ドイツの歴史について熱く語り合うスレ

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1世界@名無史さん
そういえば、ビスマルクがごたごた抜かしてたなぁ。

何でも鉄血政策とかって
2世界@名無史さん:03/01/14 18:00
いきなりプロイセンじゃねぇか!?
3世界@名無史さん:03/01/14 18:12
ドイツ史総合スレということですか?
4世界@名無史さん:03/01/14 18:28
5世界@名無史さん:03/01/14 19:32
対デンマーク戦争、普墺戦争という対外危機をテコに国内の反対派をねじ伏せる。
(ちょうどこのときプロイセン憲法紛争がもちあがっていた)
6世界@名無史さん:03/01/14 19:39
ビスマルクとドイツ(第二)帝国はこちら

世界史の華『ビスマルク外交』
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1040302798/l50
7世界@名無史さん:03/01/14 21:39
都々逸の歴史について語っていいですか?
8世界@名無史さん:03/01/14 22:04
鉄と血という言葉は1813年の、学生の統一と解放の運動の中の歌から引用された
ものだそうです。
マックス・フォン・シェンケンドルフの次の歌:

何故なら鉄のみが我らを救い
血のみが解決をもたらす
重い鉄鎖の罪から
悪しき傲慢の罪から
9世界@名無史さん:03/01/15 00:44
なぜドイツ民主共和国は崩壊したのだろう?
10世界@名無史さん:03/01/15 03:28
ドイツの歴史総合スレってことでおながいします。

>>9
民衆が馬鹿だから。そんな私はドイツ好き
11世界@名無史さん:03/01/15 09:19
こんなスレもあるでよ。

■ワイマール憲法崩壊の原因って?■
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1033644687/l50
12ぼっぱると:03/01/15 13:29
マックス・フォン・シェンケンドルフの詩は
親衛隊隊歌にも使われている。
「すべてが不実に移ろうとも 我らが誠は変わらじ」
隊歌とは別に、たぶん民謡からメロディを採って歌われたことも
あるらしく、それがオランダ国歌と同じ曲。
ドイツとオランダで共通のメロディがあったのだろう。
昔きいた軍歌集(?)で、上記の詩の曲がオランダ国歌と同じであることに
仰天し、でも、たしか「国防軍合唱歌集」にはこの詞で二つの曲が載って
いたので、上記のように(=SS隊歌とオランダ国歌は別の曲)推測している。
13世界@名無史さん:03/01/15 13:32
ドイツ人民に、「ドイツは一つ」なんてナショナリズムはいつごろから生まれたのでしょうか?
せいぜいが自分の所属する邦への帰属意識に留まっていたように思えるのですが。
14世界@名無史さん:03/01/15 13:33
ttp://member.nifty.ne.jp/highway/holland/jword/wilhelmu.htm
ウィルヘルムスは現存する世界中の国歌の中で一番古いというオランダ国歌.

スペイン王に対する反乱を率いていたオレンジ公への賛歌(Winkler
Prins大百科事典によれば宗教的政治的プロパガンダ)で,オレンジ公
自身の口から語るような形になっている.曲は既にあったフランスの
従軍歌を借りました. 80年戦争中さまざまな機会に歌われました.


15世界@名無史さん:03/01/15 13:41
>>13
やっぱりナポレオン軍の侵入後じゃないかと。
ヤーンの「ドイツ同盟」などが形成され、チロルではフランス軍に対する
ゲリラ闘争が起こり、オーストリアでは1809年に南ドイツの帝国伯
フィリップ・シュタディオン・ヴァルトハウゼンの下で愛国運動が燃え上がったり
してますから。
16世界@名無史さん:03/01/15 15:25
ドイツ国旗の三色は、19世紀のドイツの国内統一運動時の学生義勇軍の服装で
あった黒いマント・赤い肩章・金ボタンに由来するそうです。
17世界@名無史さん:03/01/16 18:30
ドイツ=森というイメージがあるけど、現在のドイツの森林率は約29%。
産業革命で木材の需要が急激に増加したため、18世紀末にはドイツの森林は
壊滅状態だった。
その後、19世紀に積極的な造林がおこなわれて現在の状態に回復。
18あぼーん:あぼーん
あぼーん
19世界@名無史さん:03/01/16 19:58
さっき中公新書の物語ドイツの歴史と言うのを買ってきた。面白いと良いが。
20世界@名無史さん:03/01/18 15:09
講議案シリーズ17 ドイツ憲法集第3版 高田敏・初宿正典 編訳より
ドイツ帝国憲法前文
 北ドイツ連邦の名においてプロイセン国王陛下、バイエルン国王陛下、ヴュルテンブルク国王陛下、
バーデン大公殿下、ならびにヘッセンおよびヘッセン大公領のうちライン河流域のマイン川以南に位置
する部分を治めるヘッセン大公殿下は、連邦の領域およびそこに妥当する法を保護し、かつドイツ国民
の福祉を向上させるため、永久の連邦を結成した。この連邦は、ドイツ帝国の名を冠し、以下のような
憲法を有するものである。
2120:03/01/18 15:12
間違いました
ヴュルテンブルクではなく
ヴュルテンベルクです
22司馬遷:03/01/18 15:34
ベルリン史観から、そろそろ脱却しよう
23世界@名無史さん:03/01/18 17:02
>>19
面白いと思うよ。
24世界@名無史さん:03/01/18 19:23
トーマス・マンの息子のゴーロ・マンはメッテルニッヒを高く評価していた。
25世界@名無史さん:03/01/19 18:20
バイエルン王国は最後までドイツ統一に抵抗してたな。
26世界@名無史さん:03/01/19 18:28
 独逸キター!英語の次にはドイツ語を学ぼう。
高校二年の冬、決心いたしました。
27世界@名無史さん:03/01/19 18:28
プロイセンは強いですね。オーストリアがもう少し強かったなら歴史は大きく変わったでしょうね。
28世界@名無史さん:03/01/19 21:33
>>27
オーストリアは多民族国家だから、なかなか難しかったでしょうね。
29世界@名無史さん:03/01/19 21:43
30LIVEの名無しさん :03/01/19 22:40
アウシュビッツの国ですね
31世界@名無史さん:03/01/19 23:31
プロイセンがもっと早くに近代化していれば独(オーストリア含む)、露、バルカン諸国VS英仏米になっていたのでは?
32世界@名無史さん:03/01/20 00:52
>>30
それは波蘭
33世界@名無史さん:03/01/20 02:27
ハインリヒ(七世)の()をとってあげたいです。
34世界@名無史さん:03/01/21 12:57
>>25
ハインリヒ獅子公は1180年、皇帝の命に背いたかどで帝国から追放され、以後
バイエルンの支配権はヴィテルスバッハ家に移り、700年以上にわたって君臨
してきた。
1806年、バイエルンは王国に昇格。

ところで、ヴュルテンベルク王国、バーデン大公国、ナッサウ公国、ザクセン王国、
ヘッセン選帝侯国、ハノーファー王国、オルデンブルク大公国、メクレンブルク大公国
など、他のドイツ諸邦はドイツ統一に対してどんな態度をとってたんだろうか?
35あぼーん:あぼーん
あぼーん
36世界@名無史さん:03/01/24 21:24
>>9
漏れの知る限りでは当時のドイツ民主共和国の書記長が
生放送で旅行の自由化を発表したら勘違いした西ベルリン市民が
国境ゲートに殺到してびびった国境警備隊がゲートを開けてしまい
西ベルリン市民がドイツ民主共和国に雪崩込んで収集がつかなくなった
っていうのが原因らしい
37世界@名無史さん:03/01/24 21:31
つうかロシアはイイ加減、東プロイセン独逸に返還しろYO!
38世界@名無史さん:03/01/27 17:27
ケーニヒスベルクage
39世界@名無史さん:03/01/27 17:31
ザーメンってドイツ語なんですね。
40世界@名無史さん:03/01/27 17:53
オナニーもそうじゃなかった

>37
つーか先にポーランドとリトアニアに返すのが先決だと思われ
41世界@名無史さん:03/01/27 19:03
西に移動したポーランド=ドイツ間の国境線はもう二度と元には戻らないのか?
ソヴィエト時代の国境線の移動でウクライナはずいぶん領土が増えたんじゃない
42世界@名無史さん:03/01/28 14:18
ゲルマニウムってやっぱりゲルマン魂(ってなによ)あふれた、愛国的ドイツ人
が発見したのかな?
キュリー夫人はポロニウムって命名してるし。
43世界@名無史さん:03/01/28 14:46
ブルジョワの語源もドイツ語 ブルク(城)の中の人(市民)の意。

>>19 阿部謹也さんの本だね?
44世界@名無史さん:03/01/28 14:53
>>37 利用価値が無いとかでドイツはあまり関心無いようですね。
45世界@名無史さん:03/01/28 14:55
>>43
ドイツ語が語源というのは言い過ぎ。
ドイツ語のブルク→ビュルガーみたいに
フランス語にもブルジョワに対応するブール(bourg)という言葉がある。
46世界@名無しさん:03/01/28 19:12
1930年代のKPD(ドイツ共産党)ってどのように見られていたの?
誰か教えて。
47世界@名無史さん:03/01/28 19:47
マホメットとヒットラー。
預言者と独裁君主、二つの才能を併せ持った男。
ゼロからはじめ世界帝国を築き上げる男。
信仰と権力の創造者。

48世界@名無史さん:03/01/28 21:35
>>45 一応広辞苑で調べると

ブルジョア【bourgeoisフランス】_語源的には、ゲルマン語ブルク(城郭)
の住民の意。中世ヨーロッパの都市住民のうち、上層の僧侶・貴族と下層
の平民との中間にある中産階層の呼称。市民。町人。_近代社会における
資本家階級に属する人。あるいは生産手段を持つ人。_俗に、金持のこと。_
49ラッセル=九郎=義経:03/01/31 23:51
ゲルマン魂
哲人マルクスアウレリウス帝も苦戦した。
コンモドウス帝だったら一撃で倒されていた。
50世界@名無史さん:03/02/01 01:59
>49
アルミニウスなんていう英雄もいたな。

…アルミニウムと何か関係があるの?
51  :03/02/01 10:18
>>50
ドイツ語の「ヘルマン」をラテン語風に変えたものです。
52世界@名無史さん:03/02/01 12:39
ライン同盟について知りたいんだけど
普通の本屋の歴史コーナーにはないね・・・。
53  :03/02/01 13:19
>>52
中世に、ライン地方の都市間で結ばれた同盟ですか?
54あぼーん:あぼーん
あぼーん
55世界@名無史さん:03/02/01 18:11
>>53
ナポレオンの保護下に置かれたドイツの諸侯連合。
56世界@名無史さん:03/02/05 22:46
ドイツ農民戦争について書かれた本を探してるんだけど、あまり無いな・・・
57世界@名無史さん:03/02/07 17:53
でも17世紀のドイツについて書かれた本の方がもっと少ない。
ドイツ農民戦争に関しては宗教改革についての本がいっぱい出てるからそこらへんから探してみたら?
58世界@名無史さん :03/02/07 19:38
今日ドイツ大使館の前を通ったら、国名がドイツ連邦共和国と
気が付いた。東ドイツはなんて国だったの?
59世界@名無史さん:03/02/07 20:05
ドイツ民主共和国 略してDDR
60世界@名無史さん:03/02/09 12:00
>>57
17世紀前半のドイツは、三十年戦争に明け暮れていたからね。
あとは、1657年にブランデンブルクが東プロイセンに対する宗主権を獲得した
ことくらい。
61総督:03/02/11 02:22
バイエルン以外の諸侯国について触れた本知りません?
ザクセンとかハノーファーとか
62世界@名無史さん:03/02/25 19:54
18〜19世紀のドイツの社会、思想についてでも語る?
たとえば、ヴィンケルマンが『ギリシア美術模倣論』を著したけど結局ドイツでは
古典主義はフランスほどの成果をあげなかったこととか、
あるいはドイツ・ロマン主義が現実から遊離する傾向が強くなったことは
なぜかとか。
63世界@名無史さん:03/02/25 21:14
>>61
どっかのHPにバーデン公国の歴史話があったような・・・
とはいえ18〜19世紀初頭ぐらいしかなかったけど
私は1848年の革命時にバーデンで活躍していたカール・シュルツに
興味があるのだが(後の米南北戦争時、合衆国国務長官)
64世界@名無史さん:03/02/26 00:53
東プロイセン、ポメラニア、アルザス奪還!

65世界@名無史さん:03/02/26 04:44
>>60
いや、その三十年戦争なんていうでかい歴史上の事件が起きてるのにそれについて書かれた本が
(日本では)少ないな、と・・・・
66世界@名無史さん:03/02/26 19:55
ザクセンのフリードリヒ・アウグスト1世は、ポーランド国王も兼ねていた。
その息子のフリードリヒ・アウグスト2世も、ポーランド継承戦争の末ポーランド
国王に即位。
>>64
西プロイセン、ポーゼンも『反せ』!!  w

ズデーテンもついでに『反せ』!! w

できればブレストまで欲しいぞ、と。
68世界@名無史さん:03/03/01 23:15
なんか盛り上がらないけど、いっそ時代を区切りますか?
ウェストファリア条約以降、
あるいはウィーン会議以降、など。
69世界@名無史さん:03/03/04 22:36
フランスの二月革命はヨーロッパ各国に影響を与えたけれど、ドイツ連邦でも、
例えばブラウンシュヴァイ侯国では、1830年9月に革命暴動が起こって侯は亡命を
余儀なくされる。
結局2年後に憲法制定。
70世界@名無史さん:03/03/04 23:00
やっぱりドイツは右っ側がジオングの肩みたいな腕がないとな。
71世界@名無史さん:03/03/05 18:26
NHK総合
そのとき歴史が動いた
独裁者ヒトラー 破滅への軌跡

放映日:平成15年3月5日(水) 21:15〜21:58  


今回はゲストはありません
その時(1)=1939年9月1日 ドイツがポーランドに侵攻。
その時(2)=1941年12月8日 
        日本軍、ハワイ真珠湾を奇襲。 日米開戦
その時(3)=1945年4月30日
        ヒトラー、ベルリンの地下壕で自殺   

二十世紀の世界を揺るがした独裁者アドルフ・ヒトラー。その行動がもたらした幾多の災厄と教訓は、
今なお世界中の人々に重く受け止められ続けている。第一次大戦ののち、世界が、ふたたび戦争の
惨禍に見舞われていくその節目には常にヒトラーの影があった。
破滅に至るまでのヒトラーの軌跡を、3つの「その時」に着目して捉えなおし、二十世紀最大の
負の遺産ともいえるその教訓を見つめていく。
第一のその時は、ドイツがポーランドに侵攻したとき。第二は、日米開戦により、ヨーロッパの
戦争が文字通り世界戦争へと転じたとき。そして、第三はヒトラーがベルリンの地下壕で
自殺したときである。
ヒトラーはなぜ権力を握る道を進むことができたのか、そして、どのようにして世界を戦争に
巻き込んでいったのか。ヒトラーの極秘情報は、日米開戦にどのような影響を与えたのか。
そして、ヒトラーが最後に見せた実態はどのようなものだったのか?
新資料を交え、独裁者ヒトラーが世界を大きく揺るがした3つの瞬間を描いていく。

72世界@名無史さん:03/03/06 15:17
Hohenzollern家ってなんて呼んでる?
ホー(エ|フェ)ンツォ(レル|ルレル)ンで大別四通り有ると思うんだけど。
俺はホーフェンツォルレルンって呼んでます。
73世界@名無史さん:03/03/06 16:07
私はホーヘンツォレルン。
74世界@名無しさん:03/03/06 17:21
私はホーエンツォレルン。

>64
つーか、奪還を求めるんだったら、
ポンメルン、エルザスっていえよ。
75  :03/03/06 17:24
 ちょっと気が早いですが、ドイツW杯に行こうかと思ってます。
 素人がまず読むドイツの歴史の本は、前出の「中公新書・物語ドイツの歴史」
がいいでしょうか。
 ご教授を。
76世界@名無史さん:03/03/06 17:38
>>72
「ホーフェンツォルレルン」ではないでしょ。
辞書で文節を見ると、ホーエンツォルレルンと書いてあるけど、

 Ho−hen−zol−lern

だから、ホーヘンツォルレルンと言いたくなる。
77世界@名無史さん:03/03/06 17:45
舌が絡まりそうだな
78世界@名無史さん:03/03/06 18:32
ホーエンツォレルン家は、もともとニュルンベルク城伯だったんですね。
この家系が、どういういきさつでブランデンブルク選帝侯になったんですか?
7972:03/03/06 19:00
ぐぐる結果。
ホーエンツォレルン(778件)
ホーエンツォルレルン(8件)
ホーフェンツォレルン(2件)
ホーフェンツォルレルン(0件)
ホーヘンツォレルン(23件)
ホーヘンツォルレルン(10件)
>>76
だよね。でもゼロ件だって(ノ;Д`)

>>75
「ドイツ」の来歴を大まかに掴むには良いと思うよ。
80  :03/03/06 19:04
>>79
 ダンケシェン
81世界@名無史さん:03/03/06 19:13
  ・
Hohenzollern この h は無声語
        z はツと読む (例 zeit ツァイト)
        lern は レルン

Hohe-zol-lern hohe=hoch 気高き(高い)
        zoller(チュービンゲンの南方シュバーベンアルプスの西側にある山上の城)

>>78
アスカン家の断絶(1320年)後、ブランデンブルクの地は内乱状態が続き、
この混乱は約1世紀ほど続いた。その間、ヴィッテルスバッハ家やルクセ
ンブルク家など皇帝を拝する各家が名目上の支配を行ったが、1411年、
ルクセンブルク家の代官としてニュルンベルクからやってきたフリードリヒ
6世伯がこの混乱の終止符を打ち、1417年に皇帝ジギスムントよりブラン
デンブルク辺境伯兼選帝侯(フリードリヒ1世)に任ぜられ、その後ホーエン
ツォレルン家はベルリンに居を移すこととなったそうだ。
ついでに記すと、プロイセンの方はもっと後年になって同家のアルプレヒトが
1512年にドイツ騎士団総長に就任したのがきっかけで、1525年にはプロイセン公
として封ぜられた。その際、公はルター福音派の洗礼を受け世俗化した。
アルプレヒトの家系が断絶したのをきっかけにこの地はホーエンツォレルン本家に
委譲され、ここにブランデンブルク=プロイセンが誕生する。一方プロイセン王国
というのは同家のスペイン継承戦争での功をもって王号が許された(1701年)わけ
であるが、それは神聖ローマ帝国内において王号をもつのは都合が悪かったという
理由で「プロイセン王」を名乗ったと言われる。
8272:03/03/06 19:14
>>80
つーか19は俺で本は面白かったっすよん。
83世界@名無史さん:03/03/06 19:45
>>81
ありがトン。
確かハプスブルク家のレオポルト1世の時代に、プロイセン王国設立を
許可したはず。
84世界@名無史さん:03/03/06 20:44
高校で教わった世界史の先生は偉くイタリア史に詳しかった。
Hohenzollern を「ホーエンツォッレルン」とイタリア訛りで言っていたな。
85世界@名無史さん:03/03/06 21:12
ホーエンシュタウヘンとか、にたような名字が多いな。
フリードリヒやハインリヒという名前も多いし。
86世界@名無史さん:03/03/07 15:00
ドイツ民主共和国
87世界@名無史さん:03/03/07 22:02
フランク王国にはじまりドイツ連邦共和国、ドイツ民主共和国、プロイセン王国
と国号が数々あれどやはり「神聖ローマ帝国」に勝るものはまずないな。
88世界@名無史さん:03/03/08 19:01
>>78
シュツットガルトから南に50キロほど下ったヘッヒンゲンという町に、
ホーエンツォレルン家がまだ片田舎の一領主だったころの城があるよ。
初代ドイツ皇帝ウィルヘルム1世の代になって、廃墟だったこの城が修復された。
89世界@名無史さん:03/03/09 01:17
「カール・マルクス・シュタット」なんて地名が存在するよりは、
第四帝国のほうがましである。
90世界@名無史さん:03/03/10 01:21
ドイツ語って、こんなに地方によって違うのかあ。
ドイツ語 http://www.euroassist.de/language/german.htm
91世界@名無史さん:03/03/10 01:26
サッカーのカーンってドイツの苗字じゃないよね?
もしかしたらイラン系ユダヤ人の家系かもしれない
92世界@名無史さん:03/03/10 06:36
高校の頃世界史専攻してたクセに
東フランク王国→神聖ローマ帝国→プロイセン王国→ドイツ連邦→東西ドイツ→現ドイツ
という理解をしていた漏れ。
後にバイエルン・ミュンヘン好きが高じてドイツ史を調べた時のやるせなさと言ったら。
93世界@名無史さん:03/03/10 17:04
>>87
いろんな意味でねw
94世界@名無史さん:03/03/11 21:04
>>91
遊牧民のカン(汗)とは関係ない?
95世界@名無しさん:03/03/11 21:21
>>91
おなじバイエルン・ミュンヘンのMFショルは、
メーメット(トルコ語のメフメット=ムハンマドのドイツ語読み)
って名前だ。以前何かのインタビューで、
「この世で怖いものは戦争とカーン」といってたのは民族的対立か?
96世界@名無史さん:03/03/11 22:25
1837年英でビクトリア女王が即位したとき、ドイツのハノーファー家が女子相続を
認めて同君統治を続けたら、プロイセンに併合されずにドイツの歴史は
大きく変わってたと思うのですがどうでしょう?
97世界@名無史さん:03/03/12 00:01
>>92
>東フランク王国→神聖ローマ帝国→プロイセン王国→ドイツ連邦→東西ドイツ→現ドイツ

神聖ローマ帝国(962-1806)の後には、ライン同盟−ドイツ連邦−ドイツ関税同盟−北ドイツ連邦とつづき、プロイセン王国
主導のドイツ帝国(1871-1914)となり、革命でワイマール共和国(1914-1933)→第三帝国(1933-1945)と続く。

「ライン同盟」はいうまでもなくフランス皇帝ナポレオン1世の主導する対プロイセンのオーストリアを除く南独の同盟です。
「ドイツ連邦」はナポレオン体制後のオーストリア皇帝の主導する「大ドイツ主義」の枠組みであってプロイセンもそれに含まれます。
「関税同盟」は各諸邦でばらばらだった関税を統一すべく行われた同盟であって経済的な意味でのオーストリアの排除が決定的となります。
「北ドイツ連邦」は普墺戦争に勝利したプロイセンを主導とした「小ドイツ主義」の枠組みで、政治的な意味でのオーストリアの排除が決定的となります。

さて、この後プロイセンはフランスとの戦争にも勝利し、北ドイツ連邦はドイツ帝国へと発展的解消するのですが、その枠組みから外れていたバイ
エルン王国がその際、ドイツ連邦に加わったのはその後のドイツ史において象徴的な出来事だったといえましょう。

正確に記せば

東フランク王国→神聖ローマ帝国→ライン同盟→ドイツ連邦→ドイツ関税同盟→北ドイツ連邦→ドイツ帝国→ヴァイマール共和国─
                      プロイセン──┘ │    │
                      オーストリア───┘    └→オーストリア帝国→オーストリア=ハンガリー帝国───

──→ドイツ第三帝国─┬→ドイツ連邦共和国─┬ドイツ連邦共和国
        │      └→ドイツ民主共和国─┘
        ↓
──→第三帝国に併合される→オーストリア共和国
98世界@名無史さん:03/03/12 01:25
ドイツって言うとなんとなくルターが祖ってイメージがある。
99世界@名無史さん:03/03/12 13:19
ウィーン会議でつくられたドイツ連邦は、ハノーファーの君主は英国王、
ホルシュタインの君主はデンマーク王、ルクセンブルクの君主はオランダ王が
兼ねてるのね。
100世界@名無史さん:03/03/12 14:12
100げとずさ
101世界@名無史さん:03/03/12 18:12
>>87
最初はただ単に「帝国」とだけ呼ばれていて、
13世紀半ば以降、「神聖ローマ帝国」という名称が公式に用いられるように
なった。
102世界@名無しさん:03/03/12 19:53
最近ここで繰り広げられている、ドイツの領域・国号に関しては、
坂井榮八郎「ドイツ史10講」を読むとわかる。
カイザー・フリードリヒ・ヴィルヘルム・サカイの
厳しいドイツ語の授業が懐かしいよ。
103無限江山:03/03/12 21:13
ヴァイマール共和国─→ドイツ第三帝国

どちらも通称であって本来の国名は区別無く「ドイツ・ライヒ(ドイツ共和国)」
104世界@名無史さん:03/03/12 21:31
http://homepage3.nifty.com/countryroad/2-preussen.htm
プロイセンの歴史について紹介しているサイト
http://www.f4.dion.ne.jp/~s.kazuya/flaggen.htm
ドイツ国旗興亡史 1789〜1949
http://www.din.or.jp/~a_ohno/
私的思い入れのドイツ
105山崎渉:03/03/13 12:51
(^^)
106世界@名無史さん:03/03/23 19:57
ドイツ統一、ベルリンの壁についてくわしいサイト知りませんか?
107世界@名無史さん:03/03/25 17:01
誰か簡単に時代変遷をまとめてくれ


紀元





11
13
15
17
19
108世界@名無史さん:03/04/04 12:38
ドイツ統一後の「泡沫会社乱立時代」はすごいね。
ジーメンス、クルップに代表される産業経済が飛躍的な伸びを示し、
鉄道がドイツ全土に敷設されはじめ、
帝国銀行が設立され、
郵便制度も発足。
109世界@名無史さん:03/04/05 22:58
マジャール人を撃退したハインリヒ鳥刺し王って、何でこんなあだ名がついているんですか?
110世界@名無史さん:03/04/09 21:54
ドイツといえばインフレだよ。インフレ。
トランク一杯に紙幣を詰めてコーヒーを飲んだり、
リヤカーに金をギッシリ積んでパンを買ったり。
111山崎渉:03/04/17 09:46
(^^)
112山崎渉:03/04/20 04:52
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
113世界@名無史さん:03/04/24 19:28
もしナチス・ドイツが、オーストリア併合、あるいはズデーテン地方を割譲
させた時点で思いとどまっていたら、どうなっていたと思いますか?
114世界@名無史さん:03/04/24 20:48
大ドイツ帝国完成。アメリカ帝国とはりあってただろう。
ヒトラーは大偉人として世界史に名をとどめただろう。
他のヨーロッパ諸国にもファシズムが広がって世界の中心はドイツになって、日本の中学生は英語のかわりにドイツ語を習っているだろう。
ああ、ヒトラーは偉大なり。ハイル,ヒトラー!
115世界@名無史さん:03/04/30 00:12
>113
第二次世界大戦はなかったかもな。
このあとは私の希望だが、ベルリンにウイルヘルム2世(またはその息子)を帝位につけてホーエンツォレルン家を再興させる。
ドイツはいまごろは中欧の強国となり、今ほど反ドイツ感情を持たれてなかっただろう。
ヒトラーはオーストリア出身だから案外ハプスブルク家を再興させていた可能性もあったかも。
116世界@名無史さん:03/04/30 13:21
>>115
帝政の復活はないだろうなあ。ヒンデンブルクはホーエンツォレルン家の復興を遺言してるけど
ヒトラーが握りつぶしている。ヒトラーの後継者と目される人々も
野心満々なヤバイやつらばかり。

ヒトラーの経済政策はある種の自転車操業みたいなもんだから、
いずれ矛盾を解消しきれなくなって戦争に訴えざるをえなくなっただろう。
アメリカだってニューディールの失敗が明白になったら戦争やるしかない。

大戦は回避不能。
117世界@名無史さん:03/04/30 16:36
結局、第二次世界大戦は必然的に起ったっていうことですね。

わしの中ではドイツは戦争好きというイメージが強すぎ。
ドイツ人が3人集まれば戦争するという話とか、ドイツ人が日本人に「この次はイタリア抜きで戦争しようぜ」という話とかよく聞きますね。
そういえばラムズフェルドもドイツ系(自分で言っていた)。ブッシュは名前の感じから、ドイツ系のような感じ(アイルランド系という説も聞いたような)。
ドイツ本国では二回世界大戦で負けたから戦争にこりごりって感じだけど、アメリカに渡ったドイツ人は戦争好きっていう印象ですね。
118世界@名無史さん:03/04/30 20:13
ブッシュはイングランド系だよ。

ドイツは歴史上、ほとんど侵略される側で、侵略する側に回ったのは数回程度だと思うが。
19世紀までは、他の国から見たドイツ人のイメージというと、大学教授、音楽家、文学者
という感じだったらしいし。
119世界@名無史さん:03/04/30 20:28
たしかに。
ドイツが勝った戦争って普仏戦争ぐらいしか思い浮かばない。
ウィルヘルム2世とヒトラーによってドイツ人は戦争好きというイメージが焼きつけられたのかもね。
ドイツ人の有名人といえば思い浮かぶのは哲学者とか音楽家、作家や詩人、サッカー選手が多いね。

120ひろいもの:03/04/30 20:52
121世界@名無史さん:03/04/30 20:59
現代のドイツって、ナチスを称えたりすると逮捕って本当ですか?
どこか、その辺のことを詳しく解説してあるサイトってご存知ないですか?
122世界@名無史さん:03/04/30 23:31
軍隊馬鹿のヴェルヘルム一世、で、フリードリヒ大帝とプロイセンは戦闘国家の
イメージがすげー強いがな。一応スウェーデン軍とか破ったりしてるし。

戦後西ドイツのアデナウアーが旧プロイセン地域が
東ドイツとポーランドにとられたのをいいことにナチズムとプロイセンを結びつけて
全部プロイセンのせいにしてたが、プロイセンの貴族連中は
ほぼ反ナチなんだけどな。
123世界@名無史さん:03/05/01 12:47
アルザス地方が返還される見込みは無いのでしょうか?
124世界@名無史さん:03/05/01 14:26
>>123
フランスにしてみりゃ普仏戦争で奪われた土地がWW1で戻ってきたもの。
125わが総統:03/05/01 14:27
┌―――――――――――――─―─―
│ブッシュ大統領はヒットラーみたいな奴ですな
└─v───────────────‐
 日 M [] 0 U U M
======〃∧_∧=
 U ∩    %( - _ - )
__ ∧ ∧__∧_∧__.)_ ┌───
  (   ,,)日(    )∇ < …わが総統はあんな「小物」ではなかった。
― /   |―-(    )―― └───
\(__.ノ   ━┳━)
 ━┳━   └┃―・゙
 ̄ ┻ ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄ ̄
126わが総統:03/05/01 14:30
┌―――――――――――――─―─―
│次はイタリア抜きでやりたいものですな
└─v───────────────‐
 日 M [] 0 U U M
======〃∧_∧=
 U ∩    %( -■- )ニヤリ
__ ∧ ∧__∧_∧__.)_ ┌───
  (   ,,)日(    )∇ < ・・・・・・
― /   |―-(    )―― └───
\(__.ノ   ━┳━)
 ━┳━   └┃―・゙
 ̄ ┻ ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄ ̄
127世界@名無史さん:03/05/01 15:27
「姓」がカタカナで六文字以上ある場合、
ドイツ人もしくはドイツ系である可能性が非常に高いな。
何でこんなに長い名前が好きなんだ?
128世界@名無史さん:03/05/01 19:29
>>127
田舎モノだから。
129世界@名無史さん:03/05/01 19:59
>>123
エルザスと言いたまえ。
130世界@名無史さん:03/05/01 20:51
Elsass-Lothringen(ドイツスレなんでドイツ語表記で失礼)の変遷。
1648 ウェストファリア条約 独→仏
1871 フランクフルト講和会議 仏→独
1919 パリ講和会議 独→仏

あそこはドイツのものです。
131世界@名無史さん:03/05/01 21:53
つか併合される頃は自分達がドイツ人という国民意識はなかったと思うがな>アルザス・ロートリンゲン地方

それまではドイツ的な感情や慣習を固守してきたが、
フランス革命でそれらローカルな封建的な制度や慣習を排除されて
フランス国民としての意識を呼び起こされたそうな。
132世界@名無史さん:03/05/01 21:57
>>127
オランダ系の名前も長いのがあるよ。
133世界@名無史さん:03/05/01 23:27
>>131
VIVA DE FRANCE
134アメル先生:03/05/01 23:50
ドーデ作「最後の授業」をめぐって
http://www.naruto-u.ac.jp/~itohh/Link/LastClass-Kansou.html

「ドイツ語のような野蛮人の喋る野卑な言語と違って、フランス語は世界で一番美しく、
一番明晰で、一番がっしりした言語です。」
135世界@名無史さん:03/05/02 00:29
誰かアルザス・ロレーヌ史の本出さないかな?
136世界@名無史さん:03/05/02 00:52
>>135
お前が出せチンカス
137世界@名無史さん:03/05/02 12:52
最近は郷土教育みたいな感じで"アルザス語"が復活してるらしく
最後の授業みたいなことにはなってないみたいなんだけどね。
フランス人とかドイツ人とかそういうのにはぶっちゃけもう嫌気
さしてるんじゃねえのかアルザスあたりは。
138世界@名無史さん:03/05/03 23:14
時代に逆行してるみたいだけど、ハプスブルク家が復活してほしいな。
139モヤーイ:03/05/04 11:01
小皇帝の俺様を称えよ
140世界@名無史さん:03/05/04 17:51
やだね
141世界@名無史さん:03/05/05 17:43
>134 もともと、エルザス地方はドイツ語が話されており、「最後の授業」のようなことは
    あり得ない。
   この地域は神聖ローマ帝国の時代からドイツ領だったし、30年戦争の結果ドイツから
   フランスが奪った領土なので、130の言うようにもともとドイツ領に他ならない。
   要は、これは普仏戦争に負けた鬱憤をはらすための自己満足の物語に過ぎない。
   
    フランス語は世界で一番美しい? 

      小生が子供の頃、始めてフランス語を聞いたとき、ぐにゅぐにゅして
      いやったらしい言葉だな〜と思った。

      一番明晰・・・リエゾンが多く、言葉だとわかりにくい。
              ドイツ語のほうが、ほとんどローマ字読みだから、発音しやすいし、明晰。

      一番がっしりした言語・・・これが一番理解できない。 いやったらしく聞こえるの一言。
    
    リンク先にもあるように、アメル先生の上記のような自国語に対する評価は、
    一方的であり、 この物語は子供のとき教科書に載っていて覚えているが
    この地がもともとドイツ領でドイツ語地域だとわかったとき、偽善以外の何者も感じなかった。

     ドイツ語のような野蛮人の喋る野卑な言語・・・いい加減にしてくれ。
             
142世界@名無史さん:03/05/05 19:28
ドイツ語とフランス語とで争うのはやめるんだ。

一番野蛮で野卑で、カスでいいかげんな言語は英語だろう。
143世界@名無史さん:03/05/05 19:28
ドイツの場合、陸軍では貴族支配が貫徹していたのに対し、
海軍では中産階級出身者が多かった、というのは本当ですか?
144世界@名無史さん:03/05/05 20:16
ドイツは一般的に陸軍国といわれてますよね。
けどUボートみたいに海軍力もあったと思う。

>海軍では中産階級出身者が多かった、というのは本当ですか?

私もそれが知りたい。

145世界@名無史さん:03/05/07 14:06
あげ
146マルクス:03/05/07 16:04
ドイツが第一次世界大戦後にハイパーインフレに襲われて山積みの札束の様子がよく描かれているが本当にそんなことありえるのか?
最近日本も近い将来に戦後のドイツと似た状況になると危機を煽っているが。
147世界@名無史さん:03/05/07 16:40
フリードッリヒ・パウルスはフォンの付かない公務員の中流家庭の出身で、
帝政海軍に入隊を拒否されて、やむなく陸軍に入っている。

海軍でもWW1に名を馳せた巡洋艦エムデンの艦長ミュラーは、ハンブルクの貧民窟出身とか
148世界@名無史さん:03/05/07 19:55
ドイツがWW1で負けたのも、その後にナチスが台頭したのもウィルヘルム2世って奴が
ビスマルク外交を破壊したからじゃないの?
149世界@名無史さん:03/05/07 22:53
ウィルヘルム2世の母親はヴィクトリア女王の娘なんだけどな・・・
150世界@名無史さん:03/05/07 23:02
そういえばヴィルヘルム2世って、何で手が悪いの?

ヴィクトリア女王の孫だけど、血友病ではないんだね。
151世界@名無史さん:03/05/07 23:35
その母親との折り合いが悪かったらしい>ヴィルヘルム二世
しかし障害持ちとは初耳。
152世界@名無史さん:03/05/08 00:23
とにかく今日は暑いよ。
153世界@名無史さん:03/05/08 10:10
>>151
生まれつき左腕が悪かったとか。

http://augustan-age.milkcafe.to/
このページの「イギリスとドイツの王族達」→「ドイツの皇后たち」
というところに、母親の出産のときの経緯がくわしく書かれています。
154日本@名無史さん:03/05/08 11:36
ウィルヘルム2世とニコライ2世とジョージ5世って三人ともいとこ同士って聞いたことがある。
WW1はいとこ同士の喧嘩?ウィルヘルム2世はロシア訪問したときにニコライ2世とばあさんのヴィクトリア女王の悪口言い合ってたという話も聞いたことある。
ハプスブルク家のフランツ・フェルディナントはウィルヘルム2世を本当は嫌ってたってほんと?
もしサラエボ事件がなかったら、オーストリアも三国同盟裏切って英仏について戦勝国になったかもしれないですね。
ちなみに私の中ではオーストリアもドイツです。
155世界@名無史さん:03/05/08 20:48
156世界@名無史さん:03/05/08 20:50
ドイツ海軍大臣ティルピッツってどう?
海軍の建艦競争に乗り出したけど・・・
157世界@名無史さん:03/05/08 21:07
158世界@名無史さん:03/05/10 20:50
ドイツはやっぱし、音楽と学問とサッカーと車に力いれたほうがいいよ。
戦争やるとろくなことない。
159世界@名無史さん:03/05/11 11:11
ドイツ哲学とかは微妙に迷惑
160世界@名無史さん:03/05/11 12:12
ドイツからワーグナーみたいな音楽家出てこないかな。
161世界@名無史さん:03/05/11 12:21
ドイツの思想は普遍的なものより、世界に誤解と混乱をもたらすことの方が多い。
162世界@名無史さん:03/05/11 12:21
ビスマルクとかマルクスとかヒトラーとか政治の大物が多い。
でも戦争で負けて悪者国家。
163世界@名無史さん:03/05/11 12:51
マルクスは政治かなぁ…?
164世界@名無史さん:03/05/11 13:11
理論家が多いってかんじ

165世界@名無史さん:03/05/11 13:35
ドイツ哲学がなかったら、ヨーロッパの哲学なんてほとんど骨抜きだよ。
20世紀ののフランス哲学も、ドイツ哲学なしには存在はありえないし。
166コピペ:03/05/11 19:20
1872 独・墺(オーストリア)・露三帝同盟
1875 仏の軍拡による戦争の危機、英・露による独の予防戦争に対する干渉、独・墺接近
   しかし墺・露はバルカンで対立
1887 地中海協定でトルコ・地中海の現状維持、しかし英は独との直接同盟は拒否
1890 ビスマルク解任
1890 独・露再保障条約更新ならず
1894 露・仏同盟
   独英の関係、通商問題等で悪化
1898 独ティルピッツの建艦計画
   ファショダ事件、仏のアフリカ進出に対し英は孤立政策を放棄
1901〜英独の同盟ならず
   ボーア戦争、義和団事件、日露戦争、モロッコ事件等を経て英仏露の接近
1904 英仏協商
1907 英露協商
1908 英・独の建艦問題調整は失敗、独艦隊増強へ

167世界@名無史さん:03/05/12 21:30
みんな、「プロイセン悪玉史観」についてどう思う?
ドイツは少なくとも100年以上はヨーロッパの中心であるように俺は感じる。
>167  「プロイセン悪玉史観」について・・・・
     そんな史観があるの?
     もしあるとしたら、第二次大戦直後、ドイツ領であった東プロイセンや、
     ポンメルン、シュレージエンといった旧プロイセン領(すなわちドイツ領)を
     せしめる理由として、ポーランドや旧ソ連がでっち上げたプロパガンダ
     に過ぎないのではないか。
     
     
170世界@名無史さん:03/05/13 00:52
>>169
むしろバイエルン人が積極的にプロイセンを悪玉にしたてあげている気がするけど
どうよ?
171世界@名無史さん:03/05/13 21:07
>>170
ナチスの支持者ってのは、プロイセンやドイツ北部よりも、南部で多かった
んじゃなかった?
あと、ドイツがオーストリアを併合したときも、オーストリア人にはそれを歓迎した
人間も多かったとか。
172世界@名無史さん:03/05/14 00:43
>>171
そりゃ、ヒトラーの出身がそっち方面だし。でも、なにかというとプロイセンを
悪玉にしたがるのもバイエルン人。
173世界@名無史さん:03/05/14 12:45
ドイツって南部と北部が対抗意識持ってるみたいだね。
サッカーだとブレーメンとバイエルン・ミュンヘンが日本の巨人阪神戦みたいだってきいたことある。
174世界@名無史さん:03/05/14 13:04
ブレーメンの音楽隊。
ロバが一番好きだったなー。
175世界@名無史さん:03/05/14 13:30
ところで、ホロコーストは、本当にあったと思いますか?

http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohc9708.html
176世界@名無史さん:03/05/15 15:17
さあね。
177世界@名無史さん:03/05/15 19:16
>>151
153のリンクが覗けないので内容が重複していたらスマソが、ウィルヘルム2世の腕の障害は
鉗子を用いた強引なお産で肩を脱臼してしまったそうです。このとき母のヴィクトリア妃
は英国人医師を贔屓にしてドイツ人医師の介入を拒んだ経緯もあってウィルヘルム2世は
大の英国嫌いでしたと。
178世界@名無史さん:03/05/15 20:03
プロイセン悪玉史観っちゃなんだ。
まず、それの詳細を希望。

ナチ党支配化のドイツにおける盲目的な服従が、アイヒマンやら殺人工場生んだって話(それの源流がプロイセン兵営国家における忠誠の強要??)??

それとも大ドイツ主義いうかドイツ膨張主義の源流が、プロイセンの領土拡張だかドイツ統一の系譜をついでるいう話?
179世界@名無史さん:03/05/15 20:34
>178 あのな・・

    このような主体性のない阿呆につける薬はないと思うが、
    >171でも言ってる通り、ヒトラーはオーストリア出身であり、プロイセンはむしろ
    純粋なドイツを望んでいた(小ドイツ主義)生粋のドイツ軍人(マンシュタイン、グデーリアン等」)の
    本場だった。
    貴殿の言う大ドイツ主義はむしろ旧オーストリア(プロイセンとドイツの覇権を争った)で
    叫ばれた話しであり、それにアイヒマンの殺人工場?とは何のかかわりもない。
    アウシュビッツのことを言っているのだろうが、あそこは石炭から石油を抽出する
    人造石油工場であり、当時ドイツの石油資源はハンガリ-やルーマニアの油田があったが
    とてもそれだけでは足りない。 歴史で言っているようなホロコーストの場所ではない。
    
    むしろ、上の169が言っているように、ソ連やポーランドが第二次大戦後、シレジア、ポメラニア、
    東プロイセン、もともとプロイセンの主要領土だった地域を自国の領土にすることを
    正当化するための理由のひとつに過ぎない。
180世界@名無史さん:03/05/15 21:06
>>178

大ドイツ主義云々は除いて、最後の行が一番近い。
要はヒトラーがあれだけの支持を得て戦争を開始し、ベルリン陥落まで
続行しえたのは、プロイセンの領土拡張と軍国主義に原因があるとする見方だ。
これが余りにも一面的過ぎるのは他の人が述べているとおり。

ただ、何故誰もヒトラーに立ち向かわなかったのかということの説明には、
ヒトラーの支持基盤が南ドイツのバイエルンだったからプロイセン領内とは
関係ない、というだけで反論しても不十分だろう。
やはり、特にビスマルク時代の野党勢力弾圧が、ドイツ人の権力との関係に
何らかの精神的影響をもたらしたとは言えると思う。
181世界@名無史さん:03/05/16 11:44
>>177
http://augustan-age.milkcafe.to/
AUSUSTAN AGE

これで見ることができまつか?
182世界@名無史さん:03/05/16 11:47
183世界@名無史さん:03/05/16 11:52
ここにあげたリンク集からいくことができますか?

http://www.fukkan.com/banner.php3?no=6632
リンク
http://home.owari.ne.jp/~ouka/link/link-history.html
│西洋史│
AUSUSTAN AGE

近世バロックの香り漂うサイト。ドイツを中心にイギリスなどの王妃や
宮廷でのエピソードなどを紹介。もちろん、家系図でのバックアップも
十分で見て聞いて読んで楽しめる。スペイン戦争も紹介していてありがたい限り

http://www5d.biglobe.ne.jp/~dynasty/cgi/link/linkv.html
リンク


184世界@名無史さん:03/05/16 11:57
ttp://homepage3.nifty.com/countryroad/2-history.htm
軍国プロイセンが後のナチズムの精神的土壌となったといういわゆる
「黒のプロイセン」伝説

プロイセン=ナチズムと捉えるのは、例えばボルシェヴィズムと英国労働党を
同じカテゴリーに入れて論じるような暴挙に思われる。ただし、こうした見方は
戦後民主主義のドグマからすれば自然と受け入れられてきたようだ。こうした
見方を助長したのは、戦後のドイツ自身でもあった。
アデナウアーはプロイセンを「半スラヴの野蛮人」と呼び、彼の故郷の
ラインラントを中心とする西ドイツをその哀れな犠牲者と見なした。
そうすることによって、おそらく彼は西ドイツをプロイセンから峻別し、
すべての罪をプロイセンに押し付ける形で、ドイツが否応無く背負うことに
なった原罪をいくらかでも緩和しようとしたのであろう。
185最近の流行を知らぬ178:03/05/16 21:49
なるほどねえ。やっぱ訊いてみるものですな>179-184
「プロイセン悪玉史観」了解しましただ。そういうモノの見方があるのですな。

ただ、まあ、当方が当初思ったのは・・・。

「服従」の問題はニュールンベルク裁判やアイヒマン裁判で被告たちの免罪の論
拠として、かなり焦点をあてられてます。
また戦後、7月20日事件において旗幟を鮮明にしなかったご指摘のマンシュタイ
ン将軍、あるいは、チェコ併合前夜における軍部のクーデター未遂計画に参加し
なかった将軍たち、38年のブロンベルク、フリッチェ解任・国防軍のナチ化にお
ける無抵抗ぶり、これはすべて(内心の動機はどうあれ)法理的には1934年8月
2日におこなわれた全国防軍将兵による「総統原理への忠誠表明」に起源してま
す。

さてこの「忠誠表明」(原文起草は党の将軍ライヘナウですが)は、共和国時代
のライヒスヴェーアが憲法に忠誠を誓った代替です。ホーエンツォレルン家の皇
帝個人に忠誠を誓ったWW1あがりの兵士たちにとって、憲法や民主政体に忠誠
を誓ういうのは具合悪かったんですね。

このへんの前近代性が、結局、プロイセンの兵営国家、民主社会を軽視する軍国
主義の衣鉢をついでいるのではないかとマイネッケも「ドイツの悲劇」のなかで
指摘してるので、まあお尋ねしたわけですな。

186世界@名無史さん:03/05/16 22:03
第2帝国の頃でも、帝国の中心だったのはおそらくラインラントのカトリック系ブルジョア
だったと思うのですが、かれらが敗戦の後)悪いのはプロイセンだって言うことにした
ようなことはあるのでしょうか。
187世界@名無史さん:03/05/16 23:17
ヒトラーを引き上げたのは、ハーペンだと思った。
結局、共産主義への対抗?
東欧への進出。
保守派の狙いはヒトラーをして、東欧に進出することにあったらしい。
保守派の勢力は強く、例えば、婦女子の動員なんぞ、家庭を守るべき役割があるからと反対されたらしい。
188世界@名無史さん:03/05/16 23:24
ラインラント州やヴェストファーレン州が反プロイセンの担い手として
盛名を誇ったのは1850年代の「騒乱の時代」ではないでしょうか?

ドイツ帝国の担い手がルールの産業資本かユンカーかは、マイネッケは語ってません。ただ、彼はドイツ連邦(1815年成立35君主国4自由都市)成立以来、ドイツ軍部の反動の伝統はプロイセン憲法紛争のなかの
プロイセン軍部による「大衆軽視」の衣鉢をついでると指摘してますし、

1866年?だったかに成立した北ドイツ連邦、1871年成立のプロイセン王世襲のドイツ帝国が、プロイセンの伝統を全体に敷衍させたかは検討の余地ありですが。。。

すくなくとも、軍隊においては中心に圧倒的軍事力を誇るプロイセン軍がある以上、各公国軍のプロイセン化は避けられなかったと思います。
189世界@名無史さん:03/05/20 02:10
神聖ローマ帝国はどうよ。オットー大帝とかフリードリヒ赤髭王とかハインリヒ4世とか。
神聖ローマはドイツ史上最大の領域だったと思うんだが。
190世界@名無史さん:03/05/20 04:06
>>189
神聖ローマ帝国はドイツではないだろ。
191世界@名無史さん:03/05/20 10:41
第一次世界大戦前の、英独のいわゆる「建艦競争」だけど、
これに対してはドイツの産業界の思惑もかなりあったんでせうか?
クルップとかあの辺。
192世界@名無史さん:03/05/20 19:43
>>191
クルップには「大砲王」というあだ名もありましたな。
クルップ砲はイギリスのアームストロング砲と性能を競ったこともあり。
大砲・軍艦をつくりながら20世紀初頭には一大コンツェルンに成長して
いたようです。
ヴィルヘルム2世の時代にはクルップとジーメンスがドイツ経済のほとんどを
握るに至る。
193世界@名無史さん:03/05/21 09:06
>>127
意味があるから。短い名前もある
バッハとかシュミットとか
ラムズ農場の経営者だとラムズフェルト
ヴィッテル川出身だったらヴィッテルスバッハ
ハプス城の支配者だったらハプスブルク
194山崎渉:03/05/28 15:50
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
195世界@名無史さん:03/06/15 14:50
ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史 中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌

著者:ラインハルト・バウマン〔著〕
菊池 良生訳
本体価格: \3,600
出版:新評論
サイズ:A5判 / 368p
ISBN:4-7948-0576-4


食うため、生きるために戦ったドイツ傭兵=ランツクネヒトは、暗黒の
封建社会で全く新しい個我を確立し、高度な生活共同体を形成した−。
従来の軍事史では掬い取れない、兵卒たちの組織や生き様を丹念に追った労作。




196世界@名無史さん:03/06/15 14:52
メッテルニヒのちんちん
197世界@名無史さん:03/06/15 21:22
シュライヒャー首相
198世界@名無史さん:03/06/16 02:05
人口の大半を失い、より小領邦に分裂してドイツの統一を遅れさせ、
英仏より更に2、3世紀分後進国にさせたという30年戦争。
この戦争を防ぐ手立てはなかったのか、それともドイツ歴史上避けられなかったのか
199世界@名無史さん:03/06/27 18:17
マルク・ブロック(中世史) 円・ブロック スターリング・ブロック
200ただいまのドイチュスレ:03/06/27 18:39
ドイツのお菓子【HARIBO/ハリボ】スレッド
http://food3.2ch.net/test/read.cgi/candy/1034590984/l50
ドイツのスレッド 6
http://life.2ch.net/test/read.cgi/world/1052306473/l50
【高級獨逸國製】r@tring/ロットリング
http://that.2ch.net/test/read.cgi/stationery/1012936054/
荒れない様にドイツ軍軍装(・∀・)スッドレ!
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053496913/l50
ドイツ戦車閑談室 その4
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/mokei/1050323981/l50
ドイツテレコムだけど、文句ある?
http://life.2ch.net/test/read.cgi/yuusen/979816536/l50
ドイツビール
http://food3.2ch.net/test/read.cgi/sake/1025936704/l50
アイスバイン(ドイツ料理)
http://food3.2ch.net/test/read.cgi/recipe/1018417398/l50
ドイツ銀行グループ part2
http://money.2ch.net/test/read.cgi/money/1015514601/l50
ドイツの歴史について熱く語り合うスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1042532422/l50
ドイツ人の男の子はかっこいい
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/geo/1045235122/l50
★あなたのお勧めドイツ語参考書★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/989059355/l50
201ドイチュスレ:03/06/27 18:50
ナチスドイツ芸術統一スレッド!!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gallery/977782130/l50
(DB)ドイツ鉄道スレッドICE3.5臨時便
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/rail/1053666154/l50
【MP40記念】ドイツ・日本・連合WWII兵器
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/gun/1037509364/l50
74年ドイツワールドカップを語る
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/wc/1042425003/l50
80〜90年代 ドイツは強かった
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/wc/1050421311/l50
ブンデスリーガの東ドイツのチームを応援するスレ3
http://sports4.2ch.net/test/read.cgi/football/1046914530/l50
テクノはドイツ人に任せとこう
http://music.2ch.net/test/read.cgi/techno/1034681896/l50
【技巧、叙情】AT VANCE【ドイツNo.1】
http://music2.2ch.net/test/read.cgi/hrhm/1041912007/l50
ドイツのポップスについて語ってチョ
http://music.2ch.net/test/read.cgi/wmusic/1019409559/l50
ドイツってどんな国だ?PART7
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/oversea/1053139788/l50
それゆけドイツのFKK【独逸風俗スレ(ドライ)】
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1056080531/l50
何故皆ドイツについて語らない?
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1022113336/l50
ドイツ語会話のエリカ嬢
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1049972576/l50
202世界@名無史さん:03/06/27 21:33
ドイツ・ロマン主義ってどうよ?
203世界@名無史さん:03/06/28 00:46
東ドイツスレ建てたいんだけど。。
204世界@名無史さん:03/06/28 00:51
ドイツ史を語る上で、ホロコーストが、連合国の作った虚構で
あったかも知れない可能性を論じる事は、決定的に重要な意味を
持つ。諸君は、「ガス室で殺された死体」が、実は、一体も
確認されていないと言う法医学的事実を知っているか?

或いは、「ユダヤ人絶滅」の為の予算が計上されていなかった
事を知って居るか?

参考サイト
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gas.html
205世界@名無史さん:03/06/28 01:01
君たちは、連合軍が、戦後の「裁判」の陰で、多くのドイツ人に
拷問を加えて「自白」を得て居た事を知って居るだろうか?
「ホロコースト」は、拷問によって書かれた「歴史」である。
ダッハウ裁判だけでも139人以上のドイツ被疑者が拷問を
受けた事が、アメリカ自身によって、調査、記録されている。
又、アウシュヴィッツ収容所の司令官で、同収容所で「ガス室」
による処刑を開始したとされているルドルフ・ホエス(Rudolf
Hoess)の「自白」も、イギリス軍人クラークによる拷問の
産物であった可能性が高い事が、今日、判明している。

参考サイト
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-12.html
206@@@@:03/07/07 08:35
ナチのおかげでビッグになったんじゃないの
207世界@名無史さん:03/07/11 01:04
>190

>神聖ローマ帝国はドイツではないだろ

バカ。神聖ローマ帝国の正式名称知ってるか? ドイツ諸民族の神聖ローマ帝国
ってんだ。顔洗って出直して来い。お前にドイツ史を語る資格無し。
208世界@名無史さん:03/07/11 10:58
>192

皇帝がイエズス会かぶれでなければ見込みはあったんだが。
大体、先帝の従兄弟なら他にもいたわけで、何でよりによって
あんなコチコチの原理主義者を皇帝にしたのかと。

あと、207は14〜15世紀以降の話。
まあルクセンブルク・ハプスブルク家以降の話ならこっちで可と。
ドイツの国家的不幸はまだ一度もホーエンツォレルン家の誰かの首を刎ねなかったことだ。
210山崎 渉:03/07/15 12:39

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
211あぼーん:あぼーん
あぼーん
212世界@名無史さん:03/07/18 14:19
>>181-183
そこ、直リンするとオーナーが激怒するぞ。
213世界@名無史さん:03/07/19 02:33
おまいらドイツ!ジーク・ハイル!しすぎ。
214世界@名無史さん:03/07/19 05:58
どうでもいいけど、ヴァレンシュタインのスレかオススメ本ってないのか?
215世界@名無史さん:03/07/20 00:22
>>214
三十年戦争スレならあるが。
検索してみてくれ。
216世界@名無史さん:03/07/20 05:25
>>215
サンクス
おかげで「ヴァレンシュタイン」が復刻してることを知ったよ
217世界@名無史さん:03/07/20 10:14
スイスとオーストリアとリヒテンシュタインとルクセンブルクと飛び地の東プロシアをドイツに再併合されるのは難しい?
218世界@名無史さん:03/07/20 10:49
>>217 小説でも書いてるのか?
219世界@名無史さん:03/07/21 21:43
明日テスト何だけど答えが分からないで困っています。
第二次大戦で分割された後西ドイツが冷戦の時に最前線に
立たされた理由教えて欲しいです。 お願いします。
220世界@名無史さん:03/07/21 21:50
>>219
米英軍とソ連軍が自力で占領した地域の境界が
たまたま旧ドイツの真ん中になったから、じゃだめなの?
221219:03/07/21 21:57
>>220
歴史に疎いからよく分かりません。
それであってるのですか?
大学板だと誰も答えてくれないので
今日初めてこの板にきたんです。
222世界@名無史さん:03/07/21 22:16
きっと第二戦線の構築場所の話をすればいいんだろう
223世界@名無史さん:03/07/21 22:46
WW2後もやはりオーストリアと併合は禁止ですか?
224世界@名無史さん:03/07/21 23:06
>>219 ベルリンを巡る旧西と旧東との駆け引きも問題になるのでは?
225219:03/07/21 23:30
>>224
それも参考に覚えておきます。
正直まともそうな意見なら何でも書いて
加点狙います。
226世界@名無史さん:03/07/22 14:24
>>219
これぐらいのこと自分で調べられないバカなのかよ…
227世界@名無史さん:03/07/23 22:15
ちょっと知りたいんですけど、産業の独占形成について東部と西部の違いってなんだったんですか?
228世界@名無史さん:03/07/23 23:32
ちょっと知りたいんですけど、エルニーニョ現象とラニーニャ現象の違いってなんだったんですか?
229世界@名無史さん:03/07/24 02:30
>>228
キモ……
230警察大将:03/07/24 05:04
>>223
たしか禁止されてたはず。
231世界@名無史さん:03/07/24 05:36
>211
殺す。
232世界@名無史さん:03/07/24 10:43
プロイセンの伝説を持ち・・・・
233世界@名無史さん:03/08/10 00:47
ここで、ワイマル共和国を語ってもいいですか?
234世界@名無史さん:03/08/10 00:57
ちょっと知りたいんですけど、ワールシュタットって地名じゃないですよね
235世界@名無史さん:03/08/10 01:07
白骨という意味です。
236@@@@:03/08/12 10:24
(´#`)
237世界@名無史さん:03/08/12 11:42
>>233
どうぞ。
ワイマール共和国およびその崩壊に関しては私も興味ある。
238世界@名無史さん:03/08/15 11:54
>>237
私にワイマール共和国を語らせるとちとうるさいぞ。
それでもいいのか?
239ソクラテス:03/08/15 13:08
>238
我輩は女房殿の繰言も風の囁きと聞き流せた。
まして興味あるワイマールの歴史なら、貴殿の声が多少大きかろうが
問題ない。妙なる音楽として喜んで拝聴しようぞ
240山崎 渉:03/08/15 18:13
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
241世界@名無史さん:03/08/22 02:04
8月22日 ドイツ連邦共和国vsアザトース
http://www.aw.wakwak.com/~votecode/kari/

何だこのイベントは・・・
目的は何だ・・・これに何の意味があるのか・・・
242世界@名無史さん:03/08/27 09:18
日本について、よく《ムラ社会》というわれるけど、
ドイツの場合はどうなんだろう。
あと、ムラ社会的な傾向が、ファシズム体制成立の一助となった可能性はあり?
243世界@名無史さん:03/09/03 22:22
《新刊情報》

健康帝国ナチス

著者:ロバート・N.プロクター著
宮崎 尊訳

本体価格: \2,200
出版:草思社
244世界@名無史さん:03/09/16 13:32
ほふまんすたーる
しらー
ゆーでぃっと
245世界@名無史さん:03/09/21 18:38
「ワイマール拳法」
1925年ドイツのブリュゴーニュ地方では葡萄の盗難が頻発していた。
その被害額は年間2億プリターにのぼり、裏には大きな犯罪組織がある
ことは明白であった。当時この地方では警察にあたる組織がなく農民達が
集まり自警団を組むしかなかった。武器といえば畑を耕す鍬、カマなどしか
なくて盗賊団にたいしては余りにも非力であった。
当時その地方で一番の豪農ワイマールは、この事態を憂慮して東洋の武術を
参考に素手で戦う徒手空拳をあみ出した。後にドイツ中の盗賊団を震撼させる
ワイマール拳法の誕生である。農民達は武器をすて素手で盗賊団に挑みこれを
ことごとく撃退。1929年を境に盗賊による被害はわずか2件にまで減少する。
しかし時代は流れ銃の入手が容易な現在ではこの拳法の継承者はおらず伝書に
よって伝えられるにとどまっている。
246世界@名無史さん:03/09/25 23:45
http://www.okada.de/jing/global/global.htm
日本もドイツも、遅れて来た大国だった。

多くの点が両国民どうしをそれぞれの隣国民よりも一層深く結びつけている。
実際、日独関係の歴史は、尋常のものではない。
247世界@名無史さん:03/10/10 03:59
クラウゼヴィッツ、マルクス、フロイト、ニーチェ、ハイデガー、ヒトラー。
19・20世紀の困ったちゃんな思想家はほとんどが独墺系である。

手段と目的を倒錯したり、他者には理解し難い観念で自家中毒を起こしたりする性格は、
ある種の狂気を必要とする芸術家や技術者には必要となることもあるのだろうが……
思想家としてはタダのキ印だ。マトモに取り扱ってはいかん。
マルクスとヒトラーは歴史が駄目出ししたが、残りの4人は(当人死んでるのに)いまだ現役だ。
どうにかしてくれ。
248世界@名無史さん:03/10/10 18:06
>>247
思想家としてはOKだろ
一般人ではないけどな
249世界@名無史さん:03/10/16 13:58
>>181のHP
ついにパスワード制導入でつね
そこまでしてWEBで公開する必要があるのかwwww
いっそのことお得意の英語か独語コンテンツに汁
250世界@名無史さん:03/10/24 21:56
ドイツ革命時に活躍したローザ・ルクセンブルグの
死に様のことを学校教育では教えられないと
言われたのですが気になって調べて見たのですが
何処にもかいてないんです、誰か知っている方いませんか?

教えてちゃんですいません・・・誰か!
251世界@名無史さん:03/10/24 22:35
えー、ただ銃殺されたんでしょ。
252世界@名無史さん:03/10/27 09:51
漏れは惨殺されたって習ったが?
ホントにただの銃殺か?
253世界@名無史さん:03/11/02 23:30
 ドイツなんぞと組んではいけません。
 ドイツと組んだ国は、かならず、損をするんです。
 第二次大戦の日本やルーマニア、第一次大戦のオーストリアやルーマニアやトルコ。
 ボーア戦争でボーア人はドイツの口先だけの好意に騙されました。
 日清戦争時、清国海軍は定遠・鎮遠の二戦艦と一緒に単横陣を押しつけられ、より優れた単縦陣を使う日本海軍に敗れました。
 普襖戦争時のイタリアは、「局外中立を守ればヴェネツィアを譲る」とのオーストリアの申し入れを無視してドイツに義理立てした結果リッサの海戦などでひどい目にあいました。
 それより前にも、七年戦争でプロイセンなんぞに肩入れした結果アメリカ合衆国を失った英国というヘヴィーな例が。
 ドイツ自身が負けるとは決まっちゃいませんが――それゆえに、脆弱な朝鮮なんぞより、よほど凶悪な疫病神です。
254世界@名無史さん:03/11/03 00:08
自民党なんぞと組んではいけません。
自民党と組んだ党は、かならず、損をするんです。

とかもありだな。
今回は保守党が死にそう。
255世界@名無史さん:03/11/03 12:10
《新刊情報》
総統の子ら

著者: 皆川 博子著
本体価格: \2,800
出版:集英社

■内容説明
将来の国力充足を目的としてナチスが設立した「レーベンスボルン」を舞台に、
総統公認の青少年団「ヒトラー・ユーゲント」の団員だった少年たちの心の
軌跡をたどる、壮大な時代と人間のドラマ。
256世界@名無史さん:03/11/03 12:13
>>254
保守党だけと言わず
  社民党も公明党も共産党も
皆死んでくれ(^o^)丿
257777:03/11/03 12:50
>253さん
昔話だろ、それ…
258世界@名無史さん:03/11/03 15:20
>>253
七年戦争で英国がアメリカを失ったというのは?
259世界@名無史さん:03/11/03 16:52
タウンゼント諸法は七年戦争の戦費をあがなうためにできたものです。
>ローザ・ルクセンブルク
>>250
連行される途中で小銃の台尻で殴打され、
半死半生のところを射殺。死体はシュプレー川にドボン。
261世界@名無史さん:03/11/06 00:57
東西ドイツの分かれた理由を教えてください。あとヒトラーは、東西前の人かどうかもお願いします。
262世界@名無史さん:03/11/06 04:37
>>261
第二次世界大戦で連合国に負けたから。

東側からはソ連が、西側からはアメリカ等が攻め込んで占領。
その後「そろそろドイツも独立させるか」って頃には米とソ連が喧嘩して、
それぞれが独自にドイツを独立させたから。

米を中心とした国が占領していた地域から独立=西ドイツ、
ソ連が占領していた地域から独立=東ドイツ。

ヒトラーは第二次世界大戦を引き起こした一人。
そんで戦争に負けて首都のベルリンが陥落する直前に自殺したから、
東西ドイツ前の人。
263世界@名無史さん:03/11/06 12:59
262
ホントにありがとうございます。
264世界@名無史さん:03/11/09 18:49
プロイセンの40パーセント近くの人間は元はポーランド系と
いう書き込みをどこかで見た事があるんだけど、本当なのかな?
プロイセン地方の一部はかつてポーランドの支配下にあったようだけど
ドイツ騎士団が布教活動を行う前のプロイセン地方の民族は、ドイツと
ポーランドのどっちに近かったんだろうか?

ちょこっとネットで調べてみたんだけど、いまいち知りたい事がはっき
りと書かれていなかったもので、誰か詳しい人教えちょ。
265世界@名無史さん:03/11/09 20:53
>>264
対して知りもせずにレスすると、
普通に考えればあの辺りはスラブの地だけど、
何かドイツ系と言う情報があるの?

漏れの認識だと
東方植民の結果、ゲルマン系がスラブ系を飲み込んだ
っつー感じなんだが。
266世界@名無史さん:03/11/09 22:14
ドイツ騎士団が布教活動を行う前のプロイセン地方の民族は、ドイツと
ポーランドのどっちに近かったんだろうか?

ドイツ騎士団が来る前は、プルッセン人(古プロイセン人)と呼ばれるバルト系の民族(言語系でいえば、
ラトビア系、リトワニア系に近い)がおり、彼らはゲルマンでもスラブでもない。 

ポーランドのマゾフシェ公コンラードの要請により、ドイツ騎士団はこの地を50年かけて1283平定し、プルッセン人の反乱を
押さえ、強引にキリスト教化、ゲルマン化していった。(当時、異教徒の住む土地は主のない土地とみなされていた)
このとき、ドイツ騎士団が古プロイセン人の反撃に備えた砦をつくった。
ここは、当時、ドイツ騎士団が彼らと同盟して、この平定に力をかしてくてくれたボヘミア王オタカル2世に
感謝する意味で王(オタカル2世王)の山という地名をつけた。 ケーニヒス(王)ベルグ(山)の地名の始まりである。。
その後、多くのドイツ人がこの地に入植し、プロイセン各地に60もの都市を建設していき、バルトドイツ人が形成されていく。
その後、タンネンベルグの戦いでポーランド、リトワニア連合軍に敗北し(1410年)一時、衰退に向かうが、1510年に
ホーエンツオレルン家のアルプレヒトが、ルター派に改宗し、東プロイセン騎士団領をポーランド王から授与されて、
プロイセン公国が成立する。 さらに、ブランデンブルグ選帝候と同君連合のもとに発展していくことになるが、
プロイセンの農村への植民にはドイツ人のほか、マゾヴィアのポーランド人も一部参加しているようだが、40%も
いたかどうか? この地は、バルト海に沿って、異教徒の布教を進めていったドイツ騎士団、ロシア産のテン、ビーバーの
毛皮を求めてのハンザ商人、ドイツ東方殖民が主流の地域であって、古プロイセン人との混血は当然あったろうが
ポーランドの比率はバルト沿岸を主体とするプロイセン地域ではそんなに板とは思えない。




267世界@名無史さん:03/11/09 22:52
なるほどね、ありがとう。
しかし、ドイツはかわいそうだな。いくら戦争でポーランド国内
が荒廃したと言っても、あれだけ大量の土地を民族的正当性無し
に奪われるなんて。
もし、数百年たって世界情勢が変わってきてドイツが領土回復を
求めた行動を起こしたとしても、その頃にはあそこはすでに伝統
的にもポーランド人の土地になっているだろうしね。
外国人の俺にとって、いくらドイツに同情しても戦争が起こって
欲しいとは思わないし。

ちょっとせこい考えかもしれないけど、こういう世界の現実を考
えるたびに日本は島国で良かったと思うよ。
268世界@名無史さん:03/11/09 23:39
>>267

戦争で負けるとこうなる
悪いのはソ連だが
269世界@名無史さん:03/11/10 00:15
>264
独立を奪われたアイヌや琉球の立場は…と煽ってみる。
270世界@名無史さん:03/11/10 01:31
実はポーランドって第二次世界大戦前はやる気満々だった、
と煽ってみる。

・・・あっさり負けちゃったんで、
ドイツの卑劣なる奇襲攻撃云々と誤魔化してるが。
271世界@名無史さん:03/11/10 21:18
実はポーランドって第二次世界大戦前はやる気満々だった・・・

事実、その通りだよ。
ダンチヒ返還に対し、戦争直前まで、軍の動員、西プロイセンのドイツ系住民への弾圧、
戦争直前には、なかば宣戦布告に等しい国家総動員令を発し、ヒトラーを挑発していた。
272世界@名無史さん:03/11/23 23:13
11月24日(月) 午前 5時10分〜 5時50分
総合テレビ 地球に乾杯

「放浪職人“ヴァルツ”が行く」

 − ドイツ・若者たちの大工修行 −
>>272
えらい時間の再放送ですな
274世界@名無史さん:03/11/24 14:43
ドイツの学校てどうよ?
275世界@名無史さん:03/11/24 15:02
日本の「小学校令」は、当初ドイツをまねたが、のちに他国にいってしまう。
276ベンゼン☆@@@@:03/11/29 18:00
基礎学校を卒業したら三つの進路に分かれるんだっけ・・・(´#`)
277山川:03/11/30 21:04
神聖ローマ帝国って、ハイリゲス・ローマニッシュス・ライヒ・ドイッチャー・ナチオンでしたが。

まず、このドイッチャーって、どんな意味なんでしょう。昔から、ドイツ人という意味だったのかなぁ。

それと、いつごろから、こう呼ばれたんでしょうか。オットー大帝の時からとは思えないんですが。


278世界@名無史さん:03/11/30 21:10
神聖ローマ帝国皇帝は、まず、諸侯により(選帝侯)、ローマ王に選ばれて、
そんでもって、君主なんですが、

そのあと、ローマへ行って、教皇から帝冠をもらって、神聖ろーま皇帝になるとか。

すると、オットー大帝もまず、ローマ王になったのだろうか。
彼はまず、東フランク王であって、いきなり教皇レオから帝冠を授けられたように
記憶するのだが。

このあたりの消息詳しい人のご教示、なにとぞお願いします。

***

(教皇は、その帝冠、どうしたんでしょ。自分で作って持って行ったんでしょうか。
それとも、シャルルマーニュー以来の帝冠預かっていたとか、(まさか)。
279世界@名無史さん:03/11/30 21:27
帝国騎士って、居ましたけど、これはなんでしょうか。たしかカラヤンのご先祖も。

皇帝側にとって、これは、たとえば、領邦君主のしたに居る連中に与えて、領邦に楔を打ち込むためのものでしょうか。
vonを与えるということでしょうか。領地も与えず、VONだけ与えるなんて安いですね。

大体、ドイツでのVONはどういう風に与えられるんでしょうか。爵位とは違いますね。

また、オランダ語のVanとは違うでしょうが、語源を考えると同じような気がします。
ベートーベンの名前にはVANとついていたので、VANとVONはだいぶ違うようですが。
280世界@名無史さん:03/11/30 21:31
帝国騎士と領邦君主の臣下とは違うんじゃないか?
旗本御家人が大名の臣下とは違うようなもんで。
伯爵にもなれないような小領主たちだと思ってたんだけど。
281世界@名無史さん:03/12/01 01:23
>>277
deutche の語源は民衆という意味です。
類似のものにチュートンの Teutonie という言葉もあります。
282世界@名無史さん:03/12/03 22:30
戦前の日本の教育勅語ってりっぱだったんだけどね。(おじいちゃんから聞いたはなしだけど)
これが、なくなって弱者は助けるべきっていう日本独自の考え方がなくなりつつあることを感じるよって言っていた。
僕も今、会社勤めている。
でも、成果主義、能力主義っていうけれど、所詮、人間の世界、おべっか、自己主張のうまいやつ、要領のいいやつ
がはばをきかすようになってきた。
ドイツのマイスター制度のような、本当に、力、実力のある認証制度が日本にもほしいと思った。
283279:03/12/06 21:36
>280

そうですね。僕も基本的にはそうだと思います。

帝国貴族の上位に、公とか、辺境伯とか、男爵とか、等族会議に出る貴族たちが、いろいろ居て、
一番下に位置するの帝国騎士かもしれせん。ちょっと、だれか助けてくれませんか。
284世界@名無史さん:03/12/06 21:47
>>279
カラヤンの祖父さんはギリシア人だったと思ったけど。
もともとはアルメニア系らしいが。
285マール:03/12/06 21:57
最後がアンで終わるのは、アルメニア系ですね。
たとえば、冷戦時代のソ連の政治家ミコヤンとか、
ロッキード事件の嘱託尋問を受けたコーチャン副会長とか。

ギリシャ人といっても、先祖がアルメニアは多いにありうるかな。
ただ、アンだからといって、必ずしもアルメニアとはいえないらしい。

それから、レコードジャッケトの受け売りですけど、
先祖が帝国貴族になったそう。ギリシャ商人として、皇帝のお役に立ったらしい。
当時は、帝国の国民(国民というのは変化もしれんが)だったのか、オスマン帝国の人民の一人だったのか、わかりませんが。
(外国人を貴族にするって、普通かどうか知らないけど)
286カラジチ ◆mWYugocC.c :03/12/06 22:03
それは興味深い。
この前読んだ論文で、ウィーンのギリシア人について触れてありましたよ。
ハプスブルク帝国の臣民になる例もあって、でもウィーンの人らからは「ギリシア人」扱いされていたそうです。
287助けたいけど:03/12/06 22:54
>283

助けてあげたいけど、僕もよくわかんないね。
たとえばワレンシュタイン公の「公」は、
きっと、帝国貴族、申請ローマ皇帝から公爵にしてもらったんだから。
オーストリア太公国の公爵ではないと思われるね。

そこまでいかないと、一番低いランク?だと帝国騎士かな。



288助けたいけど:03/12/06 23:00
むかし、スイスの観光番組で、男爵がでてきてましたよ、
スイスは大分前にハプスブルクから離れ(ルクセンブルク朝の皇帝が、そう裁いた)、
その後、30年戦争で、帝国からも離れたから、男爵をくれる人、いなくなって久しいね。
外人にあげるという285の話は別として。

これは相当古い男爵だね、外国から来た男爵、フランス革命とか、30年戦争で逃げてきたのでなければ。
ハプスブルク伯に男爵位を授ける権限があるとは思えないから、昔の皇帝からもらった帝国男爵(帝国の等族会議出席できるぞ)
かも。そもそも、フランク時代からかもしれない。
ちなみに、フライヘルとバロンとバロネがいるのかな、スイスには。

289カラジチ ◆mWYugocC.c :03/12/06 23:12
>>287
ヴァレンシュタインはボヘミアのフリートラント侯になったので、帝国諸侯ではなくボヘミア王国の諸侯でしょう。
290マール:03/12/06 23:14

VONを名乗るには、なにか必要なのですか。

また、VONがないと、貴族「とか」ではないのでしょうか。

たとえば、プロシア地域で土地を買って、小作をたくさん働かせても、
それだけでは、VONは付かないと思うんですが。
なにか、手続きとかあるんでしょうか。

それと、ハフナー交響曲(モーツアルト)ですが、
これはハフナー家が貴族になったお祝いの曲だったか、
貴族なんだけど爵位がなく、それが爵位をもらったお祝いだか、忘れましたが、
その辺調べたら取っ掛かりあるかもね。
291 ◆RlujhF6VrA :03/12/07 00:48
vonがなければ貴族とは言えなかったと思う。
江戸時代も中期以降になると農村に地主が出てくるが、
彼らが必ずしも武士ではなかったように。
騎士といっても実際は「下級貴族」で、爵位持ってるのはほんの一部。

ヴァレンシュタインの場合、複雑なのは「メクレンブルク侯」という形で
帝国諸侯になっていること。要は呼び名によって立場が違う。
フリートラント公の場合には、>>289の通り
ハプスブルク家の世襲領であるベーメン王国の諸侯という立場。
ちなみにもともと彼は「フリートラント侯」で、死ぬまでに
一階級上がっている。
これはベーメン国王としてのフェルディナント二世によってなされたもの。
将軍家の旗本が石高を加増されるようなものだと思う。
292ユンケル:03/12/07 21:07
では、ユンカーは、みんな、VONがついていなくてはいけないんでしょうか。
ユンカーって、英国のGentlyみたいなものかと思っていましたが。
VONのための手続きを踏むとは、
Gentlyより、厳格な線引きとい印象なんですが。

ちなみに、VONを与える手続きとか、あるのか、どうなんでしょう。
ドイツの戸籍制度とも絡むと思うんですが。
293世界@名無史さん:03/12/07 21:29
フォンはハプスブルグ家から授けられるらしいよ。
ヘルベルトフォンカラヤンとかね。
294ユンケル:03/12/07 21:34
ありがとうございます。

それはいつごろからでしょうか。
ハプスブルクが、皇帝になる前とか、どうなんでしょうか。

また、ハプスブルクともともとは互角とかの家、
ウイッテルスバッハ家とか、ホーエンツオレルン家とかは、VONはないのでしょうか。

あと、ハプスブルク家自身は、VONはあるんでしょうか。
295素人:03/12/07 21:40
ハプスブルク皇帝が、
プロシアのユンカーにVONを授けるとは、
プロシアの公か王が口利きをするのだろうか。

いきなり授けると、内政干渉ではないかという懸念あり。

(源頼朝は、御家人が勝手に官位を貰うの嫌ったよな)

ドイツ騎士団当時からの連中なら、
当時の皇帝から貰っていたんだろうなぁ。きっと。

また、皇帝からお前はVON授与権ありとされた領邦君主も居たかもしれないね。

******(素人が勝手に口出ししてごめんなさい)

296世界@名無史さん:03/12/07 22:41
シャルンホルストがプロイセン軍に入るとき、貴族にしてもらうという条件で von をもらっているけど
そのときすでに神聖ローマ帝国はなかったから、プロイセン国王からもらっているはず。
297世界@名無史さん:03/12/08 01:36
神聖ローマ帝国が崩壊するまでドイツは後進国だったらしいね。
298世界@名無史さん:03/12/08 01:49
>283
「帝国騎士」は位としては低いけど、皇帝の臣下であって、諸侯の家臣たちとは別ものです。たぶん。
299 ◆RlujhF6VrA :03/12/09 12:11
>>292-295
諸侯にもvonを与える権限はあった。
フリードリヒ大王が平民の兵士にvonを与えて貴族にして、
士官や将官という高い地位につかせたという記述がある。
当時のハプスブルク家は彼とは仲が悪かったから、
許可を与えたとは考えにくい。

大名だって農民や商人を武士にする(郷士ということが多い)際、
いちいち幕府に許可は取らなかったからね。
300世界@名無史さん:03/12/09 12:16
300ゲトー
301世界@名無史さん:03/12/09 12:19
諸侯が平民に貴族権を与える権限のドイツ法上の法的根拠は何だったのですか?
隣国のポーランドではシラフタの登録は厳しく制限されていて、歴史上新しくシラフタの称号を与えられたのは300家族程度、
しかもそれは全て記録されていますが、ドイツの場合はそれほど厳格ではなかったのでしょうか?
302 ◆RlujhF6VrA :03/12/09 13:57
その辺の基準そのものが諸侯(領邦君主)任せ
だったんだろうと思う。
ドイツの場合、もともと領邦内での内政自主権は諸侯が
ほぼ全面的に持っていた。
加えてウェストファリア条約以降、諸侯は外交主権も獲得して
ほぼ独立・分裂状態になる。
これ以降は、ほぼ領邦独自にvonの称号を与えたと見ていいだろうと。

二十世紀になっても、vonの称号を与えられた人間がいる。
ヴァイツゼッカー元大統領の祖父もそうだったんだが、
何でそういうことになったのかは私もよく知らない。
303世界@名無史さん:03/12/09 16:11
>>295
ヨーロッパでは「忠臣二君に見えず」なんてことは無かったる
304世界@名無史さん:03/12/10 16:46
>>302
vonは自称してもいいことになってるよ。
305世界@名無史さん:03/12/10 21:47
諸侯だと家名(姓)とは別に、von+領地名で呼ばれたりしますよね。
306マール:03/12/12 22:32
それって、どこどこの誰さんという感じで、
ファミリーネームの前につけるVONとは別ですよね。
たとえば、イギリスのフィリップ殿下が、
若いころ、「Phillip OF ギリシャ」とか、署名していたらしいのですが、そんな感じかな。

もともとは、そういうようなものであったのかもしれませんが。
ドイツのファイミリーネーム、少なくとも庶民の場合、そんなに古くないそうですから。
307世界@名無史さん:03/12/12 22:41
>291
ヴァレンシュタインの場合の帝国諸侯の「メクレンブルク侯」は、Furtということでしょうか。

ベーメン王国の諸侯としての「フリートラント公」の場合には、Herzorgヘルツォークでしょうか。

また、

なにか、呼び名なりに帝国諸侯か、ある領邦の諸侯かの区別はつけるのでしょうか。
たとえば、正式には、「・・・・ Herzog Von ××  」というふうに、××がつくとか。
308Wao、そうなんですか。:03/12/12 23:32
>>304
ソース希望です。

それって、(ドイツの戸籍ってよくわかんないですが、それに書いてもよいのですか。)、
公文書とかでも、OKですか。

たとえば、ドイツ人がパスポートとるのに、VONとかつけても、よいのかな。
戸籍だか、住民票だかの記載内容を、役所に出かけて変更できるということですか。

そもそも、「かってにVONをつけるな!」という王様とかがいなくなったから、
今は自由ということでしょうか。

われわれの問題として考えてとき、たとえば、日本人が、ドイツに移民したとき、「VON TANAKAとかしでもよいんでありますか」
309 ◆RlujhF6VrA :03/12/13 00:09
>>307
少なくともフリートラント公の方はHerzogでいいようだ。
というか今ぐぐってみた(ドイツの)サイトだと
Herzog von Friedland und Mecklenburg,
となってるんだが・・・。
私もドイツ語は守備範囲外だから、これはどうよとしか言えない。
310世界@名無史さん:03/12/14 22:02
ドイツ人と第二次大戦について語りあいたいんですが
タブーってことはないですよね?
311世界@名無史さん:03/12/14 22:03
中公新書「物語 ドイツの歴史」って史実ですか?
312700赤い夜明け:03/12/14 22:07
あの暴君をとらえました
313世界@名無史さん:03/12/15 00:55
>>266
大勢のルター派プロテスタントのポーランド人がプロイセンに同化している。
ポーランドの主流はローマ・カトリックだったので、「ポーランド民族」が固定化する時代より前に
宗派で分かれてしまった。そのためマズーリ地方の大勢のポーランド人がプロイセン・ドイツ人になっている。
ワルシャワにも近代までのポーランド人の福音主義者の墓地が残っている。
314世界@名無史さん:03/12/15 01:42
>>310
そんなことはないよ。
「ドイツ戦争責任論争」(ヴォルフガング・ヴィッパーマン著)なんか
読むと今でもドイツでは活発な論争が行われていることが分かる。
315世界@名無史さん:03/12/15 07:06
アデナウアーを支えたのが教育勅語の精神だったとは。
316某精神科医:03/12/17 23:30
(・∀・)
317307:03/12/21 16:16
309さま。

ありがとうございます。
帝国諸侯としてのヘルツォークは「候」、
領邦内の貴族としてのヘルツォークは「公」とか、
暗黙の了解があるのかもしれませんね。


318世界@名無史さん:03/12/21 16:23
この中の203だと、
ドイツ史を専攻する学者:「ヘルツオーク」→「候」
英語を得意とする研究者:「ヘルツォーク」→「デューク」→「公」
なのではないか、という仮説(?)が出ているヨ。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1051344526/l50
319世界@名無史さん:03/12/21 16:34
>>269
琉球も八重山だの宮古だの周辺国を侵略しまくってるから
似たようなもんだよ。
320世界@名無史さん:03/12/21 23:56
確かリヒテンシュタイン大侯国の侯家の祖先も地頭だったと思う。
321マール:03/12/22 23:20
Vonは、だれでもつけれるよ、
とのコメントがありましたけども。
つまり、これを管理する名分がなくなった(貴族制は一応廃止。それを維持する王もいない)。
ということですか。

ちなみに、社会主義国つまり東ドイツでは、戦後、どういう扱いだったんでしょう。
禁止だったか、目端の利く人は自主的に外したとか。

ヨーロッパの戸籍なり、住民票なりの制度、よくわかんない中で議論するのも変ですけども。
322世界@名無史さん:03/12/22 23:37
>321
共産主義では貴族は搾取する者だから皆殺しだろう。
323世界@名無史さん:03/12/22 23:59
貴族の中には追放になった人もいたようです(貴族全体のどれくらいの割合か分かりませんが)

グスタフ・クルップの義弟、ティロ・フォン・ヴィルモウスキー男爵は、手荷物ひとつで
財産を全部没収されて追放されたという例もあります。
324山川:03/12/24 23:05
281さんによると、民衆の=ドイツの があるそうです。
また、ほかの本もみたんですが、諸民族とうようなニュアンスもあったように思います。ありがとうございます。
今は、ドイツというのは固有名詞という扱いですが、もともとは違うんですね。

そういえば、ドイツ人王とよばれば東フランク王が居ましたが、
これは民衆の王という、庶民の王という意味でしょうか。
それとも、諸部族の王というか、そんな意味なんでしょうか。


フランク族だけでなく、ザクセン族も、アレマン族も、という意味で普遍的ですよね。
西フランクが、フランス(フランクらいひ)となったのとは、違った道ですね。
325世界@名無史さん:03/12/24 23:50
>313
ポーランド民族が固定化する時代より前に宗派で分かれてしまった...

それは、違うんじゃないのかな。 確か、プロイセンが新教プロテスタントに切り替わったのは
ドイツのブランデンブルグの領主アルプレヒト公(ホーエンツオレルン家の出身)が主になってからでは。
その結果、カトリックのポーランドのなかで、離れ小島のようにルター派プロテスタントのプロイセンがあったので
ないの。(ルター派が出てきた時点ですでにポーランドという国家は確立されていた)
少なくとも、その時点、15世紀に入っては、ドイツプロイセンとポーランドの民族はすでに固定化されていたよ。




326【卍】(^■^ ラ ハイル・クライストマス!:03/12/24 23:59
私、○○は全能にして聖なる神に対し、伝導の任にあるものとして、他の
あらゆる聖職におけると同じく、私ね現職において、ドイツ福音教会の福
音伝導者にふさわしく、ドイツの民族および国家の指導者【卍】(^■^ ラ
アドルフ・ヒトラーに忠誠をつくし、ドイツ民族のために、ドイツ新教徒
にふさわしい、犠牲と奉仕を行うことを誓います。さらに、教役者として
私に委任された義務を、ドイツ福音教会の秩序と、この秩序内において私
に与えられた指示とに従って、誠実に遂行することを誓います。最期に私
は、私が属する団体の正しい伝導者、牧師として常に私の全力をつくして
誠実に愛のうちに奉仕することを誓います。神よ、助け給え!
327世界@名無史さん:03/12/27 18:08
ナチス体制下でも領邦の独立性が奪われた時に領邦の反発は
なかったのでしょうか?
また、戦後、西ドイツが建国された時に領邦を復活させる運動は起きなかったのでしょうか?
328世界@名無史さん:03/12/27 18:21
東プロイセン復帰運動ってないの?
日本で言えば薩摩や長州が外国に奪われたようなもんだと思うけど。
329世界@名無史さん:03/12/30 17:47
>>325
勘違いがあるよ。
ポーランド民族の固定化は19世紀。
それ以前、ポーランド人だとされていたのはシラフタ階級だけだった。
その他の人々がポーランド語を母語としていたにも関らずだ。
現ポーランド東北部では今でもプロテスタントやオーソドックスのポーランド人が多く住んでいる。
それらは近世でも同様だった。そのうちのプロテスタントの人が旧ドイツ騎士団領のプロイセンに沢山移住してドイツ化している。
逆にカトリックの信仰を捨てなかったプロイセンのドイツ語の人々がポーランドに移住もしている。
330世界@名無史さん:03/12/31 02:27
しかし、通常の民族の考え方として、その国の言語体系を母語として居るものでは。
それでは、ポーランド人って何なの、19世紀以前は、本人の自覚の問題なのって気がするけど。

ポーランド民族の固定化は19世紀。 って意味がよくわからん。
過去から、ポーランド人って、スラブ民族の一派として、スラブ系に所属する民族ではないの。
中世から王国としてあったし。

それに、ポーランドは、カトリックが主体、プロイセンはプロテスタントが、いわゆる国教として
主流になった訳だけど、当然、ドイツ人、ポーランド人で、その逆がいてもおかしくないわけで
宗教の違いと民族とは別の次元の話だと思うけど。 そのための移動はあったにせよ。

現ポーランド東北部では今でもプロテスタントやオーソドックスのポーランド人が多く住んでいる。
っていうのもわからない。
第二次大戦後、東プロイセンのドイツ人は、すべて追放されているし、原住民とみなされた人たちも
共産主義をきらって、ほとんど、ドイツに逃げてしまっている。

今、東プロイセンに住んでいるポーランド人は、戦後、他地域から、そこへ、移住してきたポーランド人がほとんど
としか思えないけど。
331カラジチ ◆mWYugocC.c :04/01/02 22:50
>>330
その「通常の民族の考え方」ってものが整ったのが19世紀頃なんですよ。
それ以前、特に中世は「〜人」というのは出身地域をさしていることの方が多く、
所属として重要だったのは宗教のほうです。

近代以前では、「〜人」=「〜語を喋る人」とはいえません。
ポーランドはよく分からないんで自分の知ってる方の例を出しますけど、
バルカンではイスラム教を信じている人は皆「トルコ人」と呼ばれました。
彼らはトルコ語はまったく話せません。トルコ系の民族の子孫というわけでもありません。

>>329を読んだ感じでは、母語や宗教にかかわらず、
シュラフタ階級の一員として政治に参加できた人のみが「ポーランド人」とみなされたんではないでしょうか。
政治参加も出来ず、一生を村の中で過ごした人々は、「ポーランド人」という意識をあまり持たなかった。
彼らが共有していたのはその村の住人であるということ、そしてキリスト教徒ということです。
王様が誰かとか公が誰かとか、自分の喋っているのが何語かなんてあんまり重要ではなかった。

また、画一的な西スラヴ諸語の「ポーランド語」というものが成立するのも19世紀でしょう。
それまでは、ひとつ隣の村に行けば少し言葉が違う、という状況がずっと連続している状況が普通です。
つまり、A村とB村は少し言語が違う、B村とC村は少し言語が違う、……、Y村とZ村は少し言語が違う。
A村とZ村の言語を見ればまったく違うのは確かだけど、A村の言語とZ村の言語の境界線がどこかは決めれないわけです。
全部がスラヴ系であるのはまあ確かなんですが、こんな状況で「ポーランド語」を想定するのは非常に困難です。

こんな状況から、「ポーランド語」というものを無理矢理抽出し、
「ポーランド人」という言葉の意味を、「「ポーランド語」とその方言を話している人」と規定していったのが19世紀の国民主義運動です。
332世界@名無史さん:04/01/09 23:03
Von について、いろいろ議論がありましたが(290+291+292+295+296+299+302+321)、
「西洋人、中国人、ほかの姓について 」で質問しておいてはいかがでしょうか。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1073653487/l50
333世界@名無史さん:04/01/10 00:00
>>331
だいたいその通りなんですけど、最後の方のポーランド語に関しては、
14世紀の法律によって学校・裁判所・教会(教会は農民階級も出入りする場所)で公用語として
ポーランド語が使用されるようになり、この時期にいわゆる一つの統一された「言語」としてのポーランド語が完成しています。
それからは方言は南部山岳地帯と北部沿岸地域(後者はカシュープ語として知られる)にのみ限られるようになりました。

前段の民族意識はその通りです。第三次分割前後の時期に国民運動が広がりましたが、
シュラフタや裕福な商工業者および豪農が中心で、それら以外の人々、つまり農民は
「またポーランド人が何か騒ぎを起こしている」といっていたそうです。そういっていた一般農民階級が
「ポーランド民族」に取り込まれたのは19世紀になってからです。
334カラジチ ◆mWYugocC.c :04/01/10 00:16
>>333
おお、そうでしたか。
14世紀っつーことはヤギェヴォ朝にはいるか入らないかぐらいですか。古いですね。
335世界@名無史さん:04/01/10 20:26
小学館の独和大辞典を読んでいます。

>宮中伯とか方伯とか辺境伯とか、おっしゃっていた貴方へ(城伯もありましたか):
  RauGraf というものを見つけました。荒地伯だそうです。ラインのある地方だそうですが、
  方伯や辺境伯といった複数ありうるものでなく、固有名詞というものかと思いますが?
  正式名でなく、ある方伯(土地が荒地ばっかりだった方伯)の通称みたいなものかなぁと。

> フォン・カラヤンが、貴族かどうか、お話していた方へ:
  ReichesRitter というものを見つけました(帝国騎士ですね)。
  1907年か1908年ごろまであったとのこと。
  つまり、さすがに今はないということでしょうが、
  VON を名乗りつづけるのは、良いんですね。
   指揮者カラヤンのご先祖もこれでしょうかと思います。
  今はない以上、元・帝国騎士(旧・帝国騎士)ということですね。
  ドイツ帝国(第二帝国)のものか、オーストリア帝国のものか、わかりません。
  はたまた、ひょっとすると「旧・神聖ローマ帝国」のものが、
  当時まで名跡として何らかの形で存続したという意味か、
  まったく独和辞典からは不明ですが。

>ワレンシュタインが、帝国貴族として「メクレンブルクのヘルツォーク」、
 ボヘミア貴族として「フリートラントのヘルツォーク」だという議論をしていた方へ:
  帝国貴族か領邦貴族かの区別がないとのことでしたが、Reiches・freiherr というものを
 見つけました。帝国男爵ですね。
  ただ、辞典で見る限り、この帝国男爵には、
 帝国騎士のような、1907年ごろまでとかの記載はありませんでした。
  また、帝国公爵に相当するもの、帝国伯爵に相当するものとかは、
 見つけられませんでした。いくら「大」がついても、所詮は、独和辞典ですからかも。
  ちなみに、「ノイラート男爵」が帝国男爵なのか、良くわかりません。


336世界@名無史さん:04/01/10 20:54
1 Prinz Max von Baden ( Allexandar Friedrich Wilhelm Maximilian)
2 Wenzel Anton Graf Kaunitz
3 Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarch (Shönhausen)
4 Klemens Wenzel Lothar Fürst von Metternich
5 Kontantin von Neurath
6 Leopold von Ranke
7 Paul von Hindenburg
以上は、山川世界史小辞典からなんです。
1は、バーデン大公マックス、バーデンは大公国ですが、
 Großherzogでなく、Prinzというのは疑問です。括弧内は、本名とのことですが、ファミリー名が不明です。
2外交革命で有名なカウニッツ伯ですが、VONがないですね。
 Kaunitzとはファミリー名でしょうか、或いは領地(名目でも)名でしょうか。
3鉄血宰相ビスマルク。括弧内のShönhausenは、書きながら何で括弧なのか。良くわかりませんでした。
4ウィーン体制の立役者メッテルニヒ候ですが。彼の場合は、括弧内に何か記されるというものが、見た限りでは
 ありませんでした。
5ノイラート男爵は、ナチス初期に外相を務めました。ニュルンベルク裁判では無罪だったかと。
 カウニッツも、ビスマルクも、メッテルニヒも、名前の中に爵位が見えますが、ノイラート男には、
 Freiherrという文字がないですね。どうしてこういう違いがあるのでしょうね。
6高名な歴史家。もともと、Vonがあった家柄か、彼が君主から賜ったかはわかりません。
 爵位の有無も知りません。
7第一次大戦の英雄にして、ワイマール共和国大統領です。多分、ユンカー出身でVONは生まれながらかと。

お役に立ちますか?
 
337Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/01/10 21:18
カウニッツ、手元の資料にはVonつきだけれども。
彼はモラヴィア出身だったから、その辺も影響してるのかな?
ちなみに彼自身は、自分をドイツ人として認識している。
あと、カウニッツは最終的に侯爵になってるはず。
338世界@名無史さん:04/01/10 21:47
よそからのコピーで悪いが、大特許状の原本あたるわけにもいかず、
手近なところで対応するが、
>オーストリアの大特許状(1359年、ハプスブルク家のルドルフ4世による偽書)への言及がありました。
>ルドルフは、”オーストリア公、ケルンテン公、クライン公、帝国狩猟長官(?)、シュヴァーベン公、アルザス公、プファルツ大公”と名乗ったようですが。
>これって、Pfalzerzherzhogなんでしょうか。
>”オーストリア大公”ではなくて、
>”オーストリア公”とは別に、
”プファルツ大公”というのがあるということみたいです。

 これを見ると、オーストリア公国がありそこの君主のオーストリア公がいるようであるが、
 正確には上オーストリアと下オーストリアの二つの公国(公領)があり、
 両者は同君連合であるということなんでしょうか。
 ドイツスレとしてもっとも権威あるスレッドと思い質問します。
339世界@名無史さん:04/01/11 17:27
337さま。

おそらく山川の辞典はカウニッツが一番脂の乗り切った時代のタイトルをかいてるんでしょう。
おてもとの資料で、VONつきとのことですが、
まずは、「Wenzel Anton Graf von Kaunitz とかかれ、
その後昇爵して、Wenzel Anton Fürst von Kaunitz と」
いう風に読める(書かれ)ているんですか。

ちなみに、ほかのGRAFですが、
シュリーフェンも、「×× Graf von シュリーフェン」でした。
××とは、かれのファーストネーム(失念しました)です。

PS:ビスマルクのショーネハウゼンていうのは何でしょね。



340世界@名無史さん:04/01/11 20:05
>シェーンハウゼン
鉄血宰相の父祖代々の城館があった土地の名前です。
古いプロイセン貴族として、ビスマルク一族は他にも分家を持ってたので、
鉄血宰相家はビスマルク=シェーンハウゼン家と言われたりすることもあります。
341世界@名無史さん:04/01/12 00:30
>>338
それは両方とも同じよん。15世紀以降の「オーストリア大公」の称号は
元々大特権状でオーストリアの宮中大公、ってかかれているわけなのさ。
下のような歴史的変遷を遂げたのが理由。

その有名な偽書は、1358-59年に作られた五(あるいは七)通の偽書群の一つで
これは限りなく黒に近い灰色と判断され生き残る余地があったんだよね。
でも、時の皇帝カール四世は「嘘だな」と判断していたせいか、
承認しなかったんだけど。
その後、すぐルードルフ四世建設公が死んで(1365年)忘れられてたはず。

んで、件のPfalzerzherzogはあの1356年の「金印勅書」で
ファルツ家に与えられたPfalzgrafの称号を超えるものが
自分に欲しかったから、ルードルフが作っちゃった称号。

その後、この称号は15世紀に入ってから復活する。
エルンスト鉄公(「帝国の偉大なる就寝帽」フリードリヒ三世の親父)が
1414年ハプスブルク家門内の対立の中で、
自分が二つ以上の「公」位をもっているから、オーストリア公の下にある諸公の
中でも第一位を占めるべきだっていって、Pfalzを抜く形で、
つまり、「大公Erzherzog」という形で名乗った。誰も相手にしなかったんだけど。

父と同様、あるいはそれ以上の状況、つまり傍系なのにハプスブルク宗家になり
もともとの宗家の出であるラディスラウスに対する後見権を確たるものとするため
これをフリードリヒ三世も踏襲し、さらにまずはローマ人の王として、
後に皇帝として、この偽書を有効なものと確認し、さらにそれを選帝侯に承認させ、
帝国法的な位置づけを獲得するのねん。
342341、そのご:04/01/12 00:31
このように元々、ハプスブルク家家門内の対立から復活したこの称号は、
マクシミリアンからカールの時代にかけて、帝国議会の諸侯部会内での第一位を
獲得するために、意味をもつようになる。この地位をバイエルン公や
その息のかかりやすかったザルツブルク大司教と争ってたからね。
結局、この称号からオーストリア家は自らを「聖界諸侯」として位置づけ、
部会の筆頭諸侯となり、議事進行をリードするようになる。

重要なのは、称号を作ったときも帝国議会上の意味をもったときも、
ファルツ家かバイエルン家かという違いはあるけど、ヴィッテルスバッハ家との
名誉の争いの中で帝国の中の位置づけが問題になるのよね。

この偽書にけちつけられるとオーストリア(-ハプスブルク)家の威信に
傷がつくから、ただしいんじゃい、って誰も研究しようとせず、そのうち、
無前提にその正当性を信用するようになっちまったのね。
だから、この偽書はオーストリア家がこの称号の権威に頼らなくてもよくなる
19世紀にはいるまで、偽書とみなされなかった、っていう訳。
343341、帝国狩猟長官:04/01/12 00:48
これも1356年に「金印勅書」で選帝侯にあたえられた筆頭職Erzamtを
自分にも欲しいから、カールさん認めてよ、って特権状に書いたもの。
ちなみに、筆頭職はマインツ、ケルン、トリアーの三人の大司教が
それぞれドイツ、イタリア、ガリア(アルル)の三つの王国の書記長、
ベーメン王がシェンク(飲み物係)、ライン・ファルツ(宮中)伯が
トゥルッフゼス(ご飯係)、ザクセン公がマルシャル(馬係)、
ブランデンブルク辺境伯がケメラー(財務係)と規定されてた。

でも、狩猟長官職は元々ハプスブルク家の所領になる以前のケルンテルン公に
与えられたことがあるから、一から作り出したものではないのね。

こういう職は帝国の首長(皇帝あるいは戴冠前はローマ人の王)との
密接な結びつきを示し、それで自分の「高貴さ」をアピールするものだから、
かなり重要なものだったみたい。
344341:04/01/12 01:21
あ、質問に答えてねーや。

18世紀以前に受封される封土を公「国」と呼べたかどうかは別として、
オーストリア公領がまず上位区分としてあって、
その下位区分に上・下オーストリアっていう区分があるんだけど、
上下がバラバラに領有されている場合でも、オーストリア大公の
下部レーエンとして上オーストリアが誰かに与えられるんだし、
一人の場合はひとつの統一体として封を与えられるんじゃないかな。
ただし、そのときでもある程度国家的機構が固まってきたあとでは、
現実の支配が同君連合的にならざるをえないと思うんだ。

問題はそれがいつなのか、っちゅうはなしなんだけど、
両者の分離は、14世紀後半以降家門内部の対立の中で、
徐々に形成されてった、って感じなのよね。

ぶっちゃけ、建前(一人のオーストリア公)と本音(二つの別な地域)が
あった、っつう感じなんだわ。
345世界@名無史さん:04/01/12 01:47
カラヤン家の家系決定版

18C ヨアネス・カラヨアネス( −1764)
マケドニア在住

ゲオルグ・ヨハン・フォン・カラヤン(1745−1813)
ザクセンのケムニッツでトルコ糸の紡績工場を創業
世襲貴族の称号を得る、また姓をカラヤンに改称

テオドール・ゲオルグ・リッター・フォン・カラヤン(1810−1873)
学者、ウィーン科学アカデミー副会長
1869年騎士(ritter)の称号を得る、ギリシア正教からローマカトリックに改宗

ルートヴィッヒ・アントン・リッター・フォン・カラヤン(1835−1906)

エルンスト・リッター・フォン・カラヤン(1868−1951)
医者、ザルツブルク在住
エマニュエル・リッター・フォン・カラヤン(1870−1948)
高級官僚、ウィーン在住

エルンストの次男が
ヘリベルト・リッター・フォン・カラヤン(1908−1989)
で言わずと知れたBPOの終身音楽監督
1919年、オーストリア帝国解体に伴う貴族制度の廃止で
ヘリベルト・カラヤンが本名になる

くれぐれもアルメニア人などというインチキ話を信じないように・・・
346世界@名無史さん:04/01/12 08:05
亀レスになっちゃうけど、「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」って、
natioの区別がはっきりしてきた15世紀末以降の正式名称でしょ?

そもそもカール大帝やオットー大帝の時代には、
帝国imperiumっていう概念しかないはず。
んで、もともと「民衆」や「在地の民」っていう意味をもつ
テウトニクムteutonicumあるいはteutschとかいう言葉と結びついていない。

だから、教科書(と良心的な参考書)にはオットー大帝の戴冠でもって
「後の」神聖ローマ帝国が成立した、ってかかれてるはず。
347続き:04/01/12 08:16
キリスト教が(西)ヨーロッパで末端まで浸透したこと、
また神学・哲学上の大躍進ともあいまって帝国は
キリスト教的「救済史」上に位置付けられ、神聖帝国となった。
また、同様の状況下で聖書研究が進み、聖書に記載されている
四つの世界帝国の最後のものが古代ローマ帝国としか解釈できず、
それから今まで帝国が連綿と続くと意識され、「ローマのRonum」あるいは
「ローマ人のRomanorum」っていう形容詞がつくようになる。

そのあと、大学、あるいは公会議上で採用されていた出身地区別Natioが
明確に意識されるようになり、そのころすでにある程度今と同じドイツ人
を意味していたTeutschという概念と結びついて神聖ローマ帝国は
ドイツ国民(諸民族)の神聖ローマ帝国、って呼ばれるようになる。

でも、この「国民」の実体はいわゆる帝国諸身分(等族)っていわれる
皇帝に直属しかつ帝国議会上に議席と票をもつ人たちしか意味してない。
ポーランドにおける「ポーランド人=シュラフタ」に近い。

だから、被支配者にイタリア人やらチェコ人やらヴェンド人やらいても、
その人たちは「国民」ではないわけで、そうすると呼称上の
deutscher Nationは「ドイツ国民の」って訳のほうが適切になる。
348世界@名無史さん:04/01/12 08:33
神聖ローマ帝国のドイツ国民は、フランスとの対比の中で「ドイツ的自由」、
すなわち君主である皇帝の専制政治を制限し、自らの領邦国家を存続させうる
権限を持っている、と自分たちをみなしていた。

こんな自意識が、中央集権化へ向かう近代国家形成を領邦国家単位にとどめ、
帝国レベルでは「分裂的」である状況を作り上げていく。
でも、帝国の存在が自分たちの存在を保証してくれてる、っていう意識は
あったから、四方から攻められてた皇帝と交渉するテーブルにつく気はあった。
んで、なかなかうまくやってたから、「ドイツ的自由」はずっと残りつづける。

近代に入ると、この「ドイツ的自由」概念は常に維持され、
近代ドイツ国家は、かなり自治権を持っていた連邦国家の
連合体制という形をとることになる。
だから、第二帝国下でもパスポートは個々の連邦国家から発行されてた。

全ドイツ的な中央集権国家はヒトラーの時代に数年試みられただけで失敗してしまう。
349世界@名無史さん:04/01/13 20:36
345さま

多くの人が、あなたの書き込みに感謝していると思います。
「エルンストの次男がヘリベルト・リッター・フォン・カラヤン」
とのことですが、このリッターというのは、次男でも名乗れたわけですね。
ドイツの爵位(或いはタイトル)は、次男三男でも引き継げると聞いたことが
ありますが、これがひとつの例と思ってよろしいでしょうか。

「1919年、オーストリア帝国解体に伴う貴族制度の廃止で
ヘリベルト・カラヤンが本名になる」とのことですが、
レコードやCDには、フォン・カラヤンと書いていますが、
フォンとあるのは、芸名だからで、正式には(オーストリア共和国では)
フォンがつかないということでしょうか。たとえば、彼のパスポートにも、
フォンはついていないと。

ぶしつけな質問ですが、ご容赦ください。
350世界@名無史さん:04/01/13 20:54
>全ドイツ的な中央集権国家はヒトラーの時代に数年試みられただけで失敗してしまう。

ヒトラーのやった4つのよい事とかで、<ドイツの地方分権へ対する試み>というものを聞いたことがありますが、
結局成功しなかったんですね。

ナチスドイツの地図で、ドイツ全土を、ナチス党の効率的活動のため、
党の支部を複数つくり、それぞれに担当地域を割り当てたようなもの、
見たことあります。
この担当地域というのも、ひとつの「極端な地方分権」への挑戦かと思います。
わたくしは、この党の担当地域が、
<ドイツの地方分権へ対する試み>かと思っていましたが、
他にあったということでしょうか。
351世界@名無史さん:04/01/13 21:24
上の情報だと、

ドイツの貴族の位階は、
下から、
@von付き、「von なんとか」
A騎士 「Ritter von なんとか」
B男爵 「Freiherr von なんとか」
C伯爵 「Graf von なんとか」
と上がっていくのだと思われか。 

そして、これらは、次男三男も名乗るのだと思われ。

この推論、あってますか?
352世界@名無史さん:04/01/13 22:22
カラヤンが来日したとき、岩城宏之さんが預かったパスポートを見たら、
ヘリベルト・カラジャンと書いてあったそうです。
353世界@名無史さん:04/01/15 20:08
>>341
大特許状の「Pfalzerzherzog」が、
「Erzherzog von オーストライヒ」に変わる理由がわかりました。
こんなに詳しく書いていただきありがとうございました。

>1414年ハプスブルク家門内の対立の中で、
>自分が二つ以上の「公」位をもっているから、オーストリア公の下にある諸公の
>中でも第一位を占めるべきだっていって、

とのことですが、「オーストリア公の下にある諸公」とは、
@オーストリア公領の中にある公「領」ということでしょうか。
Aケルンテンとか、ほかの公領の公だけど、ハプスブルクの分家という意味で
 本家の公より下位にいる公なのでしょうか。
Bあるいは、公領を持たないけど、公を名乗っているということでしょうか(というのは、
ドイツでは、長男以外も親父の爵位を名乗ると聞いたことがある?からです。
記憶違いかもしれませんが)

何度も恐縮ですけど、どうぞよろしくお願いします。
354世界@名無史さん:04/01/15 21:03
349さん、勝手に引用するヨ。

>正式には(オーストリア共和国では)フォンがつかないということでしょうか。

統一直前の東ドイツの首相か元首で、
フランスっぽい名前の人がいたが覚えていますか。
この人もとは、プロシャ貴族だったと聞いたことがあります。
ただし、Vonはついてなかったような。
ユグノー出身らしいので、元来Vonは付いていなかったのか(★)、
それとも社会主義ドイツなので、Vonは外したのか、どちらでしょう。

 (★:337でこんなカキコがあるので、純粋ドイツ系以外はVonなしもあるのかと)
   カウニッツ、手元の資料にはVonつきだけれども。
   彼はモラヴィア出身だったから、その辺も影響してるのかな?
355世界@名無史さん:04/01/15 21:23
>>337
カウニッツ伯のカウニッツとは、ファミリーネームでしょうか。

モラビアならば、ボヘミア王国の伯爵かと思いますが(後に侯爵とのことですね)。

以前紹介(291、309)のあったワレンシュタインは、
ボヘミアのフリートラント公でしたが(更に、帝国公爵としてメクレンブルク公)。
彼の場合は、ワレンシュタインがファミリーネームで、フリートラントは領地名だと
解釈できるんですが。

ボヘミアの伯爵位(侯爵位)もモラビアの侯爵位(公爵位)も、
同じような仕組みでできてると思っていますが。
356341:04/01/15 21:56
書き方が悪くてスマソ。

お答えするなら二番が一番近いんだけど、より正確には
オーストリア公(ハプスブルク家)が同君連合的に持つ
ケルンテンとかほかの公領のタイトル。
エルンスト鉄公が当時持ってた公領だけど、
15世紀前半では純粋にタイトルの上では、オーストリア公と同等。
いま手元に史料がないので、具体的にどこかをしめせないけど、
わかり次第書き込みします。

エルンスト鉄公はルドルフ四世の次の次の世代、
ルドルフの弟たちによるハプスブルクの諸邦の分割の次の世代になるけど、
分家筋の四人の兄弟による相続争い、権力争いが激しかった時代。
1414年当時、エルンストは分家筋のトップにいて、宗家ともいがみ合ってた。
宗家と分家っていうよりは、同じハプスブルク名乗ってても別の家が争ってた
っていうイメージのほうがずっと近いかも。
357348:04/01/15 22:14
うーん、当方ナチ時代はあんまり詳しくないのだが、
パーペンがワイマール共和国の首相時代に、中央に激しく抵抗していた
プロイセンの内閣があったんだけど、パーペンが
それをぶっ潰した「クーデタ」があって地方分権が「死んだ」。
そのあとヒトラーが中央で地方を統制していくような、
中央集権的な国家体制を敷いていった、ことを言いたかったんだが。

むしろ、ナチ党の地方支部って、その国家体制のサブ・システムなんじゃ?

中央集権化の「失敗」っていうのは、結局連邦共和国(西ドイツ)の
国家体制がヒトラー前の大幅な自治権を持つ地方分権体制に戻り、
それが民主共和国(東ドイツ)の併合後もゆるぎない、っていう現状から、
当方が評価していってることなので、もっと違う面を学界で評価しているかもしれない。

あと、地方分権国家より中央集権的国家が良い、
っていうことには疑問を持ってるんだが。
358世界@名無史さん:04/01/18 06:19
クレクレで申し訳ないんですが、近代ドイツ経済史についてまとめてあるようなサイトって無いでしょうか?
試験の参考にしようと思ってググって見たんですが、経済についてまとめてあるサイトがみつからなっかたもので…
もしわかる方いましたらお願いします。
359353:04/01/30 18:58
356(341)様

返事が遅くてすみません。いろいろ教えてくださり、ありがとうございます。
なにか追加でお分かりになったら書き込みお願いします。
ドイツでは、爵位を子供がどういう風に継ぐのか
(正式に継ぐのは長男だけで、ほかの子供は儀礼上か。
 あるいは、みんなが正式に継ぐ?のか、など)
基本がわかっていないかもしれないので、
変な質問になっていないか少し心配です。)
少しずつ、軌道修正しているつもりですが。


”敢えて言えば、Aが一番近い” とのことですが、
太公(ERZHERZOG)は、どこどこ(地名)の大公でなくて、
大公たちのなかの、それも、一族の大公たちの中の、
首位という意味という解釈なんでしょうか。
一意に決めるということ自体、無理なのかもしれませんが。
歴史の中で、なんとなく出来上がって(でっち上げて)きたようなタイトルという感じですし。
360世界@名無史さん:04/01/30 19:04
>>352
カラヤンはドイツ人ではなくアルメニア人

>>354
ラフォンテーヌは東独じゃなく西独社会民主党だろ。
361354:04/01/30 19:49
ラフォンテーヌさんではありません。それは確かです。

まだ調べていませんですみません。
ただ、その人が指導者になったとき、日経新聞で経歴とか書いてあり、そうなっていましたので。

☆ラフォンテーヌも、ユグノー系でしょうか。どうなんしょ。
362世界@名無史さん:04/01/30 20:28
オーストリアは、上と下があるんだそうです。
だから、太公というタイトルを持った人が、
上オーストリア公、下オーストリア公(大公ではない)などになっているという形です。
言い換えると、
太公というタイトルを持った人が、
上オーストリア公国、下オーストリア公国(太公国ではない)などになっている形です。

ただ、これは、建前で慣例的にはいろんな呼び名があるかもしれませんが。

  ↑はあってますか??
363世界@名無史さん:04/01/30 20:40
>>345 さんによると、

カラヤン家の家系決定版
18C ヨアネス・カラヨアネス( −1764)
マケドニア在住
からスタートだって。

☆たしかに、元の名は、ギリシャっぽい名前?けどで、
 では、カラヤンは、ドイツっぽいのかなぁ。
 もし、ちがうなら何でドイツっぽくしなかったのかな。

☆カラヤン、アルメニア人説は日本発なのかな。
 あるいは、ドイツやフランスにも、この説はあるのかな。
 あるとしたら、カラヤンは放置したのか、どうなんだろ。
 (日本発なら、よほど、変わってるね。「−アン」がアルメニアに多いなんて
  しってるだけでも、不思議)
364世界@名無史さん:04/01/30 20:58
ゲオルグ・ヨハン・フォン・カラヤン(1745−1813)
ザクセンのケムニッツでトルコ糸の紡績工場を創業
世襲貴族の称号を得る、また姓をカラヤンに改称

テオドール・ゲオルグ・リッター・フォン・カラヤン(1810−1873)
学者、ウィーン科学アカデミー副会長
1869年騎士(ritter)の称号を得る、ギリシア正教からローマカトリックに改宗

となってるょ。

当初は、ザクセン公国(王国)の貴族(騎士未満の「位」)だったのかな。
国籍はサクセンかな。

その後、オーストリア帝国に国籍を移して、
ザクセン貴族の地位はなくなって、
その代わり、オーストリア貴族(騎士の「位」)になったのかな。
365世界@名無史さん:04/01/30 21:08
ヨク、日本が三国同盟を結んだことを失敗だとする議論の中で、
伝統的に、同盟国を裏切る国というのがありますが、
これは、根拠があるのでしょうか。どの程度の根拠かは別として。

熱く語るには、不向きな話題かもしれませんが、よろしくお願いします。
366カラジチ ◆mWYugocC.c :04/01/30 21:34
>>362
>>341さんがそのあたり語ってくれてますね。
ちなみに下オーストリア公はシュタイアーマルク公のことです。
367345:04/01/30 23:31
>>349
>次男三男でも引き継げると

ドイツの爵位制度について詳しくは無いのですが
その理解で問題無いと思います。

>正式には(オーストリア共和国では)フォンがつかない

そうですね、現在でも確かオーストリア共和国では
"von"を名乗るのは禁止されてるはずです。

>>351
これは微妙ですね・・
カラヤン家は軍人・行政官僚貴族(ユンカーですね)とは
違うので男爵とかの称号はユンカー貴族と婚姻関係を結ばない限り
無理なのではないでしょうか?
ちなみに武器製造のクルップ家はユンカー貴族からの嫁入り
で男爵家になっています。
あと最近のニュースでMSのゲイツ会長が英国王室から
騎士(knight)の称号を貰いましたが、カラヤン家もこれと似たような
感じだったのでしょう。
368345:04/01/30 23:32
>>354
ローター・デ・ミジエーレ氏のことですね
この人はドイツ風の"von"はついていないのですが
フランスの貴族称号の"de"はついていますね。

>>363
カラヤンの"jan"はギリシア語の聖ヨハネのことで
アルメニア姓の"〜ian"とは何の関係もありません。
マケドニアにはカラヨアネスと言う地名が残っているそうです。
あとカラヤンに限らず、
画家のピエト・モンドリアンとか
ドイツの軍人のハインツ・グデリアンなど
"an"のつく非アルメニア系の西欧人はかなりいます。

>>364
どうなんでしょう
ただゲオルグ・ヨハン・フォン・カラヤンは
「ザクセン王国の財政における際立った貢献」が叙勲理由なので
ザクセン公国の貴族だったと思われます。
ドイツは中世ヨーロッパの中心でもあった。
フランク王国の首都がフランクフルトなど、子供でも知っているが・・。
370世界@名無史さん:04/01/31 20:19
ラテン語話してたの?
371世界@名無史さん:04/02/02 23:48
ナチス時代の議会ってどんな感じだったんですかね?
372世界@名無史さん:04/02/04 00:10
>>369
アン・デア・オーデルの方がか?
373世界@名無史さん:04/02/05 02:37
中央公論2月号の日露戦争特集で誰かが書いていたけど、
第一次大戦でドイツ軍が当初のシュリーフェン・プランを最後まで貫いていたら
ドイツは勝っていたそうだ。
374世界@名無史さん:04/02/05 16:17
>>373
それは当時から延々言われてるけど、多分無理って見解が主流だとおもう
375世界@名無史さん:04/02/07 18:15
376世界@名無史さん:04/02/07 18:20
オーストリアですが、上位概念としてのオーストリアと
下部レーエン?としてのオーストリアがあって混乱しました。すみません。

@上位概念のオーストリア
A下部レーエンとしての上オーストリア
B下部レーエンとしての下オーストリア
ということでしょうか。

Aは、「Ober−エースタライヒ」ですね。多分。
Bは、「Unter−エースタライヒ」でいいのでしょうか???

ちなみに、Bにはスタイアーマルクという別名がある、
Aには、別名はない、ということでしょうか。
377世界@名無史さん:04/02/07 18:22
>>376
A下部レーエンとしての上オーストリア
B下部レーエンとしての下オーストリア

上とか下とか、
これは高地、低地という意味ですか。
フランクフルトに近いという意味ですか。
北か南という意味ですか。
ドナウ川の下流上流という意味ですか。
378世界@名無史さん:04/02/07 19:59
神聖ローマ帝国の本よむと、
まず、ローマ王になって、法王から戴冠して皇帝と書いている。

しかし、いつから「ローマ王」というようになったんだろ。
オットー大帝は、戴冠するとき、「東フランクの王」だったのでは。
379376:04/02/07 20:03
341、366さま

376の@とAとBに同じ人が付くことがあれば、
3つとも違う人ということもあるということですか。

そして、いずれも、オーストリア大公と呼ばれるということですか。
380世界@名無史さん:04/02/07 20:21
ロートリンゲン家はどんなお家ですか。

歴史はどうなんでしょうか。
ロートリンゲンとは家名なんでしょうか。

領民との関係はどうだったんでしょうか。
跡取りの殿様はあっさりと「さよなら」して、逆玉していますが。
次兄とかが、実家を継いだのかな?
381世界@名無史さん:04/02/07 20:27
宮中伯について、質問とかだいぶ前ありましたよね。
でも無視されたかな。
古いスレを下にコピーしますね。

ライン以外にもいたようですが、どなたかまとめてもらえると。。。
ザクセン宮中伯とザクセン公の件は、マール氏の最後の推論が当たっているような気が。


***

まず第一のご質問の方からいいますと、やはり宮中伯も単なる一役人から
やがて国王から授封され一個の封臣になったという経緯が重要です。
最初は各部族太公領で「国王の名のもと」裁判官たる地位に留まっていた
のでありますが、やがて独立した地方権力となった今、今度は「国王に対
する」裁判官の地位にまで発展したものと思われます。このドイツ国王の
継承問題は特殊で、「国王は貴族の中の第一人者」に過ぎません。これは
宮中伯に限らず諸侯全般にもいえ、これら等族(シュテンデ)のうちでも司法
面において長けていた宮中伯がこの件に関して主張しえたことは容易に考
えられます。

http://mentai.2ch.net/whis/kako/1012/10128/1012823256.html
382346:04/02/08 01:00
年度末で忙しくて、ほったらかしになってました。すいません。

>>366
下オーストリア公=シュタイアーマルク公と呼ばれることはないと思うのですが。
年代によって、同一人物が兼ねることはありますけども。別のタイトルのはずです。

>>376
理論上は1,2,3が別人ということがありえますが、
実際はErzherzogとUnteroesterreichischer Herzogは同一人物で、
分かれることはないものと思います。むしろ、Erzherzogの狭義の意味が、
Niederoesterreichischer Herzogであるということです。
なんてったって、WienがUnterの方にありますから。
Oberoesterreichは違う人が持つことがありました。
(三十年戦争中バイエルンに借金のかたとして与えられたり。)
オーバーオーストリア公オーストリアErzherzogから
オーバーオーストリアをレーエンとして与えられるのでErzherzogとは呼ばれません。
下部レーエンとしてもらった以上、その地域に上位の呼称が付属することはありません。

>>377
ドナウ川の上流部にあるオーストリアが上オーストリア(オーバーエースとライヒ)
下流部にあるのが、下オーストリア(ニーダーエーストライヒ)です。
古くは、オプ・デア・エンス、ウンター・デア・エンスとも呼ばれていましたが、
イプス川とエンス川にはさまれた地域の扱いが異なって、名前が変わりました。
近世以降は、オプ・デア・エンス=上オーストリア、
ウンター・デア・エンス=下オーストリア、と理解して頂いて結構です。
上で述べたことからわかるように、エンス川で上と下を分けます。
383346:04/02/08 01:04
376様へのレスで、ニーダーとウンターを混同してしまいました。

>なんてったって、WienがUnterの方にありますから。

が、正しくは

なんてったって、WienがNiederの方にありますから。

です。すいません。
384世界@名無史さん:04/02/08 02:23
シュタイアーマルク(スティリア)と、上下オーストリアは別地域ですよね?

ttp://www.lib.utexas.edu/maps/historical/shepherd/central_europe_1648.jpg
ttp://www.lib.utexas.edu/maps/historical/shepherd/austria_hungary_1911.jpg

最初の地図には
ARCHDUCHY OF AUSTRIAの下位にABOVE THE ENNS、 BELOW THE ENNS
その南にDUCHY OF STYRIA
二つ目には
AUSTRIAの下位にUPPERとLOWER、同じく南方にSTYRIA
385カラジチ ◆mWYugocC.c :04/02/08 10:54
……スマソ。勘違いでした。
シュタイアーマルクは内オーストリア(Innerösterreich)という別名があります。
346ですが、またまた誤りを見つけました。いかんなー。

>オーバーオーストリア公オーストリアErzherzogから
>オーバーオーストリアをレーエンとして与えられるのでErzherzogとは呼ばれません。

で「は」が抜けていました。

オーバーオーストリア公は、オーストリアErzherzogから
オーバーオーストリアをレーエンとして与えられるのでErzherzogとは呼ばれません。

です。それにしても上オーストリア、下オーストリアっていってみたり、
オーバーオーストリア、ニーダーオーストリアっていってみたり、原語出したり、
って読みづらくってすいません。

あと、

>近世以降は、オプ・デア・エンス=上オーストリア、
>ウンター・デア・エンス=下オーストリア、と理解して頂いて結構です。

の前に、

「ただし、オプ/ウンター・デア・エンスもまた呼称としては用いられたが、」

としていただくと、文意がはっきりするかもしれません。
387世界@名無史さん:04/02/14 17:08
>>367
[カラヤン家は軍人・行政官僚貴族(ユンカーですね)とは
違うので男爵とかの称号はユンカー貴族と婚姻関係を結ばない限り
無理なのではないでしょうか?}

突然失礼します。
ユンカーとは、土地貴族で、次男三男が軍人(武官)や官僚(文官)になったかと
思っていましたが、これは僕の勘違いでしょうか。
ユンカーについて、もう少し詳しくご教示いただければと思います。

388世界@名無史さん:04/02/14 17:59
>>382
>>385

いろいろありがとうございます。

「紋章が語るヨーロッパ史」を見ましたが、最初のほうのページに
ドイツの諸侯の冠が載ってました。別の本でも見た、よく見る図ですが。
上から、国王冠、大公冠、侯爵冠、伯爵冠、男爵冠、爵位のない貴族の冠となってました。
この大公冠って、Herzhogなんでしょうか、と悩みます(時代的にみて、Grossherzhogはないだろうと。)。
そして、侯爵冠は、何かな?Furstかな? Furstって、諸侯の総称でないのかと、思ったりしますし。
389世界@名無史さん:04/02/14 18:14
伯爵冠?ですが、この伯爵は、どういう意味と思いますか?

辺境伯、宮中伯、方伯、城伯の総称でしょうか。
(辺境伯、宮中伯、方伯、城伯と並列的に伯(ただの伯)もあるのか、よくわからないですが)

近代になって、各領邦で、授与している伯爵は、
辺境伯とか、なんとかいろいろあるわけでなく、伯爵一本だと思いますけども。
どなたか教えてください。
390世界@名無史さん:04/02/14 18:52
>>388
「爵位のない貴族の冠」とは、「 von  何某」 と呼ばれる人でしょうか。
 
 言い換えると、「Ritter von 何某」というが、意識されていないようですが、そこが気になります。
 
「Ritter von 何某」は、割とあたらしいもので、ここには言及されないんでしょうか。
 あるいは、「Ritter von 何某」も「 von  何某」も、「爵位のない貴族」として
 ひとくくりなんでしょうか。
 
レスをいただけるとうれしいです。
1,オーストリア帝国
2,プロイセン王国
3,ザクセン王国
4,バイエルン王国
5,ハンノーファー王国
6,ヴュルテンベルク王国
7,バーデン大公国
8,ヘッセン=カッセル選定侯国
9,ヘッセン=ダルムシュタット大公国
10,ホルシュタイン公国
11,ルクセンブルク大公国
12,ブラウンシュヴァイク公国
13,メクレンブルク=シュヴェリーン大公国
14,ナッサウ公国
15,ザクセン=ヴァイマール大公国
16,ザクセン=ゴータ公国
17,ザクセン=コーブルク公国
18,ザクセン=マイニンゲン公国
19,ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国
20,メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国
21,オルデンブルク大公国
22,アンハルト=デッサウ公国
23,アンハルト=ベルンブルク公国
24,アンハルト=ケーテン公国
25,シュヴァルツブルク=ゾンデルスハウゼン侯国
26,シュヴァルツブルク=ルードルフシュタット侯国
27,ホーエンツォレルン=ヘッヒンゲン侯国
28,リヒテンシュタイン侯国
29,ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯国
30,ヴァルデック侯国
31,ロイス侯国(兄系)
32,ロイス侯国(弟系)
33,シャウムブルク=リッペ侯国
34,リッペ=デルモルト侯国
35,リューベック自由市
36,フランクフルト自由市
37,ブレーメン自由市
38,ハンブルク自由市
39ヘッセン=ホンブルク地方伯
393Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/02/19 15:41
>>387
ユンカーというのは貴族全体を指すのであって、
その中に男爵や伯爵を持ってるのがいても不思議ではない。
ビスマルクも宰相になってから爵位もらってるし。

要はユンカーという貴族層の中で、官公庁・軍部で特に功績を挙げたのが
爵位をもらって世襲するということ。
褒賞金や官公庁・軍隊に勤めていた頃の財産で、新たに土地を買って
爵位持ったまま「再-土地貴族化」することも結構あったようだ。

カラヤン家自体は爵位を持っていない(はずだ)から、ユンカーの中での
爵位持ちの家と婚姻関係を持たなければ、爵位は名乗れないことになる。
394世界@名無史さん:04/02/19 22:49
"von"と"zu"の意味のわかる方、
歴代リヒテンシュタイン公家の当主15人の内に
普通に"von"のみ使用の当主の他に
現公爵(Fuerst Hans Adam II. von und zu Liechtenstein)を含め
"von und zu"を使っている人が3人いるのですが、
なぜ普通に(?)"von"のみを記さずに"von und zu"と記すのかお教えくださいませんか?
※現公爵以外には14代Franz Josef II.と10代Johann I.が"von und zu"を使ってます。
395世界@名無史さん:04/02/20 23:02
>394
"von und zu" は定住性の強い貴族の家系に使われるようです。

8. mehrteilige Familiennamen
[..]
* bei sesshafter Adelslinie: von und zu A
http://www.weinreichpeter.de/wissen/germanistik/linguistik/namengeschichte.htm

Seibicke, W., Ueberblick ueber Geschichte und Typen der deutschen Personen
-namen. In: HSK 2.2, Berlin 1985, 2148-2163. からの抜粋とのこと。HSK は
Handbuecher zur Sprach- und Kommunikationswissenschaft の略でしょうか。
http://www.degruyter.de/rs/168_7022_DEU_h.htm
396世界@名無史さん:04/02/26 00:30
「部族太公」という言葉は誤解を生むから使用しないほうが良いとおもう。
近代の大公と混同されてしまう。正確に表現すれば「部族公」だし、原義を
重んじるとしたら「部族将軍」になるはずじゃないの?。
397世界@名無史さん:04/02/29 22:06
中世の公(herzorg)は部族の王様みたいなもので近世以降の公とは似ても似つかない存在だよ。
398世界@名無史さん:04/02/29 22:29
皆さんドイツ語出来ますか?
399世界@名無史さん:04/02/29 22:39
nein!
400世界@名無史さん:04/03/01 12:54
>>398
Kraftwerk の曲の歌詞ぐらいなら何とか理解できる。
401あぼーん:あぼーん
あぼーん
402世界@名無史さん:04/03/14 16:17
>伯爵冠?ですが、この伯爵は、どういう意味と思いますか?
>辺境伯、宮中伯、方伯、城伯の総称でしょうか。(辺境伯、宮中伯、方伯、城伯と並列的に伯(ただの伯)もあるのか、よくわからないですが)

という389の質問だけど、、、

例えば、ルドルフ1世(ハプスブルクの初代皇帝)は、
貧乏伯爵であったと言われるが、彼は、どの伯爵だったんだ、と思う。
辺境伯とか、ではないのは確かだから、方伯くらいか?
ハプス「ブルク」伯というくらいだから、城伯かもとも、思うが。どんなだろ?
”Burggraf von Hapsburg”  Oder  ”Graf von Hapsburg  ”?? 
403世界@名無史さん:04/03/15 02:54
>>389
とりあえず
ナッサウ伯、オルデンブルク伯はかなり昔から存在する。
あと、途中でなくなったけどエノー伯とかも神聖ローマ帝国だしね。
そういえばルクセンブルクも最初はGraf。

>>402
ハプスブルクの起源はアルガウにHabichtsburg城を建てたことで、1110年からハプスブルク家と呼ばれるようになった。

その後Die HabsburugerはLandgrafen von Zürich und Aargau, Vögte(代官?) über Schwyz und Unterwaldenとなり
die Reichsvogtei über Uri und die Schirmvogtei über St. Gallenを獲得した。

で、皇帝になったルドルフはGraf Rudolf von Habsbrugと呼ばれていたのは確かなようだが、
そこに至る過程はわからん。ハプスブルク伯としてはルドルフ4世らしい。
404世界@名無史さん:04/03/16 16:16
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405世界@名無史さん:04/03/16 21:29
Graf Rudolf von Habsbrug でしたか。ありがとうございました。
ご先祖に、ランドグラーフがいるから、伯は伯でも、格は方伯だ、という気がしますけど(雑な推測ですね?)、
Graf Rudolf von Habsbrugといわれて、Landgraf Rudolf von Habsbrug ではないんですねぇ。
406世界@名無史さん:04/03/16 21:49
>>392
25,シュヴァルツブルク=ゾンデルスハウゼン侯国
26,シュヴァルツブルク=ルードルフシュタット侯国
27,ホーエンツォレルン=ヘッヒンゲン侯国
28,リヒテンシュタイン侯国
29,ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯国
30,ヴァルデック侯国
31,ロイス侯国(兄系)
32,ロイス侯国(弟系)
33,シャウムブルク=リッペ侯国
34,リッペ=デルモルト侯国

この侯国は、Fürstentum と思いますけども(?)。
これが君主がFürstですよね。
こういうランクとしてのFürstはいつごろからできたんでしょうか????
金印勅書のころはなかったような気がしますけど。
ドイツ連邦内の序列から見て、Herzogより下の国だと思います。
このときはすでに伯を君主とする国(領邦)はないようで、侯国の下は自由市となっていますが、
伯国があれば、これが次にきたんでしょうと思います。
407世界@名無史さん:04/03/17 21:16
アルザス、ロレーヌ、いつも一緒に出てきますが、
アルザスは、ドイツ語圏ですよネ。

ロレーヌは、ロマンス語圏でないですか。
オック語になるかもしれませんけど(少しプロバンスに近いし)
言語で分けるのは、近代かもしれない。
けども、ロレーヌは、フランスでしっくり来るように思われ。

殿様が代々、ドイツ系だったということ、それくらいでしょうか?
ロレーヌが歴史的にドイツというのは。
408世界@名無史さん:04/03/27 00:53
>407
ロレーヌは、ロマンス語圏でないですか

というより、もともとドイツ語圏だったのが、フランスの同化政策によって暫時、
フランス化していったのでは。
ところがエルザス地方は、それが思い通りにいかなかっただけなのではないの。
409世界@名無史さん:04/03/29 17:56
ドイツの歴史は基本的にライン河畔〜南ドイツを中心に形成されていて
ベルリンとかあっちの方は昔はダメダメの後進地域、つか不毛地帯。
バイエルンなんかはどう見てもハプスブルク系の地域で
プロイセンとは何の縁も無い。
ベルリンが首都になったのは歴史の流れ上、たまたまなっただけ。
オーストリアがもっと軍事に力を入れていれば
少なくとも今のドイツの南半分はオーストリア領になっていただろう。

今でもボンを首都にした方が漏れ的には肌に合うんだが。
神聖ローマ帝国はドイツじゃないって言うけど、んなこたーない。
歴史はつながってる。近代だけを切り取って考えるとミスる。
410Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/03/29 18:54
>>409
というか、マリア・テレジアがバイエルン侯の子息と結婚すれば、
それで「南ドイツはオーストリア領になった」はず。
加えていくらフリードリヒでも、バイエルンと最初から手を組んだ状態なら
シュレジエンに攻め込んで勝つ自信はなかったろう。
シュレジエンに限定すれば、別にバイエルンでなくともいいが。
厳しいことを言えば、彼女は自ら隙を作ったとしか思えん。
411世界@名無史さん:04/03/30 03:09
スレの流れを全く無視した質問ですいません。
総統と大統領の違いがわからないんだけど。
台湾の総統は英訳するとプレジデントで、実質的には大統領の意味みたいですけど、第三帝国の総統は大統領とは本質的に別物なのですか?
412世界@名無史さん:04/04/02 20:29
オランダにいたヴィルヘルム2世はナチスについてどう思ってたの?
息子はSSに加わってるけど。
413世界@名無史さん:04/04/02 21:53
>>411
総統と大統領は、どっちも似た意味なのでとくに区別する必要もないのですが、
民主化以前の台湾総統は、generalissimoと英訳されていたような気がします。
そもそも、合衆国の大統領制度自体が、「任期のある独裁制」なのですから、
英語でどう訳されてるかぐらいであんまり深く考えないようほうがいいですよ。
414\(^■^ ラ 【卍】(@▲@-b [*h* ス (^3^ ):04/04/03 00:48
\(^■^ ラ 【卍】ヒトラーの「パリ防衛が不可能である場合はパリを爆破せよ」との命令によって
凱旋門、エッフェル塔、ノートルダム寺院、ルーブル美術館などパリ市内の主な建造物と
重要な橋梁、地下水道、工場、記念碑にはドイツ軍によって爆弾が設置されたんですが。

たまたま、フォン・コルティッツ将軍が「ドイツは敗れる、そのためにこの美しい町を破壊するのは忍びない」
と命令違反をしてパリは守られたわけです。

このへんの顛末は
『パリは燃えているか?』 ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ

NAZI( 」゚д゚)ノ アNAZI( ノ゚д゚)」NAZI( 」゚д゚)ノNAZI( ノ゚д゚)」NAZI( 」゚д゚)ノ \(^■^ ラ 【卍】
イチドハヽ(゚д゚ |_)オイデヨ |_(゚д゚ ヽ)ナチノスレヽ(゚д゚ |_)アNAZI|_(゚д゚ ヽ)NアNAZI( 」゚д゚)ノ アNAZI
( ノ゚д゚)」NAZI( 」゚д゚)ノNAZI( ノ゚д゚)」NAZI( 」゚д゚)ノ イチドハヽ(゚д゚)ノ\(^■^ ラ 【卍】
(@▲@-b [*h* ス (^3^ ) d`∀′♭
415世界@名無史さん:04/04/03 19:09
416世界@名無史さん:04/04/12 01:10
関連過去ログ
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世
http://mentai.2ch.net/whis/kako/998/998624221.html
417世界@名無史さん:04/04/12 01:31
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ドイツのキチガイ度を考えよう (23)
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420世界@名無史さん:04/04/12 05:24
421世界@名無史さん:04/04/12 18:03
オーストリア継承戦争の時にフリードリヒ2世が主張した
シュレジエン地方にたいするブランデンブルク=プロイセン
の古い権利について詳しく御存じの方、教えてください.
422世界@名無史さん:04/04/17 21:56
ドイツは最も官僚制の国?
423Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/18 19:02
>>421
もともとは1537年、シュレジエンの中にあるリーグニッツ、ブリーク、ヴォーラウの
諸侯とブランデンブルク選定侯家の間では「継承者が絶えた時には相互に領土を相続する」
という取り決めがなされていた。
ところがその後、1675年に実際にそれらの領地の後継者が絶えた際、
そうした協定はフェルディナント一世の禁令に違反し、無効だ
ということでハプスブルク家が相続・収公する。
ブランデンブルク側はいったんそれを認めたが、子供のフリードリヒ一世の代になって撤回し、
再度相続権を主張している。

というような話。
424世界@名無史さん:04/04/18 19:50
シュレスビヒ・ホルシュタインはデンマークとだけでなく、
ロシアとも相続関係があったとか?

ホルシュタインは一時ロシア領だった?
425世界@名無史さん:04/04/19 01:30
>>424
それはホルシュタイン=ゴットルプ家のカール=フリードリヒが
ロシア大公女アンナと結婚して
ピョートル三世が生まれたからじゃないか?

あるいはデンマーク王クリスティアン9世の次女が
アレクサンドル3世の妻なのでその関係かもしれんが。

どちらにしろロシア領になったことは無いと思うが…
(オーストリアが管理したことならあるが
426世界@名無史さん:04/04/20 10:33
なぜかチェコとポーランドの間で、
領有権が争われたテッシェン公爵領(何家が公爵だったのか?)も
 シュレジエンの一部?

シュレジエンという国は、「シュレジエン王国」と号したのだろうか?
ボヘミア、モラビア、シュレジエンは共に
「聖ヴァーツラフ王冠の地」と号したらしいが?
427世界@名無史さん:04/04/20 17:51
神聖ローマ帝国・1815年のドイツ連邦の境界はどうなって決まったのですか?
ハプスブルク家の宗主権下にある土地が神聖ローマ帝国で、
それが1815年のドイツ連邦の境界に引き継がれたのですか?
428Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/20 19:04
>>426
テッシェン公はハプスブルク家のレオポルト二世の子供、
カール・ルートヴィヒが一応近代における始祖らしい。
で、テッシェン自体はシュレジエンの南端にある。
かつてはポーランド王家のピアスト家が所有していたそうだが。
なのでハプスブルク家スレで訊いた方が早いかと。
あとシュレジエンは公爵領で、かつてはボヘミア王国の一部だった。
429世界@名無史さん:04/04/20 19:58
ヤバイ。プロイセンヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
プロイセンヤバイ。
まず強い。もう強いなんてもんじゃない。超強い。
強いとかっても
「常備軍15万くらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ最強。スゲェ!なんか単位とか無いの。野砲何門とか騎兵何千とかを超越してる。最強だし超強い。
しかも持久戦してるらしい。ヤバイよ、持久戦だよ。
だって普通は大日本帝国とか持久戦しないじゃん。だってアメリカの艦隊がだんだん強化されてったら困るじゃん。ハワイ沖に空母うようよとか困るっしょ。
戦争期間が伸びて、一年目のときは第一乙種で後方支援だったのに、三年目のときは丙種で主力部隊とか泣くっしょ。
だから大日本帝国とか持久戦しない。話のわかるヤツだ。
けどプロイセンはヤバイ。そんなの気にしない。持久戦しまくり。約7年。最も古くから仕えてる兵士とか観測してもみんな死んでるくらい長い。ヤバすぎ。
最強って言ったけど、もしかしたら普通かもしんない。でも普通って事にすると
「じゃあ、仏露襖瑞薩相手に人口比1:20で負けなかったのってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あとプロイセン王超頭良い。約IQ200。言い換えると天才。ヤバイ。頭良すぎすぎ。分散してる部隊集める暇もなく撃破される。怖い。
なんつってもプロイセンは数的不利が凄い。三方面で戦闘とか平気だし。
うちらなんて数的不利とかたかだかナチスドイツで出てきただけで上手く扱えないから電撃戦にしたり、装甲師団つくってみたり、降下猟兵使ったりするのに、
プロイセンは全然平気。数的不利を数的不利のまま戦ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、プロイセンのヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイプロイセンを率いたフリードリヒ二世とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
430世界@名無史さん:04/04/23 09:27
ラインフ゜ファルツの幼稚園の先生か゛光のセミナーの人種 差別教育
431世界@名無史さん:04/04/30 12:15
ナポレオンがドイツに攻めて来て市町村合併されて
300国が30国になったようね。
432Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/04/30 20:43
一般に300国と言うが、ナポレオン直前の実際の国数はどれくらいだったんだろうか。
三十年戦争から150年くらいあって、後継ぎ断絶とかで結構併合されたりもしてるみたいだし。
433世界@名無史さん:04/05/01 13:05
ホーエンツォレルン本家が、ブランデンブルクに去って後は、
ニュルンベルクや南西ドイツの領地(ツォレルン城など)は誰が支配したの?
434世界@名無史さん:04/05/01 17:38
>>432
断絶するところがある一方で、領地が分割されてる所も多いからわからんね。

>>433
ホーエンツォレルンの分家―
ヘッチンゲン家系、ジグマリンゲン家系、バイロイト家系、アンスバッハ家系など。

アンスバッハとバイロイトは1792年、
2つのホーエンツォレルン公国は1850年に、
プロイセン王国に併合。
(のちアンスバッハが1806年、バイロイトが1810年にバイエルン王国に併合)

ジグマリンゲン家は後にルーマニア王家にもなってるね。

ニュルンベルク城伯領は早期に消えた?
435世界@名無史さん:04/05/01 17:47
質問です、その当時>>434の頃、ドイツの諸領主の封土や領地って
「領域」をもって線引きされていたんですか?それとも城−城的な感じですか?
それとも都城国家と領域国家の中間という感じですか<曖昧

中世ヨーロッパの上にある国境線というのが非常に不明瞭で……概念図ですよね。
宜しくお願いします。
436世界@名無史さん:04/05/01 18:00
当時って18世紀か?
中世っていうと13世紀とかか?ホーエンツォレルンが分かれたのはそれぐらいだし…
437世界@名無史さん:04/05/01 19:38
>>436
やはり年代がネックみたいですね…18世紀と言う事でお願いします。
438世界@名無史さん:04/05/02 13:00
方伯というのは何のことですか?辺境伯のこと?
439世界@名無史さん:04/05/02 21:44
440世界@名無史さん:04/05/02 21:47
既に条約で生体情報をコード化しなければならないことが決められている。
そんなもん、米国の入国規制が行われれば、すぐに普及する。
どこの国もあわてて前倒しをしているのが事実。
日本だって来年から採用だ罠。
もう少し、勉強しようね>>厨房君


27 :NASAしさん :04/02/18 03:02
それが出来ないから米国のICチップ搭載強要すら延期がほぼ決定してる。


28 :NASAしさん :04/02/18 22:47
>>27
パスポートのコード化とIDカードのICカード区別が付いていない馬鹿のようだな。
既にIDカードのIC化は、EUで実施されており、近隣諸国とは、2国間条約で入出国が可能。
もちろん、アジアならシンガポールが行っている。
AFOよ、深夜に書き込む暇があるならもっと勉強しろ。
既に日本も日本政府発行IDの発行は、来年度からの予定。
シンガポールとの入手国協定も締結済み。
パスポートのコード化は、条約が発効しているがICカード化は、まだ発効などしていない。
AFO、がんばって仕事見つけろよ。
441世界@名無史さん:04/05/03 01:36
>>438
辺境伯、方伯、城伯は全部別物。

ヘッセン・ホンブルク地方伯なるものがあるようだか、これは何だ?
442世界@名無史さん:04/05/03 17:33
前に、VONとか、
ZU UND VON とかの名前で質問がありました。
少し関連質問ですが、tp://en.wikipedia.org/wiki/Claus_von_Amsberg
で出てくる。
Known as "Prins Claus" in the Netherlands, he was born in Dötzingen (Hitzacker),
as Claus George Willem Otto Frederik Geert jonkheer von Amsberg.
このおじさんですが、
jonkheer von Amsberg は、貴族の流れということですか。
また、jonkheer が小文字で始まっているのが、気になるんですが、どうでしょうか。
443442:04/05/03 19:12
すみません。これは別スレで前に出ていたんで、こちらではなかったです。
444442:04/05/03 20:15
>>441

Landgrafの訳ではないですか、もしそうなら、方伯と同じです。
445442:04/05/03 20:22
辺境伯は、フランスでは、マーキスの語源にはなったと思うけど、
辺境伯自体は、途絶えたように思う。正しいかなぁ。
もともとは、フランク王国でそういう爵位とかは、同一で、
ロマンス語、ゲルマン語で言い方は違っても、キチンと一対一対応できたと思う。
でも、西と東に分かれたんで、西の辺境伯は、そのままなくなった。
イスパニア辺境箔は、西フランクに服さなかったし、
プロバンス辺境箔は、ドイツ皇帝の宗主権の下。
ほかにどんな辺境箔があったか知らないけど。
結局辺境伯というのは、王の風下のイメージがなく、その後、西フランク王は創設しなかった。
マーキスは、辺境の長官というより、伯の上という意味で、新たに借用・発明したんでないかなぁ。
446世界@名無史さん:04/05/03 20:46
>>393
カラヤン家自体は爵位を持っていない(はずだ)から、ユンカーの中での
爵位持ちの家と婚姻関係を持たなければ、爵位は名乗れないことになる。

この意味ですが、ドイツでは、
爵位は、有爵者の子孫のうち、爵位は一子だけに伝えるわけでなく(英国のように)、
また、息子たち皆が引き継ぐと同様、娘たちも引き継げるということをおっしゃっているのですか。
つまり、男爵A氏の娘B子は、Baroness(Frei??.。ドイツ語よくわからんので失礼)なので、
その子たち、つまりA氏の孫は、等しく、Baronなり、Baronessになれるという意味でしょうか。
初歩的かつ、昔のことをぶり返してすみません。
よろしくお願いします。
447世界@名無史さん:04/05/03 21:46
イスパニア辺境箔=バルセロナ伯?
448カラジチ ◆mWYugocC.c :04/05/04 10:47
>>447
同じではないです。
イスパニア辺境伯領のうちで有力になったバルセローナ伯が、辺境伯領全体を束ねただけ。
449世界@名無史さん:04/05/04 11:47
東フランク王⇒神聖ローマ「皇帝」ということですか?

それへの服属を拒否したものが
西フランク王⇒フランス(ただしイル・ド・フランス地方だけ)国王
、ポーランド国王ということですか?

神聖ローマ帝国の境界線は、」いかなる経緯で決まったのですか?

西境界線はフランス国王との力関係で決まり
東境界線はポーランド国王、ハンガリー国王、ドイツ騎士団との力関係、
南境界線はローマ教皇領との関係で決まったのですか?
450世界@名無史さん:04/05/04 11:49
神聖ローマ「皇帝」というからには、
名目だけとはいえ他のキリスト教徒君主全てに宗主権を主張していたのですか?
451カラジチ ◆mWYugocC.c :04/05/04 14:26
>>449-450
東フランク王→神聖ローマ皇帝ではなく、
東フランク王→ドイツ王です。
ドイツ王位は皇帝と兼任されることが多かったので、ほとんど登場しませんが。

神聖ローマ皇帝は名目上カトリック世界の俗権の最高君主ですが、
ポーランドやスペインの諸王国はその宗主権下にありません(フランスは自信ないけど多分宗主権外)。
これらの王国は教皇に服属しており、教皇に王位を認められ、教皇に戴冠されました。
この点、同じ王でも神聖ローマ皇帝の臣下であったボヘミア王とは違います。

理念上神聖ローマ帝国には境界線はありません。教皇に服属している君主たちも、皇帝に従う義務はあります。
理念上、ですけど。
歴史地図などで引かれる境界線は、帝国議会に代表を送る領邦を示しています。
帝国議会に代表を送るのは、皇帝の直接宗主権下にある領邦のみです。
(教皇と皇帝の領邦に服属している聖界君主たちは微妙な立場ですが、議会に代表を送っているので「帝国内」として扱っているようです。)
452世界@名無史さん:04/05/04 14:40
>>448
イスパニア辺境伯が分裂して、いろんな伯国(伯領)に分かれたとか、聞いたような。

でも、各伯は、辺境伯とは名乗らず、
伯を称しただけだったのかな、よくわかりません。
その中で、最後に全体をまとめた、バルセロナ伯も、
辺境伯を称するようなことはなかったとは、なんとも、奥ゆかしいような気が。
(独白失礼)。
453452:04/05/04 14:45
>>451

僭越ですが、質問しますけど、よいでしょうか。

>東フランク王→神聖ローマ皇帝ではなく、
>東フランク王→ドイツ王です。


とのことですが、このドイツ王という表現、いつのころからと思います?
最初は東フランク王という印象が強いのです。
それにこの<ドイツ>という表現は、<「諸」国民>というニュアンスであるとの話もあったかと。
アレマン族、ザクセン族とかいますから、かれらを宥めるためには、
フランク王という言い方より、ドイツ王が好まれるようになっっていった、、、、
こんな風に小生は考えますが。
454452:04/05/04 14:50
>>451
連続書き子でごめん。
さらに小生、はっきり掴みかねますに、
いつごろより、ローマ王と称するようになったのかと。
江村氏の講談社新書のハプスブルク本あたりでも、
 「カール大帝が、ローマ王になった」だの、
 「早々に、ローマ王の地位を、弟フェルディナンドに譲り、
  その一方、自分は皇帝にとどまる。これにより、ハプスブルク家から皇帝位が離れるのを防いだ」などの
記載があるような。
大兄のご高見承りたし。
455世界@名無史さん:04/05/04 19:18
>教皇に服属している君主たちも、皇帝に従う義務はあります。

ではやはり宗主権下ということになるのですか?

>東フランク王→ドイツ王です。

この「ドイツ」とはDeutschlandですか?

456世界@名無史さん:04/05/04 19:24
>ドイツ王位は皇帝と兼任されることが多かったので

別々の時も有ったのですか?
この「ドイツ王位」というのは、何時まで存在したのですか?
ナポレオンに攻め込まれたときに
「神聖ローマ帝国」の王冠は無くなり、ハプスブルクは「オーストリア皇帝」と自称し始めたのですか?

457世界@名無史さん:04/05/04 20:16
119 名前:世界@名無史さん :04/05/02 21:33
最近、アルザスで反ユダヤ主義が盛んだそうな。
ユダヤ人墓地にヒトラー礼賛の落書き


120 名前:世界@名無史さん :04/05/04 20:15
質問です

ドイツでは、ポスト不足と薄給から、研究者の国外流出が深刻な問題になっている
というのは、本当ですか?

フランスでも、同様な原因で、抗議の研究所責任者の集団辞任があったばかりですが。


458Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/05 01:21
えーと、まず基本的なところを。
神聖ローマ帝国成立以降、「ローマ王」と「ドイツ王」はほぼ同じ人物を指し、
これらは時の皇帝が次期皇帝に称号として譲るのが通例だった。
で、その次期皇帝が帝位についてしばらく経ち、後継者が大きくなると
その人物にドイツ王and/orローマ王位を譲って次期皇帝に正式に指名する。
無論ドイツだから選定侯の承認が前提だが、別の人物がなっている時というのは
ほとんどがこの例。
ちなみに「ドイツ王」となったのはカール五世が最後で、
これはハプスブルク家の東西分裂(によるオーストリア系の領土固定)と
「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という呼び方(認識)が一般化して、改めて
ドイツ王になる必要がなくなったせいだろうと思う。
それ以前はドイツ王とローマ王の両方になっている例も多いが、これ以降はなるとしても
「ローマ王」のみ。フェルディナント二世やフランツ一世はローマ王にもなっていない。

末期の状況はよく分からないが、少なくともマリア・テレジアの子供のヨーゼフ二世は
皇帝として即位する前年にローマ王になっているから、概念として革命前まで
存続していたのは確実。
459世界@名無史さん:04/05/05 01:46
つまりウェールズ公みたいなものか?

ナポレオン2世の「ローマ王」ってのは、それ以前の「ローマ王」と同じものなのだろうか?
460Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/05 10:35
それが一番近いと思う。もっとも、こっちはプリンス・オブ・ウェールズの称号が
生まれつきのものなのか、改めて「もらう」ものなのかよく知らないので
判断しかねるが。
後者についてはフランス史の分野でないかと。
461カラジチ ◆mWYugocC.c :04/05/05 11:38
>>453
「ドイツ王」という表現については、山川の『ドイツ史1』に詳しいです。
「ドイツ」という言葉の起源を探るのは、ドイツのナショナリズム史観において重要だったようで。
さて、『ドイツ史1』によれば、「ドイツ」という呼称が見られ始めたのは11世紀後半からのようです(S.113)。
そして、291〜293ページには、13世紀末のドイツの状況として、>>453=452氏が言われたように、
地理的な概念として「ドイツ」が使用されたことが述べられています。
この時期は、大空位時代を挟んで、東フランク王国=ドイツ王国が動揺した時期にあたるわけで、
「フランク人の王」というタイトルは支配者にはふさわしくなくなったのかも知れません。

>>454
「ローマ王」は古いのではないでしょうか。ただ、きちんと触れている本を見たことがないので、何とも言えませんが。
「ローマ王」の原語は"Rex Romanorum"で、これは「ローマの王」ではなく「ローマ人たちの王」という意味。
なので、「バイエルン人の王」「フランク人の王」などと同様に、王国内のローマ人たちを束ねるものとして理解されていたのではないかと思います。
自信があるわけではありませんが、「ドイツ王」と同義で使われているような。

>>455
>ではやはり宗主権下ということになるのですか?
「宗主権」をどうとらえるかによるのではないでしょうか。
従う義務があるとは言っても、皇帝は彼らの王位継承には口出しできませんし、あれらの王国内のもめ事に口を出すことも出来ませんから。
>この「ドイツ」とはDeutschlandですか?
ドイツ語ではそうです。が、現在の意味での「ドイツ」とはずれがあります。
>>453で452氏が言われているように、Deutschにはアルプス以北の人々を、ゲルマン系・ラテン系・スラヴ系にかかわらず総称した言い方だったようです。

ドイツ王、ローマ王の継承についてはRyuju氏の言われる通り。補足dankeです。
462世界@名無史さん:04/05/05 13:53
DeutschはDutchと同じ語で、
ラテン語、ロマンス語を話せない「民衆」くらいの意味だった?
463454:04/05/05 16:26

自分で書いた<「カール大帝が、ローマ王になった」だの、>ですが、このカール大帝は、カール5世の間違いです。すみません。

>>458
☆僕は、東フランク王→ドイツ王→ローマ王と短絡してたので、
 ローマ王とドイツ王を別々に考えるとの説明、目から鱗です。
 461さんの説明も読んで考えると、
 ローマ帝国が滅んだとき、ローマ市民権をもった人がいたはずで、
 これらの子孫が、ローマ市民権を継承し、
 また時の地方領主も、このローマ市民権を認めるという立場の引継ぎ者として振舞ったかなと。
 神聖ローマ帝国初期(神聖ローマ帝国という名はなかったようですが)も、このローマ市民権を持った
 名門旧家がいて、これらの王であるということが、「ローマ人の王」という意味かと
 思いますが、合っていますでしょうか。
 その後、すでに形骸化していたローマ市民権というものが、人々の意識にも、支配者の意識にも上らなくなり、
 ドイツ王だけしか名乗らなくなったとか。

 フランス革命の人権宣言で、「市民と国民のため?(はっきり記憶しません)」という言い方で、
 人々を二段階にわかる表現がありますが、これを連想しましたが、
 この連想って、ずれてますでしょうか。


464454:04/05/05 16:39
>>459
外国のタイトルは、原語がわからないとまずいですね。
フランス皇帝といっても、
「フランスの皇帝」なのか、「フランス人の皇帝」なのか、わからいと。

ラシュタット公の就いた「ローマ王」も、
ローマの王なのか、ローマ人に王なのか、
日本で手に入る、普通の、歴史の本では、不明だし。

ちなみに小生は、これは「ローマ人の王」だと思う。
もちろん、(貴殿のおっしゃるとおり、)それ以前のローマ王と同じ意味だと思う。
すくなくとも、ナポレオンは同じ意味を持たせたかった筈でと愚考する。
ナポレオンは、マリールイズ(ハプスブルク家)との間に子を作ったわけで、
つまり、
息子は、神聖ローマ皇帝家を通じ、ローマ人の王たる血統を有する
ローマ帝国の継承者(ローマ市民の保護者、といっていいかなぁ?????)である。
ローマ皇帝は、カール大帝を経、オットー大帝に始まる神聖ローマ皇帝を経、
ここで、ハプスブルク皇帝を離れて、ボナパルト家を継がれたという
大変な野望だと思う。
だから、ヨーゼフに始まるオーストリア帝国は、神聖ローマ帝国の後継国家ではなくて、
ボナパルト家こそが、後継者だということが、その狙いだと思う。

465古いことを気にしますけど:04/05/05 17:40
遠大な話題の中ちょっとだけ割り込みます。

>>367
>ちなみに武器製造のクルップ家はユンカー貴族からの嫁入りで
>男爵家になっています。

>>393
>カラヤン家自体は爵位を持っていない(はずだ)から、ユンカーの中での
>爵位持ちの家と婚姻関係を持たなければ、爵位は名乗れないことになる。

ドイツの爵位といっても、時代によるし、
帝国と領邦と、また、領邦でもさまざまだと思います。
サリカ法の影響があるかどうか、フランク系か、ザクセン系かとか。
そこで、以下では(一般的に)という表現を挿入しました。

引用させていただいたコメントは、下記@Aのことを所与としているんでしょうか。
というのは、結婚により、夫人の実家の爵位が入り込むということがよく理解できないのです。
466古いことを気にしますけど:04/05/05 17:40
@ドイツでは、(一般に)息子は皆 受け継ぐ。「Freiherr ○○」たるA氏 の長男Bも、次男Cも、「Freiherr ○○」である。
A分家で引き継がれた爵位も、その分家の息子たち全員に同じく、引き継がれる。
 つまり、長男Bの息子のD,Eも、次男Cの子供F、Gは、等しく「Freiherr ○○」である。
BA氏,子供B,C、孫のDE、外孫F,Gは、皆、同時に「Feiherr○○」を名乗る。
 つまり、子であるB,C、孫であるD〜Gは、A氏の生前から、「Friherr」を名乗る。
CAの配偶者、子であるBとCの配偶者、孫のD〜Gの配偶者は、「Freifrau ○○」を名乗る。
そして、
DAの娘Hは、「Freifrau ○○」を名乗る。ただし、彼女の夫Xは、Freiherrは名乗れない。
EHとXの間の息子、YとZは、「Freiherr ○○」を名乗る。
FYとZの妻は、「Frefrau ○○」を名乗る。
GHとXの娘Pは、「Freifrau ○○」を名乗る。

こんなことでしょうか。
マニアックですみませんが、どうもすっきりしないもので、
よろしくお願いします。




467世界@名無史さん:04/05/06 07:04
>>458,461
「ドイツ王」っていうタイトルがあるのか?
寡聞にして知らず。
468Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/06 10:42
ttp://page.freett.com/mako_vl/heilige.html

取りあえずこのサイト必見。称号としての「ドイツ王」「ローマ王」
の変遷がよく分かる。他の細かい用語についてはカラジチさんの解説希望。
で、意外なことに「ドイツ王」のまま、「神聖ローマ皇帝」になっていない人物も、
特に中期には多数いるようだ。
469世界@名無史さん:04/05/06 16:55
教えてもらったサイトみてみたけど、ここではどうやら、

皇帝存命中に選ばれた王を「ローマ王」、
前任の皇帝/王が死んでから選ばれた王、あるいは皇帝の死去後の「ローマ王」
すなわち単独統治を行う王を「ドイツ王」、
中世であれば「ドイツ王」が教皇によって冠を授けられれば「ローマ皇帝」、
近世(この場合は1519)以降は前任皇帝が死ねば「ドイツ王」は自動的に「ローマ皇帝」

としているみたい。
しかし、16世紀の前半までどの王も「ドイツ王」と自称したことはないはず。
少なくとも、国王証書においてそのような自らのタイトルを記載した王はいない。
王の選出は、13世紀後半以後フランクフルト・アム・マインにおいて選定(帝)侯によって
「選挙」され、アーヘンにおいて戴冠して「ローマ人(たち)の王」になる、という手順を踏む。
その「ローマ人(たち)の王」が教皇によって戴冠されることによって初めて「皇帝」になる。
この区分は、マクシミリアン一世が「選ばれし皇帝imperator electus」と、
自称するまで厳密に維持された。Ryuju氏が皇帝にならない王がいる、といったのも
この区分が生きていたから。しかし、2代あとのフェルディナンド一世以降、
教皇の加冠なくとも「皇帝」を称する伝統が定着し、王が単独で統治する状態
がありえなくなり、カール五世が最後の単独統治する王となった。
というのが、我輩の知るところであったので、「ドイツ王」ってなんだ?と思ったわけです。

もし、このサイトが「ドイツ王」タイトルに関するニュース・ソースなら
このサイトの書き手が上記のような区分を設定して書いたものと思われるんだが。
470467:04/05/06 17:02
469に名前いれるも、ageるのも忘れた。
サイトのタイトルの区分は、前任皇帝/国王の生没年と即位(選挙)年の関係から
おそらくそうだろうと導き出した、っていう理由も書き忘れた。

年かな
471世界@名無史さん:04/05/06 17:42
神聖ローマ皇帝とロシアのツァーリは対等な立場だったのか?
472世界@名無史さん:04/05/09 12:05
いつから神聖ローマが「ドイツ人国家」と思われるようになったのですか?
473467:04/05/09 13:35
>>471
ロシアのツァーリは1721年から公式に「皇帝」を称することになるけど、
神聖ローマ皇帝に対しその位階と伝統的な優位に異議を唱えることはなく、
また、ヨーロッパ世界も1762年ツァーリの名称を受け入れたとき、
「外交における君主の位階と儀礼において今後も変更はない」としているから、
神聖ローマ皇帝をヨーロッパ世界の第一人者とみなし続けたみたいよ。
474世界@名無史さん:04/05/09 20:49
ということはロシア語では神聖ローマ皇帝を、「ネメツのツァーリ」とでも呼んでいた?
ドイツ語ではツァーリのことを「ロシアのカイザー」とでも呼んでいたの?
475世界@名無史さん:04/05/09 20:52
ロシア側では、まだ相手が強い時代では、カルムイクやジュンガルに対して「ツァーリ」と呼んでいたと思うが・・・?
476世界@名無史さん:04/05/09 20:54
エルツベルガー
477世界@名無史さん:04/05/10 02:55
>>469
マクシミリアン1世存命中にローマ王選挙やろうとしたら、レオ10世から「お前はまだ皇帝
じゃなくて、ローマ王だろ」といちゃもんをつけられたんじゃなかったっけ?
478世界@名無史さん:04/05/10 03:15
山田欣吾の論文(「教会から国家へ」所収)に、
「ドイツ王」だの「ドイツ王国」だのいう表現は、
叙任権闘争期に教皇側から持ち出されたものでわ?
という話があった。
479467:04/05/10 07:30
>>477
マクシミリアン一世とレオ十世のエピソードは知らなかったけど、
マクシミリアンは1508年トリエントで祝典を開いて、自らを「選ばれしローマ皇帝」と呼び、
さらに、今後皇帝の称号はローマ征行と教皇の加冠なくとも名乗ることができる、と宣言、
かつまたこの「選ばれしローマ皇帝」の称号をレオ十世の前任者ユリウス二世が承認しているよ。
マクシミリアン自身は教皇による戴冠を受けたかったらしいんだけど、
当時はイタリア戦争中で戴冠できず、また自身のイタリアに対する主張を正当化するため
こういう称号を持ち出したみたい。
ユリウス二世もイタリア戦争がらみでこの称号を積極的に認め、教会の守護を要請したみたい。

教皇と皇帝、両者ともにやむにやまれず持ち出した称号だから、
後継者を選ぶ選挙の際には原則論が持ち上がったんだろうね。

ところで、その後継者ってカルロス一世でいいのかしら?
480467:04/05/10 07:52
>>478
我が家に偶然あったからみてみた。
教えてくれた論文って多分六番目の「『ドイツ国』のはじまり」だと思うんだけど、
結局いってることって、山川の『ドイツ史1』と同様まずはアルプス以南の人々が
アルプス以北で東の部分の呼称として用いていたのが「ドイツ」概念のベースとなっており、
政治レベルの用法は、叙任権闘争がからんでて、
皇帝権のベースであり当時しばしば皇帝と混同されていた「ローマ人たちの王」の
権力の及ぶ範囲を「ドイツ」部分に限定しようとしたローマ教会の意向が強く反映されている、
っちゅう話だよね。最近も三佐川亮宏氏が東海大の紀要(2001、2002)にそんなこと書いてるし。

けど、山田、三佐川の両氏ともに王権の側は常に皇帝位に連なりうる普遍性を
指向した、っていってるから結局「ローマ人たちの王」の統べる国が
「ドイツ人の国」に名実ともになるのって近世、つまり神聖ローマ帝国に
「ドイツ国民のDeutscher Nation」という限定詞がついて以降、ってことになるんじゃないかしら?
481世界@名無史さん:04/05/10 13:13
そもそも正当性がなかったものを無理やり屁理屈でローマと呼んだのが神聖ローマ帝国ということ、でいいですね。
482世界@名無史さん:04/05/10 14:09
そりゃそうでしょう( ̄∀ ̄)
483世界@名無史さん:04/05/10 14:55
ブラウン管はドイツ人のブラウン博士の発明で、これでノーベル賞を受賞している。
テレビ撮影機も映像の伝送技術もドイツの発明で、人類初のテレビの電波中継はヒトラーの演説だった。

テレビはドイツで誕生したのだ。
484世界@名無史さん:04/05/10 20:28
でも、ヒトラーのルックスは、世界的人気ものではないでしょう。
485世界@名無史さん:04/05/10 20:44
>>479
ローマ教皇としては、対外行動に積極的なマクシミリアンを
ローマで戴冠させる事は出来れば避けたかったと言われています。
何故なら教皇に戴冠される事によって、マクシミリアンは
現世の王侯の第一となって、権威的にもローマ教皇に並んでしまうから。
(神聖ローマ皇帝はキリスト教(カトリック)の保護者)
フランス王もヴェネツィアを始めとするイタリア都市国家群も、皇帝就任に
よって、マクシミリアンがイタリアへの影響力を強める事を嫌っていました。
イタリア戦争の政治的カードとして、何度かマクシミリアンへ戴冠の打診がありましたが
戦況が神聖同盟に有利になると、すぐに白紙にされます。
これに業を煮やしたマクシミリアンが、皇帝宣言をしたわけです。
なので、教皇は自分に都合が良い間はこれを認め、悪くなるとこれを非難していました。

カールのローマ王選出が実現されると、ハプスブルク王朝がヨーロッパを
席巻すると恐れた教皇は、最終的にはマクシミリアンの皇帝就任を否定したので
マクシミリアンの死後、カールとフランソワ、イギリスのヘンリーの間で熾烈な
選挙戦が繰り広げられました。
486467っていうか479:04/05/10 23:16
>>485
なるほど。いや、勉強になりました。
487世界@名無史さん:04/05/11 01:17
>>483
テレビはロシアで発明された。
電子楽器で有名なテルミンが発明者。
488世界@名無史さん:04/05/11 17:59
>>458
皇帝が後継者として国王を選出するのが慣習化したのは、ハプスブルク家が
帝位を半ば、世襲化するようになってからの事です。
(ザクセン朝やシュタウフェン朝など、金印勅書以前の王朝ではしばしばありました)
ハプスブルク家が皇帝と国王を同時に選出するはしりとなったのは
フリードリヒ3世が息子であるマクシミリアンを、対トルコ戦の帝国軍指揮官として
推薦した事に始まります。
(皇帝は元々、臆病者だと思われていた上に、老齢で指揮が取れそうになかった)
マクシミリアンがフリードリヒ3世の元でローマ国王を務めていた時期を
共同統治者と特筆して年表に書く事が多いのですが、国王と皇帝の職務は
同じで、ローマでの戴冠式を行って神性を得ているかどうかが唯一の違いだったので
フリードリヒ3世は、存命時は息子ですら警戒していたようです。

ローマ王という職制が実権をほとんど失ってイギリスにおける
プリンス・オブ・ウェールズと同じような状態になったのは、カール5世が
弟のフェルディナンドをローマ王に選出するよう選帝侯を説得したのが始まりです。
以降、458で取り上げられているように何人か国王にならずに皇帝に即位している人が
いますが、これはお家騒動があったりして、イレギュラーな事態になっていただけで、ローマ王という地位が
存在感を失ったわけではありません。

簡単に言うと神聖ローマ皇帝とはローマで教皇の手から冠を受ける事で
神性を得たローマ王で、ヨーロッパ世界(キリスト教圏)を守護する役目を
負った人物の事です。
なので名目上は宋主権はヨーロッパ中に及んでいると解して良いと思います。
(ここでの宋主権はその地域の防衛の為に、十字軍を起こすという位のもの)
実際、ローマ国王には選出資格というものがなくて、帝国以外の諸侯でも
選ばれればなれました。
例えばカール5世は出自こそ、先の皇帝の(マクシミリアン)の孫でしたが
選挙時にはスペイン国王兼、ブルゴーニュ公でした。
489世界@名無史さん:04/05/11 21:54
神聖ローマ皇帝=十字軍・対イスラム最高司令官?
490488:04/05/11 22:26
訂正
宋主権→宗主権です。

>>489
そもそも、オットー大帝の戴冠は対マジャールの戦勝によるものですし。
そういう風に考えても間違いではないと思います。
(あくまで理念上ですが)
事実、中世期の皇帝達は十字軍やイタリア政策に強い興味を持っていましたし
マクシミリアン1世やカール5世も例外ではありませんでした。

神聖ローマ帝国の成立当時、東ローマ皇帝に気兼ねして『ゲルマン人の』皇帝
という事にしていたので、現在のドイツに限った存在であると思われがちですが
このゲルマン人とは非ビザンツくらいに思った方が良いと思います。
まだフランスやドイツといった国の概念は無かったし、諸侯はゲルマン系がほとんど
だったわけで。
491世界@名無史さん:04/05/12 04:20
ルターの頃「高貴なゲルマン国家」という言い方を誰かがしていたと思うが・・・・?
492世界@名無史さん:04/05/12 04:37
北イタリアの貴族には(民族的な独自性は同化して無くなったが)ランゴバルド系が多かったので、
神聖ローマ帝国の圏内だったの?
493488:04/05/12 10:29
>>491
ルターの頃から国民国家としての“ドイツ”という概念が生まれ始めました。
その頃のゲルマンとは意味が全く違ってきます。

>>492
ロタールの子孫が開いたイタリア王国の王統が途絶えてしまい
ローマの新たな保護者が必要になったので、西フランクより勢力が強いと
見られた東フランク王に帝冠を持っていって勢力圏に入りました。
つまりイタリア王国と東フランク王国の一種の統合みたいなものです。
(この時の帝位は西ローマ帝国)

南イタリアは当初、東ローマの勢力圏でしたが、少しづつイスラム勢力に
蚕食されていきました。それに対抗して、オットーをイタリアの保護者に
する事でイスラム勢力への牽制にしたわけですね。
494世界@名無史さん:04/05/12 20:42
>>465 >>466 の疑問点は、わたしも、ずっと抱いておりました。
466の一部を下へ勝手に引用いたしますが、
嫁ぎ先の家で、(*)爵位を名乗れるのか(本当に)、
また、(**)どう名乗るのか。
そこに関心があります。

>DAの娘Hは、「Freifrau ○○」を名乗る。ただし、彼女の夫Xは、Freiherrは名乗れない。
>EHとXの間の息子、YとZは、「Freiherr ○○」を名乗る。
>FYとZの妻は、「Frefrau ○○」を名乗る。
>GHとXの娘Pは、「Freifrau ○○」を名乗る。

この たとえば、Eですが、Freiherr○○を名乗るということでよいのでしょうか。
H子の夫、彼Xの姓がたとえば、フォン・クルップ氏であったとして、
以後はクルップ男爵になってしまうのでしょうか。X氏の代からでしょうか。
その息子の代から(Y,Zから)なのでしょうか。
そして、○○男爵ではなく、クルップ男爵になってしまう、そういうことで、
わたしの理解は正しいでしょうか。
お返事は、いつでもかまいませんが、こういう質問があったということだけ、
お心にお留めくだれば幸いです。

495世界@名無史さん:04/05/12 23:55
>>491
ヤン・フスの支持者によるチェコの民族意識覚醒とプロテスタント運動に刺激されたもの。
496世界@名無史さん:04/05/14 20:40
 ベートマン・ホルヴェーク
497世界@名無史さん :04/05/14 23:13
フリードリッヒ3世は臆病で陰険と言われているが、
どうなのだろうか。長寿という強運だけじゃない
ような気がするな。
498世界@名無史さん:04/05/15 01:19
ザクセン人というのは元々、ニーダーザクセンの人間を指していたはず?

地理的に隔絶したドレスデンを中心とした地域が何故「ザクセン」と呼ばれるようになったのか?
499世界@名無史さん:04/05/15 15:10
「日本海」「東海」併記の地図販売…独の出版社(読売新聞:5/14)

【ベルリン=宮明敬】韓国が「日本海」の名称を「東海」と変えるよう国際的に
働きかけている問題で、ドイツの地図専門出版社がこれに応じる形で、
「日本海」と「東海」を併記した地図の原版ソフトを制作、販売していたことが
明らかになった。

 この会社は、コーバー・キュメリー・フライ(本社デュッセルドルフ)。
デュッセルドルフで6日開幕した印刷機器見本市で、印刷機メーカーが同社製の
地図を印刷見本として14日に配る予定になっていた。外交専門誌の記事から
これに気付いた在独日本大使館は、「極めて政治的な問題が経済交流の場に
持ち込まれるのはおかしい」と見本市事務局等に抗議、見本市での配布は
とりあえず中止された。

 しかし、同社のティム・コーバー社長は「併記するのが最も中立的と判断した。
一方の当事者の抗議だけで地図を修正するつもりはない」と話している。問題の
原版ソフトはすでに一部の企業に販売されており、1―2年後には、広く出回る
ことになるという。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040514id26.htm
500世界@名無史さん:04/05/15 20:08
>>498
そうなんですか。
僕は、ゲルマン移動が落ち着いた時点では、
ドレスデンあたりがザクセンの本拠地で、ただ、ザクセンは有力で広がっていった。
低い土地であったあのあたりへもザクセンが広がったので、
その辺をニーダーザクセンと呼んだのかと思ってました。
ちなみに更に、海を渡ったのがイギリス人の元になってきてるのかと?
501世界@名無史さん:04/05/15 20:16
>>500
アングロサクソンの影響は人種学的には深刻ではなかったと言われている。
これはアングロサクソン征服以前と以降のイギリス人を医学的に比較した結果らしい。
イギリス人が英語を話すからアングロサクソンだというのは逆立ちした決め付けで、
むしろドイツ語もそうだが、近代以降の公式語策定の結果が大きいと思われる。
502世界@名無史さん:04/05/15 20:19
>>501
てことは、イギリス人の先祖の大半はケルト系?
503世界@名無史さん:04/05/15 20:28
中国でも数次に渡る民族の移動が見られるが、
これなどは逆に移住者が先立つ中国語を話すようになった結果として、
中国人が恰も千古の昔から変らず存在していたような錯覚を与える。
しかしながら視覚的な書き言葉が体系だっていたために言語体系の破壊を免れただけで、
話し言葉としては千年二千年どころか地域ごとに大きな違いが見られる。
ヨーロッパでも事情は同じで東方や北方から絶えず人の移動があった、
しかし音写文字体系である為に、
またラテン文字以外は初期から統一した文字体系を持たなかった為に、
言語としては限りなく細分化されてしまった。
後になって近代的国家樹立の過程で自国の言語を厳密に定義し、
それを自国内の全てに押付けようとした結果、
本来なら自国を構成していたはずのヘブライ語やブリトン語やイデッシュ語やケルト諸語などが、
イギリスはアングロサクソン国家、フランスはラテン国家、ドイツはゲルマン国家、
という逆立ちした前提から排除されてしまった。
504世界@名無史さん:04/05/15 20:32
>>502
人類学的にはそうらしい。
ゲルマン人も、ローマ帝国崩壊時点でさえも東方からの移住者とセットになった形で顕れる。
近代に至るまでドイツはゲルマン人という一つのセットで出てくるわけではないし、
現に神聖ローマ帝国の皇帝にはマジャール人もチェコ人もいた。
505世界@名無史さん:04/05/15 20:34
>>504
ハプスブルク家の先祖はどうよ?
506500:04/05/15 20:43
そうですか。
ちなみに、フランス人も、人種的にはケルトだと、聞いたことがあります(すれ違いスマン)。
507世界@名無史さん:04/05/15 20:49
>>506
結局、英語をしゃべるアイルランド人とイングランド人て、どう違うの?
外見そんなに違うの?
508世界@名無史さん:04/05/15 20:53
>>505
良くは知りませんが、元はスイス辺りに居たらしい。
ヨーロッパは昔から人の移動が激しいので、
語族=民族とは決め付けられない典型的な地域。
にもかかわらずヨーロッパで最初に語族が民族の分類に使われだしたというのは面白い。
509世界@名無史さん:04/05/15 21:36
 フランスって、ドイツ語でフランくライヒですね。
ゲルマン人のフランク王国みたい。結局、国名を見る限り、ゲルマン族といことです?
 また、フランス語で、クロービスなり、シャルルマーニュのフランク王国はなんていうんですか。

フランスは、ラテン化したケルト人種の国で、支配者はゲルマン(フランク人)
だったけど、人数的に少ないので、たちまちラテン化、支配者の言葉もラテン化してしまった。

 ドイツは、被支配者層も人種的にゲルマンで、支配者もやっぱりゲルマン人、
ラテン化もしたかもしれないけど、言語とかは上も下もずっとゲルマン系のまま。

これでよいでしょうか。
510Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/15 22:21
>>509
概ねそれでいいけれど、ドイツに関しては、血はスラブ系も多少入っていそうだ。
言葉はゲルマンだけれども。
チェコ人とかポーランド(プロイセンが併合した)はスラブ系だしね。
ドイツ人で「〜スキ」とか名乗ってるの見ると、「こいつの祖先スラブ系か?」
と思うこともある。
この辺学術的にはどうなんだろう。
511488:04/05/16 00:07
>>505
ハプスブルク家は最初は現在のスイス近くの貴族でした。
ルードルフ1世が皇帝就任した際に、反対したボヘミア王オットカルと争い
これを破った結果、オットカルが保有していたオーストリアを獲得ます。
その後、スイスの反ハプスブルクの動きに圧迫され、一族挙げてオーストリアに
移住しました。
(現在でもチューリヒの近くにハプスブルク城跡が残っているようです)

時々、ハプスブルク家をオーストリア土着の王家と勘違いして
王政廃止の原因に土着性が薄れたせいだと言う人がいますが、全くの間違いです。
512世界@名無史さん:04/05/16 01:17
>>509
仏語ではLe Royaume Franc
513世界@名無史さん:04/05/16 02:53
>>510
単一民族のドイツ民族というのはそもそも有り得ないと言って良いんじゃないでしょうか?
ドイツ人というものは、ゲルマン系、スラヴ系、あと少しラテン系の人達で
形成されていると思います。
最も“ドイツ民族”の精神が高揚したナチス時代でも、スラヴ民族の苗字というだけでは
弾圧を受けなかったようです。
国家における国民と民族という概念は違いますよ。
また民族と人種というものも同じ意味ではないわけで、この辺り混乱するんですが。
詳しくはこちらでどうぞ。

ドイツ民族はスラブ人の末裔
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1073050743/l50
514世界@名無史さん:04/05/16 09:57
ナントの勅令廃止後にプロイセンに移住したユグノーの子孫だと思うけど、
フランス系の名前の人も結構いるね。
515カラジチ ◆mWYugocC.c :04/05/16 12:19
ニーダーザクセンに関しては>>500氏の理解でいいのではないかと。
ヴェストファーレン(ウェストファリア)も「西に行った(ザクセン)」って意味だし。
>>509,>>510
エルベやオーデルのあたりまで、西スラヴ人が居住していたようで。
彼らは東方植民、そしてドイツ国民の成立という流れのなかでドイツ化したことでしょう。

そういえばドイツ内部でも姓や地名に偏りがあるとか聞いたことあります。
「〜ガウ」はどこに多い、とか「〜ドルフ」はどこに多い、とか。
それらを全部「ドイツっぽい」とみなすのは、我々の勝手な分類に過ぎないのかも。
516世界@名無史さん:04/05/17 04:48
オーバーザクセンは東方植民された土地でしょ。
ニーダ-ザクセンの方がさきに存在したはず
517世界@名無史さん:04/05/18 19:06
AUF
518世界@名無史さん:04/05/19 02:18
>>442
jonkheerはオランダの爵位、英国のエスクワイアに相当するものです。
519世界@名無史さん:04/05/19 02:20
って別スレの話題だったかスマソ
520世界@名無史さん:04/05/20 22:44
ニーダーザクセンについては500氏とほぼ同様です。本来のザクセンから入植
した北辺のフロンティア(ザクセンにとっての未開地)と言う解釈が、一番すっ
きりしていると思う。
521世界@名無史さん:04/05/20 23:07
>>510
なんとかスキーについては、特にロシアのほうでは明らかにヤゲロー朝消滅後の
ポーランドからの流入者であることが、よく言われてます。ドイツのなんとかス
キーも同根で、ドイツの作戦頭脳で有名なフリッツ・エーリヒ・フォン・レヴィ
ンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタインの実家であるレヴィンスキー家な
どは、ポーランド分割後の、オストプロイセンからホーエンツォレルン=ブラン
デンブルグ選帝候に仕官したポーランド貴族の末裔であることは、マンシュタイ
ン自身も語っています。結構優秀の軍事貴族がポーランド消滅後のプロイセン軍
に仕官しており、レヴィンスキ−家はシュペルリング家とも血が近く、フォン・
デア・ゴルツやフォン・マントイフェルなどと並んで、プロイセン軍の名門家系
で、代々将軍を輩出する家であり、エーリヒ・フォン・マンシュタインの父も砲
兵大将だった。
522世界@名無史さん:04/05/21 01:29
>ザクセン
漏れは>>516氏に同意。
後のザクセン選定侯家・ヴェッティン家は、
12世紀半ばのマイセン辺境伯領の獲得にその興隆のきっかけを負っている。
(時のザクセン大公・ロータル・フォン・シュップリンゲンブルクによる授封。)

おそらくヴェッティン家のマルク・マイセンの経営と共に、
「ザクセン」の範囲が、ヴェーザー・エルベ下流域からエルベ中流域に広がって行き、
ヴェッティン家の選定侯昇格(15世紀半ば)と前後して、
その主たる勢力圏が、いわゆる「ザクセン」として観念されるようになったんじゃないかな?
推測だけど。
523世界@名無史さん:04/05/21 07:04
ヴェッティン家の活躍うんぬんよりも前に、1180年の「ハインリヒ獅子公の訴訟」、
そしてその後の旧ザクセン大公領の解体と再編の結果
既にアスカニア家がいわゆるオーバーザクセン地域のみが支配域の
(新)ザクセン大公となってて、さらにそのザクセン大公が13世紀半ば以降
選定侯のひとりになってるでしょうに。

ニーダーザクセンに住んでたザクセン人たちが、
当時深い森だったオーバーザクセン地域を植民していく過程で、
ザクセン法の通用圏域で(旧)ザクセン大公の支配域、
つまり、「ザクセン」と呼ばれる地域が拡がってったんでしょ。
524世界@名無史さん:04/05/21 18:05
ttp://www.asahi-net.or.jp/~eh6k-ymgs/etc/deutschland/sachsen.htm

こんなのあった。既出ならスマン。
525あぼーん:あぼーん
あぼーん
526あぼーん:あぼーん
あぼーん
527あぼーん:あぼーん
あぼーん
528世界@名無史さん:04/05/22 11:56
>>525
おまえの方が人種差別主義者の臭いがぷんぷんするよ。日本人のドイツ人に対する偏見も強い。
日本人でも器の小さい人種差別主義者ほど、自分が軽視されると過剰反応を起こすものだ。

日本とドイツの難民受け入れ数比較
 ◇主な国の難民認定申請者数と認定数(99年)
 国名        認定数   申請数
 ドイツ      10300 95100
 日本          13   260
(UNHCR、法務省入国管理局統計資料から)
529世界@名無史さん:04/05/22 12:23
移民に仕事取られて若者がネオナチや極右政党に吸い込まれてるらしいねぇ。

>>528
ドイツは10%チョイ、日本は20%。日本の方が上じゃん。
530世界@名無史さん:04/05/22 13:09
シャイデマン
バウアー
ミュラー
フェーレンバッハ
ウィルト
クーノー
シュトレーゼマン



531Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/22 14:41
>>529
ドイツ人はゴミ掃除とか外国人任せだからね。そういうの自分でやれば
失業率減るし、移民も少なくて済む。まさに一石二鳥だ。

大体、教育制度が間違ってる。十歳でその後進める学校が決まるってアホかと。
あれじゃあ子供の意欲削ぐだけ。
産業構造の変化が激しいこの時代に、いつまで熟練工尊重だのと
言ってられるんだか。工業製品なんてほとんど機械で間に合うし、しかも安い。
あのままだとアメリカどころか日本にも絶対勝てない。
532世界@名無史さん:04/05/22 16:42
>>529
釣り? それとも本当に13/260×100の計算ができないの?
533世界@名無史さん:04/05/23 01:02
これって、ドイツ関係のスレに片っ端から貼られているマルチポストだよ。
外国語板とかでも見たけど、
みんなマルチにマジレスするな。

まあ、現在のドイツ社会が色んな問題を抱えてることは確かだろ。
今のドイツが、日本より上だとは、
普通に考えてどうしても思えない。
むしろ、ドイツの失敗からいかに学ぶかっていうのを、
きちんと考えた方が良いと思う。
534世界@名無史さん:04/05/23 01:07
ドイツなんかよりイギリスの改革に学んだ方がいい。
535世界@名無史さん:04/05/23 01:20
まぁアレだろ、ドイツって日本がもう太平の世になって江戸の独自文化を築いてる近世初期に
相変わらず盗賊同然の傭兵軍団や馬鹿領主が跳梁跋扈してて周辺の国にも好き放題に国土蹂躙されて
30年戦争じゃ欧米諸国の草刈場になって国民は殺戮・略奪・強姦の被害を受けまくって
あげくに国民の6分の1が殺されてその後のプロイセン時代には国民は戦奴の如き扱いを受け
更にWW1でも英仏露連合軍に完膚なきまでに徹底的にボコられ
「帝政ドイツの死亡宣告書」ベルサイユ条約を突き付けられ
そういった悲惨極まる経緯を経てその国民性は当然の如く滅茶苦茶ヒネくれまくって
遂にはかの人類史上最大の興行集団ナチスを生み出した様な国だからな。
英国にもフランスにもチェコにもポーランドにもロシアにも嫌われてる。
そういう過酷な環境で生きてきた民族だから人種差別の一つや二つしたいんだろうよ。

つまり連中はもうどうしようもないので、妄言を垂れてても放置が吉。
536世界@名無史さん:04/05/23 15:23
国立のバーミンガム大学のが人気
実学の勝ち
537世界@名無史さん:04/05/26 22:46
>535
滅茶苦茶ヒネくれまくって ・・

あらしか。
そういう、こいつも実生活じゃ、そうとうひねくれていそうなヤシだな。
538世界@名無史さん:04/05/27 01:27
>>497
息子のマクシミリアン1世が対照的に活発に活動し、ハプスブルク家を語る上で
非常に重要な人物になったので、フリードリヒ3世は余り有能ではない皇帝という評価が
一般的でしたが、最近では再評価が進んでいるようです。
何だかんだ言って、彼を攻撃した政敵は全て彼の軍門に降りましたし
ハンガリー王やブルゴーニュ公に圧迫されても譲歩はしなかったわけで
領土も兵隊もない貧乏伯爵出身の皇帝としては優秀と言えるのかも知れません。
(貧乏と言われていましたが、死後に莫大な隠し財産が発見されたらしいです)

>>410
選帝侯の子息との結婚は諸外国からの猛烈な反発を受けていたので
不可能でした。
マリア・テレジアとフランツ・シュテファンの結婚には色々なロマンスが
語られていますが、実際は諸外国との折衝の結果です。
彼がマリアにとって初恋の相手だったというのは副因の一つだったかも知れませんが
主因では全くありません。
列強の勢力バランスを崩すだけの婚姻を取り決めるだけの軍事力が当時のハプスブルク家に
あったならば、もしかすると有り得たのかも知れませんけれども。
539世界@名無史さん:04/05/27 13:55
中心地理論の開祖クリスターラー、工業立地論のウェーバー、農業理論のチューネン。
どれも日本の高校地理で習う有名人だが、考えてみたらすべてドイツ人だね。
地理学におけるドイツの役割はものすごく大きいわけだ。
これじゃ、ドイツ人が日本人に傲慢になるのもしかたがないだろう。
だが、ドイツが統一EUでイニシアチブを取れるかどうかは
過去の栄光を捨てられるかにかかっていると思う。
さもないと、後から入ってくるポーランド人やチェコ人たちに仕事を取られることになるだろう。
未だにガソリン自動車やブラウン管の発明を自慢しているようではまずい。
ガソリン自動車やブラウン管の時代ももうすぐ終わりなんだから。

歴史を自慢する民族は、それ以上の進歩はなくなり衰退に向かう。
540世界@名無史さん:04/05/27 14:04
インド 中国 スペイン
541 :04/05/27 19:35
>>521が紹介してくれた
>ドイツの作戦頭脳で有名なフリッツ・エーリヒ・
>フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン

この人、フランス侵攻作戦で有名ですね。
このフォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン
というのは、複姓なのでしょうか。
あるいは、フォン・レヴィンスキーはミドルネームなのでしょうか。

フォンがそれぞれに、付いているから、それぞれ、ファミリーネームで
つまり、複姓なのかな、どうでしょうか、

といいつつ、欧米人のミドルネームとはそもそもどういうものか、
よくわかっていないので、そこをキチンとしないとだめかもしれませんけど。
542Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/27 21:37
>>538
それでも、「敢えてフランツ・シュテファンである必要はなかった」と思う。
「選定侯の子息が無理」というのと「ロートリンゲン公の子息を選ぶ」というのとは
本来、別の問題であって。
何もフランス国境近くの諸侯でなくとも、ドイツ中部や南部の諸侯で良かったはず。
そうすれば、少なくとも領土を取られてしまうことはなかった可能性が結構高い。

実際、フランツ・シュテファンがマリア・テレジアと結婚する際に起きる問題としては、
「自国の国境沿いに事実上のハプスブルク家領が出来る」ことによる安全保障問題が、
フランスにとっては大きかったろう。
それがない他の中小の諸侯なら、許容の範囲内だったのではないかと思うんだが。
543世界@名無史さん:04/05/27 23:39
>>541
 ええ、ご存知の通りアルデンヌの森から、装甲師団を突っ込ませると言う奇想
天外な作戦や、セヴァストポリ要塞の攻略、クルスク戦の立案者です。そしてポ
ーランドやフランス侵攻時の上司であるゲルト・フォン・ルントシュテット元帥
や、陸大同級で電撃戦の父と言われたハインツ・グデリアンをして『国防軍最良
の作戦頭脳』と言われた方です。
 フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタインは指摘の通り、
復姓です。ですから当然のことながら、後ろの方が家督を継いだ方の家名で、前
の方が彼の生家(=出自)を表す家名です。彼のミドルネームは残念ながら知り
ません。と言うか正式名称がフリッツ・エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・
ゲナント・フォン・マンシュタインなのです。通常はエーリヒ・フォン・マン
シュタインと略されますので、2番目の表記のエーリヒがファーストネームの
ようです。
544538:04/05/28 03:03
>>542
代々、神聖ローマ皇帝位を世襲してきたハプスブルク家と
ドイツの小さな諸侯とでは格が違いすぎて、縁談がまとまりません。
本来ならロートリンゲン公も『メザリアンス』な相手でした。
それなのに何故、フランツに白羽の矢が立ったかといいますと
フランツの祖父が第二次ウィーン包囲の危機から救ったという過去がありまして
ハプスブルク家に取っては、一種の恩返しという大義名分がありました。

また、こちらは半ば後付けに近いのですけれども
ロートリンゲン家とハプスブルク家は祖先に共通の公爵家を抱いていたので
血統の再合流という意義もありました。

ロートリンゲンがハプスブルク家領になる事へのフランスの危惧は
フランツ・シュテファンがロートリンゲン公国を放棄した事で解決しています。
例え『メザリアンス』を覚悟の上で、他の諸侯と結婚しても
フリードリヒは攻めて来たでしょうし、フランスも一枚噛んだであろう事は
容易に想像が付くのではないでしょうか?
545Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/28 13:45
>>544
例えば、ドイツ中部に事実上のハプスブルク家領=拠点があれば、そこを利用して
プロイセンを東西から挟撃することも可能だったろう。
エルベの西にあるプロイセン領を占拠するとか。
また、そもそもシュレジエンにプロイセンの兵力が集中することもなかったかも知れない。
そうなれば、フリードリヒが攻めてきたにしても、どうなっていたか分からない。
少なくとも、史実よりはハプスブルク家に有利な展開だったと思う。
546538:04/05/28 14:56
>>545
えーとですね、ただでさえ飛び地が多くて決して少なくない常備軍が
分散されていたオーストリアだというのに、これいじょう飛び地が増えても
しょうがないと思うのですが。
オーストリアの兵力が分散されていたからこそ、プロイセンは兵力を集中する事で
オーストリアに対して優位に立つ事が出来たわけですから。

何を根拠にハプスブルク家が有利になると判断されたのかは分かりませんが
ドイツ中部や南部の諸侯で、プロイセンと伍す兵力をもった諸侯は存在しませんでしたので
皇婿の出身地を対プロイセンへの圧力とする事は難しいでしょうね。
策源地にするなんてなったら、ただでさえ寄せ集めで統制が取れていなかったオーストリア軍と
きちんと連携できるかどうかも怪しいと思いますよ。

マリア・テレジアの婿候補のひとつで、帝国有数の諸侯であった
バイエルンなど弱い弱いと言われたオーストリア軍に首都を占領されてしまいましたし。
547世界@名無史さん:04/05/30 17:18
初心者なのですが質問させてください。

選帝候に対して Koenig と Fuerst という用語は使い分けられていたのでしょうか?

同じ人物に対してKoenig と Fuerst の双方を使う事はあったんでしょうか?
548世界@名無史さん:04/05/30 17:54
>>543さん

エーリヒがFirstNameですとのこと。Fritzではないのは、なぜ?と思ってしまうのですが。

 FirstName(この言い方、ミスリードかな)は、
 単に最初にあるか、どうかではなくて、
 なんらかの理由/法則があるんでしょうか。
549世界@名無史さん:04/05/30 18:02
ドイツにおいて、Herzogは、皇帝から任命された職位がそもそもの意味かと思います。
Grafも、宮中伯とかいろいろありますが、皇帝に家来としての職位、帝国における職位
だと思いますけど。
 Koenig って、どうなんでしょうか。当初はボヘミアだけであったと思います。
 その後も、ずっと認めなかった筈
 (ブランデンブルクも、帝国の外に、プロシア王国を認めてもらった感じ、
  ブランデンブルク王国にはしなかったし。)

 Fuerst は、語源的にみて、王や Herzogの息子たちという意味のような感じですが。
 つまり、皇帝の家来としての職位、帝国の職位ではないような感じですが。
 どういうものでしょうか。帝国の等族会議にも出席できたんでしょうか。
 (Herzogとかが、息子に分知して、Fuerst国(領)をいっぱい作っても、
  それに対して、等族会議の出席権をそれぞれ与えては大変だと思うし)

550 :04/05/30 20:00
 >Fuerst は、語源的にみて、王や Herzogの息子たちという意味のような感じですが。

  
   ラントでザクセンが付くのがいっぱいあるが、これらは
   ザクセン公国(Herzogtum)の分家筋らしい。
    
    ザクセン公国領と分地したのか、
    
    よその土地を婚姻関係などで領有したケース
     (ザクセン公家の者が継承したという意味か)

  よく知りませんけど。

  ただ、みんな、Herzog Von Sachen というタイトルは持っていたみたい。

  この人みんな、帝国会議に出席したかもしれないけど、
  しかし、ラントを継承していない人は、駄目だよと思いますが。
  (ドイツはとにかく、息子たち、次男三男もみんなタイトルもらってしまうみたいで)

 
   
551 550:04/05/30 20:04
息子たちみんな、次男三男もタイトルを名乗ると書きましたが、
 ボヘミア王の息子がみんな、王を名乗ったとは聞きませんね。

 王は別格でしょうか。
 また、選定候もそうみたい。

 ただ、大公以下(グロースヘルツオーク以下)では、
 みんな息子は名乗ってよいみたいですね。
 オーストリア太公(エルッオーク)でもそうですし。

  以上、ちょっと、修正しました。
552カラジチ ◆mWYugocC.c :04/05/30 20:51
次男三男もタイトルもらうって本当?

ザクセンの分家にはヴァイマール、アルテンブルク、アイゼナハ、
ゴータ、マイニンゲン、ヒルトブルクハウゼン、コーブルク、イェナ、
レームナルト、ザールフェルトと10家ほどあるようですが、すべて分与のようです。
元はといえば1547年にシュマルカルデン戦争に敗れて本家が公位を取り上げられ、
分家に与えられたのが原因のようで。
1572年に本家がザクセン・ヴァイマール公として領土を分与してもらうんですが、
その後兄弟でどんどん分割していったみたいです。
553538:04/05/30 21:00
>>551
選帝侯は爵位とは関係ない特別な資格のようなものなので
相続者以外は名乗る事を許されていませんでした。
例えばバイエルンやザクセンといった選帝侯は、公爵位も保持しています。

兄弟での分割相続が基本だったドイツですけれども、19世紀にもなると
相続者(決して長男という訳では無かった)の主権を認めた上で
ある程度の領地を分割して相続していたようです。
554世界@名無史さん:04/05/30 21:16
>>548さん
 ファーストネームを最初に前置される順番としてではなく、その家の中で、
或いはその社会の中で認知される固有名として捉えました。中世におけるイギ
リスのofの直前の表記とでも言いましょうか。そして、彼マンシュタインも、
そしてその仲間であるドイツ帝国陸軍〜ライヒスヘール〜ヴェアマハトと連
なる間の彼の同僚達が、彼をエーリヒと呼ぶのでファーストネームと断定した
次第です。
555世界@名無史さん:04/05/30 22:10
>>549
 難しいですよねー。僕も結構悩みます。1273年にルドルフ・ハプスブ
ルグが選ばれているので、その時には3大司教とベーメン(ボヘミア王)、
ライン宮廷伯、そして2人の辺境伯で編成されていたわけですから。ただ、
選帝候は教皇との叙任権闘争の結果の名誉職として認識しています。ですか
ら領邦の主としてシュタウフェン朝から受爵した(本領安堵された?)地位
とは、明らかに異なるとも理解できるのですが如何でしょうか?

 プロイセン王を名乗った最初であるフリードリヒ大王の父、フリードリヒ
1世(兵隊王)はエスタライヒの神聖ローマ皇帝からではなく、ローマ教皇
から叙任したと言うことを誰かから聞きましたが、本当かどうかわかりませ
ん。ホーエンツォレルン家として最初にプロイセンを領した兵隊王の父、フ
リードリヒ・ヴィルヘルムは、単なる格好の猟場としてプロイセンを領有し
ただけで、王権への執着と言うか野心と言うものは無く、借金伯とか放蕩伯
とは呼ばれていても、プロイセン王では無かったですから。しかし、教皇直接
の叙任となれば、1212年のフリードリヒ2世の神聖ローマ帝国皇帝戴冠
と同列になるのか。ちょっと混乱してきました。
556547:04/05/31 01:47
質問に答えてもらえてるのか、軽くスルーされてるのか
判断できないほど難しいでつ、、、

ドイツ語訳すときに、Koenigin と Fuerstin が一緒に出てくるんですが
これはどんな感覚なのかなぁと思ったのです、、、
557世界@名無史さん:04/05/31 08:50
>>556にして547
単に、その人(or旦那)が領地を複数持ってて
それぞれの領地の支配者が持つタイトルを示してるんじゃないの?
「どこそこの『王』にして、何たらの『侯』であるほにゃらら」、
って感じで。前近代のドイツ語圏だとどこでも普通に見られたぜよ。

>分割相続と単独相続
ドイツの基本は分割相続だったけれども、国王選挙権を有する選定侯までもが
分割相続だと、選定侯は国王選挙権まで分割されちゃうから長子単独相続制にして
誰が国王選挙権を持ってるのか明確にしようとのが1356年の「金印勅書」。
これ以降、徐々に長子単独相続が選定侯だけではなく諸侯たちにまで
広がっていくことになる。ただ、分割相続の原則は強力に根付いていて、
選定侯でさえ最後まで克服できなかったものがいるほど(Pfalz, Sachsen)。
その際でも領地は分割しても、選定侯の権利だけは長子が単独相続するんだが。
長子単独相続制の下では、さまざまな特権が長子に相続されることになるが、
公、侯、伯などのタイトルは領地が他に与えられるまで名乗ることができた。
558538:04/05/31 09:12
>>555
ホーエンツォレルン家は新教側諸侯ですから、教皇からの戴冠は有り得ない
のでは無いでしょうか?
どこで戴冠式を挙げたのかは知らないんですが、王号の使用を認めたのは
神聖ローマ皇帝
あくまでプロイセン王号の授与はスペイン継承戦争での皇帝家に対する奉仕の
見返りだと思うのですが。

しかしスペイン継承戦争から、ポーランド、オーストリア、バイエルンと
大規模な国家の継承戦争が続きましたね、この世紀は。
国民国家誕生以前の、封建支配の最後の輝きというか足掻きというか。
559世界@名無史さん:04/05/31 22:50
>>558
ええ、ブランデンブルグ辺境伯であるフリードリヒ3世は、プロイセン王フリード
リヒ1世になるために、教皇から叙任されたと言う噂話を聞いたのですが、ザクセ
ン辺境伯と共に新教徒側であったのにどうしてだろうとは思ったんです。そしたら
今日図書館に行ってみて、1701年の王位叙任は、神聖ローマ帝国皇帝によるも
のでした。
560世界@名無史さん:04/06/02 05:08
oiuoy
561世界@名無史さん:04/06/03 22:27
>>547,556
 Koenig(Oにウムラウトが付けられませんが、付いてると思って)は
中世宗教改革以前においてはローマ教皇による叙任、1701年のプロイセン
王の場合は神聖ローマ皇帝による叙任によって、対世効と言うか権威付けが
生じる称号で、それを満たしていなければ単なる僭称となってしまいます。因み
に556ではKoeniginは、最後のinが女性形ですから、女王あるいは
王妃を指すと思いますが・・・。

 もうひとつのFuerstなんですが、独和辞典を見ても載ってませんが、
Fuhler(これもuにウムラウトが付いてると思ってください。)とかとは
違うんですか?大概の独和辞典ではFudeteの後は、Fuffzehn或
いはFugに飛んじゃうので、Fuの次にeの付く表記の単語が見つかりませ
ん。Fuhlerであれば、「民を導ける者」として指導者とか首脳などを指
し、Der Fuhlerとなると、ご存知のように(ヒトラー)総統を指しま
すけど。(カール・デーニッツもね)
Fuerstについて、どなたか教えていただけませんか?
562世界@名無史さん:04/06/04 00:12
>>561
ドイツ語のFurstはUの上にウムラウトがつく。
爵位でいうと侯爵。
英語にはウムラウトがないので英語の文献では
Oにウムラウトはoe
Aにウムラウトはae
Uにウムラウトはue
で表記するのが一般的であり、ドイツ語の文献では当然ながらウムラウト付で綴られる。
語源については
ttp://www.hyperdictionary.com/dictionary/first
のWebster's 1913 Dictionaryのdefinitionで見ると、英語のFirstと語源は同じ。
つまりは第一人者(高位の貴族)といった意味合いと思われる。

FuhlerではなくFuhrer(Uにウムラウト付)
これも英語の文献ではFuehrerと綴られることがある。
こちらは英語で言うところのleader、動詞形はFuhren(以下ウムラウト省略)
Fuhlerは触覚の意。

さてFurstとfuhrerの関係だが、ドイツ語と共通の祖先を持つ古英語にfaran(意味はto go)という単語があり、これと近縁であるとされている。
つまり「行く」という意味の古いゲルマンの言葉が「最初」と「導く」に分化し、それが高位の貴族である「侯爵」と「指導者」という単語になったと考えられる。

以上のことはetymology(語源)とFurst Fuhrerをキーワードに「web全体から検索」でぐぐった内容をまとめたもの。
あくまで調べた結果からの推測だから、できれば自分でもやってみて色々な情報をつき合わせて考えてみよう。
検索機能を生かせばけっこう簡単に知りたいことに関するヒントが見つかる。





563世界@名無史さん:04/06/05 00:43
>>562
 なるほどFurstでしたか。いわゆるKurfurst(選帝候)の候
ですな。
 そうなると、たとえHerzog(公爵)の倅だろうが、新たに受爵しな
い限り、惣領息子以外が名乗るのはちょっとまずいのではないですかね。
 Herzogで選帝候と言えば、ザクセン大公、いわゆるザクセン辺境伯
ですが、なにゆえエスタライヒ公とヴァヴァリア公が入っていなかったんで
すかね。それはともかく、マインツ・ケルン・トリアーの3大司教も伯爵で
あると言うのが、結構興味深いんですが、選帝候はあくまでも皇帝により委嘱
された名誉職であるので、本来の彼等封建領主としての地位を示す、爵位の方
を名乗るのが理の当然だと思います。
564カラジチ ◆mWYugocC.c :04/06/05 00:48
Fürstは「侯爵」ですけど、神聖ローマには侯爵はいないはず。
中世ドイツでFürstが出てくると、普通は「諸侯」と訳すと思います。
つまり、Kaiser,König以外の貴族たち全員ですね。

参考;半角で書くとその文字が表示されます。
ä → ä
ö → ö
ü → ü
ß → ß
565世界@名無史さん:04/06/05 08:24
>>563
選帝侯は名誉職なんかじゃなくて、れっきとした「身分」だよ。
神聖ローマ帝国の帝国法上きちんとそのように規定されているし。
どこからそんな考えが出てきたんだ?

それに、マインツ・ケルン・トリアー、それぞれの大司教が伯(Graf)だ、
っていうのも意味がわからん。中世・近世の西ヨーロッパじゃ、
大司教や司教、大修道院長とかの高位聖職者は、
それ自体封建領主の地位を示すものなんだが。
おまけに、神聖ローマ帝国では、大司教や司教などの高位聖職者であれば、
それだけで「侯(Fürst)」という身分に属すことになるわけだし。

>>564
「侯Fürst」はKaiser,König以外の貴族全員なんて言いすぎ。
だって、「侯Fürst」は皇帝Kaiserか、国王Königから直接封土を受領し、
かつ太公、あるいは太公類似の権力をもつ世俗の高級貴族か、
大司教や司教などの帝国の高位聖職者のみを指すから。
566世界@名無史さん:04/06/05 08:34
↑書き忘れたが、帝国諸侯Reichsfürstenの話ね。

補足すると、侯Fürstではない帝国直属の貴族には
帝国騎士Reichsritterなんてのがいる。
あと、一代貴族としての博士Doktorだとか。

蛇足だが、聖ヴァーツラフの王冠諸邦(ベーメン王の封主権の及ぶ地)のひとつ、
シュレジエンでは、公Herzogのサブカテゴリーとして侯Fürstenが用いられている。

567カラジチ ◆mWYugocC.c :04/06/05 21:38
そっかそっか、帝国騎士はFürstじゃないよね。
スマソ。
568世界@名無史さん:04/06/05 23:20
>>565
 ちょっと待って、名誉職といったのは選帝候になったからと言って、特にそれに
よってレガリアの及ぶ場所(おっとレガリアというのは、シュタウフェン以前の皇
帝大権ではなくて、この場合シュタウフェン以後の領主が握った関税徴収請求権や
裁判権のことね)が増えるわけでないと言う意味で言ったのです。最初の規定とし
ては「我死せる後は、まずマインツの大司教に問え・・・。」から始まって7人
の選帝候が選ばれたんだよね。委嘱(任命)による経済的軍事的裏付けが無いから
名誉職といったのです。議員報酬の無かった頃(と言うか現在も明確な規定は無い
が)のイギリス下院議員のような意味での名誉職といったわけで、彼等も身分は保
証されているけどね。

 あと、聖職と経済力の分離されていた時代、彼等3大司教の皇帝から頂いた封地
は伯爵領で、決して教会に対する寄進地を私していたでは無かったわけだから、
その意味でFurstであると思っています。阿部 謹也さんなんかも「選帝候は
その地域ごとに見ると、ライン周辺の西ドイツの伯4名と東欧の伯2名、やや特異
な地位のベーメン王・・・。」などと言っていますしね。
569565:04/06/06 08:33
まず、大体そのように近代的な「官職」制に強く規定された観念で、
中世の「身分」やレーエン制を見ようとすること自体に問題があるわけだが、
百万歩譲ってレガリアが増えない、っていうことを議論したとしても、
彼らは「選定侯であるから、他の諸侯とは違って裁判籍特権を与えられるべきである。」とか、
関税徴収権も「選定侯のものは除外して、他の関税徴収のための関所は廃止されるべし。」
といったように、かなり優遇された扱いを受けているし、単に与えられただけではなく、
折に触れてそれを確認されている。
中世全般を通じて、あるいは一部「固有の近代」(18世紀以降)の時代に至るまで、
特権というものが与えられたあと、繰り返し確認されることによって初めてその意義を
確固たるものにしたという一般的な事実を鑑みれば、このことによって選帝侯は諸侯と
常に法的に差異化されていた、言い換えれば、選帝侯という「身分」が最初だけではなく
実体を伴うものとして常に一般的に認識されていた、という証左となるだろう。
570\(^■^ ラ 【卍】欧州大陸侵略者め!:04/06/06 08:41
ノルマンディー侵略60年を祝う奴らがいるなんて信じられんな!
571565:04/06/06 09:19
ただし、このように、国家統治の分有を「客観的」な経済的裏付けの下に
「官職制」がしかれている状態としてのみ考えるならば、
貴族の行動様式を大いに規定する「伝統」や「血統」、
「名誉」や「栄誉」といったものを全く無視してしまうことになる。

「高級貴族の(政治的)共同体」としての神聖ローマ帝国という、
近年特に強調される性格を踏まえるならば、選定侯という国王選挙権を
独占的に所有する貴族の一団を設定すること自体が、それ以前の状態で
選定侯と名誉・栄誉の優劣をきそっていた選定侯になれなかった諸侯との間に
身分上の決定的な断絶をもたらし、選定侯にとって多大な利益となり、
またその後も生み出していった。
このことだけでも、すでにレガリアうんぬんよりもたいへんな経済的裏付けだろう。
572565:04/06/06 09:40
不勉強のゆえに三人の聖界選定侯領がもともと伯領であったとは知らず、
たいへん不愉快な思いを568氏にさせてしまい、申し訳ない。

ただし、聖界選定侯領が経済的基盤としてはたとえ少し裕福な伯領程度のしか
意味をもたないとしても、古代ローマの時代から続く司教教会の長が治める
「大司教領」であるということの方が重要なのだし、初期近代(「近世」)という
常備軍を持つか否かで諸侯間の優劣が決まる時代までは、この程度で十分
諸侯の中の諸侯としてやっていけた。
あと、聖界選定侯にはそれとは全く無関係な教会管区(大司教管区、
また三人それぞれの司教としての管区)からの収入があったし、
ケルン大司教に至っては、ヴェストファーレン公の地位と公領も
もっていたから、阿部キンの「伯うんぬん」って全部そうとは言い切れないはず。
573世界@名無史さん:04/06/06 13:31
ドイツ=硬質
ってイメージがあるんだけど。
やっぱり、プロイセンやナチスのイメージが強いからかな
574世界@名無史さん:04/06/07 13:12
ナチス時代に「ウェストファーレンの獅子」と呼ばれたなにやら「司教伯爵」て人がいたけど何なの?
575世界@名無史さん:04/06/07 20:56
>574
ミュンスター大司教のアウグスト・フォン・ガレン伯爵のことね
576世界@名無史さん:04/06/07 23:44
>>573
そうだな。
バイエルンやザクセンなどの地方の女性的なイメージは日本では受け入れられていない。
577世界@名無史さん:04/06/08 02:20
「司教伯爵」て何?
俗人貴族のまんま司教も兼ねちゃっていいの?
578Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/06/08 10:44
多分逆だろう。
伯爵家の子息が宗教界入りして大司教になったという例では。
貴族の次男坊とかにはこういう例が結構ある。
あと、長男でも何らかの事情で障害者になった貴族とか。
579世界@名無史さん:04/06/08 14:57
高位聖職者は本来貴族階級出身でしょう?
ナポレオンの伯父は、ナポレオン皇帝即位後に枢機卿になった。
580世界@名無史さん:04/06/08 23:05
そう言えばノルマンディー60周年式典では「ノルマンディーでの連合軍の勝利
はドイツの勝利でもあった」とシュレーダーは言っていたな。
日本の首相が「ミッドウェーでの連合軍の勝利は日本の勝利でもあった」などと
主張したら頭がおかしいと思われるだろう。
まったく図々しいったらありゃしないw
581世界@名無史さん:04/06/08 23:34
>>580
「連合軍が勝ったから、ドイツ国民がナチから解放された。バンザーイ!!」てとこじゃないの?
582世界@名無史さん:04/06/09 00:32
ワイマール憲法の日本語訳載せてるサイト知らない?
検索しても見当たらないぞ
583世界@名無史さん:04/06/09 09:53
本借りたら?
584世界@名無史さん:04/06/09 17:28
みんな遊びに来てね!
ワイマール共和国史スレッド♪
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1086769367/l50
585世界@名無史さん:04/06/09 19:47
>>581
建前上はそうだけど結局のところ「負けたのはナチス。ドイツは勝利した」
という詭弁だろう。
586世界@名無史さん:04/06/13 15:42
Hageちゃう。
587世界@名無史さん:04/06/15 23:31
ドイツ帝国(第二帝国)は、複数の国の連邦国家ですが、
それぞれは、神聖ローマ帝国の領邦のような格づけかな。

オーストリア帝国ですが、
これも、一応は神聖ローマの後継国家で、
内部に領邦を含む、この点で、
バイエルン王国やその他のラントの独立(神聖ローマ帝国から独立した)ものと
は格が違うのかな。

  神聖ローマ帝国は、イタリア圏や、独仏の間の辺りの地域など、
 いろいろ離脱されて、ナポレオンによる解体も、
 この離脱が徹底的で、ハプスブルクのラントしか残らなかった、
 こういう風に考えているんですが、どうでしょうか。
 つまり、ボヘミア王国それにフ付随する地域、それと、
 オーストリア大公国があるという風に。
588世界@名無史さん:04/06/16 00:22
>>587
>ドイツ帝国(第二帝国)は、複数の国の連邦国家ですが、それぞれは、神聖
ローマ帝国の領邦のような格づけかな。
 それを否定できない理由として、参謀本部の動員下令が旧プロイセン軍にし
か及ばず、各領邦の軍(例えばヴァヴァリア軍やハノーファー軍)に対しては
動員要請しか出来ないし、実際ヴァヴァリア軍参謀本部はずっと自前で機能して
いて、プロイセン参謀本部に派遣将校を送って擦りあわせをしていたよね。(ゲ
ルリッツのドイツ参謀本部に書いていた。)ビスマルクとしては、あくまでもな
だらかなドイツ帝国として、皇帝は領邦君主の盟主と言う立場を鮮明にするため
にベルサイユで戴冠させたんだし。
 ただ、エスタライヒはフランツ・ヨーゼフ1世の時代になっても、神聖ローマ
帝国の社稷を継ぐ正統であることを主張していたはずだから、ドイツ帝国には
ならないのは理の当然なんですが。
589世界@名無史さん:04/06/16 00:25
ところで、ドイツ史を熱く語るなら、そろそろバルバロッサ(赤ひげ)の話
なんか出てきて欲しいんだけど。
590世界@名無史さん:04/06/16 07:55
赤ひげ先生。
591587:04/06/16 21:26
ほんとは、オーストリア帝国を本筋におきたかったんだけど、ビスマルク帝国が
真ん中に躍り出た感じ。

 神聖ローマ帝国って、独仏国境の辺、だんだん侵食されて、
 また、南仏プロバンスあたりも、北伊も、帝国から離脱していったし。
 これって、どういう手続きがあったか、よくわかんなんだけど。

  一番大規模に、離脱したのが、ナポレオンの差配によるライン同盟の設立に伴う
  離脱だと思っているんだけどね。
  正式に解体なら、いったん、神聖ローマ皇帝を退位して、
  あらたに、オーストリア皇帝に即位するはず。そこへ改めてオーストリア太公国なり、
  ボヘミア王国が参加する。
  
  とかんがえたんですけど、スルーされたみたいな気が少しする。

  ライン同盟は、また、北ドイツ連邦も、だから、盟主はいても、保護者はいても、
  君主はいない。
  ライン同盟に君主がいたら、そのタイトルはなんだろうとなってしまう。
  帝国が、領内に、王や公や候を従えるのだから。
  領内に、皇帝まで従えたら、なんと呼ぶのやらと。


  
  

  
592世界@名無史さん:04/06/16 23:36
プロシア王国が、
ブランデンブルク選帝侯国と正式に合併するのは(単なる同君連合でなく)、
やっぱ、神聖ローマ帝国の崩壊からですか?
皇帝の承認とかいらないようになってから?

  プロシアって、その後、ラントをどんどん呑みこんでいくよね。
  その後だよねぇ。
  同君連合に、つまり君主位をもらうんでなくて、国土を合併しちゃうよねえ。


***
   30年戦争のときの領土分配って、どうだったんでしょう。
   ラントを併合したり、ばらしたり、ばりばりやったの。それとも
   ラントの君主権の移動が中心だったの?
  
  
593世界@名無史さん:04/06/17 02:19
ライン同盟に君主はいないがリーダーはナポレオンじゃなかったか?Protecteur de la Confédération du Rhin だったかな
旧マインツ大司教(のちフランクフルト大公)がFürstprimasというのになってるけどこれは何だ?
594世界@名無史さん:04/06/19 20:46
ドイツの話題が貴族の称号の話題で持ちきりですが、別のスレで話しませんか。

 ドイツ圏、オーストリアやボヘミアはもちろん、
  ハプスブルク支配下にあったハンガリーやベネチア、クロアチア等、も含めて。

貴族制の沿革は、いわゆる、まさにいわゆる爵位の発生とその後について、整理したいです。
フランク王国との関係のややこしさ、帝国の爵位VS領邦の爵位の乱立、神聖ローマ帝国崩壊後の複雑さ
論点はたくさんあります
  (注意:どうも、公といったり候といったり、日本語では混乱します。
   Herzhogか、FURSTか、不明です。原語が何か、わかる場合は、付記してくれると
   無用の混乱が減りますね)
595世界@名無史さん:04/06/19 21:00
ザクセン戦争(772年から約30年)だけど、ここでやっつけられたという
 ザクセン人は、実際どのあたりなのでしょうか。

  ザクセン人の故地は、ニーダーザクセンだという話がありましたが、
  この辺なのですか。

   
オットー帝国で、分国で有名なのは、ザクセン公国、バイエルン公国、シュワーベン公国とか、5つが代表と聞きますけど、
このザクセン公国はどの辺だったんでしょうか。
オットー皇帝はザクセン公国の公位も兼ねておるのだと思うし、
彼自身は血統的にザクセン人だったんだと思いますが、
その断絶後、ザクセン公はどこが継いだんですか。

帝位がシュタウフェンに移ったとき、ザクセン公位はウエルフェン家が保持したようですが。

ザクセン公国は、ウエルフェン家が皇帝に敗北することで分裂するようですね。
西がウエストファーレンで、東がなんでしょう。
ニーダーザクセンとか、ザクセンとかどうでしょう。
その後、どうなっていくんでしょう。

また、552でシュマルカルデン戦争への言及があるようですが。
これについても詳しく知りたいですけど。
 
596世界@名無史さん:04/06/19 21:19
>>566
帝国直属の貴族は、ラントヘル以外には、
帝国男爵と帝国騎士、そのほか爵位なしの貴族(VONだけ)がいる。
でよいんですか。

 ライヒスフライヘルとライヒスリッターは、辞典を見ると出てるけど、
 ライヒスグラーフは出てなかった。
 グラーフ以上は、ラントヘルだから、いちいちライヒスとかつける必要がなかったんだかな。


**
   それと、ライヒスリッターは、帝国時代もあったんですか。
   バイエルンにもあったみたいですが、それは神聖ローマ帝国がなくなったんで
   それではと自分でも作り出したのではないかと思うけど。
   オーストリアのライヒスリッターは、神聖ローマ帝国にリッターがそのまま
   なんとなく意図したわけではないけど、オーストリア帝国のリッターに格落ちになってしまったとか。

 

 
597世界@名無史さん:04/06/19 21:22
オーストリア帝国では、
 ボヘミア貴族(爵位)やオーストリア大公国貴族(爵位)、ハンガリー貴族(爵位)、
 と帝国貴族(爵位)を分けて授与できる訳ですね。

  あと、ベネチア爵位もあるのかな。

 
598カラジチ ◆mWYugocC.c :04/06/20 00:18
>>594
爵位のスレッドはありますよ。

☆ 公 侯 伯 子 男 2☆
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1051344526/

ただこのスレッドでも、イギリスとドイツが入り乱れてたり原語が何か分からなかったりでよく混乱しますが。
599世界@名無史さん:04/06/24 10:37
107 名前:世界@名無史さん :04/06/24 09:50
西洋のヌーディズムは、20世紀前半の独逸が発祥。
もともと、都市型文明に反駁する、一種の対抗文化だった。

単純にヘレニズムの影響と考えるのは、安易すぎる。
西欧でヘレニズムが最も隆盛した時代、つまり18世紀後半〜19世紀前半にかけて、
ヌーディズムなど全く存在しなかったのだから。


600600ゲト!:04/06/24 11:58
今だ!600ゲットォォォォォ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄       (´´
     ∧∧   )      (´⌒(´
  ⊂(^w^⊂|=+=|つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;

ハイル・カイゼル!
601世界@名無史さん:04/06/25 00:30
(日本語とドイツ語の文字使い分け)
コントロールパネル→地域と言語のオプション→真ん中の言語→
詳細→追加→ドイツ語→
これが出来たら;
ドイツ語、キーボードで検索、ウムラウトの指の位置確認。
602世界@名無史さん:04/06/25 12:23
何が不屈のゲルマン魂だ(w
チェコの2軍に虐殺されてやんの
ドイツよりチェコのほうが遥かに偉大である

しかもドイツで得点挙げたのはスラブ人のバラックだけだし
603世界@名無史さん:04/07/02 07:08
Uボート揚げ
604世界@名無史さん:04/07/02 16:29
IMFの専務理事を務めたことで有名なホレスト・ケーラー氏が
先日ドイツ連邦共和国第九代連邦大統領に就任いたしました。
皆で祝いましょう。
605世界@名無史さん:04/07/02 21:59
age
606世界@名無史さん:04/07/14 20:50
>602
今までのスラブダニは、ポーランドダニが主だったが、最近はその亜種のチェコダニまで
現れるようになったのか。
ま、どっちにしてもいい迷惑ダニには違いないが。

607世界@名無史さん:04/07/15 11:08
>>606
おまい、あちこちに出没してるな
608世界@名無史さん:04/07/21 21:16
>607=>602
おまい、あちこちに出没してるな

そりゃ、あんただろ いい加減、人の迷惑を考えな

609世界@名無史さん:04/07/22 07:53
>>602 ドイツではゲルマン魂などという言葉は存在しません。あれは
   日本のマスコミの造語なんだよ。
610世界@名無史さん:04/07/22 20:45
>>609
歴史ではありませんが、そういえば「ジャーマン・ポテト」はドイツでは何と言うのでしょう?
「ジャーマン・ポテト」という名前は明らかに外国がつけたものだと思いますが?
611世界@名無史さん:04/07/23 07:37
>>610 そもそもジャーマンポテトって種類あるのかな?ジャガイモは普通は
  カルトッフェルって言ってるけど。(サツマイモはバターテ、サトイモは
  タローって言う(これはタヒチ語・マオリ語由来))。
612世界@名無史さん:04/07/23 07:42
>>610 ルフトハンザのホームページによると、「日本でジャーマンポテトと
呼ばれている茹でたポテトとベーコン、タマネギを炒めた料理がある。多分
これはバウアンフリューシュトゥック(農家風朝食)からきたものだと思う」
とありますので、ドイツでは特に名前はないものと思われ。
613世界@名無史さん:04/07/23 09:19
>>608
それこそ、あんただろ。いい加減、人の迷惑考えな。
スラブダニとか、他人を貶める発言が周囲に不快感を与える事に気づけ。
614世界@名無史さん:04/07/24 01:33
>>613
おまえも、さんざん嫌がらせのコピペをしておきながらよくそんなことがいえるな
615世界@名無史さん:04/07/24 17:54
ドイツ人は殺しても殺しても増えてくる
まるでゴキブリ
616世界@名無史さん:04/07/24 18:02
ヒトラー第二の書、続わが闘争が角川文庫と成甲書房から相次いで出版されたが
どっちの訳がいいのだろうか。
617世界@名無史さん:04/07/25 07:54
あげ
618世界@名無史さん:04/07/25 09:01
これからの欧州は、スラブが席巻するだろう。
あと、ヒスパニックね。
619↑その時になって再認識される方々:04/07/25 12:50
\(^w^ ウ [=+=] カイゼル・ヴィルヘルム2世

\(^■^ ラ 【卍】アドルフ・ヒットラー
620世界@名無史さん:04/07/25 19:12
でも、ドイツ人は、それなりに食わせてもらえそう。
621世界@名無史さん:04/07/26 21:37
欧州は一体化します、英語圏としてw
622世界@名無史さん:04/07/27 01:33
欧州に”ヒスパニック”なんていないわけだが。スペイン人ならいるけどな
スラブよりはイスラム移民の席巻のほうが現実味がある
623世界@名無史さん:04/07/28 22:22
>>615
スラブダニはゴキブリよりたちが悪い
このコピペ魔 ドイツ関連スレの住人に散々迷惑をかけ、反省のいろもない
・・ダニにそんなことを言っても無意味か
624世界@名無史さん:04/07/29 09:18
どこかの国ではドイツ人の事をプルサック(ゴキブリの意でプロイセンと掛け合わせている)と呼ぶんだよな
何度戦争して死んでも増え続けるからだそうだ
625世界@名無史さん:04/07/29 20:00
ノルドライン・ヴェストファーレン州萌え。

なぜドイツは人口が多いのだろう?
気候、風土のよさだったらフランスのが多くてもいいんじゃないか?
昔からドイツ西半分はやはり人口が多かったんだろうか?
626世界@名無史さん:04/07/29 20:04
>>622
今、スペインに、中南米からの移民が大勢いるの知らんのか?
アルゼンチンなどの技術者は大歓迎だし、スペイン国籍も簡単に取れる。
627世界@名無史さん:04/07/30 07:49
>>625
欧州で最も人口密度が高いのはオランダを初めとするベネルクス三国。
その周辺も人が多いのは当然。
628世界@名無史さん:04/07/30 22:39
>>598たしかに、爵位スレッドありますよね。

でも、グチャグチャで訳わかんない。

少なくとも、
「ドイツ”圏”の貴族・準?貴族についてキチンと語り合う」ようにしてもらわないと。
領邦があるし、ボヘミアのようなチェコ地域もあるし、
ハプスブルクの支配下ということでハンガリーやポーランドもあるし。
629世界@名無史さん:04/08/07 00:53
>>458
ローマ王とドイツ王は少なくとも中世盛期までは厳密に区別する必要があると思います。
ローマ王はあくまで皇帝が倒れた際に登位する、もしくは皇帝に匹敵する指揮権を持つ君主。
古代ローマ時代における副帝のような存在です。
対してドイツ王は中世、シュタウフェン朝までは重要な意味を持っていました。
中世では慣習というか、当時の最大の領邦国家であった為にドイツ王国の国王が
ローマ皇帝位を名乗っていたわけです。
(西フランク、つまりカペー朝以前のフランス王もローマ皇帝を自称していたりします)
中世盛期までの神聖ローマ帝国の版図にはドイツ王国の他、旧イタリア王国(現在の北イタリア)や
南フランスのプロヴァンス王国などが含まれていて、皇帝はこの領域での主権を確立しようと図りました。
(ドイツに比べて、人口や産業が発達していた為)
この試みは帝国外だった南イタリア・シチリアを獲得し、帝国への編入を目論んだシュタウフェン朝時代
にもっとも成功に近づき、そして完全に瓦解してしまいます。
ドイツ王とローマ皇帝が同一人物である事で発生する齟齬が修正不可能な状態になったのが、シュタウフェン朝時代であり
この齟齬を両者を同義の存在にする事で解決しようとしたのがフリードリヒ2世だと言えます。
この試みが教皇の反発で失敗したのは周知の事実ですが、結果として帝国からドイツ以外の版図を切り捨てる事で
齟齬の解消に成功したのが大空位時代ーハプスブルク朝と言えます。
つまり神聖ローマ帝国=ドイツ王国が成立したために、ドイツ王という職制が不要になったという訳です。
(ブルゴーニュなどの例外はありますが、ここでは除きます)
630世界@名無史さん:04/08/07 02:13
どなたかアルル王国に詳しい方おりませんか?
微妙にスレ違いかのぅ
631世界@名無史さん:04/08/10 18:18
458,629さま。 
ありがとうございます。
632世界@名無史さん:04/08/17 00:55
元東大学長、元参議院議員の林健太郎さん死去

東大学長を務めた西洋史学者で、保守の論客としても知られた元参議院議員の林健太郎(はやし・けんたろう)
さんが、10日午後1時50分、心不全のため東京都杉並区善福寺1の29の23の自宅で死去した。91歳だった。
葬儀は親族のみで済ませた。告別式は9月13日午後3時から東京都港区芝公園4の7の35の増上寺で。実行
委員長は樺山紘一・国立西洋美術館長。喪主は長男洋太郎さん。
東京都生まれ。東京帝大卒。近代ドイツ史を専攻し、当初はマルクス主義史観に依拠した。44年に召集され、一
等水兵として敗戦を迎えた。戦後は東大助教授をへて54年から同教授を務めたが、イデオロギー的な歴史観に
反発するようになり、竹山道雄、高坂正顕両氏らと日本文化フォーラムを結成し、マルクス主義や進歩思想を激
しく批判して、タカ派と呼ばれた。
68年の東大紛争では、文学部長として学生たちに9日間カンヅメ状態にされたが、要求は受け入れなかった。
73年から4年間、東大学長を務めた後、日本育英会会長、国際交流基金理事長を歴任した。83年には参院選
比例代表区に自民党候補として立候補して当選、1期務めた。
主な著書に「ワイマル共和国」「両大戦間の世界」「ドイツ革命史1848・49」など、随筆集に「赤門うちそと」がある。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0817/001.html
633世界@名無史さん:04/08/19 12:17
菊地良生がまた前近代のドイツをネタにして講談社現代新書を書いてるが、
目を通した結果、やっぱり歴史学のプロパーじゃないだけあって、
ああいう風に言ってよいのか、疑問に残るところが多かった。
しかし、何で歴史学のプロパーじゃなくて、文学者があんなものを書いてるんだ?
634\(^■^ ラ 【卍】《我が闘争》より:04/08/19 13:56
宣伝は、誰に対してなすべきであるか、知識階級か、それとも無教育な大衆に対してであるか。
このことが極めて肝要な問題である。
知識階級に対して、我々は宣伝でなく、科学的な指令を持っている。
宣伝は永久に大衆に対してのみ行うべきである。
宣伝の任務は、個人を科学的に訓練することではなくて、
大衆の注意を、ある一定の事実、事件、必要等に集中させることである。
即ちこれらの事物を重要らしく見せることである。
その方法の真髄とは、ある一点を機敏に攻撃して、一般大衆にそれが真実であることを信じさせ、
正しい信仰を造り上げさせることにある。
635世界@名無史さん:04/08/19 14:50
>>633
プロパーの怠慢がひとつ。
菊池がポピュラーヒストリアンとして認められていることがひとつ。
まあ藤本ひとみあたりが第2の塩野を狙いだすよりは
100倍ましだろう。
636Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/08/20 00:30
文学者とは言え一応「学者」だから、資料の読み方が分かってるしな。
その辺の基本が出来てるかどうかは結構大きい。
サトケンの新書も面白いが、彼も何だかんだ言って博士課程まで行ってるから
基礎は出来てる口だ。

まあ菊池に関しては説が古かったり、想像過多で問題ありなのは事実だが、
その辺は他の本と比較してさっ引けばいい。
これはハプスブルク家に関する江村の本も同様。
637633:04/08/20 10:33
>>635
「菊池=ポピュラーヒストリアン」とはなるほどね。
たしかに、この板のなんかのスレで最近新進気鋭のドイツ史学者の一人に
菊池良生挙げてる香具師がいたから、そうなのかも。

>>636
うーん、「資料」の読み方がわかってるのかなぁ。

佐藤賢一は小説家だけあって文章も面白いけど、
歴史学のプロパーといってもいい経歴(旧帝大の博士課程出)だから、
書かれた内容だけじゃなくて下準備とかもすごいのはわかるし、
内容それ自体も今の日本とは全く異なる過去のヨーロッパ世界の紹介、っていう
ある意味アカデミックな世界にいる香具師も書きそうなタッチだったのに対して、

菊池良生の書いた二冊の新書読んでみたけど、本人も前近代ドイツの歴史は好きなんだろうし、
ある程度新しいものも読んでるのはわかるんだけど、結局その理解が表面的っつうか、
現代の日本人という視点からしか見てない感じなんだよね。

だから、現代の日本人が読んだとき、わかりやすいのは確かだけど、
わかりやすいだけに読者の理解はかなり歪んでるんじゃないかな、
っとおもったわけ。

確かに、その辺他の本読んでさっぴきゃいい話だし、
まず関心持ってもらわないことには知識の水準の向上もないだろうから、
そういういみではいいのかもね。

自己完結しちゃった。
638世界@名無史さん:04/08/29 20:30
ドイツ大好き
639世界@名無史さん:04/09/08 19:10
ところで、ローマ人の王といえば、
シャグリウスあたりが思い浮かぶな。
640世界@名無史さん:04/09/10 01:06
>>636
煽るつもりはさらさら無いが、貴方のこのスレでの過去の発言から考えると
彼等の基礎学力を云々するレベルでは到底ないような気が・・・。
641世界@名無史さん:04/09/11 15:36:53
>>341
んで、件のPfalzerzherzogはあの1356年の「金印勅書」で
ファルツ家に与えられたPfalzgrafの称号を超えるものが
自分に欲しかったから、ルードルフが作っちゃった称号。

あの、質問なんですが、プファルツグラーフって、金印勅書で出来た称号なんですか。
 それ以前にも、何箇所かで、プファルツグラーフ領はあったみたいですけど、
 結局、ライン宮中伯領だけになってしまったみたいで。

 そのつまり、それまでは、役職名としての、プファルツグラーフだったのが、
 ラインプファルツの領主の、専用の、称号になった、つーことでしょうか。
642世界@名無史さん:04/09/11 16:47:24
白水社の文庫クセジュの『ドイツ史』は面白いぞ。
フランス人があることないことボロクソ書いてる。
643341:04/09/13 02:46:10
341です。可能な限りお答えしますのよん。

指摘のとおり、宮中伯は中世のかなり早い時点から複数いた。
ライン宮中伯ももともとその一人(フランクの宮中伯)であり
全然別のところにいたみたい。

だから、宮中伯は「金印勅書」で作り出されたものじゃないし、
ここで初めてファルツ家(ヴィテルスバハ本家)に与えられたわけでもない。

けどこの時代、文書でこういうタイトルを持つことを確認されるということに
今では考えられないくらいの意味があったし、すでに過去に与えられたものでも、
繰り返し主張しそして確認されないことには、無効なものにもなりかねなかったのよ。

だから、国王を選ぶ選定侯について取り決めているカール四世の金印勅書の中で、
このことについて触れているということは、ファルツ家の威信を高めることになった。

あと、「金印勅書」成立時期にはもう一人重要な宮中伯がいて、
それが「ザクセン宮中伯comes palatinus in saxonia」。
現実にはザクセン選定侯であり、彼は「公dux」位をもっているから、
この名では現代の我々が呼ばないだけであって、一四世紀末なんかでも
証書なんかではザクセン公の自称として結構引き合いに出されているよ。

ファルツ選定侯だってこの当時はまだ「バイエルン公」を自称し、
他からの呼びかけでも「公(こう)殿」なんて呼ばれているから、
現代の我々が考えている諸侯と、当時の人々の感覚はかなり違うかもしれないよ。
644世界@名無史さん:04/09/14 12:47:58
第二次世界大戦 前後のドイツ史が解説されているサイトって無いですか??
調べてみたんですがドイツ語だったり詳しくなかったりであまりなくて。。。
ご存知の方いたら教えてくださいm(__)m
645世界@名無史さん:04/09/15 13:20:26
図書館で戦後ドイツ史って本があったな
ちみの近くの図書館にあるか知らんけどw

ドイツ大好き
また戦争しようぜ!
646世界@名無史さん:04/09/15 13:57:59
あほ草
647世界@名無史さん:04/09/15 21:05:44
>>645 こんな探してないんならネットより本の方が良いかも知れないですね('ェ')ありがとうございます!
 
レポート終んないヮーヽ(`Д´)ノ ウワァァン
あほ草っていうか道草しまくってるっていうかぁ。
648\(^■^ ラ 【卍】:04/09/15 21:42:43
まあ大体において、著者のスタンスによって書き方なんか変わるからな。
敗戦で不抜けにされたロクデナシや、ソヴィエトに解放してもらったサヨクなんかの戯言なんか調べても、何も意味無いゾ!
649世界@名無史さん:04/09/16 19:02:35
どうでもいいかもしれんが、ハングル文字の어(eo)ってドイツ語のO゛に代用できるの?
650ドイツ女素晴らしい:04/09/17 01:44:46
651世界@名無史さん:04/09/17 06:27:19
>>650
でも、こんなに乳でかいのは例外だ。
大抵筋張っているぞ。
652世界@名無史さん:04/09/17 21:22:22
「第三帝国」ってドイツ語でどう言うの?
653世界@名無史さん:04/09/17 23:14:13
das Dritte Reich かな?
654世界@名無史さん:04/09/20 10:19:37
Reichって純ゲルマン語でしょ?「帝国」の意味なんて本来含まれていないでしょ?
655世界@名無史さん:04/09/20 10:31:46
そんなわけで、ドイツ帝国も、いわゆるワイマル共和国も
Das Deutsche Reich であった。
656世界@名無史さん:04/09/20 10:43:33
>>654-655
「帝国」は意訳?
ワイマール共和国を無視したということ?
657世界@名無史さん:04/09/21 01:29:00
第三ライヒでいいよもう
658世界@名無史さん:04/09/21 02:14:19
第三ライヒの悪のため現在ではライは死語になった。
元々は漠然と「領域」を指す語であったと思う。現在では「仕事におけるナワバリ」といった意味にしか使われていないであろう。
もともと漠然としている意味合いであったがゆえに、
近代国家を指す他の明確な意味の語とはちがい「国境が伸縮可能な漠然としたゲルマン民族の生活圏」の領有を正当化するのに便利な語になったのだと思う。
659ずしずし ◆BYeGwK8kJk :04/09/21 02:25:07
>>656 「帝国」はまったくの意訳です。
>>658 死語にもなってないです。

 ドイツ語辞書の見開きをみると、フランスを「フランス・ライヒ」と。
660世界@名無史さん:04/09/22 00:59:54
フランクライヒだろ。
フランクライヒとエスターライヒはなんでライヒがつくんだろう
661世界@名無史さん:04/09/26 23:40:08
大日本帝国はヤパンライヒというの?
662世界@名無史さん:04/09/27 03:40:19
帝国は独語でカイザートゥム?
663世界@名無史さん:04/10/30 15:51:30
ルクセンブルクはなんでドイツにならなかったのですか?
664世界@名無史さん:04/10/30 16:06:10
>>663
参照

欧州の人口100万人未満の小国の歴史
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1038230155/550-597
665世界@名無史さん:04/10/31 12:36:55
>「国境が伸縮可能な漠然としたゲルマン民族の生活圏」の領有を正当化するのに便利な語になったのだと思う。

中華と似ているな。
666世界@名無史さん:04/11/05 20:48:25
>665
中華と似ているな

どこが? それこそ漠然としている
667世界@名無史さん:04/11/05 21:04:41
無制限の領有権主張に結びつく
668世界@名無史さん:04/11/08 17:47:05
>>630
ブルゴーニュ・アルル王国の事ですか?
669世界@名無史さん:04/11/08 22:07:42
>>667
というか、第二次大戦中の大ドイツ帝国は、ちょうどフン族が侵入する前の
ゲルマン民族の居住地に匹敵する
シュレージエン地方の名はもともと、この地方に居たゲルマン ヴァンダル族の
一部族ジーリンゲン(Silingen)の名前に由来するもの
スラブのポーランド人がこの地をもともとスラブの領土などとするいわれのない
ことがわかる
670カラジチ ◆mWYugocC.c :04/11/09 09:26:41
>>669
命名が領有権に関わってくるなら、北海道の日本人は全員内地移住ですなあ。

>das Reich
「帝国」は意訳だけど、帝国をReichと訳すことは多い。
たとえばオスマン帝国はdas osmanisches Reichだし、カールの帝国das Reich des Karl des Grossenなんて言い方もする。
一方でReichは大きな地域という意味合いも持っていて、単に「国」と訳して良いこともある。
FrankreichやÖsterreichなんかそう。
更に大きく、漠然と「世界」という意味合いも持つことがある。
世界というか、「政界」とか「学界」の「界」に近い。(学界はdas Reich der Wissenschaft)
天国das Himmelreichなんて言い方もする。

やっぱりいくつもの地域を包括する大きな領域、という感じだと思う。
だから、多民族を包摂した帝国がReichと訳されるのは当然なのかもしれない。
Österreichも、本来はいくつもの公領や伯領がハプスブルク世襲領として集合して生まれたという経緯からすると、
das Reichと呼ばれるのも奇異ではないのかも。
671世界@名無史さん:04/11/09 15:19:13
>>669
そのころは部族の居住地に過ぎず、国家の体をなしていなかった。

そういう長い歴史のスパンで考えるなら、国際関係に基づいて作られた最初の国境線を基準にするべき。
すると、ドイツ国家すなわち東フランク王国の東端はエルベ川となり、現在のドイツ国境は不当に東に位置している。
ポーランド国家の西端はオドラ川で、現在のポーランド国境とほぼ一致するので正当と考えてよい。
チェコ国家の西端も大モラビア王国の領土を考えれば、現在の国境がほぼ正当である。
エルベ川とオドラ川の間には、非キリスト教徒のスラブ人の部族国家が多数存在していた。ここはポーランドではないが、
ドイツ領とするのも不当である。

スラブ・ゲルマン二元論は短絡である。近世に至るまでスラブ・ゲルマンは単なる言語群に過ぎず、
そのような民族意識はどこにも存在していない。
672世界@名無史さん:04/11/09 16:01:21
>>669-670
命名が領有権に関ってくるならベルリン・ドレスデン・ライプチヒなどは全部スラブ人に返還しなくてはならんですな。
673世界@名無史さん:04/11/09 16:39:05
>>669
ゲルマン民族はドイツが原住地じゃないよ
ドイツはケルト人とスラブ-バルト人の原住地
http://home.iprimus.com.au/microweb/slavic/map01.jpg

だからゲルマンのドイツ人がこの地をもともとゲルマンの領土などとするいわれのない
ことがわかる
674世界@名無史さん:04/11/09 17:00:09
その地図が示すところでは、ゲルマン民族は、
ケルト民族とスラブ民族、あるいはスラブ民族とバルト民族の境目にあとから入ってきた新参者というわけですな。
ゲルマン民族に分がないですな。
675世界@名無史さん:04/11/09 17:09:28
んー、フス戦争がドイツ史に与えた影響ってどんなもんでしょ?
皇帝の権威は失墜しただろうし、カトリック教会もまたしかり、
騎士もその軍事的無能さを証明しちゃったし、
フス派の大遠征はドイツ騎士団の崩壊を招いていますよね?
676世界@名無史さん:04/11/21 16:55:01
捕手挙げ
677世界@名無史さん:04/11/21 18:01:16
>>673
んなこと言い出したら、インドヨーロッパ語族は全部、
小アジアだか黒海だかからやってきたよそ者だろ。
678世界@名無史さん:04/11/21 18:02:26
              ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
             /": : : : : : : : \
           /-─-,,,_: : : : : : : : :\
          /     '''-,,,: : : : : : : :i
          /、      /: : : : : : : : i     ________
         r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i    /
         L_, ,   、 \: : : : : : : : :i   / クロマニヨンはアフリカに
         /●) (●>   |: :__,=-、: / <   帰れと思ってる
        l イ  '-     |:/ tbノノ    \
        l ,`-=-'\     `l ι';/      \ ネアンデルタール
        ヽトェ-ェェ-:)     -r'          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ヾ=-'     / /
     ____ヽ::::...   / ::::|
  / ̄ ::::::::::::::l `──''''   :::|
679世界@名無史さん:04/11/28 17:38:46
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の雇ったスパイの名前がどうしても
思い出せない。
680世界@名無史さん:04/11/28 17:39:37
すまん。やりすぎたかも・・・
681世界@名無史さん:04/11/29 16:21:26
マジャール人はアジア系なのにヒトラーはなぜか同盟
682世界@名無史さん:04/11/30 01:16:37
そんなこといったらブルガリアやスロバキアは劣等人種スラブ人じゃないか。
683世界@名無史さん:04/11/30 12:30:46
ゴート人末裔だといってご都合主義的に誤魔化したのだろうか?
日本人もギリシャ人末裔という説があったそうだが
684世界@名無史さん:04/11/30 18:18:20
>>682
その劣等人種に軽蔑される黄色人種って…
685世界@名無史さん:04/12/01 21:18:58
てゆうか、藻前らNHK見ろ。
686世界@名無史さん:04/12/01 21:27:58
カール・マルクスの故郷
687世界@名無史さん:04/12/02 21:22:48
>>673
ドイツはケルト人とスラブ-バルト人の原住地 ????????

ケルト人は古くからフランスからヨーロッパ各地に広く分布していたが、スラブ人はもともと
ルーマニア北部のカルパチア山系が原住地であり、今のドイツ地方はエルベ川以東が
進出地域であっても原住地ではありえない。
古くからスカンジナビアから今の北ドイツにゲルマン人は広く分布しており、その後、4世紀ごろには
今のポーランド全部を含む地帯はゲルマン人が占めていた。 オーデル川東岸のスエビ族や
とくに東ゲルマンのゴート族やヴァンダル族はあっちこっち移動を繰り返していた。
4世紀末のフン族の侵入によるゲルマン民族の大移動のあと、その空白地域に原住地からスラブは膨張しだし
東に向かったロシア、ウクライナ人、南に向かったセルビア、クロアチア人、西に向かったのが
今のポーランド、チェコ人の先祖となったのはご承知の通りである。
歴史地図の民族分布図なんかみると、ゲルマン族移動後のエルベ川東岸はスラブ人が占有しているように
着色されているが、実際はごく少数の点の集合体に過ぎず、移動したとはいえそこにはまだゲルマン族が残って
いたと思われる。
だからこそ、ドイツ人のエルベ川を越えての東方殖民で速やかにそこにきていたスラブ人は殺されるか吸収されるか
追放されてしまった。
要は、ドイツ地方はもちろん、今のポーランド地域もスラブ人の原住地ではありえないということだ。


688世界@名無史さん:04/12/02 21:34:44
>>670->>673

こいつらスレ嵐だよ
689世界@名無史さん:04/12/02 22:29:02
>>671
ドイツ国家すなわち東フランク王国の東端はエルベ川となり、現在のドイツ国境は不当に東に位置している。
ポーランド国家の西端はオドラ川で、現在のポーランド国境とほぼ一致するので正当と考えてよい。

どこが正当なんだ!

東フランク時代の理屈で不当というなら、ついその前の4世紀の理屈ではあきらかに今のポーランドの地はスラブの住む権利などありえない


690世界@名無史さん:04/12/02 23:05:06
東フランクの時代を基準にして現在の正当性を主張すること自体おかしな話だと思うが・・
その基準を各世界史に当てはめていったら日本の東北地方なんぞアイヌに返せって話になるよ

その後の歴史の変遷を考えれば、オーデル川以東のシュレージエン、ポンメルン地方は明らかに
700年以上、ドイツ人の世界だったしドイツ人の居住区だった
今も建築物などドイツのにおいを色濃く残している

それを戦争の結果とはいえ、1000万をこすドイツ人の追放により作られた今の国境のほうが異常な
ポーランドの国家的犯罪の結果にしかみえない
691世界@名無史さん:04/12/03 01:11:04
ドイツは戦争に負けたんだから仕方ない。
692世界@名無史さん:04/12/03 20:14:53
いやドイツ(神聖ローマ帝国)は正式にボレスワフ1世の領土を承認している。
これは現在のポーランド国境とほぼ一致する。
ドイツ殖民はその後なし崩し的に行なわれたもので法的正当性はない。
ヨーロッパ史としては、神聖ローマ帝国とボレスワフ1世治世下のポーランド王国国境を基準にするべきである。
ただし西ナイセ川と東ナイセ川の間の地域は当時は別のスラブ人部族国家の領土だったので、ドイツに渡してもよい。
693世界@名無史さん:04/12/03 20:39:45
>>689
4世紀やそれ以前は法的に国境線を互いに承認することはなかったから、当時ゲルマーニアであった現在のポーランドやドイツは誰の領土でもない。
当事者である国家間で正式に承認されたものを基礎にするのが正しい。
694世界@名無史さん:04/12/04 00:28:53
>>693
当事者である国家間で正式に承認されたものを基礎にするのが正しい。

ハァ〜?

ポーランドは旧連合国がソ連管理地区、米国管理地区、と分割したように、戦後、暫定的に今の
シューレージエン、ポンメルン、東プロイセン南半を管理地区とされていた
あくまでも、暫定的にだ

それを、ポーランドはその管理地区を自国の領土のように扱い、既成事実化しようとしたし、実際にした

その結果、その地域に住むドイツ人たちは、家、土地、財産、家畜を奪われ、着の身着のままで、
5キロまでの荷物をもって、6時間以内に出て行くよう、銃剣と暴力で追放が行われた
オーデル川にたどりつくまでの避難の過程で、200〜300万の婦女子、子供、老人が飢えと疲労と、ポーランド民兵の
暴力によって死に追いやられた

許せないのは、そのことを正当化するため、ポーランドはありとあらゆる過去の歴史の真実をねじまげようとしたことだ

上のレスで言っている「ドイツはケルト人とスラブ-バルト人の原住地 」などとばかげた話がどこからでてくるのかしらんが、
おそらく、今の、チェコ北部から旧ドイツのシュレージエンにかけて、BC13〜BC4世紀にかけて繁栄した青銅器時代から
鉄器時代初期にかけての文化(ラウジッツ文化)の遺跡 これらは古くからゲルマン人、イリュリア人、トラキア人が残したものとされていた
(東欧を知る辞典 平凡社)
それを、戦後、ポーランドはこの文化はスラブ人によるものと言い出した。 すべて、戦後のドイツ人追放、800年にわたって
築き上げたシュレージエン、ポンメルンのドイツ人の土地を奪ったことを少しでも正当化に近づけようとするためだ
しかし、何をしようが、ポーランドの国家的犯罪は未来永劫変わらない

ポーランドは戦後追放したドイツ人やその子孫にシュレージエンなどにある彼らの家、土地をすぐさま返すべきである




695世界@名無史さん:04/12/04 01:15:51
>>692
いやドイツ(神聖ローマ帝国)は正式にボレスワフ1世の領土を承認している。

神聖ローマ帝国は領土を承認したというより、ポーランドを王国として認めただけだろ
ドイツ人の東方殖民は、むしろユダヤ人とともにポーランド側から誘致されたものであり、そのために
ポーランドは経済的にも発展し、ドイツ人植民者の手による手工業、農業技術、鉱山開発、都市の発展をうながした
キリスト教の導入もこのころ行われたものであり、おかげでポーランドは同じスラブでありながら東方のロシアのように
以後ヨーロッパから仲間はずれにされずにすんだ
ドイツ人の東方殖民のなかでオーデル川を越えたシュレージエンやポンメルンはもともと人口の希薄な地域であり、だからこそドイツゲルマンの文化も
この地に根付いた 逆に、それ以上に東方に進出したドイツ人たちは、東プロイセンのようなドイツ騎士団が占拠する場所は別として、
逆にスラブ化していったものもいた
そして、ポーランド王 カジミシェシ3世(在位1330〜70)のとき、今のシュレージエン地方は神聖ローマ帝国のボヘミア王
ヤン ルクセンブルグにポーランド王位継承権の放棄を条件に神聖ローマ帝国に引き渡されたものだ
そのような歴史的な変遷を考えずにピアスト朝初期のボレスワフ1世の話を基準に現在の法的正当性がどうのこうの言うほうがおかしい
696世界@名無史さん:04/12/04 02:05:17
>>694-695
熱く語ってるね!

で?
697世界@名無史さん:04/12/04 02:26:08
ポーランド人を追い出せ
皆殺しにしろ!
698世界@名無史さん:04/12/04 02:26:40
ポーランド人を追い出せ
皆殺しにしろ!バカが言った
699697:04/12/04 02:28:13
おい、>>698は本物のポーランド人だぞ!
漏れの隣にいる
700697:04/12/04 02:31:14
嘘つくな、この野郎!!!!
おれが本物日本人だぜ!
ポーランド人ほっとけ、ドイツ人かぶり野郎達
701697:04/12/04 02:38:52
>>700>>698と同一のポーランド人。
702世界@名無史さん:04/12/04 02:44:27
ドイツ人は純粋なゲルマンでなくスラブとの混血だろ
ドイツ語だからってゲルマンとは限らない
703世界@名無史さん:04/12/04 03:00:15
ポーランドなんてさ、無くして、全部ドイツにしちゃえばいいんだよ。
ポーランド人は全員ドイツ人てことにして。
704世界@名無史さん:04/12/04 03:26:23
>>703
そうやって>>1のビスマルク政策に戻るわけだ。
705世界@名無史さん:04/12/04 16:23:23
ビルマルクはポーランド人をドイツに同化させた。
そして多くのポーランド人がドイツ人になった。

ドイツ人となったポーランド人はドイツのあらゆる分野で成功していった。

ドイツ経済界の首領であるロゴフスキドイツ産業連盟会長はポーランド系である。

ヒトラーはポーランド人をドイツに同化させなかった。
住民を追放し、総督府という狭い地域に押し込め、奴隷として扱おうとした。

当時のドイツ人はヒトラーの民族思想と対ポーランド人政策に満足していた。
大戦中ポーランド人の失った財産は計り知れない。

ドイツが戦争に勝っていたらドイツはポーランドの全てを征服し、ポーランド人を生物学的に絶滅させ
全てのポーランド人の財産を奪っていただろう。

ところがドイツは負けたためドイツはその一部の国民の財産を犠牲にした。

要は国際関係というものは弱肉強食の世界である。

そしてドイツはポーランドと国境線画定条約を結び、かつ被追放者に賠償請求の権利を与えていない。

また、被追放者はドイツ国庫から莫大な保証金を受け、かつ住居を与えられている。
これを国庫に返還しない限り、他のドイツ人は納税者として納得しない。
706世界@名無史さん:04/12/04 16:24:35
昔はユダヤ系がドイツの経済を支配した。

現在はポーランド系がドイツの経済を支配している。
707世界@名無史さん:04/12/05 00:16:03
>>694
>ポーランドは戦後追放したドイツ人やその子孫にシュレージエンなどにある彼らの家、土地をすぐさま返すべきである

なにがハァ〜?だ、こっちこそハァ〜?だ

この民主主義の時代に住民追放の悲劇が繰り返されることを夢見るなんて、まさにキチガイだ
708世界@名無史さん:04/12/05 00:48:54
709Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/12/05 09:56:15
>>705
前から疑問だったんだが、ナチス贔屓の人ってこの結果についてはどう思ってるんだろう。
アウシュビッツとか侵略の善悪とか一切抜きで、
「戦争に負けて領土取られた」ってだけで、普通なら独裁者として凡人以下。
決して高く評価できないと思うんだがね。
710世界@名無史さん:04/12/06 02:15:56
>>694
デタラメ言うな!

>ポーランドは旧連合国がソ連管理地区、米国管理地区、と分割したように、戦後、暫定的に今の
>シューレージエン、ポンメルン、東プロイセン南半を管理地区とされていた
>あくまでも、暫定的にだ
>それを、ポーランドはその管理地区を自国の領土のように扱い、既成事実化しようとしたし、実際にした

管理地区でなく、既成事実化でもなく、ポツダム協定による暫定国境だ。
これは1950年に東ドイツ、1972年に西ドイツが承認し、
1990年に統一ドイツとポーランドとの間で条約により確定している。

>その結果、その地域に住むドイツ人たちは、家、土地、財産、家畜を奪われ、着の身着のままで、
>5キロまでの荷物をもって、6時間以内に出て行くよう、銃剣と暴力で追放が行われた

バカいえ、事情を誇張するな。追放は粛々と行なわれたものだ。
協定に基づいて権力によって行なわれたことを「住建と暴力」などと言い換えるな!

>オーデル川にたどりつくまでの避難の過程で、200〜300万の婦女子、子供、老人が飢えと疲労と、ポーランド民兵の
>暴力によって死に追いやられた

アホか、ポーランドからの被追放者は最大350万人なのに200〜300万人が死ぬわけないだろ。
711世界@名無史さん:04/12/06 02:18:48
>>694
>許せないのは、そのことを正当化するため、ポーランドはありとあらゆる過去の歴史の真実をねじまげようとしたことだ

ラウジッツ文化は時代的にゲルマンとは関係ない。その時代ゲルマン語族はスカンジナビアから南下していない。
それを元に、バルト=スラブ系の関与を主張する学者がいることが過去の捏造だと思っているわけだから、
頭おかしいんじゃないか?


>しかし、何をしようが、ポーランドの国家的犯罪は未来永劫変わらない

バカ、ドイツ人追放や国境線変更は、ポツダム協定によるものだ。
これらはポーランドの頭越しに決定されたものだ。
ポーランドはそれに従わざるを得なかったに過ぎない。

>ポーランドは戦後追放したドイツ人やその子孫にシュレージエンなどにある彼らの家、土地をすぐさま返すべきである

アホか、BdV(被追放者連盟)さえそんな事はポーランドに求めていないし、
ドイツ人の被追放者にそんなポツダム協定を覆す権利はない。
712世界@名無史さん:04/12/06 02:19:59
713世界@名無史さん:04/12/06 09:23:30
いい加減国境問題も飽きたなあ。
同じ所をずっとループしてるし。
長文だけど読んだ覚えのある書き込みばっかりだ。
714世界@名無史さん:04/12/06 22:22:23
やはり、このスレにはキチガイ ポラックヲタが張り付いていたか。
715世界@名無史さん:04/12/06 22:25:48
なんか、以前、旧ドイツの自分たちの家や土地に住み着いたポーランド人へ、返せと要求した例が、
何万件も、しかもつい最近あったと思ったが。
716世界@名無史さん:04/12/06 22:33:57
ラウジッツ文化:
  ラウジッツ文化は、古くからゲルマン人、さらにトラキア人、あるいはイリュリア人の残したものと
  されている。
  最近では、ポーランドがスラブ人説を強く主張するなど、現代の社会、政治情勢の影響を典型的な
  形で露呈している。 ・・・東欧を知る辞典より

  この時代はスラブ人ははるか、カルパチアのかなた 
717世界@名無史さん:04/12/06 22:53:40
旧ドイツ領を追放されたドイツ人の個人的な財産権の問題はいまだに解決してないことは確かだ

現在、リベラルというより、昔の日本の社会党に近いSPDがドイツの政権にいるかぎり、この問題は
表面化しないのではないか。
しかし、現在、ドイツでのSPDの支持率は最低で、世論のシュレーダー首相に対する支持率はすでに18%までに落ち込んでいる。
このため、2年後の連邦議会選挙では保守のCDU・CSUに権力の座を明け渡すのは確実と見られている。
そのときになれば、今、問題になっている、ベルリン(かどうか)にドイツ人の追放記念館や、旧ドイツ領のドイツ人の財産権の問題も
浮上してくるよ。
まして、EU憲章の世界になったらなおのことだ。
ポーランドは反省すべきだね。
718世界@名無史さん:04/12/06 22:57:14
>>717
現在、リベラルというより、昔の日本の社会党に近いSPDがドイツの政権にいるかぎり、この問題は
表面化しないのではないか。

拉致問題と同じだね
719世界@名無史さん:04/12/06 22:59:06
拉致問題よりずっとたちが悪いのではと言って見る
720世界@名無史さん:04/12/06 23:01:13
とはいえ、ドイツ政府も動けるかね?
721世界@名無史さん:04/12/06 23:16:01
さあね そのときになってみなければわからないけど
でも、今のドイツの社会民主党SPDはポーランドに弱腰すぎると思う
その点、CDU/CSUは、ドイツ人追放記念館についてはSPUに比べたらずっと積極的だし
頼りになるよ
ポーランドの意のままにさせてほしくない
今、SPDが大幅に支持率を減らした分、かなりの支持がに極右のNPD(国家民主党)にいっている
個人の財産権の保障など、ポーランドに対しては強く圧力をかけてほしい
722世界@名無史さん:04/12/06 23:29:19
BdVが要求しているのはポーランドやチェコの不動産の返還でなくて財産の補償なんだが、
被追放者たちはドイツ政府から住宅と多額の補償金(1400億マルク)を受けているから、
ポーランドやチェコに対して補償を請求すると、二重取りになってしまう。
問題になっているのはこの点で、被追放者は請求を諦めるか、
受けた補償を一旦国庫に返還するかすべきだというのがドイツ世論の大半となっている。
ドイツの納税者としては当然の意見だろう。
翻ってポーランドやチェコの側からすると、ロンドン債務協定によって
関係諸国と平和条約が締結されるまでドイツは戦後賠償を棚上げしている状態だから、
本来は即刻平和条約を結び、賠償金を支払う義務がある。
1996年にドイツはポーランドの強制労働被害者に対し一人当たり約4万円の一時金を支払っているが、
これで足りるはずはない。
一応1990年にドイツはポーランドやチェコと友好善隣条約を結んでいるが、これは詭弁で、
平和条約でないから本格的戦後賠償ま未だなされていないのが現状だ。
723世界@名無史さん:04/12/06 23:31:57
ケーニヒスベルク カリーニングラード
724世界@名無史さん:04/12/06 23:34:56
>>710
アホか、ポーランドからの被追放者は最大350万人なのに200〜300万人が死ぬわけないだろ。

旧ドイツ領のポンメルン、シュレジエン、東プロイセンにいたドイツ系住民は1200〜1300万で
そのうち、ソ連軍やポーランド民兵、ポーランド住民のリンチによる殺害、避難途中の飢え、疲労で
死んだもの200〜300万と言われている
725世界@名無史さん:04/12/06 23:47:52
>>722
被追放者たちはドイツ政府から住宅と多額の補償金(1400億マルク)を受けているから

追放されてきた同胞に援助をするのは当然だよね。

でも、それは新潟地震なんかの被災者同様、一時的な支援にすぎない
個人が奪われた財産は当然彼らにあり、自分たち(ポーランド)がやったことを
ドイツの国内問題にすりかえるのは筋ちがいだよ
726世界@名無史さん:04/12/07 00:42:09
>>724
それはデタラメ。

ドイツより東からドイツへと追放されたドイツ人が約1000万人で、
ポーランドから追放されたのはそのうち250万人から350万人にすぎない。

The actual population transfer included 2-3.5 million from Poland,
2-3 million from Czechoslovakia, around 2 million from the Soviet Union,
400,000 from Hungary, 300,000 from Romania, and another 1 million from
other Eastern European regions.

http://en.wikipedia.org/wiki/Expulsion_of_Germans_after_World_War_II
727世界@名無史さん:04/12/07 00:47:06
>>725
>自分たち(ポーランド)がやったこと

それもデタラメ。

国境線変更とドイツ人追放はポツダム協定による。ポーランドの政策ではない。

ポーランドは戦勝国ではあったが、ドイツ同様ポツダム協定を追認せざるを得なかった立場。

・The establishment of the Oder-Neisse line as the provisional border between Germany and Poland.
・The expulsion of the German populations remaining outside the borders of Germany.

http://en.wikipedia.org/wiki/Potsdam_Conference
728世界@名無史さん:04/12/07 00:48:31
>>725
>ドイツの国内問題にすりかえるのは筋ちがいだよ

すりかえはそっち。

補償の二重取りに納得していないのはドイツの一般の納税者であってポーランド人ではない。
729世界@名無史さん:04/12/07 00:52:59
>>725
1400マルクは1マルク約60円というユーロ導入直前のレートで、
一世帯(平均4人)あたり約370万円となる。
しかも住宅支給はまた別に行なわれている。

これを一旦返還しなければ世論は被追放者側にはつかない。

しかも、財産の直接返還はポーランド人の再追放を意味するから、
一般のドイツ人は反対している。
BdVでさえ、あくまで補償だけを求めている。
730世界@名無史さん:04/12/07 01:09:30
44年から48年の間にドイツに逃れた、あるいは追放されたドイツ系住民の数

戦前のポーランドから110万人

東プロイセンから195万人
ポンメルンから195万人
シュレジエンから325万人

チェコスロヴァキアから290万人
ユーゴスラビアから25万人
ハンガリーから20万人
ルーマニアから5万人

シュピーゲルの記事。2ページ目の地図がわかりやすい。
http://www.schule.spiegel.de/media/0,4906,3788,00.pdf

ちなみにソ連に併合された地域から現ポーランドに
追放されたポーランド人は110万人

ドイツ系追放者の問題でもめると、それがポーランド系追放者の問題にも
波及しそうな悪寒。
731世界@名無史さん:04/12/07 01:29:57
>>730
その数字には旧ドイツ領だけでなく戦前のポーランド領にいたドイツ系住民も含まれているんだよ。
ドイツが喪失した領土からの被追放者はポーランドの場合、200-350万人が正しい。
732世界@名無史さん:04/12/07 01:40:54
>>729
1400マルクって、補償金の総額1400億マルクの間違いだろ
733世界@名無史さん:04/12/07 01:54:43
While the border between Poland and Germany was practically determined
and made irreversible by forced population transfers agreed in Potsdam,
the West wanted to see the final peace conference to confirm the Oder-Neisse line
as a permanent arrangement. Since WW2 has never been settled by peace conference,
Polish-German border was gradually recognized by mutual agreements: 1950 by East Germany,
1970 by West Germany and 1990 by united Germany. This state of uncertainty lead to
greater influence of the Soviet Union over Poland and Germany.

http://en.wikipedia.org/wiki/Potsdam_Conference

ここが問題。
ドイツの被侵略国に対する賠償の実行は、ロンドンでの協定で平和条約が締結されるまで棚上げとなっている。
つまり、平和条約を締結すると、ドイツはポーランドをはじめ、関係国に対して賠償金を
支払わなくてはならなくなるため、二国間条約でお茶を濁しているのだ。
いわゆる、ほっかむり状態を決め込んでいる。

ドイツは戦争責任を取っていないのだ。
734世界@名無史さん:04/12/07 02:41:24
ドイツは反省すべきだね。

一刻も早く賠償金を支払うべき。
第一次大戦の賠償金も全額支払ってなかったな、そういえば。
735世界@名無史さん:04/12/07 02:44:10
講和条約さえ結んでいないドイツのような国が国連安保理の常任理事国入りを目指すなんてキチガイ沙汰だね。
736世界@名無史さん:04/12/07 17:22:27
>>716
ラウジッツ(ルサチア)文化はウェネティ人と呼ばれた古代イリュリア人のものであり、ゲルマンともスラブとも関係ない。
古代イリュリア人はその後南下し、ウィーン、ヴェネチアなどの地名はウェネティという名前に由来する。
彼らは現在のアルバニア人の先祖であろうとされている。
ブランデンブルクのロッソウという場所にある遺跡には人肉食の習慣を示す遺跡がある。
ただしルサチアに残った古代イリュリア人の一部はその後侵入したゲルマン人やスラブ人に吸収・同化された。

スラブ人は、黒海北岸のククテニ・トリポリエ文化と呼ばれる新石器時代の文化の担い手であった。
ここは肥沃な黒土地帯を含み、沼沢地が多く、紀元前28世紀ごろから農業が発展した。
ここから北カルパチア墳墓文化→コマロフ文化→ビロフルディウカ文化→ヴィソツコイェ文化と青銅器時代の文化発展に次いで、
紀元前10世紀ごろに高度な鉄器文化であるチェルノレス文化に到達する。
チェルノレス文化はヘロドトスの呼んだ農耕スキタイ人のことである。
彼らは遊牧民であるスキタイ人の鉄器製造者であった。
北カルパチア墳墓文化からチェルノレス文化の過程は約2000年間。
その後紀元前3世紀にチェルノレス文化はサルマート人の侵入を受けるが、
その担い手であるスラブ人は北方の広大な森林地帯に勢力を拡大してゆく。
この頃からスラブ人は周辺の住民から古代イリュリア人と同じ名のウェネティと呼ばれるようになる。
737世界@名無史さん:04/12/07 18:11:37
ルサチア(ラウジッツ)地方には紀元前4世紀ごろ西スラブ人が移住したとされている。
ゲルマン人が北ドイツから南下を開始したのは紀元前2世紀ごろから。
したがって、紀元前4世紀まで栄えたラウジッツ文化の担い手はスラブ人でもゲルマン人でもない。
古代スラブ語には山岳地帯に関する語彙が少なく、山地に発展したラウジッツ文化との関連は薄い。
プロト・ゲルマン人の生活形態は農耕中心でないから、ラウジッツ文化の担い手を
プロト・ゲルマン人とするには無理がある。
第二次大戦前にビスクーピン遺跡が発見されたとき、ポーランドの学者が
ビスクーピンをラウジッツ文化との関連でとらえ、ラウジッツ文化の担い手を
プロト・スラブ人と主張したが、大戦中は、ドイツ側がラウジッツ文化を
プロト・ゲルマン人のものとした。
どちらの説もイデオロギーに過ぎず、現在は顧みられていない。
ちなみに、ビスクーピン遺跡をラウジッツ文化に含めることには時代的に多少無理があり、
この遺跡をプロト・スラブ人のものとする説は今だ考慮の余地がある。
その後、ドイツの学者がラウジッツ文化はプロト・イリュリア人のものではないかと主張し、
現在ではこの説が有力視されているが、どの語族が担い手だったかは明確には分かっていない。
チェルノレス文化はプロト・スラブ人のものであることが分かってきている。
738世界@名無史さん:04/12/08 13:26:34
神聖ローマ帝国
739世界@名無史さん:04/12/09 00:12:03
ドイツ人追放についてこんなデータもあるね

http://www.tkumagai.de/Tsuihoo.htm
740世界@名無史さん:04/12/09 00:20:44
>>731
ドイツが喪失した領土からの被追放者はポーランドの場合、200-350万人が正しい????

さっきから一人でごたごた言っているみたいだけど、どこからそんな数字がでてくるんだ

戦前のシレジア地方だけでも470万以上のドイツ人がいたはずだが。。


741世界@名無史さん:04/12/09 00:21:13
742世界@名無史さん:04/12/09 18:18:30
>>740
ソース。
743世界@名無史さん:04/12/09 18:30:21
>>739
データ?
744世界@名無史さん:04/12/09 18:47:43
>>740
The actual population transfer included 2-3.5 million from Poland,
2-3 million from Czechoslovakia, around 2 million from the Soviet Union,
400,000 from Hungary, 300,000 from Romania, and another 1 million from
other Eastern European regions.

http://en.wikipedia.org/wiki/Expulsion_of_Germans_after_World_War_II
745世界@名無史さん:04/12/09 23:55:19
>>742
 ソース 

<東>からのドイツ難民の数 ( )内は1939年当時のその地のドイツ人住民数 難民数との差は死亡・残留

   リトワニア 169,500人 (249,500人)
   東プロイセン 1,984,400人 (2,473,000人)
   ダンチヒ 290,800人 (380,000人)
   ポンメルン 1,464,600人 (1,883,700人)
   ニーダーシュレージエン 430,000人 (642,000人)
オーバーシュレージエン 3,228,600人 (4,576,500人)
   ポーランド 688,000人 (1,371,000人)
チェコスロバキア 3,000,400人(3,477,000人)

   ハンガリー 213,000人 (623,000人)
   ユーゴスラビア 297,500人 (536,800人)
ルーマニア 253,000人 (786,000人)


   <東>からの難民(W・ヒルゲマン「ドイツ現代史地図」1986)より抜粋 
746世界@名無史さん:04/12/10 00:04:24
>>744
>>745によると1939年当時ポーランドにいたドイツ系住民はたった137万人なのに、
なんで200万から350万人もポーランドから追放されたことになってんだよ?

747世界@名無史さん:04/12/10 00:07:42
>>731
>>740
>>744
↑おまいら全部にきくよ


>>745によると1939年当時ポーランドにいたドイツ系住民はたった137万人なのに、
なんで200万から350万人もポーランドから追放されたことになってんだよ?
748世界@名無史さん:04/12/10 00:41:29
>>745
まさにヤブヘビ(w
749世界@名無史さん:04/12/10 01:33:54
追放された人数(しかもドイツ人だけ)より、ドイツ人やポーランド人の追放を決めたポツダム会談の方が重要だろ
750世界@名無史さん:04/12/11 01:29:55
>>747
>>731
>>740
>>744
↑おまいら全部にきくよ

すべて同一人物だと思うよ。
751世界@名無史さん:04/12/11 01:50:31
いや
>>731>>740>>744は別人だと思うね。
752世界@名無史さん:04/12/11 02:00:29
>>747
なんで200万から350万人もポーランドから追放されたことになってんだよ?

>>745でいっているポーランドは第一次大戦後のポーランド領土のことであって、
第一次大戦後にポーランドから奪われた西プロイセンを中心にそこに取り残されたドイツ人が1371000人ってことだろ。

そのほかのポンメルンやシレジア(>>745で言っているニーダー/オーバーシュレージエン)、東プロイセン(南半)は、
第二次大戦後、さらにポーランドがドイツから奪いとった領域のことだ。

その領域にいたドイツ人を追放した数が示されている。 それをあわせて200万から350万といっているのが
>>731の言い分だろ

しかしその難民数を>>745で示されている第二次大戦後ポーランドが併合したドイツ領(ポンメルン、シレジア、東プロイセン
(ただし北半分はロシアが占領しているが)から数で合計すると740万人近くになるね

753752:04/12/11 02:10:14
しかしその難民数を>>745で示されている第二次大戦後ポーランドが併合したドイツ領(ポンメルン、シレジア、東プロイセン
(ただし北半分はロシアが占領しているが)から数で合計すると740万人近くになるね

すまん ダンチヒが抜けてた
754世界@名無史さん:04/12/11 02:17:37
>>752-753
しかし>>744には200から350万人がポーランドからと書いてある。
終戦時点で「ポーランドから」といえば1939年9月までのポーランド領のことだと解釈するだろ、普通は。
755世界@名無史さん:04/12/11 02:23:23
その当時の難民数と1939年時のドイツ人の住民数の差も、ルーマニアやハンガリアは残留の数が多いんだろうが、
ポーランドやチェコの場合、残留数より、死者数のほうが圧倒的に多いんだろうな
でも、避難途中での死者数の数を含めるとやはり戦後のドイツ人避難民数1300万というのは妥当な気がするが
756世界@名無史さん:04/12/11 02:39:30
当時、ワルシャワ蜂起後ほとんど壊滅していたAKと、もともと戦力のなかったALと
赤軍と一緒にベルリンへ突撃していた第一軍団あわせても、
ドイツ人難民を追いかけていって何十万何百万という単位で殺傷するような能力が
ポーランド側にあったとは考えられない。
そもそもそんなに沢山の人を殺傷する弾薬さえポーランド人は持っていない。
どう考えてもおかしな話だ。

大体、南京大虐殺だって日本軍に30万もの人を殺すほどの弾薬はないから矛盾しているという話だろ。

殺されたとすれば、赤軍に襲われたとしか考えられない。
757世界@名無史さん:04/12/11 17:33:54
赤軍は骨の髄まで卑劣だからやりかねないな。
所謂新中国での死者(大躍進・文革)も相当なもの。

最も、ドイツ難民の死者の中には現ドイツ領に辿り着いてから空襲でやられたのも多いだろう。
ドレスデンなんか広島長崎に例えられる程のやられ方。当時東方から引き揚げた避難民でごった返していたそうだから、
本来の市民の犠牲者以外に多数こうした難民の死者がいたとは考えられないか?
758世界@名無史さん:04/12/11 21:35:05
>>756
そもそもそんなに沢山の人を殺傷する弾薬さえポーランド人は持っていない。
どう考えてもおかしな話だ。

無抵抗のドイツ人被難民、それもほとんどは、女、子供、老人、彼らから、ものを奪い、暴行し、殺害するのに
銃などいるのか。
棒切れひとつあれば十分の話だと思うが
759世界@名無史さん:04/12/11 22:04:58
>>754
終戦時点で「ポーランドから」といえば1939年9月までのポーランド領のことだと解釈するだろ、普通は。

>>744のネタの出所(>>726もそうだが)が、From Wikipedia, the free encyclopedia.になっているんだけど
見てみたんだが、日本語のサイトにこんな表現があった。

現在、ウィキペディア日本語版には約88307本の
記事があります。基本方針に賛同して頂けるなら
、どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8

要は、書いた記事はだれでも、自由に編集できるFree dictionaryって感じ
いわば2chの掲示板みたいなものに感じたんだけれどだれが最終的に編集したかわからないのでは

本当に信用できるのかなって感じがしたけど
760世界@名無史さん:04/12/11 22:31:18
>>756
殺されたとすれば、赤軍に襲われたとしか考えられない。

赤軍に殺されたのもいっぱいいる。
特に、終戦間際では、ソ連軍機の機銃掃射や、無抵抗の避難民の長い列に沿って、ソ連軍戦車が突っ込んで、
避難民をひき潰した例が多かった
スターリンはこの情報を聞き、われはれは、今まであまりにもわが軍(赤軍)を拘束しすぎた
たまには彼らにも主体性をもたしてやったほうがいいと笑みを浮かべていたという

761世界@名無史さん:04/12/11 22:42:22
追放者・移住者の数の推計なんていろいろあるのかもよ。

Flucht und Vertreibung in Europa 1945
単位は千。色つきの○がドイツ人、□がポーランド人。白抜きの□はソ連人。
http://www.lsg.musin.de/LkGeschichte/1945LK/flucht_und_vertreibung.htm

この図だと、戦後ソ連に併合された東部地域を除く戦前のポーランドから290万人の
ドイツ系住民が追放されるか、あるいは移住したことになっている。

ちなみに、1945年以前の東方におけるドイツ人居住地域は下記の図にくわしい。
Deutsche Siedlungsgebiete im Osten vor 1945
http://www.lpb.bwue.de/aktuell/due/45_02/zwang1mat.htm
762世界@名無史さん:04/12/11 23:54:17
>>756
ドイツ人難民を追いかけていって何十万何百万という単位で殺傷するような能力が ・・

というより、もちろんポーランド民兵だけでなく、一般のポーランド人が無抵抗のドイツ人避難民をリンチにかけた
例は多かったろうが、追いかけていくほど積極的だったかどうか やはりソ連軍の襲撃、虐殺が一番多かったろう
戦後、ポーランドは居残ったドイツ人を強制収容所に入れ拷問を加えていたこともあったしね

ソ連軍やポーランドの虐殺のほかに、避難途中での飢え、疲労による行き倒れもかなりの数に昇ったと見られる
ただ、この問題がいまだに尾をひいているのはそういった事実をポーランドはイエドワブネのユダヤ人虐殺と同様
知らぬ存ぜぬで着の身着のままでの無慈悲なドイツ人追放をあくまでも移動とし、自分のほうがあわれな戦争被害者ですとでも
言わんばかりの態度は個人的にはとても鼻持ちならないんだが、俺だけだろうか。
763世界@名無史さん:04/12/12 00:33:18
シュレジエン・ドイツ民族とシュレジエン・スラブ原住民族との選別はどのように行なったの?
ギュンター・グラスはカシュ―ブ人だと名乗ればダンチヒに留まれたかも?
764世界@名無史さん:04/12/12 00:42:51
>知らぬ存ぜぬで

>自分のほうがあわれな戦争被害者ですとでも
>言わんばかりの

それは社会主義時代のポーランドで、アカの連中はイデオロギーが絡んでいたからまあ仕方ない。

現在はIPN(英語ではInstitute of National Remembrance)という政府の外郭機関があって、
戦時中(戦時中に関らず社会主義時代も含めて)の違法行為・非人道的行為を追及している。

まだ、ポーランドが被害者面しているというイメージがあるのは、ポーランド自身が自国の努力を
積極的に世界に発信していないからまあこれも仕方ないといえるが、
やるべきことはちゃんとやっている。

たとえばユダヤ人殺しはイェドバブネ事件だけが有名だが、事件の3日前に近隣のラジロフという村で
起こったユダヤ人虐殺の事実を発見し、追及している。

もちろん戦後の放逐ドイツ人に対する報復行為についても追及をしている。

ただ、ポーランドを侵略したのがドイツだったのは否定できない事実で、
その後の非人道的な占領政策も含めて、ポーランドが第二次大戦の被害者だったということは、
事実として認めてやってもいいと思うが。

Institute of National RemembranceのHP
http://www.ipn.gov.pl/index_eng.html
765世界@名無史さん:04/12/12 00:47:36
Since 1990, historical events have been examined by the Polish Institute of National Remembrance.
Its role is to investigate the crimes of the past without regard to the nationality of victims
and perpetrators. In Poland, crimes motivated by the nationality of victims are not covered by
a statute of limitations, therefore the criminals can be charged in perpetuity. In a few cases,
the crimes against Germans were examined. One suspected perpetrator, Salomon Morel, fled the country.
http://www.thebestlinks.com/Expulsion_of_Germans_after_World_War_II.html
766世界@名無史さん:04/12/12 01:07:55
>>764
同時にドイツの敗戦後は多くのドイツ人が戦争被害者だったともいえるが、
住民交換を決めたのはポーランドでなくポツダム会談を開いた英米ソであったし、
実際にポーランド人やドイツ人をそれぞれの故郷から追放したのも
形骸に過ぎなかったルブリン臨時政府であるはずがなく、
ポーランドやドイツに進駐していたソ連軍だったはずだと思う。
767世界@名無史さん:04/12/12 01:15:23
>>765
戦後、ドイツ人収容所で1538人のドイツ人を虐殺したUB司令官のサロモン・モレルに対する
IPN(Polish Institute of National Remembrance)の追及は有名だ。
768世界@名無史さん:04/12/12 02:21:03
>>763
あまり厳格でなかったかもしれない。

シュレジェンのドイツ人の一部は炭鉱地帯の労働者として社会主義政権によって残されたというが、
友人のポーランド人の祖父母(父方も母方もドイツ人)は、すべて
戦後すぐにポーランドのルブリンという、炭鉱とは無関係の街に移住している。
戦中、ルブリンには巨大なユダヤ人絶滅収容所があって、戦後はナチスに協力的だったというドイツ人を
政治犯として収容していたのだが、その収容所にも入れられていなかったそうだ。
だからといって彼らが共産主義者とかソ連への協力者だったわけでもないそうだ。
ソ連側(あとで社会主義ポーランドに引き継がれた)による民族的選別は大分いい加減なものだったのだろう。

その人の父母まではドイツ語がある程度話せるそうだが、本人はドイツ語は理解できない。
かわりに英語、フランス語、ロシア語が話せる。本人の代で完全にポーランド人化しているといえる。
苗字はドイツ人そのものだが。
769世界@名無史さん:04/12/16 19:13:22
ドイツ代表メンバー(●印のついた選手はドイツ民族以外の民族出身)

GK:●カーン、●イェンチュ
DF:●ベアンス、●オボモイエラ、メルテザッカー、フリードリッヒ
MF:●バラック、シュバインシュタイガー、エルンスト、●ボロウスキー、シュナイダー、エンゲルハルト、シュルツ
FW:●クローゼ、●アザモア、●ブルダリッチ、●ポドルスキー
770ゲルマン魂:04/12/16 19:18:27
ドイツ代表メンバー(丸印のついた選手はドイツ民族以外の民族出身、スラブ=バルト系民族は○)

GK:○カーン、●イェンチュ
DF:●ベアンス、●オボモイエラ、メルテザッカー、フリードリッヒ
MF:○バラック、シュバインシュタイガー、エルンスト、○ボロウスキー、シュナイダー、エンゲルハルト、シュルツ
FW:○クローゼ、●アザモア、●ブルダリッチ、○ポドルスキー
771世界@名無史さん:04/12/17 16:56:52
ドイツってなんでこんなに優秀なんですか?
歴史を見るとすごい香具師の大半はドイツ人ですよね。
いい意味で怖いです。
772世界@名無史さん:04/12/17 22:37:33
>>764
ただ、ポーランドを侵略したのがドイツだったのは否定できない事実で、
その後の非人道的な占領政策も含めて、ポーランドが第二次大戦の被害者だったということは、

本当にそうなのか そこがそもそも疑わしいと思っているのだが。
第一次大戦前、周辺諸国(リトワニア、チェコ、ドイツも)をその軍事力をもって、恫喝しまくっていたのは
ポーランドではなかったのか。
スラブ人はロシア人もセルビア人もそうだが領土欲に貪欲な民族だ。
そのなかでも、第一次大戦後、領土に貪欲だったのはポーランドが抜きん出ていた。
ヒトラーも当初、第一次大戦後の国境を認める代わりに、分離された回廊のドイツ本土から、ダンチヒへの道路建設を
認めてくれるよう要求したが、ポーランドはここぞとばかり、軍に動員令を発して敵対行動をとった。
イギリスの無能政治家チェンバレンが決して信用できないヤクザ国家ポーランドに対し安全保障をしたことは
ますます彼らの態度を冗長させ、結果的にはポーランド国内のドイツ系住民の弾圧にいたったことがヒトラーを激怒させ
第二次大戦の引き金になったのではないか。
その意味で、ポーランドは第二次大戦の引き金を引いた張本人であり、100%とはいわないが、70〜80%は
彼らに責任がある。 ポーランドが第二次大戦の被害者など、フランスのレジスタンスの英雄話と同様つくられた
ものに過ぎないのではないか。
773772だけど:04/12/17 22:43:49
第一次大戦前、周辺諸国(リトワニア、チェコ、ドイツも)をその軍事力をもって、恫喝しまくっていたのは

すまん
第二次大戦前、周辺諸国(リトワニア、チェコ、ドイツも)をその軍事力をもって、恫喝しまくっていたのは
に訂正してたも
774世界@名無史さん:04/12/17 22:55:58
ドイツ代表メンバー(●印のついた選手はドイツ民族以外の民族出身)

こんな、中傷を言っている輩がいること自体、ドイツ人がいかに優秀かという証拠だね
775世界@名無史さん:04/12/17 23:24:23
>>766
実際にポーランド人やドイツ人をそれぞれの故郷から追放したのも
形骸に過ぎなかったルブリン臨時政府であるはずがなく、

違うんじゃないのかね

連合国間の調整がつかないまま、当時、西側連合国はオーデルナイセ線に反対していたなかで、
現在のオーデルナイセ以東のドイツ領を暫定的にポーランド管理下としていた。
しかし、ポーランドは、そこを自分たちの領土のように扱い、800年以上のわたってそこに住み着いて
いたドイツ人を着の身着のまま追い出した もちろんポーランドの共産政権が張本人だ。
そして、そのまま既成事実をつくりだしにつとめた。



776世界@名無史さん:04/12/17 23:45:03
日本も沖ノ鳥島と尖閣列島を守ろう ((=゚Д゚=O (゚Д゚ )オオッ
777世界@名無史さん:04/12/18 00:13:42
>>764
もちろん戦後の放逐ドイツ人に対する報復行為についても追及をしている。

具体的にはどんなことを?
778世界@名無史さん:04/12/18 00:18:04
日本も沖ノ鳥島と尖閣列島を守ろう ((=゚Д゚=O (゚Д゚ )オオッ

日本にとっての中国は、ドイツにとってはポーランドか 
779世界@名無史さん:04/12/18 02:02:22
>>772
あの辺りはギリシャ人も、ハンガリー人も、ルーマニア人も、領土に貪欲だ。
別にスラブだけじゃあるまい。
まぁそういうとあの頃は領土に貪欲じゃない連中の方が世界的に稀有なわけだが。

それにパリ不戦条約以降、最近の人道介入論が出てくるまでは、先に戦端を開いたほうが経緯問わず侵略者と見なされてるから。特に欧州では。
日本の法律で、法定速度守って安全運転しているときにいきなり飛び出してきた自殺志願者を轢いても、運転手が逮捕されてしまうようなもんだ。
780世界@名無史さん:04/12/18 20:25:22
たとえ歴史が全て茶番であったとしても、
ドイツだけはガチ!!

781世界@名無史さん:04/12/19 22:52:55
>>775
そんな事いくら書いたってドイツの悪業が帳消しにされるほどじゃない。
782世界@名無史さん:04/12/19 23:18:07
>>770
974 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/12/17 00:54:34 ID:Mz51oSmv
よくわからんけど多分、スラブ=バルト系というのは要するにドイツ圏の東方に隣接する民族ということだろう。

ボロウスキーとポドルスキーは父方がポーランド系。
カーンはラトビア系。しかし母親の系統じゃなかったか。
クローゼは両親ともポーランド人(父方の遠い先祖はドイツ人なので苗字はドイツ風)で、本人の代でドイツに帰化。
バラックはソルブ人じゃなかったか。ドイツ代表の中で一番女性に人気があって、ドイツではセックスシンボルなのだそうだ。
ドイツ系の苗字を持っているほかのメンバーでも、母方がポーランドやチェコの系統でもおかしくはない。
ドイツ人が皆ゲルマン系民族などということはヒトラーとかの妄想であって、そんなことはありえない。
783世界@名無史さん:04/12/20 00:10:33
ドイツ好きな奴ってヒトラーから入ってるだろ?キモイYO
784世界@名無史さん:04/12/20 00:13:56
>>783
そういう連中はヒトラーから始まって、
偏執的なほどチェコやポーランドを自分の敵であるかのように憎んでいる。
すごいキモイ
785世界@名無史さん:04/12/20 00:24:07
>>783
俺は音楽(クラシックね)から入ったよ。特にワーグナー。結構多い。
あとは、ビールから入ったりダイムラー(平たく言えばベンツ)から入る奴もいる。
786世界@名無史さん:04/12/20 00:26:38
>>785
モーツァルトやヴェーとーヴェンなどウィーンやプラハで活躍した音楽家、
本場のチェコビール、シュコダからは入らないのか?
787世界@名無史さん:04/12/20 00:28:34
フリードリヒ大王に1万点
788世界@名無史さん:04/12/20 00:29:46
ドイツよりソ連のほうが悪徳を極めていた。
789世界@名無史さん:04/12/20 00:30:21
なんたって「共産主義の敵は全てファシズム」だもんな。
790世界@名無史さん:04/12/20 00:33:30
>>786
ビールに関しては、あまり詳しくない香具師の認識は@にイギリスAにドイツw

今思ったけど、ワーグナーから入るのってちょっと偏ったナショナリズムあるかも。。
ゲルマン神話とか、ドイツ芸術賛歌とか。ヒトラーと同じ。
でもとにかく、コイツの作品は壮大ですごい。加えて、バッハやベトでさらにガクブル。
他にも、ゲーテやヘーゲル・・・ハァハァ気持ちよすぎるよ。
791世界@名無史さん:04/12/20 00:36:56
サッカーってのが多そう
792世界@名無史さん:04/12/20 00:40:46
「ワーグナーは矮小な物の巨匠である」
って誰の言葉だっけか?
誉めてるのか貶しているのか良くわらかん言い草
793世界@名無史さん:04/12/20 00:43:48
ベートーヴェンは民族を超えたコスモポリタンだから好きだ。

ただ、音楽や文学ならロシアのほうが超重量級が多い気がするけど。
ドイツの芸術活動よりはさらに近代→現代になるけれど。
794世界@名無史さん:04/12/20 00:46:56
>>792
ロマン主義・民族主義の枠から出られなかったから矮小と揶揄されてて、
音楽的には優れているから巨匠なんだろう。
あるいはワーグナーファンの精神性が矮小で、そういう連中の気分を満足させるから
彼らの巨匠というここか。
795世界@名無史さん:04/12/20 00:47:45
>>792
確かに、テーマは矮小だね(そういう意味じゃないかも知れないけど)。
彼の台本をして「初めて大人のための絵本を真面目に書いた」って言葉を聞いたことある。
総合芸術提唱者だけあってか、凄く見せるのが抜群に上手い。作曲に関しては普通に天才。
796世界@名無史さん:04/12/20 00:47:47
>>791
サッカーが本当に強かったのは西ドイツ時代。あなた何歳?
797世界@名無史さん:04/12/20 00:53:45
>>796

783の発言に対する意見として、サッカー好きが多そうと言っただけ。

サッカー好き→ドイツサッカーつええ→ついでにドイツのこと勉強したれ

という感じで。
今のドイツサッカーが強かろうか弱かろうか関係ない。
どうやってドイツ好きになったかを考察しただけ。
798世界@名無史さん:04/12/20 00:55:58
ドイツサッカーファンは根強いよ。ある種の原理主義。
799世界@名無史さん:04/12/20 00:57:01
現代美術もけっこういいよ。

エゴン・シーレ、カンディンスキー、パウル・クレーなど知らず知らずのうちに
日本人の日常のなかに入ってきている。
800世界@名無史さん:04/12/20 00:57:35
800
801世界@名無史さん:04/12/20 01:00:11
>>799
ほうほう。詳しく見てみます。

あと、テクノ音楽のファンもドイツに行き着く。シュトックハウゼン仰いで。
802世界@名無史さん:04/12/20 01:03:47
現代美術はバウハウスしかわからない。
この分野になるとアメリカが圧倒的じゃないか?

ドイツのテクノはもう時代じゃないし。
803世界@名無史さん:04/12/20 01:12:24
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/12/18 20:47:43 ID:5d09s/rq
 キッシンジャー博士は日本人はインダストリアルに優れている。
セオリーに優れたユダヤとスラブにほぼ匹敵するとしていたな。歴史家の
視点から見ればそういうことらしい。かなり問題のある点もあるが民族の
DNAは極めて優秀らしい。
804世界@名無史さん:04/12/20 12:21:24
キッシンジャーによると日本人はユダヤとスラブ並に優秀だということか
彼にはスラブは高く評価されてるんだな
805世界@名無史さん:04/12/20 18:30:33
そりゃそうだ。世界一優秀なアシュケナージユダヤの母体はスラブ人だからな。
スラブ人が改宗してユダヤ教徒(つまりアシュケナージ)になると俄然実力を発揮するようになる。
キリスト教徒のままでいると政治的に不安定なのだろう。
806世界@名無史さん:04/12/21 10:36:22
メルケルキリスト教民主同盟党首は、肥満してませんね(゜o゜)(゜o゜)(゜o゜)(゜o゜)
ドイツ人は、あんなにデブ揃いなのに。
仕事のストレス?

特に痩せる食品を食べてる?
アメリカの金持ちはそうだよなd(゚ー゚*)

807世界@名無史さん:04/12/21 10:37:55

http://ringoriri.fc2web.com/29/dsi/ 最近、この子に萌え。


     まじヤバイ・・

                リリカぁ、俺とも頼む・・・

808世界@名無史さん:04/12/21 10:38:12
>>799-802

外国人とユダヤ人頼みだったからな(^^;)
科学も美術も、人材は大方米国に流出してしまったのだろう。
809世界@名無史さん:04/12/21 10:40:22
>かなり問題のある点もあるが民族のDNAは極めて優秀らしい。

政治家や組織のトップが無能だよな(´・д・`)


810世界@名無史さん:04/12/21 10:41:31
マスメディアの質も酷い('A`)
811世界@名無史さん:04/12/21 12:40:07
>>809
>民族のDNA
それ以前にツッコメYO!
812世界@名無史さん:04/12/21 17:24:26
>>806
日本人からみれば充分太ってるだろ>メルケル
813世界@名無史さん:04/12/21 17:37:36
太ってないというのはウクライナの前副首相のチモシェンコたんみたいなのをいう。
あんな美人の政治家、見たことない。
814世界@名無史さん:04/12/21 21:36:40
>>782
クローゼは両親ともポーランド人(父方の遠い先祖はドイツ人なので苗字はドイツ風)で、本人の代でドイツに帰化。

しかし、なんでスラブヲタ(かどうか知らんがその気のあることは確か)、ドイツ人の有名人をポーランドに結び付けたがるのか
クローゼそのものは、旧ドイツ領(シレジア、ポンメルン)のもともとドイツ人の家系が石炭労働者など労働力としてポーランドに残して
おかなければならなかったドイツ人の子孫と思われるが(名前から言ってもドイツ系)。

815世界@名無史さん:04/12/21 21:44:59
ポーランドだってナチスに攻められる前はチェコスロバキアから領土かっさらったり、
リトアニアに最後通牒突きつけたりならず者国家だったじゃん。
816世界@名無史さん:04/12/21 21:45:15
そういえば、ポーランドは有名人や有能な学者をあれほど輩出しているドイツと国境を接していながら
ほとんど有能な人名が思い浮かばない。
ショパンもキューリー夫人も純粋な意味でポーランド人ではない。
コペルニクスも論文や日常会話はドイツ語だしね。



817世界@名無史さん:04/12/21 21:55:01
しかし、ドイツ人 サッカーチームのカーンまで(もともとラトビアにはドイツ人入植者が多かったのだが)、
そんなことでしか、偏執的な見方しかできんのかい
イギリス、フランス、スペイン、イタリアのチームには外人がいないとでもいうのか

第一、カーンはりっぱなドイツ人だぜ



818世界@名無史さん:04/12/21 22:14:38
>>816
そういえば、ポーランドは有名人や有能な学者をあれほど輩出しているドイツと国境を接していながら
ほとんど有能な人名が思い浮かばない。

いても、大抵ドイツ系かユダヤ系
819世界@名無史さん:04/12/21 22:16:39
>>805
そりゃそうだ。世界一優秀なアシュケナージユダヤの母体はスラブ人だからな。

ハザール人では
820世界@名無史さん:04/12/21 22:22:39
ナチスドイツを中心とする第二次世界大戦史をおさらいする手ごろな本(文庫か新書)がありましたらお教え願います。できれば、古書でなく、ホロコーストとか兵器とかの特定分野でなく通史的なものが良いです。
821世界@名無史さん:04/12/21 22:31:32
>>781
そんな事いくら書いたってドイツの悪業が帳消しにされるほどじゃない。

ポーランドの悪業、国家的犯罪はどうなの
822世界@名無史さん:04/12/21 22:39:06
ナチスやスターリニズムと比べものになるか
おめえ ベレザカルトゥサと絶滅収容所群や収容所群島と同レベルに論じている
まあベレザカルトゥサって言っても猿には解らんだろうが
823世界@名無史さん:04/12/22 00:23:16
絶滅収容所群・・・???
そんなものあるのか

第二共和国の非道悪逆については知っているが。

顔が見えないとは言え、相手を「おめえ」などというような礼儀知らずに
軽蔑の念以外、返すことばはないよ。
第一から、人を猿呼ばわりするような香具師は相手にしたくないね。
824世界@名無史さん:04/12/22 00:50:18
猿に対して礼儀も糞も有るものか
825世界@名無史さん:04/12/22 02:33:06
純粋な意味でのポーランド人とはシュラフタのことだろうか。
ズデーテンドイツ人の何割かはドイツ化したチェコ人じゃないのか。
ユダヤを峻別するならやはりドイツ・オーストリアの偉人の中からユダヤは除外すべきなのか。
英王室はドイツ人だろうかイングランド人だろうか。
ドイツの中心はベルリンかウィーンかライン地方か。
826世界@名無史さん:04/12/22 18:16:13
>>819
ユダヤがハザールだなんて、ヘブライの館サイトに影響されすぎ。

9世紀エルベ東岸地域の西スラブ人がドイツ支配を嫌ってキリスト教化せずに
当時エルベ西岸にいたユダヤ教徒(多くが宮廷ユダヤ人と呼ばれた人々)によってユダヤ教に改宗したのがルーツ。
14世紀に西欧でペストが流行したときにペストはユダヤ人の陰謀だとされ、迫害されて多くの地域から追放たが、
そのときポーランドのカジミェシ大王だけは彼らを受け入れた。それで西から東への大移動が始まった。
帝政ロシア時代(ポーランド分割時代)にツァーリによって旧ポーランドのあたりに
ユダヤ人居住区が定められ、ユダヤ人はそこでしか住むことが許されなかった。
その後、19世紀終わりから20世紀前半にかけて彼ら「東方ユダヤ人」の多くはアメリカに移住した。
827世界@名無史さん:04/12/22 18:23:23
>>814
クローゼの両親は先祖がドイツからなのでドイツ風の苗字を持っているが、完全にポーランド化していた。
そういうのまでドイツ人に含めるのは変。クローゼの名前(ミロスラフ)はポーランド人以外の何者でもない。
ならポーランドのミレル前首相までドイツ人なのか、ということになる。
クローゼの両親は80年代にドイツに出稼ぎに出て(当時のポーランドは社会主義だったが、西側への出稼ぎが許されていた)、
そのままドイツに住んでいるポーランド人(国籍もポーランド)であって、ドイツに帰化したのはミロスラフ。
828世界@名無史さん:04/12/22 18:49:39
>>816
>>818
ポーランドは1918年だかに独立。それまでは他国の扱い。
たとえばキュリー夫人の二度のノーベル賞受賞はロシアになっているはず。

また、コペルニクスはポーランド人だった父親が早く死んで、
ドイツ系だった母方の叔父一家に引き取られて育てられている。
この叔父一家の日常言語が不明だが、その後のコペルニクスの生涯を見ると、
ドイツ語でなく、ポーランド語だったかもしれない。
第一、この叔父の苗字はドイツ系だが、名前はLukaszといい、ポーランド風の名前。
しかもこの叔父はヴァルミア教区の司教をしている。
少年時代はトルニの教区学校で勉強しているが、ここはポーランド人の学校。
大学はポーランドのヤギェゥォ大学で、医学と神学を勉強しているが、
学生の日常語はポーランド語。論文は全てラテン語。ドイツ語ではない。
また、その後ボローニャ、ローマ、バドバに留学している。これもドイツとは全く関係ない。
イタリアから帰国後はフロンボルクで司教をしている。
フロンボルクも当時はポーランドの街であって、これもドイツとは関係ない。
ナチス時代のドイツはしきりにコペルニクスをドイツ人扱いしようとしていたが、
叔父がドイツ系だったからといっても(しかもこの叔父の名前はポーランド風だし)、
コペルニクスをドイツ人とするにはちょっと無理がある。
829世界@名無史さん:04/12/22 19:18:10
>>816 >>818
ポーランドは政治的に不安定だったから、ポーランド人は外国で業績を挙げている。
たとえばアメリカを見ればポーランド系が目立つ。

今回ノーベル物理学賞を取ったウィルツェク教授のように、ポーランド系は結構目立つ。
いま自分の使ってるマックを作ったウォズニァクもポーランド系だし。
830世界@名無史さん:04/12/22 19:23:37
>>827
クローゼの名前は本来ならポーランド風にミロスワフと読んだ方が近い。
ドイツでの登録では他のスラブ系のようにミロスラフになるんだろうけどね。
831世界@名無史さん:04/12/22 21:07:07
抽象的思考、数理的思考、工学、ビジネスに優秀な資質を持つ民族


ユダヤ人、日本人>>>>>>ドイツ人、ポーランド人
832世界@名無史さん:04/12/22 22:30:35
>>824
猿に対して礼儀も糞も有るものか

そういうおめえはうじムシかい
人をなめるんじゃねーぞ!
833世界@名無史さん:04/12/22 22:39:47
>>825
ズデーテンドイツ人の何割かはドイツ化したチェコ人じゃないのか

異なる民族が接していたんだから、しかも1000年近くもだから、両親がドイツ人とチェコ人のハーフという
例もおおかったろうけど。
しかし、第二次大戦前のズテーテンは自分たちがドイツ人と意識している人が90%以上を示して
いたし、ドイツのズテーテン併合についてはこの地域の住民は熱烈に歓迎していたのも事実。
当然だろうけどね。
834世界@名無史さん:04/12/22 22:44:01
>>828
コペルニクスはポーランド人だった父親が早く死んで、
ドイツ系だった母方の叔父一家に引き取られて育てられている。

その話は鵜呑みには出来ないけど。
じゃ、ショパンは父がフランス人、母がポーランド人というからには
ポーランド人の作曲家としては無理があるということですね。
835世界@名無史さん:04/12/22 22:56:07
もともと、コペルニクスがいたところは、戦前のドイツ領東プロイセンだったのでは
そうだとしたら、やはりドイツ人と考えるのが妥当だろうね

同じように、戦前ドイツ領のシレジア地方のブレスラウの生まれで、この地で生涯を終えた
劇作家ゲルハルト ハウプトマンはドイツの文豪として知られているが、ブレスラウの彼の
生地の家には、ポーランドの作家ゲルハルト ハウプトマンという説明の記述があって、
戦後、はじめてその地に入ったNHKの記者がそれをみてびっくりしたという。
なんでも、自分のものにしてしまおうという貪欲さにだろうが、それを考えたらコペルニクスの意思に
かかわらず、今、現在の彼のその生地がポーランドにあるから、ポーランド人扱いされている
だけの気がするが。 
836世界@名無史さん:04/12/23 00:12:20
>>832
人に対してはなめた口も聞くが エテ公をなめるほど愚かではない
837世界@名無史さん:04/12/23 00:16:15
>>834
親父はフランス人だがショパン自身はポーランド人として生きることを選んだ
838世界@名無史さん:04/12/23 01:12:45
>>834
>その話は鵜呑みには出来ないけど。

ミコワイ・コペルニク(ニコラウス・コペルニクス)の父親はトルンで手広く商売をし、
街の有力者だったポーランド人だが、息子ミコワイが10歳の時に死んでいる。
その後ミコワイは母方の叔父(母の兄)のウカシュ・ヴァツェンローデの手で育てられている。
ただ、18才でクラクフ大学に入学するまでトルンの聖ヤン教区学校という
ボーディング・スクールに居たので、同居期間は短かった。
ヴァツェンローデ家はドイツ出身の家系だがここは>>828の言うとおりで、
ウカシュの代には既にポーランド人化している。ウカシュという名前はポーランド風。
しかし、司教として働いていたのはエルムンド管区という事実上の独立国。

ここまでは事実なのだから、そういう話が信じられないなら
ヒトラー並に気が狂っているとしか言いようがない。
839838:04/12/23 01:15:11
>>838の追加。

…しかし、(ウカシュが)司教として働いていたのはエルムンド管区という事実上の独立国
840世界@名無史さん:04/12/23 01:16:33
>>834
ショパンは本人がポーランド人だと申告しているのだからポーランド人以外の何者でもなかろう。
841世界@名無史さん:04/12/23 01:22:13
>>835
>同じように、

社会主義時代のプロパガンダと同じじゃ困るんだな。
現在のポーランドではそのような偏向した歴史教育はしていない。

例えばポメラニアについても、1989年以前の歴史教育では
10世紀から12世紀にはポーランド領だったとして教えていたが、
現在の教育では、当時ポーランド、デンマーク、神聖ローマ帝国の3者で
領有権を争っていた地域だと正確に教えている。
842838:04/12/23 01:53:33
>>838の追加。

ミコワイの父親もミコワイという。クラクフ生まれで、商売のためトルンに引っ越した。
確かコペルニクスの曽祖父が1400年ごろクラクフの市民権を得てポーランド人になっている。

また、コペルニクス自身もポーランド国王のジグムントT世によってフロンボルクの司教に任ぜられている。
司教に任命されたのはジグムントT世がシロンスク(シュレジェン)公だった時。

さらに、1520年にポーランドがドイツ騎士団との戦争になったとき、
コペルニクスはポーランドの大使一行の一員として随行している事実がある。

コペルニクスがボローニャ大学にいたとき、彼はドイツ系の学生会に所属していた。
それはボローニャ大学では学生はどこかの学生会に所属しなければならなかったのだが、
当時ポーランドの学生会がなかったからで、他のポーランド人もボローニャでは
このドイツ系の学生会に所属していた。だから、この学生会所属の事実をもって
コペルニクスがドイツ人だったかのように主張した者もいるが、その主張は誤り。
843世界@名無史さん:04/12/23 02:01:08
>>828
キュリー夫人は旦那の籍になって
フランス人としての扱いで受賞。

>マックを作ったウォズニァク
ポーランド系と言っても名前だけ。移民と言ったって祖父母の代だもん。
ドイツやポーランドでの事例と同じ。アインデンティティーは完全にアメリカ。

ノーベル物理学賞のウィルチェク教授も移民二世のアメリカ人。
844世界@名無史さん:04/12/23 02:06:40
>>843
それならばポーランド籍だった人間をこれはユダヤ系とかこれはドイツ系とか分けるのも意味無いわな。
845世界@名無史さん:04/12/23 02:08:41
それに二世三世程度ならポーランド人は自らのポーランド人としてのアイデンティティは失わない。
これはアメリカに限らず、世界中で言える。
846世界@名無史さん:04/12/23 02:20:55
>>845
ユダヤ人に至ってはそれ以上にユダヤのアイデンティティ失わない。
アメリカだけじゃなく、世界中で。しかも国家の庇護が無く、厳しい迫害が常態。

「同化してる人間だってたくさんいる」と言うなら
ポーランド人だって同じ。
847世界@名無史さん:04/12/23 02:29:20
>>846
いや、違うんだな。
ユダヤこそアイデンティティの喪失が問題になっている。
大戦時ドイツに殺されたユダヤ人の何倍もの人間が移住先での同化によって消えている。
ユダヤ教を捨ててしまう人が多いのだ。
確かイスラエルのシャロンだったか、同じ事を言って嘆いている。

ポーランド人はカトリックの紐帯が強いから、二世や三世くらいで同化によって消えてしまうことはない。
848世界@名無史さん:04/12/23 02:31:27
日米のネオコン(転向左翼も含む)の謀略に載せられないように、無条件の反戦を!



「非戦つうしん」http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/hisen0.html

経済制裁でなく、対話による真相究明を求める声明」賛同署名のお願い
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/seisaino.html


849世界@名無史さん:04/12/23 02:35:25
ドイツ人のアングロサクソン諸国への同化も多いが、
戦後、ドイツは民族意識が希薄になったからドイツ本国では極右を除いて問題になっていない。
850世界@名無史さん:04/12/23 02:35:46
アイザック・シンガーはポーランド生まれ、ポーランド育ちだが、
家庭やユダヤ人の集まりではイデッシュ語。
成長してもユダヤとしてのアイデンティティーは失わず、
小説もイデッシュ語で書き、ノーベル賞を貰った。
851世界@名無史さん:04/12/23 02:46:58
>>846
>ユダヤ人に至ってはそれ以上にユダヤのアイデンティティ失わない
そんなことはない。

...当時、ポーランドの人口の一割がユダヤ人でした。そのユダヤ人の中にも、
ポーランドに住みながら外国人のように自分たちだけで生活していたユダヤ人もいれば、
全くポーランド人と変わらない生活をしていたユダヤ人もいました。
父はどちらかというと、同化ユダヤ人ですね。
 父がそのために助かったとも言えます。ポーランド社会に入ってつき合っていた
人たちのほうが生き延びる可能性があった。助かったのはそれだけの理由ではないのですが、
大きな要因です。
 非同化のユダヤ人の場合、ポーランド人の友人が少ない。そういうとき、
逃げるアテがないわけです。誰だって、知らない人を助けるのはむずかしい。
信用していいか分からないでしょ。
 その点、父は恵まれていたと思います。非常に運が良かった。

...私は、父ではなく、助けてくれたポーランド人こそ、真の英雄だと思います。
なぜなら、自分の命ばかりか身内の命もかけて、助けてくれたのです。
あの状況では、見つかれば即座に銃殺ですから。すごい犠牲というか、勇気です。……(後略)

ttp://www.myrtos.co.jp/index.html?url=http://www.myrtos.co.jp/magazine/200304/spilman67.html
852世界@名無史さん:04/12/23 02:48:16
>>850
>>851はヴァディスワフ・シュピルマンの息子へのインタビューだ。
853世界@名無史さん:04/12/23 02:54:38
○第1次世界大戦前、世界のユダヤ人口は1800万人。その後、
第2次世界大戦で600万人が虐殺された。戦後、ユダヤ人の人口は1200万人に回復。
本来であれば、もっと増加しているのが自然であるが、ほとんど増えていない。
出生率低下という理由以上に深刻なのが、結婚等による同化が進んでいること。

○アメリカをはじめ西側先進国では、非ユダヤ人と結婚する割合が50%に達しており、
このままでは、世界からユダヤ人の消える可能性すらある。
ユダヤ人男性と非ユダヤ人女性が結婚して、生まれた子供は改宗手続きをとらない限り、
ユダヤ人ではない。

ttp://www.ne.jp/asahi/home/osarukun/zatuwa52-3.htm
854世界@名無史さん:04/12/23 08:14:48
>>841
当時ポーランド、デンマーク、神聖ローマ帝国の3者で
領有権を争っていた地域だと正確に教えている。

だったら、戦後、ドイツからポメラニアやシレジアを奪って、そこのドイツ住民を大量に
追放した自国の不法をも正確に教えているんだろうな
855世界@名無史さん:04/12/23 18:25:45
>>854
>だったら、戦後、ドイツからポメラニアやシレジアを奪って、そこのドイツ住民を大量に
>追放した自国の不法をも正確に教えているんだろうな

ドイツとポーランドの歴史教科書作成に関する協力関係については有名だろ。
そういうことも知らずに書き込むなよ。同じことが何度もループする。

あの出来事はポーランドの不法行為というような間違った歴史教育ははされておらず、
ドイツとポーランドの住民の意思を無視した大国の思惑によるポツダム協定の強制的履行で、
ドイツ人とポーランド人双方にとって不幸な出来事だったと正確に教えている。
(旧ポーランド東部の住民もソ連によって強制移住させられたことも両国で正確に教えている。)

ドイツ人もポーランド人も君のような民族主義キチガイではないのだ。
856世界@名無史さん:04/12/23 18:34:03
もうEUの時代なんだから、どうでもいいことだ。
857世界@名無史さん:04/12/24 11:46:30
これって既出ですか。敗戦国はお互い苦労しますな。

        逆転ニュルンベルグ裁判
〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ!〜
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/sohiasenseinogyakutensaiban2_mokuji.html
858世界@名無史さん:04/12/25 03:57:56
>>855
ドイツとポーランドの歴史教科書作成に関する協力関係については有名だろ。

はぁ? どこが有名なんだ? わからんね? あんた北の将軍様の回し者かい?
そもそも、この共通歴史教科書はまだポーランドが共産圏だった1972年から討議が重ねられてきた。
その主催者はリベラルと称するドイツのゲオルグ・エッカート国際教科書研究所(日本で言えばサヨ
だね)が主催者となって「ドイツーポーランド共同教科書委員会」が発足し、討議をしてきた。
しかし、討議というより、コペルニクスはドイツ人かという論争からはじまって、歴史認識のうえで
日本の中国、韓国に対するもの同様、ただ、一方的にポーランドの言い分を通しただけに過ぎなかった。
実際のところ、単なるリベラル派と称する連中のマスターベーションにすぎないしろものだ。
しかし、ドイツのリベラル派といえる左派連中も、さすが以下の2点についてはポーランドの言い分を強く拒否した。
  
 1)ポーランドが戦後、ドイツから11万平方キロ(現在の日本の領土の37万平方キロの3分の一弱)の
   領土(いわゆるオーデルナイセ線)が歴史的にポーランドの領土であることを認めること
   (そこには800年にもわたるドイツ人の生活の歴史があった)
 2)そして、その領土に幾世代にもわたって住んでいた1300万のドイツ人の着の身着のまま
   追放した問題(そのうちの200〜300万はその過程で、虐殺、飢え、疲労で死亡)について
   あくまでも秩序だった移動であるということを認めること。

 ずいぶんと、ポーランドの身勝手な言い分で、第三者が聞いても腹が立つ内容だ
 もっとも、あなたのようなリベラルとか称するブサヨには心地いいだろうがね キチガイはあんただよ 

そして、もっとも言いたかったことは、この歴史教科書の指針(?)自体はただの紙切れであり
なんら法的拘束力をもたない それこそ、日本の旧社会党や日教組と中国・韓国・北の将軍様とが
取り決めたような、ただのリベラル・サヨのマスターベーション的しろものでしかないということだ

859世界@名無史さん:04/12/25 04:17:20
>>855
ドイツとポーランドの住民の意思を無視した大国の思惑によるポツダム協定の強制的履行で、

ほう、すべて大国の思惑のせいにして、ポーランド人自身が戦後になっても、ドイツ人を強制収容所に
ぶちこみ、拷問し、あげくに追放したことは無視ですか。
イエドワブネのユダヤ人虐殺をドイツ人のせいにしてほっかむりしたことと同じことなのですが。

戦後になっても、ドイツ人の大量追放、広大なドイツ領の略奪という国家的大犯罪を隠すため、自らは
戦前の侵略的態度から、一変して、戦争の一方的被害者としてのほっかむりを続けているポーランドは
異常だと思いますが。
860世界@名無史さん:04/12/25 06:56:36
>>857
注意!!
ジョークと本気の違いが
わからない人は見ないでください
著者(総統)は管理人ではありません
許可をいただき掲載しています
(トップページより)

だ、そうで。
つまり、そのページ冗談のつもりらしいぞ。
もっとも、くだらなくて笑えないどうしようもない代物だが。
861世界@名無史さん:04/12/26 01:47:16
>>858
ドイツやポーランドでは国定教科書のようなものがない。
だから当然この勧告に法的拘束力がないのだ。
しかも、あんたの言ってるのは1976年に公表され、物議をかもした「ドイツ・ポーランド共同教科書勧告」の話だろ。
知識が古い。話にならない。

おい、一帯何処からもってきた情報だ?

両国の教科書対話は1989年以降劇的に進歩している。
2001年にドイツとポーランドで出された教師用マニュアルPolska I Niemcy w XX wieku.
Wskazówki i materialy do nauczania historii(ドイツ版の題名Deutschland und Polen im 20.
Jahrhundert. Analysen - Quellen - didaktische Hinweise)では
ドイツ人追放をポーランド語では"Wypedzenie"(forced transportあるいはexpulsionの意味)としているし、
ポメラニア、シレジアなどの歴史についても史実に基づいて正確に教えること(つまりそういった地域に
何百年もドイツ人の生活の歴史があったことなどは全くタブー扱いされていない)となっている。
862世界@名無史さん:04/12/26 01:52:49
>>860
>ほう、すべて大国の思惑のせいにして、ポーランド人自身が戦後になっても、ドイツ人を強制収容所に
>ぶちこみ、拷問し、あげくに追放したことは無視ですか。
共産主義時代のポーランドについても全くタブー視していない。

>イエドワブネのユダヤ人虐殺をドイツ人のせいにしてほっかむりしたことと同じことなのですが。
これもInstytut Pameci Narodowej(Institute of National Remembrance)という政府機関があって、
事件の追及をしている。

あんたの全ての知識は80年代で止まってるが、どんな資料を読んでるんだ?
863862:04/12/26 01:54:22
>>862>>859への叱責。>>860としたのは間違い。
864世界@名無史さん:04/12/26 01:58:20
オレだけかもしれないが。
ドイツがカッコイイと思うのは日本人の仕様だろうか。
865世界@名無史さん:04/12/26 04:52:57
>>859
>イエドワブネのユダヤ人虐殺をドイツ人のせいにしてほっかむりしたことと同じことなのですが。

60年以上前のド田舎の事件と、現代のポーランドを一緒にするな、阿呆。
それに、日本だって関東大震災のときナタで朝鮮人を何千人もブチ殺してるんだからポーランドを責められた義理か。
ユダ公殺しちゃ駄目でチョン公殺したらほっかむりしていいって理屈はないだろ。
政府機関まで作って真正面から事件を検証してマトモに反省しているポーランドのほうがずっとマシだ。
866世界@名無史さん:04/12/26 13:01:47
クリスマスイブの深夜に2chで憎しみに狂ってデタラメ書いてる>>858-859
よっぽど孤独なんだなwww
867世界@名無史さん:04/12/26 21:09:58
>>861
ポメラニア、シレジアなどの歴史についても史実に基づいて正確に教えること(つまりそういった地域に
何百年もドイツ人の生活の歴史があったことなどは全くタブー扱いされていない)となっている

じゃ、今どうなってるの
868世界@名無史さん:04/12/26 21:13:08
>>865>>866

チョンとサヨか いいなかだね
869世界@名無史さん:04/12/26 21:23:09
>>867
今は正式にポーランド領なんだからポモージェ・シロンスクと呼びなさい。
870世界@名無史さん:04/12/26 21:24:12
マトモに反省しているポーランドのほうがずっとマシだ

ほんとかな
政府のユダヤ対策の結果であって、犯罪のあった地元のポーランド人はなんも反省なんかしてないのではないの
それに、虐殺したユダヤ人の家にいまだにポーランド人は居座っているなんてちょっと日本人からすれば
想像できない。 
871世界@名無史さん:04/12/26 21:28:00
>>869
今は正式にポーランド領なんだからポモージェ・シロンスクと呼びなさい。

今はもう、EUの世界なんだから、主要言語(英語、ドイツ語、フランス語)にちなみ
もともとのドイツ名のポンメルン、シュレージエンと呼ぶべきでしょう。
872世界@名無史さん:04/12/26 21:28:36
>>867
>じゃ、今どうなってるの

2016年5月から外国人による土地買収が自由になるからそのときにまだドイツ人が土地欲しけりゃ買えばいい。
873世界@名無史さん:04/12/26 21:33:29
>>870
反省どころか、代が変わって当時の加害者達はとっくに他界している
加害者の子供の世代には、そんな事件を親が起こしたとは信じられないと一蹴したがる人もいるし、
何があったのか真実を知りたがっている人もいる

イェドバブネは村であって60年以上前のアパートがあるわけではないから居座るところもない

少なくとも関東大震災と比べてポーランドは偉い
874世界@名無史さん:04/12/26 21:35:41
>>871
固有名詞だからポンメルン、シュレージェンという呼び名は公式には認められない。

ただし私的に使う分には問題ない。英語でもポメラニア、シレジアと呼んでいる。

正式にはポモージェ、シロンスク。
875世界@名無史さん:04/12/26 21:37:02
ポモージェ、シロンスクにおけるドイツの歴史は「終了」したのだ。
876世界@名無史さん:04/12/26 21:40:20
>>862
あんたの全ての知識は80年代で止まってるが、どんな資料を読んでるんだ?

どこが、80年代なんだい 
イエドワブネの事件はつい最近の2000年末に在米ポーランド人のヤン・T・グロスが発表した「隣人たち」の
著作がきっかけだった。
そして虐殺を免れたユダヤ人村民や目撃者の証言で、加害者の全員が村長を含むポーランド村民だと
いうことが明らかになった
それまで、ずっとドイツ人のせいにしてたんだろ。 当然、今、現在、ドイツの犯罪とされているものの中では
濡れ衣がかなりあると思って間違いない。
カチンの森の虐殺を攻められた義理ではあるまい 
877世界@名無史さん:04/12/26 21:45:58
>>872
2016年5月から外国人による土地買収が自由になるからそのときにまだドイツ人が土地欲しけりゃ買えばいい。

というより、国家間の問題と、個人の財産権は別問題、ましてEUの世界になったらばこそ、個人の財産権は
尊重されなければならない
ポーランド人はシレジアやポメラニアのドイツ人の土地、財産を、本人、その子孫に無条件で返すべきだ
878世界@名無史さん:04/12/26 21:49:24
>>876
>それまで、ずっとドイツ人のせいにしてたんだろ。 

それまで、社会主義時代のポーランド政府によって調査がいい加減にしか行なわれず、
ドイツの聖にしていたことは確かだ。
改革後、歴史上のタブーはなくなって、色々な事実が明るみに出てきた。
だからそっちの知識は80年代までで停まっていると言ってるんだよ。

>当然、今、現在、ドイツの犯罪とされているものの中では
>濡れ衣がかなりあると思って間違いない。

Instytut Pameci Narodowej(Institute of National Remembrance)という政府機関の活動を全く知らないようだな。
イェドバブネ以外のユダヤ人迫害事件についても調査している。

だからそっちの知識は80年代で停まったままなのさ。
ドイツに都合のよい情報を集めてドイツ=善、ポーランド=悪という二元論で語ろうとする。

ドイツマンセーのキチガイとは話にならんな!
879世界@名無史さん:04/12/26 21:50:15
>>877
返して、現在の住民はどうするんだ?
880世界@名無史さん:04/12/26 21:52:01
ポモージェ、シロンスクにおけるドイツの歴史は「終了」したのだよ。
881世界@名無史さん:04/12/26 21:52:03
>>875
ポモージェ、シロンスクにおけるドイツの歴史は「終了」したのだ。

おわっとらんよ
そこには過去800年ドイツ人の生活の歴史がある
現在も、ブレスラウ、シュティテインは、過去何百年間も続いたドイツの建物が、文化が残っている

聞きたいが、あんたポーランドオタか
882世界@名無史さん:04/12/26 21:54:41
>>881
ポーランドヲタ?なんだそりゃ?漏れはドイツヲタに対するアンチ。

ブレスラウ、シュテッティンは正しい地名ではない。

正式にはヴロツワフ、シュチェチンだよ。

で、返して、現在の住民はどうするんだって聞いてるんだが?
883世界@名無史さん:04/12/26 21:56:08
>>881
800年てなんだよ?

ドイツ領(というか神聖ローマ帝国領)になったのは14世紀からのはずだが。
884世界@名無史さん:04/12/26 21:58:07
ドイツ人に返せって主張は鼻持ちならないんだが。
885世界@名無史さん:04/12/26 22:03:23
EUの時代に今さらって感じだな。
886世界@名無史さん:04/12/26 22:03:52
>>879
返して、現在の住民はどうするんだ?

ポーランド政府の支援を得て、好きなところにいけばいい
かつての追放されたドイツ人と違って、好きなだけの財産をもって、今の、シレジアあたりには
かつてのワルシャワやポーランドの地方都市レンベルグなどからきたものが多い
そこへ帰ればいい

ポーランド東部より、シレジアのほうが、土地が肥沃、何よりも、ドイツ人が営んできた、石炭産業があり
農地だけでなく家畜までもドイツ人から奪い満足そうな笑みを浮かべていたポーランド人の様子が
戦後まもないNHKのドキュメンタリに残っていたのを見たことがある
追放されたドイツ人からしてみれば、公言こそできないが無念だったろう


887世界@名無史さん:04/12/26 22:16:52
>>886
仮にそれをドイツ政府がポーランドに正式に要求したらどうなると思う?
最低EU崩壊 最悪欧州大戦の再来だぜ 今度こそドイツは欧州から抹殺されるぞ
ドイツ人ってそんな単純な事も理解できない程 狂っているのか?
888世界@名無史さん:04/12/26 22:17:14
>>886
やっぱりお前の考えていることは住民の再追放だったな!
悪魔の正体見たり、という感じだ。

住民の再追放などこの時代に許されるはずがない。
お前の知識は80年代で停まってるし、人権意識は半世紀前で停まってる。

一方、どうしてもドイツ人が何らかの賠償を求めるなら、解決案がある。
戦後、ドイツはポーランドに戦争の賠償をしていないのだ。
だから、ドイツはポーランドに賠償金を支払う。ワルシャワだけでも350億ドルに達する。
そのほか、ポーランドの主要都市のほとんどが破壊され、農地が荒らされ、鉱山は略奪されている。
だからそれを全てポーランドに賠償する。おそらく合計で数千億ドルになるだろう。
その賠償金の一部で信託基金を作り、その上がりで、ドイツにいる被追放者とその子孫に補償をしていけばいい。

それに土地はポーランド東部のほうが、肥沃だ。ガリチア地方などは黒土地帯の一部になる。
石炭など、ポーランドで産出されたものはほとんどソ連に穀物と引き換えのバーター取引で買い叩かれている。
ポーランドの利益にはなっていない。
ヤルゼルスキ将軍の自伝「ポーランドを生きる」には、石炭の生産ノルマの達成ができずに悩む将軍の書記長時代の話が載っている。
889世界@名無史さん:04/12/26 22:18:00
人類皆平等なんて究極の美学じゃないか
名だたる反共主義者のチャーチルでさえ
「25歳まで一度も共産主義に共感を覚えなかった
ものは薄情だ」って言っている。
そして、こう続けている。
「40歳過ぎても信じていたらそれは愚か者だ。」
ナベツネも林健太郎も若いころはアカだった。
チャーチルの言うとおり、若いころは馬鹿でもいいから「人類の平等」とか
そういうことを真剣に考えて共産主義に共感するのは悪いことじゃない。
いや、なかった。今じゃさすがに無理があるからな。
全共闘の連中も当時の時代背景を考えれば、
若いうちから国粋主義にはまるイマドキの連中よりはまだまし。
50歩100歩かもしれんが。
890世界@名無史さん:04/12/26 22:19:49
>>889
どっかで見たコピペだな
891世界@名無史さん:04/12/26 22:23:06
いまさら扱いの厄介なリトアニア人やウクライナ人を抱えたいポーランド人も居ない罠
ちょっと郷愁は有るけどヴィルノやルブフは観光で行くだけで十分ってのがポーランド人の総意
892世界@名無史さん:04/12/26 22:23:15
>>883
ドイツ領(というか神聖ローマ帝国領)になったのは14世紀からのはずだが。

すでに、シレジアやポメラニアは当時から人口の希薄地域で、オーデル川を超えてのドイツ人入植が13世紀から
はじまっており、かれ等は、都市をつくり、一連の手工業、鉱山業などを進めていき、ポーランド経済の発展に
寄与していた 彼らの生活はすでにそこで始まっていた
893世界@名無史さん:04/12/26 22:23:36
まあ、放逐者連盟(約200万人)は補償請求を放棄する方針だけどな。
あくまで返還を求める一部の強硬派(約3万人)はプロイセン信託公社というのを作って、
年内にブリュッセルとワルシャワで訴訟を起こすと鼻息が荒かったが、
年の瀬も迫ってるのに結局何もしていない。
まあ、ここのドイツマンセーヲタはプロイセン信託公社に寄付でもするこったな。
894世界@名無史さん:04/12/26 22:27:13
>>888
悪魔の正体見たり、という感じだ。

じゃ、ドイツ人や、北方領土から日本人を追放したポーランドやソ連は悪魔じゃないのか
895世界@名無史さん:04/12/26 22:29:14
ちょっと郷愁は有るけどヴィルノやルブフは観光で行くだけで十分ってのがポーランド人

でも、今のビリニュスクの人口の28%はポーランド人ってきいたことあるけど
戦前でも、30%をこえたことはないはず
896世界@名無史さん:04/12/26 22:30:54
>>894
だから現在のポーランド人の財産を没収したり追放したりしたらどうなると思う?
897世界@名無史さん:04/12/26 22:30:57
>>892
だが当時はまだポーランド領だった。
8世紀ごろから西欧で三圃制農業が開発されて、人口が急激に増加して飽和状態となり、
耕作できる土地が足りなくなって、新しい土地を求めていた。
そこへポーランドがドイツ人の移住を受け入れてやったのだ。
それが、税金は支払わず、ドイツ人には(当時ポーランドの採っていたラテン法でなく)ドイツ法の適用を求め、
さらには受け入れてくれた恩を仇で返すように土地の権利を求めて暴動を起こし、果ては帝国まで乗り出して、
ポーランドに圧力をかけた。
14世紀にカジミェシ大王が、土地(シロンスクとポモージェ)をドイツ人に明け渡す代わりに
ポーランドの国境線の確定をし、ドイツとの軋轢を沈静化させ、内政に力を注いだ。
その結果、ポーランドは土地を失ったが、経済的には黄金時代を迎えるようになる。
898世界@名無史さん:04/12/26 22:33:37
>>882
ポーランドヲタ?なんだそりゃ?漏れはドイツヲタに対するアンチ。

そうだろうね あんた正直そうだもの
たちの悪いポーランドヲタにはみえないよ

899世界@名無史さん:04/12/26 22:36:29
>>897
移民を受け入れたのは両者の利害が一致していたため
ドイツ人がのさばるようになったのはポーランドが大分裂していたため
あの時代は今みたいな民族なんぞ影も形も無いから あなたのような言い方は
ゲルマン猿と五十歩百歩
900世界@名無史さん:04/12/26 22:38:50
>>894
悪魔だよ。アカは悪魔だ。
社会主義時代は何もかも滅茶苦茶だった。

だからこそ民主化後の現在のポーランドを見てみろ。
やることはきちんとやってる立派な国だから。
イェドバブネ事件のときでも真相究明が先だという国民の声を抑えて、
大統領はユダヤ人に謝罪し、被害者認定をして補償までしている。
だから今はイスラエルの人間さえ大挙してポーランドに帰化してきている。

おいおい、だがドイツは戦争時代ポーランド全土の住民を選抜して追い出し、
総督府という狭い地域に押し込めて強制労働をさせていたんだぞ。
これは悪魔ではないのか?
901世界@名無史さん:04/12/26 22:41:18
>>897
経済的には黄金時代を迎えるようになる。

それは、ドイツ人やユダヤ人を入植させた結果と思われますが

902世界@名無史さん:04/12/26 22:42:08
>>900
まあ、民主化直後の混乱期は民営化をめぐって色々汚い話もあったけどな。
混乱期が過ぎて90年代も半ばになると、劇的に良くなってきた。
903世界@名無史さん:04/12/26 22:45:30
>>895
戦前ヴィリニュス市の多数派はユダヤ人
彼らはほほ全てがドイツ人によって抹殺された
その次がポーランド人 たしか40%弱だったように記憶してる
戦前リトアニア人がポーランド人やロシア人より人口で上回ったこともなかった
ヴィリニュス市でリトアニア人が多数派になったのは
1960年代になってから
904世界@名無史さん:04/12/26 22:45:34
>>901
技術流入という意味ではそうともいえるが、もっと大きな要因は、巧みな外交をし、
一方、国内では政治的安定を第一に進めた大王の政策だ。
それまでもドイツ人やユダヤ人はいたが、諸侯が好き勝手やって国家がバラバラだったので
ポーランドは国としての経済発展が遅々として進まなかった。
905世界@名無史さん:04/12/26 22:46:01
>>896
だから現在のポーランド人の財産を没収したり追放したりしたらどうなると

もともとポーランド人の財産でないから返せって言っているんでしょう
906世界@名無史さん:04/12/26 22:49:57
>>904
だからポーランド王で唯一「大王」って称号が付くんだけどね
でもKazimierz WielkiのWielkiは親父に似ず大男だったから
元々は「ノッポ王」みたいな意味で呼ばれていたらしいよ
907世界@名無史さん:04/12/26 22:50:13
>>905
だから返すのは住民の再追放を意味するから論外だ。
実質的に民族浄化ということになる。
そんなことは現代では許されないと言ってるんだよ。

補償なら方法があると>>888に書いた。
908世界@名無史さん:04/12/26 22:52:10
>>903
その次がポーランド人 たしか40%弱だったように記憶してる

http://ww1.m78.com/topix-2/wilna%20conflict.html

909世界@名無史さん:04/12/26 22:54:17
>>905
この手の話を蒸し返したらポーランドはうやむやにして来た
ドイツへの損害賠償請求を持ち出す
そんな泥の投げあいをやったらEU大混乱 へたすりゃ欧州大戦
そんなことも理解できない程 ドイツ人ってのは池沼なのか?
910世界@名無史さん:04/12/26 22:54:24
>>907
だから返すのは住民の再追放を意味するから論外だ。
実質的に民族浄化ということになる。

じゃ、あなたは日本の北方領土返還はそこの住民の追放になるから反対するというわけ
911世界@名無史さん:04/12/26 22:57:31
ロシア人だって日本人を追放した。
912世界@名無史さん:04/12/26 22:57:41
>>910
返還の際は在住露人の日本国籍の付与 望まない場合でも永住権を認めることが最低の保証
913世界@名無史さん:04/12/26 23:02:36
>>908
1919年にソビエト社会主義リトアニア・ベラルーシ共和国となったから、
反共上ポーランドは必死だったのさ。
1月にはポーランドはヴィリニュスの住民から防衛部隊を組織している。
ヴィリニュスを共産主義者から防衛することは重要だったのだ。
ポーランドを単なる侵略者と見るかどうかは、こういう経緯を知ってから判断すべきだ。
914世界@名無史さん:04/12/26 23:02:44
>>909
ドイツへの損害賠償請求を持ち出す

なんの請求? ワルシャワ反乱はポーランド人が勝手に引き起こしたものだし
そもそも、この戦争の発端自身ポーランドの責任は大きいよ
ポーランドがうやむやにしているというより、それ以上に、ドイツ人から広大な領土を
奪って、追放したから、そんなこといえた義理じゃないと思いますね
915世界@名無史さん:04/12/26 23:09:07
>>908
Wilno(ヴィリニュス)市はすぐに出て来ないが戦前の旧WILNO県の
人口構成
ポーランド人 65%
白ルーシ人 23%
ユダヤ人 8%
ロシア人 3%
その他(リトアニア人含む)6%
1931年国勢調査
出典
HISTORIA 1871- 1939 Podrecznik dla szkol sredni
1998年 PWN刊
916世界@名無史さん:04/12/26 23:10:03
>>914
>ワルシャワ反乱はポーランド人が勝手に引き起こしたものだし
ワルシャワ市外が破壊されたのは反乱鎮圧後だぞ

>そもそも、この戦争の発端自身ポーランドの責任は大きいよ
その視点なんとかならないものかね。ポーランドが政治的に挑発したからって
ドイツによる侵略を肯定することにはならないだろ。

>ドイツ人から広大な領土を
>奪って、追放したから、そんなこといえた義理じゃないと思いますね
それはポツダム協定だろ。ポーランドの意思ではなく、ソ連のやったことだ。
本来はポツダム協定を交わした英米ソが悪い。
国境線変更は、ポーランドもドイツも、追認したに過ぎない。
住民追放はポーランドも被害者である。
917世界@名無史さん:04/12/26 23:13:21
>>915
voivodshipで考えるべきだから本来はそれでいいんだよ。
ポーランド側はこれをもって住民投票を強行したわけだが、
対ソ防衛線として重要な位置にあったわけだから当時としては仕方ないと思うね。
918世界@名無史さん:04/12/26 23:23:52
>>916
それはポツダム協定だろ。ポーランドの意思ではなく、ソ連のやったことだ

その話って、>>775が言っていることだ 共産ポーランドが自発的にやったことだと思っている
919世界@名無史さん:04/12/26 23:24:04
まずは第一に、ドイツはポーランドに賠償をすべきだね。

すべてはそれからの話だ。
920世界@名無史さん:04/12/26 23:28:36
>>918
どっちを擁護しているのかわからないが、
ポツダム協定で英米が主張したのはオーデル・東ナイセを国境にすることだった。
それに対しソ連はオーデル・西ナイセを国境にすることを強く求めて、
これが通ってしまった。
東ナイセ川と西ナイセ川の土地はボヘミアだったことはあるが、
ポーランドだったことは一度も無かったことは、民主化前のポーランドの学校でさえも教えている。
921世界@名無史さん:04/12/26 23:33:25
とにもかくにも、まずは第一に、ドイツはポーランドに賠償をすべきだね。

すべてはそれからの話だ。
922世界@名無史さん:04/12/26 23:33:38
>>916
その視点なんとかならないものかね。

ならんね 
923世界@名無史さん:04/12/26 23:35:59
ドイツ人の大量追放とシレジア、ポメラニアの土地財産の略奪って・・・

しかし、この手の話って公には出てこないのだろうけど、ドイツ人の心の奥底に
深くよどんでいると思う 
924世界@名無史さん:04/12/26 23:37:55
>>921
とにもかくにも、まずは第一に、ドイツはポーランドに賠償をすべきだね。

なんで? 
925世界@名無史さん:04/12/26 23:43:27
>>916
ワルシャワ市外が破壊されたのは反乱鎮圧後だぞ

鎮圧後もそこいら中に、反乱軍の残党が市外にかくれていたのだから、
当然の処置だろ 
正規軍でもないのに反乱を起こすほうが悪い
926世界@名無史さん:04/12/27 00:14:03
ここのゲルマン猿がネオナチ張りにホザいていることが
今のEUで通るわけないだろ 民族が複雑に入り混じっている
欧州全体でこの手の事を公然と国際問題にしたら混乱と流血の
歴史を今一度繰り返すことになる そこまであいつら馬鹿ではないだろ
927世界@名無史さん:04/12/27 21:03:53
>>923
よどんでるのは被追放者ぐらいだろ
南ドイツやライン地方、ニーダーザクセンの人間からすれば「またプロイセン人が厄介事を」ということになる。
もしポーランドが被追放者に補償するのであれば、政府から受け取った救済金を返還しろ、と言っている。

>>914
こうもいえるわけだが
「なんの請求? 第二次世界大戦はドイツ人が勝手に引き起こしたものだし
挑発にのって開戦したドイツの責任は大きいよ
ポーランド人から莫大な人命と財産を奪って、占領したから、
そんなこといえた義理じゃないと思いますね」
928世界@名無史さん:04/12/28 23:48:06
>>926
いや、混乱と流血なんてことはならないだろ。
ただし、
1.ドイツからポーランドへの国家賠償及び個人賠償
2.ポーランドから放逐ドイツ人およびその子孫への個人賠償
3.リトアニア、ベラルーシ、ウクライナからポーランドへの個人賠償
4.放逐ドイツ人およびその子孫がドイツ政府から受けた救済金のドイツ政府への返却
の4点は切り離しては考えられない。必ずセットで行なうべきだ。
そのためにも、まずはドイツからポーランドへの国家賠償及び個人賠償は必ず実行されなければならない。
ドイツ人の、それも放逐者とその子孫だけよければそれでいい、というエゴは通らない。
そういったエゴは関係国の国民だけでなく、ドイツの納税者も納得しない。
929世界@名無史さん:04/12/29 00:04:36
>>928
いやいやこの4点セットを言い出したら
一次大戦後の
スヴァウキ条約とかドイツのイカサマ住民投票とか
あげくはウクライナ人民共和国の主権とか
誰かが訳の解らんことを持ち出してシッチャカメッチャカになるぞよ
930世界@名無史さん:04/12/29 00:18:31
ドイツ人は異常なビール好きだが、国土は冷涼で農耕に適しているとは思えない。
大切なパン用の麦を単なる嗜好品に持っていっては、国民が飢えることにならないのかね?
931世界@名無史さん:04/12/29 01:49:01
パンは主に西部は小麦、東部南部など寒い地方はライ麦から作られる。
ビールはビール麦から。違う種類。
しかもドイツ農民はEUとドイツ政府から潤沢な農業補助金をもらい、
土地は広く耕作され、ビールに限らず、農産物やその加工品はEU外(とくにアフリカ)に
安く輸出されている。そのため、補助金をもらわない輸出先の国の農業がコスト高となって、
大きな打撃を受け、離農する人が増えている。彼らは街に出稼ぎに出るが、街にも職がないので、
職を求めてEU加盟国へ密入国しようとするのだ。だからEUへの密入国者を増やしているのは、
EU自身の農業政策そのもの(EUの総予算の何と半分が農業補助金に使われている)なのだ。
農産物や加工品のEU外への悪質な輸出元はドイツに限らず、西欧諸国のほとんどだが。
だからヨーロッパでは最近よく、フェア・トレードという言葉が叫ばれている。
932世界@名無史さん:04/12/29 01:57:08
>>929
そんなものドイツが正式にポツダム会談の合意事項を追認すれば済む話だ。
建前上、ドイツはポツダム協定を受け入れていないので、なんでも中途半端になってしまうし、
個々の次項を部分的に補完するだけの個別条約を結ばなければならない。(例:ポーランドとの国境線画定条約)
ドイツ(統一前は西ドイツ)の歴代政府は第一にしなければならないはずの
ポーランドへの国家賠償と個人賠償を回避したいがために、ポツダム協定も受け入れていないし、
ロンドン債務協定を結んでいるし、ポーランドと結んだのは平和条約でなく友好善隣条約だし、
放逐ドイツ人の正式な補償でなく見舞金のようなもの(額は補償金と呼べるほど大きいが)で
お茶を濁しているのだ。
このままではドイツは後の世代に歴史の債務を残すことになる。解決は早ければ早いほうがいい。
933世界@名無史さん:04/12/29 02:18:18
確かにドイツの放逐者は1000万人以上いたはずなのに、
放逐者連盟の加盟者数は現在200万人程度しかいない。
しかも、連盟はベルリンに放逐記念館は建てるつもりだが、
ポーランド側に財産の返還や補償は求めない方針。
財産の返還を求めている強硬派のプロイセン信託会社に至っては
加盟者数約3万人しかない。
放逐者やその子孫のうち他の人たちはもうこの問題に関心がない。
ドイツ国民の大半はこの問題に関心がないし、
ましてやこのことで白黒つけるつもりもない。
問題を蒸し返せば、ドイツからポーランドへの賠償問題も同時に
再燃してくるわけだから、ドイツ人の大半にとっては
放逐者の存在など忘れたい事実だ。
934世界@名無史さん:04/12/29 03:44:55
>>925
ワルシャワ蜂起に関する知識が滅茶苦茶だな。

コモロフスキ将軍が降伏したとき、フォン・デン・バッハ将軍は蜂起を正式な軍事行動と認定し、
国内軍メンバーの捕虜をジュネーブ条約視したがって扱うと約束している。
降伏した国内軍は武装解除し、ドイツ軍による大規模な残党狩りは行なわれていない。
一部の国内軍兵士はドイツ軍による虐待を恐れ一般市民に混じってワルシャワを脱出している。

ワルシャワ市街地の破壊はその後に行なわれている。
したがって市街地の破壊は残党狩りの意味合いはない。
単なる復讐行為であり、ポーランド人が誇りに感じていた街を破壊することで、ポーランド人の心も破壊したのである。
破壊を専門とする特殊部隊が送り込まれ、火炎放射器と爆発物で徹底的な破壊が行なわれた。
破壊された財産の総額は1939年のドル換算で400億ドル程度と言われている。
ワルシャワ市は2001年までに調査を完了し、被害額を2001年のドル換算で450億ドルとしたが、
これは1939年8月31日当時ワルシャワ市が直接持っていた施設の被害額のみであり、一般市民の
財産については別勘定になる。私有財産まで勘定するとその倍では足りないだろう。
935世界@名無史さん:05/01/01 02:36:52
>>878
ドイツマンセーのキチガイとは話にならんな!

オレはドイツマンセーというより、ただポーランドヲタやポーランドという国が大嫌いなだけだ。
あんた、それまで、ポーランドという国がどんな国かということをはっきりり認識しているのかい。
戦前のポーランドが領土に異常なほど貪欲な国家だったことは周知の通りだが、戦前のカーゾン線以東はポーランド人は
いても、ほとんど少数派だったし、レンベルグ(リボフ)や、リトワニアにビリニュスさえポーランド人は少数派だった。
戦後、その代償としてポーランドはドイツ領のシュレージエン、ポンメルンを奪った。

国内戦で疲弊しきっているソ連をたたき、キエフを占領し、リトワニアのビリニュスを不法に占拠し、さらに、ミュンヘン協定の
混乱に乗じて、チェコからチェシンを奪い、あまつさえ、ヒトラーの和平提案(第一次大戦後の国境を認める変わりに、回廊地帯
を通っての高速道路建設の寛大な条件)をここぞとばかり、ダンチヒの完全占領の機会に結びつけ、おおぴらにベルリン占領を公言し、
なかんずく、ポーランド国内に残されたドイツ住民弾圧とあっては、ヒトラーも開戦の決意を固めざるを得ないのは当然だ。

それにしても、かつてのドイツ領シュレージエン、ポンメルンはどう考えてもドイツに不利なベルサイユ体制下の住民投票でも
ドイツに残った領域だ。 住民もドイツ人がほとんどだった地域であり、ポーランドが併合する、増して、住民を着の身着のまま
追い出すいわれなどまったくない。 
その、現在、そこの居座り強盗ともいえるポーランド人がその逆の立場に立ったとしても、むしろ、かつてのドイツ人追放のように、
避難途中のポーランド人や、ソ連軍に命を脅かされることのないことだけでも神に感謝すべきだろう。
936世界@名無史さん:05/01/01 02:42:02
>>926
ここのゲルマン猿がネオナチ張りにホザいていることが

あなた、ポーランドスラブのうじ虫さん?
そんな上品な人にも見えんけど
937世界@名無史:05/01/01 04:30:50
にゃぁ
抜粋(パクリ)部分とオリジナルの意見がごちゃごちゃ
ぷぷ
938世界@名無史さん:05/01/01 04:46:57
にゃあ
はあ
で、それで
939世界@名無史さん:05/01/01 04:53:23
ポーランドほど、イメージと実際のギャップがある国も少ないということですかね。
940世界@名無史さん:05/01/01 04:57:01
確かに、おれもその点ポーランドは嫌いだよ
歴史の流れから見たら、なにか仮面をかぶっているみたいだ
本当は、大悪党に思える
941世界@名無史さん:05/01/01 09:24:08
革北先生頑張って!
942世界@名無史さん:05/01/01 18:19:05
プロイセン族とザクセン族とバイエルン族って、
どのように種族が違うのだろうか?

確かに低地ドイツ語と高地ドイツ語は、
多少、別系統の言語って感じがするが…。
943世界@名無史さん:05/01/02 16:23:15
>レンベルグ(リボフ)や、リトワニアにビリニュスさえポーランド人は少数派だった。
ソースは?それぞれの市の人口統計ではポーランド人はユダヤ人より少なく3割程度だったが、
それぞれの県の人口統計では7割近くがポーランド人だったはず。

>国内戦で疲弊しきっているソ連をたたき、
もしかしてソ連の味方?
そういえばドイツ人やポーランド人の追放に関してもソ連を一切非難していないな。
ソ連に事実上占領されていたポーランドを責めるのはお門違いなんだがな。

それに、>>935=>>936=>>939=>>940と思えてならないんだが、、、
944世界@名無史さん:05/01/02 16:49:40
>ヒトラーも開戦の決意を固めざるを得ないのは当然だ。
1940年のドイツ外務省発表の文書には、
ポーランドがドイツ人を弾圧したので開戦したのだと書いてある。
しかし、ポーランドがドイツ人を弾圧した証拠として同文書に描写されている次項は
全て捏造だということが判明している。
同文書でブロンベルグ(ビドゴシチ)の血の日曜日事件と名づけられているものが典型な捏造例。
945世界@名無史さん:05/01/02 17:27:20
ポーランドとチェコはゲルマンに対するスラブの経済的・歴史的・文化的防衛線なのである。
EU加盟を果たし、次の目的はシェンゲン協定加盟によるドイツの再スラブ化となった。
近い将来のスラブエリートのドイツへの大量流入を引き起こすであろう。
現在ドイツ財界の首領はポーランド人エリートであり、
そのため旧西ドイツの資金は旧東ドイツには来ず、
全てポーランドとチェコへ流れている。
ポーランドの通貨ズロチ、チェコの通貨コルナの非常識なほどの高騰ぶりを見よ!
これはスラブの勝利が近づいたことを示すのである。
この通貨の高騰によってスラブはドイツを買い漁るであろう。
946世界@名無史さん:05/01/02 17:40:59
12 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/05/22 12:31 ID:/X5srEzC
「新しい教科書をつくる会」の西尾幹二さんって人いるよね
ドイツの哲学書を翻訳するなど、元々ドイツ専門家なのね。
彼によると、ドイツの新聞って日本叩き、日本侮蔑の記事が凄いんだと。
元々、見下してた黄色人種が世界で一番優秀なはずの
自分達を追い抜いてしまったのが悔しくて
日本憎しが一般的なドイツ世論。
あんまり酷いんで、だんだん西尾はドイツ(欧米)に愛想を尽かした・・
それでナショナリストになったのは有名な話。



13 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/05/22 12:32 ID:/X5srEzC
ドイツは好きじゃないけど、ドイツよりオランダの方が嫌いだが・・
確か人種差別好きだよな・・ドイツ・・水泳世界大会んとき岩崎恭子が
はしゃいでたの 見てすげぇ不快な顔してたしな・・岩崎恭子に問題あったけど・・
金メダリストもドイツ人にかかれば糞ジャップか・・
誰かドイツの人がもう黄色い奴が勝つ姿は我慢できんとか言うくらいだし・・

黄禍論
http://www.tabiken.com/history/doc/G/G029C100.HTM
947世界@名無史さん:05/01/02 17:57:22
>>942
プロイセン人=スラヴ系オボトリト人・リューゲン人とバルト人の土地に主にライン川流域から
殖民した人たちが混血し、後にヴァルミア地方のポーランド人と混血した人たち。宗派は主にルター派。

ザクセン人=スラヴ系ソルブ人・ルティシ人の土地にライン川流域から移住してきた人が来て、
混血した人々。レフ人(後のポーランド人)も混血しているか。カトリックとルター派が半々。

バイエルン人=古代ローマ人(主にラテン人とケルト人とからなる)とゲルマン人が混血した人々。
主にカトリック。
948世界@名無史さん:05/01/02 18:30:35
>>947
なるほど、参考になるよ。
それで、ミュンヘンを州都とするバイエルン人の国は、
(アレマン人=リヒテンシュタインも含む)祭りなどが陽気なのも、
理解できるね。イタリアと親近感があるみたいだし、日本人と合うかも。
949世界@名無史さん:05/01/02 18:40:23
だが一番日本人を侮蔑するのはバイエルン人だよ。
950世界@名無史さん:05/01/02 18:42:46
BMWの最大のお得意様は日本人なのにな。生意気だなバイエルン人。
951世界@名無史さん:05/01/02 18:45:43
>>935
Wilno(ヴィリニュス)市はすぐに出て来ないが戦前の旧WILNO県の
人口構成
ポーランド人 65%
白ルーシ人 23%
ユダヤ人 8%
ロシア人 3%
その他(リトアニア人含む)6%
1931年国勢調査
出典
HISTORIA 1871- 1939 Podrecznik dla szkol sredni
1998年 PWN刊
952世界@名無史さん:05/01/02 18:51:10
>>935
>ポーランド人がその逆の立場に立ったとしても、

逆の立場だと?
ポーランド人の追放などありえないからそんなことまで考えなくていい
あの土地は1945年から永遠にポーランドのものとなったのだ

ドイツはポーランドから総額50兆円といわれる賠償金が請求されてないだけでも幸運だと思え
953世界@名無史さん:05/01/02 19:54:17
俺がガキの頃勘違いしてた偉人の出身国
マルクス=ロシア
ヒトラー=ドイツ
アインシュタイン=ユダヤ人でアメリカ人
954世界@名無史さん:05/01/03 01:14:11
イェドワブネ事件について、被害者数1600人という数字がいっとき一人歩きしていたが
最新の調査の結果、380人だけだったことが判明した。

村では事件当日ドイツの警察官が8人いたことがわかっている。
ドイツ軍が村に到達していたかどうかで議論が分かれるが
どうもドイツ軍は既にいたようだ。

著書「隣人たち」ポーランド人によるポグロムだとしたグロス教授の指摘は誤りで
ドイツ軍の強制によるものである可能性が再浮上してきたそうだ。
955世界@名無史さん:05/01/03 02:14:40
>>935>>943>>951
20世紀前半までの東欧は都市と周辺で人種構成が全然違うことが多い。
ダンツィヒなんかが典型だな。
イタリアとユーゴで揉めていたフィウメも、市内に限ればイタリア人が圧倒的、地域全体ではスロヴェニア人・クロアチア人が多数派だった。
入植とか、海運関係者が定着するとか、商業従事者が数百年の間にドイツ語化するとかが、原因だが。
956世界@名無史さん:05/01/03 02:22:32
この状態はトルコ衰退・第一次世界大戦・第二次世界大戦で概ね武力によって解決されたが。
トルコ・ギリシャの「住民交換」や戦後のドイツ人追放などが代表例だが、
バルト海からエーゲ海にかけて半世紀の間にどこも同じようなことをしている。
ポーランドやトルコは劇的に、幾つかのバルカン諸国は執念深くじわじわと…
NSDAPの初期メンバーにはバルトドイツ人が多かったそうだ。

まぁ印パや中国やアフリカなど中・後進地域はどこも同じようなものかも知れんが。
957世界@名無史さん:05/01/03 02:47:52
>>954
IPNの調査によると加害者であったポーランド人は40-50人で
村民(当時約1800人)のほとんどは事件の存在自体を知らされなかった。
加害者たちは戦後すぐ共産主義政府によってドイツ軍への協力のかどで裁判にかけられていて
裁判記録は残っているが被疑者は全て行方不明になっている。
ドイツ憲兵達がユダヤ人はソ連をポーランドに呼び込んでいると言って事件をそそのかしたとの証言や
事件の最中写真や映画を撮っていたとの証言がある。
これらの証言は全て生き残ったユダヤ人によるものである。
写真や映画はおそらくポーランド人を貶めるプロパガンダのためと思われる。

>>955
人種構成ではなく民族構成。
中世以来東欧は隣接民族同士の通婚が多いため人種に違いはない。
958世界@名無史さん:05/01/03 03:08:34
ドイツによるホロコーストは確実にあった。
ヒムラーによるヒトラーへの報告書第51号によると
1942年8月から11月までの4ヶ月約38万人(うちユダヤ人は363211人)が殺されている。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/6/64/Himmler_report.jpg
959世界@名無史さん:05/01/03 19:18:10
>>949-950
実際に、バイエルン州でなにかあったの?
960世界@名無史さん:05/01/03 19:20:49
>>959

ビスマルクは、カトリックと闘ったんだだっけ?( ̄m ̄)ゞ
「文化闘争」
961世界@名無史さん:05/01/04 01:31:13
>>957
>人種構成ではなく民族構成
すまん素で間違えた
962世界@名無史さん:05/01/07 01:27:41
>>960
南ドイツのカトリック教徒が中心となって中央党を組織し、中央集権制とビスマルクの文化闘争に対して戦った。
この中央党がナチス時代に解散させられたが、
戦後、キリスト教民主同盟(CDU)およびキリスト教社会同盟(CSU-バイエルン州)として復活し、
西ドイツの政治をリードする。
ドイツは元々カトリック圏の方が豊かなので、カトリック教徒を中心として中央集権に反対する勢力が強い。
963世界@名無史さん:05/01/07 11:41:09
ぶったぎってスマソ 
「ベルリン日記」という上・中・下にわかれた本を知りませんか。
黄色いハードカバーで7000円くらいだったと思う。
ワイマールから第二次世界大戦あたりを扱った本です。
964世界@名無史さん:05/01/07 20:45:22
ウィリアム・シャイラーのやつ?
ならいまは筑摩叢書で2500円くらいで売ってるよ
965世界@名無史さん:05/01/07 22:32:17
ルター派は、プロテスタント系の宗教なの?
966世界@名無史さん:05/01/07 22:37:21
>>965
あなた歴史の教科書読み返しなさい
リアル厨房だって知ってるべ
967世界@名無史さん:05/01/08 01:23:26
>>954
イェドワブネ事件について、被害者数1600人という数字がいっとき一人歩きしていたが
最新の調査の結果、380人だけだったことが判明した。

ソースは?

968世界@名無史さん:05/01/08 01:28:05
>>952
総額50兆円といわれる賠償金が請求されてないだけでも幸運だと思え

その内容を教えてほしいね
ポーランド人が自ら起こしたワルシャワ反乱の代償ってのは通用しないぜ

第一、此の戦争の首謀者がポーランド自身だってことをよくおぼえとくべきだよな
969世界@名無史さん:05/01/08 01:30:26
>>967
The Jedwabne Case Volume I & II, IPN編, 2002
970世界@名無史さん:05/01/08 01:31:30
>>968
また出てきたかキチガイめ
971世界@名無史さん:05/01/08 01:45:23
>>970
そのキチガイにどういったまともな回答ができるんだい
本当の全うな真実のキチガイさんよ
972世界@名無史さん:05/01/08 02:00:11
>>955
20世紀前半までの東欧は都市と周辺で人種構成が全然違うことが多い

なにが言いたいの
ダンチヒ市にかぎっていえばそこはドイツ人の世界のはなしなんだが 
973世界@名無史さん:05/01/08 02:14:20
>>972
キチガイ君、キミ、消えてくれないかな?
974世界@名無史さん:05/01/08 02:19:50
>>973
あんたこそね
オレはドイツは大好きさ 尊敬すべき民族だ
その国境に常に接していながら、一人の偉人もだしてはいない最低民族のポーランド人は
おれは大嫌いさ
だから、コペルニクスのよなドイツの科学者さえも必死で自分のもののようにしようとする
975世界@名無史さん:05/01/08 02:28:17
>>974
自分達が毎回キミを論破することでキミをキチガイにしてしまったようだな
キミが電波なんだから論破されるのも当然なのだ
976世界@名無史さん:05/01/08 02:34:37
毎回というが、このスレのレスははじめてだよ
ドイツはまえから好きだったから、このスレは見てたけどレスは初めてだ
自分たちってなんだ、おれはあんたらと話したこともないし、まして論破何ぞされたおぼえもない
いいかげんなことをいうな
977世界@名無史さん:05/01/08 02:37:55
>>976
あははは、見え透いた嘘を
978世界@名無史さん:05/01/08 02:40:32
話にならんな
979世界@名無史さん:05/01/08 02:43:04
話にはならんが、バレバレだもんな。

「無知」、「知らなさ過ぎ」が口ぐせのヤシ。
980世界@名無史さん:05/01/08 02:43:55
>>978
こっちもキミとマトモに話をする気はない
面白いので毎回論破してきたが、結局一つもマトモな話題がないからだ
981世界@名無史さん:05/01/08 02:46:03
こいつドイツもポーランドも好きだという人は理解できないんだろうな
982世界@名無史さん:05/01/08 02:46:21
キミが電波なんだから論破されるのも当然なのだ

やれやれ、電波が電波を飛ばす世の中か
中身をはっきり言ってあげたほうがいいのでは
もっともその中身があればのはなしだが
983世界@名無史さん:05/01/08 02:47:16
ドイツが好きでポーランドが嫌いなんて民族主義史観が正しいと思ってるキチガイ
984世界@名無史さん:05/01/08 02:49:27
>>980
こっちもキミとマトモに話をする気はない

反論できないからだろ
985世界@名無史さん:05/01/08 02:50:08
ドイツ好きと言ったって、対象がナチスに局限されているのはキモイ
986世界@名無史さん:05/01/08 02:52:41
>>984
反論どころか毎度キミの妄言を完全に論破しきってるじゃん
話題がループするだけなら話をする気はないってことさ

何か俺以外に2人くらい俺と同じ意見の人がいるようだが
俺たちに噛み付いてるのはキミだけだな
987世界@名無史さん:05/01/08 02:55:35
キミにもう一度言うが
話題がループするだけなら話をする気はないってこと
過去ログもっと遡って読めってことさ
988世界@名無史さん:05/01/08 02:56:24
>>983
民族主義史観が正しいと思ってるキチガイ

だから、ちがう民族の土地や家を奪って当然とでもいうのかね
戦争中の補償やなんだかんだいうのはあんたらブサヨや北の将軍様の
得意技ではないのかね
989世界@名無史さん:05/01/08 02:59:06
世の中を「ブサヨ」とかいうカテゴリーで色分けしようとしている時点で
終わってるんだけどな。

電波確定。
990世界@名無史さん:05/01/08 02:59:41
>>988
朝鮮ネタを持ってきたり相手を左翼呼ばわりすれば他人を味方につけられるとでも思っているのかね?
991990:05/01/08 03:00:42
>>989氏乙。
992世界@名無史さん:05/01/08 03:04:12
>>986
反論どころか毎度キミの妄言を完全に論破しきってるじゃん
話題がループするだけなら話をする気はないってことさ

どこが論破か、それこそ自分の妄想だろうが
たしかにあんたらキチガイサヨと話してもただ平行線をたどるだけだろうさ
人のことを妄言というまえに、自分がその妄言のなかにいるということを
いつかしるだろうさ

あんたの抽象的な言い方はただ反論できない逃げ口上にすぎないと解釈する
卑怯者!!
993世界@名無史さん:05/01/08 03:04:19
全くもう週末の夜にマターリ2chを楽しもうと思ってるのに
このNSDAPシンパの電波少年が出てきて土地を返せなどとホザいてるんだから
まいっちゃうよな
994世界@名無史さん:05/01/08 03:06:40
>>992
>あんたの抽象的な言い方はただ反論できない逃げ口上にすぎないと解釈する
>卑怯者!!

やっぱり何か精神に障害を抱えてないか?
一度医者行ったほうがいいよ
今はいい薬があるから
995994:05/01/08 03:08:14
>>992
とかカウンセリング受けたらいいかもしれない
そこでカウンセラーにドイツ人の不満とやらを聞いてもらえばいいと思う

真面目なアドバイスだぞ
996世界@名無史さん:05/01/08 03:08:27
>>994
あんたのほうが気にかかるね
精神病というよりも、明日にも命がやばいんじゃないの
997994:05/01/08 03:11:22
>>996
いや真面目にキミにアドバイスしてるんだぞ
連休終わったら心療内科か精神科に行くべき
そこで投薬なりカウンセラーの紹介なりしてもらえばいい

じゃあな
998世界@名無史さん:05/01/08 03:12:14
>>994
まったく、人を論破したなどという妄想をいだいている馬鹿は救いようがないわな
999世界@名無史さん:05/01/08 03:13:57
1000!
1000世界@名無史さん:05/01/08 03:14:02
>>991
> >>989氏乙。

そういえば、ニュー速にドイツ厨認定されたアホがいたね。
ドイツを称揚しすぎて日本人としての立場を忘れているのではないか、と批判されていた。

まあ、病的だね。
10011001
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