455 :
神も仏も名無しさん:
>>452 そういうこと。
>>447 >スエデンばーさん ID:k/NYx51Y
国語の問題だと言ったはずだよ。
>>439で意味を確認しろ。
>>414-419 結論から言えばこうだよ。→
>>204 ここが聖書の審判、裁きの基本になっている。結論をいえば「裁き」と
>
>>378 >@神への愛(天的愛)
>A隣人愛(仁愛)
>B世俗愛(富・名誉などへの執着)
>C自己愛(エゴ)
こんなこととはおそらく関係ない。聖書をみた限りでは。だから
>>204は重要
だと思う。終末の裁きはこれがとても重要だよ。
456 :
ペッチョン ◆rGRrbQghS2 :2010/03/21(日) 01:07:28 ID:pZ80VzL2
ペッチョンはどうやって、ぐちゃぐちゃにかき乱すか考えてるん
だろうが、日本人がいつまでも、その手に嵌ると思うのはペッチョン
の浅ましさでしょ...このスレを見てる人は皆ペッチョンの手法を
知ってるよ...
457 :
ペッチョン ◆rGRrbQghS2 :2010/03/21(日) 01:10:25 ID:pZ80VzL2
>>455 >こんなこととはおそらく関係ない。聖書をみた限りでは。だから
>>204は重要
>だと思う。終末の裁きはこれがとても重要だよ。
それは良いが、2000年前に書かれた文書なら、トックに「終末」なんか
終わってるハズだけど...2000年間の総括をやって欲しい。
458 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:11:03 ID:k/NYx51Y
>>455 カトリックの信者は、聖霊のお導きで「義」とされ、救われたら
その後どうなるの?
何一つ答えられないのか?
459 :
審判で火の池に入るペッチョン有本康夫:2010/03/21(日) 01:12:58 ID:b1anXw9P
>>453 ほーらwww
エウゼビオス『教会史』
「エルサレムの教会の人々は、戦争の前に啓示を介してその地の敬虔な人々に与えられたある託宣によって、
都を離れ、ペレアのペラという町に住むように命じられた。そこでキリストを信じる人々はエルサレムから
そこに移り住んだが、そのためにユダヤ人の第一の首都とユダヤの全地は聖なる人々から完全に見放された形になった。
そして、ついにキリストや使徒たちへの悪質な犯罪のために、神の審判がユダヤに臨み、不敬虔な者の世代を人々の間から
完全に絶ったのである。」
お前本当に無知wwww
>>456 お前の愚かしさを見てると思うぞwwww
>>457 いやー
2000年という数字の根拠出せよ統合失調の有本ペッチョンwwwww
460 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:19:13 ID:S5Qztnob
>>454>>458 だから。カトリックとか何とかとか関係ないんだよ。聖書です。それと今は
あなたの説に説明を求めたのに関係のないことをだらだら言ってるから言ってる
んだが?わかってますか、そのお利口な頭でさw。
たとえば、パウロの言を借りれば、こう言っているよね。
ローマ(口語訳)
1:29すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と
争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 1:30そしる者、神を憎む者、
不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、
1:31無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 1:32彼らは、こうした事を
行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、
それを行う者どもを是認さえしている。
裁かれる者たちとはこうだと言っている。これらは「悪人」「悪徳を行なう者」
だちであって、
>>378の@ABCとかではないのですよ。
そしてイエスも同じことを言っている。裁かれるのはあくまでも「悪人」
であると。探してみました??
だからパウロの裁き観はイエスのそれに沿っているようだ。
461 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:32:03 ID:S5Qztnob
>>460(つづき)
イエスも言っているよ。
マタイ 13章 25-40節 にはこうある。
「毒麦は悪い者の子らである」「毒麦が集められて火で焼かれるように、
世の終わりにもそうなるのだ」
そして、
>>204 の
ヨハネ 16章
8節「また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 」
9節「裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである」
「裁かれる」のは、あくまで「悪を行なう者」が裁かれる。そして「世」の
「支配者」らは基本的に「悪を行なっている者」たちだということを言っている。
でも言っている通り。
だから、
>>378の@ABCで悪人かどうかが決まるんじゃないんですよ。
462 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:36:33 ID:k/NYx51Y
>>460 パウロは、ただ、キリスト・イエスのによる贖いの業をとおして、
神の恵みにより無償で義とされると言っていますね。
それも、信じるも者すべてに与えられる神の業であり、何の差別も
ないといっています。
>裁かれる者たちとはこうだと言っている。
だから言っていることが矛盾しているのです。
>だからパウロの裁き観はイエスのそれに沿っているようだ。
イエスは行いによって裁かれると言っています。
パウロは、信仰すれば誰も無償で義とされると言っています。
明らかに言ってることがちがいます。
それより、人は死んだらどうなるの?
死んだ人は、いつどこで救われるの?
463 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:39:11 ID:k/NYx51Y
>だから、
>>378の@ABCで悪人かどうかが決まるんじゃないんですよ。
善を行う愛が@A
悪を行う愛がBC
464 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:44:07 ID:S5Qztnob
>>463 違う。
「世の欲」があることが「悪」なのではない。「自己愛」があることが
そのまま「悪」なのでもない。
あなたはそこをカン違いしている。
465 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:47:48 ID:S5Qztnob
>>464(つづき)
だから、
マタイによる福音書 / 13章 49-50節
「世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる
悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、
そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
この泣き喚いて歯軋りして悔しがるのは、たんに世に執着したいた人じゃない。
ローマ(口語訳)
1:29すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と
争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 1:30そしる者、神を憎む者、
不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、
1:31無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 1:32彼らは、こうした事を
行う者どもが死に価するという神の定めをよく知りながら、自らそれを行うばかりではなく、
それを行う者どもを是認さえしている。
こういう人々が「最後に」苦しむことになると言っているんだよ。
これは単に出世欲があったからとか、自己愛があったからということで
裁かれるんじゃないんですよ。
466 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:58:11 ID:S5Qztnob
>>465(つづき)
たとえば、出世欲があって、普通に経済的な祝福を願って真面目に努力して
いた人で、仮にキリスト教の神を信じていなかったとする。そういう人が
「誠実」で「勤勉」で「真面目」に「努力」してこの世界での成功を手にした
として、それを神は裁いたりはしないんです。
なぜなら、
ローマ(口語訳)
1:29すなわち、彼らは、あらゆる不義と悪と貪欲と悪意とにあふれ、ねたみと殺意と
争いと詐欺と悪念とに満ち、また、ざん言する者、 1:30そしる者、神を憎む者、
不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、
1:31無知、不誠実、無情、無慈悲な者となっている。 1:32彼らは、こうした事を
行う者どもが死に価する
だけだから。悪を行なわない世の人は裁かれないと、イエスもパウロも言っているはず。
ただし、それでいいとは言ってない。もちろんね。そこにあなたの、
>>378の@ABC
みたいなことが関係していて、イエスは世の欲から離れることは当然、推奨しているし、
そうであるべきだ、「光の子ら」は、と言っている。
だけど、そうでない人々が「悪を行なわない」のなら、裁かれるとは言っていないんですよ。
ここたぶん重要です。
なぜなら、ヨハネ 16章
8節「また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 」
9節「裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである」
でしたから。これは黙示録でも同じことが書かれていたのです。19章見てみれば
わかります。
467 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 01:59:29 ID:k/NYx51Y
>>464 いえ、勘違いしているのはあなたの方なんですよ。
天界に入れるか入れないかは、神の基準によって測られるのです。
天的愛、隣人愛が天界へのキップ、
世間愛、自己愛が地獄へのキップなんです。
霊たちの世界は、その性質が似たもの同士の社会で構成され、無数の
いわゆる住み分け社会になっているからです。
468 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:05:06 ID:S5Qztnob
>>466(つづき)
それから、逆に、イエスは「律法」を守らなくても天の国に入れるということも
言っているようです。
マタイ 5章 19節
「だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、
天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、
天の国で大いなる者と呼ばれる。」
天国には大きいものも小さいものもいるらしく、少なくとも「律法」として与えられた
掟を守る必要はない、と教えた者でさえ、「天の国」には入れるようでした。
つまり、そんな人でさえ天の国は開かれていた。
これは聖書にあるのでどうしようもありません。イエスに忠実なら認めるしかない。
469 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:05:52 ID:k2/G5lUm
>>467 >天界に入れるか入れないかは、神の基準によって測られるのです。
スウェーデンボルクの基準で語る奴が言うと、ギャグすぎる・・・・
470 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:10:13 ID:S5Qztnob
>>467 テーマは
>>412です。あなたの書いた「最後の審判」ですよ。それに
イエスもパウロも聖書から引用した通りですから間違いない。
>>468でさえ
あるようですし。
あなたは「光の子ら」の模範の話と、「裁かれてしまう」話がいっしょ
になってるんですよ。
「最後の審判」で裁かれるのはあくまでも「悪い者たち」です。推奨
されているレベルに達していないから「裁かれる」のではないでしょう。
あくまでも「聖書から」「取り挙げて」言っております。
471 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:10:18 ID:k/NYx51Y
>>468 あなたがたは、まったく主の(みことば)を文字上でしか理解できないから、
多くの誤謬を犯すのです。
キリスト教会出身者で知識人の多くは、死後、自分が世の中にいたときと同様、
肉体を備え、衣服をつけ、家に住んでいることに驚きます。
そして、死後の(いのち)、霊魂、霊、天界、地獄、について、かって考えた
ことを思い出し、顔を赤らめ、自分は愚かなことを考えていた言い、単純な信仰者
のほうが、自分たちよりよほど英知を味わっていたのを認めます。
あなたがその典型例です。
472 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:12:08 ID:S5Qztnob
473 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:16:02 ID:S5Qztnob
>>468(つづき)
さらにイエスは言っていました。
マタイ 5章 20節
「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義に
まさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
しかも「悪党」「悪人」どもの律法学者やファリサイ派より、「義」が勝ってさえ
いれば、「天の国」には「入れる」かもしれませんね。
これは先の
>>468のことに整合しますね。
474 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:19:01 ID:k/NYx51Y
>>470 >あくまでも「聖書から」「取り挙げて」言っております。
だから、その聖書に書いてあることも、権威のある教義によらないで、
何でも自己流でやって判断しているからから大きな過ちを犯している
のにも気づかなくなるんです。
これが、「善悪と知識の木」から取って食べるということです。
あなたは(み言葉)を、盛んに引用しているが、そこに記されている
意味が何ひとつわかっていないのです。
475 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:27:53 ID:S5Qztnob
>>473(つづき)
さらにイエスは、こうもおっしゃっていた。
ルカ 16章 8-9節
「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、
自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは
言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金が
なくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」
このあきらかに「世の」人は「自分が助かるために」「不正なお金」で「自分のため」
に「友人に貸しを作ってあとで助けてもらえるように図りました」が、それでも
「永遠のすまい」に迎え入れてもらえるみたいでしょう。
「天の国」は以外に「広かった」w。やはり「大きい人」から「小さい人」まで居る
ということに対応している。
476 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:30:42 ID:S5Qztnob
>>475(つづき)
徳の高低で大小はあるということで、悪人で無い限りとりあえず天の国には
入れるのではありませんか?
だから
>>378の@ABCがそのまま「裁き」の基準じゃないということ。欲のありなし
や、自己愛のありなしは、「そのまま」では「裁き」とは関係しない。
つまり、これは何を言っているか?
そうです、
>>465のパウロ説ローマ1章29-32節に整合していますよ。イエスの
「裁き」観は、やはりパウロに継承されている。
「裁かれる」のは、あくまでも「悪を行なう者」であり、「そうでない人」は「裁き」の
対象ではないということです。「最後の審判」で「裁かれる」のは「悪を行なう者」
らであり、「悔い改める可能性のない人々」ということでしょう。→
>>204ということ
です。
477 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:35:11 ID:k/NYx51Y
天の国、光の子ら、永遠のすまい、といっても何のことか
何ひとつ説明ができない。
>「天の国」は以外に「広かった」w。やはり「大きい人」から「小さい人」まで居る
>ということに対応している。
意味も分からず、ただ言葉あそびをやっているだけなんですね。
478 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:45:32 ID:S5Qztnob
>>476(つづき)
神は思っていたより寛大でした。「罪びと」を「病気」から直すためには
「福音」を、「悔い改める可能性」のない、つまり「毒麦」は収穫のときに
裁いて捨てる。
「最後の審判」ではっきりしているのはこれだけです。
あなたのやたらと厳しい基準で「裁かれる」というのは、イエスは少なくとも
言ってないのではありませんか?だからそれが継承されているパウロも言って
ないのでは?
裁かれるのはあくまでも「悪を行なう悔い改めそうに無い」者らです。
だから
>>378>>397は違うでしょう?聖書からはそう言えませんか?
479 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:47:06 ID:S5Qztnob
>>474 >権威のある
そんな話はしていませんが。
>これが、「善悪と知識の木」から取って食べるということです。
>あなたは(み言葉)を、盛んに引用しているが、そこに記されている
>意味が何ひとつわかっていないのです。
では私がここに挙げた箇所をどう解釈するとあなたの言っていることに
近づきますか?それがないのにいくら言っても無意味です。
無意味なこと
>>414-419を関係もなく書き込むなら、それでは権威ある聖書
から説明できなかったのはなぜでしょう。
私の論旨は一貫していてすべて聖書から引いてそのまま説明していますよ。
あなたのは霊媒士からの受け売りのなんだか怪しげな説明に過ぎません。
>>477
480 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:56:22 ID:S5Qztnob
>>478(つづき)
>神は思っていたより寛大でした。「罪びと」を「病気」から直すためには
>「福音」を、「悔い改める可能性」のない、つまり「毒麦」は収穫のときに
>裁いて捨てる。
>
>「最後の審判」ではっきりしているのはこれだけです。
ではこれら以外のひとはどうなるのか?
実際にはそれはここまででは不明です。ただ、黙示録には面白い記述がありました。
「統治する」という言葉です。統治するということは、統治される人々がいるという
ことです。おそらくですが、その人々が、悔い改めて回心してはなかったが、裁かれず
に残った中間の人々でしょう。
ヨハネの黙示録
5章 10節 彼らをわたしたちの神に仕える王、/また、祭司となさったからです。
彼らは地上を統治します。
11章 15節 さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声が
あって、こう言った。「この世の国は、我らの主と、/そのメシアのものとなった。
主は世々限りなく統治される。」
11章 17節 こう言った。「今おられ、かつておられた方、/全能者である神、主よ、
感謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです。
20章 4節 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、
彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、
首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、
額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間
統治した。
481 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 02:58:40 ID:k/NYx51Y
聖書は、あなたのような凡夫のチエで理解が出来るものではありません。
滑稽なだけです。
482 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 03:15:11 ID:S5Qztnob
>>480(つづき)
つまり、「ヨハネの黙示録」が述べている終末のあとの世界とはいったい全体
「何」なのか?
それは、この「地上の世界」の「更新」のことです。すなわち「裁き」とは、
ヨハネ 16章
8節「また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 」
9節「裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである」
とある通り、この世でのできごとだということです。
だからこそ新たに「統治される」世界になり、そこでは新しい世界が訪れて
「悪の支配者」のいない「良い世界」になるということなのです。
そのときに「自分の衣を白くした人々」が「初穂となって」「統治」し、
そこでは普通の「悪人」ではなかった普通の世の人々が「統治される」神の
支配する善い世界が訪れるようになる、ということだったわけです。
なぜ地上の世界が新しい世界になるのか?
実はそれこそが、イエスの「肉体」の復活の意味で、神はこの世を新しくする
ために、世を愛し、世のためにイエスを復活させ、世を悪から救った。それが
はっきりするのが終末と裁きです。
だから、「黙示録」はそのことを告げているということになるのです。
483 :
神も仏も名無しさん:2010/03/21(日) 03:20:29 ID:S5Qztnob
>>481 そんないいわけは要りません。出て行くとき。
あなたは
>>412に対して一切聖書から説明できなかった
>>479。
スエデン何某が「聖書」を基にしていないことがわかりました。
あちらに移るべきです。キリスト教とは関係ありません。