すると、大豆を食べ過ぎると体に悪いとかいうニュースが最近あったが、
あながち笑い飛ばすことはできないってことですかね?
納豆は一日ワンパックまで。
ガラス豆ってググッても判らなかったのですがどういう用途で使用するものなのですか?
うまく加工すれば毒性が無くなるのです?
「ガラスマメ」と、すべてカタカナでぐぐってみなさい。
>>937 大豆を食べ過ぎると体に悪い、と言う議論は実は女性ホルモンの過剰摂取に
よる環境ホルモンの害という議論に繋がっていて、かつ女性ホルモン→美容にいい
という議論にも繋がってるニダ。環境ホルモン説を採るならば日本人のチンポが
小さいのは大豆を食べてきた歴史が長いからということになってしまい、結局
過ぎたるは及ばざるが如しというクソ議論に落ち着いてしまうニダ。
>>941 じゃあ大豆はちんぽが十分成長してから摂取だな。
>>941 じゃあ逆にちんぽを大きくさせるにな何を食べたらいいですか?
えのきをまつたけにしたいです。
そんな事を言うと、鋼の錬金術師に叱られます。
>>943 植物性食品では山芋。男性ホルモンを活性化させるのだとか。
>>943 俗説的には、ほかの動物のペニス料理を定期的に食い続けるのが正解かな?
947 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 21:35:24 0
ゼンマイやワラビを食うと、アクであっちのほうがダメになるそうです。
コンビニでマカのサプリを買うときに、女性店員だと気が引ける漏れは未熟者ですかw
>>941 ニダのチン長は平均9cmだそーじゃないか。
朝鮮料理は回春強壮を謳ったものが多いのにねw
朝鮮人参は昔から朝貢品の定番だったそうだし。
日本人は膨張率が凄い
>>928 漏れの蕎麦アレルギーの友人は、カップ蕎麦で駄目だったよ
953 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 00:18:57 0
仏教で韮や大蒜、ネギのような臭いのの強い野菜が嫌われたのは、精力増進に効果があるゆえ
修行の妨げになるから、とのことだが・・・
だから大蒜ばかり食うチョン国ではレイープが日常茶飯事なのかw。
>>948 誰が何を買ってるか、店員さんはいちいち気にしてませんて。
それでも気になるなら、普段寄らない店に行けばいい。出張ついでとか。
>>953 口臭が来迎の妨げになった、という話もあります。
酒や五辛の臭いをさせたもの、女犯後のものは臨終者に近づけなかったと。
清浄というイメージからは遠ざかりますからね。
風呂や楊枝や洗面・手洗いが数々の経典に出て来るのも、その為です。
礼拝は勿論の事、経典などに触れる前でも嗽・手洗いは必須。
わが国の古典で衛生関連の行動が出るのも、おおむね仏教関係でしょう。
殷滅亡後、周王朝に仕えるを潔しとせず、山にこもってゼンマイやワラビばかり食べていた
伯夷と叔斉の兄弟の死因は、山菜のアク抜きをしっかりしなかったため、という説もあります。
なお、明治初期に来日した清の役人が、明の遺臣で日本に亡命し、水戸徳川家に仕えた朱瞬水を
「伯夷と叔斉は周の穀物は食わなかったが、周の山菜は食らった。
朱先生は清の穀物も山菜も食わなかった。
まさにその徳は伯夷と叔斉に勝る」
と、誉めています。
>>956 >なお、明治初期に来日した清の役人が、明の遺臣で日本に亡命し、水戸徳川家に仕えた朱瞬水を
>「伯夷と叔斉は周の穀物は食わなかったが、周の山菜は食らった。
>朱先生は清の穀物も山菜も食わなかった。まさにその徳は伯夷と叔斉に勝る」と、誉めています。
革命派ならともかく、その清朝の粟を食む者がこんなこと言っていいのか?
その清国人、黄なにがしが日本をネタに詠んだ漢詩集、「日本雑事詩」が
東洋文庫から出ているから、読んで見ればくわしく判るかもしれん。
ちなみにその朱先生が、水戸黄門に「ラーメン」の造り方を伝授した、という
俗説は有名。
世界史板では否定されているが。
麺の生地に蓮根の澱粉を用いるのは一般的だったんでしょうか。
それを認めると、最初にラーメンを作ったのは実は、朱さんというオチ
>>955 イスラムでもニラ、ネギ、ニンニクの類いの料理を食したら
人との歓談は極力避け、礼拝は行わないようにとハディース
などでは勧告していますな。
宗教関係の行為には口臭を避け、沐浴や歯磨きなどで可能な限り
心身を清浄に保つべし、という観念はどこでも同じようですね。
あ、でもチベット仏教は入浴は厳禁ぽかったような・・・
皮脂を落とすと当時のチベットでは命取りなのかもね
清浄好きなのは、「神道」に限りませんからね。あれは、なんでもかんでも
悪いものは祓う=送るという点で、他に方法が無いのが特化していますが。
チベットなどは、環境によって入浴が風邪に繋がるから無理ですね。
(清浄な生活ばかり送れる人間はあまりいない訳で、信仰が大衆化して来る
と、「このお経(やり方)は浄不浄を嫌わない」というのが支持される。)
>周の山菜は食らった。
この批判、どこかで読んだ憶えがありますね。割とよく聞かれたものか。
>>963 バターを肌に塗りこんでいたくらいだから、保湿の目的ですかね。
仏教においてニラやタマネギなどが嫌われたのは、ニオイもそうなのですが収穫することで
そのニラやタマネギの命を奪ってしまうからです。
元々はそうでした。
ジャイナ教では、同じ理由で根菜の食用を禁じていますな。
さて、シベリア先住民も入浴をしませんでした。
それは、「垢を剥がし去ると、それだけ寒さに弱くなるから」
「体臭が薄くなると、道に迷ったときに犬に見つけてもらえないから」
だそうな。
>>964 伯夷叔斉が周の粟は食わなかったが周の山菜は食ったという批判は
たしか史記列伝じゃなかったかな?うろ覚えスマソ。
>>968 ありがとうございます。心より御礼申し上げます。
魯迅の小説、「采薇」でも、女中に「天下のワラビが我が聖上陛下のものでないといえるか!」と
と女中に投げつけられた伯夷叔斉の兄弟が、絶望して餓死する記述がありますな。
蕨は食べ過ぎると身体がだるくなる。
なので父母の喪に服すときには敢えて過食常食するのが
儒教の習慣だとものの本で読んだ覚えがあるような。。。
埋めついでに、ワラビ餅って昔はワラビからとった澱粉で作ってたんだって。
と、つまらない事を書いてみる。
葛餅もワラビ餅も、最近ではみんなジャガイモ澱粉。
>>968-970 気になって史記の伯夷叔斉列伝を調べてもその話は載っていなくて、でも
確かに読んだ記憶がある、あれは何だったかなあ?と思っていたが、魯迅の小説だったのね。
確かめました。中央公論社「世界の文学 第47巻 魯迅」所収の「蕨を采む」を376ページから引用します。
「『普天の下、王土に非ざるは莫し』よ。あなたたちの食べてる蕨が、わたしたちの
天子さまのものでないとでもいうの!』」
見事な台詞なので、史記と混同しておりました。
恐るべし、文豪の筆力および私の記憶力の無さ。嗚呼。
いや、史記列伝にあるぞ?
>武王、已に殷の乱を平らげ、天下 周を宗とす。
>而るに伯夷・叔斉、之を恥じ、義として周の粟を食まず。
>首陽山に隱れ、薇を采りて之を食う。
覚えてる限りでは呂氏春秋と孟子にもちょろっと出てたと思う。
それはそうと仙人の食い物、というか中華薬膳としては
野蒜やら蒜やらが多用されてるよね。松の実とかもあるけど。
知り合いの中国人はお茶でうがいして
「口臭消えただろ?」
っていうんだがいつもザーサイ臭い…。日本人も味噌&納豆臭いんだろうか?
>976
いや、975は、「周の穀物を食べなかったが、周のワラビは食った。」
この事はおかしい、と非難する文が史記にあったような気がする。と言いたいんだよ。
確かに自分も、史記かどうかは定かではないが中国古典に
「穀物は食わずともワラビは食った。結局周の物を口にした」と兄弟の行いを非難する文を
見た覚えがある。
>>957 処刑を決めた幕臣も赤穂浅野の浪士の忠臣ぶりを誉めていたいたりるんだが。
>973,974
ワラビから取った澱粉であるワラビ粉は色が薄茶色で少し苦味がある。それに時間が経つと溶けて
くるので作り置きが難しい。
和菓子屋でもワラビ粉を使ったワラビ餅を出すところは非常に少ない。葛粉を使ったものなら
まだいいほうでサツマイモ澱粉のものも多い。
コンビニやスーパーで売られているワラビ餅はジャガイモ澱粉でなくサツマイモ澱粉の方が多い。
ジャガイモ澱粉だと粘りが少ないのでサツマイモ澱粉やタピオカ澱粉を混ぜて使う。
ワラビ粉が多いと色が薄茶色から黄色、葛粉とサツマイモ澱粉は透明だが冷やすとサツマイモ澱粉
を使った物は白くなる。
本蕨粉の作り方は大阪の芭蕉堂のHPにあります。
ttp://www.bashoudo.com/aboutwarabi/index3.htm 本蕨粉は非常に高価で1kgで数万円、葛粉の5倍くらいの値段。サツマイモやタピオカの
澱粉は本蕨粉の1/10以下の値段。輸入品だと1kg数百円ととても安い。
関東の和菓子屋ではワラビ餅を作るところは少なく、牛肥に抹茶で色づけした薄皮を巻いたものを
ワラビ餅と呼ぶこともあるそうな。
つか、ワラビの灰汁がどうであれ、
ワラビが採れないシーズンになったら餓死。
ワラビが取れない時期になったら、根を掘り起こしてワラビ澱粉とって生活するしかない。
ま、澱粉を取るのはとんでもない重労働だし、根を採ってしまったら翌年の収穫は望めないが。
1キロ数百円というと、とてつもなく高価なんだが……
そうかぁ?安い薄力粉が一`150円、
赤穂の本塩が一`300円で買えるが?
ワラビはヨーロッパにもあるけどなぜか食べなかった。
なお、魯迅の小説の冒頭、伯夷叔斉の兄弟は周の国の養老院で、「烙餅」なるものを
食べて生活している。
おそらく小麦粉のお焼きか何かだろうが、この時代はまだ製粉技術が発達していない。
したがって、日常的にはキビや粟の飯か粥を食していたはずである。
もっとも初期の製粉なんて、鉢のような容器に入れ、棒でつついたものだったから、製粉技術が
発達してないから、これはありえない、こうに決まってるというのは早計だったりすることもある。