【初心者】スレッド立てる前に質問をPart5【歓迎】
934 :
日本@名無史さん:04/02/26 10:54
>>931 ああそう、誤解というならそうしてもいいよ。
あと、風水がどうとか、また誤解を生むよ。
基本は、神田明神=徳川保護への意地悪ってこと。
で、肝心の西郷の件は、理解できたかな?
ちなみに、上野のあのへん一帯の地主は誰だったか知ってるよね。
天皇さんだよ。
つまり、上野公園の西郷ドンは、天皇の土地に建てられたわけなのよ。
>>932 鎮魂のためとは、それこそ、どこにも書いてないよ。
江戸時代に松が武士に嫌われだしたのは事実でしょ。中期以後かな?
各地の城に桜が植えられた年代を調べてみたら?わりと最近だよ。
国学は桜を日本国の木として、日本にしか生えていないと言い張ってたんだよ。
調べてみたら?わりと笑えるよ。
天皇賛美主義者にとっては、事実は問題じゃないんだ。イデオロなんだよね。
>>933 >いらぬ誤解を生む
これは、
>>925で桜の評価をしてることへの自己批判かな。凄いね。
どこの古戦場に、いつ、どこの大名や将軍や武士団が鎮魂の桜を植えたの?
しかし、いつまでも頑張るね。
よけいなお世話だろうけど、テーマを絞って、本気で勉強してみたら?
>>931-933 神田明神がつぶされた理由は
>徳川家が好んでいたからね。嫌がらせされたわけ。
ということでは一致してるんじゃないの?
神田明神や西郷の怨念を利用したかしてないかなんてのは、とても歴史学的
な根拠がある話には思えないので、とりあえず個人の想像ということで、ま
た別の次元の話では。チカラが利用されたとかされてないというのもそうい
う類の話で…
桜と松に関して。
江戸時代には、松が松平氏を顕彰する意味で国の樹木と同じような意味合い
で植えられたのは事実らしい。関所などの幕府の公的機関には必ず松が植え
られていたという。
それもあるが、当時の武士は「もののふ」というより、次ぐを以って家とす
る「武家」であったのだし、潔く散る意味で好まれた桜を江戸時代以前と同
じ意味で武家が好んで植えたとも思えないのだが…
レジャー的な意味で桜がたくさん植えられたのはおっしゃるとおり。
庶民が、劇中でかつて潔く散った武士と重ね合わせたのもおっしゃるとおり。
鎮魂の意味で桜が植えられたということは、私は知らないのでなんとも言え
ないが、しかし932には>ただ潔く散る桜が一時期嫌われたのは事実。<とある
ので、理由はともかく嫌われたのは事実としていーということなんでないの?
いつからいつまで嫌われたのかはしらんけど。
とりあえず、桜や松(に限らずなんでもそうだけど)って、時代だけでなく
TPO(江戸時代の場合は身分もか)で使われ方が違っていたと思うのだが
なんだかみんな話がごっちゃになって、わけわからんくなってるような気
がするよ。
それは、928も、短文すぎて別の意味でよくわからんのは同じであるが。
ていう自分も史料出してないのは同じだね。ゴメソ。
>桜が広まったのは、大君のために散れ!との近代学校教育の成果でないかな
ここでいう桜は染井吉野のことだろ?
明治以前にはほとんど自生していなかったのを明治政府が全国に植樹したと
安吾や司馬が書いていた。
地名の接尾語の意味はわかりませんか。
ラ:奈良、甘楽、邑楽、由良、多々良、耽羅、新羅、高句麗、百済
ガ:多賀、宇賀、須賀、伊賀、甲賀、雑賀、芳賀、足利
サ:宇佐、伊佐、安佐、須佐、厚狭
>>938 私はわからないので申し訳ないのですが
地理・人類学板でもきいてみたほうがいいのではないでしょうか
940 :
日本@名無史さん:04/02/26 22:05
戦後の日本が武器輸出をいっさいしなかったというのは本当でしょうか?
朝鮮戦争のときなどに「特需」があったのは武器以外の品でしょうか。
参考になる文献やサイトがありましたら一緒に教えていただけるとありがたいです。
942 :
日本@名無史さん:04/02/27 22:51
>934 :日本@名無史さん :04/02/26 10:54
>江戸時代に松が武士に嫌われだしたのは事実でしょ。中期以後かな?
「桜が嫌われだした」の書き間違いかな?
江戸時代武士は松を好んで、桜を嫌ったからね。
すいません、フライングタイガースが実際に日本軍機と交戦したのは
日米開戦後だとマーチン・ケイディン著『零戦〜日本海軍の栄光』と言う本で読んだのですが
これは事実ですか?何か良い資料は無いでしょうか?
>>927 まったく答えになっていないのですが・・・詳しい方お願いいたします。
945 :
日本@名無史さん:04/02/28 03:11
>944
壬生郷士って、何? 新撰組がそう呼ばれてたってこと?それとも屯所の大家の身分?
壬生は地名で、郷士の定義は927の言う通り。壬生に住んでる郷士なら壬生郷士だ。
新撰組が多少蔑称気味に、「壬生浪(みぶろ)」と言われ、京都人から眉をひそめられて
た、ってことなら知ってるけど。壬生を本拠にしてる浪人集団だからね。
そーゆうことじゃなかったらゴメンナ。壬生を屯所にする経緯については詳しい人に
譲る(^^;)
946 :
日本@名無史さん:04/02/28 03:33
>945
引き継ぐ。
壬生村(良質の湧き水が多いので地名の由来は「水生」)きっての旧家で、
壬生郷士達の長老を勤めてたのが、屯所となった「八木家」。
主の、源之丞が、金のない近藤らに、衣服や金や宿所の面倒を見てやった
そうな。
壬生郷士を束ねるような人だから義侠心も厚かったのでは?
948 :
日本@名無史さん :04/02/28 12:27
麻原が元朝鮮人だったなど各ニュース板で盛りあがってますがその際に闇の人達が
でてきます。大概は朝鮮人ですよね。そこで歴史ではないのですけども闇の勢力
なるもを詳しく知りたいのです。ここの板でよろしいのでしょうか?
以前「右翼の歴史」なるスレがありましたし。
ハン板の人達の方が詳しいでしょうか?
>>948 意味不明。闇の勢力ってなんのこといってるの?
950 :
日本@名無史さん:04/02/28 12:54
やくざや右翼や総会屋やそれを利用してたりされたりしてる政治家など
闇の紳士さんたちです。
951 :
日本@名無史さん:04/02/28 16:26
それが日本史と関係あると思ってるわけ?
952 :
日本@名無史さん:04/02/28 17:09
>948
ハン板か極東板向き
オウムを巡る「闇の紳士達」の存在を主張しているのは、
一橋文哉(と、その孫引き連中)だけなんで、
トンデモ陰謀論の臭いしかしないのだが。
村井など幹部が訪朝していたのは事実だがね。
953 :
日本@名無史さん:04/02/28 19:11
84 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:04/02/26 03:01 ID:bLzaNe0r
http://page.freett.com/zenjiro/backnumber/VOL1.htm 【県庁所在地】
各県にある県庁所在地。どのように決められたかご存知だろうか。
実はこれにはある規則があって決められている。
県というのは明治4年の廃藩置県によって、今まで幕藩体制だったものを一気に中央集権を強め、
県を置くという制度に変えたものだ。だから、今の県は基本的には藩が元になっている。
さて、その規則とは、
その藩が最初から勝った方の西軍側(薩長土肥軍側)か、
東軍(徳川軍側・佐幕軍側)であったかということである。
結論から言うと、最初から西軍であった藩は県名と県庁所在地をを同じ名前に、
東軍であった藩は県名と県庁所在地が違う名前になっている。一部、例外もある。
実際にそうなっているか検証してみよう。
都道府県を選択後、○○県を表示をクリックすると、
地図の右下に県庁所在地の市名が表示されるので、それで確認できる。
http://www.mapfan.com/index.cgi?HFILE=ad.html どうも怪しげな気がするんですが…
誰かこのことについて詳しく教えてください
>>953 どこかのスレでその話を検討してた(どこかは探してみたけど見つからなかった)んだが、
県名は県庁所在地のあった郡の名前を取るのが基本だったので、
東軍だから、というわけではなかった、らしい。
955 :
日本@名無史さん:04/02/28 22:10
日露戦争についていろいろ質問したいです。
日露戦争関係のスレッドはどこでしょうか?
956 :
日本@名無史さん:04/02/28 22:15
司馬の「関が原」によるとライ病の大谷吉継が鼻水を垂らした茶を石田三成は飲んだそうですが、そのことと石田が慢性的に下痢気味であったということは関係があるのでしょうか。
関係ない。
958 :
日本@名無史さん:04/02/28 23:53
38 :日本@名無史さん :04/02/28 06:15
九州にあった邪馬台国が本家で、大和にあった狗奴国が神武を祖とする分家
本家の卑弥呼(ひめみこ)と分家の祟神天皇=卑弥弓呼(ひこみこ)の争い
39 :日本@名無史さん :04/02/28 06:32
本家の卑弥呼(ひめみこ)と分家の開化天皇=卑弥弓呼(ひこみこ)の争い
分家狗奴国は本家から御間城入彦を養子に迎えることで平和裏に統一
40 :日本@名無史さん :04/02/28 07:41
(いり)の名を持つ人物は九州出身の入り婿入り嫁
天皇皇后どちらか一方しか(いり)はつかない
>天皇皇后どちらか一方しか(いり)はつかない
本当に天皇皇后両方に(いり)がつく例はないのでしょうか?
959 :
日本@名無史さん:04/02/29 00:04
インターネットで江戸時代の国境がわかる地図はありますか?
教えてください
>>959 それは日本国内の「国」の境じゃなくて世界中の国境?
961 :
日本@名無史さん:04/02/29 00:30
>960
日本国内の境のことでつ。木曾という国があったのか分かる地図がみたいでつ
>木曾という国
・・・・・・
963 :
日本@名無史さん:04/02/29 02:20
薪水給与令に基づいて実際に薪水が給与された外国船ってあるのでしょうか?
964 :
日本@名無史さん:04/02/29 05:04
>日露戦争関係のスレッドはどこでしょうか?
軍事板へ行け
よっしゃこい(人真似)
>>953-954 多分 旧国名スレで議論した気がするが
結論としては
文献上そういう意図があったことは確認できない
ということじゃなかったかな。
廃藩置県直後は全て藩名即県名だった。
その後の県合併のドラマは各県さまざま。
三重県は 旧三重県と安濃津県が合併するときに
名称は三重,県庁は安濃津となっただけだし。
栃木県も 旧栃木県と宇都宮県で全く同じことが。
まあネタとして歴史トリビアっぽく話すにはいいネタなので
今後もなくならないとは思うが,
史学的にはマに受けないほうがいいんじゃないかな。
本を紹介するスレってありますか?
968 :
日本@名無史さん:04/02/29 15:38
三河安城とか武蔵新城とか信濃大町とかは旧国名があたまについてるのは分かるのですが
郡上八幡、木曽福島の、郡上とか木曾は国の名ですか?
969 :
日本@名無史さん:04/02/29 15:57
江戸時代などでは、嫁ぐ時などに、家格・家柄に問題がある場合、
知り合いを介するなどして、自分の家より、家格の高い家に養子に入り、
それから嫁いでたという話を、聞いた事がありますが、エタ・ヒニンなど
でも、武家はともかく、農家や商家などに養子に入る事は、可能だったの
でしょうか?学校で習ったほど、当時は酷い差別ではなかったと、聞いた
事がありますが。
970 :
日本@名無史さん:04/02/29 16:19
文字では分かりにくい質問なのですが・・・
「松平」の発音は ま にアクセントがあると思うのですが
友人はどこにも強弱を付けず平坦に言います
どちらが普通あるいは正しいですか?
971 :
日本@名無史さん:04/02/29 16:26
実家で家系図らしきもの(そんなに立派なモノではない)を発見しました.
8代前の人物まで載っていましたが,生没年が書かれていません.
今から8代前というとどんな時代になるんですかね?
(各人物の寿命に差があるので一概には言えないとは思いますが)
大体の年代の推定と当時の様子について予想していただけませんでしょうか?
宜しくお願いします.
18世紀、おそらくその中頃でしょう。
973 :
日本@名無史さん:04/02/29 18:14
>>971 一世代は長くて44年とする説、短くて30年とする説があるが、
大雑把にいって「三世代で100年」と覚えておくとよいと思う。
975 :
日本@名無史さん:04/03/01 23:41
結構まえだけど、NHKで長江流域の空中墓(崖に柩を掛けている)の特集番組をボ〜っとみてたんです。
空中墓を作る民族は、太陽を信仰し、権力者が女性らしい(その民族が祭祀に使うという太鼓の絵柄や岸壁画から推測していた)。
長江の河口といえば蘇州(呉)なわけで、なんとなく卑弥呼らへんのことが頭に思い浮かんだんですが、その民俗の滅亡が日本の戦国時代(天正初年頃だったかな)なので、直ぐに考えを否定されてしまった。
移動の年代的スパンを忘れてしまったけど、その民族は上流から下流に下るのではなく、下流から上流へと溯上していったらしいので、可能性としてはまだ、何らかの関係があったということも在りえるんでしょうか。
976 :
日本@名無史さん:04/03/02 02:54
多分「ま」に来るのが三河弁だと思う。
978 :
日本@名無史さん:04/03/03 09:21
水戸の三連枝の
讃岐守家(高松藩)の他2つを教えてください
ガイア、オルテガ、讃岐守
水戸には4つ連枝がありますが何か?
981 :
日本@名無史さん:04/03/03 10:13
>>980 ではその四連枝と
慶篤藩主時代に結城らと結託し、藩政を執った三連枝を教えてください
4連枝
讃岐高松藩、陸奥守山藩、常陸府中藩、常陸宍戸藩
慶篤云々は高松、府中、守山みたいだけど、自分で
よく調べなおしてみてよーん
だってこれ、googleで検索してでてきたもの書いてるだけだから。
983 :
日本@名無史さん:
>>982 ありがとうございます
そして申し訳ない