>>673 猫氏
>馬鹿丁寧なくらい、自分の考えをわかりやすく説明しないと、議論を見ている人間からマイナスの評価を
>受けることになるとおもうぞ。
ご助言はありがたいが、理解しようと「していない」パンドラ氏に理解させる努力は無駄に終わる
だろうね。まぁ、貴殿の恣意的な曲解を私の意見だと思う方もいるだろうし、その意味では
成功しているだろうと思う次第である。
>現状の制度を前提として議論する、これは当たり前ではないかね。
>君たちはどうも地に足がついてないよな。
マァとりあえず、少なくとも私に議論するつもりはない。この意味がわからないところが
貴殿のオトナではない部分なのだろう。
>まず、日本語としてわからない。
現実に天皇制維持が人材と言う意味で危機にあるなら、議会は皇室典範を改定する義務があると言うことだよ。
>実際はどうなるかはわからないのであるから、
わからないけれども、国会としてはその義務はあるだろう。
>>674 猫氏
なるほど、私とは全然考え方が違うね。
まぁ、論理で民主主義がうまく良くという考え方から、法学や論理の勉強に努力する方もいれば
歴史的な事象や、日本人の特質を理解しなければ、政治はうまくいかないと考えて、そちらに
努力する方もいる。
あなたは、どうしようもなく、「理」による政治への信仰心があるんだろう。
しかし、結論から言えば、たかがヒトのひねり出した「理」によって国家は運営されて
いないし、運営がうまくいった国もない。そういった信仰心に基づく「理」の追求は
あたかもオウム信者の修行にも似ていて、あなたがそうするのを妨げないけれども
人間は平等だのなんだのといった信仰告白を繰り返すタイプの人間によってなされる
こねくり回された「理」に何か意味があるとは俺には到底思えない。
マルクスが想定するように、誰でも可能なほど、異常に単純化された政治を前提とする
ならともかく、単純化された前提からしか「理」は導き出せないにもかかわらず
それが実社会に必ず適合しよい結果をもたらすなどと言う、一部のおばかな専門家の
根拠のない期待に付き合えることが不思議で仕方がない。
>>679 なんでそうやって楽な方へ楽な方へと逃げようとするのかなあ。
逆に聞くよ。理に求めないのであれば、政治的決定の根拠を何に求めるの?
衆議?まさかそんなことはないよね。議論は一定の基準を前提として成立するものであるし、
お互いが納得するから議論になるわけだ。理を度外視すれば、議論にはならない。
例えば、自衛隊のイラク派遣はするべきだったかどうか、という問題は
例えば国益、例えば国際貢献、例えば人権、例えばetc.様々な基準から議論されているわけだ。
そんでまあ、人は議論の過程で判断を変えたり変えなかったりする。
判断を変えるのは、相手の議論に理があったからだし、判断を変えないのは自分の理が相手の理より
勝っていると感じるからな訳だ。普通の人はそう考えるわけだ。
例えば、今、皇室の存在意義を論じているわけだけど、れ氏はずっと連戦連敗な訳だ。
今のところ、れ氏は俺に対して有効な反論を一回たりとも出来ていない。
普通の人だったら、まあ、判断を変えるわけだな、天皇制には存在意義がない、と
−議論は延々と繰り返されるもので、俺がれ氏よりも議論の説得力があるからといって、
だからといって、天皇制には存在意義がないわけではない。ここで言えることは、れ氏や保守氏は
未だに天皇制の存在意義を提出できていないと言うことだけだ−。
まあ、それが理な訳だな。まあ、それはもうどうでも良い。
>人間は平等だのなんだのといった信仰告白
例えばこれについて少し触れてあげよう。俺は信仰告白はここ最近一切していないのよ。
俺は、憲法という「現実」を前提として論じている訳ね。俺が、人間は平等だと思っているかは
どうでもいいのよ−実際の所、俺は人間は平等だと思っては全くいない。例えば、俺とれ氏の間には、
東京湾よりも深く暗い知的能力の断絶がある−。
寧ろ、俺からすれば、れ氏のように、まともに知的教育を受けていない人間は政治について語っちゃいけないのか、
決定しちゃいけないのかと叫ぶ人間の方がよほど人間の平等性についての根元的な信仰を持っていると思うよ。
この問題に対する俺の答えは既に示したようにこうだ。
「どうぞご自由に。しかしそれ相応の能力を示さない限り、周りの人はまともに相手にしないでしょうね。
人間の知的能力は残念ながら平等ではないですから」
そういえば、猫の物言いは傲慢だ、というような書き込みがあったけれど、人間の不平等性を前提とすれば、
当然でしょ。ちゃんと勉強しない素人は、専門家に馬鹿にされる。人間は平等ではないのだから、
当たり前の話だね。俺と保守氏やれ氏は決して対等ではない。
しかし、人間は不平等だ等といきがる人間に限って、専門家支配はよくないだの、
素人にも議論する自由があるだの言うのは何故なのだろうね。
はっきり言っておくが、人間は平等だ等という幻想は、れ氏のような人間にも参政権をあたえるために(一例だけどね)あるのだよ。
人間が平等ではないのであれば、知的能力の低い人間に発言する資格を認める必要はないでしょ。
専門家に支配されるしかないね、それが嫌なら専門家並みの勉強をすれば、という帰結が導かれるべきように思うけどね。
政治が理によって決められていると思っているのであれば、それは大間違い。
理屈で何でも決められるのなら最初ッから多数決なんてする必要ない。
そもそも議論なんてのは言うほど有益なものでもなく、単なる生理現象に過ぎない。
議論によって自分の意見を変える人間なんて極々まれ。
>>680 猫氏
>なんでそうやって楽な方へ楽な方へと逃げようとするのかなあ。
何事かの単純化した前提を是として論理を構築するほうが楽だと思うよ。
>理に求めないのであれば、政治的決定の根拠を何に求めるの?
はへ???理によって政治決定ができるのなら、多数決なんて必要ないじゃん。
何回も言うように、理によって政治決定はされているわけじゃなくて、
多数決によって決定されているわけだ。
で、その判断において当然に様々な分析だとか、専門性の検討が行われるわけだが、
その議論で勝利した結果が必ずしも多数を得るとは言えない(貴殿風に言えば、実際
はどうなるかはわからない)のである。
で、あなたが議論に連勝と考えていようと、天皇制は廃止される機運は毛ほどもない
理由は、どこにあるかと言うことになるわけだよ。
>判断を変えるのは、相手の議論に理があったからだし、判断を変えないのは自分の
>理が相手の理より 勝っていると感じるからな訳だ。普通の人はそう考えるわけだ。
と言う部分が、あなたの信仰と言うか、誤解の根源といえるんだよ。
その理由を私はあなたに申し上げているんだが、もう少し丁寧にご説明しようと思う。
>俺は、憲法という「現実」を前提として論じている訳ね。
>俺は信仰告白はここ最近一切していないのよ。
>人間が平等ではないのであれば、知的能力の低い人間に発言する資格を認める必要は
>ないでしょ。
まさに、理によって人は判断し、その結果選択された政策こそうまくいく期待値
が高いという確信と、その「理」は憲法条文と言う「現実?」によって導かれている
と言うことを、猫氏はここに表明しているわけだ。
これが相当危うい把握と確信であることを、私は申し上げたかったのであるから
さすが猫タン、議論の核をよく読みとってレスするものだと改めて賞賛する。
つづき
まず、憲法条文から導き出される理念が現実であるかと言えば、相当怪しい。
少なくとも言語が現実を確実に表現できると言う幻想は捨てたほうが良い。
現憲法がその正統性に関しての危機は、ないと考えることに異議はないのだが、
その条文から導き出された理念についての正統性は、はなはだ怪しいものである。
学者さんの憲法解釈をつぶさに検討すると、論理的な解釈が相当あるわけだ。
たとえば、「助言と承認」という日本語が、一つの行為を表すとか、公共の福祉は
公の利益と言う意味ではないとか・・・。それはひとつの憲法条文からくる理念ではなく
国は国民の平等な人権を守るために存在するとか、そういう思想から導かれる解釈でしか
ない。はっきり言えばそういった都合が、国民の利益と合致する限りにおいてそのような
解釈が同意されると言うことに過ぎないのであって、理念が同意されているものではない。
考えてみれば、そういった理念と言うものは同意されるものなのかと言う疑義がそもそも
あるわけだ。貴殿が人は平等でないと考えていようとも、憲法は人を平等としている現実
がある・・・貴殿はそのように述べているんだけれども、現実は条文において国民が平等だ
としか書かれていない。あなたの理屈の問題点は、憲法条文と思想から導き出される
理念が「現実である」と勘違いしていることにある。
つづき
もうひとつの問題点は、理による選択が良い結果を導き出すであろう期待をもち
かつ、人はすべてそのような価値観を共有し、物事を選択していると言う勘違いである。
17条憲法においては、上和し、下睦みて、党派心を捨てて話し合えば、その結果は
理に適い、何事も成し遂げられないことはない、とあなたと違う期待をもっている。
むろん、神の導きによって運命は決まっていて、神の示した振る舞いを実行さえしていれば
当然に良い結果が得られると言う期待を持つ人もあろう。
議論によって判断を変えることが好ましくないと言う考えもある。マニフェストなる政治手法は
まさに、理による意見調整よりも、国民との契約を優先するものである。
(理を判断するのは観客であり、観客がそれを決めると言う考え方かおしれない。)
何故このように違うのかと言えば、「理」による決定が必ずしも良い結果を与えてきていない
現実があるからである。まさに儒教による支配もまた「理」による政治判断だったのだろうが
所詮成功していない。米国もまた理による政治なのだろうが成功していない。
不成功の理由を論理の瑕疵に求めるのか・・・おそらく猫氏はそう思うしかない。
17条憲法は、党派心を捨てない・和が足りない・十分な話し合いが足りないことを
その理由とするのだろうし、不成功を神からの試練と捉える人もいるのだろう。
猫氏は不成功の理由を論理の瑕疵に求めて納得できるのであり、そうでない人もいる。
そうでない人にとって論理は決断の理由にならない。論理によって選択することが、結果の不成功を
自身に降りかかる不幸として納得できないのであれば、別の判断材料で選択するのである。
私はそれが社会に存在する人間だろうと思うし、理による選択を迫るほど傲慢になりたくもない。
馬鹿馬鹿しいが、一つだけ。>
で、あなたが議論に連勝と考えていようと、天皇制は廃止される機運は毛ほどもない
>理由は、どこにあるかと言うことになるわけだよ。
そりゃ、このスレを全国民が見ているわけでもないんだから、当たり前だよ(苦笑
あのね、あなたが今まで俺に対して有効な反論を一回たりとも出来ていないにもかかわらず、
天皇制がいっこうに反論されない事を根拠にあなたが敗北しているという現実から
目をそらし続ける事が出来るとしたら、一体あなたの議論は何の意味があるの
−いや、勿論意味などないのだが−?
寧ろ、あなたのような人間が議論することによって天皇制信者頭わりーなー的印象は与えるかもしれないけどね。
憲法がそっくりそのまま現実ではない、というのは正しいよ。
しかしだね、最大の問題はね、あなたの考えている世界観が現実ではないということなんだよ。
あなたが現実だと思っているものは現実ではないわけ。いや、それも現実の一部だろうが、
他の人間がほとんど共有しない現実な訳−俺はこういう一人語りを避けるため、多くの人間には通じる
法という共通言語で語っているわけだ−。
よくいるんだよな、専門家は現実を見ていない、と言い張る人間が。
確かに専門家が見ていないところにも現実はある、ではこのような主張を見ている人間が
現実を見ているか言えばそんなことはない。自身の身近な世界、或いはインナースペース−れ氏の場合だね−を
現実と取り違えちゃう。この世界では、きっと天皇は退位の自由はあるが退位は制限されているし、
内閣の不適切な序言を天皇が拒否できるのだろうね。
最近サブカル−というジャンルも表現も嫌いなんだが−周辺ではセカイ系という言葉があれしているらしいが、
保守氏にせよ、れ氏にせよ、俺から見れば社会科学−というのもおごがましいが−版セカイ系だよ。
だいたい、憲法が抽象的・平等な個人を前提とする、としている意味さえもわかってないんだろ。
ついでにきくが、人間は不平等だとするが、何を基準として不平等なんだ?
>>687 前段:様々な印象を観客が持ちうることはあるだろうけど、勝ち負けとか正誤の問題
と捉えることに何の意味もない。
後段:一言で言うとあなたの世界観と私の世界観のどっちが正しいかと言う問題ではな
い。だから、現状把握という場面であなたの法律論は有効だけど、憲法条文や思想
からくる理念が、正しい世界観だと言われても、それは飛躍しすぎでしょう。
語るべきはそうすると理念とか思想の妥当性ということになるんだが、それはスレ違いで
しょうね。
もうひとついえることは、検証すべきは世界観ではなく人間観だと思うわけだが・・・
>そりゃ、このスレを全国民が見ているわけでもないんだから、当たり前だよ(苦笑
たぶん全国民が見ても、天皇制廃止の方向へは毛ほども動かないんじゃないの?
>前段:様々な印象を観客が持ちうることはあるだろうけど、勝ち負けとか正誤の問題
>と捉えることに何の意味もない。
あのね、ウェーバーも言っているが、基本的な価値判断に勝ち負けはないよ。
ただ、その論証過程では、整合性を欠くとか論理的に破綻しているとか、現実と適合していないとか
いくらでも勝ち負けの部分はあるよ。
君の言っていることは論理的に破綻しているわけだが、何故勝ち負けや正誤の問題とならないのか
俺には不思議だ。論理的に破綻していても全くかまわない、それは正誤の問題ではない、
という発想を受け入れることには何の意味もないと思うが。
>一言で言うとあなたの世界観と私の世界観のどっちが正しいかと言う問題ではな
>い。
は?だから俺は現状の法学的世界観で語っているのだが。
君の妄想に基づくセカイ観と法学的世界観のどちらが優れているかは無論問題とはならないが、
一人語り、信仰告白をしたいのであれば、是非ホームページでも作ってやってください。
>もうひとついえることは、検証すべきは世界観ではなく人間観だと思うわけだが・・・
論理的に破綻した主張をしてもそれを認めず、またころころ主張の変わる人間性はいかがなものかと思いますが。
>たぶん全国民が見ても、天皇制廃止の方向へは毛ほども動かないんじゃないの?
そうかもね。れ氏は天皇制賛同派の中でも知的レベルとしては下の方だから、
れ氏が負けたとしても天皇制賛同派は困らないだろうしね。何もそんな自虐ギャグをとばさなくとも(苦笑
まだ解除されないので、しばらく冬眠しますが
>>686 >この世界では、きっと天皇は退位の自由はあるが退位は制限されているし、
>内閣の不適切な序言を天皇が拒否できるのだろうね。
馬鹿莫迦しい誘導操作ではあるが一応、読み間違いをする観客の方がたの為にも
正しい見解に直しておこうか。
私は、天皇の「退位志望」が発現されていないという「現実」を前提にしている。
つまり、退位志望が表明されたにも関わらず、それを放置した結果をもって
天皇に退位の自由は無い。というべきであると指摘しているのである。
最初からそう言っている根拠は、法定された退位条項なるものが無いことと、
退位条項に関する、典範改正調査会の私見や、それに基づく、国会での議論を踏まえての事である。
また、内閣の不適切などという緩和した言い方なぞ、一度もしていない。
明らかに不法な内閣の助言に従う道理は無い。と言っているのである。
それを言い換えなければならないほど、対論者は切羽詰っているという事だろうか?
あと、議論の要旨になっている部分について、私としてはは既に
>>326で述べたから
敢えて、繰り返さない。(有効な反論もないしね笑)
>>691 既に論破された同じネタを繰り返して恥ずかしくないのかね。
>私は、天皇の「退位志望」が発現されていないという「現実」を前提にしている。
発意をしようがしまいが、自由が制限されていると解すことに全く関係がありません。
きっと君の脳内では、古代ギリシアの奴隷は、奴隷をやめる自由はあったが、奴隷をやめることが出来なかった、
とでもなるのだろうね。
>つまり、退位志望が表明されたにも関わらず、それを放置した結果をもって
>天皇に退位の自由は無い。というべきであると指摘しているのである。
はぁ、そうですか、以外の如何なる言葉を求めているのかね。
当たり前だが、保守氏の用いる「俺言語」としての自由を俺は問題としていない。
俺が自由という言葉を法的言語として用いていることは既に示したとおり。
俺言語としての自由で語りたいならば、わざわざ掲示板にでてきて議論することもないと思うが。
具体的に述べていこう。
>最初からそう言っている根拠は、法定された退位条項なるものが無いことと、
法定された(禁止を定めると言うことだろう)退位条項がないからといって、自由の問題とはならないことにはならないことは既に示したとおり。
まともに反論できないのに、又同じネタを繰り返す理由がまったくわからん。
理由を親切に繰り返してあげると
・法的に出来ないことを禁止することには意味がない(19歳の未成年に選挙権の行使を禁止することには全く意味がないし、
19歳の未成年に選挙権の行使の自由は存在するが法律がないから行使できないというような考え方も無意味だ)。
というものだ。その点を少しも保守氏はわかっていないから俺は行政法の教科書を読むことを薦めたのにね。
いい加減ちゃんと反論すれば?
その権限の行使が自由であるが行使することは不可能であるようなものって法学上他になにかありますかね?
>退位条項に関する、典範改正調査会の私見や、それに基づく、国会での議論を踏まえての事である
は?馬鹿ですか?私見や国会での議論と「天皇が退位できない」という現実と何が関係するのですか?
結局ね、いつもそうだが、保守氏やれ氏は都合良いように言葉の意味を変えちゃうわけだ。
ちゃんと法学の文法で話さないから馬鹿扱いされちゃうのよ。
>明らかに不法な内閣の助言に従う道理は無い。と言っているのである。
又でたよ、「道理」。君の脳内世界での道理なんてどうでも良いのよ。
君にとっては重要なんだろうけど、他人から見ればどうでも良いの。よくあるでしょ、そういうこと。
君がね、君の道理を説得力あるものとして提示したければ、ちゃんと法的言語に翻訳して、
憲法上の天皇の地位を把握して、他の条文との整合性も問題ないものとするようにして、
そんで法解釈として提示すればいいわけ。で、君は一向にそれが出来てないでしょ、だから
プロパーの俺から見て、「脳内世界」だと言われちゃうわけ。
君の道理を「立法論」として提示するならともかく、法解釈として提示したいのであれば、
ちゃんとこういう作業をしなきゃ駄目なわけ。わかる?わからないんだろうなあ。
>あと、議論の要旨になっている部分について〜
具体的に反論した方がいい箇所なんてあるのか?
合理的選択論モデルの誤解に基づくよくわからん妄想が書き連ねてあるだけだろ?
694 :
・・・:04/04/25 17:27 ID:???
>猫氏
だから何故、議論を「権能」へ集約するのかな?
今までの「権利」の諸説はな〜に?
>「権利」は、諸個人の一定の区画に国家からの干渉を斥ける請求権を認める概念である。
>これに対し、「権能」は徹頭徹尾、法的世界に関わる概念である。
国家に限定するのも如何な物かと思うが、それはさておきこの定義からは、「権利」はある
状況下において、請求、又、その可能性の想定より起こる概念であり、本人の発意の可能性
(発想)がない状況下では成立しない概念とも受け取れる。
政府見解の「国民的範疇(序列無)」、憲法の「何人」表現範疇(国際法においても人民主体
で君主の場合は?不明)でも良いのだが、制限しているのは憲法そのものでなく皇室典範であり、
近年(状況変化)、改正(退位問題含む)が論議されている点からしても、権利制限説が妥当に
思われ、少なくとも人権否定(人でないとして殺人にならない等)解釈には疑問。
19歳云々・・・明示されていない事項と、「満20歳以上の国民」明示の事項の比較は、
例としては好ましくない。
>だから何故、議論を「権能」へ集約するのかな?
>今までの「権利」の諸説はな〜に?
は?
>国家に限定するのも如何な物かと思うが
他に何があるの?大企業?
>状況下において、請求、又、その可能性の想定より起こる概念であり、本人の発意の可能性
>(発想)がない状況下では成立しない概念とも受け取れる。
よくわからんが、まあいいや。
>制限しているのは憲法そのものでなく皇室典範であり、
あまり精確な表現ではないな。憲法それ自体が天皇の人権を大幅に制約している或いは人権享有主体のカテゴリー
から外しており、皇室典範はいわば細目だ。
>近年(状況変化)、改正(退位問題含む)が論議されている点からしても、権利制限説が妥当に思われ
論議ではなく、せめて実現してから言ってくれ−退位が実現してもそれだけでは人権享有主体とは言えないと思うが、それはともかく−。
論議されている段階と言うことは、少なくとも現時点では多数派は
退位を認めるべきではないと言う見解に与している訳だ。それが積極、消極のいずれの形で与しているか問わないが。
君たちは、これこれこういう議論がある、ということと、現実を何故取り違えているのか、と思うが。
>少なくとも人権否定(人でないとして殺人にならない等)解釈には疑問。
刑法上の人と憲法上の人(人権享有主体としての)は別カテゴリーだよ。
少なくとも同じに解す理由は実際のところない。
>19歳云々・・・明示されていない事項と、「満20歳以上の国民」明示の事項の比較は、
>例としては好ましくない。
は?19歳の国民について明示的に規定されてはいませんが?
今問題となっているのは、一定のカテゴリーの人に禁止規定が明示的になけれどうなるかば云々かんぬん
という問題ですが?何故そう都合良く論点をずらそうとするかな。自分(たち)が言ったことには責任持ちなよ。
>>690 猫氏
なんか必死な感じがするんだが、どうも(やっぱり)分かっていないんだなぁ、と思うわけだよ。
論破なんて言葉を未だ恥ずかしげもなう使っているのはほほえましい限りだが、マァそれはおい
ておいて、
>だから俺は現状の法学的世界観で語っているのだが。
とおっしゃるのだけれども、そしてそれは理解させていただいておるのだけれども、法学的世界観
なんてモノは単に係争解決のための代物であって、政治決定における、他の法律との整合性を検証
するためには大切だろうけれども、それ以上でもそれ以下でもない代物でしょう?
法学的世界観に基づいて政治決定がなされ、それがうまくいくという確信はどこからくるんだ?
言っておくけど、専門家は現実を見ないなんてことはいっていない。憲法条文から導き出される
理念が現実に適合できると言う根拠はどこにあるのかという疑問を申し上げているんだが・・・。
法学に基づいて話さなければ馬鹿にされるのは法学を研究する狭い村での事だろうと思うんだけど
狭い村で信じられている理念が現実に対応できると無根拠に確信しているなら、そっちのほうが
馬鹿馬鹿しい限りなんだけど・・・わかる?
>論破なんて言葉を未だ恥ずかしげもなう使っているのはほほえましい限りだが
うーん、ゾンビがほほえむと怖いな。
>法学的世界観なんてモノは単に係争解決のための代物であって、
仮にそうだとしよう。で、君の脳内セカイ観を法学的世界観に優越させる理由は?
俺はずいぶん前から
>日本が、「抽象的・平等な個人からなる」(近代)国家である。」という前提に疑義があるなら、それ以外の国家観を示せ。
といっているのだが、君のセカイ観の提示はまだかね?君の世界観がどんなセカイ観かもわからない、
それを法学的世界観に優越させる理由もわからない現状で、君の脳内世界観に基づいて議論する意味は一体どこにあるのかね。
>言っておくけど、専門家は現実を見ないなんてことはいっていない。憲法条文から導き出される
>理念が現実に適合できると言う根拠はどこにあるのかという疑問を申し上げているんだが・・・。
俺は法学的世界観が勿論限度はあるが、現実を作り出していると言っているわけだが。
例えば、官僚は原則としてそういう世界を前提として動いているし、世の中のエリートは
大抵そういう世界観によって成り立っている世界があることも了解しているね。
>法学に基づいて話さなければ馬鹿にされるのは法学を研究する狭い村での事だろうと思うんだけど
あなたの脳内セカイ観で話せば、多分どこに行っても馬鹿にされると思うよ。
で、未だに俺はあなたのセカイ観の提示を受けていないのですが。
>君の考える「他の把握」とやらを提出してみな。まさか提出もできないのに、「抽象的・平等な個人からなる国家」
>という着想が間違っているとでも言い出すのかね?
少し難しい話をしてあげようね。
まあ、世界というものがある。世界を如何に把握するか、というのは一つの大きな問題だが、
ある哲学観によれば−新カント主義に代表されるような発想だろうが、実際にはもっと大きな射程を持つと思う−
「世界」そのものを把握することは出来ず、例えば、法学的な、例えば心理学的な、例えば物理学的な、
例えば社会学的な方法を用いて世界を把握する他ない、と考えられる。
現状で、学問は分化する傾向はあるが、収束する傾向は−幾つかの学際的なものを除いて−
見えないこと事を考えれば、世界把握は、いろいろな角度から為される、と考えることは
結構適切なのだろう。
さて、俺は今まで法学的世界観を前提として語ってきた。(近代的)法学的世界観は人間を
抽象的・平等な個人として想定する。これはそういう世界観なので、「現実には」人間は平等ではない、
と言う類の反論ははっきり言って無意味である。この点、れ氏が馬鹿みたいに、人間は不平等だと
繰り返して反論になったとでも思っているのは、近代的な法学をわかっていない証拠である。
形式上平等でも、実質は人間は不平等なわけで、所謂社会問題が発生する。
その対応策として例えば社会権等という思想が発生するのである。
まあ、それはよい。寧ろここで問題としたいのは、れ氏のいう、「現実」である。
説明するまでもなく、法学的世界観は、一個の世界観であるが、それと同時に、
他の世界観にも多くの影響を与えている。寧ろ、法学的世界観が他の世界観、或いは現実に
最も影響を与えやすい世界観であることは間違いない。法学的世界観は、それが一個の世界観であり、
又規範的な性格を強くもつ故に、常に現実と緊張関係を持つが、しかし、政治的問題を考える際に、
最も影響を持ち得る世界観の一つであることは間違いがない。
従って、何らかの政治的問題を議論するために、所謂現実(生の現実なるものは存在し得ないと思うが)
に最も近い法学の領域、法学的知見を前提として議論するのはごくごく合理的である。
多くの場合、政治的問題は法律改正(或いは改正をしない)という形で決着が付くことを考えれば、
現状を知るためには現行の法制度がどんな風になっているかを理解する必要がある。
無論、法学的世界観だけが特権的に正しいわけではないし、他の世界観を前提として
−例えば政治学的・社会学的世界観に基づいて−天皇を論ずることも出来るだろう。
法学的世界観で天皇の意義を論証することは出来ず、撤退するが、別の世界観では天皇の意義を論証できるんだ、
と思えば、すればよろしい。気が向いたらつきあってあげよう。
しかし、問題なのは、未だにれ氏は別の世界観を提示していないことである。
法学的世界観は現実と違う、まあこれはよろしい。法学的世界観は現実への接近の仕方の一つであって、
現実そのものでは確かにない。であれば、法学的世界観より適切な現実の見方を提示してくれたまえ、
と俺が要求するのは至極当然だろう。それを提示せずに、法学も世界観の一つに過ぎないのだ、
法学は現実ではないのだ、と言ったところで、俺としては何の応答もしようがない。
今のところ、れ氏の脳内現実では、人間は不平等だ、と言うことになっていることしかわからない。
一体何が不平等で、何を不平等の基準としているのかもよくわからない。
知的能力だろうか?確かに俺とれ氏ではずいぶん知的能力が違う。
しかし、それも一個の世界観、いわば知性至上主義的世界観に基づいてそういえるのであって、
それが現実そのものであるかと言えばそうではなかろう。
スポーツ至上主義的世界観では、知性は重要でないわけではないにしても、第一義的に重要なわけではないからだ。
しかし、いずれの世界観にせよ、天皇を論ずるために適切な世界観ではないだろう。
天皇は最上位に於かれているが、別に日本で一番頭がいいわけでも(かなり頭はいいだろうが、例えばノーベル賞が
取れるほどではないだろう)、日本で一番運動神経が発達しているわけでもなさそうだ。
一体どういう世界観だと、天皇を他の人間と全く区別してしまうことが許されるような事態となるのだろう。
単に人間は不平等だ、というだけでは、このような事態は生じ得ない。
なぜなら天皇はいわば生まれつき−と言うと少々語弊があるが−天皇(候補)であると言えるし、
他の人間は天皇ではない、という点で平等だからだ。
身分制的な政治体制では確かに人間は不平等だが、普通は複数の序列づけられた身分があって、
人間はこの身分のどこかに属する。これに対して、現代の社会では、天皇以外の人間はさしあたり形式的には平等である。
例えば天才であっても馬鹿であってもみな平等に選挙権は一人一票だ。
これでは人間が不平等と言うより、人間は平等なのだが天皇だけが特別なように見える。
なかなか理解しがたい世界観である。れ氏としては
>君の考える「他の把握」とやらを提出してみな。まさか提出もできないのに、「抽象的・平等な個人からなる国家」
>という着想が間違っているとでも言い出すのかね?
といったところである。
>>697 猫氏
>うーん、ゾンビがほほえむと怖いな。
いまどき論破なんていっている人にゾンビ扱いされても・・・ワロタけど・・・
>仮にそうだとしよう。で、君の脳内セカイ観を法学的世界観に優越させる理由は?
>学的世界観に優越させる理由もわからない現状で、君の脳内世界観に基づいて議論
>する意味は一体どこにあるのかね。
意味はないだろうから語るべきは人間観だといっているのに、優先させていない人に
優先させる意味を尋ねられても・・・。どうも読解力に難があるね。
>俺は法学的世界観が勿論限度はあるが、現実を作り出していると言っているわけだが。
うん、大切だと思うし現実は係争の解決とか、法律の整合性ある解釈とかで、現実を
る作り出しているね。だから、係争の解決とか法律の整合性ある解釈運用の面で、
極めて重要で不可欠なものだと初めから言っている。
ただ、国家の枠組みとか言う議論の場では有効でもないし、屁のツッパリにもならんと
言っている「だけ」なんだけど・・・。
>ただ、国家の枠組みとか言う議論の場では有効でもないし、屁のツッパリにもならんと
>言っている「だけ」なんだけど・・・。
じゃあ、国家の枠組みを論じる場合、何を前提として論じるのがよいのかな?
君の妄想ではないことだけは確かだと思うけど。
>君の考える「他の把握」とやらを提出してみな。まさか提出もできないのに、「抽象的・平等な個人からなる国家」
>という着想が間違っているとでも言い出すのかね?
>>702 猫氏
そろそろ容量オーバーになる予感だから、次スレできちんと書くが、
>国家の枠組みを論じる場合、何を前提として論じるのがよいのかな?
国家観などを持ち寄ってどれにするという議論でないことは確かでしょう。
国家観は、貴殿が今そうしているように国の枠組みが確定してから、それがどのような国家観だと
「解釈できるか」「どのような解釈をすれば整合が取れるのか」検討いただき、新たな、あるいは
従来の国家観による整合的法解釈を「ひねり出していただき」、極めて重要なことである
「整合性ある法律運用」「係争の理による解決」をして、新たな現実の構築に寄与していただく
ことになろう。(それが法学の役割でんしょ?)
>国家観などを持ち寄ってどれにするという議論でないことは確かでしょう。
俺は、「何を前提として」議論するのか、と聞いているのであって、
「何を前提としないのか」と聞いているわけではない。
まあ、次スレででは
>君の考える「他の把握」とやらを提出してみな。まさか提出もできないのに、「抽象的・平等な個人からなる国家」
>という着想が間違っているとでも言い出すのかね?
とコピペしないですむことを願うが。
705 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/04/26 09:33 ID:zRaSv+HO
>>704 猫氏
どうもよく分からんのだが、自分の国をどうした以下を語るのに、矛盾なき国家観が
必要なのか?
何度も言うようだが、出来上がったものに解釈を加えて、「抽象的・平等な個人から
なる国家」とか、ああでもないこうでもないと、解釈するのが法学の仕事であって、
後付の議論を、事前に出せと言われてもねぇ。国家観を決定するために国の枠組みを
検討するわけじゃないだろうから・・・。
で、ひとつ教えて欲しいのだが、その
「抽象的・平等な個人からなる国家」と言う把握は、国民の範囲とか、国家主権の及ぶ範囲を
決定付ける論理を持ち合わせているのかな?ないと思うのだが・・・。
平等についておべられているようなので少し考えていることを書いておくが、日本は、血統と
言うかそういったものを根拠としている制度が三つあるよね。
ひとつは家族制度(これは随分別姓で議論したね)、で、天皇制、もうひとつは国籍に関する
制度だ。最後の国籍に関する制度が血統主義であるということは、国の枠組みにおいて重要
難だけれども、そして他国の中には違う制度があるんだが、こう言った国の枠組みに関すること
は、「抽象的・平等な個人からなる国家」観から導き出せるのか?
そもそも存在する国の枠組みの中で、神にかかれた条文を頼りにひねり出した国家観には
無理なんじゃないの?
706 :
情念=天皇信奉者VS理性=天皇制懐疑派 を読み解く…その40:04/04/26 10:25 ID:CmDhy5N0
どーも、今の議論は面白くない。
情念、理性の論旨に先鋭な差がないのだ。
情念=天皇崇拝派
専門家による「理」は、さほど重視されず、最終決定は「衆議」をもってなされる。
理性=天皇制懐疑派
専門家による「理」は、「衆議」の根底にあり、「衆議」は「理」を根拠としてなされる以上、最終決定も「理」を無視できない。
要するに、いずれを「より」重視するか、という議論になってしまい、あまりradicalな差がない。
いずれにせよ、「理」をもってすれば「天皇制の存在意義は否定される」ことでは両者一致しているよーだ。
ま、「理」では理性の連戦連勝は明らかだが、大衆を動かす「情」の部分では「勝敗」がついていないということか?
結論は、「理」が大衆に理解されば、「衆議」でも「廃止」が決定され、めでたく天皇制は役割を終える。
しかし、その道のりは容易でない。
まず、「大衆の原像」いうところの大衆の保守志向、大衆は現状を変えることに消極的だ。
また、イラク人質事件における、人質バッシングが世界中から、中国や韓国からすら驚きの目で見られるよーに、わが国には「言論の自由」がない。
率直なところ、大衆のほとんどは天皇制のバカバカしさに気がつきながら、口に出せないでいる、というところだろう。
以上、パンチドランカー。
707 :
パンチドランカー:04/04/26 10:27 ID:CmDhy5N0
ところで、
>>672 >すごく頭の悪そうな書き込みである。
ご同慶の至りw
ファシズム下の旧・伊、ナチズム下の旧・独は「立派」な全体主義、国家総動員法下の旧・日本は「リッパ」な全体主義。
さらに、旧・独も旧・伊も、全体主義は、ある意味、民主制から発展した、旧・日本に>(例えば明徴運動・自由民権運動などなど)があったところで評価は変わらない。
その反省から、基本的人権など、「衆議」に優先する「理」が重視されるよーになった、言うまでもないが…れ氏以外には…w
で、一般に、全体主義というのは、「全体(民族や国家)の利益は、個人の利益に優先する」という考え方をいう、為念w
では、また。
>パンドラ氏
>国家総動員法下の旧・日本は「リッパ」な全体主義
と
>旧・大日本帝国はリッパな全体主義国であった。
が同じ意味だと言うなら、相当ご都合主義の「理」ですな。
>全体主義というのは、「全体(民族や国家)の利益は、個人の利益に優先する」という考え方をいう
あらら、あなたの「大好きな」広辞苑によると
ぜんたい‐しゅぎ【全体主義】
(totalitarianism) 個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に
組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制。
だから、覚えておいたほうが良いよ。全体の利益が個人の利益に優先する場面があるから、
死刑制度も、都市計画法もあるんだが、それを全体主義だとは言わないからね。
>また、イラク人質事件における、人質バッシングが世界中から、
>中国や韓国からすら驚きの目で見られるよーに、わが国には「言論の自由」がない。
すごい意見だ。さすが東大医学部を詐称?するだけあって、じつに理性的なご意見であるwww
710 :
・・・:04/04/26 19:21 ID:???
>>だから何故、議論を「権能」へ集約するのかな?
>>今までの「権利」の諸説はな〜に?
>は?
へ〜、明示されていない権利は天皇には無いと?
私は「退位の自由権」があると一言も言っとらんよ。
>他に何があるの?
へ〜、権利の侵害等の請求は国や大企業だけなんだ。
>>状況下において、請求、又、その可能性の想定より起こる概念であり、本人の発意の可能性
>>(発想)がない状況下では成立しない概念とも受け取れる。
>よくわからんが、まあいいや。
極論、本人が満足しているのに「権利」の請求が派生するんだ。
>憲法それ自体が・・・制約している
制約自体は否定しないが・・・まあ、いいや。じゃ、どこ?
人でもなく権利もないのに、制約とは、これ如何に?
>論議ではなく、せめて実現してから言ってくれ
>刑法上の人と憲法上の人(人権享有主体としての)は別カテゴリーだよ。
は?全く権利もないのに議論するの?
議論しても可能性ないじゃん。
私自身は>人権享有主体説支持とは一言も言っとらんよ。
説のカテゴリーに入れる入れないは、意味無いから・・・。
で、>政府見解の「国民的範疇(序列無)」、憲法の「何人」表現範疇
はどうなるの?
>何故そう都合良く論点をずらそうとするかな
よ〜く、考えてごらん。
あくまでも例の相応しさなので、どうでも良いけど・・・。
>>710 >へ〜、明示されていない権利は天皇には無いと?
自然人が自然人であるという理由によって、自然人に具備された自由を、公権力と
(近年では)公権力に準ずるとして扱われる大企業等の権力(およびそれに準ずる
私人に対する大企業等の力の行使)を拘束する概念が「権利」なわけだが、従って
法的身分たる「天皇」に具備すると考えるのは根本的に間違い。
自然人である「明仁氏」と法的身分・機関である「天皇」の「権利」を混同しては
議論にすらなるまいよ。
以降の文についても、上記で説明はつく。
訂正
×:法的身分たる「天皇」に具備すると考えるのは根本的に間違い。
○:法的身分・機関たる「天皇」に、法定外の「権利」が具備すると考えるのは、
法的身分と自然人との混同に基づく根本的な間違い。
>>711>>712 そうだね、オレも同意だな。
そのところを混同するから、猫ニャンニャンに煽られる。
【国は人が作ったのか・・・】
猫氏のような法律学のご専門の方について、どんな思考なのだろうと考えていた。
養老孟司氏は、解剖学の権威で東大名誉教授で「馬鹿の壁」の著者でもある。
人体の専門家だ。死の壁では口と言うものはない(確かに空間でありそういった部位は人間
にはない)とか客観的な一人称の死体というものは存在しないなど、興味深いことが書いて
ある本である。
彼は人体に関する専門家だが、人体を作ることは出来ない。(一人称の人体を日々作り変えては
いるが・・・)。これが専門家の限界である。勿論どんな物理学者も原始や分子や素粒子や時間
や空間を作り出すことは出来ない。科学者も「有りてあるもの」を変化させることは出来ても
錬金はできない。
国が人によって構成されているからといって、人が国を作ることができるかといえば違う。
勿論、ある国家が分裂・一部の独立と言うことはできるだろうけれども・・・。
何故人は構成している国を作ることが出来ないかと言えば、国は歴史的に存在しているからに他な
らない。聖徳太子も信長も存在してこその日本である。一人称の人体を人体の専門家である養老氏
は日々作り変えているが、それは世界中の誰もが同じように作り変えている。作り変えるのは、
専門家にしか出来ないことではない。新陳代謝により、そして外部入力が馬鹿の壁のない脳に届き
変化することにより、誰でも一人称の私を作り変えられるように、我が国を私たちが作り変えるこ
とは、どの国の人たちにもできるのである。
専門家はそれを分析し人体(国)がどのような構造であるかを知り、危機に対処する方法を検討し
時に対処する重要な役割を担っている。その意味で敬意に値する。しかし、どこを鍛えるか、どこ
に行くかは、一人称の私(我が国の国民)がその意思で決定すると言うことである。
結論、我が国は我が国の歴史的な国民が作ったのであり、三人称である一般的な「人」が創ったの
ではない。左翼系の人が「この国」といい、保守的な人が「我が国」ということが多い理由もここ
にあるようだ。
つづき
つまり、猫氏ら法学の専門家の得意な仕事、役割と言うのは、国というものをつぶさに観察し
ある危機や争いが起きた場合に、その観察結果から客観的に整合性があり合理的な対処ができ
るようにすることに尽きるわけで、憲法とか法律の「現状」をいくらつぶさに観察分析しようとも
国を構築したり、その行方はどっちがいいのかなどを決定付ける機能はない。
全ての専門家がそうであるように、対象物を客観視して捉える猫氏の論理的帰結が、ヒトゴト
に感じるのは当然である。ヒトゴトとして捉え、客観的に帰結した結果としてのその道筋は
選択した者の納得・自己責任を意識しないから、不可逆にもかかわらず実験的であることも
当然である。
現実の国政の決断は、その選択結果が私たち国民に降りかかってくるものであり、問題は
そういった結果被害をどう納得できるかが重要である。勿論そこに専門家の分析や知識は
必要であろうし、利益とリスクの明示も必要だろうが、それだけで良いのかといえば、違う。
それでは、結果の被害を蒙るにあたり納得できない。
関係者全員がその衆議に参加しその議論を尽くした結果の決定であ
るから納得できるし、結果失敗したとしても特定の個人が責任をとる決定経過を取らないの
である。日本はそのような社会ではある。
716 :
・・・:04/04/27 17:55 ID:???
>>711,
>>712,
>>713 で、専門家の統一見解?
その説を採用しなければならない?
また、退位問題って自然人的要素が十分にあるんだな〜、これが。
加えて政府見解はどうなるの?
保守考氏も似た書き込みしてたけど、法的に序列を認めるのか?
って議論も必要だしね。
実証的見解も無視できないし、以前、>猫氏の支持する説の限界を書き込んだけど、
説に拘りすぎると何か宗教の教義っぽくて。
行き着くところ、「理」と言っても、歴史(状況)的背景から起こる、
又、目指そうとする価値観だと思うぞ
(>れ氏の書き込みも、そういった疑問なのでは?)。
例えば、(皇室に限らず)上下関係を対立軸とした価値観が、
全てにおいて反映されると、悪役(以前の悲観的妄想)は、
誰もやりたくなくなるのは当然という状況を生み出すし。
権利に義務・責任が欠けた議論はどうかと思うし。
素人か感じる素朴な疑問だと思うんだが・・・。
717 :
711:04/04/27 18:23 ID:???
>>716 別に採用せんでもいいよ?
ただし、採用せんならせんで、どういう前提によって把握しているのか
(天皇に限らず、天皇を規定する周辺も込みにして)語ってくれんとい
かんけどな。
あと、上にも書いたが「退位問題」あるいはその権利は自然人である明仁に
備わっているものであって「天皇」には無いよ。
俺は別に天皇と自然人明仁をわける必要はたいしてねえと思うけどな。
寧ろ、より重要な問題は、自然権的発想に立てば、天皇の地位からの退位だとはあり得ない
−そもそも天皇などあり得ない−わけで、退位からの自由など観念できない、という方だろうな。
本当に自然権的発想を取れば、誰も自分の意志を問われずにある官職に就かされることはあり得ないわけで
−逆に、そういうことが有り得るとしたら、「誰もが」強制的に特定の官職につかされるのだろうね。
例外は無論あるが、裁判員制度など−そもそも天皇の存在自体がおかしい。
無論、憲法はその点の天皇を想定しているわけだが、だとしたら、退位を禁止する規定がない以上
退位は禁じられていないと素朴に言うことは許されないだろう。大体、本当に退位の自由があるんだったら、
即位の自由もあるはずな訳で、それがない以上、退位の自由もないのだろう、と考えるのが普通だと思うが。
>素人か感じる素朴な疑問だと思うんだが・・・。
普通は、そういう問題を解消するために、勉強するね。
勉強する時間はないが、手短に自分の知識を高めたいと言うならわかるが、
2chでそういう期待をする方が間違っているだろうね。そんな質問に誰も答える義務は持たない。
普通の人は、素朴な疑問が思いついたら、この疑問を解決するために自分で調べようと思うのではないかな、
というのは素人が考える素朴な疑問だが。
>>705 >どうもよく分からんのだが、自分の国をどうした以下を語るのに、矛盾なき国家観が
>必要なのか?
そりゃ、普通、議論しているとき、矛盾されちゃ困るだろ(苦笑
君は矛盾していようが頓着しないみたいだが、それは最早議論ではなくて、単なる独り言だ。
議論が大事ですよ、っつーなら最低限矛盾は避けるべきだろ。
それとも国家観がいらない、ということか?別に国家観などなくても良い、と言うなら別にかまわないが、
だとして、前から聞いているように、君は一体何に基づいて議論するつもりなんだ?
お得意の衆議と言うことになるのかもしれないが、何をどう衆議するんだ?
君(達)は天皇には拒否権(の内実の説明は面倒なので略)がある等と言っていたときに、
三権分立だのなんだの愚にも付かないことを言っていたが、いまさら国家観はいらない、って何言ってるんだ?
>「抽象的・平等な個人からなる国家」と言う把握は、国民の範囲とか、国家主権の及ぶ範囲を
>決定付ける論理を持ち合わせているのかな?ないと思うのだが・・・。
仮に、ないとしてだから何なんだ?
>>714-715 正直、だから何なんだ、という気がするが。そんな文章読まされてもねえ。
>結果失敗したとしても特定の個人が責任をとる決定経過を取らないの
>である。日本はそのような社会ではある。
はぁ?一定の政策に失敗すれば、内閣総辞職という事態になるだろ。
例えば、今回のイラク派兵によって自衛隊が極度の被害を被れば、或いは駐留が極度に長引けば
内閣の政治責任を問う声が出てくるだろ。別に不景気が長引いて云々でもいいよ。
君、実は、というかおそらくそれが正しいのだろうが、日本の政治システムについて全く知らないんじゃないの?
720 :
・・・:04/04/27 19:33 ID:???
>>717 申し訳ない、絶対的答えはない、が返答。
>公権力に準ずる云々
時代・状況的に、これからの日本にとって、この定義だけでは不安。
なにせ、公権力(議員)を選んだのが国民の我々というジレンマも生じる。
(こんな指摘は今のところ無いだろうが)
過去に>猫氏が憲法制定云々で生じたジレンマを思い出す。
また、これが、>れ氏の衆議に繋がるかも・・・。
>自然人である明仁に備わっているものであって
故に、発意、その可能性を重視(想定)しております。
この場合、相手は国民主権を前提とした公権力だが。
721 :
・・・:04/04/27 19:34 ID:???
>猫氏
>例外は無論あるが、裁判員制度など
専門家が官に拘るのは当然だとおもいながらも、
敢えて、私が官以外の例を出さざるを得ない状況があるもので。
近年、一般でもいやいやながらが多い。
>退位の自由もないのだろう、と考えるのが普通
否定してませんよ。
>勉強する時間はないが、手短に自分の知識を高めたい
ある意味、正解。
>れ氏、>保守考氏にもたびたび迷惑とお世話になっております。
>2chでそういう期待
ギャラリーも存在するだろうし、個人的でもない。
(非)実証云々、(非)序列云々、まあ、答え難いのは当然でしょうね。
個々の思いがあっても、答えが無いんだから・・・。
ただ、参加されている、>猫氏(に限らないが)の見解を知りたいだけ・・・。
ダメですか?
>>719 >君は矛盾していようが頓着しないみたいだが、それは最早議論ではなくて、単なる独り言だ。
いや、矛盾しているかどうかで国家の行く末は決まらないと言っているんだよ。
>仮に、ないとしてだから何なんだ?
なければ、国の枠組みの議論に法学はお呼びでないと言っているんだが・・・。
>はぁ?一定の政策に失敗すれば、内閣総辞職という事態になるだろ。
はぁ?それは議会に対する政治責任であって国民に対する責任じゃないだろう。ナニイッテンノ?
内閣は誰に責任を負うって憲法に書いてあるんだ?
第六十七条 3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
で、
衆議の結果に対する責任を一体誰がとることになっているんだ?日本国憲法は。
議会は責任をとりたくても、衆議院は自ら解散できないだろうし、参議院に至っては、そもそも
6年間改選されないよね。
>君、実は、というかおそらくそれが正しいのだろうが、日本の政治システムについて全く知ら
>ないんじゃないの?
まぁ、気の毒に・・・。またまたワラワセてもらった、ゾンビれである。
>いや、矛盾しているかどうかで国家の行く末は決まらないと言っているんだよ。
は?まあ、君のそれ自体矛盾している発言などどうでも良いが、人々は議論しているんだろ?
で、何で結論が矛盾しているんだ?議論して、でてきた結果が矛盾するなどと言うことが
有り得るのか?矛盾した結論に万人が納得することなど有り得るのか?
>はぁそれは議会に対する政治責任であって国民に対する責任じゃないだろう。ナニイッテンノ?
まず第一に、君は「国民に対する」責任という限定を施していない。
>関係者全員がその衆議に参加しその議論を尽くした結果の決定であ
>るから納得できるし、結果失敗したとしても特定の個人が責任をとる決定経過を取らないの
>である。日本はそのような社会ではある。
と言う文章を、国民に対しては責任を取らないが、議会に対しては責任を取ると読むことは
−おそらく、保守氏と君以外の人間には−不可能だろう。
第二に、議会を通じて内閣は国民にたいして責任を取っている。
>衆議の結果に対する責任を一体誰がとることになっているんだ?日本国憲法は。
まず第一に、残念ながら、いつものことだが、自分で自分の前提をまたもや改変している。
君の議論は、「全国民の衆議」に基づいて政治が為されるのであって、「国会議員による衆議」によって
政治が為されているというわけではない、というものである。
従って、議会は衆議の結果にたいして責任を取らないから云々かんぬんという議論は
君の前提から言えばイレレバントである。
第二に、議員は選挙という形で国民の審査を受ける。あんまり馬鹿な法案を通せば、次の選挙で落選するし、
頑張って仕事をしていれば次の選挙も当選するだろう−といっても現実はなかなか複雑であるが−。
というか、責任云々というなら、選挙があるんだから、責任が問われるのは当たり前だろ?
大体、こんなのが反論になるとしたら、憲法のどこに「全国民の衆議に基づいて政治が為される」などと書いてあるのだね?
寧ろ、学部一年生なら知っていることだが、憲法は国民の信託に基づいた「国会議員によって」政治が為されると規定しており、
れ氏的妄想である「全国民の衆議による政治」という発想をわずかな例外(憲法改正など)を除いて、
真っ正面から否定している。
国民は、責任を取らないのではなく、そもそも責任を取るような決定を有効に成し得ないのである。
れ氏の前世がニワトリであったことを論証する必要もないと思うが、一つだけ書いておこう。
ついさっき、れ氏は内閣が議会にたいして責任を取るが国民に対しては責任を取らない−まあ、これは嘘だが、仮に真だとして−
として、議会と国民を明確に区別している。しかし、今度は不思議なことに、日本の国政は議会の衆議によって
決定されていることになる。れ氏はちょっと前まで、「全国民の衆議によって」政治が成立している
と言っていたにもかかわらず、いつの間にか政治の主体が議会になっている。
しかし、議会と国民は全く別個の存在であるはずであるが。
無論、このようなれ氏の矛盾を指摘したところで、れ氏は痛痒も感じないだろう。
というのは、れ氏からすれば、議論がいくら矛盾していても全然かまわないからである。
しかし、観察者の目からすれば、れ氏の議論がみじんも説得力を感じさせないのは確かだろう。
これはやはり、議論には最低、無矛盾性が要求される、と言うことの証左であろう。
>議会は責任をとりたくても、衆議院は自ら解散できないだろうし
俺は内閣が責任を取る、と書いている。勝手に議会が責任を取るという設定になっているのは何故だろう、とは今更問わない。
>まぁ、気の毒に・・・
いや、ていうか冗談抜きで書くけど、ちょっとレベルの高めの高校受験を控えた中学生より君、知識ないでしょ。
何でそんなに知識がないのに、そんなに自信があるのか、と聞けば「常識」と返すのだろうが、
中学生にも馬鹿にされかねない常識とは何なのだろう、とも思う。
れ氏のような人間を見ると、やはりゆとり教育−直接れ氏がそのような教育システムにいたわけではないのだろうが−
は間違いなのだろうか、とも思わざるを得ない。いい年して、変なイデオロギーを持つ前に、
社会科学教育を行うのは重要だと思った次第。
>>724 <これは一般論だけど>「新書ばかり読んでいると馬鹿になる」といわれるように、
中学レベルの知識に、ウェブや新書、あるいは「独自で」得た、
学問的省察をすっ飛ばした「知識」を埋め込むと、
その分野において、自分では頭がいいと思っている
始末に終えないバカが生まれてしまうわけです。
法学はあまりそういうのがないのかもしれないけれど、歴史学では
そういう奴が巷に溢れている。有る意味仕方ないかと。
>>724 >社会科学教育を行うのは重要だと思った次第
社会科学教育よりも、まずは基礎論理学と基礎教養を大切にする風土を作るのが先だと思われ。
れ氏をみていると激しく痛感するよ。
>>723 猫氏
随分哲学的趣がある、心の叫びだな。
>人々は議論しているんだろ?
>で、何で結論が矛盾しているんだ?議論して、でてきた結果が矛盾するなどと言うことが
>有り得るのか?矛盾した結論に万人が納得することなど有り得るのか?
・・・なんというか、・・・矛盾を追及する議論ばかりしているからと言って・・・
まさかここまでひどいとは思わなかった。
で責任論と言うのは前からやりたかったんだけれども、ある特定の決定の成功・失敗を元に
責任をとると言うことが、議会においてアリエナ〜イ事は了解したのね。
じゃぁ、内閣と言う機関の裁量権に基づく政策決定も、それ以外の法律と言う形での
(あるいは予算と言う形での)議会の政策決定も、ともに国民に対して直接は責任を取らない。
で、パッチワーク的に人の発言をつなぎ合わせて、矛盾を作り出しているが、そこまでしないと
中学生レベルと評価する相手議論できないかねぇ。
>>751の発言は
>現実の国政の決断は・・・関係者全員がその衆議に参加しその議論を尽くした結果の決定であ
>るから納得できるし、結果失敗したとしても特定の個人が責任をとる決定経過を取らないの
>である。日本はそのような社会ではある。
なんだが、これに対して内閣総辞職を持ち出したのはあなただ。現実の国政の判断は内閣だけが
やっているのか?で、総辞職は特定の個人の責任のとり方なのか?
よく分からない。多分よく読まないで脳内で何かを作り出しているのだろうが、私は国政の決断は
案件により内閣であったり議会であったりすると思っているが・・・。
>>726 糞ナナシのそういう言説は基礎教養以前の問題かと。物陰に隠れての非難は見苦しく惨めだと
一部のナナシを見ていると激しく痛感するよ。