>>377 > 読み返してみましたが、よくわかりませんでした。
そうですか・・。
>>360 >《「人類の滅亡」》を《「避けねばならないこと」「嫌悪すべきこと」「悪しき事態」「負なる事象」》とは見ない
.>人類の繁栄も滅亡も、(勝義に於いては)どちらも等価
.>人間だけが、そうなって(→滅びて)はならないというのは傲慢
>>361 >≪「亡びてしまえばいい」というのではない。が、また、「永続せねばならない」というのでもない。≫
.>滅びてしまう時は仕方が無い。
.>皆が皆、涅槃の楽を享受し、安心を得るなら、 (→そこへ向かい、充実し、満ち足りるなら)
.>その結果が人類の滅亡であっても構わないという心構え
>>333 >「共に餓死の道を選ぼう」
↑で、十分な答えになっていませんか?w
> どちらが、仏教徒のとる態度なのか?を問うたわけですが。
まさしく333が一つの答えでしょう?
既に回答を貰っていながら、更に何を欲するのです?w
また、サービスして答えるなら、もしBが全員出家修行を望むなら、私の答えも同じだ。
共に餓死すべきだろう。(ま、家庭菜園くらいは構わんような気もするがwww、今は措こうw)
>>377 もし、具体的に「以下の場合はどうなのか?」と問うているならば、
ケースバイケースと言わざるを得ない。 (けど、違うだろ?w 「全員が」という問いだろ?w)
たとえば、(これは、貴方自身が、問いを発する際に想定しているかどうかとも関わるが)、
0:そもそも、Bというグループは何人なのか? ・・・・・・(は、とりあえず措くとしてもw)
Bの構成員のうち
イ:一人が、或いは数人が望んだ場合は?
ロ:3分の1が望んだ場合は?
ハ:半分が望んだ場合は?
ニ:3分の2が望んだ場合は?
ホ:一人を、或いは数人を残して望んだ場合は?
・ホは、残りのものを説得する道もある。(拉致して、洗脳して、折伏するかい?w)
が、
・ニの場合どうか?
ちょうどこれからの高齢化社会、少ない若者で多くの高齢者を支える形を想像して貰えばいい。
それってアリか?w 支える者達が納得するかどうか・・・。他の宗教を信奉する者もいるかもしれない。
・ハの場合、社会的権力・存在感をどちらが握っているかによるかもしれない。
(今の日本は、宗教者としての【社会的】特権は無い。
行政システム上平等だ。所得税も払うし、保険料も年金も住民税も払う。
当然、《それに見合うだけの【個人的】収入》が無ければならない。家庭を持っていたら更に【金が要る】www)
・ロの場合は、これまでの年金システムのように、何とか回っていきそうにも思う。w
・イは、ロと同じく、現状或いは当時の出家と在家の関係そのままだ。
緊張を孕むのは、やはり「ハ」と「ニ」ということになるし、
考究すべき問いとしては、(極論としての377ではなく)、
『現実的な「ハ」や「ニ」のような事態に対して、仏教はどう対するべきか?』
であろうと思う。真剣に考える価値がある。(現代日本仏教を考えることでもある。)
「全員が出家を望んだ時」或いは「一人も出家を望まない時」という条件なら、
《皆で飢える》か《一人で寿命を全うするか》、どちらかだろう?w 何も難しいことはないwww