ドイツ民族はスラブ人の末裔

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439世界@名無史さん:04/12/26 04:15:15
19世紀にヴェンド人の多くは自由を求めてテキサスに移民している。
これもヴェンド人の人口急減の一因である。
440世界@名無史さん:04/12/26 04:38:02
>>405-406
地名だけでなく、人名もルサチアスラヴ語(ソルブ語)起源のドイツ人が非常に多い。
たとえば(ドイツ語−ソルブ語−ソルブ語の別の綴り)
Schwausch SzlauoschSzlaosch,Szwausch
Jatzlau  JazwauckJatzwauck
Zieschang KschizanZieschank, Zieschan
Katschenz KadzonzKatschonz
など。

また、ポーランド語とリトアニア語の関係の方がよっぽど不思議だ。
ヴェンド人に対するドイツは完全な支配者だったので、ドイツ語にヴェンド人の言葉の
影響がほとんど見られないという話は簡単に納得がいくが、
中世のポーランドとリトアニアはずっと対等に連合した国家だったのに、
ポーランド語にはリトアニア語の影響が全くと言っていいほど見られない。
逆にリトアニア語にはポーランド語の影響が語彙に多くみられる。
ポーランド語は西スラブ語、リトアニア語は東バルト語で、近いとはいえ別系統の言語だ。
441世界@名無史さん:04/12/26 06:51:03
民族とは人種ではなく言語の集団だから、
このスレは全く意味ないと思うけど?

それとスラブ人との混血とか言ってるけど、
ゲルマンとスラブって人種的な違いはない筈だが。
442世界@名無史さん:04/12/26 07:01:14
ゲルマンもスラブも金髪青目。
ラテンはちとちがうけど。
443世界@名無史さん:04/12/26 10:10:10
>>440
第一次大戦後成立のリトアニア共和国と中近世であの界隈で
ブイブイ言わせていたリトアニア大公国とはほとんど全く歴史的連続性はない
あえて言えば大公国を歴史的文化的に継承しているのは現在のポーランド共和国または
ポーランド語を話す人々
リトアニア大公国の中心部分はヴィリニュス界隈から現在の白露西亜にかけて
基本的にあの国はルーシの人々の国だった
遅くとも14世紀前半にはスラブ語(後の白露語の基層)を話す人々が支配層だったし
それも後にはポーランド語化する
大公国でバルト語系の言葉を話していたのは農民の少数派
でなければあれほど見事に印欧語の古い形を現在までリトアニア語として残せるはずが無い
有力言語なら必ず長い年月を経れば周囲の言葉の影響を受けて変質する
444世界@名無史さん:04/12/26 10:13:53
[ベルリン 25日 ロイター]
ドイツの東部にあるシュテンダールの町では、経費削減のあおりで白雪姫の劇を
4人のこびとで行わなければならなくなったと地元新聞が伝えた。

アルトミュール・シュテンダール劇場の関係者によれば、
「白雪姫と7人のこびと」をクリスマス公演するのにあたって、
6人の役者分のギャラしか予算がなかった。
その結果、劇場の常連客は抗議の意味を込めて、
西側の隣町であるハノーバー町に行って「7人のこびと」を観るという。

劇場では、こびとの衣装を着せた2体の人形を舞台の背景の壁に張り付け、
こびとが6人居るかのように見せかけた。
また、白雪姫を演じる役者は、もうひとりのこびとの二役を演じるはずだったが、
こびと役では一瞬しか登場していないという。

「7人目のこびとは舞台には上りません。
彼はいつも鉱山で採掘の仕事が忙しくって、残業しているんです」
と劇場の広報担当スザンヌ・クロイツァーさんが新聞に語ったという。

引用元
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081104019727.html
445世界@名無史さん:04/12/26 13:08:03
ここにもいたかwww

クリスマスイブの深夜に2chで憎しみに狂ってデタラメ書いてる>>429-431
よっぽど孤独なんだなwww
446世界@名無史さん:04/12/26 13:30:20
>>443
>大公国でバルト語系の言葉を話していたのは農民の少数派
>でなければあれほど見事に印欧語の古い形を現在までリトアニア語として残せるはずが無い
これ(少数派だが生き残った言語)はドイツにおけるスラヴ語群、すなわちソルブ語(シュプレー川流域)や
カシューブ語(ポメラニア)やポーランド語の北方方言(東プロシアのヴァルミア地方)
の立場と同じですね。
ただ、リトアニア大公国でリトアニア語を話していたのは農民の少数派とは思えません。
ポーランド王国ではラジヴィゥウ、チャルトルィスキなどリトアニア系貴族が多く、
また、ポーランド・リトアニア連合初期の王朝はリトアニア系のヤギェウウォ家ですし、
当時のリトアニア大公国の公は同じ家系のヴィトルドです。
また、後の話ですがポーランドの詩人ミツキェヴィチはリトアニア系の家系です。
ポーランド王国ではリトアニア貴族は自らすすんで大挙して母語をリトアニア語からポーランドに変えたはずでは?
そこで確かに不思議なのが、ポーランド語の語彙にリトアニア語の影響が見られないことです。
当時のポーランドとリトアニアはほぼ対等関係ですから、ポーランド語に多少の単語ぐらい流入してもおかしくないはず。
主従関係であり時に暴力的に吸収同化が進んだドイツとヴェンド人諸部族の関係とは全く違います。
447世界@名無史さん:04/12/26 14:37:23
>>446
よくある誤解であるがラジヴィウ家なんか典型的な大公国の支配層の
母語は今のリトアニア語に発展する言葉ではないのですな
彼らが使用していたのは今の白露西亜語の祖先にあたる言葉なんですわ
だからこそ >>443

>第一次大戦後成立のリトアニア共和国と中近世であの界隈で
ブイブイ言わせていたリトアニア大公国とはほとんど全く歴史的連続性はない
あえて言えば大公国を歴史的文化的に継承しているのは現在のポーランド共和国または
ポーランド語を話す人々

>基本的にあの国はルーシの人々の国だった

と書いたわけです

ミツケヴィッチも確かにリトアニア人です但し現在意味するリトアニア語話者としてではなく
リトアニア大公国に己の根本を持っていたという意味ですが
現在で言うとタデウシ=コンヴィツキやこの間死んだチェスワフ=ミオシュなんかがそうですな
尚、戦前のポーランド領ヴィルノ県の人口構成比を調べてみると面白いですよ
ヴィルノ(ヴィルニュス)市の住民の最大はユダヤ人で次がポーランド人でした
448世界@名無史さん:04/12/26 17:16:55
>>447
>彼らが使用していたのは今の白露西亜語の祖先にあたる言葉

それは初耳。ソースキボン。
だって姓がリトアニア語なのに何でベラルーシ語の祖先に
あたる言葉(つーことはしかもポーランド語と系統の違う東スラブ語だ)だったわけ?

それに、ヴィリニュスのポーランド人はルブリンの合同の後に長い年月をかけて
ポーランド語を母語にするようになった人たちで、彼らの先祖は東プロシア語を話すリトアニア人ではないの?
449世界@名無史さん:04/12/26 17:41:01
大公国初期の公や侯の名前をみるとたとえばミンダウガス(初代大公)、
ゲディミナス(ポーランドと同盟して大公国を広げ、ユダヤ人を保護した)、
アルギルダス(ゲディミナスの息子)、
ヨガイラ(ポーランドの女王ヤドヴィガと結婚してポーランド王ヴァディスワフ2世となる)、
ケストゥティス(ゲディミナスの弟でヨガイラと大公位を争って殺される)、
ヴィタウタス(ポーランド語でヴィトルドと呼ばれ、ヨガイラに大公位を譲られる)など、
全部リトアニア語の名前だから、彼らがベラルーシ語の元となった東スラブ語を
話していたというのはちょっと信じにくいな。

リトアニアの上流階級はルブリン合同のあと、代が下るにつれて
ポーランドの教会や学校などでポーランド語を習得していったので、
もとはリトアニア語の元となる東プロシア系の言葉を話していたんじゃないの?

ましてやベラルーシ語の元となる東スラブ系の言葉を話していたなんてありえないでしょ。
450449:04/12/26 17:58:31
ルブリン合同前のリトアニアは支配層が混在していて、大公国の最上流階級は東バルト語であるリトアニア語、
一般の支配層はリトアニア語とベラルーシ語(の祖と言っとく−ベラルーシ語が完成したのはベラルーシ語聖書が
プラハで出版された1517年−なんとルターのドイツ語聖書よりも早い!)、一般農民は支配層の故地によって
リトアニア語とベラルーシ語に分かれていた、と考えるのが自然じゃないかな?

それで、合同以降は支配層は皆ポーランド語を母語にするようになっていったと。
451449:04/12/26 18:04:17
ちょっと調べてみたけど、やっぱりたとえばラジヴィウ家の先祖はリトアニア語だったと思う。
http://www.szlachta.org/2radziwill.htm
452世界@名無史さん:05/01/01 01:42:39
>>433
スラブ人は農耕民族だ。森を切り開いた土地に原始的な二圃制の農業をやっていた。

お前流にいえばまっかなうそだな

http://www.din.or.jp/~a_ohno/Pommern/206_slawen.htm
453世界@名無史さん:05/01/01 01:49:41
要はスラブはただのおよびでない侵入者で居座ってそれを理由に
現在でも、この地は俺たちが影響力がある地域といってはばからない
わけか
日本で言えば、平安時代以前の話だろ 
ばかばかしい
454世界@名無史さん:05/01/02 02:09:34
87 :世界@名無史さん :03/05/14 01:01
ラテン語の奴隷はservus → 英語のserve、service、servantの原型
英語の奴隷はslave ← slavが語源
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1052234256/l50
455世界@名無史さん:05/01/02 16:33:50
>>452
狩猟と農耕が両立しないとでも?
スラブ人は故地の黒海北岸で紀元前3000年ごろから農業を営んできた(ククテニ=トリポリエ文化)。
ヘロドトスの「歴史」にもプロト・スラブ人の農耕について書いてある。

まあ、ゲルマン人はかなり遅くまで農耕を知らなかったが。
ガリアに残った先進的なケルト系ローマ系によって三圃制農業が開発され、
それがフランク王国のゲルマン人の間にもひろまったわけで。
456世界@名無史さん:05/01/02 16:38:00
>>453
それを言ったら西欧ではゲルマン人もおよびでない侵入者だわな。

それにゲルマンとスラブはドイツ・オーストリアとポーランド・チェコでしっかりと混血している。
支配者が前者はドイツ人で、後者はポーランド人やチェコ人だっただけだ。
457世界@名無史さん:05/01/02 18:33:04
>>455
それは時代的には正しいが、文化の名称が違う。
紀元前4000年ごろから西ウクライナで発達したククテニ=トリポリエ文化の担い手は
非印欧語系の人々だといわれている。
この土地に印欧語系のプロトスラヴ人が来て住み着いたのは紀元前3000年ごろ。
この時代を北カルパチア墳墓文化という。この時代は青銅器時代。
このころプロトスラヴ人はこの土地で農耕を始めている。
その後紀元前7世紀ごろに鉄器時代のチェルノレス文化へと発展するが、
その時代まで2000年以上にもわたってこの沼沢地と森林に覆われた土地に
プロトスラヴ人が平和に住んでいたことは明らかになっている。
多くの侵入民族は黒海北岸のステップ地帯を通っていき、プロトスラヴ人や
その北のプロトバルト人の住んでいた森林地帯には興味を示さなかった。
チェルノレス文化後期にプロトスラヴ人はスキタイの侵入を受け、
一時期半ば隷属状態に置かれるが、この時期のプロトスラヴ人がヘロドトスの呼ぶ農耕スキタイ人である。
彼ら農耕スキタイ人は紀元前3世紀ごろサルマート人の侵入を受け、北方・西方に拡散していく。
その拡散期以後に、スラヴ人が安定的な食料獲得技術である農耕を捨てたことはありえない。
>>452のリンク先は根拠のない情報を掲載しているに過ぎないと思われる。
スラヴ人は農耕を主とし、時に狩猟もしながら西と北に拡散していった。
458世界@名無史さん:05/01/08 00:44:40
しかし、国民意識としてのポーランドはずっとあとになっての19世紀になったからのことさ
スラブの言語が禁止されたうんぬんをいう以前に当時のスラブ人は文字をもっていなかったのでは

459世界@名無史さん:05/01/08 00:48:05
阿呆言うな
教会スラブ語とか白樺文書とか知らんのか
460世界@名無史さん:05/01/08 00:48:32
当時っていつのことよ?
主旨からするとオットー・フォン・バンベルクの東方布教時代の12世紀か?
461世界@名無史さん:05/01/08 00:57:27
おれ、ドイツ人からベルリンの地名って、この都市のトレードマークは熊なんだけど
その熊(ベアライン)からその地名が来ているってきいたことがあるよ
スラブ名とは関係ないんじゃないの
462世界@名無史さん:05/01/08 01:15:00
ベルリンの語源はドイツ語の(Bearchen)から。
ベルリンという名前は12世紀からと歴史が浅い。

ベルリンと改名する前の町の名スパンダウ(現在は行政区の一つ)はスラヴ語のSpandowから。
ブランデンブルクの語源はスラヴ語のBrennaborから。
463世界@名無史さん:05/01/16 16:09:36
ばかかなーイエイ♪ あほかなーイエイ♪(早見優風)

かっかすんな
ドイツ人みたいな馬の屁みたいな言葉を話す連中のことで熱くなんなよ
464世界@名無史さん:05/02/03 17:41:58 0
dat阻止
465世界@名無史さん:05/03/07 02:31:41 0
>>459
ルターによって初のドイツ語聖書が出版されるより前にベラルーシ語聖書がプラハで出版されたりしているからね
466世界@名無史さん:05/03/08 19:23:17 0
ドイツはゲルマンせいぜい50%、スラブ30%、その他20%の割合だろう。
467世界@名無史さん:05/03/13 15:48:35 0
ドイツ語の形成に、スラブ語が関与しているよ。
468世界@名無史さん:05/03/13 15:55:58 0
>>466
割合はともかく、スラブ民族とかなりの程度で混血しているのは当然だろう。
469世界@名無史さん:05/03/13 17:18:49 0
スラブ語のドイツ語への混入、スラブ系の地名や人名…
ドイツはスラブを基層民族に含んでいるのは明らか。
470世界@名無史さん:05/03/15 17:23:09 0
ドイツ人はゲルマン人とスラブ人の混血。
471世界@名無史さん:05/03/15 17:52:06 0
ゲルマン人とスラヴ人の混血は少なかっただろう。
なぜかというと、肉体的特徴が明らかに異なるから。
カエサルがガリアを平定した頃、ゲルマン人は部族制社会で、
同族婚を繰り返していたと考えられる。これはスラヴ人も同様。
スラヴ人はゲルマン人のことを「オシ」(言葉が喋れない人)と呼んだ。
ギリシア人が異民族をバルバロイと呼んだのに似ている。
しかし、共通スラヴ語・共通ゲルマン語時代のものと考えられる借用語が
あるので、また、新石器時代からバルト海とエーゲ海を結ぶ陸の交易路が
存在したので、隣接した居住地域にあるスラヴ人とゲルマン人は古くから
交流していただろう。
言語に興味があれば、最東のスラヴ語である「ソルブ語」で検索すべし。
472世界@名無史さん:05/03/15 17:54:19 0
朝鮮的発想だな。
日本人は朝鮮人と○○人の混血とか。
473世界@名無史さん:05/03/15 19:48:53 0
最東のスラヴ語である「ソルブ語」
最東のスラヴ語である「ソルブ語」
最東のスラヴ語である「ソルブ語」
最東のスラヴ語である「ソルブ語」
474世界@名無史さん:05/03/15 21:26:52 0
>>467
ドイツ語の形成に、スラブ語が関与しているよ。

はっ!? 気は確かですか?
475世界@名無史さん:05/03/15 21:36:50 0
>>469
スラブ語のドイツ語への混入って

少なくも、文法的にスラブ語の影響ってきわだって見られるとは思えないのですが
何を根拠にそのように言われるのでしょうか。
476471:05/03/15 21:59:17 0
>>473
なつかしい手口。
最強管理人ヒロブが次にラテン語で講釈、それから関連書の紹介、
最終的に迷惑メール。
いつものように、被害妄想炸裂で、>>467>>471だと思ってるよ。
俺は共通祖語時代の借用関係で、交流があったと述べているのに。
スラブ語のドイツ語への混入、など言ってない。
上下ソルブ語は、現存するスラヴ語で最東。
いつものように、嘘と嵐に専心してください。
477世界@名無史さん:05/03/15 22:00:56 0
ドイツ民族はスラブ人の末裔
スラブ人はモンゴル民族の末裔
478世界@名無史さん:05/03/16 02:17:33 0
>>476
まだ気付いてないのか。
俺の知ってる限り、全てのスラヴ語はソルブ語よりも東にあるんだが。

上下ソルブ語は、現存するスラヴ語で最東。
上下ソルブ語は、現存するスラヴ語で最東。
上下ソルブ語は、現存するスラヴ語で最東。
上下ソルブ語は、現存するスラヴ語で最東。
479世界@名無史さん:05/03/16 03:22:44 0
そういうときは、
「上下ソルブ語は、現存するスラヴ語で最西の誤りですよ」
と一言、書けばいい話でないか。
スレッドタイトルやスレッドの性格に沿った書き込みをお願いします。

480世界@名無史さん:05/03/16 17:53:39 0
>>474-475

…With the German geographical borders changing constantly even up until WWII
the amount of French and Slavic overlapping which occurred brought with it
certain linguistical influences. Much of the written language at this time
contains borrowed French and Slavic words.

…第二次世界大戦まで続いていたドイツの地理的境界の変遷によって起こったフランス語やスラヴ語との重複はドイツ語に
一定の言語的影響をもたらした。この時代における書き言葉のほとんどはフランス語やスラヴ語から借用された単語を含んでいる。

http://f99.middlebury.edu/RU232A/STUDENTS/cbeyer/originsrev.html
481世界@名無史さん:05/03/16 18:11:48 0
>>479
現在のソルブ語はブランデンブルクとザクセンで話されているから、現存するスラヴ語で最西なのはチェコ語では。
482世界@名無史さん:05/03/16 18:43:09 0
>>480
ドイツ語以前のゲルマン語もスラブ語との相互交流があるんだよね
483473:05/03/16 22:34:54 0
>>481
それもそうだ。
ところで>>471=>>476が突然言い出したヒロブとかラテン語で講釈って何の話だ?

>スラヴ人はゲルマン人のことを「オシ」(言葉が喋れない人)と呼んだ。
>ギリシア人が異民族をバルバロイと呼んだのに似ている。
似てねえよ(藁
ネメツキという言葉をバルバロイのような蔑称と同一視していいのかは怪しい。
スラヴ語を話す必要のない文化程度の高い人たちという意味で「喋らない人」と呼ばれたという説も耳にする。

もひとつ突っ込むと、
>ゲルマン人とスラヴ人の混血は少なかっただろう。
>なぜかというと、肉体的特徴が明らかに異なるから。
ゲルマン人の肉体的特徴って何だよ。
人種分類上は南ドイツと北ドイツで別分類だったはず。
そもそも言語・民族の区分であるゲルマン/スラヴと人種区分とを混同してる時点で相当のDQNだが。
484世界@名無史さん:05/03/17 01:59:05 0
また、あなたか。出張手当は出せませんよ。国庫逼迫のため。
エコでのアファーマティヴはよしてください。
引越し人の名義に、山田花子と書かないでください。ホリエモンでよろしく。

スラヴというのは「言葉」の意味。つまり、同じ言語を話す共同体を指して、
自分たちのことを「言葉」と呼んでいた。これを知らない栗本慎一郎が「奴隷」
と関連づけている。田中克彦くらい読んでから本を書けばいいのに。
元スラヴ語を喋れない人をネメツ(オシ)と呼び、隣り合って住んでいた
ゲルマン人の呼称となってしまった。蔑称として使われた可能性も否定できない。

肉体的特徴というのは、ためしに欧州人の知り合いがいたら、フランス人と
ドイツ人と東・西スラヴ人を見分けられるか、尋ねてみてください。
私は、黒人でも、エチオピア人は見分けられる。
言語的区分と人種的区分は違うが、言語を等しくする集団が同族婚を繰り返して
いた可能性が高い。言語的に同起源でも、南スラヴの人は東・西とは外見的に異なる。

予言しますよ。まだ真剣にやっている人は少ないですが、DNA分析から
民族集団の移動を推理して、そこから言語の分岐を仮定するという流れに
必ずなりますから。今のうちから、『人間の進化と性淘汰』を読んでおいて下さい。
485名無しさん:05/03/17 16:43:42 0
ドイツ民族。足がやばい位長い。
486473:05/03/17 17:12:34 0
うわーなんだこいつマジ気持ち悪い……。
よく知らない人と勝手にイコールで結ばれるのがこんなに気持ち悪いとは思わなかった。
誰とイコールで結ばれてるのかすらわからんから否定のしようないし。

>蔑称として使われた可能性も否定できない。
「否定できない」と「蔑称として使われた」の違いってわかる?

本を読め、外人に聞けって答えを期待してるんじゃないんだよ。
おまえがどう思っているのか聞いてるの。わかる?
どこそこは金髪だとか、背が高いとか、鷲鼻だとかそういう具体例をさ。
それとも自分の言葉としてあげると否定されるのが怖いからガイジンさんや学者先生にあとはお任せなのか?

エコでのアファーマティヴってなんなんだ……????
487473 U122146.ppp.dion.ne.jp:05/03/17 17:16:20 0
ちょっとあまりに気持ち悪いんでfusianasanしとく。
dionだから住んでる地域の特定にはならんけど、
そのヒロブ?とかいうやつがdionじゃなければ別人という証明にはなるだろ。
488世界@名無史さん
>>487
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