仏教議論スレッド57

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1神も仏も名無しさん
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2神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 13:27:25.62 ID:MOIOQ3PS
いちおつ
3前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 13:28:20.92 ID:cyyLc4qR
オイラ氏とカラス氏との対話を横から見てのコメント。

(私の理解するグノーシス)
・旧約聖書や新約聖書に登場する創造神や仏典の大梵天の深奥に至高神がいる。
・その至高神は人類創造、宇宙(輪廻)創造以前から存在し法則の設定者でもある。

法(相依性、縁起の法も含む)の立法者なので実有(自性)であるが、人生には直接は関係しない。
(注)法=掟、言霊的には置き手となり手を置く=法則を設定するの意。

例えば、エネルギー=質量×速度の二乗という法則があり、この法則は無常ではなく常住不変である。
ただし、立法者がエネルギー=質量×速度の三乗と変更すれば、法も無常となる。

立法者(至高神)は人間界に直に現れたことはないので、釈尊もイエスも気付いてはいないかも知れないが、アインシュタインの仮説はたまたま的を得ていた。
「群盲が象を撫でる」という諺がありますが、「縁起の法」ですら象の外観を見ただけに過ぎず、内臓や細胞の動きまでは見ていなかったということ。

以上の仮説は検証不能にて、妄想とするか、信とするかの自由意思は人に与えられております。尚、私は師から「掟=置き手」のことは伺いました。
4神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 13:41:44.18 ID:rRNdcihu
>>3
法性は、自然の法則みたいなもんで、そうなってるだけ。
何か基体として設定されるものではありません。

ちなみにブッダはあらゆる知覚可能な世界を時間も空間も超えて知覚するとされます。
これが一切智。なので気づかない世界、神、創造主というのは無いというのが仏教内の前提です。
5前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 14:02:28.61 ID:cyyLc4qR
>>4 多分、オイラ氏
>法性は、自然の法則みたいなもんで、そうなってるだけ。
>何か基体として設定されるものではありません。

>ちなみにブッダはあらゆる知覚可能な世界を時間も空間も超えて知覚するとされます。
>これが一切智。なので気づかない世界、神、創造主というのは無いというのが仏教内の前提です。

仏教内の前提=貴兄らの「信」ということは了解しました。
因みに「法性は設定されるものでない」という見解を記載したテキストはございますか。

例えば、アインシュタインのような偉大な科学者でなくても、「万有引力の法」が無ければ、地球は太陽の周りを回らず、生物も生存できないことは分かります。
逆に生物の創造及び育成を意図したなんらかの存在が「万有引力の法」を設定したとも読めます。だから法則を発見した科学者達は「美しい」と感嘆されたのでは。

生命教が詳しい領域ですが人間は幾多の法則の調和にて生かされております。たまたまそうなってるだけでしょうか。

この議論は検証できないので止論と致したく、最初のご質問のみ御存知でしたら教えて下さい。
6神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 14:06:03.69 ID:rRNdcihu
>>5
それもウダーナの不生も『評釈』を読んでもらえば分かるはずですよ

きっちり典拠に則って筋道立って説明してるつもりです。

それと仏教の説明に科学とかグノーシスとかを持ち込んで真偽を判定しても意味がないです。

それは混乱し、妄想を生むだけだと考えます。
7前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 14:42:36.07 ID:cyyLc4qR
>>4 
>ちなみにブッダはあらゆる知覚可能な世界を時間も空間も超えて知覚するとされます。
>これが一切智。なので気づかない世界、神、創造主というのは無いというのが仏教内の前提です。

一切智者が1500年後に末法の世が来ることを知っていて、敢えてそういう果にならないように因を積んでおかれなかったということでしょうか。
末法の世には、まともに修行するものも無く証果は現れません。←カラスさんの指摘はコレに近いかも。

ここで一考ですが、阿弥陀如来の衆生済度の誓願は正法の世も像法の世も末法の世も現代も不変でしょう。
つまり、修行による証果を補足する(補完する)法が次第に強まっているのであれば、衆生済度は保たれます。
それは大乗で言います「他力」が次第に私達に届きつつあるかということです。

またキリスト教を例にしますと、焚書された幻のテキスト群が次々に復活しております。
仏教でも北伝一色だったのが、次第に南伝の復活(公知)と色が混じり合って中道に向かいつつあるように見えます。
8神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 14:51:25.91 ID:rRNdcihu
>>7
>一切智者が1500年後に末法の世が来ることを知っていて、敢えてそういう果にならないように因を積んでおかれなかったということでしょうか。

 それは各自の業だからどうしようもないですよ。
 でなければ、釈尊在世に一切有情が解脱してたでしょう。
 更に釈尊に直に見えながら、全く縁のなかった方もいるわけで

>末法の世には、まともに修行するものも無く証果は現れません。←カラスさんの指摘はコレに近いかも。

 前からいっているようにビルマとチベット系では今でもたくさんの証果が現れてます。
 その影響を受けた西洋や台湾にも現れてます。

 現代日本仏教だけを問題にされてもしかたないとずっと言ってきているのですが。

 それと私と対話されるなら、折角手に入れたのですから『評釈』を読まれて、その内容について話された方が早いと思いますよ。

 どうも方向が違うんですよね。
9神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 14:55:17.97 ID:MOIOQ3PS
>>7
で、最後は、仏教キ教イ教グノ神智学全部ひっくるめて包含した
(色で言えばモノカラーの)最終統一真理へ持って行きたいわけでしょ。

なんつーか、貴方の場合、(そこを“潔い”と評することもできますがw)
最初から、仏教云々キ教云々イエス云々でなく、
或るただ一つの統一真理(理論)へ向けて全ての材料を活用する姿勢だもんね・・w
だから、個々の材料の枠組みは、端から重要ではないわけで・・・。
(この、個々の枠組み無視が、宝珠と親和し、
 統一理論へ向けたゴールの設定の仕方がカラスと親和性を持つわけだ。)
10神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 15:02:11.79 ID:rRNdcihu
>>9
>或るただ一つの統一真理(理論)へ向けて全ての材料を活用する姿勢だもんね・・w

これは最初から分かってるんですけど、
そうだとしてもここでは、一旦それは保留して仏教の立場をテキストに添って理解した方が、すぐに矛盾する半端な統一理論にならずに済みそうなもんですが
11前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 15:11:34.65 ID:cyyLc4qR
それからこの板の住人の幾人かは私のことを洗脳が解けないとよく言われました。
私から見ますと皆さんにも洗脳がかかっているように感じております。

(洗脳事例1)千五百年以上前の中国僧による洗脳
(根拠)
まず原始仏典で同じ経のテキスト「沙門果経」を北伝と南伝とで比較します。
北伝の「長阿含」では、修行成果として「三明智」が得られるとだけあり、その解説は皆無です。
南伝の「長部経典」では「六神通」が得られるとあり、その解説も詳細です。
よって中国のお坊さんが意図的に削除したということです。(または南アジアの僧の創作です。)
(仮説)
釈尊の教義の中で哲学的なものは「信じる」が超常的なものは「信じない」坊さん達の改ざんによる洗脳。
(中でも中論派は哲学的な一派でしょうか。)
超常的なものを外した教義を信仰しても証果は得られず、親鸞活躍の1千年前から末法の世に入るのも当然かと。
幸い超常的な説法も含む南伝テキストを分かり易い邦訳で読めるようになりましたのも仏縁(他力)かと感じております。
12記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:3) :2013/02/07(木) 15:18:01.68 ID:Ief+S9UK BE:4927349489-2BP(333)
仏教の極楽浄土とはどんなところか
http://ameblo.jp/tuorua9876/entry-11463023437.html

この解読不能となっているところを教えてください。
13前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 15:26:51.66 ID:cyyLc4qR
>>8 オイラ氏
>前からいっているようにビルマとチベット系では今でもたくさんの証果が現れてます。
> その影響を受けた西洋や台湾にも現れてます。

>>11
>よって中国のお坊さんが意図的に削除したということです。(または南アジアの僧の創作です。)

仮説が検証され、了解です。 北伝オンリーの方々は多々ご意見があるかと思います。

>それと私と対話されるなら、折角手に入れたのですから『評釈』を読まれて、その内容について話された方が早いと思いますよ。

私も少し読み始めましたが、ある程度の仏教的下地のある方を前提にして書かれているようで、中々腑に落ちません。
背伸びしたのは情けないことですが、申し訳ないです。

>>9
>(色で言えばモノカラーの)最終統一真理へ持って行きたいわけでしょ。

道の人達も異なる真理(法)を悟っておられるので、無理に統一もできないでしょう。
ただそれぞれの教えも原始(原初)に戻れば、意外と共通の場合もあるようなので一つ一つ検証しております。
またモノカラーというよりも総天然色でしょうか。

共通に近い例1)孔子の仁、釈尊の慈悲、イエスの愛。
共通に近い例2)釈尊とイエスの因果の法。
14神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 15:40:18.32 ID:MOIOQ3PS
>>13
>総天然色

巧いね・・w

お茶ドゾー
つ旦~
15神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 15:46:49.36 ID:rRNdcihu
>>11
三明と六通は別ですよ。これは一番最初の頃に説明したような気がします。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-bdk-sat2.php

上のように漢訳でも両方出てきます。

それと漢訳とパーリは原典が違います。
漢訳はパーリでなく、サンスクリットのアーガマが原典なので微妙に違ってます。
それは例えば、『梵網経』を見ればわかります。
パーリ、漢訳二本、蔵訳がありますが、パーリだけ系統が違います。

ですから、単なる妄想です。

それと他力というのは大乗というより真宗の特殊な教義なんで、そこに拘っても仕方ないと思います。浄土教の根本経典『無量寿経』も以下のように
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0360_,12,0272c17&key=%E8%A6%BA%E4%BA%86%E4%B8%80%E5%88%87%E6%B3%95&ktn=&mode2=2
T0360_.12.0273a12:     覺了一切法 猶如夢幻響    
T0360_.12.0273a16:     通達諸法門[三本:性] 一切空無我  

一切法は夢幻のようで、諸法性は一切空無我だと通達する、と説いていますよ。
    (岩波本、金子大栄本も「通達諸法性」を採る)

アナタのパターンはすべからく瑣末な部分から無理やり自説にこじつけてるので、
そういうことしても仕方ないですよ。

なぜ『評釈』に基づかないのですか?
16神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 15:49:36.08 ID:06jo/Shi
そうです。仏教に根拠はないのです。信なのです。やってみないとわからないのです。
17神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 15:54:07.76 ID:rRNdcihu
>>13
>私も少し読み始めましたが、ある程度の仏教的下地のある方を前提にして書かれているようで、中々腑に落ちません。
>背伸びしたのは情けないことですが、申し訳ないです。

なるほど、了解です。

腑に落ちないのは実体的に考えるからでしょう。
その腑に落ちない部分をここで聞けば早いと思います。

そうせず、別の問いをオイラにするのは理解に苦しみます。
18神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 16:08:11.86 ID:rRNdcihu
>>13
>ただそれぞれの教えも原始(原初)に戻れば、意外と共通の場合もあるようなので一つ一つ検証しております。

これは文献学の泰斗、ドゥ・ヨングの言うキリスト教的原始こそ真という信仰ですね。

ドゥ・ヨングは、そういう19世紀的なプロテスタント的文献学(ほぼドイツ文献学と同じ意味)の影響から誤読するのは辞めて仏教的視点で読まないと学問として成立しないというわけです。
de jong, The Study of Buddhism. Problems and Perspectives
19神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 18:07:06.56 ID:uc6pXx0k
>>4
不思議なのだ、人間は生き物として進化してるだろ
なら今より進化したら釈迦よりすばらしい悟りを皆が手ににいれるはずだ
現生人類としてかなりの高みにあったとは思うけど未来永劫ではあるまい
それを認めないのは、人は神が作った最高傑作だということになってる
聖書原理主義者となんも変わらんと思うんだが
進化論を否定するのか?
20前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 18:14:47.01 ID:cyyLc4qR
>>8 オイラ氏
>前からいっているようにビルマとチベット系では今でもたくさんの証果が現れてます。
> その影響を受けた西洋や台湾にも現れてます。

>>15
>それと漢訳とパーリは原典が違います。

原典Aと原典Bとがあり、原典Bを実践した仏教徒には証果が現れている。
ただし(不幸なことに)日本の仏教徒の多くは原典Aの訳を信じて実践している。

上記では見解が一致したということでしょうか。
原典αを中国のお坊さんの誰かが原典Aに訳する時に意図的か力不足かで改竄かミスが生じ、それが縁となって後世の証果差が起こったということでしょうか。

>ですから、単なる妄想です。

貴兄の新たなデータの提示により、ますますお題「証果差」についての見解の一致のように思います。

>なぜ『評釈』に基づかないのですか?
>その腑に落ちない部分をここで聞けば早いと思います。

他の住人から販促するなとの批判もありましたので、直にあの中論入門についての質問は控えております。
21神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 18:17:11.20 ID:MOIOQ3PS
ま、統一真理系の特徴の一つが

 >>13>ただそれぞれの教えも原始(原初)に戻れば、意外と共通の場合もあるようなので

なわけだけれども、
これって、ほぼ100%、たとえば
靴は一対(二つ)で1足単位とするが、此れをもってして
Aという地域とBという地域が同根であるとするくらい乱暴なやり方なわけで・・・。

全く交流無く無関係でも、靴が一対単位で考えられるのは、当然と考えなきゃ。
太陽神話もそうだし、山が聖なる領域だというのも海から異人が来るという考え方もそうだ。
共通しているなら共通している理由がある筈だが、
それは、決して「同根」「同一真理」を意味しない。あくまでも、諸条件の集積結果に過ぎない。

が、彼等は其れを無視して、「ほら、共通してる!」と小躍りする。
アホとしか言いようがない・・。
22前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 18:25:51.46 ID:cyyLc4qR
>>19
>進化論を否定するのか?

ヒトゲノムの塩基の組み合わせを調べたら分かるでしょう。
誰か偉大な生物学者が試行錯誤で組んでいかなければ、アメーバーだって誕生しないでしょう。
その生物学者を旧約聖書では神と呼んでいるかと存じます。
でも創造主よりも、諸法の設定者(立法者)の方が先に存在しないと試行錯誤もできないでしょう。

(一休さん)
箱の中にレゴのパーツを100個入れて上下に箱を振ったら、どの位経てば簡単なレゴ動物ができますか?
1年? 1000年? 百万年?
けん玉でも難しいのが実情です。
23ノスタルジア:2013/02/07(木) 18:52:51.93 ID:NmB5gtzq
私は例えていうなら、浄土真宗が主催している大悲の願船にある木片を頼りに

大悲の願船から落ちた者である。溺れている者達を救うのは私の役目ではない、

御立派なサンガの僧達が溺れている者達を救ってくださるだろう。

私は如何なる素晴らしい目的地であっても行きたくない!それなら理事無碍法界

にいる貴方方達と共に海に漂っていたい。ただ貴方方は死ぬ。私は使いであるので、

木片を持って海に飛び降りた。伝統から背き、さらには背理し、両方から塞がれて、

もうどうしようもなく生きている。ただいつまでも漂っていたら生命が危ういので必然的に死ぬ。

じゃあどうするのか?【釈迦は詐欺師か?】この解決を言葉を紡ぎ出すことで、

正々堂々とやりたい。
24神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 19:06:37.08 ID:FaXXB0rr
仏教の価値とは静寂(ニルバーナ)にある。
静寂とは静寂だと感じる境地を言う。
思いっきり感情論だといえる。
即ちそれは仏教的ニヒリズムといえるものである。
25神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 19:39:04.05 ID:MOIOQ3PS
昨日今日と、wを多用する人が来てないなw

心入れ替えて卒業したのかな?
26神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 19:51:46.59 ID:FaXXB0rr
即ちそれはヘラヘラ笑うな的感情論を静寂とするものであり、
排他性を大いに持ちうるものであり、ヘラヘラ笑うことは
仏教以前に軟弱者とする脆弱性を理由に排斥されるものであるのは
間違いのない事実である。
即ち静寂とは静寂でない者に対して差別主義的見解を述べるのである。
うるさい!と
27神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 19:55:32.61 ID:fiSYktjt
日本とビルマとチベットをくらべてみろ
日本も問題たくさん抱えているが思想の自由も、
無職でも飯が食える余裕はある。
ビルマは軍事独裁政権下にあって、
チベットは中国との問題は死者まででる現状た。
証果かなんだか知らないが仏教は社会情勢とは無縁なものか?
28神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:05:04.98 ID:FaXXB0rr
仏教の真髄は静寂であるからして、それを理由に
現にビルマやチベットでは焼身自殺は起きたことがないといえる。
日本に至っては静寂すぎてミイラになる程であるといえる。
29神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:08:23.79 ID:fiSYktjt
静に動は含まれ、動は静に含まれる。
静だけ大事にするのは仏教ではないよ。
これでわからないならいくら議論しても無意味。
では
30神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:10:52.30 ID:rRNdcihu
>>20
そうですか。では、対話は無理みたいですね。
31神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:14:37.01 ID:FaXXB0rr
しかし、うるさい!というのは例え環境因子が実際に
うるさいものであったとしても、自身においてうるさいと感じるのは
仏教的静寂の観点から言えば負けであるといえ、
ちっとも静寂じゃないじゃんと言えるものであると言える。
32神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:20:38.58 ID:FaXXB0rr
>>29
それは単に自然環境全部を正義としているに過ぎない。
感情というものは自然環境以外の何物でもない。
その中の部分的なものを仏教は否定しているに過ぎない。
その代表例が三悪とする自然環境である。
仏教はその自然環境に対する姿勢としては排他的であり、
差別主義者的発想を持っているのは紛れもない事実である。
33神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:20:47.55 ID:rRNdcihu
>>20
一応、念のため。この誤解を訂正しときます。

>原典Aと原典Bとがあり、原典Bを実践した仏教徒には証果が現れている。
>ただし(不幸なことに)日本の仏教徒の多くは原典Aの訳を信じて実践している。

いや、そうじゃなく。

ビルマはテーラワーダの国で、チベット系は大乗の国です。
つまり、ビルマはパーリで、チベット系はほとんど日本と同じ系統の経典が多いです。

違いは、聖者の伝統が生きているということでしょう。

テーラワーダでも伝統の絶えているスリランカは日本と同じような状況ですよ。

いや、あの文からなんでそう読むのか理解に苦しみますが。

これで、当分対話は止めときますね。
34神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:25:12.40 ID:FaXXB0rr
焼身自殺するぐらいだから、仏教と無縁であると言えるが、
静寂すぎて焼身自殺するなら意味は変わってくるだろう。
35神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:30:42.46 ID:FaXXB0rr
意味とは鬱病であるが
36神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 20:48:07.16 ID:fiSYktjt
死のうは一定。
自分だけは生き延びたい。
自分だけはイジメに合いたくない。
自分だけはうつ病になりたくない。
これ全部迷いのもとだからな。
原始仏典から、
『生存に基づいて業がおこる』
とあるとおりだ。
生命教は人の命は本来的に軽いとはやく気づけ
それがないと本当に人に優しくも出来ないぞ
37神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:01:06.55 ID:FaXXB0rr
仏教的静寂の観点から言えば、3人の絶世の美女が
あの手この手でくんずほぐれつ妙技を繰り広げても
微動だにしないほどのインポテンツ的静寂であるといえ、
この世との縁を徹底的に断ち切る決意の現れとも取れるが、
そんなにこの世が嫌なのか?的病状を見出すものであり、
悟ったから嫌じゃないよとするならば、なんだ病気が
治っただけだよ的錯覚を見出すものである。
38神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:04:11.25 ID:fiSYktjt
病気治ったらそれでよくね?(笑)
病気治るのにあきたらず、
仏教の力で事業が成功して異性にモテ、
誰からも好かれるようになりたいの?
39神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:13:48.17 ID:FaXXB0rr
>>36
即ち生命とは勘違い的錯覚程度で
ひょいひょい死ねる程軽い存在なのは事実であり、
遅かれ早かれどうせ死ぬ程の絶対的軽さがあると言える。
>>38
誰も事業云々、異性にモテ云々、誰からも好云々言ってもないのに、
何だそれは?的錯覚を他者に見出すものである。
40神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:16:48.75 ID:0z5w2a+d
子供が生まれるのと人が死ぬのは同じく言葉も無いものです
41神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:24:59.73 ID:FaXXB0rr
>>40
それは感情による捉われであり五蘊云々として仏教では固く取り締まられる
項目であるといえる。
感情による静寂は生も死もこの世の道理として静かに喜ぶものである。
42神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:33:39.58 ID:0z5w2a+d
「あー」とでもしか言いようが無い
43神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:34:11.15 ID:0z5w2a+d
アートで表現
44神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 21:39:33.86 ID:FaXXB0rr
今日の表題は静寂を根拠とする仏教的ニヒリズムとは何か?を
問うつもりだったが、単にアホなのかもしれない
45前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 22:53:51.24 ID:cyyLc4qR
>>33
>ビルマはテーラワーダの国で、チベット系は大乗の国です。
>つまり、ビルマはパーリで、チベット系はほとんど日本と同じ系統の経典が多いです。
>違いは、聖者の伝統が生きているということでしょう。
>テーラワーダでも伝統の絶えているスリランカは日本と同じような状況ですよ。

誤 <IF 南伝を信仰 THEN 証果が現れる ELSE 証果が現れない>
正 <IF 聖者の伝統が生きている THEN 証果が現れる ELSE 証果が現れない>

本日の対話にて、ここまでは了解しました。

次回のお題は「聖者の伝統とは」ということで、おあとは宜しいようで。。
46神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:10:57.28 ID:VDF8jqUg
大昔の、しかも明らかに精神病の釈迦やイエスに、何故これほどまでに執着
するのか了解不能。精神病の感染以外には、解釈の仕様がない。

永劫の時間の中での唯一度きりの人生を浪費することなく、もっと有意義に
生きて欲しいものだ。
47神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:15:49.46 ID:MOIOQ3PS
>>46
何度も言うようにw、
個人にこだわってるわけじゃなく、
その内容に意義があるんじゃない。
貴方の竜樹ヨイショより遥かにマシですよwww
48神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:19:45.55 ID:7dfBYC8f
ところで真我については釈迦は説明する必要がなかったのでしなかった。
というのが宝珠愚者の論だが、それはありうるんだろうか?
発想として。

彼の理論(というか神智学)は仏教どころか、少なくともシャンカラよりは簡単な内容だ。
なんでわざわざ言わないという選択をするのか?
誤解されないための努力をなぜしないのか?
よくわからない釈迦だ。

釈迦が言わなくても、悟った仏弟子がフィードバックして
(今のうちに後輩に向けて釘刺しておかないとまずいかな、と)補完していても
よさそうなものだが、それもない。
49神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:27:03.00 ID:KHbZ3EZ4
ホント、溶暗信仰主義も無自覚な間接現実only主義もともに戯論(形而上的論議)であって、

発想が幼稚過ぎるんだよw

もう長年自分の尻尾ををグルグル回って追いかけている犬が多数ですなあ。

もうアカンやろねえ。
50神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:27:24.09 ID:MOIOQ3PS
>>48
何を今更w

著名人の賛同を欲しがるのは新規参入組の常套手段でしょ。
(大乗仏教にそれがあったかどうかは、また別の議論としても。)
51神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:28:54.88 ID:MOIOQ3PS
>>49
860 地獄の一丁目 New! 2013/02/06(水) 16:09:10.27 ID:IfeDeXCR
>> 855
>七仏通戒偈

もう、ものわかりの悪いお方にはウンザリですが、
七仏通戒偈は即心即仏、非心非仏を悟達出来た者の『無分別の分別』の境地です。
このあたりは繰り返すのは面倒なので、昔の仏教議論スレッド45の>> 634あたり〜を参照。
まあ、分別三昧の「仏教」徒には無理ですが。

901 神も仏も名無しさん sage New! 2013/02/06(水) 22:11:24.79 ID:QEUQYrfi
>> 860
いやいやw
七仏通戒偈は、世俗智でしょw
百歩譲っても、欲するに従って矩を超えず、じゃないが
融通無碍な「様子」「働き」とは言えるけど、境涯(そのもの)とは言えんよね。
あくまでも、無分別智の働き出たものと言うべきでしょ。

いずれにしろ、分別バリバリの3句と思うよ。
52神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:30:54.54 ID:7dfBYC8f
>>20
>他の住人から販促するなとの批判もありましたので、直にあの中論入門についての質問は控えております。

縁起一代への反感から、敵の敵は味方式に
隠居から何まで持ち上げてる人のレスだったよね。たしか。
真に受ける必要は無いんじゃないかねー。

販促になるから駄目だ、ってんなら流通に乗ってる本は
みんな取り上げられなくなる。無意味な縛りだ。
53前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 23:35:22.57 ID:cyyLc4qR
>>13
>私も少し読み始めましたが、ある程度の仏教的下地のある方を前提にして書かれているようで、中々腑に落ちません。

1回目読後感:書かれている意味が分かりませんでした。
2回目読後感:筆者の伝えんとする意図が分かりませんでした。
3回目読後感:筆者の伝えんとする意図が分かったような気分になり、疑問が発生しました。

(疑問)
四句分別はどこかで見たことがあるぞ。そうだ中学校の数学の集合の図式にあったぞ。
確かに全ての存在は四句のどれかで表現できるけど、それが「空」だと言われても、数学にくらいしか役に立たないのでは?
実数、虚数、零、実数+虚数、これで全ての数字だが、やっぱり数学にくらいしか役に立たないのでは?
諸存在の例として車とすると、車と車でない物の二句は分かるが、車であり車でないものとはなんだろう?
54神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:36:42.09 ID:FaXXB0rr
>>46
何故と聞くだけ野暮である。
そこには本質的実在苦の“暇”という事象が存在する。
故に静寂パワーでその被害総額を最小限に食い止めようとする
所作である。
有意義に生きるという意味においての被害総額最小限という
低コストで低燃費で省エネの発想の元に集合しているだけである。
55前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/07(木) 23:49:33.88 ID:cyyLc4qR
>>48
>ところで真我については釈迦は説明する必要がなかったのでしなかった。
>というのが宝珠愚者の論だが、それはありうるんだろうか?

釈尊は対機説法で相手に「法の器=信」ができるまでは戒律・禅定・慧の説法はしなかったそうです。
慧は三明智と解脱だそうですので、真我に関わりそうですが、やっぱり関係ないのかも。

またオイラ氏のコメントを待ちましょう。 対話でなく、住民達の疑問ということで。
56神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:52:32.72 ID:FaXXB0rr
故にここにいる理由が暇だからという本質的実在苦以上のものであるなら、
単なる錯覚であり、勘違いだからそのようなものは捨て去りなさい
とするのが仏教というものである。
善行においても“暇”という根源苦の解消を“なんとなく”という
根源的性質の元、行うに過ぎない。
仏教とは暇つぶしの有効活用論とも言える。
57神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:53:49.41 ID:MOIOQ3PS
法華経が存在する以上、>>55( >必要がなかった ・聞く者のレベルが足りなかった)
を却下できないんだよねぇ・・仏教は・・w

だよね?w >>一代   wwwww
58ブルー:2013/02/07(木) 23:55:54.21 ID:JT/qLela
毎日、瞑想をして般若心経を100回読むことをしていました。
もちろん、機械的にそれを行なっても意味はありません
とにかく、わかりました。心はもはや自分であり自分でないです

突き抜けたような気分です。事実、突き抜けました。しかし、何も変わりませんが。ただし、本当にすべてがありがたい。
59神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:59:00.55 ID:FaXXB0rr
>>58
自分とは他人である。これがわかれば、
鎖がほどけてきたと言えるでしょう。
60ブルー:2013/02/07(木) 23:59:12.86 ID:JT/qLela
全てのものの尊さは、本当にあります。
それは、頭で考える繋がりではありません
事物と心、虚構の時間の中での繋がりが本当に見えます。そして心につながっています。仏の心です
これが縁起の法でしょう
明確なものです
61神も仏も名無しさん:2013/02/07(木) 23:59:48.09 ID:7dfBYC8f
>>55
ねーわ。釈迦の在世時でピンからキリまであらゆる
質とタイプの修行者出揃ってるんだし。
密教みたいな形でも保存されてないとおかしいわ。

それ以前に、十大弟子の一人でも、宝珠に劣る人間がいると思うの?
62神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:07:35.16 ID:Mzz524Y6
>>61
そ。
だから所詮、宝珠も在家もカラスも、大川隆法と五十歩百歩なわけさ。
「釈迦」というブランドが欲しくて仕方ない人たちだと憐れんであげればいいと思うよ(´∀`)b
63神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:09:10.50 ID:M5iB+qMh
>>57
いい発想といえるが、何をもってのレベルだ?といえる
単なる読書レベルなら当然の如く甘ちゃんと言えるだろう。
64ブルー:2013/02/08(金) 00:10:21.23 ID:B2Fxol5j
同僚の命の輝きが目で見え、そして私と繋がり、すべてが重なった大きな聖なる心へと繋がっています
皆、ひとつだと、見ています 瞑想である方法で「自分」を極めていく論理的な行いが、極みに来れば誰でも見えます
65神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:12:06.67 ID:gyIXPH5y
>>47
>その内容に意義があるんじゃない。
内容を、ひたすら開祖個人に結びつけることにより、意義を認めている。
釈迦以外の者が、釈迦と同じことを言ったら、基地外と判断するだろう。

>貴方の竜樹ヨイショより遥かにマシですよwww
釈迦とは異なり、竜樹は、精神医学的には全くの健常者。論理矛盾が皆無である。
66前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 00:16:13.00 ID:RkQHVG6o
>>55
>釈尊は対機説法で相手に「法の器=信」ができるまでは戒律・禅定・慧の説法はしなかったそうです。
>慧は三明智と解脱だそうですので、真我に関わりそうですが、やっぱり関係ないのかも。

「真我」に近い言葉として「仏性」を私はイメージします。
誰でも仏になれる要素を内在しているという意味で、法華経の方便品で説かれていることは公知でしょう。

仏=如来=一切智者ですので、仏種も「真我」と関係がありそうです。

尚、空海も「仏性」を説かれていたそうですね。
恵果大師の下での修行中に空海の腹中に真理の○○が宿り急ぎ日本へ戻ったと師から伺いました。
67神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:18:28.50 ID:Mzz524Y6
>>65
馬鹿じゃね?w

>釈迦以外の者が、釈迦と同じことを言ったら、基地外と判断するだろう。
内容以前に尊敬ってのはあり得ないのw
中身に納得したから、「当時、評価され、名声が上がった」のw
うだつの上がらなかった人たちも沢山居たのw
そういうとこを無視するから、貴方も、宝珠カラス在家のオカルトリオと同じなんですよ。
68神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:19:30.59 ID:VEPnNjYu
設定や描写がかぶっているだけのものを安易に=で結んだり
ツギハギしても意味は無いよね。

エヴァンゲリオンとウルトラマンを合体させた所でエヴァトラマンという
二次創作が出来るだけだ。
69神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:21:12.47 ID:M5iB+qMh
まぁ“暇潰し”が真理なんだから大袈裟に捉えなくていいよ。
というか大袈裟に捉えるから極論でいえば戦争にまで発展するのだよ。
70神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:22:38.52 ID:VEPnNjYu
わざわざ研究されるのは、おもろい人間だからだろうな。

おなじマンコの絵を描いても誰も俺には見向きもしないが
クールベはビッグなアーティストであり続ける。
71神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:25:59.64 ID:m5kFlV3T
暇潰しが真理とは凄いことを言うな
口で言うのは簡単だけど、
暇潰し即菩提
暇潰し即涅槃
で暇潰しに撤して一生を過ごせるならオレはその人を尊敬する
72前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 00:27:12.17 ID:RkQHVG6o
>>67
>中身に納得したから、「当時、評価され、名声が上がった」のw

多分、釈尊もイエスも説法だけでは理解されなかったでしょう。
人々を救った後に法を説いたから、当時、評価され、名声が上がったと思料します。

もし現代に相手の心が読めて、過去のトラウマも見える、精神科医がいたら当然称賛されて「門前市をなす」でしょう。
スッタニパータでもバラモンが「心の中で質問せよ」と弟子達に命じて送り込んでおります。
73神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:29:17.16 ID:M5iB+qMh
>>67
釈迦の中身のどの部分が当時、評価され、名声があがったのか?
脇から生まれたからか?生まれてすぐ二足歩行で歩いたからか?
人の死後が見えたからか?
ありがたい教えがあるのか?あるとして、その部分はどこなのか?
それともトータルが凄いというのか?ならば理由なき錯覚といえる。
74神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:32:42.22 ID:VEPnNjYu
>>72
>もし現代に相手の心が読めて、過去のトラウマも見える、精神科医がいたら当然称賛されて「門前市をなす」でしょう。

今上映されてる映画のテディみたいな末路をたどるだろうね。
凡人に各種パワーをくっつけてもせいぜい一世を風靡して終わりだわ。
75神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:33:51.79 ID:Mzz524Y6
>>73
詰まらん釣り餌。
76神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:36:03.58 ID:M5iB+qMh
>>75
答えたくないというより答えられないだろ
事実が全くないんだから
根拠のない信仰と差異はない
77前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 00:38:11.92 ID:RkQHVG6o
もし御隠居が患者の心が読めて、過去のトラウマも見える、精神科医だったら当然称賛されて「門前市をなす」でしょう。
7849:2013/02/08(金) 00:40:21.51 ID:ufUHhUL+
>>51
ああ、忙しくて見逃していました、失礼。

>七仏通戒偈は、世俗智でしょw
>境涯(そのもの)とは言えんよね。
>あくまでも、無分別智の働き出たものと言うべきでしょ。

そうですね。
仏は矛盾なき(善悪を捨て去り:Sn.520)を矛盾のうちに説く。
覚者の娑婆における無分別の分別です。
いずれにしても一切内の「心(涅槃:出世間)と心の作用(諸悪莫作)」(SN. 33-1-3)だと思います。
79神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:41:12.41 ID:Mzz524Y6
さーてw

次の閻魔の反応で、或る程度力量の目安はつくかも?w




>>76
なんで、(このスレでは特に核とされているw)ポイントを外して>>73のような書き方をする?
一番大事なトコを(わざと?w)外しておいて何を言ってんだか・・・w ┐(´ー`)┌

もし、マジで仏教の特色を知らないなら、百年ROMってから出直して来い。
もし、解ってて敢えて外したなら、そういう野次馬と対話するつもりはないね。
80神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:41:29.57 ID:M5iB+qMh
>>77
さて、他人の心の読める人間がこの世に一人でもいるだろうか?
81前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 00:43:49.24 ID:RkQHVG6o
>>74
>凡人に各種パワーをくっつけてもせいぜい一世を風靡して終わりだわ。

異教の事例ですが、ある庄屋?かの奥さんが手を当てるだけで難産を安産に変え、大変評判になり大勢の信者が集まりました。
そして彼女は救った後に法を説きました。
今から100年以上前の話ですが今でも数百万人の大教団で、そこの高校は甲子園でも活躍しております。
82神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:44:42.89 ID:M5iB+qMh
>>79
君は何が核になってると思い込んでいるの?
83前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 00:46:49.24 ID:RkQHVG6o
>>80
>さて、他人の心の読める人間がこの世に一人でもいるだろうか?

チベットにはおられるかも知れませんよ。
84神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:50:15.94 ID:7LfPKVea
お経とか、もっともらしいことが書いてあるのを
リズムに乗せて歌ってるだけのこと。
決して呪文などではない。
85神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:52:52.13 ID:M5iB+qMh
>>83
かもしれないは、いないと同義である。
それは事実無根の信仰というものだ。
86神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:55:32.24 ID:Mzz524Y6
>>82
ハァ?(゚∀゚)

過去スレ読んでから出直して来いwww
87神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 00:58:35.41 ID:M5iB+qMh
>>86
過去スレに意味があった試しは一度たりともない
88神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:00:03.39 ID:Mzz524Y6
>>78
タイミングが前後しちゃったなw

了解。
ただ、七仏通戒偈は、世俗的マニュアルだという点は押さえるべきと思うし、
それを境涯へ直結する手法には賛同しないなw
89神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:00:55.67 ID:Mzz524Y6
>>87
>意味
ハァ?(゚∀゚)

意味なんか後でいいから、単語だけでも拾って来いよwwwwwwww
90神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:05:41.21 ID:M5iB+qMh
>>89
何を盲信してるんだか理解に苦しむ。
単語を盲信してるのだろうか?マジなのだろうか?
何やってるのだろうか?頭大丈夫なのだろうか?
91神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:08:53.45 ID:Mzz524Y6
>>90
いやいやw

ちゃんと目が見えて、文章を読めて、把握できるなら、
このスレが、常にそこを論点としていることくらい判りそうなもんだが・・。
宝珠・在家・カラス・隠居がなぜ名指しで批判されてるかも見えてないんだろうね・・・。 ┐(´ー`)┌

つか、同類さんかもなw
92神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:09:52.08 ID:VEPnNjYu
>>77
内柴みたいな末路をたどるだけだと思うが。
女性観、セクハラ観的な意味で。
>>81
「凡人なら」と書いたが。他所の教団には意外と辛辣なんだな。

ラーマクリシュナの教説と言辞はくそつまらんと思うが、
彼のことを凡人だとは思わない。
93神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:13:03.10 ID:M5iB+qMh
>>91
なんだ輪廻転生か?事実無根がどうしたって?
94神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:16:27.90 ID:Mzz524Y6
>>93
違うだろwwwwwwwwwwwwwwwwww

やっぱり、解っててはぐらかしてんだなw
舎利弗が師を捨てて釈尊の元へ行ったエピも知らんのか?w
95神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:24:58.83 ID:M5iB+qMh
>>94
なんだ因果論か。原因と結果がどうしたって?
96神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 01:34:16.12 ID:Mzz524Y6
>>95


わざと、或る単語の使用を避けてるのかw
(このスレの常連なら、単なる因果論でないことは解ってる筈だから)


もうええわw つきあいきれん。 おやすみ ノシ
97神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 06:07:13.06 ID:cSa3o+HP
>>53
車と非車は、日常言語の論理。
車かつ非車、非{車かつ非車}は神秘主義の論理。
実際、前者は鈴木大拙やヘーゲル、遊びがそれが無分別だって言ってるでしょ。

しかし、この四つの論理でこれが真実なんだって掴むことは戯論に他ならないから、それを鎮めるために四句を全て遮断して戯論寂滅へ導くわけ。

これは『中論』に特徴的だけど、釈尊も同じで但し釈尊はあまり説いてません。
なぜなら、高度だから。
『全訳入中論』207頁以下、214頁以下、235頁以下、255頁、388頁


>>55
実在という意味での真我は肯定的には出て来こないと思います。
真我、大我、仏性、如来蔵という言葉が肯定的に出てきても、それらは空性に他ならないので。
『全訳入中論』193頁以下、378頁
98神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 06:11:59.45 ID:cSa3o+HP
>>57
そうだけど、なんで法華経だけ?
他にもいろいろあると思うけど。
例えば『カーティヤーヤへの教戒』とか

>>58
それは素晴らしい。しかし、伝統的な大乗の師匠に就いた方がいいと思います。

>>80
チベット系はいっぱいいるよ
日本人でも結構いる。
といって信じるか信じないかだけど。
オイラにはそうとしか思えない
99神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 09:18:26.82 ID:M5iB+qMh
>>98
メンタリスト
100神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 10:23:50.85 ID:Mzz524Y6
>>98
>なんで法華経だけ
・自分が他をよく知らないことと、
・法華経が群を抜いてメジャーで“通りもいい”し、
 秘匿した教えが明かされるという形式を美しく完備していることと、
・各種団体・思想が利用するのも、法華経以外には殆ど無いこと、
から。
101神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 10:41:15.47 ID:8We4D4Ki
>>97
>実在という意味での真我は肯定的には出て来こないと思います。

と考えているのは、釈迦の真我w。釈迦の勘違いまで、大真面目に信じることは
ない。

入中論は、多くの注釈書のうちの一つに過ぎない。注釈書ではなく、中論のテキスト
のみに従うべし。
1021/2大滝秀治 :2013/02/08(金) 10:43:43.56 ID:ufUHhUL+
>>97
もう出掛けねばならないので、お相手できませんが、落第生のひどい誤解です。
>非{車かつ非車}は神秘主義の論理。
>実際、前者は鈴木大拙やヘーゲル、遊びがそれが無分別だって言ってるでしょ。

仏法は、鈴木大拙がごときシャンカラ的不二一元論でも、ヘーゲルがごとき間接現実onlyの弁証法でもない。

920 :大滝秀治:2012/10/07(日) 23:15:21.33 ID:6Um4R3OG
無我と非我は、どちらなのか?ではなく、言語表現であることをふまえて(中論24-10)<相の違い>だ。

縁起の直接現実(あるがまま)をベースにして、存在は二相にて掴み得る。

◎間接現実<分別知覚・記憶・判断の二項相対を通す> *世俗←分別相

@一切内   ・時間: 一切行無常(有⇔無の相対無)      空間: 一切法無我(有⇔無の相対無)★←無我(なし)
 
A一切外    無記

B間接現実からの直接現実の隔靴掻痒の示唆: 間接否定形式(四句第4:直指肯定不可)
・ 非有非無    非無常非恒常  不生不滅、 不一不異、     非無我非有我★★←非我(〜でない)
  *言語表記では、 <非(不)〇〇非(不)△△>という間接形式が直接現実を示唆できる限界。
・比喩(〜の如し)、沈黙(維摩の一黙、雷の如し)、気合音(喝ァ〜ツ!など)、動作(倶胝竪指、扇を使うなど)など

◎直接現実<無分別智直接智覚による縁起の現(あるがまま)観> *勝義←無分別相

・〇〇〇〇〇  ⇒    (メタ空白)      ←あえて空(知・不知も、沈黙・発言も不可:平常(無分別)心是道:あるがまま)
・無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・無分別の空=中道=時空際断(間接現実の空間・時間の“際”そのものが断たれている)の如き
1032/2大滝秀治 :2013/02/08(金) 10:47:00.39 ID:ufUHhUL+
<続>
もう何度も説明しているのにココまで曲解を自覚的に続けるのですから、間接現実only主義者として放置せざるをえません。

あくまで「示唆」であり「如し」(比喩)であって,『これが真実なんだって』はありえません。
直接現実に「真実」といった二項相対はありえません。二項相対でないので神秘主義もありえません。
そのような観念自体がありえないからこそ、執着→苦もありえず、間接現実一切内で慶安=涅槃に過せ、ブッダの本懐が達成されるのです。

要するに、オイラ氏はまったく「仏法は機能的には縁起であり、内容的には空=中道=時空際断(の如き)である」が掴めていないのです。

このような万年落第生にとやかく言われる筋合いはありません。
だからこそ空海が如き空見(中論13-8)にイカレるのです。

                    出かけます。
104神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 10:55:42.37 ID:Mzz524Y6
>>101
あのねw

(昨日の話しを例に出せばw)
ビデオテープレコーダー(肉体、ハード)の話じゃないのw
ビデオテープレコーディング(心、ソフト、(≒我、真我))の話なの。

だから、「実体」「実在」ではないの。(勿論、ハードの方も実体・実在ではないというのが中観なわけだろうが)
隠居は意図的に、この両者を混同させるからねw 始末が悪い。

視聴者が、「アナウンサーの、録画機器を御覧くださいという台詞はおかしい」
という構図と似てるね。
ま、どっちが悪いとは言わないけれど・・w
105神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:02:06.31 ID:8We4D4Ki
>>104
ソフトがなければ、ハードは動かないw。
106神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:03:11.20 ID:M5iB+qMh
>>102
無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相・無分別の空=中道
これにもうちょっと付け足すとすると、
中道=ボケ老人→死(本当の意味の無意味、無価値、無矛盾、無実体、無相、無分別)
ということだね。
107神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:15:36.81 ID:Mzz524Y6
>>105
そうだね。
だから、それが受想行識なわけだね。
「我、真我」なんてどこにも居ないんだな、これがw
(色)受想行識ひっくるめて、「自己」なんだな。少なくとも『仏教では』。『ゴータマさんの教え』では。
アートマンもブラフマンも、真我も、入り込む余地はないのよね(´∀`)b
108神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:20:26.63 ID:8We4D4Ki
>>107
いくら言っても無駄。小学生にでも分るゴータマの初歩的論理矛盾、勘違いw。
109神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:24:19.83 ID:Mzz524Y6
>>108
頑固だねぇ・・w

アートマンもブラフマンも我も真我も、
「ハード」でもなければ「ソフト」でもないのw それらを超えた特別なものなの。
だから、そんなものはありませんよ、というのが2500年来仏教の骨子なの。
(受け入れない数名がこのスレにもいらっしゃいますがw)

インド思想史くらい勉強してきたらどうですか?
110神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:28:18.77 ID:M5iB+qMh
隠居って高齢で明日をもしれないボケ老人なわけでしょ
無分別の智が備わっていることを意味する。
111神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:30:32.47 ID:8We4D4Ki
>>109
小学生にでも分る開祖の誤りも認められない。それが宗教の「病理」。

仏教論理学は、ひたすらこの「釈迦の誤り」の正当化の営み。本当に狂っている。
112神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:32:04.19 ID:tmMaDGBb
あの〜。誰かが私を仏教徒に洗脳しようと言う気配が多大に感じますが
質問です。
キリスト教から仏教徒になった人は過去に何かあったからですか?
人間には誰にも宗教には洗脳感がありまして特にキリスト教から仏教徒になるのはかなり難しいと思っています。
113神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 11:46:41.35 ID:Mzz524Y6
>>111
だからw
間違ってないんだってw

貴方は、スプーンを指してフォークと言い、フォークでスープを掬うのは滑稽だと言ってるわけです。
が、相手は最初から“スプーン”を使って、ちゃんとスープを掬っているのにもかかわらず、です。
私はフォークは使いませんよ?と言ってるのに、スプーンを使って見せてるのに、
頑なにスープをフォークで飲む愚か者発言を繰り返しているわけです。
フォークとスプーンの区別がついていないのは、実は貴方の方なんですよ。 (´∀`)b
114神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 12:02:30.36 ID:Wuo+cmy7
釈迦が否定してるのは、宗教教義上・概念上のアートマンであって、
自己ではない。自州という言葉があることからも明らかだ。

そもそも後のヒンドゥー教に引き継がれるアートマンには、
一般的な自己を構成している思考や記憶は含まれない。

隠居がやってるのは
霊(ルーアハ)など存在しない、と言うユダヤ人無神論者に
お前は息(ルーアハ)してるだろ、矛盾してるぞ、と言ったり、
フェアリー(妖精)なんぞ存在しない、という人に
フェアリー(同性愛者)は存在してるじゃん、と言うようなものだ。
115神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 12:13:09.90 ID:M5iB+qMh
>>113
なるほど。フォークでスープを飲むほど老化が進んでいるわけか。
で、おいしそうなスープはどこにあるのだね?
本の中や言葉の中にあるのかい?
116神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 13:26:42.31 ID:m5kFlV3T
隠居のしてることが一番異常
他にすることないのか?
117前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 13:36:38.71 ID:RkQHVG6o
>>97
>しかし、この四つの論理でこれが真実なんだって掴むことは戯論に他ならないから、それを鎮めるために四句を全て遮断して戯論寂滅へ導くわけ。

(復習)
・形而上学:我と世界をどう見て、考え、説明すること
・梵網経の六十二見:禅定体験に基づいて我と世界との関係を説明する形而上学
・六十二見を整理、分類すると十四無記(3主題×四句分別+1主題は2項分別)が導出される
・四句分別は論理形式=妄想=戯論
・八不によって四句分別は否定される=捨てられる=寂滅
・よって六十二見(戯論)はすべて寂滅する

多分私には、上記の中で「八不によって四句分別は否定される」という根拠が腑に落ちないのですね。
それは八不を是としていない(詭弁かも?)、特に「不去=去る者は去らず」ではなく「去る者は去るか去らずかは分からない」と考えているからです。
118神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 13:46:39.17 ID:LqNpyIGX
>>116
宗教批判が、老化防止の妙薬w。人生経験のない若いうちは出来ない。

あと、医学研究とAV。その合間に、仏典と聖書を批判的に読む。
AVも、人間理解には不可欠。様々なテクニックも学べる。

現在、放射線医学(画像読影)をやっているが、医学の奥深さは宗教の
比ではない。宗教者は、クソの役にも立たない大昔の宗教など止めて、
自然科学に移行すべし。日進月歩の科学には、まだまだ人材不足。
119前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 13:52:42.20 ID:RkQHVG6o
>>117 (検討)
・我を主題とした四句分別では、自洲(自燈明)は有る、となる
・その自洲(自燈明)で龍樹は八不を考えた
・その八不にて我の四句分別の一つ(自洲はある)を否定(寂滅)するのは自己矛盾

上記の考え方はご隠居の論と似ているかも知れませんね。

だから、釈尊は法の器ができた人以外には縁起を説くなと遺したのでしょう。
現代は末法の世なので法の器ができた人が非常に少ないのであれば、混乱のみが拡大するということかも。

換言しますと「涅槃を追う者、浄土も得ず」。
本来ならば浄土に往って来々世に涅槃を目指す人達も脱落してしまう縁起の縁は「空」法かも。
120神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 14:57:10.09 ID:m5kFlV3T
隠居は童貞?
121神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 15:42:57.80 ID:m5kFlV3T
隠居は釈迦をも俗物の差別主義者だと喝破する達人だろ?
まさか「童貞?」の禅問答に心乱されたか?
隠居笑止なり
122カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/08(金) 16:52:31.40 ID:EkB/KxkE
>>102
だからなんで一切を説明するのに。有⇔無の相対無に
なるんだよ。蜃気楼は実体の無い幻だが、蜃気楼としてあるんだよ。
二項対立だから実体(自性)の無い幻(空)なわけで。
善も悪も無い(無分別)中道というものの本質は、言葉で表現するなら無。
そのような二項対立によらず(無分別)成立しているのを
言葉で表現するなら自性っていうんだよ。
君らの空理論は縁起=無自性=空と、自性と呼ばれているものを認めない
立場なのに、縁起=中道=無=空と、自性と無自性がごっちゃ
になってる滅茶苦茶なものだ。だいたいよ、分別が無ければ、それは縁起じゃ
ねぇだろ!ばかじゃねぇの、おまえら。
123カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/08(金) 17:00:16.14 ID:EkB/KxkE
竜樹の中論はよ、自性と、真我(一元)を認めない立場で
自性と真我の話をしている滅茶苦茶なものだ。
中論は識別し得ないものなので、本来識別智である言葉では表現し得ない
自性と呼ばれているものを、自性という言葉で捕らえて考察している
非常にレベルの低い論書になっている。自性を識別智の言葉で捕らえたら
そりゃ、無自性と言う相があらわれるよな。だが識別されたらそれは
自性じゃない。自性とはよ、識別されえないものだから自性なんだよ。
それを識別智である言葉で考察するばかがいるかよ。
ま、いまさらお前らに言ってもわからんだろうが。今は時間が無い。
時間のあるときに間違いだらけの中論について皆でよく話し合おうじゃないか。
末法仏教徒達の大事にしているものをぶち壊してやるのは気分がいいからね。
124神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 17:00:20.47 ID:mFqQqJ3Q
法華経について
釈迦が久遠の過去からすでに仏であったという理論は、どうも納得がいかない。
キリスト教が神を無条件で信じるのとおなじように、
無条件で輪廻転生を信じなければならないということになる。
それに、釈迦が外道とした、決定論を想起させる。
永遠に転生して何かの縁で仏になるということは、
今生でどのような生き方をしても、誰しもいずれ解脱できるということになるから。

その辺はどうなのでしょう?
仏教の核心は、人間である釈迦が仏になれたということだと思うのですが。
125神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 17:01:06.23 ID:Mzz524Y6
>>122
貴方の「自性」理解が滅茶苦茶なだけでしょw

貴方以外の人は、(隠居を除いてw)皆、一貫してますよ?
126神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 17:06:31.58 ID:m5kFlV3T
>>124
釈迦という自我が仏なる存在へとレベルアップしたわけではないから。
127神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 17:11:11.36 ID:mFqQqJ3Q
>>126
もう少し詳しく教えてください。
私が言った『仏になる』は、
禅で言えば『大悟』すると同じ意味です。
128神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 17:18:35.08 ID:m5kFlV3T
>>126
草木山川悉有仏性と大悟する前は草木山川悉無仏性でしょうか?
129128:2013/02/08(金) 17:27:03.74 ID:m5kFlV3T
わたしはどちらともいえないと思います
分別からすれば無仏性だし、
無分別からすれば仏性。
すみませんが私もよくわかりません。
出すぎた真似失礼しました
130カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/08(金) 17:41:22.99 ID:MyUxCZuO
>>125
ほう。どこがどう違うか説明してもらおうか。俺の話す自性は至極一般的な話しだかね。
君らは仏教徒の癖に自性の定義すらしらないようなので、またサクラなんとかって人のHPの自性を
説明しているページを貼ってやろうか?俺は言葉で表現し得ない自性を言葉で扱い、自性などないとしている
君らよりよっぽど自性について理解しているぞ。たしかに戯論を寂滅すれば君らの大好きな中道の
境地に赴けるが、そこには何にも無いぞ。君らは滅びの道を教え広めている邪教なんだよ。
131神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 17:48:53.75 ID:Mzz524Y6
>>130


>どこがどう違うか説明してもらおうか

これだけ長いこと(スレに)付き合って来てて、知らない・判らない・解らないの?
散々書き込まれて、うち幾たびかは“貴方の爲に”説明がされてきていたというのに?w
唖然として開いた口が塞がらんわ・・ (゚д゚;)

こういう「3歩歩けば忘れる(フリをする)」とこは隠居とそっくりだな・・。


>そこには何にも無いぞ
それこそが涅槃であり、ウダーナ8で述べられていることそのものじゃないですかwww
132承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/08(金) 18:06:56.13 ID:ALxuRdug
(^。^;)あれ?カラスってこんなに酷かったっけ?

或る意味、隠居よりダメじゃん。
133神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 18:14:23.42 ID:Mzz524Y6
原仏スレの頃は、相手も偏向してたり(無反応だったり)で結構渉り合えたんだろうけど、
このシリーズになってからは、逃げ道塞ぐように堀を埋めながらレスを返す人が多いからw

それでも、そこをかわしながらの立ち回りが巧いのは、やっぱ一在家かな・・w (^^;
134承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/08(金) 18:23:17.06 ID:ALxuRdug
>133
アホみたいな馴れ合いが多かった様に思ったがなぁ?

(^。^)まぁ、何にせよ俺様が出張る事は無いがな。(笑)
135カラスの唄:2013/02/08(金) 18:35:10.26 ID:MyUxCZuO
>>134
お前じゃレベルが低すぎて議論の相手にならんからな。
136神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 18:37:07.45 ID:AwINrbGf
>>127
>私が言った『仏になる』は

「仏になる」というのは、つまり仏教という教義に恋愛・恋慕しているうちは到底なれない。
つまり恋愛・恋慕から離別することを「仏になる」と言うんだね。

つまり早い話が失恋することなんだよ。
こう説明するのが理解し易い。
失恋して、そして大人になって逝くんだよ。人間つうのは。
こう考えた方が良いかもしれんね。

これは阿弥陀如来に帰依する浄土門でも、禅門でも同じ。
ようするに、浄土門だと阿弥陀如来への決別こそ悟りという。

君も失恋して、そして大人になって下さい。
これが仏教です。
137SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/08(金) 18:43:58.03 ID:67E1scq4
>>124
人が覚って仏になると、人としての魂は消滅し、魂の座に〈諸仏の誓願〉が着くことになる

この〈諸仏の誓願〉が、法界の法身そのものであり(正確には受用身(報身))、この法身が遙か昔から存在しているという意味である。

それで、人は覚ると皆同じ仏となる。そうして、〈諸仏の誓願〉に生きる存在となり、死して後、この世には戻ってこない。

法華経は、そのことを述べているのである。

***
138宝珠愚者@(規制代行):2013/02/08(金) 19:14:33.48 ID:No6vaOti
>>48
気になりますよね?
まっ、当然のことです・・・。

>なんでわざわざ言わないという選択をするのか?

所詮、指示すことができないものについて説いても
結果的に直知体験できない限りはただ誤解を招くだけだから無用という判断だったのでしょう。

>誤解されないための努力をなぜしないのか?
>よくわからない釈迦だ。

ゴータマ在世の最中、
及び原始教団の時代においては
そのような誤解を招く心配はなかったのだと思われます。

>釈迦が言わなくても、悟った仏弟子がフィードバックして
>(今のうちに後輩に向けて釘刺しておかないとまずいかな、と)補完していても
>よさそうなものだが、それもない。

部派の時代に歪曲が生じて、
それが文字化された頃には、すでに間違った内容になっていたものと思われます。
この頃には、その間違いを確認できるレベルの境地にある者はいなかったと推察します。
以降については、ズーとただ教本の文字の羅列をひたすら有難く護持するだけです。
それが伝統(信仰)なのです。これから外れたものには間違いのレッテルが貼られてきたのです。
数千年だろうと間違ったままこれが続きます。それが宗教の伝統というもの。
139神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:22:38.74 ID:c2729Ruc
魂を否定する根拠は示すことが出来ませんが無いと思ってます
140カラスの唄:2013/02/08(金) 19:22:42.17 ID:MyUxCZuO
>>131
だからお前らは滅びの道を教え広めている邪教だって言ってるんだよ。本当にお前は理解力が無いよな。
お前らは、中道、中道と、自性と呼ばれているものを否定しながら、
自性と呼ばれているものについて語っていることにも気付かない知恵後れなんだから救いようがない。
141宝珠愚者@(規制代行):2013/02/08(金) 19:23:41.52 ID:No6vaOti
>>107
>だから、それが受想行識なわけだね。
>「我、真我」なんてどこにも居ないんだな、これがw

いえ、
「それらはアートマンではない」としか述べていません。
それが五蘊無我説というものですよ。
仏典を曲解するのは辞めましょう。

あなたほどの仏教学者並の学識がありながら、
何故、そうも捻じ曲げるのか?意図的としか思えません・・・

>>108
>だから、そんなものはありませんよ、というのが2500年来仏教の骨子なの。

それは、この現象界にはね!
(この現象界では知覚できない。示すこともできない)

あなたのいう話は時代遅れです。
確かに、古い仏教理解(昔の一般仏教書)ではそんな感じではあったかと思う。
けれどもう、主流じゃない。

そんな言い方をしてしまっては、
「涅槃」すらも否定する結果になりますから。
142神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:24:12.15 ID:c2729Ruc
人の思考のつぼを突いたものを書いてしまったばかりに
143宝珠愚者@(規制代行):2013/02/08(金) 19:24:27.22 ID:No6vaOti
>>114
>釈迦が否定してるのは、宗教教義上・概念上のアートマンであって、
>自己ではない。自州という言葉があることからも明らかだ。

ここの住人である伝統/正統を謳う自称仏教者らは、
それらは仮設された仮和合の自己に過ぎず、
ただそれとしての自己存在としては最初から認めている。
けれども、それを超えた“真実の自己”なるものについては、
存在は愚かその概念すらも完全否定をします。
それが(正しい)仏教というものであると。
144宝珠愚者@(規制代行):2013/02/08(金) 19:25:08.71 ID:No6vaOti
>>73
>脇から生まれたからか?

うーむ、しっかし・・・
(教えてもホント)改善進歩がないですねぇ。
ここの住人は?

それは、
母マーヤが「白象が脇腹から入る夢を見て懐妊した」という話ですから。
“脇から生れた”じゃないので!!!
145神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:25:18.97 ID:c2729Ruc
現実とは身の回りのことであって知らないことなんか考えもしませんからね
146神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:28:32.74 ID:mFqQqJ3Q
>>136
なかなか良いたとえですね。
大人になるのを目指すのが仏教。
すべてが幻、諸行無常。
神だの霊魂だのにすがり迷ったりせずに、あるがままの自分を生きる。
それこそが、自由の境地。
しかし、人は弱い。だから、厳しい精神鍛錬を必要とする。
そういう意味で、やはり、法華経の理論は納得がいかないわけです。
仏教徒は今生で知覚できるものを拠り所に、失恋を目指すべきなのではないでしょうか?
147神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:31:47.61 ID:Mzz524Y6
>>140>>141
あのね、釈尊以来、涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということで一貫してるのw
それ以外の伝承は存在しないの。


>>141
>意図的としか思えません
捻じ曲げるも何も、それ以外に無いからですよ。
貴方方みたいに、他所から(釈尊の系譜以外から)余計なものを持ち込んでいないだけです。
ただただシンプルに、釈尊(ゴータマ)という原点に回帰しているだけですよ。 (´∀`)b
148神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:34:56.29 ID:c2729Ruc
半端者は消えることも出来ないとか大変ですね何度でもやり直し
149神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:36:24.49 ID:c2729Ruc
絶対的なものであればそれに従えばすべてうまくいくはずですがそうでもないようなので
150神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:42:34.73 ID:c2729Ruc
エーvを見ないとお前は女に興味が無いのかといわれ
見るとすけっべといわれる。どっちがいいですか?
151神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 19:50:24.17 ID:Mzz524Y6
>>141
>この現象界では知覚できない。
そんなものに何の意味がありましょうや?w
 *(つーか、そもそも知り得ないじゃないw 伝達・提示も不可能じゃないw
  そんなものをどうして知り得ましょうや?)
人は現象界以外に、その居場所がないというのに。
現象界以外に存在し得るとしたなら、それはもはや人ではないし、
また、(隠居ではありませんがw)マジもんで我々には不要なことです。
(SFの如きパラレルワールドやら四次元世界なんて話はやめてくださいねw)
そんな真我や涅槃なぞ何の意味もありません。
釈尊の、「来て、見よ」との言葉を軽んじるにも程があるw


たとえば有為と無為が対置されるとき、
【有為と同様に】【(→有為の存在の仕方と同じように)】無為(涅槃)も存在する筈だ・すべきである、
という天秤思考&願望から、
ドーナツの穴が実体として存在していると言うが如き戯れから、
卒業されんことを願います。
152神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 20:03:49.57 ID:cLcLkSdW
>>144
成程、壷に嵌ったわけか。
ポイントはそんなことではなく、アルビノ象云々でもなく、
ありがたや〜、ありがたや〜のついて、どこが?
を尋ねているに過ぎない。
>>151
その通りだと思います。涅槃はこの現象界そのものであり、
自己に去来する視覚感覚映像に他ならないと思います。
153神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 20:06:03.25 ID:c2729Ruc
特にこの日本でついこの前まで、
・・・中略・・・・・・
子供の生まれる喜びと人が苦しんで死ぬから
あの世で楽になってくれと思うこと、それが宗教であって
別に学校で教えてはいけないことでもないし
堂々とやったらいいと思う
154神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 20:14:11.43 ID:c2729Ruc
君らはそれを知って、もしくはマジで輪廻とか悟りについて論じてるんですか?
155カラスの唄:2013/02/08(金) 20:18:53.26 ID:MyUxCZuO
>>132
言っとくが、俺は自性は在るとは言ってないぞ。
と、違う人にいくら説明してやってもわからないだろうがな。違う人はいくら瞑想修業しても真理には至れんぞ。
それはお前自身が一番よく知っているだろう。お前は上から目線で違う、違うと言うだけで自分の意見を言わない卑怯者だ。
そりゃお前の浅知恵を言ったが最後、一瞬で論破されて恥かくものな。
お前、自分の意見を言えないチキンなんだから、議論スレに顔なんか出すなよ。
156神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 20:22:46.75 ID:cSa3o+HP
>>100
なるほど、でも基本的に大乗経典はほとんど真意が明かされるというかんじじゃないですか?

>>117
>「不去=去る者は去らず」ではなく「去る者は去るか去らずかは分からない」と考えているからです。

それは非{xかつ非x}という第四論理形式に含まれるでしょう。
そういう掴みを離れさせるのが四句遮断の八不であり、
八不は、我と世界をどう見るかという四つの根本主題を扱っているので、
それが遮断されれば自然は他の戯論も鎮まるからです。

それはよく読んでいただければ分かるとおもいます。
157前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 20:32:18.17 ID:RkQHVG6o
>>136
>これは阿弥陀如来に帰依する浄土門でも、禅門でも同じ。
>ようするに、浄土門だと阿弥陀如来への決別こそ悟りという。

「我汝を救わずば正覚をとらじ」と誓願を発動し続ける阿弥陀と決別ですか?

私見ですが阿弥陀は衆生の悟り(涅槃入り)よりもまず浄土入りを願われたと思料します。
あせらず、ゆっくりでも着実に悟りへの階段を登っていくことをです。

何回も輪廻を繰り返して、やっと戒定慧を受けれる法の器ができる衆生も多いことと思いますので。

以上、横レスにて失礼をば。
158承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/08(金) 20:35:00.71 ID:ALxuRdug
>155
分かった分かった。
俺は野次馬なんだから、そんなに火病んなよ。(笑)
159前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 20:39:08.86 ID:RkQHVG6o
>>156 多分、オイラ氏
>四句遮断の八不

この箇所を高校生にでも分かるように評釈いただければ幸甚に存じます。
中観外からは、龍樹が発した言葉への信のように思えるからです。
160神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 20:49:51.17 ID:cSa3o+HP
>>159
では、問答でいきましょう。

四句、x,非x,xかつ非x、非{xかつ非x}という四つの論理形式に人の言明は必ず還元される。

これは了解されますか?
161承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/08(金) 20:53:07.14 ID:ALxuRdug
去るものは去るものであり、去るものが去る事は出来ない。
つまり、去るものに去るという自性が無い。
同様に、生きるものが生きるという事が無いのは、生きるという自性が無いから。


(^。^)何時もの様に、俺は撒き餌だけして逃げる♪
162記憶喪失した男 忍法帖【Lv=3,xxxP】(1+0:3) :2013/02/08(金) 20:53:57.98 ID:fTkBgwI5 BE:684354252-2BP(333)
>>12の解読不能のところ、誰か教えてくれよ。
おれのブログだよ。書いたのはおれだ。
163神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 20:58:01.36 ID:Mzz524Y6
>>156
>大乗経典はほとんど

いやあ、霊鷲山上での法華経のドラマチックさは圧巻でしょw
164神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 21:01:24.99 ID:cSa3o+HP
>>163
そうかなあ、オイラ的には華厳経と金剛頂経が美しい感じですが
法華経は、いまだよく分かりません。
165前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 21:27:30.62 ID:RkQHVG6o
>>160
>四句、x,非x,xかつ非x、非{xかつ非x}という四つの論理形式に人の言明は必ず還元される。
>これは了解されますか?

はい、分かります。
166神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 21:35:04.16 ID:2CNskw8h
何教が美しいって
まさか口語訳で読んでるってことはないよね
167神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 21:36:17.95 ID:Mzz524Y6
>>164
隠居の言い方じゃないがw、
それこそ、新興宗教系で、華厳経をモチーフにする所ってほとんどないんじゃない?
(現代語訳の整備具合もあろうが)、そうした“喰い付き易さ”はあるでしょ。
一代が言ってるのは、小津映画の美しさ、みたいなもんで、
トレンディドラマの浸透圧とは、また別でしょ。
168神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 21:44:06.77 ID:cLcLkSdW
まさか中国語で読んで美しいはずがなく、パーリ語でそうでなく、
マガダ語ならそうかもしれんが歌であり音色なのか?
169神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 21:49:04.23 ID:m5kFlV3T
華厳経を原文で読むなんてのはかなり人を選ぶね
オレには無理だ
170承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/08(金) 21:56:33.79 ID:ALxuRdug
(^。^)だーいはんにゃはらみたぶじょーやーく♪パラパラパラパラ
171神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:01:02.71 ID:cSa3o+HP
>>165
では、「これこそが真理、真実だ」というあらゆる見解、思想、考え方が四句の形式をとる。

これも了解されますか?
172神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:04:19.89 ID:Mzz524Y6
>>164
案の定、音声或いは文字並びの修辞的美観の反応になってるぞw


>>170
テキトー過ぎw
173神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:07:26.61 ID:cSa3o+HP
インド語、チベット訳、漢訳とインド・チベット・シナ・日本の諸註を参照して、
きっちり読み込み、伝統的な教えも受けたのは『普賢行願讃』だけ

あとは適当に読んで、重要な箇所だけ色々参照した。

『華厳経』も『金剛頂経』もエジャートンの言う中期インド語、所謂ブッデスト・ハイブリット・サンスクリットで書かれてる。
『金剛頂経』はよりクラシカル・サンスクリットに近いけどね。

パーリでもマガダ語でもないよ。

それに今は在家さんとの対話に集中したいんで、よろしくね
174神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:21:24.27 ID:+zTEahPJ
175神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:21:49.68 ID:Ulg/Dhgv
>>138
>所詮、指示すことができないものについて説いても
>結果的に直知体験できない限りはただ誤解を招くだけだから無用という判断だったのでしょう。

だから言葉と技術論と、それを教える師弟の流れを作るんでしょ?仏教で言えばサンガだな。
ウパニシャッドみたいに。 ある時代に凡人しか居ない、という理由で
流れそのものを作らなければ、いつか現れる天才も導けなくなるんだが。
言葉は完全じゃなくても、修行完成してない信者相手に「完全にアウト」なものは排除できる。
宝珠愚者は別に完成して無いでしょ。でも自身を
(少なくとも仏教徒よりはマシなレベルで)「知っている」とみなしている。

>及び原始教団の時代においては
>そのような誤解を招く心配はなかったのだと思われます。

言わなくても、確認しなくても行ける境地ならフィードバックされる。
そうでなければ釘をさして調整される。どちらでも無いので無理がある。
釈迦が第一世代までの信者しか面倒見る気が無かった、というなら別だが。

>部派の時代に歪曲が生じて、
>それが文字化された頃には、すでに間違った内容になっていたものと思われます。

これはまずいと思うよ。匙加減で真正と歪曲部分を分ければ、
アートマン説と結び付けてるウダーナの記載も
ヒンドゥーからの流入に出来てしまう。
>この頃には、その間違いを確認できるレベルの境地にある者はいなかったと推察します。

こんな具合で
伝承者たちが「釈迦の本意を忘れている」以上、ひとたび誤伝が入り込めば、
彼ら自身に真実を確かめて偽の仏語を排除するすべはない。
176神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:42:08.86 ID:Ulg/Dhgv
説き得ないものだからといって説くことそのものをやめて問題ないなら、
どうしてヒンドゥーの理論家たちはアートマンについて言葉を尽くし、
ウパデーシャ・サーハスリーみたいなようわからん本も出来るのか?

自分の宗教で気づけなくても他宗教からでも学んで肥やしにして
いつか悟れればいいのではないか、という相対的な思考の、
近代製の霊性運動の発想を持たないからだろう。

完成者を生むためには、完成していない者相手にも「これは違う」という
釘を少しずつさしていって、段階を登らせてあげなくてはならない。

同じインド人である彼らからすれば、言葉上の「非我」を
言葉上の「無我」にするのは当然だろう。
大切なことならそりゃ言うだろうから。
後のヒンドゥーの物も含む色んなアートマン論の持ち主は
輪廻から脱出できない、と言われている。
その時点でそれは修行完成に関わらないアートマンであり、
インド人が思い浮かべる(普通の言葉ではなく、特別な用語としての)
「アートマン」が指すものは否定されている。
177神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:46:46.49 ID:2CNskw8h
インド的な理屈っぽさからの否定から仏教は始まったんだろうね
真我とがアートマンなんかはいらない
のちに仏教を改編した中論みたいなものを初期は否定していたと思うよ
178神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:48:56.24 ID:cSa3o+HP
>>175-176
いいですね。同意です。宝珠は『仏教と西洋の出会い』読めばいいのに。
まず、神智学と仏教は違う。それを認めないと話にならない。


在家さん、オイラは寝るよ〜

まあ、よく考えて答えといて

『評釈』は三回ぐらい読んでください。
179神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 23:02:24.34 ID:Ulg/Dhgv
>>177
もしかしてスッタニパータとダンマパダしか読んでないんじゃない?
180前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/08(金) 23:12:30.37 ID:RkQHVG6o
>>160
>四句、x,非x,xかつ非x、非{xかつ非x}という四つの論理形式に人の言明は必ず還元される。

はい、了解です。

>>172
>では、「これこそが真理、真実だ」というあらゆる見解、思想、考え方が四句の形式をとる。

はい、梵網経の六十二見解は整理すると十四見で4主題×四句分別の集合ですので、了解です。

さて、次の質問か、その次の質問に「YES」と言えるか否かが問題ですね。
181神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 23:18:34.80 ID:cLcLkSdW
だからなんだ?
182神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 23:58:14.88 ID:Ulg/Dhgv
春秋社の原始仏典シリーズや大蔵出版の片山訳パーリ仏典シリーズを
図書館とかで取り寄せてみれば、「インド的な理屈っぽさ」を
味わうことができるよ。

ちくま学芸文庫の『阿含経典』三分冊でもいい。
183神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:17:25.05 ID:HrCX2vkI
前世は一在家さん

(人間死んだらすべて終わり 消滅しすべて終わり)
と 副島隆彦さんがphpの本に書いてますが
どう思います 私は違うと思いますが
184神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:22:26.00 ID:31+Up+4C
>>182
けど、阿含・パーリを残したのは、どちらかと言えば部派でしょ?w
(しかも、分別説部の系譜とも聞いたような気がするけど)
だからこそ、現存阿含よりもっと素朴な原型が希求されるのでしょw
185宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 00:32:13.24 ID:iJQ4Bixg
>>139
>魂を否定する根拠は示すことが出来ませんが無いと思ってます

確かに正直いって、その存在を示すことは殆どできません。
心霊存在ならば膨大な情報がある。
しかし、これは魂ではない(ただの想念形体及び想念波動の現象)。

魂(転生する主体)の存在を
推察し得る一つは生まれ変わりの転生現象の検証事例についてです。
それはすでに幾例も取り上げられ、研究も進められています。
186宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 00:34:48.69 ID:iJQ4Bixg
>>147
>捻じ曲げるも何も、それ以外に無いからですよ。

学者並に高度な難しいものばかり読むようになって、
本当の初歩的基本を忘れたのですか?

“(完全なる)滅、寂滅”するのは低級性質ですよ。
低我、低級我、仏教でいうところの煩悩のことです。
もしも本当に完全なる「無」なら、涅槃の自覚すらも生じないでしょうが!(ウダーナ8:3)
ご隠居の勘違いじゃないけれど、“覚知する”ということは、
涅槃をそれとして---覚知する主体がある---ということに他ならないのです。
そんなことを小学生じゃないのだから、
いちいち文体に書かれてなくても読み取りましょうか。

>ただただシンプルに、釈尊(ゴータマ)という原点に回帰しているだけですよ。 (´∀`)b

そうです。
けれど普通に当たり前に読めさえすれば、
こう(私のいう通りに)ならざる得ない筈ですよ!
187宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 00:40:20.58 ID:iJQ4Bixg
>>151
>そんなものに何の意味がありましょうや?w
> *(つーか、そもそも知り得ないじゃないw 伝達・提示も不可能じゃないw
>  そんなものをどうして知り得ましょうや?)
>人は現象界以外に、その居場所がないというのに。

 だから、仏教では(そのことを)説くのを辞めてるわけでしょう。それについてはこの私は認めて
います。ただ、ゴータマの言葉を捻じ曲げて、勝手に「ない」ことにするな、といってるだけ。

>マジもんで我々には不要なことです。
>(SFの如きパラレルワールドやら四次元世界なんて話はやめてくださいねw)
>そんな真我や涅槃なぞ何の意味もありません。

 現象界しか知覚できないのは凡夫と未完成者(広義的意味として)です。説いても理解できない
から辞めただけ。しかし、完成者にはすべて理解されること。だから、勝手に「ない」ことにして、バ
ラモン・ヒンドゥーを批判するなといってる。彼らは説く方向性を選択しただけ。
 仏教の方が勝れていると見ることはご自由。そちらを選択するも自由です。けれども、ただ説か
なかっただけで、説いてる手法の教えを嘘扱いするなということ。分りましたか?

>たとえば有為と無為が対置されるとき、
>【有為と同様に】【(→有為の存在の仕方と同じように)】無為(涅槃)も存在する筈だ・すべきである、
>という天秤思考&願望から、

 ん?セブンまで大王に感化されてしまったのですか(同じ禅系で類は友を呼ぶのか)?
いえ、そういう論調で示しているのが仏典ですよね。まっ、真実においては表裏一体で同時に今、ココ
に在るのですが・・・。
188神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:40:34.71 ID:1DnIopGY
山田が死んだら山田はそこで終わりだ。
これは間違いない。
山田が悟って死のうが迷いのうちに死のうが、
山田が死んだら山田はそこで終わりだ。
山田なる自我がジョーンズなる自我に転生することはないだろう
189宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 00:42:46.45 ID:iJQ4Bixg
>>175
>宝珠愚者は別に完成して無いでしょ。でも自身を
>(少なくとも仏教徒よりはマシなレベルで)「知っている」とみなしている。

自分で言うのもなんですけれど、
理論においては(自己内においては)矛盾はすべて解消済みです。
ただ、それを示すだけの学力と言語力がない。
後は直知体験するだけ。
カメのごとき歩みにてトボトボ・・・とですけれど。

>こんな具合で
>伝承者たちが「釈迦の本意を忘れている」以上、ひとたび誤伝が入り込めば、
>彼ら自身に真実を確かめて偽の仏語を排除するすべはない。

そう。
だから数千年単位で誤解がそのまま継承されます。
それが“伝統”であり、“信仰”とされており、疑うことを不敬として憚れるので無理です。
それが正統を謳う伝統仏教というもの。

これを打ち破れるのは信仰ではなくて、
感情論に走らず客観的で冷徹に批判的な姿勢が保てる位置にある近代仏教学のみ。
190神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:44:44.89 ID:31+Up+4C
191宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 00:45:25.96 ID:iJQ4Bixg
2/2
 もし、本当に仏教の無我論が「我はない」というものであったなら、何故、こうもゴータマ在世の
頃にはバラモンから大勢の帰依者が輩出し大歓迎されたというのに、ゴータマ涅槃後において
は、インド仏教は帰依者を失うばかりで殆ど壊滅的に衰退したのか?
 高度な宗教哲学が花開く本家インドにおいて、何故、こうも無視され続け相手にされないのか?
セブンは、仏教はゴータマ個人にではなく、その教えにこそ価値があるからといった。ならば何
故、ゴータマ亡き後では仏教は支持者を失うばかりなのか?
 これは、本来は「我はない」という教えではなくて、ただ我そのものを説くことはしなかったが、
「それらは我ではない」という非我を説く教えだったからですよ。仏教の無我論は変えられてしまっ
たのだ、とい
うのは近代仏教学におけるほぼ統一的な定説見解なのです。
 それを必死に認めたがらずに、ただ駄々を捏ねているのが伝統仏教の信仰者(あなた方)の
姿です。
192神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:45:55.47 ID:31+Up+4C
>>186
◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集

〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
仏教 議論スレッド その2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642

〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602

〔「無為なる意識?」 URL集〕
仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643
193神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:51:05.28 ID:31+Up+4C
>>187
>そういう論調で示しているのが

いやいやw

有為と無為(・・・諸行と涅槃)の相違が述べられたものこそが、ウダーナ8なのでしょう?w
あれを読んで、涅槃を実体視できる感性が信じられませんよw


>>189
> >こんな具合で
> >伝承者たちが「釈迦の本意を忘れている」以上、ひとたび誤伝が入り込めば、
> >彼ら自身に真実を確かめて偽の仏語を排除するすべはない。
>
> そう。
> だから数千年単位で誤解がそのまま
いやいやw
彼は、貴方の姿勢を皮肉ってるんですよ?w
貴方の言っている(依拠している)ことこそが誤伝の可能性を持つ、とね。
194SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 00:52:22.12 ID:AuHGY5xf
仏教において、魂の座は次のように扱われる。

衆生は、自らの魂に従って例えば公務員となり、商人となり、職人となり、経済人となり、政治家となり、報道人となり、学者となり、教育者となり、医者となり、軍人となり、農業従事者となり、芸術家となり、役者となり、スポーツ選手となり、冒険家などとなっている。

つまり、人は、自らの魂の求めるところに従ってこの世を生きるべく、日々行為する対象物を見い出して世間を生きているのである。

その一方で、覚りの境地に至った仏はそのような世間的にいうところの魂が無く、その代わりに〈諸仏の誓願〉が見かけ上の魂として機能している存在である。したがって、仏は世俗の職業を持つことがない。

これが、人が覚って仏になるということなのである。

***
195神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 00:53:19.45 ID:31+Up+4C
>>191
> これは、本来は「我はない」という教えではなくて、ただ我そのものを説くことはしなかったが、
>「それらは我ではない」という非我を説く教えだったからですよ。
>仏教の無我論は変えられてしまったのだ、というのは
>近代仏教学におけるほぼ統一的な定説見解なのです。

在家みたいな捏造はやめてくださいw

単語非我文脈無我については詳細に論じたつもりですが?
196神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:00:54.96 ID:+h/4JXJE
>>189
釈迦時代の仏弟子(十大弟子ですら)全員誰も宝珠に劣る、というのでなければ
わざわざ言語化されない理由は皆無なんだわ。

>そう。

そう、じゃなくて。宝珠のスタンスだと
論拠としていた「アートマンと結び付けられる章句」が
誤伝で挿入されたという可能性を否定することが出来なくなるんだが。
>>191
もろに「衆人に訴える論証」すなあ。いろんなものを混同していますね。
197神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:03:09.30 ID:iJQ4Bixg
1/2
>>176>>177
それは、
異なるアプローチの必要性ではないかと推察します。

>同じインド人である彼らからすれば、言葉上の「非我」を
>言葉上の「無我」にするのは当然だろう。
>大切なことならそりゃ言うだろうから。

 「非我」(我ではない)というのは、つまり、「我」の存在を前提にしているということであって、もし
かしたら、それは“我は在る”ということを暗に示している可能性すらもあるということなのです。
 もちろん、「在る」とはいってない。しかしながら、「我」を説くことを理由にバラモン・ヒンドゥーを
否定することは理に合わないこと。

 後でその辺については、
参考までに仏教学者の一文でも紹介してみましょう。
198神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:10:00.00 ID:+h/4JXJE
>>197
>「非我」(我ではない)というのは、つまり、「我」の存在を前提にしているということであって、

ご隠居か?
199神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:12:25.37 ID:31+Up+4C
>>197
> もちろん、「在る」とはいってない。しかしながら、「我」を説くことを理由にバラモン・ヒンドゥーを
>否定することは理に合わないこと。

もちろん、「地球上に、Tレックスが生存している」とは言ってない。
しかしながら、「地球上に、Tレックスが確認されていない」ことを理由にその可能性を
否定することは理に合わないこと。
200神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:29:52.66 ID:31+Up+4C
つーか、

>>197
>「我」を説くことを理由にバラモン・ヒンドゥーを

「我」を説くことを理由に全否定するわけではなく、
【それらは、仏教(=ゴータマの教え)ではない】と言っているだけなのです。
バラモン・ヒンドゥが我を説くことは何の問題もないのです。
ただ、仏教というラベルを用いるなら、羊頭狗肉にしないでね(´∀`)b というだけなのです。


ノシ
201前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 01:32:56.89 ID:WvdXC0l6
>>183
>(人間死んだらすべて終わり 消滅しすべて終わり)
>と 副島隆彦さんがphpの本に書いてますが どう思います 私は違うと思いますが

>>185 宝珠氏
>魂(転生する主体)の存在を推察し得る一つは生まれ変わりの転生現象の検証事例についてです。←同感です。

原始仏典では意識が肉体を乗り換えながら輪廻するさまを見ることができる六神通または三明智が幾度も説かれております。(長部経典では過半数の経典に有り。)
ただ輪廻も縁起の法に従い前世の意識と現世の意識とが「不一不異」(同じでも異なるでもない)ということでしょう。

あと私らは道場で日々霊動現象の中で、しばしば肉体を離れた意識が他者にかかって話す現象を実体験しております。
時々故人しか知らない事(家族が探しても見つかなかった遺品の隠し場所、死ぬ前に読んでいた本の栞、他)を語るケースがあり、肉体死後の意識存続のデータとして50年以上蓄積しております。

輪廻の法は釈尊が説かれましたが、この憑依の法はイエスが新約聖書の中で度々説いております。
まさに道の人達は異なる法を説き、互いに尊び合うということでしょう。
202神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:33:54.77 ID:+h/4JXJE
ttp://www.logsoku.com/r/psy/1357979649/ 381
ご隠居が全く同じこと言ってて印象に残ってた。

もちろん○○は××ではない、というために××が
実際に存在する必要は無く、単なるアイデアや概念としてさえ存在していれば
(自分や他人の頭の中にあれば)○○は××ではない、は成立する。

もちろん自分は火星人では無いが、これを言うために
どこかにマジモンの火星人がいると信じている必要はどこにもない。
203神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:42:47.92 ID:31+Up+4C
「弟子、心未だ安からず。乞う、師、安心せしめたまえ」
「心をもち来たれ。汝が為に安んぜん」
「心をもとむるに、ついに不可得なり」
「汝が為に安心しおわんぬ」
204前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 01:46:38.55 ID:WvdXC0l6
>>201
>ただ輪廻も縁起の法に従い前世の意識と現世の意識とが「不一不異」(同じでも異なるでもない)ということでしょう。

前世の私の意識と現世の私の意識とが同じであるとすれば、このような場合「永遠である」ということになる。
しかし、前世の私の意識から現世の私の意識が変化しており同じでも異なるでもないとすれば、「永遠である」とも「永遠でない」ともいえない。よって無記。
205神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 01:58:07.33 ID:31+Up+4C
一代は必須と言うけど、
こういう考え方ばかり見せられると、輪廻という考え方は
百害あって一利無しに見えてくるんだけど、何とかならないの?w
これじゃ、輪廻を嫌う人が増えて当然だと思うけどw

宝珠・カラス・在家の言辞を破砕して更に利を説くことは、仏教に可能なのかね・・。
成功している事例が一つでもある?
206SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 02:03:01.83 ID:AuHGY5xf
輪廻という考え方があって、仏教が成立するのではない。覚りの道について説くことにおいては、輪廻を交えずに説くことができるからである。

輪廻という考え方を無しにして、仏教の説がすべて完備するのではない。現実に、覚った人は輪廻せず、衆生は苦の輪廻を繰り返しているからである。

こころある人は、輪廻についてのこだわりを離れよ。覚ったとき、すべては明らかとなるからである。

***
207前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 02:09:15.43 ID:WvdXC0l6
>>12 記憶氏
グーグル(他力本願)で「阿弥陀如来の四十八願」で検索すれば沢山訳がありますよ。
208SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 02:10:02.62 ID:AuHGY5xf
たとえば、

麻薬というものへの熟知があって、薬学が成立するのではない。薬を論じることにおいては、麻薬の存在を交えずに語ることができるからである。

麻薬というものの存在を無視して、医学が成立するのではない。現実に、手術の時には麻薬を用いる場合があるからである。

しかしながら、普通の生活を送ることにおいては麻薬のことを気にする必要はない。もちろん、常用するのは危険きわまりない。

大事なことは、大手術を受けなければならないような事態に陥らないように、健康な生活を心がけることである。

輪廻のことも、いわばこのようなスタンスを以て考えるべきことに他ならない。

***
209神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 02:12:09.46 ID:SnOsW39o
仏教なんか滅びろ
基督がいきる
210前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 02:20:41.46 ID:WvdXC0l6
>>206
>こころある人は、輪廻についてのこだわりを離れよ。覚ったとき、すべては明らかとなるからである。

または、心ある人は相互依存性というこだわりを離れよ。覚る前に、すべては明らかである。
論理世界であれば「AならばB」も「BならばA」も成り立つが、現実世界では原因と結果の不可逆しか成り立たないので。

「執着があれば苦しみが生じる」のであり、「苦しみがあれば執着が生じる」のではない。
211SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 02:23:49.71 ID:AuHGY5xf
人類は、すでに覚り(=ニルヴァーナ)に至る流れの中にある。最終的には、全人類がニルヴァーナに到達するであろう。

ただし、速い遅いの違いはある。この世には、功徳を積んだ人と、そうでない者とがあるからである。

ここで、注意すべきことは拙速であってはならないと言うことである。ある人は数日で覚り、ある人は数年で、ある人は数十年で、ある人はついに今世では覚らないだろう。

拙速であると、修行は修行とはならず、覚りの道は遠のくばかりである。

ゆっくりと邁進する修行者が、充分に功徳を積み、因縁を生じてついに覚る。これが覚りの道の全貌である。

***
212パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/09(土) 03:04:37.01 ID:cjlfenva
>こういう考え方ばかり見せられると、輪廻という考え方は
>百害あって一利無しに見えてくるんだけど、何とかならないの?w
>これじゃ、輪廻を嫌う人が増えて当然だと思うけどw

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
213パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/09(土) 03:15:24.66 ID:cjlfenva
宝珠・カラス・在家・・・・・・・・・オカルト3バカトリオ
wwwwwwwwww

こいつら見てると、いつも同じ言葉が思い浮かぶww

『混ぜるな危険』  wwwwwww
214神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 03:29:54.95 ID:k6yQWU9T
>>205
利といえば、禅宗が伝える悟りを得た者の瞬発力ではないでしょうか。

しかし、かといって三宝のうちの仏のみを伝えれば十分となってしまうと、
それはもはや仏教ではないでしょうね。
法、僧は、悟りを得るための精神鍛錬や、
仏教という宗教団体が社会に受け入れられる為に必須のものでしょう。

輪廻転生はカースト社会に都合の良い思想だと思いますね。
一種の洗脳であり、神を無条件で信じよというキリスト教と共通するものを感じる。
悟りを得るというのは、そのような洗脳からの解放だと思うのだが。
215神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 04:43:04.85 ID:GhPwigik
キリスト教は絶対神という概念で支配した
東洋はカルマ・輪廻という言葉で階級制を構築し愚民を統治した
宗教自体がただの観念であり無用の長物
100人いれば100種の観念が生まれ100種の宗教が生まれる
はやく気が付いた方が良いよ
216神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 05:59:24.64 ID:K+fChNt3
>>180
では、四句分別については異論はないということになりますね。

次に仏教では一切の見解・思想が六十二見に集約されると考える。

これは了解していただけるでしょうか?
217前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 07:22:24.55 ID:WvdXC0l6
>>216
はい、梵網経の六十二見解は整理すると十四見で4主題×四句分別の集合ですので、了解です。
218神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 07:34:42.39 ID:K+fChNt3
>>217
では、その四主題の各二辺(論理的断定)を遮断するのが八不です。

これは了解していただけるでしょうか?
219承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/09(土) 08:54:01.96 ID:gGzTIStJ
(^。^;)(仏教はただ縁起を説くのであって、輪廻と輪廻転生は違うと何度も書いてあった筈だが……)
220神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:05:18.18 ID:K+fChNt3
>>219
いいかげん、その日本仏教学の一部珍学者だけが提唱してる珍説は引っ込めたら
なんど論破したことか
221カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 09:22:57.84 ID:uLo6DujI
>>147
滅びの道を教え広めている邪教の人、おはよう。

>あのね、釈尊以来、涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということで一貫してるのw
>それ以外の伝承は存在しないの。

また、邪見全開かましてるようだね。

〜涅槃経
ここで尊師は初禅 (第一段階の瞑想) に入られた。
初禅から起って、第二禅に入られた。第二禅から起って、第三禅に入られた。
第三禅から起って、第四禅に入られた。第四禅から起って、空無辺処定に入られた。
空無辺処定から起って、識無辺処定に入られた。識無辺処定から起って、
無所有処定に入られた。無所有処定から起って、非想非非想処定に入られた。
非想非非想処定から起って、想受滅定に入られた。  
そのとき若き人アーナンダは、尊者アヌルッダにこう言った。
「尊い方、アヌルッダよ。尊師はニルヴァーナに入られました。」
「友、アーナンダよ。尊師はニルヴァーナに入られたのではありません。
想受滅定に入られたのです。」
そこで尊師は想受滅定から起って、非想非非想処定に入られた。非想非非想処定から
起って、無所有処定に入られた。無所有処定から起って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から起って、空無辺処定に入られた。空無辺処定から起って、第四禅に入られた。
第四禅から起って、第三禅に入られた。第三禅から起って、第二禅に入られた。
第二禅から起って、初禅に入られた。初禅から起って、第二禅に入られた。第二禅から起って、
第三禅に入られた。第三禅から起って、第四禅に入られた。第四禅から起って、
尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた。
222カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 09:33:38.68 ID:uLo6DujI
>>147
アーナンダと意同じ勘違いしてんじゃねぇよ、カス仏教徒。
これのどこをどう読めば涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということと言う見解に
なるんだよ。お前の言うように完全なる滅が涅槃なら、
アーナンダ涅槃だと勘違いした想受滅定の時点で涅槃で、わざわざ
尊者アヌルッダに、尊師はニルヴァーナに入られたのではありません。
想受滅定に入られただけだと、指摘されることも無いだろうがよ。
滅尽定はゴールじゃねぇぞ。そこから明けの明星を認識して人は全てを悟るんだよ。
おまえら禅宗の悟りは、滅尽定止まりの底の浅いものだ。ちゅうか
それで終わりならただの滅びだし。ま、お前らアキメクラに言ってもわかんねぇだろうけど。
223神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:33:46.38 ID:K+fChNt3
>>221
この『涅槃経』の文と「涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということで一貫してる」のどこが矛盾するのかな?

それと『ウダーナ』8.1も「涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということで一貫してる」けどな?

仏教でいう不生不滅を恒常不変の実体・実在・神みたいなもんと勘違いしてないか?
224神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:37:17.64 ID:gvkTgr1K
>>205はいいこと言っている。
輪廻、輪廻転生があったとして、それがどうした?ということだ。
だから?の後が続いてない。
一つの事実として釈迦は輪廻することを否定している。
仏教の根幹はここにありと見ていい。
それが何故なのかは面倒くさい苦だからーでは希薄すぎる。
ここで>>210のおしい真理を見る。もちろん不可逆は覆らない。
「執着があれば苦しみが生じる」のであり、
「苦しみがあれば執着が生じる」のである。
これが事実であり、ここに輪廻性を見る。
225カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 09:42:04.78 ID:uLo6DujI
>>141
中論に毒された唯物末法仏教徒いわく、
涅槃と輪廻は相対するものなので、中道=空の見解から涅槃も輪廻も無い
となるそうです。なんと彼らは涅槃すら否定して、これが釈迦仏教だと言ってるわけです。
中論かぶれの末法仏教徒、特に禅宗!てめぇらは仏教の看板下ろせよ。
226:2013/02/09(土) 09:46:36.05 ID:31+Up+4C
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1359588721/833

晩に於いて首座に挙似す。
座曰く、「失。汝等、鏡もて何かせん」。
227神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:49:18.25 ID:K+fChNt3
>>222
なるほど、滅尽定じゃないから涅槃は寂滅じゃないと。

それは倒錯してる。逆に滅尽定は五蘊は止滅しても業は残ってるから、定から出れば輪廻が縁起するんじゃないか?

涅槃は業も尽きるんで寂滅する。

涅槃寂静という四法印にも矛盾するしね。
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=0099_,02,0314a02&key=%E6%B6%85%E6%A7%83%E5%AF%82%E9%9D%99&ktn=&mode2=2

涅槃は寂滅じゃないとする根拠と言えるの他の根拠がないという他の根拠は何よ?

たしかカラスはアーガマ・ニカーヤしか認めない立場だったよな。
そんなのアーガマ・ニカーヤにあるのか?
あるなら興味深い
228神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:50:51.48 ID:gvkTgr1K
>>221が事実として、
それが暇潰しの自己満足オナニーと差異があるか?
の疑問が立つ。
もしくは麻薬中毒患者の所業と差があるか?
の疑問が立つ。
229カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 09:51:57.72 ID:uLo6DujI
>>223
第四禅から起って、尊師はただちに完きニルヴァーナに入られた。
がなんで完全な滅になるんだよ。おっと、君らお得意の詭弁を駆使すれば
なんでもありか。きみらは詭弁を極めれば悟りだと思っているからな。
ウダーナは自性と呼ばれるものがあることについて説明している。
それの本質は無であることには異論は無い。
で、おまえよ、
>この『涅槃経』の文と「涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということで一貫してる」
>のどこが矛盾するのかな?
と言い切るだけの紋切り型の答弁じゃなく、じゃぁどうしてそういう見解になるのか
論破されるのが怖いから説明できないわけ?おまえら禅系の連中はいつもそうだ。
おまえら詐欺師だもんな。ごまかしのテクニックを極限にまで研ぎ澄ましても自分の為にならんぞ。
230神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:53:49.06 ID:K+fChNt3
>>224
>一つの事実として釈迦は輪廻することを否定している。

輪廻は苦だから、その苦から開放するという意味で輪廻を否定するという意味ね。

輪廻思想を否定するとか、輪廻思想からの開放という意味ではないですよ。

むしろ、我々が輪廻に居るということを初めに現状認識させる教えを説きますよ。

これがアーガマ・ニカーヤに説かれる施・戒・生天という初心者向けの教え
231カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 09:55:26.56 ID:uLo6DujI
>>227
滅尽定がゴールなら、静寂も糞もねぇだろうが。
それを認識するものはなにもねぇんだからよ。
232神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 09:59:26.46 ID:GhPwigik
経典自体何十とあり言ってることが違うんだよ
中には偽物もある
>>221
こういうのも他の人の解説口調だからな
A⇒B⇒C⇒D⇒4⇒3⇒2⇒1 また1から4にいって涅槃
つうこと
笑えるw
233神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:00:30.51 ID:31+Up+4C
>>229
>おまえら禅系


また、シャドウボクシング始める気か?w

っんと、レッテル貼るの好きだな・・・(^^;
チベット仏教相手に禅宗呼ばわりかw


>>231
「誰かが居なければならない!」
というのが西洋的倒錯だということに、いいかげん気付いてほしいもんですね・・ ┐(´ー`)┌

「【まず主体があって】、それが働き出す」
この定式を打ち砕くところから仏教は始まるんですよ。
234神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:05:11.98 ID:gvkTgr1K
>>230
そこは了承するとしよう。だから
「執着があれば苦しみが生じる」のであり、
「苦しみがあれば執着が生じる」のである。
の推論が生まれる。
そっから先、君は輪廻から解脱するためには
どーしたらいいと思ってるの?
日々の生活において人はどーあらねばならないと思ってるの?
そこが根本的に欠けている。

ここは「ある」「ない」に終始している。
或いは「これはこーだ」「いや違う」に終始している。
そっから先の進展性がまるで無い。
235カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:09:11.85 ID:uLo6DujI
>>232
はい、詭弁がでました。>>221の涅槃経では第四禅から起こって
空無辺処定→識無辺処定→無所有処定→非想非非想処定→想受滅定と
第四禅と想受滅定は違うものと扱っている。そもそも第四禅とは
楽が止み、一切の受が捨てられた「不苦不楽」の状態を指すわけで
相も何もかも滅んだ滅尽定の状態を指すわけではない。
それをこの詐欺師はA⇒B⇒C⇒D⇒4⇒3⇒2⇒1 また1から4にいって涅槃と
言ってるだけだと話を摩り替えている。
236神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:12:19.23 ID:K+fChNt3
>>229
>がなんで完全な滅になるんだよ。

 涅槃寂静だよ。これは無でもない。有、無、有かつ無、非有非無という四つを完全に離れた状態。それを寂静という記号で示してるだけ。

>ウダーナは自性と呼ばれるものがあることについて説明している。

 そんなこと誰がいってるの? 君とかヌーエイジの人ぐらいだろ。あるいはヒンドゥーとか。言えないんなら妄想だって認めないとな。

以下、「入中論評釈」引用文献の原文、89.『ウダーナ』 8.1『ウダーナ・ヴァルガ』 26-24, 25の梵パ漢蔵は違うし、91.『ウダーナ・ヴァルガ註』も『ウダーナ』 8.1を引用する『清浄道論』も涅槃についての文としてるぜ
http://kishin-syobo.com/index.php?%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF 

中村先生は上の『ウダーナ・ヴァルガ』 26章を中論にそっくりと言ってるし、
以下、片山一良「パーリ仏教における涅槃」でも同様だ。
但し、涅槃界、無為界が存在するという表現をしているが、これは実在ではなく仮設、譬喩表現だ。有、無、有かつ無、非有非無という四つを完全に離れた状態でなくてはならない。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985580

 
237カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:13:29.84 ID:uLo6DujI
危弁家のおまえも同じ穴の狢だろ。
無我思想とは単に一切のものは全て自性(アートマン)はないと
言ってるだけの話だ。読み違えるな。
238パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/09(土) 10:16:26.79 ID:cjlfenva
>滅尽定がゴールなら、静寂も糞もねぇだろうが。
>それを認識するものはなにもねぇんだからよ。

wwwwwwwww
「それを認識するものはなにもねぇんだからよ。」
→涅槃というものがあるなら、「そこにいるもの」がなければ、なにもねえんだからよwww

宝珠、キチガイカラス、在家・・・に共通するもの・・・
『・・・・・するなら→・・・・する≪もの≫がいる』
というように、作用、現れに必ず,「その主体」を要求することww

まあ、世俗での論理形式ではそのとおりだが、そこを抜けないといつまでたっても
仏教はわからないんじゃねえの?www
その実体論的視点以外の視座を許容出来るかがポイント・・・・・
だと思うんだがねww
外から眺めるとwww
239神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:21:22.03 ID:K+fChNt3
>>234
オイオイ、そういう適当な三人称複数形の呼称は相手の説を読んでないって言ってるようなもんだぞ。カラスと一緒だろ。

このスレで完全に意見、見解が一致してる人は一人もいないと思うぞ。
少なくともオイラと完全に一致してる人は誰もいないと思う。

で、解脱のためには三宝に帰依して菩提心を起こし、
伝統的サンガに属する聖者から教えを聞き、それについてよく考え納得するまで、
何度も聞き、納得できたら、その教えを修行するわけだ。

その修業の内容が戒律によって身体・言葉・心の動きを戒め、
禅定・三昧によって心の散乱を無くして、集中させ、
その集中した三昧状態で、縁起・空観を行うことで我意識をなくして解脱する。

以上が仏教の基本で、道によって色々ヴァリエーションがある。
どんな道を歩むにしても伝統的な師について、教えを受けてその伝統の道を歩む必要がある。

そこで現代で生きた伝統はビルマとチベット系のみだ。
240カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:23:12.38 ID:uLo6DujI
>>236
だからさ、それらを完全に離れた状態のことを滅尽定というなら
静寂も何も無いだろうといってんだよ。何も認識するものがないんだからよ。
そもそも滅尽定がゴール(涅槃)なら、アーナンダと尊者アヌルッダ
の間の問答はおかしいだろうがよ。で、おまえ。サマーディから縁起を直接知覚
を得ることが悟りだとか言ってたよな。滅尽定がゴールなら言ってることが
支離滅裂なんだが。
241神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:24:29.48 ID:gvkTgr1K
達磨が面壁九年の座禅によって手足が腐ってしまったという
その結果が「少林寺」なの?
健康的でなかなかよろしい。で終わる。
もしくは禅で自分のコピー用品の起因になったともいえる
達磨の九年は何だったの?
242神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:25:07.83 ID:K+fChNt3
>>237
で、カラス、『ウダーナ』8.1は自性についてではなく涅槃について言っていた。

創造主を妄想とするアーガマ・ニカーヤの仏教と創造主に基づくグノーシスは全く違う。

この二点は認められるかな。ここに集約するは君の場合。

そこを乗り越えないと意味がない。
243前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 10:25:59.94 ID:WvdXC0l6
>>218
>では、その四主題の各二辺(論理的断定)を遮断するのが八不です。

この辺りから腑に落ちません。
八不(中道)は各二辺(論理的断定)を遮断(否定)する、という定義ならば分かります。

ただし、現象世界において各二辺(論理的断定)を遮断(否定)する、という事が理にかなっているか否かはケースバイケースだと思います。
現象世界でない涅槃における話であればあり得るかも知れませんが、その場合は日常生活にはなんら価値のない法になるかと存じます。
244神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:29:14.78 ID:R/GGKgaz
>>146
>そういう意味で、やはり、法華経の理論は納得がいかないわけです。

納得がいかない。というのは・・・

>釈迦が久遠の過去からすでに仏であったという理論は、どうも納得がいかない。

この箇所ですね。これは簡単なことです。
机龍之介さんがスレによく書き込んでる
「仏とは原初に回帰する」という意味ですよ。
つまり要約すれば「本来は仏であった」。ですね。
ならば、「久遠の過去からすでに仏であった」。は理論の整合性は担保される。
何の矛盾もないですね。
ところで机氏は最近、書き込みしていないようですね。
245神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:29:34.46 ID:gvkTgr1K
>>239
全然、何故というものがないんだよ。
それは既成事実にしがみついているに過ぎない。
246神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:31:48.63 ID:GhPwigik
>>235
要はABCDと1234が非常に複雑に絡み合った瞑想状態を超えて
ニルヴァーナに入ったと言いたいだけではないかな
ようは大変だよ言いたかっただけでは
日本人は細かい言葉に固執しすぎだなー
247カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:32:25.26 ID:uLo6DujI
>>242
さて、スッタニパータでは形態はなにが生み出すと言っていたのかな?
答えてみろ。で、前スレの話に戻るが、君はビックバン理論を否定するわけ?
248神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:36:24.56 ID:K+fChNt3
>>240
寂静ってのは無知覚(無功用)な状態を指す、表現しずらい状態への記号なんで、その記号に拘っても仕方ない。

例えば、月を指すのに「月」と書いても天体をイメージせず、「月」という文字の形態とか文字の成り立ちと実際の天体が矛盾するとか言ってるようなもん

オイラは滅尽定がゴールと言ったことは一度もないよ。

それは遊びじゃないか?

そこら辺、君の場合、ここで説いてる人の説をキッチリ読まずに適当に読んで、ごちゃ混ぜにして「こいつら分かってね〜」とかやってんじゃないか?

その適当にごちゃ混ぜにする傾向が仏教とグノーシスにも現れてると思う。グノーシスは知らんが仏教は君の説くようなものではない。

仏教は本当に素晴らしいぞ。ここで一歩踏み出してもうちょっと正確に仏教を知りたいとは思わないか?
249カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:43:29.14 ID:uLo6DujI
>>242
もうひとつ。この世界は生起したものじゃないのかい?
あと、議論したいのなら、漢文だらけの専門知識を要する下らないHP
でごまかすんじゃなく、自分の言葉で、わかりやすい言葉で話せよ。
俺はグノーシスを語るときでも、アウトゲネーシスだの、エーレーレートだの
アルキゲネートルだのと専門用語など使わず皆にわかりやすいように
できるだけ通常の日本語で話すよう心がけてるぜ。おまえのように漢文だの
専門用語だらけの論文などを引用して反論するのは、誤魔化しのテクニックで
しかないんだよ。だからお前らは詐欺師だって言うんだよ。
本当の賢い人は、難しい話でも、誰にでもわかるように簡単な言葉で話すものだ。
250神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:45:28.18 ID:gvkTgr1K
>>248
OK。では何がどう素晴らしいかどうぞ。
251神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:46:12.66 ID:j/mFFDDN
>>247
ヒンドゥーみたいに世界生成(宇宙の発生→破壊)のサイクルは認めるから
仏教徒だからとビッグバン理論を否定することはないと思うよ。

ただそこに創造主・主宰神の存在を想定しないだけ。
252神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:46:50.45 ID:K+fChNt3
>>243
ああ、中論八不は基本的に日常生活には役に立たないと思います。
逆に日常生活で掴んでいる諸知覚が実体なく幻であるということを知るための道です。

中論は、禅定に入れない人にはそれほど役に立たないものだと思ってます。

なにせ中道を観じる般若の論ですから、般若とは慧であり。
慧とは戒定慧の第三番にくるものです。

つまり、戒によって行為がよくなり散乱が減ってない人は定に入れず、
定によって心が集中してない人には中道を観じる慧にならず、
単に観念的な推論、論理分析になってしまうからです。

よく中観を言葉の遊びとか詭弁とか言われますが、定に入れない人にとってはそういってもいいかもしれません。
ただしチベットでは分析修習という方法があって、定に入れない人でも
分析することで我がないとか現象に実体がないと修習する方法として認められています。

これは恐らくニューウェーヴ・テーラワーダのいうヴィパサナ、伝統仏教でいう四念処と同じで始めは論理分析でそういう思考法に馴染み、後に三昧に入ることで観になって無我・空を直感できるからだと思ってます。
253神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:48:38.02 ID:gvkTgr1K
>>249
OK。では誰にでもわかるように、輪廻から解脱するために
人はどーあらねばならない。
日々の生活においてどーしなければならないかをどうぞ。
254神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:48:46.12 ID:K+fChNt3
>>247
オイラは充分答えたろ。

今度は君の番だ。この二点に答えないなら、ここで議論する意味がないよ。

これは君のために言ってるんだよ。オイラは勝ち負けなんかに拘ってないぞ。
255神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:51:01.96 ID:j/mFFDDN
グノーシスは創世神話や世界観(宇宙の間取り)が複雑怪奇になってるだけで
言ってることは大して難しいことじゃないからなあ。
256カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:51:22.23 ID:uLo6DujI
>>248
君らの仏教のどこが素晴らしいんだよ。笑わせるな。
なら俺も言わせてもらおう。本当のキリスト教は素晴らしいぞ。
本当のキリスト教は正当派と自称している今のキリスト教会我教える
ものとはぜんぜん違うぞ。君らが伝統的と称する末法仏教がゴータマの
仏教と全然違うようにね。君も一歩を踏み出して滅びじゃなく、
朽ちない宝を探してみないか。

>オイラは滅尽定がゴールと言ったことは一度もないよ。

君は滅尽定=涅槃だといった。涅槃がゴールでないとすると、君の仏教のゴールは
なんなんだよ(苦笑)
257神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:51:54.71 ID:K+fChNt3
>>250
いろいろほんとうに素晴らしいが、とにかく教えに従うなら世俗的にも楽になれる。

縁起・空性・仮設という説明体系は、もっとも優れた現象の説明体系でこれ以上の説明法を私は知らない。

この二点に集約されるかな?
258神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:55:24.87 ID:gvkTgr1K
>>252
坐禅組まないといけないと思っているでOK。
達人で九年。凡人なら何倍もかかるだろう。
そんなことが本当にに意味があり価値あることだと
思ってるの?
259カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 10:56:46.83 ID:uLo6DujI
>>251
ゴータマの仏教の縁起とは因果の法だ。
それを認めないのならそれはゴータマの仏教じゃなく外教だ。
竜樹の中論のようにね。

世界生成を認めるなら、その原因があるんだよ。
260神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:57:11.35 ID:j/mFFDDN
梵網経見れば早いと思うけどなあ。

宝珠とカラスのアートマン論もカバーされてます。
それを含む諸々のアートマン論を持つ人達は、断滅論者と同じく
輪廻から脱出することはできません。
261神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:58:00.85 ID:K+fChNt3
>>256
>君は滅尽定=涅槃だといった。涅槃がゴールでないとすると、君の仏教のゴールは

言ってないがな。

よく読んでみろ。滅尽定は五蘊の止滅するが業は尽きてない。
涅槃は業も尽きると書いてるぞ。>君は滅尽定=涅槃だといった。涅槃がゴールでないとすると、君の仏教のゴールは

もう、その二点に答えないなら、当分話すの止めとくは

>>258
禅定を誤解してると思うけど、それを抜かせば思ってる。
というか、そういう行以外世の中に価値がないとさえ思ってる。
262神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 10:58:57.03 ID:gvkTgr1K
>>257
縁起、空性、仮設でOK。
それぞれが生活にどう役立っているの?
263神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:00:11.71 ID:K+fChNt3
>>260
『梵網経』って美しいよね〜
ほんと簡潔で包括的で言葉もやさしいし
264神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:02:14.46 ID:31+Up+4C
>>253
諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
265前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 11:03:17.46 ID:WvdXC0l6
>>239
>その集中した三昧状態で、縁起・空観を行うことで我意識をなくして解脱する。

それでは四句分別というよりも、四句無分別=何も考えない=思考自殺、かと存じます。

またカラスさんが指摘するように、生前に涅槃に入った釈尊がその後も生き続けたのは、思考自殺はしなかったということでしょうか。
以上、横レスにて失礼致します。
266神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:03:44.83 ID:j/mFFDDN
ビッグバン理論はそれ自体そこに神の介在をはめ込まないでしょ。
>>259
輪廻と同じで無限遡及です。
たどればキリが無いが、そこに原動力・操り手として創造主・主宰神を想定はしない。

筋に合わないと思っても、人は人、自分は自分、
釈迦や仏教とカラスとは考え方が違うというだけ。
267神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:04:31.17 ID:K+fChNt3
>>262
生活に役に立つのは菩提心と布施だね。

思いやりと、なんでも与えること。

これによって人は楽になる。

まあ、全然納得しないと思うけど。

縁起・空性・仮設は生活にはあまり役に立たない、
だから釈尊も心構えの進んだ人にしか説かなかったし、
中論もその教えを聞く機縁、器根のある人にしか説いてはいけない
と『入中論』で説かれてる。

全くその通りだと思う。
268神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:04:57.34 ID:gvkTgr1K
>>264
道徳ですね。いいと思います。
269カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:09:21.56 ID:uLo6DujI
>>261
>>147での君の発言。

>あのね、釈尊以来、涅槃ってのは(完全なる)滅、寂滅ということで一貫してるのw

おやおや。ますます言ってることが支離滅裂になってきたな。
そもそも滅尽定とは全て滅んだ状態を言う。業が残っていれば滅尽定とはいわないんだが。
君は滅尽定という言葉の定義から学ばなければいけない。
270神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:09:44.43 ID:K+fChNt3
>>265
いや、そういう日常的な意識で捉えられては何も分からないでしょう。

在家さんは、高度な見解を日常思考に混ぜて解釈されますよね。
それでは混乱するだけで、全く分からないと思いますよ。

まずは素直に理解してみましょう。

戯論寂滅と日常の縁起の現れは矛盾しません。

ここらへんは、より難しいので今はとても無理だと思います。
271神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:11:28.20 ID:K+fChNt3
>>269
そりゃ別人だし。

答えないなら。終了だ。

じゃね〜
272不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/09(土) 11:11:34.05 ID:5FKJ6C7K
>>256 カラス氏
> >オイラは滅尽定がゴールと言ったことは一度もないよ。
>
> 君は滅尽定=涅槃だといった。

一代氏はむしろ滅尽定を「菩薩の迷い道」だとかいう風におっしゃってましたよ。

滅尽定というキーワードを一頃弄んでいたのは【?氏】で、彼も「名無し」で書き込んでいるので、あなたはそれを仏教者側の意見と取り違えたのでしょう。

「名無し」ゆえのあなたの誤認ですから、とりわけあなたに責められるべき重大な過失はないと思います。
273カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:12:06.72 ID:uLo6DujI
>>266
>輪廻と同じで無限遡及です。

おや。輪廻と同じくこの宇宙も永遠とおっしゃる。たしか仏教では永遠なる
自性などないはずなんだが?
274神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:12:20.97 ID:gvkTgr1K
>>267
「我がない」理論でなかなかいいと思う。
ではその見解に「我がない」と言い切れるか?
275前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 11:14:53.23 ID:WvdXC0l6
>>259 カラス氏
>ゴータマの仏教の縁起とは因果の法だ。
>それを認めないのならそれはゴータマの仏教じゃなく外教だ。

「苦あらば執着が生じる」というのは道理に合わないでしょう。
むしろ「楽あらば執着が生じる」というのは道理でしょう。

異教でもゴータマの仏教の縁起とは因果の法だと認識しております。

もし相互依存性ならば、「執着あらば苦が生じる」、「苦あらば執着が生じる」が同時に成り立ち、
苦と執着とは無限ループし、苦も執着も変化しませんので「空性」ではないことになるでしょう。
276カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:15:43.50 ID:uLo6DujI
>>272
正直、セブンと呼ばれてる人と、一代と呼ばれてる人の
投稿は下らないのでほとんど読んでいないので混同している。
ちゅうかこいつら議論スレにいながら名無しでいるのは卑怯だと思う。
ま、誤魔化しのテクニックを極限まで研ぎ澄ませてるのが日本の
末法仏教の僧の姿であるから仕方ないんだろうけど。
277神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:17:35.95 ID:K+fChNt3
>>274
ああ、無我とか縁起・空性・仮設というのは見解ではないです。

戯論寂滅へ至るための筏、戯論寂滅に至ったら捨てられるもの。

ですから、そこではもう手放されたもので、そこでも掴んでいる見解ではないのです。

ただし、無我とか縁起・空性・仮設という見方を見解とも
あるいは戯論寂滅の境地を見解とも呼ばれることがありますが、
これは同じ見解という言葉でも指している意味が違うので誤解なきよう。
278カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:18:11.41 ID:uLo6DujI
>>271
逃げたな。俺はとっくに答えてるんだがな。
279神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:19:54.12 ID:gvkTgr1K
『梵網経』いいと思います。
「解る事は分かる、解らない事は分らない。
比丘衆よ、この捉え方こそ、智慧の光である。
それ故、仏陀は、この論に囚われず、解脱する。」

素晴らしいというより当たり前ですね。
『梵網経』は真実の教えとして、もっとクローズアップされて
いいと思います。
280神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:20:37.95 ID:K+fChNt3
>>278
どこで?
281神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:23:06.87 ID:gvkTgr1K
>>277
それは見解ですよ。
282神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:24:33.58 ID:K+fChNt3
>>281
なんで?

最終的には捨てられるのに?
283カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:26:28.42 ID:uLo6DujI
>>280
因果の法だ。ゴータマの縁起論は元々因果の法だ。
俺は識別し得ない自性を識別智である言葉で定義して自性などない
などと初歩的で致命的なミスをしている竜樹の末法仏教の話をしてるんじゃなく、
ゴータマの仏教の話をしてるんだよ。で、二項対立からなる無自性な
縁起は永遠なのかい?
284神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:29:02.33 ID:gvkTgr1K
>>282
まぁ捨てるつもりなら良しとしましょう。
285カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:29:13.67 ID:uLo6DujI
>>283
因果の法も突き詰めると必ず根源にぶち当たる。
それを認めないのなら論理的に破綻する。なんでわからないのかな〜
286不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/09(土) 11:30:00.84 ID:5FKJ6C7K
>>269 カラス氏
> そもそも滅尽定とは全て滅んだ状態を言う。業が残っていれば滅尽定とはいわないんだが。
> 君は滅尽定という言葉の定義から学ばなければいけない。

それも【?氏】がコピペしていた内容から誤解されたのではないかと思います。なぜなら 元の【?氏】自体が誤解に基づいて引用していたものであったため、そこから滅尽定というキーワードをイメージしてしまうとさらに理解が劣化コピーすることも避けられなくなります。

端的に言えば滅尽定は単なる禅定の分類で、涅槃とは直接的な繋がりはないと考えてください。そしてそれが仏教者側の一致した見解だろうということです。
287神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:31:22.25 ID:K+fChNt3
>>283
え、オイラの問いは以下の二つだよ。何いってんの?


『ウダーナ』8.1は自性についてではなく涅槃について言っていた。

創造主を妄想とするアーガマ・ニカーヤの仏教と創造主に基づくグノーシスは全く違う。
288宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 11:33:07.91 ID:4QplLsyw
>>198
言い回しだけ共通(意味するところは全然違う)。

彼は、何も分らないただの無知な唯物主義者です。
今のこの仮和合の自己を現実だとして、これをひたすら実在視するだけ。
当然、それ以外のすべてを完全否定です。

この私はまったく違う!
289神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:33:19.86 ID:K+fChNt3
>>284
つか、戯論寂滅したら自動的に捨てられる。

戯論寂滅へ至るための戯論による導きが無我などの教え
290宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 11:33:51.95 ID:4QplLsyw
>>199
まっ、頑固というか・・・
認めたくない気持ちは分るけど(苦笑)

>>200
それならOK。

>>205
>輪廻という考え方は
>百害あって一利無しに見えてくるんだけど、何とかならないの?w
>これじゃ、輪廻を嫌う人が増えて当然だと思うけどw

だから、解脱を目指すのでしょ?

輪廻があるから解脱する。
輪廻があるから成長もできる(死後をも保証されている)
輪廻があることで縁起の法が成就している。
輪廻は因果律(原因と結果)の延長における当然の帰結。
291宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 11:36:09.72 ID:4QplLsyw
>>236
>>ウダーナは自性と呼ばれるものがあることについて説明している。
>
>そんなこと誰がいってるの? 君とかヌーエイジの人ぐらいだろ。
>あるいはヒンドゥーとか。言えないんなら妄想だって認めないとな。

>>238
>宝珠、キチガイカラス、在家・・・に共通するもの・・・
>『・・・・・するなら→・・・・する≪もの≫がいる』
>というように、作用、現れに必ず,「その主体」を要求することww --中略--
>だと思うんだがねww&nbsp; 外から眺めるとwww

ウダーナ8:3は、(涅槃を)“覚知する”といっています。
これはつまり、覚知する主体があることに他ならない。
そこには覚知する、覚知できる、覚知している・・・主体がある。
涅槃における主体であれば、それは自性ということになる。
これをバラモン・ヒンドゥーでは“唯一なる実在”といっている。
これを否定することは、私もカラスさん同様に詭弁と見なしています。
仏教がどうしても、この実在という表現が嫌いなのであれば、
どうぞお好きに、どうとでも呼ぶが宜しいか・・・と。

セブンが涅槃における主体についての反論だといって、
膨大な過去ログURLを貼り付けますが、何の反証にもなっていないので無意味です。
292神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:36:14.42 ID:gvkTgr1K
>>288
「我は有る」の完全否定ですね。非常にいいと思います。
293前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 11:36:16.08 ID:WvdXC0l6
>>270
>在家さんは、高度な見解を日常思考に混ぜて解釈されますよね。
>それでは混乱するだけで、全く分からないと思いますよ。
>まずは素直に理解してみましょう。
>戯論寂滅と日常の縁起の現れは矛盾しません。
>ここらへんは、より難しいので今はとても無理だと思います。

私も無理だと思いますので止論というよりも「一休さん」で宜しくお願いします。

一応、石飛先生の「ブッダと龍樹の論理学」を二読しまして、世俗諦と第一義諦とでは真理表が異なることは認識しております。

現世は世俗諦(十二支縁起、四聖諦)の方を血肉として、異教ながら少しでも衆生済度を希求して参りたいと存じます。

以上、昨日から議論していただきました慈悲に感謝致します。 合掌
294カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:38:35.30 ID:uLo6DujI
>>258
今は末法の世。今の仏教徒がいくら座禅を組もうと、ヴイパサナーの瞑想を
しようと、念仏を唱えようともゴータマが悟りを得た境地には達しない。
それは彼ら自身が一番よく知っているだろう。得られてもせいぜい有想サマディーまで。
俺はゴータマが悟りを得た境地に達するメソッドを知っている。
それを知ったとき、今の俺ではほとんど見込みが無いと知った。だが末法仏教徒は
そのメソッドすら知らない。いくら座禅を組もうと、瞑想をしようと、念仏を唱えようとも、その
境地に達することはできないんだよ。
295パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/09(土) 11:41:36.62 ID:cjlfenva
>>290
>だから、解脱を目指すのでしょ?

wwwwwwwwww お前、それは故意に誤読してるのか?w
セブンが、言っているのは「輪廻という考え方を嫌う人」・・・いいか?ww
「考え方」ww  輪廻があるという思考ww・・・これらを嫌う人たちww

輪廻があることを前提に、輪廻そのものを嫌うって話しじゃねえよww
296カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 11:42:20.45 ID:uLo6DujI
ここでの俺の言葉には愛が無い。
俺の言葉は君ら末法仏教徒にとってはやかましいシンバルでしかないだろう。
わかっているが、俺はここでは、これからもやかましいシンバルでいようと思う。
おやすみだアホ共。早く悟れよ。
297神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:42:42.71 ID:gvkTgr1K
>>290
解からないことは解からないのが当たり前なんだから
いいかげん
輪廻があるとか無いとかから解脱して下さいね〜
298神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:48:44.98 ID:gvkTgr1K
>>294
そこに錯覚が潜まないでしょうか?
だから努力否定していい理由にはなりません。
いくら坐禅を組んでも、瞑想しても、念仏してもに
意味を見出すなら否定していいはずもありません。
299SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 11:53:50.30 ID:AuHGY5xf
人が覚る(解脱する)方法は、昔も今も、そして未来も変わらない。その方法とは、

 真実を知ろうと熱望すること

である。聖求ある人は、自ら道を見い出し、自ら歩み、自らニルヴァーナに到達する。これが仏教の真実である。

***
300神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 11:55:18.08 ID:1VKzv8re
輪廻観を否定するのは「六道」止まりの生命観で見ているからで、それは大きな間違いです。

大乗仏典では「六道」+声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の四聖を示している。
小乗経では「六道」しか説かれておらず「涅槃」に至るには灰身滅智をするしか道はなかったが、大乗経典によって示された菩薩道によって涅槃への道は開かれている。

釈迦が四十二年かけて法を説いたあと、各地を遊行し仏法を説いてまわったのは、当にこの「菩薩道」の実践にほかならない。
301パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/09(土) 12:00:23.91 ID:cjlfenva
>>291 wwwwww

>ウダーナ8:3は、(涅槃を)“覚知する”といっています。
>これはつまり、覚知する主体があることに他ならない。
>そこには覚知する、覚知できる、覚知している・・・主体がある。
>涅槃における主体であれば、それは自性ということになる。

だからw 「覚知する」・・・・ということは、「覚知している主体」がいるんだw
という方向性そのものが「世俗的視点」なんだよw
我々自身が、世俗の存在なんだからそれに向かって説くとき、「覚知する」という
(あたかも主体付属付き)動作の如く表記するわなw
そこを如何に世俗手段、すなわち言語でもって説明するかに、過去の祖師たちは苦労したんだろ?w
それをそのまま、「記号通り」に受け止め、「覚知する」→「なら覚知する主体は?」
と進むことが実体論的方向性なんだよw
302パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/09(土) 12:01:48.86 ID:cjlfenva
これは、「悟る」・・・・「ん? それでは、誰が悟るの? 悟った人がいるなら
『我』があるんじゃない。 なんだw 「無我」じゃねえじゃん。」・・・
と行くのと同じw
(オレも長いこと、それに引っかかってたから分かるww)


そこを壊さないといつまで経っても仏教という認識論(ここはあえて「認識論」と言うがwww)
は詭弁に思えてしまうと思うがねwwww
303神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 12:04:36.93 ID:gvkTgr1K
だから書いてあるから真実だ。じゃないんですよ。
参考文献は参考文献でしかないから、
現象界をどう観、どう思い、どう生かす
結局はここなんですよ
304SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 12:12:35.41 ID:AuHGY5xf
この世には、二種の談論がある。

一つは、道の糧となり、ニルヴァーナに役立つ善き談論である。具体的には、小欲論、知足論、遠離論、不交際論、精進努力論、戒論、禅定論、智慧論、解脱論、解脱知見論などを言う。

もう一つは、道の糧とはならず、ニルヴァーナに役立たない談論である。
具体的には、社会・政治論、軍隊論、戦争論、英雄論、怖畏論、盗賊論、食物・飲料論、衣服論、臥具論、装飾論、香料論、村落・都市論、親戚論、婦人論、道端会議論、井戸端会議論、祖先論、世界起源論、交通論、雑論、有り無し論などを指す。

安らぎを求める修行者は、善き談論を為せ。そこに覚りの機縁・因縁を生じて、ついに解脱が起こるからである。

***
305SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 12:18:30.14 ID:AuHGY5xf
また、修行者に相応しい二つの行ないがある。

一つは理法について語らうこと。もう一つは、聖なる沈黙である。

ここにおいて、善知識(化身)が出現する機縁を生じ得る。ここにおいて、人は解脱の因縁を生じ得る。

***
306前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 12:22:45.48 ID:WvdXC0l6
>人が覚る(解脱する)方法は、昔も今も、そして未来も変わらない。その方法とは、
>真実を知ろうと熱望すること

所謂、「菩提心」ですね。あと「慈悲」(利他愛)も重要かと存じます。
衆生済度の為に涅槃に入らず輪廻を繰り返す菩薩達が現世でも出てきているかと存じます。

証果から見てチベット、ビルマには多そうですが、日本でもこの板を笑覧しているかも知れませんね。
議論に参加すればすぐにばれますので、ROMしているだけかも。
307SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/09(土) 12:26:50.86 ID:AuHGY5xf
菩薩は、ニルヴァーナに入ろうと思ってニルヴァーナに入るのではない。

また、菩薩はニルヴァーナに入るまいと思ってニルヴァーナに入らずにいることができるのでもない。

功徳を積んだ菩薩に因縁を生じたとき、その菩薩はニルヴァーナに至ることになる。これは因縁にもとづいて起こることである。

覚りの道は、最初から最後まで各自のことがらである。人は、誰かによって覚ることはできず、また別の誰かを覚らせることもできない。

ただ、聖求ある人が、明知によって道を見い出し、学識を豊かにし、功徳を積んで、ついに仏となるのである。

***
308宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 12:38:42.31 ID:p+R6R8tW
>>249
>あと、議論したいのなら、漢文だらけの専門知識を要する下らないHP
>でごまかすんじゃなく、自分の言葉で、わかりやすい言葉で話せよ。---中略---
>おまえのように漢文だの専門用語だらけの論文などを引用して反論するのは、
>誤魔化しのテクニックでしかないんだよ。だからお前らは詐欺師だって言うんだよ。
>本当の賢い人は、難しい話でも、誰にでもわかるように簡単な言葉で話すものだ。

その通り。
とても良いことをいいました。

そういうタイプの方というのは普通に日常語で説明を始めると
自己論理の矛盾点(ボロ)が露呈してしまうからだろうと私は思います。
それで専門用語の羅列で高度に見せて武装するのですね。
普通の日常語で述べさせると実は大した話でなかったり、論理矛盾のボロがバレてしまいますからね。

一代はそれでも、かなり良くなったと思う。
今、読み難くさで一番酷いのは大王でしょうね。自画自賛で陶酔してるのかなぁ?
309宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 12:40:44.56 ID:p+R6R8tW
>>301
いいたい意味は解します。が・・・

仏教というものはすべて“世俗視点”で説かれるのですよ。
でなければ、無意味で役立たずですからね(という意味においても中論は無用)。
(仏教はホトケに説くものではなくて、世俗の人間及び未完成者に説かれた教理のことですから)

涅槃においては、
本当は自性と無自性という二項すらもなくなる(という論調が大王ですが)。
けれども、我々の視点から述べる場合には自性と無自性の二項として述べるのです。
そうでないと二元性の中で生存する我々には現実に役立たないからです。
310宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 12:43:27.51 ID:p+R6R8tW
>>302
結局は同じでしょ!
(それを違うと語るのは詭弁です)
「説明を求む」といいたいところですが、やはりできないでしょう?

これは要するに、
バラモン・ヒンドゥーと同一視されることを避けたいだけなのですから。
それが“意図のすべて”だからですよ。
311神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 13:16:07.87 ID:31+Up+4C
>>301-302
そ。

風が吹いている時、
誰もそこに【「風」なる主体】が居るとは考えない。

が、或る種の人たちは、そこに「真風」が居ないと納得しない。
これを顛倒妄想と言わずに何と言うか・・w
312神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 13:18:50.92 ID:k6yQWU9T
>>244
理論的に納得できないというわけではないのです。
「そうであるべきではない」という感覚です。
「釈迦は人間であったが悟りを得られた」これが重要であり、
「特別な存在が悟りを得られた」では、当たり前の話でしかありません。

しかも、久遠の過去から悟りを得ていたという、無限回の輪廻転生を前提としています。
そこに得られる結論は、
「今生で努力せずとも、いずれ解脱する」
という、宿命論とよく似たものに落ち着いてしまいます。

はたして、釈迦が広めようとした教義とはその程度の物なのでしょうか?
313大滝秀治:2013/02/09(土) 13:23:34.16 ID:di6FmcB5
>>308(宝珠)
>今、読み難くさで一番酷いのは大王でしょうね。

それはお前が文字通り「愚者」だからだ。
愚者に対して『法を説いたとしても、人々(愚者)は私の言うところを了解せず、
わたしはただ疲労困憊するのみだろう』((梵天勧請 相応部6-1)

仏法は初転法輪の中道と四諦に尽きる。
なんらの超越も神秘もない。
間接現実で縁起を知覚するものは、<苦・集・制(滅)・道(四諦)>を見る(中論24-40)。
直接現実で縁起を般若智直覚するものは、無<苦・集・制(滅)・道(四諦)>を現観する(般若心経)。

仏法は以下に尽きる。
煩悩は渇望の苦しみとして知覚されるが(仮観)、煩悩それ自体に実体はない(空観)。
実体がないなら寂滅させようもない。それは悟りについても同様である。
故に煩悩即菩提(世俗)、非煩悩非菩提(勝義)。
仏法は、機能的には縁起であり、内容的には無自性(前段)無実体(後段)の空⇒中道なのである。
自性を機能的に定義すれば、自立性・単一性・恒常性であって、
「無為法」や「超越主義」は縁起撥無の反仏法である。
314神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 13:24:11.27 ID:Iej/A5lS
>>273
インドにおけるアートマンというのは時間的に永続するだけのものではないんよ〜。

スピリチュアリズムや日本的感覚での霊魂観とごっちゃにすると
混乱するだけだと思う。
>>288
いや、我(アートマン)観は違うが
あのレスで用いてる論理は同じだよ。
315大滝秀治:2013/02/09(土) 13:26:20.44 ID:di6FmcB5
訂正
△ 煩悩即菩提(世俗)、非煩悩非菩提(勝義)。
〇 煩悩即菩提(還滅世俗)、非煩悩非菩提(勝義示唆)  
316前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 13:26:58.72 ID:WvdXC0l6
>>309 宝珠氏
>仏教というものはすべて“世俗視点”で説かれるのですよ。
>でなければ、無意味で役立たずですからね(という意味においても中論は無用)。
>(仏教はホトケに説くものではなくて、世俗の人間及び未完成者に説かれた教理のことですから)

まあ、中論は菩薩候補者向けに書かれたようですから、現代の仏教徒の1%未満には有用かも知れません。
でも政治、経済のトップが嵌まると如何でしょうか。

(譬え話1)
大臣「総理、今回の危機に対して、我が国は攻めるべきですか、守るべきですか。」
総理「そりゃー、君、中道でいくべきだよ。」
大臣「総理、おっしゃることがよく分かりませんが。」
総理「攻めるでなく、守るでなく、攻めて守るでなく、何もしないでもなく、この空でいくべきだよ。」
やがてこの国は衰退して滅んだとか。。

(譬え話2)
役員「社長、今回の危機に対して、我が社は攻めるべきですか、守るべきですか。」
社長「そりゃー、君、中道でいくべきだよ。」
役員「社長、おっしゃることがよく分かりませんが。」
社長「攻めるでなく、守るでなく、攻めて守るでなく、何もしないでもなく、この空でいくべきだよ。」
やがてこの会社は衰退して倒産したとか。。
317大滝秀治:2013/02/09(土) 13:34:19.96 ID:di6FmcB5
>>313補足
中論13―3『@もろもろのものについて<自性の無いこと>(無自性)が成立する。なぜなら、それらのものについて変化することがみられるから。
     Aしかし、それ自体(自性)を有しないものは、<実体として>存在しない。なぜなら、もろもろのものには、空であることが存するから。』

ゆえに、仏法は、機能的には縁起であり、内容的には無自性(@)無実体(A)の空⇒中道なのである。
318大滝秀治:2013/02/09(土) 13:52:39.35 ID:di6FmcB5
>>309(愚者)
>仏教というものはすべて“世俗視点”で説かれるのですよ。

直接現実で縁起を般若智直覚したものでなければ、たとえ隔靴掻痒にでも法を示唆(無分別の分別)できない。
愚者のように色即是色の間接現実only(“世俗視点”←爆笑)+超越妄想のみであって、仏法には触れさえもしていない。

仏は矛盾なき様相を、矛盾のうちに説く。
直接現実は二項相対矛盾ではないから『無意味で役立たず』なのが当然だ。
仏法に意味や効用を妄想すること自体が我執に他ならない。

あまりにも愚者すぎるではないか。
319神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 14:05:15.91 ID:R/GGKgaz
>>312
>「釈迦は人間であったが悟りを得られた」これが重要であり、
>「特別な存在が悟りを得られた」では、当たり前の話でしかありません。

実際、究極的アタリマエの境地こそが涅槃寂静ですね。
これは禅宗の場合です。

>しかも、久遠の過去から悟りを得ていたという、無限回の輪廻転生を前提としています。

無限回と輪廻転生は、論理的破綻をきたします。
もっとも、こういった論理的な説明を丹念に証左しますと、論理的整合性は全く無くなるのです。
これを詳しく説明したのが不立文字ですが・・・
その前に「文字とは何か?」このことを先ず知る必要性があります。

先ず「転座教訓」で検索してみてください。
非常に深い教訓ですので、ネットで調べたくらいでは理解するには至難ですけど、
「ああ、このことか」。と、いつか納得できる日が来ると思います。

>「今生で努力せずとも、いずれ解脱する」
>という、宿命論とよく似たものに落ち着いてしまいます。

ええ、そうですね。
不落因果・不昧因果というのは、ある意味宿命論に近いもんですね。

>はたして、釈迦が広めようとした教義とはその程度の物なのでしょうか?

ええ、その程度のものでして、それを悟ることは誰でもできる。
320神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 14:07:09.83 ID:1DnIopGY
仏法は縁起
だから浄土門は南無阿弥陀仏の一念で通すのだな
浄土仏教は仏教ではないという人もいるがやはり仏教だった
大滝ありがとう
321大滝秀治:2013/02/09(土) 14:19:46.74 ID:di6FmcB5
>>316(カルト在家)
>譬え話

ブッダは総合コンサルタント集団<ゴータマ商会>の会長だぞw
(譬え話1)
戦争へのコンサル→ヴァッジ族を攻めるべきかへのコンサル参照(大パリニッバーナ経1)。
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/daihatunehan1.htm

(譬え話2)
ベンチャービジネスを立ちあげようとする資産家の息子「シンガーラへの教え」参照。
『このように世尊は説かれた。(中略)蜂が食物を集めるように働くなら
  ば〔彼の〕財はおのずから集積する(中略)。
その財を四分すべし。〔そうすれば〕彼は実に朋友を結束する。
・一分の財をみずから享受すべし。
・四分の二の財をもって〔農耕・商業などの〕仕事を営むべし。
・また、〔残りの〕第四分を蓄積すべし。しからば窮乏の備えとなるであろう。』

これは「バビロンの大富豪の教え」よりもシビアだ。
資産と人材の選択と集中投資という経営の基本を説いている。
ブッダは、天使のようなのように臆病で慎重な経営姿勢と、
悪魔のようなエゲツナイまでの儲けにたいする貪欲さを説いている。

(譬え話3)
仏法については徹底した待機説法だ→中論18-6参照。

コンサルタントとしてのブッダをもっと知りたいねえw
まあ、マハーカッサパが勝手に「編集」廃棄しやがったから不可能だが。

 
322神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 14:35:12.53 ID:k6yQWU9T
>>319

>不落因果・不昧因果というのは、ある意味宿命論に近いもんですね。

縁機の存在を認めるにしても、それを無意味とする大きな宿命があるとすれば、
釈迦が危険で下等な教えと断じた、
末迦梨瞿舎利の形を変えた宿命論になりませんか?

仮に覚者にはそれが見えるにしても、一般に流布すべき教義ではないと思いますが。
また、覚者である釈迦が末迦梨瞿舎利の教義を外道の一つとしたのなら、
それによく似た教義は、やはり、まちがった教義、異端となりませんか?
323神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 14:42:53.54 ID:1DnIopGY
空は空に非ず、これを空と名付く
324神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 14:56:28.39 ID:wU50ALN3
>>322
意味不明なんだが、君はその公安をどう解釈してるのか教えてくれないか?
325神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:01:47.87 ID:K+fChNt3
>>301-302
賢いなあ。そうなんだよね。
勝義自体を示す時は、譬喩にならざるえない。
「有る」とかいっても、それは譬喩なんだよね。

この勝義を説いてる時の表現と、世俗の習わしそのままで説いてる時をごっちゃにしちゃ、何もわからない。 

>>303
そこで勝手に思うなら仏教じゃないんで他所でやった方がいいよ

ここでも勘違いされてる方が多いけど、ここは仏教議論スレで、
真実議論すれでも、生活お役立ちスレでもないんで。

で、仏教について語るなら体験から話してもしょうがないんで、
文献から話すわけだ。
なぜなら、体験は各自してるわけで、しかもそれぞれ違う。
そんな体験に基いて話しても、それはその体験話を信じるか信じないかになってしまうので、
意味ないでしょ。
326322:2013/02/09(土) 15:05:23.01 ID:k6yQWU9T
>>324
どの部分が意味不明なのでしょう?
まず、その公案とやらを教えてください。
でなければ、解釈のしようもない。
327神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:12:19.36 ID:R/GGKgaz
>>322
>釈迦が危険で下等な教えと断じた、
>末迦梨瞿舎利の形を変えた宿命論になりませんか?

いやいや、「仏教は縁起」ですから、宿命論とは対極にあるもんです。
しかし不落因果・不昧因果は「宿命論に近い」と書いたまでのこと。

つまり「文字」というのは、そのものズバリを書き表すことは困難なんです。
転座教訓の「文字とは何ぞや?」は、そのことの教訓です。

禅僧が、一文脈の意味を説明するのに、多大な文字を必要とするのは、そのためです。
そもそも不落因果・不昧因果を悟れば、後は悟る必要性はない。
何故かというと因果に囚われないのが悟りですから。
因果に囚われない→→宿命論に近い。の意味です。
328神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:15:29.28 ID:1DnIopGY
>>325
仏典も体験から出たものだぞ
329神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:15:53.62 ID:wU50ALN3
>>326
不落因果・不昧因果の話してたんだろ?
それが公案の言葉であることも知らなかったのか?
330神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:25:57.51 ID:K+fChNt3
>>328
そう。だけど、それは完全に目覚めたブッダという稀な方の体験だから。
現代日本の2ちゃんで語ってるような凡夫とは違う。

それで偶にオレチャンは悟ったから大丈夫って人がいるけど、
それなら目の前に現れるぐらいの神通見せてくれというんだけど、
未だ見せてくれた人は一人もいない。
331神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:27:41.57 ID:1DnIopGY
インド人の比喩表現をそのまま信じるなよ(笑)
あいつらはそういうフカシで凄さを表現するの
332神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:28:53.21 ID:gvkTgr1K
>>328
当たり前。だから文献があっても体験比較論でないと意味は皆無。
書いてあることが真実として意味がないんじゃ話しにならない。
生活お役立ち教の方が意味がある。
ビッグバン理論が真実として、それがどしたーてなもんよ。
333神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:31:36.52 ID:gvkTgr1K
>>331
やっぱりインド人特有のフカシが多分に織り交ぜられてる
のは否定できないよなw
334322:2013/02/09(土) 15:33:35.03 ID:k6yQWU9T
>>327-329
なるほど。どうやら、私の誤解であったようです。
「釈迦が久遠の過去より悟りを得ていた」
も、よく学んでみましょう。
「無限に輪廻を繰り返し悟りを得た者の実例」とは言えないのかもしれません。
私は単に無限に輪廻を繰り返せば、今生での悟りを得る確率がどんなに低くとも、
最終的には悟りを得る確率が一になるのでは?ならば、それは宿命論にほかならないのでは?
という、単純な疑問から生じたことでした。
駄文、失礼しました。
335神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:34:06.40 ID:K+fChNt3
だから、信じる信じないは、どっちでもいいから書いてあることを話す場だよ

それが無駄だと思うなら、来なければいい

あと、凡人の知覚との整合性で話しても何の意味もないんで

まあ、今日はもう言わないけど
336神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:35:00.07 ID:wU50ALN3
>>327
ちょっとさ
不落因果・不昧因果ってのは、直訳すれば、因果に落ちず、因果をくらまさずってことだろ
因果に落ちずってのは要するに輪廻の打ち止めってことにほかならない
それが仏教の目的なのだからな。涅槃というのはこれ以上因果の業をつくらない寂静にあるのだから当然
しかし、因果をくらまさずとは、因果があることを認めるということだ
これらの言葉は相互に矛盾してるんだよ、その答えを見つけるのがこの公案の主題
それをどう解釈するのかが試されてるわけ
宿命論と結論したってことは当然その解釈が問われるが、その文章からじゃとても理解できんな
337神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:42:41.62 ID:1DnIopGY
>>333
日本だともう少し具体的にしないと大衆には受け入れられない。
中国はさらに実利を示さないと大衆は受け入れない。
これは文化の違いだからどの国が悪いとかはない。

最近出てきた原始仏教至上主義者には文化の違いという観点がまるでない。
指すところは同じでも、民族や文化によって理解しやすい指し方は違う
338神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:42:55.12 ID:gvkTgr1K
>>335
だから書いてあることがそのまま正解と思うなら、そのままフカシに乗る
ということだ。フカシを信じる信じないは、詐欺にあうあわないの如しだ。
釈迦を単なる凡人と思ってないの?馬鹿なの?死ぬの?
339神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:46:19.25 ID:wU50ALN3
別に乗ってもいいだろ
大事なのは悟りへと導けるかなのであって
釈迦を現代的に分析することじゃない
分析するだけじゃ何が言いたかったか分からないと思うよ
もちろん、乗っている人にあまりまともな人はいないけどね
340神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:46:42.67 ID:gvkTgr1K
宿命論は梵網教で否定されてるよ
面倒くさいから解脱しなさいってw
341神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:48:08.91 ID:K+fChNt3
>>338
まあ、どうぞご自由に

オイラは聖者をたくさん見てるんでとてもそのような不遜なことは考えられない

現代日本ではアナタが平均的な見方だとは思うけどね

だったら、仏教を無視すればいいだけのこと
342神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:48:32.19 ID:1DnIopGY
>>335
あなたの言ってることは、『いくら凡人が仏典学んでも仏陀にはなれない』
だよ。わかってる?
なら仏典を使って計算ドリルの答えあわせのようなことしてなんの意味がある?
仏典の答えとオマエの答えは違いますの赤ペン先生やりとりが仏教議論?
343宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 15:49:25.20 ID:FEzB2DHj
>>201
>あと私らは道場で日々霊動現象の中で、--中略--
>肉体死後の意識存続のデータとして50年以上蓄積しております。

死後の生存(意識)を否定するのは一つの極端。
これにばかり固執するのも、また一つの極端。

神智学の姿勢では、
心霊主義における「心霊が人間の究極の自己で恒常存在である」と錯角し、
これに固執する姿勢を強く批難しますが、
心霊存在の実在の証拠を示そうとする努力(及び心霊の悪影響からの軽減行為)
には一定の価値を認めており、それは唯物主義の破壊において貢献しているものと評価します。

神智学徒は、
心霊についての正しい知識と一定の理解を持ちますが、
必要以上にはその分野には関りを持ちません(それ以上の価値を認めず)。
344宝珠愚者@(規制代行):2013/02/09(土) 15:49:56.62 ID:FEzB2DHj
>>204
魂は同一(転生者)でも、
生まれ変わったパーソナリティーは異なります。
その意識(顕在意識)は表層意識であり、
転生毎に記憶が引き出せない状態となるように設定されているからです。

一般人は、
過去世の記憶を保持しながらまともな人生などは不可能で、とても生存できないからです。
社会システム的上の矛盾にあって感情的に対処できずず精神が崩壊します。
そのために、自然の摂理として安全弁が働くようにできています。
345神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:53:05.36 ID:gvkTgr1K
>>341
じゃあ余計に真実は仏典にないって解かりそうなもんだがなぁ
仏典をお勉強した→聖者になったと勘違いしてるんじゃない?
346神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:54:20.50 ID:K+fChNt3
>>342
いやいや、そんなことはいってない。

凡人にブッダの教えを判定することは不可能だと言ってるだけ。

そう、凡人にできるのはそのぐらいのこと。

それ以上したいなら、せめて神通ぐらいみせないと。

逆に凡人が仏教をその意識は合わせて判定するというのは、
狂人が医者の治療法を自分の認識に合わせて判定するようなもんだ。
347神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:55:46.20 ID:1DnIopGY
>>341
貴方には聖者と詐欺師を見分ける能力があると言い切れるか?
オウムもライフスペースも末端信者は麻原、高橋を聖者だと認識していた
348神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:57:42.70 ID:K+fChNt3
>>345
そんな勘違いしてたら、経典を用いることはしないっしょ。
オレチャンの言ってることを聞けとなる。

それともちろん修行もしてるよ。
だけど体験を妥当性の根拠にしたことはない。

まあ、分かんないと思うよ。アナタには。

ということで、話は止めとくね。
349神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:58:01.10 ID:gvkTgr1K
>>346
お前はどこまで盲信が過ぎてんだw
恐れ多くもさきの副将軍の言うことが凡人に理解できるはずなかろう!たわけが!
てなもんよw
お前は本当の馬鹿か?
350神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 15:58:44.98 ID:K+fChNt3
>>347
だからこそ経典によるわけで、オイラが就いてる師匠の説に依ってないんだけど
351神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:00:05.73 ID:R/GGKgaz
>>336
不落因果・不昧因果は、机氏のお気に入りの公案でして、
これは過去スレなどに詳しく氏の書き込みがしてありますね。

>これらの言葉は相互に矛盾してるんだよ、その答えを見つけるのがこの公案の主題
>それをどう解釈するのかが試されてるわけ

矛盾はしている。矛盾においてしか説明ができませんから。

>宿命論と結論したってことは当然その解釈が問われるが、その文章からじゃとても理解できんな

いや結論はしていない。

大王氏が、よく書き込みする「仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く(無分別の分別)」。
これですね。
「矛盾なき」をどう悟るか?
これしかないです。
352神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:01:07.41 ID:1DnIopGY
>>346
神通なんか信じたらダメだよ。
オウムは神通を見せていたの知ってるか?
どうやって見せていたかというと、
麻原にあわせる前に飲み物を渡す。
その飲み物に合成麻薬LSDを入れてあるんだ。
麻原と対面したときには麻薬でトンでいるってわけ。
これが種あかし。
戦前の大本教も神人帰一の儀式と言って薬物炊いて儀式してた疑惑がある
353神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:02:20.64 ID:gvkTgr1K
>>347
成程。>>348にとっての聖者は麻原、高橋と相違ないだろうな。
ここまで盲信が病的に進めば充分ありうるw
354神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:06:56.11 ID:31+Up+4C
>>345
どこの誰がそんなこと言ってんのさw

文字オンリーの電子掲示板では、同じく文字オンリーのテキストを扱うのが精一杯ってことだよ。
体験も、書き込まれた途端、(真には、当人から発話された途端)
文字化(言語化)されてんだぜ?
で、伝統的テキストは、(きっと、増補改編の歴史と言いたいのだろうがw)
風雪を超えてきた(追体験及びその言語化のせめぎ合いを透過してきた)と見做すのが、
系譜に連なる者或いは、(たとえ研究材料でしかなかったとしても)テキストに対して謙虚足ろうとする者
の姿勢だということ。

体験の主張し合いが、(特に2chなど電子掲示板において)いかなる様相を呈すかは、
他の様々なスレをみても明らかだと思うが?
(それこそ、麻原や大川高橋が雨後の筍の如く溢れかえってるわけでしょ?w
 だとしたら、そこでの交通整理はテキストに依るしかないでしょ? ということ。)
355神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:10:05.51 ID:K+fChNt3
>>352
はいはい、で常識が素晴らしいと

松本は最初っから水俣病の復讐のために毒ガスによる首都壊滅が狙いだったんだよ
そのためにヨーガも仏教も利用したもとより詐欺師、ただ最初はプラーナとか使えた
途中から使えなくなったんで切り替えた。それだけだ。
もともとヌーエイジだし我見で、日蓮宗の現代版みたいなものだよ。

だったら仏教は無視すればいいでしょう

これで止めとくね。

>>351
名無し机ですか?
356神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:10:45.27 ID:gvkTgr1K
>>354
いや、テキストはテキストとしてあっていい。
中身を吟味しろってことだ。
フカシ、嘘の吟味をしろっての。
盲信したいヤツは病気だからしょーがないとするわw
357神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:13:28.62 ID:31+Up+4C
今の流れは、ちょうど>>226を野狐禅的に曲解した流れなんだよなw
で、二人目の僧を、教条主義・盲信と批判する形。


どうして、たかが言語(テキスト)されど言語(テキスト)って匙加減ができないかねぇ・・。
電子掲示板という、テキストしか扱えない場所で「たかがテキスト!」のみを叫び、
「されど・・・」の点には目をつぶる。 どっちが狭量盲信かwって話だw
358神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:15:27.62 ID:31+Up+4C
>>356
吟味するから(吟味したから)、
宝珠・カラス・在家の引用の仕方、解釈(読み方)に釘を刺すんじゃないかw
359神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:16:08.70 ID:1DnIopGY
>>355
話通じないな
神通なんてのは信じる必要ない。
日本人の感覚でギリギリ許されるのは念仏で浄土へいけるくらいまでだ。
でもさ、法然も親鸞も本当に言いたいことは、
『念仏は無義をもって義とす』
なわけだよ。
おれはここまでにしとく
これ以上議論してもよくないと判断した
360神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:16:35.57 ID:K+fChNt3
>>357
そりゃ誰しも自分が正しいと思ってるから

その認識が間違ってるってのが仏教なんだけど、
それを認められる人は少ない

特に現代日本だと自分以外を信じるのは愚かだという信仰が結構流行してるから
361神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:17:49.19 ID:gvkTgr1K
>>357
だから、されどを視野に入れてるから吟味しろっての
インド人がフカシ体質てのを視野に入れろよなw
362322:2013/02/09(土) 16:19:42.01 ID:k6yQWU9T
>>327
>>334に追記しておきます。

ある人間がいて彼の人生において悟りを得る確率が(1/∞)とします。
人が輪廻する回数を∞とします。
(1/∞)×∞=1

仮に縁起を認めたとしても、最終的には決定論、宿命論となる。
「釈迦が久遠の過去より悟りを得ていた」
は、この宿命論の実例になってしまうと思ったわけです。
363中論のゲシュタルト 大滝秀治:2013/02/09(土) 16:21:31.23 ID:di6FmcB5
>>336
>これらの言葉は相互に矛盾してるんだよ、その答えを見つけるのがこの公案の主題

趙州さんやら至道無難さんらから、簡単に教えるな!と体罰を受けるかも分かりませんがw、
あまりにカッタルい話が続いてますので、サービスしときます。

これで掴める人は掴めるし、アカン奴はどー説いてもアカンから、ええねんw

                      中論のゲシュタルト(相即的様相)

<間接現実(分別:色)>        <直接現実(無分別:空)>        <還滅間接現実(無分別の分別:還滅色)>                                    
   
    ・心⇔仏                  非心非仏                  即心即仏 

    ・因⇔果               ★非因非果(不落因果)             ★即因即果(不昧因果)

    ・業⇔報                非業非報(不落業報)              即業即報(不昧業報)

    ・煩悩⇔菩提              非煩悩非菩提                  即煩悩即菩提

これは第一義空経(除俗数法:十二支縁起を排す→業報輪廻転生論を排す)と同趣旨です。

                         では、おきばりやす。
364神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:23:05.98 ID:gvkTgr1K
>>359
『念仏は無義をもって義とす』
俺もそう思うよ。極楽浄土もへったくれもない。
意味のない所に意味があるってことだね。
ただし、テキストに関しては内容を問うものだからこうはいかんよw
365神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:31:19.73 ID:31+Up+4C
>>361
だから、その吟味具合で立場が分かれ、
その吟味具合を、テキストをベースに、(勿論、その背後の体験が反映したものという前提で)、
言語によって、検討し合ってるんじゃないw
私と、今の貴方の対論者とも、その吟味の具合(“フカシ”具合への視線)は違うし、
隠居や三馬鹿トリオはもっと違うw

過去スレはその吟味の記録でもあるんだが、貴方はたぶん一度も覗いていないでしょ?
三日ぐらいROMってから出直してくるといいと思うよ。
366神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:33:17.28 ID:R/GGKgaz
>>355
>名無し机ですか?

わたしは机氏ではない。

机氏は、不落因果・不昧因果の公案は、最初の頃はよく理解できなかった。
と書き込みしてありましたね。

これが後ほど解釈できるようになったのは、転座教訓があったお陰。とか言ってました。
やはり公案は基礎が大事ですよね。

机氏は、このことを切っ掛けとして随分と謙虚になってきましたね。
やはり天狗になっていた自分を恥じたんでしょう?
人間は、こうやって・・・そして大人になっていく。

人生を、机氏に学んだような気がします。
367神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:39:58.69 ID:31+Up+4C
>>361
具体例を一つ挙げれば、
たとえば、私は「三世に跨る輪廻」には懐疑的だよ。貴方の対論者は違う。
だが、「(隠居的言い草としてのw)開祖が言ったから」ではなく、
『伝承(及び歴代の伝承者)に敬意を払った上での蓋然性』から来る態度ということだよ。
現代日本仏教及び近代仏教学は、科学的・常識的蓋然性からその立ち位置が定まっている。
単なる学問研究ならそれもいい。
が、道にあろうとするならば、それでは少々(というかかなりw)不遜なわけだ。
ミニサイズで考えるなら、伝統各宗派の教学だと見てもいい。
そういうときの態度としてあるべき誠実さをも、貴方(がた)は侮蔑するから、彼は異議を唱えているわけです。
368神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:40:32.05 ID:K+fChNt3
  念仏には無義をもつて義とす。不可称不可説不可思議の
  ゆゑにと仰せ候ひき。    (『歎異抄』第十章)

  「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の仰せごと
  にてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者
  のはからひは自力なれば、義といふなり。他力は、本願を
  信楽して往生必定なるゆゑに、さらに義なしとなり。
    (『親鸞聖人御消息』註釈版p.747)

義を親鸞上人は「はからい」と訓じてるそうなんで、これは無願と同じような意味ですね。

親鸞上人は、『浄土三部経』『浄土論』『浄土論註』『往生要集』『撰択集』と読んでくると分かるし、下のように縁起・空性・仮設、発心・誓願・廻向などインド仏教の基本的教えの枠組みで説かれてる。
https://ryogan.org/tools/shinshu/seiten/169.html

そのように読まずに現代人の常識から適当に読んでも全く分からない単なる妄想なんだは
369神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:42:29.37 ID:K+fChNt3
>>366
それは失礼しました。

しかし、机に学ぶとは奇特な方もいますね

それは騙されたとしか私には見えません
370神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:47:20.78 ID:wU50ALN3
>>351
ふむ、レス見返してきた。ある程度分かったよ
運命を受け入れるという意味での宿命論と解しているのかね
たしかにその面はあると思うわ
道元が物言わず枯れていく草木の一瞬の瑞々しさに仏性を見る宗風にもあっていると思うし。
不落因果・不昧因果の解題にも合っているね

だけど、俺としては悟りが原初に戻るもの、であるとするのはちがうと思うね
人間が長ずるつれて世の中の臭みに薫じられてしまうっていうのは理解できる
しかし、同時にそれは世の中の因果に通じることでもあると思う
道徳も意識せず無法に振舞うのではなく、道徳も意識せずかつ道徳に従う天真爛漫さ(自由奔放さとでも言おうか)をもつというのは
むしろ、身体に道徳を薫じることであって、修行が不可欠であると思うから。
無法に振舞う赤子に悟りを見るのだとすればそれは誤り。赤子の放埒な煩悩は悪業をつくり
躾がなされないなら、当然に悪果を受けることであろう
仏教の目的である不落因果とは因果をくらますことではなく、また単に受け入れることでもない
また単に因果に通じることでもない。その間にあるものだが、さりとてその間を微調整していくことでもない
簡単に言えば我をなしを受け入れることだが、それは一瞬の心の状態を言うのではなく、私をあきらめることだ。
私(因果)という前提を立てつつ、あきらめるということだと思う
371不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/09(土) 16:49:08.54 ID:5FKJ6C7K
>>362
> ある人間がいて彼の人生において悟りを得る確率が(1/∞)とします。
> 人が輪廻する回数を∞とします。
> (1/∞)×∞=1

高校数学として教えられる「極限」の発想では(でも)、これは間違いです。

1以外の定数に収束することもあれば、0になることもあるし、∞に発散することもある。

前者と後者の∞に向かう強度が同一とは限らず、そこが高校数字で学習する極限の特殊性だからです。
372神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 16:54:41.75 ID:gvkTgr1K
>>367
成程。インド人を侮蔑するなーですね。
インド人を侮蔑していません。
あるインド人がフカスならフカスインド人を侮蔑すればいいだけです。
373神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:03:39.61 ID:wU50ALN3
めんどくさいなあ
フカスような内容があるんなら、フカスような内容をもともと信じていた人たちがいたってことだろ
そのような人たちを導くために説かれた教えなんだから、それはそれで尊重すべきなんだよ
対機説法という言葉を知らんのか、八万四千の法蔵と言われるのは、八万四千(無数)の機根がいたからであって
我々は一人としてまったく同一の業をもたないから、それほど膨大になったにすぎん
自分に合う教法を見つければすむことで、わざわざ排斥しなきゃ気がすまんのなら、それはそれで
おまえに問題があると俺は思うぞ
374神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:04:19.15 ID:gvkTgr1K
念仏とはたとえ内容がドラえもんの歌でも効用は全く変わりません。
375神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:07:14.53 ID:wU50ALN3
変わるよ
376322:2013/02/09(土) 17:09:07.07 ID:k6yQWU9T
>>371
調べました。たしかにそのようですね。
いったん、この板を離れて頭を冷やします。
「釈迦が久遠の過去に悟りを得たとしても、それは宿命論とは言えない」
これが正しいようです。
377神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:13:37.64 ID:1DnIopGY
一念がすべてドラえもんの歌になったら、
ドラえもんの歌のような人になるだろうな
たしかにあの歌は本当の意味で他力本願だな
378神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:18:23.10 ID:R/GGKgaz
>>369
>しかし、机に学ぶとは奇特な方もいますね

机氏は、病気を切っ掛けとして仏教に関心を持った方ですから、
本来、宗教には縁のない方なんでしょうね。

現在、日経平均株価が上昇中ですから、株の売買で忙しいんじゃないですか?
机氏は、女でもなんでも飽きやすい性分ですから、今はもう宗教には殆ど関心がないのでしょうね?
それが机氏らしくて良いです。

君たちも、もう宗教のことは随分語り尽くしたのですから、もう良いんじゃないですか?

>それは騙されたとしか私には見えません

そうですかね?
縁起氏と机氏の中論談義は、どうもそうじゃない気がしますね。
どうしてか?というと、騙すような核心部分が、机氏は「無い」と書いてるんだから、
騙しようがないではないか?
 
379神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:30:47.37 ID:XiZipS1a
>>265 在家さん
>それでは四句分別というよりも、四句無分別=何も考えない=思考自殺、かと存じます。
>またカラスさんが指摘するように、生前に涅槃に入った釈尊がその後も生き続けたのは、思考自殺はしなかったということでしょうか

と、前に自分も考えていたけど、たとえばドミノが指によって倒されるとき、
ドミノは思考や分別によって倒れる、とは言わないよね
ただ、此れあれば彼れあり、の縁起に従ってるだけで

涅槃に入った釈尊もそのドミノのように、問いがあるとき、答えがあるという縁起に従っているだけで、
そこに思考や分別は無いってことなんじゃないかな?

もちろん、多くの人は「我」があると思うから、ドミノと人間は違うって前提で考えるけど
380神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:32:20.21 ID:R/GGKgaz
>>370
>ふむ、レス見返してきた。ある程度分かったよ

不落因果・不昧因果の公案は、
このスレで常時論題になってる「輪廻転生論」が全て解決する。

だから机氏は、輪廻転生論議の時は、不落因果・不昧因果の公案を書き込むんだよ。

禅宗において非常に重要な考案かと思うけどね。

野狐ばかりじゃ、机氏の書き込みは意味不明だろうよ(笑
381神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:33:35.43 ID:gvkTgr1K
>>373
成程。フカシを説得するためのフカシなんですね。
それが解かっていれば問題ありません。
また、フカシを尊重する必要性もありません。
それは過去の遺物であり、ドラえもんの歌です。
382神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:34:09.80 ID:k6yQWU9T
>>376に追記し、自分の誤りをはっきりとさせておきます。

人間がその人生で悟る確率(1/∞)だとして、
∞の部分をある関数とみなせば、
修行するということは、その関数を変えていくと考えることができます。

(1/f(n))×nにおいて、n → ∞ ならば、
f(n)によって、収束する値が異なる。0にもなり得る。

つまり、縁起が真ならば、
無縁起宿命論の末迦梨瞿舎利とは真っ向から対立するものとなります。
383神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:42:15.82 ID:wU50ALN3
>>380
ああ輪廻の話で机に反論されたことがあるけど、
彼は俺の言ったことを理解していなかった気がするな
彼は道徳に縛られるなと言っていたっけ
道徳に従うことが道徳に縛られることじゃないよ
イチローは無心にバットを振るが、そのスイングは一朝一夕につくられるものじゃない
輪廻が不要であるとするのは不落因果と同じで片手落ち

>>381
そうだね、まず君は自分のことを解決してから他人の心配をすればいいよ
384神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:44:33.95 ID:XiZipS1a
>>291 宝珠さん
>ウダーナ8:3は、(涅槃を)“覚知する”といっています
>涅槃における主体であれば、それは自性ということになる。

諸法無我ですよ〜。大智度論の三解脱門にも明解に説かれてるよ。

  『諸法』の『実相』とは、是れは、『涅槃の城』である。
  『城』には、『三門』が有り、『空』、『無相』、『無作』である。
  若し、『人』が、『空の門』に『入る!』のに、是の『空』を『得る!』ことがなく、
  亦た、『相』を、『取らなかった!』ならば、是の、『人』は、直ちに、
  『入った!』のであり、『事』は、『済んでいる!』が故に、『二門』は、『無用』である!
  若し、是の、『空の門』を『入る!』のに『相』を取って、是の『空』を、
  『得た!』ならば、是の、『人』には、『空の門』は、『門』でなかった!のであり、
  『道路』は、更に、『塞がった!』ままであるが、若し、『空の相』を、
  『除く!』ならば、是の時、『無相の門』より、『入る!』ことができる。

自性とか主体とか掴んだら、そりゃ涅槃じゃないって。
385神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:47:33.77 ID:1DnIopGY
原始仏典ですら釈迦の取り巻きのフカシも入ってるからな
386神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:50:55.50 ID:gvkTgr1K
>>383
そうだね。君は君が見出した通り自分のことをまず解決しなさいねw
387神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:53:53.89 ID:wU50ALN3
>>386
すまん、俺はもう解決しちまったから仏教に疑問なんてねんだわ
388神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:55:57.20 ID:R/GGKgaz
>>383
縁起氏と机氏の中論談義のとき、
机氏は熱心に「矛盾はないのか?」とつっこみしていた。
この中論の矛盾こそが、中論核心部分に迫るもので、
論議の切っ掛けになる。

これは大王氏の
「仏は矛盾なきを矛盾のうちに説く(無分別の分別)」。
これ↑に通じるもんで、
先ずここから中論談義を始めなければ進むことはできない。

わたしは、この談義を通して、机氏の「何を書きたいのか」。が
ハッキリ解明したよ。
ヒントはここにある。
389神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:56:35.43 ID:XiZipS1a
>>309
>けれども、我々の視点から述べる場合には自性と無自性の二項として述べるのです

うん、より厳密に言うと、言葉を用いるだけで二項の関係が出来てしまう。
自性と言っただけで、無自性って言葉が縁起で出てきちゃうから。

だから、仏の「二(xと非x)」という言葉は「不二(xではなく、非xでもない)」を表す、なんて言ったりもする。
まったく内容のない、それこそ空っぽの言葉で衆生を導くというのかな。
390神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:57:42.19 ID:gvkTgr1K
>>384
ノスタルジアの文かと思った。勢いといい内容といい
こりゃ病気説有力かもしれんね
391神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 17:58:13.46 ID:GhPwigik
釈迦自体人に合わせて話の中身を変えたからね
今の現代人に語れば全く違う内容になっただろう
まあ、そんなの当たり前のこととして議論してるんだろうけど
392神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:06:46.84 ID:wU50ALN3
環世界間移動能力はどうしたw
393神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:14:18.34 ID:XiZipS1a
>>390
ほとんど引用ですよ
394神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:19:57.50 ID:31+Up+4C
机は、こんなあからさまな自演をする人間とは流石に想わなかったんだけどなぁ・・・。


違うと言われて信じる人間は、よほど人間ができてるか御人好しなだけだと思うなw
395神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:21:49.14 ID:gvkTgr1K
>>393
成程。是があるから病気がある。
マッチングというか精神病と相性がいいんだろうね。
396神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:22:15.74 ID:31+Up+4C
ああ、これも、『テキストによって』『その背後に』机『を見出している』わけなんだなw

で、判断材料はテキストしかない、とwww
397神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:22:51.23 ID:wU50ALN3
>>388
うーん、矛盾して考えあぐねて疲れて何も考えなくなったのが悟りだと思うならそれはちがうよ
だったら、死ぬまで飯も食わずに座禅してればいいよ
398神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:24:08.79 ID:gvkTgr1K
>>392
それは何の誤爆だ?エスパーに興味があるのか?
399神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:27:21.70 ID:wU50ALN3
少しはググれよ
400神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 18:32:27.85 ID:gvkTgr1K
即身成仏ミイラを侮辱するなー
401神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:01:26.71 ID:GhPwigik
中論みたいに仏教を哲学するのが間違い
哲学にした時点で観念になりそれが真実だいや違うという論争が起きる
哲学にするが故に悟ったからとか知ってるから偉いんだという思い上がりが増える
自分が体得してないものをコピぺしてまくしたてる勘違いが生まれる
402神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:03:51.11 ID:R/GGKgaz
>>397
>うーん、矛盾して考えあぐねて疲れて何も考えなくなったのが悟りだと思うならそれはちがうよ

何が矛盾なのか?何が矛盾でないのか?これさえ分別できれば無分別は会得できる。
無分別の分別、のことだね。
しかし、何が矛盾なのか?は、あなたの書き込みを読んでみると、まるで分かってない。

大王氏は、そこのとこは分かっているから論理の整合性があって文意が一環している。

簡単なことだけど、論理的には無自性だから生起するはずはない。
生起するはずはないけど、矛盾でなければ説明つかないから矛盾で説明する。
これは、ほんの一例だけど、中論の骨子はこのように構成されてる。

「何も考えなくなったのが悟り」とは、あまりにも乱暴な論法ですね。
「悟る」とは、論理整合性に紙一枚も通らんくらいに全く狂いはないんだよ。

ではこれで落ちます。
403神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:10:03.95 ID:kdjniZ7R
>>391
>今の現代人に語れば全く違う内容になっただろう

その通り。釈迦が「現代に生きていたら、何を教えるか」を常に考えることが
必要。彼の「過去の」教えは、あくまで「当時の」知識と常識水準の人々に
対するものに過ぎない。

「無我」など間違っても言わないと思うし(笑われるだけ)、「一切皆苦」は、
「精神科行け」としか言わないだろうw。
404神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:15:49.70 ID:wU50ALN3
観念で終わるものではないね
さりとて何も考えないことでもない
なら修行すらする必要がないからね
与奪の義とか守破離とかに近いかもしれない
方便とはそういうものだから
背理法にも近いかな?
既存の概念を尊重しながら最終的にそれを無我と見てそこから離れる
はじめから無我とおくことはしない
方便が船にたとえられるのも、向こう岸につけば船は捨て物だから
わざわざ陸上で船をつかうことはしないだろう?
さりとて、船がなければそもそも岸を渡れない
以前、幽霊が幽霊以外の闇への恐怖を克服するための方便であると言ったがそのようなものだ
幽霊などいない。しかし、本来的に闇への恐怖というものはある
その表現しようのない闇が連想させる死の恐怖というものを幽霊という概念に封じ込める
そして、幽霊などいないと示すことによって、死の恐怖をも克服しようとするような方法なんだよ
405神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:19:24.52 ID:31+Up+4C
>>401
中論だけを見るからそうなるw

例えば、ジューサーミキサーを購入したとして、
機器の扱い方のマニュアルが中論、
どういった利用の仕方で調理ができるかという各種レシピが載っているのが他の論書、
と考えれば、中論のみという特殊性がわかるっしょw

聡明で料理が得意な人なら、その機械と取り扱い書を見ただけで、
様々なメニューを考え得るだろう。
だが、そうでない人は、「いったいこの機械でどのようなことができるのだろう?」
と戸惑うかもしれない。
そういう特殊な論書(詩偈)だと見なきゃw
406神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:23:09.26 ID:GhPwigik
宗教じゃなくて自己啓発でいんじゃね
宗教とか哲学という時点で俺は知ってるという見下し感が出る
神を知っている、悟ったからすべての人より上の存在だ

自己啓発ならすべてに感謝とか
そうなるんだな
407神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:27:15.01 ID:wU50ALN3
自己啓発じゃ絶対性に対する人間のどうしようもない無力感というものは感得できないな
自己啓発は主客をおくから、私はどこまでいっても変わらぬ私なんだよ
私にひっついている知識を増やすだけだから、私の無限拡大にすぎん
408神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:28:51.70 ID:31+Up+4C
>>407
で、いつまでたっても苦悩が止むことはない、とw
409神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:32:13.33 ID:kdjniZ7R
「無我」を求めて、果てしなく「我」にはまり込んでゆく釈迦カルトたちw。
410神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:33:17.73 ID:31+Up+4C
なんつーのかな、
隠居は勿論、宝珠やカラスも永遠に理解できないのかもしれんけど、
俺が俺が、私が私が、が、苦の原因なんだけどね・・。
結局彼らの言ってるのは、
『俺の涅槃』『私の涅槃』、『俺の真我』『私の真我』、『俺の自性』『私の自性』、なんだよね・・w ┐(´ー`)┌

この倒錯が解ると、百歩千歩前進なんだけどねぇ・・。
411神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:35:22.43 ID:GhPwigik
>自己啓発じゃ絶対性に対する人間のどうしようもない無力感というものは感得できないな
どうしようもない無力感なんて必要ないよ
412神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:39:14.91 ID:gvkTgr1K
>>410
随分成長したなw
413神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:39:38.90 ID:wU50ALN3
まあ、なんつーかどう表現していいか俺にも分からんのだよね
伝統的な譬喩はしっくりくるがしょせん譬喩だし
本当にあるのかって言われたときの証拠にならないからもどかしい
概念を、脱構築、みたいな一般的な言語にまとめてくれると分かりやすいはずなんだけど
そういうのってなんでもかんでも脱構築ってなってホント役にたたなくなるし陳腐化する
慣れちまうんだな
つーわけで、きっと俺にはおまえらを納得させられないよと
別に従えって言ってるわけじゃなし、勝手にすればいいのだけど
414神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 19:42:35.34 ID:31+Up+4C
>>412
そうかな?w

私は、2ch開始時から、一貫して同じことしか発言してきてないけど?
415カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/09(土) 20:00:16.26 ID:sWeVamTW
>>410
いつ俺が、俺が、俺が俺がが悟りだと言ったんだよ。俺は俺が、俺がではなく、
むしろこの忌々しい自我の滅こそ救いだといってんだよ。相も変わらず君は理解力がないね。
一生かかっても理解できないのは末法仏教の邪見に洗脳されてしまっている君らの方だよ。
真我思想も全く理解してないし。
416神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 20:01:59.21 ID:gvkTgr1K
>>414
成長止まってんじゃないか?w
417神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 20:06:33.57 ID:K+fChNt3
>>394
前もやってたじゃん

いきなり露払いの机ファンが出てきて、その後、机が出てくる
ID 一致してなかったか? そこら辺、よく覚えてないけど
418神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 20:09:34.02 ID:K+fChNt3
>>410
まあ、完全に悟るまで誰でもそんなもんだけど、
そうならないように意識するしないは結構でかいよね
419カラスの唄:2013/02/09(土) 20:33:11.53 ID:sWeVamTW
で、いよいよ末法仏教徒達は業報輪廻転生は永遠だという人もでてきたわけだ(苦笑)
業報輪廻転生の基体は、行いと結果という業だ。ではその業はなんに縁して生起してるわけ?
あれなければ、これもないぞ。これがゴータマの縁起の法だ。まさかこの宇宙は永遠だといいたいわけ?
ちゅうか一部のアホは言ってるようだが。君らは仏教徒を自称しながら、
仏教の基本中の基本。一切法無我。一切行無常すら理解してないじゃないか。
420神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 20:39:05.44 ID:wU50ALN3
いやまったく至らなくて申し訳ないっすね
でも、私なりの愛ですよ、バカがいるといっしょに踊りたくなるだろ
421前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 20:46:34.61 ID:WvdXC0l6
>>379
>>それでは四句分別というよりも、四句無分別=何も考えない=思考自殺、かと存じます。
>>またカラスさんが指摘するように、生前に涅槃に入った釈尊がその後も生き続けたのは、思考自殺はしなかったということでしょうか
>涅槃に入った釈尊もそのドミノのように、問いがあるとき、答えがあるという縁起に従っているだけで、
>そこに思考や分別は無いってことなんじゃないかな?

涅槃のことはよく分からないので、その一つ手前の「輪廻しない」を考えてみます。
スッタニパータというテキストを見ますと、パーラドヴァージャさんを始めとして10人近いの人達が「再び母体に宿ることはない」という境地に達しました。
つまり阿羅漢以上の境地でしょうか。四句無分別=何も考えない=思考自殺の境地かも知れません。

しかし、菩薩達や如来は必要があればまた輪廻して、再生してきます。
菩薩は「衆生済度」を常に忘れず、分別もあり、よく思考しておりますでしょう。

輪廻する必要のない者達の内で、また輪廻してくる者達には「方便力」があるからだとある方に伺いました。

四句分別は分かりにくいので、2辺によらない中道の方が衆生には分かり易いように思います。
分別=YES/NOは2項でデジタルですが、現象世界は2項で表現しにくいアナログが大変ですので。

(先の事例)前世の意識と現世の意識とは、同じでもなく異なるのでもない(不一不異)。
422前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 20:49:59.74 ID:WvdXC0l6
>>421
>分別=YES/NOは2項でデジタルですが、現象世界は2項で表現しにくいアナログが大変ですので。

誤:アナログが大変
正:アナログが大半
423神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 20:58:42.07 ID:K+fChNt3
>>421
>つまり阿羅漢以上の境地でしょうか。四句無分別=何も考えない=思考自殺の境地かも知れません。

何も考えない=思考自殺の境地という表現はあたりません。
それだと意図的に無理に考えないようにしているような凡人の我慢大会のようです。
そうでなく自然に知覚が鎮まった境地です。

>しかし、菩薩達や如来は必要があればまた輪廻して、再生してきます。

 少なくとも如来は輪廻しているのではなく、法身は戯論寂滅の境地にありながら、無数の化身を時間空間を超えて意図せずに化現させるので、
輪廻するのでも再生するのでもありません。

 『入中論』307頁以下、395頁以下

>四句分別は分かりにくいので、2辺によらない中道の方が衆生には分かり易いように思います。

 四句分別のいずれも取らない寂滅が中道ですよ。
 2辺のどちらでもないはバランスとか、中庸、あるいは非有非無というのは中道の誤解です。
 そのように何らかの判断をとっているのは中道ではなく、四句分別という論理判断、つまり、分別、戯論に他なりません。

 ここが分からないと仏教の基本が分からないでしょう。

 必ずなんらかの基体を設定することになります。
424神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 21:04:39.34 ID:31+Up+4C
>>415


読めてないねぇ・・。

 《貴方がたの言う○○が、貴方がたが自覚しようとしまいと、「私の○○」になっている》、
という実態を評しただけです。
『貴方が「 >俺が、俺が俺がが悟りだ 」と言った』なんて、一言も言ってませんよ?
被害妄想じゃないですか?w
425神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 21:06:38.58 ID:K+fChNt3
>>424
そういう人だから

確かオイラの方が付き合い長い
426神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 21:53:20.61 ID:aJA1GW0H
さて、本は読んだようだから日本で見れなかったら海外に行ってみましょうか?
日本でも見れますが。健康な人も悩み不健康な人も悩みます。
日本の宗教の悪いところは答えがありそうな展開で引っ張っていってオチが無いことですね
427神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 21:59:04.82 ID:1DnIopGY
オチがないから個の自由があるんだよ
それでも自由がないというならその人が臆病なだけ
428神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:04:23.05 ID:K+fChNt3
>>426
二年ぐらい行ってたよ〜

半年篭ったし
429神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:09:48.29 ID:aJA1GW0H
見てはいけないものを見ると目が変わるので見ないほうがいいかもしれないけど見たいよね
430カラスの唄:2013/02/09(土) 22:14:05.71 ID:sWeVamTW
>>423
だからよ。四句分別だろうがなんだろうが分別が寂滅すれば何にもないんだよ。
分別が無くなりゃそれは縁起すら成立しないぞ。そんなもの縁起で成り立っているこの現象世界の何処にあるんだよ。
結局お前らの大好きな中道はお前らの言語が作り出した妄想の中でしかねぇだろ。
なんでこんな簡単な道理がわからないのかな〜。
431神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:16:05.33 ID:1DnIopGY
自分だけが海外へ行き、または海外思想を学び文化を知った気になってやがる
これをお上りさんという
432神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:19:06.31 ID:1DnIopGY
日本で悩みが生まれて、海外に旅行したら気分が晴れた。
ここまでなら善いことだ。
なら二度と悩みが生まれないようにその海外の土地に根を下ろして暮らしてみろ
悩みはすぐ生まれるから(笑)
433前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 22:19:45.26 ID:WvdXC0l6
>>423 オイラ氏
>そうでなく自然に知覚が鎮まった境地です。
>四句分別のいずれも取らない寂滅が中道ですよ。

確かに知覚が鎮まれば二句も四句も分別はしないでしょうね。

>少なくとも如来は輪廻しているのではなく、法身は戯論寂滅の境地にありながら、無数の化身を時間空間を超えて意図せずに化現させるので、
>輪廻するのでも再生するのでもありません。

例えば、法身(大日如来)は戯論寂滅の境地にありながら、無数の化身(報身の観世音菩薩、応身の釈尊)を時間空間を超えて意図せずに化現させる、というのであれば分かり易いですね。
こういう世俗の言葉で評釈していただければ異教でも理解が深まります。 合掌
434前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 22:25:43.91 ID:WvdXC0l6
>>433
私事で恐縮ですが、仏界交信「浄土への道標」の後編(昭和56年〜61年)で、奈良薬師、一畑薬師、多田薬師、青野薬師、等々大勢の薬師如来が来訪されて理解が困難でした。
法身(薬師如来)は戯論寂滅の境地にありながら、無数の化身(分身)を化現させる、というのであれば一応すっきりと説明できます。
435神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:31:38.22 ID:31+Up+4C
>>431-432
道元やら空海やらは?
彼等も、そのまま中国に骨を埋めるべきだった?
436前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 22:36:06.28 ID:WvdXC0l6
>>434
>奈良薬師、一畑薬師、多田薬師、青野薬師、等々大勢の薬師如来が来訪されて理解が困難でした。
他には山代薬師、満願寺薬師、勝持寺薬師。。

観音様も石山観音、甚目寺観音、笠寺観音、白子観音と多数ご来訪(祖父の寝言の中でお話いただく)。
その他にも赤坂虚空蔵菩薩、平井不動明王と私の知らない仏様のみ名も多数。
このような不可思議な縁起もチベットやビルマでは起こっているのでしょうか。
437カラスの唄:2013/02/09(土) 22:37:43.84 ID:sWeVamTW
>>424
読めてないのはお前のほうだろ。俺は単純な実体論を話してるんじゃないと言ってるんだよ。
ま、邪悪な君らはなんとか単純な実体論を話してる者とレッテルを貼りたいようだけどな。その方が
カラスの話しは仏教と違うと反論しやすいからな。ちなみにゴータマさんは自我とは
執着するべきもない実体の無い幻だと説いたが、その自我を通して法を語ったんだよ。その
自我が真理を知らなければ、法も語れないよな。言ってる意味わかる?言葉遊びや
詭弁を極めるのが悟りじゃねぇぞ。言ってる意味わかる?
438神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:39:49.45 ID:kgKG/1t6
カラスがアートマンの設定と梵網経を確認してくれますように。
439神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:45:15.86 ID:WXzbdOR3
分別を捨てたら社会生活など送れるはずがない。
釈迦の悟りとは真理などではなく、都合よく不都合な感情のみ制御するテクニックに過ぎない
440承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/09(土) 22:49:27.77 ID:gGzTIStJ
「自我が真理を悟らなければ法も語れない」

(^。^;)うわぁ。(笑)
441神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:51:54.43 ID:kgKG/1t6
誰々の心相続はあと××回、輪廻転生をしたら耐用年数が切れて崩壊する
と説く大乗仏教の論者がいたら教えてください。
442神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 22:56:49.40 ID:K+fChNt3
>>441
そりゃ六師外道の一人の説に近い
大乗論師でそんな人いないよ

いても論師とは認められない単なる邪見者でしょ
443神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:06:09.53 ID:kgKG/1t6
「ほ〜ら、いつまでも崩壊しないなら永遠なる自性(アートマン)だろうが」
とドヤ顔するカラスの姿が目に浮かぶ。
444前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/09(土) 23:08:31.24 ID:WvdXC0l6
>>436
(昭和五十七年五月一日) 一畑薬師如来のお話
「私は一畑薬師でございます。元は日本からみえた三人のお寺さんに守られて、百済から奈良に行くため、舟にのって浜田港につく予定だったのが、
途中嵐にあい難船して一畑近くの赤浦海岸に打ち上げられたのを、信心深い与一に拾われたのである。
百済では薬心寺というお寺に祀られていた。分身を残して日本の奈良に向かうのが海岸に打ち上げられた。」

(昭和五十八年九月三日) 赤坂虚空蔵菩薩のお話
「金生山で昔は立派な道があって、お参りが絶えなかった。こんな高いところから衆生済度するのは私くらいや。下におりたくもない。
昔はここは海の底やった。私は百済から来た。赤坂の庄屋の佐兵衛という人が山の上にお堂を建て、その娘が堂守をしてくれた。
その頃は遠くからみんながお参りに来てくれた。ここから眺めると、伊勢湾も一望に見られる。ずっと向こうに見えるのが鳥羽で、
あちらが伊勢です。昔はずっと女の人が堂守をしてくれた。」

以上はご来訪された仏様のお話の一例ですが、仏教スレの住人の方の中で信憑性を確認できるかたは一報いただければ有難いです。
(個人的な体験は話しても仕方がないのが普通ですが、不明な点が他力にて検証されれば、お互いに有益とも思います。)
445神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:08:35.84 ID:oLkGVXlN
>>415
自我はないほうが良いんだろうか(自我の認識に自信がないけど)
この世界、自分に不満を持ち、改善を求め知恵を求める、
知恵が深まると逆にこの世界の完全さに驚き、あるがままで良いと思い
自分の意欲も消える  こんな妄想をしました

しかしこの世界はより高い次元から見ると変化が必要であり(人間の認識能力
では決して到達できないけど)仮に神と呼ばれるものは変化を求め人間を、
自我を生んだ。だからこの自我の初期の衝動こそが、その変化の徴(しるし)
であり、一周して結局それを大切にしなければならないのかも?
全部根拠のない妄想ですが今日考えてた事とタイムリーだったもんで(^_^.)
446神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:10:59.96 ID:31+Up+4C
>>438
つか、
宝珠もカラスも、
「自分たちが、どっぷりと“デカルトの幻影に絡めとられてる”」
ことを自覚しないと話にならないと思う。
447神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:15:59.06 ID:oLkGVXlN
>>426
本願であるがゆえにw
で終わっちゃう法然のこと?(わしは読んでないけどね)
他の人も言ってたけど答えがあったらまずいんでは?
諸行無常で自然法爾でリバティーシティーだし(´・ω・`)
448神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:22:25.61 ID:1DnIopGY
>>435
その二人、とくに道元は中国でむちゃくちゃ苦労していますが
海外旅行感覚とはまるで違います
449神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:26:35.45 ID:31+Up+4C
>>448
何、対論中の彼が観光で海外(Tib)行ったと思ってたの?w
450神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:36:25.24 ID:+6KBsvPr
>>437
自分も分かってるとは思わないけど、さすがにそれはないでしょう

自我が無いと法が語れない?
それは、ドミノには自我が無いから、押されても倒れないと言っているようなものなんだけど
451神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:43:26.61 ID:+6KBsvPr
カラスさん、漢文や専門用語で誤魔化してるとか、レッテル貼ってるだけとか言うけど、
本当に漢文で誤魔化してるかどうかっていう検証を誤魔化して、
レッテル貼りしてるっていうレッテルを貼ってるように見えるんだけど

本当に誤魔化しかどうかを見極めるためには、その漢文の意味が分かる必要があるでしょ
452:2013/02/09(土) 23:43:41.57 ID:31+Up+4C
一日二僧あり。
一は瓦を摩して曰く、「箇の瓦片を鏡とせむ」、
一は銅を摩して曰く、「箇の銅板を鏡とせむ」、
門前の小僧曰く、「我、市中にて鏡を買い求めん」 と。

諸大コに諮詢す、
二僧に過ありやなしや?小僧に仏道ありやなしや?


晩に於いて首座に挙似す。
座曰く、「失。汝等、鏡もて何かせん」。
453余興:2013/02/09(土) 23:53:06.18 ID:31+Up+4C
>>452


後に異人訪来して曰く、
「諸人、悉く過てり。求むべきは鏡に非ず、用うべきは銅に非ず瓦に非ず。
神託を標に金剛を求むべし。諸伝既に初を失す。新たに明かされし標こそ原初なり。」と。
小僧悄然たり。二僧疑義せり。
首座独り呵呵大笑して曰く、「金剛もて何かせん。試みに示せ、神託、標何れの処にかある」 と。
454神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 23:56:01.23 ID:TCo/+E5A
>>241
都市伝説です
脇尊者も
禅宗に興味があるなら正法眼蔵を読んで
宗教に興味を持ってくださいな
455カラスの唄:2013/02/09(土) 23:58:49.25 ID:sWeVamTW
>>440
行為に自性はないなどとチンプンカンプンなことぬかしてるカスは黙ってろよ。
それをいうなら法だろ。真理は一つだから行きつつあると行くという二つの法は同時にはあり得ないと、
竜樹のカスは詭弁論を抜かしてんだよ。で、悟りとは無我だから自我がそれを悟るなんてありえないってか?
そういうのを糞の役にも立たない下らない言葉遊びだってんだよ。
無我を自我が悟るから、この二元世界で無我思想を語れんだろうが。こちとらおまえや、おまえのお仲間の
ように下らない言葉遊びの悟りごっこをやってんじゃねぇんだよ。
雑魚はしゃしゃり出てくるな。行為に自性はないなんて言ってることがアホすぎる。
456神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:01:56.02 ID:bHPzUShI
>>430
>分別が無くなりゃそれは縁起すら成立しないぞ。

厳密には、涅槃に入ると諸々の因縁を受けない。だから、不受とも言われる。

>そんなもの縁起で成り立っているこの現象世界の何処にあるんだよ。

涅槃は有や存在ではないよ。四句のあらゆる見解を離れた境地。
この境地自体は、縁起によるものではない。無為であって、滅ぶことのないもの。
それも仮に言葉にすると、輪廻があるとき涅槃があるっていう縁起によってるけど。
457承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/10(日) 00:07:00.59 ID:HFLHRLuD
(^。^)おい、お前ら。俺の仲間扱いされてるぞ?(笑)
458前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/10(日) 00:11:24.63 ID:7f14SVBa
仏教は不変のアートマン、形而学上のアートマン、他から依存しない(自性の)アートマンは認めておりませんが、行為のより所のアートマンは認めておりますでしょう。
釈尊も「自己を島(洲、燈明)とせよ」と遺されましたので。中国で「無我」と訳したのが縁で誤解が起こったようですね。
459神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:12:44.37 ID:v5jEIjpy
>>450
末法仏教徒は悟りを開いた後のゴータマさんには
自我が無くなったとでも思ってんじゃねぇの(苦笑)
460神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:18:24.19 ID:sr2tsapg
>>382において、
この宇宙が因縁生起で人は業を背負い続けるのであれば、
無限の輪廻≠宿命論と気づいた者です。
(無縁無因なら、無限の輪廻=宿命論が成り立つ)
人間は今生でそれを知覚することはできないが、
死の間際にいる人間にはその教義と念仏は、大いに救いになるかもしれません。
どうせ不可知なのだから、受け入れても構わないかという気になりますね。

因縁生起の宇宙の法則を神そのものとみなせば…。
案外、キリスト教とも融合可能かもしれない。
461神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:18:35.61 ID:pjKtFeTq
>>455


行為には自性があるの?(´・ω・`)?


>で、悟りとは無我だから自我がそれを悟るなんてありえないってか?
そうじゃなくてwwwww (^^;

どうしてそう“デカルト的に”考えるかなぁ・・w

行為のみが存在していていいじゃんw
事象のみが存在していていいじゃんw
人は五蘊仮和合の存在でいいじゃんw
 (そこに、諸条件によって“自我”が顕現していてどんな不都合があるのでしょう?)

私たちは「風が吹く」と言います。(主語+動詞です)
が、そこに、「主体、自性、本体、実体としての真風」があるわけではありません。
単に、便宜上・文法的要請上・環境把握のための分別上、
【或る事象を「風」として抽出している】だけです。
世俗的には、「“風”が吹く」し「“風”は存在します」。
が、勝義に於いては、そこに、或る縁の集積による事象が生じているだけです。
そしてそれは、人間存在でも同じなのです。
少なくとも、お釈迦様はそのように見做したのです。(ですから、弟子達はそれに倣ったのです。)
だから、そのように見做さないのであれば、それは『仏教(お釈迦様の教え)ではない』
という、実に単純なお話なのです。
462神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:28:52.41 ID:diSUmGxt
>>452

852 :地獄の一丁目:2013/02/06(水) 15:13:43.08 ID:IfeDeXCR
>>833
>二僧に過ありやなしや?

>>827
<(還滅)間接現実>       <直接現実>    *中論の相即的様相だよ〜〜んw
★即心即仏         ★非心非仏
即因即果(不昧因果)    非因非果(不落因果)
即業即報(不昧業報)    非業非報(不落業報)
★即煩悩即菩提       ★非煩悩非菩提

瓦・銅(煩悩・心)⇔鏡(仏・菩提)の分別そのものが問題。

>「我、市中にて鏡を買い求めん」小僧に仏道ありやなしや?

「即心是仏とは、発心・修行・菩提・涅槃の諸仏なり。
いまだ発心・修行・菩提・涅槃せざるは即心是仏にあらず」(道元 正法眼蔵 即心是仏より)
463神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:36:33.38 ID:pjKtFeTq
>>459
>>461


>>458
隠居と同じ論法かw

その「我」はまさに、貴方が前文で述べた
>不変のアートマン、形而学上のアートマン、他から依存しない(自性の)アートマン
じゃないですかw

同音語を用いているのは、貴方の大好きなw阿含経典(パーリ(≒プラークリット))でも同じですよ?



>>462
言わんとすることは判らないでもないが、室内的には三十棒かなw

つか、今回貼ったのは453用で、だしwww
464神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:39:43.68 ID:pjKtFeTq
そういえば、隠居から大法輪2月号の話が出ないなw
465神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:41:38.78 ID:lpwQDss4
>>458
>行為のより所のアートマンは認めておりますでしょう

知覚できるものは、アートマンと呼ばれるものでも、基本的に有為法として認められるだろうね
知覚って言っても、聖者の知覚も入るけど

一方で、知覚されてないアートマンとか神的なものの実在を、仏教では考えない
466神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 00:59:05.48 ID:a7fbpP0V
まあ、仏教の言うことわけわからん、と言うのはわかる。
しかしなぜ釈迦を自分と同じ側の人間で、理解できる、共感できる思想の持ち主のはずだ、
と考えるのだろう。
467神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:04:10.89 ID:8aJykPYW
>>466
人間だから
468神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:07:03.50 ID:pjKtFeTq
>>466
それは、どちらの立場への批判?

・ゴータマ・シッダッタもまた人であり、「神通などの超能力や、輪廻転生などはありえない」とする
 近現代常識での再解釈に対する批判。 →自分たちとは違う超人であった可能性を留保する

・ゴータマ・シッダッタに始まる、各種伝承(教え)は、
 「当時の人々に対して有効、理解可能であったのであり、現代人がそのまま理解できる筈がない」
 という、古代と現代を峻別すべき、という批判。 →>>331>>333等にあるような“フカシ”を考慮しろ、と。

それとも両方?
469神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:13:01.26 ID:ItbOurUf
>>449
うれしそうですね
あなたは人格に問題があります
470神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:14:33.75 ID:pjKtFeTq
>>469
kwsk
471神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:40:11.10 ID:NYzMn3fB
>>345
なかなか鋭い良いことを言うなぁ(感心)

>>384
「諸法無我」の諸法(一切法)とは“現象界に限定された法”のことです。
つまりは「有為(法)」なのです。この一切法へ勝手に無為(法)である涅槃をも含めたのが部派なのです。
『大智度論』も部派影響下にあった仏典(の内容)を元にしていますから、
その誤解部分がそのまま継承されているということ。

---以上で論決
472神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:54:23.20 ID:diSUmGxt
>>463
>「金剛もて何かせん。試みに示せ、神託、標何れの処にかある」 と。

首座さんに、空海さんにも同じ質問―「遍照金剛何れの処にかある」と聴いといて言うといてんかw
473神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 01:58:51.43 ID:pjKtFeTq
>>471
それって、貴方の思い込みでしかないじゃないw
状況証拠すら揃わないでしょ?

>この一切法へ勝手に無為(法)である涅槃をも含めたのが

『現象界』云々は、水野さんの意訳だというの判ってる?
つまり、Aという原語があって、「あ」と訳した人が居たとする。
そのときの「あ」が、「ア」を含むか含まないかは別問題。

で、「別世界にある」などと言われてはいないわけです。(ここが、貴方の最大の捏造部分ですw)
一切法はあくまでも一切法なわけです。


>>472

「金剛」に深い意味はないよw
おっぺけぺーでもAKBでも黄金でもトレカでもエリエールティシューでも何でもいいよ。
474神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 02:29:32.45 ID:a7fbpP0V
>>468
下。
475前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/10(日) 06:05:04.16 ID:7f14SVBa
>>473
>で、「別世界にある」などと言われてはいないわけです。(ここが、貴方の最大の捏造部分ですw)
>一切法はあくまでも一切法なわけです。

「一切」という言葉は要注意ですね。空性であればコンテキストによって意味が変わります。

釈尊が「一切皆苦」というテキストで使われた場合は「一切=有為」でしょうか。
苦の無い境地の「如来=無為」まで「一切」に含めると、「涅槃で如来が苦しんでいる」ことになり論理矛盾が生じます。

同様に「諸行」という言葉も「諸行無常」というテキストで使われた場合は「諸行=有為」でしょうか。
寂滅の境地の「涅槃=無為」まで「諸行」に含めると、「涅槃が変化している(寂滅していない)」ことになり論理矛盾が生じます。
476前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/10(日) 06:16:48.93 ID:7f14SVBa
>>473
>で、「別世界にある」などと言われてはいないわけです。(ここが、貴方の最大の捏造部分ですw)
>一切法はあくまでも一切法なわけです。

「一切」という言葉は要注意ですね。空性であればコンテキストによって意味が変わります。

釈尊が「一切皆苦」というテキストで使われた場合は「一切=有為」でしょうか。
苦の無い境地の「如来=無為」まで「一切」に含めると、「涅槃で如来が苦しんでいる」ことになり論理矛盾が生じます。

同様に「諸行」という言葉も「諸行無常」というテキストで使われた場合は「諸行=有為」でしょうか。
寂滅の境地の「涅槃=無為」まで「諸行」に含めると、「涅槃が変化している(寂滅していない)」ことになり論理矛盾が生じます。

>>475
過去ログでも度々申しましたし、度々ご反論もいただきましたが、まだ腑に落ちていないのです。
何人か対話しました仏教徒の中にも同じ見解の方々もおられましたし。

兎に角、世俗の真理表と第一義の真理表とは異なるそうですので、世俗の真理表で「真」でも第一義の真理表では「偽」となり、その逆もあり得ます。
釈尊が衆生に説かれた真理表に基づいて話せば議論も生じないでしょう。
また修行完成に近い弟子達に説いた真理表(龍樹が中論として整理)は日常生活には何ら役に立たないそうですので、持ち上げて誇示する必要もないかと存じます。

この板の議論を見ますと、異なる真理表を持った住人同士が言い争っているようで、化城の夢ならぬ、化板の夢でしょうか。
477神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 06:35:59.38 ID:bCgOxz5w
>>475
うん、そうだと思う。
その論法でいくなら、涅槃が諸法に含まれないなら、
涅槃という、苦しみからの解脱の法を説くことができないという矛盾が生じると思うよ

一切は有為で、有為なるものは苦しい、ここで止まってしまう
478神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 07:09:22.37 ID:ZYIjVvoV
「疑う余地のない命題に対して反論しようとする者には、『馬鹿げている』と言うだけでよいだろう。つまり答えるのではなく、正気づけてやるのだ」(四九五)。黒田亘訳「確実性の問題」『全集9』大修館書店、1975、124頁
479神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 08:22:22.21 ID:LdlPDygw
一切皆苦、自分だけ悟って違うと言うのは
自分だけ他者に優越しようという傲慢な観念だよ
一切は空とかだって
殺人は空なのか?という現実面がわかってないウソ
んで、完成に近い弟子にしか説かなかったというw
オウム、とか十字軍、キリスト教の植民地争奪、イスラムのテロなんかも
結局同類で同じ理屈で動いているんだよね
480神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 08:29:26.92 ID:pjKtFeTq
>>477>>475
仏教 議論スレッド 24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318753042/400
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318753042/403
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318753042/407
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318753042/409
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318753042/417
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/psy/1318753042/444

444 前世は一在家 ◆2o6x38TRbE 2011/10/22(土) 23:02:24.82 ID:gfliXXnE
>> 417
>境地としての涅槃及びその延長での法身といったものはsaNkhataでないから、上記sabbeの中に入らない。
後付で除いたのでなく、「もともと外れている」だけ。もともと外してある上で「一切(sabbe saNKhArA)」と言われている。

涅槃や法身は「一切」に含まれていないということで、理解しました。
丁寧な解説を有難うございました。


 ーーーーーーー
このときも言葉だけで挨拶しといて、全く理解してなかったってことだな。
んと、下衆野郎だな・・・ ( ゚听)、
481SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 09:15:19.15 ID:/1EnhPI2
同じ事を言うのに、汚らしい言葉、怒りを含んだ言葉で言うと、自分自身が汚れる。

同じ事を言うのに、美しい言葉、穏やかな言葉で語ると、自分自身が清まる。

同じ人生を歩むならば、自分自身を清める人生を歩む方が勝れている。

ある人は天界へと赴くが、ある者は地獄へと堕ちるからである。

***
482神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:24:46.07 ID:diSUmGxt
>>476
>苦の無い境地の「如来=無為」

仏法のセンスがないナンセンスなお方は無為という妄想に捉われる。
無為があるという妄想で、一切に含まれるか否かなんて噴飯モノの問いだ。
男が子宮癌にならない対策を考えるに等しい。
超越心霊主義者が無批判なテキスト主義をやると馬鹿になる典型だ。

アビダルマでは、無為法は実在のものであって自性がある実体だと規定する。
先ずこの命題の証明からやるべきだろう。
483神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:30:31.58 ID:diSUmGxt
>>481

あんたは、突っ込まれるとだんまりを決め込んで、
ほとぼりが冷めたコロに、またまたよく似たナンセンスを垂れ流す。

このパターンが定着したねw
484神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:35:24.33 ID:ZYIjVvoV
>>482
で、それについてアナタはどう考えるのでしょう?
485神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:38:58.35 ID:diSUmGxt
>>478
>疑う余地のない命題

およそ疑いを許されない権威や命題は一切存在しない。

疑う余地のない命題を安易に設定するものは、
頭が悪いか精神が弱いかのいずれかである。

この両者からの解放が仏法だ。
486神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:39:07.90 ID:LdlPDygw
>無為法は実在のものであって自性がある実体だと規定する
翻訳すると「休日に何もしないでぼーと過ごす」こうだろう
487神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:41:13.14 ID:diSUmGxt
>>484
>で、それについてアナタはどう考えるのでしょう?

男に子宮があるという証明はできない。
488神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:41:56.18 ID:ZYIjVvoV
>>485
そう断定する根拠はなんですか?
489神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:43:29.67 ID:ZYIjVvoV
>>487
なるほど、その根拠は?
490神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:49:11.40 ID:diSUmGxt
>>488
>そう断定する根拠はなんですか?

「庭前の柏樹子」(趙州和尚)

>>489
>なるほど、その根拠は?

「庭前の柏樹子」(趙州和尚)
491神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:50:53.89 ID:ZYIjVvoV
なんだ、遊びか
492神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 10:58:42.39 ID:diSUmGxt
今日はいい天気。

遊びをせんとや生まれけむ

戯れせんとや生まれけむw

外で鬼ごっこして遊びませう
493神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:02:15.96 ID:LdlPDygw
「庭前の柏樹子」

現代日本になおすと
うちは庭がないから「バルコニーの空の植木鉢」となるかな
494神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:04:11.24 ID:ZYIjVvoV
禅の公案が根拠ってどうしようもないと思うけどな〜

だって公案って戯論破壊のネタでしょ

それぞれの状況に応じた破壊があって、そのネタの宝庫なんだけど、
それを真実として固定的に捉えたらどうしようもない

だからこそ『碧巌録』とかでは固定的に掴まないような評を入れてると思う

まあ、伝統に連ならないものの感想なんだけど、そこらへんどうなのよ、セブン
495神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:16:17.61 ID:LdlPDygw
公案は試験だったという
今でいえば筆記試験・実技試験とかあるけど
如何に言葉にとらわれていないかを図るモノサシだからああなった
一見見てもっともだと言う答えは失格ということになるw
496神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:17:39.68 ID:ZYIjVvoV
>>495
それは後の形骸化したものだと思うよ
497神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:24:22.07 ID:pjKtFeTq
>>494
その通りと思うよ。
親子的にネタが連鎖していくのは、禅家の言辞の特徴の一つだし、
それも、4人兄弟なら4通り生じることもある。で、個々人の個性もあるし、
それぞれがそれぞれとして正解であるわけだけど、
やっぱり、系譜という縛りや、その“繋がり具合”で、シチュエーションの別で、(その場その場での)適不適が出る。
その微妙なニュアンスの相違を示す必要があるとき、
或る一つの筋道でネタの流れを示したいとき、
誤読可能性を潰したい時、野狐誕生を恐れるとき、
評唱や偈を添えることになるし、それが所謂、元ネタ以降の語録となる。孫公案となる。

勿論、解ってるか解ってないかは重要で、その確認のためでもあるけれど。
(白隠の著作・語録は、その色合いが強いんじゃないかな?)

また、賞賛の一途として偈や評を添えるということもある。
ただ、みんな捻くれてるからwけちょんけちょんに貶す表現で、というのが多いけど。
(俺ならこう言うのに・・、○○和尚は解ってないなw( ̄ー ̄)ニヤリ と。
 だから、真贋鑑定が難しいw 褒めているのか、真に叱咤しているのかの見究めがね。
 野狐跋扈の原因でもある。 )
498神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:25:23.85 ID:diSUmGxt
>>494
>禅の公案が根拠ってどうしようもないと思うけどな〜
>それを真実として固定的に捉えたらどうしようもない

あんたもダメねえw
固定的仏教の自己批判ならエライ。

ヒント:「庭前の柏樹子」も名称です。


さて商量続行!

遊びにいってきやーすw
499神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:35:44.86 ID:ZYIjVvoV
>>497
だよね

だから印可を得た師匠から公案を与えられて戯論寂滅した、見性した時、
印可を与えられるわけで

つまり師弟間の信頼関係の中で、ギリギリの戯論とその破壊がせめぎ合う、
その破壊の杖として使う時に有効なんで

オレチャン分かってるぜって、ネットで使うんじゃ、それは戯論を掴んでるってことになって滑稽極まりないと思うです

その点、鬼和尚は立派だと思うです。そんなみっともないことしないから
500神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:43:28.53 ID:pjKtFeTq
>>499
必ずしも、連続した或いは密接な或いは事実上の師弟関係でなくてもいいけどね。
評判を聞いて、「どれ、一つ試みてやろう」とか「是非、一言いただきたい!」
とかで訪ね合うこともよくあるし。
ただ、真剣勝負の力比べだというのは必須要素と思うけどw
501神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:43:31.85 ID:LdlPDygw
>>499
それは仏教すべてに言えることだね
釈迦も人、状況に合わせて違う内容を語ったし
禅者も人、状況に合わせて公案を使う
 殴ったりする公案もあったわけで
502神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:48:19.81 ID:ZYIjVvoV
>>500
そうですな。ダメだと住職変わるんだっけ?

>>501
まあ、そうだけど。公案と戒律とか菩提心、六ハラミツなどは違うと思うよ〜
503神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 11:59:07.91 ID:pjKtFeTq
>>502
いつの時代を念頭にしてるの?

つか、結果そうなった事例はあるかもだけど、
基本、いつの時代でも、そんなことないと思うよw 普通は続投。
504神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 12:03:32.06 ID:ZYIjVvoV
>>503
すまん。蒟蒻問答を真に受けただけ
505神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 12:25:12.10 ID:pjKtFeTq
ああ、>>500の>訪ね合う も、そう言ったら
中国唐(・宋)時代限定とも言えるかw
少なくとも、近代に於いては
(山を背負った師家や師家分上なり応分の和尚が教を乞うたり道場破りの如きをすることは)ないだろうね・・。
近代日本なら漂泊の禅者が辛うじてその種の人とは言えるのかな・・。


>>504
了解。
506神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 14:15:15.80 ID:diSUmGxt
お〜い、誰か『柏樹子の話に賊機有り』って家よ

ホント、ツマンネw
507神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 14:35:05.26 ID:ItbOurUf
宝徹禅師が団扇を使っているところに僧が来て問うた。
「風の性は常に変わることがなく、
何処にも残すところなくゆきわたっている。
であるのに、何故和尚はさらに団扇を使うのですか?」

師は言った。
「オマエはただ風の性は変わることがないと知っていても、
いまだ残すところなくゆきわたっているという道理を知らない」と。

僧は言う
「残すところなくゆきわたっているという道理とはどういうことですか?」

そのとき、師は風の性のままに団扇を使うだけであった。
僧は納得し礼をした
508神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 14:43:32.32 ID:ItbOurUf
>>507を道元禅師が注釈

仏法が保つあるがままの在り方とはこのようである。
仏法が伝わり活かされる道はこのようである。
風の性は常に変わらぬ性だから団扇を使ってはいけない、
団扇を使わないでも風を感じるべきなどと言うのは、
不変、普遍ということの意味をも知らず、
風の性は自分自身の性であることをわかっていないのである。
風の性は不変普遍だからこそ、
仏法の風は大地に黄金の豊かさを現わさせて、
ガンジス河の恵みと、乳酪のような大きな恵みをもたらしたのである
509前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/10(日) 14:45:17.36 ID:7f14SVBa
>>480
>>涅槃や法身は「一切」に含まれていないということで、理解しました。
>>丁寧な解説を有難うございました。
> ーーーーーーー
>このときも言葉だけで挨拶しといて、全く理解してなかったってことだな。
>んと、下衆野郎だな・・・ ( ゚听)、

それは貴兄の誤解ですよ。
同じ質問が出てきたので、これまでいただいた見解の中から妥当と記憶したものを提示しました。
私は過去ログをうまく蓄積して検索することをしておりませんのであしからず。
同じような回答を貴兄とある仏典研究者から(別板で)頂戴しております。

次回は「一切」には「如来、法身、涅槃などの無為」は含まないとコメントしておきましょう。
510神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 14:59:37.07 ID:R7iHdZnU
とんちのほとんどはイカサマ+逆説
511神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 15:29:09.26 ID:pjKtFeTq
>>509
誤解ねぇ・・・。

>>480(リンク先)を了解或いは受容していれば、
 >>475>寂滅の境地の「涅槃=無為」まで「諸行」に含めると、
     >「涅槃が変化している(寂滅していない)」ことになり論理矛盾が
     >苦の無い境地の「如来=無為」まで「一切」に含めると、
     >「涅槃が変化している(寂滅していない)」ことになり論理矛盾が

なんて台詞が出てくる筈ないんだがな・・・(怒

また、おそらく、そのように考えてしまうことへの対処から
 >「一切皆苦」というテキストで使われた場合 に於ける別立てとして涅槃寂静が加えられたのだろうし。(推測)
512神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 15:30:18.62 ID:ItbOurUf
「存在は縁起によって生じるのではない
存在は縁起そのものである」
たしかにそうだが、このままでは、
風の性は変わることがないと知っているだけのこと。
「オマエはオマエの団扇をどう使うんだよ!!!」
ってとこまで来ないと仏教には救いも悟りもないよ
513神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 15:35:37.70 ID:pjKtFeTq
宙舟(そらふね)かよw
514カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 15:51:53.83 ID:J/xR191i
>>461
???またちんぷんかんぷんなレスが帰ってきた。
行為に自性がないから去ることはできないなどとちんぷんかんぷん
なことを抜かしてきたのは承狂とかいう雑魚なんだが。>>161
だからお前はアホだって教えてあげたんだよ。
515神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 15:58:18.68 ID:ItbOurUf
宙舟とは?
516神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:06:38.17 ID:j1Ym0oHi
中島みゆき「漕いでゆけ」?
517カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 16:10:03.67 ID:J/xR191i
>>475
いいこと言うね。仏教は一切皆苦なのに、末法仏教徒達は
一切の中で涅槃を探していると俺も随分前に指摘した。
ウダーナの話は単純に、生じないもの、生成しないもの、作られないもの、
形成されないものがあるからこそ、生じたもの、生成したもの、作られたもの、
形成されたものが、(そのような状況から)脱し、離れることができると、
当たり前のことが書いてあるだけなのに、中論教に洗脳されたキチガイ達に
書かれたものを素直に読まないで曲解してこれは中道の話だとなる。
とにかくこいつらにかかれば書いてあることを素直に読まず、自分達の都合の
悪いことは全てお得意の曲解に曲解を重ね、自分の都合のいいように
解釈してそれが正しいことにしてしまう。禅宗なんかよ、定説をとんち(詭弁)
で、正反対の意味にしてこれが悟りだと悦に入っている程度の低いものだ。
その代表格が業報輪廻転生などない。ついには涅槃など無いと抜かしてくる。
こいつらと、危険な放射能を、詭弁で安全無害にしてしまう原発の御用学者らとは
同じ穴の狢だろ。こいつらのやってることはただ、詭弁を極めているだけなんだよ。
518SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 16:18:06.01 ID:/1EnhPI2
作られたものから解脱することは、容易ではない。人々(衆生)は、作られたものに翻弄され、顛倒しており、苦に安住し、作られざるものの実在を覚知しないからである。

ニルヴァーナは、虚妄ならざるものである。正法によって、正法の通りに解脱した覚者だけがその真実を知っている。

ニルヴァーナは、無上の楽しみである。ここに至れた苦悩がない。ここに至れば憂いがない。

こころある人が、聖求によってニルヴァーナを求める。求めればこそ、ニルヴァーナに達する機縁を生じる。

***
519神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:25:16.12 ID:R7iHdZnU
日本には割りと悪とか欲とか「悪い」とされるものが無くなってるので
人の欲望が作るもの・させるものを見たかったら禁止していないところに行くしかないです。
520SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 16:31:24.44 ID:/1EnhPI2
天界の住人でも、皆、苦に安住している。けだし、苦はまさかのところにあるからである。

苦の真実を見極めた人は、同時に苦の解決を見い出す。これが苦諦に他ならない。

***
521神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:31:29.56 ID:pjKtFeTq
>>517


>生じないもの、生成しないもの、作られないもの、形成されないものがあるからこそ

そう、「ある」んですよw
問題は、《“どのように”「ある」か》なのです。
こここそが、他の様々な思想哲学、神学、宗教と決定的に違う点なのですよ。

この“どのように”を吟味することなく、のほほんと
 「ある」じゃんw
と思うことが顛倒妄想に他ならず、釈尊以来一貫しているポイントなのです。
522カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 16:33:21.24 ID:J/xR191i
まぁ仏教は唯物論者や詭弁の得意な詐欺師達等の悪人達から
正法を守る為に、彼らを隔離する為に用意された宗教だから仕方ない
といえば仕方ない。ここの末法仏教徒をみてもわかるように
彼らに正法をそのまま与えれば、彼らの都合のいいように内容を変えられて
しまうのが落ちだからね。仏教は、待機説法。方便。無記等々、詭弁家達に対する
餌が周到に用意されている。前にも書いたが、アーリア系インド人の
社会では廃れ、現代種の代表格である白人種社会では全く普及せず、無神論者
の人種の社会、アジアで広く普及したところが非常に興味深い。
あえて詭弁家達に自分の都合のいいようになんとでも解釈できるような書き方で
教えを残しているが、選ばれた人達が迷わないように、エゴで捻じ曲げず
書かれていることを素直に読める人にとっては、書かれていること内容自体は間違い
では無いところが巧妙ではある。
523神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:36:34.86 ID:R7iHdZnU
さすが何でも食うやつだな
524カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 16:36:56.60 ID:J/xR191i
>>521
そこで君らお得意の中道ってわけだろうが、その中道ってのは
どこにあるんだと聞いてんだよ。たく、妄想全開なのはどっちのほうだが。
525カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 16:41:56.68 ID:J/xR191i
比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。「一切」とは、
比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、
鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、身体と身体に接触されるもの、
心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。
誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、それは結局、
言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、その主張を説明できず、
病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。

(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)

たく、これのどこをどう読めばゴータマは一切外のことは認めない立場だったとなるのやら。
この文言を素直に読めば、一切外の領域は我々の知識領域を超えているといっているだけの
話としか思えないんだがね。
526神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:43:50.47 ID:pjKtFeTq
>>524


私は他の方と違ってw、
「修行に於ける苦楽の中道」以外に、それほど意味を付与しませんけどね・・。
得意ではありませんよ? 寧ろ不得手ですw
527神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:45:06.04 ID:pjKtFeTq
>>525
いやいやw
貴方の読みの方が、奇抜で愉快だと思いますよw (´∀`)b
528SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 16:45:19.05 ID:/1EnhPI2
人は、一切ならざるものによって覚るのではない。

人は、一切によって真理を覚知し、一切を縁として解脱して、一切の苦悩を終滅せしめるのである。

これが覚りの真実に他ならない。

***
529神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:48:35.48 ID:R7iHdZnU
とりあえず分からないものをそれと区別してよく見て理解して乗り越えるのみ。
それからさっとったから俺はお前よりすごいとか思うのは悟りではない
530カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 16:49:02.98 ID:J/xR191i
前にも書いたが漢字ってのは面白いよね。
東洋の文字記号なんだが、実は非常にキリスト教的でもある。
何度も書いたがたとえば、耳と口と王と書いて、聖。
人が二つ、内に閉じ込められて、肉。鬼が伝わるのが魂。
そして、「一」を切り多に分けたのが、一切。まだまだあるけど、面白いね。
531神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 16:53:27.16 ID:ZYIjVvoV
>>525
釈尊はその一切以外のアートマン(本質)も認めないぞ
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html
532カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 16:59:15.52 ID:J/xR191i
>>526
>「修行に於ける苦楽の中道」以外に、それほど意味を付与しませんけどね・・。

中道とは本来そういう意味だけどな。しかしここは常連の僧侶二人がなぜか名無しで
議論に参加してくるきあらややこしい。

>>527
アホか、はじめから無いなら、普通にそんなものは無いから彼は説明できない
と話せばすむ話だろ。サンユッタ・ニカーヤ 33.1.の話はあくまで、一切外の話は
知識領域を超えたものなので、言葉では説明できないといってるだけだろうが。
そんなものは無いなどと、どこに書いてんだよ。
533カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 17:04:17.10 ID:J/xR191i
>>531
アートマン=自性は、俺もあるとはいっていないぞ。
ただ在るともとれるし、無いとも取れるものだと言っている。
多くの聖者は、大衆にはわかりやすいように、在るという立場で
教えを広め、ゴータマさんは、どちらかというと無いというスタンスで
教えを残した。それだけの違い。それこそ自性の性質とは中庸だからね。
君らの大好きな中道だ。
534カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 17:13:42.85 ID:J/xR191i
ちなみに真我と呼ばれるものは、縁起=無自性=空ととなえるなら、
明確に自性のない無自性な空だ。竜樹の中論の相互依存の縁起は、あくまで
言葉の性質を言っているものに過ぎない。相互依存の縁起はロゴスを理解して
初めて生きる。現象世界だけで、全ては相互依存の縁起で成り立っていると
考えるのは単なる妄想である。当たり前だ。この世の中で男を全て抹殺してもただちに
女が消滅するわけじゃないからね。子供でもわかる道理だ。
535神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 17:17:25.69 ID:sr2tsapg
仏教において重要なのは因縁生起か、無因無縁かというところでしょう。
輪廻転生については見えないので凡夫には『わからない』ということでしょう。
ただ、基督教が無条件に神を信じよと説くのと同じく、
因果応報の六道の輪廻の宇宙論を無条件で信じるべきと主張するのも分かる気がしてきた。
仏教も宗教なので。
それに、因果応報だけでは、解脱への動機が弱くなるのかもしれない。
覚者には、解脱するか、輪廻にとどまるかコントロール可能なのかもしれないが。
536brown:2013/02/10(日) 17:20:01.23 ID:QmPx1b4f
そこはねえ,ちょっと難しいところなんですが,
涅槃や無為,空性も一応,一切に含まれるんですよ。
一切はほんとに一切,全部です。

一切(無我)=有為(無常)+無為(常)
      =十二処(五境,法境,五根,意根)
      =十八界(五境,法境,五根,六識)
有為=五蘊
無為=法境に含まれ,概念や涅槃,空性,解脱などが含まれる。

例えば,「三角形」という概念は,あえて言えば,概念として存在する
訳ですが,存在するとも存在しないとも言えない微妙な存在ですね。
三角形の実例というか,三角形の物は実在しますが,正確に三角形では
有り得ず,そこまで正確に考えると,真に「三角形の物」は存在しないですね。
概念というのは全てこんな調子で,突き詰めていくと消えてしまうような,
しかしだからといって「無い」とは言えず,必ずしも厳密に言わないので
あればやっぱりあるような,そういうものです。
そういうあり方をした概念,がそういうあり方で在るといった感じでしょう。
それは作られたものではなく,よって無常でないと分類されています。
時間変化しませんからね。人為的ではなく,概念的に,物質世界から超絶
して存在しているイメージなのでしょう。存在しているといっても,物体的に
あるわけではなく,概念的に存在していると人間が仮定したものなのですが。
だから,人為的でないといっても,ちょっと人為的ですね。
その意味で,常だけど,無我となりますね。人間が関わってはじめて,
存在が認識される訳です。
537535:2013/02/10(日) 17:21:43.93 ID:sr2tsapg
最近、この板に書き込む内に、
仏教の説く因果応報の六道輪廻の宇宙論を受け入れられるようになってきた。
真実かどうかはわからないが、受け入れ、信じてもいいかなという感じです。

まあ、私のような凡夫は、死ぬときにどんな夢を見て死にたいかというところです。
最後の審判まで、うす暗い場所で延々と神の審判を待つ宇宙を信じて死ぬよりも、
法螺だとしても、バカバカしいほどスケールのでかい仏教の宇宙を信じた方が、
愉快な夢が見れそうだということです。
538神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 17:22:21.49 ID:R7iHdZnU
数学的には浮動小数点演算じゃなくて浮動単位演算だと割り切れる
539神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 17:26:04.96 ID:ZYIjVvoV
>>533
中道は中庸っていう意味じゃない。

ある判断に対して知覚は以下の四つの認識パターンを採る

  x,非x,x且つ非x,非{x且つ非x}

今の君の言い方に当てはめると、

  有る、無い、有り且つ無い、有るでも無いでもない

これらの判断形式全てを鎮めたものを中道という
凡人には理解できない戯論寂滅の境地への導きと、その境地の表現になってる

で、君は正に第三形式「在るともとれるし、無いとも取れるものだ」
これは単純に神秘主義でよくわからない状態みたいなもんだろ
鈴木大拙の「即非」西田幾多郎の「絶対矛盾の自己同一」とかが代表

で、釈尊はそのような判断形式も掴みで解脱をもたらさないと『梵網経』で明解に説かれてる。

一切以外の実在もない。君の説くことは平凡で単純な表象/実在解釈のヴァリエーションに過ぎないんだって

それを認めないで神秘的結婚が仏教だとか言ってたら仏教には一生入れないんだは
540カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 17:35:49.41 ID:J/xR191i
>>539
はいはい。君の大好きな四句分別の話か。四句分別だろうが、なんだろうが
単純に分別がなくなればそこに残る(残るという表現は正確ではないが)
のはなんなんだよという話をしてんだよ。相手の話の真意をつかまず揚げ足ばかり
とる人には真理を掴む智慧はさずからんぞ。で、創造主の話だが、
じゃぁその分別をしたものはなんなんだよという話をしてるんだよ。俺は単純な
人格神の話をしてるんじゃないぞ。
541神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 17:43:20.74 ID:ZYIjVvoV
>>540

>単純に分別がなくなればそこに残る(残るという表現は正確ではないが)
>のはなんなんだよという話をしてんだよ

そういう残ったとか、何かが残るはずたという発想が解脱してないってのが仏教
それを端的に示してるのが『梵網経』

単語でいえばそういう発想を我見とか有身見という。

西洋ではアルケー、第一原因といわれてきたもの
現代的には以下のライプニッツの問いがそれに相当する
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%BD%95%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%81%E4%BD%95%E3%81%8B%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B

>で、創造主の話だが、
>じゃぁその分別をしたものはなんなんだよという話をしてるんだよ。俺は単純な
>人格神の話をしてるんじゃないぞ。

おんなじことだよ。それが何かと知覚されるような状態では解脱ではないというのが仏教なんだって

君こそ人の話を全く読んでないだろw
542神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 17:52:29.76 ID:R7iHdZnU
知る者は死ぬので伝えないといけないんですが伝え方が問題です
543カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/10(日) 17:53:15.08 ID:J/xR191i
>>541
だから何かが残るとか言ってねぇだろうが。
言葉遊びを極めるのが悟りじゃねぇぞ。とりあえず落ち。
544神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 18:26:31.27 ID:ItbOurUf
『言う者は知らず 知る者は言わず』老子

仏教ではないですが、皆様この老子の言葉はどう思いますか?
545神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 18:32:51.41 ID:R7iHdZnU
食い物に毒入れられたくなかったら黙っとけというお話
546神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 18:35:14.18 ID:pjKtFeTq
>>532


だから、読めてない、と言うのです。
仏典の記述の癖(≒インド的叙述の癖)くらいそろそろ解りませんか?

>普通にそんなものは無いから彼は説明できないと話せばすむ
『それだけだと、アレコレ理由をつける者がいるから』、その理由の芽を摘んでいるわけです。
わざわざ冗長に、多様に、重ねて、言い換えて、「見出せないでしょう?」と念を押してるわけです。
ウダーナ8もそうです。指月ではありませんが、
そのものズバリを(言語で、一語で)指し示すことができないゆえに、幾層も言葉が重ねられるわけです。
(ここを、「良久する」という行為・在り様で、或いは、一瞬の密な連携連想による一語で代替してきたのが
禅の系譜と言うこともできます。余談ですが。)
また、(少なくとも引用部分からは)、釈尊は、一切外についての自分の意見は述べていない。
ただ、他者が《それ》を語ろう・示そうとした際には、その根拠もツールも無い筈だから、と言うわけです。
これは、他者に根拠やツールが無いだけではありません。釈尊にも無いのです。
無いから、説かないのです。提示や説明の根拠やツールがないから、ただラベルのみを言うしかないわけです。
そしてそれが「アートマン」「ブラフマン」なのです。

こんなに単純明快で、無駄なくシンプルに示されているのに、どうして理解できないのかなぁ・・
という疑問を、貴方方には禁じ得ないわけです。
547神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 18:37:38.71 ID:pjKtFeTq
カラスはサンジャヤの弟子か?wwwww
548パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/10(日) 18:40:01.22 ID:4m1BU9MT
>こんなに単純明快で、無駄なくシンプルに示されているのに、どうして理解できないのかなぁ・・
>という疑問を、貴方方には禁じ得ないわけです。

バカだからだよ。w
549SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 18:45:16.56 ID:/1EnhPI2
>>544
真理も、真理ならざるものも、人の口から語られたものは言語表現されたものである。

いとも聡明な人が、正しく語られた理法の言葉を耳にして、正しい信仰を起こし、実践し、功徳を積んで、ついにこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達する。

人は、言葉によって覚りの機縁を生じ、言葉を縁として解脱する。

言語表現の限界を知った上で、こころある人は言葉を見事に使いこなす人であれ。

***
550神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 18:58:52.58 ID:L6Ap5nq+
>>541
その引用記事において、「ある・ない」について多くの人々が大真面目に
論じているがが、「生きている人間にとって」という大前提がすっぽりと抜けている。
死ねば思考は不可能である。
551神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:01:25.98 ID:L6Ap5nq+
>>550の続き

「人間にとって」、物が「有る」とは、その生命の維持に直接の影響を及ぼす
対象というだけの話。そして人間は、その「ある・ない(実在・非実在)」を、
(必要な場合には観測装置を使って)その五感の知覚によってのみ判断する。
552神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:08:08.21 ID:L6Ap5nq+
釈迦も「有る(実在する)」食物を食わなければ生きられなかったし、腐った
実在の食物を食べたために死んだ。釈迦も「己の我」がなければ、「無我」を
説くことは出来なかったw。

「ある・ない」についての無駄でアホらしい議論は、いい加減で止めよう。人
類が、その発生以来今日まで、どのようにして生存してきたかを考えれば、答
えは自明である。
553神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:08:23.49 ID:pjKtFeTq
>>550
隠居キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
554神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:09:31.67 ID:pjKtFeTq
>>551
>「人間にとって」、物が「有る」とは

今はね、『物』についての話題じゃないの。 また今度来てね。


あ、可哀想だから、少し質問しといてあげるけど、
貴方にとっては、「物」以外は「ない」の?
無いとしたら、どうやって生きてるの?
どうやってコミュニケートしてるの?
貴方にとって、他者の考えってのは「存在しない」の?
貴方の周りの人物は皆人形なの?
貴方には記憶や思い出はないの?未来将来の予想はないの?
それとも、それらみんな『物』なの? (´・ω・`)
555パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/10(日) 19:14:01.88 ID:4m1BU9MT
アホキタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
556神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:14:10.32 ID:L6Ap5nq+
>>554
バカですか。それらもすべて「物」である「人間の肉体」から「のみ」生じている
のだがw。
557神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:22:06.55 ID:L6Ap5nq+
Why is there something rather than nothing?

この「疑問」も、「物」である「人間の肉体」のみから生じる。
558SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 19:37:22.88 ID:/1EnhPI2
物質的な形態があるゆえに、苦悩がある。

形態(rupa)作用を滅したならば、一切の苦悩が終滅する。

一切の苦悩が終滅した解脱者は、二度と物質的形態に戻ることがない。

***
559神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:44:45.44 ID:L6Ap5nq+
>>558
>形態(rupa)作用を滅したならば、一切の苦悩が終滅する。

釈迦の「形態の作用」が滅すれば、「無我」も説けななったw。
560神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:55:48.81 ID:R7iHdZnU
100年前の人が今のようにいわゆるパソコンとかテレビとか
電気電話その他もろもろを想像できたでしょうか?
そんで、ぼくらは100年後を想像できますか?

ぐらい急に変わったと思います。
561前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/10(日) 19:58:57.62 ID:7f14SVBa
>>558 :SRKWブッダ
>物質的な形態があるゆえに、苦悩がある。
>形態(rupa)作用を滅したならば、一切の苦悩が終滅する。

貴兄も形態有→苦脳有、形態滅→苦脳滅と相互依存性でなく、因果の法で話しておられます。

苦脳有/無→形態有/無、は世俗では理にかなわず、これを第一義だと言うのでは何でもありになるでしょう。
562神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:59:17.47 ID:LdlPDygw
あるないって自我や世界がなくなるわけないじゃんw

釈迦がないっていたのは、執着とか所有欲、思いがないとかだろ
但し、ないだけじゃだめだと言ってるが
563神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 19:59:24.48 ID:R7iHdZnU
おそらく条件がそろったので一気に変わった、と思われます。
今が標準でここから始まるのとは違うと思います。
ですが、過去の状況を知って理解するのも大事だと思います。
564神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:04:02.51 ID:L6Ap5nq+
釈迦の「己の我を以って無我を説く」「一切皆苦を説いて人生を楽しむ」という
滑稽な矛盾に気付いて、批判した、当時の人はいなかったのだろうか?

現代なら、小学生にでも分る初歩的論理矛盾なのだが。単なる基地外としか言えない。
565SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 20:07:27.24 ID:/1EnhPI2
もろもろの如来が、正しく理法を語っても、それを理解するものと、理解できないものとがある。また、曲解するものもある。

理法を正しく理解し、実践する修行者が、ついに解脱してニルヴァーナに到達する。

覚りは、各自のことがらなのである。

***
566神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:07:44.16 ID:ZNZmaLIy
>>564
その解釈は間違いだと、幼稚園児にも分かるように懇切丁寧に何度も解説されたのに、理解できなくて同じことを繰り返す痴呆老人には言われたくないなw
567神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:10:58.51 ID:pjKtFeTq
>>557
「速度」は? 「動き」は?
物(肉体)から生じていればよいのなら、「概念」も「思想」も「物」ということになりますね。
つまり、各種思想や宗教の教義もまた「物」であり『ある』ということです。
貴方の普段の言動と齟齬を生じてますがよいのですか?w
568神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:11:49.15 ID:LdlPDygw
>>564
土台のヒンズーなんかはそんな教えだろう
数学では天才だし、あるなし論は好きで天性だった
日本ではちょっととなるけどねw
569神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:16:20.43 ID:pjKtFeTq
>>567
あ、「物」であるとは言ってないのね。
では、「物から生じているもの」と「物から生じていないもの」との峻別基準はどこに?
愛や友情も「物(肉体)から生じていて、ある」んですよね?
喜びや悲しみも、ですね? 来年度の社員旅行の計画も、ですね?
今後の経営方針も、ですね? 思考も、ですね? 意識も、ですね? 心も、ですね?
さて、このような手法で広げていったとき、「物から生じていないもの」なんて見つけられるんでしょうかね?
570神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:16:48.70 ID:R7iHdZnU
あまり確定的に教えられず、かつおおよそ確かで広範囲の知識があると
まあ妥当な判断が出来ると思います。
571SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 20:26:33.97 ID:/1EnhPI2
>>569
空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、無相にまつわって起こる煩いは、物から生じたものではない煩いである。

これらは、それぞれ順次。空に住することができるが、無相についての空住は瞑想によって達成することはできない。

***
572神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:31:47.09 ID:ohoQqbhz
ありのままにおもうのでもなく、誤っておもうのでもなく、おもいがないのでもなく、おもいを消滅したのでもない。
このように理解したものの形態は消滅する。けだし、ひろがりの意識はおもいにもとづいておこるからである。

だったかなスッタニパータの中村訳は。

「ひろがりの意識」
573神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:37:04.94 ID:ZYIjVvoV
>>543
>だから何かが残るとか言ってねぇだろうが。

じゃ、以下は何?

>>540
>単純に分別がなくなればそこに残る(残るという表現は正確ではないが)
>のはなんなんだよという話をしてんだよ。

「なんなんだよ」って言ってるよね。

「残る」って記号もその意味もどうでもいい、そういう限定が無くても
「なんなんだよ」って何かを想定してること、それは何らかの知覚や実在を
四句分別の中で捉えているもので、明らかに『梵網経』の六十二見で捉えられるものなんだよ。

 君の言う「言葉遊び」ってのは要するに自分が分からない話だろ。
 もちろん仏教は「言葉遊び」ではない。行することが重要だ。

 だけどここでは言葉しかないでしょ。テキストと論理。それだけだ。
 それで妥当性を言うことができないなら黙るしかない。

 言葉では負けるけど、オレチャンは真理を知ってるってのはおかしい。
 ちょっとでも三昧に入れるようになると集中力がつくから論理が乱れなくなるんだよ。
 まして真理を知ってるような人なら言葉でも負けるはずがないと確信する。

 自分の能力を知って、本当の仏教を知ろうと努力するか、もうここで語るのは止めるかどっちかにした方が自分のためだと思うよ。
574神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:45:23.55 ID:ZYIjVvoV
>>572
>「ひろがりの意識」

それ多分原語はパパンチャ、戯論だと思う。

本来、「ひろがる」という意味。

何が広がるのかというと、抽象的な概念や意味。

xとして言葉の抽象性を持たせることでxは把握されるから、分別する時、
知覚する時、意識する時、戯論がいる。

だけど、xという言葉からいろいろ妄想が「ひろが」っていく、
だから妄想力、想像力、抽象付加作用みたいなもの。
575神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 20:56:38.75 ID:LdlPDygw
>>572
何も思わず無心に物事をなせという意味でしょ
心理学でいうと思わないでようとするとますます考えて想いでいいぱいになる
んで、おもいがないのでもなくとも忠告している
妄想をなくせつうことか
576神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 21:15:37.90 ID:ohoQqbhz
>>572
今確認したら、「ありのままに想う者でもなく、、、(以下も想う者)」だった
ここでいう「ひろがりの意識」はネガティブなものとは限らず、そのあり方を問うているのだと理解している。私は。
「ありのままに想う者でもなく、、、」はどれも個を主体としたものであるが、そうではないどこにも何ものにも縛られない「ひろがりの意識」といった
577SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 21:22:37.95 ID:/1EnhPI2
ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。

具体的には、たとえば(久松真一氏の)基本的公案を通過し、さらに因縁がある人は、これによって形態(rupa)が消滅する。これは、識別作用の終滅である。

***
578神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 21:47:39.23 ID:pjKtFeTq
>>576
その読みは無理じゃない?

前段は《「>おもい」の放下(の推奨)》であり、《「>ひろがりの意識」が「>おもい」にもとづいて起こる》なら、
《「>おもい」を放下すれば「>ひろがりの意識」が止む》のであり、それが推奨されている、
という全体の構成にならないか?
ここでは、明らかにネガティブな評価がされているように見えるけど。
579神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 22:24:10.44 ID:LdlPDygw
結局、両手を叩いたときにどっちの手から音が鳴るか
という非論理性なんだよね
まともに考えるなつうこと
無心にやれとw
580SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/10(日) 22:28:34.03 ID:/1EnhPI2
公案で覚ることはできない。

ただし、公案が観(=止観)として成立した場合に限り、一つの解脱の方法となる。

***
581神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:00:13.16 ID:lJDRD4vf
>>567
>つまり、各種思想や宗教の教義もまた「物」であり『ある』ということです

宗教の最大の欠陥は、その根源が「肉体」という「物」であることを、忘却している
こと。だから、「無我」などという勘違いが生じる。

「無我」って、「イナイ、イナイ、イナイ、バー」と同じw。それを大真面目に
信じ込んでいるのが、赤子以下の釈迦カルトたち。
582神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:29:29.91 ID:pjKtFeTq
>>581
相変わらず接続詞の使い方が不適切ですねw
583神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:33:35.04 ID:vwmxxh7E
現実の重要度を落とすためのツールが空なんだろう
思い通りにならない現実から逃避するための倒錯した精神的勝利法といっていいだろう
584神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:35:03.96 ID:pjKtFeTq
>>583
逃避しなければ思い通りになるの?(´・ω・`)
585神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:49:56.71 ID:lJDRD4vf
>>582
英語にそのまま訳せば100%意味が通じますが、何か?

日本人の表現は、英語に訳せない非論理的な文章が多すぎ。
586神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:55:42.06 ID:lJDRD4vf
>>584
何事も「思い通りに」したいのは、釈迦の幼児的な、未熟な心理。共生の本質
に、思い至っていない。

共生においては、他者が存在するから、「思い通りにならない」のは当然である
ことを理解するのが「悟り」であろう。
587神も仏も名無しさん:2013/02/10(日) 23:58:54.90 ID:pjKtFeTq
>>585

そういう問題じゃないんだがwww

「A。だから、B」と言うときは、
・AがBを導き出している ・AがBの理由・原因になっている ・Aである場合、必然的に・自動的にBである
ようなときに適切な使い方と思うが、>>581は、そのようなAとBの関係が無いじゃないですかw
AとBが無関係なのに、どうして「だから」が使用できるのでしょう?
 *(仏教以外の思想を見渡せば、寧ろ逆で、
  >その根源が「肉体」という「物」であることを、忘却している
  >だから、 非現実的「我」「真我」などというものを想定する
  というのが、(貴方的なw)宗教学的分析じゃないですか?)
588神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:06:30.87 ID:tzZ0T/0K
>>586
そういう問題じゃないからwww

>「思い通りにならない」のは当然である から、人はどうしたらいいわけ?w
隠居はいつも、そういう解決策の指標にすら触れずに、お題目だけを叫ぶよね。
解決法の一種(たとえば、「トゲが刺さっているなら抜きましょう」)を提示しているのが仏教なわけです。
で、貴方の(代替)手法は、
刺さったトゲをそのままにして(・・・苦・痛みを生存のためのツール・必要悪として温存して)
他の楽しいこと、別の快感・快楽・愉悦によって紛らわすという方法なわけです。
589神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:07:22.87 ID:QKDMkuj9
>>587
「釈迦は、己が肉体であることを忘却していた。だから(therefore)、「無我」
などという勘違いをした」w。
590神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:11:22.34 ID:BywujFYw
586さんは宗教なしでたくましく生きていけるな
591神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:15:04.61 ID:tzZ0T/0K
>>589
>己が肉体であることを忘却していた

いやいやいやいやw
身体制御の戒めが星の数ほど説かれてるんですけど。
そもそも禅定は、肉体の調整に他ならないんですけど。
肉体維持のための、托鉢やら経行やらなんですけど。
この肉体を離れて、何かがあるというのが妄想だと誡められてるんですけど。
この肉体しか用い得ないから、この肉体でもって行じ、この肉体でもって悟りを涅槃を証するのじゃないですか。
大般涅槃経の荷車の台詞くらい知りませんか?


いつもながら、ホント、テキトーなことばっかり言いますよねぇ・・・(^^;
592神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:15:59.92 ID:QKDMkuj9
>>588
>「思い通りにならない」のは当然である から、人はどうしたらいいわけ?w

他我(他者)を考慮して我慢する。それが大人。釈迦は駄々っ子の幼児。苦労知らずに
育ったから、自己中心から離脱できない。

トゲは「他者」ではない。君の喩えは、いつも不適当。
593神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:26:11.89 ID:tzZ0T/0K
>>592


思い通りにならない原因は、「他者」だけなの?w
他者無きとき(…たまたま他者が同席していないとき)、思い通りにならない事態ってのは生じないの?
他者無きとき(…たまたま他者が同席していないとき)、思い通りにならないことを考えたり望んだりはしないの?
他者が関連しないワガママ、欲望ってのは存在しないの?

或る事象があって、その対処法の話なんだから、「或る事象」に「トゲ」を代入することは
何等不適切ではありませんが?w

んと、その場その場で、テキトーに言い繕うよなぁ・・・(^^;
594神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:39:12.61 ID:QKDMkuj9
>>593
共同体では、自分の身体以外の「思い通りにならないこと」には、殆ど他者が
関係しているね。例えば、給料が少ないのは、会社・その経営者という他者
がある。夫婦間では、配偶者という「他者」がいる。

他者以外に起因する「苦」の場合は、その原因を除去すればよい。例えば、病気
の場合は治療する。とげがさされば抜く。しかし、他者は除去することは出来ない。

釈迦は、トゲが刺さったまま、ひたすら「無我」で我慢している状態w。
595神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 00:54:22.41 ID:tzZ0T/0K
>>594
>他者以外に起因する「苦」の場合は、その原因を除去すればよい
まったくもってその通りですねw
ですが、貴方はいつも、簡単に原因が除去できる例しか触れませんよね?
古いレスで直接の関連は若干薄いですが、参考に貼っておきましょうね。
他者云々が関係ないということが少しは解っていただけますでしょうかねぇ・・・ ┐(;´ー`)┌


仏教 議論スレッド その3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/99
99 神も仏も名無しさん 2010/05/25(火) 20:03:23 ID:k5kTLEOe

“苦”が、滅することのできるものだとして、
たとえば、事故で片足を失った者が、そのことで“苦”を感じていた時、
その時、そこでの「“苦”が滅せられる」とはどういうことか?
決して、新たに足が生えてきて、再び両足で歩けるようになることではあるまい。
「“片足を失ったということ”が(前世の(悪)業による)“苦なる果”」であったなら、
苦が滅せられた時、“片足を失ったという果(→前世の(悪)業による果)”も滅するのか?
そうではあるまい。“片足を失っているという事象”は何も変わらない。
“片足を失ったという果”は、あくまでも“片足を失ったという果”でしかない。
彼が感受している“苦”と、“片足を失っているという事象”は同じではない。
この時「その“苦”を滅する為にとられる方法」は、「“片足を失ったという果”の“因”を前世に求めること」ではない。
「“片足を失ったという果”を、《自身が(今)どのように受け止めているのか》《これからどのように受け止めてゆくのか》
を観察・考察する」所にこそあろう。

『私は、なぜ、“片足を失っているという事象”を“苦”と受け止めているのだろうか・・?』 と・・・。
596SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/11(月) 01:05:21.27 ID:/MxwrEWl
身体の障害は、覚りの道の障害にはならない。

しかしながら、心に障害があるならば、覚りの道をしっかりと歩むことは難しい

修行者は、何よりも先ず心が健全でなければならない。立派な修行者が、自らの心をさらに矯めて、真実への道を見い出すのである。

***
597神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 01:11:37.38 ID:BywujFYw
片足だろうが両足だろうが
その人は生きていかなければならない
足が無くていろんなものが見えてるかも
それを支えるのは仏陀の教えなのかなあ
よくわからん
598SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/11(月) 01:39:09.37 ID:/MxwrEWl
健康体であろうとも、そうでなかろうとも、 いかなる所有もなく、執著して取ることがないことが正しい立脚点に他ならない。

こころある人は、何かに縛り付けられたり、あるいは何かを縛り付けてはならない。

***
599神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 01:39:18.39 ID:QKDMkuj9
>>595
「片足を失ったことの苦」が、「釈迦の無我」では絶対に癒されないことだけ
は確かだw。

医学のみが、その苦を軽減することが出来る。

「片足を失っても生きていられる」ことの喜びへ、気分を転換するのが、唯一の9
方法だろう。要するに、釈迦のように「苦を過度に苦にしない」ことが大切。

子を失った親に、釈迦が説教垂れているが、あんなことで、親の苦は和らぐのかな。
600神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 02:05:30.78 ID:NT4NZk1O
片足を失って治療できるなら、治療したら?
としか言いようがない。
>>599は何を駄々をこねているのか
宗教でを足が生えるるのならだれも苦労はしない。
>>599は単に宗教に甘える駄々っ子だな。
言うことを聞いてくれないから、宗教批判をするわけだ。
601SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/11(月) 02:37:42.00 ID:/MxwrEWl
どんな局面にも、必ず解決の道が残されている。そう思えないのは、衆生が迷妄と妄執とに覆われているからである。

この迷妄と妄執を除き去る道が、仏道に他ならない。

***
602神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 03:01:28.11 ID:NT4NZk1O
>>599
あともうひとつ

>子を失った親に、釈迦が説教垂れているが、あんなことで、親の苦は和らぐのかな。

苦行を経た釈迦の言葉なら苦は和らぐだろうよ。
甘ったれが説教垂れても苦など和らがないだろうけどね。
603神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 06:57:23.69 ID:5PT91lqT
デジタルで何でも出来るようになって自称なんでも思い通りになる神が増えたよね
604神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 09:15:45.18 ID:rGgQYuyg
>>600
医学では、例えば、義肢についても、常に改良が重ねられている。iPS細胞に
よる臓器再生も、可能になってきている。

>>602
釈迦は、苦行にも耐えられず、スジャータの乳粥一杯で、苦行を放棄した。
止めたくなったら止められるような修行は、修行とはいえない。それは釈迦の
単なる「お遊び」「趣味」。

本当の修行は、選択不能な「生存努力」という大修行である。
605神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 09:25:10.02 ID:rGgQYuyg
人は、苦から逃避せず、真正面から対峙して生きようとする闘いの中に、実は
最大の「生の喜び」を見出しているのである。
606神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 09:28:23.70 ID:rGgQYuyg
いかなる宗教の奇跡も及ばない科学の驚異的発達は、人類の「苦との闘い」の
軌跡なのである。
607神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 09:33:38.52 ID:MnEgx0Kf
>>581
>宗教の最大の欠陥は、その根源が「肉体」という「物」であることを、忘却している

だったら、「物」による「我」という“想い”は観念的な妄想だということになります。
この立場からは『だから、「無我」』であること(自我の無視)は当然ではないですか。

このような唯物論者に対しては、
→『諸々のブッダは“我(アートマン)がある”と仮設的に仮説された(待機説法:中論18-6前段)。

あなたの結論は逆です。
608神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 09:37:30.76 ID:tzZ0T/0K
>>604
馬鹿だねぇ・・・。



子供が、お気に入りのタオルやぬいぐるみを捨てられたときの悲しみと、
新しいものを与えられても、喜ばない・気に入らない理由を思い遣ることもできんのだろうな・・。
人によっては、これを、「子供だから(幼いから)だ・と、「(分別ついた)大人は新規購入で気が済む」と言うかもしれない。
が、人生の日々一部始終に目を凝らせば、ぬいぐるみやタオルではないけれども、
大人でも子供でも、様々なものに固執していることがわかる。
「俺の財産私の財産」「俺の権利私の権利」「俺の楽しみ私の楽しみ」「俺の自由私の自由」・・・etc.etc.
一番厄介なのが「俺の考え」「私の考え」ってとこだろうか・・・。
「代替手法」は所詮代替でしかない。 そして、代替が利かない事象も、厳然として存在する。
津波被災者遺族は、原発避難者は、補償されれば苦悩が消えるのか?
もし、そう考えるとしたら、彼らに殴られても仕方なかろう・・。
物が、金が与えれば、”相当の”代わりの何かが与えられればそれで良し、か?
そういうことじゃないからだ。
バブル期の成金や若者の万能感と変わりない。 精神性、心への視線がまったく欠けている。
これでよく、精神医学が云々とか言えたもんだ・・・。
この辺の醜悪さは、三馬鹿トリオすら遠く及ばない。
609神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 09:53:19.67 ID:+3bi9bXH
>>608
真っ当なヤツは、そういう色欲は高校生ぐらいまでに信用できないと気づくんだけどね
で、大抵、受欲から想欲に走る
それも虚しいと思ったヤツは行欲に行く

行欲から抜けだして識欲で満足するか、識欲も乗り越えるかが無我か有我のわかれみち

上で言った色欲はあらゆる対象への欲求、物欲ということもできるでしょう。
受欲は感覚的快楽、味覚や聴覚、触覚などの気持ちいいものへの耽溺
想欲は思想哲学に耽るようなこと
行欲はヨーガとか、そういった所謂神秘体験ね

識欲というのは、それら全てに共通する自己意識、神秘体験でも梵我一如とか神秘的結婚とかいってるのは、識欲の範囲

それらを捨てるのが仏教
610神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:00:56.22 ID:rGgQYuyg
>>607
「仮設」という言葉は、本当におかしい。「すべてが仮設」なら、「すべてが
常住」である。

また「仮設」という言葉は、「仮設ではない本物」の存在を前提とする。
「空」などどこにも成立し得ない。「世界を空と『観ぜよ』」という言葉も、
「世界の実在」を前提とする。
611神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:11:39.74 ID:rGgQYuyg
>>608
宗教とは「ぬいぐるみ」で、宗教者とは「子供」のことかw。

君のたとえは、いつもおかしいw。

>>609
宗教と、サヨク・リベラルという擬似宗教が、欲望や富を悪として憎悪(実は
羨望と嫉妬)するから、現在の不景気が生じた。元凶は、釈迦とイエスである。
612神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:15:51.02 ID:tzZ0T/0K
>>610

二項は常に相対的なんですよね?相互依存なんでしたよね?w

ならば、 >「世界の実在」 は、「実在しないもの」の“存在”を前提とするのではありませんか?
 >「仮設ではない本物」 は、「仮設」の“存在”を前提とするのではありませんか?
613時空意識:2013/02/11(月) 10:24:07.04 ID:MnEgx0Kf
>>574>>576>>578
>Sn.874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
>──このように理解した者の形態は消滅する。けだし、ひろがりの意識は想いにもとづいて起るからである。

この中村元博士の訳は問題がある。
この偈は653,916、1037,1072などと連携して読む必要がある。

・653  あるがままに見る→縁起を見る者 即業即報 非業非報
・872  名称と形態(外相)の消滅→知覚と欲望の消滅
・916 <われは考えて、有る>という<迷わせる不当な思惟>の根本の制止
・1037  名称と形態(外相)の消滅→識別作用の止滅
・1072  最上の<想いからの解脱>において解脱 

“想い”は分別意識(日常自我)であって、あるがまま(縁起の直接現実)ではない。“ありのままに想う”は錯覚だ。
その他は部派教義からのコジツケだろう。
ひろがりの意識は「戯論」の謂いだが、仮設(存在現象):仮説(言語)を実在と錯覚することだから、
存在一般である時空意識と訳したほうが的確だ。

従って、以下が適切だろう。
ブッダ「知覚のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
 ──このように理解した者の形態は消滅する。けだし、時空の意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(スッタニパータ874)
 
614神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:25:12.10 ID:rGgQYuyg
>>612
中論は、「もろもろの存在」の構成原理を説く。「実在」と「非実在」との間の
相互依存性ではない。比較や分類は、同じレベル上で行わなければ無意味、非実在
間の相互依存性は、単なる準用。釈迦の「縁起」と混同してはならない。
615神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:33:11.36 ID:rGgQYuyg
>>613
Snなどをいくら追求しても、何も出てこない。出てくるものは、釈迦の狂気と
変性意識のみ。
616時空意識:2013/02/11(月) 10:37:36.85 ID:MnEgx0Kf
>>610

論点を ハ ズ ス ナ !! 外して逃げるな。

隠居の結論は無我(二項相対の無:分別:ない)でなければ破綻する。
もちろん仏法の空我(無分別)ではない。

617神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:40:50.38 ID:rGgQYuyg
釈迦の「縁起」という言葉は紛らわしいから、止めた方がよい。「因果関係」という、
「相互依存性」とは本質的に異なる意味に解される恐れがある。「因果関係」は、
忌むべき業報論を導くための論理に過ぎない。「因・果」を否定したのが、中論の空で
ある。
618神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:44:21.13 ID:gHl9LSLQ
ここ見ると100人100様の解釈があって面白いね
牛丼を食べるのにつゆだくだー
生姜をのせないとだめ
いやたまごだよ
半熟卵をのせないと意味がない


そして、肝心の牛丼をたべないw
619時空意識:2013/02/11(月) 10:45:29.96 ID:MnEgx0Kf
>>614>>615

すべて単なる揶揄に過ぎず、論破済み。

もうちょっと、素直になれよw
620神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:54:16.86 ID:PlCUELxC
曹洞宗の坊主「戒名を付けないと絶対に成仏できない」
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1360434018/
621神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 10:58:21.12 ID:rGgQYuyg
>>616
人類は、その発生以来、物の実在(有)と非実在(無)とを「一義的に」区別する
ことによってのみ、生存して来た。全人類史的に考察しなければ、無意味で、単なる妄想。

物が「あるでもない、ないでもない」では、人類社会は一瞬にして崩壊することは、
ちょっと考えれば分ること。

中論は、「厳然たる実在」の「構成原理」を見出したものに過ぎない。釈迦の「無」とは
対極にあるもの。釈迦の「無我」を守りたい一心で、なりふり構わず、中論の空を釈迦の
無に合致させよとするから、中論が全く理解できない。
622時空意識:2013/02/11(月) 11:01:21.91 ID:MnEgx0Kf
>>621
論破済み

お前は欠陥レコードか?
同じフレーズの繰り返し。
623神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:04:11.49 ID:+3bi9bXH
>>620
そんなこと言ってないでしょ

非常に真っ当なな意見だと思う

戒名も供養としての葬儀も意味はあるが、求められないなら我々も葬式など放棄して修行しますよということでしょう

今は、正にそういう時期に来ているのかもしれない
624神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:05:38.87 ID:rGgQYuyg
>>607
>だったら、「物」による「我」という“想い”は観念的な妄想だということになります

釈迦が、己(我)が肉体であることを自覚していたら、その肉体の一部である
口で「無我」などとは、それこそ「口が裂けても」いえなかったこと。
625神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:06:02.96 ID:7k/BZ9nl
>>613 


縁起によって起こった物事や現象は有為
縁起のメカニズムそのものを正しく詳細につぶさに知って縁起に翻弄されない智慧が無為(真理)


特定の物事や現象を認めながらも、心をそこに留めない自由でニュートラルでフラットな「ひろがりの意識」
その故にその背景や真相を見極めたこころ(lim n->∞ = それそのもの)による行為
>>576


   
626神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:08:06.64 ID:rGgQYuyg
ところで、チャンドラキールテイその他の注釈者たちは、中論の空が「相互
依存性・関係性」であるという理解には達していたのだろうか。
627神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:11:50.34 ID:rGgQYuyg
>>625
「縁起」という言葉は、すべて「相互依存性・関係性」に置き換えてね。
「縁起」の概念には混乱があるから。
628神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:14:12.46 ID:+3bi9bXH
>>625
>特定の物事や現象を認めながらも、心をそこに留めない自由でニュートラルでフラットな「ひろがりの意識」

そういう意味じゃないって、原語はパパンチャで、妄想のひろがりという意味

文脈的にも>>578が指摘しているように「ひろがりの意識」は止めるべきもの
629神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:14:50.74 ID:tzZ0T/0K
>>614
いやいやw

中論関係ないしwww
貴方自身の発言について言っているんです。

貴方の
 >「仮設」という言葉は、「仮設ではない本物」の存在を前提とする
 >「世界を空と『観ぜよ』」という言葉も、「世界の実在」を前提とする。
は、一方通行の関係なんですか?
相互だと貴方が考えるからこそ、AはBを前提とする、のでしょう?
相互依存なれば、BもまたAを前提としなければなりません。
そこでもし、>>614の如く>同じレベル上で行わなければ と言うならば、
そして、一方が(Aが)排されるものならば、そもそもの貴方の発言
 「AはBを前提とする」 という関係性自体を、自ら破壊するものなんですよ?
AとBは同列に論じられないのでしょう? 上記条件ならば、「AはBを前提とする」 は成立しないんですよ。


また、 >非実在間の相互依存性は、単なる準用 といいながら、
貴方自身も、たくさんの非実在間の二項の関係を評してきましたよね?そここそが、貴方の宗教攻撃の肝でしたよね?
準用可能ということは、そこに関係性を見出し得る、ということです。


なんでこんな単純なことにすら目をつぶるのでしょう・・。
隠居は思考しないのでしょうか?彼には心が無いのでしょうか?w
630神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:19:11.18 ID:rGgQYuyg
>>625
>縁起によって起こった物事や現象は有為

「相対的ならざるものはない」(中論)。中論をよく理解してね。
631神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:19:30.51 ID:tzZ0T/0K
>>627
いやいやw
相互依存・関係性だけでは、われわれの日常から零れ落ちる要素があるでしょう?w
あれだけ指摘されて、まだシラをきるんですから、たいした御顔の皮の厚さですね・・・ ┐(´ー`)┌
632神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:23:44.18 ID:rGgQYuyg
>>631
「もろもろの存在(実在)」には、「中論の空」から零れ落ちる例外はない。
633神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:28:53.40 ID:tzZ0T/0K
>>632

1概念、思想、思考、抽象的関係性、意識、etc.
2物、肉体、生物、物質(原子分子素粒子等々)、etc.

貴方にとっては、1が非実在、2が実在であり、1は「ない」、2は「ある」ということであり、
中論は、2のみについて述べている、と言うわけです。

そういいながら、貴方は1の“関係性”についてもさかんに述べているわけです。
時には1の領域のみで、時には1と2に跨って。

だから、何度も何度もお尋ねするのです。
貴方には1は存在しないのですか?と。
貴方には思考が、心が、想いが、概念が、思想が、主張が、感情がないんですか?と。
それらの関係性はどこへ行ったんですか?と。
どこでどう、把握し、知覚し、理解し、対処されているのですか?と。
634神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:28:55.08 ID:+3bi9bXH
>>631
>あれだけ指摘されて、まだシラをきるんですから、たいした御顔の皮の厚さですね・・・ ┐(´ー`)┌

つか、あれだけハッキリ間違いを何度も指摘されて一回も認めてないのに、
それを認めさせようという方が無理なんじゃないの?

単なる妄想以外のなんでもないって、ここ見てる人で分からない人は少ないと思うよ〜
635神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:29:47.60 ID:rGgQYuyg
>>629
心(心的作用)とは、「状況に応じて、肉体から発し、肉体を維持するための機能」。

「心のために心を使う」のは、心の目的外使用、濫用、オナニー。やってはならないこと。
636不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/11(月) 11:56:04.09 ID:E4u1GXoX
>>635 御隠居殿
> 心(心的作用)とは、「状況に応じて、肉体から発し、肉体を維持するための機能」。

>>105 これも御隠居殿
> ソフトがなければ、ハードは動かないw。

御隠居殿にとってはソフト(精神)とハード(肉体)のどちらが重要なのでしょう? 上の2つでは自己矛盾ですよ。

ソフトをハードの従属物としてあくまでも下位に置くならば、「単なる唯物論」に他ならず、物質だけを実在として認めている「だけ」ですので、「我」もへったくれもなくなります。「無我論」を否定することは自己矛盾に陥る思想が(御隠居殿の)唯物論です。
637神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 11:58:22.55 ID:tzZ0T/0K
>>635
いやいやw
そうじゃなくてw

それらの関係性をどう見ているのですか?
貴方には、心の中の動きがないんですか?
貴方が他人と意見交換をするとき、仕事や趣味の話をするとき、
何を遣り取りしているんですか?相手に、何を、どう伝えているのですか?
相手の意見を聞いて、貴方の思考、考え、計画、意見は変化しないのですか?
貴方は「実在=存在」と定義していらっしゃいますが、
貴方の考え、意見、心、感情、等は「存在しない」のですか?
638神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 12:09:14.10 ID:JgT/g9n9
そりゃ分別がなくなった状態の体験を言葉にしようと思ったら
できないだろ。あれこれ議論しても無駄だよ。
修行あるのみ
639不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/11(月) 12:20:37.99 ID:E4u1GXoX
>>636 追記

御隠居殿の言い草に則れば、

> >>105 御隠居殿
> > ソフトがなければ、ハードは動かないw。

ハードの従属物であるソフトによってハードを否定することはできない。明らかに御隠居殿の自己矛盾である。

と、なってしまいます。
640神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 12:32:18.45 ID:NT4NZk1O
>>611
>宗教と、サヨク・リベラルという擬似宗教が、欲望や富を悪として憎悪(実は
>羨望と嫉妬)するから、現在の不景気が生じた。元凶は、釈迦とイエスである。

論理がむちゃくちゃだ。そもそも、共産主義は宗教を否定している。
中国の文化大革命を知らないのか?
君はつくづく、甘ったれだな。
日ごろからエスケープゴートを作っておき、問題があれば深く考えるのも面倒だからと、
そのエスケープゴートである、サヨクや宗教を攻撃するわけだ。
641神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 12:37:30.43 ID:NT4NZk1O
>>611
釈迦を甘ったれと言っておいて、なんのことはない、自分が甘ったれなだけの話だよ、
Aという結果をすぐに欲しがり、それを宗教が満たさないからと駄々をこねる。
医学だって実用化には時間がかかるんだぞ。何十年先、あるいは何百年先になるかもしれない。
その間、学者は辛抱強く研究し、障碍者は何とか希望を捨てずに待ち続けなければならない。
ようするに、どうしても残る苦というのがある。
君は、その苦をどう抱え続けるつもりなんだよ。乱射事件でも起こしてスカッとさせるのか?
642神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 12:55:29.54 ID:+3bi9bXH
>>638
その修行、道がどのようなものかってのが話の主題だよ〜

言葉に出来ないものに拘ってる人は、そこが逃げ道だからだと思う
643カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 13:27:17.26 ID:3zXM2Wsw
>>546
だからよ、お前の話は、あくまで私達はこう思いますという推測でしかないだろうがよ。
お前、筆者に、私はあなた方のいうような意図で、あの文章を書いたと直接聞いたわけ?
書かれていることをそのまま読まないで違う意味に解釈して、それが正しいと主張するなら
お前らの解釈が正しいという証拠をだせよ。証拠もないのに書かれている内容と違う
自分達の見解が正しいなんて強弁すんじゃねぇよ、詐欺師がよ。>>525に書かれている
仏典の文章の内容は、一切外のことは、我々の知識領域を超えているので
言葉では説明できないと言っているだけで、どこにも一切外なんて無いなんて言ってないだろうがよ。
お前の主張は、仏典を読めばどう読んでも業報輪廻転生があるものと述べられ、ゴータマは
それからの解脱を説いているのに、それは業報輪廻転生は迷信だから、その迷信から
抜け出しなさい。ということをゴータマさんは説いたとトンデモ説を強弁する一部の
三流宗教学者と、唯物末法仏教徒の主張と同じ類だろ。そういうのを曲解だというんだよ。
仏典には邪見は何が原因で起こると書いてんだ?エゴだろ。エゴのフィルターを通して
仏典を読むから、お前らのような曲解が生まれんだよ。どっちゃにしろ、仏典に書かれている内容と
違う内容を主張するなら、お前達の主張が正しいという決定的な証拠を出せよ。
644カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 13:37:36.40 ID:3zXM2Wsw
>>573
だからそういうのを揚げ足取りだってんだよ。
人の文意を汲み取らず、言葉の端々の揚げ足を取って人の主張を違う意味にしてしまう
お前は、本当に邪悪だな。何とかお前は俺をただの実在論を言っているだけの
人にしたいようだ。そのほうが、俺の話は仏教と違うと論破しやすいものな。
俺の今までの話を理解すれば、なんで俺の話が単純な実在論になるのか理解に苦しむ。
俺はお前らの似非仏教の話の本筋を理解して、その上でお前らの似非仏教は
糞の役に立たない、ただの言葉遊びだと教えてあげてるんだよ。
お前は相も変わらず俺の話を単純な実在論としかみていないので、俺の話は全く理解していない
ようだけどな。で、一切の中で、おまえらの大好きな中道=空は、どこにあんだよ。
645カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 13:40:42.91 ID:3zXM2Wsw
禅宗と念仏教は、ゴータマの仏教を名乗るなよ。
646神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 13:53:27.83 ID:wdpgDoCC
YouTubeで「新唐人テレビ」を検索してみてください。
新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、
中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽど有益な報道をしています。

日本では中国共産党の圧力により報道出来ない、中共の悪事を暴くニュースが
沢山取り上げられています。
新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、
真実を伝えない日本のマスゴミの不自然さ、情けなさを浮き彫りにする事にもなります。

新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、
中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう!
647神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 13:54:26.37 ID:MnEgx0Kf
>>642
>言葉に出来ないものに拘ってる人は、そこが逃げ道だからだと思う

だから、アンタはダメなのさw

>>645
>禅宗と念仏教は、ゴータマの仏教を名乗るなよ。

『ゴータマの仏教』なんて妄想です。
648神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 14:18:04.39 ID:wexktfX0
>>640
>論理がむちゃくちゃだ。そもそも、共産主義は宗教を否定している。

マルクスはクリスチャン。マルクス主義は、「現実には有り得ない共産主義ユ
ートピア(神の国)」という「観念信仰」の宗教。「擬似宗教」と呼ばれる。
信じる神が違うだけ。彼の「富に対する憎悪(実は羨望と嫉妬)」は、イエスの
思想そのまま。スターリンは、グルジアの神学校を卒業した聖職資格者。
ポル・ポトは上座部仏教とキリスト教。

宗教であるからこそ、良心の呵責なしにあれほどの大虐殺が可能になった。

マルクスの「宗教は阿片」は、お決まりの宗教間抗争。
649沈黙の艦隊:2013/02/11(月) 14:26:24.67 ID:MnEgx0Kf
>>648

生命教という矛盾だらけの唯物論妄想宗教ですか?

無我ですか?有我ですか?w
650神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 14:29:59.74 ID:+3bi9bXH
>>647
はいはい、ダメです ダメです
651SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/11(月) 14:50:53.67 ID:/MxwrEWl
相手を貶め、自分を卑下していては、覚ることは難しい。

人は、基本的には常不軽菩薩縁起にしたがって、覚りの機縁・因縁を生じるものだからである。

目の前の人を、軽んじてはならない。しかし、もちろん、目の前の人に翻弄されてはならない。正しく確立した自己によって苦悩からの解脱を達成せよ。

***
652神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 15:34:50.78 ID:tzZ0T/0K
>>643


>あくまで私達はこう思いますという推測
>筆者に、私はあなた方のいうような意図で、あの文章を書いたと直接聞いたわけ?
>お前らの解釈が正しいという証拠
>証拠もないのに書かれている内容と違う自分達の見解が正しいなんて強弁
>詐欺師

>邪見は何が原因で起こると書いてんだ?エゴだろ。
>エゴのフィルターを通して仏典を読むから、お前らのような曲解が生まれ
>お前達の主張が正しいという決定的な証拠を出せよ


なんて完璧な自己紹介www

さすがカラスさん、御自身のことをよく知っていらっしゃる。
これを読めば、誰でも、カラスさんがどういう人か判りますね。 (´∀`)b
653神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 15:55:56.23 ID:+3bi9bXH
>>652
証拠ならたくさん出してきたつもりだけどにゃ〜

パ蔵漢の『梵網経』によってアートマン説のような実在論は仏教ではない
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

相応部『無我相経』 『根本説一切有部毘奈耶破僧事』パーリ律『大品』
『スッタニパータ』762, 763(757, 758)『スッタニパータ・ブッダゴーサ註』
『大乗アビダルマ集論』『清浄道論』によって
釈尊は五蘊以外のアートマンも認めない
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

『スッタニパータ』837以下、『マハーニッデーサ』
『スッタニパータ』838相当詩句を引用する『大智度論』によって
四句分別で「これと言い切る」とは十無記であり、見解とは六十二見であり
その戯論を寂滅へ導くのが教えで、不生などは戯論寂滅の境地を表現したものだと
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

ちなみにカラスっちが挙げた根拠は『ウダーナ』8.1ぐらいじゃないか
しかもそれが自性を示したもんでなく、戯論寂滅の境地である涅槃を示したものだとも上で片山論文や各原文などの証拠を出したつもりだけど

これらが証拠でないとでもいうのだろうかにゃ?
654カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 16:08:20.33 ID:3zXM2Wsw
>>653
はぁ〜。だから俺がいつ実在論など話したんだよ。疲れるわ。
で、戯論したらなにが残るんだよ。あと宗教学者の話なんか参考程度な。
奴らのなかにはゴータマは業報輪廻転生など説いていなかったなんて主張するトンデモさんも
いるくらいだからな。詭弁で飯食ってるような連中の話を鵜呑みにするなんざ
智慧が無い証拠なんだよ。
655前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:11:20.95 ID:Oo4V7lvF
>>653
>しかもそれが自性を示したもんでなく、戯論寂滅の境地である涅槃を示したものだとも

世俗の真理表がすべて「偽」となる境地で、本スレの住人の1%も現世の終わりで関係しそうですか。

「はい」ならば、引き続き議論を続けて下さい。
「いいえ」ならば、止論にして衆生済度に役立ちそうなネタで議論をした方が宜しいかと存じます。

直近の疑問ですが、多田薬師が「一畑薬師の方がお徳が高い」と言ったというテキストがございます。
法身の如来は涅槃におられて、無数の化身が各地に現れるという説は先日伺いましたが、化身同士で
お徳が高いとか格上だとかの差が出るのでしょうか。
多分、証果の多いチベットでも同様の事例が出ているかと思料します。
656カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 16:11:33.87 ID:3zXM2Wsw
>>654 訂正
×戯論したらなにが残るんだよ
○戯論寂滅したらなにが残るんだよ
657前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:15:47.35 ID:Oo4V7lvF
>>656
>○戯論寂滅したらなにが残るんだよ

思考自殺→戯論寂滅、ただそれだけでしょう。
658カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 16:15:54.51 ID:3zXM2Wsw
末法仏教徒達のゴールは戯論寂滅らしい。
でもそれは滅びだということを、彼らは知らない。
659神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 16:18:52.12 ID:+3bi9bXH
>>654
まず、証拠は沢山出したことは認めないとどうしようもない駄々っ子だよね、
それでいいの。それじゃ生命教とかと全く同じだぜ?


で、「何か」がなくてはならないというの見方を実在論と言ってるんだけど
相手がどういう意味で言葉を使ってるか、それを見極めて話さないといけないよ
君のはみんな勝手な自分の読みを押し付けてるだけだ。

別に学者一般はどうでもいいは、片山先生はそんな方ではないし、それ以外は直接原文によってるんだけど。

オイラは学者の説も訳も鵜呑みにしたことはないよ。ちゃんと裏とってるし。

逆にいうなら君こそ訳で学者に依存してるだろうw
660前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:23:17.85 ID:Oo4V7lvF
>>655
(昭和58年9月22日)多田薬師来臨
「一畑さんは私よりお徳が高い方で百済から見えた。本当ならあそこに安住されるはずやなかった。奈良においでになるはずだった。」

(注)百済の薬心寺というお寺に祀られており分身を残して、日本からの三人の僧がお守りして奈良に向かうのが難船したそうです。
661神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 16:25:16.89 ID:+3bi9bXH
>>655
>世俗の真理表がすべて「偽」となる境地で、本スレの住人の1%も現世の終わりで関係しそうですか。

どういう意味? 

オイラは本来、涅槃とか戯論寂滅みたいな勝義の話はしたくないが、
相手がそれについて話してるから、単にそれは誤解ですよと言ってるだけだけど

>直近の疑問ですが、多田薬師が「一畑薬師の方がお徳が高い」と言ったというテキストがございます。

どういうテキストでしょう。たんなるお寺の効能書きみたいなものなら、
そんなこと論ずる方がおかしい

なんで、そういう風になんでも一律に論じるのかオイラにはサッパリ

仏教でテキストというのは仏説の経典と聖者の記した論書ですよ
で、それらについて文献学者が訳したり、論じたりしているものも副次的に典拠とすることができることにしてます
なぜなら、そうしないと梵パ蔵漢が読める人だけしか話せなくなるからです。
662前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:31:50.44 ID:Oo4V7lvF
>>660
仏教は心霊主義ではないとか、心霊主義の3バカ大将と揶揄されるのはあまり気にしておりません。

むしろ阿弥陀如来や大日如来の大誓願のもとに、各地に現れて衆生済度の為に活動下さっている仏様達を現代人は忘れ、蔑にしている方が気掛かりです。
明治以前の人々の方が素直に合掌して浄土へと往かれていたように存じます。

私は異教ですが、浄土系の祖父母の遺志を縁として21世紀にテキストを起こしております。
663カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 16:34:56.23 ID:3zXM2Wsw
>>659
だからよ。俺がいつアートマンのような実在論を話したんだと聞いてんだよ。

で、案の定何が残るという言葉で躓いてるお前を観察してると非常に笑える。。
何が残るんだ?と聞かれたら、何も残らないと返答することも還付だよな。
おっと。そうくると、お前さんお得意のそれも四句分別になるからどうとか始まるわけだ。
そりゃそうだ。言葉で説明している以上、なんかしらの分別はある。じゃぁそれは
言葉で表現できんのかよ。世俗では便宜上言葉で表現しているに過ぎない。
揚げ足ばっかり取っても、言葉遊びをいくら極めても、意味ねぇぞ。
お前らの屁理屈仏教そのものが戯論だってことくらい早く気付けよ。
664神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 16:39:56.38 ID:+3bi9bXH
>>662
つまりおばあちゃんの霊感が仏教に一致して普遍的な真理だと思いたいわけですよね

思いたいのは自由ですが、それと伝統仏教は分けて書かないと人に混乱をもたらすだけでしょう

霊感ではこう説かれてますが、仏教ではどうでしょうならまだいいのですが、
どうも仏教を霊感に添ったものに解釈しようという意図が最初からあって、
それは教えを変えるということで、最も重い罪である妄語に相当すると思います。

これでも改めないようでしたら、もう私は答える気はありません。

生命教とか遊びと同じような対応を取らせていただこうと思います。
665前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:43:45.74 ID:Oo4V7lvF
>>660
(昭和五十七年五月一日) 一畑薬師様のお話
「私は一畑薬師でございます。元は日本からみえた三人のお寺さんに守られて、百済から奈良に行くため、舟にのって浜田港につく予定だったのが、途中嵐にあい難船して一畑近くの赤浦海岸に打ち上げられたのを、信心深い与一に拾われたのです。
百済では薬心寺というお寺に祀られておりました。分身を残して日本の奈良に向かうのが海岸に打ち上げられたのです。」
666神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 16:44:23.73 ID:+3bi9bXH
>>663
あれだけ明瞭な根拠は出したとも認められないような駄々っ子じゃ、
話にならないでしょ。

ああいった誰が観ても明らかなことさえ認められないんじゃ、
微妙な問題なんか話しても、自分の意に反することは全く認められないのは明らか

それじゃ話してもしかたない

ただのヤクザのゴリ押し論理なわけだ
667神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 16:44:51.67 ID:NT4NZk1O
>>648
長い風雨を経ない、新興の宗教や宗派、教義、
あるいは宗教に限らず思想というものも、、
カルトと化して、社会に迷惑をかける可能性があるというわけですな。
宗教否定を唱えるあなたの宗教もまた、カルトと化して社会に迷惑をかけないよう
お願いしたいところです。
668カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 16:46:51.49 ID:3zXM2Wsw
>>666
だから俺も実体論の話をしてるって言ってないだろ!
ほんま、疲れるわ。
669前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:50:13.38 ID:Oo4V7lvF
>>664 オイラ氏
>霊感ではこう説かれてますが、仏教ではどうでしょうならまだいいのですが、

>>655
>法身の如来は涅槃におられて、無数の化身が各地に現れるという説は先日伺いましたが、化身同士で
>お徳が高いとか格上だとかの差が出るのでしょうか。

仏界交信ではこう説かれておりますが、(主にチベット)仏教ではどうでしょうか?

以上、貴兄の許容範囲でご質問をしております。
670前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 16:58:26.29 ID:Oo4V7lvF
>>665
>百済では薬心寺というお寺に祀られておりました。分身を残して日本の奈良に向かうのが海岸に打ち上げられたのです。」

グーグルで調べましたが、「百済 薬心寺」でも「韓国 薬心寺」でもヒットしないようです。
もし該当する寺が存在し、当時の記録が残っているか、分身の薬師如来像があり一畑薬師像と一致した場合は大スクープでしょう。
仏教板住人のお知り合いで、この辺りに詳しい方や韓国僧侶の方がおられましたら、ご確認いただければ幸甚に存じます。
671前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 17:01:28.67 ID:Oo4V7lvF
>>670
この他にも赤坂虚空蔵は「わしゃ、百済から来た」とおっしゃってました。
このお話も裏が取れたら有難いことです。まことに仏縁でしょう。
672神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:03:30.20 ID:5PT91lqT
理由は省略しますが日本の仏教には誤解と思われる解釈があります
673神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:03:46.02 ID:+3bi9bXH
>>669
それより、仏教と霊感を分けて考えるかどうか答えてください

それに答えていただけないようでしたら、オイラも答えませんので
674神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:05:07.44 ID:+3bi9bXH
>>672
アナタが誤解してる可能性はありませんか?
675前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 17:15:47.94 ID:Oo4V7lvF
>>673
>それより、仏教と霊感を分けて考えるかどうか答えてください

仏教と霊感とは分けて話した方が混同しないとは思います。

ただ仏教と仏様達のご活動を分けて考えないのか否かは宗教か哲学かの問題かと存じます。
仏教の中でこういう話があり、あとは「信」次第であるという線でお願いします。
676宝珠愚者@(規制代行):2013/02/11(月) 17:25:03.92 ID:oe+b6qIx
>>653
伝統仏教で説かれているから正しいではなくて、
ここで示して頂きたいものとは、“本来の仏教”についてですよ。
つまり、“原始仏教”を知る手掛かりとしての原始経典”から読み取る、
もしくは推察し得る““ゴータマ本来の教説”についての追求です。
大乗経や大乗における論書(中論も含め)など根拠にしないで頂きたい。

所詮、『梵網経』も当時のバラモンたちには
アートマンを見出した完成者(知られる者の中に)は一人もいなかったということを示すものに過ぎない。
当時のバラモンたちのそれらの見解を紹介したものが六十二種ということ。
677神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:30:55.04 ID:gdlU3Qe6
煩悩即菩提
悟りという名の煩悩ということだ
煩悩といっても神(精神病)の境地から無に近い境地まである
目標は当然、無に近い方だ。無ってことではない。
678承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/02/11(月) 17:34:43.88 ID:ry8YTU1c
好き勝手に「本来の仏教」設定を作って、違うからお前ら間違いとか。(笑)

(^。^)在日かよ。(笑)
679神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:43:27.66 ID:gdlU3Qe6
>>678
即ちそれがそれぞれの煩悩として一つに括れる。
煩悩に程度があるのは当たり前の話。
ただの煩悩論だ。
680カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/11(月) 17:44:14.29 ID:3zXM2Wsw
>>678
好き勝手に「本来の仏教」設定を作って、本来の教えと違うものにしたのは
どうみても伝統的と自称する現代の末法仏教だろ。で、議論に参加する力量も無い雑魚が
ここになんの用だ?
681神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:44:54.74 ID:gdlU3Qe6
『梵網経』は正しい煩悩のあり方を示していると言える。
682神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:48:13.79 ID:gdlU3Qe6
在日かよ。議論に参加する力量もない雑魚。
それはただの煩悩に過ぎない。
683神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:48:23.98 ID:5PT91lqT
>>674
あるかもしれませんが世間様の価値観が変わればどうでもいい程度のものかもしれません
684神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:58:36.92 ID:VzECowW7
>>667
>宗教否定を唱えるあなたの宗教もまた、カルトと化して社会に迷惑をかけないよう
>お願いしたいところです。

宗教も、「人間の生命」の多くの営みのうちの一つに過ぎない。死者には不可能。
従って、「人間の生命」が、これらすべての営みの根源、最上位次元となる。

「すべての人間の、生命における等価と至上」を認めて、困る人間は一人もいない。
人間界においては、「生命以外のもの」に至上性を認める「宗教」こそが、人間社会に
おける最大の害悪である。
685神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 17:59:24.04 ID:gdlU3Qe6
世間様の価値観とは即ちあなたの価値観
世間様が右往左往してるのでなく、あなたが右往左往してるのだ
686神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:00:59.74 ID:MnEgx0Kf
在日日本人ですか?
687神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:10:33.13 ID:VzECowW7
特に反社会的な宗教をカルトと呼ぶが、すべてのカルトは伝統宗教を母体として発生し、
その洗脳テクニックをすべて利用している。その意味で、両者は「原理的には」全く
同じである。両者に共通する最大の特徴は、「開祖・教祖の盲信」である。このために、
「すべての人間の生命における等価・至上性」が否定され、争いと殺し合いが生じて
いるのが現状。その意味で、宗教こそ、人類社会における最大のがん細胞であると言える。

宗教も、人間の生存努力における「手段」の一つとして発生した。その宗教を、生存の
「目的」として「人間の生命」に優先させる如きは、開祖・教祖の盲信故に生じた、
「生物としての人間」の倒錯と狂気以外の何物でもない。

現代においては、「生存の手段」は科学以外には有り得ない。宗教は、科学について
無知蒙昧だった古代人の妄想の惰性的残存として、もはや根本的に否定されるべき対象。
688神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:12:29.15 ID:gdlU3Qe6
隠居はもうおじいちゃんで明日をもしれないんだから(無常)
生命どうのとジタバタせずに皆の範になるよう振舞え
689神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:14:58.32 ID:gdlU3Qe6
>>687
それはそうだが、あなたはおじいちゃんであり明日をもしれない命
ここをハッキリ自覚することが先決だ
690神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:20:56.90 ID:VzECowW7
>>688
>>689

君らも、間違いなく死ぬ。人生は短いぞ。

その限りある貴重な人生を、「古代人の妄想の惰性的残存」に過ぎない宗教
などに浪費しないで、「現代人としてのまともな人生」を生きよ。宗教に騙さ
れたままで死にたいのか?それでは地獄に堕ちるぞ。
691神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:24:08.12 ID:gdlU3Qe6
>>690
最初から宗教なぞやってない。
それよりあなたにとっての科学や生命とは宗教とはいえないか?
692神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:25:11.41 ID:tzZ0T/0K
>>676


>あくまで私達はこう思いますという推測
>筆者に、私はあなた方のいうような意図で、あの文章を書いたと直接聞いたわけ?
>お前らの解釈が正しいという証拠
>証拠もないのに書かれている内容と違う自分達の見解が正しいなんて強弁
>詐欺師

>邪見は何が原因で起こると書いてんだ?エゴだろ。
>エゴのフィルターを通して仏典を読むから、お前らのような曲解が生まれ
>お前達の主張が正しいという決定的な証拠を出せよ


なんて完璧な人物評www

さすがカラスさん、宝珠さんのことをよく知っていらっしゃる。
これを読めば、誰でも、宝珠さんがどういう人か判りますね。 (´∀`)b
693神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:25:52.24 ID:tzZ0T/0K
>>663
サンジャヤ・ヴェーラッティプッタ乙
694神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:30:53.54 ID:5PT91lqT
日本文化のウソをウソで塗り固めるってとんちの誤解じゃないんですか?
695神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:38:48.68 ID:tzZ0T/0K
>>663>いつアートマンのような実在論を話したんだと
>>668>実体論の話をしてるって言ってない

そこも勿論ポイントですが、現時点でのものではありません。
今は、
貴方の言い分が、(上記も含めてではありますが)、
人間が触れうる資料に於いては悉く却下されているということです。
まずはそれをお認めになりますか?という問いが出されているわけです。
もし認めないならば、これら資料が信頼に値しない、という理由・根拠・典拠をお示しください、
と言われているのでしょう?
蓋然性に於いて、貴方方は圧倒的に不利なわけですw
それを覆すには、新たな反証資料提示か、貴方方の禅定体験による申告が必要です。
勿論、貴方方自身の体験でなければなりません。
でなければ、【他の仏典と同じく「伝聞、又聞き」になる】からです。
自ら目の当たりに、見、知り、確認したのであれば、それはそれで傾聴に値はします。
が、それが仏教(ゴータマさんの教え)と合致するかどうかは、まったくもって別問題です。
696前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 18:40:03.58 ID:Oo4V7lvF
>>676
>所詮、『梵網経』も当時のバラモンたちには
>アートマンを見出した完成者(知られる者の中に)は一人もいなかったということを示すものに過ぎない。

瞑想にて幾世もの前世を想起したのだから、それはそれで宜しいかと存じます。
常住なのか、永遠なのか、無量寿なのかの議論は世俗ではそれほど重要でなく、幾度も輪廻するということを確認したことがまず重要です。
つまり人間は死んで終わりでないということです。
次に前世の因が後世に影響を及ぼすという法です。
だから我々も現世で善い因を積みましょうという動機が生じてくることが大切です。
現世で自分とは多分無関係な涅槃を希求しても空しいでしょう。涅槃で言い争うのは更に空しいでしょう。
まずできる所から、自身と縁のある人々(衆生)の浄土入りを図りましょう。
697神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:40:37.73 ID:VzECowW7
>>691
生命は、宗教を含む人間のすべての営みの「最上位次元」。生命は、現実界において
のみ維持される。科学は、その人間の生存に必須な現実界のみを対象とし、多くの
人々の観察と実験によって「検証」する。宗教とは、全く異なるね。

自然宗教は、厳しい自然との闘いの中で、ひたすら生存努力を続ける古代人の
「生存の手段」として発生した。彼等なりの精一杯の生存のための「現実性・
合理性。科学性」の表れであったことを理解しなければならない。創唱宗教は、
開祖の精神病の症状としての「観念過剰」故に、本来の自然宗教を観念化、抽象化、
精神化し、「生存との関係」を断ち切ってしまう、という倒錯に陥ったのである。
698宝珠愚者@(規制代行):2013/02/11(月) 18:44:50.71 ID:oe+b6qIx
>>678
本来の仏教(真実のゴータマ)については誰一人として知らないのですから、
可能なことは推察があるのみです。
もちろん、それを裏付ける根拠としての原始経典の記述は必須という意味ですよ。
そうでないと、ただの願望の投影や妄想に過ぎないことになりますから。

>>671>>673
これはチャネリングという意味になりますね。
要するに、仏教の知識が無かった人が仏教に関する話や諸仏諸菩薩の存在について言及したり、
或いは、被験者を通じてその諸仏御自身であるとして自ら語り出すという・・・。

もし、その内容が仏教的に裏付けられる正しい事柄であり、
そのことを被験者が知る筈もないのに語り出す現象だというのであれば、
確かに、超常現象としては本物という意味になるでしょう。

考えられることは、通常は三つ。
 1.被験者自身の超能力によって仏教的知識を知って、それを語ることができる
 2.何かしらの高次の霊的存在が関与し、勝手に諸仏を名乗ってそれが語っている
 3.諸仏御自身からのコンタクトである

いずれにせよ、
その語られている内容に真実の仏教的整合性があるかどうかについては、
まー「質問箱」でならば確かに可能か、と・・・。
699宝珠愚者@(規制代行):2013/02/11(月) 18:46:26.01 ID:oe+b6qIx
>>517>>525>>643
100%完全に同意!!

セブンらはどうしても認めたくないものだから、
無我なる“仏教の看板”を保持すべく、詭弁多用で真実を誤魔化すだけ。
それは時代の流れの中で造られてしまった看板(つまり誤解)に過ぎないというのに・・・。

>>658
>でもそれは滅びだということを、彼らは知らない。

同意。
論理矛盾してそういう意味になってしまうことを自ら犯す愚論です。
ここに集う自称仏教徒(の説く無我論と)は、肉体死で滅んで終わるか、
延びても、涅槃で滅ぶかのどちらかということになる。

よって馬鹿らしくって、
本家インドでは誰にも相手されず・・・。
700前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 18:48:49.72 ID:Oo4V7lvF
>>696
>現世で自分とは多分無関係な涅槃を希求しても空しいでしょう。涅槃で言い争うのは更に空しいでしょう。
>まずできる所から、自身と縁のある人々(衆生)の浄土入りを図りましょう。

もし貴方が菩薩でしたら、衆生の涅槃入りをはかりますか。
菩薩自身が涅槃に入っていないのですから、多分そうはされないでしょう。

もし貴方が菩薩でしたら、一人でも多くの衆生の浄土入りをはかるでしょう。所謂、衆生済度です。
701神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 18:49:59.50 ID:tzZ0T/0K
>>699
ところで、
そうした内容を、片山さん(花岳寺)に電凸はしたかい?w

どういう返答が返ってくるか、ワシも楽しみなんだが・・・w (゚∀゚*)wktk
702神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:07:03.02 ID:MnEgx0Kf
>>699

ホント、その情けなさに嗤える。

不生不滅(の示唆)とその還滅で調ふ、がまるで掴めていないでわあーりませんか!
一体何のためにこのスレッドに「留学」してんだよw

妄想心霊超越主義の在家と愚者の超越踊りには毎度嗤わせてもらってありがとう。
703神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:13:32.89 ID:NT4NZk1O
>>684
>人間界においては、「生命以外のもの」に至上性を認める「宗教」こそが、人間社会に
>おける最大の害悪である。

そういう、信こそが宗教だろ。
で、生命は至上のもの。これは同意してもいい。
しかし、ならば、殺人もまた、いかなる殺人であれ、
生命の行為に過ぎないので、それもまた、肯定すべきとなるが?
704神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:15:56.43 ID:NT4NZk1O
>>703続き
宗教は害悪、それを奉じる人間は『処分』するといって、
大虐殺を敢行するのもまた可、それもまた、肯定すべきものとなる。
そして、人類は文明以前の互いに殺し合い、食い合う時代に逆行し、
ふたたび、自然神が生まれ、釈迦や仏陀、マホメットが生まれると。
なんとも、壮大な時間の無駄遣いだな。
705神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:28:52.49 ID:VzECowW7
>>703
>>704

バカだね。「すべての人間は、生命において等価・至上」の自覚があれば、
いかなる場合にも「人を殺す」ことは出来なくなる。宗教者が、釈迦、イエス、
ムハンマドを、殺すことも、批判することさえも絶対に出来ないのと同じ。

これらの開祖たちには、その自覚がなかった。
706神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:31:57.43 ID:tzZ0T/0K
しかし、隠居も劣化したなぁ・・。
りょんやてすとと遊んでた頃は、まだ、一家言ある堅物で済んでたのに・・・。


無常やなぁ・・
707神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:37:25.34 ID:7sd/Qu2w
Srkwブッダさん、どこからの引用からかも示していただけると助かります
708神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 19:51:20.59 ID:NT4NZk1O
>>705
>バカだね。「すべての人間は、生命において等価・至上」の自覚があれば、
>いかなる場合にも「人を殺す」ことは出来なくなる

その教えがまさに宗教だと言っているのだが。
そして、「すべての人間は、生命において等価・至上」の自覚が備わっても、
いかなる場合でも、人を殺すことはできなくなるということはおそらく当面ない。

ところで、君の論をどこかで目にしたことがあったように思うが、
君はキリスト教徒の嫌う悪魔主義者(笑)ではないだろうな?
悪魔は嘘をつき、詭弁を弄するだっけか?
709神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 20:08:22.19 ID:+3bi9bXH
>>676
同じだよ。テーラワーダも大乗も。ただ大乗は菩提心、誓願、普賢行などがあって目的が一切智だってこと。

六十二見は、四句分別、十四無記、八不に直接関係するもので、
当時のバラモンなどの見解を紹介したものではないですよ。
あらゆる見解が六十二見で包括されるのです。

それを理解するためには、なんと中論が必要なんです。

アーガマ・ニカーヤだけでは解きほぐせない。
710神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 20:11:14.02 ID:+3bi9bXH
>>695
そういうことだけど通じないと思うよ

だって証拠を見せてないというホラにきっちり証拠突きつけたのに
それが誤ってたってことすら認められないんだから

他の複雑なことを誠実に答えるわけがない
711前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 20:39:04.75 ID:Oo4V7lvF
>>709
>同じだよ。テーラワーダも大乗も。ただ大乗は菩提心、誓願、普賢行などがあって目的が一切智だってこと。

テーラワーダも大乗も目的は「一切智」ですか。
浄土系だと「衆生済度」のように思います。

釈尊が「一切智」の悟りの後に五十年以上大勢の衆生に「四諦」を説いて回られた目的は「一切智」ですか。
確かに龍樹の場合はごく一部の将来の菩薩候補者を対象に「中論」をまとめたということには同感ですが。

以上、仏教の目的に関する対話です。
712前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 20:46:41.49 ID:Oo4V7lvF
「一切皆苦」と説かれた釈尊の目的が「一切智」というのは、ダメなスポーツマンにオリンピックで金メダルを目指せという譬えに思えます。
まず幾度かの輪廻を経た意識は浄土入りを果たし、来々世では一歩涅槃に近付くというところが理にかなっているかと。
713神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 20:48:06.48 ID:+3bi9bXH
>>711
文を読めば分かることをなんでいつも誤解するのでしょう。
714前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 20:54:53.88 ID:Oo4V7lvF
>>713
>文を読めば分かることをなんでいつも誤解するのでしょう。

それは貴兄らと法器や功徳や執着が異なるからでしょうか。もし近ければ、対機説法も不要でしょう。
715神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 21:03:58.82 ID:+3bi9bXH
>>714
申し訳なんですけど、もう少し歩み寄ってもらわないと
付き合いきれません
716宝珠愚者@(規制代行):2013/02/11(月) 21:09:38.74 ID:kiz645hS
>>701
石飛女史とのメールは、
(私の)勤務多忙の時期に入って中断したきり・・・。
片山一良氏ですか?検討します。
717前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 21:13:03.05 ID:Oo4V7lvF
>>715
>申し訳なんですけど、もう少し歩み寄ってもらわないと付き合いきれません

また評釈を読んで勉強し、よく考えることにします。
この板でも早5年以上になり、セブン氏の叱咤激励にて段々と変化してきてはおりますので。
718神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 21:14:27.35 ID:+3bi9bXH
>>716
メールじゃなくて掲示板に書けばいいんじゃないですか
みんなも見れますし

石飛先生はとても親切ですよ。

宝珠さんはストレートなんで、直ぐに答えてくださると思います。
719前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 21:28:43.86 ID:Oo4V7lvF
>>718
>石飛先生はとても親切ですよ。

まったく、同感です。
720神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 21:29:13.27 ID:tzZ0T/0K
ま、宝珠は、根は誠実でイイ奴だからねw
721神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 21:36:43.30 ID:eYrB8G3U
>>708
>その教えがまさに宗教だと言っているのだが。

何でも宗教にするなよw。「人間の生命とそれを維持する現実界」を至上と
する宗教が何処にある?宗教は、むしろその対極。

イエスは、「俺を信じない者は、死ね、殺せ」と明示的に脅迫している。

「人間の生命の至上性」を宗教とするなら、まさに「究極の宗教」である。
722神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 21:38:16.76 ID:eYrB8G3U
>>708

仏典でも聖書でも、「悪魔」の言ってることのほうが遥かに真理だね。
Snのパーピマン然り。

「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の
執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に
喜ぶことがない」。人類は、喜びがあるから今日まで存続し、ますます発展を
遂げている。喜びがなければ、とっくに滅亡している。この言葉に対して「喜
び」より「憂い」を説く釈迦の言葉は、全く浅薄で、人類史的に見て明らかな誤り。

イエスも悪魔に対する反論として「人はパンにみで生きるにあらず」などと
言って、大審問官(創造主)から「人の求めているのは、精神のパンではなく、
現実のパンだ」と厳しく叱責されている。
723神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 22:03:55.58 ID:lWl4VTiz
宝珠さん、応援してたのにカラスさんに同意するなんて…もう!
724神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 22:05:35.17 ID:cDraCG/a
>>676
>所詮、『梵網経』も当時のバラモンたちには
>アートマンを見出した完成者(知られる者の中に)は一人もいなかったということを示すものに過ぎない。

当時の、という但し書きはありません。
オーカッカ(イクシュヴァーク)のような、ヴェーダの登場人物も仏典では挙げられますが
ヴェーダ宗教のリシ等が正等覚者や阿羅漢として認められた例を私は知りません。

説き手や書き手が釈迦でなかったら、あなたはそのような挿入をしないでしょう。
パウロ書簡における同性愛否定を、当時だけのもの限定としたがる
リベラルなクリスチャンの姿を見るようです。

>当時のバラモンたちのそれらの見解を紹介したものが六十二種ということ。

あなたやカラスやヒンドゥーのアートマン論がばっちりカバーされています。
725神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 22:51:53.07 ID:Ocaw06lD
まあ、真摯な解答の仕方じゃないよね
どうでもいいけど
726前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 23:09:28.27 ID:Oo4V7lvF
>>722
>人類は、喜びがあるから今日まで存続し、ますます発展を遂げている。
>喜びがなければ、とっくに滅亡している。この言葉に対して「喜び」より
>「憂い」を説く釈迦の言葉は、全く浅薄で、人類史的に見て明らかな誤り。

「喜び」どころか人類は「欲」があるから科学技術も発展を遂げております。
「仏性」と「欲心」とのバランスによって聖者にも獣にもなり得ます。

エッセネ派宗教規則要覧では神は人類創造時に「光のコア」と「闇のコア」を人に宿したとあります。
この「闇のコア(欲心)」こそ「一切皆苦」の主要原因のようですが、それを制御する為の方法を聖者達は説かれてきたと存じます。

また「光のコア」は利他愛、慈悲にもつながります。仏教では仏性と、異教では神性と呼ばれております。
さて四句分別になると慈悲もないかと申しますと、涅槃の如来に慈悲がなくなりますので、如何でしょうか。

以上、異教の一視点からのかきこにて、あしからず。
727地獄門 :2013/02/11(月) 23:10:18.00 ID:MnEgx0Kf
>>720
>ま、宝珠は、根は誠実でイイ奴だからねw

間違ったことを「誠実に」信じているアホな奴の前に地獄門が開かれているのさw

これが閻魔大王の教えだw
728神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 23:15:38.93 ID:gdlU3Qe6
>>697
素晴らしい見解といえるが、それならば
2500年前の釈迦や2000年前のキリストを彼らなりの精一杯の
現実性・社会性・合理性・科学性と何故受け取らん。
石器時代に毛の生えた文化に対して、あなたはバーカと言ってるに過ぎない。
いかなる殺人にしたって妊娠中絶、死刑囚、植物人間、自殺と問題は多岐にわたる。
それは単なる宗教性であり、戯論に過ぎない。
729神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 23:31:23.79 ID:WrCxW7Iq
>>728
「創唱宗教は、
開祖の精神病の症状としての「観念過剰」故に、本来の自然宗教を観念化、抽象化、
精神化し、「生存との関係」を断ち切ってしまう、という倒錯に陥ったのである。」

あくまで、「自然宗教vs創唱宗教」について述べた。「現代の問題」について
は、別に論じる。
730前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/11(月) 23:32:54.70 ID:Oo4V7lvF
>>727
>間違ったことを「誠実に」信じているアホな奴の前に地獄門が開かれているのさw
>これが閻魔大王の教えだw

正しいことを知っていて嘘をついたり、不誠実だった人を裁くのが閻魔大王だと子供の頃聞かされました。
731神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 23:47:50.08 ID:gdlU3Qe6
>>729
自然宗教って生贄とかいわしの頭のこと?
例えばそのvsってことならば、その愚行に対抗する
例えば創唱宗教が対抗手段というのもありうる話じゃなかろうか?
生存関係にしたって、いわしの頭を生存とするならば、
そんなものは断滅したっていいんじゃなかろうか?
問題が断滅の仕方にあるとするのならば、そんなものは古代人の
勝手といえないだろうか?
732神も仏も名無しさん:2013/02/11(月) 23:48:36.93 ID:tzZ0T/0K
隠居はねぇ・・。 微妙に正論(宗教学的分析)が混じってる所が厄介なんだよねぇ・・・w
733神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:00:38.01 ID:tzZ0T/0K
>>731
まあね・・・。
自然宗教の【“個の「命」”を犠牲にして共同体の維持団結を図る・強化する】対処法から、
別の方法(命を犠牲にはしない方法)へとシフトさせてきたのが創唱宗教、だとも言えるわなw
734宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:01:18.54 ID:CE1nmuF7
>>709
一代がされていることは、
大乗視点という色眼鏡による仏典(原始経典)読みであり、
大乗がテーラワーダより勝れることを主張しつつ、結果的には、
原始仏教の本来のゴータマの姿を霧の中へと覆い隠して蔑ろにするものです。

へぇー、
中論が登場までは当時の弟子達は理解できなかった。
それまでは間違った解釈をしていた、と?
もう、そこまで云われてしまってはテーラワーダも立場無しかと・・・(苦笑)。

>>475
まったくその通りだと思います。

>>446
「デカルト」そんなの知らんよ、私は♪

「我思う、ゆえに我あり」よりも
「我在るがゆえに、我思う」が本当は正しいかと・・・(笑)
735宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:02:48.90 ID:CE1nmuF7
1/3
>>473
>で、「別世界にある」などと言われてはいないわけです。(ここが、貴方の最大の捏造部分ですw)
>一切法はあくまでも一切法なわけです。

>>477
>その論法でいくなら、涅槃が諸法に含まれないなら、
>涅槃という、苦しみからの解脱の法を説くことができないという矛盾が生じると思うよ
>一切は有為で、有為なるものは苦しい、ここで止まってしまう

 『誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。』(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)>>525
とあるように、その一切とは“苦をもたらす世界”としての一切皆苦(一切行苦)と同義に他ならない。
これは在家さんの指摘の通りですよ。
 どうして、その“苦をもたらす世界”がイコールで涅槃なのか?その「一切に涅槃を含む」など
という馬鹿げた論理を主張するのか?論理矛盾も甚だしい限りですよ。
 水野氏は、原始仏教の時代にはなかったけれども、部派が無為法をも加えたのだと述べられてい
るでしょう、ここにハッキリと。
 認めたくない気持ちは理解しますが、これ以上、見苦しいと思うますよ。ゴータマは「信仰を捨てろ」
といっている。これは、間違いは素直に認める勇気を持ちなさい、ということです。
736宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:04:00.71 ID:bpjd9+H1
2/3
 『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関するかぎ
り、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界などとした場合、
それらはすべて時間と空間の中にあってわれわれに認識され得る現象界だけを意味した。(p112)
 われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)
 存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では現
象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった。
この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは違った
性格のものとなった。(p143)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
737宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:06:59.98 ID:bpjd9+H1
3/3
 『原始経典には一般に三法印とか四法印とかの説はない。しかし五蘊などの諸法の無常・苦・無我
については無我相として随所に説かれ、これを有為の三相としている。パーリ仏教もこの説を受けて
いる。有為を脱することによって寂滅涅槃が得られるから、以上四つで四法印とされたものであろう。
(p155)』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)

 はい。“有為を脱することで寂滅涅槃が得られる”と明確に述べられていますね。これを認められな
いのなら、勘違い大王とまったく同じですね。「有為なるものは苦しい、ここで止まってしまう」のではな
く、そうであるから、有為からの解脱を目指すわけですよね。有為とは異なる無為(涅槃)であるから、
有為からの解脱をそれとして覚知できるのです。
 一代ほどの人物がどうして、こんなところで引っかかっているのか?不思議なくらいですよ。やはり、
伝統の鵜呑み(間違った伝承の信奉)としか思えません。

>>536
>そこはねえ,ちょっと難しいところなんですが,
>涅槃や無為,空性も一応,一切に含まれるんですよ。
>一切はほんとに一切,全部です。
>一切(無我)=有為(無常)+無為(常)

こちらも同様に伝統に引っかかってしまっての間違いですね。
それら阿毘達磨というのは、部派が勝手に無為も一切法へと投じてものです。
本来の原始仏教にはまったくなかったことでした。
738宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:15:58.27 ID:CE1nmuF7
1/2
>>602
>釈迦は、苦行にも耐えられず、スジャータの乳粥一杯で、苦行を放棄した。
>止めたくなったら止められるような修行は、修行とはいえない。それは釈迦の
>単なる「お遊び」「趣味」。

 ゴータマの実践した苦行というのは、「昔のいかなるサマナ・バラモンのうち、いかに激しい苦痛
を受けた者も、わたしほど最極の苦行を試みた者はなく、未来のいかなるサマナ・バラモンもわた
しほどの苦行をする者はないであろうし、現在のいかなるサマナ・バラモンもわたしほどの激しい
苦行をしている者はないのである。」というほどの凄まじいものです。
739宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:17:01.89 ID:CE1nmuF7
2/2
 その内容の一端は、『その小食のためにわたしの肢節節は、草の節のようになった。その小食
のためにわたしの臀部は駱駝の足のようになった。その小食のためにわたしの脊柱は紡錘の連
鎖のように凹凸有るものとなった。その小食のために、譬えば老朽家屋の垂木が腐食し破れてい
るように、わたしの肋骨は腐食し破れてしまった。その小食のために、譬えば深い井戸における
水の光が深くくぼんで見えるように、わたしの眼窩における瞳の光は深くくぼんで見えた。その小
食のために、譬えば生のうちに切り取られた苦い瓢箪が風や熱によって皺よって萎縮してしまうよ
うに、わたしの頭皮も皺よって萎縮してしまった。そこでわたしは、腹皮に触れようとすると、脊柱
をとらえてしまい、脊柱に触れようとすると、腹皮をとらえてしまった。その小食のために、わたしの
腹皮なるものは、脊柱に密着してしまった。さてわたしは、その小食によって、『わたしは糞をしよう』
あるいは『尿をしよう』と思って、その場で頭を前にして倒れてしまった。そこでわたしはこの身体を
いたわりつつ、掌で肢体を按摩した。すると、わたしが掌で肢体を按摩したときに、その小食のた
めに、わが身毛は腐食したその根とともに、身体から脱落した。』(マハーサッチャカ・スッタ)
というものでした。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/shyaka3.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/otakarajoho/imgs/8/d/8d871122.jpg
740神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:18:02.52 ID:8hOWLN84
>>735
一切しか感知法がないだろ。何をどうしろっての?
何が間違いで何が正しいと思ってるの。
神とか霊なの?それは一切が演じる虚構であり苦ってことだろ?
741神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:19:53.41 ID:TuL4FjWE
>>731
「自然宗教によって流された血は、創唱宗教によるそれよりも、遥かに少ない」
(ヒューム「宗教の自然史」)。

ちなみに、ヒュームのこの著書は、現代も価値を失わない宗教学の最古典と
言われる。
742宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 00:22:03.23 ID:CE1nmuF7
追記:
 ゴータマが苦痛に負けたことがないことは、ここにも示されている。
 『わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、汝
はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?(はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろ
う。ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。(身体の)血が涸れたならば、
胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心
とはますます安立するに至る。わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、
わが心は諸々の欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかなことを。』(Sn.432-435)

 ゴータマが苦行を放棄したのは、苦行によっては解脱に至らないことを悟ったからですよ。逃げ出し
たわけではありませんからね。その辺を誤解無きよう。
743SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 00:22:04.08 ID:bNgro1yx
子供は、大人との接触によって大人になるのではない。子供は、子供達との付き合いの中で、自ら大人に成長する。

人は、一切によって苦悩しているが、この一切によって覚りの機縁・因縁を生じ、仏となる。

もちろん、子供が大人の世界を垣間見ることはあるだろう。同様に、人は仏の世界を垣間見て(微かに覚知して)仏の世界の実在を識るのである。

***
744神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:22:35.47 ID:rUYkaAmx
>>734
マジレスするぞw

>「我在るがゆえに、我思う」が本当は

デカルト的方向性が、なぜ西洋的誤謬であり、反仏教であるか解るか?

上記一文は、(隠居や哲板での最高位や貴方やカラスに共通する点でもあるが)、
【文法的要請も影響して、まず「我」が立てられている】ということです。
《>「我在るがゆえに、我思う」》は、≪ 《「我思う》、ゆえに《我あり」》 ≫ の一部でしかないのです。
以下のように・・。
 ≪ 《「我思う》                、ゆえに《我あり」》 ≫
 ≪ 《【我在る】がゆえに我思う》      、ゆえに《我あり」》 ≫
   *(《【我(真我)在る】がゆえに我思う》、ゆえに《我(自我(日常我・世俗我))あり」》 )

如何です?
どこまで行っても、【まず、「我」、主体が設定されて、それから全てが始められている】のです。
それが、顛倒妄想である、というのが、2500年間通底している、釈尊以来の屋台骨なわけです。
もし、仏教的にその有名な句をアレンジするなら、(件の哲板でも何度となく記しましたが・・w(^^;))

 『思う、故にあり』、或いは、『思う、故に思いあり』 なのです。

仏教的には、これ以上でも以下でもありません。
「主体の消去」こそが、仏教の(お釈迦さんのアイデアの)肝なのです。
745神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:31:14.77 ID:rUYkaAmx
>>735-737

>>480のリンク先を忘れたか?w
746神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:50:53.40 ID:8vDPl2CJ
>>741
原始社会でも、人はためらいなく、他部族の人間を殺したり、奴隷にしている。
たんに自然宗教だから血がおおく流れないということではなく、
自然宗教の範疇では、団結させ、束ねられる人間の数に限界があるからに過ぎない。
747神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:53:08.75 ID:p8ylgFP5
六十二見だと、ご隠居の「生命」(自律式スーパーエナジー)は
ttp://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
「無因生論」に相当するわけかな。

人間が思いつく、世界観や超常的実体にまつわる大体のアイデアはカバーされているわけですな。
748神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 00:53:28.47 ID:8vDPl2CJ
>>721
「〜べき」と主張し、大勢の人間をある一定方向へと動かす思想は、宗教そのものだろ。
俺は基督教徒ではないので、人間の生命の至上性を主張するのはかまわないし、
神への冒涜を口にするのもかまわないが、人を騙すのはやめてほしいな。
君の宗教を広げるにも、やはり、規律、やってはいけない規則が必要なんだよ。
人間とは、想像の赴くまま、いかなる行為にも及ぶことができる生き物だからね。
749神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 01:05:18.17 ID:8hOWLN84
まぁこうやって文章打ち込んだりすると、瞑想状態みたくなり、
女の声やらおっさんの声が聞こえたりすることがある。
ノスタルジアが以前パソコンモードになると言ってたが、
そんなもんかもしれない。通常は我モードなのだがw
無我とはおっさんやおばはんモードの時なのか、
そんな雑音さえも止んだ時だろうとは思うのだがw
750宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 02:02:56.35 ID:EPRkdXOj
>>738は、>>604へのアンカーミス
ご隠居のためではなく、
読者のための参考投稿です。

>>744
デカルト的話は、
私からの一つのジョークですよ。

では、お聞きますが、
完成後におけるゴータマ遊行のお姿、その状態はいったい何か?
それは肉体が勝手に喋って歩いてる姿だというのですか?
751宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 02:04:05.18 ID:EPRkdXOj
>>745
>>仏教議論スレッド24/403
>ただ、仏・如来に於いては、五蘊が残っている以上そのことによる感受は生じるものの、
>そこから更に苦が生じることはない。そこには、行として、作られていくことがないから。
>行がないから。 だから、ウダーナ8のような謂いになる。
>この場合の「行」こそが、形成・生成するものされたもののことだから。
>形成・生成されること無きが故に、そこに苦もまたない。

その苦が生じなくなったというのは、
一体、“誰にとっての苦”なのですか?

そして、
諸法無我の諸法とは“つくられたもの”(有為)のことをいいますから、
“つくられたものではない”(無為)涅槃は有為とは異なるということなのですから、
必然的に、涅槃は無我という話にはなりませんね。
752神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 02:16:38.97 ID:hoeCGWD/
>>748
意味がわからん
べきってのはあるべき姿の提示であるかぎり意味のあるものだろ
現実をどのように認識するか、それをどう体系づけるか、その後にどうすべきかが自ずとでてくる
べきと言われて嫌な気持ちになるというのは現実認識あるいは、その体型づけが異なるということ、
ならばまず何がちがうかを論ずるべきであり、
個々人が相対主義で不干渉であるべきなどという議論は愚の骨頂だと思うが
753神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 02:16:53.28 ID:rUYkaAmx
>>751
う〜ん・・w

いっぺん、仏教を離れて、「哲学的に“主体の消去法”をリストアップ」してごらん。
そして、その消去法の不備をピックアップする。(主体が消えないことを確認する)
その上で、あらためて、四諦と五蘊無我説を眺めてごらん。
きっと、今までと違う何かが見えるから。

>一体、“誰にとっての苦”
だから、この出発点がそもそも異なると言っているのです。
なぜ、文法に縛られるのですか?

 >>311>>461
754神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 02:45:10.42 ID:8vDPl2CJ
>>752
俺は別に「〜べき」と言われて、なんでもかんでも嫌な気持ちになったり、
強制されている気になったりなどしないよ。
神に反逆しているつもりが、所詮は神の愚かな奴隷となっている君がそう感じているだけだろ。
人が二人以上で何か共通の目的をなそうとするとき、規則が必要になるだろ?
ほら、その時点で人間が強制されなければならない何かが生まれる。
755神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 02:47:28.41 ID:8vDPl2CJ
>>754続き
そして、人間の数が増えれば、すぐに、「人間の生命を至上とする現象界」の為の法に
矛盾をきたすようになる。
『いかなる場合にも「人を殺す」ことは出来なくなる』これも守られなくなるだろう。
これをあたかも真であるとの主張を、俺は嘘と言っているんだよ。
756神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 03:05:29.55 ID:hoeCGWD/
>>755
意味が分からないんだがw
〜すべきかどうかは現実認識の中で当然位置づけられるべきもので
教条主義的に与えられるものではないよ
法律論はそれがプログラムである以上、設計主義にならざるをえないから
限界事例が生まれるが、
ここではあくまで原則論のことを言っているんだよ
根本的に、人を殺すことは悪、というのは是認されるものだろう
なぜなら、それを認めてしまえば社会の存続がありえないのだからね
やむをえない事情というものを考慮する場合にイレギュラーとして例外規定が用意される
本人が苦しんで死を待つだけだったからという事情などな
757神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 06:07:35.74 ID:z/VppOld
>>744
>どこまで行っても、【まず、「我」、主体が設定されて、それから全てが始められている】のです。

そうなんです。あなたは良い線までいくんですよ。
論理的にも説明が上手ですしね。私よりはそのスキルはベストかとおもいますよ。
しかしその先までは進まない。

百尺竿頭進一歩しかないです。これさえ越えれば・・・良いんじゃないでしょうか?

関は無門です。
しかしどうして無門なんでしょう?
私はかねがね、無門であることをボンヤリ不思議に思っておりました。
しかしその謎がやがて解けてきたのです。

あなたも、その謎がいつか解けると宜しいですね。
758神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 06:42:38.45 ID:FsVFS7Nw
>>744
>『思う、故にあり』、或いは、『思う、故に思いあり』 なのです。
>仏教的には、これ以上でも以下でもありません。
>「主体の消去」こそが、仏教の(お釈迦さんのアイデアの)肝なのです。

無我の意味は、二つあるといわれている。即ち(1)我が物と思うな、(2)我の
存在の否定、である(並川)。

(1)では、明らかに我の存在を前提とする。(2)では、「存在を否定する者は
誰か」、という疑問が生じる。また「存在の否定」は、「存在」を前提とする。

サンスクリットのような屈折語では、動詞は人称に応じて変化する。「思う」の
人称変化は何か。それだけで、主体は特定される。

さらに、「主体の消去」により、静寂を「求める」者は誰か。

いずれにしても、「主体の消去」は不可能である。
759神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 06:59:49.72 ID:iclR4Pag
>>758
>無我の意味は、二つあるといわれている。即ち(1)我が物と思うな、(2)我の
>存在の否定、である(並川)。

並川しょうがないな、無我相経を始め「これは私ではない、私のものではない、私の我(本質)ではない」と遮断されているぞ。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

並川説は読んでないが、恐らく仮設としての我と、実在・実体・本質としての我の混同だろう
以下『大智度論』の第一、第二と第三の混同とも言える

>また更に世間の言葉には三つの本質あります。第一は[諸現象が実在するという]倒錯。
>第二は[自分が有るというエゴイステックな]慢心。第三に[仮設された]記号。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

ちなみにこの三分類は曇鸞『浄土論註』でも使われている
760神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:04:54.91 ID:iclR4Pag
>>734
間違ってたんじゃなくて、教えの一部しか見えなかっただけ。

中道も六十二見も十四無記もジャータカもその全体像から正確に把握できてない。

だから龍樹菩薩が中道を観じる論という意味の中論を書かれた。
中論の文の根拠はほぼすべてアーガマ・ニカーヤに帰すると思う。

それは諸註からも分かる。

端的には『全訳入中論』の評釈を読んでもらえば分かると思う。
図書館とかで読んでみて、今までの仏教学と全く違うから。
761宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 07:16:06.89 ID:2NkEVzMk
1/3
>>753
>なぜ、文法に縛られるのですか?

 いやいや、それは勝手に「アートマン(主体)はない」という話に摩り替えたのが伝統仏教
(部派影響)だからですよ。
 私の主張は、仏教はアートマンを「説かなかった」ということであり、けれども、アートマンを
「ない」などとはいったことがないというものです。実際、ゴータマは無我(アナートマン)を有為
(現象界)についてだけ説いたが、無為(涅槃)における我(アートマン)に関しては無記の態
度を採りました。
 従って、依然として無為(涅槃)における我(アートマン)は「ある」という可能性が残されてい
るのです。ただ、そのままに「ある」とは云わなかったのには理由(事情)があったからでしょう。

 この私(宝珠)は、アートマンを直知体験し、無記の態度を採らずに明確に語る覚者存在の
系譜(仏教体系とは異なる)の教えを学ぶ一人ですから・・・。
 然るに、このスレに集う仏教徒たちは、ゴータマは「ない」などといったことがないにも関らず、
勝手に「涅槃(無為)においてもアートマン(我)は存在せず」などと語っているわけです。
 しかし、仏教が採った態度というのは、“涅槃におけるアートマンについては無記”というもの
でした。

 私の主張する事柄が、すべて旨く纏められている良い文章が一つ見つかりましたので、ここ
に紹介したいと思います。暫し、長文となりますのでご了承下さい。
762宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 07:16:53.81 ID:2NkEVzMk
2/3
 『それ故に、ブッダはアートマン思想の正しい理解と実践を明らかにするために、ブッダ当時の
さまざまなアートマン観を否定した。このブッダの批判的立場が、仏教教団の発展に応じて、ブッ
ダはアートマンの存在を否定して、無我すなわちアートマンがないと主張した、と考えられるよう
になった。しかしながら、こうした後代の理解は、ブッダの教えを誤るものというべきだろう。(p76)
 第一の理由は、原始仏教から部派仏教になると、無我の考え方が変容したことである。すで
に前項で見たように、原始仏教における無我説は、決してアートマンが存在しないとは説いて
おらず、むしろ実体として固執する種々のアートマン論の過誤を指摘して、論理的実践的な意
味における本来の自己あるいは真実の自我の探求を教えた。その後、アビダンマ教学の盛ん
な部派の時代に進むと、積極的にアートマンは存在しないと主張することとなり、本書の編纂さ
れた時代は、こうした考え方が支配的であった。したがって、仏教の無我説は時代の変遷とと
もに、その解釈が大いに変わった。無我即無霊魂という考え方もその所産である。ナーガセー
ナ長老もアビダンマ教学の説く無我説の立場から、無我とは無住普遍の実体のないことであり、
個人にとっては実体としての人格的個体の存在しないことであり、更に無霊魂である、と明言し
ている。
763宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 07:18:46.99 ID:2NkEVzMk
3/3
 ブッダの時代にあっては、決して霊魂の有無を論じなかったし、仮に論じたとしても、それは宗
教的実践に何ら役立たない形而上学的論議として斥けられていたものである。保守伝統教学を
もって特色とする部派のアビタンマに至って、ブッダの説いた真の意味の無我説がゆがめられ
たのには、それ相当のわけがあった筈である。つまり、人間性の探求と真実の自己の実現という、
生き生きしたブッダの無我観が、部派仏教になると、アビダンマ教学の得意とした精神現象の分
析と、およびバラモン教神学の有我論との対決という観点から、“我を立てない”無我論へと移っ
ていったのである。シナでは、アナートマンを無我と非我との二つら訳したが、今日、一般に誤っ
て無我を“我がない”ととるならば、むしろ、“我でない”という意味の非我の訳語のほうが、最初
期仏教のアナートマンの原義にふさわしい。(p95)』
(『東洋思想5/早島鏡正著「無我思想の系譜」』東京大学出版会刊)
764神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:19:35.43 ID:FsVFS7Nw
>>759
共同体においては、主体を明らかにしなければ、共生は不可能である。また、
対象を「一義的に」特定・指示しなければ、共生は不可能である。

人間界は、そしてすべての生物界は、徹頭徹尾「共同体」である。

そして、「生きる」とは「自己主張」である。植物の根は、岩盤をも貫いて
生きる。
765神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:24:43.25 ID:iclR4Pag
>>764
だから社会的、世間的にはそれぞれの言い習わしのままに「私」とか「それ」とか言う

これが仮設。

仮設というのは、xという言い習わしの記号によって分節されたxという対象をそれぞれが適当に分別して知覚するというような意味
xと無意識にラベリングすると言い換えることもできる

この仮設と無我・空は両立するよ。

まあ、生命教には分からないだろうし、分かりたくもないだろうけど
766前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 07:25:22.17 ID:lQPdi/bH
>>760
>だから龍樹菩薩が中道を観じる論という意味の中論を書かれた。
>中論の文の根拠はほぼすべてアーガマ・ニカーヤに帰すると思う。

今の私も同じように思います。
時々、龍樹(中論)は釈尊(アーガマ・ニカーヤ)を超えたという人がおられますが、一切超えてはいないということでしょうか。
ただ将来の菩薩候補者のためにアーガマ・ニカーヤの法を整理されたということかと。
(候補者以外が読むとかえって迷う論書のようですが。)
767神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:30:02.86 ID:iclR4Pag
>>763
>人間性の探求と真実の自己の実現という、生き生きしたブッダの無我観が、

これは酷い。なんというか個人の人生哲学レヴェル

早島さんは訳とかはいいけど、見解とか思想分析になると難ありだと思う
文献学者は、そういう人が多い。
だから、文献学者の訳は根拠になっても彼らの〜の思想とかいう本は宛にならない場合がほとんど

そもそも釈尊も中観も思想などないから、思想があっては無我でないから
もちろん仮設された教えはあるけど
768宝珠愚者@(規制代行):2013/02/12(火) 07:34:06.48 ID:91MXxLyb
追記:
 原始経典の研究が進むほどに、実際上、ウパニシャッドとの決定的違いの明確さが無くなって
いくのです。部派の時代に無我の教えが歪められて、「アートマンがない」という教えに変容され
たとき、当時の弟子である彼らは、これを逆手にとって仏教の持つ独自性として打ち出していくこ
とにした。こうして、無霊魂としての無我説を説くことで、インドにおいて仏教は変わり者扱いにさ
れて、これが無視の放置対象となったのでした。インドにおいては、あくまでもアートマンの追求
だけが求められるものであり、後はそのための方法論や選択枠の提示の必要というものでした。
インドでは、そんな突飛な発想の新しい変り種などは求められてなどいなかったのです。

 『この涅槃は、異端者達が主張していたような、単なる苦行とか、単なる禅定とかによって得ら
れるものではなかった。世界人生の真理に関する正しい智慧によって得られなければならない。
この点は、仏教以前の正統バラモン教が、ウパニシャッドにおいて、梵我一如を正しく知り、それ
を体験することによって、理想が達成されるとしていたのに似ている。ウパニシャッドでは梵我一
如の境を涅槃の語によって呼んではいないけれども、この境地は「非ず、非ず」(neti neti)と云わ
れているように、筆舌に尽くすことの出来ない大歓喜の自由境であるとせられるから、実際には
仏教の涅槃が意味しているものと、それ程違ったものではないであろう。(p126)
 非正統のシャモンの中にも、涅槃を得たと称した者は少なくなかったようであるが、その何れもが、
釈尊を納得せしめるに至らなかったらしい。(p127)』
(『水野弘元著『原始仏教』<サーラ叢書4>平楽寺書店刊)


以上
769神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:35:47.59 ID:iclR4Pag
>>766
超えようないでしょう。一切智のブッダなんだから。
しかも見解を持たない戯論寂滅の境地は超えようがありません。

ただし、アーガマ・ニカーヤ、特にパーリ・ニカーヤにないものがある
『勝義空性経』が、その一例
『勝義空性経』がないと『中論』24.18は説けないかもしれません

あと、テーラワーダ教義の龍樹菩薩に相当するブッダゴーサと龍樹菩薩の考えはほとんど一致するように思います。
大乗的な菩提心、普賢行というような第七地以降の問題を除けばですが
770前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 07:36:21.97 ID:lQPdi/bH
>>761 宝珠氏
> 私の主張は、仏教はアートマンを「説かなかった」ということであり、けれども、アートマンを
>「ない」などとはいったことがないというものです。

無我:形而学上でのアートマンの実在を否定(中国語訳の際の不適切)
非我:客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンでない

仏教は「無我」と誤解されますが、アートマンが実在するか否かについては無記、沈黙を守ったのが釈尊でしょう。
(参考:「仏教のこころ」中村元、P78,P79)

中村先生も宝珠さんと同じことをおっしゃってますので、空しい議論の連鎖は寂滅が宜しいかと存じます。
771前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 07:39:14.93 ID:lQPdi/bH
>>770
誤 中村先生も宝珠さんと同じことをおっしゃってますので、
正 中村先生も宝珠さんと似たことをおっしゃってますので、
772神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:40:36.29 ID:iclR4Pag
>>768
それは水野先生も筆が滑ったとしか思えないですね
773神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:43:51.81 ID:iclR4Pag
>>770
>中村先生も宝珠さんと同じことをおっしゃってますので、空しい議論の連鎖は寂滅が宜しいかと存じます。

というか在家さんとか宝珠さんとかが虚しい議論なんですけど

なんども証拠だされてるのに、学者の説とか持ってきてもしょうがないでしょ
証拠は原典なんだから

反論するなら以下を反証しないと意味がないんですよ

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html
774神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 07:46:51.02 ID:FsVFS7Nw
>>760
>図書館とかで読んでみて、今までの仏教学と全く違うから。

中村博士も、入中論は熟読された上での、「現代人としての解釈」だと思うがw。

チャンドラキールテイは、中論の「相互依存性・関係性」は理解できていた
のだろうか。中論のテキスト(和訳)の「思想」を追う限り、それ以外の解釈
は出てこない。チャンドラキールテイが、「釈迦の無我」に執着して、中論を
それに合致させようと「無理した」可能性はないか?w
775前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 07:46:53.42 ID:lQPdi/bH
>>768 宝珠氏
>こうして、無霊魂としての無我説を説くことで、インドにおいて仏教は変わり者扱いにされて、これが無視の放置対象となったのでした。

そうですね。私がこの板で仏様方(薬師、観音、地蔵)のご活動の話をしましたら、頭から否定的な方々も見受けられますので。
輪廻があって、浄土があるならば、浄土から働きかけて下さっている仏様方も極自然なのですが。
776前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 08:00:44.33 ID:lQPdi/bH
>>773
>反論するなら以下を反証しないと意味がないんですよ

現象界でラべリングされる五蘊はアートマンでないとの解説に読めます。

現象界でラべリングされない五蘊以外もアートマンでないですか。
上記は形而学上のものは無記を通したという話と矛盾するようですが。
777神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 08:02:09.41 ID:FsVFS7Nw
「無我」は釈迦の単なる勘違いであることは明らかだから、「我」を認めた上で、
他者との関わりのなかで人生をひたむきに生きれば、「我を忘れて」、無我が始めて
達成される。

溺れかかったわが子を助けようとして水に飛び込む父親に、我はあるか?
778カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/12(火) 08:03:44.85 ID:T8KiZviF
>>693
なにいってんだか。俺は業報輪廻転生も認めているし、
霊の存在も認めているぞ。もっとも君らじゃ、霊とはなにか、
霊と魂の違いはなにかもわかっていないと思うがな。
779カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/12(火) 08:07:41.97 ID:T8KiZviF
>>695
は?ちんぷんかんぷんなレス乙。
おれはあくまで原始仏典のテキストを元に話してるんだが。
むしろ原始仏典の内容を素直に読まず、エゴで曲解しているのは君らの
方だろ。その代表がゴータマは業報輪廻転生を認めていなかった
というトンデモ見解なわけで。なに言ってんだか、この人。
780前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 08:31:56.57 ID:lQPdi/bH
>>776
>現象界でラべリングされない五蘊以外もアートマンでないですか。
>上記は形而学上のものは無記を通したという話と矛盾するようですが。

「証拠は原典です」ならば、「形而学上のものは無記を通した」も原典です。

尚、私は高弟には異なる説法があったと仮説しておりますが、今回は不問です。
781前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 08:35:28.63 ID:lQPdi/bH
>>779
>その代表がゴータマは業報輪廻転生を認めていなかったというトンデモ見解なわけで。なに言ってんだか、この人。

もし「悪果を刈り取るならば、悪因を蒔く」が「真」ならば、因果の法を否定されても妥当でしょうね。
782神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 08:35:40.86 ID:iclR4Pag
>>774
言っても分からないだろうけど中村先生は四句分別の理解もないし、
中論の典拠がアーガマ・ニカーヤだということも気づいてないし、
読みが色々甘すぎて話にならない

中論の「相互依存性・関係性」というのは宇井伯寿の説で、
そもそもチャンドラキールティの論書を解釈したものだよ
それも誤解なんだって

中論というか中観内容研究は、ゲルク以外のチベットの諸師についた最近の西洋の研究を除いて、私が知る限り山口益、梶山雄一、生井智紹、石飛道子、吉村均以外ちゃんとしたものはない

ポーランドなど東欧・北欧の中観研究はシャイエルやマルなど例外的に優れていたようだけど言語的な壁があってオイラは参照できてない。

原典研究には優れたものが沢山あるけどね
783カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/12(火) 08:44:00.21 ID:T8KiZviF
>>782
おたくは四句分別を持ち出すのが好きだね〜。
お宅はその見解を捨てることからだな。なにせ ”それ” は
言葉では表現し得ないものだからね。
784神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 08:46:03.55 ID:iclR4Pag
>>776
>現象界でラべリングされない五蘊以外もアートマンでないですか。

 釈尊はそういうものを認めなかったから。それが他ならぬ以下なんだけど
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

>上記は形而学上のものは無記を通したという話と矛盾するようですが。

 形而上学には無記ということはいいけど、従来の説はその意味を「扱わない」としていたんだけど、それを石飛先生が「説かない」という意味に変えた。
 
 どう違うかというと「扱わない」は可能性として有るかもしれないが、それついて釈尊は言及しないというような意味

 「説かない」というのは外道でそういう説を信奉している人のために直接否定せず、釈尊はそうは説かないという意味

 そして十四無記は明らかに中道、六十二見や四句分別に直接関係し、そういう四つの主題について四句分別をとらないという意味が究極の意味に他ならない。
 なぜなら、四つの主題について「有る」と言っても「無い」と言っても「有り且つ無い」と言っても「有るのでもなく無いのでもない」と言っても何かの見解になってしまい戯論寂滅ではなくなるから

 この戯論寂滅という目的を理解せずに釈尊や龍樹菩薩が何らかの思想や見解を述べているという前提で読んできたのが仏教文献学最大の問題だとオイラは思う。
785カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/12(火) 08:46:43.34 ID:T8KiZviF
竜樹の中論は、自性と呼ばれているものを
自性と言う言葉で考察している、のっけから間違っている論書だってことに
早く気付けよ、アホ共。
786カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/12(火) 08:49:15.99 ID:T8KiZviF
>>784
だから戯論寂滅で終わりなら、それは滅びだと言ってんだよ。
お前に言ってもわからんだろうが。
787神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 09:28:48.66 ID:vpcUtaYY
>>777

釈迦のさとりは道徳でもなければ人格陶冶でも人生の完成でもない。

そこには必ず「我」がこびり付いている
788神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 09:32:52.58 ID:iclR4Pag
>>787
そう断定する根拠は何でしょう?
789神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 09:34:06.94 ID:vpcUtaYY
>>788
>>787に記載済みです
790神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 09:36:37.05 ID:iclR4Pag
>>789
え、そりゃ、xであるという断定、思い、主張が書いてあるだけど。

なぜなら、という理由、根拠が全くないけど。

オレチャンがそう思うからでしょうか?
791:2013/02/12(火) 09:41:41.03 ID:AVJGWvZZ
 
>>272 >>286 不説さんへ
> 【?氏】自体が誤解に基づいて引用していたもの

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm

初期仏教の解脱・悟り=想受滅(滅尽定)
(1)教説を理解することではなくて、想と受が滅する体験である
(2)文字の理解ではなくて、生が尽きた、すなわち、自己がないという体験である
(3)種々の文字で表現された依所となる事実を体験することである

四禅を超えて想受滅
原始仏教では「四禅三明」の教説、あるいは、単に「四禅」の教説が広く説かれている
「四禅」の後に、さらに
無色界の四処定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処)を説明することが多い
想受滅(滅尽定)は、それをも超えた位置に置かれていて、この想受滅(滅尽定)の直後に「解脱」するとされる
「想受滅(滅尽定)」を出た直後に解脱するとするが、経典によりその効果の説明が多少異なる

(D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅(滅尽定)を成就する

(C)は
想受滅(滅尽定)においては、その呼称のごとく「想」と「受」が滅する
覚者は、いのち、あたたかさがあり、諸根(眼耳など)の働きはあるが
心作用のうち受、想、行が滅している

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
諸の禅定の中で、滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する
792前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 09:59:42.49 ID:lQPdi/bH
>>784 オイラ氏
> なぜなら、四つの主題について「有る」と言っても「無い」と言っても「有り且つ無い」と言っても「有るのでもなく無いのでもない」と言っても何かの見解になってしまい戯論寂滅ではなくなるから

>>786 カラス氏
>だから戯論寂滅で終わりなら、それは滅びだと言ってんだよ。

お二人のやりとりを横から見ていてふと気付きました。
龍樹は「主張がない=戯論寂滅」を説明する為に、四句分別=四つの主題について「有る」と言っても「無い」と言っても「有り且つ無い」と言っても「有るのでもなく無いのでもない」といっても、後付けで考えたのかも知れませんね。
世俗の言葉に依るしかないので、結構無理したのかも知れません。言葉で説明できないことを言葉で説明したという無理、矛盾でしょう。

中村元先生は学者ですが、龍樹、世親、月称も当時の学者だったのではないでしょうか。彼らの学説に執着するということでは同じように存じます。
かと言って、アーガマ・ニカーヤにも後世の追加・修正もあり得ますから、原典に執着することもご隠居からよく御指摘されてることでしょう。
やはり原典と学説との間で、自燈明にて考えるというスタンスが自然でしょうか。でも現世で浄土入りも難しいかも知れませんね。
793前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 10:03:05.22 ID:lQPdi/bH
>>792
>やはり原典と学説との間で、自燈明にて考えるというスタンスが自然でしょうか。でも現世で浄土入りも難しいかも知れませんね。

この点では、妙信氏のご批判は当たっているかも知れません。行為は別として。
794神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 10:16:40.05 ID:iclR4Pag
>>792
>龍樹は「主張がない=戯論寂滅」を説明する為に、四句分別=四つの主題について「有る」と言っても「無い」と言っても「有り且つ無い」と言っても「有るのでもなく無いのでもない」といっても、後付けで考えたのかも知れませんね。

全然違います。そういうことを妄想で言ってもしかたない。そういうことばっかですね。
きっちりアーガマ・ニカーヤに基づいてるんですよ。
正に十四無記、六十二見がそう。
この前、問答したことが全く分かってなかったとしってガッカリですよ。

>中村元先生は学者ですが、龍樹、世親、月称も当時の学者だったのではないでしょうか。彼らの学説に執着するということでは同じように存じます。

 龍樹、世親、月称ともに行者ですよ。少なくとも皆三昧に入れるし空性も体験してます。しかも、龍樹は一切智のブッダレヴェルに接近してる。
 そういう聖者でないと伝統仏教では基本的に学者として認められません。

>かと言って、アーガマ・ニカーヤにも後世の追加・修正もあり得ますから、原典に執着することもご隠居からよく御指摘されてることでしょう。

 アーガマ・ニカーヤも編纂されたものですが、諸本、諸訳を観ても内容的に全く一貫してますよ。
 少なくとも凡夫が解釈してもしょうがない。

>やはり原典と学説との間で、自燈明にて考えるというスタンスが自然でしょうか。でも現世で浄土入りも難しいかも知れませんね。

 いや、そういう凡夫の解釈なんかに付き合ってられません。これでもうアナタも生命教、遊び、カラスと同じ対応にさせていただきます。あしからず。

 自分としてはよく付き合ったと思いますよ。
795一合相者則是不可説 :2013/02/12(火) 10:56:41.05 ID:doWub/fW
 妄想心霊主義の亡霊が「仏教」に徘徊している。

 仏教を捨置し、仏法を透過した筏の喩えの法門を智ると、

 妄想心霊主義は結局「一合相」(不二一元論)分別発想であることを見抜ける。

 一合相は一合相に非ず、これを一合相と名付ける。
 『一合相者則是不可説、但凡夫之人貧著其事。』(金剛般若経30より)
  <一合相=不二一元論=妄想心霊主義はこれを説くべからず。
   但し、凡夫・愚者が執着してしまうものなのだ。>

   一合相を切断する金剛石、智慧の完成をここに終わる。

 
796神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 11:10:34.69 ID:iclR4Pag
ゾンサル・キェンツェー・リンポチェの『入中論講義録』67頁
正にここでヌーエイジたちがやっていることが書かれているように思うです。

http://ja.scribd.com/doc/11432756/Madhyamakavatara
The first kind of person is someone who already has an established philosophy, such as
Hinduism or buddhism. This is why it is much easier to teach a hard-line Moslem or Christian,
because at least they have a view, and then we can debate. It is so difficult to teach New Age
people, because they are like honey. They paste things from here and there, they do not know
what they are talking about and we do not know where we should be directing our arguments.
There is a big difference between rimé (ris med ) non-sectarian, and New Age. Rimé always tries
to be as authentic as possible, and to have pure vision, whereas New Age people are always
diluting everything, from classical music to Dharma.
ある種の人は、ヒンドゥー教や仏教のように既に確立された哲学を持っている人です。
だからこそ強硬なイスラム教徒やキリスト教徒い教えより易しいのです。
なぜなら、少なくとも彼らは見解を持っているので私たちが議論できるからです。
[もう一種]ニューエイジの人たちに教えるのは難しい。なぜなら、彼らは蜂蜜のような[あちこちの思想・宗教から摘む]ものだからです。
彼らはあちこちからものごとをくっつける。彼らは話していることが何か分からず、私達は議論の方向を何処に向けるべきか分からない。
無宗派[ある宗派の教義への偏向がないチベットの流れリメー]とニューエイジには大きな違いがあります。無宗派は常に可能な限り正統であろうと、純粋な見方であろうとします。ニューエイジの人たちは常にクラシック音楽からのダルマまですべてのものを薄めています。
797前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 11:32:09.86 ID:lQPdi/bH
>>794
>正に十四無記、六十二見がそう。
>この前、問答したことが全く分かってなかったとしってガッカリですよ。

「全く」というのは言い過ぎでしょう。頭では理解しても腑に落ちていなかったようです。

>>792
>龍樹は「主張がない=戯論寂滅」を説明する為に、四句分別=四つの主題について(中略)
>世俗の言葉に依るしかないので、結構無理したのかも知れません。言葉で説明できないことを言葉で説明したという無理、矛盾でしょう。

上記が根拠です。
涅槃の如来も「戯論寂滅」 では、「慈悲」もあるとは言えないようなので腑に落ちておりません。

>いや、そういう凡夫の解釈なんかに付き合ってられません。

「いや、そういう凡夫の質問なんかに付き合ってられません。」と釈尊は一度でもおっしゃられましたか。
798前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 11:35:25.52 ID:lQPdi/bH
折に触れて仏様は慈悲と菩提心を試されるかも。

入中論の入口だと思いますが、妄想かも知れません。
799一合相者則是不可説:2013/02/12(火) 11:40:59.61 ID:doWub/fW
>>797
>そういう凡夫の解釈

早い話が。お前は底意地の悪いアホ、ということw
⇒但凡夫之人貧著其事。』(金剛般若経30より)
800神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 11:52:36.03 ID:iclR4Pag
>>797
>「いや、そういう凡夫の質問なんかに付き合ってられません。」と釈尊は一度でもおっしゃられましたか。

オイラはブッダでも聖者でもありませんよ

ただのエロオヤヂです
801不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 12:01:52.03 ID:tIC4DEBB
>>791 ?氏
> 解脱・悟り=想受滅(滅尽定)

これをこのスレで主張しているのはあなたぐらいです。引用元は別の人の記したノートであるにせよ、引用してここに書き込んだ段階であなた自身がそう思っているということに他なりません。



>カラス氏
>>791 のような具合ですが、これ(滅尽定、云々)に関しては一代氏やセブン氏とは無関係で、むしろ彼らはやや否定的、無関心な態度だということには留意して欲しいと思います。
802不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 12:19:05.13 ID:tIC4DEBB
>>791 ?氏
> 解脱・悟り=想受滅(滅尽定)

禅定(だけ)で解脱できるのであれば、戒定慧の三学からなる仏道のうちの慧が必須ではないということになってしまいます。

慧学を欠けばそれは外道に他ならず、外道は禅定の境地を様々に弄んで万教を打ち立て、我が宗、我が教えとします。

一方、仏教は外道ではなく中道であり、慧学を必須とします。
803SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 12:33:07.75 ID:bNgro1yx
>>791
根底の、ぎりぎりの局面において、無相は無相とはならず、有相を以て無相と為す。ここに智慧を生じ、慧解脱が起こる。

瞑想(メディテーション)で空に住し、無相まで到達することができる。しかしながら、これでは智慧を生じない。

観(=止観)によって無相に達し、さらに無相の煩いを智慧によって空と為したとき、修行は完成する。

最高の覚りを求める人は、この道によって解脱しなければならない。

***
804不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 12:35:56.96 ID:tIC4DEBB
>>802

慧学における必須・最重要な事柄が三法印(無常・苦・無我)であったり、輪廻とそこからの解脱である涅槃、縁起や四聖諦といった教えによって構成されているわけです。

戒学や定学の部分で仏教に対していくら近接しても、慧学の部分で食い違うのであれば、どうやってもそれは中道を外れた=外道なわけであり、「仏教ではない」ということにならざるをえません。
805前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 12:44:58.04 ID:lQPdi/bH
>>799
>早い話が。お前は底意地の悪いアホ、ということw

ご指摘を有難うございます。 
今朝は意地悪(非慈悲)モードに入っておりましたので、以後気を付けます。

>>800
>ただのエロオヤヂです

親鸞聖人は愚禿と自称されたそうですので、自称エロ僧侶とは、了解しました。
806:2013/02/12(火) 14:31:34.22 ID:AVJGWvZZ
 
カラスさんへ SRKWブッダさんへ 前世は一在家さんへ

瞑想(禅定)については 肯定なのか? 否定なのか?

1)瞑想(禅定)は必須ではない
2)瞑想(禅定)は必須である
3)瞑想(禅定)は必須であるが滅尽定(想受滅)は必須ではない
4)滅尽定(想受滅)も必須である
5)その他

ちなみに私の場合は
現状では教学として勉強している段階なので
初心者向けの瞑想の実践もまだ実際には、おこなった事がありませんが

我 ・ 我所を滅する為には 「 滅尽定(想受滅)も必須である 」 と考えています

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
807SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 14:39:27.62 ID:bNgro1yx
>>806
結論を言えば、覚りと瞑想(メディテーション)は無関係である。

瞑想すると空に住することができるが、それによって解脱は起きない。

瞑想すると、いろいろな景色が見えたり、チャクラが見え、安定したり、また瞑想の深まりに対応する順次のナーダ音が聞こえたりする。しかしながら、これらは覚りとは何の関係もない。

何となれば、これらのことは私が慧解脱する15年以上も前から達成されていたことだからである。もし瞑想が必須ならば、少なくともチャクラの安定後15年は必要だと経験上は言えることになる。

けだし、慧解脱は、瞑想によって起こるのではなく、(覚りの)因縁によって起こることである。

功徳を積んだ人が覚る。功徳を積むことによって少なくとも身解脱(形態(rupa)の解脱)を得ることができることは、私の身近にも実証されている。

***
808SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 14:45:36.02 ID:bNgro1yx
なお、瞑想(メディテーション)には、危険も伴う。

無所有処、および非想非非想処は、道の袋小路のような境地である。もちろん、これはニルヴァーナではない。

人がこれらの境地にはまり込むと、容易には脱することができない。愚かな者は、行き着くところまで来たのだからここが目指した目的地であると勘違いしてしまうだろう。

釈尊も、この危険性を知って、弟子達に無所有処、および非想非非想処にまつわることを説いていない。

聖求ある人は、心配は要らない。自らの明知によって正しい道を見い出すであろうからである。

***
809神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 14:46:41.47 ID:rUYkaAmx
カラスも宝珠も在家も、(隠居も)、
典拠・根拠を一切必要としてないよね。
だって、何を提示されても、
『それは違う。なぜなら「俺様がこう思うから」だ!』でしかないからね・・・。
>>779で、>>695について「ちんぷんかんぷん」の一言で済まし、
指摘をスルーし >君らの方だろ と相手に振る。
どうやら自分たちの方こそが >トンデモ見解 であるという自覚はあるようですね・・・。
810神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 14:49:09.65 ID:rUYkaAmx
811SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 14:50:26.87 ID:bNgro1yx
狂言の「すえひろ」ではないが、心構えが正しくないと、扇を買いに行ったのに傘を買わされる嵌めになる。

修行者は、静けさをめざして、ゆっくりと邁進せよ。正しい遍歴によって、人はついに覚りに至るからである。

***
812:2013/02/12(火) 14:53:40.94 ID:AVJGWvZZ
 
SRKWブッダさんの場合は

「 解脱に至る為の功徳を積んだ人が
 その功徳によって
 覚りに至るための因縁によって 」

と言う事ですね?

とりあえず SRKWブッダさん の意見として了解致しました
813神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 15:04:53.17 ID:rUYkaAmx
>>794
なw
在家は、解ってて、敢えて従わないし、聞く耳も(意図的に)持たないんだよ。
聞き入れた風な言葉の遣り取り・会話をしておかないと色々言われるし、
紳士的な遣り取りを標榜している手前、そのポーズは必須なのでしょう。
相手を、罵詈雑言を用いる・中傷する・決め付け侮蔑するなどと批判もできますしね。

しかし、彼は最初から相手の意見を聞く気なんかさらさらない。
一応相手に喋らせて、遣り取りをした形式だけ繕っておいて、
「でも、こう見えます」と自説の主張しかしない。
彼(そしておそらく宝珠やカラスも同様でしょうが)にとっては、
他者の意見も、典拠も、仏典の基本的読みも、歴史も伝統も、すべてどーでもいいわけです。
しょうがないから聞いてるだけで、右から左なわけです。
大切なのは、自分の願望を満たしてくれる言葉だけなのですから。

だから、(個々には(人として)いいトコありますけどw)、総じて言えば醜悪下劣な品性ということです。
814前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 15:05:06.91 ID:lQPdi/bH
>>806
>瞑想(禅定)については 肯定なのか? 否定なのか?

SRKWブッダさんとは違う理由ですが、危険が伴うので否定的ですね。

通常は肉体を離れた意識は浄土か地獄へ往きますが、執着が強すぎたり、死んだことも認めない場合は現世に留まります。
そして瞑想でトランス状態になった時にこれらに憑依され易くなります。

昔の異教では瞑想者のそばで審神者が見張っていて、憑依されそうになれば棒でピシッと叩いて妨げます。
眠っているのを起こすのとは意味合いが異なります。

以上、異教の事例にて。
815前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 15:25:40.00 ID:lQPdi/bH
>>809
>カラスも宝珠も在家も、(隠居も)、典拠・根拠を一切必要としてないよね。
>だって、何を提示されても、
>『それは違う。なぜなら「俺様がこう思うから」だ!』でしかないからね・・・。

「縁起」は相依相関関係にあらず(中略)
一つの論理世界で「PならばQ(含意)」と「QならばP(含意)」は形式的にはどちらも承認されるが、現実の世界では一方の場合しか適用されない。
(参照:「ブッダと龍樹の論理学」石飛著)

それから特に宝珠さんはいつも丁寧に参考文献を提示しているかと存じます。
まあプロではないので毎回原典までは遡れないかも知れませんが。
816神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 15:28:00.08 ID:iclR4Pag
>>813
そうは思いたくない

捨てられない自分の立場を墨守しているように見えるけど

そこを捨てなくても、取り敢えず措いて話さないと対話は無理だということで、
今回はなんとか措いてもらおうと努力したんだけど無駄だったようです
817前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 15:39:40.18 ID:lQPdi/bH
>>816
>捨てられない自分の立場を墨守しているように見えるけど

「墨守」とは善い言葉の響きですね。 
強い「執着」と堅い「信」とをよく言い当てているように思います。

私も異教の方々と話すときにはまず接点を探りながら対話して相互理解を深めることを念頭に置きます。
決して相手の洗脳を解くなどと上から目線にならないように留意を心掛けておりますが、未熟さが出ます。
818不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 16:01:18.32 ID:tIC4DEBB
>>813 セブン氏

禅定(に関する性質の問題)は火に注ぐ「油」のようなもので、邪見(欠陥のある思想体系)を孕んでいれば、却ってますます執着が膨らみ強化されることになります。執着があれば素直になるのは難しく、「意図的」でなくとも、感情的に拒むのもやむなしでしょう。

ただセブンさん個人に関しては、“痺れを切らす”のも当然と思われるに十分なくらい、これまで長きに渡って対話の努力を続けてらっしゃると思います。
819不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 16:15:41.69 ID:tIC4DEBB
>>808 SRKW師
> 無所有処、および非想非非想処は、道の袋小路のような境地である。もちろん、これはニルヴァーナではない。

私の仏教的バックグラウンドであるテーラワーダにおいては無色界禅定全体(滅尽定も無色界禅定の一種)が、どちらかというと禁忌されています。SRKW師の見解に何ら問題は感じません。
820神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 16:16:39.87 ID:rUYkaAmx
>>794
ほらねw

>>817 >決して相手の洗脳を解くなどと上から目線にならないように留意を心掛けておりますが

(この前の行もそうだけど)
この一文がどう見える?w

私には、(一連の開き直りや、指摘・異議への見事なスルーっぷりからw)

 『あなた達は、相手に対して上から目線で「改心させてやろう」という(傲慢な)姿勢がありますね』( ̄ー ̄)ニヤリ
 『私は、もっと紳士的ですよ?(→なんで罵倒されなければならないんですか?)』

という皮肉と棚上げに見えるけど?w (皮肉になっているかは別にして)
821SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 16:26:14.01 ID:bNgro1yx
>>819
テーラワーダには、ブッダが出現していない。それで、彼らは真実を知らずにいる。

***
822神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 16:28:19.85 ID:rUYkaAmx
>>819
まあね・・、談話室以来ずっとだからね・・・(^^;
で、>>817のような、言葉は丁寧でへりくだってるけど、敵意丸出しのレスも多いしね。
『え?私のどこがいけないんですか?(゚∀゚)』
『汚い言葉は使わないし、相手の意見を全否定もしないし批判もしないし、
間違っているという決定的確定的証拠はないですし、微細に訂正もしてますし、
いったい何が悪いんですか?罵倒中傷される理由がさっぱりわかりません ><; 』 みたいな・・・。

慇懃無礼って言い方が、この場合に合ってるか知らんがwそんな感じ。
823神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 16:29:33.11 ID:rUYkaAmx
あ、あぼんでレス番飛んでたのかw >>822>>818
824パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/12(火) 16:37:16.21 ID:nTVkZawk
「私は真理を了解している。お前らは何も分かってない。だから、
目を覚ませてやるんだ。」・・・・・根底にこの意識があるから、
何言っても無駄www

そもそも、学ぼうとする姿勢が皆無w


>テーラワーダには、ブッダが出現していない。それで、彼らは真実を知らずにいる。

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
笑おたwwwww
825:2013/02/12(火) 16:38:16.92 ID:AVJGWvZZ
 
前世は一在家さんの場合は

「 瞑想(禅定)については、危険が伴うので否定的です 」 と言う事ですね?

とりあえず 前世は一在家さん の意見として了解致しました

あとは

カラスさんと

宝珠さんの見解を、うかがいたい、と思います

宝珠さんへ >>791>>806 を、ご確認下さいませ
826SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 16:55:00.20 ID:bNgro1yx
賢者は、真理を耳にして、それが真理だとただちに覚知する。

愚者は、真理を耳にしても、それが真理だと知ることが出来ない。

それぞれの違いは、功徳の違いである。充分に功徳を積んだ人が、自らの因縁によってついに覚る(=解脱する)のである。

***
827不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 17:21:43.53 ID:tIC4DEBB
>>821 SRKW師

確かに、釈尊以降は正覚仏陀は(未だ)出現していない、というのがテーラワーダの立場です。

> それで、彼らは真実を知らずにいる。

釈尊以降に正覚仏陀が出現したということですか?
828SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 17:26:55.82 ID:bNgro1yx
>>827
釈尊以来、慧解脱を果たしたブッダはおそらく数人程度しか出現していない。

その本当の理由は不明であるが、今現在のブッダは私(=SRKWブッダ)一人である。

***
829:2013/02/12(火) 17:38:07.90 ID:AVJGWvZZ
 
> 愚者は、真理を耳にしても、それが真理だと知ることが出来ない
> それぞれの違いは、功徳の違いである。充分に功徳を積んだ人が、自らの因縁によってついに覚る(=解脱する)のである

http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
如来は、戯論を過ぎるが、而し
人は、戯論を生ずる
中論觀四諦品第二十四
一切の法は、性空だが、而し
世俗諦とは
世間は、顛倒の故に、虚妄の法を生じ、世間には、是れが、実である

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)
唯識説の説く八識のうち第七識であり
第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩
一説では、この識を因縁識といい
過去の事象が潜在する識といい、悪念の集結潜在力(障碍作用)の依所といわれる

http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
チベット仏教ゲルク派
我 ・ 我所を滅していない人の場合は
「 それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある 」 と思い込んで執着している
「 自性が有るが故に現れているのである 」 と思い込んで執着している
830神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 18:10:48.02 ID:hoeCGWD/
「これが真実である」と示せるものはないってのはみんな納得できる
でも、示せないけど、「真実なるもの」はあるはずだよな、っていう人がでてくる
これが神信仰者やアートマン信仰者
つまり、永遠だとか絶対、無限なる概念をつくり、これを真実の身代わりとして崇める
なんらかの形をつくらなければ不安で押し殺されるからだ。
仏教はこれは方便としては受けつつ、そこを過ぎる
大切なのは、相対性の中で絶対性にゆきつかないことをあきらめることであって
絶対性を立てることではない
これは、絶対性によっていさかいが起こってきた過去を見ても反省するべきことだ
831不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/12(火) 18:15:06.18 ID:tIC4DEBB
>>828 SRKW師
> 慧解脱を果たしたブッダ

阿羅漢は広義のブッダ(目覚めた人)ではありますが、(とりわけテーラワーダにおいて)正覚仏とは厳密には区別されます。

また、阿羅漢は釈尊在世においても多数輩出されております。阿羅漢は「慧解脱していない」とお考えなのでしょうか?
832SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 18:18:31.96 ID:bNgro1yx
>>831
阿羅漢とは、身解脱(形態(rupa)の解脱)を果たした人を言う。この場合、名称(nama)作用が残っているので慧解脱とはならない。

なお、名称(nama)の解脱のみを果たした場合には、心解脱者(=長老)となる。

世を厭う気持ちが定まったとき、身解脱(形態(rupa)の解脱)が起こる。これを達成するために必要なことは功徳を積むことだけであり、特別な修行は要らない。

***
833神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 18:28:42.14 ID:+jZkqXHW
>>735 宝珠さん
>『誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
>それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。』(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)

知ってる知ってる。
まず、一切(有為なるもの)っていうのは、知覚されたものに限る、これはそのサンユッタ・ニカーヤにもあったよね。
中論の注釈者の青目が巧い説明をしている。以下、要約すると…

  もし、神が五蘊(≒有為法)であるならば、神は無常ということになり、生滅するものということになる。
  (逆に言えば、知覚されたものなら、神でもアートマンでも、世俗的な名前で呼んでも問題ないということ)
  もし、神が五蘊を離れた、別の所にあるならば…(←これが宝珠さんの立場だよね?神はアートマンでもイデアでもいい)
  五蘊を離れて、さらに法はない。(←サンユッタニカーヤと同じことを言ってる)
  聖人は、先に眼で見て、後に説くのである。しかし、神はそうではない。
  神を先に見て、後に説く者はいない。

このように、知覚されてないものの「存在」は、「別の一切」に含まれ、説かれない。
しかし、涅槃は"法"として確かに説かれた。
ということは…涅槃は神やアートマンのように掴まれる「存在」じゃないんだって。
834前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/12(火) 18:28:54.19 ID:lQPdi/bH
>>826 SRKWブッダ氏
>それぞれの違いは、功徳の違いである。充分に功徳を積んだ人が、自らの因縁によってついに覚る(=解脱する)のである。

充分に智慧を深めた人が、自らの因縁によってついに覚る(=解脱する)のである、でないことが分かり易いですね。

入中論で最初に腑に落ちた点は、菩薩の特質は智慧と慈悲と菩提心だということです。
この著書を読むまでは、仏教では禅定と智慧にて到彼岸するかと考えておりましたが、それは誤解だったということです。
菩薩達は衆生済度を誓願し涅槃入りを望まず輪廻を繰り返されるようですが、ある時に功徳が蓄積して図らずとも解脱してしまうようにも思料します。

Q.四句分別の無い涅槃の境地におられる如来には慈悲が有りや無しや?

この問いは今朝?本スレで行いましたが回答はまだです。でも入中論p9にほぼ回答がございました。

慈悲の完成は仏において見られるが、そこでは衆生が救われない限り、完全な涅槃には入らないという無住処涅槃に展開する。(中略)
この慈悲が根本となって全ての人々を救おうとする決意が生じる。これが菩提心であって、

(註)
入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。
入中論12-42:有無に執して苦に沈む者のために、慈悲の心のある仏は涅槃に向かう心を退ける。

祖父の寝言に登場する仏様の口癖が「我汝を救わずば正覚をとらじ」と謎でしたが、なんとなく意味が分かったような気がします。
図書館で借りずに自分で買い、赤線を引き、付箋をつけた方がずっと有用かと存じます。
835神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 18:29:12.95 ID:+jZkqXHW
>>735 宝珠さん

涅槃は「一切(有為なるもの)の見解からの出離」、って中論にあるけど、この境地を仮に、
あたかも「存在」であるかのように"説かれたとき"、それは「無為法」と呼ばれる。
この場合の「法」は「教え」って意味でとれば分かりやすいし、
「存在」の意味でとっても「一切の見解を離れた、戯論寂滅の境地」とすれば矛盾がない。

水野さんとか、学者の説じゃなくて、経典か論書から引っ張ってきてちょうだいよ。
836神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 18:35:06.62 ID:rUYkaAmx
うまいこと言うね。 >>830

「我(真我)」を立てることも、「世界の起源・始原(第一形態)」を設定することも、
「幸せなハッピーワールド」を夢想することも、
「因による縁による“願望”の投影」でしかない、と看破せねばならないんですけどね・・。

それこそ、陸地のない大海に漂流しているという自覚が必要なわけで・・。
それを、どこかに、左団扇で安らげる大地・島があると夢想するのが凡夫なわけで。

漂流しているという自覚、陸を探すのでなく自らが泳ぎ続けねばならない、という
現状認識と覚悟こそが、人を安楽へと導くのに・・・。
837神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 18:37:07.92 ID:+jZkqXHW
>>735
>認めたくない気持ちは理解しますが、これ以上、見苦しいと思うますよ。

すいません、自分の間違いを探してがんばってるけど、
龍樹の言ってることを正確に理解すればするほど、隙や矛盾が無くて、間違いが見つからないんだって。
ほとんど、石飛先生と一代さんのおかげだけど

>ゴータマは「信仰を捨てろ」といっている。これは、間違いは素直に認める勇気を持ちなさい、ということです。

いや、知覚していないものに対して、「それは実在するはずだ」という見解を捨てろ、ということじゃない?
もちろん、知覚しているものに対してもそうなんだけど、
知覚してるものなら、仏教では縁起、仮設、有為法、虚妄なる法という形で、存在は認めるから
838神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 18:45:56.68 ID:hoeCGWD/
>>836
まあ、それが化土と報土との分水嶺だと俺は思うんだけどね

>漂流しているという自覚、陸を探すのでなく自らが泳ぎ続けねばならない、という
現状認識と覚悟こそ

これは三定死かね
二進も三進もいかない状態をふっと超えたところに安楽はある
839SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 18:46:05.16 ID:bNgro1yx
人々(衆生)は、顛倒している。

したがって、たとえ生き身の如来から正しい理法を聞くことが出来て、それを心から納得し、理解できたように思えても、実は何一つ理解出来ていない。

しかしながら、それでは人々(衆生)はどうやって正しい道を歩み得るのであるか?

それは、本人の聖求にもとづき安らぎを求め、明知によって道を見い出し、功徳によってさらに功徳を積んで、ついに覚りの機縁・因縁を生じて覚るのである。

覚ったとき、自分が歩んできた道が正しい道であったことを後づけで知ることになる。これが覚りの道の歩みの真実である。

覚りはいかなる段階の説にもしたがわず、いかなる固定的な修行法も存在しない。ただ、真実を知ろうと熱望する人が、道を見い出し、徳行を為し、自らの道を浄めてついにニルヴァーナに達する。

この道において、如来は何の関係もない。如来との仏縁など無くても、人は覚るからである。もちろん、如来との仏縁があって覚る人もある。

こころある人は、聞き知った理法をよく吟味して、実践し、自らによってこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。

***
840:2013/02/12(火) 19:05:59.35 ID:AVJGWvZZ
 
> 人々(衆生)は、顛倒している

http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
すべての苦しみのもとは、「生きていきたい」「ほしい」という心のはたらきです
仏教では、「ほしい、ほしい」と思うのは真実がわかっていないからだといっています
無明から渇愛が生まれるのです
無明と渇愛がうまく絡み合って
無始なる過去から終わりなく苦しみをつくり出しています
そこから脱出しましょう
(客観的に正しく観察する事が出来るのか? どうか? わからないけど)
客観的に自分を観ることによって
無明と渇愛を消していきましょう
というのがお釈迦さまの教えなのです
841SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 19:12:31.03 ID:bNgro1yx
無明とは、明かりがないということである。これは、眼はあるのに明かりがないことを意味している。

したがって、人々(衆生)が明かり(=智慧)を得たならば、ただちに真実の真相(すがた)を見ることができるであろう。

ここに無明は消滅し、すべては明らかとなり、同時に苦の体たるこの名称と形態(nama-rupa)は消滅する。

渇愛は、執著によって起こることである。たとえ愛し好むものがあっても、欲望を生じることがなく、執著を起こさなければ、渇愛もまた生じることがない。

渇愛そのものを直接に滅ぼす手段は存在しない。しかしながら、執著を離れることによって、欲望を制することによって、人はついに渇愛を脱する。

***
842神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 19:22:15.18 ID:8hOWLN84
蛇の脱皮に喩えられるから蛇(我)が無いってことはないよ
では脱皮前とはどういう状態か?ということ
例えば、それが当たり前と思っている状態ではなかろうか?
例えば2chでwを付けるのが当たり前とか
843:2013/02/12(火) 19:22:39.55 ID:AVJGWvZZ
 
> 渇愛そのものを直接に滅ぼす手段は存在しない

受 ・ 想 ・ 行を滅させる為に

想受滅(滅尽定)と言う方法があるのだと思うけど?

http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
844神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 19:25:32.49 ID:8hOWLN84
何からの脱皮かについては、やっぱり渇愛だと俺も思うなー
例えばそれが悟りとか涅槃とかー
845SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 19:27:55.69 ID:bNgro1yx
>>843
渇愛は、情欲に結びついている。それゆえに、人がこれを離れることは容易ではない。

そこで、もろもろの徳のうちでは<情欲を離れること>が最もすぐれている──と説かれる。

想受滅によって渇愛を脱することができるというのは、単なる勘違いである。麻酔で痛みを抑えたようなものである。根本の棘を抜かない限り、くり返し渇愛は人を襲う。

***
846神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 19:37:22.59 ID:8hOWLN84
情欲に関しては懐疑的だな、俺は
自己認識論の範疇の出来事だから
例えば、結婚するのが当たり前だとか
無意識的誤解みたいなもんと思う
847:2013/02/12(火) 19:43:44.10 ID:AVJGWvZZ
 
> 想受滅によって渇愛を脱することができるというのは、単なる勘違いである

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81

仏教で、悟りに至るための三十七菩提分法については、どのように考えますか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて
世界における欲と憂いを捨て去るべきである
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として
いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた
これが 「 自灯明・法灯明 」 の教えである
848神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 19:45:30.23 ID:rUYkaAmx
?の厄介な所は、NGにぶち込めないとこだなw
849SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/02/12(火) 19:51:30.50 ID:bNgro1yx
>>847
覚りの至る固定的な修行法など存在しない。

ただ、こころある人は身近かなことがらについて正しく行ない、それを修行とする。

また、志ある人はよく徳行を為し、功徳を積んで、自らの道の歩みを浄め、堅固ならしめる。

過去に説かれた理法を簡単に捨て去るべきではない。しかしながら、伝えられた理法にこだわって自らの修行を為さないならば、それらはすべて悪魔の説と化す。

修行者は、よく吟味して、自らの修行を実践し、完成させよ。覚りの道は、最初から最後まで各自のことがらなのである。

***
850神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 19:57:17.51 ID:8hOWLN84
>>847
まぁそんな感じかとも思うが、何らかの指針は絶対必要だと思う。
欲や憂いじゃ漠然とし過ぎて、身体、感覚、心、法も同じ。
なんとなーく八正道の実践だとマジで思う。
それもまた漠然としていて…
とにかく正しいの追求だと思う。
これもまた漠然としているが、そんな感じでいいと思う。
851:2013/02/12(火) 20:00:56.78 ID:AVJGWvZZ
 
SRKWブッダさんの場合は

「 覚りの至る固定的な修行法など存在しない 」 と言う事ですね?

とりあえず SRKWブッダさん の意見として了解致しました
852神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 20:06:48.71 ID:8hOWLN84
ブッダさんの意見じゃなくてスッタニパータにそれ風なことが書いてある。
そうでなくとも固定観念は否定される。隠居とかがいい例。
固定的修行法は存在しないと見るのが正しい。
853:2013/02/12(火) 20:15:49.25 ID:AVJGWvZZ
 
>>850 ID:8hOWLN84 さんへ
> まぁそんな感じかとも思うが、何らかの指針は絶対必要だと思う

コテハン付いてないので、誰なのかわからないけど
とりあえず、レス有り難うございます

私の場合は、絶対とは言えないけど
「 解脱に至る為には禅定(瞑想)は必要なものである 」

と考えています
854神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 20:23:40.74 ID:8hOWLN84
>>853
瞑想は必要かもとは思いますが、それが坐禅でもいいし、
ヴィパサナ的なものでもいいし、私個人の意見としては
正しいの追求に繋がるものなら何だっていいと考えます。
普通の生活においても役立ちそうですし、
損はないと考えます。
855神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 20:32:47.43 ID:yYzSxDO0
>>828
それはありえないな
歴史上のすべての人の精神状態をわかる人なんていないし
自分がその中の一人というのは妄想でしかないw
856ノスタルジア:2013/02/12(火) 20:33:48.06 ID:e1THfwo3
獅子吼する人物に我々は騙されるべきではない。

なぜなら獅子吼する人物は、妥協しない人物ではあるかもしれないが、
隣人や遠い縁者を駒のように見えている節がある。

もちろんお釈迦様は獅子吼したが、隣人や遠い縁者を妥協させなかっただろう。

隣人や遠い縁者を駒のように扱う人物は、自利利他円満であるかもしれないが、
どこか私には違和感を感じることがある。

どれだけ、仏の説法と言おうが、プライバシーを全公開しようが一部だけ公開しようが、
その仏の説法という一貫した、個性を押し通す、手口を見れば、とうてい実績も
違和感に相当する出来でしかなく、結局はラング(言語)の利用で幕を終えるだろう。

何らかの境地に至らしめる、ニルヴァーナに至らしめるのが、真の仏であるのだろう。

自らが仏になる、というのを我々は求めているのだろうか?
人間界で真の善友を見つけることが我々の求めていることではないだろうか?
というか私はそれを求めている。その上での、仏教であるし、現実物語であるのだろう。
857神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 20:34:54.80 ID:8hOWLN84
正しいの追求の例えが非常に難しいですが、
例えば、美徳の一つに謙虚というのがあります。
姿形あるいは言葉だけの謙虚でいられても果たして腹の底から謙虚でいられるか?
そんなことを、ふと考えます。
858:2013/02/12(火) 20:36:36.85 ID:AVJGWvZZ
 
>>854 ID:8hOWLN84 さんへ

有り難う御座います

礼拝帰依 ブッダン サラナン ガッチャーミ

  屮(_ ._)屮  屮(_ ._)屮  屮(_ ._)屮
859神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 20:39:48.44 ID:ybOuJ3eG
つまり、空だとか縁起だとかいって現実から逃避する。
実体なんかない仮説にすぎないんだと現実を軽視しなければ不安で押し殺されるからだ。
860ノスタルジア:2013/02/12(火) 20:50:41.76 ID:e1THfwo3
もし目覚めた仏であるなら、もし目覚めた仏と同等な人物であるなら、自らの隣人や遠い縁者をとってもとっても
大事にするだろう。お釈迦様に比べて、不器用な対機説法であるかもしれないが、それによって、自らと同等な覚りを
至らしめる人物像こそ、私たちが求めてやまないものであると私に当て嵌めて思っているところである。

必死になって、自ら覚った人物がいるとするなら、その人物は、今度は必死になって、努めるべきであろう。
何を努めるのかというと、その自らの覚りを、自らの隣人や、遠い縁者にさえも、ちゃんと与えるべきである。
こころに秘めているだけでは、ダメである。それは浄土宗の山崎弁栄の言う秘密を持つ者でしか必然的に、
無くなってしまう。確か、地獄や餓鬼や畜生辺りが、秘密を持つ者だったように記憶する。

難しく言ったつもりはないが、難しく聞こえるかもしれない。
ようは、脱出であり、解脱の視点が重要なのだろうと思う。
もちろん私は今自分がどこにいるか、どのようなところにいるか分からないが、
しかし追究や研究をして、覚らせるという視点を養っている最中であるのだろうか。

周りに、大きな円の包括内にいるすべての人類が、自らの得た何かを明け渡すことが
出来れば幸いではないだろうか?

さー輪になって踊ろう、ラララララ、夢を叶えるよー。ということである。

何か、真我のようなものがあるのではないと思われる。あくまでも初心の無我であり、
無常であり、皆苦であり、そしてやはり絶対の幸福であるニルヴァーナである。
861ノスタルジア:2013/02/12(火) 21:00:55.09 ID:e1THfwo3
もし私の意見に反抗があるならば、甘え、妥協があるのだろう。

ようは業論になり、カルマの大小の話になってきますよ・・・。

自らで蓄えた業を、真摯に受け止めて、尚且つ、どうしようもない現実の只中で

自分に厳しく生きていくしかない人々もいることだろうと思います。

そのような人々も、けっして、覚りをうらんだりせずに、生きていければいいと

思います。その途上で、自ら妥協しなくてもいいのです。逆にそのあなたの

個性で愛を広めればいいと思います。
862神も仏も名無しさん:2013/02/12(火) 21:09:25.95 ID:rUYkaAmx
>>859
逃避という側面があることは否定せんが、
同時に、
所縁によってすべては顕現しているということも押さえるべきと思うし、
だからこそ、その因や縁に想いを馳せれば、(ああ、これがきっかけだったんだな・・と自己分析できれば)、
昨日までは腹立たしく思えた同僚の言動が、今日は「ああ、そういうこともあるよね・・(-人-)」
と思えるようになったりする。
それだけでも、物凄い成果・効果だと思うよ。




レス番飛んどるなぁ・・w
863神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 00:36:04.81 ID:tgXXDGwS
>>862
>昨日までは腹立たしく思えた同僚の言動が、今日は「ああ、そういうこともあるよね・・(-人-)」
>と思えるようになったりする。
>それだけでも、物凄い成果・効果だと思うよ。

そんなことのために、宗教で精神を狂わす必要はない。被害のほうが遥かに大きい。
864不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/13(水) 02:03:03.33 ID:VrwquJsi
>>832 SRKW師
>阿羅漢とは、身解脱(形態(rupa)の解脱)を果たした人を言う。この場合、名称(nama)作用が残っているので慧解脱とはならない。
>なお、名称(nama)の解脱のみを果たした場合には、心解脱者(=長老)となる。

「身解脱」という用語は私には馴染みのないものだったので検索してみましたが、
するとSRKW師の文書に至りました
ttp://p.booklog.jp/book/43447/page/905420

大乗的にはどうなのか私には判別しかねますが、テーラワーダ的な用語からすると、「(正自覚者という意味での)仏陀」「阿羅漢」「慧解脱」「心解脱」といったものとの対応範囲に相違があるように思えます。

例えば、テーラワーダの経典「大ヴァッチャ経」(中部)では「心解脱と慧解脱を果たした者」として「阿羅漢」が意味され、「500人以上いる」とされています。
865不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/13(水) 02:58:13.65 ID:VrwquJsi
>>822 セブン氏

対話相手(一在家氏に限らず)から「祖師西来意」を問いかけられているのではないでしょうか? 何といってもセブンさんはれっきとした禅家ですから。
866神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 06:49:07.53 ID:n4kfKhDy
>>859
空は現実を否定するものではないよ
人間が認識する現実とやらを絶対視しないだけ
867宝珠愚者@(規制代行):2013/02/13(水) 07:26:10.59 ID:d9W6UUcx
>>825
>宝珠さんの見解を、うかがいたい、と思います

瞑想(禅定)は当然必須でしょう。
それは仏教に限らずどんな宗教においてもです。
滅尽定(想受滅)というのも、その瞑想修得の過程に生ずる状態(境地)ではありませんか?

危険性があるからまだしないというのは理解しますが、
危険だから無用というのは違うものと思います。
これは必須課程ですから。

難しいものをする必要はないので、
最初の内には信頼すべき先生の指導を受けてから体験し、
あとは日々、僅かでもいいので怠ることなく続けられるべきです。
実践は僅か5分でもいいから、日々の日課に入れるということ。
868宝珠愚者@(規制代行):2013/02/13(水) 07:26:55.65 ID:d9W6UUcx
>>833
>このように、知覚されてないものの「存在」は、「別の一切」に含まれ、説かれない。
>しかし、涅槃は"法"として確かに説かれた。
>ということは…涅槃は神やアートマンのように掴まれる「存在」じゃないんだって。

つまり、
それは“機能的な実体としては認めない”というだけのことでしょう。
私には、アートマンについての正しい理解という意味に捉えても別段、
問題ないものと思われますが・・・。

ゴータマは単なる境地(状態?)としてこれを示した。
しかし、バラモン・ヒンドゥーは涅槃に在るその存在そのものを説いたのだと思います。

それと、
ID:+jZkqXHWさんは一代ではない、と?
IDは確かに違うし、ん誰かな?いつから参加??
しかし、文体表現が似てる感じがありますね・・・。
869宝珠愚者@(規制代行):2013/02/13(水) 07:28:42.95 ID:d9W6UUcx
>>784
>形而上学には無記ということはいいけど、
>従来の説はその意味を「扱わない」としていたんだけど、
>それを石飛先生が「説かない」という意味に変えた。
>どう違うかというと「扱わない」は可能性として有るかもしれないが、
>それついて釈尊は言及しないというような意味
>「説かない」というのは外道でそういう説を信奉している人のために直接否定せず、
>釈尊はそうは説かないという意味

つまりは、
「アートマンは在る」けれどもそれを「扱わない」だけなのか、
「アートマンは無い」けれども外道信奉者を直接否定したくないから「説かなかった」ということの違いだと。
話としては仰る意味は理解しますが、(この場合においては)真実はどちらなのかが特定できないのに、
ただ勝手に、「(無いけれども)説くことをしなかった」ことにしていますよね。
やはり、どちらが真実であったか特定できない限りにおいては、
依然として、無為としての“アートマンはある”という可能はまだ残されています。
この私は、アートマン直知体験の系譜の徒ですから(ゴータマ在世当時は実現者がいなかったようですが・・・)。
それは経験に基づいた無記にしない明確な教え(非仏教)です。
870神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 07:32:54.14 ID:5b1H4GqL
それが何かというと単に宝珠の中の出来事であり
誰とも関係のないものであり単に拘りというもの。

拘りを捨てよが釈迦の教えにおいては絶対正解。
871神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 07:37:51.50 ID:5b1H4GqL
もっと簡単にいうなら固定観念を捨てる。
瞑想が固定観念を捨てるのに役立つなら意味あり。
逆に瞑想により固定観念を強めるなら意味なし。
872宝珠愚者@(規制代行):2013/02/13(水) 07:44:41.67 ID:jUNJtKJr
1/2
>>773
 『つまり、止・サマタが完成し観を、縁起・無我で正しく行じないものは光明などの禅定・三昧
体験をアートマンと勘違いしてしまうが、縁起・無我で正しく行じるものは光明などの体験を無
我と捉えることができるということです。つまり、我と捉える観は正しい観ではないのです。これ
は『梵網経』でいう聖者、つまり禅定・三昧体験をアートマンと勘違いしてしまう境地を指してい
ると考えます。
 さらに相応部では、次のように説かれます。
 つまり、なんども述べてきた『梵網経』に説かれるように、なんらかの三昧・禅定体験の感受を、
我・アートマン・実在・本質と捉えるのは、五取蘊のどれかを捉えているに他ならないと釈尊は
説かれる。その点で諸テキストは一致しています。 』
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

ここに述べられている内容ならば、この私も同意しますけれど。
一代は、ゴータマは五蘊以外のアートマンも認めていないといいつつも、
これは単に、バラモンの説くアートマンは五蘊に過ぎないから、
所詮、五蘊はアートマンではないから、という話でしかない。
真実のアートマンは、当時のバラモンたちのサマーディの境地を超えたものです。
つまり、五蘊のいずれでもない超越存在(五蘊はアートマンではない)です。
873宝珠愚者@(規制代行):2013/02/13(水) 07:45:38.30 ID:jUNJtKJr
2/2
>http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html

ですから、「一切」というのは現象界のことですよ。
「一切法」とは現象界における性質の解説、及び人はどう在るべきかを問うもので、
つまり、これが仏教の教え(法ダールマ)だということになる。
ただし、これは神通力の範囲を含めての現象界であって、ここがただの唯物論とは異なるところです。
何度もいうように、当時のバラモンたちがサーマディにおいて到達した境地は涅槃ではありません。
自己の輪廻主体としての「ジーヴァ」(魂)、神智学の説く「ソウル」「アートマ」であって、
ウパニシャッドの説く究極の「アートマン」(真我)ではない。
「アートマン」(真我)を見出すには、まずこの「ジーヴァ」(魂)を破壊する必要があります。
自己の破壊であり、自己の完全なる死滅として感じられる最大の恐怖を伴う大試練なのです。
ところが、魂との一体化を図る彼らには大変な神通が発揮でき、凄い神秘体験を得られはしますが、
ここに捉われて執着してしまうと、もう自己破壊できないので、ついにこの先へは進めない。
これがバラモンは輪廻を免れないという意味なのです。
「真我」(アートマン)はこの更に奥に在って、未だ見えてこない最奥の存在です。
六十二見はバラモン聖者たちの自己魂との合一の境地を示したものであり、
アートマンだと勘違いをした境地のことです。

>http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html

別段、否定する何ものもないですよ。
アートマンというのは、更にこれらを超越したものですから。
874神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 07:59:41.94 ID:5b1H4GqL
神通力を語るなら自分が神通力を身につけてから語れ。
それは『目からビーム』と変わることのない発想。
身体が動く、思考が生じる。それだけで神通力では収集がつかんのか?
そんなんじゃ物足りんというのなら、欲望という名のもとに
目からビームが出せるよう勝手に日夜修行するがよかろう。
875神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 08:17:12.30 ID:5b1H4GqL
欲望とは目からビームどころか目を曇らせる。
疾すぎるでもなく遅すぎるでもなくとは、
実際の行動スピードとも関連するが、
単に気持ちのスピードであり、心もちのスピードであり、境地に過ぎない。
忘れ物をする時は、だいたい気持ちがどちらかに傾倒しているといえる。
876前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 08:29:30.28 ID:xk/vQips
>>874
>神通力を語るなら自分が神通力を身につけてから語れ。

他教の例ですが、今から100年ほど前に庄屋の主婦が難産の女性のお腹に手を置いただけで安産にしたそうです。
やがて啓示もおりて「おふでさき」として残っております。
評判が評判を呼び、大勢の人々が集まって、今でも数百万人の教団です。
そこの高校、大学はスポーツが強いので有名です。

以上、六神通以外にも色々あるとのお話です。
877神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 08:36:45.38 ID:5b1H4GqL
>>876
単にそれは、そういう人が個性的に何か突出したものを
持っていて今は死んでいるんだね。で終わり。
日本教は数百万どころか一億を超えている、世界教はその遥か上をいっている。
スポーツ強いは変遷する。単に条件に対する要素の合致に過ぎない。
878神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 08:41:13.81 ID:mcDSgpY6
>>872-873
だから、一切以外は認めないだって、

『相応部』
>ビクらよ! シャモンでもバラモンでも[何かを]「我」と思って見る人々は、誰であれ他ならぬこの五取蘊を[我と]見る
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

『入中論自註』対6-144
> 我を離れた五蘊を有身見に
>よって四種の[論理]形式から我と捉えるから[五蘊×四論理で]有身見は二十種になる。
> もし[反論者が]「五種の分析にあたって『中論』[22-1]にも〈如来は蘊でなく、蘊と異なったものでなく、
>如来の中に蘊なく、蘊の中に如来なく、如来は蘊を持つものでない、如来とは何か?〉と説かれるではない
>か? それ故、これは二十五種になるのに、なぜ二十種と説くのか?」というなら、
> [答えよう]それら有身見の種類は経に定められている。それも諸蘊を捉えずに我と執着できないから、[『中
>論』の五種の論理形式の「蘊と異なったもの」を除いた]四種の形式から諸蘊を知覚して生成展開す(転ず)る。このように蘊
>以外にどんなものも我と執着することはないから、有身見の第五[論理形式]はありえない。それ故、有身見は
>二十種だけである。『中論』で第五を異なるものの文(主張)として説くのは、外道の教義を遮断するためと
>理解すべきである。

この記述から釈尊当時、何かアートマンとするのは五蘊しか考えなかったが、五蘊以外にアートマンがあると主張する外道のためにも五蘊の外にもアートマンはないという表現も加わっているので充分でしょう

そもそも『梵網経』は当時のバラモン・シャモンの見解ではなく一切智のブッダが時間・空間を超えてあらゆる見解を六十二に分類遮断したものなので、詭弁であることも明らかでしょう

だから、仏教がアートマンを認めるというのは無理だんですよ。私の知る限りチベットのチョナンパと現代真言宗の一部、それと野狐禅ぐらいです。
それらは全て異端ですよ。まあ、現代真言宗では、もしかするとそっちの方が一般説かもしれませんが。
879神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 08:51:16.30 ID:5b1H4GqL
人は自分の持っていない要素を欲望という代償で補おうとするのかもなぁ
例えばそれを空を飛ぶという条件に当て嵌めるならば、普通の人は
『マジですか?』と笑うだろう。
しかし、そんな要素が飛行機を作ったとも言える。
がんばって空を飛んで下さいね。
880前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 09:02:22.20 ID:xk/vQips
>>834
>入中論12-40:仏の未来の寿量は世間の人が全て成仏しない限り存する。
>入中論12-42:有無に執して苦に沈む者のために、慈悲の心のある仏は涅槃に向かう心を退ける。

>>878
>だから、仏教がアートマンを認めるというのは無理だんですよ。

仏教はアートマンは認めないが仏(仏性、仏種?)は認める、というスタンスで認識しております。

ただ、仏性はアートマンでなくどう呼ぶのでしょうか。
881神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:08:24.27 ID:5b1H4GqL
個性じゃなくて根源的共有性だろ。
根源的共有性をアートマンにするなら何も問題ない。
個性をアートマンにすると仏教だけでなく常識的にも問題が生じる。
882神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:25:59.90 ID:9GTJy7/H
>>873
だからw

(現象界という語を使い続けるとするなら)、
この現象界の他にはないわけです。
術語でいう無色界も、この現象界内のことです。
もっと言えば、涅槃(無為なるもの(法))もまたそうなのです。
は、(貴方方が切望するように)
『現象界とは【別のところに】(新世界がw)【ある】わけではないのです。
『“そこ”へ【移動】して行ったり、(既存の自我が)“それ”に【変貌・変態】する・【なる】わけではない』のです。
ただただ、そのような「境地」があるというだけなのです。それがウダーナ8であり、それ以上でも以下でもないのです。
(それ以上は願望の投影でしかありませんし、それ以下は(一代的に言えばw)現代価値観への阿諛なわけです。)


>>880
>仏性はアートマンでなくどう呼ぶのでしょうか
馬鹿か? (つーか、絶対解っててやってるよなw んとに小狡い奴よ・・・(^^;))

なんでわざわざ呼び変えなければならんのだ?
仏性(ブッダター)、仏種(ブッダビージャ?)でいいじゃねーかw
しかも、なんでわざわざアートマンなんだよ。
どうせ言い換えるなら現代語に言い換えろよw んとに姑息だよな、お前等は・・ ( ゚听)、
883神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:26:44.00 ID:mcDSgpY6
>>880
仏性、如来蔵は空性で戯論寂滅した本来のあり様を言ってます。

よく仏性、如来蔵、法界をアートマンと勘違いした説がありますが、単なる誤解です。

http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html

アナタには正にアートマンにしか見えないでしょうけど。
だから、ゾンサル・キェンツェー・リンポチェはこの>>796ように嘆くわけです。

>ニューエイジの人たちに教えるのは難しい。なぜなら、彼らは蜂蜜のような[あちこちの思想・宗教から摘む]ものだからです。
>彼らはあちこちからものごとをくっつける。彼らは話していることが何か分からず、私達は議論の方向を何処に向けるべきか分からない。
884神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:27:09.16 ID:5b1H4GqL
個性アートマンだと超能力者みたいになりたい思想を是としてしまう。
それは単なる俺ちゃん思想であり、過去の独裁者や北の独裁者が
陥ってる罠でもある。
それは卑俗なものであり、上っ面の欲望であり、根源的共有性と
乖離した状態としないと問題が生じてしまう。
というか単なる妄想の時点でそれは事実と認められる。
885神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:29:00.76 ID:mcDSgpY6
>>882
>仏性(ブッダター)、仏種(ブッダビージャ?)でいいじゃねーかw

ブッダトヴァ、ゴートラあたりじゃなかったか?
886神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:32:23.44 ID:5b1H4GqL
だから仏性とは根源的共有性アートマンで問題ない。
もちろん無理にアートマンをくっつける必要性もない。
887一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 09:32:50.05 ID:d/OSZ88U
>>880
>仏性はアートマンでなくどう呼ぶのでしょうか

ボケかますな!

なんらの実体のない「仏性」という言葉を使う連中がいるだけ。
また、そこに錯視で実体(らしき)を認めて空海のように「如来蔵」思想を申そうスry連中もいる。
アリバイ証明的に空性だと弁解すれば仏教内だ、と成りすますインチキが多い。
実質的な実体アートマン思想であることはいうまでもない。

浄土真宗は神様信仰の成りすましだが、
真言宗、臨済宗もアートマン思想の成りすましだろう。
888神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:36:06.50 ID:9GTJy7/H
>>886
ああ、そうかもw 咄嗟に出てこなかったからPで「種子」をさがしただけ。
ゴートラって言い方は耳に残ってる感じがする・・w
(つーか、ご存知の通りそっち方面には興味なくて手伸ばさなかったしね・・・。スマン)
889神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:37:16.45 ID:9GTJy7/H
ああ、またアンカーミスったorz >>888>>885
890神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:37:55.70 ID:5b1H4GqL
アートマンじゃなくてウルトラマンとでもした方がよさそうだなw
891神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:39:14.76 ID:mcDSgpY6
>>887
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E4%BB%8F%E6%80%A7&mode=search&uarnums%5B2581_82%5D=2581_82&uarnums%5B2582_82%5D=2582_82

道元禅師も仏性を認めてるようだけど

だから松本史朗の批判仏教みたいのは、劣化した和辻で常識仏教、あるいは仏教道徳論、仏教観念論の正にカラスの言う言葉の遊びだ

なぜなら、行が全くでてこない、観念的スローガン、掛け声、慰めみたいなもので、ほとんどなんの訳にも立たない
892神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:42:00.78 ID:5b1H4GqL
卑俗なものであり、上っ面の欲望であり、根源的共有性と
乖離した状態に陥っている者はこのスレにもたくさんいる。
893一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 09:42:47.76 ID:d/OSZ88U
>>873
>「一切」というのは現象界のことですよ。

(1)縁起の間接現実 二項相対様相:知覚・記憶・判断
@一切内 (宝珠)愚者のいわゆる現象界 
A一切外 (宝珠)愚者のいわゆる涅槃 ←論じれば(超越)妄想
(2)縁起の直接現実 空=中道=時空際断(の如し):般若智直覚
 
 宝珠と一在家、SRKWその他の超越妄想連中は@Aだけで(2)の直覚・体覚に未達だ。
 現状はAと(2)を混同している。また瞑想サマディ@を(2)だと錯覚する奴も多数。
ホンマにかったるいことこの上ない。
もうちょっと、しっかり商量千回!
894神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:43:53.06 ID:mcDSgpY6
>>889
なんか最近多いねソフトの調子が悪いの?

ところで禅宗について入門書って何がいいの?

朝比奈宗源、今北洪川あたりはいい?
西有穆山はだめだって聞いたけど
オイラが啓迪をちょっと読んだかんじでは悪くはないと思ったんだけど
895一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 09:44:49.59 ID:d/OSZ88U
>>887訂正

× 申そうスry
〇 妄想する 
896神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 09:45:14.30 ID:5b1H4GqL
言葉遊戯はもちろんのこと行においても姿形遊戯では
役に立つはずもない。
897パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 10:01:14.67 ID:UeVc2yhH
> 宝珠と一在家、SRKWその他の超越妄想連中は・・・・

宝珠は、ストレートに勘違いを自己主張してくるから、まだ良しだが、
在家は、自己の主張を決して強く訴えず、遠まわしに相手が錯覚、誤認
するように誘導するww  
まさに、手かざしカルトの手法ww 姑息に洗脳しようとするww

SRKWは・・・・・う〜〜〜〜〜〜〜ん、
まあ、早いとこ治療されたほうが良いかとwww
898カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 10:13:02.49 ID:SWS7R3KA
アホのHPからの引用
>この後、以下の六十二邪見が説かれます。
>1.過去に関する説
>1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
>2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論)
>3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論)
>4.四詭弁論
>5.二無因生論(我と世界が原因なく発生するという禅定体験と推論)

>2.未来に関する説
>1.死後の有我説
>1.十六有想論
>2.八無想論
>3.八非有想非無想論
>2.七断滅論(一つの無我断見と六つの有我断見)
>3.五現法ネハン論(一つの現世肯定論と四つの禅定体験)

さて、アホ共は真我と呼ばれているものを理解していないので少し教えてあげよう。
真我と呼ばれているものも縁起してなる無自性なものなので、アートマンの定義に外れる。
また真我と呼ばれるものは恒常不変なるものではなくこの世界の終わりと共に滅びる。
だが日はまた昇る。宇宙はまた創造され、縁起は繰り返される。縁起が無ければ、なにも存在しない。
真我と呼ばれるものはゴータマの仏教となにも矛盾しない。一切は法無我であり、無常なのだ。
ま、アホ共に言ってもわからんだろうが。ちなみに竜樹の中論は立派な詭弁論なので外道な。
あと、千の屁理屈述べても結局死んで終わりの禅宗も立派な断滅論なので外道な。
君らはゴータマの仏教を名乗るんじゃないよ。
899カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 10:23:09.62 ID:SWS7R3KA
>>897
縁起アホウ一代と、禅宗セブンと、唯物ピーマンの邪見三馬鹿トリオ、おはよう。
中でもガチガチの唯物論者の癖に、業報輪廻転生を説く仏教に執着しているお前は一番アホだな。
当初は三流宗教学者の詭弁に洗脳されてゴータマさんは業報輪廻転生は否定してたなんて
トンデモ説に傾倒して、議論スレでどうもその見解には無理があると知るや、業報輪廻転生思想は
社会に害悪なので公の場で話すななどと、言論の自由をも侵害するかのエゴ丸出しの邪悪さ。
邪見三馬鹿トリオの中でもお前が一番アホで性質が悪いよ。業報輪廻転生をどうしても
認めたくないのなら、仏教など捨てればいいのに、愚かな人だ。そういう意味ではまだ隠居のほうが
お前より見込みがある。少なくとも邪見三馬鹿トリオのお前達より書いてることを素直に
読み取っている。
900一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 10:27:17.18 ID:d/OSZ88U
>>893補足

誤解されるとウザイので、
>A一切外 (宝珠)愚者のいわゆる涅槃 ←論じれば(超越)妄想

一切外は当然「無記」でっせ。相手にさえせず(論外)ネコマタ。

(宝珠)愚者のいわゆる涅槃は、
@一切内の「心(涅槃の“境地”)と心の作用(慈悲)←無分別の分別」(サンユッタ・ニカーヤ33-1-3)です。
なんらの超越も神秘もウルトラマンもスーパーマンもアートマンもおりません。

超越心霊主義者のオカルトマンは餓鬼の妄想です。
901カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 10:31:11.28 ID:SWS7R3KA
竜樹の中論は言葉では正確に表現し得ない自性と呼ばれているものを
自性と言う言葉で考察している時点ではなから間違えている論書だってことくらい
早く気付けよ。といっても、エゴの強い人達は今更中論への執着は捨てられないだろうけど。
902神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 10:43:50.17 ID:fGCUzduJ
アイデアとしての「五蘊以外のアートマン」は、
想蘊か識蘊に入るわけかな。
心の中で想像して、体験を誤認して「ある」と思い込んでるだけ、
という形になるから。
903神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 10:47:47.45 ID:9GTJy7/H
>>898


> 真我と呼ばれているものも縁起してなる無自性なものなので、アートマンの定義に外れる。
> また真我と呼ばれるものは恒常不変なるものではなくこの世界の終わりと共に滅びる。

> 真我と呼ばれるものはゴータマの仏教となにも矛盾しない。一切は法無我であり、無常なのだ。

だからw
それじゃもはや、「真我」と別称する必要ないんですよ。
仏典中で散々述べられている、「通常の、人格的自己」で十分なんですよ。
でも、貴方方はそうではないと言う。
A、Bともに(Aは仏説に於いて却下されるものの)しっかりと説かれ(どういうものであるかが示され)ているわけですが、
貴方方はAでもなくBでもなくCなのだ、という。 が、Cなど2500年の仏教の歴史中、
兎の毛ほども触れられていないわけです。 だから、宝珠は秘されたという形で説かれなかったと言い、
在家は、他の場所(新興宗教等)では言われています、と言う。
ま、貴方のように曖昧なままゴニョゴニョとどっちつかずの鰻レスをしないだけ百億倍マシかもしれませんが・・w
904神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 10:54:31.16 ID:mcDSgpY6
>>902
そう。
仏教的に「五蘊以外のアートマン」は識蘊だと思う

三昧が深まるごとに色受想行が消え、だけど何らかの「アートマン」が消えてない状態

この「アートマン」を破壊して戯論寂滅へ導くのが縁起・空観などの、ヴィパサナと呼ばれる仏教独自の道

だから、縁起・空観のない外道では無我は悟れず解脱はできないとされてきた

だからこそ仏教は縁起に集約されるわけです。>>802 で不説さんも仰るように
905神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:00:15.04 ID:mcDSgpY6
>>903
>仏典中で散々述べられている、「通常の、人格的自己」で十分なんですよ。

いや、どっちかっていうと仏性、如来蔵、法界じゃないの

ガウタパーダが『マーンドゥキャ頌』で説くような
ガウタパーダは仏教の影響が強くて仮面の仏教徒と呼ばれたわけですが、
そこらへんをシャンカラが修正して仏教批判を行ったように思う

だけど、中世に万教帰一思想が生まれ、近代ではラーマクリシュナとかラマナ・マハリシとかが仏教とヒンドゥーもキリスト教もイスラムも同じみたいなこと言ってる

だけど、仏教側でそんなこと言う人は異端です。
906カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:00:22.38 ID:SWS7R3KA
さて、いきなりローマンカトリックの教皇が辞任されたようだが
聖マラキの預言によると、最後の法王は初代法王の名と同じペトロという名らしい。
面白いことに今までの教皇の名は全て聖マラキの預言の通りになっているらしい。
言葉を預けるという意味のキリスト教の預言とは予言とは違う。全ては仕組まれたこと。
神との新しい契約、新約とは、我々社会に神千年王国を実現するということだ。
その前に生みの苦しみがある。次の戦争は国対国というより、テロリスト達の破壊工作に
より激しい消耗戦になるだろう。残念ながら神を信じない古い世代の我々の種族はほとんど
粛清される。人類の三分の二ほどの人々が粛清される。人々はこの長い消耗戦により困窮し、
疲れ果て、己の心に巣食うエゴイズムのもたらす悲惨な結末を目の当たりし、
今のキリスト教を含め糞の役にも立たない既存の宗教は全て廃れる。もちろん君らの末法仏教もだ。
人々は新しい価値観を熱望するだろう。そのとき正法が示され人々は真にイエスの言葉を
受け入れる。神の千年王国の始まりだ。その時代に生まれるものは幸いである。
正法が示されそれを受け入れる人々には第二の死は何の力も及ぼされない。
人々はルシファーの知恵により救われるのだ。ルシファーとは明けの明星。日はまた昇る。
俺はルシフェリアンだ。ま、末法仏教徒にいってもわからんだろうし話半分に聞いてもらってもいいが、
中国が軍事的に動いたら始まりらしいぞ。多石油絡みで仕掛けられる。
907パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 11:01:55.70 ID:UeVc2yhH
>>899 wwwwwwwwwwwwww

どうした? キチガイカラスww
ついに発狂か?www

ルシファーさまああああwwww
カー、カー

wwwwwwwwwww
908神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:03:53.71 ID:mcDSgpY6
>>907
なんつーか、こういう考えと仏教が一緒にされる日本は悲しい
909カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:05:29.32 ID:SWS7R3KA
>>903
真我と呼ばれているものと、自我と一緒だと思ってんの?
はぁ〜。業報輪廻転生を繰り返す自我は業が造りだすものだが、真我と呼ばれているものは
その業を滅ぼした先にあるものなんだがね。つまり魂の破壊。そこに自我なんてものはない。
君は相も変わらず理解力が無いね。
910神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:08:09.97 ID:fGCUzduJ
「真我」という語の使い方を間違ってるだけ、
というだけの突っ込みだと思うが。

既に用語・訳語として定着しているものを、語感と雰囲気で採用してる
だけなんじゃねーの?と思われている。
911カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:09:57.04 ID:SWS7R3KA
>>907
さすが無知無能のピーマンだな。
ルシファーの話はここまで話したならピンとくる人にはピンとくるぞ。
ここまで話してやってルシファーと聞いて餓鬼みたいな条件反射してくるのは、お前や精神年齢の
低いドキュンくらいなものだ。お前は宗教的な真理を手繰る能力を持ち合わせていない。
まぁみてろって。神との新しい契約。新約は必ず成就するから。必ずな。
912神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:10:25.11 ID:mcDSgpY6
>>910
まあ、ヌーエイジ、オカルト系の人はそんなもんでしょ

>>796
>ニューエイジの人たちに教えるのは難しい。なぜなら、彼らは蜂蜜のような[あちこちの思想・宗教から摘む]ものだからです。
>彼らはあちこちからものごとをくっつける。彼らは話していることが何か分からず、私達は議論の方向を何処に向けるべきか分からない。
913神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:11:41.29 ID:5b1H4GqL
なんつーか。
現実では仏教のぶの字を言うことも恥ずかしい。
それはタブーであり忌み嫌われることである。
隠れキリシタンみたいなもんだなw
914神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:12:37.30 ID:mcDSgpY6
>>913
オイラは堂々というけどね
915カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:16:38.80 ID:SWS7R3KA
>>912
俺はそんなに難しい話はしてないんだけどな。
それを理解できないのは気の毒だけど君は違う人だからだろう。
で、業報輪廻転生を説くゴータマさんの仏教は十分オカルトなわけだが。
916カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:18:48.61 ID:SWS7R3KA
>>907
前から思ってんたんだけど、お前の浅知恵を見るにつけ、おまえ、案外女なんじゃねぇの(苦笑)
917神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:21:30.17 ID:9GTJy7/H
>>894
どちらも名高いお師家さんだし、
特に洪川宗温は、明治期(近代臨済禅の)中興の人だからね。
知名度では弟子の洪嶽宗演の方が有名と思うけど。

ただ、(自分が未達な分を差っ引いたとしても)、
近代禅は>>887に言われるが如く、空性とはズレがあるよ。
宗演老師は、スリランカ行ったり渡米したり、近代仏教学にも大きく触れてるから、
一代がとっているスタンスと被る面もあるかもだけど、7割一致も難しいんじゃないかな。
特に宗源老師の「仏心」という教化の軸は、完全に本覚思想・如来蔵思想と一致するし、
(つか、近代臨済禅全体がそうなのだけどw)、
仮設された空性というニュアンスは強調されないどころか、あまり感じられないと思うよ。
中世の祖師方、或いは中国の祖師方に於いても、
どこまで貴方の期待する「幻としての本質」に近接しているかどうかは疑問符が残る。
それでも、禅系は入門書読むより、ダイレクトに語録に触れていく方がマシと思うよ。
特に、貴方みたいにベースができてる人は。

ま、そうは言っても、昨今著作を多く出してる禅家の方々や、各種HP、
或いは末端僧侶達の(プライベート)ブログよりは、(近代仏教学の反映は少ないながらも)、
選択としてはずっとずっとベターと思うけど。
また、「東の朝比奈、西の柴山」と言われるくらい、外へ向かうベクトルは強いし、
解り易い言い換えも多用される(噛み砕いた、在家用の語りが多い)から、
そういう意味では、昭和の臨済禅の代表とは言えるかも。
(松原さんとかは、―岩波辞書がインド仏教に近接しているが如く―宗学という形にはならないしw
近代仏教学に毒されていない近代禅という意味でも、推薦はできるかな。)
918神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:24:03.14 ID:9GTJy7/H
>>909


>A、Bともに(Aは仏説に於いて却下されるものの)しっかりと説かれ(どういうものであるかが示され)ているわけですが、
>貴方方はAでもなくBでもなくCなのだ、という。 が、Cなど2500年の仏教の歴史中、
>兎の毛ほども触れられていないわけです
919神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:25:08.83 ID:fGCUzduJ
正教会はプロテスタントは自分達こそ普遍的だ、と思っている。
だからといって彼らのことをカトリック(普遍)とは言わないよね。
たいていの宗教でも知識は大切にするけどグノーシス(知識)じゃない。
ユダヤ教もキリスト教もヒンドゥーも神に帰依するけどイスラム(服従)じゃない。

用例として、「隠されたもの」(オカルトの語義)なだけでは
オカルトとは言わないんですよ。

ある一定の思想や領域の傾向を指して、「オカルト」という語は使われてるんですよ。
920パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 11:25:29.03 ID:UeVc2yhH
経緯を知らないご新規さんが誤解するといけないので、キチガイカラスの大嘘は
指摘しとくねww

>当初は三流宗教学者の詭弁に洗脳されてゴータマさんは業報輪廻転生は否定してたなんて・・・

オレは、「釈迦が『否定した』などと言ったことは一度もない」ww
その教説、現実を仔細に観察することから結論を導く経験主義的スタンス、
及び、最古層文献に積極的に説かれた記述が皆無であること、等を考慮した結果、
「業報論を釈迦は自己の教説の根幹に据えることはなく、少なくとも
『積極的に説くことはなかった』」・・・・という結論だよ。
(これは勿論、言及したことが無いということを意味するのではないw)

>トンデモ説に傾倒して、議論スレでどうもその見解には無理があると知るや、業報輪廻転生思想は
>社会に害悪なので公の場で話すななどと、言論の自由をも侵害するかのエゴ丸出しの邪悪さ。

別に→「議論スレで どうもその見解には無理があると知るや・・・」???????
は〜〜〜〜〜? 何言ってんだこのバカはwwww
「無理があると知る」?????
オレは自説を引っ込めたことなど一度もありませんがww
勿論、論破されたこともない。
あると言うなら、それを引用してみろ、カスwwww
921カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:26:41.13 ID:SWS7R3KA
>>918
何度も何度も何度も何度も議題に上っていいるが、
だからいつゴータマさんはブラフマンやヴェーダを否定したんだって聞いてんだよ。
922パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 11:26:48.28 ID:UeVc2yhH
→「業報輪廻転生思想は社会に害悪・・・・」

はい、w 現実社会におけるその有害性、現実に引き起こしてきた弊害は、過去スレで
詳細に議論済ww
身障者問題、部落差別問題、ハンセン病問題・・・・きりがないわいw

→「言論の自由」?????????
wwww
言論の自由というのは、「何でも言って良い」ということではないぞwww
他者の利益との比較考慮の上に成立するのみww
ちっとは勉強してから言え、キチガイwwww

人を批判するなら、まず、@ウソをつくな Aちっとは調べてから発言せい
B小学生なみの知能が備わってからにしなwwwwwwwwww

わかった? キチガイwwwwwwwww
923神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:28:56.97 ID:2bG4X03z
おなじ霊性についての思想信条の体系だからといって
セム系三兄弟や仏教やヒンドゥーや道教を「スピリチュアリズム」とは
言わないよな。

同じように超自然的な主張を含んでも仏教を「オカルト」と言わないのも同じことだと思うが。

自分はおかしなことを言っているだろうか?
924カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:29:13.59 ID:SWS7R3KA
>>920
と、この馬鹿は未だにゴータマさんは業報輪廻転生を積極的に説かなかったなどと
寝言をほざいているわけです(爆笑)
925カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:32:18.55 ID:SWS7R3KA
>>922
業報輪廻転生論は十分言論の自由に入ると思うがな〜。
それで差別する奴はその業は自分に帰ってくるわけだから当然差別意識など持ってはいけない
となるわけだし。浅知恵の君には難しすぎる話かい?クスクス。。
926カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:35:05.64 ID:SWS7R3KA
女は男より浅知恵だし、はるかに業が深い。これは真理だよ。
お休みだアホ共。早く悟れよ。
927神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:35:11.99 ID:mcDSgpY6
>>915
>で、業報輪廻転生を説くゴータマさんの仏教は十分オカルトなわけだが。

そう思う人も現代日本では多いだろうけど、欧米や日本以外のアジア諸国ではそう思う人は少ないじゃないか?

現代語のオカルトは、原義ではなく>>906みたいな妄想ね。
まあ、端的にはムーで書かれてるようなことということができるでしょう。

>>917
どうもありがとう。オイラは語録で結構分かるつもりだけど一般にお勧めするには誰なんだろうと思いまして。
一時、臨済録とか十牛図とかをアートマン解釈で読み込んでました。懺悔します。

ついでに何年前か忘れたけど、浄土系論書を2ちゃんで批判しました。
あの時は、道の違いが分かってなくて間違ってました。懺悔します。

ところで西の柴山という方はどなたでしょう?
928一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 11:37:57.64 ID:d/OSZ88U
>>912
>ヌーエイジ

いつものラベリング・ペンキ屋根性が出たw

気に入らない相手を黒く塗って、その黒さを批判するという政治主義丸出し根性。
929神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:38:26.48 ID:2bG4X03z
>>921
ヴェーダ聖典に説かれるアートマン(一般的な意味での「真我」)観を
もつ人は輪廻から脱出できない、というのが否定でないなら、
いったい何が否定なんだろう。
>>922
>言論の自由というのは、「何でも言って良い」ということではないぞwww

欧米ではその通りだが、日本ではそうではない。
在特会の「デモ」に許可をくれる太っ腹な国だ。

残念ながら。
930神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:39:14.23 ID:9GTJy7/H
>>921


人類が現在参照できる仏教文献全てに於いて却下されてますが? (´・ω・`)
931神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:40:41.75 ID:2bG4X03z
>>928
ものっそいブーメランですね。
932パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 11:41:03.01 ID:UeVc2yhH
>>924 

>と、この馬鹿は未だにゴータマさんは業報輪廻転生を積極的に説かなかったなどと
>寝言をほざいているわけです(爆笑)

ハイハイwww
いわゆる「伝統仏教」というものが、そういうスタンスをとってきた・・・
という歴史的事実を否定したことは一度もないぞww
しかし、『釈迦個人が、』「輪廻業法論」を『積極的に説いた」という事実を
論証する事実はないねw
(それは、多くの文献学者も指摘するとおりw)

「古層文献以降には詳細に記述されているが、それらの多くは後代の仏弟子の
願望、他教とのかかわり合いの上の諸事情などによる、付加、改編、増稿の
可能性大」・・・・・というのがオレのスタンスなんでねw
神格化も含めてなwww
933カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:41:44.05 ID:SWS7R3KA
>>927
普通に業報輪廻転生はオカルトじゃなく、真我思想はオカルトじゃないという線引きはなんだよ。
お前のエゴだろ。それこそ欧米や日本以外のアジア諸国での多くの人は真我思想を受け入れるだろうし。
神を信じないのは日本人と中国人等の一部の民族だけで、欧米人や多くの民族の大半は神と呼ばれている
なにかしら至高の存在を信じているということをお忘れなく。
934カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:43:59.44 ID:SWS7R3KA
>>932
>しかし、『釈迦個人が、』「輪廻業法論」を『積極的に説いた」という事実を
>論証する事実はないねw

ハイハイ。詭弁乙。君は本当に邪悪だな。
935神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:44:05.13 ID:mcDSgpY6
>>928
>気に入らない相手を黒く塗って、その黒さを批判するという政治主義丸出し根性。

そりゃ遊びだろ。

ヌーエイジってのは仏教を仏教の伝統、教えに基づかず適当に自分の思いに適ったものから摘んで得々としてる人ね

遊びはヌーエイジってより松本みたいな批判仏教系の政治が絡むタイプだろ

オイラは政治とか全くといっていいほど興味ないから

それより道元禅師も仏性認めてるみたいだが、それも反仏教なのか?
936神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:45:31.75 ID:2bG4X03z
>>933
>それこそ欧米や日本以外のアジア諸国での多くの人は真我思想を受け入れるだろうし。

ちょっと待って。その真我はカラスの考えてる「真我」じゃないよね?
何でごっちゃになってるの?
937パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 11:46:50.20 ID:UeVc2yhH
>>925
>業報輪廻転生論は十分言論の自由に入ると思うがな〜。

ほ〜〜〜〜〜〜、
部落民に生まれついたのは、過去にそれに見合うような悪行を積んだ汚れた奴www
だから、触れるな・・・というのが言論の自由か?wwww

お前のようなキチガイがいるから、いつまでたっても差別がなくならないんだよ、キチガイwwww
お前はもう宗教者を名乗るなw
他の真摯な宗教者が迷惑するわいw
宗教に関わってる奴が、皆、お前のようなキチガイばかりだと思われてなwww
938神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:48:13.18 ID:5b1H4GqL
>>914
さて仏教が恥ずかしいが錯覚か
仏教が恥ずかしくないが錯覚か
ムーが恥ずかしいのが錯覚でない可能性は高いw
939パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 11:48:57.55 ID:UeVc2yhH
>>934
>ハイハイ。詭弁乙。君は本当に邪悪だな。

wwwwwwwwwwww
んで、反論出来なくなると、決まり文句・・・・『詭弁乙』

それしか言えずに逃げ回るのなら、始めから出てくるな、カスwwwwww
940神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:50:35.03 ID:mcDSgpY6
>>933
>普通に業報輪廻転生はオカルトじゃなく、真我思想はオカルトじゃないという線引きはなんだよ。

ごっちゃにするなよ。ほんと話にならないな。

「真我思想はオカルトだ」とはいってない「真我思想は仏教ではない」と言っている。

オカルトというのは>>906みたいな妄想をいってるんだよ。

だから、いろんなところから適当に摘んで自分の好みにあった物語を妄想するようなことを現代語でオカルトと多くの人が使ってるでしょう。

まあ、非科学とか素朴実在論に反するものをオカルトとか宗教というのが現代日本だと思うけど、欧米や日本以外のアジアだと上の意味の方が多いように思う。

少なくともオイラは上の意味で言っているよ。だから、オイラがオカルトと書いている時はそういう意味で読んでね。
941神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:50:36.64 ID:2bG4X03z
名前(ラベル)だけでも別のにしたほうが混乱しなくていいと思うけどね。

既存宗教・思想の「真我」と区別する意味で「深我」とつけてみてはどうか?
942不説 ◆zanKI/5r4A :2013/02/13(水) 11:50:40.49 ID:VrwquJsi
>>906 カラス氏

仏典には「刀の中劫」というエピソードがあります。検索するとajitaさんというテーラワーダの関係の方のブログがヒットしたりしますので詳細は参考にしていただくといいでしょう。

ポイントは同様の“世紀末”エピソードについて、仏教は神の介在や救世主の活躍を設定しないところでしょうか。自律回復するとされています。
943カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:52:11.11 ID:SWS7R3KA
>>937
な、こいつは業報を全く理解せず業報輪廻転生を説くなと言ってるだろ。
仏教を語る場で業報輪廻転生を語るなと言ってるわけだ。この人のエゴを見るといい。
944神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:53:17.94 ID:9GTJy7/H
>>927
ただ、近代禅が、どっちかと言えばカラスや宝珠寄り(少なくとも親和性を高く持つ)ということは
気をつけといたほうがいい。>>887末文は笑えない指摘だよw

十牛・臨済録はねぇ・・(^^;) 貴方の言う空性を含意してるかどうかは・・・。
十牛は、にってんすいしゅまでいけば、アートマン解釈を(自然と)超えるから良いけど。
そりゃ、一無位の真人が、神秘的別世界の自我でないことは勿論なんだけど・・w
どっちかって言うと貴方の嫌う凡夫の感性への阿諛としての
「(五蘊総体としての)本来自己」だしね・・。


柴山全慶さん。
彼の、(外人用)無門関提唱の逆輸入訳なんか見ると、近代禅の特徴が判っていいかもw
確か絶版で、(地方書店も含め)在庫とかがまだあるかどうかは知らんけど。
「無門関講話」(柴山全慶著/工藤智光訳/創元社)
http://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E9%96%80%E9%96%A2%E8%AC%9B%E8%A9%B1-%E6%9F%B4%E5%B1%B1-%E5%85%A8%E6%85%B6/dp/4422141058
945神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:54:35.44 ID:mcDSgpY6
>>938
いや、恥ずかしいというのは自分の思いだから、人に決められてもね

別に他人がどう思おうとオイラは仏教こそを信じるし最も尊重するよ

30年ほど仏教に関わってるけど、やればやるほど知れば知るほどその素晴らしさと深さ、説き方の巧さに驚嘆する。
946神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 11:58:48.67 ID:mcDSgpY6
>>944
ありがとう。

>気をつけといたほうがいい。>>887末文は笑えない指摘だよw

それは現代真宗、真言宗、臨済宗の一部を言ってるだけで、
本来の教えを知らないだけでしょ。

彼とかカラスはほんと明らかな誤認も認めないから話してもしょうがないけど。

その点、宝珠、在家は明らかな誤認は認められるのでまだ話の余地ありだと思うんだけど。
947カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 11:59:24.22 ID:SWS7R3KA
>>940
じゃぁ真我思想はオカルトじゃないと認めるわけだな。それでよろしい。
で、仏教じゃないと言うなら、ゴータマさんはいつヴェーダとブラフマンを否定したわけ?
あと>>906の話は別に人が計画したものだから、オカルトと言うのは的外れな。
それをいうなら陰謀論だ。君は言葉の定義から学べよ。お前がいくら千の屁理屈を並べようとも
業報輪廻転生はオカルトではなく、真我思想はオカルトだっていう線引きの根拠は
お前のエゴでしかないからな。お前は我が強い。我の強い奴は助からないよ。
948パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/02/13(水) 12:01:06.31 ID:UeVc2yhH
>>943 wwwwwwwwwww

>仏教を語る場で業報輪廻転生を語るなと言ってるわけだ。

もうなんというかww  こういうところがこいつの実にいやらしいところww
ちょっと前に、誤解を生むといけないので、
「オレは、『仏教の教義上のこととして語ることにクレームをつけたことは
一度も無い。』・・・・そういう現象が現実に、この世界で起きている真実であると
語るのは、多くの弊害が生み出されるのでちっとは考えてくれよ。」
・・・・・こういうことね。
と言ったのww

・・・・・そのときは、無視してたくせに、また同じ言動を繰り返すwww
ほんと、カスだよ、お前はwwwww
949神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 12:01:22.73 ID:5b1H4GqL
日常会話でアートマンが通用するだろうか?
芸術家と取られるかもしれないし引越し屋と取られるかもしれない。
輪廻でさえ通用するかどうか相当怪しい。
ゴリ押し難易度は相当高いと言えるだろうw
950カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 12:01:47.24 ID:SWS7R3KA
>>946
>彼とかカラスはほんと明らかな誤認も認めないから話してもしょうがないけど。

誤認も認めないというのは、どうみてもお前のほうだろ。
951神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 12:07:09.79 ID:9GTJy7/H
>>927

もし、一冊入門書をと言うなら、柴山さんの>>944かな。
宗源さんの臨済録(タチバナ教養文庫からの復刻は、
伝統的な“宗門の読み癖”も含めて、安価でコンパクトだし、結構よいかも。
(岩波文庫は、言語学・言語史的に“正しい”読みのものへシフトしていってるし、どっちがいいとかはないけど。)
語註、語釈はあるけど、解説・解釈はないけどね。
952神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 12:12:54.98 ID:9GTJy7/H
>>946
>本来の教えを

こと、禅に於いては、
(貴方が言うような次元の)空性までを視野に入れていたかどうかは疑問符がつくということです。
それこそ、達磨や六祖の時代から・・。
(六祖が既に、半歩道をズレていた可能性を、誰も(どんな文献も)否定できないわけで。
勿論、基礎知識として各種典籍は学ぶから、すべて押さえた上での言辞と読むべきではあるけれども。)
953神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 12:14:48.13 ID:9GTJy7/H
>>947
>いつヴェーダとブラフマンを

>>918
954神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 12:15:10.82 ID:mcDSgpY6
>>950
じゃ、オイラとかセブンが根拠・証拠を出してないとか言ってたけど、
あれは間違ってたと認めるのかい?

>>951
岩波文庫の臨済録も碧巌録も持ってる。
入矢さんたちのは、参考ですね。あくまで。
955神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 13:13:00.22 ID:Ses5n6Bi
釈迦が「無我」「主体の消失」など主張すると、彼は口も利けなくなるw。
サンスクリット系などの屈折語では、すべての動詞は主語の「人称」によって
変化するのだから。

「無我」などという、釈迦の単なる勘違いに執着している釈迦カルトたちは、
完全な基地外。開祖の盲信極まれり、である。
956神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 13:17:47.92 ID:Ses5n6Bi
>>951
>タチバナ教養文庫

タチバナ出版は、大本系のカルトであるワールドメイトの関連会社。
957神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 13:35:37.72 ID:9GTJy7/H
>>956
マジレスするとな、
禅宗に於いて「伝統的な読み癖」ってのは重要なんだよw
それこそ、師家によって違うと言っていい。
上で言えば、柴山全慶の系譜と朝比奈宗源の系譜でも、禅語の読み方や語録の「読み下し方」が違う。
どっちが正しいとかじゃない。
(正しさを言うなら、入矢さんたちの読みということになろう。だが、それでは宗門としては「誤り」なのさw
たぶん、これは100%理解できない話だろうけどw)
で、岩波は、(学術的側面から?)言語学的読みを採用した。
過去、臨済録も碧巖録も、宗源さんの訳注が岩波から出てたよ。けど、再販せずに新編出版した。
だから、後学者(道場に集う雛僧、居士)の爲に伝統読みを残す方法として、別の出版社が求められただけのこと。
そこが出してくれたというだけのこと。大手出版社は採算面で首を縦に振らないだろう。
もとより、数々のメジャーな出版社とも悉く懇意だが、ビジネスは別だ。

んとに隠居は世間知らずだな。
それとも、臨済各宗派は大元系カルトと懇意であり、カルト宗派だとでも言いたいか?
過去の他社の本を再販した程度で?
それとも、臨済録自体をカルト書籍認定するか?w
そんな雰囲気がないわけでもないから、それでもいいけどw (カラスは白隠を嫌ってたりするしw)
958神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 13:41:01.84 ID:9GTJy7/H
>>956
ちなみに、岩波創設者の墓がどこにあるか調べてみ?w
959一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 13:43:33.18 ID:d/OSZ88U
>>935
>それより道元禅師も仏性認めてるみたいだが、それも反仏教なのか?

反仏法に非ず。

悟りの“核”としての「仏性」容認なら本質主義であって合「仏教」だろうが、反「仏法」だ。
しかし、道元は合「仏法」(方便)だ。

道元の正法眼蔵の仏性を的確に読めば掴める(ハズ)。
「仏性」の章は丁寧に達意の文体で説いてあるから、分かるはずだ。

誤解されがちだが、正法現蔵での道元は「仏性」を二項相対的意味では使っていない。
まさにアタシのいう縁起の直接現実「無分別」そのものの示唆・比喩語として使っている。

仏性はそのまま無仏性である、といっている。
馬祖のいわゆる即心即仏=非心非仏(無門関30・33)と同趣旨。
『いはゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずといふ、一隅の構得あり、六祖これをしるやいなや』
 道元はどうも六祖慧能には?だったんだろうなw
アタシも六祖慧能には?だw

しかし、わが趙州師の“犬に仏性ありや”「無」には『この道をききて修学すべき方路あり』と高評価している。
さすがである。
960神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 13:48:01.01 ID:Ses5n6Bi
>>957
大本系カルトは、釈迦やイエスや白隠は度々引用するが、龍樹や道元は、絶対に
引用しない。これは何故だと思うか?w

白隠は、禅病に罹ったね。精神医学では、禅病は、狐憑き、祈祷精神病、宗教
妄想(私は神の子)などとともに、「精神病」に分類されている。
961神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 13:53:14.33 ID:9GTJy7/H
>>960
また、問題をはぐらかすw
最後に白隠の名前を出したら、そこにしか食いつかないw

妙心開山の関山慧玄は?大コ開山の大燈国師は?
円覚開山の無学祖元は?天龍開山の夢想国師は?・・・etc.
みんなカルトか?

つか、白隠系はすべてカルトか?
ならば、日本の現代の(臨済)禅はすべてカルトだぞ。白隠の系譜しか存在しないのだから。

あ、なるほど。
曹洞宗しか認めないのか、そうか・・w
それはそれで貴方個人の見識だから責めはしないけれどもね・・w ┐(´ー`)┌
962神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 14:17:34.89 ID:mcDSgpY6
>>959
それじゃ、少なくとも仏性、如来蔵、法界という記号だけじゃ
臨済宗や真言宗を偽仏教とは言えないな

もっとも現代教学を言っているわけじゃない

掴めるもなにもオイラは仏性、如来蔵、法界と縁起・空性・仮設は何も矛盾しないって伝統的立場だからね

「道元の正法眼蔵の仏性」が縁起・空性・仮設と矛盾せず
臨済宗や真言宗が矛盾するというなら、テキストに添って明瞭に説かなければならない

いつものように単に自分の勝手な読み、感覚で裁断してるだけなら、
ただの妄想だってことなんだが、絶対認めないだろう

それはカラスがグノーシスを仏教ということや、生命教が中論を常識的関係性を説くと言って誤りだと認めない所謂「幼児強弁」というやつだよ
963神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 14:47:17.97 ID:9GTJy7/H
隠居はまたいつものように、スルーして有耶無耶にするんだろうな・・。
964一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 14:55:01.32 ID:d/OSZ88U
>>962
>悟りの“核”としての「仏性」容認なら本質主義であって合「仏教」だろうが、反「仏法」だ。(>>959)
>『いはゆる人は作仏すとも、仏性は作仏すべからずといふ、一隅の構得あり、六祖これをしるやいなや』
>道元はどうも六祖慧能には?だったんだろうなw
>アタシも六祖慧能には?だw (>>959

ここまで示唆しているのに、『単に自分の勝手な読み、感覚で裁断してるだけ』(>>962)といつもどおりペンキ屋は黒く塗る。

「自性清浄心」という核は本質主義・分別主義に他ならない。
『佛性常清淨  何處有塵埃』 (仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)<慧能:敦煌本>
また自性=スバヴァーヴァは核そのもの。

<一合相者則是不可説>(金剛般若経30)や中論13-8は空海批判に他ならない。

たとえば参考に
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar3.pdf
965神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 15:12:31.44 ID:mcDSgpY6
>>964
そんなんじゃ論証になってないんだって

君は相手という自覚がないんじゃないか?

自分のなかでだけ筋が通っててちょっとした文とか記号が他人に証拠になると思ってる。

で、他人がきっちりテキストにそって反論してもテキストが間違ってるじゃ
話にならないって分かる?

どうせ、そうなるから付き合えないんですよ。
966一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 15:27:57.10 ID:d/OSZ88U
>>965
そもそもテキスト批判は当然だろうw

>君は相手という自覚がないんじゃないか?

当然、ないよ。

観ているのは、法だけ。
その他は遊びをせんとや生まれけむ。
法においては生まれなし。

>どうせ、そうなるから付き合えないんですよ。

当然、アタシではなく徹底菩提心による、法とだけ付き合ってください。
967一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 15:31:41.34 ID:d/OSZ88U
そもそも仏法で『論証』なんて言ってるレベルじゃ、お話にならないんだは。
968神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 15:37:34.82 ID:mcDSgpY6
>>966
じゃ、他人と話してもどうしようもないだろ

たとえ自分が印可を得た禅師でも、帰依してない人、弟子でもない人を公案とか語録をネタに批判なんかしないんだよ

そういう行為は君が嫌いな業因果をネタに他人を批判するのと同じだぞ

つまり、業因果も公案も語録も自分の煩悩を抉り出すためにあるので、他人を攻撃する武器ではないってことだ

しかも、公案とか語録は、勝義への導き入れに用いるものだから、自分が適当に掴んでるものを他人に示して、それを基準に他人を貶すんじゃ話にならない倒錯なんだよ

君は自分が禅師になったつもりで、かっこつけてるつもりだろうけど、それはまるで虎の皮をかぶった狐みたいなもんだ

机そっくり。ホントにやりたいなら高名な禅師とかに言えばいいでしょ

ここででなく、まあ、机と一緒で単に寂しくて遣り取りしたいだけなんだと思うけど
969カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 15:40:24.37 ID:SWS7R3KA
>>953
だからいつからブラフマンとヴェーダの教えが仏教にとってCの教えになるんだよ。
前にやったんじゃねぇのこれ。原始仏典を読む限りゴータマさんはヴェーダの達人と呼ばれ
こそすれ(もちろん本人もそそう呼ばれることに否定していない)ヴェーダやブラフマン
そのものを否定してないだろうが。否定したのは後の仏教徒達であり、君ら大乗と称する
末法仏教徒達だろうが。俺は君らの自称伝統的と称する末法仏教の話をしてるんじゃなく、
ゴータマさんの仏教の話をしてるんだよ。今は時間がない。外に出るので仏典の
文章を引用もできない。このテーマは随分前にもやってたはずだ。どなたかテキストを引用して
ゴータマさんがヴェーダを否定していないどころかむしろ肯定的に捕らえているだろう
場面を引用してくれればありがたい。
970一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 15:43:12.26 ID:d/OSZ88U
>>968

>>968はペンキ屋の揶揄として全面却下、無視します。
971神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 15:45:41.60 ID:mcDSgpY6
>>970
あれ、無視するのか

だから幼児強弁なんだよな〜

それでもいいけど、もう絡まんといて
972カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 15:48:12.17 ID:SWS7R3KA
たく、唯物末法仏教の代表格である禅宗や、念仏系や、言葉で表現しえない自性と呼ばれている
ものを自性と言う言葉で考察しているのっけから致命的なミスを犯している竜樹の中論の話を
持ち出して、ゴータマの仏教とはこうだと言う話をされても困るんだよ。俺らは君らの大乗系末法仏教
の話をしてるんじゃなく、ゴータマさんの仏教の話をしてるんだからな。で、念仏系と業報輪廻転生
を認めない禅宗は、ゴータマさんの仏教と同じなのかい?
973神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 15:56:33.39 ID:mcDSgpY6
>>972
まあ、言っても無駄だけど、
そう主張するためには「言葉で表現しえない自性」が「ゴータマの仏教」で説かれてるって証拠を出さないといけない

『ウダーナ』8.1は「言葉で表現しえない自性」でなく涅槃について論じているので、その証拠にはならないからね
974神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 16:01:50.34 ID:9GTJy7/H
>>972


どこの誰が、【>禅宗>を持ち出して】【>ゴータマの仏教はこうだ】という話をしたんですか?
レス番挙げてみてよ。すぐ辿るから。
 *(禅宗の話は、今は、単に語録や入門書の話しか出てないのに、
  なんで【勝手に】仏教全体の話になってんだよw 禅の枠内での話でしかないんだが・・。
  カラスは、どうしてもいっちょかみしないとならない寂しがり屋だからしょうがないけどwww)


>>969
>>929はスルーかい? まさに929に尽きるが?w

>だからいつからブラフマンとヴェーダの教えが仏教にとってCの教えになるんだよ
「 >ブラフマンとヴェーダの教え 」はAですよw
貴方(や宝珠)が、真我はアートマンではない、と言うから(≒ヴェーダの系譜内の話ではないというから)
『わざわざ、Cを立てて』差し上げたんじゃないですかw
975神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 16:07:44.22 ID:9aG/Sz2D
976神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 16:10:05.84 ID:FJ+auIWG
>>961
>つか、白隠系はすべてカルトか?

ある意味、そうもいえる。白隠は増上慢にもなった。しかし、白隠の禅病は、
白幽子という仙人の内観法によって治ったらしい(「夜船閑話」)。この内観
法とは、現在の精神医学で使用される唯一の宗教由来の治療法である内観法と
同じなのか、誰か教えてくれ。精神医学の面から興味がある。ここの釈迦カル
トの治療にも有効かも知れない。

それから、道元さんの大学である駒澤大学で、道元やその祖の竜樹ではなく、
原始仏教やテラワダを学ぶ仏教学科がある意味が分らん。水野さんも、その弟子
の片山さんも、テラワダ。学内は、どうなってるのかw。
977一合相者則是不可説:2013/02/13(水) 16:18:53.00 ID:d/OSZ88U
>「言葉で表現しえない自性」が「ゴータマの仏教」で説かれてる

仏性とは「仏の自性」(buddha-svabhāva)であって、

シャンカラ的不二一元論に毒された仏性・如来蔵「仏教」で説かれている。

『如来蔵・仏性思想を説く経典として『如来蔵経』『勝鬘経』『大乗涅槃経』『楞伽経』
など。論としては『宝性論』(Sthiramati ?)『仏性論』(世親 Vasubandhu)『大乗
起信論』(馬鳴 ASvaghoXa ?)『摂大乗論』(無著 AsaGga)など。』
http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar3.pdf

ゴータマ・ブッダが説いた証拠は何もない。
978神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 16:33:42.23 ID:FJ+auIWG
>>977
>ゴータマ・ブッダが説いた証拠は何もない。

如来像思想は、釈迦の「無我」という、どこから見ても明らかな誤りを
是正したもの。中論の「如来の本性は、生類の本性」も、同様に「釈迦の
誤り」の是正。
979神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 16:38:53.41 ID:mcDSgpY6
>>975
その学者ダメじゃない?

道元禅師は「一切衆生悉有仏性」は釈説として認めてるでしょ。
で、「悉有仏性」をアートマン内在説と誤解するなとしてるわけだ。
こんなの当たり前。仏性をアートマン内在説とする聖者はいないよ。

で、その後いろいろ言ってるのは有無というのも仮設の意味で有無ではないということでしょう。
仮設の意味で有無、つまり、実在とか非在という意味で捉えるなということ。

仏性が実在だというなら、アートマン内在説になり
仏性が非在だというなら、釈説の否定になると。

まあ、言い換えれば『ウダーナ』8.1の註釈で涅槃が「有る」と言っているのと同じ。
そこで「有る」というのは譬喩みたいなもんだと、
とりあえず世俗の言い習わしに添って涅槃も仏性も無いもの、非在ではないから
「有る」と説いているけど、実在ではないんだよということでしょう。
980カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/02/13(水) 17:34:51.71 ID:qEZtwHea
>>973
だからその部分は無記を通したんだろうが。なにせ言葉では表現し得ないものだからね。
本当に君は理解力がないね。
981神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 17:58:09.80 ID:5b1H4GqL
アートマンがあったとして死後死滅する
アートマンがなかったとしても同様
どっちにしても死ぬんだよ
いいかげん生に対する執着はヤメな
それが仏教だ

アートマンがあったとして〜だから何?当たり前体操〜
982神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:03:48.17 ID:9aG/Sz2D
>>979
さあどうなんでしょう。解りませんね。
悉有仏性は仏のみにおいてご覧になるものであって
私の感知できるところではありませんから。
983神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:07:48.80 ID:5b1H4GqL
一切衆生悉有仏性だとして〜だから?
状況今と変わりませーん
当たり前体操〜♪
984神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:20:15.51 ID:9GTJy7/H
>>976
だったら、貴方が日ごろ熱弁する『日本の仏教(は大乗仏教)』から、臨済宗を外すべきと思いますが?
まだ、(キ教的であるという理由で)真宗しか外されていないようでしたが?w

>駒澤
宝珠みたいに電凸してこいよ。
学生募集やQ&Aの一環でもあるから、絶対答えてくれると思うぞw
その勇気や行動力もなく、ただ、2chで虚勢を張るか・・。
なんとも情けないな・・・
985前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 18:24:45.80 ID:xk/vQips
>>887 :一合相者則是不可説氏
>また、そこに錯視で実体(らしき)を認めて空海のように「如来蔵」思想を妄想する連中もいる。
>アリバイ証明的に空性だと弁解すれば仏教内だ、と成りすますインチキが多い。
>実質的な実体アートマン思想であることはいうまでもない。
>浄土真宗は神様信仰の成りすましだが、
>真言宗、臨済宗もアートマン思想の成りすましだろう。

法華経でも「仏性」は度々出て参ります。
「仏性」と「阿頼耶識」とは異なるようですし、「アートマン」とも異なるようですし。。

弘法大師はアートマンと「仏性」とについてどう説かれていたのかご存知の方はご教示願います。
「一切衆生の心中にみな仏性あり、 如来蔵を具せり」
「一切衆生は無常菩提の法器にあらざるはなし」 ←人は神の似姿(旧約)と似ているような

カルマを積みつつ輪廻する阿頼耶識、仏になり得る仏性も輪廻を超えてくるようです。
更に慈悲が完成し涅槃に入っても、衆生済度に向かう如来。。奥が深そうですね。
986カラスの唄:2013/02/13(水) 18:26:29.24 ID:qEZtwHea
>>974
はぁ〜。ヨーガスートラにしろ、ヴェーダにしろ真我と呼ばれているものと自性と呼ばれているものは
ちゃんとわけて書かれていると何度言えばわかるんだろ。本当に理解力のない人だ。
987神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:31:44.29 ID:5b1H4GqL
まぁ輪廻があると思って死になさい
輪廻がないと思って死になさい
状況何も変わりませーん
当たり前体操〜♪
988前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 18:38:49.30 ID:xk/vQips
>>949
>日常会話でアートマンが通用するだろうか?

産婦人科病棟で「不生不滅」と言ったら、看護婦や妊婦さん達から白い目で見られますよ。
レース会場で「不去不来」と言っても同様の扱いでしょう。

日常会話や、常識人の前で第一義諦の真理表を提示したら、皆一斉に身を引くでしょうし。

また普通の外国人達の前で「神など信じない」と言えば、危ない奴とみなされるでしょう。
989神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:44:07.96 ID:5b1H4GqL
それより隠居は死ぬ準備ができているのだろうか?
バッチコイなのだろうか?w
宗教の錯覚性は確かに病気といえる。
そんなことは大概の人間が知っている。
なのに相も変わらず繰り返す
九官鳥のように
990神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:49:33.74 ID:5b1H4GqL
我をもって無我を説くのが相当気に入らないらしい
屁を体内に持ちながら人前で屁をこかない(無屁)といったらいいか
そんな他愛のない話なんだがw
991前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 18:54:31.54 ID:xk/vQips
>>987
>まぁ輪廻があると思って死になさい

もし無ければそれで意識は消滅しますから、意識寂滅で問題無いでしょう。

>輪廻がないと思って死になさい

もし有れば、自分の眼で自分の遺体を見ますから、その時は間違っていたと認めたら良いでしょう。
992神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:56:44.33 ID:9GTJy7/H
>>986


・真我とアートマンは同か異か?
・異ならば真我に対応するインド語(A)は何か?
・対応するインド語(A)が、参照可能な仏教資料中で、
 肯定的に(求むべき・目指すべきものとして)述べられている箇所はどこか?

Yスートラやヴェーダ文献で言われる自性は仏教で否定されているとしても、真我は否定されていない
と言うならば、上記の疑義に回答がなければなりません。
993神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 18:59:03.55 ID:9GTJy7/H
>>一代
ほらねw

>>988は、
『真に重要なことは語られない、故に、仏典中に記述がなくてもおかしくない。
 仏典中に既出がなくても、釈尊は説かれたかもしれません』
ってことだが、
これが姑息で狡猾なレスでなくて何さw

この論法は宝珠と同一だしね。
994カラスの唄:2013/02/13(水) 19:00:24.65 ID:qEZtwHea
>>981
断滅論はゴータマの仏教じゃねえって。君は仏教の基本も知らないんだね。
ま、日本の末法仏教は滅びを目指してるんだからしゃあないわな。
995神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:00:40.57 ID:9GTJy7/H
一週間で1000かw 凄いな
996神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:01:33.54 ID:9GTJy7/H
>>994
で、>>929さんへの感想は? ( ̄ー ̄;)
997神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:03:33.78 ID:5b1H4GqL
>>991
読みは正解としましょう。問題は次の句にあります。
状況なにも変わりませーん。
そんなことをしててもという意です。
内観してた方がましと言えるでしょう。
998前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2013/02/13(水) 19:12:00.00 ID:xk/vQips
>>993
>『真に重要なことは語られない、故に、仏典中に記述がなくてもおかしくない。
> 仏典中に既出がなくても、釈尊は説かれたかもしれません』

アンカーをよく間違えるのは、考え事に夢中で早合点の癖があるのかも知れませんね。

(整理をば)
・私はできるだけ仏典のテキスト(現代語訳)を提示してきました。←訳者の違いは分かりませんが。
・大智度論にも解説されている「四悉壇」にいつも注目しております。←何を説いた<誰に説いた
・異教徒やバラモンへの説法と舎利弗(長部)、弥勒(法華)への説法とは分別して読まないとと留意。
・根拠は側近のアーナンダの悟りが結構遅れたという理由にあります。←彼には釈尊が四枚舌に思えたかも。

慇懃無礼にならないように、率直にお伝えしましょう。
999神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:23:58.94 ID:5b1H4GqL
アーナンダ。顔も知らないインド人。
その顔姿は今のインド人と遜色ない。
物語は過去にいた実際の人物を錯覚視させる。
1000神も仏も名無しさん:2013/02/13(水) 19:32:30.50 ID:hD/5JI+N
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