【初心者】スレッド立てる前に質問をPart7【歓迎】

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1日本@名無史さん
分からないことをスレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
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●初心者歓迎:スレッド立てる前に質問を●
http://academy.2ch.net/history/kako/1026/10268/1026810759.html
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http://academy2.2ch.net/history/kako/1041/10416/1041658641.html
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart6【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1078388355/l50
2日本@名無史さん:04/06/26 11:02
3日本@名無史さん:04/06/26 19:28
・なお、質問の際はメール欄に何も記入しないでください。
 トリップを使ってみるのもいいかも…
 質問者を騙る煽りが出現しています。ご注意ください。
・回答があるまでに数日間かかることもあるので辛抱強く待ちましょう。
 未回答分はだいたい500か次のスレに変わったときに再度まとめて書き込まれることも
 ありますので、その際に回答が出るかもしれません。そのときに再度確認してください。
・age推奨。
 常連の人は可能な限り質問への速やかな回答をお願いします。
 また、「事実と異なる回答」「憶測に基づく回答」があった場合は、
 速やかに指摘・訂正の書き込みをお願いします。
4日本@名無史さん:04/06/26 19:34
日本は台湾や朝鮮にどれだけ国費を割いたのでしょうか?
軍事費との比較とか判りますか?
5日本@名無史さん:04/06/26 19:54
近代日本の植民地について語るスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1084761386/l50
6日本@名無史さん:04/06/26 21:51
>>4
民間資本が大もうけしていたことを忘れないでね。
国費損失なら、イギリスのインドも同じですから。
7日本@名無史さん:04/06/26 21:54
年三十二和昭 國本日
銭十五

古いお金にこう書いてありました。
戦後にも、一部、右から書いていたのが残ってたんですね。
8日本@名無史さん:04/06/26 22:07
>>6
税金を払った人に行政サービスが還元されていないということは言えるでしょうね。
9日本@名無史さん:04/06/26 23:15
>>6
仄聞だが・・・
世界で唯一植民地経営で利益を得たのは
英の印度経営と聞いたが?
10日本@名無史さん:04/06/27 01:01
>>6
イギリスは国家予算レベルでもインドから大量の借款や国防費を得ていたんじゃないの?
インド政府から金借りすぎたために独立を認めざるを得なくなった。
11日本@名無史さん:04/06/27 01:06
国風文化以降、日本には漢文で書かれた歴史書や文学ってないの?
あったとしたらそれは和文書に比べてどれくらいの割合?
12日本@名無史さん:04/06/27 01:27
えっと・・・江戸時代で川柳や狂歌が好まれた文化を何と言いますか。
塾の先生って大変。
13,:04/06/27 02:20
江戸時代に紀州のみかん船が3日で田辺から江戸についたといわれてますが、これってフィクションですか?
またこの時のみかん船って菱垣廻船ですか?
14日本@名無史さん:04/06/27 14:47
>漢文
学術書や公文書はずっと漢文。和歌より格が上。

>文化
化政文化

>イギリス
植民地支配のための莫大な海軍負担や莫大な現地官僚負担を考えるとペイしてない。
それで、新植民地主義へ移行していった。独立させた方が儲かる。
15日本@名無史さん:04/06/27 15:35
>植民地支配のための莫大な海軍負担
植民地支配のために莫大な海軍負担を強いられた?

>莫大な現地官僚負担を考える
例えば?

意味不明・・・
つか植民地経営が儲からないことは誰もが周知の事。
これ以上ツッコムとデムパと化してスレを荒らす典型のヨカン>14
16日本@名無史さん:04/06/27 15:42
日本が植民地化されなかった理由。

イギリス アヘン戦争 太平天国の乱

アメリカ 南北戦争

ロシア  ロシア革命

でそれどころではなかった。
17日本@名無史さん:04/06/27 15:43
イギリス追加 セポイの乱
18日本@名無史さん:04/06/27 15:45
浅野家の使いは早かごで4日で江戸から赤穂に行っていますが、これはどうですか?
19日本@名無史さん:04/06/27 15:50
>>14
でも中世以降に漢文で書かれた本で有名なものってある?
史書も類聚国史を最期に国文で書かれるようになったって。
20サミィ:04/06/27 16:11
高2なんですが、以下のことについて教えてください。。。

@なんで難波長柄豊崎宮から近江大津宮へ移動したんですか?

Aなんで近江大津宮から飛鳥浄御原宮へ移ったんですか??


Bなんで都が移る時に寺も移動したんですか?? 例・薬師寺とか

Cなんで藤原京から平城京に移動したんですか??

D蝦夷討伐の際に多賀城におかれた「鎮守府」ってなんですか???

聞きすぎでごめんなさい(><;)
どなたか教えてください!お願いします!!
21日本@名無史さん:04/06/27 16:52
まず辞書で調べましょう。
質問はそれから。
22日本@名無史さん:04/06/27 18:26
>>19
格が上と言っている時点で駄目。
23日本@名無史さん:04/06/27 19:05
>>22
だれが??
2422:04/06/27 19:37
学術書や公文書はずっと漢文。和歌より格が上。
25日本@名無史さん:04/06/27 19:53
それって>14じゃ
2622:04/06/27 20:49
スマソ
誤解されちまった。
27日本@名無史さん:04/06/27 21:42
15・19・22・23・24・25・26は全て同一人物(プ
28日本@名無史さん:04/06/27 21:44
わかりきったことで悪いが・・・

>海軍負担
イギリスの植民地世界戦略で被った海軍負担

>現地官僚
植民地抑圧のための膨大な官僚機構

>格が上
明治でも格が上。軍人は前線で漢詩を作る。昭和前期でも上。ヘタすると今でも。
本居宣長の「古事記伝」も漢文でなかったかな?

>ロシア革命
釣り?
29日本@名無史さん:04/06/27 21:52
おい!自演野郎のディスティ!
お前こんなところにも出没してやがるのか?

トリップつけたまま自演やっちゃったディスティについてはこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1084186997/l50


905 名前:ディスティ・ノヴァ ◆o42sEUlX0o 投稿日:04/06/18 14:57
生物を知らないのはあなたでしょう(笑)
あなたが詳しいというならナチズムとダーウィニズムの関係について語って欲しいな。
わたしより詳しいとはおもえないが。
言っておきますがわたしは生物の教師。本職です。
プロを相手にしてよく言える(苦笑)
近現代ドイツにかんしてはおそらくわたしが一番くわしいですよ。
でないとコテハンなんかにはなりません。
2ちゃんねるに書き込むのは初心者ですが、馬鹿が多いという噂は本当ですね(苦笑)


906 名前:ディスティ・ノヴァ ◆o42sEUlX0o 投稿日:04/06/18 15:01
おれはディスティ・ノヴァにも一理あると思うな。
今騙りがはやっている。
彼もその被害者なんだろう。
本当に彼が書き込んだレスだけ見ればそんなやつとは思えない。
お前こそずっと彼に粘着していた張本人ではないのか?
ノヴァ、アホは無視してほどほどにがんばれや。
30日本@名無史さん:04/06/27 21:57
尊攘のバイブル、頼山陽の日本外史も漢文。

乃木も大山もみんな漢詩。大山はヘタで乃木はうまい。
31日本@名無史さん:04/06/27 21:59
お願いします。

蘇我氏が実は天皇家だったという本の名前と作者は何でしたっけ。
是非読みたいのです。
32日本@名無史さん:04/06/27 22:26
>14=>28
>「事実と異なる回答」「憶測に基づく回答」があった場合は、
>速やかに指摘・訂正の書き込みをお願いします。

憶測というより妄想の部類だな・・・
33日本@名無史さん:04/06/27 22:33
日本酒1000石作るには米何石必要ですか?
34日本@名無史さん:04/06/27 22:37
35日本@名無史さん:04/06/27 22:43
>>33
酒の量は石では量らないのだが、まぁいいや。
参考スレ。

ttp://www.yamatogokoro.co.jp/tuuhan.htm
36日本@名無史さん:04/06/27 22:59
近世後期の灘のデータだと
酒造米100石で150〜300樽を醸造している
1000石に直すと、醸造量は525石〜1050石ということになる。
37日本@名無史さん:04/06/28 00:09
日本史の勉強の仕方で効率いいやり方ってどのようなものでしょうか?
38日本@名無史さん:04/06/28 01:47
知ってる範囲で。間違い&補足があったら突っ込みヨロ

>>18
各宿場には飛脚人足が常駐していた継飛脚でも、当時の江戸ー大阪間は3〜6日かかった。
駕篭の場合は、それより早くなることはないと考えて良いのでは。普通は10日はかかる
距離を4日半、5昼夜で着いた事になっているが、たぶん脚色でしょう。
馬も、休み休みでないと実は長距離は移動できない。また当時はまだ蹄鉄の技術が一般化
していなかったりと、長距離移動には向かなかった。乗り継ぐ場合も然り。

>>31
いろいろあるけど、たぶん関裕二の著作じゃないのかな?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569577679/qid=1088352829/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/250-4710263-9806610
ただし、蘇我天皇家について一番早く提唱したのは坂口安吾。『安吾新日本地理』で言及している。
漫画なら永久保貴一『カルラ舞う!』の奈良編とか。

>>33
>>35-36に付け加えて。
江戸時代の日本酒は木の樽で醸造していたため、アルコール分が樽に染み込み蒸発する分がおよそ
10〜20%近くあった。戦後普及したホーロータンクとは、その分生産量に差が出るはず。
>>35の数値から1〜2割引く必要があるかも。>>36は蒸発分を入れての数値かはちと不明だが、
まぁ、精米とか火入れの程度、柱焼酎の混和、出荷用に厳守の度数を下げる作業にもよって
量は大きく変わるので、概数としてはこれぐらいが妥当な範囲では?
39日本@名無史さん:04/06/28 09:25
国学者も漢文が基本なんですね。
40日本@名無史さん:04/06/28 09:32
>>34
すみません。hを貼っても移動できませんでした。
直リンタノンマス。

>>38
サンクス。でも正当化はしてるけど、蘇我氏天皇説では無い気がしますが?
蘇我天皇説なんですか?
4133:04/06/28 10:06
>>35-36 >>38
皆様ありがとうございます。涙。日本史スレでこんなに親切にされたのは初めてです・・・。
42日本@名無史さん:04/06/28 10:29
やおいとか801とかどういう意味ですか?
43日本@名無史さん:04/06/28 13:14
>>42
質問する板が違います。
貴方が21歳以上ならこちらに逝って下さい。
ttp://pie.bbspink.com/801/
44日本@名無史さん:04/06/28 17:58
その日本酒1000石作る酒造家というのは当時としては大きいほうなわけ?
45日本@名無史さん:04/06/28 22:04
織田信長について素朴な疑問なのですが、よく
漫画等で見掛ける髪型(頭の上で大きく束ねてある)
は全くの空想なのですか?肖像画等では一般的?な
頭だと思うんですが詳しい方いませんか?
46日本@名無史さん:04/06/28 22:47
院政とは一体なんなのでしょうか?
どうして朝廷とは別に政治の系統が生まれたのでしょうか、また
許されたのでしょうか(普通は阻止すると思う)?
院政開始後、朝廷の公卿連中は、日常何をしていたのでしょうか?
47日本@名無史さん:04/06/28 23:11
>>45
>漫画等で見掛ける髪型(頭の上で大きく束ねてある)

茶筅髷ってやつかな。
『信長公記』には彼が「大うつけ」と呼ばれていた16〜18歳当時、
そのような髪形をしていたとある。
曰く「其比の御形儀、明衣(ゆかたびら)の袖をはづし、半袴、ひうち袋、
色々余多付けさせられ、御髪はちやせんに、くれなゐ糸・もゑぎ糸にて
巻立てゆわせられ、大刀朱ざやをさゝせられ…」
48日本@名無史さん:04/06/28 23:18
>>46
白河上皇が院政をはじめたのは
異母弟輔仁親王に皇位が渡るのを防ぎ
自己の血統に皇位を確保する意図があったとか言われてますが
どこまで正しいのやら。
4945:04/06/28 23:46
>>47殿
レスありがとうございました。やはり天下統一
を進行していた時期にはもうその髪はしていなかった
んですね。勉強になりました。
50日本@名無史さん:04/06/29 01:00
>>49
47氏ではないけど、補足しておきます。
茶筅髷自体は中世の公家が烏帽子の下にした髪形です。荒縄で太くしばったり、派手な色の
意図を使うというのは、衣冠束帯するフォーマルな場ではやらなかったかもしれないけど、
戦国時代は割と一般的な風俗だったようですよ。

寛文十年(1670)以後に、江戸幕府が戦国時代チックな茶筅髷や大髭、長大な佩刀の
風俗を禁止して以降、時代劇でよく見る「二つ折り」という頭の上に載せる形の髷が
中心になっていったようですが、信長は肖像画の通り、茶筅髷だったと思われます。

蛇足ながら。
劇画家の平田弘史先生の短編で、茶筅髷の禁止と反発をテーマにした作品が、
日本文芸社から出ている傑作選集に収録されていた記憶があります。
51日本@名無史さん:04/06/29 01:01
>>50
自己訂正
×意図
○糸
52日本@名無史さん:04/06/29 01:23
>>44
「当時」というのがいつの時代を差すのかちょっと不明ですが、こちらのサイト
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N226R100.HTM

を見ると新興の灘の酒造りとしては、千石句造りというのが大規模な酒造マニュファクチュアの
成立と見なせるので、元禄以前の酒造業と比較するならば、当時腐造の危険性が高かった事もあり、
千石造りは大規模な資本と設備がなければできない事業と見なして良いのではないでしょうか。
地方の地場の酒造は、それこそ個人で作る濁り酒レベルの酒屋が大半だったようですから。

日本酒ではありませんが、薩摩の焼酎の造り酒屋は、藩内に数百のレベルであったようですが、
大概は一斗瓶で10個以下の小規模生産(高名な森井蔵は瓶4つの生産量)だった訳ですから、
百万都市江戸への需要をまかなっていた千石蔵は、一流の酒造家の証と言って良いのでは?
53日本@名無史さん:04/06/29 01:27
>>46
院政をひとことでいえば、皇位決定権を院がもっていることをさします。
それ以下の貴族の人事権も院が把握していますが、あくまで、表面上の人事権者は
天皇です。院は人事権をほぼ専権的に把握していますが、
その権限は裏面から人事を左右するという形をとります。

それから当時の政務は基本的に朝廷で行われています。
さきほどの貴族の人事も、表向きの決定はすべて、朝廷で天皇の名のもとで行われます。
朝廷の公卿連中も、陣定など政務決定の場にきちんと参加していました。
もっとも、院御所でも同様の公卿の会議は行われていましたが。
54日本@名無史さん:04/06/29 12:07
>>53
なるほど。

当時の公卿(摂関家)たちには、人事権なんかを「奪われる」などという
認識ってなかったんでしょうか?
55日本@名無史さん:04/06/29 13:02
>>52 詳しくありがとう。
56日本@名無史さん:04/06/29 23:21
戦国時代に興味があるのですが活字が苦手な
自分にはどうしても踏み込めません。やはり
漫画等に目がいくのですが面白くてある程度
史実に基づいた漫画ってありますかね?または
読みやすい本がありましたら教えて下さい
57日本@名無史さん:04/06/29 23:24
>>54
いわゆる道長なんかの時代には、人事権を把握していたのは「天皇の身内」です。
父院、母后、そして外戚(外祖父、もしくは母后の兄弟)です。

摂関家については、後三条即位時に天皇の身内であることを失い、
鳥羽即位時以降、基本的に外戚と摂関の地位が分裂します。
(この時点を「摂関家」の成立とみるむきが多いです)
その間に身内としての父院の権威・権力が上昇し、摂関の地位は下降。
最終的に保元の乱で完全に摂関家は院に従属する存在になります。

ですから、
摂関家嫡流にとっては、「院に実権を奪われた」というより、
「外戚になり損ねた」ことがいちばん、それに「政治闘争にも敗北した」というほうが、
認識としてもありのような気もします。

最後はあくまで想像にすぎませんですが。
58日本@名無史さん:04/06/29 23:26
>>56
漫画日本の歴史読んどけ。
これが意外とイケる。
59日本@名無史さん:04/06/29 23:30
荘園の寄進のおかげで 院=天皇家の財産が増加したこと
それが直轄常備軍(北面の武士)を雇う財源になった
兵力があるということは実力行使できるぞという
60日本@名無史さん:04/06/30 07:43
源頼光があれまで伝説化されたのはなぜでしょうか?
61日本@名無史さん:04/06/30 15:04
維新時に平家の落人・帰農した戦国武将の子孫などが士族になりたいために由緒書などを提出したようですが
認められることは合ったのですか?
62日本@名無史さん:04/06/30 17:13
>>57
なるほど。ありがとう。
63日本@名無史さん:04/06/30 21:56
元亀天正の、いわゆる戦国時代を描いた歴史小説でお勧めはなんですか?
織田信長を中心に据えたものがよいです。

64日本@名無史さん:04/06/30 22:51
文芸は文芸板へ
65日本@名無史さん:04/07/01 00:51
>>61 郷士なんてその口じゃないのか?
66日本@名無史さん:04/07/02 00:10
地方によって扱いは違うかも知れんが、出格子の長屋門を持ってたら、
郷士・庄屋の類でも武家(士分)待遇なので士族だろう。うちはその類。

だいたい婚姻関係も、戦国期を生き残った国人領主層の末裔同士か
中下級武家(一応士分)ともつことが多かったようだ。
67日本@名無史さん:04/07/02 19:15
>>66 割りとちいさめの藩ですか?天領ぐらいになるとそういう個別的なものは認識されてたのでしょうか?
68日本@名無史さん:04/07/02 19:20
家紋はいつごろから使われ始めたんでしょうか?
あと奥州藤原氏の家紋が知りたいんですけど
69日本@名無史さん:04/07/02 20:03
>>67
出格子(士分)と平格子(農民以下)との区別は全国的と言っていいと思うが
70日本@名無史さん:04/07/03 11:40
士族でも身分の低いものや、伝来のあやふやなものは
「卒士」と記載されたんじゃなかったっけ?
ウチのバーさんも「ウチは旧士族だ」って自慢してたら、
近所の郷土史の人にそう指摘されて赤っ恥をかいてたw
71日本@名無史さん:04/07/03 11:52
だから、士分ていってますけど?
足軽・中間の類ではなく、士分の郷士・庄屋も存在する。
藤堂藩などではある。天理教教祖の中山家なんかがそう。
72日本@名無史さん:04/07/03 13:19
>>71 明らかに士分扱いの家は分かったけど、それ以外は?例えば落人で由緒は確かだけど江戸時代は農民扱い
だった家とかは?
73日本@名無史さん:04/07/04 02:41
>>68
確か平安時代、牛車の目印としてつけた紋が発祥だったと思う。
一般に定着したのはたぶん源平の合戦以降、母衣や旗指物としての必要性から。
藤原氏はわかりまへん・゚・(つД`)・゚・
74日本@名無史さん:04/07/04 06:10
江戸時代の朝廷の存在理由、役割とは何だったのでしょうか?
また、公家たちは日々どのような暮らしをしていたのでしょうか?

75日本@名無史さん:04/07/04 07:52
薩摩の外城制度とはどういうものなんでしょうか?
鶴丸城の周囲に家臣の居城を配置した、という認識で良いんでしょうか
76日本@名無史さん:04/07/04 10:46
>>74
幕府の利用した便利物。

「幕末の朝廷」平凡社東洋文庫
朝廷公家社会がいかに恐ろしく、醜い、演技の世界かよくわかる。
公家が書いただけに傑作ではある。
77日本@名無史さん:04/07/04 11:42
>>75
薩摩藩領域に広範囲に置かれた出城群を「外城」という。
とはいっても実質的に支配していた南西諸島には外城は置かれていない。
島津家の分家が支配していた外城は「一所地」と言われ、他の外城とは区別された。
当然「一国一城令」に反しているので幕府から叱責されたが
「土台が火山灰なので壊すと被害が大きくなる」
などの言い訳をもって存続した。
実際はその外城の近くにある役所(「麓」と言われる)が藩役所としての機能を果たしており
城郭自体は幕末には廃城状態だったところが多いらしい。

 薩摩藩に対して敵対的態度をとった徳川幕府に対抗する為、
 防衛上の理由から中世からの城を存続させたのが外城制度
という説明が良くされてきたが
 他藩に対して大量の家臣団を抱え、
 全てを鹿児島城下に住まわせると財政破綻をするのが目に見えていたため
 半農半士としての生活を送らせるための制度が外城制度
と言う説明の方が最近では多いかと。

江戸時代中期以降には当初の設置目的が忘れ去られて
鹿児島城下に住む家臣は「上士」麓に住む家臣は「郷士」といわれ
上士が郷士に対して過酷な差別をする温床となってしまった。

似たような物に仙台藩の「要害制度」などがある。


後誰かフォローよろしこ。
78日本@名無史さん:04/07/04 13:19
>「幕末の朝廷」
この本のマニアがいるようだけど
例えば『通誠公記』とか
刊行されている公家の日記はいろいろあるよ。
そういうのも読んでみたらどうだい?
7974:04/07/04 13:49
>>76さま、>>78さま、ありがとうございます。
早速読んでみたいと思います。
80日本@名無史さん:04/07/04 14:01
>外城制度
薩摩は藩主居城の鶴丸(鹿児島)城のほかに、領内を113の区画に割って、
これを外城(普通には郷という)と呼んでいた。4人に1人は武士という
過大人口の武士を扶持するために屯田兵制度をとったのであり、1615年
(元和1)の一国一城令があるから、外城といっても城郭があるわけではなく、
旧城跡の山麓かまたは城跡と無関係の平地に麓集落をつくっていた。
しかし戦時には郷士は地頭指揮下に1軍団を形成したから、外城と呼んだ。
寛永年間(1624‐44)以後は地頭も私領主も鹿児島定府となり、こうした
地頭を掛持地頭と呼んだが、辺境の固めとして需島郷や長島郷には居地頭を、
また出水・高岡・大口郷には地頭代を、都城郷には中抑を、山之口・倉岡・穆佐
・綾・水引郷には抑を増置した。

外城の支配は荷(郷士年寄)・組頭・横目の所三役の下に、庄屋・浦役・部当が
それぞれ百姓・浦人・野町人を支配し、その他多くの郷士役があった。
このような末端にまで及ぶ郷士支配のため、百姓一揆は起こりえなかった。
81日本@名無史さん:04/07/04 14:21
>>78
>幕末の朝廷
「幕末の宮廷」だよ。
おまいさん、知らんなw。
もっとも、自分の出した本がどこで出てるか知ってるのかが問題だがな。
82日本@名無史さん:04/07/04 19:52
>>77>>80
詳しい説明ありがとうございました。
武士の人口が異常に多い薩摩だからできた、というかやらざるを得なかったんですね。
83日本@名無史さん:04/07/04 20:23
>>81
間違ってることはわかってたんだけど
そういうツッコミも何だかなあと思ったのでね。

>もっとも、自分の出した本がどこで出てるか知ってるのかが問題だがな。
これは何だか意味がよくわかりませんね。
8483:04/07/04 20:24
ついでに私の知っている範囲で
刊行されている近世公家およびその関連の日記をあげておきますね。
言経卿記(大日本古記録)
言緒卿記(同上)
三藐院記(史料纂集)
時慶卿記(臨川書店)
慶長日件録(続群書類従完成会)
泰重卿記(史料纂集)
本源自性院日記(同上)
通兄公記(同上)
広橋兼胤公武御用日記(大日本近世史料)
中山忠能日記(日本史籍協会叢書)
押小路甫子日記(同上)
朝彦親王日記(同上)
嵯峨実愛日記(同上)
中山績子日記(同上)
一条忠香日記抄(同上)
勧修寺経理日記(同上)
議奏加勢備忘(同上)
三條実万手録(同上)
万里小路日記(同上)
東久世通禧日記(霞会館)

閑窓自語(日本随筆大成、吉川弘文館)
これは日記ではなく随筆。
「幕末の宮廷」と同じような性格のもの。
85日本@名無史さん:04/07/04 23:25
米沢藩を再建した希代の名君・上杉鷹山。
正妻が精神障害者だったそうですが、当然、側室はいたんでしょうね?
86日本@名無史さん:04/07/05 00:13
ぐぐったらスグ出てくるけど豊姫という側室がいました。
彼女との間には息子が一人いましたが、急病により18歳で急逝。
鷹山は義理の孫を後継者にしています。

ちなみに「豊姫」という名前から分かるように、彼女も上杉家の出身のお姫様。
87日本@名無史さん:04/07/05 00:29
>義理の孫を後継者にしています。
鷹山(治憲)の後を継いだのは、彼の養父重定の実子(次男)治広。
鷹山は天明2年に彼を養子とし、3年後に隠居して家督を譲っている。。
義理の孫というのはよくわからんが。
88日本@名無史さん:04/07/05 00:41
>>77
>城郭自体は幕末には廃城状態だったところが多いらしい。

異議あり。何をもってして廃城状態と言うのか、詳細キボンヌ。
南九州の城は、城館詳細分布調査などによって調査されているが、
土塁や虎口など、城としての施設がほぼ完全な状態で残っているものが多い。
特に戦時にのみ使用される陣城や砦などは状態が良い。
8986:04/07/05 00:58
http://www.e-yone.co.jp/yozan/index.htm
をするっと読んで、次を斉定(治広次男)に譲った物として思いこんでしまいました。
いまこのHPの系図を見たら鷹山の次は治広になっていました。大変申し訳ありません。
90日本@名無史さん:04/07/05 15:06
平安時代の風習や儀式等が載ってる辞典的なものが
欲しいのですが、
「有識故実大辞典」鈴木 敬三 著
は、買いでしょうか?
値段が19,000円近くするので躊躇ってます。
91日本@名無史さん:04/07/05 17:13
あんまり使い道のない日記を羅列してもなぁ。
初心者の質問の趣旨を考えた方がいいな。
「幕末の宮廷」は、手ごろな文庫で引用しやすいし、
内容は、まぁ読む人が決めることだけど、学者が良く引用してるわな。
92日本@名無史さん:04/07/05 17:36
日本史を古代から現代までまとめて勉強しなおしたいのですが
なにかお勧めのテキストはありますか?
なるべく偏ってないのがいいのですが
93日本@名無史さん:04/07/05 21:32
>学者が良く引用してるわな。
そういう印象をあまり持たないのですが。
具体例をいくつか挙げてくれませんか?
94日本@名無史さん:04/07/05 22:04
>>90
むしろ「平安時代史辞典」のほうがお勧めだが。
絶版だっけ?
95日本@名無史さん:04/07/05 23:11
 三井や本間家は維新後士族でつか?江戸期は士分扱い?
96日本@名無史さん :04/07/05 23:19
9世紀〜10世紀にあった疾病、飢餓などありましたら教えてください。宗教と絡めてレポートを作らなければ行けないんです。
97日本@名無史さん:04/07/05 23:21
>>95
三井は家族、本間は本間様のまま。
98日本@名無史さん:04/07/06 00:50
>>94
品切れだね。まあ大きな図書館には置いてあるだろうが。
9990:04/07/06 09:31
>94 >98
お勧め本は絶版ですか。
手元に資料として置いておく必要があるので
図書館で借りるわけには行かないし……うーん残念。
有識故実大辞典で検討してみます。
ありがとう。
100日本@名無史さん:04/07/06 12:27
横レス欠礼

>>97
家族って華族?
本間様のままってことは平民のままってことですか?

>>93
明治初期の本や江戸時代の朝幕関係の本で何度か見たよ。
日本の近世の2巻とか。
101日本@名無史さん:04/07/06 17:27
>>96
疾病は「やまいのそうし」でググって見れ。
102日本@名無史さん:04/07/06 19:11
>>99
古本屋を探してみたら?
103日本@名無史さん:04/07/06 22:30
伊達政宗のお友達(?)で●●小●郎という人が居るらしいのですが
どなたか分かりますでしょうか?
お城も有り、お墓は白石蔵王にあるようです。
104日本@名無史さん:04/07/06 22:37
>>96
古代・中世の飢饉の数を正確に示すのは困難。
さしあたり現在のところ最も依拠するに足る「日本凶荒史考」(1936)目次によると、
飢饉を経験した年の回数は、700年代61回、800年代72回、900年代23回、1000年代13回、
1100年代15回、1200年代16回、1300年代16回、1400年代37回、1500年代44回となっている。
700、800年代が多く900年代以降激減しているのは、前者の時代は中央政府が
各国々の飢饉への対処を職務としていたため、一国規模や局地的な飢饉までも六国史に
記録されたのに対し、以後は中央政府のそのような対処が行われなくなり、
正史が六国史以後絶えることもあいまって、中央で地方の飢饉を網羅的に記録することが
なされなくなったので、たまたま記された飢饉史料が断片的に残されることになったからである。
したがって900年代以降中世の飢饉は、局地的なものを含めるとすればこの数字
よりはるかに多い数を想定すべき。
105日本@名無史さん:04/07/06 22:50
 ふと思ったんですが旗本って徳川家康の血が何らかの形で入ってる可能性高くないですか?
10696:04/07/06 23:05
101さん、104さんありがとうございました。
107日本@名無史さん:04/07/06 23:08
>>105
「寛政重修諸家譜」で系譜はたどれますから、ご自分でお調べになればいかがですか?
たぶん高くないと思いますが。
108103:04/07/06 23:09
すみません解決しました。失礼しました。
109日本@名無史さん:04/07/07 03:10
片倉小十郎。
NHKの大河ドラマ独眼竜正宗では西郷輝彦がやってたな。
正宗付きの小姓頭で、後に重臣。
なんで伏せ字にする?
110日本@名無史さん:04/07/07 13:36
薩摩藩と清に両属していた時の琉球(明治以前)では何語が使われていたんですか?
111日本@名無史さん:04/07/07 13:40
>>110
薩摩弁、清語、琉球語
112日本@名無史さん:04/07/07 13:48
日蓮って童貞だったのですか?
113日本@名無史さん:04/07/07 13:50
>>112
日蓮に聞け
114日本@名無史さん:04/07/07 15:30
>>111
比率はどの程度かわかりますか?やっぱり薩摩弁が一番多かったんですかね?
115日本@名無史さん:04/07/07 15:53
>>114
ほとんど適当に言ったんだよw

あと、台湾の各部族の言葉も通じたかもしれない。
まぁ、琉球は薩摩の統治下だし、もともと琉球としての言葉はあるだろうし、清や(現在の)台湾なんかとも通商があったし、結構人の行き来もしてたんじゃないかな。
今でも、地元の人で泳ぎの達者な人は台湾あたりまで泳いでいくとか。
116日本@名無史さん:04/07/07 16:04
>今でも、地元の人で泳ぎの達者な人は台湾あたりまで泳いでいくとか。

んな馬鹿なw
琉球から台湾の距離を見てみなよ。

あと、普通に領海侵犯じゃん。
117日本@名無史さん:04/07/07 16:14
>>116
普通に福岡-大阪間の距離はあるな。
まあ沖縄の人間ならそれくらい泳げるんだろう。
それから琉球とは違うが与那国島から泳いだってのを勘違いしてるのかも知れんぞ。
これなら問題なかろう。
それでも京都-名古屋くらいはあるがね。
118日本@名無史さん:04/07/07 16:19
>>116>>117
なんかで聞いたか、読んだんだよ。
119日本@名無史さん:04/07/07 16:20
あと、沖縄からと言っても、沖縄本島からじゃないよ。
120日本@名無史さん:04/07/07 16:26
琉球って言ったら那覇島とその周辺をさすんじゃないのかな。

まあどうでもいいけど。間違ってたらスマソ。
121日本@名無史さん:04/07/07 16:31
>>120
それじゃあ、俺の間違い。すまぬ。
122日本@名無史さん:04/07/07 16:33
普通は泳げないw。

琉球語は、本土語とともに日本語の2大朝流。
薩摩に支配を受けた奄美でさえ、薩摩弁の影響はごくわずか。
つまり、琉球では琉球語が話されていた。
現在は、本土なまりの強い琉球語が主流かな。
本土語を話す若い世代が大増加中。
123日本@名無史さん:04/07/07 17:31
ただいま古史研究でおなじみの原田実さんに関して
以下のような疑惑が上がっています。

「原田実は自分のプロフィールで、

http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/profile.htm

>一九九五年、パシフィックウェスタン大学(カリフォルニア)
>        博士過程終了。史学博士。

と書いているが、「パシフィックウェスタン大学」は、
アメリカ教育省の認可を受けていない、学位を金で
売るインチキ大学。」

「パシフィックウェスタン大学をgoogleで検索した所、
このような情報が得られました。」

http://www.google.co.jp/search?q=cache:ipvDJSlY4xMJ:www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~kojima/gakurekishasho1.htm+%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6&hl=ja

http://www.google.co.jp/search?q=cache:NyXXKtnkK0AJ:www.eolas.co.jp/hokkaido/kitashin/column/2003/0530.html+%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6&hl=ja

http://www.google.co.jp/search?q=cache:jEPSD0Oi-JQJ:homepage1.nifty.com/kito/hounohana.history.htm+%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6&hl=ja

http://www.google.co.jp/search?q=cache:ET1TAUyVYlcJ:hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20040527202.html+%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6&hl=ja

http://www.google.co.jp/search?q=cache:p7WM2fjgurIJ:www.kaigisho.ne.jp/literacy/midic/data/k26/k26110.htm+%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6&hl=ja
124日本@名無史さん:04/07/07 17:32
苦言を呈したい方はこちらまで

◎版元への扉(原田実との関係については「主要業績リスト」参照)
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/RINK.htm
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/gyouseki.htm
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/

参考スレ
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1089095462/
の9以降
125日本@名無史さん:04/07/08 04:11
>>123-124
ここは質問スレ。
そういうのは専用スレでやってくれや。
126日本@名無史さん:04/07/08 12:17
質問させて下さい。
国連難民高等弁務官として活躍されていた緒方貞子さんと犬養毅首相は
血縁関係と聞きましたが娘なんですか?
127日本@名無史さん:04/07/08 12:46
128日本@名無しさん:04/07/08 13:18
>>126

犬養毅┬健┬道子
    │  └康彦
    └操(健の異母姉)
      ||───恒子
    芳沢健吉  ||───貞子
     (外相) 中村豊一  ||
          (外交官) 緒方四十郎
129126:04/07/08 13:36
>>127,128
早速のレス有り難うございました
130日本@名無史さん:04/07/08 19:54
緒方貞子の命をタリバンが狙っているそうですが
タリバンってアホなんですか?
131日本@名無史さん:04/07/09 00:38
>>130
質問スレなのでそういう話題やレスはご遠慮いただけませんか?
132日本@名無史さん:04/07/09 15:56
>130
字も読めない幹部がゴロゴロしているチンピラゴロツキの集団です。
133日本@名無史さん:04/07/09 16:53
>>122
>琉球語は、本土語とともに日本語の2大朝流。
>薩摩に支配を受けた奄美でさえ、薩摩弁の影響はごくわずか。
>つまり、琉球では琉球語が話されていた。
>現在は、本土なまりの強い琉球語が主流かな。
>本土語を話す若い世代が大増加中。

賛成だが、アイヌ語と共通しないのが不思議だ。
顔は南北で似てるんだけどね。
琉球語と本土語とアイヌ語で日本語の三大潮流とはいえないかい?
網野が生きてたら何というか?
134日本@名無史さん:04/07/09 20:22
まあパシュトゥン人は先祖代々山賊家業とかいう人たちが多い民族ですからなあ。
血の気も多いですし。

まあそりゃおいといて、イスラム原理主義過激派の中にはアメリカだけでなく、
国連などの国際機関すら米帝、シオニストの手先と見なして敵視しとる連中がいます。
イラク戦争の時の両者の軋轢を見てどうしてそうとれるのかが不思議ですが、
やっぱり根本的にアホなんでしょう。
135日本@名無史さん:04/07/09 20:22
だーここ日本史板じゃん…間違えて答えちゃったよ…_| ̄|○
136日本@名無史さん:04/07/09 23:42
豪族や貴族の一番上の人を、内部の人たちはどう呼んでいたんでしょうか。

何か肩書きのようなものがあれば教えてください。
137日本@名無史さん:04/07/09 23:47
「内部」ってなんの内部?
138日本@名無史さん:04/07/10 01:12
>>136
時代にもよるが、御館様とか、かみ・うえに御とか様をつけたり。

あと、肩書きってのは役職一般を表す言葉だから、その使い方では意味が通らないよ。
会社で一番偉い人の肩書きは何?って聞いてるようなもの。
朝廷から貰った官位をそのまま呼称に使ったりしてる。頼朝を右大将と呼んだりね。
これは平安から江戸まで、日本の伝統。


される身に なってヨイショは 丁寧に
答え書く 身になって問いは 丁寧に
139日本@名無史さん:04/07/10 01:42
ここって国語スレじゃないんですよね・・・
どこかに日本語の文法の質問できるスレないですか?
140日本@名無史さん:04/07/10 01:48
女性の下着はどんなだったのですか?
男もいつ頃から褌するようになったのですか?
141日本@名無史さん:04/07/10 02:30
>>138
解説感謝します。

おかしな質問ですみませんでした。
142日本@名無史さん:04/07/10 02:44
戦前あった神川銀行の詳細ギボン
143日本@名無史さん:04/07/10 16:03
三大善光寺って
「長野善光寺・飯田市の元善光寺・甲府市の甲斐善光寺」
でいいんですか?
他にも三大善光寺と言っている所があるみたいなんですが。
144日本@名無史さん:04/07/10 18:23
民俗関係の板で聞くべきかと。
145143:04/07/10 18:35
>>144
わかりました。
146日本@名無史さん:04/07/10 21:26
1945年当時の10万円は、今で何円くらいの価値ですか?
147日本@名無史さん:04/07/10 21:34
マルチですみません!
植民地時代の日本は、半島の5%くらいの土地を所有してたそうですが、
5%というと、東京都と大阪府を合わせたより広いんですか?
148日本@名無史さん:04/07/10 21:36
>>147
ずっと広いよ。
149日本@名無史さん:04/07/10 21:45
なんだよ東京って…w
東京なんて耳糞みたいな広さだろw
お前はでかいでかいって思ってるかもしれんが、アホみたいに狭いぞ。
150日本@名無史さん:04/07/10 21:46
日本が朝鮮と台湾で内地とは別の通貨を発行したのはなぜですか?
国境を越えた通貨統合がなされてる現代で
同じ国で通貨が違うってなんか異様なんですが。
151日本@名無史さん:04/07/10 21:49
植民地だからな。
勝手に送金とかできないようにだよ。
152日本@名無史さん:04/07/10 21:58
残り95%は朝鮮人が所有してたのか?
153日本@名無史さん:04/07/10 22:05
>>151
なんで送金できると困るんですか?
154日本@名無史さん:04/07/10 23:15
こちらなら御存知の方もいるかと思いましたので、質問させてください。

知人に姓をふたつ持っている人がいます。
私達が知っているのは戸籍の姓で、二番目のほうは
彼の家の表札を見てはじめて知りました。

彼いわく、二番目はニックネームみたいなもので、
先祖の代からそうなっているそうです。
でも表札まで二番目の姓なら、それは愛称ではありませんよね?

昔の日本にこういう風習はあったのですか?
ちなみに彼は生粋の日本人です。
155日本@名無史さん:04/07/10 23:21
屋号でぐぐってみ
156日本@名無史さん:04/07/10 23:26
154です

>>155
屋号なんですか!
なるほど!

でも、彼の家は農家ですよ。
ともかく、ぐぐってきます。
教えてくれてありがとうございました。
>>147
当時の漢半島の面積×5% と 東京との面積+大阪府の面積 を比較すれば良いじゃん。マルチで聞くようなことか?
それで「日本人は東京と逢坂を合わせた土地よりも広い土地をウリから収奪していたニダ」とでも誘導したいのかね。
そんな昔のことよりも「今現在在日が自分の土地だと主張している土地のうち、不法占拠によって日本人から強奪した
土地の割り合い」にでも関心を持ったら? その5%というのは合法的に「購入」したもんだしな。


>>150
>>国境を越えた通貨統合がなされてる現代で
ラテン語を基調としたキリスト教文化と言う共通項がある欧州ですら、ユーロ導入に反対の国があるの。飛躍し過ぎ。
よしんば、現代がそういう方向に向かっているとして、なぜそれが半世紀前の日本で通貨統合がなされるべき根拠になる?
ドルが世界の基軸通貨になったのはいつだ? 時代の必然と段階的な発達というのを無視しちゃいかんよ。 

>>153
151をフォローすると、経済力があまりにも違う地域同士を通貨統合すると、弱い方の地域でインフレが起こる。
また、その経済力を求めて、密入国などの人間が増えて労働人口が減ってしまい、地場産業が空洞化する。
日本で稼いだ金を朝鮮なり台湾なりに送金すれば、通貨統合がなされているとそのまま通用するわけだからね。
日本で1年働けば中国での10年分の稼ぎになると密入国が絶えないのと一緒。治安も悪化するし、
日本国内の労働の場を、外地人が奪うことにもなるしね。そこは、しょせん植民地より本国が大事が本音。

>>154
前スレでも同じこと聞いてた香具師がいたな。
農民が名字がないなんてことはない。公的に名乗るのを江戸時代は禁じられていただけで、家に伝来する
名字はあった。禁じられていたので商家の場合は屋号という形で名乗っていただけ。
ついでに「氏」と「本姓」でもぐぐってみな。土農でも元はちゃんとした家柄だったりしてる場合も多い。
158日本@名無史さん:04/07/12 19:51
藤原純友と平将門は連携作戦をとろうとはしなかったんですか?
159日本@名無史さん:04/07/12 20:02
>>158
お互いの事もしらなかたでしょう。
160日本@名無史さん:04/07/12 20:04
なんでそう言い切れるだよ。
お前本人に聞いたのか?ボケ。
161日本@名無史さん:04/07/12 21:08
158だが、横から口を出すなら礼儀を知っとけ>160
162日本@名無史さん:04/07/12 21:17
お前に言ってねえよ。死ね。ていうかマジ死ね。
163日本@名無史さん:04/07/12 21:21
>>162
通りがかりの者だが、君は喧嘩したいだけの厨房か?
2ちゃんねるには向かない性格だ出て行きなさい。
164日本@名無史さん:04/07/12 21:22
お前が出て行けよ。
165日本@名無史さん:04/07/12 21:23
166日本@名無史さん:04/07/12 21:24
やれやれ。反応するやつも荒らし同様ってことを知らないみたいだな…。
お前のほうが2ちゃんをわかってねえよw

俺?俺房板住民だし、これが住民活動だから。
167日本@名無史さん:04/07/12 21:26
自治スレでもあったが、ここの住民は荒らしは放置という基本から教育が必要だな。
>>161
>>163
は反省しておきなさい。
168日本@名無史さん:04/07/12 21:27

ふと思ったんですが鎌倉以前の人名って、例えば
小野妹子(おの「の」いもこ)
平清盛(たいら「の」きよもり)
源義経(みなもと「の」よしつね)
というふうに「の」が入りますよね?IMEでも一発変換出来るし
この「の」が鎌倉以降(たぶん)人名から無くなったのは
なぜなんでしょうか?
169日本@名無史さん:04/07/12 21:28
君みたいな、のーなしがふえたから。
170日本@名無史さん:04/07/12 21:28
うまいw
「の」無しか。
171日本@名無史さん:04/07/12 21:34
>>168
時代によって呼称が変わっていたかどうかは分りません。
172日本@名無史さん:04/07/12 21:50
>>169
お前そろそろ厨房板に帰れよ。
すげー邪魔。
173日本@名無史さん:04/07/12 21:52
学校のテストのことで恐縮なんですが、日本の仏教の歴史を、当時の価値観の変化を交えて述べねば
ならない問題がでるのですが、どこかよさげなサイトないでしょうか。

一応自分でも検索かけてみましたがよくわかりませんでした。
どなた様か詳しい方、愚かな漏れに愛の手を・・・。
174日本@名無史さん:04/07/12 22:05
世界史板の雑談スレ行って「山野さん」に聞いてみな。
よろこんで詳しく教えてくれるから。

ここで中途半端に聞くより絶対に確実。
175日本@名無史さん:04/07/12 22:37
>>173
とりあえず教科書嫁
あと資料集とかミロ
インターネットで何とかしようと思ってる時点でダメだ、藻前

仏教伝来→崇仏排仏→鎮護国家→密教→末法思想→鎌倉新仏教→一向一揆→寺請制度
てとこだろ
176日本@名無史さん:04/07/12 22:53
>>168
>この「の」が鎌倉以降(たぶん)人名から無くなったのは
>なぜなんでしょうか?

別に無くなってはいないよ。
177日本@名無史さん:04/07/12 23:10
>176
そうなの?
なんとなくそんな印象があるから質問したんだけど

例にあげたように平清盛・源義経
辺りまでは「の」があるけど、
鎌倉時代の北条家でも「北条の時宗」
室町時代でも「楠の正成」「足利の尊氏」
戦国時代では「織田の信長」とか「武田の信玄」
とか聞いたことがないからね。
「の」は何で無くなったのかなと思ったんだよね。
178日本@名無史さん:04/07/12 23:25
氏には「の」がつく 名字にはつかない
179日本@名無史さん:04/07/12 23:25
今でも「の」は使う。
となりのやまだくんとか。 ジョークでなく「の」はそういう意味だから。
180日本@名無史さん:04/07/12 23:35
>178->179
なるほど。氏と名字をごっちゃにしてたんだな、私は。
わかりました。ありがとう。

181日本@名無史さん:04/07/12 23:55
おいおいw
まあいいか。
182日本@名無史さん:04/07/13 00:08
>>177
北条時宗→平時宗
楠正成 →橘正成
足利尊氏→源尊氏
織田信長→平信長
武田信玄→源晴信
183日本@名無史さん:04/07/13 01:12
一般に知られている西郷隆盛の顔は、本物とぜんぜん違うって本当ですか?
184日本@名無史さん:04/07/13 01:13
↑別スレから移ってきました。
185日本@名無史さん:04/07/13 01:18
男は顔じゃないよ。がんばれ。
186日本@名無史さん:04/07/13 01:26
>>175
その文脈で“一向一揆”とか言っている時点でダメだ、藻前
187日本@名無しさん:04/07/13 01:56
>>183
「こげなお人ではなか!」
http://hccweb1.bai.ne.jp/~hci59701/hima/saigousan.html

絵描き僧で松方正義の政治顧問をしていた事もある平野五岳の絵
http://373news.com/2000picup/2003/08/picup_20030827_4.htm
188日本@名無史さん:04/07/13 13:34
明治時代の学制は何才以上から義務教育でしょうか
189日本@名無史さん:04/07/13 16:21
>合法的に「購入」したもんだしな
そうそう。アメリカのインディアンの土地や、日本のアイヌの土地や、
すべて合法的なんだよね。
香港割譲も、アメリカの日本占領下の政策も合法的。
あ、朝鮮人が符号砲に取った土地って、随筆じゃなくて、
具体的に住所で教えてね!
190日本@名無史さん:04/07/13 16:28
>>188
小学校は満6歳入学で上下2等各4年
191日本@名無史さん:04/07/13 20:32
>>190
ありがとう
192日本@名無史さん:04/07/13 21:33
念のため。
義務教育は最初は4年間。
193日本@名無史さん:04/07/13 21:58
>>189
スレを荒らすのが目的の香具師にマジレスもアレだが・・・
韓国の大学で韓国人の教授に「日本は非合法に朝鮮の土地を搾取した」
と、論破してみろよ。
>>189は、民団が日本に住む朝鮮人の九割は朝鮮戦争の時の不法入国者だと
いっていることも認めないんだろ・・・

>あ、朝鮮人が符号砲に取った土地って、随筆じゃなくて、具体的に住所で教えてね!
駅前のパチンコ屋がそうだよ。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:7OPdao1xf1oJ:www.geocities.com/naverfan/ZMondai01/+%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%80%80%E4%B8%8D%E6%B3%95%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E3%80%80%E9%9F%93%E5%9B%BD&hl=ja
ついでだ↓サービスだぞw
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/0202hansin/01.html

194日本@名無史さん:04/07/13 21:58
中世のころの食事は基本的に朝夕2食で、戦に行くときは3食になる
と言うようなことを聞いたのですが、食事は大体何時くらいに取っていたのでしょうか。

195日本@名無史さん:04/07/13 22:16
朝食 明るくなりはじめた頃
夕食 暗くなる前

よって季節により食事時間は一定していません。
196日本@名無史さん:04/07/13 22:55
現地民にとって著しく不利な法律・システムであるなら
例え合法であっても
収奪したことに変わりはないと思うが




と近所の犬が言ってました
197日本@名無史さん:04/07/14 00:34
文明人としての最低限の規範すら無いモノに
文明を授けようとすることは間違っているのではないか








と、昨夜鍋にして食べた猫が殺される前に言ってました
198日本@名無史さん:04/07/14 00:55
源平合戦を描いた小説で歴史小説ビギナーでも読みやすい本あったら教えてください
199日本@名無史さん:04/07/14 01:16
>>198
漏れは司馬で良いと思う。小説ならね・・・

ただ、この板で司馬を褒めるとブサヨがファビョルから、
司馬の『義経』はページ数が少ないから初心者にはお勧めだとしておこう。
作者の主観で脚色されているので史実ではないということだけは一応述べておく。


興味をもったら桜田晋也の『北条政子』がお勧め。古本屋で見かけたら思い出してほしい。
もっとも源平合戦はほとんど描いていないのだがw三部作で実朝篇まである。
20085:04/07/14 06:45
上杉鷹山公についてまた質問です。
(先日、回答をくださった方、ありがとうございました)
養父の息子に家督を譲ったそうですが、鷹山自身の息子もいたのでしょうか?
いたとすれば、鷹山の息子の消息が知りたいのですが。
どこかの藩主になったのでしょうか?
201日本@名無史さん:04/07/14 08:11
鷹山の息子は養父の息子(治広)の養子になりましたが早死にして藩主にはなれませんでした。
鷹山の血筋は男系では断絶しています。
202日本@名無史さん:04/07/14 08:26
 郡会というのは大地主からなっていたって本当ですか?普通の地主はなれなかったの?
うち郡会議員やってたらしいけど大地主だったてこと?
203日本@名無史さん:04/07/14 09:01
>文明人としての最低限の規範すら無いモノ
アメリカが日本を無差別空襲や原爆で叩き潰した理由ですね。

>>193
上は読めん買ったが、下を読むと、
>不法占拠によって「日本人から強奪」した
なんてニュアンスでは全然違うやん。
しかも、ウヨ君のくせにサヨの記事がソースw??。
204日本@名無史さん:04/07/14 09:07
>>202
郡長は官選で、府知事・県令の下にあって町村を監督し、もっぱら上命下達
にたずさわった。当時郡長は警察とともに国家権力の象徴的存在とみなされ、
各府県会ではしばしば郡長公選が建議された。
90年の郡制公布によって郡には郡会がおかれ初めて地方自治体となったが、課税権もなく、
府県知事や内務大臣の強い監督権下におかれ、自治体としては不完全であった。
郡会はその3分の2の議員を各町村会が選挙し、残り3分の1は地価1万円以上
の土地を所有する大地主が互選でえらぶこととされ、地主層中心の議会となった。
99年に大地主議員と町村会からの複選制は廃止され、直接国税3円以上を納める者
を選挙権者とし、同じく年額5円以上を納める者を被選挙権者とする改正がおこなわれた。
大地主議員はプロイセンにならった制度であるが日本の実情にあわず、また複選制
は町村の政争を激化するというのが改正理由であった。
しかし、その後も郡は自治体として不十分であったため地方制度合理化の見地から
問題視され、日露戦争以後たびたび郡制廃止が議論の対象となった。
郡制廃止問題の背景には、官僚支配の牙城である郡制を維持しようとする
貴族院の山県有朋系勢力と、廃止を機とし内務省内の山県閥を弱めようと
策する原敬ら政友会勢力の対立があった。廃止法案は衆議院を何回か通過
しながらも貴族院で流産させられ、成立したのは原敬内閣下の第44議会
(1921)である。1923年4月1日郡制は廃止され、郡は純然たる行政区画となった。
さらに26年7月には、地方行政整備と地方財政緊縮の見地から郡長以下の
官吏が廃止され、郡役所もそれに伴って姿を消し、郡は単なる地理的名称となった。
205日本@名無史さん:04/07/14 09:10
郡長と郡会議員では違う予感・・・。
まあ、大きめの地主なんだろうけどね。
206日本@名無史さん:04/07/14 11:12
>>203
そうだよなあ併合前はソウルの人口の8割が奴隷
階級だったんだけど奴婢とかの奴隷制度も復活すべきだよなあ
日帝許せん
207日本@名無史さん:04/07/14 13:13
中世封建社会成立期について、武士の道徳や政治はどうだったんですか?
208日本@名無史さん:04/07/14 13:21
朝鮮における賎民制度廃止は農民戦争による1894年。
日本における賎民制度廃止は維新政府による1871年。
日韓併合は1910年。

209日本@名無史さん:04/07/14 13:22
>両班
土地改良のリーダーだった農村の在地両班と都市両班について、
自作農的側面と、地主的側面から教えてください。
また、在地地主性と寄生地主性について、1945年までの日本との、
同じ側面と違う側面について教えてください。
210日本@名無史さん:04/07/14 13:23
>>207
何世紀または、いつごろを想定してるの?
211208:04/07/14 14:00
明治維新後四民平等となり
日本では身分差別も無く
財産も共有となり貧富の差も
なくなりました。
まことにすばらしいことです。

世の中の現実を完璧に理解しているのは
208のみです。おまえら無知杉w


>206
北鮮では人口の99%が現在でも奴婢ですが何か?
212日本@名無史さん:04/07/14 14:27
>211
ガンガレ!
江戸時代の町民は豊かだった
昭和は豊かだった
と言い出すレベルに達すれば
晴れて小林よしのりのあとを継げるzo!
213日本@名無史さん:04/07/14 20:07
>>207です。
>>210さんへ、だいたい鎌倉時代の日本を想定して欲しいです。
中世封建社会成立期について、武士の道徳や政治はどうだったんですか?
214日本@名無史さん:04/07/14 21:03
今の俗に言う武士道のようなものはなく、純粋に血縁集団による倫理っつうか、
山賊と対して変わらん奴らだったよ。
恩と奉公は一応あったがね。

以上、いっこくどうがテレビで言ってた。
215日本@名無史さん:04/07/14 21:20
負けそうになれば逃げたり、敵側につく。
最高の命題は、自分の一族を守ること。

そのためには、個別的にも集団的にも、
結構、今の価値観だとせこくてずるいことも良くやってる。

でも、それが当時の武士道。忠義を尽くすというフィクションは、
江戸中期の平和の時代の脳内妄想。幕末の裏切りを見よ。

古代の兵に比べれば、戦い抜くとか、多数の死亡とかが発生してはいる。
しかし、生きるのびることが最大の命題であった。
216日本@名無史さん:04/07/14 21:25
>>212
ん?事実じゃん
217日本@名無史さん:04/07/15 00:47
>>215
そそ。血を絶やさずに次代に伝えてこそ武士。
だから勝ち馬に乗る。裏切り上等。
君、君足らざればサヨウナラ。武士道って、美化され過ぎやね。
218日本@名無史さん:04/07/15 01:15
>>216
多分、そのレスでは煽りだと彼は思んじゃないの?
親切で詳しい人が光臨すれば別だけど・・・

つーか昨日から活躍中の彼。
日本史なんか、どーでもいいんじゃないのかな(苦笑
219日本@名無史さん:04/07/15 01:28
(苦笑
220日本@名無史さん:04/07/15 03:52
>>189
東京の総連本部の土地がどうやって総連の物になったかも知らないのか?
やれやれ。こう言うのは親から子へ語り伝えていかんと、風化するんだな。
221日本@名無史さん:04/07/15 05:04
気持ちはわかるが東京の総連本部の話をしてるわけではないと思うぞ。
どっちも収奪したものと考えてるのかもしれんじゃないか。
222日本@名無史さん:04/07/15 07:43
>ん?事実じゃん

江戸庶民でさえそんなに裕福ではなかった。
隠居して郊外にあばら屋に住めれば上等ってレベル。

ゼニはねえけど人情に厚い、宵越しの金は持たねえぜ、
ってのが江戸っ子よ。
223日本@名無史さん:04/07/15 07:48
>>216

続き
それと、戦前の貧富の差については
ttp://mltr.e-city.tv/faq08c.html#was-rich
でも見ておけば?
224日本@名無史さん:04/07/15 09:11
晒しとこうかw

>>206
そうだよなあ併合前はソウルの人口の8割が奴隷
225日本@名無史さん:04/07/15 09:29
>>223 横レスだけど!あんま意味無いと思うよその比較は・・・現代から見てもね!当時の他国と比べたらどうなんだろう?
大根だけでも毎日食べられるだけでもいいほうだったりして?
226日本@名無史さん:04/07/15 09:44
>>222 江戸っ子といっても職人と商人ではかなり違う・・・言葉も違うし。
227日本@名無史さん:04/07/15 11:02
>当時の他国と比べたらどうなんだろう?

いわずもがなな話だと思ってたんだが、
最近のお子様はまさか本気で戦前の日本は豊かだったと思っているのか?

とりあえず当時のインフラの数字でも見て判断してくれや。

1939年時の主要幹線の道路舗装率

アメリカ 39%
イギリス 44%
フランス 31%
ドイツ  36%
イタリア 28%

日本   0.9%
228日本@名無史さん:04/07/15 11:04
主要国交通機関概要表

国名   鉄道延長m  m/一万人  機関車数    客車数    貨物車数    自動車数  台数/人口千人

ドイツ    13.8万    11.9    2.0万     6.3万    57.3万    110.0万       17
イギリス   8.1万    12.0    2.0万     4.2万    61.9万    202.8万       45
アメリカ   63.3万    34.1    4.5万     2.4万   179.0万   2616.7万      213
フランス   6.6万    15.8    1.9万     3.2万    49.4万    218.0万       52
イタリア    2.9万     4.9    0.6万     0.7万    12.5万     39.0万       10
ソ連      8.5万      −      −        −        −      34.5万        2

日本     3.7万     3.9    0.4万     1.1万     7.3万     20.9万        3

>>226
あのね……、庶民経済の話をしてんだけど。
229日本@名無史さん:04/07/15 13:34
教えてください!宿題で出された問題です。
「産業革命について述べよ。また、産業革命と日本の明治維新との関係を述べよ。」
230日本@名無史さん:04/07/15 16:31
>229
産業革命:ぐぐれ

明治維新との関係:官製主導

以上

231日本@名無史さん:04/07/15 19:23
>>227-228 当時の先進国と比較すればそうだろうが・・・
232日本@名無史さん:04/07/15 20:08
 家は土豪だったらしいですが江戸時代は庄屋です。そんで、その土豪らを締めてた家が旗本・・・
どの程度の家まで幕府や藩に御呼ばれするんでしょうか?
233日本@名無史さん:04/07/15 20:10
藩によって違うよ。
庄屋だって地域によって形態が全く違うからね。
それだけじゃなんとも言えない。
234日本@名無史さん:04/07/15 21:47
幕府は旗本までがお目見えだろう。
235日本@名無史さん:04/07/15 21:51
>産業革命
日本の産業革命が展開した19世紀末〜20世紀初頭には、欧米先進諸国ではすでに
重化学工業の発展を基礎に独占資本主義体制が成立し、これら欧米列強による
世界の帝国主義的分割が進行しつつあった。
日本の産業革命は、欧米列強に資本・技術・市場面で従属しつつ、その従属からの
自立を課題とする国家の政策に支えられ、とくに朝鮮・中国への軍事的・政治的進出
を契機に展開した。
官営軍事工業を中心とする重工業の発展が、軍事的・政治的必要にもとづく国家
の政策的支援と、朝鮮・中国からの軍事力を背景とする原材料の確保によって可能
とされただけでなく、紡績業・製糸業などの繊維工業の発展も日本銀行を頂点とし
特殊銀行・都市銀行を通ずる政策金融に支えられ、朝鮮・中国への綿製品の輸出の
増大も軍事力・政治力に支えられていた。
こうして産業革命による日本資本主義の発展は同時に日本の帝国主義への転化をもたらし、
日本帝国主義の形成は先進諸国による東アジアの帝国主義的分割の重要な契機となった。
236日本@名無史さん:04/07/15 22:03
>>234 いや・・・そういうことじゃなくて!仕官できたということ。
237日本@名無史さん:04/07/15 22:06
>>227-228
こんなんでヤンキーと戦争すんなよと思った。
いやもう土下座してでも。
238日本@名無史さん:04/07/16 00:29
何時まで池沼の相手をするつもり?
239日本@名無史さん:04/07/16 00:29
240日本@名無史さん:04/07/16 00:41
>>XXX
↓へ移動してください。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087894653/l50
241日本@名無史さん:04/07/16 01:06
●麻原彰晃 →オウム真理教教祖 父親が朝鮮籍。サリンを撒き無差別殺人。坂本弁護士一家惨殺
●宅間守 →大阪 池田小学校の児童殺傷。8人殺害 15人が重軽傷。朝鮮人部落出身
●東慎一郎 →酒鬼薔薇聖斗。神戸の首切り小僧。生首を校門に飾る。2人殺害。元在日朝鮮人
●林真須美 →和歌山 毒入りカレー事件。4人毒殺 63人が負傷。帰化人
●織原城二(金聖鐘) →神奈川 帰化人、英国人 豪州人女性を強姦、ビデオ撮影、バラバラ殺人
●関根元 →埼玉の愛犬家連続殺人犯。4人を殺害。肉片を削ぎとりドラム缶で焼却、川へ流す

●丘崎誠人 →奈良 岩を数回、少女の頭部に投げつけて絶命させた 在日朝鮮人
●キム・ミンス →韓国人留学生 強盗殺人犯。大分 日本人老夫婦を刃物で殺傷
●李東逸 →韓国人 檀国大学教授。芝居観覧のため来日中、東京で日本人女優Nを強姦
●金允植 →韓国人 強姦罪で指名手配中に逃亡目的で来日。大阪で主婦を100人以上連続強姦
●金大根 →韓国人の強姦魔 連続児童虐待暴行殺人。6名の女児死亡
●李昇一 →韓国人 東京 テレビ「ガキの使い」関係者を名乗り少女140人をレイプ
●沈週一 →韓国人 鳥取 大阪 和歌山 ベランダから女性の部屋へ侵入し9人を強姦
●張今朝 →韓国人 長野 「一緒に猫を探して」と小学校4年の女児をレイプ
●ぺ・ソンテ →韓国人 横浜 刃物で脅し、女子小学生14人をレイプ
●宋治悦 →韓国人 東京 ナイフで脅し手足を縛り下着で目隠しの上、主婦19人を強姦
●崔智栄 →北朝鮮籍の朝鮮大学校生 新潟 木刀で傷を負わせ、18歳少女2人を車の中で強姦
●金乗實 →北朝鮮籍の朝鮮大学校生 同上、共犯者。他にもう一人19歳の共犯者(朝鮮籍)あり
●鄭明析 →韓国人 カルト「摂理」教祖。日本人1000人、台湾人100人、米英仏人などを強姦
●徐裕行 →韓国籍 オウム真理教幹部・村井秀夫刺殺事件の刺殺犯。裏で北朝鮮が関与か
●国松孝次警察庁長官狙撃事件。現場近くから北朝鮮製のバッジ、韓国のウォン硬貨などを発見
●世田谷一家惨殺事件。採取された指紋が韓国人の男と一致。韓国警察からは協力を得られず
●東京資産家強盗殺人事件。奪われた腕時計が韓国で販売。韓国人グループの犯行とみて捜査中
242日本@名無史さん:04/07/16 14:42
農民でも武士身分にすれば取り立てられるんでは?
243日本@名無史さん:04/07/16 17:01
>>242 ????
244日本@名無史さん:04/07/16 19:48
>>242
農民でも取り立てられて武士身分になることがある、では?
245日本@名無史さん:04/07/16 20:02
>>244 取立てって時々聞くが天領で取る立てと言う事はあるのだろうか?
246日本@名無史さん:04/07/16 20:18
1910年代の日本との対外関係について詳しく教えて下さい。
247日本@名無史さん:04/07/16 20:25
>>246
日本と何処の対外関係ですか?
248日本@名無史さん:04/07/16 20:41
>>247
マリネラ王国
249氏名黙秘:04/07/16 20:46
なんど考えても不思議なんですが、秀吉は家康のことを常にびびっているように
しか感じないのですが・・。天下人なのに母親を人質にしたり。
これは何故でしょうか?
あと秀吉なら後に家康が反旗を翻すのをわかっていたはずなのに、なぜ家康を滅ぼさず
に朝鮮を攻めたのでしょうか?
250日本@名無史さん:04/07/16 20:56
>>249
秀吉に「後に家康が反旗を翻すのをわかっていたはずなのに、」はない。
年とったからさ国内の争いはもう充分ってとこだ。
家康は臣従しているし、なにより秀頼には戦をさせたくなかったのだろう。
251氏名黙秘:04/07/16 21:08
でも反旗を翻すのをわかっていたから、大坂城を死ぬまで拡張し続けたのでは
ないのでは?
252日本@名無史さん:04/07/16 21:15
>>251
宗主というものは城を固めるものだ、家康の江戸城を見ろ。
253氏名黙秘:04/07/16 21:25
では秀吉はもうろくしてて家康を信じきってたのでしょうか?
254日本@名無史さん:04/07/16 21:31
>>253
チャットかよ(w

耄碌していたかどうかはわからないが信じてはいただろう。
そうでもなければ六年にもわたる文禄・慶長の役などせんだろうて。
255日本@名無史さん:04/07/16 21:56
小牧長久手の戦いで秀吉が家康に負けたのが大きい理由でしょうね。
これで、征夷にもなれなくなってしまった。
256日本@名無史さん:04/07/16 22:01
>1910年代
日露後、日本の植民地支配が確立→英米との関係悪化
第一次世界大戦に参加→中国進出を図り東洋市場を独占

と、一般論w。
257日本@名無史さん:04/07/16 22:04
>>255
負けていないでしょう、講和後人質を出しているのは家康側だし。
258日本@名無史さん:04/07/16 22:17
1584年(天正12)3月秀吉軍は伊勢方面から侵攻し、その間に北尾張に飛火
して秀吉方の池田恒興が犬山城を占拠したが、家康が小牧山に布陣した
ので尾張北部からの侵攻は困難となった。
家康は土佐の長宗我部氏や紀伊の雑賀・根来一揆と結び、大坂の背後を
おびやかさせたので秀吉の東下が遅れた。
4月、恒興父子は家康の本拠岡崎を奇襲しようとしたが、長久手でかえって
大敗北を喫して父子も戦死し、北部戦線は膠着状態に入った。
5月戦線は西美濃に移ったが、木曾川を渡っての尾張侵攻は容易でなく、
6月信雄の居城長島と清須城を分断する尾張南部の蟹江合戦もあったが
戦局に進展はなく、11月秀吉は信雄と和し、つづいて家康とも和した。
259日本@名無史さん:04/07/16 22:25
膠着戦になってその後の講和条約は誰にとって有利な条約だったの。
260日本@名無史さん:04/07/16 22:25
1918〜1922
シベリア出兵。これも英米から不審をもたれたなぁ。
がめつかったのか?
261日本@名無史さん:04/07/16 22:28
>秀吉
勝てなくちゃ意味がなかったんじゃないの?
あの時点としては。家康は、あれで十分だった。
秀吉の母親も人質に来たっけ?
262日本@名無史さん:04/07/16 23:04
>>260
英は背中押してただろ。
263日本@名無史さん:04/07/16 23:13
>>261
もはや国内では戦う意味がない。土地の収奪合いになってるし。

ある日の大阪城内の風景
秀吉「未だ諸侯には戦う力ありや!」
諸侯「おおう!!」
秀吉「されば我等が版図を海外に広げようぞ!」
諸侯「おおう!おおう!!広げようぞ!!」
264日本@名無史さん:04/07/16 23:13
状況と干渉戦争批判の声に押されイギリス・フランスは干渉中止の方針
を明らかにし、ついでアメリカもこれにならい、1920年1月9日出兵打切り
の方針を日本に通告した。
ところが日本は、居留民の生命財産の安全が保証されず、過激派の勢力
が朝鮮・満州に波及するおそれがあるとして、3月2日の閣議で出兵目的の
変更と守備地域の縮小とを決めた。
この新方針を実行するやさきに発生したのが尼港事件で、これに対する
保障占領の名目で日本は7月3日北樺太への出兵を開始した。
しかし世界各国・日本国内の出兵反対論も無視できず、また財政的困難
でも歴代政府(寺内・原・高橋是清内閣)は苦しみ、加藤友三郎内閣(1922
年6月成立)はついに撤兵を決定し、22年10月25日最後の日本軍はシベリア
から引き揚げた。
なお北樺太の保障占領は続けていたが、25年1月日ソ基本条約の調印後5月
に撤兵を完了した。
こうして日本のシベリア出兵は前後8年間に戦費約10億円、死者3500名を数え、
ソ連や各国からの不信を買い、何ら得るところなしに無惨な失敗に終わった。
265日本@名無史さん:04/07/16 23:16
日本陸軍はロシアーソ連を過少評価する傾向にあったようです。
266日本@名無史さん:04/07/16 23:18
雑誌「グラフ」1945年6月5日号

写真の説明に、「右横書き」5行を2段。
つまり、「右横書き」10行。

右横書きが書かれなくなったのはいつからか。
不合理との軍部の声も「日本精神!」で潰されたそうだから
戦後なんだろうけど、敗戦後も新聞の見出しは右横いつまで?
267日本@名無史さん:04/07/17 00:07
レポートで
律令制社会から荘園公領制社会への展開
あるいは
中世前期の国家と社会を2000字で書けとありますが思いつきません
助けて
268日本@名無史さん:04/07/17 00:27
馬鹿じゃん
269日本@名無史さん:04/07/17 00:34
>>267
そんな問題だした奴を呼んで来い!
270日本@名無史さん:04/07/17 00:45
>>267
>>中世前期の国家と社会

新興鎌倉仏教史をコピペして、鎌倉の浜辺は墓地だったとかは。
271日本@名無史さん:04/07/17 01:56
>>264
8年間で3500人の死者か。えらい少ないな。
「なんら得るること無し」かい?少なくとも出兵していた時期にシベリアに飢餓はなかったぜ。
人道を旗印にし、自分とこの台所犠牲にしてよその面倒見たともいえるわなあ。
272日本@名無史さん:04/07/17 03:40
>>271
それが余計なことだと言うんだよ。
273日本@名無史さん:04/07/17 16:07
綱吉の生類哀れみの令に違反した罪で
処刑もしくは切腹を申しつけられた人っているんですか?
274日本@名無史さん:04/07/17 16:27
>>271
つりにマジレスはカッコワルイが・・・

もしかして、シベリアを8年間、統治していたと思ってるんですか?
全然間違いですよ。
全く統治してません。地元の支持も全く受けてません。
日本軍のしてたことは、シベリア各地に存在した多くの反革命政権にテコ入れ
してたこと。
西シベリアのオムスクで生まれたコルチャーク政権は、一時は優勢で連合国も
援助したが20年1月崩壊した。それで英米仏らは撤退。
それでも、日本だけは権益拡大を夢想し、点と線だけ武力弾圧していた。

>人道を旗印にし、自分とこの台所犠牲にしてよその面倒見たともいえるわなあ。
全く見当違いな間違いです。民衆の面倒など全く見てません。
権益拡大を目的に武力侵攻してただけです。
「旗印に」→これは、偽善的な侵攻批判のときに使う言葉なので、その意味では正解。

275日本@名無史さん:04/07/17 16:29
それとも次の事実を曲解して、日本は人助けをしたと嘘をつく例のグループの人なの?

ソビエト政府は3月にドイツとブレスト・リトフスク条約を結び、第1次世界大戦の
局面に大変化が生じた。
大戦中オーストリアの支配下にあってロシア軍と戦ったチェコスロバキア軍の
多くはロシアに投降し、ロシアではチェコ軍団として対ドイツ戦に使用されていた。
革命後もチェコ軍はドイツと戦おうとし、シベリア経由でヨーロッパ戦線へ向か
うこととなった。
5月ウラル山中のチェリャビンスク駅でドイツ・オーストリア軍の俘虜とチェコ軍団
との衝突事件がおこり、これがアメリカその他に、チェコ軍団がシベリア各地で殲滅
されかかっていると誇張して伝えられた。
それで、ウィルソン大統領はそれまでの態度を変えて日米共同でシベリアへ派兵
する方針を示した。そしてウラジオストクに日米同数の各7000名の陸軍派遣、
チェコ軍の救援目的を達成しだい撤兵することを日本に提議した。
日本陸軍はアメリカの〈限定出兵〉提案を喜ばず〈自主出兵〉を貫こうとしたが、
結局アメリカ提案に同意しながらも自主的行動をとる含みを残した妥協的回答を送った。
アメリカは日本の出兵数は1万〜1万2000以下であることを念を押した。
こうして8月2日、日本は共同出兵の宣言「アメリカ合衆国の提議に応じシベリアにいる
チェコ軍救援のために出兵する」を発し、12日に日本軍、19日にはアメリカ軍が、
ウラジオストクに上陸を開始する。
シベリア出兵は日本・アメリカのほかにイギリス・フランス・イタリアおよび
カナダ・中国がそれぞれ小部隊を派遣して連合国による共同行動という形をとった。
しかし共同行動はうまく運ばず、日本軍が緊急の救援を求めてもアメリカ軍は
これを傍観する事態も生じ、日本軍が日米間の合意を無視して大兵を派遣(10月中旬
までに約7万3000を派兵)したのに対しアメリカはきびしく抗議した。
276日本@名無史さん:04/07/17 16:38
>>273
いないと思います。
愛護令への反感から、わざと犬を殺傷する事件が江戸で相次いだほどですから。
犬を食べる習慣への対策や、なによりも鉄砲対策の面が大きいようです。

生類憐みの令という法令はなく、綱吉の一連の動物愛護の令や、子や病人
を捨てることを禁じた一連の仁政的法令をまとめて言うそうです。
277日本@名無史さん:04/07/17 21:08
なんかまた新しくガキぽいスレが乱立
してますがなんとかなりませんか。
278日本@名無史さん:04/07/17 21:20
私は日本史板に見切りをつけて世界史板に行きました。
山野氏もいるし、雑談スレなら板違いなんて言われないし、マジおすすめ。
279日本@名無史さん:04/07/17 22:14
さようなら!
280日本@名無史さん:04/07/17 22:33
マジレス一時期よりはましにはなったが、世界史に難民となった奴は結構いるだろうな。
281日本@名無史さん:04/07/18 08:46
>>273
沢山いる。







と、ネタにマジレスをしてみる。
282日本@名無史さん:04/07/18 10:38
『隋書』倭国伝の中に「城郭はない。」という記述がありますが、
なんでわざわざないものをとりあげて書いてあるんですか?
283日本@名無史さん:04/07/18 10:58
10〜11世紀頃の荘園公領制における公領は、国の荘園のようなものと考えていいんでしょうか?
284日本@名無史さん:04/07/18 13:02
中国の都市は城壁で囲むのが常識だったから>282
285日本@名無史さん:04/07/18 13:39
>>284ありがとうございます。
その回答を見て改めて調べなおしてみて、
より詳しいことまでわかりました。

もう2つばかり訊きたいのですが、
今度は 『旧唐書』倭国伝 絡みのことで、
1.粟田真人のことが、やけに詳しく書かれているのはなぜか?
2.遣唐使が、唐に”白亀元年の調の布”を贈った際、
  唐人にそれが偽物だと疑われたのはなぜか?

の2点も誰か教えていただけないでしょうか?
286285:04/07/18 13:41
『旧唐書』倭国伝 → 『旧唐書』倭国日本伝
でした、すみません
287日本@名無史さん:04/07/18 15:40
江戸時代にも手篭め(強姦)は罪になったのですか?
288日本@名無史さん:04/07/18 17:57
昔の武士が真剣勝負をするとき、互いにふんどし(下着?)を
取った状態で行ったのは事実か、また理由などを御存じの方、
どうか教えて下さい…。

どうしても必要な情報ソースなので、ぐぐったりしてみましたが、
確証を得るまでにはいたりませんでした_| ̄|○
289日本@名無史さん:04/07/18 18:20
>>288
そんなの聞いた事もない。
290日本@名無史さん:04/07/18 18:39
マジレス江戸時代の人はみんなふんどししてたわけじゃないよ。
元禄あたりでも半分くらいの人はしてなかったし。
けっこうノーパン派。
291日本@名無史さん:04/07/19 03:35
歴史の相対性って何でしょうか?
292日本@名無史さん:04/07/19 06:58
だれか、久々に食い物スレたててくれよ。
食の歴史こそがトリビアの泉。
293日本@名無史さん:04/07/19 12:32
DR.中松は旗本の子孫らしいですが旗本中松家について詳細ギボン
294日本@名無史さん:04/07/19 12:37
>>292
食い物スレ

【犬食い薩摩】吉野家薩摩店、犬ころ飯特盛ツユダク
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1074023592/
295日本@名無史さん:04/07/19 19:00
信長が大坂城を造り始める以前の大坂はどれぐらい発展していたのでしょうか。
296日本@名無史さん:04/07/19 19:17
>>295
突っ込んでほしいの?
297日本@名無史さん:04/07/19 20:12
>296 何をですか
298日本@名無史さん:04/07/19 20:21
>信長が大坂城を造り始める

・・・
299日本@名無史さん:04/07/19 20:26
え?>>295が言ってるのは秀吉以前の砦時代の大阪城でしょ?
名前が同じだけで場所も規模も全然違うが信長が作ったじゃん。
まさか知らないとか?
300295:04/07/19 20:46
全くの別物なのですか、信長は大坂への移動を決めて大規模な城を本願寺跡に
造っていたのではないのですか?
301日本@名無史さん:04/07/19 20:54
>>299
初心者ですので、そのあたりのことがよくわかりません。
史料的根拠をご教示願えませんか?
302日本@名無史さん:04/07/19 22:44
楽市楽座の楽座についてですが
今日、大学の授業で先生が信長は座を保証したと言っていました
ググッタのですがその様なページもなく・・・。
あったのは、寺社などとくっ付きがあった座を廃止しようとした
と言う感じで・・・楽座とは本当に座の存在を否定せず
座を安堵させたのでしょうか?
303日本@名無史さん:04/07/19 23:27
>>302
http://homepage2.nifty.com/tanizoko/konoe_sakihisa.html
3)織田信長―中世最後の覇者 脇田修著 中公新書
信長について感じていた謎の一つ「楽市楽座」をどうやって考え出したかを教えてくれた本。
別に信長が考え出したわけでは無く、彼の支配地の近郊には「楽市」を実施している自由都
市が多く存在していたんだね。「楽座」も強制ではなく座を安堵した例も多いとなどの実例を
挙げ、革命家ではなく中世社会の改革派として信長をとらえている。
304日本@名無史さん:04/07/20 01:47
305日本@名無史さん:04/07/20 01:49
参勤交代する藩主に付いて江戸に上ったときに、各藩の藩士が住む場所というのは
決まっていたのでしょうか?
306日本@名無史さん:04/07/20 01:51
決まってましたよ。
今みたいにほいほいと家を借りられる時代じゃないですし。
307305:04/07/20 01:53
>>306
ありがとうございます。好意に甘えて、各藩が今の東京のどのあたりをあてがわれていたか
についてご存知でしたら、教えてください。
308日本@名無史さん:04/07/20 02:12
306じゃないけどな
「江戸東京重ね地図」なるソフトが便利そうだ。ググってみれ。
実は俺もこれ欲しいんだが、貧乏なので買えぬ。
309日本@名無史さん:04/07/20 02:16
そこでnyですよ!












                                                         …嘘だよw
310305:04/07/20 02:50
なるほど、「江戸東京重ね地図」ググってみました。各藩藩士の住んでるとこ
とかも描いてあるといいな
311日本@名無史さん:04/07/20 03:06
蘇我入鹿の名前が怪しい!と主張してます。

http://www4.diary.ne.jp/user/450293/

誰か助けてあげて下さいw
312日本@名無史さん:04/07/20 06:45
>>303
ありがとうございますm(_ _)m
紹介してもらった本、読んでみます
313日本@名無史さん:04/07/20 09:09
>>307
○○藩について教えてくれ、ってのじゃないなら、各地にいる研究会のサイトなどを見るといいよ。
ちなみに、宇和島藩だと三浦家文書研究会とかいうのがあって、三浦家を通して、一藩士の生活を見ることができるよ。
314日本@名無史さん:04/07/20 09:46
太平洋戦争について聞きたいことがあります。

まず、なぜ日本の陸軍部隊がマレー半島に上陸して英国軍の戦いを開始したのですか?
そして、フィリピン・ジャワ・ビルマでの戦いで、英米軍との緒戦がおきた時も、なぜ本国ではなく、
フィリピン・ジャワ・ビルマのような東南アジアで戦争をしたのですか?
さいごに、日本が真珠湾攻撃をしてアメリカに宣戦布告した理由は何なんですか?
315日本@名無史さん:04/07/20 12:27
>>314
石油欲しさと、大東亜共栄圏建設のため。
316日本@名無史さん:04/07/20 14:48
>>304
明日テストなんです・・・助けてください・・・
317日本@名無史さん:04/07/20 15:16
>>316
歴史の相対性ってやつ?

それぞれ立場によって歴史の捉え方が異なってくるってことじゃないの。
318日本@名無史さん:04/07/20 15:34
>>316
歴史とは物理学のような絶対的で緻密な物ではない。
最初期のエジプト碑文は、王家と他との関わりを石に刻んだ物であり、商王朝の実態を知る上で貴重な甲骨文は祭政不可分の状況を示している。
また、歴史とは、それを残すことによって自らを正当化する目的で発展した面がある。
例えば旧約聖書は自己正当化に満ち溢れ、一方的で相手に配慮しない歴史書となっている。
近代にいたるまでの歴史とは、これら各種の歴史的証言者の言分を、反対的主張との折合いによる最低限の修正の他はそのまま通し、歴史的事実として通用させるケースが多かった。
大部分の物理学の証明には前提を疑う必要は無いが、歴史学の研究には前提となる諸資料を疑う必要がある。
即ち本当の歴史的事実に、現代の知識を近づける為には、つまり現代の歴史という物においては、大手を振って罷り通る政治的主張の後光が差した歴史書や証言でさえ、些細な矛盾や間接的証言、そして物理的証拠で検証していかなければならない。
現代では、その物理的証拠ですら容易に偽造され、政治的利益の為に間接的証言までが準備される状況であるから、この歴史の相対性と言う物は、ますます歴史学そのものの根幹になりつつある。
319日本@名無史さん:04/07/20 17:22
>>305
大名屋敷の周りを取り囲む塀って、幅があって屋根がついてるでしょ。
あそこが長屋のような居住空間になっている。
単身赴任なので、居住空間は4畳半程度でそこに2〜3人で住んだらしいよ。
なにしろ、江戸の土地のうち武家地が半数を占めてたわけだから、
武家屋敷は土地だけは潤沢だった。

大概の武家屋敷はそういう構造で、吉良の本所の屋敷もそう。
だから赤穂浪士が打ち言った時は、そこの戸板に楔を打ち込んで、
援軍の侍が出て来れないようにした。
320日本@名無史さん:04/07/20 17:45
土御門上皇が倒幕にかかわっていないのに、望んで土佐に流されたのは何故ですか?
321ぴーす ◆u0zbHIV8zs :04/07/20 17:58
>314  
まず、なぜ日本の陸軍部隊がマレー半島に上陸して英国軍の戦いを開始したのですか?
(経済制裁で物資が不足したので仕方なく開戦。)
そして、フィリピン・ジャワ・ビルマでの戦いで、英米軍との緒戦がおきた時も、なぜ本国ではなく、
フィリピン・ジャワ・ビルマのような東南アジアで戦争をしたのですか?
(日本の目的はあくまでも資源の確保と大東亜共栄圏だからブリテンはどうでもいい)
さいごに、日本が真珠湾攻撃をしてアメリカに宣戦布告した理由は何なんですか?
(アメリカが英蘭の助太刀をするのを防ぐため)


http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/daitoua_sensou.html

322日本@名無史さん:04/07/20 19:39
卑弥呼は日本の女王だったにもかかわらず、
名前の中になぜ卑しいという字が入ってるんですか?
卑しいという字は、今とは意味が違っていて
「高貴な」とかいう意味だったのでしょうか。
323日本@名無史さん:04/07/20 19:47
>>322
日本の発音に中国側つけた当て字ですから。

実際の音にはヒメコ、ヒメ・ヒコ、ヒメミコ等の説がある。
324日本@名無史さん:04/07/20 20:36
>>322
そもそも、卑弥呼は階級名で人名ではない。
325日本@名無史さん:04/07/20 20:57
なぜ江戸幕府は参勤交代などというまどろっこしい方法で
封建領主を統制しようとしたのですか?

直接中央から行政官を派遣するという形は考えられなかったのですか。
326日本@名無史さん:04/07/20 21:19
a
327日本@名無史さん:04/07/20 21:33
>>314  
>まず、なぜ日本の陸軍部隊がマレー半島に上陸して英国軍の戦いを開始したのですか?
>(経済制裁で物資が不足したので仕方なく開戦。)
独との軍事同盟、そして仏印侵攻で経済制裁。みずからまいた種。

>そして、フィリピン・ジャワ・ビルマでの戦いで、英米軍との緒戦がおきた時も、なぜ本国ではなく、
>フィリピン・ジャワ・ビルマのような東南アジアで戦争をしたのですか?
>(日本の目的はあくまでも資源の確保と大東亜共栄圏だからブリテンはどうでもいい)
戦争目的は資源確保と火事場泥棒的東南アジア支配。
大東亜共栄圏は自己正当化のための嘘。

>さいごに、日本が真珠湾攻撃をしてアメリカに宣戦布告した理由は何なんですか?
>(アメリカが英蘭の助太刀をするのを防ぐため)
日本のアジア、特に中国における権益の優先をアメリカに認めさせるため。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/daitoua_sensou.html

今どき、まだこんなサイトを見てる人っているんだ。懐かしいねw。



328日本@名無史さん:04/07/20 21:44
>>320
本人は京に残されるはずだったが、父と兄が流されるので、
1人で留まることを望まなかった。
それを北条義時に伝え、土佐のちに阿波へ。
329日本@名無史さん:04/07/20 21:47
質問です。
バカウヨって、ウヨだからバカなんですか?
それとも、バカだからウヨなんですか?
330日本@名無史さん:04/07/20 21:49
>>325
大名家族(人質)を江戸に置く事において江戸の町は繁栄する。

また参勤交代はよく言われるような藩費用の消費を狙ったというより、
幕府が各藩の統治を許しているのだという政治意図。
331日本@名無史さん:04/07/20 21:50
>>329
バカサヨの反語です。
332日本@名無史さん:04/07/20 21:52
>>325
封建制だからかねぇ。
中央集権は、
廃藩置県まではできなかったのでは。
333日本@名無史さん:04/07/20 21:57
>>329
左翼=高学歴
右翼=DQN
だから後者でいいんじゃないの。
334日本@名無史さん:04/07/20 22:03
確かに、ブサヨは高学歴、バカウヨは低学歴。
しかし、両方ダメだコリャ。
335日本@名無史さん:04/07/20 22:07
参勤交代って信長・秀吉からあるんだよね・・・
336日本@名無史さん:04/07/20 23:05
>>314
そもそも遙か彼方の欧州や米国本土まで、どうやって軍隊を送るのよ。
現代に至っても、そこまで大規模な部隊の展開能力を持ってるのはアメリカだけだよ。
337日本@名無史さん:04/07/21 01:36
>>328
サンクス
338日本@名無史さん:04/07/21 01:38
>>335
ほほうー新説ですな。
聞かせていただこうか。
339日本@名無史さん:04/07/21 01:41
>>336
東南アジア各国の宗主国を知っているのか?
340日本@名無史さん:04/07/21 02:23
日本史板の本物質問スレを教えてください。
341日本@名無史さん:04/07/21 08:47
>>335
足利義教の勘違いじゃないの?
信長はそれをまねたが。
もっとも、江戸時代のシステムとして整備された参勤交代ではなく、
地方の領主が上洛して本領安堵してもらうというシステムだけどね。
鎌倉時代から、不定期にはあったシステムだし。
342日本@名無史さん:04/07/21 08:49
低学歴のバカは、学ぶチャンスがなかったと考えられるが、
高学歴のバカは救いようがネェよな。成績優秀なバカってことだから。
343日本@名無史さん:04/07/21 11:11
>参勤交代

近世の統一権力は、それまでの参勤交代をを全国的規模で、新たな大名統制策
として近世的権力構成に改編して、参勤交代制を形成した。
まず織豊政権下では、織田信長は服属した大名を岐阜城・安土城に参勤させた。
豊臣秀吉もまた大坂城・聚楽第・伏見城の周辺に諸大名の邸宅をおき、その領国
とを往復させる一方、在京賄料などを給した。
とくに秀吉は、大名妻子の在京、家臣とその妻子の城下集中を全国的規模で強制して、
参勤交代制の雛形を完成させた。
344日本@名無史さん:04/07/21 11:19
自○主義史観とかの人を見ると、大学の先生だから高学歴だよね。
だけど、バカウヨなのはなんでだろ?
やはり、歴史家でない素人が歴史に手を出すからかな。
それとも彼らは、背後の組織に金で動かされている人形なのかな。
つか、バカならまだいいが、嘘つきは困るなぁ。

まぁ読者層やは、教育を受けてない層だから、そういう意味では、
バカウヨは低学歴といってもいいが・・・。

大企業の支援金っていくらくらいなんだろうか?莫大なよかーん。
345日本@名無史さん:04/07/21 11:22
「雛祭り」
について教えてください。
なぜ、はじまったのか?庶民に広まったのはいつか?
346日本@名無史さん:04/07/21 11:41
347日本@名無史さん:04/07/21 12:32
>>346
サンクス。人形屋さんのサイトですか?
庶民が天皇を崇拝してた理由には、全くなりそうもないですね。
ありがとうございました。
348日本@名無史さん:04/07/21 13:36
349日本@名無史さん:04/07/21 15:44
>>344
日本の刑罰史について語る
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087745099/l50

俺も高学歴が馬鹿ウヨになるのが不思議。
刑罰の知識は最高に正確なのに、正仮名で書かねば憲法違反、
現代仮名を書く奴は通敵分子と言い張るいびつさ。
しかも調べてみるとかなり有名な学者。かなり大物。
そんなやつがこのスレに定住してる。
不思議だ。
350日本@名無史さん:04/07/21 19:36
その人、旧仮名入力ソフトを売りたいからじゃないの?
結局お金の気がする。
351日本@名無史さん:04/07/21 20:20
自作自演くんは時間がたくさんあってうらやますい。。。
352日本@名無史さん:04/07/21 20:42
353日本@名無史さん:04/07/21 21:16
>>347
大体、当時の「天子様」への気持ちは今の感覚で言う「崇拝」とは違うわけで。
どっちかといえば「夢の世界の人」って感じかと思われ。
江戸時代は武士身分より下位であっても富裕層は「源氏物語」を読めたりしましたから。
354日本@名無史さん:04/07/21 22:29
>>314
>なぜ日本の陸軍部隊がマレー半島に上陸して英国軍との戦いを開始したのですか?
英はシンガポールに東南アジア最大の軍事拠点を築いていたため。
この軍事拠点は海からの攻撃を想定していたから陸地伝いに背後から攻撃したほうが
より効果的だと日本軍は考えたのです。
ちなみに連合軍がノルマンデーに上陸したときも、海岸砲台を多数備えた
シェルブール要塞は陸側から攻撃され陥落しました。

>フィリピン・ジャワ・ビルマのような東南アジアで戦争をしたのですか
フィリピンには米の、バタビアには蘭の軍事拠点がありましたから
日本軍は近場を攻撃し日本近海をエンペラーのバスタブwにする必要があったのです。

>日本が真珠湾攻撃をしてアメリカに宣戦布告した理由は何なんですか
ゼネラルやまもとが自分の存在証明を欲したからです。
↑冗談ですよ。山本は真珠湾を攻撃することで墓穴を掘り、後にミッドウェイで大敗します。
人を呪わば穴二つというやつですね。
閑話休題。
この質問に明確な解答はありません。
御自身なりの解答を模索してください。
くれぐれも、NHKが来週放送する某番組を史実だと思いこまないでくださいね。
355日本@名無史さん:04/07/22 01:26
むかし高校で「歴史上自ら天皇と名乗った天皇は○○天皇だけだ」って習ったんだけど、
その○○天皇の部分を失念してしまいました。
だれかどの天皇か教えてください。後醍醐とか醍醐とかそのへんだった気もしています。
356日本@名無史さん:04/07/22 01:34
344がかなり痛い馬鹿なのは間違いなさそうだ。
学歴とか以前に、人間として馬鹿だ。
自分がどれだけの羞恥プレイをしているのか分かっていない。
357日本@名無史さん:04/07/22 02:27
>>355
後醍醐天皇。
『神皇正統記』には「後の號をば、仰せのまゝにて後醍醐天皇と申」とみえる。
いわゆる遺諡というもので、生前に追号を定めること自体は珍しいことではなかったが、
異例なのは後醍醐“天皇”としたことだった(それまでは院号が通例)。
天皇親政を理想とした彼は、死後も天皇と呼ばれることを欲したのだろうが、
後世では通例のごとく「後醍醐院」と呼ばれてしまうのであった…
358日本@名無史さん:04/07/22 03:15
359日本@名無史さん:04/07/22 06:56
なぜ貨幣経済・商品経済が発達すると御家人や武士が窮乏するんでしょうか?
基本的なことなんですが、わかりません。
360日本@名無史さん:04/07/22 10:06
自作自演にレス返すのはくだらんけど・・・

>日本軍は近場を攻撃し日本近海をエンペラーのバスタブwにする必要があったのです。
誤り。東南アジア自体を資源確保のために植民地的存在にしたかった。

>NHK
さらに近年、当時の日本外交の内幕を明かす新たな史料が発見された。
日本がアメリカや中国の暗号電報を解読した文書が大量に見つかったのである。
最近の研究では、この暗号解読文が、日米交渉の行方に大きな影響を与えたと
指摘されている。

君は何を恐れているのかねw
361日本@名無史さん:04/07/22 10:08
>>353
富裕層は天皇を知っていたかもしれないが、庶民は知らない人も多かった
ってことですね。
東北の大多数の貧しい農民など知らなかったでしょうね。
ありがとうございました。
362日本@名無史さん:04/07/22 10:15
>>356
大學教授くん必死だなw。
363日本@名無史さん:04/07/22 11:10
http://wwwwp.mext.go.jp/wp/jsp/search/IndexBodyFrame.jsp?sd=hpbz198101&id=hpbz198101_2_003.html&no=nonode
江戸時代には、庶民も子弟に学業を修めさせるようになり、武家子弟の学校とは別に手習所を用いることとなりた。これは
手習師匠が二〇人ほどの子どもを集めて手習を教える小さな学校で、これが寺子屋であった。ここでは庶民が日常生活
において必要としている基本文字の習字から始め、しだいに往来物などを教材として学ぶようになり、何年も寺子屋に通っ
た生徒の中には.四書五経の読み方に進むものもあった。文字の手習と読書のほかに、算盤を用いて計数の学習をする
ものもあったが、加減乗除の基礎を学ぶ程度であった。この庶民の学校は江戸中期より各地に設けられるようになり、文
化・文政のころから幕末にかけて多くなったことが明らかにされている。

往来物には天皇も登場するわけだが。
364日本@名無史さん:04/07/22 11:14
>>357
なるほど、後醍醐天皇でしたか。
追号だったんですね。どうもありがとう、助かりました。
365日本@名無史さん:04/07/22 11:26
>>360
それはすべてあなたのおもいこみです
366日本@名無史さん:04/07/22 12:35
>>363
手習所と寺子屋は違うゾ。
367日本@名無史さん:04/07/22 12:55
この寺子屋は農山漁村にまで普及していたので、全国の寺子屋は数万になっていたと推定されている。

教材として用いられていた往来物には天皇も登場する。
>>361は東北には寺子屋はなかったというのだろうか。
368日本@名無史さん:04/07/22 13:52
>360は>354にレスしているのだろうけど
>360は>354のいうNHKの某番組の内容までわっかているんだねw
深夜の再放送枠は地方によって違うのだが、
>360には何が見えているんだ?

そういや前スレの後半にも変なのがいたけど、
>360も電波系エリートなのか?

何はともあれ>360のいうNHKの放送。
期待しちゃっていいのかなw
まさか散散叩かれたアレの再放送の話じゃないよね。>360
369日本@名無史さん:04/07/22 14:31
>NHK
あら、知らんのか。じゃ、お楽しみに。
370日本@名無史さん:04/07/22 14:43
>>大學教授くん

>江戸時代の識字率
男で40%ちょっと、女で10%くらい。
平均30%ちょっと。
ここから武士層と僧神官や都市の富裕層を引き算すると、
簡単な文字を識別できる江戸再末期の庶民の割合は、
20%をきるくらい。

とすると、文字を識別できない庶民は70〜80%。
よって往来物から庶民のほとんどが天皇知ってたとみちびきだそうという
>>363の頓知は、完全理論破綻。

で、江戸時代の庶民が本当に天皇を崇拝してた根拠は?
黙ってスルーすれば許してあげてもいいけど、君には無理だろうなぁw。
371日本@名無史さん:04/07/22 14:49
>>357
>>364
生前にみずからの諡号(しごう)を「後醍醐」と決めた。
延喜・天暦の治がそのよりどころ。
後醍醐の政策は単なる復古ではなく、むしろ宋の君主独裁政治を
目ざしたもの。よって朝廷や公家には大不評で北朝支持へまわる。
372日本@名無史さん:04/07/22 15:44
識字率については諸説あるからねえ。
373日本@名無史さん:04/07/22 18:30
亀な質問スマソ。
義和団事件と北清事変は違うん?
374日本@名無史さん:04/07/22 19:07
義和団の京・津占領から連合軍の北京占領にいたる戦争を、
日本では「北清事変」と呼んだ。
375日本@名無史さん:04/07/22 20:45
当時の「庶民の」識字率は男性で6割以上、女性でも4割以上。
これは当時のイギリスの「貴族階級の」識字率の倍。
どっからあやしい数字を引っ張りだしてきたのやら。
376同一?:04/07/22 21:27
>327=>344=>360=>362=>370
377日本@名無史さん:04/07/22 21:32
>>376
おまえが釣られているのでは?
378日本@名無史さん:04/07/22 23:46
>>370
天皇を崇拝していたかどうかは知らないが、
識字率はもうちょっと高いな。
藩によって差があるが(西南雄藩にはほぼ全ての村落に普及しているところもある、岡山山口などね)
明治最初期の数字で男子六割、女子2割ってとこ。
町民や武士層は、男女合わせても八割はいってたそうな。人口の1割強だから、
大勢にはそれほど影響ないだろうけど。
>>376
344だけは俺。後は違う人。
379日本@名無史さん:04/07/22 23:54
俺は356だった、よりにもよってあの344にしてしまった。

ついでにどれだけできて、字が読めると判断されたのかまでは知らんっす。
380日本@名無史さん:04/07/23 07:07
>>359をお願いします
381日本@名無史さん:04/07/23 16:13
>>359
武士たちはいわゆる支配階級、商人たちは非支配階級だから。
382日本@名無史さん:04/07/23 19:57
横からすまんが、なんとかという外国人の調査だと、
明治初期で、男4,5割、女1割との記録。
寺子屋激増は幕末だから、江戸前中期はかなりこれより下がりそうだ。
しかし、これでもオランダなどには追いつかなかったようだが、
世界でいい線いってた。
383日本@名無史さん:04/07/23 21:19
>>375
江戸時代の全人口に対する識字率の史料があったなんて・・・
江戸時代の何と言う史料でしょうか?
出展を教えてください。
384日本@名無史さん:04/07/23 21:36
土○礼子氏の博士号取得論文だと、
明治初期の女子の新聞を読める率は農村では2%だね。
明治9年では、東京府で男子が8割、女子が6割になっている。
都心部と農村部は雲泥だね。
385日本@名無史さん:04/07/23 22:01
>>349
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087745099/l50
>俺も高学歴が馬鹿ウヨになるのが不思議。
>刑罰の知識は最高に正確なのに、正仮名で書かねば憲法違反、
>現代仮名を書く奴は通敵分子と言い張るいびつさ。

いいキャラができてよかったね。
このキャラだと、よっぽど高度な論理認識力がないと、
戦時教育のバカウヨのままで当然でしょう。
平泉は最後までバカウヨだったけど、若いころはアジールとかに言及して左翼的だね。
386日本@名無史さん:04/07/23 22:06
>>359
定まった石高支給に対し、現金支出は増えるばかり。
石高は増えないのに、物価は上がり続け、欲しい物は増え続ける。
プロト資本主義社会に、農本封建社会が苦しいのは当然。
387日本@名無史さん:04/07/23 22:07
>明治初期の女子の新聞を読める率は農村では2%だね。
男子は?
388日本@名無史さん:04/07/23 22:10
>明治最初期の数字で男子六割、女子2割ってとこ。
男女平均して4割。そこから武士や富裕層を1割として引くと、
庶民で字が読めたのは3割となりますね。
おや、困った結果になりました。
長野農村で、明治中期に識字率3割というのがありますね。
389日本@名無史さん:04/07/23 22:18
>>387
書いてない。
勝手に推測させてもらえば、農村平均は3割前後だろう。
もちろん城下町→都市中心部の少数者内部では高いだろうが。
390日本@名無史さん:04/07/23 22:57
例えば明治初年の宮城県の人口は56万人
寺子屋の数は567、人口1000人当たりで1.01
全国の人口は3480万
寺子屋は約2万だから、人口1000人当たり0.57

>東北の大多数の貧しい農民など知らなかったでしょうね。
東北の教育普及度が低いとは言えまい。
391日本@名無史さん:04/07/23 23:04
おい、おいw。
東北以外にも低いところはあった。
全国的に識字率が低かったって言いたいのかな?
ははは、おもしろいね。
392日本@名無史さん:04/07/23 23:25
>>391
宮城県の人口1000人当たりの寺子屋数は全国平均の倍近くある。
だから識字率も全国平均より高いと見るのが妥当ではないかということ。
393日本@名無史さん:04/07/24 00:16
>388
>男女平均して4割。そこから武士や富裕層を1割として引くと、
>庶民で字が読めたのは3割となりますね。

自分で書いていて、この計算はおかしいと気づかなっかた?
つーか算数は苦手?
394日本@名無史さん:04/07/24 06:40
>>381>>386
ありがとうございます。
物価が上がるなら米価も上がるから米を売って暮らせばいいじゃない、とも思うんですが、
やっぱりそんなにうまくいかないものなんでしょうか。
395日本@名無史さん:04/07/24 16:32
>>392
では、全国平均の足を引っ張ってるところが各地にあるということでw。
396日本@名無史さん:04/07/24 16:42
>>393
「式の意味」
武士や富裕層を「全人口」の1割とすると(神官・僧侶も含めるか?)、
庶民の識字率者を出すためには、
「全人口」の識字率者4割から引き算すると、
3割となる。

「君の言わんとするところ」
4割の1割は、0,4割だ。だから3,6割ニダ!

まぁ、どっちにせよ江戸時代の庶民は天皇をもれなく学習していたという妄想の
ソースとしては、お門違いなわけだがw
397日本@名無史さん:04/07/24 16:59
>天皇をもれなく学習していた
誰もそんなことは言っとらんよ。
「大多数が知らなかった」わけじゃないと言いたいだけ。
3割が知ってりゃ、「大多数」が知らなかったとは言えんだろ。
398日本@名無史さん:04/07/24 17:06
3割と7割なら大多数と普通はいうが・・・
まあいいや、
「江戸時代の庶民は、7割近くが天皇を知らなかった」
ってことでいいよ。
399日本@名無史さん:04/07/24 17:32
とりあえず挙げとくぞ。
400日本@名無史さん:04/07/24 17:34
400get
401日本@名無史さん:04/07/24 19:06
月代ってなんの為に剃っているんですか?
文明開化まで、あの髪型に疑問を抱いた奴って居なかったんですか?
402日本@名無史さん:04/07/24 19:31
兜をかぶる時むれるから剃ったのが始まりと言われてる。
403日本@名無史さん:04/07/24 19:41
東北地方には現在22ヶ所の農村歌舞伎が残されている。
おそらく江戸時代には、もっと多くの場所で上演されていたはずだが
菅原伝授手習鑑や仮名手本忠臣蔵と並んで
最も有名な演目のひとつ義経千本桜には安徳帝が登場する。
文字は読めなくとも、芝居は見るという連中もいたはず。
404日本@名無史さん:04/07/24 19:50
>>401
俺は現代のネクタイが疑問だが
その程度には疑問に思われていただろう
405日本@名無史さん:04/07/24 20:24
>396
スルーしようかと思ったけどXX厨の馬鹿さかげんが面白いので、もそっとファビョってくれw
躾のできていない犬は蹴りとばすのも一興だよね。

江戸時代の人口推計は大体2500万から3000万人程度であった。(計算が面倒なので3000万人とする)
>武士や富裕層を「全人口」の1割とすると(神官・僧侶も含めるか?)
↑どうすれば一割弱300万人近い数字がでてきたのか不明(自説のためのこじつけ脳内資料?)

>396のXX厨が主張する識字率4割を正しいとする。
(↑これ自体間違いであるという突っ込みは不許可。彼が数字の概念すら理解できていないことは自明)
人口3000万人に対し、字が読めたのは1200万人ということになる。
ここで彼は、大胆にも一割の300万人は武士や富裕層であるとして、庶民で字が読めたのは900万人だと主張する。
?これでは、武士や富裕層は男女どちらも識字率が10割ということになってしまう。
ここまでくると>396のいう武士や富裕層が「全人口」の1割を占めるという前提が完全に破綻する。
武士や富裕層を「全人口」の1割とするためには広義での武士や富裕層としなければならない。
だが、広義での武士や富裕層となれば男女どちらも識字率が10割になることはありえない。

仮に>396のいう計算とやらをやってみる。
庶民2700万人の識字率は3割。810万人。これに識字率10割の300万人を加えると1110万人。
3000万人の4割は1200万人。
90万人はどこへ消えたのだろう・・・
小生の頭がおかしいのか?
小生が計算を間違えたのか?
それとも・・・

>明治最初期の数字で男子六割、女子2割。男女平均して4割。
↑この計算も間違いなのだが説明しても>396に理解できるかな・・・
どのみちこういうタイプはデンパを飛ばすしか能がないのだから、これからも我我を楽しませてくれw
406日本@名無史さん:04/07/24 20:25
>>403
もうやめれ。見苦しいど。
東北というか日本の農村がどれだけ広いか知ってるのか?
さらに、見てた連中で安徳に気づいた人数や、
それが現在の天皇の存在に結びついた連中の人数やら、・・・
もう、あきらめてスルーしれ。
407日本@名無史さん:04/07/24 20:29
>>406
浄瑠璃・歌舞伎・謡曲がどの程度の農村に広まっていたか、ご存じないようですな。
ま、もう少し勉強して下さい。
では。
408日本@名無史さん:04/07/24 20:34
>>405
はいはい、大學教授君は負けず嫌いだねぇ。
単純化しただけだから別にどうでもいいけど、
で、君の答えはこれだよ?w
あと、レスは落ち着いて書いてね。読みずらいよw。

397 名前:日本@名無史さん :04/07/24 16:59
>天皇をもれなく学習していた
誰もそんなことは言っとらんよ。
「大多数が知らなかった」わけじゃないと言いたいだけ。
3割が知ってりゃ、「大多数」が知らなかったとは言えんだろ。
409日本@名無史さん:04/07/24 20:38
>>407
寺子屋の次は浄瑠璃か。
懲りん人やなぁ。
3割は少数ではないもんねw。
410日本@名無史さん:04/07/24 21:10
>>408
何か勘違いしてないか?
>>397を書いたのは私だが
>396とか>>407は私には関係のない話だ。
411393=405:04/07/24 21:23
>>408
つまらん。もっとファビョれw
君の間違いを指摘しているのが全て同一人物だと思い込めるのだから、
その性格なら、この板でアイドルになる素養が君には十分にあるよ。
是非ともコテハンを名乗ってくれw

ついでに君の使っているブラウザも教えてくれ。
低脳な君に漏れが合わしてやるw


どうでも良いが、その計算力では実生活に困らないのか?









あ、ヒッキー君は御金なんて下賎なモノに係わり合いなんか無いか・・・
ゴメンねWWWwww
412日本@名無史さん:04/07/24 21:24
>>409
あなたも何か勘違いしているのかもしれないが
かつてこの板のどこかに書いたように
私は近世の天皇が将軍より権威/権力のあるものだと
庶民の大半が考えていたなどとは思っていない。
ただ庶民の大半が天皇の存在を知らなかったとも思っていない。

この手の議論になると
すぐに庶民のほとんどは天皇の存在自体を知らなかったなどという輩が出てくるものだから
それはおかしいですよ、と申し上げているにすぎない。

ここいらには高校とか大学の般教でならった古いれきにが頭にしみ込んでいる人が多いんじゃないかな。
高校の教科書なんてのは
学会の水準から見て、10年ないし20年程度遅れている。
例えば新しい山川詳説日本史では
慶安の御触書が実際に発布されたかどうか疑問とする説があることを
ようやく注で述べるようになったが
「田畑勝手作りの禁」は依然として本文に出ている。
これは飢饉の際の限定的政策だというのが、現在ではほぼ通説になっている。

だから近世の天皇についても
あと20年もすればもっと違ったイメージで教科書に描かれるだろうと思う。
(ただしその頃には学界の通説はまた変わっているだろうとは思うがw)
413日本@名無史さん:04/07/24 21:25
訂正
れきに→歴史
414日本@名無史さん:04/07/24 23:57
初めまして。
江戸時代に千五百石の藩士って普通ですか?
当方とある藩士の末裔です。
415日本@名無史さん:04/07/25 00:03
先祖自慢はいいよ。
帰って。
416日本@名無史さん:04/07/25 00:05
別に威張ってないですが、千五百石の藩士は庶民だったのか気になるだけです。
ご先祖様を誇りに思うのは悪いことではないですよね?
もしかして誇りに思えないご先祖様をおもちとかw
417日本@名無史さん:04/07/25 00:06
すみません416は偽者です。
私はただ千五百石の藩士がどれくらいのレベルの藩士か知りたかっただけです。
418日本@名無史さん:04/07/25 00:08
>>416-417もニセモノ
先祖が賎しい奴のすること
419日本@名無史さん:04/07/25 00:09
改めて聞きます。
江戸時代に千五百石の藩士って普通ですか?
当方とある藩士の末裔です。
父には、私達はかなり高貴な人間だと聞かされているのですが。
420日本@名無史さん:04/07/25 00:23
414ですが
このスレはエタヒニンの集まりで
武家の子孫に対してアレルギーでもあるのですか?
421日本@名無史さん:04/07/25 00:31
>>414
藩の大きさによるから何とも言えない。
小さな藩なら家老クラス。

まあいずれにせよ、少なくとも庶民ではないことは確かだ。
422日本@名無史さん:04/07/25 00:34
>>420
ぶっちゃけお前が一番むかつくな。
本物かどうかはしらんが。
423日本@名無史さん:04/07/25 10:27
>>402
外国人も兜をかぶるし、蒸れると思うんだけど、なんで日本だけ
あんな奇抜な髪形になったん?
424日本@名無史さん:04/07/25 10:59
シナーの弁髪も奇抜さではなかなかと思うガナー。。。
425日本@名無史さん:04/07/25 14:36
>>大學教授自作自演クン

連続自演お疲れ様。あわててage・sageを間違えちゃったのが愛嬌だねw
で、
>ただ庶民の大半が天皇の存在を知らなかったとも思っていない。
の「大半が何%前後を表すか」が課題だったんだよね。

で、「7割前後が知らなかった」が結論で出たね。
3割前後は知っていたで、別に私はかまわないよ。
もうちょっと上げてもいいけどね。
426日本@名無史さん:04/07/25 14:39
最近の教科書は新しい学説が入ってるよ。
中世多国家論とかね。2つの王権論の五味も執筆者。
427日本@名無史さん:04/07/25 15:34
>>425
何か勘違いしてません?
私、他のスレで大学教授なる人と議論してるんですけど。
それとも、あれも自作自演と主張されるのですかね。
428日本@名無史さん:04/07/25 15:41
それからですね
7割という数字が妥当であるかどうか、それは何とも言えないと思います。
識字率自体、明確なデータがないわけですし
鳴物停止令が庶民にまでどの程度伝わっていたかという点も未解明ですよね。

それに天皇の存在が知られていたかどうかと
天皇を将軍よりも権威のあるものと認識していたかは別の問題です。
天皇の存在時代がどの程度知られていたかどうかを
なぜにここまで議論したがるのかどうかが私には理解できません。
重要なのは天皇がどのようなものとして認識されていたかということではないでしょうか。

429日本@名無史さん:04/07/25 15:43
訂正。
天皇の存在時代→天皇の存在自体
430日本@名無史さん:04/07/25 18:53
>428
俺たちのアイドル
イジメルのイクナイ
431日本@名無史さん:04/07/25 20:37
>>427
はいはい、大學教授君は負けず嫌いだねぇ。
単純化しただけだから別にどうでもいいけど、
で、君の答えは常に間違っているわけだw
あと、自作自演ばればれだからw。
432日本@名無史さん:04/07/25 20:45
公家の名前で「一条」や「九条」という名前はよく聞くのですが「四条」や「六条」
という名前はあまり聞かないのですが何か意味があるのでしょうか?
433日本@名無史さん:04/07/25 20:47
>>432
一条・九条は公家の中でもトップの家柄。

四条・六条は中流の家柄です。
434日本@名無史さん:04/07/25 21:05
>>431
教授は「刑罰史」とか「えたひにん」とかのスレではコテハンで書いてるでしょ。
どうしてここで匿名で書く必要があるわけ?
やはりあなたは勘違いしているとしか思えませんな。
435日本@名無史さん:04/07/25 21:15
>>414です。
そうか、ここはIDが出ないから偽者が多いのですね。こんなに成りすまされたの初めてw
>>415
別に自慢してるつもりはないけど。今では親も私も只のサラリーマンですし。
>>416偽者w
>>417偽者w
>>418どうして彼らが偽者と分かったの?w
>>419偽者w
高貴だなんて思ってないし。
>>420偽者w
>>421
レスどもです。
ということは大きな加賀藩なのでそれほどでもないっていうことですね。
先祖は金沢の言い伝え?や昔話に少し出てくる程度だったり、
今で言うインフラ整備で有名な人がいたりする程度ですので。
436日本@名無史さん:04/07/25 21:58
>>434
はいはい必死だねw
君こそ何故このスレではコテハンを使わないのかねw
ま、君程度が何をほざいても無駄なわけだが、

ちなみに私は>>431では無いよ。
つーても君には自作自演だとしか思えないんだろうけど。
いい加減にしとかないと見苦しいよw
437日本@名無史さん:04/07/25 22:00
「必死だな」と書く方が実は必死というのが
この世界の基本かと。
438日本@名無史さん:04/07/25 22:02
>>治作慈円くん
知らざるものを、どうやって「どのようなもの」と認識するのか?
439日本@名無史さん:04/07/25 22:04
知っている人の間でどのように認識されていたのかということです。
440日本@名無史さん:04/07/25 22:08
age・sageは、きちんと1回交代でお願いします。
441日本@名無史さん:04/07/25 22:19
>>435
お前が本物という証拠でもあるのか?
一々指摘すればみな信じるとでも?
ていうか、俺が本物なんだが、それを言うのは野暮だから言わないだけ。
442日本@名無史さん:04/07/25 22:20
何度も繰り返すが、知らなかった庶民は多数いた。
それは、学界の近世朝廷ブーム後も、変わっていない。
庶民の大多数が知っていて、大多数が崇拝していたというなら、
論文か書籍のソースのご提示を願いたい。
443日本@名無史さん:04/07/25 22:29
日本史や社会が好きな奴って、どうして間抜けが多いのか?
すこしは数学勉強すれば・・・
444428:04/07/25 22:29
>庶民の大多数が知っていて、大多数が崇拝していたというなら、
私はそういうことをここで書いたことは一度もないのでね。
書籍とかソースを提示する義務はなかろう。
445日本@名無史さん:04/07/25 22:54
>>444
君はそのような姑息な論法で、
私から逃れるためにコテハンを
使わないのかねw

いいかげん負けを認めたまえw
446435 ◆LXqUcBnrXM :04/07/25 22:55
>>441
今度はちゃんと名前にトリップ?を入れます。
私がホンモノだけどもういいや。
IDくらい出るようにした方がいいですね。
447日本@名無史さん:04/07/25 23:00
>>445
あなたはどれが私の発言だと思っているのですか?
発言番号を示してくれませんか?
448日本@名無史さん:04/07/25 23:03
質問スレでの言い争いは辞めてください。
449447:04/07/25 23:05
>>448
申し訳ない。
何だか絡んでくる人がいるもので・・・
450日本@名無史さん:04/07/25 23:12
>>446
アホ発見w
トリップつけても証明にはならんだろがよ。
なにムキになってんだw
451日本@名無史さん:04/07/25 23:27
文字も読めない社会の底辺層になんの意味があるのやら。
社会を支える層が熟知し、尊敬していたのなら、問題ないと思うんだが。
452日本@名無史さん:04/07/25 23:36
>>451
成るほど、次はそういう論法できましたかw
何故今回はレス番をつけなかったのか不思議だなwおいw
453日本@名無史さん:04/07/25 23:40
次ぎはって、誰と勘違いしてるんだ?
454日本@名無史さん:04/07/25 23:48
議論を続けたいのであれば別スレでも立ててやればいい。
迷惑なんですよ。
455日本@名無史さん:04/07/25 23:50
>>434-453

迷惑なので、別スレ立ててやってください
あなた達みんな荒らしと一緒
456日本@名無史さん:04/07/25 23:54
オマエモナー
457日本@名無史さん:04/07/26 00:03
>>432
奈良平安期に貴族は藤原と源ばっかりになったから、
(例、応天門の変で伴=大伴追放)
自宅の前の通りなどで区別した。これが事実上の名前になった。
貴族は身分で生きてる連中だから、家柄ごとに扱いに天地の差がある。
九条・・・摂関家筆頭の近衛家に次ぐ。分かれたのは平安末期。
当時部屋住みだったのを源頼朝に見出されて関白へ。幕府と関係が強かった。
一条・・・九条の分家、摂関家。
二条・・・九条の分家、摂関家、幕末期にひとつ絶えたので代わりになった。
だから今は二条家はない。
ほかに摂関家は鷹司(近衛の分家)。
あと九条に関連して覚えてほしいのは摂関家ではないが西園寺。
西園寺・・・九条の分家、鎌倉幕府と運命共同体。
鎌倉幕府崩壊時に幕府側で兵を挙げ首を切られた。
そのため公望まで鳴かず飛ばず。
三条は正親町三条と三条があって、とか、
とにかく通りの名前よりは、摂関家、清華家などの位で分類したほうが正解。

それと、誹謗中傷は無視が原則。
荒れると何処かから会津長岡新撰組研究者がくる。
やつらは暇だからスレを焦土と化すまで書き込みを止めないだろう。
458日本@名無史さん:04/07/26 00:13
このあいだから頑張っていた彼
結局何一つ書籍とかソースを提示しなかったね。
三割だの少数だの根拠は何だったんだろう・・・
459日本@名無史さん:04/07/26 00:14
 文献のことですが、折角示した目録に文句を付けるなら、貴兄が學びたい讀みたい
のですから、貴兄自らが得心行くまで探されよ 小職は年來鬼平の墓標を探してゐま
すが、関係無い処へ踊り込んで見知らぬ人に前後の脈絡も無く、鬼平の墓を知らぬか、
お前の文献は拙筆者の専攻が純粋でない、答へる能力がないと判断させて貰ふ等と狂
人の如き言動には及びませんので落着いて深く反省され度い
460日本@名無史さん:04/07/26 00:27
>>458
http://www.tsc.ac.jp/tosyo_2003/pdf/tenji.pdf
江戸時代には、武士の子弟のための藩校や庶民のための寺子屋と呼ばれる教育機関が存
在していました。そのため、江戸時代の子どもたちは、武士階級がほぼ百パーセント、大
都市の町人が七十パーセントから八十パーセント、大都市の職人階級が五十パーセントか
ら六十五パーセント、最も身分的に軽んじられていた農民階級でも、庄屋がほぼ百パーセ
ント、小作人が三十パーセントから四十パーセントの識字率(文字の読み書きができる割
合)でした。
461落武者:04/07/26 00:33
>>453
>>454
「迷惑だから」と個人の感情を一方的に押し付けてる
ボケた初心者はすっこんでろ。
あ、ここは初心者の板か。
462日本@名無史さん:04/07/26 00:38
↑捏造キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
「7割前後が知らなかった」で結論はでてるんだよ。
3割前後が知っていたで、私はかまわないと言っているんだよ。
もうちょっと言いたいこともあるけどね。
463日本@名無史さん:04/07/26 00:42
>>461
俺は453だが、おまいはなにを言っているんだ?

俺が何時どこで、そんな事いった。
464落武者:04/07/26 00:42
お、俺は捏造してねぇっ!信じてくれっ!
465落武者:04/07/26 00:45
>>463
ごめん。454と455ですた。
466日本@名無史さん:04/07/26 00:45
>>464
キミと私だけが知っていることだから、とりあえず何も言わないけど
わかってるよ。
467落武者:04/07/26 01:12
ほっ、本当?誰も見ちゃいないよネ?(ホッ)
468日本@名無史さん:04/07/26 02:04
お前等!質問スレ荒らすなって。
469日本@名無史さん:04/07/26 17:53
時々荒れるよね、このスレ
470日本@名無史さん:04/07/26 21:00
スイマセン、日本史に関しては素人なので相当くだらない質問かもしれなくて恐縮なのですが、大宝律令はいつまで法律としての効力を有していたのでしょうか。
471日本@名無史さん:04/07/26 21:20
征韓論で征韓を強硬に主張した西郷が敗れて下野した、というのは誤りで
留守政府で西郷の意見で軍派遣ではなく使節による交渉に決まりかけていたのを
外遊から帰国して長州閥の影響力低下に愕然とした伊藤博文が
「西郷は真実は征韓論者だ」と讒言して大久保や岩倉を騙し
さらに西郷派遣にきまりかけていた天皇に上奏する際に嘘を上奏して不裁可に追い込もうと画策、
それを察知した西郷が抗議の辞表を提出した…

という説を耳にしたのですが
学説的には有力なのですか?

教科書的にはまだ一行目のままでしょうが。
472日本@名無史さん:04/07/26 21:24
>さらに西郷派遣にきまりかけていた天皇に上奏する際に嘘を上奏して不裁可に追い込もうと画策、
「西郷派遣に決まりかけていた」を削除して読んで下さいorz
473日本@名無史さん:04/07/26 22:12
>>470
実質的には、9世紀までと考えるのが通常。
形式だけ取れば、近世までともいえるが、この考えは、あまり意味がない。
474日本@名無史さん:04/07/26 22:17
>>471
参議西郷隆盛は即時出兵には同意せず、使節にみずからがなろうとし、板垣退助・
後藤象二郎・江藤新平・大隈重信・大木喬任の諸参議が賛同していったん内定は
したものの、正式決定は岩倉使節団の帰国をまつこととした。
しかし使節団帰国後もこの遣使問題は延引され、大久保利通と副島種臣の参議就任
をまって賛否両論がたたかわされた。
岩倉具視や大久保・木戸らは強硬にこれに反対し、その結果、三条に代わって閣議を
リードした岩倉のもと、大久保・木戸に大隈・大木も同調し、10月24日西郷の遣韓使節
は中止が決定された。
西郷、板垣、後藤、江藤、副島はいっせいに下野した。いわゆる征韓論分裂、
明治6年10月の政変といわれるもの。

以上、通説。参考にまで。
475日本@名無史さん:04/07/26 22:53
>>473
便乗質問
養老律令と大宝律令の関係はどうなっているのでしょうか?
713年に出来たと言われる養老律令は9世紀になってもかえりみられなかったって事?
476日本@名無史さん:04/07/26 22:55
ですか


が抜けてるぞボウズ
477日本@名無史さん:04/07/26 23:15
えっ坊主ではありません。
478日本@名無史さん:04/07/27 13:36
>>475
律令による大宝律令の修訂も、おおむね字句・用語の変更や文章上の矛盾の修正
にとどまり、大宝律令の施行後に格で変えられた規定も採用されていないことなど
からみて、根本的な改訂ではなかったと考えられている。

しかし757年(天平宝字1)不比等の孫藤原仲麻呂(恵美押勝)により公布・施行された
ことによって、養老律令は以後ながく国家の基本法典として用いられ、武家政権の
もとでも公家社会の基本法典としての性格を失わなかった。 
479日本@名無史さん:04/07/27 15:21
>>478
ということは
大宝律令が実効力を持っていた→757(天平宝字元)年まで
養老律令が実効力を持っていた→9世紀頃まで(但し公家社会では明治まで)
ということでファイナルアンサーなのでしょうか?
480日本@名無史さん:04/07/27 15:37
>>479
そうも言える。ただし、大宝と養老がほぼ同じなのは前述。

大宝律令を編纂したのは刑部親王(天武皇子)・藤原不比等ら19名。
当時の文化的水準からみて当然だが、そのなかには渡来人一世あるいは渡来系
氏族出身者が多い。
この律令は757年(天平宝字1)まで施行され、その間に日本の律令制の骨格が
かたちづくられた。
継受法である大宝律令が範としたものは、唐の永徽律令(650制定、翌年施行)
らしい。
481日本@名無史さん:04/07/27 20:42
大宝君、平日の昼から大活躍だな(プ
482日本@名無史さん:04/07/27 23:48
>阿居乃王
継体天皇の大叔父の名前って雰囲気がアテルイに似てるけど
どういう意味で、なんて読むんですか?
ついでに
阿居乃王の子供が息長真手王で、応神天皇と神功皇后の周辺にも息長〜〜
って人が沢山るようです
なんか系譜的にあやしいといわれてるところに出てくるんで気になるんですが
息長の意味等も教えて下さい。地名かなんかでしょうか。
あと、蘇我イルカのイルカって海のイルカですか?
483日本@名無史さん:04/07/28 13:06
アイノオウ
大きな川という意味

長男の意味

海のイルカ。入鹿は名は鞍作(くらつくり)といい、蘇我林臣鞍作、林太郎、
蘇我大郎ともいわれた。
484日本@名無史さん:04/07/28 14:44
2ちゃんで大化の改新を叩いている粘着厨房も
蘇我太郎と呼ばれている。
485日本@名無史さん:04/07/28 14:58
戦時中の食料配給制度について教えて下さい!

食料配給って戦時中有料だったの?
配給ってどんな風に行われていたんですか?

教えて下さい。よろしくお願いします。
486日本@名無史さん:04/07/28 15:04
地頭って、任地の国衙領と荘園すべての年貢の取立てをしたんですか?
487日本@名無史さん:04/07/28 15:09
488日本@名無史さん:04/07/28 17:06
>>484
キャベツ太郎とどっちが旨い?
489日本@名無史さん:04/07/28 19:48
昔の日本人は、歩くとき走るときに手足同じほうから出していた、
とよくいわれますよね。
でも、普通の人でも普段走ったりしてたら、手足交互に出すほうがいい、
と気づくような気がするのですが、そうはならなかったんですか?
490日本@名無史さん:04/07/28 19:57
着物着てたから
491日本@名無史さん:04/07/28 21:39
>>489
昔の人というか侍でしょ。
刀を腰に差しているから左足を前に出した時に左手を後ろに振ると
左手が刀にあたる。
だから左足を前に出した時には、左手も前に出してたっていう巷説。

戦場では刀を鞘に入れておくことなんてありえない。
当然、むき身の刀を腰に差しているなんてこともない。
刀は自分で手で持つか、移動時などは徒歩組が鞘にいれて大事に手に持って運んでやる。
儀式などでは腰に刀を差す事が義務付けられていることもあるので、
そういう時だけ左足左手を同時に前に出して歩いていた。
492日本@名無史さん:04/07/28 22:13
485
有料なわけねぇじゃん(笑)
国家が食糧を統制して、国民に支(配)給してたんだから。
493日本@名無史さん:04/07/28 22:19
なに歩きつったけ?
その説は一体どこから出て来たの?
494日本@名無史さん:04/07/28 22:21
>>492
有料だよ。
495日本@名無史さん:04/07/28 22:27
>>492
食料配給公団は戦後の組織です。





496日本@名無史さん:04/07/28 22:45
>>492
配給切符が各家庭に隣組から配布されます。
家庭の側では米穀店に切符を持っていき公定価格で購入します。
497日本@名無史さん:04/07/28 22:54
368 :日本@名無史さん :04/07/22 13:52
>360は>354にレスしているのだろうけど
>360は>354のいうNHKの某番組の内容までわっかているんだねw
深夜の再放送枠は地方によって違うのだが、
>360には何が見えているんだ?

そういや前スレの後半にも変なのがいたけど、
>360も電波系エリートなのか?

何はともあれ>360のいうNHKの放送。
期待しちゃっていいのかなw
まさか散散叩かれたアレの再放送の話じゃないよね。>360
498日本@名無史さん:04/07/29 01:57
今日のNHKの「その時(ry」って凄い。凄すぎ。
今すぐ全ての歴史書を書き換えなきゃ。
真実が初めて国民の目の前に曝されたんだ。

何年も前から今日の放送程度の内容を知っていた人物なんか
この世には居なかったんだから。
本放送のとき、どうして新聞はスルーしたんだ。
僕には判らないチョソの陰謀か?
断じて許せない!
学会はどうしてこの事実を全面的に支持しないんだ。

NHKの「その時(ry」はこれからも欠かさず見続けなきゃ、

(´-`).。o○(最近このスレで強烈なデムパを飛ばしている某の代弁) ガクガク(((n;‘Д‘))ηナンダカコワイワァ
499489:04/07/29 02:19
>>490 >>491 回答どうも。

そうすると、ちゃんと交互に出して歩いていたってことですね。
なんか、明治以降でも手足同時で、行進から練習しないとだめだったとかいうのも無し?
500日本@名無史さん:04/07/29 05:23
最近日本史に興味持ちました。

今は中公文庫の「日本の歴史」を読み初めているのですが、
他の日本通史モノでお薦めはありますか?
501日本@名無史さん:04/07/29 08:52
>本放送のとき、どうして新聞はスルーしたんだ。
してない。
さらに、1年以上前に新聞記事として暗号解読の件が出ていた。
研究者なら常識だが・・・
502日本@名無史さん:04/07/29 09:05
『アジアで王族があるのは日本とタイだけ。あとは日本が滅ぼしたのとかあったわけだが、・・・』と、
あるスレで見かけたのですが、これは本当でしょうか?

503日本@名無史さん:04/07/29 09:26
日本語では〜君とか〜ちゃんとか〜さんとか〜様〜殿とか、名前につける敬称って
いっぱいあると思うんですが、昔からこんなにいっぱいあったんですか?
504日本@名無史さん:04/07/29 09:41
>>502
王室が残っているところは少ないけど
王族が残ってるところは多いんじゃない
先日バリ島で旧王朝の皇女(と言っても94歳だが)の葬式やっていたのをNHKニュースで見たが。

例に挙げるとベトナム帝国が滅んだのはフランスの植民地政策のためであり、
アジアの王室の滅亡要因の全てが日本のせいじゃない。
505日本@名無史さん:04/07/29 09:51
>>504
ありがとうございます。
ってことは、日本が滅ぼした王室or王族はあるってこと?
良かったら教えてもらえませんか?
506日本@名無史さん:04/07/29 10:25
夏厨が寄ってきそうなネタになるがw
大韓帝国の李氏王朝なんかは滅ぼした”王室”になるんじゃない?
もちろん”王族”としては存続していて、日本国内では貴族の扱い。
507日本@名無史さん:04/07/29 10:39
>>506
(゚∀゚)アヒャ
清朝も、そうなると思いますか?
個人的には李朝も清朝も自滅したと見てるのですが・・・・
508日本@名無史さん:04/07/29 11:26
>>502
王族なら、ネパールにもカンボジアにもいるじゃん。

>>507
李氏朝鮮の最後はよく知らんが、清朝は孫文のシンガイ革命(字、失念)によって倒れたじゃん。
まぁ、セイタイゴウ(これも字、失念)がそのきっかけの一つになったのだから、自滅と言えなくもないがね。
509日本@名無史さん:04/07/29 11:34
>>508
ありがとうございます。
そういえばネパールにもありましたね。
何年か前に皇太子の銃乱射とかがあったような。。。
510日本@名無史さん:04/07/29 11:35
ベトナム王室をたおしたのはフランスではないよw。
511500:04/07/29 13:49
スイマセン。
専用スレありましたね
512日本@名無史さん:04/07/29 14:04
>>498
まあ、落ち着け。
君がしたような間違いは誰にでもあることだ。
513日本@名無史さん:04/07/29 14:29
>>512
そりゃそうだが、>>497は酷すぎ・・・
514日本@名無史さん:04/07/29 14:30
つまり>>502が見かけた「あるスレでのカキコ」がすべて間違いの始まりと言うことで。

・・・ところで、それはどのスレ?
ヲチしたいのでこっちに貼っておいてくれないかね >>502
515日本@名無史さん:04/07/29 21:44
368 :日本@名無史さん :04/07/22 13:52
>360は>354にレスしているのだろうけど
>360は>354のいうNHKの某番組の内容までわっかているんだねw
深夜の再放送枠は地方によって違うのだが、
>360には何が見えているんだ?

そういや前スレの後半にも変なのがいたけど、
>360も電波系エリートなのか?

何はともあれ>360のいうNHKの放送。
期待しちゃっていいのかなw
まさか散散叩かれたアレの再放送の話じゃないよね。>360
516日本@名無史さん:04/07/29 22:02
頼むから512=513=514はスルーしてくれ。
こいつのことは大体分かっているだろ>all
517日本@名無史さん:04/07/29 22:26
>>516
完敗宣言
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
518日本@名無史さん:04/07/29 22:28
家康が新田源氏だったって言うのは本当ですか?
秀吉が一時、藤原姓を名乗ったのは本当ですか?
519日本@名無史さん:04/07/29 22:42
>>518
>>家康が新田源氏だったって言うのは本当ですか?

嘘です。

>>秀吉が一時、藤原姓を名乗ったのは本当ですか?

本当です。
520日本@名無史さん:04/07/29 23:28
松平・徳川の祖先について、確かなのはただ一つ。
「室町時代には三河国松平郷で庄屋をしていた」
残りは伝説と征夷大将軍資格を得るための系図捏造と言ってもよい。
伝説は一つ。
「源氏の出、と名乗る遊行僧が来たので娘を嫁がせた。
 形式上そいつを松平初代としたから、松平は源氏なのだ」
時代的には室町時代のころだった、とされている。
しかし系図もどこの源氏のどの子孫なのかも実在したのかも、
徳川家康のころには皆目見当もつかなくなっていた。
そのため家康は系図捏造に走った。
具体的には織田との同盟時代、三河国守護の位を朝廷に認めてもらおうとした。
結果は不可。「松平は祖先にその位に達したものはいません、資格がありません」が理由。
近衛家に調べてもらったところ、「得(徳)川、江川という資格のある家があったようです」
という返事を得た。それで徳川と改名し、守護の位を得た。
この江川さんが、新田の流れの人だった。
そのあと、徳川は吉良家から系図を借り、そちらに正式には先祖を移している。
吉良は一色などと同じ足利の嫡流。
つまり、新田から足利に移したのは事実だけど、新田が正しいのかすら不明、ということ。

豊臣秀吉は関白太政大臣になるとき、最終的には豊臣姓を新設してもらったが、
その直前までは、近衛家の子供扱いしてもらうことで目的を達成しようとした。
その時期の書簡では藤原姓になっている。
521日本@名無史さん:04/07/30 01:34
>>499
申し訳ないけど>>491は事実誤認が多いので、補足しておきます。

幕末に外国人が残した飛躍や駕篭かき、馬喰の写真を見てもいわゆるナンバ歩きなのが見て取れます。
日本人が属する古モンゴロイドは骨盤の発達がコーカソイドに比較して未熟であり、また山がちな国土のために、
主に膝関節をと大腿四頭筋を多用した歩きかたをします。たとえば歌舞伎の演目・藤娘で、演者は膝を布で縛って
膝から先だけの歩行を練習して女性らしさを表現しますが、日本人はこれをあまり苦手にしません。

逆に、膝関節を完全に伸ばしたままの歩行方法(ドイツ軍の行進での歩行など)は、未だに苦手です。
コーカソイドが大臀筋と大腿二頭筋を操るのを苦にしないためです。また、骨盤の発達殿関係で、
日本人の重心は欧米人に比較してつま先側にあり、これがナンバ歩きを促した要因とも考えられます。
高取正男氏の本に詳しいので、読んでみてください。
522日本@名無史さん:04/07/30 01:35
>>499 長くなったので二つに分けます。上の続きです。

>>491のいうような手が鞘に当たる云々は、そもそも下半身と連動させての動きの習慣が日本にはないので。
手を振るから鞘に当たる以前に、手を振るという習慣がありません。刀を鞘に入れておくことなんてあり得ない云々の
意味が不明ですが、必要がなければ鞘に入れています。抜刀したあと、刀が手から滑り落ちないように、鍔の穴に
紐を通して輪を作り、それを手首に巻きつけていましたから、戦場での移動の際は納刀せずに肩に担いで移動しましたが
(伝足利尊氏の有名な肖像画がその様子を伝えている。刃を外側に向けて肩に担ぐ)。

儀式の時云々と書いていますが、正式な儀式の時は烏帽子に、刀(正確に言えば打刀)ではなく太刀を佩きます。
太刀は紐で腰に吊り下げる(佩く)ものです。麻裃の場合は刀を差しますが、大刀は基本的の預けて
脇差しのみ差しますし、そもそもその場合でも手を振って歩く動きが文化的にありません。
城中などで歩く時は、手は骨盤のあたりに当てて、上半身をあまり動かさない感じでツツツと歩くのが普通です。

日本人の便所座りや正座など、外国人にはとても楽な姿勢とは思えないような者でも、文化的にその動きを
伝承し繰り返した結果苦にならなくなっているものです。椅子の上でも正座で座っちゃうおばあちゃんとか、
今でも結構いるでしょう? 昔は「そういうもんだ」と思ってたから、ナンバ歩きも不自然ではなかったのです。
523日本@名無史さん:04/07/30 06:27
山川の「詳説日本史」の大津事件の説明で
第2次松方内閣となっていますが、第1次松方内閣の間違いですよね?
524日本@名無史さん:04/07/30 15:07
大日本帝国の時代は18**から194*と考えた方が宜しいのでしょうか?
525日本@名無史さん:04/07/30 17:42
「将軍」と「殿様」って具体的には何が違うんでしょうか?
526日本@名無史さん:04/07/30 17:56
将軍=殿様の中の殿様
527525:04/07/30 18:02
>>526
ありがとうございます。

お城で一番偉いのが「殿様」、その殿様の中でも
最も偉いのが「将軍」、という事で良いでしょうか?
528日本@名無史さん:04/07/30 20:17
>>527
昔、男色ってのがあったのは知ってるかな?
男が男を抱くというあれ。
「殿様」ってのはそれに由来する。
殿様は男色を行うために小姓という若者の家来を持っていた。
殿様が小姓をバックからホる。
尻(「殿【しんがり】」)からホる偉い人だから殿様。
覚えておこうね。
529日本@名無史さん:04/07/30 20:34
>>523
第1次
530日本@名無史さん:04/07/30 20:36
便所すわりは、アジアの座り方です。。。
531日本@名無史さん:04/07/30 20:46
殿は代名詞ですね
532日本@名無史さん:04/07/30 21:01
菊と刀の菊というのは男性の肛門の事なんだよ
533日本@名無史さん:04/07/30 21:05
516 :日本@名無史さん :04/07/29 22:02
頼むから512=513=514はスルーしてくれ。
こいつのことは大体分かっているだろ>all


517 :日本@名無史さん :04/07/29 22:26
>>516
完敗宣言
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
534日本@名無史さん:04/07/30 21:09
菊は天皇家シンボルを引っ掛けた日本の伝統社会の比喩
535日本@名無史さん:04/07/30 21:14
>>524
違う。
大日本帝国は1936〜1945
536日本@名無史さん:04/07/30 21:19
>>523
大津事件も松肩首相就任も明治24年
537日本@名無史さん:04/07/30 21:22
>>535
大間違いまたは嘘。
正式な国号は、明治憲法(1889〜)では「大日本帝国」。
538日本@名無史さん:04/07/30 21:32
10 :日本@名無史さん :04/07/30 21:17
女帝スレ名物・電波君「土井たか男(仮名)」
【注意!】こいつは長年このスレを荒らしてきた電波です。見つけたら華麗にスルーして下さい。
●特徴
1.日本人を土人扱い(アンタ本当に日本人?)
日本人の天皇に対する自然な崇敬心を
あろうことか「土人の信仰」などと決め付ける北朝鮮マンセーの反日主義者。
2.ムリヤリ偶然結果論(確率って言葉知ってる?)
千年以上の長い間皇位が父系で相続されてきた事実を
「単なる偶然」ですませようとする人間とは思えないサルなみの知能。
3.軽薄でオバカな進歩主義(それは、すべてあなたの思い込みです。)
「国民は女系相続を望んでいる」と勝手に思い込むひとりよがりではた迷惑な使命感。
4.時代遅れの唯物論(共産主義の時代は終わりますたw)
皇室の伝統や権威に一切の価値を認めないあたまでっかちの唯物論者のマルキスト。
5.家系?血統?シラネーヨ!(いわゆる新日本人の末裔の方でつか?)
日本の氏族制度の根本である男系相続の存在を 頑なに認めない田嶋陽子ばりの狂信的フェミニスト。
いかにも社民党員らしいお里が知れる名台詞が印象的ですた。
>全部、私の「家系」ですが何か?何で家系が一つだけしかないと決めつける?必要な家系を必要なときに使うだけだが何か?
6.三種の神器大好き!(皇統よりも道具が大事?)
長らく男系で続いてきた皇統の価値を全く認めないくせに
「三種の神器」の権威だけは必要以上に認めるいかにも社民党員らしいダブルスタンダードの卑怯者。
かりに三種の神器が別の家に移ったら、その家は皇室でつか?ずいぶんお手軽な皇室でつねw
7.徹底的な反伝統主義(文化大革命でつか?w)
明治という時代の産物である教育勅語をあえて現代語訳し、
現代感覚とのズレを過剰に強調する事で反伝統・反皇室の気風を醸成しようと図るテロリスト。
539日本@名無史さん:04/07/30 21:34
>松肩
松方?
540日本@名無史さん:04/07/30 21:35
阿波丸で、日本はインチキしてたのは本当ですか?
541日本@名無史さん:04/07/30 22:02
>>540
旧軍の指示による本土決戦のためのインチキ。
542日本@名無史さん:04/07/30 22:16
>>541
情けないですね
543日本@名無史さん:04/07/30 22:29
>>542
まあ情けないが、多かれ少なかれ何処の国もインチキしてたから。
だからといって問題がないとは言わんけどね。
544日本@名無史さん:04/07/30 22:46
>>537
プッ
545日本@名無史さん:04/07/30 22:48
捕虜用物資は10%。あとは、金と軍需を運んでいた。
本土決戦用の技術者を運んでたらアボン。
アメリカは謝罪し、戦後の賠償を提示。
日本は戦後に、アメリカの援助に感謝ということで賠償放棄。
546日本@名無史さん:04/07/30 22:55
>>544
>>535のソースキボンヌw。
547日本@名無史さん:04/07/30 22:57
535 :日本@名無史さん :04/07/30 21:14
>>524
違う。
大日本帝国は1936〜1945


548518:04/07/31 02:26
>>518-519
ありがとうございます。勉強になりました
549日本@名無史さん:04/07/31 02:49
中原兼遠の祖先は誰ですか?
550日本@名無史さん:04/07/31 03:38
ある本で義経伝説の事がほんの少しだけ書いてあって、
「武蔵坊弁慶は伝説上の人物で実在しなかった」と
言うのを目にしました。それが本当かどうか先生に質問したところ、
「義経はチンギス=ハンじゃあ無いと思うけど、弁慶はいたはずだよ。
と言われました。」本当のところ、弁慶っていたんですか?
そして、もしいなかったんだったら、義経が北陸の関所で
正体を見破られそうになた時の弁慶の活躍とか、
五条橋での義経との戦いとか、どうなるんですか?
551日本@名無史さん:04/07/31 08:33
>>550
どうなるんですかってバカ?

実在しない人物だったら必然的に嘘の話ということになるだろ。
552日本@名無史さん:04/07/31 11:10
実力テストで、

「小右記より
1025年、蔵人で検非違使でもあった平棟仲の使用人が大納言能信の(1)の山城荘の使用人に頭を打ち砕かれた。

(1)に入る大納言能信の所有する土地の名称を書け。」

と言うのがあったのですが、ググっても答え見つかりません。誰か教えてください。
553日本@名無史さん:04/07/31 11:31
>>535
>違う。
>大日本帝国は1936〜1945

この珍説の根拠は?w
554日本@名無史さん:04/07/31 11:52
>>553
ほっとけ。夏のバカウヨ厨房だ。
変なもん見て洗脳されてるんだろ。
555日本@名無史さん:04/07/31 12:25
553=554
556日本@名無史さん:04/07/31 14:16
家康の死因について質問です。

・天ぷらで胃もたれを起こして死んだ
・天ぷらを胃もたれを起こしたので、自分で調合した薬を飲んだら死んでしまった
・海老天ぷらの海老の尻尾が喉に刺さって死んだ
とか色々聞いた事があるんですが、本当の死因は何ですか?
557日本@名無史さん:04/07/31 14:49
側室・・・って何時頃から出来たのでしょうか?

平安貴族の妾は側室と呼ばれてたの?
558日本@名無史さん:04/07/31 15:44
キミは鯛の天麩羅を食べたことがあるかい?
古い鯛を天麩羅にしちゃいけないって昔から言うんだよ。
古い鯛を天麩羅にすると毒にあたるんだ。
559日本@名無史さん:04/07/31 21:35
>違う。
>大日本帝国は1936〜1945

この珍説の根拠は?w
560日本@名無史さん:04/07/31 22:00
>幕府に外交権があったのなら天皇の勅許を得るためになぜ幕府は
>必死になったのか説明せよ。

外様雄藩の合意獲得のため。
朝廷は求めていない。幕府が統治の戦略上、聞きに行っただけ。
通説・・・です。
561日本@名無史さん:04/07/31 22:05
庶民が写真を撮られるようになったのはいつ頃からでしょうか?
562日本@名無史さん:04/07/31 22:27
>>561
漏れの本家は東北の大地主だが残っている写真で一番古いのは明治中期頃のもの。
大正時代には家にカメラがあったと聞いた。
563日本@名無史さん:04/07/31 23:44
鎌倉北条氏と後北条氏は血縁的に何か関係あるんですか?
564日本@名無史さん:04/08/01 00:33
>>563
全くありません。
565日本@名無史さん:04/08/01 01:27
>>556
鯛の天麩羅以前に、すでに胃がんだった。無理して大坂の陣を起こして
豊臣家を滅亡に追い込んだのも、自分の死期を予感してたからだろうな。
残された記録から見て、胃ガンだったのは確かで食あたりが死因ではない。
豊臣家を滅ぼして気が緩んだのか、1616年に死んじゃってるわけだし。
当時は亀腹と呼ばれる胃ガンがかなり多かったようで、伊達政宗も胃ガン。

ちなみに、江戸時代の人間が朝鮮人参を異常に珍重したのは、
家康が珍重したせい。家康の場合、関ヶ原後に3人も子供を成したため、
また当時としては長命だったため、回春剤としての効能も含めて
庶民に朝鮮人参幻想が生まれたようだね。家康が自分で調剤してたのは有名だけど、
この時はちゃんと医者が薬を投与している。

それよりも、吉田梵舜が家康倒れるの報を受けてから、家康呪殺の堂籠りを
してることの方が、興味をそそられるね。豊国廟を破壊された怨みなんだろうが、
実際には家康にも吉田神道の教えを授けてるわけだから、面従腹背ってやつか。
566日本@名無史さん:04/08/01 11:08
写真を撮られるだけでいいなら、幕末の庶民の写真はたくさんあります。。。
567日本@名無史さん:04/08/01 11:12
>>559
ほっとけ、夏のバカウヨ厨房だ。
変なもん見たんだろw。
568日本@名無史さん:04/08/01 11:19
559=567(プッ
569日本@名無史さん:04/08/01 11:35
>>568
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
釣れた釣れたwww
僕は>>567だけど>>559ではないよ

で、ソースまだ?

>違う。
>大日本帝国は1936〜1945
570日本@名無史さん:04/08/01 13:23
>>550
複数の人物をモデルにして創作された人物とされています。
通説でつ
571日本@名無史さん:04/08/01 14:13
>>570
実在。
「吾妻鏡」や「平家物語」にその名が見えるので、実在の人物と考えられて
いるが、詳しくは不明。
実在したが、いくつかの物語でいろいろ膨らんだ。
常識的通説。
572日本@名無史さん:04/08/01 14:14
>>556
長いこと胃がんであったのが暴飲暴食した日に自覚症状が現れた とか
と書こうとしたら>>565がちゃんと書いていたね
573日本@名無史さん:04/08/01 14:25
>>570
>>571に実在と書かれてますが。
どうなんですか?
574日本@名無史さん:04/08/01 17:35
>>571支持。そんなもんだろうなぁ。
決定的な証拠、例えば信頼性のある系図かなんかが出てきて
出自の確定でもなされない限りは
(いちおう弁慶の出自は、様々な書物の記述から熊野の湛増なる人物の
息子ということになってるようだが・・・その系図には弁慶の名がない)、
「実在したと思われるが、謎の多い人物」
で行くしかないんじゃないかねぇ。
575日本@名無史さん:04/08/01 20:15
>>570は嘘でつか・・・
吾妻や平家に出てるのを・・・
576日本@名無史さん:04/08/01 21:18
実在を疑いだしたら、きりがないからねぇ。
武田信玄の部下の山本勘助も、長らく実在が疑われていたが、
近年発見された手紙に中に、使者としてやってきた人物として名前が見え、
ようやく実在の人物と確定したぐらいだし。1500年代の人物ですらこうな訳だから、
1100年代の人物なら記録はもっとあやふやになって当然でしょ。
577日本@名無史さん:04/08/01 22:04
>>557
基本的なことがわかっていないなぁ。

平安時代は妻問婚といって、夫と妻が離れて住み、 夜に夫が妻のところへ通う婚姻形態だったの。
生まれた子供は妻の実家で養育されるから、当然母方の影響力が大きくなる。これは中国江南地方の
母系氏族制の影響ではないかと言われている。男性の訪れが途絶えると結婚は解消、現在の婚姻制度とは違うし、
またこういう形での一夫多妻制、多夫多妻制に近い。入り婿婚という形もあったようだが、比率はよくわからん。
源氏物語とか各種日記文学を見ると、妻問婚が主流のようです。財産も、母系で相続しています。
詳しくは高群逸枝(たかむれいつえ)の『母系制の研究』、『招婿婚の研究』などを参照してください。

これが崩れるのは鎌倉時代も半ば以降、女が男のところへ嫁ぐ形式が主流になっていく。
当然男系相続が中心になっていく(その中で長子相続が確立していく。最初は兄弟で田畑を分割相続していたが
「戯け=田分け」の語源となったように、勢力を削るために次第に廃れた)ので、この流れの中で
いわゆる正室・側室の概念がじょじょに生まれてきたと思われる。ただ、江戸時代の正室・側室という概念ほど
厳密なものではないと思われ。信長の正室とされる濃姫も、晩年の消息は里に帰されたという説もあり、
つまびらかではないしね。

元々が一夫多妻的な文化要素を持っていた国なので、現在の一夫一婦制の概念や、江戸時代の正室・側室の
概念をごっちゃにして考えると、話がおかしくなるよ。
578日本@名無史さん:04/08/01 22:40
>>576
>山本勘助も、長らく実在が疑われていたが、近年発見された手紙
十数年前なら自慢できた知識だったのにね
579日本@名無史さん:04/08/01 23:29
農作業用の機械で「勘助さん」というモノがあるのはキシュツ?
580日本@名無史さん:04/08/02 07:54
>>575
嘘とかじゃなく、まだそれだけはっきりしてないってことさ。
581日本@名無史さん:04/08/02 12:49
 天領は藩領と違って苗字帯刀が厳しかったそうですが、ということは天領で苗字帯刀を許されていたらすごい家柄ということ?
582日本@名無史さん:04/08/02 12:59
>>580
恥ずかしいよ。教授w。
583日本@名無史さん:04/08/02 14:35
>>582
教授?
誰かと勘違いしてない?
584日本@名無史さん:04/08/02 14:39
>582は例の基地害とは別人のような気がする
騙りっぽい
585日本@名無史さん:04/08/02 14:59
まあ昭和天皇は実在の人物ではないんですけどね。
586日本@名無史さん:04/08/02 16:07
ここで書き込むのもどうかと思うのですが、日本史関連なんでここに
書き込みます。

えと・・「日本近代史」(太平洋戦争等)の研究で有名な(著名な)教授は誰でしょうか?
(所属大学も教えていただければ幸いです)
また、幕末・明治維新あたりの研究で有名な教授は誰でしょうか?

どうかよろしくお願いします。
587日本@名無しさん:04/08/02 18:17
>>575
歴史の世界でいうところの「嘘」というのは、「事実と確定(≒確実に推定)されないもの全てが
該当する」といっていいのさ。そもそも歴史というのは「昔語り」であり「伝説」であり、当然ながら
当時あるいは後世の政治的な都合、記憶違い、噂話、脚色などから事実でない物語が混ざるの
は宿命。それを排除すべしという考え方から「歴史学」というのは始まったといってもいい過ぎでは
ない。事実と確定されるためには「当時、彼本人が書いたもの」「当時の人が彼の事を書いたもの」
が現在まで残っていないと。そして、この資料が確実にそうと言い切れるものがないと。

弁慶の話だが「叡山の僧兵出身で義経の側近だった武蔵坊と呼ばれていた人物がいた」
というレベルじゃなかったかな。でも平家物語はあくまで「物語」だし、実際には武蔵坊と
いう名ではなく別の名だったと推定されたならば、「武蔵坊は実在しないがモデルはいた」
という論が正しいとなってしまう。義経という歴史から抹消されてしまった人物側の人間ならば、
事実よりも物語の記憶が人々の中に優先されるのは致し方ないけれどね。
588日本@名無史さん:04/08/02 18:29
ttp://www.ikedaya.com/images2/castle/nobunagaj.jpg
どうしてこの肖像画を教科書などに使わないんですか?
589日本@名無史さん:04/08/02 18:34
厨ばっかだな
590日本@名無史さん:04/08/02 21:04
見苦しいなぁ・・・

>570 :日本@名無史さん :04/08/01 13:23
>>550
>複数の人物をモデルにして創作された人物とされています。
>通説でつ
591日本@名無史さん:04/08/02 21:13
>>587
どうしてこの人は必死なんですか?
何か間違えたの?
592日本@名無史さん:04/08/02 21:16
オマエモナー

流せないのか?
593日本@名無史さん:04/08/02 21:40
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
やっと過ちを認めますたw

では、流そう、すべてを水に流そう・・・
594日本@名無史さん:04/08/02 21:42
592だが奴とは別人だ。アホ。
お前の目には見えないIDでも見えるのか?
595日本@名無史さん:04/08/02 21:43
593 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/02 21:40
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
やっと過ちを認めますたw

では、流そう、すべてを水に流そう・・・


    ↑
  なんだこれw
596日本@名無史さん:04/08/02 21:43
だから馬鹿は流せって
597日本@名無史さん:04/08/02 21:44
>>582
教授はその頃巡洋艦に乗ってたから本人じゃないでしょうね。
598日本@名無史さん:04/08/02 21:45
すみません天領って江戸自体にはなんて言ってたんですか?
天領っていうのは後からつけた言い方だと聞きました。
599日本@名無史さん:04/08/02 21:46
>>598
御領
600日本@名無史さん:04/08/02 21:52
浄土真宗では葬式に肉料理が出ると聞いたのですが、本当ですか?
601日本@名無史さん:04/08/02 23:30
現在に生きる藤原氏の子孫は「冷泉」氏だけだと聞きました。
果たしてこれは本当でしょうか?
あと、現在に清和源氏の子孫、桓武平氏の子孫は存在するのでしょうか?
602山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/08/02 23:37
>現在に生きる藤原氏の子孫は「冷泉」氏だけだと聞きました。
>果たしてこれは本当でしょうか?
名前だけなら五摂家もありますし、私が知っているだけでも万里小路や日野西
や飛鳥井が今でもありますが。故実を伝えているという意味でしょうか。
>あと、現在に清和源氏の子孫、桓武平氏の子孫は存在するのでしょうか?
存在します。少なくとも自称はわんさかおりますし。
603601:04/08/02 23:49
ありがとうございました。
604日本@名無史さん:04/08/03 03:01
>>578
何が言いたいんだ?
605日本@名無史さん:04/08/03 03:05
ああ、なんだ。知ったかかまして赤っ恥かいた香具師が必死に噛み付いてんのか。

幕府公式記録の吾妻鏡はするーでちゅか?w
606日本@名無史さん:04/08/03 03:06
二人とも顔真っ赤にして喧嘩すんなよ。
2ちゃんは初めてか?
607日本@名無史さん:04/08/03 03:34
るーでちゅか?w
608日本@名無史さん:04/08/03 03:34
するーでちゅか?w
するーでちゅか?w
するーでちゅか?w
するーでちゅか?w
するーでちゅか?w
するーでちゅか?w
609日本@名無史さん:04/08/03 03:50
夏休み
610日本@名無史さん:04/08/03 03:52
「するーでちゅか」は俺も気になった。
611日本@名無史さん:04/08/03 03:53
>>609
ああ、なんだ。するーでちゅか?wを突っ込まれて赤っ恥かいた香具師が必死に噛み付いてんのか。

するーでちゅか?wはするーでちゅか?w
612日本@名無史さん:04/08/03 08:11
かつての日本は、科学技術も文化も、中国より何十年あるいは百年以上も立ち遅れていた。
アヘン戦争以前の中国と日本は鎖国し、ヨーロッパの新興文明との接触を殆ど持っていなかった。

1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、中国との間にすら何十年という格差が存在していた。
しかし、現在の日本は、もはや世界で最も発達した国の一つであるのに対して、中国は依然として発展途上国の地位にとどまっている。

百数十年程前には、中国より何十年も遅れていた日本という無名の島国は、一気に中国より何十年も先を行く先進諸国への仲間入りを果たした。

昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。

1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。

1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。

日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは迫害するという話は聞いたことがない。

多くの中国人、とりわけ殆ど日本人と接触したことのない中国人達は、日本人に対する一種の「先入観」を抱えている。
それは、日本人が非常に特殊な民族であり、野蛮で心黒いというものである。自分の罪をなかなか認めようもしなければ、
謝罪も拒んでいる。また中国人を特に軽視する上に悪意も持っている。さらに、機会さえあれば中国人に恥をかかせ、
中国を滅ぼし、中国人を奴隷にしようと考えている、と思いこんでいる。
極端な場合、スポーツでの日本との対抗試合を血の流れない戦争と見なし、勝利すれば心が晴れ意気揚々となる等、
日本人には絶対負けたくないという気持ちが特に強い。

http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/030616ntyu.htm
613日本@名無史さん:04/08/03 08:39
>>612
久々にDQNらしいDQNを見た。
614日本@名無史さん:04/08/03 08:41
重慶でやっているサッカーアジアカップの試合前に「君が代」を流す無神経ぶりも日本ならではだ。
ブーイングが起こるのは当たり前である。「君が代」は大日本帝国を象徴する歌である。60年以上も
経ったので、大日本帝国の蛮行を中国人が水に流してくれるなどと考えるのは愚かしいにも程がある。
いつまで経ってもこの程度の認識しか持てないのであれば、外国に多額の援助を行っても国際社会
で名誉ある地位を日本が占めることなどあり得ない。

http://revolt.cocolog-nifty.com/love/2004/08/post.html
615日本@名無史さん:04/08/03 08:42
「中国」が本来、自国領と考えている地域
(1953年度北京政府発行国定教科書『現代中国簡史』に基づく)

「中国」(満州・内モンゴル・ウイグル・チベット・東カシミール(アクサイチン地区)の占領地域を含む)
台湾(現在、「中華民国」の施政権が及んでいる地域)
朝鮮半島(韓国・北朝鮮)
ロシア極東地域(沿海州・樺太)
外モンゴル(モンゴル国・ロシア領ブリヤート)
西トルキスタン(カザフスタン領・キルギス領の一部)
東南アジア(ベトナム・ラオス・カンボジア・タイ・ミャンマー・マレーシア・シンガポール)
南シナ海島嶼群(南沙諸島・西沙諸島)
旧英印領地域(インド領シッキム・バングラデシュ・ブータン・ネパール領の一部)

支那が「潜在的中国領」と考えている地域に敢えて書かなかった地域、それは何と驚く事に、

沖縄

だったのです。いや、より正確には、日台支三国で領有権を係争中の尖閣諸島
(詳しくは、コラム『94.「お宝」目当ての領有権主張 ── 尖閣諸島問題』を参照)を含む琉球諸島全域(沖縄県)・
奄美諸島(鹿児島県)・対馬(長崎県)と言った地域なのです。これらの地域は、今更言う迄もありませんが、
日本国の施政権が及んでいるれっきとした「日本の領土」です。その「日本の領土」迄も、本来あるべき「中国領」と支那は考えているのです。
最早、到底笑って済ます事の出来る話ではありません。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/taiwan3.html
616日本@名無史さん:04/08/03 08:42
支那は沖縄(琉球)が、かつて自国に「朝貢」していた歴史を根拠に、「潜在的中国領」と考えています。
とすれば、この様な論理も成り立つ事になってしまうのです。すなわち、日本は、「邪馬台(臺)国」(正確には「邪馬壹国」)の時代から
「倭の五王」の時代にかけて、「倭国」の名で支那に「朝貢」していたと(支那の)史書に記述されている。
かつて、日本が我国に「朝貢」していた歴史がある以上、日本も「潜在的中国領」であり、日本は「中華人民共和国の祖国の大家族」の中に戻らねばならない
と。皆さんの中には、「そんな馬鹿な!!」と思われる方もおありでしょう。しかし、先述した「潜在的中国領」の範囲を考えると、冗談では済まされない「現実味」があるのです。
現在、この様な主張を支那はしていませんが、もし、実際にこの様な荒唐無稽な論理を支那が振りかざして来たとしたら、皆さんは認める事が出来るでしょうか?
 当然の事ながら反発を覚える事と思います。しかし、支那が現実にこの様な論理を振りかざして、台湾や南沙・西沙・尖閣諸島に臨んでいる事を考えると、
我々は支那に対して、その動向を注視すると共に、より毅然とした態度で臨まねばならないとは言えないでしょうか?
617日本@名無史さん:04/08/03 10:05
570 :日本@名無史さん :04/08/01 13:23
>>550
複数の人物をモデルにして創作された人物とされています。
通説でつ
618日本@名無史さん:04/08/03 10:16
>>616
正確に書くなら、国ではなく、國ではなかろうか?
619日本@名無史さん:04/08/03 13:06
   ,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、
        /イハ/レ:::/V\∧ド\
       /::^'´::::::::::::i、::::::::::::::::::::::::::::\
     ‐'7::::::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ:::;、::::::::::::丶
     /::::::::::::::/!i::/|/  ! ヾ リハ:|;!、:::::::l
    /´7::::::::::〃|!/_,,、   ''"゛_^`''`‐ly:::ト
    /|;ィ:::::N,、‐'゛_,,.\   (●)'   !;K
         ! |ハト〈  (●)  ,       リイ)|
          `y't   ,,ノ(、_, )ヽ、,,    //    あははははは
         ! ぃ、   `-=ニ=- '   〃
         `'' へ、  `ニニ´   .イ
              `i;、     / l
                〉 ` ‐ ´   l`ヽ
            / !        レ' ヽ_
         _,、‐7   i|      i´   l `' ‐ 、_
     ,、-‐''"´  ノ,、-、 / 、,_ ,.、- {,ヘ   '、_    `ヽ、_
   / i    ,、イ ∨ l.j__,,、..-‐::-:;」,ハ、 '、` ‐、_   ,`ヽ
  /  l ,、‐'´ // ',/!:::::::::;、--ァ' /  `` ‐   `'7゛   ',
 /   l  i  ´  く   ';::::::l  / /         /     ',
/     ! l      \ ';:::l , '  /        i/     ',
620日本@名無史さん:04/08/03 14:30
>>613
くやしいからってレスすんなよ
荒れるから
621日本@名無史さん:04/08/03 15:30
735年に遣唐使が玄宗皇帝から「日本国王スメラノミコトに勅す」との、
完全な臣下あて形式の勅書をもらい、しかも「勅」で始まる文は3種類の
書式の最下等形式。

これは、中国側の何という文献に残っているのでしょうか?
622日本@名無史さん:04/08/03 17:22
>>621
「唐丞相曲江張先生文集」
だと思う。
たぶん。
623日本@名無史さん:04/08/04 00:18
>>483さん、ありがとうございます。

息長=長男というのは
今度天皇になるこの人は、実はXX天皇の長男の家系なんです、て意味なんでしょうか。

イルカって1500年前からイルカって呼ばれてたってのすごいですね。
624日本@名無史さん:04/08/04 00:54
中国の歴史は四千年と言いますよね。
四千年と言っているのは多分、夏王朝からスタートと考えていると思いますけど。
じゃあ日本の歴史って何百年と考えた方が宜しいのでしょうか?
倭の一番最初の記述(楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国となり、
歳時を以て来たり、献見すという)をスタートと考えて、
日本の歴史は二千百年と考えた方が宜しいのでしょうか?
625日本@名無史さん:04/08/04 04:22
>>620

570 :日本@名無史さん :04/08/01 13:23
>>550
複数の人物をモデルにして創作された人物とされています。
通説でつ
626日本@名無史さん:04/08/04 10:03
天武朝から日本ができて、1400年くらい。
列島の歴史は、古いが、日本は期間限定。
いつかできて、いつかは滅ぶ。
627日本@名無史さん:04/08/04 10:41
>>626
網野説ですな。
628日本@名無史さん:04/08/04 11:24
>>626
1300年くらいかな。
天武朝が新しい王朝と考えるならすっきりするけどね。
天武朝は謎だらけ。
629日本@名無史さん:04/08/04 23:53
>>615
>支那が「潜在的中国領」と考えている地域に敢えて書かなかった地域・・・
(沖縄と尖閣諸島)(1953年度北京政府発行国定教科書『現代中国簡史』に基づく)
から
>その「日本の領土」迄も、本来あるべき「中国領」と支那は考えているのです。
を導き出すの?
歴史研究ってのは少ない記述を結びつけて発展させる力もだいじだけど
斜め読みしすぎじゃない。
中国のコヴァ坊が騒いでるだけで、中国政府は「潜在的中国領」と考えてないってことでは?
630日本@名無史さん:04/08/05 00:19
>>629
チベットのように歴史的な根拠が在しない地域ですら自領であると強弁しているのに
かっての朝貢国に何の興味も示さないと?
支那に米と戦争する度胸があるのなら様様な工作を行うのではないでしょうか。

尖閣諸島や沖の鳥島に関する支那の発言の推移は非常に興味深いとは思いませんか?
631日本@名無史さん:04/08/05 10:42
チベットでは唐から来た皇女の文成が、
中国文化をもたらしてくれたとして、
今も崇敬されているという罠。
632日本@名無史さん:04/08/05 10:54
板違いかもしれませんが質問させてください。

日本の歴代総理大臣とアメリカの歴代大統領は長男が多い、○か×か。
高校生クイズの問題です。
あと小泉と森が長男かどうかもお願いします。
633631:04/08/05 12:03
チベット人全員が現在の中国を崇敬しているんだよ
だから
中国にはチベット人を虐殺する権利がある

日本人は黙っていろ!!!
634日本@名無史さん:04/08/05 12:23
>>633
お、もう釣れたか。
文成をくぐったw?
635日本@名無史さん:04/08/05 13:19
w←これって夏厨が良く使うね(プッ
636日本@名無史さん:04/08/05 14:22
文成は複数の人物をモデルにして創作された人物とされています。
通説でつ
637日本@名無史さん:04/08/05 14:38
>>632
検索すれば?
638日本@名無史さん:04/08/05 15:12
文成公主(625?−680)

チベット王に嫁した唐の皇女。
640年(貞観14)唐太宗の娘分としてチベット王の妃に遣わされた。
従来、老齢のソンツェン・ガンボ王に嫁したとされていたが、敦煌文献
等の研究により、初めクンソン・クンツェン王の妃となり、カムに住んで
王子をもうけ、643年王が没したので中央チベットに至り、亡夫供養の
ラモチェ寺を建て、3年の喪ののち、父王ソンツェンと再婚したものとされる。
649年父王も没し、以後寡婦として両国の和平のために尽くした。
チベットの文化功労者として、死後も尊崇され、ラマ教の尊像となっている。
639日本@名無史さん:04/08/05 15:17
ラマ教の尊像になってるんですか!

驚きました!
640日本@名無史さん:04/08/05 15:25
631≠633
633=635
641日本@名無史さん:04/08/05 15:36
また自作自演か。
コヴァ板に逝けよ。
642日本@名無史さん:04/08/05 15:40
プッ
643日本@名無史さん:04/08/06 00:10
かつての日本は、科学技術も文化も、中国より何十年あるいは百年以上も立ち遅れていた。
アヘン戦争以前の中国と日本は鎖国し、ヨーロッパの新興文明との接触を殆ど持っていなかった。

1868年に日本が近代化政策を開始した時点では、欧米どころか、中国との間にすら何十年という格差が存在していた。
しかし、現在の日本は、もはや世界で最も発達した国の一つであるのに対して、中国は依然として発展途上国の地位にとどまっている。

百数十年程前には、中国より何十年も遅れていた日本という無名の島国は、一気に中国より何十年も先を行く先進諸国への仲間入りを果たした。

昔の日本人も華夷秩序を信じ、中国だけが世界文明の中心であり、中国に学ばない民族はみんな未開化な野蛮人であると考えていた。

1875年、清朝政府は日本に対して、連合して欧米列強に対抗しようと呼びかけたが、日本に拒否された。

1945年日本は敗戦した後、今度は、自分を破ったアメリカに真剣に学び、抜本的な民主主義改革を展開し、軍国主義から民主主義の経済大国へと見事に変身したのである。

日本人は戦争捕虜を虐待することで有名であるが、同胞を虐待あるいは迫害するという話は聞いたことがない。

多くの中国人、とりわけ殆ど日本人と接触したことのない中国人達は、日本人に対する一種の「先入観」を抱えている。
それは、日本人が非常に特殊な民族であり、野蛮で心黒いというものである。自分の罪をなかなか認めようもしなければ、
謝罪も拒んでいる。また中国人を特に軽視する上に悪意も持っている。さらに、機会さえあれば中国人に恥をかかせ、
中国を滅ぼし、中国人を奴隷にしようと考えている、と思いこんでいる。
極端な場合、スポーツでの日本との対抗試合を血の流れない戦争と見なし、勝利すれば心が晴れ意気揚々となる等、
日本人には絶対負けたくないという気持ちが特に強い。

http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/030616ntyu.htm
644日本@名無史さん:04/08/06 02:03
 http://db.gakken.co.jp/jiten/ha/500820.htm
 廃刀令で庶民に帯刀を禁止云々とありますが・・・どういうことですか?
645日本@名無史さん:04/08/06 02:32
 ときどき帯刀してる写真がHPにでてるけど江戸時代に撮ったの?
646日本@名無史さん:04/08/06 03:56

歴史で出てくる宣教師さんって一体どうやって日本人と
コミュニケートできたんでしょ
後ペリーの時代とか、町奉行に語学が出来た人なんて
いたんでしょうか?
647日本@名無史さん:04/08/06 04:03
心と心で通じ合ったんだよ
648日本@名無史さん:04/08/06 08:23
>>646
宣教師はちょっとわからないけど、種子島の鉄砲伝来の時は双方に中国語が
わかる人がいて筆談したとされている。

ペリーの時代にはオランダ語の通訳がいた。
649日本@名無史さん:04/08/06 09:56
宣教師
日本語を学んでからやってきた。

種子島
倭寇のボスの王直(中国人)が間に入ったとか言われる

ペリー
アメリカは日本を研究しており、オランダ語用と漢文用の両方用意していた。
大統領国書も蘭語と漢語の2通。
650日本@名無史さん:04/08/06 14:06
ありがとう

でも学んだり研究するにも元があるわけでその元となる人って
その人いったい・・・
651日本@名無史さん:04/08/06 14:18
東南アジアには多くの日本人がいた。
652日本@名無史さん:04/08/07 00:20
こんばんは。おじゃまします。
どこか日本史についてうまくまとめてあるサイト無いですか?
歴代首相別や政治・経済・外交別など。レベルは高校程度です。
653日本@名無史さん:04/08/07 01:17
ググれ
654日本@名無史さん:04/08/07 06:23
>>646
みんな不親切だなぁ。

1547年マラッカでザビエルは日本人のヤジロウ(ザビエルの手紙では「アンジロウ」と書かれている)と出会っている。
ヤジロウは薩摩の下級武士の出身だったが、一説によれば人を殺して日本にいられなくなり、海外に逃亡したと言われる。

このヤジロウが海外生活の中で流暢なポルトガル語を話せたらしく、ザビエルはヤジロウとの出会いで日本に興味を持ち、
宣教を決意したらしい。ヤジロウはゴアの聖パウロ学院で教理を学び、パウロ・デ・サンタ・フェという洗礼名を受けて、
ザビエル達の日本語の教師となった。あの時代、実はけっこう日本人と海外の交流はあったようで、時代は下るが種子島
から島抜けした流人は、丸木船で2週間ほどで中国に着いてしまったぐらいだから、記録に残らない交易は盛んだったと
思われる。朱印船貿易とかの前に、そういう交易は多かったんじゃないのかな。

ザビエルと共に鹿児島の坊津に上陸し、ザビエルの通訳・案内役を務め、ザビエルの上洛後は鹿児島に残ったが、その後の
消息は不明。NHKの大河ドラマでは稲川淳二が演じていて、薩摩琵琶による平家物語語りの素養があったために、
聖書の一節を琵琶の伴奏で語る、みたいな設定がなされていたけど、史実に基づくのかはよくわからないなぁ。


王直は五島を本拠地にした後期倭寇で、形の上では偶然漂流したことになっていたが、実際は貿易のための意図的な
上陸だった。伝承では砂浜に漢字を書いて筆談したと言われるが、実際には王直の子分には日本人もいた。
既にある程度の密貿易による交流はあったと考えられる。

ペリーの時には1851年に帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)がすでにいた。ペリー来航で幕臣に取り立てられている。
ここらは教科書読めば書いてあることだろ。
655日本@名無史さん:04/08/07 08:38
>>654
嘘を教えるのが親切ってか?ワラ
656日本@名無史さん:04/08/07 09:28
>アンジロー

ヤジロウ(弥次郎)Yajiro と表記されることもある。生没年不詳。
室町末期、薩摩出身で、職業は貿易商人と推測される。
人を殺害して逮捕される寸前にポルトガル商人ジョルジェ・アルバレスに
助けられ、日本脱出に成功。
アルバレスの紹介で、1547年12月マラッカにおいてザビエルに会った。
アンジローの才知はザビエルに感銘を与え、彼の来日のきっかけをつくった。
48年3月ゴアに渡り、洗礼を受け、パウロ・デ・サンタ・フェという教名を与えられた。
日本出発までの期間、教理教育を受けるかたわら、日本の情報を提供し、
教義の翻訳に協力した。
49年(天文18)8月ザビエル、トレス、フェルナンデスらに同行して帰国し、
案内者、通訳として活躍した。ザビエルの薩摩退去後も同地にとどまり、
布教に従事したが、末路は明らかでない。
フロイスの「日本史」によれば、八幡船に乗り組んでいて中国沿岸で没した、
という。
657日本@名無史さん:04/08/07 09:43
万次郎は、ペリーとの通訳はしてないみたいね。
老中に世界情勢を直訴して、ペリー2度目の通訳からもはずされている。

1度目は、清との漢文条約文を見せて、あとは日英蘭中国いりまじり、
主としてオランダ語だったようだ。
658日本@名無史さん:04/08/07 11:56
すいませんが、持高って何ですか?
禄高とは違うんですか?
659日本@名無史さん:04/08/07 13:45
>>658
持高って普通は「百姓の持高」とかいう使い方をすると思うが
「武士の持高」なんていう言い方があるのか?
どういう文脈で使われているのか、示して下さい。
660日本@名無史さん:04/08/07 14:33
>>659
収入って事?
661日本@名無史さん:04/08/07 14:34
清との漢文条約をアメリカは上手に部分削除したりしてもってきたが、
通商という語句を削るのを忘れて、調印が流れるところだったが、
ペリーが粘って、開港だけは約束したらしい
662日本@名無史さん:04/08/07 14:55
後白河は肉体と精神そのものが時代にとって大きな迷惑であり、
戦火と人間の大量死の直接の原因である。
それが王であるといってしまえば身も蓋もないが。

後白河を見ていると、王とは肉体勝負、性と肉体によって世渡りする
職業、何か珍奇な猿の一種であると思えてくる。

という文章がありましたが、後白河の責任は大きかったのでしょうか?
663日本@名無史さん:04/08/07 15:25
雅楽ってのは、中国渡来と半島渡来を左右にぞれぞれに分けてるんですか?
664日本@名無史さん:04/08/07 15:42
>>657
フォローサンクス。

>>655
570 :日本@名無史さん :04/08/01 13:23
>>550
複数の人物をモデルにして創作された人物とされています。
通説でつ
665日本@名無史さん:04/08/07 16:12
日本にいける第二次産業革命はいつなんでしょうか?
よく八幡製鉄所の建設を以って日露戦争前後と書いているのを見かけますが、
重工業が列強レベル(末席ですが)に成長したのは1930年代以降ですよね?
666日本@名無史さん:04/08/07 16:16
昔の人は、なんで通称(雅号?)と本名があるんですか?
通名の方は自分で考えて決めてたんでしょうか?
本名を滅多に使わないのはなぜ?
667日本@名無史さん:04/08/07 16:53
欧州の封建制においても
お家取り潰しとかお国替えとかあったんですか?
668日本@名無史さん:04/08/07 17:47
あるよ!!
669日本@名無史さん:04/08/07 19:41
>>666
百姓でも名主・庄屋クラスになると通称はだいたい決まってます。
先代が死んだり隠居したりして、自分が後を継いだら襲名するわけです。
武士の場合もだいたい通名は決まってる場合が多いですね。
670日本@名無史さん:04/08/07 19:47
>>660
検地で標準収穫量が定めらます。
ある百姓が保有している田畑の標準収穫量の合計を
その百姓の「持高」と言います。
それに対して4公6民とかの割合で年貢がかけられますから
持高は収入ではありませんが
百姓の経済規模を示す指標にはなります。
671日本@名無史さん:04/08/07 20:08
>>666
公式の文書は本名を使っているよ。
足利義満だったら源義満みたいに。花押付でね。
現在でも国会で通った法案も花押は描きますよ。

明治以降は姓氏ではなく苗字を名乗るように法律ができたから。
西郷隆盛をみても通名は禁止まではされていないから、戦前までは使われて
いるね。今でも芸能界や大相撲等で名残があるのでは?

住民票には本名だけども大相撲では「公式」に通名でしょ。
芸能界でもそうだけど、まだまだイパーイ使ってますよ!
672日本@名無史さん:04/08/07 20:30
>>671
近世文書だと通名とか受領名(○○守)だけの場合も結構ある。
大坂町奉行とか京都町奉行の触=公式文書では
「守」の部分も省略して、例えば「日向」とだけ書いてある。
もう少し勉強しなさい。
673日本@名無史さん:04/08/07 21:07
>>672
いかにも歴史ヲタクの言いそうな事だ。学者気どりもほどほどにね。
高度な議論がしたけりゃ2chなんか来るなよ半端者
674日本@名無史さん:04/08/07 21:09
まぁ、一次史料に接することが出来る香具師が2chねらーにどれだけいるか、を
考えると673のいう事にも一理ある。このスレに限れば本名についての
結論を出すこと自体は重要な趣旨じゃないという事ぐらいは大人ならわかる
と思うんだけどね。
675日本@名無史さん:04/08/07 21:22
自演乙
676日本@名無史さん:04/08/07 21:24
なんで千利休は名字と名前の間に「の」が付くの?
677日本@名無史さん:04/08/07 21:28
苗字じゃないから
678日本@名無史さん:04/08/07 21:29
>>675
同意。
最近自演が多くてかなわん。
やるなとはいわんが、せめて自演に見えないようにして欲しい。
679日本@名無史さん:04/08/07 21:35
コピペだが、荒れる前に張っておく。以後議論禁止。

      自演のスゝメ

反論された奴に対してキツイ言い方でさらに反論。
「まあ…わかる気もするがな」などと自ら自演で同意する。口調は丁寧で一歩引いた感じに。
場をなだめる効果もあり、議論が続けられない空気を作り勝ち逃げを狙う。
時間は少し空ける。開けすぎると自演する前に他人にレスされてしまう。
この感覚の見極めが初心者には難しい。初心者は1〜2分以内に結構な長レスをしてしまい、墓穴になる。
ばれたらAA!ひたすらAAでごまかせ!
680日本@名無史さん:04/08/07 21:42
うるせーばか
681日本@名無史さん:04/08/07 21:42
重工業化の一般論

官営の軍事工場八幡製鉄所および財閥傘下の大規模造船所だけが、軍事的・
政治的必要から国家資金を集中的に投下されて突出的に発展した。
殖産興業期に創設された陸・海軍工宜を中心とする官営軍事工場は、軍艦・兵器
生産の自立を課題に日清・日露戦争を通じて拡充され、小銃などの自給を達成
するとともに、その生産技術も著しい躍進を遂げて、日露戦争前後に世界的水準
に到達する。
軍工廠は鉄鋼や工作機械まで自製して自足生産を目ざすが、しかし日露戦争には
軍艦、鋼砲、鋼材などを輸入に依存せざるをえない限界が露呈され、その後急速
に八幡製鉄所の拡充、民間造船所・製鋼所との結合を進めて軍器生産の国産化を
達成していった。
682日本@名無史さん:04/08/07 22:00
1940年前後において
陸軍士官学校は東京帝国大学より難関だったんでしょうか?
683日本@名無史さん:04/08/07 22:05
賀茂真淵は?
「の」が付くよ
684日本@名無史さん:04/08/07 22:37
徳川家康
源家康
685日本@名無史さん:04/08/07 22:44
鴨長明は?
686日本@名無史さん:04/08/07 22:45
豊臣はつかねーじゃん。
687日本@名無史さん:04/08/07 22:45
陸軍士官は、中等教育あたりからの純粋培養でなかったか?
688日本@名無史さん:04/08/07 23:20
旧制高校相当じゃなかった?
689日本@名無史さん:04/08/07 23:44
東京帝大でなく一高が比較対称ってことですか?
690日本@名無史さん:04/08/07 23:46
ちがう
691日本@名無史さん:04/08/07 23:51
>>682
帝大は金がかかるが、軍の学校は金が掛からない。
692日本@名無史さん:04/08/08 00:23
>>681
質の面では明治時代には全然世界水準に達してないよ。
第二次大戦時だって鉄鋼技術の低さから、日本の徹甲弾の
威力は同口径の外国の砲の7〜8割しかなかった。
電機に関しては絶望的に遅れてた。
量の面でも粗鋼生産量は第二次大戦直前でやっと列強最下位の
イタリアと同水準。
693日本@名無史さん:04/08/08 00:44
鎖国体制に入った後、
オランダ、イギリス等が日本と交易をしたと思うのですが、

喜望峰を越えて、日本に来るルートできていたのでしょうか?

また、それは、スペインがメキシコとかを占領していて、
そっちのルートが使えなかったからとかそういう理由なのでしょうか?

教えてくださいお願いします。
694日本@名無史さん:04/08/08 02:18
>>673
学者気取りで申し訳ない。
大坂町奉行触とかは、自治体史の史料編を見ればたくさん出てきます。
公共図書館には必ずその地域の自治体史が所蔵されてますから
簡単に見ることができるはずなんですけど。
695日本@名無史さん:04/08/08 11:07
>>683
本姓だから

>>685
通称。本姓も・・・

少しくらい調べなさい。
696日本@名無史さん:04/08/08 11:22
>>686
近衛家の養子に入って豊臣の家を立てたから。
藤原秀吉なら「ふじわらのひでよし」
豊臣秀吉なら「とよとみひでよし」

近衛家だって、近衛前久なら、「このえさきひさ」。
「このえのさきひさ」ではない。
697日本@名無史さん:04/08/08 13:25
歴史で活躍した女性についてのトリビア的な話や、スゲェーって思うようなネタありませんか?
今、女性史についてで、誰でも興味が持てるような論文を書く予定になっています。
おねがいします。
698日本@名無史さん:04/08/08 14:04
>>692
列強最下層でも一応世界水準という感じ。アジア・アフリカ水準ではなかった。

>>693
イギリスは初期でやめたでしょ。
太平洋回りは航海技術的に危険。大陸沿いのほうが安全。

>>697
与謝野晶子は、夫婦そろって、天皇崇拝主義者。
699日本@名無史さん:04/08/08 14:18
>>696
「豊臣」は「藤原」と同様、ウジ(中世は姓=セイ)であり名字ではない。

当初、平氏を称していた羽柴秀吉が近衛家の猶子となって藤原姓を名乗り、
その上で天皇から豊臣姓を下賜された。

したがって秀吉や秀長、秀次らの名字は最後まで「羽柴」のままであり、
本来、「豊臣秀吉」と書いた場合は「とよとみのひでよし」というのが正しい。
700日本@名無史さん:04/08/08 14:22
要するに、「豊臣」は信長の平氏、家康の源氏に対応する姓(セイ)であり、
「羽柴」が織田や徳川に対応する名字、家名である。
701日本@名無史さん:04/08/08 15:13
オランダはインドネシアに港を持ってたしね。
702日本@名無史さん:04/08/08 15:19
そもそもケープタウンを最初に植民地にしたのはオランダ
703日本@名無史さん:04/08/08 15:23
じゃあなんで豊臣だけのが付かないのさ
704日本@名無史さん:04/08/08 15:41
当時の人間が「豊臣秀吉」と呼ぶことは、ほとんどないのでは?
会話なら「関白殿下」とか「太閤さま」ですむし、
朝廷関係の文書なら「とよよみのあそんひでよし」だろうし。

「の」がつかないのは、後世の人間の誤用からきた慣用表現だろうな。
705日本@名無史さん:04/08/08 17:04
無知だが教えてくれ。
平から豊臣に氏がかわったってことか?
氏が変わるなんて変じゃないか?
氏ってのは先祖が同じ奴の同族ってことだろ?
ぶっちゃけありえなーい。な気がするんだが、誰か俺の無知を正してくれ。
706日本@名無史さん:04/08/08 19:19
>>698
やめたっちゅーか
アンボイナ事件あたりでオランダにやられたんでしょ。
707日本@名無史さん:04/08/08 19:53
>>705
戦国武将が自分の都合で氏(ウジ)を変更することは珍しくない。
織田信長(平氏)も徳川家康(源氏)も最初は藤原氏を名乗っていた。

農民あがりの秀吉は、はじめ主君である信長にならって平氏を称したが、
それでは関白になれないので藤原氏である近衛家の猶子になった。
また、豊臣姓は天皇から下賜されたものだから全く新規のものであり、
豊臣政権の有力大名は家康と織田信雄以外はほとんど豊臣姓に改めている。
708日本@名無史さん:04/08/08 19:58
むちゃくちゃだなw
もはや氏の概念から遠ざかってる。
709日本@名無史さん:04/08/08 21:14
イギリスはアンボン事件ではオランダから賠償をとっている。

イギリスの撤退は、何かで致命的な損失をしたからと思ったが。
1622年がイギリスの撤退。アンボン事件は1623年。
事件は東・東南アジアからの撤退しインド集中のきっかけにはなってはいるが。
710日本@名無史さん:04/08/08 21:33
後醍醐天皇は

A後醍醐あってこそ明治大帝あり(天皇存在肯定派学者)
B刃を血でぬらした稀代の悪帝(天皇存在肯定派学者)
C古代王を目指した保守反動(天皇存在否定派学者)
D室町・江戸王権に先駆け権門体制の乗り越えをめざした(天皇存在否定派学者)

の、どの説が今は多いんでしょうか?
Cは永原氏、Dは黒田氏だったかな?
711日本@名無史さん:04/08/08 22:47
>>710
難問。網野は金融・流通の王とか言う。
それは、北条得宗が部分的に行い、義満が完成したとも言う。
難問だ。
712日本@名無史さん:04/08/09 05:21
なんか、何度説明しても氏と名字の意味が分からん香具師がいるな。
前スレから定期的に聞いてる香具師がいるから、次スレからはテンプレにでも入れたらどうだ?
713日本@名無史さん:04/08/09 10:16
権門体制論の黒田俊雄って天皇否定論者なんだよね。
714日本@名無史さん:04/08/09 13:23
>>713
へぇ、そうなんだ。
昔、天オタで信者がいたけど。
715日本@名無史さん:04/08/09 18:39
>712
無理矢理軍事と結びつけて軍事板FAQに掲載を依頼するとかはどうだ?
あれも結構このスレからも採録してるし
716日本@名無史さん:04/08/09 21:48
藤原道長の有名な歌
「望月のかけたることもなしと思えば」
は『オレの権力は満月のように完璧で欠けてない』という意味ですよね?

昔、『オレの権力なら月が欠けないようにすることだってできるぜ』
という解釈を見たことがあるのですがこれは間違いですよね?
717日本@名無史さん:04/08/09 22:03
本人に聞け。
以上。
718日本@名無史さん:04/08/09 22:03
>>707
藤原じゃないと関白になれないとか、源じゃないと将軍になれないとか
一般的に言われているけど、マジ?
たまたまなってないだけで、誰にでもなれたんじゃないの?
719日本@名無史さん:04/08/09 22:18
平安末期から摂関家を出せる家でないと、摂関にはなれませんでした。
秀吉など例外はいましたが。
720日本@名無史さん:04/08/09 23:05
秀吉も無理矢理に近衛前久の養子になって形式的に摂関家の一員となった上で関白になってる
721日本@名無史さん:04/08/10 00:41
>>718
横レス失礼。
最初の段階ではたまたまそうだったのだろうが、
平家(清盛)→源氏(頼朝)→平家(豊穣)→源氏(尊氏)
と歴史が繰り返されるなかで、先例ができてそれに従うようになったんだろうね。

平氏が将軍になっていなかったのは偶然なんだろうが、結果として頼朝と尊氏が先例となって
将軍には源氏という伝統が生まれてしまったのだろう。だから信長は次世代の権力者として、
また源氏の室町将軍家に対抗するために平氏を名乗ったのだろうし、秀吉は将軍より上の権威として
摂政関白位を望んだのだろうし。


藤原氏の場合は他氏排斥の結果、藤原四家で殺し合いをやって、近衛だの鷹司だの
摂政関白を出せる家が固定されたのは>>719の指摘通り。

徳川家も、本来は将軍家が絶えれば紀州か尾州が将軍を出すはずだったのに、
吉宗によって御三卿がなんて家が生まれて、そこからしか将軍を出せないように
いつの間にか固まってしまったように、日本においては先例が大事。
成文法と慣習法が入り交じっていたと考えるべきで、意外と慣習の方が重視されたのでは?
722日本@名無史さん:04/08/10 01:48
源平交代論っつうのもあって、一概にはいえないよ。
723日本@名無史さん:04/08/10 12:54
でも、信長って朝廷から将軍に推認されたんでしょ?
724日本@名無史さん:04/08/10 13:09
>摂関家

藤原氏北家出身の良房が初めて摂政となり、ついでその嗣子基経が摂政・関白に
なって以来、この嫡流の子孫が相ついで摂関に補任された。

平安時代末、鳥羽天皇の践祚に当たって、天皇の外戚であった大納言藤原公実が、
外戚でない摂政はいないとして、前代の関白だが外戚関係がない藤原忠実を退け
てみずから摂政に就任しようとしたが、代々摂家の子孫でない者が摂政になった
例はないとしてその願いを排した。

以来、天皇と外戚関係はなくとも、代々摂政・関白の子孫が摂政・関白に補任される
ことになり、鎌倉時代の初め、摂関家が、近衛、九条、二条、一条、鷹司の5家に
分立したのちも、摂政・関白はこの五摂家より必ず補任されることになった。

明治維新のさい、摂関制が廃止されたが、この5家はその後も華族の筆頭の位置に
あって、1884年に華族令が制定されるや、公爵を授けられた。     
725日本@名無史さん:04/08/10 13:17
>将軍は源氏

家康は源氏長者かつ征夷大将軍として最高権力掌握。
源氏だからなれたというより、公家組織も配下にしたかった。

秀吉は小牧長久手で勝てなくて東国を征せなかったので、
将軍を辞めて、関白となった。

頼朝は、息子に譲るのでもないのに2年で将軍職を返上し、
前右大将・前将軍で権力を安定化させている。

信長は、平氏のまま、将軍職になる予定だった。

ということから、源平交代説や源氏だけ説は、
あまり根拠のない、後世のあとづけの気がするが?
726日本@名無史さん:04/08/10 13:33
(誤)将軍を辞めて
(正)将軍になれなくて
727日本@名無史さん:04/08/10 14:19
そのとーり。
長い歴史には例外なんていくらでもある。
力でなんとでもなるよ。一概には言えない。
ほとんど結果論の世界。
728日本@名無史さん:04/08/10 18:01
ゾフィーってホントに強いのか??
エースの対ヒッポリト星人の時も4人でやって来たは良いけど、
真っ先にウルトラマンとカプセルに入れられただろ?
最後まで闘ったのはセブンだけだ。
ホントは弱いんだろ?
729日本@名無史さん:04/08/10 18:36
歴代天皇の中で偉大な天皇は、
皇室創始者の神武天皇以外に誰でしょうか?
730日本@名無史さん:04/08/10 19:18
新スレ立てようとしたけどログインしてないとスレ作成機能は使えないという
メッセージが出ました。Aboneを使ってます。ヘルプも見ましたがよく分かりません。
誰か 教えてください。スレ立てるには、お金が必要なのですか?
731日本@名無史さん:04/08/10 19:18
戦争直後は、やむを得ず売春に走る女性は多かったのでしょうか?
いかがわしいプレイも普及したようだし。
732日本@名無史さん:04/08/10 20:13
氏は下賜されるものとして、姓はどうやって決まったんだ?住んでる場所?
何度も姓が変わる人もいるけど、ペンネームみたいなもん?
733日本@名無史さん:04/08/10 21:28
氏と姓は時代が下ると混同されているので、整理しておこう。

古代においては、氏(ウジ、藤原など)は共通の先祖を持つ一族の家名であり、
姓(カバネ、朝臣など)は天皇から与えられる身分を表す称号だった。

その後、中世以降になると氏(シ)と姓(セイ)の文字が混同されるようになり、
「姓」が源平藤橘などのウジを意味し、「氏」が名字を意味するようになった。
だから「源姓○○氏」とか「豊臣賜姓」といった表現も出てくる。

中世の場合、源平などの姓(セイ)は朝廷向けの文書に使用するフォーマルなもので、
氏(シ)=名字が武家の日常生活で用いる家名である。
734日本@名無史さん:04/08/10 21:51
>>729
桓武とか嵯峨
朝廷の伝統を幕末まで中国風にしたw
735日本@名無しさん:04/08/10 21:54
>>733

いわゆる「やくさのかばね」は、血統のクラス分けのようなものであって
血統の固有名ではないと考えると、日本でいう姓は名前のうちに入ら
ない只の称号に近いものということになるの?
736日本@名無史さん:04/08/10 22:09
>>735
古代においては、姓(カバネ)は血統というか氏族のランクを示す称号だが、
中世では同じ「姓」の字がウジ=氏族名の意味で使用されている。
737日本@名無史さん:04/08/10 23:00
どうして山口と福島は(今でも?)仲が悪い、と言われるのでしょうか?
昔戦ったことがあるというのはわかるんですがそれだけなら何も
山口と福島だけではないと思うのですが・・・
738日本@名無史さん:04/08/11 02:03
会津ではなぜ白虎隊の話ばっかり出るのか?
739日本@名無史さん:04/08/11 04:31
>>737
官軍の敗戦後の酷い仕打ち+粘着質な県民性

薩摩は西南戦争でリベンジしたから許したらぁ!ってことらしいが。
一度仲直りをしようとしたが、「アラブとユダヤは数千年の因縁があるのに
簡単に手打ちしたら、惨い仕打ちを受けて野ざらしにされたご先祖に申し訳ない」と、
福島側が拒否した。

2ちゃんで粘着してる香具師の4割が福島県民というデータもある。
740日本@名無史さん:04/08/11 09:41
えー?
でも、朝臣ばっかりじゃん。姓って。
741日本@名無史さん:04/08/11 10:18
たとえば西郷隆盛、伊藤博文、桂小五郎……これらは本名じゃないんだよね?
改名もたくさんあったし、ややこしくなかったの?
742日本@名無史さん:04/08/11 10:22
伊藤博文の氏姓は何?
平?
743日本@名無史さん:04/08/11 10:41
姓には真人(清原)、朝臣(源平藤橘、菅原)、宿禰(伴)などいろいろある。
ちなみに伊藤博文は伊予河野氏の末裔ということで「越智宿禰」と称した。
744日本@名無史さん:04/08/11 11:13
へー、越智って氏があるんだ。
745日本@名無しさん:04/08/11 15:49
>>736
---------
【古代】
姓(カバネ)…天皇から与えられる身分(氏族のランク)を表す称号
氏(ウジ)…共通の先祖を持つ一族の家名

【中世】
姓(セイ)…共通の先祖を持つ一族の家名(古代のウジ)。朝廷向けの文書に使用するフォーマルなもの。
氏(シ)…一族の家名。武家の日常生活で用いる。(近代の名字・苗字に近くなる)

【近代】
姓(セイ)、氏(シ)…一族の家名(近代の名字・苗字とほとんど同じ)
名字(ミョウジ)…ただの家名(どちらかといえば出身地由来)
苗字(ミョウジ)…ただの家名(どちらかといえば血縁由来)
-------------
整理してみたけれど、こういう区分けでいいの?
746日本@名無史さん:04/08/11 16:55
日本神話を体系的に勉強したいんだけど
おすすめのテキストはありますか?
なるべく偏ってない奴で
747日本@名無史さん:04/08/11 18:09
士農工商ってどうやって決めたんですか?
くじ引きみたいに幕府が勝手に決めたんでしょうか?
748日本@名無史さん:04/08/11 19:58
>>747
元来は中国の古典に起源する言葉。
近世の国制を中国古代の封建制になぞらえて理解しようとした儒学者などに
よって使用されたのをきっかけに、江戸時代の国家、社会に関する支配イデ
オロギー上の重要なキーワードとして広く一般に使用されるようになった。

中国の古典では、士農工商の四民は国の石民、すなわち国の本で柱の礎石の
ごとくであり(管子)、また学をもって位に就いている者を士といい、土地を
耕して穀物を作るのを農といい、技巧をふるって器物を作るのを工といい、
財貨を流通させる者を商という(漢書)とされている。
749日本@名無史さん:04/08/11 21:26
また中国か。。。
750日本@名無史さん:04/08/11 21:48
徳川幕府時代、正式に徳川姓を名乗っていた人物の中で、
切腹して果てたのは、徳川忠長だけですか?
751日本@名無史さん:04/08/12 01:14
司馬遼太郎の「義経」を読みました。
那須与一のエピソードや、関所で弁慶が義経を殴るエピソードなど、
述べられていなかったんですけど、これらのエピソードはフィクションなんですか?
あと、「この小説は史実じゃない」という批評がありますが、
どのへんが史実とは異なってるんですか?
752日本@名無史さん:04/08/12 10:29
否定も肯定もできない。史料の問題。
753日本@名無史さん:04/08/12 11:24
よし、じゃあ、姓と氏はいいとして、名前は?
昔の人は成長するに従って、どんどん名前変えてるけど、変えなきゃいけなかったの?
好き勝手に変えて良かったわけ?
754貧民史 ◆523AewEqzc :04/08/12 11:39
>>753
近世に限定して申し上げますと
名前(通名)は代々決まっていることがありまして
そういう場合は家を継いだときにそれを襲名しますので
若い頃と名前は変わってしまいます。

武士の場合は同役に同名の人間が先役として存在している場合は
遠慮して名前を変えたりもします。

なお百姓の場合、名前を変えてもいちいち領主に報告する義務はなかったと思いますが
武士の場合は主君に報告する必要があったように思います。

755日本@名無史さん:04/08/12 11:46
なあ、突き詰めて言うと、俺らも先祖はみんな同じ氏なわけ?源平藤橘とか。
鈴木さんとかって圧倒的に多い名字は何の氏から派生したの?
756日本@名無史さん:04/08/12 12:42
>>751
史実云々と気にするなら、司馬遼太郎なんか読むなよ。
結局は「小説」なんだよ。
757日本@名無史さん:04/08/12 21:20
武田信玄のような武将が出家する場合、正式の僧侶になるんでしょうか?
それとも単に剃髪して外見だけ法体にしているだけなのでしょうか?

また、江戸時代の大名や豪商が隠居後、剃髪してる場合はどうなんでしょう?
758日本@名無史さん:04/08/12 22:52
>>756
何で?
小説として読んで、史実とどう違うかを気にしたって、
何も悪くないんじゃないの?
あんたが気に入らない発言だってんならスルーしときゃいいだけ。
759日本@名無史さん:04/08/12 23:27
760日本@名無史さん:04/08/12 23:58
>>758
この板には司馬を叩くブサヨが常駐しているんだよ。
761日本@名無史さん:04/08/13 00:07
尖閣諸島や竹島の領有問題の基本を知りたいのですが、
終戦したのちに戦勝国たちできちんと領土分割が決められていなかったのでしょうか。
教えてください。
762日本@名無史さん:04/08/13 00:13
竹島は児島正二さんが所有していたのですが、妻が韓国人、
子供がいなかった、相続問題なのです
763日本@名無史さん:04/08/13 00:43
>>760
そいつらこそ『結局は「小説」なんだよ』ってことがわかってないんじゃん。
764日本@名無史さん:04/08/13 00:44
よそでやれ低脳。
765日本@名無史さん:04/08/13 00:54
だまれはげ
766日本@名無史さん:04/08/13 02:03
そうか君はハゲてるのか。
767日本@名無史さん:04/08/13 02:23
尖閣諸島
サン・フランシスコ平和条約において、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した
領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、
1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。
以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/

竹島
江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、
毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、
漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/
李承晩ライン(李ライン)
1952年、韓国の李承晩大統領が行なった、一方的宣言によって規定された領海水域。
同宣言により朝鮮半島周辺(最大二百マイル)の水域内に存在する、すべての天然資源、
水産物を利用する権利を主張した。日本側はこのラインを認めず、結局65年の日韓漁業協定で
このラインが廃止されるまで、韓国軍による日本漁船の拿捕が続いた。
竹島は、この李ラインの域内に52年に組み込まれた。
768日本@名無史さん:04/08/13 02:34
日本の一方的主張だな。
キチンと相手国の主張も載せるべし。
たとえそれが屁理屈でもな。
769日本@名無史さん:04/08/13 03:18
李朝期に鬱陵島は公式に放棄されている。
ましてや竹島なぞ半島は何の興味もいだかなかった。
所詮半島は中国のXXなので、中国が島国を蔑視すれば自分たちも
そうすべきだ程度の認識しかもてないのだ。
>キチンと相手国の主張も載せるべし
李ラインの域内では韓国軍による日本漁船の拿捕が続き日本側に数百人の死傷者がでる。
本年春、韓国船密漁で韓国側にはじめて負傷者がでたが、韓国は自分達の犯罪行為を棚上げ
(GPS情報の抹消。証拠隠滅)韓国は日本の漁民に危害を加えたことは一度も無いと過去を捏造。
ちなみに領海内での不審船を撃沈することは国際法で認められている。
770日本@名無史さん:04/08/13 03:19
知るかヴォケ
771日本@名無史さん:04/08/13 03:22
まー荒れるからこれ以上はいいけど、歴史板なんだから両方の主張を載せろってのは賛成。
問題を扱うわけだからね。イデオロギーをおしつける場じゃないし、初心者にはなおさら
両方の主張を正しく知ってもらうほうが有益だろう。
772日本@名無史さん:04/08/13 03:43
>歴史板なんだから両方の主張を載せろ
領有権問題を国際司法の場で解決することを拒んでいるのは中国・韓国。
理由。中国・韓国の主張にはなんら正当性が無いことを当該国が自覚しているから。
中国・韓国の主張に正当性があると考えるのなら、その根拠を明示すべき。
存在しないものを書かないからという理由で他者を批判するのは誤り。

>イデオロギーをおしつける
何故、特定の政治的立場に立つものの考え方を日本史板で行おうとするのか?
中華圏では島国を卑しむのは歴史的な事実。
利権に目が眩んだ軍国主義国家を擁護したいのならば>771が別板で行えばすむこと。
歴史的な事実を語る場で、イデオロギーというレトリックを用いることで問題の所在を誤魔化そうとする
>771の姿勢には疑問を感じぜざるをえない。
もしかして社民党の方ですか?
773日本@名無史さん:04/08/13 03:45
わかったわかった君は正しいよ。
社民党でもいいよ。
774日本@名無史さん:04/08/13 03:53
はぁ?
771は「イデオロギーをおしつける場じゃない」と言ってんじゃん。
おまえみたいなやつが戦争を美化すんだろ。
775日本@名無史さん:04/08/13 03:55
>>774
まあまあもういいですよ。
質問スレですし。

次の質問いきましょう。
776日本@名無史さん:04/08/13 04:06
戦後日本で犯罪容疑者が警官にリンチされて殺された事件(警官に有罪判決が下ったもの)ってありますか?
777日本@名無史さん:04/08/13 10:20
>竹島
GHQに日本領でないとされた。

46年1月29日付の GHQ 覚書により、日本から政治上・行政上「分離する地域」が
指定されたが、「竹島はこれに含まれ」、かつ「日本漁船の操業停止区域にも指定」
778日本@名無史さん:04/08/13 10:23
竹島、マジでいらん。
779日本@名無史さん:04/08/13 10:38
昔の大名とか武士の出家、剃髪って、隠居の一形態で「なんちゃって僧侶」ってこと?
茶人とか俳人が剃髪してるのと同じで単にファッションの一種?
780日本@名無史さん:04/08/13 10:42
自分、愛知の者なんですけど地元に三ヶ根山ってのがあって
そこにA級戦犯の墓?(殉国七志の碑)があるんだけど
なんででしょう?知っている人教えて下さい。
781日本@名無史さん:04/08/13 10:44
はやく夏おわんないかな。
ネットウヨうざいしl。
782日本@名無史さん:04/08/13 10:48
誰か武将の出家、剃髪について答えてよ。
783日本@名無史さん:04/08/13 10:51
うぜー
784日本@名無史さん:04/08/13 11:01
武田信玄が大僧正になってたって聞いたことがあるんだけど、
妻子も側室もいるのにそんなことありうるの?
785日本@名無史さん:04/08/13 11:02
実行支配してるしな。
満州がありなら竹島がありなのもわからんでもない。
歴史的に見れば日本に分があるが、おそらく帰っちゃこないだろうな。
中韓の主張は存在しないなどと言う>>772の主張は謎。
>>768の言うように、日本側から見て屁理屈でも、主張は存在はしてるだろうに。
まー向こうも屁理屈とか思ってんだろうな。日本を。
どうでもいいがね。
786日本@名無史さん:04/08/13 11:04
>>784
ありうるよ。
坊さんなのにヨメをとるのが日本の仏教です。
元々仏教は性欲を否定してはいないしね。
ほどほどがよろしいというのが釈迦の教えです。
787日本@名無史さん:04/08/13 11:06
772は釣りだろ
頭わるすぎ
788日本@名無史さん:04/08/13 11:08
でも、明治以前は浄土真宗以外は妻帯禁止なんでしょ。
大名とか上層武士の場合は特別扱い?
789日本@名無史さん:04/08/13 11:11
妻帯してた奴なんていくらでもいます。
婚姻届があるわけでもなし。

一休さんなんて、晩年はエロ坊主だぞ。
790日本@名無史さん:04/08/13 11:12
>一休さんなんて、晩年はエロ坊主だぞ。

「お前のオマンコなめてえ」とか文章残してたよな。
アニメではあんなにかわいい顔してたのにさw
791日本@名無史さん:04/08/13 11:14
マジレス婚姻後の出家ならば何も問題はない。
792日本@名無史さん:04/08/13 11:25
>茶人とか俳人が剃髪してるのと同じで単にファッションの一種?

一茶とか利休とか山頭火とかのことか?
今の奴らが全部どうなのかは知らんが、こいつらが剃髪してるのはマジで出家してるからだ。
雲水になって徒歩禅やったりしてるんだよ。
寺以外にも修行はできるからね。
793日本@名無史さん:04/08/13 11:58
ちゃんと全部答えろよ。
質問されっぱなしが多すぎ。
俺は答えられないけどね。
794日本@名無史さん:04/08/13 12:08
はやく夏おわんないかな。
795日本@名無史さん:04/08/13 14:06
>僧

すでに平安中期のころ、清僧は少なく、女犯妻帯の僧が多くなった。
大寺院では組織の分化がすすみ、衆徒大衆と総称される堂衆や行人など
の下級の僧侶集団が形成され、彼らは妻子を養い、武力をもち、ときには
荘園の経営や物資の輸送や商行為まで営むようになり、寺院の周辺や山麓
の里は彼らの集住する拠点となって繁栄した。

寺院の経営にかかわる別当クラスの僧も妻帯してその職を継承し、また学侶
とよばれた上級の僧も例外ではなく、天台密教の一部の流派では、息子を真弟子
とよんで自分の血族に秘法を伝えていた。

僧の恋愛や妻帯や女犯は「今昔物語集」「古事談」「沙石集」などの説話文学に
しばしば登場し、公然の秘密。
796日本@名無史さん:04/08/13 14:17
郵便報知新聞と報知新聞とスポーツ報知の関係を教えて下さい。
797日本@名無史さん:04/08/13 14:42
竹島問題

日韓漁業協定で、李承晩ラインは撤廃。
竹島(独島)の帰属をめぐる問題は日韓協約で、
両国の合意の下に基本的に棚上げ。
798日本@名無史さん:04/08/13 14:46
>報知新聞
1872年に創刊された郵便報知新聞が、1895年に報知新聞となる。
1930年に講談社の野間清治に買収される。
1942年には読売新聞に吸収されて読売報知となった
第2次大戦後の46年独立して再び紙名を報知新聞とし、夕刊紙となったが、
経営不振で49年再度読売に吸収され、50年にスポーツ紙に転換し、現在に至る。
799日本@名無史さん:04/08/13 14:47
現在の読売新聞は戦時中、「読売報知」とかいうタイトルだったが、
それで現在の報知新聞社が読売系なのだろうか?
800日本@名無史さん:04/08/13 14:49
かぶった。
801日本@名無史さん:04/08/13 15:00
>>797
そうなんですか。。
802日本@名無史さん:04/08/13 17:20
竹島に関して韓国の主張があるとか抜かしてるやつは馬鹿。
奴らにはそんなもの存在しない。
それを証拠に国際裁判に出ることを拒否している。
主張があるなら堂々と出るべき。
まさか社民党のお前達はそんなことも知らされてないのかね?

サヨは馬鹿ばっかりでつなw
803日本@名無史さん:04/08/13 18:49
出るまでもなく明白なら出るわけないだろ。
白か黒かはっきりしているんだから。
灰色なら出るところに出るべき。
804貧民史 ◆523AewEqzc :04/08/13 19:26
どうでも良いことですが
名前を消し忘れたなんて言う人がいるものですから
消し忘れたわけではないことを示しておきたく思います。

スレ違い、スマソ。
805日本@名無史さん:04/08/13 19:40
意味がわかりません。
夏によくある糞コテの発生ですか?
806日本@名無史さん:04/08/13 19:43
ほんとスレ違いだな。
わけわかんねえよ。
807日本@名無史さん:04/08/13 19:53
宇喜多家は江戸二百余年間、嫁ぎ元の前田家から施しを受けていたのに、
加藤家が紀州徳川家から施しが無かったのは何故ですか?
808日本@名無史さん:04/08/13 20:01
>>807
梅毒うつされたから
809日本@名無史さん:04/08/13 20:17
>僧の恋愛や妻帯や女犯は「今昔物語集」「古事談」「沙石集」などの説話文学に
>しばしば登場し、

ああ、「デカメロン」とまったく同じパターンだ…
810日本@名無史さん:04/08/13 21:38
このスレ全然初心者歓迎じゃないじゃんか
811日本@名無史さん:04/08/13 22:19
だから?
812日本@名無史さん:04/08/13 22:21
氏ね
813日本@名無史さん:04/08/13 22:24
夏カレ
814日本@名無史さん:04/08/13 23:06
アフォばっか
815日本@名無史さん:04/08/13 23:09
>>811
居直るなヴォケ
816日本@名無史さん:04/08/13 23:11
だから?
勉強すれば?
817日本@名無史さん:04/08/13 23:16
じゃあこんなスレいらんじゃん
818日本@名無史さん:04/08/13 23:23
つーか何でも答えてもらおうと思ってるほうが間違っとる。
自分で調べられることは自分で調べろ。
せめてぐぐれよ低脳。
819日本@名無史さん:04/08/13 23:54
はぁ?わけわかんね。
ぐぐったかどうかはあんたが判定するわけ?
へー、どんだけえらいのか知らんが自分の言ってることに疑問も抱かないんだ。
820日本@名無史さん:04/08/13 23:57
抱かないね
さっさと消えナ
821日本@名無史さん:04/08/13 23:59
ごめんなさい。消えます・・・。
ゆるしてください。
822日本@名無史さん:04/08/14 00:05
ここは低脳ばっかりですね
823日本@名無史さん:04/08/14 00:06
824日本@名無史さん:04/08/14 00:06
825日本@名無史さん:04/08/14 00:09
罵倒だけでいちいちあげるな。
おまえも消えろ。
826日本@名無史さん:04/08/14 00:15
ごめんなさい。消えます・・・。
ゆるしてください。
827日本@名無史さん:04/08/14 00:16
日本が個別補償の用意 韓国反対で見送りとKBS
 
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2004081201003004
【ソウル12日共同】韓国放送公社(KBS)は12日、植民地支配の被害者への個別補償を
一貫して拒否している日本政府が、1965年の日韓国交正常化に至る交渉過程で、
個別補償をする用意を表明していたことが分かったと発表した。
東大東洋文化研究所に保存されている日韓会談の会議録(韓国語)で確認したという。 
しかし、韓国側は同会議録の中で「補償金の支払い問題は国内問題として措置を取る考えで、
わが政府の手でやる」と、韓国政府がまとめて補償を行うことを主張。
個別補償の案は見送られ、経済協力方式で決着したとみられる。 
KBSによると、61年5月の日韓会談第5回会談の会議録で、
日本側は「日本の援護法を援用し個人ベースで支払えば確実だと考える。
責任を感じており、被害を受けた人々に対し、それに応じた措置を取れず申し訳なく考える」と表明した。

KBSの崔鉄浩・担当プロデューサーは
「被害者への補償の道を韓国政府がふさいだ事が明らかになった。
しかし、日本の植民地支配への責任は依然として残っており、もっと積極的な対応をとるべきだ」と語った。
828日本@名無史さん:04/08/14 00:20
個別補償になれば、ドイツがポーランド等に行ってるように、
韓国も日本が半島に投資した資産を、賠償してくれるんだよね。
当然してくれるよね。
829日本@名無史さん:04/08/14 00:28
なんか今更って感じだけど、夏厨宣伝乙と言っておく。
830日本@名無史さん:04/08/14 00:32
最後の文章が見当たらんな。
捏造か?
831日本@名無史さん:04/08/14 00:39
>>828
俺が聞いたのは日本は個別補償として支払ったけど
韓国はそれをインフラ整備費に充てたって話。
使い道までは指定出来ないからね。でもこの事実は
韓国内では伏せられていて日本による個別補償は
されていないと認識されているのが実情。
中国におけるODNみたいなもん。ちと違うか?
ま、あの辺の国は日本を敵視しないと足元がやば杉
だからね。どうせこんな話はなかったことになること
だけは確実。
832日本@名無史さん:04/08/14 01:15
日本が残したインフラの価値、数十兆円分支払ってくれたら個人賠償なんて軽いぞ
833日本@名無史さん:04/08/14 02:10
とっくに解決済み。

もういいよこの話題。
834日本@名無史さん:04/08/14 02:29
諸先生方の食いつきがいいのはエロネタだけ。
835日本@名無史さん:04/08/14 03:11
ODNあげ
836日本@名無史さん:04/08/14 05:31
偉そうに国家を語るODN萌え
837日本@名無史さん:04/08/14 09:23
よく、日本の戦後処理はドイツに見習えって言われているけど、
どこをどういう風に見習えばいいの?
838日本@名無史さん:04/08/14 09:58
独逸は国家として先の大戦の謝罪は一切しておりません。
全てをナチスのせいにしてナチスの名のもとに謝罪しております。
ドイツに見習えというのは、ナチスに協力した政財界の罪は一切
不問に処したように、日本でも真に責任のあった者たちの罪は問わず、
日本国民全員に、ある種の贖罪を負わせようとの趣旨ではないでしょうか。
つまり日本人とナチスを選択し投票した独逸人を同列にすることができる
歴史を知らない方々の妄言です。
(なお本文の一部にはいやみやあてこすりが含まれております。夏厨マンセー)
839日本@名無史さん:04/08/14 12:32
いや、そういう偏向した考えじゃなくてね、ドイツはどういう風にいい補償をしたのさ?
840日本@名無史さん:04/08/14 13:19
ナチが共産主義者たちをとらえたとき、私は黙っていた。
私は共産主義者ではなかったから。
ナチが社会民主主義者たちを投獄したとき、私は黙っていた。
私は社会民主主義者ではなかったから。
ナチが組合員たちをとらえたとき、私は抗議しなかった。
私は組合員ではなかったから。
ナチがユダヤ人たちをとらえたとき、私は抗議しなかった。
私はユダヤ人ではなかったから。
ナチが私をとらえたとき、抗議する者はもはや誰一人いなかった。
841日本@名無史さん:04/08/14 14:40
一般的な明治天皇の評価を教えて下さい。
日清、日露の役に勝利して近代日本の祖を作った人物ですから
大いに評価できる人物ですよね?
842日本@名無史さん:04/08/14 17:16
訂正

ナチスが教会を攻撃したとき、私は牧師だったので抵抗しようとしたが、
遅かった
843日本@名無史さん:04/08/14 17:21
>明治天皇

堂々と正倉院の宝である蘭奢待を切り取ったのは、
足利義政・織田信長そして明治天皇の3人だけです。

844日本@名無史さん:04/08/14 17:28
江戸時代の男性は、小物を持つときどうしていたのでしょうか。
祭りに浴衣で出かけるときに、娘には巾着を持たせましたが、
息子が浴衣で出かけると言った場合、財布などは何に入れるのでしょう?
袂や懐では落っことしそうで心配なのです。
845日本@名無史さん:04/08/14 17:31
まぁ、結果からすると、ドイツは戦後、仏英とともにEUのリーダーとなれて、
責任と賠償問題は決着つけられた。
日本はできなかった。そこの違いだな。
靖国と教科書問題と戦前権力層の温存が大きな違いだな。
ドイツは基金を作って、今後も個人賠償が発覚したら、
いつまででも支払い続ける予定だからね。

あと、ドイツがポーランドなどに請求しているのは、
ソ連国境がポーランド領に入り込んで、その減った分を
ポーランドがドイツ領に食い込んだ。そのときドイツ人が追放され、
個人財産が没収された。その分を請求しているだけ。
設備投資などは請求してない。
846日本@名無史さん:04/08/14 17:34
つか、ドイツだけじゃなくて、
フランスやオーストリアでも、いまだに戦時ナチス協力が発覚すると、
公職追放されたり、訴追されるよね。

日本は戦前のテロ右翼が、戦後も歴代総理のアドバイザーとして
新聞に載ってるからね。
ずいぶんと彼我の違いがある。
847日本@名無史さん:04/08/14 17:51
>巾着
江戸時代には革製品も流行り、男も使ってたよ。
女性に人気の出た夫婦巾着は江戸末期の流行。
848日本@名無史さん:04/08/14 17:52
>>844
お前懐(ふところ)の使い方もしらねーのか。
まじ最近の奴は和服着ないんだな。
849日本@名無史さん:04/08/14 17:55
つか、A級戦犯が総理やって、
CIAに数億の政治資金もらってたそうだし、
戦後保守は、フセイン後のイラク傀儡政権(米の)とおなじレベルと
テレビで揶揄されてたな
850日本@名無史さん:04/08/14 18:00
揶揄っていうより事実だろ。いまだに占領されてるしw
851日本@名無史さん:04/08/14 18:01
つか、旧社会党と共産党は中・ソに数億の政治資金もらっていたし、
旧社会党と共産党は、中・ソからも犬・売国奴と軽蔑されていたと
テレビで揶揄されていたな
852日本@名無史さん:04/08/14 18:01
されてねーよ
いつでもおいだせる
853日本@名無史さん:04/08/14 18:02
揶揄っていうより事実だろ。いまだに犬だしw
854日本@名無史さん:04/08/14 18:03
サヨ必死だな
855日本@名無史さん:04/08/14 18:08
右も左も犬ってことでw
856845訂正:04/08/14 18:16
まぁ、結果からすると、ドイツは戦後、仏英の微妙な政治バランスにのっかり、
責任はナチスに押し付けユンカーは頬被り。
賠償問題は、何時まで払い続けさせられるのかと右翼の増大を招いた。
日本はできなかった。そこの違いだな。
靖国と教科書問題では旧社会党と朝(鮮)日(報)新聞の工作が成功した罠。
戦前権力層の追放により反日分子が社会のあらゆる階層に浸透したのも大きな違いだな。
ドイツは基金を作って、今後も個人賠償が発覚したら、いつまででも支払い続ける予定だからね。
日本は既に莫大な税金を投入しているのに、全く賠償していないといつまでもたかられる予定だからね。

857日本@名無史さん:04/08/14 18:19
質問いいですか?死んだ祖父は太平洋戦争中満州に行っていたのですが、
日本兵が派遣された内地・南方・中国・満州のうち満州での戦闘は
どのような戦い(戦死者など)や生活だったか何か少しでもご存じの方いませんか?
あと、前述の四つの戦線にはどのように振り分けられていたのでしょうか?出身県
などはあまり関係なかったのでしょうか?お願いします。
858844:04/08/14 18:22
>847さん、ありがとう。
売っている巾着はみんな、いかにも女性向といったものばかりだったのです。
革のはありませんでした。

>848さん、すいません。
私の若い頃は今ほど浴衣が流行っていなかったので
分からないんです。娘に着付けるときは本を参考にしました。
でも小物のことは書いてなかったのでここに書き込ませてもらいました。
859日本@名無史さん:04/08/14 19:12
>>844
実際に袋物探してられるのね。ならば着物関係のスレッドに行ったほうが(・∀・)イイ!回答があるかもね
ちなみに着物関連のスレッドは買い物板、趣味一般板、伝芸板などにあります。
伝芸には男物和服専用スレがあるからそこで聞くのが一番イイかと。

ちなみに歴史的な経緯は既に回答の出ているとおり。
今でも男性用の袋物には”信玄袋”と言われる縦長の巾着があるはず。
余り大きくないのでそんなに中身は入らないがw
860日本@名無史さん:04/08/14 19:22
質問です
前に読んだ神輿の歴史本に
「神輿は暗殺者に狙われやすいので、
暗殺される恐れのない天皇以外の武将は乗らなくなった」
とあったんですが、天皇って暗殺される恐れないんですか?
今までに民衆や武将に殺された天皇っているんですか?
宮中の権力争いで大臣に殺されたとか以外で
861日本@名無史さん:04/08/14 20:27
質問します。 スレットが立てれないんですがなぜでしょう?
862日本@名無史さん:04/08/14 20:35
[ スレット ] のコンサイス カタカナ語辞典からの完全一致検索結果が 見つかりませんでした。
863日本@名無史さん:04/08/14 20:54
正親町源氏の広幡氏についてなのですが、
この家は源姓を賜ったときから広幡を称していたのでしょうか?
あるいは、当初は氏を称さず、源○○と名乗っていたのでしょうか?
864日本@名無史さん:04/08/14 21:38
>>849
>つか、A級戦犯が総理やって、
>CIAに数億の政治資金もらってたそうだし、
>戦後保守は、フセイン後のイラク傀儡政権(米の)とおなじレベルと
>テレビで揶揄されてたな

見たよ。今日の民放でしょ。昭和シリーズね。おもろかった。
賛否両論でやってるけど、戦後史の裏にTVが取り組めるとは、
自○党の終焉近しを感じさせたね。満州の計画経済もやってたね。
社○党もソ連から資金援助少し受けてたけど、保守もおなじなんだね。
共○党は、中ソと敵対してたからもらえないんだけどねw。
865日本@名無史さん:04/08/14 21:44
同じ金を使っても、ドイツと日本の差は、
政治の質の違いを感じてしまい、情けないですね。
片や、謝罪と賠償が公認され、今や米にも追従せず。
片や靖国で与党内さえまとまらず、さらに戦後保守はずっと対米ポチ。。
866日本@名無史さん:04/08/14 21:45
妙な伏字が厨臭さを助長させてる。
今更何をいわんやという感じだな。
お前の年では衝撃だったのかもしれんが。
867日本@名無史さん:04/08/14 21:49
>>863
正親町天皇の皇孫八条宮智仁親王(桂宮初代)の第3王子忠幸が家祖。
忠幸が尾州藩主徳川義直の養子となった後、1663年(寛文3)、40歳のとき
に源姓を賜って臣籍に下り、清華の列に加えられて広幡と称したのに始まる。
868日本@名無史さん:04/08/14 21:53
>>866
戦後保守がCIAの金もらってたというTVは
今までは放映できなかったってことだよ。
社が旧ソに金もらってた、共はもらってない。これは誰でも知ってる。
で、何か?
869日本@名無史さん:04/08/14 21:58
>>868
スルーしれ。
こいつは自演マニアだからくどいぞ
まず、何か質問して、数レス後にアラシに来る
自演マニアさん。さあ、どうぞ!
870日本@名無史さん:04/08/14 22:02
>共○党は、中ソと敵対してたからもらえないんだけどねw。
>社が旧ソに金もらってた、共はもらってない。これは誰でも知ってる。

サヨはバカだというウヨの自演か?
871日本@名無史さん:04/08/14 22:06
いくらでもテレビで見たことあるがな。
馬鹿を装うウヨの自演だろ。
872日本@名無史さん:04/08/14 22:09

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

自演くんはすぐ釣れるから楽しいね!
873日本@名無史さん:04/08/14 22:16
679 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/07(土) 21:35
コピペだが、荒れる前に張っておく。以後議論禁止。

      自演のスゝメ

反論された奴に対してキツイ言い方でさらに反論。
「まあ…わかる気もするがな」などと自ら自演で同意する。口調は丁寧で一歩引いた感じに。
場をなだめる効果もあり、議論が続けられない空気を作り勝ち逃げを狙う。
時間は少し空ける。開けすぎると自演する前に他人にレスされてしまう。
この感覚の見極めが初心者には難しい。初心者は1〜2分以内に結構な長レスをしてしまい、墓穴になる。
ばれたらAA!ひたすらAAでごまかせ!
874日本@名無史さん:04/08/14 22:17
広幡氏でなくて広幡家ね。
初心者は気をつけてね!
875日本@名無史さん:04/08/14 22:18
それ俺が考えた文章じゃん。
内容変更しとくよ。
876日本@名無史さん:04/08/14 22:18
共産党は強盗殺人で金を作った
877日本@名無史さん:04/08/14 22:20
なんかどっちが荒らしだよという感じだな
878日本@名無史さん:04/08/14 22:51
>>876
戦前の銀行強盗の話かな?
そのころ保守は(以下略
879日本@名無史さん:04/08/14 23:39
>>860
崇峻天皇
880日本@名無史さん:04/08/14 23:54
爆弾投げつけられたのと狙撃されたのは昭和天皇か?
今上天皇は皇太子時代、沖縄で火炎瓶を投げつけられたな。
881日本@名無史さん:04/08/14 23:55
雑談は雑談スレでおねがいしまつ。
882日本@名無史さん:04/08/14 23:55
戦国大名はなぜ中国を尊敬してたのですか?
883日本@名無史さん:04/08/14 23:56
>>882
太平記の影響でしょう
884日本@名無史さん:04/08/15 00:22
足利と戦って死んだマヌケな公卿ってのは誰ですか?
885日本@名無史さん:04/08/15 00:24
>>884
四条隆資
886日本@名無史さん:04/08/15 00:43
>>874
>広幡氏でなくて広幡家ね。
>初心者は気をつけてね!

源姓広幡氏じゃないの?
887日本@名無史さん:04/08/15 00:50
公家は名字じゃなくて称号だからとか。
888844:04/08/15 06:38
>859さん、ありがとう。
さっそくそこに行ってみます。
889日本@名無史さん:04/08/15 12:19
なんで、日本は、非公開を韓国に要請しているのでしょうか?

『韓日協定関連文書5件の公開命令』
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/02/13/20040213000062.html

1965年の韓日協定の締結から39年が経った今、韓日協定関連文書のうち
損害賠償請求権と関連した文書5つの公開を命じる初判決が出た。

日本帝国の植民地支配下の徴用者や日本軍慰安婦など被害者99人が、
「韓日協定関連文書を公開せよ」として起こした訴訟。

「韓日協定の文書には外交的秘密に関する事項もあるだけに、
国益上非公開を要請する日本側の立場を尊重し、公開対象の選定に慎重を期した」と説明した。
890日本@名無史さん:04/08/15 13:06
【ニューヨーク13日共同】北朝鮮が2005年以降の国連による人道支援は不要だと通告したことが13日、分かった。国連緊急援助調整官室(OCHA)当局者が、共同通信に明らかにした。
 当局者によると、北朝鮮側は10日、平壌のOCHAを通じ、理由を明らかにせず通告。多くの幼児らの栄養不足などが懸念される食糧事情にもかかわらず、北朝鮮が不可解な動きを見せたことに国連側は当惑している。
 北朝鮮向けの人道支援では、物資などの行方について透明性を高めるべきだとする声がこれまで上がっていた。
 国連の援助諸機関は13日、ニューヨークの本部で会合を開き、人道援助が必要な状況にある点を北朝鮮の国連代表部当局者に強調したが、北朝鮮側は本国政府の指示を仰ぐと述べるにとどまったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040814-00000055-kyodo-int
891日本@名無史さん:04/08/15 13:07
【サッカー】約束破って韓国がギリシャの笑いモノに

アテネ五輪の開幕試合となった男子サッカー、韓国−ギリシャでの花の
交換イベントは成功しなかった。 試合前に平和のメッセージを添えた花を
交換すると言い出しておいて、韓国が自分で約束を破ってしまった。
http://japanese.joins.com/html/2004/0813/20040813175208600.html
892日本@名無史さん:04/08/15 14:36
>>886
>源姓広幡氏じゃないの?
広幡は清華家に入りましたが、
清華家の西園寺などを、普通は西園寺氏とはいわず、西園寺家といいますね。
家格の関係なのでしょうか、氏とは言わず、家でよびます。
893日本@名無史さん:04/08/15 15:18
日本史を一から学びたいのですが、お薦めの本などあったらおしえてださい。(なるべく思想(左とか右)の偏ったのは避けたいのですが)
894日本@名無史さん:04/08/15 15:51
少年少女日本の歴史でも読んどけ
895日本@名無史さん:04/08/15 16:00
男同士のSEXマニュアル
辰見 拓郎 (著)

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目次

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男同士で遠慮はいらない ほか)
896日本@名無史さん:04/08/15 18:59
幕末の壤夷の人が外国製の武器を調達するのは、気持ちとして矛盾しないのかな?
897日本@名無史さん:04/08/15 20:40
和魂洋才。
たとえ日本製でも、モデルは西欧製だしねw。
ずっと日本軍の伝統→外国製のマシンのコピペ。
中国大陸でフォードのトラック使って移動。
中国のマネで生きてきて以来、ものマネはしみついた性。
悪いこととは思わない。後発地域はみんな同じ。

神風連は日本刀のみ。そしてすぐ負けたw。
898質問です:04/08/15 20:42
シナ事変の戦死者は靖国神社にまつられていない、という話を聞いたのですが、本当ですか?
899日本@名無史さん:04/08/15 20:51
ウソ
900898:04/08/15 21:03
私も嘘だと思うんだが、誰かそんな説きいたことない?
901日本@名無史さん:04/08/15 21:21
>>890
そのころには自分たちの政権は崩壊してるから、あとのことは知らないよ
ってことじゃない?
902日本@名無史さん:04/08/15 21:49
>靖国
まつられてはいる。
ただし、靖国は日中戦争と呼称変更ができなくて、シナ事変と呼んでいる。
そのへんが不人気の一要因。
内務省だけでなく、陸軍・海軍の監督下で、運営の主導権は財政を
になった陸軍省がもち、内務省は神官の人事に関する権限しかもたなかった。
祭主には祭典の主催に応じて陸・海軍武官が任命された。
天皇の弔祭をうけ、70余におよぶ行啓幸がなされた
903日本@名無史さん:04/08/15 22:44
>>901
内容を変えさせるか量を増やさせるかの作戦と見たね。
先の先を読んでるからね筋さんは。
また、韓国水域に侵入させたでしょ。
904日本@名無史さん:04/08/16 00:45
なんちゅうかスレ違いだが、
>北朝鮮向けの人道支援では、物資などの行方について透明性を高めるべきだとする声がこれまで上がっていた
ようするに最初から横流しするつもりだから国連はうざいんだろ。
結局日本は転売できない穀物から転売可能な米を支援することになってしまったしね。
北の支配階級は最下層の国民は余計な負債だとしか考えていないんだから、監視できない人道支援は無意味だ罠。

>>898
西南戦争とかと勘違いしていないか?
>>902
当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国。
海外から戦争中だと認定されると、中立法とかの柵で支援が受けられなくなるからね。
905日本@名無史さん:04/08/16 01:16
既に出ていたらなんですが、戦国時代や江戸時代、地方ごとに言葉が
通じなかった時代、大名たちが話していた共通語は何だったのでしょうか?
今でも東北以外の人間が東北へ行ったらそこの地方の言葉が分からない
場合がありますし。
906日本@名無しさん:04/08/16 02:23
>>905
手紙は基本的に候書き。
大名(とその嫡子)は江戸住まいが多かった。

のでは?
907日本@名無史さん:04/08/16 02:29
文語は口語よりもかなり統一つうか共通性が高いため半分口語、半分文語で話したり、
江戸なら江戸の一応の武士共通語らしきものがあった。
908日本@名無史さん:04/08/16 09:52
>>904

>西南戦争とかと勘違いしていないか?
西南戦争の戦没者も靖国入りしてる。もちろん官軍側だけだが。

>当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国。
>海外から戦争中だと認定されると、中立法とかの柵で支援が受けられなくなるからね。
そんな話ないよ。事変だと強調してたのは日本側。
第二次世界大戦になっても中国は支援をたくさん各国から受けてるし。
中国側の呼び名は、抗日戦争。
909日本@名無史さん:04/08/16 10:07
中国に限って言えば日本はフツーに侵略しちまったからな。
勿論今の中国政府とは関係ないが。
910日本@名無史さん:04/08/16 10:15
>>908
>第二次世界大戦になっても中国は支援をたくさん各国から受けてるし
米が中立法を改定したのは何年?
第二次世界大戦がはじまったのは何年?
シナ事変は何年?

911日本@名無史さん:04/08/16 10:28
8月に戦火が上海に飛ぶと近衛内閣は中国に対する全面戦争に踏み切り、
「北支事変」を「支那事変」と改称した。南京爆撃や中国沿岸の封鎖も開始された。

しかし宣戦布告はなされなかった。

アメリカからの武器・軍需品の輸入に支障が生ずるのを恐れたのである。
912日本@名無史さん:04/08/16 10:52
中立法って、鉄や石油OK。
39年改定では武器や軍事物資の輸出も承認されてた。

日本は37年に開始しちゃったから、アメリカの物資停止を恐れ
そのままずるずる。
武器供与法は真珠湾攻撃以前。
総計500億ドルのうち、英ソに420億ドル。中国には残りの中から(以下略・・・
913日本@名無史さん:04/08/16 10:55
中国って宣言してんじゃん
1937年の8月に、抗日自衛宣言
これほとんど宣戦布告
914日本@名無史さん:04/08/16 11:02
靖国が今でもシナ事変って呼称しているってのが、
何でこんな話になるんだ?

まつられてないのは、西南戦争や戊辰戦争の天皇側から見た敵軍だろ。
こういうのは日本の伝統じゃないという批判も根強いわな。
日本は古来より敵を丁重に葬っていたからな。
祟りが恐いのもあったけど。蒙古のまで墓を作ってなかったか?
915日本@名無史さん:04/08/16 13:44
つーかロビイ活動も知らん夏厨が
正しいだの間違っているだの
断言しているところにカルイ眩暈を覚ゆる
なつのひるさがり
916日本@名無史さん:04/08/16 17:21
そうか、915はこの夏ロビイ活動って言葉を覚えたか。
ひとつ賢くなったね。
917905:04/08/16 18:52
>>906-907
ありがとうございます。前からの疑問だったので。
918日本@名無史さん:04/08/17 10:58
すみませんが、質問させてください。
静岡大学の小和田哲男教授は戦国史の第一人者だそうですが、では、幕末・維新史の第一人者、戦後史の第一人者ってのは一体どなたなんでしょうか?
ヨロシクお願い致します。
919日本@名無史さん:04/08/17 11:00
小和田さんも昔は良かったんだけどね・・・
920日本@名無史さん:04/08/17 11:54
小和田さんは一番露出が多いってだけで、第一人者じゃないよ。
筆がすべることで有名な人だし。
921日本@名無史さん:04/08/17 12:40
漏れは大学にすべることで有名なわけだが。
922日本@名無史さん:04/08/17 12:59
>当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国。

ところで、これのソースはまだだろうか?
923日本@名無史さん:04/08/17 14:12
今谷明とかどうよ?
924日本@名無史さん:04/08/17 14:29
サンフランシスコ講和条約って不平等条約とは違うのですか?
925日本@名無史さん:04/08/17 20:59
夏ですなあ…( ´∀`)
926日本@名無史さん:04/08/17 21:22
>>925
プ敗北宣言か夏厨w
さっさと負けを認めろよ!
927日本@名無史さん:04/08/17 21:54
>>924
いわゆる不平等条約とは、関税自主権や領事裁判権がからむのが要件。
南京条約とか、日朝修好条規とか。
サンフランシスコを不平等条約というのは、かなりのバカウヨ以外は、
使わないから、気をつけたほうがいい。
ヤルタ・ポツダム体制打破右翼などが使うよね。
日本保守層が、共産主義への対抗や天皇制擁護のために、調印した。
当時は、賛成派(片面講和派)が保守と対米追従右翼、反対派(全面講和派)が社共と反米左翼。


ところで、当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国
だったというソースを私も知りたいのだが?
928日本@名無史さん:04/08/17 23:05
>>927

ご回答ありがとう御座います。
929日本@名無史さん:04/08/17 23:28
よく時代劇とか大河ドラマとかで聞く
「おやかたさま」
これって漢字で書くと
お館?
お舘?
お屋形?
実際そう呼んでいたかは別として、、
教えてください
930日本@名無史さん:04/08/17 23:44
ペリーの最終的な階級は何だったのでしょうか?
大佐で日本にきて、コモドーア?准将だか少将になったとか・・
931日本@名無史さん:04/08/18 00:19
>927
>908?なんとなくXXっぽい文章が似ているねw
真面目に議論をしたいのならバカウヨとかの蔑称で他人にレッテルを貼ることで
自身の品位を他者から疑われるような煽り方はよしなさい(欝
>927のレスから判断するとリアル工房っぽいけど
>ところで、当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国
>だったというソースを私も知りたいのだが
胡適適之・宋子文という人物は御存知?
せっかくの夏休みなんだから、この二人の履歴を調べてごらんなさい。
それでも解らなければ調べてきたことをここで報告しなさい。
932日本@名無史さん:04/08/18 00:51
>929
全部正解
933日本@名無史さん:04/08/18 03:24
なんで上野に西郷さんの銅像があるのでしょうか?
934日本@名無史さん:04/08/18 07:09
>>905
907の武士の共通語ってのは聞いた事ないなぁ。吉原のありんす言葉と混同してないか?

現在ですら通じないんだから、昔はもっと通じない。
通じない原因はボキャブラリーよりも、イントネーション。
方言も文字で書き表すと、それほどボキャブラリーが特殊化してる訳ではない。
ところが耳で聞くと、何を言ってるのかまったくわからない。
「やっとかめだがねぇ」と耳で聞いてもわからなくても、
「八十日目だがね」と書かれれば、何となく【久しぶりですね】の意味かと類推できる。

かといって、筆談ばかりでは難しいし、候語調にしてもイントネーションが方言のままでは聞き取りづらい。
幕末の頃は、やはり薩摩の人間が江戸の人間に普通に話しては意志の疎通が困難なので、
太平記語りや義太夫、講談の口跡をまねて語ることで、なんとか通じたという話が残っている。

現在ですら、学校で共通語教育していてテレビなどで共通語に触れていても、
まったく共通語喋れないおじさんとか地方には圧倒的に多いでしょ。
そんなおじさんでも、カラオケなら普通に唄えるのといっしょで、
義太夫の発音や言い回し、ボキャブラリーを利用することで意思の疎通を図った。

義太夫は元禄以降各地で興行が行われていたし、語りの部分は師弟による相伝なので、
全国的にほぼ似たような語りかた、発音になってたから、標準語の代用になり得た。
同様に講談も、全国をどさ回りする講談師がたくさんいた。
935日本@名無史さん:04/08/18 07:12
>>929
昔は当て字が当たり前だったので、全部正解。
自分の名前にすら、手紙で書く時に当て字を使っていたからね。
936日本@名無史さん:04/08/18 07:26
>>933
最初は千代田の方にという案もあったが、賊軍なのでという反対意見もあって上野に決まった。

上野は彰義隊が激戦を繰り広げ多くの死者が出た土地なので、
徳川を殲滅した英雄でありながら、同時に明治新政府に倒された西郷を持ってくることで、
怨霊封じと言うか鎮魂の意味もあったのではと言う説が前スレだかに出ていた。
確かに、西郷像と慰霊碑が背中合わせに建っているね。

元々、上野の東叡山寛永寺自体が、京都の風水をまねて、比叡山と同じ鬼門封じの意味があった。
天皇が千代田のお城を皇居にしたのに、鬼門の上野が昔のままで、それどころか
明治新政府に怨みを残して死んだ幕臣の御霊が、鬼門の方角にウヨウヨいたらまずいだろうしね。
西郷の像を鬼門の位置に置くことで、怨霊を神に祀ることでその霊力を転化しようというのは
昔から日本にある発想だしね。

霊がある・ないという話ではなく、昔の人はそれを信じていたということが重要かと思う。
937日本@名無史さん:04/08/18 11:32
上野は天皇さんの直轄地で、庶民の憩いの盛り場。
そこで、政府と西郷人気の手打ち、つまり、天皇政府と庶民人心の手打ちだ。
で、天皇制軍隊の一役と。

ところで、当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国
だったというソースを私も知りたいのだが
938日本@名無史さん:04/08/18 11:37
>>936
上野戦争の責任者は大村益次郎だろ?
939日本@名無史さん:04/08/18 13:06
ところで、西郷人気は庶民というソースを私は知りたいのだが?
940日本@名無史さん:04/08/18 14:09
>>938
上野戦争の責任者が西郷だって、どこに書いてある?
通信簿で「落ち着きがなく、早合点な行動をしがちです。もっとよく考えたから行動しましょう」
って毎年書かれたタイプ?
941日本@名無史さん:04/08/18 14:50
 「秦氏」は、日本史的には存在したの?
942日本@名無史さん:04/08/18 16:03
秦氏911
943日本@名無史さん:04/08/18 19:04
大東亜戦争敗戦直後の日本はソ連に講和を依頼しようとしたそうですが、
是は一体どう言う意味なんでしょうか?
日本単独の講和より何でソ連に仲介を依頼したのでしょうか?
944日本@名無史さん:04/08/18 19:46
>>943
「直後」じゃなくて「直前」。当時のソ連は一応中立国だったから、米英との和平を
仲介してもらおうとした。
945日本@名無史さん:04/08/18 20:24
>>939
それよか、上野が天皇の直轄地だというソースの方を私は知りたいのだが?
946日本@名無史さん:04/08/18 20:30
947日本@名無史さん:04/08/18 21:21
>>945
たんに直轄地という用語の意味を知らないんだろ。

それよか、この時期の話で天皇制軍隊なんて用語を普通使うか?
まあ>937には使い慣れたフレーズなのかもしれんが、
おもいっきり板違いの匂いがする。>937
948日本@名無史さん:04/08/18 21:52
名前で織田信長なら「信」徳川家康なら「康」の字のように
受け継いでいくのには決まりごとがあるのでしょうか?
上を受け継いだほうが格が高いとか。
949日本@名無史さん:04/08/18 22:01
つーか>937は釣りだろ。
上野は庶民の憩いの盛り場。(|i|゚Д゚)マジカヨ……
政府と西郷人気の手打ち。というのは、>927でいう
保守と対米追従右翼の手打ち、社共と反米左翼の手打ち。みたいなもんか( ´,_ゝ`)プッ
950日本@名無史さん:04/08/18 23:02
政府と大逆の逆賊逆臣ながら庶民人気の高い西郷との手打ちは歴史のターニングと思う。

ところで、当時、日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国
だったというソースを私も知りたいのだが



951日本@名無史さん:04/08/18 23:04
この流れなら言える。
>>927
>いわゆる不平等条約とは、関税自主権や領事裁判権がからむのが要件。
不平等条約とは法権・税権・最恵国条款などの権利が相互対等ではないこと。
>>927の説明は意味不明。
>南京条約
南京条約には、やや概括的な規定が含まれていたが、
虎門追加条約・望廈条約・黄埔条約により整備される。
南京条約のみでは>>927の意味不明の説明でも不平等条約にはならない。
>サンフランシスコを不平等条約というのは、かなりのバカウヨ以外は、使わない
ところで、サンフランシスコを不平等条約という、かなりのバカウヨのソースを知りたいのだが?
>ヤルタ・ポツダム体制打破右翼などが使うよね
ヤルタ・ポツダム体制なんて言葉は、そんなに有名なの?
受験の世界史の知識しかない漏れはヤルタとポツダムはちがうだろうと突っ込みかけたよ(苦笑
妙な知識は豊富そうだけど、ここは学問板だから。
952日本@名無史さん:04/08/18 23:25
無知なブサヨを大勢で袋叩きにしているスレは、ここですか?
953名無寺 兄:04/08/18 23:56
水を差すようで悪いんですが、おおよそこのスレに書いてある内容は胎教で聞かされていたので
母親の胎内にいたころから知っていました。
954日本@名無史さん:04/08/19 00:20
>>948
「通字」はここのHPの説明が詳しいとおもう
ttp://homepage1.nifty.com/YMSKy/TUUJI.htm
一般的に上の方を引き継ぐ方が格が高いとされるが
毛利家の「元」のように、同じ字を後につける方が格上で、最初につける方が格下という区別もあった。
例)毛利興元、毛利隆元→長男
  毛利元就→次男

955日本@名無史さん:04/08/19 02:37
>>948
954に付け加えて。日本では親の字を子供が受け継ぐが、本場の中国ではそれはやらない。
むしろ、不孝になる。例えば、詩人の杜甫は父親の諱の「閑」の字は、絶対に詩の中に
使用していない。

ただし、兄弟では同じ字を共有すると言う特徴がある。日本も当初はそのルールに従っていたようだが、
日本書紀を見ると親子で同じ字を共有している例が散見する。しかも歴代天皇で。
もっともこれは、本当は兄弟相続だったのを、日本書紀編纂時に日本の歴史を古くするために
親子相続に改竄した跡ではないかと言われている。平安の頃には親子で同じ字を共有するのが
当たり前になってるね。

お隣の韓国でも、命名のルールは基本的に中国と同じなのだが、北朝鮮では金日成と金正日と、
親子で字を共有している。しかも、父親の名の上の字を息子が名前の下の字に使うと言う、
かなりおかしい使い方。ここから、金日成が本名ではなく、抗日パルチザンとして伝説化していた
金日成という名前を騙っただけというのがわかる。

956日本@名無史さん:04/08/19 04:40
>>944,>>946
ご回答をありがとう御座います。

すみません、私が申したかった事は、
交戦国と講和するに際して何で第三国の仲介が必要なんです?と言う事を言いたかったのです。
例えば日露戦争の講和に際しても米国に仲介を依頼しましたよね。
何で講和する時に第三国の仲介が必要なんですか?
957日本@名無史さん:04/08/19 08:54
初心者レベルの質問ですが・・・

シナ事変を日中戦争と呼称変更することを最も強行に反対したのは中国
だったというソースはまだでしょうか?
958日本@名無史さん:04/08/19 09:01
955 名前:日本@名無史さん :04/08/19 02:37
956 名前:日本@名無史さん :04/08/19 04:40
959日本@名無史さん:04/08/19 10:25
どうにも格好がつかなくなった時、人は敗北していると
いえる。byにーちぇ
960日本@名無史さん:04/08/19 12:44
>>959
そうだね。戦争への呼称変更に強硬に反対したのは中国だったなんて、
どこか変なところで見たんだろうね。
書かなければいいのにね。
961日本@名無史さん:04/08/19 12:45
伊但馬皇子について教えてください。
962日本@名無史さん:04/08/19 13:19
いたんばのみこ?
963日本@名無史さん:04/08/19 18:37
質問です。

漢から送られた金印に「漢委奴国王印」がありますが、
漢委奴国王印とは倭国の内部、或いは属州に奴国と言う国があって、
倭国の内部、或いは属州奴国に送られた金印なんですか?
それとも倭国に送られた金印なんですか?
964日本@名無史さん:04/08/19 18:42
日本の国号の変化は以下のような感じで宜しいのですか?

倭→和→大和→日本→大日本帝国→日本国
965日本@名無史さん:04/08/19 19:02
海外の戦時下プロパガンダ用ポスターには
日章旗より旭日旗のイメージが多く使われていますよね。
何で大日本帝国=旭日旗のイメージが定着してしまったのでしょうか?
966日本@名無史さん:04/08/19 19:50
苗字と姓に関する質問をいたします。

-源頼朝や平清盛などに苗字はあったのでしょうか-

「源」や「平」という言い方がありますが、これは、朝廷から賜った
姓ですよね?
で、例えば「足利」なんてのは、源義国が下野国足利郡に土着
して「足利」なんて苗字を名乗っていたわけですが、例えば、頼朝
や清盛などは、苗字を持っていたのでしょうか?(頼朝は後に「鎌倉殿」
などと呼ばれているみたいですが、これは苗字とは違う気がするし)
967日本@名無史さん:04/08/19 20:47
>何で大日本帝国=旭日旗のイメージが定着してしまったのでしょうか?
朝日新聞が社旗のデザインにして、旭日旗紛いの社旗を背景にアジアの方々に迷惑をかけたから。
戦後は全て大日本帝国におしつけたんだよ。
968日本@名無史さん:04/08/19 20:53
   New!!


967 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/19 20:47
>何で大日本帝国=旭日旗のイメージが定着してしまったのでしょうか?
朝日新聞が社旗のデザインにして、旭日旗紛いの社旗を背景にアジアの方々に迷惑をかけたから。
戦後は全て大日本帝国におしつけたんだよ。
969日本@名無史さん:04/08/19 22:19
吾妻鏡は、カナですか漢字ですか?
970日本@名無史さん:04/08/19 22:23
お盆に嫁さんの親戚の集まりに行ったとき、酔っ払ったおじさんから
ウチは何代か前の人が近衛兵だったから武士の出身だ!偉いだろ!
ってことを言われました。
近衛兵ってどういう身分の人がなるものなのでしょうか?
ってか近衛兵ってどういう存在なのでしょうか?

しかし私が某有名武将の老中の家系とは知らずに武士だからスゴイだろ!
ってのがスゴイうざかったw
971日本@名無史さん:04/08/19 22:25
お前んがウザイ。
最後の二行が言いたいだけちゃうんかと。
972日本@名無史さん:04/08/19 22:38
>>971
家系しか威張るものがないんでしょうよ。
酔ったおじさんとどっこい。

>>970
戦前の近衛ですが、武士の家系でなくてもなれます。
ただし厳しい身の上調査があり、例えば近親者に犯罪者がいた場合などはなれません。
973日本@名無史さん:04/08/19 23:11
>>970
最初は薩摩藩。西南戦争で引き上げ。
次に鎮台から引っこ抜いた。
約束違反で西南戦争にかり出したりしたのは、
近衛砲兵の反乱=竹橋事件の一因。
のちに、全国から優秀者を選抜。

>>969
漢文
974日本@名無史さん:04/08/19 23:35
Googleでいろいろ調べたのですが、イマイチわかりません
足利義満が金閣を建てた1397年当時の役職って、なんなんですか?
Webサイトから転載すると
-----------
  1392年 南北朝を統一する。
          60年にわたる南朝、北朝のあらそいを終わらせる。

  1394年 足利義持(あしかが よしもち)に将軍職をゆずる。
         足利義満が太政大臣(だいじょうだいじん)になる。

  1395年 太政大臣をやめ、出家する。

  1397年 北山に金閣寺(きんかくじ)をつくる。
         (このころが、室町幕府の最盛期となる。)
-----------
こうなってるんです なんなのかわかりません
よろしくお願い致します
975日本@名無史さん:04/08/19 23:58
幕府最高顧問代表取締役会長
976日本@名無史さん:04/08/20 00:13
真面目にお願いします
977日本@名無史さん:04/08/20 00:15
足利グループ総帥
978日本@名無史さん:04/08/20 00:18
このスレには真面目な回答者さんはいらっしゃらないのでしょうか
979日本@名無史さん:04/08/20 00:24
君の様な文体トリップ君の行動はどこ行ってもバレバレだからねえ。
みんな真面目に相手にしないんだよ。

980日本@名無史さん:04/08/20 00:27
>974
無職w。先太政大臣。出家して天山道義。

関係無い話だがWikipediaの足利義満。アレいいのか?
井沢の名前をあえてだす必要があるのかな?
最後の一休さんのアニメの文は余計だろう・・・
981日本@名無史さん:04/08/20 00:28
私としては真面目に質問している積もりなのですが
何がお気に触ったのでしょうか 心からお詫び申し上げますので何とか回答をお願いします
982日本@名無史さん:04/08/20 00:29
>>980
有難う御座いました
983975:04/08/20 00:49
冗談だけど真面目だったのだが・・・
984日本@名無史さん:04/08/20 05:14
>>966
もしも木曾義仲が覇権を握り幕府を開き、逆に頼朝が破れていたとしたら、
「源義仲」が歴史的な呼び名となり、頼朝は「伊豆頼朝」か「鎌倉頼朝」になっていただろうね。

清盛も、親父が「伊勢の瓶子はすが目でござる」とからかわれていたから、
覇権を握らなければ「伊勢清盛」とか呼ばれていただろうね。

苗字は自分から名乗る場合もあるが、基本的には他との区別のために便宜上呼ぶ訳だから、
歴史上の勝者や、区別するベースになった者はそういう苗字は不要だわね。
「鈴木とバカな方の鈴木」みたいなもんで。天皇家にも苗字がないが、
これもわざわざ他と区別する必要がないからだし、それといっしょ。
985日本@名無史さん:04/08/20 05:14
無知は黙れ。
986日本@名無史さん:04/08/20 08:45
>足利義満
先の太政大臣として公家を統括し、
先の征夷大将軍として武家を統括。
つまり、やめて政務を見続けることで、さらに束縛されない権力・権威が強まり、
朝廷を凌駕した。
頼朝も、右大将と将軍を返上して権力を固めた。
987日本@名無史さん:04/08/20 08:56
>>984
清盛の場合は武家平氏の嫡流だから伊勢清盛にはならんでしょ。
988日本@名無史さん:04/08/20 10:15
御連枝ってどういう意味ですか?
989日本@名無史さん:04/08/20 11:52
御三家の分家
990日本@名無史さん:04/08/20 12:21
>>989
御三家って、徳川の?
991日本@名無史さん:04/08/20 12:36
足利義満って簒奪するつもりだったって言われてるけど、マジ?
992日本@名無史さん:04/08/20 14:23
>>990
徳川の御三家

>>991
有力ですね。
将軍家が突出してしまうので管領など有力守護は反対してたもよう。
逆に公卿は弱い天皇に辟易していたので強い天皇を希望し、賛成していたもよう。
993日本@名無史さん:04/08/20 15:22
>>991
クロでしょうね。
994日本@名無史さん:04/08/20 15:35
義満以外に簒奪するつもりだった奴はいないの?
995日本@名無史さん:04/08/20 15:41
疑わしいのは織田信長ぐらいかな。
996日本@名無史さん:04/08/20 19:43
日比谷焼き討ち事件って講和反対!賠償金と領土を!ていう帝国主義的な性格
なはずなのに参加したのは労働者(「帝国」に搾取されてる側)が
多かったって矛盾してません?
997日本@名無史さん:04/08/20 19:48
19世紀末からの帝国主義時代は、イギリスの自由党も国内の矛盾を解決するため、
積極的な海外進出、植民地拡大政策をとっていたからなあ。
998日本@名無史さん:04/08/20 20:22
日清戦争後の下関条約締結によって、
「戦争は儲かるもの」って思ったんだろうな。
まあ、帝国主義の発想が戦勝国の経済的植民地支配なので
間違ってはいないんだけど。
二カ国間だけの問題じゃないところがミソだったと。
999日本@名無史さん:04/08/20 20:25
>>992
しかし、私が見たのは戦国時代(少なくとも、秀吉の四国平定以前)に書かれた書物なので、徳川御三家とは関係ないはずなのですが。
1000日本@名無史さん:04/08/20 20:28
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