【根本仏教】中観仏教について語ろう【龍樹】U

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1神も仏も名無しさん
@ナーガールジュナを中心とした中観派について言語慣習に拠り考えましょう。

A出来れば、『三蔵』及び「『三蔵』に明確に依拠する情報」に拠り発言して下さい。
その際は、出典を(なるべく正確に)明らかにして下さい。また、引用も大歓迎です。
仏教及び中観理解に有益な、論文・書籍・アドレス・著者の紹介も歓迎致します。

B言語慣習を無視する発言は、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254216400/
でやって下さい。
例えば、すでに論拠を以って論破されているのに関わらず、同種発言を延々と繰り返したり、
自己矛盾した発言をして、それを指摘されても全く改めずに繰り返す、といったことは、
上記アドレスが最適です。こうした言語慣習無視者は、スルーが適当でしょう。

C参考アドレス
前スレ http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230059903/
大乗仏教が誕生・発生した理由 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1253646747/
宝珠系過去スレ/リンク集 http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
2ch DAT落ちスレミラー変換機 ttp://www.geocities.jp/mirrorhenkan/
まとめwiki ttp://www28.atwiki.jp/buddha/
パーリ三蔵 ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
大正蔵経DB ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/
論文検索サイト1 ttp://ci.nii.ac.jp/
同2       ttp://www.inbuds.net/jpn/index.html
2神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 21:59:37 ID:q1LfDAX0
仏教哲学と煩瑣論理学の違いもわからんDQNスレ>乙
3神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 22:03:13 ID:q1LfDAX0
つーか、意図的な重複スレ立ては、2ちゃんルール違反だろw
4神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 22:06:00 ID:q1LfDAX0
仏教は、悟りさえ得られればそれが誰の説いた教えか、なんてどうでもいいの。

逆にどんな権威が説いた教えでも、解脱に資せない抽象概念はまさに知的遊戯。
5神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 22:08:25 ID:q1LfDAX0
>言語慣習

ワラタ 声聞乗イラネ
6神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 22:12:53 ID:fG3NYwlP
前スレ>」998
お前なぞオレが相手してた>993の足元にも及ばんわ。
このうつけが!
あれはショウギと世俗を使い分けるずるさはあったが
お前などよりはるかに勉強していたし
密教にも通じておったわ。
7神も仏も名無しさん:2009/09/29(火) 22:18:43 ID:fG3NYwlP
>998中観詭弁論証派w
8 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 22:15:29 ID:GlJAZabO
雨の日は空気も清まり音も静か。
座るのに良い。

落下防止
9神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 22:24:54 ID:Ov5oh2te
>>8
座って(坐って)悟れるなら苦労は無いwww

電話のオペレーターだって企業の受付嬢だって一日中座ってる。
彼らが、悟らないまでも、「座っていることに安楽を見出しているかどうか」考えたことはあるかい?w
10 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 22:35:22 ID:GlJAZabO
考えたことはないw

なぜそれを聞く?

11神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 23:00:51 ID:Ov5oh2te
>>10
「座る(坐る)だけ」 じゃ駄目ってことさw

【座り(坐り)方】も重要だろ?ってことさw
12 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 23:10:11 ID:GlJAZabO
空気中の埃が減ると、少しばかり呼吸が深くなる。
意識しない心の部分が感知して筋肉の動きを変えるのだと思う。


いじわるしないで>9の話にのるw
僅かばかりの労働の個人経験から言えば
「座ることに限らず労働の中でも安楽は見出せる」と個人的には思う。
非常に単純な作業でも場を共有する人との呼吸が合えば
天女と交合するのにも代えがたい何かがそこにあらわれる。

うーんでも↑この方便は今の若い人にはあわないと思うなw
13 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 23:13:14 ID:GlJAZabO
>>11
そっちかよw

座り方、というときは 動機として、のと 技法としての、があるけど
どっちも話題として不毛だよね。
実際に人から習うべきもんだと思う。
14 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 23:15:14 ID:GlJAZabO
さらに駄目押しするなら

座るだけでもいい。むしろ 座る だけしか、本当はしちゃ駄目dd。
15神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 23:20:31 ID:Cjjm+380
難しく考えないで素直に上座仏教を勉強した方が良いよ。
別にスマナサーラじゃなくても良いしね。
16神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 23:36:45 ID:Ov5oh2te
>>14
これは、「在家のまま悟れるか?」「出家でなければ悟れないか?」
という話題へシフトが可能なわけだが、
座るだけでいいなら、受付嬢に限らず、たとえば美術館の監視員」なども一日中座ってるわけさ。
野球好きな人は、高校野球を第1試合から最終試合まで座ってるわけさ。

いいか?  【「座っている」という行為】そのものに関しては両者に違いは無い。
貴方自身が>>13で2種類触れているが、そのような方向性で、
『【坐る】という行為のもたらす効果に差が出ることは無いのか?』ということさw
17 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 23:38:33 ID:GlJAZabO
最近思うのは
倶舎論や20、30唯識は素晴しいけど出会うのが個人的に遅すぎた。
社会に出る前に字面だけ知って、困難にあう度に、修養で迷うたびに参照する。
もちろん写経もする。般若心経についてはこのように接してこれた。
基督教徒が聖書を万遍、繰返し、繰返し、繰返し読むのに同じく。

が、倶舎論他では今更無理。
大乗系の経論は何らかの見地を得た後で、初めてその真価をあらわす。

>15の言うとおり道具としての仏教という視点で見るなら
素直に上座部仏教を、血肉化している向こうの坊様に学んだほうがいいかもしれない。
18 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/07(水) 23:43:33 ID:GlJAZabO
>>16
まずさぁ 何をもって悟るとするの?
上座部と大乗でちがうし、学派によっても違うし、宗派によっても違う。

でね、人は具体的なモノなんで
実際に座り方を習うにしても、個別の人各人に違いがある。
>>16の問いは纏まった答えに収束しないw
19神も仏も名無しさん:2009/10/07(水) 23:46:44 ID:Ov5oh2te
>>18
ならば、君の>>14>座るだけでもいい。むしろ 座る だけしか、本当はしちゃ駄目
という発言の無責任さも糾弾する必要が生じるぞw
20 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/08(木) 00:00:30 ID:GlJAZabO
どうして?

>本当は
と限定条件をつけているのが糾弾理由になるのはなぜ?w
でも本当に「本当は 座るだけ しかしちゃだめ」だよw
21神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 00:10:24 ID:mvkKqOd5
>>20
君は、>>18に於いて、>何をもって悟るとするの? という問いを発している。
これを、単なる枕詞、合いの手としても良いが、そうではないだろ?
ならば、
同じレベルの返しが、『>20で、自身が、> >本当は と限定条件をつけているのが糾弾理由になるのはなぜ?』
と、問い返しているように、同じ轍を踏んでいるということさ。
私の発言(>>19)を断罪するなら、自身の発言(>>18)にも同じ裁きを下すべきじゃないかい?w
22神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 00:13:07 ID:Z11ssyFL
>>17
>大乗系の経論は何らかの見地を得た後で、初めてその真価をあらわす

貴兄からこういう言葉が出た、ということは
貴兄が既に何らかの見地を得たという証明ですな。
>>20
難しいことをさらっと言う人だね。
>16は頂けないが。
23神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 00:16:19 ID:Z11ssyFL
↑>18に訂正
24 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/08(木) 01:07:12 ID:+xJGg9uv
>>18において本当に私は知らないw
というか
この問いはこの条件では閉じていかない。
そして、この>18の問いは>16の問いに答える返答の一部。
私自身はその回答を知らないが、そのことに対する私自身の独立した疑問もない。
>>16がなければ>>18もなく、、、
>>21によって起された断罪の遡及はあなたに還ると思う。

お粗末な返事しかも遅れてすまそ。


座るだけ あるいは 一切何もしては 駄目。
これがよく言われるのは、
はなはだ外道的な説明になるが、これができれば他の(できることは)大抵ができるからだと思う。
そして、外道的でない、ありふれた日常的な未知のことも起きる。かもしれないw
25神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 06:45:24 ID:6tHypIit
>>17
>倶舎論や20、30唯識は素晴しいけど出会うのが個人的に遅すぎた。

基本的に要らないと思います。『入アビダルマ論』ぐらいで十分。
つまり、水野先生の『要語』で十分。

>大乗系の経論は何らかの見地を得た後で、初めてその真価をあらわす。

たしかに『中論』はそうですね。止、シャマタ、精神集中ができてることが前提になっていると思います。
特に経典類は、三昧体験がないと読んでも意味が通じないものが多いですね。

ですが、『勧戒王頌』『宝行王正論』『四百論』『入中論』『入菩提行論』
『中観荘厳論』あたりは十分読んで意味が通るような部分が多いと思います。

テーラワーダでいくならビルマ、大乗でいくならチベットのいい先生につかないと、
仏教は読んでも最も重要な部分、自分が間違ってるとこ、
本質的認識誤りを指摘して貰わないと、まあ、ほとんどが誤解しますね。
26神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 10:10:22 ID:xOi04qxR
難しい
27神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 11:47:23 ID:542tiVaf
>>26
>難しい
 
 そこまでやらないとお釈迦様の悟りの境地に達せられないんだったら、
 最初からブッキョーなんてやらんほーがまし。アホか。
 賢そうで実はアホな学僧連中が権威主義的心情からハードルをむやみと
 あげよったんや。
 >読んでも意味が通じないもの(>>25)
  世俗的に観てもナンセンスだな。意味が通じないなら書く意味がない。
 到彼岸者には世俗言語論理はもはや不要、未達者には意味が通じることが必要だ。
 『止、シャマタ、精神集中』なんて到彼岸とは別問題だ。
 でなければ、頓悟禅は成立しない。
 
28神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 12:24:38 ID:xOi04qxR
中観は難しくて疲れる
29神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 12:25:07 ID:542tiVaf
>>25の話に賊機なし
30神も仏も名無しさん:2009/10/08(木) 13:00:03 ID:6tHypIit
>>27
>  世俗的に観てもナンセンスだな。意味が通じないなら書く意味がない。

世俗といってもいろいろな状態の人がいる。
そして経論というのは一般の読者に開かれているわけではなく、
あくまで聖者が伝承され体得した内容の補助、防備録として用いるものですから。

> 到彼岸者には世俗言語論理はもはや不要、未達者には意味が通じることが必要だ。

この二分法は意味がない。聖者にも世俗者にもいろいろな状態がある。
そこ五道、十地などがその指針となる。

> 『止、シャマタ、精神集中』なんて到彼岸とは別問題だ。
> でなければ、頓悟禅は成立しない。

分かってないな。禅というのはほとんど『止、シャマタ、精神集中』ばっかやって、
その精神集中がある程度定まったものが、公案などで戯論を止滅させるわけだ。
この点を強調するから頓悟なのであって他の意味ではない。
もちろん、生まれつき精神集中できてる人は、直ぐに頓悟できるわけだが、
そんな人はほとんどいない。


31机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/09(金) 18:30:09 ID:iLqQ3tol
初転法輪の、中道・八正道・四諦はいいですよね。
ここに仏教のコアな部分が全て集約されていると思うのですが、
どうも部派仏教では、このコアな部分が埋もれているようですな。

釈尊の時代から、約700年を経過した頃に龍樹が中論を書いたのですが、
ここでようやく初転法輪に脚光があびる。
“中道”
う〜ん、実に素晴らしいですね。
釈尊が中道を悟った。というだけで、実に感動的じゃないですか。
仏教というのは極端な話、この中道だけで事足りる。

ところが、大乗八宗の祖たる龍樹菩薩が出現したにも関わらず、
なんと!大乗非仏説など唱える者数多し。
ここがどうも分らんですなw

机龍之介は大菩薩峠に住んでおります。
よろしかったら遊びに来てくらさい。
32神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 18:36:24 ID:EHv82ZWU
「“中道を”悟った」という言い方が既におかしいと気付けw  (>>ALL)

「中道」は、「方法(論)」「“在り様”の一形態」だ。
少なくとも、初転法輪時は(文献上)そうだ。

2chには、二種類のお馬鹿の流派がある。
「空教」と「中道教」、「空教信者」と「中道信者」だ。
どちらも、視野の狭さで張り合う、いいライバルのようだwww
33机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/09(金) 19:21:25 ID:iLqQ3tol
>「中道」は、「方法(論)」「“在り様”の一形態」だ。

中道だから、方法論とか、形態とか、その名称でもない。
世俗諦では中道でいいんだよw
申し訳ないが、それしか言いようがない。

「無」と言うには広義すぎるし、意味不明になる。
つうか、中道というのは、
それ自体が実に素晴らしいじゃないか。
その賛美を書きたいだけです。
すまんですね。

ゼロを発見しなければ、ゼロをいう概念は生じようがない。
それと同じ。
34神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 20:48:03 ID:EHv82ZWU
>>33
相変わらず、のらりくらりですな・・・w

しょうがない。自分でツッコむか・・・w
 ・ete kho, bhikkhave, ubho ante anupagamma, majjhimA paTipadA tathAgatena abhisambuddhA,
 ・katamA ca sA, bhikkhave, majjhimA paTipadA tathAgatena abhisambuddhA,
 ・ayaM kho sA, bhikkhave, majjhimA paTipadA tathAgatena abhisambuddhA,
文献上は、≪「majjhimA paTipadA」は「abhisambujjhati」された≫となっている。
文言として、「中道を悟った」という言明は正当であろう。
注意すべきは、この記述の前には、
「出家者が実践すべきでない(近づくべきでない)両極があり、その二辺を離れることが“中道”である」と言われ、
この記述の後(或いは中身として)には、「八支の道がそれである」「それ(その八支の道)が、涅槃へ導いたのだ」
とされる点だろう。

原文は、abhisambuddhA の後に、
cakkhukaraNI JANakaraNI upasamAya abhiJJAya sambodhAya nibbAnAya saMvattati.
と続く。《中道(→八正道)が、行じる者・実践する者を涅槃へ導く》ということだ。
(そして、それらは「magga」であり「paTipadA」である、と・・・。)

さて、仏教は、
『涅槃を(究極のゴール(極)を)悟る』ものか? (→《「悟る」とは、「ゴールを知ること」か?》)
『涅槃へ導く“カギ”を悟る』ものか? (→《「悟る」とは、「ゴールへの行程を知ること」か?》)

机氏はどう思う?w  (できれば、禅的言辞からは離れてほしい所だが・・・w)


※余談:
そして、この時興味深いことは、
≪「中論及び龍樹に始まる中観、そこで言われる“中”」は、「magga」でもなく「paTipadA」でもない≫
ということだろう。
35神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 21:04:26 ID:EHv82ZWU
やっぱ、これ
 >(できれば、禅的言辞からは離れてほしい所だが・・・w)
は削除しとくか・・・。

「悟る」とか「悟らない」などの“はからい”(“日常的(世俗的)言語習慣”上の分別)を超えて、
(一身(一心)に行じ、実践する時に)ストンと了解してゆくのが本義だろうし、
おそらく、(返ってくるとしたら)机のレスはこの方向ではなかろうか・・・w


ワシのような、2chを覗く(≒言辞に溺れるwww)者は、周梨槃特の逸話を百億回読む必要があるな・・・w

寝る  ノシ
36机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/09(金) 21:14:07 ID:iLqQ3tol
>>34
貴殿はなかなかオモシロい御仁ですね。
書き込みを読ませて頂きました。
では僭越ながらレスポンスさせて頂きます。

>『涅槃を(究極のゴール(極)を)悟る』ものか? (→《「悟る」とは、「ゴールを知ること」か?》)
>『涅槃へ導く“カギ”を悟る』ものか? (→《「悟る」とは、「ゴールへの行程を知ること」か?》)

ほらほら、だから普通は「悟る」ってのは、何らかのベクトルがあって・・・
その到達を意味するもんですね。
実際、彼岸というのは、そういう「到達地点」を意味するものでありますが、
ここが中道ですから、極なる到達はない。

じゃあなにか?
中道ってのは、そういったベクトル(方向性)の切断された、
非日常的な直接的に知覚する世界観?を言うのであって・・・
私が“中道”にえらく感動するのは、
観念論とは全く異次元ゆえであるからに他ならないんであります。

まあ、人間というのは、ここまで悟ることが出来る。
ってのを、先ず書きたかった訳です。

>机氏はどう思う?w  (できれば、禅的言辞からは離れてほしい所だが・・・w)

おそれいります。
貴殿は学識があっても、なかなか仏教のコアな部分には到達できてないようですね。
まあ、仏教というのは知識ではどうにもならんのですよ。
目が開けばなんとかなりますがね。

では、おやすみ。
37神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 23:22:05 ID:gtcz3AZf
机遁走w
38神も仏も名無しさん:2009/10/09(金) 23:23:03 ID:gtcz3AZf
39机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/10(土) 07:29:33 ID:1ZXyq05i
>>32
>「空教」と「中道教」、「空教信者」と「中道信者」だ。

月(真理)を指し示すには、いろんなアプローチの仕方があって、
貴殿が言う「空教」とか「中道教」とかは全く同義だよ。
ってか、空・中道を分別する意味がどうも解せない。

>どちらも、視野の狭さで張り合う、いいライバルのようだwww

なんか意味不明ですね。
空教信者と中道信者が張り合うんですか?
こういうことは論理的に有り得ない。

空・中道は視野は一極ではありませんから、
「狭くなる」ということは有り得ない。
ってか、ここのとこが最も重要な中観の核心的部分なのだが・・・
まあ、縁があったら語ちていい。
40机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/10(土) 13:03:08 ID:1ZXyq05i
>>36のつづき
>中道ってのは、そういったベクトル(方向性)の切断された、
>非日常的な直接的に知覚する世界観?を言うのであって・・・

方向性の切断された瞬時に三時がありまして、
これが非日常における連続性と言っていいかと思います。
(つまり無我における非連続性の連続であります。

無我でありますが、何らかしの縁において瞬時に我が生起します。
この生起の意味するところは、三時における自己同一性です。
ようするに三時があって自己認識が可能でありますから、
三時と我の生起は同一です。

無我は、それ自体が連続性を有しておりませんが、
刹那・刹那において連続性を有する。
ってことになろうかと思います。

>『存在が存在することの神秘は、 いかなる仕方によっても理解する
>ことができない、ということを私は理解している』

                        (池田晶子)
41 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/10(土) 13:26:17 ID:3s/qdv3Q
舅多いなw

既出ではあるけど入手しやすい中観の概説書 

チベットの般若心経 3200円 春秋社

これまで三冊入手した。
一冊はバラして自分に不要な部分廃棄、出先で読み込み、書き込み。
一冊は友達にプレゼント。
現在三冊目、ポストイットで幟乱立w。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

何年か前に高野山大学でテラワダの人を採ったでしょ。
不評みたいだったけど発案者の気持ちが少しわかる気がする。
ある教えが、その人の血肉になるのには時間がかかる。

本当に大乗仏教を復興させる気なら、
左右のわからない若いうちから部派、唯識だけは問答無用で棒暗記させる必要があると思う。
現実の生活の摩擦や衝突ある部分でどうしても実在論、存在論が必要。
倶舎論に通じていないと、どうやっても折衷の立場しかとれないし、言えない。
肝心な所で弱腰になったり、基本的な勘違いで笑い者になったりする。

戦時中の礼賛はやっぱりよくなかったと思う。ノリ重視すぎでしょ?どうみても。
ひろさちや氏のやぶにらみや、家畜化にも似る入信者の態度。左翼との混同w
、、、、存在論があれば随分、マシになると思うんだけどね。

今の困っている個人はどうするの?
これについては”これまで”通り武道やヨガ等、仏教周辺文化からの逆輸入で凌ぐしかないw
他には”血肉化してない”存在論しかないからしょうがない。
職業人としての会社宗教、会社ブッティズムにはもう期待できんみたい。
42神も仏も名無しさん:2009/10/10(土) 22:01:30 ID:YFf5BfzL
>>39
やっぱり馬鹿野狐禅だったか・・・w
2ch歴長いくせに「空教信者」「中道信者」という皮肉が判らんとは・・・。

>空教信者と中道信者が張り合うんですか?
馬鹿か? 皮肉ってるんだ、「空!空!」「中道!中道!」シュプレヒコールのデモ行進並の下劣さだとな・・w
鈍感な奴だ・・・。

    _  ∩
  ( ゚∀゚)彡  空!空!
  (  ⊂彡
   |   |
   し ⌒J


>>40に至っては、
関係ないことを尤もらしく口にし、何か言ったような気になってるというこの愚鈍さw

お前さん、オワットルわ。
43机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/11(日) 07:09:05 ID:0QRPPT/J
>>40のつづきです。
>無我でありますが、何らかしの縁において瞬時に我が生起します。

ここのとこがいたって重要なのでありますが、
縁において瞬時に我が生起しない場合もある。ってことです。
(前後裁断せり、も刹那では有時であります。→正法眼蔵より)
有時であるから自己が発生する訳でありますが、
(これはハイデッカーの「時間と存在」と理論的には同一)
人間というのは無意識的に自己が発生してるので、
自己が発生しない、ということ自体が想定できない。

縁というのは、それ自体が前後裁断せり。なのであります。
(つまり、その時点では有時と自己は発生してない)
その縁より、有時、自己の発生する瞬間のその刹那。
これが私が>>36で書きました
>非日常的な直接的に知覚する世界観?を言うのであって・・・
であります。

これは体験的なものでありますが、
また詳細は、暇なときに書き込みしとう存じます。
>>41
>舅多いなw

これは“宗徒”ですか?
44机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/11(日) 07:14:17 ID:0QRPPT/J
>>42
>2ch歴長いくせに「空教信者」「中道信者」という皮肉が判らんとは・・・。

空・中道においては、貴殿は専門家でありますから、
私などは足元にも及びませぬ。
どうか、いろいろと御教授くださいませ。

                      <敬具>
45机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/11(日) 11:36:42 ID:0QRPPT/J
>>43のつづき
>縁というのは、それ自体が前後裁断せり。なのであります。

では縁というのは何たるや?
このことについて具体的に説明しとう存じます。
例えば、
裏山のセセラギの音だったり、秋虫の鳴き声だったり、竹がカァ〜ンと鳴ったり、
はたまた、カラスがカァ〜と鳴いたり・・・
なんか聞いたような話でありますけど、
多くはこういった聴覚によるものが代表的であります。

じゃあ、カミさんが鳴いているのはどうか?
ここで気づいて頂きたいのは、カミさんというのは日常的である。
ってことです。
日常的であることは、このさい度外視して頂きたいです。
また、聴覚障害者についても特殊性において論外として頂きます。
46机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/11(日) 11:37:45 ID:0QRPPT/J
(つづき)
日常的には、こういった一連の雑音は耳に入ってくることと思われます。
入ってきても即縁生という訳ではなく、
(逆に言ったら、縁生しないかったら殆ど恐怖でありますけど)
縁生した場合には刹那に三時の刹那がドッキングします。
これを刹那においての連続性、と言っております。
(道元は、この連続性を「排列」とか書いておるようです)
また、この瞬間こそが自己生起となります。
(無我においての自己認識)

このことについては、いろんなアプローチができます。
京都学派や、世親(刹那滅・心相続)、臨済禅などが代表的なもんでしょう。
(詳細は後ほど)

この続きは暇な時に書き込みます。

注意:スレッドをageますと荒らされることもありますから、
   なるべくsageがいいでしょうね。
47机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/11(日) 19:06:20 ID:0QRPPT/J
では、刹那三時について書き込みしてみます。
刹那は無数の刹那にドッキングするんですなぁ。
これを道元は有時と逝っておるんですが、
この流れの繋がりにおいて未来もある訳です。

でもまあ、よく考えてみますと、
刹那三時も縁でありますから、必ずしも刹那同士がドッキングするとは限らない。
(唯識論の謎であります)
ドッキングしない、というのは非常に恐ろしいことであります。
まあ、人間はドッキングするから日常生活が営まれておるんです。

この流れにおいて、アートマンとかの観念も生じるのでありましょう。
でもよく考えて頂きたいのは、
この刹那三時において、またアートマンも生起するのであります。
その生起する前程をですね、
もっと究考する必要があるんじゃないかと・・・
私は思うのであります。

この続きは、また暇な時にでも書いてみます。
48 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/11(日) 21:50:37 ID:4vgYSo9r
なんか生産的な事しゃべりたいわ。
49 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/12(月) 04:56:22 ID:Gde6bWWv
先生に就く。
で、先生の言うことが好きで生徒としては賛成なんだけど、先生みたいに喋れないし、
先生のような存在であることができない。先生のように世界との関わりができない。

幸運にも先生と相性がよくて
段々と近くなるか、一挙に何か変わる。必ずしも先生と同じ様になるとは限らず。
その時にそれまでと同じ知識、体験でも違う判断が起きる。それで世界は変わるのだけど、
変わった当体が道具に引っ張られる。あるいは環境に引き戻されようとする。

印度やチベットの神様の絵にたくさん手のある像が出てくるでしょ?
あれはそのまま人の姿で、部派のやり方は幻の手を切って行くことともいえると思う。
冗談抜きに、食事や性のからむ場面では瞑想が趣味でなくとも誰もが感じていると思う。

だから五蘊が即業である。とも言うし在家は悟れないとも言う。
幻とはいえ手や道具があるから実生活で有能でありうる、とも部派の立場からは言える。

基本的には大乗でも↑これは正しい。
一度は手のない状態にならないと、何かが脚を引っ張っていると感じはしても
自分が掴んでいる。手が麻痺して感覚がなくなるほど強く掴んでいる。
という事に自覚がない。そしてご丁寧にも、(年相応の分別は自然についてくるとしても、)
それ以降も二日酔いで苦しんでる酔っ払いみたいに過ちを何度も繰り返すww

気が滅入ってくるので視点を変えますw
首尾よく変化が起きたとして、それ以後、所持した道具の全てが使える保障はない。
そして道具には以前の癖跡が残っている。そして良い悪いは別にして手も以前とは別。

「(私を出発点とする問題について、)私はソレではない」
隠された欲望無しにそう断言できても、残念ながら、その事実はその人の万能を意味しないw

変人連には2度目の、そして二重の意味で途方にくれる時期がおとずれるwと。
誰もいないのに何かが途方にくれるw のんきな噺www
この流れがあって>>41に続きます
50机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/12(月) 07:22:46 ID:FzG+hXsn
自己の存在とは何か?と逝った場合、
存在の発生は、また同時に時間の発生でもあります。
なにかの縁において自己が発生した刹那に、
次ぎの刹那に繋がります。
この刹那と刹那の繋がりが、いわゆる時間の流れを生みだします。
時間の流れは、同時に自己の発生(自己を生みだす)
ここでつまり、自己であるものと、そうでないものを、明確に分別しちょるのです。
(これが自己同一性になる)

刹那は無限を有し、それは間断なく断滅せりものと理解されたら宜しかろう。
諸行無常・諸法無我というのはそういうことでありますが、
ここでベトナムの禅僧、ナット・ハーンはオモシロイことを逝っておるんですな。
「三法印は涅槃に到る道程」だと。
実際、そうなんであります。

話は段々と佳境に入ってきましたけど・・・
こんな話が果たして皆様が関心がありますやら(笑

また、暇な時にでも書き込みいれます。
51机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/12(月) 08:59:09 ID:FzG+hXsn
>>50のつづき
>この刹那と刹那の繋がりが、いわゆる時間の流れを生みだします。

では、刹那と刹那が繋がらなかった場合はどうか?
実際は、これは前記したとおりでありまして、非常に恐ろしいことなのです。
詳しく書きますと・・・
縁において刹那な縁生があります。
ここで注意してくらさい。
縁と縁生には間があるんですw
この間というのが、実は非常に重要なのであります。

ここで言う「縁」とは、セセラギの音だったり、秋虫の声だと理解してください。
この音より知覚に到る経過を、私は語ちとるんです。
まあ、こういう話は殆ど興味がないかと思いますが・・・
ってか、そもそもこのスレをROMってる御仁がいるかどうかわかりませんけど><

では、結論から書きますと、
「非常に恐ろしいこと」というのは、
禅における開悟なのであります。

いよいよ佳鏡になってまいりましたが・・・
近日中には、私の論文を纏めたいかと思います。
52机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/12(月) 11:18:32 ID:FzG+hXsn
>禅における開悟なのであります。

悟るということは、自己発生(同時に有時)に立ち会うってことですね。
それ以前の状況(主観溶暗)と、
それ以後の状況を見とどける、ってことですね。

理性的認識は、日常においては保障されてまして、
(そういうふうに信じ込んでおりますが)
それが一気に崩壊してしまう。ということですね。
(つまり日常における非日常の、垣間見た世界とでも言いましょうか)
この論法は、道元よりも臨済禅師が得意です。

これを神秘体験と混同する輩がおりますけど、全然違います。
神秘体験は観念的なものであります。
それとは非なるものでありまして、
禅においては純粋体験と申せましょう。

詳しいことは後ほど。
53机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/12(月) 12:35:16 ID:FzG+hXsn
>理性的認識は、日常においては保障されてまして、
>(そういうふうに信じ込んでおりますが)
>それが一気に崩壊してしまう。ということですね。

あーっはっは、
なんかそうなりますと、唯識論とか実有論とかも、
時制が崩壊しますと何の意味も持たなくなりますね。
まあ、そう結論付けてしまいますと、
それで話は終了になりますけど、
何が正しくて、何が間違っておるのか?
その脈絡で語ちるつもりはありません。

私が冒頭で書きました、
中道について、それが如何に最高の哲理であるのか、
そのことだけを書きとう存じあげます。

中観というのは、つまりそのことだけなのであります。
非常にシンプルなるが故、
それはあまり関心のない輩においては、非常に退屈なもんです。

また、合間、合間に書きとうございます。
54机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/12(月) 16:36:53 ID:FzG+hXsn
では「一無位の真人」とか「本来の面目」ってのはどういう意味なんでしょう?
これは何となく解せるのは、刹那ではなく、そのバックボーンの様な感じですね。
そうなんです、それが正解ですね。
刹那以前であります。

セセラギの音がありますね。
そこで1拍の刹那の間がありまして、次ぎの刹那に知覚(五蘊)があります。
この五蘊の知覚以前ですね。
つまり自己生起以前であります。

中観においては、これを非連続としております。→不去不来
実有論においては、これを連続と捉えておるようですね。

中観は、自己生起以前でありますから、連続しようがない。
(道元の前後際断せり、ですね)
まあ、そのとおりですよね、なんせ連続する主体がないんですから。

あ〜〜っはっはっは。
旧7氏は、ここで迷っておったようですね。
まあ、私の書き込みで少しは片目が開けば宜しいのですがw
旧7氏がROMっておるかどうかは、まったく分りませんけど。

また、暇な時に書き込みします。
55神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 20:40:24 ID:UV0++WSY
机さん>>1

机さんにレスする人も荒らしですよ。
56神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 21:00:08 ID:EOCReArz
>机師へ

「中道」という言葉もおかしいとは思いませんか。中道は、「両極端」を実体
として固定する。その両極端の範囲内での中道では、どこを取っても、程度の
差はあれ「実体としての両極端」の一部。それでは「空」にはならない。
57神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 22:35:50 ID:W83p4drn
>>56
『意味』を超越したメタ・コードだよ
58神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 22:42:57 ID:jIdpAmdl
>>57
だからw
初転法輪時の「中道」は、《そうした『メタコード』》じゃねーだろ?つってんだよw
タコスケw
59神も仏も名無しさん:2009/10/12(月) 23:06:17 ID:W83p4drn
>>58
初転法輪全体の本質は中道でなければ了解できない。
60 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/12(月) 23:19:36 ID:Gde6bWWv
中道と中観は少しちがわなくないw
6159:2009/10/12(月) 23:58:02 ID:W83p4drn
>>58
初転法輪時、ブッダが発せられた『コーンダンニャが悟った!』という悦びの言葉、
この時の、コーンダンニャが口にした言葉とは、
『およそ生起する性あるものは、すべて滅び去る性有るものである』
この言葉の「真意」は、そのままストレートに、
「一切の形成されたものは無常である」<一切行無常>
「一切の形成されたものは苦しみである」<一切皆苦>
「一切の事物は我ならざるものである」<一切法無我>
という、コーンダンニャ長老の詩句へと繋がってゆく。

初転法輪のときにブッダが伝えようとされた大綱は既にでており、
知性や知識だけの字句だけならともかく、
中道の把握を前提としなければことの性質上『悟った!』とは了解できない事柄だ。

62 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/13(火) 01:09:22 ID:RM9+lG5z
>>61
細かいことだけど、なんで滅諦相当分を除いたの?
63机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 07:19:56 ID:OajCfSLE
>>61
>中道の把握を前提としなければことの性質上『悟った!』とは了解できない事柄だ。

同意です。

>>54
>セセラギの音がありますね。
>そこで1拍の刹那の間がありまして、次ぎの刹那に知覚(五蘊)があります。

これについてプロセスを書いてみます。

セセラギの音、この時点では主観溶暗であります。
ここで音を感知します。→これが一拍の刹那であります。
次ぎの刹那が認識であります。
ここで過去の無数なる刹那に繋がるかどうか、で自己生起&有時発生の分起点になる。
「子供の頃に、魚取りをして遊んだことがあったなぁ〜」。→(これは例示です)
この刹那に繋がると、これで自己・有時が発生します。
この刹那はまた、無数の刹那に繋がって逝くのであります。
「そういえば、川で溺れそうになったことがあったよなぁ〜」。とか
刹那は刹那同士でどんどん繋がりをして逝きます。
(これがいわゆる道元の排列というもんですね)

この刹那同士の繋がりは、つまり意味連関というもんです。
日常生活においては、この意味連関において生活が営まれておるんです。

煩悩とか雑念とか言われるものは、つまり意味連関なのであります。

(書き込みが長くなりましたから、つづきは後ほどに・・・)
64神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 08:30:46 ID:McT2SjfL
>>62
テーラガーター676 677 678 679 参照。
    <十六ずつの詩句の集成>
65机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 08:55:28 ID:OajCfSLE
「一無位の真人」とか「本来の面目」というのは、
つまり刹那以前に眼目を置いたもんなんですね。
ここが世親の「心相続」とはえらい違いになってまいります。

つまり相続するか?そんなものは全く分らんもんです。
縁において自己発生するなら、自己発生しない場合もあるのは
理論的には必定でありますからね。

刹那というのは、予定されたものではなく、全く偶発的なものであります。
「一期一会」といいますのは、そういった一連の偶発性に眼目を置いております。

これは、日常生活における意味連関においての本質を突き止めており、
世親と龍樹のえらい違いになってまいります。

仏教は初転法輪において始まり、初転法輪において終了するのであります。
四諦の解決が、心相続で成せるのか?
それとも龍樹の非連続こそ、その要諦があるのか?
いたって回答は明白であります。
66神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 09:12:43 ID:VoefhieT
>>63
机さん、妄想を語る場所じゃないですよ。

中観を典拠に基づいて語るとこです。

どっか別でかたちてくださいw
67机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 11:13:17 ID:OajCfSLE
刹那は前に書いたとおりでして、刹那同士が繋がることです。
(これを道元は、三時業と逝っておるんです)
まあ、どういうことかと言いますと、
過去の記憶が蘇まして、その因において自らが苦しむことがある。
ってことですよ。
自業自得というのは、こういった刹那においてあるんですね。

四諦というのは「苦」の因を突き止めることでありますが、
これがその回答であります。

ではその苦たる因を解消すればいいんですね。
これは刹那同士の繋がりを遮断すればいいことです。
(悟れば自然に遮断するようになります)

しかし、ここで注意しなければならないのは、
この段階においては非理性的なものでございます。
仏教に関わらず、一般的に通常な人間が
特殊な環境において体験することもあるんですね。

前に論題になりました、池田晶子とか正岡子規などは
この部類かと思われ。

まあ、この続きは後ほどに・・・
68神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 14:57:06 ID:/Y3+dWv5
>>66
ダメ。こいつ人の話なんて絶対聴かないから。
69神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 16:26:43 ID:e1LQayLV
道元より龍樹の事がききたいっす
70机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 16:28:34 ID:OajCfSLE
>>66
>中観を典拠に基づいて語るとこです。

禅宗は中観であります。
そのなかでも道元は、中観思想に多大なる影響を受けた。
とされておりますね。

というわけで、
非常に難解とされてました正法眼蔵を、私は平易に解説しております。
71神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 16:52:40 ID:VoefhieT
>>70
だから、他で存分にやってください。
72机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 18:07:35 ID:OajCfSLE
>>71
そうか、それならこれ↓で文句はないだろ?
______________________
およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。
それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。
                <『中論』24章18偈>
______________________
この偈について解説する(暇なときに)

まあ、同じことだよ。
今まで私が書いてきたことと、寸分も変わらない。
73神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 18:10:17 ID:Av7PsR/i
>>34
パーリ読めないので、不快ならスルーして下さい。

>注意すべきは、この記述の前には、「出家者が実践すべきでない(近づくべきでない)両極があり、
>その二辺を離れることが“中道”である」と言われ、
>この記述の後(或いは中身として)には、「八支の道がそれである」
>「それ(その八支の道)が、涅槃へ導いたのだ」とされる点だろう。

原文レヴェルでは、「二辺を“離れることが”中道」とあるのでしょうか?

何故、これに拘っているのかというと、中村訳や増谷訳等を見ると、
(「二辺を“離れることが”中道」つまり「離苦楽二辺“即ち”中道」ではなく)
「苦楽二辺を“離れて”中道を覚った」といった趣旨であり、
その中道は、即ち八正道とされ、故に、離苦楽二辺が八正道に“含まれる”と思います。
(更に、道諦とは八正道)
しかし、「二辺を“離れることが”中道」なのだとすると、
離苦楽二辺としての中道と、(八正道の)正見を問題とする『相応部』12.15的な中道との
二種があるかの如き理解を生むのではないか、と思います(こうした説明をしてる研究者が多くいる)。
74神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 18:34:01 ID:Av7PsR/i
ナーガールジュナにおける中道(『中論』24.18他)は、
第一に、『中論』13.7-8から、『宝積経』の中道の義に拠っています。
第二に、『中論』24章は、“四諦”を主題にしていますから、
>>73で述べたこと(中道=八正道=“道諦”)を前提してます。
当然ながら、彼は、『律蔵』「大品」と『宝積経』の中道の義が
別だとは考えていないでしょう。

ここから色々な問題が派生すると思います。
75神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 18:41:52 ID:VoefhieT
>>72
じゃ、縁起と空と仮設の意味はどう考えるわけ?

机さんが説いてきたことと中論は全く違いますけど。
76宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 18:43:42 ID:IoxVzpwt
>>73
>しかし、「二辺を“離れることが”中道」なのだとすると、
>離苦楽二辺としての中道と、(八正道の)正見を問題とする『相応部』12.15的な中道との
>二種があるかの如き理解を生むのではないか、と思います(こうした説明をしてる研究者が多くいる)。

横レスで失します。
私的には、結果的には同じと見えますが。ハテ??
一応、経文を掲載しておきますm(__)m

 『「大徳よ、?正見、正見と申しますが、大徳よ、正見とはいったい、どういうことでございましょうか」
「カッチャーシャよ、この世間の人々は、たいてい、有か無かの二つの極端に片寄っている。
カッチャーシャよ、正しい智慧によって、あるがままにこの世間に生起するものをみるものには、この世
間には無というものはない。また、カッチャーシャよ、正しい智慧によって、あるがままにこの世間から滅
してゆくものをみるものには、この世間には有というものはない。---中略---
 カッチャーヤナよ、<すべては有である>という。これは一つの極端である。また、<すべては無である>
という。これももう一つの極端である。カッチャーヤナよ、如来はこれら二つの極端を離れて、中(ちゅう)
によって法を説くのである。無明によって行がある。・・・かくのごときが、このすべての苦の集積よりてな
る原因である。また、無明を余すところなく滅することによって行の滅がある。行が滅するがゆえに識の
滅がある。・・・かくのごときが、このすべての苦の集積の滅である。(『相応部』12:15)

注解
 この経における彼の質問は「正見」であって、釈尊はそれに答うるに、二辺を離れ、中によりて立ち、縁
起の法則によって見るべきことを教えている。・・・?正見(sammâditthi=right view) いわゆる八正道の
第一項目であり、その基体であると称せられる。』
(増谷文雄著『阿含経典』筑摩書房刊)
77宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/13(火) 18:45:28 ID:IoxVzpwt
訂正:
×「?正見」
○「*正見」

(文字化けでした)
78神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 18:50:40 ID:35tviUfI
>>72
>およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。
>それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道
>そのものである。

「実体としての両極端間の中道」ではなく、「相対性故の中道」。竜樹は見事ですね。
まさに「原始仏教のコペルニクス的転回」です。     
79机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 19:08:15 ID:OajCfSLE
>>75
>じゃ、縁起と空と仮設の意味はどう考えるわけ?

「どう考えるわけ?」と、ディベートするのが中観じゃないのです。
中観というのは、虚実の二辺を離れたとこに決定信解するもんなんですから。

で、龍樹というのは学僧でして、中観を理論的に体系付けただけです。
これをディベート(議論)で修得する。ということとは又違うんです。
弁証法じゃないんですから。

じゃあどうするか?つぅたらですね、
これを修証という二段構えでしたら、手っ取り早く理解するのが
ベターであるってことですよ。
この「証」というのが、つまり「悟り」なんです。
このベクトルで私は語ちとるんですよ。

で、縁起と空と仮設については、
私はスレに書きこんできたでしょ?
自己が生起するのが縁起だし、
縁起は、縁生するも縁滅しちゃうから、これが仮設でありますし、
その理こそ空であります。
80神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 19:17:22 ID:hEZmAVM9
>>61
atha kho bhagavA imaM udAnaM udAnesi
aJJAsi vata bho koNDaJJo aJJAsi vata bho koNDaJJo ti.

名前の由来通り、そのシーン、
コンダンニャは「アンニャーティ」したのであって「ブッジャティ」したのではないが、その辺は無問題なのか?
「アンニャーティ(aJJAti)は、悟ったと訳し得る」と?

この五比丘覚醒の一節に於いては、次のような語が用いられている。
abhisambujjhati、aJJAti、dhamma cakkhu uppajjati、
(cakkhu uppajjati , JAnN uppajjati , paJJA uppajjati , vijjA uppajjati , Aloko uppajjati )、
pariJJeyyaM , pariJJAtaM 、
diTThidhammo , pattadhammo , viditadhammo , pariyogALhadhammo ,
tiNNavicikiccho , vigaTakathaMkatho , vesarajjappatto , aparappaccayo、
(この後、五蘊無我の教説があり)、
anupAdAya Asavehi cittAni vimucciMsu. と。。。
そして、 tena kho pana samayena cha loke arahanto honti.  と結ばれる。

こだわるなら、こうした、シーン毎の用語の使い分けにも気配りしたらどうだ?w
これら全て、「知る、理解する、気付く、(腹の底から)納得する」等のニュアンスを含むわけだが、
そうした動詞(≒行為)に直結する目的格(→対象)として、
【それぞれに何が配されている】か、【何を、○○する】のか、考えたことがあるか?
 (ま、お前さんや机は、上記全部、 「悟った」 の一語で済ましてしまいそうだがwww)

 ※会話、(基本的導入)説明等の際、便宜上「悟った」の一語で済ますことを否定するものではない。
  そうした利便性を有効活用すべき場面も多々あろうと思う。分別のし過ぎを大乗(特に禅)が嫌うのも解る。
  が、差異を差異として見る用心深さはあってよい。
81神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 19:23:36 ID:hEZmAVM9
>>73
御指摘御尤も。厳密に訳すなら、73の通り「苦楽二辺に“近づくことなく”中道をabhisambujjhatiした」となる。
そして、その中道とは何かと言えば「八支の道」であり、(それが)「涅槃へ導いた」と言われる。
しかし、
《苦楽の二辺ではない、出家者の行ずべき(知るべき)「道」とは、「八正道」であり「中道」である》
という文意にブレは生じないと思うが・・。 (その意味では、ここにabhisambujjhatiを配すべきではないのかもしれんが・・・。)
《苦楽の二辺でない“道”が、「中道」である》・・・《 >「二辺を“離れることが”中道」 》、
う〜ん。。微妙に違うか・・?w 「微妙だが捨て置けない差異」ということになるのかな・・・。

ete kho, bhikkhave, ubho ante anupagamma,
 (比丘らよ、実にこれら二つの極に近づかずして)
majjhimA paTipadA tathAgatena abhisambuddhA,
 (如来によって、中道は、まさに明らかに知られ(たものであり)、)
cakkhukaraNI JANakaraNI
 (目を開かせ(るものであり)、智を生じさせ(るものであり、)
upasamAya abhiJJAya sambodhAya nibbAnAya saMvattati.
 (寂静・安穏へと、確かな智へと、正しき悟りへと、涅槃へと導いた。)

と、こんな感じかな?
82神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 19:24:33 ID:hEZmAVM9
>>74
なる。
図式的に、
「中道」=「八正道」=「道諦」=「(知られるべきものとしての)悟り」=「中」=「空」、
と、こういうことか・・・。 けど、このスレに限らずあちこちで言われるのは、
《「滅諦」=「(知られるべきものとしての)悟り」=「空」であり、そのための「八正道」》、
というニュアンスに感じてたんだが、その辺はどうなん?(道元の只管打坐や禅の即今が近いのか?)
「滅諦」=「涅槃」なので、それが「空」(縁起するもの)であってはマズイわけだが・・w
 ※「悟る」という言葉の指示対象の広さを考慮してそれを抜くとしても、
  上記図式故に「中道」=「空」が成立する、ということになるのか・・。



やっぱり、中論・中観には口を挟まない方が良かったな・・w
ボロが出まくりだwww

ノシ
83神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 19:31:54 ID:35tviUfI
原始仏典の引用は、中観スレではスレ違い。両者には、本質的な相違がある。

釈迦佛教とは、もはや関係ないのでは。
84神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 19:40:20 ID:hEZmAVM9
>>83
すまんね・・w
もう帰るよw  ノシ
85神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 19:49:26 ID:Av7PsR/i
>>81
ありがとうございました。


>>82
>けど、このスレに限らずあちこちで言われるのは、
>《「滅諦」=「(知られるべきものとしての)悟り」=「空」であり、そのための「八正道」》、
>というニュアンスに感じてたんだが、その辺はどうなん?

先ず、『中論』24.18、『廻諍論』帰敬偈に拠れば、縁起=空性=取施設=中道は、一義です。
次に、『中論』24.7に拠りますと、空性について、
「空性“における”用・目的」「空性」「空性の義」という具合に、述べています。
そして、18.5(三枝訳参照)に拠れば、

>業と煩悩とが滅すれば、解脱が〔ある〕。業と煩悩とは分別から〔起る〕。
>それらは、戯論から〔起る〕。しかし、戯論は空性“において”滅せられる。

とあります(24.7と18.5の強調部は、どちらも於格だそうです)。
したがって、とりあえず「空性用」については、道諦が念頭されているのかもしれません。


>>84
>すまんね・・w もう帰るよw  ノシ

妄言はスルーして下さい。今後も本スレを御願いします。
86神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:04:14 ID:McT2SjfL
>>83
>両者には、本質的な相違がある。

まさに、本質的な相違があるかが問題になっているのだから、
スレ違いの語はあたらない。
87神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:14:39 ID:VoefhieT
>>79
そんなことどこにも書いてないし、オレが知る限り、
インド、チベット、シナ、日本で中観と呼ばれる説に見られないな。

そういう根拠はなんなの? ただの机っちの妄想でしょ。
何回論破したことかw
88神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:18:56 ID:VoefhieT
>>83
そんなことない。釈尊の仏教をもっとも忠実に祖述したのが龍樹菩薩だから。
『ブッダと龍樹の論理学』『龍樹と語れ』を読もう。

それでは納得できないというならカルパハナという学者の
研究書を読もう。

もはや、龍樹菩薩がアーガマ/ニカーヤを強く根拠としていることは常識なんだけど。
89神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:36:20 ID:Av7PsR/i
>>78
>>それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。
>「実体としての両極端間の中道」ではなく、「相対性故の中道」。竜樹は見事ですね。
>まさに「原始仏教のコペルニクス的転回」です。 

そもそも、三枝訳「相待の仮設」がという訳語が不適切。
直訳的には、取施設。


>>83
>原始仏典の引用は、中観スレではスレ違い。両者には、本質的な相違がある。
>釈迦佛教とは、もはや関係ないのでは。

『中論』が15.7で、唯一教証として明示するのが、
『相応部』12.15「カーティヤーヤナへの教え」なのだけどね。
9061:2009/10/13(火) 20:36:34 ID:McT2SjfL
>>80
>差異を差異として見る用心深さはあってよい。

ご教授ありがとうございます。
中村元訳に素直に従っただけでした。
91神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:38:06 ID:/Y3+dWv5
>>79
お前は仏者としては論外だけど
陰謀論に関してはかなりいい線行ってると
思ってるんだ。
で、デイヴィッドとジェイは決着ついたのか?
小沢との関係は?
92神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:43:54 ID:VoefhieT
>>89
>そもそも、三枝訳「相待の仮設」がという訳語が不適切。

それは何偈の訳? 三枝なんか見てもね〜
93神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:46:02 ID:Av7PsR/i
>>92
>>78>>72を御覧下さい。
94神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:46:10 ID:VoefhieT
>>91
>で、デイヴィッドとジェイは決着ついたのか?

バウハウスかラヴロケかw
95神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 20:59:49 ID:VoefhieT
>>93
ども。ちゃんと読んでなかった。だって机っちだからw
そりゃ、三枝さん何も分かってないってことだね。
取因仮設ウパーダーヤ プラジュニャプティは、
幻のような空なる諸因を習慣に基づいて x と見なすということだから。
96机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 21:02:34 ID:OajCfSLE
>>91
なるほど、そういうことか。
ではスレの流れも変化してるようだし、
少し静観して論客のレスポンスをROMるに徹してみよう。

まあ機会があれば、また参加する。

では、おやすみ。
97神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 21:08:43 ID:VoefhieT
>>96
もうくんな。書くなら何も知らないんだから、謙虚に質問しろ。
98神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 07:15:46 ID:I3xJZPtc
>>72
>およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。
>それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。

縁って想定されたもの、というのは、つまり縁生・縁滅は想定上のもの。
ということは、机師の言説というのは仮設である。
ということになれば、机師の刹那連鎖論は虚実ということとは全く問題外になる。

虚実を明確にしなければならない。というなら、
それはもはや中観ではない。
99神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 08:14:59 ID:I3xJZPtc
>>67
>まあ、この続きは後ほどに・・・

この続きがいいとこなのにw
カキコを読めなくて非常に残念。
100神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 12:43:36 ID:I3xJZPtc
>>65
結局、四諦は苦の滅侭ですね。
刹那と刹那の間が本来の面目でしたら、本来の面目が無生死となる。
生の生起ごとに死を迎えるわけになりますから、
次ぎの刹那の繰り返すまでは生きることはない。
生起していることにおいては生であるけど、
本来の面目に回帰することにおいては無生死であるということにおいて
四諦が完成するとなれば、
自我の連続性において四諦の完成には到らない、ってことになりますね。
101神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 12:49:18 ID:K7ssd9uE
>>100
すいません。机さんと話したいのでしたら別のところでお願いします。
>1にあるようにテキストに基づいて中観を論ずるスレですから。
102神も仏も名無しさん:2009/10/14(水) 13:07:49 ID:I3xJZPtc
>>101
机師は書き込みしないようです。
このスレは沈没していて、机師の書き込みで浮上したもんなんでしょ?
本来は消えて無くなっていたスレッド。

>>1にあるようにテキストに基づいて中観を論ずるスレですから。

では、テキストに基づいて中論を議論してください。
誰もそんな人間はいてんでw
103神も仏も名無しさん:2009/10/15(木) 00:43:11 ID:2imC5Szz


「心の対境が滅したときには、言語であらわされるものもなくなる。という

のも法性(存在の本質)は不生・不滅であり、実に涅槃のようだからである。」
(『中論』18.7)

空性の境地とは、『龍樹の中論』に見られるように、涅槃の境地であり、

私たちは、思議することさえできませんが、コトバの働きの止滅した境地

といえます。私たちは、現象世界のすべてのものを、自分と他人、自分と

世界と対立的に捉えます。自己と対立する世界についても、りんごと皿を、

それぞれが独立した実体として分別し捉え、それに、りんご等のコトバを

付与することによって、強力に一個の実体として捉えます。空性とは、この

働きを止滅させ、一切の事物をありのままに見る境地です。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213865622
104 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/16(金) 20:27:59 ID:Kts/vbQT
中観という時
唯識登場以前に担っていた役割と
唯識登場以後、新たに論議の焦点が移動した後の開拓された部分を
分けて考えないと混乱すると思う。

大乗(唯識、中観)はある程度のタイムスパン、メタ視点を認める視点を採用したことで
根本乗から分別を責められる。

しかし全くタイムスパンのない論理や言葉など有りえない。
根本乗についても同様。

「仏教の目的は涅槃(消滅)である。」
と、する。見慣れた根本乗での定義付けですね。
これに対して、下のような疑問がよく提出される。

「消滅を目的とするのは転倒ではないか?」 
ある意味ごもっともな疑問ではある。根本乗は正答できないし、正答しない。
棘が刺さっていたら、抜く。自明のことだから。
自明の事だから、非自明の立場を新たに設定しないと説明のしようがない。

疑問に対する答えとして大乗が登場してきた経緯がある。と思います。
105神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 21:15:23 ID:dnxIptmo
スレ汚し失礼、ドキュン机が絡んでくるんで、たまにはきっちり追求しようと思います。以下、質問スレの机ちゃん

>658 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2009/10/16(金) 16:36:04 ID: hLNboZUG
>【道元・三時業解説】
>63 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/13(火) 07:19:56 ID:OajCfSLE
>>>54
>>セセラギの音がありますね。
>>そこで1拍の刹那の間がありまして、次ぎの刹那に知覚(五蘊)があります。
>
>これについてプロセスを書いてみます。
>
>セセラギの音、この時点では主観溶暗であります。
>ここで音を感知します。→これが一拍の刹那であります。
>次ぎの刹那が認識であります。
>ここで過去の無数なる刹那に繋がるかどうか、で自己生起&有時発生の分起点になる。
>「子供の頃に、魚取りをして遊んだことがあったなぁ〜」。→(これは例示です)
>この刹那に繋がると、これで自己・有時が発生します。
>この刹那はまた、無数の刹那に繋がって逝くのであります。
>「そういえば、川で溺れそうになったことがあったよなぁ〜」。とか
>刹那は刹那同士でどんどん繋がりをして逝きます。
>(これがいわゆる道元の排列というもんですね)
>
>この刹那同士の繋がりは、つまり意味連関というもんです。
>日常生活においては、この意味連関において生活が営まれておるんです。
>
>煩悩とか雑念とか言われるものは、つまり意味連関なのであります。
106神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 21:16:17 ID:dnxIptmo
>664 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2009/10/16(金) 18:23:05 ID: hLNboZUG
>>>655
>貴殿の中論解説を読んでみましたが、
>最大の誤読をしておるようですね。
>
>まあ、いろいろありますけど、ひとつだけ指摘しておきましょう。
>中論というのは三時否定であります。
>よって「現在の私」というのも勿論否定に入るのであります。
>(詳しくは省略させて頂きます)
>
>じゃあ、何故に中論に傾倒しておった道元が三時業を説くのであろうか?
>まあ、こういったことは略させて頂きます。
107神も仏も名無しさん:2009/10/16(金) 21:34:42 ID:dnxIptmo
>>105
どうも道元禅師『正法眼蔵』の「三時業」を解釈したもののようである。
まず、その解釈の当否は措くが、どうも稚拙なセツナ滅論のようである。

>>106
上の「三時業」解釈が『中論』だということを主張しているようである。

つまり、道元の「三時業」を根拠に以下の『中論』理解を不当だというわけだ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html


上の『中論』理解は、『中論』の梵蔵漢の読みを『無畏註』と『青目註』で補足したものである。

道元の「三時業」を根拠に『中論』を読んで、上の読みを否定することなどできないと考えるのが普通の見方だと思う。

一体、本人の言葉と、最も古いインド註の一致した解釈と、
後代日本の別テキストである道元の「三時業」の解釈とどちらが妥当か
子供でも分かりそうだが、道元の「三時業」が『中論』自体の記述より強力な
根拠となる理由があるなら聞かせてもらいたいものだ。

その上で、内容の解釈に入ってみよう。
108神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 10:57:10 ID:mmWfTTmV
>>107
おい、インチキ・ハッタリ屋、『梵網経』と『カーラーマ・スッタ』の宿題はできたのか?
インチキがばれたら「スルー」名目でここに逃走か?w
109神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 11:08:57 ID:T5azCSe+
>>108
君の誤読だよ。勝手に解釈する人に付き合う時間はない。
こっちは、梵蔵漢などの各本を注釈と共になるべく正確に読んでいる。
それを提示したのに、結局、自分の解釈が重要だなどと言う人に付き合う暇はない。

とりあえず『梵網経』を読み直してみろ。釈尊がきっちり体験したと書いてある。
外道の聖者が間違っているのは、それらの感受、体験をアートマンなど
恒常な実体、実在と捉えるところにある。だから解脱できないんだという意味だ。

110神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 17:22:52 ID:mmWfTTmV
>>109
>『梵網経』
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

>深遠で、 見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法
これは当然だろう。勝義から還滅する(空即是色)と正道の何たるかが掴める
→空(正道⇔邪道の分別を排した中道):=無苦集滅道=仏智。
勝義諦は言語論理(→『思考と思惟』)を超えている(無分別)のは当然だ(相が異なる)。
そのような勝義から還滅して、シャモン・バラモンの六十二邪見を批判するという構成になっている。

>ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは
>・・・・
>六十二の根拠により、過去の限界(過去世)と未来の限界(未来世)に関して種々の浮説を主張するが、、
>それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、
>〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
>おののき狂躁したものにすぎない。

こいつらシャモン・バラモンは過去世だとか未来世だとか勝手にでっち上げて、
ホントのことがわからん世俗的俗物に過ぎんと「批判」している。

以上、逆に輪廻転生論批判であって、中論の趣旨(時制批判)と一致するのであって、
業報輪廻転生論なんか前提とはしていないことの逆証明となっているといえよう。

以上、センセ、読み直し宿題できました。
111神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 17:31:28 ID:mmWfTTmV
いずれにせよ、業報輪廻転生論なるものは
>>〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために
>>おののき狂躁したものにすぎない。

勝義から還滅する(空即是色)と業報輪廻転生論などは
世俗的迷妄・妄想にすぎないと批判してるんだよ。
だからバラモン=ヒンドゥ教義にアウト宣告(信仰を捨てよ!)されたのさ。





112神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 20:04:24 ID:sMctoaS7
> http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/789

>そもそも中論は恒常の時制というのはない。と書かれてまして、(これが勝義諦)

第何章の第何偈ですか?
色々言いたいことはありますが、先ずは、出典明示して頂きましょう。
「相待の仮説」という誤読の実例があるので。


>しかしながら、我が生起したと同時に三時は発生する。(これが世俗諦)

同上。


>これを縁生・縁滅とするが、勝義諦においては、縁生することもなく、縁滅することもない。
と、説かれてまして、これを世俗諦にて還滅したのが「縁起の現観」であります。

同上。


>どうか彼岸到達を祈念申し上げます。

どうか彼の諸論を精読すべきであると申し上げます。
113110:2009/10/17(土) 20:37:23 ID:mmWfTTmV
『梵網経』の訳で>『賢者だけが“理解”できる諸法』という訳は問題があるのではないか。
なぜなら、勝義空は>『思考と思惟とを超えて』いるのだから、
言語論理という知性による分別「理」解ではありえないからだ。
やはり無分別智による直覚=現観というしかないのではないか。
114机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/17(土) 21:01:47 ID:/5EBv0WY
>>112
>第何章の第何偈ですか?

何章とかは覚えていないが、不去不来で全て納得いくはずだが。
(検索して調べることはしない)

>「相待の仮説」という誤読の実例があるので。

これも同じ。
私は空性を基本として中論解釈してるので、多少の解釈の誤差など問題外。

>どうか彼の諸論を精読すべきであると申し上げます。

中論は精読する程のものじゃない。
このスレで書いたとおり、つまり直覚で解釈するもさ。
直覚のヒントも書いてある。

まあ、後でゆっくり語ちてもいい。
今日は飯食ったあと寝る。
115神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:13:06 ID:5EM9iF/2
>>112
>「相待の仮説」という誤読

平川彰氏の訳では「相待」となっており、中村元氏も、その解説で次のように
述べている。

「この書(中論の頌)で「縁起」または「空」というのは、ありとあらゆる
ものが相互依存によって相互に限定されて成立しているのであり、それ自体
の常住本体なるものは存在しないという意味である。」

この「相対性・相互依存性による無自性」無しでは、竜樹の思想は成立しない。
どこが「誤読」なのか、具体的に指摘されたし。

なお、釈迦のいう「中道」では、実体である両極端を前提とするから、その両極
端の間のどこを取っても、やはり実体としての両極端の一部であり、「空」は
成立し得ない。竜樹の、「相対性・相互依存性」を「中道」と解するという優
れた分析によって、初めて「空」が成立しうるのである。
116神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:21:28 ID:T5azCSe+
>>110
全然読めてないよ

『梵網経』には三つのレヴェルが説かれる。
凡夫、外道の賢者、ブッダだ。以下は、外道の賢者である。

>ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、
>見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、
>微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、
>如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。

重要なのは「如来がみずから悟り体現して教示している」としていること。
つまり、過去世と未来世を釈尊が体験していると仰られている。

外道の賢者とブッダの違いは、縁起によってそれらの感受・体験を
無我・空とするか実体・アートマンとするかの違いで、
釈尊は、だから無我・空という「〔真実を〕見ていないために感受されたもの」と仰っている。

もちろん、輪廻も無我・空だが、それは現在の我々の経験も無我・空で
なんらリアリティに変わりがないことに気付かなくてはならない。
下のような意味とは違う。

>>111
>勝義から還滅する(空即是色)と業報輪廻転生論などは
>世俗的迷妄・妄想にすぎないと批判してるんだよ。
>だからバラモン=ヒンドゥ教義にアウト宣告(信仰を捨てよ!)されたのさ。
117神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:25:47 ID:T5azCSe+
以上から、下もただの誤解だと分かるだろう。
>>113
>『梵網経』の訳で>『賢者だけが“理解”できる諸法』という訳は問題があるのではないか。
>なぜなら、勝義空は>『思考と思惟とを超えて』いるのだから、
>言語論理という知性による分別「理」解ではありえないからだ。
>やはり無分別智による直覚=現観というしかないのではないか。

要するに全く分かってないんだよ。

>>115
>平川彰氏の訳では「相待」となっており、中村元氏も、その解説で次のように
>述べている。

平川訳は「縁りて仮説される存在であり」だけど

既に指摘済みだけど>>95
>取因仮設ウパーダーヤ プラジュニャプティは、
>幻のような空なる諸因を習慣に基づいて x と見なすということだから。
118神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:34:40 ID:5EM9iF/2
>>116
>重要なのは「如来がみずから悟り体現して教示している」としていること。
>つまり、過去世と未来世を釈尊が体験していると仰られている。

その「釈尊が仰られている」ことを、ちゃんと検証したのか。「先生が
仰ることだから 正しい」というのは、小学校の低学年までの幼稚な知能。
119神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 21:50:08 ID:5EM9iF/2
>>117
>平川訳は「縁りて仮説される存在であり」だけど
>既に指摘済みだけど>>95
>>取因仮設ウパーダーヤ プラジュニャプティは、
>>幻のような空なる諸因を習慣に基づいて x と見なすということだから。

中論の頌のどこにある?中論の頌だけが竜樹の著作。他の部分は、他者による
注釈。

「相対」とは「仮設」とは違うよ。釈迦も、竜樹も、厳然として実在する世界の
構成原理を教えている。

「縁起・空」が仮設なら、佛教自体が「仮設」で無意味である。
120神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:08:08 ID:5EM9iF/2
>>117
>平川訳は「縁りて仮説される存在であり」だけど

縁(相対性)により成立した存在であり、無自性だから「仮設」と
言う言葉を使っているだけ。「幻」というのも、説明のためのたとえ。

実在ではなく、「幻」なら、「相対」も「相互依存」も在り得ない。

君は、竜樹の思想を全く理解していない。それとも、意図的な誤読・歪曲
なのか。
121神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:11:03 ID:T5azCSe+
>>118
検証中だが、今生で体験できることやら

>>119
そんな文献学的基礎は、君に教えられる気がしないな。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html
上の諸本は一通り押さえてあるんだよ。

有名な24.18だよ。それも分からんとは。

釈尊も龍樹菩薩もこの世も輪廻もすべて縁起で空で仮設と説く。
正にそれを説いたのが24.18に他ならない。

何も分かってないんだから、黙ろうね。
122神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:17:47 ID:T5azCSe+
>>120
全く逆だ。実在なら縁起しない。縁は相対性ではないぞ。
何も分かってないな。どうせ適当に概説書から妄想しただけだろ。

いっとくが、中村元、立川武蔵、三枝あたり読んでもわからんぞ。
概説を読むなら石飛道子先生、翻訳は梶山雄一先生、
中論は国訳にしとけ、丹治訳も参考になる。
それ以外は読んでも無駄だ、原文と対照して始めて意味があるぐらいのもんだ。
123神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:26:25 ID:5EM9iF/2
>>121
竜樹は、「縁起」を「相対性」「相互依存」と解している。すべて「幻」
なら、何が、どうやって、相対し合い、相互依存し合うのかね。

釈迦も、「世界を空と『観ぜよ』」と言っているだけ。「世界」の存在
は認めている。四苦そのものは認めているからこそ、それからの離脱を
説いた。

君は、釈迦や竜樹の「全体思想」が、全く理解できていない。彼等は、
現実から遊離した「妄想患者」ではない。
124神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:27:21 ID:Y07MVEeH
> ID:5EM9iF/2

輪廻思想は公の秩序、善良なる風俗に違反し
カルトに利用されるから廃止すべし。

カルトは死や病気をも利用する、だから死も病気も
認めるな。と同じ論法であり無茶苦茶ですな。
当時のインドのバラモン支配から民衆を救済しようとした
六師外道が唯物論を説き、業報を否定しその場限りでは
民衆を救ったかに見えたが、所詮人間というものは
真理によってしか救われないようにできている。

核は危険なものだから存在しない。と言ってるのと同じ。
危険だろうが、カルトに利用されようが存在するものは
存在する。
ダチョウのように砂に頭突っ込んだって
何も解決はしない。
125神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:39:33 ID:5EM9iF/2
「色即是空・空即是色」。「色不異空・空不異色」。よって、「空=色」。
即ち、「色と空」とは、「等価」である。いずれか一方であるとは、
決して言っていない。しかし、釈迦も、竜樹も、その他すべての人間は、
「色」の世界のみにおいて生存できる。その自覚の欠如した人間を「妄想
患者」と呼び、精神病として、治療の対象となる。

釈迦や竜樹を、「妄想患者」扱いすべきではない。
126神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 22:54:02 ID:5EM9iF/2
>>124
極端から極端へしか走れない、典型的なカルトだな。

輪廻転生は、初めから虚言だが、死や病気は存在する。それらの虚言や害悪を
利用して、「脅迫」と「甘言」の手段とするのが、カルトなのである。

「何も解決はしない」って、一体、具体的には何を「解決」しようとしている
のかね。

「幻」論が、カルトと繋がっているのは明らかだな。やはり「東南アジアの宗教」
か。
127神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:09:04 ID:Y07MVEeH
>>126
>輪廻転生は、初めから虚言だが

この決め付けがむしろカルトっぽいな。

>やはり「東南アジアの宗教」
か。

ここもそうだな。
君は短い文面で3回カルトと言う言葉を使っているが
「カルト」と言えば全て通ると思ったら大間違いだぞ。
今までいたスレに戻って俺のID探してオレの質問に答えろ。
逃げてばかりのくせに偉そうな口利くな。
128神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:19:15 ID:Y07MVEeH
苦から出発せず、実践もしない仏教カブレのなれの果てと言う感じだな。
129神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:21:41 ID:5EM9iF/2
>>127
君は、典型的なカルト。

輪廻転生を否定するカルトがいるかねw。

カルトとは、「信者の現実感覚や社会常識からの逸脱、家庭の破壊を招く、
社会的に特に有害な宗教」と定義できる。
130神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:31:29 ID:h7uLaKtw
>>122
梶山さん訳の中論ってどの本で読めるの?
131神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:33:33 ID:5EM9iF/2
>>121
>検証中だが、今生で体験できることやら

検証完了までは、「釈迦が言ったから正しい」などということは、一切言わな
いでね。さもなければ、小学校低学年の知能だ。
132神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:42:48 ID:Y07MVEeH
>>129
君は心理学の投影って知ってるでしょ?

だから道元禅師はカルトなの?
祖岳老師はカルトなの?
祖岳老師って知ってるの?
日本の殆どの宗派はカルトなの?
輪廻を否定することが科学的でカッコいいと思ってるの?
釈尊は偶然にポコッて生まれてきたと思ってるの?
古層と言われる仏典読んだの?
仏教では偶然という概念を認めているの?
カルトと言えば対象の全存在を否定できると思っているほど
君はカルトなの?

もう寝る。
133神も仏も名無しさん:2009/10/17(土) 23:50:23 ID:Y07MVEeH
>>129
>現実感覚や社会常識からの逸脱

これらは特に禅宗においては顕著に見られることだよ。
もっというと仏教の瞑想自体これらを伴うから
出家制度ができたんだよ。わかってるの?
君がパソコンに熱中してること自体
現実感覚から逸脱してるんだよ。
気付いてないの?

厭離って知ってる?
厭離しないと瞑想なんてうまくいかないの。
厭離って社会常識からの逸脱なの。
仏教しってるの?
それともナメてんの?
134神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:03:55 ID:6yhkcmGt
小学生の喧嘩みたいな言い争いはやめて
>>130について応えてくれよ
中村元さんの訳しか読んだこと無いから興味あるんだよ
1351/4:2009/10/18(日) 00:11:38 ID:tmQjyD/z
お蔵入りにしとこうかと思ったが、小学生の喧嘩に紛れて書き込んどくか・・・w

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/688
>死んで終りなら何故修行などする必要があるのか
は?
釈尊在世時でも、帰依しながら修行(出家)していない者は大勢いるが?
おそらく、「彼らは、(志望校のランクを落とすが如くwww)来世に於いての解脱を目標とした」、
と貴方方は言うだろう。
が、修行は、【絶対的に必要な義務】ではない。 (貴方も、出家と在家の区分を嫌う御仁かもしれないがw)
この時点で、君らは一歩踏み込み過ぎなんだよ。
解脱は、「それを目指す者にとっては目的であるし、その為の行は義務として付随してくる」。
だがそれは、ヒトという生物にとって【それ以外に価値を付さない、絶対的目的と義務ではない】。
【種々ある価値観・世界観・枠組みの内の一種】に過ぎない。
梵天勧請の時、何と言われているか?六方礼経がなぜ(異色な経としてw)長部に収められているのか。
「耳ある者は聞け」だ。 これを言いかえれば、門を敲き、門をくぐる者に、修行は課せられるのさ。
解るか?(律、学処も同様だ。) (そして、だからこそ、日本仏教は批判の対象になってしまうんだろ?w)
「仏教は(その方法論は)、求める者の為にある」ということだ。
キリスト者に仏教の枠内の修行を薦め、義務付ける必要はない。
それとも、君は、人類すべてに「仏教の修行」を義務付けるつもりか?w
私が“詭弁”なら、君らのは“原理主義的強弁”だよ。
1362/4:2009/10/18(日) 00:12:48 ID:tmQjyD/z
また、《「死んで終わり」かどうか》は、
・「【現存】仏典」の記述を一言一句違わずに全て信じるかどうか
・「【伝統的正統継承者の】【彼の体験に基づいた】【彼の言明】」を信じるかどうか
・「伝承通りに、自身が追体験」できるかどうか、「記述通だったと知る」ことができるかどうか
による。 (http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/689はココと絡む。)
また、君らの言動からは、
「仏教以外の思考、立場、枠組みをニヤニヤしながら蔑んでる匂い」がプンプン香ってくるんだよ。
自覚無いんだろうけどwww
だから、君らのような人種がいる限り、私は敵対する意見を述べる者であり続けねばならんのさw
 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
2chに限らず、仏教絡みで為される批判に次のようなものがある。
『仏教を学ぶと、例外なく“高飛車で”“高慢で”“人を見下し蔑んだ発言をするようになる”』とね。
当たってるだろ?w
少なくとも、(片手じゃ軽く足りないくらいにw)実例が何人もいらっしゃるw (ま、ワシもその一人だろうが・・・www)
 ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
で、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/723
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/734
が、誠実な応答というもんだ。
もし(私が)、相対した時、どちらに敬意を表し、どちらの言に耳を傾けるかと言えば、
けっして、どこかのどなたかさんじゃないw 723・734を発する人だと思うよ。
(707は頂けんし、評価するのはこの2レスだけだが・・・w)
1373/4:2009/10/18(日) 00:17:41 ID:tmQjyD/z
・・・・・・。

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/688
>模範解答を書いておけ
別に反応する義務もないんだろうが、723・734に敬意を表して書き込んでおく。

>死んで終りなら何故修行などする必要があるのか
あるだろ?w 無いと考える方がどうかしてるwww
つか、(或る種同語反復になるがw)
「“死んで終わりであろうが”“何度も生を繰り返そうが”、修行は、それを必要とする者にとって必要だ」
ということでしかない。≪「生の回数」と「修行の必要性」には、直接的関係は無い。≫
君らは勘違いしているようだが、(上の文などまさにコレだw)、
 a≪『死んで終わりではない』【から】『修行をする』『修行が必要である』≫ ではないからな。
 b≪『「苦」(或いは「苦の感受・認識」)の解決』【を望むから】『修行をする』『修行が必要である』≫ なんだよ。
履き違えるな。
この時、死後云々・前世云々は問われない。「目の前の苦から目をそらせない者」「今、解決したい者」が行じるんだよ。

勿論、完全なる滅びを目指すなら、電源引っこ抜く方が早い。
「その人が、“全てを終わらせたい”と望むなら」 な。 これは君らが事例として挙げるものだ。
では、そうでない人は?
「一回限りの生だと考える者は全て自殺志願者である」という論調は単純すぎだろ?
これが君の言う『原点』なのかい?単純ならば原点なのかい?違うだろ?
たとえばこの場合なら、上のbこそが原点と呼ばれるべきなんだよ。
 (あ゛〜 ・・・ 面倒だが、この件も図式化すべきなのかなぁ・・・w もう飽きたなぁ・・。)
1384/4:2009/10/18(日) 00:19:27 ID:tmQjyD/z
また、過去生を想起できるようにならない限りは、(そのようなレベルの聖者にならない限りは)、
《【常に】【生は一回ずつ】》なんだよ。 解るか? 凡夫にとっては、《【常に】【今この生しかない】》んだよ。
《前の生がどうだったかなんて分からない。できるのは、ただ次の生に怯えるだけ》、
《ただ、預かり知らない所で「業(業果)」だけが継承されてゆく》。
《前の生を思い出す頃には、梵行は完成間近だw 今更だw》
で、結局
《「前世の業により今の自分があり、今これからの業で来世が決まる」ということを【信じるしかない】》。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/689の3・4行目、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/756の1行目、そして723・734と。

そうだ。最後に、不説氏のレスを一つお借りしておこう。(URLだけでも読めるっしょ?w)
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/404

上記不説氏のレスをおまけとしながら、
>死んで終りなら何故修行などする必要があるのか
・「上(>>137)のbが原点であり、aはbから敷衍された言明であり、最初に持ってくる前提にはふさわしくない」
・「bである故に、《「修行の必要性」は、「死んだら終わりか・終わりでないか」には左右されない》」
・イ:「“死んで終わり”でも、苦の解決が望まれることはある」、ロ:「死を解決と見做さないベクトルがある」
 イとロ、及びbにより、《死んで終わりでも修行の必要は生じ得る》。 明快じゃないかw
 君らの論理にはこのイとロの場合が抜けおちてるんだよ。(他人のことは言えないと思うがね?)
 (それとも、イやロと考える人間は絶対に存在しないとでも言うつもりなのかね?この御仁達は・・・。)
と発言しておく。


http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/689
いやいやいやいやw
感情論は宝珠サイドだろ?
どこ読んでんだ?www
139神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 00:55:00 ID:tmQjyD/z
さて・・・、
あったとしても、(無さそうだがwww)、反応は明日以降か・・・。

おやすみage ノシ
140神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 02:16:10 ID:IgKG+noY
俺は「質問箱スレ」の小学生の喧嘩の当事者だ。
新たに、書き込みするつもりも、なかったが、セブンがここで
俺に対するレスについて、あげているので一言、言っておこう。

ここ数日の質問箱スレのやりとりで、そのスレを結果として荒らして
しまったことをまず、詫びておく。(本来、かのスレにおいて書き込むべく
ことであろうが、ここの住人も多くはダブっていると思われるので良かろう)

さて、自己弁護させてもらうと、かのスレの俺に対するレスである
723と734
に対し、俺は738において、回答してくれたことに対し、礼を述べ、そこで
了解し、終了させている。それに対して745でふざけたレスを付けられた
ことで「小学生の喧嘩」が始まったわけだ。

俺は仏教徒ではないんでね。ふざけたレスをされて、黙っているほど人間が
できてはいない。よって、これからも繰り返す可能性は高いが、みなさんは
仏教徒なんだから、そのへんは大目にみてくれ。
141神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 06:20:06 ID:FUBQQSGw
>>130
ない。だから中論は国訳にしとけと書いた。

>>131
その検証というのは結局悟ることだぞ。
文献的検証は終了している。しかし、それでは不十分だろう。
それで修行して検証中という意味だ。

まあ、本来、悟らなければ何も言えないというのは正しいのだが。
142神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 06:33:34 ID:FUBQQSGw
>>138
なぜ、感情論かといえば、たしか輪廻・業の話の時に
ベトちゃんとに言えるかといった話をしているから。

どういうことか。セブンは十分、仏教に輪廻・業が説かれていることを承知しながら、
現代日本で輪廻・業を説かずに仏教を語ることを模索している。
なぜなら、それが差別や蔑視、カルト商法に繋がるからだろう。

もちろん、差別や蔑視、カルト商法はよくない。
しかし、それと仏教に輪廻・業が説かれるかいなかは全く別だ。

つまり、セブンは仏教に輪廻・業が説かれるけど、
感情的にそれを認めたくない、あるいは別の道を模索している。
だから、感情論なんだよ。これを感情論といわずにどうするのか?

仏教が実際にどう説いているかを感情を交えずに
できるだけ正確に伝えることは、やってきたつもりである。
もちろん、間違いもあるだろうし、正確な誤りの指摘があれば誤りを訂正するのは簡単に行うつもりだ。

しかし、ながら思い込みで自分の正当性を主張する人ばかりで困る。

143神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 06:36:35 ID:FUBQQSGw
>>138
じゃ、オレが過去世を直観してると言ってもしかたないだろう。
何回もいってるが、そう言っても妄想といわれるだけだ。

しかし、テキストにはハッキリと輪廻・業が前提に書かれている。
釈尊は、聖者でなく凡夫にハッキリと輪廻・業を説いている。
仏教徒なら釈尊に習うのは当然の行為だと思うが。

144机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 08:05:13 ID:yjZCZBmY
>>143
まあ、つまり、こういうことだろう?

インドの中観派の多くはチベットに逝った。
だからチベット仏教を中心として、中観を語ちりたい。
ってことだね。

そこで、何にも知らない私が書き込みした。
そこで待った、が掛かった。ってことだね。

それは申し訳ないことをした。
実は私は、中論とチベット仏教の接点はあまり詳しくない。です^_^;
145神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:12:50 ID:6yhkcmGt
>>141
国訳大蔵経 論部 第5巻
これに入ってるやつですか?
もしそうなら図書館で借りてきます
146神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:21:57 ID:FJM2J0Ih
>>114,>>144
以後は、お互いスルーでいきましょうよ。

それにしても、貴方は原語レヴェルの読解力を有しているのではないのですか?
原語読解力がありながら、「一読」などといって、
精読しないというのは理解出来ないのですが…。


>>117
>取施設

御手間を取らせて申し訳ありません。
147神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:24:29 ID:FJM2J0Ih
>>145
『青目註』のことを指示しておられるのだと思います。
三枝訳にも所載です。
148神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:31:14 ID:FJM2J0Ih
>>147補足。
もちろん、国訳大蔵にも所載です。国訳一切 中観部一にも。
149神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:47:11 ID:FUBQQSGw
>>145
それでもいいし、国訳一切経でもいいですよ。
ちなみに国訳一切経インド撰述部は、ほとんどが以下で読めます。
http://www.archive.org/search.php?query=kokuyaku
ただし中観部一は未所収

>>147
三枝訳ってレグルス文庫ですか総覧ですか?
レグルス文庫は見たことないので。
150神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 08:51:16 ID:FUBQQSGw
>>146
机さんは梵パ蔵なんか読めませんよ。漢文だって読めるのか怪しい。
それ以上に翻訳だって読んでるのか怪しい。
その根拠は、今回、力説してた道元禅師『正法眼蔵』「三時業」の内容が
彼の主張する道元禅師は輪廻、三時業を否定する、あるいは越えるというとこと全く逆だったことから明かです。
151机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 08:52:14 ID:yjZCZBmY
>>146
>精読しないというのは理解出来ないのですが…。

これが分らない。すまんですね。

そもそも中論は演繹法で書かれてまして、
「精読」という帰納法ではない。
つまり、いくら考え抜いたって・・・そこから解明されるもんでもない。

例えば、無自生・空なら、
そもそも縁生することはない。→自性なら有り得る。
しかし中論においては、堂々と縁生(生起)のことが記してある。
これを貴殿は「精読」して理解できるんでしょうか?

また、無自性・空で「縁生」になんら論理的矛盾はないのでしょうか?
つまり、言語の限界で、中論はギリギリの限界で論理の整合性を保ってる。
もはや原義がどうなんか?とか、それをどう訳するのか?
ってよりも、
そもそも世俗諦で正邪を付けるものでもない。
あくまでも勝義諦よりの演繹でしか意味はなさない。

>以後は、お互いスルーでいきましょうよ。

了解しました。
152神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:22:33 ID:6yhkcmGt
>>147-149
どうもありがとう
図書館に行って教えていただいた本を探してみます
153神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:23:24 ID:FJM2J0Ih
>>149
>ちなみに国訳一切経インド撰述部は、ほとんどが以下で読めます。

ありがとうございます。勉強になります。


>三枝訳ってレグルス文庫ですか総覧ですか?

レグルスです。
154神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:36:56 ID:9+Y77d/8
>>143
>テキストにはハッキリと輪廻・業が前提に書かれている。@
>釈尊は、聖者でなく凡夫にハッキリと輪廻・業を説いている。A

テキストといわれるモノに業や輪廻の語彙が出てくることは誰も否定しない。
 @しかしそれがバラモン=ヒンドゥ教的「業報輪廻転生」論を全面肯定・「前提」と
  しているか、潜入、謀略ではないか、誤解ではないか、語彙の意味・解釈は、
  無記との関係は、などなど世俗諦的言語論理のレベルで論争があるから問題となっている。
 Aそもそも書かれているということと、釈尊の真説であるということは、直結しない。
  書かれていることが真説というなら、あらゆる大乗経典もすべて真説ともいえるが、
  それでもよいのか?
 
155神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:41:49 ID:FUBQQSGw
>>151
>例えば、無自生・空なら、
>そもそも縁生することはない。→自性なら有り得る。
>しかし中論においては、堂々と縁生(生起)のことが記してある。
>これを貴殿は「精読」して理解できるんでしょうか?
>
>また、無自性・空で「縁生」になんら論理的矛盾はないのでしょうか?
>つまり、言語の限界で、中論はギリギリの限界で論理の整合性を保ってる。

全く逆。なにも分かってない。縁起というのは実体、自性があったら縁起にならない。
それがお前が>>72引用した24.18の意味に他ならない。


だから、妄想なら他でやってくれといってるんだが。
156神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:43:53 ID:FUBQQSGw
>>152
どういたしまして。

>>153
ご返答ありがとうございます。するとレグルスもいいかもしれません。
ただし三枝和訳は無視するか、参考程度で読むという限りで。
157神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 09:51:46 ID:FUBQQSGw
>>154
> @しかしそれがバラモン=ヒンドゥ教的「業報輪廻転生」論を全面肯定・「前提」と
>  しているか、潜入、謀略ではないか、誤解ではないか、語彙の意味・解釈は、
>  無記との関係は、などなど世俗諦的言語論理のレベルで論争があるから問題となっている。


全く問題にならない。そもそもそういったことは、明治以降問題になった。
なぜなら、西洋科学が輸入されたからだ。科学をとるか仏教をとるかと考えるものがいたからだ。
その中心人物が和辻だ。彼は科学に仏教をすり寄せて適当な和辻倫理仏教に作り替えた。

しかしながら、科学はもはや物理的還元主義を放棄しているし、
形而上学的選択には関与しない。つまり、科学ではなく素朴実在論に和辻は阿ったのである。

そして素朴実在論は仏教が否定する我見に他ならない。

> Aそもそも書かれているということと、釈尊の真説であるということは、直結しない。
>  書かれていることが真説というなら、あらゆる大乗経典もすべて真説ともいえるが、
>  それでもよいのか?

私は歴史主義ではなく縁起を取るからそれでよい。
仏教学に従うのではなく、伝統仏教に従うからだ。
158机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/18(日) 10:21:08 ID:yjZCZBmY
>>155
まあ、君たちのスタンスはよく分ったから。
頑張って勝義諦へ突入してください。
祈念します。

では、邪魔しました。
もう書き込みしません。
159神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 10:58:41 ID:9+Y77d/8
>>157
謹んで、あなたをキリスト教原理主義者ならぬ

仏典原理主義者・概念仏教徒と規定しようw
160神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 11:02:48 ID:fj/IVPn3
>>157 「科学はもはや物理的還元主義を放棄している」

これは、どういう意味で言っているのかな?
161神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 11:35:04 ID:FUBQQSGw
>>160
わりいわりい、聞きかじっただけだ聞き流してくれ
162神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 11:36:41 ID:fj/IVPn3
>>161 はい、了解です。
163神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 12:08:38 ID:9+Y77d/8
>>161
>聞きかじっただけだ

ついつい、いつものハッタリを効かす悪い癖が出たなw
これを仏教坊主のたとえで大袈裟という。

 m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー!!
164神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 13:20:05 ID:V+3c6r2i
大乗佛教の国である日本に、恐らくはキリスト教やヒンドウー教(実質上の一神教)
の影響により、小乗仏教やチベット佛教のオカルト性により洗脳された連中が、
それらを日本に持ち込もうとする動きが、問題の発端である。

小乗仏教とチベット仏教は、オウムの宗教。このスレにオウム信者がかなりの
数入り込んでいるのは明らか。

日本の仏教学者でありながら、小乗仏教やチベット仏教に嵌り、それらを肯定する
数人の特定の学者がいることが、諸悪の原因。

旧7氏の努力に拘らず、小乗仏教を以って小乗カルト、佛教原理主義の洗脳を
解くことは、困難であろう。

いずれにせよ、宗教・宗派間の紛争や議論はすべて不毛で解決不能。粗大ゴミ
に過ぎない宗教議論を捨て去り、生物としての人間の生存本能(生命)という
普遍の「根源」「基盤」に立ち帰る以外には方法はない。創唱宗教の開祖は、
例外なく、その精神障害の症状としての「観念過剰」故に、この「根源」に思
い至った者は皆無であることが、治療不能は宗教の病理の原因であることに、
一刻も早く気付く必要がある。

竜樹の「コペルニクス的転回」を経なかった佛教は、現代社会には一切通用し
ない、巨大な粗大ゴミに過ぎない。すべて速やかに廃棄すべきもの。
165エロい仏陀w:2009/10/18(日) 13:38:01 ID:tVV05oIx
200 :ファルコン ◆7XmPtxANMU :2007/06/12(火) 01:52:21 ID:mDi+uu42
【ファルコン告発による大川隆法の女性問題】
・ 大川は現広報局長の山田美星が職員饗庭との結婚を望んでいたにも関わらずこれを無理
やり別れさせた上、山田美星を愛人にした。
・ 大川は女性職員A子と職員須呂との結婚にも反対し、やはり無理やり別れさせた(事実
として確定)。
・ 大川は家庭内別居をした際、宇都宮仏宝館の3階に居住した。妻きょう子は2階に居住。
山田美星はここで肉体関係を持ったと告白。
・ さらに、大川が家出をし、軽井沢の別荘に篭った際にも、山田美星と大川は不倫をして
いる。これは目撃談あり。
・ 軽井沢では大川夫妻が旧A棟に篭ると、不寝番の女性が必ず旧A棟に一人ついた。つま
り家出をして大川が一人でやってくると、「夜中に若い女性と2人だけ」で旧A棟(一般
民家と同じ)で過ごしていた。これだけでも非常識な話。
・ ここで受け入れた女性と、逃げた女性、口を閉ざして誰にも話をしなくなった女性と主
に3種類のタイプに別れる。
・大川は女性職員に「君は僕の子供を産む事になっている」と迫っている。
・従って大川に隠し子情報が出てくるのも不自然でも何でもない。
 大川に隠し子がいるという情報あり。ただし母親は未確定。
・ 変死を遂げた元幹部の真杉氏は、大川の愛人の存在(山田美星より前)を周囲に語って
左遷され、結局職員を解雇された。
・ 大川は軽井沢で「セックスは天国で光を入れるのと同じ」というセックス教義を女性職
員達に語っていた。
・山田美星は「先生は性欲の抑えが効かなくなって・・・」とファルコンに嘆いていた。
大川はきょう子との別居時、女性職員とすぐに二人きりになろうとしていて、女性職員
達が怖がっていたと山田美星は嘆いていた。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/life8.2ch.net/psy/kako/1181/11814/1181456526.dat
166宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 13:41:18 ID:yyElVVft
>>163
「大袈裟」とは旨いことをいいましたね!閻魔大王^^

しかし、私もその返答を楽しみにしてたので、
アレっ!と、肩透かしにあいましたわw


>>164
また、始まった・・。

>小乗仏教とチベット仏教は、オウムの宗教。

こんなことを発言していたら、真面目に名誉毀損ものですね。
いい迷惑でしょう!何ら根拠が見えない。
167神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 13:59:01 ID:V+3c6r2i
>>166
君は、オウムスレのほうが、はるかに住み心地がいいはずだ。誰も君の
意見に反対する者はいないのではないの。
168宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/18(日) 14:01:35 ID:yyElVVft
>>167
味噌と糞の区別もつかないとは・・。
169神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 14:10:50 ID:+xIHXDdR
>>164
いい精神科しってますよ。。
170神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 14:56:27 ID:tmQjyD/z
>>142
|
|゚) < 別に、べトちゃんドクちゃん及び(綾瀬事件)にこだわるつもりはない。
|.   解り易いから、大きな負の事例を前面に出す。小さな事例も多く記していた筈だ。
   負の事例だけでなく、善き事例にも触れていた筈だ(ちょっと記憶に自信ないが・・w)。
   (過去レス漁ってみようか?それらをもって、その不備(→貴方が自認するように“信仰”の領域であること)
   及び、事実ではなく(主観的)認識の問題であることが指摘できてる筈だ。)

   また逆に、私が(あの頃)「感情論」と指摘した側面は、
   「来世がなかったら不公平だ」「前世の業果でなかったら今生の悲惨さが説明できない」という考え方についてだった。
   (貴方はその点に関しては中立(まさに中道?w)だったようだが・・・w)
   ただ、私のスタンスの概要は、概ね理解しては頂けてるようだ。さすがだよw
     ※また、今でも忘れんが、奴が高らかに豪語した「死ぬ間際に仏法と出会っても意味が無い!」という台詞も、
      私が感情論に流れがちな一因かもしれん・・・w
171神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 14:57:19 ID:tmQjyD/z
>>142
|
|゚) < いずれにしろ、私の過去の発言が感情的側面を有していた事実は認める。が、それは2割前後でしかない。
|.   あくまでも私が指摘するのは、(向こうのスレにまとまった判り易いレスがあるので拝借するとw)、
   http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/728 この問題は避けて通れないということだ。
   > 仏教が実際にどう説いているかを感情を交えずに、できるだけ正確に伝えることは
   (現行の)決着スレともリンクし始めるが、少なくとも、(現時点での)貴方の言葉・語り口では力不足だ。
   私は、それなりに仏教に触れてきた自負はあるし、その上で貴方の言葉を聞くから、
   「こういうことを言っている」と理解できるし共感もする。 >>143なども仰る通りだ。コレに正面からの反論は不可能だ。
   (正面から突撃するのは御隠居くらいのもんだろうw 私なら、攻撃に際し少しばかり迂回路をとらざるを得ないw)
   しかし、そうでない人に貴方の言葉が届くかどうか――、少々不安に感じたりもするのさw
   (極論や、いきなりの勝義、原理主義的態度が多いから・・・w)

   いや、そこまでいくと余計な御世話だよなw すまんかった。m(_ _)m
   最後の一節(特に終2行w)は居酒屋の軽口として聞いといてくれw



|   ッテ、スレチガイモ ハナハダシイナ…w
|゚)
|


|
|ミ
|  ピャッ
172神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 15:09:38 ID:FUBQQSGw
>>170
>   「来世がなかったら不公平だ」「前世の業果でなかったら今生の悲惨さが説明できない」という考え方についてだった。

こういうテキスト以外の要素を譬喩でなく持ち込んじゃだめだよね。
輪廻、神通の実例とか、私も聞かれて出したことはあるけど、
輪廻の論証として出したことはないつもり。

>   ただ、私のスタンスの概要は、概ね理解しては頂けてるようだ。さすがだよw

読むことだけはけっこう努力してきたからね。

>     ※また、今でも忘れんが、奴が高らかに豪語した「死ぬ間際に仏法と出会っても意味が無い!」という台詞も、
>      私が感情論に流れがちな一因かもしれん・・・w

小乗だとそうかもしれないけど、大乗は明らかに違うよね。
どんな時でも対応できる方便の豊かさが大乗にはある。

そりゃ、相手の言葉でむっとすることはあるけど、
感情、自分の欲望、願望を論の基調に据えては居ないつもりw
173神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 15:13:06 ID:FUBQQSGw
>>171
>   (極論や、いきなりの勝義、原理主義的態度が多いから・・・w)

それはもっともだ。もともとパンクな野郎だから方便巧みにスマートに解き明かすなんてできないのかもw

まあ、ありがたい指摘だからもっと上手くやれるように心がけたいです。
174神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 15:14:50 ID:FUBQQSGw
>>171
ところでセブン、よかったら捨てアドでも教えてくれないかな

ちょっと読んでもらいたいものがあるんで
175神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 15:21:55 ID:+xIHXDdR
小乗って自称大乗が主に説一切有部を蔑称した時
使ったんですけど、説一切有部って現存しているんですか?
176神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 15:35:52 ID:FUBQQSGw
>>175
現存してないけど律の流れはチベット仏教と真言宗にあるよ

小乗は有部だけでなくて部派といわれるもの全般ですね。
テーラワーダだけを指すわけではないとき部派仏教というと歴史主義的なんで、
見解や修行法の特徴の総称として伝統的な用語のこちらの方が分かりやすかなと思って

やっぱり、テーラワーダの人はむっとされますか?
177神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 15:40:58 ID:+xIHXDdR
しますね。

チベットは有部があるから比丘戒を授けられるって
聞いたんですが、日本にはないですよね。
真言宗にあるというのはどういうことなんですか?
良ければ教えてください。
178神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 16:15:17 ID:FUBQQSGw
>>177

これは失礼では、以後は部派仏教ということにします。

>チベットは有部があるから比丘戒を授けられるって

 有部律があるからという意味ですよね。
 アティシャが大衆部律を授けようとしたのを弟子に止められたので、
 チベットは有部のみです。

>聞いたんですが、日本にはないですよね。
>真言宗にあるというのはどういうことなんですか?
>良ければ教えてください。

 日本はたいてい四分律ですが、真言宗は有部律なんです。
 真言宗とチベット仏教はよく似てます。
 特にニンマ、サキャ、カギュとよく似ている。
179神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 16:28:44 ID:+xIHXDdR
>>178
ハハ構いませんよ。
有部律というのがあるんですか。

失礼ですがどんな本を読めばその辺りを
理解できますか?
教えて君ですみませんがよろしければ
ご教授ください。

180神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 16:32:41 ID:fj/IVPn3
>>171 また、俺のレスの拝借か、セブン。
これで何回めかな?
これほど多用されることは、一応、問題提起に関しては
それなりに、評価されているのだと解釈し、光栄に思おう。

俺が度々、輪廻について問題提起をするのも、この思想が
我々が存在しているこの世界に深く干渉してくるからだ。
歴史上、差別的思想の背景になった事実もあるわけで、それならば仏教というフレームを越えて
説明するべき責任は仏教徒に全くないのか?という問いかけなわけ。
それを「仏教徒でもないのに何故、輪廻を怖がってるの?」
とか、ふざけたことぬかす仏教徒がいるから腹がたつわけであり、そこんとこはどうなんですか?
と言いたいの

スレ違いなので、この辺にしとくが。
181神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 16:48:24 ID:FUBQQSGw
>>179
お、なかなか修行されてますね。随喜、随喜。

部派はそれぞれの部派ごとに三蔵をもっていたようなので、
律もそれぞれです。

簡単には平川先生の『インド仏教史』上ですね。
よく憶えてないのですが古坂紘一先生の『宗教史地図 仏教』も簡明だったような記憶があります。

鎌田茂雄訳註『八宗綱要』の律宗の部分も簡明ですね。
ただし鎌田茂雄の訳注は、あまりよくないので書き下しだけを信用した方が無難です。

チベットについては以下でチベット仏教史の白眉『デプテル・グンポ』の英訳が手に入りますので、
それを読んでください。特に最初の二章。
http://old.thdl.org/collections/history/blueannals/index.html
182神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 18:57:12 ID:tmQjyD/z
>>179
律の(種類、変遷・歴史の)概略なら、国訳一切経律部の各律の解題・解説を拾っていくという手もある。
(何冊も見ることになって手間だし、全部で170頁強くらいにはなるが・・・w)
平川さんの律蔵の研究(著作集9・10・13巻)でもいいけど、概要把握には前者の方が適してるようにもい思う。
平川さんの本からの引用や根拠も多いしw
(てか平川さん担当部分が殆どだから、著作読むのと大差ないかも。
 なもんで、平川さんの3冊は本棚にはあるけど、まだちょこっとしか読んでない・・・w)



>>174
ん?
どっかのろだに上げるんじゃ駄目なのか?(一般閲覧禁止書籍?www)
183神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 20:12:43 ID:FUBQQSGw
>>182
そうね。それなら、以下にあるね。
http://www.archive.org/search.php?query=kokuyaku

>どっかのろだに上げるんじゃ駄目なのか?(一般閲覧禁止書籍?www)

そそ、ちとまずい。
184神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 21:44:35 ID:+xIHXDdR
>>181
>>182
ご丁寧にありがとうございます。
早速当たってみます。
185神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 21:47:40 ID:tmQjyD/z
>>183
つ眼乱
186神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:00:33 ID:+xIHXDdR
>>180
あなたのレスを読んでなんか引っかかったのですがわかりました。
所謂人権派弁護士、女系天皇容認、外国人参政権、人権擁護法案、
こんなのが浮かんできました。
要するに極左ですね。
この世に影響を及ぼすのはどんな思想だって同じですよ。
差別思想の背後にある事実云々言うなら、現政権でも
枠を超えて説明するべきですね。

どこぞのお国が反対するから靖国参拝は止めろ、
どこぞのお国が依頼してきたから併合したのに
植民地にしたとバッシングされても黙ってる、
慰安婦?南京?申し訳ありません。

そういう自虐史観の臭いがするんですよね、
あなたのレスは。

女系天皇を認めた時点でこの国は潰れますが
輪廻を仏教から取り除いたらいづれ
仏教は崩壊しますよ。
187神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 22:59:04 ID:IgKG+noY
>>186   >>180 なんだが、いったい俺のレスのどこをどう読んだら
極左になるのかな?(爆笑)

つり?

俺はどっちかと言うと右よりだと自分で思ってるんだがね。
差別に言及するやつは、皆、左翼か?
少し判断が単純すぎやしないかい?

人権派弁護士→嫌い

外国人参政権→反対

人権擁護法案→これは、どうかな?少なくとも積極的に支持はしないな

女系天皇容認→これは、別にいいんじゃない?
お宅が言うような「女系天皇を認めた時点でこの国は潰れますが 」
これは、どうですか? この意見には賛成しかねますが。

靖国参拝は止めろ→これも難しいな。「公人」として参拝し、公費により
玉ぐし料を支出するのは、問題あるかもしれないが。

さて、私は「極左」ですか?





188神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:15:32 ID:IgKG+noY
>>186  ひとつ聞くが、お宅は昨日の  ID:Y07MVEeH
なのか?  >>180の俺のレスに絡んでくるとは、そうとしか思えないのだが。
189神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:27:11 ID:tmQjyD/z
>> ID:FUBQQSGw

腕の見せ所だぞw (完璧テリトリー内だしw)  >質問箱


また、余計な一言を加えれば、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/837 なんかも、
(本人多分、茶々入れや釣り煽りのつもりだと思うがw)、
内容的には、仏教全般に対する重要な問題を含んでいるし、件の光明真言の質問者同様、
実に【よくある問い】なわけだ。 今回(上の837)はともかく、
こういう時、問い自体が、
【幼稚で】【無知から来るもので】【仏教外の価値観に依拠していて】【単純な誤解】であったとしても、
それが、本質的に重要な部分と接触していれば、そこに言葉を重ねる義務があると、私は思う。
(そして、その言葉・語り口は、相手によっては慎重に選ばれねばならない。)

貴方により(基本的過ぎるとして)切り捨てられがちな「多くの問い(≒躓き)」は、
基本的であるが故に重要だったりするのです。
この時、禅の室内のようにいきなりの三十棒は不適切なのです。(それが適する者もいるではあろうが・・・w)

さて・・、お手並み拝見と行きますか・・・w
190神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:42:30 ID:Forxg6HA
お前らの文は読みにくい。
頭の悪さがにじみ出てるぞ。
191神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:43:05 ID:+xIHXDdR
>>188
違います。
実は今日五戒の一つを破ってしまったのです。
直前に民主当のサイトをみてまして
わたしは極右気味なので
腹がたっているところに
輪廻否定を観てしまったので・・・

からんですいませんでした、もおうねます。
192神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:52:48 ID:IgKG+noY
>>191  そうですか、了解しました。  おやすみなさい。
193神も仏も名無しさん:2009/10/18(日) 23:59:53 ID:tmQjyD/z
しかし、2chは偏り気味な奴、或いは「過敏な」奴が多いのう・・・w
(自分も、どっかそういうとこあるだろうけど・・・。)


ワシも寝るか――。  ノシ
194神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 00:21:37 ID:huo7czVl
>>169
>いい神経科しってますよ

それなら、まず、イエスの統合失調症と釈迦の鬱病を治療してやれ。イエスは
絶望的かも知れんが、釈迦は見込みがある。抗うつ剤の服用により、「一切皆
苦」が一変して「一切皆楽」変わるぞw。
195神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 07:24:53 ID:hTqp8cL1
866 名前: 831 Mail: sage 投稿日: 2009/10/18(日) 23:17:31 ID: 9+Y77d/8
>この文言のどこが業報輪廻肯定やねん。十二縁起の説明だけやないか。

国訳を見たので間違った以下のように26.10だった。しかし、十二縁起自体が輪廻の説明だ。
872 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/10/19(月) 00:05:12 ID: 4U3QxbHO
『中論』26.10
この故に、無明者は、“輪廻(saMsAra)”の根本である諸行を為す。
それ故に、無明者が作者なのである。有明者は真実見する故に〔作者〕ではない。

867 名前: 831 Mail: sage 投稿日: 2009/10/18(日) 23:20:00 ID: 9+Y77d/8
>中論第27章はおまえらみたいな妄想業報輪廻転生論を完全批判論破しているんだよ!

874 名前: 神も仏も名無しさん Mail: 投稿日: 2009/10/19(月) 00:49:20 ID: huo7czVl
>>872
平川氏は、その「輪廻」を「流転」と訳している。「輪廻」という言葉の持つ
弊害と、竜樹の全体思想との矛盾を考慮した上での訳語であろう。

竜樹が「輪廻」を否定していることについては、中論の頌第27章を熟読されたし。


どこがだ。全く逆だろ。否定という意味は、輪廻が前提となって輪廻を厭うという意味ならそれは当然だ。
否定という意味が、輪廻が自性・本質・実在を持たないという意味でもそれは当然だ。

否定という意味が、輪廻が対象作用すらない、仏教は輪廻を前提としていないという意味なら、それは全くの誤解だ。

たいていの輪廻否定論者は、中論の自性否定と対象作用をごっちゃにして誤読してるだけだ。
中論が自性否定するときは輪廻も否定するが、我々自身も諸現象もすべて否定される。
しかし、中論は対象作用を持った縁起・仮設される法としての自分自身や諸現象は否定しない、そこに輪廻も含まれる。



196神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 18:22:48 ID:MWqlBINT
>>195
中論の頌第27頌は、輪廻否定と解する。平川氏は、「輪廻」と「流転」と
いう語を、慎重に使い分けている。万物の相対性を説く竜樹に、輪廻概念の
持つ絶対性は矛盾する。

皆さんは、中論第27章についてどう解釈されますか。
197 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/19(月) 18:50:56 ID:sT04psOv
蛇足の通俗的な意見です。

中論の学習を通じて得られる事の一つとして、
「疑問を持った相手に対して、相手の疑問の領域内で相手に回答を返す」事がある。
自分の側には何もない。相手に対して鏡、程度の役割しか果たさない。
疑問を持つのは相手であり、争われる場は相手の中。当然結果も相手の中で生じる。

そのような相手のいる対話状況で
>中論は対象作用を持った縁起・仮設される法としての自分自身や諸現象は否定しない、
>そこに輪廻も含まれる。
正確には相手自身の疑問を除いては何も否定しない。だと個人的には思う。

自分自身の修道に関しては、根本乗同様に
>中論が自性否定するときは輪廻も否定するが、我々自身も諸現象もすべて否定される。
198 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/19(月) 19:07:14 ID:sT04psOv
対論の場でお釈迦様の言葉が強く働くのは、

お釈迦様自身が、自らの内で
>(中論が)自性否定するときは輪廻も否定するが、(我々自身も)諸現象もすべて否定される。
しつつ
相手の中では相手の立場や存在を否定せず
>(中論は)対象作用を持った縁起・仮設される法としての(自分自身や)諸現象は否定しない、
>そこに輪廻も含まれる。
相手の疑問のみを否定する。

からのような気がします。
199神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 20:10:02 ID:hTqp8cL1
>>198
おお! なかなかですね。

要するに言語習慣に基づいてあいての戯論・妄想を止滅させるように導く、
あるいはそこに到る道を論理的にしめす。

前者は高度な人に対するもので勝義、後者は初心者に対するもので世俗だと思いますね。

少なくとも中観はこのように使い分け、前者を強調するから、
そこでは輪廻も含む一切法の戯論・妄想が止滅させるように否定されます。
200神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 20:38:06 ID:GkrB2AkJ
それにしても、古代バラモン支配を強固にしバラモン教の大改革を志した
ヤージュニャヴァルキャの創作教義にここまで振り回されている現実には恐れ入る。
ヤージュニャヴァルキャは真理を語ったのではなく、
バラモン⇒ヒンドゥ支配という超御都合主義教義体系をあくまで『創作』したにすぎない。
アートマン中心の業報輪廻転生論×ブラフマー中心の梵我一如論だ。

その変容教理をあたかも、文言の差異があるにせよ,その心情において仏教的『真理』のごとく固執する
仏教的輪廻転生論者の妄想ぶりにはあきれ果てるしかない。
 古代商業資本主義の合理主義的エートスを体感し、反バラモン支配に目覚め、
勃興する商品交換社会における荷車のわだちを踏みしめて歩いた先進的ブッダ像は
ここの輪廻転生論者からはとうてい汲み取ることはできないのだ。

結局、修辞学的論争に明け暮れる彼らにはブッダの歴史的社会的現実も法も観得ないのである。

あばよ
201神も仏も名無しさん:2009/10/19(月) 20:43:13 ID:hTqp8cL1
>>200
>ヤージュニャヴァルキャは真理を語ったのではなく、
>バラモン⇒ヒンドゥ支配という超御都合主義教義体系をあくまで『創作』したにすぎない。
>アートマン中心の業報輪廻転生論×ブラフマー中心の梵我一如論だ。

いやはや、釈尊を始め、インドの聖者は嘘つきか。
しかし、適当な文献学者の罪は重い。
202神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 10:51:51 ID:UoPvIMrS
>>195
この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。
そうであれば輪廻の輪は誤った分別の習気によって生じさせられたものである。
(龍樹 因縁心論)

龍樹は業報輪廻転生論を完全批判論破している。
203神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:01:43 ID:UoPvIMrS
>>195
龍樹は有部よりも一歩も二歩も進めて、この世からかの世へは微塵ほどのものも移りはしない、といいます。
習気とは習慣性、潜在的な印象のことです。輪廻の観念は人の誤った判断にほかならない、というのです。

輪廻は夢のようなものです。夢はない、とはいえません。悪夢に苦しんでいる人にとっては、これほど深刻な事実はないでしょう。
しかし夢から覚めたときに、人はそれが現実でなかったことをはじめて知るのです。
それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。
(梶山雄一『空入門』、春秋社、191〜196頁引用)

アキメクラの世俗諦俗物が業報輪廻転生論というヤージュニャヴァルキャの亡霊を妄想する。
彼岸に到達すればすべてが明白となる。

204神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:12:04 ID:Oxy5vFod
>>203
誤読コピペすんな。

まったく読めてない。因縁心論は輪廻を前提としている。


>この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。

とは実体が原因となって結果の実体が移動するのではないという意味だ。
つまり、実体である恒常なアートマンや魂が輪廻するのではないという意味。

ナーガセーナの現象的個体[原語はナーマ・ルーパ(名色)と記憶する]も同じこと、
これが中論24.18では仮設と呼ばれる。
あらゆる現象は縁起して x と仮設されるが、空で実体などないという意味。

>それと同じように、私たちが迷いの生存を生きているかぎり、輪廻は事実です。
>しかし、さとったときにはじめて、私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。

だから、現在の自分自身を始めとしてあらゆる現象・知覚を事実とするように
悟らない限り「輪廻は事実」と梶山先生も書いているだろ。

因縁心論を尊重するチベット仏教は輪廻を尊重してるぞ。
同様にシナ・日本の龍樹・中論の伝統も輪廻を重要視してることは間違いない。
インドの中観派もとても輪廻を重視している。
まったく上のような意味だからに他ならない。中論も同じこと。
仏教で輪廻が世俗として無いといったら断見以外のなんでもない。

まったく何もわかってない。つまんない学者の本とか読んで真に受けるなよw

205神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:20:44 ID:UoPvIMrS
206神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:24:38 ID:Oxy5vFod
>>205
梶山先生が晩年、輪廻を否定したのは知ってる。
恐らく政治的理由で屈したと思われる。
なぜなら、諸研究と整合性がとれないからである。

だから、学者の説なんか根拠にするなよ。

きっちりテキスト読め。
207205:2009/10/20(火) 11:28:05 ID:UoPvIMrS
× 公演  
〇 講演
208205:2009/10/20(火) 11:40:18 ID:UoPvIMrS
>輪廻は事実←アキメクラの妄想ということ

いずれにせよ、勝義では>私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。

世俗では人間支配の階級的性格・機能をもつ最悪の思想だ。
結局、捨て去ればいいだけの話。
捨てれば満るw
209205:2009/10/20(火) 11:52:06 ID:UoPvIMrS
カルトが例外なく検証不能の輪廻めいた教義による恫喝・詐欺で
「お召し上げ」をやってきたことの教義上の責任を感じないのかなあ?
階級的支配の道具でもある。
輪廻論が世俗でしか通用せず、しかも害悪をもたらす性格である以上、
捨て去ればいいだけのこと。
仏教は、輪廻論などなくとも十分に成立する。
それが自由思想家:勃興する商品交換社会のエートスを体感した
荷車を曳くブッダの思想でもあったはずだ。
それが生きた仏教というものだろう。

シーラカンス化石仏教など願い下げだ。
博物館に収めておけw
210神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 11:53:18 ID:Oxy5vFod
>>208
>いずれにせよ、勝義では>私たちは輪廻が存在しなかったことを知るのです。

そのために戒定慧の行が必要なのね。以下のような唯の観念ではないの。
もう、分かってないの分かった?


>世俗では人間支配の階級的性格・機能をもつ最悪の思想だ。
>結局、捨て去ればいいだけの話。
211神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 13:16:58 ID:nJxpueXO
>>210
特に定がないと頭デッカチのお馬鹿になりますね。
昔の自分を見ているようで、なんとも・・・
212神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 13:21:13 ID:Oxy5vFod
>>211
定があっても慧がないと、あまり意味がないですね。
213神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 14:56:06 ID:nJxpueXO
慧は定から生まれるのですが・・・
214神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 15:12:00 ID:Oxy5vFod
>>213
それは誤解でしょう。あるいは誤解されやすい言い方、
定から生まれるのではなく、
定・精神集中状態が観・ヴィパシャナーの前提となっているだけの話。

もちろん、精神集中など、さまざまな行が必要なことは言うまでもありません。
彼らの言い方、見解だと行の必要性が、忘却され唯の現状肯定、
あるいは唯の慰めのような教えになってしまうでしょう。


215神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 16:05:12 ID:fFW1Awd4

生物学も存在しなかった大昔の釈迦が言ったから真実であるという「根拠」
を証明してくれ。現代では、「生まれ変わり」は、専ら生物学や医学の対象。
宗教の出る幕ではない。

カースト制度という巨悪の根源であり、現代でもカルト宗教による信者に対する
「脅迫」と「甘言」の手段となっている輪廻転生さえ否定できない釈迦は、
むしろ悪の根源といえよう。

佛教に、「輪廻転生」以外の価値は見出せないのかね。それではそもそも
「仏教徒」とはいえない。釈迦が改革したはずの「ヒンドウー教信者」に過ぎない。
釈迦は一体何の為にヒンドゥー教を改革して、佛教を立教したのかね。
216神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 16:36:46 ID:Oxy5vFod
>>215
仏教という体系内の話であって、体系外の話ではない。
それを信じるか信じないか以前に、仏教内ではどう説かれてるか、それしか問題にしてない。

もう、絡むのやめてくれないかな。それと仏教のことも知らないんだから、
語るの止めてくれないかな。


217神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 17:13:17 ID:nJxpueXO
>>214
貴方の言うとおりです。
誤解を招く表現でしたね。
ヴィパサナーに到る手段がサマタ(定)です。
218神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 17:16:56 ID:nJxpueXO
>>215
まあ少し落ち着いて、線香が一本灰になる間
座ってみたらどうですか?
学生運動やってる訳ではないでしょ?
219業報輪廻転生論は悪の反仏教思想:2009/10/20(火) 17:30:08 ID:UoPvIMrS
>>215
>輪廻転生さえ否定できない釈迦は、

おいおい、釈迦は輪廻転生など説いてはいない。
バラモン教同様の輪廻転生を説くなら、初転法輪の意味がない。
人は先ず、もっとも重要なことを説くものだ。
初転法輪で業報輪廻転生論など説いてはいない。
説いたのは中道であり、四諦であり、縁起だ。
それで「コーンダンニャが悟った!」と釈迦が認定したのだ。
悟りには輪廻転生など害悪であり、狂雑論であり反仏教の逆証明だと断言できる。
業報輪廻転生論がなくとも仏教が成立することは初転法輪で明確だし、
逆にあれば仏教の悟りには到達できない。

業報輪廻転生論は、バラモン=ヒンドゥ汚染以外の何ものでもない。
220神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 18:32:52 ID:TEOPy500
>>951
おじいさんと赤ん坊の喩えはよくわからんな
そんな事は一言もいった覚えはないんだけど…

人が生きるということも、死ぬということも自然界においてはただの現象であって
自然界という巨大な現象から、人という小さな現象を切り取って
人という言葉をあてはめて「現象的個体」を認識してる
そして、死も物理的現象である限り、当然他の現象に影響を及ぼす
ロウソクの火が他に移るのと同じように

これでわからんかなぁ
221神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 18:33:45 ID:TEOPy500
すいません
誤爆しました
222神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 20:03:05 ID:fFW1Awd4
>>216
>仏教という体系内の話であって、体系外の話ではない。

佛教も、人間界という大きな体系内の極く小さな体系であることを、常に自覚
する必要がある。大きな体系とも適合しなければ無意味。

「閉じられた体系内には、真理は在り得ない」。
223神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 20:13:27 ID:Oxy5vFod
>>222
説明体系というものは、その体系内での合理性以上のものはもてない。

ゲーテルが有名だろうけど、たぶん同じことを龍樹菩薩が仰っている。


224神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 20:57:32 ID:lzHI6FOB
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/941
> その立場はよく分かる。要するに差別の温床といったことに代表されるということだろう。
違うっつーのw
差別があろうがなかろうが、差別のきっかけを何が作っていようと、そんなこととは関係ない。
【 >仏教という枠を超えて人間(人間存在)に干渉してくる 】 これが重要だ。
(信じない受け入れないどころか)仏教を知らず、生まれ死んでゆく者達、彼等も輪廻していると言うのだろう?

仏教は認識論だと言ったのは貴方ではなかったか?主観的に信じ、行じ、うけがってゆくものではなかったか?
以下のような発言もある。
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/745
 > そもそも仏教徒で無いものが > 輪廻に興味を持ってどうするの?
 > おれはキリストが復活しようがしまいが > 処女懐妊しようがまったく興味ないがね。
 > キリスト教徒じゃないから。
特に↑の発言は、『仏教を知らない者に輪廻は関係ない(≒干渉しない)』という宣言と読めるが、
横レスを入れてない所を見ると、貴方も同意見か?
ならば、「仏教を信じていない者・知らない者」は輪廻しなくてもいいじゃないか。違うか?
もし、そうではなく、《「仏教を信じていない者・知らない者」もまた輪廻する》と言うなら、
まさしく、【 >仏教という枠を超えて人間(人間存在)に干渉してきている 】だろ?
違うか? 上の745が興味を持とうが持つまいが、
キリスト教の枠では「復活はあった」わけだ。(これは種々立場があろうがw)「処女懐胎は真実であり事実である」わけだ。
つまり、君にとっても745にとっても、事実として干渉してくる歴史的事象となる。
『(三世に跨る)輪廻』も、このように、仏教の枠の外へ干渉してゆくのか? ということだよ。

差別云々? 笑わせんなw  (カンボジアのレポートもどうせ歪んだ視線で読んでるだろ?w)
これは、君の「仏教は認識論」という発言と直結する問題だよ。
225神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 20:59:49 ID:lzHI6FOB
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252318977/941
また、文章構成の点で揚げ足をとれば、
> その立場はよく分かる。要するに差別の温床といったことに代表されるということだろう。
 ↑の文と↓の文に、直接の関係性は無い。
> しかしながら、仏教は輪廻を説くのである。ここは仏教の質問箱であって、

『輪廻を差別の温床と見る立場がある』。しかしながら『仏教は輪廻を説く』。そして『ここは仏教の質問箱』。
この3要素の関係をよく見るがいい。 〔 しかしながら 〕で結ばれる意味がわからないwww
「ここは仏教の質問箱」であり「仏教は輪廻を説いている」。
 だから、「輪廻を差別の温床と見る立場からの意見はスレチに近い。的外れな意見」ってことか?
おかしいだろ?w
「輪廻が差別の縁の一つとなっている事象があると認める」なら、
寧ろ、「仏教の枠の中で、きちんと処理すべき」じゃないのか?言葉を用意すべきじゃないのか?
《745のようにw》 【 《仏教の外からの意見だから》、《仏教の誤解・無理解によるものだから》、
  《捨て置けばいい。仏教を信じていない者が何を語ろうとも、スルーしておけばよい。》 】とでも言うか?w

また、
> ここは仏教の質問箱であって、> 現代思想から輪廻の是非を論じる場ではないだろう。
(「是非」はともかく)、これも同様に、【仏教の外の者に干渉するなら】、当然、
【外部の者からの問い】(そう。まさしくメナンドロス王のようにw)として受けて立つ義務はあるんじゃないかね?
質問箱スレで現代思想に言及するのはおかしいか?(んなこたぁなかろう?w)
それとも、大学院の研究室や学部ゼミのエリートが如く、
《良く知識のある者同士の精査なやりとりが為されるべき。余計な話題はシャットアウトされるべき》 と?
或いはまた、《仲間内だけの、仲良しサークルのようであれ》 と?


笑わせんなw
226神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 21:11:06 ID:nJxpueXO
>>219
君に誤りを納得させるのは
統一教会の信者を脱会させるのと
同じか若しくははるかに難しいとわかった。
227神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 21:27:34 ID:nJxpueXO
>>224
思想が人間に干渉するとか
難しそうなこといってるけど、
共産だってニヒリズムだってどんな思想だって
存在することを否定は出来まい。

君が輪廻の思想の干渉を拒否すれば
それで決着だろ。

君のレス読んでると自分に酔ってるってのが
一目瞭然。はっきり言って臭い。
君にとって仏教などどうでもいいんだよ。
時が時なら全学連にでも走っていたろう。
要するに輪廻批判で鬱憤をはらしているだけ。

おれがそうだったから君の精神構造が
手に取るようにわかる。
仏教は君のような人間のためにあるのではない。

机氏はお馬鹿だが彼はどこかで概ねこう述べている。
「仏教、悟りは全ての人間が求めている訳ではない。
全ての人間に仏教を伝えることは、ある意味危険である。」
この発言には脱帽した。
まさに君への言葉だと思う。
228神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:17:41 ID:TEdiw5EM
>>227 なんというか、お宅はまさに仏教徒の醜悪な面を
一身に具現したような奴だな。
自己の狭量なものさしで他者を規定し、自分は
「俺は仏教を志し、修行している身で、お前ら凡夫とは
違うんだよ。仏教わからんやつは黙ってろ。」ってか。

はっきり言っておくが、お宅のような存在は他の真摯な仏教徒に
とって迷惑にしかならんと思うぞ。
229神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:29:09 ID:nJxpueXO
自分の主張を通すのに他人を引っ張り込むというのは
非常に卑怯なやりかたですね。
一見他の人達や仏教界を擁護しているように
見せておいて相手を攻撃する。

もっとも卑劣なやりかたです。
あなたの人格の一端が如実に現われていますね。
230神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 22:40:19 ID:nJxpueXO
>>228
ついでに人を「お宅」と呼ぶような人間で
まともな者を私は見たことがない。

本を読んでいるだけなら仏教はそれほど
危険ではないが、本当に修行を始めてみれば
普通の人間はその危険性がわかる。
多分他宗もそうであろうと私は思う。

あなたはデカンショからやり直したほうがいい。
231神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 23:25:38 ID:TL9lR06+
>>229  >>230  「お宅」と呼ばれることは好まないようなので「お前」にしよう。

>自分の主張を通すのに他人を引っ張り込むというのは ・・・

自分の主張を通す? 何言ってんだ?
俺は、お前が>>224 に対して独善的なレスを付けてるのと同様に
>>227 の書き込みに対して、俺の「感想」を勝手に書いているだけだが?

>あなたの人格の一端が如実に現われていますね

お前が他人の人格云々言えるか?

>あなたはデカンショからやり直したほうがいい

こういうのをまさに「余計なお世話」という。

他人の書き込みに独善的レスをつけたら、当然、自分もそのように
されることくらいは理解しろよ。
232神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 23:33:05 ID:UhRaXGdZ
仏教が輪廻を説かなかったことにすれば気が休まるものなんですか?
233神も仏も名無しさん:2009/10/20(火) 23:46:20 ID:lzHI6FOB
>>232
馬鹿ですか?w
234神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 01:02:23 ID:KN6kqBa4
>>223
>説明体系というものは、その体系内での合理性以上のものはもてない。

人間にとっては、人間とその生存を維持する自然以上の体系はない。従って、
人間にとっては、その体系内の合理性で足りる。

>ゲーテルが有名だろうけど、たぶん同じことを龍樹菩薩が仰っている。

竜樹菩薩が、どこで言っているのか、ご教示ください。
235 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/21(水) 06:36:29 ID:Usi9I6mt
関係ないと思いますよ。

人が良く変わったり、成長したりするのは必ずしも仏教に関係するとは言い切れない。
現象として悟りがあるなら、仏教と関係のないところにも悟りはあるでしょう。
それに戒律を守ろうとすると社会人として戦闘力が落ちるw
仕事して、自分なりに修養して、布施して、、、大変なのよ。

>233
専門職のお坊さんなら>>224>>225に答えるべきかも。
でも、このスレの人は在家メインでしょ。金を毟って、その上布教までやらせる気なの?
在家のHPはもう0よ。

出家にあんまり文句付けたくはないんですが、せめて戒律くらい守ってくれないと積極的な援護もできない。
在家でも五戒を守ってる人はごろごろいる。
死ぬわけでもなし、なぜ日本の坊様は釈尊の残した比丘戒が守れんのだろう?
戒律守ってない人に>>224みたいなこと言われても苦笑するしかないw
236神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 06:53:41 ID:cER6ep6f
>>224
う〜ん、多分、セブンは縁起じゃなくてロゴス中心主義というか、
一神教的世界観に強く薫習されてるんじゃなかろか?

一神教的世界観の人は、真理は唯一絶対だと信じてる、
信じてるというとバカにされるようだから、形而上学的に選択してるといってもいい。
真理が唯一絶対だから、自分が選択した見解に反するものを許容できない。
そこでセム系宗教は十字軍やら、異端審問やら、ジハードやらとなる。

ところが仏教は縁起だから、他説を許容できる。
なぜなら、言語習慣による説明体系の真理など無数にあるからである。
形而上学的選択や、意識状態から真理は縁起するのである。

この釈尊の基本的姿勢とそれを論理的に明示された龍樹菩薩のお陰で、
インドではイスラムの侵攻まで他宗教の壊滅的弾圧はなかった。
それはこのゲーテルの先取りとも言うべき説明体系は自体系のみで真であるという自覚があるからだと思う。

以上については石飛道子先生の『龍樹と語れ!』106前後を読んでほしい。
ざっとなら以下で分かるだろう。
http://www.amazon.co.jp/gp/forum/cd/discussion.html/ref=cm_cd_NOREF/ref=cm_cd_dp_tft_tp?ie=UTF8&cdForum=FxWV1FUKIL37CX&s=books&asin=4804612858&store=books&cdThread=Tx32FF2JPSUCN1F

ということで輪廻も仏教内では世俗的真理だが、他体系では真理とは限らないのである。
つまり、輪廻を形而上学的に選択しないなら、それはそれで結構なのである。

しかし、仏教体系にあって輪廻を前提としないことなどありえない。
237神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 06:55:58 ID:cER6ep6f
>>227
まあ、まあ、セブンは真面目な仏教徒なんで仲良く話しましょう。
彼はちょっと世俗に眼が向いているので、ちょっと勝義に目が向いている我々とはなかなか意見が一致しないけど、
動機は悪くないと思います。
238神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 07:00:43 ID:cER6ep6f
>>232
もちろん、違いますよ。一部の常識に仏教を引きずり降ろしたい人がそのような珍説を唱えているだけです。


>>233
セブン、もちつけ。この方は珍説に疑義を唱えてるだけでしょ。

やっぱり、輪廻を説かない仏教の行き先は、この珍説と五十歩百歩だと思うけど、
どうよ? 君は違うというんだろうけど。オイラはそう思えないぜ。
輪廻は重要なんだよ。仏教にとって。苦の認識の出発点であり、
禅定で誤った境地に行かないための説明の前提でもあり。
239神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 07:09:58 ID:cER6ep6f
>>234
誤淫嘘、君はほんと幼稚だな。質問するなら、その断定を述べたら、普通の人は答えんぞ。

そのぐらいの相手の気持ちぐらい、いいかげん気付こうや。
これは仏教とか思想を語る以前の人と話す習慣、マナーだぞw

まあ、オイラはなんかホントに知りたそうだから答えるけど。
龍樹菩薩が『中論』 4-8, 9で述べられている。
ただし石飛道子先生以外は分かっていないので
石飛道子先生の『ブッダと龍樹の論理学』265以下『龍樹と語れ!』252以下を読むといいよ。

君に分かるかどうか疑問だけど。
240 ◆4yy3YEx6Zc :2009/10/21(水) 07:13:19 ID:Usi9I6mt
別に布教が嫌なわけじゃないのよ。

でも現状じゃ輪廻論争と同様に、賢しく立ち回る人を利するだけなの。
そこを透明にしないで>>224>>225みたいなことを主張するのは
ネタとしてはおもし過ぎでしょ。
241神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 07:29:11 ID:cER6ep6f
>>240
布教する気はないよ〜、その気ならもっとお行儀よく書くよ。

ここでやってるのは仏教に対する誤解を解くことを目指しているけど、
根本的動機が、たぶん煩悩だから反感もかってあまり成功してないとおもう。

しかし、自分の心を偽って上品に書くのは嫌なのだ。

賢くというのは、輪廻を利用して金もうけしてる人のことかな?
それが賢いとは思えない。輪廻を信じる私から観ればカードやサラ金で、
豪遊してるだけにしか見えない。
242宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 11:50:09 ID:rdWO3I95
大いに疑問なり!

何故か、
「“業報輪廻転生論”は害悪だから仏教から除外しろ〜」などと叫んでいるのは、
実は自称仏教徒ばかりなのですね。
実際、その他の人々(外教や無宗教)が騒いで社会問題化している、
という話は、まず殆ど聞かないのは何故なのか?

その原因は、
仏教世界には自らの誤読によって多数の唯物論者たちを引き寄せてしまったからです。
彼らは、自分の認められないといったその感覚のままで物事を捉えており、
社会的にも大勢に拒否される、またはされているに違いないものと決め付けているのです。


シリーズの復活継続はいかが?
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】14
http://houjugusya.web.fc2.com/thread.htm
243神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 11:57:33 ID:4uaNzG9z
>実際、その他の人々(外教や無宗教)が騒いで社会問題化している、
という話は、まず殆ど聞かないのは何故なのか?

こりゃこりゃ、「部落差別問題」との関連性を知らないのか?
これは実際に部落問題の激しい地域に居住してみなければ
分かりずらいことではあるが、一度、そのような地域に住んで
みたら?  まさに絶句するぞ。
244神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:08:32 ID:XRSjs0fX
>>239
人間の生命の機能としての思考である以上、人間の生命とそれを支える自然
とは、所与の大前提であり、極大の体系である。その体系からはみ出せば、
もはや人間の思考ではなく、妄想となる。

小乗仏教は、その極大の体系内の極く極く小さな体系内において、「真理ならざる
真理」を論じているに過ぎない。

一方、竜樹の「相互依存性」は、その極大の体系のどこにおいても通用する合
理性である。

石飛氏は、いかにも女という感じで、少しくどすぎる。別に「椅子から転げ落
ちる」ほど感情的になる必要はあるまい。
245神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:17:57 ID:cER6ep6f
>>244

テキストに基づかない発言は止めようね。

>人間の生命の機能としての思考である以上、人間の生命とそれを支える自然
>とは、所与の大前提であり、極大の体系である。その体系からはみ出せば、
>もはや人間の思考ではなく、妄想となる。

君の妄想ですね。

>小乗仏教は、その極大の体系内の極く極く小さな体系内において、「真理ならざる
>真理」を論じているに過ぎない。

これまた君の妄想ですね。

>一方、竜樹の「相互依存性」は、その極大の体系のどこにおいても通用する合
>理性である。

これまた君の妄想ですね。

>石飛氏は、いかにも女という感じで、少しくどすぎる。別に「椅子から転げ落
>ちる」ほど感情的になる必要はあるまい。

これは君の認識力不足ですね。その状況、結果などを推理できないからだ。
以後スル〜するよ。
246神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:29:59 ID:XRSjs0fX
>>245
テキストこそ、「閉じられた小体系」の典型。その小体系も、「生命と
自然」という「大体系」の機能に過ぎない。

「妄想」とは何かを、精神医学的に定義されたし。
247宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 12:31:32 ID:rdWO3I95
>>243
まるで差別問題が仏教のせいだとでもいいたげですね!

私は感情論などには興味ないです。
業報輪廻に対する否定論は、一つは信じられないという意味ともう一つは差別に繋がる悪思想だというもの。
しかし、なにか男女の平等の説く一昔以前のウーマンリブ運動に酷似してるような印象を私は受けます。
仏教も宗教の一つです。当然、仏教の宗教としての価値観を説きます。
仏教的アプローチでいえば、男女の性差の原因と違いを説き、
性差による互いの立場を考慮した適正や役割分担。そして協力性を説くものでしょう。
業報輪廻に対する差別否定論は、男女の違いを無視した単なる感情的な平等主義に似ている。

業報思想こそが唯一なる“正しき平等論”であることを
理解できない自称仏教者のなんと多いことか!


セブンがいってましたが・・・、
業報輪廻は仏教枠をハミ出て仏教を知らない、または信じない人にも当て嵌めているとして批難する。
しかし、全ての人間が輪廻していて生まれ変わりを繰り返しているとみるのが仏教に決まっています。
それが認められない者は信奉しなければそれでいいのです。何も仏教支配ということはない。
それだけのこと。
248宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 12:39:44 ID:rdWO3I95
それは、

「私は仏教など知らないし信じない。
だから、勝手にこの私が来世に転生するなどと見なすな!」
などといってるのと同じことです。
思想なのだから自由であり、相手のそれは止められようがない。

もし、できるとするならば、そんなことは起こり得ないことを否定証明してみせること。
つまり、仏教の説く業報輪廻思想は間違いであることを証明してみせ、
仏教者自らの自省か改宗(仏教の放棄)を促すことです。
249神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:40:37 ID:cER6ep6f
>>247
テキストに基づく中観スレなんで、よろしくね。
250宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 12:42:54 ID:rdWO3I95
>もし、できるとするならば、そんなことは起こり得ないことを否定証明してみせること。
>つまり、仏教の説く業報輪廻思想は間違いであることを証明してみせ、
>仏教者自らの自省か改宗(仏教の放棄)を促すことです。

やってくれれば、
いつでも放棄(業報輪廻思想の放棄)します。
251神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:47:00 ID:XRSjs0fX
>宝珠愚者氏へ

「輪廻転生」は、カースト制度という「最大の人間差別」の原因。釈迦
は、人間差別を説いたのか。宗教といえども、そのような邪説を説くこ
とは、公序良俗違反であり、「犯罪」として禁止されるべきもの。
252宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 12:47:53 ID:rdWO3I95
>>249
場違いのようで・・自粛します/Sayonara (T_T)
失礼しました m(__)m
253神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:52:13 ID:XRSjs0fX
>>252

>>251から逃げるな。
254宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/10/21(水) 12:55:22 ID:rdWO3I95
>>251
もう一言だけ。

何、言ってるの?????
カースト(制度)の間違いや人間差別を無くすよう説いたのがゴータマじゃないか!
前世の行為による結果としての果報という現実と、
人間による差別行為(これも悪しき行為にて悪業を積む)とは別物です。

業報輪廻思想とは
“絶対平等”として作用しているこの森羅万象の背後に在る法を悟ったもの。
255神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:56:35 ID:XRSjs0fX
>>249
それにしては、大体系にもすべて適用可能な竜樹のテキストから外れた、
またはそれに反する書き込みばかりだね。
256神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 12:59:23 ID:X1Oya3i3
輪廻思想がカーストという差別を生んだのではなく、
それを誤解した人間が悪いだけでしょう。

輪廻思想が消えても又違う思想を持ってきて
差別するのが人間の性なんでしょうね。
257神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 13:03:19 ID:XRSjs0fX
>>256
宗教は絶対に批判できず、早速、すべての責任を「人間」に押し付ける。

それが、宗教の「最大の病理」なのだよ。
258神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 13:16:19 ID:X1Oya3i3
わたしは病理で構いません。
あなたは病理から離れていればいいのです。
259神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 16:05:12 ID:4uaNzG9z
しかし、この宝珠ってやつは、どうしようもないね。

この「業論」が、差別の思想的背景になり、差別する側に正当性を与えて
きたことは歴史的事実なの。そして、それは現在も存在してるの。
坊主が法話の場で、そうやって語ってきたわけ。
「部落の人たちは、過去世でそのような業を積んだから、現在
生き物の命を奪うという悪しき仕事に従事している」と説くわけ。
そして、輪廻肯定論者たちは、それを指示するんだろ?
実際に、差別がどんなに、すさまじいものかここに書いてやろうか?
この差別に実態というのは、「実は差別される側」からは、よくわからん
のよ。表だって、やらんからね。


>輪廻思想がカーストという差別を生んだのではなく、
それを誤解した人間が悪いだけでしょう。

差別する人間が悪いのは、言うまでもないこと。
だからといって、業論が差別に正当性を与え続けたことは、悪くないと?
坊主がそのように説いてきたことも、お構いなし。
その宗派が、一切、その解決に無関心でいたことも良しか?

俺が言いたいのは「現実に害を及ぼす危険性のある思想を何の注意事項も
付さずに垂れ流す、かつ、積極的に布教する」ことに責任はないのかい?  と、聞いているの。

全てそれをどのように受け止め、どのように使うかは個人の自由だから
それを提供する側に責任なしと言うわけか?

260神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 16:40:31 ID:VErNtp62
ヒンドゥー教と仏教ごっちゃにしてるんじゃねーの?
261神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 16:55:02 ID:X1Oya3i3
坊主の愚かさと輪廻の存否は別でしょうな。

包丁にいちいち「人を殺すために使わないでください」と
注意書きする訳にもいかんでしょう。
262神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 16:58:28 ID:VErNtp62
つーか、仏教がカースト差別助長してるとか勘違いしすぎだろ
そんじゃカーストを否定するために仏教に改宗した
アンベードカル博士の存在とかどうなるわけ?

ググったら彼の輪廻に対する考えもでてきたから読めば
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/d0b2264ba63368a99dd926fcb4b458f2
263神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 17:32:55 ID:RQtAwMQ1
>>262 俺は全ての仏教を批判してるのではないよ。
ヒンドゥー的な業論を説き、差別を助長している一部の仏教に対して、その姿勢はいかがなものか
と問いかけてるわけ。
264神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 17:47:31 ID:RQtAwMQ1
>>261 一概に、坊主の愚かさだけに帰結させるわけにもいかない。
坊主は自己の属する宗派の教義に従って説法してるわけだからね。
勿論、その坊主の責任は言うまでもないと思うが。
265机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/21(水) 18:58:51 ID:21mWYiZP
>>155
>全く逆。なにも分かってない。縁起というのは実体、自性があったら縁起にならない。
>それがお前が>>72引用した24.18の意味に他ならない。

(質問箱に↑を貼り付けたので、ここで回答します)

縁起ってのは実体ではないよ。
縁において生起する。ってことです。
では不生不滅で、生起するもんがないのに、何故生起するのか?ってことですよ。

つまり縁というのは主客(仮設)の関係性だから、実体はない。
(無自性空なら、なおさら関係性が生じる訳はない)
それでもなお、関係性(縁)と仮設したうえでの生起としとるんです。
(生起としてるが、生起しているわけではない)
そもそも中論で、主客分別は不可ではあるが、
分別という(仮設)においての縁生です。

>自性があったら縁起にならない

自性があったら簡単に生起はする。
主体が生起をするよ。

そもそも「縁起を実体」としてるとこに
空の解釈ができてない。って、こってす。
266神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 19:52:35 ID:X1Oya3i3
>>263
殆どの仏教は輪廻、業報を認めているんだよね。
というかそれを認めないと成り立たない。

差別に対する理性的な怒りは必要だと思っている。
あなた達の主張もわかる。
でも、やはり差別の思想だから廃止しろ、差別の思想を
釈尊が説くはずはない、というのは行き過ぎだと思う。

その坊さんだって他になんと言えばよかったのか。
差別の根元は天皇制であり、打ち破るために一揆を
起こせ、とは言えんだろう。
そういう物語を作って納得される以外に法はない、
と思ったのかもしれんでしょう。

誤解を恐れずに言うと、やはりそういうアウト・カーストに
生まれたというのはカルマだよ。
しかし人間は大脳新皮質、理性を持っている訳だ。
それによって差別を根絶すべきだ。

クリシュナムルティがある著作でこういう問題に触れ
「あなたたちは、これをカルマで済ませるのか」と
いささか怒気をはらんで話していた。

輪廻思想を差別論者に使わせない事が大切だと思う。
難しいことではあるが。
267神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 21:02:15 ID:CMbgjJoL
ここは龍樹スレだからいうが、彼は事実上の輪廻批判(否定)論者だ。

 学僧と言うのは実証的根拠もないのに、例のナーガーセもそうだが
喩えで事実上ごまかして説明しているケースが多い。
龍樹など「因縁心論」の中で
一方では『比喩的にあるものは、実際としてそうであることにはならないのである。』
などといいながら、
『あたかも師の諦唱を原因として生じた弟子の復唱は[師の誦唱と]同一であるとも
 別異であるともいうことができないように、死ぬ時点の心に依って[生じた]生まれる 時点の心も同じようであって、
 [死ぬ時点の心と] 同一であるとも別異であるということはできないのである。』などと言っている。
 いわゆる輪廻についての苦心の中道的説明だが、必ずしも成功した喩えとは思えない。

 だから石飛道子はこれを龍樹が輪廻転生を肯定する根拠などと誤解するのだが、オバカと言う以外にない。

『答える、世界はすべて因と果であり、比喩的にではなく、ここにはほかにいかなる有情もない。      
     これは真実として考察されてのことであって 、ただ比喩的表現としてそうだというの」ではない。
     比喩的にあるものは、実際としてそうであることにはならないのである。
 問 う、 もしそうであるならば、それでは誰がこの世からかの世へ行くのですか。
 答える、 ここからかの世へ微塵ほどのものも移りはしない。*←ココ重要
      そうではなくて、空にすぎないものから空なるものが生じるだけである。 』

最後の『生じる』は、石飛的馬鹿誤解を招きやすい。中道=不生だからである。
龍樹は因縁心論を書いた時、どうも二日酔いだったのではないかw
中論のような切先鋭い切り込みに乏しいのだ。
ひよっとしたら、龍樹のゴーストライターのものかもしれない。
268神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 22:37:28 ID:VErNtp62
そこの最後の「生じるだけ」っていうのは、八不における不生ではなくて、
人の死という現象「因」によって、
他の現象「果」が現れるみたいな事を言ってるんじゃないですか

何ら矛盾してないし、別に二日酔いとも思わないけど
269神も仏も名無しさん:2009/10/21(水) 23:27:58 ID:cER6ep6f
酷いな。もう〜
270承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/21(水) 23:55:30 ID:T2COy2OX
(^。^)突然だが、ここで解説しよう♪


この輪廻肯定云々は、例えるなら山裾を指してドコから山かと騒いでるだけの話である。(笑)
仮に輪廻を龍樹が肯定したとしても、論の土台として利用したに過ぎず、論旨とは直接関係では無い訳だ。
中観に主張など無き為に。

(^。^)と、混ぜっ返してみたり♪
271神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 00:00:31 ID:O9Ewb4t1
>>269
あれだな・・。 互いに八割の理解・共感かもしれんな。
で、残り二割に、互いの根っ子(或いは齟齬)があるようだ・・w

236・237には返レスの予定でいるんで宜しくw


ノシ
272sage:2009/10/22(木) 01:14:32 ID:j5XHumAE
>>270
(^。^)突然だが、↓で解説してね♪
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254216400/


273神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 01:38:43 ID:j5XHumAE
失礼。sage入れる場所間違えた。
274神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 02:49:00 ID:UdwCsFyj
>>266  まあ、スレ違いなのは十分、承知だが他に上げるとこもないし、
勘弁してもらうか。 この問題は一度は、はっきり言っておきたかったのでね。

>誤解を恐れずに言うと、やはりそういうアウト・カーストに
生まれたというのはカルマだよ。

こういう認識が問題なのよ。いいか?
この部落差別問題というのは、ほとんど表面に出てくることはないのよ。
なぜならば、彼ら自身がそのことが話題に出てくることを極端に嫌うから。
彼らは、よっぽどのことがない限り、自分が被差別部落民であることを明かしたり
しないの。そして、俺達も決してそのことに触れないの。それは絶対のタブーなの。
この辺の空気は、実際にそういう地域に暮らしてみないとわからんのだが、
ある飲み会でメチャクチャもり上がってる時に、何を思ったのか、彼らの
一人が「実は俺、同和(被差別部落民のことね)なんだよね。」と、ぽろっと
口にしたわけ。その瞬間、一気にその場が凍りついたよ。これはね、
「俺、今、人を殺してきた」と、言ってるくらいに重いセリフなわけ。

飲み屋で喧嘩してもね、たとえどんなに常識外れのばかでも、どんなに切れて
いても「この部落民が!」とか「この同和野郎が!」なんてセリフは絶対にないの。
275神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 02:49:56 ID:UdwCsFyj
少しは雰囲気わかるかな?
今では、ほとんどなくなったけど一昔前までは、彼らは職業が限定されてたの。
いわゆる「職業選択の自由」が制限されてたのよ。
そして、もっとも惨いのが婚姻問題。これは、凄いぜ。現在進行形できっちり
残ってる。被差別部落民は、彼らどうしでなければ結婚できないの。
俺の知り合いの数十人の部落民は、全て仲間内の結婚だよ。
もし、部落民がそうでないものと結婚しようとしたら大騒動だよ。
21世紀の日本においての話だぜ。信じられないだろ?
これについては、まさに目を覆いたくなるような実話がたくさんあるんだがね。

もし、家に信仰心あふれるジジ、ババなどいたら大変だよ。絶対に部落民と
その他の人との結婚などあり得ない。「悪業を背負った者など一族に入れら
れるか」となってしまうわけ。
ある家の息子が、どうしても被差別部落の娘と結婚しなくてはならないはめに
なったのよ。そこで、その息子の父ちゃんとじいちゃんが、親戚に了解を取り付けに
挨拶にいったら(そのへんの感覚もわからんひとが多いと思うが)
家にあげてももらえず、即座に絶縁を言い渡されたそうだ。

書こうかどうしようか迷ったが、書くことにするか。
ひとつ酷い話があるのよ。
ある男が被差別部落の娘と恋愛し、結婚を望んだわけ。当然のごとく、
信仰心あふれる男の両親は猛反対。ジジ、ババもね。「悪業を背負った者など
一族に入れられるか」と、こうくるわけ。古い家で寺との関係も半端ないのよ。
俺の感覚からすれば、二人でどっか行っていっしょになれば良いのにと思うが
そうもいかない事情があったらしく、結局、娘が自殺して決着。
どう思う?これ。
坊主にしてみれば、自派の教義に従って「業論」を熱心に説いたわけね。
その点は、布教に熱心な良い坊主?なのかな?
しかし、その結果、人ひとりを死に追いやった。
この坊主は善行を積んだのか?それとも悪業をつんだのか?
276神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 02:55:05 ID:A/2oc141
その坊主が馬鹿で不勉強なだけだろ
仏教のせいにすんなよ
277神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 02:58:17 ID:UdwCsFyj
なんでだと思う?
なんで彼らは差別されないといけないの?
士農工商という身分制度はとっくになくなっているのに、何故、被差別部落
だけは、いまだに残っているの?     わかるよな?
それは彼らだけは「特別な集団」とされていたからよ。
つまり「前世で悪行を行い、その報いで今世において生き物の命を奪うという
悪しき仕事につかされている『悪業を背負った者たち』という烙印をおされた
特殊グループ」とされたからだ。(だから、現在でも肉屋は彼らの専売特許だ。)

さて、彼らをこのような「特殊グループ」としたのは誰かな?
彼らがこのような「特殊グループ」であると布教して回ったのは誰かな?

この「輪廻業報思想」が「仏教徒限定」の話ならば、何の問題もないわけよ。
しかし違うだろ?仏教徒でも何でも無いものに対してまで干渉して害を及ぼす
わけ。「輪廻業報思想」が「佛教の前提か否か」など、仏教徒ではないものにとって、どうでも良いことなの。

俺が言いたいのは「これはひとつの思想なわけだから、受け取る側がそれを
どう受け取ろうと自由。いやなら、信じなければよかろう」と、現実に害を
及ぼしてる思想  『その提供者である責任』を仏教徒は回避するのか?ということ。
全てを「受け取る側」の自己責任にして、その「提供者としての責任」はない。
こういうことか?(宝珠はこの見解だったがな)

さて「業論肯定」の仏教徒諸君、あなた達は、これからもこの有害思想を
世間に布教してまわり、差別を助長する手助けをするつもりですか?

(誤解があってはいけないので、最後に断っておくが、俺は『佛教全般』を
批判しているのではない。業論自体を認めない佛教もあることは知っているし
業論と差別思想をどう折り合いをつけていこうかと悩んでいる僧侶の存在も
知っている。俺が批判の対象としているのは『輪廻業報思想は佛教の前提である
として、信じたくなければ信じなければ良いとのスタンスをとる一部のバカ仏教徒
である。ならば、業論は仏教徒限定とし、現実にこの世に害悪を生じている思想
など撒き散らすな。  と、こう言いたいわけですよ)  
278神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 03:04:29 ID:UdwCsFyj
>>276  業論をしたり顔で説く坊主が、そのようにバカで不勉強な
奴であふれかえってるのが問題なの。わかる?
279神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 03:18:27 ID:A/2oc141
>>278
じゃあ、その坊主に言えよ
ここは中観スレだぞ?
お前と同じ様に、そういった変わり果てた仏教に
嫌気がさしてる人も多いと思うよ
憤ってるのはわかるけど、ぶちまける場所が違うんじゃないの
280神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 03:30:18 ID:UdwCsFyj
>>279  だから、最初に
「まあ、スレ違いなのは十分、承知だが他に上げるとこもないし、
勘弁してもらうか。」    このように断ったろ?

現在、適切なスレが見当たらないんでね。
このスレは、かつての「輪廻スレ」「アートマンスレ」の住人が
多いのであげさせてもらった。質問箱スレも考えたが、あちらは
純粋に質問したい人が多そうなので、個人的主張を含むレスは遠慮
して、このスレをかりたわけよ。
281神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 03:40:09 ID:UdwCsFyj
俺がスレ違いの差別問題に言及したのは
>>242  で宝珠が
>「“業報輪廻転生論”は害悪だから仏教から除外しろ〜」などと叫んでいるのは、
実は自称仏教徒ばかりなのですね。
実際、その他の人々(外教や無宗教)が騒いで社会問題化している、
という話は、まず殆ど聞かないのは何故なのか?

このようなおバカな書き込みをしたから。
よって、このスレにあげたのよ。
そのへんを理解してくれ。
282神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 06:18:21 ID:cIgR6SJk
>>281
もう、彼も出てったので、そこらへんよろしくね。
283神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 07:14:23 ID:86SZKpfk
自殺で言えば、金の問題でも自殺多いし、ぶらく外での色事のもつれでも多いし
いじめや病を苦にしてもある
黒人白人の差別はひでーものだった
KKKで白い布かぶって、黒人を襲っていた立場の輪廻は
私は逆になって現れていると、勝手に思っています
自分が黒人に生まれて、差別者からの解放活動に、熱心だったりして

名高達郎の婚約破棄も、この問題だったとか聞いた記憶がある(ぶらく)
日本のこの差別は、実にじめじめしていて、一点凝縮すると
特殊なじめじめ空間を好んで作って維持している感じだな
私が言いたいのは、転生の不思議はすっとんきょうにも起る
ぶらくの血がぶらく民を継承しているのではなく
習性がそぐった者らが、まだそこにいたいからまだある

これらを最高神の元に連れて行くとしたら
たとえばクリシュナでもいい。ぶらくの人と、どっかのお姫様も
同時に抱きとめるのは明白すぎる、「あっ」の声にとどまってしまう

だからぶらくの娘を愛したのならば、普通に結婚して
迷いを生じさせる隙もないほどに、愛せばいいのだよ
284神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 08:35:40 ID:cIgR6SJk
すいません、輪廻ネタも中観関係のテキストに基づいてなら、ありですが
それ以外の輪廻一般、まして仏教外の輪廻ネタはスレ違いと思われます。
285机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 09:19:44 ID:YOJDj6fL
>>275
>坊主にしてみれば、自派の教義に従って「業論」を熱心に説いたわけね。

坊主が業論を説く、ってことは、
檀家は被差別部落民はいないってことかな?
もしいるんだったら、間違っても業論は説けないでしょうし。

というか、伝統宗派で被差別部落を排除している、
ってのは聞いたことがない。
(関西と関東は違うんだろうけど、私は関東)
286:2009/10/22(木) 13:29:41 ID:CT7aAe/z
俺なんか地方なんだが役場なんかに出向くと、同和問題は今だに根強いみたい。
公務員の友達の聞けば、研修や出張と銘打たれるそのほとんどは、職員への同和教育
なんだという。

中には差別を利用する逆差別主義者も今だ沢山いるみたいよ。
287机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 13:32:49 ID:YOJDj6fL
>>265の続きです。
>そもそも中論で、主客分別は不可ではあるが、
>分別という(仮設)においての縁生です。

つまり中論では、主客が縁起しているのではなく、
その関係性において生起するものである。→これが縁起
ということだから、
縁起において主客相対分別が可。→空・第一義であり、主客・第二義になる。
この論法(これが演繹法です)において、【仮設としての主客が成り立つ】。
ってことであり、
(これが無自性)
ここで論題になってる、輪廻転生論はこれで明解な論破になる。

つまり、仮設としてある、主体・客体を勝手に切り離して、
主体だけ輪廻転生する。と主張しているようなもんである。
じゃあ、その客体は何処へ行っちまったのか?ってことになる。
(まあ、ここまで論じても・・・ただの言葉遊びに過ぎないw)

まあようするに、輪廻転生論なんて、いくらでも中論で論破はできる。
288神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 13:40:03 ID:KpnVxXMV
>>285
>伝統宗派で被差別部落を排除している、ってのは聞いたことがない。
水上勉「良寛」に詳しい。水上勉が「良寛」を書くきっかけとなっている。
曹洞宗が一等えげつない。
具体的には『差別戒名』問題が象徴なのだが、
日常的な差別については言わずもがなだ。
>その具体的な内容は「江戸時代の高僧・無住道人が書き残した『禅門小僧訓』という教え。
>無住道人は、わざわざ『穢多(えた)之事』という項目を立てて、
>仏教が長年にわたって被差別部落の人びとに差別的な戒名をつけてきたことを記し、
>つけ方を具体的に教えている。たとえば、一般庶民の戒名と混同されないよう
>『穢多には「僕男」「僕女」と書くべし』『その者ども死したるときは
>位牌(いはい)に「連寂」「革門」などと書くなり』とし、
>『仏いわく、戒名は格式に従って書くべし…』と記している。」とある。

>>『仏いわく』・・・ にはまいるよなw
どこの仏やねん。仏が釈迦なら、俺は仏教やめるわ。
289神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 13:59:06 ID:KpnVxXMV
もちろん、いまでは曹洞宗もなんとかせんとダメだとの自覚があって運動しているが、
逆にいえば今でも差別体質はー他の宗派も同じくー根深い『文化』となっていると
いえるだろう。
 http://www.sotozen-net.or.jp/oshie/jinken/bn0408.htm

しかし、>『仏いわく』なのに、そんな「反仏教」やっていいのですか?w
このスレに巣くう概念仏教主義者(業報輪廻転生論がなければ仏教が成立しないと喚く連中)
は反対の反対を表明したらどうですかw
290神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:11:52 ID:A/2oc141
道元が書いてたってなら曹洞宗自体が差別的とか言い出すのもわかるけど
「無住道人」とかいうのが勝手に書いただけだろこの場合は、
そんなもんに従わなければいいだけ
実際、曹洞宗としても回収してるんだからそれ以上何しろっていうの?
291机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 14:24:06 ID:YOJDj6fL
>>288
>曹洞宗が一等えげつない。
>具体的には『差別戒名』問題が象徴なのだが、

「差別戒名問題」は知ってます。
しかしこれが業論に結びついたところが、私としては少々のショックです。
戒名に「畜」を入れる坊主も居たというのは、何かで読んだことがある。

つまり、檀家に被差別部落民がいようと、いまいと、それに関係なく
業論を説いた。ってことか?

まあ、ここまで話の流れがくると、
私も少し考えなければならない。

部落問題というのは、私は関東人だけど、
徳川幕府の政策において身分制度ができた?。ってことで・・・
そういうふうに教育されてきたから、
団塊ジュニアあたりの世代から、少しずつ問題が緩和されるんじゃないかと思ってた。
292神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:49:10 ID:cIgR6SJk
差別ネタは、スレチ
293神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 14:50:22 ID:KpnVxXMV
>>290
>道元が書いてたってなら

曹洞宗自体が特に差別的体質を持っているのは、
道元の『三時業』説の信奉による。
曹洞宗のなかで道元の三時業説の徹底した批判的検討が行われるべきだろう。
http://fallibilism.web.fc2.com/079.html
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38593668.htmlなど

道元の三時業説は曹洞宗にとっては、キリスト教にとっての天動説だろう。
結局、仏教全体の業報輪廻転生論批判に及ぶだろう。
我々は狡猾なバラモン・イデオローグであるヤージュニャヴァルキャ
(『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド』)の亡霊に、いまだに苛まれているのだ。
294神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 15:38:45 ID:P3/4zf4S
曹洞宗と同和問題
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1180837575/l50

続きはこちらで。
295机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 16:12:39 ID:YOJDj6fL
>>293
>曹洞宗のなかで道元の三時業説の徹底した批判的検討が行われるべきだろう。

なるほど、つまりはここに帰結される訳か。
くしくも私がこのスレで論題を取り上げたばかりじゃないか。

まあ、つまりは坊主が三時業の解釈が出来とらんということですね。
それは分る。
年々見性率も落ちてる現状からして、
三時業解釈が出来る訳はない。

296神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 16:20:58 ID:cIgR6SJk
>>295
分かる分からない以前に君の場合、読んでないだろ。このスレで証明済み。
297机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 16:34:30 ID:YOJDj6fL
>>296
そもそも、テキストを参考にしなければ中論解釈が出来ないのか?
それが一番の問題だろう。

中論に説明はいらない。
何故かというと、中論そのものが説明書だからである。

まあ、それは兎も角>>287で輪廻転生を論破したから、テキストに乗っ取って
私の解釈を論破してください。
話はそれから・・・

           <机龍之介・花押>
298神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 16:44:24 ID:gLWj+x5V
>>295
>年々見性率も落ちてる現状からして、

見性率白書でも出版されているんですか?
299机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 16:52:00 ID:YOJDj6fL
>>298
白書が出るわけないですね。
出たとしても、市井の人に「見性」という意味は分らんでしょうし、
また白書を出す必要性もない。

僧はプロですから、台所事情を開示する訳はないですよ。
300神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 16:53:56 ID:cIgR6SJk
>>297
>そもそも、テキストを参考にしなければ中論解釈が出来ないのか?

テキストというのは中論の本文そのものを意味してるんだが、
文なしに脳内妄想中論か? このように君の最大の問題は、共通の基盤がないこと。
どういうことかというと、たしかに「中論」「仏教」といった記号は共通だが、
指示対象が全く違う、それだけでなく指示対象が、どうもないようだ。
これは文以前の問題だ。文も読まずにただの妄想で話すヤツは、それが文に基づかない妄想、つまり、文を読まずに適当に想像で語っているということを指摘することが論破に他ならない。

言ってることも、直ぐにコロコロ変わるし。縁起も自分で有自性縁起を主張したと思ったら、
こんどは無自性縁起にその日の内に変わってるし、以下のように言ったばかりなのに、
一週間もたたない内に荒らしにくるし、知ってる人なら誰もあいてにしないだろう。

>158 名前: 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. Mail: 投稿日: 2009/10/18(日) 10:21:08 ID: yjZCZBmY
>>>155
>まあ、君たちのスタンスはよく分ったから。
>頑張って勝義諦へ突入してください。
>祈念します。
>
>では、邪魔しました。
>もう書き込みしません。

どうぞ、おひきとりください。
301神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 16:57:14 ID:j5XHumAE
>>297
>そもそも、テキストを参考にしなければ中論解釈が出来ないのか?
>それが一番の問題だろう。

つまり、『中論』について、ナーガールジュナ自身の記述よりも、
貴方如きの無根拠で無知な感想の方が、貴方の中では優先されるわけですね。
まるで、>>196>>267だな…。テンプレ読めませんか?


>まあ、それは兎も角>>287で輪廻転生を論破したから、テキストに乗っ取って
>私の解釈を論破してください。

すでに論破されていますよ。


>話はそれから・・

ここでの投稿を止めたのではなかったのですか?
ご自分で仰ったことですけど。

次、投稿するときは、先ず、>>1のテンプレを読んでからにしてね。
302机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 17:11:45 ID:YOJDj6fL
>>300
>指示対象が全く違う、それだけでなく指示対象が、どうもないようだ。

指示対象というのは、そもそもない。
中論がある方向性をもつものでもない。
「対象」も「非対象」もないのが中論ですね。
つまり対象化は不可であります。

>縁起も自分で有自性縁起を主張したと思ったら、

これも私が書き込みしただろうよw
縁において生起する。ってのは二義的には主体のことだよ。
無自性であっても、仮設として無自性ならざる。ってこと。→仮設の自性(主体)
つまり、空において主客が成リ立つ。
これを縁生としているが、中道だから即縁滅となる。
303机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 17:18:37 ID:YOJDj6fL
>>301
>すでに論破されていますよ。

そうですか?それは初耳です。

>ここでの投稿を止めたのではなかったのですか?
>ご自分で仰ったことですけど。

なに逝っておるんですか(苦笑
私が引き下がったら、是非、机龍之介に来て頂きたい。
って誘いがあったから私が書き込みしとるんではないですか。
(私は質問箱から招待されておるんですよ)
まあ、私が邪魔だったら、いつでも消えますけどね(ニガワラ
304神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:23:38 ID:j5XHumAE
>>303
>そうですか?それは初耳です。

そうでしょうね。何せ自分の感想の方が優先されてしまう御仁だから。
論破されていても読解力が魔非禍痢的で、
それを「一読」とかいって正当化してますから。


>まあ、私が邪魔だったら、いつでも消えますけどね(ニガワラ

「邪魔」。遠慮なく消えてね(苦笑)。
305神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:27:35 ID:cIgR6SJk
>>302
それでも書くか、綾瀬はるか

君は否定されて、まるで自分の主張のようにオウム返しするということを、
自覚的か無自覚にか行ってるよね。

ただ小難しい話をしたいにしても、マナーつーもんがあるでしょ。
ほんとうに話したいなら、謙虚になにも分かってないなりの素直な書き込みにすべきだよ。

そうでないなら、スル〜して適当に頃合いをみて、机は妄想家だと初心者に教えるだけにするよん。
306机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 17:32:55 ID:YOJDj6fL
>>304
>論破されていても読解力が魔非禍痢的で、

いや、間違っても論破はされてない。
絡むならいつでも絡むけど、
そもそも空の解釈が出来てないなら、論議そのものが無意味である。
ってことですよ。

ひとつだけ言っておきますが、
空を解釈できたなら、
間違っても「輪廻転生云々」は寂滅します。
というか、
中論と言うのは実有論にアンチの立場だよ(笑
307神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:36:10 ID:cIgR6SJk
>>306
それでもはるか、綾瀬はるか
308神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:41:10 ID:P3/4zf4S
綾瀬はるか、とは?
309神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:42:16 ID:j5XHumAE
>>306
>いや、間違っても論破はされてない。

そうでしょうね。何せ
>>まあ、私が邪魔だったら、いつでも消えますけどね(ニガワラ
と自ら発言して、
>「邪魔」。遠慮なく消えてね(苦笑)。
と言われても、読解力が魔非過痢的で、その上、自分の感想が優先されるから、
「邪魔」と言われてないことになってしまうような御仁だから。
310神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 17:44:21 ID:ZayqgQpr
テキストの言葉だけにこだわらないで、現代的意義を有するその思想
内容を把握しろ、ということだろ。
311机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/22(木) 18:01:54 ID:YOJDj6fL
>>309
>その上、自分の感想が優先されるから、

というか、論法的に輪廻思想を破折できるのは中論しかない。
よりによって、中論を根拠に輪廻思想を展開したら、
もう法の拠りどころさえ消失してしまうだろう。

スレタイトルを変えたらどうか?
輪廻論を語ちりたかったら、有部あたりで充分だろう?
312神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 19:58:01 ID:cIgR6SJk
>>308
ダジャレですがな。

>>310
もし、仏教について現代的意義を云々するなら、まず仏教のテキストの意味を正確に把握することが必要でしょう。

もし、その必要がないというなら、何も仏教の現代的意義を云々する必要はなく、
自分の思想を語ればいいだけでしょう。

そうしないのはただただ自分の思想、自分語りしたら誰も聞いてくれないんで、
仏教など権威ある思想に擬装、仮託して自分語りしてるだけだからでしょ。

机とか誤淫嘘とかは語りたいのは自分だけで他になにもない。
しかも、内容は常識にインチキ本の知識をふりかけて妄想しただけの陳腐なものだから、
論ずるに足りないことはいわずもがな。
313神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 21:33:13 ID:T420E91K
>>312
真偽の程も定かでない大昔の文献からの借り物の見解にしがみつくのは、滑稽
の極み。現実に立脚した「自分自身の考え」を述べるほうが、はるかに価値が
ある。

佛教の中心思想くらいは、概説書一冊で足りる。
314神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 21:33:44 ID:gLWj+x5V
>>299
君は鈍いね。

おれは「君は見性しているのか?」と問うているのだ。
こんな事もわからないということは
君はかなりの高齢者なのか?

いつか君に公案を仕掛けようと
思っていたのだが、その必要性はない、
と理解した。
315神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 21:48:26 ID:gLWj+x5V
差別の問題に少し口を出せば
権力にまつろわぬ民は必ずアウト・カーストに
貶められるのは地球上どこの国でも
当たり前。
本邦に於いては権力とは陛下であり、
仏法云々を語る前に本邦の象徴を批判すれば
よろしかろう。
DNAの問題にまで言及せねばならぬ
問題であるが、2ちゃんが完全匿名でないことを
鑑みるとこの辺りで止めておくのが
お利口さんだろう、と思う。
316神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 22:08:12 ID:Jo3Py8xM
>>313
>もし、その必要がないというなら、何も仏教の現代的意義を云々する必要はなく、
>自分の思想を語ればいいだけでしょう。
以下ループ
317神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:10:27 ID:loki5jv8
>>316
「佛教の現代的意義」を考えたら、何か困ることでもあるのかねw。

それをやらない仏教者は、数千年間「無限ループ」w。
318神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:31:41 ID:Jo3Py8xM
必要がない、としか書かれてません。
現代的意義を考える人にはふさわしくない姿勢という事です。

真剣でない、誠実でないと言われてるだけだと思います。
319神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:48:29 ID:Ej4oVOcw
>>318
佛教に「現代的意義がなければ(現代的意義を考えようとしなければ)」、
「現代においては}、佛教は無益・無意味。現代は、2500年前とは、大きく
異なっている。時代錯誤はよくない。
320神も仏も名無しさん:2009/10/22(木) 23:52:39 ID:Jo3Py8xM
>現代的意義を考える人にはふさわしくない姿勢という事です。

>真剣でない、誠実でないと言われてるだけだと思います。

点線つけて強調でもしなければこちらの言わんとすることが
伝わらないのでしょうか?
321神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:14:30 ID:akxuEcOd
>>320
>真剣でない、誠実でないと言われてるだけだと思います。

それはむしろ、大昔の仏典の一字一句に拘泥し、しがみ付き、佛教に「現代においても通用する原理」を
見出そうとする努力を怠っている仏教者ではないかな。
322神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 00:29:08 ID:9bIY3k0S
自分への追求を逃れるためなら、気に入らない相手と同レベルであると告白することになってもよし
とする人物に、誠意や真剣さを期待することはできません。

もう結構です。
323机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/23(金) 07:22:03 ID:PogjsvZD
>>319
>佛教に「現代的意義がなければ(現代的意義を考えようとしなければ)

同意ですね。

道元の三時業にしたって、当時の宗門と在家の経緯から書かれたもんだし、
その論書を現代にまで引きずってるってとこがナンセンスだろう。
まったく道元の真意ってのが現代に伝わっていない。
これが大問題!!

宗門における部落差別というのも、まさに時代錯誤。
思想・宗教全般に言えることだけど、
コアな部分は普遍であっても、
常に現代的意義がなくては害毒になる。
(カルトがそのイイ例)
324神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 07:37:46 ID:uDjd7ZRT
机と(現代的意義といってる)誤淫嘘は、荒らし。
荒らしはスル〜しましょう。
325机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/23(金) 08:45:56 ID:PogjsvZD
>>324
私の書き込みに、いちいち反応しなくて結構ですよ。
私が勝手に書いておるだけですから。
スル〜してください。

あと、なるべくsageでお願いします。
よろしこ。
326神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:11:40 ID:a39aJBaT
ごく普通の日本人にとって仏教の現代的意義なんて、

今も昔も、先祖供養と現世ご利益のための

ご祈祷によるなんとなくの安心感と観念的な穢れ払いでんがなw

差別も穢れ意識(ご祈祷しても業により穢れが取れん連中)による。

この意味では、仏教も神道も同じ。
327神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:16:02 ID:9U09t6dT
慧能の詩

菩提本無樹  明鏡亦無臺 (菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い)

佛性常清淨  何處有塵埃 (仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)

心是菩提樹  身為明鏡臺 (心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ)

明鏡本清淨  何處染塵埃 (明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか)




328神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 11:54:57 ID:a39aJBaT
>>327
>佛性常清淨

それって敦煌本なんだろうが、あかんね。
神秀と変わらん。不合格。
淨⇔穢という二項相対価値観にまだ捉われている。

『本來無一物,何處惹塵埃』(興福寺本)のほうが
達磨の廓然無聖と同じ抜け切った智慧の完成の境地にある。

世俗と勝義の相の違いともいえようが、境地の差は如何ともしがたい。
329神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:08:33 ID:9U09t6dT
たかだか、「無所有処」のほうが上ですか。
【清浄であり最高にして無上な空性】が、最高の境地なのですよ。
http://homepage1.nifty.com/manikana/canon/sunna.html

無一物より、清浄の表現の方が古く、ほんらいの形に近いことはご存知ですよね。
330神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:10:38 ID:9U09t6dT
そもそも、「清浄」がなんたるかもご存知ないようで。
研鑽されたし。
331神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:15:10 ID:a39aJBaT
>>329
『淨⇔穢という二項相対価値観にまだ捉われている。』といっている。

>【清浄であり最高にして無上な空性】
          ↑
    頭の悪い坊主の、レトリック形容詞による
    シロートあいてのこけおどしだよw

332神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:22:33 ID:a39aJBaT
仏は仏ではない、ゆえに仏という

仏がこの上ない正しい悟りを覚えたことはなにもない


現象界はまさに夢、幻、泡、影、露、電の如し



         この上ない智慧の完成を終る
333神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:22:47 ID:9U09t6dT
だから、知らない、といってるんです。
分別の生まれる前、それを清浄というんですよ。
山岡鉄船が、人の吐いたゲロをすくって食べて、
「浄穢不二を実践したまでだ」
というのは、有名な話。
334神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:28:27 ID:a39aJBaT
>>333
応無所住 而生其心

比較相対価値判断に捉われるなといっている⇒×清浄
335神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:31:28 ID:9U09t6dT
ほら、わかりませんか、観念に汚されてますよ。
即ち清浄じゃない。

とどまるところなくして、そのこころをしょうずべし、
というのは、一つのの状態に執着しないということですよ。
336神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:38:02 ID:a39aJBaT
>>335
俺はやむなく世俗相対言語によって、説き得ないことを提示している。
337神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:40:24 ID:9U09t6dT
あまり、勝義にこだわる姿勢は大乗のものとしては関心できることではありませんな。

禅のものだと明らかに攻撃対象としなければならないところです。
338神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:42:18 ID:a39aJBaT
>明らかに攻撃対象としなければならない

まさに俗物
339338:2009/10/23(金) 12:43:51 ID:a39aJBaT
訂正
× まさに俗物
〇 まさに無明俗物
 
340神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 12:45:14 ID:9U09t6dT
っていうか、禅のならいのようですよ。
もっとしっかり、勉強なさいな。
まあ、はじめに議論をふっかけられたのはこちらなんですけどね。
341338:2009/10/23(金) 12:47:25 ID:a39aJBaT
ここの住人が判断されるでしょう。
>もっとしっかり、勉強なさいな。

             では
342机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/23(金) 12:48:12 ID:PogjsvZD
>>333
>分別の生まれる前、それを清浄というんですよ。

達磨から五祖あたりまではその脈絡があったでしょうね。
論書などを読むと。
「清浄」というのも、やはり分別になりますから、
それを破折したのが、
かの有名な慧能の詩と受止めております。

神秀は五祖の一番弟子ですから、
つまりは、慧能出現で五祖の目も開いた。ってことなんでしょうか?
(ここのとこは、中国禅の非常にドラマティックな場面です)
343机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/23(金) 13:02:14 ID:PogjsvZD
>>327
>慧能の詩

というか、
それは近代になって判明したのが、神会の著とされたおるのが
一般的な見解のようであります。
神会あって慧能でありますから、
神会のスポークスマンとしての才能はあったのでしょう。

しかし、
日本語訳は、そのとこを決定信解して解する必用があるかと存じ上げます。
344神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 13:25:06 ID:uDjd7ZRT
a39aJBaT、9U09t6dT そういう高い境地は、言葉でぐちゃぐちゃいってもしかたない。
自分で体験できてなければ恥ずかしいだけだとおも。
345神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 13:44:00 ID:vaj20aKQ
スレチすまんが、返答として3レス。(たいして内容はないw よって一般住人はスルー推奨。)


>>236
> 縁起じゃなくてロゴス中心主義というか、> 一神教的世界観に強く薫習されてるんじゃなかろか?
そうだろうか・・? 少なくとも自分は無自覚だし、敢えて言うなら、
「今現在、世俗の論理・世俗の言説は西洋色に染め上げられている。
長短問わず、東洋色(中世・近世で花開いた日本色)はその影を潜めている。
(やはり、戦後&経済成長期の変容は大きい・・・。)
そんな中、言葉を紡ごうとすれば、自然、そっちの色が付こう。
まさに、>>237> 彼はちょっと世俗に眼が向いているので  は、この辺を的確に観察・描写してると思う。さすがだよw

また、私の成育は既に“その色”の中で成ってきたものだ。
影響が無いわけがなかろうw その意味で『薫習』という表現はお洒落だと思う。

だが、それが > 一神教的世界観 なのかどうかはよくわからない。
もしそれ(→> 一神教的世界観 とは何ぞや?の答えとして)が、以下のように
> 一神教的世界観の人は、真理は唯一絶対だと信じてる、
ということであるなら、私は寧ろ逆だし、極論すれば100人いれば100の真理があると思ってるし、
仏教も((縁起以外を大きく含み)その大枠で行くなら)同じように、数ある真理の内の一つに過ぎないと思っている。
(これは、ほぼ同じことを以前も発言したと思う。 私も、《体系毎の真理》を見るものであるが・・・。)
346神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 13:46:05 ID:vaj20aKQ
>>236
> 真理が唯一絶対だから、自分が選択した見解に反するものを許容できない。
貴方の態度もそのように見えますが?w
 ・「ならば、仏教ではという言い方をしないでください」と
  【>自分が選択した見解】である「仏教の枠内で」それに【>反するものを許容できない】わけでしょう?
(末尾に > (説明体系は)自体系のみで真であるという自覚 というフレーズがあるが)、
その属する階層(体系)が違うだけで、その階層(体系)内で一つの真理が設定され、
それへの適不適が言われる、という構図に変わりはない。
上記> 一神教的世界観 は、その階層(体系)も唯一であると見るから、
貴方がなさっているのと同じように、そこに適不適を見ることになる。別段不思議なことじゃない。
仏教は、複数階層、複数体系と見るから、排除という行動に出ない、と。体系が異なる場合干渉しない、と。
で、 > ところが仏教は縁起だから、他説を許容できる。
これは、異なる体系間で言われることであり、同一体系内では許容できないのでしょう?(現に貴方は許容していないw)

ならば、今度はその階層の別・・いや、『体系の別、差異』或いは『各体系間の連関』を問うこととなる。
(各体系間も縁起だろ?同一体系内の関係もまた縁起だろ?だから“法界縁起”なる語も出てくるわけだ。)
貴方や質問箱の745が、『仏教徒以外には関係ありません』と言い切った背景に、
 >説明体系は自体系のみで真である があるだろうことは想像できるが、
多くの仏教の言辞及び説明体系は、【他体系に干渉し、そこでの適用を要求し】ているし、
また貴方方もそのようにしている。まさに【(三世に跨る)輪廻がそれである】という指摘がされ続けているわけだ。

私は、上で述べたように、
普遍的に適用可能なのは「縁起」という考え方(いや、“見方、視線”と言った方がいいのか?)だと考えるし、
貴方に提示された幾つかの資料についても、同意こそすれ、とりたてて異を唱える部分はない。
なのに、なぜ、互いに言い分を許容できないのか?w (カギはこの辺にあるだろうw)
347神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 13:48:23 ID:vaj20aKQ
>>236
> つまり、輪廻を形而上学的に選択しないなら、それはそれで結構なのである。
> しかし、仏教体系にあって輪廻を前提としないことなどありえない。
だからwww
≪【>輪廻を形而上学的に選択しない 者】【>仏教体系に 身を置かない者】は【輪廻しない】≫
ということになるが、それで宜しいので?w

> ざっとなら以下で分かるだろう。

 > <わたしたちの存在は、一瞬もとどまることなく生滅をくりかえす刹那的な存在である
 > 身心について、次々新しいものが生じては滅するが、
 > 【途切れないので、ずっと同じものが存在するように見える】

 > 【瞬間の認識が連続】することで、【同一性を持って存在すると倒錯】し、それを実体や本質と思い込んでいる
 > が、それは生滅法なので一瞬も実在することはなく、一瞬、【本質を仮設されて】【認識されるだけ】なのです

貴方がいつも仰っていることですね。 全く異論ございませんw  上記URLでは、この二点が同意箇所。
あとは、『龍樹の論法(テクニック)が“後出しジャンケン”として素晴らしい』という称賛の文ですね。
(※勿論オーバーに言ってますよ。オーバーに・・・w)

>>237
> ちょっと勝義に目が向いている我々とは
いやいや、ちょっとどころじゃないでしょw  バリバリ勝義の中の人でしょ?貴方方はwww

って、それならワシはバリバリ世俗の中の人かwwwww
348神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 14:03:42 ID:uDjd7ZRT
>>346
単純にいうと一神教的見解は、真実は唯一で他にありえないという体系で、
これは他の体系を認めない。その影響下にある人は、他の信仰体系を認めない。
たから、輪廻が仏教内でどうしようもなく否定できないのにもかかわらず、
自らが信じる体系内に仏教も入れて真偽を判定しようとする。

仏教は複数の見方を許容する。あらわれはあるがままだからだ。
あるがままというのは、唯一絶対なのではなく、その人にとって見えるままという意味。
だから、その人の説明体系をそのまま認める。しかし、我々はそう考えませんとはいう。
しかし、それが間違ってるとは言わない。

しかし、仏教内の妥当性についての真偽は述べる。
これは釈尊もまったくそのようにされていると読める。
外道に対しては、そうですか、私はそうは言いません。
弟子に対しては、間違っている、バカとか言ってますね。

私は釈尊の真似をしているつもり。だから、他の思想体系については譬喩以上に真偽などで言及するつもりはない。
仏教内の妥当性というか、ありえない解釈については、それは間違ってるというだけ。

仏教の現代的意味とか考えるだけ無駄な話と思うのだが? どっか変?
349神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 14:07:30 ID:uDjd7ZRT
>>347
>あとは、『龍樹の論法(テクニック)が“後出しジャンケン”として素晴らしい』という称賛の文ですね。

それは違う。妄想・戯論を止め、勝義・空に悟入させるための方便として、
動機も論理も美しいという意味。

バリバリ勝義だったら、悟ってるってのw
350神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 14:36:52 ID:vaj20aKQ
 ニ点だけ。
|
|゚)
|

>>348
>仏教の現代的意味とか考えるだけ無駄な話と思うのだが?
ここが根本的に異なり、絶対的に・永遠に理解し合えない(幾つかあるだろう)ポイントの一つだなw
私は逆で、現代的意味を持たない化石と化した教えに用はない。(そんなものはゴミ処理場に埋めてしまえw)
君が、「化石を愛でるのが大好きなんです」と言うなら、別段妨げたりはしないが、
「邪魔だからどいててくれ」くらいは言うかもしれないw

>>349
で、その障碍となっているのは、どこまでもどこまでも「我見」であり、
「どこかで自分(プライドとか保身に類する次元での)を守り、抱き、放せず・離せずに居て」
「そこを基準に身口意が為され、日々が紡がれるから」「涅槃は遠い」のだw
まさに《「我がある(私がいる)と思い」「我でないものを我となし」「我がモノがある」》と見るから・・・。

 (※ ここに(三世に跨る)輪廻の入る隙は無い。少なくとも不要だw ※)


ノシ
351神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 14:49:12 ID:uDjd7ZRT
>>350
>私は逆で、現代的意味を持たない化石と化した教えに用はない。(そんなものはゴミ処理場に埋めてしまえw)
>君が、「化石を愛でるのが大好きなんです」と言うなら、別段妨げたりはしないが、
>「邪魔だからどいててくれ」くらいは言うかもしれないw

ああ、セブンは化石しか観てないからそう思うのかも。
オイラは、体現してる聖者を結構たくさんみてきたから、全然化石じゃないんだよ。
中観も生きてるしね。

>>>349
>で、その障碍となっているのは、どこまでもどこまでも「我見」であり、
>「どこかで自分(プライドとか保身に類する次元での)を守り、抱き、放せず・離せずに居て」
>「そこを基準に身口意が為され、日々が紡がれるから」「涅槃は遠い」のだw
>まさに《「我がある(私がいる)と思い」「我でないものを我となし」「我がモノがある」》と見るから・・・。
>
> (※ ここに(三世に跨る)輪廻の入る隙は無い。少なくとも不要だw ※)

勝義には、そりゃ般若心経通り、色から一切智まで全て無戯論だ。
だけど、そんな勝義の話してもしょうがないでしょ、三昧・禅定にも入れない人に。
352神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:17:28 ID:gX3AUAD/
龍樹は若い頃仙人に透明人間になる薬を悪用して王宮の女達を犯して子供をばんばん作った。
それがばれて友達は殺された
353神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:27:34 ID:uDjd7ZRT
>>352

354神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:32:12 ID:gX3AUAD/
りゅーじゅはとんでもない悪人
355神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:35:24 ID:9U09t6dT
透明人間になる方法なんて、本当にあったと思うのかw
356神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:39:10 ID:uDjd7ZRT
>>354
無常だから、ええんです。寧ろ、そういった過去をそのまま書く伝記作者がいいね。
アングリマーラとかミラレパとか。だから、やり直せるし自分でもなんとかなると思わないか、綾瀬はるか?

ちと、しつこいかw
357神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:44:19 ID:9U09t6dT
竜樹伝ははっきりいってハチャメチャだ。
仏教を知らない人のための権威付けの為には有効だろうが、
これから仏教を学ぼうって人には全くためにならない。
358神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:46:24 ID:gX3AUAD/
透明人間はなれないよそこは例えだからツッコミ入れる奴もバカ?しかし龍樹は本当に王宮に忍び込み女と遊んだらしい
それがきっかけで仏教に帰依したんだよ
359神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:49:57 ID:uDjd7ZRT
>>357
そんなことないぞ。もっとも釈尊に忠実な龍樹菩薩。

そんなこというのは理解力がないだけ。

先ずは『勧戒王頌』『宝行王正論』『大智度論』あたりを読むべきだな。
勝義から書いてる『中論』『空七十論』『六十頌如理論』などは、縁起・空や二諦が分からない人には、確かに毒かもしれない。

このスレにも断見的に読んでる人が何人かいるしね。
360神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:50:03 ID:9U09t6dT
>しかし龍樹は本当に王宮に忍び込み女と遊んだらしい

ほう、そのような情報のソースは何なのかな?
君は、単にアオリにきてるだけにしか見えんがね。
361神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:52:35 ID:9U09t6dT
>>359
おいおい、そのような経典じゃなくて、ナーガルジュナ伝のことだろ。
竜神にあったとか、王様の前で軍隊を出して、悪魔と戦わせたとか。
そういうためにならないオカルト伝説の事をいってるんだよ。
362神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:55:08 ID:gX3AUAD/
一番大乗仏教で優れている人は法然聖人
363神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 15:57:32 ID:uDjd7ZRT
>>361
これは失礼した。誤読でした。
364神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 16:00:33 ID:gX3AUAD/
じゅうじゅうびばしゃろん(漢字が難しくて変換できない)
て何ですか?詳しく説明してください
365神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 16:06:41 ID:9U09t6dT
366神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 16:15:51 ID:uDjd7ZRT
>>364
ここで解題と国訳が読めるよ。自分で読んでみよう。
http://www.archive.org/stream/kokuyakuissaiky1018800uoft#page/n381/mode/2up
367神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 16:50:43 ID:gX3AUAD/
みれない
368神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 17:09:09 ID:z4kIhF7r
断見でも常見でもない輪廻のクリアな説明はないものだろうか。
石飛先生の十二縁起説を用いた説明も難解過ぎて理解出来ない。
369神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 17:22:00 ID:uDjd7ZRT
>>368
それが分かれば仏教の本質をつかんだも同然だから、ちと難しい。
なぜなら、人は何かがないと不安になるから。

その仏教の本質は縁起。

どこらへんが分からないのでしょう?
370神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 17:49:39 ID:a39aJBaT
>>368>>369
>仏教の本質は縁起。どこらへんが分からないのでしょう?

仏教のの真髄が縁起にあるならば、十二支縁起なるものは、まさにその対極にある思想だといわざるをえないから。
縁起とは「一切のものは無量の因や縁によって生じる」という多因多果を本旨とする。
いわば、無数のネットワークだ。
ところが十二支縁起は一因一果である。
風が吹けば桶屋が儲かるである。ナンセンスなのは明らかだろう。

縁起は無明⇒執着⇒苦というおそらく最初期の簡明な教えでいいのだ。
しょせん、十二支縁起などは、僧院の奥深くヒマをもてあました
スコラ連中による詭弁の極致だというしかない。

十二縁起などは仏説などではない。
馬鹿坊主のでっち上げだ。無視すればいいのだ。

だから石飛はスコラ的であかんのやw


371神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 17:55:16 ID:54DSPuiP
>十二支縁起は一因一果である。

こっからしてもう違うんじゃねーの
372神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 17:59:52 ID:a39aJBaT
業報輪廻転生論もいってみれば一因一果的発想や。

俺がありがたい石仏像によっぱらって立小便をひっかけた。
さて、来世にはどんな報いがあるのでしょうか?

なるようになる。
先のことなど誰にも判らない。
ケセラセラ
373神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 18:10:54 ID:9U09t6dT
立小便は、仏像になど向かってするものでなく、
便器に向かってするものですぞ。
足が汚れるかもしれんし、軽犯罪法でつかまる。
374神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 20:21:53 ID:z4kIhF7r
368
>>369
レスありがとうございます。主体を立てない輪廻がイメージ困難ってとこですね。
何かが来世で痛みを感じるとしてそれが現世の自分とどう関係あるのか。
かと言って人生一回切りなら修行に意味はあるのか。

>>370
ただ何かあるはずだっていう魅力が十二支縁起説にはある気がします。
375机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/23(金) 20:46:08 ID:PogjsvZD
>>374
>ただ何かあるはずだっていう魅力が十二支縁起説にはある気がします。

横槍ですけど、
十二支縁起に何か意味がありますかね?
私はそうは思わないですが、
>>370氏に同意です。
376神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 20:47:09 ID:uDjd7ZRT
>>374
なるほど。では、自分とはなんでしょうか?

十年前の自分と現在の自分が、意識や細胞など精神や肉体が全く違っても
連続していると思っている、同一性を持っていると思っている主体が仮設できるなら、
輪廻の主体も同じように仮設できないでしょうか?

377神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 20:50:58 ID:vaj20aKQ
>>376
> 輪廻の主体も同じように仮設できないでしょうか?

無理だなw  (私の(膨大な?w)過去レス参照w)
378神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 20:57:17 ID:uDjd7ZRT
>>377
セブンは、それより>>351 に答えるようにw
379神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:00:34 ID:/WLE1bFx
縁起=空のしそうからは、修行をしようという考えは
湧いてこない。
せいぜい「人を頃したって自性清浄だ。空だから」
みたいな思想が生まれるだけ。
このスレだって殆どが仏教を手慰みにしてる人間だけ。
なぜか?苦を無視ないし軽視しているからだ。

仏教とはあらゆる思想、哲学でも異性でも地位や名誉でも
金でも解決できない問題を抱えてしまった者が
最後に行き着くものだ。

理屈が好きなものは西洋哲学でも究めればいいのだ。
380神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:04:53 ID:WBPsIQRN
無理。私たちは10年前の自分と現在の自分は「記憶の連鎖と身体の空間的連続性」により、同一性を担保する。
今世から来世への輪廻は、その両方が消失するので輪廻主体として比肩することは不合理。
381神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:08:44 ID:/WLE1bFx
我々は軽々しく勝義諦を語るべきではない。
苦諦から始めるのが本筋であり、それが修行の上でも
正しい。
382神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:09:33 ID:uDjd7ZRT
>>379
分かってないな、縁起の流転門は苦の因果、
縁起の還滅門は苦の消滅だぜ。

確かに苦の認識は重要、この生を厭い嫌う遠離なくして仏教の門はくぐれないかもしれない、
だからこそ西洋で仏教が流行している。

それと西洋哲学は仏教に比べて形而上学的に非常に狭いので、
限界が見えちゃって仏教を知ってからは、譬喩程度にしか使えませんね。
383神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:14:54 ID:uDjd7ZRT
>>380
>無理。私たちは10年前の自分と現在の自分は「記憶の連鎖と身体の空間的連続性」により、同一性を担保する。

 じゃ、記憶がなくなって、身体の一部がなくなった人は同じなのか?
 たとえば『ジョニーは戦場に行った』だったかの例のような?

>今世から来世への輪廻は、その両方が消失するので輪廻主体として比肩することは不合理。

 では、前世の記憶がある人は同一なのか?

 所詮、適当な仮設に過ぎないと思うけど。
384神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:19:05 ID:vaj20aKQ
>>378
山奥で隠棲、或いは言葉が届かない(この原因は様々考えられるだろうが)、或いは働きかけが無い場合、
それを化石化しているというのさ。
現に貴方も、現代日本仏教界・伝統諸宗派にそのような視線を投げてはいないのか?w
どんなに素晴らしい聖者が存在しようと、秘境に住んでたら居ないも同然なわけさ。
また、どんなに正しいこと、素晴らしいことを口にしたとしても、それが届かなければ、それは発せられなかったも同じさ。
現に、君の言葉は他者へ(外へ)向かって放たれ、届き、理解されているかい?

そうでなければ、それは化石だということさw (※勿論、自分に向かっても言っているよ・・(^^;))

> だけど、そんな勝義の話してもしょうがないでしょ
いやいや、貴方方でしょう?勝義の話しかしないのは・・・w

また、現代社会・21世紀のグローバルな社会、世間(loka)に於いて、
2500年前と同じ次第説法、譬喩、施論戒論生天論で通用するという御気楽思考の方がどうかしてると思うぞw
385神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:24:03 ID:vaj20aKQ
>>383
> 所詮、適当な仮設に過ぎないと思うけど。

そ。 重要な点だね。
【仮設としては】適当で等価だよw 特に【三世に跨った場合は】【全て】がねw
386神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:25:21 ID:uDjd7ZRT
>>384
確かに日本仏教は化石化してると思う。ちょっと酷いよ〜

仏教は結構、西洋、台湾、中国、アジアでは流行りつつあるよ。
現にアメリカでは大学や企業で仏教ワークショップとかで成果あげてるらしい。

>2500年前と同じ次第説法、譬喩、施論戒論生天論で通用するという御気楽思考の方がどうかしてると思うぞw

いや、それが釈尊の素晴らしさ、仏教の普遍性だと思う。
四諦とか圧倒されますがな。苦諦から始めるとこなんか。
387神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:27:04 ID:uDjd7ZRT
>>385
だよね。やっぱ、一番の理解者。違いは薫習だけか?
オイラは先生だけは恵まれてるからね、自分は惨憺たるものだがw
388神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:28:00 ID:32TLjbUz
中東やチベット以外の中央アジアでも流行るにはあと数百年かかりそう。
389神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:28:34 ID:WBPsIQRN
>>383 なぜ身体の「一部」なのかな?
身体が完全に消失したら、「同一の人物」と認識できる主体など存在しない。

「前世の記憶」
これが、「実証」されて、ある人物の過去世が証明されれば確かに「輪廻」はあるだろう。
しかし、現時点においてそのような「実証例」は皆無である。
390神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:41:38 ID:uDjd7ZRT
>>389
なぜ、一部かは一般人の仮設対象の限界がそれだからに決まってる。
その一部(消失じゃなくて交換でもいいよ)が変わることと、
同一性の曖昧さが認識できないのは、理解力が足りないだけだと思うけど。

えーと、そういう実証には興味ないけど。
シャンティ・デヴィのケースは実証されたと言って良いらしい。
http://www.google.co.jp/search?client=opera&rls=ja&q=shanti+devi&sourceid=opera&ie=utf-8&oe=utf-8
391神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 21:53:02 ID:vaj20aKQ
>>386
> いや、それが釈尊の素晴らしさ、仏教の普遍性だと
> 四諦とか  > 苦諦から始めるとこなんか

いやいやw
そこは同意がとれてる部分さ。その先の、場面場面で紡がれる言葉についてさ。
ムンジャ草(という語)を用いた喩えが現代で使用可能と思うかい?
今、知られている、同種・同系統の植物なり、或いはポジションとして代替可能な別物に変換せねばならんだろ?
墓地(という表現が適切かわからんが)での行住坐臥も、「死体が打ち捨てられてる墓地」でなきゃ意味が無い。
四角い石柱が整然と並んだ中でのものとは別物だろ?
(律・学処に述べられる、様々な具体的事物・事例が一番顕著だが)、変換或いは別物へのシフトは必要だよ。
そして仏教は、(その布教や説法の大部分を)そうした枝葉末節に頼ってきたし、頼っている。
核を変えず、護持しつつ、拡がることを可能としたのは、まさに、この、
《「核(コア)」を守り、枝葉末節で対応してきたから》ではないのか?
《枝葉末節で対応できるからこそ、「核」を護持できた》のではなかろうか・・・。


>>387
> 自分は惨憺たるものだが

けど、それが出発点だろ? 四門出遊の「“各個”版」だろ?
釈尊の前に傅くも、座右の銘・日々の助言程度に受け止めるも、
個々の、苦悩の度合いと解消への熱量・勢いだろ?

口にするのが何度目か解らんがw、
門は開け放たれている。くぐるかくぐらないかが、個々に委ねられている。
貴方はくぐったのではないのか?
もし、くぐったのなら、(2chは程々にw)、その目に見える(=見つけた)足跡を追うべきなんじゃないかい?w

( ̄ー ̄)ニヤリ
392神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:02:02 ID:WBPsIQRN
>>390 全く反論になっていませんが。
それでは、脳死状態のものから臓器提供を受けた人は
その死者と同一人物になりますか?
勿論、そんなことはありませんね。身体の「一部」を継承したからと言って、記憶の連鎖はありませんから。ならば、逆に身体の継承が全くなく、記憶
だけが他人と入れ替わったらどうでしょうか?
勿論、実際にはあり得ないことですが、漫画などにはありますね。
この場合はこの人を記憶の人物とするか、身体の所有者であった人物とするかは、難しくなりますね。

わかりますか?
あなたの言う身体の「一部」の損傷など全く自己同一性の認識に関係ありません。

さらに、リンクの事例ですが、そういう、トンデモ本レベルの事例を
「実証例」としてあげることは止めようね。
自己を単なるオカルトバカに貶める行為です。
393神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:11:12 ID:uDjd7ZRT
>>391
譬喩は、確かに文化習慣に基づくものだからあらためるものはあらためるべき。
ただし、縁起があるから成る可くあらためない方が好ましい。

最後は何度も警告されてますな。その内、消えますがな、心配ご無用w
394神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:12:25 ID:/WLE1bFx
>>382
「わかっていないな」というのが
ここで流行っているようだが、
問題は君が大疑団になっているかどうかなんだよ。

いかに大脳新皮質で仏教の理屈を
いじくったところで、なにも結果など出てこない。

このスレの殆どの人間から苦、疑団が伝わってこない。
まったく心に響いてこない。
395神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:17:23 ID:uDjd7ZRT
>>392
だから、それは同一性なんて曖昧だということだけ。
同一性が確固としてあるという習慣で考えるから理解できないだけ。
私が指摘してるのは、その習慣を破壊するヒントね。

まあ、オレ自身は検証したわけではないのでなにも言えないが、
マチウ・リカールはシャンティ・デヴィのケースはあらゆる検証で正しいとされたと仰っている。

それをなんの検証もせずにオカルトと一蹴するのは、たんに論点先取か、
ただの権威主義かと告白してるようなもんで、関心しないな。

君は自分で思ってる程、賢くないと思うぞ。
396神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:19:43 ID:uDjd7ZRT
>>394
でも、おれちゃんは分かってるってか?

そういうことをネット上で言われてもね。

ネット上ではテキストに基づくしかないでしょ。
397神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:27:04 ID:/WLE1bFx
空の思想は無常、苦、無我を希釈してしまうだけ。
空思想はたしかに一時的に人を救ってくれるんだよね。
でも10日もしたら何一つ煩悩を消滅させていない事に気付く。

洞門が白隠禅師から抜け殻禅、無事禅とこっぴどく
批判された理由を考えてみた方がいい。
398神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:29:27 ID:uDjd7ZRT
>>397
そんな断定するなら、中論などテキストに基づいて論証してみよう。

白隠さんなんか出さないように、ほとんど中観と関係ないから。
399神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:31:06 ID:/WLE1bFx
>>396
テクスト解釈なんて学者にやらせておけばいいんだよ。
400神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:32:06 ID:uDjd7ZRT
>>399
じゃ、スレ違い。お引き取りあれ。
401神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:32:56 ID:/WLE1bFx
>>398
テクストと心中しなさい。
402神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:34:46 ID:/WLE1bFx
>>400
テクストというママがいないと
なにも言えないんだね。

畳の上の水練か。
403神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 22:54:50 ID:eIdEKald
そもそも、「一切皆苦」「生存苦」は、現代の精神医学から見れば、釈迦の
鬱病の症状以外の何物でもない。出発点が間違っている。当時は、精神医学が
なかったので、病気であることが分らなかっただけ。鬱病患者と付き合って
いれば、これらまで鬱病になる(感応精神病)。現代的には、この病的出発点
を無視するか、または排除する必要がある。そうすれば、残るものは何か。

竜樹は、鬱病でも統合失調症でもない健常者だった。女が好きだっただけ。

大体、女が嫌いな男は、人間も社会も分らず、人間として信用できない。
404神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:05:52 ID:vaj20aKQ
>>403
苦の二階層性に関するレスは見てなかったか?w

低い敷居に頭をぶつけて「痛い」。バールのようなもの殴られて「痛い」。
《『痛みの度合い』は違うが、『痛み』というカテゴリーとしては同種》だ。
同じように、《「人生」「生きること」に於いての『苦なるカテゴリー』の最大幅に焦点を合わせた》のが、
釈尊、ゴータマ・シッダッタという人物だよ。
君の指摘する傾向、素養はあったかもしれない。だが、結果として、それが良い方向へと連なったことは認めるべきだし、
その善き方向への力学がなければ、龍樹の関わりもなかったかもしれんぞw
てか、共感し、尊敬し、説き直すくらいだ。 存外、龍樹にも悲観的傾向があったんじゃねーか?wwwww
405神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:07:58 ID:/WLE1bFx
ある人がサバンナに行った時、捕食される
動物達のなんとも言えない悲しさに感応してしまって、
いたたまれなくなり、すぐに立ち去ったそうだ。

このような感性がなければ、人を救う教えなど
作れないし真理を悟ることもできまい。

正直、君が憐れである。
406神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:14:35 ID:/WLE1bFx
釈尊もご存知のとおり鳥が虫をついばむのを観て
深く心を痛めたという。

人間は躁状態の時より鬱状態の時のほうが
真実を見抜き易い、ということを
覚えておいた方がいい。
407神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:18:30 ID:uDjd7ZRT
>>405
それを言うなら、例えば一膳の飯を観ても、
そのために死んでいった虫などの犠牲を思うべきだろう。
世の中、苦しかない。

そして、憐れであるといってなんとかエゴを満足させたいような人が言っても、
説得力をもたないのは言うまでもない。
408神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:28:24 ID:/WLE1bFx
かなりひねくれた方のようで・・・

寝ます。
409神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:33:13 ID:oRRHVohG
>>404
病気でない健常者は、「一切皆苦」などという考えはない。どんなに
苦しい生活の中でも、必ずどこかに楽しみを見出している。さもなければ、
人類そのものが存続していないはずだ。釈迦が現代において鬱病の治療を
うけ、回復すれば、「一切皆楽」と唱えたであろうw。

竜樹の大哲学において、「苦の除去」などメインではない。彼は、その
「相互依存性」の思想におぃて、「すべて」を解決した。

現代においても、そのまま「万物に通用する原理」である。相互依存性
に思い至った西欧の思想家は「皆無」であろう。現代思想や科学における
その方向への流れは、すべて佛教(竜樹)のパクリであると言っても
過言ではない。西欧の思想家が完全には踏み切れないのは、キリスト教
が残っているからである。

精神医学が発達した現在において、いつまでも釈迦の鬱病に付き合って
いるのは、はっきり言って誤り、「病理現象」に過ぎない。

「一切皆苦」という「病的心理」ではなく、釈迦が治療によって回復した
ことを前提にして、「一切皆楽」で佛教を再建できないのか。
410神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:34:23 ID:x03Lo9Ay
>>395  >君は自分で思ってる程、賢くないと思うぞ。

また、これかい。今までのやりとりから、このような中傷文をいれなければ
ならないような必然性があったか?
返答に詰まると、このように相手を中傷する、いつものクセがでたね。
そういう態度にでるなら、こっちも遠慮しないでやらせてもらうわ。

>だから、それは同一性なんて曖昧だということだけ。
同一性が確固としてあるという習慣で考えるから理解できないだけ。
私が指摘してるのは、その習慣を破壊するヒントね。

輪廻というのは、あくまでも、我々が存在するこの世界での形而下の
現象なわけ。「我々は、実体は無く五蘊の仮設されたものであり、縁起
によって、・・・・・」などという認識論は関係ないの。
そして、その根幹たるシステムは説明できませんと逃げ出したのを、お前は
もう忘れたのか?  何べん指摘されたらわかるんだ?

>ただの権威主義かと告白してるようなもんで、関心しないな。

「経典の記述」という「権威」にべったりのお前が言うか?

>マチウ・リカールはシャンティ・デヴィのケースはあらゆる検証で正しいとされたと仰っている。

あのねえ、もし「生まれ変わり」が科学的に実証されたら、どんなことに
なるか理解してますか? 現時点の全ての物理的知見、法則が崩壊するの。
間違いなく、人類史上最大のニュースなの。
一向にそのようなニュースは聞こえてきませんが、いつ実証されたんですか?


411神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:46:24 ID:uDjd7ZRT
>>410
>また、これかい。今までのやりとりから、このような中傷文をいれなければ
>ならないような必然性があったか?
>返答に詰まると、このように相手を中傷する、いつものクセがでたね。
>そういう態度にでるなら、こっちも遠慮しないでやらせてもらうわ。

あるよ。君の文が嫌みなのは常にこの一文、これが出ると笑うわ。
ああ、賢いとおもってんだってね。それで真面目に話す気が失せるわけ。
君の主張内容はそんな難しいことなにもないよ。

>>392
>わかりますか?

それと、もう絡まないでくれるかな、無駄だと分かってるでしょ。
体系内の話、テキスト的なことしかいってないから。

オレは、ここと質問箱ぐらいしか見てないから、別のとこでやってくれないかな。
まあ、名無しだけど、オレの文だって分かるぐらいの頭はあるでしょ。

412神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:47:44 ID:X0WfWKEJ
現代の精神医学では、「鬱病」という言葉は使わず、「双極性障害」と呼ぶ。
つまり、鬱状態と躁状態とが交互にやってくる。仏典に、釈迦が「急に明るく
なった」状態を示す記述はありませんかw。常に「欝状態」のままですか。

精神医学的興味からの質問です。
413神も仏も名無しさん:2009/10/23(金) 23:58:44 ID:x03Lo9Ay
>>411  >それと、もう絡まないでくれるかな、無駄だと分かってるでしょ。

今まで、散々、俺の書き込みに横レス付けてきたのは、もう忘れたの?
記憶力あるんですか?


>オレは、ここと質問箱ぐらいしか見てないから、別のとこでやってくれないかな。

ほ〜、如何なる権利で「出てけ」と言うのかな?
ここは、お前の意見を受け入れるもの以外は、書き込み禁止か?

>まあ、名無しだけど、オレの文だって分かるぐらいの頭はあるでしょ。

俺に限らず、お前のその独善的な文は誰がみてもわかると思うぞ。
お前に限らず、おかしいと思う書き込みには、其々が自己の見解に
より、反論を述べることが許されているのでは、ないかな?
それとも、お前の書き込みだけは、批判的レスを付けるのは禁止されてる
わけか?
414神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 00:03:23 ID:rE01AxRg
ほらほらw
どこかのどなたかさんのスタンスの取り方の弊害が、また浮上してきた・・・w
415神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 01:06:40 ID:Cfuo+zai
>>406
>人間は躁状態の時より鬱状態の時のほうが
>真実を見抜き易い、ということを
>覚えておいた方がいい。

病的心理によって歪められた現実は、「真実」とは言わない。

自他の死を恐れるのは、すべての人間が生来的に有する「生物的生存本能(生命)」が原因である。
「他者への思いやり」も同様。他人や宗教から教えられるいわれはなく、また、教えられてはなら
ないもの。教えられれば「観念化」し、肉体的本能としての生存本能が、変容・破壊される恐れがある。

釈迦が、失われる生命に対して憐れみを覚えたのも、彼の生物的生存本能から発していることを、
忘れてはならない。
416神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 04:29:02 ID:em8HRFeA
>彼の生物的生存本能から発していることを、忘れてはならない。

そんなの大前提なのに今更自慢げに言われてもな…
単純に、死ぬのこえーーーから始まってることだし
417神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 05:42:00 ID:ioWbpPc/
>>413
最初は、体系内の話だと思ったから、次は名無しだから分からないから。

ここはテキスト内の話ですがな。

単に粘着したいだけか?
418神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 06:29:59 ID:ioWbpPc/
>>414
ですな。まさに不徳の致すところで。
419神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 10:28:23 ID:aup3CowJ
>>409
現代文明というのは全て死から目を逸らす
ために作られているので、一切行苦を
見抜くには相当の知性と感性と経験が
ひつようでしょうな。
苦がわかって初めて厭離でき、厭離できて
初めて禅定に入れる。

釈尊=鬱病、イエス=糖質論者の例の方ですか。
420神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 10:29:33 ID:bTLOBeZY
>>417 まだ、絡んでくるの?

>次は名無しだから分からないから。

お前>>411 で 「まあ、名無しだけど、オレの文だって分かるぐらいの頭はあるでしょ。」
こんなこと言ってたな? ひとにこんなこと言っといて、自分は「名無し」だから
わかりませんて、お前ホントニ頭悪いんだね。かわいそうに。

>単に粘着したいだけか?

こういうコメントにお前の独善的、決め付けスタンスがよく現れてるな。
俺は自分の行きたいスレに行き、自由に自己の見解を述べているだけ。

お前はね、自覚があるのかどうか知らないが、自己の見解を受け入れない
ものは全て排除しようとするの。
「〜は、スルーしましょう」
「〜は、無視してください」
「〜は、何もわかってないのに書き込みするな」
今までいったい、どれくらいお前からこのセリフが出てきた?

結局、お前は「仏教の経典の記述に詳しくない者に対して『俺が教えてあげよう』
という態度がとりたいだけなのよ。つまり、自分の意見に賛同してくれる者に
対して『師匠ごっこ』がしたいわけ。だから、自分の意見に従わない者が現れると
すぐに排斥しようとするわけ。お前は、その自分の師匠の「聖者」から、そのへん
のところ、改めるように指導されたことはないのか?」

確かに「経典の知識」は、ひとよりあるかもしれないが、「仏教徒」としては
最低の部類に入ると思うぞ、お前は。
421神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 10:43:22 ID:rfTbRSNJ

 ゴータマ・ブッダはシュルレアリズムの元祖である。

・・・なんて言ったら、ここの無明連中から罵倒されそうだなw
422神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 12:17:19 ID:7qrdi+wc
>>419
>現代文明というのは全て死から目を逸らす
>ために作られているので

死は、すべての生物に、例外なく、極めて公平に訪れる大自然の摂理。個体の
死によって、種属としての生命の維持が可能になる。

宗教者の「死に対する異常な執着」は見苦しい限り。いい加減で悟って、執着を
捨てよ。

圧倒的大多数の生活者は、既に悟っている。悟れないで足掻いているいるのは、
宗教者のみ。
423机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/24(土) 13:23:14 ID:toED4E/R
>>422
>宗教者の「死に対する異常な執着」は見苦しい限り。いい加減で悟って、執着を
捨てよ。

「生に対する異常な執着」ではなくて・・・
「死に対する異常な執着」なんだね?
ということは、
輪廻転生についての執着。ということですか?

して、貴殿に伺いたいのは、生命は死んだら消滅するのですか?
それとも生命は残存するとお考えですか?
是非、御教示ください。
424神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 14:21:13 ID:rfTbRSNJ
>>422
おー、またまた耄碌隠居のご登場かw
もう年寄り特有のワンパターン・フレーズはいいから、
他スレで神々の信者やカルトどもをからかって遊んでおいで。
425神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 16:29:10 ID:PYRxvtJM
>>423
>して、貴殿に伺いたいのは、生命は死んだら消滅するのですか?

「生命が消滅すること」を「死」と呼ぶのですよw。生命が消滅しなければ、
死亡診断書は出せません。生命があるのに火葬すれば、殺人罪になります。

生命そのものとは何かを生命を以って知ることはできません。知ろうとする主体
と対象とが同一ですから、知るという行為は、初めから成立しません。

従って、具体的には、生命の消失は、認識可能な「生命現象の消失」によって
判定します。医学的には、「心拍の停止」「呼吸の停止」「対光反射の停止
(瞳孔の散大)」です。これを「死の三徴候」と呼びます。「脳死」の概念
が生じた現代では、死とは、「脳幹を含む全脳の機能の不可逆的停止」と定義
されています。しかし、この脳死の定義も、「死の三徴候」によってカバー
できるとされています。心臓の動きが停止すれば、脳も虚血するため、必ず
間も無く腐敗するからです。腐敗は、「臭い」で誰にでも判ります。

生命が消失すれば、身体は腐敗し、蛆がわきます。感覚器官も思考器官も運動
器官も腐敗するから、感覚も思考も運動も不可能になります。座禅もその他の
宗教行為も一切不可能になります。

医学が発達した現代では、死の判定は、専ら医学が行います。宗教の出る幕では
ありません。

生命が消失した後の「死後の世界」を、「生命の機能」によって思考することほ
どの矛盾はありません。
426机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/24(土) 16:42:06 ID:toED4E/R
>>425
そうしますと、
宗教者というのは、
>「心拍の停止」「呼吸の停止」「対光反射の停止 (瞳孔の散大)
に執着してるんでしょうか?

貴殿の「生命の機能」も、すこしクタビレテきたのではないでしょうか?
427神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 16:51:25 ID:ybCjyS2t
>>426
>宗教者というのは、
>>「心拍の停止」「呼吸の停止」「対光反射の停止 (瞳孔の散大)
>に執着してるんでしょうか?

そのとおりです。「死への(換言すれば、生への)『執着』」以外の何物
でもありません。

悟った生活者たちは、それほどまでには執着しません。
428机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/24(土) 17:50:38 ID:toED4E/R
>>427
>そのとおりです。「死への(換言すれば、生への)『執着』」以外の何物
でもありません。

「生」と「死」は対極にある概念で、換言にはならない。

つうか、そもそも日常における言説空間において、
そもそも「生死」という概念は入りこまないよ。
それを説明してあげよう。

貴殿がいう「死んだら生きている認識は無くなる」。という逆説を言えば、
「生きてる時は、死という認識はないんだよ」。
それが悟りってもんだよ。

私の書き込みが解せたら、悟りへの登竜門になる。
429神も仏も名無しさん:2009/10/24(土) 20:56:27 ID:aup3CowJ
>>427
横レス失礼します。
>悟った生活者たちは、それほどまでには執着しません

君は坐禅も瞑想もしたことはないのだろうね。
俗に言う蟹が泡を吹くように瞑想などを
行うといろんなものが出てくるんだよ。
「こんな物があったのか!」というほど
執着が出てくる。

それを処理してから発言して欲しい。
430神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 00:48:19 ID:Iq4FFd49
>>428
>「生」と「死」は対極にある概念で、換言にはならない。

これは異なことを。仏教者にとって、生死は一如ではありませんか。

>>429
>君は坐禅も瞑想もしたことはないのだろうね

瞑想は、社会にどのような貢献をしていますか。あなたが瞑想中、何を考え
ようと、社会の知ったことではありません。単なるあなのの自己満足に過ぎません。
人は社会によって生かされている。その返礼として、人は勤労によって社会に貢献
する。自己満足の瞑想にふける宗教者は、社会のゴミに過ぎないことを、自覚
されたい。それ故に、大乗仏教は、自利と共に利他をも考慮しているはずだが。
431机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/25(日) 07:00:39 ID:rtO1HLTD
>>430
>これは異なことを。仏教者にとって、生死は一如ではありませんか。

私は、こういうレスポンスが来るのを予想して書いたんですよ(笑

あのですね、「生」ということに視座がありましたら、
その対極である「死」と対立するんであります。

隠居氏の書き込みは、常に視座が「生」もしくは「死」に向けられております。
そもそも仏教者は、こういう視座というのは・・・殆どない。
(悟った者でしたら全くない)

つまり隠居氏は、極論(世俗諦)で語ちとるんですから、
私のレスポンスも極論で対応しとります(笑
432神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 09:10:20 ID:CwH0PzxQ
>>430
瞑想って社会に貢献するために
やるもんなんですかねえw
433神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 10:46:32 ID:aDA0V69j
>机氏

縁起による自己を最近了解できた。
すると「あれ、何かする必要あるの?今まで何やってたの?」という心境。
ここから先はあるのでしょうか。
434神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 11:20:46 ID:CwH0PzxQ
>>430
>あなたが瞑想中、何を考え
ようと、社会の知ったことではありません

瞑想って基本的になにも考えないことなんですけどw

ボランティアでもやってた方がいいんじゃないですか?
435机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/25(日) 11:29:52 ID:rtO1HLTD
>>433
悟りというものは、つまり日常性が担保された理性的意識の崩壊だろうし、
それは非日常であり非理性でもあります。
これはどういう状況なのか?
例えば、
シェイクスピアの歌劇で有名な「ロミオ&ジュリエット」などは、
非日常性と非理性をモチーフとして書かれた、つまり純粋体験のことだね。
(愛の恍惚です)

また、もうひとつ例えるなら、
池田晶子とか正岡子規なども純粋体験をしたであろうと推測してます。
つまり、死との直面というのは、状況的に純粋体験しやすい。
(これは生への恍惚ですね)

>ここから先はあるのでしょうか。

人間というのは、一度恍惚を味わいますと、
それだけでは生きてはいけないことを悟ってまいりますから、
「純粋」より「不純」に向いてきます。
「水清ければ魚棲まず」の心境ですね。

しかしこれは「純粋」に透過したからこそ言えるわけでして。
不純こそ美味である。ってのが還滅ですよね。
436神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 12:43:11 ID:mR42G2Ev
>>433
>縁起による自己を最近了解できた

おい、一無位の真人とか仏は居たか?
437神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 15:10:32 ID:ZzwMWemJ
>>432
>瞑想って社会に貢献するために
>やるもんなんですかねえw

すべての人間は社会(共同体)によって生かされている。従って、すべての
人間は勤労によって社会に貢献する義務がある。瞑想は、単なる自己満足だから、
社会にとってはゴミであり、瞑想者は「忘恩の輩」に過ぎない。

そもそも、瞑想をやる目的は何か。「自己の輪廻を免れる」という「エゴ」と
「欲望」に過ぎないのではないか。

圧倒的多数の生活者たちは、社会への貢献という義務を果たすべく、「あらゆる
現実的要素を考慮した瞑想」を日々行っている。「何も考えない瞑想」などに、
一度きりの人生の貴重な時間を浪費したりはしていない。

「何も考えない」と言いながら、考えていることは「自己の解脱」というエゴ
と欲望のみである。
438神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 15:24:08 ID:CwH0PzxQ
>>437
そうですか。
お好きにどうぞ。
439神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 15:34:13 ID:hUyhssVP
そもそも自我なんてない(笑)
440神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 16:21:06 ID:R6iSvo0x
>>439
自我がなければ、輪廻転生も在り得ない。従って、解脱も、瞑想も、修行も、
一切不要。
441神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 16:43:55 ID:hUyhssVP
売れないね。
442神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 16:54:32 ID:hUyhssVP
気づきの瞑想しなさい
443神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 17:03:15 ID:Ch3mGPHs
>>442
「何も考えない」のが瞑想のはずだろ。何かに気付けば、それは「雑念」
であり、瞑想は破られる。「気付きの瞑想」とは、言語矛盾。
444神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 17:06:17 ID:hUyhssVP
何も考えないのが瞑想だなんて笑えるな意見
445神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 19:41:52 ID:CwH0PzxQ
>>439
>>440
罪悪感で苦しんでいるような人には、勝義で「自我など幻影である。
幻影が罪を犯せるはずはない」と言うべき。
>437のような人間には「自我があると自分が苦しいし
ひいては他人をも苦しめることになる。社会の構成員
一人、一人が煩悩を滅することによって社会全体が
狂気から解放され、殺人だのイジメだのが消滅する」
と、世俗諦から説法すべし。
対機説法を使われた釈尊の偉大さが偲ばれる。
446神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 19:45:35 ID:CwH0PzxQ
>>443
>>444
本ばっかり読んで実践経験がない人間は
発言を控えるべき。

生兵法は怪我のもと、と昔からいうだろ。
447神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 20:01:22 ID:hUyhssVP
本を読みすぎて実践しないって(笑)
自分勝手な決めつけだな。
448神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 20:21:03 ID:CwH0PzxQ
それは失礼。
そう思わせるような発言にはご注意を。
449神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 21:02:02 ID:aDA0V69j
>>435 

>不純こそ美味である
そこまでは思いませんが、まだ体験が新鮮なので道行く人を見ただけで泣きそうになります。
落ち着いたら、また お邪魔します。

>>436
意味がわかりません。
450神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 21:10:43 ID:CwH0PzxQ
>436が泣いてるよ。

451436:2009/10/25(日) 22:41:22 ID:mR42G2Ev
>>449
>意味がわかりません。

よかったね。
わからなくていい。
居たら、殺せばいいだけだw
452神も仏も名無しさん:2009/10/25(日) 23:53:08 ID:dVv1UE+g
>>445
>対機説法を使われた釈尊の偉大さが偲ばれる。

それを、専ら釈迦の「自我」で説いた、という矛盾は、どう解決するのかね。
453神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 00:29:37 ID:tjTFxDgN
それって「我」の定義がめちゃくちゃって事なんじゃないですか?
454神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 02:39:11 ID:VlVFVqmP
>>453
「我」を定義したのも、釈迦の「我」である。
455神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 08:10:59 ID:kewXvu0D
>>454
低能耄碌隠居はベタベタのモグラにしか過ぎんということだ。
モグラには地上の様子がわからない=観えないだけ。

いわば幾何学的左脳論理オンリーでは、繊細な右脳直覚で観えるコトが
矛盾に思えるだけ。
 レベルが低すぎるから、出てこなくていいよ。
456机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/26(月) 08:42:55 ID:RKNssKbV
>>449
>そこまでは思いませんが、

いやいや、これは感性の問題ですから、
なにも思い煩うべきものではありません(ニッコリ

ひとつだけ俗な例示をしとう存じます。
見返り美人というのは、桜の樹の下と、柳の樹の下では
どちらが美人に見えるか?って程のことでございます。

美人は柳がお似合いでしょうし、武士は桜がよく似合うのでございます。
また、
カオスの中に咲く蓮華が美しいのでございましょう?

利休は、秀吉を茶室に迎えるにあたって、
殆どの朝顔をもぎ取って、わずかな花だけ残したそうです。
これもいわゆる感性でして、説明する程のこともございません。
457神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 09:47:52 ID:tjTFxDgN
>>454
それもあなたの「我」の定義がおかしいからそう思えるだけじゃん
458神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 10:26:58 ID:ZIpZuPij
>>455
>>457

君たちが、いくら感情的に罵詈雑言を吐いても、宗教の論理的矛盾は少しも
解決しないよ。

釈迦が己の「我」で説いたのではないのなら、釈迦は我のない幻・幽霊か。
幻が説いたのなら、教えも幻。従って、信じることは無意味。

釈迦は、己の「我」の問題を、まず解決すべきだね。
459神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 13:29:34 ID:tjTFxDgN
>>458
解決してるのにあなたが知らないだけだよ
あなたみたいな批判する人は昔から大勢いたけど
尽く論破されてる
460机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/26(月) 13:33:41 ID:RKNssKbV
>>449
>まだ体験が新鮮なので道行く人を見ただけで泣きそうになります。

開悟の前は、こんな状況になるのが一般的であります。
白隠が何度も「大悟」連発してるのは、この状況ですね。

これは、ロミオがジュリエットに恋焦がれるようなもんです。
胸が張り裂けんばかりのプラトニック・ラヴというんでしょうね(ニッコリ
これは裏を返せばナルシズムですよ。
恋する自己に酔ってしまうんですね。
女性に多いタイプです(ニッコリ

この常態の時に、修行者は「仏性」と勘違いするのですが、
これは違います。
ただ情緒的感性に慕った常態ですね。

これは株価が上昇トレンドに入ってる状態ですから、焦って売らないことです。
ここから一気にストップ高の気配が入ってるんですから(ニッコリ

>落ち着いたら、また お邪魔します。

そうですね、
ここは「踊り場」と考えてみてください。
話はそれからです。
461神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 14:27:45 ID:bUs0v8cO
>>459
>尽く論破されてる

釈迦が、己の「我」で「無我」を説くという大矛盾は、永遠に論破され得ない。

「中道では、空は成立しない」という矛盾についても然り。

いずれも、竜樹の「相互依存性による無自性」の原理の借用が必要であった。
462神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 14:56:21 ID:tjTFxDgN
>>461
「我」ということばに惑わされすぎなんだよ
463神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 18:23:05 ID:kewXvu0D
>>461
>己の「我」で「無我」を説くという大矛盾

えっ!まだやってんの?耄碌隠居の耄碌ぶりにはお畏れ入る。
ちょっとだけ、サービスね。
いっとくが、無我とは有(あり)⇔無(なし)の二項無ではなく「空」である、の意味ね。
<耄碌症状改善トレーニング・ヒント>
(1)二項相対の「有我⇔無我」(言語論理での理解)で、隠居が有我であること(一方極)を
無反省に絶対前提としている根拠は?証明してください。
二項相対有我は唯物論的形而上学(戯論)だよ。デカルト我は証明できますか?
   空我(無限定)は無分別智で直覚するしかないんだよ。もっとも、得心できればお悟りへ肉迫なんだけど・・・
(2)公案(以下の公案を解け:内容はググること)
   ・慧能・本来無一物
        ・非風非幡
・我は我ではない、ゆえに我という
        現象界はまさに夢、幻、泡、影、露、電の如し
                     (智慧の完成を終る)

これ以上はヒントなし。
認知症防止のため、既成概念にとらわれず、上記耄碌改善トレーニングに励もう!
まじめにやれよ。
464神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 21:08:08 ID:K/unbpzg
>>463
君のその意味不明の書き込みのほうがよほど耄碌。若いのに、若年性アルツハイマー病か。

君がそこに書き込めたという事実が、君の「我」を一義的に証明している。君が死んだら書き込めない。

よって、「我」とは、君の「生物的生命」。共同体においては、「我」即ち「生命」は、他者が君の姿や書き込み
を知覚することによって証明する。デカルトが、いくら「我思う、故に我あり」と言ってみても、他者がデカルト
を知覚しない限り「我はない」。彼は、「我あり、故に我思う」というべきだった。西洋哲学の誤謬の源泉である。

君の生命は、無数の関係性によって成立している。まず、両親が「関係」しなければ、君の生命は生じない。また、
無数の人々や自然が、物資やサービスを提供してくれなければ君の生命はない。従って、君の生命は、関係性の
産物だから、自性はない(これが、竜樹の相互依存性・関係性の原理)。これを「空の思想」という。

君が書き込みを他者が知覚できる限り、君の「我」、即ち「生命」は厳然として存在する。「幻」などではない
から、心配は無用。

これが、釈迦がヒントを与え、竜樹が分析、発展させ確立した、「空」という、佛教の「中心思想」である。
465承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 21:26:32 ID:UzWOhMIG
>464
つまり、無人島でサバイバルしてる人とか、死亡と誤診された仮死状態の人とか、
他者が生きていると知覚出来ない人は死んだ人なんですね?(笑)
んじゃぁ、他者が知覚していると信じてる、水槽の中の脳髄は?(笑)
466神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 22:05:17 ID:9Zokz81r
>>465
共同体では、死者として扱う。本人自身の知覚や認識は関係ない。不在者の生死が7年間不明な場合は、失踪宣告
がなされる(民法30条)。脳髄は、死体である。
467神も仏も名無しさん:2009/10/26(月) 22:09:21 ID:tjTFxDgN
そこで民法持ち出すのかよwww
468承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/26(月) 22:20:48 ID:UzWOhMIG
>466
じゃぁ、仮に君が実は最後の人類で、宇宙人がサンプルとして脳髄だけにして適当な五感情報を与えてるだけだとしたら、
君は自分は死者だと規定出来る訳だな?(笑)

(^。^)頑張って死者として生かされてくれ♪(笑)
469463:2009/10/26(月) 23:33:07 ID:kewXvu0D
>>464
>君がそこに書き込めたという事実が、君の「我」を一義的に証明している。

落第。
>有我であること(一方極)を 無反省に絶対前提としている根拠は?
>証明してください。 (>>463)
このことの証明になっていない。単なる知覚は存在の証明ではない。
デカルト的誤謬のまま。
素朴実在論への単純信仰表明にすぎず、なんらの証明になっていない。
カントを持ち出すまでもなく、理性が扱えるものは外部の物自体(Ding an sich)ではなく
あくまで現象(Erscheinung)にすぎない。 したがって、経験不可能なものを対象とするとき、
理性はつねに解決不可能な二律背反 に陥ってしまう。
隠居は「有我」という形而上的主張を証明しなければならない。
 仏教は二項相対を離れた、戯論の消滅というめでたい縁起=中道の
ことわりである。

やり直し。トレーニング続行。
(1)でこれだったら、(2)はまだまだだな。
470神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 01:23:58 ID:TPW+V6+h
>>469
>このことの証明になっていない。
「死ねば無我になる」と言っているのだから、「有我」を絶対前提などしていない。有我を以って無我を説く
釈迦や君たちこそ、絶対的な矛盾を犯している。

>単なる知覚は存在の証明ではない。
五感の知覚以外に存在の証明ができる手段があれば挙げてくれ。釈迦は、すでに2500年前に、「眼耳鼻舌身」と、
存在を成立せしめる五感のすべてを見事に指摘している。これは、現代の生理解剖学でも全く同じ。なお、「意(脳)」
は、五感からの入力を統合する器官として、五感の一部である。釈迦は、このあたりが、幾分曖昧であった。だから、
誤解している仏教者が多い。

>デカルト的誤謬のまま。
デカルトは、釈迦よりもさらに劣って、「意」を存在の判断基準としている。五感などには、思い至っていない。

>素朴実在論への単純信仰表明にすぎず、なんらの証明になっていない。
人間は、素朴実在論によらなければ生存できない。従って、素朴実在論(五感の知覚)は、生そのものである。

>カントを持ち出すまでもなく、理性が扱えるものは外部の物自体(Ding an sich)ではなく
>あくまで現象(Erscheinung)にすぎない。 したがって、経験不可能なものを対象とするとき、
>理性はつねに解決不可能な二律背反 に陥ってしまう。
カントは、「物自体」を一体どうやって証明したのかねw。彼の妄想以外の何物でもないではないか。まさに、
経験不可能なものを対象として「解決不能な二律背反」に陥っている。これは、君たち宗教者も全く同じ。

>隠居は「有我」という形而上的主張を証明しなければならない。
「我」の「有る、無い」は、形而下的問題である。

> 仏教は二項相対を離れた、戯論の消滅というめでたい縁起=中道の
>ことわりである。
釈迦は「中道」を説いたが、「中道」は、実体としての「両極端」を前提とするから、その中間のどこをとっても、
「実体としての両極端」の一部・延長に過ぎず、「空」は成立しない。この論理的誤りを是正したのが、竜樹の
「相対性故の中道(空)」である。
471神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 02:53:27 ID:y1iHBou2
善があるから、悪がある。
強があるから弱がある。
長があるから短がある。

これらの事を相依性とよぶ。
語句や用語の意味を正しく把握することです。
472神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 03:02:28 ID:y1iHBou2
釈尊は人は「我がある」という「想い」によって、
苦しみが生ずると、説いたのであって、
「我がある」または「我がない」という、観念による断定によって、救われるとは説いていない。
473463:2009/10/27(火) 10:32:57 ID:WYHMxEfb
>>470
仏教は実有・実無に非ず、非対象性の不一不二→空=中道を本義とする

(1)>「死ねば無我になる」と言っているのだから
耄碌隠居の場合は素朴実在論への信仰表明を前提として生死の二項相対論なのだから、
立派な有我論前提だ。仏教は有⇔無の二項相対を離れた空我論だ(スッタニパータ1119)。
「死ねば無我になる」なら、二項相対論からは「生きていれば有我」を前提としている。
>『有我であること(一方極)を 無反省に絶対前提としている根拠は?』の回答はまだ有効だ。
→隠居は「有我」という形而上的主張を証明しなければならない。

(2)>五感の知覚以外に存在の証明ができる手段があれば挙げてくれ。
→・我は我ではない、ゆえに我という
        現象界はまさに夢、幻、泡、影、露、電の如し
                     (智慧の完成を終る)(>>463
ブッダの>「眼耳鼻舌身」とやらも(仮設)現象であって、仏教は隠居的「実在論」ではない。
→単なる知覚は存在の証明ではない(>>469
>素朴実在論(五感の知覚)は、生そのもの←信仰表明であって、戯論そのもの⇒(1)

(3)>これは、君たち宗教者も全く同じ。
仏教は外部の物自体(Ding an sich)を想定しない。

474463:2009/10/27(火) 10:35:25 ID:WYHMxEfb
>>472

世俗諦の苦集滅道も、勝義諦では無苦集滅道となる(心経)

繰り返すが、仏教は存在論ではない。むしろ人間論だ。
しかし、存在のありようが「縁起」で把握できたとき、
当時の勃興する商品交換自由社会における人間疎外=生存苦の
問題解決の見通しがついたのが悟り=大覚成就だったといえるだろう(仏教質問箱23 >>101>>108)。

我々はブッダ当時とは比較にならないほどの高度商品交換社会において、
欲望という欲望(ニーズ・ウォンツ)を刺激する激しい人間疎外=生存苦の無明状況にある。
このような状況における人間はどうあるべきか、仏教の現代的意義もここにあるといえるだろう。
475473:2009/10/27(火) 12:18:07 ID:WYHMxEfb
訂正(8行目)
× 回答はまだ有効だ。
〇 問いはまだ有効だ。
476神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 12:42:54 ID:P21ECwr9
>>474
>繰り返すが、仏教は存在論ではない。むしろ人間論だ。

「色即是空・空即是色」は、西洋哲学の何人も到達し得なかった、究極の存在
論である。人間は、実在物に100%依存しない限り生存できないのだから、
存在論と人間論とは、不即不離である。

>しかし、存在のありようが「縁起」で把握できたとき、
>当時の勃興する商品交換自由社会における人間疎外

商品交換社会は、「人間疎外」の対極にあるもの。商品交換において、人間は
一体にならねばならない。商品交換こそ、まさに「相互依存関係」ではないか。
マルクスは、「人間は、自然を加工するから疎外」などと言ったが、とんでも
ない勘違い。人間は、自然から採取し、加工することによって、自然と一体に
なり生存している。

釈迦は、「有我(生命)」を前提とするからこそ、「生存」苦からの離脱を説
き、「無我と仮定せよ」と、彼の我(生命)を以って説いたのである。釈迦は、
人間は「五蘊の集合体」と言ったが、五蘊の発生源は、人間の「生物的生命」
である。釈迦は、「観念の遊戯」に偏したため、「根源」には思い至らなかった。
477神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 14:45:20 ID:t62+UaPj
有我(笑)
仏教は無我が前提ですから
それが解らないなら勝手にカルトの教祖にでもなれば
478463:2009/10/27(火) 16:10:57 ID:WYHMxEfb
>>476  帰ってきてレス読んだら、ふぅ〜、かなりの脱力感を覚ゆ

(1)>「死ねば無我になる」なら、二項相対論からは「生きていれば有我」を前提とし
>ている。→隠居は「有我(生命)」という形而上的実体・実在を証明しなければならない。
はやいことやれ!
→単なる知覚は存在の証明ではない(>>469
  仏教は無我にて候
(2)>「色即是空・空即是色」は、西洋哲学の何人も到達し得なかった、究極の存在
>論である。人間は、実在物に ←矛盾
   「色即是空・空即是色」は縁起=無自性:空の謂い、これのどこが実体・「実在」論なんやねん!
(1)との関連で説明せよ。
(3)人間の「生物的生命」が“根源”と言うが、根源(アルケー)とは前提なき原初であり、まさに形而上的神話にしかすぎない。
   キリスト教はじめ神の宗教を非難するが、耄碌隠居こそ形而上的神話体質そのものであり、以前の出自が神的宗教徒であることをうかがわせる。
そもそも耄碌隠居の「生物的生命」とやらは何から縁起したのか、生物的生命とやらは依拠前提なしの神なのか?
   解答せよ。
479463:2009/10/27(火) 16:14:12 ID:WYHMxEfb
(続)
(4)>釈尊は人は「我がある」という「想い」によって、苦しみが生ずると、説いたのであっ
   >て、「我がある」または「我がない」という、観念による断定によって、救われると
   >は説いていない。
    有我論者にとっては「我がない」との「想い」はインチキで不可能なことだから、常に苦しまなければならない。
   (無我論者は「我がない=空」との正見で、脱苦)
  >釈迦は、「有我(生命)」を前提とするからこそ、「生存」苦からの離脱を説き、「無我と仮定せよ」と、
    いくらなんでも、こんな見え透いたウソをついたら議論にならん。病院へ行け!
(5)>商品交換社会は、「人間疎外」の対極にあるもの。
  「商品」+「金融」によって基本的生存の充足以外の欲望・渇望・執着をつつきまくられ、
   巨大な欲望のカオスでもがいているのが我々現代人の姿ではないのか?
  少なくとも、ブッダの教えの今日的意義がここにあると考える。

やり直し。トレーニング続行。
(1)でこれだったら、>>463の(2)はまだまだだな。
 やっぱり、頑迷な耄碌犬に芸を仕込むのは無理か。
480神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 17:16:58 ID:0CWI6jEF
>>478
>仏教は無我にて候

と釈迦が己の「我」で語る滑稽さw。

開祖と経典で仕込まれて、それから一歩も踏み出せず、踊り狂っている宗教者は、まさに猿回しのサル。

回答は、すべて前レスでやっている。君たちが宗教という「人為物」から脱却できれば、自明のこと。

佛教哲学では、「色即是空・空即是色」は優れた存在論。「色」とは「現実界」であることを知らない仏教者が多い。
「岩波佛教辞典」の該当項目くらいは、まず読むこと。
481神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 17:26:58 ID:Frrb4AX6
>>480
決着スレのアートマンシリーズで、
「自己」の階層性、種別の話が出てなかったか?
貴方も、勝義と世俗の別が御嫌いか?w
482463:2009/10/27(火) 17:39:08 ID:WYHMxEfb
>>480
>回答は、すべて前レスでやっている。

いつもの逃げ、(1)に対するマトモな回答はない。
俗物世俗諦にへばりついたままのモグラ唯物論、素朴実在論「信仰」でしかない。
自説の「有我」を立証してごらん。
>「色即是空・空即是色」は優れた存在論
>「色」とは「現実界」
では即で結ばれる「空」とはなんですか?
あなたの有我=実体・実在論との関係で述べてください。
483承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/27(火) 17:50:24 ID:2H2cENWh
>480
(^。^;)えっとね?
色即〜の後にね、受想行識亦復如是って続くでしょ?(笑)
適当にコラージュして無いで、せめて、ちゃんと文章としての経典理解を目指そうね?(笑)
解った?
484神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 18:24:52 ID:YvFSsU5W
>>482
君が私の書き込みを見てレスしたことが、私の「有我」の証明。君の
「有我」の証明についても同じ。簡単なことw。「無我」なら書き込み
はできない。

「色即是空・空即是色」(この世界は、人間の目に映じているだけだから、
本当には存在しないのかも知れない。しかし、その世界こそ、人間がこ
れまで生きてきた、そして将来も生きるべき、生きることの可能な、唯
一の世界なのだ)。

この存在論に反論できる西洋哲学者は皆無であろう。

色即是空・空即是色だから、「空と色とは等価(即ち、色=空)」であ
る。どちらか一方などとは、どこにも言ってはいない。「幻」などとんでもない。
これが佛教の真髄である。

なお、竜樹の空は、一歩進めて、その世界がことごとく「相互依存(縁
起)」によって構成されており、それ故に「自性はない」ことを明らかに
した。これは、その世界の一部としての、人間の生命についても同様に
当てはまる。
485机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/27(火) 18:36:05 ID:DKHgwj5o
>>480
>>仏教は無我にて候
>と釈迦が己の「我」で語る滑稽さw。

ご隠居のために、少しだけ「無我」について御説明します。

無我というのは、客観はそのままで主観が消える。ってことだよ。
(この段階では、まだ初歩的な理解です)
そこから客観世界のことを悟ってくるわけだけど、
空なる客観と、空なる主観があることにお気づきになられたか?
この主客対立が全部否定されて、
これがいわゆる「一無位の真人」と言われるもんです。

一無位の真人というのは、
【己の「我」で語る】という器用なことは出来ない。
二重の我はありえんからです。

「去るものは去らない」。→(中論より抜粋)
二重に去ることは、ありえんのです。
486神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 18:40:04 ID:/o+i/fbX
日本語が不自由な方がおられるようなので、
だれか、小学生にでも理解できるように、世俗諦と勝義諦の違いを説明してくれませんか?
487神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 18:41:52 ID:m/OEo2Ih
>>488
>受想行識亦復如是って続くでしょ?(笑)

それも、人間が考えているという意味で、人間の知覚と同様に看做す
ことができる。人間も、世界の一部である。

なお、般若心経は、「無もまた無」と言っている。「否定の否定」は
「肯定」である。
488神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 18:54:15 ID:SRTmm/9+
>>485
>二重の我はありえんからです。

それがまさに、
「仏教は無我にて候
と釈迦が己の「我」で語る滑稽さ」
のことです。「無我を語る我」と「無我なる我」とが二人出てきますねw。

「一無位の真人」とは、人間の「生命そのもの」のこと。
489神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 18:58:07 ID:/o+i/fbX
>「一無位の真人」とは、人間の「生命そのもの」のこと。

それは、観念にすぎない。
そのような断定は不要です。
生活しているうえにおいて、「これは、生命そのものだ」なんて、
いちいち考えるのか。
煩わしいわ。
490机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/27(火) 19:06:01 ID:DKHgwj5o
>>488
貴殿が板に書き込みしてるのは、主観主義というもんなじゃないですか?
古い哲学(カント)をどこかで習って、
それだけしか思考が廻らんのと違いますか?
491承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/10/27(火) 19:22:15 ID:2H2cENWh
>487
(^。^;)否定の否定は肯定じゃ無いんだがな。(笑)

あと、アンカーは正確にね♪(笑)
492神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 19:33:32 ID:bR2HhjW3
>>490
カントとは対極的なことを言っている。カントが、「生物的生命」などを
少しでも論じましたか、

宗教者こそ、カントの「物自体」と同じ妄想なのです。

ニーチェは、カントを、「陰湿な神学者に過ぎない」と批判している。

ニーチェも、生物学を基盤にしたところは正解であるが、「共同体形成維持
本能」には、充分に思い至っていない。

なお、佛教の「勝義諦」「世俗諦」の「二分法」は、勝手な人為的区別。
この世界には、そんな区別はありません。「二項対立」は、止めたほうがよい。
竜樹が批判しているのは、さすがだと思う。

>>489
そうやって「煩わしがる」のも、あなたの「生命」の機能。死んで「無我」に
なれば、なくなりますw。
493神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 20:12:02 ID:t62+UaPj
何を言っても無駄ワロタw
お釈迦様も論争の相手は選べって言ってたようだし
放置でいいんじゃないでしょうか
494神も仏も名無しさん:2009/10/27(火) 20:26:13 ID:6EiytXnA
>>488
>「一無位の真人」とは、人間の「生命そのもの」のこと。


禅味のわからない人ですねえ。
495463:2009/10/27(火) 20:52:15 ID:WYHMxEfb
>>484 落第
>君が私の書き込みを見てレスしたことが、私の「有我」の証明
→隠居は「有我(生命)」という形而上的実体・実在を証明しなければならない。
はやいことやれ!
→単なる知覚は「存在」「実体」の証明ではない(>>469
ご隠居唯物論なら夢の中の幽霊で幽霊の実在証明になるがそれでいいのか?
*この問いは>>463(1)の落第のままだぜ、(2)までいかん。

>死んで「無我」になれば、なくなります(>>492)
隠居の立場で、生きているときは有我で、死ねば無我というが、
死ねば無我であることをどうして確認・証明したのか?
あなたは死んだことがあるのか?
外見的変化だけでどうして立証できたのか?

>生物的生命が根源
根源=前提なしの原初であることを証明せよ。
縁起ではないということだから、自性・恒常的存在ですね。
だったら>あなたの「生命」の機能。死んで「無我」になれば、なくなりますw。
などというセリフは矛盾です。

とりあえず。







496神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 02:37:32 ID:QjkkvXdx
>>495
既に答えた、または答えから十分に導き出せる同じ質問を繰り返さないで、
自分の頭で考えて、模範答案を作ってご覧。頭の良い高校生なら、容易に
出来ることだ。

君は、毎日の朝から晩までの生活で、「ものの存在」の判断をどうやって
やてるかね。

死ねば、感覚器官も思考器官も腐るか、灰になるから、如何なる知覚も思考
も不可能になる。まさに「無我」である。

夢は、睡眠中の脳細胞の混乱の結果である。現実とは、何らの関連も有しない。
君ら宗教者は、常に夢を見ている状態w。

生命(我)の存在は、「生命現象」という形而下の対象から推測する以外に、
方法はない。生命を以って、生命そのものを知ることはできない。

生命とは縁起だと言っただろ。直接的には、君の両親の「相互依存」によって
発生する。「相互依存による無自性」の典型。

釈迦は、五蘊が生命という根源から発生することを理解していたのか。
497神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 02:41:30 ID:QaWbVOGB
>>494
>禅味のわからない人ですねえ。

「臨済録」からの言葉なのだがw。
498神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 02:47:17 ID:jM98BjgF
仏教がいうところの「我」は、
脳が作り出す思考とか知覚の事を言ってるんじゃないよ!
君の頭でもわかるように解りやすく超単純にいうと
「無我」というのは霊とか魂とかそういうのが無いみたいな意味だよ?
わかったかな!
499神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 02:58:03 ID:LSbMQEaf
>>498

そんな白痴に等しい説明では、誰にも判らんw。

御釈迦さんは、「我」とは「五蘊の集合体」と言ってるだろ。その五蘊
は、生命の機能としての思考器官や感覚器官から生じる。
500463:2009/10/28(水) 08:36:43 ID:Dmt4MZJa
>>496
落第

頭の良い高校生なら、回答になっていない落第答案であることは容易に理解
出来ることだ。
→単なる知覚は「存在」「実体」の証明ではない(>>469
→隠居は「有我(生命)」という形而上的実体・実在を証明しなければならない。
はやいことやれ!
>如何なる知覚も思考も不可能になる。
単なる「推測」にしかすぎない。
耄碌隠居も>『推測する以外に、方法はない。』と認めたではないか。
⇒相対する状態では結論は出ない(道元)
モグラ素朴実在唯物論は単なる推測・妄想にしかすぎないことを自白している。
一体何のために隠居自身が竜樹『中論』や般若心経を持ち出すのだ?
相対しない空=中道が問題になるからだろう。
スッタニパータにも記されている。

生命が根源だとの形而上学(>>495)にさえ無回答のままだ。
縁起=空=中道からはありえない前提だ。

とりあえず>>495に直答しとけよ。
我が家の国語の得意な高校生に完全に笑われていますが、何か?
「このひと、問いに問いで応えたはるわ(笑い)」とさ!




501神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 09:04:48 ID:jM98BjgF
>>499
五蘊の集合体(笑)
五蘊云々いうなら、
そもそも五蘊仮和合といって、我があるように思えても
それは「仮」のものだって教えなんですがw

カルトとかなんでああなるのか意味わかんなかったけど
あなたみたいな人がいるならそりゃカルトも出てくるよね
用語は覚えてそれらしいこと話すんだけど
全く逆に解釈してるし…
こわいわ
502神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 09:47:04 ID:RqT8+4Pb
>>497
だから臨在録も読んでないのか?ってことですよ。
503神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 10:08:34 ID:RqT8+4Pb
ところで水野先生は「輪廻する主体として、無常である霊魂を
想定してもいいのではないか」というようなことを
「要語」で書いてますが、皆さんどう思います。
出来るだけ多くの方の意見をききたいです。
504神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 10:59:12 ID:WB5UAbVe
>>501
釈迦が、五蘊「仮和合」と言ったのなら、「五蘊」は認めているな。釈迦も
人間だから当たり前。そうでなければ、釈迦は化け物だ。

釈迦は、その「五蘊」そのものはどこから発生しているか、理解していたのか。
直答求む。

463は、死後の我(生命)を認めたくて仕方が無いカルト。スッタニパータ
はオカルトの書。カルトとは付き合えない。463が死ねば、彼の書き込みは
ピッタリ止む。それが生命の証明だ。

素朴実在論によらないで、どうやって生存するのか。路上も歩けないし、
部屋の中で身動きも出来ない。向ってくる車が存在しないなどと思ったら、
はねられて一発で即死。目の前に見える床が存在しなければ、身動きも
できない。目に見える地面が存在しなければ、奈落の底へ転落だw。
505神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 11:11:39 ID:smo3IMoR
「中道」が「相対性」であることを見出したのは、竜樹であって、釈迦では
ない。釈迦の「中道」では、実体としての両極端を前提とするから、
その両極端の間のどこをとっても「実体」であり、「空」は成立し得ない。
506神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 11:42:45 ID:jM98BjgF
結局、釈迦は間違ってる、
龍樹のがすごいって言いたいわけ?
中論の帰敬偈に何が書いてあるか30回くらい読んでこいよ馬鹿
507神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 12:03:28 ID:yVH9FPN2
>>506
竜樹が釈迦を盲信していたら、あれほどの大哲学の確立は不可能であった。帰
敬偈は、形だけの挨拶。釈迦を抜いたという自負が感じられる。釈迦は単なる
ヒントに過ぎず、中論は、釈迦佛教の「コペルニクス的転回」と言っても過言
ではない。釈迦よりも竜樹のほうが頭脳明晰であることは明らか。「中道の、
相対性ゆえの空」は見事である。
508463:2009/10/28(水) 12:49:39 ID:Dmt4MZJa
>>504  耄碌ハクチ隠居へ
>463は、死後の我(生命)を認めたくて仕方が無いカルト。カルトとは付き合えない。
おいおい、回答不能を認めて敗北宣言→逃走準備には早いぞ。勝ち負けの問題ではない。
けっこうイイ線まで来てるんだから、逃げるなよw

俺は死後生命や業報輪廻転生なんか、問題にしない。即今、即所、自己が問題だ。
悟るとは大層なことではない。馬鹿連中がいうような超能力が得られるわけでもない、
また煩悩そのものを滅却できるわけでもない。
ブッダも第一矢(煩悩)は受けても第二の矢は受けないと、
煩悩=苦しみと一体となって超克することを説いているではないか。
悟れば、ただ、生死病老=人生に迷わないというだけだ。
そして、終始一貫「法」を基にするようになる。

では何を悟るのか。それは、?〇▽×*!#だ。
それを、ダンマとか法とか空とかカッコイイ言語でいうが、なんでもいい。
意味なんかない。対象化できないから、説いたり示したりできない。
ブッダも龍樹も俺はなんにも説いてへんでと言ってる。
 な〜んだ、そうだったのか!  眼からウロコが落ちるだけですよ。 

で、耄碌ハクチ隠居よ、逃走せずはやいこと>>495の公案を解けよ。

>中論は、釈迦佛教の「コペルニクス的転回」と言っても過言 ではない。

大爆笑!!!! 転回させるものなどなにもない。
509机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/10/28(水) 12:51:40 ID:PLml7DzF
>>503
>ところで水野先生は「輪廻する主体として、無常である霊魂を
>想定してもいいのではないか」というようなことを

文献学者が書いたもんに、自らの信念が揺らぐものか?
それとも確固たる信念というもんが、元々無かったのか?
その何れかと思いますけど。

中道というのは、輪廻肯定と輪廻否定の間を、揺らり揺らりと
揺れて〜揺れて〜・・・それで真ん中の中道、ってのとは訳が違うかと思いますね。

中道ってのは、一片の曇もない円相の位相のことで、
まったくもって迷いどあろうはずがない。
断見・常見に関わらず、輪廻はない。
ってのが私の信念であります。
510神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 14:41:54 ID:SMpk/IeC
説似一物即不中
511神も仏も名無しさん:2009/10/29(木) 00:11:32 ID:Zk2NNO/v
>>503
当然です。釈尊もヴィンニャーナを輪廻主体として呼称してますし、
魂、意識、心、心相続、名色、言語習慣に従ってなんと呼んでも結構でしょう。

言語習慣に従って「私」「我」と呼ぶように輪廻主体も現在の主体も
無我・空・無常ですが、言語習慣に従って仮設して呼称するだけです。

それら言語記号の指示対象が実在するわけではなく、
言語習慣に添った適当な言語記号の指示内容に相応しい働きが認識されるだけです。

その認識が縁起に他なりません。


512神も仏も名無しさん:2009/10/29(木) 00:24:36 ID:m5p8u2eP
>>511
だからwww

【《そこ》に】、【認識上の連続性】は無いだろ?と・・・w

言語習慣上だろうが下剋上だろうが、
≪【同じ次元、同じレベルでの話なら】、【そこで】、【認識上】【連続性が】【仮設とは言いながらも】【認識される】≫から、
【凡夫は】
≪【今の『自分』が】【過去の業果を受けている】≫≪【来世で『自分が』】【今為す行為の】【その果を受ける】≫ と、
【(言語習慣上)認識し】【自身の日々の行為を矯正・調整する】のだろ?
違うか?

君の言う勝義での理屈は解る。
だが、それは、世俗に降りてきていない(通用しない→「利用不可な」→「倫理的ブレーキ」足り得ない)んだよ。
わからないかなぁ・・・。


ノシ
513神も仏も名無しさん:2009/10/29(木) 00:50:23 ID:Zk2NNO/v
>>512
>≪【同じ次元、同じレベルでの話なら】、【そこで】、【認識上】【連続性が】【仮設とは言いながらも】【認識される】≫から、

いやいや、そうはいかない。言語習慣を共有する範囲での曖昧な共通認識のみですがな。
例えば、日本人の言語習慣だと魚を細かく認識するが牛は細かく認識しない、
ところが西洋人やインド人、チベット人は逆だ。

これがもっと異なる魚や猫や虫からみた世界だと認識はどうなるだろう?


>【凡夫は】
>≪【今の『自分』が】【過去の業果を受けている】≫≪【来世で『自分が』】【今為す行為の】【その果を受ける】≫ と、
>【(言語習慣上)認識し】【自身の日々の行為を矯正・調整する】のだろ?
>違うか?

ここで問題となっているのは聖者が死後の意識などの連続を
魂、意識、心、名色、心相続などと呼称していることでしょう。
問題は二つと思われる。一つは死後の意識などの連続を認めるか。
そして、それを呼称する対象が無我かどうか。

この二つに答えたのが>511

何が問題なのだ? 意識の連続も認めるよん?
514神も仏も名無しさん:2009/10/29(木) 00:57:37 ID:m5p8u2eP
>>513
>意識の連続も認める

|
|゚) < 勝義でなく【世俗のレベルでも】、【意識の連続を】【“そこ”に見ることはできない】。
|    貴方は見ましたか? ( ̄ー ̄)ニヤリ


|    オヤスミ
|ノシ
|
515神も仏も名無しさん:2009/10/29(木) 01:48:51 ID:WIDSbd8v
意識の連続?

人間は死後も意識が連続する、すなわち、肉体を有していた時の記憶が
継承されるとでも言うのかな?
そのような現象が実証されたことは今まで、ないがな。
516神も仏も名無しさん:2009/10/29(木) 13:29:41 ID:R+UrgY2U
マンセーマンセーマンセー
517神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 21:48:04 ID:hJG8gNxn
>>514
勝義では何かとされる本質・形相・実体などは何もない。
世俗といっても凡夫の世俗ではない、聖者、行者の世俗ですがな。
『梵網経』で凡夫が否定され聖者が称賛される理由。
『入菩提行論』9.2以下が正に的確、


 勝義は意識の対象ではない。意識は世俗である。
 二種の世俗がある。行者と凡夫の世俗である。
 凡夫の世俗は行者の世俗に否定される。
 行者のなかでも智慧の優れたものによって順に劣ったものが否定される。
 凡夫は世俗を実在と観て幻と観ない。ここに行者との争いが生まれる。


ついでに、実証というのは凡夫の実在論によってなされるので、
認識領域が異なる。そんなとこで云々されてもね。
518神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 21:55:52 ID:cQnAtzeU
勝義って、煩悩に勝ったヤツってことだよな。
煩悩に勝ってないクセに、善悪はないんだ、だから、悪を為しても
なんの咎もないんだぜって、馬鹿のために世俗諦が説かれたんだよな。
違う?
意識云々いうなら、解脱できた釈尊は意識が無かったのかよ?
519神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:00:48 ID:4BJtjgcK
>>517 人間の認識領域を越えた領域を仮設し、それがどのようなものであるか語っても、それは単に妄想に過ぎない。その語りが真実であることを示せないのであれば
精神病院の中で患者が語る「霊界、神界、天国、地獄」と何ら変わるところはない。
520神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:10:03 ID:hJG8gNxn
>>518
>煩悩に勝ってないクセに、善悪はないんだ、だから、悪を為しても
>なんの咎もないんだぜって、馬鹿のために世俗諦が説かれたんだよな。

そんなこと言ってません。それじゃ、断見ですね。

なぜ、勝義を出すかというと、中論などで輪廻がないとか言い出す人がいるから。

521神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:12:01 ID:26MTDqWi
>>517
|
|゚) < 君の詭弁にもいいかげん飽きてきたわ・・。
|    一生、研究室か祠にでも籠って護摩焚いてれば?w (論文書く必要もないw)
    下界に降りてくる必要ないだろ?師匠と二人で仲睦まじく、宜しくやってればよかろうw
    世俗と関わらずに、一人或いは二人で勝手に生きてくれよ。その方が君の為だと思うよ?www
    お釈迦さんでさえ、梵天が薦めなければそのまま入滅してたんだからw
    勝義に生きるならそれしかないだろ?w 2chに書き込んでる場合じゃなかろう?w
    (唯物論者(断見論者)に自殺を薦めるなら、或いは感情を持つなと言うなら、同じ極論として美しいと思うがね?w)


>>518
|
|゚) < カラス乙?w
|
522神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:42:10 ID:cQnAtzeU
俺はカラスじゃねえよ。
普通に大乗経典に見られる勝義、世俗の違いを述べたまでだ。
523神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 22:47:28 ID:hJG8gNxn
>>521
詭弁かな? 

断見論者に自殺を勧めてるわけではないよ。

もし、輪廻を認めずに仏教の一切皆苦を認めるなら、自殺が最も単純な道であることは論理的に明らかだというのは帰謬ですがな。

つまり、そうならないのは輪廻が前提になってることが明かですよってこと。
これが体系。そしてその根拠にゴーティカと律の殺生因縁がある。

オイラ的にも輪廻の話は、もうおなか一杯、同じことの繰り返し

やるなら、中観関係をテキストに添ってやりたいものですな。

さて、『勧戒王頌』を読むのと、五部論理集を読むのどっちか読みたい人が
いればやってみようかな。
524神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 23:19:23 ID:26MTDqWi
>>522
失礼した。 m(_ _)m


>>523
うまく言えんけど、
「でっかいプラズマテレビが高性能で素晴らしいことは解ったけど、家の中に入らないので小さいテレビありますか?」
という問いに対して、
「そんなものはありません。貴方にテレビを見る必要は(資格は?w)ありません」
と言いきってるようなものだからだよ。貴方(貴方方)の言葉はね。
それが、『《極としての》勝義』だというのはわかる。
日本仏教が抵触しているのも、ここであるし、だからこそ、
(特にインド仏教・原始仏教学びたての者はw)反日本仏教の姿勢を取り易い・・。
(ま、誰でも通る、麻疹みたい通過儀礼とも言えるがwww)


(久しぶりのカラス登場で、援軍に気をよくしたのか知らんがw)、別の場所で、宝珠が一声二声吠えてたもんでね。
カチンと来た勢いのままのレスだ。許せw



>やるなら、中観関係をテキストに添って
今のうちに脱落宣言しとくよw ノシ
525神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 23:41:41 ID:hJG8gNxn
>>524
>(特にインド仏教・原始仏教学びたての者はw)反日本仏教の姿勢を取り易い・・。

誤解されないように補足しとくけど、オイラは日本仏教は素晴らしいと思う。
ただし、現代の日本仏教の主流や和辻流の近代仏教学は問題外だということは明言しておきたい。

これについては吉村均先生が『中外日報』2009.10.22「論談」で述べていたことに完全同意


テキスト講読に興味ある人がいないなら、オイラも潮時かもねw
526神も仏も名無しさん:2009/10/30(金) 23:49:24 ID:26MTDqWi
>>525
>テキスト講読に興味ある人がいないなら

パーリ講読なら進んで参加するが?w (→つまり、中論に興味が無いだけ・・・(^^;))
527神も仏も名無しさん:2009/10/31(土) 00:11:46 ID:wZkeeoN9
>>526
なるほど。じゃ、セブンには中観の典拠のパーリを確認してもらうってのはどう?

龍樹菩薩は、典拠をアーガマ・ニカーヤに置いてることがほとんどだから、
直接の典拠は恐らく北伝系アーガマだろうけど、
パーリ・ニカーヤが最も完備してるので確認しやすいので。

『勧戒王頌』はウェンツェル、リントナーが指摘するように
ほとんどアーガマ・ニカーヤに根拠を見いだせます。

528神も仏も名無しさん:2009/10/31(土) 21:47:49 ID:h4llFW75
>>527
おいおいwww
ワシは、純粋に生徒のつもりでの発言だったんだが・・・。 (君が先生してくれるんじゃないのか?)
(「資料室で仕事しろ」と?「大学図書館へ出向いて該当パーリをチェックしろ」と?w)

また、実際、
和訳で読んだ仏典の量だって、1/5もいってないだろうよw。
1経全部じゃなく断片読みも多いし、パーリ原文のチェックは読んだ和訳よりさらに少ないし、
力不足だよ。 君には遠く及ばない orz  (また、「横レス」だから楽しいんじゃないかw)


そんな自分が、(時折)ツッコんで言えたりするのは、
「(授業の際に提示・参考として触れられたりで)重要な部分、経には出会ってきたという自負があること」と
「実際に教材として読んだもの」だったり「脱線話の中での興味から、或いは別の経からの連想ゲーム的な興味の連鎖」とか、
「読んだ本の解説や引用から、該当箇所・該当経を見てみたり」とか、そういう感じで、チェックしたものだったりするから。

また、(長いと嫌になるがw)、初見の個所でも辞書片手にそこそこ自分で読めるから。
(韻文や連声が多い文は困難だけどな・・w)


まさに、自分が読みたいと思った部分を読んできただけだよ。
(勿論、その舵取りに際しては、片山さんや奈良さん等、
 その他多くの教授陣の著作等に負う部分が多いわけだが・・・。)

それに、ぶっちゃけ、需要あんのか?w
529神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 12:07:18 ID:+meeeTOy
てかさ、
こういう発言とかどうよ?w

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255345468/684

更には
>仏教とは、バラモン教を補完するものであるという理解
だとよw



開いた口が更に広がっちまうね・・・。
530神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 17:00:59 ID:Ftx2vvQk
>>526
>(→つまり、中論に興味が無いだけ・・・(^^;))

大乗仏教の国日本の仏教徒で、「中論に興味が無い」では済まないでしょう。
日本は「東南アジア」ではありませんよ。

セブン氏の、パーリー語の知識を駆使した中論の「名講義」こそ、聞いてみたい
ものです。奈良氏も「釈迦佛教と大乗仏教は違った宗教」という趣旨のことを
言っていましたね。並川氏の近著「スッタニパータ」(岩波書店)についての
コメントもお願いしたい。原始仏教の「迷信」を排する努力の表れだと思うが。
531神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 19:28:51 ID:+meeeTOy
>>529>>527へ。

>>527
また、
こんなこと↓言ってる奴もいるが、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1256486743/146
>→真面目な仏教徒は、その「説明」だけで真理を悟るのですよ

問われている事柄が、「『仏教徒』になる以前」のことだということに気づかない。
或いは、仏教に触れ、ある程度親しんだ者に、ふと去来するささくれの様な疑義だということに気がつかない。
(初見から今一な奴と感じたが、やっぱり今一だったようだ・・。)

(君もそうなんだが)、「言葉を紡ぐ」という行為に対して、皆、“おざなり感”があるんだよね・・。
上の例や机等のように、
『正しいことを、正しく、そのままに語っているんだから、理解できない方が悪い』 と・・・。
自分の「語り方」(「言葉の紡ぎ方」)について絶対の自信を持ち、『届かない・理解できないわけがない!』と。
『自分の語りに短所や不足があるわけがない。だって、仏説を(仏語を)そのままに語っているんだから!』と。
なんという自負。なんという傲慢。(なんというマニュアル世代w)
そうした「語り方」にこそ、世俗に生きざるを得ない比丘の(阿羅漢の)
個性と、法施担当の意味があるんじゃないかい? (だから、山奥の祠に籠ってろと言う。)

論敵として相対する者への言葉を畳みかけることができてこそだろ?w
初めから理解があって、信心深くて、モノ解り良くて、素直な相手への言葉なら容易い。
それが望みなら2chなんか来るなってことだ。(敵対する者が多いからこその2chだろ?)
論敵と議論するのが嫌なら、信心深い爺婆と茶でも飲んでろってこったw
532神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 21:22:34 ID:+meeeTOy
かなりの規制規模のようだな・・w
533神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 21:34:16 ID:2tQsO0MC
>>531
俺は玩具という名で愚痴る
可愛いセブンちゃーん
534神も仏も名無しさん:2009/11/01(日) 21:52:53 ID:+meeeTOy
>>533
その気(ケ)は無いぞw
535閻魔大王 :2009/11/06(金) 10:47:22 ID:vz0NzoOz
書き込み規制が解除されたようですね。

魑魅魍魎たちが帰ってくることで、

有意義かつ建設的な議論が展開されることを祈念いたします。








        m9(^Д^)プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー!!
536宝珠愚者:2009/11/07(土) 18:28:08 ID:d2NP4Hbi
縁起氏へ
〜どうか教えて下さい!

『世間(生死の世界)には涅槃といかなる区別も存在しない。
 涅槃には、世間(生死の世界)といかなる区別も存在しない』(龍樹 中論25-19)

『涅槃の究極なるものは、すなわち世間(生死の世界)の究極でもある。
 両者のあいだには、最も微細なるいかなる区別(間隙)も存在しない』(同上25-20)


これが龍樹による輪廻否定の根拠だというのですが本当でしょうか?
“いかなる区別も”とは、どういうつもりで述べたものでしょう??
龍樹がゴータマ思想の良き理解者であるならば、輪廻否定など説く筈はありません。

是非、解説を希望します。
537承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/07(土) 18:32:46 ID:zIp1zZIS
なんか、他のスレで龍樹に興味がないとか言ってたヤツが、
殊勝なフリして質問してるが♪(笑)

(^。^)そのいやらしい釣り方はシンチガク風?(笑)
538宝珠愚者:2009/11/07(土) 18:39:06 ID:d2NP4Hbi
>>537
そんな
いやらしい考えなどではないの!

しっかし、あなたはどこにでも出没するねぇ!
くっ付いて来なくてもイイから〜www
539承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/07(土) 18:43:09 ID:zIp1zZIS
>538
なら、シンチガクスレでも立ててヤレ♪
目障りなんだよ。
540神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 20:23:34 ID:qQudpn+Q
>>536
勝義だから。

勝義で輪廻はないでしょう。
輪廻は世俗なので『中論』1-25章では否定されますよ。
1-25章は勝義を説いているので輪廻もあらゆる現象もあるでもなくないでもない。

龍樹菩薩が世俗において輪廻を否定したことなどないでしょう。
『中論』では以下や、26章に明らかです。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/27.html

また『勧戒王頌』『宝行王正論』『因縁心論』『廻諍論』に明かです。
特に『廻諍論』は疑いようのない『中論』の著者の著作であり、
『廻諍論』自註の最後の部分は明かに輪廻を前提としてます。

輪廻を前提としない仏教はありません。
同じくアートマンを認める仏教もありません。

541宝珠愚者:2009/11/07(土) 21:17:24 ID:d2NP4Hbi
>>540
やっぱり、そう(勝義)でしたか!
大変よく納得できました。ありがとうございました。m(__)m
(さすが〜解答が早いですねぇ^^)

究極の勝義は、業報輪廻の否定論者には到底、
理解できない(自己都合に合わせて曲解してしまう)教えですねぇ。
どうも何か・・中論信奉者は否定論者が誤解して利用している感じが歪めません。

>特に『廻諍論』は疑いようのない『中論』の著者の著作であり、
>『廻諍論』自註の最後の部分は明かに輪廻を前提としてます。

大変、すみませんが・・
これらの誤解が一掃され駆逐されるよう、ハッキリと明確に、
だれにも分り易く龍樹が業報輪廻を肯定している部分があればそれを引用で示して頂けませんか?
『廻諍論』の一説でも構いません。もしできれば、
龍樹の作であるとする根拠部分も合わせて宜しくお願いします。


まっ、認めない人というのは何を提示してもダメなような気もしますが・・。
(きっと必要なときに適したキッカケと自己体験がないと・・それが「ご縁」なのかと)
542神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 21:44:19 ID:qQudpn+Q
>>541
『中論』でもダメなんだから無駄でしょう。

輪廻論争は不毛です。もう関わりたくありません。
梶山先生の龍樹論集に訳されているので、ご自身で確かめてください。
『廻諍論』が真作である証拠はニヤーヤとの論争をトレースできるからです。
ここらへんも梶山先生、石飛先生の著作あたりに書いてあると思います。
543神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 21:50:06 ID:5WxUFVnI
>>541
いやらしい奴w
満面の笑みを浮かべながら、後ろ手にはナイフを握ってるような感じだよ、そのレスはw

人格的にも最低かもしれんな・・お前は・・・。
544承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/11/07(土) 21:56:28 ID:zIp1zZIS
>543
(^。^)わざわざ答えるヤツも似た様なもんじゃね?(笑)

類友を気にすんな♪(笑)
545神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 22:01:34 ID:qQudpn+Q
>>544
君は知識も心もなってないね
546神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 22:14:52 ID:lECMBi5V
シュリ・ラマナ・マハリシも輪廻は無いと断言しながら
質問者のレベルに合わせて「有る」とも言っている。

やはり勝義 無し 世俗 有り だとおも。
547神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 22:17:22 ID:lECMBi5V
ついでに「現在でさえ精一杯なのに
何故来世を考えて重荷を負うのか?」とも
仰っている。
548宝珠愚者:2009/11/07(土) 23:10:52 ID:d2NP4Hbi
>>542
>『中論』でもダメなんだから無駄でしょう。
>輪廻論争は不毛です。もう関わりたくありません。

(納得)-了解しました!

梶山先生、石飛先生ね・・・分りました。
ご親切に大変、感謝します(^_-)-☆

>>543
後ろ手にナイフ?何故、誰に対して??
どうしていつも〜こう捻くれた態度なのな?セブン 3(-_^;)

>>544
あの方は2ch内では実に希少な
“教えることのできる”有資格者です(形も中身においてもすべて)。
あなた方とは「違う」。

あなた方にできる唯一のことは、ただ一つです。
「私は仏教を理解できません。仏教は信じません」というもの。

>>546-547
了解!
549宝珠愚者:2009/11/07(土) 23:26:27 ID:d2NP4Hbi
>>543-544
このくらいになると当然、お互いどういうつもりで述べているのか?
そんなことは分ってるわけだから・・・
双方の違いも含めて。


そして結局のところ、
正統派は呆れ返って沈黙の姿勢に戻っていき、
2chのような世界は業報輪廻の否定論者たちが巣食うようになり、
投稿も彼らのものが数量的にも中心となる・・。

これらを仏教に興味を抱き始めた初心者たちが読みだし、彼らに教えてもらう・・と。

こうしてまるで自分らが正統派のような顔で徘徊していくわけです。

---以上(お邪魔しましたm(__)m)
550神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 23:27:48 ID:qQudpn+Q
>>548
>あの方は2ch内では実に希少な
>“教えることのできる”有資格者です(形も中身においてもすべて)。
>あなた方とは「違う」。

ちがうちがう、ちょっと知識のあるエロ・オヤヂだよん
そんないいものじゃない

今はドキドキ・ウェーヴにドキドキしてるしw
551神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 23:32:03 ID:5WxUFVnI
>>548
「慇懃無礼」な感じだってことさw

>>549
>こうしてまるで自分らが正統派のような顔で徘徊していくわけです。

鏡見て言ってるんだよな?wwwww
552神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 23:36:32 ID:qQudpn+Q
>>551
まあまあ、ドキドキ・ウェーヴでもあびて胸一杯になってください
553宝珠愚者:2009/11/07(土) 23:40:25 ID:d2NP4Hbi
>>550
ドキドキ・ウェーヴって何??
コレかぁ・・??赤面(#^.^#)
http://www.mbok.jp/item/item_218768722.html

ならば、オイラと同じかも (^J^)


>>551
>鏡見て言ってるんだよな?wwwww

はいはい、ごめんなさいねぇ!
オイラは外道。しかも究極のオカルトマニアですから。
認めますって \(´0`)ノ
554神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 23:47:16 ID:5WxUFVnI
>>552
君は、《「世俗で」「世俗的に」生きよう》と思ってるのかい?
それとも、《「世俗で」「勝義的に」生きよう》と思ってるのかい?
それとも、《「隠棲して」「勝義的に」生きよう》と思ってるのかい?

>>553
お前はどうだ?w ↑

酒のツマミには丁度いい問いだろ?w
(※そういう俺はどうであるか、という質問返しは却下だwww)


ノシ
555神も仏も名無しさん:2009/11/07(土) 23:54:10 ID:k9FWHYlK
あなたは今幸せですか?
556神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 17:52:07 ID:ZzcC6cOi
>>536

色即是空

空即是色
557:2009/11/08(日) 19:18:08 ID:Y9Qx4C+t
石飛道子氏による龍樹の輪廻転生観は、時間的継起の輪廻ではなかったかね?

現代でいうならDNA伝達というような。
558神も仏も名無しさん:2009/11/08(日) 22:57:43 ID:DcYkG4Lq
>>557
中論の頌17章では、竜樹は、結論として輪廻転生を否定している。業は煩悩
を本性としており、作られたものではないから(即ち、縁起の結果であるから)、
実在ではなく(即ち無自性))、作られていない業による輪廻転生を認めれば、
作らないでそれを受けるという恐れがあるからである。このことは、「一切の
世俗習慣と、疑いも無く矛盾するであろう。さらに、福と悪とを作す人とを区別
することが不合理となるであろう」。「もし業もなく作者もないならば、どこに
業より生ずる果報が存在しよう。さらに、果報が存在しないのであるから、
どこに実にその享受者があろうか」。

竜樹の「縁起・空・中道論」の面目躍如である。
559神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 01:13:14 ID:wgduPowb
>>558
またお前か
560神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 04:20:25 ID:SnfsysbE
>>557
それは譬喩、その文は石飛先生にしてはあまりよくないと思う。
誤解されやすい。

>>559
スル〜推奨
561神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 10:58:03 ID:CvYasror
現代日本人の旧7の文章ですらあんなに酷い誤読をしてしまうのに、
大昔の外人の難解な文章に手をつけるべきではない。
562:2009/11/09(月) 16:10:17 ID:pC36kW5C
>>560
俺は石飛教ではないが、著書は何冊か持ってる。

石飛さんはたまに??な部分があるのは否めないんだがね。
563神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 16:41:31 ID:SnfsysbE
>>562
もちろん完全ではないでしょうが、文献学者の中では圧倒的に勝れていて、
誤りも少ないと思います。

なにより、常識を読みに一切持ち込まない厳格で科学的な態度は高潔以外のなにものでもないでしょう。

564神も仏も名無しさん:2009/11/09(月) 22:48:20 ID:m8Qauily
>>536
>縁起氏へ

縁起氏とやらは、
カーラーマ・スッタでも、
中論でも、
梵網経とやらでも、
その他、
「前提になっている」とやらで、大袈裟で誤魔化してた奴のことか?

インチキじゃんw
565神も仏も名無しさん:2009/11/10(火) 08:30:39 ID:x3MRIyuh

   ∩___∩         |
   | ノ\     ヽ        |
  /  ●゛  ● |        |
  | ∪  ( _●_) ミ       j
 彡、   |∪|   |        J
/     ∩ノ ⊃  ヽ
(  \ / _ノ |  |   <喰えば、妄想前提がバレる鴨
.\ “  /__|  |
  \ /___ /
『前提』縁起氏
566神も仏も名無しさん:2009/11/13(金) 19:13:08 ID:ED7PBwf0
宮崎哲弥が週刊文春に連載にしてる仏頂面日記で野平宗弘の『新しい意識 ベトナムの亡命思想家ファム・コン・ティエン』ってのが紹介されてました。ベトナム戦争当時に現れた好戦思想と共に平和思想をも斥けたベトナムの龍樹だそうな。
567神も仏も名無しさん:2009/11/16(月) 21:56:20 ID:uMoKBBni
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/butten.htm

ここの一番下にある中論は誰の訳ですか?
568神も仏も名無しさん:2009/11/18(水) 05:40:47 ID:tESD1qx4
中村訳だったと思う
569机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/11/19(木) 09:07:43 ID:TpnREMQr
(_ _ )  おはようございます
 ヽノ)  
  ll
570机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/11/19(木) 13:51:34 ID:TpnREMQr
>>531セブン氏
>(君もそうなんだが)、「言葉を紡ぐ」という行為に対して、皆、“おざなり感”が>あるんだよね・・。
>上の例や机等のように、

貴殿に公案を与えよう^m^

強姦致傷被告に裁判員「むかつくんですよね」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091119-OYT1T00619.htm

貴殿は、この記事にある裁判員のよぉなもんである。
強姦に「言葉を紡ぐ」といふ行為が成立するのか?
何故にそこで条理を求めようとするのか?

勝義諦と申すものは、その条理以前であります。
>>510氏が正解ですね^m^
571承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/06(日) 11:34:37 ID:QJXh/9za
キモイけどホシュ♪(笑)
572神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 15:49:45 ID:bKYnlKyc
南直哉先生の十二支縁起説の解釈はいかにも現代思想的だね。
573神も仏も名無しさん:2009/12/12(土) 18:01:24 ID:ycV9aG5t
>>566
宮崎さんは何年か前に仏教の本出すって言ってたのにちっとも出さないな
574神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 19:03:38 ID:s45kj0Ac
>>557
個人的自我を否定しつつ輪廻を肯定するのは論理的に困難ですよね。
石飛さんの輪廻観は
超個人的自我(無明の産物、究極的には非実体)の一部としての
ある個人的自我(その限りで別の個人的自我と同一性、連続性がある)が
他の個人的自我の過去の行為を相続するみたいなイメージでしょうか。
575神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 20:43:52 ID:r4L0uIyV
>>574
それは何も分かってないだけだな。

個人的自我というのが妄想で、ただ無常な業・諸行が連続してるだけ、
その無常な諸行を自己と勘違いしているわけだ。
つまり、本来無我だが、意識としては自己だと思ってる。
これは現在も同じこと。それが生死を境に分断されず、連続するだけのこと。

言い換えるなら、現在も本来無我なのに生まれてからずっと自分が同一性をもって存在していると思ってるけど、
これは仮設された妄想で、無我・空なわけだ。
だけど凡夫は自分が同一性をもって確固として存在していると思っている。

この程度の妄想仮設された自我は連続して輪廻するってことだ。
無我が輪廻するのはなにも困難じゃない。
『因縁心論』『中論』にきっちり書いてあるだろ。
576神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 21:00:29 ID:9JONVyWJ
>>575
だからw
それならば、三世に跨る輪廻及び転生が、
「倫理道徳の基礎」や、「発心のきっかけ」にはならないでしょ? と・・・w

茶の世界の一期一会じゃないが、
転生後の何回目かの生だろうが、初の生だろうが、
≪それぞれの事象は、一回こっきりの出会いの事象≫だ。
だから、≪怠るなかれ。≫≪今この瞬間(の業(行為))しかない≫という、水際の危機感へ繋がるんじゃねーのかい?w
577神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:21:22 ID:r4L0uIyV
>>576
なるよ。例えば、現在の自分は妄想で仮設されたものだが、
因果の限定を受けている。
同様の輪廻の自我も妄想で仮設されたものだが、
因果の限定を受けている。

両方とも同じ、リアリティ。善因楽果悪因苦果である。
578神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:24:27 ID:9JONVyWJ
>>577
観念的過ぎるなw
それが発心に繋がるのかい?w
579神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:36:31 ID:r4L0uIyV
>>578
観念的すぎるとな。それは元々、無我と輪廻が矛盾するとか言ってるヤツにいって欲しい。

そのための対器説法でんがな。


580神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:46:49 ID:9JONVyWJ
>>579
では、話をかえてみよう。

チュッラパンタカは、
「輪廻をきっかけにし」て行じ、阿羅漢果へ到達したのだろうか?
彼は、輪廻を理解し、実感し、そこからの離脱の為に行事他のだろうか?
彼に、「輪廻」の説法は必要だっただろうか?
581神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 22:56:19 ID:r4L0uIyV
>>580
それは問いが可笑しい。
チューラパンタカは、来世がないなどと主張してないから、そんなこと言わなくても結構。

問題は、来世や輪廻がないという断定、その誤った見解を正す必要がある。
582神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:00:47 ID:9JONVyWJ
>>581
ワシも、2chに出会わなかったら「輪廻」のことなんか露ほども考えなかっただろうよwww
583神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:02:53 ID:9JONVyWJ
>>581
補:
ただ、この傾向は、
私が禅の系譜にもあるということも、影響しているだろうとは思うw
584神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:04:16 ID:r4L0uIyV
>>582
ほんとかよ。学者タイプは考えるだろw

信者タイプは師匠の言葉を素直に聞けるから、師匠さえよければ早いんだよ。
問題は、よい師匠にであえるかなんだが、これは難しい。
585神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:27:55 ID:9JONVyWJ
>>584
>ほんとかよ

たとえば、
自動車教習所で、普通車の免許を取る際に「特殊車両の講習を受ける必要はない」ということさw
で、
≪仏教は、普通車の運転の仕方を示したもの≫ だというのが私の認識だよ。

特殊車両の教習は、それこそ、特殊なケースだよ。(たとえばキサーゴータミーとか、アングリマーラとか。)


君は、そこまでこだわりは無いだろうが、
ほかの奴等は、≪「スパゲティナポリタン」を作ろうと思った時、ソーセージが無いから作れない!≫
と考えるのと同様に、≪「輪廻」がなかったら仏教じゃない!≫と言ってるようなもんだ。
 ※勿論、伝承として、《「輪廻する生存」が「『生』の基本的在り様」として受け止められてきた歴史》
  があることはわかる。 四双八輩などは、輪廻前提の区分だろう。
  だが、それって、「○○(とう材料・調味料)が無いから××は作れない!」という、レシピ厨と同じだろ? とw
586神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:42:29 ID:r4L0uIyV
>>585
その譬喩だと、パスタが輪廻だろ。
そのパスタをどう料理するか、それが道、例えば四諦だ。
587神も仏も名無しさん:2009/12/15(火) 23:53:14 ID:9JONVyWJ
>>586
ここが譬喩の限界さw

なら、「パスタじゃなくてうどん」「パスタじゃなくて白米」と、設定を変更するだけだw

実は、ここはすごく重要なポイントで、
【≪輪廻という概念を、現象としての事実として受け止めない限り≫仏教の理解はない】
というのが貴方のスタンスですよね?
ならば、
≪【『その輪廻を』、『信じさせ』『実感させ』『理解させる』こと】が、【仏教を理解させる第一歩】≫
ということになりますよね?
だとしたら、例のスレから貴方が撤退したことは、
これ(=仏教を理解させる第一歩≒仏教への入り口への誘い≒普賢行)に反しませんか?w ( ̄ー ̄)
588神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 02:11:01 ID:N9SO8jJF
草はやしながら難しいこと言ってて笑える
589神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 07:11:47 ID:BTZni74B
>>587
パスタって麺じゃなかった? じゃ、小麦粉だ。

普賢行に反するかもしれないけど、無駄でしょ。
同じことの繰り返しで。
私としては言うべき事は言ったつもり。
能力不足です。
590神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 09:45:22 ID:k6O0PmDx
>>575
>無我が輪廻するのはなにも困難じゃない。
>『因縁心論』『中論』にきっちり書いてあるだろ。

両者ともにそんなことは書いてない。
縁起一代とかが>>540で龍樹が輪廻転生を支持した根拠として、
>龍樹菩薩が世俗において輪廻を否定したことなどないでしょう。
>『中論』では以下や、26章に明らかです。
などと書いているが、26章はいわゆる小乗仏教の立場を念のために付加的に説明しておいた
いわば付録メモなのであって、龍樹の立場ではない。
そうでなければ25章以前の「相依性としての縁起論」と矛盾する(中村 元 龍樹197頁以下参照)。
龍樹のいう「輪廻」とは生死の世間のことだ。
また、因縁心論にも、「この世からかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。
輪廻の輪は誤った分別の習気によって生じさせられたものである」と指摘し、
このことは中論で「行為と煩悩が滅すれば解脱がある。行為と煩悩は分別思考から起こる。
それらの分別思考は戯論から起こる。しかし戯論は空性において滅せられる。」(18-5)に対応している。

結局>>575の所論は輪廻転生論⇒アビダルマ小乗部派の所論に固執する妄想にしかすぎない。
591神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 11:01:59 ID:BTZni74B
>>590
>などと書いているが、26章はいわゆる小乗仏教の立場を念のために付加的に説明しておいた
>いわば付録メモなのであって、龍樹の立場ではない。
>そうでなければ25章以前の「相依性としての縁起論」と矛盾する(中村 元 龍樹197頁以下参照)。

こういう説は中村先生や丹治さんが理解できないから言ってるだけでなんの根拠もない。

中村先生や丹治さんが言ってるみたいな根拠を挙げられてもね〜
そんなレヴェルで言われたくないよ。

>龍樹のいう「輪廻」とは生死の世間のことだ。

それ言語記号としては何も問題ないよ。
ただ「輪廻」も「生死の世間」も生まれ変わり死に変わりする経巡りの円環を言っている。
「輪廻」「生死の世間」を死んだら終わりの現世の意味に用いる伝統仏教学者は誰一人いないと断言できる。
もし、そのような意味で使ったら断見に他ならないからだ。
「輪廻」「生死の世間」を死んだら終わりの現世の意味とする主張の根拠が、以下なのか?

>また、因縁心論にも、「この世からかの世に微塵ほどの事物も移り行きはしない。
>輪廻の輪は誤った分別の習気によって生じさせられたものである」と指摘し、
>このことは中論で「行為と煩悩が滅すれば解脱がある。行為と煩悩は分別思考から起こる。
>それらの分別思考は戯論から起こる。しかし戯論は空性において滅せられる。」(18-5)に対応している。

なんにも分かってないじゃないか?

ちょっとまてもう、二度と竜樹菩薩が輪廻を説かないとか、
「輪廻」「生死の世間」を死んだら終わりの現世の意味とするような
発言がでないようにきっちり論証しよう。
592神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 17:31:06 ID:k6O0PmDx
>>591
『論証』を楽しみにしますが、誤解があるようなので、労を省くため一言コメント。
>「輪廻」「生死の世間」を死んだら終わりの現世の意味とする主張
どこで>『死んだら終わりの現世の意味』などと主張しましたか?
そもそも実体のない縁起=空であることに「終わり」などという分別観念など入る余地がない。
このような分別思考は戯論から起こる。しかし戯論は空性において滅せられる(中論18-5)のが当然です。

それにそもそも>『無我が輪廻する』なんて日本語になっていないw
593神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 17:46:11 ID:BTZni74B
>>590
いかに何も読めず誤読しているかきっちり自覚するように。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html

輪廻なしに仏教なし。それは断見だつーの。
594机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/16(水) 18:49:48 ID:hlywshe1
中論というのは、世俗諦の矛盾が書かれてるもんで、
それ以上のことは書かれていない。

それをどう受け止めるか?というのは、各人の力量にある訳だけど、
究極的尽滅はまた、絶対なる肯定含むわけで、
このことに到達したのはニーチェもそうであった。

ニーチェも輪廻も全て差異なき包含せしむる。
中論というのは、そういう論書であって、
あるテーマに言及したものではなく、
その未分の原理(法)を説きたもうもんである。




595神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 19:10:59 ID:8dTII1ES
どこまでも果てが無き大海原の如く
恥ずかしい奴だw
596神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 23:45:48 ID:d/5Lkbic
前世の記憶がないってことが輪廻説を論証する一番の障害だよな。かといって人生は今生限りだとしたら修行に意味を持たせるのが困難。
597590 1/2:2009/12/17(木) 01:40:05 ID:sV5eY5wx
>>593
>いかに何も読めず誤読しているかきっちり自覚するように。
わざわざの稿起し、ありがとう。大変参考になります。
ずいぶん違った読み方をする人がいるんだという意味で。
戯論満開読みという点ではまさに反仏教解釈でしょうw

決定的なのは、因縁心論の中で『この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行き はしない。
そうであれば輪廻の輪は誤った分別の習気によ って生じさせられたものである。』
これが龍樹の輪廻転生論批判の中核であり、限界だということです。
 そもそも業報輪廻転生論という検証不能の戯論に対しては、
批判はしても否定しないのが相手と同一戯論土俵に乗らない仏説ルールだからです。

598590 2/2:2009/12/17(木) 01:44:49 ID:sV5eY5wx
>>593

あなたの引用を見てもわかるように、龍樹 にとっては、この世からかの世が仮に観念できても 、
死から 再生へと 移行するモノ・コトはなにもない。自我や個体存在も実体として死と生のあいだを繋ぐわけではない。
ただ無常な 、そしてこれも実体のない、夢 ・幻のようなモノ・コトが原因として 消滅し、 夢・幻のような結果が生じるだけです。
なんの意味も価値もない。
こんなのは、そもそも転生論にたいする完全な揶揄そのもの、ナンセンスだと断言しているに等しいw
実質的な否定論です。⇒『空気、読め』w

因縁心論は比喩満載ですが、龍樹流にいえば、『しかし比喩的にあるものは、実際としてそうであることにはならないの である。』

そもそも業報輪廻転生論なるものはヤーニュージャヴァルキアによる検証不能の戯論そのものであって、
上記しましたが、戯論肯定論者と同じ土俵で否定論を展開することは、同じく戯論に嵌まることになることを龍樹は十分自覚しています。
⇒批判すれども、否定せず。


さらに、オマケで、どう考えても、中論26章27章は小乗説の説明のために付加されたオマケだという
伝統的解釈(中村 元 龍樹165頁、197頁〜)が正しいでしょう。中論は25章で完結しています。

⇒いかに何も読めず誤読しているかきっちり自覚するようにw


599不説 ◆AnATTa/dJc :2009/12/17(木) 03:30:51 ID:TtOXuski
>>594

まずは机師に合掌いたします。

一体なぜニーチェが絡んでくるのか、はじめは面くらいましたが(何せ、ニーチェ
については「頭が良すぎて発狂しちゃった人」という印象しかなかったもので)、
wikipediaでニーチェの項目を丹念に読んでみました。永劫回帰とか、まさに輪廻
のことですね。目から鱗が落ちました。(発狂についても、梅毒説は私は言い訳で
はないかと思っていましたが、それはともかく、考えすぎて狂ったというよりは、
肖像写真の顔貌や若い頃からの強度の近眼などから、脳腫瘍説が正しいように思え
ます。純粋に器質的な病気の結果の発狂だったのだと今は思うようになりました)

P.S.規制明けましておめでとうございますw
600神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 07:17:38 ID:uRySOhXh
>>597
なんだそりゃ。もう相手にならんは。
君は何もわからんは。

キッチリ、勝義では何も転移しないと書いてあるだろう。
勝義では、今の私も無いし、この世界にあるもの全て何かといえない、
一味平等の無常で不定な法界なんだが。

そして、際限なく生まれ変わり死に変わりする円環とも書いてある。
これが、何かと仮設される世俗諦の話だ。

それに戯論ってのは、世俗諦で一切諸法を分別する根源的な言語能力のようなもので、
世俗的な意味での妄想とか非現実的な言説という意味ではない。
世俗的に現実と言われるものが妄想・戯論に基づいて分別・認識されるという意味だ。
世俗的な一切の現象が妄想・戯論なんだよ。

だから聖徳太子も「世間仮虚 唯仏是真」と仰る。

601神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 07:18:29 ID:uRySOhXh
> そもそも業報輪廻転生論という検証不能の戯論に対しては、
>批判はしても否定しないのが相手と同一戯論土俵に乗らない仏説ルールだからです。

なんだこりゃ。仏教と名のつくもので輪廻を前提としないものはない。
例外は日本仏教とインドとタイなどの新興宗教だ。

中観派と呼ばれる龍樹菩薩及び、その弟子で輪廻を前提としないものは一切ない。
じゃないと大乗の普賢行や無住処涅槃、誓願などが全て非論理というか虚偽になるだろう。
テーラワーダでも同じこと。

君は何もわかってないよ。そもそも文が全くよめないようだ。
自覚されたし。

何度も絡んでるヤツだろ、もう絡むなよ。
輪廻を認めないなら仏教やめるように。
602590 1/2 :2009/12/17(木) 09:15:09 ID:sV5eY5wx
>>601
>仏教と名のつくもので輪廻を前提としないものはない。
ブッダが体験的に否定されたオカルト苦行溶暗宗教のマハーカッサバ教およびその後裔部派からは、
わたしは解放されております。
あなたのいわゆる『仏教』とはマハーカッサバ教とその後裔であって、
釈迦仏教の歪曲だと仮説的に認識しております。
たとえば、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/294
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/355
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/356
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1259369908/357など
もちろん、多因多果の縁起的方法論からみても仮説モデルとしてごく単純化してありますが、
基本線では誤ってはいないと考えております。
603590 2/2 :2009/12/17(木) 09:27:12 ID:sV5eY5wx
>>601
業報輪廻転生論とは、結局自己の行く末を妄想する徹底したエゴイズム(我執)であり、
『自我の思想』(死後におけるの自分の運命がどうなるかを心配する生き方)にほかなりません。
我執動機では論理構造として『解脱』など絶対にありえない仕組みに組み立てられています。
このようなヤーニュジャヴァルキア的インチキシステムに騙されてはならなりません。
インチキ倫理の政治的社会的支配のためのイデオロギーであって、こんな思想が仏教であるわけがない。

仏教の縁起の思想こそ、自己=他己(不一不二)による『無我の思想』(人々へいかなる影響を残すか配慮することのできる生き方)であって、
慈悲にもとずく真に倫理的な意味を内包している思想なのです。
縁起のみに生きよ、とされるブッダの縁起を自得し、いわば縁起と一体化して生き直すことが仏教です。
もともと、当初は縁起説は必ずしも業報輪廻と直接に 関わる理論ではなかったのですが、
小乗仏教の段階で スコラ的に十二縁起として複雑化され、
衆生の業報輪廻を説くものと解釈されるように なったのです。
マハーカッサバ教後裔たちによる歪曲です。

もう無駄時間を弄している場合ではありません。  
⇒看よ看よ臘月尽く
                     では、ごきげんよう。
604神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 09:43:46 ID:uRySOhXh
>>603
そう思いたいだけの現代人の妄想。
和辻に発し、並川に至るその論理こそただの笑い話というか、詭弁以外のなにものでもない。

無我の縁起を説くのが『勝義空性経』北伝仏教はみなこれを最終根拠とする。
特に中観が著しい。それが正に『中論』『因縁心論』の説く中心主題なんだが、
実在論にどっぷり浸かった君のような単純な人には全く理解できないらしい。

縁起は最初から最後まで輪廻に基づいてるよ。
『スッタニパータ』724-755を見てみろ。
縁起というのは実体的な原因が集まって実体的な結果を生むという意味じゃない、
不定で無常な諸行が諸縁として集まって、ある法が認識されることが縁起なんだよ。
それが分からず、この世の認識を実在論で捉えるから全く倒錯した常識的な妄想を縁起に読み込む。
それが根本的な間違い。


605590  :2009/12/17(木) 10:20:33 ID:sV5eY5wx
>>604
それにしても、あなたは簡単に決め付けて意図的に誤解する名人ですね。
ぜんぜん実在論なんかじゃありゃーせんぞな、もしw

では、シーラカンス的化石スコラ仏教学として、
仏教博物館でオナニー三昧でお暮らしくださいませ。
           
                      では、ふたたび ごきげんよう

606神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 10:49:14 ID:uRySOhXh
>>605
こういう人が仏教に拘る理由が不可解だ。
和辻もそうだが、それならはっきりと現代倫理学とか適当な名称で、
パーフィットとかヘアなどによって、論理学と科学を用いて追求し、
体系構築を計れば済む話だと思うんだが。

それはそれで難しいからなのだろうか?
不思議だ。
607机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/17(木) 12:03:16 ID:wiwHr8kN
>>594
ニーチェというのは徹底したニヒリズムですよね。
あらゆる基準(神でもいい)というもんを廃していったら、
まったく全てが意味をなさなくなる。
そこまで突き詰めていったら、では果たして意味のあるもんとは何なのだろう?と、
逆説的に人間は考えるようになる。
こういった、
ニーチェの思想的背景が先ずバックボーンにあることを理解せんと駄目だろう。

ニーチェの無の思想は、ある意味、仏教の諦観に通じるものがありまして、
中論においても龍樹は徹底した基準否定であります。

じゃあ、ニーチェや龍樹のように、否定したその後は・・・
これは両者とも言及はしておりません。
それは各人が汲み取らねばならんだろう。
つまり思想とは方法論であり、本義とはその先にある。

        <百尺竿頭進一歩>
608机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/17(木) 15:09:36 ID:wiwHr8kN
>>596
>かといって人生は今生限りだとしたら修行に意味を持たせるのが困難

修行に意味があるのか?つう答を、
中論に求めても何ら回答は得ず。
それは中論の序章を読んだだけでも明白です。

中論は徹底した「意味の破壊」であります。
なにゆえかように破壊せしむるのであろうか?
そこまでする必要があるのか?その意味は・・・まったくない。

中論の魅力といいますのは、
この徹底した破壊であります。
ニーチェのように、それは究極なまでに破壊があるのです。
それ故にそれは、人の心を惹きつけるものがございます。
609机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/17(木) 15:19:02 ID:wiwHr8kN
>>604
>不定で無常な諸行が諸縁として集まって、ある法が認識されることが縁起なんだよ。

法が認識される。ということは有り得ない。
法は認識の対象にはならない。
認識対象以前、つまり未分を法と逝っておるんです。

中論には、これしか書かれておらんですね。
610神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 16:55:03 ID:sV5eY5wx
>>604
>無我の縁起を説くのが『勝義空性経』北伝仏教はみなこれを最終根拠とする。
>特に中観が著しい。それが正に『中論』『因縁心論』の説く中心主題

『自我の思想』である業報輪廻転生論と>『無我の縁起』は両立しません。
このことは『第一義空経』による十二支縁起批判で明確でしょう。
龍樹の中論と趣旨を同じくします。
http://www.icabs.ac.jp/frontia/summary-imanishi-20091205.html

やはり中論26章27章は小乗説の付加的説明のための付録です。
戯論の消滅を説かれるブッダへの帰敬序から開始し、
戯論の消滅なるがゆえに、ブッダはいかなる教えも説かなかった(25-24)で、
完結させた中論の体系的構成はみごとであり、龍樹の鋭い美意識さえ感じさせます。
611神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 17:26:03 ID:uRySOhXh
>>610
あの『勝義空性経』と『第一義空経』って同じお経なんですが?
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html

今西先生の見解と私の見解は、その要旨を読む限り矛盾しません。
あなたの主張「中論26章27章は小乗説の付加的説明のための付録」と
今西先生の主張、26章で完結し27章は付加とちょっと違うようです。
伝統的には26-27章は、小乗説とするものと世俗諦を説くとする注釈があり、
『因縁心論』を龍樹菩薩説とするなら、世俗諦説と考えるのが妥当だと考えます。

業報輪廻転生論は『無我の縁起』と全く矛盾しません。
諸中観者も、唯識もアビダルマでさえも『勝義空性経』を根拠に十二縁起を説いていることは御存知ですよね?
612神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 17:30:41 ID:uRySOhXh
>>610
なんだ同じ sV5eY5wx だったのか。もう、コメントするの止めたんじゃなかったのか。
無理だよ。君は、仏教に対する基本的理解がない。
輪廻を仏説と認めないようなどうしようもない学者に随ってるようじゃ話にならんよ。

今西先生はできる学者だから、そんなこと言わないと思うぞ。
適当にネット検索して、付け焼き刃でいちゃもんつけるのはやめましょう。
613神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 20:39:24 ID:OBlqF8pF
>>593
>http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html

ありがとうございます。大変勉強になります。質問をお許しください。

『縁起心論』瓜生津訳凡例に拠りますと、
梵本は、偈は1-5偈、釈は3偈の箇所までで、不完全との記載があるのですが、
現在では、梵本の完本があるのでしょうか?

上記アドレスにおける『縁起心論』4偈釈の邦訳において、
>これは勝義から考えられたことである。
とありますが、この「勝義」に相当する語が、
瓜生津、梶山両先生の訳ですと、「真実」となっております。
上記アドレスにおける相当箇所の梵文では、paramArthaの語があるように思います。
この相違は、使用原本の相違などによるのでしょうか?
614:2009/12/17(木) 20:46:13 ID:296UG77I
仏教の経典の解釈に関する研究、は

キリスト教の聖書の解釈に関する研究
DSMの解釈に関する研究
と同様、ほぼ全く意味がない事に
未だに気が付いていない者がいるのだろうか。

タイムマシンの存在は当局から
仏教の各宗派の最高幹部には知らされている筈だが・・・
615神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 21:44:30 ID:uRySOhXh
>>613
それはゴーカレー編ラサ本ですね。つまり、チベット訳・漢訳から訳しているということです。
その後、ゴーカレー編ギルギット本は完本ですが、当該部分は編者が補ってます。
ナムドル本は、私は直接見ていなくて、gretil のままなのですが、
どうもチベット語から訂正しているようです。

つまり、ナムドル本の parama-artha は梵本の根拠がない可能性が強いようです。
とすると現在の私の資料からは、「真實義」yang dag par brtags pa
という漢訳と蔵訳から意味をとるほかありません。

ですが、前後の文脈からこれは勝義でいいと思われます。
瓜生津先生の「真実」も同じ意味と思われます。
616神も仏も名無しさん:2009/12/17(木) 21:47:46 ID:uRySOhXh
>>614
仏教はそのような実在論に基づかない縁起で考えるので、
伝承経典の意味は本質的に体験検証された聖者によって伝えられます。
これが教え・法を保持する、守り伝えるのがサンガ・僧と言われる由縁です。
サンガ・僧は、聖者の集団という意味です。本来は。
617神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 01:25:47 ID:eg+tbKoe
君らの話読んでると自我を破壊する教えを
自らの自我の基盤としている人が
大勢おるね。
代表はデスクさんかな。

輪廻については実はラマナがキッチリ
型つけてんだけどね。
618机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 07:31:40 ID:8+b24x6u
>>617
おもしろい御仁が書き込みしておりますねw

輪廻について、キッチリ型をつけてる人は無数におりまして、
問題はラマナさんじゃなくて、あなたの問題です。

あなたは、自らの自我を基盤としないで、キッチリ輪廻に型をつけていらっさるようですけど、
それをkwsk書いて頂けないでしょうか?
619神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 07:44:41 ID:UCXR1WLS
>>618
書かないでくれないかな。妄想垂れ流れても困るんですが。
620机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 07:57:52 ID:8+b24x6u
>>619
妄想たれ流してるんなら、スルーするのがベストですよ。
下手に絡むと余計に垂れ流しますから。
これが2ちゃんのルールです。

「書かないでくれ」ったって、書かなければ、
こっちのスレに来てくれ。とか、
あなたは西村ひろゆきなんですか?
小一時間問いたいw
621H ・ H:2009/12/18(金) 08:08:06 ID:/iOQU4nL

>>618
デスクさん 一応、言っておくけど 617 は 私では ない。

あなたの意見は、面白いとは、思って、みているよ。
カラスさんの対極でもあった人だし。
それにしても、デスクさんは、なにかと、
避けられる人だねえ。
あなたは 「どこに 何が書いてある」 という研究で、一生終わる人ではない、
そういうタイプではない、と思っているよ。
リュージュ?  面白いかねえ?
622神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 08:12:07 ID:UCXR1WLS
>>620
>1 よめ。ほんとくだらね〜
体験もない、文献も読めない、ただの暇つぶしのおしゃべり。
しかも、慢心の肥やし。
623神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 08:41:35 ID:oZhN5532
>>616>>622
>体験検証された聖者

あなたは体験検証された方ですか?
(1)もしそうなら、
・「体験」のとき何が見えましたか?
・あなたは生きておられるのですか、死んでおられるのですか?
・経典によれば神通力とやらが備わるそうですが、
  1)ゴータマ・ブッダは実在されたのですか?
  2)マグニチュード7以上の次回の関東大震災はいつ起きますか?
  3)現在の鳩山政権のあとは誰が総理大臣になりますか?
  4)2009年の年末ジャンボの当たり番号を書いて下さい
(2)体験検証していないなら、
  1)なぜ、仏典と称されるものがゴータマ・ブッダの正確な伝承と主張できるのですか?
  2)体験検証もしていないのに、自らの主張を仏説と主張する根拠は何ですか?
    相手の主張を誤っているとか、わかっちゃいないなどと断定できる根拠はなんですか?
  3)>体験もない、文献も読めない、ただの暇つぶしのおしゃべり。
    >しかも、慢心の肥やし。
    あなたがこの自説に当てはまらないのなら、その根拠を教えてください。
624神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 09:14:58 ID:UCXR1WLS
>>623
体験検証という意味を完全な悟りという意味とするなら、
当然、ない。
>  1)なぜ、仏典と称されるものがゴータマ・ブッダの正確な伝承と主張できるのですか?

悟りという結果が追体験される聖者が現在に至るまで出ているから。
これは主にビルマ・チベットです。

>  2)体験検証もしていないのに、自らの主張を仏説と主張する根拠は何ですか?
>    相手の主張を誤っているとか、わかっちゃいないなどと断定できる根拠はなんですか?

>1 を読んでください。ここは文献によって言語習慣に基づいて話す場です。
私は自説が完全な仏説と言ってるわけではなく、きっちり文献的根拠と、
論理的整合性を持ったものであると言っているわけです。

>  3)>体験もない、文献も読めない、ただの暇つぶしのおしゃべり。
>    >しかも、慢心の肥やし。
>    あなたがこの自説に当てはまらないのなら、その根拠を教えてください。

一応、伝統的に修行してます。それに添った内容を語っているつもりです。
その妥当性の根拠は伝承文献との整合性によって裏付けられています。
きっちり、根拠は示しています。
慢心の肥やしでない保証はありませんが、気をつけているつもりです。
625机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 09:16:04 ID:8+b24x6u
>>618
>それにしても、デスクさんは、なにかと、
>避けられる人だねえ。

私が本当のことを書いてるおるから避けられるのです。

中論というのは、もともとが実有論におけるアンチが書かれているだけで、
龍樹のテーゼというもんは何にも書かれていない。
中論というのは、そういう論書であって、
当て馬がないと書けないもん。

所詮、書かれていないもんから、何かを引っ張り出す、
ってとこが無理がある。

>リュージュ?  面白いかねえ?

トルストイは、晩年に極限の清貧の生活を送ったそうだ。
(勿論、財産はたっぷりあっての話だけど)
これを貴殿は理解できますか?
キリスト教文化圏では、こういうのは理解しがたい。
(これは、ニーチェも同じ)
東洋思想の魅力というのは、
風土・文化において育まれるもんじゃ〜ないかね?
西洋人にも、稀に東洋文化に嵌ったもんもいる。
626神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 09:58:04 ID:oZhN5532
>>624
>悟りという結果が追体験される聖者が現在に至るまで出ている
体験検証していないあなたが「追体験される聖者」と
認定するのは矛盾ではありませんか?
単なる噂の人を信じる「信仰」にしかすぎないのではありませんか?
>文献的根拠
その文献とやらが仏説であると断定する根拠をお聞きしたわけです。
あなたが依拠する「文献」には恣意的改変(増広、混入、外教の謀略など)や誤解が一切ないと断定できますか?
ブッダ当事の比丘たちは棒暗記はできても、理解力・応用力に乏しく、ブッダが満足されたのは
サリープッタぐらいだったのではありませんか。そのサリープッタは結集にはいなかった。
あなたの根拠はあなたが聖者と信仰する方の言説の丸呑みだからではないですか?
依拠しない「文献」を採用しない根拠はなんですか。
要するに、根本は検証抜きの「信仰」に支えられているにすぎないのではありませんか?
ブッダ成道の折に「捨てよ、または、去れ」といわれた「信仰」と同構造ではありませんか?
これではキリスト教原理主義と変わりませんね。




627神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 10:18:16 ID:UCXR1WLS
>>626
>>悟りという結果が追体験される聖者が現在に至るまで出ている
>体験検証していないあなたが「追体験される聖者」と
>認定するのは矛盾ではありませんか?

しません。物理的現象が見られるからです。
例えば、死ぬ時禅定状態で死に屍体が腐らない。
宝石のような仏舎利が火葬の後に残る、など。
以上は、私も自分の目で確認済みです。

>単なる噂の人を信じる「信仰」にしかすぎないのではありませんか?
>>文献的根拠
>その文献とやらが仏説であると断定する根拠をお聞きしたわけです。
>あなたが依拠する「文献」には恣意的改変(増広、混入、外教の謀略など)や誤解が一切ないと断定できますか?

言語的な細かい誤差は重要とは思いません。
意味が重要なのです。

>ブッダ当事の比丘たちは棒暗記はできても、理解力・応用力に乏しく、ブッダが満足されたのは
>サリープッタぐらいだったのではありませんか。そのサリープッタは結集にはいなかった。
>あなたの根拠はあなたが聖者と信仰する方の言説の丸呑みだからではないですか?

そうです。結果を出してきたサンガの伝承です。
それに文献学的研究を加えたものです。

>依拠しない「文献」を採用しない根拠はなんですか。
>要するに、根本は検証抜きの「信仰」に支えられているにすぎないのではありませんか?

最終的には信仰ですね。あらゆる現象に対する理解が結果的にそうなるでしょう。
それは科学といえども同じことです。なぜなら、説明体系は信仰に他ならないから。

628神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 10:21:15 ID:UCXR1WLS
>ブッダ成道の折に「捨てよ、または、去れ」といわれた「信仰」と同構造ではありませんか?

違います。釈尊が捨てよと仰ったのは外道の信仰です。
これは輪廻を否定するような一部の仏教学者の説です。
仏教は一貫して信を重視します。三宝帰依が仏教徒の条件ですが、
それは三宝に対する信仰以外のなにものでもないでしょう。

>これではキリスト教原理主義と変わりませんね。

違うと思います。キリスト教は、神の命令をとにかく盲目的に信じれば救われるという考え方でしょう。
仏教は、釈尊などの聖者が体験し到達した道を示し、納得すれば
その道を信じて実践せよというものです。
その道を信じるにあたって縁起を始めとする論理があり、
『タットヴァサングラハ』3588や『カーラーマ・スッタ』で説かれるように
その論理を検討し体験して信じろというのは大きな開きがあるでしょう。

例えば、何かをするときに説明会を開いて質疑応答し、実地体験や見学などを
経て実行するのと、そのプロセスなしにとにかくやらせろというのが相当するでしょう。


629神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 11:09:56 ID:/iOQU4nL

>>625 私が本当のことを書いてるおるから避けられるのです。

そういうところも、あるんでしょうね。
全然、認めても、いいですよ。 (微笑。 デスクさん並の日本語だね、これじゃ。)

>>「清貧の生活」  キリスト教文化圏では、こういうのは理解しがたい。
 
そうですか? たしか、イエスは、貧しき者は幸・・と言ってたから
 それを信じ、守っているなら、違うんじゃない?  そうじゃ、ないの?

 東洋、西洋、に限らず、人間は、同じ、じゃない?
仏教文化圏の日本でも、外国からみたら物欲、強欲の権化、TOP
森林、資源の破壊者、の企業群、国家だと、みられてるんじゃ、なかろかね。
仏陀は何をしている! イエスは何をしている!

わび さびの
脚下照顧、でありんす。(deskryu-)
630626 1/2 :2009/12/18(金) 12:06:57 ID:oZhN5532
>>625
>物理的現象が見られるからです。 例えば、死ぬ時禅定状態で死に屍体が腐らない。
>宝石のような仏舎利が火葬の後に残る、など。 以上は、私も自分の目で確認済みです。

まったく、ガッカリです。
この手の「物理的現象」とやらは、仏教の四諦・三法印・縁起の現観⇒悟り⇒脱苦と何の関係もないどころか、
かえって仏教を誤解させるものです。
それなら、なにも仏教である必然性はないどころか、「仏教」であってはいけない。
パリッタ儀礼であってはいけない。

2ちゃんでも宝珠のオカルト話や一在家マヒカリの手かざし、オウム麻原の空中浮遊、世界各地での心霊現象など
ヨタ話であふれていますよ。
この手の話があなたの根拠であることにガッカリしました。
ブッダ当時のインドもまた、あやしげな占いやまやかし療法が横行する「呪術の園」だった(スッタニパータ249,927など)。
しかし、ブッダの前に立ちはだかったのは、そんなチンピラ呪術師ではありません。
631626 2/2 :2009/12/18(金) 12:10:37 ID:oZhN5532
>>625
ブッダが生涯かけて戦わねばならなかった相手は、
四姓階級制度の最高位に君臨する「バラモン」階級が奉じる、
壮大にして鉄壁のヴェーダ哲学の体系に裏づけられたバラモン教であり、
宇宙の根本原理を体現する、その最高神ブラフマンだったはずです。
その中心的教義が業報輪廻転生論であり、梵我一如論です。
ブッダが捨てよといわれた信仰とは業報輪廻転生論であり梵我一如論だったのであり、
それのアンチテーゼがまさに『縁起の思想』だったはずです。
でなければ、仏教である必然性がない。
ヒンドゥ教でもブッダは最下級の神として扱われてているのですから、それに甘んじるべきでしょう。
現に例えば14世紀にヒンドゥの浩瀚哲学者マーダヴァが著した『全哲学綱要』には
アートマンもヴェーダも認めない、つまり業報輪廻転生論を認めない最悪思想(精神を認めない唯物論が極悪)と
名誉ある?位置付けをされているのです。

>言語的な細かい誤差は重要とは思いません。意味が重要なのです。
そんなことではなく、『恣意的改変(増広、混入、外教の謀略など)や誤解が一切ないと断定できますか?』と
お聞きしているのです。
やはり、「ない」との根拠が無謬の文献に対する『信仰』だといわれるなら、
話はここまでです。
しかし信仰者内だけの話にすべきです。


632神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 12:14:18 ID:UCXR1WLS
>>630
要するに論理的なことは全て信仰の問題ですから、
その文の内容を信じるか信じないかは信仰だという意味です。
目に見えるものを示したのですが。
私自身は、あまりそういう部分に根拠をもってません。
論理を示しても、それは信仰ですねと言われれば否定できないからです。

633630&631 :2009/12/18(金) 12:17:32 ID:oZhN5532
訂正
アンカー間違い!
× >>625
〇 >>627>>628

大変失礼しました。
お詫び申し上げます。 
634神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 12:21:42 ID:UCXR1WLS
>>631
>ブッダが生涯かけて戦わねばならなかった相手は、
>四姓階級制度の最高位に君臨する「バラモン」階級が奉じる、
>壮大にして鉄壁のヴェーダ哲学の体系に裏づけられたバラモン教であり、
>宇宙の根本原理を体現する、その最高神ブラフマンだったはずです。
>その中心的教義が業報輪廻転生論であり、梵我一如論です。
>ブッダが捨てよといわれた信仰とは業報輪廻転生論であり梵我一如論だったのであり、
>それのアンチテーゼがまさに『縁起の思想』だったはずです。
>でなければ、仏教である必然性がない。

和辻的非合理性、ただの近代人の信仰告白ですね。
以下を読んでください。非常に明瞭です。
http://ci.nii.ac.jp/search?q=松尾+宣&range=0&count=20&sortorder=1

縁起と輪廻は何も矛盾しません。
輪廻がするなら主体がなければならないという、思い込み本質主義こそが無明であり、我見、有身見に他ならないでしょう。

『勝義空性経』に基づく無我の縁起こそが輪廻の原理です。
それを根拠に中観派は十二縁起、つまり、輪廻・転生の縁起を説いています。
『中論』『因縁心論』も上に論証した通りです。
これだけ明瞭に示して分からないなら、自分の理解力のなさを恥じるべきでしょう。
635神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 12:32:02 ID:UCXR1WLS
>>631
>現に例えば14世紀にヒンドゥの浩瀚哲学者マーダヴァが著した『全哲学綱要』には
>アートマンもヴェーダも認めない、つまり業報輪廻転生論を認めない最悪思想(精神を認めない唯物論が極悪)と
>名誉ある?位置付けをされているのです。

誤認です。唯物論はローカーヤタです。
ローカーヤタは輪廻を認めません。
その輪廻を認めない最悪の立場を、マータヴァも依拠する法称菩薩が批判して、
輪廻を論証しています。以下の連作を見てください。
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdf

>そんなことではなく、『恣意的改変(増広、混入、外教の謀略など)や誤解が一切ないと断定できますか?』と
>お聞きしているのです。

輪廻に関してはないと断言できます。
異論なく仏教の論理の構造全体からなくてはならないものだからです。
そんなことちょっとした合理性・論理性を持った人なら分かることです。
636神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 12:36:47 ID:UCXR1WLS
>>633
そういった細かい問題はどうでもいいことです。
問題なのは無我と輪廻が矛盾するとか、マータヴァが仏教を唯物論としたとか、
法称など多くの仏教徒が輪廻論証をなしたことなどを知らずに、
このようなことを平気でいうことです。

>>631
>ブッダが生涯かけて戦わねばならなかった相手は、
>四姓階級制度の最高位に君臨する「バラモン」階級が奉じる、
>壮大にして鉄壁のヴェーダ哲学の体系に裏づけられたバラモン教であり、
>宇宙の根本原理を体現する、その最高神ブラフマンだったはずです。
>その中心的教義が業報輪廻転生論であり、梵我一如論です。
>ブッダが捨てよといわれた信仰とは業報輪廻転生論であり梵我一如論だったのであり、
>それのアンチテーゼがまさに『縁起の思想』だったはずです。
>でなければ、仏教である必然性がない。

637机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 12:48:54 ID:8+b24x6u
>>629
>東洋、西洋、に限らず、人間は、同じ、じゃない?

文化といいますのは、宗教と深い関係がございます。
キリスト教→人間は神の被造物ゆえ、自然と対立した関係です。
故に、水は下から上に流れる文化を築きあげました。
(上野公園の庭園は西洋式であります)

仏教文化圏といいますのは、人間と自然は一体とした関係です。
(特に日本は高湿度ゆえ、それは顕著でありますね)
故に、水は間違っても下から上に流れることはないのです。
日本庭園は、より自然の美を追求しました。
日本建築も、隅から隅まで空文化の影響を受けております。

文化は宗教を基本としまして、
風土・気候、こういったものと関係しあい
日本独自の空文化(道文化)を形成して逝ったのであります。
道文化というのは中国にはないです。
茶道とか剣道とかは日本独自です。
仏教と深い関わりがございます。
638机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/12/18(金) 13:03:12 ID:8+b24x6u
>>629
>そうですか? たしか、イエスは、貧しき者は幸・・と言ってたから
> それを信じ、守っているなら、違うんじゃない?  そうじゃ、ないの?

そうじゃないですね。
思想的背景が全然違いますよ。

わたしが書いたのは「清貧の思想」という独自の体系がございまして、
これは神とか、そういった形而上学的背景は全く関係ないもんですね。
江戸の商家などは、経営学的にこの思想を脈々と受け継ぐ者もございまして、
それは、究極の物欲の排斥は精神的豊かさをもたらす。ってもんですよ。
簡単に逝ってしまいますと。
639神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 22:11:11 ID:Hus2Q/7F
二人の間(のスタンス)を取れないもんかなぁ・・・w

┐(;´ー`)┌
640神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 22:14:22 ID:Hus2Q/7F
イソップ物語の、
鳥と獣の戦に挟まれた蝙蝠のような心境だよwwwww
641不説 ◆AnATTa/dJc :2009/12/19(土) 00:23:34 ID:3ZZb8IMr
「外道」という言葉が「異教」という意味とほとんど同一視されているようですが、
本当は、道から外れていれば「外道」、道の中にいれば「中道」なんじゃないかと。
特にパーリ語学だとかの言語学的な見地からの話ではないんですけどね。

仏教徒か異教徒(ex.バラモン教徒)かというところで外道論争をするのは実はおか
しいのではないかと、そんな風に思っています。梵網経などの経典の読み方にして
も同じですね。信仰(サークル)の「内外」の違いではなく、道に中【あた】って
いるか外れているかの違いしか、当のゴータマ仏陀は述べられていなかったのでは
ないかと私は思います。

信仰的な意味合いでは、外道の師たちといえども、仏陀と共に、涅槃を志向してい
るという点では違いはなく、むしろ同じ輩だったと言えます。しかし、外道の師た
ちは、実際には「涅槃への道」から「外れて」いたので、実際は涅槃を得られては
いなかった。だから「外道」と呼んだ(特に蔑称的な意味は少しもなかった)。彼
等は道から外れているでしょう、だから、後に師と同じように阿羅漢になる弟子が
輩出しないでしょう、というのがゴータマ仏陀の主張だった。一方見なさい、私の
弟子には数多くの優れた、自らも涅槃を得た者(阿羅漢)たちが続出しているでし
ょう。これが論より証拠です、と(大パーリニッバーナ経)。
642不説 ◆AnATTa/dJc :2009/12/19(土) 00:52:33 ID:3ZZb8IMr
それにしても机師に感謝です。m(_ _)m

ニーチェのことほとんど興味も湧いたこともなかったので知らなかったのですが、
「永劫回帰」という概念を提示していたことを知れてよかったです。
私は勝手なSF仏教妄想として「(別のどこかの誰かさんではなく)自らの人生に
繰り返し転生する」という輪廻像を仮定して独りニヤニヤしていたのですが(SF
的な単なる思い付きで人に言えないし)、ニーチェが永劫回帰という形で公に提
示してくれていたのであれば、別に秘めておく必要もなかったわけであります。

永劫回帰を乗り越えて生きていく「超人」とはまさにこれは阿羅漢のことでし
ょう。

wikipediaより
>つまり、転生思想のように前世→現世→来世と‘生まれ変わる’ものでは決して
>無く、人生とはカセットテープのように仮に生まれ変わったとしても‘その年
>その時その瞬間まで、まったく同じで再び繰り返す’というものである。

多分、我々はこれまでに何度も、2ちゃんねるの仏教系スレで同じ論争を繰替
えしてきたのでしょう。そしてこれからも何度も、繰替えすのでしょう。飽き
たのであれば、解脱でもして下さいよ、と。本当に仏教ってSF的で最高です。
643H ・ H:2009/12/19(土) 10:14:12 ID:wzkQwF/p

>>638 わたしが書いたのは「清貧の思想」という独自の体系がございまして、
   これは神とか、そういった形而上学的背景は全く関係ないもんですね。
     江戸の商家などは 〜 。

おお、そうですか?
 立派な思想のようですね。 日本文化に 喜びと誇りを 持っていらっしゃる
 印象を受けます。
 思想的背景は、全然違うでしょう。  当然のことですね。

究極の物欲の排斥、ですか。 
で、それは 精神的豊かさ を もたらす為であるか
結果的に自然にもたらせられる その精神的豊かさ に 満足しておる 
というわけ ですね。
いま、話題の二酸化炭素問題も、それなら解決することでしょう。
世界の国々も 日本を讃え ・・・ たたえ・・ ん?・・

「 我田引水して調子こいてんじゃねえええ! 江戸の話なんかで、ごまかすんじゃねえ!
   関係あるか、 今。  さんざん、やっといて、ふざけんじゃねえええええ ! 」 

   ・・  これからの開発国群 の意見かね これは。  新聞によれば決裂?・・

・・・中論というのはあれだね、仏陀はなにもいわなんだというのであれば
  整合性はあるね。 たとえ一般的にはそこからなんの進展も持ちえずとも。

デスクさんの分野だと思うが 茶道というのは
キリスト教のミサの様式と関係があるとか・布で茶碗をふくしぐさとか・
利休というのはキリスト教のネーミングだとかいう論もあるが、
どうなんだろね? まさかね。     私はキリスト教には関係ないけどね。
644630&631 :2009/12/19(土) 14:52:06 ID:Z0+g/M5T
>>635
ちゃうんやなあー。またお得意の誤解をしてる。
マーダヴァのヒンドゥからみた悪党三兄弟の順位は、
1)極悪:唯物論 精神・アートマン・ヴェーダを否認⇒業報輪廻転生→否定
2)第2番目悪:仏教 精神を認める、アートマン・ヴェーダを否認⇒業報輪廻転生→無記or肯定(?)
3)第3番目悪:ジャイナ教 精神・アートマンを認める、ヴェーダを否認⇒業報輪廻転生→肯定

>輪廻に関してはないと断言できます。
>異論なく仏教の論理の構造全体からなくてはならないものだからです。
『仏教』ではなく“マハーカッサバ教(実質ジャイナ教)とその後裔”と正確に言っていただきたいw 
まさに釈迦仏教の歪曲と葬式仏教は、ブッダ没直後の第一次結集に始まった。
原始仏典は何らかの形で全面的にマハーカッサバ教的歪曲の手が入っていると考えてよいだろう。
645630&631 (2) :2009/12/19(土) 14:55:41 ID:Z0+g/M5T
>>636  
>法称など多くの仏教徒が輪廻論証をなしたことなどを

ぜんぜんあかんやんw 輪廻存在そのものの論証なんか全然できていないが、なにか?
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/2707/1/03878929_56_10.pdfをざっと読んでみたが
(煩瑣でナンセンスな全体⇔部分の二項相対前提の帰謬還元(prasa・ngaviparyaya)<背理法>論証論争はさておいても、)
業報輪廻転生を前提にしてそのメカニズムを論じているにすぎない。しかもジャイナ教の実質パクリ!!w
これではブッダが否定されたオカルト苦行溶暗宗教のマハーカッサバ教およびその後裔(部派『仏教』)が
実質ジャイナ教であるという正体がますます鮮明に証明されたといえる。

<ジャイナ教>では心と言葉と身体とによる行為は、微細な業(カルマ)の粒子をつくり、
それが霊魂に付着して束縛がおこると考える。輪廻の原因はこの業物質であるから、
解脱するためには、宗教的な実践によって新たな業物質の流入をふせぎ、
すでに付着している業物質を除去する(いわゆるカルマ落し)必要がある、ととらる。
646630&631 (3) :2009/12/19(土) 14:59:01 ID:Z0+g/M5T
(1)〔反論〕(法称:ダルマキールティ)
『物質的形態をもつものであっても,微細であることによって(だから知覚されない),
或るものは或るものに対して抵触がない15)。水のように。また,金に対する銀のように。
また,知覚されないからといって必ずしも存在しないわけではない。』

〔応答〕(閻魔大王)
おいおい法称よ!あかんでw、この論証って、ジャイナ教そのままのパクリじゃんw 
それに実体を認めない(無我)のが仏教なのに、たとえ微細で見えなくとも
『物質的形態』が移り行くこと実体を認めてしまえば無我の教えに反する。ダルマキルティ、おまえ脇が甘すぎるぞ、アウト!
ダルマキルティはほとんど詭弁の誤謬に脱しているといわざるを得ない。

この点さすが龍樹は『この世よりかの世に微塵ほどの事物も移り行き はしない。
そうであれば輪廻の輪は誤った分別の習気によって生じさせられたものである。』ときっちり押さえている。
輪廻説明の形を借りた輪廻転生批判であり、実質的な輪廻否定だ。
高度な大人の議論であって、お子様ランチ頭脳では、空気を読んで、ついてゆくのは無理ですw
647630&631 (4) :2009/12/19(土) 15:03:46 ID:Z0+g/M5T
>>635
(2)それに、ダルマキルティよ、母胎(garbha)を『劣った場所』(hı¯nastha¯na)だの不浄な場所だのと
男尊女卑感覚なのはアーリア=バラモン意識丸出しであって、おまえがアーリア=バラモンのマハーカッサバ教後裔であることを
認めざるをえないよ。
  そもそも、普遍的な輪廻論証に、その時代およびその民族感覚を平気で持ち込む法称:ダルマキールティって坊主はなんなの?こいつw
  現代なら女に対する侮辱だとめっちゃバッシングでアウトやで!  
(3)その他いろいろ文句があるが、やはり、縁起一代のようなシーラカンス化石マハーカッサバ教とか外教でなければ
  業報輪廻転生論なんて認められんだろう。
(4)結局、釈迦仏教は縁起の思想を基とする不生不滅(空)の悟りによる脱苦=慶安に生きる教えである。
  業報輪廻転生論は反仏教である。
                        以上

648神も仏も名無しさん:2009/12/20(日) 20:25:46 ID:dkEEOcyU
>>644
お前、あほだろ。記号・単語しかしらんぞ。
内容、全然理解してないぞ。話にならんよ。机なみ、どっか行ってくれ、絡むな。
649644 :2009/12/21(月) 08:43:01 ID:0wzakFHC
>>648
>内容、全然理解してないぞ

理解=分別しうるものはなにもなく、
説きうるものもなにもない。
戯論の消滅というめでたい境地なるがゆえに、
ブッダは、いかなる教えも、どこにおいても、
      誰のためにも、説かれなかったのである。
650神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 10:37:44 ID:cIN/8RAN
<中論は25-24において完結する>

チャンドラキールティは25-24に「結論」という小見出しをつけている。
ブッダへの「帰」!(つまり反マハーカッサバ教宣言)敬序に始まった中論は、
ブッダはいかなる戯論も説かなかった、という趣旨のこの偈で終わるというのである。

『総ては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、始めより汚れなし。
もろもろの事柄をこのようだと知るものは、仏・菩薩と言われる。』
(チャンドラキールティ『プラサンナパダー』より)
651神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 14:18:41 ID:XajjxA9S
>>650
誤読満開だなw

>チャンドラキールティは25-24に「結論」という小見出しをつけている。

多分、誰か和訳者が付けた「小見出し」が「結論」なんだろ。
恐らく、丹治さんなんじゃないかオレは和訳持ってないから知らないが、
梵本と蔵訳に「結論」に相当する単語は見つけられなかった。
違うんなら以下のどの部分か指摘してくれ。
http://www.uwest.edu/sanskritcanon/dp/index.php?q=node%2F35&textID=ec0ce26323f527986d7

>ブッダへの「帰」!(つまり反マハーカッサバ教宣言)敬序に始まった中論は、

ただの妄想だろ。仏教徒なら、誰でもブッダに帰依するぞ。

>ブッダはいかなる戯論も説かなかった、という趣旨のこの偈で終わるというのである。

以下からなんで上が導かれるのか、理解不可能だ。

>『総ては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、始めより汚れなし。
>もろもろの事柄をこのようだと知るものは、仏・菩薩と言われる。』
>(チャンドラキールティ『プラサンナパダー』より)

それに、これは引用だぞ。まったく文を読めてない。
そして意味は、勝義では空で、何かと言うことはできないということだ。
前後の文脈から、勝義では釈尊はなにも語っていないとは言えるが、
世俗では、そうは言えない。初転法輪から、涅槃するまで説法されたろう。
輪廻もそれと同じこと、勝義ではないとはっきり言えるが、
世俗では輪廻はある。>>649も同じ意味だ。
652神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 14:19:38 ID:XajjxA9S
しかも、>>649>>644-646の根拠に持ってくるのは話にならん。
法称菩薩も勝義で輪廻の論証なんかしとらんはw
輪廻も一切の現象も世俗としてしか「ある」とは言えん、
その「ある」とされるものも、各世俗内での言語習慣に一致する
対象・意味・内容の作用・働き・効果を持つだけという意味だぞ。

まったく、なんでこんな何も分かってないのに分かってるつもりになるのかね〜

653神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 14:23:01 ID:XajjxA9S
>>649
>>『総ては言い得ず、文字を離れ、空にして寂静、始めより汚れなし。
>>もろもろの事柄をこのようだと知るものは、仏・菩薩と言われる。』

もし、これが勝義ではなく世俗でも適応されるなら。
今、文字を観て、君が反応してるのは何なのか?

この文字や、ドットの集合、君のモニタやキーボードもないのかw

こんな勝義と世俗の違いも分かってないんだから、
机以下だなw
654神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 18:49:52 ID:xhaNRLg4
元々解釈が難しいものについて語ろうってスレなんだから、
罵り合いじゃなくて、もっと仲良く話ができないもんですかね
ログみても罵り合うことしかしてないじゃないっすか
655神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 20:12:22 ID:SNtca6xh
>>653
>こんな勝義と世俗の違いも分かってないんだから、
>机以下だなw

「世俗的なものにもとづかなくては、第一義は説示されえない。しかも第一義に到達せず
しては、涅槃は証得されない」(中論24:19)。

このことから、「世俗的なものにもとづかなくては、涅槃は証得されない」となる。

勝義と世俗とを二分する基準は何か?誰が二分したのか?
656神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 20:46:28 ID:XajjxA9S
>>654
私は、臨機応変、この人のように何も分かってないのにシッタカしてるヤツにはちょうどいいのだ。

今、話てる内容は、難しくもなんともない基本ですがな、
そんなことも知らないで詭弁・屁理屈のみだから、当然の対応。
657神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 20:50:57 ID:jxexLZQY
>>655
>勝義と世俗とを二分する基準は何か?

ヒント:

つSn.ダニヤの章
658神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 20:52:55 ID:XajjxA9S
>>655
仮設の言語習慣によらなくては、道は指示できない。
そんなあたりまえのこと今更いわれてもね。
君は、二諦の基本概念すら分かってない、それだけのことだ。

世俗諦内では仏教は一貫して輪廻があることを前提とする。
輪廻があるのは私があるということと同じだ。
もちろん、勝義では輪廻も私もない、ないとすら言えない。

二諦と言わなくても、仮設と真実というのは釈尊以来だ。
龍樹菩薩は、それを二諦という言葉で説明した。


659神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 21:08:38 ID:SNtca6xh
>>657
>つSn.ダニヤの章

どうみても、悪魔のほうが正論だな。釈迦の「自画自賛」には、読む気
も失せる。
660神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 21:28:15 ID:jxexLZQY
>>659
851 神も仏も名無しさん sage 2009/11/15(日) 23:17:32 ID:K1MdG47i
>>  848
あのな・・・w
仏教に於いては、人が生きる上で二つのスタンスの取り方を、(目指すべきものとして)設定している。
一つは
《苦楽を併せ呑み、楽を享受しながら、(代償とも言うべき)苦を甘んじて受けつつ生きる》 こと。
もう一つは
《Sn.ダニヤの章に象徴されるように、無常なる一切を厭い、(負債無き境地と讃される)出家者(比丘・遊行者)として生きる》 ことだ。

貴方の言っているのは前者だ。
(しかも、後者を視野に入れつつ、その手前の段階であることが把握されねばならない。)
仏教では、それを無価値だとは言わない。
ただ、そうした、苦楽併存した煩わしさを超えた境地が、釈尊一押しの生き方として提示されているわけだ。

御隠居は、ダニヤの章をしっかりと読み込むべきかと思うw
661神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 21:37:13 ID:SNtca6xh
>>660
>御隠居は、ダニヤの章をしっかりと読み込むべきかと思うw

どうみても、悪魔のほうが正論だな。釈迦の「自画自賛」には、読む気も失せる。

そして、健常者であるダニヤが、釈迦の狂気に感応して洗脳されてゆく過程が、
如実に描写されている。

人間とは、狂人の自画自賛にこれほど弱いものなのだね。スッタニパータに
おける釈迦の自画自賛は、聖書におけるイエスのそれとそっくり。クリスチャン
が原始仏教に群がる理由が、よく理解できる。
662神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 21:43:03 ID:XajjxA9S
>>661
ここにくるなよ。どっかいってくれ。
その子供みたいな思考力と、老人のような頑なさはかんべんしてくれ。

663神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 22:17:28 ID:uuuZZ5eg
>>662
聖書は「罪悪感」、原始仏教は「苦」、いすれも精神病の心理状態という「異物」を健常者に植え付けて
狂わせる。これは、人間の精神に対する不法行為以外の何物でもない。人格そのものを変容させる点で、
一時的な錯誤に留まる詐欺罪よりもはるかに悪質な「犯罪行為」である。人間界から一掃すべき、諸悪の
根源。

自然宗教とは異なり、すべての創唱宗教は、開祖の精神障害から発生しているという事実から、眼を反らしては
ならない。
664神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 22:22:30 ID:XajjxA9S
>>663
そう思うのは勝手だが、ここには来ないでくれ。
机とか淫嘘とか、ハッタリ君とか、ここはきっちりテキストを読むスレなんだけどね。
665神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 22:28:32 ID:uuuZZ5eg
>>664
ここでも、スレタイに反して、中論のテキストは殆ど読まれていない。
むしろ、原始仏教派のたまり場になっているではないか。

小乗と大乗の区別さえ、真剣に論じられてはいない。
666神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 22:32:59 ID:XajjxA9S
>>665
君みたいどうしようもない人が書き込むからでしょ
667神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 22:38:45 ID:uuuZZ5eg
>>666
釈迦佛教に嵌るような脆弱な頭脳では、恐らくは古今を通じて世界最大
の哲学者である竜樹が本当に理解できるとは、到底思えないな。

君は、釈迦仏教と、八宗の祖である竜樹の哲学との相違を、明確に表現
できるのかね。
668神も仏も名無しさん:2009/12/22(火) 22:42:04 ID:uuuZZ5eg
>>666
君も、原始仏教カルトだな。スレから出てゆくべきは、君のほうでは
ないのかね。
669644:2009/12/23(水) 00:08:55 ID:/7gveGIT
ただいま、またまたの忘年会から帰りました。
>>654
 >罵り合い
 セブン氏(>>639)からも指摘されたうえ、「罵り合い」と受け止められるのは
私としては大変不本意であり、遺憾に存じます。
不愉快な思いをかけたことを、皆様にお詫び申し上げます。

しかし、縁起氏がもう「絡むな」といいながら、>>651でもお解かりなように、
他スレでも目のカタキにように絡んで罵倒してくるのは縁起一代氏です。
 それは、単なる概念字句ではなく、縁起氏が寄って建つ基盤そのものを叩いてしまったからであり、
彼のアイデンティティー(identity)に関わるからです。
それとも、個人的に大きな悩みを抱えておられるのでしょうか。

私としては>>650までで言うべきことの80%は述べましたので、
ここでは、これで一時退散、沈黙いたします。
これ以上反論しても、不愉快な思いをかけることになりかねませんので。

            では、アディオス !

670神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 01:51:03 ID:ayr0vFAt
>>669
縁起一代氏も、原始仏教カルトだったのだな。何故中論スレなどにいる?縁起氏は、スレから
立ち去ってくれ。中論には興味ないと言っていたセブン氏も同様だ。

釈迦佛教(原始仏教)に嵌った者は、竜樹の「相互依存性・関係性」の哲学は絶対に理解
できない。両者は、本質的に異なった思想。竜樹の類い稀な頭脳によって、カルト宗教で
ある釈迦佛教を根底から覆したのである。釈迦佛教には、「縁起・空」の論理的意味の理解
は皆無である。即ち、釈迦自身が、その意味を理解してはいなかった。釈迦佛教の「縁起・
空・中道」からは、竜樹が解明・展開した「空」は出てこない。単なる実体論であり、因果
関係に過ぎない。健常者としての竜樹に比較して、釈迦は、知能の低い精神病者のカルト
教祖以上の者ではありえない。

竜樹の卓越した頭脳によって、佛教が初めて普遍性を持ち得たのである。
671神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 08:53:45 ID:Ntgm7Pjf
>>669
>しかし、縁起氏がもう「絡むな」といいながら、>>651でもお解かりなように、
>他スレでも目のカタキにように絡んで罵倒してくるのは縁起一代氏です。

それは、例えば『中論』や『縁起心論』が問題になっているはずなのに、
机氏のように、ナーガールジュナ自身の記述よりも、君如きの根拠の無い感想の方が、
権威を足り得るが如き態度で妄言を連呼するからでは?
ちなみに、今後もしも投稿するなら、>>1のテンプレを熟読してね。


>>670
>縁起一代氏も、原始仏教カルトだったのだな。何故中論スレなどにいる?縁起氏は、スレから
>立ち去ってくれ。中論には興味ないと言っていたセブン氏も同様だ。

例えば、『中論』15.7で、『中論』上で唯一教証として明示されているのは、
『相応部』12.15・『雑阿含』301です。何言っているか分かります?
また、可逆的相依については、他ならぬナーガールジュナ自身が論破していることをすでに示した。

君も、このスレに投稿するなら、>>1のテンプレを熟読してね。
672神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 09:10:06 ID:31og5PDP
>>671
ありがとうございます。セブン以外にも理解者がいたことを嬉しく思います。
673神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 09:13:49 ID:eyEd4Wbe
昔の人が(現代人もだが)ある宗教を批判する場合、正しく把握しているとは限らない。
中世ヨーロッパ人はイスラム教徒がターマガントを拝んでると思い込んでいたように。

そうでなくとも叩きやすいように単純化、定式化することは有りうる話だ。
古代教父のグノーシス信者批判を全部真に受けるならタイプならあまり気にならないのだろうが。
674神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 09:29:52 ID:31og5PDP
>>673
もっともですが、
この流れで、何がおっしゃりたいのか理解できません。
675神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 09:58:46 ID:atmq1BtP
>>671

問題は、縁起一代氏が原始仏教に嵌っているかどうかだ。嵌っていれば、
カルト信者の常として、「なりふり構わぬ自己正当化」以外にはないのだから、
何らの客観性のある解釈も期待できない。

中論で重要なのは、「中論の頌」から「窺われる」竜樹の中心思想だ。瑣末な
文献学の問題ではない。文献自体の信頼性がいさかさも確立しているのでは
ないのだから。筑摩書房の「大乗仏典」を参照しているが、中村氏は「中論
15章(及びその他の諸章)は、中論としてはあまり重要な部分ではないから
(訳していない)」と言っている。何らかの理由があるのだろう。なお、相互
依存性は抽象的な「関係性」だから、常に変動し、可逆的も不可逆的もないの
ではなかろうか。固定すれば、関係性の概念事態が破壊される。申し訳ないが、
竜樹自身が「論破している」レス番をご教示されたし。
676神も仏も名無しさん:2009/12/23(水) 13:32:20 ID:Ha/zFHdn
>>673>>644に関するレス
677ウィトゲンシュタイン:2009/12/24(木) 11:12:35 ID:qApSkAv7

6.53 哲学の正しい方法とは、本来、語りうること以外は何も語らないこと、
   つまり自然科学の命題―だから哲学とは何の関係もないこと―以外は何も語らないこと、であろう。
   従って、誰かが形而上学的な事柄について何か言おうとしたら、
   その命題の幾つかの記号に何の意味も与えられていないことを、その人にはっきり示してやること、であろう。

6.54 私の(この本の)命題が役に立つのは、私の言うことを理解した人が、これらの命題を通って―その上に立ち―
   乗り越えて、終にはこれらの命題が無意味であると認識することによってである。
  (言ってみれば、登りきった後に、梯子を投げ捨てなければならないのだ。)
   彼はこれらの命題を克服しなければならない。
   そのとき彼は世界を正しく見る。

7   語りえないことについては、沈黙しなければならない。」
            (ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考より)

678神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 11:56:17 ID:MeVO+rFG
>>677
言語は、古代人の生存のための、「具象物の特定(指示と区別)」から発生した。
従って、「語りえないこと」とは、「具象物と照合しえないこと」を意味する。

宗教者の使用する言辞の殆どすべてが、「語りえないこと」である。
679神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 12:16:02 ID:F6jzqEta
>>678
正にそれが素朴な写像言語説、
論考の言語観がそれに他ならない。
そして後期ウィトは写像言語説を否定し、
言語とは「様々な言語ゲーム」などといった。

写像言語説によるなら、君が使う「は」「の」「ための」
「と」「から」「従って」「とは」「殆ど」「すべて」などは
どんな「「具象物と照合」するのか?

「様々な言語ゲーム」というのは仏教でいうヴィヤヴァハーラ、言語習慣、
言い習わし、仕来りと言った意味内容に近い。
つまり、言語習慣や言い習わしというのは適当ななんとなく共通認識される
記号体系と指示対象、意味内容の総称で、とうぜんある程度の共通認識で、
厳密な一致などありえないものである。

論考の言語観はそうではなく、ソクラテス以来の実在論・本質主義に基づくもののように思われる。
つまり、記号と意味内容が厳密に一義的に規定され、その通り用いなければならないといったバカバカしい信仰である。
西洋は未だこの信仰から抜け出せない。ウィトは抜け出せたようだ。

そして論考は実在論・本質主義に基づき正しい言語使用を提案するが、
仏教徒は、言語などただの妄想による仕来り、習慣であることを当初から十分認識しているので、
言語習慣は、そのままに用いて、妄想から解脱する道を示すのである。
いわば、妄想によって妄想を鎮める。
この妄想が戯論と漢訳されるプラパンチャに他ならない。
680神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 13:33:11 ID:uFdgotFo
>>679
>写像言語説によるなら、君が使う「は」「の」「ための」
>「と」「から」「従って」「とは」「殆ど」「すべて」などは
>どんな「「具象物と照合」するのか?

言語の発生時には、そのような「繋辞」は存在せず、単に「具象物に対する
直接の指示と区別」だけだったと思われる。つまり、具象物を「指差す」代わり
に、音声を用いたのである。現代でも、そのような繋辞を「具象物」との関連
において使用しなければ無意味である。

人類は、専ら「素朴実在論」に基づいて今日まで生存を続けている。素朴
実在論以外では、人間社会は忽ち崩壊する。飛行機は落ちるし、電車にも
乗れない。危なくて路上も歩けない。部屋の中で身動きさえできない。目の前
に見えない壁があったり、見える床が存在しないかもしれないからである。

宗教者の言辞は、すべて「語ってはならないもの」「言語ゲーム」「観念の
遊戯」に過ぎない。宗教者の言辞から、「具象物に照合し得ない言辞」をすべて
除いたら、後に何が残るか。「ゼロ」である。即ち、「内容空虚」ということ。

「人間は、具象物に100%依存しない限り、一瞬たりとも生存できない」。
これがすべての基本である。具象物を離れた思考を、「妄想」と呼ぶ。
681神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 13:52:03 ID:F6jzqEta
>>680
だった君も<「具象物に対する直接の指示と区別」だけ>使わないと、
言ってることとやってることが食い違ってるぞw

つまんね、2ch.的屁理屈は、いいから仏教を理解する気がないなら、
他いって騙ってくれよ。
682神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 13:52:19 ID:+Af+Hm3u
ホニャララの季節に保存した食べ物、とか、どこどこの猟場、という言い回しが無かったのかw
ホモ・サピエンスの言語事情じゃないだろそれは。
683神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 13:59:32 ID:+Af+Hm3u
「ウホウホ!ニク!ニク!ヤマ!ヤマ!カワ!カワ!」とか言ってる「原始人」を何となく想像してるんだろうか。
684神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 14:01:22 ID:F6jzqEta
>>682
この誤淫嘘ってヤツは、勝手に妄想騙ってるだけだから真に受けないようにw

恐らく、ソシュールもチョムスキー、ピンカー、レイコフ、ジャッケンドフなどの真っ当な言語学本など一冊も読んだことないとおもわれ
685神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 14:10:53 ID:uFdgotFo
>>683
>ソシュールもチョムスキー、ピンカー、レイコフ、ジャッケンドフなど

君等と違って、「他人からの借り物の言説」には、一切依存しない。
それでは、他人の「操り人形」。

常に、現実と照合して、自分の頭で考えなければ、他人の操り人形と
して踊り続けているだけ。
686神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 14:13:54 ID:qApSkAv7
>>678
正にそれが論考の言語観はそうではなく、
とうぜんある程度の共通認識で、素朴な写像言語説、
というのは仏教でいうヴィヤヴァハーラ以来の実在論・本質主義に基づくもののように思われる。
つまり、記号と意味内容が厳密に一義的に規定され、この妄想が戯論と漢訳されるプラパンチャに他ならない。
ソクラテスのそして論考は実在論・本質主義に基づき、習慣であることを当初から十分認識しているので、
ウィトは抜け出せたようだ。 つまり、言語習慣や言い習わしというのは適当ななんとなく共通認識される言語習慣は、
そのままに用いて、妄想から解脱する道を示すのである。
君が使う「は」「の」「ための」 「と」「から」「従って」「とは」「殆ど」「すべて」などは、
記号体系と指示対象、意味内容の総称で、厳密な一致などありえないものである。
写像言語説によるなら、どんな「具象物と照合」するのか?正しい言語使用を提案するが、
いわば、妄想によって妄想を鎮める。そして後期ウィトは写像言語説を否定し、そして後期ウィトは写像言語説を否定し、
言い習わし、仕来りと言った意味内容に近い。
仏教徒は、言語などただの妄想による仕来り、言語とは「様々な言語ゲーム」などといった。
論考の言語観がそれに他ならない。
「様々な言語ゲーム」言語習慣、その通り用いなければならないといったバカバカしい信仰である。
西洋は未だこの信仰から抜け出せない。

以上、言語ゲーム終わる。
687神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 14:27:25 ID:uFdgotFo
>>686
「言語とは、共同体における成員間の伝達の手段」という、最も基本的な視点がすっぽりと
抜けているな。

他の成員に理解できなければ、それは言語ではない。非宗教者や他の宗教者に理解できない
宗教者の言葉は、言語ではない。それは、「独り言」「寝言」に過ぎない。
688神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 14:46:41 ID:qApSkAv7
>>687
では、
『このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。
古仏の問処なり。
世界起の九山八海、これ古仏の日面、月面なり。古仏の皮肉骨髄なり。
さらに又古心の行仏なるあるべし。古心の証仏なるあるべし。古心の作仏なるあるべし。
仏古の為心なるあるべし。
古心といふは、心古なるがゆえなり。心古はかならず古なるべきがゆえに、
古心は椅子竹木なり。』(道元 正法眼蔵 古仏心より) 
689神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 15:22:40 ID:+Af+Hm3u
>>685
どういう現実と照合したら
「ウホウホ!ニク!ニク!ヤマ!ヤマ!カワ!カワ!」とか言ってる「原始人」
みてーな言語事情が仮定として出てくるんだよw
690神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 16:53:26 ID:F6jzqEta
>>687
>「言語とは、共同体における成員間の伝達の手段」という、最も基本的な視点がすっぽりと
>抜けているな。

お前、ほんとバカだよな〜、いつも思うが。以下がそうだつの。

>>679
>つまり、言語習慣や言い習わしというのは適当ななんとなく共通認識される
>記号体系と指示対象、意味内容の総称で、とうぜんある程度の共通認識で、
691神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 16:54:55 ID:F6jzqEta
>>689
小中学生で優等生の感想文レヴェルなんだから彼はw
692神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 17:01:35 ID:iZegVVU4
>>689
現代でも、家庭では、「メシ・フロ」で用は足りるw。

「言語論」には、あまり意味が無い。いくら論じてみても、論者自身も、言語
で論じており、言語の呪縛下にあるのだから。単に「伝達の手段」と割り切る
べきである。

抽象語・観念語は、実は伝達の役割を果たしていない。「照合すべき具象物」
が無いのだから、その意味は百人百様の観念に過ぎないからである。

ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」などの言葉の定義をさせるために、有識者
に聞いて回ったが、みな、それらの言葉の「実例」を挙げるだけで、誰も定義が
出来なかったので、彼等を「無知」であるとした。しかし、無知なのは、ソクラテス
のほう。これらの言葉は「具象物」「具体的行動」の属性であり、「特定の具象物」
や「特定の状況下における特定の行動」と照合しない限り、その意味は確定できない
からである。キリスト教徒ののいう「正義」と、イスラム教徒のいう「正義」とは、
具体的意味は正反対である。

「悟り」「解脱」「涅槃」「善悪」などの言葉も同様。

ちなみに、膨大な仏典から、観念語や抽象語をすべて削除してみるとよい。
後には何が残るか。「ゼロ」であろう。パウロの書簡なども、その一例。
要するに、具体的内容はなにもない、空疎な観念の羅列に過ぎない。
693神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 17:02:37 ID:F6jzqEta
>>686
ただのネラか。つまんね、引用すんなw
694神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 17:31:59 ID:iZegVVU4
例えば、スッタニパータの「ダニヤの章」では、ダニヤの言葉はすべて具象物。
これに対し、釈迦の言葉は、具象物はゼロ。

人間の心身は、具象物に100%依存して維持されるようにプログラムされている。
具象を欠く抽象観念や精神性は、このプログラムを破壊し、狂気の発生の原因と
なる。これが、「人為的に狂気を発生させる営み」としての、すべての宗教の手口
である。
695神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 17:41:23 ID:F6jzqEta
>>692
>ソクラテスは、「勇気」「正義」「美」などの言葉の定義をさせるために、有識者
>に聞いて回ったが、みな、それらの言葉の「実例」を挙げるだけで、誰も定義が
>出来なかったので、彼等を「無知」であるとした。しかし、無知なのは、ソクラテス
>のほう。これらの言葉は「具象物」「具体的行動」の属性であり、「特定の具象物」
>や「特定の状況下における特定の行動」と照合しない限り、その意味は確定できない
>からである。キリスト教徒ののいう「正義」と、イスラム教徒のいう「正義」とは、
>具体的意味は正反対である。

バカだな。それが西洋の本質主義のいう病原なんだよ。
ソクラテスが病気で、答えた人たちは正しく言語習慣に添ったありのままの用例、意味、慣用を述べた。
ソクラテスから哲学的妄想が始まり、定義主義が蔓延し、妄想の上に妄想を重ねた、
それをウィトが指摘したのが論考に他ならない。
他にも、ニーチェが気付き、ハイデガーも気付いていたが、
いまだに西洋人は本質主義にどっぷり使っている。

そんな単純なことも分からず、小学生みたいなこと言ってるバカは困るよ。
696神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 20:07:23 ID:PGhLR6Kp
>>692
まったく下らな過ぎる。

>現代でも、家庭では、「メシ・フロ」で用は足りるw。

土台として何があることでそうした符丁が成立し得るのかまで
説明してやらなければならないんだろうか?
697神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 20:13:05 ID:yZAn04+s
>>695
そのソクラテスの狂気に発した「本質主義(具象を欠いた観念性・精神性)」
は、まさに、ほとんどすべての創唱宗教に共通している要素ではないのかね。
後者の批判は何故出来ないのかが不思議。
698神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 20:33:10 ID:F6jzqEta
>>697
宗教も哲学も常識も、仏教ですら釈尊と中観の正確な理解があるものすべて何か、本質を前提・設定して存在論を構築してるんだが。

中でも最低なのが君だ。
699神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 20:43:47 ID:F6jzqEta
>>692
>現代でも、家庭では、「メシ・フロ」で用は足りるw。

こいつは前、レイプを肯定してた。
恐らく自分の性欲を正当化することが意識的か無意識的か入ってる。
こいつの言う、生命ってのは要するにケダモノ、動物になれってことになる。
しかしながら、みんなケダモノになったら一番最初に標的にされそうだな。

>>685
>君等と違って、「他人からの借り物の言説」には、一切依存しない。
>それでは、他人の「操り人形」。
>
>常に、現実と照合して、自分の頭で考えなければ、他人の操り人形と
>して踊り続けているだけ。

言葉使ってること自体が他人の言説に依存してるんだが。
そもそもこいつの陳腐な説は、インチキ本とかネット検索にどうみても依存してるし。
ほんと矛盾だらけの屁理屈だな。

ネラの典型だから賛同するヤツもいても不思議ではないが、
ほんとに情けないよ。こんなヤツが釈尊を批判とは。(/_;)
700神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 20:45:23 ID:yZAn04+s
>>698
「本質を前提・設定して存在論を構築」したら、それは忌むべきソクラテス
の「本質主義」(西洋観念論)に過ぎないではないか。
701神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 22:05:41 ID:yZAn04+s
>>699
>生命ってのは要するにケダモノ、動物になれってことになる

人間とは、本来的に動物の一種。動物分類を参照されたし。この本来的基盤を忘れて、
観念に踊り狂っているのが、宗教。

他の動物は、生存に無関係な宗教の為に他を殺したりしない。猛獣でも、自分の家族
は大切にする。この意味で、宗教者は「犬畜生にも劣る存在」であることを、よーく
自覚すべきである。

釈迦もイエスも、自分の家族さえ大切に出来なかった。
702神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 22:08:19 ID:yZAn04+s
「大乗仏教に至ると積極的に仏の境涯や仏国土が説きだされるようになり、
煩悩も苦も悟りも無自生・空であって固定性をもたないという見方が基準
となったため、煩悩即菩提、娑婆即寂光といった言葉も生まれた。そこで
苦が最大の関心事ではなくなり、大乗の涅槃経では、仏は「常楽我浄」と
して逆に「楽」が強調されている。こうして苦を中心課題とした四諦説も
小乗の教えとして次第に顧みられなくなり、中国や日本の仏教ではさらに
現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなったと
いうことができる。」(岩波佛教辞典)

大乗によって、釈迦の「病的心理」からようやく解放されたのである。
これは佛教の巨大な進歩といわざるを得ない。
703神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 22:44:07 ID:F6jzqEta
>>702


<君等と違って、「他人からの借り物の言説」には、一切依存しない>んじゃなかったのか?>>685

言ってる側からやってることが違っちゃな〜、
この<現実と照合して、自分の頭で考え>て、如何に自分がマヌケかよくよく反省した方がいいぞ。

おまえの場合は、仏教以前に国語とか常識から平均以下だからな〜
よくまあ、釈尊を批判するよ。○_○
704神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:07:15 ID:yZAn04+s
>>703
辞典からの引用は「参考としての事実」。「自分の見解」ではない。

精神医学を少しでも研究すれば、釈迦が鬱病であることは、明らかである。
健常者であれば、「苦苦苦」と鳩のように鳴くことはない。
705神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:17:09 ID:F6jzqEta
>>704
辞書にしろ、精神医学を研究w(どうせ辞書とかガイドブックだろ)するにしろ、他人の言説に依存してることがどうして分からないのか?

そもそも言語を使うこと自体が他人の言説に依存してるとなんで分からないのか不思議でならない。

チョムスキーの言うように言語能力が先天的だとしても、
ラング、言語習慣を用いることは、先人にどっぷり依存しているんだがw
706神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:22:11 ID:yZAn04+s
>>705
君等の「開祖盲信」のほうがおかしいのだよ。「どんな人間にも、長所
と短所がある」。これは真理ではないのかね。

釈迦は、何のために自灯明を教えたのか。

優れた教師にとっては、弟子が教師を超えてくれることが最大の喜び
であるはずである。釈迦は、「優れた教師」ではなかったのか。
707神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:24:11 ID:pHXwJd77
>辞典からの引用は「参考としての事実」。

知識として挙げるならおkとすると>>684>>685と返すのはおかしくね?
一貫しないなあ。

>「自分の見解」ではない。

見解が一致するからこそ引用したんじゃないの?
一致してないけどその部分を何となく貼ってみたの?
708神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:26:45 ID:yZAn04+s
>>705
言語は、人類共通の、伝達のための手段。人類の最大の共有財産である。
人間であれば、誰でも利用できるもの。

宗教者のように、「他人に通用しない抽象語・観念語」を使用することは、
むしろ、言語と言う人類最大の発明を冒涜していることになる。
709神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:29:55 ID:pHXwJd77
>>706
五十歩百歩形式でうやむやに処理するだけでなく、自分の言行不一致のありさまを直視すべきだと思うんだ。
710神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:37:03 ID:yZAn04+s
>>709
言行不一致なら、宗教の開祖には敵わんw。お釈迦さんについてはよく
知らんが、イエスは、言行不一致の塊。

釈迦も「自画自賛」が多すぎ。「自分は悟っている」などと言うのは、
狂人か詐欺師しかいない。
711神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:38:48 ID:pHXwJd77
>>710
五十歩百歩形式でうやむやに処理するだけでなく、自分の言行不一致のありさまも直視すべきだと思うんだ。
712神も仏も名無しさん:2009/12/24(木) 23:52:06 ID:yZAn04+s
>>707
文句があるなら、岩波辞典の執筆者に言ってくれw。私は、「事実の参考
として」引用しただけ。

岩波の執筆者は、専門の仏教学者だから、諸君よりははるかに勉強して
いるはず。私は、膨大な仏典を読むほどの暇人ではない。仏典の読解、翻訳
などは、専門の学者に任せざるを得ないが、それに対する一般の常識人として
の批判は、誰がやってもよい。
713神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:03:31 ID:eDOjTf74
>>712
岩波書店や執筆者に文句を言ってるわけじゃない。
>「自分の見解」ではない。
と言っているが、ここに示すということは少なくともその部分では
幾分かは「事実」であるとみなす。つまり自分の見解と一致しているわけだ
それとも何となく書いてみたのか?

>岩波の執筆者は、専門の仏教学者だから、諸君よりははるかに勉強して
>いるはず。

そりゃそうだ。信頼できるプロというわけで、そこから知識を挙げるのは
妥当ということになるわけだ。だからこそ隠居も引用する。
とすると>>685は何だ、ということになる。
自分はプロを挙げるが、相手が挙げるのは気に入らない。
自分は有利に使わせてもらうが、他のやつは使うな。
これでは駄々をこねているのと同じである。
714神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:06:52 ID:90cTcSXO
>>707
「自分の見解」などと言う前に、辞典の記述が「事実として」正しいかどうかを議論すべき
ではないのかね。私は、辞典の記述を引用したまでで、それが「事実として正しい」とは
保証してはいない。あくまで「正しいと仮定した」上での、私自身の意見である。

そうまでして、開祖の「正当化」に努めるのが、洗脳されている証拠ということも、忘れては
ならない。「なりふり構わぬ開祖・教祖の正当化」が、洗脳患者の特徴であることは、事実である。
715神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:09:35 ID:eDOjTf74
>>714
あれ?じゃあなんで「参考としての事実」として挙げたの?
無意味だよね。

>あくまで「正しいと仮定した」上での

その仮定にはもちろん自分なりの理由があるんだろ?
716神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:11:36 ID:BqBM5H6P
>>714
>「自分の見解」などと言う前に、辞典の記述が「事実として」正しいかどうかを議論すべき
>ではないのかね。私は、辞典の記述を引用したまでで、それが「事実として正しい」とは
>保証してはいない。あくまで「正しいと仮定した」上での、私自身の意見である。

なんだこりゃ。なんでも人のせいか。ほんと糞だな。
717神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:17:52 ID:90cTcSXO
>>713
「事実」と「意見」とは区別してね。「事実」は専門家に頼らざるを得ないが、事実の
内容に対する「解釈」や「意見」は、各人の自由である。

先にあげた言語学者たちのは、「事実」というより、「意見」だろ。「事実の解釈」や
「意見」については「自分の見解で行う」ということだ。
718神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:23:02 ID:90cTcSXO
精神医学的には、目の前に事実を突きつけられても絶対にその事実を認
めることが出来ないのが、妄想患者の症状である。これは「臨床的事実」。
719神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:23:45 ID:BqBM5H6P
>>702
>「大乗仏教に至ると積極的に仏の境涯や仏国土が説きだされるようになり、
>煩悩も苦も悟りも無自生・空であって固定性をもたないという見方が基準
>となったため、煩悩即菩提、娑婆即寂光といった言葉も生まれた。そこで
>苦が最大の関心事ではなくなり、大乗の涅槃経では、仏は「常楽我浄」と
>して逆に「楽」が強調されている。こうして苦を中心課題とした四諦説も
>小乗の教えとして次第に顧みられなくなり、中国や日本の仏教ではさらに
>現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなったと
>いうことができる。」(岩波佛教辞典)

この辞書の記述を根拠に以下を主張したんだろ。

>大乗によって、釈迦の「病的心理」からようやく解放されたのである。

他にどんな文も見ずに直観したとでもいうのか?
それじゃお前が非難するイエスみたいだなw

直観したんじゃないよな。じゃなきゃあんな長文打ち込まないよな。
でも、他人に依存してることを何度も指摘されてやっと分かったらしく、
卑怯にも、次のような詭弁、屁理屈か、いつものことだが。

>>712
>文句があるなら、岩波辞典の執筆者に言ってくれw。私は、「事実の参考
>として」引用しただけ。
>>714
>「自分の見解」などと言う前に、辞典の記述が「事実として」正しいかどうかを議論すべき
>ではないのかね。私は、辞典の記述を引用したまでで、それが「事実として正しい」とは
>保証してはいない。あくまで「正しいと仮定した」上での、私自身の意見である。
720神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:23:48 ID:eDOjTf74
>>717
>内容に対する「解釈」や「意見」は、各人の自由である。

だから、専門家による事実の模索の中で出た意見に同意するところがあったから
引用したわけだろ?
「現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなっ」て
「大乗によって、釈迦の「病的心理」からようやく解放された」んだろ?
721神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:26:14 ID:BqBM5H6P
それに早速、人の文に依拠してこう書いてるな。

>>700
>「本質を前提・設定して存在論を構築」したら、それは忌むべきソクラテス
>の「本質主義」(西洋観念論)に過ぎないではないか。

ソクラテスが「本質主義」だってなんで分かったんだw

>>717
>「事実」と「意見」とは区別してね。「事実」は専門家に頼らざるを得ないが、事実の
>内容に対する「解釈」や「意見」は、各人の自由である。

なんだ結局依存してるんじゃないか。以下、撤回しろよw

>>685
>君等と違って、「他人からの借り物の言説」には、一切依存しない。
722神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:27:45 ID:eDOjTf74
3秒遅れでかぶっちゃったw
>>718
なんて見事なブーメランなんだ……
723神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:35:38 ID:BqBM5H6P
>>717
文献学も精神医学も科学であるかぎり、学説を述べる場合は仮説以外のなにものでもないぞ。

事実というのは、テキストや碑文、建築、美術などの物理的データのことを文献学ではいう。以下は仮説だし間違ってる。

>>702
>中国や日本の仏教ではさらに
>現実肯定的な傾向が強くなって、苦という言葉の比重も軽くなったと
>いうことができる。

華厳や密教、本覚門が現実を肯定することなどありえない。
それは認識が変わっているからである。
ここらへんを理解している文献学者は非常に少ないし、
岩波仏教辞典は、変な学者も沢山かいてるあまり信用のできないものである。
仏教学辞典や織田得能辞典の方が信頼できるが、辞書などどれも完全なものなどありえない。
そんなものを根拠にものをいうのはアホ以外のなにものでもない。

このスレは少なくともテキストに添ってものをいう場なのである。
724神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:37:16 ID:BqBM5H6P
>>722
見事に天に唾してるよな〜>718
自分の間違いを認められない誤淫嘘
725神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 00:41:08 ID:90cTcSXO
>>719
釈迦の鬱病については、私の長年の精神医学の研究に基づく「自分の意見」
である。「イエスの統合失調症とは異なり、釈迦の鬱病は、精神医学的には
『感情(気分)障害』であるので、人格の崩壊はない」という、釈迦には
大甘の意見だ。しかし、スッタニパータを読むと、「人格の崩壊」も否定
できないようだ。統合失調症もあるのかも知れない。

大乗の歴史という「事実」については、岩波辞書の専門家の研究に頼った、
ということ。私には解らないことだから。

岩波辞書に記述された「事実」については、何の反論も出ないなw。何か
理由があるのかなw。
726神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 01:02:51 ID:90cTcSXO
>>728
今度は、岩波辞典の攻撃かw。引用者に対してそれを言われてもねw。

岩波辞典の執筆者も、仏教学の専門家として、「テキストに添って」ものを
言ってるのではないのかね。

それに、テクスト自体の信憑性は、どうやって確認したのか。

「華厳や密教、本覚門が現実を肯定することはありえない」というが、それは
これら宗派の公式見解なのか。佛教とは、「現実遊離の宗教」なのか。それで
は、現実界では無用の産物。「佛教は、徹頭徹尾、現実主義の宗教」という
高い評価もあるのだが。仏教者なら、わざわざ、佛教を貶めることはあるまい。
727神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 01:20:32 ID:eDOjTf74
>何の反論も出ないなw。

出ることを想定していたはずなのに↓……どういうことなの…。
>引用者に対してそれを言われてもねw。

相手がこれと同じ言葉を返してきたら納得できるのか?
728神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 10:49:46 ID:6qQueFI3
>>727
>相手がこれと同じ言葉を返してきたら納得できるのか?

当たり前だろう。だから引用者は「参考のための引用」と断っている。「引用内容の事実」
に異論があれば、同じく「事実」を以って反論すべきもの。
729神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 11:17:43 ID:BqBM5H6P
>>728
だから、テキストに基づいて辞書とか研究書には基づいていないんだがこのスレは。

このスレのレヴェルと君のレヴェルは全然違うといい加減に気付いたらどうなんだ。

君にテキストを出しても無駄だから、出さないよ。
730神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 11:29:17 ID:6qQueFI3
>>729
岩波辞書の執筆者である佛教学者は、「テキストに基づいていない」
と言いたいのかね。それでは、執筆者に対する名誉毀損に該当する
から、軽々しく口にすべき言葉ではない。

執筆者は、出典も挙げ、「事実」として論じている。それに反論する
者も、同様に、出典を挙げ、事実として反論すべきではないか。

感情的な罵詈雑言では、そもそも反論にはならない。また、宗教者と
しては勿論、人間としてやるべきことではなかろう。
731神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 11:33:28 ID:BqBM5H6P
>>730
○_○ 今回は確信をもっていうが、君は通院した方がいいぞ。
著しくコミュニケーション能力、判断能力を欠いている。
自覚して慎んだ方がみんなのためでもあるし、君自身のためでもある。
732神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 11:44:57 ID:6qQueFI3
>>731
君が、カルトである原始仏教によって洗脳されている、狂わされている、
という自覚は少しもないのかね。

狂気とは、不特定多数人の平均的心理からの有意な偏倚をいう。
「苦苦苦」と鳩のように鳴いている人間が、世の中のどこにいるのか。
精神病院の外には、殆ど見当たらない。
733神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 13:59:22 ID:nvxfOIcE
>>728
別に自分で正しいと思ったわけでもないがとりあえず出してみた、
というわけではないだろう。仮にそうならばこうした議論の場でやることではないし、
ここにいる意味はなかろう。自分なりに理由があって出した以上、
そうした判断そのものもまた、適当であったのか否かが問われるのは当然のことだ。
それが自分の発言に責任を持つと言う事だろう。

>岩波辞書の執筆者である佛教学者は、「テキストに基づいていない」

仏教学者は「テキストに基づいて」書いてるだろう。彼らなら
このスレに来てもテキストから直接語ることができるだろう。
同じくテキストを読んでいれば、彼らの意見のここがおかしいと
テキストから指摘できる。相手もそれに対し、いやそこはね、と返せる。
これはたいへん有意義なことだと思う。
しかしテキストに基づいていないだけならまだしも、これから読む気が無いなら、
「なーんか正しいんじゃなかろうか、自分の立場にも近いし……」と何となく
レスをなげかけるだけで終わるだろう。これにはさすがに意義はない。
734神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 14:33:58 ID:nvxfOIcE
辞書を元にするのと困るのは、辞書にはだいたい細かい参照がついてないことだ。
もしあったら厚さが大変なことになるだろうから、仕方ないね。

もしあれば参照をもとに、執筆者はこのテキストをたどって、この部分を、こう解釈したのか、と
知ることができる。でもないのでは把握はむずい。あったら>>149を全力でたどってたんだろうな……いやどうだろう。
でもって把握しないまま、押し通そうとするとどうなるかと言えば、
彼は学者なんだから、どこどこ出の偉い学者なんだから、といった部分だけを盾にする羽目になる。
自分自身の知識ではなく「この部分は自分と考え方が共通してるし、まあ、ここも正しいんじゃないの?何となく」
というノリでもって。

ここでちょっと隠居の理屈をまとめてみた
『俺はとりあえず「参考」として出してみた。自分の知識と照合したわけではないし
正確に同じとしたわけじゃない。つまり俺の知識・意見というわけじゃないから仮に間違っていても
俺に責任を問うのはお門違いだ。ついでに言うとどこがどう正しいかは俺もそこまで把握していない。
だから俺がそういう返答が出来ないことは問題じゃない。だが、そっちが同じように返さないのは問題だ』
735神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 15:19:58 ID:nvxfOIcE
Internet Archiveに今ある仏典(>>149)のリストもあるから、利用しない手はないな。
ttp://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1035.html
736神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 15:50:25 ID:BqBM5H6P
>>735
おお、これは助かる。昭和新纂、国訳大蔵経もアプされたんだ。
これは感謝、感謝。『探玄記』読みたかったんだ。
ありがとうございます。

因みに誤淫嘘の発言は、このようなものとおもわれ、

「他人からの借り物の言説」には、一切依存しない。
だけど、辞書は「参考」として出した。
だから、辞書に依存してない。
問題があるなら辞書に言え、俺に言うな。
俺に証拠は必要ない。
だが、俺が出した辞書に反論するなら、きっちり証拠をだせ。

矛盾の六蘊とでもいうべきかw
737神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 16:00:28 ID:kxfafdO3
岩波辞書の引用に対する反響の大きさには驚いた。執筆者は、テキストに基づいて
苦概念の変遷という「事実」を述べているだけなのに、その事実に対してよほど
気に障るこいとでもあったのかな。事実にいくら楯突いても無駄だよ。

テキスト、テキストと連呼するが、そのテキスト自体が、それほど重箱の隅を
突いてまで読むに値する代物なのかは検証したのか。単に「釈迦の弟子が書いた
のだから正しい」と思い込んでいるだけではないか。弟子たちによる解釈や伝聞の
誤りがないことは、確認したのか。釈迦が書いた経典は、ただの一つも無い。
弟子たちの伝聞と解釈に基づく経典のみである。「釈迦の真意」など知ることは
到底不可能。あの世に行って釈迦に直接聞く以外には方法はない。釈迦が、
「俺は、そんなことを言った覚えは無い。そんな意味ではない。お前等皆誤解
している」という恐れはないのかね。テキスト自体の信憑性も全く証明されて
いないのだから、テキスト、テキストと騒ぐのは、滑稽極まりない。また、事実
に対してそれほど感情的になるのなら、テキストの正確な読みも全く期待できない
ことになる。

ちなみに、岩波辞書の執筆者は、同じ項目で、苦の概念の変遷の歴史を、初期
仏教の時代から、テキストに基づいて述べている。分量の都合で、初期仏教の
部分の引用は省略したが、君たちは、その部分の記述についても、それほど騒
ぎ立てる積りなのかね。
738神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 16:25:08 ID:kxfafdO3
>>736
>おお、これは助かる。昭和新纂、国訳大蔵経もアプされたんだ。
>これは感謝、感謝。『探玄記』読みたかったんだ。
>ありがとうございます。

そうやって、始めからありがたがって読むのでは、テキストの客観的に正確な
読みなど、到底不可能w。批判がないところには、真の理解もありえない。
739神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 18:31:24 ID:PNvwGmEl

概念仏教者はテキストの無謬性に対する『信仰』とオカルト性だけが根拠だから、

客観的証明など問題にならない。

信仰信念にもとずいて救われている(つもり)なのだから勝手にやればいい。

ただ、信仰仲間内だけにして、部外者には対応しないことだ。



だから、どうぞ好き勝手に輪廻転生し放題していてくださいw


740神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 20:53:00 ID:JZ/cqqTg
>執筆者は、テキストに基づいて 苦概念の変遷という「事実」を述べているだけなのに、その事実に対してよほど
>気に障るこいとでもあったのかな。

気に障ったのはあくまで隠居の不実極まりない行動パターンに対してだから間違えないように。
加えて、何が問題か理解してないな。「一方はテキストに拠るが、もう一方は参照する気ゼロ」
この場合、これ以上議論を展開させることができないということだ。
とりあえず他人の解釈を出してみた。と、そこで終わってしまう。
何がどのように正しいのか、という「自分の意見」が無く、この様子だと生まれる見込みも無い。
だから、現にいま執筆者を掲げることに終始するだけになっている。
相手から何を言われても指摘されても、パッと掲げてそれでおしまい。

>テキスト、テキストと連呼するが、そのテキスト自体が、それほど重箱の隅を
>突いてまで読むに値する代物なのかは検証したのか。

ところでなんで隠居はここにいるんだろう。議論の場とは検証する場ではないのか。
自分がやろうともしないのに参加者面して、相手もそうであることは否定するってのは流石になしでしょう。
それはさておき、同じ問いかけでもこの文書のこのあたりはおかしいぞ、と
指摘した上で言うと、相手もそれを確認できる。そこから議論が発展する。

>テキスト自体の信憑性も全く証明されていないのだから、テキスト、テキストと騒ぐのは、

隠居が出した例なら問題ないだろう。釈迦が言ったか、という話ではなく、
釈迦のものとして伝承した人々の「考え方が」どう推移したか、という話題なんだから。
また、釈迦のものでなくとも文章が綴られたものである以上、その解釈が適当か不適当かという問題は生まれる。
勿論このお経のこの部分はとくに怪しいぞ、具体的には……と話を進めることもできる。
実際に釈迦が説いてなかろうが、この解釈はね〜だろ〜とか。
釈迦が説いたか、以外にもいろんな疑い方(アプローチ)がありうる。

ここでまた有意義か無意義かという話になる。
例えばこのやりとりで隠居は何か【新しい】知見を得たか?
741神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 21:29:55 ID:JZ/cqqTg
自分の考えが、引き合いに出したものが信頼できるものと検証する
努力もしようとしないのに、相手にはそうしろと求める。

調べて無いので知見が積み重なることも無いし、無いものは出せないので
相手から指摘されることで、うっかりやってしまった誤解や記憶違いがわかることもない。

これ、意味があるのか?

ここで考えることをしなければこれからも続くだろう。

「言語とは、共同体における成員間の伝達の手段」本当にその通りだな。
1、2行目の話になるが、共同体、複数人の間で相手に要求するなら、伝達にもやりよう、
ってものがある。意味のある、役立つものとして言語を使い、相手から本当に自分にとって
プラスになる行動、積み重ねられるものを引き出したいのならね。
742神も仏も名無しさん:2009/12/25(金) 23:41:20 ID:YsF84ZAt
>>740
>>741

なんだか、本題から話を逸らそうと必死なようだな。私の引用と書き込みの本題は、次の通り。

1 岩波辞典の記載「事実」が正しいかどうか。
 私は仏教徒でも、佛教の専門家でもないのだから、解らない。記載事実に反論があれば、
 仏教徒や専門家を自称する方々が、事実を挙げて反論すればよいだけのこと。

2 テキストについては、これも専門家でもなく、また、すでに述べた理由により、テキスト
を分析する意義は認めない。

3 岩波辞書の記載事実を正しいと仮定した上での、私自身の意見は、書き込みの最後に述べて
いる。

4 ちなみに、ここは大乗仏教のスレ。小乗はスレ違いである。私の主張は、大乗の思想的優越性
である。
743神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 00:27:37 ID:XjecKGJp
1.それを選択し、引用して意見を述べている以上、その是非は問われるのは当然。
仮定であることは、別におろそかにしていい理由にはならない。
先に書いたように、そこで話が終わってしまい、誰にとっても得にならないためである。
自分で調べないなら、相手が何を言ったところでそれを正しく判断はできないだろう。
相手の視点からしても(論拠が云々以前に取り組み方が)いい加減な仮定やフィーリングで
返すとしか期待できない相手とまともに議論する気になれるだろうか?
これまでのやりとりで大きくその気分を削いでしまったのは事実だ。

2.ならばこのスレにいる意味はない。スタンス的にスレ違いである。
先に挙げた理由で隠居にとってもプラス要素は皆無である。
隠居がテキストの問題として言及できたのは(釈迦)本人の説か、という点。
それを仏説として受け取った人々の思想の推移をたどる点で有効なのは変わらない。
仏教史上の他の論者・僧の場合でも同様である。
「大乗仏教」について知る、ことに限るなら、これを否定する人はいないだろう。

3.1.に同じ。

4.釈迦が言ったかどうか、という話を出したのは隠居である。モチーフ的、
思想的な源流(元ネタ)を考察するならパーリ仏典ネタを探るのも有意義と思われる。

0.相手をイラつかせたのは岩波版の辞書に書かれている事柄ではなく、
言行不一致な行いと、それを延々と糊塗するグダグダな言い訳である。
744神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 01:06:05 ID:XjecKGJp
そろそろ最後にするか

仮定云々がどう見ても後出しジャンケンなのは良しとしよう。
旗色が悪くなったら他人だけのせいにして、自分自身はその責任から完全分離
してしまおうとする傾向は現実世界で叱ってもらおう。
どこがどうわからない、のかもわからないままなのに相手から反論だけ
賜ってどうするのか?という疑問も脇に置いておこう。
そもそも会話に意義を持たせようとしているかどうかは最初から疑わしいが、
追求しても出てくるものは無かろう。

改めて問いたい。こんなんで何がしたいのか?何ができるのか?
どういう意味・利点が自他にあると思っているのか?
745神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 01:20:55 ID:i0BMIrMN
>>744
少し擁護すれば、
彼の疑義は、次のような形で集約し得る。
「(原始)仏教は、(生物としての)ヒトの在り様を否定しているのではないか?」
「(原始)仏教は、価値あること(喜び、満足、充実感等)を否定し、無い方が良いとしているのではないか?」
「(原始)仏教は、人類の(≒生物としての)生存を否定し、その逆方向を向いていないか?」
「(原始)仏教は、生命の存続、継承、継続を否定していないか?」
というものと言える。

仮に、これが彼の核であるなら、(というか、【“普通の人”はこのように考える】わけだが・・・w)、
ここへの回答としての言葉は常に用意されねばならないし、
未信者に信を生じさせるには不可欠な言辞の領域だと思われるw
746神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 07:10:25 ID:Miodemre
>>743
>>744
いつまでもくどくど言わないで、いい加減で>>742の本題に入れよw。

>>745
>ここへの回答としての言葉は常に用意されねばならないし、
>未信者に信を生じさせるには不可欠な言辞の領域だと思われるw

大乗仏教では、回答はとっくに用意されているのだから、原始仏教は不要・有害。
「人間にとって有害な信」を「生じさせる」ことは、やってはならない。

「信」は、「普通の人々(衆生)」の間に、既にあまねく存在している。
747神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 08:50:43 ID:RPdri/Ev
>>745
一切皆苦なんだから、あたりまえだろ。
そんな疑問を持ったり、大乗が生の肯定なんて言ってるのは文が読めないだけのこと。

仏教のいうことが嫌なら、自分だけ拒否すればいいだけのこと。
それを陳腐で幼稚な言説や詭弁・誤読でグダグダいうのはいい加減にしてくれ。

たんに誤淫嘘といわれるやつが、あまりにもネラ標準なだけだろ。
つまり、単純な思い込みから出発して、適当な根拠で大声で叫く。
誤りを指摘されると詭弁・屁理屈でグダグダいうだけ。

なんでここに来るかっていうときっと学とか知への憧れなんだろw
机も全く一緒。
748神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 09:17:11 ID:JXjirZjW
>>746
一つ一つ、隠居が番号で割り振った毎に応答しているではないか。
いったいどこを見とるんだね。ちゃんと受け止めろよ。

隠居式言行をこうした場でやり続けたところで何の意味があるのか?は
隠居という人格の本題にとどまらず、議論という営みの本題といえなくもない。
749神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 10:10:11 ID:RPdri/Ev
>>748
>隠居式言行をこうした場でやり続けたところで何の意味があるのか?は

どっかで意味あるとこあるのか?

こういう言説は、高校までのクラス会とか学級会のみのものだろ。

学会でもいるが、そういうヤツは相手にされない。
つまり、事実上いないことと同じ。

誤淫嘘がコテつけれくれればスル〜しやすいんだが、
一行だけの場合、分からずに反応してしまうことがある。
750神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 13:05:58 ID:FnBBXyQb
>>747
>一切皆苦なんだから、あたりまえだろ。

その「一切皆苦」が、釈迦の基本的な誤り。というより、彼の鬱病の症状以外の
何物でもない。

広く世の中を見渡してみろ。「生きるのが苦しい」などとうずくまっている
人間が果たしてどれほどいるか。圧倒的大多数の人間は、どんなに苦しい
場合でも、常にささやかな喜びを見出そうと努めているではないか。

親が子を案じることは苦しい。しかし、その苦しみの中にある大いなる充実感
と喜びに、釈迦は思い至っていない。彼には、心を寄せるべき家族がいなかった
のである。

原始仏教の「苦」の概念は、忌むべきキリスト教の「罪概念」と同じ。その
植え付けにより、人間の精神を破壊し、信者を獲得しようとする、極めて
悪質な布教の手段。また、原始仏典における釈迦の「自画自賛」も、聖書に
おけるイエスのそれと同じ。両者の類似性・親和性は極めて高い。

マインドコントロールは、「悪業」の最たるもの。釈迦によるダニヤの洗脳は、
地獄行きに値する悪業。

宗教によるマインドコントロールは、「精神的不法行為」「犯罪」として、
司法の手が伸び、次々に判決が出されている。原始仏教も、当然、その対象
になりうる。悪の根源は、大学に巣食って、教壇の上からカルトを布教する
小乗カルト信者の「仏教学者たち」である。

釈迦の「精神病」とはきっぱりと縁を切らない限り、その感染の犠牲となり、
狂人として酔生夢死の一生を送ることになる。

釈迦の精神病理から離脱しえた大乗の努力と知性は、誠に巨大であった。
751神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 21:57:45 ID:ZroMSf8w
一切皆苦の「苦」は
単純に苦しいという意味じゃないと聞いたけどな
日本語的解釈のみで決めつけるのはちょっと
752神も仏も名無しさん:2009/12/26(土) 23:37:21 ID:sbsGz2qY
>>751
「不安定な、困難な、望ましくない」でも、「圧迫して悩ます」でも、「思い通りに
ならない」でも、「無常」でも、何でもよい。

人間は、独りでは絶対に生きられない。すべての人間は、滅びるべき肉体を有
する以上、そして共同体において生きている以上、「思い通りにならない」こと
は当たり前。そして、苦があるからこそ、楽が存在し得るのである。「一切皆楽」
と容易に言い換えることができるのである。

釈迦の「一切皆苦」は、人間とその社会の洞察を欠いた、彼の言葉によれば、
「凡夫の迷い」に過ぎない。幼児のわがまま、人生の苦労を知らない贅沢病
である。現代の精神医学では、鬱病の典型的な症状。

しかし、健常者である大人の「凡夫」には、そのような迷いはない。
「一切皆苦」は、同時に、「一切皆楽」であることを悟っているからである。
753神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 00:55:40 ID:73HWRcsf
>>752
でも、イイ歳した健常者の紳士や淑女に、
人生って楽ですか?って尋ねたとしたら、
「楽」って言う人は稀だよね。
大体の人が、「苦しい」って言うかと。
754神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:02:41 ID:wl87BIFJ
>>753
「一切皆苦」などとアホなことを言う大人はいないだろうw。
755神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:31:19 ID:a98QH2p+
おれは、釈迦より、えれえんだ〜ってかw
そういいいたいだけの、誤解釈ねえw
756神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 01:37:41 ID:wl87BIFJ
>>755
「おれ」ではなく、「一切衆生」は釈迦よりも悟っている、ということだよ。

そのことに思い至らなかったのが、釈迦の愚かさである。釈迦は、悟りが
足りなかった。
757神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 06:01:03 ID:hcuZfap1
隠居が頑迷であることははっきりした。
このレヴェルだと通常の社会生活も厳しそう。


758神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 09:52:08 ID:Ibq8WFYd
>>757
>このレヴェルだと通常の社会生活も厳しそう。

だから「一切皆苦」なのだよ。釈迦並だw。

大乗起信論では、「真如としての『衆生心』」に思い至っている。釈迦とは、
悟りのレベルが桁違い。

「苦苦苦」と鳩のように鳴き続け、原始仏典で「自画自賛」するる釈迦の姿は、
醜悪を通り越して、滑稽以外の何物でもない。

釈迦の「心の病」は、贅沢三昧に育てられ、人生の苦労を知らなかったことと、
母が継母であったという家庭環境にもよるものと思われる。その点では同情に
値する。現代であれば、抗鬱剤と抗精神病薬による治療の対象であることは間
違いない。

精神病は感染するのだから(感応精神病)、充分な警戒が必要。患者との接触
を完全に絶つことが肝要。創唱宗教の信者とは、例外なく、開祖の精神病の感染の
犠牲者であることを、忘れてはならない。
759裏町人生:2009/12/27(日) 23:36:31 ID:pz+bSeFs
裏町人生
      1
暗い浮世の  この裏町を
覗(のぞ)く冷たい  こぼれ陽(び)よ
なまじかけるな 薄情け
夢も侘しい  夜の花
      2
誰に踏まれて 咲こうと散ろと
要(い)らぬお世話さ 放(ほ)っときな
渡る世間を  舌打ちで
すねた妾が  なぜ悪い
      3
自棄(やけ)に噴(ふ)かした タバコの煙
心うつろな  鬼あざみ
ままよ火の酒 呷(あほ)ろうと
夜の花なら  狂い咲き
      4
霧の深さに  隠れて泣いた
夢が一つの  思い出さ
泣いて泪が  涸(か)れたなら
明日の光を  胸に抱く

760星の流れに:2009/12/27(日) 23:51:54 ID:pz+bSeFs
星の流れに
     1
星の流れに 身をうらなって
どこをねぐらの 今日の宿
荒む心でいるのじゃないが
泣けて涙も枯れ果てた
こんな女に誰がした
      2
煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜のさすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の 侘びしさよ
こんな女に誰がした
     3
飢えて今頃 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に誰がした
761神も仏も名無しさん:2010/01/18(月) 23:26:36 ID:6XWQ5hxQ
age
762神も仏も名無しさん:2010/01/29(金) 00:34:23 ID:hhj8TmVT
原戸眞視先生の本がすごく面白かった。「因果でも相依でもない縁起」や「涅槃と無為との区別」などめちゃくちゃラディカルな内容。
763神も仏も名無しさん:2010/02/01(月) 10:11:19 ID:cuyd4mab
梵網経って面白そう
764神も仏も名無しさん:2010/02/10(水) 02:09:44 ID:pdJ+eexC
龍樹の伝言
765神も仏も名無しさん:2010/02/10(水) 07:17:49 ID:jsJLAjpq
誰が面白い事言えと
766神も仏も名無しさん:2010/02/20(土) 13:30:07 ID:quznKdPw
龍樹はんは昼寝中。
767保守  ◆4yy3YEx6Zc :2010/03/01(月) 01:54:21 ID:ZS7EXPEH
?蘊居士大好き。
768神も仏も名無しさん:2010/03/06(土) 09:54:21 ID:GBPhfR/v
石飛先生本書いてるみたいだね
769神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 10:51:03 ID:V03kh2d0
某所でボロクソにけなされてる本を、ですね・・・
770神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 10:55:23 ID:83TfuSX1
>>769
石飛先生の偉大さが分からない人は、インド文献学とか仏教文献学止めてほしいな。

ちょっと言い過ぎた、少なくとも思想研究は無理だ。
771神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 12:36:33 ID:V03kh2d0
偉大さねぇ・・・・

ttp://members.jcom.home.ne.jp/miurat/murikai-logic.pdf

偉大さ、ねぇ・・・・・・・w
お笑いの素質なら認めますが
772神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 13:17:40 ID:83TfuSX1
>>771
そんな西洋論理学を前提としたら仏教なんかなんも分からんぞ。
なぜか、存在論が違うからだ。
西洋はパルメニデス・ソクラテス以来実在論・本質主義でやって来てる。
その存在論では仏教の縁起・無我・空は理解できない。

だから、西洋論理学の常識を突き抜けて『中論』やアーガマ・ニカーヤに
論理的一貫性を見いだした石飛先生は偉大なんだが。

君はいつぞやの半端な人だろうから、言っても分からないだろうけど。
773神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 14:02:25 ID:V03kh2d0
確信口調で語る人って、なぜか見えない人と戦うの好きだねぇ・・・
まぁ好きなだけシャドーボクシングやっときなさいよ
774神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 15:08:52 ID:83TfuSX1
君みたいに半端な知識を身につけて、セコイ中傷して賢いと思ってるのは
2ch.で妄想振りまいてるのと全く同じだぞ。
775神も仏も名無しさん:2010/03/08(月) 15:21:15 ID:V03kh2d0
はいはい自己紹介乙
776神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 09:59:37 ID:nlZPwSJH
仏教@質問箱で質問させていただいた388です。
今日にでも図書館に行って教えてくださった本を見に行ってみます。
欲張ってすみませんができれば仏教の思想3空の論理に書かれているの意味と中論15-1.2.8.9の意味の両方が知りたいです。

よろしくお願いします。
777神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 10:09:28 ID:CnSFzQat
>>776
厳しいですね。ちょっとがんばってみます。
778神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 10:40:53 ID:CnSFzQat
>>777
すいません。重要な訳を忘れていました。
『世界の名著2 大乗仏典』に15章の『明句論』長尾雅人訳があるので、
これが副読本として最高だと思います。
779神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 11:19:43 ID:CnSFzQat
>>776
要するに縁起観の相違ですね。
有部はいくつかの法に恒常不変の自性があって、
それら自性が組み合わさって縁起して諸体験・経験として知覚されると考える。
つまり、原子論的還元主義なんです。完全に現代的な原子論的還元主義には一致しませんが発想は同じです。


ところが龍樹菩薩は、恒常不変の自性はなく、
あらゆるものは業にしたがって諸因縁から縁起して仮設され知覚されると考えます。

これで『世界の名著2 大乗仏典』に15章の『明句論』長尾雅人訳を読めば
わかると思います。梶山訳の本体は長尾訳の自性です。
780神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 08:37:43 ID:nOB+n0Pr
993 名前: 考える名無しさん Mail: sage 投稿日: 2010/03/28(日) 07:50:25 [ 0 ]
>>984
>>業果は他生(無関係な他者から生ぜられたもの)となるでしょう。
>>それは、業果が縁已生法(縁って起った法)であって、
>>自生(自身から生ぜられたもの)ではないからです。
>矛盾してるように読めるんですが・・・

私の方便力だと説明が難しいのですが、
自生や他生や共生というのは、「svabhAva(svaは自己、bhAvaは存在・体・性)」
つまり「自存在・自体・自性」が無ければ不可能なのです。
そして、非自己における自己同一性/自性、それが他存在・他性です。
ですから、もし自己同一性そのもの、つまり自性が不可能ならば他性も不可能です。
自存在と他存在が不可能ならば、両者から生ぜられることもありえません。

そして、もし自性=他に因待(依存)しないもの(『中論』15.2)が可能ならば、
業果は諸縁を待たずに結果し得るでしょう。そのようであれば果は任意となるのです。
つまり、諸縁に縁って業果が起るということは、自性としては生じておらず、
自生(宿命論)・他生(偶然論)・共生(宿命且つ偶然)・無因生ではないのです。
994 名前: 考える名無しさん Mail: sage 投稿日: 2010/03/28(日) 07:57:11 [ 0 ]
>>993補足。
業果が自生であるとは、自存在・自体・自性から生ぜられたものであること。
他生であるとは、他存在・他体・他性から生ぜられたものであること。
どちらも自性が無ければ不可能です。
また、>>985さんが仰るように、果は無論、因も必ず縁已生法=空法なのです。
781神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 08:39:16 ID:nOB+n0Pr
996 名前: 考える名無しさん Mail: 投稿日: 2010/03/28(日) 08:34:57 [ 0 ]
>>993-994
おお! いいレスですね。これが分かれば仏教は誤らない。
私の見解で補足させていただきますと。
〜である、〜でないと捉える〜の部分が自性・本質と言われ、
これは仮設では世間の言葉使い通り、あるがままだけど。

それは空、実体のない仮設であり、『中論』15.1の対論者と想定される
有部のように仮設ではなく自性が三世に渡って永遠不変に実在すると捉えると、
本質的に縁起ではなくなるというのが『中論』15.2の
永遠不変の自性で、中観派も仮設の世間の言葉使いとしては
自性、つまり〜である、〜でないと言う時の〜という意味、内容、対象としての本質を
あるがままの世間で流通する適当な意味で認めてます。

認めなければ会話もできず、教えも説けませんから。
自生も他生も共生も無因もないという四句分別は勝義の話です。
つまり、四つの論理的極限という言葉使いが働かない世界を、
縁起は示し、同時に因果という世俗も示すという、
縁起はほんとうに素晴らしいものだと思います。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1264233178/l50
782神も仏も名無しさん:2010/04/15(木) 23:03:40 ID:tfD0ooW8
ここの住人はどこに移住したんだろ?
783宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/04/22(木) 11:30:20 ID:RQY1AK/H
784神も仏も名無しさん:2010/04/30(金) 08:43:58 ID:sAnBVug9
>>782
定期的に閲覧しております。
785神も仏も名無しさん:2010/05/08(土) 02:04:45 ID:kZVecQRG
!
786渡海 難:2010/05/10(月) 23:34:18 ID:9uxfTMDB
 インターネットアーカイブが公開している一切経(カナダトロント大学収蔵)の
索引を作りました。

  www.しんらん.jp
787神も仏も名無しさん:2010/05/13(木) 20:16:43 ID:+oVjmyuh
age
788神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 16:41:30 ID:eJThDDRJ
中論読むと吐きそうになる。
頭おかしくなりそう。
なんとか成らない?
789神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 17:56:18 ID:N+gYyoyZ
そこまでして読めとだれが言うのか
790神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 18:22:21 ID:eJThDDRJ
理解したいんだよ。
791神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 19:07:00 ID:N+gYyoyZ
せんでよろしい。
792神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 19:32:50 ID:eJThDDRJ
嫌だ。教えて。
793神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 10:30:13 ID:LqaQzEuu
中論って結局何も無いって事をややっこしく言ってるだけ?
794神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 15:58:16 ID:B4DzT1RB

くぅ〜
795神も仏も名無しさん:2010/05/23(日) 17:54:47 ID:NVfFZxPv
泣け。叫べ。歯噛みしろ。
796神も仏も名無しさん:2010/05/24(月) 08:10:11 ID:6fhvXSA7
そうしたら何?
797神も仏も名無しさん:2010/06/03(木) 21:16:29 ID:KBZUA7WU
>>788
空の哲学って本は読みやすい。西洋哲学と比較しながら中論を解説している。
798神も仏も名無しさん:2010/06/05(土) 20:18:28 ID:HHpzGEHC
>>788
梶山・瓜生津訳註『龍樹論集』中公文庫に、『中論』以外の諸論が所載です。
『中論』だけだと、特に縁起について誤解し易いので、これらの諸論もあわせて御覧下さい。
とくに、『廻諍論』21偈以下は、『中論』24章とあわせて読むと参考になると思います。
799神も仏も名無しさん:2010/06/11(金) 16:39:30 ID:zvyx9Ptz
>>788
新刊書『ダライ・ラマの「中論」講義』(マリア・リンチェン訳)大蔵出版
下は出版社の新刊紹介
ttp://daizoshuppan.bunkensystem.co.jp/daizo/Shop/ThisBook.asp?KanriNo=9-000-00045-0-005
800神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 00:02:04 ID:KJmCs3Vy
>>799
情報ありがとう御座います。
801保守  ◆4yy3YEx6Zc :2010/07/17(土) 05:21:00 ID:4vgYSo9r
保守

需要があるかどうかわかりませんが、ついでです。
中論がわからんという人は自分なりに座法を詰めたり理解できる範囲の事を行ないつつ、
確りした先生なり坊様を探して、対面して解説をしていただくとよいと思います。
文章はそれを綴る人の息遣い(ウダーナ)と密接な関係があります。

私は今でも中論のすべてが分かるとはとても申せません。
しかし中論のある一節を読んで、その当時悩んでいた問題が霧が晴れるように消散した経験があります。
802神も仏も名無しさん:2010/07/27(火) 07:41:32 ID:x2FDGtU5
>>799
買いました。情報ありがとうございますm(__)m。
803神も仏も名無しさん:2010/08/16(月) 20:00:11 ID:L9b+lJqI
中村元氏著作の『龍樹』を何の予備知識も持たず、今、二回目をゴリゴリ読んでおります。
幸い?本の主な内容は、『中論』についてでしたので、『縁起』、『無自性』、『空』について知る、良い機会となっています。
お邪魔しました。
804神も仏も名無しさん:2010/08/22(日) 16:08:03 ID:re3iQ5wN
龍樹age
805神も仏も名無しさん:2010/09/10(金) 17:28:14 ID:a5EAY2oL
龍樹ageage
806神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 00:49:36 ID:5t5ScVA9
>>803

中村先生の『龍樹』は注意した方が良いと思います。
「U部」は、かなり問題があります。
807神も仏も名無しさん:2010/09/11(土) 02:57:05 ID:foVgeJN8
>注意した方が良いと思います。
>問題があります。

とは、読み手が誤解しやすいと言う事ですか。
それとも、明らかな間違いがあると言う事ですか。
808神も仏も名無しさん:2010/09/14(火) 10:24:29 ID:2G9quwLw
放置プレイかいw
809神も仏も名無しさん:2010/09/14(火) 11:50:56 ID:0kqZ7Uul
>>807
じゃ、806じゃないけど、中村先生は中観分かってないから、重要な箇所は使えない。

読むなら、石飛先生と梶山先生ですね。

ついでながら『ダライラマの中論講義』もゲルクの中観なので、日本には馴染まないと思います。
810807:2010/09/14(火) 22:32:36 ID:MdJ2B6EE
>>809

レス有難う御座います
石飛道子先生
梶山雄一先生
ですね。
『龍樹と語れ―『方便心論』の言語戦略』
『空の論理「中観」―仏教の思想〈3〉』
辺りを時間が出来次第読んでみようと思います。

そうすれば
>中村先生は中観分かってないから
の意味も
>>806さんの言いたかった事が少しはわかるかな。
811神も仏も名無しさん:2010/09/14(火) 22:45:55 ID:0kqZ7Uul
>>810
それに龍樹論集と以下、国訳三論を読むといいと思います。
http://www.archive.org/stream/kokuyakudaizky19tokyuoft#page/n6/mode/2up

以下のView the bookの下、PDF からダウンロード
http://www.archive.org/details/kokuyakudaizky19tokyuoft

すると分かると思います。

『空の論理』は上山さんの部分は読まない方がいいです。
812神も仏も名無しさん:2010/09/15(水) 16:45:29 ID:duTSW3h1
重ね重ね、色々とありがとうございました。
813神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 19:27:48 ID:3Qetj6ch
>>807
遅くなってすみません。

第一に、「T」の伝承についての邦訳は非常に参考になると思います。

第二に、例えば、「V」の「著作概観」では、龍樹自身の諸論を多数列挙しておきながら、
(その中で重要なものは、>>811さんが御紹介の梶山・瓜生津『龍樹論集』中公文庫所載です)
肝心の「U」では、それらを殆ど参照せずに、
後代の諸註釈(特に、『プラサンナパダー(明句釈)』を最重視)に依拠します。
(結果として、10章の相依批判なども無視しています。)

こうした姿勢だけでも、非常に問題なのですが、
更に、註釈に依拠する際も、縁起=相依という著者の臆見に適わない箇所については恣意的です。
例えば、『明句』は、26章冒頭で、『中論』24.18、24.40を引用し、
そこにおける縁起の語について26章では説かれる旨を述べますが無視しています。
(ちなみに、26章は25章までに比して二次的ではありません。
例えば、教証なら、『中論』15.7の『カーティヤーヤナ教誡経』、
また、龍樹の『縁起心論(漢訳名、因縁心論)』や、それが依拠する『十地経』「第六地」や
『稲幹経』(本経は『プラサンナパダー』26-27章でも長々と引用されています)
でも、十二支縁起の流転と還滅は説かれています。)

中村さんは、八不(特に不“生”不滅)の縁“起”というのが整合出来なくて、
1,2章とかの否定の意味を履き違えて、可逆的相依が縁起だと誤解しているわけですが、
中村さん自身引用してますが、『六十頌如理論』19-20を参考にすれば、
例えば、諸行は、無明に縁って起っているからこそ、自性としては生じていないわけで、
だからこそ不生です(>>780も参考にして下さい)。
1,2章は、19-20を詳細に言い換えたものと出来ると思います。
それは、『縁起心論』4偈がいう、空法から空法が生じるということに他なりません。
可逆的相依だから不生だとかいう話ではなく。
814813の続き:2010/09/16(木) 19:29:02 ID:3Qetj6ch

個人的には、先ず『中論』24章と『廻諍論』21偈以下を読むのが良いと思います。
『中論』の邦訳は、三枝先生の『中論』レグルス文庫
(漢訳の『中論』即ち『青目註』も対照されています)が良いと思います。
梶山先生なら『空入門』も良いと思います(『縁起心論』所載です)。
瓜生津訳『縁起心論』や、『廻諍論』も『龍樹論集』に入っています。
815神も仏も名無しさん:2010/09/16(木) 19:55:53 ID:r8l9Jgbw
石飛先生の新刊がいいよ。
分かりやすくて、内容も一番深い。
もはや、中観の入門書はあれで決定。
816807:2010/09/16(木) 22:58:50 ID:f8CH/U/g
>>813
>>814

大変、ご丁寧な回答のレス恐縮です。
中村先生の『龍樹』の問題と思われる点、その論証となる経典、書籍等の紹介。
本当に有難うございました。

>>815

レス有難うございました。
石飛先生うの新刊を早速検索してみました。

『龍樹 あるように見えても「空」という』
『ブッダと龍樹の論理学 縁起と中道』

辺りも目を通してみようと思います。
有難うございました。

みなさん本当に有難うございました。
817保守  ◆4yy3YEx6Zc :2010/09/25(土) 13:44:04 ID:VnSOc6Y2
昨日の雨が嘘のような爽やかな土曜日。
皆さん風邪などひかれませんように。
818真言・念仏・禅は謗法邪宗:2010/10/17(日) 21:08:45 ID:bhE5zqpR
(よく誤解されるのでことわっておきますが、私はどの宗教団体とも関係ないです)

「真言・念仏・禅」の邪宗が多い理由。まず、邪義「真言」が、なぜ広まったのか。
それは、像法の末に伝教(最澄)が「法華経最第一」を確立した「後」に、
空海(弘法)によって伝来したからである。

つまり、天台・伝教の破折を「まぬかれている」のだ。

伝教(最澄)が南都六宗の邪義を破った後に、空海(弘法)によって伝来した真言が、
後に天台宗の人々が真言に「籠絡されていく落とし穴」となってしまった。

真言は、天台の一念三千の法を「盗み入れて」自宗の極理となし、「真言宗は天台宗と
法理の次元では同じだが、天台宗にない印と真言という事相があるから勝れている」
との邪義を立てた。その策略にかかり、天台宗を真言へとおとしめてしまったのが
比叡山第3代座主の「慈覚(円仁)」である。

伝教が一生の闘争で確立した「法華経最第一」の原則を崩し、「理同事勝」の邪義を唱え、
天台宗の真言密教化に踏み切ってしまった慈覚が、謗法の端緒を開く元凶となった。
さらに、慈覚の弟子「安然」は、禅宗を促し、「恵心」は、念仏を広める役割をした。

高徳・碩学と仰がれた慈覚が、後世の安然や恵心の邪義を引き出す呼び水になったのだ。
法をより深くむしばむ害虫は、他宗ではなく正法を護るべき天台宗の中にいた。
(よって現在の天台宗は、慈覚・安然・恵心の謗法を引継ぐ邪宗・謗法宗である)

そして、謗法に毒された人々を救うため、末法悪世の変革のために、次々と起こる
大難・迫害に命がけで戦い勝ち越えてきた、末法における妙法流布の法華経の行者が
日蓮である。謗法の人々も今は法華経を誹謗しているが、亡国・亡身の危機に直面した
とき、一切の仏寺・一切の神寺を捨てて、「南無妙法蓮華経」と唱えるようになるだろう。



819保守  ◆4yy3YEx6Zc :2010/10/25(月) 21:12:55 ID:jE1I6YPt

『龍樹 あるように見えても「空」という』
石飛道子

この本は思いがけず、よかったです。
私が初心者だからかもしれませんが、龍樹入門にはお勧めです。
820神も仏も名無しさん:2010/10/29(金) 22:52:43 ID:/NqqOxLi
現在、「意識の反映の場」である客観世界は、だんだんと意識空間からの情報反映を迅速化
し始めており、この進む方向性を考えるに、やがて意識空間(虚の世界)と物質空間(実の世界)
が融合一体化するだろうという推測は容易です。

その融合一体化した別物世界(=虚の空間)において、物質世界が全てであるという偏った
考えを持つことは、精神進化の方向性を持てないこととなり、結果、虚無(スマル)に到ってしまう
というのがオコツトが教える内容です。

仏教で言う「縁」を重視する中観派の観点が大事なのです。
「全ては無」と観る空観も、「全ては幻想」と観る仮観も、いづれも虚無主義に陥ってしまう。
しかし、その中間の「縁あって幻想が生じる」と観る中観こそが、最も正しい認識の仕方だと言えます。
821神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 00:09:21 ID:iJBy50DF
>>819
その本は、釈迦信者である著者が、竜樹を釈迦に引き入れようとする意図的
なもの。初心者が読むと、却って竜樹の誤解を生じる恐れがある。

竜樹は竜樹として、例えば表現は難解だが竜樹の著作として唯一確定している
「中論の頌」に取り組むべきである。「中論の頌」は、凡百の注釈書など寄せ付け
ない、古今東西に比肩するもののない大哲学書である。
822神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 06:13:32 ID:IyYUnvvQ
>>819
素晴らしい内容です。文献学が始めて龍樹菩薩の真意に触れたようなものです。

この>>821人は、生命教・隠居というただの妄想を、大乗仏教に読み込む変人ですから相手にしないでください。
823神も仏も名無しさん:2010/10/30(土) 11:40:36 ID:DBC2F4Z/
>>822
「素晴らしい内容です」と簡単に感心してしまうこと自体が、すでに「空の思想」に
反している。石飛氏にも、その傾向が多分にあるね。「椅子から転げ落ちそうになった」
とかw。女だから、仕方ないのかも知れないが。
824神も仏も名無しさん:2010/10/31(日) 00:09:48 ID:dI2lMqWP
825神も仏も名無しさん:2010/10/31(日) 05:53:32 ID:uQvPN7R1
>>824
そういった西洋論理学が正しいという前提で語られても困る。
西洋論理学は西洋の実在論を前提とした論理形式。

それが縁起・空・仮設という仏教の立場からみたら可笑しいのは当然のこと、
逆に西洋論理学が正しいという立場に立っては、仏教の本質は分からない。

そして三浦さんがそれを作らざる得なかったほど追い込まれていることを認識されたし。
ただのドキュンに対して三浦さんがそんなもの作ろうか?
826神も仏も名無しさん:2010/10/31(日) 10:03:03 ID:0mDVYViC
>>825
厳密に論理学の世界に入らなくても、人類の論理はほぼ共通である。だから、
世界宗教や国際連合、国際関係が成立しうる。仏教は「世界宗教」であり、
石飛氏のこの本は「一般読者向け」に書かれたものである。

この本に対する仏教哲学者の書評があれば、是非紹介して欲しい。
827神も仏も名無しさん:2010/10/31(日) 10:35:16 ID:uQvPN7R1
>>826
非常に非論理的なものいいですな

>厳密に論理学の世界に入らなくても、人類の論理はほぼ共通である。
>だから、世界宗教や国際連合、国際関係が成立しうる。

これは無根拠な主張に目を瞑れば、前提から結論が導かれる形式として一般的です。

>仏教は「世界宗教」であり、

ここまでは、論理形式としてあり、しかし、以下に飛躍がある。

>石飛氏のこの本は「一般読者向け」に書かれたものである。

この一文は、上の諸前提とはなんら論理的に繋がらない。
謂わば、起承転結の転のようなもので、非論理である。

>この本に対する仏教哲学者の書評があれば、是非紹介して欲しい。

仏教哲学者を自称するのは誰かいるかな?

ほんと間抜けだね、生命教

828神も仏も名無しさん:2010/10/31(日) 10:54:52 ID:0mDVYViC
>>827
君のその「非論理的」とは、「何論理」のことか。

「一般読者向け」とは、一般読者に理解できなければ無意味ということである。

「インド哲学」という学問分野はないのかねw。仏教は、インド哲学の一部だと
思うが。「入門 哲学としての仏教」(竹村牧男著、講談社現代新書、2009年
4月28日発行)
829保守  ◆4yy3YEx6Zc :2010/12/07(火) 18:06:20 ID:D+p8mYp1
保守です
830神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 01:29:38 ID:BT1p5Kez
>>825
シモーヌヴェーユやプッタタートといった聖人にもなりえた人たちが
宗教批判をせざる負えないような、
極度に高度化した科学技術世界・ポストフォーディズムの時代において
知識人や宗教家と呼ばれるような人たちが人類の共通の論理を追い求めるのは妥当だと思う。
仏教的な中道の方針とは相容れないものかもしれないとも思うが・・・
831神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 03:04:27 ID:3sGL6WEV
石飛みっちゃんは、中観の事なんか、な〜んも分かっとらへんよ。

龍樹の生い立ちを他の誰かより知っているだけやん。

石飛みっちゃんの影響受けすぎ〜。

アフォちゃうか?
832神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 06:37:04 ID:yPt1aCif
>>831
君が何も分かってないだけじゃないか?
違うというなら、『中論』24.18 はどういう意味か解説できるか?
『中論』24.18 は易しいけど、これが分かってないなら、
中観は、まるで分かってないと断言できるだろう。
833神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 08:18:21 ID:90zgIFdb
>>832
君がまず解説してみ。「仮設だから幻」などと言い出すなよw。

「中道=空」と解釈した竜樹は凄い。釈迦にはなしえなかったこと。

釈迦に嵌った石飛は、何とかして竜樹を小乗に近づけたいだけ。しかし、
「因果関係」は、空とは似て非なるもの。
834神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 08:52:52 ID:yPt1aCif
>>833
いやいや、遠慮しとくよ。
聞く態度が出来てない者に仏教は説くべきではないから。
835神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 09:03:37 ID:90zgIFdb
>>834
早速逃げるのかw。聞く(批判する)態度が出来ているからこそ、質問
しているのだろうが。君も、石飛と同じ穴の狢だからか。
836神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 11:02:48 ID:tW6Eb/Hu
>>834
君自身が中論24:18の解説も出来ないで逃げ回っていて、偉そうなことは
言うべきではなかろう。「世俗に通用する言葉と論理」で解説してくれ。
837神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 11:33:13 ID:N4RNdxRh
831に君の理解は正しいのか、
と尋ね確認しようとしているのに
返事が来る前から「正答」を出してしまったら
尋ねた意味が無いじゃないか。
838神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 11:40:51 ID:tW6Eb/Hu
>>837
君自身の「生答」と「理解」なるものも、批判と確認の対象となること
を忘れるな。

相手の理解が正しくないというのなら、まず君自身の理解を提出して、
批判を仰ぐべきだろ。

>>831さんは、ちゃんと石飛を批判している。

839神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 11:56:25 ID:N4RNdxRh
それだと隠居の投げたブーメランが831に当たってしまうよ。
石飛を批判するなら、831は彼自身の理解を提出すべきということになる。
それを要求する832は問題無いことになる。
840神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 15:11:57 ID:D5BI482T
>>839
石飛批判は、かなり前レスでもすでに行われており、>>831さんは、当然それらを
受けるとともに、前レスにはなかった新たなコメントも付け加えている。

それに対し、「自分だけが正答を持っている」などと言いながら、自分の解釈は
出せない批判者のほうが質が悪い。一体自分は何様だと思っているのか。

ブーメランではない。
841神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 16:23:45 ID:N4RNdxRh
具体的にどれ?

まさかアイツは竜樹の生涯に詳しいだけ、
と書いた部分?

どこがわかってないのか、どこが間違えているのか
正しい竜樹解釈ってのはなんなのか
なーんにも書いてないじゃん。
別にそれを尋ねても問題なかろ?

あいつは女だから・・・誉め方がウゼェ・・・とか言っても何のコメントにもならんだろ。
842神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 18:44:49 ID:MYL+aWIy
横から投下しようか?w
843神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 21:34:23 ID:yPt1aCif
>>841
相手にするだけ無駄ですよ

何も分かってないんだから
844神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 21:58:10 ID:POH6WUIp
>>843
自分が正しい「積り」になっているのなら、堂々と言ったらどうだね。
批判が恐くて、言えないのだろw。
845神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 22:19:31 ID:yPt1aCif
>>844
君にはさんざん言ってきたよ。サムサーラ、本覚、自灯明、中論などなど
すべての誤解を、きっちり、論証しても何も無かったかのように
詭弁しか返さないヤツに時間かけて書いたのは間違いだった。

仏教は聞く態度が出来てる人にしか言っても害になるだけだと最近気付いた。
論争や反論などしても無駄だ。

特に君のような人には。

さらに最近は非常に忙しく、動機の悪い人に何か言う気はないよ
846神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 22:26:22 ID:POH6WUIp
>>845
君のはちっとも論証にはなっていないからだよ。衆生が納得できない論理や論拠では、
論証とはわない。「独りよがり」という。
847神も仏も名無しさん:2010/12/26(日) 22:34:21 ID:POH6WUIp
>>845
君の言う「動機の悪い人」とは、結局、「釈迦や仏典を少しでも批判する人」と
いう意味だろw。

批判がなければ、理解など皆無だよ。単なる「盲信」「思考停止」。
848神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 11:39:24 ID:7AUeq9YQ
>>846
ほうw

文中の「 >衆生 」を、「専門家でない、或いは分野外の『一般人』」と読んでおくが、
>衆生が納得できない論理や論拠では、論証とは言わない
数学の世界で、何とかの定理とか公理とか種々ありますが、あれらは論証されてないんですかね?
あれらを、『衆生』は理解納得できてるんですかね?
貴方が『衆生』という言い方をした背景には、≪誰しもが理解できる≫という意味を含んでのことでしょう?
数学以外にも、哲学、論理学、社会学、歴史学、考古学、医学、経済学、政治学、etc.etc.etc.
世には様々な論証が爲されています。
それら種々の論証は、
「受け手・読み手のスキル、予備知識、既存の理解度、先入観」等に左右されずに理解納得し得るものなんでしょうかね?

(´ー`)y━~~
849神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 13:43:54 ID:KvUbl1Eu
>>848
科学と宗教との違いを考えよ。科学(自然科学・人文科学)は、あくまで現実
を根拠とし、その論考は、四方八方からの批判に耐えて、初めて真理性が認められる。

宗教は、1個人の開祖・教祖による、現実からかけ離れた「勝手な言い分」に
過ぎない。批判に対しては、単に「感情的な反発」があるのみ。信じるか信じない
かの営み。全く予備知識のない衆生に対して語りかけるもの。
850神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 13:57:58 ID:7AUeq9YQ
>>849
ほうw
文献学はどちらに属するので?
宗教社会学はどちらに属するので?
宗教学はどちらに属するので?

(´ー`)y━~~
851神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 14:08:25 ID:X/ab/38y
ほうほう、お前はフクロウか?お前偉そうな事ほざいとるけど、それじゃあ質問しよう。アーカーシャとは何か?「衆生」に理解出来るように説明しろよ?虚空の事だよ?Wikipediaな説明は無用だからな?あくまでも言葉でな
852神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 14:18:44 ID:PRKkloE1
>>850
仏教の因果・縁起がどれほど認識論・存在論的に優れているか分からないような人に何を言っても無駄

特にこの人は唯の詭弁家、しかも子供並なんだから無駄中の無駄
853神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 16:09:46 ID:7AUeq9YQ
>>851
横レスするなら流れを読んどけよw
854神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 16:12:35 ID:KvUbl1Eu
>>850
いずれも、「人文科学」として、「現実性」「論理性」と「批判」が要件。

宗教の「開祖・教祖絶対」と「批判の拒否」「思考停止」とは本質的に異なる。
855神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 16:28:13 ID:KvUbl1Eu
>>850
宗教の「信者」が、宗教文献学、宗教社会学、宗教学をやっても、その「客観性」は
全く保証されない。前述した宗教の特質故に、「護教の要素」を排除することは絶対に
不可能dからである。
856神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 17:08:45 ID:7AUeq9YQ
>>855
条件の後付はやめてくださいw
ホント、卑怯な性格ですね・・。

で、「 >宗教文献学、宗教社会学、宗教学 」は、どちらに属するんですか?
857神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 18:18:40 ID:PRKkloE1
>>856
つか、生命教はガチガチにマテリアルな文献学レヴェルでも誤解ばっかでしょ。

858神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 19:17:46 ID:rMiXPLLU
>>856
「人文科学」に決まってるでしょ。但し「信者」がやったら、「客観性」の保証は
なくなる、ということ。

>>857
「生命教」は、真偽のほども疑わしい大昔の文献など一切必要としません。現に
実在する「生命(生命現象を現す肉体)」そのものが文献です。
859神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 19:24:58 ID:rMiXPLLU
「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である。如来の無自性である
性格が、そのまま生類の無自性である。」(中論の頌24:16)

竜樹は立派な生命教徒。
860神も仏も名無しさん:2010/12/27(月) 19:28:51 ID:rMiXPLLU
>>859の訂正
×24:16
○22:16
861神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 09:34:29 ID:N9NdD5kz
>>859
中論は非常に解釈が難しいんでつよ。

「如来の本性」がそのまま「無自性」ですから、
如来の本性そのものの寂滅を意とするのが正しい中論解釈です。
ですから、
>>1における
>@ナーガールジュナを中心とした中観派について言語慣習に拠り考えましょう。

にしても、それは言語慣習に拠ったとしても、それは仮説に過ぎない。
ってことですね。
つまり平易に言うなら「仮の説示であるに過ぎん」。
つうことになりますね。

その名称&形態の寂滅こそが彼岸到達でつ。
862神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 11:09:55 ID:P5VI+Jcq
>>861
中論を素直に読めば、竜樹の「空の理論」の中核は、「万物は相対的・関係的である
から、「執着すべき自性はない」ということ。厳然として実在するもろもろの
存在の「構成原理」を説いているに過ぎない。

「仮設(仮説ではない)」と言う音場は、竜樹が説明のための喩えとして使った
だけ。しかし、「仮設」というと、「仮設ではない本物が存在する」という
前提があることになり、不可である。

万物が「無」「寂滅」であるとか、名称や形態の「寂滅」などを説いている
のではない。現に「去る者が去る」という言語表現の矛盾を、的確に指摘
している。また「世間の慣習」は、無条件の前提としている。
863神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 11:11:59 ID:d+RUmrE1
>>858
《およそ、どんな分野でも、著者・論者の恣意性を免れるということはあり得ない》。

だから皆、その「手法に於いて」「先入観の抑制に於いて」恣意性の減衰に努力するわけさ。
その難易度が、「理科系<人文科学系<思想哲学・宗教系」であることは、貴方の指摘する通り。
そして、今問題となっているのは、
《「適切な手法を用い」「批判検証後の文献解釈」の提示によって、貴方の主張が反証された(否定的論証がされた)》
ということ。
貴方はこれに対して「 >論証にはなっていない(>>848) 」と言った。
また、《「適切な手法が用いられ」「独善的先入観でなく、批判検証後のオーソドクスな解釈」の再提示による論証》
が成立することは、>>858>>854>>849>>846に於いて貴方自身が認めておられる。
学問的手法・アプローチ(それはつまり上記4レスの言うような現実(の資料)に基づいた科学的アプローチ
ということだが)によるものは論証として成立する、ということに他ならない。
だから貴方は858に於いて「 >但し「信者」がやったら 」という、それまでのやりとりの流れに無かった
【新たな条件を付加】せざるを得なかったわけです。
これまで貴方に対して爲されてきた様々な指摘・反証は、きちんと学問的手法を踏まえているからです。
勿論、「神学・宗学」と「宗教学、文献学」及び「原典批判的研究」は違います。
「神学・宗学」が、その手法として「宗教学、文献学」及び「原典批判的研究」を用いるにしても、
(―現代に於いては、それもまた必須事項ではあるが―)貴方が指摘するように、
そこには【第一の前提として】「護教的スタンス」が寧ろ【必須】だからです。
864神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 11:12:43 ID:d+RUmrE1
>>858
ですから、最初の846の時点で、
その条件―『盲目的護教スタンス』によるものは大きく批判・検証の俎上に上げねばならない―を
提示すべきだったのです。だから後付、後出しジャンケンと言うのです。(貴方はいつもそうだw)。
 *(ここで「盲目的」というのは、勿論「独善的先入観により」且つ「批判検証を排斥しているもの」ということです。
  そして、貴方が849で言いたかったのは、まさにこの「盲目的」である点でしょう?w)

その条件無しの>>846及び>>849は、以下の点を無視している点で、粗雑な暴論なわけです。
・「信者によらない(→『盲目的護教』でない)」反証は反証として成立する。
・「護教的論調」であったとしても、それは、既に過去多くの検証・異論に耐えてきたものが基軸となっている。
・学問的手法が用いられて反証されている。
・たとえ貴方が擁護する“信者によらないw”科学や人文科学でも、
 「独善的先入観に基づいていれば」「数多の検証を受けていないものであれば」論証としての力は無い、もしくは弱い。
 つまり、科学や人文科学に於いても、著者・論者に独善的先入観があれば(それは「信者的である」ということだがw)、
 貴方が指摘する「論証として成立しないもの」となるわけです。
 『「宗教」であるか「科学」であるか』という区分(>>849)が「論証の成立不成立」と重なるわけではないのです。
・直近の流れ(論点)は、『論証が成立しているかどうか』であり、『その対象が宗教か科学か?』ではない。
そして、これが最も重要な点ですが、一連の他の遣り取り同様、【論証されるべき事柄は】
・《『護教的解釈』はどういうものであるか》、言い換えれば《伝統的・正統的解釈は如何なるものであるか》
ということだからです。つまり、ここで貴方が指摘せねばならないことは「科学と宗教の(本質的)別」でなく、
「その手法が適切かどうか」「資料として適切かどうか」「導き方に整合性や論理性があるか」
といったことだからです。
865神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 11:15:09 ID:d+RUmrE1
>>858
ちなみに、宝珠や在家(及び机・カラス等)に対して爲されてきたのは、
まさに、こうした形での「正統解釈(≒護教的解釈)の提示」なわけです。
「同じ対象を素材としながら、どちらの論証が成立するか」という遣り取りだったわけです。
そして、貴方が、「仏典の読み方(→それは、正統的・護教的読み方に他ならないわけですが)はこうだ!」と、
『資料に基づかず』『独善的先入観によって(対象の世界観・フィールドを逸脱して)』『適切な手法もとらず』に主張するから、
『資料に基づいて』『世界観・フィールドを逸脱せず』『適切な手法でもって』批判されるわけです。
貴方のそれは護教的解釈ではない、と。
 *(まさに貴方こそが、独善的先入観に基づいた盲目的主張をされているわけですw
  貴方の(普段の)主張及び仏典への解釈的言及こそが、御自身の指摘する「論証に値しないもの」なのですw)

再度言いますが、論証の成立不成立は、その対象が何であるかに依るのではない、ということです。



>>863中のアンカーが一個ずれてるなw

× >貴方はこれに対して「 >論証にはなっていない(>>848) 」と言った。
○ >貴方はこれに対して「 >論証にはなっていない(>>846) 」と言った。
866神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 12:12:32 ID:P5VI+Jcq
>>864
>・「護教的論調」であったとしても、それは、既に過去多くの検証・異論に
>耐えてきたものが基軸となっている。

その「検証・論証」が「信者」によるものであれば、やはり「護教的(釈迦
の絶対性)」という「非客観性」は免れない。そもそも、「根源」を批判
できなければ無意味である。「客観性」は、すべての学問の必須の要件。
867神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 12:47:08 ID:d+RUmrE1
>>866
内部(≒信者)でのみの話じゃなく、
反対論者(≒外部、非信者)との応酬にも耐えてきた(≒論証・論破してきた)という意味だよw
そう、貴方のような者、批判も含めてねw

ちなみに指摘しておきますが、
「護教的」というのは、「>(釈迦の絶対性)」ではなく「【おしえ】(そのもの)、つまり【内容】の正統性」なのです。
 *(これも何度も何度も指摘してますよね?w)
868神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 12:47:44 ID:N9NdD5kz
>>862
>中論を素直に読めば、竜樹の「空の理論」の中核は、「万物は相対的・関係的である
>から、「執着すべき自性はない」ということ。厳然として実在するもろもろの
>存在の「構成原理」を説いているに過ぎない。

実在もしていなければ存在もしていない。
といふ論拠が中論です。

「去るものは去らない」というのは、
言語そのももの矛盾を論証している訳で、
その非論理性しか中論には書いておらんでつね。

般若心経が否定文しか書いてないのと同じでつよ。
しかしそれだけでは意味不明ですね。困ったものです。

「空」というのは、この意味不明のことです。
これは仏教徒相互の「コンセンサス」としての意味を有するんです。
祖師西来意→庭前柏樹子。
これら公案はコンセンサスの確認ですね。

869神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 14:41:25 ID:+ByLxetT
>>868
机か?

机とか生命教は、何も読めない妄想家なんだから、
困るよね。
870神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 15:52:08 ID:P5VI+Jcq
>867
>「護教的」というのは、「>(釈迦の絶対性)」ではなく「【おしえ】(そのもの)、
>つまり【内容】の正統性」なのです。

「かの有名な釈迦が言ったから」正統だと思っているだけ。横丁のご隠居や日雇い
労働者が同じことを言っても、決して正統だとは思わないよなw。

非信者から見れば、正統でも何でもない。矛盾だらけの精神病者の言葉に過ぎない。

まさに「釈迦による洗脳信者」の言葉。ダニヤもそれで洗脳された。
871神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 16:32:02 ID:d+RUmrE1
>>870
同じことを言っていれば、それは「正統」なのです。
横丁のご隠居でも日雇い労働者でも、それは「正しく仏法を伝える者」ですw
もし、それが受け売り伝聞でなく、自らの理解納得、頷きの上の発話であるならば、
彼は紛れも無く仏弟子(釈子)であるわけです。法眼を開いたと見做し得るのです。
舎利弗目連は言うに及ばず、龍樹もまたそうなのですw

 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/616
 >> 397
 > 「一切皆苦」「釈迦は常に正しい」。
 だからwww
 「○○が言ったから正しい」なんて誰も言ってないのw
 (確認した上で)「内容が正しい」と言ってるだけなのw
 たまたま最初に説いたのがお釈迦さんだっただけなのw


で、論証の成立不成立の話はどこへ行ったので?w
872 ◆4yy3YEx6Zc :2010/12/28(火) 16:34:10 ID:dUgqIzSt
>>869
典籍の読みが(以前にくらべれば、)素直にできている。
>861
>名称&形態の寂滅こそが彼岸到達
など。
ある種の空虚にも似た要素を仮の目標として使っていく仏教のやり口・姿勢は
初心者には呑み込みにくい

なぜ空性が言挙げされねばならないか、まだ理解していないようだが勉強はしているようだ。
873神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 17:25:15 ID:fSLm/paP
>>871
釈迦の誤りや矛盾が一切指摘できないところで、既に終わっている。それを
「宗教による洗脳」と呼ぶ。

「正しいことを言う人が、皆、仏弟子」という論理は、どこからも出てこない。
循環論法に過ぎない。

竜樹はちゃんと指摘してるぞ。中論を熟読して探してみよ。
874神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 18:17:00 ID:d+RUmrE1
>>873
> 釈迦の誤りや矛盾が一切指摘できないところで、
誤りも無ければ矛盾もありませんw
世俗の一般的価値観との相違があるだけです。
語弊を恐れず例えれば、
欧米人にとっては、家へ上がる時に靴を脱ぐのは「非常識」で、土足のまま上がるのは「常識」なわけです。
日本人にとっては、家へ上がる時に靴を脱ぐのは「常識」で、土足のまま上がるのは「非常識」なわけです。
そのような価値観、世界観の相違と同じなのです。
これも、詳細に説明して差し上げましたがスルーでしたねw
世俗の価値観との間にどのような齟齬が生じるのか、どこが反発を受けるのかも、
詳細に解答して差し上げましたよね?(これもスルーでしたが・・w)
 *(あ、これは他の方との議論の過程だったかもしれません。)
いずれにしろ、ホント、プチ仙石、プチ民主なんですよw

> 「正しいことを言う人が、皆、仏弟子」という論理は、どこからも出てこない。
ハァ?(゚∀゚)
「Aという考え方」があり、後代・別の時空間で、また「Aという考え方」を述べる者がいれば、
それは「正しくAという考え方を語る者」である、という単純な構図を示しているだけですが?w
ちなみに、「何が正しいことか」という正しさの中身については(今は)何も触れていませんし、関係ありませんよ?w
事象の継続、再提示に於ける、単純な時系列の話です。

> 竜樹はちゃんと指摘してるぞ。中論を熟読して探してみよ。
そんな所はありません。
全て、原始仏教に回帰可能な言説です。
それどころか、貴方は何一つ『論証』できていないんですよ?w
貴方がしているのは、貴方自身が先程来「論証にならない」と否定・批判した
「盲目的強弁」に他ならないのです。
875神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 20:09:28 ID:N9NdD5kz
>>872
>なぜ空性が言挙げされねばならないか、

空性といふのは、つまりゲームで言ったらリセットなんですね。
ですからリセットにおける意味付与は必要はないです。

>まだ理解していないようだが勉強はしているようだ。

おそれいります。
セブン氏もお元気そうで、なによりでつ。


876神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 20:28:15 ID:+ByLxetT
>>875
相変わらず妄想のみだね
877神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 20:42:05 ID:ZGI6pT4J
>>874
>誤りも無ければ矛盾もありませんw
>世俗の一般的価値観との相違があるだけです

典型的な宗教盲信患者だな。会話は不可能。
あなたは、生まれてからいつごろ、どうしてそうなったかを、ノートに書き綴
ってご覧。幼い頃は、決してそうではなかったはずだ。
世間の一般的価値観からの著しい相違を、「狂気」と呼ぶのだよ。
人間は、オギャーと生まれただけでは「人間」にはなれない。「世間の一般的
価値観」を身につけて、初めて人間になれる。一挙手一投足がそれに合致しな
ければ、共同体において、人間は生存できない。せいぜい、精神病院に強制入院
させられるだけだ。
君の論理なら、宗教による大虐殺や争いも、「世間の一般的価値観との相違」で
すべて正当化できることになる。それがまさに宗教戦争・紛争の原因。

>全て、原始仏教に回帰可能な言説です。

何故、そうでなければならないのか。何故、大乗仏教が発生しなければならな
かったのか。
釈迦が「双極性障害(躁うつ病)」であったことは、本格的な精神医学の最新
の教科書を数冊読めば自明のこと。何故それほど精神病者に惹かれるのか。
「精神病は感染する(感応精神病)」ことを、忘れてはならない。
「世間の一般的常識」から大きく逸脱した宗教は、治療の対象以外の何物でも
ない。
靴を脱ぐ、脱がないは、それぞれ、「現実生活上の」即ち「生存のための」
合理的理由があるのだよ。宗教には、一切それがない。
878神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 22:10:08 ID:d+RUmrE1
>>877
> 典型的な・・・・・・原因。
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/360
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/366-367
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/437-439
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/451
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/457
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/456
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/524-8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/530
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/555
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/582-583

> 何故、そうでなければならないのか。何故、大乗仏教が発生しなければならなかったのか。
仏教議論スレッド 07
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/417-419
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/422-424
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1286586010/426-430

> 釈迦が・・・・・自明のこと。
貴方は一つとしてその証拠を提示し得ていませんw

> 何故それほど精神病者に惹かれるのか。
内容に普遍性があるからですw
説かれていることは、貴方にも私にも、多くの人々にも当てはまることだからです。
人である以上、例外が存在しないからです。勿論、龍樹もですwww
879神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 22:19:40 ID:d+RUmrE1
>>877
> 合理的理由があるのだよ。
そうです。まさに、それぞれの立場で、きちんとした整合性が成り立っているのです。
そして、郷に入っては郷に従えと言うように、反社会的であってはならないのです。
  *(古代インド及び東南アジア、スリランカ、中央アジア、チベット等に於いては、
   文化的に又習俗的に許容されていたわけです。
   日本に於いても、そう古くない昔まではそうでした。
   近現代日本に於いて初めて、宗教的価値観が害悪視され、世俗が聖性を嫌悪・排除したので、
   日本仏教は世俗化し、僧侶は葬祭業のタレント・出演者と化したわけですw
   時給に直せば法外な金額を少しの読経で得られる、ボロ儲けな職業に成り下がったわけです。
   貴方はそれを良しとするのでしょうが・・w
   伝統的聖性が力を失った故に、オカルト、スピリチュアリズムの台頭を許すことになったのです。)
だから、立場の違いが明確にされ、【役割分担を担う形】で共存してきたのです。
貴方の主張こそが、まさに「悪しき共産主義・社会主義」なのです。
医者は医者の価値観、信念、道義に則って、医者たる役割で社会と関わるのです。
小説家は小説家の価値観、信念、道義に則って、小説家たる役割で社会と関わるのです。
ルポライターはルポライターの価値観、信念、道義に則って、ルポライターたる役割で社会と関わるのです。
僧侶(比丘)、宗教者もまた、宗教者の価値観、信念、道義に則って、宗教者たる役割で社会と関わるのです。
貴方が知らないのも当然ですがw、
仏教がいかに社会と価値観を共有許容し合いながら共存してきたか、仏典を読めば明々白々なのです。
読んでいない、一次資料とまでは言わないまでも二次資料三次資料すら一顧だにしない貴方に、
何を論証・主張する術がありましょうやw まさに、貴方が上の方で批判した如く、
「根拠無き」非科学的妄想の羅列でしかないのです。それが貴方の姿です。
880神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 23:41:07 ID:ZGI6pT4J
>>878
>>879

>内容に普遍性があるからですw

内容に、普遍性が「ない」からこそ、精神病なのだよ。「一切皆苦」は、単なる鬱病の
症状。「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」が人間にとっての普遍。

家庭を大切にし、誠実に生きているダニヤを洗脳する釈迦の姿は、まさに悪質なカルト教祖
の姿ではないか。

>ボロ儲けの職業

彼等は人の嫌がる死後の始末をすることにより、社会に貢献している。君も死ねばお世話に
ならなければならない。小乗は、葬式もやらないのか。他人の儲けをうらやむのは醜悪で
ある。それは、羨望と嫉妬という賎しい感情。

>世俗が聖性を嫌悪・排除

同じ人間を聖と俗に分けるのは「人間差別」だから、嫌悪・排除されるのは当然。

>「医者が・・・」「小説家が・・・」「ルポライターが・・・」「宗教者が・・・」

彼等も世間によって「生かされている」のだから、「世間の一般的常識」に従うことが
優先する。
881神も仏も名無しさん:2010/12/28(火) 23:51:14 ID:d+RUmrE1
>>880
また都合のいいとこだけつまみ出して返レスですか・・w
ほんとに、姑息で下劣で卑怯で腐り切った人格ですな・・。
貴方のような人間を偽善者と言うのですよ。
貴方のレイプ肯定発言を、私も忘れてはいませんよ?w
この880の内容全て、詳細に返答、論破済みです。
貴方はそれに対して何の反応もしていません。
異「論」・反「論」が無いということは、御自分の支離滅裂ぶりをお認めになったと解しますが宜しいですか?www
882神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 00:26:12 ID:2QWLWNda
金萬光無上了義如意宝論問答 大慧禅師造

問ふ。中観不共の勝法とは是れ如何。
答ふ。此れは是れ金萬光なり。
問ふ。中観不共の勝法とは是れ義にして、金萬光は名なり、如何。
答ふ。中観不共の勝法とは義に非ず。空性義に非ず、金萬光とは空性の名也。
金萬光を唱へたてまつらば、諸法空ず、諸法空ずれば中観不共の勝法顕然ならずや。
問ふ。何ぞ必ずしも金萬光に限らんや。空性に名無し、如何。
答ふ。金萬光は無名の名なれば、空性に契合す。此れ三世諸仏の密意也。

(卍続蔵48巻)
883神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 00:36:06 ID:CQLmbxTX
>>880
中観を勉強する前に、まず世俗諦を徹底的に勉強するべし。

あなたに、中観はまだはやい!

釈迦も龍樹も涙を流してるよきっと…
884神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 01:52:08 ID:8hUjz+0r
>>882
>答ふ。金萬光は無名の名なれば、空性に契合す。此れ三世諸仏の密意也。

これは深い。

釈迦、竜樹、仏典、悟り、解脱などの「名」を唱うる者は、未だ空に至らず。
885神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 01:56:20 ID:8hUjz+0r
>>883
>あなたに、中観はまだはやい!

君には、はやくなかったのかねw。世俗諦をどれほど勉強したのかねw。
886神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 02:13:21 ID:8hUjz+0r
>>881
異論、反論がないのは、君の論証に説得力がない、ということだよ。重箱の
隅を突くような議論ばかりで、「大きな流れ」が全く見えない。

ところで、君が小乗に嵌った経緯の質問については回答がない。病気の診断は、
病歴の聴取から始まる。やはり、テラワダの恩師による洗脳であると推測するが
如何?
8871/2:2010/12/29(水) 10:59:47 ID:3pj4bZyW
>>886
> ところで、・・・・・如何?
私の話ではなかったんですがねぇ・・w
問われたことを無視して別のことを語る。いつも通りの姑息な答弁です。
まあいいでしょう。他のROM者の爲に、試論的提示だけしておきます。

若き日のシッダッタに「鬱の気(け)」があったことは想像ができます。
しかしそれは、貴方が何度か言及した記述から推測されるわけではありません。

貴方は、《「一切皆苦」というフレーズと晩年臨終間際での「○○(場所・景色)は美しい、楽しい」という発言》
を根拠として用いましたが、それ以外を判断材料とした形跡はないようです。
(読んでないのですから当たり前ではありますが・・w)
後者「○○(場所・景色)は美しい、楽しいという発言」は、最晩年の(死期間近な時期の)ものであることがポイントです。
「振り子の極としての、悲観的心情の揺り戻し的発語」ではなく、
たとえば、お年寄りが孫や幼児の様子・姿を見て、人間の生の営みへの感動と称賛をするようなものです。
紅葉や桜吹雪や新緑に自然のダイナミズムを見、讃嘆するようなものです。
相対(あいたい)する事象への、中立的視線と素直な述懐なわけです。
 *(「アーナンダへの“ほのめかし”」という要素は今は措く。)
前者「一切皆苦というフレーズ」は、全生涯を通じて貫かれているもの、
少なくとも成道後に、正確に提起されたものであることがポイントです。
つまり、諸法の縁起することの別表現であるからです。最大カテゴリとして再構築されたものだからです。
成道前(出家前)に関しては、苦悩の原因解明として後から遡及されているものだからです。
(詳細はもう述べません。〔仏教議論スレッド 6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1282465343/374〕に
一連のやりとりのURLが集積してあります。)
8882/2:2010/12/29(水) 11:00:42 ID:3pj4bZyW
よって、貴方のように診断の決め手とするには、材料として甚だ弱いのです。
 *(数多いる研究者の中でも(それほど多くはないでしょうが)、シッダッタの性格に言及する際、
  そのようなアプローチをする者はいないのです。少なくとも、西洋的或いはキリスト教的視点から、
  総体としての仏教という思想のペシミズムを論ずるもの以外は。)
   *(↑これは管見の狭さから正確さに欠けますので、詳しい方の添削を依願しておきます。)

(何度か少しだけ触れたかもしれませんが)、
多くの研究者が、その若きシッダッタの苦悩、性向について言及する時に用いるのは、
回想として語られた部分に依るのです。(当たり前のことですが・・w)
或いは他の仏典外の資料も含めた、当時の文化思想的風俗・民俗との照合に依るのです。
「生母の不在」「自国(自族)を巡る社会情勢」「自らの恵まれた環境(とその虚構性)」
「巷に溢れる様々な思想の精神的救済に関する不備」「当時の(爛熟した)社会状況・世相」
「出家遊行者の存在、及び解脱の希求が社会的価値観として常識的なものだったこと」
などに依っているのです。(ヤサを始め過去七仏も、ほぼ同様な青年時代として描写されている点も、
そうした若き日の心的在り様・環境が、出家の縁の重要な一つとなっていることの証左とも言えましょう。)
ここを踏まえた上で、求道・解脱への思い(大乗的に言えば発心ですが)とリンクさせて初めて、
(当時のインドにおける思想的潮流全てに共通する面でもありますが)、
「解脱、苦脳の解決」と「個々人の性格・性向、心理的バイアス」との関係に言及することができるのです。
 *(貴方の大好きなw中村元も同様です。)
 *(こここそが、貴方の言う診断材料たるものなのです。
  貴方はこうした情報・資料を一顧だにしないどころか、知らないし知ろうともしていないのです。
  そんな貴方に、何を言う資格がありましょうや。)
889神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 11:01:56 ID:3pj4bZyW
>>886
> 異論、反論がないのは、君の論証に説得力がない、ということだよ。
反論のしようがないことの言い逃れである可能性を消せませんねw 言うだけなら誰でもできます。
(結局また、「論証成立の為の要件」についての話は有耶無耶なまま闇に葬られるわけですね・・。
相も変わらず姑息で愚劣なことで・・w)

> 「大きな流れ」が全く見えない。
それは貴方でしょう?w
稚拙な継ぎ接ぎ・矛盾の故に、各論が個々に断絶していて、とても「大きな流れ」になっていません。
貴方の発言の多くを、詳細に検証して差し上げてきた筈ですが?w

> 重箱の隅を突くような
大きな流れを成立させる為の細部の論というのもまた必要なことなのです。
小さな積み木を重ねるようなものです。重ね終わった時の全体像が歪んでしまっては意味がありません。
絵画のデッサンの話もしたでしょうか・・。全体図と細部とは、双方が常にチェックされねばなりません。
最初に全体像を描いて(大きな仮説を立て)、細部を重ねてゆく手法は勿論アリです。有効な手法です。
しかしながら、その用いるピース、積み方、等に誤りや歪みがあった時、
出来上がった全体像が、最初に描いたものから大きくずれることもあるでしょう。
この時、「ピース(細部)そのものや積み方が不適切である」のか「最初に描いた全体像に不備がある」のかは
それはそれで議論の対象ですが、貴方の場合、最初の全体像の歪みもピースの不適切さも顕著なのです。
(不適切どころか、不足・欠乏と言っていいくらいだがw)
そこで、全体像の歪みが指摘されることが多いので、随分前から、私は細部の指摘に切り替えているだけです。
(全体像の歪みは勿論のことですがw)、貴方の発言の矛盾や支離滅裂な点は、
その多くが、細部のでたらめさに依ってもいるからです。

ま、これももういいです。
前スレがDAT落したり、スレが変われば、自分の瑕疵を無かったことにして
素知らぬ顔で変わり映えのしない戯言を垂れ流す愚劣な品性は、ここでも明らかになったと思います。

スレ汚し失礼しました。 m(_ _)m  >>ALL
890神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 13:18:21 ID:XS8jNUTH
>>887
>>888
>>889

キリスト教の場合と同様、釈迦自身が書いた仏典は、唯の一つもない(これは
不可思議なことであるが)。すべて、数十年、数百年後の、「信者」たちの伝聞と
解釈によるもの。いかに細部や全体像を論じてみても、それが「正しい」ことの
保証は「皆無」である。そのような、伝承上の、信者の伝聞・解釈上の、極言
すれば空想上の釈迦を、あたかも現存の人物の如く信じ込み、崇敬することに、
基本的な誤りがある。

私は、このような「仏典上の釈迦」についてのみ論じている。従って、それが
真実であることの保証は、勿論皆無である。

従って、著者や著作の真正が不明な原始仏典よりも、むしろ、実在と著作の真
正が確認されている、後代の多くの人々の「思索」こそ重視すべきであろう。

贅沢三昧な生活をしながら、城門を一歩出た途端に「無常を知る」ということ
も、極めて異常。城門外のすべての人々は、とっくに知っていたこと。しかし
彼等は、鬱病患者以外は、「一切皆苦」にあえいで生きていたのでは決して
あるまい。苦労に満ちた生活であっても、生きることの中に「ささやかな喜び」
を見出して、その中でひたむきに生存を続けていたことには違いはあるまい。
さもなければ、人類はとっくに滅亡していたはずだ。これが、人間にとっての
「普遍」である。「一切皆苦」などという心理状態は、「普遍の人間性」では
決してない、異常者(病者)の心理に過ぎない。昔も今も、病気は病気である。
それに、釈迦の「悟り」とは具体的に何かが、さっぱり分らない。すべて釈迦の
「自称」「自作自演」ではないか。仏典上は、すべて釈迦が自分で言ってる
ことになっている。その客観的検証は「皆無」である。あまり大真面目に考え、
信じ込むのは誤りであることは、自明であろう。人物に限りらず、大昔のこと
について正確に知ることは、絶対に不可能。歴史は「参考程度」に留めるべき。
「見てきたかのように」語るのは、滑稽そのものである。
891神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 14:05:33 ID:nWez6+0z
>>890
可哀想
892神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 15:14:00 ID:3pj4bZyW
なんだかなぁ・・・w orz

>>890
>それが「正しい」ことの保証は「皆無」である。
これまで論じてきたのは、「仏典上」「伝承上」の「正しさ」であって、その外部の正しさとは別物です。
それは、たとえば、夏目漱石の小説に「我輩は猫である。名前はまだない」というフレーズがあるが、
この時、【「漱石研究」の一環として】「猫がそのように考える筈がない、喋る・語るわけがない」という指摘をするなら、
それは「正しくない」わけです。ましてや『「・・・我輩は犬である、名前はまだない」という書き出しから始まるこの小説は・・・』
『「・・・我輩は猫である、渾名はまだない」という書き出しから始まるこの小説は・・・』
などという書評を書けば、それは「正しくない」わけです。(捏造ですw)
また、漱石の小説を一冊も読まずに、その表現方法とテーマについて論ずることも正確さを欠くわけです。
解説では意味がありません。そこには、テーマと表現の連関が抜け落ちるからです。
貴方は、こうした誤りを犯しているわけです。
 *(引用が多くされているものもあるわけですが、それでも、
  原文(―この場合は、一次資料としての原典に限るわけではありませんが―)参照を経ていないという
  謙虚さを忘れてはなりません。書評にしろ、古文研究にしろ、そうした点を疎かにしている研究や評論は
  評価されていないわけです。その言葉や研究成果の信憑性を得られないのです。
  当該書籍を読んでいないブックレビューがあり得ると思いますか?w)

或いはまた、こうも言えます。人の心の在り様、変遷に於いて、その実像を提示したという点で、
万人に当てはまる「正しさ」を持っているわけです。
だから、類似した事案として、「因果」についての議論の際、
「貴方の生(人生、日常)に因果は無いのですか?」と問うたのです。一向にお答えがありませんが・・w
期待せず問うておきましょうw  「貴方の心は縁起していないのですか?」 と・・。

 *(ちなみに、ここでの「正しい」が、「生命教でいう正しさ」と無関係なのは言うまでもありませんw
  仏教が大切にしているのは、「所謂」個々の命であって、「生命教由来の『生命』」でないこともね。)
893神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 15:17:18 ID:3pj4bZyW
>>890
>私は、このような「仏典上の釈迦」についてのみ論じている。
それは、(この際全部とは言いませんがw)多くの仏典を精査した上で初めて言い得ることです。
一つも読んでいない貴方に、論ずる資格があろう筈もありませんw
漱石の著作を読んでいない者が漱石作品の論評をする滑稽さと同じです。

>・・・・・・後代の多くの人々の「思索」こそ重視すべきであろう
後代の多くの人々の思索は、どこに依拠して成されてきたかを忘れていますねw
◎→●→○→□・・・といった流れに於いて、○を起点とする愚かしさが自覚できませんか?
文字化されているかどうかではないのですw
耕運機の発展を歴史的に見た時、その改良の歴史と未来を考える時、マシンとしての初出だけでは意味がありません。
それが、人力による鍬・鋤から発していることを無視しては成立しないのです。
田植え機も同様です。手作業で植える際の機微が重要なのであって、そこを無視した開発などあり得ないのです。
参:〔文献(原文)や過去の解釈、或いは別の読み方無視の俺様基準〕
  仏教 議論スレッド その3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/108
  このURL集にあるように、貴方のイイカゲンさは、こちらが恥ずかしくなるほどの支離滅裂ぶりなわけです。

>城門を一歩出た途端に
オーバーな文学的表現としては許容しても、今の議論の流れに於いては暴論になるわけです。
プロセスの重要性を議論している時に、そのプロセス無視の発言が無意味であることくらいお解りでしょう?w

>「無常を知る」ということ
この流れで「無常」限定の言い回しは、ミスリード(mislead)以外の何ものでもありませんねw

>のすべての人々は、とっくに知っていたこと
そのようなことは、どんな資料を見ても導けません。貴方の願望・思い込みでしかないのですw
894神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 15:19:04 ID:3pj4bZyW
>>890
>釈迦の「悟り」とは具体的に何かが、さっぱり分らない
あちこちに記されているんですけどねぇ・・w
読んでいないのだから知らなくても当然ですよねぇ・・w
漱石の著作を読んでいない者が漱石作品の論評をする滑稽さと同じです。

>仏典上は、すべて釈迦が自分で言ってることになっている。
そんなことはありませんw 貴方が仏典を一つも読んでいないことが明白ですね。
漱石の著作を読んでいない者が漱石作品の論評をする滑稽さと同じですw

>「見てきたかのように」語るのは
見てきたかのように語っているのは寧ろ貴方でしょう?www
(歴史上多くの伝承者は言うに及ばず)、多くの人が、
《「自らの心の在り様の観察」により、「検証し、確認し、理解し、納得し」た上で》、発言しているわけです。
まさに、追体験として「見てきた」から「知られた」から、正しいものとして語られてきたのです。
《「症状の感応」ではなく、「観察、検証、確認」による継承である》ことを貴方は無視しているのです。
当然、【龍樹も同様】ですよ?w

以上、極一部ですが、(一言一句指摘してもいいが、徒労の繰り返しにしかならんので参考程度に。)
いずれにしろ、このレス890もまた、全てが「無知」「独善」「思い込み」なわけです。
最も下劣な点は、読んでもいない、確認してもいないことを、自分の妄想に基づいて断じている点でしょう。
愚かの極みと言わざるを得ませんw


上の887-889とは別の要素が現れていたので、補足レスとします。
ツッコミ所満載なのは、俺へのサービスか?w なかなか手を引けないじゃないかwww


もうすぐ500KBだ。DAT落が近くて良かったなw>>隠居
895神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 16:03:37 ID:XS8jNUTH
>>893
>多くの仏典を精査した上で初めて言い得ることです

真実性の保証は皆無な、大昔の、しかも外国語の古語・死語の膨大な仏典を読
むような暇人ではない。そんな時間があるのなら、やるべきことは他に無数に
ある。中村博士の「仏伝」(筑摩書房)を読めば、釈迦の生涯については大体
分る。

要するに、「歴史」とは、常に「参考程度」だ。大真面目に信じ込むものではない。

>「貴方の生(人生、日常)に因果は無いのですか?」

現実生活には「因果関係」はあふれている。物理現象として馬鹿でも分ることだ。
心(精神)は、現実という「因」に適応して生存を維持するため、自由自在に
変化する。「心だけの因果関係」など考えることは無意味。それを考えるのも、
同じ「自分の心」なのだから、判断の正確さの担保は「ゼロ」である。心は、
現実という厳然として実在する「因」との関連においてのみ、意味がある。
ひたむきに現実を生きている者は、自分の心など意識しないものだ。自分の心
で自分の心を探索する(自分探し)という無意味な行為を行うのは、幼稚な
人間か、暇人か、釈迦のように心が病んでいる者だけ。
896神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 16:41:31 ID:XS8jNUTH
>>892
>仏教が大切にしているのは、「所謂」個々の命であって、「生命教由来の
>『生命』」でないこともね。

ほほう。生命(生命現象を現す肉体)に違った種類があるとでも。それでは、
普遍的自然科学としての「医学」「生理学」「解剖学」は成立しない。

釈迦もイエスも、解剖すれば、内臓は他のすべての人間と同じ。「内臓反転症」
という先天的病気はあるが。チンパンジーとも殆ど変わりはない。その生理
作用は、マウスと殆ど同じ。
897神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 17:48:21 ID:3pj4bZyW
ミスリード連発ですねw
>>895
>要するに、「歴史」とは、
歴史的視座、手法は必須ですが、「歴史」についての議論ではないでしょう?w
なんでいきなり無関係な話に飛躍するんですか?www

>中村博士の
予想通りのレスが返って来て笑えますね。(ホント「権威名声大好きっ子」ですね・・w)
 >解説では意味がありません(>>892) と釘を刺しておいたのに・・w
  *(892全文読みました?www 再度問うておきましょう。
   「当該書籍を読んでいないブックレビューがあり得ると思いますか?」w)
その解説本で触れられていない点についてはどうするのですか?w
また、異説がある場合に中村説を支持する根拠は何ですか?彼が「大学者」「権威」だからですか?
新たな資料や研究成果が続々出てきているのに?w
また、原語で読めとも言ってませんし、他にやることがあるのに、ここまで仏教スレに執着するのはなぜです?w
仏教に関わることが「やるべきことの一つ」なら、その為の調査無しに何ができるのですか?www
言っておきますが、解説本・概説本では調査資料になりませんよ?w
それらは既にフィルターを介し、篩に掛けられた後のものなのですから・・。
一般の研究調査でも、サンプル収集に関するそうした手法(サンプル結果の二次計算三次計算)
は精度を著しく下げるということもお解りですよね?

ほんと、口先だけの詐欺師ですな。だから、今の民主政権と同じだと何度も評するのですよ。
材料無しに口先だけで料理を作るようなものです。絵に描いた餅にすらならない。

>真実性の保証は皆無
それは、中村本でも同じでしょう?www いったい貴方はどこまで馬鹿なんでしょう?w

>「心だけの因果関係」など考えることは
また、他人の発言を捏造するw  どこの誰が、「だけ」と言いましたか?
具体的事象物は環境等によって個々様々なバリエーションがあるから、
特に心理面を抽出したんじゃないですかw それとも、心の在り様も人類共通ではないとでも?
(それは、貴方の生命論にも抵触しそうですがね・・w)
898神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 17:49:30 ID:3pj4bZyW
>>895
>判断の正確さの担保は「ゼロ」である
>自分の心で自分の心を探索する(自分探し)という無意味な行為
それ以外にどんな方法があると?w
まさか、精神科医・心理学者による心理テストだなんて言い出しませんよね?w
(その方が、よっぽど正確さは落ちるのですがね・・・。)

>心は、現実という厳然として実在する「因」との関連においてのみ、意味がある。
外面との関わりが重要であることはその通りですが、内部フィードバックな状態が無いとでも?
記憶や思い出による心理的影響は、いかなる外部からの影響で?
「既に消失してしまった外部」の記憶が作用している時、その記憶は『「貴方の言う」「実在」』ですか?w

>厳然として実在する「因」との
例の「因果と実在」に関した議論から逃げ出したままで、
そのようなことを恥ずかしげも無く言える神経が信じられませんね。
「因も果も、(所謂一般的)実在とは限らない」ことを、貴方は反証し得ていないのですよ。
誤った前提から誤った結論を導いて得意顔とは、呆れかえるばかりですねw

>現実生活には・・・・・・病んでいる者だけ。
貴方は、諸法の縁起すること(即ち空なること)に於いて因果(時間性)は無い、
竜樹の空は相互依存(のみ)である、と言い切っていたのですよ?
竜樹は現実を(現実生活を)根拠にしていると言っていたのですよ?
竜樹は現実の因果関係を無視して、「空」を標榜していたということですか?
「竜樹の空」は、現実を考慮していない机上の空論だと言われるので?
御自身の過去の発言を、そっくりひっくり返されるので?w

またその場凌ぎの言い逃れが矛盾のミルフィーユを形成しましたね・・。
899神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 17:50:52 ID:3pj4bZyW
>896
>ほほう。生命(生命現象を現す肉体)に違った種類があるとでも
何度目ですか?その発言はw
『貴方の言う生命』が妄想であり、一般的に広く認知されているものとは別物なんですよ。
その意味では、最低でも2種類あると言えるでしょうねw
「貴方の言う『生命』」と「一般的に言われる『生命』」との二つがねwww (分類表も作って差し上げたでしょう?)
 *(途中から《「肉体」である》と思想転換した際の矛盾や無理も、多くの方から指摘されていた筈ですが、
  やっぱりお忘れになっているようですね・・。 現時点での貴方の考え方は
  「生命とは肉体のことである」ということで宜しいので?w)


今回もまた、無根拠な妄想が羅列されただけとなりました。
貴方の面の皮は、いったいどれくらい厚いのでしょうね・・・。
900机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/12/29(水) 18:27:52 ID:zB2SE091
>>890
>キリスト教の場合と同様、釈迦自身が書いた仏典は、唯の一つもない(これは
>不可思議なことであるが)。

私は不思議だと思わないですね。
釈尊が悟った中道とは論理未分でありますから、それを仏典に残すほど本道から離れる。
(仏典は論理を前程とする)→これが世俗諦

中論は冒頭から論理否定してます。→これは注意が必要ですね。
中論解釈には非常に重要ですから。

あのですね、西洋論理と印度論理は全く別ものです。
それを承知で石飛が実験的に著作を書いたのは承知のとおりですね。
石飛について評価が別れるのは、
「やはり無理」って御仁だったり・・・
「それでもよくやった」という御仁だったり・・・
人それぞれですけど、
龍樹にしてもやはりそうなんです、
あえて無理なことでも、超一級の論法であるから評価されるんであって、
龍樹の本義が解せるなら、
もう既に中論は読む必要性は全くないんです。

そこに龍樹の大乗の祖としての意義がある。



901神も仏も名無しさん:2010/12/29(水) 20:09:12 ID:kESXh+4o
>>900
>あのですね、西洋論理と印度論理は全く別ものです。

果たしてそうでしょうか。私は「中論の頌」は、「もろもろの存在の『構成原理』」を
解明したものだと思います。万物は常に変動していますから、「時間」を考慮に入れる
とその「構成」は確定できません。「時間」とは、「事物の変化」のことです。
「今この刹那」における観察でなければなりません。

その結果、「もろもろの存在は、相対性によって構成されており、相対性とは関係性と
いう「抽象概念」ですから、そのもの固有の自性はない」ということを「発見」した
のです。中論に一貫して流れるのは、この「相対性」の観念です。「因果関係」とは、
似て非なる観念です。「相対性」とは、文字通り「お互いに影響しあう」ということ
です。「一方向の因果関係」では、「相対性」は成立しません。換言すれば、「個は、
他との関連においてのみ存在し得る」という原理です。

この「発見」は万物に通用しますから(すべての物質は、原子や素粒子の相対的結合
です)、「普遍の論理」であり、中論の頌をうまく翻訳すれば、西洋人にも充分理解
できるのではないでしょうか。古今東西、この原理を「発見」した宗教者や哲学者が
皆無だっただけです。

道元の「現成公案」も、竜樹に通じるのではないでしょうか。

ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばない」の命題は、単に「刹那」を考えただけで、「相対性」の
概念はありませんから、竜樹のほうがはるかに優れています。

諸賢の、「従来の注釈書には頼らない」ご意見やご批判を請う次第です。
902机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/12/30(木) 08:54:18 ID:lUWkvGeS
>>901
印度論理について初歩的解説をいたします。

まず、「去る」といふのは「去らない」ことを前程とする論理基軸をもって成立します。
また「去らない」というのは「去る」ことを前程としなければならんのです。
そうしますとこれが無限ループに陥ってしまいますね。
じゃあ、「去る」も「去らない」も成立せん、その原初は何たるか?
ってとこまで究明する必要があります。

中論とはまさに、この論理矛盾を前程としての有部アンチ論としての意義が甚大なんでありんす。
つまり中論においての結果論は全くないのです。
それでも中論に惹かれるのは何故でしょう?
これは思議を越えるものですね。→これを不可思議といふ。
空とは、この不可思議を透過した心象のありかたを言うのであって、
仏教2500年の歴史において、それは普遍性なる法として一寸たりとも変化はないのです。

903机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/12/30(木) 15:27:12 ID:lUWkvGeS
(つづき)

中論・序章・抜粋
__________________________
一切のものは、新たに来ることがなく、
一切のものは、新たに去ることがない。
__________________________
「来る」は、「来ることがない」ことが絶対条件で、
それを基軸として「来る」が成り立ち、
先ず「来る」ことはそれ以前に「来ることがない」ことがあって、
“新たに”「来る」といふ論理が成立しますが、
ここでお気づきかと思いますが、それ自体が論理破綻してしまいます。
何故か?
「来ることがない」といふことは、それ以前は「来ることがあった」ということになりますね。
ですから、先ず新たに「来る」ことはない。つうことになります。

中論序章は、中論全体のエッセンスです。
先ずはここが登竜門になりますから、よくよく吟味して、
この意を解せたら・・・それから第一章へと逝ってください。
話はそれからでつ。

また暇があったら、おいおい書込みしとう存じまふ。
904神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 15:42:53 ID:B7eZtCau
>>902
その「無限ループ」「原初などない」のが、まさに「相対性」であり、
「空の思想」ではありませんか。「原初」もまた無限ループしている
のですから。

それが、ニーチェの「永劫回帰(永遠の反復)」、道元の「現成公案」、
「あるがままの現実」、「今ここの生命による認識」です。
905机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2010/12/30(木) 16:25:12 ID:lUWkvGeS
>>904
>その「無限ループ」「原初などない」のが、まさに「相対性」であり、
>「空の思想」ではありませんか

いんや、そうじゃぁありませんでつね。
相対性つうのは、つまり二項における関係性のことですから、
「初めに二項ありき」でもって成立する論法ですが、
印度論理はこの論法にアンチの立場ですね。
しかしながらそれでは話にならんですから、つまり二項を仮に設定する。
(これを仮設などと言ったりする)
つまりあくまでの論法上における論理であって、それが印度論理にはならんですね。
これを哲学的には帰納法と逝ったりしますが、あくまでも西洋哲学論法における方法論に過ぎんのでつよ。
(これを仮の説示、仮説などと逝ったりします)

仏教的にはこれは方便です。
じゃあ、仏教とは一元論か?ってたら、そうでもないです。
一元論でもなければ、二元論でもない。
これをなんとおっさたらいいのか?
空ですね。
906神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 17:14:43 ID:B7eZtCau
>>905
その二項も、それぞれが相対です。どこまで行っても相対。「絶対(自性)」
はない。これが竜樹の「空の思想」だと思う。

「結果は<縁から成立したもの>と言えるとして、その縁は、自己成立のもの
ではない。もし結果が、自己成立でないもの(縁)から生じるとすれば、その
結果がどうして<縁から成立したもの>と言うことができようや。」(中論1:13)
907神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 17:25:29 ID:B7eZtCau
このように、空の思想には、「因」も「果」もないのです。すべては、
相対性という関係性。従って、石飛氏の「因果関係」は誤り。釈迦教徒
の彼女が「業報論」を導くためのもの。
908神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 17:51:24 ID:B7eZtCau
石飛氏は、釈迦教徒であることとともに、多分、「既存の注釈書」の読み過ぎ
だろう。
909神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 18:26:44 ID:hlPy3LHf
>>906-908
また新しい妄想家の登場か、自分が何も読めないものだから、
読み過ぎで誤読かよ
910 ◆4yy3YEx6Zc :2010/12/30(木) 19:46:59 ID:pPJm/wgc
>>909
次スレどうする?いるならテンプレつくるが?
911神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 19:51:39 ID:hz8I2js2
【根本仏教】中観仏教について語ろう【龍樹】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254216400/
912神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 20:19:20 ID:hlPy3LHf
>>910
今は作らない方がよいかと。
913 ◆4yy3YEx6Zc :2010/12/30(木) 20:20:44 ID:pPJm/wgc
>>911
反対はしないw しかし中論需要あるのかね?
914神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 20:47:01 ID:w3R+C4/k
>>913

良いねぇ。
要はそこよ。

ここに書き込んで居る人たちは、何のために中観を勉強しているの?
915神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 20:50:02 ID:e3anSqmA
>>901に対しては、机師以外は誰も反論できないな。「従来の注釈書」には書いてない
からだろw。

中論は、宗教の「脱洗脳」に最適。すべての宗教は、竜樹の「空の思想」で吹っ飛ぶ。
916 ◆4yy3YEx6Zc :2010/12/30(木) 21:15:29 ID:pPJm/wgc
>>912
了解しました
>>914
私は自分のため。
五蘊の観察でも空観は生じるし、より正しい姿勢で五蘊を観察するのに中論は役に立つ
>>915
あなたが901なら外人や哲学者を馬鹿にしすぎだと思う。
実際に寺や教会、大学にいって話してみたらどうですか?
917神も仏も名無しさん:2010/12/30(木) 21:33:11 ID:e3anSqmA
>>916
そんなこと言わないで、「自分の頭」で>>901に徹底的に反論してみたら。
「本に書いてない」から、出来ないのだろw。

「借り物の見解」は無意味。まず、自分自身で中論の頌を読んで、「自分の
理解と解釈」を作り上げることだ。

竜樹は、古今東西、比肩する者の皆無な大哲学者だ。
918神も仏も名無しさん
生命教とか机とか>>906-908みたいな人を相手にするのはセブンぐらいでしょ。