【最終】輪廻転生説はどう扱うべきか!?【決着】3

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294閻魔大王
>>280>>281 宝珠
>いつの時代でも間違いを犯すのは弟子の方と相場は決まっている。
第一次結集におけるオカルト苦行主義マハー・カッサバ(実質ジャイナ教)によるブッダ→サリープッタ、スプーティの歪曲・抹殺編集によって
仏教は2500年混乱してきたという仮説の有効性が明らかとなるだろう。
このことは、増谷博士(仏教の思想 知恵と慈悲218頁など)も中村元博士(仏陀の弟子たち 仏弟子の告白234頁)も意図的な抹殺であることをにおわしておられる。
このような仮説視点によってはじめて、原始仏典の合理性と溶暗宗教性のモザイク的矛盾並存を解明できるのだ。

>8枚目のp471です。ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110000985580>>226
わかっているだろうが、念のため。
前述したが、宝珠が持ち出すウダーナヴァルガは溶暗宗教主義マハー・カッサバ教(実質ジャイナ教)の
後裔である説一切有部の経典だ(『仏陀の感興のことば』中村元 岩波文庫387頁)。
さらに、宝珠が>>226で指摘した片山論文は,同じくアビダルマ部派(上座部や説一切有部など)における涅槃「概念」を『解説』したにすぎず、
とうてい釈迦仏教の『仏説』たりうるシロモノではない。
 しかしたとえ溶暗宗教主義であっても、せっかくのウダーナを生かすとすれば、俺が説明したようにブッダの中道的見地から還滅し直し、
批判的に捉え返す以外にないのだよ。

「業報・輪廻の理論は説一切有部を中心とする小乗アビダルマ仏教独自の思想であって、
釈迦牟尼自身の仏教や大乗仏教には決して見られないものである。」
       (浄土真宗教学研究所紀要第五号業問題特集、「業報論の超越」梶山雄一博士 より)。

世間的モノサシを捨てれば満る。

坐水月道場
修空華万行  これでいいではないか。