総ての議論は、価値の上下・優劣を語るものであろう。
価値の対立の論証と、どちらを選択すべきかと言う議論である。
例えば、儒教においては、忠と孝が対立した場合、どちらを優先すべきか。
忠は、天命にて選ばれた皇帝への忠誠であり、孝は、父系祖先に対する祭祀である。
父が亡くなる時、戦場にあった兵士は、帰省と、命令実行のどちらを選択すべきか。
本来的な儒教徳目の順位によれば、孝が優先される。帰省せよと教えている。
それでは、為政者としては問題が多いので「忠孝一致」と言い出した。
為政者への忠誠は孝と一致するというわけだ。父は、皇帝に息子が尽くすことを
喜ぶと言う構図ができる。
阪神バースの例を見るまでもなく、スケット外人野球選手は、息子の手術のため、あるいは
親の葬式のために、戦場を離れる。別に儒教精神ではない。仕事より、家族のほうが、
優先順位が高い価値体系にいるから、彼らにとっては当然なのである。
日本人は、芸人は親の死に目にあえないし、野球の監督は葬儀よりゲームを優先する。
(少なくとも、そうするほうが好意的に見られる)。プライベートは優先順位が低い価値
体系がある。(私的なことで、みんなに迷惑はかけられない・・・。)
おそらく、優劣・上下は別として、儒教の徳目+アルファの徳目は、人類的に、さほど
違わない、概ね落ち着く範囲があると言っていいだろう。(順位が違う)
儒教で、そして欧米で重要視されておらず、回教・ユダヤ教でも重きを置かれていない
徳目(価値の種類)で、日本では最重要視されるものがある。
「和」である。争わないこと・争わないために良く話し合うこと・譲歩できるものは譲歩すること
・党派心を捨て全体の利益を考えること・個人の執着心は捨てること・・・和の精神は
日本においては非常に思い位置、上位の価値(徳目)である。
つづき
日本において、儒教関係の思想が影響を与えたのは、まさに
ある価値について論じる際における、其の思想であって、価値の上下(優先順位)
において、儒教そのものではないと言うことである。
君主に忠誠を誓うと言うことはどういうことか・・・忠のあるべき姿として影響されている。
しかし、そこに「和」という、儒教の徳目(重要な八個)にはいっていない徳目が、日本に
はある。これがなければ、日本は韓国と同様の、儒教国家になっても不思議ではない。
ここを押さえながら、大陸・半島の影響を考察しないと、結論を誤まるのである。
同様に西欧価値体系を採用するにあたり、日本人はそれをどう取り入れるのかと言う
考察が必要である。少なくとも、ユダヤ教・基督教・回教徒に共通する、ヨシュアの
部族大虐殺を、正義として受け入れる(正義のためなら、争うことはいとわない)という
価値体系(それは、米国の回教国に対する態度であリ、パレスチナ紛争の原因である)
と、日本の和を大切にし、同じ人間同士話せば分かる、と言う価値体系は、異なる。
和魂洋才とは、和らぐ魂で、洋才を取り入れることではなく、和らぐ魂「に」、洋才を
「取り込む」ことである。(儒教徳目をそうやって取り込んだことと同じように・・・。)
つづき
で、国と価値体系のかかわりである。(やっと天皇がでてくる)
国は何をするためにあるかと言えば、内部の価値の対立を収める、価値の違う地域・民族との
境界を定める、、、古代から継続する国の意義はそういうことだろう。
日本の天皇は古代から(少なくとも1000年以上継続して)知らしめ(知らす・シラス)
争い(訴訟)を収める(収める・治める・治ス・シラス)存在であった。
農耕の知識と知らしめる際には、当然にみなが協力すると言う価値体系も知らしめていたし
それは、林業・水産業についても、また職人の世界についても、商業についても、八百万の神
の振る舞いとして、知らしめていた。訴訟(主に土地・耕作地の所属の争い)については
血縁関係と、相続についての価値体系を提示する必要もあるだろうし、売買のルールも
権限・権原についても示さなければならない。
また、日本に関して言えば「和」の体現者でなければ和の理念による価値体系を知らしめる
ことができない。和を説くものが党派心を剥き出しにすれば国は乱れ、権威は喪失する運命に
ある。
実は、天皇の為政者正統性認定の権威の根拠は、様々に争ったりした為政者が、
結果として、「最終的にみなの同意を取り付けたこと」=「和らいだこと」を認定できる権威
である「和の体現者」なのである。だから、「みながまとまれば」それを認定する。
天皇はみなのまとまりの象徴・・・国民統合の象徴・・・として歴史的に存在したのである。
わたしは「国の象徴」と言うのは、国の代表者、国家元首的地位であることであり、制度的
定めであるから、「国民の総意」によるものとし、「国民統合の象徴」は歴史的な理由で
あると説くのは、そうやってみながまとまらない限り、天皇のお墨付きが与えられない、
みながまとまることが優先する価値であるという、日本人の価値観の象徴としての、
歴史的存在である天皇と説明する理由は、ここにある。
670 :
da:03/10/30 21:47 ID:???
>>471の「れ」閣下
股しても大幅な遅レスでテンションを下げて申し訳ない。
最近は何かと物入りなんだ。
「こういうループ気味の議論に何か存在意義があるのか」
という名無しさんの声を以前聞いたような気がするが、
最近、村上龍のある小説を読んでいたら、やはり
こういうループ議論にもそれなりの「意味」があるように思えてきた。
>で、議長元首制というものの欠陥は、何度も申し述べてきた。
>国政の混乱時、国家議長の正当性は、誰が(何が)担保し保証するんだ?
>選挙中はどうするの?選挙運動中に、国家元首として様々な訴えを国民にするということは
>、できないでしょうよ。
前にも言ったけど、たとえばドイツの大統領は2大政党であるSPD乃至CDUに属しており、
にも拘わらず立派に国家元首の任を果たしている。
彼らは当然に政治的存在であるから、選挙にも拘わるだろうが、
「ドイツの大統領が政治に関わってはならん」などという声は聞いた事がない。
あと、君が上で言っている「国政の混乱時」って、具体的にどういう状況なの?
>>議長としての主張はやはり
>>これまで通り、大した主張もせず適当に選出される、と。
>現実の状況を無批判に受け入れるのではなく、理念としてそれで、いいのか検討してくれい。
理念としては、各議長候補の政治信条を明らかにした上で選出されるのがベストだろうね。
上記のドイツの例でも明らかなように、政治信条を明らかにした奴が元首でも別に不都合はないわけで。
ただ現実論としては、日本の国・都道府県・市区町村議会の議長が、明確な主張を持っている例は少ないと思う。
671 :
da:03/10/30 21:47 ID:???
さっきの続き
>>、「世襲というシステムそれ自体」が非・中立的であると、
>???国政に関して意思も表示しないんだから、国政に関して中立でしょう。すくなくとも
>民選の元首よりは。
自身が政治的意思表示をしなくても、その存在自体が非中立的であるということは有り得ることです。
「世襲による公職の継承」というのは、前近代の価値観であり、
少なくともそれを否定する近代合理主義の価値観からは否定されるべきものだからです。
つまり「反世襲」派から見て「偏向」している以上、天皇自身が何も語らなくても、
彼の(「発言」はともかく)「存在」は非中立的だということになります。
>選択のシステムとして、民選と世襲の価値があるとするなら
>双方同等に非中立だけど、選択するときのシステムに置いて中立価値と言うのは、
>全く存在しない。民選と言うのは、対立する国政に関する価値のどちらを選択するか
>において有効な手法であって、中立的な地位の選択において、民選はその機能を発揮しない。
>国政に関して中立な地位を、民選によって選択すると言うのは、意味不明でしょう。
>国政において何らかの対立軸があるから、民選が選択されるんだよね。
全くその通り。ただ、「民選」でやる限り「中立」など有り得ない。
ただ、「世襲」でやれば「中立」になるのか?それは否だ・・・というのが、前段の説明なのれす。
もっと言えば、世襲というのは血統という「私」的なシステムであって、
「民選」(公選)の方が、システムとしては文字通り「公」的だと思う。あくまで相対的な言い方だが。
>明治憲法にお家、天皇は国政に関し中立であるとはいえない。
>影響力はあったし、大きかったとは思うよ。しかし絶対ではなかった。と言うことでしょう。
あくまで相対論で言うと、前憲法下の天皇よりは、現憲法下の天皇の方が
「より」中立性が高い、とは言えるだろうね。
672 :
保守を考える:03/10/30 23:10 ID:48nG4s88
>>666 まあ、その感覚的なモノが、何に由来しどの様に考察され得るものなのか、
又は、どの様な未来像等の下、その感覚に行き着くのかを思索していくと
自身の思想の問題点がよく見えてくると思いますので、参考にして下さい。
そうしている間に、「れ」氏が
>>667-669で纏めてくれましたが・・・・。
673 :
右や左の名無し様:03/10/31 04:16 ID:/000h0xH
Age
>>670 ダ閣下
「国会議長国家元首制に関する疑問。」
いや、国家元首が政治活動として選挙に関わることも有りうるのはいいんだが、
じゃぁ、国会議長である必要性はないんじゃないの?大統領でいいわけだ。
大統領でなく、総理大臣でもなく、国会議長を、国の代表者たる元首とする意図は
中立性が高い(完全にではないけど)からじゃないのかな?議長って言うのは、
結局国会議員の決定に従う・・・政治的に其の主張を表現しない・・・国家元首によい
と言う発想なら、選挙中はどうも・・・よろしくない状況で、大統領(権能の少ない)の
ほうが、まだ、いいんじゃないのかなぁ。
>>671 「中立性について」
結局のところ、貴殿は世襲であること自体が、何かしらの「価値観」を表現しているから
「中立ではない」といっている。
まぁ、これは当然のことで、議会の存在と言うのは、代表者による専門性を有した検討と
討議により、より良い結論をえらえるであろう期待、という価値観を持っているし、
議院内閣制は、三権分立が好ましく、総理大臣は議院から選ぶべきと言う価値観を
表現しえいるだろうね。総ての機関と言うのは、そういった意味では価値観を表現している
わけで、中立ではない。
いいところに議論が移ってきていると思う。
国の制度形成において、中立であることはありえない。また中立である必要性はない。
ドイツの憲法が、ゲルマン民族の体をあらわすように、日本国憲法は日本人の体を
表現しなければならない。それが国であることは当然で、巣でなければ国境など要ら
なくなる。
>>669 >日本の天皇は古代から(少なくとも1000年以上継続して)知らしめ(知らす・シラス)
>争い(訴訟)を収める(収める・治める・治ス・シラス)存在であった。
天皇が何かを知らすのではなかろうに。天皇は(神の子であり)統治者であると
神が(臣民に)知らす存在なのだ。
>和を説くものが党派心を剥き出しにすれば国は乱れ、権威は喪失する運命にある。
臣民は和をもって、我が一党に従えと言っているだけなのだが。
だが、和は実現不可能のものだ。社会主義国家はその成立論理が
和(或いは善人のみの存在)を前提とする空論であったことによって破綻したのだ。
ユートピアは実在し得ない夢想でなのだ。実世界は闘争と妥協の産物でしかない。
確かに闘争しないで済むならそれにこしたことは無いが、それは相手次第であって
自分だけがそれを念じても永久に成就することは無い。
和などというものは夢想であることを自覚するからこそ、日本国憲法は
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して・・・いづれの国家も・・・いづれの
国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
と、前振りしている訳だ。言い換えると、この前振りに反すると日本が判断する
国家や集団とは、戦闘を交え殲滅することも辞さないということだ。
和など武力の裏付け無しには成り立たない仮構なのだ。
国内外を問わず、聞く耳を持たない相手は撃滅する以外手段が無いのは
歴史上の事実なのだ。
>>676 日本語になっていないよ。
>天皇が何かを知らすのではなかろうに。天皇は(神の子であり)統治者であると
>神が(臣民に)知らす存在なのだ。
天皇が何かを知らす【シラス】のではなかろうに。
天皇は(神の子であり)統【統べ】治【シラス】者であると
神が(臣民に)知らす【シラス】存在なのだ。 では・・・。
和を求めると言うことと、必ず和がなると言うことは違うでしょう。
平和憲法が自衛権を認めること、自由主義が公序良俗と言う不自由さを規定すること
民主主義が支配権力に対する民衆の委任を規定することと、全く同じ。
慈愛を説くキリスト教において、アイの町を殲滅し、解脱を求める仏教僧が婚姻する。
ことと、全く同じ。
>>676 結果として「和」が守られればなんでもあり。それが日本の「和」。
ユートピアとか社会主義とか関係ない。
679 :
右や左の名無し様:03/10/31 12:09 ID:NaZuALV8
>>678 >ユートピアとか社会主義とか関係ない。
実存し得ない和を前提とすることが、同根の夢想と言う意味で同一のもの。
>>680 実在しないからこそ、夢想する。
そして理論構築を試みるんだろう。
「和」を称えるとき、そこに「和」が無いから。
「愛」を説くときは、「愛」がないからこそ。
人は現存しない理想に夢を託すものだよ。
682 :
!:03/10/31 12:41 ID:OpoEkRoB
>>680 少し、勘違いされてると思う。
「和」の概念は共同体内部に対して使うもので有る。
ここで共同体外部との関係を持ち出すのはスレ違いでしょう。
天皇制は、あくまで共同体内部の問題なのですから。
貴殿が世界市民とか地球政府を共同体として夢想するなら有効な議論でしょうけどね。
冷戦構造は崩壊したけど、世界は予想に反して民族運動が高まってます。
世界市民の世の中は遠くなりましたけどね。
>>680 なんか勘違いしてるね。「和」っていうのは日本人の文化的性質で、
和そのものが実存するかどうかは別問題。
ありゃかぶった
「和の理念」
和の理念とは「和らぐこと」を確保する理念です。
オカルトティックに考えずとも、皆が話し合って決めたことと、話し合いもなく専制的に決め
たことが、全く同じであったとしても、後者には反対者の怨念が発生します。
党派心を捨て、こだわりを捨てて、皆で話し合うことは、反対者への配慮でもあり、また
衆議によるより良い結論への期待でもあります。(相互理解)
当然に和の理念は其の共同体内部においてはまとまりの維持の目的ですし
外部に対しては、対立の回避が其の目的です。
したがって、和の理念において、話し合いで解決をしてはいけない事項は
「共同体維持に関わる事項」と
「皆で公平に参加し話し合って決定することを阻害する事項」の二つです。
で、最終的に話し合いによる納得が得られない場合、争いが起きます。
争いを排除することの重要性を和の理念は持つとしても、上記のような原理原則はあるわけ
ですから、争いは避けられません。争いに勝利した側は、敗北した側を慰めなければ、
其の怨念は消えません。(子や孫・子孫、および彼への信奉者によって、リベンジが予想で
きます。)そこで、敗北者を慰めるために施設として神社が設定され、敗北したものを
顕彰する(一定の正当性を認める)ことで、慰め、怨念の消去を願った(リベンジを回避)と
言うことになります。
ここまでは、別にオカルトティックでないリアルな話としても、合理性があることです。
神社の最高神官としての権威が、天皇であることは、ここにおいて必然性が有ったのです。
>>680 より好ましい社会のあり方についての価値体系が【争いのない社会】であり、其の手段が
「和の精神を皆が持つこと・・・党派心や拘りを排除し、和やかであることを優先する」
と言うことです。そして、この日本の価値体系をもう少し具体的にしたのが、五箇条のご
誓文と言えるでしょう。
【争いのない社会】において個人が求めるのは、個人の志をかなえられる社会であり
社会の維持の目的は、個人にとってはそれしかないのは当然です。
万事公論に決し、上下経論をおこない、皆が個人としての志を遂げられるようにしよう。
そのためには古い因習を破り、知識を世界に求め、・・・ということです。
これが国柄と言うものではないかと思っております。
和は極めて危険な思想なのだ。決して継続的には存在し得ないのに
唯一至上のものとして求めるから、和を乱したもの、乱すもの、乱そうとするものを
異質として徹底的に排除する。だが終着点とする和しか無い世界は存在しないから
結果としての現実は闘争の連続にならざるを得ない。
和の状態では最小限のエネルギしか費消しない、無の状態といっても良い程だから
エネルギは余る。和を求めて余剰のエネルギを全て闘争で費消してしまうのだ。
闘争至上主義は悪の権化とも見られている。だが現実的には
闘争を無限に続けることは不可能であると皆承知しているし、現実にエネルギも
続かないから、個々の闘争は全て決着点に到達する。
そして次の闘争を開始するまでは暫しの平和が出現する。
闘争は避けられないとしながらも、そのエネルギ消耗の大きさを思えば
不満足ではあっても異質なものと妥協し、共存により実際の闘争行為は避けようとする。
闘争するにしても、一定のルールを定めて消費するエネルギを
最小で済ませようとする。
可笑しなことに、闘争を否定し和を追求する者は相手が破滅するまで闘争し続け
闘争を避けられないと考えている者が、暫時の平和(現実的な平和)に浴するのだ。
>>687 そのような反論が予想されたから、
>【争いのない社会】において個人が求めるのは、個人の志をかなえられる社会であり
>社会の維持の目的は、個人にとってはそれしかないのは当然です。
とかいてある。いいかね、和とは共同体内部において争いのない社会では有るけれども
競争のない社会ではないのだよ。
各個人が、其の志をかなえるためには、当然競争が予想される。
競争は否定されないんだよ、和の理念では。自由主義を曲解するものが存在することと
同じく、和の理念を曲解し、競争を抑制しようとするものもいる。
しかし理念としては、競争は否定されてはいけない。
なぜなら、社会の維持を、各人の志の達成の目的と捉えるからである。
689 :
!:03/10/31 16:12 ID:OpoEkRoB
>>687 俺も簡単に一言。
「和」とは異質なモノを排除する思想では有りません。
異質なモノを取り込む思想です。
当然、「和」がイヤなら出ていく自由も有ります。
帰化人などは、取り込んだモノの典型ですね。
そして在日に対する甘い対応も「和」から来るものです。
(現代普通の国だったら、とうの昔に排斥されてます。ロス暴動のように。それが証拠に外国人に参政権を与えようなんて議論が起こるのも日本くらいです)
690 :
右や左の名無し様:03/10/31 18:35 ID:AysQFjeH
>>689 「わ」とは異質なモノを排除する思想ではないけれども、異質なものにある価値観を強要する思想といっていいだろう。
君が言っているように「イヤなら出ていく自由もあります」というこの言葉の背景には、「どうせ簡単には出て行けないだろう。だから従え」という発想が垣間見える。
いずれにしても「和」などというものが成り立つのは価値観が均一な閉鎖的な社会でのみ達成可能な概念であるように思われる。
691 :
!:03/10/31 19:31 ID:OpoEkRoB
>>690 これは結局、完璧な理想社会を目指すか否かによって「和」の捉え方もかわるのでしょうね。
ともあれ、まだ「和」について誤解されてます(俺の説明が悪いのだが)。
「和」と言うのは、ただの「話し合い文化」です。
「決められた事を守る」って事です。
もちろん、この思想だと「思想の原理原則」なぞ持てません。
「わからずや」は不要って事ですね。
日本人は気付きずらいのですが、我々は子供の時から自己主張よりも和をたたき込まれます。
この思想が好きか否かは好みの問題でしょう。
692 :
右や左の名無し様:03/10/31 19:34 ID:lGSOZsjb
食うな、胃腸!
693 :
右や左の名無し様:03/10/31 19:51 ID:AysQFjeH
>>691 「話し合い文化」や「決められた事を守る」なんて事は欧米にだってあります。
それに話し合いをするためには、自己主張が必要でしょう。
「自己主張をせずに話し合いをする」という事は、結局結論がまずありきで、話し合いの参加者は阿吽の呼吸でその結論に従えという事になりませんか?
日本は、よく「察しの文化」の国だといわれる所以です。
694 :
!:03/10/31 20:52 ID:OpoEkRoB
>>693 そうです。善し悪しは別にして「あうん」ですね。もちろん程度問題は有りますが…
んで西欧には元もと「話し合い文化」なんか有りません。
新教徒と旧教徒の争いや、ユダヤ人差別を思い出して下さい。
「話し合い文化」が出てくるのは資本主義と言う新たな価値観が出てきてくからです。
日本でも仏教と神教の争いは有りましたけど、それは千年前以上。
日本の方が骨身に染みてるのです。
695 :
保守を考える:03/10/31 21:39 ID:5j7QrRdU
パート11より
265 名前:保守を考える :03/04/03 21:05 ID:8OQQ4ZVV
――「和」について――
私は聖徳太子の時代に遡って、「和をもって貴しとす」の「和」を
「ヤワラカ」と読む。この意味を簡潔に書くと
和らいだ心で人に接することが大事である。になろうか、これを前提に一条は続くのだが
その見解は「れ」氏と同意である。
また「和」を「ワ」と読むのなら、和国・和食・和風・・・・と
概ね我が国に関係しうる事項を指す言葉に気がつくであろう。
それは、「和」の字の成り立ちに無関係ではないからだ。
>>271 >まず、「禾」は収穫物を表す。そこに「口」を組み合わせる。
>算数で言うところの「和」に見られるように、異なる物を組み合わせて一つの物に融合
>させるという意味である。
まず例えが不適切だな。足し算の和は数値の話し。数値の意味は変わらない。
りんご2つとりんご3つ合わせてりんご5つ。りんごも数値の意味も変わらない。
でだ、「禾」の意味は穀物を指しそれはそのまま「稲」に繋がる。
「口」は人を数える言葉であり転じて国の人口を指す。
和(わ)はその語源通り、瑞穂に集う人の国である。(三省堂、漢字海)
つまり君の云っていることは、ほとんど出鱈目。
>古来、「倭」と称された我が国だが
これ日本語として意味が通じないのだが、解説が必要かなあ?
>和食、和服等で使われる「和」と、この文字の本来の意味である「和」とは異なる。
「倭」をどういう目的で「和」にしたのかね? 私の云わんとしていることが解らんならレスするがいい。
恥を掻くのはキミだが・・・・・。
>上のような点をふまえず、おまけに「和」という文字を使った
>単語の総数(分母)もわきまえず16という分子のみをもって「16も」などと言ったところ
>でなんの意味もないぞ。
上のような意味が既に破綻しているのだが・・・・。
分母についてはしっかりと数字を示してくれないと・・・ついでに分子もね。
ところで私が提示した和(わ)の意味については理解しているのかしら?因みに私は前熟語ばかりを提示しているね。
1128たん、
おもしろい論理展開を披瀝してるね。
和する精神にはおまいの大好きな
シナの論語も影響してるって知ってたかな?
697 :
!:03/10/31 23:13 ID:w0Iv3BWq
>>695 実を言うと、縄文時代にまで遡れる思想だって主張する人も居るんですよね。
自然宗教がそのまま残ったと。
戦に塗れた支那地方では生み出せなかった、独特な思想文化だったそうです。
日本の「和」って、山本七平の言う「空気」と同義じゃないの?
つまり、絶対の基準をもたず相対的な価値観を重視するみたいな。
698たん、
聖徳太子は仏教と儒教、日本古来の宗教を融合させて憲法十七条を創案したのよ。
論語一巻の一三段には、「有子が言われた。礼で大事なことは、和を貴ぶことです。
(有子曰、礼之用和為貴)」とあるんだワ。
七巻の二三段では 「君子は和して、同せず、小人は同じて和せず
(君子和而不同、小人同而不和)」と書いてある。
>>699 なるほど、結構理性的なものだったんですね。
ただそういう「和」は現代にあまり伝わってないようですが。
>>700たん、
孔子は、「和」と「同」を区別して考えていると思われる。「和」とは相手に簡単に合わせて
調和する事ではなく、相手をよく理解し、互いの相違を認め合った上で調和すること。
それに対して「同」とは文字どおり相手に容易に迎合することだろうね。
二四段で、孔子は「土地の人が皆好むということは十分ではない。土地の人の善者が好み、
そうでないものはこれを悪(にく)むというのには及ばない」と、言っている。
ここでいう「和」の原理というものは、反対する者があって、はじめて機能する。
ここいらの思想を取り入れたのが聖徳太子。だから随に対しても臆することなく
「和」の精神で対峙できたとも読み解けるんだよね。
現代感覚でいえば、和する精神は形骸化しているかも。儒教精神は今の日本人の価値観とは
相容れないよーな気がする。
702 :
!:03/11/01 00:12 ID:VNUCGGyV
>>699 俺の記憶と違うので、かなりくぐってみた。
>論語一巻の一三段への反論。(何故か引用先は十二段だった)
有子がいわれた、「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。
むかしの聖王の道もそれでこそ立派であった。
[しかし]小事も大事もそれ[調和]に依りながらうまくいかないこともある。
調和を知って調和をしていても、礼でそこに折り目をつけるのでなければ、やはりうまくいかないものだ」
「和」よりも「礼」を重視して有ります。
>七巻の二三段への疑問
先生が言われた、「君子は調和するが雷同しない。小人は雷同するが調和はしない。」
確かに影響されたかも知れないが、調和と和とは違う。
論語では和よりも礼を重んじてる。
それに、本質的に論語と和の思想は折り合わない。
仁義忠孝より最上位に和を置くのが日本教の特色である。
聖徳太子の服装って…
大陸から来たってことがモロ出てる
我々の正装が洋服(モーニング)が一番一般的なのと一緒
朱子学は、官僚制、中央集権の深化に対応した儒教であり、
君臣父子の道徳を絶対視して、絶対君主制を支持した。
いうまでもなく、江戸幕府の御用学である。
いっぽう、国学は、日本の古典研究に端を発した、古道を究明する学問であり、
必然的に儒教など外国思想は排斥された。
幕末・明治期の尊王運動に役割を演じた。
で、いずれにしても、天皇制の意義に、なんら現代的「傍証」を与えない。
ところで、天皇信奉者らが好まないように、老・荘による道家思想の一般教説は、
無為自然の道という限定の観念を根本とし、人知礼教を否定する立場は
権力構造の不当性を訴える。
これは、教育勅語的天皇観はもちろん、国家精度としての天皇制を否定する。
国家なり特定集団の「まとまり」を、トップダウン的に権力構造の頂点から
制度として強制されることは、健全とはいえないだろう。
結果の良し悪しは議論があろうが、米国のように対立意見が沸騰しながら、
9.11以降、自然発生的に大衆がある程度の「まとまり」をみせたことは、
より自然なように見える。
天皇制のように国家制度として強制される「まとまり」は不自然かつ不健全だと思う。
では、また。
そもそも、国家自体が人為的なものなのだから、
国家の内部制度は不自然的なものであるし、
個人の行動に制限を加える不健全なものであるのも当たり前。
708 :
右や左の名無し様:03/11/01 09:54 ID:V6pr7Wiy
>>706 こーゆーのを、『ひらきなおり』という。
人為的なものが、すべて不自然というのであれば、自然な制度はなくなる。
言葉自体が意味を失う。
それに、自然権という言葉もあるくらいだし、不自然で当たり前というのはどーかね(藁
709 :
右や左の名無し様:03/11/01 09:57 ID:V6pr7Wiy
また、国家制度も、「北朝鮮」のように不健全極まりないものもある。
すべて、不健全というわけにもゆかないだろーね(藁
710 :
!:03/11/01 10:11 ID:L4/KQh9M
>パンチへ
何度も語ってるのだが……
まず、象徴天皇制が朱子学などの思想で説明出来ない事を理解してくれ。その遥か以前から存在したのだから。
ましてや支那の思想で存在立証をする必要もない。
ここは日本だから。
あと、天皇制は「国民の意志」で成り立っている事を理解してくれ。
まさか、陰謀史観を持っている訳ではなかろう?
これだけは、どんな左翼でも否定しない。
これを理解出来ないなら、ただの「政治運動」「誘導」です。
すると、キミの主張に何の学問的意味も無いと言うことになります。
所詮、政治運動ですからね。
711 :
右や左の名無し様:03/11/01 11:04 ID:1shd9RpC
>>710 おいおい、パンチは、もともとシナ思想で天皇制の意義は論証できないって逝ってるぜ。
よくみてやれよ。
それに、パンチは学問というより、おちょくり専門のような。
憲法の成立過程をみて、国民の意思といえるかな?
それに国会の議決だって、長良川だの球磨川だのダムは、国民の意思とはいえんだろ?
これだけは、右も左も否定しない。
712 :
!:03/11/01 11:33 ID:L4/KQh9M
>>711 象徴天皇制を国民が支持・許容していないって言うのか?
そこまで言う人間は、ただの馬鹿だろう。
そして民主主義を否定してる事になる。
現在の民主主義を否定するなら新たな価値観を唱えるべきだろう。
それが共産主義でも封建主義でも構わない。
それか目指すのは、世界中何処にも存在しない理想国家なのかな?(笑)
それを隠して議論を進めても誰も納得しないだろう。
卑怯者として排斥さえされる。
>>707 和の思想にもとづいた天皇制を国の機関として押し付けるのは、
ヤワラカでないんでないか?
もんかんで、ヤワラカに布教しなよ。
714 :
右や左の名無し様:03/11/01 11:42 ID:XCWbg74M
>>712 はっきり逝ってくれるぜw
漏れは、たしかに利口じゃないがね、
ナシオン主権もプープル主権も民主主義だっツーことぐらい知ってるぜw
ナシオン主権的押し付けだっつーの。ワカリル。
>>713 誰が押し付けているん?妄想は止めましょう。
国民の多くが天皇制について支持しているから、存在しているんだろう?
天皇制が国民から指示されているから、単純に採用すべきと言うつもりはないよ。
民主主義であっても、和の理念であっても、多数決により何事も決定できるとは思って
はいないから・・・。
ただ、多くの国民が支持している制度においても、其の原理的な必要性というものは
論証していかなければならないと、考えているから、ここに書き込んでいるんだし
どうも、歴史とか伝統とか、日本民族の価値体系というのが、ここ数十年は見過ご
されてきているから多少なりとも強調する必要は有ろうかとも思う。
国柄と言うものの考察として和の理念を俎上に上げているんだが、なにか?