>>198(つづき)
>>177 >主の医療が必要なのは、怪我や病気の人ではなく、悪徳を働く人です。
悪徳のもの、悪人は自分の悪の体熱で温まっているので、「癒す医者」は必要
ではないわけです。
みことばを見ましょう。イエスは悪人を招くとは言っておられないでしょう。「罪人」
を「病人」にたとえておられました。「罪びと」は「悪人」ではないようです。
マルコ 2章 17節 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、
丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
罪人を招くためである。」
イエスは悪徳のパリサイらを「非難」していた。導くにしても非難が先にあるのは、
医者というよりこれは裁判、裁きの元型ですよね。
実際、「悪徳を働いているもの」「悪人」が悔い改めるのは難しい。強い者たちは
弱らずに悪を行い続けるので、たぶん彼らには「裁き」があるでしょう。
ヨハネ 16章 9節
裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
それがいつかは神のみご存知。
>>179 だから
>>177が模範的かどうかは、果たしてどうでしょうね。