を否定するなら 1. 公的行為を認める通説を否定するに足る論拠を提示する。 2. 民主的コントロールを受けるものは、コントロールするもののロボットである。 いずれかを証明していただかないとねえ。
のっけから間違っとるな・・・
うん、のっけから間違っている。 樋口や佐藤の見解を調べてみれば、という以上のコメントは必要ない。 佐藤、樋口も読んでないのに、勝手に通説を代弁しないように。 そもそも、公的行為において天皇の意思が介在し得るとしても−無論、そんなことはあり得ない− 今の議論とは全く関係がない。
>>604 >佐藤、樋口も読んでないのに、勝手に通説を代弁しないように。
俺のもってる芦部には、「象徴行為説は学会の多数に支持されていることにも
相当の合理的理由はある。」(p.51)と書いてあったんでね。学会の多数に
支持されている説=通説だろう。
>−無論、そんなことはあり得ない−
なして、ありえないとわかるわけ?「おことば」を朗読したり、国内を巡幸したり
する行為において、天皇の発意が介在する余地はありえないということが。
そのすべての行為において、天皇の発意が不在であることを検証したわけ?
>今の議論とは全く関係がない。
「今の議論」とは公的行為についてではなく、国事行為についての議論だった
からな。しかしながら、このスレではいずれも「天皇ロボット論」についての
議論である点においては、共通しているよ。
>「象徴行為説は学会の多数に支持されていることにも相当の合理的理由はある。」 君、象徴行為説をちゃんと理解してないでしょ。 芦部は >公的行為においては発意が認められる と説いているわけ? >そのすべての行為において、天皇の発意が不在であることを検証したわけ? 天皇の発意が存在していると言うことも証明されてないね。 仮に天皇の発意が存在したら−通説に立てば−違憲である。この辺の論点は樋口が書いてあるから読めば? >しかしながら、このスレではいずれも「天皇ロボット論」についての >議論である点においては、共通しているよ。 ま、別に良いけどね。
>>公的行為においては発意が認められる >と説いているわけ? いや、「認められる」とは書いてないよ。 「認められない」とも書いては いないけどね。 >仮に天皇の発意が存在したら−通説に立てば−違憲である。 >この辺の論点は樋口が書いてあるから読めば? しかし、認められるという学説も存在するよね。(園部) 樋口が通説なのか、園部が通説なのかというと、もはや俺の認識能力を 越えるがね。
>いや、「認められる」とは書いてないよ。 「認められない」とも書いては >いないけどね。 公的行為は、内閣の助言と承認に関して国事行為に準ずる(芦部)、内閣の直接、間接のコントロールに服し、 その責任は内閣が取る(佐藤)以上、明言されているならともかく、認められる可能性があるとは到底 言えないだろう。勝手に君の解釈を通説に混入させないように。 そもそも、公的行為論は内閣の助言承認の範囲を国事行為以上に広げるために要請された 学説なのだから、天皇の発意を認めてしまっては本末転倒だろうに。 >しかし、認められるという学説も存在するよね。(園部) ちょっと引用してみてよ。
>ちょっと引用してみてよ。 ただいま過去ログ検索中…しばらくお待ちください。
一応言っておくけど、「保守氏が紹介した園部説」であれば、信用出来ないし、君も信用しない方がいいよ。
彼は、その理由について今更語る気がないが、ちゃんと法律書を読めないし、
「園部説として提示されているもの」と「園部説を自分で解釈したもの」の区別を出来てないから
−例えば、
>>571 >>573 >>576 >>578 >>580 >>583 の一連の議論−。
>園部にもやはり、天皇は国事行為において「内閣の決定通り行動すべき」
>(つまり内閣の助言を拒否できない。)であるが、公的行為に
>おいては行為の意志決定者は天皇および内閣であると書いてありますね。
やっとみつけた。Part26の
>>745 だ。該当ページが書いてないし、今該当書も
手元にないが、「公的行為においては行為の意志決定者は天皇および内閣」
というのは、直接園部から引っ張ってきたはずだ。
ページ数さえ提示してくれれば、読んできたいと思うが。
あいにく図書館に返却しちまったもんでねえ。今度図書館によったら またかり出してみるよ。 もし該当書をもってるなら、目次で「公的行為」で 検索すれば、すぐ見つかるはずだ。
もし、園部がそういう学説を唱えていたとしたら、問題があるだろうな。 つまり、天皇が公的行為の共同意思決定権者だとして、この公的行為に伴う責任をどうやって取るのか、 という問題だな。当然、天皇は、現行法制上、責任を取りようがない。 仮に、かなり大きく譲って、天皇の発意が求められると観念したとしても、最終的な決定権者は 内閣であり−そう考えないと、責任の所在が曖昧となる、という立憲主義の原則上、根本的な欠陥が存在することとなる。 わざわざそう解すだけの実益がない−天皇の発意は、内閣が、正当であると認めた場合のみ 意味を持つこととなる。また、当然、内閣による助言を拒否することは出来ない。そう考えないと、 天皇自身の責任に基づく行為が存在することとなる。 佐藤や樋口、芦部といったあたりは、まあ、十中八九こう考えているだろうね。
>>608 >公的行為は、内閣の助言と承認に関して国事行為に準ずる(芦部)
俺のもってる芦部には、公的行為と助言と承認の関係については
何も載ってないな。それ教科書からひっぱってきたわけ?
>>614 発意は天皇だが、行為の責任は内閣…これはありえないかい。
公的行為 + 助言と承認 の組み合わせなら、当然こうなる。
>>615 芦部憲法新版
天皇はお言葉や親書・親電の交換などの行為をするが、「これらを象徴としての地位に基づく公的行為として認め、
国事行為に準じて内閣のコントロールが必要と解されている」
>>616 あり得ない。行為それ自体は本人がするが、責任は他者に帰属する、というのは、
それこそ子供の監督責任みたいな問題だけだろう。
内閣が親、天皇は子供だとしたら、最終決定は天皇が下す他ない。
上の引用は31p 国事行為に準じるとある以上、特段の理由がなければ、国事行為と違った方式で助言承認がなされる −例えば天皇の発意が認められるような−とは考えられないだろう。 そして特段の理由を挙げるのは君の分担であって、俺の分担ではない。
>>617 「国事行為に準じて」とは確かに書いてあるが
内閣の「コントロール」と内閣の「助言と承認」は同じものか。
やはり異なる点があるんじゃないの。憲法には「助言と承認」に
ついては書いてあるが、コントロールについては書いてないしね。
>あり得ない。行為それ自体は本人がするが、責任は他者に
>帰属する、というのは、それこそ子供の監督責任みたいな
>問題だけだろう。
子供の場合は、とにかくそういう状況がありうるわけだ。
天皇の場合、そういうことがありうるかどうか、あるものには
信じられないだろうが、別のものには信じられるかもしれない。
ま、今夜はこんなものかな。つきあってくれてサンクス。
今から寝るの? 俺はもう寝る。
寝るつもりが、公的行為について思わずググってしまったよ。 園部にも確か、公的行為において内閣は天皇の発意を妨げない という見解がいくつも引用されていたね。歴代の内閣の解釈は たぶん、この線で一貫してるんじゃないの。 これを立証するため にも、どうやら再び園部を借り出さないとならないらしい。 反対証明は、公的行為において天皇の発意は認められないという 内閣の答弁を提示するということでよろしく。
こんどはマサカドタンか。この人も公法学の基本がわかってない。公法学の基本は、 法の支配と民主的統制につきる、と考えて間違いはない。法律とか諸制度を工夫し、 いかに国家権力の行使を統制するかを思い悩んで、公法学者は学問の体系を作り 上げてきた。法の支配と民主的統制を理解せずして制度を論じても、ベーシックな 公法学を学んできた者には受け入れてもらえん罠(藁 もし現在の天膿制が、天膿に独自の解釈権や執行権、拒否権を与えるとするなら、 原理原則に沿ったものにするハズである。例えば、国民に対して明快に責任を 取れる民選機関にするとか、天膿の行為を事後的に処罰し訂正する回路を作るとか。 それらの措置を盛り込まなければ原則を満たしたことにはならない。 現行の天膿は非民選機関であり、国政に関する権能を禁じられた機関である。 なぜ天膿が国政に関する権能を禁じられているかと言えば、非民選かつ免責された 天膿は国民に対して責任の取りようがないからである。そのような機関が独自の意志で 職務をできるハズがないのだ。もし天膿独自の行為を認めるなら、もはや国民は 天膿の行為について検証し訂正する正規のルートを持たない。だからこそ、天膿は 国民から信認された民選機関のロボットとして職務を行うしかないのである。
戦前の体制は国民主権がうたわれておらず、君主主権だったから天膿が独自に 職務を行うことにも根拠があった。戦前の体制を君主主権と見るか君民共治と 見るかはともかく、非民選の君主も主権者である以上、国民から独立して国政を 執行することができたのだ。統帥権問題などその最たるものだ罠。でその結果が、 国家意志決定権の所在が君主にあるのか臣下の誰にあるのか曖昧で、最後まで 国家権力が四分五裂で自滅したんわけだ。この辺が責任の所在や意志決定権を 曖昧にすること、君主の権力を民主的権力と共存させることの問題点だろう。 戦後の国民主権の体制においては、君主が独自に職務を行うことは許されなくなった。 国民主権においては主権は国民にあり、非民選の君主が独自の権能を行使することは、 もはや主権の侵害とさえ言えるのだ。主権の具体的行使についても憲法や法に よって定められ、誰が権限の主体なのか、責任の主体なのか明快にされることに なった。この辺のロジックがわからず、戦前の体制と重ね合わせて現在の天膿制を 見ようとするから混乱することになる。戦前の天膿制と戦後の天膿制は、制度的に 見ればまったく別物になったと見るべきだ。国民主権の体制においては、天膿は自らの 意志で職務を行うことは、「絶対的」に許されないことを肝に銘じるべきである。 教科書の字ずらだけを追って自分の妄想を投影しようとするから、おかしな 解釈を導き出してしまう。公的行為についても国家の行為なのだから、最終的に 国民に対して責任を負う制度になってなければならない。どう考えても、国民に 対して独立して責任を負わない天膿が独自の裁量で仕事ができるわけないだろ。 バカも休み休み言えよ(藁
>>619 >子供の場合は、とにかくそういう状況がありうるわけだ。
>天皇の場合、そういうことがありうるかどうか、あるものには
>信じられないだろうが、別のものには信じられるかもしれない。
れタンも疑問を呈していたよな。
「法における権能と責任は、必ずしも一体ではない」
まあ、戦前の日本や、現在の北朝鮮では、そのとおりなわけだがw
間違い>「法における権能 訂正 >「法による権能 失礼
しかしひとつ疑問があるのだが、天皇の発意が認められず、内閣の助言承認に従い、一切独自の行為を 行わないと憲法が予定しているならば、憲法はなぜ憲法遵守義務をつけているんだ? 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し 擁護する義務を負ふ。 天皇は憲法を尊重も出来ないし擁護も出来ないんじゃないの?完全なる内閣のコントロール化で あり発意も出来ないと予定しているなら・・・。憲法違反だろうがなんだろうが内閣の助言承認に従 うなら、天皇は憲法を尊重できないよね。 それとも内閣の完全なコントロール下に入れということをここでさらに強調していると、解釈す るのか?其れにしては公務員と同列だし、おかしい文言だね。
>>625 前から言っているが、樋口読めば?
保守氏の言葉を借りれば、
>過去に返答した内容を忘れて蒸し返し。
しても仕方あるまい。
まあ、答えだけを言えば、天皇にとっての憲法擁護は内閣の命令に服することに他ならない。
自分の権能を越えて、自分の考える憲法解釈に従うことが許されるわけではない、ということは、
例えば、内閣が、自らが違憲であると考える法律が議会によって可決された場合−このようなことは
議院内閣制の元ではたびたびあるとも思えないが、あり得ないわけではない−
−総辞職でもしない限り−それを公布する義務があることからも理解できる。
天皇とは比べようにならないほど、責任、権限を備える内閣でさえ、違憲(と内閣が考える)の法律を
公布しなければならないのに、天皇が公布拒否など出来るはずがない。
この条文に関しては、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員(の中の人は)と読む文言でしょうな。 天皇以下、例示列挙されている官職を以下「公務員」と呼称するが、「公務員」と「公務員の中の人」は同じではない。 「公務員」は憲法(を含む全法令)の範囲を逸脱した行為は出来ないが、「公務員の中の人」は(違法に)それを行うことが可能だ。 従って、れたんレベルで説明するとなると 「公務員の中の人」は、「公務員として」職務を遂行するにあたり、この憲法を尊重し養護する義務を負う と解釈するのが妥当であろう。
>天皇にとっての憲法擁護は内閣の命令に服することに他ならない。 日本語としては、内閣の助言承認に従うことは、憲法を尊重するということであって 擁護じゃないでしょう。
>>628 >日本語としては、内閣の助言承認に従うことは、憲法を尊重するということであって
>擁護じゃないでしょう。
だから何?
630 :
↑ :04/07/28 11:27 ID:DxHY0uyi
わずか3分でレス返してるよ こいつ一日中貼り付いてんのか?
>>621 >公法学の基本は、 法の支配と民主的統制につきる、と考えて間違いはない。
まあ、基本はそうなのだろうがね。これは現存する全ての国家にあてはまると
いうことかね。この基本がもっともよく当て嵌まるのは、民主的共和制において
であろうが、現存する国家で民主的共和制以外の政体をとっている国家もいくつか
存在するから、すべての国家にあてはまるとは言い難いだろう。現在の日本国の
政体は共和政体とは言い難いし。もし現在の日本が共和政体であるなら、民主的
共和制を国民国家におけるもっとも進歩した政治形態とみなすひとびとが天皇制の
廃止を望むはずがない。
>>623 「法における権能と責任は、必ずしも一体ではない」
権能と責任は一体という話など誰もしていないはずですがねえ。
行為と責任が一体であるか否かという話なのに、文章を勝手に
書き換えられると困りますねえ。
日本国憲法三条
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし
内閣が、その責任を負ふ。
行為をなすものは天皇であり、行為の責任は内閣…これは現代の日本の
憲法であって、戦前の話でも、北朝鮮の話でもございません。
>>626 >天皇にとっての憲法擁護は内閣の命令に服することに他ならない。
国事の行為の最中に、いきなり天皇の頭がおかしくなったという場合などは
天皇は国事行為についての内閣の命令に従わず、なおかつ責任は内閣が
負うという状況が発生するな。こういう状況をなるべく避けるためにも
天皇は、正常に内閣の命令を理解し従うという能力を常に主体的に
保持しつづけるということは必要だろうね。
この議論、最終的には、こちら側が、代表制民主主義批判を やる必要まで出てくるだろうな。誰もがもっとも進歩した正しい 制度と認めるこれを批判するのは無謀な試みであるから どうにも気が進まないが。 エレン・メイクシス・ウッドの「資本主義対民主主義」に現代の 立憲主義と代表制民主主義に対する結構ラジカルな批判が あったから、さしあたりこれをベースにものを考えるとするか。
634 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 11:56 ID:Y9pQ5kt/
マサカド氏が久々に来ているので、園部を引用しましょうか。 公的行為において、天皇の発意は認められるか? 「P111の公人行為論から: 国家的色彩が強い公人(公的)行為の場合、行為を行なう 天皇に対しては、「天皇の意志を前提とした内閣の意思を尊重して行動すべき」という規範が 存在し、内容の決定に関しては内閣に対して、「適法性」の規範が存在する。」 具体例: 国会開会式への行幸・認証官任命式への臨席・外国訪問などなど。 「 「皇室の伝統」としての側面を有する公人(公的)行為に関する行為規範は、行為の意思決定者であり 行為を実際に行なう天皇に対する規範と、意思決定にかかわる内閣に対する規範という 異なる複数の規範になるが、「皇室の伝統」としての側面を有する公人(公的)行為の場合、 天皇に対しては、「適法性」という規範が存在し、内閣に対しては「天皇の意思決定の適法性を確保すべき」 という規範が存在する。 具体例:歌会始・福祉活動の奨励・災害見舞などなど。 まだ、他にもあるけど、ご希望なら引用します<マサカド氏
>>634 ええー、よろしければ、天皇が公的行為における発意を認められるという
内閣法制局の答弁をいくつか引用していただければ…
636 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 11:59 ID:Y9pQ5kt/
しかし、猫君が拘っている、 「天皇が、偽法律の公布に対して拒んだ」という行為が 『天皇自身の行為』でなきゃ何なんだ?(p
637 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 12:00 ID:Y9pQ5kt/
>>635 ちょと、昼ごはんの時間なので、待っちって。
639 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 12:07 ID:Y9pQ5kt/
>>635 俺も過去レスで保守考氏が提示したのをみましたよ、それは。
とりあえず、俺が気になっているのは
>天皇の公的行為の場合にはそこで言う内閣の助言と承認は
>必要ではない。また、あくまで天皇の御意思をもととして行われる
>べきものではございますが、当然内閣としても、これが憲法の趣旨に
>沿って行われる、かように配慮することがその責任であると考えております。
これを否定するような見解が政府当局からなされたことがあったか。
日本国憲法の下で社会党が与党であったときもあるから、そのような
時に、これを否定する答弁がなされた場合があったであろうか…
やはり、なさそうである。
エレンの本には、保守考氏推薦の「フェデラリスト」における民主主義の 再定義が検討されているしね。エレン自身は「フェデラリスト」たちとは 正反対の立場だが、反対方向から光をあてると、対象の輪郭がよく浮かび あがるということはある。この本では、ギリシャ特有の民主主義的概念と しての「イセーゴリア」なる概念を、現代の代表制民主主義に欠けている ものとして提示しており、それは選挙という制度を寡頭制の制度とみなす アリストテレスの見解とも通底している。そういえばルソーも選挙という 制度は民主制と根本的に背馳するという見解を持っていたそうだね。
642 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 12:28 ID:Y9pQ5kt/
ちと某所で園部を調べてきた。
まあ、軽く読んだだけだが、さすがに園部の議論はそれなりに精緻化されている。
公的行為にも二種類ある、とされる。と書こうと思ったが、これは
>>634 で紹介されていることなので、
省略しよう。
で、問題は、天皇の意思が介在されるにせよ、最終的に天皇の意思と内閣の意思が合致しない場合、
どうするべきか、という問題がある。
内閣としては天皇にある行為−例えば外国訪問−をさせたいが、天皇としてはあえてしたくない、
という場合が考えられる。無論、この場合は天皇の意思が優先されるべきである。
この辺は国事行為と違い、天皇がその行為をしなければならないわけではない、ということとなる。
園部の言う
>天皇の意志を前提とした内閣の意思を尊重して行動すべき
はこの趣旨だろう。
それはそれでいいのだが、問題となるのは、天皇がある行為をしたいが、しかし内閣はそれをさせたくない場合
である。
この辺、国会答弁(園部130頁)でも質問があったようだが、どうもはっきりした答えは出されていない。
しかし、終局的には天皇の公的行為に関して内閣が責任を取る、ということをかんがえれば、
また、天皇と内閣が共同意思決定権者であること、即ち、どちらか一方の意思のみでは、
その行為をなすことは出来ないことを考えれば、また、実際的帰結(天皇がどこぞの政治的問題のある地域に
内閣の了解を得ずに行くことは許されないだろう)からしても、少なくとも国家的色彩の強い行為においては、
−皇室の伝統としての行為についてもおそらく程度の差こそあれ同様だと思うが−内閣の承認を得ない天皇の意思が通る
ということはあり得ないだろう。
644 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 12:30 ID:Y9pQ5kt/
うわ、
>>642 は上手くコピペして、開いてくだサイ。
まあ、確かに公的行為において天皇の意思が全く介在され得ないというのは言い過ぎであった。
その辺は撤回しよう−俺は意外と議論に対して潔いのである−。
しかしよくわからんのは、公的行為という類型があるから天皇はロボットではない、という反論が
成り立ち得るかどうかである。俺は最初から樋口の見解に依拠し、国事行為について天皇が拒否できるかどうかが
論点であるといっているわけで−例えば
>>604 −国事行為の他に公的行為があるから天皇はロボットではない、
という反論は、通例用いられる天皇=ロボット論とは全く異なった観点からする批判であるに他ならない。
抑もの問題は、天皇が助言を拒否できる場合があるかどうかな訳であって、ここから天皇=ロボット論に対する
感情的反発が発生したのであって、公的行為があるから天皇はロボットではないといわれても、
俺としては、そうだね、よかったね、以上のリアクションが取れないのである、リアクション芸人ではないから。
その理屈で言えば、天皇が本を何頁から読むか決められるという私的行為における自由があるから
天皇はロボットではない、という反論も全く可能だろう−それはその通りだと思うが、だからなんなんだ、
としか言いようがない−。
─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、 __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !| またまた ご冗談を・・・ . : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l| 、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ! ,、- 、 .ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙::: rー-:'、 / }¬、 . \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''":::::::::: ,...,:::,::., :::':、 _,,/,, ,、.,/ } ヽ:ヽ、 /::::::::::::::::::::::::: _ `゙''‐''" __,,',,,,___ /~ ヾ::::ツ,、-/ `ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ- _| 、-l、,},,  ̄""'''¬-, ' ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ _,,,、-‐l'''"´:::::::' ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、, ,.' j゙,,, ´ 7 ,、-''" .l:::::::::::;、-''" ,.-' ゙、""ヾ'r-;;:l 冫、 ヽ、 / __,,.ノ:::::ヽ. / l;、-'゙: ,/ ゞ=‐'"~゙゙') ./. \ / '''"/::::;:::;r-''‐ヽ ,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙ ,,. ,r/ ./ ヽ. ,' '、ノ''" ノ ,、‐'゙ ン;"::::::. "´ '゙ ´ / ゙、 ,' /
>>644 うーむ、確かに便利っすね。情報が電子化されて共有されると
簡単に論議における証拠を提示できますからね。
>>645 「天皇=ロボット論」とは何かについての厳密な定義があるわけ
じゃないから、定義の方を操作してしまえばなんとでもなるわな。
ロボット論における行為に公的行為が含まれるかどうかなんて
公定の解釈はどこにもないわけであるしww
>>647 >定義の方を操作してしまえばなんとでもなるわな。
操作しているのは君の方だね。
天皇=ロボット論は俺なりアズマなりが言い出した議論なのだから、俺の天皇=ロボットという場合に用いられている
定義とは別の定義を採用しても反論にならないだろう。ああ、そうですか、で終わりとしか言いようがない。
君の言うロボット論だと、天皇はロボットではないですね、よかったですね、ではお帰りはあちらです、
としか言いようがないわけで。
感情的反発ではなくて、まともに俺の議論に反論しようとしたら、天皇は国事行為において拒否は全く認められない、
だからロボットなのだ、という議論の前段部分に反論しなくては意味がなかろう。
天皇は国事行為において拒否は全く認められない、だからロボットなのだという言い方はしばしばなされるが、
公的行為なり私的行為なりを含めて天皇=ロボット論を唱える人はいないのだから、存在しない議論に対して
反論してもむなしかろう。
>天皇は国事行為において拒否は全く認められない、だからロボットなのだと >いう言い方はしばしばなされるが そうなの? そりゃ知りませんでした。 ここでしかそういう言い回しは実は 聞いたことがないんでね。「天皇、ロボット」でググってみたが、どうも 「天皇は戦前の憲法の下で、軍部のロボットであったか否か」というのが もっともポピュラーな使い方みたいだね。こういう議論も又、「天皇ロボット論」 であると普通は考えられる。
650 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 12:56 ID:Y9pQ5kt/
>>645 それは、それで良いんだけど。そもそも、アズマの与太「天皇は公的行為であろうと
なんであろうと、その都度の内閣に従うしかない、変節漢だから、いらない」というような
論旨に対する反駁があって、久々に来たマサカド氏が、
ここにきて、公的行為を突然持ち出してきたわけではない。
ところで、樋口は、近代憲法云々でも憲法Tでも、89年に於ける一連の
(天皇に関する)諸行事が、憲法上如何なる問題を孕んでいるかを提言し
そのなかで、宮沢(全訂P74)を引用しているんだけど。
じゃあ、その宮沢が唱えるところのロボット論、或いは樋口「近代云々」で
内閣による偽法律の公布に関する助言を天皇は拒むことなく、公布しなければ
ならない。とは読み取れないんだな(少なくとも私は)。
なるほど、天皇には憲法解釈権はなく、内閣がこれが憲法ですよ、と言ったものに
従うしかない。のは得心しできる。しかし、内閣のそのような権限を、拡大解釈して
贋物の法律すら、天皇を利用して公布せしめんが行為を認めることは出来ない。
もし、天皇が内閣に付き合って、贋物を公布することが無意味な行為であるのであれば
天皇が公布を拒否したところで、何も変わりがないことになる。(つまり無意味である)。
天皇が偽法律を公布しようがしまいが、内閣が勝ってにやっている以上、
結果は変わらんだろう。
したがって、君たちが、天皇に対し、何を期待しているのか、よう解らん。
651 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:03 ID:Y9pQ5kt/
>>648 だから、はじめから聞いているじゃありませんか。
偽法律の公布は国事行為なのですか?と。
天皇に国事行為の内容を解釈する権限は無いとしても
実際には、行使されてきた国事行為の説明を天皇は受けている。
いきなり、内閣が、「議会で否決された法律でも、内閣の一存で公布を助言
出来るようになりました」。と天皇が聞いても
「はぁ?」としか答えられんと思うが・・・・。
「思う」というのは、実際上、そのような状況を想定出来ないという意味。
>>649 >>650 を見れば君の疑問は氷解するだろう。
>>650 >内閣のそのような権限を、拡大解釈して
>贋物の法律すら、天皇を利用して公布せしめんが行為を認めることは出来ない。
出来ないよ、それはずいぶん前から言っている。
>もし、天皇が内閣に付き合って、贋物を公布することが無意味な行為であるのであれば
>天皇が公布を拒否したところで、何も変わりがないことになる。
天皇が誤認した場合はどうかね。本当は問題なく正しい法律であったにもかかわらず、
天皇が拒絶した場合は、多大な問題が発生する可能性はあるだろ。
例えば、現に発生した災害対策に対する法律を天皇が誤認して拒否した場合、
何百、何千人という被害が出た場合、どうするのかね?
当たり前だが、法律を何時成立させるか、施行されるかというのは、微妙な政治的考慮が
存在するわけで、成立しなくても結局変わりないなどと言うのは、現実を無視した只の空論であろうに。
そして、その責任を天皇が取れない以上、天皇に権限を認めるわけには行かないのは当たり前だろう。
653 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:06 ID:Y9pQ5kt/
>公的行為なり私的行為なりを含めて天皇=ロボット論を唱える人はいないのだから それはアズマとアズマに同調するキミだったはずだが・・・・。
>.651 >偽法律の公布は国事行為なのですか?と。 「天皇にとっては」そうだ、と前から何度となく繰り返しているのだが。 天皇にとっては内閣が国事行為だというものが、国事行為だということは文献を引用して 何度も説明したであろうに。 >いきなり、内閣が、「議会で否決された法律でも、内閣の一存で公布を助言 >出来るようになりました」。と天皇が聞いても >「はぁ?」としか答えられんと思うが・・・・。 何故内閣はわざわざそんなことを言うのかね(苦笑 仮に内閣が違法であることを認識しつつ、公布しようとしたとしても、そんなことはわざわざ言わないだろうに。 それこそ、そんなシチュエーションは考えられないね。 寧ろ、俺は君のレスに対して「はぁ?」だよ。
656 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:12 ID:Y9pQ5kt/
>>652 >天皇が誤認した場合はどうかね。
それは、芦部注釈(頁数は忘れた)が、天皇が公布を拒否したとしても
内閣の国政に関する責任(行政権)の範囲を解釈して、公布する事が出来る。(要旨)
無論、天皇が拒否した責任は、臨時代行法又は、典範の規定に従って、
事実上、とって貰う形になるだろうね。
>宮沢が唱えるところのロボット論 これのことか…
とりあえず樋口と宮澤を読んでみたら?
さわりだけ引用すると樋口の引用している宮澤によれば、憲法三条は
「天皇を、何らの実質的権力をもたず、ただ内閣に従って機械的にめくら判を押すだけの
ロボット的存在にすることを意味する」とあるね。
これを読んでもなお、
>>651 >内閣による偽法律の公布に関する助言を天皇は拒むことなく、公布しなければ
>ならない。とは読み取れないんだな(少なくとも私は)。
というのは、正直、日本語能力に問題があると思うが。
>>656 無論、そういう対策がなされるのはいたしかたないが、あくまでそれは例外だろうに。
内閣が替わりに権能を行使できるから、天皇に拒否権を認めてもかまわない、ということにはならないだろう。
芦部注釈は、おそらく、天皇には拒否権が存在しないが、「それにもかかわらず」天皇が拒否した場合どうするのか、
という問題に対する答えであって、天皇に拒否権が認められるという議論にはつながらないだろうに。
最終的に内閣が天皇の代行を出来るから、天皇がストライキを起こしても全く問題ない、というのは
一言でいって君の主観であって、実際には、国事行為は憲法が天皇の行為であると規定している以上、
それに従うのが筋であろう。そのような規定が無意味かどうかを判断するのは、法解釈の仕事ではなく、
単なる立法論に過ぎない。
660 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:20 ID:Y9pQ5kt/
>>654 実際の国事行為に於いて、内閣は天皇に対し助言する際、
当該国事行為の根拠を文書で提出していますが。
だからこそ、内奏問題とかが起きるんでなくて?
662 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:28 ID:Y9pQ5kt/
>>658 また印象操作が始まったよ(笑
その文言に続いて、樋口は
「 しかし、日本国憲法は、もう一歩すすんで、内閣が天皇を
「ロボット」として政治利用することを禁じているはずではないだろうか。」
と読者に考えさせるわけだ。
>>659 国事行為に対し拒否権があると、私は言っていない。
国事行為でないものに対し、拒否権がある。といっているのですが?
これが、私の主観と批判されても(まあ、別にいいけど)、偽法律を公布
しようとしまいと、その効果が同じ(無効)であるのならば、
天皇が偽法律の公布を拒んだとしても何も問題ないでしょ。
真法律の拒否(違憲行為)ならば、芦部を採用すれば宜しい。
664 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:32 ID:Y9pQ5kt/
>>661 つまり、仮に内閣が違法であることを認識しつつ、公布しようとした時
根拠を提示する慣例を怠れば、天皇は「はぁ?」となるだろうね。
っていうこと。
>>662 >「 しかし、日本国憲法は、もう一歩すすんで、内閣が天皇を
>「ロボット」として政治利用することを禁じているはずではないだろうか。」
>と読者に考えさせるわけだ。
おいおい。突っ込みどころが二つあるね。
君の引用している文章は、樋口の見解であって宮澤の見解ではない。
従って、
>>650 で「樋口「近代云々」は内閣による偽法律の公布に関する助言を天皇は拒むことなく、公布しなければ
ならない。とは読み取れないんだな」と書くならともかく−これも間違いであることはすぐに示す−
「その宮沢が唱えるところのロボット論は内閣による偽法律の公布に関する助言を天皇は拒むことなく、公布しなければ
ならない。とは読み取れないんだな」とは書けないだろう。
君は、上の引用文を読んで、宮澤も偽法律の公布に関する助言を天皇は拒めないと書いたわけだよ、
>>650 で。
もう一つは、この先の文章で樋口は「既に完結的に行われた決定を天皇が宣示する性質のものである限り
天皇はそのような性質の行為に対する助言と承認を行う内閣のロボットであることよって特別の問題は生じない」
と書いているだろ。これような完結した決定の例示として、首相の指名、衆議院解散が挙げられているが、
法律の公布も完結した決定に他ならないことは明らかだろう。法律の公布にあたって、天皇の意思が介在し得るわけがない。
樋口が「読者に考えさせている」のは儀式の問題であって、法律公布他に関しては宮澤説を完全に踏襲しているぞ。
>>664 >公布しようとした時根拠を提示する慣例を怠れば、天皇は「はぁ?」
いや、普通に内閣は根拠を提示するだろうに(苦笑
大体、天皇が「はぁ?」となろうが、なんの問題も生じないが。
>>650 じゃあ、その宮沢が唱えるところのロボット論、或いは樋口「近代云々」で
内閣による偽法律の公布に関する助言を天皇は拒むことなく、公布しなければ
ならない。とは読み取れないんだな(少なくとも私は)。
宮澤が唱えるところのロボット論
「天皇を、何らの実質的権力をもたず、ただ内閣に従って機械的にめくら判を押すだけの
ロボット的存在にすることを意味する」
668 :
保守考 ◆WkReason5A :04/07/28 13:56 ID:Y9pQ5kt/
>>665 宮沢・樋口が偽法律云々について言及していない以上、読み取ることは出来ない。
ならいいのか?
宮沢に限って言えば、法律の制定の実質的権限を有する機関が内閣ではない以上、
内閣が偽法律の公布を助言することすら出来ないはずだし(君もそう言っているでしょ)
無論、天皇に真・偽法律をその意思で公布することも出来ない。
と、私は読み取っている。
>>666 >いや、普通に内閣は根拠を提示するだろうに(苦笑
で、どのような根拠を提示するんですか?
>何故内閣はわざわざそんなことを言うのかね(苦笑
>>668 >宮沢・樋口が偽法律云々について言及していない以上、読み取ることは出来ない。
おいおい(苦笑
「機械的に」「めくら判」で処理するのに、どうしたら偽法律だのという判断する余地が出てくるのかね。
これは確実に言えるが、そういう読み方をするのは、世界で、君くらいではないの。
普通の人間は、偽法律の場合は拒否できる、と考えるのならば、機械的だのめくら判なりの表現は用いない。
いい加減、ただこねてないで、宮澤・樋口が、偽法律だろうと公布しなければならないと主張していることを認めたら?
さすがに君もまずいと思って、
>>662 で、ああいう事書いたんだろ。
>内閣が偽法律の公布を助言することすら出来ないはずだし(君もそう言っているでしょ)
>無論、天皇に真・偽法律をその意思で公布することも出来ない。
君、行政法の教科書読んだことある?
上司の違法・違憲な命令に対して部下はどう振る舞うべきかしってる?
君の理屈だと、上司が違法・違憲な命令を出せるはずがないから、部下はそんな命令は
いくらでも無視して良いという結論になるんだろうね。
こんなこと、どんなに左翼な学者でも言わないだろうが。
>>668 >法律の制定の実質的権限を有する機関が内閣ではない以上、
>内閣が偽法律の公布を助言することすら出来ないはずだ
ということは真の法律についても内閣は公布を助言できないわけだ。
法律の制定の実質的権限を有する機関から内閣を経由することなく
直接天皇に法の成立を伝え公布を求めればよいことになる。
天皇は内閣のロボットではなく立法機関のロボットということになる菜。
いずれにせよ、天皇は何かの機関のロボットでしかないことになる罠。
なんか猫タンがひよってるなあ。公的行為であろうと「職務」である以上、 「天膿は内閣のロボット」だろう。天膿が自らの発意で、公務を行ったり 拒否できたりできるハズがない(藁 発意云々を言う学者は、職務に先行して天膿と相談の上で職務を行わせる ことを逝っているにすぎない。そのように解さなければ実務上不都合が生じる。 他の行政活動を見ればわかるが、すべての職務上の行為が内閣の意志によって 行われることはありえない。国家としての行為は、法と内閣の意志によって 自己完結的に行われるのではなく、実際はそれを解釈し執行する公務員の判断で 行われる。その意味から言えば、すべての職務上の行為は公務員の発意によって なされる、と言えなくもない。しかし、それに何か意味があるかと言われれば 意味はないと答えるしかあるまい(藁 各省庁の職務上の行為の実態は、各省庁の担当行政官の発意と裁量によって なされるが、だから彼らに発意権があるとか、執行権、拒否権があるとは 言わない。彼らの職務上の執行権限事実上のものにすぎず、本質的には 大臣やそれを指揮監督する内閣に帰属するものである。もし、大臣や内閣が 行政官の措置に文句があれば、自由にそれを撤回させたり自らの腹案を行政官に 強制することができる。なぜなら、各省庁の担当行政官は企画立案し職務を行う者 であるが、法制度上は民選機関である主務大臣や内閣に従う義務があるからである。 このような最終決定権限・指揮権限が民選機関にあってはじめて、実際に行政活動を 企画立案する現場の行政官を国民はコントロールできるのである。
天膿に関する発意云々の議論もその類の話だろ。公的行為においてもそれが 職務であり国家に帰属する行為である以上、最終決定権限と責任は民選機関である 内閣に帰属すると言うべきである。天膿は他の公務員と同様に、職務を行うについて 意見を述べることはできるが、最終的には民選機関の意志に従わざるをえない。 これを指して、「内閣のロボット」と逝っているわけだ。 もし天膿が、内閣の最終意志決定権限を侵犯し、公的行為を自由に行ったり、 行わなかったりできたらどうなるか?その場合、国家としての職務行為の最終意志 決定主体が、内閣であり天膿であるとのおかしな結論になってしまう。両者の 意志が齟齬した場合、行政活動が適切に行われずさらにその責任の所在も 曖昧となってしまう。 もし、公的行為において最終意志決定権限が天膿と内閣によって分有されている と言うなら、それはもはやまともな議論とは言えまい。天膿に最終意志決定権限が あるとするのは、民主的統制の意味から逝ってもっとおかしい。しかし、そのような おかしな結論を漠然と支持しているのが、このスレ等で繁殖するアホな天膿制支持者 の方々だ。 ピンポン外交のように民間人を利用した外交活動じゃないのだから、行為者の 都合に政府が引きずられることはありえない。公的行為と言えども、国民の税金を 使って行われ、権利義務が最終的に国家・国民に帰属する国家としての行為 なんだから。私的行為としての天膿の行為を政治利用するならともかく、職務である 公的行為の最終意志決定権者は、主権者を代表する政府だろうが。バカじゃねーの(藁 そもそも天膿が恣意的に公的行為を行えるなら、気にいった政権には協力的に 振舞ったり、そうしなかったりできることになる。そうなればもはや、天膿の 政治利用云々よりタチがわるい話だ。民間活動を政府が気兼ねしながら利用する のではないのだから、天膿は内閣のロボットとして職務執行するのが当然だ。 政府のロボットでない天膿など、それこそ民営化してしまえばいいだろう(藁
最後に個人的な意見を言わせて貰えば、このスレの天膿制支持者は皆アホだ。 なぜなら、職務としての行為にこだわるからである。国民主権の体制においては、 天膿の職務上の行為は国家に帰属し、必然的に民主的コントロールを受けざるを えないのだ。である以上、それは時の政府によって利用されるものとなる。 それが国民主権の原則にもとづく、国家としての天膿制のあり方なのだ。 国民主権の呪縛とか政治利用を逃れたいのなら、むしろ私的行為の方向で 政府から一定の距離を置いた天膿家の活動を指向すべきだろう。国家から一定の 助成を受け、そのかわり一定の制限を受ける非営利活動とかいくらでもあるだろう。 国家と一体化した王室の活動を指向しつづける限り、民主的統制から逃れる ことはできず、必然的に時々の政府の傀儡・変節漢にしかなりえないことになる。 それが民主制下の王室の宿命なのだ。だからもし王室に独自の存在意義があると するなら、政府から独立した王室の私的活動の中にこそ、それを見出すべきなのだ。 国家と一体化した公的行為などをむしろ排して、王室の独立会計のもとで行われる 非政治的な諸活動のあり方を模索した方が、将来性もあるし筋がいいように思える。 財政的な問題や機構的な問題をクリアーする必要はあるが、基本的に政府の傀儡では ない独自活動を許された王室を期待するなら、天膿家の私的活動領域の拡大こそ指向 すべきところだろう。ともかく、国家を私物化した天膿制とか、国家と完全に一体化 した天膿制モデルに将来性はないと思う。そんなもの民主制下では有害無益なわけだし。 王室の意義を言うなら、既存の制度を固守するばかりでなく、別の視点からの 新たな提言でもしてみればよろしかろう。それがないからツマランのだなぁ(藁
>>633 >この議論、最終的には、こちら側が、代表制民主主義批判を
>やる必要まで出てくるだろうな。
代議制民主主義による意志決定手法を批判的に検証することは結構だが、
それによって正当化する対象が曖昧な意志決定手法であるなら、あまりに
非生産的と言うしかあるまい。なんだかなぁって感じ。
国民の声を代表者を通して吸い上げ、代表者に非民選の国家機関を管理・監督
させるのが現在の代議制民主主義の形だろう。このような代表者をとおして
一元的に行動する意志決定手法や責任の所在を曖昧にしてしまえば、結局のところ
国民の声が国政に適切に反映しずらくなるだけである。国民の声から遠くなれば
なるだけ、国家機関の行う職務の正統性は薄れてしまう。
「皆で決めたんだから従え」が民主主義の金科玉条と言うべきだ。皆で決めた
代表者によって管理・監督された国家行為だから、しぶしぶながらも国民は
そこに正統性を見出すわけだろ。『皆』から切れた天膿独自の意志決定を
『皆の代表者』である内閣の意志決定と並列したところで、どちらに正統性があるか
と言えば、それは敢えて言うまでもあるまい。できるだけ多くの国民から職務の
正統性を調達しようとするなら、天膿を民選機関のロボットにするしかあるまい(藁
>>672 何が何でも、完全無欠の天皇ロボット説を貫くという覚悟は立派だけど
それはちょっと駄目駄目な解釈じゃないの、本家。
>発意云々を言う学者は、職務に先行して天膿と相談の上で職務を行わせる
>ことを逝っているにすぎない
俺の理解しているところの天皇ロボット論によれば、国事行為において
内閣が天皇に「相談の上で職務を行わせる」ということすら違法であり
内閣が何らかの形で天皇の意志を忖度すること自体、まったく許されない。
これが、ロボット論の本質だろう。ロボット論っていうのは、内閣が
「天皇と相談のうえで職務を行わせる」という話だったの? んな馬鹿な!
猫ぴーの
>>667 におけるロボット論の要約とは全然関係ない話でしょ、これは。
引用された宮沢のロボット説を批判するのは、もう言葉狩りのレベルで
行うしかないね。「めくら判」には「めくら」という差別用語が含まれて
いるから、「めくら判」という言い方は不適切であり言い換えるべきで
あるとか、「機械的」「ロボット的」という比喩表現は論者の感情をたぶんに
反映しているのではないか、そういうレベルの批判しかできない。
「ロボット的」というのが、比喩的表現であることは明らかだから、天皇
ロボット論という論説の名称が適切かどうかは、結局のところ修辞学の領域に
属する話題だ。
君主制の意義については、最近立ち読みしたシュミットの「憲法論」における 意義の説明がいっちゃんよかったね。「教会・公法学・国家」とまとめて買うのは さすがにつらかったから「憲法論」は所有していない。それゆえ残念ながら ここにその一説を引くことも今はできない
>>676 誰が起案したものであろうが、最終意志決定者が内閣であれば「天膿は
内閣のロボットである」との命題は成立するだろう。
職務を行うに際して一々細かいことまで、内閣が介入して決めることは
ありえんだろう。ルーティン的な職務やその応用となる職務は、担当係官が
実際にそれを行う職員の意見を聞きながら決めればいいことだ。しかし、
現場の職員であれ、管理職の職員であれ、最終的に最上部に位置する民選機関の
意向にさからうことはできない。これが原則だろう(藁
公的行為に際して天膿の意見は聞くが、最終的に内閣の命令を拒むことはできない。
つまり、天膿等の意見は聞くがあくまでそれは内閣の意志決定に際しての、参考
にすぎず、どのような公的行為を行うかは内閣の自由であり、天膿はそれに
絶対的に従わなければならない。これを指して、「天膿は内閣のロボットとである」
と逝ってるわけだ(藁
>>678 >最終意志決定者が内閣であれば「天膿は内閣のロボットである」との
>命題は成立するだろう。
俺は納得できねーなあ………そういう意味なのかロボット説って。
とりあえず、その命題は成立しない方に一票。
お前さんたちの意見が根本的におかしいのは、天膿と民選機関の内閣の どちらに最終意志決定権限があるのか曖昧なところだ。 もし天膿に公的行為の最終意志決定権限があるなら、もはや国民は 天膿の公的行為を直接的にコントロールする手段は持ち得ないことになる。 また天膿と内閣が曖昧な形で、公的行為の意志決定権限を分有すると すれば、責任の所在が曖昧になるし、天膿が持つ意志決定の部分については 前者と同様に国民のコントロール外の事項と言うしかあるまい。 この辺をもう一度考えてみるべきだろう。そもそも国民主権とか 民主主義の意義は、なるべく多くの人々から国家行為の正統性を調達 しようとするところにあると言うべきだ。そのような体制を是とするなら、 非民選の君主に独立した意志決定権限を与えたり、民選機関と分有 させるのは、あきらかにあやまりと言うしかあるまい(藁
>天膿の公的行為を直接的にコントロールする手段は >持ち得ないことになる。 前にも同じ議論したよね、確か。間接的にコントロールする 手段はあると認めていたよね、本家。公的行為が国民に公開された 行為であり、その行為の結果が、国民の判断にフィードバックされる 可能性がある限りにおいて、コントロールがなされているといいうる 確かこんな議論じゃなかった。
>>679 糸で釣られたパペットがホンモノの人形であれ、生身の人間であれ、
糸を操るものの自由に操作できれば、それはロボットと言うべきだ。
パペットが実は生身であり、時として糸を操るものの意志に反して
動いたとしても、それに気づいた傀儡師がまた自ら強制的にパペットを
操れれば、やはり生身であろうが自由に動くことができようがロボットと
言うべきだろう。
肝腎なのは、パペットを最終的にどのように動かすか考えているの者の
意志だろう。パペットが勝手に踊っていたとしても、それが傀儡師の意志と
合致するものであれば、それは傀儡師の意志による行為と言うべきだ。
なぜなら、傀儡師の意志に反した動きをパペットがとれば、強制的に修正を
くわえることができるのだから(藁
>>681 間接的にコントロールする手段はそりゃあると言うべきだろう。戦前の
統帥権すら予算を通じてコントロールできたわけだから(藁
しかし民主制においては、裁判所とかごく一部の例外を除いて、特段の
事情のない限りは、すべて国民と繋がりのある民選機関の統制下で
職務が行われると考えるべきだ。そうでなければ、民主制とか国民主権
自体の意味がなくなってしまう(藁
ましてや天膿は国政に関する権能を禁じられた存在であり、非民選機関であり、
さらに免責さえされた国家機関だろ。そのような機関が、民選機関から独立して
意志決定を行ったりできるワケがあるまい(藁
現在、本家が間接的なコントロールの存在を認めていた過去レスを さがしてるよ。みつかったら貼るね。
>>684 天膿自身に責任が問えなければフィードバックも糞もないと
思うのだが(藁
内閣が自らの責任で天膿に行わせるのであれば、フィードバックは
あると言うべきだろう。選挙を通じて結果はでるわけだから。違法な
行為をすれば、裁判所で判断されることになるし。
しかし、国民とは切れた天膿にそれを期待しても意味があるまい。
裁判所で争うにも天膿は免責されているわけだし。天膿の地位を考えれば
内閣のロボットとする以外に、国民の声を公的行為に反映させ、正統性を
調達することは考えられんだろ(藁
天皇がロボットなら存在意義はほとんどない罠 かつては日本人にとってキリスト教にかわる道徳上の絶対価値としての 存在意義もあっただろうが、それも敗戦とともに終わった。 今では、天皇もない、キリスト教や仏教などの宗教的規範もないなかで 責任を伴わない個人主義、自由主義だけが横行している。 ここわ一転、天皇をロボット状態から解放し、再び神聖なる地位につけようでわ ないか。(日本北チョン化計画といってもよい) 天皇ヌキのナショナリズムなんて、クソクラエだ!
だから存在意義など無いと言っているのだが。 神聖なる地位などというものも存在しないことも自明なのだ。 許し難い個人主義や自由主義を排除しようとするならば 全体主義こそが将来の正しい姿だ。 全体主義こそが至高の到達点だと気が付いても良い頃なのだが。
なんか国体の本義を思い出すなあ。 人類ってなかなか進歩しないもんだね。
少なくとも過去数十万年間人類そのものは何も変化していない。 変化したとしても僅かなものだ。その上変化したとしても それを進歩となどとは言えない。 恐竜やマンモスは進化したから滅んだのか? カブトガニやシーラカンスは殆ど変化しなかったからこそ生き延びているのではないのかな? 生き延びるためには何か変化することが必要なのかな?
>>689 おまい、スゴイ脳みそ持ってるなぁ感心するわ。
>>688 氏は「進歩」と言ってるところ、「変化」や「進化」に話をすりかえる。
「進歩」というのは生物学的な変化ではなくて、人類の経験の蓄積だろ。
まさに、歴史から学習することを説いてるんじゃね?
飛躍するのもたいがいにせーよ思考停止バカがw
変化を進歩とは言わない。 経験の蓄積?何年分位?経験を蓄積したからといって進歩する訳もなし。 経験さえ蓄積すれば進歩するなら、年寄りほど進歩しているってことだ。 歴史から学習だって?そんなことはしてないだろう。 していれば唯々地球上のいたるところに人類が蔓延る必要などないことが理解できるはず。 にもかかわらず未だに無用に増殖し続けるのは何も学習していない証拠ではないか。 しかもその増殖によって自分の首が絞まりかかっているにもかかわらずだからな。
ダメダコリャil||li _| ̄|● il||li
つまり689たんは、海の大部分を進化した魚が埋め尽くし、シーラカンス系から進化した生物が地上を支配している一方 進化を拒んだために同類のほとんどが滅亡し自身も海の底に追いやられたシーラカンスのごとくいたい、と。 シーラカンスは変化しなかったから生き残ったのではなく、進化から取り残されたあまたの同類の最後の生き残りだよ。 地球上に存在する生物にあって太古の形質を現在に残している生物の個体数と、進化の結果現在の形質を得て環境に 適応した生物の個体数とを比較すれば変化しないことの優位性を説くことがいかに空しいか分かろうもんだ。
694 :
亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :04/07/29 17:42 ID:r0g7FtSt
>>691 進化論などの生物学的な論理を援用して政治思想を考えるのは余り賢明ではないな。
嘗て左翼思想などが唯物弁証法の正しさを証明するかのようにダーウィンを用いていたり
ナチが人種の優位性をプロパガンダするために、優生学等の生物学的な学問を用いた
胡散臭さを感じざる得ない。昨今ドーキンスやユングを援用してトンデモ説を唱える
クズ本も少なくない。思想的な発展と科学的な発展は相互に影響する事はあり得ようが、
進化と進歩を重ね合わせて論じるのは、些かチープな論理構成ではないかい?
っていうか、シーラカンスもかなりの速度で進化してるだろ 進化速度が遅ければ、カルムナエとメナドエンシスが分化してない罠(藁
左翼のみなさん、右翼の皆さんこんにちは!
大多数のROMを代表して 猫と保守考は紳士な議論をしろよ。 アズマ人の長文は邪魔。
>>697 と言うか議論になってないだろ。保守考タンの主張って原理的根拠が一切ないもん。
彼のは、無根拠な情念に基く単なる屁理屈だろ。原理的根拠がなく、論理も解釈も
支離滅裂なんだから
一連の議論しても、彼らは君主が独立した地位と職権を持つことにこだわるあまり、
些末な解釈論に終始している。しかも、出典まで誤読して。彼らの主張に原理的な
ものがあるとあるとすれば、それは君主の地位の特殊性と独立性だろ。しかし、
国民主権のもとでそのようなものが許されるワケがないのだ。民主制において、
君主の独立した職権の原理的意味を掘り下げず、些末な解釈論に終始してそこに
向き合おうとしないのが彼らだろ(藁
そもそも、彼らとの応対の大半は、彼らの意図を把握することと、彼らのあやまった
解釈論を糺す部分に費やされている。こう言うのは、『議論』とは言わんだろ(藁
必死だな。>アズマ人
我ながら
>>674 には思うのところがあるので少し掘り下げて論じてみる。
現在の天膿制をめぐる議論は、国家としての天膿制、職務としての天膿の
行為に終始している。まあ、国家としての天膿制を論じているのだから、
そのようになるのも生姜ないのだろう。しかし、国家としての天膿制を
論じれば論じる程、天膿制支持者はリベラルな立場から支持されることは
ありえなくなることに気づくべきだ。
一連のロボット談義も、少しでも法学や政治学を齧ったものであれば
保守考やれのような立場は受け入れられないことを知るべきだ。法学的素養
のあるものは、まずもって非民選機関に独立した権能を認めることはありえない。
それが儀礼的・形式的なものであっても、国家の行為として行われる以上、
主権者としての国民との繋がりを考えざるをえないのだ。
しかし逆に言えば、国家の行為として行われなければ、必ずしも天膿の
儀礼的・形式的行為を排する言われはないことになる。もし、俺が天膿制
支持者の立場なら、君主独自の役割を国家としての行為には期待しない。
なぜなら、国家が民衆の手にあっては国家機関としての君主は民衆とその
代表者の命令に抗し得ないからである。しかしあくまで、これは国家機関
として振舞う君主を逝っているにすぎない。国家機関ではない私人としての
君主は、国家から許された範囲内ではあるが自由に行動することができるのだ。
民主制下の君主は、民に君臨する主権者でも民と共に共治する者でもない。
主権者たる国民の下で、自らの意志によらずに一国家機関として振舞うことを
命じられたロボットにすぎないのだ。これは民主制を採用する以上、いたし方の
ないことである。
そのような地位に民主制下の君主の地位が存する以上、国家機関として君主は まったくの形骸であり存在意義がないと言うしかあるまい。しかし、あくまで それは「国家機関」としての君主を逝ったまでの話である。君主が、国家機関としての 元首的地位の表象を利用しつつ、私的に公的活動を行うことができれば、そこに 自ずから君主として存在意義が生じることになる。政治的意味を伴う海外訪問などは 多少問題はあるが、国内の各種式典の出席とかの公的行為については私的に行う としても問題はあるまい。天膿家が行う宗教行事についても同様である。 民主制における国家権力の枠組みで言えば、君主に独自の権限や自由な行動を 認めることは絶対的に許されない。しかし、公的領域や公的活動がすべて国家に 包摂され、国家権力の枠内で行われるべきとはかぎらない。むしろ、民主的統制 や時々の権力から逃れた君主独自の公的行為や役割を期待するなら、インフォーマルな 活動の中にこそ、それが期待できるのだ。 民主制下の国家権力中で君主としての独自の行為を期待する戦略は、はじめから 破綻しているのだ。そのような発想は早々に捨て去り、私的活動領域の中で公的役割を 期待し、それができるような体制を議論した方がどう考えても利巧な戦略だ。民主制 を採用する以上、そこで君主が独立した権能を持つとか、独立した権威を持つとか 逝っても意味があるまい(藁 マサコの病状が軽度鬱で確定されたらしい。公私区別のない現在の天膿制のあり方が 肛賊に無理を強いているのだろう。「職務としての公的行為」のような灰色の領域が、 結果として肛賊の私的活動の自由を国家に取り込み不自由にしているのだ。この際、 公的行為などの国事行為外の職務として行われる行為はすべて全廃し、天膿家の 私的行為としてしまえばいいように思える。天膿家を私的行為においても縛ろう とする意図と財政的な問題から、公的行為領域を拡張してきたツケがでてきて しまったように思える。肛賊から失語症や鬱病患者がでたのは、そのような 肛賊個人の犠牲に基いた公的行為領域の拡張の結果と見るべきだろう。天膿制支持者は、 天膿・肛賊とされる苦痛を我が身に感じ、自分が天膿・肛賊になってもいいと思える ような制度を真剣に考えるべきだと思う(藁
703 :
右や左の名無し様 :04/07/31 01:24 ID:h/X/fg/n
皇室の存在意義などないと主張する論者も過去には意義があったと認めている事に気づいた。
704 :
右や左の名無し様 :04/07/31 01:34 ID:hW8welIk
「机上の理屈」に過ぎないのを長々と演説するのも自分に陶酔してるせいだろうなぁ
自己陶酔は皆同じ、ここは自己陶酔者の吹き溜まり。
意義があるから存在している。・・・こちらではなさそう。 存在しているから意義がある。・・・存在している以上何か意義を持たせたくなる。
まるで、おまえのような存在だな。
考えてみれば、人間ってみんなそうなのかもなw
710 :
右や左の名無し様 :04/08/02 21:37 ID:hqBlx7II
ここはどうして過去スレが読めるの?
711 :
右や左の名無し様 :04/08/02 22:42 ID:X9h/bVB4
『源氏物語』日本のエロ文学の古典で世界的に評価されているものを自分の狭い文学思想で否定できるのか? 同じように天皇と民衆が創った日本の歴史を否定できる思想はあるの イラクのように日本を共和制にするためアメリカが戦争を仕掛けてきたらどうする
712 :
右や左の名無し様 :04/08/03 03:53 ID:WZP6MYfn
天皇制の意義かー。 それってやっぱり宗教に近いものじゃないかな? 心のよりどころというか。 神様って実際には実質的な助けをくれないのに、でもたくさんの人が信じているでしょ? 祈ったり、きっと神様が自分たちの幸福を望んでくれてる、と思うだけで 満足の人は多いし。 私は無神論者だけど、でも、宗教には存在意義あると思う。 ま、戦争とかにもなること多いから、両刃の剣だけど。 皇室もそんな感じじゃないかな? 皇室マンセーじゃないけど、陛下や皇后が私欲を捨てて公務をこなし 国内の施設を慰問したりして声をかけるだけで元気になる人はたくさんいる。 昔の世代の人とか特にね。 いつも国民のことを想ってくれていて、私欲を捨てているのが 尊敬に値するんだとおもう。 本当に私欲を捨てているか、国民を想ってくれているかの論議は 本人しかわからないかもしれないけど、そう見えるww だから、まー、国内公務をしなくなった某妃はマズイんだよ・・・w
皇室に存在意義などない 税金の無駄遣い
714 :
右や左の名無し様 :04/08/04 16:02 ID:uQzF0Mvb
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 存在意義?単なる無駄飯食いだろ。 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
715 :
右や左の名無し様 :04/08/07 08:46 ID:t8h1ISq3
Japan where the Emperor exists is wonderful.
716 :
S-RAM ◆fv7aIw69ow :04/08/07 09:01 ID:eIt5zScO
>>715 とか、米国の国務大臣あたりにリップサービスされたら、皇族を生贄
にして天皇制を存続させるってか?
ばか言ってんじゃねーよ!
717 :
民主主義者 :04/08/07 12:00 ID:L6AcpvyC
いくら叩いても日本から土人は排除できないようでうんざりするな 天皇という地位を国家体制から排除したいと主張するならばぜひ次の質問に答えてもらいたい 日本から天皇という地位が無くなったとして 日本という領土の正当性をどうやって担保するのか どうやって統一国家としての日本を維持するのか 最後に日本とはいったい何か よろしくね
ふと思ったんだが、れタンってオバサンじゃないだろうか? 何かヒステリックなところが女性的な気がする・・・
おほほ・・・。
720 :
右や左の名無し様 :04/08/07 22:30 ID:IiLEVN77
>>717 >>日本から天皇という地位が無くなったとして
>>日本という領土の正当性をどうやって担保するのか
日本人だってので充分担保になるのでは?
天皇って担保になんの?変なの。
>>どうやって統一国家としての日本を維持するのか
別に王みたいなの居なくても維持できるやん。
>>最後に日本とはいったい何か
共同体じゃないの?
変なの。
721 :
右や左の名無し様 :04/08/08 02:57 ID:C2tYstyE
フィリピンの地図を見て思ったがこんな小島だらけの国が一つにまとまる事は不可能 島は一つの国でありその連合が日本である。 沖縄から北海道まで一つの国とするには皇室が必要。
722 :
民主主義者 :04/08/08 03:57 ID:9dOp8Tsf
>>720 >日本人だってので充分担保になるのでは?
その日本人という概念が問題でね
戦争に負けるまでは現在の朝鮮人や台湾人も日本人だったわけだぜ
天皇陛下の権威による統合を認める地域群が日本国家だろ
>別に王みたいなの居なくても維持できるやん。
根拠は?日本って天皇皇室の存在抜きに統合できた国家じゃないだろ
>共同体じゃないの?
国民国家はその通り共同体だ オレは日本とはなにかを質問している
>変なの。
変なのはお前だ
君の理屈に従えば、天皇制が廃止された後なら、中国、韓国、アメリカなどが日本の領土を 奪取しようと試みようが、反論できないと言うのだろ(笑 反日だなあ(笑
724 :
民主主義者 :04/08/08 04:48 ID:9dOp8Tsf
>>723 天皇という地位が日本から消えれば現在の日本国家は解体するだろうね
そこを他の国家が狙って侵攻してきたとしても是非はない 可能ならばそして何らかのモチベーションがあれば地域住民が反撃するだけだろ
ついでに君も717の質問に答えてみてくれんかね
天膿に関係なく、現体制が守るに値する体制なら 民衆は銃をとるだろうに。 しかし、もうこんなのしか残ってないのか? そろそろ勝利宣言でもして、このスレ終わらせるしかないか。 外国人参政権付与問題がまたぞろ法案上程されそうな気配だし、 この辺が天膿問題に変わってあらたな主戦場になりそうな予感(藁
726 :
民主主義者 :04/08/08 08:13 ID:9dOp8Tsf
>>725 体制を守るためにって…
国家統合が解けた地域の寄せ集めである日本列島やその周辺にどんな体制が残るっていうんだよ
勝利宣言するのは勝手だが その前に君も
>>717 の質問に答えてみてくれ
727 :
右や左の名無し様 :04/08/08 08:43 ID:jos0ekCy
>>717 はい、ちょっと邪魔するよ
天皇が在るが為に、不当な侵略をし、無茶な論法で領土の正当性を主張した。
天皇が在るが為に、先の大戦では統一国家としての日本は崩壊した。
もし日本に於いて天皇という身分を存続させたければ、この身分を利用しこの国を崩壊させた
帝國思想の方々及びその後継者の方々には、まずこの責任を取っていただかなくてはならない。
今の日本は国民の多数が優しいものだから、このような責任を曖昧にしたままで成立している国家なのですがね。
この問題が在るが為に、国連に在っても常任理事国入りは保留されるだろうしね。
ま、国際社会の中で責任ある地位を占めたいと思うなら、国体の問題と敗戦の責任は真剣に話し合って整理して、
わが国民の手できっちり決着を付けなければならないんじゃないのかね?
728 :
右や左の名無し様 :04/08/08 08:46 ID:Jf4mTP6t
>>717 >日本から天皇という地位が無くなったとして
>日本という領土の正当性をどうやって担保するのか
そもそも今の天皇は日本の領土の正当性を担保する存在ではないw
昔の天皇は権力の正統性を担保する最終権威であり、その権力の及ぶ
領土の正当性を(少なくとも国内的に)保障すると言えなくもなかった
が、現在においては天皇が政権の正統性を保障する日本という国家の
最終権威であることは明確に否定されている(憲法第一条ほか)。
729 :
右や左の名無し様 :04/08/08 10:15 ID:7FjTSkjZ
別の板にも書いたような気がするが、共和制の国では国のよりどころは憲法にある。 立憲君主制の国は国のよりどころが憲法にあるのか君主にあるのかはっきりしない。 ということは、別にどちらでもいいってことなんだよね。 イギリスのような不文憲法の国は国のよりどころが憲法にあるとはいえないから、 国のよりどころが明確に君主=エリザベス2世にあるといえるんだろうけど。 英連邦のほとんどの国は(成文憲法があっても)同じかな?
730 :
民主主義者 :04/08/08 12:58 ID:9dOp8Tsf
>>727 >天皇が在るが為に、不当な侵略をし、無茶な論法で領土の正当性を主張した。
これは第二次大戦前の話しかね 満州事変からこっちの経緯についてなら原因は明らかに世界恐慌と世界各国の自由貿易に否定的な政策にあるだろ
君が違う点について述べているとするなら例えばどの事例についてそのように主張するのか教えてくれんか
>天皇が在るが為に、先の大戦では統一国家としての日本は崩壊した。
確かに領土は削られたが国家は崩壊していないだろ単に戦争に負けただけじゃん しかもそれは天皇という地位が日本にあるがためではないだろ
>>728 憲法において国家の最終権威であることが明確に否定されている存在が同じ憲法内で国家統合の象徴とされるのはおかしいだろ
確かに現在天皇陛下という存在はむき出しの権威であるとはされていないが それを拡大解釈するにしても「明確に否定」って主張するなら君 読み方が偏ってるぜ
>>729 立憲君主制の邦の正統性は君主にあるよ どちらでもいいわけないぜw
もしそうでないとすれば立憲君主制である意味がどこにあるのかわからんぞ
>>712 激しく同意。
ただ、最後の一行は同意できない。彼女がああまでなったのはマスコミや漏れらを含めた国民の責任でもある。
(だってさ、一年中、動物園のパンダ扱いされてみろよ、普通は精神がおかしくなると思うぜ。皇室云々じゃなくてもさ)
まあ、でも、今の状況から考えるに不本意にせよ動物園のパンダ扱いが一番安全でもあるのだが。
>>730 憲法では権力の正統性を基礎付ける最終権威の位置に国民がおかれている
上に、天皇の地位自体が「国民によって」正当化されているから、天皇が
「日本における権力を正統化する最終権威」ではないのは明らかだよ。
>>732 だからその国民とは、いったいだれのことを言うんだね。
例えばあなたは日本国民なんだろうけれども、そのことは一体どうやって証明されるんだろうね。
現憲法においては、第十条において国民の用件が定められており、国籍法が此れに該当する。
(国籍法第一条にそう書いてある)貴殿が日本人であることを国籍法に求めたとき、帰化人でな
い限り、原則として父母の少なくとも一方が日本国民であることを要件としているなぁ。
じゃあなたの父母は日本国民であったわけだが、其れはどうやって証明されるのか・・・。
さぁそうやってどんどん遡っていきましょう。
明確ではないが、概ね日本の国土に生まれし者の子孫であるということだろう。
では日本の国土の範囲は、一体何によって定まっている?一言で言えば歴史的経緯だろう。
外延部分で争いがある部分はあるものの、アバウトにいってしまえば、歴史的には、日本で生まれ
育った人の子孫が日本人だろうし、日本人の統治が及んでいた地域が国土だろう。
歴史的に統治の正統性は天皇が付与してきたんだろうよ。じゃぁあなたが国民であることと天皇は
無関係ではない。というか天皇が正統性を付与した統治が及んでいた地域の人々の子孫であるこ
とが、あなたが日本人であることの証明。其れが基本だろう。そこに歴史的な経緯で一度日本人と
され切り離された人々がいるとか、そういうことが出てくるわけだ。
ひさびさにきたら、なんか勝手に勝利宣言してる人がいるよ。
本家の過去レスをさがしに、過去ログを漁っていたら、迷宮にはまってしまってね。
とりあえず、貼るだけ貼っておこうか。Part24
>>365 だ。
>天膿の職務を基本的に内閣のコントロール下に置く。問題が生じた場合、制度上
>内閣の責任として、国民は内閣に対して責任を問えることにする。つまり権限と責任が
>均衡することによって、一定の統制効果が期待できる。権限と責任が密接な関係を
>持つのは、ドグマティックな理由からではなく合理的理由があるワケだ罠。
>個々の内閣が実際に統制するかしないかは、内閣の勝手だろ。ただし、それに
>対する国民からの責任追及の道が制度的に開かれていればよい。それによって、
>国民は天膿が変な行動をしたり、内閣が変な統制をした場合に、軌道修正を求める道
>が制度的に開かれていることになる。これが民主的統制の意味するところだ罠。
仮に内閣の統制が天皇の公的行為に及ばなくても、この理論に拠れば、責任追及の道
が制度的に開かれていればよいわけだ。つまり、公的行為における天皇の発意と
民主的コントロールは矛盾しないと。まあ、もっとも天皇に内閣が職務について
相談することがありうることを認めている時点で、天皇は公的行為においても内閣の
ロボットである説は破綻してるんだけどね。
最終的に、公的行為においても天皇が発意をなすというのは憲法違反であるという
立場をどうあっても堅持すべきという考え方もあるだろう、本家とか、猫ぴーが
ひいた樋口もそうらしいし、あと共産党が公的行為を認めるべきでないという
質問を園部にしていたね。内閣の答弁の通り、公的行為における天皇の発意を
認める状態が常態化しているなら、憲法違反が常態化しているということになる。
こういう常態を説明するために、統治行為論などを過去でもちだしたりしたわけだ。
また何度も繰り返すのは、面白味に欠けるね。今度は治者と被治者の自同説の
方面から、攻めてみるといたしますか。
735 :
民主主義者 :04/08/08 18:35 ID:9dOp8Tsf
>>732 てゆうか国家における権力機構の正統性の話はしてないわけだが…
オレのかきこにそれを連想させる何かがあったとしたら謝るが意図的に論点をずらすやり方なら感心しないな
>>734 もう考えても仕方ないんだからやめたら?
君も、無知扱いならまだしも、自分の無知にすら気づかない馬鹿扱いはされたくないだろうに。
>>736 とうとう罵倒しか口にすることができなくなったようだねw
もうちょっと、面白い突っ込みを入れてくれると嬉しいんだけどねー。
ま、公的行為論についての議論についての、このスレの以後の
議論は、もはやペンペン草すら生えない不毛の荒野を舞台に
せざるえないってことだな。
>>737 いや、それは君の議論が面白くないんだから、しょうがなかろう。
素人が脳内で面白い面白いと思おうが、俺からすれば通説の理解すら怪しい程度の知識に
基づいた議論のどこをおもしろがれ、というのかね?
簡単に通説をまとめた上で、その上で、通説にはこれこれこういう欠陥があるから、俺の唱える
代替説の方が優れている、というならともかく、これこれこうだ、と脳内前提に基づいた独自説を
唱えようが、他人がおもしろがってくれなくても仕方あるまい。別に俺は君の指導教官ではないのだからさ。
>>738 公的行為については、今までさんざん議論してるんだから
いまさら通説がどうとかという話を蒸し返すのはアホらしい。
こちらも、別に猫におもしろがってもらおうとは思って書いてるわけ
じゃないしね。添削を依頼した覚えもないし。無知だとこちらを
非難するなら、無知なものにふさわしい罰は、正しい知識を
えること以外ないね。通説を教えてくれるっていうなら、よろこんで
教えてもらいたいが、生憎対価は払うつもりはない。単に無知な
人間を啓蒙したいというだけなら、対価など要求しないでいただ
きたいねw 対価がなければ啓蒙しないというなら、2chで啓蒙など
はなから不可能ってことだ。つまり啓蒙的な猫の姿勢は2chでは
全く無意味であるとw
>公的行為については、今までさんざん議論してるんだから >いまさら通説がどうとかという話を蒸し返すのはアホらしい。 さんざん議論していることと、通説がどうこうという議論をすることに一体どういう因果関係があるのかね? さんざん計算問題をしようが、因数分解が理解できない人間に教科書を読むよう指示するのは馬鹿馬鹿しいのかね? >無知だとこちらを非難するなら、無知なものにふさわしい罰は、正しい知識を >えること以外ないね。 対価も払わないで、正しい知識を与えてもらおうなどおごがましいね。 無知なものに相応しい罰は無知だと馬鹿にされることだろうに。 >対価がなければ啓蒙しないというなら、2chで啓蒙など >はなから不可能ってことだ。 おやおや。俺は「議論相手ならば」啓蒙しようとはおもわんよ。知識を披露することはあっても、 それは啓蒙でも教育でもなく、論証だしね。そして俺は啓蒙をしようとは思っていない。何を君は甘えているのかね? どうも君は被啓蒙客体であるらしい。であるならば、議論相手ではない以上、「馬鹿なこと云ってるね」 で終わりだね。
>>740 >因数分解が理解できない人間に教科書を読むよう指示するのは
>馬鹿馬鹿しいのかね?
馬鹿馬鹿しくはないさ、だからこっちは、芦部読んで議論したじゃないの。
芦部は通説的なスタンダードな教科書じゃないの。その他は
野中憲法I,IIとか園部とか引用して議論したじゃないの。忘れたの?
まあ、そちらは専門家だからもっと沢山読んでるだろうけど、世の中に
ある、ありとあらゆる憲法の教科書を読んでからではないと憲法に
ついて議論できないというのが、そちらさんの主張なの?
>無知だと馬鹿にされることだろうに。
馬鹿にされるのは一向かまわんね。傍目の一般人には、ただただ猫が
醜く罵っているとしか映らんだろうしね。
>知識を披露することはあっても、それは啓蒙でも教育でもなく、論証だしね。
知識を披露することは、啓蒙でも教育でもありうるが、論証ではないだろう。
啓蒙とは「人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。」だ。
単に(正しい)知識を披露したいだけなら、それを論証と称するのはおかしいね。
742 :
右や左の名無し様 :04/08/09 21:56 ID:r8XONiFT
マサカドって天皇制反対じゃなかったけ?? なんか賛成の立場で語ってるっぽいな。 議論負けしたのか?
>>742 俺はpart1からずっと皇室制度、賛成・容認派だよ。疑うならば、過去レスを見よ。
>>738 >いや、それは君の議論が面白くないんだから、しょうがなかろう。
>素人が脳内で面白い面白いと思おうが、俺からすれば通説の理解すら怪しい
>程度の知識に基づいた議論のどこをおもしろがれ、というのかね?
ある程度、通説とか実務、社会常識を踏まえた議論をして欲しいとは思う罠。
しかし、それがここで望めないことは数年前からわかってることだし(藁
>>734 の引用にしても、完全に誤読されてるんだよな。俺は、天膿が「法制度」
的に民選機関の内閣によってコントロールされていることを逝っているんであって、
実際に天膿の意見を聞く聞かないの議論をしているのではない。
内閣が、天膿の意見を聞こうが、役人の意見を聞こうが、民間人の意見を聞こうが
そりゃー内閣の自由だ罠。しかし、民衆を基盤にした内閣による最終的な意志決定権限や
統制権限が確認されなければ、民主主義事態が成立しなくなる罠。そこのところが
よく理解できていないようで。
最近死んだ某国の大統領ではないが、国策を決定するに当たって占星術師の意見を聞
くなとは法律で決められん。職務を行うについて、天膿の意見を聴取するのもそれと
同じことだ。民衆から国政を預かったリーダーが、職務にあたり肛賊の意見を過剰に
配慮することとは好ましいとは言えない。民主的リーダーは、国民から権力を
与えられ、国民に奉仕するリーダーなのだから。しかし、意志決定がリーダーの
内心に関わるものである以上、そのようなことを法律で禁じること自体無理だし
意味がないことだ。そのようなことをするリーダーが嫌なら、選ばなければいいだけ
の話だ罠(藁
以上のように、部外者の意見を意志決定にあたって聞くことと、部外者に独自の
決定権限や執行権限を与えることは質の異なることだ。俺は、
>>734 の引用で
前者について逝ってるのであって、後者については逝ってない。そこがマサカドタン
には読めてないわけだ。もし、法制度上から民主的に選ばれた以外の者に、
発意権とか執行権、拒否権を独立して与えてしまえば、もはや民衆はそれを
チェックすることはできないことになる。リーダーが部外者の意見を参考にする
場合は、リーダーを選びなおせば済むが、後者ではそれができない。だから、
そのようなことは、民主制においては法制度上原則として許されないことになる
わけだ。
民主制においては、原則としてすべての国家機関は民衆と繋がりを持つ機関で
なければならない。国家機関は民主的に選ばれた代表が作る法律によって
統制され、さらに民主的に選ばれたリーダによってコントロールされる。
これが民主制の基本だろう。民主制と言うものがそのようなものである以上、
天膿もまたその原則から逃れることはできないことになる。天膿はまず法律に
よって縛られ、さらに民選機関である内閣に完全にコントロールされることに
よって、民主制の中に組み込まれた存在と考えるべきだ。それがもっとも
正統的な「法制度的」に見た天皇像だ罠。である以上、天膿は民衆によって
選ばれた内閣に従うロボット以上の意味は、法制度上予定されていないと見る
しかあるまい。少なくとも法制度的に天膿を見れば、それ以外の見方はできんだろ(藁
公的行為とかに内閣のフォーマルな統制が及ばなければ、民衆は内閣の統制の 及ばない天膿の行為や判断についてもはやどうしようもないことになる。 フォーマルな権限や責任の所在が内閣にあるから、天膿に対するインフォーマルな 意見聴取とそれに基く職務執行が違法・不当な場合でも、民意でそのようなことを 行った内閣に責任追及することで、それらの措置を是正することができる。 しかしフォーマルな制度として、民意と繋がりのある内閣による統制を 外してしまえば、もはや公的行為に対する民主的統制の回路は失われてしまう。 別に難しいことを逝ってないと思うのだが、保守考タンにしてもマサカドタンにしても このような基本的な部分がわかってないように思える。 天膿が内閣から独立して職務を行えば、それは民意から独立して職務を行う ことを意味するから、民主的コントロールが成立するとは言えまい。なぜ、 このような簡単なことがわからないのかと・・・・(以下省略)
とりあえず、猫に本家の論説は正しい「天皇は内閣のロボット」説の 解釈かどうか、判定してもらいたいよ。
>>747 というか君はどう考えているのかね?
個々の部分はともかく−俺自身は、天皇が何らの形であっても内閣による政治的決定に
影響を及ぼすことそれ自体に問題があると思うが−大体においては正しいと思うが。
ところで、俺は反省しているよ。今まで、俺はさんざん憲法の教科書を読め読め行ってきたが、
間違っていた。憲法の教科書を読んだところで、それだけでは、憲法学を理解したことになるとは
到底言えないわけだよな。
>>747 民主制の基本は、すべての国家機関は民衆となんらかの形で繋がりを持ち、
責任を取れる機関でなければならない。そこは大筋では合意してるだろうし(藁
天膿の職務が民意に基くと言うことは、民衆から選ばれた国家機関の命令に
従って職務を行うしかないだろ。それ以外の方法で、民意に従って職務を行うことが
天膿にできるわけ?(藁
俺の天膿ロボット論の斬新さはそこにはないだろ。天膿が内閣に従うのは
当たり前のことを確認したにすぎにないわけだし。保守考タンとかがムキになったのは、
当たり前のことを拒絶しなければならない理由があったからだろ。
公的行為等の不定形の公務が以上のとおり内閣に従属する職務なら、公的行為の
あり方は内閣が決めることになる。である以上、天膿は時々の内閣の傀儡にすぎず、
内閣の交代ごとに180度発言や態度を偏向させることにもなりかねない。であれば、
そのような傀儡機関は、国家元首として不適格だし、国家の威厳を損なう存在に
しかなりえないことになる。
民主制下では、君主の役割が大きいほど君主は政権交代ごとに公的態度を180度
変える変節漢的機関にしかなりえない。その場合君主は、国家としての権威や
自らの立場を失墜させるものでしかない。逆に君主が変節漢的機関になりえない
ためには、なるべく君主の役割を縮小・形骸化しなければならない。しかし、
そうすると君主の存在意義が見出せないことになる。前者は有害なだけだし、
後者は有害ではないが無益だから、民主制下で君主なんていらんと逝ってるわけだ。
筋の通った意見だろうが(藁
個人的な意見を言わせて貰えば、民主制下で公務上から君主の存在意義を見出す
ことは不可能のように思える。他国の君主の例を見ても、公的立場や公務を
基礎としつつも、インフォーマルな活動で政府から独立した一定の役割や存在意義を
みいだしているわけだろ。である以上、君主独自の存在意義を公務に見出すのは、
戦略として愚策だろ。公務から天膿制を維持しようとするのは、民主的統制の問題や
肛賊個人のプライバシーの侵食から逝って好ましいものではあるまい。天膿制
存置論者は、そこをもっと考えて質の高い議論をして欲しい罠(藁
>>748 たとえば「おことば」の事例を考えてみようか。内閣が天皇に「おことば」の
文章をよませるというケースを考えてみるか。この場合、天皇が文章に
手をいれて、内閣にそれを見せ、内閣の了解をとったとする。
こういう場合、「おことば」の職務に天皇の意志は反映しているといえるだろうか。
>憲法の教科書を読んだところで、それだけでは、憲法学を理解したことに
>なるとは到底言えないわけだよな。
ふーむ、では憲法学を理解するというのは、いかなることなのかね?
おことばをどうぞ。
職務上、「おことば」に天皇が手をいれることがあっても、それを最終的に承認するのは内閣。 最終決定権は内閣にあるのであって、天皇にはない。 こういう意見を期待してるんだろうな。 で、最終的には無くても、過程で意志を反映させることができる。 ゆえにロボットではない。と、反論になってないのに論破したつもりでループに突入。 極端なことを言えば、内閣は天皇に職務上一切の意志の反映をも認めないことができる。 制度上そうなってる上で、内閣がどのようにして最終的に決定するかどうかは、内閣しだい。 あらゆるできごとに内閣単独で判断を下すことが、内閣の独立性と勘違いしてるのか。
>>750 >こういう場合、「おことば」の職務に天皇の意志は反映しているといえるだろうか。
天膿の意志は反映されているだろ。そりゃー自分の意見がとおったのなら。
しかし、「おことば」の中身を最終的に決定する権限が内閣にあるなら、
天膿の意志が反映されようが、それはどうでもいいことだろう。他の行政実務
とか国会答弁や法案だって、総理や大臣、議員がすべて作ってるわけじゃあるまい(藁
例えば、天膿が「おことば」のなかで、先日の北京等でのサッカーの試合に
触れ、シナ民衆の立場を悪しざまに批判した発言をしたとする。そして、
それが日本とシナとの外交に影響を与えたとする。この場合、もし天膿に
内閣から独立した発意権を認めてしまえば、国民は外交上影響を与える天膿の
発言をなんら統制できないことになる。おなじようなことは、日韓の関係での
天膿の「おことば」問題についても、影響の差はあれ言えることだろう。
「おことば」が公務である以上、それが社会的影響をもった場合は、責任問題が
生じることになる。だからこそ、それは民衆に対して責任を取れる国家機関の
権限とされなければならない。
民主制において重要なのは、最終的な決定権限を民衆と繋がりのある機関が
原則として持つことだろう。それによって、民意が一定レベルで国政に反映される
ことになる。それこそが民主制の本質と言うべきことだ(藁
>>751 >>752 まとめていくよー。
しかし、国事行為において、天皇が内閣ロボットであるというのは、そういう
最終的な決定権を握られているかどうかという事態をさしているのでは
なかろう。最終的な意志決定権が無いのみならず、職務に意志を反映する
いかなる手段もない、ということを指しているのだろう。
それとも国事行為においても、「おことば」と同じく、天皇の意志が反映される
局面がありうるとでも?
754 :
民主主義者 :04/08/09 23:38 ID:iX8UaUzA
つーかオレの質問は無視かよ(´・ω・`) お前らな楽しそうに天皇ロボット説なんぞ蒸し返しやがって進歩がないんだyo!! 天皇という地位に就けば政府の助言と承認を得なけりゃ何もできんサボタージュすれば更迭される それがロボットだと表現したけりゃすればいい そりゃお前らの自由だ表現の自由ってやつ? オレに言わせりゃ(おそらく一般的にも)ロボット三原則に従わない存在はロボットじゃないけどな
>>753 .
それはれタンや保守考に言ってくれw
国事行為について一切の決定権は無い→つまり内閣御用達の儀式実行ロボット
コレに対して、「いや、意志の反映は行える。職務上決定権を持っている」
とばかりに猛然と反論したのが彼らw
>>754 いや、確かに進歩がないね。民主主義者の簡潔な表現で
すべて言い尽くされてるよw
>>755 いや、だから例えば保守考氏がいうように、失踪するなどして
国事行為をなしたくない、という意志表明はできるかもしれない。
「ありうる」という回答も可能だね。れ氏も不可能ではないと
ずっと主張していたしね。じゃあ、自分の答えはいいたくないと
いうなら、れ氏や保守考氏と主張は等しいとみなすよ。承認するね。
>>753 >最終的な意志決定権が無いのみならず、職務に意志を反映する
>いかなる手段もない、ということを指しているのだろう。
別にそんなことは逝ってないだろう。他の公務と同様に内閣がすべての
公務員の職務上の意志決定を行っていることはないわけだし。
国事行為は定型化された行為だから執行者自身の意志が反映される要素は
もともと少ないだろう。それに対して公的行為は、裁量によって作られた
定型のない職務だから、執行者の意志が反映される余地はある罠。
しかし肝腎なのはそこで行われる行為に対して、民衆がいかなる方法で、
その行為に対して責任が問え、民主的統制が行えるのかにあると言うべきだ。
非民選機関の意志の介在があろうがなかろうが、それに対して民主的統制が
問えることが重要なのであって、意志の介在自体は大した問題ではないだろ(藁
お前さんは観念論をやりたいのだろうが、残念ながら実益のない議論に
付き合う義務はない。単なる観念論やってもつまらんもん(藁
と言うことで「おことば」とは、内閣の意志の反映以上の意味は持たないことになる。
もし「おことば」が内閣の意志表明ではなく、天膿自身の意志表明であれば、
それがなんらかの社会的影響を与えた場合、天膿はなんらかの形で責任をとらなければ
らなくなる。
>>752 のように天膿の「おことば」が外交的影響を与えた場合、それが良ければ
問題がないが、悪ければなんらかの責任を天膿が負わなければ、国民はびくびく
しながら天膿の「おことば」を聞かなければならなくなろう(藁
以上のように天膿の「おことば」なるものは、時々の政府の意志表明にすぎない
わけだ。である以上、天膿は時々の政府の政治的意図を表明する、傀儡機関以上の
意味を「おことば」において果たせないことになる。傀儡機関である以上、政府が
交代するごとに180度、「おことば」の中身を変えることもありうるわけだ。
日韓関係を喜ばしく語ることもあれば、日韓関係を不倶戴天の敵として語ることも
ありうる。天膿が国民に対して責任のとれない機関である以上、「おことば」とは
それ以上の意味を持たないことになる。そんな傀儡的職務が果たして必要なのか?
俺には疑問しかないわけだが(藁
>>753 >天皇が内閣ロボットであるというのは、そういう
>最終的な決定権を握られているかどうかという事態をさしているのでは
>なかろう。
論拠は?
とまれ、内閣が、「天皇がこうこうこういう風にお言葉の変更を望んだので実際に変更した」
と公にしたら、政治問題になるのは間違いないだろうな。天皇の政治利用であるのは間違いないわけだし。
>>759 >とまれ、内閣が、「天皇がこうこうこういう風にお言葉の変更を望んだので実際に
>変更した」と公にしたら、政治問題になるのは間違いないだろうな。天皇の政治利用
>であるのは間違いないわけだし。
一歩間違えれば、天膿家自身にとっても自殺行為だろう。「おことば」問題が
外交問題化とかして、それが天膿自身の発意による修正だとすれば、天膿に
対する怨嗟の声がおきるだろう。
「テロリストが撲滅され、イラクの一刻もはやい平和を望みます」とか
天膿がおことばで述べ、それが天膿自身による発意であることが公表されれば、
天膿・肛賊がテロリストに暗殺されないとも限らない。天膿自身の暗殺は困難と
しても、一般肛賊あたりはガードが緩いから海外留学している肛賊あたりが、
殺される可能性もありうるだろうし(藁
>>759 >国事行為には内閣の助言と承認が必要であるという趣旨は、行為の
>実質的決定権は内閣がもち、天皇は内閣が定めた通りに行動するに
>すぎないということである。そこでは、天皇の側からの、いかなる発意も
>異議も認められない。
とりあえず、野中憲法p.114から。いかなる発意も認められないというのは
助言と承認の最終的な決定の過程のみならず、すべての過程において
発意が認められないということだろう。これ以上の分析は少々きついねえ。
>公にしたら、政治問題になるのは間違いないだろうな。
>天皇の政治利用であるのは間違いないわけだし。
まあ、それはそうだろう。だからグレーゾーンなわけだ。しかし公開されて
いる法制局の答弁は、公的行為が天皇の発意に基づいていることを
裏付けてるよね。
ところで、
>>750 の後段は無視か。さぞかしすばらしいお言葉を拝聴できると
おもったんだけどねえ。
憲法学のなんたるかを説明するのは難しいねえ。 とはいえ、最低限、これは憲法学ではないものはなにか、とはいえるね。 例えば法的三段論法を理解できないものは憲法学について語る資格がない、とかね。
>>762 三段論法というのも、実のところ結構高度な論法だしね。
いろいろバリエーションもあるし。基本はアリストテレスの
時代から、そんなに変わってないだろうな。
>>761 >とりあえず、野中憲法p.114から。いかなる発意も認められないというのは
>助言と承認の最終的な決定の過程のみならず、すべての過程において
>発意が認められないということだろう。これ以上の分析は少々きついねえ。
天膿は憲法上は主権者から除外された存在だから、意志決定に関与する
のは一切許されないとするんだろ。俺は外国人参政権を射程に入れて考えるから、
そのような立場はとらない。
非主権者であろうが、国政に関与する権利と権限を持ちうるとするのが
俺の立場だ。非主権者の外国人であれ、民主的統制下では高級官僚とか
公務員になりうるとするのが俺の立場だ。であれば、憲法学者が言うように
原則として政治的権能を持たない非主権者であっても、職務上参考となる
意見を内閣に述べる自由はあるし、それを内閣が参考にしてもとりたてて
かまわない、との立場を俺はとる。
一般的な学者は、天膿が国政に関する権能を持たず、主権者から除外された
存在であることから、内閣がそのような者の意見に左右されることすら否定
しているわけだ。しかし、外国人であろうが肛賊であろうが、政治を行なうに
ついて自らの責任で、内閣が広く意見を聴取するのは自由と考えるべきだろう。
もし職務を行うについて肛賊の意見を聴取し反映することが一切許されないなら、
外国人の公務就任権とか意見聴取権も同様の論理で否定されなければならない
ように思える。天膿や肛賊が職務について内閣に意見を言ったり、内閣が
自らの責任でそれを採用するのも憲法の許容するところと見るべきだろう(藁
常識的に言えば、天膿の意志が政治に反映されれば、どのような形であれ 天膿の中立性が犯される可能性がでるわけだ。天膿の地位の政治的中立性とか 象徴性から言えば、傀儡性を脱して自らの意志を公務に反映させることは、 天膿の政治的地位から言えば好ましいこととは思えん罠(藁 民主制下の君主は傀儡として以外にはありえず、実務上内閣に懇願して 自らの意志を公務に反映させることができたとしても、それは必ずしも 民衆にとっても君主にとっても好ましいものとは言えんない。 独自の立場を強調すれば、民意を代表する内閣から離れ民意に対して直接責任を 負うことになりかねない。かと言って、完全に時々の内閣の傀儡と成り果てれば、 民衆から捨てられる。これが民主制下の君主のジレンマだ。 天膿制存置論者は、この命題にもっと正面から向き合うべきだろ。公務に 独立性を与えることは、一面で傀儡性からくる君主の存在意義の低下には 対処することになるが、行為の責任とか民意との乖離の問題を生じることに なりかねない。ここを全然考えていないとように思える(藁
>>764 はあ、なるほど、外国人参政権をも射程にいれて理論を組み
直しますか。さすが本家というか、アクロバティックな反撃だねw
閑話休題、正論の靖国裁判についての記事を立ち読みしたら
公的行為における発意を認める説の論拠である園部が外国人の
地方参政権に賛意を表明していたというので、叩かれておったな。
東大系法学者も叩かれてたし。この辺の問題も日本国における
血統主義をどうとらえるかという闘争の場であることには違いない
ってわけだ。
>>763 別に俺は古典論理学における三段論法については語っていないのだが。
俺が言っているのは、法的三段論法だが。法について語るのであれば、最低限、
法的三段論法程度は理解してほしいものだ。
>>767 猫の解説は過去ログで読んだし、法学の教科書の最初の方にも
法的三段論法について書いてあるのは読んだよ。 法的三段論法は
三段論法と構造的には等しいじゃないの?
>>754 そういう意味からすれば国民こそが天皇のロボットだな。
第1条 国民は天皇に危害を加えてはならない。天皇が危害を受けることを看過してはならない。
第2条 国民は天皇の命令に従わなくてはならない。ただし第1条に反する命令はこの限りではない。
第3条 第1条、第2条に反しない限り、国民は自らの存在を護らなくてはならない。
この擦れも意義もなく延々と続いてきたのだが、『日本国民は天皇のロボット』という
最終結論を得て目出度く完結終了だわ。
770 :
盧楽路 :04/08/10 15:15 ID:???
>>769 第1条 国民は天皇に危害を加えてはならない。天皇が危害を受けることを看過してはならない。
→天皇をパチンコ玉で狙撃した男は暴行罪で懲役一年六ヶ月の実刑判決を受けた。
第2条 国民は天皇の命令に従わなくてはならない。ただし第1条に反する命令はこの限りではない。
→(日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令)
日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定は、昭和二十二年法律第七十二号第一条に規定するものを除くの外、政令と同一の効力を有するものとする。
第3条 第1条、第2条に反しない限り、国民は自らの存在を護らなくてはならない。
→これは言うまでもない。
あ、本当だ(笑)
とはいっても
「国民は上記の第1〜3条を遵守しなければならない。」
→「上記の規則は国民をロボットに、天皇を人間に言い換えた場合にも成立する。」
→「よって、国民はロボットであり、天皇は人間である。」
→「ゆえに、国民は天皇のロボットである。」
とはいかないよなぁ、残念ながら。
なんで?素直じゃないね。ロボットは素直が一番。
772 :
盧楽路 :04/08/10 18:35 ID:???
>>771 素直じゃないといわれても、論理に反することは現人神だってできないさ。
最近保守考のヴォケは書き込んでいないような気がするが、撃退されてしまったのか?
>>773 ネタを仕込んでるんじゃないでしょうか?
このスレも偏った知識馬鹿の保守考タンと発言に一貫性のない激しい思い込みのれタンが
法学専門家の猫タンと独自の論理展開をするアズマタンが議論対戦する構図になってました。
対戦相手がいない今、過疎化するのは仕方がないように思います。
ロボット論争でシラけた。あれはバカバカし杉。
>>754 >お前らな楽しそうに天皇ロボット説なんぞ蒸し返しやがって進歩がないんだyo!!
はげどう
>>774 偏っているのはあなたも同様以上かと・・・。
777 :
777 :04/08/12 19:06 ID:???
ヤター
結局存在意義についてはどうなったんだ?
>>778 だからさぁー、法学ってそもそも「どうあるべきか」の学問じゃないし・・・。
「法学的に違法だと考えられる」=「やめる」or「法律を変える」だしょ?
れタンと保守考には他の道もあるみたいよ。 「法を無視する」 だからなんでもありw
↑ 極論
法学の話しかする気がないんなら、法学板行ってやれよ
れタンは、平等・個人の尊重・人権・契約といった近代法上の概念がキリスト教的であるという妄想を持っているのだろう。 だから、キリスト教に対する偏見に基づいた敵意を持っているれタンは、そういう近代法及び法学にも敵意を抱くのである。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。」というわけである。
訂正 × キリスト教に対する偏見に基づいた敵意を持っているれタンは、 ○ キリスト教に対して偏見に基づいた敵意を持っているれタンは、
>>785 私は、悪しき穢れの思想を有しておらず、したがって、基督教の出自であろうと
そうでなかろうと、妥当なものは妥当とする。
だから、出自と無関係であるというこだわりの動機が分らない。
一神教と科学の発展も無関係ではないし、ヒトが平等であるという発想と造物主も無関係だとは
思えないなぁ。日本の公平概念は、ヒトはすべて賢愚併せ持つという発想であり、
基督教は、絶対神というパーフェクトがあるからこそのヒトの平等だしょう。
外部に絶対・真理・完全があるという発想が欧州の平等だし
そんなものは最初からネーヨというのが日本の発想であると思うよ。
前提が違えば展開は違ってくる罠。その違いは「ある」と理解したほうが、現実に近いとは思うがナ。
まぁもう少し言うと私はキリスト教に対して「敵意」など毛頭ないよ。 けして其の教義の根底にあるものを好きだとは感じていないけれども、敵意はないわな。 (まぁ、悪しき穢れの思想を持っている人から見れば、基督教を批判する=敵意を持っている なんだろうが、まともな論者からすれば、批判=敵意というのはまさに頓珍漢だな。) 神道が「すばらしい宗教」だと思っていないことと同様に、基督教も「すばらしい」宗教とは 思っていない。基督教に偏見などないさ。
789 :
右や左の名無し様 :04/08/18 16:17 ID:u/wg0Emr
>>789 安いもんだろ。金で買おうと思っても買えるものではないし。
791 :
右や左の名無し様 :04/08/18 22:09 ID:7i1BMBBq
日本の 財政赤字 700兆円。
792 :
右や左の名無し様 :04/08/19 00:19 ID:Cc71Wdyv
もっとムダでカネ食ってるところもあろう。
例えば社会保険庁?
>宮内庁の人件費は、皇室がなくなっても必要な経費だろう バカじゃね?天皇制がなくなれば宮内庁も廃止されるのであって。
>>795 宮内庁が廃止されたからといって、現在の仕事全部がなくなるわけでもない。
アフォだね、君。
宮内庁の組織図から、そのどこの部分が天皇制廃止とともに必要なくなる仕事
の部分かを提示してご覧。
侍従職・東宮職などは天皇制がなくとも国家元首的地位の秘書的な仕事として必要だろうし
歴史的施設(正倉院や京都御所)の維持は文化庁などに移るだけだし、皇居だって維持は
必要だろう。
無論、無駄は省くべきだが、別に天皇制を廃止しなければならんほどの経費の削減は
望めないだろうということだよ。逆に天皇制を維持することで、世襲されるものがあるわけで
新たな国家元首的地位が誕生する都度購入するよりは、はるかに経済的ではある部分もある罠。
>宮内庁が廃止されたからといって、現在の仕事全部がなくなるわけでもない。 反論になってなかろう(苦笑 宮内庁が廃止された故に、従来宮内庁のやっていた仕事の幾つかが他の役所に引き継がれる、 それはそれでいい。 で、その主張の一体どこが >バカじゃね?天皇制がなくなれば宮内庁も廃止されるのであって。 の反論になっているのかね。 >侍従職・東宮職などは天皇制がなくとも国家元首的地位の秘書的な仕事として必要だろうし がーん、今の首相には秘書もいないのか。 >歴史的施設(正倉院や京都御所)の維持は文化庁などに移るだけだし、皇居だって維持は >必要だろう。 これはおそらくその通りだと思うが。 >逆に天皇制を維持することで、世襲されるものがあるわけで >新たな国家元首的地位が誕生する都度購入するよりは、はるかに経済的ではある部分もある罠。 一体何が購入されているんだ(笑 ていうか、天皇制が廃止されたら代わりに国家元首的なものがおかれなくてはならないなる 脳内妄想はやめたら?
宮内庁がなくなったって、そこに掛かっていた金がゼロになる訳ではないってことだろ。 十分反論になってるような気がするが。
>>797 >がーん、今の首相には秘書もいないのか。
全然反論になっていないんだけど・・・。秘書はいるでしょ。
というか今の天皇や皇族の仕事を全部首相にかぶせるわけ?それは無理な仕事量だしょ。
誰かがやるんだよね。
>ていうか、天皇制が廃止されたら代わりに国家元首的なものがおかれなくてはならないなる
>脳内妄想はやめたら?
別におかないという選択肢はあるけれども、必要な仕事は、誰かが担うわけだから
同じでしょう。天皇制があるから行なわれることで、天皇制がなくなれば行なわれないこと
というのは勿論あるだろうけれども、逆に天皇制があるからやらなくてよいことというものも
あるわけだ。(其れはいろんな選択肢があるわけだから、首相以外に国家元首を置くという
方法なら選挙という費用が必要だろうし、首相が今の天皇の行為をすべて行うといった場合は
現在行なっている首相の仕事のうち、いくばくかは各大臣などが担うわけだろうし、抱える
スタッフもその分増えるわけだしょ。)
、いずれにしても経費は、天皇制を廃止する動機にはならんだろう・・・。
>というか今の天皇や皇族の仕事を全部首相にかぶせるわけ? 皇室外交とやらなら外務省がちゃんとした外交すればいいだけの話し。 外遊議員の接待やらのどうでもいいものは旅行代理店がやればいい。 それこそ民需拡大になるんだから。
>>800 仮に其れがそのとおりなら、別に天皇制を廃止しなくともそうすれば良いだけかと。
議院内閣制だから可能かと・・・。
>>801 皇室が無くなったらってのがテーゼ(大前提)じゃなかったっけ?
>>800 皇室外交ってのは別に外務省の仕事の代わりにやってるわけじゃねーだろ
804 :
800 :04/08/19 13:04 ID:???
>>803 いや、そういう意味ではなくて皇室が無くなったらというのが大前提だから。
そうなった場合は皇室外交に見合った対外親善外交は外務省が担えばいいだろって話し。
れタンがいうような首相が全部引きうけるみたいな必要はないし、関連省庁に分散して
業務を果たせばいいんじゃないかということ。
>>799 >というか今の天皇や皇族の仕事を全部首相にかぶせるわけ?それは無理な仕事量だしょ。
天皇はともかく、皇族には公務らしい公務はないが。
また、天皇制がなくなれば必然的になくなる仕事もある。宮中祭祀とかね。
天皇の公務のうち、首相がわざわざ引き継がなければならない仕事はたいして多くないと思うが。
また、多くの国事行為は、事実上、他の国家機関が行っているわけだから、わざわざ引き継ぐという程度の問題ではない。
名目と実質が一致する、というだけの話だ。
>別におかないという選択肢はあるけれども、
というか、おかないのが普通だろう。必要ないんだから。
わざわざおく方が−おいてもかまわないが−不自然だと思うが。
>逆に天皇制があるからやらなくてよいことというものもあるわけだ。
そんなの本当にあるか?ドイツじゃあるまいし、何故首相の他に国家元首的なるものを選ばなければならないんだ?
>首相が今の天皇の行為をすべて行うといった場合は
>現在行なっている首相の仕事のうち、いくばくかは各大臣などが担うわけだろうし、抱える
>スタッフもその分増えるわけだしょ
もっと具体的に言ってくれ。
>>798 単純化して議論しようか。
今現在、一億経費がかかる役所がある。
この役所は無駄だから、廃止することにした。しかし、この役所がやっていた仕事のうち、
必要な仕事はあって、それは他の役所が処理することになった。このために必要な費用は、
百万であるとする。
で、これは十分すぎるほど、経費削減になるだろ。これに対して、従来この役所が行っていた
仕事のうち必要な仕事はあるのだから、廃止してもたいして意味がない、という反論は
明らかに間違っているだろう。
無論、これは単純化したケースであって、天皇制の場合、どの程度経費削減になるかは
不分明ではある。
また、天皇制にかかる費用は、国家予算に比べ少額だから存続しても良い、という反論は 妥当ではない。例えば、役人が行う空出張は国家予算に比べて極少額だから無視して良い、 という議論はどう考えても妥当ではないだろう。まあ、天皇その人自体なり宮内庁の役人なりは それなりの労働をしているのだから、空出張に例えるのは必ずしも適切ではないが、 いずれにしても、少額だから無視して良い、ということにはならない。 また、もっと別な部分で経費削減したほうがはるかに財政上は有益、という議論も反論にならない。 天皇制を無くすことによって、他の経費削減が出来なくなる、というならいざ知らず、 そんなことはないのだから、同時進行すればよいだけの話。 Aという企画を進めるだけより、A+Bという企画で進めた方が効率が良くなるなら −そしてA、Bが相互に矛盾しないならば−A+Bという企画を進めればよいのであって、 Aのみ進める理由は存在しない。大体、予算が余っているならともかく、財政が借金だらけなのに、 少額だからかまわないと言う発想が理解し得ないが。 また、少し考えればわかるが、経費削減といっても、必要なもの、必要でないものを個々に 判断していく必要がある。経費というものは抽象的に存在しているわけではなく、 個々の経費の積み重ねなのだから、それ一個だけ見て、比較的少額でも放っておいても良い ということにはならんだろう。例えば、国が明らかに無駄なメセナを行おうとしていたとして、 それが百億程度のものであれば、少額だから放っておいても良い、というのかね?
>>806 揚げ足をとるようだが、具体的にどの程度利益があるのかを示さないことには
議論にすらならないよ。尤も、こんなこといくら議論したってつまらんだろうけど。
なんで天皇が接待やってるの? 「儀礼」と言っても紛れも無い外交の一部なのに。 主権者でない者が政治に関わることは許されない。
>>807 釘刺しておくけど、天皇制の廃止は「天皇制が無意味である」という結論ありきだからね。
そこすっとばして皮算用しても無駄。
>>805 >天皇の公務のうち、首相がわざわざ引き継がなければならない仕事はたいして多くないと思うが。
だからさぁ、首相が引き継がなくとも誰かが引き継ぐことが多いんだろ?
それとも内閣は不必要なことを天皇に助言承認等しているということ?それならそっちのほうが
大問題だ罠。
>名目と実質が一致する、というだけの話だ。
名目の話じゃなくて経費の話だと思うが・・・。
>>806 >今現在、一億経費がかかる役所がある。
>この役所は無駄だから、廃止することにした。しかし、この役所がやっていた仕事のうち、
>必要な仕事はあって、それは他の役所が処理することになった。このために必要な費用は、
>百万であるとする。
いや・・・だからさぁ、そんな不経済な、不必要な仕事を依頼しているなら、
そっちのほうがはるかに問題でしょうよ。単純化するなら、皇族の仕事というものは
議会と内閣によって必要とされているから行っているという前提のもとに、天皇制あるが故に
存在する仕事というもの(例えば大嘗祭とか君の言う宮中での行事など)を提示して
「こんなに金がかかっている」といわなければならない。幸い天皇皇后両陛下のご活動は
宮内庁HPに明示されているわけで、費用はきちんと決算されているわけだから、分るでしょう。
>無論、これは単純化したケースであって、天皇制の場合、どの程度経費削減になるかは
>不分明ではある。
って・・・不分明じゃ議論にならないでしょうよ。経費の問題というのは費用対効果に尽きる
わけで、金がかかっているから削減するんじゃ防衛費削減を言っている共産党とカワラン罠。
基本的なことを言えば、皇室関連経費というのは当然に内閣が予算化し議会で認められて 支出されている。これが不必要な経費だという議論なら、議会でなんとでも出来るでしょう。 どうしても支出しなければならない経費は内廷費と皇族費だけ。(約六億円) 乱暴に言えば、これ以外の経費というものは削除可能なわけで、削除しないということは 国民がコントロールしている皇族の行動について内閣も議会も必要だと認めているという ことでしょう。 法律で縛られている経費というものも法律を議会が変えれば削除できるわけで・・・。 皇族費だって、内廷皇族以外は経済活動はできるという前提なんだから、相当減額が可能だ わさ。其れを国民が望んでいないから支出されている。 毎度言うけど、天皇制廃止に伴う、皇族財産の原状回復経費を考えれば、維持継続するほうが 国庫における負担は軽いということが出来る罠。
>>811 >そんな不経済な、不必要な仕事を依頼しているなら、
>そっちのほうがはるかに問題でしょうよ。単純化するなら、皇族の仕事というものは
>議会と内閣によって必要とされているから行っているという前提のもとに
でもさぁ、実際に不経済な不必要な仕事をして頂いているわけだ。
というよりも、ただ飯喰わせておくと問題になってしまうから
皇族が存在するから、無理やりそのオシゴトを創ったと言うことでしかないのだが。
だから言うまでもなく、議会と内閣言い換えれば国民にとり皇族も
そのオシゴトも一切不要なものでしかないのだな。
「猫」とか「れ」って無職?
815 :
右や左の名無し様 :04/08/19 15:50 ID:5EEccdKA
>>813 何、頓珍漢なことを言っているわけ?
内廷皇族以外は経済活動できるわけだから、内閣からの仕事の依頼がなければ
べつに経済活動をすれば良いわけで、無理やり仕事を創らなければならん動機は
ないわさ。
>>814 猫様は
>>815 が正解じゃないの?学士様らしいから。
ワシャ仕事の合間に書き込むぐらいの余裕がある社会人だよ。
以前「皇民化阻止」とか一日中カキコしてた26歳の無職が脅迫で逮捕された。 大喪の礼の時発炎筒を道路に投げてた連中は、学籍も無いのに大学に寄生し 生協費だかの名目で学生らからカネを巻き上げる極左集団。 思うに社会不適応者が自分の不遇や弱さを否定するがために権威を攻撃する、 でもそれって結局コンプレックスの裏返しなんだよね、哀しいかな
猫氏は大学院生。順調にいっていれば後期課程のはずだが、 もしかしたらオーバードクターなってるかもしれん。
ちなみに「税金の無駄遣い」とか国士を気取りたがるのも無職特有の心理。 高額納税者はそんなこと言わない
税金無駄遣いと言うならシナへの無駄なODAに憤れ
>797みたいなことは数年前に何度もレスしたが 馬の耳に念仏なんだよな
・・・一度猫タンに聞きたいと思っていたんだが・・・ どうも猫氏は文化財の保護ということについては「必要だ」としているように見受けられるが 天皇制廃止の理由のひとつであるところの、「歴史の物語化」そのものじゃないのかねぇ。 歴史や伝統に基づく特定の文化が保護するに値するという発想は、天皇制廃止論者の 最も嫌うところじゃなかろうかと思うんだが。
>>816 リクツはネ。タシカニソウダワ。
でもレッドブックにリストして保護したりするモノも存在するワケでネ。
で、レッドブック記載種は全て必須の存在かといえばソンナコトモ無いわけで。
何れは消え逝く運命にしかないってことネ。
国家機関としての天皇制は廃止した上で、 天皇には京都御所に帰ってもらって 人間国宝にでもなっといてもらうってのはどう? これなら補助金もちょっとは出るし。 食い扶持は自分で考えて!
827 :
右や左の名無し様 :04/08/20 17:05 ID:oPjMeyuI
>>824 >歴史や伝統に基づく特定の文化が保護するに値するという発想は、天皇制廃止論者の
>最も嫌うところじゃなかろうかと思うんだが。
「国の政治制度に取り込むこと」と「文化を保護すること」は違うね。
天皇制廃止論は「特定の文化を保護すべきではない」というのでは
なく、「特定の家系・一族を国の制度に取り込んで国の象徴などと
いう位置づけをすべきではない」というものなのだから。
天皇制廃止論が廃止すべきとしているのは「特定文化の保護」では
なく「特定の家系に属する人たちに対する身分的な差別化」。
むしろ、天皇の文化的価値の保護という点では、天皇を国の制度
に取り込んでいる今の天皇制はマイナスになっている面もあるな。
天皇の本来的な宗教性は、現在の日本という国とは異質なものだ
から。天皇はどうしても文化的・宗教的に萎縮してしまう。
そんなもんなんだ・・・。
>>828 まぁそういう議論はやってきたわけだが、「国家の意思決定に関わらない」にも関わらず
国家制度に取り込んで何か問題が具体的にあるのか?という疑問に対してどう答えるのか
ということだ罠。そこでその必然性が議論として提起され、歴史とか文化とか伝統という
コトバで、意思決定に関わらなければ維持されても具体的に何の弊害もなかろう、というと
「特定の歴史価値に国がコミットしてはならない」とかそういう歴史的な価値というものは
「歴史の物語化」であってイクない、なんて事を言う人もいるわけだよ。
831 :
右や左の名無し様 :04/08/20 20:26 ID:uiVqmIlc
立憲君主でうまくやってる国もいっぱいあるんだし 天皇制廢止世論が盛り上がるようになるまでこのままでいいんじゃない? 大統領制にしても国家元首としての儀礼的役割しかしてない国もあるし それなら選挙するだけメンドクサイので天皇でいいや。
>>827 一部のキチガイしか書き込んでないネタスレじゃん
833 :
800 :04/08/20 22:24 ID:???
>>830 >「国家の意思決定に関わらない」にも関わらず
>国家制度に取り込んで何か問題が具体的にあるのか?
と云うよりは、そうした存在であれば国家機関に取り込む意味はないだろう
と云うのが天皇制廃止の理由となるのだが。「お言葉」等に代表される様に
政治的な利用の危険性がある訳だから、皇室神道や歴史的な意義を鑑みて、
国家機関から切り離した方が合理的であろう。
>>833 天皇制について「政治利用の危険性」なんてよく言うけどさ、
そんなこと言い出したらあらゆるものについて政治利用される可能性はあるよ。
835 :
右や左の名無し様 :04/08/21 02:16 ID:zeFyw7Ev
test
836 :
800 :04/08/21 09:28 ID:???
>>834 実際に戦前に政治利用されたのが天皇だから。
>>836 反天皇教カルト信者でつか?(827みたいな)
世界で最も多く戦争を繰り返してる国ってどこよ?
「自由」「民主主義」も政治利用の危険性があるから廃止だな(藁
>>837 そんなもの当然廃止に決まっているだろうが。
全体主義国家こそが、これから必要とされる国家なのだからな。
839 :
800 :04/08/21 14:56 ID:???
>>836 >反天皇教カルト信者でつか?
特に政治活動などしていない、ごく普通の市民ですが。
>世界で最も多く戦争を繰り返してる国ってどこよ?
他の国の事情は関係ないでしょ。
日本人として日本の政治に利用される危険性があるかどうかが問題。
>>839 可笑しな議論をしているわけで「利用される恐れのない権威」というものを全部排除して
国家機構が成立するのかということになるでしょう。
>>840 あと、その権威を国民自身が変えられるか、という問題もあるな。
現代の国家では国家の最終的権威を国民という抽象概念においている
わけだけど、それは「国民自身の国」という「国民自身(個々の国民
とその集団)が管理できる建前」を確保するため。これによって、
「国民によって作られる政府」という権威を共同体の利益追求のため
に国民の監視・管理下で「利用」することが可能になった。
天皇制のように血統・家柄で規定され身分的に固定された権威の恐ろ
しさは、それが国民と容易に乖離してしまうこと。こういった権威が
「天皇陛下の国のため」などと利用され暴走しだすと、「国民自身の
管理」が不可能になってしまう。
その権威自体に国民は関与できないから。
よく分らんが、「政治意思決定に関与しない天皇」が、どうやると国民に利用できる権威 となるのか説明をしてくれるか? で、「天皇陛下の国ため」という利用のされ方が問題だというが、それは「弘法大師の国」 であったり「麻原の国」であったりすることと同様に、利用する側(無論麻原の場合で言えば 利用されることを主体的に行なっている利用する側でもあるわけだが)に問題があるという ことだろう。 小泉純一郎のため・池田大作のため・三島由紀夫のために誰かが暴れだしても国民が管理できる わけでもあるまいが、天皇だけはなぜ国民が管理できなければならないのかなぁ。 で、もうひとつはいずれにしても国民を代表するなり国を象徴するなど最高権威というものは 天皇制がなくなろうと存在するわけで、其れが総理大臣かもしれないし大統領かもしれないが そういう民選ならば利用されにくいという期待の根拠がどこにあるのかいなと思うわけですわ。 民選でもヒトラーは暴れたわけで、システムが悪かったと結論付けるなら、民選でなくとも システムで解決できるということであって、そのシステムこそが、権能を持たない象徴でしょう。 というか軍靴の音が聞こえるヒトには、民選の総理大臣でも充分に暴れているというでしょうし 具体性のない「○○の恐れ」というものこそ、国民を惑わす政治プロパガンダだったことは 過去においても現代でも多数見受けられたことですが・・・。
>>942 >よく分らんが、「政治意思決定に関与しない天皇」が、どうやると国民に利用できる権威
>となるのか説明をしてくれるか?
??あなたが権威の利用に危険性について論じていたから、政治的
権威を(国民が自ら創出して)利用すること自体はそれが天皇制の
ような国民自身によらないものでない限りは特に問題ではないだろう、
といったまでだが?
>で、もうひとつはいずれにしても国民を代表するなり国を象徴するなど最高権威というものは
>天皇制がなくなろうと存在するわけで、其れが総理大臣かもしれないし大統領かもしれないが
>そういう民選ならば利用されにくいという期待の根拠がどこにあるのかいなと思うわけですわ。
いや、利用するのは良いんだよ。
特に民選のような形で「わかってて」利用する場合、「いつでも
変えられる」状態で利用する場合はね。ヒトラーを再生しないた
めには、この部分(国民の側から排除できること)をはずしては
いけない。
大切なのは、おかしいと思ったとき、暴走しだした時、国民の側が
それをとめられること。そして、その権威を国民自身が自ら作り出
している、という建前を明確にしておくこと。
>>843 今の天皇制は天皇が暴走した時、国民の代表によって其れをとめられるシステムになって
いるから、じゃぁ問題ないじゃん。
どんなときに止められないと思っているのかなぁ。
>どんなときに止められないと思っているのかなぁ。 おまいらが主張しているような、天皇の権限が強化されたとき。
天皇は暴走しないだろう多分。 自己の支配欲を満たすために その道具として天皇制を悪用したい香具師が山ほどいるってこと。
>>845 国民によって憲法が改正されない限り「権能はもてない」わけだが、そういう意味か?
国民が権限を持たせたなら、暴走は防げるでしょう。というか防げるように改正しなく
ちゃダメだし・・・。
まぁ改憲の限界を越えると思うけど・・・暴走可能なほどに権限をもたせれば・・・。
国民の意思を無視しての権限の増大には、憲法遵守を即位の際に誓っておられ、かつ
現憲法も五箇条のご誓文という基本に沿っていると捉えている天皇家において、望んで
いないだろうし、仮に武力によってそうしようとする勢力があったとしても与されない
かと。
てか、私は天皇の権限を強くすべきだといったことはない。
基本的には、現憲法こそが天皇の権能は最も少ない。いわば皆の意思を皆の意思として
表現するだけの存在ナわけで、それは天皇のあり方としてもっとも基本に近いものがあろ
うかと私は思う。
(もう少し財政的に自己完結できうるようにして私人としての行動が可能になればなお
よいかと・・・。)
>>847 現憲法と五箇条のご誓文は何の関係もないだろ。
それと、天皇の意思が問題なんじゃなくて、(おまいはそうではないとしても)天皇の権限を強化しようと企む輩はいるわけで・・・
というか、伺い知れない天皇の意思について楽観的なのは鈍感だと思う。
>>849 いや、問題になるとすれば天皇自身の意思というより天皇を超越的存在
として絶対化し、天皇を旗印にして国民を支配しようとする輩がいると
いう点だろうね。いまだに「日本は天皇を中心とした神の国」なんて言い
出す馬鹿がいるくらいだからねw
天皇のような血統で継承される宗教的存在が超越的存在として「国の権威」
とされてしまうと、それを認めない者は理屈ぬき(まさに「宗教的」文脈
で)で「非国民」とされてしまう。そして、こういった「天皇を抱え込み
従わない者を非国民・朝敵として排除する口実を造ること」が天皇の最大
の「利用法」だった。
そして、その利用法の有効性を何度も実証してみせたのが日本の歴史w
851 :
右や左の名無し様 :04/08/24 05:16 ID:SqkVWell
なぜ世界に冠たる皇統をそんなに悪し様に貶すのですか? 日本人として 天皇陛下を尊崇するのは当然じゃないですか。 「宜しく挙国一家子孫相伝へ確く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念ひ総力を 将来の建設に傾け道義を尽くし志操を鞏くし誓て国体の精華を発揚し世界の進運に 後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を体せよ」と 畏くも仰せになった 先帝の御恩を今こそ見なおすときではないでしょうか。
852 :
右や左の名無し様 :04/08/24 05:59 ID:6Z8Qug16
853 :
源氏と平家の合いの子 :04/08/24 08:34 ID:NQCv4DIK
創価学会は、与党に寄生して中東戦争にも加担していますね。
殺人の罪の償いはどうするのかな?
中東問題は、(戦争に加担・人道支援)の2本立てであって、どちらか一方ではありません。
中東戦争に加担するを良しとする創価の見解は・・・ポアもやむなし。のオウムを想い出します。
攻撃型異端仏法=(日蓮系・池田派・ネズミ講)かな?
魔界の虜。
防衛戦線は拡大させます。
http://www1.ezbbs.net/03/g47009765/
>>848 明治憲法が五箇条のご誓文の理念からなっていることは公文書によって明白である。
現憲法はその改定であることも明白である。
又いわゆる人間宣言の中で、昭和天皇がそうのべられている。
したがって充分に関係性はある。(というか常識だろうよ。)
>>850 いや、だから、歴史的に見て日本の統治における天皇の存在はよくなかったという
評価なのか?戦争に直面した一時代に、天皇の権威は利用されうることは間違いない
ことではあるが、其れは天皇が存在するから利用されるのであって、天皇が存在しな
かったら別の宗教権威などが利用されるだけのこと。
覇者は覇者を否定できない。武力による支配論理は武力による転覆を容認せざるを得
なくなるから、必ず権力以外のヒトを従わせられるもの(権威)を必要とする。
天皇が連綿と継続し、国の中心的位置に存在し、その結果、この1000年以上の日本は
比較的豊かで(民衆の武力蜂起が発生するほどの極端な簒奪は少ないという意味で)
比較的平和(ある特定の集団を殲滅するまで終わらないほどの戦闘はないという意味で)
だったわけでしょう。で既に国民主権が確立している日本で、何を不安に思うかよく分らん。
不当に利用しようとするものがいるから、利用できうるものを排除するというのは
愚者の選択。まぁ、自衛隊の廃止を叫ぶヒトと論理構造は同じだな。
やれやれ、昭和天皇が馬を鹿だと言えば、そう信じるというわけか。 現憲法が明治憲法の改正という形を取ったのは形式上の事であって、実質的には?がりは無いと見るのが一般的だとが。 それにその明治憲法にしても、せいぜい五箇条のご誓文の理念に違背しないと言う程度の問題であって、五箇条のご誓文そのものを成文化したものではないだろう。
何だ?文字化けしちゃったな。w ×?がり ○繋がり
前段:昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」で表明したのは、昭和23年だね。 「現憲法下における天皇の公的発言」は、私的な心象の表現ではないだろうよ。 茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、 (五箇条の記載・・・略) 叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。 須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、 教養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。 後段:明治憲法の理念が五箇条のご誓文だといっているわけで、違背しない程度でもなければ 五箇条のご誓文を成文化(?そもそも五箇条のご誓文自体成文だが・・・)したものでもない。 きちんと公文書を追っかければ分ること。 「国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ」 から示されている勅命などを遡れば分ること。(ご自分でどうぞ) そもそも天皇が天地神明に誓ったことが、理念として採用されないということ自体考えられない でしょう。 私は明治憲法のよくなかった部分というものも認めているし、漸進的に改定されなかったことも 不幸だと思っているよ。しかしなぁ、正しい妥当な評価というものはすべきであって、誤まった 評価からは、誤まった反省しか出てこないでしょうよ。近代に脱皮した明治初期の状況と、その中で どのようにして明治憲法が産声を上げたかということを、きちんと史実に基づいて 知ることは必要だぞ。
>>857 前段:それは当時の保守派を納得させる為にそう言っただけのことだろ。
「現憲法も五箇条のご誓文に矛盾しないから国の再建にがんばりましょう。」と。
後段:明治憲法は一応近代憲法であるとして、近代憲法においては「権利の保障」が中心的な地位を占めるわけだが、五箇条のご誓文には「権利」については何ら触れられていない。
従って、明治憲法の理念が五箇条のご誓文を基本としているとは言えんだろ。
明治憲法における「臣民の権利」に関する規定が、西欧の憲法の物真似であることは明らかなのであって・・・
>そもそも天皇が天地神明に誓ったことが、理念として採用されないということ自体考えられない でしょう。 採用されなかったという史実もある訳だが。 正しい理念が常に正しい行動を導くとは言えない訳で。 >誤まった >評価からは、誤まった反省 誤った礼賛もな。
860 :
右や左の名無し様 :04/08/24 12:53 ID:HEuL9PB+
>>858 どんどん議論がずれてくるわけだが・・・。元々五箇条のご誓文を出したのは
天皇家はそう把握しているから、不当な利用をしようとしても与しないという
論拠だったんだが・・・。
で、前段は何の根拠もないあなたの感想だから、無意味で、反論にもなっていない。
後段:五箇条のご誓文読んだことないの?権利に関して言えば
一、 広く会議を興し、万機公論に決すべし
(参政権・言論の自由の根拠となる罠。)
一、 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし
(これも、言論の自由や平等を表現している罠)
一、 官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、
人心をして倦まざらしめんことを要す
(幸福追求の権利の根拠であり、ヒトの平等も謳っているじゃない)
一、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
(これが政教分離政策の根拠となっているんだから、信教の自由と無関係ではないんだよ)
一、 知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし
で、物まねと表現したヒトと、参考にしたと表現したヒトがいるとして、少なくとも
江戸時代よりははるかに人権に関して進んでいるわけで、よいことを真似した場合に
「モノマネ」と表現するほうに、いささかの恣意的評価をしていると感じるのは普通
じゃないかい?
862 :
右や左の名無し様 :04/08/24 17:39 ID:oCMUR7oW
>>861 >広く会議を
独断でことを進めるなと言っているだけ。参政権や言論の自由の根拠とはならない。
>上下心を一にして
これも言論の自由や平等を示してはいない。
上下といっているのだから当然身分の上下がある。
身分が異なれば、言論は身分に縛られる。無礼講だなどとはいっていなからな。
>官武一途庶民に至るまで
権利を認める根拠にはならない。官武庶民というのだからこれも
身分の差は当然織り込まれている。その上で能力による競争主義を導入するという。
>旧来の陋習を破り
政教分離の根拠とはならない。西欧発祥の国際慣行(法)言い換えれば
キリスト教に基づいた法体系に準拠する。日本の慣行は陋習だから破棄するという訳だ。
西欧の政治は未だにキリスト教の呪縛に囚われたままなのだが。
>>862 あなたの感想であり、何の根拠もない。あなたの希望的観測は事実ではない。
現実に人権を規定した明治立憲が成された(充分とはいえないかもしれないが)
という事実と、その明治憲法が五箇条のご誓文を理念としていると公文書によって
確認できる事実があるだけである。
五箇条のご誓文がかかれた時期に身分差はあったわけで、上下とか官武一途庶民
という表現は当然である。
それとも、黒人を差別するなと書けば、黒人という差のある人種を織り込んでいるから
差別防止につながらないとでも言うのか。奴隷解放っト言う表現はは奴隷という身分を
想定しているから開放につながらないとでも、まさかな・・・?
有りてあるものは有るとかかれる。
大体身分は明治憲法下においてもあったわけで、しかしながら平等は目指していたとい
うことと、漸進主義であると立憲の担当者が言ったことは無関係ではない。
民度の問題である。
>>861 分かったよ。「知識を世界に求め」という文言から、外国の憲法が定める権利規定を取
り入れたということを根拠付けることは、可能といえば可能だろうからな。「明治憲法
の理念が五箇条のご誓文を基本としているとは言えんだろ。」というのは取り下げるよ。
だが、現憲法が五箇条のご誓文と矛盾しているということについては、共通認識が出
来たと思うが。明治憲法の基底を為す五箇条のご誓文が、明治憲法とは全く異なる内
容を持つ現憲法とは矛盾しない筈は無いからな。まあ、現憲法が五箇条のご誓文に整
合するなどというのは、詔書を書いた昭和天皇或いはそういう詔書を出させた当時の
政府が根も葉もない妄想を抱いていた、或いはそのように思い込むことにした、或い
は思い込んでもいなかったが現憲法に批判的だった当時の保守派を宥める為にコミュ
ニケを出した、の何れかということだよな。
で、共通認識が出来たところで幾つかイチャモン。
>広く会議を興し、万機公論に決すべし
これは、せいぜい議会制の導入を指示したものであろう。語尾が「〜しる」と命令
形になっているから、これをもって権利の根拠と看做すのはかなり困難だ。権利や自
由という限りは、「〜しない」ことも認められないとダメだからね。
>上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし
これも上と同じ理由で権利・自由の根拠と看做すことは出来ない。
>官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、
>人心をして倦まざらしめんことを要す
これはせいぜい「おまいら、国の為にしっかりと勤勉に働けゴルァ」ぐらいの事し
か言っていないよな。
>旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
これが政教分離の根拠だと言うのはこじ付けだよな。「旧来の陋習を破り」さえする
ものなら何でもこれが根拠だといえてしまうわな。