パウロを使徒と認め、正統派、として知られる現行の主流派キリスト教。 パウロを認めないスウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)が説くキリスト教。 どちらが「真のキリスト教」なのか? 「正統派の教会キリスト教とスエのどっちが正しい、1万本勝負始め!」
3 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 00:12:33 ID:jgtt6ujw
4 :
参考 :2010/03/20(土) 00:41:19 ID:jgtt6ujw
引用元
ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/994/994504332.htmlの125 パウロについてスウェーデンボルグが書いていること(1)
「パウロは使徒たちのなかでも最悪の者たちのあいだにいるが、このことを私は十分な経験によって知っている。
福音を宣べ伝える以前に彼が捉えられていた自己愛が、そののちも彼のもとに残っていた。
そののち大半の時期もそうした状態にいたため、
彼は自己愛と自分の本性とに駆り立てられて、騒乱の場にいようと願っていた。
天界の最大の者になってイスラエルの部族をさばこうという目的から、
彼はあらゆることを行なった。彼がそののちもそうした状態に留まっていたことは、
非常に多くの経験から明らかだ。なぜなら、私はほかの者より多く彼と語りあったからである。
実に彼はそうした者であるため、他生のほかの使徒たちは
彼を仲間に入れることを拒み、彼を自分たちの一員と、もはや見なしていない。
私はそのことを、また以下の事実からも知っている。すなわち、
彼はあらゆるものを支配しようとしている最悪の霊の一味のひとりと連合して、
みずからの目的の達成のためにこの悪霊と誓約した。ほかにも多くのことがあるが、
それを述べれば、あまりに退屈なものとなろう。
パウロについて私が知っていることをことごとく述べるなら、何ページにもなるであろう。
彼が〔「新約聖書」の〕「使徒書簡」を書いたことは、
彼の内面もそれにふさわしい者だったという証明にはならない。なぜなら、
敬虔でないない者でも良い説教をし、「使徒書簡」を書くことができるからである。
話したり書いたりすることと、その人間がどういう人間かということは別なことである。
このことはまた彼に〔天界から〕話された。さらに、彼はその「書簡」の中で、
主が教えたことの一言も述べていないし、主のたとえ話の一つさえも引用していない。
したがって、彼は主の生涯や主の説教から何も受け入れていない。このことも彼に話された。
しかし「福音書」の中には福音そのものが存在するのである。(4412)」
(『霊界日記』スウェーデンボルグ/高橋和夫訳編、角川文庫)
5 :
参考 :2010/03/20(土) 00:44:16 ID:jgtt6ujw
引用元
ttp://mentai.2ch.net/psy/kako/994/994504332.htmlの126 パウロについてスウェーデンボルグが書いていること(2)
「『パウロの使徒書簡』が内的意義をもたないということは他生では知られている。
しかし彼の書簡は、〔キリスト〕「教会」に属する人びとが、内的意義が内在する主の聖言に悪いことをしないようにと、
「教会」内に存在することを許されている。もし人が邪悪な生活を送りながらも聖なる「言(ことば)」を信じるなら、
その人は天界に悪をはたらくからである。それゆえ「パウロの書簡」は許されているが、パウロ〔自身〕には、
主の〔語った〕たとえ話や主の〔教えた〕教理の一つでも取りあげて、これを説明したり明らかにすることが許されなかったのである。
パウロはすべてのものを〔主からでなく〕自分自身から取りあげたのである。「教会」はたしかに主の聖言を説明してはいるが、
「パウロの書簡」によってそうしているにすぎない。このためにまた「教会」は、
いたるところで仁慈の善から逸脱して信仰の緒真理を受容している。
けれどもこの信仰の緒真理〔そのもの〕は〔元来〕主が教えたものであり、
しかも仁慈の善がすべてとなるような仕方で教えたものなのだ。(4824)」
(『霊界日記』スウェーデンボルグ/高橋和夫訳編、角川文庫)
6 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 07:23:55 ID:mcc0rBeT
7 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 08:32:43 ID:NpDKIIWv
>>4-5 の理屈でいうと、内容さえ都合よく使えるものなら
罪人のものであろうとそのまま使っちまえ、というのが神の考えってことに。
でも、たとえば買春したテッド・ハガードの著書をキリスト教学習に
使うなんてかなり嫌ですよね。たとえその内容は聖書を踏まえていても。
……なるほど、信者が心置きなく使えるようにパウロが罪人であることが
17世紀まで伏せられ、彼が聖人として扱われるのが容認されていたんですね。
かなり歪(いびつ)ですよ。
8 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 08:39:29 ID:yrZVkdTH
>>7 だから何の根拠もない買春親父スェデンボルグのも妄想でしょうがwwww
9 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 08:46:52 ID:NpDKIIWv
これは「すべての悪は許されてるそうです」云々につながるものですね。 スエさんは質問箱でも↑によってうまくフォローできませんでしたし、 スエデンボリは霊界日記で神に人類を欺くようなことをさせてしまっている。 ふたりは自由意志として悪を行うことが出来るのと、 神が【悪を容認】することとの区別をつけていないのでしょうか。
10 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 08:48:19 ID:WRNhsW9c
どっちも妄想なんだから仲良くしろよw
11 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 08:50:35 ID:yrZVkdTH
>>9 スェはまともな後継者が皆無
彼の正体をあらわしてますよね
12 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 09:03:40 ID:mcc0rBeT
>>4 >話したり書いたりすることと、その人間がどういう人間かということは別なことである。
このことはまた彼に〔天界から〕話された。
「話したり書いたりすることと、その人間がどういう人間かということは別なことである」
これはその通りだね。だったらスエ氏がそうだとも言えるでしょ。ずっと話したり書いたり
してるだけじゃないですかw
「このことはまた彼に〔天界から〕話された」
と言って伝聞を書いているといっているが、それも本当は何のソースなのかは
明確じゃないでしょ?実際には「高級な悪霊」から聴いたのかもしれない。
だからそんな論拠で言われても意味はないでしょ。
13 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 09:16:30 ID:mcc0rBeT
往生際が悪いから糞をこっちに移動してあげたよ。ID:cZlW3xKP ↓ 279 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 09:05:00 ID:cZlW3xKP さらに先に進む前に、この「十字架と復活」という信仰についての、 わたしの考えをまず述べておきたいと思う。 イエスが十字架にかけられて死んだということは、まず間違いのない 歴史的事実であろう。 しかし、そのイエスの死が、「多くの人の罪の許しのためのもの」で あったかどうかということになると、そう簡単に「事実」だとは言えない。 パウロなどが、そのように解釈したということは事実であるが、イエスの 十字架の血が。いわば客観的に「罪の赦しのため」のものであったとは 簡単には言えない。 ユダヤ教徒は、他の古代オリエントの諸民族と同様に、とりわけ牧畜 を営んでいたような民族と共通して、動物の血による罪の贖いという 観念を持っていた。 実際、彼らの神殿において何世紀にもわたって繰り返しそういう祭儀が 行われてきたのである。そういう背景があったればこそ、イエスの血に よる贖罪というような観念が比較的容易に受け入れられたのであろう。 われわれのような農耕民族、とりわけ稲作を中心とするような民族の 伝統のなかでは、こういう観念はおどろおどろしいものと映るのであり、 簡単に受け入らることはできないであろう。 そういう観念は、単に古代的というだけでなく、地域的に限定されている ものであると思わざるをえない。(イエスとは誰より)
14 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 09:36:10 ID:mcc0rBeT
>>13 これが神学者の言うことなら神学者やめてクリスチャンもやめてから言うべき
でしょ。
旧約との関係でどうしてもイエスキリストは神の犠牲としなければならない
のですよ。
前にもダニエル書出してるでしょ?
15 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 09:37:24 ID:mcc0rBeT
ダニエル書 12:11「常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時」 この終末時代の「常供の燔祭」とは新約時代には「キリスト」の犠牲のことです。 つまり「常に捧げられている神の犠牲」=イエスキリスト。 これが、あるとき地上の教えの中で消え去るときが来るという予言でしょう。 「終わりのとき」にはそういう状況が訪れると言っている。キリストが新約時代の 神の犠牲の供え物であることを認めなければ、ここの意味は不明になってしまい、 12:7 「それは、ひと時とふた時と半時である。 聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に これらの事はみな成就するだろう」 「聖なる民」がクリスチャンのことであることも不明に。 この「神自身の犠牲」=「キリスト」を受け入れた罪赦された民の力が砕かれる、 と言っている。つまり、上記「常供の燔祭」が「取り除かれ」る時がそのときでしょう。 結局、「神自身の犠牲」=「キリスト」でないなら「終末」もないわけです。
16 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 09:48:19 ID:UfHgATfE
この戦いパウロ教オールドチャーチの負け(予想)
17 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 09:58:01 ID:mcc0rBeT
>>16 聖書よく読んでないからダメでしょ
>>6 。いつも何言ってもポイントはずしてる
じゃないか。えらそうにしてるだけだよ、スエデンばーさんw
18 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:01:44 ID:z4Dhgpm4
>>13 そもそも日本人は日照りとか飢饉とかの時に「人間の生贄」を捧げて
いたんだけど?
城の起工式とかでも人柱を捧げてたよね。
「この人宗教に全然詳しくないんじゃないかな?」
多神教は、人を生贄に捧げるのがワリと一般的で、それが一神教が生まれて
否定されてきたのが歴史的経緯なんだけど。
>>18 一神教は異教徒を殺すのを善とするから、鬼畜さでは多神教の比ではないけどな
20 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 10:06:40 ID:yrZVkdTH
>>19 ヒンドゥーはシク教徒やムスリム殺しまくってるけど?w
神道信者も中国で殺しまくったなwww
21 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:08:27 ID:z4Dhgpm4
>>19 多神教が人を殺さなかったという根拠はなんなのさw
いっとくが、かなり殺してるぞww
不思議なんだが、よく調べてから発言しろってばw
中世や古代では、国家=宗教なのだから、基本的に異教徒を殺すのは
当たり前。
でなければ、それこそ国家が維持できない時代だったのよ。
アンコールワットにおける宗教戦争について調べてごらん。
それこそ、仏像や神像を互いに破壊しあうくらい、多神教と仏教の争い
は壮絶だったからさ。
>>20 いや、一神教は必ず敵対する異教徒を絶滅させるまで殺戮すべしと教える
なぜなら、少しでも残したら仕返しされるかもしれないからだと
徹底してるよね
23 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 10:11:16 ID:yrZVkdTH
女子供も残らず殺戮する 凄絶 という教義だよ
25 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:16:34 ID:z4Dhgpm4
判らないかな? あるコミュニュティが思想によってまとめられている時に、その思想からはみ出た ものを許容する事はできないの。 「日本仏教がキリスト教を迫害したのも、キリスト教が異教徒を虐殺したのも根本的には同じ理由」 「そして、これは現在でも必ずしもクリアされているわけではないの」 なぜなら、ひとつの国家は最低限、ある程度思想的に似たような人間が集まらない と成立しないからなの。 『だから、今でも、物凄く国策に反対すると国家反逆罪で日本でも逮捕されるの』 で、別の角度から言うと、「思想が自由になった社会は、犯罪率が増加するの」。 理由は単純で、「善悪の考えも個人によってバラバラになるから」。 だからたぶん、「その社会の思想に著しく反するものを排除する」という事は、 程度の差こそあれ、永遠に存在する要素だと思うよ。 で、多様性を認めた社会は最終的に崩壊するわけ。 前にも書いたけど、「社会全体が弱体化してしまうから」。 だから、昔あったイスラムの凄い発展した都は、人権思想めいたものが発達し すぎて、最後には「徴兵制度」すら否定してなくした結果、野蛮な命を失う事 を厭わないキリスト教国に滅ぼされちゃったわけ。 「だから、偏狭であり、野蛮であるという事はある程度必要なの」 多様性と自由の究極は「滅び」なんです。
そう。殺戮こそがネ申の偉大な知恵だ。 そう教え込まれる。 実に、もっともな話だと感心するけどもさ。
27 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:20:25 ID:z4Dhgpm4
つまり、ある面においては、多神教と一神教の間に本質的な差はあまりない の。 『元々は、国をまとめる為に権力者によって確立された思想って事ね』 そういう意味では、「元々、秩序を乱す存在を排除しない宗教は国家レベルに おいては存在しないんです」。
一神教だってアラーとかイエスとか天使とか、崇拝対象は複数なんだから 多神教なんだよ。一神教などあり得ない。無い。
29 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:29:37 ID:z4Dhgpm4
で、キリスト教がなんでローマやヨーロッパで広まったのかというと、 『政治的に利用価値があったからなの』 どのような形態の宗教であろうが、「政治権力と結びつかなかった宗教は 大きくなれませんでした」。 日本で仏教が広まったのも、鎌倉時代だか、平安時代だかに、進んだ大陸の 文明と一緒に入ってきて、「政治的に利用する価値があったからなの」。 権力者と結びついたから「発達したわけ」。 だから、儒教と権力が結びついた中国では仏教は衰退しちゃったわけ。 要するに、何が言いたいのかというと。 「権力や社会秩序の維持に役に立たなければ宗教は広まらないって話ね」 その宗教の内容はあまり問題ではないわけ(どんな宗教だって、それなりに いいことをいっているわけで、そういう意味では似たりよったりなんだから)。 「つまり、いまさら、スウェーデンボルグだかなんだかが、正当派に勝つ事 はあり得ないの」 たぶん、「新興宗教とかスピリチアル」が、伝統宗教にそっくり入れ替わって 大勢力になる事は、「永遠にないと思う」。
宗教の歴史を知らなさすぎ
31 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:36:21 ID:z4Dhgpm4
つまり、「宗教なり思想というものは」、 『根本的には、その時代の多くの人間の利益になりそうで、かつ権力によって 押しつけられなければ広まらないんだよ』(共産主義なんかもそうだしね。 当時、王やなにかにうんざりしていた革命的風潮が世界的にあった事が背景で、 結局、独裁者によって、押しつけられた結果国家的規模の思想として広まった)。 だから、一時的に伝統宗教を圧倒したように見えても、現在においては国家規模の 思想を規定する権力は先進国では実在しないのだから、 「伝統宗教が新しい宗教思想に倒される事はたぶんないという事」 繰り返しポイントを言っておくと 1・宗教は権力と結びつかないと広まらない 2・世界宗教が世界宗教として成り立ったのは、権力による押しつけが通用した封建時代だから( だから現在においては、数億人規模で信者を最終的に獲得できるような、世界宗教は きっと生まれないだろう) 3・従って、民主主義国家においては、伝統宗教を新興宗教が滅ぼす 事は多分あり得ないだろう。 大体、こんなところ。 まあ、長くなりすぎたので、とりあえず、これで終わるね。
32 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 10:37:57 ID:iEJWkSmj
このスレッドのタイトルには問題がある。 最初から正統、異端と分けたらだめだろう。 それに話題が限定されていてつまらなさそうな予感がする。
異端は蔑称とは違いますよ キリスト教は異端迫害が一つの大きなテーマだあkら 異端などという呼称は別に気にしなくてもいい 言わせておけばいい 言ってるほうはバカすぎて自分が言ってること裁いてることの 危険を顧みることができないだけだから、 それはそれでいい
【論点】 キリスト教 【議論】 たとえばこれぐらいのスレタイにしたほうがいい。 これならテーマも限定されないし、参加者も限定されない。 このスレは終了しよう。
35 :
つきみ ◆axxqpqAvWg :2010/03/20(土) 10:50:08 ID:oN055xBv
質問箱のスエデンボルク信者隔離スレだから。
36 :
絶対神 :2010/03/20(土) 10:52:43 ID:z4Dhgpm4
論旨をはっきりさせるために、最後にまとめとして言っておくと、 『つまり、元々、いわゆる、「宗教」は、国家を「思想統制」する為に存在したものなわけ』 「だから、異教徒を殺したという事で、その宗教を否定するのはナンセンスだという事」 そんなの当たり前だから(笑) 宗教は、「正しい」から広まったのではなくて、「思想統制=秩序確立」に もっとも役に立つと権力者が判断し、国民がある程度、それを受け入れる気に なったから広まり、成立したという事なんです。 神が万物の背後にいて、一切を支配する存在というのなら、 「それが「神の働き」と言うのなら、「その通りかもね」」 だから、たかだか、「霊能カブレ」のスウェーデンボルクと、「正当キリスト 教」とでは、 「そもそも桁が違うのよ」 太陽とローソクくらいにね。 『判った?』 教義が正しいとか間違っているとかいう、以前に、もっと根本的な部分で違う わけ。
世の支配者を否定するのがイエスの一貫した思想なのに、 それはない。
38 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:03:54 ID:mcc0rBeT
39 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:05:00 ID:mcc0rBeT
また移動。スエデンばーさんはあっちでないと自己主張でないと観念してる
のかも。こっちだとメタメタになるんだろう。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/284 284 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 09:36:34 ID:cZlW3xKP
>279〜
また、死人のなかからの甦りという観念は、端的に古代的な世界像を
前提にしたものであり、これを歴史的事実とするなどということは、とり
わけ現代人としては考えられない。
イエスの時代でも、ユダヤ教のなかの一派のファリサイ派(パリサイ派)
は、もともと復活ということを信じていた。
しかし他の有力な一派のサドカイ派は、復活を信じていなかった。
「まえがき」で触れたように、同時代のグノーシス主義においても、
復活を文字通りの意味で受けとる者は「愚か者」であるとさえ言わていた。
パウロは、もともとファリサイ派に属していた者なので、最初から復活と
いうことを信じていた。それゆえ、彼にとっては復活ということが信じられ
るか否かが問題であったのではなく、イエスの復活が、罪の許しのため
の十字架の死を確証するものであったか否かが中心的な問題であった
のである。
いずれにせよ、死人からの復活というような観念は、まさに古代的な世界
像に基づいたものであり、それでも当時でさえ普遍性など持っていなかった
観念である。こういう観念を「事実」として主張し続けるようなことは、ほとんど
迷信だといわれても仕方がない。
40 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:08:03 ID:mcc0rBeT
はい続きだそうで。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/287 287 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 10:07:49 ID:cZlW3xKP
>284〜
「それで、わたしたちは、今後だれでも肉に従って知ろうとはしません。
肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうと
はしません」(コリントU5.16)
「肉に従って知る」とは、生前のイエスを知っているという意味である。
パウロは、生前のイエスについて知ることに何の関心も持っていない
のである。ここにパウロの思想の特徴の一つがある。
このことに関連するもので、パウロの別の書簡「コリントT」には、
次のような言葉がある。
「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも
十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた
からです。」(2.2)
ここには、パウロが歴史のなかに生きてたかぎりでのイエスの
具体的な言行に対する関心を持っていなかったことが暗示されている。
彼は、イエスの死にしか感心がなかったのだ。(イエスとは誰かより)
イエスは、ご自分の身体を、(生けるパン)といわれました。
「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物」(ヨハネ6.54)
「まことの肉」とは(神の善)、「まことの血」とは、(神の真理)を表します。
つまり、これは主が教えられた(み言葉)のことでなのです。
しかし、「こんな話が聞いていられようかと」言って、ユダヤ人たちは
とうとうイエスの喩えられたことが理解できませんでした。
直弟子たちにも理解できませんが、イエスに従いました。
パウロも、生前のイエスの教えには、何の関心もありませんでした。
41 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:11:57 ID:yrZVkdTH
>>39 だから田川健三はサヨクだからw
サヨクの唯物論で結論出されてもねwwwww
ちなみにサドカイもグノーシスも地上の栄光を求めた
とくにグノーシスは現代のイルミナティに繋がるサタニズムの系譜です
彼らが主の恵みによる復活 主の愛の元での永遠の命に関心がなくてあたりまえWWW
286 名前:審判で火の池に入るペッチョン有本康夫[sage] 投稿日:2010/03/20(土) 09:49:16 ID:yrZVkdTH
グノーシス=イルミナティの系譜の典型例が 例えばここを荒らす在家であり
またスェデンボルグなのよ
GLAの高橋信次の系列もそうだね
彼らはこの世界の富や賞賛 名声を求める
そういったこの世の栄光を 光 と称する
他人より秀でることが彼らの至上目的なのね
共産主義がいつも偉大な指導者を生み出すのも彼らがイルミナティのやからだからです
そういう意味で現世肯定のサドカイや霊による地上の栄光実現を願うグノーシスは共通であり
イエズスにより永遠の命の付与を馬鹿にするのも当然なんですよw
42 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:12:49 ID:yrZVkdTH
>>40 聖パウロは当時 ユダヤ人のあいだにまだ根強く残存していた
イエズスが現世的なメサイアであったのか イエズスは本当にダビデ王家に連なるのか
そういった無益な論争を批判したんですよw
そのおかげでそういった系譜論争は影をひそめたのです
でイエズスは新約を完成させる神の子羊であり
その肉は本当の意味の過ぎ越しの子羊の肉
その血は過ぎ越しの鴨居の血 大贖罪の清めの血です
具体的霊的なものであって 御言葉とは別のもので役割が違います
新約が成立したのは4世紀のこと
しかしこの御血と御聖体をいただく信仰は使徒の時代からありますしwww
キリスト教は左翼です 世に迎合する右翼はキリスト教の反対です
44 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:15:54 ID:mcc0rBeT
>>44 そんな物では清算されないよ。
自分が汗水垂らして労働して稼いだお金、または作物、工作物
など、自分の労力が掛っているものでなければ
罪の解毒にはならない。だって、だれかが死んだって
別に痛くもなんともないから。
46 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:32:31 ID:mcc0rBeT
47 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:35:15 ID:yrZVkdTH
48 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:36:25 ID:mcc0rBeT
これについでに移動しとくか。
308 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 11:23:41 ID:mcc0rBeT
>>301 >>304 >スエデンばーさんID:cZlW3xKP
はい
>>305 。思いっきりやったらいい。
↓
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/ できないのはなんで??
309 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 11:27:15 ID:mcc0rBeT
>>306 >ここでパウロ屋がキリストの薬効があるといってインチキ薬売ってるから。
って、それで毒薬売ってるのはばれないように自分の店は開かないだけでしょw
聖書をその主旨に沿って読むと言ったってあなたのやってることは自分が
読みたいように読む、あるいは得たいの知れないソースに従って読む、その
悪霊の言うとおりに、と言ってるだけじゃんw
聖書読んで無いじゃない。
>>177 →
>>198 >>204 イエスの言葉に忠実に、と言っても全然忠実じゃないしわかってないし。その後は
知らん振りで言いっぱなしでもう10スレぐらい逃げっぱなしだしw
話にならんよ実際。
ちゃんと自分のお店を構えてから言え。
49 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:44:39 ID:cZlW3xKP
信仰義認、キリスト功徳の責任転移(オカゲサマ)という 効能書きで何の役にも立たない毒薬売りつけたらいけませんよ。
50 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:46:20 ID:yrZVkdTH
51 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 11:51:12 ID:mcc0rBeT
>>49 >信仰義認、キリスト功徳の責任転移(オカゲサマ)という
>効能書きで何の役にも立たない毒薬売りつけたらいけませんよ。
お。来ました?よろしい?
あんたのは聖書をその主旨に沿って読むと言ったってあなたのやってることは
自分が読みたいように読む、あるいは得たいの知れないソースに従って読む、
その悪霊の言うとおりに、と言ってるだけじゃんw さらにはどっかの誰かが
書いた本読んで受け売りして自分の主張補完してるだけでしょ。
>>15 >>39-40 どこが聖書に忠実なの?
52 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:04:53 ID:mcc0rBeT
>>47 刑務所でちゃんとお勤めして罪を清算したか?
54 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:09:34 ID:mcc0rBeT
ここでやってスエデンのデマがばれたらもう出店はできません。
55 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:14:21 ID:yrZVkdTH
>>53 だからさっさと死刑になっておいでよw
命を代価に出すことがたいしたことじゃないんだろ?w
道にガム捨てて 軽犯罪法違反で死刑になれってw
56 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:16:04 ID:YpzYKacr
Mちゃんから 聴いたのですが キリストのモデルとなった人間は ステファノと言う聖人ではないかと言ってました ステファノは ユダヤ教の改革派で 神殿主義や 戒律主義を批判し ユダヤ教の保守派から 攻撃され 石打ちの刑にあって死んだ人です キリスト教では このステファノを最初の殉教者と呼んでいます Mちゃんの推察では このステファノの死を見たパウロが ステファノの思想に 古代神話を組み合わせ さらに支配層にとって好都合な原罪思想を植え付け ドラマチックに加工演出したのが キリスト教のはじまりではないかと 言ってました 元々ステファノ自身は キリスト教と関係なく ただモデルとして その主張を捻じ曲げられ使われたのではないか とも語ってました (・ω・)/ 以上
57 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:18:15 ID:WRNhsW9c
あれ、皮剥がれて殉教したっていう伝承があるのはだれだっけ?
58 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:18:52 ID:QqUuJbjj
>>56 ありえません
まず
キリスト教がユダヤ教の範疇に収まるものなら 聖パウロと十二使徒の議論は発生しません
聖パウロがたたき出されておしまいです
次に初期教会はユダヤ人が圧倒的に多いので 異教の神話なんか採用したらえらいことになります
また新約には異郷の神話的部分はまったくありませんw
さらにw原罪思想は当時の権力者にとっては大変に都合が悪い思想ですw
だって権力者も奴隷も神の前では平等になるんですからw
でキリスト教はつねに権力者と対決することになりました
Mも結局ペッチョン有本康夫と同じく田川や荒井の受け売りに過ぎませんねwwwww
ただの阿呆wwwwwおまえもなwwwww
59 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:44:35 ID:cZlW3xKP
>>58 どうしてコテ隠しているの?
サロメおばばって、あんちゃんのことなの?
60 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:57:09 ID:mcc0rBeT
しかしよっぽど自信がないんだなwあっちにしか書けない。>スエデンのデマ
キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/314 314 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 11:42:39 ID:mcc0rBeT
>> 312
>福音書でイエスが語られたことに照らし、パウロの言っていることには
>まったくイエスの教えの根拠がないと、説明してあげた
だからそんなの説明になってないじゃんw
尤もらしくいってるだけでなんにも聖書読んで無いじゃない。
↓
>> 177 → >> 198 >> 204
イエスの言葉に忠実に、と言っても全然忠実じゃないしわかってないし。
文句があるならあっちに来いボケ
(つづく)
61 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 12:57:57 ID:mcc0rBeT
>>60 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/318 318 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 12:19:29 ID:cZlW3xKP
>> 314
マタイ
5章 48節 あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者
となりなさい。
だから、あなたは、主が言われた喩の意味が、ぜんぜん理解出来ていないと言われるだけです。
第一、神のようになることが、「完全」という意味なら、人間が神のようになれるわけがありません。
それが出来るといったのは、エデンの園に住んでいた蛇です。
それも実際に蛇がいて騙されたのではなく、「自己愛」のもつ(うぬぼれ)によって騙された
のです。蛇は自己愛のもつ「エゴ」のことです。
あなたは、イエスの言われた(みことば)が、文字上の意味でしか理解できないから
なんでも、(みことば)を出せば否定ができると思っているのです。
もし、そのことに納得できないというなら、
19章 21節 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、
貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに
従いなさい。」
という聖句が、何を言っているのかもちゃんと理解できているはずです。
さぁ、「天に富を積む」とは何か、そのため財産を売り払うとはどのようなことか、
説明してみてください。
救われるために富を失うのが条件というなら、ただそれだけで信仰を諦めた人たちも
多いはずです。
では、はりきってどうぞ^^*
62 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:03:31 ID:cZlW3xKP
>>7 >彼は自己愛と自分の本性とに駆り立てられて、騒乱の場にいようと願っていた。
まず、自己愛とは何か、を知っておく必要があります。
人知は、人間固有のもの、自己愛と世間愛です。自己愛(エゴ)とは、
自分だけが眼中にあり、他の人はとるに足りないか、なきに等しいものの
性格です。
もしある人を多少なりとも評価するとすれば、自分を尊敬してくれるか、
あがめてくれる人に限られます。つまり、自分自身をあがめ、自分をあがめて
くれなければ、人には何の好意も寄せない性格です。
そのような自己愛の奥底には、偉大なるもの、出来れば国王、あわよくば
神になりたいという欲望が隠されています。これこそ悪魔です。
悪魔とは自己愛そのものです。つまり自分自身をあがめてくれなければ、
人には何の好意もよせない性質です。
それでいて自分同様の悪魔にたいしては憎しみをもっています。
63 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:04:02 ID:mcc0rBeT
>> 61 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/322 322 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 12:54:06 ID:mcc0rBeT
>> 318
またえらそうにしてるw
あなたは中身ゼロだね、しかし。えらそうに書く前に、人が何を言ったのか
見てから言えボケ
そういう見えない人間=スエデンばーさんw
だから言ってるのに。
マタイによる福音書 / 7章 5節
「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、
兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」
まずここから勉強しなさいなw。言ってる意味わかるまで半日掛かるよね?
>スエデンばーさん
64 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:06:38 ID:mcc0rBeT
>>62 だからそれとパウロと何の関係があんの?
笑ってしまう。
65 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:07:57 ID:7jyj8IDV
509 :名無しさん@十周年:2010/03/20(土) 13:02:30 ID:3Gh+mQ7k0 鳩山総理に麻生前総理に安部元総理に小泉元総理もクリスチャン。 キリスト教徒の殉教者の数は日本は多い時の日本の権力者はキリスト教徒をかなり迫害抹殺してきた歴史がある。 長崎、佐世保の工場を狙った原爆は風で20キロ流されクリスチャンの多い長崎上空で炸裂をする。
66 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:11:06 ID:yrZVkdTH
>>61 そういう聖句をこの世の常識に引きおろすのがまず第一の間違い
当時の時代背景 福音書作成時のクリスチャンの認識を無視するのも間違い
こういった点を踏まえて聖句から今日への教訓を引き出すわけだけど
それを聖句の本来の意味だと還元するのは大間違い
はい ババーは入り口で落第w
反問:ではそれらの聖句はイエズスの当時 どんな意味を持っていましたか?
67 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:21:00 ID:cZlW3xKP
>>66 >そういう聖句をこの世の常識に引きおろすのがまず第一の間違い
え、それ持ち出したのだれか分かってるの?
だれにむかって言ってる口ですか?
反問:ではそれらの聖句はイエズスの当時 どんな意味を持っていましたか?
それを説明するのがそちらの役目でしょ。
霊的な解釈なら教えてあげてもいいよ^^+
68 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:24:06 ID:yrZVkdTH
>>67 いや
当時の人たちの正しい認識を教えてください
69 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:26:52 ID:cZlW3xKP
>>64 あんぽんたんと言われたくなかったら、まず元スレで問われていることに
ちゃんと答えなさいよ。
70 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:28:04 ID:mcc0rBeT
71 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:29:18 ID:mcc0rBeT
72 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:29:27 ID:cZlW3xKP
>>68 >当時の人たちの正しい認識を教えてください
そのまんま文字通りなんなんでしょう、おばかさんが言ってるように。
73 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 13:29:37 ID:QqUuJbjj
>>69 当時の人がそれらの聖句をどう理解したのか教えなさいってw
74 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:00:09 ID:mcc0rBeT
75 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:01:22 ID:mcc0rBeT
>>74 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/333 333 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 13:35:24 ID:mcc0rBeT
>> 318
見えない人にはいつものようにコピペするしかないか。やれやれ
198 :神も仏も名無しさん:2010/03/19(金) 21:04:57 ID:fel9C8WN
>>177 >高い者が低くなり、低い者が高くなる教育です。
>そうしないと天界へ入れません。天使たちでさえ完全ではなく、天界さえも不浄です。
>完全お方は、神(主)だけです。
ですからそのようにして「完全になること」を言われたわけですよ。イエスが垂訓された
ことは当然「神が完全であるように、あなたがたも完全でありなさい」という、我われの
あるべき「理想」であり我われの考えと行動の指針でしょう。神の形に近づくための。
マタイ
5章 48節 あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者
となりなさい。
19章 21節 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、
貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに
従いなさい。」
ただ「病人」=「罪びと」は、まず病気を治さないと、「完全」に、とはなりにくい。
完全になる前に、からだを温めて健康になる必要があった、だから医者が必要。
また「放蕩息子」も、自分の財産を使い果たして弱っていた「病人」。信仰による
治療は彼らに必要だったと。
(つづく)
76 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:09:08 ID:mcc0rBeT
77 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:18:47 ID:mcc0rBeT
78 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:45:34 ID:mcc0rBeT
79 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 14:48:19 ID:mcc0rBeT
>>78 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/351 351 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 14:38:28 ID:mcc0rBeT
>> 346(
>>78 )(つづき)
>>204 も見えないらしいからコピペ。
>>177 ←[論旨の対立点(*1)]→
>>204 ここで(*1)はなんだと思います?普通の人ならまともに頭を働かせて返答します。
204 :神も仏も名無しさん:2010/03/19(金) 21:10:12 ID:fel9C8WN
>>198 (つづき)
>>177 >主の医療が必要なのは、怪我や病気の人ではなく、悪徳を働く人です。
悪徳のもの、悪人は自分の悪の体熱で温まっているので、「癒す医者」は必要
ではないわけです。
みことばを見ましょう。イエスは悪人を招くとは言っておられないでしょう。「罪人」
を「病人」にたとえておられました。「罪びと」は「悪人」ではないようです。
マルコ 2章 17節 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、
丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである。」
イエスは悪徳のパリサイらを「非難」していた。導くにしても非難が先にあるのは、
医者というよりこれは裁判、裁きの元型ですよね。
実際、「悪徳を働いているもの」「悪人」が悔い改めるのは難しい。強い者たちは
弱らずに悪を行い続けるので、たぶん彼らには「裁き」があるでしょう。
ヨハネ 16章 9節
裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
それがいつかは神のみご存知。
80 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 15:15:29 ID:mcc0rBeT
>>79 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/352 352 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 14:59:38 ID:mcc0rBeT
あっちにもコピペしておいたからしっかり読んで反論あればしてね。
>>346 >>351 反論ないならあなたの
>>177 は間違いだったとということでいいですね。
>> 345
だからさ、あなたの盲目は本当にどうにかなりません?
>現世的・物質的な考えしかない人間は、心の中で、「信仰や信仰に関する事柄を、
>感覚を通して分かり、科学的知識を通してできるようになればいいが、そうで
>ないなら、わたしは信じない」と言います。
>
>自然的なものが霊的なものに矛盾することはあり得ない、みずから確信して
>います。つまり、感覚的なものや科学知、つまり人知から、天的・霊的なものを
>学びたいと思うわけです。しかしそれは、らくだが針の穴を通れないのと同じ
>ように、あり得ないことです。
>そこから英知を味わいたいと思えば思うほど、盲目になります。
これは「あなたに言ってる」ことです。あなたはイエスの復活を信じていない。
それはこのあなたのスエデン教の豊富な財産のため。そして科学的にあり得ない
からだと、自分で前スレまでにさんざん力説してきたことです。
自分で自分の言ってることがわかっていますか、頭大丈夫ですか?頭狂ってると
非難していたのは、この「あなたの<金持ち知識>」のおかげさまです。
81 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 15:20:05 ID:mcc0rBeT
>>80 (つづき)
354 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 15:09:25 ID:mcc0rBeT
>> 349 ID:cZlW3xKP
だから言ってる通りでしょうが。>> 204(
>>79 )
マタイ
7章 15節 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、
その内側は貪欲な狼である」
21 わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、
御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』
と言うであろう。
23そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。
不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」
イエスは悪人は「非難」し「裁き」の対象になっているではないか。救済の対象ではない
でしょうに>> 204(
>>79 )。 「救済」つまり医者が必要なのは「病人」イコール「罪びと」でしょうが
>> 198(
>>75 )。だから>> 177と>> 204(
>>79 )の対立点(*1)についてあなたは反論すればいい。
それなのに、なんで>> 318(
>>61 )などと反論にならないことを反論であるかのように出してきて
ごまかす?まともにコミュニケーションしろ。 ID:cZlW3xKP
82 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 15:38:36 ID:mcc0rBeT
>>81 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/355 355 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 15:28:16 ID:mcc0rBeT
>ID:cZlW3xKP
あんたは>> 177でなんて書いたか?
↓
>> 177
>>それと「福音」とは直接の関係はないのです。医者が必要なのが病人です。
>>健康な人はその垂訓を学んで完全になるように努力すればいいが、怪我や病気
>>をしたらあなたも医者が必要になる。病人に医者が処方するのが「信仰」であり
>>「福音」です。byイエス
>主の医療が必要なのは、怪我や病気の人ではなく、悪徳を働く人です。
ほーら、違ってるだろ?どこが主の言葉に忠実なの??>> 354(
>>81 )
しかも長々と
>>340-341 >>345 なんて出してみせてやってることは全部あんた
自身への言葉なの!>> 352(
>>80 )。
だから言ってるんだよ>> 322(
>>63 ) >> 327(
>>70 )。
頭大丈夫ですか。>ID:cZlW3xKP
結局全部説明してみせないと何にもわからないじゃないかw
83 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 15:44:41 ID:cZlW3xKP
四面楚歌ってのもなかなかいいもんですね^^*
84 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 15:52:16 ID:mcc0rBeT
85 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 16:03:53 ID:mcc0rBeT
362 名前:神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 16:01:05 ID:mcc0rBeT
>ID:cZlW3xKP
いいかげんで自分を直せアホ。
>> 332(
>>74 ) :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 13:34:53 ID:cZlW3xKP
>>> 327(
>>70 )
>与太くってないで問われたことにちゃんと答えなさいね。
>出来なければ、すあたまがぷっつんなのが丸見えですよ*^^*
おまえ自身が完全に与太くってるのは自覚してないのな。
86 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 16:06:05 ID:YpzYKacr
Mちゃんから 聴いたのですが キリストのモデルとなった人間は ステファノと言う聖人ではないかと言ってました ステファノは ユダヤ教の改革派で 神殿主義や 戒律主義を批判し ユダヤ教の保守派から 攻撃され 石打ちの刑にあって死んだ人です キリスト教では このステファノを最初の殉教者と呼んでいます Mちゃんの推察では このステファノの死を見たパウロが ステファノの思想に 古代神話を組み合わせ さらに支配層にとって好都合な原罪思想を植え付け ドラマチックに加工演出したのが キリスト教のはじまりではないかと 言ってました 元々ステファノ自身は キリスト教と関係なく ただモデルとして その主張を捻じ曲げられ使われたのではないか とも語ってました (・ω・)/ 以上
87 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 19:46:53 ID:mcc0rBeT
ID:cZlW3xKP は、
>>85 まですっかりやり込められて返す言葉がなくなって
しまいにこんなスエデン教義をキリスト教スレに貼り付けては荒らし続ける始末w
↓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/365 365 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 16:21:27 ID:cZlW3xKP
主のうちにこそ、神の愛と神の英知があります。
その二つは(いのちそのもの)であって、人間の意志と理性は
この二つから来ます。すなわち意志は神の愛に由来し、理性は
神の英知に由来します。
人体にあっては、心臓と肺臓がこの二つに対応します。
そこで分かってくることは、心臓の鼓動が肺臓の呼吸と一体に
なって、全人間の身体をつかさどっているように、意志は理性
と一体になって、全人間の精神をつかさどっています。
またどんな人間にも、二つの生命原理があります。
一つは自然的で、もう一つは霊的です。自然的生命原理は心臓の
鼓動であり、霊的生命原理は精神がもつ意志です。
そうして両者とも、自分なりの連れがあり、その連れといっしょに住み
(いのち)の機能をはたします。すなわち心臓は肺臓と結びついており、
意志は理性と結びついております。
さて、意志の(魂)こそ愛であり、理性の(魂)こそ英知ですが、両者とも
主のみ力によります。それで各人のもっている(いのち)です。
そしてその(いのち)が英知につながっている点で、愛がどんな(いのち)
になっているかが決まります。
それで、愛は各人のもつ(いのち)です。
88 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 19:49:27 ID:mcc0rBeT
スエデン用にせっかくこのスレ作られてるのに、なんでわざわざスエデン
をキリスト教スレに貼るバカなんだろう?
↓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/366 366 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 16:22:48 ID:cZlW3xKP
そしてその(いのち)が英知につながっている点で、愛がどんな(いのち)に
なっているかが決まります。また同じことですが、意志がどんな(いのち)な
のかが決まります。そうしてその(いのち)が理性につながっている点で、
意志がどんな(いのち)なのかが決まります。
(いのち)の愛からは、副次的な愛つまり情愛が生まれます。それには
外的なものと内的なものがあります。それが一つにまとまって、一つの
支配体制すなわち王国ができあがっており、その中にあって(いのち)
の愛こそ支配者なのです。
89 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 19:51:20 ID:mcc0rBeT
なんでスエデンやると頭が狂って戻らなくなるんだろうね?自分のいる
場所がわからないのは相当重傷。
↓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/378 378 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 17:35:32 ID:cZlW3xKP
人間の生命を支配する最も強い愛は、概ね4つの支配愛があり、それは、
@神への愛(天的愛)
A隣人愛(仁愛)
B世俗愛(富・名誉などへの執着)
C自己愛(エゴ)
です。
この中で、@とAが天界の愛で、BとCとが、天界から常に人間を引き離そう
とする地獄の愛です。この愛こそ、地獄の悪魔でありサタンです。
これは人間が生まれつき両親から連綿と受け継いできた、諸悪の根源とも言う
べき遺伝悪・原罪です。
天界に向かう愛は、@とAの支配愛であり、地獄へ向かう愛は、BとCの支配愛
です。
したがって、@とAの支配愛がより多くなり、BとCの支配愛がより少なく
なるような生活をしなければなりません。これが新しく人間がつくられる(再生)
ということです。
人間は死後、みんな霊となり、@ABCの愛を持っていきます。
@ AだけBCだけの霊は滅多にいません。いづれ支配愛により執着して生きた
かにより、判別されます。
そうして、主により正確な判定がされ、@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
逆にBCがおおい霊から@Aがとり去られます。そのことが聖書に記されています。
これが最後の審判と言われるものです。
人間が生きている間に、人の中のBCが、本人の協力がないまま、信仰のみに
よって、主のみ力つまり、精霊のおん働きによって、一瞬のうちにとり除かれる
という信仰は、神の秩序に反することなのです、
90 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 19:57:42 ID:mcc0rBeT
91 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 20:05:52 ID:mcc0rBeT
>>89 ただし、
>人間が生きている間に、人の中のBCが、本人の協力がないまま、信仰のみに
>よって、主のみ力つまり、精霊のおん働きによって、一瞬のうちにとり除かれる
>という信仰は、神の秩序に反することなのです
相変わらず根拠不明なことばっかり書いてあるけどね。これじゃ薬効も何も
ありゃしないw
なんのかんの言ったって、スエデン教信者がえらそうにしてもじゃあ明日から
お金も家も衣服もみんな取り上げてやるから路上で天を仰いで心安らかに昇天
しなさいといわれて素直にそうしますと言えるほど天的wになれるならやって
みたらいい。
おまいさんそんなに天的好きなんだろ、天テキ、テンテキ、え?どお?な。w
92 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 20:08:24 ID:mcc0rBeT
ま、C自己愛(エゴ) だけで生きてるスエデン信者 ID:cZlW3xKP には 無理なのはわかってる。 どうせ口だけ。クチダケテンテキw
93 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 20:12:48 ID:mcc0rBeT
な〜? なんのかんの言ったって、スエデン教信者がえらそうにしてもじゃあ明日から お金も家も衣服もみんな取り上げてやるから路上で天を仰いで心安らかに昇天 しなさいといわれて素直にそうしますと言えるほど天的wになれるならやって みたらいい。 スエデン教のデタラメさと口だけ教の本性がどばっと発覚するね。 きっとわーわーわめいて何をする!!人権蹂躙だ、お金返せー!服返せ! 家返せ!でさんざんわめき散らして駄々こねるだろうな。 だから結局、「スエデン信者=口だけテンテキ教」ねw B世俗愛(富・名誉などへの執着) C自己愛(エゴ) 丸出しじゃないかw。 ぷぷぷ。
94 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 20:16:08 ID:mcc0rBeT
<結論> 「スエデン教=口だけテンテキ教=偽善教」これで決まり。 一丁上がりw
96 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 20:32:25 ID:mcc0rBeT
>>95 そうだと言って聞かないスエデンばーさんがキリスト教質問箱を嵐まくりで
毎日暇つぶしに使ってる状態で。あんまり自己愛がきついので救われません。w
こっちを立ててもらったのに、スエデンのことをこちらに書かずにわざわざ
キリスト教スレに書き込むほど頭が◎ってるらしくw
ミ( ノ_ _)ノ=3ドテッ!
98 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:10:10 ID:cZlW3xKP
ID:mcc0rBeT あまりにも無知杉です。 まったくスェ神学をしらないらしい。 それでいて、おおちゃくばかりいってます~~*
99 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:22:25 ID:cZlW3xKP
100 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:32:29 ID:mcc0rBeT
>>98 ゴタクばっかりでエラソウにしてるだけのばーさん元気ですか?w
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/397 397 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 20:59:47 ID:cZlW3xKP
マタイによる福音書
13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。
「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、
天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、
持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、
聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
イエスは、(み言葉)を冒涜して滅びないように喩で話されました。
これが何を喩えられてのか、神メシアから直接教わらなければ、誰にも分かりません。
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」(ヨハネ14.15)
しかし、主の教えに従って生活をしている人々は、知らなくても困りません。
かれらは救われます。
一方、信仰のみにより聖霊によって無条件の救いを与えられると、信じている
人たちは救われません。
>>378 >そうして、主により正確な判定がされ、@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
>逆にBCがおおい霊から@Aがとり去られます。そのことが聖書に記されています。
>これが最後の審判と言われるものです。
これが聖書に記されているという意味です。
101 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:33:51 ID:mcc0rBeT
>>100 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/398 398 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:07:43 ID:mcc0rBeT
>> 397 (
>>100 )
かろうじて聖書の話題に引っ掛かってるからまあよしとしよう。
では訊こうw
>>そうして、主により正確な判定がされ、@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
>>逆にBCがおおい霊から@Aがとり去られます。そのことが聖書に記されています。
>>これが最後の審判と言われるものです。
>
>これが聖書に記されているという意味です
ここで「これが最後の審判といわれるものです」となっているところは全然
説明がないね?全然聖書に記されて無いからそこは書けないのかなw
説明してるようで中身がない。うなぎやで匂いだけ嗅がされて店に入れないw
あんたの説明はそんなもんだ。いつもそれか、外れてるから答えられないで
黙って終わる。ね?
102 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:35:12 ID:mcc0rBeT
>>101 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/399 399 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:15:55 ID:mcc0rBeT
>> 397 (
>>100 )
>>そうして、主により正確な判定がされ、@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
>>逆にBCがおおい霊から@Aがとり去られます。そのことが聖書に記されています。
>>これが最後の審判と言われるものです。
[これ]が最後の審判と言われるものです
↓
[これ]=「@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
BCがおおい霊から@Aがとり去られます」
↓
「そのことが聖書に記されています」
どこに[これ]が書いてあるのか説明はないの?
まさか、「このことだ」とか言ってるわけなの?
↓
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、
持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、
聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
そらどうだろ?国語の問題じゃない?これって。
103 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:36:21 ID:mcc0rBeT
>>102 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/400 400 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:20:48 ID:mcc0rBeT
>> 397 (
>>100 )
>>そうして、主により正確な判定がされ、@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
>>逆にBCがおおい霊から@Aがとり去られます。そのことが聖書に記されています。
>>これが最後の審判と言われるものです。
[これ]が最後の審判と言われるものです ・・・・・・・(*1)
↓
[これ]=「@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
BCがおおい霊から@Aがとり去られます」
↓
「そのことが聖書に記されています」
あんたはこう言ってるだけだよな。だったらどうして(*1)のことは
出てこないの?
全然(*1)=「最後の審判」とやらのことです、という説明になってない。
この中の、
↓
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、
持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、
聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
どこに「最後の審判」のことが書いてあるのか言ってみろ。
104 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:37:58 ID:mcc0rBeT
105 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:44:12 ID:mcc0rBeT
106 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:46:06 ID:mcc0rBeT
>>105 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/403 403 :神も仏も名無しさん:2010/03/20(土) 21:41:32 ID:mcc0rBeT
>> 402 (
>>105 )
>それじゃ、あなた方の教会では、この福音書で主が言われた意味を
>どのように解釈し、信徒に教えられているのか説明してみなさい。
>おおちゃく言うのは、それからにしなさいね~~+
ばーかw
ここではおまえが>> 397(
>>100 )でえらそうにこう言ったんだろ?
>>そうして、主により正確な判定がされ、@Aが多い霊からは、BCが取り去られ、
>>逆にBCがおおい霊から@Aがとり去られます。そのことが聖書に記されています。
>>これが最後の審判と言われるものです。
>
>これが聖書に記されているという意味です。
おまえの言い分を説明すればいいだけだよ。悪霊憑きばーさん
それともおまえは相変わらずいい加減な説明だから言い開きができんのかw
そうだろうな。
今まで通り、常に同じだからなあwやってることが。ウソといんちきとデタラメ
だから言い開きできないんじゃないのかな?
107 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 21:49:14 ID:cZlW3xKP
ID:mcc0rBeT 万国的に赤っ恥かいてます、さぁがんばれてーの。
108 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 22:06:47 ID:BXrCMVHo
>万国的に赤っ恥かいてます、 むしろスウェーデンボルグのほうだろう。これまでも、 スウェの霊的体験はとにかくホンモノなんだ、という言い方でしか擁護できていない。 スウェの台詞以外で「内的意味」の正しさを証するものは何も無いからね。 質問箱の占拠状態を解消するためにこのスレがあるのに 専門スレでがっつりやるのを避けてるのを見たら、ギャラリーの目からも スウェ側が正面対決から逃げてるように映るだろう。
109 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 22:23:05 ID:0d0f6waA
110 :
神も仏も名無しさん :2010/03/20(土) 22:30:52 ID:0d0f6waA
バーチとオウムとGLAがサロメのルーツ スエーデンはバーチのライバルか? 似たようなもんだろうに
112 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 03:30:06 ID:S5Qztnob
113 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 12:06:24 ID:S5Qztnob
「福音」は「罪びとを神の子にする特権を与え」はしても、「それ以外は滅ぼす」 とかは言っていないかもしれない。 「死に至らない罪」なるものもあるようですね。 ヨハネの手紙一 / 5章 16-17節 死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。 そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を 犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に 願うようにとは言いません。 不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪も あります。 結局、やはり「罪はすべて死に至る」とは言えないようですね。少なくとも 12使徒の一人がそう言っている。ということは「聖人以外は全員裁かれて 地獄行き」とか、そういう世界にはなっていないんじゃないですか。 パウロじゃないから信じられるんでしょ?>スエデンさん
保守
115 :
神も仏も名無しさん :2010/03/21(日) 23:33:00 ID:NMosE80R
116 :
神も仏も名無しさん :2010/03/22(月) 01:13:48 ID:JAHz2MUi
じゃまず手始めに黙示録をその「凡夫のチエ」で、 よーく意味が理解ができるように解説してみてよ。 創世記からでもいいけどね。
いや、17世紀まで聖書が誰にも理解できない状態のまま 放置されてたっていう事態がヤバいんでしょ? 神の教えを誰も正しく解説出来ない。だから誰にもわからない。 それらしい謬説が真理として扱われ本物には誰も触れることが出来ない。 それがざっと1600年以上続いて、何百万以上もの人が真理に触れる機会を失ったというわけだ。 張本人のパウロが聖人として認められることも止められなかった。 利用価値があるからと書簡が聖書に含まれる事態も容認した。 こんな状態でいったい誰が、何人が謬説を見破り真理にたどりつけるというのか?
「パウロを否定する」といっても、 パウロ本人の人となりが、見かけのイメージとはとは全く違っていた。 と言ってるだけで、パウロの書いたものを否定しているわけではないだろう。 >敬虔でないない者でも良い説教をし、「使徒書簡」を書くことができるからである。 >話したり書いたりすることと、その人間がどういう人間かということは別なことである。 キリスト教ってのは、あくまでもキリストを神として信仰する宗教であって、 それ以外に信仰の対象はないはず。キリストの神性を否定しているとかだったら問題だが、 スウェーデンボルグ派がキリストの神性を否定しているとは聞いたことがない。
119 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 10:01:27 ID:sQhTX88k
tesu
120 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 22:03:59 ID:NUn/jUSQ
>>118 内容も否定している(
>>5 )。
>>4 は書き物としてはよくできている、という程度の話しだと思う。
しかしそこに霊的な中身はない。真理でない。そんなものが「正統派」教会で聖書に含まれている理由は
>しかし彼の書簡は、〔キリスト〕「教会」に属する人びとが、内的意義が内在する主の聖言に悪いことをしないようにと、
>「教会」内に存在することを許されている。もし人が邪悪な生活を送りながらも聖なる「言(ことば)」を信じるなら、
>その人は天界に悪をはたらくからである。
もし「聖書の本当の解釈」を知った上で悪事をなしたなら、神の教えにダイレクトに背いたことになるから。
少なくとも知らない状態でなら、神の教えに直接背いたことにはならない。という考え方。
パウロ書簡が誤謬であることによって、「正統派」教会が神の教えに直接歯向かう事態を避けられている。
>それゆえ「パウロの書簡」は許されているが、パウロ〔自身〕には、
>主の〔語った〕たとえ話や主の〔教えた〕教理の一つでも取りあげて、これを説明したり明らかにすることが許されなかったのである。
>パウロはすべてのものを〔主からでなく〕自分自身から取りあげたのである。
上記の効用が認められているから容認されているに過ぎない。
パウロは神の教えを語ることは許されてないし、実際パウロ書簡の内容は彼自身の作り物である。
>「教会」はたしかに主の聖言を説明してはいるが、
>「パウロの書簡」によってそうしているにすぎない。
「正統派」教会の聖書解釈はパウロの作り物を流用したものに過ぎない。
……というのがスウェーデンボリの主張。パウロの存在・位置について彼なりに説明をつけたもの。
121 :
神も仏も名無しさん :2010/03/23(火) 22:58:44 ID:NUn/jUSQ
「主(イエス・キリスト)の母であったマリアが見られた。
彼女はやや背後に白衣を着て現れたが、ほとんど話さなかった。ただ、主について、こう語った。
「今、私は彼を神として拝しております。彼は私から生まれましたが、
彼は神となられ、母親から受け継いだ人間性を全て脱ぎ捨てました」
彼女は、主にあってはあらゆるものが神的であるという理由から、誰かが主を自分の息子と認めることに、真っ向から反対した」(5834)
(『霊界日記』スウェーデンボルグ/高橋和夫訳編、角川文庫、163ページ)
「彼は神となられ、母親から受け継いだ人間性を全て脱ぎ捨てました」
「正統派」キリスト教では、イエスは完神完人とされる。人性を脱ぎ捨ててはいない。
「まず天界の神とは如何なるお方であるか、第一にこれを知らねばならない。何となれば、世の中一切の事はこの神に係わるからである。
天界では神として普く認識されるお方は、唯一柱である。この神は天界に在っては父(エホバ)と呼ばれ、また地上に在っては子(主)と
呼ばれる。天界にある天人は皆いう、「父と子は一つであり、父は主にあり、主は父におる」と、またいう、「一切のき聖きことは皆彼から来る」と。
これは主自らが教え給う処である(ヨハネ伝一0の三八、その他)。このことについて、私は幾度も天人達と語り合ったが、彼らは皆いう、
「神の御神格は三位一体といっても、それに三つあるのではなく、いわゆる父、子、聖霊の三称は、ただ一柱の神の御働きによる別称であって、
神はあくまで御一柱であり、もしこれを想念上別々に考えるものがあれば、その人は天界に入るを許されない。」
(『天界と地獄』スエデンボルグ/高橋康男訳、文理書院、4ページ)
「正統派」キリスト教からみると、サベリウス主義(様態論)異端に相当する。
(参考「三位一体のカテキズム」
ttp://www.geocities.jp/jmc_megumi/faq/sanmi.htmの問11 )
122 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 09:51:56 ID:tEEUVTHn
>>120-121 スエデがパウロを認めない理由、簡潔に言うとそれは何ユエなのでしょう?
パウロもイエスから強烈な光を受けて回心して自己を転換させられた経験
をし、目からうろこが出たほどの元ユダヤ人でした。彼が何ユエに非難される
のか、説明が十分でないかもしれない。
少なくとも「何」が悪いのです??
123 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 09:59:55 ID:tEEUVTHn
それから、何ユエにスエデはイエスの肉体の復活を否定するのでしょう? 質問スレではスエデおばさんは、イエスの復活後の弟子たちの証しは、 なんでも「イエスが彼らを霊界に引き上げて見させた夢の中の話みたいなもの」 であって、現実のこの世の世界での経験ではない!!と断言して説明していた。 スエデはなぜこういうことを言うのか?こんな話の根拠はどこにあるのでしょう。
124 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 10:18:08 ID:tEEUVTHn
使徒信条を告白す。 我は天地の造成者、全能の父なる神を信ず。 我はそのひとり子、我等の主イエスキリストを信ず。 即ち聖靈によりてみごもられ、をとめマリヤより生れ、 ポンテオ、ピラトのもとに苦みを受け、十字架につけられ、死して葬られ、 陰府に下り三日目に死人のうちよりよみがえり、 天に昇り、 全能の父なる神の右に座し給へり、 かしこより來たりて生ける者と死ねる者とを審きたまはん。 我は聖靈を信ず、 聖なる公同教會すなはち聖徒の交り、 罪の赦し、身躰の復活、永遠の命を信ず。
125 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 10:46:19 ID:vAFap0Z8
↑ だから何?
126 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 10:55:04 ID:tEEUVTHn
127 :
Taku :2010/03/24(水) 10:55:14 ID:NQiACllY
スエデンボルグ主義は聖書え衣服を真理と読む。しかし、衣服には 裏表があり誤謬である。衣服を重ね着したから聖書に内意があるぞ。 衣服を脱ぎ裸で生活するのが正解だ。さもなければ包茎で割礼を受 けていない変態だな。ペニスの皮を切りなさい。天使が裸の幼児で 現れると書いてあるだろう。衣服を着てお布施をしても霊的善を衣 服を着た複数身体の霊体が盗むために意味がないぞ。衣服を裏表反対 にしてお布施するんだ。そうすれば悪いことをしている人がすってん ってんになって裸で生活せざる負えないぞ。多分割礼を受けていない 包茎だぞ。
128 :
Taku :2010/03/24(水) 10:58:54 ID:NQiACllY
太古の英知を見たければマジック革命セロの手品を見ることだな。 相応の科学を使っているぞ。古代エジプシャンの魔術の類いだな。 スエデンボルグ主義が知識として魚と呼ばれてしまうのは善を怠 っていて、セロのマジックが相応の科学だと理解できないからだ な。まあ彼の場合、相応の乱用にあたり火あぶりの刑に処せられる 可能性もあるよな。
129 :
Taku :2010/03/24(水) 11:02:05 ID:NQiACllY
聖書では宝石を真理と意味するな。衣服を身につけて生活のために ポッケに隠したアフリカ人がやばいことを始めにしたと思うぞ。子供 のためにやってしまったことだな。アダムとエバの苦労はここから 始まったろう。自分は裸でアフリカに移住することを切望している。 囚人服はごめんだな。
130 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 12:59:43 ID:gWNp/hLr
>スエデンボルグ主義が知識として魚と呼ばれてしまうのは善を怠 >っていて、セロのマジックが相応の科学だと理解できないからだ この記術で、あなたがスウェーデンボルグの著作を、全然読まれて いないのがよく分かりました。
131 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 13:42:26 ID:tEEUVTHn
>>20 戦争する人達の多くは無宗教者ではなく、
なんらかの宗教を信仰していると思うが、
この場合、宗教による戦争だけを含むのではなく、
宗教の戦争以外の戦争も含めていいわけ。
133 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 14:30:06 ID:tEEUVTHn
使徒信条を告白す。 我は天地の造成者、全能の父なる神を信ず。 我はそのひとり子、我等の主イエスキリストを信ず。 即ち聖靈によりてみごもられ、をとめマリヤより生れ、 ポンテオ、ピラトのもとに苦みを受け、十字架につけられ、死して葬られ、 陰府に下り三日目に死人のうちよりよみがえり、 天に昇り、 全能の父なる神の右に座し給へり、 かしこより來たりて生ける者と死ねる者とを審きたまはん。 我は聖靈を信ず、 聖なる公同教會すなはち聖徒の交り、 罪の赦し、身躰の復活、永遠の命を信ず。
134 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 14:44:21 ID:WrqvHBEo
戦争の理由が純粋に宗教ってのはそうはないだろうが、 建前・利用には持って来いの所はある。
135 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:12:54 ID:gWNp/hLr
公同の教会に「使徒信条」を告白す。 ここではまず、第二項のイエスに関するところで重要な一点にだけ 触れておきたいと思います。そこでは、「処女マリアより生まれた」 とあり、すぐに、「ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と 続いている。 つまり、誕生からいきなり死にまで飛んでしまっているのである。 だから、彼の生涯については何も述べられていない。 イエスという人物が、いつどこで生まれ、どのような生き方をして、 何を語り行ったか、ということが何も述べられていないのだ。 奇妙と言えば実に奇妙なことである。 すべての伝統的・正統的なキリスト教会の中心的な信条となった この「使途信条」においては、生前のイエスに関することは何も 触れられていないのである。そういう関心はまったく存在しなか ったようである。 実は、この奇妙な事実の中に、初代キリスト教会の特徴というも のが興味深い形で顕になっていると言える。こういう理解が生じ たのには、初代教会最大の「使途」と呼ばれていたパウロという 人の理解が土台になっていたのである。(イエスとは誰かより)
136 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:20:35 ID:tEEUVTHn
137 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:24:14 ID:tEEUVTHn
138 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:29:44 ID:gWNp/hLr
気が向いたら答えてあげます~~*
139 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:33:31 ID:tEEUVTHn
140 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:35:18 ID:tEEUVTHn
>>136 By 灰色のアルベリヒ (横浜市港北区) - レビューをすべて見る
(トップ500レビュアー)
多くの学者に「俗悪本」と決め付けられた書物を2冊ほど訳して、厳しく非難された
著者の書き下ろし。(前書きは、もっぱらその言い訳)でも一見まともそうなので、
見てみた。なお、「マルコ」が最古の福音書であり、「マタイ」「ルカ」はそれを
重要な「資料」として自らの「福音書」を書いたというのは、近代聖書学のA,B,C
である。ところが、読み始めていきなり「???」になってしまった。小規模な本とは
いえ、多少のミスはつきものである。しかし、「やってはいけないミス」、「著者の
基本的能力を疑わせる、ないし、御本人の筆でない(あまりできの良くない協力者が
部分的に執筆している)ことが明らかになる」ミスというものがある。本書で言えば、
マルコ福音書の冒頭、第1章第1節についての記述がまさにそれ。著者は「シナイ
写本第一書記」にこの節が欠落してると書いているが、とんでもない誤り。・・・・・
141 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:36:50 ID:tEEUVTHn
(つづき) ・・・欠落しているのは、「神の子」という2語だけである。これはあまりに 有名な問題。従って、著者が多くを負っているという田川氏の注釈書をきちんと 読んでいないことは明らかだし、新訳聖書の重要な校訂本すらご覧になっていない (そもそもお持ちでない?)ことも明らか。で、新約(全文ギリシャ語で書かれて いる)の原文を知らずに書ける本かどうかという妙な興味で読んでしまった。 その結論は書くまい。まぁ、和訳と日本語で書かれたシェイクスピア文献だけで 本を書くこと、また日本語の出来ない外国人が「源氏物語」や谷崎などについて 書いても、それらしい本は書けるだろう。特に新約の場合には原文こそギリシャ語 だが、主要な研究文献は独・英・仏語だし。でも、新約研究の重要概念である (伝承の)「生活の座」の奇妙な使い方など、私には納得が出来ない。もっとも、 著者は自ら「新約聖書学」専攻とは、私の見落としがなければ、明確には書いて いない。目くじらたてる私の一人相撲かも。 だそうです。
142 :
Taku :2010/03/24(水) 15:50:02 ID:M5tO7bhX
>スエデンボルグ主義が知識として魚と呼ばれてしまうのは善を怠 >っていて、セロのマジックが相応の科学だと理解できないからだ この記術で、あなたがスウェーデンボルグの著作を、全然読まれて いないのがよく分かりました。 よく気付きましたね。まだ読んでいる途中だもん。相応の科学が霊界から 現世の映像を加工して現世に奇跡を起こすことだと自分は思っているんだ もん。セロのマジックを見たらジグゾーパズルで三秒で東京タワー建てた よ。イエスが三日で神殿を建てるのにそっくりじゃん。スエデンボルグ主 義見て善行して生活に生かすから理解できるんだよ。魚が記憶のことがら だけで満足し霊的理解に導きいれられると水から飛び出たかのように窒息 して理解を拒否するんだな。だから魚と言うんだよ。法華経(ホッケ 魚)でも食って(理解)して仁慈の善を行為に移すんだな。
143 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:53:26 ID:gWNp/hLr
>135〜 パウロという人は、イエスの直弟子ではなかった。彼はユダヤ教の 側で生来を嘱目されていたエリートで、最初は逆にイエスに従う者 たちを迫害していた者であった。 その彼が何らかの理由によって、突如として回心しキリスト教徒に なったのである。彼が生前のイエスに会ったことがあるかどうかは 定かでない。おおかたの学者の意見では、おそらく会ったことはな いであろうとされている。 そのパウロが、直弟子たちに対して、自ら「使徒」であると主張した ので、いろいろ問題が生じた。しかし、このパウロこそが、初代教会 において最大の働きをした人であり、この人がいなかったならば、 後のキリスト教なる宗教は消滅してしまったかもしれない。 とにかく、このパウロが、生前のイエスについての特徴的なことを 述べていた。それは彼の早い時期の書簡「コリント信徒への手紙U」 の5.16に見られる。 「それで、わたしはちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。 肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろう とはしません。」(コリントU5.16)
144 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:55:49 ID:gWNp/hLr
>143〜 「肉に従って」知るとは、生前のイエスを知っているという意味である。 パウロは、生前のイエスについて知ることに何の関心も持っていないの である。ここにパウロの思想の特徴の一つがある。 このことに関連するもので、パウロの別の書簡「コリントの信徒への手紙1」 には、次のような言葉がある。 「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架 につけられたキリスト以外、何も知るまいと決めていたからです」(2.2) ここには、パウロが歴史のなかに生きたかぎりでのイエスの具体的な言行 に対する関心を持っていなかったことが暗示されている。 彼は、イエスの死にしか感心がなかったのだ。(イエスとは誰か)
145 :
Taku :2010/03/24(水) 15:56:41 ID:M5tO7bhX
魔法使いや魔術師が宗教的な裁判と無関係だと思っている人間は 魚だな。彼らは無意識世界を暗躍しているぞ。セロがマジックで 人の財布から金を抜き取ったり銀行から金を盗んで催眠術のよう に何事もなかったかのごとく出来ることすら理解できないんだか らな。魔女裁判が中世で行われたのを単なる迷信と考えているん だから世界のありかたにピンとこない魚だな。眼から鱗を落とした ほうが良いぞ。
146 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 15:57:10 ID:tEEUVTHn
「それで、わたしはちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。 肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろう とはしません。」(コリントU5.16) うーん、正しいなあ。
147 :
Taku :2010/03/24(水) 16:02:13 ID:M5tO7bhX
パウロは主イエスキリストのようなスフィアを発する悪霊に憑かれて 自分が何者か分からず掘立小屋のような場所に住んでいると霊界日記 に書かれていたな。彼も巨大人の中に住居を割り当てられたいと思っ ているんだと思うぞ。巨大人にいる人は天界に住んでいるらしいから。
148 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:02:51 ID:gWNp/hLr
つまり、イエスの生前の行いや教えをいっさい考慮しないということです。 うーんと、歪んでる。
149 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:07:09 ID:tEEUVTHn
>>145 セロってただの手品師だろ。何が何だってーの?
150 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:07:53 ID:tEEUVTHn
パウロは、言ってみれば又吉イエスさんと同類。 イエスに会ってもないのに、勝手にイエスの教えとして 騙るから。
152 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:13:04 ID:tEEUVTHn
パウロはさいわい。 ヨハネ 20:27それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、 わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。 信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 20:28トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 20:29イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。 見ないで信ずる者は、さいわいである」。
153 :
Taku :2010/03/24(水) 16:13:51 ID:M5tO7bhX
スエデンボルグ主義を読んで理解はするが行為に移さない人間は魚 だな。記憶から先に進まないんだからな。キングサーモンや寿司ネ タ(スエデンボルグ氏 略して寿司)にでもなるんだな。最低10 分の一お布施はするんだな。セロが寿司ネタでマジックする意味を 考えるんだ。
154 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:16:09 ID:gWNp/hLr
>>150 信仰義認やキリスト功徳の責任転移(おかげまさ)は、
イエスの教えじゃないですよ。ぱうろのの作文
155 :
Taku :2010/03/24(水) 16:19:18 ID:M5tO7bhX
聖書で「肉」と書かれたら「善」を意味するな。
156 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:19:49 ID:tEEUVTHn
>>153 イエスの約束の聖霊を受けた時、それがすべてを教える。OK。
イエスの約束と予言の通りになった。これが新約です。
157 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:20:46 ID:tEEUVTHn
158 :
Taku :2010/03/24(水) 16:25:25 ID:M5tO7bhX
ペテロは漁師だな。スエデンボルグ主義ではペテロは信仰を意味するが 魚の時代だな。さぞや豊漁に違いない。
159 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:26:09 ID:tEEUVTHn
160 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:26:44 ID:gWNp/hLr
>>155 イエスの「おん肉」といえば、神の善のことですが、ただ「肉」と
いう場合は、単に人間または、人間の中にある感覚的なものを意味します。
161 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:29:29 ID:tEEUVTHn
>>158 道が曲がっていれば豊漁になるものも(ry〜
162 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 16:45:55 ID:tEEUVTHn
163 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 17:29:33 ID:gWNp/hLr
>>156 >イエスの約束の聖霊を受けた時、それがすべてを教える。OK。
その聖霊さまがどう教えてくれるのですか?
>イエスの約束と予言の通りになった。これが新約です。
どう、約束どうりになったと思うのですか?
164 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 17:33:57 ID:gWNp/hLr
ここにも貼っておきましょう。 今のキリスト教会はこう言います。 理解するためにはまず信仰しなさい。 スェ神学はこう言います。 信仰するためにまず理解しなさい。 今の教会は幼稚園のおゆうぎです。 スェ神学はお勉強です。
165 :
Taku :2010/03/24(水) 17:46:10 ID:M5tO7bhX
法華経を読んでから聖書読まないと駄目だな。最近では魚を食う 法華ライオンいるのかな?法華経関係者に善を成せと聖書にどの 部分に書かれているか?聖書は作り話だと言われた。仏教徒の 「汝盗むなかれ」内意「信仰を奪う勿れ」にあたると言ったら 万軍の主エホビから「主の指示に従うこと」と回答がありました。 菩薩六波羅蜜だけが善じゃないなと思った次第です。聖書の主は 生きておられる。彼ら仏教徒の中では以前死んでいると感心する ような事実を知りました。
166 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 17:54:03 ID:gWNp/hLr
>万軍の主エホビから「主の指示に従うこと」と回答がありました。 ほー、主エホビですか^^、で、エホビの意味ご存知です?
167 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 18:20:39 ID:tEEUVTHn
>>164 >>イエスの約束の聖霊を受けた時、それがすべてを教える。OK。
>>イエスの約束と予言の通りになった。これが新約です。
>その聖霊さまがどう教えてくれるのですか?
>どう、約束どうりになったと思うのですか?
イエスが約束し予言した通り聖霊降臨が起きた。そこで12弟子が目覚めて
証を始めた。パウロは肉のイエスも復活のイエスも見ずに
>>152 、昇天後の
イエスの光を受けて聖霊を戴いた。啓示は彼らの聖霊が為した。これは
イエスの預言であり予言である約束の通りとなった。その中で彼ら使徒に
与えられた契約の内容がイエスが聖霊が教えると言われていたところの約束の
新約。それは信仰義認そのもの
>>124 >>133 で12弟子らもこれを広めた。その
過程は使徒言行録にある通り。すなわちこの信条を唱えて信じることが新約の信仰。
これはいたって「簡単」なので「福音」という。
168 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 18:25:15 ID:gWNp/hLr
スェ神学はおべんきょうです。 「エホビ」とは、「主なるエホバ」という意味で、同義反復的に用い られる際の呼称です。 「エホバなる主」というときには使われません。 なぜなら、主(イエス)はエホバご自信のことですから、主はそのエホバ からみごもり、その独り子です。母から受け継いだもの、すなわち母的な ものが誘惑との戦いを通じて浄化された後、主の人間性は、エホバに合体 されました。 (みことば)で主エホビを指すとき、しばしば「主エホビ」と言います。 つまり、主エホバと言わないで、主エホビと言っています。 それはとくに試練・誘惑に関係のあるとき使われます。 (イザヤ書40.10.11 50.5-7,9)
169 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 18:27:21 ID:tEEUVTHn
>>167 (つづき)
>>164 ところがスエデだと、知ることが赦されていないから知るなであるとか
これはこういう象徴だから3,5,7,9の数字には神の神聖が込められて
いるから創世記のアダムが930年生きたやエノシュが905年生きたなどにも
いちいち格別の意味があるとか、七面倒でおかしな教義が多すぎて、とても
全人類の救いになりそうもありません。
とてもそんなおかしな教理は誰もが理解できる代物ではないのでは?
そんなことがわからないと神の国に入れないのですか??内的意味とか
余計では??だからとても広まりそうもないですよね。
170 :
Taku :2010/03/24(水) 18:53:05 ID:M5tO7bhX
エホビは「あるもの」「存在」を意味するんじゃなかったっけ?ユダヤ人 の中だけ生きているの常識?割礼されてない人間は相手にされていないの が常識。日本人、包茎の内に学校教育受けて社会では役に立たないといっ てチンチンが剥けるのが常識。皮の教育ばかりしてすでに死んでいる。
171 :
Taku :2010/03/24(水) 18:55:51 ID:M5tO7bhX
ユダヤ人は割礼を受けているので何時もペニスが剥きだし。人間関係 の摩擦にも強いぞ。真理の戦いだ。皮に守られているような人間には およそ理解できないぞ。日本でも割礼を勧めるぞ。
172 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:05:27 ID:tEEUVTHn
173 :
Taku :2010/03/24(水) 19:08:43 ID:M5tO7bhX
スエデンボルグ主義が日本にあるのは巨大人の「肺」になるためだ。坐禅 して内なる呼吸をマスターしよう。鈴木大拙がスエデンボルグ主義を評価 するのもそのためだ。霊界で坐禅をした霊魂が現れたと書いてあるぞ。「 心臓」と一緒になって活動し永遠の結婚愛を目指そう。難しいから無駄何 てないぞ。出会えることに感謝しよう。
174 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:10:40 ID:tEEUVTHn
175 :
Taku :2010/03/24(水) 19:14:10 ID:M5tO7bhX
スエデンボルグ主義は聖書の内意を明かすから露出狂。最後は「裸」で生きる のが正解だ。ノアの裸を覆ったのは悪を見逃したからではないぞ。衣服を着せ たからだ。聖書の内意を隠したからだな。
176 :
Taku :2010/03/24(水) 19:17:42 ID:M5tO7bhX
なんでそうやっても独り言なの?
>>155 の聖句参照例をどうぞ挙げてください。
僕の勘違いをよくついているね。イエスの肉が神的善だな。これは認める。
しかし神何て蛇だぞ。エホビだけがゴッド的存在だ。神は「噛み」つく「蛇」
だ。聖書で「神」何て言葉が使われたらすでに終わりの時がきているね。
177 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:18:32 ID:tEEUVTHn
>>175 なんで独り言なの?
>>155 の聖句参照例をどうぞ挙げてください。
↓
155 :Taku:2010/03/24(水) 16:19:18 ID:M5tO7bhX
聖書で「肉」と書かれたら「善」を意味するな。
178 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:23:07 ID:tEEUVTHn
>>176 じゃこれは根拠のないあんたのデタラメの間違いなのね。
↓
155 :Taku:2010/03/24(水) 16:19:18 ID:M5tO7bhX
聖書で「肉」と書かれたら「善」を意味するな。
179 :
Taku :2010/03/24(水) 19:24:07 ID:M5tO7bhX
ヨハネの福音書だな。血筋にもよらず、肉の欲にもよらずの「肉」を問題 にしたいのかい?この「肉」は確かに「善と真理」を破壊する「肉」だな。 ユダヤ教で「豚肉」を食うようなものだな。ラーメン禁止令。
180 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:26:31 ID:tEEUVTHn
>>179 自分の発言が間違いだと指摘されても平気でどんどん別のことを書くのは何か
意味あるの?
181 :
Taku :2010/03/24(水) 19:28:34 ID:M5tO7bhX
豚肉はともかく「羊肉」や「鶏肉」「牛肉」は体に善用されないのかい? 君は途方もない勘違いをしてる。肉は「善」だ・
182 :
Taku :2010/03/24(水) 19:29:38 ID:M5tO7bhX
パンも善だ。役立ちに供する物は善だ。
183 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:31:23 ID:gWNp/hLr
>>167 >イエスが約束し予言した通り聖霊降臨が起きた。
>そこで12弟子が目覚めて
>証を始めた。
使徒言行録第2章のことをいっておられるのですね。
この聖霊とは、イエスのことです。
「・・・話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか」
から、イエスのことだと分かります。
しかし、この言行録に、信仰だけによって義とされるという話は出てきません。
やはり、悔い改めて罪を許してもらいなさいです。
>パウロは肉のイエスも復活のイエスも見ずに
>>152 、昇天後の
>イエスの光を受けて聖霊を戴いた。啓示は彼らの聖霊が為した。これは
>イエスの預言であり予言である約束の通りとなった。
184 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:32:31 ID:gWNp/hLr
つづき 同じく使徒言行録題9章によると、サウロの回心のところは、 「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、空からの光が 彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ『サウル、サウル、なぜ、わたしを 迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。 イエスがこう言われたのです。 三日三晩、眼が見えず、食べ物みもできなくなり、アナニアがサウロの上に 手をおいて、「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった、 主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また聖霊で満たされ ようにと、わたしをお遣いになったのです」と、 その後サウルは回心してパウロと名のり、かれ独自の協議をつくるのですが、 使徒言行録第2章との、整合性はまったくなく、かれの教義が聖霊の教えに よって記されたものという根拠はまったくありません。 >過程は使徒言行録にある通り。すなわちこの信条を唱えて信じることが新約の信仰。 根拠なし。
185 :
Taku :2010/03/24(水) 19:34:22 ID:M5tO7bhX
羊や牛を捧げるだろう。エホバに悪を捧げるのか?だから「肉」は善だ。
186 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:38:59 ID:tEEUVTHn
>>185 別にあんた個人の考えは訊いてない。
155 :Taku:2010/03/24(水) 16:19:18 ID:M5tO7bhX
聖書で「肉」と書かれたら「善」を意味するな。
これが聖書のどの箇所で言ってるのか出してね →「肉」=「善」
187 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 19:52:55 ID:gWNp/hLr
>>186 まぁ、そういじってはかわいそうでしょ。
代表的なのを出してみましょう。
「イエスは言われた『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、
その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない』(ヨハネ6.53)
血とは(神の真理)のことです。
188 :
Taku :2010/03/24(水) 19:57:33 ID:M5tO7bhX
ふむ、聖書で「羊」や「雄牛」が書いてあっても「肉」とは書いてない ですな。僕の中ではいずれも「肉」なんですけどね。ヤギっを捧げるは 「悪を殺す」を意味する。といっても聖書では書かれていないと言うん でしょうな。
>>184 だがパウロは回心後は聖霊にみたされていたのではないかな?
190 :
Taku :2010/03/24(水) 20:03:41 ID:M5tO7bhX
スエデンボルグ主義を見ていないと「肉」が善だ何て分かるわけないな。 「葡萄酒」が真理だ。「木」が人間を意味する何て聖書に書かれていない もんな。「牛」が「自然的善」を羊が「仁慈」を何て書かれてもいない しな。まず出発点が違ったな。
191 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 20:31:01 ID:tEEUVTHn
>>183 >しかし、この言行録に、信仰だけによって義とされるという話は出てきません。
>やはり、悔い改めて罪を許してもらいなさいです。
そうだね。「イエスが復活したこと」を述べて「悔い改めなさい。イエスを信じて
罪を赦していただきなさい」と言っているね。いいんじゃない?使徒言行録 2章
(23-24節) このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、
あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を
借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 しかし、神はこのイエスを死の苦しみ
から解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどと
いうことは、ありえなかったからです。
(38-39節) すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリスト
の名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を
受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての
人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられて
いるものなのです。」
「そうすれば、賜物として聖霊を受けます」つまり、悔い改めてこの復活したイエスを
信じれば「賜物として聖霊を受ける」と言っているね。そうやってイエスキリストを信じれば
いいということ。ちょうど、イエスの召命時にバプテスマのヨハネが荒野で呼ばわっていた
のと同じように悔い改めを促している。ただしここでは「聖霊を受ける」と追加されている。
これが新約の新たな約束と恵み。
192 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 20:33:30 ID:tEEUVTHn
>>191 (つづき)
>>184 使徒言行録9章にはあなたの引いたところを含めてすべて読めば、サウロに
アナニヤを遣わしたのは天上のイエスであることは誰でもわかる。すなわち、
使徒言行録 / 9章 4-9節
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と
呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、
あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、
だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、
食べも飲みもしなかった。
193 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 20:34:28 ID:tEEUVTHn
>>192 (つづき)
9章 10-12節 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、
「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。
すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家
にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。
アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるように
してくれるのを、幻で見たのだ。」
9章 15-18節 すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、また
イスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたし
の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」 ・・・・・(*1)
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。
「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが
元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わし
になったのです。」 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり
見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、・・・
そうなので、パウロはイエスの選んだ器として天上のイエスが指示した使徒アナニヤ
から洗礼を受けて、約束された>> 聖霊を受けて回心した。そして(*1)のように
イエスのためにはたらくことになった。だから、
>>184 >その後サウルは回心してパウロと名のり、かれ独自の協議をつくるのですが、
つまりそのパウロの説教は、天上のイエスによって受けた聖霊からパウロが受けた
教えであり、イエスの約束の成就でしょう。
194 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 20:47:12 ID:tEEUVTHn
>>187 >人の子の肉を食べ
これで、恒に「肉」=「善」になるのか?違うよな。これはあんたの説
じゃないからどうでもいいけど。
>>190 >Taku
創世記 / 6章 3節
主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は百二十年となった。
創世記 / 6章 12節
神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で
堕落の道を歩んでいた。
創世記 / 6章 13節
神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。
彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
「肉」=「善」と読めるの?さてどうだろね。
195 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:02:43 ID:tEEUVTHn
>>191 (追加)
>「悔い改めなさい。イエスを信じて罪を赦していただきなさい」と言っている
これは確かにパウロも同じように述べていた。
使徒言行録 / 20章 18-21節
長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、
わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。・・・・・
21節 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にも
ギリシア人にも力強く証ししてきたのです。
使徒言行録 / 26章 20節
ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして
異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするように
と伝えました。
ローマの信徒への手紙 / 2章 4節
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と
寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
コリントの信徒への手紙二 / 7章 10節
神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、
世の悲しみは死をもたらします。
つまり、パウロと12弟子とは信仰の一致。聖霊の一致。つまりイエスの約束
した聖霊を等しく受けた証しとなる。
>>120 を書いた人は、
>>5 において、
スウェーデンボルグはパウロ書簡を誤謬だと断定している
と断定しているが、5では、パウロ書簡には内的意義がない、
またパウロ書簡は主の語られた教えや譬えの解説はない、
とは書かれているが、パウロの書のここが間違っているとか、
あるいはパウロの書自体を読むべきではない、などとは書かれていない。
そもそもパウロにせよ、他の使徒の書簡にせよ、
これらは彼らなりの理解に基づくキリスト教教理に対する見解や、
または当時の信者たちへの生活の指針や勧めを書いたものであって、
もちろん至るところで含蓄に富む言葉や真理もちりばめられているものの、
それらの文章の語句それぞれに2重や3重の意味があるとまでは思えない。
内的意義(霊的意義)がない文章=すべて誤謬なのであろうか?
それはちょっと極端すぎるのでは?
197 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:03:34 ID:gWNp/hLr
>>190 聖書にはこう書かれていますね。
「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による
新しい契約である」(ルカ22.20)
「渇きを覚えている者は皆、水のところへ来るがよい。
銀を持たない者もくるがよい。・・・値を払うことなく、
ぶどう酒と乳を得よ。」(イザヤ55.1 )
ぶどう酒は(神の真理)を表します。
「木」が人間を指しているところは、聖書にはいっぱいあります。
「わたしは、おい茂るオリーブの木。神の家にとどまります」(詩篇52.10)
「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実もわるいとしなさい。(マタイ12.33)
その他、エゼキエル17,27 詩篇1.2.3 エレミヤ17.8 エゼキエル20.47 レビ19.23-24外多数。
「牛」が「自然的善」を指している聖書は、サムエル5,6の
「雄牛を車につなぎ、子牛は引き離して小屋に戻しなさい・・・
雌牛は、ベト・シュメシュに通じる一筋の広い道をまっすぐに進んで行った。
歩きながら鳴いたが」(サムエル上5.6)
「牛」は自然的人間の情愛を指し、「雌牛が鳴く」ということは、人間の
自然的悪からくる欲望が、善良な情愛に転ずることの難しさを表します。
聖書で、「神の子羊」はイエスを表し、神が「仁慈」であるのはいわじもがなです。
198 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:17:54 ID:tEEUVTHn
>>163 >>183-184 [結論]
パウロも12弟子も同じく「悔い改めて、イエスの復活を信じて聖霊を受けなさい」
と言っていた、
>>195 。パウロの信仰義認は元々、「悔い改めて、イエスが復活した
ことを信じて受け入れる、それを言い表すなら、聖霊を受ける」だから、パウロは
12弟子と同じ信仰、かつイエスの召した使徒、でよい。どちらもイエスの予言した
約束の聖霊を受けて働いた。
>>191-193 >>195 から、結局
>>167 でよい。
>>167 イエスが約束し予言した通り聖霊降臨が起きた。そこで12弟子が目覚めて
証を始めた。パウロは肉のイエスも復活のイエスも見ずに
>>152 、昇天後の
イエスの光を受けて聖霊を戴いた。啓示は彼らの聖霊が為した。これは
イエスの預言であり予言である約束の通りとなった。その中で彼ら使徒に
与えられた契約の内容がイエスが聖霊が教えると言われていたところの約束の
新約。それは信仰義認そのもの
>>124 >>133 で12弟子らもこれを広めた。その
過程は使徒言行録にある通り。すなわちこの信条を唱えて信じることが新約の信仰。
これはいたって「簡単」なので「福音」という。
199 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:28:48 ID:tEEUVTHn
>>196 >そもそもパウロにせよ、他の使徒の書簡にせよ、
>これらは彼らなりの理解に基づくキリスト教教理に対する見解や、
>または当時の信者たちへの生活の指針や勧めを書いたもの
そうかと。だから何の知識もない、とか、まったくの赤の他人とか、一度も新約
>>198 を説かれたことのない人に、いきなりそういった書き物を送ってたという
ような代物ではなく、すでに信仰体験をした人ら宛ての内容だったはずで、
その中身を全部いきなり知らない人間に言っていたのではないことは、ものすごく
重大な点かと。
>もちろん至るところで含蓄に富む言葉や真理もちりばめられているものの、
>それらの文章の語句それぞれに2重や3重の意味があるとまでは思えない。
>内的意義(霊的意義)がない文章=すべて誤謬なのであろうか?
>それはちょっと極端すぎるのでは?
なんでもかんでも象徴じゃないと駄目みたいな話しているのがスエデン信者の
ようなんですよ。そこがどうもちょっとw
>>169 。
>>196 >あるいはパウロの書自体を読むべきではない、などとは書かれていない。
パウロバイアスの効用は認めているのだから当然といえば当然。
>パウロの書のここが間違っているとか、
>>120 >>5 >「教会」内に存在することを許されている。もし人が邪悪な生活を送りながらも聖なる「言(ことば)」を信じるなら、
>その人は天界に悪をはたらくからである。
『聖なる「言(ことば)」を信じる』とはスウェーデンボリのいう(解き明かされた)内的意義を知って
信じることをさしている。内的意義を持つ福音書は「正統派」教会においてパウロ書簡とセットになっているが、
パウロバイアスのおかげで『聖なる「言(ことば)」を信じ』ている状態にないため、
悪行をなしたとして、少なくとも「天界に悪をはたら」いてはいない、ということになる。
201 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:40:38 ID:gWNp/hLr
>>196 >内的意義(霊的意義)がない文章=すべて誤謬なのであろうか?
>それはちょっと極端すぎるのでは?
霊界日記は、スェ氏の死後発見された個人的な手記です。
したがって、かれの生きているうちに公開されることはありませんでした。
この手記は、かれに霊界から天使や霊、悪霊たちがやってきて身の上に起こ
ったさまざまな体験や、神メシアに導かれて霊界で体験したことが記されて
いますが、かれがまだ比較的霊的体験の若い頃に書かれたものです。
かれの膨大な神学著作群の中では異例ものだと思います。
かれの神学著作の中には、パウロ書簡を引用して聖書的真理の説明をして
いるところは何度か出てきます。
ただし、信仰義認には非常に厳しく、キリスト教界が腐敗した主要な
原因の一つにさえあげています。
「あらゆるものを支配しようとしている最悪の霊の一味のひとりと連合して、 みずからの目的の達成のためにこの悪霊と誓約した」人間の書簡を 聖なる書の解説に使うってのはある意味すごいな。 それともスウェーデンボリも後になってパウロの名誉回復をしたんだろうか。
203 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:44:28 ID:tEEUVTHn
>>200 だから、パウロがバイアスだ、とか言っているけど、それはスエデンボルグが
単に信仰体験がないからというだけで、パウロが書簡で言っていることを彼自身
が理解できなかったというだけでしょ。
だからパウロが12弟子とは違う信仰だったとかカン違いしてあれこれ言ってる
だけでしょ。
それと、そもそもが「イエス言行録」である「福音書」がパウロの目にできる
時代じゃなかったんでしょ?だったらどうやってイエスの言行録を解説できる
のです?そんなことは、あり得ないこと。
なんでイエスの言葉を引かないと駄目とか、「見ていないで信じた
>>152 さいわいな
パウロ」が「まだ存在していなかった福音書」を解説できるんですか。
204 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 21:49:25 ID:gWNp/hLr
>>203 あなたは、聖霊がなにか理解できないからです。
聖霊のおん力で、一瞬のうちにサタンを天使にすることはできません。
それは、神の神的秩序に反することだからです。
まず、聖霊とは何か、弁護者とはないか説明してみなさいよ。
205 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:02:36 ID:tEEUVTHn
>>201 >ただし、信仰義認には非常に厳しく、キリスト教界が腐敗した主要な
>原因の一つにさえあげています
形式的にロボットみたいな信仰箇条宣言で救われるとかだったら相当バカ。
そんな信仰を誰かが説いてるみたいに考える方が、どうかしてるでしょ。
>>195 使徒言行録 / 26章 20節
ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして
異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするように
と伝えました。
ただ単に文字が読めなかったんだろう、スエデンボルグは。
当時の中世の教会が普通じゃなかったのは肯定する。権力が宗教を悪用した時代の
暗黒時代は誰も正しいと言わない。免罪符を発行していたおかしな権威を否定した
のが新教だったが、いかんせんその急先鋒も魔女狩り推進していたほど、世の中が
狂っていた時代だったからね。
そういう意味では、時代が近代に移行し、さらにそこから世界大戦の時代も
過ぎて、ようやく普通に人権思想や自由や民主主義なんていうものが、すくなく
とも形だけでも表で議論されてその制約のもとで権力が束縛される時代になって
初めて、宗教も信仰も少しだけまともになった。これはキリスト教だけじゃなく、
人間の営みの進化、進歩の制約でもある。今の時代からこそ、こうやって言って
いられるというのが真実。
その中で、今も情報は飛び交って、古い信念や信条や情報でも「修正されるべき
もの」は「修正」されていく。キリスト教にしろ、社会にしろ、歴史にしろ、考古学
にしろ。それだけですよ。だからスエデンがカン違いしていたのなら、それも修正
されるべきは修正されればいいだけ。
>それと、そもそもが「イエス言行録」である「福音書」がパウロの目にできる >時代じゃなかったんでしょ?だったらどうやってイエスの言行録を解説できるのです? 福音書が書かれる元になった伝承はあるから、伝承からの引用は出来る。 でも必ずしもそうしなくてはならない理由はない。イエスの言葉は既に大切に共有されているはずだから。 書簡という限られたスペースでわかりきったことをあえて繰り返す義務はない。 >なんでイエスの言葉を引かないと駄目とか、 これは完全に当てずっぽなのだが、スウェーデンボルグはパウロがイエスの声に 直面した、という事績も否定してるんじゃあるまいか。なんつったって彼にとっては 「あらゆるものを支配しようとしている最悪の霊の一味のひとりと連合して、 みずからの目的の達成のためにこの悪霊と誓約した」人間なんだし。 直接「引用」はしなくてもエッセンスを自分なりに噛み砕いて語り直すこともできるのに >したがって、彼は主の生涯や主の説教から何も受け入れていない。 とするということは、パウロの内面がクリスチャンであったことにすら スウェーデンボルグは否定的だと見ることもできる。
207 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:11:33 ID:tEEUVTHn
>>204 >>191-193 >>195 →
>>198 の論理に論理的に反論してくれればいい。
もし反論ができないのなら、
>>198 をあなたが認めたことになるだけだよ。
>あなたは、聖霊がなにか理解できないからです。
反論できないで、何かというと「あなたが理解できないだけ」と言う。
すでにあなたがインチキ説教者であることを証している。これで10回目かな。
>聖霊のおん力で、一瞬のうちにサタンを天使にすることはできません。
>それは、神の神的秩序に反することだからです。
だから、
>>205 の通り。
↓
>ただし、信仰義認には非常に厳しく、キリスト教界が腐敗した主要な
>原因の一つにさえあげています
形式的にロボットみたいな信仰箇条宣言で救われるとかだったら相当バカ。
そんな信仰を誰かが説いてるみたいに考える方が、どうかしてるでしょ。
>>195 使徒言行録 / 26章 20節
ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして
異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするように
と伝えました。
ただ単に文字が読めなかったんだろう、スエデンボルグは。
208 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:18:44 ID:gWNp/hLr
>>205 >形式的にロボットみたいな信仰箇条宣言で救われるとかだったら相当バカ。
信仰による義
「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに
与えられる神の業です。・・・ただキリスト・イエスによる贖いの業を
通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ3.21)
「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのでは
なく、信仰にゆると考えるからです。」(ローマ3.28)
>>200 5において、スウェーデンボルグが言いたかったことというのは、
聖書の内意、すなわち霊的意義を軽視する人達が、聖書の中で、内意が含まれているはずのものでも
内意が含まれていること自体を否定したり蔑ろにしたりすれば、聖書の内意を冒涜することになるので、
(内意を好まない)彼らが内意を含んでいない使徒(パウロ)書簡を重要視することで
福音書などの内意を彼らが冒涜することを防ぐ役割を使徒書簡が果たしている。
ということ言っているのではないか?
と思うんですが、思い違いかな・・
思うに、書簡が書かれた当時はともかく、
現代ではこうしてキリスト教を全く知らない人がいきなり簡単にパウロの書を読めるわけです。
そして先入観無しに読めばパウロの書は素晴らしいと思いますよ。
(私はヨハネ書簡も好きですけどね)
ただ、福音書に今まで知られていない内意があるのだとすれば、それも知りたいと
誰かが思ってもおかしいことではないでしょう。また使徒書簡にそういう内意が
含まれていないからと毛嫌いするのではなく、有用な部分は引用してもいいと思うけどなあ。
>>208 形式的なロボットみたいな信仰箇条宣言、ではないな。
211 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:22:42 ID:L54VN1kH
豊漁になったからと言って、近代的な流通手段も冷凍保存法も無かった2000年前、 無駄に魚の命を奪って腐らせるだけの事が善なのだろうか?
212 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:23:16 ID:gWNp/hLr
213 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:24:16 ID:tEEUVTHn
>>206 >パウロの内面がクリスチャンであったことにすらスウェーデンボルグは
>否定的だと見ることもできる
というかですね、ここでスエデンおばさんが力んでるように、スエデンは
「信仰義認」は「無効だ」と主張していると言っているわけで、その時点で
すでに「パウロがクリスチャンである」という文自体がスエデンにおいては
「意味不明」になっているはずでしたよね。
だからここでおばさんがやたらと怒ってるわけです
>>204 。
214 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:41:47 ID:tEEUVTHn
>>212 ↓
ローマの信徒への手紙 / 10章 8-10節
では、何と言われているのだろうか。
「御言葉はあなたの近くにあり、
あなたの口、あなたの心にある。」
これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられた
と信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に
言い表して救われるのです。
「心で信じて」と言っている以上「信じているか信じていないか」が条件。
これはロボットにはできないでしょが。だから神には「信じている」か「信じていない」か、
わかる。だから「聖霊」が来るか来ないかはそこで決まる。
ロボットには信仰は持てない。口だけで言っても「聖霊」は来ない。
だからロボットには「聖霊」は降されることはない。
だから信じて
>>135 を唱えればよい。
これは、確かに簡単なことだから「福音」と呼ばれる
>>167 >>169 。
215 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:51:26 ID:tEEUVTHn
>>212 「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
信じられない、とあなた言っていた。それならば「信仰義認」はない。
それだけですよ。
神の秩序においては「肉体の復活」ということはない!ないということで
なければならない!そんなことを信じるのは、頭のおかしい人の言うこと
ですね!へっ、と
あなたは言っていた。わたしは見た。だから、それなら信仰がない。
それならパウロの言う通り、あなたは信仰していないのだから、パウロのいう
信仰と告白の結果はあなたには「無い」。
それを以って、「信仰義認というようなことは、あり得ない」と結論されても
それでは否定したことにならない。それはむしろ半分肯定していることに。
216 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 22:55:31 ID:gWNp/hLr
>>206 >>4 〜
福音を宣べ伝える以前に彼が捉えられていた自己愛が、そののちも彼のもと
に残っていた。そののち大半の時期もそうした状態にいたため、彼は自己愛と
自分の本性とに駆り立てられて、騒乱の場にいようと願っていた。
スェ神学によると、自己愛(エゴ)と(世間愛)を地獄の愛と断言しています。
この愛を持っている人が、悪霊となります。
したがって、最後の審判で主により、この地獄の「愛」を取り除かれない
かぎりどのような霊も、天界には入れないのだそうです。
もし悪霊が希望により、神メシアの許しを得て、天界に入っても、その霊に
はものすごい苦痛がやってきて死ぬほどの苦しみを味わうのだそうです。
それで、悪霊たちは、方法のていで地獄のあなぐらに逃げ込むのだそうです。
そこがかれらの永遠の安住の住屋になります。
聖書には、悪を働く者が最後に地獄に投げ込まれると記されていますが、
本当は悪霊たちは喜んでいくのだそうです。
217 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
>>215 >>212 >「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
>>209 『「教会」はたしかに主の聖言を説明してはいるが、 「パウロの書簡」によってそうしているにすぎない。』
聖書のある部分を占めているだけでなく、聖書全体を覆うフィルターの役割を果たしている。
けどそのせいで、教会が「いたるところで仁慈の善から逸脱して」
しまってもいる。こうなるくらいなら最初からスウェーデンボルグにしておけば
「仁慈の善がすべてとな」っていたんじゃなかろうか。
もともとイエスは「信仰の緒真理〔そのもの〕」を教えており、
「しかも仁慈の善がすべてとなるような仕方で教えたものなのだ」から。なのに
わざわざ悪霊と手を組み他の使徒から見放され、自らも悪霊と化した人物を利用しなければならないのだろうか。
219 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:13:44 ID:tEEUVTHn
>>212 >>217 だから「スエデンの教義」じゃなくて「パウロと12弟子が信じて告白した信仰義認」
の意味を説明しているの。
>>212 「具体的に説明してみてよ」自分で要求しているんでしょが。
それに「スエデンの教義がどうだから」とあんたが言っていたら「信仰義認」は体験なんか
できないに決まってるでしょが。論理でわかるだろが。なんのために説明してるの?
あんたが要求したんだろが。ここでも大事なことを言う。
#
>>199 #そうかと。だから何の知識もない、とか、まったくの赤の他人とか、一度も新約
#
>>198 を説かれたことのない人に、いきなりそういった書き物を送ってたという
#ような代物ではなく、すでに信仰体験をした人ら宛ての内容だったはずで、
#その中身を全部いきなり知らない人間に言っていたのではないことは、ものすごく
#重大な点かと。
ですから、パウロがその中で表している「贖いの血」などの解説内容は、
「信じて聖霊を受けた」後の人が経験することであり説明でした。
なので、信じる前にはそういう文言は無かったことにご注意。
>>135 なので、信じる前から贖いだとか血だとかアダムの罪だとか知らなくていい
はずで、だからパウロも
>>215 、ペテロも
>>167 >>198 、そんな話はどこにも
なかったのです。
余計なことは信じなくていいわけです。
信じた後で起きることは、信じる前から心配することはないわけで、イエスも
言っていました。
マタイ 6章 34節 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
わかりました?ロボットの信仰じゃないんですよ、でも簡単な内容だから
全人類への恵みなんです。
220 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:19:11 ID:tEEUVTHn
221 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:21:34 ID:gWNp/hLr
>>218 神メシアが、人間の霊的自由意志を奪われることは絶対にありません。
そのことは、アダムが悪に入ることを許されたことでわかります。
悪が許されているのは、イエスの喩からわかります。
マタイ13・24−30
イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。
ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を
蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。
僕たちが主人のところに来て言った。
『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。
どこから毒麦が入ったのでしょう。』
主人は、『敵の仕業だ』と言った。
そこで、僕たちが『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。
『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで
、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、
麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
222 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:25:15 ID:tEEUVTHn
こんなイエスが約束も預言もしていない、何の根拠もない悪霊憑き話
>>216 。
これにしがみついて離れないであなたの精神が完全にスエデンボルグの書き物に
束縛されてるだけじゃないですか。
だから自分の言ってることも忘れて人の説明も素直に読めない。
精神病といっしょだよ。
223 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:29:50 ID:Ek5okofZ
>>221 >>117 パウロが馬鹿なら、その馬鹿一人を地獄行きにした後でも前でもいいから
代わりの使徒を送って正道が示され、広まればよい。
そうすれば真理と虚偽のどちらを選ぶかと言う選択肢は守られる。
つまり真理を選ぶという自由意志を実行できる。
「ここに10の虚偽があります。貴方方はこの中から真理を選ぶ自由があります」
おかしいでしょ?
224 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:34:22 ID:tEEUVTHn
>>221 だから、自分の目のフィルターをはずしてID:Ek5okofZ の人の
>>202 の内容確認して意味を知ってから横レスすれば?
頭がおかしい頓珍漢レスばっかりですね、相変わらず。病気だと言われる
わけがあなたには確かにある。
それじゃ信仰義認の何たるかなんて絶対にわかるわけがない。
225 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:42:12 ID:gWNp/hLr
>>222 いや、あなたがたの信仰のように、主イエスが十字架上の死で一切合切
人類の罪を背負って行かれたと、いうような信仰ではないのです。
人間にはアダムの犯した罪で表彰される悪に傾向する「遺伝悪」が
連綿として受け継がれ、これを取り除かれないかぎり、人類は地獄の
断罪から免れないとする信仰です。
したがって、スェ神学では、主イエスが人間を贖われるとは、人間を断罪
と地獄から引き上げらることであり、贖いとは、地獄を克服すること、
天界を秩序づけること、その結果、教会を再建することです。
十字架上の苦難とは主の「栄化」のことであり、贖いとは、全然別のものです。
226 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:45:05 ID:gWNp/hLr
>>223 >「ここに10の虚偽があります。貴方方はこの中から真理を選ぶ自由があります」
>おかしいでしょ?
イエスの教えられたことを信じたらいいのです。
227 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:47:38 ID:gWNp/hLr
訂正:人間にはアダムの犯した罪で表象される悪に傾向する「遺伝悪」が
228 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:51:43 ID:Ek5okofZ
・尊敬していた使徒は、じつは悪霊と手を組み他の使徒から見放され、自らも悪霊と化した
・しかも神はそんな人間が書いたものが聖書に紛れ込むことを許容する。
自由意志を働かせても、こんな結論に至るなんて斜め上すぎるだろ。
神と聖人の誠意を疑うんだべ?まず無理だろ。
事実として受け止めるためには、実際にパウロが悪霊化して地獄にいるところを目撃でもしなければ無理。
となると聖書の真理を発見するためには、少なくとも霊能的スペックが要求されることになる。
あとは「天的な霊」から働きかけられるか。でも信用できるものだろうか。
「しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。」(Uコリント11:14)
なんとも過酷な道のりだな。
>>226 教会の偽解釈が蔓延り、正しく信じる方法(選択肢)がどこにも見当たらない場合の話しだが?
229 :
神も仏も名無しさん :2010/03/24(水) 23:55:37 ID:tEEUVTHn
>>225 >いや、あなたがたの信仰のように、主イエスが十字架上の死で一切合切
>人類の罪を背負って行かれたと、いうような信仰ではないのです。
だから。
>>219 をどうぞ。そんな心配は無用。要するに、今までのキリスト教が
あんまり「信仰した後の話」を無駄に世間に流さなければこんな話は出なかった
だけなんですってば。よく読んでよ。
>人間にはアダムの犯した罪で表彰される悪に傾向する「遺伝悪」が
>連綿として受け継がれ、これを取り除かれないかぎり、人類は地獄の
>断罪から免れないとする信仰です。
いや、そんなことを信じなくていいんだって言ってるだろがよ。関係ないの、
そんなの。もしそういうことを信じなかったらダメな話だったら、なんで使徒信条
にそうやって言わないのか。
>>133 を見ろよ。
>したがって、スェ神学では、主イエスが人間を贖われるとは、人間を断罪
>と地獄から引き上げらることであり、贖いとは、地獄を克服すること、
>天界を秩序づけること、その結果、教会を再建することです。
>十字架上の苦難とは主の「栄化」のことであり、贖いとは、全然別のものです。
これなんてそれこそ意味不明そのものじゃないですか。これで自分になんの
効果や恩恵があるのでしょうか。信仰義認の効果はそういう観念論じゃない
んですって言ってるでしょうが。
230 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:00:34 ID:H17iWPVH
>>221 >>225 あんたは自分がスエデについてたくさん知ってるということで返って盲目に
なっているかもしれない、と少しは考える必要がある。あれこれスエデが
仕掛けた罠に完全に落ちて信仰義認はウソだという論理ミス。だから無根拠な
妄想ともなんともつかない話がどうだと言ってどの人のレスもろくに見てない。
大事なところだからもう一回言う。
↓
#
>>199 #そうかと。だから何の知識もない、とか、まったくの赤の他人とか、一度も新約
#
>>198 を説かれたことのない人に、いきなりそういった書き物を送ってたという
#ような代物ではなく、すでに信仰体験をした人ら宛ての内容だったはずで、
#その中身を全部いきなり知らない人間に言っていたのではないことは、ものすごく
#重大な点かと。
ですから、パウロがその中で表している「贖いの血」などの解説内容は、
「信じて聖霊を受けた」後の人が経験する内容。信じる前にはそういう文言は
無かったことにご注意→使徒信条
>>133 。
重要な点は「イエスの肉体の復活を信じる」。ここで信じる前から贖いだとか血だとか
アダムの罪だとか知らなくてよい。信じる前の人には パウロも
>>215 、ペテロも
>>167 >>198 、そんな話はどこにも言っていない。
余計なことは信じなくていい。それは自動的に起きることで自分で心配しない
でいいことなのよ。信じた後で起きることは、信じる前から心配することはない。
イエスも言っていた通り↓
マタイ 6章 34節 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
以上、ここまで
231 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:04:17 ID:ULs77P0a
>>228 スェ氏は18世紀の人ですね。
あの中世の暗黒時代の頃に、ちょっとでも教会批判をすれば悪霊つきにされ
火あぶりにでもされかねない時代ですよ。
匿名で外国で出版されたとはいえ、彼の著書の教会非難は並大抵のもじゃない。
そんなことを書くには相当の覚悟かあったのだろうか?
それとも本当に彼が言っているように、神メシアの命により、神メシアの庇護の
もとに書かれたのだろうか?
232 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:23:00 ID:H17iWPVH
[追加]スエデン教の「信仰義認・否定論」のまちがいについて[説明] スエデン教信仰者は、次のような論理的なカン違いをしていると考えられる。 信仰義認とは=『 「信じて告白すれば」(条件)→「聖霊を受ける」(結果) 』 スエデン教信者は、「信仰義認」の(条件)を絶対に満たさない。 「世の中で肉体が復活するということは絶対にあり得ない」と「信じて」いるから。 なので、仮にも「信仰義認」が「真」であったなら「信仰義認」の(結果)を知ること は「論理的に」無い。 なので、スエデン教信者が「信仰義認」を経験できないのは、「信仰義認」が「真」 であることを「否定」する実例になっていない。 「信仰義認」の(条件)を満たしてもそれでも「信仰義認」の(結果)が無いという 事実があったときにのみ「信仰義認」は否定される。 なので、「スエデン教」を信じていて「絶対にイエスの肉体の復活はなかったのだ! と信じている限り」、絶対に「信仰義認」を否定することはできない。 これが論理的な帰結。つまり、スエデン教信者のままでは、何を言っても絶対に キリスト教を否定することはできない。
233 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:32:16 ID:H17iWPVH
>>231 だから、教会が権力の一部にすらなっていた時代で聖書すら一般人が読めない
ような時代では、極端な批判をするためにそういう論理を展開する人がいても
おかしくないって話かもしれないね。
いまは人数から言ったら、もう教会なんて風前の灯でしかない。
でも、私の解説している
>>230 を読めば一挙に大ブレイクする。
山を低くして道をまっすぐにできているから。
今までのキリスト教は血だとか贖いとか(ry〜)
234 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:32:32 ID:N8Fml37N
ムハンマドや日蓮もカタリ派も相当の覚悟をもって活動しただろうな。
じゃあみんな正しいのか?
組織の腐敗をどうこうするレベルではなく、その宗教の教義、聖典、歴史そのものを
根元から修正するためには霊能的スペックが必要。強烈な「神秘体験」でもなければ
伝統ではなく自分が正しい、と信じてはいられない。
既に確立した信仰を信じるのとはワケが違う。稀有な資質がなければ不可能。
自由意志だけでは不可能。つまり大多数の人々が自発的に成し遂げられるものではない。
そして話は
>>117 >>223 >>228 に戻る。
霊的強者なら出来る可能性もあるんじゃね、と
大多数の弱い凡人を置き去りにしておいて、自由意志を尊重していると言えるのか?
イエスはどんな人々を救おうと現れたのか?霊的強者を仲間に加えるためか?
弱い者、重荷を背負った者のためにこそ、だろ。
235 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 00:38:23 ID:H17iWPVH
>>234 最後の2行に同意。
だから↓。
>>229 >したがって、スェ神学では、主イエスが人間を贖われるとは、人間を断罪
>と地獄から引き上げらることであり、贖いとは、地獄を克服すること、
>天界を秩序づけること、その結果、教会を再建することです。
>十字架上の苦難とは主の「栄化」のことであり、贖いとは、全然別のものです。
これなんてそれこそ意味不明そのものじゃないですか。これで自分になんの
効果や恩恵があるのでしょうか。信仰義認の効果はそういう観念論じゃない
んですって言ってるでしょうが。
236 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:17:04 ID:ULs77P0a
主イエスは、この世に来られるまえ、教会に属する人には現存されていましたが、 ご自分を代表する天使たちをとおして間接的現存でした。この世に来られてからは 教会に属する人たちに対し、直接に現存されています。 というのは、主はこの世にあって、神的自然性も、身に帯びておられるからです。 その神的自然性のうちにあって、人々にたいし現存しておられます。 主の栄化とは、主がこの世でおとりになったご自分の人間性の栄化つまり神化で あって、この栄化された主の人間性が神的自然性です。 つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から復活され ました。墓には何も残されませんでした。自然の人間性は、最初から最後まで、 ご自分にともなって行かれました。だからご復活ののち、幽霊を見ていると思って いた弟子たちに、言われました。 「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。 亡霊には肉も骨もないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはそれがある」(ルカ24.37.39) 主の自然的肉体は、栄化によって神のものとなったことが分かります。 だから、パウロも言っています。 「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって、 宿っており、」(コロサイ2.9)と。またヨハネも、 「神のみ子イエス・キリストはほんとうの神である」(Tヨハネ5.20) 霊界では、主おひとりが、完全な意味での人間であることを、天使たちは わきまえているのです。
237 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:18:55 ID:SNNqhUzZ
ルシフェルは認めなかったのね?
238 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:31:12 ID:ULs77P0a
>>235 スェ神学では、神の人間創造の目的は、人類からなる天界をつくり
そこに人類を永遠に住まわせることです。
したがって、神が人間を救われるとは、地獄の断罪から庇護される
ことです。
あなたの教会では、神の創造の目的と救いとは何ですか?
239 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:35:01 ID:ULs77P0a
ルシフェル(ルチフェル)とは、バビロンおよびバビロニア出身者と いう意味です。地獄にいます。
240 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:39:30 ID:SNNqhUzZ
サタンは?
241 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:39:42 ID:ULs77P0a
大淫婦バビロン
242 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 01:50:08 ID:ULs77P0a
サタンは前面にある地獄のこと、そこには悪霊が住んでいますが、 それほど邪悪ではありません。 悪魔 Diabolus とは、背後にある地獄のこと、悪鬼 mail geniiと 呼ばれる極悪の霊がいます。もとはみなこの世の人間でした。 バビロンは・・・悪魔のすむところ 大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上がる。 (黙示録18.2-3)
聖書学や歴史神学で、正統な教理がいかにいい加減なものか判明しているから、 スエさんの言ったもの勝ち、反論不能(カントは反論したが)て面がある。 一つ確実に言えるのは スエ:今で言う経済産業大臣で大科学者。金持ちで愛人まで。人生の勝ち組。 正統派の教会キリスト教信徒:倫理的なあまり現世では負け組。
244 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 08:58:49 ID:IgzZrsqU
>>234 はスルーか。まあ仕方ないか。
スウェ神はイエスが手を差しのべるような
弱い人々を17世紀まで真理から爪弾きにしていたことになるのだから。
>>244 公平に見れば、従来のキリスト教よりスウェーデンボルグの方が理解できる。
信仰義認説の従来のキリスト教の考えでは、異教徒は神の救いの対象ではなく、
キリスト教徒しか救われないことになっている。
従来のキリスト教の神は、キリスト教徒以外は、爪弾きにして地獄に落としている
ことになる。
一方、スウェーデンボルグは、キリスト教徒でなくても、異教徒でも自己愛から
悔い改めて正しく生きる者は救われるとしている。
246 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 09:30:11 ID:IgzZrsqU
従来の三位一体説を信じているクリスチャン、またイエスの神性を否定する者は
天界から爪弾きにされると「天界と地獄」の冒頭には書いてある。
>>245 ↓についてはどう思う?
>尊敬していた使徒は、じつは悪霊と手を組み他の使徒から見放され、自らも悪霊と化した
>しかも神はそんな人間が書いたものが聖書に紛れ込むことを許容する。
247 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 10:47:58 ID:H17iWPVH
>>245 >一方、スウェーデンボルグは、キリスト教徒でなくても、異教徒でも自己愛から
>悔い改めて正しく生きる者は救われるとしている。
それならば別に聖書なんか無視でもいいかもよ。
超越的な一般的唯一神を信じて世界はその神の創造になるもので
人のことも全部見ていて知っているから悪人や善を行なわない者は
地獄に追いやる道徳の神であればそれでいいし、それなら仏教でもいい。
「自己愛」という「執着の一つ」に囚われになっている者はその拘りのために
変転輪廻して解脱することができないが、六波羅蜜に目覚めて利他愛に生きる
ならばやがて罪障滅して解脱すること能う、というので十分良い。スエデンボルグ
はひたすらこの仏教の説く話をしているだけに過ぎないでしょ。
それを「聖書」を使って「暗示的」に書かれていると教えて「聖書」を利用する
教育論になっている。「救済」というのはそこでは「言葉だけ」で、それが広く
広まらないのは、要するに「貧民向け」のものではない、から。それは一種の
自己修行で本気になって「出家する意志の人だけ」のものかもしれない。
248 :
絶対神 :2010/03/25(木) 10:54:17 ID:BSmm2j+Q
>>245 それ以前にさ。もうオカルトというものが一般に理解されない時代な
んだよね。
キリスト教本体がワリと広がっているのは、オカルト色を殆ど排除している
からなんだよ。
スウェーデンボルグが一般に受け入れられないのは、最初っから現代人
が受け入れ難いようなオカルトを全面に押し出しているから。
それに対してキリスト教本体は、「数千年前で奇跡の啓示は完結している」
として、一般に現代に起こる奇跡とか霊がどうしたという話は否定している
わけ。
何千年も前の伝説の時代なら奇跡もあったかもね。と現代人でも受け入れ
られやすいわけ。
249 :
絶対神 :2010/03/25(木) 10:57:46 ID:BSmm2j+Q
つまりさ。 キリスト教の場合、比較的宗教やオカルト思想の中では、日常生活 とのかい離が少ないわけ。 奇跡というもの、霊界や神というものを、余り日常的な存在として とらえてないから。 つまり、現世を魂の成長の場として捉えていないからそういう面では 受け入れやすいの(カトリックはもっとドライでこの世の事はこの世の 事、あの世の事はあの世の事、という未信者から見ても、ちょっとどう かなあ? というレベルの捉え方をする)。
250 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 10:59:07 ID:H17iWPVH
>>236 これは
>>230 >>232 で書いたことへの何かの反応なのか。アンカー打ってくださいな。
>>246 >主の自然的肉体は、栄化によって神のものとなったことが分かります。
>だから、パウロも言っています。
もしスエデンでも「肉体の復活」を言っているのであれば、なんで否定したの?
>>217 しかも今度はパウロの話は正しいと言い出してしまってる。パウロは悪霊なんだろ?
もうメチャクチャだな。
頭大丈夫なの?と言われてもしかたがないほど、言ってることが二転三転してる。
>>215 で
>
>>212 >「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
と訊いたことに対してあなたが
>>217 で否定したのは何だったのでしょうか??
251 :
絶対神 :2010/03/25(木) 11:00:52 ID:BSmm2j+Q
言ってみれば、正当キリスト教にとっては、「聖書」ってのは「伝説の 時代の物語」なわけ。 事実あったと信じている原理主義者にとっても、 『現代とは直接的には繋がってこないお話なの』 一種の「過去の史実であるファンタジー」なわけね。 この正当派とスピリチアルの捉え方の違いが、正当派に結局、時代の 変化に対応させて勝利を齎したんだと思うよ。 「やっぱり正当派が生き残ったのはきちんとした必然性があるんだよ」
252 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:10:25 ID:H17iWPVH
>>242 ウソを書くな。
>バビロンは・・・悪魔のすむところ
>大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上がる。
>(黙示録18.2-3)
ヨハネの黙示録
18章 2節 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、
そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、
/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
3節 すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、
/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢な
ぜいたくによって/富を築いたからである。」
こうやって「聖書」の「改ざん」まがいの行為までまでやってウソまで吐いている。
やっぱりスエデン教はウソ吐きだよ。黙示録は絶対に改ざんするな、ウソを
書くなと厳命されてるだろ!どこ見てるんだ!インチキのメタクタ・スエデン教めが!
253 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:19:01 ID:H17iWPVH
>>217 >>236 >>238 こんな絶対にやるなと書かれている改ざんまがいのウソ吐きまでやってる
そんなあなただから、
>>217 で自分が言ったことと
>>236 が完全に矛盾すること
もわかっていないわけだ。どういう頭してるのか?
あんたは質問スレでもずっと「イエスの肉体の復活」だけは否定してきたのは
俺が見てちゃんと知っている。だからここでも訊いてただろ?
>>123 ↓
>>123 # 質問スレではスエデおばさんは、イエスの復活後の弟子たちの証しは、
# なんでも「イエスが彼らを霊界に引き上げて見させた夢の中の話みたいなもの」
# であって、現実のこの世の世界での経験ではない!!と断言して説明していた。
254 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:26:20 ID:H17iWPVH
>>253 (つづき)
最近の証拠もパピペしてやるw
>>123 で言ってる通りだろ?
キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/693 ↓
693 :神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 14:34:25 ID:JAHz2MUi
肉体を去ったあとの霊にしても、人の中にとどまっている霊に
しても、人間の(かたち)で目には映りません。人体の視覚器官と
しての眼は、この世で見ている限りは物質的なものだからです。
物質的なものは物質しか見えないし、霊を見るのは霊です。
したがって物質的な目では見えなくなった場合、霊は初めて、
人間の(かたち)をして、見えてきます。
スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
したがって、霊の世界を見るのは霊です。
主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
お出来になるそうです。
復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
ことを人は区別できないと言っております。
なぜなら、人は死んで、霊界にいってもいまだにこの世にいると思って
いる新参の霊は多いんだそうです。他の霊に諭されてそのことを知るそうです。
な?つい2日前に書いてるだろが。
>>236 で「肉体が復活した」って言ってるなら
なんで霊界に引き上げて夢みさせて戻すとかするわけ?あんたが「肉体の復活はない」
>>217 とずっと言ってきたからこうやって説明してきたんだろが。何言ってるんだよ。
255 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:34:32 ID:H17iWPVH
[結論]
スエデン教は聖書からインチキな引用やって平気でウソも吐く。
その信者はもう完全な嘘吐きと判明した。
完全にどうかしている、頭が狂っている。 >スエデン信者
>>243 >聖書学や歴史神学で、正統な教理がいかにいい加減なものか判明しているから、
>スエさんの言ったもの勝ち、反論不能(カントは反論したが)て面がある
全然違うじゃないかよ。スエデン教かその信者がただのデタラメ嘘吐きな証拠
は上記の通り。気分で騙されてそれらしく思わされてるだけ。それか低能だから
そんなことを言ってるだけ。わかった???
256 :
Taku :2010/03/25(木) 11:53:25 ID:5VAjci/8
アフリカでダイヤモンドを掘りだすだろう。ダイヤモンドはカットされ る。これはダイヤモンドが結婚愛の象徴で善と真理の結婚愛で結晶化 作用を意味するな。ダイヤモンドを掘り起こすは世界の教会の善と真理 を掘り起こし立て直すことを意味する。大地は教会を意味するからだ。 スエデンボルグ主義では天界の幸せは永遠の生命と結婚愛、勤労の喜び 、知恵の喜びと書かれているな。スエデンボルグ主義を否定する人間は 天界の喜びがいらない、生命に合わないと告白しているようなもんだな。
257 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 11:54:52 ID:ULs77P0a
>>255 凡夫のチエで、これが結論だなんていわれても、笑止というしかありません。
もう一度お聞きします。
>>238 スェ神学では、神の人間創造の目的は、人類からなる天界をつくり
そこに人類を永遠に住まわせることです。
したがって、神が人間を救われるとは、地獄の断罪から庇護される
ことです。
あなたがたのキリスト教では、神の創造の目的と人類の救いとは何ですか?
まず、これに答えてみてください。
258 :
Taku :2010/03/25(木) 11:58:01 ID:5VAjci/8
スエデンボルグ主義ではアフリカというと永遠の東、日の昇るところ 愛情のある人々がいると天使が考えるらしい。彼らアフリカ人はデビ アス社によって厳重に守られている可能性が大だぞ。裸は無垢を現す からだ。マスコミは裸でいる人々に土足でカメラを向けることができな いだろう。アフリカは真実が隠されているぞ。世界一裕福な国だな。
259 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 12:02:28 ID:H17iWPVH
>>257 ごまかしをやるな。証拠は消せない。ウソつきめ。
260 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 12:04:10 ID:H17iWPVH
>>257 、晒し上げ、<スエデン教が、嘘吐きの証拠>。
>>217 ★★ <イエスの復活はない>と一貫して主張して来た話! ★★
[ 質問スレから最低でも5スレ以上は一貫して言ってきた話 ]
|217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
↓
>>236 ★★ <肉体の復活はあった>と今度は突如一転したw ★★
↓
|236 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 01:17:04 ID:ULs77P0a
|つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から復活され
|ました。墓には何も残されませんでした。自然の人間性は、最初から最後まで、
|ご自分にともなって行かれました。だからご復活ののち、幽霊を見ていると思って
|いた弟子たちに、言われました。
|
|「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。
|亡霊には肉も骨もないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはそれがある」(ルカ24.37.39)
|
|主の自然的肉体は、栄化によって神のものとなったことが分かります。
これは
>>230 >>232 と完全にダメ押し確認してあげた結果、長年の自論をあっさり
翻したらしい。「今までの話しは全部間違っていた、指摘されたことを受けて、主張を
すっかり改める」とも言わずにw。つまりスエデン信者は「悔い改める姿勢は皆無」。
261 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 12:08:40 ID:H17iWPVH
262 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 12:12:13 ID:H17iWPVH
263 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 12:16:16 ID:ULs77P0a
>>259 >ごまかしをやるな。証拠は消せない。ウソつきめ。
まず、
>>257 にちゃんと答えてください。
264 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:34:36 ID:H17iWPVH
265 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:36:25 ID:H17iWPVH
>>263 なんで別の話にそらすのかな。
?????
266 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:38:42 ID:H17iWPVH
>>263 、晒し上げ、<スエデン教が、嘘吐きの証拠>。
>>217 ★★ <イエスの復活はない>と一貫して主張して来た話! ★★
[ 質問スレから最低でも5スレ以上は一貫して言ってきた話 ]
|217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
↓
>>236 ★★ <肉体の復活はあった>と今度は突如一転したw ★★
↓
|236 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 01:17:04 ID:ULs77P0a
|つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から復活され
|ました。墓には何も残されませんでした。自然の人間性は、最初から最後まで、
|ご自分にともなって行かれました。だからご復活ののち、幽霊を見ていると思って
|いた弟子たちに、言われました。
|
|「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。
|亡霊には肉も骨もないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはそれがある」(ルカ24.37.39)
|
|主の自然的肉体は、栄化によって神のものとなったことが分かります。
これは
>>230 >>232 と完全にダメ押し確認してあげた結果、長年の自論をあっさり
翻したらしい。「今までの話しは全部間違っていた、指摘されたことを受けて、主張を
すっかり改める」とも言わずにw。つまりスエデン信者は「悔い改める姿勢は皆無」。
267 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:43:03 ID:ULs77P0a
268 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:45:08 ID:H17iWPVH
>>254 、再掲。
最近の証拠もパピペしてやるw
>>123 で言ってる通りだろ?
キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/693 ↓
693 :神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 14:34:25 ID:JAHz2MUi
肉体を去ったあとの霊にしても、人の中にとどまっている霊に
しても、人間の(かたち)で目には映りません。人体の視覚器官と
しての眼は、この世で見ている限りは物質的なものだからです。
物質的なものは物質しか見えないし、霊を見るのは霊です。
したがって物質的な目では見えなくなった場合、霊は初めて、
人間の(かたち)をして、見えてきます。
スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
したがって、霊の世界を見るのは霊です。
主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
お出来になるそうです。
復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
ことを人は区別できないと言っております。
なぜなら、人は死んで、霊界にいってもいまだにこの世にいると思って
いる新参の霊は多いんだそうです。他の霊に諭されてそのことを知るそうです。
つい2日前↑に書いてる。
>>236 で「肉体が復活した」って言ってるならなんで
「霊界に引き上げて夢みさせて戻す」とか言ってるの??あんたが「肉体の復活はない」
>>217 とずっと言ってきたからこうやって説明してきたんだろ?何言ってるの?→
>>236
269 :
神も仏も名無しさん :2010/03/25(木) 13:47:54 ID:H17iWPVH
あげ。w
967 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:21:16 ID:H17iWPVH
>>964 だったら、キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/198 ・・・・・(*1)
で俺が回答済みだったが、これを否定するための反論がないってことは、
パウロが「イエスの予言した聖霊を受けた」ということは認めるのね?
それなら、ヨハネ16章 9-12節 で
「罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、
あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が
断罪されることである。 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには
理解できない」
でイエスが言っていた通り、その聖霊を受けたパウロがその聖霊の教える
通りに語った言葉が作文というのはおかしいね。それならイエスの予言は
成就していないことになるからな。
イエスは嘘吐きということか。おまえみたいに??
969 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:36:09 ID:ULs77P0a
>>967 >でイエスが言っていた通り、その聖霊を受けたパウロがその聖霊の教える
>通りに語った言葉が作文というのはおかしいね。それならイエスの予言は
>成就していないことになるからな。
それでは何ゆえ、パウロが聖霊の教えるとおりに語ったとする
言葉の中には、主イエスが語られたみ言葉がないのか説明してごらん。
イエスの教えには、信仰義認のような教えもありませんね。
970 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:41:37 ID:H17iWPVH
>>969 >イエスの教えには、信仰義認のような教えもありませんね
ヨハネ16章12節 「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、
あなたがたには理解できない」
だったんだろ?だから聖霊を送って12弟子とパウロを通して語られた。
それがイエスの約束、聖霊の約束、そして成就。
>パウロが聖霊の教えるとおりに語ったとする言葉の中には、
>主イエスが語られたみ言葉がないのか
それならば、12弟子の書簡の中にあるのかどうか?どうですか。
971 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:47:27 ID:ULs77P0a
>>970 >それならば、12弟子の書簡の中にあるのかどうか?どうですか。
その中に、パウロの、聖霊の語ったという言葉や文章がありますか?
972 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 19:51:18 ID:H17iWPVH
>>971 >
>>970 >それならば、12弟子の書簡の中にあるのかどうか?どうですか。
この意味をもっとはっきり書こうか?
それならば、12弟子の書簡の中に「福音書にあるイエスの言葉」があるのか
どうか、いかがですか??
パウロがそれらを引用していないから、パウロの言うことは作文だ、というのなら、
同じように、それらを引用していない他の12弟子らの言うことは作文でない、
という根拠はなんなんですかね?
↑
こう言ってるんですが?意味伝わりました??
974 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:08:19 ID:ULs77P0a
>>972 パウロは、聖霊の語られるままに、すべての教義を書き上げたのだから
それは、イエスが約束されたとおりの聖霊が送られて語られたことなの
で正しいものなのだ、と言われても、
その教義がイエスの教えられた教義に即していないなら、その聖霊は偽者
と言わざるを得ない。
なぜなら、聖霊の語られたことは、主イエスの語れたことだからだね。
真理の霊も、弁護者も同じですね。
975 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:09:13 ID:H17iWPVH
>>969 それから、12弟子だってイエスの血について書いているところはあった。
ペトロの手紙一 / 1章 2節
あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって
聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために
選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
ペトロの手紙一 / 1章 19節
きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。
「きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」
あなたからすると「ペテロも頭が狂っていた」
>>961 からイエスは狂人の弟子
を抱えて大変な苦労だったわけだ。仮にそうなら聖書もイエスも信用できん。
976 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:17:30 ID:H17iWPVH
>>974 >その教義がイエスの教えられた教義に即していないなら、その聖霊は偽者
>と言わざるを得ない。
>なぜなら、聖霊の語られたことは、主イエスの語れたことだからだね。
だからさ、
>>967 =ヨハネ16章 8-12節
「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、
あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が
断罪されることである。 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには
理解できない」
ということだったんだから、イエスは「聖霊によって」「まだイエスの語っていない
新しいこと」を「罪について」「義について」「教える」と前もって言っていた
わけだから、当然「イエスの肉声で語ったこと以外」の「新しいこと」として
「信仰義認」を説いたとして、何も問題じゃない、でしょうに。
だからこそ、イエスの予言は成就したわけです。
977 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:20:42 ID:ULs77P0a
>>975 イエスは、人が、(み言葉を)冒涜して滅びることがないように、
喩で語られたといっておられます。
そこで言っている「雲」とは、聖書の文字上の意味のこと、
イエスの「おん血」とは、神の真理を意味しているのです。
あなたがたには、「血」といえばそのような意味でしか、
理解できませんので、いわゆる自然的信仰しかありません。
978 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:26:01 ID:H17iWPVH
>>977 だから。「象徴語」でつまみ食いして「なんでも内的」とか言ってればいい
とでも思ってるんなら聖書なんか読むべきじゃない。
「きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」
「子羊の血」とわざわざ書いてあるのは何故なの?あなたの言ってる「血」
と同じだと言えるの?どうです?
980 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:30:44 ID:ULs77P0a
>>976 >だからさ、
>>967 =ヨハネ16章 8-12節
「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、
あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が
断罪されることである。 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには
>理解できない」
その後に何と書いてありますか。
「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて
真理をことごとく悟らせる。その方は、ご自分から語るのではなく、
聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げる
からである。」(ヨハネ16.13)
聖霊は自らは語らない、つまり、主イエスの言葉でしか語らないと言うことです
981 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:34:28 ID:ULs77P0a
>>978 >だから。「象徴語」でつまみ食いして「なんでも内的」とか言ってればいい
>とでも思ってるんなら聖書なんか読むべきじゃない。
だから、あなたは、ヨハネ6.52に記されているユダヤ人と同じなのです。
983 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:38:07 ID:H17iWPVH
>>980 English Standard Version (©2001)
When the Spirit of truth comes, he will guide you into all the truth,
for he will not speak on his own authority,
but whatever he hears he will speak, and he will declare to you the things that are to come.
日本語で「聞いたことを」となっているが、英語のバージョンではどこをみても
「聞く通りに語り」と現在形で書かれている。つまり、これは「イエスが肉声で
語った過去のことを」語るという意味じゃないのはほぼ確かだと思われる。
だったら「福音書にあるイエスの過去の話」を「わざわざ語る」なんて言う話じゃない。
それに、何度も言うように、12弟子の方だって福音書のイエスの訓話なんか
いちいち書いていないのも事実でしょ。だからそんなものでは「パウロだけ
狂人」だとか言えないでしょう、とこれで2度目ですが。
985 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:43:16 ID:H17iWPVH
>>981 だからその意味をすぐ下で説明してるのも見えないの?具体的に言ってるのも
わかってる??
「きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」
「子羊の血」とわざわざ書いてあるのは何故なの?あなたの言ってる「血」
と同じだと言えるの?どうです?
無根拠にいちゃもんつけてるんじゃないよ。よく読め。それから反論しなきゃ。
「子羊の血」を対象にしている意味はないの?
989 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:47:10 ID:C24lG64z
口語訳では「けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。
それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」
新改訳では「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。
御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」
990 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:48:21 ID:H17iWPVH
>>977 >>980-981 だから、あなたの宿題だった
>>886 に早めに答えるべきでしょ、と言っていたわけで。
↓
>>886 #
>>885 # なるほど。ではその理由の「わたしたちの罪」について解説をどうぞ。
# イザヤ書53章の「わたしたちの罪」と、
# パウロの言っている「わたしたちの罪」の違い、を説明してください。
もし「信仰義認」の旧約上の根拠がないとも言っていた
>>885 だったわけ
なんだから、頭が狂ってる
>>961 ばっかり言ってないで、宿題も解かないと
ダメでしょ?
991 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:51:18 ID:ULs77P0a
>>983 >日本語で「聞いたことを」となっているが、英語のバージョンではどこをみても
>「聞く通りに語り」と現在形で書かれている。つまり、これは「イエスが肉声で
>語った過去のことを」語るという意味じゃないのはほぼ確かだと思われる。
言っておきたいことは、まだまだたくさんあるが、
とイエスは言われましたが、ご在臨中に、大切なことを言い忘れられること
など神に誓ってない^^
人は行いによってではなく、信仰だけで救われると、なぜ言われなかったのか?
説明してごごらんよ。
聖霊とは、主イエスご自身のことですよ。まだわからないの?
992 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:52:21 ID:H17iWPVH
>>989 新共同訳だけ「聞いたことを」になっているが、これも日本語特有の過去形
表現で、実際には「瞬時でも過去なら過去だ」みたいな意味でしかないからなw
こういうのは「過去形」とは言わないで「断定」とか「確定」とかだっけ?>国文法w
まあ他訳で確認して現在形ならそれでも確か。w
993 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 20:57:18 ID:H17iWPVH
>>991 >言っておきたいことは、まだまだたくさんあるが、
>とイエスは言われましたが、ご在臨中に、大切なことを言い忘れられること
>など神に誓ってない^^
ということはヨハネは嘘を書いたということになる?それでいいんですか?
>聖霊とは、主イエスご自身のことですよ。まだわからないの?
わからないのはおまえ。「まだあなたがたにはわからないから、事が成ってから
聖霊を送って言う」と言ったイエスの言葉が嘘だった、、でいいの?
994 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 21:01:16 ID:C24lG64z
nivでも過去形になってない。
「he will speak only what he hears」となっている。
995 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 21:01:28 ID:H17iWPVH
>>991 ご確認を。全部、現在形で書いてあるでしょ。ということは、「聖霊がイエスから
直接聞いて語る」という意味以外にはならない。
>>989 >>992 もあるし。
↓
John 1613 But when he, the Spirit of truth, comes, he will guide you into
all truth. He will not speak on his own; he will speak only what he hears,
and he will tell you what is yet to come.
http://bible.cc/john/16-13.htm それとも聖書自体を否定しますか???
==引用終わり==
引用元:キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/
>>255 だからこそ、カントは「スウェ何とか言うやつは、(実証不可能な)オカルティ
ズムでキリスト教を云々しているが、しかし、彼にできることなら我々もできる
はず、つまり実証可能なはずだ。実証不可能ということは、何かおかしくないか
ね?」(意訳)という論理で批判しとるんですよ。
悪名高いイエスセミナーじゃなくても、まともな聖書学者なら、新約聖書の中に
すら誤記や改ざんがあるのを認めてる。それを(一応の前提としてだけど)無謬
の聖典として教理と信条を導いてできたのが正統派キリスト教。とすれば、スエ
さんのヴィジョンや独自解釈が誤りとは誰も断言できない。逆にスエさんの一派
(新エルサレム教会など)も、我らのニケア信条は誤りとは断言できない。
そういうことを言いたかったんだけど、上手く伝わらなかったようだな。
証明不可能性というんだっけ?、科学みたいにジャッジできないのが神学のつら
いところだとつくづく感じる。
283 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 01:17:13 ID:KBodxK0q
逃げてばかりだから、スルーデンボルクと改名したら良いと思います。
284 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 10:38:46 ID:zdbbj5Op
285 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 18:59:38 ID:erpvbgk4
286 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 22:26:57 ID:erpvbgk4
↑ <解説> ●「私」は、救われた後も、罪の原理を持つために心に永続的な平安がない。(参考@p3) ●一部の人は、自分の弱さに圧迫され、自分は許されない罪を持っていると考えがちである。 ●しかし、「御子イエスの血が、すべての罪から私たちを清めるのである」という聖句の 「すべての罪」の中には、大きな罪も小さな罪も、あらゆる罪が含まれている。(@p19) ●「私」は、罪を犯すから罪人ではなく、罪人(=原罪を持った)であるから罪を犯すのである。 ●そして、この「生まれつきの罪人」は、神がキリストにあって、すでに「処理」された。 それは、「私たちの内の『古き人』はキリストと共に十字架につけられた」(ローマ6:6) とある通りである。 こんな妄想信仰に騙されないように。アーメン。 ●これは、「事実」であるので、あとは、私たちがそれを「認めるか否か」だけの話である。 ●そして、それらを認めた時に、不思議と(←これは、体験しないと分からない領域だが)神の平安が到来し、「自然と罪を犯したくなくなり、また、罪を犯し続けることが自然と困難」となる。 ●このように、ロマ書などの「み言葉の単純タンジュンな真理を悟る」ことで、自然に、苦労や努力することなく、救われた後に罪を犯し続けることから解放される。 (これを、「第二の回心」と表現する人もいる) (その点でも、「キリスト者の標準」を読むなどにより、ロマ書&信仰義認の「奥義」を悟ることは、キリスト者にとって必須である。
287 :
神も仏も名無しさん :2010/03/26(金) 23:46:47 ID:TFZbIhhC
288 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 01:26:30 ID:adknEVaO
イエスが天の父神エホバであるということを、あなたはどのように 理解しているというのか? イエスは人間じゃないのよ。
289 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 09:10:31 ID:TqfUu6pR
>>288 だから宿題は?
>>287 あなたは言ってることがづっかり変わってる。しかも何の断わりもなく変節した。
そういう人の言うことは、どうせこれからも一言の断わりもなくどんどん変節して、
しまいに知らん顔して前に言っていたことと全然違うことを言い出すに決まっている。
そのいい事例が、
>>217 (
>>268 )→
>>236 の変節。
そういう人の言うことは何であれ何一つ信用してやるわけには行かないね。
>イエスが天の父神エホバである
>イエスは人間じゃない
そういう人の言うことは何であれ、他人への説得力のかけらもない。
290 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 09:12:03 ID:TqfUu6pR
>>289 (訂正)
>あなたは言ってることがづっかり変わってる。しかも何の断わりもなく変節した。
→あなたは言ってることがすっかり変わってる。しかも何の断わりもなく変節した。
291 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 12:36:41 ID:mdTZgRqk
292 :
神も仏も名無しさん :2010/03/27(土) 15:31:34 ID:gV/OS7GS
その人がサルだったら?
293 :
パウロ :2010/03/27(土) 16:46:53 ID:GvR/f/OQ
>>1 パウロが地獄につながれているといった時点でアウトだろ〜
議論するほどのことじゃないってw
294 :
パウロ :2010/03/27(土) 16:48:58 ID:GvR/f/OQ
>>1 ダビデが地獄につながれているといった時点でアウトw
論外だろ〜
他人を地獄に蹴落として自分の権威を高める人って よくカルトの指導者にいるよね。
>>286 使徒書簡はあくまでも使徒書簡
しかもヤコブ書は行いを説いている
そして使徒書簡を福音書や黙示録よりも価値があるかの如き
認識は如何なものであろうか
>ロマ書&信仰義認の「奥義」を悟ることは、キリスト者にとって必須である。
結局パウロの書があなたにとって「奥義」なのか・・・
要するにあなたは5のスウェーデンボルグの指摘が正しいことを
自分自身で証明しているようにしか思えないが・・
297 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 10:35:09 ID:Ul3PhZgg
<ID:C24lG64zさん
>>271-281 に転載ありがとうございました。>
キリスト教@質問箱216 ->
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269510030/42 42 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 18:33:14 ID:erpvbgk4
>> 23
>イエス様は何故十字架のかけられたのでしょうか。
主(イエスさまのこと)は、神のみ子とか、人の子とか、マリアの子と呼ばれて
いますが、「神のみ子」とは、その人間性のうちに宿られた神エホバのことです。
「人の子」とは、聖書(みことば)の面での主のことです。「マリアの子」とは、
主みずから身に帯びられていた人間性そのものを言います。
それで、主の場合、ご自身には神エホバからの神性と、母からの人間性があり、
この二つが合体して神のみ子になられたわけです。
主の人間性と、おん父との神性との一致合体のことを、「栄化」と言いますが、
この栄化は、徐々に行われましたが、十字架の苦難をとおして完成しました。
イエスさまが十字架に架けられたとは、このような意味です。
>> 26
ちゃんと教えてあげてから言いなさいね。
298 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 10:37:44 ID:Ul3PhZgg
(
>>297 つづき)
43 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 19:20:22 ID:TFZbIhhC
>> 42
>この栄化は、徐々に行われましたが、十字架の苦難をとおして完成しました。
なぜ「苦難」だったのです?
44 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 19:28:42 ID:TFZbIhhC
>> 42
>主(イエスさまのこと)は、神のみ子とか、人の子とか、マリアの子と呼ばれて
>いますが、「神のみ子」とは、その人間性のうちに宿られた神エホバのことです。
>「人の子」とは、聖書(みことば)の面での主のことです。「マリアの子」とは、
>主みずから身に帯びられていた人間性そのものを言います。
>
>それで、主の場合、ご自身には神エホバからの神性と、母からの人間性があり、
>この二つが合体して神のみ子になられたわけです。
この表現するところのものは、どう〜も意味不明.
299 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 10:40:37 ID:Ul3PhZgg
(
>>298 つづき)
45 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 19:38:04 ID:erpvbgk4
>> 43
十字架の苦しみをお受けになるまでに、主が試練を望まれたわけは、
ご自身が預言者であられたからです。
かって預言者は、(みことば)からくる教会の教義を表すとともに、
教会が当時どんな様子であったかも表しました。
それにはいろいろ表象がありましたが、かれらが神によって課され
たのは、不正であり、苦汁であり、非道な扱いでした。
主はまた、ご自身(みことば)でしたから、預言者そのものとして、
十字架の苦難によってユダヤ教会が、(みことば)を汚したという
点で、ユダヤ教会自身を表しています。
300 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 10:43:53 ID:Ul3PhZgg
(
>>299 つづき)
50 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 19:51:44 ID:TFZbIhhC
>> 45
ですから、>> 43は、
>> 42
>この栄化は、徐々に行われましたが、十字架の苦難をとおして完成しました。
・「栄化」が「徐々に行なわれました」
・「十字架の苦難」
これらに「どういう」「関係」があるんですか?という意味ですよ。
52 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 20:08:42 ID:erpvbgk4
「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(ルカ24,26)
(みことば)で、主について「栄光」をつかうとき、(神の善)と結ばれた(神の真理)
のことを言っています。ここで、主の人間性は神性を帯びていたことが、
はっきりします。
栄化 Glorificatio とは、(主の神人生)と(おん父の神性)との一致合体で、
これは十字架の苦難で完成されました。この栄化について、主おんみずから、
福音書で次のように言っておられます。
「さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた『今や人の子は栄光を受けた。神も人の子に
よって栄光をお受けになった。神が人の子に栄光をお受けになったのであれば、神もご自身
によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。』(ヨハネ13.31,32)
この栄化は、神であるおん父と、おん子について言われています。
「神は人の子によって栄光をお受けになった」とか、「神も人の子に栄光をお受けになった」
とかは、一致合体のことです。
301 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 10:48:47 ID:Ul3PhZgg
(
>>300 つづき)
55 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 20:32:38 ID:erpvbgk4
> 52 〜
主がみずから預言者として、(みことば)によってユダヤ教会の状態を
表していたことは、主の苦しみのひとつひとつから、知られています。
主はユダによって裏切られ、祭司長や長老たちによって捕らえられて、
罪の宣告を受け、殴打され、よしの棒で頭をなぐられ、茨の冠をかむせ
られました。
また主の衣服はバラバラに分けられ、上衣はくじにされ、体は十字架に
つけられました。
酢を飲ませられ、脇腹を槍で突かれ、墓に葬られ、そして、三日目に
復活なさったのです。
無学で単純な人のため、み言葉のたとえでするとよくわかります。
「わたしはよい羊飼いです。よい羊飼いは、羊のために命をすてます。
・・・
父は、わたしが命をすてるから、わたしを愛してくださるのです。」(ヨハネ10.11,17)
(みことば)から分析的に引き出し、しかもそれを理性で検討するより、たとえのほう
がはっきりします。
302 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 10:53:06 ID:Ul3PhZgg
(
>>301 つづき)
57 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 20:34:17 ID:TFZbIhhC
>>52 それは福音書にある説明ですよね。それはいいです。
そうではなく、
>>43 は、
>>42 >この栄化は、徐々に行われましたが、十字架の苦難をとおして完成しました。
・「栄化」が「徐々に行なわれました」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・「十字架の苦難」
これらに「どういう」「関係」があるんですか?という意味です。
この「徐々に」とはどういう意味ですか??
303 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:01:19 ID:Ul3PhZgg
(
>>302 つづき)(
>>302 内のアンカーはコピー時のミスで本スレッド内の参照先ではない)
63 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 21:30:18 ID:erpvbgk4
>> 57
・「栄化」が「徐々に行なわれました」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・「十字架の苦難」
>これらに「どういう」「関係」があるんですか?という意味です。
現在のキリスト教会では、十字架上の苦難とは、神のおん子、つまり、イエス・キリストに
よる、「あがない」のみ業であって、その苦難によって、人類はあがなわれ、永遠の刑罰と
死から救われるのだと信じられていますが、十字架の苦難とは、(あがない)のことではなく、
主(イエス)の人間性とおん父の神性とのあいだの一致合体であること意味します。
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。
しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。
すると、天から声が聞こえた。『わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう』(ヨハネ12.27,28)
こう言われたのは、一致合体がだんだんと実現されていったためです。
この一致が全うされたのも、十字架の苦難によるわけですが、これは、主がこの世で耐え
られた最後の試練で、その試練をとおして、徐々に(つながり)が生まれました。
栄化とは、主の人間性と、おん父との一致合体です。この栄化は、徐々に行わていきますが、
十字架の苦難をとおして完成しました。
主の人間性と神性の一致合体の意味することは、人間においてもみんな、自分の側から神に
近づいていかなくては、ならないことを意味しています。人が近づいていくに応じて、神はご自身
の側から人に入ってこられます。
これは神殿にたとえられます。まず、人間の手をつかって、建てられなくてはなりません。
それから献堂式が行われます。そのあとで、そこで祈るわけですが、こうして神は臨在され、
そこでご自身を教会に結び付けてくださいます。
304 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:04:39 ID:Ul3PhZgg
(
>>303 つづき)
65 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 21:50:00 ID:TFZbIhhC
>> 63
>「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。
>しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。
>すると、天から声が聞こえた。『わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう』(ヨハネ12.27,28)
>こう言われたのは、一致合体がだんだんと実現されていったためです。
この部分は「十字架の苦難」を「通じて」の「<栄化なるもの>が徐々に行なわれ」た
ということ、とは直接関係ないことなのね?
ヨハネによる福音書 / 12章 28-31節
父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を
現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、
ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。
「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、
この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
これは「そばにいた群衆に教えるために」聞かされた話、ということらしく。
するとこれはイエスの「栄化」=「神との一致合体」とは直接の関係はない、
ということでいいですか?
305 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:15:03 ID:Ul3PhZgg
(
>>304 つづき)
67 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:06:56 ID:erpvbgk4
神性と人間性の一致が全うされたのも、十字架の苦難によるわけです。
これは、主がこの世で耐えられた最後の試練で、その試練をとおして、
(つながり)が生まれました。
人間も、神から見捨てられることはありませんが、外見上ひとりで戦って
いるような気がします。
しかし、神は、そのようなとき、人間の心の最も奥深いところで、もっとも
近く現存し、支えておられます。だから人が誘惑に勝つとき、心の奥底部で
神と結ばれます。それは主がご自身のおん父と、悪魔の誘惑に勝つたびに、
内奥部でむすばれたのと同じです。
主は、十字架の苦しみで、ご自分が見捨てられたように思われました。
それは十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになった
のですか」(マタイ27.46)と言われました。
ここで今わかることは、主は神性の面ではなく、人間性の面で苦難を味わわれ、
それでもっとも奥深いところで、完全な一致合体が行われたということです。
人間も肉体で苦しむとき、魂は(苦しむ)のでなく、ただ(悲しむ)ということ
からも、説明できるでしょう。
その人が勝てば、神はその人の悲しみも取り除いてくださいます。
それは、人が眼から涙をぬぐい去るような感じです。
306 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:17:21 ID:Ul3PhZgg
(
>>305 つづき)
71 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:25:39 ID:TFZbIhhC
>> 67
|>> 63
|「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。
|しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。
|すると、天から声が聞こえた。『わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう』(ヨハネ12.27,28)
|こう言われたのは、一致合体がだんだんと実現されていったためです。・・・・・(*1)
仮にこの(*1)これが「栄化」の一部である(徐々に行なわれた)と言っていた>> 63のであれば、
確かに40日の断食時に「悪魔の誘惑に勝つ」言葉で神に近づいたという言い方も、まあできるのかも。
|>> 67
|主は、十字架の苦しみで、ご自分が見捨てられたように思われました。
|
|それは十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになった
|のですか」(マタイ27.46)と言われました。
|
|ここで今わかることは、主は神性の面ではなく、人間性の面で苦難を味わわれ、
|それでもっとも奥深いところで、完全な一致合体が行われたということです。
|
|人間も肉体で苦しむとき、魂は(苦しむ)のでなく、ただ(悲しむ)ということ
|からも、説明できるでしょう。
こっちはイエスの惨めな人間性なんでしょ?「悪魔の誘惑に勝つ」たのかな。
(*1)とは逆で、これが「神との一致合体」=あなたの「栄化」と言えるのかどうか?
というか、本当は「神との一致合体」=「栄化」なるものの根拠にならない、のでは?
307 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:20:01 ID:Ul3PhZgg
(
>>306 つづき)
72 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:30:06 ID:TFZbIhhC
>> 67は>> 66へのレスでいいんですよね?できれば、普通にアンカー打ってください。
73 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:37:47 ID:erpvbgk4
主は、そのご在世の当時、自己卑下と栄化と言われる二つの状態に
あったということは、教会でも知られています。前者の自己卑下の
状態については聖書のあちこちに記されています。
イザヤ書には、こうあります。
「彼が自らをなげうち、死んで罪びとのひとりに数えられたからだ。」(53.12)
それはまた、父のみまえでなさった、へりくだりの状態でもありました。
ご自分の心の中でおん父に祈り、そのみこころが行われるよう口にされ、ご自分
の行い・み言葉そすべてが、おん父のもだと言われました。
十字架上ではむしろ、「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てられたのですか」
と呼ばれたように、この自己卑下の状態がなかっらた、十字架につけられることは、
不可能だったでしょう。
主には自己卑下と栄化という二つの状態があったことは、神の普遍の秩序によることで、
一致合体にむかうには、それ以外の進展はありえないからです。
神の秩序とは、人が神の受け皿として自分をととのえ、神がおはいりになる器か住ま
いになり、人間自身が神の宮になって、そこに神がお住まいになることです。
308 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:25:12 ID:Ul3PhZgg
(
>>307 つづき)
74 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:54:45 ID:erpvbgk4
それでは、イエス様が十字架上で受けられた苦難の儀式にはどのような
内的意味があったのか、ご説明しておきましょう。
イエスさまが、ユダによって裏切られたということは、(みことば)を保有
していたユダヤ民族によって裏切られたことです。
ユダはユダヤ民族の表象だからです。祭司長や長老たちによって捕らえられ、
罪の宣告を受けたということは、ユダヤ教会全体から受けた仕打ちです。
殴打されたり、顔にツバをはきかけられたり、よしの棒で頭をなぐられたり
されたことは、主の神的真理の面で(みことば)にたいしてされた仕打ち
です。
茨の冠をかむせられたことは、かれらが、(みことば)をゆがめたり、冒し
たりしたことです。衣服がバラされたり、上衣がクジにかけられたりしたの
は、(みことば)の真理がことごとく散らされても、その霊的意味はそのま
ま保たれていたことを意味します。
主の「上衣」は、(みことば)の霊的意味のことです。主が十字架につけら
れたことは、(みことば)が全部めちゃめちゃにされ、冒涜されたことを言っ
ています。
主に酢を飲むように差し出されたことは、たとえ、(みことば)がゆがめられ
ても、主がそれをお飲みにならなかったことで、真意が保たれたことを示します。
脇腹をさしつらぬられたことは、(みことば)の真理も、主の善も、ことごとく
消滅したことを意味します。
葬られたことは、母親に由来する遺伝的なものが退けられたことです。三日目に
復活したことは、ご自身の人間性とおん父の神性との合体つまり栄光のことです。
だからここで分かることは、「不義を負う」とは、不義を取り除くことではなく、
(みことば)の真理が冒涜されたことを表します。
309 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:27:19 ID:Ul3PhZgg
(
>>308 つづき)
75 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 22:55:09 ID:TFZbIhhC
>> 73
再度言います、普通にアンカーをどうぞ。
>十字架上ではむしろ、「わが神、わが神、どうしてわたしを見捨てられたのですか」
>と呼ばれたように、この自己卑下の状態がなかったら、十字架につけられることは、
>不可能だったでしょう。
やっぱりこの「文章」普通に意味不明です。
>> 42 >この栄化は、徐々に行われましたが、十字架の苦難をとおして完成しました。
「徐々に栄化された」根拠になるのか、どうか。
特に>> 71の通り、>> 63で「天からの声がまわりの人間に聞かされてイエスが神の子
としての存在であることを威力で示した」ことを「栄化」が行なわれた一部だと
主張しているのであれば、それと対照的な「弱い人間としての形」が現れた十字架上の
イエスが、そのまま「栄化」を現したと説明する根拠になるというのは、整合的じゃ
ないんじゃない?
これ以外のほかの説明は、今の訊いていることと直接関係ないのでは。
310 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:31:21 ID:Ul3PhZgg
(
>>309 つづき)
77 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 23:07:09 ID:TFZbIhhC
>> 74
「全体として」そういう意味も持っているという受け取り方をすることに
いちいち異議はない。
説教とかで聖書のあちこちからいろんな意味を取り出して言うのは当たり前
なので、別に問題はない。悪影響がない限り、霊感において受け取ることは
それぞれの恵みによるものだから。
一点あきらかにしてほしいのは、>> 59。
>> 55
>墓に葬られ、そして、三日目に復活なさったのです。
>> 74
>葬られたことは、母親に由来する遺伝的なものが退けられたことです。三日目に
>復活したことは、ご自身の人間性とおん父の神性との合体つまり栄光のことです。
「肉体の復活というものは無かった」とあなたはずっと前から言ってましたよね。
最近急に「復活した」と言い始めているようですがwどうしました? (注)
-----------------------------
(注)本スレッドの
>>217 参照
-----------------------------
311 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 11:35:42 ID:Ul3PhZgg
(
>>310 つづき)
84 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 23:38:41 ID:TFZbIhhC
>> 74>> 55
イエスは「肉体を復活していただいた」のです?お答えを書いておいてください。
ずーっと訊いてます。
>> 59>> 77
これが証拠でした。
↓
キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/693 693 :神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 14:34:25 ID:JAHz2MUi ・・・・・(*1)
肉体を去ったあとの霊にしても、人の中にとどまっている霊に
しても、人間の(かたち)で目には映りません。人体の視覚器官と
しての眼は、この世で見ている限りは物質的なものだからです。
物質的なものは物質しか見えないし、霊を見るのは霊です。
したがって物質的な目では見えなくなった場合、霊は初めて、
人間の(かたち)をして、見えてきます。
スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
したがって、霊の世界を見るのは霊です。
主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
お出来になるそうです。
復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
ことを人は区別できないと言っております。
なぜなら、人は死んで、霊界にいってもいまだにこの世にいると思って
いる新参の霊は多いんだそうです。他の霊に諭されてそのことを知るそうです。
つい2日前に書いてた。とすると、やはり>> 55>> 74では「肉体の復活」を言って
いるのではないのでしょう。普通に見れば。
まぎらわしく言って結局結論が出ない。
イエスは肉体を伴って復活したが それでもその肉体は我々の自然的な地上の肉体とは違うだろう なぜならルカ24章のエオマへの二人の弟子への顕現では 「それで、彼らの目が開かれ、イエスだと分かった。 するとイエスは、彼らには見えなくなった」(ルカ24:31) とある また、ヨハネ伝20章によれば、イエスは戸が閉められてあったのに その中に入っていった(ヨハネ20:19,26)、とある イエスの復活した身体は、自然的だったのかもしれないが、 (ルカ24:36-43、ヨハネ20:27) やがて朽ち果てる我々と同じ肉ではなかったはずだ 同じだったら突然見えなくなるとか、戸が閉められてるのに その中に入ったりはできないのだから もっともマタイ28章では、主の御使いも石をどけたりしてるのだが (ひょっとしてこの御使いは・・)
失礼 エオマじゃなくて”エマオ”ね
314 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 15:47:06 ID:Ul3PhZgg
(
>>311 つづき) (
>>312 、それはそれでいいです)
89 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 23:48:32 ID:erpvbgk4
>> 77
主は、この世に来られるまえ、教会に属する人にとっては現存されて
いましたが、ご自分を代表する天使たちをとおしても間接的表現でした。
この世に来られたからは、教会に属する人にたいし、直接に現存されて
います。
というのは、主はこの世にあって神的自然性も身に帯びておられるから
です。その神的自然性のうちにあって、人々にたいし現存しておられる
わけです。
主の栄化とは、主がこの世でおとりになったご自身の人間性の栄化で
あって、この栄化された主の人間性が神的自然性です。
つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から
復活されました。墓には何も残されていませんでした。そうして天に帰ら
れもとの天の父神エホバに戻られました。
315 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 15:49:30 ID:Ul3PhZgg
(
>>314 つづき)
92 :神も仏も名無しさん:2010/03/26(金) 23:57:18 ID:TFZbIhhC
>> 89
じゃ、>> 84は何?
>スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
>反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
>したがって、霊の世界を見るのは霊です。
>主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
>お出来になるそうです。
>復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
>ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
>ことを人は区別できないと言っております。
「肉体」が「復活」したのであれば、なんでいちいち「霊界とやらに11弟子らを
連れて行って」とか言ってるのです?
結局、「肉体は復活した」の?復活したのなら普通に当たり前に、聖書にある通りに
地上で見せてやったのと違いますか?
316 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 15:53:05 ID:Ul3PhZgg
(
>>315 つづき)
120 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 09:23:57 ID:TqfUu6pR
>> 102
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/217 ↓
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
↑
あなたは、これだけはっきり「肉体の復活ということはない」と明言
してるんだけど、またしても、
>> 89
>つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から
>復活されました。墓には何も残されていませんでした。
ってなんなんですか?
あなたは、イエスの肉体の復活を事実だったと認めるのですか?
これに、「はい」か「いいえ」で答えてください。
「答えられない」なら何ユエに答えられないのか、その理由をどうぞ
317 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 15:57:16 ID:Ul3PhZgg
(
>>316 つづき)
121 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 09:34:12 ID:TqfUu6pR
>>102 >新ID:adknEVaO(旧ID:erpvbgk4)
>>92 を再掲する。
>>89 じゃ、
>>84 は何?
>スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
>反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
>したがって、霊の世界を見るのは霊です。
>主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
>お出来になるそうです。
>復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
>ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
>ことを人は区別できないと言っております。
「肉体」が「復活」したのであれば、なんでいちいち「霊界とやらに11弟子らを
連れて行って」とか言ってるのです?
結局、「肉体は復活した」の?復活したのなら普通に当たり前に、聖書にある通りに
地上で見せてやったのと違いますか?本当に「霊界とやらに連れていって見せた」の
ですか?
それとも、
>キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/693 は、ただのいつもの与太くり、あるいは寝言、戯言、おバカだったんですか?
それならそれで一言、寝言でしたと言ってください。
318 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:02:52 ID:Ul3PhZgg
319 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:05:59 ID:Ul3PhZgg
(
>>318 つづき)
123 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 09:59:15 ID:TqfUu6pR
>> 122 つづき
>新ID:adknEVaO(旧ID:erpvbgk4)
それで、あんたの言うことはこれからも一言の断わりもなくどんどん変節して行き、
またしても、しまいに知らん顔して前に言っていたことと全然違うことを言い出すことになるわけ??
そういう人が何言っても、その時点で言ったことがまたどうせ寝言でしたと後で言うんだろう、
何であれ無意味なんだな。寝言戯言に真面目に付き合うだけ時間の無駄だ。
言うことが断わりもなくいつの間にか変わるんなら、何言ってくれても聴くだけばかばかしい。
いったいいつの話を信用すればいいんだろうね。
320 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:10:58 ID:Ul3PhZgg
(
>>319 つづき)
127 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 11:04:45 ID:adknEVaO
>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
この人は聖書も読んだことがないんだろうか?
「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて
わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。』(ヨハネ11.25-26)
これがいわゆる無駄な神学論争です。
321 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:17:31 ID:Ul3PhZgg
(
>>320 つづき)
192 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:00:30 ID:TqfUu6pR
>> 127
また寝言言ってとんずらしてる。
>新ID:adknEVaO(旧ID:erpvbgk4)
>> 92を再掲する。
>> 89
じゃ、>> 84は何?
>スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
>反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
>したがって、霊の世界を見るのは霊です。
>主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
>お出来になるそうです。
>復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
>ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
>ことを人は区別できないと言っております。
「肉体」が「復活」したのであれば、なんでいちいち「霊界とやらに11弟子らを
連れて行って」とか言ってるのです?
結局、「肉体は復活した」の?復活したのなら普通に当たり前に、聖書にある通りに
地上で見せてやったのと違いますか?本当に「霊界とやらに連れていって見せた」のですか?
それとも、
>キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/693 は、ただのいつもの与太くり、あるいは寝言、戯言、おバカだったんですか?
それならそれで一言、寝言でしたと言ってください。
322 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:21:45 ID:Ul3PhZgg
(
>>321 つづき)
194 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:04:18 ID:TqfUu6pR
>> 127
これは神学論争なの?違うでしょ。「神学」とかは「あんたの戯言」がそれ。
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/217 ↓
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
↑
あなたは、これだけはっきり「肉体の復活ということはない」と明言
してるんだけど、またしても、
>> 89
>つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から
>復活されました。墓には何も残されていませんでした。
ってなんなんですか?「イエスの肉体」は「復活した」の?[復活しなかった」の?
どっちが寝言だったんです?
あなたは、イエスの肉体の復活を事実だったと認めるのですか?
これに、「はい」か「いいえ」で答えてください。
「答えられない」なら何ユエに答えられないのか、その理由をどうぞ。
323 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:24:38 ID:Ul3PhZgg
(
>>322 つづき)
198 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:25:34 ID:TqfUu6pR
>> 127
>この人は聖書も読んだことがないんだろうか?
だから、読んだんなら答えられるはずだけどね?
>> 89
>つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から
>復活されました。墓には何も残されていませんでした。
ってなんなんですか?「イエスの肉体」は「復活した」の?[復活しなかった」の?
どっちが寝言だったんです?
あなたは、イエスの肉体の復活を事実だったと認めるのですか?
これに、「はい」か「いいえ」で答えてください。
なんでちゃんと「はい」か「いいえ」で返答できないの?>> 192>> 194に。
イエスの説教はこうだよ。↓
マタイ 5章 37節
「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
324 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:28:03 ID:Ul3PhZgg
(
>>323 つづき)
201 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:28:08 ID:adknEVaO
また例のあたまがおかしい人がやってきたよ~~
マタイ 5章 37節
「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
内的意味もわからないうちにこの聖句をつかわないように。
205 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:39:50 ID:TqfUu6pR
>> 201
そうやって逃げない方がいいよね。まあいつもだけど。
>あたまがおかしい人
世間じゃ、普通自分の言ってる話が前後で矛盾してたり、知らないうちに
やたらと変節してたりしたとき、これは間違っていたかも、と自己反省して
謝るべきところは謝って、主張を変えるなら「前は間違いだったが、今からは
変えます」と言って「断わりなく黙ってこそこそ変節した」と言われないよう
気をつけるんだが。
そういう当たり前の作法もない、あんたの頭が「狂ってる」というね。普通はな。
325 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:31:11 ID:Ul3PhZgg
(
>>324 つづき)
206 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:41:06 ID:adknEVaO
つきまとうのはやめておくれ、めいわくだから。
207 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:43:50 ID:TqfUu6pR
>> 206
>つきまとう
は?意味不明。w
208 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:47:02 ID:TqfUu6pR
>> 201
>また例のあたまがおかしい人がやってきたよ~~
>マタイ 5章 37節
>「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
>内的意味もわからないうちにこの聖句をつかわないように。
じゃこれについて説明してみて。このイエスの説教の言葉の「内的意味」とは何?
326 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:34:07 ID:Ul3PhZgg
(
>>325 つづき)
209 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:56:06 ID:TqfUu6pR
>> 89 は、どうやら
スウェーデンボルグ著作研究 - メルマ!
http://www.melma.com/backnumber_63322_592384/ からのコピペだな。
とすると、スエデンおばさんは、今までは、ずーっと
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/217 ↓
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
と言ってきた「イエスの肉体の復活はなかった」と主張してきたのに(だからこそ>> 84)、
それが、あちこちググって探してみたら(こいつ)を見つけて、ついついこれにすがって
思わずコピペってしまった。w
で、結局、スエデンは「どっちを説いていたのか」自分でも言えなくなったんだな。
そんないい加減な話をずっと言ってきたんだね?それでその矛盾をどうにもできずに、
結局またお茶を濁して>> 127w、またしても泡と消え去ったスエデンおばさんだね。
327 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 16:38:03 ID:Ul3PhZgg
(
>>326 つづき)
210 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 15:58:50 ID:adknEVaO
>> 208
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくも
熱くもなくない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から
はきだそうとしている」(黙示録3.15)
また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
211 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:02:24 ID:TqfUu6pR
>> 210
ところで。>> 209は読みました?w
>> 201
>また例のあたまがおかしい人がやってきたよ~~
>マタイ 5章 37節
>「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
>内的意味もわからないうちにこの聖句をつかわないように。
早く説明してみて。このイエスの説教の言葉の「内的意味」とは何なの?
あんたが言ったんだぜ。
>内的意味もわからないうちにこの聖句をつかわないように。
だったらわかってるんだよな?おまいは。
328 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 18:32:00 ID:Ul3PhZgg
(
>>327 つづき)
213 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:06:04 ID:TqfUu6pR
>> 206
>めいわく
は?何が?
214 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:21:43 ID:adknEVaO
主(イエス)が(みことば)であることは、ヨハネの福音書にはっきり書いてあります。
「初めに(みことば)があった。(みことば)は、神のみもとにあった。
神は(みことば)であった。・・・そして(みことば)は肉(ヒト)となった。」(ヨハネ1.1,14)
また、ヨハネは、その第一の手紙の中ではこう記されています。
「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてください
ました。(ヨハネT5.20)
だからこそ、主は何度も、「わたしはあなた方によく言っておく Amen dico vobis」
と言われました。ヘブル語でアーメン Amen というと、真理のことです。
だから、主のことを「アーメンなる者」とあります。黙示録3.14には、「真理である方」と
記されています。
以上のことから、主は今もなお(みことば)のうちに現れてくださるこよがはっきりします。
それはイエス個人としての出現ではありません。そのわけは主が天界におのぼりに
なったあと、その人間性は栄化されていて、人にお現れになるには、まずその人の
霊の目が開かれていないかぎり不可能です。悪とその結果の偽りのうちにある人の
目は、開かれていません。だから、ご自身を弟子たちにお示しになったときも、まず
かれらの目をお明けになりました。
「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(ルカ24.31)
329 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 18:35:18 ID:Ul3PhZgg
(
>>328 つづき)
215 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:22:37 ID:adknEVaO
ご復活のあと、墓のそばにいた婦人たちにも、同じようなことが起こりました。そのとき
かれらは、墓の中に座って、かれらに話かけた天使たちを見ましたが、これは、人が
肉眼で見たのではありません。主のご復活のまえにも、栄かされた人間の姿を使徒たち
が見たのも、肉眼で見たのではありません。霊のうちで見ました。夢の中で見たように、
霊の目覚めがあって見えたのです。
以上は、ペテロとヤコブとヨハネの面前で、主が変容なさったことからも明らかです。
「ペテロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに
立っている二人が見えた」(ルカ9.32)
以上のことから、主が天の雲に乗って、個人として現れると信じることは無意味です。
主は(みことば)のうちに、ご自身をもとにして、ご自身が来られるわけです。
330 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 18:40:27 ID:Ul3PhZgg
(
>>329 つづき)
216 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:24:49 ID:TqfUu6pR
ここ、10スレぐらいの間のまとめを以下に掲げます。
■■■ スエデンおばさん のこれまでの議論のまとめ (その1) ■■■
1.イエスは奇跡を行なわなかった、そんな科学的ではないことは起きるわけがない、
それは主の神的秩序から当然だ。
→では主の神的秩序とは何ですか?→(答えられず、結局は不明なまま)
→いろいろ訊いて行くと・・・ →「奇跡はいくつかは実際にあったことです」と言う始末で、
断わりもなくいつも間にか変節していた
→「奇跡はあったのか、なかったのか」と最終的に質すと→結局、あいまいなまま答えずチョン。
2.創世記のアダム以降の寿命年齢の意味は古代教会の性質を表す数字で寿命という
時間ではない、各数値は、3,5,7,12など、霊的あるいは内的な重要な意味を内包
していて、みんな重要な意味がこめられている
→では、それぞれの各寿命の値の数値をそれぞれ説明してください、1,2,3,4,5,6,7,・・・
→音沙汰なしで知りきれトンボで終了。
3.アダムはアダマ(土)から取られたという意味だったが、それが「理性」になったり
「教会」の名前になったりするというのはおかしいのでは?と問うたが→回答なし
>>1 パウロが地獄につながれているといった時点でアウト
ダビデが地獄につながれているといった時点でアウト
議論するほどのことかw
332 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 18:44:57 ID:Ul3PhZgg
(
>>330 つづき)
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:25:59 ID:TqfUu6pR
>> 216(つづき)
■■■ スエデンおばさん のこれまでの議論のまとめ (その2) ■■■
4.パウロは悪霊に憑かれて間違った教えにのめり込んで、イエスからの教えを受けずに
自分の作文で書簡を書いて後代の人間を騙して教会を堕落させた!
→パウロも12弟子もみんなイエスの聖霊降臨の予言の中で、信仰と聖霊の一致を証した
ことを聖書から逐一説明されると →パウロへの批判を引っ込めて
→あっさりパウロの書簡からホイホイ引用を始めてしまった(5.の後w)
5.イエスの肉体の復活はなかったと強硬に主張していた
→復活したあとの弟子らへの現れその他についての、ヨハネ伝の記述は「霊界に弟子ら
を連れて行って見せてやったビジョンに過ぎなかった」と明言し「スェ神学では肉体の復活
というものは存在していません」とまで明言していた
→ところが一転、「イエスは墓から肉体ごと復活してそのまま天界に昇ったのだ」とメルマガ
からコピペしてしまったw →結果、その後で「イエスの肉体は復活したのですか?」と確認
されると答えられずに矛盾を処置できず、またしても黙り込んでチョン.
>>1 パウロが地獄につながれているといった時点でアウト
ダビデが地獄につながれているといった時点でアウト
論外ですなw
334 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 18:50:06 ID:Ul3PhZgg
(
>>332 つづき)
219 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:51:50 ID:TqfUu6pR
「弟子の肉眼でイエスの復活した肉体が見えたかどうか」の話はひとまず置くよ。
>> 214-215
で?いちいちごまかしてないかな。なんか尤もらしく語っているけどさ。
>>198 の
使い方でなにか問題でもあったんですかね?
>> 201 >また例のあたまがおかしい人がやってきたよ~~
>マタイ 5章 37節
>「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
>内的意味もわからないうちにこの聖句をつかわないように。
マタイによる福音書 / 5章 33-37節
「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して
誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを
立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて
誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。
そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、
あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。
それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
だからさ、あんたがその「内的」な意味の「アーメン」で「真実」を語ってくれればいい>> 216-217。
「スェ神学によると」と「神学にかけて」言っていたのは誰かな。>> 214-215とかでも、
なんら矛盾は解決されないと思うが。>> 209
|>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
>>1 パウロが地獄につながれているといった時点でアウト
ダビデが地獄につながれているといった時点でアウト
論外ですなw
336 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 18:58:55 ID:Ul3PhZgg
(
>>334 つづき)
220 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 16:58:24 ID:adknEVaO
>> 217
>1.イエスは奇跡を行なわなかった、そんな科学的ではないことは起きるわけがない、
> それは主の神的秩序から当然だ。
イエスの奇蹟は科学的に説明ができないといっただけで、そんなこと書いてません。
それから、一瞬のうちに悪人を善人に変えるような「奇蹟」は、主の神的秩序に反すると
書いたまでです。
> →では主の神的秩序とは何ですか?→(答えられず、結局は不明なまま)
> →では、それぞれの各寿命の値の数値をそれぞれ説明してください、1,2,3,4,5,6,7,・・・
> →音沙汰なしで知りきれトンボで終了。
うるさいから放置しただけ、説明できないのではない。(どうしてどうしてともう子供とおなじだから、
際限がないんです~~)
>>1 パウロが地獄につながれているといった時点でアウト
ダビデが地獄につながれているといった時点でアウト
338 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:07:44 ID:Ul3PhZgg
(
>>336 つづき)
221 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:00:47 ID:adknEVaO
> >> 216(つづき)
>.パウロは悪霊に憑かれて間違った教えにのめり込んで、イエスからの教えを受けずに
> 自分の作文で書簡を書いて後代の人間を騙して教会を堕落させた!
あの、どこでそんなことを書いているの?
パウロが生前の自己愛で、他生では地獄の悪霊どもと結託していると書いてあるのは
スェ氏の霊界日記のことだが、それはあくまで他生での話でしかないんですね。
うまり、パウロが生きていたこの世でおこったことではなく、したがって根拠のない言いがかりというものです。
こちらは、パウロ使徒書簡から引用して、信仰義認などを書いただけです。
それからイエスの教えを受けずにパウロ書簡を書いたとはいっておりません。
パウロ書簡にある、信号義認やキリスト功徳のおかげさま信仰は、イエスの教えにはないと書いたまでです。
>5.イエスの肉体の復活はなかったと強硬に主張していた
肉体の復活を含めて、これまで復活の意味を説明したことが理解できないようです。
あのね、そんな妄想大嘘書かないでください。
だからイヤなんですね、こんな理解力のない人とレスするのは。
ウソじゃないと言うならちゃんとレス番示してみなさい。
339 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:14:20 ID:Ul3PhZgg
(
>>338 つづき)
222 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:02:58 ID:TqfUu6pR
>> 221
>肉体の復活を含めて、これまで復活の意味を説明したことが理解できないようです
それはウソです。やはり「あなたの頭が狂ってる」か「普通の日本語の能力がない」か、のどちらかです。
>> 219 (つづき)
>> 214-215
>> 219の最後のところの意味を「明確」にもう一度言います。
>> 209
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/217 ↓
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
| 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本スレ>> 89
|>つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から
| 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜
|>復活されました。墓には何も残されていませんでした。
| 〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
結局、「肉体」を伴って復活したの?していないの?どっちです?
340 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:22:06 ID:Ul3PhZgg
(
>>339 つづき)
226 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:08:59 ID:adknEVaO
> 本スレ>> 89
> |>つまり主は、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から
> | 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜
> |>復活されました。墓には何も残されていませんでした。
> | 〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
> 結局、「肉体」を伴って復活したの?していないの?どっちです?
日本語も読めんのか?
341 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:26:32 ID:Ul3PhZgg
(
>>340 つづき)
228 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:18:22 ID:TqfUu6pR
>> 226
>> 222読めてるのかなw。
はい、だから>> 122。
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/217 ↓
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
これがあんたの与太くり、あるいは寝言、戯言、おバカだったということ
でいいのね。
違うのなら、なんで訊いたときに返答しないで来たのかなw?矛盾していない
のならさっさと返事すればいいのになぁ。なんで??
342 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:32:36 ID:Ul3PhZgg
(
>>341 つづき)
230 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:19:27 ID:TqfUu6pR
>> 220
>イエスの奇蹟は科学的に説明ができないといっただけで、そんなこと書いてません。
ウソです。
「5000人の給食」の奇跡はあったんですか?なかったんですか?
あなたは「あれは喩え話です」と言っていましたよね。なぜ「喩え話」だけであって
「現実にあった話ではない」と言い切れたのです?
その根拠に「科学的にあり得ない」「神が全能であるというのは、法則の制限の
範囲内での全能であって、科学的にあり得ないような奇跡など、<主の神的秩序>
によって不可能だ」という主張をされていた。だからアレだけ議論になったのです。
ごまかしするのは<主の神的秩序>が許す範囲内だからなのですか?
マタイ 5章 37節 「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。」>> 198
343 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:39:20 ID:Ul3PhZgg
(
>>342 つづき)
231 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:29:25 ID:TqfUu6pR
>> 220
>(数字の内的意味の件)説明できないのではない
だったらやってみな。本当にできるとは(ry〜)w
>> 221
>パウロ使徒書簡から引用して、信仰義認などを書いただけです
ウソです。都合よく利用しています。パウロを利用して引用している。
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/236 |主の自然的肉体は、栄化によって神のものとなったことが分かります。
|だから、パウロも言っています。
|「キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって、
|宿っており、」(コロサイ2.9)と。
「自己愛」ゆえに「イエスの言葉」を「引用できなかったパウロ」と貶めておいて
なんで都合がいいところは利用するのです?
マタイ 5章 37節 「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。」>> 198
344 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:47:36 ID:Ul3PhZgg
(
>>343 つづき)
233 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:32:04 ID:adknEVaO
>> 228
>スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
>人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。
だからこれは、イエスのような神人が、肉体を持って復活をしたことや、
イエスが、死んで四日も経っていたラザロを死人の中から甦らせたと
言っても、死んで、肉体がばらばらになってしまったような人間が
再び肉体を伴って復活することは、ありえないと言う意味で書いたまでです。
345 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 19:54:29 ID:Ul3PhZgg
(
>>344 つづき)
237 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 17:51:23 ID:adknEVaO
>> 230
>イエスの奇蹟は科学的に説明ができないといっただけで、そんなこと書いてません。
>ウソです。
>「5000人の給食」の奇跡はあったんですか?なかったんですか?
そんなことはわかりません。
それは喩なのかも知れないし、本当に起こったことも知れないしね。
>> 231
>(数字の内的意味の件)説明できないのではない
>だったらやってみな。本当にできるとは(ry〜)w
気が向いたら説明してあげるよ。
>「自己愛」ゆえに「イエスの言葉」を「引用できなかったパウロ」と貶めておいて
>なんで都合がいいところは利用するのです?
パウロについて私が知っていることをことごとく述べるなら、何ページにもなるであろう。
彼が〔「新約聖書」の〕「使徒書簡」を書いたことは、
彼の内面もそれにふさわしい者だったという証明にはならない。なぜなら、
敬虔でないない者でも良い説教をし、「使徒書簡」を書くことができるからである。
話したり書いたりすることと、その人間がどういう人間かということは別なことである。
このことはまた彼に〔天界から〕話された。さらに、彼はその「書簡」の中で、
主が教えたことの一言も述べていないし、主のたとえ話の一つさえも引用していない。
(『霊界日記』スウェーデンボルグ/高橋和夫訳編、角川文庫)
346 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:00:36 ID:Ul3PhZgg
(
>>345 つづき)
259 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 20:51:21 ID:TqfUu6pR
>> 237
|>>「5000人の給食」の奇跡はあったんですか?なかったんですか?
|そんなことはわかりません。
|それは喩なのかも知れないし、本当に起こったことも知れないしね。
はい、ウソですね。
↓
「キリスト教@質問箱211」 から
|644 :神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 19:30:41 ID:AyuPszdb
|>「食料が増えて満腹になったとか、あり得ない」
|これは喩です
やっぱり、ウソ吐きでした。
261 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 20:55:37 ID:adknEVaO
>> 259
じゃたとえと言うことにしといてね~~+
この人、あのフォトンの人なんですって、
ほんとにすっぽん亀みたいですね。げらげら
269 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 21:11:45 ID:TqfUu6pR
>> 261
え?それで済まされると思ってるの?おまえの言うことはもう信頼性ゼロだね。
後でどうとでも覆(くつがえ)すんだろ?おまえが何言っても戯言ってこと。
しかも聖書を冒涜してるというわけだね、それでね。(〜つづく)
347 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:11:13 ID:Ul3PhZgg
(
>>346 つづき)
269 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 21:11:45 ID:TqfUu6pR
(前略
>>346 )(つづき〜)
>> 233
|だからこれは、イエスのような神人が、肉体を持って復活をしたことや、
|イエスが、死んで四日も経っていたラザロを死人の中から甦らせたと
|言っても、死んで、肉体がばらばらになってしまったような人間が
|再び肉体を伴って復活することは、ありえないと言う意味で書いたまでです。
はいまたウソです。あなたは「わたしの質問」への「返答」として答えてるんだぜ?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
↓
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/217 ↓
217 :神も仏も名無しさん:2010/03/24(水) 23:01:33 ID:gWNp/hLr
|
>>215 |
>>212 |>「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。
|
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。 ・・・・・(*1)
『「心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じ」ますか。 』という質問への返答で、
なんで「イエス以外の人間の話」を答えるんだろうね?
言い訳や弁解するんならもう少しましなことを思いつけばいいのに、やっぱり頭が狂ってるな。
348 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:19:36 ID:Ul3PhZgg
(
>>347 つづき)
274 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 21:31:52 ID:TqfUu6pR
>> 269 (つづき)
それに「イエス」=”完全な意味での「人間」” という定義までしている。
キリスト教正統派VSスウェーデンボルグ徹底討論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1269010039/236 |236 :神も仏も名無しさん:2010/03/25(木) 01:17:04 ID:ULs77P0a
|霊界では、主おひとりが、完全な意味での人間であることを、天使たちは
|わきまえているのです。
「これ」を受けての返答じゃなかったのか?だとすると無駄なことをあれこれ口走ってるのねw
↓
>> 269の(*1)。
|スェ神学においては、キリスト教会が教えているように、一度死んだ
|人間が、再び肉体を取り戻して甦ると言うような教義はありません。 ・・・・・(*1)
〜〜〜
頭のおかしい矛盾だらけのスエデン教さんw
349 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:27:07 ID:Ul3PhZgg
(
>>348 つづき)
273 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 21:28:53 ID:TqfUu6pR
>> 261
だから一事が万事なんだろう。
>> 237
>(数字の内的とやらのこじつけの意味についてw)気が向いたら説明してあげるよ。
ボロ出まくりだから、結局やめとくのね。できないならできないと正直に言えば?ww
口から出マカセだけの下手糞ないいわけ満載。スエデンおばさんwwククク
はい、パウロの件、
↓
>彼が〔「新約聖書」の〕「使徒書簡」を書いたことは、
>彼の内面もそれにふさわしい者だったという証明にはならない。なぜなら、
>敬虔でないない者でも良い説教をし、「使徒書簡」を書くことができるからである。
>話したり書いたりすることと、その人間がどういう人間かということは別なことである。
>このことはまた彼に〔天界から〕話された。さらに、彼はその「書簡」の中で、
>主が教えたことの一言も述べていないし、主のたとえ話の一つさえも引用していない。
> (『霊界日記』スウェーデンボルグ/高橋和夫訳編、角川文庫)
何これw
「自己愛」ゆえに「イエスの言葉」を「引用できなかった」「敬虔でない」「パウロ」と
貶めておいて、なんで都合がいいところは利用するのです? ほぼ「前言同文」でいい
ですよね??
やっぱりスエデンおばさん相当頭おかしいね、当たり前の受け答えすら出来てない。
350 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:36:11 ID:Ul3PhZgg
(
>>349 つづく)
276 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 21:41:10 ID:TqfUu6pR
>> 261
はい確実に<ウソ>ですよね。 次から次へとウソついてるよ。
↓
「キリスト教@質問箱211」 から
|644 :神も仏も名無しさん:2010/02/24(水) 19:30:41 ID:AyuPszdb
|>「食料が増えて満腹になったとか、あり得ない」
|これは喩です
↑
はっきり断言してるぜ?「これは喩です 」。今度は何?
>> 237
|>>「5000人の給食」の奇跡はあったんですか?なかったんですか?
|そんなことはわかりません。
|それは喩なのかも知れないし、本当に起こったことも知れないしね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ウソ吐きでしょう、どう見ても。
テキトーにその場シノギでどうとでも言ってるわけね。スエデンおばさん
そういう人間の言うことは価値ゼロだという普通の頭になってから出直してきてよw
そうじゃないとみんなあんたにたぶらかされてる、だけでさ。馬鹿馬鹿しいなw
351 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:43:48 ID:Ul3PhZgg
(
>>350 つづき)
287 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 22:09:15 ID:TqfUu6pR
さてとこれだが、
#
>>219 #「弟子の肉眼でイエスの復活した肉体が見えたかどうか」の話はひとまず置くよ。
>>214 |それはイエス個人としての出現ではありません。そのわけは主が天界におのぼりに
|なったあと、その人間性は栄化されていて、人にお現れになるには、まずその人の
|霊の目が開かれていないかぎり不可能です。 (*1)
それはどうだろう?本当かね。
イザヤ書 40章 1-5節
慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。
エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、
荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イエスの業が完成してイエスは復活した。その結果「山は低くなり、険しい道は平らに」
なったのかもしれないね。その意味はまた後でねw。『その栄光は「肉なる者」が「共に」
「見る」ことになる』と「神」ご自身によって「宣言」されていたかもしれない。
仮にそうならば、こんなこと(*1)を軽々しく言えるような根拠はホントにあるのかね??
352 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:48:58 ID:Ul3PhZgg
(
>>351 つづき)
299 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 22:34:33 ID:TqfUu6pR
>> 287 (注:自己レス)
(*1)が言えるかどうかだけど、
ルカによる福音書 / 24章 15-18節
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、
やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。
その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで
起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
ここで、確かにイエスの姿はたしかに弟子らには「それと判別できなかった」とは確かに読める。
しかし実際には「人の姿」は「見えていた」ということは確か。しかしその人がまさか十字架に
掛かって苦難を受けて槍で指されて無残な殺され方をされた「イエス」だとは、まさか思っては
いなかったわけだ。これが普通の反応なんだろうね。つまり、これは肉眼では「人の姿は
見えていた」と考えるのが普通ではないか?
353 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 20:59:31 ID:Ul3PhZgg
(
>>352 つづき)
305 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 22:46:20 ID:TqfUu6pR
>> 299 (つづき)
それで、イエスは一度消えてから、またお現れになって、
ルカによる福音書 / 24章 36-40節
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和が
あるように」と言われた。彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。・・・・・(*2)
そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、
あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
ここで(*2)という描写があることに注意すると、全員が霊界に連れて行かれて見させ
られた映像というのは、ちょっと無理がある。普通、亡霊が現れた、という表現は、地上の
人間が幽霊を見る、という言い方で使う。つまりここでは弟子たちは普通に肉体のまま
の感覚において「亡霊」を「見た」と思ったのではないか?
だとすればその後のイエスの身体への接触や魚を渡して食べていただいた状況もその
肉体上の感覚のままで「経験」したことと取るのが普通ではないだろうか。
354 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 21:11:11 ID:Ul3PhZgg
(
>>353 つづき)
313 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 23:09:46 ID:TqfUu6pR
>> 305 (つづき)
そこで>> 299に補足、マルコを見ると
マルコ / 16章 11-15節
しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを
聞いても、信じなかった。その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イエスが別の姿で御自身を現された。・・・・・(*3)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。
その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心を
おとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を
宣べ伝えなさい。
とある。(*3)は、すなわち「十字架につけられて苦しまれたときの姿ではない別の
姿で」の意味ではないのか?・・・・・(*4)
もし、これが「栄化された霊体としての姿」を意味したとすると文章としておかしいだろう。
それならば「栄光のからだで」という表現にならないと、意味としてしっくりしないのでは
ないか?(*4)であるとすれば、当然>> 299のように、「人間の姿」は認識できていた
としても、それが「まさかあの苦しまれて死なれた」イエス様とわからなかったのも確か
かもしれない。
ここを考慮してもやはり「肉の目で見て」いたが「姿を変えてイエスとはわからないよう
にして現れておられた」「だからイエス様とはわからなかったのだ」と普通に解するのが
妥当ではないだろうか。 (さらには、>> 300 の意味も当然、あったかもしれない)
355 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 21:18:34 ID:Ul3PhZgg
(
>>354 つづき)
318 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 23:25:47 ID:TqfUu6pR
>> 313(つづき)
それで結局、>> 287の(*1)および次の(*5)のような説明は、普通に「その必然性
が疑われる」と思われる。
結論として、
<霊界に引き上げてみさせた復活後の霊的な映像だ!!説>は「あまり根拠のない」
「勝手な想像だけのお話」
ではありませんか?
>> 215
|ご復活のあと、墓のそばにいた婦人たちにも、同じようなことが起こりました。そのとき
|かれらは、墓の中に座って、かれらに話かけた天使たちを見ましたが、これは、人が
|肉眼で見たのではありません。主のご復活のまえにも、栄かされた人間の姿を使徒たち
|が見たのも、肉眼で見たのではありません。霊のうちで見ました。夢の中で見たように、
|霊の目覚めがあって見えたのです。 ・・・・・(*5)
この(*5)と次の(*6)の関連も、やはり必然性を訴えるにはあまり根拠はないのでは?
|以上は、ペテロとヤコブとヨハネの面前で、主が変容なさったことからも明らかです。 ・・・・・(*6)
|「ペテロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに
|立っている二人が見えた」(ルカ9.32)
で、結局、何を問題としているのか? もうちょっと簡潔にまとまりませんかね
357 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 21:28:12 ID:Ul3PhZgg
(
>>355 つづき)
326 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 23:57:07 ID:TqfUu6pR
>> 287>> 299>> 305>> 313>> 318 の結論として
「肉なる者が共に見た、イエスの復活の栄光のおからだであった」
と解するのが、聖書の文脈から普通に読めることであった、と考えられる。とすると、
イザヤ書 40章 5節
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
の通り、「肉なる者」がそのまま「神の復活された栄光のお身体(からだ)」 を見ることが
できたことは、そのまま、「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低く」し、「険しい道は平らに
狭い道は広い谷と」なったことを、意味したのではないか。
つまり、「肉なる者」、「普通の人々」にとって「たやすい悔い改め」が可能になった「新約」が
以下のようにして成就したということでは? 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ルカ 24章 46-49節
言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束された
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こうして「新しい契約」が「聖霊降臨」によって「成就」することとなり、既述したパウロの
信仰義認による「信じた人には、その罪が無かったことにして赦す福音」が完成したと
いうことであると。
358 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 21:34:06 ID:Ul3PhZgg
(
>>357 つづき)
321 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 23:39:26 ID:adknEVaO
主は、ご自分のしもべであるわたしの眼前に、ご自分を示し、わたしをこの
職務につかせられました。そのあと、わたしの霊の目をひらかれ、わたしを
霊界に連れていかれました。
そして、天界や地獄を見せてくださり、それでわたしは天使や霊たちと話す
ことができました。それがもう何年も続いているということを、真理として
証言します。
しかも、その召命の最初の日依頼、その教会の教義にかんしては、どんなこ
とでも、天使からではなく、主おひとりから、わたしが(みことば)を読ん
でいるとき、教えられました。アーメン。
326 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 23:57:07 ID:TqfUu6pR
(前略)
>> 321
ここで新約の意味とともにまとめれば、このようになる(
>>357 )んでしょう。
だからキリスト教の新しい契約はイエスの復活の目的に結局はかなっているんじゃない
ですか?
359 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 21:37:48 ID:Ul3PhZgg
(
>>358 つづき)
328 :神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 00:03:01 ID:adknEVaO
>> 327
> 321
は、スウェーデンボルグが言ったことなのね、あたしじゃないの。
ほんとにここは逝かれたのばっかりみたいね。ではでは
334 :神も仏も名無しさん:2010/03/28(日) 00:25:00 ID:Ul3PhZgg
>> 328
で、結局最後は一つ覚えの捨てゼリフ。パターンは毎度毎度、おなじみで。
馬鹿馬鹿しいスレにしてるのがほかならぬ自分という自覚もないのもおなじみ。
ウソはつく、前言はいつの間にか平気で断わりもなしにどんどん覆す、
言ってることはメチャクチャのまま黙ったまま姿を消してw
また「ご質問です、付き合ってください」とか言ってまた悪霊のように
現れるwそれで「つきまとう」だとか「めいわく」だとかw>> 206。
やっぱりどうかしてるんでしょう。何言ってやってもダメですね。
他人のレスなんか、いくら書いてやったって読むでもないくせに言うことだけは
何かやたらとえらそう。ご病気が治るといいです。
復活後のイエスが肉眼で見えたのかどうか 難しいところですな 主がその人の霊の目を一時的に開いて、その人の肉体は地上にありながら 霊的なものを見れるようにした可能性も確かに否定できないのでは?
まあ神学の奥義を完全に究めた人なんて、 全知全能の神以外に誰もいませんよ 分からないことなんていくらでもある とりあえずイエスは神としてのみならず、人として復活した。 この神の人性も完全に神的である。 ということでいいんじゃないですか? アタナシオス信条にも 一であるのは肉における神性の転換によってではなく、 神における人間性の取得によってである。 一であるのは実体の混同によってではまったくなく、 ペルソナの統一によってである。 と、ありますからね。
362 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 21:58:40 ID:Ul3PhZgg
>>356 せっかくあるスレッドなんで、記録のためにわざわざ移しています。今回は
>>351-357 が
イエスの復活関係で、おばさんへの反論としてまとめたもの。
以降、これらへも含めて一切、おばさんの反論はナシ。
ID:adknEVaO のスエデンおばさんwが出張ってウソとその場しのぎだけ言い放題
言ってはぐらかしてた<あっちのスレ>で見ていた人は、誰もそういうことを言わず。
なので仮にリアルタイムで見てたらわかったかと。こっちにはスレ対応で「アンカー」
無効にしてるから対応関係見るのには手間はかかる。興味持ってる人はそれでも読む
でしょうw。
「普通に」ここでやればいいだけなのにわざわざ嫌がらせで「キリスト教」スレに
出張ってるんで。w→スエデンおばさん。結局ウソツき放題ツイておしまいだった
ってことでチョンでした。詳しく知りたければ上のをちゃんと読めばOK。
>>361 > この神の人性も完全に神的である。
完全な神性と完全な人性、じゃなくて?
364 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 22:09:32 ID:Ul3PhZgg
>>360 >主がその人の霊の目を一時的に開いて、その人の肉体は地上にありながら
>霊的なものを見れるようにした可能性も確かに否定できないのでは?
>>357 で言っていることの意味が納得できれば、新約において「肉なる者」が
そのままでイエスの栄光のご復活を見ることができたということが、まさに
象徴的に「救いが広くたやすいものになった」ことに対応する、だからこそ
「肉の目で見える」イエスのご栄光であったことがふさわしいのでは?
そういうことを言っています。つまり、キリスト教がたやすい「信仰義認」
であることに対応している神の栄光、ならばまさしく「山は低く、道は広く
なった」ということにふさわしい「肉の目に見える神の栄光」ということかと。
ご復活後のマリアや弟子らへの出現の記述からも、普通にそれが読み取れる
のではありませんか、ということを示しました
>>351-357 。
私の聖書では、肉なる者、ではなく、全ての者とあります。 まあ言葉尻の問題になりますが、全て者は神の栄光を見る とはありますね。となると、神の栄光とは何を指しているのかが問題となる だが一方では「主は彼らの目を盲目にされた。また彼らの心を 頑なにされた。それは、彼らが目で見、心で理解し、回心し、 そして私が彼らをいやす、ということがないためである」 というようなこともイザヤ書に書いてませんでしたっけ?
あと、例えば使徒言行録の9章にある、パウロの回心の場面では パウロに同行していた人達は声は聞こえたがそれ以外には 何も見なかったわけです(パウロは天の光によって一時的に失明した) やはり主が何らかの理由で自分を何らかの形で見せたいと 思う人間にしか見えないんじゃないでしょうか。 すくなくともこの地上では。その代わりですが地上の普通の? 我々のような人間のために聖書があるわけです。
367 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 22:53:34 ID:Ul3PhZgg
>>365 英語版で確認するとこうなっていました。
Isaiah 405
http://bible.cc/isaiah/40-5.htm King James Bible
And the glory of the LORD shall be revealed,
and all flesh shall see it together:
for the mouth of the LORD hath spoken it.
ほとんどが 'All Flesh shall see ・・・'でたぶん原文は「肉なる者」では?
そうじゃないとこういう訳文は生まれないはずです。
mankind とか people とかを当ててあるのは意訳したんでしょう。日本語訳でも
口語訳と新改訳ではそちらを採用したんでしょう。
意訳してしまうとその時点で翻訳者の受け取り方がどうかで聖書が決まってしまうのは
避けられず。ま、だからこうやっていろんなバージョンが見られるようにはしてあるわけで。
ときどき参照すると収穫が。
368 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 23:03:17 ID:Ul3PhZgg
>>365-366 ご復活後のイエスが超自然の神の力でなんでもおできになったのは当然と言えば
当然でしょうね。まさしく、肉にある時から、すでにイエスは数々の奇跡を起こされていた。
ならば、どうとでもできたということ自体に異論はありません。
姿を自在に隠されたり洗わされたりすることも可能であった、それも当然におできになった
ことでしょう。すでにその記述が復活後の弟子への現れ方でも消え方でも同様で。
私が言っているのは、それが「肉なる者が見る」という点です。
>>254 で出しておいた、>>スエデンおばさんの説明はなんですか?ということです。
彼女はその説の前まで「イエスの肉体のご復活」を否定していたこと、問題にして
いたということです。
369 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 23:20:44 ID:Ul3PhZgg
>>368 (つづき)
>>254 キリスト教@質問箱215
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1268925841/693 ↓
|693 :神も仏も名無しさん:2010/03/22(月) 14:34:25 ID:JAHz2MUi
|〜
|スェ氏の説明によれば、肉体の器官で霊の世界を見ることはできないし、
|反対に、霊の器官で自然の世界をみることは出来ないんだそうです。
|したがって、霊の世界を見るのは霊です。
|主は、一瞬のうちに人間を霊の状態にし霊界に引き上げられることが
|お出来になるそうです。
|復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
|ではなく、霊界で起こったことなのです。だたし、そのとき起こった
|ことを人は区別できないと言っております。
|なぜなら、人は死んで、霊界にいってもいまだにこの世にいると思って
|いる新参の霊は多いんだそうです。他の霊に諭されてそのことを知るそうです。
370 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 23:27:45 ID:tECSuq6r
>261 :神も仏も名無しさん:2010/03/27(土) 20:55:37 ID:adknEVaO >>> 259 >じゃたとえと言うことにしといてね~~+ この態度にはスウェーデンボルグも眉をひそめるのではないか。 スウェ教の擁護のためというより自分のための議論になってきてることの現れかな。 この「売り言葉に買い言葉」は、聖書を神の啓示と信じる立場とは思えない不遜なものとなっている。
371 :
神も仏も名無しさん :2010/03/28(日) 23:37:37 ID:Ul3PhZgg
>>369 (つづき)
スエデンおばさんの以前の説であった「イエスは肉体を復活されたのではない」という話
が前提であったのは確かです。
だからこそこういう話ができあがっていたわけです。
〜〜〜〜〜
↓
>>369 (
>>254 )
|復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
|ではなく、霊界で起こったことなのです。
これはまさしく彼女が「イエスの肉体のご復活」が否定していたことの現れ、傍証です。
だから、いくら確認しても返答を渋っていた。そこを否定していたからこうして確認して
いたわけです。
↓
>>215 >>217 >>236 >>250 >>253-254 >>260-261 >>266 >>268-269 >>287 >>289 「イエスの肉体の復活」の認否を何ユエに問題にするのか、それは、それが「使徒信条」
の確かな項目の一つだったからです。
で、結局、肉体が復活したのであれば、普通にたやすく「肉にある者」でも見ることが
可能になった「神の栄光のご復活のお身体(からだ)」が、たやすい「救い」にこそ
ふさわしく「山は低くなり、道は広くなった」イザヤ40:5に対応してふさわしかったこと
でしょう
>>357 。これは「福音」に適ったことであった、と。
ここまで言って来たこととやってきたことの意味をこれでご理解頂けましたか。
>>367 ふうむ、なるほど、これは勉強になりますね。
ありがとうございます。まあこうなるとヘブライ語ではどうなっているのか
気になりますが、私は語学はさっぱりなんで(苦笑)
私だってイエス本人を肉眼で見えるものなら見たいですが
(いや、実際に見るとなるとやっぱ怖いかな)
ヨハネ20章のトマスの事例のように、「見ずに信じる者は幸い」と主は言っておられます。
奇蹟や幻視の類、あるいは肉眼でイエス本人を見たいという願望は、
それは重要なことではないということなのではないでしょうか?
>私が言っているのは、それが「肉なる者が見る」という点です。
うーん、肉なる者の肉眼や又は身体の五感が認知するということなのでしょうか?
我々人間は地上にいる間は、身体+霊魂で一人の人間であるはず。
普通、現代のほとんどの人間が、霊界や霊人を肉眼で見ることができません。
信仰の大層厚い人だから肉眼でイエス本人が見えるようになるというものでもないでしょう(残念ながら)。
それを肉眼で一時的にでも見ることができるようになるのかどうか・・・
>>371 >彼女が「イエスの肉体のご復活」が否定していた
うーむ、その人の言う「肉体」とは、我々の普通の物質的な肉体のことなのかな
私が361でアタナシオス信条を一部抜粋しましたけど、それによると神の人間性とは、
「肉における神性の転換ではなく、神における人間性の取得である」(これをAとします)
とあります。
つまり、イエスは確かに処女であるマリアという女性から地上で受肉しましたけど、
復活後は、マリアからもらった地上の肉が神性に転換したのでしょうか?
そうだとすると、上記のAに矛盾しませんか?
374 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:00:58 ID:tECSuq6r
イエスの肉体も復活してるなら、普通に肉眼で見えるでしょう。 この場合の「見えない」があっても、それは光に充ち満ちて完全には 把握出来ない、という意味であるはずです。 肉体があるのに見ている光景から消えてしまう、という状況は考えにくい。 逆にイエスがまとっている光までは見えないが、肉体として立っている姿は 見える、というのは考えられる。というより私個人はこっちかなと考えます。 「霊界」とか「霊的な光」を見れるような素質を持っていなくても、相手が肉体であれば見える。
375 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:05:41 ID:EOxwdTZl
>>371 補足
>>369 (
>>254 )
|復活されたイエスと弟子が食事をされたのは、この世で起こったこと
|ではなく、霊界で起こったことなのです。
ですからもう一度書けば、「霊界で起こったこと」と「この世で起こったこと」
の違いは大きいということでもある。
「霊界で起こったこと」であれば、「食べた魚」は「肉なる者の世界」からは
「かじって食べた分」も「なくならなかった」でしょうが、「肉なる者の世界で
起こったこと」であれば「食べた魚」は「食べてかじった分だけなくなった」
ということを意味するでしょう。
つまり、「霊界で見せられた幻影であれば、その痕跡は地上の肉の世界には
残らず」、「肉なる者がそのまま肉の目で見ることができたできごとであれば、
肉なる者の感覚世界でその痕跡を確認できた」ということです。
仮に弟子たちが「霊界に行って戻ってきたのであれば」テーブルにあった「魚」
が一匹(あるいはその何分の一か)が食べられてなくなったかどうかを見ること
はできたでしょう。自分たちが幻を見たのか、それとも現実世界でのできごとで
あったのかを、彼らは自覚でき確認できたはず、ということです。
とすれば、聖書に「現実世界で起きたことだとして書かれていること」を「勝手
にそれは霊界でのことを現実世界でのことだと思ってしまったんだ」とか言う
のは基本的に適切じゃないでしょう。それは弟子らが、その程度の「肉の目」
もなく、いい加減な認識力しかなかった、ということを意味してしまい聖書の
記述自体の信頼度が落ちてしまうことになる。
376 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:08:11 ID:EOxwdTZl
>>375 (つづき)
認識できなったことは認識できていなかった、とちゃんと書かれていて、
しかもかつ、それが認識できたときには認識できた、それとわかった、と
書いてあるのは、素直に「この世での出来事として」の認識であったと
読むのが、だから適切ではないでしょうか。
聖書に普通にこの世で起きたこととして記述されていることを、意図的に
「これは霊界で起きたことを書いたのだ」と読むためには、それなりの根拠がない
とできないはずでしょう。なので、そこも確認してみて、それがない場合には
いたずらに「これは霊界で見させられた出来事だ」とか「勝手に解釈しては
ならない」のではありませんか?、ということでもあります。
そういうことから、結局「イエスの肉体は復活していなかった」という説明
が可能になっていって、どんどん勝手に読み込まれていくことに。そういう
やり方はたぶん正しくないのでは??
377 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:09:48 ID:xwa2BXWG
378 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:20:42 ID:EOxwdTZl
>>372 >ヨハネ20章のトマスの事例のように、「見ずに信じる者は幸い」と主は言っておられます。
そうです。だからこそ、肉のイエスも知らない、見たこともなかった人が、
聖霊を受けて、信仰を告白して使途にまでなって布教できた。パウロはイエスの
約束した聖霊を受けて転換したのは、その証で「幸い」だったのでしょう。
ただし「イエスの復活の証し」となったのは、やはりイエスをずっと見て
知っていた11弟子らであったという点は重要だったかと。彼らの証が新約の
証し、約束の「聖霊降臨」後からの「証し」として必要だったということかと。
その見て知っていた弟子らの証しと、見て知っていないが信じて幸いなパウロ
の証しが、一致したことが、新約の証しとなって「イエスの聖霊の一致」を証し
した結果、それらは「信じられるもの」になった。
「二人または三人の証人によることは真実である」というイエスの旧約聖書の解説が、
ここで実例として実現していたものと。イエスの言葉に「無駄はなかった」わけです
よね。
379 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:26:34 ID:EOxwdTZl
>>378 (つづき)
なので、
>>372 >ヨハネ20章のトマスの事例のように、「見ずに信じる者は幸い」と主は言っておられます。
それ以降の一般の普通の肉なる者でも、聖書に残された証しを知っただけで
「信じる」ことで「義認される」ことが「幸い」であるということでもあると。
そういうことですよね、この意味は。
だから、UFOを見て信じるみたいなのと別で、見ないで「信じて義とされる」
ように示されているものと、「使途信条」。
380 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:30:30 ID:EOxwdTZl
使途信条を告白す。 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 我はそのひとり子、我等の主イエスキリストを信ず。 即ち聖靈によりてみごもられ、をとめマリヤより生れ、 ポンテオ、ピラトのもとに苦みを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、 陰府に下り三日目に死人のうちよりよみがえり、 天に昇り、 全能の父なる神の右に座し給へり、 かしこより來たりて生ける者と死ねる者とを審きたまはん。 我は聖靈を信ず、 聖なる公同教會すなはち聖徒の交り、 罪の赦し、身躰のよみがえり、永遠の命を信ず。 アーメン
381 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 00:46:05 ID:EOxwdTZl
>>371 補足
>「イエスの肉体の復活」の認否を何ユエに問題にするのか、それは、それが「使徒信条」
>の確かな項目の一つだったからです。
>
>で、結局、肉体が復活したのであれば、普通にたやすく「肉にある者」でも見ることが
>可能になった「神の栄光のご復活のお身体(からだ)」が、たやすい「救い」にこそ
>ふさわしく「山は低くなり、道は広くなった」イザヤ40:5に対応してふさわしかったこと
>でしょう
>>357 。これは「福音」に適ったことであった、と。
つまり、この弟子らが肉の目で見えたことによって「イエスの肉体のご復活」は
証しされ「見ていないパウロ」の証しとも一致し
>>378 、聖霊の一致がはっきり
したことを、可能にしたのはだから、「肉なる者」であった弟子らが「その目で
見ることができた十字架で苦しまれたイエスのご復活という神の栄光」という
証しがあったからこそでしたよね。
それがイザヤ40:5でもやはり意味されていた「山が低くされ、道が広くされた」
「救い」ということではなかったか、ということでした。
それが「使途信条」を「信じて」「唱える」だけで「義」とされ「聖霊」を受ける
という「神との、たやすい新しい契約」の完成なのだと。
ではまた。
382 :
373 :2010/03/29(月) 00:51:31 ID:mKQZ+CBA
>>375 ルカ24章でイエスは焼いた魚の一切れを召し上がったのですが、
その一切れは地上で無くなっていたはずです。今のところ、私もそう思う。
ですが、だからといってイエスの身体は我々と全く同じ地上的なものだとすれば、
突然弟子の前から姿が消えたり、あるいは戸が閉まってあるのに戸内へ入って
突然現れたりということの説明がつきません。
やはり我々の肉体とは何かが違うと思うのです。
そうでないと、我々自身を神にしかねないような・・・
>>376 福音書におけるイエスの行いの数々は基本的にこの世の出来事なのはその通りですが、
例えばマタイ17章ではイエスが栄光の姿に変わるわけですが、イエス御自身で
今のは幻である(マタイ16:9)と伝えています。実際に死んだモーセやエリヤは神でないのですから
肉体を伴って復活したりはしないはずです。
要するにこの場合は霊的なヴィジョンというべきものでしょう。
聖書は元々譬えの書と言われています。といっても福音書の一語一句全てにおいて
どんな譬えなのかもちろん私には分かりませんが、何か隠された意味というか譬喩が
あるのは確かでしょう。とくに場面の記述においては。
隠された意味が分からないからと言って、その存在を否定することはできないでしょう。
つまり我々の聖書解釈は、基本的には字義で読むわけですが、字義だけでは
100%全てを知ることができると考えるなら、霊によって生かされている文字を殺してしまうことに
ならないでしょうか?
失礼、382のマタイ16:9は間違いです マタイ17:9です
>>379 >聖書に残された証しを知っただけで「信じる」ことで「義認される」
果たしてそうでしょうか?
私に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられる私の父の御心を行う者が入るのです。(マタイ7:21)
その他ヨハネ伝には、
あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。(ヨハネ13:17)
私の戒めを保ち、それを守る人は、私を愛する人です。(ヨハネ14:21)
「誰でも私を愛する人は、私の言葉を守ります」(ヨハネ14:23)
私を愛さない人は、私の言葉を守りません。(ヨハネ14:24)
私があなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたは私の友です。(ヨハネ15:14)
更には行いを重視するヤコブ書簡を見ますと、
「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(2:17)などなど・・
まず最初は知ることが大切ですが、果たしてそれだけで終わってよいのでしょうか?
まあ知らないままで終わるよりはいいのかもしれませんが・・・・
多分見解の相違はあるとは思いますが、
本日はお付き合いいただきありがとうございました
すみません、また382の訂正です 誤 とくに場面の記述においては。 正 とくにこの場面の記述においては。 では
386 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 06:36:04 ID:PF/yH6Bg
ガチの信仰を持っていて、その上機会に恵まれても 理由もなく何もしない、という状況がありうるのでしょうか。
387 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 06:46:50 ID:PF/yH6Bg
「義」とされる信仰の持主は自然と善行するということか。 ある人の信仰は善行を行った時点で「義」と認められるのか。 する前とした後で「義」であるか、そうでないかをイエスノーで 分けるような違いはあるのでしょうか。
388 :
Taku :2010/03/29(月) 20:04:15 ID:RxHBJvke
信仰による義認説はスエデンボルグ主義では否定されていますね。彼らは 神を信じていますと告白するだけで「罪から清められる」といって最そう 罪が罪だとは思わなくなりどんな悪にも手を染めるような愚物になりさが ると言います。地獄で歯噛みするような人間になる前に山羊の教えから逃 げましょう。秘かな毒を注ぐぞ彼ら。
389 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 20:20:50 ID:4zwEEJHn
>神を信じていますと告白するだけで「罪から清められる」といって最そう
>罪が罪だとは思わなくなりどんな悪にも手を染めるような愚物になりさが
>ると言います。
告白が行程の一部になっている点では、行為の一種と言えなくない。
口に出そうが思考だけでやろうが同じです。この時点で内面を伴わず、
告白という善行(作業)そのものを「義」の基準にしているからです。
「形式的にロボットみたいな信仰箇条宣言で救われるとかだったら相当バカ。
そんな信仰を誰かが説いてるみたいに考える方が、どうかしてるでしょ。」(
>>205 )
390 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 20:23:27 ID:MQZTGULO
人はその行いによって裁かれ、報いられることは、聖書の随所で言われています。 「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共にくるが、そのときそれぞれの行い に応じて報いるのである。」(マタイ16.27) 「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである。と。霊も言う=w然り。 彼らは労苦を解かれて安らぎを得る。その行いが報われるからである』(黙示録14.13) 「わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう」(黙示録2.23) 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる」 (黙示録22.12) その他、マタイ7.24-26 マタイ7.21-23 ルカ13.25-27 エレミヤ25.14 32.19 ゼカリヤ1.6 イエスさまは、最後の審判について予告しておられますが、そこで行いが調べを受け、 よい行いをした者は、永遠の(いのち)にむかえれられ、悪い行いをした者は、滅びに 入れられるとあります(マタイ25.32-46)
391 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 20:32:00 ID:A/szk7FU
信仰を持ってはいても、障害や寝たきりで善行できなかった人を 神は(善行できた人々よりも)評価されない、とお考えなのですか?
392 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 20:53:19 ID:MQZTGULO
イエスさまは、理性が備わった人なら、だれにでもわかるように(みことば)で で語られています。 それは、ただ、ご自分を神と信じることと。 そうして、救われるたった一つの条件は、悪いことをしないということです。 悪を働かなければ、人の中で善が増えていきます。 全能で真理そのものの主が、障害や寝たきりで善行ができないという理由から、 人を評価されないことがあり得ましょうか。 まったく心配は要りません。 悪いことさえしなければければ、だれでも救われます。
393 :
神も仏も名無しさん :2010/03/29(月) 21:03:11 ID:glgy2zxh
「よりも」と私は書きました。 比較としてどうですか。という話しです。 同じように評価されるというなら、 義認の基準はやはり信仰にあるということです。 善行の有無や在り様の差異は、信仰の発露の仕方の 違いであって優劣ではない。
394 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 00:14:37 ID:udwz5EmW
信仰を持った時点での余命は人それぞれですが 善が増える前に、寿命や病で亡くなった障害者、重病者、寝たきりの人は 時間的余裕を持てた人々よりは神様に評価されないんですかね。
395 :
Taku :2010/03/30(火) 11:22:39 ID:o2Jjc6z8
実際、モーセの十戒の「安息日を守ること」を犯すのが禁忌って聖書を読む 人どれくらい認識しているのでしょうか?豚肉を食べることもしかり。自分 はスエデンボルグ主義を何年も読んでいたが最近までその悪についてピンと 来なかった。安息日に火を使うことも悪だしね。コンビニもやっているし、 飛行機も飛ぶ、列車も走る安息日。聖書とイエスを冒涜しているとしか言え んよな。
396 :
Taku :2010/03/30(火) 11:32:07 ID:o2Jjc6z8
障害や寝たきりの人を救うと言っても彼らそもそも自分の置かれた 境遇について悔い改めするような人間性を持っているのかな?環境 や親、主を呪うような人ばかりの気がする。自分は介護をしたこと があるから彼らに同情することはあまり必要ないと思う。介護従事 者は障害者や寝たきりの人々を生贄のように自ら作っていると思う ぞ。金融会社が闇金まで落とし込むように五体不満足にしてしまう んだと思う。五体不満足の上に人生設計をのっけるような存在と五 体不満足で主を呪う取り合わせいずれにしろあまり関わりあうべき じゃないよな。
397 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 11:44:32 ID:Ujque9sl
>>395 旧約の細かい話をそのまま当てはめるべきなんて考えてる人間はいない。
そもそも旧約はあくまでも古代ヘブライ人への契約でその他の民族は関係ない。
ヘブライ人以外は勝手に自分ら法律で人治で治める政治でやってきただけ。
そこに哲学者だとか宗教人が何か文句をつけて何か多少の変更をしたとしても
それとヘブライ人の契約とは直接関係ないからね。無意味なことを考える必要はない。
それに「聖書とイエスを冒涜」って何?安息日になんでもやっていたイエスを
なんで冒涜なの?話自体が無関係。
398 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 11:52:34 ID:Ujque9sl
>>396 そのあなたの態度はそれ自体が自分のレベルを言い表して告白している過ぎない
とも言えるよ。寝たきりの人が少しボケててわがまま言いがちだからそれで
人間性が悪い、だからそういう目に遭うんだよなwという認識に立つならその時点で
イエスがどうのという世界にふさわしくないし、所詮そんなものならイエスも
へちまもない世界にいるだけ。
399 :
神も仏も名無しさん :2010/03/30(火) 11:54:30 ID:Ujque9sl
この世がどうなろうと関係ない、おかまいなし、この世界のことなんかどうでもういい、 というスエデン主義には所詮この世はどうでもいい世界なんだからさw。 イエスがこの世で病人治した「奇跡なんてあり得ない」でもちろん構わない連中に過ぎん のだろ?そういう連中が霊界だの、最後の審判だの、人はパンだけで生きるのではないw、 などと振り回して独りよがりで霊界だのと妄想かまして遊び呆けてるだけでしょ。 所詮はただの暇つぶし霊界主義wだから張り付いて書き込んでるわけ。
400 :
Taku :2010/03/30(火) 17:53:31 ID:o2Jjc6z8
ここに書き込みしている人、何が目的なわけ?生活?真理の理解? 改良と再生じゃないの?安息日を守ることって大切じゃない何て聖 書で書いてある?イエスが安息日を守らない弟子をユダヤ人を攻め いるような文章があるけどやっぱ大切だって言うと思うよ。安息日 にいるひと悪霊が攻めるの反則なんだよ。安息日を守らない=悪霊 の攻撃がOKのサインだよ。これが内意だよ。
401 :
Taku :2010/03/30(火) 17:56:50 ID:o2Jjc6z8
アフリカ水牛の角のアクセサリーを身につけよう。聖書では「角」は 真理の力を意味するのだ。悪霊は人に色々な罠を仕掛けるのが得意だ ぞ。アフリカ人が生活の糧を得るために獲物に罠を掛けるのと同じだ な。それを防いでくれるぞ。
>>401 >アフリカ水牛の角のアクセサリーを身につけよう。
霊感商法ですか?
角という言葉の内意がそうであったとしても、角自体は所詮角です
単なる物質に過ぎません。悪と戦い、悪に勝つのは主のみです
主の言葉を守る人が、試練に遭っても主の支えを得るのです
何かの物質を身につけて救われるなら誰も苦労はしないですよ
403 :
神も仏も名無しさん :2010/03/31(水) 21:11:23 ID:bs/MByyy
保守
404 :
Taku :2010/03/31(水) 22:37:36 ID:xlSw+lz+
>402 まあ、それが悪霊に憑かれてるという証拠ですな。付けたら悪霊が生活でき ないですもんね。金が善を銀が真理を意味するから金・銀の指輪を身に付け るとよいぞ。水牛の角の指輪は630円ですよ。霊感商法は過剰反応気味で すな。
405 :
Taku :2010/03/31(水) 22:41:49 ID:xlSw+lz+
悪霊は尖ったものが苦手ですな。剣(真理)を枕元に飾る人がいますが あれも同じですな。聖書を読んで剣を磨くような人は人間性の陶冶を目 指す人ですな。悪霊が憑いているといって非難したのは気分を害される と思うので謝ります。すいません。
406 :
Taku :2010/03/31(水) 22:44:37 ID:xlSw+lz+
指輪(水牛・金・銀)を身に付けるは真理を身にまとう、真理に相応しい 人間になるといって人間性の向上を意味するゆえ大切なことですよ。
407 :
Taku :2010/03/31(水) 23:00:22 ID:xlSw+lz+
安息日を守らせないような介護の仕事何てやっぱ聖書の冒涜関係だろ う。日曜日に介護の仕事するんだぞ、矛盾だろう。火を使用してはな らないは悪の欲念に駆られてはならないという警告だろう。
408 :
Taku :2010/03/31(水) 23:11:15 ID:xlSw+lz+
介護の仕事をするなら仏教にしよう。父母重恩経で他人の手に父母 の介護を任してはならない、子供がしなくてはならないと書いてあ るのだ。ビジネスにしたのは仏教経典の冒涜でもあるな。
409 :
Taku :2010/03/31(水) 23:19:13 ID:xlSw+lz+
介護を受ける人は経典に基づき介護事業者に任せるよりは家族に責任 を負わせるのが基本。
>>409 Taku 氏はスウェーデンボルグの本を読んでいるが、最早スウェーデンボルグとは関係ない
自分教の教えを書いているだけですな
411 :
神も仏も名無しさん :2010/04/01(木) 00:13:27 ID:FsJ13g6T
えっ? どこかスウェーデンボルグのものらしいこと書いているとこあるの? ぜんぜん読んだことないんじゃないの?
412 :
Taku :2010/04/01(木) 08:14:36 ID:uY/OxImS
父母を敬うこと。モーセの十戒にあるでしょ。父母重恩経も十の恩があると 説くのです。「十」は主の残滓を意味するのです。内なる人間に植え付けら れているのです。
413 :
Taku :2010/04/01(木) 08:24:01 ID:uY/OxImS
人間の理解はその真理を受ける度によって制約を受けていますね。 人間の度は創世記の七日に基づいて六度まで開かれて七日目に安 息日を迎えます。度に応じて正しいことを書いても真理の理解が それを受け入れるのを拒むんですな。ラピスラズリを身につけて 善業に勤しむことですね。六番目の石(真理)ですから。気づく 人はすぐにダイヤモンドなり水晶なりを身につけますな。安息 の石ですから。
414 :
神も仏も名無しさん :2010/04/01(木) 13:04:45 ID:FsJ13g6T
>>413 それでは、スウェーデンボルグが、聖書に出てくる金や宝石をどのような
意味で捉えているのか、たとえば創世記からでも説明が出来ますね?
「第一の川の名はピジョンで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。
その金は良質であり、そこではまた、琥珀のたぐいやラピス・ラズリも
産出した」(創世記2.11-12)
それと、「安息日」を、スウェーデンボルグ的な解釈で説明してください。
415 :
Taku :2010/04/01(木) 22:43:17 ID:uY/OxImS
>414 真理って生きるための知恵でしょ?当時、お金の担保である宝石って生きる ために必要でしょう。採掘の仕方を学びたければ学者に頼めば良いでしょう ?スエデンボルグ的解釈って何?金の精製や宝石を土の中から掘り出して水 で洗うのが人間の精錬(成金 成善)や悔い改めに相応しているでしょ。 著書「神と愛の知恵」を読めば安息日について書いてあるでしょ。
416 :
Taku :2010/04/01(木) 22:45:40 ID:uY/OxImS
スエデンボルグが「十」で主の残滓と呼ばれる内なる霊人に植え付けられて いるものは宝石だと思いますよ。新しい人は黙示録の「白い石」を植え付け られているのではと思っているのです。
417 :
Taku :2010/04/01(木) 22:54:56 ID:uY/OxImS
スエデンボルグ主義で宝石が油が善を葡萄酒が真理を意味するって 書いてあるけど、それは何が善で何が真理だと思います?役立ちに 供するから善だし、飢えを癒すから真理って単純な理由だと思いま すよ。強いて言うなら油の精製方法や葡萄酒が暗闇の中で熟成(試練 を受けて上熟する人間を表象するといった理由でしょう。分からない 場合は「それがそうであるそうでない記憶の問題」それ以外は悪から 出てますからといってスルーして記憶する問題ですよ。
418 :
Taku :2010/04/01(木) 23:03:50 ID:uY/OxImS
宝石は語ると思いますよ。ユダヤ人、スエデンボルグ主義で宝石の 売り買いをしていると「天国と地獄」に書いてありますよ。ラピス ラズリは忍耐についてよく教えてくれましたよ。誕生石を生まれた 時から親が買い与えて身につける習慣が日本では必要ですね。真理 を身にまとう努力をする人間になりますから。割礼も必要。ペニス の皮が悪や罪を隠すに相応するからです。ユダヤ人と日本人では生 まれた時から差がありすぎますな。日本人は子供すぎると思います よ。
419 :
Taku :2010/04/01(木) 23:06:40 ID:uY/OxImS
安息日が訪れた人は自ら体験する人ですよ。魚みたいに人から教え られて満足するのではないでしょ。
420 :
Taku :2010/04/01(木) 23:09:31 ID:uY/OxImS
宝石は真理なのは見る目を「養い」ますよ。正しい物の見方を教えてくれる のです。「養う」ものは善ですね。
421 :
Taku :2010/04/01(木) 23:13:21 ID:uY/OxImS
カナンが天界、シオンが教会を意味するだって何で?聴かれたら分かる わけがない。記憶の問題って覚えているだけですよ。後は行ってから確 認する問題ですね。
422 :
Taku :2010/04/01(木) 23:22:28 ID:uY/OxImS
ここに書き込む人でイスラエルやユダヤ人にあったことがある人いる?僕ら 日本人、無割礼だからすでに死んでいて石打ちの刑状態だよ。彼らが会うわ けないの。蛇に噛まれていてすでに死んでいるの僕ら。
423 :
Taku :2010/04/01(木) 23:27:10 ID:uY/OxImS
聖書の万軍の主エホバは確かに生きているの。僕らにいるかどうかは 別として。法華経を読んでお布施してモーセの十戒に基づいて悔い改 めをしてユダヤ系日本人になるしか道はないの。そうするとユダヤ人 が登場するの。法華経の長者はユダヤ人だから。金融で御飯を食って いるし、魚さんの面倒を彼ら見ているの。
424 :
Taku :2010/04/01(木) 23:30:58 ID:uY/OxImS
善は主からなされるといってひたすら体行(ただ働き)とお布施に励む の。アフリカにお布施するより今はラオスやカンボジアが良いってユダ ヤ人言っていたよ。
425 :
Taku :2010/04/01(木) 23:32:58 ID:uY/OxImS
善は主から為されるは、汝盗む勿れの内意だよね。
426 :
Taku :2010/04/01(木) 23:41:36 ID:uY/OxImS
新約聖書を学ぶ人は浄土三部経系だよね。イエスキリストを主と呼び ますね。スエデンボルグ主義では天上の父エホバと霊魂において同じ と説きますね。ここに矛盾を感じずにはいられないですな。やっぱ 関東は旧約聖書を関西方面は新旧聖書を勧めないと大変ですね。
427 :
Taku :2010/04/01(木) 23:51:58 ID:uY/OxImS
法華経の一仏乗でゴッドはワンネスと教わるの。スエデンボルグ主義 では最古代教会では人間は獣であると認識していたの。犬なの。お布 施するの。困ったことに最近の犬ドッグフードに牛をいれるの。これ 大変なことだって今日気付いたの。犬が自然的な善にいる牛を食べて 良いわけがないの。犬は法華ねずみ講に基づいてねずみや昆虫しか食 べて良いわけないの。聖書を読む人が牛を食うことができるの。
何だか支離滅裂というか、徹底的に意味不明なんですが・・・ ところで、 >ここに矛盾を感じずにはいられないですな。 何を矛盾と感じているのですかな? あなたはキリストを何だと思っているのか?
429 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 09:33:33 ID:lns48iko
430 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 11:00:42 ID:WKxoPqnG
いろいろと論点はあるだろうが、一番、問題な点は 「キリストの再臨」です。 現実問題としてこんなことが起きるのかどうか? スエデン教では「これはみことばの上での話しで現実にイエスが天から雲に乗って 降りてくるなんてことはあり得ない」なんでしょ? キリスト教ではこういう現実離れしたことが起こると信じているわけだ。 果たしてどっちが?さあどっちが本当なの??
431 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 11:03:28 ID:WKxoPqnG
ここでは宝石がどうだのくだらない話はしないでいいから。Takuとかは 来なくていいよ。ばあさんだけでいいw ばあさん、思いっきり書いたらいいよ。
432 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 11:06:15 ID:WKxoPqnG
ただし、やるんなら必ず根拠を明確にしてな。根拠のないことなら 書くな。
433 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 11:38:01 ID:WKxoPqnG
仮に、永遠に「雲に乗ってやってこない」のなら、キリスト教はウソ言ってきた。 それなら別に信じる必要はないことになる。永遠に終わりのない地上でちまちま 生産活動と消費活動(=経済生活)をやって、たまに芸術でもやって音楽でも聴いて 楽しんで気楽な文明を運営していけばいいだけ。 人類は誰からも裁かれず、未来を気にする必要はないから、常識的な社会正義を それらしく看板に書いて尤もらしい地球文明を発展させて便利を追求する世界が すべてになる。 弱者もそれなりに救済できればいい。それには文明が発展して富がしっかり築かれ れば実現する。宗教だっていずれなくたってかまわない。人が満足できる世の中 になるんなら別にそれで文句ない、これでいいならスエデンでもエホバでもバカたれ でも構わないことになるんだろ?? だってキリストが来るという話は架空の方便、だっただけで現実ではないのなら、 世界がどうなろうともう世の中の勝手で自由だ。 これでいい?>スエデンは。
434 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 13:31:45 ID:KJoZ+rlK
キリストの再臨について キリスト教会には再臨について共通した信仰が存在する。 それは、主イエス・キリストが再臨し、世を裁き、神の国を確立すると いう信仰である(救い主の預言の成就)。 キリスト教会共通の信条であるニカイア・コンスタンティノポリス信条は、 「主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。 その国は終わることがありません。」「光栄を顕して生ける者と死せし者と を審判する為に還た来り、その国、終りなからんを」と告白する。また西方 の使徒信条は「主はかしこより来たりて、生ける者と死ねる者を裁きたまわ ん」と告白する。使徒パウロは、第一コリントの15:23でこれを教えている。 ローマ・カトリック、ルーテル派、聖公会、メソジストの典礼は、信仰の神秘を 宣言する。「キリストは死なれた。キリストはよみがえられた。キリストは再臨 される。」(ウィキペデイア)
435 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 13:34:43 ID:KJoZ+rlK
各教派の解釈 [編集] 福音派 [編集] 福音派の諸教会・教派では大体、再臨の結果として、現在の自然、 社会などあらゆる秩序が壊滅的な影響を受け (ペトロの手紙二3:10)、創造主である神によって新しい秩序が世界に導入される、 という聖書の記述をそのまま信じている。 「新しい天、新しい地」(黙示録21:1)はその新しい秩序の表現であるとする。 セブンスデー・アドベンチスト教会 [編集] キリストの再臨は、祝福に満ちた教会の望みであり、福音の壮大な頂点である。 救い主は、文字通り、からだをもって世界中の人々に目に見える姿で来臨される。 キリストが来臨されるとき、 死んでいる義人はよみがえらされ、生きている義人とともに栄化され、天に上げられる。 しかし不義なものたちは死ぬ。 預言がほぼ完全に成就してきたことは、現在の世界の状況とあいまって キリストの来臨が切迫していることを示している。 この出来事がいつ起こるかは明らかにされていない。それゆえわれわれは常に 用意をしているように勧められている。(ウィキペデイア)
436 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 13:37:48 ID:KJoZ+rlK
世界基督教統一神霊協会 [編集] 文鮮明は1991年に、「私は再臨主である。」と宣言した。 [1] 自由主義神学 [編集] 自由主義神学の終末論の特徴として、進歩史観、未来的な再臨の否定、 万人救済主義がある。 社会的福音は進化論の影響を受け、科学技術によってユートピアが実現するとする[2]。 アルブレヒト・リッチェルは、特別な人間イエスのように、人間も進化できると主張した[3]。 またリッチェルは社会は進化によって前進するとした[4]。 チャールズ・ドッドは、終末が未来に起こることではなく、すでに実現したとする[5]。 ルドルフ・ブルトマンは終末が実存的な出来事であるとし、未来に起こるとは考えない[6]。 ユルゲン・モルトマンは、永遠の刑罰を否定し、終末においてすべての人間が救われると する新普遍救済主義を唱える[7][8]。
437 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 14:06:18 ID:KJoZ+rlK
スヴェーデンボルイによるイエス・キリスト(主)の再臨 イエス・キリストが約束された再臨とは、主個人としての出現ではなく、聖書(みことば) によるものです。これが、主ご自身による。主ご自身の再臨です。 主が天の雲に乗ってこられるとは、聖書の多くの箇所に記されています。 (マタイ17.5 24.30 26.64 マルコ9.7 14.61、62 ルカ9.34,35 21.27 黙示録1.7 14.14 ダニエル7.13 しかし、この「天の雲」が何のことか知っている人はいませんでした。個人として、出現 されるものと信じている人もいました。ただし、そのとき主が乗ってこられる「天の雲」 とは、聖書の文字上の意味のこと、身に帯びる「栄光」とか「力」とは、聖書の霊的意味 のことです。 世の終わりとは、代の終わりのことであって、これはキリスト教会の終末のことです。
438 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 14:26:00 ID:WKxoPqnG
>>434-437 どうも。
>>437 >「世の終わりとは、代の終わりのことであって、
> これはキリスト教会の終末のことです」
これについて、ばあさんの解説はある?
それともやる気なくなくなった?最近元気ないね。自信なくなったんだなたぶん。
やっぱ、聖書は信頼できないものだと結論したのかな。>ばあさん
439 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 14:33:38 ID:WKxoPqnG
>>437 >「世の終わりとは、代の終わりのことであって、
> これはキリスト教会の終末のことです」
これってホントに根拠あるの?
440 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/04/02(金) 15:15:50 ID:TwebobcL
441 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 15:54:35 ID:WKxoPqnG
>>440 まあスエデンおばさんに訊いてるんだが。
で、宗教戦争の意味は?イラク戦争もそうなの?それとも別?
442 :
神も仏も名無しさん :2010/04/02(金) 16:30:29 ID:zSqT7wN1
宗教という出汁を使ったソバ
>>439 明日、というかユダヤ的には今日の夕方から、教会が終わり、日曜の払暁に永遠
に朽ちない教会が再建されるのである。まあ、御受難と御復活のことなんだけど。
>>440 むしろ、ダニエル書を読むがよろし。終末預言か、さもなくば電波の自費出版だ。
スエおばさんも消えたか。
445 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 18:45:43 ID:jbxfMMR6
やっと規制解除^^; 今度は長かったザサス。
446 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 19:20:42 ID:jbxfMMR6
長かったザマス~~+
>>443 >むしろ、ダニエル書を読むがよろし。終末預言か、さもなくば電波の自費出版だ。
ダニエル書での終末預言とは、教会の終末の預言のことでした。
つまり、第2章にある、ネブカドネッァル王が見た巨大な四つの像の夢とは、
地上にあった四つの教会の終焉の夢でした。
第四番目の教会とは、イエスの死後設立された「キリスト教会」のことです。
447 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 20:15:43 ID:FF1d3BtX
>>446 >ダニエル書での終末預言とは、教会の終末の預言のことでした。
>つまり、第2章にある、ネブカドネッァル王が見た巨大な四つの像の夢とは、
>地上にあった四つの教会の終焉の夢でした
ではその主張の根拠をどうぞ。よろしくです。
448 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 21:52:14 ID:jbxfMMR6
人類史上、地上に最初に現れた教会は、アダムとエバと呼ばれる教会です。 これは、主が未だ地上に降誕されなかった頃の教会でしたから、表象の教会と 呼ばれました。 その次は、古代教会と言って、ノアと呼ばれる教会です。この教会は広範囲で アジア諸国に伸びていきました。つまりカナンのこちら側と、ヨルダン川の彼方、 シリア、アッシリア、カルデア、メソポタミヤ、エジプト、アラビア、ツロとシドンです。 以上の教会が存在したことは、(みことば)の中の預言書には、その国々について いろいろ記されています。 ただし、その教会もエベルによって相当変わって来たとあり、そこからヘブル教会が 生まれました。そのときの犠牲祭による信心業が初めて制定されました。 そのヘブル教会から、イスラエルの教会とユダヤの教会が誕生しましたが、その教会は 銘記されているように、(みことば)を道標にして制定されました。 ネブカドネッァル王が夢の中で見た像は以上四つの教会のことでした。 頭は純金で出来ており、胸と腕は銀製、腹部と腱は銅製、脚部と両足は、鉄と粘土で 出来ていました(ダニエル2.32,33) 古代の著述家によっては、黄金時代、白銀時代、青銅時代、鋼鉄時代について記した ものがあります。ユダヤの教会を継承したのが、キリスト教会ですが、以上の教会は すべて時代の変遷とともに衰退し、終末と呼ばれる終わりにいたったことは(みことば) からも知られています。
449 :
神も仏も名無しさん :2010/04/08(木) 21:53:25 ID:jbxfMMR6
最古代の教会は、知識の木の実をとって食べることで終末を迎えました。 これは人間固有の理知からくる(うぬぼれ)のことですが、その終末は洪水によって記録 されています。古代の教会については、諸民族がいろいろな様子で荒廃していったことで、 その終末が描かれています。それについては(みことば)の中の歴史書や預言書にあります。 とくにイスラエルの子らによってカナンの地から追い出されたことがそれです。 イスラエルとユダヤの教会については、エルサレムの神殿の破壊こそ終末です。また、 イスラエルの民が永遠の捕虜となってしまったことや、ユダヤ民族がバビロンに連れて行か れたこともそれです。ついには神殿と同時にエルサレムの再度にわたる破壊およびその民族 の分散です。このような週末については、預言書の中の多くの箇所で予告されたいます。 キリスト教会もまた次第に荒廃し終りを迎えますが、これはマタイ(24章)マルコ(13章)ルカ(21章) にあるように主によって描かれます。そして黙示録には、まさしくその終末の光景が描かれます。
はい
451 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 09:19:34 ID:0SoukwMd
>>448-449 結局すべてあなたもしくはスエデンボルグがそうだと言ったというだけの
「決め付け」だけが「根拠」だと告白している。何の根拠もない。
わかりました。ハイ.
452 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 09:24:10 ID:0SoukwMd
「霊的」とか「霊界」と言ってしまえばいい、これがすべてなのが スエデンボルグ信仰というのはいつものことなのでもう結構。 ホントにもうお腹いっぱいです。くだらないにもほどがあるね。 聴けば解釈の「根拠は何もない」ことは判明しましたね。
453 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 09:53:35 ID:0SoukwMd
なんでスエデン信者が、なんでもかんでも「教会」が、「霊界」が、「霊的」がー、
と言うのか?それには本当は理由があっただけです。
なんでスエデンボルグがなんでもかんでも「教会ガー」というのか。
それはスエデンボルグが生きた時代がそうさせただけなのです。そこには
なんら普遍的なものでもなんでもありませんよ。単にそれだけ。
たとえば「ノアの洪水」に関する聖書の描写の解釈を見ても、あきらかに
「こじつけ」なのは一目瞭然。たとえばこんな解釈を一つ一つしている人も
います。
↓
http://wwwd.pikara.ne.jp/swedenborg/naitekiimi.html ここにある「ノアの洪水」のところの解釈を見てください。
↓
>17、18 洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮かべた
>ので、箱舟は地から高く上がった。また水がみなぎり、地に増したので、
>箱舟は水のおもてに漂った。
>17、18 ノアと呼ばれる教会が継続した期間、誤謬が氾濫していた。この教
>会の人間はそのように動揺し、その動揺の頻度と強さが増した。
こんな解釈ができると考える人は、もう頭がおかしいとしかいいようが
ありません。
454 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 10:08:40 ID:0SoukwMd
スウェーデンボルグの居た時代は中世キリスト教が行き詰まってプロテスタント が生まれ、そんな新教でさえもが「魔女狩り」すら推進していたりした、そんな 迷妄が覆っていた暗黒の中世欧州の教会にあって、教会批判はあってしかるべき 意識ではあったと言えた。 迫害される立場の反教会人は教会を悪の権化として批判するのは当然といえば 当然で、聖書には教会への非難が表現されているはずだという読み方を言うこと によって、教会というもの自体の権威を落とす必要があったはず。そういう 前近代における、科学の勃興前期での「進歩的意識」が、中世の支配的権威と して君臨していた教会というものを聖書自体からの非難という論法で批判する 方法論を採用したことは十分考えられます。 それを現代まで無意味に引きずって「そんなスエデンボルグを神にして」しま っておかしなこじつけを強弁するまでになって本末転倒な主張をしているのが、 先の「ノアの洪水」みたいな強度のパラノイア風解釈にさえ至ってしまうだけ でしょう。時代の要因を無視してスエデンを神にしている狂信でしかありません。
455 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 10:16:48 ID:0SoukwMd
現代でも教会が権威主義的な主張をしていないとは言い切れないでしょうが、 それでも旧約の中のいちいちを教会の象徴だと主張できるような根拠は実は どこにも存在していないことは、彼らがそれを一つも上げられないことでほぼ 証明されたようなもの。 シンボルとして聖書が明白に「教会」=「バビロン」であるとか主張できる だけの「シンボル」の解釈の根拠も論拠も、実はスエデン信者は出せない。 これだけははっきりしたでしょう。 どうです??
456 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 11:07:54 ID:LxRkL6Xn
>っておかしなこじつけを強弁するまでになって本末転倒な主張をしているのが、 >先の「ノアの洪水」みたいな強度のパラノイア風解釈にさえ至ってしまうだけ 現在、生き物の種類は何千万種いると思ってるんだろう? それら生き物の種が雌雄でノアの箱船に乗って生き延びたと思う人たちのほうが 狂っているとは思わないんだよ、この人は。
もし、原罪を主張し、信仰義認説による救いを説く従来のキリスト教が正しければ、 神はノアの洪水の時に、全人類を滅ぼし、原罪のない人類を新たに創造する チャンスがあったのに、なぜ原罪のある人間を残し、その原罪を後の世代に残し、 その後の世代の人間たちを原罪を持つ故に断罪し地獄に落とし続けたのか? 原罪によって人間を地獄に落とし続けるそんな無慈悲な、悪魔のような神を 信じられる者は狂っている。
>>457 ちなみにユダヤ教も、東方正教(ギリシャ正教)も、従来のキリスト教(カソリック、プロテスタント)の
ような原罪を認めない。
459 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 14:55:23 ID:0SoukwMd
>>456 http://wwwd.pikara.ne.jp/swedenborg/naitekiimi.html ここにある「ノアの洪水」のところの解釈を見てください。
↓
>17、18 洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮かべた
>ので、箱舟は地から高く上がった。また水がみなぎり、地に増したので、
>箱舟は水のおもてに漂った。
>17、18 ノアと呼ばれる教会が継続した期間、誤謬が氾濫していた。この教
>会の人間はそのように動揺し、その動揺の頻度と強さが増した。
こんな解釈ができると考える人は、もう頭がおかしいとしかいいようが
ありません。
ノアの箱舟に入れた動物の種類の数が少ないのは問題ではありません。
それを理由に「根本的に根拠のまったくない」<ノア=教会>説を受け入れる
ことの方が頭がおかしい証拠です。片方に表現上の不備があるから「他方が
正しい」などと言えると考えてよいとしたら、世の中は至って簡単に割り切れ
ますが、そんなはずはないです。方程式の解は、一つが否定されたら自動的に
「勝手などれか」を「正しい」とできるのですか?まったくの暴論です。
460 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 15:04:42 ID:0SoukwMd
>>457-458 原罪云々を問題にすることを使徒信条から誰も言えません。つまり原罪論を
信じるかどうかは人の勝手です。パウロがそれを信じたとしても、われわれが
それを信じる必要はありません。使徒信条の中心である、全能の神とその子
イエスの誕生と死と復活を信じられればそれだけで救われると言っているだけ
です、新約は。原罪論や三位一体論は受け入れられる人は受け入れればよい
のであり、それらが信仰の要件なのではないのです。
ですから、スエデンボルグらがなんと言おうと、それらを信じられないから、
キリスト教を否定する必要がある、ということにはなりません。そこから
<バビロン=教会>説や<ノア=教会>説を信じる根拠も生まれません。
果たして、あなたがたの「論理」は「確か」ですか??論理が間違っているなら
すべてに間違うでしょう。
人間が内なる人が存在していることを知らないし、またそのことを告げられるにしても、 それを信じない理由は人間は形体的な感覚的なものの中に生きていて、 形体的な感覚的なものは内的なものを到底認めることができないということである。 内的なものは外的なものを認めることができるが、 しかし外的なものは内的なものを決して認めることはできない。 (天界の秘義1594より) 多くの者が「黙示録」の解説に努めてきたが、しかし聖言の霊的意義がこれまで 知られていなかったため、かれらはその中に隠れているアルカナ[秘義]を認めることが できなかった。なぜなら霊的意義のみが、それを明らかにするからである。 そのため講解者たちは色々な事柄を憶測して、その大半の者はその中に在る事柄を いくたの帝国の状態に適用し、またその中に教会の出来事に関わる事柄を いくらか混入もした。 しかし黙示録は、(中略)その霊的意義では、世の事柄を些かも扱ってはいないで、 天界の事柄を扱っており、それで帝国や王国を扱ってはいないで、天界と教会とを 扱っているのである。 (「啓示による黙示録解説」序言より)
※ ※ ※ 黙示録の竜について ※ ※ ※ 黙示録の竜により誰が意味されてるかが私に明らかにされた。彼らは科学から、 引いては、自然の中に存在しているようなものから神的真理(神の真理)について 論じ、確認するために、聖言の文字の意義を取り出して、それをねじまげて一致 させる者らであり、かくて自然神学から神的な事柄について賢明なものになろうとし、 とくに、自然的なものであって、心では神的なもの[神]を否定する者らである、 なぜなら彼らは他の者ら以上に論じて、凡ゆる事柄を否定的なものに持ち込む からである。 或る一人の者がいた。かれは、世では、その王国では第一級の神学者であった。 かれは聖言を信じはしないで、自然神学が心を明るくし、霊的な真理を教える、 と信じた。かれは単に以下のことにおいて竜のような者らに似た行動をした。 すなわち、かれは何であれその欲するものへ聖言の文字の意義をひん曲げたが、 その目的はその意義を破壊し、とくに、文字の意義を手段として内なる意義を 破壊することにあった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この二つの部類の者らが……共になって竜を作るのである。なぜなら各々が 内なる意義を汚し、破壊しようとしており、一方は全く公然と、他方もまた、 文字の意義以外の聖言が与えられていることを知ろうとはしないことにより、 そのことをやってのけようとしているからである。 (霊界日記4760-61より)
>>461 おぉ、かなりレベルの高い正解。100点だな。
>>462 これも正解に近い。別にドラゴンが本当にいると言う話ではない。
リヴァイアサンとかいるけれども。
※ ※ ※ 竜 に つ い て ※ ※ ※ 黙示録に話されている竜である者らは、聖言を学びはするが、そこからいかような教義も 意に介しはしないで、固く文字の意義の中に留まっていると同時に、また聖言を世で 偉大なものになりたいためにのみ読む者らである。そうしたことを行う者らは竜であるが、 そのことは以下の理由のためである。すなわち、文字の意義はは究極的なものであって、 人間の中の感覚的な度に応じているのである。なぜなら聖言の文字の意義は世の中に 存在している人間の感覚的なものに順応しており、そうしたものであるからには、世の、 また地の事柄にも順応しており、それで、それは子供と単純な者に把握されるように 話されているのである。 それゆえ、何ら教義を意に介しないような者らは、何であれ、その行うことを、それが 悪であれ、誤ったものであれ、ことごとく文字の意義から確認することができるのである。 文字の意義の信仰のみは説得的な〔説きつける〕信仰であり、それは無益なものである。 なぜなら、竜は文字の事柄をことごとくその欲するままに歪めてしまうからであり、 かれらはまた世的で形体的なものである。 今は、他生にはそうした多くの者らがおり、その大部分の者が、竜からその尾で天から 引きおとされてしまった天の星の三分の一の部分により意味されている者らであり、 かれらは、また、天界と教会との教義に属している内意を徹底的に破壊しようと勉めている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これらの者は、他生で、忌まわしい姦淫を犯しており、そのことは貞潔な者の耳に 洩らしてはならないものである。(中略) ・・しかしこうした者らの間に、未成熟または単純のために、文字の意義を信じつつも、 教会の教義に従って生きている者たちを数えてはならないのであり、 かれら(先に述べた竜に譬えられる連中のこと)は聖言を学んではいるが、 聖言から発している教義をことごとく軽蔑している者らである。 こうした者らは天界から群れをなして投げ落とされるのである。なぜならかれらは 先ず天界へ赴くからである。竜である者らは、何であれ、その好む教義を防御 することができるのであり、かれらは凡ての者の間をぶらついている。 (中略) ・・かれらは極度に危険である。なぜならその頭は踏みつけられなくてはならないが、 それでもくびすを損なうにちがいないかの蛇により意味されているのはかれらであるからである。 かれらが危険であるのは、かれらは、単に聖言の文字の意義からのみ、 説明もなしに、このことまたはあのことを信じなくてはならないと、単純で心の正しい、 ほとんど凡ての者に説きつけることができるためであり・・・(以下略) (霊界日記5083−5090より)
信仰のみの中にいて、仁慈の生命の中に何らいない者らの非常に多くの者は感覚的である。 (中略) ・・感覚的な人間は妄想[迷妄]を把握し、外観を信じて、真理を語りはするが、 天界の光のものである真理そのものは斥けてしまうといったものである。 これは信仰のみの結果であり、それでかれらは真理を理解するようにはならないのである。(204) 信仰のみのようなものは在りえないと天使たちにより言われた。世では信仰のみの中に いた霊どもは、このことに激怒して、天使的な霊たちがいる所へ凡ゆる方向からかけよって来て、 『信仰のみのようなものはありませんか』とたずねた。 このようにしてかれらは十または十五の場所へかけて行って、凡ゆる所で 以下の答えを受けた。すなわち、信仰は愛がなくては単なる知識に過ぎない。 あなたらの信仰は単なる誤謬の知識にすぎない。もしあなたらが単なる知識を、 それがそうしたものであるか否かを理解してもいないのに、それを自分自身に 説きつけているという理由から、それを信仰と呼ぼうとするなら、あなたらの信念は それがそうであると言われているため、自分に説きつけたもの以外の何ものでもなく、 死骸と骨と人間の墓が、そうしたものは排泄物のようなものであって、堕地獄と地獄をとを 意味しているのに、聖いものであると信じこむのとほとんど変わってはいない。 かれらはこのことを聞くと走り続けて、愛とは何ですか、それは信仰のみではないですか、 とたずねた。天使的な霊たちはかれらを気ちがいだと考えたが、ましてや、 かれらが業は信仰であると言ったときは、そのように考えたのである。 なぜならそれはかれらが考えることは行うことであると言ったようなものであるからである。 かれらはさらに走りつづけて、『信仰はそれで実体のないものではありませんか』と言った。 かれらは以下のように答えられた。信仰はその霊魂である仁慈から信仰と呼ばれているため、 仁慈から分離した信仰は実体のないものであり、また仁慈から分離した信仰は 全く霊魂のない身体のような実体である、と。(205)
真理は以下のものである、すなわち、自分自身のもとに教義においても生命においても 信仰のみを確認した者は改良されることはできず、かくて救われることはできないのである。 すなわち、世にいる間に、『わたしは信仰により義とされたからには悪は何一つ私を罪に定めはしない、 なぜならそれは私に帰せられはしないからである。また善も何一つ私を救いはしない』と考え、 かくて自分自身のもとでその思いから生活の悪と善について反省することをことごとく 斥けてしまった者。 もしかれが何らかの悪または善を認めるにしても、それは救いには 何ら重要な事柄ではないものとしてそれに注意を向けはしない。 こうしたものは改良されることができない霊である。(211) (「最後の審判と霊界の諸相」より)
スウェーデンボルグを語る権威が君にはあるらしい。 ID:JnSLnweO
「聖言の細部には凡て霊的な意義が含まれていて、それが実に聖さの源泉であることを これまで人間は知らなかったという事実から神的摂理について疑いが起こるであろう」。 この神的摂理にかかわる疑いは以下のように表現することができよう、 『なぜこの事実は今初めて示されたのか。またそれはなぜ教会の高官でない者により示されたのか』と。 しかし主はその御心のままに教会の高官を、または高官の僕をえらばれることができる。 なぜなら彼はその何れの正確も知られているから。しかし聖言の霊的な意味が 以前啓示されなかった理由は以下のごとくである。 〔a〕何故なら、もしそれが以前啓示されたなら、教会はそれを冒涜し、 かくて聖言の聖さそのものを冒涜したであろう。 〔b〕何故なら、聖言の霊的な意義を含む純粋な意義は、 最後の審判が成就され、新エルサレムにより意味される新教会が 設立されようとしない中には主により啓示されなかったからである。
〔a〕に関して→教会はその建設後間もなくバビロンに移り、その後ペリシテに変わった(※1) (中略)・・・それ故聖言の霊的な意義が―その中に主は凡ての天使的な知恵とともに現存されているが― 示されたならば、聖言はその究極的なまたは文字的な意義において、今冒涜されているように、 冒涜されたのみでなく、その最も内なる意義においてもまた冒涜されたであろう。 (注1:バビロンとペリシテの内意に注意) 仁慈から分離した信仰を意味するペリシテもまた聖言の霊的意義を冒涜したであろう。 なぜならそれは前述したように、或る言葉について考え、またはそれを語ることに救いを依存させて、 善をなすことにそれを依存させず、こうして謝った救いの方法を提出して、 人間の理性が信仰に与るのを全く排除するからである。 こうした人間は聖言の霊的意義を宿す光と何の関わりをもつであろうか。それは暗闇に変わらないか。 もし自然的な意義が歪められるなら、彼らは霊的意義については何を為さないであろうか。 仁慈から分離した信仰とこうした信仰による義認を確認している者は、生活の善とは何か、 主と隣人への愛とは何か、仁慈と仁慈の業とは何か、善い業とは何か、それを為すことの意味は何か、 また信仰の本質とは何か、または信仰を構成する真理の何かを理解しようと欲するであろうか。 (神の摂理264より)
とりあえずこの辺で失礼 (誤字脱字があったらご容赦いただきたい)
473 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 22:24:54 ID:0SoukwMd
>>461-471 私はここに書かれていることを要約することができる。それはたぶんこういう
ことですね。
「聖書はそこを通して神が自分に何を語っているかを聴く」ために、
その意味を常に求めて読もう。祈りつつ読もう。そうするときには
神が尤も必要な答えをその言葉の一つ一つを通して示されるだろう。
クリスチャンという名の信仰者は皆それを求めていることでしょう。ですから
聖書の言葉をデボーションして聴くことで読むことはむしろ推奨されているのでした。
何も字面の内容だけを受け取れと初めから誰も言っていないのです。
そして、当然ながら、イエスに従う信仰者は誰一人、
>かくて自分自身のもとでその思いから生活の悪と善について反省することをことごとく
>斥けてしまった者
になりたいと思う者はいませんね。イエスの言葉に聴き学び反省し改めそして
命じられている慈善を実行することをイエスが望んでおられることを知っている
でしょう。すなわち、
スウェーデンボルグに対しては信仰者のあるべき姿への指針として受け取れる
ものは受け取ったらそれは価値なしとはしないだけです。しかし、それ以上に
スウェーデンボルグの言説の一つ一つを神やあがめるべき対象にまでするほどに
ひれ伏したりするのは間違っているでしょう、と言っています。
>>473 正解。論文なら満点のレベル。
スウェーデンボルグも喜ぶだろう。
475 :
神も仏も名無しさん :2010/04/09(金) 22:36:30 ID:0SoukwMd
>>471 >その中に主は凡ての天使的な知恵とともに
天使を崇めてひれ伏すなと黙示録では書かれています。「天使的〜」という
文字を見るとそれにひれ伏している姿は、神からそうしないように言われて
いることでもありましたから、スウェーデンボルグ信者はこれに注意しなければ
ならないでしょう。
文字面を追って読んではならないと言いながら「天使的〜」と言う言葉を目に
すると「ひれ伏してしまっている姿」はまさに「字面を追っている姿」そのもの
でしょうが、信者は気がつかないかもしれない。
そして、やがては「まるで根拠のかけらもない」強弁しているだけに過ぎない
「ノア=教会」説、「バビロン=教会」説などを鵜呑みにして受け入れて理性
で検証することもないまま、神の言葉としてスウェーデンボルグを崇拝して
しまっていく状態を何一つとして反省することもないまま他人に口を開いて
さながら「パリサイ人」の様相で「あなたがたは霊界を知らない」「教会は
霊的でない」と「律法的な裁きの態度」を鮮明にして己を高ぶらせていく。
そんな人の典型的な姿を毎日毎日これでもかとここやあちらの質問スレで
拝察奉らされてここ数ヶ月が過ぎています次第です。なんとかなりませんかね、
あの人。w
476 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 00:33:24 ID:bCFvqwzB
どんな霊も天使もあがめる必要がない 次のことが霊的な観念によって(私に)認められたため、それが霊たちによって語られた。 すなわちそれは、霊たちはけっしてあがめられてはならない、ということだ。 なぜなら彼らは、人間やほかの霊たちに恐れられ、あがめられることを絶えず欲し、しつこく これを強要し、それが彼らの最大の欲望だからである。 しかし、彼らの(生命の)状態は絶えず変化しているものであるかぎり、彼らはみずから (の力で)考えることも語ることもできず、また何事も思い出せないし、罰することも報いる こともできない。 それゆえ彼らはあがめられるべきではない。なぜなら、主だけが個々のあらゆるものを知り、 天と地をあまねく治め、報い、善を創られるからである。 同様に天使も礼拝されてはならない。崇拝されるなどはもってもほかである。なぜなら、 彼らの行う善は彼らのものではなく、主のものだからである。このことを天使はみな自認して いるからである。もっとも、彼らが主のものであるかぎり、彼らは尊ばれはするが。(2302) (霊界日記)
まぁ二回も助けられたら流石にラファエルは特別扱いするけどね。
478 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 11:34:09 ID:a+izeW+e
>>475 「ノア=教会」説、「バビロン=教会」説などを鵜呑みにして受け入れてしまって
後はなんの考えもなしにスエデンボルゴの受け売りで聖書をわかった気になってしまう。
それはスエデンボルグを神にしているということ。解き明かしを他者に委ねている
という証拠であなたの批判している教会依存と同じことをやっていることに
気がつかないのはなぜでしょうか。
聖書を読解するのに霊的と称して自分の受けた「霊的感覚」に頼ってそれが
すべてであるとして、現実に矛盾する解読を訂正することもないのはなぜ
でしょうか。
これらは結局はすべて「霊的パリサイ状態」にある高慢のゆえであり、自分は
霊界を知っている者で正しい者だと「自分の義」を主張している。スエデンボルグ
を神として崇めて聖書を自分だけの読解で独自に読んで矛盾してもいいと考えて
いる証拠です。それでは最後で結論を間違うことがあることに気がつかないかも
しれない。そこに問題意識がなくなるのが霊的高慢の結果では?
479 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 12:09:38 ID:cyOxiPP1
>>1 >>4 霊界日記は彼のメモで死後発見されたもので正式な論文じゃないよ
批判的余地があるとする人達もいるし、スウェーデンボルグ自身パウロの手紙は重要な資料として認めていて引用もしてるから切り口がへんてこだ。
スウェーデンボルグに反対する人は無知か利権の心配がある人だけじゃね。
通りすがり
480 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 16:24:07 ID:6Jw3+Xi9
しかし戯れでコケにするとも考えにくい。 なんと言っても、悪霊の仲間、ですからね。 ひどい言い様です。 本気でなけれは書けないでしょう。
481 :
神も仏も名無しさん :2010/04/10(土) 20:23:09 ID:a+izeW+e
>>479 >スウェーデンボルグに反対する人は無知か利権の心配がある人だけ
違います。
スウェーデンボルグを神として奉って他の見方ができなくなって否定厨になる
弊害を問題提起しているまで。
聖書への理解をスウェーデンボルグ流以外認めず、その解釈をスウェーデンボルグ
のやった読解以外にはできなくなること自体に問題がある。これはスウェーデンボルグ
をいう神が新たに現れたということで、聖書をそのまま神からのメッセージとして
純粋に読み取ろうとすることへの障害となる。そして最後は霊的高慢の罪が付随して
終了となる。彼らは己の義を先頭に掲げて現れて自分が霊的感覚の体得者であるという
自負を持って他者に君臨することを目的として一生を終えるようであり、まことに
もって弊害の極めて大なるを知ることに。ここやあそこでの現状がすべてです。
482 :
Taku :2010/04/10(土) 20:50:14 ID:yyRxTGua
聖書では金の時代、銀、銅、鉄・ネバ土の時代と時代を経るごとに人間の意識 が暗くなり、動物から獣に近づいてゆきます。ネバ土の時代というのは食べる 器が陶器(ネバ土)になります。人間は器が大きいといって表現を用いるよう に器で図られます。陶器(ネバ土)を使用していませんか?早く木製の器に買 い替えるべきです。聖書では木は人間を意味して木製の器を使っている人だけ が人間と看做されるのです。木は水を吸収します。多くの実を結びます。水は 真理を意味し、実は善を意味します。木である人間は正しい真理を吸引し、多 くの善を為すべきです。
483 :
Taku :2010/04/10(土) 20:52:37 ID:yyRxTGua
何でも鑑定団で中島誠之助が食器を見て「良い仕事をしてますねえ」 といったら「賠償金を支払わないといけませんねえ」スエデンボルグ 主義勉強して食器が陶器だったら病気ですね。
484 :
Taku :2010/04/10(土) 20:56:34 ID:yyRxTGua
聖書では銀が真理を意味します。銀製のはしを使って食い改めしましょ う。高いけど効果抜群だぞ。ゴールドを身につけろ。銀を買いなさい。
485 :
Taku :2010/04/10(土) 22:48:59 ID:yyRxTGua
銀を買おう。徳力本店(神田駅東口三分)で100gで8000円くらいで 買えるぞ。そうすると自然に銀が金に助けを呼び求めて悔い改めに応じて仕 事が与えられるぞ。金と銀を身につける人間は信頼できる人間だ。マネーの 担保が金と銀だ。両方持っているとマネーのほうから寄ってきて使ってくれ ってといってくるぞ。如何に自分が無知にいるか悟るぞ。スエデンボルグが 銅山の監察官をしていたことを忘れるな。日本に必要なのはまずは銀だ。
486 :
Taku :2010/04/10(土) 22:51:05 ID:yyRxTGua
金と銀の値段が上下しているのではないぞ。マネーが勝手に変動している だけだ。グラムが変化するわけではないぞ。
487 :
Taku :2010/04/11(日) 08:37:20 ID:LEgTKqub
金と銀を売り買いする人間は聖書で売り買いが教えたり教えられたりする人間 であることがわかるぞ。仕事中に金と銀を身につけない人間は善と真理から仕 事をしない人間だ。金は天的な善だ。銀は霊的な善だ。スエデンボルグ主義を 読んでも銅(10円玉)を使うような人間は自然的な善にいて悔い改めをして いない「まあ、良いんじゃないんですかね」的な善だ。
488 :
Taku :2010/04/11(日) 13:43:03 ID:LEgTKqub
聖書が安息日を守らない大型書店で販売されている矛盾。悪霊が聖書を教えて いるということですね。聖書では売るは教えるを意味するからです。まあ、日本 に聖書を持ち込んだのは密売人ですね。布教者は犯罪者です。殉教するのも無理 ないですね。聖書を片手に安息日を守る世界に逃げよう。安息日に退屈の念を注 ぐようなレジャー産業があるのですから。アメリカもディズニーがあるから無理 ですね。ゴッドに面倒見てくれって言われても密売した聖書ですからね。
489 :
Taku :2010/04/11(日) 13:51:16 ID:LEgTKqub
「高いものは低くされ低いものは高くされる」は善にいる人間を真理を 教えるだけの人間の捕食行為ですね。善にいる人は仕えているのでそも そもそれが真理何て人に教えないですからね。自分に仕えろって悪魔が 囁くんですね。黄金時代ではなく金黄時代だし、白銀時代ではなく銀白 時代だし、青銅時代ではなく銅青時代にすべきですね。先の「高い者が 低くされる云々」は完全に誤謬の教義ですね。各時代全て逆さま世界 目的、原因が逆転して結果の世界がユーモア世界ですね。原因(真理? 誤謬だろう)目的(善)その結果によるユーモア世界です。
490 :
Taku :2010/04/11(日) 13:59:31 ID:LEgTKqub
阿含経がシルバー時代のように思われているのは問題ですね。あいうえ おで阿から始まる何て日本だけですからね。白銀に「は(あ)」が含ま れているから阿行を先にしてシルバーカラーとホワイトカラーが逆転する ような呼び方になるんです。やっぱ銀白時代ですね。阿含経何て銀ではなく アルミやステンレスの類いですね。
491 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 14:12:34 ID:sxbIlKa7
>>481 善は真理と結合する際、自らの私室を設ける
この意味が分かっていればその心配はないと思うけど。
あなたが批判してるのは知識としての信仰でそれ自体は救いに寄与しないものだから。
スウェーデンボルグが示したのは本人も言ってるように全て真理で、
しかも表現を越えたものが多いからスウェーデンボルグを読んだから聖書が全て分かるわけじゃない。
知識としての信仰が争点ならスウェーデンボルグは無関係じゃないの?
492 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 14:36:51 ID:A6GtJX8P
>>491 >知識としての信仰が争点ならスウェーデンボルグは無関係じゃないの?
あなたは、聖書の文字上の背後にある内的意味、つまり、スウェーデン・ボルグが
言っているところの「霊的意味」というものをご存知ですか?
かれの言っている、聖書的真理とは、すべてこの霊的意味を知ることから
始まってるんですね。
493 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 14:43:28 ID:CX3lq27f
インドの聖者サンダー・シングはパウロが天国にいるのを報告してますね。 サンダー・シングとスエーデンボグルとどっちが間違っているのでしょうか。
494 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 14:51:00 ID:ExLeu9DO
>>492 >>481 が非難しているところの当のご本人が
>>492 にお出ましでした。
本人はコテハンにしないでスルスルと批判をかいくぐってあちこちに
現れることで実際にはそんなスエデンボルグの価値すら貶めていることに
気がついている様子ももちろんないまま。この女は自分を霊的に高い人物として
自分を現すことを人生の目的にしているどうしようもない人でしょう。
495 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 14:55:41 ID:A6GtJX8P
だから、無知な者がスェデン語っても、あとで笑われるだけだと言っているまでです。
496 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 15:00:35 ID:ExLeu9DO
>>495 余計な話をあれこれ書いてスウェデンの信頼性を落としていることへの反省は
まるでないようだね。いいんじゃないかい、それで。初めから笑われてるのは
おまえだからな。いい加減な話をあっちこっちでやってればw
497 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 15:03:32 ID:ExLeu9DO
>>495 いい加減な話を垂れ流して追求されたらスルーで宵越しの話は知りませんで通す。
いつも笑われてるのは誰なのかね。w自覚すら何もないボケおばさんは
出てくるだけバカだと気づけ。
498 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 15:18:37 ID:A6GtJX8P
>>497 他人の話をよく聞かないで、一人誤解ばかりして妄想書き込んでるだけね~~
理解力が欠乏しているのか、そそっかしいのか笑えるざます。
499 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 15:52:35 ID:ExLeu9DO
>>498 「他人の話を全然聴いていない」のは、誰あろう、あなた本人のことです。
そうやってその場しのぎであれこれ言いぬけて済むと思っている時点ですでに
スエデンなんかの価値はない。
スエデンを信じるとそういう人間になるというあなたの「実(み)」が現れて
しまっている。「その実によって知る」だけです。あなたがその悪い典型例です。
まったく反省などする気配もないまま。
誰がそんなスエデンなんかに構うんです?
少しは反省するでもなければ毎回同じ言いぬけで逃げていくだけで、他の人は
そういうあなたの浅ましいザマをこれでもかというほど見せられ辟易していると
いうのに、何の自覚もないでまだそんな言い訳だけは口にできるという、
あなたのすべてを露にする愚かさ。どうにかなりませんか?
500 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 16:22:14 ID:XigUktOt
スウェーデンボルグはストックホルム・イルミナティの幹部だったから 啓蒙思想の一派だったんだね。父はフリーメイソンのマスターだった。 イルミナティ・フリーメイソンの流れですから、既成キリスト教に 反旗を翻るのは当たり前。オカルト好きな人には受けると思うね。
501 :
Taku :2010/04/11(日) 16:28:56 ID:LEgTKqub
日本聖書教会に陶器(ねば土)を使った悪事についてメールしたぞ。こ れから大変なことが起こるぞ。陶器の皿が壊されるごとに人が死ぬぞ。 皿(悪)まで食べるようなサンドイーターが人間の形して仕事してい るんだぞ。服を脱いで裸で生活して悔い改めなさい。塵(悪)から生まれた 者は塵(悪)に帰るとかいてあるだろ。服を脱いで複数身体(霊体)を排除 しろ。木製の食器を使いなさい。人間から獣への無限の退行をしている ぞ。
502 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 16:30:22 ID:XigUktOt
503 :
Taku :2010/04/11(日) 16:31:05 ID:LEgTKqub
何も起こらなかったら御免ね。危機あおるの好きなの。
504 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 18:02:59 ID:A6GtJX8P
死に餌じゃ、だれもつれないよ。 ちゃんと生餌で釣ってみなさいよ~~ おほほー
スウェーデンボルグは悪魔 以上
506 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 19:39:43 ID:A6GtJX8P
スウェーデン・ボルグは、史上最大の霊能者、人類の巨人、万学の天才、 優雅な貴族社会の社交家、貴族院議員、主に選ばれし、稀に見る果報者。 以上 悪魔は、いつも主や主の僕に激しい憎悪を燃やしている(べろべろべー)
507 :
Taku :2010/04/11(日) 20:18:23 ID:LEgTKqub
将棋をして分かった。王将(真理)が中心に据えられている。これは問題だ。 中心は善である金将だ。ゴールド獲得しないといけない。目的は金(善)だ。 将棋というゲームに銅将(自然的な善)を付加すると面白そうだな。角(真理 の力)も金に裏打ちされているからな。水牛の角と馬のストラップ推奨。 100円はニッケル、50円、500円は白銅、五円は黄銅だな。聖書で書いて ある鉱物は金・銀・銅・鉄だな。日本銀行の刻印より聖書に書かれてる金属のほうが 安心だな。プラチナは興味がないな。詐欺の香りがする。結婚指輪に使われるのに 聖書に刻印されていないんだぞ。金より高いの。あれはマジックの類いだな。
508 :
Taku :2010/04/11(日) 20:22:48 ID:LEgTKqub
金と銀がなくなると認識が可笑しくなり終わりの時代がくるだろう。 シルバーの延べ棒(8000円)を見て瞑想せよ。モーセの十戒を 刻んで悔い改めよ。水(真理)に浸して飲むのも良いぞ。真理を 白色のマジックで書いて記憶してから消すのも良いぞ。魂に刻印しよう。
509 :
Taku :2010/04/11(日) 20:22:54 ID:LEgTKqub
金と銀がなくなると認識が可笑しくなり終わりの時代がくるだろう。 シルバーの延べ棒(8000円)を見て瞑想せよ。モーセの十戒を 刻んで悔い改めよ。水(真理)に浸して飲むのも良いぞ。真理を 白色のマジックで書いて記憶してから消すのも良いぞ。魂に刻印しよう。
510 :
Taku :2010/04/11(日) 20:26:16 ID:LEgTKqub
シルバーの延べ棒を手にれて役立ちに使おうと瞑想するのだ。真理 が湧きだすぞ。それはもう大変な効果だ。
511 :
Taku :2010/04/11(日) 20:30:58 ID:LEgTKqub
市場に資産の50倍もお金(妄想)が出回っているのだ。金と銀を買う 人はお金を何十倍も動かす力があるぞ。資産価値として格が違うのだ。 聖書の刻印を忘れるな。自分は銀をもって旅行する。すると多分、お金が 増えて帰ってくるのだ。ふつうお金が減るだろう?神田でしか銀は買えな いのだ。東京から買う場合交通費を含めて売っていいのだ。
512 :
Taku :2010/04/11(日) 20:37:18 ID:LEgTKqub
8000円の銀の延べ棒で5000円銀貨が3・4枚は作れる。 15000円〜20000円の価値はある。5000円銀貨は プレミアムがついて8000円はする。日本銀行の刻印である 円と聖書に刻印されているどっちが信用できる?聖書に円何て 書いてあるか?病気だぞ。マネーと銀の価値を比べるのは。
513 :
Taku :2010/04/11(日) 20:40:49 ID:LEgTKqub
お金を目的にするなら金と銀の保有数を増やしたほうが良いぞ。時間の 無駄だ。
514 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 20:54:41 ID:A6GtJX8P
それより、無駄レスやめたら。
515 :
Taku :2010/04/11(日) 21:10:25 ID:LEgTKqub
銀を買おう。仏壇に供えよう。メッキの金しか彼らしらない。中身は銅だぞ。
メルアド書くから郵送してあげるぞ。交通費がかからないぞ。手数料は頂く
ぞ。銀を買って鏡のように使って自分を見てみよう。罪がなければ美しく感
じて自分が好きになるぞ。罪の悔い改めが顔に現れるのだ。
[email protected]
516 :
神も仏も名無しさん :2010/04/11(日) 22:11:29 ID:ExLeu9DO
>>514 あなたの「仁慈」「仁愛」の「実践」方法の講義をお願いします。
明日また見ましょう。
517 :
Taku :2010/04/11(日) 22:56:48 ID:NycEYNW3
お金(妄想?暴走?)を持つ男と金と銀を持つ男、どちらが女の子選ぶ?善と 真理と資産価値を持つ男だぞ。考えるまでもないだろう。自分は神田まで往復 三時間かかるから時給1000円で三千円、交通費800円で3800円頂く。 銀は1g60円だから100gで6000円程、手数料が二千円で8000円 だぞ。送料がかかるが地方からきて自分も時間がかかるから安いだろう。一キロ なら手数料が5000円だから65000円だぞ。資産の十倍はお金が動くだろ う。本当に何千万円という妄想のお金が仕えてくれるぞ。銅からシルバーカラー になりなさい。ゴールドに裏打ちされているぞ。シルバーは銅を監督しているの だ。
518 :
Taku :2010/04/11(日) 23:01:49 ID:NycEYNW3
シルバーのアクセサリーを作って販売するともっと儲かるぞ。デザイン も自分から教えてくれるかもしれないな。教会に寄付してみるのも霊的 な善だぞ。お金で布施するより銀でしなさい。牧師さんがシルバー瞑想 はじめて換金活動始めるから。善を勧めることになるぞ。寄付は銀でが 合言葉。銀の流通は霊的な善を勧めるのだ。
519 :
Taku :2010/04/11(日) 23:09:21 ID:NycEYNW3
友人や親せき、家族に見せると欲しいと言うだろう。それほど価値ある ものだぞ。人生の目的?善と真理だぞ。金と銀だ。結婚だ。あとは現実 逃避から出ていますから。手数料を頂けば儲かるだろう。銀が流通すれば 霊的な善が進むだろう。仏壇に供えよう。現実逃避組が気付くから。
520 :
Taku :2010/04/11(日) 23:11:01 ID:NycEYNW3
主に仕えることも忘れたらいけないぞ。
521 :
Taku :2010/04/11(日) 23:17:04 ID:NycEYNW3
銀をお布施するたびに「汝盗むなかれ」の内意「善は主エホバから為され る」と確認し自分から為したことを否定することだな。すると主は生きて おられますといって現れるぞ。紙に仕えているのか?生きているんだぞ。
522 :
Taku :2010/04/11(日) 23:18:55 ID:NycEYNW3
紙はお札だろう。目的は紙か?神はエホバだぞ。病気が治ったか?
523 :
Taku :2010/04/11(日) 23:38:00 ID:gtj5v+3K
教会に十分の一献金するなら金と銀を勧めるぞ。善と真理がある教会だし、 換金活動が天的な善、霊的な善になるぞ。年収400万円の人なら40万 円分の寄付だな。シルバーもゴールドもお布施できるだろう。
524 :
Taku :2010/04/11(日) 23:38:15 ID:gtj5v+3K
教会に十分の一献金するなら金と銀を勧めるぞ。善と真理がある教会だし、 換金活動が天的な善、霊的な善になるぞ。年収400万円の人なら40万 円分の寄付だな。シルバーもゴールドもお布施できるだろう。
525 :
Taku :2010/04/11(日) 23:43:25 ID:gtj5v+3K
銀の時代では主はエホバだな。イエスキリストは霊魂において同じのはずだが 信仰による義認説に殺害されてしまったかもしれないな。主エホバは同じかも しれないがその子だけ死ぬこともありうる。主エホバはユダヤで予言者が主エ ホバ申し上げますといって聖書が存続しているかもしれないな。イエスの 殺害は定かではないので自分で主エホバに話しを聴けるなら聴いてみてくれ。 僕?ユダヤ人にコンタクトしているよ。
526 :
Taku :2010/04/11(日) 23:47:49 ID:gtj5v+3K
金と銀を貯めてエルサレムに行こう。ヘブル語の聖書の歴史書のように 今も書かれているかもしれないな。字義の内意?あるだろう。衣服を重 ね着してかいてある内はね。ただユダヤ人は会見の天幕で雲が止まった から聖書の字義にまで止まり内意には入らないかもしれないな。僕たち が死んでいるだけだからな。
527 :
Taku :2010/04/11(日) 23:52:17 ID:gtj5v+3K
教会に金と銀が置いてなくて聖書(紙?)かけがおいてあるのもユーモア だな。善と真理がないんだからな。どこ通うんだ?
528 :
Taku :2010/04/12(月) 00:59:44 ID:ca6eIHwW
銀の延べ棒の裏に白で「銀は真理、使って」と書いて教会のポストに入れよ う。記憶の中だけではだめだぞ。
529 :
Taku :2010/04/12(月) 01:03:38 ID:ca6eIHwW
陶器の食器は正気(ねば土)?木は人間。人間の器。木製の食器を使お う。 無割礼は無意味教育 安息日を守らずば悪霊攻撃OKサイン 覚えて広めましょう。
530 :
Taku :2010/04/12(月) 01:06:36 ID:ca6eIHwW
ナポレオンは「余の辞書に不可能はない」から主だぞ。本来聖書の歴史的 聖言になるはずだぞ。 カール大帝も調べると関係あるかもしれないぞ。
531 :
Taku :2010/04/12(月) 20:11:30 ID:ca6eIHwW
旅人に親切にしないと大変ことが起こるかも。
532 :
Taku :2010/04/12(月) 20:27:19 ID:ca6eIHwW
高い食器を大切にしている人は悪人を召抱えていて悪いマネーをたくさん 持っていることを隠しているぞ。景徳鎮やマイセン、ロイヤルコペンハー ゲンなどはとんでも会社だぞ。
533 :
神も仏も名無しさん :2010/04/12(月) 21:04:47 ID:2eOFeSI3
>>516 (つづき)
>スエデンおばさん
イエスの言葉「あなたがたは実によってその木が良いか悪いかを知りなさい」
内的がどうのは聞きましたが、イエスは「実」つまり「何を結局もたらしたのか」
を見て判断できるものだと言われたことは確か。これまでのキリスト信者が非難に
ふさわしい人々であればそれは悪い木でしょうが、キリストに栄光を返した立派な
信仰者もいました。
私たちもそれに倣えるものになれるのならなりたいです。そういう人々が多くいれば
キリスト教は良い木になりますね。
また1日時間をあげますから、スエデンボルグまたはその信仰者の偉人が
具体的にどんな「仁慈」「仁愛」を実践なさったのか、書いておいて頂けますか。
>>533 スエデンおばさん〜 相手してほし〜の〜
ハハハ イキデキネーヨ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハライテ- ゲラゲラ
( ´∀`) < わははは ∧_∧ 〃´⌒ヽ モウ カンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ (´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), _(∨ ∨ )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ (_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ
>>533 三重苦で有名なヘレン・ケラーが、スウェーデンボルグ主義の実践者だな。
彼女の精神的自叙伝の『わたしの宗教』は、スウェーデンボルグの解説本。
536 :
Taku :2010/04/13(火) 01:42:05 ID:Yt4bwN9o
ひばりが丘、大泉学園中央公園近辺で死人が出たらどうなるかな?罪という ものが本当に分かっているのか?
537 :
Taku :2010/04/13(火) 07:53:47 ID:Yt4bwN9o
文章を書くときは青色の紙に白色のペンで書くことだな。富士山は白青だろう 。山は天界を意味するし、聖書では白は真理を意味するからだな。空を見ると 青色に晴れ渡り雲があるだろう。聖書では雲が聖書の字義だな。天に天界があ るは聖書の字義から引き上げあられて霊的に導かれると天界に到るからだな。
538 :
Taku :2010/04/13(火) 07:57:30 ID:Yt4bwN9o
青の紙に白で書くと真実が書けるぞ。白に黒で書くと全てが異常である ことが分かるぞ。日本中探してあるか?白青の聖書もあるか?天界につ いて表現すべきスエデンボルグですら白黒だな。まあ、腹黒だな。
539 :
Taku :2010/04/13(火) 08:00:58 ID:Yt4bwN9o
ここで書いている人も白に黒で書いているな。まあ、病人だろう。食器も 正気?だろうし。正しいこと書いても真理がしみ込まない生き物だから な。
540 :
Taku :2010/04/13(火) 08:05:07 ID:Yt4bwN9o
青の紙に白のペンで書くように教育委員会に勧めるべきだな。子供に 金と銀のアクセサリーを身につけさせて学校に行かせるべきだな。黒 板も青色に白のチョークで書くべきだな。先生も金と銀のアクセサリー を身につけるべきだな。人間のような生き物を獣に教育しているんだから な。
541 :
Taku :2010/04/13(火) 08:16:09 ID:Yt4bwN9o
銀を使ったアクセサリーを作る人は真理を生みだす人だな。銀の延べ棒に クリップで青色の紙をとめてメモ用紙にして白色のペンを持ち歩きメモす る癖をつけると良いぞ。大地が教会で真理を書けるぞ。
542 :
Taku :2010/04/13(火) 08:24:51 ID:Yt4bwN9o
ブルーカラーを管理するのがホワイトカラーだろ?下敷きはブルーで白線で 描くのが正しいのがわかるだろ?女性は愛である赤で書くべきだな。白の 紙に。すると愛と真理の結婚愛にいたるな。
543 :
Taku :2010/04/13(火) 08:30:39 ID:Yt4bwN9o
銀の延べ棒を三枚持ってお寺に行くだろう。一枚は仏前に供えてくださいと 住職にお布施する。二枚には辞世の句を書いてもらうだろう。一枚は売る。 一枚は大切に保管しておく。あとは資産価値が上がるのを待つだけだな。 タダで旅行ができるぞ。華厳経を読むと良いかもな。神社の宮司にも頼んでも 良いな。銀に飢えてるぞ彼ら。
544 :
Taku :2010/04/13(火) 08:35:02 ID:Yt4bwN9o
万年筆は高いものを買うべきだな。100円ショップのペンで真実が 書けると思わないことだな。パステルカラーの白を水で薄めて付けペ ン使用しているぞ。替え芯にホワイトがないからだな。
545 :
Taku :2010/04/13(火) 08:43:45 ID:Yt4bwN9o
味噌汁は赤みそ(愛)にすべきだな。白みそ(真理)に変わったら奥さんの愛 が冷え行き白々しい状態に到るな。かつおだしは同じことを繰り返しても飽き ない効果があるぞ。奥さんに飽きることがないぞ。ブルーカラーはほとんど白 みそが使わて子供を奥さんが教育しているようなものだな。仕事に飽きてきた らかつおだしに注目することだな。長続きの秘訣はかつおだし。
546 :
Taku :2010/04/13(火) 08:45:11 ID:Yt4bwN9o
白赤は日本の国旗だな。女性は白赤で書くべきだな。
547 :
Taku :2010/04/13(火) 08:49:54 ID:Yt4bwN9o
白赤ではなく赤白だな。住職に貰った教訓の銀の延べ棒を十枚くらい たまるだろう。後は駅でランチマットを引いて並べて売ればいいな。 銀の価値に住職の人間的な価値が値段を決めるな。
548 :
Taku :2010/04/13(火) 17:49:54 ID:Yt4bwN9o
仏前に供えるのは正しいが住職に書いてもらうのは価値が下がるだけかもな。
549 :
Taku :2010/04/13(火) 17:54:47 ID:Yt4bwN9o
時間は金だな。善業を勧める人間には時間泥棒がいるな。時給単価が低い人間 が高い人間を使うのは真理に反するな。仁慈の善は大切と説くスエデンボルグ 主義者にそんな人はいないよな。 よく時間を割いてもらうというもんな。それくらい時間は高いぞ。
550 :
Taku :2010/04/13(火) 22:06:07 ID:Yt4bwN9o
ユダに銀貨三十枚でイエスを売ったと教えている教会に銀(悔い改め)がない というんだぞ。銀を持ったことのない人間は聖書について語ってても欲しくな いよな。君たちの病気は大丈夫?スエーデンボージャン諸君。
551 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 01:37:30 ID:SekETWjr
キリストの値段がローマの国家予算くらいだったら、何人がユダになっていただろう?
552 :
Taku :2010/04/14(水) 02:29:52 ID:m/QWhBkp
銀を持っていないのに聖書を持っている人間は悪に使う以外何に使うんだ? 悔い改めろ。病人ども。ユダの善性について問題にするのか。彼は銀の時代 の人間が買ったんだ。
553 :
神も仏も名無しさん :2010/04/14(水) 03:20:54 ID:W90V9An8
お前に酒乱の暴力親がいて、その犯罪を通報したら100億円だったら、どうする?
554 :
Taku :2010/04/14(水) 07:20:38 ID:m/QWhBkp
銀と金を買えば買うほど発言権が増す。影響力が増すのだ。現実の世界では 人間の皮を被っています内面では悪いことをしている獣です。そんなひとは 銀と金の力が現れた時に現実に刃を突きたてられます。
内容がないよう
556 :
Taku :2010/04/15(木) 21:32:44 ID:f8MEuHJL
実のなる木を食器にすることという律法がアフリカにあるらしいんです。内意 は「仁慈に立脚した人間にすること」とという意味です。親が子供に自分の器 から果物を与えて始めに教えるのが実のなる木で食器を作ることだそうです。 これを犯したアフリカ人が人間を動物にしたというんだそうです。もうこれ 究極の罪で聖書に載せてないの。創世記以前に「キツツ記」という聖言がある らしいの。もう少し待ってね。
557 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/04/15(木) 23:19:19 ID:J2tHhvhC
558 :
Taku :2010/04/17(土) 09:58:29 ID:0lt4/215
創世記以前にの律法 「実のなる器で排泄をすること」 「フンころがしを飼うこと」 「縄でお尻を拭くこと」 「拭いた縄は火で燃やすこと」 始めにこの律法を海で排泄して魚(知識にいる人)の食わしたのもアフリカ 人の罪なんだそうです。これが国境を作りユダヤ人のお布施をめぐって争い が起こり、法華経関係者と浄土宗関係者の宗教争いまで起こったんだそうで す。上流で何かすると下流で何が起こるか見当もつかないですね。
559 :
Taku :2010/04/17(土) 10:02:22 ID:0lt4/215
アフリカの真理。「夫婦は同じ実のなる木で食器を使うこと」という 律法があるんだそうです。永遠の結婚愛の秘訣です。
560 :
Taku :2010/04/17(土) 10:03:32 ID:0lt4/215
559の律法は夫婦が一人ずつ食器を持つことです。
561 :
神も仏も名無しさん :2010/04/18(日) 14:46:56 ID:p765n8jn
聖書が教えていること、意味することを学びなさい。 人々を憎しみの渦に巻き込むような、 くだらない議論を避けなさい。 そんな議論は、火のように、どんどん燃え広がって、人々を傷つけるばかりです。 議論好きのヒメナオとピレトは、まさしくこの種の人間です。 あの連中は真理の道を踏みはずし、死人の復活など、もうすんだことだとして偽りの教えを言い広め、 それを真に受けた人の信仰を、台なしにしています。 しかし神様の真理は、巨大な岩のようにしっかり立っていて、だれも揺るがすことはできません。 この土台となる石には、次のようなことばが刻まれています。 「主は、真に自分に属する者を知っておられる。」 (テモテ2:16-19) 愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけです。 主の僕たる者は争ってはいけません。 だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、 反対する者を柔和な心で教え導くべきです。 おそらく神様は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼の罠からのがれさせて下さるでしょう。 (テモテ第二2:23-26)
563 :
神も仏も名無しさん :2010/04/20(火) 15:19:41 ID:BRHknVAc
>>500 >スウェーデンボルグはストックホルム・イルミナティの幹部だったから
>啓蒙思想の一派だったんだね。父はフリーメイソンのマスターだった。
>イルミナティ・フリーメイソンの流れですから、既成キリスト教に
>反旗を翻るのは当たり前。オカルト好きな人には受けると思うね。
それが事実であるいう根拠を示してください。
564 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 12:23:02 ID:bxVN26SY
565 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 12:45:37 ID:bxVN26SY
>>564 スエデンってやっぱり「悪魔的な目くらましなだけの暗黒的盲目的な宗教」が判明し
つつある歴史的偉業を
>>564 のスレッドは達成。全国のスエデン教信者のみなさんが
鋭意ふるってご注目中。
スエデン教は、要するに、
昔の共産主義信者と同じようなもの。共産主義は科学的に論証されている正しい理論
だからそれに逆らうわけには行かない、これに従順でないと!と心に決めてなんでも
丸飲みして正しいと信じるのが正義なんだワ!!とかカン違いしてるだけで、中身は
ただの教会批判をいい加減でどうしようもない聖書メタファ読解で煙に巻いて信者を
騙していたということ。
この原因の一つ、スエデンの文章は一見すばらしいように見えたりする、これがただ
ミソだっただけで、あのオドロドロシや〜な雰囲気で勿体つけて中身の超々薄い悪天使
なインチキw
あれにやられてこれはものすごく正しいものなんだワ〜!とキャピキャピ心ですっかり
やられてしまった愚かでどうしようもないバカな信者さんがただそれに騙されていた。
上記の反論を見れば即目覚める。お一つお一つ確かめてご納得。
566 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 13:11:17 ID:pLDr1VGd
CSI8でも見てな
567 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 13:19:03 ID:mw3ZC48m
スウェーデンは、 オカルトです。 宗教ではありません。
568 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 13:32:24 ID:h0LC8bT9
カトリックが巨大(オ)カルト企業ではないと言われても困るけどな。
569 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 13:33:30 ID:xjcsQKSH
いい勝負だな
570 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 17:39:32 ID:Mfb7KIet
>スウェーデンは、 オカルトです。 >宗教ではありません。 その根拠を示してね、必殺のやつ~~+ みなさん、賭けをしましょう。 わたしは、かれが、100%答えられないほうに賭けます^^
571 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 17:55:30 ID:u7/rTotn
オカルトと宗教の何が違うんだそもそもw
572 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 18:42:22 ID:Mfb7KIet
ぐぐって勉強してきなさい、ばか。
政治利用されてるオカルトが宗教だな。
574 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 19:35:07 ID:i2Tz/c8W
両方ともウンコで、肥料になるかならないか程度の違いって事だねww
575 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 23:46:39 ID:Mfb7KIet
主のみ言葉は、霊的な食べ物と言われます。 それにたいし、 科学的な知識は、自然的な食べ物といわれますね。 と、いっても、厨房にはぜんぜん意味がわからないと思いますが^^
576 :
神も仏も名無しさん :2010/04/21(水) 23:57:00 ID:MNi2aFqg
知識は食いもんじゃねーし
577 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 00:34:13 ID:fu9wCxNM
>>575 おまえはこの連中の相手がふさわしいレベルだなwスエデンで空想の世界で
寝てろwスエデンの霊界は要するに「夢の世界」に等しい。夢から覚めると
現世で苦しみが始まる。
その方が「よっぽど地獄」なんじゃないかねw
まあ100万年考えてればいいw
>>576 肉体の成長、活動には、普通の食べ物が必要
精神の成長、活動には、知識という食べ物が必要
霊の成長、活動には、霊的な食べ物が必要
>>576 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は
永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができる
のか」と、互いに激しく議論し始めた。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、
あなたたちの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。」
ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を
聞いていられようか。」
「イエスは食いもんじゃねーし」と言ったとか
580 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 10:43:48 ID:C6wj3mXl
妄想は基地外の食いものらしいな。 いろいろ有り難げなレッテル貼ってw
581 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 14:32:16 ID:fu9wCxNM
スエデンの霊界は要するに「夢の世界」に等しい。夢から覚めると現世で 苦しみが始まる。 その方が「よっぽど地獄」なんじゃないかねw 霊だけなら霞の世界、映画の世界、実際には何もないのに幻影を現実と思える 世界、つまりイコール「夢」と同じ世界です。 だから眠りに就くという言い方は正しいね、たぶん。そこで夢をみて過ごすだけ じゃないの?要するに。で、似たような性質の魂もその夢が融合するような夢に なるだけじゃない?それはどうせ夢だから、現実には自分さえしっかりすれば どうとでもなる。 つまり現実に大事なのは今の地上で肉体を持って現実に苦しむ世界。そこが本当は 一番大事でそこにこそ本当の世界がある。 だからイエスも肉体を取って現れ、かつその肉体も復活して栄光を現された。 霊界だけだったらどうせ、ただの「夢」ですからwイエスも苦労しなないで 済んだ。そうじゃないからスエデンは捨てていいのでは?
582 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 14:38:16 ID:fu9wCxNM
共産主義信者の時代にこういうフレーズ 「書を捨てよう、町に出よう」 が。そこでスエデン信者の時代にはこれ 「スエデンを捨てよう!生きたキリストを知ろう!」 「スエデンの寝言を捨てよう!生きている神のことばとしての聖書を知ろう!」 をどうぞ。
583 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 14:46:17 ID:QPu0yOK6
両方ともファンタジー
584 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 16:04:31 ID:JzVIlDGn
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしの言う仁愛の善と同化し、 わたしの説く信仰の真理と同化しねければ、あなたたちの内に命はない。」 わたしの言う、仁愛の善を受け入れ、わたしの説く、信仰の真理を信じる者は、 天界での命にあづかり、わたしは最後の審判のときそのように裁定する。 わたしの説く、人愛の善はまことの霊的な食べ物、わたしの説く、信仰の真理はまことの霊的な飲み物だからである。」 それでも、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を 聞いていられようか。」 「イエスはやっぱり喩で話したほうがよっかた」と言ったとか
585 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 16:09:02 ID:JzVIlDGn
イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのいう仁愛の善を行い、 わたしの説く信仰の真理を行わないなければ、あなたたちの内に命はない。」 信仰のみによって人は救われません。
>>581 >霊だけなら霞の世界、映画の世界、実際には何もないのに幻影を現実と思える
>世界、つまりイコール「夢」と同じ世界です。
>だから眠りに就くという言い方は正しいね、たぶん。そこで夢をみて過ごすだけ
>じゃないの?要するに。で、似たような性質の魂もその夢が融合するような夢に
>なるだけじゃない?それはどうせ夢だから、現実には自分さえしっかりすれば
>どうとでもなる。
>つまり現実に大事なのは今の地上で肉体を持って現実に苦しむ世界。そこが本当は
>一番大事でそこにこそ本当の世界がある。
しかし、いつかは現実のこの世界を去らなければならない時が来る。
「それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や
財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて
行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した
物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」」
「ルカによる福音書」第12章
587 :
神も仏も名無しさん :2010/04/22(木) 21:09:17 ID:sPxHaCBB
架空の人物にはっきり言われても、なんかちっともはっきりしないな。。
588 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 01:44:48 ID:E05STBrV
589 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 01:58:04 ID:E05STBrV
590 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 14:41:22 ID:uflAAxua
>>581 > スエデンおばさん ID:uflAAxua <スエデンの説く7種類の冒涜>
聖書(みことば)から、<信仰の真理>と<仁愛の善>を知っている人、またはそれを
ある程度みとめている人がする冒涜のことを、聖なるものへの冒涜と言います。
それを知らない人や、不信心から全面的に拒否する人は、これに当たりません。ですから、
後者じゃなく前者について、つまりかれらが行う冒涜には、軽いものや重いものを含め、
いろいろ種類がありますが、それについては七つのケースがあります。
そのため、主(イエス・キリスト)は、かれらが(みことば)を冒涜して、滅んでしまわないように、
配慮をされ、(譬え)でもって話をされました。(マタイ13.10)
そのことを、主は、次のように言われました。
「神は彼らの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、かれらは目で見ること
なく、心で悟らず、立ち返らない。わたしは彼らをいやさない。」(ヨハネ12.40)
第1 聖言をまたは教会の神的の事柄を笑い草の題材にすること
アホの妄想 → スエデン自身がやってることであり「教会とその教義を笑いものにしている」
解説:第一種類の冒涜は、(みことば)を引用したり、(みことば)について、あるいはまた
教会に属する神聖なことがらを引き合いに出したり、そのことがらについて、冗談の材料
にするような冒涜です。(みことば)からくる名前とか表現をとりあげ、それに聞くに耐えな
いコトバや、ときにはありもしない話を取り混ぜて、悪習慣からこのような冒涜をする人が
います。
それには、(みことば)にたいするある種の侮辱がつきものです。
(みことば)は、その個々全体にわたって神聖です。その一つ一つの単語には、ある種
の神的な性格がかくされています。それをとおして天界との交流が行われているからです。
ただしこの種の冒涜にも、本人が、(にことば)の尊さをどのくらい認めているか、冗談に
とりあげた場合の不敬がどれほどかによって軽重がきまります。
591 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 14:45:57 ID:uflAAxua
第2 神的真理を理解し、承認はするが、しかもそれらを無視して生きること アホ妄想 → 信仰義認を冒涜して非難して正義だとカン違いし無視して捨てている 解説:神的真理を理解し、承認しながら、それに反して生活している人がする冒涜は、 第二の種類に属します。 ただ分かっているだけの場合、その冒涜は軽いものですが、それを更に認めている 場合は、重いものになります。理性だけで教わっている人は、自分から意志が働いて 身についているわけではありません。それにたいし承認にまでいたっている人は、 自分の身についています。意志の同意なく、あることを承認することがないからです。 しかしながら、このような意志の結びつけにもいろいろあって、承認する真理に反して 生きているときの冒涜も、その結びつけによってちがいます。 たとえば、復讐、憎み、姦淫、私通、だまし、ペテン、涜神が神に反する罪であること を認めつつも、それを行えば、以上の冒涜としては、重いものになります。 主は言われます。 「主人の思いを見えながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった 僕は、ひどく鞭打たれる。」(ルカ12.47) また、他のところでは、「見えなかったのなら、罪はなかったであろう。しかし、今『見える』と あなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」(ヨハネ9.41) ただし、見かけで真理と思ってそれを認めると、純粋な真理として認めているのとでは 違います。純粋な真理として認めていても、それに沿って生活しない人は、霊界では 無気力そのもののように、声にもコトバにも(いのち)の光と熱が欠けているように見えます。
592 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 14:50:50 ID:JnUyKmAc
かくもテキトーな比喩の乱発
>>590 >第1 聖言をまたは教会の神的の事柄を笑い草の題材にすること
>アホの妄想 → スエデン自身がやってることであり「教会とその教義を笑いものにしている」
教会の教義が虚偽であれば、それを批判する事は冒涜には当たらない。
>>591 >第2 神的真理を理解し、承認はするが、しかもそれらを無視して生きること
>アホ妄想 → 信仰義認を冒涜して非難して正義だとカン違いし無視して捨てている
信仰義認説は虚偽であるから、それを批判しても冒涜には当たらない。
594 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 15:57:53 ID:E05STBrV
>>590 で、クリスチャンが聖書のどこを汚しているのですか?説明が必要。笑いもの
にして汚していないのであれば別にそれで結構。
>>591 では信仰義認は「神的真理」に当たらないと言い切ってるわけでいい?
字義から言ってすら「神的真理」に当たらないということなのね?
「信仰義認」はすでにアブラムが主の言葉を信じたことで義とされたところで
すでに始まっていたのに?新約の「信仰義認」もその延長だからこそでしょうに。
さていかがです?
595 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 16:10:45 ID:E05STBrV
>>593 >信仰義認説は虚偽であるから
と言っているのも、要するに、
|
>>590 |聖書(みことば)から、<信仰の真理>と<仁愛の善>を知っている人、またはそれを
|ある程度みとめている人がする冒涜のことを、聖なるものへの冒涜と言います。
|それを知らない人や、不信心から全面的に拒否する人は、これに当たりません。
これによれば「信仰義認」のことを知らない人が否定するわけだから、
確かに「冒涜」にはあたらないわけだ。もちろん、それはそれで結構。
しかし、ということは、
「スエデンはしらないくせに」「知っている」かのようにカン違いして
「信仰義認」を「否定」していた
ということには、なる。このことは神学とか銘打って大上段に振りかぶって
他人に強引に聴かせて宣伝までしてるくせに、中身を知らないで「否定して
いた」ということだから、これはこれでなんらかの罪にはなるだろう。
↑
おおよそスエデン教の罪は「ここ」に原点があると結論できるだろうね。
だから信仰義認のテーマに絞って議論するだけで事足りる。本質はそこにある。
わかります? > スエデンおばさん ID:uflAAxua
596 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 16:16:13 ID:E05STBrV
>>595 (矢印の位置修正)
このことは神学とか銘打って大上段に振りかぶって
他人に強引に聴かせて宣伝までしてるくせに、中身を知らないで「否定して
いた」ということだから、これはこれでなんらかの罪にはなるだろう。
↑
おおよそスエデン教の罪は「ここ」に原点があると結論できるだろうね。
>>595 >>596 スウェーデンボルグは、信仰義認説は、神的真理ではなく、虚偽だと論証している。
だから、スウェーデンボルグが、信仰義認説を批判しても何の罪にも当たらないし、
スウェーデンボルグの冒涜についての説明と何ら自己矛盾していない。
598 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 17:16:08 ID:uflAAxua
第3 聖言の文字的な意義を用いて悪い愛と誤った主義とを確認する アホのたわごと → 聖句を必然性皆無で好き勝手な当てはめをやって読解して悪い非難の渦に 自分の信者を導いて悪党三昧な日々に突き進ませている 解説:冒涜の第三番目は、悪い愛や偽りの原則を確かめるため、(みことば)の文字上の 意味をそれに適用する人によって行われます。 偽りで心を固めることは、真理を否定することです。また悪で心を固めることは、善を拒否 することです。(みことば)には、その内奥部に(神の真理)と(神の善)があります。 そして文字上の意味こそ末端的意味のことですが、これは教える内容が、主であるとか救い の道にかかわるものでない場合、純粋な真理の中には姿を現さず、むしろくるまれた真理の 中、いわゆる見かけの上の真理の中に姿を現します。 ですから各種各様の異端は、その根拠として文字上の意味が使われることになります。 悪い愛を正当化する者は、神の善にたいし暴力をふるまうことになり、偽りの原則を正当化 する者は、神の真理にたいし暴力をふるうことになります。後者の暴行は、「真理を虚偽に かえること」と呼ばれ、前者は、「善を冒すこと」と言われます。 そして、両方とも(みことば)では、「血」で表されます。聖なるもの、霊的なものは、また主から 発出する真理の霊ですが、これは(みことば)の文字の意味の一つ一つに奥深く宿っています。 (みことば)が虚偽にかえられたり冒されたりするとき、この聖なるものは、傷つけられることに なります。これが冒涜になるのは明らかです。
599 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 17:49:24 ID:uflAAxua
第4 敬虔な聖い物について語り、またそれを愛する者の語調と態度とを採用するものの 心ではそれを信じ愛しもしないこと アホのたわごと → 毎日スエデン信者の態度と言葉によって証しされている通り、またスエデン自身 も天使とか天的とか霊的とかいう単語を並べて雰囲気だけでこけおどしの意味薄弱 な長文を垂れていながら心は教会への憎悪で一杯で愛だのという境地とはほど 遠い状態にある 解説:冒涜の第四は、信心深いことや聖なることを口にし、そのようなことへの愛からくる情愛を、 声色や身振りで真似ながら、心では信じてもいないし愛してもいない人がする冒涜です。 かれらの多くは、偽善者やパリサイ人ですが、死後は、真理も善もすべて取り除かれ、外的 暗闇の中に放っておかれます。 その中でも、神にたいし、(みことば)にたいし、また(みことば)の霊性にたいして、反抗の構え をはっきりさせていた者は、この世でやったように、信心深いことや、聖なることをしゃべりたく ても、話すことが不可能ですから、その暗闇の中で黙ったまま座っています。 霊界ではだれもが思ったことを話すように強制されています。偽善者となると、思っていること と違うことを口にしたいわけで、対抗するものが口にあるということですから、黙るより外ありま せん。ただしそのような偽善にも、反神的な確信と、外面だけの神弁護論の程度のいかんに よって、軽い思いがあります。
600 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 18:15:20 ID:uflAAxua
第6 聖言を承認しつつも、主の神性を否定する ウソつきの妄想 → スエデンも信者の行動によってそれを示すように指導して犯している大冒涜 解説:(みことば)を認めながら、主の神性を否定する人たちのおかす冒涜は、第六番目です。 この世では、「ソッツイーニ主義者」とか、ある場合「アリウス派」と呼ばれている人たちのことです。 このような人たちのたどる運命は、救われる望みもまいまま、天界に入りたいと思います。 が、主に向かわずおん父に向かい、おん父にたえず祈り願う一方、ある人はおん子に免じて、 おん父に祈っていますが、それは無駄です。 それで神を否定する者がいる地獄へ送られます。 (みことば)で、次のように言われている人たちです。 「だから言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなことでも赦されるが、「霊」に対する冒涜は 赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に逆らうも者は、この世でものち の世でも赦されることがない。」(マタイ12.31,32) そのわけは、神はおひとりであって、三性を備えたその本質も一つです。その神こそ主です。 そして主はまた天界ですから、天界にいるということは、主のうちにいると言うことです。 したがって、主の神性を否定する人は天界に入れません。主のうちに住まうこともできません。 主が天界であり、天界にいる者は主のうちにいるのです。
601 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 18:43:02 ID:uflAAxua
第7 先ず神的真理を承認し、それに従って生き、後にそれをはねつけて否定する おばかのたわごと → いつもやっているスエデン信者が、天的とかカン違いしたコピペをやったかと思うと 突然態度が豹変して途端に高慢と、始末に終えないほどのみっともないウソ言動で 毎回示している冒涜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜↑<抜け追加です。 解説:冒涜の第七番目の種類は、神の真理を最初みとめて、それにのとって生活しながら、 あとになって、それから離れ否定するようになった者がおかす冒涜です。 冒涜の中でも、最も悪質です。 その理由は、もう分離不可能なまでに、神聖なものに冒涜的なものを混在させているからです。 それにもかかわらず、天界か地獄かに落ち着くため、分離されなくてはなりません。ところが かれらの場合、この分離が不可能なので、人間としての理性や意志がまったく根絶され、もはや 人間ではなくなります。 また、(みことば)の神聖性、教会の神聖性を心からみとめていながら、それを自分のエゴの 中にどっぷり漬けてしまっている人にも、同じことが起こります。これは万物を支配したいと 思う愛です。かれらの場合、死んでから霊になっても、主によって導かれたいとは絶対に思わ ず、ただ自分によってだけです。 それでかれらのもっている愛が手綱をとるようになると、天界を支配したいと思うだけでなく、 主さえも支配したいと思うようになります。 これは不可能なことですから、主を否定し悪魔にまります。知っておいていただきたいことですが、 支配愛とも言う(いのちの愛)は、死んだあとも、人それぞれに残り、取り除くことはができません。
602 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 18:46:40 ID:E05STBrV
603 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 18:47:28 ID:E05STBrV
>>602 (つづき)
まず「信じる」ことを持って「義」とし、その後は「その約束の祝福を信じ切って
身を任せ」「戴いた聖霊とともに信仰の歩みを為す」ことがすべてだというのが
キリスト教です。これを否定したら何も残らない。
残るというのがスエデンで、それが慈善とか仁慈とか仁愛という言葉で語っている
イエスの説教だというのがその教説なのだが、信仰義認はそういうイエスの言葉を
行なう者にするのはこの信仰によって受けた聖霊によって悔い改めた後で初めて
「神の御心にかなうもの」として受け入れられるものになると教える。イエスの
言葉の通り、「罪を悔い改めて初めて捧げものをせよ」がこれに当たり、罪をよし
として「汚い」ままで善行を捧げても神はそれを義としないということ。カインの
捧げ者の件がそれで、この原理はずっと変わっていないんです。
604 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:05:43 ID:E05STBrV
605 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:07:33 ID:uflAAxua
創世記 / 15章 5-7節 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができる なら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのように なる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。 わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」 これはどのような意味なんですか? 神はいったい何を言っておられるのですか?
606 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:16:22 ID:E05STBrV
>>604 (つづき) >スエデンおばさん ID:uflAAxua
あれこれあれこれ、いろんな話をして議論を吹っかけてきても、結局最後に
たどり着くところはといえば、100%必ず
↓
「こんな信仰義認なんて妄想を信じてるカトクリさんはおめでたい~~」
「こんなウソ八百教えこんでるインチキだから狂ってるんです!!」
「どうして自分の罪なのにキリストが代わって受けられるんです~~+
ホントに頭がおかしい人の言うことです ほーほほほ」
このフレーズを口走って議論にならずののしりの果てに罵倒に次ぐ罵倒、そして
うやむやにしておいて、また別のネタに移動しては同じ結末に、この繰り返し。
これを延々何十スレッドも浪費しては無駄な時間を掛けてる始末wだったら、
はじめから「信仰義認」をやればいいだけなんですよ。それ以外は本当はあなた
にとっては無駄なものでしょう。他の事柄は全部つけたしにすぎない。結局最後
にたどり着いて話が転覆するのはここなんですからw
607 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:35:58 ID:uflAAxua
「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜も、すべて赦される。 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に許されず、永遠に罪の責めを負う。」(マルコ3.28-29) 「人の子の悪口を言うものは皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。(ルカ12.10) 『聖霊に反抗する罪と冒涜』により意味されていることと、『人の子に反抗する言葉』により 意味されていることは教会にはこれまで知られてはおらず、そのことは『聖霊』により意味されて いることが、また『人の子』により意味されていることが知られていないという理由のためです。 聖書が何ゆえ、わからない内容になっているか、理解できましたか?
608 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:38:51 ID:E05STBrV
609 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:46:15 ID:E05STBrV
610 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:47:57 ID:E05STBrV
>>609 (つづき)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1271630157/551 551 :神も仏も名無しさん:2010/04/22(木) 23:00:46 ID:fu9wCxNM
>> 537(つづき)
>> 511>> 527>> 537だから、その人間世界への裁きは
>>422 >>428 >>430-431 のように厳しい裁きとして「絶対に裁くという決意」として表現する。
旧約の表現をなぜ借りてでも黙示録を表現したか、旧約の表現に現れて
いる絶対的神の「悪への裁き」の意志のゆえ。
そういうものを「教会が信仰義認教義が持たなくなって自壊する」だと
言いぬけているスエデン教はイカサマにもほどがある。
イカサマだから、結局>> 273以降ひとことも反論も反証も反駁もできず、
でしょう。>> 273は歴史的スエデン教の終了のお知らせです。
>>546 「自己愛を理性で補完して神に逆らう言い訳をしたことが罪」だというのは、
「聖霊に言い逆らうことの罪」として確かにあるが、それはイエスが「絶対に
赦されない」と言った罪だが、要するにそれは何かというと、「聖霊が回心
のチャンスを与えて罪を示して悔い改めるべきときが着たらそれを受け入れて
自分の非は認めて神の前で祈って回心しなさい、そして信仰を表明するべき
ときに聖霊が与える言葉はそのまま口で言い表し、証しを立てるように」と
いうことでしょう。それを自分勝手に理性で判断して心にあふれる聖霊の
促しを消してはならない、という戒めでしょう。そここそはポイントでしょう。
611 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:49:57 ID:E05STBrV
>>610 (アンカー修正の訂正)
>> 511>> 527>> 537だから、その人間世界への裁きは
>>422 >>428 >>430-431 →>> 511>> 527>> 537だから、その人間世界への裁きは>> 422>> 428>> 430- 431
(別スレからの引用につきこちらのスレッドではアンカーは無効)
612 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:50:06 ID:uflAAxua
>>608 >書いてある通りです。
>>602-603 の通り。またパウロも言っている通り。
>何がむずかしいことでしょうか。
それが、創世記 / 15章 5-7節 の意味なのですか? おほーほほほ
613 :
神も仏も名無しさん :2010/04/23(金) 19:56:39 ID:E05STBrV
>>610 (アンカー修正の訂正)
これもだった。
>>546 → >> 546
(別スレからの引用につきこちらのスレッドではアンカーは無効)
>>612 >スエデンおばさん ID:uflAAxua
別にスエデンの自己満足の内的なんてたいした意味はありません。それを必要
以上にありがたがっているのがあなたであるというだけで、これまでもずっと
見てきましたが、中身は必ずしもない場合が結構ありましたから。
それを以ってあなたがキリスト教はバカだとか罵倒すること自体がすでに高慢
の罪、あるいは霊的パリサイ状態にあると言っていい。中身はたいしたことでも
ないのに、ちょっとしたAHA体験で惑わされているんです、これが悪天使の
光の偽装ですよ。
本当にどうしようもない。そうだから、あなたはウソ吐きになってしまうわけです。
614 :
神も仏も名無しさん :2010/04/24(土) 11:04:54 ID:0b7QYCQl
信仰を持っているのに(正当な理由もなく)行いの部分はしたくない、 という発想がそもそもありうるんだろうか。 あるとすれば単に「その宗教の一員であること」が国籍や民族のような アインデンティティでしかない状態くらいだろう。属していることそのものを 意味としているパターン。 でも信仰義認でいう信仰とは、こういう種類の「信仰」をそもそも含んでいるのか?
>>614 >信仰を持っているのに(正当な理由もなく)行いの部分はしたくない、
>という発想がそもそもありうるんだろうか。
大いに有り得るんじゃないか。
行ないを変えないで自分の生きたいように生きても、イエス・キリストを信じるだけで
救われる、信じる者にとってこんな有り難い、楽な教えは他にはないだろう。
そんな楽な教えに引きつけられて、信じる者はいっぱいいると思うがね。
616 :
神も仏も名無しさん :2010/04/26(月) 19:23:34 ID:xGiemYei
キリスト教会の異端とは何ですか?
http://www.geocities.jp/oshi_ete_kun/itan.html キリスト教会の異端とは、簡単にいえばキリスト信仰の装いはしている
ものの、その実、キリスト信仰を否定しているものです。
この論理にしたがえば、「信仰義認」を説く、現代キリスト教は、
「異端」と言えます。
なぜなら、聖書にも、イエス・キリストの教えも「信仰義認」の教えはないからです。
でも、かれらは決して自分たちが、正統のキリスト教会だとなりさえすれ、
自分たちを「異端」とは自覚さえしていません。
617 :
神も仏も名無しさん :2010/04/26(月) 19:30:17 ID:xGiemYei
あれれ~~ 訂正:でも、かれらは決して自分たちが、正統のキリスト教会なりとすればこそ、 自分たちを「異端」とは自覚だにしません。
618 :
神も仏も名無しさん :2010/04/26(月) 20:00:25 ID:4Hbb0PBn
>>615 それは信仰と言えるんだろうか。それは
神を信じるんじゃなく、神の力を利用しようとしてるだけ。
>>616 善行も神からの頂き物なんでしょ。
619 :
神も仏も名無しさん :2010/04/26(月) 20:17:07 ID:xGiemYei
>>618 >善行も神からの頂き物なんでしょ。
ただでもらえるのか、努力してもらえるかということでしょ。
620 :
神も仏も名無しさん :2010/04/26(月) 20:47:46 ID:4Hbb0PBn
>>619 その努力が信仰、神との精神的つながりなんでしょ。
621 :
神も仏も名無しさん :2010/05/13(木) 20:36:42 ID:8YW6BC4v
キリスト教@質問箱219
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272283144/ 702 :神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 16:58:54 ID:k81qE7p1
>>700 弟子たちが揃いに揃ってイエスの教えを誤解して
千何百年経って現れたポッと出のインテリがやっと誤解を説いたのですか。
無理がありますし、ここで押し通すこともないでしょう。
705 :神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 17:03:28 ID:O0hpHBSM
>>702 >弟子たちが揃いに揃ってイエスの教えを誤解して
どこにそんなこと書いてるんだ? 妄想すな。
707 :神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 17:06:46 ID:k81qE7p1
>>705 誤解してないのに悪霊の仲間入りしたパウロを認めるなんてありうるんですか?
イエスの弟子ということは当然霊的真実にも触れてますよね。
それでも誤るということは、霊界を見てきたスウェさんも
信用出来ないということになりますね。
622 :
神も仏も名無しさん :2010/05/13(木) 20:37:39 ID:8YW6BC4v
(続き)
霊的な意味を認める解釈だと、こうなりますよ?
709 :終わりの日に永遠に焼かれる有本康夫とスェデンボルグ:2010/05/07(金) 17:09:17 ID:jlqXFyMO
>>707 スエデンボルグは旧約の信仰も否定していますよねw
アブラハムから モーセ エリヤ 洗礼ヨハネまでw
714 :神も仏も名無しさん:2010/05/07(金) 17:27:14 ID:O0hpHBSM
>スエデンボルグは旧約の信仰も否定していますよねw
ほんとうに、コイツは何にもしらないで言ってるんですよ。
バカサロメ
715 :終わりの日に永遠に焼かれる有本康夫とスェデンボルグ:2010/05/07(金) 17:44:55 ID:jlqXFyMO
>>714 贖罪をおかげさまって言うお前は旧約以来の信仰否定だからwww
623 :
神も仏も名無しさん :2010/05/15(土) 21:55:21 ID:AihBhCHs
蜘蛛の巣の中に作られた 大きな穴 周辺を岩やコンクリートのようなもので固めている まるで要塞だ それが吸血鬼達の魂の根城だった 蜘蛛の巣の中に大きな裂け目を抉り取るように作り 地中深くまで穴を掘っている 逆三角錐のような穴だ 周囲の木々の想い 宇宙や自然からの声が届くのを 塞ぐように 穴を灰色の固いもので塗り固めている これが吸血鬼達の想いの姿・・・ いちばん奥底の部分を覗くと 最も飢えた吸血鬼達が 寂しそうに指揮をしながら凍えている姿を感じる 周囲を固めている吸血鬼達は より守りを固くしようと 突貫工事のような作業を進めている ダンテやスゥエーデンボルグが見た地獄とは この世界のことだろう 多くの魂が 穴ぐらのような城を守る為 働かされている 人間は 生きる時 何らかの価値観で支配されてしまうと 霊界の中でも 魂が牢獄に閉じ込められたような状態に成り 教えられたイメージしか見えなくなってしまう 他の情報を忌むべきものとして 遮断してしまうからだ キリスト教徒にとっては キリスト教で教えられた死後の世界 イスラム教徒にとっては イスラム教で教えられた死後の世界 信者達の魂は 夢でも死後の世界でも その中でしか生きれなくなる 多くの人の魂が牢獄に繋がれた状態 それは吸血鬼達にとって好都合だった
624 :
神も仏も名無しさん :2010/05/19(水) 23:19:15 ID:P0Cj150O
蜘蛛の巣の中に作られた 大きな穴 周辺を岩やコンクリートのようなもので固めている まるで要塞だ それが吸血鬼達の魂の根城だった 蜘蛛の巣の中に大きな裂け目を抉り取るように作り 地中深くまで穴を掘っている 逆三角錐のような穴だ 周囲の木々の想い 宇宙や自然からの声が届くのを 塞ぐように 穴を灰色の固いもので塗り固めている これが吸血鬼達の想いの姿・・・ いちばん奥底の部分を覗くと 最も飢えた吸血鬼達が 寂しそうに指揮をしながら凍えている姿を感じる 周囲を固めている吸血鬼達は より守りを固くしようと 突貫工事のような作業を進めている ダンテやスゥエーデンボルグが見た地獄とは この世界のことだろう 多くの魂が 穴ぐらのような城を守る為 働かされている 人間は 生きる時 何らかの価値観で支配されてしまうと 霊界の中でも 魂が牢獄に閉じ込められたような状態に成り 教えられたイメージしか見えなくなってしまう 他の情報を忌むべきものとして 遮断してしまうからだ キリスト教徒にとっては キリスト教で教えられた死後の世界 イスラム教徒にとっては イスラム教で教えられた死後の世界 信者達の魂は 夢でも死後の世界でも その中でしか生きれなくなる 多くの人の魂が牢獄に繋がれた状態 それは吸血鬼達にとって好都合だった
蜘蛛の巣の中に作られた 大きな穴 周辺を岩やコンクリートのようなもので固めている まるで要塞だ それが吸血鬼達の魂の根城だった 蜘蛛の巣の中に大きな裂け目を抉り取るように作り 地中深くまで穴を掘っている 逆三角錐のような穴だ 周囲の木々の想い 宇宙や自然からの声が届くのを 塞ぐように 穴を灰色の固いもので塗り固めている これが吸血鬼達の想いの姿・・・ いちばん奥底の部分を覗くと 最も飢えた吸血鬼達が 寂しそうに指揮をしながら凍えている姿を感じる 周囲を固めている吸血鬼達は より守りを固くしようと 突貫工事のような作業を進めている ダンテやスゥエーデンボルグが見た地獄とは この世界のことだろう 多くの魂が 穴ぐらのような城を守る為 働かされている 人間は 生きる時 何らかの価値観で支配されてしまうと 霊界の中でも 魂が牢獄に閉じ込められたような状態に成り 教えられたイメージしか見えなくなってしまう 他の情報を忌むべきものとして 遮断してしまうからだ キリスト教徒にとっては キリスト教で教えられた死後の世界 イスラム教徒にとっては イスラム教で教えられた死後の世界 信者達の魂は 夢でも死後の世界でも その中でしか生きれなくなる 多くの人の魂が牢獄に繋がれた状態 それは吸血鬼達にとって好都合だった
>>624 スエ中はエホバ一体だけだから イエスに移ったら天に神がいなくなるw
628 :
神も仏も名無しさん :2010/05/19(水) 23:29:26 ID:P0Cj150O
キリスト教@質問箱221
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274003256/ 810 :神も仏も名無しさん:2010/05/19(水) 19:28:16 ID:bZykau3r
>>807 >被造物は神の神性をもちませんから 遍在説は成立しません
神性とは、神のおん働きのことですよ。
神のおん働きで万物は造られたといっても、その被造物に自体に
神性があるわけではありませんよ。
811 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/19(水) 19:30:37 ID:25Mhsooi
>>810 神性が神の働き????
神の働きってスエ教では聖霊の事だろ?w
でイエスにはエホバの本質=神性が全部入っていないのね?
812 :神も仏も名無しさん:2010/05/19(水) 19:37:11 ID:bZykau3r
>>811 父神が霊魂、子神が肉体、聖霊が働きの三位一体の神エホバ。
813 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/19(水) 19:41:56 ID:25Mhsooi
>>812 だからエホバの真性が全部入ったの?これはありえない
部分的に入っているんですね?
はっきりしてくださいw
629 :
神も仏も名無しさん :2010/05/19(水) 23:48:15 ID:P0Cj150O
>>627 イエスが呼びかけていた相手は誰なのか、という超根本的問題はどうするんだろう・・・。
630 :
神も仏も名無しさん :2010/05/20(木) 12:30:02 ID:mYB2EE7R
631 :
神も仏も名無しさん :2010/05/20(木) 12:42:16 ID:mYB2EE7R
まあ端的に言えば三位一体を信じるのがカトリックや正統派のキリスト教で 神がキリストの姿を借りてこの世に生まれて受難したってのがスウェーデンボリ派 って事だね。だからスウェーデンボリ派の教会は十字架がシンボルじゃないんだ よな。
633 :
神も仏も名無しさん :2010/05/20(木) 15:23:03 ID:mYB2EE7R
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274003256/952 いま中国やアフリカで主流派キリスト教は教勢のばしてるけど、
スウェ教はそういう成果はあげてるの?
数世紀後に新しいことを言い出してるのはイスラムもだが、
こちらの人口増加ぶりもすごいぞ。
実際の社会でどんな人々をどれだけ救えた上でそんな大口を叩いているんだ?
>であったとすると、その信仰はあらゆる真理をけがし、ゆがめ、
>虚偽に変えていき、人を霊的ことがらについて、狂った思いを
>いだかせます。
使徒であっても後で悪霊の仲間入りを果たす男を認めてしまったり、
悪霊の仲間入りする男が書いたモノが聖書に紛れ込むことを神が許容したりする、
という発想のことだね。
634 :
神も仏も名無しさん :2010/05/21(金) 19:48:44 ID:tcQS2PCD
>>632 あんたは、キリスト教が全然理解できていません。
キリスト教は、子神が地上に降り受肉して、イエス・キリストとして
誕生されたと言ってるのよ。
そして、その子神・父神・聖霊の神が三位一体なんですって。
アホ杉
アタナシウス信条
父(ちち)は造(つく)られたものでなく、
子(こ)も造(つく)られたものでなく、
聖霊(せいれい)も造(つく)られたものではない。
子(こ)は父(ちち)からのみ生(う)まれたのであって、
成(な)ったのでも、造(つく)られたのでもない。
このように、父(ちち)は神(かみ)、子(こ)も神(かみ)、
聖霊(せいれい)も神(かみ)。
相変わらず位挌がわからないアスベルガー症候群のエデン中学生www
636 :
神も仏も名無しさん :2010/05/21(金) 21:21:27 ID:tqboxk6t
637 :
神も仏も名無しさん :2010/05/21(金) 23:09:43 ID:tcQS2PCD
>>636 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。
しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。
ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、
あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。
どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください。』と言うのですか。
わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。
わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。
わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。
さもなければ、わざによって信じなさい。(ヨハネの福音書14:1〜11 )
>スエ教ではヨハネによる福音書を否定するんだね。
べつに否定はしていません。
イエスはヨハネで、天の父と自分は同じものだと言われているのです。
つまり、イエスに中におられる神性(霊魂)は、天の父と同じものなのです。
それがピリポには理解できない。
霊魂は父方から来ます、だから肉体である人の子イエスは、何度も父と呼んだのです。
>>637 >わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。
区別してる表現だね。別の精神を持つ存在として認め尊んでいる表現だ。
>べつに否定はしていません。
してるよ。マリア以前にイエスと呼ばれる存在がいなかった、という主張は
明らかにヨハネ福音書の否定だ。活動の場を移してその場にふさわしい(この場合は
「イエス」という人名)名前を得る前後で、別の誰かに入れ替わるわけでもない。
>つまり、イエスに中におられる神性(霊魂)は、天の父と同じものなのです。
> 霊魂は父方から来ます、だから肉体である人の子イエスは、何度も父と呼んだのです。
脳をただの入れ物・機能を果たす器官ととらえ、
霊魂を精神の主体とする場合、肉体そのものには精神は無い。
父方から霊魂が来た後、「父方」に別個に精神が残っていなければ、
呼び掛けは極めて不自然なものになる。要するに独り言だ。
639 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 01:44:21 ID:e5QnJHew
>>638 >区別してる表現だね。別の精神を持つ存在として認め尊んでいる表現だ。
わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。
>してるよ。マリア以前にイエスと呼ばれる存在がいなかった、という主張は
マリアから誕生する以前には、イエス・キリストは存在していません。
神エホバの霊魂が母の体内で肉体を帯びてから、イエスは存在したのです。
それまでにあるのは、救世主イエスの到来にかんする預言ばかりです。
>霊魂を精神の主体とする場合、肉体そのものには精神は無い。
霊魂は肉体がなければ存在しません、肉体も霊魂がなければ
存在出来ません。生きているときは物質的肉体を帯びていますが、
死ぬと霊的肉体を帯びます。
640 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 08:56:02 ID:BCRwHuaN
>わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。
「私が父であり、父が私である」とは書いてないな。
それに、そちらのいう構造だとあてはめられるのは
「父がわたしにおられる」だけだ。霊魂がその時々で肉体を
形成して入ってるのであって、肉体が霊魂に入ってるわけじゃないからね。
>マリアから誕生する以前には、イエス・キリストは存在していません。
神のロゴスとして存在していた、というのがヨハネ福音書冒頭の記述だ。
ロゴスは神であり、人間の間に受肉して「イエス」と呼ばれる人物として生まれた。
>霊魂は肉体がなければ存在しません、肉体も霊魂がなければ
>存在出来ません。
「父方から霊魂が来た後、「父方」に別個に精神が残っていなければ、
呼び掛けは極めて不自然なものになる。要するに独り言だ。」
↑の問題を解決出来る返答ではないな。
そちらの論によれば、受肉する前の「父」も何かしらの霊的な体に収まっていたんだろう。
霊的な体ごと受肉したのか、以前の体を一旦脱いでから受肉したか、は知らないが。
どちらにせよ、独り言構造は解決できないな。前者だと呼びかける対象がいなくなる。
後者だと脱ぎ捨てられた体は存在できないし、できたとしてもそこに精神は無い。
>生きているときは物質的肉体を帯びていますが、死ぬと霊的肉体を帯びます。
聖書のどこにその考えがあるのか、「神にできないことがある」(
>>631 )と共に聖書から引用してくれないか。
スエがキリスト教の間違いだって言う箇条書きどこにあったっけ? あぼーんしたからわからなくってw 誰かはってくださいw
642 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 11:48:04 ID:e5QnJHew
>>640 >「私が父であり、父が私である」とは書いてないな。
>それに、そちらのいう構造だとあてはめられるのは
>「父がわたしにおられる」だけだ。
「父がわたしにおられる」のなら、子神に父神が同居していることになります。
これがまさに三位一体の神を考えざる所以なのだろうが、それでは唯一・独一で
分割できない神の本質を二つの神に分割してしまいます。聖書には、神がお独りと
記されています。心の中で三人の神を考えながら、口で一人の神を唱えるのは、
精神の狂った人にしか出来ません。
父・子・聖霊の三つの本質的なものは、人間にある霊魂・肉体・活動のように
主にあって一つです。これは、主が(みことば)のなかで、父はご自分と
ひとつであること、父はご自分のうちにあり、ご自分は父のうちにあると、
はっきり言われていることからも分かります。
主ご自身と聖霊の関係についても、それが言えます。聖霊とは、おん父によって
主から発出した「神性」だからです。
>霊魂がその時々で肉体を
>形成して入ってるのであって、肉体が霊魂に入ってるわけじゃないからね。
生きている間は、通常、霊魂と肉体はしっかり結びついて、離れないように
なっています。霊魂がなければ肉体も存在しないし、肉体がなければ霊魂も存在
できないのです。
では、イエスの中にある霊魂はいったい誰のものか。父からののもか、母からの
ものか?答えられますか。
643 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 13:30:48 ID:glLZ0KIt
>「父がわたしにおられる」のなら、子神に父神が同居していることになります。
>これがまさに三位一体の神を考えざる所以なのだろうが、それでは唯一・独一で
>分割できない神の本質を二つの神に分割してしまいます。
初期クリスチャンは「常識」で福音書をリライトするんじゃなくて、
書かれたそのままを受け入れようとしたわけだね。ヨハネ伝の書き方なら、そうせざるを得ない。
もしできないなら、聖書の「非常識」な記述を取り除けたり、別の言葉に置き換えたり
イスラムのような「常識」的な神観をもった宗教に鞍替するほかない。
>父・子・聖霊の三つの本質的なものは、人間にある霊魂・肉体・活動のように
>主にあって一つです。
いいかげん、独り言問題を解決しようぜ。
>生きている間は、通常、霊魂と肉体はしっかり結びついて、離れないように
>なっています。霊魂がなければ肉体も存在しないし、肉体がなければ霊魂も存在
>できないのです。
その考えを聖書から引用してくれないか。誰々の常識・学説を投影した、とかじゃなくてさ。
「神にできないことがある」(
>>631 )もね。
>>643 だからペルソナw位格だよ位挌w
本質が一つでその本質をふたつの位格がいわば共有してるの
だからスエデンボルグのような多神教にはなりません
>初期クリスチャンは「常識」で福音書をリライトするんじゃなくて、
常識は関係ないです
現代人が逆に人格は一つだなんて幻想抱いてるだけ
645 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 13:47:32 ID:KWCJAzEO
存在するのはただ唯一神。そのうちにある 複数のペルソナが、それぞれの役職をもってそれぞれで(好き勝手と言う意味ではない)活動する。 こんな感じか? ……むつかしい。常識的にリライトしたくなる気持ちもわかる。 インテリかつ天啓も受けた(と考えた)スウェ氏は、自分なら その資格があると、使命感に打たれたのだろうか >現代人が逆に人格は一つだなんて幻想抱いてるだけ 被造物をたとえにする、というのは聖パトリックがシャムロックの葉を 三位一体のたとえにするような危うげさを感じるんだが、大丈夫なん? カトリック的に。
>>645 そそ
一つの実体にある三つの人格がそれぞれ職務を果たす感じ
あと位挌=人格はプロテスタントでも採用してるよ
人間にも実は複数の人格がある アニマとアニムスがその典型だけどね
子供だって一人遊びで複数の人格になりきるでしょ
ありえないことじゃない
スエデンボルグや狂信者は結局 イエスに受肉したエホバwwwについて解答できない エホバの神性が全部受肉したのか部分的なのかね つまり位挌がわからないからそういうことになるんですw
648 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 15:41:36 ID:e5QnJHew
>>644 >だからペルソナw位格だよ位挌w
格位とは人格と同じ意味だ。
一人神に三つの位格があれば三人格をもつ多重人格神だ。
>本質が一つでその本質をふたつの位格がいわば共有してるの
本質とは、物事の根本的な性質・要素のことを言う。
それはメロンには、みかんとリンゴの二つの要素があると言うようなもの。
メロンの中にはメロンの要素しかない。
あたまおかしいんとちゃうか?
>だからスエデンボルグのような多神教にはなりません
一人の人間に、霊魂・肉体・活動があれば三人の人間がいるというか?
一人の神に、霊魂・肉体・活動があれば三つの神がいると言うのか?
アタナシウス信条には、父も神、子も神、聖霊も神、と三つの神が
いるとちゃんと書いているだろうが。だから多神教。
三つの神が一つの神とは、算数も出来ないもか。
>>648 >キリスト教の真理によって、それぞれの位格を、個別に神であり、主であると告白することが求められており、三神三主について語ることを、公同の信仰によって禁じているからである。
アタナシウス信条は位格を前提にしています
まともに文章読めないのか?www
人間の本質に意識している自分と異性としての自分 老成してる自分
子供の自分などが並存しているのと同じですね
またスエいうような 霊 肉 活動 なんてありませんので
650 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 16:17:28 ID:e5QnJHew
>>649 >キリスト教の真理によって、それぞれの位格を、個別に神であり、
>主であると告白することが求められており、三神三主について語ることを、
>公同の信仰によって禁じているからである。
何がキリスト教の真理かと聞けば、人知を超えた奥義だとか言うんだろうね。
奥義と言っても、その内容が分からなければ、何も知らないと言うことだろう。
人間の理性に照らして考えれば、頭が狂うものだから、三神三主について語る
ことを、禁じたんだろう。
だから、「聞いても理解しないあなた方は、さいわいである。あなたがたの
救いは、そこにあるから」と陰口されてるんだろう。
>アタナシウス信条は位格を前提にしています
>まともに文章読めないのか?www
位格(ペルソナ)は、人格と同じ意味と、何度も説明しているだろう。
アタナシウス信条をまともに読めば、どう考えても三神の多神教だろ。
>>650 神の実相を細かく知ることが無理だといってるのw
オマエラも太陽だなんてごまかしてるじゃんかw
だから人間でさえ複合の人格で成り立ってるの
馬鹿かおまえはw
652 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 16:24:30 ID:e5QnJHew
>>651 都合のいいときは、父と子と聖霊の三神に分割して、
都合が悪くなると、一括して一神にする。
出鱈目キリスト教。
>>652 最初から一つの神性 三つの位格です
スエデンのように御子の本質が答えられない人間とは違いますw
654 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 16:55:56 ID:e5QnJHew
>>652 だから位格(ペルソナ)という言葉で誤魔化してるだけ。
位格(ペルソナ)とは何かと問えば、本質において唯一の神が父と子と
聖霊という三つの存在様式をもつことを意味すると言い、その口の裏では
父なる神、子なる神、聖霊なる神と三つの神と言っている。
それじゃ、一つの神じゃないと言えば、三つの位格が本質で一つになって
いる一人神ですと言う。
これじゃ、実質的な位格の説明になど全くなっていない。
>最初から一つの神性 三つの位格です
どこにそんなことを書いてあるんだ。
このように、父(ちち)は神(かみ)、子(こ)も神(かみ)、聖霊(せいれい)も神(かみ)。
と書いてあるだろ。
>>654 マジで読解力ないなぁw
公同の信仰とは、唯一の神を三位において、三位を一体においてあがめ、
位格を混同せず、本質を分離しない信仰である。
父の位格、子の位格、聖霊の位格はそれぞれ異なる。
しかし、父と子と聖霊の神性は一、栄光は等しく、尊厳は永遠。
ちゃんと神性は一つ 位格は三つって表現してるでしょ?
マジで中学生以下だなw
656 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 17:19:52 ID:e5QnJHew
>>655 読解力の問題ではないのです。
聖書や主の教えにない、嘘っぱち三位一体の神をつくって信仰させてる、
だけでしょう。自分たちのウソ教義が批判されていることもわからない、
あんぽんたんですか?
658 :
神も仏も名無しさん :2010/05/22(土) 20:28:04 ID:e5QnJHew
神が全能と言われるなら、独り神に、創造・裁き、仲介、働きがあってこそ 全能です。その全能を、おん父には創造・裁きを、おん子には仲介を、聖霊に は働きをというふうに一つ一つに属性をもたせてしまうと、唯一不可分の本質 を分離させてしまいます。 そうなると、三つの神のどれをとっても、完全無欠な神と言えなくなり、三分 された力しかありません。そうすれば、アタナシウス信条に記されているように、 父(ちち)は全能(ぜんのう)、子(こ)も全能(ぜんのう)、聖霊(せいれい)も全能(ぜんのう)。 と、いうことが空文句にしかならないでしょうか? 健全な理性の持ち主なら、拒否せざるを得ません。
659 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/05/22(土) 21:27:34 ID:3tDr/MM0
おめーら仲良くしやがれ。 俺が言いたいのはそれだけだ。
>>658 職務
人間だって職務に精励してもその人の本質かわらんだろ?w
661 :
神も仏も名無しさん :2010/05/23(日) 13:20:56 ID:SLVp20Rb
662 :
神も仏も名無しさん :2010/05/23(日) 17:04:54 ID:DDfEVRPQ
>見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、 >わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、 >わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。(ヨハネ伝16:32) 別の精神でなければどうやってもひとりだな。 >これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。 >あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。(ヨハネ伝17:1) イエスはいったい誰に話しかけてるんだ。 >永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。(ヨハネ伝17:3) 「あなた【と、】また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを」←これをどう処理する?
なんという不毛なやりとり
664 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 10:51:04 ID:pk+iEeKv
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274337073/l50 985 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 21:42:10 ID:HJZOaP7I
>>978 >なーんて何の根拠もない。
根拠は、かれの神学書が担保している。
聖書、とくに創世記や黙示録の霊的解釈は、人間の知恵では書けない。
989 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 21:45:31 ID:Kd2WVC0B
>>985 いいえw
スエの霊媒は使徒行伝も知らず パウロの書簡の意味も知りませんでしたwww
ペッチョン有本康夫と同レベルですwww
991 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 21:52:19 ID:2nctZ6Wj
>>989 ですよねw。おっしゃる通りかとww
>>985 >根拠は、かれの神学書が担保している。
>聖書、とくに創世記や黙示録の霊的解釈は、人間の知恵では書けない。
だったらお前がキリスト教を信じたら真実になるなんてダメつってるのと
どこが違う?おまえは結局信じ込んで真実だといってるだけなのが自覚できない
ただのバ〜〜〜カw。
992 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 21:52:44 ID:HJZOaP7I
>>989 スェデンがパウロ書簡をぜんぜん理解できてなかったら、
パウロが言っている「信仰による義認」とルーテル派の言って
いる「信仰義認」の違いをどうして指摘できたの?
665 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 10:54:48 ID:pk+iEeKv
995 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 21:56:12 ID:2nctZ6Wj
>>992 一部だけ受け取ったってだけの話w。よくわかってなかったって話でしょw
すぐにわかれよそれぐらい。結局スエデンも「信じて真実だということにしてる
だけの信仰義認」だ。それもわかってないおまえは池沼でキチガイw
>>713 >>717 >>734 >>738 ぷぷっ−−−ッwww!!!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274281856/ 256 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 22:00:08 ID:Kd2WVC0B
乱立スレから
>>992 だからね
スエの霊がイエスなら使徒行伝でのパウロの働きや福音書や書簡について
無知なのはおかしいわけ
信仰義認についてくわしくてもそんな初歩的なことがどうしてわからないの?
答えははっきりしてるのよ
スエデンが生きてた時代には古代ローマの詳しい情況はわかっていなかった
たしがギボンと同時代でしょ?www
はい 決定的ねwwww
258 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 22:30:15 ID:HJZOaP7I
>>256 >スエの霊がイエスなら使徒行伝でのパウロの働きや福音書や書簡について
スエの霊がイエスだなんて、分けのわけらないことは書かないようにね。
スェデンは、肉体を地上において、霊となって霊界に行ってきたのです。
そうして、主によって導かれ、天界・地獄・精霊界を見聞してきたのです。
かれが、聖書をひもといていたときでさえ、主がじきじきその内的意味を
教えてくださったと書いています。
666 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 10:57:17 ID:pk+iEeKv
260 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 22:42:19 ID:Kd2WVC0B
>>258 だからその自称イエスはローマ時代のことを知らなかったわけでwwww
263 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 23:09:41 ID:Kd2WVC0B
ヘボンとスエの時代は古代ローマのことなんてあまりわかってなかった
文芸作品とか壁画がせいぜい
ポンペイの発掘はずーーっとあとだからね
信仰義認なんてわかって当たり前
ただ書簡や福音書の実際はまだわかっていない時代だからw
ボロが出るわけよwww
265 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:19:42 ID:2nctZ6Wj
>>258 > 主がじきじきその内的意味を教えてくださった
DAKARA!!それがホンモノのイエス(あるいはおまえやスエデンの流儀なら主wかw)
かどうかなんて誰が保証するんだ?全部、スエデンの自己申告にスギんんんwww!!
だからお前のも結局は<信仰義認>なんだよw自分のが<信仰義認>であることの
自覚がないまま、キリスト教が「信仰義認だからダメだ」とかw池沼の言うことなの!
わからないのねwいくらイってもw>スエデン洗脳被害患者ばばあw
667 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 10:59:55 ID:VUUwBZ7k
266 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:30:59 ID:2nctZ6Wj
>>258 > 主がじきじきその内的意味を教えてくださった
結局、だからさ、こういう前提を先に信じ込ませるのがカルト(あるいはその
霊的存在とやら)の戦略なのだよ。そうやって<最初に判断の分水嶺を意識させない
まま、踏み越えさせてしまってるわけさwそこがトリックの一丁目一番地!!
つまり、最初に<これはイエスの言ったことだ!>→<だからこれは真実なんだ・・・>
と<疑いを潰させて最初から騙し>て始めてるわけだよwそうやっておいて、
あとは「内的」とか冠りかぶせて聖書の読解方法はこうやるんだ!!と押して行けば
もう全部そのカルト(あるいはその元締めの霊的存在w)の言いなりで全部信じ込ま
されて行くだけになるwもう疑いを抱けなくなる。
喧嘩でいえば、最初にガーンッ!!と一発食らわせて放心状態にさせておいて、
テキトウに脅しつけて「内的じゃないとダメなんだじょー!!」WWと思い込ませていく!!ww
これがスエデン洗脳の方法論になってるわけだよ。これが光の偽装トリック喧嘩サッポウ
だなwwこれでやられて洗脳されたのが。スエデン洗脳患者ばばあってだけだよ
267 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:32:15 ID:HJZOaP7I
>>265 だから、スェデンボルグの著作がそれを担保していると書いてるンよ。
268 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 23:34:18 ID:Kd2WVC0B
>>267 なりません
使徒行伝も知らない
福音書や書簡が当時 どう扱われるか物も知らずに パウロに見当違いな批判浴びせる
天のイエスなんていませんw
その批判の誤りがスエデンボルグの時代にまだ知られていなかったことに由来してるんですからW
668 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:03:26 ID:VUUwBZ7k
269 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:39:01 ID:HJZOaP7I
>>268 パウロはともかく、黙示録の「獣」や「大淫婦」が、ローマ・カトリック教会の
ことだとは認めるの?
272 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 23:50:38 ID:Kd2WVC0B
>>269 いいえ
基本がデタラメですから信憑性ないです
少なくとも当時 判明していなかったことが正解だったら信憑性も出ますが
まるで逆ですから
パウロにかんする批判は素人同然 ペッチョン有本康夫と同じです
273 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/25(火) 23:53:58 ID:Kd2WVC0B
>>271 もう一つ言えばw
スエの時代はむしろカトリックより聖公会やプロテスタントの問題のほうが大きいんですがw
そのことには触れてないですねスエデンボルグのイエスはw
ものすごく深刻な情況だったんですよ?w
275 :神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 23:58:32 ID:HJZOaP7I
>>272 ほれサロメ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B7%AB%E5%A9%A6%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%B3 ローマ・カトリック [編集]
宗教改革者は、ローマ・カトリックが大淫婦バビロンであり、教皇は反キリストであるとした。
スェデンの言っていることと同じだ。
669 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:08:16 ID:VUUwBZ7k
276 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:01:04 ID:/VksuUfU
>>275 スエデンは元ルーテルだろw
ていうかそんな問題よりももっと重大なことが 彼の生涯におきてるんだけど
彼の作品にはまったく載ってないねw
他の霊界通信にはのってるけどw
まぁ彼や彼のイエスの眼中になかった
それだけでも彼の人格や通信の質がわかりますw
277 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:01:45 ID:Gj2IfM+1
当時は教会なんかよりもっと深刻な問題があったんだよwww
279 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 00:10:48 ID:jSfsJNL1
>>275 その黙示録の読解は結局間違いだったことはおまえとのやり取りの中でも
論証したじゃないかいw「獣」「熊、獅子、豹」なんかの根拠はいい加減で
インチキだったw、18章の読解も結局は全部をクリアできずのまま!挙句に
<獣=反キリストの大国>でもあるとか、スエデンの解釈はいい加減スぎマす!!
既存の教会だってインチキ読解やってるのさ、こと黙示文学についてはw。
暗号を解読し切ってないのに、取りたいように取って、自分の教派の主張の
足しに使ってしまったwそういうインチキイカサマをプロテスタントも
時にやっちゃったwだから別に、ルターだのカルヴァンだのが金科玉条だとか
無意味ですw。ハシの上げ下ろしまでいちいち正しいかどうかなんて誰も言って
ないから。妄想はその辺でよしましょうw!
670 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:12:22 ID:VUUwBZ7k
こちらのスレが終わったら、↓を次スレに。
【真実の】スエデンボルグが語るイエス【霊的体験】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274533403/l50 280 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:14:46 ID:Gj2IfM+1
まぁ当時の教会も スエデンボルグ自身も腐敗堕落してたんだよw
それは歴史的事実ですw
282 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:25:27 ID:Gj2IfM+1
>>275 その時代は教皇領とか 世俗君主と教会税の処理とか司教領とかローマ以来の
世俗権力があった頃ですのでw
教会は世俗君主の横暴から民衆守ったりもしてました でもその頃はもうグダグダ
確かに批判されても仕方ない面があった
現代はとっくに世俗の利権は手放しているw教会の改革もしましたw
で
スエの教会もそうだけどほとんどの教会は衰弱してる中 カトリックはまだ元気に奉仕活動していますw
671 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:16:45 ID:VUUwBZ7k
283 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 00:33:28 ID:jSfsJNL1
>>280 >>282 まあそういうことなんでしょう。ただ、スエデンの場合、これが、
> その黙示録の読解は結局間違いだったことはおまえとのやり取りの中でも
> 論証したじゃないかいw「獣」「熊、獅子、豹」なんかの根拠はいい加減で
> インチキだったw、18章の読解も結局は全部をクリアできずのまま!挙句に
> <獣=反キリストの大国>でもあるとか、スエデンの解釈はいい加減スぎ
<致命的な欠陥>だったということですよね。というのは、これが一番の基本に
なっていて、ここからすべての<教会>メタファの理論が構築されていた根源
だったからw。ここから<アダム、ノア=古代教会理論>→<イエスの再臨という
ものはナイ!>それはただ、<聖書からイエスの言葉が再発見されることだ!>
みたいな「スエデン教の中心理論」が形成されてしまっていたからw
だから<スエデン教においては黙示録の解釈が中心>で、正統派においては
ハシっこの話だったわけですよね。だから正統派がこの黙示文学を解釈ミスして
いたとしてもそれが致命的かといえばそうはならないということでしたね。
ここがスエデン教とは根本的に世界の違う話だったワケですねw。
284 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:37:21 ID:Gj2IfM+1
>>283 ていうかスエは見当違いしてるのでw
スエの時代は既に教会なんて何の影響力もない
スエ自身もですけどw
当時の時代の危機 スエはまったく触れてないのでw
672 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:17:33 ID:VUUwBZ7k
285 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 00:40:06 ID:dKkQaJ75
スェデンボルグの書いた黙示録講解によると、黙示録の「大淫婦バビロン」とは、
主の神的権威を自らに移した者らであり、「倒れた。大バビロンが倒れた。
怒りを招く行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」(14.8)とは、
自らに主の神的権威を移した者らの断罪と破滅を意味していると書いてある。
イエス・キリストは、ヨハネにこう言われました。
「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、
テイァティラ、サルディス、フィラデルフィア 、ラオディキィアの七つの
教会に送れ」(黙示録1.11)
テイァティラにある教会に宛てた手紙には、「あなたは、あのイゼベルという女のすること
を大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わし
て、みだらなことをさせ、偶像を献げた肉を食べさせている。わたしは悔い改める機会を
与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。」(2.20)
「女」の霊的意味は「教会」のこと。 「淫らな行為」とは、(みことば)の善を汚し真理を
ひん曲げ神を冒涜することをいう。
さて、このテイァティラある教会とは、どこの教会のことでしょうか。
286 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:45:16 ID:Gj2IfM+1
>>285 だからw
スエの時代では時代遅れなのその解釈はw
どんな時代だったかわかってる?w
673 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:18:45 ID:VUUwBZ7k
288 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 00:48:20 ID:jSfsJNL1
>>284 まあ、スエデン洗脳ばあさんも、観念上のキリスト教憎しなんでしょう。
これまで<「信仰義認」がわからない→そんなことを言ってるのはインチキ教だ!
→だから教会は人を騙している→聖書の解釈も全部違ってるに違いない→これは
スエデンが正しいに決まってるわ>という流れ、これはこれでわかります。
自分が理解できないことは<間違っているんだ!>という信念になって、すべて
そこから判断されて<自分は正しいスエデン教の宣教師なのヨン!>という心理に
なってしまう。こういうのはありますね。
291 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 00:53:55 ID:Gj2IfM+1
>>288 あの情況で教会がどうのって霊媒してたスエデンボルグも結局はブルジョワだったんですよ
マジで路上で孤児が飢え死にしてた時代なんですから
293 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 00:57:14 ID:dKkQaJ75
エフェソにある教会にあてた手紙には、
「あなたははじめのころの、愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、
悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。むし悔い改めなければ、わたしはあなたの
ところへ行って、あなたの燭台をその場所からとりのけてしまおう。」(黙示録2.4-5)
「信仰義認」という世迷言から、「仁愛」の行いを落としてしまった教会とは、どこのことでしょうか?
674 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:21:41 ID:hPd50RaB
296 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:01:11 ID:Gj2IfM+1
>>293 だからさぁw
切り裂きジャックがうろうろしてたのにスエはなにしてたんですか?www
マジで貧民が凍死したり餓死してたんだぞ?wスエデンの家の前で
297 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:01:37 ID:5HJU6sjJ
スエデン的には 愛から離れてしまった を 「仁愛」の行いを落としてしまった と読み替えるらしい。
298 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:02:45 ID:Gj2IfM+1
>>293 マジで時代背景が感じられないスエのお告げw
299 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:04:03 ID:jSfsJNL1
>>293 だからあ。
あんたのも<信仰義認>だと言ってるでしょwなんど同じ話を繰り返せば気が
済むんだい?
>>274 そもそもスエデン教は<行為義認>教。しかし、お前の流儀をみてればわかるように
その<行為義認>も<イカサマな行為義認>教でしかない。というのは、
「<行為義認>だということを信じていさえすればそれでいいという<信仰義認>教」
だからさ。つまり、<仁慈だ仁愛だ慈善だ・・・という話を見たり訊いたり口走ったりw
していさえすればそれだけでいいという信仰義認>だからサw。実際にその通りにやって
なくたってw別にそれでいいんだよ、おまえの流儀ならw。だろーがw??つまり
<仁慈だ仁愛だ慈善だ・・・という信仰義認なんだよ!!>と自分で言ってるのさw
現実にその通りやってなくたって<そういうことだという自分で自分に思い込ませてあれば
それだけで天国行けるw>というのが「スエデン教」なんだよ!なあ?スエデン洗脳ばーさん。
675 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:24:02 ID:hPd50RaB
300 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:04:27 ID:dKkQaJ75
あれ、もうまともな反論ができないんですか?
302 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:07:43 ID:jSfsJNL1
>>300 いやwおまえが
>>299 に反論できないだけだね。真実突いているからそうやって
逆にキリスト教に攻撃して交わしてるのさw。
そうだろ??ね?
そもそもおまえが<信仰義認>であることはハッキリしてるからさ
>>274 >>299 w。
303 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:08:08 ID:5HJU6sjJ
俺の内的解釈によるとそれはドラえもんのことだぞ。
304 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:08:58 ID:dKkQaJ75
>>299 >あんたのも<信仰義認>だと言ってるでしょwなんど同じ話を繰り返せば気が
>済むんだい?
>>274 「信仰義認」とはどのような説か、分かって言ってるの?
説明してごらん。
306 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:12:06 ID:dKkQaJ75
>>303 あいかわらず幼稚なことしかいえないのに、スレに参加したいんだ~~
676 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:24:53 ID:hPd50RaB
307 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:14:12 ID:jSfsJNL1
>>304 >>300 いや、そんな話の前にもっと大事なことがあるな。おまいのやってることは
要するに
>>288 だヨ。
これまで<「信仰義認」がわからない→そんなことを言ってるのはインチキ教だ!
→だから教会は人を騙している→聖書の解釈も全部違ってるに違いない→これは
スエデンが正しいに決まってるわ>という流れ、これはこれでわかります。
自分が理解できないことは<間違っているんだ!>という信念になって、すべて
そこから判断されて<自分は正しいスエデン教の宣教師なのヨン!>という心理に
なる。わたしにはこうだとわかりますから。
でもその根源はといえば、本当は<観念の行き違い>が根本原因だと思いますね。
308 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:15:50 ID:5HJU6sjJ
>>306 >>303 みたいなこと言ってるやつ見たら頭おかしいと思うだろ?
スェデンボルグも似たようなもんだと思うよ?
309 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:16:17 ID:Gj2IfM+1
>>304 末のイエスは教会には関心あるけど餓えた貧民には無関心なんですねw
310 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:19:58 ID:Gj2IfM+1
ていうか 最初からキリスト教意識してないシルバーバーチのほうがまだスエより高度だw
きちんと社会状況 貧困や格差とか戦争 意識してるもんw
677 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:26:51 ID:6blfMvED
311 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:23:06 ID:jSfsJNL1
>>306 >>304 キリスト教は<普通の理解の仕方>じゃわからないんだよw
これは日本人とか、仏教徒とか、東洋教とは根本的に思考方法が違う
ものなのw
スエデン教の根源は<行為が判断されてそれを義とする>が当たり前
だから、<信仰だけで義とされる>のがいかにも不思議に見えるんだよね、
それは東洋人には当たり前の思考方法です。
しかし、キリスト教では<信仰という行為>を最初に<ヨシ!>と認めて
くれるということ。なんですよ!これがわかれば、あんたが目くじら立てて
バカになるほど頭に来るような代物じゃないこともすぐにわかるはずなの、
実は。それはね、
<そうか、おまえはそう思ってくれるか!!そうか、ヨシ!それなら
お前の心を買ってやる!> ・・・・・(*1)
ということなんだよ、要するに一言で言えば。わかる?前に言ったよな、
だから、これは<入口>だっていうことも言ったよな?覚えてる??
それなの→(*1)=入口。だから最初にあるのが<義認>なのです。
312 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:23:20 ID:dKkQaJ75
>>307 なにを言ってるの?
「信仰義認」の意味がわからずに、なにわけいてるの?
だから、はやく説明しなさいよ。
>>309 教会へ寄付することや、貧民に銭や食料を恵むことだけが、
仁愛だと思っている能天気な、キリスト教徒には理解が出来ないだけすね。
678 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:27:45 ID:6blfMvED
313 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:24:37 ID:Gj2IfM+1
スエデン自体がきちんと現状認識できず
霊界遊びに現を抜かしておいて 行為義認もないもんだわw
ウェスレーやブースのほうがよほど影響力大きいわよw
314 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:26:09 ID:dKkQaJ75
「信仰義認」の意味がわからずに、なにわめいてるの? フォトン
315 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:26:56 ID:dKkQaJ75
>>313 サロメが無知なだけ
316 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:27:56 ID:Gj2IfM+1
>>312 貧民に手が届かない価格で本売ることが仁愛か?www
スエのたわ言なんて世界に何の影響も与えなかったし 当時のカトリックや目覚めた少数のプロテスタントの働きのほうがよほど大きかったんですけどwww
スエデンボルグの本読んで目覚めたやつなんて皆無に等しいですねw
メソジストや当時結成されたプロテスタントの奉仕主体の教派 カトリックの修道会や俗世修道会のほうがずーーっと多くの人を救い 信仰に戻していますけどwww
317 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:29:38 ID:Gj2IfM+1
>>315 じゃあ現実にスエの仁愛に目覚めて救われた人間の数出してごらん?
物好きな有名人じゃなく貧民や庶民をねw
こっちはメソジストやバブテスト あたらしい修道会の教会出せるけど?w
679 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:30:13 ID:6blfMvED
318 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:30:51 ID:jSfsJNL1
>>314 いや、おまえの本当の行き違いの根源を解いてやっているんだよw
>>311 の
内容がおまえにとって一番の本質の理解になるべき最初のことだよ。
わかるか?ちゃんと読めたかな。
>>311 まずこれを受け止めてからだな。
おまえが
>>311 をしっかり受け止められたことを確認できたら次に行く。
もし受け止められなければ、おまえの最初の間違いからおまえは脱することが
できないからです。
>>307 の最初の行き違いを解決すれば、おまえのすべての
疑問が解決することになります。
>>311 がわかるまで次に行かない。今だめなら明日までお預けです。
319 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:31:37 ID:dKkQaJ75
>>316 信者から集めたお金や品物を、ただ恵んでるだけでしょ。
それとも、教会聖職者が自分のマネーで慈善事業しているの?
320 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:35:47 ID:jSfsJNL1
>>319 >>318 だからな。おまえが
>>311 をしっかり受け止められたかどうか、
明日確認してやる。それからだ。おまえは
>>311 が普通のことだとわかったら
話は早い。だからそれを期待している。頼むよ、受け止めてください
680 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:32:42 ID:Wer/zFN5
322 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:37:26 ID:Gj2IfM+1
>>319 違うよ 施設をこしらえてそこに臨時収容し 希望者には職を身に付けさせた
もちろん数少ないから 豊かな信者からの寄付を分かち合って上をしのぐところからはじめた
貧民にまーたく無関心なスエデンボルグがいた富裕層に宣教して悔い改めさせ彼らに富を分かち合うよう勧めたり
政府や教会が無力なぶん彼らは懸命にがんばった 聖職者地震も貧民と同じ貧しさに耐えながらね
アメリカでは奴隷は違法にも尽力してるね クウェーかーやユニテリアンも
スエはどう時代ですがナニをしました?
言っておくけどロンドンで子供が凍死したり餓死してる時代だよ?家の軒先でね
323 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:38:52 ID:dKkQaJ75
>>322 だからその原資はなんなのさ。
324 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:38:53 ID:Gj2IfM+1
当時の教会の努力をせせら笑い教会を否定したのがスエデンボルグです
自分の教会でっち上げ 貧民無視してねw
325 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:40:45 ID:dKkQaJ75
>>324 あのねぇ、そんな嘘ばっかり書いてると大恥かくよ。
326 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:41:05 ID:Gj2IfM+1
>>323 あのねー
富者が抱え込んだ富の再分配です
当時は政府は所得税など 富者に不利な政策は取らず 貧民の生きていけないほどの給与しかえられなかった
今みたいに累進課税はないんです
富を分配するのが教会の役目でしたけど?
で
スエデンはなにしてたんだい?w
681 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:33:41 ID:Wer/zFN5
327 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:41:38 ID:/VksuUfU
>>325 では具体的に反論どうぞwwww
329 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:44:47 ID:jSfsJNL1
>>321 おまえは神学がどうのという話にして逃げている。自分が信仰を持つのが怖い
のさ。それでいざというところで信仰を持たないように、話からはずれようと
必死なのだよ。
だからそんなおまえのために
>>311 というキリスト教の信仰の本質を教えて
やっている。神学とか言う前にこれを理解しろ。それだけでおまえは救われる。
余計な教会憎しの根本理由がなくなりますから。
あなたの本当の根源のモチーフはそこから出ている。<信仰義認>の神学論争
なんてあなたの本質的な根源の問題とは関係ないです。そういう話にして複雑な
逃げ方しなくていいです。わかりました?明日までに
>>311 の内容が普通のこと
なんだ、人間対人間の感情の問題に置き換えて考えてみて。そうすればこれで
いいんだとわかります。神は感情を持っているってことです。
330 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:45:29 ID:dKkQaJ75
>>326 >富者が抱え込んだ富の再分配です
要は教会も金持ち信者から恵んでもらったんでしょ。
自分等の取り分の残りを、恵まれない人に施したからって
何がえらいんよ。 そんあことが主に誇れるのか。
682 :
神も仏も名無しさん :2010/05/26(水) 11:34:49 ID:Wer/zFN5
331 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:48:49 ID:dKkQaJ75
>>329 信仰義認の神学論争なんてものはないの。
332 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:50:24 ID:/VksuUfU
>>330 産業革命以降のケインズ出現まで 富者の富は膨れ上がり政府はどこもそれを抑制できず
貧者には富のひとかけらも回ってこなかったって理解できませんか?
教会が積極的に富者に働きかけ寄付をおこなわせるしか社会福祉は存在しないんですけど?
それでも足りずに餓死者や凍死者が子供にまで及んだ
その教会の努力を批判できるほど スエデンは何をしたのですか?
333 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 01:51:59 ID:/VksuUfU
>>331 スエは仁愛なんて何も実践してないですね
働いたのは新興のメソジストやバブテスト カトリックの修道会です
334 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 01:58:37 ID:dKkQaJ75
>>333 この前のスレで、仁愛(仁慈)とはないか、書いたのに少しも頭に
入ってなかったてことですねぇ。
683 :
紅音矢 ◆R/kUipgeiA :2010/05/27(木) 01:37:30 ID:GMi1uHTM
684 :
神も仏も名無しさん :2010/05/27(木) 07:59:00 ID:stxtwJdw
このやりとりの続きは
>>670 のリンク先にて。
335 :サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2 :2010/05/26(水) 02:00:45 ID:/VksuUfU
>>334 奇麗事は結構ですw
スエはちっとも行為してませんw
336 :神も仏も名無しさん:2010/05/26(水) 02:01:19 ID:jSfsJNL1
>>331 >>334 わからないですか。
>>329 。あなたが<その難しい言葉から離れれば、直ちにわかる>
と言っていますよ
>>311 。
「信仰義認」というのは、要するに
<そうか、おまえはそうだと思ってくれるか!!そうか、ヨシ!それなら、
そのお前の心意気を買ってやる!!> ・・・・・(*1)
ということなんだよ。これは普通にあるでしょ?人間だって「俺のことを信じて
くれてる人がいる」ということ自体が支えになったりうれしかったりするだろう??
それだよ。要するに。神も<信じてもらいたい!>と思っているのだよ。神も
認めてもらいたいんだよ。自分のしたことを。人間も認めてもらえばうれしいだろ?
それと同じなのさ。神も同じようにうれしいのさ。
そこで神と心が通じ合う、それが信仰義認なんだよ。神の心が分かってくれたか、
そうかそうか、うれしいよ、俺はうれしいよと言ってくれる、それが<信仰義認>
ということなのですよ。そういう類推ができれば全然不思議でも理解不能なこと
でもないはずだよ。
では、これを明日までに受け入れておいてくれますように。また明日ね。
685 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 11:47:51 ID:0Es2oQME
686 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 14:43:11 ID:HI3126/F
687 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 16:55:16 ID:4IZkZDJZ
>>686 >いっぽう天使が堕落する、という思想は黙示録やユダの手紙に書いてある。
それ、黙示録12.7のことでしょうか? 竜とその使いのことなら見当違いです。
竜やその使いは天使ではありませんから。
そうでないなら、黙示録からはその根拠箇所を、またユダの手紙1.6と記された根拠
箇所を示してください。
天使とは、神のみ遣いのことですね。
スェデンボルグによると、神が、天使を直接造られたのではなく、天使も悪魔もみな
もとは、地上の人間として造られ、人は死後審判を受けて、天界に入った善霊が天使となるので、その天使が、堕落するわけはないということです。
「・・・もし片方の目があなたをつまづかせるなら、えぐり出して
しまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、
一つ目になっても命にあづかる方がよい。」(マタイ18.9)
このように、地獄に断罪された、人間の霊はみな悪霊と呼ばれます。
688 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 17:11:20 ID:4IZkZDJZ
>>686 だから、天使が堕落すると、黙示録のどこに書いてあるんだ?
690 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 17:31:33 ID:4IZkZDJZ
>>689 エノク書なんて、聖典にないようないかがわしいものは相手にならん。
ペテロの手紙のどこだ。
>>690 エノク書は新約の書簡で引用されてるから重要な書物ですw
2:4
神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
692 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 18:40:06 ID:4IZkZDJZ
>>692 ユダだったか
で得意げに無断引用してなにが言いたい?wwww
694 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 18:47:11 ID:4IZkZDJZ
>>691 神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、
さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。(ペテロU2.4)
これは、聖書のどこからの引用ですか?
696 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 19:01:41 ID:7mXW4Fya
>>687 >またユダの手紙1.6と記された根拠 箇所を示してください。
さらっと流してるけど
>一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために
>永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。(1:6)
>ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、
>不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。(1:7)
7節のようなことってスウェ的には問題じゃないの?
「その程度じゃ堕落じゃないよ」とスウェ教の神は言ってくれるのか?
>>690 は?正典の範囲決めたのは「パウロ書簡を聖書に取り込むような『正統派』」じゃないのか?
こういうときだけ既存教会の功績を利用するんだからな。
697 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 19:21:48 ID:7mXW4Fya
黙示録12章7節 7And there was war in heaven: Michael and his angels fought against the dragon; and the dragon fought and his angels, (キング・ジェームズ訳) 7And there was war in heaven. Michael and his angels fought against the dragon, and the dragon and his angels fought back. (New International Version) angelってあるな。 スウェさんも読んでそうなウルガータ(ラテン語訳)では 12:7 et factum est proelium in caelo Michahel et angeli eius proeliabantur cum dracone et draco pugnabat et angeli eius angeliってのはangelだよな。
698 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 19:32:29 ID:7mXW4Fya
699 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 19:40:56 ID:4IZkZDJZ
>>696 >は?正典の範囲決めたのは「パウロ書簡を聖書に取り込むような『正統派』」じゃないのか?
>こういうときだけ既存教会の功績を利用するんだからな。
キリスト教最大の功労者といわれるパウロ自身が、ローマ書に書いているように、
アダムを、来るべきキリストを表す者というような誤った解釈をしている。
そのパウロの書いた書簡が、聖書正典になったから、キリスト教では、それが
まったく疑らざるべき真理であるというような、たわけた信仰になってしまった。
主の(みことば)から全く引用のない、パウロの教義に何の権威があるというのか。
キリストの12直弟子たちが、主の教えを理解するのに、かれらは理解が遅く、主から
何度も、信仰薄きものたちと言われても、一途に主を信じたことにたいし、主から一度も直接教えを受けなかったパウロが、主の教えを理解し、それを自分が書いた書簡にすべて取り入れたと言うようなことは、まったく考えられない。
パウロが、主の教えではなく、自分自身から数々の教義をつくったのは明白な事実だ。
パウロのつくった教義を支持する聖書のおえしは、一体どこにあるのか
700 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 19:41:52 ID:7mXW4Fya
>>699 悪いけどスエデンこそ何の権威もない カントだって専門領域ではないからねw
まずパウロに関しては旧約の外典などチェックしてください
さらにパウロの書簡などにどのような検討が加えられたか
キリスト教公認までの教父の著作や教会史などにキチンと乗っています
こんなの基本ですから自分で調べなさい
アンタは自分の霊的な経験もなく スエの受け売りだけですからw
そんな恥かしいこと連呼するんですw
702 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 19:48:40 ID:7mXW4Fya
>>699 >主の(みことば)から全く引用のない、パウロの教義に何の権威があるというのか。
あなたは「そんな権威も無いモノを正典に含めちゃった人々(教会)」の選択をふりかざしちゃってんだよ。
>エノク書なんて、聖典にないようないかがわしいものは相手にならん。(
>>690 )
とね。自己矛盾を感じないんか?
703 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 20:00:03 ID:7mXW4Fya
天使のほうなら一応元ネタはある。 ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』第139章 大天使聖ミカエル われわれが天使たちを尊崇しなければならない第三の理由は、彼らがわれわれの 兄弟であり、同胞であるためである。というのは、すべての選ばれた者は、天使たちの群れのなかに 加えられるからである。上級の隊に加えられる者もあれば、中級の、あるいは下級の隊に入れられる者もある。 平凡社ライブラリー版第3巻542ページ
>>702 スエデン荒らしは使徒の時代の書簡や書物の機能がわかってないんですw
705 :
神も仏も名無しさん :2010/06/02(水) 20:06:19 ID:4IZkZDJZ
>>703 >ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』第139章 大天使聖ミカエル
そんなものは、漫画の世界で言っればいい。
706 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 09:31:32 ID:now1y6bH
つまりスウェーデンボルグの内容も漫画の世界。
>>700 をスルーしないでね。
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274792260/l50 >この阿呆には、神とは造られないお方で、そのお方から万物は造られた
>ということがどうしても、理解できないらしい。
「神とは造られないお方」←この意味するところがわかるか?万物には
はじまりがあって、結果がある、という法則を超越してる、ってこと。
始原もなく存在する。つまり自然の秩序を超越してるわけ。
「そのお方から万物は造られた」←これが「神が自分の一部をちぎって
そこから万物を創造した」なら汎神論になっちゃうな。もしそうでないなら、
無から有が創造されたことになり、自然の秩序を超越した「み業」を神は行えるってことになる。
>神の全能が、秩序の中での全能ということも理解できていない。
これも山積しスルーされてる問いの一つだな。
「神にもできないことがある」と聖書のどこに書いてある?
上記の性質を踏まえれば、秩序のこの部分も超越していて何の問題も無いな。
>生きている間は、通常、霊魂と肉体はしっかり結びついて、離れないように
>なっています。霊魂がなければ肉体も存在しないし、肉体がなければ霊魂も存在
>できないのです。(
>>642 )
↑も聖書のどこに書いてあるか早く示してね。
707 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 10:33:31 ID:now1y6bH
708 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 11:47:34 ID:lS6GnQER
パウロが地獄に落ちてて、ユダが天国にいるという素晴らしい希望の教え!
イエスは天界では一番低い人。 カビ臭いキリスト教はおしまい。 信じてる人もカビ臭い。
710 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 12:59:13 ID:Kblj81Wb
>>707 >ミカエルとともについて戦う天使と竜(サタン)側について戦う天使について書かれてるのが
竜とその使いたち(draco pugnabat et angeli eius)とは、悪魔の手先のことだぞ。
神のみ遣いたちが何ゆえ、巨大な竜、年老いた蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるものの
見方をするはずがあるのか。
711 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 13:04:10 ID:now1y6bH
>>710 だから原文でも天使(アンゲロス)って語が使われてるでしょ。
スウェの常識や偏見を押し付けるんじゃなくて
きちんと説明しなよ。
さぁ、答えるんだ。
人間が天使や悪魔になるなんて聖書のどこに書いてある?
712 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 13:56:03 ID:lS6GnQER
人は悪霊にはなるよ。 悪魔は人間になったことはない、つまり元は天使だからね。
713 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 19:57:32 ID:Kblj81Wb
>>711 悪を働くと、地獄に断罪されることは、聖書のあちこちに記されている。
地獄に行くのは、最後の審判で断罪された悪い主調愛(いのち)を持っている
人間の悪霊ばかりである。
この地獄の悪霊のことを、世間一般に、悪魔とかサタンと呼んでいるのだ。
ただし、スェデンボルグは、悪魔やサタンは地獄そのものを指している。
714 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 21:36:55 ID:cJkcH0AZ
>>713 >この地獄の悪霊のことを、世間一般に、悪魔とかサタンと呼んでいるのだ。
どこの誰が?
どこぞの新興宗教かね?
この期に及んで「世間一般」だなんて苦し紛れ臭いが、
聖書には直接書いてはない、このことは認めるわけだね?
715 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 21:42:11 ID:cJkcH0AZ
あるなら、人間が死んで出てくる悪霊・怨霊を悪魔やサタンと呼んでる章句を出してみそ。 「人間が天使になる」「神にもできないことがある」 「霊魂がなければ肉体も存在しないし、肉体がなければ霊魂も存在できない」も忘れずに。
716 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 23:02:58 ID:Kblj81Wb
「地下では、陰府(よみ)が騒ぎを起こす。 お前を来るのを迎えて。 そして、亡霊たちを呼び覚ます 地上ではつわものであった者らを。」(イザヤ14.9) 「お前の高ぶりは、琴の響きと共に、陰府に落ちた。 蛆がお前の下に寝床となり 虫がお前を覆う。」(同14.11) 「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。」(マルコ9.48)
717 :
神も仏も名無しさん :2010/06/03(木) 23:15:24 ID:cJkcH0AZ
>>716 >悪魔やサタンと呼んでる章句を出してみそ。
↑
この文言が見えなかったのか?
20章2節の謎引用(
>>707 )を彷彿とさせるな。
お茶を濁す以外の意味が無い。
サタンは堕天使で人間が生じるはるか昔から存在してるね。 悪霊とはサタンも霊体だから悪霊だけど、主に人霊ですね。 だいたい、エクソシズムなんかの本読むと、ごっちゃに憑いてて 元人間の悪霊をまとめてる悪魔が最後に出て来たりするし。
719 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 01:11:47 ID:izQH6b7c
サタンが堕天使なんて教会がつくった大嘘
エホバの証人は悪いことは全部サタンがやってると言ってた。 信じてないけど。 そもそもサタンの存在など解らん知らん。 スピリチュアリズムでもサタンについては述べてないし、でもいるかもしれんね。
721 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 09:43:11 ID:izQH6b7c
善はすべて神がやっており、悪はすべて悪魔がやっている。 人間には、最低ニ組の善霊と悪霊が付いている。 サタンとは、人間にある悪い愛、自己愛のエゴのこと。
まぁ自閉症患者って思い込んだら自己修正できないのよね スエデン荒らしの中学生のように 神と天使ってwww
723 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 10:04:42 ID:izQH6b7c
じゃ、善はどーこからー来るのでしょう♪ 悪はどーこからーくるのでしょう? ♪
このばかwww自閉症だから理系が最初好きだったんだよこのばかはw 生まれつき脳が壊れてるから善悪二元論だけがこいつの世界なんだよねwww
725 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 10:20:22 ID:izQH6b7c
サロメはインチキクリだから、善も悪も自分がやってると思ってます。
726 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 12:46:16 ID:WjOYMaxo
>>719 「人間が天使や悪魔になる」「神にもできないことがある」
「霊魂がなければ肉体も存在しないし、肉体がなければ霊魂も存在できない」
なんてスウェがつくった大嘘。
聖書から引用してみろ、という問いからこれほど逃回っているのがその証拠。
727 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 15:40:52 ID:izQH6b7c
>>726 「人間が天使や悪魔になる」
人が死ねば霊となり、最後の審判を受け、善霊は天界へ、悪霊は地獄に行く。
天界に入れる霊の中で特に質の高い善霊が天使となる。反対に悪霊は地獄に
行くので地獄の悪魔になる。
「神にもできないことがある」
神は、秩序自体であるから、秩序に反したことは出来ない。
「霊魂がなければ肉体も存在しないし、肉体がなければ霊魂も存在できない」
人が生きているときには、物質的肉体がなければ霊魂もなく、霊魂がなければ
物質的肉体も存在しない。
人が死ぬと、物質的肉体は滅びるが、霊魂は霊的肉体を帯びるようになる。
728 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 19:40:45 ID:b8pfTEvQ
天使は座敷わらしみたいなもの
729 :
神も仏も名無しさん :2010/06/04(金) 21:35:50 ID:piIOWn2f
>>727 >聖書から引用してみろ、という問いからこれほど逃回っているのがその証拠。
逃走例がまた一つ増えたな。
730 :
神も仏も名無しさん :2010/06/05(土) 06:15:56 ID:8rtdBtyE
ま
スエデンボルグ信者ID:73AXNbauによる書き込みの要約。これがスエデンボルグ神学の全貌である。 キリスト論 ・宇宙創造主エホバは人間イエスに丸ごと受肉した。三位一体の神はキングギドラである。聖霊の声が聞こえるのは精神障害の証拠。 天使論 ・天使はすべて元人間。ケルビムもセラフィムも大天使も元人間である。最初から天使だった者は存在しない。 ・ルシファーはバビロンに生まれた悪魔である。サタンとは地獄に落ちた人間であり天使ではない。堕落天使は存在しない。神は天使を天国から落とさない。 救済論 ・神は天使を地獄に落とさないが、聖人を陰府=地獄に落とす。彼らは地獄で怪物の姿を取り、悪魔、サタン、獣、竜と呼ばれている。パウロをはじめ大部分の聖人が地獄で怪獣と化している。 ・信仰を積んでも地獄に落ちるだけなので信仰義認や聖霊の導きは嘘。悔い改めれば救われるが、クリは悔い改めができないので地獄雪。クリは所有物をすべて貧者にあげなければ救われない。 ・ソープランド通いは罪ではない。スエはよく通っていた。愛人を囲うことは罪ではない。スエは愛人を囲っていた。レストランでの食べすぎは罪になる。 終末論 ・聖書は福音書と黙示録以外読む価値なし。地獄にいるパウロが書いた書簡はよくできた悪書である。 ・終末は1757年に来て、その年にスエにキリストの再臨があり、黙示録解釈が啓示された。 ・バビロンの大淫婦とはカトリック教会、正教会、プロテスタントなど既成キリスト教会全体である。 ・黙示録の二証人とはスエの二つの教理である。キリストの再臨はスエにイエスが再臨した1757年に終了。最後の審判も1757年に終了し、新しい天と地は1757年以後の世界である。 黙示録の新しいエルサレムとはスエの教会。 復活論 ・ イエスの魂(エホバ)だけが復活した。イエスの肉は復活しなかった ・人は復活しない。死後霊界に行くだけである。復活を説くキリスト教はオカルトである。 護教論 ・全能のエホバ直々に天啓を下したのでスエの霊示は不可謬。スエに背くすべての教説は偽り。 ・無神論哲学者カントが認めたからスエは無謬である。 結論 :現代キリスト教は虚偽であり、スェデンボルグが正しい。スェの真理を馬鹿にする者は地獄で怪獣になる。
ということでスウェーデンの勝ち
733 :
神も仏も名無しさん :2010/06/06(日) 10:14:19 ID:QFhy8hBx
本人か皮肉かはわからないが、やり方としてはそれがいちばん賢明だ。
論拠を出せば、出すごとにぼろが出てしまうのだから、根拠なんて出さずに
勝利宣言したほうが傷は少ない。まぁ、進歩もないわけだが。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1275725314/307 しいて、じゃねーんだわ。神でないものを神と呼ぶ罪をまぬがれ得てはいない。
「行為と主体は同一の存在か?行為には実体がない時点でこれは誤り。」
↑にも反論できていない。 ノータッチを決め込むつもりかね。
>イエス キリストを拝むことと同義な。
そういう誤魔化しは無意味。十戒に記された命令「ほんとうの神以外を崇拝してはいけない」に
従うのと、そう記される十戒そのものを神とみなし、崇拝することは別だからだ。
今度こそちゃんと答える事だ。
>十戒を崇拝してもいいんだね?
↑にイエスかノーで答えてね。
734 :
神も仏も名無しさん :2010/06/06(日) 10:44:58 ID:QFhy8hBx
735 :
神も仏も名無しさん :2010/06/06(日) 11:13:03 ID:SlzQWSKu
イエスのような異教徒を信じちゃいかん!いかん!
737 :
神も仏も名無しさん :2010/06/08(火) 15:26:30 ID:DhB/ftfe
738 :
神も仏も名無しさん :2010/06/11(金) 12:32:06 ID:Gh0x4+Vu
罪や悪の汚らわしさが真に承認されないうちは、祈りは何の効果も生まない。 人が自分の悪からただ免れようとするだけで、内心、「私は悪から免れるよう に唱えさえすれば、罪の許しをうるだろう」と考えているかぎり、その祈り には何の効果もない、ということが認められた。罪は、それが心の奥底から 真に告白され、ある種の内なる呵責や苦悶を伴って、その汚らわしさが承認 されないかぎり、許されず、こうしたことのうちに、またそのあとでのみ、 祈りは効力をもつのである。 ・・・ そうでなければ、祈りや秘跡(サクラメント)や外的な儀式にはどんな悪から免れる ように祈って救いの手段を講じさえすれば罪は許されるのだ、という考えによ って、こうした祈りや儀式は人間の良心をまどろませてしまうからである。 こうして人間は自分以前の汚らわしさに戻るのである。ある人が悪から免れ るように祈ろうとしたが、そのとき、ある霊的な観念によって、この真理が 私に認知された。 あらゆる災難や、ありふれた不運、またほかの場合に、祈りに訴えることが 習慣となっている者たちがいる。彼らは前方の、やや右寄りにいる。彼らは 何らかの災難がさし迫って来るのを見ると、いつも私をうんざりさせる一種の 祈願にすぐさま訴えている。しかし、このような源泉からはどんな援助も与え られはしないのだ。(霊界日記 スェデンボルグ)
スエデンボルグ信者ID:Gh0x4+Vuの投稿の要約。これがスェデンボルグ神学の全貌でありキリスト教の嘘である。 キリスト論 (キングギドラ三位一体神は大嘘) ・イエスは父エホバの受肉である。子は父で聖霊である。聖霊の声が聞こえる奴は精神病。 天使論(最初から創造された天使は大嘘) ・サタンは地獄に落ちた人間。ルシファーも地獄に落ちた人間。神は天使を落とさないので堕落天使は虚構である。ミカエルは個人名ではなく役職名である。 贖罪論(十字架の贖いは大嘘) ・イエスは人間の罪を贖ういけにえではなく、肉(人性)を神性(エホバ)と合一させるために十字架上で苦しんだだけ。贖罪は存在しない。 救済論 (信仰によって救われるは大嘘) ・パウロをはじめほとんどのキリスト者が地獄に落ちて、怪獣となって暴れている。悪魔、サタン、獣、竜とは彼らである。したがって、信仰義認は嘘。悔い改めれば救われるが、クリは悔い改めができない。 ・売春は罪ではない。スエは買春したし、「結婚愛」で未婚者の売春を認めている。愛人を囲うことは罪ではない。スエは愛人を囲っていた。 聖書論(スエに矛盾する聖書注釈は大嘘) ・聖書はスエが明らかにしたアルカナに従って解釈しなければならない。新約は福音書と黙示録だけ読め。地獄に落ちたパウロの書簡は意味ゼロ。 終末論 (キリスト再臨と最後の審判と新天地が未来というのは大嘘) ・1757年に最後の審判が終了。 ・バビロンの大淫婦とはキリスト教全体、特にカトリック教会を指す。 ・黙示録の二証人とはスエの教会の善と真理である。 ・ 黙示録の新しいエルサレムはスエの作った新エルサレム教会。 復活論 (肉の復活は大嘘) ・ イエスの魂(エホバ)だけが復活した。イエス自身(肉)は復活しなかった ・人は復活しない。死後霊界に行くだけである。復活を説くキリスト教はオカルトである。 護教論(スエを非難するやつは嘘吐き) ・全能のエホバが天啓を下し、哲学者カントも認めたので、スエは無謬。スェを否定することは神を否定すること。 結論 :現代キリスト教は虚偽であり、スェデンボルグが正しい。スェの真理を馬鹿にする者は地獄に落ちる。
740 :
神も仏も名無しさん :2010/06/14(月) 16:22:25 ID:dUvuN2fc
これがスェデンボルグ神学。 三位一体の神論 ・三つ頭に一つ体の神は、キングギドラのような神である。三位一体の神は論理的に存在できない。 ・イエスは父エホバの受肉である。父と子と聖霊は一つ神にある霊魂・肉体・その働きの、三性である。聖霊の声が聞こえる人は、精神病の疑いがある。 天使論 ・最初から創造された天使などいない。 ・サタンは地獄そのものを指す。ルシファーは神的権威を自らのものにし、地獄に落ちた人間。神は天使を落とさないので堕落天使は虚構である。 ミカエル、ガブリエル、ラファエルは個人名ではなく各天使社会の総称である。 贖罪論(十字架の苦難と贖いは別々のものである) ・イエスは人間の罪を贖う生贄ではなく、肉(人性)を神性(エホバ)と合一(栄化)させるために十字架上で苦しんだだけ。 人類の罪を償うという意味での贖罪ではない。 救済論 (信仰によって救われるは大嘘) ・パウロは、あらゆるものを支配しようとしている地獄の最悪の霊の一味のひとりと連合して、みずからの目的の達成のためにこの悪霊と誓約した。 ・主の神的権威を自らのものにした、キリスト教会の高位聖職者は地獄に落ちている。地獄の住人は、天界の光の中ではさまざまな悪の形の化け物の姿となって現れる。 黙示録に出てくる、獣、竜とは地獄の悪魔を表象している。 信仰義認では救われない。悔い改めればだれでも救われるが、信仰義人で心を固くしたクリは悔い改めができない。 ・売春は十戒にある姦淫であり罪悪である。未婚者どうしの中で愛人を囲うことは罪ではない。スエは愛人を囲っていたといわれる。
741 :
神も仏も名無しさん :2010/06/14(月) 16:24:31 ID:dUvuN2fc
聖書論 ・スェデンボルグは、主の慈しみにより啓示された、聖書の内的(霊的)意味を明らかにした。 スェデンボルグは、彼の著作の中に新約・旧約の(みことば)を引用してその内的意味を明らかにしている。 聖書の中にも「聖言」でないものがあり、パウロの書簡や使徒の手紙には、主の(みことば)のような内的意味はない。ただの説教書。 終末論 (キリスト再臨と最後の審判と新天地が未来というのは大嘘) ・1757年で霊界で最後の審判が起こった。 ・バビロンの大淫婦とは、主の神的権威を自らに移したキリスト教会の高位聖職者のことである。特にカトリック教会を指す。 ・黙示録の二証人とは、教会にある善と真理のことである。 ・ 黙示録の新しいエルサレムは、主のつくられる新しい教会のことである。 復活論 ・ イエスは、この世で身につけられた肉体の全部をともなって、墓から復活された。これは、 主の人間性と、おん父の神性の完全なる一致合体(栄化)を意味する。 ・人は神のように復活しない。死後、人の霊が霊界に行くだけである。生前の物質的肉体の復活を説くキリスト教はオカルト的である。 護教論(スエを非難するやつは嘘吐き) ・全能の神イエスから伝授されたスェデンボルグの著作については、大学者カントも認めた。
742 :
神も仏も名無しさん :2010/06/17(木) 21:18:33 ID:CYxVo2M7
認める論証の内容はどうでもいい、ってのがスウェらしい。
743 :
神も仏も名無しさん :2010/06/22(火) 09:27:06 ID:8PoARMsA
^^
744 :
神も仏も名無しさん :2010/06/23(水) 00:12:24 ID:WdEW3LBG
実際そうだよね。 霊能者でもない(実際に見てくることもできない)カントに 確認の手段なんてあったのか?無い。「見た」ところで それをどう裏付けようがあるのか? だからこの世界で起きたこと >カントがスェデンボルグを認めるきっかけとなった、ストックホルムの火事の霊視 しか挙げられない。しかしこの世で起こる奇跡話なら、カトリックにもある。他宗教にも。 つまり超常現象起こしても、それが即真理性の証明にはならない。 このような都合の悪いところはルー、そして専門外の成果をひたすら繰り返し権威付け。 現在「スウェーデンボルグ キリスト教」で検索すると上から3番目にヒットする。 人目につきやすい場とも言える。落ちてもみみずんで過去ログを見ることもできる。 他人の目にふれる場でかようなご都合主義的行動パターンを示し続けるなら、 スウェーデンボルグ思想そのものへのネガキャンにすらなり得るだろう。
もっと早くスエを知りたかった 遅すぎた
このスレでスウェーデンボルグの著作を擁護しつづけている人も、 批判している人も狂ってるように思う それこそ著作に書かれている霊界見聞録の霊たちにそっくりだ
747 :
神も仏も名無しさん :2010/06/23(水) 22:59:16 ID:URKsvqpS
質問箱荒らし以外のスウェーデンボルグ支持者が参加してくれれば だいぶ変わると思う。
748 :
746 :2010/06/24(木) 16:37:46 ID:Tbou7ZDJ
実は、私はスウェーデンボルグの著作を学んでいる者です。 もしよろしければ、話し合えればと思うのですが・・・。
749 :
神も仏も名無しさん :2010/06/25(金) 12:14:02 ID:lxx2OLNH
ありがたい
750 :
746 :2010/06/26(土) 21:37:42 ID:sIwHgjEM
しかしながら、何について話そうか、とも思います。 興味のある人は既に幾つか著作を購入して、それなりの印象を受けているでしょうし・・・。 かく言う自分も、やはり正統的な神学と比べたり、それなりに吟味しましたが、 果てのない学びだと感じています。 しかし教義の要約は、 「イエスキリストを神・救い主と認め、何をお望みかきちんと学んで、 それに従って自分なりに 神と他の人を愛しなさい」という事で、 シンプルこの上ないと思います。
751 :
神も仏も名無しさん :2010/06/27(日) 10:11:20 ID:HQNAwXOw
752 :
絶対神 :2010/06/27(日) 10:25:37 ID:41NBlzg9
>>580 というより、一度だけなら「それこそ無数に霊界ばなしだの能力話だの
をしているのだから」、偶然もあり得るだろう
透視が100パーセント当たる事はないにしても
何度も、当てなければそれは証明とはとうていいえない
『カントというのは少し頭が弱かったんじゃないかね?』
ワリと、世間的にも評価されている科学者とかに多いんだが
一度でもなんか神秘的なものを見せられると、自分が絶対視した世界観
が崩れちゃうので、「あっさり転向しちゃう人」
理系が宗教にはまる(カントは理系じゃないけど)、黄金のパターン
って奴さ
こいつが言っている月の話とかはもろに外れてるんだから
「どーみても火事に関しては、『偶然』だろうよ」
753 :
746 :2010/06/27(日) 14:39:01 ID:ApYO3GGs
>>751 自分なりに書いてみましたので、
4つのトピックについて順次 投下していきます。
そのスレを見てみましたが、頭が痛くなりました・・・。
聖書の翻訳は、旧約はヘブル語を参考にしつつESV英語聖書、
新約はギリシア語から自分で訳したものです。
754 :
746 :2010/06/27(日) 14:43:15 ID:ApYO3GGs
その1 「神の全能と秩序」 その質問箱の人の答え方は正直 奇妙この上ないので、私なりに。 イエス・キリストは、サタンから「神の子よ、奇跡を使え」と誘惑され、 パリサイ人や律法学者などからは、 「奇跡を見せてくれたら信じようじゃないか」「十字架から降りてみろ」 「自分を救ってみろ」などと煽られました。 また、十字架で共に死にいく罪人も「神の子なら私を救え!」と言いました。 主の試練は、ご自身の全能を乱用しないことでした。 弱い人間性(人の子)は試練・誘惑を受けます。 サタンは、試練の渦中にある主を「神の子」と呼びました。 しかし実際は、神性(神の子)はそのような誘惑に対抗し、 ご自身の定めたものを破ることなく、肉体の死に至るまで従われました。 そのように、神の業には"人智を超えたルール(目的と秩序)"があり、 「神は無秩序(混沌)ではない」ということです。 「神には不可能はない。しかし、必要ないことは絶対になさらない。」 という方が分かりやすいかもしれません。 著作は「神の愛と英知は一体である」と何度も述べており、 主は愛そのもので、ご自分の愛をただひたすらに実行しておられる、ということです。 そこに迷いや誤りはありません。それを人智で計れないのは、ご存知のとおりです。
755 :
746 :2010/06/27(日) 14:46:31 ID:ApYO3GGs
その2「天使が堕落しない」つまり「堕天使というものはいない」 逆に、伝統教義における イザヤ14章や エゼキエル28章の "王たちへの宣告" がサタンへの言及である、というのは些か飛躍させすぎだと思います。 イザヤ書では、バビロン王の支配について語られており、 また、そのような意欲で教会を治めようとしている人について語っていると「著作」は言います。 エデンの園を文字通り受け取り、狡猾な誘惑者(ヘビ)が存在したとすると、 「善なる神が 悪を創ったのか?」という問題が起こります。 それを解消するために反逆者(ルシファー率いる堕天使ら)を想定したのだと思いますが、 この辺りについて、本当の意味で詳しく書かれたものを見たことがありません。 もしあるなら、英語でもいいので読んでみたいのですが・・・。 加えて、ヨハネ8:44で 主は 「悪魔は元より人殺しであった。」と言われ、"最初は善かった"とは言っておられません。 また、創世記には「天使を創られた」という記述がありません。 ちなみに「著作」によると、悪の起こりは、 「アダムとその妻」と呼ばれる古代の人々が、肉体の感覚的なもの(ヘビ)を重視したせいで、 霊的な恵みから自身を遮断していった事にある、と説明しています。 ちょうど、厚い黒雲によって光が遮断されてしまったように。
756 :
746 :2010/06/27(日) 14:48:14 ID:ApYO3GGs
その3 「人間が天使や悪魔になる」 「著作」は、天使も悪魔も 死後の人間がなったものだと説明しています。 これは先の"その2"と重複するところがあるので、みことば での天使の扱われ方を紹介します。 ヨブ記で、 天使たちは「神の息子ら」(1:6、2:1)と呼ばれ、 創世記 18:2 「見よ、3人の男たちがアブラハムの前に〜」 ヨシュア 5:13「見よ、抜き身の剣を手に持って、男が立っていた」 ダニエル 9:21「ガブリエルという男」 などなど、人間と同じように扱われているのが分かります。 また、黙示録19:10で、ヨハネが天使を拝もうとすると、 「やめなさい! 私は共に奴隷であり、イエスの証を持つ兄弟たちの(1人)なのです。」 同じく21:17 「人間の測り、それは天使の測りである」と言っています。 預言者ハガイは「主の御使い angel」(ハガイ1:13)と呼ばれ、 洗礼者ヨハネも「御使い angel」(マラキ3:1)と言われています。 もともと、御使い・天使は、ヘブル語で「マラク」、ギリシア語で「アンゲロス」でしたが、 "使者・伝令者(messenger, reporter)"という意味です。 サタンや悪魔(ディアボロス)も同じように、 サタン=敵対者、ディアボロス=中傷者という意味です。 また主は、弟子のペテロをサタン、ユダをディアボロスと呼んだことがあります。
757 :
746 :2010/06/27(日) 15:00:25 ID:ApYO3GGs
その4 「霊魂なくして肉体も存在しないし、肉体なくして霊魂も存在できない」 これは、質問箱スレの内容が意味不明だったので、何を問題としているのか よく分かりませんでした。 ただ、霊的存在には霊的な肉体があります。 天使や霊たちがそうですし、「金持ちと物乞いラザロ」の話で、 金持ちは死んだ後でも、ラザロが分かりました。 主が、山上で弟子達に本性を垣間見せましたが、その時に現れたモーセとエリヤも同様です。 教えられることもなく、ペテロは2人をモーセとエリヤだと認識しました。 つまり、どのようなもの(内部)にも、それなりの器(外部)が伴っている、という事です。 この世では物質的な肉体がありますし、あの世では霊的な肉体があります。 「天上の体があり、地上の体がある。」(第1コリント15:40) 以上です。
758 :
神も仏も名無しさん :2010/06/27(日) 17:33:09 ID:JwTy4tve
>>755 >「悪魔は元より人殺しであった。」と言われ、"最初は善かった"とは言っておられません。
これは元人間でも当てはまりますよね。赤ちゃんの頃から人殺し、なんてありえないわけですから。
>>756 >などなど、人間と同じように扱われているのが分かります。
「被造物である(神は創造主(父)にあたる」「知的活動ができる」
「下界でも活動する」という共通点をもつ以上、扱いが人類と共通しても
おかしくはないでしょう。同じくイエスを信じる奴隷である、という点も同様です。
759 :
神も仏も名無しさん :
2010/06/27(日) 18:12:17 ID:DJOZWLe6