前スレは、非常に濃密な書き込みだったようで、容量オーバーが早かった
(600番台)。新スレ、皆々様今後ともよろしくお願い申し上げる。
PART1の元祖1氏に感謝申し上げる。52氏たまには出てきてくれ。
猫氏の参加も乞う。ダーマツ氏・跳ね馬氏もたまには顔を出すよう要請
しておく。最近ご活躍中の諸氏、今後ともよろしく。
【権威と無知に関して】
どうも議論が、国家意思決定システムの問題と、国の制度の問題の分別がされな
い。
アズマ氏が
>しかし、民衆は一定の権威に従うしかないとしても、その権威が一人歩きして
>社会の指導層の意思決定にまで影響を与えることはまずいのでは、と俺は常々
>真正保守の立場からエセ保守を叱っているのは、よ〜くご存知だろ
という時、彼が真正の似非保守であるかどうかは別として、賛同できる。
意思決定にかかわらない部分である天皇制にまで、明示され論理的な理念を持ち
込む必要性はない。後は、国民の様々な価値観から決まる、多数決の結果として
の国民の総意に委ねることに、何の疑問も、私は起こらない。
パンドラ氏が、身分制に残骸であり、部落差別の根源となりうると云い、むっち
ょ氏が正義論第一原理に反すると云う時、
「 国家意思決定システムと無関係の天皇制の、賛成反対の理由としては 」
私の霊的権威論や、保守考氏の皇国史観的賛成論と、単純に同次元である。
そうではなく、理念として検討しなければならないとしたら、天皇制が国家意
思決定システムに、どのような影響があるかを明示しなければならない。
4 :
右や左の名無し様:03/03/23 17:47 ID:t0AibacK
天皇制消極的支持派だが…
前スレ
>>647 >日本人としてアプリオリに備わっている要素を
>日本固有の伝統・文化・習慣が、現在まで引き継がれて
伝統、文化がアプリオリ?
遺伝子上にそれがあると主張するのならトンデモ説以外の何者でもない。
反証不可能な事象で日本はかく有るべしというなら
それは保守氏の言う「思想」ではなくて、アズマ氏の主張する
「イデオロギーでありプロパガンダである。」ではないか?
「補強済みのドグマ」の主張をアズマ氏の批判に対して論じているだけではないか。
5 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/03/23 18:26 ID:lVY5bPtt
さて、そのように、国家意思決定システムに無関係であるがゆえに、国民
の多数決による総意をもって決定すべきである天皇制は、現在多くの国民
が支持している。
天皇は1000年以上の歴史の中で、常に国の中心的部分を占め、院政、
摂関政治、武家幕府、明示の憲法制定前、明治憲法時、現憲法時を通じて
その正当性の権威付けを担ってきた。現憲法下においては、その権威は主
権者である国民の権威に基づき、それ以前は天壌無窮の神託をその権威の
根拠としてきた。全く離反する根拠の双方の地位に、同一人物がついたの
である。国家の、国民の支配構造としては、非常に稀有な事である。
では天皇は1000年の永きにわたり、何を行ってきたかといえば、支配
・搾取ではない。日本人と日本国の五穀豊穣を祈り平安を祈ってきたので
ある。イデオロギー的皇国史観あるいは国家神道イデオロギーを除外した
神道は、極めて穏当なものである。(宗教としての特質のひとつが完全に欠
落している。他宗教の排除をしない)
6 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/03/23 18:27 ID:lVY5bPtt
としての特質のひとつが完全に欠
落している。他宗教の排除をしない)
神と人間は霊的に同質であり、祈りは神に届き現実化する。災いは、争い
から発生する怨念が具象化することであり、怨念を具象化するのは怨霊で
ある。怨霊もヒトと同質であるから、慰霊し鎮魂し、ほめたたえることで
御霊(ミタマ)と化し、災いの神から、よきこをとなす神となる。
慰霊鎮魂はこの怨霊に向けて行われ、また偉大な貢献をしたヒト、偉大な
物もまた、国々の神社に祭祀され、慰霊鎮魂を行い五穀豊穣と平安を祈る
対象として存在してきた。この神社神官の最高権威が天皇である。
国民はこのことを知っているのである。天皇が国民を支配し、搾取してき
た存在ではなく、国民の平安を、1000年以上継続して祈り続けたこと
を・・・。そしてその態度は、現代も継続していることを。
神社はいまだ、初詣・初参り・結婚式・願掛けなどで庶民に親しまれ、日
本人意識と共に、争いを忌避し、怨念を発生させない穏やかさや、分を知
り一つの道に精進する国民性を形成してきた。ケガレは清められるのであ
り、清めれば水に流すという、いつまでも怨念を忘れない某国と一線を画
した価値観をもっている。その国民性が選択し続けた結果の歴史や伝統は
、それを持たず論理のみに頼らざるを得ない他国と異なり、継続性がある
ゆえの大きな価値として、制度を共有するに至っている。
万が一にも天皇制が廃止されれば、過去から継続してきた、争いを忌避し
怨念を鎮魂する中心的存在が国家からなくなることであり、過去から継続
してきた、歴史的価値観の否定でしかない。いかなる為政者も、徹底的に
非難せず、その残した文化を継承し、国内で争わないことの象徴としての
天皇制の廃止は怨霊・怨念の解放であり、宗教的あるいは非科学的オカル
トとしても、その災いを恐れる事は事実あるだろうし、オカルト的でない
部分でも、争いを決定的に決着させ、怨念を残し、前為政者の墓を暴き、
彼の残した文化を破壊知る国家となりうる事は、避けなければならない。
このことを一言で、霊的(神的・宗教的)権威と、私は表現しておる。
国民の支持の基本的な理由であろう。
8 :
右や左の名無し様:03/03/23 18:56 ID:tlqfKJDA
>>7 国民がそんなオカルト的な理由で「支持」しているとは到底思えんが?
9 :
保守を考える:03/03/23 19:55 ID:J+qlfvQD
>れ氏
新スレご苦労様です。
最近は、あまりやり合わなくなった二人ですが・・・・。
どうも、廃止派のお歴々は、あなたの云う天皇制の歴史事実に対して、目を逸らしているようですな。
普段、日本人として生活しているのならば、神社なり、春分の日という暦なり、天皇(制)に
まつわる事象が散在している事に気がつかないのでしょうか?
そうであるのなら、天皇制を語る以前の問題だと、前々から私は云ってきましたが
まあ、あの方達には、これからの日本をどの方向にもって行きたいのか、是非聞いてみたいものですな。
おそらく、いや、確実に笑わせて頂けそうですが・・・・。
10 :
保守を考える:03/03/23 19:58 ID:J+qlfvQD
>>4 もう一度、良く読んでからレスをいただきたい。
>もう既に、私は、日本人としてアプリオリに備わっている要素を、論証することは出来ない。
>と、はっきりお断りしている。
何か問題がありますか?
>>8 霊的権威論はオカルトに見えるが、けしてオカルトではない。
歴史的現実、宗教的な概念の説明をオカルトと見るのは現代人の驕りである。
宗教はつい数十年前(戦前、あるいは戦争直後)までは、災害・疫病に対する
科学的対処であるといって過言ではない。
災害疫病が科学で対応できるとの自信を、日本人が得るまでの間、怨霊信仰や
言霊信仰、ケガレの思想あるいは日本的仏教による、災害疫病防止のふるまい
は、科学であり、現実であり日常である。(現代でも深刻な状況では同等であ
ろう。)
宗教的理由での継続が、経済的あるいは支配構造確保という動機とするのは、
論理的であっても、現実的ではない。科学を現実的であると知っているのは現
代人だけで、当時のヒトは科学を知っていない。この現実を忘れがちになるか
ら、あえて書いておく。多くの民衆も上層部も、真剣にそう信じていたのであ
る。
国民の支持はオカルトでもなんでもない。単純にオカルト的なことが書いてあ
るからといって、文章も読解せず、オカルト的な支持と言わないようにお願い
する。
>>9 保守考氏
感情的になりながらでも議論する事は有効ですね。
貴殿の持つ認識や論理と私の持つそれは異なるが、その違いが今は理解で
きているところに、議論の価値があったと、感謝している。
同様に、猫たんとも散々やりあったし、今も別姓スレでやっている最中だ
が、継続議論することで理解が深まる事は事実であり、議論の方法も学ぶ
ことが出来る。最終的に馬鹿アホの罵詈雑言で終わることなく、最後まで
議論する事は、私にとってはありがたいことである。
少々無理があっても突っ込んでいくから、皆様にはご迷惑を掛け、あるい
はフリーズするのであろうが、パート2か3のとき、名無しさんから、が
んばるように書き込みをいただき、継続している。
今後ともよろしくお願いする。
なお、貴殿指摘の通り、宗教的価値観は即否定する、タダ感情意的に否定
する方が多い。逆説の話で恐縮だが、井沢氏も宗教的観点からの分析を排
除する事は正しい歴史認識を阻害するという主張があり、その事は正しい
と思う。国家意思決定に際し、宗教的価値観を優遇し優先しようというの
ではないし、それは貴殿も望んでいないようである。ただ現実にそのよう
な価値観の共有は存在するのであって、それを無視して論理だけで国が作
れると考えている方のほうが、おめでたいと、私も思う。
13 :
4:03/03/23 20:23 ID:t0AibacK
>保守氏
問題があります。
論証できないと自覚していながら「事実を提示しているだけである」という文言が何故後につくのか?
後文の論旨は詰まる所、20世紀初頭に破綻した実証主義の残滓を見ざるを得ない。
保守氏は前スレから結局帰納法の出来そこないの主張を繰り返しており、
それをアズマ氏が批判している事を理解すべきではないか。
一方で実証不可として、事実を提示し「実証があるかのように」見せかける。
これはアズマ氏が散々主張した「論理のすり替え」そのものではないか。
反証不可能な論拠はあくまで形而上学的問題であり、その仮説を現実の人間社会に適応させる以上、
その仮説の妥当性は追及されてしかるべきである。
しかし、保守氏の補強済みのドグマは反証を受け付けないが故に「オカルト」である。
14 :
保守を考える:03/03/23 20:45 ID:J+qlfvQD
>4氏
>>13 つまり
「日本固有の伝統・文化・習慣が、現在まで引き継がれて機能していることに着眼を於いた
説明として、「その理念なり教義を解釈しなくても、神社にお参りしたり、日本語を喋ったり・・・・」
という、事実を提示しているだけである。」
これね。
あなたは、まず、このスレに、日本語を使用して書き込んでいる。
では、その日本語の理念とは、なんですか?
次に、あなたの人生が何年だか知りえませんが、まあ、20〜30年として
その間、神社に行った事や、節句等の行事に参加したことはありますか?
また、「頂きます」や「有難う」という言い方をした事はありますか?
それら、理念を、お答えする事が出来ますか?
あやしい氏にもお尋ねしたのですが
「あなたは、日本人とそうでない者を、識別できますか?」
まず、このあたりの疑問にお答えして頂きたい。
15 :
4:03/03/23 20:53 ID:+FhHgAN/
その質問が私の批判にどのように反論になっているのか理解できません。
貴方こそ貴方の意見に対してアズマ氏が出した反証をどのように考えているのか答えてもらいたい。
16 :
保守を考える:03/03/23 20:58 ID:J+qlfvQD
>4氏
それと、私はアプリオリに日本人としての、伝統・文化が在る。
などとは、一言も云っていない。まして、遺伝するなどとも・・・。
ただ、その可能性や否定を、論証出来ない非力さを、白状しただけなのだが。
だから、現実に在る、それら伝統・文化を指して、後天的に備わるモノだと指摘した。
その理念なり解釈を無自覚にも共有しうる範囲が、日本人の枠だという主張である。
勿論、神道その他の行事に反発する日本人もいるのであろう。
天皇についても同じである。
しかし、その人達は日本人である事を望んではいやしない。
さしずめ、世界市民といったところであろうか・・・・。
17 :
保守を考える:03/03/23 21:07 ID:J+qlfvQD
>>15 多分、前スレ
>>522のあやしい氏のレスであろうか?
>概念を定立する時点で、先天的に日本人にはこれこれこういう特性があるから
>それに従うのがあたりまえだと言うのは、単なる妄想か宗教だろ(藁
だから、先天的にある日本人としての特性としては、遺伝学的に答えられるだろうが
私は、後天的に備わるモノだと主張しているから、
この辺が彼とは噛み合ってなかったんじゃないかな?
だから私は
「あなたは、日本人とそうでない者を、識別できますか?」
と、質問したのですよ。
>れ氏
あれでわからなければ、正義論についてはもうこれ以上いうことはないよ。
ただ、どうか漏れ以外の専門の人たちにもいろいろ聞いてみることをお勧めするが。
>マサカド氏
「原初状態」という仮定は、あくまで論理を構築することの
出発点としてみてほしい。つまり、原初状態というフィクションに
コミットするかどうか、また、歴史的に原初状態が存在したかを問題にするのではなく、
その出発点から導き出された原理原則の有用性というものが重視されるべきだと思う。
その意味では18世紀啓蒙主義的な想像上の機械論的人間観や、19世紀ロマン主義的な
民族性や国民性あるいは世界精神といった定義不完全な内的構造へ
従属するものとしての人間観を「超克w」していると思うけど。
19 :
右や左の名無し様:03/03/23 21:11 ID:+FhHgAN/
>しかし、その人達は日本人である事を望んではいやしない。
それは君の妄想だ。
Hアレントが指摘するがごとく、知識人引きこもりを「れ」氏と「保守」氏が証明していく様は悲しい物がある。
私は天皇制は民主主義に反する存在であるし、不条理もあることを承認する。
しかし、さしあたって現実に大きな問題を生じていない故に存続に賛成する。
現実に国政で天皇制を争点となりえないと判断するからである。
ある言明があったとして、その論証は如何なる物であっても出来ない。
ただ、反証が存在するか否かのみがその言明の「現実的妥当性」を保障する。
如何な言明であっても永遠に仮説にすぎない。
>>16 「無自覚」まさにこれこそ反証不可能な仮説ではないかね。
では、それに対する反論はどうやって行うと言うのか。
反証不可能な限りは「現実とは関係ないトートロジー」か「オカルト」と評せざるを得ない。
20 :
保守を考える:03/03/23 21:32 ID:J+qlfvQD
>4氏
>>19 >では、それに対する反論はどうやって行うと言うのか
歴史事実から導きましょう。
つまり、日本固有の文化・伝統が、政治的強制として、
存続してきた事を実証して下さい。また現存するそれら無自覚な行動様式は
ある、宗教的なり、科学的理念により為されており
それを日本人が理解している事を証明すれば宜しい。
>私は天皇制は民主主義に反する存在であるし、不条理もあることを承認する。
これについては、散々してきているのだが
何故、承認しているのか、解説をお願いしたい。
>>19 >現実に大きな問題を生じていない故に存続に賛成する。現実に国政で天
>皇制を争点となりえないと判断するからである。
このスレは、存在意義を議論するスレであるから、そう思っていてもどう
ぞご参加ください。現実問題として、天皇制はなんら危機的状況にない。
貴殿が賛成しようと、反対しようとである。
ただ、議論をしているのである。天皇制が民主主義に反するとする貴殿の
言説が、単なる感想であれば意味はないし、論理性をもつなら、ご披露な
さればよい。民主主義に反するという言説は、論理としては新鮮なので、
是非お願いする。民主主義には反しないが自由主義理念に反するという方
が、今までは多かったようである。
なおアレンとが何を指摘したかは知らないが、悲しいので有ればどうぞお
泣きなさい。保守考氏と共に証明したものなど、おそらくは存在しない。
>>626 ・・・たん
>明示・体系的であっても実態のない普遍的云々は、
>議論は可能でも究極信用できない面も否定できない訳で。
あのねえ実態ない普遍的云々と言うが、それではお伺いするが、実態のある
普遍性とか概念が果たして存在するのかね?すべての政治思想・政治制度は、
人間の作り出した観念であって、実態もないし、普遍性も美称にすぎないだろ。
それは、人権思想もそうだし、天皇制もナショナリズムも同じだ。その意味で
言えば、すべての観念や主義主張は究極信用できないものだろ(藁
だからこそ、政治思想や政治制度を語る上では、概念をきちんと定義し、
論理的に人に説明することによって、人と情報を正確に共有すべきだ。
そこから、明示性とか体系性と言うものが要請されるわけだ。逆に言えば、
明示性・体系性を欠く概念や主張は、人と情報を共有する基本的資質に欠ける
わけで、単なる個人的な願望や趣味嗜好の開陳でしかないな(藁
自然科学的に見て実態のない、究極的に証明不可能な政治的概念を提唱したり、
共有しようとするのは、それを認めることになんらかの社会的実益があるからだろ。
だから、政治思想・制度を語る際には、思想・制度の背景にある社会的実益を説明
すべきで、さらに明示的・体系的なものとして、思想・制度を提示すべきだろ。
そのような態度をとってこそ、本来実態のない思想・制度が論者にとって議論
すべきものとして、確定できるわけで。本来実態のないものを、あたかも実態の
あるかのごとく自明として扱い、曖昧な言辞に終始することは、議論の邪魔に
しかならん罠。あんたのしていることは、つまりそれだ(藁
繰りかえさせていただくが、歴史・伝統とか曖昧な根拠しか示し得ない者に
とって、結局のところ自分の論拠・証明となりえるものは、多数決による正統性付与か、
既存の制度(既成事実)にしかないわけで、そもそも人に自分のよって立つ立場を
説明することなんて、初めから不可能なんだよな。
保守・ウヨが用いる伝統や歴史と言った「常套句」の社会的機能も、
結局のところ多数決や既成事実を支持すると言うことを遠まわしに言ったに
すぎないものだ。「歴史」「伝統」と言うものは、論者によって異なるからから、
統一的な見解と言うものはそもそも存在しない。唯一社会的コンセンサスが取れる
ものがあるとすれば、それは多数決の結果か過去の既成事実にすぎないわけ。
であるから、結局のところ「歴史」「伝統」とは、多数決万能論・既成事実の受容
に行き着くのが自然と言うものだ。
しかし、多数決や既成事実に基づいてしか自分の主張を根拠づけられないと
言うのは、いかなる社会制度が望ましいのかと言う「社会のあるべき姿」を
検証し議論する能力がないと言うことで、それはそれで問題がある。なぜなら、
それでは既存の制度是非について、人とまともに議論できるわけがないから(藁
>>18 正義論はそのようにするとして、天皇が優遇されているという貴殿の認識
に対する、私の疑問には、答えてくれないのか?
象徴としての職務上の対価を優遇と判断したり、かなり杜撰だと思うが。
>>3 >意思決定にかかわらない部分である天皇制にまで、明示され論理的な理念を持ち
>込む必要性はない。後は、国民の様々な価値観から決まる、多数決の結果として
>の国民の総意に委ねることに、何の疑問も、私は起こらない。
意思決定にかかわらない部分であれば、明示性・論理性を持ち込む必要性は
ないと言うが、それは嘘だろ。また、意思決定いかんで、短絡的に多数決に委ねる
べき事項とそうでない事項を分別するのも間違いだろ。
まず明示性・論理性が、意思決定にかかわらない部分であればなくてもかまわない
との部分だが、民主的決定(多数決)においても日本は間接民主制を前提としてる
わけで、単純な多数決以前に代表者による十分な議論を前提にしている。その議論の
過程において重要なのは、やはり明示性・論理性なわけで、議会制民主主義の
原則から言っても、政治的主張の明示性・論理性と言うものは必要とされる罠。
それに欠ける主張は、小泉首相の米国支持論ではないが、何を言ってるのか意味
不明で国民を当惑させてしまう。多数決においても、説明責任を果たす意味で、
明示性とか論理性と言うものは当然要求される罠(藁
次に意思決定の有無の分別する発想だが、これもまたおかしな部分がある。以前にも
指摘したが、例えば貴族院のような意思決定の特権を奪われたような華族制度を
現在の日本にも多数決で受容することできるかと言う問題が存在するわけで。
意思決定の有無で、多数決で決めてよい事項とそうでない事項をわける発想は、
「意思決定」における特権がなければ、旧来の華族制度のような制度も許容することに
なるわけで、そこの点も少し考えてみられたらよろしかろう(藁
>>18 経済学とかの理論で想定するような、理論を検証する際に前提となる
単純化された社会モデルだろ。そのような社会モデルを想定することが
現実的でないと言うなら、そもそもマクロとかミクロとか社会科学の華
ともうたわれる「唯一の科学・経済学」の存在すら否定することになるよな(藁
>>24 別に優遇だろうが、差別だろうがそれ自体はそんなに関係がない。
誤解を受けないように書くなら、一方には参政権があり、
他方には参政権がないという関係は平等(少なくとも
正義論的意味での平等)ということはできないだろ。
逆に聞くが、なぜあなたは天皇家とそれ以外の国民が平等だと主張できるわけ?
>>26 まあそういうことなんだけどね。
社会モデルの想定が可能なことと、
現実に社会はその単純化されたモデルという
ものなのかということは別問題であって。
>>27 そう言う意味で言えば、合理性に欠ける理由で、参政権を停止させる
ことや剥奪することはおかしな話だ罠(藁
例えば、日本では受刑者に対して、ペナルティーの一環として参政権
を停止させいるが、これは論理的に見ておかしなことだ。政治参加の
権利と言うものは、いやしくも人であれば当然保障されるべきものであって
仮に受刑者であっても、それを停止されるいわれはない。
受刑者は、国家の禁止事項に違反したことによって拘禁されて
いるにすぎず、拘禁目的から言って被選挙権は無理としても、選挙権
自体を停止される合理的な理由は存在しない。
権利の停止や剥奪は、個々の事象の合理性に基づいて検証される
べきであって、不合理な理由で一律にそれをすることは原理・原則
から言えばゆるされん罠(藁
30 :
右や左の名無し様:03/03/24 04:00 ID:CRJZOFO8
ぁゃιぃアズマ人とむっちょが意味不明の妄論を吐きつづけても、皇室は無くならん罠(藁
31 :
神道:03/03/24 05:28 ID:J7Lvilc8
>25
馬鹿
くだらない理屈はいいからどうやって天皇制をなくすのか教えてください。
どうせむりでせう。
32 :
神道:03/03/24 05:36 ID:J7Lvilc8
多数決、民主主義。
多数のエゴが、少数のエゴを駆逐するだけ。
良い、悪いを議論しても永遠に終わることはないだろう。
>>25 アズマ氏
理念という言葉を除外するなよ。
歴史的価値観や伝統、慣習を多数決に持ち込んではいけないというなら、
一種の言論統制だな。明示的な論理による理念で、意思決定システムを構
築しなければならないとの貴殿の論は了承しているのだが、天皇制は意思
決定システムと無関係だから、一貫性ある理念に基づかなくても、多数決
に委ねれば良いということである。
議論においての論理性と、システムの論理性は全く違うだろう。
原則的に、公職は権限・責任を持つから、機会が均等であらねばならない
が、権限をもたず、責任を取ることの出来ないとする天皇姓における地位
にまで、機会均等という原則理念を適用させて、多数決による国民の支持
を否定する必要性はないと、論じている。
【参政権が制限されていること】
政治的に無色であらねばならない天皇という地位が、それを要求している
のである。これを問題とするなら、政治的に無色であらねばならないとす
る象徴制は、国民が選択できない。制度からくる公職についたヒトに対す
る、やむをえない人権制限のひとつである。
このような人権制限が、その公職が要求する、容認できる最低限の制限で
あるとすれば、総理大臣のプライバシー権の制限と同等に妥当であろうし
それを逸脱しているのであれば、不当な制限である。
もう一点は、その公職の要求する制限が、著しく人権を制限する(例えば
政策に失敗したら無条件に死ぬことを要求される)ならば、その公職を設
ける制度は容認されてはならない。
天皇制の人権制限はそのいずれにも該当しない。
36 :
・・・:03/03/24 10:48 ID:???
>>22,
>>23ぁゃιぃアズマ人氏
まず、前スレで私へのレスを私は見落としていたいたようですね、メンゴ。
暇なら、頭の体操程度にお付き合いもするんだけどさ、ゴメンね。
説教としてなら、もう十分なんだけど・・他スレなら意義あるかもね。
氏自体の主張(最近見られないね)も質問に答えないスタンスであり、
明示・体系も破綻としか思えない訳で。
>れ氏、保守考氏、ころ氏には、
主観のみの私自信、天皇に限らず、観念も概念でも思想・制度だろうと疑問だらけで、
明示・体系を求めている立場なんだけど・・たびたび氏に限らず無視されてもいる。
実態のないとするのは、せめて国でも制度でも良いから例示を求めているんだけど。
この国・地域はこの思想・制度だから、こんなに素晴らしいとかさ、言って貰えないと
主観的立場の私としては納得し得ないのである。
結果でも機会でも平等を徹底する国を例示して、素晴らしい国なら
それはそれで、私は選択(移住含む)するかどうかは別として納得はするよ。
共和制も結果平等も否定していないんだから。
ただ、合わせて君主制がダメで住みにくい体制である明示もお願いしたいけどね。
37 :
・・・:03/03/24 11:24 ID:???
>>36,>れ氏、保守考氏、ころ氏には,・・・感謝辺りを追加。
>>22 >自然科学的に見て実態のない・・・自然科学で実証されないとダメなの?
>社会的実益・・私にとって、天皇は感謝に値する存在でもあり、安心感を
もたらしてくれる存在でもあり、その御心ぐらいはたまには感得したいと
思わせる存在でもある。だからこそ、アキツカミ的表現となる。
じゃあ、民営でも論・・・学舎時期の否定派的見解を経た上での主観は上記的だが、
制度として象徴として現存する実態があり、この立場も私の生まれる以前でもあり、
当時も過去も現在も他者はどうなの?が私の参加理由でもある。
故に私は、
>>23,
>多数決でも既成,
でもないし、氏と方向性は違えども明示・体系を求めてもいる。
では氏を指名しますので、否定派としての存在理由を体系的に明示してください。
まさか、同伴でないとイヤなんて高ピーは止めてくれ。
>>31,
>>32>神道氏
神道について疑問も多くありますので、どうぞ、ご参加を。
38 :
?:03/03/24 14:09 ID:???
故人をこの議論に参加させたいのですがよろしいですかな?
>>35 誰も天皇に参政権がないことが合理的かどうかなんて聞いていない。
一方に参政権があり、他方に参政権がない。
これは平等とよべるかどうかということを聞いている。
>>39 子供も本来参政権は持っているが、一定の年齢になるまで参政権はない。
同様に皇室の方々も参政権はあるが、公職の関係で制限されている。
その証拠に、公務を離れ皇族でなくなれば、誰もが同等に参政権を持つ。
これが不平等と呼べるかといっておる。
>>40 上は不平等とよべないが、下は不平等とよべるだろう。
なぜならば、子供の参政権の制限というのは各人が平等に制限されているもの
(いきなり大人として生まれてくる人間などいないし)であるのに対して、
下は社会的に区別された一部の人間に対しての制限だから。
>>41 日本国民で、日本で出生し継続して日本に住みながら、20歳を超えても尚
選挙権がない、社会的に区別されたヒトは他にもいるが。
また、いきなり日本国民になったときから選挙権がある人もいる。
上記は事実だが、主張は特にないから誤解のなきように。
貴殿のその上下の分別は、社会的に区別されている一部のヒトが、基本的
人権を侵害されているから差別であるという主張なら、社会的に区別され
ている総理大臣や大臣がプライバシー権を侵害されているが、そのことと
整合性がない。子供が社会的に区別されている一部の人間であるというこ
とも事実である。
人権の制限に、正当性があるかどうかが問題なんじゃないのか?
>>41 不当な差別を不平等というなら、違うし説明になっていない。
子供も皇族も、生まれながらに社会的に区別された一部の人間であること
に違いはないから、その指摘は妥当とは思えないし、上下の分別が出来て
いない。
不当かどうかは別として差があるということであれば、その通りであろう
し、それは総理大臣始め公職のプライバシー権の制限と同等に、正当であ
る。
参政権を生まれながらに取得することが出来ないヒトは、他にもいる。
日本国民で、20歳を過ぎていてもだ。社会的に登記という形で分別され
ている。この方たちと同等とは云わないが、これも差別であろうか。
問題は正当な事由による人権制限であるかどうかだろう。
44 :
暇人:03/03/24 17:50 ID:???
天皇制は皇室を民族の象徴とする事で、
米国の植民地になる事を防いだんだと思います。
アフリカの少数民族の中には白人の奴隷になるのを嫌って、
耳や下唇に穴を開けて輪や皿状の物を入れて態と商品価値を下げたそうです。
詰り天皇制は彼等の古い習慣と同じで、
天皇や皇室は輪や皿の様な物だと思います(笑)
このスレはスキルが高いね。
クソウヨ・ブサヨとはしゃぐヤシがいないところだけでもそう感じます他。
>>43 あのね。何度もいうように第一原理の話をしていたわけ。
つまり、理由の問題はおいといてとりあえず人間は平等であるとするという
前提が重要なの。合理的な人権制限の話はその次に行われるべきことなわけ。
つまり、第二原理だ。子供の参政権あるいは精神的な問題で参政権を有しない人は、
要するに自己決定権という、ある意味権利を行使する際の前提が未熟であるという理由で、
参政権などを制限されることは合理的だろう。また、外国人が日本人になったということは、
憲法の原理原則が及ぶ範囲にはいったということだから、参政権が与えられるのも合理的だ。
さて、第二原理だ。つまり、生まれながらに日本国民であり、ほかの人と同じ自己決定権も
有しているにもかかわらず人権が制限されるなどの格差が存在する。これはいかなるとき認められるのか?
これが本題ね。
ここに、機会均等の原理が存在する。これによって、総理大臣のプライバシーの制限が正当化される。
しかし、天皇のプライバシーの制限は正当化されない。機会均等じゃないから。
天皇の人権制限を正当化するためには、機会均等以外で社会的格差が認められる理由をもってこなければいけない。
また、その理由の根拠となりうる原理原則をもってこなければいけない。
残念ながら自由主義はその原理原則とはなりえない。なぜならば、自由主義は
すべての人間は平等な権利を持つということを前提としており、機会均等以外で
社会的格差が認められる合理的理由を提示していないからだ。
そして、機会均等以外で世襲的権利格差が認められるような原理を提示するということは、
その原理は必然的に自由主義原理の上位にこざるを得ない。
それは結局自由主義原理によるシステムの運営をすることの放棄に他ならない。
48 :
パンドラ:03/03/25 07:04 ID:a/uBm3Q0
以下、前スレへのお応えである。
>>645 いずれにしても、原型論ではムリがあろうw
少なくとも、
>>647におけるように、「無自覚」と一般用語で表現するならまだしも…
ただ、そうなると、当然ながら理論的裏づけはなく、単なる印象にすぎなくなる。
>>646 >…貴殿のほうがややまともなので・・・
ほめられているのかねぇ…うーむw
>負の部分に影響していて、プラスの部分に影響していないというところが、理解できない。
プラスねぇ…こち亀に電極プラスはいるが…やはり、ない…かな。あれば、ご教示を。
>全く身分制でもなく、特別に不当に優遇されていない天皇制に変化してまで、身分差別の根源であるかのような言説は、…
一種身分制であり、民主政体たるわが国の例外規定であることは、法理論的にも異論はないであろう。
>…やはり、ケガレは禊をしない限り払われないと貴殿が思っている証拠でしかない。
わたしの思考内容まで断定される?…そこまでいいきるかねぇw
49 :
右や左の名無し様:03/03/25 07:05 ID:a/uBm3Q0
>>646 スレ違いの予感がするw しかし、看過し得ない問題がある、少々長くなるが…w
>現代におけるユングの後継者といわれても、誰かの名前をすっと思い浮かべられないな。
>精神分析自体、現在でははやらない学問だしね。患者の治療において、薬物療法のほうが
>現在はるかに好成績をあげているという事実があるからな。
たしかに、生物学的精神医学的にムリヤリ優劣を比較すれば、効果、確実性、治療期間において心理療法は医学モデル、すなわち薬物療法におよばない。
しかし、anorexia nervosaのように、薬物療法がほとんど無効で、認知・行動療法によらざるを得ないケースもある。
そもそも、方法論的に医学モデルと心理モデルは基本的に異なり、補完的であって、単純に優劣を比較できるものではない。
さらに、少々専門的になるが、人間学的精神医学では、むしろ、心理学もしくは哲学が主体で医学モデルはby- もしくはco- となる。
で、心理療法として、精神分析は、行動療法にこそ理論上対立するものではあるが、RogersにせよSullivanにせよ、Lacanでさえneo-Freudianを名乗っている。
かんたんに、「はやらない」などというべきでない。
また、Jung心理学のBig-nameも、Freudの直系の自我心理学、Kleinに始まる対象関係論と比較してもはるかに少ない。
あなたがどれほど心理学をご存知か知らないwが、もともと、臨床心理分野で思い浮かぶBig-nameがさほどいない…せいぜい文化庁長官ぐらいかw
で、
>>638 >…自然科学の限界を見通して、むしろそれを凌駕するものを目指しているようにみえる。
…だが、心理学者に敬意を表して婉曲に表現したもので、率直にいえば「自然科学たる医学には対抗しきれない」ということである。
すなわち、精神科医でない心理学者一般にそのようなcomplexがある、ということであって、特定のsuccessorをさしてはいない。
うーむ、これはあまりいいたくなかったが…w
50 :
右や左の名無し様:03/03/25 07:06 ID:a/uBm3Q0
これは、本スレ…
>>5 >…イデオロギー的皇国史観あるいは国家神道イデオロギーを除外した神道は、極めて穏当なものである。
これは、アズマ氏のいう土着的信仰そのものではないか?
これを国家規模にmaking upしたものこそが、イデオロギー的皇国史観あるいは国家神道イデオロギーであろう。
つまるところ、アズマ氏と同意見のようにみえるが…w
>>9、
>>20 言葉の端や日々の儀式に形骸が残ろうと、漢字と殷文明、Xマスや洋装と西欧文明以上の理念的むすびつきを、神道に求めるのは困難である。
>>47 むっちょ氏
順を追って、貴殿の主張経過を見てみるかい?
前スレの512での、私の質問
国の公職が、世襲だと、どうして自由主義理念違反するのか、どのよう
な理屈なのかと聞いている。
貴殿のレス
前スレの513:機会均等に反するからだ。
同542:政治システムの役職はいかなるものでも万人に開かれてなけれ
ばならないとされる。
同550:「ある国家の役職につくことを望む人」から、「ある国家の役
職につく機会」を「法的に」奪うことになるから、たとえ権力
のない国家機関でも、機会均等は保障されなければいけない。
同573:つまり、自由で平等な社会構築の最低条件に、原則機会均等と
いうことは含まれているのだよ。ロールズが定義したように。
同579:まず第一原理=「人間は『平等な自由』」が与えられるべきで
ある。
最初に第二原理を言い出したのは貴殿であり、後に第一原理になり、正義
論は他のヒトに任せようと提案し、また正義論であるという。
私はガマン強く付き合っているが、もう少し整理を乞う。
つづき
貴殿の主張は、天皇が、ある意味優遇されある意味不平等な扱いを受け、
正義論の第一原理である「各人は、他の人々の同様な自由の図式と両立す
る平等な基本的自由の最も広範な図式に対する平等な権利をもつべきであ
る。」に反するといっているのだと思う。これは個人としての、権利のあ
り方を表現している。天皇・皇族の個人としての権利に関する議論でいい
のか?
もしそうなら、天皇・皇族が天皇・皇族個人として
1、国民と異なる権利を持っていること
2、国民と異なる義務を負うこと
3、国民が持っている権利を持っていないこと
4、国民が負うべき義務をおっていないこと
のいずれかを論証すべきである。役職上発生する事は、第二原理であろう
から、そのことが役職上発生しているのではないこともあわせて論証しな
ければ、貴殿の主張は論証できない。
であるから、貴殿の参政権などの提示に関して、それは役職上(すなわち
第二原理に属することではないか)と反論しているのである。その反論の
意味は第一原理においての差ではない、ヒトとしては平等であると申し述
べている。
>むっちょ氏
うーんもしかして、・・・。
ちょっと確認するけど、貴殿が第一原理に反していると表現していることは、
天皇という地位が全てのヒトに機会均等でないことをさして、それが保証されて
いない以上、第二原理も何もないといってるのかな?
どうも、そうらしいが、正義論で言う、地位・役職は責任や権限がある地位や役
職を規定していると、すでに書いており、それは第二原理にのみ適用されるんじ
ゃなくて、第一原理にも適用されるんじゃないの?
私はそのように責任も権限ももち得ない地位である以上、第一原理はクリアして
いるから、第二原理の問題であるといってるんだけど。
少し私も貴殿の意見の捉えかたに、勘違いがあったようである。
第二原理で言う政治システムのデザインの原理に、格差を認めるということは、
第一原理がクリアされていなければならない。第一原理は天皇という制度にお
いてはクリアされている(責任と権限がない)が、それ以外で不平等があると
言っていると、勘違いしていたようだ。
機会均等という意味では、それは責任と権限がある地位に関して機会均等であ
らねばならないとしているんだから、クリアされているよ。
54 :
保守を考える:03/03/25 12:37 ID:b9AsffMm
>>50 >言葉の端や日々の儀式に形骸が残ろうと、漢字と殷文明、Xマスや洋装と西欧文明、以上の理念的むすびつきを、神道に求めるのは困難
支那・西欧文明と日本独自の文明を弁別できているのなら、何も云う事はない。
その辺の差異性を知っているのなら、以下も余計な事かもしれないが・・・・、
日本の特性として、(日本独自ではない)その文化に対する寛容さも押さえておこう。
これも、「無自覚」に共有しうる範囲ではある。
つまり他人の感情や人間関係を重視する精神。これは、唯一神文明とは明らかに違う。
>>48 >当然ながら理論的裏づけはなく、単なる印象にすぎなくなる。
理論足りえないのは解るが、経験則から述べている。と云っている。
私なりの実証の結果であるという事。
一般理論に昇華しうるよう
>>14にもお答えしてもらおうか、
また、あなたが実観察する社会に於いてはどうであろうか?
>>50 霊的権威論もアズマ史観も、自由主義も、皇国史観も
国民の意思に任せる範囲での意見としては同等であると申し上げている。
言論統制はいけないなぁ。
申し上げている事は、国民の自由意志により選択できる部分が基本として
あり、その自由を阻害する場合においてのみ、自由主義理念が、国民の自
由意志による選択に優先するという理念を認めるとして、
「政治意思決定システムでない天皇制が、なぜ国民の自由意志による選択
より、自由主義理念を優先させなければならないかということである。」
説明不能なのであればそうおっしゃればよい。
過去の戦争責任が果たされていないというなら、ケガレの思想の信者であ
ると告白なさればと思う。理由もなく、何らかの理念を適用させようとし
、国民の自由意志を否定することが自由主義とは思えないので・・・。
>>53 ちゃうって。あなたの捉え方は逆なんだよね。
第二原理は「どういう格差が認められうるか」であって、
「責任や権力を伴う役職はどのようにあるべきか」ではない。
もし後者だとしたら、論理的にいって第一原理は必要ないよ。
ロールズに限らず、まずすべての人々が平等な権利を持つということは
自由主義の前提であり、さらにそこから自由主義的にある格差を正当化する
理屈がうまれるわけ。第一原理にこだわったのはそういう意味もある。
ところが、どう考えても自由主義から世襲(国の役職としての)
を合理的に正当化することはできないから、(だから憲法解釈としても「例外」として
扱っているね)正当化するためには別の原理を持ってこざるを得ない。
別にロールズを引かなくても、機会均等という原理は自由主義的に導き出せるし、
その原則をあらゆる役職に適用しない限り、以前提示した
「線引きのヘゲモニー争い」の問題は続くわけで。
>>56 だから、最初の質問
>国の公職が、世襲だと、どうして自由主義理念違反するのか、どのよう
な理屈なのかと聞いている。
理屈もなくそれを信じろといわれても、ねぇ。私は自由主義理念信者じゃ
ないから、無条件でそれを信じろといわれても・・・。
>>58 だから、理由としては自由主義の根本にあるのがすべての人は原則平等な権利をもつ
ということだからだよ。それを踏まえたうえで、さまざまな自由の調整原理として、
機会均等など格差を正当化するような原理が存在する。
では、世襲を自由主義原理によって正当化できるか?といわれれば、できないだろ。
なぜ平等な権利をもつという原則を適用しなければいけないかというと、そのルールが
正当であるということを明確にするためね。また、ルールに書かれていないことを理由に
自由が侵害されることを防ぐためでもある。自由主義の原理から導ける正当な格差
以外の理由でつけられようとする格差を「原則平等に違反してるから駄目」という根拠をもって
防止することができるでしょ。
60 :
ニオ:03/03/25 19:53 ID:???
ころさん
返事が遅くなってすみません。
>>前スレ645
>象徴元首は形式的で国家権力をもって統治してるわけではありません。実際に統治して
>るのは立法・行政・司法の国家機関です。元首と三権の関係を踏まえた上でどこに統治権
>があるのかは、見方によると思います。
「統治権」とは三権の総称であり、国家権力と同義です。
「どこに統治権があるのかは、見方による」と仰いましたが、定義から言って統治権は
三権以外にありえないのではないでしょうか?
61 :
右や左の名無し様:03/03/25 20:05 ID:1YseoXtI
>>59 >自由主義の根本にあるのがすべての人は原則平等な権利をもつ
>ということだからだよ。
現代の苦しみのひとつはこれが自明じゃないことから生まれてるんだよ
例えば君は「どうして人はすべて平等な権利を持つのか?」と問われた場合
「そう仮定しなきゃ近代文明が成り立たないから」としか答えられないだろ?
それじゃ近代文明自体に疑問を抱く者(ポストモダニスト)に対しては何も言ってないのと同じだ罠w
いい加減絶対の理念を唱えたいならその社会において絶対的存在の仮定もセットで据える必要性があることを理解したらどうだ?
62 :
ウエ−ブマスタ−様ランキングサイト登録へ:03/03/25 20:06 ID:v/shWVno
63 :
右や左の名無し様:03/03/25 21:27 ID:ywYg5+I1
存在意義ないYO
64 :
ニオ:03/03/25 21:37 ID:???
ころさん
>>60の続き
「立法・司法・行政の三権」を総称して「統治権」と定義するということは、言い換え
ればその項を置き換えることが可能だということです。
つまり・・・
立法権+司法権+行政権=統治権
統治権−立法権−司法権=行政権
こういった二項式が成立するのです。
実はころさんの理論が自分にとって分かりにくかったのは、定義そのものが変えられて
しまっていた点があったからです。
ころさんの仰る理論では上のような式は成立しません。
65 :
右や左の名無し様:03/03/25 21:42 ID:ywYg5+I1
イラネ
66 :
右や左の名無し様:03/03/25 22:18 ID:ywYg5+I1
東京廃墟
67 :
右や左の名無し様:03/03/25 23:21 ID:Xe4m1VFD
かわうそ氏はコヴァ板だけじゃなくて、
こっちでも天皇制議論ですか。
>>67 かわうそうなくらい、あしらわれているけどね。
70 :
右や左の名無し様:03/03/26 04:51 ID:anUZhj4I
天皇が居られる限り、日本は安泰です
屁の突っ支い棒にもならん。
73 :
右や左の名無し様:03/03/26 23:00 ID:M93jt5Kv
べつに突っ支い棒にならなくていいのですよ
天皇制というか、歴代の天皇陛下は皆、
日本史そのものなのですから
信仰するとか、そういうふうに考えられなければ
2663年もの間、形は変わっても国家の中心におり
神話のころから途絶えることもなく続いているのは
世界史的にみても奇跡に近いでしょう
後世に受け継いでいくべきだいじな歴史そのものなのですよ
自国の歴史なのですから存在の意義は十分あります
日本は一度滅びるべし
それでこそ先の戦争の責任をまっとうしたことになる。
75 :
パンドラ:03/03/27 06:33 ID:NtiGZ9iO
どうも、感冒で不調であるw
>>54 >支那・西欧文明と日本独自の文明を弁別できているのなら、何も云う事はない。
>その辺の差異性を知っているのなら、以下も余計な事かもしれないが・・・・、
端的にいって、弁別できないし、する必要もない、と考える。
ログを注意深く読んでいただきたいが、
>>漢字と殷文明、Xマスや洋装と西欧文明以上の理念的むすびつきを、神道に求めるのは困難である。
前2者が「可能」で、後者が「困難」としているわけではない。
「むすびつき」を理論化できない以上、「むすびつき」は個々人の観念の範疇を出ないではないかw
そもそも、その「差異性」を知っている、などと何人がいえようや?…あなた以外にw
>私なりの実証の結果であるという事。
上述したように、あなたなりの実証では、あなた個人の観念の範疇を出ない。
76 :
右や左の名無し様:03/03/27 06:33 ID:NtiGZ9iO
ところで、
>>14の「4氏」にわたくし”め”も含まれていた? それは、しつれいした。
ま、上記ですむようなものだが…
>「日本固有の伝統・文化・習慣が、現在まで引き継がれて機能していることに着眼を於いた
>説明として、「その理念なり教義を解釈しなくても、神社にお参りしたり、日本語を喋ったり・・・・」
>という、事実を提示しているだけである。」
「事実として提示している」だけであって、それ以上でも以下でもない。
これを、「神道の理念の無自覚な存在」と結びつけるとなると、あなたの観念の域を出ない。
>「あなたは、日本人とそうでない者を、識別できますか?」
そもそも、「日本人の概念」が個々人で異なる。
ま、アズマ氏の前スレ
>>591,
>>597の説明で十分だろう…w
それに、ヒトに質問される際には、「自分はこう思うが…」と自らの考えを、まず提示すべきだろう。
そうすれば、『
>>594 >…聞いてもいない、当たり前な事を書いているんだ。』というような答えは返らないw
もっとも、わたしは「条件を設定すれば、だれでもそれなりに識別できよう」とは思うw
とりあえずは、国籍の有無で識別するのがもっとも簡便であろうw
で、個人的には、さまざまな社会・文化的帰属を国境で、あるいは民族で分断することの弊害は過去スレで申し上げた。
77 :
右や左の名無し様:03/03/27 06:34 ID:NtiGZ9iO
>>55 >…同等であると申し上げている。
「ヒトの意見の表明を制限することの否定」ということであれば同意する。
ただ、ヒトの意見に、個人的判断で優劣をつけることはしかたがなかろう、でなければ議論にならない。
それを、言論統制とはいわないw
>「政治意思決定システムでない天皇制が、なぜ国民の自由意志による選択より、自由主義理念を優先させなければならないかということである。」
わたしは、この議論の経過をよく存じ上げないので、なにをおっしゃっているのか、よくわからないw
さらに、以下のような内容がつづくと皆目けんとうがつかない。
>…過去の戦争責任が果たされていないというなら、ケガレの思想の…
的外れかもしれないが…
天皇制が国家制度から外れたのちは、天皇のご意思と周囲の希望で、「国政に参加されようとする」ことを否定する理由はない
…と考えていることだけは明記できる。
ま、タレント候補以上の集票は困難と、個人的にはおもうが…w
78 :
ニオ:03/03/27 12:02 ID:???
>>64 あらら、間違えてる・・・修正します。
○等式
×二項式
>>59 そんなことを言わないように。私は自由主義理念信者ではないといっておる。
>理由としては自由主義の根本にあるのがすべての人は原則平等な権利をもつ
>ということだからだよ
では、宗教である。信者に向かってそれは発言しなさい。
なぜ、全ての人は原則平等な権利を持たなければならないか。そこは理解でき
ないし、同意もしない。同族会社で、株式が公開されていない当社の、代表取
締役に貴殿は、現社長の長男と原則平等に代表になれる権利は、全くない。
私法の問題である。このことは全く問題ではない。一方総理大臣や代議士が、
国民全てにおいて、原則平等に、その役職につける権利がなくてはならないこ
とは、貴殿の自由に無関係ではないからではないのか?
貴殿の自由な権利を行使するためには、貴殿の自由な権利行使を阻害する権力
を持っているもの、あるいは、立法の責任を持っているものを、自ら自由に選
択できなければならないからこそ、公職は原則的に機会が全ての国民に均等で
なければならないとしているのだろう。
違うというなら、なぜ平等の権利が必要か、書いてくれ。
>>77 パンドラ氏
いや貴殿が、天皇制は多数決で、世襲制を決定しているから問題ないということ
なら、別にいい。天皇制は国の意思決定システムとは無関係であるから、別にそ
の制度は多数決で決めても問題ないだろうということである。
問題ないが、戦争責任が果たされていないから廃止すべきだというなら、ケガレ
の思想の信者であるということだ。
>>73 >天皇陛下は日本史そのもの
日本史の「一部」に過ぎない。
>2663年もの間、形は変わっても国家の中心におり
>神話のころから途絶えることもなく続いているのは
>世界史的にみても奇跡に近いでしょう
シーラカンスや大王イカと変わらんだろう。
先進文化の近くにあり、細々と情報伝達は可能な距離にある。
大量の人員物資の移動が必要な武力的侵略には距離が遠過ぎる。
採取だけで生活できるほどでは無いが、生きるのが難しいほど厳しくは無い気候。
働けばソコソコに生きてはいられるが、大量の富を蓄積できるほどでも無い。
近隣の大勢力から見れば、大きな危険を冒してまで侵略するほどの価値はない。
列島内も急峻な山河や海で分断され、区分された地域は小さく大勢力には成り難く
大勢力になったとしても移動させるのは大変だが、情報伝達には困らない。
分断された地方勢力がドングリの背比べ的に均等に成長し、力で他を圧倒制圧するより
談合で連合する方が有利である。
といった、奇跡的な地理条件に支えられて、閉じた世界を構築できたのだ。
天皇制があったから国が続いのではなく、外的要因による社会の変化が
なく、内部的には地方勢力の成長が均等なために、力で他を圧倒もできない環境によって
天皇制を続けられたに過ぎない。
列島住人の努力によって天皇制が続いた訳では無く、反対に何もしなかったから
あるいは何も出来なかったから、天皇制が残っているだけだ。
歴史は過去の記録であり、将来に引き継ぐことに異存は無い。
だからといって、将来も過去と同じことを続ければ良いとは言えないし
続ける必要もない。
>>80 左翼的、反天皇制の歴史学者でさえ、日本という地域は消して閉鎖された地域で
はなく奈良時代から、半島・大陸と、ダイナミックな交易があったことを認めて
いる。
閉鎖したのは日本の選択であり、貴殿言うとおり、その閉鎖性から、維持できた
平和ではある。
平安時代以前からの遣唐使などの政策、外交、天智天皇時代の海岸線の防衛、も
ちろん徳川幕府としての、後に鎖国政策といわれる限定的交易政策。
明治時代の、富国政策などは、一歩誤れば列強に侵略される危機回避の政策でも
あった。
日本以上に地理的に有利であった国もあろうし、そうでない国もあろう。
しかし無策であったという歴史認識は、違うんじゃないか?
>>81 何を読み取っていることか。
地理的な閉鎖と文化的な閉鎖は違うでしょう。
地理的に閉鎖されていた効果は、軍事力に対しては完全に近く隔絶されていたってこと。
文化的には完全に閉鎖したことは一度も無いでしょ。彼我の都合で途切れたり
流入を調整制限したことはあっても閉鎖遮断したことは無いでしょう。
そう言ったつもりだったのだがな。常に他の軍事力の影響下にあったのが
半島な訳ね。
外敵の脅威は元寇以外は、江戸末期に至るまで無かったはずですね。
外敵による直接的脅威がなかったからこそ、先進文化を学び自分なりのやり方で
実行可能だったのね。
アボジリニのように先進文化から遠く離れ、数も少なければ何万年でも同じ状態に
あったはずよ。
先進文明(世界的にも先進であり、未だに継続する)の恩恵は受けられるが
先進文明が軍事的脅威にはならなかったという、極めて特殊な地理的環境に
あったのは確かなこと。
日本のようなところは、日本以外に無いな。イギリスが似ているけど大陸から
近過ぎたから、色々外部から侵略されてるでしょ。王家が大陸のものって
のがそれを良く表しているな。
もうちょっと書いておくと、自由主義という、ある社会システムを構築する上での
論理展開の話をしているわけだね。自由主義はまず原則平等という点から出発して、
そこから認められる格差というものは何かということを合理的に導き出す
という論理によって、ある法律や政策の正当性の根拠にしているわけだ。
「原則平等を認める/認めない」という区分は、それを信じるか信じないかというレベルの
話ではなく、それによって導き出されている論理に正当性を与えるか、あるいは
無意味なものにしてしまうかどうかという問題なわけ。
ここで問われているのは、やはり社会というものはどのように運営されるべきであるか
ということだね。まず、システムに一貫性が必要かどうか。つまり、ある明示的な根拠から、
論理的に導き出される論理によって、原則的に社会は運営されるべきか、
(導き出されないような制度はすべて廃棄するべきとは言わない。現実の社会は不完全だから。
しかし、そのような制度はあくまでも例外と位置付けられる必要がある。)
あるいは明示的な根拠を求めず、自分の理屈にどれだけの人を名得させられるかという
ヘゲモニー争いによって社会は運営されるべきかどうか。
明示的な一貫性が必要だとして、それは自由主義であるべきかどうか。
自由主義であるべきでないとしたら、それに変わるある一貫したシステムを
提示できるのかどうか。
>>84 >「原則平等を認める/認めない」という区分は、それを信じるか信じないかという
>レベルの話ではなく、それによって導き出されている論理に正当性を与えるか、
>あるいは無意味なものにしてしまうかどうかという問題なわけ。
いいこと言うじゃん。ここの部分が、天皇制に限らず保守的・右翼的傾向を持つ者と
議論しているといつも問題になる根本的な部分なんだよな。
保守的・右翼的傾向を持つ論者は、ことあるたびに自分の論拠に歴史・伝統を持ち
出すが、彼らは「歴史」「伝統」について具体的に語る口を持てない。なぜなら
歴史・伝統と言うものは、特定の思想・イデオロギーのように形を取るものではなく
論者によっていかようにでも解釈されてしまうから。なんども指摘しているように
論拠と言うよりプロパガンダですな(藁
つまり保守的・右翼的傾向を持つ者は、論拠に基づいて自説を展開していると
言うより、自分の趣味嗜好をいかようにでも解釈可能な「歴史」「伝統」を
用いて粉飾・水増しして主張している。ここに問題があるわけですな。
論者によってまちまちな「歴史」「伝統」を論拠にすれば、そもそも議論自体が
成立しない。なぜなら、議論の基礎にはそれぞれ相手の主張が了解可能であること、
理解できることが前提であるから。確定されていない曖昧なものを論拠に据える
と言うことは、そこから積み上げられるべき知の殿堂も基礎工事が不十分なために
致命的な欠陥のあるものにならざるをえない。
また歴史・伝統を根拠にむりやり国民的コンセンサスを仮定しようとすれば、
それは国民の多数決による結果か、既存の制度に求めるしかなくなる。多数決万能論や
既存制度の受容では、そもそも議論しようとする意思すら感じられない。多数決の
結果は議論の結果として得られるものだし、既存制度は議論の結果として存在し
将来に渡ってもその是非が検証され改変されるべきものなんだから。
保守的・右翼的傾向を持つ者と議論していて辟易・絶望を感じざるを得ないのは、
彼らがなんらかの指標に基づいてまともな議論をせず、結局のところ多数決万能論か、
既存制度の盲目的な受容に行き着いてしまうところだ。現状の制度・イデオロギーに
対する究極的な批判・賛成は、なんらかの指標に基づいてなされるべきだ。その指標
となるのは、一定の根拠に基づいたものであるべきだ。そのような指標を厳密に
設定することなしに、歴史・伝統と言った曖昧な論拠に基づいて自分の趣味嗜好を
表明したり、(自分にとって都合の良い)多数決万能論や既存の制度を持ち出すのでは
議論する意図がないか、能力がないと疑われてしかたがない。
特定の思想・制度を社会的に有用なものとして、社会的コンセンサスを取る過程
で重要になるのは、民主主義体制においては十分な議論・検討がなされると言う
ことだ罠。その際に重要になるのは、きちんとした論拠に基づいて一定の議論を
展開すると言うことで、そのような議論は妥当性を判断する上でも「検証可能」
なものでなければならない。議論を検証可能なものとする意味でも、論拠が
いかようにでも解釈されるものであったり、多数決の結果やその結果である既存の
制度に依拠するものであるのでは、そもそも議論自体が成立せん罠(藁
87 :
民主主義者:03/03/28 01:15 ID:YOqF9dIi
>>84 明示的な根拠が「原則平等」というわけだな じゃどうして人は平等なのか?君の答えは詣でているね
>それに変わるある一貫したシステムを
>提示できるのかどうか。
と言う台詞で暗示されているように「近代的な社会を営む上で(合理性を志向する上で)と言う前提においてよりましな理だから」と言うわけだ
これは良い認めよう
問題はそういった合理性を志向しない或いは信用しない人間をどうするかという技術的なものなわけだよ
放置すれば民度が下がるね これはもし国家が民主主義を採用するなら致命的だろ
88 :
民主主義者:03/03/28 01:26 ID:YOqF9dIi
>>85 民主主義で近代国家を営むには物語が必要であると言う現実を理解しないのか?
原理に対する絶えざる反証を民衆に求めるのか?
89 :
民主主義者:03/03/28 01:36 ID:YOqF9dIi
現代の苦悩を知らないむっちょと現実から目をそむけ理想に突っ走るアズマ人よ
皇室の存在意義が理解できましたか?
>>80 >シーラカンスや大王イカと変わらんだろう。
シーラカンスだって立派な生物的遺産と言えるし、滅びてもいいとは思わない。
もし日本の海域にシーラカンスがいれば、むしろ国家が手厚く保護してしかるべきであるw
そして人類より古くから日本列島の歴史を見てきたということで、
日本列島に息づく生物たちの象徴となることであろうw
>歴史は過去の記録であり、将来に引き継ぐことに異存は無い。
>だからといって、将来も過去と同じことを続ければ良いとは言えないし
>続ける必要もない。
逆に言えば、何でもかんでも変えればいいというものでもないw
>>82 文化交流があって、軍事的脅威がなかったとするほうがどうかしている。
物と人の交流による情報の交流であろう。
物と人が交流していて、軍事的な人と武器の輸送が不可能だったなんて、論理的
にもおかしいじゃないか。
物と文化が交流しているときに、日本側に問う膣された組織が有り、武力がなけ
れば、簡単に侵略され、半島あるいは大陸の一部となっていただろう。
これ以上の歴史的な事象は保守考氏が詳しいと思うので、是非お願いしたい。
>>84 だから、
>まず、システムに一貫性が必要かどうか。つまり、ある明示的な根拠か
>ら、論理的に導き出される論理によって、原則的に社会は運営されるべ
>きか、(導き出されないような制度はすべて廃棄するべきとは言わない
>。現実の社会は不完全だから。しかし、そのような制度はあくまでも例
>外と位置付けられる必要がある。
という貴殿の主張に沿って、「国家意思決定システムに無関係で権力行使
をしない天皇が、多数決原理の外に置かれるべき理由は、論理的にどのよ
うに導き出されるのか。」と聞いているんだが。
天皇制維持に賛成すると、直ちに歴史伝統という負明示的非論理的な根拠
で賛成していると批判があるが、上記質問の論理をもって答えられなけれ
ば、非明示的で非論理的であろう。
もしかして、なんとなくなのか?
【ぁゃιぃアズマ人 への批判】
原則平等を認める天皇制賛成のものは多数存在する。彼の最大の問題点は
歴史・伝統を根拠にむりやり国民的コンセンサスを仮定しようと、皇室賛
成派は意図していると見なしていることである。
何度も云うとおり、国の運営は、国民の自由意志による選択(それは、選
挙であったり投票であったり、間接的な手続きだったりするわけだが、)
が、最優先であるべきなのは言うまでもない。この民主主義という秩序を
維持するための最低限のこと、それは民主主義を維持するため、多数決で
は決定できないことを論理的に導き出し、その結果として、平等の自由の
確保、責任や権限を持った公職につく機会を均等にすること、自称が発生
した後にその事象に適用させる法を作ってはいけないことなどが、求めら
れる。貴殿の言う不条理な信念・論理性のない前提とは、民主主義であろ
うとすることに該当するのであり、国民主権は、その理由を聞かれても説
明できない。国民主権に反対する主張に対して、歴史伝統というあやふや
のことを理念化するという批判はあっても良い。しかし、国民主権、民主
主義を支持していながら、かつ天皇制維持を認めようとするものにまで、
歴史伝統云々というのは、「プロパガンダですな(藁 」と批判をしよう。
いまだ、国の意思決定システムに無関係で、責任も権限ももちえない天皇
制について、国民の支持がある限りにおいては、存続すべきであるとの意
見に、まともな論理での反論はない。自由主義を信仰しなさいというばか
りである。論理性があると信じているのは、むっちょ氏であり貴殿なので
あって、「論理性」は、提示できなければ宗教と同等であろう。
ひたすら、責任権限のある公職が、機会均等であらねばならない論理を提
示してはいるが、それが責任権限のない役職にまで適用しなければならな
い論理を、公職だから同じだろうと「なんとなく」思っているだけでは、
論理とはいえない。
>>91 そう思うなら、乾電池で戦艦大和でも動かしてなさいって。
95 :
保守を考える:03/03/28 13:15 ID:hZrKNbyg
>>75-76 やはりと言うか、またか・・・、すぐ話しをアサっての方向に持っていくね。
私は、「日本人の理念」をどう定義づけようか、という話しを思想的に論じているだけなのだが・・・。
私の論を観念と批判するのはあまり意味が無い。
相対主義に則れば、あらゆる認識は個人の観念であり、それを突き詰めていくと「学問」が成り立たなくなる。
で、あるのなら、観念の一般化の為に、帰納法に頼らざるを得なくなるのは必然。
現存する事象に対して、人の意見を聞いてみる事も有用であるから、「あなたは」とキミの主観を尋ねている。
私の質問に答えられない、と言うのならば、「私は日本人です」と人は何故答えられるのだろうか?
また、憲法第10条に依らす、精神的な認識論としてどう考えるか?という質問であると
何度も説明した。まあ、唯物論者のキミには、「精神」自体が無意味か・・・・・。
それと風邪をひいた時は、無理にレスしなくてもいいよ。
お大事に。(病は「気」から・・・)
96 :
保守を考える:03/03/28 14:11 ID:hZrKNbyg
>>80 一体、いつの時代の何処の話しをしているのやら・・・・
先進文化の「近く」にあり、武力行使の距離が「遠い」とは・・・
白村江の戦いや元寇、秀吉の朝鮮出兵等は何故、例外なの?
>生きるのが難しいほど厳しくは無い気候。
モンスーンは、日本列島特有の気候ではない。
>大量の富を蓄積できるほどでも無い。
その昔、日本は「黄金の国ジパング」と呼ばれていたのだが・・・。
>大勢力になったとしても移動させるのは大変だが
大勢力の定義が良く解らんのだが、国内を統一しうる勢力がなくて>談合で連合する方が有利である
つまり、将軍と外様大名の関係は、「対等」という意味か?
因みに、天皇を守っていた戦力は何であろうか?、都も城塞都市ではなく、
三好や松永くらいの「小勢力」でも簡単に打倒出来たと思うが・・・・
あとは、アホとしか思えない、短絡な書き込みであり、話しにならん。
97 :
右や左の名無し様:03/03/28 14:19 ID:0Sd13CBI
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98 :
保守を考える:03/03/28 14:48 ID:hZrKNbyg
>>86 既存の制度を維持していくのが盲目であるとするのならば
新しい制度は、いかにあるべきか、を提示するのはあなたの役目でしょうな。
共和制も立憲制も須らく、既存の制度であり、封建制を主張してきたあなたは
単なるデマゴーグと、あなた自身、お認めになったのは、つい最近。
有史以来の既存する天皇制を誰が了解していないと、言うのだろうか?
それにまつわる、歴史性を万人が了解していない、根底の論拠であるから
それを、説明しているのだが・・・。
で、何が解らんのかね?
多分、凡そ知っていて、大衆を東史観に誘導・煽動していたのは、間違いなく、
あなたですよ。
自己批判をここで開陳されてもねぇ〜。
>>92 は?多数決原理って?
できるだけ物事は多数決で決めましょうって、そんな原理別にないけど。
というか、社会システムの維持のためには、ある一貫した論理がなければいけない。
→自由主義を採用するのであれば、原則平等の原理を採用する必要がある。
これはいいわけ?すると、原則平等違反→天王星は原則に合わないは非常に「論理的」ですね。
はっきりいって、リベラル抜きの民主主義が糞だってことは、それこそ歴史が
証明しているだろう。民主主義を国家システムの第一原則にもってくるということは、
一貫したシステムのもとで社会を運営するということを放棄するということだよ。
>>99 原則平等にどう違反しているのか論証せよといってるんだが。
天皇制は原則平等に違反していると貴殿は言う。
どこが違反しているかと聞くと、優遇されているとか、差別されていると言う。
それは、公職にあるからだろうというと、公職にあるなしの前に、機会が均等で
なければだめだという。
なぜ機会が均等であらねばならないかと聞くと、自由主義理念であるからだとい
う。
なぜ権限も責任ももち得ないヒトを、自由主義理念によって、多数決での決定が
あるにもかかわらず廃止しなければならないのかと聞くと、平等原則に反してい
るという。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・???」
さて、どこが論理的なのだろう。ループでしかない。
【多数決と理念】
単純な言い方をしよう。
「人は右、車は左」という決まりや「赤は止まれ、青は通れ」の決まりを
多数決で決めることに、何の問題もない。「議会は国会議事堂で行う」と
多数決で決めても良い。(自由主義理念においても問題ない)
「総理大臣は血統で選ぶべし」や「議員は財産の多い順で選ぶべし」とい
う決まりは、多数決で決めてはいけない。
この分岐点・・・多数決で決めていい範囲と、そうでない範囲(理念優先
の範囲)の分別・・・はどこ?と聞いている。
だれか、論理的に説明を乞う。
国民の自由な権利行使に無関係な事は、多数決で決めてもいいだろうと、
私は言っているんだが・・・。
102 :
tohtoshi@message:03/03/28 17:53 ID:sA9/lPLC
一般的に現代の物質的な面を重んじる現象界の社会生活では、他者との優劣を
比較したくなるから、必然的に他者との競合が生じてくる。
時代が移り変わろうとも勝敗を争うことが度重なる結果として自然に階級のような制度が出来上がる。
そして、トップに立った者が国を支配して来た。所謂、王とか皇帝とか将軍とか。
支配者はその時の状況とか気分などにより政治を執って来たが、やがて法律に基づいて政治を執るようになった。
日本では天皇が2千600百年以上に渡り政治を執って来た。
徳川幕府が300年間も続いて政治を執って来た時でも天皇(朝廷)には権威があった。
他の国には見られない皇室は万世一系で連綿として存在し世界でも唯一であること。
どのような事物でも同じですが、後世に何百年や何千年も残るような偉業や建造物などというのは
成し得た人物の人格的なレベルが高いとか、愛念や真心が込められていないと残らないと云われています。
これは、皇室にしても人物にしても同じで、何千年も万世一系で連綿として地位や権威を
維持して存在していることは、余程のことであると言えるわけです。
先祖代々と何十世代も子孫の直系がそれなりの地位を維持して後を継いでいる家系は尊ばれるのです。
このことは日本に生まれた国民として世界に誇れるべき事柄であると思います。
この件に関する説明がHP↓にあります。
http://www.d7.dion.ne.jp/~tohmatsu/
103 :
民主主義者:03/03/28 19:56 ID:/YbYYeLg
>>101 以前から言っているように権威を多数決で決めるなど認められるわけが無い
日本で文明を維持するには天皇皇室の存在が必要なのだ これは絶対と仮定しなければならない
憲法の条文に天皇の地位は国民の総意による とあるがこれは国民のうち一人でも天皇の地位に疑問を差し挟めば天皇はその地位を失うということか?
それとも何か別の意味を持つのか? 君はどう解釈するのかね?
>>103 自由主義、民主主義というものを全て認めるとしても、象徴制、世襲とい
う憲法規定が、その主義のどこに矛盾しているかを議論したいのである。
より、機会が均等であるべきであるというなら、それはひとつの見識であ
る。しかし、そうでなければならないというから、自由主義とはそのよう
な窮屈なものなのであろうかと、疑問を呈しているのである。
貴殿が、日本において文明を維持するために天皇皇室が絶対必要であると
云い、私が天皇・皇室の霊的権威の継続が必要であると云い、リベラルな
民主主義を唱えるものが、全ての公職は機会均等であるほうがいいと説く
時、同等の主張でしかないということを申し上げているのである。
その議論の結果として、最終的に国民が選択すればいい。私はそう思って
いるし、国の体制は最終的には(話し合いであろうと、暴力であろうと)
国民の選択でしかない。
105 :
民主主義者:03/03/28 21:02 ID:/K/lWDxa
>>104 まず主権が国民に有ることと天皇皇室が存在することは矛盾しない
ではその主権が及ぶのはどの範囲か?具体的には日本列島と言う地域に国家があるのは何故か?
断言しておくがその地域を革命軍が占拠したからではないし地域住民が自由と平等の旗の下に日本国を宣言したのでもない
天皇陛下の威光が届く(権威が及ぶ)範囲において住人が国家統合を認めたから成されたのだ
国家がリベラリズムを是とするのは良い国民主権とするも良い
ただし国家統合の根拠たる存在を神聖不可侵とみなさないのは国民としての観念的な自殺行為ではないのかな?
>>100 ループっつうか、原則平等の意味を理解していないあんたが悪い。
原則平等の前に公職もくそもあるか。
機会均等や自己決定権の問題など、格差が認められる理由付けはそのあとでしかない。
いいか、機会均等に反しているから天皇という公職がだめとは言っていない。
原則平等に反していて、かつ機会均等のような、自由主義に根拠付けられた理屈によって
正当化することのできない公職であるからそれはだめなんですよ。
たとえ、参政権や生活の保護などでそのほかとは格差がある地位があったとして、
かつその地位が権力を伴っていない。そして、その地位は自由主義的な論理で
保障されてはいない。この場合、何が適用されるかというと、基本の原則平等だ。
けっして、「権力をともなわないから、認められる」なんて論理はでてくるわけがない。
多数決で認められるか認められないかという区分は、理念的に言えば
原則平等な権利を持つの理念に反しないか、さまざまな権利のぶつかり合いを
考えたとき、認められる格差(機会均等など)によって形づくられていること
に反しないことを踏まえたうえで、システム的にどうしてもどちらかに
決めなければいけない場合(右側通行とか)だろう。
多数決で決められることは案外少ないよ。
>>100 というか、どっちがループさせているんだね?
天王星はなぜ問題か→原則平等という、自由主義理念に反しているから
→なぜ原則平等を採用しなければいけないか→一貫したシステムのため
というふうに、こっちは丁寧に説明しているのに。
あなたは、「権力がない地位ならば平等ではなくてもよい」という、
どっからもってきたか知らない、まったく根拠のない自説を、
壊れたレコードみたいにくりかえしているだけじゃない。
108 :
保守を考える:03/03/28 21:35 ID:YAJmFXkQ
>>107 およそ大きくループした感があるな。
つまり、「れ」氏の最初の提言
「日本はいつリベラルな民主主義を選択したのか?」
キミの論からでは、日本国憲法はリベラルなそれで、今、天皇制はそれではない、と言う。
それと「原則平等」とは
「人間は生まれながらに平等である。」(人権宣言) かね?
こういった政治神話による誇張を心棒するのは、そろそろアホだと気づきたまえ。
人間に限らず、全てのモノは生まれながらに「不平等」である。
これが現実だ。
109 :
民主主義者:03/03/28 21:44 ID:/K/lWDxa
>>107 またスルーするかも知れんが
君はどの範囲にリベラリズムを徹底させるべしとしているのかね
それとも国家統合の象徴を公選制にすべしと言う主張だったかな
もしそうならそんなことは市民革命によって国家が成った地域にでも行ってやってくれ
近代社会とはある一定の理に従って営まれるものだが公選制(多数決)によって国家統合の象徴が正当性を帯びるとする根拠は?
日本文明の構造について少しでも知っていれば日本国家統合の象徴を公選制で!等と言い出さないとは思うが 一応訊いておく
110 :
保守を考える:03/03/28 22:03 ID:YAJmFXkQ
>>109 多分、スルーされると思うよ。
彼に言わせると歴史なんて意味が無いらしい。(西欧史専攻だそうだが・・・)
また、天皇のテの字も知らない、と公言しているし。
>>108 >「日本はいつリベラルな民主主義を選択したのか?」
それでは、アホでマヌケな保守考ら諸氏にお尋ねするが、
「俺たちはいつ『日本』または『日本人』であることを選択したのかね?」
お答えいただけないか。こういった政治神話による誇張を信奉するのは、
そろそろアホだと気づきたまえ。
民主主義が仮に選択されたものでないとしても、それ以前に日本人とか日本国
と言った社会としてのまとまり自体が、選択されたものでないわけだろ。
選択されたものでない日本とか日本人とかを引き合いに出して、それが選択の
主体になりうるかのごとくに扱うこと自体に根本的な矛盾があるだろ。
問題は、民主主義や日本と言う社会の単位が、選択される合理性・妥当性を
持つかの一点であり、それ以上でもそれ以下でもない。
お前さんたちのアホな点は、主体すら選択され作られるものであることを
認めず、あきもせず歴史とか伝統を持って、「国家」と言う主体の人工性を
偽装していることだろ。いいかげんにその事実を認めろよ。天皇とか日本国
なんてフランケンシュタインのごとき醜い近代の人造物にすぎんだろ(藁
>>108 >それと「原則平等」とは
>「人間は生まれながらに平等である。」(人権宣言) かね?
>こういった政治神話による誇張を心棒するのは、そろそろアホだと気づきたまえ。
>人間に限らず、全てのモノは生まれながらに「不平等」である。
ザインとゾルレンと言う言葉を理解した方がいいぞ。現状・状況に基づいて
あるべき社会の姿を想定することは重要だが、なにも現状にすべてあわせて
あるべき社会の姿を想定する必要性はない。社会の現実が、不平等だとしても、
「人間が等しく平等の権利を持つ」ことを仮定することによって、一定の
社会的効用が認められるなら、そのようなイデオロギーを信奉することに
一定の価値があるだろ。現代日本が原則として人間の平等性を認めると言う
ことは、実定法である憲法の人権に関する諸規定を見ても推定できるところであり、
それを否定するのは、保守的に見ても異端だろ。まあ、俺のような反社会派を
標榜する封建主義者なら話は別だがな(藁
>>93 ほれ見たことか、結局のところ論拠がないから、自分の論拠を多数決万能論
でおぎなうわけか。このような論法は、曖昧な伝統・歴史と言った概念に
自分の論拠を置くよりは、百倍ましな論法であるが自分であるべき社会の姿を
語っていないと言う点において評価できないな。もうすぐ4月なんだし、れたんも
いいかげん多数決万能論から卒業したらいかがかね?(藁
確かに多数決で決めるべきことと多数決で決めるべきではないことが、
社会の意思決定に存在するのは事実だな。これは俺も指示するところではある。
しかし、多数決で決めてよいことであっても、自分の主張を合理的に説明して
支持をえる過程が多数決の前提事項として存在するわけだろ。そのような
説明責任の一環として、歴史・伝統と言った曖昧なものは議論の論拠としては
このましくないと言っているんだよ。おわかりか?(藁
特に多数決による決定事項が、多数決によって決めることが好ましくない事項に
関係してくる場合は、これが強く求められるわけだ。国家の意思決定にかかわりない
天皇と言う地位・身分に関しては、多数決で決定してかまわないとするのは、
国家としての万人に対する平等性の原則を崩すものであり、再考の余地はある罠。
再三指摘してお答えをいただいてないが、「意思決定に対する影響力」を
メルクマールにして、多数決による処分の是非を認める発想は、権限のない
貴族制度の創出も許容する論理だろ。天皇を平等原則の例外として許容するにしても
このあたりをもう少し考えてメイクアップしなおして商品棚に並べたらいかがかね?(藁
>>111を補足すると、日本国民であること、民主主義体制であることを過去の国民が
選択したorしないとすること自体に意味はない。我々個々の国民は、自分が日本国民
であることも、民主主義政体であることにも、直接的には関与しえないわけで、
それを決めるのはいつの時代にあっても、一握りの為政者・知識人にすぎないわけだ。
民主主義体制であること、ひいては日本国民であることを、あたかも自分達が
選択したor選択していないと考える発想は、民衆と政府を一体のものと考える
「治者と被治者の同一性」の神話に脳ミソの髄まで犯された阿呆だろ。我々民衆は、
民主主義も日本国民であることも選択していないのだ!すべてそれらは、為政者が
勝手に決めたことにすぎない。
個々の論者は、自分にとって都合のよい過去の決定を(それが一握りの為政者の
決定にすぎないことを糊塗して)あたかも民衆もそれを選択したと言い、逆に都合
の悪い決定は、民衆が選択したわけではないと言う。ここに歴史偽造の典型が見出
されるわけですな(藁
さて、過去の決定事項において重要なのは、それが現在の社会から見て、正統性
・妥当性を持つかの一点であり、選択したかしないと言うことは、実はプロパガンダ
以上の意味は持たないと考えるのがよろしかろう。出自で正統性を判断する発想は
政治主体の問題にいきつかざるをえず、完全な民主政体をとらない過去の体制の
決定に果たして正統性があったのかと言う疑問にもいきつかざるをえないわけだし。
明治、大正、昭和の民衆は、日本国民として日本国を形成することも、天皇制も、
民主主義も選択しておらず、それを決めたのはすべて民衆から遊離した為政者に
すぎん罠。しかし、出自がどうであれ、現在の視点から見て、そのような制度が
社会的に妥当なものであれば、それを採用しつづけることに問題はないと言えよう。
ただそれらの決定が、民衆から隔絶した一握りの為政者が決めた極めてイビツな決定
であったことは忘れてはならん罠。つまり、日本人であることも天皇制も民主主義も
すべて近代の生み出した、地域に生きる民衆とは無関係の造り物となるわけですな(藁
天皇という絶対力を基盤とする日本に愛国心はなく、生まれ育った日本の風土や分化に愛国心を持つ1人として
”ぁゃιぃアズマ人”を応援します。
>>107 論理性というとき、例えば貴殿が「一貫したシステム」というとき、
一貫したシステムの必要性
それを採用することで、どのような一貫性が損なわれるか
を説明できるだろう。貴殿が散々言っているのは、一貫したシステムの必
要性なのだが、聞いている事は、どのような一貫性が損なわれるか、とい
うことでもある。何がしかの一貫性が必要だとしても、どのような一貫性
を貴殿の自由主義では持とうとしているか、天皇制を認めることで、どの
ような論理矛盾が発生するのか、それを貴殿は説明していない。
人は平等ではないのであって、だからこそ、政治システムや、日常の暮ら
しの中で、出来うる限り(どこまでを分配を受けられる権原とするかは、
議論があろうが)人が平等であろうとすることに異議はないし、そのよう
にすべきではある。 では論点を変えよう。
貴殿は天皇は生まれながらに優遇され、あるいは差別されているという。
その時点で、自由主義という理念に反する存在という。そうだと仮定して
法律のどの部分に、それが現れているのかということである。
世襲という部分かな?誰でも天皇家煮の一員になる機会があれば、世襲で
も良いのか。そうであっても、世襲はダメ?
>>113 貴殿の論理性の高さの割りに、
>多数決で決めてよいことであっても、自分の主張を合理的に説明して
>支持をえる過程が多数決の前提事項として存在するわけだろ。そのよ
>うな説明責任の一環として、歴史・伝統と言った曖昧なものは議論の
>論拠としては このましくないと言っているんだよ。おわかりか?
ということは、その主張している各人の歴史や伝統の把握が、絶対に曖昧
である前提で成立するものでしかなく、例えば保守考氏の歴史認識や把握
が、曖昧であると指摘しなければならないし、私の霊的権威論が、一定の
偏った論理である部分を指摘しなければならない。
その反論としてアズマ史観を持ち出してくる貴殿に、(藁 と言われると
ほほえましくも有る。
いずれにしろ、政治意思決定システムに無関係で権限のない役職にまで、
何らかの理念を適用させなければならない、確実な論理は持ち合わせてい
ないようだから、国民の支持ある限り、天皇制は維持するという結論しか
、私には今のところもてない。
118 :
・・・:03/03/29 10:08 ID:???
なんかさ〜、この議論何処に向かうの?
家庭内支配的施政者的立場であるである親は勝手にエッチをして、勝手に子供として登録したのは
何の意味もないだろうし、兄弟間の生まれ持った差も他の親との差もエッチした親の責任だし、
ガラガラぽんとくじ引きで親を決めようか?それとも、親の価値観・経済力の影響が生じるのは、
不平等の根元だし世界国家に全ての子供の養育任せる?
子供は税等責任を果たしてないとして、立場が違うとして権利もないなら人権侵害だ。
家庭により、門限も小遣いも違うのも人権侵害的不平等だ。
親を選択できなかったし、好きで生まれてきた訳じゃないんだから。
以前も聞いたが、その自由の範疇は何処までか掲示頂けないか?
だいたい、機会の平等なんて中途半端で誤魔化すんだ?
突き詰めた平等は、私有財産を認めない結果しか満足できないだろが。
じゃあ、その結果とリベラルとか言う機会の妥協点はなんなんだ?
自由に反しない限りの平等なのか?
平等に反しない限りの自由なのか?
国によって違うなんて答えはいらないからね・・どうせ例示も書けないんだろうし。
その国々や家庭に有るべき姿を選択も許されない価値観が存在するなら、
いい加減は早くその理想的価値観を具体的に示してもらえないだろうか?
【日本人意識という問題について】
自由主義は、最終的に国家を否定せざるを得ないようである。
多数決を許す部分は相当に少ないという。不自由な自由主義である。
日本という国が日本人意識を持っている人たちの集まりであることすら、
明確に論証できないと、否定されるようである。各人の日本人意識が、
アズマ氏によれば、
> 民主主義体制であること、ひいては日本国民であることを、あたかも
>自分達が選択したor選択していないと考える発想は、民衆と政府を一体
>のものと考える「治者と被治者の同一性」の神話に脳ミソの髄まで犯さ
>れた阿呆だろ。
という単純な結論でしかないようだ。
為政者、権力者は、国民の意思を無視して権力を行使できるという神話に
脳みそを犯されている証拠である。(アホであるかどうかは診断できる能
力を持たないから、言及しない)
為政者の政策は、国民の意識に影響され、国民の意識は制度に影響される
ことすら、理解できないでいるらしい。対立したときに為政者の都合が優
先されるから、民主主義が有効なのであって民主主義を確保する最低限の
こととして、平等な自由が確保されなければならないのである。
日本人意識というものが、自発的に発生したとは言明しないし、為政者に
よって人工的に植え付けられたとも言明できない。それは相互の影響で形
成されてきた事であり、拒否する者にとって不当であり、拒否しない者に
とっては有効な価値観である。拒否する者に、その枠組みを変更するべき
主張を述べることが確保され、あるいは枠組みから離脱できることが許容
されているなら、多数が持つ価値観によって、日本という枠組みの存在を
、国の制度として内包するのは当然であろう。
全ての事象は曖昧である。曖昧であるからこそ、何がしかの単純化した前
提のもとの論理を一方で求め、現実社会で研鑚された実績である、歴史や
伝統に敬意をはらう。単純化した前提のもとの論理を追求する事は、それ
のみを元にするとき、論理であるがゆえに、他の価値観を結果として排除
することとなる。正義の追及であり、現代の米国の姿につながるようであ
る。
120 :
保守を考える:03/03/29 11:08 ID:mXkbJkeR
>>111 >「俺たちはいつ『日本』または『日本人』であることを選択したのかね?」
人間は、その出生の、時間、場所、状況を選択して生まれる訳ではない。
選択する個人の意識において、日本人というものがどうしても許容出来ないのであれば
自らの意思で放棄することも可能であるが、およそ大多数の日本人は、自らの国籍なり
遺伝的人種なり、また日本国土の概念を無自覚に許容している。
あなたはその意思で「アズマ人」を名乗り(説明出来ないようだが)、今、「俺たちは」と
あたかも、自分が「日本人」であることを前提に質問してくる。
これを、環境の自覚操作と呼ぼうか。その環境は、当然、「歴史」の結果である。
「日本」も、「天皇」も近代の創造ではない。その起源は、史料が示す通り
推古天皇・聖徳太子の時代である。我々、個人はこの歴史を覆すことは出来ないが
日本や日本人また天皇を現代に於いて覆す選択肢を有している。
それが「革命」である。あなたは、この「革命」を主張するのか否か、逃げてばっかりだね。
121 :
保守を考える:03/03/29 11:19 ID:mXkbJkeR
>>112 だから、その平等性が天皇にも当てはめる意味があるのか、という問題。
平等理念を突き詰めていけば、それは画一性である事は自明であろう。
であるのなら、現世の全ての「不平等」な部分を撤廃することになる。
その目的は何か?という事。
それと私は憲法絶対主義ではないから、法を犯す人間の性も了解している。
天皇がその人権を侵害されていると、自らの判断で法を犯すことも可能である
それを犯さない、天皇の無私に感服しているだけである。
また、天皇になれない人間は、革命により天皇になる事も可能である。
どうぞご自由に。私はそこまで人権を束縛出来ない。
122 :
保守を考える:03/03/29 11:36 ID:mXkbJkeR
>>114 語るに落ちたな。
日本(一億三千万)の直接民主制をお望みのようである。
あなたも、「マス」の一員を自認したということか・・・・。
>日本人であることも天皇制も民主主義も
>すべて近代の生み出した、地域に生きる民衆とは無関係の造り物となるわけですな
なんで「近代」なんだ?
では、「近代」という時代区分を年表上で示してくれ。
聖徳太子の時代まで近代になるのだろうか?(アホだ・・・)
また、「地域住民と無関係」という煽動用語も大衆の使う常套句ではあるが
日本の主権の及ぼす範囲をその歴史性から導けないの?
どう考えても、シナ大陸やアフリカ、アメリカ大陸の地域住民には無関係であろうが
日本の国土の範囲に属する地域住民には関係してくる事項だな。
豊臣秀吉の出自は、一体何処かね?
あとは「れ」氏に先を越されたが
>すべてそれらは、為政者が勝手に決めたことにすぎない。
だから、市民革命でも独立運動でもなんでも良いから、それを公言しなさい。
その時キミは、そのコミュニティーの為政者だけどね。
123 :
・・・:03/03/29 12:39 ID:???
日本・日本人・皇室・歴史等を自然科学の分野と信じているバカへ。
人文・社会学等の相対的概念も否定したいなら、
勇気を持って自然科学版で議論すれば?
そうでないなら、その相対を具体的にを示すべき。
その時々で都合の良いパッチワークで否定されるほど、
皇室も日本も歴史も軽薄ではない、と思う。
124 :
保守を考える:03/03/29 14:50 ID:hr469hBE
>>114 >出自がどうであれ、現在の視点から見て、そのような制度が
>社会的に妥当なものであれば、それを採用しつづけることに問題はないと言えよう。
だから、「天皇制」を採用し続けることに、何の問題があるのかと問うているのだが・・・。
キミの主観で近代の人造物(ハイハイ。。。)だとして
現在にどう影響されているのか、有形無形の差別だとか、天賦人権という曖昧な概念でなく
具体的に明示して貰えないか?
また、廃止して日本をどういった政治体制なり国家体制に持って行きたいのか?
それとも日本そのものを解体して、キミの空論である地域別国家連合なるモノを作るとして
その線引きは何から導くというのか?
結局、デマゴーグなんだろうけど・・・・。
>>116 原則平等の中で、合理的に説明がつかない格差がある時点で
一貫性が損なわれているといえるだろうね。
そして、一貫性が損なわれた場合、つまり、自由主義的に説明がつかない制度が
例外としてではなく認められた場合、それはほかのさまざまな自由主義に反する制度を
認められない理由はなくなるということになるから、それは実質一貫性の放棄に他ならない。
どの法律が問題かといえば、皇室典範だろう。
まあ、たとえば改正するとして、世襲という言葉をどうとらえるかだな。
養子も世襲と認めるとして、天皇が内閣の助言と承認により次代の天皇を
すべての国民から選択するという制度というのは確かにひとつの形ではあるが、
それは文化としての天皇の存在意義というものも犯されるのでは?
まあ、漏れにはどうでもいいことなんだけど。
自由主義というのはやはり自由が大切であって、
私有財産の否定までいくような結果平等は許容されないだろう。
機会平等などの原理は、他人の自由というものをできる限り認めつつ
最大限実質的な自由が得られる状態を目指した帰結のものなわけで。
そのため、やはり親や自身の才能による生まれながらの格差というものは
存在してしまう。親の問題は奨学金や社会福祉などである程度補填できるけど、
(これはたとえばロールズの第二原理なんかで正当化されていたりする)
才能の問題はどうしようもないね。まあ、限界といえば限界なんだけど。
また、多数決が最大限認められる社会とは、不自由な社会に他ならないということは
抑えておくべきだろう。多数決とは、最小限すべての人々の合意を取り付けざるを
得ないようなときに行われるべきものであって、特に国家などの機関では制約され
ざるをえない。
証明不可能な歴史主義に対して反証を求めるというのは滑稽なことだ。
歴史主義は反証不可能だから問題なのであって。
少し言及しておくと、日本人という枠組みを見出すこと自体は可能であろう。
人間と人間の間にはさまざまな要素による差異と同質性が存在するからだ。
しかし、それは多元的・多重的に存在するものであるし、日本人すべてに
共通するある要素というものを想定することも不可能だろう。
日本人とほかの人々の境界なんて、国籍を抜きにすれば「なんとなく」以外の
定義はできないし、またするべき理由も政治的なものしか思いつかん。
日本人を包括するようなある歴史的精神のようなものを仮定することは可能だが、
それは信仰以上の意味はない。というか、それによって社会を運営しなければならない
理由もわからんね。(運営できるほどの恣意的でない明示性があればの話だが。)
日本人は日本的なやり方に従っていれば幸福になれると言い切れる人間はどれだけいるのかね?
つーか、「歴史を勉強すれば、おのずとあるべき国のありかたがわかる。」
なんて考えは、歴史学やるものとしてはいちばん注意しなければいけない考えかただろ。
どれだけ多くの歴史家たちが、歴史主義的な叙述や言説を克服するために
努力してきたか、また、努力しているか考えたほうがよろしいかと。
>>96 白村江の戦いで百済は救われ、元は日本を占拠して支配下に置き
秀吉は朝鮮の支配者になったのだろうか。
何れもそうならなかったのどうしてかいな。
モンスーンなんか何も関係無い。何も読み取れないな。
黄金の国ジパングには、真に黄金が溢れていたのかな?
諸仏のメッキは、剥がしとって金のシャチに転用でもしたのだろうか。
将軍と外様大名の関係は、「対等」である訳は無かろう。だが殲滅できるほどの
差も無かったろうが。
三好や松永というのなら、実権がどこにあったか考えた方が良い。
天皇自身が有効な軍事力やそれを養う財政力を所有していたのだろうか。
三好や松永は軍事的に誰に備えなければいけなかったのかな。
結局何も学べず、何も理解できないだけだろう。
【人間が等しく平等の権利を持つことへの疑問】
国家運営を行うにあたって、統一された論理が必要であり、そのためには、その前提として、人は全てに平等な自由があると規定しなければならないという。
人間が等しく権利を持つことを前提としなければならないという。
それは具体的に、全てにおいて機会が均等であることを求めているようである。
機会の均等というのは、どのようなことだろうか。「同一基準の同一適用」であろうか。
そうではあるまい。その基準が経済力や、身分であってはならないようである。
「一切の差異の排除」は機会の均等となるか、これも違う。一切の差異の排除は、能力を無視して、結果の平等を求める論理である。「無関係な差異の排除」なら良いのか。
例えば能力のうち努力によって得たものと、遺伝的に得た能力があるとき、どこまでを無関係な差異とするかは明確ではない。
社会制度の利用可能性で、これが差別なく公開されていさえすれば平等は保証されている、とみなすのかというと、これも問題がある。
宝くじだけが生活の糧であれば、たとえ差別なく公開されていようと、不平等である。
国民のただ一人だけが、多くの義務を持つのみの制度は、全ての国民に機会が均等であったとしても不平等であろう。
また、相撲取りと幼稚園児が同じ土俵に立てるからといって、機会均等であるといえるかという疑問もある。
機会の均等であれ、結果の平等であれ、そのえられる配分は、何らかの権原による。
さて、天皇という地位に皇族が立てることが、国民の多数の支持という権原において成立しているとき、皇族でない誰かが、
どのような権原を元に、私も天皇という地位に立てるべきであるというのだろうか。
人が人である以上、その存在を元にその権原を有するという論理は、一切の差異の排除であり、
この論理は機会の均等ではなく、結果の平等を求める論理でしかない。
権利を有するがその配分(天皇となること)は国民の多数決に委ねるとするなら、
国民の多数の支持により皇族のみがその権原を有するということと、自由主義的信仰をもつもの以外にとって、
いかほどの違いが有るかということである。
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>>130は私の書き込みである。
>>127 むっちょ氏
日本人すべてに共通するある要素というものを想定することも不可能だろ
うと、同等に機会の平等をきちんと想定することも不可能である。
日本人とほかの人々の境界なんて、国籍を抜きにすれば「なんとなく」以
外の定義はできない、と同等に機会の平等と結果の平等の境界定義も出来
ない。
歴史的精神のようなものを仮定することは可能だが、それは信仰以上の意
味はないというか、それによって社会を運営しなければならない理由もわ
からんね。(運営できるほどの恣意的でない明示性があればの話だが。)
日本人は日本的なやり方に従っていれば幸福になれると言い切れる人間は
どれだけいるのかね?との疑問にも同じく、自由主義的な理念を仮定する
事は可能だが、それも信仰以上のものではなく、それによって国家を運営
しなければならないとは思えないし、それによって国民が幸福になると信
じられもしない。
133 :
保守を考える:03/03/29 18:53 ID:R6Qo5xVr
>>129 全く珍粉漢なレスだな。
命題を提示したのがキミ。質問しているのが私。それに答えず反問するのは議論にならん。
ついでに
>>80の残りの部分にもレスしておこう。
>天皇制があったから国が続いのではなく
国は天皇なくしても発生し存続するが、「日本」は天皇と表裏一体である。
国号の由来が、天皇制により発生しているのだから、天皇制が倒れれば、日本国も倒れる。
現に今、支那は何と言う国号かね?
>外的要因による社会の変化がなく、
日本の社会史は、明らかに外的要因の産物である。道真の遣唐使廃止も、大陸を意識した政策であり
その外的要因(この場合、諸々の遠因)により、「国風文化」が華開いたと言える。
>内部的には地方勢力の成長が均等なために
何がどう均等なのだ???
何時の時代に於いても、最大の格差は食料である。で日本の主食は米だが、それが日本全土に
均等に生産されたなどとは言わないように。農学を莫迦にしすぎである。
>列島住人の努力によって天皇制が続いた訳では無く、反対に何もしなかったから
>あるいは何も出来なかったから、天皇制が残っているだけだ。
意味が判らん。列島住人は、それこそ生きる為に努力を続けてきた。キミが何人だか知らんが
日本人を莫迦にするのはよし給え。一億人以上の人口は、百年、二百年のスパンでは成立しない。
大嘗祭の趣旨からも解る通り、天皇は、五穀豊穣を神に祈る存在であると、「れ」氏が何度も説明
しているのだが。そういった自然に対しての畏敬心がキミには理解出来ないらしな。
>将来も過去と同じことを続ければ良いとは言えないし続ける必要もない。
天皇制は、その時代事に、その機能を変遷してきた。
何が問題なんだ?
以上がアホらしいと云った私の所感である。
天皇の歴史性について議論がしたいのならば、時代を絞って頂きたい。
134 :
保守を考える:03/03/29 19:37 ID:R6Qo5xVr
「れ」氏と重複してしまうので、これに応えておくか・・・。
>>128 >「歴史を勉強すれば、おのずとあるべき国のありかたがわかる。」
そんなことは誰も云っていない。
私は、先人達が歩んだその道程で、多大に失敗してきたことから、導いた
「平衡術」の話しをしているだけである。
当然、先人達の話しだから、「歴史」に依拠せざるを得ない。
また平衡とは折衷ではない。
遠足の時、崖っ縁でバランスをとって歩行して泰然自若しているのが平衡であり
崖のはるか手前で弁当を食べようと提案するのが折衷である。
平衡とはこのように、危険値がいかに計算されるかを過去の経験によって知っている。
それに対して、経験なり過去の実績を知らん者は、当り障りの無い、折衷案をすぐに出したがる
のだが、「自由」は何によって成立するのか?
それは、規制との平衡による「秩序」によって、正当化される概念であろう。
では、どこまでが自由で、どこからは規制されるべき事項なのかという問題になる。
それが、歴史という先人達に叡智から導き出された「平衡術」によって
定められるのである。
天皇制が有史以来、または敗戦による危機を乗り越えて存続した意義を見出さなければ
積極的であろうが、消極的であろうが、「廃止」などと安易に認められる問題ではない。
勿論、日本を滅ぼし、新たな自由国家を生み出したいという願望であるのなら
それはそれで結構な事ではある。
その場合の国家モデルを提示しなければならないし、
天皇制を廃止したとて日本は何も変わらないという見識は
原始時代から現代までの社会は何も変わらない、に等しく、話しにならんが。
>保守考さん
有史以来の天皇制とよく書いてありますが
具体的にどの天皇からなんでしょうか?
神武天皇も含まれるのですか?
>>117 だから、国家が国民を平等に取り扱わなければならないとする原則を、安易に
崩してよいかと言うのがロジカルな批判として存在するわけだろ。れたんの論は、
「社会的意思決定上の特権の有無」を基準にして、多数決で特権的な地位を世襲で
認めてもかまわないとするものだろ。再三指摘して無視されているが、「社会的意思
決定上の特権の有無」を基準にして、世襲による特権的地位を多数決で認めることを
承認するなら、同様の論理で旧憲法における貴族院のようなものを伴わない世襲の
貴族制を多数決で認めてもかまわないとなるだろ。それはいかがなものかと指摘
してるんだろ。
国家が社会の構成員を平等に取り扱うことの有用性は、れたんも認めるようだが、
であるなら世襲による貴族制の創出にも賛成するものとは思えないのだが?
それとも、個人的な意見としては貴族制の創出には反対だが、それは多数決で
実現可能な範疇の問題だと考えているのかね?「社会的意思決定上の特権の有無」
で世襲による特権的地位・身分を認めるれたんの論理で言えば、そのように
解釈するしかないのであるが。天皇制を認める論にしても、もう少しマシなのを
お願いするよ。これでは、ちょっと雑なのではないのかえ?(藁
ところで、前半でなにやら言っておられるようだが、歴史や伝統と言ったもので
共通の社会的コンセンスが取れると信じておられるのかね?歴史観・伝統観と言う
ものは、個人・集団ごとに異なりそのままでは社会的コンセンサスは取れんだろ。
人工的に社会共通の歴史観・伝統観を作ろうとすれば、誰かがそれを解釈し押し付ける
ことになるわけだし。統一されていない個人バラバラの歴史観・伝統観は曖昧だし、
逆に作為的に造られた歴史観・伝統観は偏っていると考えるのが自然だろ(藁
>>123 ・・・たん、君もだんだん壊れて、いや馬脚を現してきたな(藁
社会科学と自然科学の違いは、人間の作り出した価値と密接に絡む対象を
取り扱うかどうかだろ。自然科学の扱う対象は(古典的に言えば)観測者である
人間とは独立して存在するもんだろ。
例えば、元素、素粒子、波動、重力と言った自然科学の対象は、人間が存在しなく
ても存在するわけだ。しかし、社会科学の対象とする国家とか、法制度、思想は、
人間の価値観が作り出した観念の賜物だろ。よって、自然科学の対象と異なり、
論者の見方によって扱う対象自体がまったく異なったものになりかねないわけだ。
また、自分勝手な価値観が混入してわけのわからないものになりがちなわけだな。
そうなった場合、情報の共有や相互理解は困難になる罠。そこで重要になるのは、
概念に対する定義とか体系性を明示することなわけで、そこら辺をしっかりして
おかないと、単なる個人的な妄想で終わってしまう罠。まあ、「皇室も日本も歴史も
軽薄ではない、と思う」程度の個人的な信仰告白であれば問題なかろうが (藁
しかし社会科学の基本が、価値の中立性・相対性にあることを承認するのであれば、
(自然科学的に見て)無意味・無価値・不定形な概念を定義し、価値の序列を明示する
必要性を認めるのが筋ってもんだろ。社会科学の対象は、自然科学的には実在が証明
できない人間の価値観だし。だからこそ、それを取り扱うためには、概念の定義や
選択する価値のきちんとした明示が重要になる罠。それが社会科学的発想と単なる
妄想の違いだろ。ちがうかね?(藁
つまり、君たちが日本とか天皇とかの必要性を力説したいなら、価値の相対性・
無価値性の中で、概念を定義し価値の序列を示し、それが有用であることを説得
する必要性がある。価値の相対性・無価値性と言うのは、すべての概念・価値に
対して等しく相対・無価値なのであって、もちろん天皇や国家と言った概念も含めて
のことだ罠。価値相対・無価値の世界では、天皇とか国家に関しても、その存在は
自明なものとしては存在しえないことを肝に銘じるべきですな(藁
>保守考たん
他のワカランチンとは違って保守考たんは、律儀でかわゆいなあ。俺の思った
とおりに踊ってくれるからな。ところで保守考たんのかわゆいところは、自分のこと
を棚にあげて唇も乾かぬうちに、自分の非難とまった同じ主張をすることだな。昨日も
ヒントをやったろ。人の発言は、よく読んでレスしないとダメだなあ(藁
郷土主義者・封建主義者の俺の目から見れば、国家も民主主義もすべて押し付け
られたものにすぎんのだよ。君は、リベラルな民主主義を日本はいつ選択したのか
と疑問をていするが、それはなぜかね?
俺から言わせれば、日本と言う国民国家や日本人であることも、当時の領邦国家や、
村落で生きてきた民衆が選択したものではないと言える罠。それとも、当時の農民や
侍の過半が、主体的に国民国家日本を作るとか、日本人でありたいとか願って、
日本と言うものができたのかね?なんで、当時の為政者の施策が、民衆の意思だと
推定できるのだね。そこの論理を教えてくれよ。それと、なぜ国民国家日本や
日本人であることは社会の選択であり、リベラルな民主主義は社会の選択では
ないのか。その違いはどこにあるのかね?俺には、そこのところの違いがまったく
もってわからんのだよ。俺から見れば、日本人であることも、リベラルな民主主義
であることも、(良きにつけ悪しきにつけ)等しく為政者に押し付けられたもの
としか思えんのだが(藁
まあ、いいかげん君も子供騙しのレトリックは卒業したまえ(藁
>>119 またまたそうやって自分のことは棚に上げて、歴史偽造しようとするんだから。
このれたんのイケズ。れたん達が、リベラルな民主主義と言うものを日本はいつ
選択したのかと問うから、それでは国民国家日本とか日本人とかをいつ選択した
のかと俺は問い返しているんだろ(藁
国家の存在を自明なものとして議論しておられるれたん達にとっては、国家を
(民衆が)選択したことは自明なのかもしれんが、それを自明として認めない
俺には、いつ日本国を選択したのかさっぱりわからんのだよ。
(民衆にとって)リベラルな民主主義が選択されるものとして存在し、選択され
ていないとするなら、なぜ国民国家日本とか日本人であることは、選択されるものと
して存在せず、また選択されたことが自明なのかね?その差はどこにあるのかね?
俺にとっては、どちらも時の為政者に押し付けられたものとしか思えんのだがな(藁
れたん達は、口を開くと伝統に敬意を払えとか、経験則とかわけのわからん
ことを言うが、君たちの伝統とか歴史と言うものは、自分達に都合のよいものを
つまみぐい的に羅列しているにすぎんだろ。リベラルな民主主義でも、日本人である
ことでもいいが、どれが民衆・社会の選択でありないのか、そんなものは論者の
歴史観でいかようにでも都合良く解釈されるものだろ。つまり、アンタ方にとって
都合のよい「日本人」であることは歴史的に見て社会的選択となるし、そうでない
「リベラルな民主主義」は、歴史的に見て社会的選択ではないんだろ。これは
便利なこって(藁
人種なんて選択できるわけねえだろ
141 :
パンドラ :03/03/30 08:23 ID:is6MK+wP
>>79 >いや貴殿が、天皇制は多数決で、世襲制を決定しているから問題ないということなら、別にいい。
やはり、virusが同居しているアタマのせいか、よくわからない。
「…問題ない」わけではないので、改憲が必要…とかんがえる。
ただ、いま、規定されているという事実はそんちょうしているつもりだ。
>>95 >で、あるのなら、観念の一般化の為に、帰納法に頼らざるを得なくなるのは必然。
それはどちらかというと弁証法に近いが、好意的にいいかえれば、観念を集めて帰納する…か?
現代風に解釈すれば、事象を数量化して、統計的に確からしさを求める…ということか。
しかし、西欧文明の理念にせよ、神道の理念にせよ、形骸化した儀式と理念との関連を数量化して、
統計処理して何らかの結論を出すには、関わる因子が多すぎて不可能である。
>現存する事象に対して、人の意見を聞いてみる事も有用であるから、「あなたは」とキミの主観を尋ねている。
上記の理由であまり有用とも思えないが…
>私の質問に答えられない、と言うのならば、「私は日本人です」と人は何故答えられるのだろうか?
精神的な帰属意識から、国籍を自問することはあるが、状況によって因子はことなり、よって判断も多様になる。
帰属意識とは、そういうものである。
天皇の赤子として一元化できた時代、さして将軍様や大統領に庇護された民という一元化…
このような精神的帰属意識を求められているのであれば、「ない」というのがhealthyであろうw
ところで、わたしは唯物論者とは対極に位置すると考えているw
>>137-139 えーーーーーー???
貴殿は日本列島という地域の一部に、日本という国家が存在していたこと
にさえ疑問なのであろうか。
自明の、最低限認められる歴史はあるだろう。現在有効な常識・習慣・慣
習はある。伝えられてきた事実はある。それを曲解しようとするとき、そ
うではないといえばいいのであって、曲解される恐れがあるから、それを
基準とすべきでないとしたら、全ての理念は有効に機能しない。
143 :
・・・:03/03/30 09:22 ID:???
>>137,ぁゃιぃアズマ人氏
>君もだんだん壊れて
アホバカ表現や(藁)表現は暇つぶしの単なる試みである。
しかし
>>137の内容は、自戒ですか?
>単なる個人的な妄想
施政者でなくアキツカミ的表現の私にとって、それでも結構なのですが。
何度も申し上げているように制度と限定していない私の主観は別として、
氏の言う皇室が何故、多数決・既成(制度化)足り得ているのか?
その多数の観念は(れ氏・保守考氏、制度からのころ氏からは垣間見られるが) ?に
興味もあり、且つ、教義のない神道の司祭的立場の天皇のその立場・価値観にも興味がある。
ただ私の妄想を含め、その存在が自然科学的証明の範疇なのかどうかも疑問である。
全てが自然科学で証明されるなら、社会学も必要がなく、都合により前者をパッチワーク的に
持ち出す事の無意味さを
>>123で指摘しただけである。
>価値の序列を明示する必要性を認めるのが筋ってもんだろ。
だから求めているのですが、少数派の価値観を。
多数派は実在しない天皇を創設しようとしている訳ではく、元首的立場・象徴を
否定する少数派にこそ、パッチワークや刷り込みでなく、個人的妄想の否定を含め、
無用であることを「相対的な序列」を明示して説得責任があるであろう。
144 :
・・・:03/03/30 09:33 ID:???
>>126,
>>127>むっちょ@かわうそ氏
なら、家族も戸籍も自然科学的にみて必要ない。
結局、
>自由に反しない限りの平等なのか?
>平等に反しない限りの自由なのか?
の線引きも無く、行うときは多数決?それとも施政者。
その時の、少数派の待遇は?
>アズマ氏
>再三指摘して無視されているが、「社会的意思決定上の特権の有無」を基準に
>して、世襲による特権的地位を多数決で認めることを承認するなら、同様の論
>理で旧憲法における貴族院のようなものを伴わない世襲の貴族制を多数決で認
>めてもかまわないとなるだろ。それはいかがなものかと指摘してるんだろ。
国民がそれを選択しないだろうといってあったと思うが。
貴族院のようなものは、権限や責任がある。国民にとっての自由な権利行使を阻
害することが出来るからダメ。何の権限も責任もないのであれば、別に、国家と
して、その必要性が有るなら、かまわないと思うが・・・。
国民統合の象徴であり、国の象徴は必要性があるが、それ以外の公職において、
何の権限もなく責任を負うことの出来ない役職が、必要とは思えない。
国の象徴ということを具体的に申し上げれば、以下のようなたとえになろう。
某国が、一都六県の住民をすべて殺傷する爆弾を開発し、都庁に仕掛けたとしよ
う。外国人の少年がその命をかけて、それを阻止した。天皇制を廃止し、特に現
在の政治体制を変えることなく存在している日本では、少年の祖国で行われる葬
儀に、一都六県の知事、総理大臣、両議会議長を派遣した。
この少年の父親である私は不満である。
「一都六県の知事は住民を代表しているからよしとする。総理大臣は行政府の長
であり、国民を代表してはいない。議長は立法機関の長である。日本国は国民を
代表して感謝しないのか・・・。」というであろう。国民の過半数以上の弔辞を
持っていかない限り、私なら納得しない。天皇制が存在し、天皇が参列してくれ
れば、それで、納得も出来る。アシモフ君を連れて行ったら、馬鹿にするなと怒
鳴るだろう。諸外国との儀礼ということは、そのようなことではないのかなと思
う。国を代表する諸外国の元首と儀礼を交わすのは、国の象徴である天皇をして
初めて対等である。首相では礼を失する。
国家元首的役割を、国の制度に持つことは必要である。大統領と首相は違うので
ある。
>>167 >支那は何と言う国号かね?
はて、今中国の地を占める勢力は何人だったかしら。
>日本の社会史は、明らかに外的要因の産物である。
文化ではなく、外部武力による直接支配といったはずだが。遣隋使、遣唐使はまさに情報の入手が目的であったのだ。舶来品は昔も価値が高かったと言うことだな。
遣唐使の派遣中止は、情報入手量とそのコストバランスからだろう。中国に見習った街作りは、平安京遷都までであり、遷都から百年経過し見習うべきものは無くなったと判断したからだろう。
手本とした中国の後を追い、地方勢力により、中央政権の力が弱体化することになったのはお手本通りだ。お手本と違うのはあくまでも国内の地方勢力であって、外部武力としての強大な異民族の脅威が存在しなかったことだ。
これが、地理的要因による日本の特殊性だ。国「風」文化(アレンジ)であり国文化が創造された訳ではなかろう。他から掻きまわされない封じられた世界だからこそ雅楽が今に残るのだ。
国家を纏めるに当り、外敵の脅威を言うのは政治の常套手段(ブッシュ氏をご覧な)。外敵の脅威が無かったから、内部センタの旗印としての天皇制が存続したのだな。
明治になり外敵と内部センタの両輪に切り替えたら見事に失敗した訳だ。内部センタは機能せず、外敵は大き過ぎて手に余ったのだな。
今でも尚、外敵の脅威は存在するが、天皇制は内部センタとしては機能しなくなってしまったのだ。
>列島住人は、それこそ生きる為に努力を続けてきた
それこそが、日本人を作っているといったはずだ。
日本国民が何もしない、出来ないといったのは、天皇制に対してであって何もしないで生きて行ける程、甘い気候風土ではないとも言ったはずだ。
五穀(米は入るとも入らないとも言われるが、古事記では米は五穀の内)の表現から見ても米は全国的作物だったはずだ。班田制を行える程度には、均質だったのだ。
天皇制は藤原氏による代理制以降変化は無い。天皇自らが動いた後醍醐帝でさえ自身の軍事力は持てなかった。というより持つだけの財力が無かったのだ。
>>167 横レスになるが・・・。
貴殿も私も数千年以上の歴史を持つ。少なくとも出産まで生存した女性と
生殖時期まで生存してきた男性の子孫である。
現在の自分がある事は、確かに偶然であろう。しかし20代前(一世代2
5歳として500年前)として約200万人の先祖がいる。この人たちが
その時期まで生存し、生殖行為をなしたことの偶然性によって支えられて
いるのが、現在の自分である。この自分を、私の存在は偶然によって得ら
れたものであるとして、それを誇りに思うか、卑下するか、そんな話であ
ろう。世代を超えて継続している日本は存在しているだけでスゴイのであ
り、天皇家はその間、ずーと国の平安と五穀豊穣を祈り続けたから、価値
がある。私はそう思っているが。
それとも貴殿の先祖は何も努力せず、貴殿を生み出したのか?その時期ま
で生存したことさえ、当人とその親などの努力の結果だろう。
温暖な気候は物を腐りやすくするが、その中で生存を継続するためには、
衛生観念としてのケガレの思想の影響もあるだろう。農耕の科学的裏付け
がない時期に、暦と耕作過程を宗教的な様式として教えた神道の影響もあ
ったと思われる。何もしないで、何も国の政策に影響されないで、人が継
続して生存できると思うことが、幻想でしかない。数百万人が一億人にな
るためには(貴殿もその一人だが)、毎年確実に食糧を供給しなければな
らず、その政策が破綻すれば人口は激減し、他国に侵略されたであろう。
【リベラルな民主主義に関する結論】
自由主義的民主主義は普遍であるか。これを聞いていた。普遍であるなら
回教国も、全て受け入れるべきであるとの結論となる。国として宗教を捨
てるのが正義であるというなら、それも良いが、彼らは、イスラムの国民
がそれを選択しなければ、やむをえないという。国民の選択の問題だと、
彼らはいうのである。
ならば、日本はいつ、その選択をしたのか、と聞いたのである。
日本が自由主義的民主主義を受け入れるかどうかは国民の選択であり、国
民が天皇制を選択している。天皇制が自由主義的民主主義に反するなら、
日本は自由主義的民主主義を、受け入れて「いない」ことになる。
その主義を受け入れたのは、日本国憲法によってであると彼らはいう。
そうであるなら、憲法は、その主義に違反していないのだろう。そうする
と皇室典範が問題であろうか。そうだとする自由主義主張者もいる。
しかし、なんら権力をもたず政治的に無色である象徴という地位を定めて
おいて、天皇・皇室の方々に、国民と同等の権利を持っていただく事は、
その地位が許さない。政治活動は一切出来ないのは憲法が定めた地位に起
因する。ならば、象徴という地位が問題であろう。象徴という地位は憲法
によって制定されている。さすれば、日本国憲法は自由主義的民主主義を
受け入れてはいないと、考えるしかない。
結局のところ、自由主義「的」民主主義は、自由主義的であって、自由主
義の全面受け入れではないことになる。最初の命題が、誤っていたのであ
る。自由主義は一部導入という事は出来ないようである。自由主義的の、
「的」は、人間的・大陸的・全人類的の「的」であったようだ。
オールオアナッシングの命題ではなかったと結論付けよう
何を言いたいかというと
「日本は自由主義的民主主義を受け入れたのであるから、その主義に反する天皇
制は廃止すべきである。」は、根拠がないということである。
「自由主義的要素が含まれた」民主主義を日本国憲法において採用したのであり
「日本型、自由主義の要素が含まれた民主主義」ということである。
孝を無視した儒教は成り立たないし、天命思想がない儒教も論理矛盾であるが日
本式に受け入れている。霊を信じる仏教はありえない(六道輪廻)が、日本式仏
教は盛んである。国民生活に影響がなければ、自由主義原理教を信じる必要はあ
るまい。
152 :
保守を考える:03/03/30 22:01 ID:KQdpICKY
>あやしい氏
>>138 押し付けられた、〃、と餓鬼の戯言のように、嘆くのはおよしなさい。
私の尊敬する陸奥宗光のこの歌を掲示してあげるからよくお読みなさい。
「 痩骨稜々毛髪蓬(ミダ)れ 偏標特立不羈の容
平生こうそう人と忤ひ 汝を愛し飄然到る処に従ふ 」
それと、質問に応えておくが
>リベラルな民主主義を日本はいつ選択したのかと疑問をていするが、それはなぜかね?
歴史・伝統・文化等を政治意図による為政者の捏造と言うのであれば、自由主義も民主主義も
只の擬制にしか過ぎないという事。しかし天皇制は支えられてきた歴史の重さが明らかに違う。
滅びるべきフィクションは、それら新制度であり、天皇制ではない。キミはそう唱えるべきだ。と思う。
>主体的に国民国家日本を作るとか、日本人でありたいとか願って、
>日本と言うものができたのかね?
話が明治時代に飛んだようだが、今更それを説明しなければならんほどに、キミはモノを知らんのかね?
ならば論じてもよいが・・・。
一つ、主体的に創作したのではない。国内外状況、思想・武力闘争の結果、主体的に人民が国民意識を持ち
それに参加したのであり、それは今現在も変わらない。
153 :
保守を考える:03/03/30 22:37 ID:KQdpICKY
>>135 別に神武天皇からでもいいですが・・・(これは記紀をどう読むかによります。)
やはり明確に天皇号を使った推古天皇からで宜しいかと考えます。
また「日本」はその題名通り、「日本書紀」の編纂期と捉えるのが区切りとしては宜しいかと存じます。
154 :
保守を考える:03/03/30 22:50 ID:KQdpICKY
>>141 だから私は「無自覚」で良いと云っている。
まだ判らんのかね。
日本人である理念を、理解したり、殊更それを追い求めたりしなくても
自分が日本人だと感じていれば日本人と答える一般論を云っているだけである。
現にキミや妖しい氏達はその理念なり解釈を答えない、または必要ないと言っている時点で
無自覚が証明されているのだよ。
自分が日本人であることを国籍で証明するのは、外国に行った時か、ゲットーに囲われるような
人種差別が行われる時であろう。
隣の者に聞いてみるがよい。「君は何人ですか?」と。
その者は国籍証明書をもって「日本人」と答えるのかね?(どこの世界の話だ???)
人種
155 :
保守を考える:03/03/30 23:08 ID:KQdpICKY
>>146 だから珍紛漢だと云っているのだが・・・・。日本語が伝わってないのかしら?
「 I can`t understand it at aii. 」
議論がしたいのなら質問に答えてくれ。まずは
近隣に大勢力とは何だ?
から始めようか。
あと、時代区分も的確に頼むよ。レスの文脈から言った言わないはアホらしいから・・・。
156 :
右や左の名無し様:03/03/30 23:42 ID:KQdpICKY
ありゃりゃ、良く見たら「all」の綴りが間違っちょる。
大ポカでしたな。
みなさん、すみません。
>>152 保守考たん、君はホントにダブスタのホラ吹き男爵だな(藁
以前、民主主義における「治者と被治者の同一性」は幻想にすぎず、一般民衆が
政治参加することは実際上ありえないことを君も認めたろう。であれば、それは
現在のみならず当然過去においても妥当するわけで、現在より民主度の低い寡頭制
の独裁政治においてはなおさらだろう(藁
さて国民国家日本とか日本人であることを選択したのは、薩長藩閥政府だろ。
彼らは民衆の正統な承認を受けた政府と言えるのかね?俺から見れば、軍事独裁政権
である薩長藩閥政府の決定は、どう見ても民衆・社会が自ら選択した政治決定
であるとは到底思えんな(藁
「国内外状況、思想・武力闘争の結果、主体的に人民が国民意識を持ちそれに参加
したのであり、それは今現在も変わらない」とは何かね?さっぱり何を言っている
のかわからんなあ。一般民衆が、主体的に薩長藩閥軍事独裁政権を作り、その軍事
独裁政権の下で、国民国家日本を作り、日本人になることを自ら選らんだとでも
言うのかね?これはびっくりだ(爆藁
よーするに君たちにとって、都合のよい歴史的・社会的意思決定決定は、民衆・
社会的選択であり、そうでない決定はすべて押し付けなんだろ。はっきり歴史を
自分の都合よく操作していることを認めてしまえよ。往生際が悪いぞ(藁
>>149 リベラルな民主主義が、普遍であるかないかは、単なる美称にすぎないと
なんども解説しているだろう。れたんのイケズ。俺のレスをよく読んでくれよ。
さて、日本(の民衆)が「いつ」リベラルな民主主義を選択したかと言うと、
それは選択したかしたのかわからないと言うことになる。また、国民国家日本、
日本人であること、天皇制に関しても、日本の民衆が「いつ」それを選択した
かと言うのもわからない。これらの選択はすべて時の為政者がしたもので
あり、民衆が主体的に選択したものではないのだから(藁
れたんの論理のおかしなところは、天皇制を民衆が以前に選択していたの
だから、それと矛盾するような選択を民衆がすることはありえないとの論法で
あるが、そもそも天皇制も含めてすべての歴史的選択が現在から見て正統な選択
であったのかと言う根本的な懐疑を無視した発想なんだよ。だからこそ、俺は
「日本はいつリベラルな民主主義を選択したのか?」との問いに、それでは
「俺たちはいつ日本であることを選択したのか?」との問いを返したんだろ。
こちらの意図をくんでもらわにゃ困る罠(藁
歴史的選択と言うものをどのように評価するかと言うことは、個人の歴史観
イデオロギーに左右されるもので、例えば国民国家日本とか近代天皇制に関しても、
その選択が正しかったと思うものは、薩長軍事独裁政権の決定を社会的選択として
受け入れる罠。しかし、そうでない者はそんなもの独裁者どもが勝手に押し付けた
決定にすぎないと言う罠。リベラルな民主主義に関しても、それに賛成する者は
GHQの息のかかった政府の決定を社会的選択として受け入れる罠。そして、それに
承服できん者は、そんなものは日本人が選んだものではないと言う罠。
これすべてインチキ論者の歴史操作がなせる技で、真実のところは時代時代の
少数のエリートが民衆に政治的決定を押し付けているにすぎん罠(藁
159 :
保守を考える:03/03/31 00:05 ID:DVlYTPaa
>>157 なんでちゃんとレスを読まんのかね。
主体的に創作(国民国家を)してない。と書いてあるだろうに。
日本という(日本は古来からあるが)枠組みの中で、民衆が積極的に国家に対して
コミットしたという事実が憲法発布以来の国民意識というものではないか。
全ての者がその教育により徳育と知育を得て、成功して国政に直接参加するという
政治技術を身につけるのか、経済的に国家を支えるのか、または学問によって
国家を隆興させるのか等々、様々な形式で国家に参加しているのだよ。
それは現在も同じである。
日本国なり日本人を拒否するのなら、それなりの方法があるだろ。
キミはそれを主張するのかね。つまり「革命」をだ。
薩長ゝと喚くのは負け犬の遠吠えかね。
相対的に薩長出身者が多いからといって、薩長中心に日本は動いていないだろうが。
それこそ恣意的な押し付け、僻みだな。
>以前、民主主義における「治者と被治者の同一性」は幻想にすぎず、一般民衆が
>政治参加することは実際上ありえないことを君も認めたろう
これは元を辿ると52氏との議論から私は唱えていたような気がするが
いわゆる「君民同治」という、民が下から支える日本のあり方も同時に主張してきた。
つまり、天皇と民衆は、常に相互の信頼で成り立っていたから、現在の皇室と国民があると
心得ている。
では、眠いのでおやすみ。
>>143 >ただ私の妄想を含め、その存在が自然科学的証明の範疇なのかどうかも疑問である。
>全てが自然科学で証明されるなら、社会学も必要がなく、都合により前者を
>パッチワーク的に持ち出す事の無意味さを
>>123で指摘しただけである。
だから、自然科学的手法でなく社会科学的手法に基づいて議論されるべきでは
ないかと言ってるんだろ。俺が問題にしているのは、自然科学か社会科学かでは
なくて、社会科学か妄想かなんだよ。社会科学は、自然科学と違って物質や
エネルギーと言ったそれ自体として存在しないものを対象にする学問だろ。
だからこそ対象を人為的に定義し、選択する価値を明示してやる必要性がある
と言うことだ。
イデオロギーに関しても、特定のイデオロギーを是とし非とするのは、特定の
イデオロギーが定義され、そのイデオロギーが立脚する価値がきちんと明示
されてこそ、それに対する肯定・批判が可能になるわけ。逆に言えば、そこの部分が
しっかりしていないと是か非か判断できないし、議論もできんわけだな。
パンドラさんも以前指摘していたかに思うが、天皇制を支持するあんたらの
問題点は、あんたらが天皇制の支持理由に歴史とか多数決原理・既成事実を持ち出す
点で、このような論拠は、上記の理由に基づかないものだから、そもそも是か非か
議論することができないわけだ。ここら辺をよく考えてもらわにゃ困るなあ(藁
>>159 >主体的に創作(国民国家を)してない。と書いてあるだろうに。
アホかね?だったら、リベラルな民主主義に関しても同じことが言えるだろ。
なんで、日本であることは、「民衆が積極的に国家に対してコミットしたという
事実が憲法発布以来の国民意識というものではないか」とぬけぬけと言え、逆に
リベラルな民主主義に関してはそうでないと言えるのかね?これを歴史操作と
言わずしてなんと言うのかね?(藁
以下、保守考たんを真似て俺も歴史偽造して見ると、
「民衆が積極的にリベラルな民主主義に基づく社会建設に対してコミットした
という事実が憲法発布以来の人権意識というものではないか。全ての者がその
リベラルな民主主義によって人格的自律と社会参加能力を得て、国政に直接参加
するという政治技術を身につけるのか、経済的に国家を支えるのか、または学問
によって社会を隆興させるのか等々、様々な形式で社会に参加しているのだよ。
それは現在も同じである。自由主義なり民主主義を拒否するのなら、それなりの
方法があるだろ。キミはそれを主張するのかね。つまり「反革命」をだ。」
となるわけだ。歴史偽造は楽しいな♪(藁
>>145 >何の権限も責任もないのであれば、別に、国家と
>して、その必要性が有るなら、かまわないと思うが・・・。
個人的な意見としては世襲の貴族制には反対だが、多数決で決めることは
問題がないと言うスタンスなんだ。しかしこのような考え方は、法学的に見れば
異端的な主張だね(藁
しかし、国家の国民に対する平等な取り扱いを認める社会体制が、世襲による
貴族制を多数決の処分事項として認めるとすることは、論理的に見て妥当な
論理と言えるのかいな。まあ、今後のれたんの論理展開に期待しましょうか(藁
つーか、なんでイデオロギー的にどちらかへ突き詰められなければならんのだ。
ここでの支持派による廃止派への疑問とは、要するに「極論へ突き詰めること」への疑問に思えるが。
>>158-158 >アズマ氏
リベラルな民主主義が普遍ではない、国民の選択であるなら、
「日本的縄な和の精神」に基づいた「自由主義要素の入った民主主義」の取り入
れが日本国憲法と私は理解する。全ての事象路理念で捉える必要はなく、全ての
法律を理念によって作成する必要はない。法律は上位法に矛盾していなければ良
い。
私の論理は、国民に何らかの権力行使が行われ、あるいは国の方向が決定される
にあたり、国民が関与できなければならず、その確保に必要な最低限の範囲で、
多数決を退けるということである。【自由な】国民の選択を確保することが必要
である。
日本人であることの選択ということを、貴殿は日本国民であることの選択と同列
としている。ある支配者層があり、その所属であるとの意識であれば、貴殿の言
い方は一定の理解範囲ではある。しかしそれは日本人意識とは云わない。
国家の制度が、支配と服従であるとの幻想から、いまだ抜け出せずにいる。
いいかげん、そのような妄想から抜け出すことを考えてみよう。
>>163 全くその通りである。
165 :
パンドラ:03/03/31 09:29 ID:CzG7iWXf
>>154 >だから私は「無自覚」で良いと云っている。…隣の者に聞いてみるがよい。「君は何人ですか?」と。
どうも、あなたはお話の発端をお忘れのようだw
神道儀式の形骸が残っていようと、神道の理念が無自覚に共有されているわけではない…への反論だが…
あなたも隣のヒトに聞かれたらよい、「あなたは神道の理念をもってますか?」と。
そくざに応えるだろう、「否」…とw
ところで、トンデモへの横レスなり…
>>120 >…およそ大多数の日本人は、自らの国籍なり遺伝的人種なり、また日本国土の概念を無自覚に許容している。
このあたりまでは、日本人に限らず、およそそのとおりであろう。
しかし、以下になるとトンデモに飛躍するw
>…当然、「歴史」の結果である。「日本」も、「天皇」も近代の創造ではない。
>その起源は、史料が示す通り推古天皇・聖徳太子の時代である。我々、個人はこの歴史を覆すことは出来ないが…
歴史認識は一様でなく、かりに天皇制の継続を認めたにせよ、その継続は、一部階層をもってなされたものであり、
全住民に支持されてきたものではない、という歴史認識も可能だ。
あくまでも、体裁に過ぎないが、国民主権の現憲法で「象徴」として規定されたことをもって、
有史以来、はじめて全住民の支持を得たという認識も可能だw
で、これなどは
>日本や日本人また天皇を現代に於いて覆す選択肢を有している。それが「革命」である。
一様の歴史認識をすべての住民が共有しているという前提でおっしゃっているのであろうが、それにしても”かくめー”とは!
あなた固有の歴史認識の中での意識革命を、いわゆる「革命」と混同してはいけないw
166 :
右や左の名無し様:03/03/31 09:30 ID:CzG7iWXf
>>121 >その平等性が天皇にも当てはめる意味があるのか、…平等理念を突き詰めていけば、…現世の全ての「不平等」な部分を撤廃することになる。
国家制度としての天皇制の廃止は、べつに平等理念を突き詰める…など極端な事態にはつながらないw
すべてを画一化するのではなく、民主政体の例外規定である世襲の天皇制を廃止するに過ぎない。
ようするに、平等理念がおおきく一歩前進するw
>>124 >現在にどう影響されているのか、有形無形の差別だとか、天賦人権という曖昧な概念でなく具体的に明示して貰えないか?
植樹祭などによる自然破壊、行幸に伴う交通渋滞や障害者らの行動制限、経費のムダはすでに過去スレで指摘されている、
それにしても、自然権たる人権、貴種の存在に起因する有形無形の差別…わかりやすく、具体的である。
あなたがたのおっしゃる、一部に通ずる歴史認識による天皇制支持論よりもはるかに…w
ところで、天皇制の具体的利点て、マッカーサー統治の利便性以外に…ありや?
>また、廃止して日本をどういった政治体制なり国家体制に持って行きたいのか?
ただ、天皇制がなくなるだけである。
あなたたちの意識の中では、それこそ「革命」だろうが、それ以外の変化といえば…
人権意識が適正化して、有形無形の差別がかなーり改善されるであろうよw
167 :
右や左の名無し様:03/03/31 09:31 ID:CzG7iWXf
>>134 >天皇制が有史以来、または敗戦による危機を乗り越えて存続した意義を見出さなければ
>積極的であろうが、消極的であろうが、「廃止」などと安易に認められる問題ではない。
ここまでは、あなたの意識のもんだいで、なるほどあなたはそう考えるか…という理解が可能だ。
ところが、以下でトンデモに飛躍する。
>勿論、日本を滅ぼし、新たな自由国家を生み出したいという願望であるのならそれはそれで結構な事ではある。
象徴天皇がなくなるだけでは、現実には何も変わりようがない。
あなたの「意識の中の一大事」である天皇制廃止と、「現実世界での影響」を混同されているw
「象徴天皇の廃止」=「日本の滅亡」という事大認識もあわせて、自我境界の危うさ、誇大性と被害性の混在した不気味さを感ずるw
この不気味さは、アレフやヤマギシ会など、特定の価値を強固に信じ込んでいる集団の構成員によくみられる。
さて、自由主義者なる方々の論理
「日本はリベラルな民主主義を取り入れたのであり、自由主義に反する天
皇制は否定される」は自由主義原理教であり、他の論を否定する根拠とな
らないことが理解されたようなので、和の精神と霊的権威により、現代の
天皇制を肯定する主張がやっとできるということだ。
確実に理解される歴史的事実のみによって、この論は成り立つ。諸々の、
歴史認識は必要ない。
1、聖徳太子の17条憲法は、現代の国民に、和の原理として影響してい
る。
2、1000年以上天皇は国の中心的な位置にいて、五穀豊穣と国の平安
を祈った存在であり、神社の神官の最高権威であろう。
このふたつでいい。このふたつさえ認めないという人はいまい。
17条憲法には様々な解釈があるが、私は以下の通りとする。
国民が大切にしなければならない事は【第一に】和であるといっている。
三法を敬うこと(仏教帰依)詔を聞いては必ず謹むこと(天皇への帰依)
よりも、和が大切と説いているとみなす。儒教に和の徳目がなく、仏教に
無智の話し合いが有効だとする理念はないから、儒教でも仏教でもない。
17条でも話し合いの大切さを説いているから、第一に和である。
和とはなんぞや、穏やかに話し合って何事も決定し、怨念を残さないこと
を至上とする理念である。穏やかに話し合い、自由な国民の決定を確保す
るために必要な、話し合いによる決定を否定する部分がある現代の憲法理
念は、そのまま「和の理念」である。
本日、多忙につきここまで。
ひどい話だ。社会システムの構築という議論をするときに、
たとえば自由主義的な根拠と論理を「歴史的に」存在してきた「国民」プとやらを
切り離して、国民というものをまず第一の前提として考えるのならば、
もはや自由主義のシステムというものはなんの正当性ももたなくなる。
結局多数決やあるいは力の強さといった、なんらかのヘゲモニー争いに委ねるしか、
国家を統治していく方法はなくなる。
和でもなんでもいいが、それが日本人が古来から有してきたものと主張し、
それに現在の国民国家日本を重ね合わせ、それに従えというのは、
過去に従っていれば現在も幸福なのだとする歴史決定論のなにものでもないだろ。
自由主義システムに従っていれば幸福かどうかはしらん。
(つーか、自由主義って要するに誰も他人の幸福を決めることはできないという
功利主義から続く伝統に基づくからな)
ただ、少なくとも一貫性のある政治システム/恣意的に運用可能なシステムという差を
問題にしたとき、どちらをより望むかという問いを立てることは可能。
170 :
保守を考える:03/03/31 15:51 ID:7kNkNvys
>>161 一体全体、どういうレスなんだ???
いつ、私が、自由主義、民主主義を否定したのかね?
何度も云っておろうに
自由、民主、国家、社会主義等、良質な要素は平衡により秩序立てられると。
天皇制は日本の国家体制、政治体制のいかなる場合も共生してきた。
それは現在でも同じだろうに。
なるほど、「日本」すらも認められないんであれば、対案を具体的に提示しなさいな。
>>132 アホなこと言うなや。
機会均等と結果平等の差は、反証可能な方法で一応議論が成立するだろうが、
日本人の定義なんて、反証不可能な方法でしか議論できないのならば、
それはただの信仰にすぎないに決まってるだろ。
172 :
保守を考える:03/03/31 16:09 ID:7kNkNvys
>>165 >>神道の理念が無自覚に共有されているわけではない
ちゃんと「いるわけではない」と引用できているのに
>あなたも隣のヒトに聞かれたらよい「あなたは神道の理念をもってますか?」と。
駄目だコリャ・・・・はぁ〜
>全住民に支持されてきたものではない
そんな、暴言は吐いていない、キミは
>有史以来、はじめて全住民の支持を得たという認識も可能だw
ハイはい、妄想ね・・・。
あとね歴史認識は一様でなくなんていうが、史料に則って主張しているのだから
他の認識もそれと同等の史料を提示してくれんと・・・キミに妄想では議論にならんよ。
意識革命云々も同じ、天皇制が有史以来存続してきたことを否定する根拠を提示してね・・・
もうこれだけで十分馬鹿バカしいからレスする気にもならんのだが、あと一点
>ようするに、平等理念がおおきく一歩前進するw
のに
>象徴天皇がなくなるだけでは、現実には何も変わりようがない
あっそう。変わらないんだ・・・
それとムダという概念も具体性を欠くな。数字をだしてくれんことには・・・
しかし相変わらず・・・同じ「感想文」の繰り返しをする意味は何?
173 :
保守を考える:03/03/31 16:18 ID:7kNkNvys
>>169 君は何を滅茶苦茶なことを未だに唱えているのかね?
一つ聞くが、国家の行う教育とは、何の目的で行うのかね?
君は何の為に学問を志してきたのかな?
174 :
保守を考える:03/03/31 16:21 ID:7kNkNvys
あと、お約束のツッコミをいれといてあげるが
>(つーか、自由主義って要するに誰も他人の幸福を決めることはできないという
>功利主義から続く伝統に基づくからな)
なんだ「伝統に基づく」って・・・・。
目の錯覚かしらん・・・。
>>173 >国家の行う教育
憲法や教育基本法の理念に従えば、各国民の福利のためだね。
「国家のため」という言葉を期待していたのかな。
まあ、上の連中(民主主義国家でこれを言っても迫力が出ない)
はそう思ってるかもしれんが、別にそんな要請に従う必要ないし。
あえて言えば自分が学問を志してきたのは自分のため。
あるいは学問自体のためだろうな。
歴史学が何のために役に立つのかといわれれば困るが、まあなんにでも
役に立つ、あったら便利というものでしょう。
つーか、「国家のため」に行われる歴史学って・・・。ガクブル。
176 :
保守を考える:03/03/31 16:42 ID:7kNkNvys
>>175 >憲法や教育基本法の理念に従えば、各国民の福利のためだね
>あえて言えば自分が学問を志してきたのは自分のため。
>あるいは学問自体のためだろうな
まさしく、日本伝統の蒼生安寧、徳治主義の結果である。
国民の福利が自分に還元するには、当然、日本社会が安定していなくてはならず
学問の為に行う努力も、将来の国民の福利に寄与するであろう。
ますます励みたまえ。
>>176 ええ。それ以前にはなかった学問の自由を保障している、
日本国憲法には感謝していますとも。
178 :
保守を考える:03/03/31 16:58 ID:7kNkNvys
>>177 「感謝」っていい言葉ですね。
ところで、意味知ってる?
>>169 >>172 むっちょ氏
誰が国家というものを第一に考えてるんだ?
人が主張していないことを、何を貴殿の脳内で組み立ててんの?
見苦しい。
>機会均等と結果平等の差は、反証可能な方法で一応議論が成立するだろ
>うが
貴殿はいつも、議論ができるとか証明できるとか論理的に可能であるとか
言うが、その証明や議論をしたことがない。
文句があるなら、貴殿の思っている機会均等の内容を書いてみれば良い。
以下に議論可能か、まず提示しなければ、ただの感想でしかないね。
機 会 均 等 を 、 き ち ん と 書 い て く れ
議論に値するほど、論理的であるというなら。
180 :
保守を考える:03/03/31 17:08 ID:7kNkNvys
それと、憲法23条には「主語」が明記されていないって知ってると思うけど
まさか君の自由ではないよね?
どこまで「自由」なのかも判らんし、現実として
例えば、経済学なり統計学を進めるとき、内閣官房費やいわゆる機密費を調べられないね
情報学なり軍事学を行うときに、防衛庁はどこまで情報を与えてくれるのかしらん・・・。
やはり「自由」は無制限ではないようだ。
>>179 主張してるじゃないか。自由主義をどこまで受け入れるか受け入れないかという
言い方は、要するに憲法以前の決定権を持つ国民という主体を想定しているという
ことだと思うが。ちょっとは内省して、説明してほしい。
機会均等が議論可能かどうか。可能だが、膨大すぎて書ききれないと思うが。
機会均等というものは、まああらゆる人々に、(先天的な能力の差は考えないで)
あらゆる職業や立場になれるチャンスがあることだと定義しておく。
ここで、たとえ制度的にそれが成りたっても、実質的に親の経済力の差
などが問題になって格差が生じてしまう現実はあるわけだ。
そこで、奨学金などの社会福祉などが出てくるわけだが、ここで富の再分配の問題
つまり、奨学金などの恩恵を受けない人の財産権の問題が生じてくる。
ここで議論が生まれるわけだが、それはお互い自由主義の立場に立脚しているわけで、
それは議論になりうるだろう。
>>180 まあ、限界はあるだろう。
しかし、現実の問題に関していえば日本はちょっと情報公開が遅れていると思うね。
少なくともできるだけ情報はオープンにし、どうしてもできないものは
30年後くらいに公開するという制度構築をするべきだな。
あと、個人的事情から言えば、漏れの友人のために古墳の発掘許可を与えてくれ宮内庁。
また、外交や軍事の機密はあくまでも例外としてとどめておいて、その他は
公共の福祉つまり、他人の自由との調整原理によって考えられるべきだろう。
また、学問の自由は個人の学問研究の自由を含んでいると解されるから、
一応自分の自由でもあるな。
185 :
保守を考える:03/03/31 17:42 ID:7kNkNvys
>>182 >まあ、限界はあるだろう
なるほど、自由原理主義者ではないのだな。
>少なくともできるだけ情報はオープンにし、どうしてもできないものは
どうしても出来ない基準は何と考えているのかね?
>30年後くらいに公開するという制度構築をするべきだな
既に機密文書等はそうなっているのだが・・・。
>漏れの友人のために古墳の発掘許可を与えてくれ宮内庁
それは、君の家の墓を暴くのと同様、無理なお願いだな・・・。
天皇家個人の人権を奪う許可を求めるとは・・・・。
どういった人権思想なんだ????
>>184 だって、あれ何を問題にしているのかさっぱりわからないし。
幼稚園児が土俵に上がれるのならば、たとえ対戦するのが相撲取りだとしても機会均等だろう。
ドクター中松と石原珍太郎は平等だろうし。
「同一基準の同一適用」とか、「一切の差異の排除」もよくわからんし。
187 :
保守を考える:03/03/31 17:46 ID:7kNkNvys
>>183 へぇ〜・・・
そういう勝手な解釈をするわけだ。
「主語」がないんだぞ。その辺を「解釈」って
相変わらず、ご都合主義だな〜。
188 :
保守を考える:03/03/31 17:48 ID:7kNkNvys
>むっちょくん
それと
>>178にも答えてくれよー。
>>185 できない基準→悪いが、ちょっと答えられないが。つーのは、あまり詳しくないので。
機密文書→知ってるけど、それの適用を拡大するということで。
墓→家の墓は税金で管理してくれないのだが。
>>187 一般的な憲法解釈に従ったまでだが・・・。
>>186 よく分からんのか、そうか。ぜんぜん議論にならないね。
平等ということはどういうことか、機会均等と結果の平等の違い等を、
議論するとき、普通のことらしいよ。
平等の自由というときに、平等とはどういう概念か考えないのかね。
191 :
保守を考える:03/03/31 18:13 ID:7kNkNvys
>>189 >墓→家の墓は税金で管理してくれないのだが
国家を否定し忌み嫌っておきながら、国家の庇護を求めるその姿勢は
感心できんな・・・。
しかも、そんな甘ちゃんな理由で、天皇家の人権を踏みにじって良しとする
人権思想って何?の質問の答えにもなってないよー。
>一般的な憲法解釈に従ったまでだが・・・。
あっそうなのか。君の志してきた学問は人の意見に左右された、憲法解釈の基で
しかも、それを盾に開き直るんだね。
「主語」がない重大さに気づいて欲しいな。
じゃないと、騙されちゃうよ。
あと
>>178も無視しないで、重要な質問なんだからさー。
>>190 機会の平等と、結果の平等を議論するとき、それは重要かもしれないが、
天王星が機会の平等に含まれているか否かを考えたとき、あまり重要じゃ
ないんじゃないの。
機会の平等を突き詰めると結果の平等になるか、あるいは突き詰めなければ
形式的な平等に陥ってしまうのではないかという疑問は存在する。
ただ、それは両方とも自由の欠如が問題になっているのであって、
どう解釈すればそれが天王星を肯定するような議論になるのかという疑問は大きい。
>>178 知らないですけど。何か?
193 :
保守を考える:03/03/31 18:17 ID:7kNkNvys
>>192 >知らないですけど。何か?
あ痛ーっ!
知らない言葉で、持論なり感想?を述べているんだ・・・。
やっぱり、「議論」にならん、と言われても仕方あるまい。
>>193 そんなこと言われてもな。
あるタームを扱うときはできるだけ定義を気にするようにはしているけど、
別に語源まで気にはしないし。
というか、感謝という日常語にまでいちいち意味を気にしてなければ
いけないようでは、しゃべることすらできなくなるんじゃねーの?
>>192 機会の平等がどのように定義されているかも提示しないで、どう解釈すれ
ば、天皇制を否定する議論になるかという、私の疑問は無視するのなら、
確実に議論にはならない。
議論になるというのは、貴殿の思い込みだけで、議論のきっかけさえ提示
できないね。
197 :
保守を考える:03/03/31 18:38 ID:7kNkNvys
>>194-195 語源は教えてやってもよいが
意味を判らずに述べられてもねぇ〜。
そうなると、現憲法が持ち上げられているのか、卑下されているのかすら
こちらの勝手な解釈で宜しいということか?
まさか、そうではないだろうに・・・・。
まあ、専門用語を使用するときは、定義なり定理を考慮していなければ莫迦だし
>感謝という日常語にまでいちいち意味を気にしてなければ
>いけないようでは、しゃべることすらできなくなるんじゃねーの?
という訳で
日本人の認識を無自覚に持ちうる根拠がまた一つ増えて、ほっとしている次第である。
>>197 別に日本語を無自覚的に使うことが、日本人の無自覚な認識を
持っているという根拠にはならないと思うけど。別にアメリカ人の家庭に
生まれれば英語を無自覚的に使っていただろうし、ドイツ語を無自覚に使っている
人々だからといってドイツ人だとは限らん。また方言というものもあるしな。
>>196 機会の平等の定義は結果の平等との間で議論になっているわけだが、
少なくとも制度上はすべての役職というものは開かれてなければいけないと
されるものだろ。社長はすべての人がなれるが、実質的にはそうではない。
これが平等といえるのか?というものは結果の平等との話であって、
社長は世襲でよいと制度的に認定することが良しとされることとの差の
議論ではないだろ。
ごめんなさい。ちょっと説明が不足しているんだけど、
急な用事が入ってしまったので、いずれ続きを書きます。
ちょっと遅れるかもしれないけど。(忙しいので・・・)
200 :
保守を考える:03/03/31 19:03 ID:7kNkNvys
>>198 じゃあ、どうやって、意味の判らない言葉でもって意志を伝えようとしているのかね?
米人・独人・日本人を同列に論じちゃ駄目よ。
(ねぇー、何を勉強しているの?なんか大学生ってのも嘘くさいなー)
方言とは「基本的」に同一言語の下位区分だよ。
>>こちらの勝手な解釈で宜しいということか?
は、それで良いのか?
あとさあ、もしかして私の云ってる日本語の意味も判ってないのかなあ?
これまでの、経緯からして、何か確信してくるものがあるよ。
201 :
保守を考える:03/03/31 19:21 ID:7kNkNvys
しかし、むっちょくんが、自分が意味も判らずに発する言葉で
相手に了解を得ようとする「詐話師」であること白状させる為にログを無駄に消費して
しまったようだ。おかげで、「れ」氏の重要な提言が過去に埋もれてしまった。
代わりに再掲載し、みなさんのお詫びとしよう。
168 :れ ◆r0FmiN9ADk :03/03/31 14:52 ID:???
さて、自由主義者なる方々の論理
「日本はリベラルな民主主義を取り入れたのであり、自由主義に反する天
皇制は否定される」は自由主義原理教であり、他の論を否定する根拠とな
らないことが理解されたようなので、和の精神と霊的権威により、現代の
天皇制を肯定する主張がやっとできるということだ。
確実に理解される歴史的事実のみによって、この論は成り立つ。諸々の、
歴史認識は必要ない。
1、聖徳太子の17条憲法は、現代の国民に、和の原理として影響してい
る。
2、1000年以上天皇は国の中心的な位置にいて、五穀豊穣と国の平安
を祈った存在であり、神社の神官の最高権威であろう。
このふたつでいい。このふたつさえ認めないという人はいまい。
17条憲法には様々な解釈があるが、私は以下の通りとする。
国民が大切にしなければならない事は【第一に】和であるといっている。
三法を敬うこと(仏教帰依)詔を聞いては必ず謹むこと(天皇への帰依)
よりも、和が大切と説いているとみなす。儒教に和の徳目がなく、仏教に
無智の話し合いが有効だとする理念はないから、儒教でも仏教でもない。
17条でも話し合いの大切さを説いているから、第一に和である。
和とはなんぞや、穏やかに話し合って何事も決定し、怨念を残さないこと
を至上とする理念である。穏やかに話し合い、自由な国民の決定を確保す
るために必要な、話し合いによる決定を否定する部分がある現代の憲法理
念は、そのまま「和の理念」である。
202 :
ころ:03/03/31 21:00 ID:???
お久しぶりです。最近忙しくて・・・。
取り敢えず、時機を見ることにします。
以前に忘れ物があったらレス下さいね。
パンドラさんp10
>>534は、
>>218(ループ)ということで^^;
203 :
・・・:03/03/31 21:40 ID:???
>>160,ぁゃιぃアズマ人氏
以前、自然科学に拘っていなかったか?
まあ、成長されたのならそれはそれとして、
>対象を人為的に定義し、選択する価値を明示してやる必要性がある,
のだから、少数派の定義がなければ否定自体不可能だよ。
その為のアズマ史観だろうけど、破綻定義では議論不能。
>イデオロギー、制度
天皇そのものをそう思っていない私には、答えようがない。
私にとって、「親に何故愛着を持つのか答えろ」と言われているのに近い。
施政者・元首が神に宣誓する国々の憲法を、キリスト制度、イスラム制度と
選別呼称しない。
>>175,むっちょ@かわうそ氏
あなたは、似非自由人だ。
完全自由になりたければ、恩恵も放棄(最小限に)しなければ、
>各国民の福利を利用・手段とする、単なるたかり屋である。
まあ出世して、公に身を削る人々をバカにして生きてくれ。
204 :
・・・:03/03/31 22:04 ID:???
ころ氏
お久しぶりです。
制度に疎い私は、氏の自論も楽しみにしております。
【和の理念のつづき】
「和を持って尊しとなす」のあと、次のような内容になっている。
「むやみに反抗するのは良くない、ところが人には党派心があり大局を見ない。
だから、むやみに上司や父に逆らう。上下の隔たりなく、和やかに話し合えば、
何事も理にかなうようになる。」(大意)
話し合う=平和主義
上下の隔たりなく=平等主義、自己に関係することについては、上下の隔たりな
く話し合うことが必要なのだから、当然に、話し合う機会は均等に与えられなけ
ればならない。
このように、聖徳太子の17条憲法は、平和主義、平等主義、民主主義をその第一
条でうたっている。この第一条の理念が何年前に、日本という地で発生したのか
を考えるとき、驚愕に値する。
続きは、また後で。
>>198 むっちょ氏
>少なくとも制度上はすべての役職というものは開かれてなければいけないと
>されるものだろ。
「とされるもの」という表現が、いつもの貴殿の議論だね。
議論されていることは、「少なくとも制度上はすべての役職というものは開か
れている」ということが、自由の平等を確保することであるかどうかだろう。
なぜ、開かれていないと、平等の自由が確保されているといえないのか、また
開かれていれば、平等の自由が確保されていると、なぜ言えるかということで
ある。これを「とされている」で説明するなら、議論にならんからなぁ。
207 :
右や左の名無し様:03/04/01 10:35 ID:FT7S3VOB
>>れ君へ
>儒教に和の徳目がなく、仏教に無智の話し合いが有効だとする理念はないから
1
儒について言えば、仁義礼智信の5つの得によって得られるものは結局「和」または
それに類する調和状態であって、教典上の徳目に無いから理念が存在しないということ
にはならない。
2
そもそも仏教自体が仏陀とその弟子達との会話を前提に成立しているし、成立後も
問答によって智を深めるという風習があるので無智の話し合いが有効という理念がない
というのも成り立たない。
1,2共通して言えるのは両者においてそれらは前提条件、又はあらためて掲げるまで
もない目的であるという点。
3
土着信仰を奉ずる勢力を牽制して、仏教・儒教を導入したわけだが、
聖徳太子の「大陸かぶれ」と、第一条の和に関する解釈の儒教への親和性に
ついてはどう説明するつもりか。
>>207 皇室スレでそのような、議論に無関係なレスがつくことを恐れて、私はこう考え
ることで主張を進めると書いたのである。
儒教と17条憲法との関係や、仏教との関係はよそでお願いする。
少なくとも儒教思想であると断定できないし、仏教思想と断定できない。
聖徳太子が言ったことであるかどうかも議論されているが、その時代にその理念
があり、それが日本人に影響を与えている事は事実だろと思う。この事実のみに
基づき、【和の理念】が現在の憲法規定を説明できるのではないか、ということ
であり、皇室及び天皇制の存在意義があることを主張する試みである。
「和の理念」が、論理的な理念であることを証明する試みであって、聖徳太子を
偉大なものとする意図もないし、17条憲法を評価しようとするものでもない。
17条憲法並びに聖徳太子について、歴史的評価を、なんら加える意図はないこ
とを申し上げておく。
209 :
右や左の名無し様:03/04/01 11:19 ID:FT7S3VOB
>>208 そういうことを言ってるのではなくですね、和の理念などどこにでも
あるありふれた理念であって、十七条憲法に記載されているからと言って
現在あるその理念がそこに由来するというのは無理があると言っているの
です。
何でもかんでも天皇ありきで考えると、ことの前後を見誤りますよと警告
しているのですよ。
>>209 自由主義は、話し合いより自由優先である。宗教は概ね、神の教えが最優
先である。もし貴殿が何処にでもありふれているとするなら、
【第一に和らぎ平穏に話し合うことが大切である】としている理念の存在
を示せばいいことであろう。・・・どうぞご提示ください。
また、天皇ありきで考えているというなら、その事実を提示しなさい。事
実と異なることを前提としないで頂きたい。私は、ここのコテハン各位か
らは、まず国民ありきであると、評価されておると思う。過去スレをどう
ぞご参照の上、書き込みをお願いしたい。
十七条の憲法では、まず王ありきだな。
臣民ともに王のものだから、臣は民を私物化してはならんと。
全ては臣の心得であり、民の心得ではない。
強いて民の心得と言うなら、民は王のみに従い、臣を王とする必要は無いってことだ。
臣が大人しく王に従えば、民はそれに従うはずだって前提であり
民ありき、然るが故に王ありなどとは何処にも無いな。
王の天上天下唯我独尊宣言だ罠。
>>211 もし貴殿が、
>>208を読んだ上で、それを書いたとするなら、全く意味の
ない無関係なレスである。
和の理念が、その理念に王との関係性がないにもかかわらず、17条憲法
において、王、大王絶対をといているから、和の理念も受け入れられない
とするなら、ケガレの思想でしかない。理念が理念として有効であればよ
いはずである。和の理念は平等主義である。(17条憲法は違う)
不平等な憲法に書いてあるから有効ではないという考えは、穢れている憲
法の条文は、全てダメだというのに等しく、ケガレの思想という。
よくこのように、その言葉や論理の原典を持ち出して、原典の内容やその
結果を理由に非難する人がいるが、主張をよく読まなければならない。
過去の戦争に加担していたから天皇制は良くないのなら、NHKも朝日新
聞も、いや戦前の日本人とその家族は否定されることになる。こういう、
ケガレの思想は、日本的ではあるが、論理性がなく、誤っている。
日本人意識の現われであり、和の精神と共に継続した価値観ではあるが。
戦前の日本人や家族を賞賛しても、否定することなど有得ない。
214 :
右や左の名無し様:03/04/01 16:25 ID:FT7S3VOB
>>210 まず一つ目。
十七条憲法の読み方だけども、「和をもって〜」が目的であるわけでは
ないことを認識すること。文章の類型としてはじめに結論、次に理由、
最後に目的という形式を取っている。
この点をふまえ、曼荼羅が表現しているもの、哲学者をギリシャ語でなんと
呼ぶかを思い出してみよう。
第2の点。
あなたは「はじめに国民ありき」というが、その「国民」定義が問題。
あなたの論からは前国家的集団としての自然状態での人が読み取れない。
そして国家という枠を宗教的な結合ととらえその範囲内でものをいっている
ところから、あなたをはじめに天皇ありきであると評しているのです。
>>214 だから、もういいよ、邪魔せんでくれ。
私は和の理念の出発点として17条憲法を持ち出しただけであり、その他の
部分はどうでも良い。第二点については、ただの感想なら意味がない。具
体的に何処を指すのか、レスNo.をあげて書いてみろ。
216 :
ころ:03/04/01 18:58 ID:???
れさん
お久しぶりです・・・
>>201 >話し合いによる決定を否定する部分がある現代の憲法理
>念は、そのまま「和の理念」である。
確かに「和の理念」は現代の日本でも生きていると思います。しかし、それは道徳的観念でだと思います。
「日本国憲法」はやはり「リベラリズム」から成立していて、「和の理念」とは似て非なるものだと思います。
そして、日本の社会は憲法の「リベラル」理念でなくて道徳的「和の理念」が実は優先してる?、というのがころ私見なのですが。
217 :
右や左の名無し様:03/04/01 20:03 ID:FT7S3VOB
だから、十七条憲法は和の理念の出発点とは言えないと主張しているわけで。
218 :
保守を考える:03/04/01 22:47 ID:VdyfTSEV
>>217 あなたは第一条の「和」をなんと読んでいるの?
まさか「わ」ではないよね?
>儒について言えば、仁義礼智信の5つの得によって得られるものは結局「和」または
>それに類する調和状態であって
儒教でも儒学でもなくただの「儒」ときたか。(どういう意図かな?)
仁義礼智信は明らかに「儒教」若しくは「儒学」ですが・・・・。
問題は第一条が、儒教なり仏教なりに当てはまるのか、説明しなければいかんという事ですな。
「れ」氏は和の理念が史料に残る最初のものとして提示しているのだから、それを否定するのであれば
そのような史料を提示しなさいな。
また「和」を「わ」と読むのならそれがどういう意味に敷衍されるのか解らんのかね?
和歌・和魂・和製・和紙・和楽・和学・和習・和風・和算・和洋・和英・和食・和訳・和本・和式・和船・・・・。
219 :
右や左の名無し様:03/04/01 23:11 ID:oSlSP7f6
>>218 第一条の「和」を「わ」と読まなければなんと読むの?
また、和の理念とやらは史料に登場する以前には存在しなかったとでもいうのかね?
例えば、天皇家の食事に関する記載がなければ彼らは食事をとらないとでも?
私は、それはどこにでもごく当たり前に存在する認識であり、ことさら史料を持ち出す
必要もなく人類どこでも考えることであると述べているのですよ。
それと、最後の部分はあまりにも恣意的な単語の選定で反論する気にもならんな。
220 :
保守を考える:03/04/01 23:23 ID:VdyfTSEV
>>219 >第一条の「和」を「わ」と読まなければなんと読むの?
あっ、やっぱり「わ」と読んでいたんだ。
だけど、君はなんだか無礼だから教えてあげないヨン。
>例えば、天皇家の食事に関する記載がなければ彼らは食事をとらないとでも?
理念の話しに本能の話しで返されてもねぇ〜。
>それはどこにでもごく当たり前に存在する認識であり
だからそれを始めて明記した事に意義があるんだろ。
つまり君は、提示できなくて、「儒」だとか唱えているんだ・・・(また詐話師か・・)
>最後の部分はあまりにも恣意的な単語の選定
おいおい16も挙げているのに恣意的かい。
なんならもっと提示してあげようか。
で、意味は解ってくれてるのかなあ?
221 :
右や左の名無し様:03/04/01 23:27 ID:oSlSP7f6
>>220 別にかまわんよ。教えてくれなくてもね。
理念の話に本能でとは言うが、和を調和状態ととらえれば、安定した調和状態を
求めることは理念でもなんでもなく本能に直結したものだと思うがね。そうはとらえ
られんかね?
222 :
保守を考える:03/04/01 23:28 ID:VdyfTSEV
それと書き損ねていたけど
>私は、それはどこにでもごく当たり前に存在する認識であり、ことさら史料を持ち出す
>必要もなく人類どこでも考えることであると述べているのですよ。
これをね、「恣意」と云うのですよ。
ちゃんちゃん
223 :
右や左の名無し様:03/04/01 23:29 ID:oSlSP7f6
そうそう、儒を出したのはあくまでも例だよ。儒であれ仏教であれ、
あるいはコンコルドであれ要の東西を問わず調和状態を求めることは
人類の本能であって取り立てて史料云々するほどのものではないのでは
ないの?
224 :
右や左の名無し様:03/04/01 23:30 ID:kz9y+dUw
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つーか、十七条憲法って本当にあったんかいな
226 :
保守を考える:03/04/01 23:34 ID:VdyfTSEV
>>221 >和を調和状態ととらえれば
ねぇー、日本語通じているかなあ?
「和」と「調和状態」は明らかに違うのだが・・・・。
>本能に直結したものだと思うがね。
いちいち、しかも17条しかないところに「本能」を明記しなきゃならん理由があるのかね。
で、どこに、食事をとりなさいだとか、うんコをしなさいだとか書いてあるのかね?
227 :
右や左の名無し様:03/04/01 23:39 ID:oSlSP7f6
228 :
保守を考える:03/04/01 23:40 ID:VdyfTSEV
>>223 アホか・・・・
「和」が最初に明記された事実をもって提起した話しに
>取り立てて史料云々するほどのものではない
とは・・・・。
第一、まだ「わ」と読んでる君は話にならんよ。
229 :
保守を考える:03/04/01 23:43 ID:VdyfTSEV
>>227 えっ、解説が必要かね?
良く読めば解るんでないの?
解らん奴には一生解らん。アホだから。
じゃあ、めんどいのでおやすみ。
和の理念ってのは、その後はどういう風に受け継がれるわけ?
日本的理念と言うなら、記紀以降のどんな史料にどう出てくるか例をあげてくれ。
十七条憲法だけじゃわからん。
231 :
保守を考える:03/04/01 23:54 ID:VdyfTSEV
あー、また書き忘れてしもうた・・・
>そうそう、儒を出したのはあくまでも例だよ
自分で説明できない(多分意味が解っていない)言葉で
人の了解を得ようとする「詐話師」がまた一人・・・・。
232 :
右や左の名無し様:03/04/01 23:56 ID:VdyfTSEV
>>230 キミには教えてあげないヨンって云ったじゃん。
じゃあね!
え?別人なんだけど。
ふ〜ん だから?
つーか、教えるとか教えないとかの問題じゃないわけで。
例をあげてくれっつーの。
逃げたか(藁
ムッチョが自作自演で保守氏を撹乱しようとしているのはバレバレなわけで
238 :
右や左の名無し様:03/04/02 07:10 ID:rDU5EziH
ア キ ヒ ト 氏 ね (藁!!
\__ ________ _________ __/
∨ ∨ ∨
__,,,,_ __,,,,_ __,,,,_
/´  ̄`ヽ, /´  ̄`ヽ, /´  ̄`ミ,
/ 〃 ヽ / 〃 _,ァ---‐一ヘヽ / 〃 _彡彡ミミミミ
/ リ i ) i /´ リ) i 彡彡´ ミミミミ
,i _,-=‐'`―'=ー、;! | ). -‐ '''ー {! | 彡. -‐ '''ー {ミミ!
i リ ーー' 、ー‐'i | | | ‐ー くー | | | ‐ー くー |
| リ゜ ´ (. .) } ! ヤヽリ ´゚ ,r(、_>、 ゚') ヤヽリ ´゚ ,r(、_>、 ゚')
| ii! | ー=-' ! | ヽ_} ト‐=‐ァ' ! 彡_} ,彡彡ミミ!
| ヽ、_  ̄,/ j ゝ i、 ` `二´' 丿 彡 i、 ` `二´' 丿
| i ii !! ._ノ  ̄ ̄|_,_,,ノ r|、` '' ー--‐f´ r|、` '' ー--‐f.´
ゝ-ー'"::::::| /:::::(⌒)__.ノ (⌒) ______.ノ (⌒)
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レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐::|/::: ̄`ー‐---‐′:::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′
239 :
右や左の名無し様:03/04/02 07:13 ID:RfIXPZmP
1971年に昭和天皇が訪欧したとき、イギリスやオランダでは歓迎されず、怒れる人々のデモがあり、大衆紙には「戦争犯罪人」とも「ヒロヒトラー」とも書きたてられた。
1975年の訪米の際には、自身の戦争責任を曖昧にし、太平洋戦争のことを「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」と、自分で宣戦しておきながら、まるで、第三者みたいなスピーチをした。
そのため帰国後、外国人記者クラブとの公式記者会見では、『ロンドン・タイムズ』紙の記者が天皇に、その発言の真意を質し、「ご発言がありましたが、このことは戦争にたいして責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいします。」と質問したところ、
昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と返答した。
すなわち、天皇自身は全く戦争に対する悔恨も責任も持たず、宮内省がつくった作文を、無自覚に読んでいただけだった。
やはり、戦争責任を誤魔化し、責任をA級戦犯や「一億総懺悔」という言葉で民衆に擦り付けて、自分は被害者面している昭和天皇は、とんでもないクズと言うほか無い。
天皇が政治に関わらないとはそういうことなのよ。
戦争責任を天皇だけに擦り付けて、自分は被害者面している国民も、とんでもないクズと言うほか無い(藁
241 :
パンドラ:03/04/02 12:01 ID:lrvJfjVP
SARSか? 体調悪く、返事遅れ…
>>172 >ちゃんと「いるわけではない」と引用できているのに
どうも、ご自分でおっしゃっている事がお分かりでないようだw 少々説明を…
・[あなたは何人?]と問われて、「日本人」と応える…まぁ、「無自覚な認識」といってよい。
・「神道の理念、持ってる?」と問われて、「否」と応える…「無自覚にも認識していない」といえる。
ようするに、神道の理念を、国民が無自覚に共有していることはない…というこである、で、お分かりいただけようかw
>>全住民に支持されてきたものではない >そんな、暴言は吐いていない、…
それは、それはw アズマ氏の言説をうけいれられたかw
>>有史以来、はじめて全住民の支持を得たという認識も可能だw >ハイはい、妄想ね・・・。
いやいやw 憲法の「国民の総意」を好意的に解釈したまでである、新憲法の条文はあなたにとっては妄想のよーなものかw
>あとね歴史認識は一様でなくなんていうが、史料に則って主張しているのだから他の認識もそれと同等の史料を提示してくれんと・・・
いやいや、あなたの資料でも同じであろう、全階層からの支持を裏付ける記載などない…のであるから。
ところで、ことばじりでお応えいただいたw 件で…
>>ようするに、平等理念がおおきく一歩前進するw
これは、「理念」の問題でR。
>>象徴天皇がなくなるだけでは、現実には何も変わりようがない
象徴という国家制度がなくなるだけで、主権の所在も制度の変更もいらないということでR。
ま、反論の仕様がないので、あえてdementiaをよそおっておられるか? それともほんとうにdementia?…w
いずれにしても、この事態を称して、「革命」と認識されることに、自我境界の異常と被害的・誇大的思考の病理性が伺えることを、再度、指摘して差し上げよう。
さきのカキコの最大のpointは、そこであるw
>数字をだしてくれんことには・・・
過去スレをごらんあれ…ところで、天皇制の具体的利点を、数値で示していただけようか?…w
242 :
右や左の名無し様:03/04/02 12:01 ID:lrvJfjVP
>>202 ループということはない、とかんがえているw
そのように、おっしゃるまえに、コメントのどの部分が過去のログのどの部分とループするかご指摘いただきたい。
クズの象徴と言う存在もまた・・・
244 :
右や左の名無し様:03/04/02 14:13 ID:uS0BdgCv
245 :
保守を考える:03/04/02 19:56 ID:p0Dklq5p
>>233-236 誰が誰だかよく解らんのだが・・・。
質問があるのなら、もう一度、レスに則してお願いする。
>>241 調子が悪い時は安静にしとけばよいと思うが・・・、レスの内容が滅茶苦茶である。
もう一度、しっかり私のレスを読み、引用するのならするで正確に提示して貰いたい。
(数字も得意の一行引用でもいいから、掲示してくれ。)
反論を希望されているが私の書いた事から大きく反れているようだ。
故に、反論の為の反論を促すような手には乗れない。
>さきのカキコの最大のpointは、そこであるw
これが聞きたいようであるから、答えておこう。
天皇制を廃止すると云う事は、日本の顔(象徴)を変えるという事である。
また、「日本」という国号の由来が天皇制から生まれているのであるから
天皇亡き後の国号を「日本」にしておく必要性は何から導かれるのだろうか?
天皇制の歴史を否定する事は、そのまま日本人の歴史否定にも繋がっていく。
あやしい氏の言う、地域独立による日本分裂になるのか、「〜共和国」になるのか判らんが
確実なのは、日本という国号の意義がなくなることである。
246 :
十七条憲法:03/04/02 20:09 ID:A0kt2LcF
トンデモ氏が、またも陰湿な介入をしている。
れ氏と名無し氏の議論は、「和」の意味合いにおいて、たがいに争ってはいない。
れ氏に媚びるためか、例によって、全く別の争点を持ち出しては、名無し氏にいやがらせするw
れ氏も、彼(彼女?)に媚びられたところで、気持ちがよかろうはずもないしw、議論の争点は本スレから、さらーに、さらーに
外れるのであるから、迷惑以外の何ものでもなかろうw
率直に、「余計なお世話」とおっしゃってはいかが?
ところで、「以和為貴」と、五経(礼記)にあるそうだが、いかが?
で、この話題、それぐらいで終了にされては?
247 :
パンドラ:03/04/02 20:18 ID:FbSXlG38
まぁ、反論されないのであれば、それはそれで追い詰めたりはしないw
ところで、歴史性やら国号の由来は、憲法に規定されている?
あなた、もしくはあなたがたの意識の中の一大事と、現実世界を混同してはいけない。
憲法を、どう読み解くと、天皇制と国号の関連がえられるのやらw
で、具合が悪いので、しばらくやすむ、しつれい。
248 :
保守を考える:03/04/02 20:45 ID:p0Dklq5p
パンドラ君は病態に鞭打ってまでレスしなくてもよいのだが・・・。
>>246-247 別に私は「れ」氏に同調しているつもりはないのだが・・・
レスを良く読めば解るだろうに・・・。
問題は名無し君が意味も解らずに論じている事を指摘しただけである。
例えば彼が礼記だろうと、論語の「和而不同」であろうと提示すれば良いだけであった。
そして、それらは「わ」と読むのですよ。が私の回答。
因みに、17条憲法は「和」を「ヤワラカ」と読む。意味合いが異なってくるだろうに。
あと私は「憲法」の規定の話しをしていない。「日本」の話しをしているだけである。
「総意に基づく」の総意について、私の解釈を提示しただけである。
で、未だ有効な反論はない。
元気になったらもう一度
>>245を読んで追い詰めればよかろう。
では、お大事に。
【17条憲法について】
もう一回云っとくよ。私は和の理念が現在の憲法の理念であり、日本において有
効である。その論を申し述べていきたい。
17条憲法に関する論議をする気持ちはない。
「わ」は音読み、「やわらぐ」は訓読みとすることに私は異を唱えるし、五経に
あるのは、「礼」であるとか、様々な論を持っているが、私の議論の本筋ではな
い。17条憲法に関するレスは無視させていただく。
和の理念は平和主義である。論理や信念のぶつかり合いによる争いは、究極的に
は、党派心であるとみなす。全ての価値観を話し合いにより譲歩できるものであ
る。譲歩できないのは党派心であり、和らぎ睦みあって話し合っていない。譲歩
の余地がないと、考える事は否定される。絶対的価値観(譲歩できない価値観)
否定であり、譲歩できない価値観はないという絶対的価値観でもある。
ただし、理念である以上譲歩できないことがある。和の理念として譲歩できない
ことは、
1、関係者は全て議論に対等に参加できることを確保しなければならない。
2、譲歩できない価値観はないとみなす。
つづく
251 :
右や左の名無し様:03/04/03 11:10 ID:UtnraJfX
>>250 悦に入って個性的な論をお述べになるのは大変結構でございますが、主語と
述語と目的語を整理されもう少し文章を推敲してから書いて頂ければ幸いで
ございます。
口にするのもはばかられますが、大変読みにくうございます。
和は日本人の本性か、争って互いに傷つき体得したものか。
何れも否だ。支配者が被支配者に示した教義だ。
自らの争いの経験から体得し、和を主義とするならそれも良い。
支配者が公正無私で絶対的暴力を持つならば、和を教義とすることも出来よう。
得てして、日本のあらゆる階層で、管理者が被管理者に向かって和を唱える時
それは、黙って俺に同ぜよという意味にしかならない。
管理者側は絶対的な価値観を押し付けるだけである。
だから理非を問わず、王、王たらずと言えど、臣、臣たるべしなどと言う。
話し合いと論争は本質的に異なるものではなかろう。話し合いが必要と言う以上
それぞれが意見を異にすると言うことに他ならない。
異なる意見を解決するには、話し合いで有ろうが直接暴力に訴えようが同じだ。
ギブアンドテイクを話し合っても、裏付けは暴力でしか無い。
話し合いが可能なのは、裏付けたる彼我の暴力が無視できない大きさの場合に限る。
彼我の暴力に大差が有れば話し合いなど有り得ない。
話し合い無しで直接暴力に訴えても、力が伯仲していれば、結局異なる意見を
解決できないから、結果としてのギブアンドテイクで終結することになる。
人の性善説など有得ないものを前提としている点で、社会共産主義そのものだ。
人はその全てが滅亡するまで暴力を拠所することを止めはしないだろう。
暴力を完全に否定するなら、日本の存在は危うい。その様な天皇制は危険な存在だ。
>>252 私は、現在の憲法の受け入れが、和の理念に合致しているといっている。
話し合いで解決できなければ多数決である。多数決の結果に従うというこ
とは、譲歩するということである。暴力で解決することと、それが同じで
あるというのでは、話にならん。暴力的な意見である。
管理者側が絶対的な価値観を押し付けてきたときに、関係者が議論に参加
し、最終的に多数決に参加できれば、専制は防げるだろう。
254 :
右や左の名無し様:03/04/03 17:44 ID:UtnraJfX
>>253 つまり、民主制というシステム自体が和の精神をベースにしているということ?
>>254 そだよ。日本の民主主義は自由主義的理念ではなく、和の理念の基づいて
いる。その論証の試みである。
256 :
右や左の名無し様:03/04/03 18:12 ID:UtnraJfX
>>253 >管理者側が絶対的な価値観を押し付けてきたときに、関係者が議論に
>参加し、最終的に多数決に参加できれば、専制は防げるだろう。
この部分、激しく矛盾を来してますよ。
257 :
右や左の名無し様:03/04/03 18:14 ID:UtnraJfX
>>255 では、日本の民主主義(253で述べられている特質)と、自由主義的
理念に基づいて成立している民主主義とではどこがどう異なるので
しょうか?
私には253で述べられている特質は民主制というものの一般性質に思
えるのですが?
258 :
右や左の名無し様:03/04/03 18:20 ID:UtnraJfX
もう一点。
くどいようですが、もう少し文章を推敲してから書き込んでください。
特に主語と述語、目的語の整理と、助詞、助動詞の用法について。
非常に読みにくく、また非常に誤解の元となります。
259 :
ころ:03/04/03 18:30 ID:R/7ctoay
パンドラさん
>>242 過去スレがお蔵入り中なので、見れなくなってしまいましたが、パンドラさんは私が指摘した通り(ループ)になってしまって・・・。詳しくは過去スレ参照(
>>218>>534)です。
あと、アシモくん論争はどうします?象徴にしろ元首にしろアシモくんは合理という点ではいいのかもしれませんが、国家制度も合理を一方的に追求すればいいものではないと思うのですが。
>>250 その和の理念がどーいう風に日本で受け継がれて戦後民主主義に至るのかね?
いきなり十七条憲法だけもってきて日本的理念とか言われても、よくわからんぞ。
>>257 民主制の特質と和の理念とが合致していても何も不思議でもない。
読みにくくないよう注意はするが、この文章が私のキャラであり、パート
2〜10までこれでやっている。
読解不能というわけではないはずである。貴殿に置かれては、慣れていた
だくしかない。(私がお願いして、議論させて頂いているわけではない。
もちろん貴殿がお願いしているのでもない。対等である。なお、継続議論
がご希望なら、何らかのハンドルネームを乞う。)
自由主義理念との相違は、自由主義論者と散々このスレで議論しているか
ら、そちらをご参照の上、疑問点があるなら書き込むようお願いする。
262 :
右や左の名無し様:03/04/03 19:07 ID:UtnraJfX
>>261 解読不能でないから始末が悪いんですよ。
主述が文章の途中で変わっているものや、挙げ句の果てには述語が
省略されているものまでありますから、それらはこちらが補完して
考えなくてはなりません。それこそ誤解のものであり議論を進める
上で非常な障害を来す、又は誤解を解くのにいらぬ労力を費やすこと
になるでしょう。
それに、お願いして議論させて頂いている訳ではないとおっしゃるが、
このようなオープンな掲示板における議論です。あなたの個人板では
ありませんよ。ですから、あなたの書き込みもまた、誰かに読んで
「頂く」という性質のものであるのです。であれば、義務ではないにせよ
あなたの文章を読んでそれについてかかれた批判に対しては誠意ある
対応をするのがマナーというものでしょう。
>>261 民主制の特質と和の理念が合致していても不思議はないと言うならば、
わざわざ「日本の民主主義」と「それ以外の民主主義」の別を強調する
意味は無いのではありませんか?
>>262 そんなに読みにくいなら、どうぞご自由に。私は変えるつもりはない。読みにく
くないよう注意はするといっておろうに、それで不満なら議論は不可能である。
その上で、私がお願い申し上げているハンドルネームに関して無視をして、質問
をする。非常に礼儀正しい方である。
264 :
HU:03/04/03 19:18 ID:UtnraJfX
>>263 大変残念ですよ。
君は大変おもしろい相手だと思ったのだけどね。
265 :
保守を考える:03/04/03 21:05 ID:8OQQ4ZVV
――「和」について――
私は聖徳太子の時代に遡って、「和をもって貴しとす」の「和」を
「ヤワラカ」と読む。この意味を簡潔に書くと
和らいだ心で人に接することが大事である。になろうか、これを前提に一条は続くのだが
その見解は「れ」氏と同意である。
また「和」を「ワ」と読むのなら、和国・和食・和風・・・・と
概ね我が国に関係しうる事項を指す言葉に気がつくであろう。
それは、「和」の字の成り立ちに無関係ではないからだ。(詳しくは省略)
そういった事を押さえているのならば
>>252 >支配者が被支配者に示した教義だ。
や
>得てして、日本のあらゆる階層で、管理者が被管理者に向かって和を唱える時
>それは、黙って俺に同ぜよという意味にしかならない。
または
>人の性善説など有得ないものを前提としている点で、社会共産主義そのものだ。
という珍紛漢な事を書くことはない。
さらに議論を先読みするのなら
252氏はこの「和」の理念に、今生きる日本人として、反意なり抵抗があると仰るのだろうか?
私はそこを論点として議論を始めたい。
>>265 和らいだ心であるか無いかに関係無く、意見を異にし交渉すれば
結果はギブアンドテイクであり、それを決めるのは暴力の裏付けでしかない。
人の本性が、善であり聖であるなら、法は何も必要無いだろう。
法があること自体人が悪を内在し魔を抱えることの証だ。
聖人君子もいないからこそ理想として掲げるのだ。全ての人が聖人君子なら
誰も聖人君子がいることに気付かないだろう。
人は常に、善悪聖魔の分水嶺に立つ存在だ。どちらに傾くことも無い。
善のみ聖のみで生きられるなら、それは神仏であろう。人ならば滅び去るだけであろう。
だが神仏と云えども、悪や魔を超える暴力を兼ね備えるからこそ、善や聖を装おえるのだ。
柔良く剛を制す、と言われるが、剛良く柔を絶つということもあるのだ。
力の裏付けのない和らいだ心など、寝言でしかない。
267 :
右や左の名無し様:03/04/04 08:48 ID:ACezg9ZF
>>265 やまとことばを適用するのはともかく、聖徳太子が大陸かぶれであって
大陸の思想を導入するため国内旧勢力と争ったという事実。それを踏まえれば
漢文で書かれたそれをやまとことばに置き換えるのは少々無理があると思う。
268 :
右や左の名無し様:03/04/04 09:16 ID:BNiM43BK
【和の理念-つづき】
最終的に多数決に従うことをも、譲歩すると表現される。
「和らぎ睦みあって」討論すれば良い。「和らぎ睦みあうこと」と、「討
論する」が対立する事はない。絶対に譲歩できないなら、暴力しかない。
暴力は、お互いの「醜い恨み」を残す。これを怨念という。
怨念を発生させてはならない、これが和の理念である。
何かを正義であると思い込むこと、何かの考え方を間違いであると決め付
ける事は、最終的に党派心でしかない。譲歩できること、それが柔らかな
心である。正しいと信じ、討論する事は奨励される。しかし最終的には譲
歩できる心(最終的には、正当な手続きの元に行われる多数決に従い、暴
力には訴えない心)を持つことが、和の理念に適合する。
しかし悲しいかな、最終的に暴力に訴える輩は存在する。これは党派心で
ある。暴力に訴える輩には、暴力で対抗するしかない。きちんと整備され
た行政機構としての警察力が必要なのはいうまでもない。
自らに関係する事柄について、その討論と多数決に参加する権利が与えら
れながら、譲歩できず、暴力に訴える者は警察力によって、その暴力を封
じられることは当然である。
>>269のつづき
和の理念の中で大切な事は、自らに関係する事柄のみを、話し合いすると
いうことである。無関係な者の意見で、何らかの決定がされ、その決定が
、意に添わないとき怨念が発生する。であるから、自己に関係あることだ
けを話し合う。国政は皆に関係あるし、都民は、北海道知事の投票をしな
い。当然に、イラクの国家体制が、自国に何の影響もなければ、話し合う
必要はない。テロなどの心配があれば、自衛するのみである。
テロなどの心配があるから、相手国の政治体制を変えようとするのは、和
の理念においては否定される。自由主義的正義の理念であれば肯定される
ようだが、それは和ではない。国際社会においても、平和主義であり、国
際協調が基本となる。憲法前文第二段落の「日本国民は恒久平和を祈願し
人間相互の関係を支配する崇高の理念を深く自覚するものであって・・」
はまさに「和の理念」である。
271 :
右や左の名無し様:03/04/04 13:20 ID:ACezg9ZF
>>265 まず、「禾」は収穫物を表す。そこに「口」を組み合わせる。
算数で言うところの「和」に見られるように、異なる物を組み合わせて一つの物に融合
させるという意味である。
古来、「倭」と称された我が国だが、元明天皇のときに国名は2文字であることが定められた
ため大の字を加えると共に「倭」を「和」とあらため「大和」とした。
和食、和服等で使われる「和」と、この文字の本来の意味である「和」とは異なる。
字の成り立ちはやまととは何の関係もないのである。
>>220で「おいおい16も挙げているのに恣意的かい」
とのたもうておられるが、上のような点をふまえず、おまけに「和」という文字を使った
単語の総数(分母)もわきまえず16という分子のみをもって「16も」などと言ったところ
でなんの意味もないぞ。
272 :
右や左の名無し様:03/04/04 13:32 ID:ACezg9ZF
271に書いたとおり、和とは和合、融合を表すのであり、異質なものが
一つになることで新しい状態を生み出すことである。
従って、一方が一方に譲歩し取り込まれることで争いをさけるという状態
では断じてない。そういう意味にとらえているのであれば、それは和の精神
を何も理解していないということである。
>>271-272 それで、おまいは皇室の存在意義を、どうかんがえてるんだ?
ここは皇室スレだから、人の批判はいいから、まず自分の考えを書け。
>>269-270 和の裏付けが暴力である以上、談合であろうと多数決であろうと
お互いの「醜い恨み」は残り怨念と化す。
相手の立場を考え相手が間違いで無いと理解は出来ても、自分には
自分の立場と事情があり、自分もまた間違いでは無い。
対立するのは、相手の間違いでは無く自分の正しさだ。
多数決は必ずしも絶対の善では無い。多数決もまた党派心の仕業だ。
党派心から自己を否定されれば、結局暴力に訴えざるを得ない。
51対49の争いなら戦争だろう。99対1なら反逆者か。
何かの正義が無い以上、争いに勝った者が正義となるのは必然だ。
第三者を排除して、当事者だけで話し合っても怨念が生じることに変りは無い。
当面は、自国に何の影響が無いとしても、憲法前文は
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて」
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
などと自らの正義を云うばかりか、国家の名誉をかけて全力で、他国にも押し付けるのである。
さらに関係も無い第三者であり、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄した
はずの武力に協力するために遠くインド洋にまで、護衛『艦』、補給『艦』、
輸送『艦』を派遣しているのである。
日本はあれほど遠方まで有効な監視システムなど持たないから、スカッドミサイルが
日本に向けて発射されたときの防備のために、フロント後方にイージス艦を配置して
いるのであろう。
全ては国民の総意による象徴たる、和を願う陛下の御心を汲み取ってのことであるに違いない。
275 :
右や左の名無し様:03/04/04 14:59 ID:03qV/cUA
皇太子様がホモだって聞いたけど、本当?
277 :
aaaa:03/04/04 15:44 ID:BpVqQc7c
>>274 何処を同読むと、和の裏づけが暴力となるか、理解が出来ない。
それでは、リベラルな民主主義の裏づけも、暴力なのだろうか。
279 :
右や左の名無し様:03/04/04 16:50 ID:ACezg9ZF
>>273 制度上の存在意義はないと思っている。
民間信仰の対象の一部としての存在意義は認める。
なぜ?国民の多くが支持しているのになぜ否定できる。
281 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:01 ID:ACezg9ZF
不思議なことを聞く人だ。
国民の多くが支持していることと、私が否定することの間になんの関係
があるというのだ? 世界中の私以外が熱烈に支持しようと、私の判断
には何の関係もない。
おまけに、存在意義がないという評価を否定と取るあたり、日本語が不自由
なのではないか?
>>280 否定という言葉は、国民の支持の否定と読めば良いだろう。
否定と書くと存在意義の否定であると取るあたり、、、以下略。
不思議なことを書く人だ。
天皇「制」は制度である。宗教ではないから、民間信仰など出来ない。
制度が廃止されれば、皇室の方々は一般の国民になり、宗教法人を立ち上
げようと、国政に参加されようと、海外に移住されようと、それはご本人
が決めることで、とやかく言うことではない。民間信仰云々は、余計であ
る。制度と宗教の区別もつかないとは、やはり、日本語が、、、以下略
283 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:25 ID:ACezg9ZF
>>282 273 名前:右や左の名無し様 :03/04/04 14:16 ID:???
>>271-272 それで、おまいは皇室の存在意義を、どうかんがえてるんだ?
ここは皇室スレだから、人の批判はいいから、まず自分の考えを書け。
279 名前:右や左の名無し様 :03/04/04 16:50 ID:ACezg9ZF
>>273 制度上の存在意義はないと思っている。
民間信仰の対象の一部としての存在意義は認める。
280 名前:れ ◆r0FmiN9ADk :03/04/04 16:52 ID:???
なぜ?国民の多くが支持しているのになぜ否定できる。
あなた、ちゃんとレスを読んでる? 読んでいてこれなら本当に
日本語が不自由なのか?
まず第一に、「天皇制」についていっているのではなく、「皇室」に
ついてのやりとりであるということ。
第二に、「存在意義についてどう思っているのか」という問いに対する
回答を行ったことについてあなたが目的語を省略して「否定」という表現
を使ったこと。
第三に、本人にその意志がなくともアイドル的な扱いにおいて制度とは関
わりなく第三者が信仰の対象とすることにはなんの問題もないということ。
これらのことに頭は回らないのか?
284 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:27 ID:ACezg9ZF
もっとも、れ君の思惑通り国民の支持の否定という意味で言ってるのであれば、
そもそも読解力のなさを暴露しているだけではある。
285 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:47 ID:ACezg9ZF
面倒くさいがあまりに突っ込みどころ満載なので283に上げた以外のところも
突っ込んでおこう。
>天皇「制」は制度である
当たり前ですな。
だが、その制度で規定されている対象は「天皇」という血統によって規定
されている一族であってそれは制度とはなんの関係もありません。
>宗教ではないから、民間信仰など出来ない
民間信仰というのは宗教か否かにかかわらず、そこら辺に転がってる
石を拝むようなパターンも含めて民間信仰といいます。八百万の神々を
実感していれば宗教だなんだと言わなくてもこのくらいのこと分かりそうな
ものですがね。また、その信仰の対象の意志は関係ないですね。
>制度と宗教の区別もつかないとは
どっちが。
結局のところ、日本語だけじゃなくて脳が不自由なのか?
>>278 >リベラルな民主主義の裏づけも、暴力なのだろうか
当然のこと。実行するかは問わない。全ては暴力に還元される。
287 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:49 ID:ACezg9ZF
もう一つ。
>皇室の方々は一般の国民になり、宗教法人を立ち上げようと、(以下略
そりゃそうなんだが、そこになんの問題があるんだろう?
288 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:52 ID:BNiM43BK
289 :
右や左の名無し様:03/04/04 17:58 ID:ACezg9ZF
先回りしておこう。
>287に対し、昔から怨霊に対する鎮魂を行ってきたという霊的権威の
消失が懸念されるという反論が予想されるが、では現行制度上それら
が維持されているかというとそうではない。
現行制度上、天皇が行う行事として規定されているのは憲法に規定のある
国事行為のみであって、れ君の言う霊的権威に関する行為はあくまで天皇
の私的行為として行われている。
したがって、制度として天皇制があることはこれら私的行為を継続する
こととはなんの関係もない。
>>285 血統承継は、憲法規定ではない。
「天皇制」の憲法規定は、天皇家という一族が承継すると規定してていな
い。象徴という地位を選択するにあたり、国会の決議を受けた皇室典範に
よって規定されている・・・国民がそう規定しているだけである。
貴殿の言いようは、天皇制という制度の問題ではなく、天皇という地位を
選択するシステムに問題があるということであろう。
もしそう貴殿が考えているなら、天皇制は廃止しなくてもいい。
制度廃止の必要性を、貴殿は何も書いていない。
>>286 ご高説、参考にさせていただきます。ごきげんよう。
291 :
右や左の名無し様:03/04/04 18:13 ID:ACezg9ZF
>>290 私は存在意義がないと考えるとは書いたが、廃止すべしと書いた覚えはない。
制度上の存在意義がないと考えるので廃止してもかまわないと考えるが、それは
即廃止すべきということとイコールではない。
この混同は意図的なのか、否か。
>>289 制度としては、霊的権威論など無関係である。ずーと無関係に制度として
の必要性は説いてきた。
象徴制の必要性:国民の統合の象徴としての権威。気にの象徴としての権
威。諸外国との儀礼。キレイ事と実務の分別。決定者と任命者を分別する
メリット。長期的な任期の合理性。皇室天皇の人権の制限の妥当性。国民
の支持。その他過去スレ参照のこと。
そして、象徴制は国民が選択する議会の決定により、現在は皇室の方々が
継承すると定めている。
霊的権威論は、なぜ現在の皇室の方々が今後もその地位を継承することに
賛成かの議論である。
>>291 存在意義はないが、廃止しなくとも良い。主語がないから、誤解したので
あろうか。制度は存在意義がなければ、予算を使うだけマイナスだから、
廃止すべきであろうと、私は思慮したのだが・・・。
293 :
右や左の名無し様:03/04/04 18:30 ID:ACezg9ZF
294 :
右や左の名無し様:03/04/04 18:36 ID:ACezg9ZF
>>292 前段
そもそも利益共同体としての国家に、出資者たる構成員たる国民が享受
する利益での結合原因たる権威は不要。
きれい事と実務の分別の必要性はない。
拒否権がない以上、決定者と任命者を分別することに意味無し。
人権制限の意味無し。
295 :
ころ:03/04/04 18:38 ID:???
>>291 >私は存在意義がないと考えるとは書いたが、廃止すべしと書いた覚えはない。
最近ロムってばかりで横やりですが、貴殿のように存在意義がないと考えられるほど、天皇制は存在意義が制約されてるのです。
で、私見では存在意義がない状態を維持することが象徴天皇制の意義だと思うのです。
296 :
右や左の名無し様:03/04/04 18:38 ID:ACezg9ZF
日本語がめちゃまずいな。
そもそも利益共同体としての近代国家に、出資者である構成員たる
国民が享受する利益以外の結合原因としての権威は不要。
297 :
右や左の名無し様:03/04/04 18:41 ID:ACezg9ZF
>>295 制度としての天皇と、血統としての天皇家の区別をきちんと付けてから
発言してくださいね。
>>294 その議論に付き合う気はない。散々やったからである。
貴殿がそのようにしか思えないのであれば、過去スレでも読んで、新しい
視点でもあれば議論するにやぶさかではない。
どうせ、そののひとつたりとも、貴殿はきちんと論証できないだろうから
、御免蒙る。ゴキゲンヨウ。
尚和の理念の解説はまだ続くので、余り邪魔をせず、終わってからにして
いただけると助かる。
>>295 ころサン
ご無沙汰しております。貴殿は憲法を自由主義に基づくものであると、私
にレスされたことは、忘れているわけでは有りません。少し書き込んでか
ら、レス致しますので御了承いただきたい。
299 :
ころ:03/04/04 19:32 ID:???
>>297 >制度としての天皇と、血統としての天皇家の区別
私見ではそのようなアプローチはしてません。
天皇制は国家制度であり、天皇制の存在意義(歴史的権威)の構成要素して天皇家の血統が条件なのであって、そういった区別はそもそも必要なのかとも思ってます。
ただし、天皇制の本質は血統ではありません。本質は継続性です。血統は条件といったほうが適切かと
300 :
ころ:03/04/04 19:36 ID:???
れさん
>>298 返事ありがとうございます。取り敢えず返事待ちでロムってる状態でしたが、名無しさんの「権威否定」は私としては堪らないのでそこは横やり勝手に入れますね
>>299 > ただし、天皇制の本質は血統ではありません。本質は継続性です。血統は条件といったほうが適切かと
ただ、「天皇」の本質は血統(によって継承される宗教的権威)
なんだよね・・・。
そして、現状では天皇と天皇制は分離できない。
302 :
ころ:03/04/04 20:17 ID:???
>>296 >そもそも利益共同体としての近代国家に、出資者である構成員たる
>国民が享受する利益以外の結合原因としての権威は不要。
貴殿は国家の権威をどのように考えているのでしょうか?国民が享受する利益以外は国家という権威は不要なのでしょうか?
よくいる戦後民主主義教育の弊害かとおもいます。
昨今言われつづけて久しい政治不信の原因はどこにあると思いますか?なぜ日本はいつまでたっても国際的にイニシアティブがとれないのでしょうか?
答えは国家の権威が否定されてるからです。国民主権という権威しか認めなければ(これぞ戦後教育)、国家の権威が宙に浮いてしまいます。日本がダメな理由は国家の権威を必要以上に否定しようとしてるからです。
天皇制は国家の権威を高めるにはこの上ない制度です。私見では歴史的権威と言ってますが。
国家の権威を民主的に選ぶ大統領制は、国民の政治的レベルからいっても国家の権威を高めるには至らないでしょう。むしろ低迷する(更なる国家の権威の失墜)かと。
天皇制はある意味危険性はあると思います。でも、現状では天皇の国政関与や国事行為はこれ以上もなく制限されてます。国民主権の統制の下に天皇制はあります。
私はこのバランス感覚は絶妙だと思います。民主主義に限界がある以上(現実をよく見ましょう)、国家制度して民主主義以外の制度が必要だと思います。
日本を国内的にも国際的にも地位を向上しようとするならば、国家の権威向上は必須だと思います。だけど必要以上はいりません。それを判断するのは国民の決定です。
303 :
右や左の名無し様:03/04/04 21:03 ID:sfPItXN6
すいません教えて下さい。
現天皇の兄弟は
姉4人、弟一人で良かったでしたか?
よろしくおながいします。
304 :
ころ:03/04/04 21:11 ID:???
>>301 >ただ、「天皇」の本質は血統(によって継承される宗教的権威)
なんだよね・・・。
でも、皇室神道は天皇の私的なものとして天皇制の外にあります。
つまり、象徴天皇制の本質は宗教以外にあると思います。
>そして、現状では天皇と天皇制は分離できない。
同意です。だから区別は必要なのかと思うのです。
305 :
296:03/04/04 21:40 ID:P/VtRHw+
>>302 国家の権威と簡単に言いますが、そもそも権威とは何ですか?
言葉の意味をそのままにとれば「(その権威を認める限り)無条件に従わせ
る力」です。果たしてこれが民主制というシステムになじむでしょうか?
近代民主制において、どういう条件がシステムを上手く昨日させるために必要
であるかを考えてみましょう。
一にも二にも、私利私欲です。すべての有権者が私利私欲のために行動すれば、
その利益の競合点において均衡が発生し、両者にとっての最大利益が生じます。
このシステムを非暴力的に構築し、その上で過剰な競合を相互利益という担保
によって制限・補完したものが民主制の本質です。
ですから、このシステムが稼働するためには、私欲を制限し権力に従わせようと
する力、すなわち国家という権威は欲望の相互牽制機能を阻害する要因でしか
ないのです。
また、国家というシステムは国民に対して支配的に作用するものではなく、国家と
国民の関係は株主と会社との関係に比定出来ます。社員は公務員であり、国会は
株主総会、内閣は取締役会に比較できるでしょう。
つまり、権力機構としての国家はあくまでも利益共同体として国民の外部に存在する
組織であり、株主他ある国民の集合たる村落的・文化的共同体の権威とは別のもので
あると考えます。
306 :
右や左の名無し様:03/04/04 21:43 ID:P/VtRHw+
さらに、あなたが言う「政治不信の原因」は、権威の否定に由来するもの
ではないと考えます。
上記から導けば高度成長期からバブル崩壊を経た現在、国家というシステム
が納税者、すなわち株主たる国民に対し利益を提示できなくなっているため
システムの再構築が求められている、それが遅々として進まずまた自分たち
の行動がシステムに反映されにくいと言う無力感から生じるものでしょう。
307 :
保守を考える:03/04/04 21:50 ID:6pchKbIZ
>>266 私のレスをどう読んだら、こういうレスが返ってくるのだろうか? アホらしくてタマラン。
>>267 >聖徳太子が大陸かぶれであって大陸の思想を導入するため国内旧勢力と争ったという事実。
一体何をもって「かぶれ」などとほざいているのだ。蘇我氏=太子という認識なのだろうか?
話しにならんな。
>やまとことばを適用するのはともかく
と一先ずおいているのに
>漢文で書かれたそれをやまとことばに置き換えるのは少々無理があると思う。
無理がある。とは、何を主張しているのだろうか?意味が伝わってこないな。
まさか、当時の日本の言語はシナ語であったということなのだろうか?
308 :
右や左の名無し様:03/04/04 21:51 ID:P/VtRHw+
そもそも国家という枠組みを一元的にしか把握できていない人に限って、
統治システムとしての国家、権力機構としての国家、文化共同体としての
国家、経済システムとしての国家を混同して、おまけに全肯定か全否定か
でしかとらえられません。
しかし、それらが未分化な古き良き時代(国家という枠組みが文化経済政治
すべてを支配していた時代)はとうに過ぎ去り、権力作用としての国家の範囲
(地理的な意味ではない)は狭くなりあくまでも構成員の共通利益機関として
の存在となっています。
多元化した国家というブロックの一つである権力機構としての要素において、
宗教型の権威という存在はあまりにも異質なものなのです。
309 :
保守を考える:03/04/04 21:51 ID:6pchKbIZ
>>271 >まず、「禾」は収穫物を表す。そこに「口」を組み合わせる。
>算数で言うところの「和」に見られるように、異なる物を組み合わせて一つの物に融合
>させるという意味である。
まず例えが不適切だな。足し算の和は数値の話し。数値の意味は変わらない。
りんご2つとりんご3つ合わせてりんご5つ。りんごも数値の意味も変わらない。
でだ、「禾」の意味は穀物を指しそれはそのまま「稲」に繋がる。
「口」は人を数える言葉であり転じて国の人口を指す。
和(わ)はその語源通り、瑞穂に集う人の国である。(三省堂、漢字海)
つまり君の云っていることは、ほとんど出鱈目。
>古来、「倭」と称された我が国だが
これ日本語として意味が通じないのだが、解説が必要かなあ?
>和食、和服等で使われる「和」と、この文字の本来の意味である「和」とは異なる。
「倭」をどういう目的で「和」にしたのかね? 私の云わんとしていることが解らんならレスするがいい。
恥を掻くのはキミだが・・・・・。
>上のような点をふまえず、おまけに「和」という文字を使った
>単語の総数(分母)もわきまえず16という分子のみをもって「16も」などと言ったところ
>でなんの意味もないぞ。
上のような意味が既に破綻しているのだが・・・・。
分母についてはしっかりと数字を示してくれないと・・・ついでに分子もね。
ところで私が提示した和(わ)の意味については理解しているのかしら?因みに私は前熟語ばかりを提示しているね。
310 :
右や左の名無し様:03/04/04 21:52 ID:P/VtRHw+
311 :
保守を考える:03/04/04 22:03 ID:6pchKbIZ
>>272 >271に書いたとおり、和とは和合、融合を表すのであり、異質なものが
>一つになることで新しい状態を生み出すことである
算数の和が異質なものを一つにするとは「数値」であり、「数値」の意味は変わらない。
どうやって「新しい状態」を生むのだろうか?
どうやら、日本語が解っていないらしい。
>>310 >恥をさらす前に馬鹿は黙ってろ。
あらら、品位もなにもかなぐり捨てて、有効な反論もせずに煽り文句できたか?
まあ、日本語に対して、知ったかを重ねて、反論に窮すると、そういった言葉でしか返せまい。
底が浅いのう。
312 :
保守を考える:03/04/04 22:20 ID:6pchKbIZ
しかし、名無しクンは同一人物なのだろうか?
立場が弱まると、別人ですが、何か?なんていう奴がいるから、コテハンをつけた方が
よかろう。
>>286で
>当然のこと。実行するかは問わない。全ては暴力に還元される。
と云っている者と
>>305の
>このシステムを非暴力的に構築し、その上で過剰な競合を相互利益という担保
>によって制限・補完したものが民主制の本質です。
と言っているのは果たして同一人物なのか?
ややこしいから、コテハンをつけるのが礼儀ではないかな?
まあ、別に強制はしないが、煽りとして無視する存在になるだけであろう。
313 :
bloom:03/04/04 22:24 ID:oAnIKT6j
314 :
保守を考える:03/04/04 22:26 ID:6pchKbIZ
>>303 >姉4人、弟一人で良かったでしたか?
弟君は常陸宮正仁親王、一人。姉君は4人。
妹君は島津久永公に降嫁された貴子内親王が居られます。
315 :
ころ:03/04/04 23:11 ID:???
>>305 >「(その権威を認める限り)無条件に従わせる力」です。
なぜ、「権威」をそういう能動的作用としてしか捉えられないのでしょうか?
>果たしてこれが民主制というシステムになじむでしょうか?
民主制を無条件に従わせるためには、国民の権威(国民主権)だけではなく国家の権威が必要だと思います。貴殿は民主制が自然発生的に成立し、常に健全に機能するのが当然と思ってませんか?
日本だけでなく、世界を見たら民主制が健全に機能してるところの方が少ないです。民主制とはそれだけ難しい制度なのです。
だから民主制には国民の権威以外の担保が必要なのです。それが国家の権威です。
ただ、権威のバランスという点で国民>国家ですよ。「天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要」はそのものです。
国家の権威とは暴走しやすいので(天皇制に限ったことではありません。今の米国だってそうでしょう)、このバランスは絶妙だと思います。
「なじまない」って、戦前の「憲政の常道」ってご存じですか?なじまないことは決してないのです。そして戦後、その後の失敗を国民主権を上位に置くことで解消しました。
なじむもなじまないも、正真正銘国民次第というわけです。
>相互利益という担保
その担保はどこにするのですか?(国家の権威にするのです)
316 :
ころ:03/04/04 23:14 ID:???
>ですから、このシステムが稼働するためには、私欲を制限し権力に
>従わせようとする力、すなわち国家という権威は欲望の相互牽制機能を
>阻害する要因でしかないのです。
貴殿はリベラリストだと思われますが、日本はリベラルな国家と呼ぶには規制や制限が多すぎるのです。
今の日本をリベラルだと言う方もいたのですが、その方はリベラルという語を履き違えてるように思います(後で調べました)。
日本はリベラルか考えて見て下さいな。
>国民の集合たる村落的・文化的共同体の権威とは別のもの
国民の集合は国家全体ではありません。というのは民主主義では全会一致が起こり得ないからです。多様性があるのが民主主義だからです。
つまり、国民の権威と国家の権威は別ものということです。
>そもそも権威とは何ですか?
国民が権利や自由、将来などあらゆるものを担保してもらう対象でしょうか?(能動的というより受動的なものです)
貴殿は私利私欲と言いましたが、国民同士は「私」の関係です。でも国民ー国家は「公」です。
「私」間では担保できません。担保してもそれを担保するものがありません。
「公」が担保するから、国民は担保できるのです。「公」に対しても「私」にたいしても
卑近な例を。いま日本は不景気です。国民の購買意欲がないからです。その意欲を減退させてるのは、将来の日本に対して国民が担保できないからです。担保できたら景気は良くなります(たぶん)
>>290 >「天皇制」の憲法規定は、天皇家という一族が承継すると規定してていな
>い。象徴という地位を選択するにあたり、国会の決議を受けた皇室典範に
>よって規定されている・・・国民がそう規定しているだけである。
皇室典範は、大日本国帝国憲法下で天皇が定め、帝国議会が議決したものである。
日本国憲法下では、改正などされたことは無いはずだ。
>>292 >象徴制は国民が選択する議会の決定により、現在は皇室の方々が
>継承すると定めている。
日本国憲法は、勅命をもって帝国議会にはかられ、この議決を経て定められた
改正帝国憲法なのだが。国名を大日本帝国から日本国に変えたから
憲法もこれに準じて日本国憲法となっただけだ。
天皇自らが国民の総意に基いたものとして、自身を象徴とするよう
帝国憲法を改正し新憲法を作ったのだ。
国民はこれに関与しない。もし関与したというなら、当時の国民が
陛下を恫喝あるいは脅迫でもしたのであろう。
だいぶ間があいてしまった。
えーと、機会平等の話でいいんだっけ。
機会平等と結果平等の明確な区分をしろというのは酷な話だろう。
政治の技術的側面について、たかだか匿名掲示板において懸案事項の解決を
見るということは考えられない。ただ、天王星を問題にするとき、
個別的に重要な区分の基準について論ずることはできよう。
たとえば、勉強ができるものが大学にいけるということ(これは機会平等だろう)と、
天皇家に生まれたものが天皇になるということは等価ではないかという議論がある。
これは、ふたつの面から反論できるだろう。ひとつは、天皇の公務というものは、
世襲という継承方法であることに何の必然性・合理性もないこと。ふたつめは、
世襲という決定方法自体、その開かれ度合いが他の選択方法に比べて非常に低いこと。
ここで、国民の支持ということは制度の合理性の基準になりえるかどうかといえば、
それはなり得ないといわざるを得ない。それは何度もいうようにシステムの一貫性に
かかわってくる問題だからである。
機会平等と結果平等の区別の不明確さをもって、じゃあ平等ではない制度でもいいのだと
いうことは論理的に言えないだろう。技術的な論争の存在と、多数決と暴力のヘゲモニー
争いにゆだねるということは全く異なる状況だからである。
ところで漏れはここでコミュニケーションの可能性について論じる気は
毛頭ないので、もうひとつの中傷的論点は無視させていただく。
320 :
パンドラ:03/04/05 09:37 ID:+xPD5LS+
>>248 >「憲法」の規定の話しをしていない。「日本」の話しをしているだけである。
(>天皇制を廃止すると云う事は、日本の顔(象徴)を変えるという事である。
…天皇亡き後の国号を「日本」にしておく必要性は何から導かれるのだろうか?
>>245)
わたしも同様に日本の話をしているw ただ、日本の話を「憲法」を通してしている、国家の基本法だから…
象徴が変わると、国名がかわるというのも無茶なハナシだ…織田有楽斎の屋敷があったという有楽町の名も今に続いているw
ま、100%ありえないことではないが、仮に国名が変わったとしても、主権者が変わらない以上「革命」とはいえまい。
あなたのキモチとしては革命なのだろうが、そこがあなたの意識と現実社会の境界に混乱しているところなのだよ。
そもそも、憲法の規定外のできごとでは、革命となりようもない…www
321 :
右や左の名無し様:03/04/05 09:38 ID:+xPD5LS+
>>259 これは、ループというより、そもそも議論が成立しないハナシでそれを指摘したのが
>>534である。も一度、説明をtryするw
そもそも、現実社会の事実として100%の「言論弾圧」も「言論自由」も存在しない。
で、戦前に幾ばくかの「自由」があったところで、現実的認識としての「言論の自由」とはなりえない。
一方で、戦後、公共の福祉などの観点から、ある程度「制限」が存在したところで、現実認識としての「言論の弾圧」とはなりえない。
いずれも、程度も内容も異なるのであるから…
あなたは、『戦前にも言論の自由があった』という主張をされたわけだから、「現実認識としての言論弾圧」を覆すだけの事実を提示すべきだろう。
ところが、あなたのおっしゃっていることは、
・戦前、戦後似たところがある。
・戦後も公共の福祉が理由とはいえ言論の制限がある
という周知の事実の提示だけである、これでは現実認識を覆せない…ようするに議論が成立しない。
で、アトム論争もおもしろいが、同じ結果になろう…あなたもあなたの観念と現実認識の境界が不鮮明のようだ。
くりかえすが、アレフやヤマギシ会のように、特定の事項を強固に信じているかたがたに多い精神病理現象であるw
>>318 天皇の公務は、世襲とする必然性と合理性があると、私は意見表明したが、その
とき貴殿は、憲法(世襲であること)が問題ではなく、皇室典範が問題だと、明
言したではないか。
天皇の権威について
議会は荒川の土手では開けない。。議長のイスはパイプイスではない。諸
外国との供応は、屋台では出来ない。国が授与する表彰状は再生紙ではな
い。裁判官はふんどしひとつで判決を読まない。
国民を代表して内外に接する、国家元首的役割は、アシモフ君には出来な
い。
こんなことも理解できない人間は、「常識がない」と私は思う。
324 :
・・・:03/04/05 10:08 ID:???
>>318,むっちょ@かわうそ氏
私へのレスなのかどうか判断しかねるが、絡んでいると思われるので宜しいでしょうか?
>酷な話だろう
アズマ氏的には、それを求められると思われた。
現憲法においてもその地位を認めている皇室に対して、平等論を持ち出すのであるならば、
その平等論の具体的担保が無い限り、その観念は皇室を否定するパッチワーク的利用にしか
思われない。我々の生活が、平等論だけで担保されるとする観念への疑問である。
平等主義のアプローチだけでいけば、私も国家の必要性はなくなると想像するが、
論争可能でも無責任主義である。
一斉に世界国家が成立するのなら、皇室の在り方も問われるだろうが(各国家が無くなるのだから)。
ただ、皇室は世界国家へのアプローチの足かせにはならないと想像もしている。
せめて、君主制・共和制の優劣論にならないでしょうか?
>>319は、
>>203の事ですか?
中傷ではありません。
その価値観の問題点の指摘であり、煽りぎみにだが、私の素直な気持ちです。
325 :
ころ:03/04/05 10:30 ID:???
>>306 >高度成長期からバブル崩壊を経た現在
政治不信は、田中金脈以降、ロッキード、リクルート他当世の秘書給与疑惑に至るまで断続的に継続しています。
細川内閣はバブル崩壊という経済的理由で成立したのではなく、政治不信という政治的理由でした。しかし、政治的に手練手管に長けた自民党が復権し現在に至っています。
つまり、政治不信と経済的問題は別個のものです。
経済が本格的に騒がれ出したのはここ4〜5年です(私は橋本"消費税5%"内閣当たりと見ています)。空白の10年は当初から指摘されてたものではなく、後から命名されたものです。
ベースの政治不信に経済問題が絡み複合的になっているから現在はタチが悪いのです。
>国家というシステムが納税者、すなわち株主たる国民に対し利益を
>提示できなくなっているためシステムの再構築が求められている、
なぜ公的資金が銀行やゼネコンに融資されるのでしょうか?官僚はなぜ公僕でなく莫大な退職金を貰ってるのでしょうか?
政治が「公」でなく特定の「私」のものになってるからです。
大島前農水相が辞めなかったのも本来「公」であるはずの政治が私利私欲に走ってるからでしょう(自分の利権確保=予算可決までねばった)。
つまり、国家というシステムが悪いのではなく、文字どおり「公私混同」している政治、経済の体質の問題です。それを許してるのは国民です。
政治や経済など公共性が求められるものは国家の権威があってこそ「私」にならずに「公」たり得ると思います。国民は国家に担保するのです
国家の権威を考えた時に天皇制という歴史的権威(宗教的ではない)が民主的権威の大統領よりも「公」の担保の源泉として相応しいのではないかと思うのです。
国民主権が天皇の権威以上の権威を常に選ぶことができるのか疑問なのです。
<つつく>
326 :
ころ:03/04/05 10:33 ID:???
>自分たちの行動がシステムに反映されにくいと言う無力感
自分たちの行動が過度に反映されたらどうなるのか?ナポレオンやヒトラーは国民の熱烈な支持が後押ししました。
現在の民主主義では殆どが国民の行動が100%反映されないようなシステム(間接民主制)なのです。
実は現在の日本では独裁者の待望論が強いと見ています。強力なリーダーシップとは独裁と表裏一体です。
貴殿が天皇制に懐疑的なのはリベラリストだからだと思います。現状の日本を見たときリベラルと呼ぶには国家的にも国民的にもまだまだだと思います。
>>306で国家システムの再構築と述べられてますが、具体的に聞きたいです。
私はシステム以外、以前の問題だと思います
>>323 議会は荒川の土手では開かない。開いても構わないが狭すぎるし不便だろう。
議長のイスはパイプイスでも全く支障はない。座りやすいセブンチェアの方が喜ばれるかも。
諸外国との供応は、屋台でも出来ないことはない。ただその様な習慣が無いだけ。
国が授与する表彰状は再生紙でもかまわない。再生紙の方が時宜にはかなっている。
裁判官はふんどしひとつで判決を読むことはできる。(服装規定があると思うが変えれば良いだけだ)
国民を代表して内外に接する、国家元首的役割は、
日本人ではないアシモフ氏には出来ない。
人ではあっても、やっていることはASIMO君とさほど変る所がない。
本来、国政の権威は国民に由来するものだ。
>>327 国民の権威に基づく司法権の発揮が、ふんどしひとつで出来ると思う貴
殿は、国民の権威をキズつけているとこを自覚するべきである。
某国の国家元首が、表敬訪問し日本国民に礼を云い、あるいは謝罪しよ
うとするとき、日本国民の代表がアシモフ君相手では、問題外である。
国政の権威が国民にあるからこそ、荒川土手も、パイプイスも、屋台も
否定されるのである。天皇がもし、国民を代表して、他国に礼を言いに
言ったとき、その相手国民を代表して、その儀礼を受けるモノが、ロボ
ットでも良いとするなら、なぜに日本人だけをそこまで貶めようとする
か、理由を聞きたいものだ。
常識がないということは恐ろしい事である。礼儀という言葉を知らない
のだろうか。
>>328 日本人では無い第三者である、アシモフ氏に代行は出来まい。
現実的にも、この世に存在しないから無理だとは思うが。
出来ないのでは無く、日本人の習慣に無いからやらないのである。
習慣は仮の存在であって不変の真理では無い、必要なら何時でも変更可能である。
常識は常に非常識である。常識と言う言葉は思考力を失った者の金科玉条に過ぎない。
現在の日本人は先人に劣り、何も新しいことは創り出せない(と考えるから
過去の定めを金科玉条とするのだろう)と考える方が遥かに日本人を
貶める考え方であろう。
#ロボットは道具であり、人と同等あるい超える存在では無い。
#ロボット+αの行動様式をとっても、人なら失礼では無いのだろうか。
#慇懃無礼など言う言葉もあるが。
330 :
ころ:03/04/05 13:54 ID:???
>>308 >一元的にしか把握できていない
横やりの入れ方でそのように思われたのでしょうか?私は今まで「統治システムとしての国家」及び「権力構造としての国家」この2点のみでしか論じてません。
「文化共同体の国家」について。天皇制が文化だとして国民に強制や強要はしてません(問題ないです)。というより、天皇制の文化性ばかりを強調しがちですが天皇制には政治的役割もあるのです(そちらの方が重要です)。
経済システムの国家は既に国家という枠組みを超越してるでしょう。(天皇制とは関係ないです)
統治システムとして、リベラリズム及び民主主義で国家が統治できたら国民としても理想です。でも、実際にはそれで統治するには国民のレベルの高さが当然要求されます。
そのレベルの替わりにシステムに求める考えもあります(むっc…)が、そこまでしてなぜ国民主権にこだわるのか、果してそれが国民主権と言えるのか正直疑問です。
で日本の国民のレベルは低いと言わざるをえないです。だったらリベラリズムなり民主主義以外の統治システムがレベル維持には望ましいと思います。日本では象徴天皇制です。
<つつく>
>>329 現実社会の中で研磨された慣習や常識を、疑いなく受け入れる姿勢は、確
かにおかしいと思う。しかし、常識や慣習であるから、無条件で否定する
というのも同様である。常識や慣習は現実社会の中で洗練されたモノであ
ることを理解し、否定するときも検証されなければならない。
検証もなく否定するところからは有効な何かが生まれる事はないだろう。
貴殿がどう思おうが、それは感想であって、多くの国民の目にはロボット
とは程遠い存在に映っているだろう。
常識や慣習を、健勝なく否定するところからは、現実逃避しかないことの
証左である。
332 :
ころ:03/04/05 13:57 ID:???
<つつき>
>>308 権力機構として、国家権力とは国民の権利を制限するものです。それが権利に還元されると理屈では分かっていてもそれ自体に普通は担保できません。(だから国家対国民という対立概念が生じるのです)
そこで、国民が国家に対して担保できるもの、権力ではない国家の権威が必要となってきます。
国家の権威があれば国民も国家に担保でき、国民の権威(国民主権)も向上します。国民主権は何に対して主張するかと言えば国家です。又、国民主権を実現してるのも国家です。だったら国家の権威の必要性が分かると思います。
政治が乱れるのも国家の権威がないからです。国家の権威がないから国民の権威(国民主権)も脆弱だと思うのです。
米国や英国、仏国にしろ自国に誇りを持っています。それだけ国家の権威が生きてるということです。日本は…。
別に天皇制を支持しなくてもいいのです(それこそ自由です)。そのためには国家の権威を他に委ねること(例えば首相)が必要ですが。
でも現行憲法では、日本は国家の権威を象徴天皇に委ね、国事行為を行ってる事実を否定はできません。そして天皇制や国家制度という国家の権威に担保できないからと国家権力を否定もできません。
立憲君主制は国家の権威をリベラリズムや民主主義以外に置き国家と国民の権威を相互的に向上させる制度だと思います。
天皇制は国民主権とは違うところに国家の権威を置くということです。だからリベラリズムや民主主義とは違うというのは当然です。
むしろ違うところにあるから存在意義があるのです。
天皇制を否定する人は国家の権威をどこに認めているのか(首相?)それとも国家の権威自体を認めずにただ国家権力の強制に無条件にしかも従順に隷属しているのか疑問なんです。
私は、天皇制というものの国家の権威には歴史的権威のほうが民主的権威よりも妥当だと思ってます。政治を見ればこの国の民主制の限界に気付きませんか?
>>308 >しかし、それらが未分化な古き良き時代(国家という枠組みが文化経済政治
>すべてを支配していた時代)はとうに過ぎ去り、
確かに、文化や経済は国家を超越しつつあります。でも、政治は国際社会と言われても国家の範疇にあるでしょう。
今回のイラク戦争は国際社会(国連)よりも米英という国家が優先された証左でしょう。
>権力作用としての国家の範囲(地理的な意味ではない)は狭くな
>りあくまでも構成員の共通利益機関としての存在となっています。
日本では規制緩和が叫ばれる一方規制はなくならずむしろ増加傾向にあります。国家の範囲は旧態依然として大きいのです。
共通利益機関がリベラルな国家だとすると、日本はまだまだだと思います。つまり共通利益以外の部分(無駄な公共事業や民営化できない公団や公社、特殊法人などの利権構造)があるのです。
>多元化した国家というブロックの一つである権力機構としての要素において、
>宗教型の権威という存在はあまりにも異質なものなのです。
多元化しているからこそ権力機構の外にある権威というものが必要なのです。
宗教型の権威、確かに天皇制には宗教性があると思います。でも、重要なのはその宗教性が国家にどのように影響作用するかだと思います。
現在、天皇のもつ宗教は私的なものとされ分別されています。国政にも権能をもってません。
この状態が保たれれば天皇制に宗教性があろうと歴史的権威で国家の権威は一定に保たれると思います
>そもそも国家という枠組みを一元的にしか把握できていない人
天皇制を一元的に宗教といしか把握できない人とお返しします。
天皇制存続派が天皇崇拝者ではないのです。
>>308 >しかし、それらが未分化な古き良き時代(国家という枠組みが文化経済政治
>すべてを支配していた時代)はとうに過ぎ去り、
確かに、文化や経済は国家を超越しつつあります。でも、政治は国際社会と言われても国家の範疇にあるでしょう。
今回のイラク戦争は国際社会(国連)よりも米英という国家が優先された証左でしょう。
>権力作用としての国家の範囲(地理的な意味ではない)は狭くな
>りあくまでも構成員の共通利益機関としての存在となっています。
日本では規制緩和が叫ばれる一方規制はなくならずむしろ増加傾向にあります。国家の範囲は旧態依然として大きいのです。
共通利益機関がリベラルな国家だとすると、日本はまだまだだと思います。つまり共通利益以外の部分(無駄な公共事業や民営化できない公団や公社、特殊法人などの利権構造)があるのです。
>多元化した国家というブロックの一つである権力機構としての要素において、
>宗教型の権威という存在はあまりにも異質なものなのです。
多元化しているからこそ権力機構の外にある権威というものが必要なのです。
宗教型の権威、確かに天皇制には宗教性があると思います。でも、重要なのはその宗教性が国家にどのように影響作用するかだと思います。
現在、天皇のもつ宗教は私的なものとされ分別されています。国政にも権能をもってません。
この状態が保たれれば天皇制に宗教性があろうと歴史的権威で国家の権威は一定に保たれると思います
335 :
ころ:03/04/05 15:55 ID:???
パンドラさん
>>321 おたがい負けず嫌いですね。
>あなたは、『戦前にも言論の自由があった』という主張をされたわけだから、
>「現実認識としての言論弾圧」を覆すだけの事実を提示すべきだろう。
例えば、美濃部達吉の「天皇機関説」は大正デモクラシーの論拠となり憲政の常道を実現したものです。つまり「天皇機関説」という言論の自由は一時にしろあったということです。
1935年に美濃部は「天皇機関説」を理由に貴族院議員を辞職、言論弾圧されました。
パンドラさんは後者のみをして言論の自由はなかった、私は前者を見て言論の自由は一時的にもあったと言っています。
戦前の言論の自由について最終的に思想統制された点は認めますが、自由が全くなかったというのには疑問なのです。
>・戦後も公共の福祉が理由とはいえ言論の制限がある
以前「チャタレイ夫人」を出しましたが、これも当時の猥褻観念からは妥当とは言えても、その後の猥褻観念の変化をみれば発禁処分は不当に長かったと思います。
この「制限」解除を妥当と見るか(パンドラさん)不当と見るか(私見)の違いです。
この点については平行線を辿ってるだけですね。
>・戦前、戦後似たところがある
似ているのは一点。国家が基準を判断している点です。戦前のような思想統制が平然と行われたのも、戦後価値観の変遷についていけず遅きに失するのも国家が判断してるからです。
そして戦前戦後もこれらは合法的だという点です。物事の正邪を判断する時に当時の観念では正当でも、いまは不当だと言うことです。パンドラさんは一定の固定観念があるように思います。
>アレフやヤマギシカイ
パンドラさんがニーチェのように自己否定なさらぬようにお祈りしています。希望は大切に。
336 :
保守を考える:03/04/05 21:18 ID:Kc7RERns
>>320 今更、勘違いのふりをするのはどうかな。
私は、今まで憲法のみ通して、「日本」の話しをしていない。
日本の「沿革」に則して話しを進めている。
国名の「日本」と千代田区内の一町(有楽町)を同列に論じるのは
ヴィールスが脳内にまで達してしまったのか?(お可愛そうに・・・)
有史以来の制度であり、国家の代表者を常に天皇と定めてきた日本の国家体制を
変革することの重大さを指摘しているのだが・・・・。
どうやら、君は「日本」がなんであるか、現実的に認識していないらしいな。
これまで諸氏が様々な角度から日本について論じてこられたが、その一つも受け入れず
頑なに拒否し、「歴史認識は一様ではない。」と謳いながら、自らの認識を展開しない
この卑怯さは、あやしい氏も同じであった。
つまり、「空論・空想」を呪文のように唱えられても、何も説得性がなく、
なるほどと、唸らせる感慨も生まれない。
こんなやりとりは莫迦バカしい限りである。
以後、君のレスに対して、何も啓発されるものを感じ得ない場合は、スルーさせて頂く。
>そもそも、憲法の規定外のできごとでは、革命となりようもない…www
早く体を治してね。
>>324 ん、中傷というのはあなたのことではないです。
お気を悪くされたのであればすみません。
なぜ平等主義を(というか、こうした原理を用いることによって)
国家が否定されるのかがわかりませんな。
国家でなくても何らかの社会機能は必要だし、国家がこうした政治システムとしての
機構であるということを徹底させたとき、それはたとえば千年前国家と呼ばれていたものとは
違うものかもしれませんが、別にこうした機能が失われるわけでもない。
さらに、結果平等と機会平等の境界は原理的に導くことは可能かもしれないが、
ただそれをひとつひとつ検証していくのはこの場ではできないと言っているだけです。
(そのかわりに、天王星が機会平等原理の外にあるという個別的な議論をした)
線引きの不可能性を示唆したわけではありません。
>>322 そんなに明言したわけではないと思うぞ。世襲という言葉の意味によってはそれは認められうる
といっただけで、それは318で行った議論となんら矛盾するものではない。
すなわち、世襲というものが、一般的に想像しうる概念としてではなく、万人に開かれ、
かつそれ自体が天皇になることの条件ではないということが満たされなければよい。
またそのとき、皇室典範がやはり318で行ったような議論に適していなければ、それは
認めることはできないといえるだろう。
339 :
右や左の名無し様:03/04/06 09:39 ID:8tmXYwEM
>>334 >多元化しているからこそ権力機構の外にある権威というものが必要なのです
だから権力機構の外に置けばよい=権力機構の一部門としての制度を廃止すれば
よいと言っているのです。現行法下における天皇は権力機構の一機関として存在
しています。
>>332 >普通は担保できません。(だから国家対国民という対立概念が生じるのです)
逆です。その対立そのものが担保なのです。対立することによって生じる国家に
対する国民のパワーアピールと、それに対する国家の緊張感のみが国家という
合目的的にのみ存在を許される権力機構の行動を抑制する担保となるのです。
その権力機構が、「権威」を「国民」に向ければどうなるか、想像がつきませんか?
>>305 >なぜ、「権威」をそういう能動的作用としてしか捉えられないのでしょうか?
むしろ逆に、「権威」を受動的にとらえられるほうがよほど不思議です。
パノプティコンを受け入れることを前提にされても困るのです。
>>332 自家撞着だな。
どのような形を取ろうと、国家と民衆は常に対立関係にある。
現在の日本では、国家の権威は国民にあることにはなっている。
国家の権威は三権に委ねられており、国民の代表である行政の長たる首相は
国民の権威即ち国家権威の代表である。(実態は大いに疑問であるが)
国民の一人々々が常に自分自身で不正と戦う心と力の両者を持とうとせず
権威は国民にあると唱えるだけでは、権威は国民のものにはならない。
同様に天皇に権威があるとしたところで、不正と戦う心と力の両者を持たなければ
権威は維持できず画餅に帰す。天皇といえど不正と戦う心と力の源は国民に存する。
何もしようとしない国民に権威だけ預けられても、陛下も迷惑なだけであろう。
王を望むだけで何もしようとしない国民は、結局王に食われてしまう蛙と同等の存在だ。
┌┬┬┬┐
―――┴┴┴┴┴―――――、
. . /  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || __________
./ ∧// ∧ ∧| || ||| || /
[/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___||| || < こんなのが有りますた
. ||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. |ヽ.__|| \__________
. lO|o―o|O゜.|二二 |.| 救済病院 ||
.| ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|___|_l⌒l._||
 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
http://saitama.gasuki.com/koumuin/
342 :
・・・:03/04/06 10:01 ID:???
>>338,むっちょ@かわうそ氏
>ん、中傷というのはあなたのことではないです。
そうですか。少し、自らを省みず偉そうに書きすぎたかな?と
思っておりましたので。
国家は平等論を否定しているか否かの、線引きの話になりませんか
(れ氏との過去レスの話ですが)?
そうなると平等の原理論を指向する時、結果平等の線引きも必要かと。
少なくとも、多数が受け止めている現実の国家の在り方を否定するとき、
担保のない観念論では如何な物かと。
平等に限らず観念の原理を受け入れるとき、現実が如何に変化し、如何に今までよりも
素晴らしい国家が想像できるのか、せめて理想国家でも例示して頂きたいのである。
私は共和制も否定しておらず(それぞれの国の歴史性は認めています)、しかし、その国
が日本より理想郷なる可能性がなければ、そんな無責任な制度はやはり受けとめられない。
故に共和制も、あくまでも現段階において、という前提において、
成功した制度の一つという認識なのです。
私個人的状況においては、結果平等は一時期有り難いとも思いますが、
皇室を否定する価値観を含め後世の事を考える時どうなのだろか?
という認識は必要かと思います。
【和の理念、最終章−1】
いちおう「私の」和の理念のきっかけである、17条憲法を書いておく。
1条・10条・17条である。
第1条 一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)うことなきを宗と
せよ。人みな党(たむろ)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをも
って、あるいは君父に順わず。また隣里に違う。しかれども、上和らぎ、
下睦びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから
通ず。何事か成らざらん。
第10条 十に曰く、こころの忿(いかり)を絶ち、おもての瞋(いかり)
を棄てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るとこ
ろあり。かれ是(ぜ)とすれば、われは非とす。われ是とすれば、かれは
非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。と
もにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともに賢愚
なること、鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かれは瞋る
といえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりと
いえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。
第17条 十七に曰く、それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆
とともに論(あげつら)うべし。小事はこれ軽(かろ)し。かならずしも
衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやま
ち)あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁(あいわきま)うるときは、辞
(こと)すなわち理を得ん。
つーか、十七条憲法以外も出してください。
【和の理念、最終章−2】
和の理念が、平和主義、民主主義、平等主義である事は、すでに書いてい
る。憲法の理念に全く適合している。
では、自由主義や、リベラルな民主主義と何処が違うのか。
それは、完全なる正義、完全なる論理、完全なる制度の存在を否定するこ
とにある。所詮「人」が主張することであるから完全であるとか、絶対正
しいなどというのは、本人の思い込みである。第10条に有るように「我
必ずしも聖にあらず」であるから、関係者多数で議論することが必要で、
その議論態度は「上和らぎ、下睦て」「あい共に、誰も是非の理を定める
ことが出来ない」という前提でなければならない。
西欧の自由主義や人権思想が、神から与えられた人権であると聖なるもの
を規定し、あるいは侵すべからざる自由が存在すると信じることと異なり
、絶対性を信じることなく、人の話し合いとその結果の議決に従うことが
、最終的に理にかなってくるという、理念である。
【和の理念、最終章−最後】
さて、このよう縄の理念によって成立している憲法において、本スレの議
論対象である、天皇制と皇室の存在意義に関して、霊的権威論を元の述べ
る。和の理念の原理は、輪の理念に沿った態度での話合いが、理にかなっ
た結果を導き出すということである。そして、絶対性を否定する。
したがって、当然に日本の神様は絶対性を持たない。怨念を抱いた怨霊も
、御霊(ミタマ)となるし、偉大な人物や事象もまた、怨霊となりうる。
宗教が、実社会における災害疫病から逃れるための科学であったころから
、国の中心的立場で、価値を相対化し、国の平安と五穀豊穣を祈ってきた
天皇という存在は、この和の理念からくる価値観を象徴している。
戦前の一時期、明治憲法理念かどうかは別議論として、天皇を絶対化した
からこそ、壊滅的被害を受けた事は、記憶に新しい。
和の理念からすると、天皇制もまた、絶対的ではない。国民の合議により
その制度は廃止されることもありうる。しかしそれは、自由主義的な平等
論や、絶対性を持った自由主義において否定されるのではない。
天皇自身が象徴している、和の理念によって廃止されるのである。
国民の天皇制への支持ある限り、天皇制は継続しなければならない。
>ころサン
大体以上です。確かに米国により提示された日本国憲法です。しかし、このよう
に、現憲法は「和の理念でも」完全に説明出来てしまう。天皇制もまた、和の理
念によって矛盾が出ない。国民に無関係な、権限も責任も持ち得ない地位にまで
、機会を均等とする必要性はない。理念と矛盾するなんていう乱暴な論理で、歴
史や伝統を否定する必要性もない。
かといって、天皇制が絶対でもない。
逆に、現代の問題点、個人の自由を声高に叫び妥協できない人たちは、和らぎ睦
みあうことが、議論において出来ない。多数決において否定されることはやむを
えない。
自由主義絶対の思想なんて、日本は受け入れていないのである。和らぎ睦みあっ
て、関係者全員が、絶対に正しい意見などないことを自覚して話し合い、その結
果として決まった事は、理にかなう方向に進むであろう。
>>347 訂正
×国民に無関係な
○「国民の行う国の意思決定」に無関係な
>>346 民主主義では無いな。
支配階層である天皇とその臣下が国であり、民は支配階層に
衣食を供給し、使役提供する者でしかない。
極論すれば牛馬と変るところは無い。一応は人としては扱われているから
牛馬よりは上であり、民は仁を持って扱えと言うに過ぎない。
天皇と臣下に対する法であって、民はある意味この法の規制外にある。
支配階層を、天皇とその臣として明確に定め、臣は絶対者としての天皇に従うべしとする。
天皇とその臣が正しくあれば、民は黙って従う管理されるべき存在でしかない。
>>349 それは17条憲法のことを云ってるのでしょうか。主語がないので分かり
ません。何が民主主義ではないのでしょうか。
私は17条憲法を民主主義だと云っていませんので、和の理念か、現憲法か
どちらかでしょう。前者であれば以前に書き込み済みですのでそのレスを
引用して反論していただきたい。後者であれば、新設でしょうから、是非
書き込んでください。
>>349 正しくあれば、黙って従ってて問題ないじゃん。
正しくなければ文句いえばイイでしょ?
正しいのに正しくないっていいはってたら、ただのわがままだよね。
>>351 正しくない者が多数存在したから、正しくあれとワザワザ云わなければ
ならなかったのだ。
臣下でさえ天皇に逆らわず黙って従えと規定する。
民の反論など認めてはいない、というより民の反論など考えてもいないだろう。
天皇は常に正しく無謬とするからだろう。にも拘らず人は誤ちを犯すかも知れない
など云う。極悪人は少なく教えれば従うと言いながら、悪を懲らしめよなどいう。
聖賢が国を治めれば国家は永遠と言いながら、五百年、千年に一人しか現れない
聖賢を待つことは出来ない。
だから、臣下は生来の愚鈍を自覚し大人しくしていろって訳だ。
愚鈍な者が、正しいか正しく無いかなんて考えるな、黙々と働けというだけだ。
全体を通して見れば、幸福の科学的パッチワークであり優柔不断な分裂思考の塊だな。
愚民思想の塊だ罠。
353 :
右や左の名無し様:03/04/06 15:09 ID:fqmcWAcU
天皇はおら達と同じ人間だうんこもするしセックスもする
おならもするしオナニーもする。
特別扱いするのはかわいそうだ。もうほうっておいてあげよう!
354 :
ころ:03/04/06 15:40 ID:???
>>339 >現行法下における天皇は権力機構の一機関として存在
しています。
権力と権威の捉え方の違いだと思いますが、権威は実態的なものではなく、実態的な権力の源泉になってるものです。それを権力機構に含めるかですが、私は含めてません。
よく「権威づけ」といいますが、天皇の国事行為は権力機構の外から(権力機構を超越して)権力機構に権威を与えているのです。
天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要です。だから一見すると権威が権力機構に入ってるようですが、権威は権力機構とは性質上一線を画してると思います。
>その対立そのものが担保なのです。
「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ、そんなキレイゴトで国家と国民の関係が互いに担保できるという考えは、少なくとも日本では無理だと思います。
>対立することによって生じる国家に対する国民のパワーアピールと、…抑制する担保となるのです。
現状はどうですか?第一、この関係は国家と国民のパワーバランスが対等でないと無理な話です。
日本は、国家権力が強すぎるのです。だから国民の中で国家側についてる人が出てくるのです(本来国民の代表である代議士が国家権力を私利私欲に使って国民に還元していない、政財官の癒着=最悪)。
国民のパワーアピールが足りないのはそういった寝返りとそこからくる諦めがあるからです。
日本がリベラルじゃないという主張もここにあるのです。
<つつく>
355 :
ころ:03/04/06 15:41 ID:???
>その権力機構が、「権威」を「国民」に向ければどうなるか、想像がつきませんか?
よくある主張ですが、 現行憲法では、権威(天皇制)を残し内閣の助言と承認という形で権威を権力の統制下におきました。
つまり、国民の代表(間接的ですが)である内閣が権威を完全に管理しているのです。
仮に天皇が「権威」を過剰にふりかざし「国民」に何かを求めても内閣が抑制できますし、内閣が天皇の「権威」を過剰に利用して「国民」に何かを求めても国民がその内閣を支持しなければ遅からず倒閣します。
貴殿は国民主権といいながら実は国民に信頼を置いてないのですか?私は国民に完全に信頼は置けないといってるだけで、そこまで信頼してないことはありませんよ。
つまり、貴殿の想像は杞憂です。
>「権威」を受動的にとらえられるほうがよほど不思議です。
権威は本来何もしません。実態的な権力が何かをするのです。
>パノプティコンを受け入れることを前提にされても困るのです。
パノプティコンを受け入れないということは、国家というものを否定することです。大統領制でも当然パノプティコンはあります。
<完>
356 :
右や左の名無し様:03/04/06 16:22 ID:8tmXYwEM
>>355 天皇が権威を振りかざすことはないでしょう。
内閣が振りかざすことが問題なのです。そして、そうやって振りかざされた
権威は国民の判断に対しパノプティコンとして作用するでしょう。
あなたのいう状態にあっては、権威と権力は分かちがたく結びつき、権力に
対する抑制としての「判断」が「権威」によって減殺されてしまいます。
まさに、あなたが主張する「国民の代表者たる内閣」が「権威」を管理する
ことによって「国民の代表者」として内閣が機能するための抑制機能が機能
しなくなるのです。
>パノプティコンを受け入れないと言うことは、国家という物を否定する
そんなことはありません。
常に「権威とされるもの」に対して懐疑的であることによって、国家は肯定
されます。権威を受け入れることは民主制とは相容れません。
357 :
ころ:03/04/06 16:28 ID:???
>>340
>国家と民衆は常に対立関係にある。
今の日本では民衆が対立抗争に負け、行き場を見失ってると思うのですが。
>国家の権威は国民にあることにはなっている。
だから、国民は全会一致でないと全体(国家)にならないんです。これを民主主義の矛盾といいます。国民は個々であって国家=全体はべつなんです。
国民の権威は決定権であって、統治権は元首(国家の権威)が持っているというのが私見です。
>国家の権威は三権に委ねられており、
権威と権力の違いは?基本です。
>国民の代表である行政の長たる首相は国民の権威即ち国家権威の代表である。
憲法をよく見ましょう。国民の代表機関である国会は首相を「指名」しかできません。天皇の「任命」ではじめて行政権の長になれるのです。
つまり、日本では国民の権威だけで国家制度は成立してないんです。国民の権威だけは大統領制といいます。
358 :
ころ:03/04/06 16:29 ID:???
>国民の一人々々が常に自分自身で不正と戦う心と力の両者を持とうとせず
「不正と戦う」という表現が偽善的ですが、同意です。
>権威は国民にあると唱えるだけでは、権威は国民のものにはならない。
どうしたら権威は国民のものになるのですか?国家に担保されたときでしょう。
国家の権威もまた国民が支持なり存在意義を認めたときに認められるのです。
つまり、国民と国家は対立しているようで実際には相関関係なのです。お互いがなくては国家も国民も存在し得ません。
>同様に天皇に権威があるとしたところで、不正と戦う心と力の両者を
>持たなければ権威は維持できず画餅に帰す。
私は国民の権威を否定してませんよ。「相互的」といったでしょう?
権威は一つだと思ってませんか?
>天皇といえど不正と戦う心と力の源は国民に存する。
??天皇は象徴です。何もできません。
>何もしようとしない国民に権威だけ預けられても、陛下も迷惑なだけであろう。
天皇制に国民が預けるのは国家の権威です。
国家の権威として民主的大統領と歴史的君主制(天皇制)があるのですが、
天皇制を全国民が支持してるとは思ってませんが、天皇制は基準が民意ではなく歴史的継続という事実ですから、その事実からくる権威は国民は否定できません。
民主的大統領は選ばれた人以外に投じればその国民の権利はその国家の権威を否定することになります。
どちらが、国家という全体の権威にふさわしいかですね。
359 :
ころ:03/04/06 16:55 ID:???
>>356 >内閣が振りかざすことが問題なのです。そして、そうやって振りかざされた
>権威は国民の判断に対しパノプティコンとして作用するでしょう。
逆に聞きます。世界中で国家の権威をふりかざしていない国家がありますか?
日本はその中でも国家の権威が低いのです。だから国家としてのランクが劣るのです。
>権力に 対する抑制としての「判断」が「権威」によって減殺されてしまいます。
「判断」は決定権(主権)を持つ国民が常に持ってるでしょう。「権威」はその決定によって選ばれたものに全体として権威付けしてるのです。
新たに決定がなされたときにはその決定について権威付けするだけです。
現状で「権威」が「判断」を減殺するという発想が理解できません。逆に減殺しないように「権威」を管理してるのでしょう?
>「国民の代表者」として内閣が機能するための抑制機能が機能
しなくなるのです。
議院内閣制においてはそれは国会の役割です。立憲君主制で君主(天皇)に抑制機能を求めることは国民主権に反することです。
>常に「権威とされるもの」に対して懐疑的であることによって、国家は肯定
>されます。
懐疑的なのがちょうどいいのです。過剰に権威を持ち出したり、逆に国家の権威を必要以上に否定してしまっては民主国家としてはどうでしょう?
>権威を受け入れることは民主制とは相容れません。
日本では国家の権威は否定されてますが、米英仏などでは国家の権威は生きています。(国家の)権威と民主制(国民の権威)は並立できるというか、権威なくして民主制は成立しないと思います。
360 :
ころ:03/04/06 18:09 ID:???
れさん
>>347 私見では日本はリベラルな民主主義国家ではないので、れさんの「和の理念」が実態的な日本社会を連想するとき多くは当たってると思います。
しかし、日本国憲法はリベラルな民主主義を謳ってると思います。
「和の理念」とリベラリズムの一番の大きな違いは、基準が集団(全体、国家)にあるか個人(民衆各人)にあるかの違いです。
国家統治というときに、集団意識が前提にあると統治しやすいのです。れさんは「話し合い」といってますが、日本では今でも個人よりも集団的話し合いによって解決を図ろうという風潮があります。
逆にいえば、集団意識の為に個人を少々犠牲にすることも厭わないのです。サービス残業も皆がそうだからと個人の主張を憚るのが日本社会です。嗚呼・・・
だから日本社会は「和の理念」です。
では日本国憲法を検証します(以前アズマ史観に思わず自己否定してしまいましたが、その後調べて自説の正当性が見えてきました)。
リベラリズムはいうまでもなく人権思想からきています。その言説からも分かるように集団意識よりも個人の自由を重要視しています。
憲法も同様です。第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」と最初に個人の人権を認めています。
しかし第12条では「国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と個人の中に公共の福祉という一般的制約原理を求め、
第13条では「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と人権に最大の尊重をした上での公権力の人権制限立法の合憲性を要求しています。
憲法は個人を優先したものです。決して「和の理念」でいう集団的話し合いを優先させてないと思います。
確かに日本国憲法を「和の理念」で説明できます。その点ではリベラリズムと似てるのですが、逆にそうだから日本は憲法通りでない、リベラルな民主主義とは似て非なる国家という私見があるのです。
だから、日本の国民はリベラルな民主主義を受け入れてないということにもなるのです。
>>360 和の理念が集団的話し合いであるとする理由はなんですか?
公共の福祉に反しない限りの権利は、和の理念に適合しています。
和の理念は、自己に無関係なことには口を出さない、自己に関係するこ
とにおいては、必ず話し合いに参加できなければならないということで
す。したがって、他者の権利を阻害しない範囲において権利が尊重され
るのは当然です。サービス残業とかその他の事は、私的なことですので
、理念が必要とも思えません。雇用契約においてすきにすればいいので
す。
絶対的に正しいことを否定する和の理念、自由であることが正しいとす
るリベラリズム。この違いをご理解ください。
362 :
右や左の名無し様:03/04/06 19:10 ID:8tmXYwEM
>>359 >逆に聞きます。世界中で国家の権威をふりかざしていない国家がありますか?
質問に質問で返すのは非礼であると承知であなたに聞きましょう。
あなたが区別なく、あるいは意図的に混同して述べている「国家の権威」は一体
なんに由来するのでしょうか?
近代国家、こと民主制国家においては私が述べたように、国家そのものの代替可能性
が国家と国民との力関係およびその相互抑制の担保となっています。従って、ここに
おける国家の権威はその合目的性において正当性を担保され、同時に否定可能性を持
たなければなりません。権威の採用の否定可能性ではなく、権威そのものの否定可能性
です。
一方、宗教型権威はそれ自体の否定可能性を持ちません。なぜならば、それは単なる
存在でありなんの目的性も持たないものだからです。
この2者を混同すれば、そもそも議論が成り立ちません。
>>362 横から失礼だが、国家の権威は、国民に由来し、憲法が根拠である。
聞くまでもないことだと思うが・・・。
>>363 横やりと思うなら黙っていて頂きたい。
憲法は国家運営に関して公権力が遵守すべき約款にすぎず、権威の根拠ではない。
>>364 憲法が、国家運営に関して公権力が遵守すべき約款であるとは、ずいぶん
古い概念を持ち出してきたね。
私人同士のプライバシー権も、憲法から導き出されている事実だけで、そ
の論はあたっていないね。男女平等なんかは、国の遵守だけではなく、企
業も個人も守るべきである。男女平等は憲法規定ではなかったか、果てさ
て、、、。憲法第一条でも読むことをお奨めする。
2chは横レスは自由である。イヤなら反応しない自由が貴殿にはある。
ではあるが、一応「失礼だが」と礼を尽くした。気分を害し、あるいは私
との議論を拒否されるのであれば、どうぞ無視なすってくんなまし。
366 :
ころ:03/04/06 21:44 ID:???
>>362 >質問に質問で返すのは非礼であると承知であなたに聞きましょう。
非礼は謝りますが、貴殿が無碍に国家の権威を否定されたからです。
国家の権威がない国家があると思いますか?
>「国家の権威」は一体なんに由来するのでしょうか?
日本では国家の権威は天皇制に由来しています。
そして天皇制を国家の権威とする根拠は、国民の権威(国民主権)に由来しています。
むしろ国民の権威と国家の権威を区別なく混同してるのは貴殿かと。
>国家そのものの代替可能性が国家と国民との力関係およびその相互抑制の担保
冷静に考えて下さい。国家が代替する可能性が高くなったら国民はその国家に担保できますか?潰れそうな保険会社と契約する人がいないのと同様です。
国家が代替しないから国民は担保できるのでしょう。むしろ逆かと。
>ここにおける国家の権威はその合目的性において正当性を担保され、
国家の権威の合目的とは何ですか?
>権威の採用の否定可能性ではなく、権威そのものの否定可能性
です。
権威の否定はできないと思います。だからの権威です。
国民の権威、国家の権威、天皇の権威、…いずれも権威そのものを否定できません。当たり前です
>宗教型権威はそれ自体の否定可能性を持ちません。
天皇制には宗教性はありますが、宗教そのものではなく国家制度としての性格が強いと思います。
そんなこといったら民主主義も自由主義も宗教ですよ。
>この2者を混同すれば、そもそも議論が成り立ちません。
混同してるのは貴殿です。
>>366 >国家の権威がない国家があると思いますか?
くどいようですが、362を再読してください。国家の権威とは何かという前提が
あなたと私では異なります。この点をきちんと認識してください。
>日本では天皇制に〜
違います。
>国家が代替する可能性〜
担保という言葉の意味をきちんと把握してください。
>国家の権威の合目的
国民に対する利益還元によって国家の権威は意味を持つ。
>権威の否定〜
そんなことはありません。
>宗教性
「宗教的権威」と「宗教型権威」を区別しているのが見えませんか?
意味はご自分で考えなさい。
368 :
ころ:03/04/06 22:24 ID:???
れさん
>>361 >和の理念が集団的話し合いであるとする理由はなんですか?
>>347後段
「関係者全員が、絶対に正しい意見などないことを自覚して話し合い、…」
当たりから導き出したのですが^^;
>公共の福祉に反しない限りの権利は、和の理念に適合しています。
だから憲法理念と「和の理念」は類似点があると。
焦点がずれそうなので、追記します。
リベラリズムとは個人を基準においています。その個人は他者に抵触しない限り自由です。例外のある自由です
「和の理念」は集団を基準においています。個人は集団によって決められたことを遵守すれば自由、前提があっての自由です。
米国が自由の国と言われるのは、個人が基準だからです。個人を規制する法規は例外、後は本人の自由です。
日本が自由の国と言われない(しばしば社会主義的と揶揄される)のは、集団が基準だからです。個人の自由は集団の話し合いで法規化され、前提となって個人にのしかかります。
全然自由じゃないのです。規制緩和が叫ばれる昨今でもむしろ規制が増えているのを御存じですか?
憲法ではリベラリズムに則り、個人の自由を認め例外として「公共の福祉」が出てきます。
しかし、実体的には例外の「公共の福祉」ありきです。なんでも規制という前提が日本社会を覆っています。
私は「和の理念」を否定はしませんが、この規制の多さはリベラリズム(例外)ではなく「和の理念」(前提)からだと思っています
サービス残業で「雇用契約」を持ち出すとは、れさんは学生さんですな。若いっていいなぁ。そんなもの持ち出したら・・・。パンドラさんも分かると思います。
369 :
ころ:03/04/06 23:55 ID:???
>>367 >違います。
「国家の権威」の前提が違うのに「違います」と断言されました。
では、天皇制とはなんですか?
貴殿からは天皇制の存在意義が見えてこないのですが
>担保という言葉の意味をきちんと把握してください。
担保とは端的にいえば保証でしょう?
又、代替というと革命権を連想しますが国家というものはそう変われるものではありませんよ。戦前と戦後の日本で何が変わりました?
>国民に対する利益還元によって国家の権威は意味を持つ。
天皇制もこの合目的にかなってませんか?
貴殿は国民の権威のみしか認めてないようですが、それ以外でも合目的にかなえばいいのです。
>そんなことはありません
理由は?では、権威を具体的に否定して下さいな。
>「宗教的権威」と「宗教型権威」を区別
はい?見落としてましたが、区別しろと言っても・・・。貴殿の区別法が分かるわけありません。
貴殿の説は、論理的に見えて出し惜しみしてるのか穴が見られます。論理に一貫性が見えてこないのです。
貴殿に一貫性があれば頷くところですが、それがないのです。
幾らでも返せるのですが、過去ログ見て下さいね。
まぁ一つ言えることは
天皇は 暇 だ ということだ
371 :
367:03/04/07 08:52 ID:QNutz+fX
>>369 >断言
あなたがなんのプロセスもなく、天皇制というシステムを受け入れていることを
前提としているから、私もなんのプロセスもなく違うと述べたまでです。過去スレ
を見てみても、すでに天皇制パノプティコンを受け入れることが前提となっており
その受け入れプロセスについてかかれたレスは見あたりません。
国家の権威は、全面的に「有権者による信託」によって成立します。あなたの言う
天皇制にしても、有権者の信託による憲法規定があるから成立するのであって、
制度上の権威は発生しません。
従って、私は天皇制の存在意義を認めていないので見えなくて当然です。
>担保
担保の目的語を読み違えています。
国家と国民との相互抑制によって、国家の維持が担保されます。
この抑制バランスが均衡を失えば、権力による抑圧、又は革命権が発動する
でしょう。
民主制の最大の特徴は、制度内部に革命のシステムを内蔵したことにあります。
そしてその革命のシステムは国民が国家というものに対して権威を認めず常に
己の所有物であるという認識の元、懐疑的に監視することによってのみ機能します。
なぜならば、国家というものを無条件に認める=権威主義〜に陥れば相互抑制
の機能は失われ、国家システムの硬直化を招きシステムの破壊=暴力革命を肯定
することになるのです。
>合目的・権威の否定
上記理由から導かれます。
また、これは国家という権力機構のシステム外にある権威・宗教等を否定すること
にはなりません。あくまで、権力機構のあり方の問題です。
>宗教的権威と宗教型権威
過去レスにでています。
372 :
右や左の名無し様:03/04/07 09:07 ID:DK1Lk7L8
>>369 リベラリズムも、和の理念も、個人を原点とした、集団社会をどう構築す
るかの理念だと、私は判断しています。
なぜなら、和の理念は党派心を否定しているからです。
374 :
右や左の名無し様:03/04/07 10:52 ID:B5QQtOtG
みなさん教えて下さい。
他の国の皇帝は姓があるのに、天皇家の姓って聞いた事がありません。
もしかして何々の宮が姓なのでしょうか?
戦後臣籍降下した旧宮家はそれが姓になっていますし。
だれかよろしくお願いします。
>>374 賜姓源氏という言葉をご存知でしょうか。天皇から賜った源という氏の意
です。他の一族と区別するために、氏、姓、苗字屋号などが存在します。
天皇は一族として、同列になく、区別される必要ははなかったからではな
いでしょうか。
歴史的には、一族の名前、土地の名前などを決定できる権利(命名権)は
天皇にありました。土地の名前は記紀でも分かりますが、天皇が国を見れ
ば「国見」とつけられるなど、天皇とのかかわりの中で命名されてきたわ
けです。始めて、天皇以外の権力者が命名した地名は「岐阜」ではないか
と言われています(織田信長の命名です)。それまでは、木曽義仲のよう
に、地名を自分の名前とすることは一般でした。信長以降は、高知にして
も熊本にしても、支配する武家が地名を変える事は良くあったようです。
一族の名前もまた、天皇との関係において、職能や役割りなどから命名さ
れてきました。姓というのは、誰かから頂く物と言う歴史的な価値観があ
ったのでしょう。天皇は、誰かから命名されることはありませんので、一
族の名前は、歴史的にありません。
天(阿毎・アメ)が姓であったとする人もいるようですが、私は疑問視し
ています。。
376 :
367:03/04/07 11:50 ID:QNutz+fX
>戦前と戦後の日本で何が変わりました?
国号と主権者と基本法。
これだけ変われば別の国家です。
>国号と主権者と基本法。
>これだけ変われば別の国家です。
国家の3要件は国民・領土・国家主権なのだが。
どうなって別の国家になったのだろうか?
378 :
右や左の名無し様:03/04/07 14:15 ID:w3oG6nFA
じゃあ、帝政ロシアとソヴィエト連邦は同じ国なの?
別の国家とか、同じ国家だとか、意味のない論争だね。
手続き的には、基本法と
>>276が表現しているいる憲法は、大日本帝国憲
法の改定である。主権者が異なる憲法が改定できるかどうかという議論か
ら、8月革命説もあるが、それは憲法の定義からくる議論で、当の日本人
の感覚から云って、革命でもなんでもない。日本人意識の視点からすれば
何も変わっていない。戦前も戦中も戦後も現代も日本である。国民の意識
としては継続している。
尤も、別の国家に変わったと言うなら、天皇の戦争責任や国家倍層など他
国も言い出さないだろうから、海外も継続した国家であると判断している
んだろう。
理念が変わったと捉える視点もあるが、「和の理念」は変わっていない。
戦前も議会は存在し、戦後の憲法改正の帝国議会は、女性も参政権があっ
たはずだ。
どのような視点から見ると変わったといえるのか、そこを提示しないで、
変わった、同じだ、の議論は無意味であろう。
380 :
右や左の名無し様:03/04/07 18:18 ID:QNutz+fX
>>379 統治機構としての「日本国(大日本帝国)」と、地縁・血縁・文化的共同体
としての「日本」との混同が見られますね。また、「国家の連続性」に国民
の意識は関係がありませんよ。革命を経験したフランスだって、ロシアだって、
政治家とその周辺以外にとっては「税金の取り立て人の親分が変わった」以上
の意識変化は無かったそうですから。そして彼等にとってフランスはフランス
であり、ロシアはロシアに代わりは無かったのです。しかし、間違いなくそれら
の国家は交代しました。
天皇の戦争責任については、彼は旧政府の責任者だったのですから、国家が交代
しようがどうしようが、戦勝国側が彼の責任を問うことになんの影響ももたらし
ません。
国家賠償にしても、新国家が旧国家を相続する形で成立している以上、また内部的
理由で生じた交代ではなく、まさに請求者である戦勝国の外圧によって成立した以上
戦勝国が新国家、新政府に対して請求することになんの影響もありません。
381 :
右や左の名無し様:03/04/07 18:24 ID:QNutz+fX
まぁ、意味がないというならばレスは不要です。
382 :
保守を考える:03/04/07 18:46 ID:dU+Y/BKu
>>380 日本の国体と政体を混同して議論されても・・・・。意味ないな。
ロシアもフランスも、王朝が倒れて、国体が変化したのだから当然国民の意識も
変化する。君の論が正しいとすれば、露国民は未だにモスコー国民であり
仏はフランク国民の意識を持っていることになるが、果たしてどうかな・・・。意味がないな。
天皇の責任問題を今何処の国が公言して要求しているのか知らんが・・・。
責任問題も賠償問題もスレ違いである。
皇室の存在意義と、何が関係しているの?
>>382 くどいようだが、流れを読めない馬鹿は黙ってろ。
384 :
保守を考える:03/04/07 18:52 ID:dU+Y/BKu
あらあら
そんなに熱くなっちゃって・・・。
>くどいようだが
????
君は誰だっけ?
なんがそんなに悔しいの?
では言い換えよう。
荒らしと馬鹿は黙ってろ。
386 :
保守を考える:03/04/07 18:58 ID:dU+Y/BKu
失礼なアラシ君だな。
私に言っているのか?
流れを読めていない馬鹿は、保守を考えると名乗る荒らしじみた馬鹿以外には見あたらんな。
388 :
保守を考える:03/04/07 19:04 ID:dU+Y/BKu
で、君は誰かね?
389 :
保守を考える:03/04/07 19:10 ID:dU+Y/BKu
>寂しがりの名無しクンへ
私は日本に於ける「政体」はそれこそ様々に変化していようとも
天皇が日本の代表者であり国民統合の象徴である「国体」は不変だと云っている。
戦前と戦後が別国家というノウガキは、私のお爺さん、お婆さん以前の人は
日本国民ではなかったという戯言なのか。
という莫迦バカしいのを抑えてまでレスしてあげたのだが・・・・。
悔しくて、気に入らんのなら無視すればよかろう。
別に相手してくれとは言っておらんよ。
>>388 名無しですが、何か?
この匿名掲示板においてコテハンを要求するのか?
君はマスカレードで名乗りを要求する無礼者かね?
>>389 あまりに馬鹿馬鹿しいので返答するのも気が引けるが、
君のおじいさんも私のおじいさんも、大日本帝国臣民だったのではないのかね?
日本国が存在しないところに日本国民がありえるのかね?
大日本帝国臣民も、日本国民も、ともに「日本人」であるが、日本国民は大日本
帝国臣民でなく、大日本帝国臣民が日本国民では無いということが分からないのかね?
話にならんな。
それと、保守を考えるよ。
引っ込みが付かなくなってるのはわからんでもないが、もう一度
数レス前を読み返してごらん。
君がいかに馬鹿な間違いを犯しているか分かると思うよ。
分からなければ、本当の馬鹿だ。
393 :
保守を考える:03/04/07 19:29 ID:dU+Y/BKu
>>390 >くどいようだが
と吠えるから、誰かねと聞いているのだが・・・。会話が出来んらしいな。
>>391 流れが読めんやつだな。
「日本」という国号は古く推古天皇の時代から由来するものである。
(前々スレでやった)
私はその国体が不変だと云っているのだが・・・・。
また国民の定義を伊藤博文は明治32年、三田尻の公演で述べているが
「・・・・日本国民は始めて正確なる国民の位地を得た。」と
「日本国民」としっかり云っている。
知ったかぶりは痛いな。
394 :
ころ:03/04/07 19:30 ID:???
>>371 >何のプロセスもなく、天皇制というシステムを受け入れている
はて?どこの国家制度のことを述べているのでしょう。
そんなの当たり前です。どこを見て「天皇制を受け入れていない」となるのですか??
日本国憲法にもちゃんと規定されてます。
>その受け入れプロセスについてかかれたレス
日本史や日本国憲法をご存じならば、プロセスもないと思います。
>国家の権威は、全面的に「有権者による信託」によって成立
日本国憲法第4条、6条、7条はいわゆる天皇の国事行為について書かれてますが、この行為そのものは「有権者による信託」ではないと思います。
日本は立憲君主制国家です。「全面的に」というのは共和制(大統領制)です。
>有権者の信託による憲法規定があるから成立
この場合の「国民の信託」は採用の可否です。天皇は象徴という地位にあることは国民の総意です。
また人権条項と違って天皇制は改正可能です。貴殿の通り「代替可能」です
>制度上の権威は発生しません
天皇の国事行為の存在意義は何でしょう?
形式的儀礼的でも何らかの意義があるのです。私見では全体(国家)の権威付けとしていますが、その全体の権威は、天皇の歴史的権威によると思います。国民の信託ではありません(それは大統領です)。
貴殿の言う「採用の可否」と「行為の可否」の区別を自分でつけて下さいな。
>私は天皇制の存在意義を認めていない
だから天皇制に「制度上の権威は発生しない」となるのかと思います。天皇制を単なる宗教としか見れてない(それでいて民主主義や自由主義に宗教性は見い出してない)のではなんともはや。
貴殿は日本の国家制度(立憲君主制)がまず理解できてないように思います。歴史や憲法を客観的に見返すことをお勧めします。
395 :
保守を考える:03/04/07 19:35 ID:dU+Y/BKu
>>392 匿名掲示板の書き込みに対して
>くどいようだが、流れを読めない馬鹿は黙ってろ。
「黙ってろ」とは?????
君は馬鹿だねぇ〜。
396 :
ころ:03/04/07 19:37 ID:???
>>371 >国家と国民との相互抑制
だから天皇の権威も内閣の助言と承認で、その内閣も国民の世論(国会を通じて間接選挙)で、相互に抑制できています。これをおかしいというのは、貴殿が民主制の限界をご存じないからです。
>権力による抑圧
私見では今の日本がまさにこれです。(しかも国家の権威は無関係)
>革命権が発動
憲法改正がこれに当たりますが、革命権などという野蛮?は認められてません。以前「憲法改正は革命に等しい」と言いました。
>懐疑的に監視することによってのみ機能
「懐疑的」:私見では天皇制に対する懐疑性は天皇制存続の用件です。懐疑性をなくしたら戦前に逆戻りです。だから歴史教育は重要なんです。
「監視」:選挙の投票率を見れば、国民が民主制がどういうものであるか理解できてないと思います。以前「政治的民度が低い」「国民性が劣る」と言いました。
「監視する」には同意なんですが、対立するから監視するのではなく、相関だから監視するのです。
>国家というものを無条件に認める
採用の可否で認めることと、国家そのものを認めるのは違うということです
>国家というものを無条件に認める=権威主義〜
日本は権威主義であるという主張がありますがどうでしょうか?
>合目的・権威の否定
いずれ聞くつもりでしたが、「国民の権威」はどうなるのですか?
「国民主権」は国民に権威を認めてることになると思うのですが、これすらも否定するのですか?
>権力機構のあり方の問題です
単純に天皇は国事のみで国政に対する権能を持ってません。国政つまり権力機構に入ってないのです。国政は、国民次第です。
この制度で何か問題がありますか?
貴殿は「権威」というものをよく理解されてないようです。「国民の権威」と「国家の権威」は相互的相関的的です。
対立観念というのは一元的な見方です。大局的に見ることをお勧めします
397 :
右や左の名無し様:03/04/07 19:55 ID:aM4avSvE
ようするにウヨはキモイ
名無しと保守氏の煽り合戦は終了しちゃったのか
残念だなあ
399 :
保守を考える:03/04/07 20:37 ID:dU+Y/BKu
あ〜、思い出した。
名無しクンは以前、「和」の意味を
「あるモノと別のあるモノを足して、新しい状態を生み出す。」
なんてアホなことを書いていた人かしら?
だったら、その嘘を看破した私のレスがあるから、それに答えて欲しいなあ?(まあ冗談だけど)
しかし
>>380の
>革命を経験したフランスだって、ロシアだって、
>政治家とその周辺以外にとっては「税金の取り立て人の親分が変わった」以上
>の意識変化は無かったそうですから。
「無かったそうですから。」はいただけんなあ。
そんな事、誰が言ってたの?
でそれを何で真に受けテンの?
しかし、面白い事かく人だねぇ〜
400 :
400:03/04/07 21:05 ID:???
400GET!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
此方の意図をくみ取ろうという意欲のない者に対して考えを説明するのが
これほどまでの徒労感の高いものとは思わなかった。
>>394 あなたこそ立憲君主制のなんたるかを勉強し直したほうがよい。
特にその成り立ちと意義について。
日本国は厳密には立憲君主制ではない。
404 :
ころ:03/04/07 23:47 ID:???
>>401 貴殿のレスを「国家」→「国民」、「天皇制」→「民主制」と適当に置き換えてみて下さい。
絶対的に正しい政治制度などないのです。だったら各々の制度のいいとこ取りをした方がいいと思います。
其方の意図は概ね汲み取っています。汲み取った上でレスしているのです。
「天皇制というシステムを受け入れてない」なぜ貴殿がそう思うのかだけでもお願いします。
>>402 天皇が君主でなく象徴だからですか?
象徴については「イギリス憲政論」(中央公論)参照です。GHQ民政局が日本国憲法起草の参考にしたといわれる書物です。過去ログでも触れました
立憲君主制は憲法によって君主の権力を抑制し替わりに国民の権利を保証するものですが、君主の権威は抑制せず逆に利用する制度です。
もっとも立憲君主の在り方も各国まちまちで、北欧のように単なる儀礼的存在から英国のように元首たる権限を持ってるものまで様々です。日本では英国的です。
なぜ立憲君主を利用するのかは、民主制が不合理だからです。これも過去ログ見て下さい。
立憲君主制をご存じなら、大統領制についてもご存じのはずです。立憲君主制よりも大統領制が優れてる点をあげて下さいな。
405 :
右や左の名無し様:03/04/07 23:48 ID:tEO4iv/i
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406 :
右や左の名無し様:03/04/08 04:58 ID:U5nUCv7x
このスレって長すぎすのと書き込みが複雑すぎて難しいね。
簡単に整理できないものか。
日本国民の権威だと。憲法には確かに日本国の政治の権威は国民にある
と書かれているが。
だがその様に憲法に書けと、外国に言われ書いただけだから、
書かせた外国の権威に方が、日本の権威の上位にある訳だ。
日本国の権威など小学生の学級委員長程度のものだ。
・国民(国は自分達のものであり他の干渉許さないとする自覚を持った)
・領土(上の国民自身の手によって武力で守られた)
・国家主権(上の国民自身のみによって、運営される)
国民の様な者は存在し、領土の様な場所もあり,国家主権と見間違うものもあるから
国家と言えなくも無いが、ママゴト国家でしか無い。
1945年8月15日をもって日本は滅んだ。現在は日本の残骸があるだけだ。
強いて言えるとすれば、擬製国家(のようなもの)であろう。
御目出度い連中の棲家だ罠。
409 :
右や左の名無し様:03/04/08 05:58 ID:wZg49q5t
ななしさんの書き込みは、匿名掲示板で当然だが、継続性のある議論を望む(相
手に議論の流れを読むことを望む)なら、ステハンぐらいつければよい。
相手にナナシ書き込みが誰の物か判断させるという負担を要求するなら、礼儀ぐ
らいわきまえるのが筋。
その程度の理屈と礼儀をわきまえることが出来ないなら、その言説も説得力を持
たない。
415 :
右や左の名無し様:03/04/09 06:58 ID:Wh9ZkKab
天皇陛下バンザイ
416 :
ころ:03/04/09 17:59 ID:???
れさん
>>373 リベラリズム=例外のある自由、和の理念=前提のある自由としましたが、共に集団社会を構築する理念だと思います。今の日本は原則自由ですが、この規制の多さは例外ではなく前提の自由だと思っています。
だから日本はリベラルじゃないというのです。憲法は確かに個人を自由を認め、例外として「公共の福祉」による制限を認めてると解します。でも実社会はことあるごとに「公共の福祉」による規制が跋扈し、まさに規制社会の中にあると思うのです。
本当にリベラルならば、国家による規制をなるべく否定し自律を求めるはずです。それを甘んじて受け入れてるのは、規制というものにそれだけ自由が依存され、自由が自律することを否定することになります。
規制をなくすとそれだけ自由になり、自由が自由でなくなる危険性が伴います。リベラリズムはその危険性を国民が受け入れることが第一です。それだから自由が最大限享受され自律できるのです。
和の理念は、その危険性を国家に求めます。国民はその危険性を受け入れず国家による規制を受け入れるのです。当然規制ありきの国家になり、国民も真の自由を享受してるとはいいきれません。ただし、危険性はない安全な社会が保障されます。
>なぜなら、和の理念は党派心を否定しているからです。
戦後の自民党による長期政権は「党派心」ではないのですか?
私見では、和の理念でも「党派心」はあると思います。
難しいことはお国に任せておけば良い。
危険なリベラリズムなど受け入れる必要は無い。
集団となって生きる以上、個人の自由など幻想の産物。
奴隷の自由を与えれば充分。上から下まで寝るとき以外は
黙々と只、死ぬまで働けば、世はことも無く過ぎ行く。
それでいいのだ。下手な考え休むに似たり。余計なことなど考えるな。
太子様もそう宣っているだろう。
あらら、しばらく見ない間に皆さんいい具合に狂ってきてますな。
そろそろ俺さまの降臨する時ですかな?(藁
420 :
保守を考える:03/04/09 23:08 ID:/2uPOIoS
なんだか、狂った名無しクンとアラシ君が、最近目立ってきていますな。
あやしい氏も復活したし、あとは彼に議論を盛り上げてもらっておいて
私はしばらくの間、冬眠します。
では、またいつか・・・・。
>>419 アズマ氏
結局のところ、むっちょ氏なども、日本国憲法がリベラリズムであると言う論証
も、リベラリズムを受け入れの必然性さえ論証も出来なかった。
パンドラ氏も同様である。
貴殿のご希望にこたえて、国民の合意に回答を求めるべきである論証として、和
の理念を提示してみた。全ての価値観を相対としてみれば、国家の行方は国民の
合意に委ねるしかあるまい。価値主張の絶対性を認めれば、衆議の確保が国法の
基本となる。日本はまさに和の理念であり、唯一の正義を認めていない。
米国は自由主義を唯一の正義とする、その事は、今般の戦争でも明らかである。
神から生まれながらに与えられたからの基本的人権ではなく、絶対性を否定する
ところから論理的に導かれる基本的人権、私には日本国の理念は後者に有るとし
か思えない。
423 :
右や左の名無し様:03/04/10 14:46 ID:mi26iRi4
424 :
右や左の名無し様:03/04/10 14:50 ID:LRZKGa5n
うう。まとまった時間が取れない。
>>422 「日本国憲法がリベラリズムである」という論証はしなくても、
それが(学説のレベル以前の問題として)一般的通念であって、
むしろリベラリズムではなかった場合、不都合が起こるという論証はした。
というか、いままでさんざん指摘してきた合意主義の問題について、
あなたは何も答えてくれないよね。
キリスト的なものと、日本的なものとの比較によって、日本の多元主義を
賞賛するという陳腐な議論が流布しているのは、大きな問題だよなあと
僕は常々思っていることなんだけど。
だいたい和の精神だって、その和という状態が成り立ちうると想像している時点で
多分に本質主義的だろう。その精神は、互いに相容れないものとの共存という
プルーラリズムの精神に比べて多元性という点においては優越しているとはいえない。
>>425 時間がある時、ごゆっくりとどうぞ。
なお、今まで貴殿がおっしゃっておられたのは、自由主義であるという前提から
すると、天皇制が矛盾するということであって、日本国憲法を自由主義であると
「みなさない場合」何がしかの矛盾が存在するという論証はなかったと記憶して
おります。和という状況が成り立つかどうかという時点で、それでは、自由とい
う状況・平等という状況が成り立つかどうかと、対比されてお考えいただければ
いかにむなしい指摘か、ご理解いただけると存じます。
>>422 久しぶりに来て見れば、またまた民主的多数決万能論かね。うんざりだな(藁
全ての価値観を相対として絶対的な価値観の定立を仮定しない体制と言うのは、
社会制度として欠陥のあるものと言わざるをえないな。もし、れたんの言う
ように「日本」のシステムがそのようなものであるのなら、それは排除される
べき欠陥のある社会システムと言うことになる(藁
なんども指摘しているが、価値の相対性を承認することと、社会として特定の
価値を絶対的なものとして選択することは別問題だろ。一定の価値を絶対的な
価値として選択することに社会的効用が認めるのであれば、それを選択することに
躊躇すべき理由はないだろうが(藁
れたんの主張するような多数決によって導かれる人権論とか、国家理念と言った
発想は、言わば大戦前の法実証的な立場であり、そのようなものとして国家理念を
設定する発想に破綻が生じたから「自然法」とか「普遍性」とかわけのわからん
ものを持ち出してきたわけだろうが。
「和の精神」とか「ショウ明太子」とか実在不明のわけわからんものを持ち出すが、
「和の精神」が相対的な価値観を前提にする概念とするなら、そもそも「和の精神」
すら多数決によって改変可能な概念にすぎないことになり、そんなものはそもそも
固定した概念として成立しないことになる。「和の精神」を話し合いによる妥協と解する
なら、「話し合い」を成立させるための最低限度の事項を社会的なコンセンサスと
して絶対的な価値として規定しなければ「和の精神」すら成立しないだろ。
例えば、話し合いの際に必要な「政治的参加権」とか「言論の自由」などの諸権利を
「不可侵な価値」として仮定しなければ「和の精神」すら成立し得ないわけで、
そのような社会を成立させる上での前提事項を確保するのが、絶対的な価値を仮定
することの社会的効用だろう。
「和の精神」も結構だが、そのような社会状態を成立させるためには、社会として
最低限のなんらかのコンセンサスが必要なわけで、そのような最低限の社会的
コンセンサスは絶対的な価値として仮定する方が社会的効用と言う視点から見て
有利だろ。自由主義とか立憲主義と言うものは、そのような社会の基礎となる
最低限の社会的コンセンサスを洗い出し、それを普遍的な価値として多数決原理から
排除し社会制度化する実践的な思想運動だろ。
そのような社会の前提として採用すべき価値を多数決原理から除外して設定して
している人権規定その他が最高法規に明記されている以上、現在の日本社会は
残念ながら西洋起源の現在型の自由主義・立憲主義を採用していると見るのが
まともな見解と言うものだろう。れたんは、もっと現実を見るよろし。現実を
見た上でそれを批判するならよろしいが、日本が西洋流のリベラリズムを採用してない
とか、普遍的な価値観を社会制度として採用してないとか言うのは、現実認識が
狂っているとしか言えませんな。普遍的な価値を社会として仮定することは
間違いで、相対的な価値に基づき多数決原理ですべてを決めるのが好ましい
と言うなら、そのような主張を社会として新たに採用すべき主張として提起すべき
だろ。
しかし、そのような多数決万能論に基づく発想は、力の論理・数の論理に
基づく発想だから、そもそも「和の精神」と言うものが成立するか大いに疑問
であるのだが(藁
429 :
右や左の名無し様:03/04/10 21:56 ID:G4weA+ap
和の精神は党派心を廃して譲歩するというれたんの主張は、結局のところ君主という
党派がほかの党派に対して絶対的に優越することにより他党派を従属させることが前提
でありその譲歩において君主自身が臣下に対して譲歩することを想定していないので
和の精神が民主的であるという主張は詭弁の域を出ない。
なぜならば、民主的な議論においては君主、臣下の主張が等価であることが前提であり、
譲歩可能性が等価であることが重要だが十七条憲法から読みとれるものは臣下が君主に
対して譲歩することの重要性を説くのみであり逆であるから。
そういや党派がどうとか言ってたな。党派心がいけないとれたん
は言ってるらしいが、党派心と言うものは人間の自然な性向から来るもので
政治的に見ても、むしろ有用なものだろ。
政治における党派心は、政党や政治団体、支配階級、統治者を作る
原動力であり、政治を成立させる上での重要な資源だろ。権力欲とか
党派欲求と言うものは、広域な社会における支配階層や支配階層内
での意思形成を行うに際しても必要欠くべからざるものだし。
党派心がいけないのではなく、特定の党派が社会を私物化したり
党派間でまともな議論が行われないことが問題なのであって、
党派心を持つこと自体が問題なわけではない罠(藁
>>426 「みなさない」場合、それは矛盾ではないが、もっと大きな問題、
すなわちヘゲモニー崩壊が起こると述べている。
また、多元性の基礎を、ある合意またはアプリオリに存在すると仮定された
規範空間に置くのと、多元性そのものに置くのでは、ロジカルな観点においては
ぜんぜん意味が異なる。前者は本質主義であるが、後者はそうではない。
ちょっと補足。
多元性そのものに基礎を置く多元主義というものも結局は多元性という価値を
普遍的理念として採用しているのだから、合意主義であると呼ぶことは可能かもしれない。
しかし、それは「合意に達しなくてもよいという合意」であって、いわばメタ的に上位であるといえよう。
一方、ある文化や多数決をもとに基礎付けられた多元主義は、問答無用の価値合意主義の
もとに構築されており、多元性そのものに基礎をおく場合に比べ下位にあるといえる。
433 :
右や左の名無し様:03/04/11 03:30 ID:zxe1yxdO
馬鹿ばっか
>アズマ氏
和の精神と和の理念を混同して書かれても、レスする気も起きない。
17条憲法という素材を元に、それを理念化している。私の書き込みを読みそれ
を批判しなければ、まったく問題外。党派心が人にはあるから、何がしかを絶対
化することはできないという理念であるから、党派心が有効であるといわれても
、そうですねというしかない。
>>429にいたっては、17条憲法を私は素材としてしか見ていないから、意味が
わからん。別に17条憲法を復活させようとしていない。
聖徳太子のころから日本人独特の「絶対性の否定」が、現代にも有効に影響して
いる。日本人独特の理念であることは事実である。
>>432 それは、和の理念でも、同様である。時間があれば見ればいいが、文化に基づ
くものでもなく、多数決に基づくものでもない。
だいたい、「多数決により基礎付けられた理念」は日本語的にも、おかしいだ
ろう。
436 :
パンドラ:03/04/11 09:21 ID:crLLjLX1
ころサン,公私共に多忙である,返事遅れ容赦!
>>335 >おたがい負けず嫌いですね。
そんなことはない、わたしはともかく、あなたは前スレであっさり負けを認めているw
ま、アノ話題も、この話題同様「勝・敗」を云々するようなものではなかったが…w
で、あなたのことだから意図的ではなかろうがw あなたのお話は、わたしの論旨をかなり歪めている。
>美濃部達吉の「天皇機関説」は大正デモクラシーの論拠となり…1935年に美濃部は「天皇機関説」を…、言論弾圧されました。
>パンドラさんは後者のみをして言論の自由はなかった、私は前者を見て言論の自由は一時的にもあったと言っています。
ぜんぜんちがうw わたしのいうのは「現実認識としての言論弾圧」であって、戦前に存在した圧倒的な内容の「弾圧」をさしている。
べつに大正デモクラシーも否定していないし、「…後者『のみ』をして…」であるわけがないw
で、美濃部の「天皇機関説」は、自由の裏づけにはならない、これは旧憲法の無難な解釈に他ならず、
むしろ、西欧にも通ずるよう配慮された体制迎合的なものであった。プロ文学などとは基本的に異なる。
これを「主権説」をもって弾圧したのは当時の権力内の無知と自己矛盾に過ぎない。さらに…
>言論の自由は一時にしろあったということです。
「…一時にしろあった」では自由とはいえまいw、「特定の言説」を『一時的な存在』に圧殺してしまうことこそ『言論弾圧』であるwww
>戦前の言論の自由について最終的に思想統制された点は認めますが、自由が全くなかったというのには疑問なのです。
そもそも、わたしは「自由が『全く』なかった」などとは一度として申し上げていないw
くりかえすが「現実認識として言論の自由がなかった」である。
あわせて、『100%を論じる』ことの無意味もすでに、一度ならず指摘している。
しつれいながら、かようにあなたの言説は、随所で見事に破綻しているw
437 :
右や左の名無し様:03/04/11 09:22 ID:crLLjLX1
>以前「チャタレイ夫人」を出しましたが、…この「制限」解除を妥当と見るか(パンドラさん)不当と見るか(私見)の違いです。
>この点については平行線を辿ってるだけですね。
そんなことはないw
制限としては「不当」だが、「現実認識として言論の自由がない」とまではいえない…ということである、もちろん、戦前と比較しての問題だが…
それに、なにより『結果として自由』になっているw
もう、おわかりであろうw 天皇機関説もチャタレー問題も「現実認識そのもの」であって、「戦前の言論弾圧」を覆す根拠とはなりえないのだよ。
で、これは「議論の勝・敗」でなく、あなたの「思い込み」のなせるわざ…であることをあなたが了解されるか否か、が決着の仕様である。
おそらくは素直な性格であろうあなたが、了解し得ない…ということであれば、わたしのexplanationの「敗北」ということになろうかw
>パンドラさんがニーチェのように自己否定なさらぬようにお祈りしています。
自己否定は、bondagesからの自由と創造への第一歩という考え方もあるぞよw
あなたも、「思い込み」の自己否定が、あなたの発想の自由さを取り戻してくれるかもしれないwww…
438 :
冬眠した「保守考」=「トンデモ」氏へ:03/04/11 09:23 ID:crLLjLX1
>>336 >ヴィールスが脳内にまで達してしまったのか?
われながら、そんな感じもしたw しかし、virusであれぱ回復するが、あなたの場合は…しつれいw
>国名の「日本」と千代田区内の一町(有楽町)を同列に論じるのは…
たとえ話…であるぞよ、基本的には同じこと、ようするに、国防の「戸締り論」とおなじであるw
>有史以来の制度であり、国家の代表者を常に天皇と定めてきた日本の国家体制を変革することの重大さを指摘しているのだが・・・・。
一部階層の都合で「利用」されてきた…という認識は否定できまいw
けして、国民一般の支持を受けたわけではなく、そして、長く続いただけならガラパゴスのゾウガメもおなじ…とも申し上げたw
>「歴史認識は一様ではない。」と謳いながら、自らの認識を展開しない
いやいや、上記のような認識をくりかえし提示しているw
>つまり、「空論・空想」を呪文のように唱えられても、何も説得性がなく、なるほどと、唸らせる感慨も生まれない。
「象徴天皇の廃止」をして「革命」とされる「空論・空想」ほどでもなかろうよw
>こんなやりとりは莫迦バカしい限りである。
ご同慶の至りw しかし、2ちゃんであるぞよw
>以後、君のレスに対して、何も啓発されるものを感じ得ない場合は、スルーさせて頂く。
逃げ道は確保されたがよいw ま、追いつめないでおいてあげようw
ゾウガメであるならなおさら、国家が手厚く保護してやるべきであるぞよw
ゾウガメほどの価値はない、よって、国家が保護するなど予算のムダであるぞよw
>>438 ゾウガメとかアシモくんとか、現実に則さない煽りは滑稽でしかない。
貴殿程度の論理力があれば、煽らなくても議論はできるであろうと思う。
1、国の制度として50年以上定着している。
2、国民の圧倒的多数の支持がある。
3、皇室自体に多くのコストはかかっていない。
4、諸外国からも評価されている。
5、国内外における皇室の公務は、国益に沿って成果をあげている。
6、現在の国民に何らのマイナス、不都合を与えていない。
ヒステリックにゾウガメとか揶揄するのは、滑稽でしかない。
どこか夢想の世界にでも旅立たれたかと、気の毒になる。体は元気になっ
ても、精神がついてこないこともあるので、ご自愛なさるように。
圧倒的多数の支持?
例えばどんな所で不支持の声があるの?
圧倒的多数の支持ねぇ
数を頼んで質を検証しないのは愚かだと思う。
不支持
↑無くすべきである
|無くなった方がよい
|無くすべきとは思わないが、無くなるのは好ましい
|無くなってもかまわない
|関心がないから今のままでいい
|存続してもかまわない
|存続すべきとは思わないが、存続するのは好ましい
|存続する方がよい
↓存続させるべきである
支 持
>>446 >>441で1〜6まであげている。
おかげさまで、パート2からパート10まで参加しているが、ずいぶんとさ
まざまな角度から検証させていただいた結論である。
世論調査の質なんてどうでもいいんじゃない
ようは選挙の争点になるかってことだろ
その本質を考えられないのは愚かではないのかな
449 :
右や左の名無し様:03/04/11 18:54 ID:Ls5xcZtq
この国は左さんの国ではなく、天皇の国であるから。
450 :
右や左の名無し様:03/04/11 18:58 ID:Ls5xcZtq
てゆーか、君たちはこのようなスレッドがあることを不敬かつ不謹慎だと思わんのかね?
453 :
右や左の名無し様:03/04/11 20:03 ID:2b92LwEd
憲法一条・・・おわり。嫌なら改正しろ。
454 :
パンドラ:03/04/12 08:51 ID:0cLGvu+/
>>441 >ゾウガメとかアシモくんとか、現実に則さない煽りは滑稽でしかない。
と、いうか…いまどき天皇制を後生大事にかかえていることこそ、滑稽以外の何モノでもなかろう。
ゾウガメとアシモくんのほうが、よほど価値がある、これはマジであるw
前者は遺伝学的に、後者は先端技術として未来につながるという意義として…天皇制には何もない、弊害以外に…
>1、国の制度として50年以上定着している。
>2、国民の圧倒的多数の支持がある。
硬性憲法という要素、天皇懐疑論者の多い九条がらみの護憲派も「支持」に組み込まれている特殊事情については、すでに指摘されている。
>>446 は、それ以上に「もっとも」であるw
3、皇室自体に多くのコストはかかっていない。
また、松井の年俸との比較? むっちょ氏に軽くあしらわれているだろうにw
それに、5,6とのからみで否定論が多いことはあなた自身知っておられよう。
4、諸外国からも評価されている。
外交辞令以上の評価を、知らない。
5、国内外における皇室の公務は、国益に沿って成果をあげている。
その効果とやらを、知らない。
いかなる効果か、具体的に数値をもってあげよ…この質問は、保守考氏も逃げた…w
6、現在の国民に何らのマイナス、不都合を与えていない。
また、くりかえしか? 1.2もそうだが、忘れたフリして何度も言わせないで欲しいhoo!
植樹祭などによる自然破壊、行幸に伴う交通渋滞や障害者らの行動制限、経費のムダはすでに過去スレで指摘されている。
それに、自然権たる人権、貴種の存在に起因する有形無形の差別…星の数ほどある。
それとも、ほんとうに忘れているのか? だったら、Dementia clinic を受診されよw
>ヒステリックにゾウガメとか揶揄するのは、滑稽でしかない。
それは、あなた、数億年も種を保存したゾウガメさんに失礼であるぞw
で、ゾウガメは遺伝学的に現存在に価値がある、いっぽう、天皇制は「弊害」ばかりで、現存在に何の価値もない。
くわえて、あなたがたの主張する存在意義=歴史的意義は、文献あるいは文化財として残せば十分である。
>>454 やっぱりもう一度云う。現実を直視したほうがよい。
天皇制という制度が遺伝学に何か関係があるのだろうか。
制度にまでDNAがあると信じているなら、いちど何らかの検査を受ける
ことをお勧めする。天皇制の本質は血統承継ではないと、何度言えばわか
るのだろう。父系血統承継など、現代科学でも100%ではない。フィク
ションであり物語である。そのフィクションを信仰しているには、ほかな
らぬ貴殿であるようだ。
支持は支持である。投票結果について、ああだこうだ云う落選議員のよう
で見苦しい。
コストがかかっていないことは事実でしかない。大体コストがかかってい
るということ自体がイメージでしかない。先進国の元首的地位との比較で
は低額である。基準を示さずイメージで語るなら、松井より少ない。(と
軽くあしらっておこう)
外交辞令は、儀礼的外交成果として評価できよう。
植樹際は、各行政の予算の結果である。地方自治体の住民の意思を無視し
てまで否定するとは、民主主義を否定するのだろうか。
差別であるなら、憲法違反であろう。国民が人権を主張できる法律は、い
ったいなんだろうか。馬鹿も休み休み言ってもらいたい。
自由主義真理教の教義に沿わないことは、人権侵害・自由の敵であると
云って、正義を振りかざす姿は、貴殿の大好きな米国の今の姿である。
456 :
右や左の名無し様:03/04/12 11:30 ID:ppHd1dXr
>>455 >現実を直視したほうがよい。
現実を直視してのお話なのだがw 「圧倒的支持」こそ現実を直視していない?
>天皇制という制度が遺伝学に何か関係があるのだろうか。
関係ないが、何か? 遺伝学はゾウガメの価値として、科学技術はアシモくんの価値としてあげたに過ぎない。
それに匹敵する価値が天皇制には何もない…という比喩的な意味である、しつれいながら、そんな質問を帰されるとは…hoo!
>支持は支持である。投票結果について、ああだこうだ云う落選議員のようで見苦しい。
あなたも現実を直視されたらよいw
>コストがかかっていないことは事実でしかない。
コストパフォーマンスの問題であり、存在意義と分けて経費の多寡、あるいは要・不要は論じられない。
>先進国の元首的地位との比較では低額である。
他国の「元首」とは、機能も存在意義も異なる、比較は無意味。
現実のわが国の国家制度としてのコストバフォーマンスを論じるべきである。
457 :
↑もパンドラ:03/04/12 11:32 ID:ppHd1dXr
>外交辞令は、儀礼的外交成果として評価できよう。
その儀礼的外交成果とは、天皇でなれければならないものか? で、いったいいかなる具体的効果をもたらすや?
>植樹際は、各行政の予算の結果である。地方自治体の住民の意思を無視してまで否定するとは、民主主義を否定するのだろうか。
必ずしも住民の意思とはいえまい、長野県のダム工事とおなじであるw
いずれにせよ、天皇制がなくなれば植樹祭は自然消滅し、自然破壊はなくなろうw
>差別であるなら、憲法違反であろう。
そのとおりである、すでに真にヒトを傷つけるのは、経済的差別ではなく、先天障害や出自による差別、内容に即しない疾病差別などであり、法の網にはかからない。
心理的差別の根源のひとつが天皇制であり、これは心理的差別にとどまらず、特定の国家制度の独占、身分制といった具体的な差別も現出している。
で、改憲をめざしての議論であることは、幾度となく提示している、”休み休み”むしかえさないでいただきたい…hoo!
>自由主義真理教の教義に沿わないことは、人権侵害・自由の敵であると云って、正義を振りかざす姿は、貴殿の大好きな米国の今の姿である。
わたしは「正義」は、時間と空間を限定しなければ論じられないと、すでに申し上げている。
そして、わたしは自由主義者でもなければ、社会主義者でもない、日々の生活に追われ、迷える大衆の一人であるw
で、米国は大好きだし彼らを尊敬もするが、彼らのすべてが好きなわけでもないし、すべてを尊敬しているわけでもない。
>>457 憲法第一条が憲法違反とは、いやはやなんとも。
憲法において、人権規定が、天皇制より上位であるとの認識は、自由主義
から導き出した人権思想の賜物であろうから、この議論において自由主義
者であろうと推察する。
私はこの憲法がすべての価値を絶対化しない和の理念から導き出されると
し、第一条も、人権思想も同等であるとしている。
いずれかが上位であると、信ずることは宗教でしかない。
459 :
ころ:03/04/12 15:19 ID:???
パンドラさん
>>437 >おそらくは素直な性格であろうあなたが、了解し得ない
というかパンドラさんと私見の違いがかなり前(「ループ」と言い出した当たり)からよく分からないんです、実は。「違う!」ばかりで・・・そこまで真っ向から相容れないものですか?
>「…一時にしろあった」では自由とはいえまいw、「特定の言説」を
>『一時的な存在』に圧殺してしまうことこそ『言論弾圧』であるwww
結果として弾圧があったから戦前は言論の自由の弾圧とするのはどうも・・・。
戦前というのは戦前昭和ではなく明治憲法下全体のはなしですよ。
>制限としては「不当」だが、「現実認識として言論の自由がない」とまではいえない
「不当」なら「自由でない」ことになりません?
>それに、なにより『結果として自由』になっているw
結果として自由になったから言論の自由の弾圧ではないとするのはどうも・・・
私は戦前戦後を問わずもっと細かいその時々で「自由」の基準はまちまちでどの時代にも「自由」はあったし、「自由」はなかったと思ってます。
460 :
ころ:03/04/12 15:19 ID:???
>プロ文学
これの弾圧をもって戦前の言論の自由を否定するのはどうも・・・。
ロシア革命以後反共思想は当時の国際社会=資本主義国家の国是でした。
例えば英国の対ナチスドイツ宥和政策も反共思想が「敵の敵は味方」となって全体主義も自由であるということになりました(実際には違いますが表面上)。
それだけ共産思想は脅威であって、共産思想の弾圧は戦前日本だけではありません。米国だって英国、仏国でもありました。
これは戦後の国際社会が冷戦時代に突入するまで続きました。米国で吹き荒れたレッドパージ。これも今から見れば明らかに言論・思想の自由の弾圧でしょう。でも当時はそれが認められました。それが当時の「自由」でした。
プロ文学のみを槍玉に挙げ、戦前日本が弾圧があった、現実認識の自由がなかったという意見には首を傾げちゃいます
>「現実認識の自由」
「現実認識」とはその時々の世相や潮流があっての認識です。今は信じられなくても、その当時ではそれが「自由」だったと思います。
それを杓子定規的に後世で認められてる自由を当てはめてもそれは全て「現実認識としての自由はなかった」ことになると思います。
そもそも「自由」とは比較されるものなのですか?貴殿の信じる「自由」は将来も「自由」たり得るのですか?
戦前昭和について、いろいろな制限(法律の留保)があった上で「自由」でした。「現実認識」としても当時の人には「自由」でした。
勿論、現代を生きる我々の「現実認識」では「自由」ではありません。
それが「自由」というものでしょう?だから制限というものは常に正しいのかその基準を疑う必要があるのです。
私は、プロ文学の弾圧した戦前日本を擁護したいのではないです、あしからず
461 :
パンドラ:03/04/12 16:04 ID:gTUDZkpX
憲法違反というより、憲法内矛盾として過去スレで指摘している。
憲法には、条文間の優劣の規定はないが、とりあえず前文で民主主義をうたっている以上、
民主主義とその属性である人権は、より基本的な規定であろう。
いずれにしても、同等か否か、ではなく、天皇制は憲法内矛盾である…と申し上げている。
>>461 だから、矛盾であるとする根拠は、自由主義真理教でしょう。
リベラルな民主主義であるという前提がなければ、矛盾であると論証でき
ないのでは?
463 :
パンドラ:03/04/12 16:18 ID:R2YBLcrV
>「不当」なら「自由でない」ことになりません?
> 結果として自由になったから言論の自由の弾圧ではないとするのはどうも・・・
> 私は戦前戦後を問わずもっと細かいその時々で「自由」の基準はまちまちでどの時代にも「自由」はあったし、「自由」はなかったと思ってます。
「現実認識としての自由」とは、それらを勘案しての評価である。
現実社会では、100%の自由もなければ、100%の弾圧もない、そこで「現実認識」が問われる。
「戦前に言論の自由があった」とされる以上は、それを裏ずける新たな「現実認識」をしめなければならない。
出かけるので、返事は、月曜以降ということで、よろしく。
>ころ君
アホかね君は?戦前と戦後の権利概念はまったく別物だろ。
戦前の権利概念と言うものは、法律の留保の付いたもので、
現在の普遍性を根拠にした権利概念とは根本的に異なるものだろ(藁
どうも法律の留保を軽く見ているようだが、法律の留保とは、
独裁権力や多数決によって、権利の内容が自由に改変されることを
意味するもので、極端に言えば権利剥奪すらも自由に行いうるものだ。
現在の権利概念は、そのような独裁権力や多数決によって権利の
中身を決めるのではなく、「普遍」と仮定される自然法なる概念から
導かれるものとして硬性憲法に規定しているんだろ。この点が
戦前と戦後の大きな違いで、戦後の権利概念は普遍とされる理念に
よって担保されることによって、権力や民衆から隔離されとる
わけだな。この相違を甘く見てはいけないだろうが(藁
君たちの早計なところは、価値相対主義を持ち出して自分の都合
のよい価値観を安易に肯定しようとするところだ罠。権利概念で
言えば、法律の留保が付く時点で「現実認識」として「自由」
とは到底言えず、それを敢えて「自由」と言うなら数ヶ月前のイラク
も「自由」といわざるをえん罠。お前さんの自由は、結局のところ
多数派の支持する自由であって、一般的に言われるところの
自由主義的な自由の概念ではないといわざるをえん罠(藁
>>462 なんらかの価値を社会的に有用として社会が採用することに
意味があるならそれを採用することに躊躇する必要はない罠。
社会の採用するイデオロギー・理念は、単純であることが
望ましく、原則として市民の自由・平等性をうたうのであれば、
出来る限りすべての市民にそれを適用するのが自然だろ(藁
市民に自由や平等を権利として認め承認するのは、社会的に
見て有用だから、それに反する例外を設定するなら、それなりの
合理的な理由がなければ通らんと考えるのが、原則・例外の
論理的思考から言っても当然だ罠。
もちろん、社会を成り立たせる上での自由とか平等と言った
原理・原則に異をとなえると言うなら話は別だが、れたんは
多数決絶対の屁たれだから、そんな異端な立場には立てんだろ(藁
>>464 それも自由主義真理教である。もし普遍の理念によって権利が保障されて
いるのであれば、なぜに芦部憲法において、自由主義理念に矛盾する判決
が数多く指摘されているのだろう。
いいかげん自由主義理念の幻想に気づいたらいかがかと、憐憫の情を交え
て貴殿にアドバイスする。
>>465 キリスト教的な「神から与えられた人権」にたよらなければ展開できない
理念と、争いを避けるためにすべての絶対性を否定する和の理念とでは、
明らかに和の理念のほうが、普遍性が高い。
「神から与えられた人権」は一神教の信仰であり、そんな、「日本人にと
って異常な」信仰を前提としなければ理解できない理念を普遍といえる貴
殿は、単なる「西洋かぶれ」でしかないように、私には思える。
議論の末の最終的な解決法としての多数決を否定し、そのような信仰を絶
対とすることが普遍であるとは、大笑い海岸である。
れたんは、日本はリベラルな民主主義とか西洋流の人権概念を
社会制度として採用してないとかわけわからんこと言うが、俺から
見ても笑止だ罠。リベラルな民主主義とか、西洋流の人権概念の
本質とは、多数決や時々の政治権力から、人権などの一定の領域を
担保するための純粋な政治技術であって、文化とか歴史なんて
関係ないだろ。
人権と言う概念に有用性を見出し、それを制度的に担保しようと
すれば、その根拠を多数決とは別のところに置いたり、曖昧な解釈を
できるかぎり避けようとする形を取るのは、制度趣旨から来る必然と
考えるべきだろ。
現在の日本の人権制度は、行政から独立しており、多数決の例外
であり、裁判官の人権解釈においても判例や学説に依存し、安定性・
明示性を負っているところから見ても、リベラルな民主主義、
西洋流の人権制度を国家として採用していると見るのが自然な発想
と言うものだろ。何度も言うようだが、れたんは現実をちちんと
見て、それに文句があるならきちんと批判すべきだ罠(藁
>>466 だから、それは何度も言ってるよーにざいんとぞるれんの問題だろ(藁
どちらが制度として好ましいか考えてみれば一目瞭然だろ。特定の観念を
自由主義理念として、多数決原理の外に置くのはそれが社会的に見て有用
だからで、それ自体は宗教でもなんでもないだろ。普遍性とか、人権真理教
と言ったものは、ものを考える能力のない愚民向けのプロパだろ(藁
人権と言った多数決による意思表示と時に矛盾の生じる概念を担保する
必要性が、判例の一貫性・論理性・明示性を要求するのであって、それに
反するような判例を批判するのは、望ましい社会を目指す当然の批判だろ。
そのような自己修復機能・自己変革機能を現在の司法制度・人権制度は
持ってるんだろ(藁
れたんは、マクロとか長期的視点から制度を見てないんだよ(藁
>>467 前にも触れたが、和の理念と言っても話し合いや妥協が成立する上での
前提事項を絶対的なコンセンスとして承認しなければそもそも、和の理念
なんて成立しないでしょ。
話し合いのためには、言論の自由とか、議論参加の権利とかが、前提として
承認されていなければならないし、そのような内容が改変可能なもので
あったら、話し合いや妥協自体が機能しなくなってしまう。これらの前提と
なる機能は、絶対的な概念として保障さればければならないわけで、
話し合いや妥協を重要視する発想で言っても、前提事項においては絶対性を
認める方が有用な概念が存在するわけだろ(藁
リベラルな民主主義とか、西洋流の人権概念の社会的機能の本質は、
まさにそこにあるわけで、「神」や「普遍」がでてくるのはそこら辺の
事情がよく飲み込めない愚民向けの美辞麗句だろ。そのような愚民向けの
信仰としてしか、人権制度を捉えられないところがれたん風に言わせると
「大笑い海岸」だ罠(藁
471 :
ころ:03/04/12 17:06 ID:???
役者が揃いましたね。
アズマさん
>>468 >文化とか歴史なんて関係ないだろ。
「道徳」ってご存じですか?
>>468-470 何を言っておられるやら・・・。
いいかな、人権の必要性はリベラルな民主主義ということからしか、導き
出せないとするところに貴殿の意見の限界がある。和の理念からであって
も、すべての価値観に絶対性はなく、衆議によってのみ、理にかなうよう
になる論理からも、当然に衆議の確保が前提であり、行政から独立してい
なければならず、多数決の例外である。西洋流の人権思想を、日本独特の
和の理念によって採用したとみなすのが自然であろう。
もう一度云う。現実を見つめなおし、幻想を捨てるほうがいいよ。
ようは、天皇制という、国民の権利行使・国の意思決定に無関係な地位に
関してまで、人権だ平等を持ち出すリベラリズムの弊害を私は問題視して
いるのである。あまりに個人主義に偏り、あまりに自由を求めすぎる現状
、共同体が存するからの個人の利益の無視は、リベラリズムの弊害であり
、マクロ的に見ても、長期的に見ても、日本という、絶対的な価値観を国
民的に保持していない国にとって(西欧・米国という一神教のベースが国
民生活において存在する場合と比較して)危惧する部分である。
さて、リベラリズムを信仰していれば、マクロ的視野・長期的視野から見
て、本当に安心か。何らかの、すでに成功している国家があるわけではな
い。道は未知であり、無根拠に自由主義を信頼する貴殿は宗教家のようで
ある。
>>741 道徳とは果たしてなんだね。おまえさんの個人的なモーソーとか?
道徳と言うものが社会に存在するとするならどのようなものか
一つインモラリストの俺に教えてくれないか?(藁
道徳も知らないとは・・・・あほでつか。
>>472 だから社会機能から人権概念を導くのであれば、日本独自と言う発想自体が
でてないわけでしょ。多数決の例外事項を担保する社会的必要性が、絶対的・
普遍的なものとして仮定された人権と言う概念を導くわけだから(藁
れたんのおかしなところは、社会的機能から多数決原理の例外として
人権制度が導かれることを承認するくせに、その中身や解釈に関して、
日本的とか意味不明の説明をするところでしょ。人権と言った多数決から担保される
べき例外事項を社会的機能から導くのであれば、その解釈に関しても当然合理的
解釈でそれを導きだすのが、道理と言うものなんじゃないのかね?(藁
和の理念も結構だけど、結局のところ「和の理念」と言ったところで、
多数決万能論に毛の生えたようなもんだろ。それをインチキ臭く「日本的?」なる
アレンジをして暖めなおして出しただけじゃん。一定の領域を多数決から担保する
必要性は、どのような社会であっても存在するわけで、それをいかなる概念にし、
いかなる制度で担保するかは、それぞれの時代・社会でことなることは認めるけど、
それが恣意的であったり多数決によって可変するものであったら意味ないじゃん。
社会の構成員に自由・平等、個人主義と言ったものを多数決の例外事項として
認めるのは、それが社会的に見て有用だと思えるからそうするのであって、
それを多数決や権力者の恣意で可変概念にもどそうとするのは、いかがなものかねえ。
自覚はないんだろうけど、自由とか平等を明示的・原理的なものと考えず、
伝統とか曖昧な概念に結びつけようとするのは、自由・平等と言った概念を
権力・民衆の恣意に委ねることにほかならないでしょ(藁
476 :
ころ:03/04/12 17:54 ID:???
パンドラさん
>>463 >そこで「現実認識」が問われる。
なぜ「現実認識」を一つの杓子定規でしか見ないのですか?
「言論の自由」というのにも様々な基準があります。
政治思想(国体=機関説、共産思想・・・)猥褻観念(チャタレイ・・・)、その他名誉毀損などそれらが「現実認識」という一つの基準で論じるというのはどうも・・・。
パンドラさんの意見も理解しています。ただ、私見が理解されてないような・・・(私の表現不足です)。
>現実社会では、100%の自由もなければ、100%の弾圧もない、
これは理解しています。ここではないんです。
>「戦前に言論の自由があった」とされる以上は、それを裏ずける新たな「現実認識」をしめなければならない。
「現実認識」を細かく分類してみます。
政治思想
戦前
政治思想のうち国体に関するものは言論の自由がありました。
政治思想のうち共産思想に関しては言論の自由ははっきり言ってなかったと思います。
でも、当時の人にはこれが自由でした。
「現実認識」をどちらに置くかです。
戦後
政治思想は原則として言論の自由が認められてます。国体などは完全に自由になりました(このスレの存在が証左)。
しかし、共産思想は米ソイデオロギーの中レッドパージや就職差別など制約も残っています
「現実認識」をどちらに置くかです。
猥褻観念
チャタレイは昭和32年に猥褻とされましたが、後発の雑誌や文学作品などはチャタレイの比ではなく、数年前発禁が解かれた時の「現実認識」では猥褻ではなかったと思います。だからの「不当」です(遅きに失した)。
公権力による規制や弾圧?は腰が重く流動的な観念を規制するには不向きなような・・・。勿論公権力自体が不向きではなくて日本の公権力の体質がそうなのですが。
「現実認識」というのは流動的ではありませんか?
>>476 君は、猥褻概念をめぐる判例がなぜ批判の対象となるのかそこのところが
根本的にわかってないみたいね。と言うより、多数決の例外として人権と言う
ものを設定する根本的な意義と言うものがわかってないと言う方が正しいのかな(藁
人権制度の意義は、多数決の例外としてそれを設定するところに人権制度の
人権制度たる意義があるわけで、それを多数の意思におもねる制度にしたら
人権制度自体の存在意味がないだろ(藁
人権制度とは、特定の概念を多数決の例外として立法・行政から担保する
制度であり、多数決に基づかない以上、数の論理によらない正統性の根拠が
要請されるわけだ。民衆の多数決による正統性に変わるものは、裁判官の
示す意思決定の明示性・論理性にこそ求めるべきだろ。そのような裁判官の
意思決定が、恣意的なものであったり、曖昧なものだったら、その決定が
民衆の多数決に対して正統性を持つと言えるのかね?
人権の中身解釈するにあたって、現実認識とか言って曖昧なものにしたり、民衆の
曖昧な雑音に迎合させるのは、結局多数決の例外として人権を担保する社会的
効用を下げる行為にほかならないだろ(藁
言論の自由を思想を理由として制限したりするのは、それが社会の存立を
脅かす等の合理性を持たなければ、多数決の例外事項の人権から否定される
べきで、通説に基づけばそのような人権概念を現在の日本社会は採用しているんだろ(藁
478 :
ころ:03/04/12 18:23 ID:???
勝手に各人の立場を整理します。
日本国憲法
れさんが「和の精神」から説明し、アズマさん・むっちょさんは「リベラルな民主主義」からなると主張しています。
私(ころ)も憲法は「リベラルな民主主義」からなってると思っています。
日本という実社会
同じく、れさんが「和の精神」がベースになると、アズマさん・むっちょさんは「リベラルな民主主義」がベースになるとしています。
ここが決定的に違うのですが、私は「和の精神」がベースだと思っています。
みなさんは憲法と実社会が同じ価値観であることが当然のように思われてますが、その根拠はどこにありますか?実際にそうでしょうか?
日本は憲法だけ見たら「リベラルな民主主義」、でも実社会は「和の精神」。このギャップが日本という国の特殊性だと思います。
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戦前の権利概念と戦後の権利概念は、制度的に見て根本的な
断絶があるわけで、「言論の自由」と言って同列に扱うことは
出来ん罠。戦後の人権は、権力の恣意性や多数決原理とは、
別のところに正統性の根拠を置いているわけで、そこの相違を
無視して、両者を単純に比較したところで意味はない罠。
猥褻概念をめぐる規制に関しても、単純にそれを多数決原理に
基づいて規制してよいかは規制の程度問題を絡めて議論のある
ところだし、政治信条を巡る差別は明らかにゆるされん(罠
>>478 「日本という実社会」とは何かね?そんなものが存在するのかね?
実社会が存在するな「偽社会?虚社会?」も存在するのかね?(藁
482 :
右や左の名無し様:03/04/12 18:30 ID:X5OHJr5G
アメリカ人がアメリカ人の感性で適当に作った憲法。
それが日本国憲法です。
日本の社会とのギャップがあるのは必然的。
名目上は国民の支持のもとに成立したことになっているけど
実際はアメリカが無理やり押し付けた。
しかも日本が独立後に憲法の改正又は破棄をするであろうとの憶測のもとで。
その観点から現憲法の破棄と新憲法の制定は必然と考えます。
俺は、アズマ人だから、「日本の実社会」がいかなるものか
さっぱりわからんなあ。そんなものが存在するのかね?
日本の実社会なんて、ヤマトのモーソーだろ(藁
仮に日本の実社会なるものが存在するとするなら、それは
いかなる社会なのか。日本の実社会が存在するとして、それが
「和の精神」とやらを持つのはいかなる根拠に基づくものなのか?
そこを是非説明して欲すぃなあ(藁
>>482 殺魔・超臭人が野蛮人の感性で適当に作った憲法。
それが大日本帝国憲法です。
日本各地の地域社会とのギャップがあるのは必然的。
名目上は全住民の支持のもとに成立したことになっているけど
実際は殺魔・超臭が無理やり押し付けた。
しかも後に殺魔・超臭閥の都合で勝手に改変するであろうとの憶測のもとで。
その観点から大日本帝国憲法の無効と薩長の担ぎ出した天皇制の廃止も必然だ罠(藁
485 :
右や左の名無し様:03/04/12 18:49 ID:X5OHJr5G
大日本帝国憲法なんてものは当時の権力者が自分達の
都合にいいように作った物でしかない。
しかも国民の支持で成立したんではなくて天皇が成立させたもの
ってのが帝国憲法の解釈。
それと憲法から天皇の条文を消せば天皇制を廃止できるなんて
簡単なこと考えてる奴の気がしれん。
帝国憲法がなかった時代からずっと続いてきたものを
憲法に条文がないからって理由で廃止できる根拠がない。
>>485 民衆にとっては、憲法も天皇も同じだろ。憲法も天皇も権力者が
民衆に押し付けるものであって、それ以上のものでもそれ以下の
ものでもない罠(藁
社会制度の正統性は、民衆がそれを実際に選択したから存在
するのではなく、制度が現在の価値観から見て合理性を持つか
の一点だろ。現在の視点から見て社会制度としての天皇制に
存在する合理性が見出せないなら廃止すべきと考えるのは当然だろ(藁
>>486 リベラルな民主主義のみが、唯一の合理性理念だとでも言うのかな。
合理性がないとの論証は、リベラリズムに矛盾するという一点のみであろ
う。国の行方に影響せず、国民の権利行使を阻害しない天皇制が、その役
割としても効果としても、有益であり、当の国民が支持しているにもかか
わらず廃止しなければ論理矛盾があるなら、その論理を疑うのが普通の感
覚であろう。
より自由に、より個人主義に・・・。破綻していないか、すでに・・・。
488 :
右や左の名無し様:03/04/12 19:05 ID:X5OHJr5G
天皇の社会的政治的価値は計り知れないものだ。
天皇の権威は世界でも通じるもの。
権威は権力の利用する最大の力であることにかわりはない。
日本が一流国家として認識されているのは経済大国だからではない。
経済力ではアメリカが一流国家だ。
日本は二流でしかない。
日本が一流であり続けるのは世界でもっとも長いく存在する皇族がいるからだ。
その皇族を失うことの損害は皇族を維持する費用の非ではない。
日本が二流・三流国家へと転落することをお望みならそれもよかろう。
>>487 基本的に社会を構成する市民に等しく一定の自由を認め平等な取り扱いをする
のが自由主義の理念だろ。であれば、特定の個人や集団の自由を制限したり、
特別な取り扱いをすることは、原則的に合理性を欠くとの疑いを推定するのが
自然な原則・例外と言う論理回路から導かれるだろ。あくまで、社会の構成員
すべての者に自由や平等を認め保障するのが原則なんだから。
例外事項を認めるのは、それなりの合理的な理由が必要なわけで、天皇制の
ごとき、特定の個人・家系を持って世襲で自由を制限したり、特別の取り扱いを
するのは、原則・例外の関係でみれば、あきらかに例外に該当し、それなりの
合理的な理由がなければ例外として認められないと考えるのが、論理の流れ
と言うものだろ(藁
国民の多数が支持しようが、人権と言う概念自体が、国民の多数決で処分
不可能な多数決の例外事項なのであり、もし多数決で原則を改変可能と考える
なら、そもそも人権制度自体が多数決で改変可能な社会制度になってしまう
ことになるな。論理的に言えば。
人権制度とは、そもそも一定の分野に関して国民の多数決を排除すると言う
土民蔑視の非民主的な制度なんだし、イラクの混乱を見ても土民を信用することの
危険性は十分に理解してもらえると思えるが。より自由により個人主義で、
と言うのは、社会の特定の階層がそのようにあれと土民に押し付けているわけで
土民にとっては、精神的に見て必ずしも自由でも勝手でもない罠(藁
490 :
右や左の名無し様:03/04/12 19:24 ID:X5OHJr5G
国民主権の下に権威と権力があると考えてる奴は三流。
国民をどうするかなんてお国の裁量なわけだ。
まあ何でも平等だと思ってる共産主義派のお人には理解できんだろうが。
491 :
右や左の名無し様:03/04/12 19:25 ID:KyNPEciD
>>489 まだそんなところでうろうろしている議論なのか?
>特定の個人や集団の自由を制限したり、
>特別な取り扱いをすることは、原則的に合理性を欠くとの疑いを推定す
>るのが自然な原則・例外と言う論理回路から導かれるだろ。
そう導かれることに異論はないよ。だから、天皇制は特定の個人や集団の
自由も制限していないし、誰も特別な扱いになっていないだろう。
制度として、公職であるからこそノ制限や扱いであって、個人としての自
由制限でも特別な扱いでもないということは憲法と皇室典範から論理的に
導き出されるだろう。
総理大臣が多額の報酬をもらうことと同じ理由の特別待遇であり、総理大
臣がプライバシーを相当程度制限されることと同じ理由による自由の制限
だろう。
>>492 >そう導かれることに異論はないよ。だから、天皇制は特定の個人や集団の
>自由も制限していないし、誰も特別な扱いになっていないだろう。
>制度として、公職であるからこそノ制限や扱いであって、個人としての自
>由制限でも特別な扱いでもないということは憲法と皇室典範から論理的に
>導き出されるだろう。
またそう言うこと言っちゃって、天皇や天皇家の面々は、参政権や職業選択の自由
など種々の自由を制度上も事実上も制限されてるだろ。俺は、Little ブッシュに
成り代わって、宮内庁を空爆し天皇家の面々を不自由な暮らしから解放したいよ(藁
特別の取り扱いと言う点でも、総理大臣と天皇と言う身分は根本的にことなる
だろ。総理大臣は自ら望んで、総理大臣になるわけだから、職務に伴う自由の
制限も自己選択の一環として肯定することができる。自由を奪われるのがいやなら
総理大臣ににならなければいいんだからな。しかし、天皇や天皇家の身分は、
世襲であって、個人の意思で選べるもののでないのだから、自己選択権から
考えても、不合理な取り扱いの疑いが強いと言えるだろ(藁
公職であっても、自分で選択した地位・身分と、世襲で国民から強要される
地位・身分は違うわけで、天皇位や皇族位が世襲であり、国民から個人に強要
されている以上、総理と天皇を同列に取り扱うのはおかしい罠。俺は、れたん
とかに天皇とか皇族であることを強要されている皇族の方々が不憫でならんよ。
タマちゃんは、やっと衆目監視の状態を自ら脱することができたようでホッと
しているが、天皇家の方々もうざいギャラリーから解放され自由を満喫する
日を俺は祈って止まんよ。俺がもし Little ブッシュなら、米軍を皇居に派遣して
天皇家の人々に「人類普遍の自由」を与えてやれるんだが・・・・(藁
>>481 >実社会が存在するな「偽社会?虚社会?」も存在するのかね?(藁
日本がリベラルな民主主義の国家であるという貴殿の想像が「偽社会・虚社会」なんです、はい。
>>493 もうそんなことはすでに書いたが、天皇家が天皇という地位を世襲すると
定めているのは、議会の過半数で改定できる皇室典範である。
個人の意思で拒否できないのも皇室典範であって、憲法ではない。
憲法における「象徴という地位」を「天皇」と呼称し「国民の統合の象徴
であり、国の象徴として」憲法で定める国事行為等を行う制度を、天皇制
というのだろう。
選択権の必要性があるなら皇室典範を改定すればいいことで、それを改定
しようとせず、憲法における天皇制の廃止となること自体が、非論理的で
ある。あぁ〜〜〜馬鹿馬鹿しい。
憲法と皇室典範をよく読め。
>>494 だから具体的に「実社会」ってどこに存在するのかね?「実社会」って
地名か?それとも何かあやしげな秘密結社かね?実社会とは、具体的に
どのような社会を指すか明確に語ってもらわない限り、アズマ人の
俺にとってはさっぱりわからんよ(藁
さらに実社会が、なんらかの意思や定款を持っているとして、
それが「和の精神」とやらであることが、なんでわかるんだ?定款とか
綱領みたいな形できちんと明示され、その構成員がそれに基づいて
行動していることが明快なら理解もできるが、「実社会」もわからんし
「和の精神」なるものを持っているのかもわからんし、俺には
なんのことやらトンとわからんなあ(藁
つづき
一応確認しとくと、憲法では皇室典範の定めるところにより世襲するとし
か定めていない。世襲でありさえすれば言い訳だ。世襲は血統承継に限定
されない。
国会の議決による皇室典範という法律で、天皇家が血統で承継すること、
長男である男児が継承し、その継承者のみはは皇室を離脱できないことが
定められている。
ここを問題とするなら、「象徴という制度」を廃止しようとすることは論
理的におかしいじゃないか。
>>495 だから、天皇家が世襲であろうが、それ以外の家が世襲であろうが、特定個人が
世襲で天皇や皇族に選ばれるのは事実だろ。俺は、特定個人が、個人の自己選択
とは関わりなく、権利を制限されるのはおかしいのではないかと言ってるんだぞ(藁
現行憲法にも「皇位は世襲」と明記されており、これを素直に読めば
オギャアと生まれた特定個人が、個人の自己選択とは無関係に世襲で不自由な天皇・
皇族となるわけだろ。これは、自由主義の原則から言えばおかしなことだと
指摘してるんだろ。ここを間違えてもらっては困るなあ、れたん(藁
現行憲法上の世襲制の天皇・皇族制度は、現行憲法の基本理念である自由主義
平等主義から見て極めて異質な政治制度であり、原理的な統一性をはかる意味でも
廃止される方が論理的じゃないのかね?(藁
自由主義・平等主義の原則を曲げてでも、特定個人(皇族)の権利・自由を
制限・剥奪してでも存置すべきだ制度だと言うなら、その合理性をきちんと
示すべきだろ。愛子たんとか承子たんとかに、私はなんで自由を制限されなくちゃ
ならないとツブラな瞳で詰問されて、れたんは合理的に説明できるかね?(藁
>>498 おい狂ったか?総理大臣だって、国会議員の中から、特定の個人が選ばれ
るんだろう。選挙を要しなければならないのは、国民の権利行使や自由を
侵害できる権力があるからこそで、尊家権力をもち得ない象徴という地位
を選択するのに、選挙の必要性はない。
おぎゃーと生まれたときから皇族であることが問題なら、皇室典範の改定
で解決だ。「天皇制の廃止」の理由にならない。
貴殿が散在提示しているのは皇室典範の改定議論であって、天皇制廃止議
論とはならない。そんなことも、いまだ理解できないとは、果てさて、困
った御仁である。
なお、自宅パソのサーバーが規制されていて書き込めないから、本日はこ
れまで。もちついて「天皇制廃止」と「皇室典範改定」をよく分別した議
論を望む。
>愛子たんとか承子たんとかに、私はなんで自由を制限されなくちゃ
>ならないとツブラな瞳で詰問されて
呆れるほどのうぬぼれ屋さんだね
皇族の方々が、どうしてそんなくだらない事を思い悩まなければならんのかね?
こういう発想は、精神の貧しさにも原因があるやも知れんが
本当のところは、皇族に対してのジェラシーなんだろうね
>>499 痛いところをつかれたよーで、感情的になってきたかな(藁
権利制限を考える上で重要なのは、何も権力性とか職務に伴う特殊性だけではなく
その地位や身分にいかにしてなったかも重要な要素だろ。実際に、個人の選択
と言う要素から、公立の学校と私立の学校で人権制約の取り扱いがことなるわけだし(藁
現在の天皇制度は、制度上も事実上も、皇族の人々の意思を無視する形で、
国民が強要しているわけで、その点でかなり問題のある制度といわざるをえない罠。
指摘のとおり、制度改革によって皇族個人の自己選択権を制度上も事実上も
認めるのであれば、「非人道的(藁)」制度である天皇制が、人間の顔を
した天皇制になることも考えられる。しかし、天皇でモーソーする異常性欲者が存在
する限り、天皇制は不幸な犠牲者を再生産し続ける「非人道的(藁)」な制度で
あり続けるではないかとの危惧を、俺はいだかざるをえないな(藁
個人は基本的に自由であり、人格的自律・自己統治が理想だとするなら、
多数者によって特定の行動を過剰に期待され監視される飾り窓の遊女のごとき、
天皇制は廃止されるのが人道的だろ。フェミの俺は女衒になるのはイヤだからなあ(藁
>>500 >呆れるほどのうぬぼれ屋さんだね
>皇族の方々が、どうしてそんなくだらない事を思い悩まなければならんのかね?
>こういう発想は、精神の貧しさにも原因があるやも知れんが
>本当のところは、皇族に対してのジェラシーなんだろうね
わからないだろー。彼女らは、不自由な身の上を不合理・不条理に押し付けられる
ことの重圧に日々思い悩み苦しんでいるかもしれない。
ああ、かわいそーな承子たん。漏れが天皇制を廃止して、不自由な身分と
皇族はかくあるべしと勝手にモーソーする皇族ストーカーから解放してあげるからね!(藁
503 :
右や左の名無し様:03/04/12 21:10 ID:UhW9aCx0
ネタなんだからマジレスはヤメレ。
時間のムダ。
ほっといたら勝手にファビョって自滅するから。
>>503 ネタって俺のことか?名無しの下郎の分際で失礼な!
古くから死相板に巣食う(阪京たんには遥かに及ばんが)
この俺様を捕まえてネタとは失礼な。この新参の下郎め!(藁
505 :
右や左の名無し様:03/04/12 21:24 ID:UhW9aCx0
何か言いました?( ̄ー ̄)
506 :
ころ:03/04/12 22:04 ID:???
>>496 >実社会
アズマさんが棲んでいる社会です。言葉遊びが過ぎてます。プンプン!
>さらに実社会が、なんらかの意思や定款を持っているとして、
実社会が正文法のみで成立してると思ってません?
成文法だけでなく不文法も存在するのが実社会です。「和の精神」は不文法ですね。
>俺にはなんのことやらトンとわからんなあ(藁
分からないなら不文法の存在をまず認めて下さい。あると仮定して下さい。不文法、あなたのきらいな「道徳」もその一つです。
あと、「法は最低限度の道徳」ということも追記しておきます
You don't have to worry, worry,
守ってあげたい
あなたを苦しめる全てのウヨから〜♪
初めて御髪を 見かけた日の
その茶髪を 忘れないで
(皇族に)批判的だった 私のこと
包むように 輝いてた
遠い日々 息をころし 髪の毛染めた
もう一度 あんな気持で
夢をつかまえてね
So, you don't have to worry, worry,
守ってあげたい
あなたを苦しめる全てのウヨから〜♪
'Cause I love you, 'CauseIlove you.
東日本のさらに一地域の一個人から見てみれば、アズマというような概念も妄想以外の何物でもないことになる。
アズマなどと括っている時点で、日本という括り方を否定する権利は既にないわけだがw
509 :
民主主義者:03/04/12 23:24 ID:wNON60bQ
>>486 社会制度にしろ支配体制にしろそれが合理的とみなす主体が存在する
君は民衆を主体無きめしいた群れに過ぎないと喧伝したがっているようだが
ホッブスや孟子を紐解くまでも無く民衆の支持を得られない体制の社会は混乱荒廃しその機能を失うことは常識だろ?
つまり国民国家にしろリベラル思想にしろ 民衆が提起していないイコール支持していない とみなすのは無理があるわけだ
510 :
わははは:03/04/12 23:32 ID:9LbOLCVu
>>501 やっぱりあほだ・・・・あひゃひゃひゃ。
511 :
民主主義者:03/04/13 00:35 ID:/Fdfel8g
>ALL
日本と言う国家を認めるなら天皇皇室の存在も認めなければ筋が通らない
これはリベラルがどうの人権がどうのと言う問題とは次元が違うのだ
天皇陛下の存在無しに単なるヘゲモニー争いで近代国家日本が成立した或いはパワーバランスに則りこれからも存続すると考えている土民がいるなら正直に名乗り出ろ
そいつには皇室の存在意義ではなく日本国家の存在意義を是非講義してもらいたいね
512 :
わははは:03/04/13 01:10 ID:1QkHxJry
>>502 名前:ぁゃιぃアズマ人
あのさ皇族の教育は特殊らしいですよ。羨むとか嫉妬とかないようです。
ある宮様は皇族はそう言う感情はない・・と言われた。何の本で読んだか忘れた。
ある宮様は虫研究で・・虫は総じて不味いといわれた。
蝉は美味しいですよねと問われて「そうそう」と言われました。
自分のレベルで皇族のお気持ちを忖度しないように。
開戦の時の昭和天皇の歌をどうぞ。
>>511 ぁゃιぃアズマ人
むっちょ@かわうそ
パンドラ
跳ね馬
松田
猫
菊地
評論家
うに
やっと、終了−−ーーーーーーーー
宮内省には閨中方と言う役職があり、皇族方のせくーすの補助をする
というのは本当ですか?閨中方の一人は妃殿下を抱え揚げ、もう一人
は天皇を抱え揚げ、太鼓の音に合わせて「どーん!」「ひとーつき!」
「どーん!」「ふたーつき!」と叫びながらちんこを出し入れさせる
というのも本当ですか?
さらに「朕はもういくぞよ!」と天皇が叫んだら。「どんどんどんどん」
と太鼓の乱れ打ちが始まり、いったと同時に花火があがるというのは本当
ですか?
517 :
わははは:03/04/13 10:52 ID:X+dKM28E
>>516 太鼓とか柏手というものは・・空気を振動させて神が降りる空間を作る。
神を招く行為です。
神社のご神体もよりしろですから。ご神体が無く空間の場合もあります。
性については日本はもともと開放的です。
天皇の禊ぎの後は神が降りるので異性が寄ってきたそうですよ。
518 :
・・・:03/04/13 11:00 ID:???
的が人権に絞られたようですが、
またまた、私の疑問点に触れました。
私自身、人権って、「基本的人権の尊重」しか浮かびません。
人権云々観念を前提として、人と関わる経験がないからでしょう。
で、普遍・絶対とする人権って何?
基本的の基本とは?
尊重として絶対でない理由は?
また、憲法の人権条項にその答えは見出せるのですか?
ぁゃιぃアズマ人はもちろん、できれば理解し易い、ころ氏、
お願い致します。
>>518 人権というのは、自然状態において人間が具備している自由意志を行使する
権利のことです。
自然状態において、人間は自らが欲することを欲するままに求め行動する自由
な状態であり、あらゆる欲求を充足する権利を持っています。
また、その権利は自らの力の及ぶ範囲において一切の制約はなく、2つ以上のそれ
が競合した場合にも自らの力の及ぶ範囲において競合相手を排除する自由および権利
をなんの制約もなくもっています。
しかし、この状態は常に自らが危険にさらされることと同義であり、2人以上の自由
意志をもつ人間が存在する状態=社会においてこの原則が適用されれば全ての人間が
全ての人間に対して危険を担保する闘争状態に陥る事になります。
これを回避するために、2つ以上の競合する欲望、権利、自由等を充足させるための
行動を人間相互の契約により制限するという思想が生まれました。それが、公権力の
始まりです。
この前公権力的に万民が持っている権利が基本的人権であり、万民相互の安全保障の
ためにそれらに制限が加えられているため、「尊重」されるというにとどまります。
日本という国や、その実社会を、観念として持ち得ない人たちは
国や民族、その区の語との宗教性や慣習、継続した文化を否定する立場にある。
そのような曖昧模糊とした論理的に明確でないファクターの存在を認知せず、あ
る真理(人は平等ダル、人は自由な存在である)という「前提」を認知し、そこ
から論理的に構築した国家システムこそが至上であるとしている。
これは、「リベラルな民主主義が普遍」と宣言しているに他ならない。
不変の真理なら、イスラエルにでも回教国にでも輸出し、国家システムから宗教
性を排除しなければならない。最終的には、まったく同一の社会となり、地球は
ひとつ人類はみな兄弟となろう。しかしそれは現実ではない。日本のように、歴
史的に絶対的な価値観を保有していない国民性を持つ国家もあれば、ユダヤ教を
信じ、実践する人のみが国民であるという認識のイスラエルも存在する。
衆議による結論よりも、神の教えを実践することこそ正しいことだと、真っ向か
ら民主主義と対立する宗教を基本として生きる国民で構成されている国もある。
リベラリストは、これを武力によってでも不変の真理を受け入れさせようとする
のか、その国事の独自性を認めるのか。
前者であれば、国や文化、その国の国民性、歴史や慣習を無視することに矛盾は
ないが、後者であるなら、なぜ日本のみ、その独自性を認めようとしないのか。
自由主義に矛盾がある制度だから、天皇制を廃止するという主張は、国の独自性
を認めない、武力を使ってでも、地球はひとつ、人類はみな兄弟を実現しようと
する自由主義真理教の妄想でしかない。
>>518 >で、普遍・絶対とする人権って何?
「普遍・絶対」というのが、絶対的に保障されるという意味であるとすれば、それは
「思想・良心の自由」が、「普遍・絶対とする人権」にあたります。
頭の中で何を考えるかはその人の勝手ということです。
ただ、これが行為となって外界に現れた場合には、もちろん制約が伴います。
>基本的の基本とは?
あまり意味はないと思います。強いて意味づけるなら、「人間の人格的生存に必要不可欠」という意味でしょうか。
「人権を後国家的権利(参政権とか生存権とか)と前国家的権利(思想良心の自由とか財産権とか)に
分けて、前国家的権利を基本的人権という」などの学説もありますが無理からの説明のように感じます。
>尊重として絶対でない理由は?
「絶対でない理由」というのが「人権を制約する理由」という意味であれば、まず第一に「内在的制約」があります。
ある人の自由と他の人の自由が衝突する場合に、これを調整するため、両方または一方の自由を制約することです。
これはいかなる人権も(絶対保障の思想・良心の自由は別として)生まれながらに(内在的に)有している制約理由です。
他にも、産業保護のための「政策的制約」や未成年者の「未成熟性ゆえの制約」、父権主義的な「パターナリスティック
な制約」などがあります。
>また、憲法の人権条項にその答えは見出せるのですか?
条文上は、「公共の福祉」がこれにあたりますが、この言葉一つで魔法のように何でも解決することはできません。
憲法の解釈に委ねられます。
522 :
わははは:03/04/13 12:57 ID:s1oHqP7q
>>521 結局人権っつーのは道徳レベルというこでOKでつか。
頭が悪いんでわかりやすくお願いしまつ。
>>520 自由主義と民主主義の解説を宜しくお願いします。
民主主義って権力への関わり方ではないの??
524 :
わははは:03/04/13 13:10 ID:72KwQTg3
いけずー・・・いやん。
>>512 内心の自由と、思想信条の自由を混同していないかと。
思想信条は、発表してこそ思想信条だし、発表するだけでは、公序良俗に
反しない限りにおいて、お咎めを受けないということが、思想信条の自由
なのでは?
内心の自由とは、どんな妄想だろうが、殺人であろうが、内心で思ってい
るだけではお咎めを受けないということであろう。
よくわからんが、違うか?
「基本的人権という思想の正体」
基本的人権は、日本国憲法においては、法が保証するものであると明確に
表示してある。
第97条【基本的人権の本質】
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類の多年にわたる自由獲
得の努力の成果であつて,これらの権利は,過去幾多の試練に堪へ,現在
及び将来の国民に対し,侵すことのできない永久の権利として信託された
ものである。
人権思想は、自然な状態など、さまざまな人の状態を抽象的に想定して、
その状況が万人に該当するものであるとを「前提」に構築されている。
しかしその実態は「神から作られた人間であるから、その意味ではすべて
平等である・・・神の前での平等」がベースにあることは否定できない。
積極的にそのような権利があると前提を置かなくとも、「人が云うことは
絶対ではなく、関係者全員が参加する衆議の結果に従えば理にかなう方向
に向かう」という和の理念からしても当然に導くことができる。
衆議を確保するためには、思想信条の自由や平等は当然必要。
基本的人権は、積極的に人権を所有しているはずであると説く人権思想の
専売特許ではない。
527 :
わははは:03/04/13 14:41 ID:s1oHqP7q
要は人権の思想っつーのは、人は善人若しくは賢人が前提であるわけだ。
でなければ自由と平等という相反する言葉を同じ口から語れないです。
聖徳太子が言ったことと同じような気がするね。
神の前と言っても日本には神様がたくさん居るし生きてる神様も居たからなあ。
528 :
右や左の名無し様:03/04/13 15:10 ID:VjvNb+C6
聖徳太子の言った言こと・・・眉唾くせ
生きている神様って麻原すか?昭和天皇一号すか?
529 :
・・・:03/04/13 16:06 ID:???
>>519,
>>521 ありがとうございます。私も第3章を見ながら、
>自然状態のあらゆる欲求を充足する権利、
を人権と言うのですか。私は単なる本能的行為だと思ってました。
それはそれとして、その権利を社会性的制限したのが基本的人権であり、
勿論、憲法で認められているのは、この制限化された人権のことですよね。
その上で、この基本的人権は憲法上あくまで国民ですよね。
で、私は天皇・皇室は国民でないと概念化しておりますのでどうなるのだろう?
人である限り、人権は有るのでしょうが・・・新たな疑問。
>「思想・良心の自由」が、「普遍・絶対とする人権」
これはイコールになるのでしょうか?ならないからこそ、第19条があるのでは?
れ氏、
>>525的には理解可能です。
>第12条、国民に保障する自由及び権利は・・・これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉の
>ためにこれを利用する責任を負ふ。
この自由・権利には、目的責任が生じているのですね。
逆に言えば、これが憲法が認めている基本的人権?の範囲とするのは、無理があるのかな?
530 :
・・・:03/04/13 16:29 ID:???
申し訳ない、
基本的人権の範疇は、
>>521でご指摘済みでしたね。
何分12条なんて、頭に全然刷り込まれていなかったものですから。
531 :
右や左の名無し様:03/04/13 16:36 ID:gzk8vWzz
532 :
右や左の名無し様:03/04/13 17:00 ID:P6hyQBqh
漢字にうるさいあの御仁なら
人間が利を権る行為を不道徳なんて言い出しそうだな
533 :
右や左の名無し様:03/04/13 17:02 ID:quPZV1Ah
534 :
529:03/04/13 18:18 ID:???
>>529 >それはそれとして、その権利を社会性的制限したのが基本的人権であり、
>勿論、憲法で認められているのは、この制限化された人権のことですよね。
違います。
一切の権利・自由は制限を受けていません。
あなたが隣人を殺すことも、隣家の日照を遮る巨大建造物で覆いをつけるのも、
あたりに異臭をまき散らすのもあなたの自由です。それはあなたの権利であり何人も
その権利を妨げることは出来ません。
公権力による制限というのは、それら行動をなした者に対して、社会契約によって委託
された暴力を振るうことによって生じる副次的な効果です。禁じられているから為さない
のではなく、それを為せば公的な暴力によって不合理が生じるからしないのです。
内部化された行動規範は倫理や道徳、宗教の領分であって公権力の介入すべき領分では
ないからです。
基本的人権とは、これら自然状態において存在する全ての権利および自由のうち、公権力
という暴力による他者との調整が必要なものであって、公権力によって保証されるべきと
されるものを言います。
断じて、制限化された権利を指すのではありません。
535 :
529:03/04/13 18:23 ID:???
例えば、プライバシー権や日照権を、憲法から導き出された新しい権利などと寝ぼけた
ことを抜かす方もいらっしゃいますが、これらも当然に自然状態に私たちに備わってい
ます。なぜなら、私たちはそれを欲するからです。そして、それらを充足させるために
は、それらを阻害する要因を排除する自由も権利も私たちにはあります。つまり、プラ
イバシーを妨げ、日照を妨げる者を実力を持って排除し殺せばよいのです。
しかし、私人相互の報復行為や実力による排除行為は529に書いたような理由から公権力
に委託し、委託された暴力によって保証されることになりました。
かつては、これは「保障されるべき権利」とは見なされていなかっただけであり「権利が
存在しなかった」わけではないのです。
>>534-535 529氏
それは貴殿の宗教にも似た信念にしか過ぎません。
貴殿がそう信ずることは結構ですが、論証もなく権利が備わっているといわれて
もねぇ。単純に「神から与えられし人権」が宗教的だから、すべての欲望を権利
とみなすという論理を構築しているだけで、それが真実で揺るぎがないとは、私
には思えません。
そのような論理を構成し、基本的人権を位置付けるということは、私などには押
し付けがましくて、いやはやどうも。
権利がはじめからあるのであれば、憲法の上位に位置することになります。
最高法規という規定に矛盾することとなりますが、その辺はどうお考えでしょう
か。名文法が存在する国家において、必ず矛盾が生じますが。
それとも、権利はあるが行使するには法が必要との認識でしょうか。
537 :
529:03/04/13 19:06 ID:7pvq7MSS
>>536 歴史教のあなたほど宗教掛かってるわけじゃないですよ。
538 :
右や左の名無し様:03/04/13 19:10 ID:7pvq7MSS
>>536 そもそも憲法とは、前国家的に存在する権利を保全するために構築された公権力
=国家の恣意的運用を排除するために存在するものであって、公権力によって
保全される権利等を規定するものじゃないですよ。
矛盾も何も、そのレゾンデートルにおいて憲法が権利の上位ということはあり得ません。
539 :
ころ:03/04/13 19:13 ID:???
>>534 >内部化された行動規範は倫理や道徳、宗教の領分であって公権
>力の介入すべき領分ではないからです。
倫理や道徳、宗教の領分と公権力の介入すべき領分の具体的な線引きの基準は何でしょうか??
この基準がリベラルな民主主義の生命線だと思うのですが。
>基本的人権とは、これら自然状態において存在する全ての権利
>および自由のうち、公権力という暴力による他者との調整が必要
>なものであって、公権力によって保証されるべきとされるものを言
>います。
>断じて、制限化された権利を指すのではありません
一般に公権力が介在したときには、公権力による人権制限に当たると思います。
人権の制限というのは、「公共の福祉」を制限とみなさない内在的制約説、逆に「公共の福祉」を制限とみなす人権制限立法の合憲性の二つあります。
貴殿の言う「公権力によって保証」は後者です。
540 :
右や左の名無し様:03/04/13 19:15 ID:7pvq7MSS
>>539 内心に依存するか、外部からの圧力によるか。
内心に依存する行動規範を公権力が規定してどうします?
>>537 マァ、そう熱くならないで頂きたい。
私は霊的権威論の「れ」だが、それは現在の天皇家が天皇という地位を世
襲することへの支持理由であって、皇室典範レベルである。
制度構築に関して宗教などを元に主張したことはない。歴史教の御仁は冬
眠中である。先入観での印象を元にした書き込みは避けるほうがよい。
後段の質問には、おひまなときにでも回答いただけるとありがたい。
542 :
右や左の名無し様:03/04/13 19:23 ID:7pvq7MSS
>>541 熱くなるも何も、あなたほどには興奮していませんよ。
そもそも、コテハンを使う以上以前のあなたの発言が現在のあなたの発言を
制限するのは当然です。それがいやなら名無しで投稿なさい。
それをせず、都合が悪くなったからと「先入観での印象」などと言うのは
見苦しいいいわけ以外の何者でもありません。
後段については、
>>529 >>534-535 を虚心に呼んで頂ければ分かるはず。
>>542 だから、別にどう思おうといいけど、私が宗教などを元にした制度の構築
する主張や、歴史を宗教的に信じそこから制度を構築する主張をしたこと
は、パート2からパート10までない。どうしても、そこにこだわりたい
なら、証明責任が発生するね。そんなつまらないことでスレ消費するのは
、私の趣味ではない。
大体、貴殿書き込みの意見に対して行った「宗教的」だという指摘を、違
うなら違うと書き込めばいいわけだろう。
指摘した相手に応じて発言内容が変わるわけでもあるまい。私が宗教的で
ある、ないと、貴殿の書き込み内容が宗教的であるかどうかは、議論にお
いて無関係であろう。私が宗教的であることをいくら証明しても、貴殿の
その思い込みが宗教的でないことの証明にはならない。
ということで、つまらない議論は終了としたい。
虚心に読んだ結果、最高法規であると規定した条文は矛盾であるという意
味にしか取れないんだが、その認識でいいのだろうか。
544 :
ころ:03/04/13 19:52 ID:???
>>535 >例えば、プライバシー権や日照権を、憲法から導き出された新し
>い権利などと寝ぼけたことを抜かす方もいらっしゃいますが、これ
>らも当然に自然状態に私たちに備わっています。
自然状態というのはロックの社会契約説の時代から机上の空想であって、あくまで仮定にしか過ぎません。それを「当然」と言われても誰が認めますか?みんなが「当然」認めるわけありません。
一般に認められるようになるのは憲法というものにその根拠を見つけたときです。都合のいいことに13条のいわゆる幸福追求権はそのことの為にあるような文面です。それでも判例という手形をもらわないと完全に人権として確立はしません。
そういった意味でプライバシー権は憲法解釈に判例という形で認められ、存在が明確に認められてます。
しかし「日照権」は判例ではまだ認められてないはずです(古い知識なのでその後認められてたらスマソ)。貴殿がいくら声高に叫ぼうが、それを持って排除することは無理でしょう。まして公権力が手伝ってくれることはないでしょう。
「憲法から導きだされた」とはこのことを言います。貴殿は人権思想に捕われる余り、法の存在を軽視してます。
>実力を持って排除し殺せばよいのです
貴殿は野蛮人ですか?そんな野蛮な発想は公権力という前に社会的に許されませんよ。
>かつては、これは「保障されるべき権利」とは見なされていなかっ
>ただけであり「権利が存在しなかった」わけではないのです。
存在していたら人権になるかと言えば、完全にはそうとは言えないでしょう。「日照権・環境権・嫌煙権」は存在は認めれてますが、保証はされてません。判例で認められてないのです。
つまり、これらの権利は公権力を介在しない私人間の行為に委ねられるということです。
>>542 何をいいたいか、先に書いておく。レスの前後はご容赦。
貴殿のその論理(人は自然状態においてすべての権利を持っているというところ
から構築する人権論)は、その内容からして、普遍の論理(理念?)であるとい
う結論に至る。憲法より上位であるから、当然のことだ。
では、当然に人間が保有している権利をユダヤ教国、イスラム教国で採用できる
ものなのかということである。それ以外でもかたくなな宗教を持つ国はあるかも
しれない。その国で、わが国の人間あるいは米国人が、その当然の権利行使する
ことによって、不当に人権を侵害された場合、その国が不当に人権を侵害したこ
とになるが、その場合わが国、あるいは米国は、どう対処すべきと考えるのだろ
う。人類普遍の原理を守るためには(人間同士の権利のぶつかり合いを避けるた
めであったはずの人権思想によって)戦争による解決もやむなしと、正当化でき
るのではないか?イラクの人民を解放する戦いが、思想上正当化できる。
私には、普遍の原理を信ずることへの危惧が常にある。イスラムの国・ユダヤ教
の国、かたくなな宗教国も、この普遍の原理は受け入れなければならないと、貴
殿は考えているのだろうか。
546 :
ころ:03/04/13 20:07 ID:???
>>540 >内心に依存する行動規範を公権力が規定してどうします?
hoo・・・
「公序良俗」をご存じですか?これは倫理や道徳でしょう??
判例では頻繁に「公序良俗」で公権力が規定しています。つまり、線引きなんてないのです。
だから、その線引きの基準はあるのか聞いたのです。
547 :
右や左の名無し様:03/04/13 20:11 ID:7pvq7MSS
>>543 まず一つ目。最高法規性と、私人の権利がそこに優先するということの間に何が矛盾するんだろう?
二つ目。立証責任というのであれば、私の考えが宗教的であるというあなたの主張について
先に発生する。それを説明して頂きたい。
548 :
右や左の名無し様:03/04/13 20:13 ID:7pvq7MSS
>>545 私が信じることをあなたが信じる必要がないように、なぜ他国の採用する思想を
誰かが規定せねばならんのか、なぜ普遍ということを一つだけと考え他人にまで
敷衍して考えようとするのか理解に苦しむ。
┌┬┬┬┐
―――┴┴┴┴┴―――――、
. . /  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || __________
./ ∧// ∧ ∧| || ||| || /
[/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___||| || < こんなのが有りますた
. ||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. |ヽ.__|| \__________
. lO|o―o|O゜.|二二 |.| 救済病院 ||
.| ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|___|_l⌒l._||
 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
ttp://saitama.gasuki.com/shinagawa/
550 :
535:03/04/13 20:18 ID:7pvq7MSS
>>544 ころ君、あなたは文盲ですか?あるいは文章の自分に都合のよいところだけを
切り取って文意を歪める卑怯者ですか?
きちんとレスは読みなさい。それが出来ないならば、黙りなさい。
>>548 ほう、なかなか公平な考え方である。では、日本において
「人が自然状態でもつ欲望を権利と捉え、そこから構築する論理による人
権思想(論理?理念?)」が、正しいといえるのだろう。
たとえば貴殿の
>>535の書き込み
>しかし、私人相互の報復行為や実力による排除行為は529に書いたよう
>な理由から公権力に委託し、委託された暴力によって保証されることに
>なりました。
>かつては、これは「保障されるべき権利」とは見なされていなかっただ
>けであり「権利が存在しなかった」わけではないのです。
と断定し受け入れるためには、何がしかの理由が必要である。
受け入れないと、不都合な状況に国民が陥るなどの被害の発生が危惧され
るとか、何かそのような理由付けが必要ではないのか。
もし理由もなく、何かしらの理念を信ずるというなら、宗教に近いといえ
る。わが国の民は、人権思想を、どうしてそのように断定的に信じる(受
け入れる)べきなのか、ご説明願えるであろうか。
552 :
右や左の名無し様:03/04/13 20:43 ID:bWogN6ne
名無しID:7pvq7MSS=むっちょ@かわうそに
100万ディナールをハルッチ
>>551 私がこう考える、という事を述べているに過ぎません。
どう判断するかはこれを見た人の勝手です。
誰かさんのように「断定したのだから真理であり、万民は従うべき」などという
真理に対する信仰は微塵もありませんよ。
私が考える真理はこうであり、あなたが考える真理はそうである。百人いれば
百人分の「私の考える真理」があるだろうし、他人の考えを知ること、あるいは
その欠陥を指摘することに興味はあっても、真理だから従えなどという発想は
持ったこともないですな。
もっとも、自分が属する集団の権力行使のための指針たる法制定に関して、持論を
述べて採用させるように働きかけることとはなんの矛盾も生じませんがね。
>>553 あはははは
バレバレダッちゅ―の(hoo・・・
>>544 どこが気に入らなかったのでしょうか?
私は、司法判断(判例)が出ていないものを、勝手に「当然に備わってる」とする考えはどうかと思っただけです。
どこが文盲なのか卑怯者なのか(名無しの方が卑怯です)、どこが気に入らなかったのか説明して下さいな。
貴殿がリベラリストならばちゃんと答えてくれるはずです。
あと、貴殿はむっちょ@かわうそ氏ではないかと。日照権など初歩的なミスを彼はしないと思いますw
>>519 >人権というのは、自然状態において人間が具備している自由意志を行使する
>権利のことです
どいやら人間とは他の動物と変わらない生き物だそうだ。
学級崩壊の根源を見事に示唆している
こういった人間を馬鹿にしているお前に人間の権利を語って欲しくはないナリ。
>>557 ホッブスはそうですよ。万人の暴力状態とか言ったような。
うんだからルソー・マルクス・ホッブスとか頭の悪い私には
理解でまへん。
559 :
右や左の名無し様:03/04/14 00:12 ID:bWF1GttM
君には無理だろう。
>>556 名無しのどこが卑怯なのかな?
つまり、この匿名掲示板たる2chを否定なさる? その掲示板に書き込むあなたが
わ〜
粗しさんがいっぱいだあー
562 :
右や左の名無し様:03/04/14 00:34 ID:0Ty2qaS1
一つ例を示しましょうか。
>>実力を持って排除し殺せばよいのです
> 貴殿は野蛮人ですか?そんな野蛮な発想は公権力という前に社会的に許されませんよ。
あなたは上の一行のみを取り出し、その次の行のような批判を行ってますが、全文は
>そして、それらを充足させるために
>は、それらを阻害する要因を排除する自由も権利も私たちにはあります。つまり、プラ
イバシーを妨げ、日照を妨げる者を実力を持って排除し殺せばよいのです。
>しかし、私人相互の報復行為や実力による排除行為は529に書いたような理由から公権力
>に委託し、委託された暴力によって保証されることになりました。
こうです。
あなたの批判がいかに質の悪い印象操作になってるか、まだ分かりませんか?
あとはご自分で考えなさい。
563 :
右や左の名無し様:03/04/14 00:38 ID:0Ty2qaS1
上の560と562は私であり、562はころくん?(556のななしくん)に対するレス
564 :
ころ:03/04/14 01:17 ID:???
>>560 匿名掲示板であるからといって、匿名であることが卑怯ではないということにはなりません。その他大勢に隠れてしまいますので。
私は別に匿名掲示板を否定はしません(利用の仕方は各人の自由)が、まともな議論をしたくば、コテハンをつけてほしいです。別に減るものでもないですし(強制はしません)。
>>562 基本的な部分で相違があると思われます。
>実力を持って排除し殺せばよいのです
このような権利はどのようなことがあっても認められるべき権利ではありません。
このような権利を認める貴殿は野蛮人ですか?と聞いてるのです。
人権思想に関して、
>一切の権利・自由は制限を受けていません。
>あなたが隣人を殺すことも、隣家の日照を遮る巨大建造物で覆
>いをつけるのも、あたりに異臭をまき散らすのもあなたの自由で
>す。それはあなたの権利であり何人もその権利を妨げることは出
>来ません。
という理論的に一度全て個人に権利を委ねるという考えは同意です。
でも、人を殺す権利などは、どこで認められましょうか??(自己の生命を守る権利とは違う)
だから貴殿のいう人権というのは少しずれがあるのでは?といいたかったのです。
今日は遅いので又明日。コテハンきぼんぬ
565 :
右や左の名無し様:03/04/14 01:29 ID:bWF1GttM
皇室の存在意義は無い
天皇家って合法的な近親相姦だろ
こんな国、もう存在しないよ。日本以外
567 :
パンドラ:03/04/14 09:30 ID:7tOap7B5
約束どおり、遅れた返事…
>>460 >>478 おそらくは率直そうなあなたを逆上させてしまったようだ。
ここでのお話は、今現在の理念で論じている、当時の人々がいかに捉えたか、ではないことはいうまでもないw
そして、わたしのいう「現実認識」とは、別に分類の要もない、quantityで論じたものである。
長いログをいただいたわりに、簡単な返事でちょっと気の毒だが、そーゆーことである。
で、quality、すなわち権利概念から論ずれば、アズマ氏を煩わせたとおりである。
いずれにしても、しつれいながら、あなたの言説はくりかえすたび、気の毒なくらい破綻してゆく。
568 :
右や左の名無し様:03/04/14 09:31 ID:7tOap7B5
>>462 >だから、矛盾であるとする根拠は、自由主義真理教でしょう。
どうも、あなたは自由主義概念を目の敵にしているようだw
自由主義だろうと、社会主義だろうと、民主主義の属性たる自由、平等は尊重されるだろう。
長い闘争の結果、自然権として人類が手に入れたものを、あなたが”そうのように”名付けるのは、もちろん『自由』であるw
569 :
このところの議論に向けて:03/04/14 09:32 ID:7tOap7B5
実際の社会と国の基本法たる憲法との間に、ある程度の矛盾があるのは当然であろうし、それを「実社会」とわざわざ規定することもあるまい。
対立概念?として理想社会なりを規定しようと、それは憲法の理念であろうし、要するに憲法そのものに他ならない。
現実社会が、「和の理念?」に従っているか、「憲法の理念」に近いかは、議論の分かれることであろうし、誰しも断言はできまい。
ただ、「和」と称するとやや耳ざわりがよいが、要するに何かと批判される無責任体制に他ならない。
行政も銀行など金融機関も引責などという言葉とは無縁のようだし、古くは天皇、国民(臣民)とも戦争責任は不明確のままだ。
互いの責任を強く追及せず、あいまいにして「和」を保つというのは、どうかと思う。
天皇制が「和の理念」の産物である?…かは、よくわからないw
しかし、憲法が民主主義をうたう以上、その属性である平等と自由を求めることに異論はすくないだろう。
天皇制が一種身分制であり、皇族が人権を制限されている現状は、憲法の理念に明らかに矛盾している。
例外として存続されるとすれば、それなりの根拠が必要だろうが、それがまさにここで議論になっている。
長期継続が根拠の一つに挙げられるが、国民主権となったのは現憲法が施行されて後のことであり、それ以前は、一部階層の都合で利用されたに過ぎない。
形式的にせよ国民の「支持」を得てからの歴史はきわめて浅い。
いずれにせよ、国民主権の体制には歴史性としてふさわしくない。
政治権能がないことを、身分制の否定因子として繰り返し述べる向きもあるが、国家制度として規定された、
世襲の「職業」が不平等なものであることは言うまでもなく、存続の根拠とはとうていなりえない。
かように、憲法の基本的理念に矛盾する制度を、民主主義の例外として維持するに十分な理由は、もはやない。
改憲、そして廃止を待つばかりであるw
ところで、某名無し氏への批判が盛んである。
彼のカキコを通して読めば、それなりに一貫し、了解できる論旨と思える。
批判は、言葉の「先鋭さ」にむけられている、要するに言葉尻の感情論に過ぎないような…
も少し、冷静に全体をとらえてあげたらよいw
>>569 工作員さんは暇なんだね。2CHで情報操作ですかー(激藁
>>554 どうも話がよく伝わらない。(私の書き方の問題があるのだろう)
貴殿が、どのような性格かは私には興味はない。興味があるのはその論理である。
私には私の論理があり、貴殿には貴殿の論理がある、だから議論が成立する。
その上で、貴殿の論理が正しいとすると、
貴殿の論理は、普遍の原理として人権を規定しているから、必然的にすべての人に
適用されるべきであるとの結論に至るのではないだろうかと、質問しているのであ
る。貴殿ががそう望むと望まざるとにかかわらず、その論理は人類普遍の論理であ
ると結論付けるしかない。
私が和の原理を主張しているのはこの部分に相違がある。
和の原理に従えば、争いを避けるためには関係者の衆議が必要で、その衆議が正当
に確保できるための人権である。衆議の結果宗教国であろうと決定することは、そ
の宗教に帰依しないものが、衆議に参加できる制度を確保する限りにおいて、容認
できる。しかし、貴殿の人権思想からすれば、信仰は自由であるという権利が存在
する以上、国家が宗教国であることは、否定されるのではないだろうか。
貴殿の論理は人類普遍の原理であると結論付けられるから、その論理によれば、す
べてを受け入れない限り矛盾が発生し、国民の総意があっても、天皇制は認められ
ないのである。
国民の総意があり、国民の人権が確保され、国の行方を国民が選択でき、天皇とい
う地位がそれにまったく関与しない現代の天皇制を、その論理からすれば矛盾だと
いう。ならば、回教国も矛盾であり、かたくなな宗教国家も矛盾であろう。
矛盾は矛盾として永遠に存在を許すというなら、それは論理のほうが間違っている
のではないだろうか。
572 :
右や左の名無し様:03/04/14 11:55 ID:HYfW5GPh
>>589 和の理念と無責任体質は無関係である。
天皇制が憲法理念に反しているという主張は、普遍的人権が全人類にある
という前提での議論であろう。私はそのような普遍的全人類的人権思想は
持っていないし、日本国憲法はそのような普遍性を定義していない。
したがって憲法内矛盾は、その前提が誤っているから導き出される結論で
しかない。
そうでないとするなら、その普遍的な真理である人権・平等がどこに書い
てあるか、あるいはそのような主義を受け入れたとする論証、またはそれ
を受け入れなけれなばらない理由を聞かせてほしい。
「何の理由もなく信じろ」では宗教論争である。説得力をもった説明はで
きんのかね。
574 :
・・・:03/04/14 14:42 ID:???
う〜ん、ちょっと困った展開。
名無し=529氏・・
>>529は私の書き込みなのですが。
私が両氏に責められているようで・・・。
>>534,>一切の権利・自由は制限を受けていません。
一応、基本的範疇を社会性的制限と表現しましたが、制限という
表現はそんなにダメなのだろうか?
ただ、12条の制限(はダメなので)、義務は前提ですよね。
少し、気になりましたのは、氏の主張がどこから導き出された説なのかは
知り得ないが、>内部化された行動規範は倫理や道徳、宗教の領分、がセット
になっていないと成立しない権利となりませんか?
この時の倫理・道徳・宗教は、国民の共通認識が不可欠となると思うのですが、
教育機関で行うのですか?
アズマ人氏指摘の「普遍・絶対とする人権」の表現も絡みますが、
何をしても自由であり権利とするならば、それを調整する制度により
基本的内容は様々となり、普遍・絶対も様々となる予感。
575 :
・・・:03/04/14 15:05 ID:???
名無し=529氏
兎に角、私の質問に答えて頂いた事には感謝しております。
その後の展開は、お気の毒です。
>基本的人権は憲法上あくまで国民ですよね。
>で、私は天皇・皇室は国民でないと概念化しておりますのでどうなるのだろう?
>人である限り、人権は有るのでしょうが・・・新たな疑問。
が、残りました。
>>573,れ氏
たぶん、パンドラ氏は、
合議制は、みんなで決めた事であるので、
責任はみんなにある=責任は誰にもない、とするもので、
これこそが日本の無責任体質であるとする説を指摘されて
いるのであろう。
しかし、戦争責任・無責任体質等を絡めるのは、
私的には、もうお腹一杯です。
>>575 みんなで決めたことだから無責任・・・みんなで決めたことだから自己責
任と私は判断します。民主主義は無責任制度というのもちょっと。
政治判断(行政判断)に関して云えばそのキライはありますが。
このスレも古くなるにつれて議論のレベルが下がって、他スレと同等になってきたみたいだね。
天皇家の人達の価値観を無視した人権論、自由論をもって皇族の開放論?なんて贔屓めにみても鮮民のエゴの押し付けにほかならない。
578 :
右や左の名無し様:03/04/14 18:06 ID:bWF1GttM
鮮民とか朝鮮人とかチョンとかいって
人をバカにできると思っているウヨって
小学生みたいでなんか可愛いよね。
579 :
右や左の名無し様:03/04/14 19:08 ID:BzGTEimN
>>578 SOSO
他者を下で見ることで優越感を得ているんだからね
どんなに、中傷しても自分自身が実質面で向上するわけ
ないのにね
そのうち株価の下落も他人の性にするだぜ(笑
>>579 同感である。鮮人なんていう言葉自体が差別的である。ヒトを差別的に扱
い、一段下に見るなどということは、よろしくない。
鮮人、朝鮮人も、サヨ・ウヨのレッテル張りも、小学生みたいも、厨房も
全部優越感を感じたいからなのだろう。見苦しいね。
>>577 >このスレも古くなるにつれて議論のレベルが下がって、他スレと同等になって
>きたみたいだね。天皇家の人達の価値観を無視した人権論、自由論をもって
>皇族の開放論?なんて贔屓めにみても鮮民のエゴの押し付けにほかならない。
俺様の発言を指して逝ってるんだろうが、まあ俺様が参加するスレは、俺の煽り
口調の影響を受けて品がなくなるのは事実だから、その点は認めよう(藁
しかし、俺の自由論、人権論に基づく皇族解放論は、一種の皮肉・いやがらせ
なんだぜ。そのくらいのことに気づけよ。父ちゃんなさけなくて涙がでてら〜。
ウヨ・保守は、天皇・皇族をいたずらに美化したり、天皇とか皇族の意思を
勝手に解釈する嫌いがあるだろ。天皇家と言えども、泣きも笑いも怒りもする
人間なんだしそれをいたずらに美化したり、自分勝手な思い込みを押し付けるのは、
彼らにとって迷惑この上ない話だろ(藁
自由・人権論をもとに、彼らの自由になりたいとする意思を代弁して
彼らを解放することが、「エゴの押し付け」だとするなら、それと同程度に
彼らを虜にして一定の役割を担わせることも「エゴの押し付け」と言えるんじゃ
ないのかね?俺は、現在の「国民のエゴの押し付け」たる天皇位・皇族位を痛烈に
皮肉る趣旨で、別の意味での「エゴの押し付け」である皇族解放論をぶってるんだぜ(藁
しかし実際問題として、彼ら彼女らが自分の生き方に関して疑問を感じ拒否したい
と思っても、現在の制度・実情から天皇位・皇族位を脱することは困難なわけだろ。
この点は、是非とも人道的見地から見て可及的速やかに是正されてしかるべきだと
思うぞ。ヤマトのおもちゃにされている天皇・皇族を見るにつけ、アズマ人の俺でさえ
哀れに思うよ(藁
582 :
577:03/04/14 21:14 ID:???
>>578 >>579 >>580 >>581 Oh・・・(釣りは楽しいなあw
こんなにレスがくるなんて、案の定、図星だったんだね。
なんか鮮民に引っかかってるらしいけど、馬鹿丸出しだね。
朝鮮人の集まりなのはわかったけど、箋民の打ち間違いだよ(マジでね。w
まあこれからも、日本人に迷惑をかけない程度に頑張ってくださいよ。(w
>和の理念と無責任
「和の理念」とやらが不明確な概念であるなら、十分「無責任」と結びつくだろ。
政治がなんらかの明示的な理念にそって行われることは、理念にそった一定の範囲で
政治が行われることを意味し、そこに政治の安定性が生まれる。特定の理念に沿って
運営される国家は、その理念を骨組みとする安定した政治を指向するもんだろ。
だから、よって立つ理念が曖昧・不明確だったりすれば、それは権力者や多数者
によって、恣意的に解釈され理念としての安定性を失ってしまうことになる。
政治における責任を短期的な多数者の賛同にのみ求めるのではなく、長期的に見た
社会の安定に求めるのであれば、社会の存立の基礎に明示性・体系性を持った
なんらかの理念を求めることが必要になるだろ。そこから考えれば、「和の理念」
とやらが明示性・体系性を欠くものであるなら、それは権力者・多数者の恣意的解釈
によって時々刻々可変するものになり、社会の安定に寄与しないものとなる。
そのような政治は、無責任・無軌道と言えるだろ(藁
ウヨの好きな國体と言う言葉があるが、こんなもの実体のゴミだろ。実体のない
ゴミのごとい言葉を弄び、自分勝手な解釈をくわえ政治を論じ・運営しようと
するのは無責任この上ない態度と言える罠。理念と言うものは、定義され、
明示されてこそ、安定した解釈を見びくことができそれに基づく安定した政治が
おこなわれるってもんだろ。また、その理念が社会的に見て妥当かどうか、
検証することも可能となる。もし、理念が曖昧であるなら、安定した政治が行われ
にくいと言う点において、政治の無責任性に結びつくと言える罠(藁
584 :
右や左の名無し様:03/04/14 21:25 ID:0Ty2qaS1
>>571 >必然的にすべての人に適用されるべきであるとの結論に至るのではないだろうか
どういう愉快な思考回路を持って考えればこのような考えが導かれるのか、不思議きわまる
のだが、私の思想は私が世界を見るときにかけられる眼鏡であって、他人にかけさせる眼鏡
ではない。
>国家が宗教国であることは、否定されるのではないだろうか
否。国家が宗教に関与するということが原理的にあり得ないのであって、否定はされない。
宗教国家を作りたいのであれば、あなたが「天皇は国民の支持を受けた憲法上の制度である、
憲法を廃すればよい」というのと同じことで、この思想そのものを拒否すればよい。
>国民の総意があり〜
何を言いたいのか分からない。
私が属さない集団であり、私が関与しない集団の思想が私の思想に何の影響があるんだろう。
現実がどうあれ、思想に影響は及ぼさない。
なにやら人権の意味について議論されているようだが(藁
人権の根拠を科学的に求めようとしても不可能だろ。近代人が作り出した概念に
すぎないわけだから。自然権とか普遍性とか言うのも、単なる美辞麗句であって、
実際にそれが人間にとって必須の価値であるこのとの科学的な論証は不可能だ罠(藁
人権を前国家的なものとか、普遍的なものと定義するのは、国家(政治権力・多数者)
によってはじめて保障される権利と対比する意味でだろ。国家を形成するに際して
単純多数決で処分することが望ましくない領域が存在するわけで、その領域に
関しては、なんらかの根拠に基づいて単純多数決による処分を回避する必要性がある。
現代における人権制度とは、そのような概念だろ。
例えば、特定個人・集団の議決権剥奪を多数決によって可能にしてしまえば、
そのうち多数決自体がまともに機能しなくなる。そのような極端なものを考えずとも、
多数決に到る議論等を多数決で自由に制限できるようにしてしまうと、まともな
多数決が成立したと言えなくなってしまうだろう。そのような事項はあらかじめ
多数決の例外事項として排除することが望ましいわけで、個人に関するそのような
留保領域が、人権と呼ばれている社会制度の根幹だろ。
そのような単純多数決によって制限することが好ましくない留保領域を表現する上で、
前国家的とか普遍性をうたわれるわけであって、そこには単純多数決による意思決定が
反対概念として念頭におかれている罠(藁
煽り口調ったって「藁」つけてるだけじゃん。
無理して付けなくてもいいんだよ。寒いから。
そのような政治権力・多数者からのダイレクトな制限が好ましくない領域に関して
争いが生じた場合、それをいかに政治権力が調整するかが次に問題になる罠。
争いの生じた人権の調整に際して重要になるのは、それができるだけ安定した
明示的なルールに沿って調整されるべきだ罠。
調整の基準が曖昧であったり、調整の結果が予測不可能なものであるなら、調整
結果の正統性がうたがわれることになりかねない。人権を調整するに際して内容は
様々となり、普遍・絶対も様々となるとする意見もあるようだが、人権を調整するに
際して重要なのは、その正統性が民衆の多数意見に基盤を持たないと言う事実だ。
人権が多数決の例外である以上、人権調整の正統性は明示された理念・調整基準に
基づく安定し予測可能なものにもとめざるをえないことになる罠。
普遍性とか、前国家性が美辞麗句にすぎない以上、人権の解釈も社会によって
ことなって当然だが、その制限や調整のシクミ自体はどのような社会でも似たような
ものになると考えるのが論理的だろ。多数決の例外としての人権の制限に際しては、
明示的なルールにそって安定的な調整が行われるべきで、そうであってこそ
非民主的な裁判官の判断が正統性を付与されると考えるべきだろ(藁
588 :
ころ:03/04/14 22:34 ID:???
・・・さん
>一応、基本的範疇を社会性的制限と表現しましたが、制限という
表現はそんなにダメなのだろうか?
別に制限といってもいいと思いますよ。
ただ、人権論者は内在的制約説に立ってる人が多く、「公共の福祉」を制限とは見ていません。人権の中に本質的に内在してるという考えです。
しかし「公共の福祉」は制限とみる考え方もあります。人権は「公共の福祉」によって制限される、つまり別個の概念というものです。これを人権制限(規制)立法の合憲性といいます。
内在的制約説が人権思想自体に基準を求めるの対して人権制限立法は法理念に基準を求めます。
そこで問題になるのは「公共の福祉」です。人権制限立法では「公共の福祉」を法、つまり成文法や不文法(道徳、伝統的慣習)という調整的要素で合憲性を問われます。
一方内在的制約説では原則的に人権思想のみで問われます。その意味で人権思想は普遍・絶対なのです。
日本では戦後、人権制限立法の合憲性が有力でした。しかしそれだと「公共の福祉」の内容がよくいえば多角的ですが逆にいえば曖昧で不明確(何でも「公共の福祉」になってしまう)ということになります。
そこで「公共の福祉」は人権に内在するものであって他の要素で制限されるものではないという内在的制約説が学説として主張されました。
現在ではこの二つを総合的に採ってるものと解されています。
つまり、「公共の福祉」は人権思想の専売特許とは必ずしもならないのです。
589 :
ころ:03/04/14 22:48 ID:???
>>583 >「和の理念」とやらが不明確な概念であるなら、十分「無責任」と結びつくだろ。
とりあえず、現在の主権者たる国民の政治に対する無責任という点からも日本は「和の理念(精神?)」がまかり通ってると思うのが筋かと。
「和の理念(精神?)」は不明確でありません(多分)。日本人の精神構造が民主主義向きではないという関連書物を読んでるのでそのへんは追々・・・。
>>571 前スレか前々スレあたりで触れたが、宗教と言うものも制度的に見れば社会を構成
する上での政治技術にすぎないわけで、特定の宗教を社会として採用することが
社会維持にとって好ましくないのであれば、社会としてそれを採用することは
好ましくないと言える罠。敢えて挑発的な言い方をすれば、イスラム圏の一部の
諸国が採用するような政教一致のシステムは、西洋風の政教分離の個人主義的な
政治システムに比して劣っていると言える罠(藁
社会システムの優劣を、生産性とか社会的な結合力で評価するなら、特定の宗派の
宗教的権威に依存する政教一致のシステムは、他宗派の社会構成員の間に軋轢を
生み出すことにもなりかねないし、個人的な欲望や信条を抑圧するコミュニタリアン的
発想は、個人の欲望や思想的自由を燃料にして社会を回転させている西洋型の個人
主義社会に対して、社会的活力と言う点で劣らざるを得ない。
生産性とか社会的結合力と言うものを犠牲にして、別の価値をより上位のものとして
見出す立場に立つなら話しは別だが、物質的豊かさとか欲望の充足、自由度に価値を
見出す立場に立つなら、個人主義を採用し個人の欲望を解き放つことによって、
社会の全体の活力を引き出す方向を社会として採用するしかないだろ。その点において
コミュニタリアン的発想を総体としての社会で採用することは間違いと言わざるを得ず、
ユートピア的社会実現を掲げる国家や政教一致の回教国は世界から根絶されることに
なるだろ。
そもそも政教一致の回教国なるものも、部族社会を否定しより広域な社会を
造るための社会実験にすぎないわけで、地域本来のネイティブな社会にとっては
極めて人工的な社会制度にすぎん罠。もちろん、その国や地域の政体を選ぶ権利は、
住民にある以上、海を越えて政体を勝手に変更することがもっての他であることは
言うまでもないが(藁
>>589 > とりあえず、現在の主権者たる国民の政治に対する無責任という点からも日本は
>「和の理念(精神?)」がまかり通ってると思うのが筋かと。
民衆なんてどうでもいいだよ。よーわ、政治にたずさわる層が、一定の責任を
負えばいいわけで、社会システムがそのようであればよい。
俺は、「和の理念」とやらに問題があるとすれば、その曖昧さ原理性のなさに
あると言っているのであって、ここでの問題はその批判があたっているかいない
かだろ。
俺は人権などの多数決の例外事項と言うものを有用な社会制度として採用する
のなら、そのようなものは明示的な理念に基づくことが重要で、その調整
に関しても、明示的ルールに基づいて論理的に安定した結論が導かれるもので
あるべきだと言ってるんだろ。その際、「和の理念」なるものを持ち出して
人権概念や人権調整が曖昧なものになるなら、それは制度的に見て好ましくない
と言いたいわけだ罠(藁
592 :
・・・:03/04/15 01:10 ID:???
>>576,れ氏
あくまでも、その主張があると言うかあった、と言う事であり、
私はパッチワーク的だとも思っております。
和の精神も合議制のシステムもダメとなれば、その反対を指向するのか
どうか等も、無視された主張でもあります。
アズマ人氏的には簡単に言うと、多数決の例外にも抽出され見出される権利が、
人権って事で良いのかな?しかし、これも具体的には司法判断なら、皇室が
訴えない限り、第3者が何を主張しても無意味かな。
>>590,なんとなくユダヤ人的価値観かも。
>>588,ころ氏
ありがとうございます。なんとなく、名無し氏の主張も見えてきました。
>人権思想のみで問われます
普遍・絶対とする名無し氏自体の主張を見れば、やはり、
>内部化された行動規範は倫理や道徳、宗教の領分、がセット
になっていないと成立しない、訳ですよね。
現代の日本においても、この領分が軽視されている間は、
人権思想も違う目的の為のパッチワーク的手段に成り下がっているのかな。
593 :
パンドラ:03/04/15 07:02 ID:Bc+ruMlH
>>573 >天皇制が憲法理念に反しているという主張は、普遍的人権が全人類にあるという前提での議論であろう。
いいや、民主主義の基本的属性としての平等と自由に反するからである。
で、憲法は前文で民主主義をうたっている。
594 :
右や左の名無し様:03/04/15 07:02 ID:Bc+ruMlH
>>573 ,
>>576 お二人の談合で、勝手にわたしの論旨を歪めないでいただきたいw
>合議制は、みんなで決めた事であるので、責任はみんなにある=責任は誰にもない、とするもの…
ぜんぜん違うw で、
>みんなで決めたことだから無責任・・・みんなで決めたことだから自己責任と私は判断します。
これこそが、民主主義で、あなたのおっしゃる「和」の対立概念と考えているw
そもそも自己責任を自覚しての合議制こそ、民主主義の根幹である。
で、「和」の概念と「責任感」あるいは「責任追及」とは、親和性に乏しいと思える…そうでないなら、具体的にご教示いただきたいw
ところで、いわゆる『談合』も「和」の理念だろうw
争わず、業者の「和」をもって公共投資額を引き上げて税金を食い物にする。
お腹一杯の戦争責任を例に引いて恐縮だがw、天皇は輔弼責任をもって逃れ、一般国民は、「神聖不可侵」の「天皇の軍隊」の暴走を訴えて逃れようとする。
一方で、「和」をもって、互いに、それ以上の責任追及はしない。
すでにあげたが、金融行政の失敗は、誰一人責任をとっていない。
そこには、「和」をもって厳しい追及を、することも、されることもない「麗しい」人間関係がある。
こうしてみると、あまり世界に「普遍的」でも、「誇れるもの」でもないように思えるw
「西欧民主主義」と比べるべくもない悪癖とでもいおうか?…www
>>594 いつも決まった時間帯の書き込みをされるようで
工作員さんもマメですね
596 :
・・・:03/04/15 11:28 ID:???
>>594,パンドラ氏
氏的には、合議制は含まれない訳ね。
>自己責任を自覚しての合議制こそ、民主主義の根幹である
同意するが、責任者が労働側意識を持たざるを得ない
(指導力を発揮できない)システム・状況下において
多くは望めない。
>業者の「和」
業者のみの利権であり、これを「和」の精神とするのもいかがなものか?
私は、自分さえ良ければ的に感じるのだが。
戦争責任云々は、東条英機をはじめとする
裁かれた戦犯の亡霊でも見られたのだろうか?
597 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/04/15 13:33 ID:GWIT0JFQ
>>583 和の理念は曖昧ではないから、その指摘は間違っている。
>>584 思想の主張というのは、(貴殿のたとえによれば)そのメガネを、貴殿所属の社
会の人たちにもかけてもらおうとする事ではないだろうか。
そうであるなら、貴殿が所属しない他国に関与しないという主張は、貴殿所属の
社会の独自性を論証しない限り、同じ理由で、その社会の人も書ける必要のない
メガネであるといえる。
私喪服メタ、貴殿所属社会の構成員が、そのメガネを拒否することもかまわない
と云うなら、何のためにここで書き込んでいるのだろう。私には理解できない。
>>594 談合が、民主的に業者間で話し合われれば有効かという設問と同じ事であろう。
和の理念は、関係者すべてが衆議に参加できる必要性があると、すでに書いてい
る。したがって、工事する側だけでの衆議結果は、肯定されない。
最近ややイメージ操作に走り過ぎるのではないかなぁ。
クタバレ!
カイザー
このスレッドの題名の
「教えて ください」を見ると
二百三高地を思い出すのですが、俺だけ?
>>984 西欧の理念の結果は、第二次世界大戦からすでに50年以上経ってもなお、
いまだ戦争を続けている理念のことであろうか。
パンドラ氏が、和の理念と比較して、優れているという「西欧民主主義」
はいまだに、違う文化圏に、平等・人権・正義を輸出しようとしている。
日本は、和の理念が存在し自由主義・平等・人権が受け入れやすい土壌が
あり、日本風に受け入れたが、それを全面的な受け入れと勘違いする貴殿
たちのおかげで、米国は日本式統治は、異文化でも成功すると確信したよ
うである。押し売りの正義が、和の理念よりそんなに良いものかねぇ。
私は、平「和」が一番だが、貴殿は西欧の正義が一番なのだろう。
国民が支持していて平穏な状況にあっても、論理に矛盾するとして憲法改
定を望むのだから、平和より理念優先。まさに現在の米国の態度と同一で
ある。
>>600 戦争を続ける社会が採用する理念がおかしいというなら、
国家形成(明示簒奪)以降、数年おきに戦争を繰り返し
最後には慢性的な戦争状態に陥り自滅した日本国は、
明治〜敗戦まで平「和」な「和の理念」に基づく社会では
なかったと言うことか?(藁
和の理念が平「和」な理念なら、平和とは到底呼べない
明治〜敗戦までの日本は、「和の理念」に基づかない社会
だっとと言うことになる。
それでは、明治簒奪〜敗戦までの平和でない日本国と日本社会は
いったいどのような理念で運営されていたのであろうか?やはり
「和の理念」は、薩長やヤマトにはなくアズマ社会・アズマ治下の
日本にのみ存在するのであろうか?(藁
それに「和の理念」がそんなに優れているなら、なぜ当時日本治下の
朝鮮や台湾、南洋諸島は、世界に冠たる「和の理念」を現在でも採用
してないんだ?つっこみどころ満載なんだけど(藁
602 :
ぁゃιぃアズマ人:03/04/15 22:20 ID:ZG9pkeBY
仮に日本が明治簒奪〜敗戦まで「和の理念」に基づく社会・国家を
形成したいたとして、敗戦を契機にそれを別の理念に転換したとした
なら、敗戦以降日本社会が好戦的な態度を放棄し、平「和」な国
なったのも十分にうなづくことができる。
日本が平「和」な社会になったのは、ひとえに明治簒奪〜敗戦まで
採用していた極めて好戦的な「和の理念」を放棄し別の理念を採用
したと考えるのが自然な発想だな(藁
もし明治簒奪〜敗戦まで和の理念を採用していなかったとするなら
敗戦以降突然、いままで影も形もなかった「和の理念」なる平和な
理念が手品のように出現し、日本国憲法を通して日本を平和な社会に
したと言うことになる。なんかよくわからん論理としかいいようがないな。
これがオリエンタルな神秘思想と言うものなのだろうか?(藁
603 :
パンドラ:03/04/16 09:10 ID:iE/stYhK
>>596 あなたは高い知性をお持ちのようだが、より低いものへの配慮に欠ける、これ↓ではよくわからないw
>氏的には、合議制は含まれない訳ね。
まさか、「民主主義の概念に含まれない」という意味ではなさそうだから、「和の概念に含まれない」ということか?
だとすれば、ちがう、合議そのものはどこにでも存在する、伴う個々の責任ないしそれを求める構造がない…ということである。
以下も同じ、よくわからないが、勝手に解釈して応えるw
>責任者が労働側意識を持たざるを得ない(指導力を発揮できない)システム・状況下において多くは望めない。
「労働側」とはどういう意味で使用されているか不明だが、これを「市民」とおきかえれば、その形で西欧民主主義は発展してきた。
もし「…多くは望めない」とするなら、それは民主主義の限界であり、それ以上を望めるものがあるならご教示をw
>>業者の「和」 >業者のみの利権であり、これを「和」の精神とするのもいかがなものか?私は、自分さえ良ければ的に感じるのだが。
談合は、欧訳不能で”dango”と表現するそうだw これほど日本的なシステム? はないw
自分「たち」さえ良ければ…と表現すれば、それこそかつての貴族社会や武家社会そのものである。
そーゆー人間関係だけは、日本古来の「和」から排除してしまう?…www
>戦争責任云々は、東条英機をはじめとする裁かれた戦犯の亡霊でも見られたのだろうか?
いや、ちがう。ご存知だろうにw 彼らは「無罪」を主張した、「責任」を自ら訴えて弁護人を拒否したのは広田弘毅だけだったという、裁判では、形式上弁護人は付いたが…
604 :
右や左の名無し様:03/04/16 09:11 ID:iE/stYhK
>>597 >和の理念は曖昧ではない…
そうであるなら、個の責任の取り方も含めて、具体的、明瞭に説明いただきたいw
>和の理念は、関係者すべてが衆議に参加できる必要性があると、すでに書いている。したがって、工事する側だけでの衆議結果は、肯定されない。
それでは、あなたのおっしゃる「和」とやらは、古代的「直接民主制」をさしているか?
いったい、いつの時代に、そのようなものが日本にあったのやらw
>>600 >和の理念と比較して、優れているという「西欧民主主義」はいまだに、違う文化圏に、平等・人権・正義を輸出しようとしている。
いや、ちがう、それはneo-conservativeといわれる一部の連中である。
圧倒的に多数の「西欧民主主義者」は、米国民の一部、イギリス国民の多数を含めて反戦行動に出たのは周知だ。
比較して、日本政府は米軍のイラク侵攻を支持し、反戦行動は、わが国において、欧米より圧倒的に少なかった。
なにより、「和」の「天皇の軍隊」が侵略戦争をしたw
戦争は、残念ながら、争点とはならないwww
それより、『日本的集団無責任エゴ』にすぎない「和」などという概念は、いいかげんにして、まともな議論にもどしてはいかがw
605 :
・・・:03/04/16 14:10 ID:???
>>603 >合議制は含まれない訳ね
申し訳ない、主語は無責任体質である。
>伴う個々の責任ないしそれを求める構造がない
合議制において可決された案件について、その責任は会の長であろう。
しかしその長が個人的には案件に反対意見で多数者に押し切られた場合、
その内容における責任は不特定多数者となるのが道理であるとも言える。
その矛盾が合議制に含まれている。
議会は対立構図でありその範疇外だろうし、小泉・石原氏的長は明瞭であるが、
>自己責任を自覚しての合議制こそ民主主義の根幹である、には同意するが、
責任の取り方も放棄・逃げ・クビのすり替え・しっぽ切り等の批判もでる。
大多数が求めた内容にその責任を、誰に・どのようにして求めるべきであるのか、
ご教授頂ければ個人的にも有り難い。
>多くは望めない
これも主語は、「無責任体質改善は」にでもお願いしたい。
ただ、れ氏の言う「和の精神」とも、方向性が違う問題であろう。
>>519 実に下らない間抜けな考え方だ。お前の上がたものはすべて権利ではない。
単なる本能的衝動にしか過ぎない。
権利というものは、人間が個体の能力限界を越える力を獲得し、本能に反する
社会というものを作った結果から生じた幻想の産物なのだ。
社会として最大で最強を目指すことになった結果、個体は社会という生物の
一部品になった。だが人間社会はまだ完全な生物に成りきってはいない。
現在は、個体から社会という生物への変身の過程にあり、まだ相当強く
個体として存在している。変身の過程における経過処置として
仮想の力としての<<個体の権利>>が案出されたのだ。
社会という生物に変身が完了すれば、権利などいう妄想は不要になるものだ。
一片の爪や皮膚や一つ一つの細胞には権利などという馬鹿らしいものは存在しない。
生まれてから死ぬまでポジションを維持し役目を果たすことだけが求められる。
役目を放棄し、社会に逆らう者は癌であり、排除抹殺すべき者でしかないのだ。
607 :
・・・:03/04/16 14:58 ID:???
<続き>
>>603 >”dango”と表現するそうだw
これははじめて知り得たが、私の書き込みは、談合とれ氏の「和の精神」の違いの私的感想である。
>自分「たち」さえ良ければ、の場合、私的には「和」から外れるであろう。
>彼らは「無罪」を主張した
春眠中の保守考氏的に、
「国内的の自らの責任は、死を以て償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては
無罪を主張した。」と遺言もある。
しかし、広田弘毅を責任を取った代表者とされるようでは、スミス弁護士も鼻高々であろう。
>>607 時の政府の施策に消極的であろうが、大陸への侵略政策を容認した
政府に閣僚として参加していた為政者が、それなりの責任をとるのは
当然だろ。為政者が、自分の政権や政治体制に責任が持てないのである
なら、為政者とはもはや呼べないだろ。為政者がいやなら土民に戻れば
よいだろ。ヒロタやコノエのような主義主張を持たない弱いインテリが
戦前の国家体制を誤らせたと言えなくもない罠。
為政者とは、もし自分の参加していた政府の政策が破産したら、土民
によってリンチされ殺される覚悟がなければならず、それが政治に
対する緊張感を生み出すと言うものだろ。為政者は、政治過程に関して
責任を負うのみならず、結果に対しても責任を負わねばならないわけで、
消極的な責任しか持たないとかは無責任性の現れでしかない。
「和の精神」に基づかないアズマにおける政治責任とは、失政すなわち
支配階級の皆殺しであり、アズマの民衆は、失政を行った源氏宗家・
北条得宗家・足利将軍家を殺戮し、また政権から引きずり落とし、政治責任
をとうてきた。そのような、政治における緊張感が為政者に政治責任を
問い、マトモな政治が行われると言うものなのだ。政治においては、
それが正式な手続きにおいて行われたとか、民衆の喝采を浴びて行われた
だけではダメなのであって、結果における責任まで見通した意思決定が
時の為政者には求められているのだ。それが、土民と為政者を分ける
重要な要素だろ。土民と同様の無責任な態度で政治に望むことが、
「和の精神」とやらなら、失政=支配層皆殺しの殺伐としたアズマ武断政治
の方が百倍ましだ罠。為政者に結果責任が求められるのは当然だろ。
為政者としての自負をもたない堕落したヤマト貴族文化に漬かった
コノエやヒロタなぞ、アズマにとってはゴミ以下の存在だな(藁
アズマの棟梁に関する伝統的態度いうものは、君主が、自分たちの君主として
ふさわしくないならば、取り替えてしまえ、反逆し権力を簒奪してしまえという発想
があるんだよ。だから我らアズマ人は、源氏宗家を断絶させ、北条得宗家を皆殺し
にし、足利家を追放してもなんら恥じるところはなかった。つまり、アズマは自分達
の棟梁を常に取り替えてきたし、それをよき伝統として先祖代々受けいれてきたのさ。
アズマにとって、君主とは自分達の生命・財産を保障してくれる存在であり、
もし君主がそのような存在でないなら、そのような者は君主の名に値しないとして
反逆や君主処刑の行為も正当化させられるのさ。これすべて、アズマの政治権力に
対する考え方が、自分達の権利を守ってくれない政府には、抵抗する権利を持つと
考えたからに他ならない(藁
アズマにとっての伝統的君主観は、アズマ自身が君主の名に値するものを君主
として承認するものだ。断じて君主と言うものがあらかじめあるものではない。
そう言う意味で言えば、伝統的にアズマは、共和政もしくは貴族政による連邦制を
志向しているということになる(藁
自分達の棟梁を自らが選ぶ、これアズマのよき伝統。アズマの君主たるものは、
アズマ人の総意に基づきアズマ人の利益になる政治を行なわなければならない。
もしアズマ人の利益に反することをするなら、その者は、アズマ人みずからの手
で一族みな殺しにされるなりして君主の座を追われて当然なのさ。アズマの棟梁たる
地位は、アズマ人の利益を代表する立場なんだから。
ここが、王権神授説的発想をとって、権力と権威を人民に置かないヤマトの後進性
とアズマの先進性の違いなんだな。別の視点から見れば、これはわれらアズマ人が
悠久の歴史の中でつちかってきた一種の「革命権」「抵抗権」のあらわれなんだ。
オレは、ここにアズマ人の手による一種の自然法、自然権的思想の萌芽を見るね(藁
それに対して水戸学派・皇国史観派は、アズマ人が歴史的に培ってきた、自分達の
権利を守ってくれる棟梁(権力)こそが真の君主と言うアズマ的君主観を否定する。
これはアズマ自虐史観に毒された君主観と言わざるをえないだろ。
我らアズマ人は、堕落した裏切り分子の水戸学派をアズマから追放し、アズマの、
アズマによる、アズマのための政治を志向する、真の権力を擁護するアズマ的君主観
を復権しなければならないのだ。
アズマにとって君主(既存の権力)に逆らうことは悪にあらず、むしろ民の権利を
無視し悪逆な政治を行う権力に対して、アズマ人は反逆・抵抗する権利を伝統的に
有するのだ。我々アズマ人のなすべきことは、王権神授説的君主のテンコロを崇め
たてまつることにあらず。自分達の利益を守る棟梁を真の盟主として、主体的に
支持することなんだよ。そして、もし棟梁がアズマ人の共通の利益や名誉を裏切る
なら、断固としてこれに抵抗し、場合によっては棟梁を一門を皆殺し・根絶やしに
してでも、アズマ人の権利や名誉を回復すべきなんだ(藁
このようにアズマにおける政治は、失政をすれば一族皆殺しと言う、緊張感を
持って行なわれてきた。これが、アズマに責任政治という伝統を生み出し、
ヤマトのテンコロ・貴族による無責任政治と一線を画する、アズマ独特の武家に
よる責任政治という社会的伝統を生み出したと言えよう(藁
アズマ政治の根幹とは、ヤマト流の天皇無責任体制とは一線を画する責任政治
にこそその本質があると言えよう!(藁
いつからここは妄想を競い合うスレになったんだ
614 :
右や左の名無し様:03/04/16 23:28 ID:9XGoU00B
文章長すぎ。短くまとめてストレートに伝える努力を
キボンヌ
何で日本史板の馬鹿がいるんだよ。
>>615 おやおや、死相板新参のもぐりがいる。俺もアズマスレも死相板が元祖だぞ(藁
>>616 んー、やっぱりアズマさんマンセー。これからも楽しみにしております。
そうだろうな。日本史のなかでも妄想史という特殊な分野だから(藁
619 :
感想:03/04/17 01:00 ID:???
アズマだなんだと言っても結局は、武士層の歴史を勝手に民衆の歴史と置き換えて、殺戮の文化を賞賛してるだけじゃん。
幕府によって人工的に作られた価値観を宗教的に信じ込んでる哀れな妄想家にしか見えんな。
可哀想に(藁
誰かアズマの妄想史をなんとかしてくれんぬ!
621 :
パンドラ:03/04/17 07:27 ID:saSMN3Lz
>>605 >>伴う個々の責任ないしそれを求める構造がない
これは、日本的「和」の概念に向けたものである。あなたの返答↓は、失礼ながら的外れ、「合議制」や「委員会」の講義などお願いしていないw
>合議制において…その矛盾が合議制に含まれている。
で、この講義も、かなり問題があるが、スレちがいなので、深追いしないw
>責任の取り方も放棄・逃げ・クビのすり替え・しっぽ切り等の批判もでる。
いうならば、これが日本的「和」を維持する典型的な方法であろうw
>教授頂ければ個人的にも有り難い。
ごじょーだんをw 、あなた自身が、「放棄・逃げ・クビのすり替え・しっぽ切り等」とnegativeなものを挙げておられる、そのぎゃくでござろうよw
逆にご教示いただきたいぐらいだが、これもまたスレちがいなりw
>れ氏の言う「和の精神」とも、方向性が違う問題であろう。
いやいや、しつれいながら、あなたのご講義ほどは、ズレていないであろうw
622 :
右や左の名無し様:03/04/17 07:28 ID:saSMN3Lz
>>606 >自分「たち」さえ良ければ、の場合、私的には「和」から外れるであろう。
それでは、「和」のもっとも日本的な部分が抜けてしまう、あまりにご都合主義的解釈では…www
>広田弘毅を責任を取った代表者とされるようでは、スミス弁護士も鼻高々であろう
とゆーか、無責任体質の中の例外として、指摘される前に申し上げたに過ぎない。
「国際的には…無罪」は刑法不訴追の原理から、とーぜんであろうよw
で、japanese war criminalsのlayer に喜んでいただければなによりであるw
それにしても、これもまた、びみょーにズレだしておるぞよ…
トンデモ氏のような、マニアックな議論にズレこまないよーに…よけいな手間はゴメンであるw
623 :
右や左の名無し様:03/04/17 08:56 ID:GRPlvaFB
民主制は、方向性の異なる主張が並列することで相互抑制の機能を果たし、
権力の恣意的運用を抑止することに意味がある。
国家権力が和の理念を主張しだせば−和の理念が譲歩の思想だとすれば−、
常に譲歩を(公権力という有形無形の暴力・圧力によって)求められるのは
国民であり、或いは公権力の求める和の精神を内部規範化した国民相互間に
もとめられるのであって、その行き着く先にあるものは全体主義であろう。
つまり、民主制+和の精神という行動規範(≒善意)=全体主義
であると私は考える。
624 :
bloom:03/04/17 09:07 ID:PdH9cova
>アズマ氏
和の理念は争いを否定する。何がしかを絶対化した場合、その争いが発生
する。
>パンドラ氏
和の理念は本スレにいくつかに分けて書いてある。
なお、政治システムの決定に関しての責任問題なのか、行政としての決定
の問題なのか質問の意味がわからん。
全体主義こそ人が求める究極の理想である。
理想を目指して何か悪いことがあるのだろうか。
だが、全ての人は悪を内在する。である以上理想は永遠に成就されないのだが。
>>623 和の理念と和の精神は異なりますし、私が書いている輪の理念の概要は以
下のとおりです。詳細は当スレにあります。
1、関係者全員の衆議の結果が、理にかなっていく。
2、関係者全員の衆議が必要だから、平等主義である。
3、衆議を求めるのは争いによる怨念を忌避するからであり、平和主義で
ある。
4、衆議においては当然に自由な主張が求められる。
民主主義も結論的には同様である。ただ、当事者に無関係な事柄に、和の
理念は口を出さないが、積極的に平等な自由・人権をもっているとするリ
ベラルな民主主義は、その理念から、自らに無関係な事柄にも口を出す。
その違いである。
628 :
・・・:03/04/17 11:48 ID:???
>パンドラ氏
氏の書き込み自体、はじめからずれてません?イヤ具体性が欠けるのかな?
まあ、お互いちょっかい組だから少々のズレはご容赦。
>「和」のもっとも日本的な部分が抜けてしまう
どうして?「和」は、一方的には成立しないでしょ?
>無責任体質の中の例外
例が悪かったのでは?
気の毒等は感じるが、責任・無責任性の角度からは逆も見出せる。
奥様の方が、良かったかも。
>>623 >相互抑制の機能を果たし、権力の恣意的運用を抑止することに意味がある。
私的には、それも「和」の範疇なのだが・・・。
629 :
・・・:03/04/17 12:17 ID:???
>ぁゃιぃアズマ人
おっと、私へのレスだったのね。
確かに、明瞭だね。
人民が皆殺しにされない事を祈ります。
630 :
右や左の名無し様:03/04/17 12:57 ID:NDawzWLn
去年の二月くらい公民の授業で先生が
この国に天皇がいなかったら
どんな素晴らしい国家が今あるか
考えてみて下さいみんなが生まれながらに平等で
自由を満喫し
戦争になんて行かされない
個性をもっとも尊重する社会になることでしょう。
その通りだと思います。
だから天皇なんてこの国にはいりません。
631 :
なごみ:03/04/17 13:38 ID:???
>>630 その先生は日教組に入ってなくても基本的に左寄りだね。もっとも大抵は左寄りなんだが。そのこと分かってる?
この話からは、現在の天皇制がある日本は自由で平等ではないということになる。天皇制がみんなの自由や平等を侵害してることになる。
どこがそうなん?象徴になってしまった今、天皇制にそんな影響力はない。
天皇制があっても自由や平等は満喫できるし、天皇制がなくても戦争に行かされるかもしれないし個性を尊重する社会になるか分からないのだよ。
去年の二月というのがミソだな。有事法制案もイージス艦派遣もなかった。それらは天皇制があるから起きたのか?だったらおまいの言い分は正しいが。
どうしてそんな簡単なことが分からないのか?どうしてなんでも天皇制のせいにするのか?
だいたい学校の先生の言ってることが全て正しいと思ってないか?先生の言うことを鵜呑みにしても、自分で考えないと正邪の判断間違えるよ。
大人になれ。そうすれば見えてくるものがある。不要論にしてもおまいのはまだまだ幼稚だ。
>>631 どう見ても630は頭の悪いアンチ日教組が書き込んだネタなんだが・・・
自作自演か?
633 :
右や左の名無し様:03/04/17 19:47 ID:HcdDeC2M
>>627 あなたの論は、和の理念なり和の精神なりをその集団が共有していることを前提として
いるようだが、システムとしての公権力は、まさに思考パターンの前提を共有していな
いものの意見調整をするためのものだ。
結局のところ、あなたの論は和の精神を共有していない者の存在を排除することによって
成立する箱庭のアルカディアに過ぎない。
>>633 自由主義もその国民が共有してこそとの批判と同等ではないでしょうか。
すべての価値観に絶対性がないから、衆議の結果が理にかなうであろう事
を期待する理念ですから、誰も排除しませんよ、和の理念は。
635 :
右や左の名無し様:03/04/17 21:10 ID:HcdDeC2M
>>634 あなたの今までのレスを見る限り、和の理念を共有しない者の存在を想定
していないようにみうけられるが?
>>627 なんか矛盾だらけの理念だな。全般的に所感を述べさせてもらえば、
れたんの「和の理念」とやらを額面どおり制度としての日本国に適用するので
あれば、論理的に見て天皇制自体を否定しなければならないことになるだろ(藁
1〜2について言えば、人権のような衆議に必要な最低限の了解事項を絶対的な
価値として社会の構成員が承認することが前提条件なわけだろ。衆議に必要な
言論の自由とか、衆議への参加権とか。これらが社会の構成員には、平等に
そなわっていることが前提なわけだ。
しかるに天皇制とか皇族制度と言うものは、本来万人に平等にそなわっている
はずの言論の自由とか衆議への参加権を生まれを理由に、天皇・皇族から剥奪
制限するわけだ。このような衆議参加と言う基礎的な了解事項をなぜ、生まれを
理由にして、天皇・皇族は剥奪・制限されなければならないのだ?天皇位や皇族位に
彼らが自らの意思でなったと言うなら、権利の剥奪・制限も合理化することが
まだできよう。しかし、本人の意思によらず多数者の押し付けで、一方的に
衆議への参加権や各種の自由を剥奪・制限するのは、万人の衆議参加を原則とする
「和の理念」から言っても矛盾のある制度といわざるをえない罠。これをどのように
説明するんだよ、れたん?(藁
「和の理念」から、現在認められているような人権制度や平等主義的理念を
演繹するとするなら、当然人権制度がそうであるように、原則として社会の
構成員すべてのものに、自己統治の延長線上にある政治参加や各種の基本権を
認めざるをえず、国家は万人対して平等な取り扱いをすることがやはり
原則として導かれると考えるのが自然な論理の流れだろ。であれば、「和の理念」
から導かれる、各種人権制度や国家による平等な取り扱いも天皇や皇族に対しても
原則として及ぶと考えざるを得ず、そのような理念からして原則的に認められる
べき諸権利を、国民が多数決で世襲の天皇・皇族から彼らの意思をまったく
無視する形で剥奪・制限するのは、論理的に見ておかしなことではないのかね?(藁
638 :
名無し:03/04/17 23:00 ID:???
女子トイレ内を隠し撮りで京大整形外科教授逮捕−京都
・京都市下京区の阪急河原町駅で、京都大学整形外科教授 中村孝志容疑者(54)を
女子トイレ内を隠し撮りしたとして、警視庁は軽犯罪法違反の疑いで逮捕した。
近く同容疑で書類送検する。
調べでは、教授は3月29日午前0時10分ごろ、京都市下京区の阪急河原町駅の
女子トイレで、手を伸ばして個室内を上からデジタルカメラで撮影しているのを駅員に
発見された。
同容疑者は容疑を認め「ほかにも10件ほどやった」と供述。
同容疑者は現在京都大学整形外科の教授で、専門はリウマチ。
京都大学は「事実関係を確認したうえで、厳正に対処する」としている。
>>630 戦争云々以外に関しては、まったくもって正論だ罠(藁
天皇制がなかったら、天皇・皇族は、自由を満喫し、どこに逝ってもつきまとう
ウザイ糞蝿のごとき皇室ストーカーにたかられることもなく、個性をもっと尊重
された生活が日々おくれる罠(藁
天皇や皇族が一日もはやく、自由に人間的な暮らしを行えるためにも、
天皇制なんてこの国にはいらん罠(藁
和の理念に関して補足すれば、万人の衆議参加を基本要素とする
「和の理念」とやらは、原則的に万人の衆議参加を原理的に要求するはずで
であれば、衆議から排除される天皇や皇族と言った社会層を許容することは
原則的に見て、望ましい制度とはいえないはずだな。論理的に言えば(藁
万人の衆議参加と言う「和の理念」からは、天皇制などという制度は
論理的に見て導かれるハズはなく、むしろ「和の理念」に忠実たらんと
すれば、特権階級否定・政治参加権剥奪者否定の民主主義・自由主義と
結びついた共和制こそが導かれ、天皇制否定が論理的帰着として導かれる罠(藁
だから、「和の理念」とは、天皇制肯定の論理と言うより、天皇制否定の
共和的・自由主義的論理にほかならず、天皇制を肯定するなら別の論理に
よって「和の理念」を部分的に否定する例外としての天皇制の正統性を
証明する必要性があるといわざるをえん罠(藁
641 :
右や左の名無し様:03/04/18 06:52 ID:KVMpehcx
天皇制をいくら擁護してもあと50年で後継者がいなくなるからな。
無駄な努力はしないこったw
642 :
bloom:03/04/18 07:16 ID:sExZ739l
643 :
右や左の名無し様:03/04/18 07:16 ID:bpy4WQNX
紀宮さんの誕生日インタヴュー見た?
カワセミの研究してたんだね。別に悪い感じの人じゃないけど、
ギャラに見合うかはちょっとわかんないね。
644 :
アホちゃいまんねん:03/04/18 08:19 ID:RXwglTy7
れさんが言う和の理念は、関係者には平等主義を適用するとのこと
なのだから、関係者じゃない人間が衆議に参加できないのは当然だろう。
関係者じゃない人間が、無関係の事項に対して無責任なのは当然だろうよ。
その点、ひろく現実に適用する“理念”というよりは、衆議を前提とする
制度を設立する際に、盛り込んでいくと争いが起こったときに対処しうる
制度、やり方、紛争解決手段、合意手段という感じがしますね。
今、ある企業なんかでは、掘りごたつに入って関係者が会議をするところ
なんか出てきてるらしいけど、これも、和の理念に基づいているよね。要は
リラックスさせて、思うところをワイガヤにざっくばらんに語り合うという
ものだしね。
>本来万人に平等にそなわっている
>はずの言論の自由とか衆議への参加権を
だから、あんたにゃ、れさんの言ってることが分からないんだよな。
相手の言ってることを正確に理解せずに議論が成立するわけがない。
そもそも、今までのレスを読めば、このような反駁をすること自体が
エラーであることぐらい読み取らなくてはなるまい。
言葉は勇ましいが、空転しているのは、左翼の一典型ですな。
万人?関係者つってるだろ。よく読めよ。
それから言論の自由なんか万人にそなわってるわけねーだろ。そんな普遍性は
志向してねーんだよ。少なくとも自分が関係者であるその場で言論の自由が
保障されていないことが危険なわけだ。
次に必要なのは、では、その関係者とは誰か?なんだよ。それをアズマ
は見事に読み違えてるわけだ。自説に固執する人間と議論するのは疲れる。
そのサンプルがアズマだな。
>>636 意味不明だな。すべての日本人が衆議に参加できる平等性を持つということは、
当然に天皇の地位に立った個人にも、その衆議に参加する権利というものは存在
すると考えられる。当然である。
しかし天皇という地位が公職であるがために、一定の制限があることは当然では
ないのか?これが理解できなければアホである。
天皇皇族の人権制限について、和の理念によれば貴殿が口出しする必要はない。
そのことによって貴殿の人権が侵害され、あるいは何らかの不都合があれば別だ
が、、、。一般的な人権侵害は、いつ貴殿や私が同様の侵害を受けるか分からな
いという恐れがある。であるから貴殿も私も口出しできる。
しかし天皇家および皇族について、貴殿は何ら不利益の恐れがない。
よく考えてから、レスするように希望する。
646 :
右や左の名無し様:03/04/18 10:18 ID:46fa/lHv
北挑戦の太陽節って天長節のパクリだよね
>>630 生まれながらの平等など、この地球上には存在しない。
社会は、天皇が居ようが居まいが戦場で戦い殺すことを求める。
敵との戦いを拒否し、社会に寄生し、自分だけが生き残ろうとする者は
社会の反逆者であり癌だ。敵を殺すことを躊躇すれば自分が殺されるだけだ。
個性など社会にとっては無用なものだ。
無用な個性を主張する反社会的人間は、どのような社会においても
排除抹殺の対象でしかない。
648 :
動画直リン:03/04/18 11:45 ID:sExZ739l
649 :
右や左の名無し様:03/04/18 12:54 ID:cYfEob9Y
近代といわれるこの200年の歴史は、ある意味で、人類発展の歴史であった
ことは事実であろう。そして、思想的には意識的か無意識かを問わず、人類の
完成形を求めて、その思想・理念が形成されてきたことは確かである。
人権思想は「すべての人類にその人権がある」と規定することで、国家や社会
が完成するというものであろうし、平等な自由、正義論などのすべてが、完成
した人や社会の姿を規定し、それに近づこうとすると振る舞いであったことは
、確かなことである。
ある単純な仮定(たとえば原始的な欲望を人権とみなす・人はすべてが平等で
あるなど)から結論付けられる論理が、人や社会を、完成された姿に導くとい
う(私に言わせれば)幻想を追ってきた。
価値観の中立といいながら、その論理の前提を価値観の上位においた振る舞い
であることを、自覚しているものは、まだ論理的であるといえる。
さて、その完成形を求めることに、私は疑問を抱く。何がしかの論理から人や
社会が完成形に導かれる(和の原理で言う理にかなう)とは、思えないのであ
る。論理的整合性が、理にかなった結論を導き出すということ、ある単純化さ
れた前提のもとに構築された理念に従うことが理にかなうということの保証な
どない。
和の理念は、別に双方の譲歩によって成り立つものとはいえないが、絶対性の否
定がその原点であるということから云えば、譲歩できない主張は存在しないとい
うことはできる。衆議の結果が(それが議論で終わろうと、最終的に多数決の決
着になろうとも)、理にかなう方向に導くであろう事を期待する理念である。
必要なことは、すべての人が衆議に参加できる平等性を所有し、自己の関係する
事柄の衆議に参加できることであり、争うことを忌避し話し合いで決着すること
である。
論理、理念に従う意見も、それはひとつの意見であり、衆議の結果を優先する。
何がしかの理念に絶対性がない以上、慣習を優先することもまた、衆議の結果で
あれば優先される。少なくとも理念論理が、慣習の上位に位置することはない。
同等である。
だいたい、何かを絶対化していないものにとって、経験の集大成である慣習や文
化が、理念より上位であることには納得ができない。論理的な意見と慣習や文化
は調整されて、時代に適合させていくものであって、論理を優先することの危険
性を人は経験的に確信している。事実論理を説くものも、それは人類が獲得してき
た歴史があるからこそ、その論理に自信があるのであって、その意味で、経験・慣
習・文化と論理的な主張は同等でしかない。
>>649 煽りか?真実に目を瞑ろうとするなヨ、
微温湯で風邪でも引かないようにセイゼイ気を付けて長生きするコッタ(Dekirebana。
気が付いたら熱湯になってたりしてナ(w
したがって、天皇制は国民に負担や被害がない限り国民の意思によって継続する
ことに何の問題もないのであって、西欧から輸入した降らしかな論理や理念を持
って、矛盾という理由で廃止されるものではない。
日本の制度である天皇制は、国民統合の象徴で、国の象徴として、天皇という地
位を規定し、世襲によって引き継ぐこととしている。世襲とは血統承継のことで
はなく、皇室典範改定により「総理大臣が世襲する」と規定することも可能な憲
法である。その上で、国会の過半数の議決を得た皇室典範によって、誰が世襲す
るかを定めているのである。
現状の皇室典範は、その任期を生涯としている。これは元天皇が歴史的には、成
文上は何の権力ももたないのに上皇(院政)などによる権威の分裂があり、それ
を恐れたためであろう。生涯を任期としている以上万が一の場合の次期天皇は規
定せざるを得ない。当然次期天皇も公職であり、その周囲で彼を支える皇室もま
た公職である。ある一家にそれを負託することは、任期が生涯であるところに理
由があり、制度上やむをえないものである。
そのことによって、国民の権利が阻害されない。国の行方に影響を及ぼさない地
位である。であるがゆえに、衆議においてそのことが決定されても、問題はない
ことは自明である。万一天皇家の皇太子および皇孫が天皇の地位につくことを拒
否すれば、これは皇室典範の改定が必要になるが、その状況にはない。
何ら問題のない、国民にとって有意義な制度である。
>>645 「和の理念」とやらが、衆議への参加権とか自由な言論等を万人に認めることは
絶対的な前提として認めるわけだ。だったら、その当然の論理的帰結として、
衆議参加への前提となる特定個人の諸権利を、多数者が合理的理由なく剥奪・制限
するのを認めるのはおかしなことだ罠。
自然権的人権解釈でも指摘したと思うが、天皇・皇族の地位と言うものは、
多数者が特定個人・家系に対して一方的に押し付けるものだろ。そもそも、
多数者が多数決原理に基づいて一方的に特定個人の衆議参加の前提となる諸権利を
剥奪・制限することを認めることは、「和の理念」から導かれる衆議参加の
前提条件の絶対事項から言って禁止されてしかるべきだ。
天皇・皇族の地位は、総理大臣とか他の公務員と異なり、多数者の多数決
若しくは世襲で特定個人に強制されるもので、そのような多数者の一方的かつ
身勝手な都合で、衆議の前提となる諸権利を一方的に剥奪・制限することを認める
のであれば、諸権利を前提にして成り立つ衆議自体を否定することになりかねない。
衆議の前提となる諸権利を多数決で剥奪・制限することが理論的に可能である
なら、天皇・皇族のような諸権利を剥奪・制限された非国民階級を多数決で議決し
無制限に創出することも論理的に可能となり、そのようなことを許せば社会の構成員を
原則的に衆議に参加させるとする「和の理念」自体が機能しなくなってしまう。
実際にかつての南アフリカ共和国は、自国の黒人に対し非国民として一方的に
諸権利を剥奪・制限する政策をとり彼らの諸権利を奪ってきた歴史があるわけだし、
日本でも戦後直後かつて同胞であった朝鮮・台湾地域等の住民を彼ら個々人の意思を
考慮することなく、一方的に国籍を剥奪し他国に売り渡した売国奴的歴史がある
わけだし、必ずしも杞憂とばかりは言えん罠(藁
それと、天皇・皇族の人権制限に関して、第三者が口出しするのはおかしいと
言われるが、いままでのれたんの論理から言えば、制度としての天皇・皇族
制度に付随する人権制限は、アキヒトや皇族関係者だけの問題とばかりは
必ずしも言えんだろ。
なぜなら、れたん風の解釈で言えば、天皇位・皇族位とは憲法上、特定個人・
特定家系に固定された地位・身分ではかならずしもなく、憲法記載の「皇位は世襲」
とは単に皇位が世襲であることを規定したことに他ならないとなる。そして憲法は、
現天皇家が天皇位につくことは規定しておらず、それは皇室典範(多数決)
によって決められたことと解釈しているわけだろ。だとすると、天皇位・皇族位は、
誰でも多数決で押し付けられる地位・身分と言うことになり、俺にとっても
対岸の火事と安心してばかりはいられん罠(藁
まがまちがって「ぁゃιぃアズマ人」が多数決で天皇に選ばれたりとか、由緒
ぃゃιぃ「ぁゃιぃ家」が皇族に多数決で選ばれることも制度的にありうるわけで、
であるから現在天皇でない者も、天皇制度に関して口を出すことは十分な理由を
持つだろ。いつ貴殿や俺が非国民である不自由な皇室の地位・身分に落とされるか
分からない以上、天皇制に付随する人権侵害は他人事では済まされない問題だ罠。
れたんこそ、自分のいままでの主張と照らし合わせ、よく考えてからレスする
よう希望する。お互い時間・資源の無駄使いになるからさぁ(藁
>>651 和の理念が絶対性の否定が原点と言うが、社会を成立させる要素として、
多数決原理の例外としての存在を仮定するなら、なんらかの絶対的概念としての
了解事項を設定せざるをえないな。そのような概念については、譲渡も話し合いに
よる改変も安易に認めてはならないと言うことになる。これは、多数決の
例外事項と言うものに社会的意味を見出す以上避けられないことで、それが
認められないのであれば、そもそも多数決の例外事項を設定することはでできない罠。
なんども言うが、現代型の人権制度と言うものは、衆議の結果がかならずしも理に
かなう方向に導かれないことを前提とした社会制度であり、本質的に土民蔑視・
民主主義蔑視の社会制度だ罠。衆議自体が、まともに行われるためには前提事項
として、衆議がまともに行われる前提事項を確保せねばらなず、衆議結果が
前提事項をほりくずす決議をした場合、それを排除する社会的なシクミを作って
おかなければ、衆議自体が成り立たない。そのような前提事項は、社会的なコンセス
として絶対性を仮定されなければならず、それがすなわち人権の絶対性・前国家性・
普遍性の意味だ罠。
衆議の結果が、かならず万人の衆議参加をもたらすとか、平等性を担保すると
言った話し合い万能の発想と言うものは、話し合いに対する甘い幻想論でしかなく、
戦後民主主義が強調するところの民主主義礼賛思想にはかならん罠。話し合いが
常に正しい結論を導き出すとか、正統性を持つと考えるのは、土民の凶暴性や
話し合いの持つバカバカしさに目をつむる発想であり、現実的とは言えん罠。
民主的話し合いに限界が存在する以上、なんらかの形でその制度的補完が
望まれるわけで、そのイデオロギー的根拠として論理的に構築された明示的な
思想体系が望まれ、それに基づく社会制度が要請されるのは、当然だ罠(藁
そのような社会の根幹となる思想体系に齟齬する社会制度がある場合、そのような
社会制度が存続することは、原理的に望ましいとは言えず、思想体系の社会的
正統性を疑わせかねないそのような社会制度は、排除されてしかるべきと考える
のが当然だ罠(藁
657 :
↑:03/04/18 20:39 ID:???
ここまで妄想に耽られると読んでるこっちが恥ずかしい罠。
なんでこんなに逝っちゃってるのか、基地外をオーバーして
気持ち悪すぎる罠(w
658 :
右や左の名無し様:03/04/18 20:46 ID:g3bBe975
>>657 >>656の意見は全く正当であり真実だな。
それを、「妄想に耽られる」「読んでるこっちが恥ずかしい」「罠」
「逝っちゃってる」「基地外をオーバー」「気持ち悪すぎる」「罠(w」
などと感情反応しか出来ないのは、事実を認めるのが怖いだけの
ヘタレ丸出しだ罠(w^∞
>>653 >天皇という地位を規定し、世襲によって引き継ぐこととしている。
>世襲とは血統承継のことではなく、皇室典範改定により「総理大臣が世襲する」と
>規定することも可能な憲法である。その上で、国会の過半数の議決を得た
>皇室典範によって、誰が世襲するかを定めているのである。
総理大臣が世襲というのだから、当然皇太子殿下が総理大臣になる訳かな。
世襲というのは血統「による地位」承継のことだ罠。(勝手に新解釈付けるな不敬罪だ罠)
それとも、皇族でない総理大臣を天皇とするなら、それは世襲ではなく襲名だ罠。
その総理大臣は、皇室会議の召集者であり議長だが、自らの利害に関わる会議には
参加出来ない罠。天皇の地位継承を総理大臣とするための会議は、召集も開催も
不可能ってことだ罠。
皇室典範は天皇が規定し、帝国議会はただそれを承認しただけだ罠。
帝国議会が自ら皇室典範の内容を規定することなど出来はしなかった罠。
妄想もいい加減にした方が良いと思うナリヨ。見苦しいンダワ。
いくら遊びだからと言っても、言っても良いことと、いけないことがアル罠。
>ぁゃιぃアズマ人
自作自演ご苦労さん。でも分かり安くてちょっと興醒めなのがミソ...www
662 :
右や左の名無し様:03/04/18 22:14 ID:jooqwJ8X
現在の天皇はどこの馬の骨とも分からない奴の可能性が限りなく高い。
そんな奴らを天皇とあがめ、崇拝しているのは愚の骨頂であり、日本
の将来はないものと思ふ。
663 :
ころ:03/04/18 23:31 ID:???
久々です。ロムるのも大変です・・・
アズマさん
>>656 >社会を成立させる要素として、多数決原理の例外としての
>存在を仮定するなら
天皇制は「例外」ではなく、「前提」です。
貴殿が
>そのような前提事項は、社会的なコンセスとして絶対性を
>仮定されなければならず、それがすなわち人権の絶対性・
>前国家性・普遍性の意味だ罠。
としてるのと同様です。天皇制は絶対です。絶対だから日本的「平等」主義も衆議体制も存在してるのです。
貴殿がいくら人権に絶対性を求め内在的制約を社会制度に担保し(〜蔑視)それのみで持論を展開しても、現在の日本を全て説明することはできません。
日本は人権思想以外の前提・絶対があるのです。それが体質としてまだ色濃く残っているのです。それが天皇制です。形骸化してますが・・・。
天皇制が有史以来絶えることなく継続してきたのは前提だったからです。君主制といっても西洋のように単に世俗的権力者だけではなかったためGHQもついには廃止できませんでした。
人権概念からは天皇制は説明できません。逆にいえば非難も否定もできません。だって前提が違うのですから。
同様に天皇制を前提とする「和の思想」からも人権概念である「自由」や「平等」は説明できません。似て非なるもの。
それが西洋でいう「平等」からみたら日本の「平等」は社会主義的に見られるのでしょう。
話は逸れますが、日本ほど「平等」を重んじる国はありません。
運動会の徒競走で順位付けをしないという話を聞きました。これが日本的「平等」主義でしょう。確かに競走による格差を避けてます。
民主主義は競争です。競争し切磋琢磨することで一つの答えを出す制度です。だからそこに権威を見い出せるのですが、運動会の件で日本の民主主義がますます不安になりました。
日本はこんな国です。そんな国で人権を絶対視してもいかがなものでしょうか?
664 :
右や左の名無し様:03/04/19 00:20 ID:Khi4ItWc
天皇制は男女平等の原則(14条)にも反しているわけで・・・
憲法内矛盾ってみんな分かっているのであって
廃止することが一番ベストなこったw
665 :
右や左の名無し様:03/04/19 01:01 ID:2TxGBmQL
>まがまちがって「ぁゃιぃアズマ人」が多数決で天皇に選ばれたりとか、由緒
>ぃゃιぃ「ぁゃιぃ家」が皇族に多数決で選ばれることも制度的にありうるわけで、
そうかそうか、制度的にありえたら、とんでもないことまでいろいろ心配しなくちゃ
ならないな。制度的に原子力発電所が俺の家の隣に立つかも知れんし、米軍基地が
俺の家の隣にくるかもしれんし、そうなったらノドンの標的になるかもしれんしなあ、
いやいや、だが俺はまがまちがってドラフトでプロ野球選手に指名され、年棒5億円
もらえるかもしれず、そう考えると制度的に考えることも愚かなことではないな…。
>>664 バカか?このスレに書き込むにはもう少し勉強しなさい。
皇族は国民ではない。従って皇族に憲法で謳う人権の適用はない。あるのは皇室典範である。
>衆議参加への前提となる特定個人の諸権利を、多数者が合理的理由なく
>剥奪・制限するのを認めるのはおかしなことだ罠。
少なくとも理由はあるわけだし、理不尽に人権を剥奪してるわけじゃないだろ。
理不尽だと感じる人間が多いなら、必然的に廃止の声が高まっていい筈だ罠。
>>667 貴殿の意見に一票。
>>664 天皇制が反しているわけではない。(憲法のどこが男女同権に反している?)
それは天皇制の問題ではなく、皇室典範の問題である。
>>660 意味がわからない。皇室典範改定による事象を皇室典範規定に基づいて批判して
どうなる。その部分も改定されるということになろう。大体憲法上の可能性を語
っただけで、そうしようといってるわけではない。長い割には内容のないレスで
ある。
670 :
パンドラ:03/04/19 09:27 ID:1gCFMFln
>>628 >氏の書き込み自体、はじめからずれてません?イヤ具体性が欠けるのかな?
れ氏の「和」の理念とやらを、旧来の日本人の心性という意味に解釈し、極めて具体的に金融行政や戦争責任、そして”dango”をあげている。
これを、ズレていて、具体性に欠ける…とすれば、このスレにズレず具体的なカキコなど存在しないwww
反論に事欠いて、逆上されたなw
>まあ、お互いちょっかい組だから少々のズレはご容赦。
あなたのズレは、しつれいながら、少々ではなくcriminal!…www
>どうして?「和」は、一方的には成立しないでしょ?
これも、意味内容が ???であるw
いわゆる談合は、基本的には「官製談合」といわれるぐらいで、直接当事者全員の密談=衆議? の結果成立する。
>例が悪かったのでは?
たしかに、戦争責任は、天皇においても、国民の側も明確にされてないが、勝者が敗者を裁いた、かの裁判を例にあげたのはclearさに欠けたかもしれない…
いずれにしても、戦犯の中で広田は異色な存在ではあった。
671 :
右や左の名無し様:03/04/19 09:28 ID:1gCFMFln
>>625 >政治システムの決定に関しての責任問題なのか、行政としての決定の問題なのか質問の意味がわからん。
この↑問い返しの意味が、かいもくけんとうがつかないw
とにかく、「和」の理念とやらでは、あなたのいう「関係者全員の衆議の結果」について、だれがどのように責任をとるのか? とおたずねしている。
責任が曖昧になって、だれもとらない…というお答になろうことは予想がつくw
答えようがないからといって、「…意味がわからん」はいただけないwww
で、
>>627にあげられたようなシステムにのっとった古来の制度の例をあげて、ご教示いただきたい。
672 :
右や左の名無し様:03/04/19 09:37 ID:DYNkGOc0
和の理念とやらを共有していない者が衆議の場にいる場合の対応が全く想定
されていないように見受けられるのだが、これはいかに?
自由主義の理念とやらを共有していない者が衆議の場にいる場合の対応が全く想定
されていないように見受けられるのだが、これはいかに?
674 :
右や左の名無し様:03/04/19 10:06 ID:OQqzQomz
>>663 あなたも、以前に指摘させていただいたように、かのトンデモ氏どうようの自我境界の障害があるようだw
>天皇制は絶対です。絶対だから日本的「平等」主義も衆議体制も存在してるのです。
あなたの意識の中では、絶対的存在としてあなたの心を占めているのであろうw
しかし、それが他のヒトの意識にも、同様に存在する…という認識が、トンデモ氏に酷似している。
民主主義、その属性たる人権などは、自然権として解釈可能であるが、天皇の絶対性とはいかなる背景がありや?
「絶対だから絶対」以上の説明がありや?
恐らくは、れ氏でさえ、天皇制が絶対とはされないだろうし、天皇制懐疑論者にあってはいうまでもない。
絶対といいきってしまえば、宗教もおよばない強固な信念である。
あなたと、トンデモ氏には、アレフやヤマギシ会など特定の信念を強固にお持ちの方々に見られる自我境界の異常がある。
ひらたくいえば、自らの信念は、他のヒトの信念でないわけはない…という思い込み、である。
675 :
右や左の名無し様:03/04/19 11:11 ID:Jwqx7jl9
>>674 反体制のカルト集団の教祖のかたですか?
>民主主義、その属性たる人権などは、自然権として解釈可能であるが、天皇の絶対性とはいかなる背景がありや?
>「絶対だから絶対」以上の説明がありや?
天皇の絶対性は自然権と解釈可能であるが、あなたの意識の絶対性wは
「絶対だから絶対」以上の説明がありや?hoo…
あなたの脳内は、まあひらたくいえば
自らの信念は、他のヒトの信念でないわけはない…という思い込み、である。(激藁www
>>675=
>>673 ほとんど意味をなさないオーム返しは、やめてちょ。
このスレももうすぐ、容量オーバーになりそうだし。
それにしても、天皇の絶対性が自然権には、わらわせてもらった。
677 :
民主主義者:03/04/19 11:31 ID:bYgg4++l
>>674 天皇陛下の絶対性というのは自我とは関係ないだろ
>天皇の絶対性とはいかなる背景がありや?
>「絶対だから絶対」以上の説明がありや?
天皇陛下を絶対とみなす必要があるのは日本国民だけだよ
別に客観的に絶対的存在である必要は無いだろ?
日本の体制が自由平等同胞愛を仮に国是とするとしてその根拠付けに「天皇陛下がそれを望むから」とすれば便利
ただし それが通用するのは国民が合理的に物事を考えるとすればの話だがな
678 :
672:03/04/19 11:50 ID:DYNkGOc0
>>673 和の理念とやらはれの解説によると譲歩の思想なわけだろ。
すると、衆議の場において譲歩しない者が一人いればそれだけで和のシステムは
機能しなくなってしまう。これを数の理論によってこの一人の意見を抑圧したり、
あるいは排除するというのであればそもそもれの発言する和の理論と矛盾を来す。
自由主義による議論は、そもそも議論によって相手を説得することと、構成員個々
の意見を譲歩させることなく数の理論によって従わせることで議論そのものを継続
させ、いったん成立した結論であっても外見上その結論に対して従属しつつ内心に
おいて従わず、それを覆す可能性を是とするものとしているという点で、自由主義
的価値を共有していない者を想定していないとは言えない。
>>677 国民が合理的に物事を考えるとするならば、それこそ自由平等同胞愛の
根拠付けとして「自分以外の誰かが望む事を理由にすること」などは必要
がないように思われるが?
679 :
http://tmp.2ch.net/sisou/:03/04/19 11:52 ID:p36EYo1v
>>678 譲歩出来ない価値観はないと考えることが、和の理念である。
譲歩出来ない価値観がないということは、議論の結果全員が同意しない場
合、もっとも、理にかなった結論を得られると期待できる方法として、多
数決があるんじゃないのか?
絶対性を否定するということはそのようなことである。
和の理念は、絶対性の否定であるから、天皇制もまた民意により改変され
、あるいは否定される場合もありうる。
681 :
民主主義者:03/04/19 12:17 ID:bYgg4++l
>>678 自分が望むことこそ至上価値とする思想をファシズムと呼ぶ
例えば自由主義を国是とするなら国民はそれを絶対と仮定しなければならない
言い方を変えれば【国是であるところの】自由主義が嫌な人間は国民をやめてクーデターを起こすべきなのだ或いは移住するとかな
で国家が自由主義を選択する場合においてなんとなくとかよりましだからとか 主体が不明確なようでは(国民が減るので)国力が下がる
そこで権威(国民以外の誰か或いは何か)が必要になるのだよ 国家の象徴と言い換えても良いが
>>671 パンドラ氏
貴殿は衆議の結果は自己責任であると表明しておる。関連がわからない。
衆議の結果(多数決を含む)に対して誰かが責任をとるということの意味が理解
できない。
政治判断に関しての責任なら、その判断を下した人が、責任を取るべきミスをす
れば、当然に責任をとらされるだろう。
国会における衆議の結果決定したことが失敗であったとして、その責任は選挙で
落選することでとることになるあろう。
>パンドラ氏
貴殿は何か誤解をされているのではないかな?
私は、日本国憲法の理念が、和の理念に基づいていると云っている。
現在の制度における、責任のとり方について説明を貴殿が求めることの意
義は、どこにあるのだろう。
仕事柄、海外出張が多いんですけど、
パキスタンでは、生活の隅々までイスラム教が根付いてて、何事も
「神の思し召しのままに」って感じで先進国には無い人に優しい社会が
あったし、観光でオーストラリア行ったときは自由で活気を感じたけど、
海水浴してた日本人が身包み盗まれて海パン一丁でとぼとぼ歩いてた姿
見たときは、「お人好し日本人」がバカにされてるようでイヤだった
韓国はいい想い出がない。人は怒りっぽいし「他人のモノは自分のモノ」
って社会だった(偏見抜きで)
「人に優しい社会」と近代的発展を可能にした日本の皇室制度は
素晴らしいと思います。
685 :
民主主義者:03/04/19 12:45 ID:bYgg4++l
ファシストは常に身の程をわきまえず社会体制に影響力を発揮したがる
自分が多数派に身をおく場合多数決を主張し少数派に身をおく場合暴力やそれに類する直接的手段に訴えるのだ
どちらの場合も近代文明無くしては在り得ない主権を持つ国民という立場によって保身を図りながら
文明を維持する為の根幹を敵とし破壊したがる傾向は共通している
天皇皇室の存在意義をファシストに説くのは徒労に過ぎないのだろうねえ
686 :
民主主義者:03/04/19 13:14 ID:bYgg4++l
もうちょっと分かりやすく説明してみようか
合理性を志向する場合ある事象が理に適うか否かが重要となる
で とある理と言うのは必ずしも客観的に真理である必要は無く
ある一定の範囲においてそれを絶対の真理と仮定すればよいのである
一定の範囲とは国家がそれであり 国家と権威の及ぶ範囲は密接に関係してくる
国家統合とは決して自然には成されないなぜならば各地域社会の利害は必ずといって良いほど対立しているからである(関係があるのに利害が対立しない地域同士はそもそも同一地域である)
ファシスト諸君には日本はどのように国家統合したのか日本はなぜ国家統合が可能だったのか
その辺をよく考えていただきたい
>れたん
れたんの発想の根本的におかしな点は、なんども指摘しているんだが、
議論を行えばそれだけで妥当な結論が見出せると言う多数決万能論的発想だな。
この辺りは、個人の価値観や生活実感とかもあるから、リアリティーを持って伝える
ことはなかなか困難な作業であるが、話し合いとか単純な多数決が必ずしもすべての
場合に正しい結論を導きだすとは限らん罠。
議論とその結果に対する全面的信頼が、
>>650 の「衆議の結果が、理にかなう
方向に導くであろう事を期待する理念である」とかで表明されているわけだが、
れたんの主張の根幹には、「議論」と「多数決」と言う政治手法に対する信頼が
まず絶対的な前提としてあり、そのような意思決定過程においては、そこでの各人の
主張及び根拠となるものは等価だとの価値観があるんだろ。れたんの価値観の絶対性
の否定とか、経験・習慣と理論的根拠を等価とする発想もその辺りからくるんだろ。
しかしこちらとしては、話し合いや多数決による意思決定が、必ずしも万能でないし
正統性を持たない場合があることを前提として話しをすすめているわけで、ここの
辺りのロッジクや価値観の理解ができない以上、れたんはこちらの側の主張を理解
して適切な批判することはできん罠。
なんども指摘しているが、そもそも現代型の人権制度自体、万人の話し合いや多数決
による社会的意思決定手法の欠陥を補う形で導入された社会制度だろ。話し合いや
多数決を社会の意思決定手法として手放しで採用するなら、すべての価値観を
等価で取り扱い優劣をつける必要性はないが、そうは問屋がおろさない大人の実情が
あるから、なんらかの価値観を「絶対と仮定」して、他の価値観に対して優越的な
地位をあたえざるをえないわけだ。ここら辺のロジックが理解できなければ、
現代的意味における人権制度や立憲主義も理解できていないと考えざるをえず、
いかにしてそのあたりを説明するかは、なかなか難しい問題になりそうだ罠。
ひとえに俺の筆力のなさを感じざるをえないねぇ(藁
最後に
>>651 を見てもう一つ興味深い点があるので補足させてもらえば、れたんは
上記のような議論の場における価値の等価性から経験・慣習・文化と論理的な主張
を同等と言うんだろうが、まともな議論を成立させるためには議論の場での個々の
主張が反証可能なものである必要性がある罠。個々の主張が反証可能であるためには
主張が定義されているとか明示的なものであることが欠かせないわけで、もし
議論の場での主張がそのような属性を欠くものであれば、適切な反証はなされず
主張の妥当性を検証する方法は存在しないことになり議論自体が成立しない罠。
議論と多数決を成立させるためには、単に議論の体裁だけととのえただけとか、
頭数を数えればよいとする形式面だけでは足りず、実体的な意味でまともな
議論が成立することが望ましい罠。議論の際の主張に関しても、きちんとした
根拠に基づきそれが反証可能である必要が求められる。その点から見て、定義面や
明示性と言う点から、経験・慣習・文化と言うものは実体のない曖昧な概念であり
マトモな立論も反証も不可能な概念であるあるのだから、それを主張の根拠に
すえることは、実体面において議論の不成立を意味することになると俺は思う罠(藁
689 :
右や左の名無し様:03/04/19 13:40 ID:DYNkGOc0
>>680 >そのための多数決
結局、数の圧力というパワーによって少数者の譲歩を要求するという形で
れの言う「怨念回避システム」は機能しないわけだが。
690 :
右や左の名無し様:03/04/19 13:43 ID:DYNkGOc0
>【国是であるところの】自由主義が嫌な人間は国民をやめてクーデターを起こすべきなのだ或いは移住するとかな
あほか。
何のための議員選出であり、議員選出又は立候補だ。
民主制の本質は革命というイベントを権力機構が内部化したことにある。
旧態依然とした国家観を持った自覚無きファシストには分からないだろうがな。
691 :
右や左の名無し様:03/04/19 13:43 ID:pqxOTZd8
おまいら投票しる!
タイム誌・アジアのヒーロー20人
http://www.time.com/time/asia/hero/ 是非、『宮崎 駿』に投票を!現在、韓国サッカー代表が一位です。
Hayao Miyazaki となっています。
嫌韓厨じゃなくても、日本人なら日本人に1位を取って欲しい筈。
さぁ、今こそ2chの力を見せつけましょう!
タシロの再来を!
※コピペ推奨
692 :
右や左の名無し様:03/04/19 13:49 ID:DYNkGOc0
>>民主主義者
言い忘れてた。
煽りの意図が見えすぎなので落第。
>>663 天皇制を社会を構成する原則と言うが、それがどのような価値観に裏付けられた
原則であるのか、また他の価値観との体系はどのようなものであるのか、
その辺りがまったく説明されていないので意味不明(藁
人権思想とか自由と言ったイデオロギー・概念は、社会を構成する上で
個人を基本的なユニットとするための社会制度だろ。近代社会は、この個人を
社会の基本ユニットとすることで物質的な繁栄を謳歌しているわけで、その意味
において、人権思想とか自由主義を社会の指導的理念として原則とするのは、
当然だ罠。近代市民社会とは、個人の欲望を解放することによって、社会により
多くの個人の活力を引き出すための社会体制だろ。人から最大限の労働力を効率的に
引き出そうとするなら、個人の自由や裁量を増やし、個人のモティベーションを
高めることがなにより必要なのであって、そのような論理に忠実にしたがって
組み立てられたのが個人の諸権利を保障する近代国家だろ。
だから、近代国家の原則となる理念は個人主義をおいて他になく、個人主義に
基づいた欲望の解放こそが、社会全体の活力・生産力を高めることに繋がるわけだ罠。
これが人権思想とか自由主義の背後にある価値だろ。人権思想とか自由主義は、
労働や社会参加に関して個人のモティベーションを高める方向に作用する。だから
こそ、近代社会において原則として守るべき理念とされるわけだ罠。
それに対して、天皇制とやらが社会として守るべき価値とするなら、天皇制に
どのような社会的効用があるのかね?(藁
694 :
右や左の名無し様:03/04/19 14:01 ID:DYNkGOc0
>693
ころ君の今までの書き込み傾向から推測すれば、彼(彼女)の理論はまず現状を
基準としてその範囲内でのみ思考がなされているので、帰ってくる言葉は
「憲法を読め。何が書いてあるか分からないのか」
だと思われ。
>>694 別に当人宛てにのみ書いているわけでないからいいんだよ。
それに俺のテーマは、議論における原理原則の意味を問うことだから、
議論相手が、なにがしか原理的な問題とかを考えるようになれば
それでいいんだよ(藁
久しぶりに覗いたらP11もやってんだ。
天皇スレは絶えることをしらないね(笑
697 :
民主主義者:03/04/19 14:46 ID:bYgg4++l
>>690 おいおい
オレは自由主義を例に出しただけだぜw
ようは国是を唱える主体として絶対権威を据える必要があると言う話だ
議員選出するためには「従来の手続きや法」を踏襲するわけだろ?これのどこが革命だよ
極端な話選挙で選ぶのは政治をする人間であってコモンロウメイカーではないぞ
その辺を混同してるからオレにファシスト呼ばわりされちゃうんだよ
698 :
http://www.agemasukudasai.com/movie/:03/04/19 14:52 ID:p36EYo1v
699 :
民主主義者:03/04/19 15:15 ID:bYgg4++l
>>693 横レスだけどな
前提と原則では違うだろ意図的に間違えて混乱させるような真似はやめたらどうだ
で国家統合の象徴に原理が必要かね?公選制(多数決)で選出された象徴にどんな原理がある?
天皇陛下を国家統合の象徴と認める者を日本国民とすると憲法にも書いてあるではないかw
700 :
700:03/04/19 15:37 ID:???
700GET!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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701 :
とても民主主義者とは思えない方え:03/04/19 15:52 ID:PlB6IYCX
>>677 >天皇陛下の絶対性というのは自我とは関係ないだろ
わさわざ応えるまでもないがw ちょっと時間ができたのでw
とーぜん、かんけーはなーいw 天皇制の絶対性を認識する個の自我にかんけいがあーるw
あまりあたりまえのはんろんをさせないでほしいwww
>天皇陛下を絶対とみなす必要があるのは日本国民だけだよ、別に客観的に絶対的存在である必要は無いだろ?
なにをおっしやいますやらw 日本国民は、共通の同一人格を擁している? 客観性もしくは間主観性が必要であるぞよw
後段はなにをおっしゃっているやら不明、いくらヒマでもこたえられないwww
702 :
民主主義者:03/04/19 15:55 ID:bYgg4++l
>>701 感想を述べさせてもらえば
ちょっとwの数が多すぎて煩い感じだな
>平均39万円
私は信用できないな。
信憑性の問題などから言うと平均でもう少し高いのが妥当だと思う。
いくらなんでも低すぎでしょ(w。 ネタとしか思えん。
ただ公務員も実際は平均で100万は超えてるはず。
今、風当たりが強いから少し低めになるように見積もらせてるだけ。
公務員のボーナスで訝しがってるのは一部の拙い公務員と公務員のふりをした無職・民間の
自演だから気にしなくていいよ。
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20030415AT3K1501Q15042003.html にしても・・公務員の給料安いって言ってたDQN民間とその関係者、これを読んで今ごろ発狂してるんだろうね(苦笑
公務員を叩かせるためにみずほが意図的に出した結果とかいろいろいって
無理にでも自分の都合のいいように解釈してる人もいるんだろうけど。
まあ現実逃避することは悪いことじゃないし、人間って誰でもそういう部分があるから馬鹿にするつもりはないよ。
そういう機能が備わっているから負け組みの人でも現実世界で生きていけるしね。
じゃないと仕事して頑張って生きてるのがアホらしくてやってらんないよ。
でも公務員って退職金・年金もがっぽりだし恩給もあるし言うことなしだわ。
世間がどう騒ごうとわめこうと「公務員>>>会社員」という図式はこれからも変わらないということ。
>>687 まったく馬鹿な意見でしかない。
---------------お馬鹿な書き込み--------------
なんども指摘しているが、そもそも現代型の人権制度自体、万人の話し合いや多
数決による社会的意思決定手法の欠陥を補う形で導入された社会制度だろ。話し
合いや多数決を社会の意思決定手法として手放しで採用するなら、すべての価値
観を等価で取り扱い優劣をつける必要性はないが、そうは問屋がおろさない大人
の実情があるから、なんらかの価値観を「絶対と仮定」して、他の価値観に対し
て優越的な地位をあたえざるをえないわけだ。
-------------------------------------
だから、欠点を補うために絶対的と何かを仮定するとしたら、和の理念において
は「衆議による決着が理にかなう方向に至る唯一の方法である」ということで、
そのためには「関係者全員の衆議」が必要になり、絶対性を否定する以上「その
衆議に参加する平等性」が確保されなければならない。
結果として現代の民主主義ときわめて近似値的な結論を求められるということを
主張しているのである。ただ、リベラルな民主主義と和の理念による民主主義の
相違点は、全人類的に人権を所有しているという前提からくる、民意を無視した
押し付けが発生しない。イスラムに正義(リベラリズムが絶対と仮定した理念)
を輸出することにならないという部分が相違点である。
多数決万能というが、逆に絶対的な全人類的正義を唱え、正義を輸出するために
戦争さえいとわないリベラリズムよりは、はるかにましであろう。
貴殿はその辺はどう考えておるのか。
705 :
民主主義者:03/04/19 16:21 ID:bYgg4++l
702の続き
君に伝わるかどうか全く自信はないが もうちょっと解説してやろうか
近代文明というのは何かの真理を仮定しそれに沿った合理的志向性を持つ社会を築くことを可能とするものだ
社会の構成員によって(仮定された処の)理の共有が成されていると言う建前が無ければ近代国家とは呼べない
その共有すべき真理を提出する存在として権威は有効だろうよ
同一の権威を認めるもの同士は同一人格を擁しなければならないのか?
そうではあるまい
706 :
http://www2.leverage.jp/start/:03/04/19 16:21 ID:p36EYo1v
つづき
貴殿が主張すべきは、その大人の都合であり、欠陥の指摘であり、欠陥が
自由主義によってしか補えないとする根拠であろう。
話し合いが自由で、関係者全員参加で行ってもなお、何らかの不都合があ
るというなら、提示してみなさい。私は、自由な話し合いが参加者全員で
行われ、またその社会が「そのことを確保する制度」となってもなお、何
がしかの欠陥があるという貴殿の理屈が理解できない。
ヒトラーの発生は、衆議が確保できないから、和の理念においても否定さ
れる。したがって、和の理念は何でも自由に話し合いで決められるもので
はないことは、すでに理解しておろうはずである。
708 :
右や左の名無し様:03/04/19 18:05 ID:DYNkGOc0
>>705 権威を認めない者の存在を容認し、その上で異なる権威を擁する者たちの権利調整
をするというのが近代国家の存在意義なのだが、自覚なきファシストには分からんか。
それを共有しない者を想定しない、あるいは排除することによって成立する秩序など、
箱庭のアルカディアに過ぎないと既に指摘されているな。
ついでに言っておくが、
>>699 >天皇陛下を国家統合の象徴と認める者を日本国民とすると憲法にも書いてあるではないかw
君が日本語をよく理解していないということは、よく分かったよ。
どこに書いてあるか教えてくれたまえ。
709 :
ころ:03/04/19 18:25 ID:???
パンドラさん
>>674 >天皇が絶対
多分貴殿からこういうレスがくることを読んでいました(ビンゴ!)。私は制度を科学してるだけで「絶対的存在として心には占めて」ません。
私的検証・分析の結果に他ならず、信じてるか否かは別問題です。あまり色眼鏡で見られない方が・・・。「天皇制を必要悪」といったり、「天皇は権威しかない(能力を要する権力ではない)」と言ってる時点で、私の「内心」もお分かり頂けてませんか?
私が「絶対」と言ったのは「和の思想」が成立するための「絶対的」前提条件であるということです。
平等や衆議はそれ自体のみで成立するのではなく、天皇という超越した存在があってうまく機能するということです。自然発生的に平等や衆議が成立するのではなく、天皇という絶対的存在によって担保されるのです
だから天皇は平等ではないし、衆議においても立場・存在が根本から異なるのです。
全てにおいて平等であることよりも、天皇という超越した不平等を創出して他を平等としたのが「和の思想」です。
衆議といっても個々の存在の総体である以上衆議が必ずしも全体にはなりません。そこであえて天皇という全体を創出して個々の総体のための衆議でなく全体のための衆議としたのが「和の思想」です。
その点「人権思想」はあくまで個々に求めてるため例外(不平等、個々に対する全体)を許しません。
私が天皇制が「人権思想」ではないというのもそこです。「人権思想」からみたら天皇制はおかしいのは当たり前です。天皇制は「人権思想」ではなく「和の思想」から成立してるんです。
だから「人権思想」から天皇制を見ることがアプローチとして正しいとはいえないと思うのです。
710 :
ころ:03/04/19 18:28 ID:???
ぱんどらさん<つつき>
>民主主義、その属性たる人権などは、自然権として解釈可能であるが、
>天皇の絶対性とはいかなる背景がありや?
>「絶対だから絶対」以上の説明がありや?
単純な発想の転換です。
「人権思想」はあくまで個々に絶対を求めた(自然権)もの。「和の思想」はまず前提を絶対として個々の存在を担保させたもの。
日本では、その前提が天皇制なのです。
「自然権として理解可能」なのは貴殿が絶対視してるからに他なりません。(
>>675氏も同じことを仰ってます)
>絶対といいきってしまえば、宗教もおよばない強固な信念である。
言葉は恐ろしいです。ここまで真意が伝わるのを一言で阻害してしまうのですから・・・。
「絶対」、実は少し迷ったのですが、安易に使うものではありませんでした。その浅はかさをお詫びします。
>ひらたくいえば、自らの信念は、他のヒトの信念でないわけはない…という思い込み、である。
貴殿が「人権思想」を理解でき「和の思想」を理解できないのは、多分私などの表現不足からかと。
そこから先入観的思い込みを生じさせてしまった点も併せてお詫びします。
私がいくら説明しても理解頂けないのかな。「和の思想」と「人権思想」は似て非なるもの。似てるから非なる部分が理解されないし、妙な近親憎悪を生むのです。
711 :
民主主義者:03/04/19 19:07 ID:bYgg4++l
>>708 >権威を認めない者の存在を容認し、その上で異なる権威を擁する者たちの権利調整
>をする
これはリベラリズムの存在意義だなリベラル思想とは国家に他の民族を吸収する為の道具だよ
近代主義とは合理主義と言い換えてもよく国家が民主主義と合理を標榜するなら
まず真理を仮定しそれなりの物語を用意するのが民度を上げる上で有効だろ?
近代国家が唱えるリベラリズムを頭から信じ込んで土民の立場に甘んずることも勿論許容されるさ
ただし 法に背けばアウトロウの法律に背けば犯罪者の汚名と罰は免れまいがねw
712 :
ころ:03/04/19 19:15 ID:???
>>676 >天皇の絶対性が自然権
表現上の問題であって、貴殿が「人権思想」を自然権として当然成立してるように、「和の思想」も天皇制を前提として当然成立しています。
これは国家制度をどうするかという方法論であって、どちらが正しいとか間違ってるとかはないと思います。
民主主義者さん
>>677 貴殿の文章から私見が理解できてるように感じられて素直に嬉しいです。天皇制は便利なんです。その通りです。
天皇制を否定する人はその便利さに気付いていません。便利さに気付くには合理的に考えられるかなのですが・・・。
>>678 れさんとは少し違う立場から。
天皇制は前提なのです。前提だから受け入れなければその社会で成立している平等や衆議を否定することになります。
だいたい、天皇制が前提であって何かの障害になりますか?障害にならなかったからずっと継続してきたわけです。
普通ならこう考えます。天皇制という前提を利用しようと。天皇制さえ味方に付ければ争わず相手を屈服できます。譲歩させることができるのです。だったら天皇制をなくすというよりも利用するに決まっています。
数の論理か前提かどちらも不合理ですが、多様性は認めればいいというものではなく、一つの方向性がないと物事はうまく進みません。どちらのフィルターを通したときに方向性がより見い出せるかですね。
貴殿は自由主義に担保をおいてるようですが、天皇制は自由主義とは違う価値観(「和の思想」)で成立しています。
そもそも「和の思想」を「人権思想」で説明することが間違っているのです。
>>712 ころサン
私は、天皇制という言葉を使うとき、憲法で規定されている「国の
象徴・国民統合の象徴の地位を世襲で継承し、その世襲方法は皇室
典範による」という制度を指している。
歴史や伝統に基づいた天皇家がその地位にあることは、皇室典範の
規定であることを、前もって確認していただきたい。
その上で、天皇家が歴史的に、なぜ継続しえたかというと、絶対性
を主張しなかったからであろうと私は判断している。
神道は、絶対性を排除する。和の理念の源泉とも云うべき信仰であ
る。神道において、どのような神も(当然その延長上にあるすべて
の人間も)絶対性を持たない。八百万の神も、自然現象も、人間も
すべてコトアゲすれば動かすことができる。これが神道の基本であ
る。したがって、当然に天皇という歴史的な存在であっても絶対で
はなく、絶対性を持ち得ないが故に、何の前提ともならない。
貴殿の言う和の思想と、私の「和の理念」にはその違いがある。
すべての絶対性の否定こそ、ニッポンの歩んできた道ではないか。
仏教も儒教も、その原理原則は「和」風に変えながら取り入れる歴
史は、言語・文化・宗教・政治システム・生活などのすべてに適合
している。
絶対性の排除は、当然の天皇家にも適用される。ゆえに、国や国民
と天皇の係わり合いは常に変化してきた。変化していないのは、絶
対性の排除であり、明治憲法時期、天皇が立憲君主制の理念を守ろ
うとし、軍部が天皇を絶対化した対比の中にも、それは見て取れよ
うと思う。リベラルな民主主義を、原理原則を和風に改変し取り入
れたこともまた、和の理念からであろうと、私は思う。
>>704 >だから、欠点を補うために絶対的と何かを仮定するとしたら、和の理念において
>は「衆議による決着が理にかなう方向に至る唯一の方法である」ということで、
>そのためには「関係者全員の衆議」が必要になり、絶対性を否定する以上「その
>衆議に参加する平等性」が確保されなければならない。
>結果として現代の民主主義ときわめて近似値的な結論を求められるということを
>主張しているのである。
この辺の論理は理解できるけど、であるなら万人に衆議参加を求めること等は、
衆議を成立させるための絶対条件でしょ。だったら、それは原則として「絶対的な
ものと仮定」されなければならないわけで、衆議に優越する価値として衆議より
上位に置かれるべき価値なわけだろ。であるなら、そのような価値を衆議によって、
変更することは原則として否定すべき事項なわけで、であるならその論理的帰結として、
参政権とか表現の自由を特定個人から多数決を持って剥奪・制限することは
原則的にできないとなるハズなんだが。この点から、俺はれたんの論理構成を批判
しているわけで、リベラルな民主主義であろうが、和の理念であろうが、原則として
衆議参加権を万人に認めるのであれば、それを多数決で剥奪・制限することは、
論理的に見て例外と言うことになり、十分な説明がなされてしかるべきだと
思うのだが?(藁
>>707 万人参加の自由な話し合いと言う前提自体が、国政においてはありえないこと
でしょ。社会構造が単純で、生活感覚で政治が行えるのであれば、万人参加の
自由な話し合いは成立するかも知れない。しかし、現代社会は複雑高度ゆえに
一般人が生活感覚で話し合って運営できるものではない罠(藁
現代社会においては、国政を万人が話し合いによって自由な意思決定で行うこと
自体が、いわば夢物語にすぎないわけで、実際のところは一握りのテクノクラート
によって運営されているわけだ。だから、れたんが前提とする万人参加の自由な
話し合いと言う前提自体が、現代社会においてはそもそも成立しえないわけで、
そのような実現不可能なものを持ち出して、社会的意思決定を考えること自体が
間違っている罠(藁
民衆と国政を担うテクノクラートの間には、超えることのできない断絶が
存在するんだが、れたんの論理はテクノクラートの意思決定を万人参加の自由な衆議
と擬制し、それを手放しで正当化する多数決万能論でしょ。これは、あくまで擬制
であって、現実とは言えない罠。現実の国政は、誰が運営しても党利党略・利益団体
の利害調整にしかならん罠。それが現実の国政での意思決定でしょ(藁
国政の意思決定が万人参加の自由な衆議などではなく、一握りのテクノクラートの
意思決定にすぎないなら、その判断があやまちを犯すのは当然であり、なんらかの
形でそれを補完する必要性があると考えるのが普通だ罠。民主制下の衆議における
政策的あやまりの例をあげろと言うなら、(実際はどうか知らんが)れたん風の解釈で
言えば、アメリカのイラク侵略(藁)などがその例と言える罠。アメリカのイラク侵略
は、自由な衆議の結果であり、自由な衆議を無制限に認めることがいかに世界に悲劇を
もたらすか実例を持って示していることになる罠。このようなテクノクラートの
衆議による過ちを批判・是正するためには、万人参加の自由な衆議と言ってもなんの
問題解決にもならんでしょうが(藁
政治を運営するテクノクラートに要求することは、自分達のやろうとすること
やっていることの根拠を定義させ明示させるくらいで、その是非を彼らが
やっていることの意味が理解できる人間に批判させることくらいだ罠。しかし、
それこそが彼らに要求できることであり、その意味で政治における主張の論理性とか
根拠の明示、彼らを縛る価値の固定化と言ったものが重要になってくるわけだ罠(藁
>>709-710 なに言っているのかさっぱりわからんよ?こう言うのを見ると俺の書き
散らしたものも、相手に同じように見られてるんだなあと不安になる罠。
だれか俺にも理解できるように、ころたんの文書を解説してぷりーず(藁
>>714-716 アズマ史観を某スレで主流だなどといっている貴殿だから、少しの乱
舞は許すが、もう少しまともに読んでくれ。
天皇という地位に立ったものとその周囲のものに参政権がないのは、
明らかに「公職である」との正当理由があるからであり、その個人の
人権を奪ってはいまい。すべての公職がすべてに国民に平等に与えら
れなければ成らないとするなら、「シビリアンコントロール」はどう
説明する。自衛官を辞めれば人権が確保されるなら、同様に皇室を離
れれば人権は確保されるだろう。皇室典範でも100夏季ぐらい声を
出して読みなさい。
和の理念は、衆議への参加を確保するために必要なことは多数決でも
変更できないとする。
万人の話し合いと、私は表現していない。関係者全員の話し合いであ
る。和の理念は話し合いであり、議論がより理にかなう結論を出すで
あろう事を期待するから、代議員による討議は有効で否定されない。
議論に論理性が必要なことは、ばかばかしいほど当然であって、和の
理念によれば論理性は必要である。ただ、論理がいかに正当でも、論
理は何がしかの単純化した前提をもとに耕地退れるという欠陥がある
から、論理性を優先はせず衆議の結果を優先するということである。
すなわち、論理も慣習も同等であるということだ。
719 :
右や左の名無し様:03/04/19 20:36 ID:DYNkGOc0
私人である部分と公職である部分が未分化であることがまさに問題の一つであるわけだが。
>>718 だから、普通の公務員と天皇は意味合いがちがうじゃん。総理大臣や自衛官は、
みずからの意思で官職につくのに対して、天皇・皇族は国民の多数決で、
強制的に官職につかされるわけでしょ。途中で自由に止めるとかできないわけだし。
なんども指摘しているように、多数決による押し付けと言う点が、天皇・皇族
制度の特異な点で、強いて類似する制度をあげろ言うなら、犯罪者とか禁治産者
とかの権利制限がそれに該当するわけだろ。
犯罪者とか禁治産者の権利制限は、天皇制と同様の多数決による権利制限である
が、それぞれ合理的な理由がある制限だが、何の罪も非もない特定個人を
多数者がよってたかって、生まれを理由に権利剥奪する制度であり、合理的な
制限の範疇をもはや越えた不条理な制度としか言えん罠。多数決で特定個人に
広範な人権制限を科す官職につかせる場合は、当人に非がない場合はやはり
当人の意思確認を前提とすべきであって、その点において現在の天皇制は
やはりおかしな制度としか言えん罠(藁
>皇室典範でも100夏季ぐらい声を出して読みなさい。
いくらなんでも、蝉になってしまうのでこれは勘弁してもらいたい罠(藁
>ただ、論理がいかに正当でも、論理は何がしかの単純化した前提をもとに
>耕地退れるという欠陥があるから、論理性を優先はせず衆議の結果を優先する
>ということである。すなわち、論理も慣習も同等であるということだ。
慣習・伝統と言ったものを議論の際に根拠として持ち出すことのまずさは、
主張をする者の発言に対する自縛作用を弱めることだろ。議論において、
根拠の明示・論理的な展開を求めるのは、それによって議論に参加した者の
主張を拘束する意味合いがあるわけで、それが主張の検証とか、政治の長期的
安定に導く機能を持つわけだろ。
慣習・伝統と言うものは、万人によって意味合いがことなるわけで、
曖昧なもんだろ。そのような概念を根拠に議論をすることは、主張の検証や
他の制度との整合性を図る上で問題があるわけで、主張者の気まぐれな
行動を許すことになってしまう罠。国政を担う層が一握りのテクノクラートに
すぎないなら、彼らの主張・行動は恣意的・ブラックボックス的であっては
ならないわけで、その意味で論理性とか明示性と言うものが重要な意味を
持ってくるわけだろ(藁
722 :
右や左の名無し様:03/04/19 21:19 ID:DYNkGOc0
まぁ、720のような事を言えばれやころが「憲法は衆議によって定められている
ものであり、そこで定められているのだから従うべき」と言ってくるというのが
パターンなわけだが、まぁ、定められてるから変えようとするわけで。
無駄な労力を費やすのは馬鹿だって気づかないの?
つーか、憲法の一文字も(総選挙の総とかw)変えられない腰抜け倭人に
天皇制を廃止できるわけがねえっていうこったwww
725 :
右や左の名無し様:03/04/19 22:01 ID:DYNkGOc0
>>723 無駄を無駄として楽しむのが文化だと思いませんか?
726 :
ころ:03/04/19 22:09 ID:???
アズマさん
>>693 私は、現代(戦後)の日本がリベラルな民主主義(人権思想、自由主義)によってのみ成立してるとは思えないので、それを「和の思想」に求めているのです。
ですから貴殿への回答は「人権思想だけならばそうでしょうね。でも日本は人権思想だけで成立してると思いますか?」です
>>694さんは逆です。憲法は人権思想が主柱になってると思います。「和の思想」は第1章(天皇)で見て取れますが、人権思想>和の思想です。
だから憲法の理念論議は不毛です。人権思想に落ち着くに決まってます。実社会なのです、私の基準は。
以下幾つか・・・
>個人の自由や裁量を増やし、
世の中規制ばっかりです。規制緩和といわれながら一方で手を替え品を替え新しい規制ができてる始末。この国に個人による自由な裁量などはないと思うのですが。
>そのような論理に忠実にしたがって
>組み立てられたのが個人の諸権利を保障する近代国家だろ。
日本は個人を保障することにおいては欧米に比べまだまだだと思います。政財官の癒着と言いますが、保証されてるのは利権団体だけです。
>近代国家の原則となる理念は個人主義をおいて他になく、
少なくとも日本はいまだ国家権力主導の国家だと思うのですが(その点は個人主義ではない)。
<つつく>
727 :
ころ:03/04/19 22:15 ID:???
>それに対して、天皇制とやらが社会として守るべき価値とするなら、天皇制に
>どのような社会的効用があるのかね?(藁
アズマさんのように日本が人権思想だけ成り立ってるのなら天皇制はいらないです。
この国には権威がないといいましたが。天皇(和の思想)、国民(人権思想)に権威がないのです。だから国家がうまく機能するわけないのです。
政財官は紐の切れた凧です。権威による制約を受けずそれこそ自分の私利私欲に走っています(私見の権力主義)。
人権思想では政財官の癒着は説明できますか?政財官の癒着が規制社会を構築してるのは御存じでしょう?
「和の思想」では説明がつきます。関係者による馴れ合いの構図。馴れ合いでも天皇という前提があれば全体を考慮したものになるのです(存在意義)が、今回の癒着は前提がなく自分らの狭い範囲の私利私欲に走るのみです。
方法は二つです。人権思想により癒着を打破するか、「和の思想」で天皇という前提を再認識(崇拝や陶酔ではなく、利用)するか?
私は後者ですね。あるものは利用したいですし、人権思想はまだまだ深いところで定着してないと思うからです。
勿論、利用するのであって(一部の権力者に)利用されたらダメです。お酒と一緒「酒は飲んでも飲まれるな」。この点において懐疑的なのは(崇拝や陶酔に対する嫌悪感)は重要だと思ってます。
後、人権思想に則れば個人が保障されるというのは理想論ではないですか?
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729 :
山崎渉:03/04/19 22:37 ID:???
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
730 :
ころ:03/04/19 23:20 ID:???
れさん
>>713 >歴史や伝統に基づいた天皇家がその地位にあることは、皇室典範の
>規定であることを、前もって確認していただきたい。
人権思想に憲法の最高法規性を主張されるのなら、皇室典範も同様だと思います。
>天皇家が歴史的に、なぜ継続しえたかというと、絶対性
>を主張しなかったからであろうと私は判断している。
私は、全く逆です。天皇家は全てにおいて他を超越した存在だったから継続したと思っています。他を超越=前提であり絶対です。
>国や国民と天皇の係わり合いは常に変化してきた。
天皇と国家においては天皇の役割の替わりはいなかったという点で前提=絶対性はあると思います。
日本国憲法で初めて存続廃止が国民の手に委ねられる可能性が出てきましたが、それは採用の可否であって、天皇の持つ前提=絶対性の否定にはならないと思います。
>リベラルな民主主義を、原理原則を和風に改変し取り入れたこと
取り入れられたというより強制された面もあると思います。だから根付かなかったとみています。
731 :
右や左の名無し様:03/04/19 23:49 ID:nfTAJkBE
皇室の存在意義とは、
アメリカが占領後の日本で占領政策をスムースにしアメリカの価値を自然に受け入れさせるために生かされた売国装置。
アメ公はイラクでも同じこと考えてるが、イスラムの誇りと伝統をアメリカの価値に売り渡すことに協力するような売国奴は宗教指導者にもいないようす。
732 :
パンドラ:03/04/20 07:46 ID:k75uOnpU
>>682 あなたのおっしゃる↓責任の取り方は、とりたてて「和」と表現するべくもない一般論であるw
>政治判断に関しての責任なら、その判断を下した人が、責任を取るべきミスをすれば、当然に責任をとらされるだろう。
>国会における衆議の結果決定したことが失敗であったとして、その責任は選挙で落選することでとることになるあろう。
これが、いかなる日本的帰結をもたらすか…
前者であれば、一時期所属政党を離れる、離れながらもキングメーカーとかの政治力を隠然と行使する。
後者であれば、かりに落選しても、利益を誘導した地域で再選出されれば、「みそぎ」と称して再登場する。
こういった構造こそ、日本的であり、かかる精神構造こそ「和」ではないか、と申し上げている。
>>683 >私は、日本国憲法の理念が、和の理念に基づいていると云っている。
憲法は前文で民主主義をうたっている、しかし、「和」なるものの規定はどこにもないw
>現在の制度における、責任のとり方について説明を貴殿が求めることの意義は、どこにあるのだろう。
>>682に示したように、「和」なるものの本質は、「無責任集団エゴ」にすぎず、世界に普遍的でも誇れるものでもない、ことを示すことにある。
で、同じカキコの「
>>627にあげられたようなシステムにのっとった古来の制度の例をあげて、ご教示いただきたい」には、応答不能と了解してよろしいか?
とすれば、「日本古来」ではなく、『「れ」オリジナル』ということになる。
もう、「和」の理念なるキテレツは、もうおよしなさいw
733 :
民主主義者と称するかたえ:03/04/20 07:47 ID:k75uOnpU
>>705 >>711 >近代文明というのは何かの真理を仮定しそれに沿った合理的志向性を持つ社会を築くことを可能とするものだ
近代思想というのは、「真理」への懐疑がぜんていでR…w
>社会の構成員によって(仮定された処の)理の共有が成されていると言う建前が無ければ近代国家とは呼べない
そーゆーのを全体主義といったりファシズムといったりするw
>同一の権威を認めるもの同士は同一人格を擁しなければならないのか?そうではあるまい
あなたが、
>>677でおっしゃったのは「別に客観的に絶対的存在である必要は無い」であって、とすれば、「主観的に…」ということにであって、同一人格もしくは間主観性がもとめられるw
で、あなたは高校生ぐらいであろうか、少々誤りが多いので以下、とりあえず、正させていただくw
734 :
右や左の名無し様:03/04/20 07:47 ID:k75uOnpU
>>681 >自分が望むことこそ至上価値とする思想をファシズムと呼ぶ
だれでも、自分の望むことを市場価値と考える傾向はあるw
狭義には、伊のファシスト党政治手法、要するに一党専制のこと、かかる思想を有するものをファシストというw
したがって、以下のよーな思想の持ち主をファシストというw
>自由主義を国是とするなら国民はそれを絶対と仮定しなければならない
>自由主義が嫌な人間は国民をやめてクーデターを起こすべきなのだ或いは移住するとか…
>>685 >ファシストは常に身の程をわきまえず社会体制に影響力を発揮したがる自分が多数派に身をおく場合多数決を主張し少数派に身をおく場合暴力やそれに類する直接的手段に訴えるのだ
かならずしもそいではないw プシビット、拍手喝采の民主主義がその前提となることが多いw
>>686 >ある一定の範囲においてそれを絶対の真理と仮定すればよいのである
これは、論理学の問題だが、そのような場合、「絶対の真理」とは、ふつーしないw
>>699 >で国家統合の象徴に原理が必要かね?
自然発生的な象徴であれば、そのとーりだろうが、象徴天皇制は国家制度であるぞよw
>天皇陛下を国家統合の象徴と認める者を日本国民とすると憲法にも書いてあるではないかw
これは、もう、わらうしかないwww
735 :
民主主義者:03/04/20 08:54 ID:nawyTqKO
>>733 >>734 感想を述べさせてもらえば
ちょっとwの数が多すぎて煩い感じだな
それから「近代主義」「ファシズム」「日本国憲法」について調べなおしてもらいたいな
ついでに君は基本的に頭悪そうなのであんまり議論したくないなあと思ったよ
>>732 パンドラ氏
一時所属政党を離れながらも、政治の世界で影響力を残す理由は、その制
度に平等思想があるからに他ならない。それとも、監禁し、あるいは公民
権を停止するのかね。自己の判断あるいは社会的圧力で、政治生命が絶た
れることを期待するなら、その正義とやらの押し付けでしかないだろう。
米国などで見られる、社会的圧力による正義の押し付けをお望みなら、そ
れは、国民意識の問題であり、理念の問題ではない。
過去に存在していたかどうかなど、その理念の正当性に何の影響があるの
だろう。衆議を重視し、単独の独裁を許さなかった歴史を証明することは
たやすい。絶対的価値観が存在し得なかった歴史を証明することはたやす
い。理念が実現した歴史があるなら出してみろでは、言いがかりでしかな
い。大体、過去の歴史の積み重ねについて、もっともそれを評価しない発
言を繰り返してきた貴殿にとって、何の意味がある。
輪の理念が私のオリジナル?お褒めいただいて恐縮だが、完全オリジナル
ではない。当スレで紹介済みであるが、多数のサイトがある。どうぞ「和
の精神」などで検索してご調査いただきたい。
憲法庭の理念と明示していない、当然である。私は
「リベラルな民主主義を理念とした人たちによって作られた日本国憲法を
わが国は、和の理念により、日本風に受け入れた」といっているんだよ。
馬鹿馬鹿しい事だが、輪の理念によって作り上げられたなどと、歴史を無
視した主張はしていない。
>>720 だから、合理的な理由があるでしょう。どこが不合理だというのかね。
18歳で成人を迎えるにあたり、皇室からの離脱が可能であろう。
子は親を選択できない。具体的に18歳未満の皇族に対する制度において
どこに不合理な扱いがあるのか、指摘してみなさい。
衆議において、論理性がない限り主張を禁止すべきであるといっているの
か?私が言っていることは、論理には前提が必要で、単純な前提というも
のなくして論理は構築できないだろう。その前提を提示するについて、論
理性はあるのか?ないから、前提というのであろう。直感という言葉であ
ったり。自然な権利であったり、正義と感じるかどうかであったり、所詮
は感情からくる好ましいと感じることを前提として、論理は構築されてい
る。一方慣習や文化は、複雑な現実社会における研鑚という事実を通して
寝ずいているわけだ。衆議決定においてこれを「同等」とする必要性はあ
る。最高裁判決でよく使われる「社会通念上」ということでもあろう。
ここが理解できないなら、論理を絶対とする宗教である。現実社会が曖昧
な(分析不可能な)、非論理的な動きをするのであるから、現実社会での
検証が不可欠である。現実を無視するから、天皇が不当に人権を侵害され
ているなどと言い出すのであろう。
738 :
右や左の名無し様:03/04/20 10:25 ID:mMnnMs6Z
>>735 733ではないけど、人のことを頭悪いと言うならばせめて「対偶」という
言葉の意味だけでも調べてから日本国憲法を読んで欲しいな。
君の頭の悪さには辟易するよ。
739 :
右や左の名無し様:03/04/20 10:27 ID:uQ4RiA9D
<最近の日本共産党の性犯罪> 戦争なんてどうでもいいようで。
(1)盗撮容疑で日本共産党職員逮捕、パソコンに600人分
新潟県警生活安全企画課と新潟中央署は13日、女性のスカートの中を盗撮していたとして新潟市寺尾台2、日本共産党同市議会議員団事務局職員、吉富智道容疑者(29)を県迷惑防止条例違反(盗撮)の疑いで逮捕した。
今年7月以降に撮影されたとみられる約600人分、計2500枚の盗撮画像が入力されたパソコンなどが、自宅から押収された。
調べによると吉富容疑者は先月17日から同20日にかけて、女性4人のスカート内を盗撮した疑い。同20日午後6時ごろ、同市内の書店で、小型のデジタルカメラで撮影していたところを店員に見つかり、110番通報で駆けつけた同署員に取り押さえられた。
吉富容疑者は、同党の新潟地区委員会に今年1月採用され、同議員団事務局で働いていた。
(2)下校中の小2にわいせつ行為、共産党地区委職員逮捕
浦和署は14日、埼玉県越谷市赤山三、共産党埼玉東部南地区委員会職員高久博満容疑者(26)をわいせつ目的略取、強制わいせつなどの疑いで逮捕した。調べでは、高久容疑者は先月28日午後3時ごろ、
さいたま市内の路上で、下校途中の小学2年の女児(7)を無理やりワゴン車の中に連れ込み、手足を粘着テープで縛ったうえ、約30分間、わいせつな行為をした疑い。
高久容疑者は実在する教諭の名前を挙げて「先生に会いに行くから小学校への道を教えて」などと近づいた。調べに対し、容疑を認めているという。
高久容疑者は、同地区委員会で赤旗新聞の配達、集金管理を担当している。
高久容疑者は約1時間前にも、近くの路上で小学1年の女児(6)を同じ手口で車内に連れ込もうとしたが、同級生の母親が通りかかったため、逃げた。この母親が車のナンバーを控えていた
べつに驚く事もなかッペヨ
まあ反天皇制を主張する非国民の当然の所為というわけだッペ(藁