【初心者】スレッド立てる前に質問をPart13【歓迎】

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1日本史名無史さん
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart12【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1119780508/l50
2日本史名無史さん:2005/08/14(日) 03:12:22
過去スレ
●初心者歓迎:スレッド立てる前に質問を●
http://academy.2ch.net/history/kako/1026/10268/1026810759.html
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart12【歓迎】
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3日本史名無史さん:2005/08/14(日) 03:13:42
4日本@名無史さん:2005/08/14(日) 03:14:44
日本史 ・ 世界史FAQ
ttp://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html
5日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:03:52
>>1
乙彼
6日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:06:25
戦時中、京都には大規模な空襲がなかったというのは本当なのでしょうか?
7日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:22:18
>>6
本当
8日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:32:21
うぃ〜す。先生質問で〜す。
明日って「終戦の日」ですよね。
でも日本は戦争に負けたから「敗戦の日」にはならないのですか?
つぎこそはぜってー負けないぞという意味で、
「敗戦の日」のほうがいいのでわ?
9日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:34:34
>>6
誤爆はあった。
北野天満宮の南に爆弾が1個落ちたって、
じじいが言うてた。
10日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:42:59
11日本@名無史さん:2005/08/15(月) 12:25:02
山口尚芳って誰?
何で一人だけダントツに影が薄いの?
12日本@名無史さん:2005/08/15(月) 13:05:27
■インターネット検索
 Google  http://www.google.co.jp/
 Yahoo!  http://www.yahoo.co.jp/
 Goo   http://www.goo.ne.jp/
13日本@名無史さん:2005/08/15(月) 14:10:22
google厨uzeeeeee!
14日本@名無史さん:2005/08/15(月) 14:40:18
>>8
こだわる人は、必ず「敗戦の日」といいます
15日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:06:59
ウヨだとバカになるんですか?
それともバカだからウヨになるんですか?


16日本@名無史さん:2005/08/15(月) 15:40:01
>>8
こだわる人は、必ず「終戦の日」といいます
17日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:09:17
「玉音放送の日」が適切かな。
18日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:42:32
少なくとも
15を見て
ウヨはサヨより馬鹿だと思うやつなんていないから安心しろ
19日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:53:33
コピペに反応するなよー
20日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:03:48
google検索にて、
終戦記念日 の検索結果 約 153,000
敗戦記念日 の検索結果 約 45,100
呼称についてウヨサヨでの傾向の違いはあまり無いように思います。
21日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:07:23
臥薪嘗胆は日本人にはなじまない気もする。
ユダヤとアラブみたいなのは理解しがたい。
22日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:34:56
>>15
右でも、左でも、どちらか一方に傾くのはバカの証拠。
頭のいい人間は、常に両方を平等に見ることが出来ます。
23日本@名無史さん:2005/08/15(月) 17:56:50
戦争に負けたこと自体は「記念」したくないなあ。
やっぱり、長い戦争と暗くて辛い時代が「終わった」ことを記念してるんでしょ。
24日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:56:57
「停戦記念日」はどうか
事実、法律上はサンフランシスコ講和条約締結まで戦争終結ではないし。
25日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:27:22
雑談スレ 立てようか?
26日本@名無史さん:2005/08/15(月) 19:48:32
>>24
降伏文書調印で戦争終結しているが?
27日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:44:47
朝鮮半島が分断されたのは日本のせいですよね?
日本が植民地化しなければ、そもそも南北から米軍とソ連軍が
進駐してくることもなかったはずだし。
28日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:57:22
そのとおりだが、何か?
29日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:19:30
自分のじいさんやおじさんに聞いた戦争時代の話を
紹介するスレを建てたいのですが
同じ主旨のスレって既にありますかねぇ
30日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:50:59
>>26
じゃあ9月3日だろ。
31日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:51:53
>>29
軍板に古くからあるんでそっちに行ってくれ。
3229:2005/08/15(月) 23:07:37
>>31
軍事板で見つけてきたサンクス
33日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:22:15
お日柄とはいえ
夏厨大杉
34日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:29:24
それ系のスレも乱立してるし
35日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:51:19
>>29
>じいさんやおじさんに聞いた戦争時代の話を紹介するスレを建てたい
なぜスレなんだ? サイトをやった方がいいと思うが?

>>30
じゃあ、それでいいんじゃない?
36日本@名無史さん:2005/08/16(火) 04:58:39
結論
馬鹿ぽい質問には馬鹿ぽい答えしか返ってこない。
37日本@名無史さん:2005/08/16(火) 08:51:44
ウヨサヨ含む思想家ってどうやって生きてるの?
38日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:07:20
>>33
>>34
>>36
だから何?っていう・・・
39日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:18:55
普通に眺めてここ数日、まともな質問がないってことでしょ。
いいことじゃない?暇なんだよ皆。
40日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:20:47
織田信長が足利義昭に与えた二条城を元にして、今でもある
二条城を作ったんですか?
でも二条城って義輝時代にもあったような…
41日本@名無史さん:2005/08/16(火) 09:53:35
信長時代の二条城は現在のものとは場所が違う。
あれは義輝の二条御所のあとに義昭のためにつくった将軍御所。
42日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:11:29
>>41
義輝時代のは武衛陣であって、二条城ではない。
場所も現在の京都御所の近くにある。
義昭時代にあったものを大増改築してできたのが、今の二条城
43日本@名無史さん:2005/08/16(火) 10:22:52
アプリゲールに関心があるのですが日本史板にそれ系のスレがあるでしょうか?
44日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:11:28
>>42
武衛って斯波武衛家と関係あるの?
45日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:54:09
三河守護の一色氏から松平氏に支配が変わる過程ってどんなん?
46日本@名無史さん:2005/08/16(火) 14:03:43
>>43
アプレゲールだろ?
47[43]:2005/08/16(火) 14:11:31
すみません。アプレゲールですか。
ありがとうございます。
山崎晃嗣とかの頃です。どこの板になるのでしょうか?日本史とは言えないのですか?
48日本@名無史さん:2005/08/16(火) 14:14:38
>>44
義輝が斯波本邸に住んでいたから。
49日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:59:04
>>47
美術板とかじゃないかなぁ?
いくら歴史だからって、何でも日本史板に立てたら、ものすごい量になると思うよ。
日本テレビ史、日本経済史、日本料理史、日本教育史…すべての板・スレが日本史板に集中してしまうよw
50日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:00:24
A級戦犯ってなんですか?
51日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:11:28
>>50
「平和に対する罪」に分類された人
ちなみにBは「通常の戦争犯罪」でCは「人道に対する罪」
52日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:11:38
>山崎晃嗣

これのどこが「美術板」なのかと小一時間(ry
ここには豊田商事のスレもあるんだから、日本史板でいいんじゃないの?
53日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:22:00
なんで幕末って、高杉晋作・桂小五郎・西郷隆盛・江藤新平とかの下級藩士が
藩全体を動かせたりできるようになったの?
毛利敬親とかなんにもしてなかったし…
すんごい疑問です
54日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:26:04
>>51
そうなんだ

ありがとう
55日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:30:59
質問です。杉田玄白が人間を解体している場面の絵とかってあるんでしょうか?
あと、解体新書を片手に人間を解体していたのか、解体新書を解読してから解体をしていたのか
どなたかご教授お願いいたします。少しわかりにくい文章ですみません。
56[43]:2005/08/16(火) 19:46:35
〉49 52
お返事ありがとうございます。
豊田商事スレあげてみます。
犯罪や文学というより、当時の空気。アプレゲール世代の感触に興味があります。
57日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:07:49
>>53
別に江戸時代は身分が極端に固定されていた時代ではない。
学問ができるか、剣ができるか、単純に有能であるかすれば、
殿様に見いだされるチャンスはそれなりにあり。
特に桂は剣も学問も一流。

田沼意次だって、親の代まで紀州藩の並の武士だったのに、
気が付けば老中になっていた。
58日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:45:00
>>45
三河の守護は永享以降、一色氏から細川氏(阿波守護家)に変わったのでは?
59日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:47:33
>>53>>57
桂って中世までさかのぼれば毛利一族だし、長州藩での身分は高いほうでは?
高杉も大内氏の一族か有力被官の子孫じゃなかったっけ?
60日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:20:45
>>58
永享の時には既に三河は松平氏の配下でわ?
61日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:29:23
毛利敬親って、異母妹と結婚していたってマジですか?
62日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:41:25
高杉は明白に上級の部類。
桂も養家は元は150石で末期養子で90石だからまあまあだわな。
もっともこれは実家が医者で金持ちで、勝の場合なんかと同じく、
実質的に家を金で買ったようなものという話もあるけど。
63日本@名無史さん:2005/08/16(火) 21:51:51
上級部類でも、藩を動かして一軍を引き連れるってのはきつくね?
64日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:07:07
高杉の場合は松陰門下の名声もあるし、
藩主の世継ぎの信頼も得てたんだから文句無しでしょ。
65日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:41:18
豊臣秀吉と秀頼のように、実は皇族のタネではないのではないかと噂される
天皇っていないのですか?
66日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:54:46
ん?
6765:2005/08/16(火) 23:00:39
豊臣秀吉と秀頼の関係のように、っていう意味です、念のため。
68日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:07:56
>>52
知らんよ。
アプレゲールと書いていたから、これのことかと思ったんだよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB
69日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:17:02
桂小五郎は、毛利一族の桂氏?
井上馨は、元就に粛清された井上一族の生き残り?
山県有朋は、安芸武田一族の山県氏?
70日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:37:14
桂と井上はそう。山県は中間の出なのでちがう。
71日本@名無史さん:2005/08/17(水) 16:19:01
なんで桂、井上の出自はそこまで知ってるのに
奇兵隊の山県の出自も知らないんだ?普通におかしくね?
72日本@名無史さん:2005/08/17(水) 19:55:29
山県は甲斐源氏じゃなかったっけ?自称。
たしか甲州に行ったとき突然言い出したなんてことを
聞いたような、聞かないような。
73日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:03:52
毛利元就の子孫って何人いるんだ?
ひょっとして長州藩士って上から下まで元就の子孫(養子に出されて他姓を名乗っている場合も含め)で
固められてないか?
74日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:09:42
なわけねーだろ。
尼子や陶の旧臣とかもいるよ。
75日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:25:19
>>71
常識的に考えて長州の蔵元中間が甲斐源氏の山県のわけないだろ。
76日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:53:35
そーいや尼子は幕末にいたの?
77日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:52:59
>>75
>>71>>72の間違いだろ。
78日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:06:19
>>72
一応、甲斐源氏の山県氏の苗字の地は安芸国山県郡。
79日本@名無史さん:2005/08/18(木) 01:21:34
晴久の子供達は普通に毛利の家臣になってるし、
幕末まで残ってるでしょ。ただし姓は佐々木を名乗ってたはずだが。
80日本@名無史さん:2005/08/18(木) 02:28:13
ぐぐることもしない厨に教えてやることぁないぜ
81日本@名無史さん:2005/08/18(木) 02:56:06
尼子家は毛利家臣として維新まで、
維新後は毛利家の使用人として食い繋ぎ
なんとか家は存続したが、
最後の当主が昭和15年東京の毛利家別邸で死去。
中国の名門尼子家は絶家した。
82日本@名無史さん:2005/08/18(木) 14:52:49
家臣じゃなくて客将では?
83日本@名無史さん:2005/08/18(木) 15:37:11
部落民と言うのは幕府が作ったものだそうですが
幕府が差別しろといったからと言って
そんなの簡単に差別対象になっちゃうものなんですか?
84日本@名無史さん:2005/08/18(木) 15:43:01
強いものに立ち向かわないものの不平不満は弱いものへと向かう。
85日本@名無史さん:2005/08/18(木) 16:29:44
>>83
それは過去の話で、現在は否定されている。
被差別部落は中世にでき、徳川幕府はそれを人別帖を分けて登録させ、
差別を公式化しただけ。
86日本@名無史さん:2005/08/18(木) 17:03:00
……ちくしょー
教師なんてウソばっかだ
87日本@名無史さん:2005/08/18(木) 21:30:56
>>86
おまい、85に騙されてるよ。
88日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:00:57
>>87
教えてください
89日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:20:22
横入れすいません。
高校生ですが、夏休みの課題図書で日本史に関する本の
感想文を提出しなくてはなりません。
とりあえず推薦書一覧にあった梅原という人の『黄泉の王』という
文庫を入手しましたが、どのようなまとめをすればいいのでしょうか。
「高松塚古墳」というのは最近も新聞で見た気がするのですが。
90日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:47:14
まずちゃんと読みましょ。そうすりゃ何かしら思うことがあるでしょうから、
それをそのまま正直に書きゃ良いのです。文科大臣賞かなんか取って
大学進学時のアピールポイントにしよう、なんてさもしい考えでもなければ、それで充分。
最近新聞で見たというのは、きっと壁画の解体保存が決定したという記事でしょう。
わざわざこの時期にその本を課題図書にしたのは、この記事を絡めて書けってんですかね。
91日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:50:54
>>90
アドバイスありがとうございます。
タイトルがおもしろそうなんで借りてみたけど、
昔の人名が覚えきれない・・・orz
92日本@名無史さん:2005/08/19(金) 00:52:30
>>89
その本古すぎない?
電波ゆんゆん系かもしれん。
93日本@名無史さん:2005/08/19(金) 01:18:35
>>89の課題の推薦書一覧が見たいところっスねー。
他にどんな本が挙がってるのか。
94日本@名無史さん:2005/08/19(金) 09:07:45
秀吉の刀狩では、武器が庶民から取り上げられたと教わります。
この時、猟師(マタギ含む)たちからは猟銃は取り上げられなかったのでしょうか?

まさか、「刀」狩りだから「銃」は見逃すなんてトンチみたいなことがあるわけはないですし。
95日本@名無史さん:2005/08/19(金) 09:58:19
>>94
刀を狩り集めて、それらは農具になり、農民に返還された。
わざわざ商売道具を奪ってしまうほど、秀吉はバカじゃない。
96日本@名無史さん:2005/08/19(金) 10:12:07
そーいや、客将って江戸時代下ではどんな扱いされてたの?
臣従の礼をとることなく扶持だけをもらうの?
それとも、臣従の礼をとってちゃんと役職につくの?
97日本@名無史さん:2005/08/19(金) 10:33:27
毛利は客将多いよな。
前述の佐々木(尼子)もそうだし、細川一族の備中守護家(細川高国の弟晴国の子孫)なんかもいるし。
98日本@名無史さん:2005/08/19(金) 11:49:30
猟師は銃を持ってたよ
99日本@名無史さん:2005/08/19(金) 15:30:49
山口にどこぞの客将が多いのは、大内の代からデフォなのか…
100日本@名無史さん:2005/08/19(金) 15:47:26
秀吉は侵略者だけどな
101日本@名無史さん:2005/08/19(金) 16:22:57
>>100
はいはい、チョン乙
102宮内庁.com ◆K.qmyQDBQc :2005/08/19(金) 17:24:54
あまりに初歩的な質問で申し訳無いのですが、特攻隊≒自爆テロでよろしいでしょうか?
103日本@名無史さん:2005/08/19(金) 17:56:19
ものにもよる。戦争中のものは自爆攻撃。戦争が終了しても命令無視で個人責任で勝手に特攻していったのは自爆テロ。
104日本@名無史さん:2005/08/19(金) 18:27:06
最近、戦争行為とテロの区別がついてない気がするから解釈の問題だとおもう。
個人的には、国規模でやるのはテロじゃないと思ってたんだが・・・

辞書的には
テロル=暴力に訴えて敵対者を脅かすこと。
テロリズム=政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。またその行為。
105日本@名無史さん:2005/08/19(金) 18:35:38
>>102
交戦状態にある国の戦闘艦艇に体当たりすることが、何故テロになるのか理解できない。
ただの戦闘行為に過ぎないよ。
106日本@名無史さん:2005/08/19(金) 19:04:41
>>93
アドバイスのお礼に(高校ばれるかな?)

・井上元彦『逆説の日本史』
・梅原猛『黄泉の王』『水底の歌』
・藤川圭介『宇宙王子』
・夢枕漠『陰陽師』
・網野善彦『異形の王権』
・今谷明『室町の王権』
・鈴木真哉『刀と首とり』
・司馬遼太郎『関が原』『風神の門』『菜の花の沖』
・荒なんとかさん『帝都物語』
・浅田次郎『鉄道員』

高校生には難しいよ、せんせえ orz
107日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:21:16
>>106
史実という点から見るとデンパな本ばかり紹介しているのはわざとか?
おまえ、人間のクズだな。
108日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:26:52
ぽっぽやは歴史の本なのか?
109日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:56:26
>>107
あのね、>>89>>106)は、学校の課題で「このリストの内のどれかを読んで感想文を書け」
と言われたそのリストを紹介してくれているだけで、クズなんて言われる筋合いはないですよ。
つーか、何の面識もない人間に簡単にクズなんて言うもんじゃありません。

しかし何というか…パンクな学校なんですねー。
いくらなんでも宇宙王子(ママ。宇宙皇子かな)だの帝都物語だのはねぇだろ。
110日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:59:08
>>106
一応時代順に並んでいるな。
ぽっぽやは「現代史」なのかな。
「荒なんとか」じゃなくて、アラマタ・ヒロシだ。
111日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:09:33
>>106
先生は鈴木信者っぽいな。
112日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:32:36
つか藤川圭介なんか今でも手に入るのかw
113日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:44:06
最終部黎明編が多少入手困難か。
114日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:47:21
>>109
クズは何を読んでもクズ
115日本@名無史さん:2005/08/20(土) 00:21:17
>>106
難しいと言うより、電波本しかないじゃないかw

>>114
クズはなんと答えてもクズ
116日本@名無史さん:2005/08/20(土) 00:33:47
>・荒なんとかさん『帝都物語』

「俣」くらい読んで変換してくれw
117日本@名無史さん:2005/08/20(土) 00:36:59
ベストセラー系が含まれてるのは少しでも歴史に親しんで欲しいってので分からんでもないが、いきなりトンデモ説
をそれっぽく記述してる本を高校生に課題で読ませようとするとは何を考えてるんだろ。
売り上げ基準で選んだにしても司馬作品の選が微妙だし、どういう考えで選んだんだこれは?
鉄道員にいたっては作者が歴史小説書くってだけだし・・・
118山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/20(土) 00:54:02
>>94
近世にも、猟師は銃を所持していましたし、免除されたのでは。
中世後期以降、各地域の村落でも甲冑や鑓・弓矢が儀礼に持ち出されていまし
たし、完全に没収する事は、もとより不可能であったでしょう。
「刀狩り」というのも、実効性のある武器没収というよりは、二本差しを武士の
専売特許・象徴にするという面が強かった様で、また一時的なものでした。
江戸時代になっても、少なくとも前期には、まだ水争いなどで弓矢・鉄砲・刀・鑓など
の使用が見られました。
119日本@名無史さん:2005/08/20(土) 00:58:01
>司馬作品の選が微妙だし
きょとん・・(*・o・)つーか、これ選んだ人。司馬は読んでないんじゃないのかな・・・なんで『風神の門』なんだ・・・
120日本@名無史さん:2005/08/20(土) 01:25:25
>>94
上手く言えないが個人の武器ではなく集団の武器を禁じた
何かあったときに部下を武装させるための武器弾薬とかそんな感じのを禁止
121日本@名無史さん:2005/08/20(土) 02:03:46
>>94
猟師の鉄砲は武器ではないぞ。
122日本@名無史さん:2005/08/20(土) 10:46:57
123日本@名無史さん:2005/08/20(土) 11:20:10
明治維新当時の朝鮮が貧しかったのは常識だ。
それを日本が大金を投じて美化した。
124日本@名無史さん:2005/08/20(土) 13:46:56
>>115
荒俣の俣も読めないクズがエラソーに吠えるな。
125日本@名無史さん:2005/08/20(土) 14:51:35
>>124
はぁ?
俺を>>106と一緒にするなよ
126日本@名無史さん:2005/08/20(土) 15:03:16
戦前の軍隊内で、どんなにエリート学校を出てそれなりの戦果を
挙げていても平民出身者は佐官クラスまでしか昇官できなかったというのは本当ですか?
逆に華族・高級士族ならば、たいした成果を出さなくてもいい学校出てれば
簡単に将官になれるとか…
127日本@名無史さん:2005/08/20(土) 15:36:04
>>126
軍オタの分際で学問板に来るんじゃねえよ
128日本@名無史さん:2005/08/20(土) 15:51:21
>>126
本当ではありません。
129日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:18:49
>126
何?どこでそんな階級闘争好きの左翼の知識をゲットしたの?
できれば本教えてw
130日本@名無史さん:2005/08/20(土) 16:58:12
>126
もしかしてそれは北朝鮮軍のことかーーーーーー??????
131日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:10:15
マジレスすると、家柄華族の軍人は将官になってもせいぜい少将どまりで、
ほとんどは佐官までで退役して宮中に入るか貴族院議員になる。

中将までいったのは前田、醍醐両侯爵と臣籍降下の元皇族小松侯爵くらいで、
元帥陸軍大将寺内寿一なんてのは例外中の例外。
132日本@名無史さん:2005/08/20(土) 17:15:39
陸海軍とも大正期くらいまでは中下級士族の出身者が多いが、
これは官費で学べる軍の学校が没落士族にとっての出世の早道だから。
海軍の斉藤、鈴木、岡田、米内、山本、井上なんかもみんな士族。
133日本@名無史さん:2005/08/20(土) 19:59:51
>>131
寺内なんて出自の怪しい新華族じゃないか。

加賀百万石前田利為大将を忘れてもらっては困る。
134133:2005/08/20(土) 20:01:23
 と、思ったら前田って書いてあった。気づかんかった。
135日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:18:27
新華族とはいえ、2世世代で大将までいった人は寺内以外はいないんでは?

武家華族の前田利為侯爵は戦時中、陸軍中将で事故死。死後、大将に進級。
ほか武家華族では松山藩主家の久松伯爵と御三卿清水家の徳川好敏が陸軍中将。
徳川中将の場合、先代が爵位を返上していたので自らの功績で男爵になった。
136日本@名無史さん:2005/08/21(日) 06:18:49
前田って東条に嫌われて戦地に左遷されたんでしょ?
137日本@名無史さん:2005/08/21(日) 06:30:09
なんで室町幕府が崩壊してすぐに烏帽子直垂は廃れたの?
豊臣政権下の肖像画でも裃タイプの礼装が多いし…
138日本@名無史さん:2005/08/21(日) 07:25:31
>>136
東條に好かれると言うことは、人間的にどうかしている。
139日本@名無史さん:2005/08/21(日) 08:01:59
狗奴と伽羅と任那ってどう違うの?
140日本@名無史さん:2005/08/21(日) 09:53:53
戦地に出された人間はみんあ東條に嫌われた事になるのかw
前田は召集されてボルネオの軍司令官になったんだよ。
141日本@名無史さん:2005/08/21(日) 09:57:10
任那は捏造
142日本@名無史さん:2005/08/21(日) 09:57:57
侯爵家の当主で陸軍少将が南方の激戦地の司令官を命じられるなんて
左遷以外の何物でもないだろ
143142:2005/08/21(日) 10:00:32
少将じゃなくて中将だった。
144日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:01:03
軍人なら当たり前だ。
145日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:39:41
>>142
軍の人事に華族とかは関係ないよ、宮様とかはさすがにどたばたしたらしいが。
146日本@名無史さん:2005/08/21(日) 10:43:01
予備役中将が召集されて軍司令官になるのが左遷とはw
147日本@名無しさん:2005/08/21(日) 10:52:18
>>137
すぐに廃れた訳ではありません。
室町後期の戦乱の時代になると地方の武士が戦いだして世に出てきて中央にあった古来の文化が
廃れ戦う男のスタイルに取って変わっていっただけのこと。要は、戦乱が服飾を変えていったのです。
頭を剃る月代(さかやき)がスタンダードになってくるのもこの戦国時代から。束ねただけの髪では兜を
被ると蒸れるから剃ったのが始まりとか。スポーツ刈りみたいなもんです。

何といいますか、学校で一日の3分の2が体育授業になってしまったら、学生服がジャージに、髪型も
スポーツ刈り&ショートが普通になっていったようなものと思えばよろしいかと。

それでも『忠臣蔵』の松の廊下シーンをみればわかりますとおり、烏帽子直垂は武官のフォーマル着
としてありつづけたのですが。
148日本@名無史さん:2005/08/21(日) 12:48:53
>>138
あなた東条英機のこと何も知らないんだねw 妄想乙。
149日本@名無史さん:2005/08/21(日) 13:41:24
馬鹿に馬鹿というと荒れる罠・・・
150日本@名無史さん:2005/08/21(日) 15:11:18
戦前最後の首相、鈴木貫太郎氏が

「大丈夫です。私は日露戦争も226事件も大丈夫でした。
その私が一緒なのですから安心してください。」

というのを降伏決定後、誰かに言ったそうなのですが
どのようなシチュエーションでの言葉なのか、ご存知の方
いらっしゃいますか?
この人の年輪を感じさせるセリフなので、気になっています。

あと、氏の初陣は日清戦争なのでしょうか?
151日本@名無しさん:2005/08/21(日) 15:36:15
>>150
水雷戦を専攻し、日露戦争のときは第四駆逐隊司令で中佐。
彼我の位置を正確に知る為、敵バルチック艦隊の前を横切るなど
勇敢な働きぶりも残している。

しかし、初陣は日清戦争。
威海衛を攻撃したさい、「鬼貫」の勇名を高らしめている。
152日本@名無しさん:2005/08/21(日) 15:45:55
>>150
雰囲気からすると、終戦前日の八月十四日、昭和天皇から「聖断」の勅を賜ったときではないかと。
しかしその夕方から情報が漏れ広がり、強硬派からの刺客を避けるため、貫太郎は家族と共に
転々と移動したという話があります。このとき78歳。
153日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:04:41
>>148
お前はヒトラーを優秀という気違いと同じw
154日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:07:48
>>151 >>152

ありがとうございます(・∀・)!
お聞きした言葉のほうは、思っていたよりも
差し迫った状況だったんですね・・・。
調べてみると氏は1948年逝去との事。
戦前の歴史をそのまま生きてきた方ですね。
155日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:10:11
東條英機に嫌われるタイプ

不真面目な方
裏切りが大好きな方
マスコミ関係者
156日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:21:09
つまり前田侯爵は

不真面目な方
裏切りが大好きな方
マスコミ関係者

なのね。
157日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:25:16
娘がやたらと父を美化し、東條の犠牲者みたいに吹いてるけど
ただ単に、予備の中将が召集されボルネオで軍司令官となり、
飛行機が墜ちて死んだというだけの話。
事故らなけりゃ普通に終戦まで生きてるよ。
158日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:47:44
>>157
美意子さんはほら吹きだから(ry
159日本@名無史さん:2005/08/21(日) 18:56:04
>>55
遅レス
まず解体新書とはオランダの解剖学の書物、ターヘルアナトミアと他何冊かを
前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らが翻訳して出版したもの。
だから、解体新書を片手に解体とか、解読してから解体という言い方はおかしい。

前野良沢、杉田玄白の二人はターヘルアナトミアを所持しており
その記述の正確さを確かめるために小塚原の刑場にて腑分け(解剖)を見学した。
二人ともオランダ語は読めなかったがターヘルアナトミアには詳細な図解が描かれており
両名は記述の正確さに驚嘆し、翻訳を決意した。
なお、この時解体を担当したのは長年腑分けをしている大変元気な
下人(非人)の老人であったという。

死体の腑分けは穢れたことであり、下人の役割とされていた。
なので前野良沢、杉田玄白は解剖はしていない。
例えしたくてもさせてもらえなかった。
160日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:16:09
>>147
丁寧な長レスありがとうございます。
なるほど、体育の授業が三分の二ですかww
161日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:23:03
江戸時代、島神主などが瀬戸内海や伊豆大島などの離島の行政を任されていたことが
多いのはなぜですか?
ここでいう「島神主」とは、神社の祭主というより支配者という意味なんでしょうか?
162日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:01:58
ま〜、前田侯爵の召集は>>157の言うとおりだろうね。
事故死したのは戦争初期の話だし、特別「死地」に追いやられたってわけでもないし。

ただ、親英米派でリベラルで名門の出だから、ガチガチの軍人連中から嫉妬されたり、
嫌われていてもおかしくはないな。
163日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:42:27
前田って戦死扱いじゃないんでしょ?
確か戦傷死者として東条から扱われ、遺族手当てを減額させた逸話があるが…
164日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:44:28
江戸時代、流罪をとかれて本土への帰還がかなった人って、その後
どういう身分になるの?やっぱ非人に落とされるわけ?
165日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:47:02
東條が懲罰召兵を何度かしてるからな。
そういう話になってしまうんだろう。
166日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:48:56
東京裁判の時に東條の頭を後ろからペシペシ叩いてたおっさんは誰?
167日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:51:34
>>166
大川周明
168日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:02:05
日本内地より朝鮮半島の為の国家予算が上回ったりした年があったよね?
公式な資料はどうしたら調べられるのかな?
169日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:06:52
>>164
時代劇的には刺青入れられて社会復帰してた。
170日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:28:07
>>167
だあれ?
171日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:32:29
>>163
もともと飛行機事故による死亡なので国は殉職扱いにしようとしたが、
相続税が莫大な額になるので帝国議会で
政府は相続税目当てに故意に殉職扱いにしたのか
との批判もあって戦死扱い(戦死に準ずる扱い?)にしたと聞いたことがある。
(戦死なら相続税免除)
172日本@名無史さん:2005/08/21(日) 23:33:14
173日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:10:49
>>153
こういう無知な人間が何でこの板にいるんだろうね。謎だ。
174日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:45:20
まぁ政治家として有能かどうかと問われればヒトラーは有能な人間だったし
漏れには理解できんが、ヒトラーは当時の女性に絶大な人気があった(不思議・・・

只、世の中にはレッテル付けによってしか全てのものを峻別できない気の毒な人も
いてるから、何時迄もこの話題をひっぱってもリアル火病しかみれないだろうね(苦笑
175日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:52:13
176日本@名無史さん:2005/08/22(月) 09:24:38
武家奉公人に付いて教えてください。
どんな種類があるんですか?身分的には武士だったんですか?
177日本@名無しさん:2005/08/22(月) 12:45:30
>>174
戦争屋としては×だが、内政屋としては超一流だったから。

女性に人気があったのは、権力者で格好良い英雄でしかも紳士だったから。
紳士というのが非常に大きいかと。足りないのは身分と背丈くらいか(ワラ
それでも風采が上がらないほどではなくって。スターリンに較べたら(ry
178日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:58:18
「すべての女性に夫を!」
戦争未亡人が多かった当時の、
ヒトラーのプロパガンダの一つ
179日本@名無史さん:2005/08/22(月) 13:59:41
>>168
ありません
180日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:06:51
天皇妃と皇后って、何がどう違うんでしょうか?
181日本@名無史さん:2005/08/22(月) 15:08:18
>>177
>女性に人気があったのは、権力者で格好良い英雄でしかも紳士だったから。

ますますヒトラーと小泉が(ry
182日本@名無史さん:2005/08/22(月) 15:20:48
もういいかげん別スレor他の板でやれよ。
183日本@名無しさん:2005/08/22(月) 15:27:40
>>180
「妃」と「后」。
どちらも「きさき」と訓じますが、漢字では平幕と横綱くらいの差があるのです…
184日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:01:14
>>183
何がどう違うんですか?
185日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:17:46
ピラミッドの頂点が后、その下に中宮、妃
186日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:21:41
確実に双子であった日本史上の有名人って誰がいるんでしょうか?
できるだけ過去の人物を教えていただきたいのですが…。
187日本@名無しさん:2005/08/22(月) 17:25:24
>>184
今の日本(皇室)において、単純な皇子の妻としての「きさき」は「妃」。
「后」は内裏の中央に住まう事を許された「きさき」のトップをいう。

(1)皇后…天皇の正妻
(2)皇太后…先代天皇の皇后か天皇の生母
(3)大皇太后…千々代天皇の皇后か、天皇の内祖母

の三つを指す。あわせて三宮(さんぐう)という。
中国と日本、それぞれの時代で微妙に概念が異なってくるが、この認識で大体OK。
天皇の家を成す(元)正妻だけに許されている称号と考えてくれ。

だから皇太子の正妻は「后」とは書かない。皇太子「妃」と書く。
元々は他家から輿入れした者だから。
188日本@名無しさん:2005/08/22(月) 17:37:26
>>187
×千々代天皇の皇后か、天皇の内祖母
○先々代天皇の皇后か天皇の内祖母

それから
「中宮」=内裏の中央に住まう事を許された「きさき」。
「后」=内裏の中央に住まう事を許された「きさき」のトップ。
ということも書き添えておく。誤解しないように。

>>183で「妃」=平幕、「后」=横綱と書いちゃったけれど、
「妃」=十両(ここからがプロの相撲取り)、「中宮」=三役、
「后」=横綱(三役のトップである大関の名誉称号)と書き
換えたほうが適切かな。

189日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:51:02
>>186
「有名」の基準が人によって違うと思うので何とも言いにくいが

ある程度著名とおぼしきところで挙げると
・結城秀康と永見貞愛
・松平忠輝と松千代
あたりが確実な双子。

双子は「畜生腹」と言われ忌み嫌われたため、片割れが養子に出されたり(上記の2組もそうだが)
生年月日の記録をわざとずらして残したりすることが多かったために、史料で明確になる例は少ない。
190日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:43:12
>>189
ありがとうございます。どちらも家康の子ですね。
双子ができやすい遺伝子みたいなのがあるんでしょうか。
(人物による史料の多寡というのもあるんでしょうが…)
中世以前の例も知りたかったのですが、さすがにないんですね。
191日本@名無しさん:2005/08/22(月) 19:48:47
>>190
あるとされる>遺伝子
が、双子ができやすいのは主として母親の理由。
192日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:16:50
平安時代は日本は非武装中立だったのですか
193日本@名無史さん:2005/08/22(月) 20:40:32
違います。
194日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:08:25
江戸時代の日本全国の郡の石高が分かる史資料ってありますか?
全国の自治体史見ろってのっはなしで。
195日本@名無史さん:2005/08/23(火) 00:55:06
今の神道にはキリスト教的要素が含まれていると聞きましたが、どういったものがあり、また、いつごろから取り入れ始めたのですか?
196日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:29:26
>>194
地域によっては、江戸時代のいつなのかによってかなり違う。
時代が下れば下るほど、表面上の石高と実際の石高が乖離する。
太閤検地段階のものなら、比較的全国同一的な基準によるデータがあるのでは?
197日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:34:40
198日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:41:02
なんで日本地図の樺太部分って半分白いの?
日本が主張してるのって北方四島だけだよね?
199日本@名無史さん:2005/08/23(火) 05:18:29
織田豊臣政権の経済政策は、商業を重視した重商主義で、
徳川政権は農業を重視した農本主義だと、
よく言いますが、事実ですか?
200日本@名無史さん:2005/08/23(火) 05:25:07
江戸時代、天皇や、貴族はどんな髪型をしていたのですか?やはり武士と同じようにちょんまげですか?
また、ちょんまげはいつ時代から、するようになったのでしょう?
また、武士だけではなく農民や商人も髷を結ったのはなぜですか?
201日本@名無史さん:2005/08/23(火) 08:16:32
202日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:06:48
>>198
日本は放棄したけど国境未確定
日本領だと主張する人も無論いる
203日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:39:27
>>202
>日本領だと主張する人も無論いる

どうせ一部のバカウヨだけだろ?w
204日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:58:24
>>203
一部の土人
205日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:04:00
>>198
日本は放棄したけどロシアが領土問題に応じないので
千島列島も含め国境未確定
206日本@名無史さん:2005/08/23(火) 12:03:33
とりあえず、南京と真珠湾で靖国は謝罪しろ。
207日本@名無史さん:2005/08/23(火) 12:33:50
>>206
まずお前が死んだらね。
208日本@名無史さん:2005/08/23(火) 12:43:41
>>207
ウヨ坊は死ねしか言えんのかw
209日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:19:26
>>208
サヨ坊は捏造しか出来んのかw
210日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:36:47
板違いです。
211日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:42:00
【初心者】【歓迎】
なスレらしい展開ですね。
勢いがそれほどないスレを読むと内容の高度さについていけないことがしばしばですが・・・
212日本@名無史さん:2005/08/23(火) 14:15:04
>>198
日本が放棄したサンフランシスコ平和条約にソ連調印してないし。
そのあと領土問題棚上げのままだし。
213日本@名無史さん:2005/08/23(火) 14:34:02
江戸時代ってどうやって公共事業の業者を決めてたの?
入札制度自体は現代とあまり変わらない?
214日本@名無史さん:2005/08/23(火) 19:16:40
え?じゃあ、空白がない中国や韓国とは国境完全確定って事?
215日本@名無史さん:2005/08/23(火) 20:26:55
中韓は後出しジャンケンしてるだけだろ。
ブサヨはなんで中韓の肩を持ちたがるかな?
特に韓国なんて、70年代まではブサヨはスゲー罵ってたくせに。
216日本@名無史さん:2005/08/23(火) 20:50:03
質問ですが幕府を開いても地方などによる内乱は続いているんですよね?
幕府というものは国内一の権力を持っているものではないんでしょうか?
朝廷に将軍に任命されても、現在で言う政府のような存在ではなり得ないんですか?
217日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:09:59
実力を伴わない権威には誰も従いません
218日本@名無史さん:2005/08/23(火) 21:23:43
幕府とは裁判所のようなものだ
と言ったのは佐藤さんだったかな?
219日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:02:13
>>216
ちょっと>>218が言っていることとも重なるけど、在地で起こった紛争に対する
中世の幕府のスタンスは、基本的には訴えがあったときに裁判を行って裁定を
下すというものです。

在地で起こる紛争は原則として当事者間で解決すべきものとして見なされて
おり、紛争が起こっていても訴えがなければ原則として幕府は介入しませんし、
当事者間での紛争解決手段として、実力行使も容認されています。
また幕府等に訴える場合でも、証拠書類等は当事者が自力で全て揃えて
提出するのが原則ですし、刑事事件の場合は容疑者さえも原告の側で捕縛して
幕府の奉行所に引き渡さない限り受理されません。

但し幕府が何らかの裁定を行った場合には、その判決は当然強制力を
持ちますので、それに従わない者がいれば幕府による制裁の対象になり得ます。
例えば、幕府の統治能力が低下したとされる戦国時代においても、実際には
幕府は多くの訴訟の受理・裁定を行っていますし、その判決が実際に執行されて
いる実例もかなりあります。

もっともその後、戦国時代を経た結果、最終的に織豊政権以降、こうした
紛争解決における当事者主義、特に当事者間による実力行使は否定されるように
なって江戸時代に至るわけです。
220日本@名無史さん:2005/08/24(水) 05:50:25
従三位以上の官位官職の人間は、自分で行政組織を持てたというのは本当ですか?
だから頼朝は右大将・従三位・征夷大将軍に就任したと、どこかのサイトに書いてあったのですが…
221日本@名無史さん:2005/08/24(水) 07:36:37
石見銀山跡地は世界遺産候補らしいのですが、なんでですか?
なんか景勝があるわけでもないのに…
222日本@名無史さん:2005/08/24(水) 12:29:08
明治の海軍元帥、伊東祐亨ってやっぱり飫肥の伊東氏の子孫なんですか?
223日本@名無史さん:2005/08/24(水) 12:32:02
224日本@名無史さん:2005/08/24(水) 12:41:19
>>221
ポトシがいけるんだしうちも狙えるんじゃね?
な感じ
225日本@名無しさん:2005/08/24(水) 13:02:58
>>222-223
ああ薩摩伊東氏ね。伊東祐安(義祐の従弟)が始祖の。
226日本@名無史さん:2005/08/24(水) 13:13:30
>>225
最終的には本家より爵位は上になったんだな・・・
227日本@名無史さん:2005/08/24(水) 14:26:03
>>226
江戸時代も本家から分知された分家が旗本として出世して
本家より大きな譜代大名になってしまった例がいくつかあるからなあ。
228216:2005/08/24(水) 20:15:25
返信いただいた皆様ありがとうございました。
幕府=天下統一とは違うのでしょうか?
それなら秀吉なども幕府を開けたと思うのですが。
なぜ開けなかったのでしょうか?
229日本@名無史さん:2005/08/24(水) 21:04:33
幕府を開こうが将軍になろうが、軍事的支配力が無ければ誰が従うというんだ?
政府の言うがままに増税や年金掛金アップを受け入れる現代人とは違うのだよ。
戦国の空気を残した人達は。今の視点で歴史を見ないように。

秀吉が征夷大将軍にならなかったのは諸説ある。
が、秀吉(あと信長も)は征夷大将軍や幕府のような名目的な存在には特別興味がなく、
秀吉が一時期征夷大将軍を望んだのも関東、東北の征伐の
名目を求めただけに過ぎないという説に個人的には乗る。
230日本@名無しさん:2005/08/24(水) 23:51:53
>>228
過去の幕府は武家の統括組織としての意味はあるけれど、戦国時代以降、極めて独立性の
強くなった地方の大名たちを統括するために、再び過去の幕府組織が必要とされるとは
限らないだろ?寧ろ、幕府よりも遥かに強権的な別の違う組織が必要になる…ということを
考えるほうが自然じゃないかな。

地位だけなら将軍を望む事もない。朝廷公家の権力に気を使う時代じゃなくなっているから。
関白太政大臣のほうが遥かに高位で、人臣としてこれ以上の権威はない。体制の一本化
ということもあるが、>>218-219で縷説されている「豪族大名たちの裁定屋」同然の地位など、
関白太政大臣にとっては、はっきりいって如何でもいいレベル。

で、家康が将軍になり関東に幕府を開いたのは、新しい武家政権を作るというよりも、
単純な話、こういった考えのアンチテーゼとしてやったとも言えるんだな。
231日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:27:37
>>197
アンカー間違えてません?

>>196
秀吉の検地帳は郡ごとに石高が記されてるんですか?
何で読めるかも教えてもらえるとありがたいです。

>>201
そういえばそこがありましたね。ただ、村ごとに足していくのに手がかかりそうな。
232日本@名無史さん:2005/08/25(木) 07:39:38
なんで三好三人衆は義維じゃなくて義栄を擁立したの?
233日本@名無史さん:2005/08/25(木) 12:20:00
お由羅騒動について詳しく教えてください
234日本@名無史さん:2005/08/25(木) 12:51:49
>>233
 島津斉興の後嗣について世子斉彬に対して,斉興の愛妾お由羅の子久光を推す動きがありました。斉彬の子供が相次いで死去したことが,
お由羅一派の呪詛調伏によるものだという噂を生み,継嗣問題を一層紛糾させました。斉彬擁立派の中心は近藤隆左衛門・山田清安・高崎五
郎右衛門で,彼らは花倉屋敷での異賊調伏修法を悪意ありとし,斉興側近の島津久徳殺害をたくらんだといわれています。このような不穏な行
動は,藩の知るところとなり,嘉永2(1849)年突然近藤・山田・高崎らが切腹を命じられました。さらに切腹・役免・遠島等の処分が相次ぎ,総数50
余名にのぼりました。
235日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:51:14
将軍後見人て結局どういう役職なんですか?
236日本@名無史さん:2005/08/25(木) 17:57:34
>>232
擁立しようにも、義輝が殺された時点で義維は60近いオッサンですぜ。
これまでの将軍が豪傑な若者なのに、新しい将軍様が60のオッサンってのは勘弁。
237日本@名無史さん:2005/08/25(木) 19:08:16
日本に自国を憎むような市民団体が多いのはなんでですか?
どこかの国の影響が入っていたとしても、外国の国歌にもおんなじことがいえるんじゃ…
それでも外国には日本程いませんよね?
238日本@名無しさん:2005/08/25(木) 19:15:45
>>237
外国でも非常に多い…というか、外国のほうが多く、しかも過激だぞ。
いわゆる「異民族」「異教徒」「異門徒」の市民団体だが。
239日本@名無史さん:2005/08/25(木) 20:10:43
フランス国歌を嫌うフランス人は結構いるし、
アメリカのいかにもアメリカ的な部分を嫌うアメリカ人も多いし、
知り合いのロシア人は近代以降のソ連とロシアの歴史を心の底から憎んでいた。

>>237
外国と比較することで自分の国のことを卑下したがってるように見えるよ。アンタも。
240日本@名無史さん:2005/08/25(木) 21:48:07
基本的に現在のことは悪く言う人が多い気がする。
愚痴の一つや二つはあるものだしな。
241日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:26:33
江戸時代の長崎でおきたフェートン号事件について詳しく調べたいのですが
お勧めの書籍は教えてください。
AMAZONを「フェートン号」で検索したんですがHITしませんでした。
242日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:03:58
ちょっとお前らに聞きたい事があるのですがよろしいでしょうか?
何時代でも良いのですが、武士が学んだ学問とは何でしょうか?
四書五経ですか?他に何かありますか?
また、どのような勉強方法や時間割だったのでしょうか?
教えてたもれ。
243日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:06:39
朱子学

てか、このくらい基本だろ?
244日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:32:50
馬糞を食わされたのをきっかけにぶちきれて、江戸城の中で人を切りまくった
話があると聞いたんですが本当ですか?
245日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:49:29
>>242
同じく朱子学。
246日本@名無史さん:2005/08/27(土) 01:22:37
>>241
日本洋学小誌
杉本つとむ 編著
247日本@名無しさん:2005/08/27(土) 01:41:40
>>244
「松平外記事件」のことか?
248日本@名無史さん:2005/08/27(土) 07:27:07
がっかり。
249日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:42:05
>>242
官学だった朱子学は基本的に全員が義務的に勉強している。
あとはその家のつく役職や職種で父兄や私塾で勉強する。
数寄者は踊りやら歌なんかも師匠のとこで習ったりするので、
仕事をしている時間より勉強している時間の方が長い奴多かったかもな。
250日本@名無史さん:2005/08/27(土) 11:34:06
251日本@名無史さん:2005/08/27(土) 15:01:45
>>247
なんですかそれ?
252日本@名無史さん:2005/08/27(土) 15:16:38
細川家って越中守が通称だったんですか?
それはなぜでしょうか?
253日本@名無史さん:2005/08/27(土) 15:20:20
初代忠興が越中守だったから。
254日本@名無しさん:2005/08/28(日) 00:41:22
>>251
知らんのか…じゃあ概説。

時は文政年間、将軍家斉の世。駒場野で世子家慶の追鳥狩が催されたときのこと。
陪従する拍子木役が御書院番三番組の中から任じられることになった。これは非常に
名誉な役だったのだが、四十八人中二十番目に過ぎなかった松平外記が手中にして
しまった。

当然、同僚達の嫉妬はひとかたならないもので、激しい嫌がらせを受けることになった。
外記は耐えられなくなり、病と称して拍子木役を返上、自邸に引きこもってしまった。

文政六年(1823)四月二十二日。
外記が久しぶりに職場の西ノ丸書院に姿をあらわすと、同僚達があらぬことをささやき
合っていた。外記は聞こえぬ振りをして詰めていたが、交替の時間が来て休息の部屋に
入ってもなお、同僚の雑言が絶えなかった。
255日本@名無しさん:2005/08/28(日) 00:42:44
午後四時頃。
外記はついに堪忍袋の緒を切らして、小刀を抜き、階段を駆け上がり、書き物をしていた
本多伊織の首を切り落とした。驚いて追いかけた間部源十郎と神尾五郎三郎。空手だった
間部は頭と手を切られ、神尾は慌てて逃げる途中後ろから頭と手を切られた。近くにいた
戸田彦之進は片腕を切り落され背中から袈裟懸けに切られ、沼間は脇腹から腰へ刀を
突き通された。他の同僚たちはその中を逃げたり隠れたり。最後に外記は腹を切った上
咽喉を突き、自害した。

彼らのボスである番頭・酒井山城守はこの時不在だったため事件の報告が遅れ、それが
済まないから医師を呼ぶこともできず、十七時間後、ようやく医師が訪れたとき本田、
沼間、戸田の三名は出血多量で死んでいた。

酒井山城守は責任追求を恐れて内々に済まそうと裏で取り繕ったことが露見、御役御免
及び差控えの処分。他の同僚たちも処分された。当然松平家はお家断絶。
256日本@名無しさん:2005/08/28(日) 00:52:04
…というもの。

ともあれ、こんなド派手な事件だからすぐ江戸市民たちの話題になり、
いろいろな噂が立ち川柳もたくさん作られた。

このときのイジメに、父である御小納戸役・松平頼母のコネ云々、
お弁当に油(一説には馬糞)を入れる、羽織の紋を墨で塗りつぶすなどなど…
また「使われた刀が無銘ではあったが村正であった…」というのも。

『甲子夜話』『半日閑話』あたりの話だ。真相は闇の中。
257日本@名無史さん:2005/08/28(日) 01:29:50
>>242
江戸時代の武士なら頼山陽の「日本外史」なんかを筆写したりしていたね。
テキストの内容を写して覚えることは昔の学習方法の一つ。

私は現代人でそういう教育を受けたという稀有な人間を知っているがw
258日本@名無史さん:2005/08/28(日) 08:47:43
開幕以降、江戸の人口って移住者の割合はどのくらいだったんですか?
家康が入った時は誰もいないど田舎だったのがあっという間に人口が増えるには
やっぱり地方からたくさん人が流れてくる必要があったと思うんですが。
259日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:15:46
>家康が入った時は誰もいないど田舎だった

ワレ、北条なめとんのかい!
260日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:18:43
>>258
>家康が入った時は誰もいないど田舎
これは伝説に過ぎない
実際は、交通・流通の要衝であり、北条の支配拠点であった。
261日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:54:29
今だって東京に比べれば、人口10万程度の地方中心都市だって田舎と言われる
こともあるだろう。当時の京大坂に比べれば小田原でさえ田舎だろうから、
江戸は「誰もいないど田舎」でいいんじゃね。
262日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:52:03
東京と比べたら大阪・名古屋も田舎でつ・・・

でも広島の香具師から「大阪はたいしたことない」と言われたときはムカついたw
263日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:09:30
質問させて下さい。
江戸時代に、日本には日本地図を外国に持ち出しては
いけないという規律があったそうですが、それは何故ですか?
264日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:19:37
軍事機密だから
265日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:22:00
>>264
ありがとうございました。
日本の作り自体が軍事機密になっていた、ということでいいのでしょうか。
266日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:48:15
日本の仏教ってあらゆる宗派が中国経由なんですけど、中国では仏教が
定着しなかったのはなんでですか?
留学僧が中国で勉強していた時も中国では仏教は主流じゃなかったんですか?
267日本@名無史さん:2005/08/28(日) 20:55:16
>>265
戦争をする時は地図を見て作戦を立てるものです。
>日本の作り自体
それが相手に手に取るように分かってしまったら
攻め易い場所、重要な場所を教えてるようなもんです。
特に問題になったのは伊能忠敬が測量・作成した
大日本沿海輿地全図で、その正確さから最高機密
になっています。これに関してはシーボルト事件が
有名ですね。この時期は日本近海に多くの異国船が
修交や通商を求めて日本近海に現れ始めていました。
268日本@名無史さん:2005/08/28(日) 21:02:26
>>267
なるほど!凄く良くわかりました。
シーボルト関係でこの事について調べていたので
助かりました。丁寧な説明、ありがとうございます。
269日本@名無史さん:2005/08/28(日) 22:12:03
>戦争をする時は地図を見て作戦を立てるものです。

NHKが紀行番組で、好んで北海道や日本海側の海岸を
撮りたがるのはそれが理由なんですねw
270日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:22:25
>戦争をする時は地図を見て作戦を立てるものです。
第二次大戦では日本もアメリカもそれをやっていなかった時があったな。
271日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:35:02
>>270
まぁ地図が手に入らなかったり、そもそも無い地域や有っても
役に立たない地図だったりもするから。
272日本@名無史さん:2005/08/29(月) 00:22:52
>>259,260
小田原じゃなくて江戸が?
でも、仮に最初に少しの人口はいてもその人口はものすごい速度で増えたんでしょ?
入植者の割合ってどんなもん?
駿河台とか浜松町は静岡からの移民の名残って聞いたけど。
273日本@名無史さん:2005/08/29(月) 03:38:56
>>272
北条の重臣の江戸城代が置かれた
274日本@名無史さん:2005/08/29(月) 08:04:03
国民新党の綿貫って、陸奥の豪族綿貫氏の末裔なんですか?
275日本@名無史さん:2005/08/29(月) 11:04:25
平安時代に攻めてきた刀伊って、満州民族でしょ?
なんで高麗や支那と敵対してたのに日本までせめてこれたわけ?
途中で高麗軍に殲滅させられる希ガス
276日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:03:48
>>266
隋から唐の中期までが中国仏教の全盛期。
それでもまだまだ仏教勢力は大きな政治的な力を持ってたが、
それに対抗するための後周時代の廃仏が最大の弾圧。
これで学問としての仏教の流れが断絶し、
禅宗や浄土教みたいなわかりやすいのが一大ブームに。
(道元もこの頃に中国に行って禅を学ぶ)

ここまでは日本とほぼ同じ流れなのだが、中国にはモンゴルという台風がやってきて、
チベット仏教が大ブーム(フビライもハマった)。さらに道教や儒教なんかが
まとめてかき混ぜられ、中国の宗教全体がゴダゴダの民間信仰化し中共の登場に至ると。
277日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:27:51
明治始めに生まれた人物で、父が村の名主の次男。母が藩の御典医の娘。
経歴を見たら、「士族」になってたんですが。御典医って士族?
278日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:40:44
の場合は多い。藩医の家柄だと西周あたりは有名かな。
もっとも江戸で蘭学に触れて即脱藩。
279日本@名無史さん:2005/08/30(火) 00:45:32
>276
>禅宗や浄土教みたいなわかりやすいのが一大ブームに。
>(道元もこの頃に中国に行って禅を学ぶ)

わかりやすい、からかどうかはともかく
この二行の前に、宋代に、が抜けてないか?
280日本@名無史さん:2005/08/30(火) 11:48:58
蘭学に触れて即脱糞
281日本@名無史さん:2005/08/30(火) 18:23:44
蘭学に触れて即脱ダム(でも、ダムより広い遊水池はつくりまーす)
282日本@名無史さん:2005/09/01(木) 14:47:23
アンチ田中康夫のバカウヨうぜーよ。>281
283日本@名無史さん:2005/09/01(木) 15:02:11
板復活した?
284日本@名無史さん:2005/09/01(木) 15:34:50
既出かもしれませんが、この写真は本物ですか?
ttp://www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html
維新の志士が一堂に会しているのですが
トンデモサイトっぽいので信じられないのですが・・・
285日本@名無史さん:2005/09/01(木) 15:58:36
床屋が放送禁止用語なのはなぜですか?
売春してたからという説があるようですが出典がはっきりしません。
どなたか教えてください。
286日本@名無史さん:2005/09/01(木) 17:26:55
李朝鮮王室、愛新覚羅清帝室は存続、(満洲帝國建国の際に)擁立させようとした癖に、
何で琉球王室は存続もなければ擁立される事もなかったのでしょうか?
287日本@名無史さん:2005/09/01(木) 19:50:09
平成に入ってからなんか日本が斜陽なので
年号変えるってのはどうなんですかね?
昔だたら変えてましたよね?
288日本@名無史さん:2005/09/01(木) 20:16:23
>>287
つ「一世一元」
289日本@名無史さん:2005/09/01(木) 20:46:46
年号なんて不便なモノ
廃止でいいじゃん。
290日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:02:40
>>284
フルベッキ 写真でググれ。

フルベッキってのは長崎にいたオランダ人宣教師。
彼のところに色々な志士が西洋情勢を聞きに行ったのは確かで、
そのうちの1人、大隈重信は彼の影響で致遠館という藩校を作った。
で、写真はそこの生徒というのが定説だが、志士が混じっている可能性は否定できない。
291日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:08:33
>>284
少なくとも明治天皇が一緒に写ってるというのは有り得ない。
292日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:28:22
「深読み浮世風呂」って本がオモロイから読むべし。
江戸では風呂屋の隣になぜか髪結い床があった。
簡単に言えば、床屋で相手見つけて風呂屋でセクースしてたわけだな。

ついでにいうと、タイや中国に行くと、今でも床屋で売春しているあるよ。
あと、昔(といっても5年前)アメリカはニューオリンズの黒人ばかりのエリアで
ネタとして床屋に入ったら、いきなり紙に包んだ小さな何かを持ってきた。
わかりやすいなーとオモタ。死ななくてよかった。
293284:2005/09/01(木) 21:50:39
>>290
>>291
西郷どんと坂本さんが写っている事に興味があったのです明治天皇は(ry
294日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:00:20
江戸時代からマニアックなプレイ専門の風俗店ってあったんですか?
295日本@名無史さん:2005/09/01(木) 22:09:12
>>294
尼さん姿で相手してくれる岡場所はあったらしい。
296285:2005/09/02(金) 00:23:02
>>292
丁寧なご説明ありがとうございます。
やっと納得のいく理由がわかりました。
ご紹介の本については
こんど書店で探してみます。
297日本@名無史さん:2005/09/02(金) 00:37:34
>>289
そう思ってるのはお前だけ。
298日本@名無史さん:2005/09/02(金) 11:35:15
いいや、俺も不便だから元号はなくして欲しい。
一世一元てのも意味ないし
299日本@名無史さん:2005/09/02(金) 12:58:36
>一世一元
これで、元号の価値が減ったね
300日本@名無史さん:2005/09/02(金) 13:45:29
江戸っ子って短気で気っ風が良くて活気があって喧しいって感じなんですが、
なんかこれって今で言う大阪人っぽくありません?
当時から江戸と大阪の人間の気質って相当違っていて話題に上がったりして
いたんですか?
大阪人はなんかそのまんまで東京人は維新後に気質が薄れちゃった感じですが。
301日本@名無史さん:2005/09/02(金) 14:24:38
>>300
大阪は明治以後〜高度成長期まで九州・朝鮮からの「移民」が押し寄せ、
ガサツとも言える活気をそのまま持ち込んで許容した。
東京は明治維新後天皇のお膝元という事で、
かつての京都流の方式で上流階級のキザさを全面に押したて
東北・中部からの「移民」を鼻で笑い彼らに蓋をした。
302日本@名無史さん:2005/09/02(金) 14:37:47
>>299
>これで、元号の価値が減ったね
その価値って、天変地異が起こるたびに変更される価値よりはあると思うけどな
303日本@名無史さん:2005/09/02(金) 14:42:34
今でさえ西暦と元号の変換がめんどくさいのに不定期に変えられたら困るな
50年ごとに変えるとかなら楽なんだが…
304日本@名無史さん:2005/09/02(金) 14:45:40
政権交代ごとに変更するのはどだ?

「宇野」(仮称)とかの元号はめちゃ短命になったりして笑えるぞ。
305日本@名無史さん:2005/09/02(金) 15:47:29
>そう思ってるのはお前だけ。

そう思ってるのはお前だけ。
306日本@名無史さん:2005/09/02(金) 16:46:58
>>303
ならな、日本国内での西暦使用を廃止だな。
307日本@名無史さん:2005/09/02(金) 16:59:54
来年から小学校に通う子供に、日本の歴史を教えておきたいと思っています。
マンガ・児童書で日本の歴史を判りやすく教えている本をご存知でしたら、教えてください。
308メック:2005/09/02(金) 17:04:29
鶴岡八幡宮の歴史について詳しい人いろいろ教えてください


309日本@名無史さん:2005/09/02(金) 17:25:36
秀吉の朝鮮出兵は何で明と戦争したのにこんな呼び方なんですか?
日清戦争なんかも朝鮮半島で戦ってるけどそんな呼び方はしないのに
310日本@名無史さん:2005/09/02(金) 17:45:36
>>309
朝鮮侵略の意図を持って出兵したから。
311日本@名無史さん:2005/09/02(金) 18:18:53
大阪弁(船場言葉)の「ごわります」「ごわへん」というのは薩摩弁の影響?
312日本@名無史さん:2005/09/02(金) 18:29:13
>>そう思ってるのはお前だけ。

>そう思ってるのはお前だけ。

そう思ってるのはお前だけ。
313日本@名無史さん:2005/09/02(金) 18:43:18
>>311
明治維新で薩摩が天下を取ったので、大阪商人も薩摩弁を真似したのだろうか?
314日本@名無史さん:2005/09/02(金) 19:17:25
>>306
西暦つかわなくてもめんどくさい
315日本@名無史さん:2005/09/02(金) 20:14:41
>>308
神功皇后・応神天皇から始めませう。
どのみち本気で調べ出すと、宇佐神宮(八幡宮)〜石清水八幡宮〜鶴岡八幡宮と接続してゆく筈です。
そうせぬと、なぜ源氏の棟梁・頼朝(の前に頼義が由比ヶ浜に祀ったのが起源らしいが)は
支配拠点の鎌倉に鶴岡八幡宮を造営したのか、とかの根本のところはわかりませぬよ。
316日本@名無史さん:2005/09/02(金) 21:56:06
>>301
つまり、江戸時代は江戸っ子の方がハキハキしていて、大阪の方が大人しかったんでしょうか?
317日本@名無史さん:2005/09/02(金) 22:17:56
>>307
小学館の少年少女日本の歴史って漫画。歴史漫画系では群を抜いてわかりやすくて役立つ。
発売当初は全20巻だったけど、近現代史を修正・加筆して全21巻になりました。
あと、1巻の旧石器〜弥生時代も大幅に変わったようです。
当該スレでは左翼思想が一層濃くなって改悪とも言われていますけど。

小学館 少年少女日本の歴史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1053276106/
318307:2005/09/02(金) 23:24:55
>>317
ありがとうございます。
紹介していただいたスレを読む限り、
旧版をヤフオクあたりで手に入れるのがいいみたいですね。
319日本@名無史さん:2005/09/03(土) 11:50:30
>>313
方言をもっと勉強しろ
320日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:35:35
奥州藤原氏は蝦夷の人間と交流があったために碧眼金髪の人間が家臣に多く
いたってマジですか?
つーか蝦夷人って碧眼金髪なの?
321日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:42:40
295 :日本@名無史さん :2005/09/01(木) 22:09:12
>>294
尼さん姿で相手してくれる岡場所はあったらしい。


これ本当ですか?
宗教が幅を利かせていた時代にこういうコスプレものを扱った風俗店って…
322日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:52:49
>>321
比丘尼宿というのがあった。

古書にも、
「熊野比丘尼というのは紀州・那智に住みて山伏を夫とし、諸国を修行せしが、いつしか歌曲を
業とし(中略)遊女と伍をなすの徒、多く出来れるを……」(池波正太郎著、『さむらい劇場』より抜粋)
とある。

ちなみにその小説は、主人公・榎平八郎が水茶屋にて、小三という比丘尼との〔お遊び〕から始まる。
323日本@名無史さん:2005/09/03(土) 16:34:37
>>320
それは遠野物語的なファンタジーだろ。
もしくは山村の場合、極端な近親相姦の結果、
色素が足りない突然変異が生まれた可能性も否定できない。

>つーか蝦夷人って碧眼金髪なの?
……
日本の歴史教科書にアイヌに関する記述を増やさんといかんかな。
324日本@名無史さん:2005/09/03(土) 16:56:03
>日本の歴史教科書にアイヌに関する記述を増やさんといかんかな。

お前に煽られる覚えはない。
死ね。
325日本@名無史さん:2005/09/03(土) 17:14:24
質問なんですが
正応年間を鎌倉中期と記述しても
問題は無いでしょうか?
こっちのほうが読む人に分かりやすいのかなぁと思いまして…
くだらない質問ですがどうか御教授お願いします。
326日本@名無史さん:2005/09/03(土) 19:16:24
鎌倉がだいたい1190年前後だろ、滅亡が1333年。
140年間を前・中・後で数字上3分割すると、1期あたりだいたい47年か。
で、正応の前は約100年、正応の後は40年。
微妙・・・鎌倉後期の初期だな・・・。
でも霜月騒動から平禅門の乱って繋がってるから、ぎりぎり中期でいいんじゃない?
貞時から後期っつー事で。
327日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:59:25
渡来人って中国人、朝鮮人なんですか?
328日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:11:02
中韓ネタはハン板でやれ厨房!
329日本@名無史さん:2005/09/03(土) 22:43:24
>>327

主なものは中国人と朝鮮人です。
330日本@名無史さん:2005/09/04(日) 00:28:36
上杉謙信って人が北条という家の国(今の東京・埼玉・神奈川らしいです)から女子供を拉致して
自分の国(今の新潟らしいです)に連れ帰ってから北朝鮮に売りさばいていたって本当ですか?
331日本@名無史さん:2005/09/04(日) 04:00:44
戦術、戦法の変遷についてのレポートっつーか散文を纏めなきゃイカンのだが
大別するならどうすればいいかな?
集団での戦闘→一騎打ち→火器の普及→・・・みたいな感じで。
332日本@名無史さん:2005/09/04(日) 07:41:58
蝦夷人に碧眼金髪がいたのは事実だよ。
明治時代の生き残りの写真見たらロシア人の集団かと思ったぐらい外人だった。
333日本@名無史さん:2005/09/04(日) 08:08:04
江戸時代以前の歴史学上って卑弥呼の扱いってどうなってたんですか?
神武とは繋がってないし。
334日本@名無史さん:2005/09/04(日) 08:22:11
江戸時代に武官でもないのに○○兵衛という名前が町人に多いのはなんでですか?
それとも○○兵衛というのは一部商人・庄屋等の限られた人しか使えないんですか?
335日本@名無史さん:2005/09/04(日) 08:25:01
徳川慶喜には徳川家康のY染色体が何分のいくつぐらい残っていたんですか?
336日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:18:08
長野出身の陸軍大将・福島安正って、
信州に配流となった福島正則の子孫なんですか?
337日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:42:59
>>330
供給側の話ばかり出てるが、需要はどこから出てきたんだ?
338日本@名無史さん:2005/09/04(日) 10:35:50
>>334
多いと言うのは何と比較してどれくらい多いと言うのですか。
とくに多いわけではありません。
まして武官の町人なんて有り得ません。

>>336
違います
339日本@名無史さん:2005/09/04(日) 13:45:52
>>336
福島正則の子孫は旗本。信州にはいない。
340日本@名無史さん:2005/09/04(日) 15:39:25
武士と武官はどう違うんですか?
341日本@名無史さん:2005/09/04(日) 16:39:41
自衛隊員と幕僚の違い。
342日本@名無史さん:2005/09/04(日) 17:54:37
リットン報告の日本通告バージョンを読みたいんですが、
これを収録している書籍ってありますか?あればおしえてください。
343日本@名無史さん:2005/09/05(月) 17:41:49
方広寺の国家安康の鐘はなぜ現存しているのですか?
344日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:19:49
ある
345日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:35:50
日本史は推古天皇から始まる感じですが
それ以前の詳しい資料はないのですか?
346日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:38:26
>>343
なぜって、
家康としては豊臣討伐の大義名分さえ手に入ればそれでよく、
鐘そのものを鋳潰そうとまでは考えなかったんだろう。
347& ◆6s6uxiyaBw :2005/09/05(月) 18:47:19
>>345 魏志倭人伝とか中国人が書いたものしかないんじゃない?日本人が遣隋使とか派遣するまでは「字」と言うものが普及してなかったから書物を残そうにも手段がなかったと思いますよ。
日本人を見下したように書いてある中国の資料に頼るのはちょっと悔しいですけどね。
348日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:02:58
稗田阿礼が暗記してたけど、それまで全部口伝だったんかな。
349日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:42:37
口伝。特殊職農民。
350日本@名無史さん:2005/09/06(火) 17:44:08
で、卑弥呼の扱いは?
351日本@名無史さん:2005/09/06(火) 18:24:44
古事記や日本書紀に関する書籍なんか山ほどあるからそれ読め。
352日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:40:35
江戸時代の代官って、任地でおきた事件に対して死罪を申し付けることをできる
ぐらいの行政権を持ってたの?
353日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:42:17
清洲会議で織田家の跡目に指名された三法師ってその後どうなったのでしょうか?
354日本@名無史さん:2005/09/07(水) 01:02:57
>>353
織田秀信
でググると良いよ。

関が原で西軍に与し、戦後高野山へ追放、そこで一生を終えた。
355日本@名無史さん:2005/09/07(水) 02:33:09
関ヶ原の局地戦で、降伏を前に、今後家臣の身が立つようにと感状を与えたエピソードがいいですよね
あれで、ただのボンクラ三代目でもなかったのかな、とちょっとだけ評価アップ
356日本@名無史さん:2005/09/07(水) 04:36:53
長ソ我部元親はなぜ斎藤利三の妹と結婚したのですか?
なんか住む地域も遠いので、変だなと思って
357日本@名無史さん:2005/09/07(水) 06:31:50
織田秀信って高野山出家後すぐに死んでるんだけど、やっぱり徳川の刺客が
やったの?
358日本@名無史さん:2005/09/07(水) 08:30:35
戦国時代以降、帽子・烏帽子・冠が町人を初め、武家でも儀礼の時のみの
着用となり、日常的な面で廃れていったのはなぜですか?
359日本@名無史さん:2005/09/07(水) 09:13:59
>>356
つ「遠交近攻」
360日本@名無史さん:2005/09/07(水) 09:47:25
暗記するときは自分で問題を作り、解答を別に用紙に書き、
答え合わせをしているのですが、この方法は効率が悪いのでしょうか?
361日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:02:53
頼朝が伊豆に流されたのはなぜですか?
東国が源氏で西国が平氏っぽいから自分の地元に流せば反乱も大きくなりようがなかったのに
362日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:18:49
武田信玄は実はいなかったというのは本当ですか?
なんでも「武田信玄」として知られている人物は父親の信虎で、
今川家に口裏を合わせてもらってお預けという形にして、晴信と改名して
武田を率いていたとか…
363日本@名無史さん:2005/09/07(水) 12:38:37
>>361
八幡太郎義家が関東に勢力を扶植したものの源氏そのものが
平家に圧倒されていったので関東も平家シンパになってたらしい。
頼朝が挙兵する頃も平家の京都警護番役に従事する武士が多く、
平家は関東も自分たちの勢力下にあると考えてたみたいだ。
実際頼朝が挙兵した時も平家方となって頼朝討伐に加わった武士多いし。
364日本@名無史さん:2005/09/07(水) 13:25:51
>>363
どうもです
あれだけ差ができれば仕方ないですかね…
365日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:31:33
>>358
笠など、江戸時代は被り物いろいろ流行し、さかんだったよ
366日本@名無史さん:2005/09/07(水) 14:57:08 BE:394272768-
戦後、なぜ日本は10%オーバーという経済成長率を出せたのでしょうか?
367日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:21:35
・戦前の日本の経済規模、日本人の生活レベルがそもそも後進国並だった
・戦災がひどかったからこそ、復興需要が活発だった
・戦争によってさまざまな科学技術の蓄積が進んだ
・アメリカが日本の復興を望んだ
・その過程でGHQは戦前からの既得権益者をあえて解体しなかった
・過剰なまでの設備投資を進めるための金融政策(もちろんアメリカの協力あり)

本一冊では納まらないテーマ。
368日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:25:20 BE:295704566-
>>367
相当奥が深いんですね・・・参考になりました。
どうもありがとうございました。
369日本@名無史さん:2005/09/07(水) 17:58:17
>>368
日本史の本より経営学や経済史の本を読んだ方が分かりやすいし的確だと思う。
370日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:41:16
ぐぐれば分かる程度の質問は放置したほうがいいと思うがな。
ここは人力検索サイトじゃないんだから。
371日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:48:23
どこかで聞いたようなネタだが・・・
元ネタが思いだせん>362
372日本@名無史さん:2005/09/07(水) 21:50:07
>356
信長が命じた
373日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:32:28
斉藤道山が存命中に斉藤家に命令できるほど織田家はでかくなかった希ガス
374日本@名無史さん:2005/09/08(木) 12:12:19
さいとう-としみつ 【斎藤利三】

(?-1582) 戦国・安土桃山時代の武将。明智光秀に仕え本能寺の変に加わる。山崎の戦で敗れ斬首された。
徳川家光乳母春日局(かすがのつぼね)はその娘。
375日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:08:54
渡来人って中国大陸が、春秋戦国時代になって、そこから逃れてきた人って
聞いたことがあるますが、じゃあ日本人の祖先は中国人なんですか?
他の時代では沢山の人が日本列島へ逃れたと言うのは聞きませんが
なぜこの時代だけこんなにたくさんの人が来たのですか?
376日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:14:53
楽市の説明で
『販売座席である市座を廃止〜』という文章を読んだのですが
この、『販売座席』とはなんの事ですか?
市座というのは市場商人が結成していた座の事ではないのですか?
377353:2005/09/08(木) 15:25:10
>>354-355
ありがとうございます!
織田信長の跡目も末路は哀れだったのですね。。。
378日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:48:18
>>375
日本人の祖に関しては一概に言えない。
当然、中国からの移民も多かっただろうがネイティブ日本人(縄文人)との
混血や北方・南方からの移民も同様に多かったので、日本人を特定の土地に住んでいた
人を発祥とするのは無理がある。

文化的な面から見れば話は別だが
379日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:12:38
NHKの「我々はどこからきたのか」での研究結果
日本人のDNAサンプル取りまくって世界中にルーツを求めた末に出た結論。
なんとマンモスを追ってユーラシア大陸を横断してしまった民族が日本人のルーツ。
DNAの5割ほどという痕跡を残してる。寒さに対応するため、目は細く、省エネ型の小さな体になった大
きな要因。
そして、日本列島の近畿までその民族が制圧して、南からあがってきたのは
今の中国福健省とかあるあたりの海岸周辺の民族が海を渡って「直接」入ってきた。
潮の流れに助けられたらしい。で彼らはユーラシアからきた連中より体が大きく、
一気に列島を北上し近畿あたりで拮抗した。
彼らのDNAが4割。その後、稲作の技術などが鍵になって劇的に混血が始まった。
今は南北均等に血が混じり、
ユーラシア系と中国南部系だけで90%は構成されている。
残りの10%はインドネシア系等のさまざまなDNA、
今の朝鮮半島のDNAと似たものが5%ほどだそうだ。
380日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:24:29
日本人の起原って今でもはっきりと分かっていないんですか?
381日本@名無史さん:2005/09/08(木) 17:52:42
>>379
ユーラシアから来たのはモンゴルの上のブリヤート族だろうね
382日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:00:39
>>380
ウリナラ起源
383日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:11:47
会社の入試で一般常識があるんだけど、難しい?
384日本@名無史さん:2005/09/08(木) 18:40:40
高校の授業で壬申の乱辺りを習ったのですが、
その時近江朝廷側の中心人物を大友皇子と習いました。
彼は弘文天皇という名を贈られていますよね?
ですが弘文天皇とは教科書では載っていません。
しかし彼と同様に名を贈られている仲恭天皇は懐成ではなく、
仲恭天皇として載っています。
なぜどちらかに統一していないのでしょうか?
教えてください。
ちなみに教科書は、山川出版社の詳説日本史Bです。
385日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:14:14
仲恭天皇(九条廃帝)や淳仁天皇(淡路廃帝)は即位した事実が明白だが、
弘文天皇(大友皇子)は正式に即位した記録がなく、状況が不明だから。
386日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:41:04
南京大虐殺は無かったの?あったの?
387日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:46:14
あった。
388日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:33:12
>>386
近所の近代史の院生にきいたら
「あった」ということで決着がついているらしい。

決め手は当時の日本陸軍の将官(松井石根本人だったような気がするが、
記憶ベースなので)が直後に書いた日記の中に、
「一部、軍規が乱れたのが大変残念」という意味の記述があったことらしい。
(もちろん、他の史料とあわせたうえで判断されているのだろうが)

結論:いわゆる南京事件と呼ばれる、日本陸軍による虐殺行為は存在した。
ただし、その被害者の人数については論争になっている。
389日本@名無史さん:2005/09/08(木) 21:46:09
>日本陸軍による虐殺行為

ところでこれなんだが、便衣兵の処刑も勘定に含まれているのだろうか?
便衣兵を詳しく知らない外人記者なんかは、普通の格好をした便衣兵が蜂の巣に
される光景とかを見て一般人を虐殺していると思うんじゃないか?
390日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:28:07
>南京大虐殺は無かったの?あったの?
中国側が調査に一切応じない現状では考察は不可能。
あった派も、なかった派も無駄な議論や主張をやりたければ新規にスレを立ててやってくれ。



391日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:45:58
蜂須賀正勝はなぜ知名度が高いのですか?
392日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:47:12
>>388
>一部、軍規が乱れたのが大変残念
これで日本軍による虐殺でないことが証明されたな。
軍による虐殺と、兵士による虐殺は、似て非なる事。
393日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:55:01
南京ネタはスルーでお願いします
394日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:07:06
本気で論争したいなら、リアルな場でお願いということで。
395日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:21:00
>本気で論争したいなら、リアルな場でお願いということで。

関西(名古屋〜九州)ローカルの某番組では
「あった派に出演依頼をしても誰も応じない」と辛坊アナが嘆いていたなw
公平を期す為に「あった派」が連絡してくれば直に番組で取り上げると言っていたのに音沙汰なし・・・
388の知り合いの院生でもTVに出れるんじゃないのか?








ま、388の脳内妄想では無く、そういう院生が実在しているとしての話だが・・・
396日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:30:29
>>395
おまいさん、嘘をつくのは程ほどにな。
今は無かったなんていってる人間はいないよ。
専ら、数の論争が中心。せめて秦郁彦の本くらい読めば?
397日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:41:17
たかじんのそこまで言って委員会と南京でググレ>>396
398日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:54:02
>>395
「つくる会」の教科書にすら、南京事件は載ってるのにねぇ。

「このとき、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た。(南京事件)」
199ページの欄外にはっきり載ってるよ。
数については議論がある、とも書いてるけど。

つまり>>388>>396が正解。
399日本@名無史さん:2005/09/09(金) 00:49:57
この板で歴史を語るのにそういう系のテレビ番組を持ち出すなんて…
400日本@名無史さん:2005/09/09(金) 01:54:24
>395
モノを知らない奴特有の性なのか、やたらと持説に固執する傾向の強いデーブ,スペクターが
南京で虐殺が無かった事を認めた瞬間(つーか、間、かな)が妙に可笑しかったな(苦笑
401日本@名無史さん:2005/09/09(金) 06:59:32
話ぶった切ってすまないw

ふと思うに 西洋の時代劇には、馬車が有るのだが
日本の明治以前の時代劇には、何故か馬車が出てこない?
牛車 大八車 飛脚 御輿 などの、牛 人力を使う
運搬手段が有るのに馬に拠る運搬手段は、あまり見られない
何故馬車文化が、発展しなかったか判る方解説お願いします
402日本@名無史さん:2005/09/09(金) 07:48:10
>>401
バカは黙って去れ!!
403日本@名無史さん:2005/09/09(金) 08:35:10
>>401
ただの趣味人の俺の話が相当前に読んだ本の記憶から。

馬車(馬にリアカーを引かせた形態の戦車を含む)は平地でしかも
2台の馬車が行き違えるだけの道路幅が必要だった。
平安期に全国の幹線道路として朝廷が何本か道を作ったが、
当時の資金力・技術力では道幅は十分に確保されなかった。
しかも各地方で実際に流通する経路を無視して作ったので、
せっかく作った道を利用する人はそれ程多くなかったそうな。
その為馬車・牛車による長距離輸送は大きな発展をしなかったそうな。

鎌倉以降に増えた陸上運送者達は荷車を使わず、
馬の背に直接荷物を載せ運送する手段を取っていた。
これは道路幅や地形の高低差を考えてのことだったらしい。
京や大宰府等の都市内では高低差が何百メートルもないし、
道幅の大きい道路もあるので牛車・馬車が利用されていたらしい。
404日本@名無史さん:2005/09/09(金) 08:36:49
突然ですが質問させてください。
衣冠束帯というのは「衣冠」「束帯」の二つの様式だと聞いたのですが本当ですか?
それとも衣冠束帯という格好はひとつだけですか?
詳しい方よろしくおねがいします。
405401:2005/09/09(金) 09:02:25
>>402
バカでも学問は、必要だよw
あなたは、何処のお国のひとですかw

>>403
ナルホド!地形的要因が大きいかったのですね
物資の輸送は、陸運より海運が当時発達してたのですね
当時の都市の発展してたところが
安全な港を保有してるとゆうことがあてはまりますね
>>403さん有難う!

 

406日本@名無史さん:2005/09/09(金) 09:43:04
>>401
有り体に言ってしまうと日本の陸上交通に耐えうる馬車を作る技術がこの国には無かった。
橋の無い川がやたらと多いってのも馬車が発達しなかった理由かな。
407日本@名無史さん:2005/09/09(金) 10:50:19
地方の藩士って何石取りくらいから馬に乗れるんですか?
まあ、藩によって違うだろうけど…。
408日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:19:59
>>406
多分木造の構造物は、神社・仏閣・築城・造船など
木造工作物を見ると何とかなったのでわと思います
私的には、橋の無い川がやたらと多いって所が激しく同意ですね
今存在する旧道も狭く険しい所ばかりだから
やはり馬車 牛車を通れるようにするには、
凄まじい金額と時間が必要だとおもいますね
409日本@名無史さん:2005/09/09(金) 11:41:17
>>407
御目見え以上は乗れそうだが、何石位が御目見えなのか…
410日本@名無史さん:2005/09/09(金) 12:09:34
その質問は、今までにさんざん出て来ているんだ。
過去スレも読まないようなバカは黙って去れと言ってるんだ。
411日本@名無史さん:2005/09/09(金) 12:27:02
>>409
100石もあれば上士、まあそんなもんだろう。

>>410
初心者歓迎のスレで横柄なことを抜かすな。
412日本@名無史さん:2005/09/09(金) 12:59:15
>>411
初心者歓迎とは書いてあるが、めくら歓迎とは書いてない。
413日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:14:00
>>407
寛永10年2月の幕府の軍役令では、200石取りの武士は馬一頭をやしない
侍1人を含む8人の家来を維持しないといけないとなっている。馬の口取りは
そのうちの2名。
3000石の武士は2名の騎乗の家来を持たなければならないとか定まってい
る。(3000石から最低400石を割くわけだ)
414日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:15:07
侍・槍持を最低一人雇う余裕があるクラスの人物からじゃないか?>騎乗

>>412
過去ログをひとつひとつ探すのは大変。
偉そうな物言いをするなら、せめて「この辺りに書いてある」ぐらい
書いてやってからいえば?
415日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:19:24

質問者がいて回答者がいる。
それで良いじゃないか

なんでスルーできんの?
416日本@名無史さん:2005/09/09(金) 13:21:45
>>414
>過去ログをひとつひとつ探すのは大変
はぁ? 甘えるな。
417日本@名無史さん:2005/09/09(金) 16:36:21
まあまあ落ち着いて。お互いにスルーと言うことでたのんます。
418413:2005/09/09(金) 19:28:30
>>414
軍役令はこれだけの頭数をそろえて出て来いというのであって余裕がないから
人数が少ないですとは言えないもの。(とはいえ幕末になるとぐずぐずだが)
槍持は、200石で1人、500石で2人、900石で3人。
尚、3000石未満では騎乗の家来は必要となっていない。
山本博文著「江戸お留守居役の日記」p.173 (講談社学術文庫)から。
419日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:34:13
>>416
過去ログを一々、保管庫に依頼して一つ一つ閲覧していくのは大変だろう。
同じスレの中に回答があるならともかく、ずっと昔のスレの中にあったからといって
「既出、過去ログ嫁」というのは酷。
依頼者が粘着なら話は別だが、答えてやってもいいんじゃないの?
第一、答える気が無いのなら放置すりゃいいし。
420日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:49:32
 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
 || ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
 || ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
 ||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
 || ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
 ||  与えないで下さい。                  Λ_Λ
 || ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚Д゚,,) キホン。
 ||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
 ||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
      (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
    〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  は〜い、先生。
      〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
        〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
421日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:12:19
武士道も時代によって中身が異なるって本当ですか?
今一般に知られている武士道は、戦国時代の武士には通用しないと聞いたんですが。
422日本@名無史さん:2005/09/10(土) 00:20:14
武士道(ぶしどう)とは、近世日本の武士が従うべきとされた規範をさす。

通常の概念では、君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、
敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす態度で
あるとされることが多い。さらにこれに、常在戦場を以て心構えとした武士の意識を重
視して、日本特有の「死の美学」を付けくわえることもある。

ただし上記のような典型的な武士道観念は、明治以降に近世の武士の倫理観・美意
識を再編・再解釈されたものであるか、もしくは本来の武士道と明治期の再解釈があ
いまいなままに混同されているものを指す場合が多く、「作られた古典」の典型的な例
である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93
423日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:13:04
楽市の説明で
『販売座席である市座を廃止〜』という文章を読んだのですが
この、『販売座席』とはなんの事ですか?
市座というのは市場商人が結成していた座の事ではないのですか?

424日本@名無史さん:2005/09/10(土) 08:14:19
>>423
市座は国語辞典には商品を並べた棚とある。朝市なんかでそれぞれの売り手が
売り物を並べる場所のことではないか。売り場所はいいところとわるいところ
があるから、市が常設になってくると既得権の維持で組合みたいになって場所
の固定化が進み、その組合をも「座」と言い出したのではないか。

今のデパートでも、個々の商店が出店しているような売り場では、時々場所を
変えているのは場所の良否の平等化みたいに思う。(デパートへの歩合支払いが
多いところがいい場所に行くというのかも知れない。たまに行って売り場が変わ
っていると買う方は不自由この上ないんだが)
一方、バッグのようなブランド品の店は高額の出店料を払っているのか店の出し
方が違う。
425日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:04:26
姓と名の間に「の」をつけなくなったのはいつからですか?
426日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:39:02
姓を名乗るなら今でもつけるんじゃないの?
427名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:09:16
鎌倉末期ごろから
428名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:30:34
>>424
ありがとうございました。
429名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:31:43
まみやりんぞう
の漢字を教えてください
430名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:39:33
>>429
間宮林蔵
431名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:47:53
>>430
ありがとうシンジくん
432名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 11:01:53
>>431
意味わからん
433日本@名無史さん:2005/09/12(月) 12:19:07
ageとこう
434日本@名無史さん:2005/09/12(月) 15:52:47
 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
 || ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
 || ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
 ||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
 || ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
 ||  与えないで下さい。                  Λ_Λ
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435日本@名無史さん:2005/09/12(月) 18:49:37
代官所の手代って、幕臣なんですか?
あと同心等にならない無役の御家人っていたんですか?
436日本@名無史さん:2005/09/12(月) 18:53:56
「融通念仏宗」という宗派について教えて下さい。
河内音頭と関係あるのでしょうか?
437日本@名無史さん:2005/09/13(火) 02:44:04
改易された武家の子弟が陰間茶屋に売られるということはあったのですか?
438日本@名無史さん:2005/09/13(火) 12:40:47
>>437
武家かどうかは微妙ですが、シーボルトの高弟にして、
幕末の蘭学隆盛の基を築き、蘭学史のみならず、
日本の学術史上に燦然と輝く高名を残した、高野長英の娘が
吉原に売られた、という例ならあります。
439日本@名無史さん:2005/09/13(火) 14:18:44
>>436
良忍(1073‐1132)を開祖とし、その念仏思想たる融通念仏を信奉する宗派。
大念仏宗などともいう。良忍は12世紀の初頭に、自分の念仏の功徳はいっさい
の人に融通し、他人の唱える念仏も融通して自己の功徳となり、念仏は無限の
念仏となって往生がなしとげられるとの思想に達し、1117年(永久5)以後この
融通念仏の法を各地に広め、摂津国住吉の修楽寺(のちの大念仏寺)を根本道場とした。
融通念仏は集団による大念仏運動であり、宗派としての形態をもたずに、民間
に普及した。宗派としての形を整えたのは江戸時代、大通融観(1649‐1716)に
よってである。大通融観は1688年(元禄1)に将軍徳川綱吉より宗門復興の台命を
受け、それより大念仏寺の香衣勅許奏上権を確立し、檀林清規を制定、《融通円門章》
を著して教義を大成するなど、元禄年間(1688‐1704)には一宗の体制を整えた。
こうして、宗派としては大通融観を再興の祖とするが、南北朝時代の法明良尊(1279‐1349)
の存在を重視し、法明良尊が石清水八幡宮の霊告により法灯・法器をうけ、大念仏寺
を再興したことをもって、中興の祖とする。この2人と開祖良忍をあわせて、三祖と呼んでいる。
1874年宗名を公称し、管長制をとった。現在、大念仏寺を総本山として、寺院358を
擁している。《華厳経》《法華経》を正依の経典、浄土三部経を傍依の経典とする。
本尊は良忍が阿弥陀仏から直授されたという十一尊天得如来。御回在はこの宗独自
の行事であり、大念仏寺より毎年定期的に本尊の天得如来を末寺または檀家へ出張、
巡回せしめ、布教にあわせ先祖回向、お祓、祈裳などを修する。    
440日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:07:40
学校の宿題で歴史小説読んで感想文を書くというのが出たんだけど、なんかオススメない?
ならべく戦国時代から前で。
441日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:44:24
古事記
442日本@名無史さん:2005/09/13(火) 23:55:44
戦国〜江戸時代って女性との肛門性交は盛んだったのですか?
443日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:19:17
9/13朝のNHKニュースで、「東南アジアにも特攻隊の基地があり、
厳しい占領政策を強いた日本への反発がいまだに残る中、
ある画家が特攻隊の肖像画を描いて特攻隊をリスペクトしようと試みている」
というようなプチ特集があったのですが、東南アジアで日本が
厳しい占領政策を強いたとか、反日感情があるというのは本当ですか?

自分が聞いた限りでは、台湾や東南アジアではむしろ親日の人が多く、
東南アジアのどこかの国では、学校を建てたとかなんか??で
今なお某日本人がナントカ先生と呼ばれ尊敬されている、という
話をよく覚えていたので、東南アジアに厳しい占領政策だとかいう
話を聞いてびっくりしたのですが。
444日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:27:52
>>443
おまえは作る会にでも毒されたんかw
445日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:38:37
日本が占領中に厳しく扱ったのは、フィリピン人(アメリカの統治下で
上流階級は日本人より良い暮らしをしていた。)、シンガポールなどの
国の華僑(蒋介石毛沢東の第五列とみなし、厳しく取り締まった)と
いうあたりですね、東南アジアでは。ビルマ、インドネシアでは日本は
温和な統治行政を敷き、解放軍的な色彩も一部であったようです。
インドネシアを統治した今村均将軍の評判はは非常に良かったよう
ですね。マレーシアでも華僑とマレー人では扱いが大分違ったようです。
446日本@名無史さん:2005/09/14(水) 04:08:48
>>445
へー、このウヨ坊の頭の中では
ビルマ軍の対日反乱は抹殺されてるらしいやw
インドネシアでも過酷な食糧調達とかやったんだが
大東亜戦争賛美史観は脳天気だねーw
447日本@名無史さん:2005/09/14(水) 05:00:17
戦争も敗色が濃厚になると後方も荒れるからな。
占領地の親日なんてせいぜい最初のうちだけ。
ただ個人的な恨みとかは別なんだがメディアでの報道はどうも一緒くたにされがちなんだよねぇ。
448日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:35:11
(´-`).。o○(446のようなレッテル厨が普段見ているサイトって、キモそう・・・
449日本@名無史さん:2005/09/14(水) 11:12:58
>>446
まぁ、実際はともかく、今でもビルマに於いては日本軍人は尊敬されているよ。
450日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:00:00
こんな絵に描いたようなステレオタイプの香具師にマジレスしても
ウヨ認定されるだけだよ
451日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:04:26
>>442
奇怪なキリスト教思想が蔓延するまで肛交は
当たり前だったと知れい!
「月夜に釜を抜く」てふ「いろは歌留多」を見よ。


452449:2005/09/14(水) 12:27:32
>>450
俺に言ってる?
まぁ、ウヨ認定されようがされまいが、実体験から書いただけだがな。
俺の師匠がインパール作戦で中隊長をやってたこともあって、何年かに一度、現地で戦死などした戦友の弔いに行くんだよ。
それで俺も一度ついて行ったんだけど、ものすごい歓待ぶりだったよ。
宿泊も「俺の家に来い」の大合唱だったし、食事だってみんなが持ち寄ったりしてくれたし。
まぁ、これもジャパン・マネーのなせる技かと思っていたけど、一切金を要求しなかったし、払おうとしても受け取らなかった。
「我々や、その親の世代に、日本軍に大変良くしてもらった。日本語も教えてもらった。だから、その恩返しをさせてくれ」
とも言われ、嬉しくて泣いたよ。
453日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:40:10
>>452
何か誤解があるようだが・・・

まぁ漏れもマジレスしとくと、今村均のように一年未満の統治後その融和政策が
内地に嫌われてとばされた将軍がいるのだが、戦後(植民地にかんしては一家言ある)
和蘭が、なんとかして戦犯に仕立て上げようと画策したんだよね。その過程を調べれば、
日本の統治が全て悪という脳内お花畑の連中の主張が単なる妄想だということが
よくわかると思う。
454日本@名無史さん:2005/09/14(水) 13:45:14
各国に反日武装戦線があったのだが・・・
455日本@名無史さん:2005/09/14(水) 14:32:11
>>452
それってジジイどもの話を鵜呑みにしてるだけじゃんw
被害者達の話も聞きに行けばあ?w

>戦争も敗色が濃厚になると後方も荒れるからな。

アウンサン将軍が反乱を計画し始めたのは何年からだったっけ?w

>>453
>日本の統治が全て悪

おいおい、誰がいつそんなこと言ったんだよ。
むしろ445のほうが
「ビルマ・インドネシアでは日本の統治が全て善」っぽい書き方じゃん。
「冤罪が幾つかあれば、全ての戦犯は無罪」って論理デスカ?
ウヨってバカですねーwwwwww
456日本@名無史さん:2005/09/14(水) 16:47:05
池田忠雄の寵童にちょっかいだしてフラれ逆切れ、
”鍵屋の辻の決闘”でヌッ頃された河合又五郎の人物像について
教えてください。
457日本@名無史さん:2005/09/14(水) 16:52:48
>>453
とりあえず、俺に言ってないのね。スマソ。

>>455
鵜呑み?
村中の人間が歓待してくれたんだが?
458名無し@さん:2005/09/14(水) 17:01:09
こんにちわ
俺もスレッドは初心者です
色々教えてください。
459日本@名無史さん:2005/09/14(水) 18:28:09
>>457
だからそれが鵜呑みじゃん。
戦争被害で日本人が嫌いになったような奴が
日本人を歓待する会合に出てくると思うウヨってバカ過ぎ。www

戦争被害者のほうにも聞きに行けよ。
日本人だってだけでブン殴られるの覚悟でな。
それもできないチキンが
お前の狭い体験だけで知った風な口きくな。
460日本@名無史さん:2005/09/14(水) 18:40:25
>>459
被害者なんていないが?
被害者ヅラしたバカどもだろうが?
そんな奴らなんか、ザルカウィなんかと一緒。
いちいち会う必要ない。
461日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:43:42
>>459
体験も実際にヒアリングもしてない人間が言う台詞じゃないねぇ。
462日本@名無史さん:2005/09/14(水) 21:12:26
民主党の党首に立候補する前原誠司議員、
名前からすると前原一誠の子孫みたいだが、
どなたか知ってる人いますか?
463日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:04:28
>>462
本人の後援会事務所に電話して聞け
464日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:06:16
>>460
>被害者ヅラしたバカどもだろうが?

詭弁のガイドライン
・根拠もなく決め付ける

>>461
このバカウヨは、読書というものをしたことがないとさw
465日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:44:13
>>464
だったらそれを示せばいいじゃない。
資料あるんでしょ。
反論するんならさ。
466日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:47:41
>>443です。たくさんレスありがとうございます。日本史板でもいくつか
レスいただきましたが、どうやら「どっちかっていうと親日が多いが
親日国ばかりとはいえない。嫌っているのは華僑が多い」というのが
両板での総合的なご意見のようです。

>>444
毒されたというよりも無知なのですよ。小中学校では近代史やらなかったし
高校は理系だったので日本史全然さわらず。大学入って政治学はじめたら
だいたい>>443のような話をちらっと聞いた程度しか知らないもんで。

ただ、対日叛乱があった=親日ではない、というのは短絡的すぎる話ですよね。
異民族・異国人支配のもとでは、どんな国でも、どんな体制にでも
反乱や武装蜂起というのは発生するもんですよ。
467日本@名無史さん:2005/09/14(水) 22:49:54
あったらそんな物言いはしないと思うがね。
読書は読んだ本の中身が重要だろうに、それすら理解し得ない人間なんだから。
読めばいいってもんじゃない。

そろそろ>>464はスレ違いを認識して消えてくれないか?
正直、なんの資料も出さずに発言しても白い目で見られるだけだぞ。
468日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:13:56
おいおい、資料資料と騒いでるバカウヨさんは
ネットでの「俺が聞いたんだからマジ確かだー」ってのが
何かの資料になってるとでも思ってんのかい?w

それと、資料出さなきゃビルマ軍の反乱やインドネシアにおける食糧収奪は
史実でなくなるとでも思ってんの?w

>スレちがい

誤った回答をそのままスルーしとけってのがバカウヨ・クオリティなのかw
469日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:16:26
正直、こんなとこで資料を持ち出したりして論争されてもそれはそれで困るんだが・・・

この板には過剰なまでのそれ系のスレがあるからそっちでやっとくれ。
470日本@名無史さん:2005/09/14(水) 23:19:47
 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
 || ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
 || ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
 ||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
 || ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
 ||  与えないで下さい。                  Λ_Λ
 || ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚Д゚,,) キホン。
 ||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
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      (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
    〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  は〜い、先生。
      〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
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471日本@名無史さん:2005/09/15(木) 07:46:21
>>468
>ネットでの「俺が聞いたんだからマジ確かだー」ってのが何かの資料になってるとでも思ってんのかい?
お前はそれすら出さねぇじゃねぇかw
472日本@名無史さん:2005/09/15(木) 07:48:57
>>468
第一、誰も聞いた話なんかしてないし。
メクラは引っ込んでろ
473日本@名無史さん:2005/09/15(木) 12:15:26
昔、草(しのび)の末裔が立てたスレッドがあったと思うのですが、
URLを忘れてしまいました。
どなたか知っている方、教えてくださるとうれしいです。。
474日本@名無史さん:2005/09/15(木) 15:26:39
>>471
この場合、資料を出す責務があるのは、
史実に反したことを述べてるバカウヨのほうだけど?
史実に反した「新事実」を主張してんだから
主張側が証拠を出さなきゃならないんだよ。
そんなことも知らないとは、
バカウヨは最低限の常識すらないんだね。w

>>473「我々や、その親の世代に〜
てのをお前は聞いたんと違うのかい?
体験談ってのは
例えばお前自身がインドネシアで戦時中……ってとかの話。

バカウヨは日本語もダメダメなんだね。w
475日本@名無史さん:2005/09/15(木) 16:10:51
戦争も後期になると日本軍の綱紀は乱れまくり、
戦意は落ち、アジア各地で嫌われた
476日本@名無史さん:2005/09/15(木) 16:42:44
>>474
サヨチョン乙
477日本@名無しさん:2005/09/15(木) 18:36:13
>>404
>本来は男子の通常服であったモーニングは今や完全に礼服。通常は背広です。これが束帯と衣冠の関係。
http://kariginu.jp/kikata/1-1.htm

>本来束帯が宮中勤務服でしたが、窮屈なため夜間の宿直(とのい)には不向きでした。
>そこで下着類を大幅に省き、面倒な裾もやめ、袴をゆったりした「指貫」に換えた「宿直装束」として衣冠が
>生まれました。
>一般に「衣冠束帯」と言われますが、束帯と衣冠は着物(ハード)の違いでなく着方(ソフト)の違いなのです。
http://kariginu.jp/kikata/1-3.htm
---------------
このジャンルではよく纏められた、有名なサイトだ。
知識を得たいなら通読すべし。
478日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:50:53
>>475
横レスだがフィリピンあたりじゃ割と早く、
コレヒドールが落ちるか落ちないかの頃から
けっこう軍紀が乱れていたらしい。
日本軍関係者がマニラ市長からイヤミを言われたりもしている。

なお、このスレがこれ以上荒れても困るので
異論があれば他のスレでどうぞ。
479日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:51:54
そうそう、ソースは今日出海の回想ね。
480日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:03:30
BIAの反乱は、別に日本の態度とは関係ない。
日本が負けそうだからイギリスに寝返っただけ。
481日本@名無史さん:2005/09/15(木) 20:47:23
江戸期の郷士というのは戦国期武士(地侍)だった家が農民にされて、しょうがなく自称してたのがほとんどなんですか?
482日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:11:45
>>481
お前は御輿か?
483日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:16:45
皇室は渡来人なんですか?
484日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:22:40
>483
そういう説もある

ほい、次の人。
485日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:30:19
半島系ですか?
486日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:02:36
>>485
戦前はそういう説を持ち出して朝鮮半島領有を正当化してる人もいた
487日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:20:35
>483
>485
千年以上も前の話が何故気になる?
そもそも当時と現在の半島の住人は別といってもよいのに。
天皇のDNA鑑定(無意味だが)でもやって、その結果がどっちならどうだと言いたいの?

>486
もし節度という言葉を御存知なら別の板へ移動してください。おながいします。
ここは日本史の初心者質問スレ。議論する場でもなければ、特定の主義・主張をする場でも無い。
488日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:25:01
取り合えず日本史板で

>千年以上も前の話が何故気になる?

はどうかと思う。
489日本@名無史さん:2005/09/16(金) 03:16:26
源氏物語の原文って仮名だけで書かれてるんですか?
それとも漢字も混じってるんですか?
490日本@名無史さん:2005/09/16(金) 08:08:31
八犬伝とか見てると足利成氏が滸我成氏とかかかれてたり、
上杉定正が扇谷定正とか、変名や通称になってたりするけど、
江戸時代って史実をパロって話を作っちゃいけなかったんですか?
忠臣蔵も高師直とかになってるし…
491日本@名無しさん:2005/09/16(金) 11:07:15
今でこそ歌舞伎は伝統芸能といわれますが、始まりの頃は只のアイドル芸でした。
それが風紀を乱すと度々取締りの対象になったため男衆の芸となり、脚本も古典を
ベースにした時代風刺へと傾倒していきます。

だから「史実をパロって話を作っちゃいけない」なんてことはなかったのです。
歌舞伎にしても浄瑠璃の名作も中身はパロディといっていいし、またパロディで
江戸時代の演劇は発展していったのです。認識が全く逆。

492日本@名無史さん:2005/09/16(金) 11:19:59
>>490
忠臣蔵は当時の実名と状況をそのまま使うとお上に睨まれる可能性があった。
まず間違いなく発禁になっただろう。
493日本@名無史さん:2005/09/16(金) 11:56:23
時代劇見てて思ったんですが、家督をついでない武家の長男は働いてなかったんですか?
494日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:21:50
無役だったらそう。
だから「部屋住み」とか「冷や飯食い」という形で家長に養ってもらう。
家長死後直系の跡継ぎがいなかったり、幼くて成長を待たなければならないような時に
中継ぎとして家長になったりする交代要員。
495日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:25:29
>>105
イスラムは政教一致だから、自爆テロをテロではなく戦闘行為だと信じているわけだが…。
496日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:31:02
>イスラムは政教一致
そんな国ばっかりじゃないし。
497日本@名無史さん:2005/09/16(金) 12:35:45
テロなんてちゃんと定義できるもんじゃないし。
498日本@名無史さん:2005/09/16(金) 13:08:59
>>493
親子で出仕してることもある
499日本@名無史さん:2005/09/16(金) 13:57:30
>>495
パレスチナ以外の自爆テロは
ただの反イスラム行為だと
イラクのイスラム法学者自身が述べているのだが。
ザワヒリやザルカウィやビンラディンにはファトア(宗教的布告)を出す何の資格もない。
500日本@名無史さん:2005/09/16(金) 14:01:22
というか495はムスリムが
不満が何かあるとすぐテロに走るDQNばかりだと思ってやしないか?
ムスリムに対する侮辱もいいところだぞ。
イスラム過激派なんて全ムスリム人口の1%にも満たないんだぞ。
お前の言っているのは
オウム真理教を仏教徒の代表扱いしているに等しい。
501日本@名無史さん:2005/09/16(金) 14:16:37
旗本の次男・三男って、御家人の家に養子にいったりすることって可能だったんですか?
というより、旗本と御家人の婚姻・養子縁組って可能?

502日本@名無史さん:2005/09/16(金) 14:38:02

>>482???????????????????????????
503日本@名無史さん:2005/09/16(金) 15:41:56
>>498
同じ職場に?
504日本@名無史さん:2005/09/16(金) 15:45:10
>>490
記憶が定かではないけど信長の時代くらいから後の人物を取り扱っては
いけないってことになってたと思う。
だから忠臣蔵は南北朝時代のお話ということであって、厳密には
同時代のパロディとは言えない。まあ実質そうなんだけど。
505日本@名無史さん:2005/09/16(金) 15:49:33
>>502
担がれてんじゃねぇよってことだよ
506日本@名無史さん:2005/09/16(金) 16:40:22
機転の利かないやつだな
507日本@名無史さん:2005/09/16(金) 16:42:54
江古田ガーデンホームとは、どのようなものでしょうか?
団地名でしょうか?
また、これは戦時中はどのような名前に変更したのでしょうか?
よろしくお願い致します。
508日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:17:56
今でもド田舎に行くと、なんとか左衛門だの右衛門だのという名前の
表札がよくかかっているのですが、明治生まれでもそんな名前の人は殆どいませんよね?
いったいどういう人たちなんですか?
509日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:42:29
>508
気にするな。以上。
510日本@名無史さん:2005/09/16(金) 20:46:47
>>508
お前勇気あるな
511日本@名無史さん:2005/09/16(金) 21:34:43
>>508昔のままって事だろ・・・右上に「士族」とか彫ってなかった?
512日本@名無史さん:2005/09/17(土) 00:04:00
>>508
ヒント:物好き
513日本@名無史さん:2005/09/17(土) 00:38:32
>>508
半田の中埜又左衛門はミツカンで有名な中埜酢店の社長。
大阪の住友吉左衛門は住友財閥で有名な住友家当主。

親子代々同じ名前を名乗る家は結構ある。
上に挙げた二家はその代表例。
514日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:34:30
土左衛門
515日本@名無しさん:2005/09/17(土) 15:15:05
人じゃあないが、「ドラえもん」は?
516日本@名無史さん:2005/09/17(土) 20:04:13
なぁ今CXでやってる草なぎ剛主演の「日本の歴史」スレ誰か立ててくれんか?
517日本@名無史さん:2005/09/17(土) 20:41:00
山岳警備隊の方が遙におもしろい
518日本@名無史さん:2005/09/17(土) 21:25:00
>>516
実況禁止ルールも知らん厨房は
そもそもレスするのもおこがましい。
永遠にROMだけにしてろ
519日本@名無史さん:2005/09/17(土) 21:42:44
もし〜に2ちゃんねるがあったら
もし〜が2ちゃんねらーだったら
の日本史版のスレありませんか?
520日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:12:08
歴史のテスト問題予告で
R制成立期→S天皇のころ→J世紀
とあるのですが何のことでしょうか?
範囲は6世紀から11世紀です
521501:2005/09/17(土) 23:16:24
>>501をお願いします
522日本@名無史さん:2005/09/17(土) 23:19:42
>>521
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
523日本@名無史さん:2005/09/18(日) 01:00:42
建前としては婚姻・養子は親類や同じ家格の家同士で行うものだから不可能
まあ実際には持参金目当てに町人を養子にする旗本もいたわけだし
524日本@名無史さん:2005/09/18(日) 08:59:00
>>522
お客に対して傲慢なスレはここですか?
525日本@名無史さん:2005/09/18(日) 09:02:23
俗に同心五百両、与力千両っていうけれど
>>523の旗本の場合どれぐらいかかったんだろうね
526日本@名無史さん:2005/09/18(日) 09:14:08
>>525
役職にもよるだろ
527日本@名無史さん:2005/09/18(日) 11:02:39
質問です。
大正時代の護憲運動のことなんですが、護憲運動とは政党政治を実現するための運動だと習いました。
でも今の時代、護憲というと憲法を守るという意味で使われているんだと思うんですが、なぜ政党政治を実現するための運動を護憲運動と呼ぶのでしょうか?
むしろ改憲運動と呼んだほうがいい気がするんですが、そのあたり教えてください。
528日本@名無史さん:2005/09/18(日) 11:15:37
護憲運動=憲政擁護運動
つまり立憲君主制(君主のもと憲法作って、議会を運用)でやっていこうぜということ。
529527:2005/09/18(日) 12:02:11
>>528
大正の護憲運動のずっと前に、明治時代に立憲君主制の明治憲法が出来てましたよね
それにもかかわらず、護憲運動が起こるということは明治憲法が守られてなかったってことなんでしょうか?
530日本@名無史さん:2005/09/18(日) 12:30:05
緊急勅令っていうの聞いたことない?
後、議会で予算案が通らなかった時、前年度と同じ予算なら政府が押し切れるとか。
そういったことは「政府が議会での採決やら審議を軽視している」と受け止められ、
「憲法で定められた議会をもっと尊重しろやっ!」っていうのが明治〜大正の護憲運動。
マンガでもこの辺の説明ちゃんとしているのがあったけど何ていうやつか忘れた。
531日本@名無史さん:2005/09/18(日) 12:34:55
>>527
簡単に言えば、大日本憲法における政党政治を守れ、
超然内閣や藩閥内閣はやめてくれということ。
532日本@名無史さん:2005/09/18(日) 12:56:03
つまりネーミングがまぎらわしい、ネーミングセンスがなかったということか
533527:2005/09/18(日) 13:11:29
ありがとうございます
勉強になりました
534日本@名無史さん:2005/09/18(日) 17:09:50
>>526
んじゃ、500石前後の小普請組で。
535日本@名無史さん:2005/09/18(日) 17:40:41
「分一徳政令」の読み方と詳細の分かる方、説明をお願いしますm(_ _)m
536日本@名無史さん:2005/09/18(日) 23:40:28
>535
ちょうど今度の模試範囲w
ぶいちとくせいれい。債務や債権の五分の一ないしは十分の一にあたる金(分一銭)を払うことで、債権を保護したり債務を破棄できた。
537日本@名無史さん:2005/09/18(日) 23:58:42
質問ですけど
敗戦直後中国人や朝鮮人の悪逆非道があったというのは本当ですか
イデオロギー抜きに客観的事実が知りたいです
538日本@名無史さん:2005/09/19(月) 00:16:39
 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
 || ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
 || ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
 ||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
 || ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
 ||  与えないで下さい。                  Λ_Λ
 || ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚Д゚,,) キホン。
 ||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
 ||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
      (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
    〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  は〜い、先生。
      〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
        〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ

539日本@名無史さん:2005/09/19(月) 00:39:32
華厳滝で投身自殺した藤村操って有名ですけど、
単なる帝大生ってだけなんですか?
あと辞世の句をご存じの方がいたら知りたいです。
540日本@名無史さん:2005/09/19(月) 00:56:13
『万有の真相は唯一言にして悉す、曰く「不可解」』の「巖頭之感」
541539:2005/09/19(月) 01:18:52
ありがとうございます!
542日本@名無史さん:2005/09/19(月) 07:50:54
目明しって、奉行所の成員じゃなくて同心に私的に雇われた使用人ですよね?
では目明しに十手を渡していたのは同心なんですか?
それとも、奉行所からもらえるんですか?
543日本@名無史さん:2005/09/19(月) 08:27:10
庄屋でも功績があって苗字帯刀を許されていなくても、税金を多く納めて
苗字を外で使うことを許されたという例はたくさんあるのでしょうか?
544543:2005/09/19(月) 08:28:02
庄屋でも功績があって苗字帯刀を許されていなくても ×
庄屋や、特に功績があって苗字帯刀を許されていない人でも ○
545日本@名無史さん:2005/09/19(月) 08:29:47
>>542
同心と行動する時のみ、同心から預かる。
それ以外の時は所持できない。
546日本@名無史さん:2005/09/19(月) 09:37:42
>>537
本当
在日朝鮮人の土地・建物は殆どが不法占拠したまま居座っているもの。
総連に至っては税金も払っていない。
547日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:39:13
>>546
>在日朝鮮人の土地・建物は殆どが不法占拠したまま居座っているもの
文句が出たかどうか、全て調べたのか?
548日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:48:12
消防法も適用されない
道にはみ出して建造しても構わない
549日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:49:07
江戸時代の戸籍には、どのようなことが記されているのでしょうか?
550日本@名無史さん:2005/09/19(月) 11:44:08
人別帳で検索しろ。
551日本@名無史さん:2005/09/19(月) 13:17:39
非人の女性はどういう仕事を主にしていたのですか?
552日本@名無史さん:2005/09/19(月) 13:44:08
非人といえば、なんで非人の事を長吏って呼ぶの?
確か語源は中国の官職名だよね?
553日本@名無史さん:2005/09/19(月) 13:52:56
>>552
自称
554日本@名無史さん:2005/09/19(月) 15:40:56
日本が列強による植民地支配を受けずに、列強の仲間入りができたのはなぜですか?
そして、それが中国や朝鮮などのアジアのほかの国には出来なかったのはなぜでしょう?


今韓国に留学中なんですが、韓国人の先生にレポートを提出しろと言われました。
微妙に反日がかっているのですが、なんとか納得してもらえるような事を書きたいんです
日本にあって中国朝鮮になかったものはなんなんでしょうか?
555日本@名無史さん:2005/09/19(月) 15:44:57
>>554
帝国主義にいち早くなって、朝鮮を植民地にして、
中国を侵略したから。

朝鮮も中国も欧米の植民地にはなってないよ。
虫食い状態ではあったが中国は中華民国が統一した。
それを満州占拠で妨害したのは日本
556日本@名無史さん:2005/09/19(月) 15:48:05
>文句が出たかどうか、全て調べたのか?

「文句が出ていないなら、不法占拠しても構わない」
これが半島ロジック
557日本@名無史さん:2005/09/19(月) 15:51:40
どこの一等地が朝鮮に不法占拠されたの?
具体的に書いてみて

あと総連も学校も最近は税金払ってるよ
消防法も適用されているよ
558日本@名無史さん:2005/09/19(月) 16:01:11
>>556
日本には20年間、どこからも文句(裁判等)が出なければ、その土地はその者の所有となるという法律があるが?
559日本@名無史さん:2005/09/19(月) 16:22:06
在日民族団体、税務署に殴りこみ税金のがれ
http://park6.wakwak.com/~webyama/CitizenWar/kankoku/Kage02.htm
何故「三国人」が差別用語になったのか
(左翼系在日朝鮮人騒乱史)
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html
戦後、在日韓国・朝鮮人は何をし、何と言ったか
http://www.kcn.ne.jp/~ca001/D35.htm
敗戦を境に豹変した朝鮮人
http://www.geocities.com/naversays/ZMondai02/
http://sapporo.cool.ne.jp/rati_yurusan/#label1
http://news2.2ch.net/newsplus/kako/1046/10468/1046862967.html
40年も使用貸借契約なし 土地所有の大阪府と
・大阪市北区中崎2の共同住宅が半焼し、在日コリアン約30世帯50人が焼け出された
 火災で、土地を所有する大阪府が建物所有者と40年以上も土地の使用貸借契約を
 結んでいなかったことが分かった。
http://www.denizenship.net/index.html
560日本@名無史さん:2005/09/19(月) 18:50:55
>>554
和魂洋才。よく言えばアウフフェーベン。悪く言えばつまみ食い。聖徳太子のおかげ。
本音と建前の使い分け。無駄な衝突を回避できる生活の知恵。京都人の知恵など。
縮み指向。微細精細加工に長けている。盆栽もこの延長か。
かっては、「もったいない」とものを大事にする心。
霞みたなびく緑の山々。植林の習慣。(高温多湿の風土利用の知恵)
四季おりおりの風情をたしなむ豊かな感情。今や過去のものかも。
561日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:09:45
>>554
日本と中国では比較が難しいが、日本と朝鮮とでは簡単。

鉱山資源が豊富で(江戸中期には枯渇しかけてたが)、
さらに労働集約型の農業の近代化も行われ、
19世紀半ばの時点で資本の蓄積が進んでいた日本と、
資本の蓄積がまったく進んでなかった朝鮮とではあまりに条件が違いすぎる。

文化的、地政学的観点でいくら切ろうが語ろうが、
それはヘソのゴマ並の瑣末な問題。
562日本@名無史さん:2005/09/19(月) 20:11:47
>>559
ウィルス・リンク貼るなよバカウヨ
563日本@名無史さん:2005/09/19(月) 20:18:30
ウィルスなんて無いけど。
また来たのね。
564日本@名無史さん:2005/09/19(月) 20:31:42
ウィルス・リンクなんてあるのか?
初めて聞いたw
565日本@名無史さん:2005/09/19(月) 22:20:36
ウィルスに汚染されているサイトがそん中にあるよと
PC音痴なバカウヨに優しく教えてあげようwwwwww
566日本@名無史さん:2005/09/19(月) 23:23:30
何で2chでウヨウヨって言いたがる人は馬鹿なの?
567日本@名無史さん:2005/09/19(月) 23:49:08
「ブサヨ」が消えて「クソウヨ」来たる。
実は同一人物?
568日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:33:34
在の自演に1ウオン
569日本@名無史さん:2005/09/20(火) 00:49:04
お前らスルーくらい覚えたらどうだ?
570日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:48:52
京都へ旅行に行った時の写真なのですが、これが何を撮ったのかイマイチ思い出せません。
金地院か竜安寺だとは思うのですが、ピンと来る方はいらっしゃいませんか?

http://n.pic.to/3hd6u
571日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:57:22
>570
そのurlおもいっきり胡散臭いのだが・・・
もっと一般的な処に貼り直してくれんか?
572日本@名無史さん:2005/09/20(火) 01:59:45
>>571
いや、大丈夫ですよ。
オフ板なんかでよく使われるツールです。
何ならラウンジの「恐くて見れない画像〜」スレで鑑定してもらっても結構ですし。
573日本@名無史さん:2005/09/20(火) 02:02:44
ってlivedoorか・・・スマソ>570
どのみち今日の流れじゃ安心して踏めんわ漏れ
574日本@名無史さん:2005/09/20(火) 02:06:53
>>573
そんなに心配しなくても普通の寺院ですよw
入口付近だと思うんですが、どうしても思い出せません。
575日本@名無史さん:2005/09/20(火) 02:09:39
>>573
ttp://ranobe.sakuratan.com/up/src/up57375.jpg

京都人がいるところで聞いたほうが良いんじゃない?
576日本@名無史さん:2005/09/20(火) 02:12:55
すいません、自己解決しました。
写真データのプロパティで撮影時刻を調べればよかったんですね。
うっかりしてました。
どうやら竜安寺だったようです。
失礼しました。
577日本@名無史さん :2005/09/20(火) 08:47:16
中世の天皇家は、どんな存在だったのですか。
天皇を視野に入れて天下を狙っていた大名はいたのでしょうか。
海外在住ですが、日本の歴史のこと、SHOGUNと天皇のことを突っ込んで聞かれると、
返答に困ります。
鎌倉、室町、江戸の幕府にしろ、
信長、秀吉、ともに実質的な王ですが、元首ではないわけですよね。
天皇が実質的なトップであったのは、明治以降、平安以前、後醍醐朝、と考えて
良いのでしょうか。
578日本@名無史さん:2005/09/20(火) 09:50:10
>>577
平安末期は天皇よりも治天のほうがトップだと思うが。
あと、室町幕府(足利義満)や江戸幕府は対外的に日本の君主として振る舞っている。
579日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:38:04
実質的なトップって意味では後醍醐くらいのもんだ
580日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:38:08
必ずしも天皇=治天じゃないからな。
平安末期〜鎌倉中期は治天は上皇だし、
複数の上皇がいる場合はその中の一人が治天だし。
摂関政治期や室町〜江戸期では上皇がいなくても、
摂関や将軍が実権を握ってるし。
581577:2005/09/20(火) 12:46:07
>室町幕府(足利義満)や江戸幕府は対外的に日本の君主として振る舞っている。

その時代の天皇は、どう地位付ければ良いのでしょうか。
建前上ではあくまでも、
天皇>征夷大将軍 ですが、
実質、幕府のトップが国王ですよね。
鎌倉からの幕府は、源氏の棟梁がなるわけで、
源氏も平家も、元々は天皇の親衛隊だった。
信長は、右大臣
秀吉は、関白
建前上は、全て天皇の臣下になる。
しかし政治権力は彼らが握っていた。
そう考えると、彼らにとっての天皇とはどんな存在であったのだろうか、
と思います。
彼らの持っていた権力をして、自分が帝位に就くことは容易であったと想像しますが、
なぜそうしなかったのでしょうか?
納得いく答えが見つかりません
582日本@名無史さん:2005/09/20(火) 12:58:46
>>581
君はわざと聞いてるでしょw
583日本@名無史さん:2005/09/20(火) 13:40:50
利用しただけ
特に薩長
584日本@名無史さん:2005/09/20(火) 14:45:43
577と関連した質問だけど、実際に明治維新〜第二次大戦終戦までに、天皇の権力はどれくらいあったのでしょうか?
一説には、天皇は上奏されたものを「通す」か「再考させる」の二択しかなかったとききます。
対米戦も「再考させる」たものの、対米戦が避けられずとの結論が出て、やむを得ず呑んだとされています。
立憲君主であったものは確かですが、誰が本当に「統治」していたかは曖昧ですよね。
それを考えると、平安以前でも大化の改新以前は豪族の影響力は強かったし、歴史上は極めて限られた期間のみ
権力を持っていたと考えるのが妥当でしょうか?
585日本@名無史さん:2005/09/20(火) 15:09:58
御前会議に於いて内閣総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長が
そろって賛成した議案に対して天皇は発言しない「慣習」となっていた。
なので開戦と決まった。
終戦の時はポツダム宣言受諾の賛成反対が3対3で拮抗したため聖断を仰ぎ
受諾するということに決まった。
586日本@名無史さん:2005/09/20(火) 15:22:22
天皇スレって無かったっけ?
587日本@名無史さん:2005/09/20(火) 16:33:19
588日本@名無史さん:2005/09/20(火) 17:19:35
そういうヘリクツで天皇の戦争責任をなかったことにしようというのは考えものだな。
589日本@名無史さん:2005/09/20(火) 20:49:33
広島藩の藩政史料って戦災でほとんど消滅したの?
あと、広島藩士の家系もほとんど全滅したの?
590日本@名無史さん:2005/09/21(水) 08:42:35
>>589
広島県に聞け
591日本@名無史さん:2005/09/21(水) 09:36:45
質問がちょっと漠然としているのですが・・・


 日露戦争中、「旅順港閉鎖作戦で八十名の募集のところを五千人が志願してきた」とか「奉天の戦いでは銃弾が尽きても石を投げて戦った」とか、日本軍の士気の高さを強調するような話をよく耳にします。
 ここで質問なのですが、なぜ、彼らの士気はそれほどにまで高かったのでしょうか?
 当時の兵士、特に下っ端の方の人間は、農村出身者が主ですよね?ペリーが来てからわずか50年、それまでは藩に年貢を納めることくらいしか考えていなかった国民が、どうして命を懸ける覚悟ができたのか、不思議でなりません。
広瀬中佐や乃木大将といった武士出身の人間なら、「藩に対する忠誠」を、「国家に対する忠誠」と思想のシフトをしたと考えればまあ納得できるのですが・・・
 江戸時代のころから、農民には「藩や地主に仕えている」のと同時に「国全体に仕えていて、命を差し出すのもやむなし」という思想があったのでしょうか?
592日本@名無史さん:2005/09/21(水) 09:40:40
>>591
>それまでは藩に年貢を納めることくらいしか考えていなかった国民
果たしてそうかな?
593591:2005/09/21(水) 09:57:50
>>592
>果たしてそうかな?

そう、そのあたりが知りたいんです。当時の国民の思想がどんなもんだったのかを。
594日本@名無史さん:2005/09/21(水) 11:37:55
農家の次男三男が維新時士装して江戸や京に集まったて話もあるがな。。。
595日本@名無史さん:2005/09/21(水) 12:48:50
>>593
ひょっとして特攻も本当に自分から志願していった兵隊達だと思ってる?
596日本@名無史さん:2005/09/21(水) 13:25:44
>>595
ああ、君みたいな史実を改竄する左翼はこの板から出てってくれ。
597日本@名無史さん:2005/09/21(水) 14:12:22
>>593
揚げ足とり的にいえば、江戸時代に「国民」は存在しない。

それはともかく、現在でも「国民」といっても多様な存在であるように、
当時の「農民」でもいろんな奴がいた。
勤皇の志にもえ、攘夷に命をかけるやつらもいれば、
新撰組のように身分上昇に燃えて、尊王のために幕府に尽くすやつもいるし、
ひたすら学問に励み、蘭学を修めて武士に取り立てられたやつも、
年貢を納めるために野良かせぎに精を出すやつもいる。
いろいろだよ、いろいろ。
598日本@名無史さん:2005/09/21(水) 14:12:38
その高い士気が、第二次世界大戦では、
なぜ、もろくも崩れ去り、軍紀違反がとまらなかったのか?
599日本@名無史さん:2005/09/21(水) 14:19:43
日露戦争では兵器が優れていたから士気が高かった。
第二次ではその反対。
600日本@名無史さん:2005/09/21(水) 14:29:53
>>595
本気で思ってる奴がいそうで怖いな。

赤紙が来たら嫌でも行かないとならないし、断ろうものなら
自分だけではない、家族まで酷い目にあう。
そんな状態で断れる人間が居るだろうか?
断らなかったから承諾した、志願だ と考えるのは安直。

もっとも当時の日本は洗脳教育されてるから
「国のために死ぬ事が一番だ」ぐらいに思ってる人も結構居たんだろうけどね。
これは怖いことだよ。
601日本@名無しさん:2005/09/21(水) 15:34:49
夏休みはとうに終っているのだが・・・
602日本@名無史さん:2005/09/21(水) 15:59:16
まあ特攻隊も色々、人さまざまだからな。
毎晩枕を涙で濡らした奴もいるというし、
堂々と特攻を拒否した猛者もいるし、
軍国マンセー陛下バンジャーイ!な奴もいて、
最後のは岩波の遺書集ではカットされていたりするw
603日本@名無史さん:2005/09/21(水) 15:59:46
>>601
そういう余計な一言も慎んだほうがいいな。
604日本@名無史さん:2005/09/21(水) 17:56:17
自分が惨めな生活をしてれば、しかし俺の国は!とかなるもんさ。
だから士気が高かった。今の半島とか中国とおんなじー
605日本@名無史さん:2005/09/21(水) 17:58:33
何の説明にもなっとりゃせんがな。
606日本@名無史さん:2005/09/21(水) 17:59:05
話が日露戦争からどんどんずれてるのにみんな気づいてる?
607日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:11:34
軍事板から誘導されたので、ここで質問します。

長崎は原爆投下されたのに中国寺や大浦天主堂、グラバー邸など古い建物が残ってますが、
江戸時代以来の旧市街はほとんど被害がなかったのですか?
その地域に住んでいた人は被爆しなかったんでしょうか?

爆心地の浦上天主堂付近が郊外で、川の上流の方だということは知ってますが、
河口の旧市街まで放射能の汚染や爆風による被害はなかったということですか?
608日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:57:54
>>600
多くの男子が、赤紙が来たら戦争で死ぬのが栄誉だと思って戦地に向かったが、
少数の者が、赤紙を拒否したら罰せられた。またそれを見て拒否できない者もいた。

前者は、強制されたのかされていないのか、
簡単に判断がつく問題じゃないよな。
人のメンタリティって言うのは、後世から考えると不思議なもんだよ。
まぁだから歴史学は面白いんだが。
609日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:04:25
三国連太郎は兵役拒否で下関まで逃げて捕まった。
三島由紀夫は徴兵検査のとき、結核のふりして兵役免除。
610日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:07:47
憲法で国民の義務であると定められていたんだから強制もなにもない。
それが当然だと思われていた。
それと特攻を一緒にしてはいけないよ。
611日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:09:13
山本七平の本によると、役場の兵事係に頼んで兵役逃れやった人はいるらしい。
特別な技能、技術の持ち主として登録してもらって赤紙の対象から免れたらしい。

むろん、兵事係の人にはそれなりの付け届けがあったとのこと。
612日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:11:54
>>610
内心では当然と思ってない連中がいたから、逃げるヤツや合法的な兵役逃れをする者が
みられたわけで・・・

現代でも、国民の当然の義務である納税をごまかす連中はあとを絶たないw
613日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:16:08
>>605
>>604
それはあるかも知れんな。
「欲しがりません勝つまでは。日本が勝てばみんな豊かになる」
と言われれば士気は上がるかも知れん。

もっともそれは騙しだったわけだが。
614日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:17:26
>>612
そりゃ一部にはね。
615日本@名無史さん:2005/09/21(水) 20:18:44
>>604
>>613
それだと自分が貧乏でかつ軍隊の士気も低い大半の国を説明できない。
616日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:59:13
まったく死人に口無しとはよくいったもんだな。
戦後になってのうのうと生き延びた人間に好き勝手言われるんだから。
617日本@名無史さん:2005/09/22(木) 00:03:52
徴兵にしろ特攻にしろ百人いれば百の思いがあるだろうに・・・
何が何でも画一化して論評しないと気がすまないってのはアレだな(苦笑
618日本@名無史さん:2005/09/22(木) 11:14:50
>>607
大浦天主堂やグラバー邸のあるあたりは爆心地から3km以上離れていて、
さほど大きな被害は被っていない。
ただ、大浦天主堂ではステンドグラスが爆風で破壊されたそうで、
戦後に新たに取り寄せている。

被爆に関しては、当日長崎市内にいた住民はすべて被爆認定されている。
619日本@名無史さん:2005/09/22(木) 15:24:00
>>617
それがわかるほどの理解力あるなら
バカウヨなんかにならないってw
620日本@名無史さん:2005/09/22(木) 15:25:45
621日本@名無史さん:2005/09/22(木) 15:36:22
>>616
>>617
誰に対するレス?
622日本@名無史さん:2005/09/22(木) 18:03:24
鎌倉・室町時代とかって、当該政権が滅んでから何年ぐらい後に呼ばれるようになるの?
623591:2005/09/22(木) 18:43:19
>>591です。日本史板のレベルはこの程度だったんですね。ありがとうございました。
624日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:02:37
>>618
ということは大浦天主堂やグラバー邸は放射能にバッチリ汚染されてるってこと?
625日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:22:26
伊勢北畠氏の直系である公卿有馬氏が明治時代に華族にしてくれるように
政府に要望したら、華族どころか存在そのものをなかったように扱われて
有馬の家すら、久我氏に奪われたのはなんででしょうか?
明治時代から北畠親房を初めとして、忠臣の代名詞ように扱われている名門なのに…
626日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:27:31
細川幽斎が足利義晴の落胤であるという噂は、幽斎の存命中からあった話なんですか?
627日本@名無史さん:2005/09/22(木) 19:44:16
>>623
50年あれば2世代の教育ができます。
戦後60年でこの国がどのように変わったかを見れば
それほど不思議なことではないと思いますが。
628日本@名無史さん:2005/09/22(木) 20:07:04
>>625
有馬範顕の話ってどこまで本当なんだ。
東日流外三郡誌の印象か、津軽人が語る歴史ってのはそれだけで胡散臭い。
629日本@名無史さん:2005/09/23(金) 00:49:15
日本史Bを勉強するにあたって
詳説 日本史B 山川出版 がまずなきゃ駄目だってことを聞いて
本屋さんに行ってみたんですが
用語集とノート?と書き込み式教科書があったんですが、
これらの他に普通の教科書があるんでしょうか?
もう売ってないのかな・・・。
初歩的な質問ですみません、お願い致します。
630日本@名無史さん:2005/09/23(金) 01:10:21
>>621
残念ながら君につける薬はなさそうだなw
631日本@名無史さん:2005/09/23(金) 02:07:41
>629
普通の教科書は買い切り扱いだと思うから
本屋の店頭にはないんじゃないかな

本屋で注文するか、担任or講師にどうすれば入手できるか聞いてみては?

>621
自分に対するレスかなと思う人では無くて、自分では無いと考えている香具師に向けてなんじゃないのw
632日本@名無史さん:2005/09/23(金) 05:07:39
つける薬がないなら
手術すればいいじゃない
(マリー・アントワネット談)
633日本@名無史さん:2005/09/23(金) 06:54:03
>>630
いえいえあなたこそ。
634日本@名無史さん:2005/09/23(金) 09:05:43
講和を結んで大坂城の堀を埋めて後で滅ぼすという戦法は
秀吉が生前に大坂城で家康と宴会を開いていたときに「この大坂城を落とすには…」
と家康に座興で言ったことが、そのまま戦法に使われているというのは本当ですか?
635日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:00:50
山田長政は本当に実在したんですか?架空ですか?
636日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:02:10
本当には蛇足だな。
637日本@名無史さん:2005/09/23(金) 18:11:53
>>636
どっちでしょうか?
638佳世:2005/09/23(金) 18:37:04
大学受験生なんですが源氏物語の系図や内容教えて下さい☆
639日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:17:40
>>638
つまねえよ。
文学板逝け。
640日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:40:11
>>638
こんな頭の悪そうなメアドのヤツって実在するのか?
641日本@名無史さん:2005/09/23(金) 19:50:11
俺のメールアドレスはpennis@○○○だぜ
642日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:12:26
スレ立ての依頼はここでいいのかな?
↓の次スレお願いいたす

日本統治下の海外領土(朝鮮・台湾・南洋)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1125750946/
643日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:52:59
相撲の行司で指し違いで切腹した人はいるの?
644日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:55:20
切腹ーーーーーーーーーーーーーーーーー
645日本@名無史さん:2005/09/23(金) 21:56:19
日本史には全くの門外漢ですけれど、
御伺いしたき儀が之れあり。
すなわち、身分の高い人物には古来様々な特権がありました
(例えば、「越階」など)が、罪一等を減じるという特権
、つまり刑罰は下々に重く、高位の者に軽くはからうといった
特権のコトを謂う言葉は日本史上は何と申しましたでしょうか?
宜しく御願い致します。

646日本@名無史さん:2005/09/23(金) 22:21:01
>>643
この間指し違えたけど、腹は切らなかったよ。
647日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:18:31
>>645
議請減
648日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:44:34
647様
「議請減贖」というのでありましたなう。
まことに以て忝なう存ずる次第。
有り難う御座りまする。
649日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:03:51
京城帝大や台北帝大の現地人の入学割合に関する資料はありませんか?
650日本@名無史さん:2005/09/25(日) 15:28:30
伊能勘解由忠敬、大石内蔵助良雄なんかはその人物の名前を言う時、
「伊能勘解由」「大石内蔵助」と通称で呼ぶか、
「伊能忠敬」「大石良雄」と実名で呼ぶか何方がいいのですか。

あと、もう一ッ伺いたいんですが、坂本龍馬の龍馬は通称ですか、
実名ですか。通称なら実名を、実名なら通称を御教示下さい。
651日本@名無史さん:2005/09/25(日) 17:08:00
坂本龍馬直柔
652日本@名無史さん:2005/09/25(日) 17:34:18
>京城帝大

以前に見た総督府の史料では、
日本人が5〜6割
653日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:16:08
>>650
直陰のち直柔
654日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:12:42
>>651-653
御教示有難う御座います。
655日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:34:01
戦前の作曲家、松平頼則はやっぱり徳川松平氏の出身なんですか?
656日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:37:20
水戸の支藩じゃなかったっけ
657日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:22:05
柴香楽宮ってなんと読むのでしょうか?
658日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:31:54
戦前の作曲家って、つい最近まで生きてた気がするのだが。
659日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:33:02
>>657
たぬきの焼き物でおなじみの信楽。つまりシガラキノミヤ
660日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:10:30
>652
んなもんソースにすんなよw
661日本@名無史さん:2005/09/25(日) 23:15:38
>>660
じゃあ、お前がきちんとしたソースを出せ
662日本@名無しさん:2005/09/26(月) 02:18:41
>>650
どういう言い方が適切かを論ずるのはほとんど意味がない。
ご存知のようだが、昔の人は自称だけでも諱、字、雅号、源氏名、役名、
変名、幼名などなどあって、これに他称由来の渾名が加わる。
さらに当の本人も諱をコロコロコロコロかえる。
ちなみに龍馬は幼名だ。由来は知っているだろう?
http://www5.inforyoma.or.jp/~appli/monogatari/mametisiki.htm

一人の人間を文章で著すとき、こんなのに付き合ってはいられない。
書くほうも読むほうも大変だから。
だから便宜のため、文字通りの「慣例」が使われる。

具体的には後世の著作物、それも物語や小説系がベースになる。
旧くは『日本書紀』『平家物語』『太平記』、時代が下がって『忠臣蔵』
あるいは『龍馬が行く』などだね・・・

どんな人物でも物語が認識として定着する切っ掛けになるから、
後世の人もそれを用いて話をしたほうが都合がよいのさ。
だから「慣例」で呼ばれているもの自体が正しい呼び方だといえる。

ただ教育的要素が入ってくる将軍のような人物だと、学問の立場
からしても、通常は(一番よく使われていた)本名を用いる。
663日本@名無しさん:2005/09/26(月) 02:40:25
>>655
水戸の分家、つまり「御連枝」の人。常陸府中藩主家の直系。
系図に描くと

頼房┬頼重・・・
   ├光圀
   ├頼元─頼貞─6頼済┬7頼前
   │             └頼陽─8頼説─9頼縄─10頼策─頼孝─頼則─頼曉
   ├1頼隆─2頼如
   └頼泰─頼富─3頼明┬4頼永
                 └5頼幸

長男頼曉氏も著名な作曲家。もう七十を越えたがまだご存命だ。
http://shinya.hashimoto.free.fr/tuba/japon/composer.htm
664日本@名無史さん:2005/09/26(月) 19:13:39
江戸時代の領民の概念とは、君主の所有物に過ぎないんですか?
領民は領地を治めている君主の所有物であり、生殺与奪の権は君主に帰すると。
まあこんな感じだったんですか?
665日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:05:51
664がイメージしている国家も確かに存在するが・・・
欧州でも生殺与奪の権が君主に帰すると言い切れる君主は限定的。

ましてや無礼討ちすら現実にはなかなか行えないこの国ではねw
江戸時代の領民の概念とは生かさぬ様殺さぬ様ってとこじゃないの。
666日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:27:26
天領で一揆が起きた場合、鎮圧に必要な兵はどこから徴用されるんですか?
代官は軍事力を持っていないから、やっぱり周辺の藩に命じるんですか?
667日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:30:00
秋田佐竹氏・信州真田氏・奥州南部氏
↑なんでたびたび悪政によって一揆を乱発しているのに減封どころか
お叱りさせうけていないんですか?
668日本@名無史さん:2005/09/26(月) 22:10:46
>>664
んなわけねーです。
多少ヨイショしてしっかり働かせたほうが今も昔も効率的だし。
>>667
佐竹の久保田藩は名目の20万石も怪しくて、慢性的な財政難。
その状態自体が幕府にとっては外様大名に対する十二分な嫌がらせ。
おかげで戊辰戦争のときは明治政府に付いちゃいました。

真田の田村騒動はもう改易がほとんど無い18世紀に入ってからでしょ。
でもまあ、松平定信の子供を養子に迎えて老中になったりして必死だなって感じではある。

岩手って元々耕作に適さない土地で、正直誰もあんなところを治めたくないというか、
そのうえ蝦夷地管理の嫌がらせまで幕府は加えてんだし。
逆に幕府側が20万石格を与えて機嫌取りまでやってるし。
669日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:29:31
毛利討伐のために西国五カ国程の管理を任されていた秀吉と、
上杉への備えとして北陸の管理を任されていた勝家。

これらは主君から彼らの所有物として与えられたの?
それともただ単に管理を任された代官的なものとして?
「毛利(上杉)を潰したら、また別に国をやるよ」みたいな?
670日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:31:28
なんで仙台の支藩に過ぎない田村氏が、代々従四位下・右京太夫の
官位官職につけるんですか?
なにか特別な理由でもあるのでしょうか?
671日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:41:45
奏者番について譜代扱いになったからじゃない?
672日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:59:45
戦後の日本共産党のテロ史みたいなものはありませんか?
673日本@名無史さん:2005/09/27(火) 01:05:13
バテレンが首に付けてるヒダヒダした白い物は何ですか?
674日本@名無史さん:2005/09/27(火) 01:19:03
ウィキペディアはソースにならないと言われました。
どうしたらいいでしょう
675日本@名無史さん:2005/09/27(火) 02:19:27
個別にその内容を検討するという知恵が無い人間にはどんな知識も役に立たない。
676日本@名無史さん:2005/09/27(火) 07:19:24
蜂須賀家は大名になった戦国時代から昭和になるまで「成り上がり盗賊の子孫」
と諸大名・華族からバカにされていたって本当ですか?
677日本@名無史さん:2005/09/27(火) 09:40:10
>>676
明治時代に、当時の貴族だった蜂須賀さんが天皇と待ち合わせてた時タバコを拝借したら血は争えんな、と言われたらしい。天皇に。
http://nobitown.com/dom011214.html

っーか、山賊って太閤記のイメージ強すぎるんじゃないか?
普通にあの地域の領主だったわけだろ。
678日本@名無史さん:2005/09/27(火) 12:12:08
その話、そもそもどこまで本当かどうか。
そもそも蜂須賀は某絶倫将軍w に二十何男かを
養子を押し付けられた口だから、泥棒の血も糞もないのだが。
679日本@名無しさん:2005/09/27(火) 13:24:27
>>673
英語ではruff、訳して襞襟(ひだえり)。何の捻りも無いが(w
由来はレース編みなどの付け襟。16世紀から流行り始めた。
諸説あるようだがイタリア発祥らしい。

只のファッションだから形式が決まっていた訳ではなく、貴族達は
これでオシャレを競っていた。エリザベス1世の襞襟は肖像画で
お馴染みと思うが、特にデカイので「エリザベスカラー」と呼ばれた。

あまりにブームが過ぎたのと、真似られるのを嫌ったことで
エリザベス女王は1562年に贅沢禁止令(Sumptuary laws)を発令、
平民に対し、女王と同じファーチンゲール(張り型のスカート)とラフの
着用を禁止している。

こんなのも17〜18世紀にかけて廃れ、スチュワート朝のときは
現在とそう変わらない襟になっていった。

http://www.jp.getronics.com/today/spazio/spazio63/koyama2.html
http://kuni.milky-web.net/F2.html
http://www.graftons.jp/SOURCE/costume.htm
680日本@名無史さん:2005/09/27(火) 14:24:01
明治天皇のタバコをパクった蜂須賀の話ってよく聞くけど実話?
当時、恐れ多くも天皇陛下の持ち物を盗んだ挙句に「血は争えんな」といわれたら
切腹物の家名の恥だべ。
681日本@名無史さん:2005/09/27(火) 15:02:14
辻政信って今ではボロクソに言われてるけど、戦後議員にもなれたんでしょ?
当時は大衆に人気があったんですか?
682日本@名無史さん:2005/09/27(火) 16:37:48
>>680
うそくさいよね。
そもそもソースは何なんだ?

683日本@名無しさん:2005/09/27(火) 16:56:20
>>682
司馬遼太郎。
そうとうお気に入りの逸話だったようで、多数の著作に散見する。
---------
 あるとき明治帝と蜂須賀茂韶(侯爵。貴族院議長)が夜物語をしていたとき、
なにごとかあって、明治帝が中座された。残された茂韶がテーブルの上を
ふと見ると、珍しい煙草があった。茂韶はなにげなく三、四本煙草を手に取ると、
ポケットにしまい込んだ。
 座に戻られた明治帝はすぐさまそのことに気づいたが、この諧謔を解する
天皇はくすくすと笑い、「蜂須賀、先祖は争えぬのう」 と、最後は声をあげて
笑われたという。
---------
これが、煙草ではなく「宮中晩餐会で出された盃」になっていることもある。
はっきりいってよく判らん。
684日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:06:14
先祖…
685日本@名無しさん:2005/09/27(火) 17:08:13
>>678
22男。その絶倫将軍の孫が茂韶公。
当代の主正子(まさこ)さんはその孫。
686日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:14:51
要するに、司馬の釣りに見事、みんなが釣られてしまった訳かw
687673:2005/09/27(火) 17:17:38
>>679
ご丁寧にどうも。勉強になりますた。
688日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:24:19
 私は農学部の学生なのですが、今実習で渋柿を収穫して脱渋する実習の準備を
しています。その時、教官から「昔は、塩を用いて渋を抜く方法があった」と聞きました。
しかし、教官自身も、古老から口伝に聞いただけで詳細はわからないとの事でした。
 過去の農書・もしくは風習などで、詳細をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。
お手数ですが、ご教示願います。
689日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:38:03
柿の渋抜きは
湯に漬けたり火で炙る「加熱方式」、皮をむいて干す「干し柿」、
酒につける方式などがあるが、塩付けというのは知らないな。

世界史板の食文化スレが詳しいから、来て見るのがいいかもしれない。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1127693627/l50

では私から質問。
何故日本の左翼は、皇族の名をカタカナ書きにするのですか?
ニュー速のスレでたまたまカタカナ書きにしている人に聞いても、明確な答えが返ってこないんです。
「漢字で書きたくない」というので「じゃあ何故ひらがな書きしないのか?」と
聞いても逃げられてしまうし。
690日本@名無史さん:2005/09/27(火) 17:44:42
戊辰戦争の騒乱の中、薩長についた藩の藩主の官位が
平均一位ぐらいあがっている気がするのですがやっぱり、当座の恩賞として
与えられたのでしょうか?
691日本@名無史さん:2005/09/27(火) 18:34:16
>>688
違うかも知れませんが、下記のページで「塩柿」でページ内を検索すると、
触れられている。
ttp://www1.rcn.ne.jp/~yukio/kuchi/
>>689
最近はドライアイスで渋抜きするのもある。
692日本@名無しさん:2005/09/27(火) 18:37:51
>>686
ただこの野盗の末というのを茂韶公が気にしていたのは事実で、
歴史学者に依頼して、家祖の小六正勝は「木曾の川並衆」を
仕切っていた土豪・・・有態に言えば、本宮ひろしがライフワークに
しているタイプの「男」だったという説を導いた訳だ。
693日本@名無史さん:2005/09/27(火) 18:38:47
>何故日本の左翼は、皇族の名をカタカナ書きにするのですか?
伝統芸能は大切にすべきじゃないか。
694日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:20:24 0
「大日本史」の構成って、○○伝とかの紀伝体になっているのですが
やっぱり中国の歴史書の作り方を参考にしたんですか?
695日本@名無史さん:2005/09/27(火) 21:25:00 ID:0
もちのろん
696日本@名無史さん:2005/09/28(水) 12:29:10
日光東照宮に秀吉が祀られているのは何故?
697日本@名無史さん:2005/09/28(水) 17:29:58
>>692
明治天皇が野盗の子孫ネタで茂韶公をからかったからだろう。

ついでに首相の西園寺公望も西園寺家が琵琶を家業としているのに公望の琵琶が下手糞なのを知っていて、わざと雅楽寮の連中と一緒に琵琶を弾けと命令されたことがある。
698日本@名無史さん:2005/09/28(水) 18:43:31
699日本@名無史さん:2005/09/28(水) 21:04:33
江戸時代の貨幣って、幕府の金座・銀座などで作られた貨幣しか使っちゃ
いけなかったんですか?
大名による貨幣の私鋳とかは禁止されていたんですか?
700日本@名無しさん:2005/09/28(水) 22:00:04
>>694
水戸光圀が『史記』に衝撃を受けてウンタラカンタラ…で
『大日本史』編纂事業に乗り出したんだから当然かと。
701日本@名無史さん:2005/09/28(水) 22:04:12
男子皇族の諱が"○仁"とされるようになったのは、どのような経緯からでしょうか
702日本@名無史さん:2005/09/28(水) 22:09:17
>>683
司馬はそれをどっから引っ張り出してきたんだ?

>>701
仁の字が最初に入ったのは清和天皇。一般化したのは室町以降。
だけど、どういう理由かは知らないな・・・
703日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:12:30
>>699
金銀銅の貨幣についてはもちろん幕府が独占(一部例外蟻)。

ただし藩札は禁止と解禁を繰り返しつつあらゆる藩で発行されてた。
704日本@名無史さん:2005/09/29(木) 04:02:28
日光東照宮に秀吉が祀られているのは何故?
705日本@名無史さん:2005/09/29(木) 05:55:28
うちの家は浅野たくみのかみ(字がわからん)の弟の浅野だいがぐ(同じく)の直系の子孫なんですけど(家系図もあります)これって誇れる事なんですか?
たくみのかみは赤穂浪士の話で知ってるんですけどだいがぐがどんな人か知らないんで
706日本@名無史さん:2005/09/29(木) 06:34:01
浅野大学は内匠頭切腹後に浅野本家に預けられて、一生軟禁状態のまま
没したんじゃなかったの?
直系の子孫なら伝承とかないの?落胤・妾が腹に子を宿したまま逃亡した、等の
話が残っていたら十中八九眉唾
707日本@名無史さん:2005/09/29(木) 06:59:41
708日本@名無しさん:2005/09/29(木) 07:51:27
>>706
綱吉の死後赦免されて交代寄合にまでなっているぞ。
享保年間まで生きてる。
709日本@名無史さん:2005/09/29(木) 11:28:55
710日本@名無史さん:2005/09/29(木) 13:03:38
まあおめおめと生き残ったチキン大学の子孫なんて
自慢できるような話じゃないけどなフツー
711日本@名無しさん:2005/09/29(木) 13:17:27
おめおめってアンタ、大学に追い腹を切る理由はないし、
第一、自分が再興の主になる可能性が一番高いんだから
死ねば何よりも大石らが困るじゃないの。
712日本@名無史さん:2005/09/29(木) 14:39:17
>>706->>711
レスサンクスです。
勉強になりました、なんか微妙な位置関係なんですね
でも解ってよかったです
713日本@名無史さん:2005/09/29(木) 17:05:52
>>7121

>死ねば何よりも大石らが困るじゃないの。

大石達死んでるのに?
714日本@名無史さん:2005/09/29(木) 17:46:35
>>703
あれ?加賀や庄内や薩摩は私銭を領内で作ってなかったっけ?
ひょっとしてそれが一部の例外ってやつですか?
715日本@名無史さん:2005/09/29(木) 18:47:54
>>713
で、大学が腹を切る理由は?
716日本@名無史さん:2005/09/29(木) 19:00:01
密鋳も全国各地結構あるよ。というか銅銭全体の数割がそうだと言われている。
その代表格が薩摩。そのほか琉球貿易用にこれは許可とって作ってたし、
後は独自の改造をして流通させる場合もある。

まあ、どっちにしても古銭コレクターのほうが詳しい。
彼らの価値基準はワケワカランが。
717山野野衾:2005/09/29(木) 19:30:37
ゲイやホモは実在する。
それは誰も否定しない。
しかし、具体的に名前を挙げると、必ず必死に否定する奴が居る。
718日本@名無史さん:2005/09/29(木) 23:33:42
>>717
意味が違うからだよ
719日本@名無史さん:2005/09/30(金) 07:24:04
日蓮が土御門上皇のご落胤っていう説はどれくらいの信憑性があるんですか?
720日本@名無史さん:2005/09/30(金) 11:35:31
>>714
琉球通宝や加越能銭は幕府の許可を得ている。
ただし、実際はたいした鋳造量ではなかった。
その裏で大量の天保通宝を密鋳していたから。
そういう例は幕末ではいっぱいあるよ。

密鋳と言えば、南部藩領が宝庫
721日本@名無史さん:2005/09/30(金) 11:36:23
>>720に自己レス
もちろん、琉球通宝や加越能銭は領内通用に限定した形での
幕許ね。
722日本@名無史さん:2005/09/30(金) 13:14:49
武士は元服するまでは刀ささないの?

元服しても家を継がないと指さない?
723日本@名無史さん:2005/09/30(金) 13:20:27
>>719
ない
千葉の漁民の息子だろう
自分で言っている
724日本@名無史さん:2005/09/30(金) 14:29:28
>>721
交易していた島で「領内限定」なんて可能なのか?
725日本@名無史さん:2005/09/30(金) 14:35:44
子供はかわいい存在で当然のように大切に扱われる。しかし、昔はそうではなかったという。
子供がかわいい存在として扱われるようになったのは しかも明治時代と、ごく最近の出来事である。
なぜ?
726日本@名無史さん:2005/09/30(金) 14:38:25
>>724
あくまでも天保通宝の密鋳を行うための名目だからねえ。。。

薩摩藩は安政年間(斉彬の時代)に1回天保通宝の鋳造を
幕府に願い出て却下されている。
そこで、琉球国内の銭貨が不足し、困窮しているから、
「琉球国扶助のため」として願い出た結果許可されたわけだ。
727日本@名無史さん:2005/09/30(金) 18:00:58
>>723
言うでない、決して言うでないぞよ
728日本@名無史さん:2005/09/30(金) 18:28:07
天保通宝って鋳造すると利益があるの?
729日本@名無史さん:2005/09/30(金) 18:54:52
守護代って、何人も置いてもいいんですか?
○○国 上四郡 守護代とか
○○国 下○○郡三村 守護代とか
730日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:30:59
日本語ですが日本では昔から今の言葉を使っていたのでしょうか?
文章については当初は漢文でひらがなが追加と言うのは知っているのですが
喋りについてはどうだったのでしょうか?

731日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:45:06
>>728
銅山から土掘ってきて、それで銭作れば、
その銭で商人から物買えるんだぜ。美味しいに決まってるじゃん。

あと幕府が作った銅銭溶かして、鉄混ぜて2倍にしたら、
見た目は2倍の枚数の銭になるんだぜ。やっぱりボロい商売じゃん。
732日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:50:18
>>722
一人前の男としてのシンボル的な意味もあるからね。
あと、武士だけじゃなくその他の身分も刀は持ってたから。
藤木久志の新著『刀狩り』読むといいよ。

>>725
ルイス・フロイスの『日本史』の中で日本では子供可愛がってる、っての出てなかったっけ?
西洋の場合は労働力とかしか見てなかったそうだけど。アリエスの『子供の誕生』読んでみたら?

733日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:29:23
>>731
そんなことしたら領内にインフレ起こって
かえって困窮するだけじゃん
そこまで武士ってのは経済音痴だったとは思えんが
734日本@名無しさん:2005/09/30(金) 20:42:47
>>730
漢字が日本に伝わってきたとき日本語に漢字の音読が導入され
漢字の読みが日本の口語と融合するようになった歴史を考えると、
それは愚問ではないかと思えないこともないが、ただ話し言葉が
現在伝わっているものとそう変わりないものになったのは、江戸
時代中期。
735日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:03:10
>>733
対外的に使用するんじゃないの?
使う貨幣は全国一律でも、制度や物価や産業価値に到っては度が過ぎない限り
日本と外国ぐらいの違いがあるし。
EUの小国がユーロを偽造して対外的に使用するようなもん。(もっとも、当時は貨幣に
使われている材料自体で価値が決まっていたがね)
736日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:25:15
西郷隆盛は、青年の頃に風土病にかかってキンタマが人の頭ぐらいの
大きさだったというのは本当ですか?
737日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:26:29
大名が名前から漢字を受け継ぐときに上と下で、どちらが格式があるとかって、
あるのですか?上の名前を継ぐ家は名門とか?

織田信長→信忠、信雄、信孝

徳川家康→信康、秀康
738日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:39:14
>>733
インフレになれば、領内の商家からの実質的な借金額が減ってラッキー。
でも、もうお金を貸してくれなくなって自分の首を締めるという諸刃の剣。

施政者が論理的に正しい選択を選ぶとは限らないのが現実の政治ってもんでしょう。
それは昔も今も同じこと。
739日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:50:12
っていうか天保通宝って、額面は100文だったけど
実質的な価値は20文がいいとこだってんで、大混乱を招いたんじゃなかったっけ?
740日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:57:11
>>736
そんな風土病があるかどうか医学板で教えてもらえ。
741日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:21:12
西郷隆盛が象皮病だった説は昔からあるけど、
どこまでキンタマが大きかったかは知らん。
742日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:36:45
>>740
実際にあるよ。
目黒寄生虫館に患者の写真も展示されてる。
キャプションは1970年代の青森だったかな。
西郷隆盛がその病気だったかどうかは不明。
そのせいで馬に乗るのが辛かったとかいう話も聞いたことあるけど真偽は不明。
743水沢英介 ◆zqvHAXadqw :2005/10/01(土) 02:52:32
>>736
本当

>>737
家康の跡を襲ったのは、秀忠なんだが?
744日本@名無しさん:2005/10/01(土) 03:03:07
>>737
どちらかというと通字は上につけられるものだけれど、上につける通字だと格式がある・・・ということはない。
その家の慣習、当時の都合、あるいは系図上の都合などで決まる。

将軍様くらいになると誰に構わず諱をつけられはするが、臣下の場合はそうはいかんし、格上の同僚や
一門、あるいは近い直祖に同じ名前があったりするとどうだろう。(歴史屋にとっても面倒だ)
都合というのはそんな意味。

秀吉   「一法師殿は元服か。これがしが烏帽子親になろう。秀の字を与えて『信秀』となのるか」
一法師 「いや、家祖というべき曽祖父が『信秀』ですので恐れ多いです(系図に書くにも困る。
      『まるでオマイは信秀の生まれ変わりぢゃ』と云われて名付けられたなら断れないが)」
秀吉   「ならば逆にして『秀信』にするか」
一法師 「それならば」
秀吉   「そうしよう」

・・・なんていう話はなかっただろうが、名付ける上での前提ではあったはず。
漢字の名はこういうときに都合がいいのだ。

ただまぁ室町からは上から偏諱を賜るというのがよくあって、その場合は名前の上に偏諱、
下に通字というパターンが目立つかな。

例:伊逹輝宗=足利義輝の「輝」+通字の「宗」



745日本@名無しさん:2005/10/01(土) 03:25:14
>>744
漢字の名・・・というより、「漢字二文字の名」だね。
基本的に通字は系図のカラー付け格好付けであって、名は漢字自体の意味が重要。
順位は二の次。

古代中国では「伯」は基本的に嫡子につけるものだし、長男に「達」と付ければ
次男は「逵」・・・なんてプロトコールがある。また五行思想から、一族の世代
(主として兄弟)には同じヘンやツクリを用いる習慣もある。一文字名だと
こんな工夫をしないと格好を付けにくい。系図が見難くなる。

でも名に使える漢字はそう多いものじゃない。読めない漢字、書けない漢字、
縁起の悪い漢字、名前として無意味な漢字を使うわけにもいかないんで、
同じような名前がズラズラ連なってしまう。有力候補が近い世代にあると厄介。
そういうときにフラっと逆にしてしまうと。
746日本@名無史さん:2005/10/01(土) 07:14:21
徳川家の通名ってないの?
家だの慶だのは多いけど…
747日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:07:30
日本はどうして列強の植民地にならなかったのか?
748日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:36:25
>>747
朝鮮半島と違って、偉大なる列島だから
749日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:39:13
帝国主義国の一つになって植民地を持つ側になったから
750日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:57:37
女真族が雑魚だから。
751日本@名無史さん:2005/10/01(土) 16:38:08
>>750
いや、女真族は強いだろ。漢民族よりは・・・
752日本@名無史さん:2005/10/01(土) 16:57:00
大名としての柳生家はその後どうなったんですか?
秀忠の時代に大目付に昇格した宗矩は、旗本であって大名ではないですよね?
大名としての柳生は石舟斎で終わり?
753日本@名無史さん:2005/10/01(土) 17:13:50
十兵衛の代に兄弟で領地を分けたので旗本になってるけど、
十兵衛には後継ぎがいなかったので、
それを合併して大名として幕末まで続いている。
まあ、養子ばっかりだけど。
754日本@名無史さん:2005/10/01(土) 17:18:38
宗矩から大名になったんじゃね?
755日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:25:53
上のほうのレスで、言葉が現代と変わらなくなったのは江戸時代中期から
って書いてあったんですが、それ以前はまったく違う日本語だったんですか?
756日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:27:36
>十兵衛には後継ぎがいなかったので、
>それを合併して大名として幕末まで続いている。
十兵衛の弟宗冬は4000石の旗本だったが
慶安3年兄の死によって8300石の遺領を継ぎ
寛文8年1700石を加増されて、大名になっている。
したがって「合併して」というのは間違い。
757日本@名無しさん:2005/10/01(土) 20:02:25
>>755
まずその「違う」中身をあなたがどういう想定をして質問しているのかを回答者が把握するのは
非常に難しい事を、あなたは理解して欲しい。発音、使用頻度の高いいわゆる基礎単語、個々
の単語の概念、文法、慣例文・・・違うといってもいろいろ。きりがない。

で、あなたは「現在日本人はどのくらい昔の日本人となら会話になるか?」の問いと私は考えた。
ならば「江戸時代中期以降」という回答になると思ったからあのように書いた。それだけだ。

この板ではこういうところ(↓)もあるが、本気で知りたかったら言語板へ行ってくれ。

昔の武士の言葉使い
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1015563826/
758701:2005/10/01(土) 20:07:23
>>702
レス有難うございました。

>>744-745
皇室においても、そういう類の命名の形式があるのでしょうね。
ところで、通字を用いた命名が一般化したのは、大体いつ頃からのことでしょうか。
また、室町以前は、「○明」「○良」「○成」などといった名前の男子皇族も比較的
多く見られますが、これらも通字を用いて命名された事例と言えるのでしょうか。
759日本@名無しさん:2005/10/01(土) 20:37:51
>>758
平安時代中頃から。
奈良から平安時代初期の、○彦や○麻呂のような、古来の日本人名の当て字から
中国の字(二文字名)形式が普及して少し経ってから・・・というべきか。
ここからさきは源平藤橘の系図を比較して考えてみたほうが判りやすいのではと思う。

ここ(↓)では嵯峨天皇が中国風を好み、六朝時代に定着した二字名を導入して
からだろうと言っている。
http://www.gifu-u.ac.jp/~satopy/ronnanori.htm
760日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:00:30
>>757
では、現代日本語と江戸時代以前の日本語は
今で言うと日本語と朝鮮語ぐらいの違いがあるのでしょうか?
761日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:00:44
>>756
わかりにくいけど兄の遺領継いだ時にもともと宗冬が持ってた領地を返上して8300石の旗本
その後1700石を加増されて1万石に届いて大名になったってこと?
762701:2005/10/01(土) 21:18:53
>>759
分かりました。まずは、リンク先の参考文献等に当たってみます。
質問の連投にも関わらず回答していただき、有難うございました。
763日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:05:49
>>761
そういうことです。
764日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:10:24
>>760
義太夫節、特に語りの部分は、現代日本人に全く理解できないことはないだろう。
だから朝鮮語と較べたら、はるかに差は小さい。
765日本@名無史さん:2005/10/02(日) 09:57:43
>>764
ちょっといいかな。
比較が安易だぞ。
文法上の変化はさほどないものの
単語が互いに通じなくなっているものはかなりある。
特にカタカナ語なんて過去の人間にはワケワカメだろう。
「はるかに」小さいかといえばそれは疑問だ。
766日本@名無史さん:2005/10/02(日) 10:10:09
2X52 埼玉県が「彩の国」として日本から独立。将軍は土屋義彦。以後世襲制に。都は浦和、市場は大宮。
2X57 川口の荒川河川敷に港建設。飯能、日高、毛呂山、越生一体を潰し大農園地帯に。食料自給率が2倍に。
2X58 秩父から大量の貨幣出土。流通貨幣が和同開珎となる。
2X59 埼玉県警察が「彩の国奉公衆」として軍に変わる。通常装備:刀、ニューナンブ。
2X63 栃木に侵攻。 
2X70 茨城、千葉侵攻、制圧。植民地に。
2X73 秩父郡の”森の民”が武装蜂起。火付け盗賊改所ジョージが鎮圧。
2X74 第2次東京征討。征都大将軍にインパルス板倉任命。
2X76 奥多摩、あきる野、八王子制圧。
2X82 埼玉西部の農民と川越藩が結託。狭山藩、入間藩、所沢藩が加盟。埼玉西南列藩同盟が結ばれる。
2X89 第2次東京征討。23区まで侵攻するも苦戦。
2X90 埼玉西南列藩同盟各藩が幕府に対し武装蜂起。乗じて熊谷藩、東松山藩も一揆を結ぶ。
2X91 浦和城、無血開城。国政復古の大号令が発令される
2X92 同盟各藩は政権を日本政府に受託。「埼玉40年戦争」終結。
767水沢英介 ◆zqvHAXadqw :2005/10/02(日) 11:11:38
>>766
はいはい、つまらぬつまらぬ
768日本@名無史さん:2005/10/02(日) 11:14:59
上杉謙信の死体は、埋められること無く米沢城の安置室に明治時代まで
棺桶に入れられて祭られていたって話を聞いたことがあるんですが本当ですか?
769日本@名無史さん:2005/10/02(日) 11:48:52
平安時代の書物は古語辞典ないとわけわかんないからな。
江戸時代のはもう今のと変わらずに普通に読めるし
770日本@名無史さん:2005/10/02(日) 21:16:52
江戸時代の都市部の言葉と
今の津軽弁はどっちが理解できるんだろ。
なんか前者のような気がする・・・
771日本@名無史さん:2005/10/02(日) 21:45:52
足利家の本流は喜連川家しかないのですか?

義昭以後は途絶えたんですか?
772日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:02:19
>>770
今の、ならアクセントやイントネーションが違うだけのがほとんどだ。
年寄りは別だがこれはどこも同じ。
773日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:02:54
義昭には子供が二人いたという話が残っているけど、都市伝説の類に近いからなー
一人は薩摩・一人は会津に永山・坂本という姓に変えて現代に到るという話を聞いたことがあるけど
姓を変えるという時点で眉唾くさいし、仮に本当であっても姓を変えた時点で足利家の人間としては
認められないでしょう。


平島公方の末裔は足利を名乗って蜂須賀に捨扶持同然で養われていたらしいが、
江戸後期に京都に出奔した後は行方知れずになっているけど…
774日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:38:24
大和民族ってモンゴル系ですか?
775日本@名無史さん:2005/10/02(日) 23:45:47
秀吉のころの内大臣やら右大臣の横取りで、朝廷のほうは空位だったのですか?

徳川期には名目だけだったとしても。
776日本@名無史さん:2005/10/03(月) 04:45:54
土曜にやってたクレヨンしんちゃんに出てきた、武蔵の国春日の“いじりまたべえよしとし”(平仮名でごめんなさい)って実在した人物なんですか??戦いの時は“鬼いじり”って呼ばれてたんですけど…。
777日本@名無しさん:2005/10/03(月) 05:14:25
>>776
井尻又兵衛由俊ね。これ自体は架空の人物。
ただ、「春日」に「又兵衛」といったら、播磨春日山城の地侍の出だった
豪傑「後藤又兵衛」基次を思いおこさせるな。
778日本@名無史さん:2005/10/03(月) 05:52:16
レスありがとうございます☆井尻又兵衛由俊は実在しないんですかぁ↓ぢゃあその又兵衛さんをパクったのかもしんないですね!勉強になりました(´∀`*)
779日本@名無しさん:2005/10/03(月) 07:15:05
>>770
現代人にとって圧倒的に判り易いのは、江戸時代の都市部の言葉でしょう。
それも風俗系の言葉。元々参勤交代によって諸国の藩士が吉原通いをして
から拡がりはじめ、江戸末期以降の住民流動、そしてマスコミによって
完全に一般化したので。マスコミ自体が芸能のうちですから、当然なのですが。
780日本@名無史さん:2005/10/03(月) 07:17:12
>>775
江戸時代は武家諸法度に「武家の官位・官職は令外のものとする」
というような意味の条があったけど、秀吉時代はない。
従って前田大納言・宇喜多中納言・上杉中納言・徳川内大臣・徳川大納言
などは全て朝廷の規定の人数に含まれる。
軍事力を持たない公家にとって特権だった高位官職までも武家に奪われたので
秀吉政権下の公家はそりゃ惨めな暮らしだったそうだ。
781日本@名無しさん:2005/10/03(月) 08:18:19
>>737
通字の慣例に拘りがあるようなので、もう少し話そうか?
要点を纏めると

○ 通字は皇家公家よりも武家のほうで熱心に用いられた。
   闘争で家勢が二転三転するものだった公家よりも後発の家系であり、
   また武芸家伝の道統に拘る傾向が強かった為と推定。こういうところ
   からも「武士の芸人由来説」って納得しやすいね。

○  割と早くから、一つの家で二つくらいの通字を持つようになった。
   清和源氏なら「頼」と「義」だね。一つだけだと命名の制約が大きいし。
782日本@名無しさん:2005/10/03(月) 08:21:25
○  で、二つの通字は、親が自分の名を二つに分けて与えるところに
    起源が多い。例えば

    義道┬義○─義△・・・
       └道×─道□・・・

    のように。

○  このパターンだと、大体伝統的な通字を与えるのは嫡子(正妻の子)で
   もう一方の字は庶子(側室の子)に与える場合が多い。嫡子は自分の家を
   継がせる前提があるけれど、庶子はそうとは限らないし、分家を継がせる
   前提だとそっちの通字を使うこともある。

○ ただ「宗」のようにその字自体に意味のある物は別。「宗家」のように、
  「宗」自体が正統を意味する字だから、庶子には普通つけない。
  庶子でも家を継がせる前提で烏帽子を与えたり、「吉宗」のように自分が
  正統後継者になってしまったら、それを示す意味でつけたりはするが。

783日本@名無しさん:2005/10/03(月) 08:36:34
○ でも偏諱だったら自分の子に勝手に与えるわけにはいかないよね。
   主と君は代ごとで仕えるものだし、偏諱は二人の契約の証しなのだから。

○ 通字は上につけるものはずっと上に、下につけるものはずっと下につけていく。
  当然例外はある。特に名を分けて創始した通字だと「親は上につけてたけど
  始祖は下じゃないか。ならばオレも下でいい。そっちのほうが治まりがつく」
  とか何とか。

○ >>744-745でもブツクサいったけれど、結局は親が系図とニラメッコしながらアレコレ考え、
  あるいは自分の都合で名をつけ通字を使いこなすものだから、規定と言えるほどの
  強固な慣例ではない。あくまで参考にする程度でしかないもの。

イジョ。
これは系図を片っ端から読んで書いて考えた経験からの話で学説ではないよ。
専門でもないので、学説になっているかどうかも知らない。

そうそう、織田信長家の正統、柏原藩主家の当主信孝さんには男の子がいるそうだけれど、
聞いた話、通字の「信」を与えず親類縁者からカナーリクレームがきたそうだ。
本当かどうかは判らないが。
784日本@名無史さん:2005/10/03(月) 08:47:51
>>783
系図読んでると突然まったく関係ない名前の奴出てきたりするけど、ああいうのってやっぱり養子とか理由があるのかな?
785日本@名無しさん:2005/10/03(月) 09:03:57
>>784
武士大名らは自分で名をコロコロコロコロ変えるもの。
それも大名になったとか、他家に行ったとか、病気から回復したとか、
の「新生した自分」を内外に示す為にやる。戦国時代ならスパイを
混乱させる為でもあったが。

でも系図に出てくる名は、普通一番知られた名が記される。
大抵は、一番長く使い、書簡や公文書で一番良く出てくるもの。

だから初名で通字が使われていたとしても、系図上だと全然関連を
見出せない名だったりすることもあるわけだ。
786日本@名無しさん:2005/10/03(月) 09:10:45
>>784
養子入りすると全然関連のない名前で連なるケースは多いよね。
末期養子のようなピンチヒッター系は特に。
787日本@名無史さん:2005/10/03(月) 09:22:21
関東公方・鎌倉公方って後世の用語、若しくは通称や俗語ですよね?
公文書等で鎌倉公方の事を記す際には、どういう呼び方をするんですか?
御所さま?基氏以来の官位である左衛門督様とか?
788787:2005/10/03(月) 09:25:05
左衛門督じゃなくて、左兵衛督でした。
789日本@名無史さん:2005/10/03(月) 10:39:36
阿武山古墳の石棺って戦前に発見されてから、いまだに調査されていないんですか?
790日本@名無史さん:2005/10/03(月) 11:06:28
江戸弁も難しいけどね。
791日本@名無史さん:2005/10/03(月) 11:48:23
戦国時代の人が喋ると現代ではどれぐらい通用するのですか?
まったく通用しないとか
今の人が聞くと外国語に聞こえるとか?
792日本@名無史さん:2005/10/03(月) 17:14:53
>>789
確か阿武山古墳自体の再調査はされてないはず

『藤原鎌足』(思索社)という本に載っている梅原猛氏の談によると
阿武山古墳のある場所が私有地で、地主が再発掘に応じない
のが理由らしい。
793日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:29:02
>>792
所有者は大阪学院大学のはず。
http://www2.opas.gr.jp/ibaraki/57/570/570b/s5703201.htm
794日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:53:57
また大阪か!!
795日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:17:54
>>794
大阪の土地を大阪の大学が所有していて何の不思議もなかろう
796日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:40:15
鎌足の墓で、被葬者は鎌足本人って確定してるんでしょ?
なんで調査しないかなー?
古代日本史の謎が分かるかもしれないのに…
797日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:51:26
>>795
そのことを言ってるんじゃないんだよ。
研究機関たるべき大学が所有しているくせに、一切その研究をしていない。
それがムカツクんだよ。
798日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:52:23
>>796
墓誌が出ないと確定とは言えませんよ。
戦前、地震研の拡張工事で調査したときに
何だか字が彫られた石をこっそり持ちだした奴がいるという噂が地元にはあると
ある考古学者から聞いたことがある。
酔っぱらって所長だか何だかエライさんを殴って
埋文研理事を辞めさせられたって人だから
どこまで確かな話だか保証の限りではないが。
799日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:54:39
>一切その研究をしていない
あの大学に考古はないし、そもそも文学部もないから、土台無理。
800日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:55:09
なんで徳川家定の正室は島津出身なんですか?
歴代将軍の正室を見ると、宮家や五摂家出身の人が多いのに・・・
801日本@名無史さん:2005/10/03(月) 20:01:04
当然政治的な目的。斉彬も含む一橋派の策略だわな。
802日本@名無史さん:2005/10/03(月) 20:22:14
そーいや幕末って、なんで急に世継ぎ騒動で外様が口を出すようになったんだろうね?
江戸前期・中期なら「外様の分際で生意気な!」って老中に言われて、減封・改易になる気がするのに…
っていうか何で幕末って、譜代が衰退して外様が台頭したんだっけ?
803日本@名無史さん:2005/10/03(月) 20:39:43
佐藤姓が多いのはなんでですか?
804日本@名無史さん:2005/10/03(月) 20:43:22
>>799
そんなこと関係ないし。
805日本@名無史さん:2005/10/03(月) 21:10:11
西国を中心にした商品作物による農業近代化の成功、
薩摩も琉球経由の密貿易、密鋳なんかで太ったことで、
経済力のバランスが崩れたということだろう。

>江戸前期・中期なら「外様の分際で生意気な!」って老中に言われて、減封・改易になる
外様の大藩がそうして潰されたのは会津の加藤の処分くらいまでだから、江戸中期は入らない。
そもそもそんなことするのには圧倒的な軍事力が必要、
そして軍事力とは経済力によって生みだされるもの。単純な話だ。
806日本@名無史さん:2005/10/03(月) 21:33:07
>>803
佐藤とか高橋って明確な出自ってわかってたっけ?
佐藤とか加藤みたいに藤ついてるのはみんな藤原家の出だそうだから。まぁ、多いんだろうね。

詳しい人バトンタッチ
807日本@名無史さん:2005/10/03(月) 22:08:50
萩藩って江戸後期辺りで経済を振興させるような政策してたっけ?
外様の突出の原因が>>805の言う通りなら長州でも強固な経済基盤があったはず…
808日本@名無史さん:2005/10/03(月) 22:15:48
>>807
越荷方ってのは、高校の教科書にも載ってたと思うが。
809日本@名無史さん:2005/10/03(月) 23:33:16
>>800
その前に11代子沢山将軍も正室は島津出身
この時、さすがに外様大名から将軍御台所を出すというのには反対が大きかったが
・子沢山将軍が世子に決まる前に既に婚約が決まっていたこと
・婚約は綱吉養女・島津継豊継室だった竹姫が強く要望していたこと
から幕府側が押し切られてしまった。
一応近衛家に形式的に養女に出されて「摂関家の娘」という形を取ってから
輿入れしているというのは天樟院篤姫と全く一緒。
810日本@名無史さん:2005/10/04(火) 00:00:33
>>807
天保の改革。村田清風で有名。その弟子が周布政之助。
開拓や産業振興(塩、紙、櫨蝋が長州の三白で有名)で得た利益は別会計で蓄えた。
幕末の活動の資金はこれから出たと言われている。
811日本@名無史さん:2005/10/04(火) 01:10:05
>>799
調査を拒否する言い訳にはならん
812日本@名無史さん:2005/10/04(火) 02:30:33
>810
簡単に言えば搾取ってことだな
813日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:37:47
有力外様の奇跡的な出現、政権の准最高権力者が平士に暗殺される(譜代の最後)
外国船の入港によるナショナリズムの高揚、あっさりと政権を放棄したことによる
平和裏の主権委譲(戊辰でひと悶着あったが)

ほとんど奇跡に等しい偶然の重なりで明治維新は生まれてきたわけだな。
これらがなきゃ江戸時代ってまだ続いてる希ガス。
なんだかんだ言っても、江戸時代の制度ってよくできてるし…
814日本@名無史さん:2005/10/04(火) 09:44:29
外国人、若しくは在日ではないプロ市民が日の丸を掲げるを嫌がるのは何故?
というか何で日本の左翼は自国の利益になる左翼思想をしないんですか?
815日本@名無史さん:2005/10/04(火) 10:20:00
信長上洛以前の公家で、関白などの座を巡る争いってどうやって
決着をつけてたんですか?将軍に裁定できるほどの権力があったとは思えないし
大内・細川・三好などが介入した話もあまり聞かないのですが・・・
816日本@名無しさん:2005/10/04(火) 11:20:07
>>814
1932年にコミンテルンが発した『日本の情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ』、
通称『32年テーゼ』が生きていたからという説が有力。それ以前のテーゼでも
(日本)国家解体の話はあったけれど。これで具体的に天皇制打倒が掲げられている。

日本共産党においてこれが事実上廃されるのは、2004年のこと。
817日本@名無史さん:2005/10/04(火) 12:35:00
天皇制を否定(今は違うけど)して共産国家樹立を目指しているのが日本人左翼で
天皇制を否定かつ、特定アジアへの謝罪と賠償を叫んでいるのが外国・在日系左翼って事かな?

こうラインを引くと、日本共産党の憲法9条についての扱いに疑問を覚える。
共産主義の肯定が軍事力の否定というわけでないはずなのに、日本共産党は軍事を
否定している…なぜ?
日本共産党には、日本人党員と特定アジア系党員の派閥があってそれらの
妥協点が憲法9条なのかな?
818日本@名無史さん:2005/10/04(火) 14:28:27
阪神工業地帯とか阪神タイガースとか阪神道路公団の「阪神」っていう語が
歴史上初めて登場したのはいつの事ですか?   
819日本@名無史さん:2005/10/04(火) 15:33:11
>>817
ツベコベ垂れずに立花隆の「日本共産党の研究」でも読みなさい。もはや古典だが。

日本の左翼は右翼との戦いではなく、
右翼の顔をした国家社会主義との戦いをまず余儀なくされたわけで。
その時点で奇形にならざるをえないというか、日本では右も左も奇形だったってことだ。
820日本@名無史さん:2005/10/04(火) 15:36:37
江戸時代に後継ぎがいないと断絶されますが
養子じゃ駄目なんですか?
821日本@名無史さん:2005/10/04(火) 16:05:37
幕府の許可を得れば可能
822日本@名無しさん:2005/10/04(火) 16:23:38
>>820
藩主が危篤に陥ってから急遽養子を取ることがあった。これを「末期養子」という。
初め、江戸幕府は大名を取り潰したかった為に末期養子を厳しく禁止していた。
しかしその為に浪人は次第に増加、社会の危険分子にまでなっていった。

「由比小雪事件」の後、この問題が論ぜられ、養子に関しての規則が
緩和された。以後、無嗣断絶はなくなっていく。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/t-shinya/yowa95.html
823日本@名無史さん:2005/10/04(火) 16:43:01
幕末の毛利敬親、島津久光に徳川家康の血は流れているんですか?
824日本@名無史さん:2005/10/04(火) 17:14:08
室町時代、複数の国の守護を任されていた守護大名は都に常駐し
一カ国だけの守護はそのまま現地にいたんですか?
っていうか守護大名って本来都に常駐していないといけないんですか?
守護代は土着勢力だからずぅっと国にいるけどさ
825日本@名無史さん:2005/10/04(火) 18:20:47
治安維持法が制定された時、反対集会が開かれたそうですが、そのときに人々が反対の意思を示すために身につけていたグッズなどはあったのでしょうか?
826日本@名無史さん:2005/10/04(火) 18:38:30
>>824
守護大名といっても、片田舎から近畿周辺まで色々なのだが。
江戸時代のように支配権が確立してない時代なんだから、
普段は領国にいて、あるときは国人だったり、一族だったり、坊さんだったりと、
小競り合いしたりすんのに普通に忙しい。
支配の権威付けのためにも、中央政権の権力を狙って京都にいると、
今度は一族の人間や守護代に奪われたりする諸刃の剣。
827日本@名無史さん:2005/10/04(火) 19:52:27
>>823
つ ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1082980532/
と思ったが、どうもスレが終わりそうなので分かるところだけこちらで回答

島津久光には徳川直系の血は流れてない。
父・島津斉興の7代前の藩主・島津綱貴の母は伊予松山藩・松平定頼の娘なので
傍系ではかすかに流れているか、と言う所。

毛利敬親は分からない。
828日本@名無史さん:2005/10/04(火) 20:24:20
>>825
反対集会ったって一部のサヨどもが集まっただけだから
目印つけるまでもなくみんな顔見知り

当時の日本社会の一般的な風潮は「アカは死ね」なんで
治安維持法も無問題。
濫用されるのは東條内閣後期になってから。
829日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:02:09
幕末の時点で家康の血がまったく流れていない家ってあるのか?
譜代はもちろん、蜂須賀・上杉・鍋島・池田・浅野・伊達・前田は全部
入ってるし…
池田・蜂須賀にいたっては家康どころか、将軍様のお子を押し付けられてるし…
830日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:09:48
秀忠の血統は全滅、最後に笑ったのは頼宣か。
因果だねぇ……
831日本@名無しさん:2005/10/04(火) 21:17:48
あと結城秀康の子孫たちね。いつの間にやら大発展してる。
832日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:26:30
日本ってなんで太平洋戦争をしたの?
なんで日韓併合したり満州国作ったの?
日本ってアジアにひどいことをしたの?
833日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:27:25
さて、いつまで耐えれるかな?
834日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:32:39
侵略して正直スマンかった
835日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:56:54
>>832
太平洋戦争ってのは対アメリカ戦のことだよな?
それはアメリカが日本への石油の輸出を禁じたから、もうにっちもさっちもいかなくなって。

韓国、満州、アジアについちゃもっと詳しい人がいるだろうから・・・
836日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:28:22
>>832
太平洋戦争ってのは対和蘭戦のことだよな?
それは和蘭領に日本が欲しかった石油があったから、
そこは和蘭が空前絶後の悪政植民地支配を行っていたところでもあるしね。

韓国、満州についちゃもっと詳しい人がいるだろうから・・・
837日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:33:25
大陸に関しては対ソ連への防衛。
838日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:56:16
>>837
日露戦争で勝てたんだから怖くないじゃんソ連なんて。
っていうか半島だけで十分じゃないの?
839日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:09:54
日本列島防衛のために朝鮮半島を獲得
朝鮮半島防衛のために…

戦略が無いから終わりがない
840日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:34:25
そーいや俗本に、太平洋戦争の開戦を決意したのは
黒船最強伝説を江戸生まれの親から嫌というほど聞かされて、海軍の力が国力の力だと
昭和になってもまだ信じてた老骨が軍部内に沢山いて、不沈軍艦を多数擁する
日本は絶対に負けることはないというのが、軍事面のきっかけだったと書いてあったけど
本当だろうか?
まぁネタ本に近いから信じてないけどさぁ・・・
841日本@名無史さん:2005/10/05(水) 00:20:20
昭和初期なら海軍の力は国力を反映しているという考え方は普通だが
黒船最強伝説というのは初見

まぁレス自体ネタなんだろうけどさぁ・・・
842日本@名無史さん:2005/10/05(水) 00:49:07
とりあえず軍神東郷平八郎が日露戦争後は日本の癌になったことは間違いない。
あの人ボケたんじゃなかろうか?
843日本@名無史さん:2005/10/05(水) 01:04:34
あえて擁護すると、東郷の周囲には当然だが古株が多く、その意見を支持する形になってしまった。
あと、真面目な性格が災いして、お飾りに近い元帥の地位がフルに動いてしまった…みたい。
844日本@名無史さん:2005/10/05(水) 02:10:21
ヤマトタケルの衣装を見るとズボンを履いてるようですが
縄文文化は中国文化を取り入れた飛鳥以降より西洋的な感じなんですか?
845日本@名無史さん:2005/10/05(水) 02:14:28
冗談でいってるんだよな?まさか本気じゃないよな?
846日本@名無史さん:2005/10/05(水) 03:14:41
裸足のゲンにさ
君が代は天皇を敬う歌だから、こんなもの歌えねえよ!
みたいな場面があったと思うんだけどさ

実際あの時代の人は昭和天皇の事どう思ってたのかね?
やっぱ戦争を起こした悪人とか思われてたんかな?


ちなみに実家の仏壇には昭和天皇の写真も飾られてます
847日本@名無史さん:2005/10/05(水) 04:02:32
右からアナーキストまで人それぞれ。当たり前だ。
848日本@名無史さん:2005/10/05(水) 06:16:53
実際に終戦直後の情勢を調べてみれば?
849日本@名無史さん:2005/10/05(水) 10:48:51
なんで幕府は伊達政宗の次男に十万石も与えたのですか?
破格過ぎる待遇だと思うんですが…
850日本@名無史さん:2005/10/05(水) 11:24:18
>>846
メーデーだかデモだかで
「ナンヂシンミンウエテシネ、チンハタラフククットルゾ」
と言うプラカードが出てましたよ。
851日本@名無史さん:2005/10/05(水) 13:32:39
>>849
伊予宇和島藩の伊達秀宗か?
あれは長男だ
御家騒動にならないよう厄介払いしたんじゃないかな
852日本@名無史さん:2005/10/05(水) 14:01:24
出雲・但馬伊達氏と駿河伊達氏に興味があります。
出雲国と但馬国、駿河国のどのあたりを領有してたのか(特に出雲国)
あと、それぞれの伊達氏は戦国期どういう動きをしてたのか教えてください。
853日本@名無史さん:2005/10/05(水) 14:58:17
>>851
あれそうだっけ?
幕府としてはお家騒動起こしてくれた方が改易のいい口実になると
思うんだけど…
確か大坂の陣で大軍を率いてやってきた政宗に戦後、「長男に西国の大名を監視させよ」
という名目で軍勢の半分を伊予に駐屯させてたら、そのまま藩になっちゃいましたっていう
流れじゃなかったか?もちろん、軍事力による謀反を恐れた家康が軍勢を半分にわけて
奥州に返したってのが本音だけど
854日本@名無史さん:2005/10/05(水) 15:09:58
江戸大名のうち、三位以上の官職(大納言・中納言・大将以下の近衛将官)
を持つ大名が権官なのは、武家諸法度に「武家官位は令外の官」と書いてあるからそうなって
いるのでしょうか?
元々定員外の意味である権官が、江戸では転じて名誉職みたいな扱いになっていたということですか?
855日本@名無しさん:2005/10/05(水) 16:02:32
>>849
例の「伊逹を百万石にする」という約束の都合つけだという説あり。
ガイシュツだが、次男ではなく庶長子。

宇和島は前任者が秕政を敷いていて厄介な事になっていたが、
もし抑えきれなかったら伊逹本家に責任を取らせる、一種の
トラップにもなったろう。
856日本@名無史さん:2005/10/05(水) 17:26:50
>伊逹を百万石にする
どこかの小説家の創作だと思ってた
857日本@名無しさん:2005/10/05(水) 18:37:31
>>856
オリジナルの『徳川家康領知覚書』
( ´ω`)つ http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/shuu08a.html
858日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:58:59
秀吉の人質として長い間大阪にいて、豊臣色の強い秀宗に伊達本家を継がれることを畏れて、
徳川家の為に戦った功として秀宗に宇和島を与えられたんでしょ?
859日本@名無史さん:2005/10/05(水) 19:13:43
>>846
確か戦後に数回天皇に対する親近感調べてるデータがあったな。
詳しくは覚えてないけど、やっぱり都会より田舎の方が好きって人多かったな。
特に鹿児島とか九州は好きな人多かった、確か。

まぁ、戦時中のパーセンテージはないと思うけど戦後の調査ならたぶんあるよ。
860日本@名無史さん:2005/10/05(水) 19:34:16
>>854
つーか南北朝の頃からその辺は殆ど権官しかいない
861日本@名無史さん:2005/10/05(水) 20:08:58
靖国関連でよく出てくる「英霊」という言葉、これは一体いつ頃から使われ出したもの
なのでしょうか。
初出の文献などは判明しているのでしょうか。
862日本@名無史さん:2005/10/05(水) 20:54:36
>>860
なんで?
863日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:12:10
徳川家が上総国の鷹狩を止めた理由って?
知ってる人いますでしょうか?
調べた限りでは、御成り回数が地域に残ってる記録(船橋宿の東西でも違った)と徳川実記のもので
食い違いがありました。何故なんだろう?
864日本@名無史さん:2005/10/05(水) 21:57:09
>>861
ちゃちゃと検索したらこんなんでました〜。

ttp://www.asahi-net.or.jp/~UW8Y-KYM/burari24_sannotorii.html
865日本@名無史さん:2005/10/05(水) 22:46:25
前九年の役、後三年の役ってありますよね。
それが、高校の教科書で前九年合戦、後三年合戦ってなってるんですよ。
役ってたしか外国との戦いで使う言葉であったような。当時京から見たら、出羽、陸奥
なんて外国、(それに俘囚の長の阿部氏が関わってたりする)なので、合戦より役のほうが良いのではとおもいつつ、
わけのわからんちんが難癖つけて合戦にせざるを得なかったのかなと思ってます。
また役のほかに乱(ex.応仁の乱)、変(ex.本能寺の変)もありますが、どのように使い分ければよいのでしょうか?
866日本@名無史さん:2005/10/05(水) 23:38:34
西南の役は?
君の「役」対する勝手な決め付けの方が頓珍漢な訳だが?
867日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:12:04
戦前の皇族出身の軍人を見ると、中尉などの尉官についている方が多々見えるのですが
なんで尉官なのですか?皇族なら将官、若しくは大佐クラスの階級が当然だと思うんですが…
陸軍大将までになった朝香宮家も同じ皇族なのに…
868日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:31:53
>>867
若いから。

年をとるごとに階級は上がっていくものである。
869日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:55:23
役は勝った側からの見方で合戦は相手を対等としている見方でしょう。
870日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:58:03
>>867
一兵卒もいます。士官の皇族といえど士官学校からの叩き上げです。
871日本@名無史さん:2005/10/06(木) 01:17:30
兵卒って何ですか?
士官学校出たら普通は少尉に任官するのではないかと思いますが、少尉は兵卒ですか?
872日本@名無史さん:2005/10/06(木) 01:23:51
それは読み間違えてるんじゃないかな

士官の皇族も皇族だから士官なのではなく士官学校卒だから
士官学校をでてなければ皇族でも一兵卒、と

多分
873日本@名無史さん:2005/10/06(木) 05:30:41
長州藩の毛利家ではお正月に
そろそろですか?
まだ早い
という会話がなされていたと聞いたのですがこれは幕府はなにも言ってこなかった
のですか?
874日本@名無史さん:2005/10/06(木) 06:13:18
飛鳥時代の兵力は4万ぐらい動員できますか?
875日本@名無史さん:2005/10/06(木) 06:32:06
竹田宮とか戦争の真っ只中にいたよなぁ
陸海軍のパイプ役やってたし。
いくら優秀でも実際いいのかね、皇族を要職に就けても?伏見宮とか
それで意見具申などを憚ったりなんてしなかったのだろうか?
876日本@名無史さん:2005/10/06(木) 07:02:46
新羅は倭人が建てたと聞いたんですがどうなんですか?
877日本@名無史さん:2005/10/06(木) 08:47:54
http://www.intership.ne.jp/~aoyama/shohtoku-taishi-ishda.htm

聖徳太子が実在しないという説は
朝日新聞が極端な説の本を宣伝したから。

と語っている聖徳大学の方がいるんですがどうなんでしょ?
878日本@名無史さん:2005/10/06(木) 09:06:54
>>876
マルチするな。
879日本@名無史さん:2005/10/06(木) 09:18:36
新羅カンパニーでしょ。
作ったのは日本人だよ。
880日本@名無史さん:2005/10/06(木) 09:25:21
>>865
高島俊男がそれについての文章書いてたと思ったな。
確か、明確には決まってないんだよ。
中国の方だときちんとしてるみたいだけど
881日本@名無史さん:2005/10/06(木) 10:48:38
>>877
実在しなかった説の方が優勢のようです
私もいなかった派ですw
882日本@名無史さん:2005/10/06(木) 11:20:07
代官の配下である手代は幕臣ではなく、代官の家臣ということですよね?
手代を雇う余裕のない代官はどうするんですか?
883日本@名無史さん:2005/10/06(木) 12:10:29
>>877
それよりも一昔は聖徳太子を否定したら
大学追い出されてたというそのソース内の話がおもろかった。
884日本@名無史さん:2005/10/06(木) 12:18:00
>>881
聖徳太子の実在不在の問題って
少ない史料の中から千年以上昔の人物(名称?)の存在があやふやになった場合は
「絶対、確実にいた」って立証するほうが難しいだろうし
まぁ実在無し説が優勢になるだろうね。
でも聖徳太子の偉人伝って絵になるし
結局の所、神話感覚で楽しめれば良いかと。
885日本@名無しさん:2005/10/06(木) 12:45:50
あそこまで粉飾されていると、何を以って実在を立証すればいいのかわからなくなってくるし。
886日本@名無史さん:2005/10/06(木) 12:54:53
蘇我馬子が大王だったでもいいのかな?
887日本@名無史さん:2005/10/06(木) 13:13:26
>>886
じゃぁ蘇我稲目も大王になるのかな??
物部守屋は大王への反逆者?
888日本@名無史さん:2005/10/06(木) 13:24:24
聖徳太子の伝記が脚色されているとか、他の要因から聖徳太子を黒歴史にしようという流れを飛ばして、
単純に聖徳太子はいなかったと言い切ってしまうのは初心者スレではどうなんだろうね。

洩れはそういう無神経さが気になる。
889日本@名無史さん:2005/10/06(木) 13:24:33
推古も架空らしい
その時は馬子が大王らしい
890日本@名無史さん:2005/10/06(木) 14:00:32
>他の要因から

もっとくやしく
891日本@名無史さん:2005/10/06(木) 14:55:31
江戸の御家人ってのは、何にもしなくても給料(勿論超小額)を与えられていたのですか?
つまり三十俵二人扶持の御家人がいたとして、何の役職もまかされていない場合でも
扶持米だけは支給されたのでしょうか?
御家人の数と各奉行の同心・与力の数を合わせても非役の御家人が相当いると思うのですが…

同心などの役職につくと、最低賃金(仮に三十俵二人扶持)のほかに同心としての役職手当て
が支給されるということでしょうか?
それとも、非役の旗本で構成される小普請組のような名目だけの役職が
御家人階層にも存在したのでしょうか?
892日本@名無史さん:2005/10/06(木) 15:16:19
家禄は何もしなくても貰う
無役でも職業軍人であることには違いないから
職録は役職についた場合に追加

あと御家人も小普請だったような
893日本@名無史さん:2005/10/06(木) 17:40:46
木曽義仲に関する雑学があったら教えてくださいっ
894日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:24:33
茶碗で飯を食べてた
895日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:42:10
時代についてです。
これであってますか?
間違いや追加があれば教えてください。
あと諸説ある場合も。(戦国時代とか)

旧石器時代・先土器時代・無土器時代 〜約1万年前
縄文時代   約1万年前      〜紀元前3世紀頃
弥生時代   紀元前3世紀頃    〜3世紀頃
(古墳時代  3世紀頃       〜8世紀頃)
飛鳥時代    592年 推古天皇即位 〜 710年 平城京へ遷都
奈良時代    710年 平城京へ遷都 〜 784年 長岡京へ遷都

平安時代    794年 平安京へ遷都 〜1192年 鎌倉幕府開府
鎌倉時代   1192年 鎌倉幕府開府 〜1333年 鎌倉幕府滅亡

(南北朝時代 1336年 南北朝の分立 〜1392年 南北朝の合一)
室町時代   1338年 室町幕府開府 〜1573年 室町幕府滅亡
(戦国時代  1467年 応仁の乱   〜1590年 豊臣秀吉天下統一)
安土桃山時代 1573年 室町幕府滅亡 〜1600年 関ヶ原の戦い

江戸時代   1603年 江戸幕府開府 〜1867年 大政奉還

明治時代   1868年 明治天皇即位 〜1912年 明治天皇崩御
大正時代   1912年 大正天皇即位 〜1926年 大正天皇崩御
昭和時代   1926年 昭和天皇即位 〜1989年 昭和天皇崩御
平成時代   1989年 今上天皇即位 〜
896日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:13:02
>>895
鎌倉幕府や戦国時代の始期については諸説ある。
それから昨今は、美術史以外の分野では
「安土桃山時代」という言い方は使わなくなっている。
897日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:19:10
>>895
弥生の始まりはもっと早い。
前8世紀〜前9・10世紀頃。
898日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:22:12
>>896
ほぉ
んじゃ1573〜1603までは何時代と言い方するんだろ?
戦国が室町と被って江戸まで?
でも秀吉の統一までも戦国と呼ぶのはチョットなぁ…
899日本@名無史さん:2005/10/06(木) 19:23:17
>>898
織豊期。
900日本@名無しさん:2005/10/06(木) 19:48:22
ないしは、織豊時代。
901日本@名無史さん:2005/10/06(木) 21:20:11
この前の「その時」の藤堂高虎の回で、
「藤堂高虎は10人の主君に仕えた」
と言っていて、8人目の家康で終わったんですが、あとの2人は秀忠、家光でFA?
902日本@名無史さん:2005/10/06(木) 22:09:08
戦国時代にも戦争を行ううえでのルールはあったのでしょうか?
武士として人としてやるべき事とか、敵に対してもやってはいけない事ってありましたか?
903日本@名無史さん:2005/10/06(木) 22:11:05
精液を女にかけれえええええええええええええええ
904日本@名無しさん:2005/10/06(木) 22:49:02
>>902
敵に対しての倫理的規範というのは特に無い。
源平時代や昔の中国に見られる儀礼的なもの、美談に象徴されるような
倫理的なものがあるにはあったが、戦国時代に発生したものではない。

だが規範がないことは非道を意味するものではない。
「人質を取っている相手と不和になったから殺す」というのは当然だが、
必ず行われていた、ないしは、必ず行わなければならないものではなかった。
「人質が気になって戦えないだろう。どうせ避けられないのなら」といって
さっさと人質を返して戦闘することも多かったのだ。このへんは、現在人が
ドラマに騙され毒されている面があるのだ。

即ち、守ってもよし、守らなくてもよしのもの。
だから、規範は公的普遍的なものとして扱われなかったというほうが正確。
非道ではなく、無道。道無きがゆえに、綺麗に作られることもあったのだ。

しかしそんな時代だから、味方の軍勢にたいしての掟、すなわち内的規範は
非常に厳しいものになっていった。これは行政制度にも還元、浸透し、江戸
時代の秩序の原型になってゆく。

いわゆる「武士道」も、消えゆこうとしていた戦国の記憶を武士の規範として
結晶させたものに過ぎない。
905日本@名無史さん:2005/10/06(木) 23:02:53
最後の二行は余計
906日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:06:41
江戸時代にもヤソキーとか居たのでしょうか?
(たとえば現代でいうと、夜中にコンビニでたむろってる連中とか
そういう感じの連中)
着物とかでも見てすぐDQNってわかるようなものはあったのでしょうか
(いまでいうサンタフェルックとかヤンキージャージとかみたいな存在のもの)
907日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:22:32
実務者ですが、
旧土地台帳の土地所有者に「〇〇村持」「〇〇部落持」「〇〇組持」という記載がありますが、
当時どのような基準でこのような分け方がされたのか教えてください。
よろしくお願いします。
908日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:24:34
傾き者でいいのか?
909日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:42:17
>>872
>士官学校をでてなければ皇族でも一兵卒
いや、だから士官学校(又は海軍兵学校)に進まなかった男性皇族って、まずいないから。
910日本@名無史さん:2005/10/07(金) 01:06:10
>>906
かぶき者
911日本@名無史さん:2005/10/07(金) 02:39:26
姓と苗字についての質問です。
平安末期の頃から、藤原→近衛、源→足利、平→北条、清原→舟橋のように姓の代わりに苗字で名乗る例が続出しますが、苗字を使わずに姓で通した家もあるのでしょうか?
明治維新の頃までは公文書には姓が使われていたようですが。
その後は姓の扱いはどうなったのでしょうか?
以前から疑問に感じていました。
よろしくお願いします。
912日本@名無史さん:2005/10/07(金) 02:48:53
>>906旗本奴
913日本@名無しさん:2005/10/07(金) 08:06:27
>>906
ガクランのご先祖様のようなものがありました。
水野十郎左衛門の映画でもご覧下さい。
914日本@名無史さん:2005/10/07(金) 09:12:41
戦後の闇市でつかまったら、どれぐらいの刑罰を加えられたのですか?
915日本@名無史さん:2005/10/07(金) 11:33:19
>>914
没収
多くは見逃された
916日本@名無史さん:2005/10/07(金) 13:41:37
闇市を牛耳っていたのは朝鮮人ヤクザだったからな。
警察も手が出せなかったんだろ。
せいぜいチンケな運び屋をパクるのが関の山。
917日本@名無史さん:2005/10/07(金) 14:06:50
なんでそんな戦後間もない頃に一大勢力を築けたんだ?>在
918日本@名無史さん:2005/10/07(金) 14:31:16
戦勝国気取りで略奪暴行やりたい放題だったからな>チョソ
919小野妹子:2005/10/07(金) 14:52:20
足利義政め銀閣にも銀箔ぬれ
920日本@名無史さん:2005/10/07(金) 15:43:20
銅閣建築も同時に
921日本@名無史さん:2005/10/07(金) 16:32:53
当たり前すぎて人に聞けなかったんですけど、勇気を出して聞きます。

太陰暦を採用していた時代の一月って、今の四月頃の気候だったんですか?
922日本@名無史さん:2005/10/07(金) 17:07:00
>>921
もし「新春」とか「迎春」という言葉が気になっているんだったら、
もし1月が4月ぐらいの暖かさでも、年に一番寒い時期=冬であることに変わりなかったら意味ないと思うのだが。

旧暦の1月は今の2月ぐらいに当たる。2月始めに「立春」があるよな。
まあ旧暦は月初めの早く来たり遅く来たりが激しいんであんまり当てにはならないけれども。

個人的には、昔は一番寒い時期が終わった以降を「春」と言ったんじゃないかと思ってる。
923921:2005/10/07(金) 20:06:00
>>922
ありがとうございます
924日本@名無史さん:2005/10/07(金) 21:31:21
板違いの質問にまで答をやってると
そういう質問ばかりになるぞ
925日本@名無史さん:2005/10/08(土) 01:04:43
そんなに板違いとは思わないが?
閏月なんてここか古文くらいしか聞けないだろ。
926日本@名無史さん:2005/10/08(土) 01:16:00
ひと月ずれるのは閏月の問題じゃないと思うけど。
927日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:22:08
いや似たような例ということで。
いわゆる古典常識か。・・・やっぱり古文板向けかな。
928日本@名無史さん:2005/10/08(土) 05:01:02
旧東京帝大医学部と第一高等学校医学部の違いは何でしょうか?
929日本@名無史さん:2005/10/08(土) 07:30:37
>>921
ぐぐった方が早いんじゃないか。おれも気になって改めてぐぐったが縷縷説明が
ある。今日も24節季のひとつのようだ。
930日本@名無しさん:2005/10/08(土) 09:19:50
>>928
判りやすくいえば、東京医学校「本科」と「予科」の違い。
931852:2005/10/08(土) 09:36:31
分かる方いらっしゃいませんか?
ググっては見たんですが、領地関係とかはあまりかかれてないしここでよく知ってる方が多いかと思ってお聞きしたのですが・・・・。
932日本@名無しさん:2005/10/08(土) 09:44:01
>>931
個人的に世話になった、仙台伊逹氏に詳しい方を知っているが、
そちらの伊逹氏はしっているかな?訊いてみそ。

彼のサイト http://www008.upp.so-net.ne.jp/tomeas/
933日本@名無史さん:2005/10/08(土) 12:42:01
>>930一高医学部のほうは千葉医学専門学校→千葉大医学部となって行きますが・・・。よく分からないんですが?
934日本@名無しさん:2005/10/08(土) 15:27:55
>>933
明治 7年(1874)東京医学校
明治10年(1877)東京大学医学部
明治15年(1882)                  県立千葉医学校
明治19年(1886)帝国大学医科大学
明治27年(1894)                  第一高等学校医学部
明治30年(1897)東京帝国大学医科大学
明治34年(1901)                   千葉医学専門学校
大正8年(1919) 東京帝国大学医学部
大正12年(1923)                   千葉医学大学
昭和22年(1947) 東京大学医学部
昭和24年(1949)                   千葉大学医学部

東京大学医学部沿革 http://www.m.u-tokyo.ac.jp/html/2_history/history.html
千葉大学医学部 http://www.m.chiba-u.ac.jp/edu/outline.html
旧制高等学校 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%88%B6%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
--------
由来からすると全く別物な気がするが。
ポイントは明治27年の高等学校制のときだな。
>>930はこのときに一高医学部を「予科」とみなしたのかもしれん。
935日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:34:24
江戸時代、藩が処刑を行う際には江戸に届けなければいけなかったんですか?
936日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:39:13
信長に仕えてるときの美濃3人衆は
それぞれ何万石ぐらいですか?
937日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:49:10
>>935
被害者・加害者がともに領民である場合は、幕府の許可は不要ですが
どちらかに他領民を含む場合は、処罰はできません。
938日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:59:28
松平外記事件の松平外記って、何者ですか?
松平姓なんだから徳川御連枝の一人だと思うのですが…

っていうか、そんな人をいじめていいんですか?
939日本@名無史さん:2005/10/08(土) 16:02:21
家康以前に分かれた松平一族のはず。
親藩とか連枝といわれるのは基本的に家康の子孫のみ。
940日本@名無しさん:2005/10/08(土) 16:16:09
正確には御三家の分家 > 御連枝
941日本@名無史さん:2005/10/08(土) 16:31:09
十八松平っていうくらいだから、三河にはあっちもこっちも松平一族がいたの。
(知恵伊豆なんかもその一つの家の出)
しかも、お友達じゃなくて、それぞれ三河の中で血塗ろの主導権争いしてたワケ。
942日本@名無史さん:2005/10/08(土) 16:44:46
松平外記はなに松平?
943日本@名無しさん:2005/10/08(土) 20:32:56
>>942
ここで訊いてみるか?

徳川家のルーツと十八or十四松平Part2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1090595662/

以前松平外記事件をググって調べたことがあるんだが、本名も判らん。
手掛りは、父親が御納戸役の「松平頼母(たのも)」だけ。
300石取りの小身らしいが…
944日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:15:10
大岡越前とか、○○守の官職が名前の通称になっている人なら分かるけど
図書館行って旗本名鑑見てると、上にある外記を初め、頼母だの主水丞だの
右京だの左京だのってのが名前になっている香具師が多い。
これって何?一応、古代の官職で大外記とか右京亮とかの官職があるが…
松平外記なら三百石らしいけど、そんな小身に官職の名乗りなど許されるのかね?
そもそも旗本が従○位等を与えられたときには、地方の国主としてして使用されていた
官職名しか名乗れなかったの?
945日本@名無史さん:2005/10/08(土) 21:43:06
外記とか右京とかは官名ではない。
従五位下にならないと官名は使えない。


946日本@名無史さん:2005/10/09(日) 00:05:07
何年も前にみた、「その時」が誰の話だったか思い出せません。
その回の主人公は明治の初期に教育の改革を事をした。
最後は通勤途中で殺されてしまった。というような感じの内容でした。
その人がやった教育改革のひとつに、今まで平仮名と共に教えてきた
崩し文字(?)を教えるのは、生徒に負担がかかるのでなくした。
といっていたんですが、この崩し文字について知っている人がいましたら、
詳細をお願いします。
947日本@名無史さん:2005/10/09(日) 00:46:25
変体仮名…かな?
平仮名と共にというか仮名文字自体が同じ音でも起源によって沢山あった
んで統一する際に採られなかった仮名文字をそう呼ぶ
948日本@名無史さん:2005/10/09(日) 01:17:55
森有礼でしょ。
英語を日本の公用語にすべしと主張して、
逆にアメリカの国語学者に馬鹿にされたりもしました。
949946:2005/10/09(日) 02:29:50
>>947>>948
なるほど〜。ありがとうございました!!
950日本@名無史さん:2005/10/09(日) 07:03:51
>外記とか右京とかは官名ではない

マジ?じゃあ家の通称?
いずれにしろ本名じゃないよね
951日本@名無史さん:2005/10/09(日) 07:06:24
藤沢周平の義民が駆けるってのを呼んでたら、「酒田城代・松平○○」
とかいうのが出てきたけど、なんで酒井氏が治めてる庄内の家臣に松平姓?
952日本@名無史さん:2005/10/09(日) 08:54:32
統帥権干渉問題の時の陸軍将校、菊地武夫は肥後の名族
菊池氏に関係あるんですか?
953日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:22:42
>>948
志賀直哉もフランス語を公用語にすべき、とか言ってたね。
また、そういう意見強くなってくるんじゃないか?
小学校から英語って時代だし。
954日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:42:59
>>952
子孫
955日本@名無史さん:2005/10/09(日) 10:43:44
三河で農民、例えば庄屋の松平さんっていたの?
956日本@名無史さん:2005/10/09(日) 15:30:14
梅謙 次郎
梅 謙次郎

区切りって後者ですよね?
957日本@名無史さん:2005/10/09(日) 17:52:49
yes
958日本@名無史さん:2005/10/09(日) 19:57:39
>>950
通称です。
というか武士の名乗る官名も通称のようなものです。
例えば大岡越前守といっても、越前の国司ではありませんから。
959日本@名無史さん:2005/10/09(日) 20:00:13
なんで官職を通称として採用したの?
部長でもない人の通称が営業部長とかそういうレベルでしょ
960日本@名無史さん:2005/10/09(日) 20:12:05
>>951
酒井忠次の四男久恒は三河福釜城主松平親俊の養子となったが
親俊に実子が生まれたので実家に戻ったが、養父の意向で松平姓を用いた。
子孫は三家に別れ、代々庄内藩家老を勤めている。
961日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:14:07
家紋も三つ葉葵?
962日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:27:12
家紋は母方のものを使っていたはず。
963日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:34:13
>>953アレが主張してたのって英語じゃなかったっけ?
964日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:45:18
日本の欧米化を主張して、白人と積極的に結婚して人種改良を
図るべしとかぬかしてたやつもいたな。
誰だっけ?
965日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:48:32
江戸古地図を見ると、
前田も島津も大藩のほとんどが
松平○○守です。

徳川家から嫁を貰うと松平姓を名乗る事が許されました。
966日本@名無史さん:2005/10/09(日) 22:47:52
>>958

しかし、大岡越前のような例は、
名目の官ではあるものの、
正式の補任状が出てるでしょうが。
967日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:28:20
どーでもいいんだけど、実際に任国に赴いて政務のなに一つ行っていないのに
○○守って名乗るってすごい変だよな。
現代でいえば事務次官が○○県知事を名乗っているようなもの。
968日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:56:05
>>967
現代と比較するのが変だよ。
969日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:29:15
今の日本だって、当の課長が死んでもいなければ、その権限を代行できるわけでもないのに、
課長代理って人間がたくさんいる組織なんてのはいくらでもある。
公務員にも多いな。課長代理。
970日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:40:11
>>969
訳若布
971日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:40:34
>>944>>959
頼母は官職ですらない。
いわゆる東百官といって官職っぽい名前にすぎない。
主水丞はともかくとして、右京や左京は官職でなく、官職風の名前。
たとえば右京の官職ははは右京大夫とか右京亮とかになる。
現代風にいうのなら、「総務部長」ではなく「総務」というようなもの。
972日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:52:43
現代の仕事と結びつける事に何の意味もない。
無役のものとていたのだし。
973日本@名無史さん:2005/10/10(月) 08:46:43
>東百官
詳しく
974日本@名無しさん:2005/10/10(月) 09:04:05
そういえば、「野中広務」というのも官職っぽい名前ですねー
975日本@名無しさん:2005/10/10(月) 10:53:48
976日本@名無史さん:2005/10/10(月) 11:09:56
>>937
ちなみに明治新政府が成立した後は許可が必要となった。
977日本@名無史さん:2005/10/10(月) 11:41:28
今中3です。

よく問題で 〜が起こった時と同じ時期に起こったものを次から選びなさい。
みたいな問題あるじゃないですか?

それで、同じ時期に起こった出来事が載っているサイトとかないでしょうか。

↓こんなかんじに。
寛政の改革=フランス革命
天保の改革=アヘン戦争
978日本@名無しさん:2005/10/10(月) 13:44:06
( ´ω`)つ 【年表】

サイト以前に、世界史の教科書や参考書にある年表を見るべし。
当たり前だが、「世界史」ものでないと載ってないぞ。
979gome:2005/10/10(月) 15:15:07
さっそくですがおまじないです
恋を語らず何を語る?という世の中ですが、
このコピペを必ず5つのレスに書きこんでください。
あなたの好きな人に10日以内に告白されます
嘘だと思うんなら無視してください。
ちなみにあなたの運勢が良かったら5日以内に告白&告白したらOKされます。
効き目ぁるらしいですよ
980日本@名無史さん:2005/10/10(月) 18:05:42
981日本@名無史さん:2005/10/10(月) 19:19:10
朝鮮の官位である正○品とか従○品ってのは日本の官位制度を真似たんですか?
982日本@名無史さん:2005/10/10(月) 19:24:47
なぜに中国という発想が出ない?
983日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:45:45
永田徳本とかうそ臭いのはともかく、確証がとれて百歳まで生きた江戸時代以前の
人物っていますか?
984日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:53:40
>>983
つ 武田信虎・土岐頼芸――長生きは愉しい
 ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1028049326/l50

ほぼ確実なのは鎌倉時代の北山准后(四条貞子)か。
ttp://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/keizu-shijoke.htm
985日本@名無史さん
質問です。

昭和9年当時の8千円は、現在で言うと幾らくらいですか?