>>400 このスレで三法印の話は何度目だよwww
sabbe saNkhArA dukkhA 「諸行 苦 、一切行 苦 、一切皆 苦 」
sabbe saNkhArA anicccA 「諸行無常 、一切行無常、一切皆無常」
正確に言えば、諸行は苦の因となっているという意味合いだから。
また、仏や如来を行に含める例には出会ったことがない。
人間存在・五蘊存在総体を行として括る例も見たことがない。(稀少なりともどこかにはあるのだろうか?)
だから強いて、仏・如来を人間存在・五蘊存在としての「行」と見做せば、そのことによって「苦」を感受する人もいるかもしれない。
ただ、仏・如来に於いては、五蘊が残っている以上そのことによる感受は生じるものの、
そこから更に苦が生じることはない。そこには、行として、作られていくことがないから。
行がないから。 だから、ウダーナ8のような謂いになる。
この場合の「行」こそが、形成・生成するものされたもののことだから。
形成・生成されること無きが故に、そこに苦もまたない。