キリスト教@質問箱221

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952神も仏も名無しさん
神にかんする教会の信仰は、人現における霊魂のようなもの、
その教義は、四肢です。神への信仰が女王のようなものだとすると、
教義は、その宮殿で女王に仕える人たちです。かれらが女王の言葉
一つで動くように、教義は信仰いかんにかかってきます。

まさにその信仰によって、その教会の中で聖書(みことば)が
どんなふうに解釈されるか決まるのです。信仰が偽りのもの
であったとすると、その信仰はあらゆる真理をけがし、ゆがめ、
虚偽に変えていき、人を霊的ことがらについて、狂った思いを
いだかせます。それにたいし、信仰がほんものなら、(みことば)
のすべてをはぐくみます。そうして救いの神である主、つまり、
(みことば)の神が光を注ぎ、ご自分の神的な承認にもとづいて、
息吹をあたえ、人をかしこくします。

内心では三神を信じながら、外面では唯一の神を口にしている現代の
キリスト教信仰は、(みことば)にある光を消し、教会から主を追い出し
教会の朝を、夜の闇に突き落としてしまいました。