この当時は福音書はパピルスか羊皮紙で記録されてたんだけどね
当然印刷技術ないから筆記で すっごい費用と(読み書き出来る人間は高給だった)
時間がかかった
だから貴族や資産家で無ければ書物は個人所蔵できなかった(だから図書館の需要があった)
で聖書も教会が所蔵し 礼拝のときなどに読み上げられてたわけ
礼拝のときに福音を伝えるその目的で福音書が作られたのに わざわざスエデンボルグが主張するような
難解な裏の意味もたせますか?それも福音宣教と関係ない未来の教会のこととか?
常識で考えてもありえませんよねwww