【初心者】スレッド立てる前に質問をPart4【歓迎】
6 :
日本@名無史さん:03/08/24 21:32
乙
丙
( ・∀・)つ〃∩ 丙 丙 丙 丙
薩摩人がよく使う「チェストー」ってどういう意味なんですか?
テロにより閣僚全員死亡国会議員七割死亡
生き残りの九割は共産党社民党
この場合誰が自衛隊を動かしますか?
13 :
日本@名無史さん:03/08/27 04:18
>>12 生き残りの共産党・社民党の議員たちが臨時政府を組織して動かします。
それ以外に正統性のある政権はありえません。
くだらない質問で恐縮なのですがかの有名なflash「ペリーの肉声」で、
ペリーが「あなた尊王派?攘夷派?」と尋ねてますが、この時の天皇(孝明天皇?)は
攘夷論者ですよね?ということはペリーにとってはどっちも似たようなものだと
思うのですが、なぜわざわざ尋ねたのでしょうか?
>>14 フラッシュ板の人間が作ったからじゃないの?
16 :
日本@名無史さん:03/08/28 09:38
戦前の日本について質問です。
日本軍が徴兵することによって、それまで出会うことのなかった
異なる身分や出身の人をかき混ぜる効果はどれくらいあったの
でしょうか。
また、「日本人」という意識を作り出すのにどれくらい効果があったんでしょうか。
18 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:36
日本海海戦で活躍した人物って、東郷平八郎以外にいます?
いくらでもいる
20 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:39
あまり知られていないような人物
を挙げて頂けないでしょうか?
21 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:44
そう聞かれると、挙がらない自分って・・・・
第四駆逐隊司令鈴木貫太郎とかどうじゃろ?
23 :
日本@名無史さん:03/08/28 22:43
西郷隆盛の本当の肖像画が見つかったって本当ですか?
24 :
日本@名無史さん:03/08/28 23:12
26 :
日本@名無史さん:03/08/28 23:32
他スレにも張ったのですが 教えてください
どのスレで聞けばいいか分からなかったもので・・・
日本は昔、
天皇のことを「すめらみこと」
皇太子のことは「ひつぎのみこ」
と言っていたらしいけど
「ひつぎのみこ」は語感から「日嗣ぎの神子」という感じがするんですが
天皇の先祖の天照大神が太陽神ですし、・・・でも
「すめらみこと」ってなに?語感から感じるイメージはまるで妖怪の名前みたい
バカな私に「すめらみこと」はどういう字を当てるのか教えて下さい
お願いします
すめる=香ばしい、というのはダメかな?
28 :
日本@名無史さん:03/08/28 23:37
「統治する」の意味の統める、じゃねーの?
棺のみこ
30 :
日本@名無史さん:03/08/28 23:49
最近発売された『明治・大正・昭和30の真実』という本で
執筆している「三代史研究会」という人々の構成、内幕を教えてください。
ちょっと気になります・・・
>>25-26 さっそくのレス有り難うございます
「香ばしい」「みこと(命?)」香ばしい和国の命?
「統治」する」「みこと(命?)」統治する和国の命?
ですかねえ
分かったような分からなかったような気がしますが今日はここで落ちます
どうも、です
>>20 もしあんたが東郷しか知らないなら、誰の名前を上げてもいいよな。
って事で、秋山真之。
日露戦争物語みれって。
なんでマスコミは現在の皇室には尊敬語を使うのに、その後先祖様たちには
尊敬語を使わないの?
昔は県犬養橘とか姓の複合みたいのがあるんですけど、
いつから日本人は単純に両輪の姓のうち、片方だけを
名乗るようになったんですか?
38 :
日本@名無史さん:03/08/29 09:53
>>26 〈天皇〉との漢字表記は中国典籍によるが、スメラミコトの類語に〈スメガミ(皇神)〉
〈スメロギ(皇祖)〉〈スメミマ(皇孫)〉等をみることに照らせば、スメラミコトは
〈天皇〉の和訓ではなく、すでに先行していたこの語に〈天皇〉の字をあてたと
みなされる。
なお語義に関し〈スメラ〉を〈統(す)べる,統治する〉ととるのが従来の説だが、
〈スメラ〉を〈澄める〉にもとづくものとし、それにより〈ケガレ〉の対極に
あるところの神聖王権の超越性をあらわしたとの西郷信綱の見解がある。
39 :
日本@名無史さん:03/08/29 10:48
>>39 りょうちん
りょうえいん
ちょうりん
どれかのタイプミス
俺は文脈から「りょうしん」だと思う。
41 :
日本@名無史さん:03/08/29 11:25
>>40 てか橘は三千代自身が賜った姓なので
「りょうしん」とは関係ないと思われ。
42 :
日本@名無史さん:03/08/29 11:31
じゃあ日本人は両親の姓を複合して名乗ったことは無いわな。
俺の知り合いに織田大原さんって女の子がいる。
ご先祖様は織田さんと大原さんで、それの二つくっついたの?って聞いたら
うっせ、バカって言われた。俺は嫌われ者です。
三千代は姓が二つあったんだ。
ところで県氏って有名?
45 :
日本@名無史さん:03/08/29 11:53
>県犬養氏 (あがたいぬかいうじ)
宮門,屯倉(みやけ)などの守衛に当たる犬養部を率いる4伴造氏(県犬養,
稚犬養,安曇犬養,海犬養)の一つ。
大和朝廷の直轄領である屯倉の守衛・管理を職としたため,朝廷直轄地を
意味する県を犬養に冠したと考えられるが,確かなことはわからない。
神魂命(かむむすひのみこと)の後裔と称する神別氏族で,本姓は連(むらじ)
であったが,672年の壬申の乱に一族の大伴が大海人皇子の舎人として功を立て,
684年(天武13)八色の姓(やくさのかばね)の制定にともなって宿衝(すくね)姓
を改賜された。
一族の三千代(橘三千代)は天武朝から元正朝までの5朝に歴任し,元明天皇
から橘氏を賜った。彼女は夫藤原不比等を助けるかたわら,同族の繁栄を
はかり,県犬養広刀自を聖武天皇の夫人とした。
その子橘諸兄の時代には石次(いわすき)がこの氏ではただひとりの参議に
就任したが,諸兄が権力を失うと,県犬養氏もやがて衰退していった。
え?県犬養って「あがたのいぬかい」じゃなくて「あがたいぬかい」なの?
俺、ずっと県が氏で犬養が姓だと思ってた。
源と平をもらったのって全部皇族?
48 :
日本@名無史さん:03/08/29 11:59
源氏って嵯峨天皇が子供作りすぎて困ってじゃなかったっけ?
じゃあなんで清和源氏が一番有名なの?
あと、桓武平氏って言うんだから、当然平のほうが先に出来て、えらいんだよね?
49 :
日本@名無史さん:03/08/29 12:55
>>48 桓武平氏はあんまりえらくない。
桓武天皇の時代に平氏になったんじゃなくて、系図を遡って最初に出てくる天皇が桓武天皇だというだけだから。
いちばん最初の賜姓は嵯峨源氏。桓武平氏はそれより後。
皇族じゃなければ源氏平氏はもらえない。
51 :
日本@名無史さん:03/08/29 13:05
>>48 清和源氏が有名なのは、鎌倉・室町・江戸の各幕府の創始者がいずれも清和源氏を名乗ったから。
嵯峨源氏の子孫で有名な人いる?
54 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:00
源って全員朝臣?
56 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:08
57 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:11
>>54 え〜?渡辺綱って源氏なの?
なんで渡辺と綱の間に「の」がつくのさ。
58 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:13
>>57 熊谷次郎直実も「くまがいのじろうなおざね」だろ。そういう例もあるってこと。
源氏じゃなくて渡辺氏って氏族じゃないの?
60 :
日本@名無史さん:03/08/29 14:36
渡辺は名字だろ。摂津の渡辺にいたから渡辺と称した。氏は源氏。
じゃあ、わたなべのつなじゃなくて、わたなべつなじゃないの?
62 :
日本@名無史さん:03/08/29 15:48
>>60 苗字とするには少し時代が早いような気もする。
通称(字、号)ではないかな。
63 :
日本@名無史さん:03/08/29 16:26
大学の課題で初めて歴史書の批評書を作ってくるようにと言われたのですが
どうも書き方がわからず手を付けられないままでいます。
どなたかアドバイスをいただけますでしょうか。
テーマは元寇にしようと考えています。
日本各地の沢山の縄文遺跡の出土品の共通性について教えてください。
調べる方法でも結構です。
66 :
日本@名無史さん:03/08/29 18:36
>>64 つくこともあればつかないこともある
高師直は「こうのもろなお」だろ
67 :
日本@名無史さん:03/08/29 19:00
>>64 蒲御曹司範頼(かばのおんぞうしのりより)とか
木曾冠者義仲(きそのかんじゃよしなか)とか。
68 :
日本@名無史さん:03/08/29 19:48
くまがいたんじじろうなおざねって のがないよね
69 :
日本@名無史さん:03/08/29 22:41
>>65 地層で決めてるのでは?
最近は科学的年代推定方も進んできてると聞く。
70 :
日本@名無史さん:03/08/30 00:51
豊臣秀吉も「とよとみ の ひでよし」だね。
71 :
日本@名無史さん:03/08/30 00:52
72 :
日本@名無史さん:03/08/30 01:03
いや
「くまがいじろうなおざね」だよ。
73 :
日本@名無史さん:03/08/30 02:28
「の」はみなもと「の」あそんとか、きよはら「の」まひと、とか
ウジ「の」カバネ、の名残だから、名字にはつけない。
源平藤橘、在清物伴、紀菅丹秦などなど、古代姓氏に限られる。
74 :
日本@名無史さん:03/08/30 08:53
>67
木曾冠者義仲
息子は清水冠者義高(しみずかんじゃ)ですが
清水冠者物語(しみずかんじゃものがたり)
結局のところ基本ルールは姓だけ「の」をつける
語呂が悪い場合、cf高師直、渡辺綱 「の」をつけて呼ぶ
氏姓制度ってさ、氏が同じなら姓も同じなんだからどっちかだけでいいんじゃん。
なんでわざわざ二つも名乗るの?
賀茂真淵も単なるゴロ?
どっかの神社の子孫だって話だけど。
78 :
日本@名無史さん:03/08/31 14:47
夏休みもどんづまりなのでアゲておくよ。
社家,社人、と言われる人はどんな位置ずけがなされていたのですか。
82 :
日本@名無史さん:03/08/31 22:35
あげとく
83 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:23
むふ。
84 :
日本@名無史さん:03/08/31 23:41
今の県名と、過去の藩名(廃藩置県直前のもの)を
分かりやすく比べられる地図って、どこかにありませんか?
Googleで探したんですが、なかなか出てこない……。
85 :
日本@名無史さん:03/09/01 07:41
ちと、お聞きしたいんですが!うちは天領の名主の家系でして、かなり豊かだったんですけどなぜ郷士に
取り立てられなかったんですか?先祖は戦国武将ですし!これは天領だからですか?親戚の家は郷士
とまではいえなくとも、かなり武士的に扱われている家が多い。姻戚関係ですから格式は同じぐらいでしょう。
唯一違うのは天領か藩領の違いぐらいしかないんですけど・・・。
86 :
日本@名無史さん:03/09/01 13:29
>>85 八王子千人同心を除くと、幕府には郷士に当たるものが存在しません。
したがって幕領では郷士に取り立てられるということはあり得ません。
「武士的に扱われている」というのは具体的内容がわからないので、何とも答えかねますが
苗字帯刀が認められなかったという意味なら
幕領でも百姓に苗字帯刀を認めることはありましたから
これは何らかの個別的な事情があるのだろうと思います。
なお他のスレにも書きましたが
苗字帯刀を認められることと
家臣として召し抱えられる=武士身分になることは、まったく別のことですのでご注意下さい。
87 :
日本@名無史さん:03/09/01 14:10
88 :
日本@名無史さん:03/09/01 14:32
>>86 >>八王子千人同心を除くと、幕府には郷士に当たるものが存在しません
上州の郷士や十津川郷士の扱いはどうなってるの?
89 :
日本@名無史さん:03/09/01 15:02
>>88 すみません。
「など」を入れるのを忘れていました。
「八王子千人同心を除くと、」の部分は
「八王子千人同心などを除くと、一般的には」と訂正して下さい。
90 :
日本@名無史さん:03/09/01 20:48
>>86 ようするに名残としての郷士はいるけど新規の取立てはないということですか?
紫式部の墓は京都以外にどこにありますか?
千葉の方の村に、「同心給地」ってあったんですが、
同心って何年かで交替するんでしょうか?
93 :
日本@名無史さん:03/09/01 22:08
>>92 これは江戸時代になってからのことでしょうか。
それとも後北条氏や徳川の関東領国時代のことでしょうか。
94 :
日本@名無史さん:03/09/01 22:18
>江戸時代の同心
身分は御家人で、形式上は一代抱えであるが、事実上世襲の職
92です
>94さん
レスありがとうございます。
1848年の文書では、その村は同心・服部某の給地でしたが、
1856年のものは、内藤某の給地となっていたので、
疑問に思った次第です
96 :
日本@名無史さん:03/09/01 23:48
よくバガボンドなどの一騎打ちなどで腕を切られている人間いますが
あれって切られた後どうやって生活するのでしょうか?
ほとんどそのまま死んでいくのでしょうか?
今なら引っ付けることも可能でしょうが、当時は不可能ですよね
97 :
日本@名無史さん:03/09/02 03:38
↑
この板の初心者というより
それ以前の人としての初心者のようだね。
98 :
日本@名無史さん:03/09/02 09:07
座頭市の座頭ってなんでしょうか?
教えてください。
源、平、在原、あと皇族出の氏族って何?
102 :
日本@名無史さん:03/09/02 10:39
>>99 文室とか高階とか多治比とか
他もっとあると思うがとりあえず思いついたのはこの辺。
極 論 すれば
ほとんどの氏族が先祖は天皇家から派生したことにしているので
ほとんどの氏族は皇族出と言うことになる罠(w
それらの姓はみんな朝臣?
104 :
日本@名無史さん:03/09/02 10:40
>>100さんへ 98です。
検索しましたが出てきません。
106 :
日本@名無史さん:03/09/02 12:55
本陣格の旅籠屋というのは純粋な本陣より格式の点で落ちるのですか?
107 :
日本@名無史さん:03/09/02 13:25
>>105さんへ 98です。
どうもありがとうございます。
勉強してみます。
108 :
日本@名無史さん:03/09/02 15:03
>>106 本陣格というのは
本陣も脇本陣もふさがっているときに
臨時に本陣をつとめる旅籠ということだろうと思いますので
これは格式が落ちると見てよいでしょう。
正確なところは、具体例を見てみないとわからないですが。
109 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:37
織田信長は暗殺でしょうか?戦死でしょうか?自殺でしょうか?
110 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:41
梅毒
111 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:42
明智に急襲されて「自害(自殺)した」。
と、一般には書かれている。
が、攻撃されて殺されるのがわかった時点での自害だから、
意味的には「殺害された」でもよいと思う。
でも、暗殺や戦死とは、普通使わないな。
112 :
日本@名無史さん:03/09/02 22:50
秀吉の頃、伊達家と浅野家は仲たがいしましたが最近仲直りしたと聞きました。
何か手打ち式みたいのをおこなったのですか?
それとも
「はい浅野です」
「もしもし伊達だけど」
「…(ピキッ!)」
「…仲直りしよ」
「…いいよ」
こんな感じでしょうか?
115 :
日本@名無史さん:03/09/03 00:13
>>103 源、平、在原は「朝臣」
文室、高階、多治比は「真人」
116 :
日本@名無史さん:03/09/03 00:18
伊達政宗の戦績が小田原以前と以後で別人になったかのように違うのはなぜ?
ていうか別人?
日本史板に来ていかに自分が歴史についてまだまだだということを知りました
伊達家と浅野家ってなんで仲違いしたの?
って、浅野家って赤穂の浅野家?
119 :
日本@名無史さん:03/09/03 13:44
日本史板にいるみんさんの職業を教えてください。
120 :
日本@名無史さん:03/09/03 13:45
↑みんさん×
みなさん○
121 :
日本@名無史さん:03/09/03 14:41
赤穂の本家、広島の浅野家です
122 :
日本@名無史さん:03/09/03 16:30
浅野長政と伊達政宗が喧嘩したんだろ?理由は知らねえけど。
123 :
日本@名無史さん:03/09/03 16:45
政宗は慶長元年に浅野長政と絶交している。きっかけは伊達家家臣の殺害時件であ
るが、ここに至るまで積年の恨みがあったようで、それは以下のようなものである。
1.指南として秀吉との交渉を長政に頼み従ったにも拘わらず、小田原の陣以後所領
を没収されたことへの不審。
2.高麗での晋州城攻撃の時、長政の子息幸長と政宗は、同陣し、申し合わせて一夜
の内に城に攻め寄せ、城壁の石垣を取り崩すばかりに押し詰めたところ長政が烈
火のごとく怒り、政宗は退却するよう命じられ友軍の前で屈辱を与えられたこと。
3.高麗在陣の時、上より御扶持方下され、長政の指図で受け取るべしとのことであ
ったので待っていたが、自分の在陣中は一切給与されなかった。兵糧枯渇という
危急のため伊達家は自力で兵糧を調達するに至った。
4.奥州仕置の執行者である長政が木村吉清、蒲生氏郷と親しく交わり、政宗に対し
ては同情的でなかったこと。
5.木下・島津屋敷前における家臣殺害事件について、犯人究明に積極的でなかった
こと。
なぞなぞなんですが…
人間2人分という意味の名前を持つ歴史上の人物って誰でしょうか?
125 :
日本@名無史さん:03/09/03 19:38
>>124 隠しウェブサイトのパスワードか何かですか?何かヒントはないの?
いやー人気AV女優が簡単に流出するようになっちゃいましたねー。
今回はうるかちゃんです。豊満なバストに可愛らしい顔。
見てください騎上位でのオッパイの揺れ!
これで人気が出ないほうがおかしいですよね。
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127 :
日本@名無史さん:03/09/03 22:28
平安時代や奈良時代の人って
骨折とかあるいは歯痛になった時どうして治療したのでしょうか?
医学もそれほど進んでたのでしょうか
128 :
日本@名無史さん:03/09/03 23:05
>>127 たぶん奈良時代の頃の治療法というのは具体的な記録はなかったような。
正倉院にはいろんな薬品(サイの角とか)残っているけれど、どれがどの治療に使われたのやら
サパーリ分かりませぬ(w
このへんは医学史の研究をしている先生が一杯いるから、研究書読んだ方が早いかな。
酒井シズさんという人が平安時代に伝わったという医学書『医心方』の研究で有名だったんではないかと。
あと誰かフォロープリーズ
129 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:14
それよりも
縄文時代などは骨折したらそれで人生終わりじゃないのか?
そんな医学なかっただろうし
130 :
日本@名無史さん:03/09/04 00:21
前田慶次について知りたいのですが、
漫画板に行った方がいいですか?
131 :
日本@名無史さん:03/09/04 11:10
>>127 《古事記》《日本書紀》《風土記》などに,火傷に生貝のジュース,傷口にガマ
の穂などの用法がみえる。文書記録上,最初の外来の医療は,允恭天皇の病気の
治療のため新羅から来た金武と名乗る医師によるものである(414)。
459年にも徳来という医師が来日し,帰化して難波薬師(なにわのくすし)として,
子孫も同じく医業を営んだとある。
積極的に外国医学を摂取したのは,恵日と福因の2人が小野妹子とともに隋に留学
して帰ったのが最初だと思われる。
インド医学も仏教の渡来とともに日本に伝わったが,医学を含めての外来文化は,
それぞれの部族の勢威を示すものとして競って摂取された。
132 :
日本@名無史さん:03/09/04 11:10
>>127 8世紀になって,唐の都長安をモデルに平城京が建設される。制度も唐制を模した
養老令(718)がつくられるが,その中に医療制度を定めた医疾令がある。
それによれば,宮廷の医薬の業務を執行するための内薬司,典薬司がおかれ,
大学,国学を設けて医学教育にあたらせることが規定されているが,おそらく
空文であったという推測が有力である。養老令には,徴税や労役・兵役のため
の徴募が主目的であったが,かたわら,公的扶助の基準設定のために,身体障
害の重症度による区分がなされていることは興味ぶかい。
一方,仏教の普及にともない慈善事業がとりあげられたことも注目される。
9世紀になると,ようやく日本固有の医学を集約しようという気運が生まれる。
平城天皇は全国の国司,神社および名族旧家に伝来の薬方を報告することを
命じ,これを出雲広貞,安倍真直に編集させ,808年(大同3)《大同類聚方》
100巻として結実した。さらに清和天皇の貞観年間(859‐877)に《金蘭方》
50巻がつくられた。この2書が日本の医書としては最古のものである。
133 :
日本@名無史さん:03/09/04 11:12
>>127 次いで,982年(天元5)の丹波康頼(たんばのやすより)による《医心方》30巻
がある。その内容は,隋時代の医書《諸病源候論》を基本とし,隋・唐の医書
約100点を参照している。丹波家は世襲的に宮廷医を務め,この《医心方》は
永らく門外不出として丹波家が独占し,17世紀の中ごろ,いま一人の宮廷医
半井家のものが見ることを許されたきりである。印刷刊行されたのは1854年
(安政1)である。薬物書としては799年(延暦18)ころに和気広世が編集した
《薬経太素》が永らく重要視された。これは,唐の《新修本草》に従い,
254種の動・植・鉱物性薬の調製,保存および適応を記したものである。
いま一つ,よく知られたものとして,深根輔仁(ふかねのすけひと)の《本草和名
(ほんぞうわみよう)》(918)がある。
これは,鉱物性薬81種,植物性薬509種,動物性薬182種の和名を収録したもので
ある。このような医学知識は,多少は慈善的に用いられたが,基本は宮廷や貴族
の医療に供するためのものであった。
薬物も国産のもののほか,外国産のものも少なくなかった。正倉院宝物の中に
は,中国産のもののほかにインドやペルシア産のものもある。宮廷医学として
興味あることは,中国のそれにならって,長命のための仙薬の服用が流行して
いることである。この仙薬は,金,銀,水銀,ヒ素などの重金属を主成分とす
るもので,用量をすぎれば,かえって寿命を縮める結果になる。
鑑真が来日して名声を得た理由の一つには,彼の医学知識,なかんずく上記の
仙薬による中毒の治療法を知っていたためともいう。
134 :
日本@名無史さん:03/09/04 11:26
丸ごとコピペするのはやめようよ。
135 :
日本@名無史さん:03/09/04 12:09
昭和天皇「独白録」や近衛文麿のの手記を読みたいのですが、
今本屋さんに売ってますか?
東京在住ですが、三省堂などにいかないと無理ですか?
136 :
日本@名無史さん:03/09/04 14:32
人間の2人分という意味の名前を持った歴史上の人物は?
独白録は文春文庫で出てたと思う。
近衛日記はどうかな?
138 :
日本@名無史さん:03/09/04 16:13
>>135 近衛文麿の手記というのは
昭和43年に共同通信社から出た『近衛日記』のことでしょうか?
これは古書店で入手するしかないですが
値段は2000円〜3000円とそれほど高価なものではありませんし
結構多く出回っています。
139 :
歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/04 16:25
140 :
日本@名無史さん:03/09/04 21:09
浜口首相は暗殺でしょうか?病死でしょうか?
141 :
日本@名無史さん:03/09/04 21:47
明治維新時、官軍の指揮官は頭に赤や白の毛(赤熊、白熊?)を装着していますが、装着する理由は指揮官を区別する為だけのものですか?もっと特別な理由等はあったのでしょうか?
また赤と白の区別はなんなのでしょうか?
142 :
日本@名無史さん:03/09/04 21:53
143 :
歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/05 00:19
>>141 文章が長いので、さらっと斜め読み。
よっしゃこい
144 :
日本@名無史さん:03/09/05 00:25
初書きコです。探すのがめんどうで質問スマソ。
最近興味を持ったのですが「大黒屋光太夫」について
語るスレがあったら教えて下さい。
145 :
日本@名無史さん:03/09/05 00:40
『日本史研究』の出版社は、日本史研究会でよいですか?
146 :
日本@名無史さん:03/09/05 02:24
>144
まず検索しましょう
>>146 検索しましたが2chのスレはヒットませんでした。
それではこの板に立ててよろしいですか?
>>130 史料が少ない人だから。
漫画や小説でもいいの?それとも歴史人物として興味あるの?
安土城は天主閣という字を書いたそうですが、それを裏付ける史料ってなんですか?
150 :
日本@名無史さん:03/09/05 11:10
151 :
日本@名無史さん:03/09/05 11:17
152 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:07
>>149 「信長公記」に「安土山御天主」と書いてありますな
わかりませんか?
154 :
日本@名無史さん:03/09/05 21:51
155 :
日本@名無史さん:03/09/05 22:10
>>130です
>>148 資料が少ない人だから、色々な人がスレに集まってくれたら
もっと何か新しいことを見つけられるかもしれないと思って。
最初は漫画から入りましたが、歴史人物として興味があります。
156 :
日本@名無史さん:03/09/05 22:38
>>156 ありがとうございます。
早速そのサイトに行ってきます。
158 :
日本@名無史さん:03/09/06 01:00
159 :
歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/06 06:15
>>158 おまえウゼー!
二度とこのスレ来るなボケ!
160 :
日本@名無史さん:03/09/06 09:55
>>158 志半ばで倒れた(倒された)というところがポイントなのでは。
>>158 あとは行き詰まった社会を覆したってとこが
てか提出期限の迫る宿題でつか?自分で考えもみようよ
>>160-161 お答え、ありがとうございました。
宿題でも何でもなく、ここの詳しい方達ならどういう風に思うのかなと思ったんです。
>>125 そうなんです隠しパスなのですが
ヒント無しなんです
「なぞなぞ」と前置きがあるのでそれがヒントかと…
ダジャレ的なものかと思われます
164 :
日本@名無史さん:03/09/07 11:56
島津氏(できれば義弘)を題材にした小説を読みたいのですが何から読めばいいでしょうか?
史実に忠実で、ある程度面白いものがいいです。
>>164 これは結構難題かも。
まず、戦国時代の島津氏をネタにした小説自体が少ない。
とりあえず思いついたところをあげると
・『島津義弘』徳永真一郎 青雲社
・『島津義弘』加野厚志 PHP文庫
・『島津奔る』池宮真一郎(絶版)
どれもこれもなあ、ある程度史実に忠実なのは加野さんのだろうが、
私は余りおもしろいとは思えなかったのだよ。
『島津奔る』は60万部突破のベストセラーとなった物の、後に盗作問題が
発覚して絶版。内容に関しては「おもしろい」という一方「義弘マンセー過ぎ」
と賛否両論だったような記憶。
義弘厨うざ杉。
史実どうこう言うなら、義久公を中心とするのが自然であろう。
>>166 晩年は、抵抗勢力化し過ぎちゃってて物書きの意欲を刺激しないんとちゃうか?>義久
義弘の方は、ジレンマがあるだけネタにしやすいし。
義久公にとって、晩年などエピソードに過ぎぬよ。
当主ですらなかった義弘に、「島津」と付ける必然性も無い。
ま、「幸村」も似たようなモンだけどねw
義久厨も義弘厨もうざいぞ。ここは質問スレ。その話は今後は別の場所で。
170 :
歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/07 15:41
あなたの疑問に即答します。
よっしゃこい
Shoni no Kagesukeって人物分かります?
とあるゲームにでてきたんだけど誰か分からないんです
172 :
日本@名無史さん:03/09/07 17:16
>>171 少弐景資だと思われ。詳しくは検索しる。
博士・・・自分のスレに帰ってください
174 :
歴史学博士の俺様 ◆i5oj1mL1ek :03/09/07 19:14
>>173 そうします。
みなさん今までありがとうございました。
よっしゃこい
>>165 ありがとうございます。「島津奔る」を入手することは可能でしょうか?
古本屋なんかを探せば見つかりますかね
176 :
日本@名無史さん:03/09/07 20:48
>>175 「日本の古本屋」で調べると4点出ています。
価格は1400円〜5700円とかなりばらつきがあります。
>>175 ヤフオクでも出てるよ。
残り日数は5〜6日、頑張って落とせ!
178 :
日本@名無史さん:03/09/08 00:24
明治末〜大正の文学で、日露戦争の話題が出てくる文学で漱石の「猫」以外
だとどんなものがあるか調べたいんですけど、文学素人なので見当がつきません。
いい方法・文献はあるでしょうか?
179 :
日本@名無史さん:03/09/08 10:43
田山花袋の「田舎教師」が、何気なくふれてたような気も。。。
180 :
日本@名無史さん:03/09/08 16:25
今はたいていのオンライン書店で
キーワード検索できるよ
黒田清隆について質問です。
この人「開拓使官有物払い下げ事件」のあとに首相になってますよね。
国民に反発とかされなかったのでしょうか?
なんでスキャンダルがあっても首相になれたんですか?
素人なので的はずれでしたらごめんなさい。
>>181 反発は当然あったでしょうが、まだ民衆の意見が政治に直接繋がる時代ではないので
派閥の論理で決まりました。
伊藤博文が薩長均衡ってことで黒田を指名したんじゃなかったかな?
へー…そんなもんなものなんですか。なるほどなるほど。
ありがとうございます。
184 :
日本@名無史さん:03/09/09 04:14
少々スレ違いのような気がして恐縮なのですが、
東京で戦前からの歴史のあるお店について教えてください。
「日比谷松本楼」とか「小笠原伯爵邸」のような伝統あるもので。
その他政治家・文化人などが愛用した食い物屋があれば教えてください。
また、こういうのを網羅した歴史系のサイトはあるのでしょうか?
教えて厨で本当にスマンです。
185 :
日本@名無史さん:03/09/09 09:53
人間の2人分という意味の名前を持った歴史上の人物は?
186 :
日本@名無史さん:03/09/09 13:10
人間の3人分という意味の名前を持った歴史上の人物は?
代々木に林芙美子御用達の店があった気がする。
あと、高田馬場の青樹は手塚治虫。
189 :
日本@名無史さん:03/09/09 15:56
おすすめの日本史入門本を教えてください。
3日ぐらいで読めるやつでお願いします。
190 :
日本@名無史さん:03/09/09 16:34
小学館学習漫画少年少女日本の歴史
マジだよ!!
スレもたってるから見てみなよ
191 :
日本@名無史さん:03/09/09 18:45
>>189 >>190に同意。
歴史に全く興味のなかった大学生の妹が、ふと読んでみたらしく
「なんか面白かった」と返してきたくらいなので
入門本としてはお薦め。
192 :
日本@名無史さん:03/09/09 18:46
3日で読めるという条件には反しますが
岩波ジュニア新書「日本の歴史」全9冊はいかがでしょうか。
193 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:32
地図では樺太・千島列島・北方領土が白抜きにされてますが、
これらの地域が日本に返還される可能性はどれくらいですか?
やっぱりゼロに等しいですか?
194 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:34
195 :
日本@名無史さん:03/09/10 12:48
郷士とは在郷の武士のことですが、主家が移封になった場合はどうなるのでしょうか?
196 :
日本@名無史さん:03/09/10 22:48
>>193 白抜きなのは、日本国外務省が該当地域が白抜きでないと、許可しないからです。
北方四島は、日本と同じ色ですね。
歯舞・色丹はわりと早く戻ってくるかもしれません。
国後・択捉はちょっと難しいかもしれません。ただし、何らかの取引で可能
かもしれません。ロシア人住民の意志も問題です。多くの生活保護者を抱える
ことになるかもしれません。税金がかかります。
樺太と千島は、ポツダム宣言と講和条約で放棄してますので、返還は無理でしょう。
197 :
日本@名無史さん:03/09/10 23:52
モザンビークって、なんで英連邦の一員なの?
ポルトガルの植民地だったはずなのに・・・
199 :
日本@名無史さん:03/09/11 02:19
>>195 郷士は制度があるところないところ
またある場合も、それぞれ制度が違うため一般論はありません。
ただ郷士という性格上、移封先についていくとは考え難いと思われ、
そうなると次の領主によっては郷士と認められない場合もあります。
200 :
日本@名無史さん :03/09/11 03:07
201 :
日本@名無史さん:03/09/11 15:32
>>199 >>次の領主によっては郷士と認められない場合もあります。
そんなことありうるの?
202 :
日本@名無史さん:03/09/11 19:25
>>199 個別に見るしかないとは思うが
一般的に転封されるのは譜代が多いし
譜代藩には郷士制のないところが多いと言われているので
>>195の質問はレアケースのような気がする。
203 :
日本@名無史さん:03/09/11 19:56
日本の天皇家を国王として考えると日本って世界一の歴史を誇るんでない?
世界一の歴史って何だ?
歴史上最も長く続く王朝ってなら分かるが。
>>204 そう、それがいいたかったんです。というとこでこの質問どうです?
>>205 確かに天皇家は最も長く続く王朝、実在が確実とされる応神天皇から見ても1700年ほど続く。
(継体天皇etcでの断絶論もあるが「天皇家」として続いていることは間違いないので)
だがそれを世界一の歴史の長さと直結して考えるのはいかがなものか、
文明という点で考えるとエジプト、メソポタミア、中国あたりが最も早い。
203は歴史の質なんて問うてないっしょ。
ただ長いか短いか。それだけ。
208 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:04
>>202 ときどき千葉や神奈川の郷士って聞くんだけど、あの辺は旗本領や譜代関係だと思うんだが・・・。
それとも八王子千人同心が広がっていったのかな?
あ、答えてくれてありがとうね!
210 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:41
叡尊・忍性の非人救済活動ってなんなんでしょうか?
>>210 「叡尊・忍性・非人救済」で検索してみようね。
http://honk.hp.infoseek.co.jp/iku1/122.htm 癩非人を毎日背負って送り、師の叡尊をして、そこまでやるかと言わしめた
ほど、その慈善救済は徹底して献身的であった。
しかし叡尊・忍性の非人救済は、苦悩の表情を現す文殊菩薩を現世で体現する
者こそ非人に他ならない、という思い込みに基づいていた。
非人宿にあって死者葬送に携わり、時には屠殺をも辞さない非人の有り様は、
叡尊・忍性にとってまず第一に授戒されるべき穢れた者とされた。
212 :
日本@名無史さん:03/09/11 23:10
大東亜戦争の末期、南方海域で散華した日本兵ほか各国の戦歿者を慰霊する
「潮音寺」が台湾最南端・猫鼻頭にある。「潮音寺管理委員会」(名称変更)では、
将来は寺の再建も視野に入れて、日台双方に広く呼び掛けて潮音寺維持及び
石碑建立に邁進するとしている。
この「潮音寺管理委員会」について、何かお知りの方は居ますでしょうか?
このスレへの書き込み始めてでして失礼がありましたら指摘してください。
>>211 では非人救済というものはいいものに見えて、実は差別意識から生まれた
ものだ、という結論になるんでしょうか。
>>213 紹介したサイト行ってみましたか?
一向宗の解説ページでこう続いているでしょ。
>それ故、救済施行の場にあっては文殊菩薩に見立てられても、現実に戻ってみれば、非人身分からは逃れられないという、烙印を押されたようなものであった。
>これを鋭く見抜いたのは、自らを施陀羅と自覚した日蓮である。
>では非人救済というものはいいものに見えて、実は差別意識から生まれた
>ものだ、という結論になるんでしょうか。
他宗を全否定の日蓮からすればね、
てゆうか宿題を手間をかけずに解決したいだけのリアル厨ですか?
>>214 宿題じゃないっす。
授業で習ったんですが、その辺がよくわからなくて。
216 :
日本@名無史さん:03/09/12 08:17
217 :
日本@名無史さん:03/09/12 08:58
>>213 平安後期からの律宗の復興の一環。その広まりと活躍から日蓮に「律国賊」
と言われたが、それだけ支持基盤の民衆が重なってた。律宗は、公家や
執権にも帰依をえた。
非人救済は見るべきものがあると思うが。
↓
忍性は西大寺にあったとき,重病のため足腰の立たなくなった奈良坂の
癩非人を毎日奈良の市の乞場まで背負ってその送り迎えをし,乞食に
よってその生計が成り立つようにしたという。
奈良坂にある癩病患者の収容施設である北山十八間戸も,忍性が建てた
ものであるといわれているが,彼はのちに鎌倉極楽寺に住して極楽寺坂
に悲田院・癩宿・病宿・薬湯室などを設け,病者・孤児を救済した。
とくに彼が87年に鎌倉桑ヶ谷に造立した桑谷療病所においては,20年の
間に病が治った者4万6000人,死者1万0450人と,治療を受けた者の5分の4
が治癒したと伝えられている。
日本の王宮ってなんで中国みたいに城壁が無いのですか?
220 :
日本@名無史さん:03/09/12 09:21
221 :
日本@名無史さん:03/09/12 09:25
>>216 アメリカで使われていたエンペラーを直訳したからかと思います。
その後は天皇になってたかと。
222 :
日本@名無史さん:03/09/12 10:18
>>218 御所は塀はある。城は、ものすごい防御用の堀と城壁がある。
都市として壁で囲まなかったのは、石の文化でないのと、
山や川が入り組んでいるのでそれを天然城砦とした。
日本だけでなくアジアの東南部と島国には共通する文化らしい>城郭のない都市
223 :
日本@名無史さん:03/09/12 10:19
>>219 「放棄はしたが、講和条約で正式には所属先は決まってない。
だから白抜き」
というのが外務省の言い分。
あまり、世界には通じなそうな理屈ではあるが・・・。
224 :
日本@名無史さん:03/09/12 11:24
>220
早速レス頂きまして有難うございます。
私の身内がバシー海峡において撃沈された船に乗っていた一人でありましたので
少しでも潮音寺再建の力になれればと思った訳なんですが、ホームページに
載っていますTELに電話しても『現在使われておりません・・・。』と言われてしまって、
そこから先に進めない状態なんです。
國民新聞にメールして聞くのは少し躊躇しそうなんですが、やってみようと思います。
有難うございました。(^_^)
225 :
日本@名無史さん:03/09/12 15:03
蜂須賀家が明治維新後早々と領地から離脱(脱出?)したらしいですけど、領民とうまくいってなかったんですか?
その辺の経緯を教えてください。土佐の山内家などは大丈夫だったんですか?・・・あまり郷士とうまく言ってなかったように
見えますけど。
226 :
日本@名無史さん:03/09/12 17:27
>>221 その後は天皇と訳されてるのに
最初だけ皇帝とされたのは
何らかの政治的理由があったのかなあと
日本史板で質問したほうが良いとのことでしたので
古代日本の氏族やら部族とかがよく理解できません。
先祖、職業に絡んでいるのはなんとなく分かりましたが・・・
そもそも氏>部ということ?
なにか良い書籍等がありましたら教えてください。
以上コピペですいません。
228 :
日本@名無史さん:03/09/13 07:31
薩英戦争での薩摩、英国双方の被害はどれくらいだったんでしょうか?
229 :
日本@名無史さん:03/09/13 08:26
>>228 イギリス側は戦死者13人・負傷者50人、司令官も死んでます。
薩摩側は戦死者5人・負傷者十数人と死傷者はイギリスより少ないんですが、
洋式工場の集成館、鋳銭所など城下町の1割を焼失、拿捕された蒸気船はすべて沈められるなど物的被害が大きい。
薩摩が序盤奮闘できたのは、台風で海が荒れてたのも一因です。
230 :
日本@名無史さん:03/09/13 09:46
日本史板のスレで散見される大室とか地家って何ですか?
南朝の末裔らしいことを書いてますが、実在しない架空の存在なんでしょうか?
231 :
日本@名無史さん:03/09/13 10:57
当方、浪人生です。
これ以上遊びに行かないために
アタマもちょんまげにしようと思っています。
誰かちょんまげの結い方知りませんか?
マジレスキボンヌです。
232 :
日本@名無史さん:03/09/13 11:02
233 :
日本@名無史さん:03/09/13 11:11
タカミ盛りって意外と腹黒いのかもよ
世間からどのような眼で見られているか認識していて
その特権を活かしてる感じがする
234 :
日本@名無史さん:03/09/13 11:32
江戸、明治時代の著名人の写真がたくさん載ってるサイトって無いでしょうか?
235 :
日本@名無史さん:03/09/13 11:37
>>234 ご希望に添えるかどうか分からぬが「幕末」「写真」でぐぐってみなされ
237 :
日本@名無史さん:03/09/13 12:10
>>225 蜂須賀氏は14代茂韶が廃藩置県を迎えるまでいて、公爵になったと思ったが?
山内氏も16代豊範が廃藩置県まで藩主をやっていました。
239 :
日本@名無史さん:03/09/13 14:47
東京の場所中に、予約なしで稽古見学出来る部屋はどこですか?
241 :
日本@名無史さん:03/09/13 16:44
まず、そのリンク先が信用できません。
って言ったら泣く?
243 :
日本@名無史さん:03/09/13 17:35
大学で史学を学びたいと思っているのですがマニアばっかりですか?
244 :
日本@名無史さん:03/09/13 18:01
245 :
日本@名無史さん:03/09/13 18:06
>>243 大半はおっしゃるとおりのマニアです。自己中で困ってます。
246 :
日本@名無史さん:03/09/13 19:00
明治時代の有名な政治家で汚職した人を教えてください。
>>246 山県有朋、井上馨、黒田清隆、星亨。
でも有名所はほとんど全員が大小なり関与、また黙認しているかと。
248 :
日本@名無史さん:03/09/13 20:49
佐賀藩の構造について詳しい人いませんか?
竜造寺系とか鍋島系とか御親類格とかググってみたけどいまいち分かりません
249 :
日本@名無史さん:03/09/13 21:38
250 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:16
何故、鎌倉時代くらいまでの人は
源頼朝や平将門みたいに姓と名の間に「の」って入るのに
室町時代以降は入らないのですか?
251 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:25
>>250 「の」が入るのは氏(うじ)です。源氏とか平氏とか豊臣氏とか。
「の」が入らないのは名字(みょうじ)です。足利家とか織田家とか徳川家とか。
その違いです。
252 :
日本@名無史さん:03/09/14 01:01
アイヌの人って、
朝鮮半島から日本列島を伝って北海道に行ったのか、大陸から直接北海道に渡ったのどっちですか?
これ以外の場合教えてください。
253 :
日本@名無史さん:03/09/14 02:59
何で世界の偉人は苗字で呼ばれるときが多いのに
日本の偉人は名前で呼ばれますか?
254 :
日本@名無史さん:03/09/14 03:02
>>253 いつどこでの話?
日本語をもう少し勉強してください。
255 :
日本@名無史さん:03/09/14 03:48
256 :
日本@名無史さん:03/09/14 03:58
>>254 日常会話でよ
だって「ブッシュがさぁ〜」とか「アシモフってよ〜」とかいうけど
「藤原が歌詠んで」とかいわないじゃん?
「道長が」とか「ノリカが」ってなるじゃん?
257 :
日本@名無史さん:03/09/14 04:00
258 :
日本@名無史さん:03/09/14 04:15
宇田川氏の本家は滅亡したのですか?
旗本・御家人で宇田川氏はいますか?
渋谷区の歴史を調べている者ですが誰か教えて。
259 :
日本@名無史さん:03/09/14 05:25
>>256 例として相応しくないね。
親しくもないのにいきなり「みちなが」とか「のりか」とか言わないだろ。
それに小泉総理は「純一郎」とだけ呼ばれないし。
260 :
日本@名無史さん:03/09/14 06:07
>>256 藤原道長の「藤原」は名字じゃなくて氏。
日本で歴史上の人物を名前で呼ぶことが多いのは、単に同じ氏や名字の香具師が多いからだろ。
「藤原」氏だけでも何百人もいるし、「足利」「徳川」も名字だけでは何代目だかわからん。
261 :
日本@名無史さん:03/09/14 06:34
>>258 そもそも宇田川氏ってどういう勢力ですか?
それはそうと「寛政重修諸家譜」は見ましたか?
旗本・御家人なら載っているはずです。
262 :
日本@名無史さん:03/09/14 08:40
西郷隆盛の写真が残ってないのは何か理由があるんでしょうか?
同期の桂や大久保らは何枚か残っているのに…。
263 :
日本@名無史さん:03/09/14 09:05
264 :
日本@名無史さん:03/09/14 09:09
265 :
日本@名無史さん:03/09/14 10:00
>>266 面頬ですか、初めて知りました。
どうもありがとうございました。
268 :
昭和38年生まれ:03/09/14 14:01
小学生のときに使っていた歴史の教科書に、
広開土王碑に日本兵と思しき人物が書き込みをしている写真が
のっていたことを覚えています。
あれは改ざん写真だったのでしょうか。
269 :
日本@名無史さん:03/09/14 16:14
書き込みって・・・
本じゃないんだから
270 :
日本@名無史さん:03/09/14 16:31
>>268 日本兵じゃなくて拓本をとる職人じゃないの?
碑のそばにそうやって暮らしてた連中がいたと聞いたことがある。
レスありがとうございます。
私の記憶では写真には確か「碑に手を加える日本兵」といったような
説明があったように思います。
写真の中の人物も職人の服ではなく軍服を着ていたはずです。
272 :
日本@名無史さん:03/09/14 18:28
明治六年の政変で征韓派が敗北して下野したとありますが、敗北とはどういうことでしょうか?
どういう経緯で下野するに至ったんでしょうか?
273 :
日本@名無史さん:03/09/14 18:54
栃木ににょほうをとりにいきますた
274 :
日本@名無史さん:03/09/14 19:00
>>272 まあ征韓派ってのは正確ではなく朝鮮使節派遣推進派ってとこだね。
簡単な経緯は
岩倉使節団の留守中に朝鮮使節派遣はほぼ内定していたのだが
岩倉の帰国をまって裁可することになった。
しかし岩倉らの帰国後、大久保らの派遣反対論が巻き起こり
決着の見込みがつかなかった。
しかし、太政大臣 三条実美の裁量で使節派遣が再び決定する。
あとは明治天皇の裁可を仰ぐだけだったが
そのときに三条が急病で倒れ岩倉がその代理となる。
独断で岩倉は使節派遣無用を奏上して裁可を得る。ここで朝鮮使節派遣は無期延期となり
使節派遣を主張していた参議は辞表を提出。
>>271 ああ、その写真見て韓国の学者のイ・ジンヒという人が
「日本による朝鮮支配を正当化する為軍部が改竄した」とする説を発表しましたが、
90年代に入って中国で取られた拓本が発見され、その拓本と日本の軍人が取った拓本が一致することから
単に拓本取ってただけで何も手を加えていないことが判明しております。
ただ、韓国では任那日本府と共に否定されます。
厳密にいうと、日本の軍人が現地で取ってきたのは、いわゆる拓本ではなく、
「墨水廓填本」とか「双鉤加墨本」などというものです。
これは、先にとられた文字の見づらい拓本の字画をなぞって、
別紙に文字の輪郭を写しとり、その輪郭の外を墨で填めて
拓本らしく仕立てたものです。
>>275 >>276 ご丁寧なレス、本当にありがとうございます。
>>268でも示しましたように私は昭和38年生まれです。
このころわが国の歴史を勉強しなおしているのですが、自分が受けてきた
歴史教育と最近明らかにされつつあるわが国の本当の歴史との差に
とまどいや驚きを感じていました。
それで、ひょっとしたら、と思い質問させていただいたようなしだいです。
戦前の日本が全部正しかったというつもりもないし、また、戦前の日本が
全部悪かったというつもりもありませんが、私が受けてきた日教組教育に
多くの問題があるのは疑いのないところだと思っています。
これからは自分の頭を使って日本の歴史を勉強しなおしていきたいと思います。
ありがとうございました。
280 :
日本@名無史さん:03/09/15 08:36
>>274 ありがとうございました。勉強になりました。
281 :
日本@名無史さん:03/09/15 09:18
質問です。
伊達政宗の兜についている三日月のところのことを「剣月」
というらしいのですが、この「剣月」という文字はどう読めばいいんでしょうか?
よろしくお願いします。
282 :
日本@名無史さん:03/09/15 12:19
足利将軍家の領地ってどのくらいあったんですか?
283 :
日本@名無史さん:03/09/15 16:07
日本は国家を総動員して戦争にあたったのに、なんでアメリカに負けたんですか?
ミッドウェー海戦の敗北が大きく響いたんですか?それとも単純に国力の差?
284 :
日本@名無史さん:03/09/15 17:05
文永の役、弘安の役など元寇についての研究の変遷について
教えていただけませんでしょうか?いつ頃から元寇を研究し始め
考察の移り変わりが知りたいです。
また、よくまとめてあるサイトなどございましたら併せて
お教えくださいませ。
285 :
日本@名無史さん:03/09/15 19:37
>>283 ・生産力・国力の差
・日本側の情報の軽視
・失敗を改善できない,日本型組織に蔓延りがちな責任をはっきりさせないシステム
こんだけ揃っていたら,勝てるものも勝てないね.
286 :
日本@名無史さん:03/09/15 20:14
『定説の誤りを正すスレ』
というのを立てたいのですが賛同頂けますか?
長篠の戦いの三段撃ちとか、
大和片道特攻とか
世間で信じられている歴史的事実の誤解を解くのが目的です。
私個人は通俗的知識ばかりなので
専門の方に知識を披露してもらいたいのですが。
287 :
日本@名無史さん:03/09/15 21:36
>>286 トリビアの泉っぽいスレで、俺は興味ある。
注意書きとして、ソースを出すようにしてもらった方がいいかも。
288 :
日本@名無史さん:03/09/15 21:36
阪神優勝スレが立ってないようですが・・・・
289 :
日本@名無史さん:03/09/15 22:58
文芸版からおじゃまします
明治時代初期に、ハワイ王家と天皇家の縁組を行おうとして、
結局は沙汰止みになってしまったという話を聞きました。
自分としては 「縁組が執り行われていたら?」
という可能性に大変興味を持つのですが、
いかんせん自分の知識不足のために大変悩んでおります。
かなり場違いな質問で恐縮なのですが、 次の2点について
知識の深い方のアドバイスがいただけると幸いです。
1 どのような条件が整えば、成婚しうるか?
2 その後、日本は、そして世界はどう変わることが予想されるか?
よろしくお願いします。
>>287 ソースはネット上の物でないことに限定すべきだと思う。
291 :
日本@名無史さん:03/09/15 23:11
292 :
日本@名無史さん:03/09/16 06:07
>>286 興味はあるが・・・
>>1がネタ提供など相当がんばらないと存続は難しいのでは
293 :
日本@名無史さん:03/09/16 12:01
>>282 室町幕府は、財源を商業資本に移しつつあった時代だから、領地としては少ない。
将軍家の直轄領として三河と畿内近国に散在する公方御料所が百数十ヵ所知ら
れている。このほかに南北朝戦乱の過程で敵方から没収した膨大な闕所地があり,
恩賞地として勲功の将士に配分したほか,五山禅院や奉公衆と呼ばれた親衛隊に
給与され,常備軍を養うと同時に五山の経済機構から銭貨を貢献させるという,
実質的直轄領の役割を果たした。
南北朝末期には,従来延暦寺が保有していた洛中の土倉・酒屋に対する課税権
を幕府に没収し,これを政所要脚(財政事務費)の財源とした。臨時財源として
は日明貿易による勘合抽分銭,社寺造営費や官庁営繕費に充当される段銭,
棟別銭があるほか,都市民に有徳銭,地口銭を課し,五山や南都北嶺の有力寺社
に対して巨額の出銭を命じたが,それらは幕府財政が窮乏化するに伴って重要な
地位を占めるようになった。そのほか国ごとに守護役,御家人役という出銭
を課し,それは管国内の農民に転嫁された。総じて,商工業や金融に対する
賦課が大きいのが特色といえよう。幕府が容易に崩壊に至らなかった一因も,
京都支配に伴う収益の存在が指摘される。このような財政構造は,政所執事
伊勢氏や五山を統括する相国寺蔭涼軒主が幕政に介入する余地を与えた。
294 :
日本@名無史さん:03/09/16 12:23
>>289 1、アメリカの同意。
2、大して変わらなかった。ハワイは自立を目指したが無理だっただろう。
日米友好の架け橋になった可能性はあるかも。
>>277 271殿
私は、昭和35年生まれです。
私の先生方が日教組だったのかどうかは、今となってはわかりませんが、
体罰や、修学旅行での伊勢神宮強制参拝命令は印象的です。
極左の歴史歪曲も問題ですが、現時点では、自由主義史観ら右翼勢力の
歴史歪曲・捏造が、歴史をよく知らない若い世代に影響を与えているのに
心が痛みます。
なかには、反米ということで9・11テロを肯定する若者もいるやにも聞きます。
これでは、極左と同じではないですか。
お互い、「一生勉強」ということで、学んでいきましょう。
>>289 「日本の皇室には、そのような前例がない」というのも断った理由になっているね。
297 :
日本@名無史さん:03/09/17 02:38
>>293 それってバカ博士が某スレの73・74(15日19:53)に書き込んだ事のそのまんまパクリじゃん!
まぁバカ博士のレス自体がコピペ張り付けなんだけど、そのまたコピペかよ!
バカ博士でさえ出典明記してやがるのに、オマエには呆れてものもいえない
ネタもとは同じようだけど、行列が違うから、それぞれのコピペだろう。
内容はあってそうだからいいんでないの。
つか、質問者はマルチってことか?
299 :
日本@名無史さん:03/09/17 14:18
ライフスペース糾弾スレでつか?>「定説」の誤りを正すスレ
関係ないけど「あなたの名字の由来は」みたいなスレどこに行った??
301 :
日本@名無史さん:03/09/17 19:34
黒田清隆は汚職と妻殺しと五稜郭攻めのイメージしか無いんですが、どこが凄かったんですか?
302 :
日本@名無史さん:03/09/17 19:37
303 :
日本@名無史さん:03/09/17 22:40
age
304 :
日本@名無史さん:03/09/17 23:38
日清戦争についてマッタリ議論するスレってありますか?
陸奥宗光の外交の是非
日清戦争は本当に必要だったのか?
清を弱めすぎて、ロシアの南下を早めたのではないか?
いろいろ興味深い論点があると思うのですが、どうでしょう?
>>304 立ててもいいんじゃない。色々ねたはあるよ。
>304-305
誰か、ヨロピク。
307 :
日本@名無史さん:03/09/18 09:30
>>301 しぶとく図図しい所じゃないか?漏れはあんまり好かないけど、以下のように
評価されている。
黒田清隆
明治期の軍人,政治家。薩摩国鹿児島城下に最下層の武士の子として生まれた。
通称了介。早くから西郷隆盛,大久保利通の知遇を得て,1865年(慶応1)坂本竜馬
らとともに薩長連合に尽力し世に知られる。
68年(明治1)鳥羽・伏見の戦に参加し,次いで北越征討軍参謀として,長岡城の攻撃,
庄内藩の処理にあたった。
翌春の箱館戦争にも参謀として活躍し,その際,敵将榎本武揚から《海律全書》
を託された黒田は,榎本助命を主張し実現した。
7月外務権大丞,11月兵部大丞となる。70年5月開拓次官に任ぜられるや,北海道
の開拓殖産および教育に専念する。71年渡米の後,開拓の指導者としてケプロン
を招聘,松本十郎,榎本らの助言協力の下に,クラークで名高い札幌農学校の設立,
士族救済も兼ねた屯田兵制度の導入など積極的な政策を展開した。
74年6月陸軍中将に進み,8月参議兼開拓長官に昇る。76年江華島事件が起こるや
特命全権公使を命ぜられ,修好条約(日朝修好条規)の締結に力を尽くした。
しかし81年開拓使官有物払下問題に端を発する政変(明治14年の政変)により,
黒田は内閣顧問の閑職に追われた。にもかかわらずその後も,大久保なき後の
薩摩派の領袖としての地位は確保し,88年内閣総理大臣となり,95年枢密院議長
に任ぜられた。
壮年時には薩長間の軋轢に私生活上の不幸が重なり,ときに狂態を演じること
もあったが,晩年は元老としてその任務をまっとうした。
ひいじいさんが兵隊にとられたらしいのですが、
東京の第一師団というところらしいのですが、今のどのあたりでしょうか?
東京の中心部らしいのですが。
終戦のときは第一総軍?の建物にいたとか。同じ場所でしょうか?
先祖をしのんでめぐってみたいと思います。何も残ってはいないとは思うのですが・・
風俗店が立ってたりしたら、哀しいな…
第一師団といえば2.26。
関連の本を読んだら、兵営の場所とか載ってないかな?
あの池田屋も今はパチンコ屋・・・
>日清戦争についてマッタリ議論するスレってありますか?
軍事板へ逝けよ。
最上徳内は最終的にどのような役職と石高になったのでしょうか?
>309
防衛庁とか東大生研のあったあたり?
第一師団自体は、レイテでほぼ全滅してるはず。
トクナイは普請役だったかな。
319 :
日本@名無史さん:03/09/20 03:51
浜口首相、原首相は東京駅の今で言う何番線のどの場所辺りで撃たれたのでしょうか?
320 :
日本@名無史さん:03/09/20 06:42
戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが、
実際はどうなんでしょう?
統帥権を盾に軍部が暴走をはじめたという話も、
以前に聞いたことがあるのですが。
日本史ド素人です。
とりあえず入り口として入りやすそうな、忠臣蔵、白虎隊、新撰組あたりの
小説や映画を観ようと思うんですが、数ある中で何がお薦めですか?
歴史小説は今までほとんど読んでいないので、文体が堅すぎず、
コミック的感覚で読めたり観たりできるものを探しています。
忠義に生き、散っていった、というあたりで男として燃えて泣ける熱血ぶりが
伝わる作品ありますかね?
324 :
日本@名無史さん:03/09/20 16:47
325 :
日本@名無史さん:03/09/20 16:48
>>320 不敬罪や治安維持法があっても民主主義と言えるかどうかだな。
326 :
日本@名無史さん:03/09/20 18:55
327 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:13
>>321 明治維新あたりの映像作品なら日テレ年末大型時代劇の
「白虎隊」(そのまんま)「奇兵隊」(そのまんま)「五稜郭」(戊辰戦争)「田原坂」(西南戦争)あたりはどーよ。
ほとんどのレンタル屋で借りれると思う。
小説なら定番だが司馬の「竜馬がゆく」(そのまんま)「燃えよ剣」(新撰組)あたりがとっつきやすいかと。
ただ司馬を鵜呑みにするのはお薦めできない。
>>320 讒謗律、新聞紙条例、特高警察、集会条例、内務省のマスコミ検閲その他もろもろ。
329 :
日本@名無史さん:03/09/20 22:21
331 :
日本@名無史さん:03/09/20 23:53
軍事板で聞いたのですが、
長篠の戦いの重要な点は日本初の野戦築城である
らしいのですが、本当のところどうなのでしょうか?三戦板に行った方が良いのですか?
332 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:23
日本史の辞典の購入を考えているのですが、どこのものがお勧めでしょうか?
333 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:43
>>332 細かいことまで調べたいなら、やはり『国史大辞典』でしょうが
場所をとりますし、いまとなっては少し内容が古い気もします。
1冊ものですと、『岩波日本史辞典』か山川の『日本史広辞典』が新しいところだと思います。
岩波はCD−ROM版もあります。
ただCD買うなら百科事典の方がよいという意見もあるようです。
334 :
日本@名無史さん:03/09/21 01:40
>>333 ありがとうございます。でもちょっと高いですね…。
一万円以内で日本史好きのオヤジが満足できるようなものはないでしょうか?
335 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:45
角川の「新版日本史辞典」とかはどうですか
>>321 戦国も入りやすい。ゲームだが信長の野望でもやれば。
337 :
日本@名無史さん:03/09/21 12:12
>>331 ある意味そのとおりです。鉄砲は拡大解釈されすぎてます。
338 :
消印所沢@軍板FAQ保守員 ◆z3kTlzXTZk :03/09/21 16:22
>>337 鉄砲は拡大解釈されすぎてます。もっと日本刀を評価すべき。
サヨ鈴木厨は回線切って(ry
過大評価っていいたいのか?
341 :
日本@名無史さん:03/09/21 19:33
年貢についての質問です。
戦国時代太閤検地以前は全国の石高などははっきり分かっていなかった
らしいですが、諸大名は何を基準に農民から年貢を徴収していたのでしょう?
「このくらいでいいや」
みたいに適当にやってたんですか?
あと稲が出来ない場所や林魚業などの非農業従事者からは
何を徴収していたのでしょうか?
現物?
そしてその額の基準は?
よろしくお願いします。
342 :
日本@名無史さん:03/09/21 21:28
>>341 戦国大名も検地を行ってます。
非農業民の年貢は現物納と銭納だと思います。
343 :
日本@名無史さん:03/09/21 23:13
344 :
日本@名無史さん:03/09/21 23:29
>>337-340 回答ありがとうございます。おかげで知的好奇心が満たされました。
野戦築城はもともと木柵程度だとは思っておりました。
塹壕とか蛸壺などもこれに当てはまると解釈しております。
ですがここで疑問に思ったことがあるのです。
小田原攻めの時の石垣山城は野戦築城に入りませんよね?
345 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:34
346 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:47
>>325 民衆選んだ政府が不敬罪や治安維持法を制定したなら民主主義。
無論そんな事実はないので、民主主義じゃない。
347 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:52
>>346 その理屈ならナチス政権も民主主義になってしまう。
確かに民主主義の手続きで選ばれてはいるが、民主政治とはいえまい。
348 :
日本@名無史さん:03/09/22 00:54
>>347 ナチスも当然民主主義。なのでユダヤ人大量虐殺は全ドイツ人の責任。
349 :
日本@名無史さん:03/09/22 01:02
>>347 ナチスは民主的に選ばれてる。
民主主義=善とは限らない。
与党第一党が「自由民主党」で野党第一党が「民主党」な国じゃ、
そう思い込んでもしょうがないっちゃしょうがないけど。
350 :
日本@名無史さん:03/09/22 01:10
>>349 自民党は腐りきってるし、民主党も情けない。
だからといってナチスと同列に論じられんだろう。
なんだかんだいっても、民主主義の方が独裁よりは「まだ」マシ。
つーか、ナチスが支配する社会で生きたいとは思わんよ。
351 :
日本@名無史さん:03/09/22 01:14
>>350 いやいや、自民党と民主党を出したのは、名前の話をしたんだけどね。
352 :
日本@名無史さん:03/09/22 02:23
>>350 自由と平等を尊重するということは追求することと同じだ
353 :
日本@名無史さん:03/09/22 02:28
>>342-343 ご返答ありがとうございました。
江戸時代になるまで貨幣経済は大阪などの大都市でのみ
行われていたと思っていましたが、結構地方でも
貨幣は使われていたのですね。
勉強になりました。
354 :
日本@名無史さん:03/09/22 02:50
最近、日中戦争の開始に関する本を読んで、いかに陸軍の対応が混迷していたかを知りました。
このころの組織一覧表なんかでわかりやすいHPや書籍があったら教えてください。
そんじょそこらの官僚組織よりも複雑で混乱してしまいます。
ナントカ課とか局とか。
教えて厨ですみません。
355 :
日本@名無史さん:03/09/22 08:47
世界史板から誘導されてきたんだけど、
姓と苗字って違うの?
ナチスが他の政党を禁止して一党独裁にした時点から民主主義ではない。
選挙すればいいのなら、旧イラクも旧ソ連も北も民主主義。
>>354 参謀本部は何度も改変してる上に番号であらわされてるのでわかりにくいね。
総長−次長のトップは変わらず。
部課長以下の主な改変
大正九年八月の改変
総務部長−庶務課長
−第一課長(編成・動員)
第一部長−第二課長(作戦)
−第三課長(要塞)
−第四課長(演習)
第二部長−第五課長(欧米)
−第六課長(支那)
第三部長−第七課長(鉄道船舶)
−第八課長(通信)
第四部長−第九課長(内国戦史)
−第十課長(外国戦史)
>>354 昭和十一年六月の石原莞爾による改変
総務部長−庶務課長
−第一課長(演習)
第一部長−第二課長(戦争指導)
−第三課長(作戦・編成・動員)
−第四課長(防衛)
第二部長−第五課長(ロシア)
−第六課長(欧米)
−第七課長(支那)
第三部長−第八課長(鉄道船舶)
−第九課長(通信)
第四部長−第十課長(戦史)
−第十一課長(戦法)
昭和十二年十月の改変(石原失脚)
総務部長−庶務課長
−第一課長(教育)
第一部長−第二課長(作戦)−戦争指導班
−第三課長(編成・動員)
−第四課長(防衛)
第二部長−第五課長(ロシア)
−第六課長(欧米)
−第七課長(支那)
−第八課長(謀略)
第三部長−第九課長(鉄道船舶)
−第十課長(通信)
第四部長−第十一課長(戦史)
−第十二課長(戦法)
359 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:18
>>354 陸軍省 昭和十一年の官制
大臣−次官−
人事局長−補任課長
−徴募課長
−恩賞課長
軍務局長−軍事課長
−軍務課長
兵務局長−兵務課長
−防備課長
−馬政課長
整備局長−戦備課長
−整備課長
兵器局長−銃砲課長
−機械課長
経理局 以下省略
医務局
法務局
360 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:19
>>354 昭和十四年の改変
人事局長−補任課長
−恩賞課長
軍務局長−軍事課長
−軍務課長
兵務局長−兵務課長
−兵備課長
−防衛課長
−馬政課長
整備局長−戦備課長
−交通課長
−工政課長
−資源課長
兵器局 以下変化なし
経理局
医務局
法務局
参考資料:陸海軍将官人事総覧、大東亜戦争全史の附表、陸軍省軍務局
追記
参謀本部作戦部長と第一部長は同義です。情報部長と第二部長も然り。
また参本の各課に関しても通称で書かれてることが多いです。
ex.作戦課長、欧米課長、支那課長
362 :
日本@名無史さん:03/09/22 15:41
戦前の内務省と警察の官制について
詳解された本ってないですか?
363 :
日本@名無史さん:03/09/22 20:56
阿部親王?がエロネタにされてるみたいですが、それは何故ですか?
364 :
日本@名無史さん:03/09/22 21:04
365 :
日本@名無史さん:03/09/22 22:28
守護と地頭が置かれた理由は
義経が関係してるはずですがなんでしたっけ?
367 :
日本@名無史さん:03/09/22 22:32
謀叛人追捕
368 :
日本@名無史さん:03/09/22 22:51
369 :
日本@名無史さん:03/09/22 23:14
370 :
日本@名無史さん:03/09/23 01:39
よく信長が使う
「是非もなす」というのはどういう意味ですか?
意訳と直訳教えて下さい。お願いします。
371 :
日本@名無史さん:03/09/23 01:41
>>370 「是非に及ばす」だったらよく聞くけど
そっちではなくて?
372 :
日本@名無史さん:03/09/23 01:55
是非に及ばず→やむをえない
じゃあ信長つながりで
反町が連発して以来定着しつつある「デアルカ」
これって出典あるの?
信長公記
375 :
素朴な疑問:03/09/23 16:30
柳条湖事件が1931年9月、降伏文書調印が45年9月。
その差は14です。だから、「14年戦争」と呼ぶべきなのに
なぜか1年増えて15年戦争といわれます。この1年の差は何なんですか。
376 :
日本@名無史さん:03/09/23 16:33
「足掛け15年」てことじゃないの?
377 :
日本@名無史さん:03/09/23 16:58
ようは数え年と同じ数え方。
チョソが1910年8月の日韓併合条約締結から
1945年8月の日本の敗戦までを「日帝36年」いうのも同じ。
378 :
日本@名無史さん:03/09/23 17:09
南朝と北朝ってどっちが正しいんですか?
379 :
日本@名無史さん:03/09/23 17:11
380 :
日本@名無史さん:03/09/23 17:12
>>376にも一理あるが、百年戦争というのと同じで概数でいいんじゃない?
>>377 理屈には全く同意だが、質問スレで感情的な表現はやめなされ。
384 :
日本@名無史さん:03/09/23 17:47
>>378 つか、南朝と北朝とどっちが正しいか、なんてことはマトモな歴史研究者なら取り組まない課題だ。
385 :
日本@名無史さん:03/09/23 19:33
386 :
消印所沢@軍板FAQ屋 ◆z3kTlzXTZk :03/09/23 20:04
>戦前の内務省と警察の官制について詳解された本
「特別高等警察資料」 東洋文化社
「特高月報」(復刻版) 政経出版社
「内務省史」 地方財務協会
「警視庁百年の歩み」 警視庁創立百年記念行事運営委員会編・発行
「特高警察秘録」 生活新社
以上,たいてい絶版.
387 :
日本@名無史さん:03/09/23 20:07
>>385 学界ならわかるが、学会となると特定の学会を指すことになるが
どこの学会でこういう見解が出ているのか。
そもそも
>>378の言う「正しい」とはどういう意味なのか?
388 :
日本@名無史さん:03/09/23 22:29
>>387 ほっとけ、創価だろw
学界では北朝が人気
なんで北朝が人気なの?
>389
かわいい上に歌唱力があるから
しかも性格もいいしな
北條政子って、何で苗字が「北條」で出てくるの?
当時はケコーンしても苗字が変わらないんだっけ?
393 :
日本@名無史さん:03/09/24 00:21
age
394 :
日本@名無史さん:03/09/24 01:33
>>392 変わりません。日野富子も足利富子じゃないでしょ?
395 :
日本@名無史さん:03/09/24 03:53
>>387 学会で問題無いよ。むしろこっちが一般的
396 :
日本@名無史さん:03/09/24 04:14
質問です。日本の首都における歴史的特産について教えてくださいヽ( ´ー`)ノ
397 :
日本@名無史さん:03/09/24 11:40
398 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:17
信長にしろ、秀吉・家康と言った天下人はなぜ天皇家を抹殺しなかったのでしょう?
399 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:30
>>398 井沢元彦氏の本によると、信長がそれをやろうとして結局「本能寺の変」に
繋がったとあった。家康はそれを見ていていかに天皇家を押さえつつ上手に
権威だけ利用することを考えたのでは?
400 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:34
井沢さんってウンコするの?
401 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:36
初心者は井沢元彦を読んじゃダメ。鵜呑みにすると恥をかくよ。
402 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:38
403 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:41
井沢元彦は電波でできている
404 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:43
>>398 一流の学者でも簡単に答えの出せない難問ですよそれは
仮に抹殺したとしても当時の力関係からすれば何の問題もないと思うのですが・・
406 :
日本@名無史さん:03/09/24 21:14
現代人と同じ格好をして今の都会を歩いたとしても、誰も
現代人と見分けはつかないだろう、というネアンデルタール人。
忽然と姿を消したと言われていますが、滅んでしまったのでしょうか?
それともクロマニヨンと混血して、現在でもその血は生き続けて
いるのでしょうか?
天皇をおおっぴらに討つと、全日本を敵にまわす恐れがある。
409 :
日本@名無史さん:03/09/24 21:43
410 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:15
>>398 統治の正当性という観点で語られることが多いと思うが。
どうもわからないです。。。 明確な理由が見えてこないです。
412 :
日本@名無史さん:03/09/25 13:31
>>398 滅ぼしてしまうよりもそのまま存続させて利用したほうが
色々と都合が良かったというところじゃないのかな。
信長はちょっとどう考えていたか分からないところがあるけど、
安土城に天皇のための「御座御殿」が造るくらいだから、
滅ぼすつもりなかったと思う。
秀吉も惣無事令に示されるように皇威を笠に着てるし、
家康も自らの政権の権威付けに利用している。
413 :
日本@名無史さん:03/09/25 15:14
武士は鎌倉時代まで騎射三物とかの弓馬の道が武芸の中心であったし、実戦
でも騎射戦が主流であったらしいと聞きます。それってもろに騎馬民族的だ
と思うんですがやはり武士成立には騎馬民族が関係しているのでしょうか。
414 :
日本@名無史さん:03/09/25 15:39
396ですが、4000字レポートの課題テーマにそれしかかいてなかったのです。。
415 :
本@名無史さん:03/09/25 15:40
ばかめ
あんなの実践にやくだつか!
ながくて 命中率わるく 連射がきかない、 打てる角度範囲がせまい。
長距離 脅かし専用だね(蒙古兵がびっくりしてたから)
徒歩武者のかざりだよ
416 :
日本@名無史さん:03/09/25 17:32
日本には今でも金や銀が眠っている鉱山があるそうですが、なぜ掘らないんでしょうか?
>>414=396
課題のテーマがそれしか書いていないと言うけど
どういうことを書いたらいいのか、それについて色々考えるのも
課題のうちだと思いますよ。
418 :
日本@名無史さん:03/09/25 19:18
396 名前:日本@名無史さん 投稿日:03/09/24 04:14
質問です。日本の首都における歴史的特産について教えてくださいヽ( ´ー`)ノ
こんな顔文字使って質問するようなやつには答えたくないな。
というか、宿題は自分でしろ。
>>1に加えたい。
419 :
日本@名無史さん:03/09/25 19:27
>>414 まず歴史的特産という概念がよくわからない。
また首都というが、近代の東京でも中世の京都でもよいのか?
都市としてのありようが全く異なるわけだから
このどちらでもよいというような乱暴な課題設定はあり得ないと思う。
420 :
日本@名無史さん:03/09/25 20:46
>>416 採算性の問題です。輸入品に対して、負けないくらい儲かれば掘ります。
あと理系の法則で、少しずつ散らばっている資源を人間は活用できない
という法則があるそうです。
422 :
日本@名無史さん:03/09/25 23:52
大阪を大坂に変えた理由は何なんですか?
大坂を大阪に名称を変えた理由は、でした。
>>414 レポートの課題の告知を、それ一行だけで済ませるということは、
それだけで意味が通じる人にしか提出してほしくない、ということじゃないか?
その授業の中で説明があったとか、「首都における歴史的特産」に関する
説明が、その講義の内容だったとかさ。
426 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:07
427 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:09
おたべとか?
428 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:11
近代において、明治維新と第二次世界大戦で日本は大きく二回、政府が交代しています。
交代する直前の政府は健全財政だったのですか?
もし健全財政でなかったとすれば、その債務は何処に行ったのですか?
新しい政府がチャラにしたのですか?
429 :
日本@名無史さん:03/09/26 00:35
健全な財政の政府があぼーんするわけねえだろ。
明治政府は幕府のこさえた列強からの借金を必死こいて払ってた。
>423
土にかえるで、縁起悪いからじゃないの?
432 :
日本@名無史さん:03/09/26 07:41
信濃の国の佐久の戦国期の概要を教えてください!確かあの辺は最初、伴野氏や村上氏が活躍したと思うんですが・・・
これらの豪族の江戸期の情報も!
433 :
日本@名無史さん:03/09/26 19:04
今月の歴読より
薩摩藩宛・長州藩宛の討幕勅書の内容で、
藩主島津久光→源久光
同 毛利敬親→大江敬親
と古性で表記される理由を教えてください。
又、これは勅書に限った事なのかも。
434 :
日本@名無史さん:03/09/26 20:36
>>433 勅書や宣旨といった公式文書には、私的な名乗りである苗字ではなく、
源や大江などの朝廷が賜与したウヂ(氏、姓)が用いられるのが通例でした。
加えて明治以前は「島津久光」のように苗字と諱を直結させて名乗ることは
ほとんど行われていません。
久光の場合は通常「島津大隅守」「島津和泉」などと名乗っていました。
435 :
日本@名無史さん:03/09/26 21:45
どなたか細川ガラシャ夫人の肖像画をうpしてくれませんか???
探してもみつからないんで・・・。
おねがいします!!!
436 :
日本@名無史さん:03/09/26 21:47
437 :
日本@名無史さん:03/09/26 23:23
>>439-440さん
ありがとうございました!!
今、「細川ガラシャ」を読んでいる途中だったので気になって・・・。
442 :
日本@名無史さん:03/09/27 22:40
あげ
443 :
日本@名無史さん:03/09/28 00:04
別スレで織田信長に一番似ているという肖像画を見たのですが
その肖像画を見ると、現代においても男前だと思います。
当時、美人と言われていた女性も同じように
実は現代においても美人なのでしょうか?
445 :
日本@名無史さん:03/09/29 04:00
536 :世界@名無史さん :03/09/28 11:41
日本は中国で酷いことをした。
ソースは俺が小学校のとき先生に強制的に読まされた太平洋戦争シリーズの漫画の中国編。
ストーリーは中国人の少年が「言いもうけ話がある」という言葉に騙されて
奴隷船のような列車(貨物用。ひとつみすぎで座ることすらできない。トイレもないから
垂れ流しのシーン有)で数日間運ばれ、作業場(鉱山みたい?鋤ともっこでなんか掘ってる)で
働かされる。食事は日に一度の雑穀一椀のみ。軍が見張っててサボったり倒れたりすると射殺される。
結果倒れた少年は死体棄て用巨大穴(露天掘りの鉱山跡みたいなの。相当でかい)に捨てられる。
ちなみにこの穴の中は見開き。少年は何とか息を吹き返し逃げ出す。ってのだった。
同シリーズには朝鮮編(朝鮮の女の子主人公。創氏改名を中心に差別を描く)、
日本軍の軍隊生活編(新兵を主人公。古参兵のいじめを中心に。庇ってくれた上等兵は部落出身だから
出世できないとはっきりかかれてる。中国の捕虜や民間人を捕らえ銃剣訓練の的にする。殺せなかった兵は営倉行き。)
沖縄編(逃げ惑う母子が主人公。米軍の投降勧告を聞き投降しようとした母親は後ろから日本兵に射殺される。
死体に駆け寄る子供を優しく抱き上げ「かわいそうに。ないては駄目だよ」という米兵の見開きあり)などがあり
すばらしすぎた。感想文書かされたから。日本軍いじめや虐待など酷かった。米軍は優しくて正義の使者だったのだろう?
これ教材なんだから全部本当の事描いてるんだろ?小学生の教材にまさかうそ書かないよな?
これなんだけど、マジで小学校でこんな教育してたんですか?
それ世界史のジョークスレのネタでしょ。あんまり真に受けるのもどうかと思うよ。
447 :
日本@名無史さん:03/09/29 11:20
>>446 でも、俺もはだしのゲンとセットで似たようなの読んだ記憶がある……
ちなみに俺は1980年の東京生まれ。
だからその辺の時代の東京にはこういう物が出回ってたのかもしれない。
448 :
日本@名無史さん:03/09/29 19:41
>445
まあ日教組は中共の宣伝マンだったわけだからねえ。
全くそうした話がないというわけでもないが、
戦時下ではどこの国でもやましいことをやっているし、
それを「日本軍が」と一般化してしまうことには問題あり、かと。
449 :
日本@名無史さん:03/09/29 21:18
>>448 「日本軍が」という一般化は正しくないね。
正しくは「軍隊というものはおしなべて」と一般化すべきだ。
450 :
日本@名無史さん:03/09/29 23:57
長宗我部元親の母って斎藤氏出身ですよね?
451 :
日本@名無史さん:03/09/30 01:41
嫁だろ?
452 :
日本@名無史さん:03/09/30 02:01
戦前に先祖が県会議員やってたそうなんですけど、調べる方法はありませんか?
453 :
日本@名無史さん:03/09/30 03:52
県史とかにあるでしょ。
ほかに県立図書館で調べよう。
司書にも聞こう。
454 :
日本@名無史さん:03/09/30 05:49
>>453 今東京に住んでまして・・・田舎の県立図書館まで行くのはかなりつらい!近場の図書館で調べたら県史(?)
らしきものには郡会議員とまでは載ってた(というより郡会史かなあれは)県議会議員の資料がない。一般販売されている
県議会議員名簿のようなものはありませんか?
455 :
日本@名無史さん:03/09/30 10:43
国会図書館行って聞くべし。
456 :
日本@名無史さん:03/09/30 19:35
日本史上の有名な人物が載っている図鑑・辞典のような本って無いでしょうか?
457 :
日本@名無史さん:03/09/30 19:44
想像してごらん。
日本国民の半分が黒人だったら、すばらしい国家になったことだろう。
458 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:12
>>456 簡単な解説程度でよければgooの国語辞典で出る。
どの程度の物が欲しいの?
459 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:24
>>456 角川とか岩波とか、一般的な日本史辞典ではだめなのか?
460 :
日本@名無史さん:03/09/30 21:46
徳川将軍家について質問があります。
家綱が酒井の専横で次に宮将軍が迎えられる事が検討されたときに、
堀田が、次代の将軍に4男の綱吉をたてましたよね?
この時になんで堀田は3男の綱重を擁立しなかったんでしょうか?
家康は家光と駿河公の家督相続の時に長子相続を原則とする旨を
述べたはずですが、3男ではなく4男の綱吉を擁立したのは何か
理由があるのでしょうか?
461 :
日本@名無史さん:03/09/30 21:57
綱重は家綱の死の2年前に亡くなってますが。
462 :
日本@名無史さん:03/09/30 22:06
ああ、亡くなっていたんですか。
知らなかった
蛇足
綱重の子綱豊が家宣
464 :
日本@名無史さん:03/09/30 22:16
>>463 将軍就任時に名前が変わるんでしょうか?
465 :
日本@名無史さん:03/09/30 22:27
>>464 宝永元年に綱吉の養子となった際に改名しています。
将軍就任時ではありません。
便乗質問
水戸光圀が兄の子に水戸家を相続(1690)させていますが,
時代劇などでは
水戸光圀が将軍綱吉に長幼の序を説いて,
綱吉に跡継ぎを綱豊にさせた(1704)
という筋書きを見るのですが,どの程度史実ですか。
467 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:05
光圀は1700年に亡くなってますが。
468 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:17
>>467に付け加えておくと
唯一の男子徳松は天和3年(1683)に5歳で夭逝しているので
50代半ばにさしかかっていた綱吉が
甥の綱豊を養子に迎えたのはごく自然なことだと思うが。
>>468の訂正
数えで59歳でした。
「60歳近い」と訂正しておきます。
470 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:23
>>461 横レスですけど、
すると家光は3男の綱重ではなく家綱をなぜ後継者にしたんでしょう?
家綱は上でもでているとおり、下馬将軍酒井に政務を握られて、
趣味の世界に現実逃避するほどの気弱な性質。
あえて綱重を引けて家綱が将軍職になったのはなぜでしょうか?
死後に酒井が家綱を推して就任させたのでしょうか?
471 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:26
>>460 綱吉は家綱の弟じゃなくて
家綱の兄(3男綱重)の子
だと思うが?
472 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:27
>>471 家光の男子は
家綱
綱吉
綱重だよ。
家宣と勘違いしているんだろう。
474 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:31
>>471 綱吉と家宣の区別くらいできるようになってからカキコしる
>>470 長子相続だから。
長子相続は家光の時に下した神君の意向だったし。
でも家康本人は次男秀康ではなく三男秀忠に継がせた罠。
476 :
日本@名無史さん:03/09/30 23:40
秀康は秀吉の養子になったから徳川の家督を継げなかったのだと言われますが。
このあいだ長野に旅行に行ってきたんですが、山ばっかりでした。
武田信玄は騎馬隊で有名ですが、あんな山ばっかりで騎馬は有効だったのでしょうか?
武田の騎馬隊というのは、脚色なんですか?
478 :
日本@名無史さん:03/10/01 02:11
脚色でしょう。
当時の馬は現在のサラブレッドよりは小さく…
>>478 サラブレッドよりは小さく… 山岳地形に向いた体型であった。
でも、戦闘には適さなかった
戦後の日本はノーズロ政策だった、と本に書いてあったんだけど、
一体、どんな意味ですか?
482 :
日本@名無史さん:03/10/01 02:31
つーか鎧兜で馬上にいたら馬が疲れるだろ。
馬は戦車じゃなくて、兵員輸送車なんだよ。
荷駄より鎧武者のほうが軽い。
484 :
日本@名無史さん:03/10/01 02:55
遣唐使廃止以降、仏僧たちは
どれほど海外の情勢に通じていたので
しょうか?
また、儒者はどうだったのでしょうか?
レヴェルの差はあったのかな?
485 :
日本@名無史さん:03/10/01 03:10
かなり通じてました。
何10年に一度の遣唐使の頃より
はるかに民間交流が盛んになりましたから
486 :
日本@名無史さん:03/10/01 19:26
>>458>>459 1人1人が詳しく記されていて、できれば肖像画や写真があるようなものがいいです。
>>481 >戦後の日本はノーズロ政策
既成事実を何でも後から認める。認可するって感じかな?
ノーズロとはゴルフ用語でチップインのことらしい。
やや自信なしw。
ノーズロってノーズロースのことじゃないの?
パンパンとかいう女の人がたくさんいたことと関係あるんでないかな
(ほんとかよ?)
489 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:44
>>481 http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009415420020418014.htm 第154回国会 総務委員会 第14号
○春名委員 (前略)官民のこういう癒着を防ぐためには、少なくとも、こういう行政権限の行使にかかわるようなセクションには配属しない、当然のことでしょう、そんなもの。
しかし、それは、指導します、言っていきます、そういう程度の話でしょう。
全然私は納得できないし、先ほど、地方公務員法の縛りを受けるなんて当たり前のことでして、これは定数内で入るんですから。
地方公務員法の縛りを受けるなんというのは当たり前のことなんで、そんなものは理由にならないんです。
それで、私は、本当に、国家公務員が導入したから同じように導入したらいいという感覚なのかもしれませんけれども、ノーズロと言ったら失礼な言い方ですけれども、それほど地方はチェックがないんですよ、現実。
490 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:46
http://www.asahi-net.or.jp/~zb4h-kskr/wildlife/diet156-10.html 第156回国会 環境委員会 第10号(平成15年5月23日(金曜日))
●小林(守)委員 (前略)自治体に一般廃棄物処理責任のあるごみが、民間の焼却施設を持っている産廃、一廃の業者の方 に流れていくことは可能になってくるわけですよね。
品物には一定の限界があるようですけれども、こ れはどんどん広がっていく可能性があるということを考えると、自治体の責任が非常にあいまいにさら になっていくのではないか、このように危惧をいたします。
ということになると、自治体の責任を全うする意味で、一年以上にわたり継続的に委託する場合は実施の状況を確認しろというのではなくて、私は、少なくとも一カ月に一遍ぐらいはきちっと確認しろ、継続 的にチェックするなり。
常にその現場に行って見てくるというんじゃなくてもいいから、何らかの形で確認をしておくというようなことが必要なんではないか、このように思うんですが、
一年以上になる場合には実施状況を確認しろというところは、これはちょっと余りにも間延びし過ぎているというか、ノーズロとい うか、チェック機能が果たせない問題を生じるのではないか。
491 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:48
http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9811/txt/s1109-1_11.txt 98/11/09 公衆衛生審議会健康増進栄養部会議事録
吉田室長
簡単には野放しといいますか、半分には先ほどおっしゃっていただいたように最大摂取量等の問題もございます。
もう一方では、まさになんのためにというのを今、食品はかけないわけなんですね、
そういうふうなもの一部の限定的なものについてはまさに個人個人の方々が自分の食生活の中で考えていただくときに、例えばカルシウム不足だからこういうものだなということがわかった上で買っていただいているわけです。
そういう意味で栄養素機能表示と書いてありますが、そういうふうな表示も認めるようにしておいたらと、
他方そういうふうなのをノーズロで認めますと、今度訳の分からない健康食品みたいなものを売り出すということにもなっても困りますから、
こういうふうな限定的なものについては典型的な標準に当てていくということです。
492 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:38
質問します。
東京裁判などの極東軍事裁判で証人となった人の信憑性はどのくらいですか?
特に、山下義文大将の裁判はマッカーサーによる復讐裁判だったと、何度か聞きましたが。
493 :
日本@名無史さん:03/10/02 00:54
495 :
日本@名無史さん:03/10/02 01:49
現在の価値に換算して、
昭和10年ぐらいで「1円」ていくらぐらいだったのでしょうか?
496 :
日本@名無史さん:03/10/02 06:14
>>492 人によるし、立場による。
マックの復讐裁判は、山下じゃなく本間だと思う。
497 :
日本@名無史さん:03/10/02 18:05
>>492 連合軍による連合軍のための裁判だから
ウソがまかり通ってたと思っていいだろ。
例えば本間中将の嫌疑、バターン死の行進に関する証言
>東京裁判の証人台に立った生存者の証言によると、
>行進中、日本軍による水・食糧、あるいは薬の支給はほとんどなく、
>彼らが得た食糧はフィリピン人が彼らに投げ与えてくれたものか、
>畑から勝手に取ったサトウキビなどで、
>水は道路の両側の溝や井戸から取ったものであり、
>そのような水を飲んだ者は赤痢にかかるのが普通であったという。
>しかも列を離れ井戸や畑に行った捕虜や、
>食糧をくれたフィリピン人の中には日本兵によって殺される者もいたと回想している。
ありえなーいw
498 :
日本@名無史さん:03/10/02 18:15
499 :
日本@名無史さん:03/10/02 18:29
>>498 ブサヨ工作員はさすがに反応早いなw
どうありえなくないのか言ってみな。
本間中将の人柄がどんなだったか知ってて言ってる?w
500 :
日本@名無史さん:03/10/02 18:58
ブサヨ工作員の反論はなし、と。
じゃ、本間中将はありえない証言で処刑された、が結論だね。
501 :
日本@名無史さん:03/10/02 19:05
みんながみんな暇なわけじゃないんだよ。
1日中2chに貼りついてる職業右翼と違ってね
人に責任をおっかぶせて自分だけ助かった奴もいるし、
関係のない罪まで背負い込んで、部下を助けた人もいる。
まあ人間いろいろだね。>軍事裁判
503 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:04
504 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:05
>>502 ぷ。
「ありえなくない」の根拠まだ〜?w
505 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:18
>>499 本間中将の人柄はよく知らないのだが、人柄は関係ないのではないか。
厨房諸君にはわからないだろうが(この国で組織に属して仕事をしている人ならわかると思うが)
トップは下の方で何が起きているのか把握していないことが多い。
しばらく前の雪印の事件なんかはそれを如実に示していると思う。
でも下の方で何か問題があればトップは責任を取らねばならない。
組織とはそういうものだ。
506 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:22
やれやれれ、ウヨ厨房が暴れてるみたいだな
507 :
日本@名無史さん:03/10/03 00:28
>505
反論、というより横から口を浜させていただきますが
今の争点は、本間を吊るすこと(それとも電気椅子かな?まあどっちでもいいですが)
になった証言について、その信憑性を問うているのであって、
トップの責任云々は無関係ではないですか?
本間氏個人の人柄については、ぐぐればすぐに分かることだと思いますが、
大変高潔な方だったようです。
本人の名誉のため、一言だけ。
508 :
日本@名無史さん:03/10/03 00:43
>>507 私が言いたいのは部下の行為の責任を取らされたのではないかということです。
証言の信憑性は部下の行動に対してであって
したがって本間の人柄は関係ないと言いたいのです。
>>507 どうでもいいことですが、本間将軍は銃殺刑に処せられています。
高潔な人間って隣にいてほしくないよな。そして末路が悲惨な例も少なくないよな。
511 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:21
>510
ヴサヨはそんなにまでして日本軍叩きがしたいのかよ(呆れ
512 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:42
>>511 組織の長には部下の監督責任がある。
いかに高潔な人間とて、部下の暴走を止められなかったのなら
責任を問われて然るべきだろう。
だからあなたがなすべきは
本間中将麾下の部隊の行為に関して
極東軍事裁判の立証に問題があることを示すことであって
本間中将の人格は議論の本質ではない。
別に 部下は暴走してないんだけどね
なんか やったの?本間中将の部下達は
514 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:52
>>513 >>497が挙げていることは基本的には部下の行為でしょう。
したがってこれが虚構であることを示せばよい。
>>513は単に「あり得ない」と書くだけであって、何ら立証を行っていない点に問題がある。
本間の人格を根拠に立証を放棄するなら
それは極東軍事裁判と似たり寄ったりということになろう。
個人的な感想だが。
ウヨサヨ言いだした時点で、どっちの論にも信憑性を感じなくなった。
517 :
日本@名無史さん:03/10/03 22:43
>>492 > 質問します。
> 東京裁判などの極東軍事裁判で証人となった人の信憑性はどのくらいですか?
中には田中隆吉のように、特定の人を陥れるための証言をした人もいます。
>>516 私はウヨとかサヨとかに興味はない。
議論のすり替えを好まないだけだ。
519 :
日本@名無史さん:03/10/03 22:46
お勧めの日本史の参考書を教えてください。お願いします。
520 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:00
>東京裁判の証人台に立った生存者の証言によると、
>行進中、日本軍による水・食糧、あるいは薬の支給はほとんどなく、
自分達の分もないんだけどな
>>518 議論のすりかえなんてしてないぞ
>>521 このような議論なら良いのだが
本間の人柄に話を持って行こうとするのは「すり替え」だろう。
524 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:13
>>520>>523 古代から現代までのものが欲しいのです・・。予算は8000円以内です。
お願いします。
525 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:14
教えてください。
江戸時代にどうして奉書なるものを発行したんですか?
朱印状だけじゃ駄目だったんですか?
526 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:15
527 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:16
>>524 教科書いいと思うけどな。
古代から現代まで載ってるし、友達から貰えばタダ。
528 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:23
>>526 そのスレと前スレも見たんですが参考書に関する書きこみはあまり無かったと思います。
>>527 教科書は高校時代の山川のものを持ってます。ただもう少し詳しいものが欲しいので(教科書はWW2が数ベージしか載ってない…など)
529 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:26
>>524 >>526にあるスレにあるが
「(古書で)中公の日本の歴史が全巻セットで3000円」が最適だと思う
530 :
日本@名無史さん:03/10/04 00:05
>中公の日本の歴史
はっきり言って古い。
新課程の山川の教科書の方がマシ。
ちなみに山川なら「詳説」より「新日本史」を薦める。
お金に余裕があるなら
講談社の「日本の歴史」
8000円なら
前にも書いたが岩波ジュニア新書の「日本の歴史」が良いだろう。
531 :
日本@名無史さん:03/10/04 00:12
>>521 戦後証人に立った米兵連中が「捕虜収容所まで、無法にも歩かされた」と言っていたが、
日本軍のレベルではそれが当たり前なんだから仕方がない。
軍事板の「打通さん」で有名な大陸打通なんか、独ソ戦並の戦域規模の戦場を歩兵中心
の「徒歩による機動作戦」なんだから。
まあ、本土でも食糧難の中何とか食料を確保して捕虜に牛蒡を振舞ったら「日本兵は木の
根なんざ食わせやがった」と証言されて有罪になった人もいるそうだから。(w
532 :
日本@名無史さん:03/10/04 00:14
>>525 奉書は直書である朱印状に較べて薄礼です。
将軍の権威が上がるにつれて
厚礼である朱印状は特別の目的にしか用いられなくなり
一般的には奉書が用いられるようになりました。
533 :
日本@名無史さん:03/10/04 02:38
>531
バターンの問題は歩かされたことそれ自体だけじゃなくてね、
その間、日本軍による水・食糧、あるいは薬の支給はほとんどなくて、
しかも列を離れ井戸や畑に行った捕虜や、
食糧をくれたフィリピン人の中には日本兵によって殺される者もいたという証言も
あるんだよね。
他にも
行進の間中ずっと、殴打されたり、銃剣で刺されたり、スパイク靴によつて蹴られり
ときには理由なくその列から引っ張り出されて殴打され、射殺されたり、
行進が終わってからも、彼らはオードンネル収容所でさらに虐遇を受け続けた
などなどが問題になったわけ。
534 :
日本@名無史さん:03/10/04 06:11
中高の歴史で習った戦国時代のことが、いまいちよく解りません。
戦国時代の発端とされる応仁の乱って、将軍の家督争いが発端のはずなのに、
なんで9代将軍が決まった後も戦いが、続いたのですか?
特に、応仁の乱が終結したとされる1477年以降、京都での戦乱はなくなり、
将軍継承問題も解決したはずなのに、なんで、各大名が上洛を競い合う戦国時代
になるのですか?
535 :
日本@名無史さん:03/10/04 07:43
>>533 それって全部アメリカ軍やオーストラリア軍がやった事じゃないか?
>>533 ただ 証言にも信憑性がない物もあったりして・・・
538 :
日本@名無史さん:03/10/04 08:01
>536
バターンについて言えば、「いいえ」
そっちは終戦後の日本人捕虜収容所の話
539 :
日本@名無史さん:03/10/04 08:03
>537
根拠は?
上の質問者もそれを求めているようだから、根拠を言ってやってくれ。
>>534 それまでも幕府内で有力者同士の争いが多発していました。
年表を見て下さい。
足利義満が南北朝を統一した後も様々な乱が立て続けに起こっています。
当時の人は自分が生きている間に必ず一度は戦争に遭遇した訳です。
それが全国的な戦乱にならなかったのは、有能な将軍が特定の有力者を標的にして、幕府への反乱という形にして摘んでいたからです。
これら反乱の多くは家督の相続に関わるものでした。
したがって反乱が鎮圧された後でも完全には解決せず、いわば家督の問題が根を引いていた家は日本中に存在したのです。
そして応仁の乱では将軍家そのものが家督の問題をこじらせてしまい、これによって従来の鎮圧された筈の他の有力者の家督の問題にまで火がついてしまい、全国的な戦争になると同時に将軍家の権威が地に落ちて、無政府状態を招来してしまいました。
京都での戦乱が無くなった後も将軍家および将軍を担ぐ細川家は、将軍の役割である地方への武力による統治を及ぼす事が不可能になり、細川家の中でさえ下克上が進攻して畿内も大混乱に陥りました。
室町幕府自体が将軍家が巧妙に地方の有力者を共食いさせる事で権威を保っていた政権でした。
その影響力が完全に及ばなくなったのが戦国時代に突入した理由です。
>>540 ×下克上が進攻して
○下剋上が進行して
>>540 解りやすい解説ありがとうございます。問題は、室町幕府のシステムにあったようですね。
ところで、大河ドラマ等でよく「戦に勝って京に上る」という言葉を耳にしますが、
何をするため、戦国大名は上洛を目指してたのですか?信長が室町幕府を滅ぼした時、
全国に衝撃が走ったことから考えるに、倒幕を目指していたわけではなさそうですね。
呪師(じゅし・ずし)について調べております。
寺院で祈祷・呪法を行なった僧。平安末期ごろから華美な服装をして、
仏事の余興に呪法の内容を種々の技芸で表わすようになった。
とありましたが、彼らに関する事、もしくは参考となる文献について
知っている方が居ましたら教えて下さいまし <(_ _)>
545 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:31
546 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:42
>バターン
ただ行進したのでは出るわけがないほどの捕虜死亡者が出ていては、
責任者の結果責任はやむをえまい。
証言は、不自然捕虜死亡者が多数出てたから要請されたのであって、
いきなり誰かが証言したからバターンが追求されたのではない。
タイメン鉄道でも、大量死亡者の現実がまずあって、確認のために、
証言が行われる。
BC級では、間違いもあったけどね。
ただ、それをもって、証言に間違いがある場合もあるから、
バターンの責任者に罪はないと言う論理はどんなものかと…。
>>542 実際問題として上洛を考えていた大名がどれだけいるのかは、実は疑問です。
が、それはともかく。信長以外で上洛した例としては、多分大内義興ぐらいしかいませんが、
彼の場合は今日を追われて各地を彷徨っていた前将軍義稙(義視の子)を奉じて上洛し、管領代・山城国守護となって幕政を担いました。
まあでも、こういう上洛を目指す例はかなり少ないと思います。
今川義元も実は上洛を目指して終わりに出兵したのではないという話もありますし。
>>542 京に上ることを目指し実際に京に上った大名達は、幕府の政治を左右して自らの権力を安定させ、同時に全国的な混乱を自分の意志で収拾しようとしました。
これは室町幕府時代からの守護大名上がりの武将達に見られた行動です。
実際に大内氏は上洛して将軍家を補佐していますし、今川氏や武田氏が京を目指したのは御存知の通りです。
これらは室町時代から有力な守護大名でした。
しかしながら元々が集権的幕府ではありませんでしたから、何れも単独で全国に威令を行き届かせることは出来ず、最後の方には上洛すらも実現できなくなっています。
細川氏も幕府で実力をもってきた当初から謀略的に幕府の威令を行き届かせる事に精一杯で、応仁の乱以後は自らの領地でさえ下剋上が際限無く進行してしまい、終には将軍家に付き従うだけの存在になってしまいました。
つまり本来ならば武力でもって政治を壟断して、国の混乱に終止符を打つべき役割を果せていなかったのですから、このころの足利家には将軍職の資格は無かったのです。
従って室町幕府が倒れても実際には全国的な影響は余り無く、むしろ権力の空白は新しい政権の価値観を受入れやすくしました。
織豊徳川政権が容易に全国的な支配を確立できたのも、室町幕府が最後まで残り日本の一体化を意識させつつ次の政権にバトンが渡されたという足利家の怪我の功名が有ります。
しかし徳川家が将軍職を継いだことは将軍職に伴う武威の責務も果さなければならなくなり、負けないためには最初から戦争をしない、つまり鎖国に日本を方向つけました。
明が救援を求めた時に幕臣が将軍をいさめたのは有名な話ですが、戦えば負ける可能性もあり、負ける可能性がある以上は戦うわけにはいかなかったでしょう。
逆に言えば日本が不当な圧力を受ければ斥け攻撃されれば否応無く幕府は敵を負かさねばなりません。
鎖国は結局250年の平和を約束しましたが同時期の西欧諸列強の進出からは日本が大幅に出遅れることになりました。
そして最終的には徳川家が外からの圧力と攻撃に対して役割である武威を果す事ができないことが自明となるに及んで、幕府も長い歴史に幕を下ろしたのでした。
549 :
日本@名無史さん:03/10/04 12:23
>546
ブサヨ軍ヨタは軍事板に帰れよ
550 :
日本@名無史さん:03/10/04 12:33
>今川氏や武田氏が京を目指したのは御存知の通りです。
これが「天下を取る」ための行動なのか
史料的根拠を挙げて下さい。
>>548 >今川氏や武田氏が京を目指した
世の大勢としては否定論が多いと思うが?
553 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:00
神式の葬式はありますが、神式のお墓はあるのでしょうか。
554 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:23
>>533 > その間、日本軍による水・食糧、あるいは薬の支給はほとんどなくて、
日本軍自身の水・食糧、あるいは薬が元々ほとんどないんですが何か?
それとも、日本軍の乏しい資材を惜しまず分け与えて日本兵は餓死するのがその場にお
ける最も人道的な処置だとでも?
そしたら在フィリピンの日本軍が全滅して米比軍のフィリピン防衛作戦は大成功ですな(w
> しかも列を離れ井戸や畑に行った捕虜や、
> 食糧をくれたフィリピン人の中には日本兵によって殺される者もいたという証言も
> あるんだよね。
まあ、現地の民間人殺害は大問題だが、捕虜が勝手に列を離れるというのは脱走の意思
ありありと解釈されても仕方ないんでないかと思われ。
> 他にも
> 行進の間中ずっと、殴打されたり、銃剣で刺されたり、スパイク靴によつて蹴られり
> ときには理由なくその列から引っ張り出されて殴打され、射殺されたり、
そんなこと、未だに運動部のシゴキとかで起こるじゃん。さすがに死人が出るのはごく稀な
話だけどね。
だから、集団レベルに限れば現代の日本人も非難する資格なし。
つーか、極端なこと言えば当時の日本人の生活レベル自体がアメリカ人にとっては虐待レ
ベルだと言う罠。何しろ向こうは平均国力25倍だからな。(w
555 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:25
>>553 お墓は造らず、社で祀るのではないでしょうか
556 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:42
>554
水をくれたり食糧をくれたりしたフィリピン人を射殺した件については
責任を認めるわけだね?
とすると、なんで射殺したのか?ってことになるよね?
シゴキで負傷すれば現代の日本でも教師は処罰されているが?
あとね、捕虜が水を要求したり食糧を要求したりして、
敵の食糧をなるべく減らす事は、捕虜としての義務の一つ。
それについて射殺や暴行で応えたりすれば、当然問題になるよね?
557 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:52
>>554 つまりあなたは、日本軍が、
>>533が言うようなことを行ったことについては、
事実と認めるのですね。法を破ったら裁かれても文句は言えまい。
あなたの日本軍に対する弁護は、盗人にも「三分の理」があると言ってる
に過ぎない。
558 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:00
捕虜の扱いなんて何処の国でも似たり寄ったり。
559 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:04
バターン死の行進の件は
このスレの趣旨にそぐわない状況になっているように思います。
別スレを立てるか、軍事板に逝かれた方が宜しかろうと存じます。
結論は、勝てば官軍って事で
562 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:55
>>561 禿げどう!国際法に反したのは事実。
>>554のようなレトリックで情状酌量を求めても、
敗戦国なだけに通るわけが無いw
563 :
日本@名無史さん:03/10/04 23:07
東南アジア方面での簡易裁判で戦犯とされて
処刑された人達は可哀そうだね。
>556
現代日本の教師との比較はちょっとどうよ。
565 :
日本@名無史さん:03/10/04 23:40
>>561-564 専用スレが存在することが明らかにされているのだから
そちらでやっていただきたいものだ。
566 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:23
>>556 >>557 だから、あなた方は「日本兵は餓死しても構わないから、乏しい食糧は捕虜に与えるべき
だ」と思っておられるかどうか先ほどからお伺いしているのですが。
つーか、
>水をくれたり食糧をくれたりしたフィリピン人を射殺した件については
>責任を認めるわけだね?
なんて書かれると漏れが本間将軍に代わって責任を追及されているように感じるな(w
そもそも、日本側には捕虜に捕虜としての義務をまともに遂行されたら日本兵が餓死するよ
うな物資しかないし、日本軍の最高の給養水準は米軍の並以下の給養水準でしかない。
少なくとも、「盗人にも三分の理」なんて優雅なことを言えるほど余裕はない。
捕虜の給養が不十分だったのは事実だろうが、トラックの台数も含めて始めから「あれもこ
れも」でいけるほどの国力はなかったんだから本間個人の責任範囲を越えている。
それは必ずしも褒められたことではないが、捕虜を日本兵以上に優遇した給養水準で食べ
させるために部下を餓死させる司令官がいたとすればそっちの方が問題だと思われ。
そんな司令官は、敗戦後まで待たずに日本軍内で裁かれてしまうよ。
567 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:25
568 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:34
>>566 > だから、あなた方は「日本兵は餓死しても構わないから、乏しい食糧は捕虜に与えるべき
> だ」と思っておられるかどうか先ほどからお伺いしているのですが。
当然だ。黄色いサルなんぞ、ナンボ死んでも構わん。
アメリカ人の人命こそが重要だ。
だから、本間なんぞ銃殺されて当然の鬼畜野郎だ。
フィリピン人は捕虜に食料を与えようとしたのですから
本当に食糧は不足していたのでしょうか?
また捕虜を移動させる必要性はあったのでしょうか?
不必要な移動なら捕虜虐待といわれても仕方がないでしょう。
本間擁護派はこのあたりを明らかにすべきでしょう。
570 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:59
教えてちゃんで悪いのですが、質問よろしくです。
西郷隆盛の妻いと、はある小説では再婚である、
となっていたのですが、それって本当でしょうか?
つまり、初婚の西郷と再婚のいとが結婚したってことになるんですが。
ちょっと気になって調べてみたんですが、
よく分からないままです。
よろしくです。
ここが初心者スレということを忘れている方たちが・・・
ここで議論してると初心者が質問できないでしょうが
議論するならしかるべきスレを探して誘導を
>>570 >教えてちゃんで悪いのですが、質問よろしくです
ここはそのためのスレですので気にせずに
おそらく記憶違いかと
再婚だったのは隆盛の方ですね
573 :
日本@名無史さん:03/10/05 01:28
>>569 食料が不足してたのは日本軍と、バターンから出てきて捕虜になった米比軍。
そもそも、バターン半島はコレヒドール島のように要塞化されていたわけではなく、地勢とジ
ャングルによって守られていただけだから米比軍もこの戦いに関しては食料の事前備蓄が
十分だったわけではない。篭城末期はフィリピン軍の兵士に食べさせる米が欠乏を始めて
おり、もしあの時点で降伏しなければいずれ飢餓状態に陥ることが予想されていた。
一方、攻める日本軍も伝統的に兵站を軽視していたので自分たちの食い扶持で精一杯。
後知恵かつ非人道的な話になってしまうが、もし米比軍が降伏を申し出ても受け入れずに
包囲を続けてれば戦闘状態が継続していたわけだから米比軍が何人死のうが非難されず
に済んだのかもしれない。(w
そして、捕虜移動の是非については現地が不衛生なジャングルであることから、そこに収
容所を作っても日本軍の能力では衛生状態の改善は難しいし、第一新たに収容所を作っ
ている間に捕虜がその場でマラリアや飢餓で死に始めてしまう。
だから、「当然ベストとは言えないだろうが、日本軍の身の丈に合う範囲でのベターな選択」
と言うか、「日本軍の兵站力ではあの程度のことしかできなかった」と言うべきだろう。
言い換えれば、日本軍が捕虜を取ることは身の程知らずの行為。
>>572 レスありがとう!
確かに、「いと」との結婚の前に、「愛加那」と同棲していたんですね。
ずっと前に読んだ小説(どれだったか覚えてないんですが)で、
西郷が奔走している時、「いと」のこしいれを目撃して、
おれもこんな嫁さんがほしい、と思ったら、
後年再婚の「いと」と結婚することになった、
という状景が描かれていました。
でも、他の西郷の小説を読んでも、そのことが書いてなくって、
ずっと不思議に思っていました。
どうもありがとうです!
>>573 いい加減に世界史スレへ行ってください。
>「日本軍の兵站力ではあの程度のことしかできなかった」と言うべきだろう。
>言い換えれば、日本軍が捕虜を取ることは身の程知らずの行為。
日本軍の判断ミス・能力不足・教育不足ですから、責任者が責任取るのは当然。
捕虜も扱えないなら近代戦争に参加しないことです。
本間がかわいそうなら、かわりに最高責任者の大元帥様が責任を取ることになりますよ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1058939336/ 世界板のここで待ってますから、好きなだけどうぞ!
ここは、初心者質問スレです。
一般的・通説的な解答を出す場であり、少数意見を主張する場ではありません。
>>575 そんな事言われると余計粘着したくなっちゃうな〜(・∀・)ニヤニヤ
577 :
日本@名無史さん:03/10/05 10:24
>566
フィリピン人を射殺した言い訳に全然なってませんよ。
食糧提供者まで射殺暴行したということは、最初から捕虜への悪意があったととられて仕方ありませんな。
>575
そこはコヴァの巣窟になってないか?
578 :
日本@名無史さん:03/10/05 10:40
>そこはコヴァの巣窟になってないか?
ならば日本史板でスレを立てればいいじゃないですか。
あなた方が反論するから、いつまでも議論が続くのです。
別スレ立てて、そちらに議論を誘導すべきでしょう。
579 :
日本@名無史さん:03/10/05 11:40
「冷飯食い」っていうけどさ
茶漬けにすると美味いよな>冷や飯
そんな悪いものじゃないと思うよ?
580 :
日本@名無史さん:03/10/05 11:42
たまに食べればね。
581 :
日本@名無史さん:03/10/05 14:14
新選組と新撰組ってどっちが正しいんですか?
582 :
日本@名無史さん:03/10/05 15:40
素人なんですが講談社の日本の歴史シリーズの内容は
鵜呑みにしてしまっていいんでしょうか?
0巻だけ読んでみたんだけど思想が偏ってる感じがして…
日本の歴史が深く学べてあまり政治思想の匂いがしない本があったら教えてください。
583 :
日本@名無史さん:03/10/05 15:47
>>582 0巻はちょっと別扱いした方がよいように思いますが。
前方後円墳の向き、方向ですね。
なぜあんなにばらばらなの?
何を基準に決められたのかな?
ご存知の方いらっしゃいますか。
585 :
日本@名無史さん:03/10/05 17:43
>>582 吉川弘文館の日本の時代史シリーズはどうよ
586 :
日本@名無史さん:03/10/05 18:29
>>585 ひとつの巻を分担執筆していますから
その巻で扱う時代をトータルに見ることができないという弱点があるように思いますが。
587 :
日本@名無史さん:03/10/05 18:37
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588 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:16
極東裁判以降、東条と言う苗字を聞かなくなったのは、日本中の東条姓をもつ人たちが
先を争って改名したからだというのは事実ですか?
ドイツでも、法律でヒットラー姓の人は改名を許されたと聞きます。
589 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:23
>>588 婚姻と養子縁組以外で
姓を変えるのは困難ですよ。
590 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:42
>>589 確か、日本の法律でも凶悪犯と同じ姓名、例えばロス疑惑の三浦和義、の人は、
改名理由として認められていたはず。
侵略戦争の責任者以上の凶悪犯はいないわけだから、東条も改名が認められた
としても、不思議ではない罠。
因みに、中国韓国のマスコミ出版業界では、東条=TOJO は、欧米のヒットラー
に相当するNGワードだ。観光でかの地に行ってマイネームイズトージョーでは、
しゃれにならん罠。
591 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:50
そういえば「田中角栄」氏が改名を認められたケースがあったと思う。
592 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:56
>>591 その名をつけた親は確信犯だよな。生まれた息子の名を、有名な代議士にあやかって
角栄にしたは良いが、後にロッキード疑獄で不名誉な名前になったからって、また改名
だもんなw
593 :
日本@名無史さん:03/10/05 21:58
594 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:03
>>593 親が社会を揺るがすような重大犯罪をした場合、その子女は社会的保護の理由から
改姓が許されたはず。
595 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:06
>>594 西条秀樹という名も、東条と同姓同名はヤバいということで、西条に変えた
というのは有名だぞ。
596 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:13
>>594 戸籍法107条は
「やむを得ない事由によつて氏を変更しようとするときは、戸籍の筆頭に記載した者及びその配偶者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない。 」
と定めている。
要は家庭裁判所が「やむを得ないと」認めるかどうかだ。
>>595 西条秀樹もググルと3200件引っかかるからそれなりに有名なんだな。
まあ西城秀樹には及ばないけど
598 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:34
>「やむを得ない事由によつて氏を変更しようとするときは、戸籍の筆頭に記載した者及びその
> 配偶者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない。 」
こんな例は改姓OKでつか?
山岸麻里が、五味田姓と結婚、五味田麻里(ゴミタマリ)に。
599 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:43
>>598 そもそも婚姻の際に「山岸」姓を選ぶこともできたわけだから
「やむを得ない」とは言えないと思うが。
600 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:47
601 :
日本@名無史さん:03/10/06 02:10
要は裁判所の気分次第というところ。
たとえば猿渡さんからの改姓例があるけど、理由は「猿が渡る」ということに対して許可が下りていた。
でも知り合いに同姓の人いるし、べつにそれほどおかしいとも思わないので明確な基準はない。
602 :
日本@名無史さん:03/10/06 10:00
>>582 講談社シリーズはわりといいよ。いろんな主張が入っていて、編集委員に
強制されてはいない。巻によっては、天皇号の時期が違ってたりして、
学問の自由は保障されている。
特に、奈良・平安・鎌倉あたりはおもしろかった気がする。
0巻は、CMも兼ねてるから、網野氏がわざとインパクトのあるネタを集めて
好きに書いたって感じ。
古代はわりと保守的。
603 :
日本@名無史さん:03/10/06 15:58
>>602 > 講談社シリーズはわりといいよ。いろんな主張が入っていて、編集委員に
> 強制されてはいない。巻によっては、天皇号の時期が違ってたりして、
> 学問の自由は保障されている。
それって、ある程度知識を持った人が視野を広げるために読むには良いが、全くの初心者
に読ませるには問題ありありな気がする。
元々の内容が違いすぎるので比較するのも何だが、それじゃ学研の赤本シリーズと大差な
い編集方針じゃないか?
あれも、著者によって一事象の解釈がえらく違う場合があるし。
604 :
日本@名無史さん:03/10/06 18:27
旧制医専についよくわからないのですが
修業年限は何年ですか?
本科と予科の別があったのですか?
地震臨時板から失礼いたします。
とあるアマチュア地震予報サイトに以下のような記述が発見されました。
>戦国時代には、少女に果実食をさせ、その尿を愛飲するのが流行していた。
これは真実なのでしょうか?
気になってしかたありません(;´Д`)ハァハァ
606 :
日本@名無史さん:03/10/06 21:06
>>605 中国の皇帝にそんな話がありますな。
誰だかは忘れましたが、寵姫に桃ばっかり喰わせ、
桃の匂いがする尿をさせてそれを愛飲してたとか。
609 :
日本@名無史さん:03/10/07 17:03
水戸黄門に出てくる黄門御一行の連中の
正式な階級というか身分が知りたいです。
助とか格とか八兵衛とかの。
助格は士分だと思うんだけど、どの程度の家柄なんだろうとか
矢七たちの身分も。
特に気になるのは八兵衛。こいつ武士なんでしょうか?
本来漫遊に出る前はどんな身分なんですか?
教えてください。
610 :
日本@名無史さん:03/10/07 19:34
水戸黄門は、全国を回ったことなんてなく、
水戸領内を巡察しただけ、と聞いたことがある。
助さんか格さんかは、モデルらしい士分の人がいたらしいが、
それ以外は完全な創作なんじゃない?
だれか詳しい人の補足をキボンネ。
611 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:17
矢七はたしか元盗賊
黄門様が水戸からいちばん遠くへ行ったのは
箱根だか熱海だかの湯治ってのは有名な話だね。
613 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:25
>>609 >>610 「水戸黄門」は完全な創作です。光圀自身は鎌倉より遠くに行ったことはないそうです。
光圀が編纂させた歴史書の史料集めに各地に派遣された家臣たちのうち、
佐々介三郎と安積覚兵衛という人物が助さん格さんのモデルだと言われていますが、
名前が似通っているというだけのことです。
八兵衛や弥七はもちろん架空の人物です。
614 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:29
>>610 領内の巡察もやっていないと思う。
水戸藩は定府だから、藩主在任中は不可能だし
隠居後は大日本史の編纂に忙しかったはず。
615 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:34
山室恭子著「黄門さまと犬公方」によれば、隠居後の領内巡視はやったらしいよ。
ただ、現場の役人たちからは「よけいなことを」と相当嫌がられたらしい。
616 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:12
いや、架空だっつーのはみんな知ってるだろ
設定がどうなってるのか知りたいんじゃないの?
はちべえは士分じゃなくて毒見役って聞いたことあるけど
617 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:14
>>616 そりゃ板違いじゃねえの?時代劇板があるじゃん。
618 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:34
水戸黄門なんて最低
身分をかさにきてえばり散らして土下座させて
すごく不愉快な設定。光圀は性格悪すぎ。
人は全て生まれながらに平等なのに。
日本人は世界一の差別主義者であるということがよくわかる。
また、黄門に限らず時代劇は人をすぐに斬ってしまう。
いくら悪事をなしたとはいえ、まず話し合いそしてちゃんと正当な方法で裁くべき。
当時から日本がいかに野蛮だったかがよくわかる。人にかご担がせたり、野蛮。
当時の西欧諸国はこんな無法で野蛮な行いをしなかった。
こんな野蛮なものを見て喜んでいるなんてさすが過去を恥じない日本人だ。
アジアの人々にした残虐な仕打ちを忘れ金に物を言わせてアジアの人々の経済を圧迫し
文化を奪う最低な国であることの証明。
そもそも「出会え」といわれて出てくる、
あの切られてる人は主君の命令に忠実な善人ではないか。
彼らに罪は無いのに命を奪い平然と大段英にするなんて信じられない神経だ。
619 :
日本@名無史さん:03/10/08 01:08
本当の隠密こと間宮林蔵について質問です。
彼の跡目は甥が継いだらしいのですが、
その際に扶持米は減らされなかったのでしょうか?
リンゾウだからこそ過分な待遇を得たと思うのですが。
そして彼のことを老中も庇護していたらしいのですが本当ですか?
身分的にありえるのでしょうか。
620 :
日本@名無史さん:03/10/08 01:24
>>619 林蔵は百姓でしょ、誰かに召抱えられたの?
621 :
日本@名無史さん:03/10/08 01:32
>>618 そうね、時代劇はすぐ人を斬るね。
でも現実は、そうでなかったらしい。
無礼討ちの特権が武士にあったらしいけど、実際に斬ったりしたら大変。
町人や農民に訴え出られて、面倒なことになり
結局なんだかんだ理由つけられて、武士は藩から解雇されたらしい。
奉行や代官の不正もほとんどなかった、と聞いた。
時代劇が史実ではないよ。
>日本人は世界一の差別主義者であるということがよくわかる
どこの国でも昔は身分制度があったでしょー。
西洋でも東洋でも、王様も貴族もいたでしょう。
インドでは今でもカーストとかひどそうだし。
>当時の西欧諸国はこんな無法で野蛮な行いをしなかった。
>アジアの人々にした残虐な仕打ちを忘れ金に物を言わせてアジアの人々の経済を圧迫し
>文化を奪う最低な国であることの証明。
キリスト教の名をかたり、南北アメリカ大陸で
ヨーロッパ諸国がやったことの方がすごいと思う。
時代だと片付けるのは悪いかもしれないが、帝国主義の国家って
膨張と力が正義だったんだよね。
やらなければやられる時代だったのかも。
いい意見だと思うけど、一方的で、独善的、偏狭な意見だと思うよ。
622 :
日本@名無史さん:03/10/08 11:57
煽りにマジレす・・・
623 :
日本@名無史さん:03/10/08 12:11
天領の代官って学者みたいな温厚な奴が選ばれたらしいから
マジで悪代官っていなかったらしいぞ
「胡麻の油と百姓は〜」なんてのはホントにいなかったらしい。
どうも不正とか汚職とかは現代のほうがはるかに多いようです
代官だけが汚職をするわけではあるまい。ネタにしても酷いな
625 :
日本@名無史さん:03/10/08 19:31
江戸時代の大名達は江戸城に登城したあとはなにやってたんですか?
○○詰とかいうので実際つめてたんでしょうけど、そこで何してたの?
世間話かなんかですか?
あと、その間、各家の家臣たちもなにしてたんですか?
>>625 登城して大名がやることは公方様へのご挨拶です。
その他に老中などへの報告や指示を承るなど。
家臣はその際の祝辞、贈り物、衣服などの段取りを整えたり
他大名や幕府役人との打ち合わせを行います。
もちろんのその合間を縫って他家との情報交換を行います
627 :
日本@名無史さん:03/10/08 20:38
627の佐久間象山には耳あるね。
631 :
日本@名無史さん:03/10/08 21:21
江戸幕府が最後に取り潰した藩は長州毛利家という認識でいいんでしょうか?
あと、最初に取り潰された藩ってどこですか?
632 :
日本@名無史さん:03/10/09 01:04
昔の人はどうやって体重を量っていたの?
よく体重○○貫、って書いてあるけど
あれは大体の感じを書いているの?
大きな天秤の片方に人を乗せて、
もう片一方に重りを乗せていって、
つりあったところで、ああ何貫だ!
とする方法くらいしか思いつかないんだけど。
633 :
日本@名無史さん:03/10/09 10:56
634 :
日本@名無史さん:03/10/09 10:57
>>632 そうやって量っていたのかねぇ。
「千木ばかり」は皿ではなく鉤をつってはかるはかりで、重量のものをはかる
のに使用した。千木ばかりには「2貫目千木ばかり」「3貫目千木ばかり」以下
「5貫目、10貫目、15貫目、20貫目、30貫目」の7種類があって、2貫目から32貫
までをはかった。100キロ以上はかれるね。秤は、勝手に作ったら重罪だそうです。
これに布袋か何かでぶら下がってたんでないかな?
635 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:26
天皇って民事、刑事責任を問われないってほんと?
636 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:29
>>635 本当だよ。
たとえ殺人を犯しても逮捕すらできない。
637 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:36
638 :
日本@名無史さん:03/10/09 21:40
639 :
日本@名無史さん:03/10/09 22:06
>>637 皇室典範の摂政免責規定からの類推で在任中は訴追されないという見解が
通説のようです。現在の仕組みだと譲位がなく死ぬまで天皇ですから、
「天皇は刑事責任を問われない」は成立するようです。
一方、民事責任は問われるらしく、何度か、誰かが訴えて、
門前払いされてるようです。こっちは、検索すれば当たるかもしれません。
↓
「天皇の刑事責任を免責する明文規定はないが、摂政について皇室典範
がその在任中訴追されないと定めている(21条)ことから類推して、
天皇もその在任中は訴追されないとすることができる。
他方、天皇の民事責任を否定する理由はない」(某事典より)
質問!
上杉討伐を決めた家康が関東下向する際に従ったメンバーのうち、
【?】がついている人が何者か、来歴分かる人教えてください。
織田有楽斎、子息河内守、山名禅高、金森法印長近、同出雲守可重、山岡道阿弥、羽柴越中守、子息与一郎、
京極侍従、池田三左衛門、同弟備中守、同吉左衛門、有馬法印、子息玄蕃頭、伊賀侍従、福島左衛門大夫、
子息刑部少輔、【?】舎人掃部、浅野左京大夫、徳永式部卿法印、子息左馬助、蜂須賀長門守、黒田甲斐守、加藤左馬助、
藤堂佐渡守、佐久間河内守、【?】石河伊豆守、【?】赤井五郎、【?】岡田助左衛門、丹羽勘助、【?】中川半左衛門、
三好為三、【?】大島雲八、【?】長谷川甚兵衛、金松又四郎、【?】三好新右衛門、【?】船越五郎右衛門、
【?】平野九左衛門、池田備後守、子息弥右衛門、【?】佐々淡路守、本多若狭守、【?】落合新八、【?】森宗兵衛、
【?】中村又蔵、【?】能勢宗左衛門、【?】清水小八郎、【?】柘植平右衛門、【?】佐久間久右衛門、【?】舎弟権八、
戸川肥後守、宇喜多左京亮、【?】野間久左衛門、伊丹兵庫頭、藤堂宮内少輔、生駒讃岐守、田中兵部少輔名代中村彦左衛門、
山内対馬守、堀尾帯刀、子息信濃守、一柳監物、【?】津田長門守、【?】同小平次、【?】富田信濃守、古田兵部少輔、
稲葉蔵人、古田織部正、市橋下総守、九鬼長門守、桑山相模守、亀井武蔵守、寺沢志摩守、【?】石川玄蕃頭、【?】天野周防守、
奥平藤兵衛、【?】河村助左衛門、【?】山城宮内少輔、【?】佐藤三河守、村越兵庫頭、【?】別所孫次郎、本多因幡守、
松倉豊後守、【?】神保長三郎、【?】秋山右近、【?】野尻彦太郎、仙石少弐、分部左京亮、施薬院、水野河内守、
【?】佐々喜三郎、山岡修理、【?】岡田勝五郎、【?】箸尾半左衛門、大野修理亮
641 :
日本@名無史さん:03/10/10 05:51
>>640 三好新右衛門は、三好一族の庶流で長房の子・長直の孫。1554-1614、丹後守・従五位下。三好笑岩・信長・秀吉に仕え、朝鮮で武功を挙げました。
関ケ原でも戦功があり、河内2300石を与えられ家康の御相伴衆となる。
642 :
日本@名無史さん:03/10/10 09:02
神保長三郎、こいつ確か大阪の陣で味方のはずの伊達軍に後ろから
一斉射撃くらって全滅した神保だろ?
前日に神保が伊達政宗になんかむかつくこと言って政宗の機嫌が悪かったとか、
ホントに敵だと思って撃って、途中で味方だと気づいたんだけど
とがめられるのが怖くて殲滅しろって命令出したって言われてるけど。
政宗どう考えても酷い奴だよな。
ちなみに伝承だと真田十勇士の海野六郎が長三郎の旗を持って同士討ちを謀ったて言われてる
実際どうなんでしょうね
643 :
日本@名無史さん:03/10/10 09:24
>>640 『寛政重修諸家譜』を見ましたか?
これである程度はわかると思いますが。
644 :
日本@名無史さん:03/10/10 09:36
645 :
日本@名無史さん:03/10/10 11:49
>>640 横着しないで自分で調べろ。
めずらしい人物いないよ。
「たとえこのみは〜にちろうとも、〜の花とならん」の歌全体を教えてください。
高杉晋作の歌だって言われたけれど、調べてもなかったんです。よろしくお願いします。
>>647私ですか?ごめんなさい。哲学板から来たのだけれど
名無しさんを変えてませんでした。
649 :
日本@名無史さん:03/10/11 17:34
誤解かもしれないけど、高杉晋作は長州藩の維新志士で奇兵隊とかを
作った人。
651 :
日本@名無史さん:03/10/11 21:14
>>646 吉田松蔭
「身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちるとも 留めおかまじ 大和魂」
のことを言ってるのかな?
>>651そんな感じなんですが、
>>646そのままの歌があるらしいんです。
高杉晋作さんの歌が載ってるHPにもなかったので、
歌っぽい台詞かもしれないし、他の人の言葉なのかもしれません。
御回答ありがとうございます。
653 :
日本@名無史さん:03/10/11 23:25
>>652 あなたは歌とおっしゃっていますが
五七五になっていませんし
都々逸なら、3・4、4・3、3・4、5というリズムになるはずですが
これとも違いますね。
何だか記憶違いがあるのではと思いますが。
徳川光圀って いつから水戸黄門って呼ばれたのですか?
在世中(中納言辞任?)から呼ばれたのかなあ
他に国内で黄門と呼ばれた人は居ますか?
教えて君でスマソ
655 :
日本@名無史さん:03/10/12 02:59
>>654 一般的には呼ばれたことはないでしょう。
水戸黄門という呼称は、死後講談等で流布したものです。
656 :
マジで助けてください:03/10/12 03:10
すみません・・・リア工房なんですが、今度の中間テストでの日本史についてなんですが
まったくというほどノートをとっていなかったらぜんぜん分かりませんデイした・・・
すみませんが教えていただけないでしょうか
@、鎖国をといた日本がアメリカと結ばされた条約を不平等条約だというがそれはどのような内容であったか
A明治政府の視察団が見た、発展するヨーロッパ諸国の経済力のもとになる植民地はどのようなものだったか
B鎖国状態にある朝鮮と国交をはじめようとした日本の目的はなんだったか
C朝鮮を開国させるために何を行ったか
F日露戦争で日本が得たものはなにか
G日本による朝鮮の植民地支配はどのような経過で行われたか
H満州事変はどのような出来事か、そしてそれを起こした日本の目的は何か
J満州事変をきっかけにして日本は中国大陸でどのような行動を取ったか
K太平洋戦争が始まるきっかけは何か、日本はどのような状態であったか
多いんですが心の広いかたお願いできないします
ちなみにこの程度ぐらいです
D日清戦争を始めた日本の目的は何か、そしてその結果は日本と清国にとってどのようなものであったか
目的ー朝鮮に対して指導力を持つ
清国(中国)を追い出すため→日本勝利→下関条約を結ぶ↓
「中国は朝鮮から手を引く」「遼東半島を日本に譲る」「三億円の賠償金を日本に支払う」
657 :
日本@名無史さん:03/10/12 03:23
>>656 うーん。素直に教科書読むか、友達にノート見して貰う方が良いと思う。
とくにGとかKとかは、出題者(先生)の意図する模範解答とは、
まるで正反対のレスが返ってくるおそれが多分にあるし。
>>653そう思います。ありがとう。色々調べたり考えたりしてくださった
皆さん、本当にありがとうございます。
不正確な内容かもしれないことで、悩ませてごめんなさい。
>>646は取り下げます。お世話になりました。
>>656 つめたく聞こえるかもしれないけど、657、658に同意です。
@みたいに、「関税自主権の放棄」と「治外法権を認める」という、高校レベルのテストの定番みたいなのはいいとして、C、J、Kとかは突き詰めていくとキリがないしね。
学校で教わるのは「受験のための歴史」で、大学や趣味で学んでる歴史とは微妙に違いがあるわけで、これは文系に共通することかもしれないけど、数学みたいなきまった答っていうのがない。
そこで文部科学省なり大学なりで「この問題にはこういうポイントを押さえてあったら点数を加えよう」っていう一定のマニュアルみたいなのがある。
それを教えてくれるのが学校、もしくは予備校なわけで、実際今受験勉強をしている人に聞いた方が一番効率がいいわけです。
答える側としても趣味や研究でやってて、はっきりとは覚えてないけど、たしかこうだったはず、って思って答えるからこそ、こういう不特定多数の掲示板にカキコしてるわけで、受験のようにポイントがきまってる問題に対しては解答しづらいし…(^_^;
そういうわけで、クラスの中でできるヤツに教えてもらうなり、ノートを借りるなりしてくださいな。
最初は話しづらいかもしれないけど、聞かれる側としては(よっぽど急いでる場合を除いて)人に聞かれて悪い気はしないし、教えていて自分も学ぶことがあるってのを知ってるだろうから、結構教えてくれるものですよ。
ありゃ、659の書き込みがあったんだ。
よけいなこと言って、ごめんね。
勉強、頑張って下さいね。
>>656 それにしても高校の中間テストの範囲にしちゃずいぶん広いな。
幕末から太平洋戦争までか
すみません・・・火曜日テストなんです・・・
分かるとこまででいいので教えていただけないでしょうか?
お願いします
666 :
日本@名無史さん:03/10/12 19:18
すみません・・・なぜか現社の教科書しかもらっていなくて・・・
授業はすべて先生の話&板書のみというので・・教科書ないんです;;
お願いします 助けてください・・・
668 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:06
>>667 なぜ教科書がないのかよくわからんが
大きな書店に行けば、山川の「詳説日本史」は売っているはず。
あるいは吉川弘文館の「概論日本歴史」はほとんど教科書のようなものだから、これを買いなさい。
669 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:24
今回のテストで
人物名やその人物が何をやったかというのを問われる
問題が出題されるのですが
なにぶん時間がないものでこういう事が詳しく載っている
本とかはありませんでしょうか?
本当に勝手な質問で申し訳ございませんがアドバイスを頂けましたら
幸いです。 宜しくお願い致します。
なお教科書は山川です。
670 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:33
>>669 簡便なのは山川の用語集。
もう少し詳しいのは角川や岩波の日本史辞典。
いちばん詳しいのは国史大辞典。
671 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:34
672 :
日本@名無史さん:03/10/12 22:43
>669
教科書もないんだったらあきらめろ。
おまえは人間の屑だな。
673 :
日本@名無史さん:03/10/12 23:09
>>672 おいおい、
>>669は教科書は山川って言ってるぞ。他のと混同してる。
>>669 高校のテスト〜大学入試(ただし早稲田などの一部私大の入試で高得点をとろうとする者を除く)なら山川の用語集で十分だ
し、高校のテストには山川の用語集が一番と思う。
>>656 教科書を買わないところなんてあるんだ…
今の文部科学省ってそういうの認めてるのかなー?
俺が高校の頃は、授業で教科書を使わなかった科目はあるにはあったが(科目は生物で、板書+問題集がmain)、一応教科書は買わされたぞ。
市販されてる参考書に比べてショボかったんで、ほとんど使わなかったけど…
>>656 調べるものがなくてどうしようもないのならググってみれば?
例えば、@なら「日米和親条約」とか「日米修好通商条約」とかで。
すると、片務的最恵国待遇(日米和親)、協定関税・領事裁判権(日米修好通商)って見つかると思う。
難点は、ネット上での近現代の情報は偏った、テストの役にまるで立たないものが多いことかな。
わりと浅くて、客観的なサイトを見つけられたらいいけど。
知り合いだったら、山川の詳説日本史の文章+αをうつして作ったファイルをあげれるんだけどね。
677 :
日本@名無史さん:03/10/12 23:33
>>674 カリキュラム上は別の科目になっているので
教科書を買わせることができないということはある。
例えば日本史が必履修になっていて、
文系は5単位だが理系は3単位というカリキュラムなら
日本史Bの標準単位は4単位なので
理系には日本史Aしか認められない。
だから理系には日本史Bの教科書を買わせることはできないが
だけどまあAの教科書は買わせるわけだから、少し話が違うわな。
>>677 なるほど、そういうシステムになってたわけですか…
ウチの高校(正確には中学3年〜)、授業は世界史Bなみの内容のくせに、教科書世界史Aを使っていたが、単位上の問題だったわけね。
ちなみに文系に進むことが決定すると世界史Bの教科書を買い、理系はそのまま世界史Aの教科書(ただしセンター対策の問題集あり)でやっていってた気がする。
あやふやな記憶でスマン。
>>674 おれの出身校なんか、文部省検定の教科書を使用するのが現国と日本史と世界史だけ
だったけど、それでも教科書を買わされていたよ。
681 :
日本@名無史さん:03/10/13 09:32
>教科書の秘密
地方教育委員会と文部科学省が原因です。
新カリキュラムに対応した教員配置を、財政をケチって行わずに、
旧カリキュラムの教員配置数のままの各学校に対応を押し付けるので、
各地でこういう混乱を招いています。
ちなみに、都道府県教育委員会や文部省は免許外教科の指導を禁止してるので、
さらに混乱してます。
ちなみに、カリキュラムどおりの教科書を買わされる仕組みです。
682 :
日本@名無史さん:03/10/13 11:40
>>681 つまり、文部科学省の影響を受けない地方教育委員会を廃止した特区を作れば問題ない
わけだ。
そこで実績が上がれば最終的に文部科学省は不要ということになる。
つーか、あそこが国の省庁では一番盲腸機関だろ。
683 :
日本@名無史さん:03/10/13 13:36
江戸時代、
江戸は「将軍の膝元」と呼ばれていたんでしょうか。
なんか嘘っぽいんですが。ご存知の方、教えてください。
684 :
日本@名無史さん:03/10/13 13:41
うそ
>>682 ちなみに、地方教育委員会とは、戦前の反省から国の画一的な教育方針から、
各地方の各学校の自主性を守るために戦後出発したんだけどねw。
今や教育委員会は文部科学省の手先だね。
戦後しばらくは、教育委員は地元の選挙で決めてたけどね。
>>683 「諸国の掃溜(はきだめ)」とは言われていた。
「お膝元」ってのは江戸っ子は言ったかも?
「諸国の掃溜」ってのは案外的を得ていると思うけど、
どなたの言った言葉なんですか?
ちなみに、当方、本籍東京。
>>654 『黄門』というのは、官名『中納言』の唐風の呼称ですから、
光圀がその官名を与えられた時点から『(水戸の)黄門』なのであり、
当然そのように呼ばれたと思いますよ。例えば内大臣のときの家康は
唐風に「内府」と呼ばれましたし、右大臣時代の信長は同様に「右府」。
これと同じことです。というわけで、
>他に国内で黄門と呼ばれた人は居ますか?
ええ、いっぱい居ます。言ってしまえば、中納言職に就いた人間は
みんな「黄門」なんです。でも民衆はそんなこと知りませんでしたし、
>>655の言うように講談等を通じて【黄門様といえば水戸光圀】の
イメージが定着してしまったんですな。
ただし、講談師が作り上げた呼称じゃありません。そこんとこ注意。
688 :
日本@名無史さん:03/10/14 11:29
>>687 「水戸黄門」は講談で作られた名前だよ。
当時「水戸黄門」などとは呼ばれていない。
690 :
日本@名無史さん:03/10/14 15:51
>>690 工作員ウザイ。
アメリカは警察なども含めて、地方分権をおし進めようとしたけど、国際情勢上かまってられな
くなって日本が早く復興するために、中央集権的な部分を認めざるを得なくなった。
大体、選挙でアカばっかになるんなら、とっくの昔に日本は社会主義国家になってる。
いっつも思うんだが、あんたらは何で責任者ではなく、現場担当者しかせめないのだ?
非蔵人ってなんすか?
蔵人じゃないってだけの意味ですか?
いえ、職名です。
694 :
日本@名無史さん:03/10/15 09:43
>>692 蔵人所には別当・蔵人頭・蔵人・非蔵人・雑色・所衆・出納・小舎人・滝口・
鷹飼等の職員が置かれた。
非蔵人(4〜6名)は蔵人見習いともいうべき者で、公事には奉仕しないが昇殿
を許された。
>>693さん。これでいいでしょうか?違ってたら訂正してください。
695 :
日本@名無史さん:03/10/15 14:12
>691
「工作員」? お花畑の住人か?w
>大体、選挙でアカばっかになるんなら、とっくの昔に日本は社会主義国家になってる。
日本史板住人とは思えない発言だな。
社会党政権なら誕生したじゃないか。石橋湛山。
これが短命で終わり、社会主義国家にならなかったのは、
社会党が分裂して自分から第一党の座を滑り落ちたことと、
社会主義国家阻止のために自由党と民主党が合併して自民党が生まれて、
これがずっと過半数を維持し続けたためだろうが。
だったら、お前は投票による教育委員選出が廃止された理由は何だと言いたいんだ?
ケチつけてるばかりじゃなく、お前が言ってみろ。
696 :
日本@名無史さん:03/10/15 14:34
>>695 石橋湛山内閣はれっきとした自由民主党政権だが・・・
誰とまちがえてるんだ?
697 :
日本@名無史さん:03/10/15 14:34
片山哲でしょ。
698 :
日本@名無史さん:03/10/15 15:24
史料の所在や収録されている本の有無などを検索できるデータベースのようなものはありませんか?
>>695 いちいち 気にさわるからって反応すんなや
700 :
日本@名無史さん:03/10/15 19:05
古文書の読み方という本を読んでいたら
見舞・見廻
読みは "みまい" とありました。
もしかして、見廻組は みまわりぐみ じゃなくて みまいぐみ ってよむのですか???
>696
公職追放経験者だけど、靖国神社批判とかしてたりするから、社会党とか共産党とか勘違いされることも多かったりする。
>>701 だけど
>>695は自民党が生まれる前のこととして書いているのだから
やはり片山と勘違いしているのだろう。
>>695こそ、この板の住人とは思えないわな。
703 :
日本@名無史さん:03/10/15 20:17
>698
国文学研究資料館史料館(国立史料館)のサイトに
史料所在データベースというのがあり
寄贈・収集された文書目録・史料集や当館所蔵の史料などから
史料群の収蔵地など所在情報をデータベースにしています。
>>702 それに片山内閣のような政権が続いた所で社会主義国家にはならんしな。
705 :
日本@名無史さん:03/10/15 22:20
今度の日本史のテストで
「鎌倉時代の武士の生活について」という題で30字から50字ほど
書かせる問題が出るのですが
下記のような答え方で宜しいでしょうか?
生活は質素で武芸を身につけることが重要視されていて
常に犬追物、笠懸、流鏑馬などの訓練を行っていた
どうでしょうか?
もしアドバイスを頂けましたら幸いです。
706 :
日本@名無史さん:03/10/15 22:48
>>698 国会図書館のホームページにも、雑誌検索があって、
論文名や学者名から検索できるよ。
>>705 いいんじゃないですか?
>教育委員会
沖縄では1972年の本土復帰まで、委員の公選制が続いてたけど、
何か問題が起きた?
国会会議場への警備員大量導入での強行採決は、
教育委員会公選制廃止と警察法改定だったかな。
政府は戦後に自分たちが始めた平和教育のコース変更ができなくなることを
心配して改定。アカ教育が広まるは保守の宣伝コピー。
社会党は教科書無償配布と取引してなかったかな?
そのうち村山富市内閣で同じこと言う輩も出てきそうだな。
村山富市は自民党だろ? 憲法合憲論者だし。
憲法合憲じゃなかった、自衛隊合憲だった
あったら怖い、憲法違憲論者
いるよ。
現行憲法は違法とする人は。
713 :
日本@名無史さん:03/10/16 02:09
戦後日本の経済は社会主義的経営で発展した事も知らないのか。
714 :
日本@名無史さん:03/10/16 19:56
上州例幣使街道沿いの郷士について由緒などご存知の方詳しく教えてください。
少し調べたのですが新田遺臣という話が少し。太政官布告で無禄だが旗本並の士分というんだがいまいちわからない。
716 :
日本@名無史さん:03/10/16 20:58
元軍が三度目に日本を襲撃できなかったのはなんでですか?
>>716 フビライが死んだから。
これが原因で色々あった。
巨大帝国ってもろいんだよな。
718 :
日本@名無史さん:03/10/16 21:51
>>716 2度の日本遠征に失敗したフビライは、日本の招諭と遠征をあきらめず、
再び日本遠征の準備を進めたが、中国人の反抗や周囲の反対にあって、中止
した。
84年には日本招諭の使者を派遣したが、これも失敗に終わり、94年のフビライ
の死後、99年(正安1)禅僧一山一寧を日本に派遣したのを最後に、元は日本招諭
を断念した。
内部の中国人の反対、ベトナムなどの抵抗など。
719 :
日本@名無史さん:03/10/17 12:44
すいません、今日初めてこの板に来たんですが、白虎隊に関するスレありますか?
「白虎」で検索してもひっかからないんですが・・・
720 :
日本@名無史さん:03/10/17 12:49
721 :
日本@名無史さん:03/10/17 14:29
武烈天皇って実在したんですか?
722 :
日本@名無史さん:03/10/17 14:44
>>721 名前はともかく、あるいは、悪行の真偽はともかく、実在したっぽい。
第25代に数えられる天皇。和風諡号を小長谷若雀(おはつせわかさざき)
命という。仁賢天皇の皇子。この天皇について《古事記》は皇子がいな
かったことのほか特記するところがないが,《日本書紀》は女性を裸に
して馬と交合させたなどの暴虐な事蹟を多く記している。
それらは中国の史書にのべられた夏の桀王,殷の紂王の悪王伝説を粉本
としたものと思われる。
武烈天皇は系譜上,応神(15代),仁徳(16代)天皇の血をひく最後の天皇
とされ,次代は別系の継体天皇が位についた。
そうした系譜上の交替のひとつの合理化として,前王朝の最後の天皇を
悪玉に仕立てあげたのだろう。
723 :
日本@名無史さん:03/10/17 16:47
清寧〜武烈は架空の天皇
>>720 レス遅れてすいません。ありがとうございました。
>>706 >沖縄では1972年の本土復帰まで、委員の公選制が続いてたけど、
>何か問題が起きた?
沖縄の学力って、国内で最低レベルじゃなったっけ。
まあ、漏れは公選制復活派だけどね。
鎌倉、室町、江戸の武士政権を、なぜ軍事政権といわないのですか?
729 :
日本@名無史さん:03/10/17 22:04
沖縄は、県民所得が全国最低で、失業率は最高ではなかったかな?
公選制は漏れも支持だが。
730 :
日本@名無史さん:03/10/17 23:36
後白河上皇を武力クーデターで幽閉して権力剥奪したときの平氏政権や、
以仁王宣旨をもって東国挙兵し、割拠したときの源頼朝の鎌倉政権は、
軍事政権といわれます。
ある政体を、軍事で潰したり、ひっくりかえすのを軍事政権というのではないでしょうか。
その後の、鎌倉・室町・江戸は、一応天皇から委託された形式なので、
武家政権というのでしょう。
軍事政権は、民主主義政権に対峙する語句ではないかと。
まぁ広く取れば、律令国家も軍事力が背後にある政権なわけですから。
島原の乱で有名な天草四郎時貞さんについて質問です。
家族には「四」の文字の付くものは居ないようですし、兄弟は4人も居ないみたいですが、
ならば何故「四郎」なのでしょうか。
幼名は益田四郎という事から、本名である事が分かりますが…
「江部」四郎や「天草」四郎という性は、居た場所や一揆の拠点の地名からでしょうけど…
時代的にも、意味のない名前を付けるとは思えないのですが。。
父の名は益田甚兵衛ですし、「四郎」という名は違和感があります。
現代でも、「二郎」という名の人がいれば、
男なの?とか親族に「ニ」の付く名の方がいるの?と考えるのが自然だと思うのですが。。
四郎と命名された理由など、何か知っていたら教えて下さい。
733 :
日本@名無史さん:03/10/18 10:56
>>731 天草四郎とは直接関係ない話を書くが
「三郎」だから三男とは限らない。
家系の初代が三男で三郎だった家で
それ以後は
代々長男が三郎を名乗るなんてことはざらにある。
イチローは次男。
737 :
日本@名無史さん:03/10/18 17:00
三郎四郎
次郎三郎
山本五十六
はアメリカに驚かれた。
>>733 良く見つけましたね…疑問が解けてスッキリしました。
有難う御座いました。
>>734 なるほど…現代ではあまり聞かない話でしょうか?
参考になりました。どうもです。
関係ないけど、うちの母方は先祖の「一」がつく人が早死にしたことがあるらしく、
それ以来ずっと、長男でも「二」「三」がついている。
>741
悪い霊がついてますね。
札束持ってウチに来たら、おはらいしてあげましょう。
それもよくありますよね。
第1子長男というのは育てにくく夭折しやすいので
縁起をかついで「次郎」とつけるようなケース。
744 :
日本@名無史さん:03/10/19 00:47
幕末板が欲しい!
三国志&戦国時代だけずるいyo!
三戦板って別名コーエー板だけど、
コーエーからも維新の嵐とか出てるじゃん!
幕末板も作ってyo!
ネタスレ欲しいよ!
>>744 幕末って別に板作るほど人気あるか?
熱心なファンはいるようだが
746 :
日本@名無史さん:03/10/19 22:54
江戸時代の幕府と朝廷の関係でわかりやすい本はないでしょうか?
747 :
日本@名無史さん:03/10/20 14:28
>>747 そのFAQでも民主主義だったとは断言していないし
あんたがいう治安維持法があるから民主主義ではなかったとも言えるわけではない。
749 :
日本@名無史さん:03/10/20 15:59
>748
断言してますよ
>少なくとも日中戦争前に関しては明らかにイエスです。
治安維持法成立は日中戦争よりも前だったでしょ?
750 :
日本@名無史さん:03/10/20 16:04
>>746 高埜利彦「江戸幕府と朝廷」(山川出版社)
751 :
日本@名無史さん:03/10/20 16:16
>>749 >単純に「民主主義国家であったか」という問いは誤解を生むので、
>「選挙で選ばれる議会を通して、国民の意見が政治に影響をかなりの程度与えうる」「立憲君主制」であったのか、
>という具合にQ&Aを読み替えれば、少なくとも日中戦争前に関しては明らかにイエスです。
一部だけを切り取って事実を捻じ曲げるのは良くないです。
あなたの引用の仕方では『(日本は民主主義国家であった)少なくとも日中戦争前に関しては明らかにイエスです』と言うことになります。
ちゃんと全部読みましたか?それと頭からウヨ、サヨ決め付けるのは馬鹿に見えるので、やめたほうが良いですよ。
今のソマリアは6つの氏族に分かれ内紛を繰り返しているそうですが、
この状態は日本でいうと何時代に近いのでしょうか?
壬申の乱
応仁の乱
明治維新
教えてください
754 :
日本@名無史さん:03/10/20 23:44
>>747 治安維持法は 国 会 で成立しました。
戦中は悪用されたかも知れませんが。
この頃の共産主義者はテロリストです。
暴力による革命を目指してましたから。
755 :
日本@名無史さん:03/10/21 01:59
>753
問題としてふさわしいとは思えないが…。
出題の意図を踏まえる必要がある。
三つとも陣営は二つにわかれているが、
あえていえば応仁の乱か?
両陣営のメンバーは集合離散を繰り返しているし、後南朝とかもからんでくるし…。
756 :
日本@名無史さん:03/10/21 05:53
梅津・何応欽協定の何応欽とは
どのようによめばいいのでしょうか?
“なにおうきん”で良いのでしょうか?
最近は現地の言葉を使うことが多いようですけど
その場合はなんとよむのでしょう?
>>753 世界史板の方がよろしいかもしれません
もしくは国連関係で調べてみては?
757 :
日本@名無史さん:03/10/21 09:24
>>756 か・おうきん
He Ying-qin または Ho Yin-chin(声調は上・平・平または上・下・平)
カタカナで書くとホー・インチンかな
758 :
日本@名無史さん:03/10/21 09:35
759 :
日本@名無史さん:03/10/21 09:49
治安維持法は、日中戦争前から、共産主義以外の弾圧に大活躍しています。
そもそも、第一次大戦後の続発する小作争議や労働争議などの社会運動の
高まりと、半島の三一運動などで政治上層部が危機感を高まらせていたのが
きっかけです。
1925年に成立したときはアナーキストと共産主義者対策と説明されましたが、
すでにアナーキストは衰えており、共産党は第一次弾圧の後で再建途上でした。
1935年以後、合法的であった思想・運動にも適用され、宗教弾圧にも利用
されはじめた。36年のコム・アカデミー事件や38年の唯物論研究会事件では
学問研究が犯罪視され、1936年の人民戦線派検挙事件と37‐38年の人民戦線
事件では取り締まるべき結社がないのに検挙が行われた。
1935年から39年にかけて皇道大本教,ひとのみち教団,天理本道教などの
新興宗教や新興仏教青年同盟、キリスト教の灯台社が弾圧された。
さらに41年には経済新体制をめぐる支配層内の抗争の解決策として企画院
の官僚の弾圧にさえ利用された(企画院事件)。
戦前民主主義については、ブルジョワ民主主義が1918年から1932年
までは、あったかもしれません。
現在のようないわゆる大衆民主主義は、やはり戦後を待つ必要があったでしょう。
何よりも、国民の半数の女性に参政権が無かったと言うことは、
今日的な価値観では、民主主義とはいいにくいと思います。
>>753 なんで日本史上の時代になぞらえようとするの?
761 :
日本@名無史さん:03/10/21 11:48
759のレスにあるブルジョワ民主主義って何ですか?教えてください。
>>754 多くの国が国会なるものを持っているが、国会を通していればその法に箔がつくわけでもあるまい。
大事なのは国の政治体制。
民主主義にもいろいろ種類があるでしょ?
発展途上の民主政体なら有ったとみなしてじゃないかい?
今から見ると糞としか言えないが、当時としては標準的な奴。
確かに女性参政権は現在先進国といわれる国の中ではもっとも遅く認められた方だが、
もっと遅い国がないわけじゃない、スイスとか。まあ、下と比べるのは気が引けるが。
>760
日本の歴史にも氏族間による戦いはあったのではと、
しかしその側面は覆いかぶされている様な気がし質問しました。
もしその側面から書かれている書籍あればお教え下さい。
この質問の後この3つの戦は的外れの気がしました。
765 :
日本@名無史さん:03/10/21 21:04
>>764 「氏族」の定義にもよるけどな
前九年の役とか?
>765
氏族=氏神を同じくする者
私論ですが氏族間の争いは浄土系宗教の影響により
少なくなったと思うんですが。
767 :
日本@名無史さん:03/10/21 23:51
>>753の氏族とはいわゆるクランのことでしょう。
クランとは、特定の祖先から、父または母を通じて集団への帰属が自動的に決定される単系出自原理によって構成された親族集団で
族外婚規制をともない、成員は平等であり、シンボルなどの象徴物のもとに統一される社会集団。
日本古代の氏族とは構造原理が異なる。
>>765はそのあたりのことを指摘していると思うのだが。
768 :
日本@名無史さん:03/10/22 01:42
>>762 大正十四年ごろの日本の国会は形式的なもので、
国会としては認められないってことですか?
769 :
日本@名無史さん:03/10/22 10:17
>ブルジョワ民主主義が1918年から1932年
1928年の総選挙までは、確かに納税額で参政権の制限があったから、
金持ち民主主義といえないこともないかもしれんがな。
治安維持法を決定した国会も、制限選挙の納税制限選挙の代表者が
決定したという罠。
1928年からは普通選挙制だが、すでに1925年の治安維持法で、社会主義系
政党は禁止されていたので、いわゆる現在の民主主義とは違う。
しかし、この板での女性の参加は少ないが、女性からしたら、
確かに、戦前民主主義なんてナニヨ!って感じかもはしれんわな。
民法も旧民法だったし。
>>769 おいおい
治安維持法などで非合法の扱いを受けたのは国体否定をする共産党。
社会主義系政党が一般的に否定されたわけではない
この「戦前日本は民主主義と言えるか?」という話題は結構需要があるの?
あるなら誰かスレ立てて。いつまでも質問スレでするわけにも行かないでしょう。
772 :
日本@名無史さん:03/10/22 19:41
武田家旧臣はだいたい徳川に仕えたという話が前スレに載ってた気がするけど長野行くと観光地などで(庄屋屋敷や酒造家など)
妙に武田24将の何某の子孫etcとかあるんですけど・・・どういうこと?本物?自称ですかね?でもなぜ長野県なんだろう山梨じゃ?
773 :
日本@名無史さん:03/10/23 02:36
一応自称
でも信州出身の24将もいるけど
>>757 遅レス申し訳ありません
回答ありがとうございました
775 :
日本@名無史さん:03/10/23 03:07
質問です。
奥州藤原家の初代キヨヒラの父親は藤原経清だというのは、事実なんでしょうか?
作家先生の創作活動という奴なのでしょうか?
776 :
日本@名無史さん:03/10/23 03:34
事実です。
777 :
日本@名無史さん:03/10/23 03:40
高橋克彦の創作活動がいかに東北の歴史を歪めているかということだな。鬱だ。
778 :
日本@名無史さん:03/10/23 06:34
うちは名主で記録を調べたら1690年ぐらいに検地を受けて名主になったらしいですが・・・開幕から90年ぐらい!その間は何ナノ?
地侍のまま?でも刀狩があったよな!
779 :
日本@名無史さん:03/10/23 06:49
《11
780 :
日本@名無史さん:03/10/23 08:50
>>778 検地は身分を確定するためのものではありませんので
「検地を受けて名主になる」というのはよくわかりませんが
1690年くらいというと、関東幕領で行われた元禄検地ではないでしょうか。
おそらくこの検地によって新たな村立てが行われて、名主ではなかった農民が名主になったか
あるいはそれ以前の記録が残っていないかのどちらかだと思うのですが。
781 :
日本@名無史さん:03/10/23 09:06
>>780の1行目は誤解を招く可能性がありますので
「江戸期になってからの検地は」
と訂正しておきます。
>>770 >治安維持法などで非合法の扱いを受けたのは国体否定をする共産党。
確かに無産政党でも政府に無害なのは生き延びて戦争賛成や翼賛会参加してる。
しかし、少し政府に有害なのは、いつも弾圧を受けたり、いびられてる。
政府に対しかなり有害なのは、共産党でなくても、禁止されてる。
1925・12 農民労働党ー即日結社禁止
1928・4 労働農民党ー結社禁止
1937・12 日本無産党ーこれは社会民主政党。さらに、出征家族後援や
皇軍慰問までやってるのに人民戦線事件で、つぶされた。
スレ違いスマソ。
>>759 男女平等の参政権が民主主義である理由なら、
アメリカは1920年まで、イギリスは1928年まで民主主義国ではなかったことになるが?
つかブルジョワとか言っているが、それを言えば英国でも20世紀に入るまで選挙権を持っている人は、
人口の5%程度で、日本と変らない。(21歳以上全ての男子に許されたのは1918年から)
なおアメリカにしても防諜法、後に治安法と名を変え(1918年)
日本より早く、共産主義者の大弾圧をしていたアメリカは民主主義国家ではないのか?
なんつーか突込み所多すぎ。
その程度の理由で民主主義国家ではないと言い張るなら、米英も民主主義国家になるのはずっと後になるのだが、
各国の歴史を知ってて言っているのか?
784 :
日本@名無史さん:03/10/23 23:58
ガタガタ言わずに新スレ立てろや。初心者の邪魔になる。
これだけ引っ張っていけるのだから、新スレ立ててもやっていけるんじゃないか?
暇な奴立てろ。
日本史板で
「学問・文系」の日本史板です
にふさわしいスレはどこ?
なんか上のほうに最近よく上がってるスレが・・・
>>786 「中世の天皇の位置付けってどうだったのか?」スレは
わりとまともな議論になってると思う。
788 :
日本@名無史さん:03/10/24 19:32
789 :
日本@名無史さん:03/10/24 20:01
ブルジョワ民主主義というのは
社会主義・共産主義に対置される概念ではないのか。
制限選挙だろうが普通選挙だろうがブルジョワ民主主義だと思うのだが。
790 :
日本@名無史さん:03/10/24 20:05
だから新スレ立てろっつーの。
立てられないなら初心者板で代行頼め。
>>776 ありがとう。
引き続いての質問です。
藤原清衡が前九年の役で、殺されなかったのはなぜですか。
謀反人の息子ですよね?
792 :
日本@名無史さん:03/10/24 20:56
793 :
日本@名無史さん:03/10/25 13:08
よく、日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した、なんて言うけど、
この場合の無条件とは、どういう意味合いの無条件なの?
ポツダム宣言は日本がしなければならないいろんな条件から成ってるのに。
あ、日本からは連合国側に条件を出さないってことか。
それっぽいね。違ったら指摘して下さい。
一人相撲失礼しました。
795 :
日本@名無史さん:03/10/25 15:58
>>791 清衡の母(安倍頼時女)が清原武貞に再嫁する条件として
息子の助命を願ったんじゃないのかな。推定に過ぎないけど。
>>795 ありがとうございます。
平家が滅びたのと同じような理由ですね。
さすがの清盛も、出羽や陸奥の歴史までは知らなかったか。
797 :
日本@名無史さん:03/10/26 07:36
三好一族は、秀吉-家康時代に三好政勝と三好房一の家系が残ったようですが、それ以外の三好一族は
どうなったのでしょう?
三好政康は、信長に敗北後、大阪の陣に清海入道として現れるまで、どこで何をしていたのでしょう?
十河存保は、戸次川で「一子千松丸を秀吉の前に伺候させる」ように家臣に頼んでいますが、その後
大阪の陣に存英が現れるまで、十河氏はどこへ消えていたのでしょう?
また、秀次を養子に迎えた三好康長とその息子康俊はどうなったのでしょう?
あれほど繁栄した三好一族が、秀吉時代にほとんど出てこないのか非常に興味があります。
詳しい方おられましたら教えてください。
798 :
日本@名無史さん:03/10/26 14:42
>>783 >アメリカは1920年まで、イギリスは1928年まで民主主義国ではなかったことになるが?
当事のではなく、現在の女性の目から見たらそうなる。
>英国でも20世紀に入るまで選挙権を持っている人は、人口の5%程度で、日本と変らない。
1884年に第3回選挙法改正が行われてほぼ全ての労働者に選挙権が与えられた。
選挙権は男子有権者の70%以上。人口の20%前後はいくのではないのかい?
人口比率で言うなら、1880年代の日:英=1%:20%。1919年で5%:50%。
戦後の完全普通選挙法で人口の48,7%ね。有権者比率使わないの?どうしてw。
>日本より早く、共産主義者の大弾圧をしていたアメリカは民主主義国家ではないのか?
ほぉ、検挙者数と、獄死者数、拷問死者数は?
アメリカ共産党は、1919年に創立、1938年に7万5千人の組織で、プラウダー
書記長は、1930年から45年まで継続してる。1950年までの数十年間に、約100万人
が共産党と関係し連携している。
ニューヨーク市では共産党公認の候補が市議会に当選してた。
なんつーか突込み所多すぎ。
各国の歴史を知ってて言っているのか?
799 :
日本@名無史さん:03/10/26 15:48
800 :
日本@名無史さん:03/10/27 00:26
質問です。
写真が残っていない 新撰組の沖田総司ですが、
美少年というイメージは誰が最初に言い出したんでしょうか?
801 :
日本@名無史さん:03/10/27 11:13
いい加減県名や県域を旧国名に戻してもらいたい
だってそのほうが物産とかと繋がるし
そもそも適当につけた県名と違って
旧国名はちゃんと意味があったので(大山の裾野が箒に見えるから伯耆とか)
趣深くてそっちのほうがいい
802 :
日本@名無史さん:03/10/27 11:29
>801
???
県名にも意味あるけど?
803 :
日本@名無史さん:03/10/27 17:43
質問です
本能寺の変、橘奈良麻呂の変、正中の変などの「変」と、
壬申の乱、恵美押勝の乱、永享の乱などの「乱」の違いは何ですか。
804 :
日本@名無史さん:03/10/27 19:01
>>803 「変」は「社会的に大きな影響を与えるような事件が不意に起こること」
「乱」は「政治権力に対する武力による反抗」
と、一応意味の違いはあるけど、使い分けは慣習的なものです。
あまり気にしないほうがいいのでは。
806 :
日本@名無史さん:03/10/27 22:30
>804
わかりました。ありがとうございます。
807 :
日本@名無史さん:03/10/27 23:10
日本史の授業で各自好きなテーマで発表をしなくてはいけないことになり、
私は「東京裁判の不当性」について発表しようと思ってるんですけど、
「事後法」と「パール判事の意見が無視されたこと」の他に必要なものはあるでしょうか?
>>807 もめそうなテーマを選んだものですね。
個人的には裁判の正当不当を歴史として扱えるかどうかは疑問ですが
で、東京裁判で問題視されたことに
他には
判事団の構成(戦勝国出身者であること)
管轄権の問題(裁判を行う権利が連合国にあるか)
国家の行った行為を個人被告の罪にすることができるか
戦勝国側の行為の是非について
があります。
>>807 逆サイドからの突っ込みとしては、
アメリカによる昭和天皇の強引な免責
陸軍への責任かぶせが大きく、海軍や宮廷派の責任は比較的少ない
アメリカと海軍派・宮廷派が組んで、責任を一部に押し付けた
731石井部隊関係者とアメリカとの免責取引
A級戦犯が後に公職に復帰した
などなどあるけど、君のもって行きたい方向とは合わないかな。
パール判事の件は少数意見だったから取り上げられなかったのは当然という
意見もあるので、書き方に注意した方が良いかも。
あと、ポツダム宣言で、大日本帝国政府が戦犯追及条項を公式に受託したのだ
から裁判は宣言の遂行であり、かつ、日本の保守リベラル派は戦犯追求を希望してた、
との論理にどう対抗するか。
質問タイムがあるのなら、予想問答対策しておいたら良いかも。
810 :
日本@名無史さん:03/10/28 14:17
>日本の保守リベラル派は戦犯追求を希望してた、
ソース希望
>>807 偶然見つけたが、
「司法には素人の軍人であったり」
でググるとなぜかヒットするページに某公立大学の一年生が同じようなことについて書いた文がある。
内容は洗脳されていることが分かる笑ってしまう程度のものが、こんなものにしないようにと参考にするといいと思う。
>808-811
ありがとうございます。非常に参考になります。
冒頭に「これも一つの考え方だから〜」と付け加えた方がいいみたいですね。
発表と言っても大体の子の発表が歴史上の人物の紹介という軽めのものなので、
一人こういう小難しいテーマを取り上げると浮くんじゃないかと思ってるんですけど。。
書き忘れました。
参考文献は河出書房新社の「図説 東京裁判」としております。
814 :
日本@名無史さん:03/10/28 22:11
>>811 どうでもいいことだが
指導教官N氏は他のゼミ生の提出した文章には何のコメントもつけていないが
この文章にのみコメントをつけてますね。
またコメントの中に
>いずれにしろ、歴史事実を無視した強引な発想が見られるところが気になる。
>キチンといろいろの歴史書やドキュメントにあたって歴史事実の検証をすることが期待される。
こういう一文があったり
他のゼミ生については題名しか紹介していないものも多数あるので
この君の文章を公開しているのは、反面教師としての意味をこめているのだろう。
815 :
日本@名無史さん:03/10/28 22:59
質問です。最近テレビを賑わせているワイドショーから飛躍して思ったことです。
有栖川宮熾仁と和宮は元許婚の関係だそうですが、
明治維新の後になってから、接触したとかエピソードはあるのでしょうか?
>>815 二人が再接触するのは江戸開城時
勝海舟は徳川家の存続を和宮を通して申し入れます
征伐軍の総大将が有栖川宮熾仁でした
ってここまでは調べてるのかな?
その後和宮は32歳で箱根で死去するので時間的にどうかなぁ
かつての婚約者に除名嘆願をする姿に萌え
817 :
日本@名無史さん:03/10/29 03:19
第九十囘帝國議會 貴族院(昭和二十一年十月六日)の大河内子爵発言
「御承知ノ通リ、熊澤某ト云フ者ハ、アンナコトヲ申シタガ不起訴ニナツテ居リマス、
「ソレカラ休戦カラ少シ間ヲ置キマシテ、隨分エライ放送ガアツテ、
我々ヲシテ悲憤セシメタ所ノ事件モゴザイマシタガ、是モ不起訴ニナツタ」
の前者の熊沢事件は分かるのですが、後者の放送云々てのは
どんな事件なのでしょうか。
>>689 まず謝っとく。古い話を蒸し返してごめんね。久々に来たもんで。
納得できない。領地の地名+官名・官職で人を呼ぶのは当時あたりまえの慣習です。
例えば宇喜田秀家は『備前宰相(宰相は参議の唐名)』、豊臣秀長は『大和大納言』
などと呼ばれていましたし、徳川の一族では『越後少将』こと松平忠輝、『越前少将』こと
松平忠直、そして忠直の親父『越前黄門(!)』と呼ばれた松平(結城)秀康なんかを
挙げればよいでしょう。そういう慣習の中、水戸光圀だけが『水戸黄門』と
呼ばれなかったとすれば、逆に不自然だと思いませんか?
無論、人口に膾炙するようになったのは後世の講談師の役割が大きかったでしょう。
しかし、「講談で作られた名前」というのは少し度を越えていると思います。
819 :
日本@名無史さん:03/10/29 08:31
>>818 しつこいね。
では「水戸黄門」と記述された文献を示してください。
大学学部レベルの社会科教育学の標準的なテキストは何でしょうか?
教えてください。
>>810 戦前派の知識層やリベラル派、とくに親英米派の人々は、戦時中の日本の軍国
主義的指導層に対する反感や憎悪から、この東京裁判の判決を是認し、太平洋
戦争を否定する側に立った。
「雑学・太平洋戦争の真実」(日東書院)佐治芳彦著 -1997.4.1-
>>810 そこで日本の関係者は積極的に協力することによって裁判(東京裁判)を特定の方向
に誘導する方法をとった。特に天皇の側近たちや重臣(宮中グループ)、海軍、
外務官僚たちがそうだった。近衛文麿や木戸幸一に連なるグループは国際検察
局に積極的に情報を提供し具体的な戦犯リストなども提供している。後の首相
吉田茂もこの人脈の一員であることに注意していただきたい。彼らは、天皇を
擁護して、責任を東条英機など特定の陸軍軍人などに押しつけるという点で共通
していた。木戸が提出した日記が被告の選定に大きな影響を与えたことはよく知
られている。
満州事変〜日中戦争〜アジア太平洋戦争の一連の侵略戦争において、陸軍が強硬派
だったことはまちがいないが、総力戦は陸軍だけで行えるものではない。
要所要所で重要な決断を下した天皇をはじめ天皇を支える宮中グループ、海軍、
官僚、財閥なども戦争を推進した。アメリカとの開戦については躊躇したグループ
も少なくとも中国に対しては、日本の利益を確保するために軍事力を行使すること
は当然と考えていた。
しかしながら、東京裁判では、これらのグループはアメリカと一緒になって、
天皇をはじめ自分たちは本当は対米戦争には反対だったが陸軍に押し切られた
のだ、すべての責任は陸軍にあるという虚偽の「歴史像」を創作し、陸軍を切
り捨てることによって自らの生き残りを図った。
>>810 冷戦が始まり、アメリカは非軍事化・民主化政策から反共のために日本を活用
する政策に転換していく(占領政策の転換)が、その中でアメリカはそうした
グループを政治的受皿として利用しようとしていく。一九四八年一〇月に成立
した第二次吉田茂内閣はまさにその表れだった。外務官僚出身、元内大臣牧野
伸顕の娘婿、近衛グループの一員だった吉田がアメリカに忠実な保守政治の創
始者になったのである。
保守本流が、アジアへの侵略・植民地支配への反省のないまま、軍部に責任を
押しつけ、冷戦の下でアメリカに忠実に協力することによってアメリカのパートナー
として認められた。だから自らの戦争責任に対する反省がないだけでなく、アメリカ
がおこなった都市への無差別爆撃や原爆投下という戦争犯罪を批判することも
しなかった。日本政府が今なお原爆投下を国際法違反と認めないことはその表れである。
参考
大沼保昭『東京裁判から戦後責任の思想へ』有信堂、1985年
粟屋憲太郎『東京裁判論』大月書店、1989年
吉田裕『昭和天皇の終戦史』岩波新書、1992年
粟屋憲太郎『未決の戦争責任』柏書房、1994年
粟屋憲太郎ほか『戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか』朝日新聞社、1994年
渡辺治『政治改革と憲法改正 中曾根康弘から小沢一郎へ』青木書店、1994年
>>811 ホロコースト研究も(当然ナチスの戦争責任研究も)していて、ホロコースト否定者やドイツの歴史修正主
義者を批判する論文を出しているような教授にあんな低レベルで厨丸出しなものを書くとは無謀な・・・
改竄して文芸春秋から切られた田中の本なんて主張の根拠にしても自分の無知をさらけ出すようなものなのに。
しかもあの本は自分で間違いを認めてるし。
そいつはもう散々議論したうえで、少数派となった(すなわち負けた)主張だと分かってないんだろうな。
825 :
日本@名無史さん:03/10/29 13:31
オフ板で奈良国立博物館の正倉院展に一緒に行ってくれる人を募集するつもりの者です。
出来れば日本史板を見ている方に来て欲しいので、1つのスレにだけ宣伝張りたいのですが、
どのスレがよいですか?もしくは張らないほうがよいですか?
チケット代金は招待券を2枚持ってるのでかかりません
826 :
日本@名無史さん:03/10/29 13:43
ageとかsageってなんですか?
827 :
日本@名無史さん:03/10/29 13:48
>821-3
なるほど。
>826
E-mail欄にsageと入れると、スレッドが上にあがらなくなる。
828 :
日本@名無史さん:03/10/29 15:24
829 :
日本@名無史さん:03/10/29 18:24
>>818 つまり水戸光圀は「水戸黄門」と呼ばれていたと断定はできないが、呼ばれた可能性はあるということだな。
以上で終了
830 :
日本@名無史さん:03/10/29 20:45
>>829 ここは初心者スレであって論争スレではない。
日本史板とか見ているとたまにごく少数派の意見が史実のように語られているようなこと
もあり、混乱するのですが、学会における通説はどのようにすれば知ることができますか?
一度オーソドックスな「日本史」を身につけたいのですが。
ちなみに私は山川の教科書を使用した高校修了程度の日本史の知識しかありません。
>>818 また名称で粘着かよ。相変わらずだな、伊達君の思い込みっぷりは。(w
833 :
日本@名無史さん:03/10/29 22:28
>>831 旧課程の教科書だと、現在の学界の水準と較べるとやはり古いように思います。
これももはや古いかも知れませんが
吉川弘文館から出ている『概論日本歴史』が
ページ数も高校教科書並みですし、簡便ではないかと思います。
834 :
日本@名無史さん:03/10/29 22:32
835 :
修士(文学):03/10/29 22:59
>>834 本陣の「宿帳」などを見ますと
「備前少将」などのように、地名+官名という表記が頻繁に出てきますので
光圀が水戸黄門と呼ばれていた可能性は充分にあると思います。
ただし私は関東の文献はあまり見ていませんので
そのような史料をあげよという要求にはお答えできません。
山室さんの本に何か出てきませんかね。
836 :
日本@名無史さん:03/10/30 00:58
>>835 「備前少将」と「水戸黄門」は全く違うものだよ。
「黄門」は唐名だからね。
837 :
日本@名無史さん:03/10/30 01:57
水戸黄門も水戸中納言も意味同じなんじゃ?
838 :
日本@名無史さん:03/10/30 03:16
宿帳の表記は「水戸中納言様」となるんだろな。
まあ水戸は参勤交代しないから実例は少ないだろうけど。
「水戸黄門」てのは公家の日記とかでありそうだ。
対華21ヵ条条約について
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/Taisyou-naikaku/17-Ohkuma-vol2.htm そして中国におけるドイツの権益が日本によって一掃された後、有名な「二十一カ条要求」が中国政府に対
して発せられる。中国は全五号二十一カ条からなるこの提案を強硬に拒否、妥協と譲歩が繰り返される間にこ
の動きに気づいたのはアメリカである。アメリカは日本が火事場泥棒をしているように受け取って態度を硬化
し、イギリスも日本を猜疑の目で見るようになった。そしてそれに慌てた外務省は要求妥結の方向に動き始め、
結局ほとんど骨抜きになった形で締結された。日本にとって利の薄い外交で、しかも英米は日本を危険視する
ようになり、中国はこの日を国恥記念日とした。百害あって一利もなかったのである。
後の災いの元になったのはわかるんですが最初から骨抜きの形で締結されたってのは本当ですか?
840 :
日本@名無史さん:03/10/30 09:54
>>839 5号21ヵ条の要求で、1号から4号までは日本が派遣軍隊増強の圧力で調印させて
いる。
5号についても将来を見据えて、いったん保留にしたもの。
5号がとおってたら、中国は、日本の傀儡国家になっていた。通るはずがない。
第1号は中国山東省の旧ドイツ利権の継承に鉄道新線要求など4ヵ条
第2号は旅順・大連の租借期限、満鉄安奉線の租借期限の99ヵ年延長と満蒙
における日本人商租権など7ヵ条
第3号は漢冶萍煤鉄公司の日中合弁要求
第4号は中国沿岸港湾および島嶼の不割譲
(以上の1〜4が絶対必要条項とした)
第5号は中国政府の政治・財政・軍事顧問に日本人を招くこと、日中兵器の統一
等7ヵ条で、中国主権侵害の政治的要求であり、これを希望条件であるとした。
841 :
日本@名無史さん:03/10/30 09:55
>>839 15年1月加藤外相は,日置益駐華公使を通じて袁世凱大総統に直接この要求書
を手渡し、秘密保持と一括交渉を要求した。イギリスやアメリカの干渉に期待
した袁は内容をアメリカ駐華公使にもらし、また中国の新聞にも報道された。
しかしヨーロッパ戦況の重大化でイギリス・フランス・ロシア諸国は干渉の
余裕がなく、アメリカだけは日本政府に抗議したが、きわめて妥協的なものに
すぎなかった。
中国民衆はこの日本の屈辱的要求にたいして日貨排斥、救国院金などの形で
抗議運動を展開し、民族運動は急速に高まった。
しかし,日本は青島占領の日本軍を増派し、その圧力で袁政府に要求の受諾を
せまり、第5号要求を保留したまま、5月9日には袁政府にこれをのませ、同月25日
には諸条約・交換公文に調印した。
中国民衆は5月9日を国恥記念日としてはげしい抗議運動を展開、アメリカも、
中国の条約上の諸権利と門戸開放主義に反する場合はこれを認めないとの〈不承認主義〉
を通告してきた。
21ヵ条要求の結果は,中国の民族運動(五・四運動)およびアメリカの利害との
対立をいっそう深めたばかりか、1921・22年のワシントン会議により、21ヵ条
要求のうち満蒙利権をのぞくほとんどの要求は無効におわった。
842 :
日本@名無史さん:03/10/30 10:02
>>839 大総統の袁世凱は日本政府に対して、
「国内で理解が得られないから最後通牒を出してくれ」と要請したらしい。
最初から日本政府は手玉に取られていた模様。
ソース『シナ大陸の真相』カール・K・カワカミ
843 :
日本@名無史さん:03/10/31 14:25
江藤新平関係の書籍でなにかお勧めはないでしょうか?歳月を読んで興味を持ちました。
日本政府はイギリス、アメリカ、フランス、ロシア各国に要求内容を内示
したが、第五号については曖昧な表現にとどめた。中国政府は、国際社会
に対して殊更にこの第五号を強調し、日本は中国を属国にしようとしている
と宣伝した。
中国との交渉は、2月2日より二十数回に及んだが進展はみられず、日本は満
州、山東、漢口の各駐屯軍を増強し中国を追詰めた。一方、国際的な非難と
列強の干渉を期待していた中国は、アメリカ等の一部を除いて支持を得られず、
逆に欧州戦局に忙殺されていたイギリス、フランス、ロシアの公使からは、
「この時点では日本との武力抗争を避けるのが賢明である」との忠告をされて
しまった。日本政府は、イギリスの意見も取り入れアメリカを牽制し、
第五号を削除し最後通牒を出すことになった。
5月7日、日置公使は陸徴祥外交総長を訪ね、9日午後6時を期限とする最後通牒
を手渡した。中国政府はこれを受諾せざるを得ず25日、正式な条約、交換公文
とが調印された。これに対する中国国民の怒りは大きなもので、各地で大規模
な排日運動が起こり、袁世凱も民衆の支持を失っている。
>>842 1937年に、ロンドンで出版された。欧米における、日本の中国侵攻の
正当化の宣伝本ですね。日本は共産主義者の陰謀と戦うために戦争して
いるという、おなじみの論調です。
割り引いて読んだ方が良いのではないかと思われます。
http://www.jiyuu-shikan.org/store/book/shohyou/shohyou0109.html 袁世凱は20数回の交渉で受託を拒否しつづけ、頼みとした欧米が、今は
日本と戦わないほうがよい、との助言でやむをえなく受託したものです。
最後通牒形式を袁世凱から望んだと言う、公式記録は、ちょっと知りませんが、
どっちにせよ、21ヶ条要求を袁世凱が受託するメリットは何もありません。
あるとしたら、最後通牒だから、戦争できないから仕方なく受託したとの
国民むけ言い訳ぐらいです。しかし、結果は、国民の信頼を著しく低下させています。
なぜ、それが日本が手玉に取られていたことになるのか理解できません。
日本を正当化なんてしてない。むしろ加藤高明の糞っぷりが浮き彫りに。
>>833 どうもありがとうございました。
購入しました。
847 :
日本@名無史さん:03/10/31 21:09
小藩の侍・徒士と、大藩の足軽。禄はどっちが上ですか?
>>834 それこそ、それは全てあなたの思い込みです。
849 :
日本@名無史さん:03/11/01 02:06
>847
いろいろ
850 :
日本@名無史さん:03/11/01 08:25
亀だけど
>極左の歴史歪曲も問題ですが、現時点では、自由主義史観ら右翼勢力の
>歴史歪曲・捏造が、歴史をよく知らない若い世代に影響を与えているのに
>心が痛みます。
というレスがありますが、戦後、アメリカが
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という、
日本人に戦争をしたことへの罪悪感を植え付ける洗脳プログラムを、
マスコミ・教育を使って実践した。
その結果、
『日本が起こした戦争は全て悪で、アメリカの起こす戦争は全て善』
という刷り込みが、日本人の中にできあがってしまった。
という話があります。
だから今日の動きは揺り戻しと言うか、教育を正常にしようという、
当然の動きじゃないんですか?
851 :
日本@名無史さん:03/11/01 09:18
黄文雄はずっと以前から、日本の近代史を賞賛し、朝鮮、台湾などの統治を評価していますが、
どうして自由主義史観の人たちと行動をともにしないのですか。
>>850 >「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という、
>日本人に戦争をしたことへの罪悪感を植え付ける洗脳プログラム
軍国主義賛美・現人神天皇思想・神国思想・聖戦思想などへの規制ですから、
天皇神国思想教育や大本営発表で洗脳されていた日本人への対応としては、
占領側の立場からは普通かと思われます。これのおかげで、はじめて日本人
は満州事変は自作自演だったことや、ミッドウェイから負けていたのに騙され
ていたことを知ったのですから。
原爆報道規制は不満ですが、いわゆる左系が原爆非難を繰り返してました。
アメリカはドイツでもナチス洗脳を消すための対応を行ってますよね。
>アメリカの起こす戦争は全て善』
>という刷り込みが、日本人の中にできあがってしまった。
ベトナム戦争において、過半数の日本人は、反米の立場でした。
この時、アメリカの戦争勢力を支持したのは、保守派と、いわゆる右翼勢力です。
右でも左でも、歴史のすりかえは困りますよね。
853 :
日本@名無史さん:03/11/01 13:09
>852
便乗質問ですが、朝鮮戦争のときは、日本人の何割が反対していましたか?
「地上の楽園」と真顔で言われていた頃の少し前ですから、
反対者の割合はかなり高そうですが。
>>853 便乗に便乗ですが、反対する余裕はあったのでしょうか?
朝鮮戦争の頃は安定恐慌で経済的に厳しかったように思えるのですが。
>>853 >>854 基本的には当時の日本は占領下ですから、政府レベルでは、賛成しています。
左翼勢力は反対しましたが、もろに潰されています。
一般国民は、食べるのに精一杯で、朝鮮特需(戦争による急激な好景気)
に喜んでいたのが実際でしょう。戦争を「神風」や「天佑」と呼んだりもしました。
1950年5月3日、占領軍最高司令官マッカーサーは共産党を非難する声明を行い、
6月6日には吉田茂首相に書簡を送り共産党中央委員24名(うち国会議員7名)の
公職追放を指令、翌7日にも同党中央機関紙「アカハタ」編集委員17名を公職追放。
6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、翌日に「アカハタ」停刊が指令され、さらに7月
24日に総司令部民政局が新聞社代表に指示して、28日から新聞・通信・放送関係で
レッドパージが始まり、8月5日までに50社で704人が解雇。次いで8月26日には
電気産業で2137人が解雇された。さらに9月から10月にかけて、映画・日通・石炭
・私鉄・造船・鉄鋼・化学・機器など全産業に広がった。また9月1日、「共産主義
者等の公職からの排除に関する件」が閣議決定され、国鉄・電通・農林・郵政・通産
などの政府機関でも強行された。さらに日本経営者団体連盟は10月2日、「赤色分子
排除処理要綱」を各企業経営者に提示した。こうして、民間企業のレッドパージは
537社で1万0972人(労働省調べ・1950年12月10日現在)、政府機関では1171人(人事
院調べ・1950年11月15日現在)となった。
このレッドパージは、朝鮮戦争の基地としての日本の治安維持の必要から占領軍権力
により超憲法的に実施された。
共産党の方も、暴力路線派(ソ連・中国派)と非暴力路線派(自主路線派)で分裂してました。
「地上の楽園」への在日朝鮮人の帰国は、1959年からですね。
856 :
日本@名無史さん:03/11/02 00:20
第九十囘帝國議會 貴族院(昭和二十一年十月六日)の大河内子爵発言
御承知ノ通リ、熊澤某ト云フ者ハ、アンナコトヲ申シタガ不起訴ニナツテ居リマス、
ソレカラ休戦カラ少シ間ヲ置キマシテ、隨分エライ放送ガアツテ、
我々ヲシテ悲憤セシメタ所ノ事件モゴザイマシタガ、是モ不起訴ニナツタ
前者の熊沢事件は分かるのですが、後者の放送云々てのは
どんな事件なのでしょうか。
マッカーサーへの直訴のことかな?
マッカーサーと昭和天皇の会見の写真のことでは?
あの、マッカーサーがズボンに手を入れ足を開き、天皇が直立不動の写真。
S20年09月29日/各新聞が天皇と元帥の写真を掲載する。が、日本側の情報局
が不敬に当たるとして発禁命令を出す。しかしGHQが撤回させる。
不起訴だから、これでは?放送と報道の間違いでないかな?
859 :
日本@名無史さん:03/11/02 19:28
治安維持法ノ違反者ノ某ハ十七年モ置カレテ、
外ノ者ハドンドン出ラレルノニ自分ダケハ出ラレナカツタ、
其ノ爲ニ怨ミ骨髄ニ達シテ、サウシテアノ放送ヲシタ、
アレハ皆サン御聽キニナリマシタデセウ、
ドレダケ國體ニ惡イ影響ヲ及シタカト云フコトハ、
此ノ一事ヲ以テ明カデアリマス
>>856の引用の少し手前の部分には、上のような発言がある。
某とは徳田球一では?
もう少し調べてみました。
この前年11月21日に、徳田球一、清瀬一郎、牧野良三による天皇制に関する座談会放送が行われていますが
ここで徳田は天皇制廃止を主張しています。
大河内子爵のいう放送とはおそらくこのことでしょう。
前にトリビアの泉でスフィンクスの前で写真を撮った幕末武士のことがやっていたのですが
この武士たちのことについて書かれた本などありませんか?
857さん・858さん、そして859さんレスありがとうございました。
そんな放送があったのですか。知りませんでした。
更に詳しく知りたくなったので、あとは自分で調べてみます。
ありがとうございました。
863 :
日本@名無史さん:03/11/03 19:51
>>861 この遣欧使節の正使は池田筑後守ですね。
「池田筑後守」を題名に含む書物を国会図書館で検索してみると4冊ヒットしました。
書き写すのが面倒ですので、後はご自分でお調べになって下さい。
またググって見るといろいろ当たりますが
『洋学事始―幕末・維新期西洋文明の導入』(文化書房博文社、1993年)という書物もあるようです。
864 :
日本@名無史さん:03/11/03 21:30
ちと質問させてください。
この歴史認識はどこか間違いがありますでしょうか?
↓20,000年前 日本に縄文人流入。(北方ルート+海洋ルート)
↓
↓
↓
↓15,000年前 温暖化で日本列島から大型動物絶滅。
↓
↓13,000年前 アムール川流域で土器発明(世界最古の土器)
↓12,000年前 シベリアから日本列島に土器流入。(新宿遺跡)
↓
↓
↓9,000年前 ニューギニアで農耕始まる
↓8,500年前 黄河流域で稲作始まる
↓
↓6,000年前 黄河文明
↓
↓3,500年前 中国殷王朝
↓2,900年前 日本で稲作始まる
↓2,500年前 仏陀、孔子。日本に弥生時代到来。
↓2,000年前 朝鮮からの亡命者達が中国で倭と呼ばれる
↓
↓現代
世界史だけにしておけ
866 :
日本@名無史さん:03/11/04 06:13
宮内省が Ministry of The Imperial Household 。
宮内庁が The Imperial Household Agency 。
では宮内府はなんと英訳していたのでしょう?
内閣府が Cabinet Office 。
首相府が Prime Minister's Office 。
だから The Imperial Household's Office ?
867 :
日本@名無史さん :03/11/04 22:17
中学校の社会の教科書に載っていた話だと思うのですが、鎌倉時代くらいに、
東国の武士の勇猛さを、西国の武士と比べた昔の手紙のようなものが現代語訳
で載っていました。 現代語訳は以下のようなものだったと思います。
「西国の武士は、戦で親や兄弟が死ぬと、悲しんで葬式が終わるまで戦おうと
しません。しかし、東国の武士は、たとえ親兄弟が死のうと、そのしかばねを
踏み越えて戦います」というような感じでした。
これが何という資料だったのか、ちょっとわかりません。
今何を見ればおおよその内容がわかるか教えていただきたいです(当時の教科書は
すでにありません)
868 :
日本@名無史さん:03/11/05 06:31
>867
それ、平家物語の一節ちゃうか?
869 :
日本@名無史さん:03/11/05 12:50
870 :
日本@名無史さん:03/11/05 16:19
>855
朝鮮戦争は日本の陰謀
ヽ ノ `ヽ r´ ヾ ソ
~ヽヽ U /ノ
ヽノ
.∧_∧
-´⌒二⊃ <=( ´∀`) ⊂二⌒丶
_ソ. (つ870つ ヾ__
人 Y
レ (_フ
朝鮮人がいるぞ!
872 :
日本@名無史さん:03/11/06 13:47
「ジャップ」ってどんなニュアンスなんでしょう。
辞書にはアメリカ人による蔑称とでてましたが、
日本人がチョン、チャンコロ、ロ助、と蔑称するような感じで、
ニポ・ニポ野郎・ニホ公ってニュアンスでしょうか?
あと、「ヤンキー」ってのは、アメ公って感じですかね?
873 :
日本@名無史さん:03/11/06 14:17
>872
国連での例のニュース見て書いただろ?
ジャップについては、だいたいそれで正解。
ヤンキーは蔑称ではなく、普通にアメリカ人自身も使う。
ニューヨーク・「ヤンキース」だしな。
本当はチョッパリって言いたかったんだろうなw
876 :
日本@名無史さん:03/11/06 20:21
ヤンキーは、普通にアメリカ人を指すときもあれば、
侮蔑的に使うときもある。
安保世代は「ヤンキー・ゴー・ホーム」とデモってた。
沖縄では今でも使うが。
大学で講義を聴いていると教授が伊藤博文を「イトウハクブン」
徳川慶喜を「トクガワケイキ」といったように人名を音読みする場合が良くありますが
これは何故でしょうか?
878 :
日本@名無史さん:03/11/06 20:56
藤原定価みたいなもんだろう
879 :
日本@名無史さん:03/11/06 21:13
>>877 平安時代とかなら、藤原定家とか藤原俊成みたいな文化人が本名の「さだいえ」や「としなり」ではなくて
尊敬の念をこめて漢読みの「ていか」や「しゅんぜい」と呼ばれた
でも伊藤博文や徳川慶喜の場合はどうなんだろう?
(もしやK教授の講義でつか?)
「むかしの人の読み方はよくわからんのでこう読むことにしている」
と言っていたよ。業界標準なのかな?
881 :
日本@名無史さん:03/11/07 01:14
>>872 JAPはもともと蔑称ではなかったが、
蔑称として使うようになった。
ヤンキーはもともと現在のNY周辺に居住していたオランダ系住人のことを指す。
次第にWASPなど北部東海岸の白人のことも含まれるようになったが、アメリカ人全般ではない。
したがって本来、南部人はヤンキーではない。
しかし外国人は、とくに南北戦争以後、アメリカで主導的役割を担ってきた北部の人間が
アメリカ人全体を表すものとしてヤンキーとよぶようになった。
>878,879 レスありがとうございます
>880 残念ながら違います。別の講義でも複数の教授が人名を
音読みしていたので割と普通に使われているのかな、とは思いました
883 :
日本@名無史さん:03/11/07 01:50
>>877 上の世代の方々はけっこうその呼び方をするね。
もともとは実名をそのまま呼ぶのは失礼だから
という理由でそうしてたんじゃないのかな。
そのうちに音読みで呼び習わすのが普通になってしまったと。
>>880 そういう場合もあるな。
足利「義詮」などは本当のところはなんと訓むのか分からないので
便宜的に「ギセン」と呼んでいる人もいる。
通称として漢音で読む事はよくあるでしょ。
山下奉文とか。
885 :
日本@名無史さん:03/11/07 14:39
小林源文とか
886 :
日本@名無史さん:03/11/07 14:39
戦国時代の武士は、なんのためにマゲにしてるの?
887 :
日本@名無史さん:03/11/07 17:28
>>886 兜をかぶると頭が蒸れるので、横は残して上部を剃る
で普段は周りの髪を束ねて上に乗っければマゲの完成
888 :
日本@名無史さん:03/11/07 20:24
>886-887
辮髪の変形という説もあるが。
平安時代から髷自体はあったしな。
889 :
日本@名無史さん:03/11/07 20:25
>884
阿藤海とか。
吉本隆明のことをりゅうめいとか言わない?
891 :
日本@名無史さん:03/11/08 00:13
>>887 いや髪があると兜がずれるのでその防止。
髪は兜に結ぶ。
何で堺の茶人は「宗」の付く人が多いの?
千宗易とか今井宗久とか津田宗及とかさ
893 :
日本@名無史さん:03/11/08 04:45
司馬作品の史実と創作の部分を見分けるコツってありますか?
>>868 869
平家物語だったんですね。詳細もわかって疑問氷解です。
ありがとうございます
あの。前にスレを立てちゃったんですが
信長の叔母で甲斐で信長に会いに行き斬り捨てられた
人は誰ですか ここの人に「おいぬ」と指摘されたんですが
「おいぬ」見てみたら妹だし・・
妹でも「叔母」と誤表記したんでしょうか? 謎です
日本史板のレベルが非常に低下した、2年前はこうではなかったとうかがったのですが、
2年前に一体何があったのですか?
898 :
日本@名無史さん:03/11/08 13:41
>896
小林よしのりが劣化したから信者も劣化した。
899 :
日本@名無史さん:03/11/08 17:17
セーラームーンの世界では、どうして「水金火木土」という、中国の
五行説に基づく性質と、ローマ神話に基づく性質が、ごっちゃになって
いるんでしょうか?
900 :
日本@名無史さん:03/11/08 17:19
まんこ
901 :
日本@名無史さん:03/11/08 20:20
宇宙刑事ギャバンのコンバットスーツの蒸着タイムは0.05秒、
シャリバン、シャイダーに至ってはわずか1ミリ秒で赤射、燒結をしますが、
そのような非常に短い時間いにもかかわらず、何故彼らはあのような複雑な変身ポーズをしなければならないのでしょうか?
ゴレンジャー並に簡単にした方が、合理的であると思うのですが・・・
902 :
日本@名無史さん:03/11/08 21:36
>>849 朝日新聞に載っていた磯田道史氏のコラムに
『略)まず、家老・番頭・物頭・平士までが「侍」身分(士分)である。
その下に「徒士」身分、さらに下に「足軽以下の奉公人」身分があった。
この「身分内身分」による差別はすさまじい。袴がはけるのは侍と徒士
だけ。足軽は袴どころか、下駄も足袋もはけず裸足での外出を強制され
ていた。さらに諸藩の法令を調べてみると「侍が足軽を土下座させる」
のは当り前だった。熊本藩などでは、侍の威光が強く、足軽を「切り捨
て御免」にしていた。(略』
と、あったんですが、禄の少ない小藩の徒士(数人扶持)の方が、禄の多い
大藩の足軽より、身分が上なわけですよね。
です
904 :
日本@名無史さん:03/11/08 21:45
>>899 それはセーラームーンの世界観が、中華文明の伝統を継承するものでも、
地中海文明の伝統を継承するものでもないからです。
ヘレニズム文明の残骸の中から西洋文明が立ち上がったように、
日本に流入していた様々な文明の残骸を素材として、独自に打ち立てられたのがセーラームーンの世界観、
専門用語でいわゆるセーラーワールドなのです。
残骸によってポップ&ライト&チープに構成することによって
特定の文明圏の伝統的世界観に一方的に拘束されることなく、逆説的に、部分の象徴でなく、
全体の構造から世界観をよみとることができるように、という隠された配慮でもあります。
>>901 ちっちゃなお友達は頭のいい子が多いので901と同意見が多いのだが
複雑な変身ポーズがないと、おっきなお友達から関係各所に粘着な苦情が殺到するからでつ。
大藩の足軽と小藩の徒士、どっちが幸せだろう。
908 :
日本@名無史さん:03/11/09 02:33
大藩の本家の家臣とと小藩の分家の家臣との通婚を見てみると、
大体同じ禄の武士とで通婚がある。
たとえば小藩の家老クラスと大藩の上士クラス。
909 :
日本@名無史さん:03/11/09 06:56
>>908 大藩=本藩、小藩=支藩、という関係でしょうか?
こういう関係なら、
禄高と家格に対応関係があるのだと思いますが
全く無関係な藩の間で、こういう関係が成り立つのでしょうか?
910 :
日本@名無史さん:03/11/09 07:32
坂本竜馬の研究本が読みたいのですが何が良いでしょうか?
小説以外でお願いします。
911 :
日本@名無史さん:03/11/09 10:41
近江は近い江ということで、琵琶湖のことだと思うんですが、
遠江っていうのは浜名湖を指すのですか?
913 :
日本@名無史さん:03/11/09 15:52
914 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:25
>>896 今年の夏頃には鯖の仕様のせいか過疎化が進んだのを体感したけど、二年前に何があったのかは分かんない
コテハンさんは減った(自分がそっち系のスレ読まなくなっただけかも)
近現代?だと神道研究家さんとか平泉澄さん、古代?だと、土器の名前をコテハンにした人が結構いた
中世には元々コテハンさんがいなかったかな、今でもプロの博士号もってる人たちが参加してるけど名無しだし
915 :
日本@名無史さん:03/11/09 16:53
>>914 素人は書き込んじゃいけないのですか?ときどき袋叩きにあってる人いるけど・・・歴史好きの素人
が潰されていく様な気がする。もう立ち直れないだろうなあの人たち。
>>914 > コテハンさんは減った(自分がそっち系のスレ読まなくなっただけかも)
当たり前だ。
みんな伊達遠江守家中の同類と思われるのは誰しも嫌なものだ。
思い込み厨呼ばわりされるのに堪えられない有識なコテハンは全部それで去っていった。
だから、遠江守家中の責任が最も重大じゃなかろうか。
>>915 本当に凄い人たちは、相当に逝った発言でもしない限り優しく対応してくれてるような
(某スレでググルすらしないで山野さんに呆れられてる人はいたけど)
自分もバリバリの素人ですが、素人のほうが圧倒的に多いでしょ
素人の自分が言う事じゃないけど、気にしないでもいいんじゃない?>素人は書き込んじゃいけないのですか?
>>916 神道研究家さんとか平泉澄さんとかが消えたのは、伊達さんが出てくるずっと前
がばろんさんのコテに呑まれてるMさんも居たころ
918 :
日本@名無史さん:03/11/09 18:16
華族制度はイギリスをモデルにしたのでしょうか?
それともプロイセンなのでしょうか?
919 :
校長が強盗:03/11/09 18:23
921 :
日本@名無史さん:03/11/11 16:25
華族制度って古代中国がモデルなんじゃねえの?
922 :
日本@名無史さん:03/11/11 16:52
ヨーロッパの貴族の爵位も中国の五等爵位も、まず領地があってそれにつく称号。
日本の華族制度の爵位は、領地と無関係にただ称号だけ。世界に類をみない。
これに近いものは古代の秦漢帝国の二重等爵位や高句麗・百済・新羅・日本の律令制の官位など。
923 :
日本@名無史さん:03/11/11 20:46
>922
つまり半島がお手本ということだね。
924 :
日本@名無史さん:03/11/11 20:59
基本的には華族令は貴族院の選出母体を作るためのものです。
で、ランク付けに中国から公侯伯子男を借りてきた。
そういうもんだと思うのですが。
925 :
日本@名無史さん:03/11/12 03:59
西南戦争についてですが
西郷南洲が相手だからそれを略して「西南」という
説を聞いたんですがどうなんでしょう?
今まで鹿児島の地理的な位置をさしていると思ったのですが
926 :
日本@名無史さん:03/11/12 15:30
華族制定は1869年。貴族院用に改正はしたが、もともとは旧体制への政治的融和策では。
1984‐87年に華族となった者は,総数で566名,うち旧華族483名(旧華族の分家
などを含む),新華族83名で,新華族は薩長出身者が過半を占めた。
この華族の創出は,近代天皇制において,これらの華族を皇族の〈藩潅〉に
するためであった。
したがって,ヨーロッパの貴族が,王権に対して事実上相対的独自性をもって
いたのに対し,日本の華族は,維新当初いったん特権を否定され,近代天皇制強化
のためあらためて創出された存在だった。
>>925 西南の役かぁ・・・「せいなん」だよね。「さいなん」とは言わないからなぁ。
方角だと思っていたが、どこに載ってたの?
927 :
日本@名無史さん:03/11/12 17:09
雄略天皇(Emperor Yuryaku457-479) のエピソードについての質問です。
ある海外の文献を読んでいたら
「雄略天皇は彼の宮殿ににた建物をみてそれを燃やすように命令した。
しかしその持ち主が白い犬を贈り物として差し出すと、天皇は命令を
取り下げた。」という記述がありました。ここにでている白い犬が
どういった種類なのか知りたいので、この記述でてきたエピソードの
もとになった文献をあたってみようと思っています。googleで検索してみ
たのですが、やり方がまずいのかなかなか探し出せないでいます。
もし、文献の名前などについてなにかご存知の方がいたら教授いただければ幸いです。
928 :
日本@名無史さん:03/11/12 20:23
華族制度は特定の国の影響は受けていないということでよろしいか?
929 :
日本@名無史さん:03/11/12 20:29
英国の影響を受けてます
>>927 つーか、なんでそんなややこしい遠回りな検索をするのかまったく理解できない。
普通に古事記を読めばすぐ該当記事が見つかると思うのだが。
(※ちなみに文献からは白い犬以上のことはわからないよ。その時代に日本に
いた種類の犬だろう。弥生遺跡から出土する犬の骨から調べた方がいいかも)
931 :
日本@名無史さん:03/11/12 21:15
秀吉は種無しですか?
もしそうなら秀頼の父親はだれ?
932 :
日本@名無史さん:03/11/12 21:19
葛飾北斎が最後のほうに書いた絵は
猫だと思うんですけど何ですか?[動物で]
このような絵しか描けん見たいなことを言ったと
記憶してますが?
出来れば、その絵のリンク先もお願いします。
通史を1セット買おうと思うのですが、山川の「日本歴史体系」
はどうでしょうか?図書館で借りてみた限りでは資料、や注も豊富で
よさそうなのですが。
聖徳太子の未来記って本当に存在するのですか?
それとも、また例によってデマですか?
935 :
日本@名無史さん:03/11/13 01:14
>934
デマ。
「未来記」本で、その未来記の実物を出しているもの皆無。
トンデモ本の世界に載っているくらい、その筋では有名な話。
徳間かどこかの未来記本で実物の写真があったよな・・・
未来記ってのは太平記の中にでてくる架空の書物。
938 :
日本@名無史さん:03/11/14 16:53
未来日記は実在する!
939 :
日本@名無史さん:03/11/14 21:05
釣られました。
941 :
日本@名無史さん:03/11/15 19:14
694 名前: ◆L9iTGTI77g 投稿日: 03/11/14 04:44
693>ウチの先祖は郷士で北海道開拓に行ったが、平民のままだった。
697 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 03/11/14 22:29
>>694 郷士はほとんど士族になってるはずだが・・・ネタ?それとも多田郷士?
699 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 03/11/15 04:36
>697
おそらく嘘
両親とか祖父母とかの嘘を信じている悲しい人
700 名前: ◆L9iTGTI77g 投稿日: 03/11/15 14:14
697>んなことない。見てると郷士でも「上席」格以外は平民。
どうなんですか?専門家のみなさま、僕は不勉強なのでよく分かりません。
源頼朝や義経、平清盛には名字は無かったのでしょうか?
「木曽義仲」の木曽や「蒲の冠者範朝」の蒲は名字でしょうか?
頼朝や清盛に名字が無いとすれば、やはり武家の棟梁的な特別な家系
として扱われていたと思っていいんでしょうか?
「蒲の冠者範朝」×
「蒲の冠者範頼」○
944 :
日本@名無史さん:03/11/15 21:59
あの頃は苗字といより号でしょ?
頼朝んちなら、鎌倉〜とか、重盛んちなら小松〜。
頼朝弟の希義なんかは吉良〜とか呼ばれてる。
945 :
日本@名無史さん:03/11/16 06:37
光源氏(ひかるげんじ)って源光(みなもとのひかる)ですよね。
ということは、平清盛を「清盛平氏」とか、菅原道真を「道真菅氏」など
という呼び方が存在したのでしょうか?
946 :
しったかぶり:03/11/16 10:44
光源氏は、紫式部が書いた「源氏物語」の主人公で架空の人物。「光る
ように美しい源氏の人」だからそう呼んでいるだけ。
嵯峨源氏だったかに源光という人は実在したけど、物語とは関係ない。
平清盛を「清盛平氏」とか、菅原道真を「道真菅氏」などという呼び方を
したのは貴殿が初めてかと。
>>945 まず、光源氏の本名は源光ではありません。
ですので、光源氏の用例をもって名・氏の順に人名を読む習慣が
あったとはいえない、というのが結論になります。
「光源氏」と呼んでいる例が『源氏物語』の中にあるかも知れませんが
『桐壺』巻では
「光る源氏の宮」(漢字・かなの区別は適当です)と呼ばれているはずです。
貴人の本名を呼ぶのは失礼なので、臣籍降下した桐壺帝の愛息を、
「源氏の宮」とよびならわしたのが最初だったのでしょう。
そして「輝く日の宮」と呼んだ藤壺(先帝の皇女)と並べて
「光る源氏の宮」と呼んで、その美しさをたたえるようになった、というのが
物語の設定です。
ちなみに、光源氏の本名は物語の中に出てきておりません。
>>947 うお、かぶった。リロードすりゃ良かった。
949 :
日本@名無史さん:03/11/16 11:35
光源氏のモデルは河原左大臣源融じゃなかったか?
>>946-947 ありがとうございます。
では薫源氏も「源薫」(みなもとのかおる)ではなく
「薫るように美しい源氏の人」ってことなんですかね?
>>949 「物語のモデル」と「劇中のキャラクター名」は違うでしょ?
>>950 「薫源氏」ではなく、「薫君(かおるきみ)」ですよ。
香を使わなくても体から良い香りがしたから、そう呼ばれました。
彼と並び称されたのは、明石中宮の三の宮で、
梅(サクラだったかな?)が匂うように美しかったので、
「匂う(の)宮」と呼ばれました。
ちなみに老婆心ながら、匂宮の「におう」は香りじゃなくって
「花の美しく咲くさま」のほうですから、ご注意を。
952 :
日本@名無史さん:03/11/16 16:01
郷士について質問なんですが・・・戦国期に武士で江戸期に庄屋や大百姓に属した人たちが自称で郷士と名乗ること
は結構あったのでしょうか?十津川郷士みたいに・・・。
>952
ははは
自分で答え書いてるジャン
954 :
日本@名無史さん:03/11/16 17:16
>>953 結構あるのですか?十津川は一例ですけど・・・。
955 :
日本@名無史さん:03/11/16 17:28
彰義隊、白虎隊、五稜郭、赤報隊、長岡藩の戦い等が載っている戊辰戦争の本はないでしょうか?
1つ1つ追っていくと時間がかかってしまうので、できれば1冊にまとまってるものを読みたいのですが…。
>955
「イラストで見る戊辰戦争」(新人物往来社)が,当方の蔵書の中では該当.
ただし絶版.古書店を回るべし.
>>951 なるほど。光も薫もニックネ−ムみたいなもんで本名不詳なのか・・・・
どうもありがとうございました。
958 :
日本@名無史さん:03/11/17 09:48
新スレはどうするんや?
何番ふんだ奴が立てろとか、
スレとか板とかによって決まりがあるんじゃネーノ?
960 :
日本@名無史さん:03/11/17 23:01
920〜960までの所要時間を見ると、あと1週間ぐらい持ちそうだな。
980ぐらいが立てればいいんでない?
スレの速さで建てるタイミングは違う。
このままなら970過ぎでいいんじゃない?
>>960 なーんで左脇にスペース入れるんだかなぁ・・・。
下手に入れられるとテンプレ直しにウザクない?w
963 :
日本@名無史さん:03/11/17 23:22
>>956 ありがとうございました。でもネット上では古本は見つかりませんでした…。
964 :
日本@名無史さん:03/11/17 23:23
足利幕府が滅亡したのは何年と考えるのが妥当?信長によって追放された時?その後の備後時代はいつまで考慮しますか?
畿内とは
1。大和、河内、摂津、和泉、山城 の5カ国の地域
2。京都とその周辺。
どちらでしょうか?
967 :
日本@名無史さん:03/11/18 00:00
摂津国(兵庫県・大阪府)・河内国・和泉国(ともに大阪府)・大和国(奈良県)・山城国(京都府)の5か国の総称。
五畿内ともいう。もとは中国の制度で,王城を中心とした一定の地域をさすが,日本ではこれにならい,大化の改新のさいに畿内の制を定めた。
初め4か国であったが,のちに和泉が河内から分かれて,5か国となった。
969 :
日本@名無史さん:03/11/18 00:12
うめ〜
971 :
日本@名無史さん:03/11/18 19:18
会津の発音はアイヅ(↑→↓)とアイヅ(↓→→)のどちらが正しいんでしょうか?
阿賀野川の支流が一杯あるから、会津なんだろうか。
973 :
日本@名無史さん:03/11/19 13:29
>>930 ども、返答いただきありがとうございます。今、
アメリカ人の犬観を調べているのですが、その
過程で、日本の犬に関するアメリカ人の手になる
英語の文献がでてきたのです。とはいえ、その本は引用もなく
私自身もいかんせん畑違いのためか、古代の文献などについて
はうといもので、上のような質問をさせていただきました。
指摘にあった、古事記のほうをあたると、該当する文章がでて
きましたが、これを読むとたしかに白い犬としかかかれてないですね。ただ
大君が怒りを静めるくらいその白い犬は珍しいか、貴重なものだったと
いうことを暗示しているように思われます。白い犬というだけで極めて
貴重であったという考えもあると思いますが、もし当時、大型犬が希少で
あれば、その価値もあがるのではないでしょうか?(あるいはその逆も)
従って、当時の犬の大きさと価値との関係がわかればその犬についても
もう少し示唆するものがあるのではないか?とも考えられます。
雄略天皇は457年から479年だそうですが、当時(古墳時代あたり?)
の遺跡からでた犬について日本犬の本で少ししらべたところ、
・浜璽遺跡 (福井県)から出土した骨については、、
中小型犬サイズでシバイヌや縄文犬とほぼ同じ大きさ。
ただし、骨格の形態は縄文犬とは異なる
・蓼原遺跡(神奈川県)からの出土では秋田犬かチャウチャウに
など大型犬に相当する大きさの下顎骨が出土している
ということで出土した犬のサイズについてはかなり幅がありました。
が、そもそも出土数自体が少ないために、どの程度の頻度なの
かを示すまでには到っていないようです。雄略天皇のいた時代における
大きな(あるいは小さな)犬の希少性や価値などについてはご存知ないでしょうか?
974 :
日本@名無史さん:03/11/19 13:33
日本人妻の事なんですが
日本人妻の女性は昭和34年から、在日朝鮮人の夫とともに
北朝鮮帰還事業で同国に渡った女性という事なんですが
そもそも「在日朝鮮人の夫」は日本へは強制労働か何かで
連れてこられてた訳でしょうか。
975 :
日本@名無史さん:03/11/19 13:40
そういう人もいれば自分から働きに来た人もいる
976 :
日本@名無史さん:03/11/19 13:53
あ
977 :
日本@名無史さん:03/11/19 13:55
おれのはいれねーすれっどあるが
そんなにおれがけむたいか?
痛かったか?
おれの少林寺憲法のケリは強烈だからな。
978 :
日本@名無史さん:03/11/19 14:32
昭和の最初の20年間を一言で説明してください
象徴でもかまいません
政治史の講義で「あの頃の日本とは柿だ」と言われて以来、気になってます
ネタでなくてマジです
(変なスレで質問してしまいましたが断っておいたのでマルチではないです)
979 :
日本@名無史さん:03/11/19 16:19
>978
講師に聞けよ。
>>973 考古学については疎いのでよくわかりませんが
当時、犬が希少であったとか貴重であったという様子は文献からは伺えないのではないでしょうか。
おそらく「犬」が重要なのではなくて「白い動物」というのが何か宗教的な意味があったのではないかと。
983 :
日本@名無史さん:03/11/19 23:37
武士って褌&袴で立ちション出来たのかな?
984 :
日本@名無史さん:03/11/19 23:41
>>933 はかまはいたことありますか?
すそをたくし上げればできますよ。
袴をたくし上げると通史が買えるんですか?
通史なんか文庫で買えよ。
988 :
日本@名無史さん:03/11/20 18:31
989 :
日本@名無史さん:03/11/21 01:14
>>978
未成熟な西欧化
大衆の暴走
991 :
日本@名無史さん:03/11/21 19:32
992 :
日本@名無史さん:03/11/21 19:33
993 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:10
取敢えず埋めません?
995 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:15
994
梅梅
997 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:18
今度こそは997
997
……ちっくしょおお
1000 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:19
うんこ
1001 :
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