【初心者】スレッド立てる前に質問をPart9【歓迎】
945 :
日本@名無史さん:05/01/02 23:18:12
昔は側室がいたわけだ。
月火水木金土日と日変わりで7人側室を持つなら、みんなは誰が良い?
芸能人とか著名人で頼む。
>>942 >>943 ウジはそんなにいっぱい在るんですか。
鎌倉以前のそういう類(蘇我とか大伴・和気)はみんなウジで
いいのですね? 日本史概説で、天皇から頂いた「姓」がウジで、
「の」を付けると習ったのですが、それでいいですか?
947 :
日本@名無史さん:05/01/02 23:20:59
義経つながりで、奥州の安部氏っていうのも、
「氏(ウジ)」なの? アベノ・サダトウとか言うよね。
西洋某国のファミリーネームの前に来る"de"もそうだね。
20年くらい前から、だんだん使われなくなって来ているみたいだけど、
これも「の」ですね。
949 :
日本@名無史さん:05/01/02 23:24:54
フォークダンス・DE・成子坂
ヴァスコ・ダ・ガマもそうなんかいな。
>>947 もともとの飛鳥貴族の阿部が氏だもんね。
>>946 あと、遣随使や書道・武門で有名な小野も氏だし、
紀とか秦とかも氏だよね。
>>950 そういわれてみればみんな「の」ですね。
「の」がつかない苗字の「はしり」は誰なんでしょう。
有名人だと・・・九条さんとか一条さんなのかな。
苗字と氏は別物なのだが。
>>951 九條も一條も藤原氏ですよ。
藤原を名乗るときは「の」が付きます。
>>952 >>953 ちょっと書き方が悪かったですね。
日本史の教科書とかで、氏でなく苗字で登場する有名人の初出は
だれなのかなー、というレスのつもりでした。
手元に教科書ないんで確認できませんが。
955 :
日本@名無史さん:05/01/03 01:21:43
氏姓は何度も質問されるけど、
もともと血縁関係をもとにした「うぢ」が基本だった。
その「うぢ」には天皇側が指定した階級があり、これを「かばね」という。
「かばね」はときにより変更になったが最終的に最上位の朝臣であるもののうち有力な源、藤原等を名乗る家が多くなった。
本来は源朝臣が正式でありこのとき「うぢ」と「かばね」の間に「の」をいれてよんだ。
したがって本来は源朝臣頼朝等というのが正式。
ただ後に苗字と混同するようになり、明治になってその別が廃止となったため、
ますます苗字と氏、姓が混同されるようになった。
956 :
日本@名無史さん:05/01/03 01:32:17
>>955 >本来は源朝臣が正式でありこのとき「うぢ」と「かばね」の間に「の」をいれてよんだ。
でも、「某部某麻呂」みたいに「かばね」を持たない庶民もいるよ。
この場合も「うぢ」と名の間に「の」が入るんでしょ。
957 :
日本@名無史さん:05/01/03 01:46:22
>>956 質問。その「某部」とかの場合、「うぢ」になるの?
「某」という「うぢ」の部民だよね。
958 :
日本@名無史さん:05/01/03 02:11:08
>>957 口分田を班給された公民らに多かったのが「某部」という「うぢ」。
下総国葛飾郡の孔王部(あなほべ)姓なんかが例に挙げられることが
結構多いと思うんだけど。
大河つながりで・・・
「大塔宮」は「おおとうのみや」か「だいとうのみや」なのかは、どっちが正しい読みか結論でたの?
今ググッたけどなんか結論でてなさそうだけど。
960 :
日本@名無史さん:05/01/03 03:17:28
元中日ドラゴンズの大塔は「だいとう」だったな。
961 :
日本@名無史さん:05/01/03 03:22:42
>>957 孔王部(穴穂部)に属する部民でしょ?
もちろん氏集団を構成するけど、それを氏といっていいの?
>>959 「おおとう」が正しく「だいとう」が誤り。でもこれは比較的最近に確定したことで
昔はどっちが正しいかわからなかった。南朝の親王に多い「〜良」という名前も
「〜なが」でなく「〜よし」が正しい。これも比較的最近に判明したことで
昔の本だと両方のルビが入ってたりする。
ウジ(姓・氏)には「の」入れ、名字・苗字には「の」入れないってのは
けっこういい加減だったんじゃないの?
江戸時代あたりに国学者がうるさくルール立てしたんじゃないのかな?
>>936が重要な指摘をしていると思う。実際、平家物語にはそんなルールまったくないよ。
964 :
923:05/01/03 08:06:13
>>934 レスありがと。
昭和天皇なら、戸籍謄本にはヒロヒト天皇となっていそうなのですか?
皇太子の弟なら、アキシノミヤが名字の代わりみたいになっている
のですか?
965 :
日本@名無史さん:05/01/03 11:06:09
>>962 「良」を「なが」と呼ばせる根拠は義良親王だよな。
で、義良は何と読むのだ?のりよしか?
966 :
959:05/01/03 11:15:12
967 :
日本@名無史さん:05/01/03 12:30:24
質問です。
山県有朋は現代の日本史学界では評判が悪いようですが、
近代日本の制度を作り上げた傑物だったというようなことを
「日本の歴史」(中公版)の対談で書かれていました。
これは事実なのでしょうか?
>>964 天皇家の一族は「皇族」であって国民ではありませんので、戸籍謄本に
名前はありませんです。
そのかわり、皇統譜と呼ばれる名簿に記録されることになります。
紀宮さまのように結婚により皇族の身分を離れる場合は、ここから籍が外されて
新たに国民としての戸籍が作られるんですな。
969 :
日本@名無史さん:05/01/03 12:47:52
2ちゃんでまで紀宮に「さま」をつける必要などないわけだが。
970 :
日本@名無史さん:05/01/03 12:57:59
>>969 2ちゃんで「紀宮さま」と書き込んで非難される筋合いも無いわけだが。
971 :
日本@名無史さん:05/01/03 13:05:10
紀宮は皇族でなかったら田嶋陽子やヤワラレベルのブ○
2ちゃんでは十分叩きの対象
よって「さま」付けの必要なし
972 :
日本@名無史さん:05/01/03 13:12:28
そういう話は他のスレでやってくれ。
ここは質問スレだぜ。
>>967 山県を批判する人は政治家に対して金銭面に汚点を許さず、
議会での話し合いで全ての物事を決めていくべきだと考えている人が多いと思う。
山県を評価する人は強引で金銭の面で不正があっても、
時代に合った制度を作れる実務家は必要だと考えている人が多いと思う。
明治日本を官僚国家にし、その官僚が太平洋戦争を引き起こし敗戦したとして
山県や大久保利通にその責任を押し付ける歴史家や評論家がいる。
しかし、大久保は明治11年に死亡、山県も大正11年には死亡してる。
彼らの死後太平洋戦争まで20年ほどあるんだよね。
大久保・山県が中心になって作った制度に不備があったとしたら、
彼らの死後の人物は何もしなかったのか?
そういう観点が抜けたまま大久保・山県を批判している人たちものすごく多い。
山県が死去した後に「憲政の常道」と言われる時期があったのに、
その頃政党は地方利権の代弁者として詰まらん足の引っ張り合いしかせず
それによって国民の信頼を失い軍部台頭の素地を作っただけじゃないの?と俺は思うわけです。
岡義武や服部之総なんかは古い学者だけど、
近代国家を作る際に山県のような人物がいなかったら上手くいかなかっただろうと考えていた。
このレス見たら分かる様に俺は完全に岡や服部の考え方と同じなんでかなり偏ってるとおもう。
>近代日本の制度を作り上げた
という事で政党政治家と山県がそれぞれ何をやったのか具体的に箇条書きで示した時にどんなものが
示されているのかを見てみればあなたなりの答えを出せるのでは?
もちろん山県が藩閥政府内で確固たる地位を確立していたことと、
政党政治家が在野の士だったことは十分に考慮しなければならんけど。
974 :
日本@名無史さん:05/01/03 15:19:43
「BBM が止まっています」てのはなんのことですか?
975 :
967:05/01/03 17:01:04
>>973 レスありがとうございます。
明治の元勲の中では、ある意味理想化肌だった伊藤博文は人気があると
思いますが、陰のイメージが強い山県有朋は不人気ですね。
私自身は山県有朋自体はそんなに悪い政治家だったとは
思っていなかったので967のような質問をしてみました。
山縣は同郷の井上と並んで、元祖汚職みたいなものだからね。
江藤の追及で失脚したときに西郷がとどめを刺せばよかった。
誰か次スレ頼んだ。
氏姓だけでもテンプレにしとかない?
誰か要領よくまとめてホスイ
978 :
日本@名無史さん:05/01/03 18:07:12
時代劇の脚本家でも、氏姓や通称、忌み名の区別がついてない人が多いね。
テレ東の「国盗り物語」の中で、織田の重臣が官位をもらって喜ぶ場面があったが、
秀吉の位記が「木下筑前守藤吉郎」だったのには呆れたよ。
979 :
日本@名無史さん:05/01/03 19:04:15
テンプレ、ついでに「質問のふりをしたアンチ皇室の自作自演・自問自答・煽りは禁止」とか入れとけ。
980 :
日本@名無史さん:05/01/03 19:19:36
フツノミタマは石上神宮にあるのでしょうか?
それとも鹿島神宮でしょうか?
>>978 そうだね。官位は姓に対して与えられるもの。
もし、当時、秀吉が「筑前守」という官位をもらったのなら、
豊臣姓以前に、何らかの姓を称していたか、筑前守を受位する時に、何らかの姓を称したはず。
そして、藤吉郎という通称ではなく、何らかの諱を使用していたはず。
少なくとも信長の家臣として身分が上がれば、姓や諱は決めているはず。
「信長記」によれば秀吉が筑前守に任ぜられたのは天正3年7月だが
永禄8年11月には「秀吉」と名乗っていたことが坪内文書によって確認できる。
983 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:37:52
>>965 別に根拠じゃない
もともと義良親王も「のりなが」とかよまれてたし
984 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:48:34
>>978 ただ、同じ場面の光秀の位記には「惟任日向守源光秀」と書いてあったから、
秀吉が「羽柴秀吉」と名乗る場面を描写するための意図的な歪曲かも。
985 :
日本@名無史さん:05/01/03 20:55:02
>>961 籍帳に登録される彼らはすでに部民ではなく歴とした公民です。
公民がうぢ(令制では「姓」と称することが多かったが)
を持っていたことはご存知でしょ。
ところで、
>>956に対する答えを聞きたいのだけど…
986 :
日本@名無史さん:05/01/03 21:18:54
>>981 「木下筑前守秀吉」だったらOKですか?
それとも「羽柴筑前守秀吉」?
987 :
日本@名無史さん:05/01/03 23:01:18
蘇我入鹿の本名は「鞍作」で「入鹿」は蔑称である、と聞いたのですが、
なぜ「入鹿」が蔑称なのか感覚的に分かりません。
「和気穢麻呂」や「狭虫」なら蔑称なんだろうな、と分かるんですが。
分かる人、教えてください!
988 :
日本@名無史さん:05/01/03 23:05:22
それは門脇禎二さんの説にすぎず、定説というわけではないでしょう。
NHKのドラマ「大化の改新」の時代考証が門脇禎二なのは驚きましたが。
流石に首が宙に舞わなかったな。
>>987 乳母が鞍作氏だったんだろうから鞍作が本名だろうというのはたぶん間違ってない。
ただし入鹿が蔑称なのかどうかは、蔑称説・非蔑称説、両方あってよくわからない。
個人的には、庶民の名としては普通だが上級貴族の名としては蔑称っぽいような気がするけど。
>>988,989,993
サンクス!
一説に過ぎないんですね。
昔の人の命名の感覚って分かりにくい。。。
日本史の教科書か資料集に、「うじのかいたこ姫」(漢字難しい)という名前を見て、
なんじゃこりゃ、と思ったことがあります。