【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15

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4371/3 旧7
>>377
> 読み返してみましたが、よくわかりませんでした。
そうですか・・。

>>360 >《「人類の滅亡」》を《「避けねばならないこと」「嫌悪すべきこと」「悪しき事態」「負なる事象」》とは見ない
     .>人類の繁栄も滅亡も、(勝義に於いては)どちらも等価
     .>人間だけが、そうなって(→滅びて)はならないというのは傲慢
>>361 >≪「亡びてしまえばいい」というのではない。が、また、「永続せねばならない」というのでもない。≫
     .>滅びてしまう時は仕方が無い。
     .>皆が皆、涅槃の楽を享受し、安心を得るなら、 (→そこへ向かい、充実し、満ち足りるなら)
     .>その結果が人類の滅亡であっても構わないという心構え
>>333 >「共に餓死の道を選ぼう」

 ↑で、十分な答えになっていませんか?w


> どちらが、仏教徒のとる態度なのか?を問うたわけですが。
まさしく333が一つの答えでしょう?
既に回答を貰っていながら、更に何を欲するのです?w

また、サービスして答えるなら、もしBが全員出家修行を望むなら、私の答えも同じだ。
共に餓死すべきだろう。(ま、家庭菜園くらいは構わんような気もするがwww、今は措こうw)
4382/3 旧7:2009/09/18(金) 20:50:38 ID:YIwpV8RG
>>377
もし、具体的に「以下の場合はどうなのか?」と問うているならば、
ケースバイケースと言わざるを得ない。 (けど、違うだろ?w 「全員が」という問いだろ?w)
たとえば、(これは、貴方自身が、問いを発する際に想定しているかどうかとも関わるが)、
0:そもそも、Bというグループは何人なのか?  ・・・・・・(は、とりあえず措くとしてもw)
Bの構成員のうち
イ:一人が、或いは数人が望んだ場合は?
ロ:3分の1が望んだ場合は?
ハ:半分が望んだ場合は?
ニ:3分の2が望んだ場合は?
ホ:一人を、或いは数人を残して望んだ場合は?

・ホは、残りのものを説得する道もある。(拉致して、洗脳して、折伏するかい?w)
が、
・ニの場合どうか?
 ちょうどこれからの高齢化社会、少ない若者で多くの高齢者を支える形を想像して貰えばいい。
 それってアリか?w 支える者達が納得するかどうか・・・。他の宗教を信奉する者もいるかもしれない。
・ハの場合、社会的権力・存在感をどちらが握っているかによるかもしれない。
 (今の日本は、宗教者としての【社会的】特権は無い。
  行政システム上平等だ。所得税も払うし、保険料も年金も住民税も払う。
  当然、《それに見合うだけの【個人的】収入》が無ければならない。家庭を持っていたら更に【金が要る】www)
・ロの場合は、これまでの年金システムのように、何とか回っていきそうにも思う。w
・イは、ロと同じく、現状或いは当時の出家と在家の関係そのままだ。

緊張を孕むのは、やはり「ハ」と「ニ」ということになるし、
考究すべき問いとしては、(極論としての377ではなく)、
『現実的な「ハ」や「ニ」のような事態に対して、仏教はどう対するべきか?』
であろうと思う。真剣に考える価値がある。(現代日本仏教を考えることでもある。)
「全員が出家を望んだ時」或いは「一人も出家を望まない時」という条件なら、
《皆で飢える》か《一人で寿命を全うするか》、どちらかだろう?w 何も難しいことはないwww
4393/3 旧7:2009/09/18(金) 20:56:51 ID:YIwpV8RG

仏典に於いて、最初期の弟子達は、あまり名前が(→「逸話や法話、感興の言葉」が)残っていない。
名前の登場頻度だけを見ても少ない。 後期・晩年の者の方が多い傾向があるように見える。(気のせい?)
(初期の「散っていった弟子達」と「大きな精舎(→広い場所)での定住生活」という対比も含め、
その少ない理由と被ってくるかもしれないが)、律蔵大品ヤサまでを見ると、少し想像が膨らんでくる。
律蔵大品は言う。「この時、世に六十人の阿羅漢があった」と。
そこで釈尊は彼らに何と言ったか? 思い出されて良いと思う。
釈尊は「遊行せよ」と言った。 「地方を経巡(へめぐ)りなさい」と言った。
なぜだろう?
・無所有とリンクする「一所不住」の具体的在り様、とは言えると思う。(→この「一所不住」も重要なポイントだが・・。)
また、
・「多くの人の耳に、この教えを届けろ」ということかもしれない。気付きを生じる者がいる筈だ、と。
・「教えに触れた者が増えれば、社会自体も(善い方向へ)変化してゆくだろう」という期待もあったかもしれん。
この二つが、仏典の中で、そして通仏教的に前面に押し出されている「遊行の理由」だ。
そしてもう一つ、上の「一所不住」とも被るが、
・【「食を乞わねばならない自分達」の在り方】として、あるべき形が示された。
 と見ることもできる。 大勢が食を乞えば、それだけ在家には負担となるからだ。
 (はっきりと、この意味のことが述べられた経があったような気もする・・・。)

仮に、小さかったとしても、村全体が出家したらどうなるか?
(貴方の思考実験では、在家者ゼロなわけですが)、他の村に依存することになる。
子供や乳幼児のこともあるので、これも極端な話であるが、
いずれにしろ、この方向性があるから、
≪【固まって住むことなく】(【固まって托鉢せず】)【定住せず】、【各地へ散らねばならなかった】のだ≫と・・・。
私は、そう考えている。(※散って、林住メインだから、名前の残り方が薄い、と・・・w ? )
そして、それ(各種対処)が不可能な、上記の「ゼロか百か」の思考実験に於いては、単純な答えしか導かれない。

多少はお解り頂けるだろうか・・・?