昔の武士の言葉遣い

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1日本@名無史さん
「〜を愛してる」とか「〜でござる」とか本当に言ってたのか?
昨日アンビリーバボで武士の霊に取り憑かれた女が言ってたもんでね。
2山野野衾:02/03/08 14:11
「〜を愛してる」は無いでしょう。江戸時代には愛というと野暮な者とみら
れましたから。これは町人の話ですが、武士でも愛を語る事は無かった筈。
「好色五人女」だって元々「愛」などという下らないものに身を焦がした馬
鹿女達の話だったのが、今ではいい意味で「純愛モノ」とされています。
好いた惚れたはあっても、「愛を語る」なんて事は無かったでしょう。
3日本@名無史さん:02/03/08 14:19
それじゃ、アンビリはやらせ番組ですかね?
4日本@名無史さん:02/03/08 14:23
タイトルからしてヤラセ
5:02/03/08 14:52
「〜でござる」はどうなんでしょうか?
僕は、昔っぽく錯覚を起こさせるために「ござる」とか言ってると思うのですが。
6:02/03/08 14:54
くだらない質問スレに質問することにしました。
答えてくださった皆さんありがとうでした。テヘ
7日本@名無史さん:02/03/08 18:05
>>6実は私も前々から「〜ござる。」について気になってたんでやんすよ。テヘ
8日本@名無史さん:02/03/08 18:46
 新撰組の番組だと、お互い「山南君」とか「土方さん」とか今風に
言い合ってますけど、これって当時の風習なのかな?いつごろからあ
ったのだろう…?
9日本@名無史さん:02/03/08 18:50
昨日のアンビリーバボ、あまりにうそ臭くて気持ち悪くなった
10日本@名無史さん:02/03/08 19:23
唐津は今でも関東弁?
11日本@名無史さん:02/03/08 21:55
〜さん って言い方は幕末あたりには結構広まってたのかな
12日本@名無史さん:02/03/08 21:56
2はだれだ。
13日本@名無史さん:02/03/08 22:12
江戸時代、「参勤交代」なんかが頻繁にあったころ、
地方の武士たちは互いのお国なまりで会話が成立しなくなる
ことをさけるため、「共通語」として謡曲の言葉遣いをする
ようにしていた、と昔どっかで聞いた。
ソース無くてスマソ。
14日本@名無史さん:02/03/08 22:34
中津藩大坂藩邸の武士は大阪弁だったみたい。
「福翁自伝」の最初のほうに出てくる。
15日本@名無史さん:02/03/08 23:26
ヌきとうござる
16日本@名無史さん:02/03/09 00:17
江戸時代の町人が、江戸勤番の田舎侍をからかって
「浅黄裏」とか「武左衛門」とか言っていたが、その中に
新五左(しんござ)ってのがある。
これは江戸に来たての侍が、訛りながらも、「ござる」を連発する事を
からかって付けられた蔑称だから、当時武士が「ござる」を言っていた事は
事実と思う。

武士言葉の発生は13さんが言ってるような理由。いわば丁寧語のような
ニュアンスで使用されていた。内々では方言で話していたようです。
17日本@名無史さん:02/03/09 02:11
>>13 >>16
で、謡曲風の喋り方って実際どういうものよ?
節付けて喋ってたの?
18日本@名無史さん:02/03/09 02:15
>>15
さようか。そこもとのオカズは何でござる?
19日本@名無史さん:02/03/09 02:17
>>1
昔の人は字も巧い。
20日本@名無史さん:02/03/09 02:19
江戸の人のはわからんけど、
幕末や明治の人の字ってめちゃくちゃうまいよな。
下手なのって坂本竜馬の手紙ぐらいしか知らん
21日本@名無史さん:02/03/09 02:24
>>18
MEGUMI写真集に御座候。
お手前も抜かれよ。
22日本@名無史さん:02/03/09 02:42
>>20
戦前の人で普通にそれなりの教育を受けた人は、
みんなうまいよ。
23日本@名無史さん:02/03/09 02:47
>>22
俺の爺ちゃん教師のくせに下手だった。
24日本@名無史さん:02/03/09 04:15
漏れ最近は市川由衣でヌくことが多いぜ
25日本@名無史さん:02/03/09 04:21
>>24
武家言葉でヨロシコ〜
26日本@名無史さん:02/03/09 04:57
何のスレかと思ったらアンビリバボ〜か。w
飯食いながら見てたけど「妻を愛していたのでござる〜」とか霊が言った瞬間に
噴き出して笑ってしもたよ。
霊能者も、中卒〜板金屋〜中古車販売業と正統派ドキュソ人生を歩んできた人だっ
たから、もう少し笑わせてもらえるかと期待してたんだけどイマイチだったな。
27日本@名無史さん:02/03/09 09:13
今宵、女と致しとうござる。
28日本@名無史さん:02/03/09 09:31
明治維新に薩長から大量に江戸へやって来た人達が
芸者言葉を手本に江戸言葉を覚えて標準語にした為
に芸者言葉まじりの言葉になってるという説もある。
29日本@名無史さん:02/03/09 14:03
>26
せめて「いとおしく思っておった」とか「大切に(以下同」とかくらいに
してほしいね〜(藁
あー、見ればよかったアンビリばぼ〜!
3026:02/03/09 14:06
そーいや、「LOVE」の初めの和訳語は「御大切」だったって何かで読んだ。
こう、何て言うか「ゆかしさ」みたいなのがあるよね…
「愛してる」って、いつごろから遣われ始めた言葉なのかな?
31日本@名無史さん:02/03/09 14:09
TBS御用達陰陽芸人・石田くんのしゃべり方もなかなかでござるよ、ニンニン。
32日本@名無史さん:02/03/14 16:10
今でも「〜でごじゃる。」って喋ってる人いるよね。
アヤノミヤの結婚相手かなんかの話でごじゃるを連発してたやつがいたが
どういう家庭にそだったんだろう。
3330:02/03/14 22:26
ひさしぶりにこのスレ覗いたら、自分が騙りをやらかしてたことを発見。
30=29っす。26さん、どうもすんまへん…。
34日本@名無史さん:02/03/21 16:01
何か良い本ない?江戸時代の人の言葉遣いがわかるような。
35日本@名無史さん:02/03/21 16:09
江戸期の黄表紙本とか、浮世床etcなんかを原文で読めば
少なくとも町人の日常語は分かる。
36日本@名無史さん:02/03/21 16:52
国会で「○○君」と呼ぶのは、幕末の志士が「○○君」て呼び合った
のを受け継いでいると思われる
37日本@名無史さん:02/03/21 17:30
>36
そういや「○○君」と呼ぶのは、長州人が始めた
って聞くけど本当なんかな?
38日本@名無史さん:02/03/21 19:03
公家のしゃべる「おじゃる言葉」、本当にしゃべっていたのか?。
根拠はあるんだろうか?。
39日本@名無史さん:02/03/21 19:43
江戸時代の御所言葉が京言葉に変形して、関西弁の母体になったらしいが。
関西大のなんとかって先生によると
例の「あらしゃります」らしい。
「おじゃる」と言うのは、なんかのなまりみたい。
40日本@名無史さん:02/03/21 20:12
戦国時代の言葉遣いは、現在九州の一部で使われているのに似ている
らしい。「先生、全然わかりません」と言うのを、
「しぇんしぇい、じぇんじぇん、わかりましぇん」という具合に。
当時は、こんな発音だったらしい。

ポルトガル宣教師が、関東へ布教した折、日記にこうある。

関東とは、野蛮の地で彼らに「世界」を「しぇかい」と何度おしえても
「せかい」と発音する。

当時の、ポルトガルの日本語辞書に「人数」をにんじゅと発音記号が
添えてあるらしい。
41日本@名無史さん:02/03/21 20:21
ちょうなんでっじゅ
4232:02/03/21 21:21
>>38
テレビで見た。
面白かったよ。
43日本@名無史さん:02/03/21 21:34
雑兵物語なんて、モロ当時の足軽たちの口語で書かれてるんだろ?

「傷ががいにうづくべいなら己が小便を飲みなされろ」
「静かに横になって水も飲まねえもんだ」etc
44 :02/03/21 21:35
御座候=ござる=おじゃる
か?
45日本@名無史さん:02/03/21 21:37
ビートたけしのオールナイトで、
イタコの婆さんがマリリンモンローの口寄せをやるっていう
ネタがあった。

「おらぁ、マリリンだっぺ」「英語はちいっと忘れたっぺ」
で、半分ギャグになってたらしい
46日本@名無史さん:02/03/29 23:39
47日本@名無史さん:02/03/30 00:34
ちょっちゅね
48日本@名無史さん:02/03/30 21:30
〜です。っていうのは本当にあった言葉づかいなの?当時。
『燃えよ剣』とかでみてると沖田らがやたらに使うんだが、
当時の武士として「男らしくない」とかいわれなかったのかよ。
かなり疑問。
49日本@名無史さん:02/03/30 22:13
ffffffffffffffffffffffffff
50日本@名無史さん:02/03/30 22:22
おまんこバリバリでござる
51日本@名無史さん :02/03/31 01:03
おじゃるまるの歌で魂が抜けたでござる。
52日本@名無史さん:02/03/31 07:15
〜御座候
って、書き言葉と形式的な場以外でも使われたの?
53日本@名無史さん:02/03/31 09:21
忍者はっとりくんのにんにん・・・てのは使ってないと思う。
54日本@名無史さん:02/03/31 09:49
昭和史には高級軍人や官僚たちが、よく天皇のことを「お上」て言ってるが
これは、元々御所の女官の言葉
55日本@名無史さん:02/03/31 13:39
NHKの新田義貞で楠木正成に扮した金パツ先生が「・・・ですな」なんて
使うのには違和感を持った。正成て河内の田舎武士(土豪)でしょう
普通は「おんどりゃ〜いてまうで〜」なんて使うと思うけど
56日本@名無史さん:02/03/31 13:44
>55
バーカ
57日本@名無史さん:02/03/31 13:48
卒爾ながら、ちとモノを尋ねもうす・・なんて言葉がよく時代劇なんかで
使われるけど、大工の源さんとか魚屋の一心太助とかが使うとやはり変だわなね

58日本@名無史さん:02/03/31 14:17
浄瑠璃や歌舞伎を崩した話し方だった。
どどいつ、長唄、民謡なんかが話し言葉に近いんじゃない?
59日本@名無史さん:02/04/13 11:23
現代人と会話は成り立つかね?
60日本@名無史さん:02/04/13 12:22
おじゃるはたぶん、「居り在る」のなまったものだよ。
能だったかなんだったか、伝統芸能のビデオ見せられたときに、
「おじゃる」よりはむしろ「居り在る」と発音してた。
居り在る、居りやる、おりゃる、おじゃる、と。

国会で君付けなのはやはり長州をはじめとする志士の名残なのでは。
たしかこの用語、始まりは長州だったよな記憶が。
サンは江戸期も使われていたでしょう。
三河なまりではサマ→サンという音便変化していたようなので、
三河軍が全国各地に分駐したことを考えれば。
61日本@名無史さん:02/04/13 12:23
60です。
ごめん、細かいことなんだけど。
ビデオでは「居り在る」というより「おりゃる」って聞こえたな。
62日本@名無史さん:02/04/13 12:27
そう。
確か、君と僕は長州が発祥だった(と思う)
63日本@名無史さん:02/04/13 12:58
おそレスでわるいんだけど。明治になるまで「愛」という概念は日本になかった
のよ。慈悲、惚れるってのはあってもね。

で、小説を翻訳するとき、I love you. ってのが訳せなくてね。
「死んでもいいわ」 と訳したという話。
64目が怖い:02/04/13 12:58
↑誤爆?
65日本@名無史さん:02/04/21 13:34
66日本@名無史さん:02/04/27 21:37
67日本@名無史さん:02/04/27 22:17
>55
> 正成て河内の田舎武士(土豪)でしょう

河内は五畿内のうちなので、当時としては都会ですよ! 土豪(=悪党)と見るよりも、古代的な寺社による商業庇護・支配を離れ、近世・中世へと繋がる、自衛力を持った自主独立の商工業者と見た方が適切だと思います。

> 普通は「おんどりゃ〜いてまうで〜」なんて使うと思うけど

あなたは河内の言葉を誤解している。

おんどりゃ〜 → おんどれ → おのれ(己)

・・・と遡ると、ごく普通の大和言葉なのですよ!
68日本@名無史さん:02/04/28 05:59
>>60,>>62
細かい話だけど、「君」「僕」の発祥は長州ではないです。普及に貢献したのは確かだけど。
江戸時代の学者がオランダ正月(実名を出せない)等で互いを呼び合う時に使ったのが最初です。
69日本@名無史さん:02/04/28 16:33
江戸時代のいつごろの話?
70日本@名無史さん:02/04/28 16:49
オランダ正月っていうと尚歯会しか思いつかんなぁ。
とすると、19Cの初め頃なんじゃないの?
71日本@名無史さん:02/04/28 16:52
オランダ正月なら「いつ頃」なんて断定できないでしょ。
秘密裏に集まって秘密裏に相談してたんだから。
「証拠出せ」なんて言われた日にはそれこそナンセンス。
72日本@名無史さん:02/04/28 16:57
関係ないけどオランダ正月なら長州の武士が混じってても不思議じゃないぞ。
学者にかぎらず武士・町人・医者…と知識人なら参加できたからね。
や、「君」「僕」長州発祥説にこだわってる訳じゃないけどですけんど、ね。
7370:02/04/28 16:59
どうもスレズレしてきたので、この話題から離れて欲しいデス。スマソ。
74日本@名無史さん:02/05/04 17:35
いやいや
75日本@名無史さん:02/05/10 01:39
あげでござる
76日本@名無史さん:02/05/10 02:30
マンコのことは何て言ってたの?
77日本@名無史さん:02/05/10 02:49
葵三代では江守三成がやたらと書き言葉みたいなのを喋ってたね。
「〜せん」「〜なり」とか。
78日本@名無史さん:02/05/15 11:49
おのおのの申し条、それぞれいわれなきにあらず!
79日本@名無史さん:02/05/15 11:51
戦国時代の野武士の言葉遣いなら知ってるよ
「へっへっへっへ、かわいい顔してんじゃねえか、ねえちゃんよ」
80名無し転がし:02/05/15 20:30
ハタチん頃から探していたコリャドの『懺悔録』がネット通販であっさり手に
入った.....。
ナイスだネット時代
81日本@名無史さん:02/05/20 01:12
江戸時代の藩の藩士が自分の殿様を「お上」って呼ぶのってアリ?
藤沢周平の小説で、そういう用例があったのだけれど、「上様」という場合には
将軍限定だよね?「お上」と呼ぶのはどうなのだろう?
82日本@名無史さん:02/06/01 09:17
だめだろ
83日本@名無史さん:02/06/06 12:07
>81、82
「お上=上様」じゃないよ、ふつう。
だから、構わない。
84日本@名無史さん:02/06/17 14:49
そうなの?
85日本@名無史さん:02/06/17 15:18
彼女に「御館」と呼ばせているが
周りから見ると「親方」らしい。
86 :02/06/17 18:36
>>83
主上(おかみ)=天皇じゃなかったっけ?
87日本@名無史さん:02/06/18 06:14
>>76
陰(ほと)だと思われ。
76よ、そちも相当な助平よのお。
88日本@名無史さん:02/07/03 18:18
便乗。
藩という言葉が使われはじめたのはいつ頃?
○○様御家来が○○藩士と名乗るようになったのはいつ頃なんだろうか。
89     :02/07/03 19:07
江戸末期らしいよ。
90日本@名無史さん:02/07/03 20:41
>>88
 説明ですが、「藩」という漢字は「まがき」「さかい」「まもり」を意味し、
中国周代には地方を鎮めて王室の守りとなる諸侯、諸侯の国をいう
用語に転訛(広漢和大辞典)、藩屏、藩翰、藩補などと称しました。

 江戸時代にはその先例によって将軍家と主従関係を結んだ大名を
諸侯といい、幕府として公称されたことはありませんが、儒者の間に
大名の領地や組織を指称して藩という習わしもあらわれ、江戸中期、
新井白石の『藩翰譜』があり、文化6年(1809)から編纂事業が進んだ
『徳川実紀』の中にも「藩」の用例は随所に散見します。公称用語と
なったのは、明治新政府が慶應4年(1868)閏4月21日に旧幕府領を
府県、旧大名の領国を藩と改められた時から、明治4年7月14日に
廃藩置県が行なわれた時までの期間のことです。

 それ迄の公称は「国」や「家」でした。旗本の「知行所」に対して、
大名領は「領分」「領国」「分国」と呼ばれ、大名の家臣団は「家中」
と称しておりました。
9188:02/07/03 22:09
>>90
ということは、藩、藩士という言葉が使われだしたのは水戸学以降と見ていいな
尊王の磁力をわずかながらにも帯びている用語だ
おそらくだが、盛んに使ったのは長州なんじゃないか?

92日本@名無史さん:02/07/03 22:22
>>91
水戸学と言うより儒学思想でしょう。
93日本@名無史さん:02/07/03 22:29
でも、薩摩に琉球攻略を命じたときの、尚氏の称号は「琉球藩王」だった
94日本@名無史さん:02/07/03 22:54
>>93
尚氏を琉球藩王と認めたのは清国なんではないの、琉球王国は
二重統治でしたから。
95日本@名無史さん:02/07/27 18:51
96日本@名無史さん:02/08/11 15:36
97 :02/08/11 16:33
殿、チャンスでござる
98日本@名無史さん:02/08/11 17:17
「〜で候」というのは「〜です」の意味でいいのか?
そしてこの「候」は口語だったのか?
99日本@名無史さん:02/08/11 18:07
いや文語でしょう手紙には書かれてるけど、
尤も堅苦しい上級官吏はつかってたかも?
話し言葉としちゃおかしいような気もするで候。
100日本@名無史さん:02/08/14 12:37
早漏
101日本@名無史さん:02/08/14 12:46
>>13
共通語ではなく、標準語ではないかと。
102日本@名無史さん:02/08/14 17:34
大河とラマ「跳ぶがごとく」を見ると
薩摩弁で日常会話してたじゃん。あれがただしいんと違う?
ようするに自分の土地の言葉でしゃべってたんだと思うよ。
勝海舟は日常は江戸弁。
明治天皇は日常は京都弁。

でごわす  → でござる
吉之助サー → 吉之助さん
一蔵ドン  → 一蔵殿
おい    → おれ、私
おはん   → おまえ
 「じゃっドン」 「チェストー」 「よか」 
島津久光も方言まるだしじゃん。
103日本@名無史さん:02/08/14 17:43
>>102
本物の薩摩弁はあんなんじゃすまないぞ。
東京もんにわかるように易しくしてあるだけだ。
104日本@名無史さん:02/08/31 10:58
105日本@名無史さん:02/08/31 14:46
琉球の貴族達は、謝恩使などで江戸にのぼる前に、薩摩に滞在して
日本語を習った。その「会話テキスト」が残っている。
で、その琉球人たちが江戸にのぼって江戸の一般人と会話すると、
「実にきれいな日本語で、薩摩人よりよほどわかりやすい」
と評されている。
当時から「標準語」のようなものがあったことがわかる。
106日本@名無史さん:02/09/01 18:50
訛りは青森最強
107日本@名無史さん:02/09/17 20:27
大名が将軍に拝謁するときはどんな言葉使ったんだろ。
108日本@名無史さん:02/09/17 20:46
大名は直系の世子がそのまま即位した場合、
即位するまで江戸詰だからなあ
つーか将軍に直言する無礼者もないと思うが

っていうか候文で喋ったんだろうか、奏者に対して。
109日本@名無史さん:02/10/03 01:11
110日本@名無史さん:02/10/03 10:11
あげとこう。
111日本@名無史さん:02/10/03 11:07
>>102
津本陽の小説でも地の言葉でしゃべらせてるな。
信長が「責め滅ぼすだぎゃー」とか。
イメージ狂うだぎゃ。
112日本@名無史さん:02/10/03 12:16
島津斉彬が鹿児島語を禁止し、
以後一貫して鹿児島県では「方言撲滅」政策がとられ、
現在は鹿児島県からは鹿児島語が全く一掃されて、
宮崎県の旧・鹿児島藩領にわずか名残がある程度と聞いた
113日本@名無史さん:02/10/03 20:18
>112
オーバーすぎ。
標準語を話しましょう運動みたいなのはあったようだが、
鹿児島の人は今も普通に鹿児島弁だよ。
つうか、標準語しゃべってても、イントネーションが全然違ったりする。

今の若い人の言葉が昔と違うのは、鹿児島に限らず全国的に見られる現象だし。
114日本@名無史さん:02/10/03 20:22
>>113
現在はテレビという過去に例の無い圧倒的大多数が共有する
メディアがあるから、特に若い人は標準語にも簡単に順応できると思う。
115日本@名無史さん:02/10/03 20:41
新撰組では御互いのことを氏って呼んでたんじゃないの
多摩にいたころはさんづけだったかも知れないけど
116日本@名無史さん:02/10/03 20:56
>>115
初めて聞く説です。
良かったら詳しく教えてください、参考文献なんかあればうれしいです。
117日本@名無史さん:02/10/06 06:14
今昔物語などを見ると、平安時代の源氏、後の源頼朝の先祖の源頼信などは
河内弁をしゃべっている。
武士源氏の主流は、河内を本拠地とした河内源氏だったから、頼信の孫の
八幡太郎義家も河内弁だったんだろう。
118c:02/10/06 06:26
119日本@名無史さん:02/10/06 06:31
俺が今住んでるあたりは「ござる」というのを、おばさんが普通に使う。
ちょっと不思議。
120 :02/10/06 13:23
江戸時代では農民のおばあさんとかも自分の事を「俺」って言ってた。
当時としては下品でもなかったみたい。
当時の言葉遣いとかは、その当時に作られた川柳とか見るとよくわかるよ。
121日本@名無史さん:02/10/06 14:05
>>119
あ、そういえば、ウチの方も。
私は30代ですが、たま〜につかう。
「〜しござった」とかも。
ちなみに博多。
若い人はふつう「〜しよんしゃった」て言う。
122日本@名無史さん:02/10/20 13:32
123山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/10/20 15:25
>111
「おあむ物語」や天草本「いそほ物語」の様に「〜でおじゃる」と話してい
たと考えた方が萎えるのでは(藁)。
>117
該当部分はどこですか?
>120
うちの曾祖母がそうでした。
124日本@名無史さん:02/10/20 15:31
俺の祖母(大正生まれ)は自分のことを「儂(わし)」と言うぞ(京都府
丹波地方)
125日本@名無史さん:02/11/04 14:11
126日本@名無史さん:02/11/24 15:04
127日本@名無史さん:02/12/03 02:09
128日本@名無史さん:02/12/14 18:14
時代劇でよく出てくる「かたじけない」とはありがたい、ってこと?
違う?
129日本@名無史さん:02/12/14 18:44
そういう意味
130日本@名無史さん:02/12/14 18:44
●かたじけない:@恥ずかしい、面目ない  A身に染みてありがたい、
        Bもったいない、恐れ多い、 by 広辞苑
131日本@名無史さん:02/12/28 13:48
132      :02/12/28 15:28
地方の武士はやはりその地方の言葉で話していたんじゃないかな、武士の上層は知らないが、
庶民と接触のある下級武士なんかはかなりその地方の訛りの言葉でしゃべってたと思うよ。

特に江戸以前からその地にあった薩摩や長州、北では伊達や南部、それに津軽なんかは江戸
期も大きな移動もほとんどなく、武士だから庶民とは全く同じ言葉使いではないだろうが、
やはり東北の武士はズーズー弁の武士言葉で話してたんだろうね。
133日本@名無史さん:02/12/28 15:30
信長の野望 全国版で、方言モードがあったな。
134日本@名無史さん:03/01/01 17:48
マジ?
135日本@名無史さん:03/01/11 10:30
136山崎渉:03/01/11 17:03
(^^)
137山崎渉:03/01/16 08:53
(^^)
138日本@名無史さん:03/01/17 00:26
139日本@名無史さん:03/01/29 00:11
田舎の藩の藩主って日常会話は方言を使っていたのだろうか?
140日本@名無史さん:03/02/07 13:48
藩主ははんぶんは江戸住まいだし、他藩の人間との交流・姻戚関係も
あったりしたから標準語(?)なんじゃない?
141日本@名無史さん:03/02/22 15:36
142日本@名無史さん:03/02/22 15:43
>>60
「おじゃる」は「お出である」から
辞書ぐらい調べろヴォゲ
で「ござる」は「御座ある」から
「おりゃる」は「お入りある」
「いらっしゃる」は「入らせらるる」
143日本@名無史さん:03/02/22 15:45
「ます」は「参らする」
144日本@名無史さん:03/02/22 15:45
「おっしゃる」は「仰せらるる」
145日本@名無史さん:03/02/22 15:47
名古屋の老人は「ござる」使うから
昔の人も使っていたのだろう
146日本@名無史さん:03/03/07 17:41
「標準語」は、明治初期に、軍隊で方言が使われると、機能的に大変だから
作った言葉。
 むかし、「山の手」で使われている言葉って、小学校で教えられたけど、
明治時代は、今の山の手はほとんど農村地帯。
 246の用賀の交差点周辺なんて、50年前は田圃が広がっている田園
地帯だったんだよ。見た人間が行ってるんだから間違いない。
 その頃、さざえさんの三河屋さんはあったそうだけど。
 作られた日本語だから、「標準語」は微妙な表現がない。
 Oh, it's a beautiful day.
 を標準語で訳すと味気ないけど、方言にはいい言葉が一杯
あっからし。
 「いい、あんべぇだなし?」
 って言うんです、こっちでは。
147日本@名無史さん:03/03/08 00:17
>>140
>藩主ははんぶんは江戸住まいだし、他藩の人間との交流・姻戚関係も
あったりしたから標準語(?)なんじゃない?

 146の人も書いてるけど、江戸時代に「標準語」なんてないよ。
 同じ江戸に屋敷を持っていても、他藩の藩主とほとんど話しなんか
できなかった。「謀反」の謀議をしていると思われるといけないから、
みんなひっそり暮らしてた。
 だから、江戸にも側室が一杯いたってか?
148日本@名無史さん:03/03/08 00:36
家康はかなり三河弁が酷かったらしいでゴジャル
149日本@名無史さん:03/03/08 00:43
薩摩言葉を、東北の人は全然分からなかったそうだ。

逆もそうだろうな。
150杉の方(松坂慶子):03/03/10 13:32
女は恋しているときが一番若いのじゃ!

ドラマの設定で、当時元就が五十代だから、杉の方は六十歳くらいのはず。内館牧子、しびれました。
151日本@名無史さん:03/03/15 17:16
>>146
なんで山の手が用賀?
用賀は北多摩郡砧村。昭和11年に世田谷区編入。

山の手って江戸の武士が住んでたところでは
四谷とか神楽坂とか
152日本@名無史さん:03/03/18 13:45
>>146-147
同一人物ぽいけど

じゃ、藩邸の御用聞きは何語で魚を売ってたのかと。
駕篭屋は、歌舞伎役者は、蘭学塾は、吉原の受付は...
153日本@名無史さん:03/03/22 12:19
ふぐり! ふぐりでござるよ! ふぐり!
154日本@名無史さん:03/03/30 15:43
>同じ江戸に屋敷を持っていても、他藩の藩主とほとんど話しなんか
できなかった。

結構、大名間の交流ってあったと思うけど?
そのあたりの関係の古文書読むかぎりでは。
155日本@名無史さん:03/04/10 21:00
156いや〜:03/04/10 21:37
諸大名が在府の時は定期的に一斉に登城して将軍のご機嫌伺いに伺候し大名の格毎の詰め部屋にずっと居ました。
そしてその間の待機時間中に四方山話などをした記録がのこっており大名同士の交流はそれなりにありました。

また、江戸では諸候間の儀礼上の使者の往来は頻繁にあり、その時に各種の口上を述べる訳で
一応標準語とまではいかなくてもお互いに意思の疎通ができる共通語のようなものはあったようです。

また参勤交替時も途中にある諸侯や幕府の城/役所などには通過の挨拶の使者が出向いてやはり挨拶の口上を述べ挨拶状を渡しますので
全国的に武士間でもそれなりに会話が成立したようです。

たしか版行された浄瑠璃だったか能、狂言の台詞がベースになり共通語のようなものが成立していったと聞きました。
157留め:03/04/10 21:55
 「です」という表現は「げす」とか「れす」と変わらない、江戸庶民の口語表現で、
これが丁寧語として認知されたのは、山田美妙が小説で使ったかららしい。
 二葉亭四迷は同じ口語体でも「だ」とか「である」という表現を使ったが、
実際の会話でこのように話すひとはまずいない。
 口語と云っても一般の人の会話に近いとはいえるが、同じものとは云いがたい。
 ドラマで視聴者に理解しやすいような表現をするのはしかたないと思う。
 現代劇でも普通の会話とは明らかに違うし。
158日本@名無史さん:03/04/10 23:35
>>146
もスかスて、あいづの方サお住まいでっしゃろかナイ?
もちっと東の方サ住んでるけんど、桜サまだ咲かねェか?
159日本@名無史さん:03/04/10 23:55
>>45
英語で話してくれっていうリクエストに、その降霊術師のバーさんが
「…ライスカレー」
ってひとこと、まわりは吹きだしたそうだ
とどめに、フジテレビで収録してんのに、
「いま日本テレビのスタジオに来ておる!」とおもいっきり霊が言っていたそうだ
160山崎渉:03/04/17 14:19
(^^)
161日本@名無史さん:03/04/17 16:33
鎌倉時代
坂東武士が全国に移住して
いったん日本は関東語化されたと言える?
薩摩語も古い関東語?
162日本@名無史さん:03/04/17 16:34
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163日本@名無史さん:03/04/17 16:54
>>161
薩摩弁は間諜をあぶりだすために考案された作為的方言です。
習得がなかなか難しいため江戸幕府の隠密は薩摩への密航のことを「薩摩飛脚」と
呼び、嫌がったとか。
今の業界用語にしたら「テッポーダマ」ってところでしょうか。
164日本@名無史さん:03/04/17 17:57
島津家は元々近衛家の家来を先祖とする。
鹿児島にあった近衛家の荘園を管理してる内に戦国の世となり領地を私有化。
165日本@名無史さん:03/04/17 19:35
故石井東大教授の著書の「吉原」では宮武外骨は、廓言葉(さとことば)
が生まれたのは「北女りょ起源」に如何なる遠国から来た女でもこの言葉
を使う時ヒナの訛抜け古参と同じになる。という説正しかろうとしてる。
 吉原は総て京島原の真似であり、太夫、局、端の階級性、カムロ、ヤリテ
エモンザカ、見返り柳 総て写しである。亦この起源としてそのころ
跋扈してた、ヤッコの博徒「六方詞」を模倣された、としてる。
 石井教授、宮武氏の説に賛するわけではないが、奴旗本連中などは
相当「六方詞」に影響されてるのではなかろうか。
166日本@名無史さん:03/04/18 19:51
>>164
人工言語だったのか!

間宮林蔵は、薩摩に密入国後、宮崎人の振りをして
ふすま張りに弟子入りして、諜報活動に成功したんだっけ
167山崎渉:03/04/20 01:55
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
168関連スレ:03/04/20 04:23
169日本@名無史さん:03/04/20 06:10
>>147
譜代も親藩も役職があるし、外様にしろ江戸で標準語喋れなきゃ
馬鹿にされるだろ。
田舎者はこれだからなと。
170日本@名無史さん:03/04/20 08:18
>>147
>>169


>>13
>>14
>>16
あたりを読みなさいって


あと、楠木の頃の河内弁とか、家康の頃の三河弁が今思う河内弁や
三河弁と同じとはとても思えないんだけど。
時間経過的に。

島津兄弟の義弘以外は上方言葉が話せなかった、とか
津軽為信家中では中央と「話す(通訳する)」ための人材がいたとか
そういう話はあるよね。
秀吉の前での「東の忠勝、西の宗茂」の見合いのときも、実は言葉
通じてなかったりして(笑)


あ、それと江戸時代、国替えとかあるから、突発的な言語交流(混入)もあったはず。
171日本@名無史さん:03/04/30 21:39
そうか、国替でとんでもない遠距離を移動すると言葉のギャップが
大変だっただろうね。
172日本@名無史さん:03/05/07 23:06
173日本@名無史さん:03/05/07 23:31
>>163
と言うのがよく言われる巷説のようですが、
>>170
の話を聞くと、隠密対策が必要な江戸時代よりも以前に薩摩弁はある程度完成し
ていたとも思われ。

ちなみに第二次世界大戦中に薩摩弁を暗号に使っていたというのはホントの話の
ようだが。
174日本@名無史さん:03/05/08 10:51
>170
言葉は今の東京→地方みたいに、
長いスパンで都言葉が地方の言葉を塗り替えて
その繰り返しで進み、戦国の頃の言葉がかろうじて
現在につながっている。

家康の三河弁も今とは多少違うだろうし、
小説とかで楠木正成にばりばりの河内弁をしゃべらせるのは、
イメージ先行というだけで真実ではなかろうね。
京都から遠ければ遠い地方ほど、古い都の表現が方言として
残ってるという研究もあった。
175日本@名無史さん:03/05/09 09:14
>>170
>島津兄弟の義弘以外は上方言葉が話せなかった、とか
>津軽為信家中では中央と「話す(通訳する)」ための人材がいたとか
>そういう話はあるよね。
興味深い話なんでソースぷり〜ず

>>174
沖縄語には奈良時代頃の日本語の語彙が残っているとか聞いたことあり
逆に日本語の漢字の読み方は古い中国語の発音が残ってるとか
音読みが何種類もあるのはこれが理由だそうな
176日本@名無史さん:03/05/09 14:33
>>175
>音読みが何種類もあるのはこれが理由だそうな
漢字の音読みが多数あるのは、言葉の古い新しいだけではなく、
現在の北京語と広東語が違うように、当時の中国の方言によることもあります。
177日本@名無史さん:03/05/09 15:30
基本的には
呉音:南北朝時代までの発音でお経の読み方がこれ
   「日」はニチ、「明」はミョウ
漢音:隋唐宋元の発音で日本語の漢字の読み方の基本
   「日」はジツ、「明」はメイ
唐音:明以後の発音で現代中国音もおおむねこれ
   「日」はリー、「明」はミン
178日本@名無史さん:03/05/09 15:31
呉音と漢音ね。
訛りの強い呉音は中央貴族界で常に卑しまれ、
そこから転じて誤解、誤読といった差別用語が生まれた。
179日本@名無史さん:03/05/09 15:49
講釈師
見て来たような
嘘を言い
180日本@名無史さん:03/05/09 18:52
中国の世界的な歴史学者、馬明達老師による
歴史上、日本、中国、朝鮮、刀剣武芸交流考を
紹介してますのでご利用下さい。
http://www.ne.jp/asahi/tfz/tys/index.html
歴代日中剣道連盟編の部へリンクして下さい。
181日本@名無史さん:03/05/21 18:59
うそなの?
182日本@名無史さん:03/05/21 20:48
「俺」という一人称っていつから使われ始めたの?戦国辺りか。
183山崎渉:03/05/22 02:45
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
184日本@名無史さん:03/05/22 12:52
185日本@名無史さん:03/05/25 12:34
>>182
古語辞典に載ってるからもっと昔だと思われ
186日本@名無史さん:03/05/25 16:57
>>185
平安時代は「おれ」=「おめえ」だろ
187山崎渉:03/05/28 10:58
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
188日本@名無史さん:03/05/28 21:54
189日本@名無史さん:03/06/12 20:43
190日本@名無史さん:03/06/12 21:25
>>186
平安時代の日本人は自分と他人の区別もつかなかったんですねえ。
191  :03/06/12 21:26
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その9●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html

59 名前: かおる ◆31hpx6to 投稿日: 02/03/22 04:50 ID:SNZoz4gQ
>>56
僕が、一般人から大規模につけ回されるようになったのは、6年ほど前から
で、携帯やPHSが首都圏に普及し始めた頃と重なります。電話回線を通じて
の情報交換は、彼らの主要な連絡手段で、メールなんかは無言で送信できる
から、目の前で報告してても防ぎようがないんですよ。

61 名前: かおる ◆31hpx6to 投稿日: 02/03/22 05:06 ID:SNZoz4gQ
>>58
時代背景も、あると思う。
バブル崩壊で行き詰まっていた世間は、打開策を欲していたが、創造性に
乏しい日本社会は、IT化と称して通信設備に投資するくらいしかできな
かった。やがて情報がステータスに影響することに気が付いた一部の人間
は、不正手段を使ってでも情報で優位に走ろうとする。
盗聴情報が文化を創り、文化が経済を刺激し、バブル崩壊の傷を癒す。
盗聴機は、情報黄金時代を裏で支える安価なスコップなのだろう。
192日本@名無史さん:03/06/21 17:47
193日本@名無史さん:03/06/21 22:20
>>190
今でも二人称に「自分」という言葉を使う人がいる。

日本語の言語構造は、一人称と二人称の区別があまりなく、
実質三人称しか存在しないっぽい。
194日本@名無史さん:03/07/08 00:19
195山崎 渉:03/07/12 12:21

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
196山崎 渉:03/07/15 11:49

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
197日本@名無史さん:03/07/17 10:26
198日本@名無史さん:03/07/17 16:29
鎌倉時代 
→ なんだかんだ言っても京(朝廷)の権威に逆らえない。

室町時代
→ 幕府は京に置かれ、幕府→武士の伝達も京言葉

戦国時代
→「京に上って御門を戴く」為の騒乱。京の権威衰えず。

安土桃山時代
→ 武家の政治の中心が、伏見・大坂。織田、豊臣は頻繁に大名格の武士を、京・
  大坂・伏見に呼び寄せる。
  経済活動が活発化するが、中心地は、伏見、大坂、堺。
  京・伏見・大坂・堺は一日行程で、また、  前時代より往来が盛んで言葉に
  差異は少ない。

徳川時代
→参勤制により、大名は在期の半分を江戸居住。家臣団をふくめると武士のかなり
 の割合が江戸に長期滞在。
 また、大名の正妻よび嫡子を江戸に留め置いたために、江戸育ちの大名・大名の
 親族は多数。
 政治制度については、朝廷の典礼を倣い、また、高位の大名と皇室・公家との
 通婚がしばしばあった。
 経済的には、堺・伏見は衰退するが、大坂の影響力は強くなる。租税(年貢米)
 の換金や、物資の調達の為に諸藩は大坂に蔵屋敷を置き、また、遠方の物資も
 一旦大坂に集荷し、江戸・京ほか全国に流通。

で、文体や抑揚や訛は東国風でも、語彙面では江戸言葉は関東の他地域よりも
むしろ上方に共通性が多い。
現在でも、語彙の調査をすると、東京と一致する率の高いのは、首都圏の各県
に並んで、京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県などが上位に並ぶ。
199日本@名無史さん:03/07/18 00:13
●東京の地名シリーズ16「千駄ヶ谷」

徳川家康が江戸城に入るとき、徳川家譜代の家臣たちもこぞって三河から江戸にやって来ました。
彼らは当然、今で言う「名古屋弁」に近い言葉を話したと推測されます。
つまり当時の江戸では、町人たちは「江戸弁」を話し、役人たちは「名古屋弁」を話したというわけです。

そんな江戸時代初期のある日、役人が四ッ谷見附の先・上代々木村を視察したとき、農民に声をかけた。

役人「この村の収穫は何石くれゃあになるか、聞かせてちょう!」
農民「へえ、ざっと1000てえとこで。」
役人の部下「○○殿、拙者ぁ江戸の言葉はわからねゃあがね。」
役人「わしはわかるがね。1000だがや。」
農民「‥‥‥。」

農民は、村人たちにこの時の様子をつぶさに語ったという。
特に、役人の話す名古屋弁が話題になり、「1000だがや」というフレーズが村の子供達の間で流行った。
やがて、江戸周辺の村が再編成される際に、この地域は「せんだがや村」を名乗ることが決まり、
寺の住職が「千駄ヶ谷」の宛て字を考案した。

以後、「千駄ヶ谷」の地名は受け継がれ、駅名にまでなった。
国立競技場などで知られるこの駅名が、まさか名古屋弁であったとは、驚くほかない。
200日本@名無史さん:03/07/18 00:25
二百でごわす
201日本@名無史さん:03/07/18 01:13
>199
「名古屋弁」じゃないだろ。
当時名古屋はないし、三河に名古屋はないし。
202日本@名無史さん:03/07/25 00:03
203日本@名無史さん:03/07/25 01:07
>でも、江戸時代のことを考えてみると、当時は異なる国(地方)の人同士が
>話す時に、舞台の言葉を使っていたというようなことがあります。国によっ
>て話し言葉がかなり異なるので、「共通語」として町人は浄瑠璃の言葉を、
>武士は狂言の言葉を使っていた。

http://www.union.osaka-cu.ac.jp/rengo/7196/rengo7196.htm
>199
もっともらしいが家康は三河武士だぞ。
家康が江戸入城した当時は尾張の首邑は清洲。
名古屋は那古野と言われていてまだ原っぱか田んぼだった。
あと、
役人の部下「○○殿、拙者ぁ江戸の言葉はわからねゃあがね。」
なんかぎこちないぞ。
ちなみに「だがや」は「だぎゃー」から派生したそうだが、
この時代からもう「だぎゃー」から「だがや」に移行していたのだろうか?
205日本@名無史さん:03/07/25 01:26
ちょっと変だけど日本語の場合、平仮名=発音記号じゃないの?
平仮名で書かれた昔の文書を見ればいいんじゃないの?
そんな簡単な問題でも無いわけかい?
206日本@名無史さん:03/07/25 01:27
漢字も当て字が多いよな。
207日本@名無史さん:03/07/25 01:48
京「へ」筑紫「に」坂東「さ」

室町時代に京都で作られたことわざ。例えば、京都では「〜へ行く」と言い、
筑紫(博多)では「〜に行く」と言い、坂東(関東)では「〜さ行く」と言って
いたことを表す、当時のいい資料になる。「〜さ行く」という言い方は今で
は東北地方の言い方みたいになっていて、「〜へ行く」が標準語化されてい
る。
208日本@名無史さん:03/07/25 01:56
>205
「こんにちは」
「はなし」
このふたつのはつおんはおなじですか?
209日本@名無史さん:03/07/25 20:49
>>205
あなたは せんぜん(せんそうに まけるまえ)の
ほんを よんだことがありますか?
210日本@名無史さん:03/07/31 16:13
211山崎 渉:03/08/02 01:14
(^^)
212日本@名無史さん:03/08/05 00:40
213日本@名無史さん:03/08/05 12:48
>>147
なんだかんだいっても、武家は親戚だらけ。ランクが上がるほど血が濃い、
大名格にもなると、相互に縁続でないものがいない。
家臣にしても、同領内での婚姻よりも、他領の同ランクの家柄の方が好まれる。

幕藩体制の早い時期に、軍事組織としての性格は薄れ、祭礼と行政に重点が
移ってくる。こうなると、反乱どうのりも、連絡や組織的な根回しが要る、
饗応接待が頻繁になる。交流しないというのがそもそも無理になってくる。

そもそも反乱の談合をするなら、街道沿いの陣屋でやっちゃった方が早いわけで。
214日本@名無史さん:03/08/06 10:54
みなさんお願いです。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1059245023/l50
ここを徹底的に荒らしてください。
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
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iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
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218日本@名無史さん:03/08/10 16:23
219山崎 渉:03/08/15 13:26
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
220日本@名無史さん:03/08/16 02:28
221日本@名無史さん:03/08/16 03:16
で、あるか。
222日本@名無史さん:03/08/21 10:38
>大名格にもなると、相互に縁続でないものがいない。
家臣にしても、同領内での婚姻よりも、他領の同ランクの家柄の方が好まれる。

そんなことは一概には言えないのでは?
223日本@名無史さん:03/08/21 12:59
>>205

NIPPONという発音を「にほん」と書いたから
いつのまにかNIHONという誤用が生じたことを知らんのだろうな
224日本@名無史さん:03/08/21 17:50
>>223
それは違うだろ。日本語の発音がp→Ф→hと変化したことが原因。
225日本@名無史さん:03/08/29 20:11
226日本@名無史さん:03/09/04 22:27
227日本@名無史さん:03/09/12 21:27
228日本@名無史さん:03/09/19 02:05
229日本@名無史さん:03/09/27 14:08
230日本@名無史さん:03/10/02 01:10
>>85
后に「天子様」と呼ばせているが
周りから見ると「天使様」らしい。
231日本@名無史さん:03/10/02 01:43
>>230
昔は字の決まりごとをしっているのは、学者しかいないから。
232日本@名無史さん:03/10/03 23:45
武家のものは狂言言葉、町人は浄瑠璃言葉で話せば全国たいがい通じ合えた。
わしの爺さん祖母さんたちは標準語あまり出来なかったからお客さんがくると丁寧語は芝居がかった話し方だったぜ。
233日本@名無史さん:03/10/04 00:43
>>37
○○君と○○様だと、君の方が格上だと聞いた事がある。

君は目上に対して使う尊敬語で、様は同格から目下に対して使う丁寧語みたいな。
234日本@名無史さん:03/10/04 00:51
>>173
ちなみに、米軍も、太平洋戦線で、あるインディアンの言葉を暗号に使っていました。
というか、その部族を通信士に使っていたそうな。
235日本@名無史さん:03/10/04 01:17
>>233
現代では通用しないよね、殿をつかうのもナンタラとか。
先生もか
236日本@名無史さん:03/10/04 01:20
>>234
欧州戦線での、アメリカ日系二世第442 部隊が有名。

日本語の通信で暗号を使う必要がない、
連合軍はどこの言葉かわからなかった。
237日本@名無史さん:03/10/04 03:21
>>234
映画からの知識だね。

>>236
>連合軍はどこの言葉かわからなかった。
???
442連隊は連合軍ですが?

どちらにしろ擦違い
238日本@名無史さん:03/10/06 03:17
どこの島か忘れたが、伊豆諸島のどこかの島には古い日本語に一番近い方言が残っていると何かで読んだ
記憶がある。いつごろの日本語に近いんだ?
239日本@名無史さん:03/10/06 04:20
人名の下に付ける「君」はミスターの訳語として定着したもの
「公」とか「博士」とか「大佐」とかの肩書がない人用の敬称
240日本@名無史さん:03/10/06 12:38
それは「くん」の場合だけ
241日本@名無史さん:03/10/08 20:05
   \\お前何者ぞ!//
      ∩_
      [|__]     )、
     ( | ´∀`)_ (( ), ボオオー
      | ̄|つ ̄|  |つ♀`←>>31の穢れ
      | ノ   | |_ノ.  人
      |ー――|
     /___|
      (__)_)
>>31「ウゥーーーッ!」「グウゥーーーーーーーーッ!」
悔しいのだな?、このスレを呪いたくて仕方がなかったな!
ここのスレをばらばらにして潰してしまうのがおまえの楽しみであったな!
おまえはこのスレの元々の産土の神だな?
コピペやら自作自演やら全部退けられてしまって祟り災いをしているであろう!
今日のまつりを限りに、一切ここのスレから出ていく事柄を誓ってくれるか?
さすればお前楽になるぞ!
どうじゃ?どうじゃ?
お前のいるところは暗くて仕方がないのだな?
悪い御霊のいいなりになってその手先になってここの人たちを煽ったりしていてはな
らない!
わかるか?わかるか?
今日は、お前が待ち焦がれておった、な、真っ暗な地獄の世界から、
明るいところへ向かう日になっておるのだぞ!
どうする?、今日を限りにここから出ていくなれば
大きくその手を、キーボードの上のその手を引き上げて答えよ!
…おお、あげたか。よし。向こうに逝ってよし!
242日本@名無史さん:03/10/12 14:38
>>233

慶応大学だと、教授も学生も学内の文書には「〜君」と書かれるよね。
243前田慶次郎:03/10/14 21:11
>>40
(天気予報の)福井殿こそ漢にござるな。
244日本@名無史さん:03/10/14 22:51
こんな小説があるんだけど、

ttp://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200309250600000000116412000

イングリッシュを使ってござるにて候。
245日本@名無史さん:03/11/06 01:20
246日本@名無史さん:03/11/30 00:43
247日本@名無史さん:03/11/30 22:14
そうでがんす
248日本@名無史さん:03/12/08 00:40
どうして武士って自分のこと名前で言うんだろう。
女子高生っぽくてかわいい
249日本@名無史さん:03/12/08 00:41
>>248
そう言えばセーラー服と裃って似てるよな。
250日本@名無史さん:03/12/08 00:46
袴に脚絆を付けるとかぼちゃパンツみたいでかわいいよ。

あと普段から、袴の下に脚絆つけてると(袴の裾を入れないで)(寒いから?)
ロングスカートの下にハイソックス履いてるみたいでかわいいよ。
走ると袴の裾がめくれてハイソックスが見えてハァハァだよ。
251日本@名無史さん:03/12/08 00:48
>>250
おまえは間違っている。タハッ!
252日本@名無史さん:03/12/08 00:49
脚絆てなに?なんて読むの?
253日本@名無史さん:03/12/08 00:51
>>250
ハイソより足袋でふくらはぎが見えたほうがハァハァだと思う。
254日本@名無史さん:03/12/08 00:52
>>252
「きゃはん」と読む。
まあゲートルみたいなものだな。
ぐるぐるとスネに巻きつけることで足下を固めるもの。
255日本@名無史さん:03/12/08 00:56
Tバック一丁で、ブリッジする女子高生が一番ハァハァだよ
256日本@名無史さん:03/12/08 00:57
武士はそんな下品なことしないよ
257日本@名無史さん:03/12/08 01:00
>>256
マジレスにワラタ
258日本@名無史さん:03/12/08 01:04
>>255
つーかいったいどこの女子高生がそのような愚行を犯すというのだ。
259日本@名無史さん:04/01/03 00:56
260日本@名無史さん:04/01/05 17:39
ネタにマヂレスいかんぞな、もし。
261日本@名無史さん:04/01/06 06:50
まじめな話、〜に と 〜へ
って現代では意味の違いってあるの?言語学的に
京都に行く と 京都へ行く (おまけに、京都さ行く も)
なんか微妙に使い分けてるような気もするし、どっちも日常で使うよね
まったく同じ意味ならどっちか消えてる気もするし…
厳密に意味違う気もするけど、自分では言葉にできなくてもどかしい

だれか詳しい人よろ
262日本@名無史さん:04/01/06 07:24
京都に行く → 「に」の前を強調。
         言外に(例えば)大阪じゃなくて京都に行くんだよという、強調のニュアンスがある。

京都へ行く → 強調なし。強いて言えば、「行く」ことに重点を置いている。
263日本@名無史さん:04/01/06 13:50
>238
どこの島かは忘れたけど(鬼という字が入ってたような…)
古文で習うような「かかり結び」が方言の中に残ってるそうだよ。
264日本@名無史さん:04/01/06 14:02
自称霊能者が武士の霊を呼び出して、時代劇のエセ武士言葉でしゃべるのは笑える。
265日本@名無史さん:04/01/06 16:38
>261
助詞の「に」は場所を表し、「へ」は方向を表す。
だから「に」だと→京都と言う場所に向かう、と言うことになり
「へ」だと→京都のある方向へ向かう、と言うことになる。
意味は殆ど変わらないので、どちらを使ってもいいんだそうです。
266日本@名無史さん:04/01/06 16:41
京都オゥオゥ行く



『オゥオゥ』はどのような意味があるんかいのう
267日本@名無史さん:04/01/06 19:12
>>164
>鹿児島にあった近衛家の荘園を管理してる内に戦国の世となり領地を私有化。

私有化していない。
戦国時代に近衛前久は足利義昭に追放されて、薩摩の荘園に滞在している。
島津家はあくまでも、税を代わりにとる代官だった。


公家の主人は「殿様」で武家は「御屋形様」って呼ばれていたと
永井路子が書いていたけど、本当かな?
268日本@名無史さん:04/01/06 20:54
>>248
>どうして武士って自分のこと名前で言うんだろう。
>女子高生っぽくてかわいい

九十近いお年より(元会社経営)に使う人がいる。改まって場で使用するみたい。
>女子高生っぽい
一人称に氏を使う女子高生はいないと思う。いたらこわひ。
269日本@名無史さん:04/01/06 22:12
>一人称に氏を使う女子高生
たまにいるよ。自分のことを自分の苗字で呼ぶ椰子。
ちょっとムカツクが。
270261:04/01/07 01:38
レスありがとうです。
勉強になりました。自分部外者なもので…。
271日本@名無史さん:04/01/07 12:24
千日回峰行やった奴居る?
272日本@名無史さん:04/01/08 13:07
うちの実家は中国地方だが、今でも時代劇のような喋り方をするよ。
「見とうない」(見たくない)、「聞きとうない」(聞きたくない) など。
何時代の名残なんだろうと思う。
273日本@名無史さん:04/01/08 23:09
>272
ただの方言じゃん
274日本@名無史さん:04/01/08 23:33
>>273
では、「ありがとう」(ありがたく)もただの方言か?
それともお前さんのレスがただの放言か?
275日本@名無史さん:04/01/08 23:39
ありがとうは標準語じゃん?
少なくとも関東弁ではそう言うな。
276日本@名無史さん:04/01/08 23:46
つーか、武士なら有難き幸せ云々だろ
277日本@名無史さん:04/01/08 23:47
かたじけない。
278日本@名無史さん:04/01/09 11:00
>>276
君は本気で言っているのか?
テレビの見すぎだなw
279日本@名無史さん:04/01/09 11:44
ついこないだの新潮に、勝海舟の親父さんの書いた文章が
原文で載ってたよ。
学のなかった人で、話し言葉で書いたらしい。
時代も下ってるけど、「〜だぜ」とか言ってた。
280日本@名無史さん:04/01/09 15:25
時代劇では当時の言葉を厳密に考証して、放映時には現代語訳の字幕をつけるべきだ。
281日本@名無史さん:04/01/09 15:41
武士に限らず、戦前の人は、古典仮名遣いを使う人が多く、
正式の文書も古典仮名遣いで書かれていた。
新撰組の入り口に書かれた走り書き(近藤勇書)も、古典的かな使いだった。
普段の言葉遣いといっしょかどうかは不明だが。
少なくとも、書き言葉は古典的だった。
話し言葉も、これに近いものだったと想像できる。
(しゃべり言葉と違う仮名遣いで文字を書くのは、意外に大変だ)
282日本@名無史さん:04/01/09 21:33
江戸期までは話し言葉と書き言葉は完全に違っていた。
江戸期までは文語文(しかない)。口語文体ができたのは明治以降。
口語文体でも終戦までは旧仮名遣い。
新仮名遣いは戦後。
283日本@名無史さん:04/01/09 21:35
>278
主君に向かっては有難き幸せくらい言うだろ。
同僚に向かってもありがとうなんて江戸時代には言わない。
284日本@名無史さん:04/01/09 22:28
 大英帝国並びに日本国のサムライ達に告ぐ 我々は薩摩藩である!
いわゆる修好通商条約と呼ばれた不平等条約が偽りのものであることは誰の目にも明らかである!!
なぜならば協定は日本国の名を語る幕府の売国奴によって結ばれたからだ
我々はいささかも戦いの目的を見失ってはいない! それは間もなく実証されるであろう!!
我々は日々思い続けた! 亜細亜諸国の自主独立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者たちのことを!
そして今またあえてその火中に飛び入らんとする若者のことを!
亜細亜諸国の心からなる希求である独立に対し白人国がその強大な軍事力を行使してささやかなる
その芽をつみ取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる・・・!
見よ! これが我々の戦果だ! このエンフィールドの銃剣は亜細亜人を弾圧するために開発された
このエンフィールドの銃剣が亜細亜人の血を吸い続けた事実をもってしても呪わしき白人国の悪意を否定できる者がおろうか!!
顧みよう! なぜセポイ独立戦争が勃発したのかを! なぜ我らが武士道と共にあるのかを!!
我々は3年間待った・・・ もはや我が軍団にためらいの吐息を漏らす者はおらぬ!
今、若人の熱き血潮を我が血としてここに改めて私は大英帝国に対し宣戦を布告するものである!
繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉のために!! 薩摩藩、万歳!!
285日本@名無史さん:04/01/09 22:34
↑薩摩藩最後の声でした。
286日本@名無史さん:04/01/09 22:46
お、お、奥さん、パ、パ、パンティ何色?
m9( ^,_J^)ノ <答えてください
www.ismusic.ne.jp/kouei34/xg007000.mp3
287日本@名無史さん:04/01/10 01:08
江戸の同心達は江戸ッコ言葉だったんでしょうか?
288日本@名無史さん:04/01/10 01:56
与力
京都所司代、大番頭以下の諸職・諸奉行に属し、配下の同心を指揮した。人数や役禄は職によって差異がある。
町奉行配下の与力の格式は御目見得以下、200〜150石程度で一代限りの抱え席であったが、実際には世襲であり、
幼少の頃から見習として奉行所に勤め、他に転出することはまれであった。人数は享保4年に南北町奉行に各25騎で、50騎である。
与力には支配、支配並、本勤、本勤並、見習、無足見習の六つの役格があり、仕事は財政・人事から普請、風俗取り締まりまで多岐にわたり、
一人でいくつも兼任した。罪人を扱うため不浄役人といわれ、他の武士から差別されていた。
町奉行与力の組屋敷は八丁堀で、俗に「八丁堀の旦那」とよばれた。下町の真ん中に住むため、侍言葉でなく町方の言葉をしゃべり、
町人の身近であったためか、町人にたいへん人気があった。

同心
京都所司代、大番頭以下の諸職・諸奉行に属し、与力の配下である。人数は幕末で6700余人、俸禄は30俵2人扶持が標準であった。
町奉行に属す同心は、南北町奉行に各100〜120人で合計200〜240人程である。役各は年寄役、増年寄役、年寄並、書物役、物書役格、
添物書役、添物書役格、本勤、本勤並、見習、無足見習の十一に分かれている。一代限りの抱え席であったが、実際には世襲であり、
幼少の頃から見習として奉行所に勤め、他に転出することはまれであった。与力との関係ははっきりとした上下関係で、同心から与力に昇格することは基本的になかった。
同心が公的に雇ったものを小者といい、岡っ引きなどは私的に使ったもので禁止されていたが、公然と使われていた。
組屋敷は八丁堀にあり、100坪程であるがほとんどを町人に貸し生活費を補い、自らはその奥に住んでいた。
289日本@名無史さん:04/01/10 02:18
『雑兵物語』はどこの方言で書かれているんじゃ?
290日本@名無史さん:04/01/10 02:24
『雑兵物語』は全二巻からなり、松平信興ほか数名の著者候補がいるものの、定説はありません
291日本@名無史さん:04/01/10 03:07
>>283
本気だったんだw
じゃあ同僚にも「ありがたき幸せ」とか言うのか?
オヤジギャグのつもり?
292日本@名無史さん:04/01/10 06:13
か た じ け な い
293日本@名無史さん:04/01/10 08:02
>291
主君に向かっては、と言っているが何か?
読解力をもっと養いたまえ。
294日本@名無史さん:04/01/10 10:22
将軍とか大名が自分の両親に敬語を使うのは当然として、
叔父や叔母、姉にはどういう言葉使いだったのか知りたい。
将軍のほうは敬語で、むこうはタメ口だったりする?
295日本@名無史さん:04/01/10 13:22
>>293
おひおひ
自分の発言には責任をもてよ。
おまえの発言は>つーか、武士なら有難き幸せ云々だろ
これだけだ!!!w
296日本@名無史さん:04/01/10 13:45
>295

>自分の発言には責任をもてよ

持ってますが何か?

君は自分の脳内で勝手に一人相撲でも取っていたまえ。
以上。

馬鹿を相手にするのは疲れる。
297日本@名無史さん:04/01/10 14:08
>>288
参考になりますた
298日本@名無史さん:04/01/10 15:02
ちょっと聞きたいことがあるんですが
愛してます、好きですというのを戦国時代の侍たちはなんて言っていたのでしょうか?
299日本@名無史さん:04/01/10 15:12
愛い奴め、どれどれ近うよれ。ほれほれもそっと近うじゃ。
うむ、苦しゅうない。ほれ面を上げい。・・・ふむ、寝所に参れ。


こんな感じ。
300日本@名無史さん:04/01/10 15:19
それは、愛してます、隙です、いうのとは違うと思う。
ようするに、そういうことは言わなかった、ということか。
301日本@名無史さん:04/01/10 15:24
いとおしい

いと  惜しい

もったいねー

俺のモン
302日本@名無史さん:04/01/10 15:27
「愛」は元々仏教用語だと聞いたことがある。
明治になってLOVEを翻訳する時に愛の字をあてたようだ。
303日本@名無史さん:04/01/10 15:31
日本人にアガペーを理解できる奴はいない
304日本@名無史さん:04/01/10 22:33
>>296
>>>自分の発言には責任をもてよ
>持ってますが何か?
なんだ妄想か
持ったつもりじゃこまるなw
305日本@名無史さん:04/01/11 00:30
>304
君粘着厨だね。お里が知れるよ。
里に帰って畑でも耕しとけや、百姓が。
306日本@名無史さん:04/01/11 00:46
>>305
知性の欠片もないね。
かわいそう。
307日本@名無史さん:04/01/11 00:50
それを言うなら片鱗でしょw
308日本@名無史さん:04/01/11 00:53
306-307
まあまあ、喧嘩せずに、69で仲直り。
309日本@名無史さん:04/01/11 00:55
百姓相手に喧嘩してもしゃーない。
310日本@名無史さん:04/01/11 01:58
>>307
ぷぷぷ
無知なやつWw
311日本@名無史さん:04/01/11 02:02
まあまあ、喧嘩せずに。

本題の衆道に戻ろうよ。
312日本@名無史さん:04/01/11 02:02
>302
キリスト教伝来のときには
愛=Loveとは伝わらなかったと?
313日本@名無史さん:04/01/11 02:11
>310
悪いが斬る。
漏れは蟄居くらいにはなるが、致し方ないw
314日本@名無史さん:04/01/11 02:13
>312
実際どうなんでしょうね?
愛と訳したのでしょうかね。
315日本@名無史さん:04/01/11 02:15
慈悲では?
316日本@名無史さん:04/01/11 02:15
つーか、漏れ聖書はど素人なんですが、
聖書にLOVEという言葉はあるんですか?
317日本@名無史さん:04/01/11 02:17
当時はポルトガル語だったからないっつーのは無しねw
318日本@名無史さん:04/01/11 02:18
>>313
とうとう頭にきたか。
妄想は脳内にとどめておけよw
319日本@名無史さん:04/01/11 02:20
>318
斬られた百姓は発言できないんですが。
320日本@名無史さん:04/01/11 02:20
>>319
つまらん…
321日本@名無史さん:04/01/11 03:15
愛してるでござる
322日本@名無史さん:04/01/11 11:59
愛してるとか好きですとかではなく大切に〜とかを使っていたのですね。
ありがとうです。
323日本@名無史さん:04/01/11 13:17
その愛の前立て、直江山城守どのとお見受け申す! いざ、御首頂戴つかまつる!

……適当に添削してくれ。
324日本@名無史さん:04/01/18 13:07
なんで昔の人って歳取ると、「わし」 とか「…じゃ」とかいうしゃべり方をすることになってるのでつか?
325日本@名無史さん:04/01/18 13:15
即レス

ワシは女性がワタクシの約として使ったでつ
326日本@名無史さん:04/01/19 14:10
>>324
広島弁に染まるからだろう。w
そのうち、自分のことを「わし」藻前のことを「わりゃあ」「おどりゃあ」とか、言いはじめる。
327日本@名無史さん:04/01/31 00:22
脳天気悪代官 「良いではないか良いではないか」
お女中 「おやめくださりませ おやめくださりませ あ〜れ〜」
帯クルクル

本当にやつてゐたのだらうか
328日本@名無史さん:04/01/31 12:44
>>327
言葉遣いは知らんが、現代でもそういうのあるからな。
当時もあっただろう。
329日本@名無史さん:04/02/01 17:17
330日本@名無史さん:04/02/03 18:59
峰打ちじゃ。安堵いたせ。
331日本@名無史さん:04/02/04 19:18
昔の人の一人称って何だったんですか?
僕?俺?わし?モロA
あと、長州人の話し方を教えてくださーい
332日本@名無史さん:04/02/23 01:27
333日本@名無史さん:04/02/28 14:55
>あと、長州人の話し方を教えてくださーい

「もう馬場、猪木の時代じゃないぞ。
これからは鶴田、藤波.......そして俺たちの時代だ!」
334日本@名無史さん:04/03/01 13:50
>>324
俺は岡山の生まれだから
子供の頃はその事にまったく疑問を抱いた事なかったな・・・

つーか勝手に「ワシ」や「〜じゃ」をジジイ言葉に認定すんなよと・・・本当エライ迷惑

平田篤胤の『俗神道大意』には,ぶったまげる.口語体もただしゃべるやうに書けばいいって
もんぢゃないといふ見本.
これぢゃ,まるで猪熊ジゴローである.

「天の神道といふたは,四時不?とある如く,春夏秋冬の気候を?(たが)へず,風吹き雨降り,
万物の成り出づる所を以て天然の神道(あやしきみち)と云ふのこころに云ひ,同じ易の文に
陰陽測られざる,これを神と言ふ,とある神の字の義ぢゃ.御国の謂はゆる神のごとくしゃんと
実物の神を指して,其の神のなさる道と云ふの義(こころ)ではない.それ故,天の字と神道のの間へ
これと訓む之字を置いて天之神道と書き,天然の神道(あやしきみち)といふ意(こころ)に
申したものぢゃ.(中略)この文に教を設くとあるのは,人たるの道を教へたといふ事ではない.
ただ耕作の仕様を教へたといふことぢゃ.それは上なる四時不?といふ文を受けて,かく言ひ
たるを以て解(さと)るがよい.世々の儒者どもの解しやうが皆悪い.此のわけ故に,ともに
神道と言へばとて,右に申したる二つの神道とはとんと趣意が違ふことで,一体,もろこしの
文字が渡ってこのかた御国の古言へそれを当てたるのに,全くよく叶ふてをるのと合はぬのが
ある.これもまたよく心得ておかねばならぬことぢゃ」
336日本@名無史さん:04/03/19 00:14
337日本@名無史さん:04/03/19 00:27
338日本@名無史さん:04/03/19 00:39
ニンニン
339日本@名無史さん:04/03/19 08:16
「それがし」て一人称は三河武士の言葉で徳川家が天下を盗ってから全国に広まった。
と本に書いてあったが足利一門だって三河出身だよな。
三河でも下賎の言葉だったのか。
それとも室町幕府が開いて足利一門が諸国に散らばってから出来た言葉なのか。
真相や如何に。
340日本@名無史さん:04/03/19 18:16
>>339切腹願いたい次第………
341日本@名無史さん:04/03/20 11:41
一番『それっぽい』のが葵徳川三代の片桐の挨拶だな。
「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存知奉りまする」
342日本@名無史さん:04/03/20 15:36
340 何で切腹しなきゃなんないの。
やっぱその本の内容が間違っていたのか。
343日本@名無史さん:04/03/21 18:19
問答無用だゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
         ∧ ∧
        ミ,,゚Д゚彡
         ミ  彡
         ミ,,,,,,,,彡
       /
──────────────
──────────────
  ∧_∧   ∧_∧    ∧_∧
 (    ) (    )  (    )
 ⊂  ○ ) ⊂  ○ ) ⊂  ○ )
 (__)_) (__)_) (__)_)
  ∧_∧   ∧_∧    ∧_∧
 (    ) (    )  (    )
 ⊂  ○ ) ⊂  ○ ) ⊂  ○ )
 (__)_) (__)_) (__)_)
  ∧_∧   ∧_∧    ∧_∧
 (    ) (    )  (    )
 ⊂  ○ ) ⊂  ○ ) ⊂  ○ )
 (__)_) (__)_) (__)_)
__∧____∧___∧____
ははーーーーーーーーーーーーー!!
344日本@名無史さん:04/04/15 23:00
345日本@名無史さん:04/04/29 08:27
問答無用

今、FM京都の茂山千三郎(大蔵流狂言師)の番組を聴いているのだが、
室町時代に「〜〜でござる」という言い方と「〜〜です」という言い方が
あったらしい

「〜〜でござる」というのは標準的な言い方・常識的な物言いなんだが、
「〜〜です」というのはすごい乱雑・偉そうな言い方ということらしい
347日本@名無史さん:04/05/16 11:35
じゃあ、「ござる」が今の「です」で、
「です」はタメ口みたいなもんかな。
348日本@名無史さん:04/05/16 12:45
>346

一休さんが将軍様に「〜〜です」なんて言ったら・・・・
349日本@名無史さん:04/05/16 13:49
三河じゃ、ござるって「居る」の丁寧語として、今でも普通に
つかっとるよ。
「〜してござる」〜してらっしゃる、「ござった」いらっしゃった
「〜さん、ござるか?」〜さんみえますか?  みたいに。

やっぱ、当時のエリート官僚(三河武士)のしゃべりかたをまねして
ひろまった(ここが重要だが、かなり用法を間違えながら)のが、武士の
ことばだったんじゃないの。

ちょうど、マンガや小説で信長や秀吉がめちゃくちゃな名古屋弁(
三河弁)をしゃべっているのに、そういうもんだとして受け入れられて
しまってるように。

また、それを声高に修正しないのが三河人の気質。
350日本@名無史さん:04/05/16 17:51
>当時のエリート官僚(三河武士)のしゃべりかたをまねして

三河武士なら下っ端でも使ってたのでは? 三河の言葉だというなら。
351日本@名無史さん:04/06/13 16:21
三河age
352日本@名無史さん:04/06/13 16:28
>>348
一休さんは皇族だからノープロブレム
353日本@名無史さん:04/07/15 19:16
age
354日本@名無史さん:04/07/18 08:23
超遅レスだが>>40
当時は西日本ではサ行の発音は
さ→シャxa、し→シxi、す→シュxu、せ→シェxe、そ→ショxoだったらしい
355日本@名無史さん:04/07/18 15:36
上杉家臣の直江兼継
の「愛」のかぶとはどう説明するの?
356日本@名無史さん:04/07/19 11:29
兜の“愛”と明治以降の外国語の訳語としての“愛”とは違うんじゃないかと。
357日本@名無しさん:04/07/29 16:02
「しぇんしぇい」の発音は、こちらの地方(の中年以上)なら今でも普通にするよ。
358日本@名無史さん:04/08/20 01:03
359日本@名無史さん:04/08/20 01:28
>>355
あの「愛」の字は「愛染明王」の「愛」の字だと、どこかの本で読んだ覚えが。
360日本@名無史さん:04/08/20 20:00
僕・君は身分の差をなくすため、松下村塾からうまれてもの。
一般的に吉田松陰が最初に使ったとされている。
361日本@名無史さん:04/08/21 00:00
どれらの地方よ?
362日本@名無史さん:04/08/21 09:26
一月遅れだが>>354
そうすると、髭面のむさい侍が
「うえしゃま、しゃしゅがでごじゃる。良き御思案とじょんじましゅる。」
とか言ってたの?
363日本@名無史さん:04/08/21 09:58
>>359
愛染明王はおさえられない性の衝動を鎮めてくださると聞く。
つまり戦場でレープは控えておこう、と直江山城守の方針かと。
364日本@名無史さん:04/09/07 09:02
age
365日本@名無史さん:04/09/07 09:24
南釈華迦蓮来如来陀仏釈迦弥華無迦仏法迦法無無無陀
経弥妙妙釈阿釈南迦無妙弥如来法滅仏経迦迦無華華法
法法経妙妙迦妙迦迦弥妙法弥経来来法蓮釈如釈経陀南
如滅阿滅経無無南華釈陀陀蓮蓮陀釈法迦釈如弥滅南蓮
陀華迦迦弥仏陀無
366日本@名無史さん:04/09/20 19:12:55
age
367日本@名無史さん:04/09/20 19:22:40
まろは武士でおじゃる
368日本@名無史さん:04/10/03 15:59:48
369日本@名無史さん:04/10/05 02:24:14
>>1
っていうか現代ですら「愛してる」なんて恥ずかしくてそうそう言わねーよ。
むしろそんなセリフを簡単に言える奴は胡散臭い。愛の何たるかがわかっておらん!!
370日本@名無史さん:04/10/25 13:36:16
age
371日本@名無史さん:04/10/31 14:26:50
叱ったり罵ったりするときに〜者って言い方多いよね

不届き者、狼藉者、たわけ者、痴れ者、不心得者、うろたえ者・・・
372日本@名無史さん:04/11/18 10:59:32
武士言葉なのかね?
373日本@名無史さん:04/11/18 21:20:32
ばか者
374日本@名無史さん:04/11/26 11:59:17
>>26  たいして歴史に詳しいわけでもなく、人並みかそれ以下の知識
しかもちあわせてないDQNな自分がこんな板で発言するのもあれだが

かなり前にテレビ番組で
口寄せした霊能者が「口寄せした霊が直接しゃべるわけでなく
霊の思念を感じ取り、それを私たちが言葉にするのだ」といってた
この論が通るとすると、「霊の思いを言葉にするのは霊媒師なのだから現代的
な言葉が出てきてもしかたがない」といういいわけもできるだろうから
いくら説得力のあるレスも肯定派の人には通じない可能性もあると思われ

その回のアンビリバボーはみてないけど
本当に「愛していたのでござる」と言っていたならさすがにインチキ臭いとは思うが
375日本@名無史さん:04/11/26 13:34:25
うろ覚えだが

恐山のイタコに、ベートーベンの霊を呼び出させて対話したら
青森弁だったという話が
376日本@名無史さん:04/11/26 20:44:15
ばかもんがー!って言われると新種の小動物みたいでかわいい
377日本@名無史さん:04/11/28 15:37:23
「ござる」って終止形で使う事は少なかっただろ?
「〜でござれば…」とか已然形にしたり…。
378日本@名無史さん:04/11/28 15:46:54
山南敬助の言葉の訛り分かる人〜
379日本@名無しさん:04/11/29 12:41:05
>>374
古人の霊を憑依できてもその霊能者が古語をそのまま喋れることは凄く少ないのだそうだ。
ましてや外人の場合は(笑)。またただ召喚した場合でも、霊能者は霊とコンタクトを取るの
に苦労することが多いという話があったように記憶している。

どうやら古語や外国語を喋れるかどうかは霊能者自身の言語能力で決まるように思う。
当然かな。その霊能が本物偽物如何に拠らず、単語想起、文章構築、発声は霊能者自身
の脳神経に頼っているんだから。でも他者にすればこういった所で本物か偽物か決めて
しまうことが多々ある。実は只の通訳で、通訳の能力の有無があるかどうかだけだと思うん
だが・・・
380日本@名無史さん:04/12/18 19:13:45
age
381日本@名無史さん:04/12/26 17:50:21
「です」という言葉は「〜でげす」が短縮されたもの。
つまり「〜です」という語尾は本来それだけで育ちの低さを連想させる、
程度の低い言葉で、人に媚びている語尾というニュアンスがある。
一般的に使われるようになったのは明治期以降。
だから江戸時代や戦国のドラマで一般的な武士が「私は〜です」というのは
ありえない。
もちろん幇間や下男は普通に使っていた。
普通は「〜で(にて)ござる、〜でございます」を使う。
382日本@名無史さん:04/12/26 19:03:13
人をさん付けでよぶ風習って皇族、公家の風習だよね。
両親も 「おもうさん、おたあさん」
って呼んでたしたな。武家よりかなり砕けた物言いをしていたし。
新政府は、天皇中心の儀式典礼を整えるのに、幕府儀礼を参考にして
つくっていったが、もともと宮中にいた連中は、
幕府の儀礼のうるささにかなり戸惑ったらしいね。


 
383日本@名無史さん:05/01/03 01:12:43
公家はいつごろから「さん付け」の風習を
持ってたの?
384日本@名無史さん:05/01/04 04:38:11
源氏も八幡太郎義家の頃までは河内弁。
義家の祖父の頼信の話が今昔物語に出ているが、頼信は完全な河内弁だった。
385日本@名無史さん:05/01/05 00:40:27
386日本@名無史さん:05/01/08 07:09:35
>>385
そうだね。
今昔物語に、源頼信の郎党の家に盗賊が入った話があり、
頼信は「昨日」のことを「ようべ」「よんべ」と言っている。
387日本@名無史さん:05/01/21 17:51:57
禿
388日本@名無史さん:05/02/04 20:18:17
保守
389日本@名無史さん:05/02/20 21:49:36
戦国時代を扱ったドラマによくでてくる「たわけ」って
昔から使われてたのかな?うちのママン(s21生)
いまだに「たわけっ!このぉ!」てよく言う。現代語なの?
390日本@名無史さん:05/02/20 21:55:36
名古屋に住んでる時は「たわけ」は普通に使ってたなぁ。
「たわけ」ではなく「た〜けっ!」と言う具合に。
他の地域でも使ってるんでしょうか?
391日本@名無史さん:05/02/23 13:25:18
た〜わ〜け〜〜 さとだけ〜
392日本@名無史さん:05/03/07 17:43:58
age
393日本@名無史さん:05/03/08 02:46:13
hoshu
394日本@名無史さん:05/03/15 14:56:32
保守
395日本@名無史さん:2005/03/24(木) 13:49:53
保守
396日本@名無史さん:2005/03/24(木) 15:52:02
「田を分ける」の意味だから、
分割相続が多かった鎌倉時代にはなかっただろうな
397日本@名無史さん:2005/04/07(木) 08:19:52
本当?
398日本@名無史さん:2005/04/07(木) 18:56:37
「戯け」ぢゃないの?
「日本書紀」にも出てくるよ、下ネタで。
399日本@名無史さん:2005/04/22(金) 16:41:05
た〜わ〜け〜age
400聖女 ◆9RaBw0NoLw :2005/04/23(土) 01:24:21
四百
401日本@名無史さん:2005/04/23(土) 02:16:10
「たわけ」は今でも愛知県で使われている。
というか、俗に言う「信長秀吉家康」は愛知県出身だわな。
402日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:10:51

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 幕末転勤物語 妙高山
http://live16.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1114338083/
403日本@名無史さん:2005/05/09(月) 19:39:01
404日本@名無史さん:2005/05/14(土) 20:32:48
昔読んだ津本陽の織田信長は


最後の本能寺の変のシーン
「何事でや!下々のものが喧嘩しておるのかや」
森蘭丸「明智の謀反でございまする」
405日本@名無史さん:2005/05/14(土) 20:41:05
>>401 たわけは昔愛知県あたりで
田んぼを他の人にわけて周囲から馬鹿者扱いされてしまった
人がいたことからできた言葉。と随分昔の平成教育委員会で
やってましたな。
すでに織田信長が青年期にたわけもの、うつけものと呼ばれていたのだから
織田信長の時代より前の出来事か
406日本@名無史さん:2005/05/14(土) 20:42:52
昔の日本語は文語と口語に分かれていたから
昔の史料だけで当時の言葉遣いを再現するのは難しいだろう
407日本@名無史さん:2005/05/14(土) 21:26:56
          ,,,r::::':':':':':':':':':':':'::::-.、     
         /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\        忍者ブットリ・ノリゾウ ただいま参上!
       /:::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::::::::::::\           
        ̄l:::::::/ _,ノ' 'ヽ、_ ヽ::::::::::l ̄       牛を消し 腹は肥え
 (⌒\   |::::::/ -=・= , 、-=・= \::::::|        ロサンゼルスへ やってきた
  \  \  /:::/ .,、⌒) ・_・) ⌒,、  ヽ:::}        ブットリくんが やってきた
   \  \|:::::|  ┃トェェヨョェョイ┃   |:::i         年俸五億に 功労金
   / ̄\|::::|@┃|ョコュユェュ|┃@ |:::l:`゙ー 、_    マイナーリーガー 中村ブランド
  ,r┤    ト.::|  ┃ヽニニニン ┃   |:::l:::::::::::::::`- 、 目にもとまらぬ スイングで
 l,  \_/ ヽ  ┗━⌒━┛ |  ,ノ::::::::::::::::::::::::::  空切るバット ストライク
 |,  、____( ̄ lヽ 、 (    )   ,,r':::::::::::::::::::::::::::::::  五億よ 五億よ ブットリくんは
 ヽ, 、__)`/\:::`ー-―-ー '´:::::::::::::::::::::::::::::::::::::  不快な金の 亡者でござる
  ヽ、__)__ノ::\\::\XXX/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::  亡者でござる
408日本@名無史さん:2005/05/17(火) 01:02:25
学生時代、東北弁が平安時代の言葉に一番近いと習った。
ほんたうなのだらうか・・・・・・・。
409日本@名無史さん:2005/05/29(日) 14:38:57
まじ?
410日本@名無史さん:2005/05/29(日) 15:13:08
本当でがんす。
411日本@名無史さん:2005/05/29(日) 20:12:25
>>401
> というか、俗に言う「信長秀吉家康」は愛知県出身だわな。

そうそう。その3人が、優秀な男と美女を
家来やその嫁として愛知から根こそぎ連れ出しちゃったって話だよね。

今の愛知県人は天下人のいずれもが「コイツとだけは関わっちゃいかん。」
と思った、無能な男とブサイクな女の子孫ばかりなんだってよ。
412日本@名無史さん:2005/05/29(日) 20:32:08
>368
>363
>359
>353
>339
>337
>328
>319
>316
>293
>283
>167
>154
>140
>135
>134
>108
>104

ddikokiyu忘れてるぞw
413日本@名無史さん:2005/06/11(土) 11:02:25
保守でござる
414日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:46:38
酔って早漏
415日本@名無史さん:2005/06/17(金) 05:50:58
人にぶつかりそうになったら「おっとぱ〜い」って父は言ってます。
一応父は武士です。100石です。
416日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:22:51
保守でござる
417日本@名無史さん:2005/07/01(金) 12:59:56
愛知出身だけど、たわけの語源は昔の豪商が金に目が眩んで自分の田畑をすべて売り払ってしまい、統べて失って、「あいつは田分けだ」と呼ばれるようになったのが始まりと聞いた事がある。違ってたらゴメン。
418日本@名無史さん:2005/07/01(金) 15:07:38
語尾に「ごいす」をつける話し方って、どうなんでしょうか?
419日本@名無史さん:2005/07/01(金) 19:46:43
>>418
田舎者の話し方でがんす。
420日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:39:38
>>417
あるいは「戯け」に「田分け」を掛けただけかもしれんね。
ただのダジャレ的な感じで。
ところで日本書紀の「戯け」ってどこに出てくるのか知ってる人、
良かったら教えてくだされ〜。
421日本@名無史さん:2005/07/15(金) 01:01:29
へえへえ
422日本@名無史さん:2005/07/28(木) 11:27:55
上様とてかまわん斬れぃ
斬りすてぃ
423日本@名無史さん:2005/08/14(日) 18:03:57
                       
424日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:23:37
今の大河の義経でも江戸時代モノでも、武士が目上のひとに対するときの一人称が
「拙者」なんですけど、これでいいんですか?
425日本@名無史さん:2005/08/26(金) 00:34:01
ござる

これが丁寧語とは知らなかった
御座いますまから変化したんですと
426日本@名無史さん:2005/09/02(金) 00:55:07
俺の名前は印籠代わり
迷わず地獄へ落ちるが良い
427日本@名無史さん:2005/09/02(金) 05:07:44
二刀流で瓦版に居候している方ですか?
428日本@名無史さん:2005/09/07(水) 19:43:50
印籠変わり笑える
水戸黄門の見すぎ
429日本@名無史さん:2005/09/18(日) 14:56:57
>>426
引導代わりじゃないの?

子供の時は「インド訛り」と思ってたけど…。
430日本@名無史さん:2005/09/26(月) 03:09:48
最近の時代劇はNHKも含めて、言葉使いがオカシイ。かといってじゃ
その時代に居たのかといわれると困るが、昔の映画(現代劇ですら)
ずいぶん昔風な話し方なのに、それより現代風なのはおかしい。

特に女性の話し方はヒドイ。
431日本@名無史さん:2005/10/10(月) 20:36:36
どういうふうに?
432日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:04:58
424>
徒然草とかは「某(それがし)」って言ってたって記憶してるんですが
間違ってたらどなたかご指摘ください
433日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:57:51
公望公は「こち」って言っていましたが。
434日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:59:02
保守でござる
435日本@名無史さん:2005/11/28(月) 23:10:07
保守
436山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/29(火) 01:09:53
タワケは、田分けよりも古く、神功皇后が国内の「戯け者」=性的タブーを
犯した連中の罪を祓ったとするのが、古い例では。
「それがし」は、中世初期にはありましたが、近世には武士が使用して威厳
を保つ事が多くなりました。
天草本『エソポ物語』の主人公の自称の他、それがしの使用者は、狂言の台
本から軽く抜き出してみた限りでは、閻魔大王や長者が目につきます。
因みに、「僕」は近代までは「やつがれ」。
437日本@名無史さん:2005/11/29(火) 02:06:05
江戸期の武家共通語は、能や狂言の言葉を規範にしています。
438日本@名無史さん:2005/12/15(木) 23:10:57
保守でござる
439日本@名無史さん:2005/12/27(火) 08:36:14
でかした!
440日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:04:03
保守にて候
441日本@名無史さん:2006/01/29(日) 15:59:04
室町時代の言葉遣いと江戸時代の言葉遣いは違うのけ?
442日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:44:55
手紙はやぱり「〜〜に早漏」ばかり?
443日本@名無史さん:2006/01/30(月) 05:10:01
>>120
うちの曾祖母、祖母、母、全て自称は「おれ」。(福島)
その影響で自分(女)も「おれ」を使ってたんだけど、
学校に行くようになってそれが異質であることに気付いた。
でも物心ついてからずっと「おれ」を使っていたから、今更
「わたし(あたし)」なんて言うのは逆に恥ずかしくて言えなかった。
何度も注意されたけど直せなかった。
そんな訳で今でも「おれ」を使ってます。
444日本@名無史さん:2006/02/17(金) 19:41:11
うちの婆さまも『おれ』とか『おれっち』とか言うな。 高校の同級生も『おれ』っていってた
445日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:01:04
445
446日本@名無史さん:2006/03/19(日) 22:59:12
保守でござる
447日本@名無史さん:2006/03/21(火) 01:08:49
〜御座候なれども〜御座候
時代劇や小説読んでたらこんな風に使ってるね。
448日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:14:47
   
449日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:59:24
保守に候
450日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:28:26
勉強になったでござる
451日本@名無史さん:2006/05/12(金) 01:14:56
まだあったのでござるか
このスレ
452日本@名無史さん:2006/05/13(土) 00:38:02
上げて候
453日本@名無史さん :2006/05/13(土) 02:02:02
>>443
今度から自分のこと「ボク」って言ってごらんなさい。
454日本@名無史さん:2006/05/13(土) 18:09:36
漫画の沖田掃除がで自分の事僕とか使ってるのあるがあれは間違い
455日本@名無史さん:2006/05/13(土) 18:16:17
ござるって違う意味で使ってるよね
456日本@名無史さん:2006/05/17(水) 17:35:50
ageでござる
457日本@名無史さん:2006/05/17(水) 17:40:53
おさる、公家かな?
458日本@名無史さん:2006/05/17(水) 17:41:38
僕とか君とかを使い始めたのは新撰組
459日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:56:48
おろ〜
460日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:31:05
>>458
知ったか腐女子乙でござる
461日本@名無史さん:2006/05/17(水) 22:32:22
麿も
462日本@名無史さん:2006/05/18(木) 04:14:16
>>443
「おれ」を一人称として使うのって、現代に置き換えると
チンピラに「おんどれが、しにさらせ」とか言われて
そのまま勘違いして子々孫々まで一人称に「おんどれ」を広く使うとか
そういうようなもんだよね。
463日本@名無史さん:2006/05/19(金) 10:24:21
動画upしました

スキバラ 5/18
極楽とんぼ こちらササキ研究所 #7
武士VS騎士どっちが強い!?

■ スキバラ ■
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/tv/1144324318/99
464日本@名無史さん:2006/05/19(金) 11:05:44
>>454
トシちゃん感激〜!!
465日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:06:54
保守
466日本@名無史さん:2006/06/28(水) 20:48:40
武士語にしたら良いのに
467日本@名無史さん:2006/07/06(木) 00:37:24
ん?
468日本@名無史さん:2006/07/15(土) 15:37:10
むむむ
469日本@名無史さん:2006/08/01(火) 00:41:30
オナゴで「俺」は萌えにて候
470日本@名無史さん:2006/08/01(火) 01:38:56
オナゴで萌えた「俺」は候
471日本@名無史さん:2006/08/01(火) 02:02:01
世界史板のアマノウヅメさんが言ってたがよく時代劇などで
武士の夫婦の会話で夫の方がタメ口で妻が敬語でってのも、
てんでウソで、実際は夫も妻もタメ口で普通に会話してたそうな。
出自によほどの身分の差でもあれば別ではあるが。
472日本@名無史さん:2006/08/03(木) 00:50:51
御座候
473日本@名無史さん:2006/08/03(木) 01:21:02
子供の頃に見たスレだと思ったら・…
やっぱり俺の書き込みがあったw

このスレは一体いつまで生き残るつもりなんだ?
474日本@名無史さん:2006/08/03(木) 01:27:20
そうでおじゃる
475日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:09:08
>>473
まだ4年じゃん。
476太国=プラム:2006/08/22(火) 18:15:23
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】


477日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:27:21
短小候。
478日本@名無史さん:2006/10/17(火) 18:15:56
【格差拡大社会】苦学生の象徴「夜学」が東海地方で次々募集停止 教育格差拡大に懸念
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1160811558/
479日本@名無史さん