1 :
宝珠愚者のスレ立て代行者 :
2010/01/16(土) 21:52:58 ID:CBY5T1Cz
----悪評ω_(゚∀゚ )インチキ宝珠シリーズ---- 前回の議論スレシリーズ、【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】においては、ゴータマ が輪廻転生について説いたことはまったく確認されませんでした(マハーカッサバ教末裔の記述としては仏説たりうるかどうかが立証されず、 確認できません)。しかし依然として、ブッダの教えに反しこの教えに執着する自称仏教徒(外道)も多い。 また、アプリオリな輪廻転生至上主義のオカルト神智学徒やインチキカルトのマヒカリなど、とにかくカマってほしい外道徒輩もいる。 その主な理由は、反仏教マハーカッサバ教末裔アビダルマ部派(上座部、説一切有部)のスコラ経典に「書いてある」というものです。 仏教者たるものはこの思想と如何にして対峙し、社会的にはどのように説かれていくべきなのでしょうか? ヤーニュージャヴァルキアがバラモン支配にためにでっち上げたご都合主義イデオロギーに仏教徒は屈服すべきなのでしょうか? ブッダの縁起の思想の革命的意義を踏まえつつ、無常=無我=縁起=空=中道を踏まえて、 業報輪廻転生論の現代的意義を徹底的に検討してゆきましょう。 自称ブッダの教説という原始経典からの引用と批判的解説は特に歓迎します。
6 :
神も仏も名無しさん :2010/01/16(土) 23:51:54 ID:K9rM65pM
まずは、スレたて乙。 2〜3のまとめは実に的確ですな。 さて、宝珠はこのスレが終了するまでに回答をあげるのかな? それとも、いつものように逃げ回るだけか?
7 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/17(日) 03:30:41 ID:FQecySZ8
書き込み規制批難スレからの復帰レス:
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/ >>58 宝珠愚者氏
>しかし、仏教とは涅槃を目指すものであり、それ以外の何ものでもありません。
>これは認めなければならない重要な部分ではないでしょうか?
事実というものは、認めても認めなくても、事実です。ですから「認めなくてはならない」
特に「こうしなければ《ならない》」という点には、私は懸念があります。それが実際に
事実であっても、事実に対して「これこれこうしなければならない」ということは別問題
だと考えます。
その事実に対して、どう取り組むかは各人に委ねられています。しかし、行為として評価
したならば、仮に、「俺は恐山に上るのだ」と言って恐山の方向を指差してアピールしな
がらも、その実、歩みとしては、後退りしながら、富士山の山頂へと向っていく人もある
でしょう。この場合、行為としてはその人は「富士山に上っていく人」です。「涅槃を目
指すのが仏教とは認めない」と自認する人でも、行為として、人生の姿勢としては、結果
的に涅槃に近付いていく方向性を選択している人だっていると思います。
反対に、「涅槃を目指すのが仏教だと認める」と自認しながらも、実際の人生の在り方と
して、涅槃からますます遠退いていく方向性を取ってしまっている人もいることになりま
す。
「結果として、その時その瞬間において、どういう行動を取れているか?」 そういう風に物事を、己自身の在り方を評価せよ、あるがままに見れるようにせよ、とい のが、ゴータマ仏陀の教えだと考えます。 再掲: <引用 中村元『ブッダのことば スッタニパータ』p141> 賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為 (業)とその報いとを熟知している。 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。(……) </引用> あるがままに見れない賢者ではない者、すなわち愚者の場合は、実際の人生の在り方とし ては涅槃から遠退いていく方向性をとっていたとしても、「私はこのような正しい仏法に 対する理解を持っている」「私はこのような正しい仏法の修行に励んでいる」ということ だけで足りると考えて、正しい状態にいると勘違いしてしまう可能性があります。 勘違いしているかどうかは、他人からは、その人の行為を見れば一目瞭然かもしれません。 言っている内容の正否がどうであれ、その言葉を投げ掛けることによって、他人にどのよ うな行為を行っていることになるのか、ということです。 いくら途中過程では、本人としては、ひたむきに真理について誠実に取り組み考えていた つもりであっても、最後に、結果として、その考え・結論によって、他人を病人よばわり したりするのであれば、行為によってその人は「人を病人にする者」となります。他人を 馬鹿よばわりする人は「人を馬鹿にする者」となります。どちらが先に攻撃を始めたかに よらず、ただ人は、自己の不善な行為によって汚れます。他者から不快な行為を受けた段 階ではなく、自己が不善な行為をやった段階で汚れるのだと思います。
9 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/17(日) 03:52:49 ID:FQecySZ8
>宝珠愚者さん 以上をふまえた上で、仏教と涅槃についての私の考えですが、仏教とは「いかにすれば涅 槃を得ることができるか?」という教えであり、「いかにすれば」に私自身は力点を置い て接しています。「How」です。「Why」や「What」ではありません。だから「真理」な ど白でも黒でもどちらでも構わないというスタンスで、実際のところ白であったとしても、 黒であったとしても(輪廻転生があったにせよなかったにせよ)、どちらでも失敗しない ような立ち位置を選ぼうとしています。また、仏教は How の教えの体系だと考えると、 私にはとても興味深いのです。 cf.「筏のたとえ」
10 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/17(日) 08:17:40 ID:uLHsSfAk
1>>とりあえずは(アリガト^^)、 スレ立てご苦労様でした m(__)m 次スレと認定します! (まっ、よほど悔しいのか? なんだか余計なものまで追加されてますが・・・) 不説さん-復帰オメ では、また後ほどゆっくりと ω_(゚∀゚ )
>>10 前スレで、立てたスレが気に入らなくて、ダダを捏ねて、スレを立て直した人の言動とは思えませんね。
前回は、よっぽど悔しかったんですねw
>なんだか余計なものまで追加されてますが・・・
たしかに、「----好評ω_(゚∀゚ )宝珠シリーズ---- 」は余分でしたね。
>>5 に倣って、「----悪評ω_(゚∀゚ )インチキ宝珠シリーズ----」にしといた方がよかったですか?w
12 :
神も仏も名無しさん :2010/01/17(日) 13:58:20 ID:qNcVW5wG
少し、ピント外れで失礼します。人間の精神は遺伝子DNAにより伝えられてゆきます。 DNAは両親から受け継がれたもの。どうして輪廻転生が起こりえます? 輪廻転生、前世・現世・来世、などの思想は因果応報の訓えなどと相まって、道徳を 訓える一つの方便ではあります。また、死への恐怖を和らげても呉れます。しかし、 今日では、余りに素朴過ぎます。 輪廻の思想は御伽噺にすべき時ではないでしょうか?
13 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:09:03 ID:qXIp3+HL
>>12 いわば、そのDNAというのは生産工場での加工設備上の加工動作を意味するプログラム内容です。
けれども実際に設備を操作するのは人であり、オペレーターなのです。
設備をどのように扱って操作するかを決めているのはオペレーターであり、その個人差に拠るのです。
個人によってその差は現れてきて、出来上がる加工品には明確な違いが生じます。
とある男女の生殖による子供のDNAというのは、ある程度は機械的で自動的なものです。
しかし、どの男女組のDNAを自らのものとするかを選択しているのは、実は魂なのです。
これは自己の魂の発達レベルと過去世のカルマの総計として最も相応しい男女組の出現を待ち、
そのタイミングを待って、自ら選択しているのです。
〜という考え方は、如何?
(尚、仏教的には明確に魂を説くことはありませんが・・・)
14 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:11:42 ID:qXIp3+HL
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/704-705 >>スレ4/704
>何度も何度も指摘してますが、むしろ貴方の方が、
>「仏陀が言ったから信じる。文献に書いてあるから信じる」と言う「権威主義者」です。
仏陀の教説が理論的で私にはとても納得できるものだからですよ。
だから、これを受け入れるということ。
でなければ、相手がゴータマであろうと誰でもあろうとも、
この私は、断固として受け入れない。
最高の権威者とは、
在る意味では自分自身なのですよ。
これを他者に明け渡すとき・・・“従属”と呼ばれる。私はコレを拒否する。
当然、仏典/聖典の文字通りそのまま受けるといった原理主義についても同様です。
それは迷信を産み、蔓延らせる。
>>スレ4/705
ま〜確かに(私の嫌いな)権威者ではありますが・・(笑)。
しかし、大槻氏は本物のプラズマ学の権威であり、
尚且つ、典型的な唯物論者(というか懐疑論者か?)として広く知れ渡っている早稲田の名誉教授なので、
彼の“人の思念力が量子の世界では影響を与えるのは事実”とTV上で公言したことは、
やはり、意味があるものと思う。〜参考情報としては、大いにです!
15 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:13:22 ID:qXIp3+HL
>そして、「何をどう認めたか」を正確に引用していただけますか?
たぶん、録画してそのまま消してない筈ですが・・・
けれども確か、これはかなり古いものであり(5〜10年前?)、
その箇所を見つけ出すことは容易ではないと思います。
(逆に、あっさりと見つかる場合もありますが・・)
はい。
一応、手元の録画VTRテープはいろいろ確認してみます。
探してはみますが、あまり期待しないで!!
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/706 >>スレ4/706
>>ギリシア時代の無限分割論です・・・ね。
>古典物理学を否定するから、量子力学を肯定してるのかと思いきや、
>実は、過去に遡って、ギリシア物理学だったとは……。
>予想外すぎて、リアクションに困りますw
私の摂るスタンスというのは、
〜近代までに至る科学(理論)には強く否定的です(これらは唯物主義に傾倒したものだから)。
しかし、それよりもっと以前の古代科学の中には、これから認められてくることになるであろう
貴重な視点が随所に散りばめられているものと見ています。
その再確認を成すことになるのが、今現在の、そして今後の最先端の科学ということになる。
16 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:17:19 ID:qXIp3+HL
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/708 >>スレ4/708
知らないわけがないでしょう。
LSD実験に傾倒して大学を辞めたラムダス(アメリカ・ニューエージ運動のリーダーの一人)などもいる。
>LSDが、宗教、音楽、絵画などに与えた多大な影響を知らないんですか?
それは薬物効果のある時間内に限定される。
尚、トリップ中の脳内体験と感覚は記憶としては残っているでしょうから、
その残存記憶による好転影響の部分はあるだろうことを私も否定しません。
それでも私は全く支持しません。これは基本的に薬物反応です。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/709 >>スレ4/709
>もうこれ以上の議論は不毛でしょう。
どうぞ、退去はご自由にされて下さい!
あなた方の持つ(低レベルな)仏教理解によれば・・・。
せっかく仏道を歩んでいても、解脱して覚者に成る以前で寿命が尽き死去した者というのは、
結局、永遠に解脱のチャンスなどは巡ってこないということになる。
では聞きますが、
今生だけの仏道修行だけで仏陀の境地に到達できる者とは一体、どんな人間なのか?
その可能性に恵まれていて、実際に達成する者は何人なのか?
その手前で寿命が尽きた者にとっては、それまでの修行の成果はどうなってしまうのか?
世俗がいうところの幸福を捨ててまで没頭した出世間の仏道修行の意味とは何か?
17 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:18:48 ID:qXIp3+HL
ならば、 最初からごく普通に世俗の幸せを求めて、 それを穏やかに追求していく人生の方がもっと賢くはないのか??(ご隠居のように?) あなた方の浅い仏教理解では、その辺はどうよ!!?? まっ、今・・・ セブンの件もあって駒沢大に問い合わせ中ですわ^^ 果たして無反応で黙って処理されるのか? それとも、何かしらの誠意ある対応がされるのかどうか?? 返信待ちです。 私は、最初からズーと一貫していってる。 唯物主義者は、それはそれで本人の自由なのだから、 精々、他人さまに迷惑掛けない程度に好きにしてなさい、と。 しかし、仏教はそれとは違うものだから、デタラメを説かれるのは辞めるべきだと。 「仏教など間違ってる。そんなものは私は信じない」というのは、全然いいのですよ。 ただ、デタラメを仏教だとして公言するのはよくないということなのです。 縁起氏が、「知らないから口出しするな!」というのは、ご尤もなこと。 それだけですよ。
18 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:20:32 ID:qXIp3+HL
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/702 >>スレ4/702
>お前らが体験した、その「神秘体験」とやらが
>その個人の「認知システムの異常」でないと、どうやって証明する?
>薬、酒、その他、特定のシステム異常、により、認知してしまった架空の
>現象ではないと、証明できるか?
どうも、第三者に提示できなければ、
現象体験はまるで無意味であると決め付けるというのは、そもそも如何なものでしょうか?
「薬、酒、その他、特定のシステム異常」などは何ら無かったことは、本人がよ〜く知っている。
あなた方は、自分がこれらの何れかのせいにしないと説明できる手段を失うから、
そんな勝手な決め付けをするだけのこと。
この日この時だけに生じた特別な現象体験を説明できる条件
(あなたのいうような・・・違い)などは何もなかった。
唯一、分っていることというのは、心霊存在を疑うような「気配の感覚」と、
そして、「謎の足音と息遣い」がしてから間もなく、この物品移動の現象は起きたということ。
〜この事実があるだけ。
これを常識から判断して(これが私の常識的理解です)、
心霊存在によるポルターガイストがついに起こり、それを私は目撃したということ。
ところがあなたは“無知だから、”その常識的理解を持たないので説明できないというのに過ぎない。
これはあなた(自分)の無知が原因です。わたしのせいではない。
19 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/18(月) 01:24:36 ID:qXIp3+HL
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/710-711 >>スレ4/710-711
野生動物の減少は、ある程度は種としての期限切れ(自然の法)が原因しており、これを食い止める
ことは基本的にはできないのです。残念ながら、私たちが彼らと接していくのが動物園が唯一のものと
なるかも知れません。 尚、野生動物の減少と人類の人口増加との直接的な因果関係は“転生の繋がり”
ではありません。
転生(現象)は進化の法則に沿ったものであり、鉱物王国→植物王国→動物王国→人類→超人(覚者)
へと至る進化のシステム(大いなる意志)によるものです。従って、下位の王国へと後退して転生するこ
とはない。
つまり、人間が動物や虫けらに転生することはありません。尚、現在は進化のドアー(扉)は閉ざされて
しまったので、逆に動物王国の生命が人間に転生してくることも、またないのです。そして、いずれは人
類から超人(覚者)へと進化する扉も閉ざされるときが訪れます。 それが、まだまだ遙かな先にあるであ
ろう「審判の日」ということになる。
「どっかで待機」じゃなくて、「デヴァチャン」(死後に経験する至福の状態)といいます。この太陽系システ
ムだけで600億の魂があるといわれており、現在、転生しているのはその僅か一部にしか過ぎない。
転生の周期というものは、魂の発達の度合いと過去世でのカルマの総計といった複雑な要素があって、
それぞれに一様ではありません。
ただし、超人(覚者)の王国へと至る流れでの大凡のステップとしては、仏教の説く四向四果での修行の
達成度と転生回数は、かなり描写として正しいものです。 進化した魂は意識的に転生の時期や場所を在
る程度は好きに選択が可能です。
(まっ、根拠はないので聞かないこと!!!)
〜という説です^^
20 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/18(月) 02:28:14 ID:N9GI5zUC
>>14 宝珠愚者氏
>でなければ、相手がゴータマであろうと誰でもあろうとも、この私は、断固として受け入れない。
>最高の権威者とは、在る意味では自分自身なのですよ。
>これを他者に明け渡すとき・・・“従属”と呼ばれる。私はコレを拒否する。
横レスになりますが、この部分を読んだ限り、愚者さんは、「独覚仏へと向かう業」を歩
んでいるのかなと、私としては思いました。そうすると、仏教外の覚者(独覚)方に対す
る関心の強さも、うなずけることになります。
一方で己自身の判断の限界を感じる人が、正自覚仏の教えによって、その限界を破って涅
槃に到達しようとする「仏弟子へと向かう業」を歩む人々とは、どうやっても「仏陀の言
葉」に対する扱いに根本的な隔りがあることになります。
とはいえ、「仏弟子へと向かう業」の道を歩むことが、本当のところは「他者に明け渡す」
「従属」することを意味するわけではないと私は考えます。しかし、「独覚仏へと向かう
業」の道を歩んでいる愚者さんのような人からは、そういう風に(「他者に明け渡す」
「従属」と)しか思えなくても、それはそれで仕方がないとは思います。
また一方で、「仏弟子へと向かう業」の道を歩む人々は、同じ道を歩む人々同士では、
「何くだらんことを考えている、このバカもん!」と一喝して、相手の下手な自縄自縛か
らちょっとずつ解き放ってやることこそが、正義だ、というのもまた当然だと思います。
それが確実に涅槃に近づく一歩一歩となるでしょうから、それはそれで仕方がないと思い
ます。
異なる道を歩む他者に、皆さん、もう少し寛容になれませんかねぇ。他者の道に寛容にな
れば、その分、己の道も開けるってものじゃないでしょうか。結局、他の道を害し、己の
道を利そうとする者同士で、争いが起こるのでは? 争いそれ自体、積極的に涅槃から遠
ざかる行為だと思います。涅槃へ至る道を探っている者同士が、涅槃から積極的に遠ざか
り合いっこしても、無益ではないでしょうか?
瞑想に行為者は居ない わかるかね
何が、誰が輪廻するのか そもそも輪廻転生なんて言葉が成り立つのか? どうかね
23 :
神も仏も名無しさん :2010/01/18(月) 04:07:54 ID:1ns1AF0I
>>18 真正のアホだな。
「認知システムに異常」がなかったと、どうして言い切れる?
お前が言うように「酒、薬」の使用がなかったことは『お前だけは』は
わかるだろう。(しかし、これさえも他者に対しての主張は不可能)
だが、この「認知システム」の異常は、本人さえも知覚不能だ。
それをお前は何故、そんなことはなかったと言い切れる?
お前個人の認知システムの異常でないと考えられる理由は?
お前以外の複数の者が、何回も(すなわち再現性を伴い)同じ現象を
体験し、定量観測でもしたのか?
いいか? 例えばな、 「ボクはそのとき、すっごく変な気配を感じたんだ。
そして、後ろを見たら、誰もいないのに本とか、鉛筆が空中を飛んでるのを
見たんだ。すぐ落っこちたけどね。うん、その変な現象は一回きりだよ。
でもボクには、はっきり分かるんだ。あれはホントの心霊現象だったよ。」
と、テレビの「ちょうのうりょく」番組をみて、何の疑いもなく「すっげ〜」
と感心して信じ込んでしまうような、アホ小学生が言ったらどう?
「それは、すごい。まさに心霊現象が実在する確たる証拠だ。」と
こうなるか? お前の言ってることは、オカルト好きの小学生の発言と
全く変わらんの。 いい加減に理解せえよ、いい年して。
>心霊存在によるポルターガイストがついに起こり、それを私は目撃したということ。
だからね、このように断言できる要素は皆無なの。
「お前がそう信じているだけ」 わかった?
>ところがあなたは“無知だから、”その常識的理解を持たないので・・
失礼なやつだな。(笑) 自分の妄想を根拠に勝手に他者を無知と規定するとは。
「常識的理解」???? それは、「お前だけにとって」の常識なの。
その他の「正常者」にとっては、「非常識」なの。
ホントニ妄想馬鹿はいくら言っても理解できないんだな。
それにしても、宝珠の妄想につきあうのは時間の無駄だよ。 書いてあることと、輪廻転生がアプリオリとの信仰以外の根拠なんかゼロなんだから。 だから、机も縁起一代も閻魔も見切ってしまっている。
>>14 > 仏陀の教説が理論的で私にはとても納得できるものだからですよ。
だから、「その理論を開示してください」と、何度言えば…
貴方が今まで主張してきたのは、
「○○という『権威のある書物』に書かれている。だから信じろ。」
「○○という『権威のある人物』が言っている。だから信じろ。」
……このパターンばっかりですよw
いつになったら、理論を提示してくださるんでしょうかね?
> 最高の権威者とは、在る意味では自分自身なのですよ。
> これを他者に明け渡すとき・・・“従属”と呼ばれる。私はコレを拒否する。
他人には、「無条件に信じろ」と言っておいて、自分は例外ですか?
貴方の本音は、「自分に都合の良い権威は無条件で信じ、都合の悪い権威は拒否する」でしょ?w
> しかし、大槻氏は本物のプラズマ学の権威であり、
> 尚且つ、典型的な唯物論者(というか懐疑論者か?)として広く知れ渡っている早稲田の名誉教授なので、
彼は、プラズマが専門で、決して、超常現象の専門家じゃないです。
ちなみに科学畑の人間からは、「なんでもプラズマを原因にしてしまう、オカルト教授だ」と批判されてます。
量子力学に関して引用するなら、量子力学を専門とする人の発言を引用したらいかがですか?
> 彼の“人の思念力が量子の世界では影響を与えるのは事実”とTV上で公言した
だから、その正確な引用をお願いします。
コレまでの貴方の言動を見ていると、単なる「思い込み」で、
発言の意味を「勘違い」している可能性が高いですから。
>>15 > けれども確か、これはかなり古いものであり(5〜10年前?)、
> その箇所を見つけ出すことは容易ではないと思います。
また、「見たつもり」という、思い込みでの発言じゃないんですか?w
> 探してはみますが、あまり期待しないで!!
まあ、期待しないで待ってます。
今度は三ヶ月かかるとか言い出しませんよね?w
>私の摂るスタンスというのは、
>〜近代までに至る科学(理論)には強く否定的です(これらは唯物主義に傾倒したものだから)。
おいおいw都合のいいときだけ、過去の物理学に戻るんですか?w
あなたは、量子力学(を誤解して)、その知見を賞賛してたと思ったんですがね?
>しかし、それよりもっと以前の古代科学の中には、これから認められてくることになるであろう
>貴重な視点が随所に散りばめられているものと見ています。
>その再確認を成すことになるのが、今現在の、そして今後の最先端の科学ということになる。
何度も何度も指摘し続けてますが、
「科学が進歩すれば、自分の意見が証明されるだろう」と言うのは、貴方の願望に過ぎません。
むしろ、「科学が進歩しても、貴方の主張が否定されつづける」可能性の方が大きいと思いますがね?
>>16 これは、「薬物の効果が切れれば巣に戻るのであり、何ら達成した精神性とは無関係でしょう。 」という貴方の主張を、ご自分で否定された事を意味します。
明らかに素に戻ってないし、薬物の影響がなくなっても、達成した精神性の影響を受けているからです。
つまり、貴方の反論の根拠である、「神秘体験」と「薬理作用」の差異が否定されたわけです。
ならば、セブン氏にも指摘されてますが、
(
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/42-47 )
貴方の言う「神秘体験」と、貴方の言う「薬物反応」を、どう区別するんですか?
もっと突っ込んで言えば、「神秘体験」が「脳内の経験」にすぎない可能性は?
更に、「神秘体験」が「思い込み」である可能性は?
あるいは、「神秘体験」が「偶然」である可能性は考慮したことは無いんですか?
>>16 横レスですが、
>せっかく仏道を歩んでいても、解脱して覚者に成る以前で寿命が尽き死去した者というのは、
>結局、永遠に解脱のチャンスなどは巡ってこないということになる。
>今生だけの仏道修行だけで仏陀の境地に到達できる者とは一体、どんな人間なのか?
>その可能性に恵まれていて、実際に達成する者は何人なのか?
>その手前で寿命が尽きた者にとっては、それまでの修行の成果はどうなってしまうのか?
>世俗がいうところの幸福を捨ててまで没頭した出世間の仏道修行の意味とは何か?
何度も指摘しているように、何で全員に平等なチャンスがある必然性があるんですか?
結局、「全員(つまり自分)にも、平等に解脱するチャンスが欲しいから、
『輪廻』と言う『やり直しのチャンス』が有ると信じたい」という、貴方の願望なんじゃないですか?
>>17 >ならば、 最初からごく普通に世俗の幸せを求めて、
>それを穏やかに追求していく人生の方がもっと賢くはないのか??
何度も何度も何度も指摘されているように、
「出家者」の価値観と、「在家者」の価値観の違いだと思いますが?
>セブンの件もあって駒沢大に問い合わせ中ですわ^^
>返信待ちです。
一体どんな状況なんですか?w
普通、電話したら、担当者に転送されるとか、専門の教授を紹介されるとか、何らかの回答は有ると思うんですがね?
返答待ちということは、貴方の電話番号を大学に知らせて、返信してくれるように頼んだんですか?
回答期限はどのくらいなんですか? 三ヶ月待てとか言われちゃったんですか?w
まさか、またまた、「電話したつもり」じゃないでしょうね?w
>>17 >私は、最初からズーと一貫していってる。
>唯物主義者は、それはそれで本人の自由なのだから、
>精々、他人さまに迷惑掛けない程度に好きにしてなさい、と。
>しかし、仏教はそれとは違うものだから、デタラメを説かれるのは辞めるべきだと。
>「仏教など間違ってる。そんなものは私は信じない」というのは、全然いいのですよ。
>ただ、デタラメを仏教だとして公言するのはよくないということなのです。
>縁起氏が、「知らないから口出しするな!」というのは、ご尤もなこと。
>それだけですよ。
私は、最初からズーと一貫していってる。
輪廻を信じるのは、それはそれで本人の自由なのだから、
他人さまに迷惑掛けないなら好きにしてなさい、と。
しかし、輪廻が真実であると他人に押し付けるのはそれとは違うものだから、
根拠を提示できないなら、デタラメを説くのは辞めるべきだと。
「仏教は正しい。私は信じる」というだけなら、全然いいのですよ。
ただ、デタラメを普遍的真実だとして公言するのはよくないということなのです。
縁起氏が、「知らないなら口出しするな!」というのは、ご尤もなこと。
それだけですよ。
それから、何度言っても理解していただけませんが、
私は、「『貴方の仏教』を貴方が信じる」事を否定してるんじゃないですよ?
「貴方の仏教を『他人に押し付ける』」事を否定してるんです。
第一、私は「仏教全体」を否定している訳ではありません。
「無我と、輪廻は矛盾しないのか?」と聞いてるんです。
私は「輪廻」を「否定」していません。
「肯定する根拠が見当たらない」と言ってるんです。
そして、その上で、『貴方の仏教』がデタラメの可能性が高いから、
「整合性のある理論や、輪廻の客観的根拠を示せないなら、語るな。」といってるんです。
>>18 >どうも、第三者に提示できなければ、
>現象体験はまるで無意味であると決め付けるというのは、そもそも如何なものでしょうか?
ならば、
「『アリンコ脳みそは、来世に地獄に落ちて、それ以降何度転生しても、
永遠に無間地獄から抜け出せない』という仏陀の声を聞いた。」と言う、
根拠を第三者にも提示する事も出来ない「現象体験」に意味があると、貴方は考えるんですね?w
>これを常識から判断して(これが私の常識的理解です)、
>心霊存在によるポルターガイストがついに起こり、それを私は目撃したということ。
>ところがあなたは“無知だから、”その常識的理解を持たないので説明できないというのに過ぎない。
>これはあなた(自分)の無知が原因です。わたしのせいではない。
何度も何度も指摘されているように、
貴方は、自分が超常現象のせいにしないと説明できる手段を失ったから、そんな勝手な決め付けをしているだけのこと。
「あなた(自分)の無知が原因」で、「貴方の常識」説明できないから「超常現象だ」と認定しただけに過ぎず、
誤解している可能性を否定できない(むしろその可能性が濃厚だ)ということです。
もしそうならば、これは貴方(自分)の無知が原因です。わたしのせいではない。
>唯一、分っていることというのは、心霊存在を疑うような「気配の感覚」と、
>そして、「謎の足音と息遣い」がしてから間もなく、この物品移動の現象は起きたということ。
>〜この事実があるだけ。
>これを常識から判断して(これが私の常識的理解です)、
>心霊存在によるポルターガイストがついに起こり、それを私は目撃したということ。
「観測事実」と「貴方の推測」をごっちゃにしないでくださいよw
>>19 >まっ、根拠はないので聞かないこと!!!
つまり、「私の妄想だから、聞き流してね!!!」って事ですね?w
了解しましたwww
突っ込まれるのが嫌で、先手を打ったつもりでしょうが、ぶっちゃけ、
「都合の悪い質問は無視する」「都合の悪い事は聞くな!」と言う本音を言ってしまったらいかがです?w
to アリンコ脳みそさん
結局、見事にテンプレに書かれたとおりの言動ですね。
>>2-3 過去レス漁って、書いた甲斐がありました。
あと、長文書く暇があるなら、さっさと回答してくださいと何度(ry
>>24 >それにしても、宝珠の妄想につきあうのは時間の無駄だよ。
まったくですねw
テンプレにもそう書こうかと思ったんですが、身も蓋も無いんで、止めてしまいました。
書いて置けばよかった……反省orz
まあ、そんな事書くと「じゃあ、何でお前は書き込んでるんだ!」と突っ込まれそうですがw
ぶっちゃけ、本音を言えば、止めたいところですが、
私の質問に回答するとアリンコ脳みそさんが主張されてるんで、
責任とって、延々と待ってるんですよ。(気が付けば、質問してから7スレ目か…)
めんどくさくなってROMしてたら、呼ばれるしw
放っておくと、反論されたことを蒸し返して、「勝利宣言」しますしねw
35 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/20(水) 23:24:47 ID:voRGpgl5
>>28 >何度も指摘しているように、何で全員に平等なチャンスがある必然性があるんですか?
>結局、「全員(つまり自分)にも、平等に解脱するチャンスが欲しいから、
>『輪廻』と言う『やり直しのチャンス』が有ると信じたい」という、貴方の願望なんじゃないですか?
因果の道理を踏まえない愚かしい暴論。
>>29 >一体どんな状況なんですか?w
取り合えずメール送信です(着信はした筈です)。
返信が来るのをただジッと待ってみてるだけです。
>>30 >「無我と、輪廻は矛盾しないのか?」と聞いてるんです。
現象界の流転変滅する性質が無常であり、そこには確たる自己はないということ。
それが無我ということなのです。輪廻がその流転変滅する現象の姿なのであり、
人間存在も同様に輪廻しているということ。それが生まれ変わりの転生現象です。
従って、無我と輪廻に矛盾はありません。
無知な者だけがそういうのです。
>>31 簡単な話です。
第三者に提示できない現象は幻覚であるということにはなりません。
よって、第三者に提示できないからといって無意味と決め付けるのは如何でしょうか?
これは単に、第三者にとっては計り知ることができないに過ぎない。
36 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/20(水) 23:25:28 ID:voRGpgl5
>>5 >ブッダの縁起の思想の革命的意義を踏まえつつ、
>無常=無我=縁起=空=中道を踏まえて、
>業報輪廻転生論の現代的意義を徹底的に検討してゆきましょう。
「無常」とは、
現象界には“留まり続ける形態(もの)など一つもない”ということ。
従って、別個人(別人格)へと生まれ変わり続ける転生現象とは矛盾しない。
「無我」とは、
現象界には“確たる自己など存在しない”ということ。
従って、仮和合の五蘊なる自己は無我であるから、転生現象も無我である。
「縁起」とは、
現象界の一切は縁りて起こる性質を説くものであり、
従って、過去生の業による転生現象はまさに縁起現象そのもの。
「空」とは、
現象界の事象の一切には実体はないということ。
従って、五蘊仮和合の繰り返し出現である転生現象には実体がないので空そのもの。
「中道」とは、
ものごとを正しく偏らずに見る(歩む)ことであり、
本来の意味は、伝統的な狂信的苦行と世俗の快楽主義の両極端に陥らないことをいう。
業報による転生現象を在りのままにみることは正しいものごとの見方であり、
中道には、オカルト転生現象理論と自然界を超越する涅槃といった極端な双方の誤った見解に陥らないこと、
などという馬鹿な意味合いはない。
仏教はあくまでも、世俗の誤った見解を離れて、
五蘊仮和合から離脱した自己(意識)を確立することにある。
それが涅槃/ニルヴァーナの境地。
>>35 > 因果の道理を踏まえない愚かしい暴論。
回答になってませんね。もう一度お聞きします。
「何で全員に平等なチャンスがなくちゃいけないんですか?」
> 取り合えずメール送信です(着信はした筈です)。
「電話する!電話する!」といってたのに、メールですかw
メールの返信待ちなどしないで、電話したらいかがですか?
>>35 > 現象界の流転変滅する性質が無常であり、そこには確たる自己はないということ。
> それが無我ということなのです。輪廻がその流転変滅する現象の姿なのであり、
> 人間存在も同様に輪廻しているということ。それが生まれ変わりの転生現象です。
> 従って、無我と輪廻に矛盾はありません。
貴方も、某人のように、
「今生の中において流転変滅する事も『輪廻』と言う。
そして、流転変滅する事は否定できない。
だから、「生まれ変わり」と言う意味の『輪廻』も否定できない。」
と、無茶苦茶理論を言い出すんですか?w
そして、何度何度も指摘しているように、
通常の生きている人間が、同一の人物で有ると認識されるのは、「肉体」があるからです。
しかし、「生まれ変わり」は、「肉体」も「記憶」も断絶するんですよね?
だったら、「何」が、Aさんが転生してBさんになったと保障するんですか?
> 第三者に提示できない現象は幻覚であるということにはなりません。
その通り。 幻覚であると断定は出来ませんね。
> よって、第三者に提示できないからといって無意味と決め付けるのは如何でしょうか?
ですが、第三者に提示できないなら、少なくとも「第三者にとっては」無価値です。
それとも、貴方はご自分が来世地獄に落ちると信じるんですか?w (
>>31 )
> これは単に、第三者にとっては計り知ることができないに過ぎない。
だからですね、何度も何度も何度も言ってるように、
「否定されないから、肯定されたことになる」と言う考えは間違いです。
当たり前の事ですが、「肯定されないなら、肯定されたことにはならない」です。
蛇足ですが、「肯定されないからと言って、否定されたことにもならない」のは、貴方の言うとおりです。
私が言ってるのは、「貴方が見たと感じた」事を否定しているのではなく、
「貴方が見たと感じたものの実在を、他者に証明できないなら、他者にとっては、貴方が幻覚を見たという事と同値だ」
と言ってるんですよ。
そして、都合の悪い部分は、宣言通りスルーですか?w
余談ですが。 暇つぶしに、あらためて宝珠愚者シリーズを最初の過去スレ (【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】)から見てるのですが、 なんというか……一番最初のスレの300レスぐらいまでで、殆ど結論出てません?w 今回のシリーズでアリンコ脳みそ氏が出してきた論点は、ほぼ既出のもので、すべて反論済みですね。 むしろ、私の反論が既出の反論の劣化版である事を思い知らされましたw しかし、アリンコ脳みそ氏は、あれだけ徹底的に反論されてたのに、 何事も無かったかのように、まったく同じ説を蒸し返してたんですかwww もはや、私が(ほぼ同じ趣旨の)反論を繰り返す必要性を感じませんねw セブン氏が、このスレにあんまり書き込まないのも理解できます。 アリンコ脳みそさんも、反論された説を定期的に蒸し返すのも、いい加減止めましょうよw
結局、アリンコ脳みそさんは、 「仏陀は偉大な超能力者である →自分もその様な超能力者になりたいが、残りの人生で自分が同じ様な存在になれるとは思えない →次の人生(やり直しのチャンス)が有ると信じたい」 と言う発想なんですね?w 業報についても、 「何で自分はこんな不遇の境涯なんだろうか? →自分の責任じゃない。他に原因があるはず! →業報理論は正しい。前世の俺が悪かっただけで、今世の俺は悪くない。むしろ来世はウハウハだ!」 と、考えてるんですね?w あとは、それを肯定する(部分のみ)を引用して「俺の主張は正しい!」といい続けてるだけです。 「ジャータカは物語だから信じない。でも、輪廻が書いてある部分は信じる」とか、ダブルスタンダードが多すぎです。 自分の主張を強化する意見は「真実」であり、否定する意見は「間違い」であると決め付けて、 疑問にも思わないのは、昔からだったんですねw 「Aは否定されてない→Aは肯定される!」なんて無茶苦茶理論も、昔から言ってたんですねw 「無矛盾な理論がある!」(でも提示は出来ないw)と言うのも、初っ端からなんですねwww まあ、過去スレを見直すと、5氏とか、セブン氏とか、結構勉強になる意見が多いです。 5氏なんか殆ど私と同じスタンスで、同一人物と疑われなかったのが不思議なぐらいですねw 読んでて「コレ私が書いたんだっけ?書いた記憶無いけどw」と、思うこと度々でしたw
41 :
神も仏も名無しさん :2010/01/21(木) 14:23:56 ID:j0ecQ7ii
宗教の説が正しいかそうでないか、と言うとき、 そういうことにしておかないと不便だとか虚しい、という理由は あくまで二次的なものとなりますね。 因果の道理、云々が言えるのは、それが実際に理として世界を秩序づけている(と見なされている)からです。 道徳的に困るし、なんだか虚しい、というのは、言わば「真実を否定した結果起こる二次災害」であって、 そうした問題自体によって正しさが保証されるのではありません。もしそうなら 因果の道理は理(真実)ではなく約束事(人間の都合)になってしまいます。
42 :
神も仏も名無しさん :2010/01/21(木) 14:44:18 ID:j0ecQ7ii
よって >「何で全員に平等なチャンスがなくちゃいけないんですか?」 へのより適切な返答は、 「まず全員に平等なチャンスがなくてはならない、という理由があって 『因果の道理』があるのではない。まず真理として『因果の道理』があり、 その内容が『全員に平等なチャンスがやってくる』ものだったのである。 なお、この事実は聖者によって発見されたものであり、 凡夫たちの社会的都合や個人的要請によって造られたものではない」 となります。あくまで「発見された真理」だという理由でなければならないのです。 間違ってもその動機は「単に自分の平等感を投影した」ものであってはなりません。 それでも、異なる立場の人との議論ではこれも不十分となります。 なぜならその「真理」を発見した聖者の正当性を認めているとは限らないためです。 「真理」の正しさを、聖者が誰々であることによって説き伏せる事ができません。
43 :
神も仏も名無しさん :2010/01/21(木) 15:04:54 ID:j0ecQ7ii
この問題は、聖者の教えをそのまま出すときは勿論、 同様な各宗教・伝統から引用したりアレンジ(例えば現代日本人向けに)した時にも起こります。 覚者ならまだしも、宗教・神秘主義をかじっただけの凡夫が正しい、 せめてアレンジ元よりも真理に近いと言う根拠などあるのか?という疑問です。 それは只のフィーリング、毒抜きされ口に合うようにされただけではないのだろうか? この問題は聖者同士でも起こります。聖者には奇跡がつきものですが、それは特定宗教の専売特許ではない。 つまり教えそのものが誤りでも奇跡は起こせるのであって、奇跡もまた聖者の考えの正しさの保障たり得ない。 すべての宗教の奇跡譚が事実とすれば、奇跡というのは、各人・各文化で行われる行法・実践が素質とマッチしたり 効果的な能力開発メソッドに重なった結果でしかない。異教の覚者が自力で本物の超自然現象を起こしたところで バチカンはそのひとを聖人とは認めないでしょう。 聖者を人格の高いだけの超能力者ではなく、宗教を神話を含んだだけの信念体系としてでなく、 真実として受け入れるかは、結局のところ信仰なのですね。
44 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/21(木) 21:33:04 ID:v3p9VaC4
# 頻発する短期規制がまた解けての復帰書き込みです。
規制避難スレ
>>58 宝珠愚者氏
>仏教とは涅槃を目指すもの
規制避難スレでも述べたように、仏教サイドの見解としては、涅槃と外道では涅槃の中身
が違うともされていますので、愚者さんと私がそれぞれ涅槃という言葉でラベリングして
いるところのものの中身が問われるところでもあります。
私が言う涅槃とは「現法楽住」のことです。決して「来世」楽住ではなくてです。
本スレ
>>36 宝珠愚者氏
>「中道」とは、(中略)
>本来の意味は、伝統的な狂信的苦行と世俗の快楽主義の両極端に陥らないことをいう。
仏教における修行とは、(本来)楽行のことであって、全く苦行とは相容れないものです。
苦行が過激か穏やかかどうかという「程度」や、肉体的な苦痛に耐える肉体行かどうかと
いった「表面的な形態」の問題ではなく、苦行全般が中道で否定されています。もし過激
という程度時代が問題なのであれば、程度が中道の一極として述べられていたでしょう。
すなわち、
本スレ
>>16 宝珠愚者氏
>世俗がいうところの幸福を捨ててまで没頭した出世間の仏道修行
というのは、苦行であり、それは元々、仏道修行と呼べるものではありません。仏教の出
家は、楽行を求めてするものであって、苦行を求めてするものではないのです。ですから、
正しい仏道修行者であれば、例え修行途中で死んだとしても、(転生とは無関係に)少し
も損をすることはなく、「世俗人のままいるよりも私はずっと多くの楽を味わえて死ねて
よかった」ということになります。
こういった点も、仏教と教外では、修行というものに対する定義からして違っているとこ
ろだと思います。
>>44 の続き
中道で否定されている一番目の極である「世俗の快楽」というのは、低俗な五感に基づく
快楽(五欲の楽)のことであり、所詮は感覚が外部から得られる刺激に依存し制限される
程度の楽に過ぎません(いわば「現世半楽住」)。
そこで、その五感の限界を超える楽を味わいたいと考えると、次に人は苦行に走ります。
苦行に没頭することで、苦行の果てに、現世を超えた別の優れた世界(境地)があると考
えてそうするのですが、この姿勢(来世楽住)もまたゴータマ仏陀によって否定されまし
た。またその意味では、例えそれが「仏教の悟りのための修行システム」という名義のも
のであったとしても、「いつしか悟って涅槃に到達するため」という来世の楽を目的とし
て、現世の苦に甘んじる態度はやはり苦行だということになります。異教徒にせよ、仏教
徒にせよ、戒禁取と呼ばれる煩悩に囚われると、そのような行動をとることになります。
ゴータマ仏陀の悟りである中道とは、「五感を超えた」「楽を」「現世(今ここ)におい
て」「味わう」という、現法楽住の涅槃にあります。
「五感を超えた」というあたりの教説に囚われて、現世と違う別世界であるいわゆるオカ
ルト的な「来世」と結び付ける誤解が生じえますが、そうではありません。また、「現世
において」というあたりの教説に囚われて、唯物主義的に受け取る誤解が生じえますが、
そうではありません。
涅槃は現世にこそありますが、それは五感の限界を超えた(五感に依存しない)ものです。
以上のように、私は考えております。
46 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/22(金) 22:30:55 ID:PJQZ40XW
>>41-43 とても良いお話を有難うございました。
私は、殆ど全面的に同意します。
>つまり教えそのものが誤りでも奇跡は起こせるのであって、
>奇跡もまた聖者の考えの正しさの保障たり得ない。
はい、この部分もかなり重要ですね。
世の新興宗教団体というのは殆どコレに引っかかるでしょうね。
教団内で起こる神秘現象を以って、教団の説く教義(思想)の“すべての”正しさの証明だと説いているからです。
また、聖なる存在(力)というのは、真摯に打ち込んでいる信仰者個人を助けてくれるもの(または励ます)。
これは信仰の違いや宗教の違いを問わないのです。
このことも意外と理解されてはいません。
それと、聖なる存在方というのは、
その人の行為の意図と真摯な姿勢や真剣な努力を見ています。
基本的には、その人が信奉しているのが何教であるか?
といったことは、殆ど評価にはならないのです。
47 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/22(金) 23:18:23 ID:PJQZ40XW
>>7-8 おっしゃることは理解します。
自分も自戒したい・・・(なかなか難しいことです)。
>>9 はい、わかります!
>>20 >異なる道を歩む他者に、皆さん、もう少し寛容になれませんかねぇ。他者の道に寛容にな
>れば、その分、己の道も開けるってものじゃないでしょうか。結局、他の道を害し、己の
>道を利そうとする者同士で、争いが起こるのでは? 争いそれ自体、積極的に涅槃から遠
>ざかる行為だと思います。涅槃へ至る道を探っている者同士が、涅槃から積極的に遠ざか
>り合いっこしても、無益ではないでしょうか?
うーむ、胸打たれるお言葉を拝しました^^
まー、確かにその通りですね。
しかし、
「涅槃へ至る道を探っている者同士」ならば話は分りますが、
ただの唯物主義者(自称・不可知論者もいますが・・・)は違う。
私は、仏教について真面目に学んでいる者とは、その解釈の違いについて議論する気がありますが、
ただの唯物主義者とは基本的には議論する気が殆どありません。
質問には在る程度は応じようとは思ってはいますが・・・
けれども殆ど相手してもショウガナイと思うので。
まず、対話して分るような相手ではないからです。
〜その他については、また後ほど^^
48 :
神も仏も名無しさん :2010/01/22(金) 23:43:09 ID:/LNN/k76
>教団内で起こる神秘現象を以って、教団の説く教義(思想)の“すべての”正しさの証明だと説いているからです。 これに「(各宗教の教義での)因果の道理」に合っている、が加われば 引っかからない宗教はなくなります。 「因果の道理」は証明できません。形而上な領域について 正しさを説明しようとすれば結局トートロジーに陥らざるを得ません。 自分の中で常識(信仰)になっていると無自覚になりやすいので注意したいところですね。
49 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/23(土) 00:00:47 ID:Mt9i/ojm
>>48 >「因果の道理」は証明できません。形而上な領域について
>正しさを説明しようとすれば結局トートロジーに陥らざるを得ません。
選択の課程でしょう。
形而上な領域にまで及ぶ「因果の道理」について、
これを、現時点の自分が確認できないのならば、これを正しいものとしては認めない、
という姿勢を摂ることももちろんできる。その自由は認められているし、また誰にも制することができない。
一方、思想家(この場合はゴータマ)の説く話全般を総合的にみて信頼性が感じられるところから、
この形而上な領域にまで及ぶ「因果の道理」についても、これを可能性として大いに認めるという姿勢がある。
そして、道の歩みにおける意識レベルの達成において、
「これが真理であることが自己確認されるもの」と説く、その体験者たちが上位に連なっているわけです。
どちらをあなたは選択しますか?ということでしょう。
どちらも自由に選ぶことができるのです。
50 :
神も仏も名無しさん :2010/01/23(土) 00:10:07 ID:uXeHBRtj
「因果の道理」(信仰、常識)が共有されないのはこの構造によるものであって、肯定側や否定側あるいは両方がショウガナイからではありません。
ひとが他人に信ぜよ(価値観を共有せよ)というとき、そこでは言外に
聖者の超能力、信仰を得た時の感動、心温まるエピソードや骨太な人生訓、信者から出た有名人や功績、
信者数とその伸び率やらが意識されています。でもこれらは真偽そのものからすれば
二次的なものでしかありません。が、超能力を持った人格者を含む人々は
ここから気持ちを恣意的にそこに向けていくしかありません。
ここで信仰者と不信心者の違いが生まれます。
>>49 >これを、現時点の自分が確認できないのならば、
【確認】できるものなんてあるのですか?
自分の中で確信された基準や感性に合わせて選別しているだけでは?
51 :
神も仏も名無しさん :2010/01/23(土) 00:24:12 ID:uXeHBRtj
確認できるものがあるとすれば、超能力を発した、霊験を顕した、 といった目で確認できるもののみです。目に見えるもの、という意味では 宗教の規模や、輩出した偉人のリストと同様のものとも言えるでしょう。 目の前にありさえすれば凡夫でもわかるレベルはここまでです。仕方ないね。 信仰者が不信心者を責めるとき、こうした外的要素から同じ結論に 至れない感性、価値観も攻撃対象なのです。
>>46 >
>>41-43 > とても良いお話を有難うございました。
> 私は、殆ど全面的に同意します。
……横スレですが、ちょっとコメントさせていただきます。
この
>>41-43 さんは、口調そこ柔らかいですが、
言ってる事は、アリンコ脳みそさんをボロクソに貶しているんじゃ無いんですかね?
全面的に同意しちゃっていいんですか?
貴方の、「その手前で寿命が尽きた者にとっては、それまでの修行の成果はどうなってしまうのか? 」と言う問いに対して、
「道徳的要請から規定する『真理』は、真理ではない」と批判してるんだと思うんです。
もし全員に平等なチャンスがあると主張するなら、「真理を発見した。その内容は『全員平等』だった」という順番でなければならないと言っています。
つまり、「貴方の主張は、真理ではなく、貴方の願望の表明にすぎない」と言われてるんだと思うんですが。
そして、「真理」の正しさの根拠を、貴方の様に「聖者が発見したから」とするのは、
その聖者を無条件に信仰する者以外には、意味が無いと言っています。
つまり、貴方の主張している事は、根拠になっていないと言う批判だと思います。
更には、貴方が度々「神秘体験(外気功など)」を語る事で、
自分の主張が正しい事を示そうとしている事に対しても、
「奇跡があるからといって、正しい事にはならない」と、否定してますね。
結局、全然貴方に対する援護射撃じゃなくて、むしろボロクソに批判されているんだと思いますがね?
まあ、41-43さんの意図を私が読み違えているのかも知れませんが、
少なくとも
>>41-43 の論理をそのまま貴方に適用すれば、
今までの貴方の言動を否定する論理構造になってます。
>>47 > ただの唯物主義者とは基本的には議論する気が殆どありません。
> 質問には在る程度は応じようとは思ってはいますが・・・
> けれども殆ど相手してもショウガナイと思うので。
> まず、対話して分るような相手ではないからです。
ああw
宣言どおり、答えられない質問からは逃げるって事ですねw
まあ逃げるなら、どうぞご自由に。
ですが、逃げるんでしたら、戻ってこないでください。
ほとぼりが冷めた頃に戻ってきて、まったく同じ主張を繰り返すのを止めていただけませんか?
まあ、対話する事すら出来ない貴方には、言っても無駄な気がしてきましたよ、最近。
>>49 結局簡単に言えば、「盲信する?しない?」と言う選択だと言いたいんですね。
その上で、「権威が言ってるから信じる」と「ご自分が」選択するというのなら、
どうぞご自由になさって下さい。
ですが、何度も何度も何度も言うように、それは「貴方が」選択する自由であって、
「他人に自分の選択を押し付ける自由」では無い事をお忘れなく。
>>47 涅槃も「これが最善」という境地の意味では、唯物主義者であっても、「涅槃へ至る道を
探っている者同士」に相当する場合だってあります。
陳腐な例え方ですが、富士山を北から見ている人(山梨県人)と、南から見ている人(静
岡県人)では、「富士山はどちらの方角にあるのか?」という話では、「南(山梨県人)」
と「北(静岡県人)」と意見が分かれることになります。しかし富士山登頂を目指す人と
しては、北ルートから攻める人も南ルートから攻める人も、目指していることは同じにな
ります。
ただ「北だ」「南だ」と会話が噛み合わないのは確かでしょうから、その場合は、単に議
論を無理に進めなければいいだけです。「自分には答えるべき言葉が見付けられない」と。
否定まではしない方がいいと思うのです。反論しないで黙って、心の内にとどめる場合に
せよ、自分と違う意見を否定する思考を行うことはルートの違いだけでなく「山を上る行
為」全体を否定することにつながる場合があり、そうすると自分自身の向上にもブレーキ
がかかるからです。
また、ゴータマ仏陀も、「善友半分」では不十分、「善友全て」でなくてはならないとお
っしゃってます。つまり、愚者さんにとって、唯物論者の思想を寛容できない状態が残っ
ている限り、「善友全て」には至れていないわけです。
頑固さという意味では、宝珠愚者さんも、例えば生命教祖師も、同じくらい熱意があるか
らこそだと思いますよ。私から見ればですね。熱意が、執着、我執(我へのこだわり)の
方向に向っている点では、無我を重視する私の側から見れば、お二方はむしろ共通してい
るとすら思えます。でも、無我にせよ有我にせよ、それぞれ、涅槃を志向する上で取り沙
汰している概念という点では違いはないと思います。
(面倒臭いので形式上独り言。とある古株の転生支持と思しき名無しの方は勝手にお読み 取りになるかもしれませんが、それ以外の方はスルーフラグ:ONで) ・経典から窺い知れる仏陀の振る舞いを見るに、相手の機根に合わせた内容の教えを説き、 一般化された教説というものは説かなかったようである(対機説法。ドグマとしての一 般化は弟子によって行われた)。 ・ということは、仏陀であれば、凡夫には、凡夫に理解可能な範囲のことを凡夫に理解可 能な言葉(表現)で教えたはずである。 ・凡夫には理解不可能な範囲のこと(聖者向けの内容)を、理解可能な表現が(成立し) ないから、とりあえず盲信せよ、というような態度は対機説法とは相容れない。仏教に おける信とは、自分の慧波羅蜜を超えたものを、納得の行かぬものを、「目のあたりに 見」えないものを、それでも強いて「こうなのだ」と自分自身に言い聞かせるような、 いわゆる「盲信」ではないはずである。「智慧の目を開く」のが、初転法輪でも示され ている仏陀の中道であり、目を固く瞑ってゆく方向性のものではないはず。信とは「目 のあたりに見る」ことによって得られるものである。そうでないと戒禁取になりかねな い。 ・だから当然、聖者の側でも、そのような盲信に追い詰めるような真似はしないはずであ る。神通の顕示のようなことは、肯定にしても否定にしても、凡夫を盲信に招くか、反 対にアレルギー的に感情的拒絶反応を招くかの、どちらかになる可能性の方が高い。
勘違いでしょうか? まあ所詮、独り言なんで……
死んでも、また生まれ変わることが科学的に証明される
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1264225172/l50 [記事抜粋]
死んだ後は、生まれ変わるのか?宗教学者にとって、この議論は非常に重要なテーマだ。しかし、放射線腫瘍を研究しているジェフレー医学博士は次のように主張する。
『もし科学的見地から見るなら、その答えは明白で、死んだ後は、生まれ変わる。』
博士は何十年にわたって、一時的に死んだ経験のある人々を調査してきた。彼は、”Evidence of the Afterlife”という書籍のなかで、この物議をかもす結論をだした。
これらを解明するにあたって、死んだ人をインタビューするのは現実的に不可能だ。したがって、必然的に他の何か現実的な方法で解明しなければならない。
そこで、心拍停止していて脳が機能していない人々から、脳を離れて意識が存在しうるかどうかを判断した。研究結果では、脳機能が働いてなくても意識が存在しうることがわかった。
ただ、死んでも命があることがわかったものの、人間として生まれ変わるのか、はたまた肉体をもたない命だけがそのまま永遠に続くのかなど、具体的にどのようなことが起こるのかは分からない。
ソース
http://www.time.com/time/health/article/0,8599,1955636,00.html/
59 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/23(土) 22:39:02 ID:Mt9i/ojm
>>58 貴重な情報に感謝です!!
>そこで、心拍停止していて脳が機能していない人々から、
>脳を離れて意識が存在しうるかどうかを判断した。
>研究結果では、脳機能が働いてなくても意識が存在しうることがわかった。
って、どうやって確認して、
そのことが解ったというのかが疑問ですが・・・。
>ただ、死んでも命があることがわかったものの、人間として生まれ変わるのか、
>はたまた肉体をもたない命だけがそのまま永遠に続くのかなど、
>具体的にどのようなことが起こるのかは分からない。
とはいえ、かなり低レベルな話ですが・・・
ま〜何も知らないのが科学の視点(姿勢)という意味では当然でしょうか・・・。
一般的な心霊主義においても、つまり死後の霊存在がその後になっていくのかが未解明の扱いなのです。
要するに、その辺が心霊主義の限界性なのでしょう。
60 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/23(土) 22:41:15 ID:Mt9i/ojm
訂正:
>>59 ×「つまり死後の霊存在がその後になっていくのかが未解明の扱いなのです。」
○「つまり死後の霊存在がその後にどうなっていくのかが未解明の扱いなのです。」
>>58 突っ込みどころ満載なんですが……
まず、心臓は停止しても、別に脳機能が止まるわけじゃありません。
心臓の役目は、「脳に酸素と栄養素を送り込む事」ですので、
人工心肺等で血流が確保できれば、何の問題も無く脳は機能します。
もっと簡単に言えば、心臓が無くなっても、人工心臓を入れとけば、何の問題もありません。
心停止と、生死はまったくの別問題です。
次に、「臨死状態」は、単に生命活動が弱っているだけで、「死」では有りません。
よって、臨死体験は、単なる「生存中の体験」であって、死後の世界を体験している訳では有りません。
更に、もし仮に「死後の体験」が証明されたとしても、そのことは、「生まれ変わる」事とは、まったく関係が有りません。
よって、この記事では、全然「死んでも、また生まれ変わることが科学的に証明」されていません。
まあ将来、「脳みそが全部吹っ飛ばされても、意識が存在していた」とか、
「火葬されて灰になったのに、生き返って体験談を語った」とか言う事例が起これば、
「死後の世界」について語ることも出来るでしょうね。
もっとも、それでも、単なる「死後の世界の存在」についての証明であって、
「生まれ変わる」事についての証明にはなっていませんが。
余談ですが、 幽体離脱について、実際に科学的研究をしているグループを聞いた事があります。 実験は非常に単純。手術室の頭上2mのところに、上に向けたモニターを設置し、 そのモニターに単純な図形を表示しておくだけです。 もし本当に幽体離脱が起こり、上から見下ろす事が出来るなら、図形を見ることが出来るはずです。 もちろん、下にいる医者や患者からは見えないし、 表示される図形も、医者が選ぶのではなく、ランダムであり、 表示した図形の記録もPCの中にのみ残します。 結果についてですが……、私が知る限り、当たった事例は無いそうです。
>>59 相変わらず、ご自分の意見を肯定する主張には、すぐ食いつきますねw
自分を肯定してると思ったら、どんな意見でも無条件で賞賛する、
貴方の節操の無さは、いっそ清々しいぐらいですwww
64 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 00:10:36 ID:IQVyyCNm
>>63 節操の無さはお互いさま!
>まず、心臓は停止しても、別に脳機能が止まるわけじゃありません。
「心拍停止していて脳が機能していない人々」というのだから、
心臓も脳も双方が停止しているという意味にとれますがね?
まっ、仏典に何が書かれてあっても関係がないという人と、
この(仏教の教えについての)スレで話し合う意味はないと思いますが・・・。
65 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 00:48:47 ID:IQVyyCNm
>>62 >結果についてですが……、私が知る限り、当たった事例は無いそうです。
“手術中の医師たちしか知り得る筈のない出来事”について、施術された患者当人が明確に覚えていた
という事例ケースは幾つも報告されています。しかも、偶然ではとても説明のつかない内容であることが専
門家によって確認されています。
とにかく、相変わらず唯物主義者というものは都合のいいケースしか出さないで批判する癖がある。超能
力でも何でもそう・・・。彼らは(奇跡が)成功した事例ではなく、失敗、もしくは成功しなかったケースを引き
合いに出して、能力や現象そのもの全てが存在しないことにしてしまうのです。
年末のたけしのTV番組に出演した常連の懐疑論者(ていうか典型的な唯物主義者)である松尾貴史が
いい事例です。複数人で心霊存在を見た体験をし、それを互いに確認し合ったというのに、それでも自分の
脳内の出来事(幻覚)を疑っており、まだ決めかねているという。
そんな複数人で同時に体験するという幻覚が起こる要因とは何か?それが起こり得る確率とは??つまり、
常識的思考のできない人というのは、これが心霊存在を目撃したという判断には至らず、あくまでも幻覚を
想定しようとするのです。ていうか、事実否定をして、単に「信じたくないだけの話」なのです。
何故なら、これを認めるということは、それまでの自分の人生観の全否定になってしまうからであり、結果と
して認めるのがコワイのですよ。自己崩壊に繋がる・・そんな可哀想な姿なのです。それを番組でそのまま全
国に露呈する素直さが可愛いところですが・・・。
まさに無知の極みというものですw
しかし、彼はその体験によって「変わった」(筈)なのです。何故ならば、少なくとも「見た」といって体験を主
張する人たちのことを、これまでのように一笑に付して馬鹿にしてしまうようなことはもうできないでしょう。
そういう意味では彼はあなたよりも、遙かに前へと進みました。
>>64 > 節操の無さはお互いさま!
ちょwww 「自分は節操がない」と言う自覚があるんですねwww
一方、私は貴方と違って、そんな事をした記憶は無いんですがね?
もし私が節操の無い発言をしたと言うのなら、「具体的に」指摘していただけますか?
> 「心拍停止していて脳が機能していない人々」というのだから、
> 心臓も脳も双方が停止しているという意味にとれますがね?
ソースを読んだ限りでは、
手術中に心停止した人に、「術後に」インタビューをしているだけで、
「脳機能が停止している最中にインタビューをした」と言う実験でもないし、
もちろん「脳が機能停止している最中に、意識があった」という実験ですら無いと思うんですがね?
分かり易く言えば、術後のコメントが、「機能停止中の記憶」ではなく、
「機能停止前後の脳の活動によって作られた記憶」である可能性が、全く排除されていません。
もっと言えば、「脳が機能停止したかどうか」をどうやって確認したのかについての既述が無いので、
術中に「脳の機能が停止していた」という主張自体も怪しい所です。
>>64 > まっ、仏典に何が書かれてあっても関係がないという人と、
> この(仏教の教えについての)スレで話し合う意味はないと思いますが・・・。
またこのパターンですかw
ホント、回答に詰ると、毎度毎度、このパターンに逃げ込むんですねw
何度も何度も何度も何度も何度も指摘し続けていますが、
「輪廻は仏教徒だけに通用する真理です」と仰るなら、
どうぞご自由に主張をなさってください。
そして、仏教徒(≒ 仏典を無条件に信じる人々)だけで会話がしたいなら、
専用のスレが立ってますので、そちらに移住したら如何ですか?
貴方の「お言葉」を否定する邪魔な輩が居ない↓のスレなら、いくらでも貴方の妄想をぶちまけられますよ。
【仏教徒限定】仏陀は輪廻を説いた【否定無用】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260529269/ ですが、「輪廻は普遍的真理だ」と主張をなさるなら、根拠をお示し下さい。
そして確か貴方は、無矛盾な理論と、(仏典以外の)輪廻の客観的根拠を提示すると、
主張していると思ってたんですがね?w
まさか、また、
「読んでも居ない本を読んだつもりで批評する」
「体験した事もない事を体験したつもりで語る」
「よく知らない科学知識を、熟知してるつもりで語る」
に続いて、今度は、「全く根拠が無いのに、根拠を提示できるつもり」になって、
「回答する!回答する!」と言い続けてたんですか?
そして、色々突っ込まれて、回答できないと気が付いて、
「話し合う意味はないと思います キリッ」と、言い出したんですか?w
>>65 > “手術中の医師たちしか知り得る筈のない出来事”について、施術された患者当人が明確に覚えていた
> という事例ケースは幾つも報告されています。
いや、だからですね、私が既述した実験の意味を全く理解していないですね。
よく例示される「術中に、医師が見たものを患者が見た」と言うケースでは、
実際には、「医者が手術中に話した内容を患者が記憶していた」と言う事例だけであって、
「医師(or 周囲の人間)が話さなかった事について記憶していた」と言うケースは無いんですよ。
だから、私が書いた実験の様に、「医師も知らない事実(=天井を向いたモニターの図形)」を知る事が出来れば、
「医者が話した内容を患者が記憶していただけ」と言う可能性を排除できる訳です。
そして、この可能性を除外した実験で、図形を記憶していた事例は一切無いんです。
何度も何度も何度も何度も言ってますが、「偶然」や「勘違い」や「イカサマ」の可能性を除外した条件下で実験をしないと、
実験の意味は全くありません。
> とにかく、相変わらず唯物主義者というものは都合のいいケースしか出さないで批判する癖がある。
はて? いつ私がそんな事をしましたかね?
具体的に指摘していただけますか?
>>65 そして、コレも何度も何度も何度も指摘してますが、
貴方は、都合のいいケースしか出さないで超能力を肯定しようとする癖があります。
貴方は(奇跡が)成功した事例だけを引用し、失敗、もしくは成功しなかった膨大なケースを意図的に無視して、
超能力や奇跡を存在することにしてしまうのです。
貴方が提示した「複数人が同じ幻覚を見る」という現象も、
共同幻覚や、集団幻覚といって、ざらにある事例です。
常識的思考のできない貴方は、自分が説明できない=心霊存在を目撃したという短絡的判断に至り、
あくまでも超常現象を想定しようとしているだけです。
ていうか、事実誤認をして、単に「信じたい事を信じているだけの話」なのです。
何故なら、超常現象を認めたいということは、現状に不満を持つ貴方にとって、
既存の価値観を否定するという、都合のいい結果であるため、
超常現象を積極的に認めたがっているというだけの話ですよ。
自己満足する為に、信じたい事が起こったと信じる……そんな可哀想な姿が貴方なのです。
こんな恥を2chでそのまま全国に露呈する愚かさが、いっそ無知な幼児のような微笑ましさを醸し出していますね。
まさに無知の極みというものですw
> そういう意味では彼はあなたよりも、遙かに前へと進みました。
うんうん。
進んだのは、「貴方にとっての前方」でしょうけどねw
70 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 11:28:26 ID:IQVyyCNm
例えば典型的なパターンとしては、 寝たきり婆さんの幽体離脱というの話があります。 常時、寝たきりで家族が世話をしているので、婆さんが戸外に出ることは在り得ない。 この日も、いつものように床で寝ていることを家族は確認している。 ところがある日、 街の中で元気な婆さんと出合って会話したと主張する人が現れるのです。 その人は、婆さんが現在、病気で床に伏している事実を知らない (或いは、それを知っていて驚き、すぐにご家族にこのことを告げてくる場合もある)。 寝ている婆さんは、夢の中で街で人と出会ったことを話し出します。 もちろん、その相手の人物なりと服装や会話した内容などはすべて、 婆さんと出会ったと主張する人物のものと合致することが、後ほど確認されるわけです。 これを何とか幽体離脱ではないことにしようとすると、 婆さんの夢がリアルで詳細部分まで合致していたのはただの偶然の一致過ぎず、 また尚且つ、街で出会った人物の体験というのは幻覚だったことにしなければなりません。 何故、その人は突然、幻覚を体験するのか? その必然性とそれを可能にする条件とは何か? その幻覚内容と合致する夢を語る偶然の一致の整合性とは? 更には、こういう出来事は同一人物が繰り返すケースが見られるわけですが、 その場合のこれが超常現象なしで起こるという確率の低さとはどんなものなのか? そこまでして、幽体離脱現象を否定しようとする愚かさ加減とは如何なものか?
71 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 11:30:09 ID:IQVyyCNm
10さん〜あなたは例えば、 TVの生放送で出演中の人物と街の中で出逢って、それを複数人で確認したとしても、 この出来事を共同幻覚や集団幻覚というインチキ理論で自分を誤魔化すのでしょうね? または、これは科学者による正式な実験化で起こったものではないとして却下したがるとw でもまぁ〜、翌日からは・・・ 体験を主張する人たちをこれまでのように馬鹿にする姿勢は改善されるでしょう。 早く、松尾貴史さんに追いつけるといいですね!その日が早く来ることをお祈りいたします。 それと・・・ 人様の投稿文章を部分部分だけ変えて使って相手を馬鹿にするのは辞めたほうがいいです。 1-2回ならジョークのノリで通用するでしょうけど(嫌われますよぉ^^)。 10さん、あなたお友達がいないでしょう?w 私とは違い“アリンコ脳みそ”ではなく、確かに頭脳のほうはかなり明晰優秀なようです(精神が子供ですがw)。 たぶん学生さんなのかな?(答えなくてもいいけど)
72 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:09:44 ID:IQVyyCNm
73 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:14:07 ID:IQVyyCNm
>>44 >私が言う涅槃とは「現法楽住」のことです。決して「来世」楽住ではなくてです。
不説さん〜そんな困りますよぉ。
シロート相手にいきなり「現法楽住」などという難しいことはいわないようにw
もう〜あれから調べてましたわ(涙)
阿 理生著/現法楽住 : 涅槃の底辺(駒澤大学における第五十五回学術大会紀要(二)
http://nels.nii.ac.jp/els/110002707427.pdf?id=ART0002989174&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1264305426&cp= つまり、楽住とは涅槃そのものではないが、その近似性は四禅などによって達せられるもので、即座に
涅槃へと連接するもの、ということなのかぁ〜???
しかし、ま〜回りクドイ説明ばかりで非常に解り辛い↑。しかも結局は内容が薄い、という仏教解説に見
られる特有の典型例なのでしたね。トホホ・・・
私は何も、「現法楽住」を否定しているのではないのです。この私が、死後の境地(「無余依涅槃」と呼
びたい人はどうぞ)=涅槃として強調する理由とは、セブンをはじめとする断滅論者ら(結局、死んだら終
わりで修行の続きもできないという/非仏教)の愚論を排斥し、そんなものは本来の仏教とは異なるもの
であることを示したいがためですよ。生前、涅槃に到達した聖者は肉体崩壊後にも涅槃に常住します。
私がいっているのは、涅槃とは死後に肉体と共に失う境地ではないということなのであって、この涅槃
に至るためには生存中でなければならないだ、ということなのです。死後の世界(霊的存在として)で、再
び生存状態へと戻らずに修行し続けることができるとする考え方は心霊主義です(彼らはまだ輪廻転生
との結びつきでは思考できない範疇にある)。
この現象界に繰り返し転生してくるのは、過去世(前世)からの業(行為とその業力の作用)によるもの
であり、この繰り返しの生存状態の中で“学ぶため”です。要するにこのことによって、自己の行為が如何
なる結果をもたらすのかをいずれ気付くためであり、この経験が自己の成長を促すものとなるものです。
その意味では全ての人間の無意識において涅槃へと向かっています。
74 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:14:59 ID:IQVyyCNm
当然、仏道修行も生存中に成されるものであって、修行の進歩とまたその達成としての涅槃の境地も
生存中において得られるのです。仏道とは、涅槃に至る加速装置の乗ることであり、意識的に自らそうす
ることです。
>というのは、苦行であり、それは元々、仏道修行と呼べるものではありません。
>仏教の出家は、楽行を求めてするものであって、苦行を求めてするものではないのです。--中略--
>こういった点も、仏教と教外では、修行というものに対する定義からして違っているところだと思います。
出家=苦行という意味には誤解が生じます。
また、修行=苦行でもありません。(詳細:
>>45 へのレスへと続く)
>>45 >苦行に没頭することで、苦行の果てに、現世を超えた別の優れた世界(境地)があると考
>えてそうするのですが、この姿勢(来世楽住)もまたゴータマ仏陀によって否定されました。
確かに、伝統的な現在もサドゥーらによって引き継がれているようなものはそうです。しかし、仏教には
仏教としての「タパス(熱行)」という広義的な苦行要素は必須です。けれども苦行と呼ぶから誤解か生じ
る・・・。熱行は原語的だから、「練行(タパス)」のほうがいいかも知れません。
恐らく、仏教の布教においては、「中道」についての概念と素晴らしさを強調したがために、この練行の
必要性が蔑ろにされてしまったのです。
よく見られるような誤解は、「中道」だから苦行は無意味で必要なしというもの(大王の事例)。中道とは
この場合、執着心の離脱を説くものであって、(サドゥーらのような)苦行のための苦行のような修行行為
に執着してしまっている自己の愚弄に気付くことです。仏道修行には精神性を磨く練行は必須です。実際、
これのない仏門などは現代の日本大乗にもありません。
『(師は答えた)「信仰が種である。苦行が雨である。智慧がわがくびきと鋤である。心が縛る縄である。
気を落ち着けることがわが鋤先と突き棒である。」』(Sn.77)
75 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:30:15 ID:IQVyyCNm
76 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:36:34 ID:IQVyyCNm
追記: 涅槃に到達できるのは現世においてです。 しかし、涅槃は死後をも永劫に常住する境地であって、 死後と共に失せるようなものではないので、 この辺を仏教を学ぶ者は肝に銘じて誤解されないようにしましょう。 ---この理解が重要部分です。 そして、もっと最重要なのがそこに到るための道程(修行の歩み)です。
77 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:50:17 ID:IQVyyCNm
>>44 >私が言う涅槃とは「現法楽住」のことです。決して「来世」楽住ではなくてです。
そして、繰り返しますが(重要なポイントなので)、
今生で涅槃に到達できなかった者はどうなるのか?ということなのです
(というか・・・殆ど全ての人間が該当するので、ココが肝心な部分でしょう)。
私は、その修行の達成は死後にも持ち越され、
繰り返し転生の生涯の中で継続していき、更に前進できるものとしています。
これは仏典中に明確に根拠があることです(既出済)。
しかし、死後にはその続きがないなどという教えは皆無であり、
そのような断滅論は間違いだとされています。
尚、来世以降であければ涅槃入りは不可能だ、ということは私は述べたことはありません。
その辺りについては誤解されませんように。
78 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 15:51:54 ID:IQVyyCNm
訂正: ×「尚、来世以降であければ涅槃入りは不可能だ」 ○「尚、来世以降でなければ涅槃入りは不可能だ」
79 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/24(日) 16:34:39 ID:IQVyyCNm
>>55 >涅槃も「これが最善」という境地の意味では、唯物主義者であっても、
>「涅槃へ至る道を探っている者同士」に相当する場合だってあります。
「この現象界に繰り返し転生してくるのは、過去世(前世)からの業(行為とその業力の作用)によるもの
であり、この繰り返しの生存状態の中で“学ぶため”です。要するにこのことによって、自己の行為が如何
なる結果をもたらすのかをいずれ気付くためであり、この経験が自己の成長を促すものとなるものです。
その意味では全ての人間が無意識において涅槃へと向かっています。」
>>73 “「悪」(の存在)によって、
「善」が最高のものであることを知る”という言葉があります。
これは唯物主義についても同様です。彼らも広義的には前進しています
(涅槃に向かって最も遠回りに)。
>つまり、愚者さんにとって、唯物論者の思想を寛容できない状態が残っている限り、
>「善友全て」には至れていないわけです。
唯物主義はその愚かさを気付かせてくれる、という意味においては役立っています。
もちろん、科学の持つ定性的/定量的に説明しようとする姿勢については私も評価します。
科学者には彼らとしての使命と有用性がまたあることを、もちろん私は認めています。
しかし、科学=唯物論というのは間違いであって、いずれ近い内に科学は唯物論の間違いに気付くでしょう。
また、「相手の良い部分(だけ)を見るようにしなさい」という言い方があります。
けれども、今の私にはこれはできない。寧ろ、相手に対してかなり批判的です。
たぶん、こういう態度は自分も相手から批判的な見られ、扱われることになる・・・。
>>56 誤解があるようなw
うーん、やっぱりあるような^^
>>70-71 本当に、何度言っても理解しない人ですね、貴方は。
私が言っているのは、
「ある現象を、特定の理論の根拠にするのならば、
その現象が、その理論以外では説明が出来ない事を先に証明しなければならない」といってるんです。
どうやら貴方は小学生レベルまで論理レベルを落とさないと理解できないようなので、
非常に簡単な例示をしましょう。
「ボールと、子供がいる。10秒目をつぶっていたら、ボールが動いていた。」
と言う現象があったとしましょう。
このとき、「ボールを動かしたのは、神の力である」という説明をして「だから神は存在する」と主張出来ますか?
「ボールは、子供が蹴ったから動いたんだ」と考えるのが一番蓋然性が高い考えです。
貴方は、ボールが動いた事を根拠に神が存在すると言う主張に、説得力が有ると思いますか?
コレと同様に、超常現象を持ち出さ無くても、現象の説明が出来るのなら、
その現象は、超常現象の存在を証明する根拠とはなりえません。
もう一度明確に言いましょう。
私が再三に渡って指摘しているのは、
「科学者による正式な実験」を行えと言っているのでは全くありません。
「勘違い、偶然、トリック」などの、超常現象以外の可能性を排除できる条件下での現象でなければ、
「勘違い、偶然、トリック」である可能性が否定できず、超常現象の証拠にはならないと言ってるんです。
>>71 > でもまぁ〜、翌日からは・・・
> 体験を主張する人たちをこれまでのように馬鹿にする姿勢は改善されるでしょう。
どうやら勘違いしているようなので、ハッキリ言っておきますが、
私は、貴方が提示した現象が、「超常現象ではない」とは言ってません。
もちろん、馬鹿になどもしていません。
(もしかして、節操が無いという自覚がおありなのと同様に、ご自分の事を馬鹿だとお考えになっているんですか?w)
私は「超常現象を想定しなくても、説明可能だから、超常現象の存在の根拠にはならない」と指摘しているんです。
そして、「翌日から私の態度が変わる」とお考えになる根拠はなんなのですか?
>人様の投稿文章を部分部分だけ変えて使って相手を馬鹿にするのは辞めたほうがいいです。
……私がコレを行う事で、何を言いたいのかがさっぱり分かってなかったんですねw
やはり、小学生レベルまで簡単にして言わないと理解していただけませんか?
私が、貴方が他人を批判する文章を、一部を変えただけで、論理構造を買えずに書いているのは、
「貴方の反論は、貴方自身の主張を批判する論理構造になっていますよ」
と言っているんです。
もっと簡単に言いましょうか?「鏡を見てから書け」と言っているんです。
更に言えば、
>>65 などは、私には当てはまらず、貴方だけに当てはまる批判です。
私を批判するつもりだったんでしょうが、実際に批判されているのは貴方だけです。
違うというのなら、私が「都合のいい部分だけを引用している」という、「具体例」を上げていただけますか?
>>71 >10さん、あなたお友達がいないでしょう?w
> 私とは違い“アリンコ脳みそ”ではなく、確かに頭脳のほうはかなり明晰優秀なようです(精神が子供ですがw)。
また対論者の人格攻撃ですか……。
何度目の指摘か忘れるほど度々指摘していますが、
対論者に友達が居ようと居なかろうと、精神年齢が低かろうと高かろうと、
貴方の主張が肯定される事にはなりません。
蛇足ながら、精神年齢については、
「答に詰ったら、『あなたお友達がいないでしょう?w 』などという議論に関係ない人格攻撃を繰り返す」
「都合の悪い事を言われたら無視して、しばらくたったら全く同じ事を繰り返す」という、
貴方の言動を考えると、果たして、私と貴方のどちらの精神年齢の方が低いんでしょうかね?w
蛇足ですが、「アリンコ脳みそ」という呼称は、貴方がそう呼べと言ったんです。
人格攻撃の意図はありませんので、悪しからず。
嫌なんでしたら、もう一度↓の質問について、回答してくださいますか?
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/307
>>73-79 横レス……しようと思ったけど、同じこと繰り返すのに疲れたんで、止めました。
不説さん、頑張ってくださいw
まあ、
>>44-45 が何を言っているのかを、さっぱり理解できていないようなので、
これ以上何を言っても、無駄でしょうけどね。
84 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 07:47:33 ID:iyFPCl6e
>>68 >よく例示される「術中に、医師が見たものを患者が見た」と言うケースでは、
>実際には、「医者が手術中に話した内容を患者が記憶していた」と言う事例だけであって、
>「医師(or 周囲の人間)が話さなかった事について記憶していた」と言うケースは無いんですよ。
違います。
患者は最中のことを目撃しているのであり、当然、話していない事柄についても的確に覚えています。
また、手術中に別の階まで行ってそこの様子についても知っていることすらもある。
これらが事実として確認されたケースは、実に一つや二つではありません。
あなたは役に立たない事例ばかりしか見ないようですね(ご都合主義)。
>>80 >私が言っているのは、
>「ある現象を、特定の理論の根拠にするのならば、
>その現象が、その理論以外では説明が出来ない事を先に証明しなければならない」といってるんです。
>--中略--
>コレと同様に、超常現象を持ち出さ無くても、現象の説明が出来るのなら、
>その現象は、超常現象の存在を証明する根拠とはなりえません。
ちょっと、基本的に違うと思いますが・・・。
超常現象と殆ど同じに見えることをマジック(ショー)でも実演できるからといって、
そのことが、全ての超常現象なるものが実はマジックに過ぎない、という証明とは全然なりませんから。
これが実に、超常現象に対する批判論者たちの陥いりやすい根本的な間違いなのです。
こちらはマジックによっても、見た目は同じような出来事が可能なことを知っています。
しかし、あなた方はオカルト現象については何も知らない(で、物事を論じている)。
85 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 07:49:22 ID:iyFPCl6e
>もう一度明確に言いましょう。
>私が再三に渡って指摘しているのは、
>「科学者による正式な実験」を行えと言っているのでは全くありません。
>「勘違い、偶然、トリック」などの、超常現象以外の可能性を排除できる条件下での現象でなければ、
>「勘違い、偶然、トリック」である可能性が否定できず、超常現象の証拠にはならないと言ってるんです。
歴史上、繰り返し何度も何度もあったと思われますが。
そしてこれからも起こるでしょう。
>>81 >もっと簡単に言いましょうか?「鏡を見てから書け」と言っているんです。
>更に言えば、
>>65 などは、私には当てはまらず、貴方だけに当てはまる批判です。
>私を批判するつもりだったんでしょうが、実際に批判されているのは貴方だけです。
あなたの意図などわかっています。
お恥ずかしいから、辞めたほうがいいといってるのです(その行為が)。
>>82 >蛇足ですが、「アリンコ脳みそ」という呼称は、貴方がそう呼べと言ったんです。
呼びたければ好きにしなさい、ということをいったのです。
そんな行為をしている己れ自身の姿に恥ずかしい思いをするのは、結局はあなたの方ですから。
この宝珠シリーズでは、
実に多くの様々な方たちが投稿していき、
そして、私は数え切れないほどの罵声を浴びてきています。
けれども、勝手に酷似スレを立て始めたり、スレ主の性質を愚弄する紹介をテンプレ補足したり・・等々、
その手の込んだ反発姿勢には呆れるばかりです。
そのような人物の登場は初めてのことで、まさに前代未聞です。
86 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 08:00:43 ID:iyFPCl6e
>>83 >不説さん、頑張ってくださいw
ハテ?不説さんもセブンも、
あなたの行き過ぎの行為には首を傾げている様子ですが・・・。
いつもこの私に「4ネ」を連発するセブンでも、そういうことだけはしませんからね。
あくまでも理論によって相手を屈服、納得させようとします。
また寧ろ、親切丁寧に(閲覧者の多くにとっても益する)解説を提供してくれる方です。
(「4ネ」や「ミンチにする」「反吐が出る」などは、たぶん私への激励のようですね^^)。
--------------------------
---10さんへ
まっ、とにかくもう辞めましょうか!
仏典に何が書かれても無関係という人とは、このスレでは対話する意味がありませんから。
あと、お約束の生まれ変わりの事実関係についての投稿のことは忘れたわけではありませんので、あしからず。
ごめんなさい-私はどうも時間が掛かるのです。
>>84 > 手術中に別の階まで行ってそこの様子についても知っていることすらもある。
詳細なソースの開示をお願いできますか?
そして、もちろん、そのケースでは、
「質問者が回答者(患者や医者)を誘導する質問をしていた」と言う可能性は排除されてるんですよね?w
つまり、きちんと二重盲検になっているのか?という指摘です。
具体的に言えば、質問者は、現場に居なかった第三者であり、
もちろん、患者と、医者に質問するのは別の人間でなければなりません。
その上で、彼らが聴取した後に、医者や患者の回答をつき合わせたら、
患者が見たと主張する事実が、医者などの周囲に居た人物の話と一致した、と言う結果になったんですよね?
まさか、医者が患者に「上の階で手術していたのは心臓手術でしたか?⇒はい!そうです!」
なんて間抜けな質問をして、「一致した!」とか言う事例じゃないでしょうね?w
あるいは、曖昧な回答を、質問者が勝手に解釈してしまっていると言う可能性はもちろん排除してますよね?
例えば、「上の階で、お腹を切っているところを見ました→なに!胃がんの開腹手術をしている場面を見たのか!」とか。
> あなたは役に立たない事例ばかりしか見ないようですね(ご都合主義)。
いいえ。
「貴方が示した事例について検討すると、役に立たない事例である事が分かる」と指摘しているだけですよ。
まさか、また、「役に立つ事例が存在しない事」を証明しろとか言い出すんですか?
それは「悪魔の証明」だと、何度指摘したら理解していただけるんでしょうかね?
何度も言いますが、私がご都合主義だというのならば、「具体的に」過去のレスを引用して、指摘していただけますか?
>>84 > 超常現象と殆ど同じに見えることをマジック(ショー)でも実演できるからといって、
> そのことが、全ての超常現象なるものが実はマジックに過ぎない、という証明とは全然なりませんから。
……何度も何度も言っていますが、人の意見はきちんと読みましょうよ。
あれだけ懇切丁寧に、何度も表現を変えて書いているのに、全然理解しないんですね。
もう一度言い直しましょう。
私は、貴方が提示した現象が、「超常現象ではない」とは言ってません。
「超常現象を持ち出さ無くても、ある現象の説明が出来るのなら、
その現象は、超常現象の存在を証明する根拠とはなりえない」と言っているんです。
>>85 > >「勘違い、偶然、トリック」などの、超常現象以外の可能性を排除できる条件下での現象でなければ、
> >「勘違い、偶然、トリック」である可能性が否定できず、超常現象の証拠にはならないと言ってるんです。
> 歴史上、繰り返し何度も何度もあったと思われますが。
> そしてこれからも起こるでしょう。
「何度もあった」とは、
「勘違い、偶然、トリックなどの、超常現象以外の可能性を排除できる条件下での現象が何度も確認されている」
という事ですか?
もしそうならば、コレまでの議論が一気に解決する具体的事例です。
その「何度もあった」内の、たった一つの事例でも構いませんから、開示していただけませんか?
>>85 > あなたの意図などわかっています。
> お恥ずかしいから、辞めたほうがいいといってるのです(その行為が)。
え〜と、「『お』恥ずかしい」とおっしゃるという事は、
私ではなく、「貴方が」恥ずかしいから、止めろというご忠告ですね?
ふむ、確かに、自分の発言が、対論者じゃなくて自分を批判している発言である事を、衆目に晒されるという事は、恥ずかしい事ですね。
ああ、ナルホド。
「自分は節操が無い」「自分は馬鹿である」という自覚に続いて、
「自分の批判は、実は自分を批判する論理構造になっていた」という自覚があったということですね?
>>85 > けれども、勝手に酷似スレを立て始めたり、スレ主の性質を愚弄する紹介をテンプレ補足したり・・等々、
> その手の込んだ反発姿勢には呆れるばかりです。
たしかに、チョイと遊びが過ぎているのは認めますw
ですが、今回のテンプレに書いてある事は、全て根拠を提示して有ります。
そして、前回のテンプレの内容について、貴方が反論してきたものには、再反論して、その正当性を主張しています。
それに対して、再反論に対する貴方の反論は書き込まれていなかったように記憶していますがね?
ああ、「テンプレの内容は認めるけど、本当の事を晒されるのは恥ずかしいから止めてくれ」ということですか?
でしたら、↑でも言いましたが、「根拠も無く相手を差別してよろしい!」という発言を撤回するのみならず、
更に一歩進んで、「根拠があり、本当の事であろうとも、相手を侮蔑する表現はよろしくない!」と主張していただけませんかね?
蛇足ですが、基本的に私が対論者に侮蔑的表現を使用する場合は、
対論者が先に侮蔑的表現を使用した場合、
すなわち、「相手を侮蔑してよろしい!」と考えている相手に対してだけですよ。
>>86 > >不説さん、頑張ってくださいw
> ハテ?不説さんもセブンも、
> あなたの行き過ぎの行為には首を傾げている様子ですが・・・。
本当に人の意見を読めない人ですね。
83は、「アリンコ脳みそさんが不説さんに突っ込みを入れているので、頑張って反論してください」と応援しているだけで、
「私の意見を代わりに述べてください」とは言ってませんよ?
ですから、「あなたの行き過ぎの行為には首を傾げている様子」であろうとも、全く関係ない話です。
そもそも、私について(とははっきり言っては居ませんが)、不説さんが指摘しているのは、
私の「論理」ではなく、「言動」の方です。
私の意見に対して苦言を呈しているのではなく、
私が自分の言動で苦しむ事を心配してくださっているだけだと、理解しているんですがね?
少なくとも、まったくもって貴方を肯定しているわけではありませんので、ご留意下さい。
> (「4ネ」や「ミンチにする」「反吐が出る」などは、たぶん私への激励のようですね^^)
ま、まあ、セブンさんの意図を私が正確に理解する事は出来ませんので、「貴方が」そう解釈するのは、お止めしませんが……。
> ---10さんへ
> まっ、とにかくもう辞めましょうか!
> 仏典に何が書かれても無関係という人とは、このスレでは対話する意味がありませんから。
ホント貴方は、何度指摘しても、指摘がなかったことにして、全く同じ主張を繰り返すんですね。
一々書くのも面倒なので、→
>>67 > ごめんなさい-私はどうも時間が掛かるのです。
長文書いている暇が……(ry
94 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 11:25:35 ID:iyFPCl6e
95 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 11:26:37 ID:iyFPCl6e
それは数百/数千年の歳月が経過してしまった古代の文章ではない。まさに直接の生きた言葉によっ
て聖典の内容についての解説を頂くことができるものです。だから、聖典解釈において誤解が生じない。
と、同じことを縁起氏も主張していますが、その仏教界の覚者とは誰?歴史上知られる人物??聞いた
こともない・・・。
私は、ザンネンながら仏教界の歴史では覚者を排出しなかったと見ています(少なくとも、知られてい
る人物としては)。その原因は、やはり無我の誤解に尽きるものと思う。
凡夫が固執している世俗(現象界)の物事には何一つとて、実在のものはない。しかし、人々はそれ
を知らず、自分存在を実在と思い込んで、自己が接する物事を我が物にしようとします(そこに「苦」が
生じる)。これが無明なのだと・・・。だから、それらから離れなさい、と説くのが仏教なのです。
ところが、実在ではないものへの捉われ意識からの離脱を説いておきながらも、な〜んと最終的ゴー
ルである筈のホトケ(仏陀)存在も実在ではない/「空」である、などという馬鹿げた見解に嵌っているの
です。こうしてホトケ/如来も実在ではない、として実在論の否定を説くのですね。
この馬鹿げた矛盾を何故、気付けないのか?は、間違ったドグマに嵌っているからに他ならない。そ
れは自分で考えることを辞めて、伝統だからといってその論に固執しているからです。
だから、その後も解脱者を輩出できないのですよ。
実在論否定の誤解に気付くのは簡単なのですが、伝統仏教者には困難なようです。まずはヴェーダー
ンタ哲学やサーンキャ哲学が、本当に仏教の説く真理とは全く異なる誤ったものなのかどうか?を、知る
べきでしょう。寧ろ、こちらのほうが万物現象界の創造の原理について詳細に説き明かそうとしたもので
あり、まさに驚嘆すべき叡智です。
推奨:
スワミ・スリ・ユクテスワ著『聖なる科学--真理の科学的解説--』森北出版社刊
http://www.amazon.co.jp/gp/product/462799950X/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller= また後日には、「精神集中、つまり、止、シャマタの後に・・・」という瞑想の話について、
私からの意見を述べます。
96 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 11:42:25 ID:iyFPCl6e
---10さんへ
あなたのように、「証明しろ!」だの「早く書け!」だのとはいっても、
そう簡単にできるような事柄なんかを扱っている話ではないのですよ。
「さぁ出せ。今、出せ。ココに出せ!!」と急かされても、そんな簡単なものではない。
もし、そうだったら、今頃もこんな議論は続いてる筈もなく、見事にとっくの間に証明されていますよ。
>>91 >だから、なるべく「貴方」という呼称を多用し、敢えてアリンコ脳みそという呼称を使用する場合にも、
>「さん」や「氏」という尊称を忘れずにつけるようにしているんです。
それは有難う!
では、あなたの投稿には別に悪意はない、という具合に見なしたいと思います。
>いい機会ですので、この発言を撤回するおつもりは無いか、もう一度お尋ねいたします。
人(相手)に聞く自体が間違ってるでしょう?そんなことは・・・違いますか?
私は、そうしたかったら勝手にすればいい、といってるまでのこと。
普通はそういうことはしないほうがいいと思いますけれどね。
何も、私からお願いしたわけでも、命令するわけでもない。
それは、あなたが判断することですよ。あなたの行為ですから(自己責任で)。
97 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 13:27:44 ID:iyFPCl6e
98 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 13:32:06 ID:iyFPCl6e
99 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/25(月) 13:44:31 ID:iyFPCl6e
前にも全く同じ事を言った突っ込みを、一々繰り返すのもめんどくさくなってきたんで、
明確に私宛の部分だけにレスします。
他の部分は、どなたか過去のレスを探って、コピペしといてくださいw
>>96 > あなたのように、「証明しろ!」だの「早く書け!」だのとはいっても、
> そう簡単にできるような事柄なんかを扱っている話ではないのですよ。
> 「さぁ出せ。今、出せ。ココに出せ!!」と急かされても、そんな簡単なものではない。
これについても、何度も何度も何度も同じ指摘を繰り返していますが、
貴方の主張は全て、「来世が実在し、輪廻転生が実在する」という主張を大前提にしています。
よって、コレを証明しないと、貴方の全ての主張は空理空論である事になってしまいます。
これが、「証明しろ」と言う言葉の意味です。
ですから、前提の根拠を示せないなら、それを前提とした主張は一時停止してくださいと言っているんです。
それが、「早く書け」という意味です。
そして、貴方が前提を自明の如くに語っているということは、
既に明確な根拠があるからだと考えられますので、それを示すことは、すぐにでも出来る事だと思うんですがね?
それが、「さぁ出せ。今、出せ。ココに出せ!!」という言葉の意味です。
それとも、何の根拠もなく、ただ盲信しているだけなんですか?
何度も言うように、もしそうであるならば、「輪廻は私の信仰です」といって、
他人に「輪廻は普遍的真実である」と語るのをお止め下さい。
そして、「私の全ての主張は、私の信仰のみを根拠にしているので、
私と同じ信仰を持つ人以外には価値のない主張です」と、宣言してください。
コレに対し、「明確な根拠を示せる」と仰るのならば、輪廻を前提とした主張を展開する前に、輪廻実在の根拠を証明してください。
自明の如くに語っているのですから、すぐに論証できるはずですよね?
102 :
神も仏も名無しさん :2010/01/25(月) 17:16:27 ID:iModQ1aP
>宝珠愚者 氏 相手が見ないところで嫌味を言うのはほんとうに簡単ですね。
103 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/25(月) 23:38:01 ID:1jqHQY8+
>>83 前略10氏
エールありがとうございます。あなたの同調者を称する方からの問い掛け(不説の
スタンスは如何に?)が契機となって、他の物事の関係もあったのでしょうが、ち
ょっとした(相当の?)自己アイデンティティーのぐらつきがありまして、こちら
のスレについてはちゃんと目を通しておりませんでした。先に、避難スレの方に返
信してから、
>>93 については今読んだばかりですが、以心伝心、痛み入ります。
104 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/26(火) 00:05:30 ID:ji9q4yJ6
>>97-98 宝珠愚者氏
愚者さん、それは相手が机師だから尋ねた内容なのです。とはいえ、過去ログの引用、あ
りがとうございます。「五蘊が悪魔」という説ですね。
>>79 >
>>56 > 誤解があるようなw
> うーん、やっぱりあるような^^
そうかもしれませんが、これも
>>56 で断り書きしてあるように、愚者さんに向けたもので
はありません。その上この時私は「やや錯乱中」でした。
105 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/26(火) 01:42:05 ID:ji9q4yJ6
>>79 宝珠愚者氏
>また、「相手の良い部分(だけ)を見るようにしなさい」という言い方があります。
>けれども、今の私にはこれはできない。寧ろ、相手に対してかなり批判的です。
>たぶん、こういう態度は自分も相手から批判的な見られ、扱われることになる・・・。
そう、ここ「こういう態度は自分も相手から批判的な見られ、扱われることになる」は重
要だと思いますよ。セブンさんが規制避難スレ
>>60 で
>宝珠や在家等への問答無用の批判・断罪は、貴方の言うように行過ぎてはいるだろう。
>(ただ、そうさせてしまう言動が彼らにあるということも解ってくれてるとは思うが・・w)
とおっしゃることに私が
>>69 で同意したのはそこにあるのです。愚者さんは一方で、
>>68 >悪いけれども、そこら辺がサッパリ、私には分りませんね!
とおっしゃりましたけど。
>>105 続き
単なる、私の個人的経験論というだけでなく、仏教の「業報」の観念からも、それはそう
だと考えます。内容の正否以前に、行為に対して同種の行為が返ってくる。セブンさんや
10氏が身をもって愚者さんへの返報を示してくれている(?)ようにです。もし、セブン
さんや10さんが、彼ら自身がそのような行為の発生源にいる宿業の人であれば、その場合
は誰彼構わず、自分から進んで、そういう態度を示しているでしょう。例えば、オカルト
思想について中立的な姿勢を表わしている者(私もそのつもりですが)に対して、彼らが
罵詈雑言を浴せたり、論理攻勢でグウの音も出ないように一種の「寝技論法」に持ち込ん
だり、です。逆に、愚者さんが、ご自身の経験を鑑みられて、あなたに対して、批判的扱
いをしてくる相手の出現頻度がどの程度なのかを検討なさってみるといいと思います。そ
の頻度の度合いが、「宿業」の度合いを物語っていると思います。その度合いに応じて、
相手の是非はさておいて、まずは態度を変えるべきなのは自分の側なのかどうかを判断で
きると思います(ここでは別に思想内容を変えるべきとは言いません)。
こういった業=行為のことについて、仏教は非常によく検討された体系だと思います。
内容(真理)の是非はさておいて、まずは行為を浄めましょう、というのが仏教的な在り
方だと思います。まずは行為を浄めてから、それから真理についてでも何でも内容的なこ
とについて考えたければ考えなさいよ、と。──それで、行為を浄められるところまで浄
め切ってしまうと、あら不思議!? 真理なんて特に「これ」というようなものは無かった。
──という風になるんじゃないでしょうかね?
107 :
神も仏も名無しさん :2010/01/27(水) 18:17:34 ID:hP4nYkHJ
どうやら、携帯の方だけは解除になったみたい。 みなさん、いかがですか?
108 :
神も仏も名無しさん :2010/01/28(木) 03:04:04 ID:vW6uk8o6
(その1) 輪廻転生業報思想について(総論) この思想は簡略にまとめると「人間は死後、生まれ変わり、生前の業が来世の 自己に干渉する」 と、こういうものである。 この現象が事実であり、普遍的現象であると主張する者たちの根拠は次の 2つに大別できる。 1>超常的な現象の体験(もしくは体験者の証言等。自己の過去の記憶を 有する者の証言、退行催眠などによる過去世記憶の再生、等。) 2>いわゆる仏典の記述、仏説 以下それぞれについて問題点を考察していく。 1については、言うまでもないことであるが、いわゆる「生まれ変わり」という 現象が確認、実証されたことは現時点において「皆無」である。 TVのバラエティー番組、トンでも本などには、それらの事例があたかも普遍的 現象であるかのように取り上げられているが、いずれも、「実証」というには ほど遠く、他の合理的説明が十分つくものばかりである。 すなわち「生まれ変わり」を想定せねば説明のつかないような事例、例えば 「非常に高度な数学の問題をすらすら解く、前世が数学者であると主張する 小学生」 このような者が出現したことは今までない。
109 :
神も仏も名無しさん :2010/01/28(木) 03:05:29 ID:vW6uk8o6
(その2) この超常現象を根拠に「生まれ変わり」を主張するものによく見られる論理に 「他の説明がつくからと言って生まれ変わりが真実でないとは、言い切れない」 というものがある。 確かにそうである。生まれ変わりが真実でないとは 「言い切れない」 同様に「頭を拳銃で撃ちぬかれた男の死因」が、実はその 一瞬前に悪魔によって脳を破壊されたことが原因でないとは、これもまた 『そうでないとは言い切れない』 これらは「不存在証明」と同じ論理構成 であり、仮設された理想空間でない限り、100%と0%の事例は有り得ないことを 前提とするならば当然のことである。要は蓋然性の問題であり、「その事例の存在 確率が限りなく0に近いものは存在しないと見なす。」 正常な判断認識能力を有する 者であるならば、このように帰結させる。 「交通事故起こした原因を、朝、出かける時に黒猫が前を横切ったことであるとする」 者を我々は「正常な認識判断力を有する者」とは見なさない。 「〜でないとは言い切れない」 ことが必然的に 「〜は真実である。」 とは決して ならないことを理解するべきである。 さらに、この亜種として「他の超常現象があり得るのだから、生まれ変わりも有り得る」 と言う者がいる。例えば、念力、透視、テレポーション等である。これらも、また言う までもないことであるが『実証』された例は皆無である。 そして「現代の科学はまだ、これらの超常的現象を確認できるほど発達してないが、将来 科学的にこれらの現象が真実であるということが実証されることであろう。」ということ を主張する者もいるが、これに至っては、単なる自己の願望の投射にすぎない。 将来、科学が進歩したとき「これらの現象は全く真実でない」ということが実証される 可能性を全く考慮していない。
110 :
神も仏も名無しさん :2010/01/28(木) 03:06:35 ID:vW6uk8o6
(その3) それでは次に根拠2をみていこう。 これも多くの支持者を有する根拠であるが、問題点も数多くある。 @仏典に記載されている事例は、果たして釈迦自身が『説いた』ものか? (仏典製作までの数百年間、釈迦の教えが正確に伝承されたのか?) (後代の弟子たちの増稿、改変はなかったのか?) (釈迦が輪廻転生に言及したとして、それは方便ではなく、『輪廻転生を説く意図』をもって 語られたのか?) (釈迦が輪廻転生を積極的に説いたとするならば、無我との整合性をどうつけるか?) これらの問題は依然、未決着である。 また、さらに問題なのが、たとえ、これらを全てクリアーしたとしても A釈迦という一個人の言説をもって、それを普遍的真実であるとすることはできないからである (仏教徒なら、まだしも、仏教徒以外の者に『釈迦が言ったのだから』という根拠で、主張する ことはできない。『釈迦が言ったのだから』という根拠は、『輪廻転生を信じる仏教徒』以外には 通じないものである。)
111 :
神も仏も名無しさん :2010/01/28(木) 03:44:04 ID:vW6uk8o6
(その4) 以上の考察から、輪廻転生業報思想は何ら根拠のない説ということが判明した。 では、この思想について「信じたい者のみが信じればよい」と言えるであろうか? 基本的には、そのとおりであろう。「信じたい者は信じればよい」 ただし、それは厳格に「個人の信仰の範疇」においてのみである。 それを公の場で語ったり、主張することは決してするべきではない。 なぜか? この思想が必然的に差別思想を内包し「仏教徒以外の者にも起こる」現象であると主張するから である。 単なる『個人の信仰をもって他者に干渉すること』は決して許されることではない。 自己を「差別主義者」ではないと言うのであれば、まず、転生業法が普遍的事実である ことを実証した後に語るべきである。勿論、「転生業報は仏教徒限定ですよ」と言うのであれば 問題はない。 さて、輪廻転生業報思想の肯定論者諸氏。 @あなたたちは、この現象が「普遍的事実である」と実証するか? Aあるいは、「個人の信仰の範疇」に留め、語ることを放棄するか? Bあるいは、何ら根拠のない説を流布し、差別的行動を継続するか? いずれの道を選択するのかな?
112 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/28(木) 11:15:20 ID:wJGW6JIS
>111に補足すると、 必ずしも仏教徒が輪廻転生を信じている訳では無くて、中論では、その様な個人主体を仮定する事を否定しているし、その流れを汲む日本仏教の多くが否定している。 但し、ボン教と仏教の習合たるチベット仏教や上座の一部、並びに日本の仏教系カルトなどは輪廻転生を肯定する。
113 :
神も仏も名無しさん :2010/01/28(木) 11:53:13 ID:vW6uk8o6
以下は余談ながら、このスレにおいて感じたことを述べる。 この「転生業報思想」を積極的に、根拠2をもって主張する者たちが 実は仏教徒たちなのではなく、異教徒に多いということである。 仏教徒たちの方が、寧ろ、これを主張することにおいて淡白で積極性が 見られない。(勿論、一部の仏教徒たちは、この思想に執着しているが) これは思うに「異教徒たちは、自己のオカルト思想を権威付けするため」 に、仏教における輪廻転生思想を利用することが目的かと思われる。 自己の信奉する宗教が歴史が浅く、一般に知名度も低い場合、仏教という 伝統宗教における教義は、自己の宗教を正当化するのにうってつけなのだろう。 よって、仏教の教義のうち、自己の見解に利用可能な部分を抜き出し、 それを自己の主張の正当化に利用し、自己の見解と異なる部分は「方便、 比喩、後世の改変」として切捨て、ダブルスタンダードをとることとなる。 (続きは後ほど)
114 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/28(木) 12:06:13 ID:VLTG5Xcr
>>108 >すなわち「生まれ変わり」を想定せねば説明のつかないような事例、例えば
>「非常に高度な数学の問題をすらすら解く、前世が数学者であると主張する
>小学生」 このような者が出現したことは今までない。
またまた、そうやって何も知りもしないのに・・・
他に説明がつきそうな事例だけしかないように話を摩り替える。
ていうか・・それしか知らないのでしょう?
数学者とはいかないかも知れませんが、
当然、生まれ変わりを想定しなければ説明がつかない事例について、この私は幾つも知っています。
ただ、それを調べ直して確認し、ボードで打ち込む作業の時間がなかなか取れないだけです。
(それを10さんに叱られているわけです)
まっ、あなた方がそれを知らなかろうが、
または否定しようが、このまま無理解のままでいようが、
別にこちらは一向に困らないのですけどねぇ・・・。
もしも、生まれ変わり/転生現象が事実と判明した暁には、
あなた方、全員には反省文を書いてもらい、2ch上に永久掲載してもらいます。
逆にないものと証明された場合には、この私が反省文を掲げますわ。
こっちは自信あるんでね!!!
*おやっ、規制解除になったのかな?
〜随分と精力的ですねぇ^^
>>108-111 まとめ、お疲れ様です。
非常に端的に、要点が纏められているかと思います。
もっとも、同じことは既に、私も含めて何人もの方が、何度も何度も何度も繰り返して主張してきてて、
まとめについても、何度も何度も行われてるのに、
肯定論者の方々は、さっぱり理解なさらないんですよね……。
(無駄骨的意味も含めて)本当にお疲れ様です。
ちなみに、私は
>>114 を見て、徒労感でくたくたですw
>>113 この推測についても、蓋然性が高いと思います。
特に、アリンコ脳みそさんの言動を見ていると、この傾向が顕著ですね。
>>114 >またまた、そうやって何も知りもしないのに・・・
>他に説明がつきそうな事例だけしかないように話を摩り替える。
>ていうか・・それしか知らないのでしょう?
>数学者とはいかないかも知れませんが、
>当然、生まれ変わりを想定しなければ説明がつかない事例について、この私は幾つも知っています。
>ただ、それを調べ直して確認し、ボードで打ち込む作業の時間がなかなか取れないだけです。
>(それを10さんに叱られているわけです)
本当に、同じ事を言い続けるのに飽きたんですが、改めて言いましょう。
根拠を具体的に提示できないのに、「根拠はある!」と言うだけなら、
「ウルトラマンは実在する!根拠はある!今は提示できないけどな!」といっているのと、等価です。
「主張するなら、根拠を示せ。示せないなら口を噤め。」と、何度言ったら理解していただけるんでしょうかね?
まあ、もっとも、貴方は、@の立場をとるような「ふり」をしていますが、実行に移されたことは未だかつてありません。
貴方は、
>>111 のB「何ら根拠のない説を流布し、差別的行動を継続する」と宣言なさっているんでしたねw
何度も何度も質問(
>>101 )していますが、
本当に、「何ら根拠のない説を流布し、差別的行動を継続する」と言う宣言を撤回する意思はないんですね?
「はい」か「いいえ」でお答え下さい。
>>114 >まっ、あなた方がそれを知らなかろうが、
>または否定しようが、このまま無理解のままでいようが、
>別にこちらは一向に困らないのですけどねぇ・・・。
ホント貴方は、何度指摘しても、指摘がなかったことにして、全く同じ主張を繰り返すんですね。
しかも、三日たったら、遠い過去の出来事なんですか?w (
>>86 >>93 )
一々書くのも面倒なので、→
>>67
>>114 >もしも、生まれ変わり/転生現象が事実と判明した暁には、
>あなた方、全員には反省文を書いてもらい、2ch上に永久掲載してもらいます。
>逆にないものと証明された場合には、この私が反省文を掲げますわ。
>こっちは自信あるんでね!!!
コレも何度も何度も何度も指摘していますが、
私が主張しているのは、「輪廻は存在しない」では有りません。
「輪廻が有るというのなら、証明してください」です。
そして、「ないものの証明」は不可能です。
あなたは、「天使が存在しない事」を証明できますか?
ですから、貴方の提示した条件では、一方的に貴方だけが有利になっています。
よって、対等な条件は、
「自分で設定した回答期限(既に2回延期)の平成22年3月6日19:14:09を過ぎても、輪廻実在の根拠を示せなかった場合、
輪廻実在の根拠は(少なくとも現時点に於いては)無いと認め、以後輪廻は普遍的真実だと語らない事」です。
もちろん、私は、貴方と違って「対等」の条件を示します。
「生まれ変わり/転生現象が事実と判明した場合、私はそれを認める文章を書きます。」
以上の条件でよろしいですね?
「はい」か「いいえ」でお答え下さい。
なお、毎度の如く、「他の説明がつくからと言って生まれ変わりが真実でないとは、言い切れない」
などと、無茶苦茶を言い出されると思いますので、予め言っておきますが、
「事実と判明した場合」とは、
「輪廻以外の可能性(偶然、勘違い、イカサマetc.)が排除されており、
輪廻を仮定しないと、説明が付かない事例が提示され、
輪廻実在の蓋然性が高くなった場合」の事です。
おっと、上の条件に、一文付け足し忘れてました。 「その場合、反省文が欲しいと言うのなら、貴方の要求に従います。」 もっとも、何の「反省」なのか分かりませんが。 もしかして、「偉大なる尊者、宝珠愚者さまに逆らった反省文」ですか? あと、蛇足ですが、言っておきましょう。 「事実かどうか、他人が確認できない情報」は、(少なくとも他人にとっては)無価値です。 簡単に言えば、「俺、ウルトラマンが飛んでるのをこの目で見たんだぜ!だから、ウルトラマンは居るんだ!」 と言っても、無意味です。
120 :
神も仏も名無しさん :2010/01/28(木) 15:58:37 ID:vW6uk8o6
また、馬鹿宝珠が沸いて出たかい。
反論とも言えんような稚拙な文で、空虚な負け惜しみのようなことを
書きなぐっているのは、よほど悔しかったのか?
>*おやっ、規制解除になったのかな?
その通り。 これから、ゴキブリ退治に精を出すぞ。
>>115 >(無駄骨的意味も含めて)本当にお疲れ様です。
仕方ないのだ。宝珠のような奴が、ほとぼり冷めたころ、懲りずに
蒸し返すから、こちらも、折を見て(その1)〜とまとめを繰り返さなくては
ならなくなる。 これも今まで何回やったかな?
宝珠に何かしらのレスをつけようかとも思ったが、10氏が大方、言ってくれて
いるので、止めにする。
また、今夜にでも暇があれば、余談の続きを書き込むか。
121 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/28(木) 16:48:42 ID:wJGW6JIS
愚者に正論で太刀打ちしようとしても無駄じゃねぇの?(笑) 善逝ですら、縁無き衆生は度しがたしって言ってんぜ。(笑)
122 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 01:48:57 ID:A+VO/dqD
さて、余談のつづきでもするか 題して「外部から眺めた仏教の一風景」 ってか? 今までも、度々、問題となってきたが、いわゆる「仏典、仏説」というものに どれだけ釈迦の真意が継承されてきたのか? 初めての仏典製作が、釈迦没後、数百年を経てから。その間は口伝による継承 なわけだ。現在、考えても「江戸時代の人間」の語ったことが、記録をする事な しに(なにやら葉っぱによるメモ書き程度のものは存在してたのか?) どれほど正確に現代に継承されるものか?極めて疑問なのだが。それがたとえ韻文に よるものであったとしてもだ。 「最も古い資料にこそ、釈迦の真意が色濃く残存している。」 という見解がある。 いわゆる最古層と言われる経典だ。 これは、まことにもって説得力のある意見 であると思われる。20世紀に製作された経典よりも、スッタニパータのほうが、 より釈迦の直説に近いと感じるのは、通常の感覚であろう。そこで、最古層といわれる 経典、すなわちスッタニパータの第4、第5(ただし序章を除く)を見てみると、最も 印象に残るのは、釈迦が繰り返し「論争の無意味さ」を説いていることである。 これは、当時のバラモンたちによる不毛な論争、すなわち形而上的論争を忌避する 釈迦の姿勢が色濃く反映されたものと考えられる。ここに、釈迦という人物が、観念論 の価値を認めず、形而下の現象を観察しぬくことによって真理に到達する道を求める 極めて経験主義的な思考の持ち主であったことがうかがえる。
123 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 01:50:02 ID:A+VO/dqD
また、「釈迦が説いた仏教とは如何なるものか?」 へのもう一つのアプローチとして 「他宗教との比較における仏教の独自性に注目」する方法が考えられる。 では、他宗教にはない仏教独自の教義とは何であろうか? これは言うまでもなく「無我」であろう。そしてこれこそが仏教を他宗教と隔てる一線 である。 「無我」とは言うまでもなく「個を成立させる基体の否定」である。 別の表現をすればアートマンの否定である。 ただし、これは我々のこの現象界における 話である。釈迦は、この認識可能な現象界において「〜はアートマンではない」「また〜も アートマンではない」と極めて入念に、それこそ一つずつ、確認しながら否定していった。 そして、死後の認識不能域については「それについて、あれこれ推測するのは愚かな考え」 と、考えることの無意味さをはっきりと説いている。いわゆる「無記」ですね。 ここにも、確認できることのみを扱おうとする、極めて現実的な、経験主義に基づいた しっかりと地に足のついた釈迦の思考基盤が読み取れますな。
124 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 02:04:40 ID:A+VO/dqD
釈迦とは如何なる人物であったのか? 釈迦が説いた仏教とは何だったのか? これらの問いに対する答えは、時の彼方にかすんでしまい、茫漠としてつかみずらいが その輪郭はなんとか浮かんでくるような気がする。 釈迦の目指したものは、あくまでも「現実の、今そこにある」苦の排除であり、 釈迦の探求したものは、その方法論である。 その結果、たどり着いたのが「無我」という 認識の一大変換であり、至った境地を涅槃と呼んだのではないだろうか? 無我を教義の根幹とし、「個」の基体を否定した釈迦が転生を説いた? この論理矛盾を解消しない限り、輪廻が仏教の前提であるとする主張は論理的整合性を 有しませんな。 それとも、無我を捨てて、輪廻転生をとりますか? それも無理でしょう? やはり、釈迦は「積極的には」輪廻を説くことはなかった。 「輪廻を否定する」ことにより、数々の軋轢を招くような愚を行うことは避けたが 「正直、触れたくなかった」、あるいは、「修行への動機付けくらいになれば良し」とする 程度の認識であったと考えるのが最も妥当ではないかと考えますね。 仏教徒諸君、あなたたちは、やっぱり、釈迦を超能力者にしたいですか? 外から眺める釈迦は、多くの苦悩の後、全ての妄執を消し去った、非常に澄んだ顔をした 「人物」に思えるのですが。
125 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 02:37:51 ID:A+VO/dqD
ひとつ誤解のないように言っておくが、俺はなにも 「釈迦が転生を説いたことには疑問符がつく」→「よって転生は有り得ない」という図式で 転生を否定する意図で、書いたわけではないので。 釈迦が説いた、説かないに関わらず 「輪廻転生業報思想」に関しては、極めて蓋然性の低い(すなわち無いと認識しても弊害 のないレベルの)事象であると認識している。ただね、お釈迦さんがいつまでも、 輪廻転生思想という悪思想の片棒かつがされてるのは、かわいそうだろ? そう思わないかい?みなさん。
まぁ・・・結局・・輪廻を信じている輩は仏教じゃなくバラモン教を信仰しているわけだね
127 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 09:45:02 ID:Yo0C42Cc
こういう人達に釈迦は無記で応えたのであろう。
128 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2010/01/29(金) 10:51:19 ID:luSq3cnJ
(^。^;)・・・ だから、仏教徒で輪廻転生なんぞ信じてるのは極一部だと・・・
129 :
神も仏も名無しさん :2010/01/29(金) 11:04:30 ID:A+VO/dqD
>>127 何か異論があるなら、具体的に指摘して自己の見解をあげたら?
そのような、下らないチャチャしか入れられないのならば、スレ汚しにしかならんぞ。
130 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/29(金) 12:00:44 ID:G+heJoG+
>>129 >>127 は正論(解答)ですよ。
ゴータマは、(超常的な事柄について)「ない」などとはいってない。
無記の(教えの)その部分においては、「答えない」といっただけ。
それは何故か?話しても相手に理解されないからですよ。
このスレがそのことをよーく示している(笑)
無駄な議論としてゴータマが戒めたものです。
そのことをよーく分っているから、
まともな仏教徒はこの議論の参加に消極的なのです。
それが、
>>113 >この「転生業報思想」を積極的に、根拠2をもって主張する者たちが
>実は仏教徒たちなのではなく、異教徒に多いということである。
>仏教徒たちの方が、寧ろ、これを主張することにおいて淡白で積極性が見られない。
の理由でしょう。
>>113 >(勿論、一部の仏教徒たちは、この思想に執着しているが)
>>128 >だから、仏教徒で輪廻転生なんぞ信じてるのは極一部だと・・・
は、今時の女子高生でもいわないデタラメです。
世界の仏教諸派中、一体、どれとどれが輪廻転生を説かない?
それは全体の何%ですか?笑われますよ!
あなた方がただ、
自分の唯物主義に仏教の中から気にいった部分(中道、無記・・・)だけを身につけてるだけ。
近年になって数を増し徘徊を始めた異端少数派はそちらです。
131 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/29(金) 12:01:27 ID:G+heJoG+
>>126 “バラモン教はすべて間違い=幼稚な理解と発想”です。
ゴータマが正しい修行者をバラモンと呼び讃えていた事実を知らんのか?
『何ものをも所有せず、欲の生存に執著しないバラモン・ヴェーダの達人であるとそなたが知った人、
──かれは確かにこの煩悩の激流をわたった。かれは彼岸に達して、心の荒びなく、疑惑もない。』
(Sn.1059)
『静かに思い、塵垢(チリケガレ)なく、おちついて、為すべきことをなしとげ、煩悩を去り、最高の目的を
達した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。』(Dhp.386)
『前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、
完成すべきことをすべて完成した人、──かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。』(Dhp.423)
132 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/01/29(金) 12:07:44 ID:G+heJoG+
>>122 >「最も古い資料にこそ、釈迦の真意が色濃く残存している。」 という見解がある。
>いわゆる最古層と言われる経典だ。 これは、まことにもって説得力のある意見
>であると思われる。20世紀に製作された経典よりも、スッタニパータのほうが、
>より釈迦の直説に近いと感じるのは、通常の感覚であろう。そこで、最古層といわれる
>経典、すなわちスッタニパータの第4、第5(ただし序章を除く)を見てみると、
あなたのお好きな最古層Sn.4-5章から、
輪廻転生を示す経文をズラリ列挙しますか?
>>130 > ゴータマは、(超常的な事柄について)「ない」などとはいってない。
> 無記の(教えの)その部分においては、「答えない」といっただけ。
また、「否定していないから、肯定したんだ」理論ですか……
> それは何故か?話しても相手に理解されないからですよ。
> このスレがそのことをよーく示している(笑)
> 無駄な議論としてゴータマが戒めたものです。
うんうん、貴方のように、何を言っても理解できない相手が居ますからね。
書き込みの意図を理解できずに、自分の都合の言いように曲解するし、
自分の都合のいい部分だけを引用するし……。
もしかして、曖昧な記述の
>>127 も、それを言いたかったんじゃ無いですか?w
>>131 > “バラモン教はすべて間違い=幼稚な理解と発想”です。
なんという短絡思考w
>>126 の主張は、
「輪廻は仏教の思想ではなく、バラモン教の思想だと思う」と言う主張であって、
「バラモン教=間違い」と言う主張では無いように読めるんですかね?
>>132 > あなたのお好きな最古層Sn.4-5章から、
> 輪廻転生を示す経文をズラリ列挙しますか?
…………もはや、あきれ返って絶句してしまいました。
32スレ前にも、全く同じ主張をして、ボロボロに反論された事をお忘れになったんですか?w
で、アリンコ脳みそさん、
>>116 >>118 はスルーですか?
それとも、2 or 3文字で済む書き込みをする暇も無いんですか?w
137 :
別所から :2010/01/29(金) 14:42:01 ID:z/Lbnssr
>>130 > 無記の(教えの)その部分においては、「答えない」といっただけ。
> それは何故か?話しても相手に理解されないからですよ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/233 >>131 > ゴータマが正しい修行者をバラモンと呼び讃えていた事実を知らんのか?
馬鹿丸出しだなw
単なるラベルの問題だ。
『徳高く、尊敬に値する境涯の者』を『有徳者』として或いは『聖者』として称讃するに過ぎない。
決して
【旧来のバラモン教の思想を継承し、それを挙揚する思想・スタンス、
旧来のバラモン教の内容を称讃しているわけではない】。←コレ重要w
たとえば、学府として東の横綱を東大、西の横綱を京大と評することは可能だ。
この時、『東大や京大が「相撲で」有名、相撲が強い、相撲業界に力・影響がある、「相撲を探求して成果を上げている」』
ことにはならない。これは人物でも同じだ。
韻文であるならば、こうしたレトリックが多用されていても何ら不思議はないと思うが如何?
138 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/01/29(金) 22:16:45 ID:nEGhrTZT
>>130 宝珠愚者氏
元々のやりとりの流れとは直接は関係がないのですが、別個に一つ興味があることがあります。
仏教では「神話学面」では、輪廻転生思想が多く見られますが、その輪廻転生思想といっても、
やはり(以前にも「涅槃」について取り上げましたが、)、輪廻転生というものの中身がどう
いうものかという点があります。
仏教では、あくまでも「悪因悪果・善因善果」システムをベースにしますから、転生というも
のを設定する場合も、人間が動物になったり、動物が人間になったり、という両方向性の輪廻
転生モデルを想定するのであり、それ以外ではあり得ないと思います。
ヒンドゥではどういう輪廻転生モデルを説くのかは私は知りません。愚者さんは知ってますか?
愚者さんの話によると、神智学で説くらしい、一方的に上昇するだけの輪廻転生モデルという
のは他にも見られるものなのでしょうか? 私個人としては、かなりダーウィンの進化論モデ
ルに影響を受けて、それを神話学に転用したアイデアだという印象があります。要するに、神
智学的輪廻転生モデルは、転生云々以前に進化論的等級付けシステム(愚者さんがお好きであ
ろうベンジャミン・クレーム氏はこの方面で活躍されていますね)にその特徴、本義があるの
ではないかと。このあたりの、点について、愚者さんは、仏教の「悪因悪果・善因善果」シス
テムと神智学の進化論的システムの両者の違いと、進化論的システムの方を選択する特別な理
由はあるのでしょうか? もしくは、神智学で、そのような進化論的システムを真理とする理
由づけはなされているのかどうか(それともそれは単に「大師がこう言った」という以上の理
由は知られていないのか)、お知りでしょうか?
139 :
神も仏も名無しさん :2010/01/30(土) 00:09:42 ID:F+jOVZ8A
また、ゴキブリ宝珠が頭の悪いレスつけてるが、ほとんど10氏とセブンに
答えられてるなあ。 付け足すことも、あまり無いが、とりあえず「無記」
については、セブンが支持した前スレの233を 100回ほど読んどけ。わかったか?
んで、 >あなたのお好きな最古層Sn.4-5章から、
輪廻転生を示す経文をズラリ列挙しますか?
やってみろ(笑) 初めに言っておくが、「輪廻を『説いた』」ものなんだろうな?
俺は、釈迦が輪廻に一度も言及したことがない などとは言ったことはないぞ。
>>124 をよく読めよ。 いいか?例えばだ、大人が子供に
「ウソをついたら閻魔様に舌をぬかれるぞ。」と言ったとき、これは「閻魔が舌をぬく」
という事実を子供に教える目的での語りか?
これは、あくまでも「子供にウソをつくことを止めさせる」ための、動機付けの一つとしての
語りであるわけだ。 この大人の言を指して「この人は閻魔が舌をぬくと主張している」
と理解する馬鹿はいないわな?
さあ、それでは提示してくれ。釈迦が「輪廻転生を『説く』意図で語ったものは
どれかな? 中村元訳のスッタニはもっているので、番号をあげてくれるだけで
けっこうだ。
140 :
神も仏も名無しさん :2010/01/30(土) 05:01:45 ID:F+jOVZ8A
宝珠よ、過去ログ見てたら 310 :宝珠愚者:2008/12/13(土) 21:35:08 ID:d8Us78ux わたしはあなたに指摘され、スッタニパータ4-5章の中から業思想の教え部分がある経を提示しまし た。他の方からの情報でも、4章903 904 950 966 970/5章984 990 996にはあるという意見すらありま す。これは原語を確認しないとダメかもしれませんが、あなたからは何もコメントがありません。これら については調べてみようという意志はありますか? こんなのがあったが、お前、もしかして >あなたのお好きな最古層Sn.4-5章から、 輪廻転生を示す経文をズラリ列挙しますか? こんなこと言ってたのは上記のナンバーのことか?
141 :
神も仏も名無しさん :2010/01/30(土) 05:04:40 ID:F+jOVZ8A
903 或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、他の人々は「下劣なものである」と称する。 これらのうちで、どれが真実の説であるのか? ──かれはすべて自分らこそ真理に達した者 である称しているのであるが。 904 かれらは自分の教えを「完全である」と称し、他人の教えを「下劣である」という。かれら はこのように互いに異った執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を「真実である」と説く。 950 名称と形態について、<わがものという思い>の全く存在しない人、また(何ものかが)ない からといって悲しむことのない人、──かれは実に世の中にあっても老いることがない。 966 病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。 かの<家なま人>は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、 堅固に努力をなすべきである。 970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは 眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』──家を捨て道を学ぶ人は、これら (四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。 なあ、これらのどこが『輪廻を説いているのか』さっぱりなんだが? ちょっと解説してくれないか? もし違うナンバーを指しての発言なら、ナンバーwp支持してくれ。 検討するから。
142 :
神も仏も名無しさん :2010/01/30(土) 11:56:24 ID:3ZBWRlFc
文字は作られたものだし、あくまで自分の外にあるもので 疑えばいくらでも疑うことはできるよね。
アリンコ脳みそ氏の、回答に詰った時のレス傾向 @ 「理解できないのはあなた方のせい」と言い出して、意味不明な責任転嫁をする。 A 自分に都合のいい引用をして、「ここに書いてある!」と、自分にしか理解できない論理を主張しだす。 B 超常現象番組の動画を張って、「超能力が存在するんだから、輪廻も存在する」と無茶苦茶言い出す。 C 「あなた方が理解しなくても、別にこちらは一向に困らない」と言って、逃げ出す。 D 論理に関係ない対論者の人格攻撃を始める。 E 「既に回答済み」と言い出す。(しかし、具体的なレス番号については言えないw) F 質問を無視して、ほとぼりが冷めた頃に「忙しくて、書き込めませんでした」と言って、全てが無かった事にして、全く同じ事を言い出す。 G 「あなた方は○○主義だからダメなんだ」と決め付け、「なぜダメなのか」を説明せず、根拠も無く対論者を全面否定する。 H 質問のうち、どうでもいい部分にだけ回答して、全てに回答したつもりになる。 I 「明確に回答できる。だが、忙しいから、後で回答する!」といって置いて、回答しない。 J 「根拠も無く主張して何が悪い!」と開き直る。 K 「都合の悪い事を聞くんじゃない!」と逆切れする。 え〜と、パッと思いつく限りで、パターンはこんなものですかね? 個人的予想では、今回はFかな?w
144 :
神も仏も名無しさん :2010/01/30(土) 16:02:00 ID:F+jOVZ8A
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜? ホント〜〜? また逃げるの?
まさか、そんなことしないよね?
>>139 〜
>>141 → きっちり答えろよ。 お前が、ふったんだからな。
145 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 11:57:07 ID:dSUIZISw
汝と対論するものはここにはいない。
146 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 23:10:38 ID:MEgIlwow
それでは、本日も「余談ながら」 『外から眺めた仏教の一風景』 として (序として) 前にも書きましたが、釈迦は現実を徹底的に観察し、いたずらに観念論に走る ことを良しとせず、あくまでも「今、ここ」を問題として、「苦を滅する」こと を目指した、非常に現実的な経験主義的思考の持ち主だと考えられます。 然るに、仏典には「多くの神々が登場し、また釈迦自身もそれらに類するかの ような記述が見られます。」 これはいったいどうしたことでしょうか? 仏典に記述のあるとおり、真実、「天と呼称されるところが、どこかにあり、 そこでは帝釈天をはじめとする多くの神々が存在し、また、釈迦自身も当然 多くの神通力を使用し、不思議を示した。」 これは、勿論、我々が住するこの世界においてはそのような事実が確認された ことは今までありませんし、それが真実であると考えるべき根拠も提示された ことはありません。 それでは現在では有り得ないけれども「釈迦の存在した2500年前には、そのよ うな事実があったのか?」 「そして何らかの事由により、現在では観測不能 となっているのか?」 まあ、このような主張もないことも有りませんが、 現在の知見に照らしても、そのように考えるべき説得力の在る説は提示されて いません。 すなわち現在のところ、これらの説の根拠としては「仏典にその ような記述がある。」 これしかありません。 では、その仏典におけるそれらの記述に対する諸氏の意見をみていきましょう。
147 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 23:11:53 ID:MEgIlwow
(その1) 『仏典に登場する神々、および、仏陀の神格化について』 ブッダの教えが物語として書かれた後代の経典の中にときどき登場する 神々は、たとえば演劇における「通行人」や「見物人」のような、 いてもいなくてもよいような脇役しか与えられておらず、せいぜい、修行者に 質問したり、修行者を賛美したり、修行者に懇願したり、またあるときは修行者を 誘惑する悪魔となったりするだけです。それによって、神々というものが救済的意義を まったくもたないことがわかるような特別な仕掛けがなされていることがわかります。 つまり、仏典を読んでいくことによって、人々が次第に神々への執着心を捨てて、 宗教的迷信を内側から壊滅させていくプログラムが仏典そのものに組み込まれているのです。 とくに、梵天(ブラーフマン)という神は、バラモン教・ウパニシャッドの伝統の中では、 「最高神」「最高我」「最高ブラフマン」「世界を創造した創造神」「宇宙の主宰神」 「究極的絶対者」であり、人々の救いは、梵天(ブラーフマン)と一体となることであって、 人間の救いの究極的根拠となっていますが、この梵天は仏典の中ではまったく異なるもの として描かれます。たとえば、有名な「梵天勧請」という経典のなかで、ブッダが悟りを 開いた直後、その悟った内容(縁起の法・涅槃の法)を他人に説くことをブッダは躊躇する という場面があるのですが、そのとき、この物語に登場する梵天は、 「ああ、世は滅びる。ああ、世は滅びる。いまや如来・阿羅漢・正覚者(ブッダ)の心は、 進んで説法するほうにではなく、退いて、静観するほうに傾いている・・・」 (長尾雅人編『バラモン経典・原始仏典』、中央公論社、432頁) と考えて、ブッダの前に現れて、「膝を地に着けて、世尊の方に向かって合掌して」、 次のように懇願(勧請)します。 「世尊、法をお説きください。善き人よ、法をお説きください。世にはその眼があまり 塵に汚れていない人々もおります。いまは彼らも法を聞いていないので心も衰退して いますが、世尊が法をお説きになったら、やがて法を了解する者となりましょう。」(同上) ブッダはしばらくしてからついに悟りの法を説くことを決心して、つぎのように、梵天に告げます。
148 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 23:13:08 ID:MEgIlwow
(その2) 「不死を得るための門は開かれた。耳を持つものは、聞いておのれの盲信を捨てよ。 ブラーフマ神よ、わたしがこのすぐれた卓越した法を人々のために説かなかったのは、 それが人々を害するであろうと案じてであった。」(同上、434頁) こうしてブッダの説法が始まった、というのがこの経典の内容です。ここには、 世界宗教文学史上おそらく最大のアイロニーが語られています。通常、インドでもどこでも、 宗教的救いというものは人間が神にお願いするものです。そのことをこの物語の著者は よく知っているのです。そのことを知っているからこそ、ここではわざと、「宇宙の主宰神」 「究極的絶対者」であるところのブラーフマ神(梵天)を登場させて、その神を人間(ブッダ) の前にひざまずかせ、合掌させて、神が人間にお願いするという逆立ちの話に仕立て 上げているのです。救いの根拠は神々ではなく人間であるという革命的思想が実に見事に この物語に折り込まれています。「耳を持つものは、聞いておのれの盲信を捨てよ。」 神々も人間も、ものを欲しがり、執着にとらわれている。この執着を越えよ。 (スッタニパータ 333、中村元訳) 『神々を必要としない宗教の誕生です。』 このようにしてみると、「死後も生残って、永遠に存在し続けるアートマン」など、 人間の知識領域を超えたことがらについていろいろ主張する者に対して、 「愚かである」と言ったブッダの言葉は、仏典の様々なところに書き残されている ブッダの基本的な世界観や人間観にまったく一致する言葉であったといえます。 神秘的形而上学的問題に関するブッダの沈黙は徹底していたと考えられます。
149 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 23:45:53 ID:MEgIlwow
(その3) ところが、仏陀没後、その弟子たちが『仏陀の神格化』を始めてしまいます。 ブッダはその母、摩耶夫人の右脇から生まれた、 とか、生まれるとただちに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言った、というような具合にです。 あるいは空中を飛行したり、他者の過去世を語ったりもしますね。 また、後代の人びとは、ブッダに「超人的な眼」や「超人的な耳」や「超人的な舌」や 「超人的な手足」を持たせました。仏典には、とくに後代の仏典には、そのようなブッダの超能力 の話がたくさん散在しています。悪魔や神霊を物語の中に登場させ超自然的世界を演出したのも ブッダの神格化の一旦であると考えられます。 『信者というものはいつでも自分たちの教祖に過大な思いを抱いているもの』 です。 それはいたし方ないことだと考えられます。自分の信仰する宗教のトップが単なる『人間』 であることは、がまんのならないことであり、多宗教との比較において、『絶対的、超人的 力をもつ存在』を望むことは当然とも言えます。 しかし、史的ブッダに迫るためには、それらの伝承をそのまま無批判的に事実と受け入れること はできないと思います。(中には「仏典の記述は全て真実である」と主張する人もおりますが)
150 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 23:46:52 ID:MEgIlwow
(その4) 中村元氏は、『大般涅槃経』(長文の経典であり、阿含経としては成立のおそい経典である。 およそ170年ごろ成立) がさまざまな形のブッダの超人化をしているとして注目されています。 以下は、中村氏の『ブッダ最後の旅』、岩波書店、での記述ですが、 @恐らく釈尊がなくなってから、かれを思慕する後代の人びとが、 「超人的に偉い人であった釈尊は永遠の存在でなければならぬから、普通人のように 死亡することはありえない。それには必ず理由がなければならぬ。釈尊は入滅の決意に したがってみずから入滅されたのだ」と考えて、これを『大パリニッパナーナ経』(大般涅槃経) のテーマとして取り上げた。(同上237頁) Aここではブッダを神格化して、やがて大乗仏教の仏身観に向かう第一歩が見られる。(同上240頁) B後代になると、ブッダの身体は金色であると考えられ、それが三十二相の一つとなるのであるが、 ここにその発端が見られる。(同上270頁) ブッダは人間の知識の届かない神秘的なことがらへの言及はさけました。祈祷や呪文や神へ の捧げものや宗教儀式や運命判断など、まったく無意味であることを説きました。
151 :
神も仏も名無しさん :2010/01/31(日) 23:56:57 ID:MEgIlwow
(その5) たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。 そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、 陸に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。 その大いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。…… たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。 そして、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、 「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを 回ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、 沈むであろうか。…… (相応部経典42.6 増谷文雄訳) そのような、祈祷したり、神に捧げものをしたり、呪文を繰り返したり、胡麻を炊いたりして、 神秘的な力によって何事かなそうというような夢事から目覚めて、何が人間の苦の要因であるか を究明し、その要因を取り除く道を見つける人のことを、目覚めた人(ブッダ) と呼んだのです。 ところが、後代、釈迦自身が、その弟子たちによって『超能力者』にされて しまいました。 釈迦のため息が聞こえてくるような気がしませんか? (以上、佐倉氏の説をもとに) (特に1および2は佐倉氏の非常にユニークな着想に興味をもったので引用させていただいた)
152 :
神も仏も名無しさん :2010/02/01(月) 11:51:31 ID:I8bQJlBI
それはまだ人の説ではないのか。 犀の角のようにただ独りで歩んでつかんだもなのか。 神々の微細な精気を消化し得たのか。
153 :
神も仏も名無しさん :2010/02/01(月) 12:10:21 ID:ImKmgefN
>>152 >それはまだ人の説ではないのか。
その通り。かの諸氏の説に賛同するところが多いので、あげたまで。
何か問題でも?
>犀の角のようにただ独りで歩んでつかんだもなのか。
ということも、必要であると思うが、また、同時に他者の見解に
耳を傾けるのも重要ですな。
>神々の微細な精気を消化し得たのか。
「神々の微細な精気?」 これは、何かの比喩かな?
でなければ、 「神々の微細な精気」は言うに及ばず、「神々」自体が
そもそも、観測されたことがありません。
>>139 >セブンが支持した前スレの233を 100回ほど読んどけ。わかったか?
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1260/12605/1260569824.html/233 >「無記(avyAkata)」とは【語りえない(こと)】ということだ。--中略--
>「それらについては知りえないから、それらについて如来は語らない」という形に帰着する筈だ。
「語りえない」というのは、
世俗諦の言語的表現における限界性という意味に過ぎません。
そして、「知りえない」のが凡夫としての限界性であり、及び実情の姿ということ。
仏陀はご存知なのであり、
ただ凡夫にとっての理解を超えた事柄については教えようがないという意味でしょう。
どうせ理解できないのであるから・・・。
しかし、これは理解できない輩に対する一般的な姿勢に過ぎない。
>>140-141 >なあ、これらのどこが『輪廻を説いているのか』さっぱりなんだが?
その、
「4章903 904 950 966 970/5章984 990 996」というのは、
たまたま見つめた2ch投稿からの拾い読み情報に過ぎません(また古い投稿を見つけてきましたね^^)。
訳文では私もピンとくるものはないです。ですから、パーリ原語なら何かあるのかもしれません。
こういう場合は、当スレきっての学者セブン氏に聞いて下さいw
155 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/01(月) 23:15:21 ID:lEc92PPO
>>144 これらが、ザッと私の目についた経文です。
779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜
き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。
786 邪悪を掃い除いた人は、世の中のどこにいても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が
存在しない。邪悪を掃い除いた人は、いつわりと驕慢とを捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴くであろう
か?かれはもはやたより近づくものがないのである。
801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。
諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。
803 かれらは、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。かれらは、
諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。
このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。
865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関して
いだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」
898 戒律を最上のものと仰いでいる人々は、「制戒によって清浄が得られる」と説き、誓戒を受けている。
「われわれはこの教えで学びましょう。そうすれば清浄が得られるでしょう」といって、<真理に達した者>
と称する人々は、流転する迷いの生存に誘きこまれる。
1009 かれらはすべて、それぞれ衆徒を率い、全世界に命名があり、瞑想を行い、瞑想を楽しむ者で、しっか
りと落ち着いていて、前世に宿善を植えた人々であった。
156 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/01(月) 23:17:13 ID:lEc92PPO
1121 師(ブッダ)は答えた、
「ビンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る
人々は(病などに)悩まされる。ビンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存
状態にもどらないようにせよ。」
1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、
それ故に、ビンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
(ここからそのまま転載しました)
http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/buuta0.htm
157 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/02(火) 00:05:15 ID:AImX8G1z
>>137 >決して
>【旧来のバラモン教の思想を継承し、それを挙揚する思想・スタンス、
> 旧来のバラモン教の内容を称讃しているわけではない】。←コレ重要w
つまり、このことというのは・・・
バラモン教の教えや内容の全てが間違っていることにはならない、
ことを逆に意味しているのです。
158 :
神も仏も名無しさん :2010/02/02(火) 00:09:45 ID:z9sVajOd
>>156 こら、宝珠、いい加減にせえよ、ホントに。
お前は俺が、あげた
>>124 >>139 は、スルーか?
また、都合の悪いとこは、触れずに、論点をずらしたレスで、回答したかのように
誤魔化すか?
いいか?
>>139 をもう一度、読み直してからレスしなおせ。
「かの世」「来世」「彼岸」 これらの語句があれば、それらは全て
「輪廻業報を説いた」とでも言うわけか?
最初の779 これのどこが「輪廻を『説いている』経である」と言えるのか?
どこをどう読んでも「修行により、聖者に達することを奨励する」経文だろうが?
この経のなかに「かの世」という語句があるから、これは輪廻業報を説いているってか?
お前正気か? それとも、ホントにお前は、小学生にも劣る読解力しかないのか?
以下、786、801、803、865、898 全て同じ。 いい加減にせえよ。
さらに 1009、1121、1123は第5章の序章だろうが?
ここは、後世の付加。 だから、俺は初めに、そこは除くと書いてあろうが?
どこを読んでる?
さあ、改めてあげてもらおうか。
輪廻業報を 『説いている』 のは、どの経文か?
残念。予想が外れました
>>143 正解はAとHでしたか。
160 :
神も仏も名無しさん :2010/02/02(火) 00:27:45 ID:z9sVajOd
さらに
>>154 お前、これでは何の反論にも、なってないだろ?
ただ単に「自分はそう考えたい」と言っているだけで、単なる願望表明。
「何故、そう言えるのか?」の根拠提示がまるでない。
それぐらいもわからんのか?
162 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/02(火) 00:58:16 ID:AImX8G1z
>>158 >最初の779 これのどこが「輪廻を『説いている』経である」と言えるのか?
>どこをどう読んでも「修行により、聖者に達することを奨励する」経文だろうが?
>この経のなかに「かの世」という語句があるから、これは輪廻業報を説いているってか?
>お前正気か? それとも、ホントにお前は、小学生にも劣る読解力しかないのか?
「これらのどこがそうなんだ!」
といった批判はこちらも予め想定内です。では、この私が6経文の全部について解説します
(“輪廻転生を真実のものとして示している”という意味において)。
私はあくまでも、自分の仏教理解と日本語の拙い読解力だけで読みます。
もしも、パーリ語的見解からの明らかな間違いがあるならば、
どうぞ遠慮せずご指摘を願います(それは有難く拝しま〜す)。
>>161 >私も、輪廻について書いてあるとは思えないんですが、
>これらの句の、どこをどう読んだら、「釈尊が輪廻を説いた」という主張につながるんですか?
>一例で構いませんので、その論理を詳説していただけますか?
なかなか時間が取れないので、
また、明日以降です。---お楽しみに^^
>さらに 1009、1121、1123は第5章の序章だろうが?
あ〜ごめんごめん m(__)m
これはホントだぁ^^
163 :
神も仏も名無しさん :2010/02/02(火) 01:11:47 ID:z9sVajOd
>>162 ほ〜〜〜〜、それは楽しみだ。 そう言い切ったからには、
これらの経文が、『輪廻を説く』意図で語られたものであることを論証
するわけだ。 例えば、779は 俺が読んだように
「修行により、聖者に達することを奨励する」経文などではなく
「輪廻業報思想を説く」経文であることを論証するわけだ。
すごいな。まさに画期的新説だ。
並川が、ぶっ飛ぶぞ。(笑)
164 :
神も仏も名無しさん :2010/02/02(火) 02:23:37 ID:z9sVajOd
俺の言ったことは
>>124 および
>>139 に書いてあるとおりだが、
俺は「釈迦が、輪廻転生に言及した記述は、最古層資料には見当たらない」
などとは一言も述べていない。 あくまでも「釈迦が輪廻転生を『説いた』
ことが明らかな経文は、最古層資料には存在しない」ということだ。
「かの世」「来世」「彼岸」 これらの語句が見られる経文も全て、
@聖者(解脱者、覚者)の、すばらしさを礼賛するもの
A聖者への修行を奨励するもの
である。
聖者というものが、いかにすばらしい存在であるかを説き、それを
目指すことが、いかにすばらしいことであるかを説くために輪廻に
言及することは、当然ありえる。
何故ならば、釈迦在世当時のインドでは、今日と違い「輪廻は忌むべきもの」
との観念が常識であったというのが定説だからである。 そして、
「人間は何度も生死を繰り返し、苦を味わう。」 それを避けることが、当時の
人々の望みであるならば、「解脱への道を目指す修行」の動機付けに、輪廻に
言及することは、寧ろ、当然であると言える。(すなわち、聖者は輪廻などの
苦を超越してますよと、聖者のすばらしさを礼賛すことにおいて、言及はする)
165 :
神も仏も名無しさん :2010/02/02(火) 02:24:29 ID:z9sVajOd
しかし、何度も俺が言っているように「言及したからと言って、それが肯定してる ことにはならない」 わかるか? 俺の見解は「釈迦は、輪廻転生を積極的に否定することはなかった。これは 釈迦の『知り得ないことには無記』というスタンスにも、表れているが、 また、同時に積極的否定を行うことによる他宗教との軋轢をさける意味も 当然あったろう。釈迦が『論争の無意味さ』を最古層資料で繰り返し、 『説いている』ことからも、それがよく、うかがえる。 釈迦は輪廻転生などの、確認不能域、認識不能域の事柄に関して、不毛な 議論をすることを避け、あえて、その是非には触れず、修行への動機付け ぐらいになれば良しとする姿勢であったと考えられる。つまり、自分では 「愚かな考え」と断定するような、「認識不能域のことを、あれこれ議論」 するような愚をさけたわけだ。 釈迦の説く根幹は、あくまでも 「今、ここに存する苦」の消去。 そのような現実的思考をもつ、釈迦に とっては、輪廻転生などは、正直どうでも良いことであったと考えられますな。 そして、輪廻転生と必ずセットで語られる『業報思想』 最古層資料には、この『業報』を指す経文が皆無、すなわちゼロなのは どうしたわけだ?
166 :
セブン :2010/02/02(火) 22:43:45 ID:rgP1Mmlp
さて・・・。 一ヶ月後の自動解除により皈錫。 が、今のところ特に言うことは無い。解除の報告だけしておく。 ( ̄ー ̄)ニヤリ
167 :
神も仏も名無しさん :2010/02/02(火) 23:28:33 ID:z9sVajOd
どうした?セブン。 規制中に丸くなったか?
>>167 不説が(柄にも無く?w)絡んでるんでw、
(また、今回ワシがツッコむとしても)似た角度からになるし、
接客は主に貴方と10氏がなさってるでしょう? 私の出る幕じゃないw
169 :
神も仏も名無しさん :2010/02/03(水) 01:37:08 ID:rBUeZiUG
>>168 なるほど。不説氏は、あまり他者に絡まないキャラなのか。
しかし、また最初に戻り、最古層の話になるとはね。
正直、繰り返したくはないのだが、宝珠の馬鹿が、また絡んでくるんで
どうしようもない。
170 :
神も仏も名無しさん :2010/02/03(水) 02:32:43 ID:rBUeZiUG
あのなあ、宝珠、 お前が「避難スレ」で書いてた >ならば、輪廻転生が迷信であり、最古層の(輪廻転生を含むような表現の)言葉は誤解を招きや すいだけに過ぎず、実は輪廻転生を認める話ではない、というのであれば、後代の経というものは、 輪廻転生がバラモン教の迷信であり、仏教はそれらとは異なるものとして明確にそのことを述べる 筈です。しかし、実際はその逆ですね。 これ何? いったい、どういう論理でこうなるわけ? 「より時代が新しい経典で、輪廻が否定されなかったわけだから、輪廻は釈迦が真実であると して説いたんだ」 ??? お前は、釈迦没後、後世の弟子たちが諸処の理由(例えば、他宗、特にヒンドゥーとの融合、そして 軋轢の回避、さらに教義を説くときの利便性、釈迦自身の神格化の必要性、などなど) を理由に創作、増稿した可能性を何故、排除できるわけ? >・・・後代の経というものは、 輪廻転生がバラモン教の迷信であり、仏教はそれらとは異なるものとして明確にそのことを述べる 筈です。 これは、お前の単なる希望的観測に過ぎないの。いわば、なんの根拠も無いおまえの願望。 事実として、はっきりしていることは @最古層資料には、釈迦が「輪廻を説いた」と見られる経文は皆無である。 A同じく、最古層資料には『業報』について、『言及』さえも全く見られない。 B時代が下るにつれて、輪廻転生、さらに「業報」という思想が詳細に現われてくる。 さて、これらの事実に対して、 「最古層で説かれていない事柄が、新しい経典では説かれた。これは、過去の経典に説かれなかった 真実を新しい経典が詳細に説いたのだ。」 とする、お前の論理からいけば、 「より新しくて、詳細に語られていることほど真実である」 とこうなるわな? さしずめ、ダイアモンドヘッド経は、最も信頼できる経というわけか?
171 :
神も仏も名無しさん :2010/02/03(水) 03:07:44 ID:rBUeZiUG
さらに、これは不説氏あてのレスであるが、内容からして俺が、レスをつけても 横レスとは、ならんだろう。 > もし、輪廻転生が現象として事実ある、という意味に解することができることをゴータマ自らが語って たのであれば、それはつまり、輪廻転生を説いた、ということになるでしょう!不説さん違いますか? (避難スレ) 「輪廻転生を説いた、ということになるでしょう!」→ まったくならんわ、アホか? お前は、ホントに都合の悪いとこは、徹底的にスルーするな。 俺が何度も繰り返し言ってるように 「聖者を礼賛し、聖者への道を推奨することにおいて、当時、一般的な常識であった、輪廻思想を 修行の動機付けに言及することは、当然、考えられる。『聖者というのは、すばらしいもので 輪廻を繰り返して苦しまなくてもいいんだよ、』 と。」 当時、人々によって「真実であると信じられていた」輪廻について『言及した』ことが 『輪廻を真実であると説いたことにはならない。』 と、なぜわからない? 前にも言ったがな、 大人が子供に対して「 いいか?悪いことしちゃだめだぞ。悪いこと してると、死んだ後、地獄におちて鬼に折檻されるぞ。」 とこう言ったとするわな。 この発言をもって、この大人は「地獄や鬼の存在を真実であると認識している」といえるか? お前が言ってることは「この大人は、このような発言をしたのであるから、間違いなく、地獄 や鬼の存在を認めている。」 こういう主張だ。 いい加減に「自分解釈」は卒業したらどうか?
>>162 > 「これらのどこがそうなんだ!」
> といった批判はこちらも予め想定内です。では、この私が6経文の全部について解説します
> (“輪廻転生を真実のものとして示している”という意味において)。
> なかなか時間が取れないので、
> また、明日以降です。---お楽しみに^^
一昨日からwktkして待ってたんですが、また毎度の如く、
I「明確に回答できる。だが、忙しいから、後で回答する!」といって置いて、回答しない。(
>>143 )
ですか……
まあ、明日「以降」といってるので、10年後でも、明日「以降」であって、嘘では無いですけどね…・・・
そして、
>>116 >>118 はスルーですか?
それとも、2 or 3文字で済む書き込みをする暇も無いんですか?
1) 「何ら根拠のない説を流布し、差別的行動を継続する」と言う宣言を撤回する意思はないんですね?
2) 「自分で設定した回答期限(既に2回延期)の平成22年3月6日19:14:09を過ぎても、輪廻実在の根拠を示せなかった場合、
輪廻実在の根拠は(少なくとも現時点に於いては)無いと認め、以後輪廻は普遍的真実だと語らない」
「はい」か「いいえ」でお答え下さい。
173 :
神も仏も名無しさん :2010/02/03(水) 10:25:52 ID:jBHC4j2j
死んだら金持ちも貧乏人にかかわらず、あの世があるのかないのかは 分かるようになっている。 何万巻の書物を読んでも分からないことが、一瞬で分かることになる。 実に不思議だ。なぜこの世はそのように造られているのだろう。
>>173 ん〜、その疑問は妥当でしょうかね?
あの世があり、死後も記憶が維持される場合なら、あの世の存在を認識できるでしょう。
あの世があっても、記憶等が維持されない場合(つまり、主体無き輪廻)なら、あの世の存在を認識する「あなた」は居ません。
そもそも、あの世が無い場合、「あの世がない」という事を認識する存在が無いので、無い事をわかるとこは出来ません。
よって、あなたの疑問は、「あの世があり、かつ、それを認識する主体は今の自分と同じである」という場合においてのみ成立するものです。
つまり、「死んだら金持ちも貧乏人にかかわらず、あの世があるのかないのかは分かるようになっている。」とは言えない訳です。
強いて言うのならば、「もしあの世があり、死後も個性が保持されるならば、死ねばあの世があることが分かる」ですかね?
まあ、「実際にアメリカに行ければ、アメリカが存在する事が分かる」と言っているのと一緒で、
非常に当たり前の事で、何の不思議も有りませんが。
とまあ、暇潰しに揚げ足をとってみましたw
175 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/03(水) 23:12:41 ID:n52QTR4L
>>172 >そして、
>>116 >>118 はスルーですか?
>それとも、2 or 3文字で済む書き込みをする暇も無いんですか?
申し訳ありませんが、相手(返答)するかどうかは私が自分で決めます。
人様の指図は受けません。あしからず!!!
>>116 >まあ、もっとも、貴方は、@の立場をとるような「ふり」をしていますが、
>実行に移されたことは未だかつてありません。
私はそもそも・・質問に全て答える意志などありません。
また、「探してみる・調べてみる」といいつつも、未だに見つけられない・・・
(無視したのではなくて一応、探す行為には着手している)
といった事柄が幾つか残っていることも本当です。
しかしながら、この宝珠シリーズのスレ中において、
対論者に応えるべく“時間を要する”とお断りも入れながらも約束した公言通りに、
ちゃ〜んと作成してアップロードしたのがこの二つです(内一つは仏教内容ではない)。
http://houjugusya.web.fc2.com/anatman.htm http://houjugusya.web.fc2.com/hpb.html これらはネタを探し回り、或いは遠方の大型都市の図書館にも出向いて文献をピックアップし、
ひたすら打ち込み作業したものであり、大変な時間を要したものです(作業の早い人もいるでしょうが・・)。
176 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/03(水) 23:13:23 ID:n52QTR4L
>1) 「何ら根拠のない説を流布し、差別的行動を継続する」と言う宣言を撤回する意思はないんですね?
>「根拠もなく、差別発言をして何が悪い!」という貴方の発言を、
>撤回する意思がないのかと、貴方にお聞きしているんです。(
>>91 )
この私のことを、
アリンコ脳みそでも何でも・・・もし、あなたがそうしたいのなら勝手にしなさいな、といったまで。
それから、私は業報輪廻の法則は差別思想などいう理解にはないので、
その辺については冗談じゃありませんから!
差別思想であるとして誤解を起す人々もいるので問題だといっているのです。
誤解の無きように。
あなたとの対論には価値を見出せないので、ソコソコにしています。
どうかご了承願います(時間と労力が勿体無いので)。
あなたの相手は疲れるので。
あなたとは違い、
もう1名の方は経典にある記述の解釈を巡る議論であるので、このスレ的には意義はあると思います。
>2) 「自分で設定した回答期限(既に2回延期)の平成22年3月6日19:14:09を過ぎても、
>輪廻実在の根拠を示せなかった場合、 輪廻実在の根拠は(少なくとも現時点に於いては)
>無いと認め、以後輪廻は普遍的真実だと語らない」
根拠がないのではなく、纏めた投稿を作成するのには時間を要するといってのです。
期限ではなく、ただの感覚的な目安ですよ。予定などは随時、変化していきます。
>>宝珠 縁起馬鹿がこれまで、 なぜ、眉間に皺を寄せ、目くじらを立ててレスをしてきたか。 「凡夫の視線と如来(覚者)の視線は違う」「世俗的存在論で見るな!」などと、 過敏な反応をしてきたか解るか? それは、(実は御隠居もそれなりに評価できるスタンスではあるのだが今は措こうw)、 10氏やどなたかさんのツッコミは(→その拠って立つ所は) 縁起馬鹿の批判する(≒仏教の視線ではない)スタンスそのものだからだ。 だが、ここで重要なのは、(そして縁起馬鹿はちゃんと解っていたがw)、 10氏やどなたかさんのツッコミは、 ≪【世俗として(→生物として及び社会的動物として)】【当然にあって然るべきもの】であり、 【仏教という枠を】【ちょっとでも外れるなら】、【とたんに最大限の有効性を発揮する】スタンス≫ から為されているんだよ。 だから、仏教という枠組みに忠実なれば、縁起馬鹿に軍配が上がる。 10氏もどなたかさんも一敗地に塗れることになる。 だが、【仏教という枠を離れたとき】双方のスタンスは対等なものとなる。 そして君の主張に対しても、有効な反論足りうる。(最近の10氏のレスは、少々過ぎる感じで飽きも来てはいるがw) 二人とも十分、君に反論する資格はある。【同じ、世俗上の議論として】ね。 なぜなら、「仏教に於ける勝義」以外は、全て世俗の、対等な、「価値観の相克」に甘んじることになるからだ。
178 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 00:08:30 ID:kRfSVVrZ
突っ込みどころ満載だが、とりあえず
>>176 >それから、私は業報輪廻の法則は差別思想などいう理解にはないので、
その辺については冗談じゃありませんから!
差別思想であるとして誤解を起す人々もいるので問題だといっているのです。
誤解の無きように。
お前は今まで「輪廻転生が『差別思想』ではない」ことを論証したことは
一度もない。 『自分が』差別思想でないと思っているだけ。
俺が何度も繰り返し、「差別思想」である実態をあげても、「感情論を
相手にするつもりは無い。」と、逃げるだけだったな。
いいか? 差別する側が、『差別思想と思ってない』ことなど、何の意味
もない。問題は『差別される側、および一般の人が差別であると感じるか
どうかだ。」
「差別する側の認識を基準にするのであれば、この世界に一切の差別は
存在せんわい」
『自分は別に差別してるつもりはない』と言う奴が最も酷い差別をしてるんだ。
その「自分基準」が最も問題なことが、わからないくらい馬鹿だから、困るんだよ
お前は。 わかったか?
感覚的に結びついていないと、輪廻に差別作用があるという感じをもてないだろうね。 多くの人が、前科持ちにどういう目を向けるかをイメージすればいいんじゃなかろうか。 スティグマ持ちという属性がどういう感情を受け手に持たせるか、を考えれば、 ありもしないものをわざわざくっつけるのは無意味に差別要因をもたらすだけとも言える。 まあ、前々々々々スレ10やID:kRfSVVrZ的に言えば、冤罪を押し付けるようなもんか? 今は罪をつぐなった(つぐなってる)けど、昔はこんなやつだったんだよ、 でも差別はしてはいけないよ、と言ってもそりゃ欺瞞だわな。 どうせなら、輪廻転生は『差別』(の要因)だけど、(ただの価値観としての) 『思想』ではない、と割りきってしまえばいいと思うね。 現代人的というか世俗的価値観とすり合わせようとすることもないでしょぅ。
>>175 >申し訳ありませんが、相手(返答)するかどうかは私が自分で決めます。
>人様の指図は受けません。あしからず!!!
>私はそもそも・・質問に全て答える意志などありません。
もはや、あなたとまともな会話をするのは諦めてるんで、
そんなに顔真っ赤にして、何度も「都合の悪い質問は無視する!」と強調しなくてもいいですよw
>また、「探してみる・調べてみる」といいつつも、未だに見つけられない・・・
あれだけはっきりと「輪廻は実在の存在だ!」と主張しているんでしたら、
それなりの根拠があってのことでしょうから、すぐにでもそれを提示できそうなものだと思うんですがね?
それとも、貴方が輪廻実在を信じている根拠は、「貴方の信仰」だけなんですか?
それならそれで構いませんよ。
「輪廻が実在する根拠は無いけど、輪廻は有ると、私は信仰しているんです」と宣言していただけるなら。
>>176 >アリンコ脳みそでも何でも・・・もし、あなたがそうしたいのなら勝手にしなさいな、といったまで。
いいや、違いますね。
『公の場で他人を貶める差別発言をするならば、根拠を示す必要があるんじゃないのか?』
という私の質問に対し、あなたは、『根拠?いらんいらん。 』と答えたわけです。
明確に、「根拠も無く差別表現をしても構わない」という主張だと思われますがね?
まあ、いいでしょう。貴方は、「根拠も無く差別表現をしてはならない」と主張していたと言うんですね?
でしたら、業報輪廻の根拠を明示できない内は、業報輪廻について語るのをお止めくださいますね?
「はい」か「いいえ」でお答え下さい。
>それから、私は業報輪廻の法則は差別思想などいう理解にはないので、
>その辺については冗談じゃありませんから!
是についても、差別思想であると言う指摘を受け、それに対して貴方は有効な反論を出来ていません。
「業報輪廻は差別思想であると言うのは間違いである」と、論理的に反論できるまでは、
業報輪廻は差別思想であるとして扱わなければならないんじゃ無いですかね?
>根拠がないのではなく、纏めた投稿を作成するのには時間を要するといってのです。
>期限ではなく、ただの感覚的な目安ですよ。予定などは随時、変化していきます。
二回も締め切りを延ばしておいて、まだまだ伸ばす積りですかw
まあ、もう諦めてるんで、どうぞ好きなだけ延ばしてくださいw
だたし、「根拠を提示できない」という事は、「現時点では根拠が全く無い」と同値です。
よって、回答するまでは、「輪廻の実在を前提とした論理展開」をお止め下さい。
よろしいですね?
「はい」か「いいえ」でお答え下さい。
>>177 全くもってその通りですねw
「仏教の枠内だけ」で語っているだけなら、私も何も言いません。
「仏教の枠をはみ出て、世間一般に適用するなら、世間一般の枠で議論してくれ」
と言ってるわけですから。
>最近の10氏のレスは、少々過ぎる感じで飽きも来てはいるがw
ごもっとも。実際、自分でも飽きてますw
毎度同じ事を主張されてるもんで、一々、別の切り口考えるのが面倒で、
最近は条件反射で、適当にレスしてます。
少しでも変化をつけようとしてるせいで、段々と過ぎる表現を使う様になってるのもご指摘の通りだと思いますw
183 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 01:31:16 ID:kRfSVVrZ
俺が何度も繰り返し言ってることは 「輪廻転生業報」思想が、例えば、「地球は丸い」「人間はいつか死ぬ」 などの事例のように、極めて蓋然性の高い普遍的現象であるのならば、 それを「事実」であると受け止め、その思想を語るものたちを単に 「事実を語る人たち」と認識し、決して「差別主義者」であると、その 言動を非難することは無い。 しかし、この思想の肯定者たちは、この輪廻 業報が、普遍的現象であることを決して、立証しない。 「仏教という宗教内にそのような教義があるから」あるいは「自分たちは それが真実であると信じているから」 という理由のみで、それが真実であると 主張するわけだ。 この思想が、「仏教徒あるいは、それを信じる者限定」に起こる 現象であり、仏教徒以外のもの、それを信じない者には起こりません というので あれば、それはそれで良しだろう。 「そうですか。あなたたちは、そのような 思想を信じてるのですね。」 で、話は終わりだ。 しかし、実際はそうではなく 「この子が、このような障害をもって生まれついたのは、過去の業による」 と、勝手に『規定し』 その思想に無関係の者の境遇にまで、『干渉してくる』 わけだ。 ここで問題なのは「その子、および家族に直接、そのようなことを 言う、言わないが問題なのではなく、『そのように規定、認識される』ことが 問題であるわけだ。 いいかい? 障害をもって生まれてくる者たち、 および、その家族たちは決して、自分たちをそのように規定してほしくはないわけ。 障害をもって生まれてきた原因を、その子供、または家族の過去の業のせいなどと されたくないの。 簡単に言えば、「お前たちだけに通用する思想、価値体系を もって、他人に干渉するんじゃねえよ。」 ってこと。 ところが、宝珠の馬鹿のように「『私は』別に差別だとは思っていませんから」 と、全くお構いなしに差別を継続するアホがいるから、困るわけよ。
184 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 02:07:34 ID:kRfSVVrZ
>>177 それから、セブン
>だから、仏教という枠組みに忠実なれば、縁起馬鹿に軍配が上がる。
10氏もどなたかさんも一敗地に塗れることになる。
ここの「どなたかさん」とは、多分、俺のことだと思うが、まあ
言うことはわかる。しかし、ちょっと揚げ足とりをするとだな、
以下の話を「輪廻業報」にしぼると
ここでいう「仏教という枠組み」を「輪廻を是としている主流派」
とするなら、まさにその通りだろう。だが、何をもって「仏教」とするか?
輪廻を是としない、禅宗系、あるいは、アーべンドガルなどは「仏教」
という枠組みから除外するか? これらも「仏教に入れる」と話は
単純に「縁起馬鹿に軍配が上がる。」 こうとばかりも言えなくなると
思うが? 「輪廻を是とするか否か?」を「仏教とするかどうか?」の
試金石にするわけにもいくまい? まあ、何をもって仏教とするか?
これは、難しいと思うがね。
以上は、単に揚げ足とりのコメントだ。
勿論、スルー可だ。
185 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 04:19:46 ID:+zfjxfNa
>>182 >「仏教の枠内だけ」で語っているだけなら、私も何も言いません。
>「仏教の枠をはみ出て、世間一般に適用するなら、世間一般の枠で議論してくれ」
それを、宗教の信者、特にキリスト教系の宗教の信者に対して言っても無理でしょう。
彼等は、自分の宗教の「真理」が、全人類に通用すると信じ込んで止まないの
ですから。自分の宗教内だけの真理だなとと自覚できている信者は皆無だと
思う。そんな真理なら、信じる価値はないからです。宝珠さんは、たとえ火あ
ぶりにされても、八つ裂きにされても、磔にされても、ライオンに食わされて
も、自分の「神」を棄てることはできないでしょう。どうですか、宝珠さんw。
キリスト教の殉教者たちが、その好例です。
それが、宗教の持つ、治癒不能な「病理」です。宗教自体の撲滅が必要な所以
です。
186 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 11:10:46 ID:kRfSVVrZ
ご隠居の宗教根絶論か。 確かにね、隠居の言うことも理解できるんだけどね。 隠居の強調する「宗教のもつ負の側面」は、確かにその通りだろう。 それは歴史も証明している。宗教と言うものが、今まで、そして現在も 人間にもたらした災禍はまさに言語に絶する。それは同意する。 しかし、「だから宗教は根絶するべき」とまで、一気に結論を飛躍できないん だよな、俺には。 全て捨て去ってよいものか? 隠居はそこに躊躇を感じないか? 1000の中の999が、唾棄すべきゴミでも、たった一つ、輝くものがあったならば 俺は立ち止まって、それを吟味したいのだがな。 ちなみに信長は、叡山焼き討ちのとき「玉石共に砕く」と言ったらしいな。 「真の仏教者と賛を集める者の存在が、腐った宗教者の擁護に利用される」 と、断定したらしい。 さて、是か否か?
187 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 12:03:15 ID:wtIIuT5h
>>186 信長は、「玉石共に砕かなければ」、宗教は根絶できないことを、知っていた
のでしょう。
それに、信長自身が、当時、日本にさかんに進出したキリシタンの影響を受けていた
要素は多分にある。彼の縁者の多くはキリシタンです。日本の戦国時代そのものが、
キリシタンの影響であった可能性は否定できない。特に彼等は、まず大名に接近して
入信させ、それにより臣下、藩民の総キリシタン化を図るという卑劣な宣教手段を弄
した。
秀吉の朝鮮出兵における惨禍も、彼が信じきっていたキリシタン大名の小西行長、その
他のキリシタン大名が、初めから終わりまで、秀吉と朝鮮(明)とを騙しまくり、それ
により、両国間の不信感と憎悪を極限にまで高めたのが、最大の原因だと、文禄・慶長
の役の研究を通じて結論せざるを得ない。行長らの屈曲した宗教心理とキリスト教的
「理想主義」「平和主義」に起因するものです。それに、これも一神教的な清正の法華宗
が加わった。行長と清正との不和は、宗教紛争そのものです。
スレを荒らすだけでは誰も感化できないし、実際に武力をもっていたとして 宗教と言うだけで流血も辞さない取り締まりをしたら、内部から疑問を感じて 反発する者も現れてgdgdになるね。断行するためには、根絶出来る見込みがなくても、 根絶すれば平和になるという予想論に説得力を持たせられなくても、やり通すための 絶対的権力が必要になる。絶対的な権力は絶対に腐敗する、というね。遂行にあたって 邪魔な同情論も潰していかなくてはならない。信者や「シンパ」への差別は凄まじいものだろう。 しかも人間はもともと目的論的、呪術的思考を生まれながらに持ってるから、 宗教活動そのものは再生産され続ける。阿鼻叫喚のカオスが予想されるな。 こういう歪みを抱えた社会体制が、他の部分では清廉潔白、なんて夢物語だろうしな。
>>185-186 仮に、可能であったとして、成功したとしても、
それは、「今在る宗教がなくなる」ことでしかない。
すぐに「宗教的なるもの」は続々と誕生してゆくことだろう。
何となれば、(御隠居風に言うならばw)、
《「生命の(精神的)営み」こそが、(半自動的に)「宗教を生み出している」》からだ。
(※拡大や利潤追求、或いは抗争・排他は枝葉に過ぎない。)
そこに人がいる限り、宗教(的なるもの)もまた存在し続ける・・・。
190 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 15:28:27 ID:wtIIuT5h
>>186 >1000の中の999が、唾棄すべきゴミでも、たった一つ、輝くものがあったならば
>俺は立ち止まって、それを吟味したいのだがな。
宗教(創唱宗教)の弊害は、人間の生物的生存本能とそれを支える自然(具象物)
から離れた「観念」を信仰すること、「輝くもの」を観念的に求めることから生じる。
生命の発露自体が、「既に」輝いていることに思い至っていない。ヒュームは、
「最善は最悪を生む」と、200年前に既に喝破しているし、旧約聖書は、
「自然状態を離れて善悪の観念を持つこと」を原罪として戒めている。
観念は百人百様だが、生命はすべての人間に共通である。身体生命から遊離した観念
では、争いが生じるのは当然のこと。
人間に宗教がどうしても必要だとしたら、信じる対象を、生命の機能に過ぎない
観念ではなく、根源としての生命そのものとそれを支える自然のみに限定する
ことだ。即ち、釈迦によって洗脳される前のダニヤに戻ることである。
共生の技術としては、竜樹の「相互依存性・関係性(縁起・空)」だけでよい。
道徳・倫理の教科書として竜樹のこの原理を教えることで充分である。小中学生
が「空」を悟ればw、いじめることも、いじめられることも無くなるであろう。
「あいつは悟っていやがって生意気だ」といじめられれば、「空」で受け流せば
よいw。
しかし、信仰の対象を生命そのものに限定すれば、竜樹の原理も、発展的に解消
できるであろう。生命は、生命同士及び自然と相互依存しなければ、絶対に維持
できないものであるからだ。
>>190 隠居
>生命は、生命同士及び自然と相互依存しなければ、
人間という「世間的生命」は無明我欲・執着の塊であって、一切皆苦状況に陥らざるを得ない。
世間的相互依存(関係)だから、社会権力によって規制された我執取引によって、
我執を拡大再生産させるシステムができあがっている。
現代において最大の苦しみをもたらすものはなにか。
資本および社会権力によってコントロールされリバイアサンとなった「世間」である。
ブッダ当時の原始商業資本主義以来、高度の発展を遂げた資本および社会権力によって、
いまや「資本の商品やマーケットの手段として人間生命がある」ことが現代世界である。
このメカニズムは人間生命の潜在意識および宗教そのものをもターゲットに組み込んでいる。
これは厳然とした事実である。
たとえば「エコ」が商品形態として世間的潜在意識として組み込まれコントロールされている。
このような倒錯世界を異様だと感じるのが本来の仏教であり、感じないほうが異様なのだ。
隠居の論は素朴唯物論としての発想根拠の認識的説明にすぎず、世間的「生命」のありように対する革命をもたらし、
実存苦の超克をもたらす認識論や実践論ではありえない。落第である。
原始商業資本および社会権力(バラモン体制)=世間および人間のありようのメカニズムを透徹した思考で分析し、
真相の直覚に至ったブッダの認識論および実践論が、現代における実存苦の超克という本懐をもたらすのである。
>>184 仰る通りですが、
たとえ原典批判的に、文献学的に記述内容の先後が仄見えたとしても、
主流かどうか、正統かどうかという点でということです。
(だから「枠組み」という言い方になる。勿論、その枠の取り方は議論されてもよいが・・。)
始点へ戻れない以上、全ては推測の域を出ない。
現行仏教は、記述内容の先後に関わらず、教理がある程度確定・確立した上に構築されている。
その意味で、主流・正統は「解脱とはサンサーラからの離脱」に他ならない。少なくとも【不可分】である。
(参:
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1233367815/404 http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/221 )
(あとは解釈の問題だ。現代仏教学・現代禅宗等は、異端(改革派の流れ)に他ならない。
また、近現代禅のみが、科学的知見を参考にし否定の形を取るが、
それ以前の禅は、文字通り「着眼点・重要点がそこに無かった」だけでしかない。
是非或いは有無を問う形では無かった。(筈w)
また、中国禅は極度に現実的であるとは言えるかもしれない・・。)
もし、始点を(ゴータマシッダッタその人の思考へ切り込む形で)類推し、種々の知見を最大に盛り込めば、
それは、哲学どころか単なる人生観に着地するかもしれない。
そのくらい素朴なものであった可能性もゼロではない。(私個人は、そう思ってはいるが・・・。)
が、所詮推測だ。
現時点で「仏教の本流」を言わねばならないなら、184はやはり揚げ足になってしまうだろうw
193 :
神も仏も名無しさん :2010/02/04(木) 18:42:55 ID:wtIIuT5h
>>191 「実存苦」とは、突き詰めて考えれば「実存(生命)」を失うことの恐れから生じる。
釈迦も言うとおり、死が最大の苦であるからである。生命は、専ら「物資」と他者の
「役務」によって維持されている。圧倒的多数の実存苦は、病気や物資の欠乏、病気の治療や物
資や役務の購入に必要な金銭の欠乏によって生じる。共同体は、その成員の労働や労働による
自然からの採取により、物資や役務、しかもよりすぐれた物資や役務を生み出し、実存苦を軽減
・除去しようと努めている。成員は、このような労働と役務の提供の対価として金銭を得、それに
より自己及び家族の実存に必要な物資と役務を確保し、実存苦を軽減・除去する。まさに、相互
依存の世界である。富とは、共同体における他の成員に対する実存苦の権限・除去の対価である。
富者は、その富を費消することにより、他の成員を潤し、共同体に対する更なる貢献を果たす。
釈迦の時代、いや一昔前とでも比較してみれば、実存苦の除去については、圧倒的な相違がある。
まさに、地獄と天国との差である。
物資に関係ない、純粋に精神的な苦悩は、自己中心主義から生じる。自我を離れて、家族などの
身近な他者に心を移すことにより、苦は軽減・除去される。人間界の本質が共同体性であるからである。
従って、現代における苦の軽減に関しては、宗教の苦悩除去力は、無に等しい。例えば、虫歯で歯が
激しく痛むとき、宗教では絶対に治らないが、バッファリン1錠飲めばピタリと治るw。
@避難所 やはり不説はよく解っとるw また、解り易いいい文章だ・・。 乙w
>>193 >死が最大の苦
自分の勝手な憶測だろう。
釈迦仏教は生死を越える中道の教えだ。←耄碌隠居には何のことか判らんだろう。
日本ではここ10年間で実際に3万人以上の自殺者実行者が出ている。
潜在的な自殺願望を入れれば、500万人を超えるだろう。
死が最大の苦ではない、咄嗟的にでも死を選ぶ状況にまで追い詰められているということだ。
素朴唯物論や科学では生死の問題は解決できないことの証左だ。
おまいの素朴論理はすでに建前論だけであって、経験的に破綻している。
で、隠居はそういう追い込まれた人々にどういう活動をしているのか言ってみろよ。
確認するから。
コタツでミカン食いながら、レジャーで思いつきを書き込んでいるだけだろう。
落第だ。
煩悩と苦しみを白紙に戻って考え直すがいい。
苦しみの実存的意味を、バッファリン程度で揶揄しているレベルの低さに呆れる。
相変わらずの耄碌ぶりだ。
今日も釜ヶ崎ではホームレスの凍死者が出るだろう。
手伝うか?
彼らの骸は重いぜ。
⇒『隠居の論は素朴唯物論としての発想根拠の認識的説明にすぎず、世間的「生命」のありように対する革命をもたらし、
実存苦の超克をもたらす認識論や実践論ではありえない。落第である。』
196 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/04(木) 23:55:09 ID:daU4ZPbR
>>177 >10氏やどなたかさんのツッコミは、
>≪【世俗として(→生物として及び社会的動物として)】【当然にあって然るべきもの】であり、
>【仏教という枠を】【ちょっとでも外れるなら】、【とたんに最大限の有効性を発揮する】スタンス≫
>から為されているんだよ。 二人とも十分、君に反論する資格はある。【同じ、世俗上の議論として】ね。
>なぜなら、「仏教に於ける勝義」以外は、全て世俗の、対等な、「価値観の相克」に甘んじることになるからだ。
はい、それは理解します。
何故なら、仏教は世俗において説かれるものだからです。
正確には、まず世俗の者に説かれることで、それが納得した者が自ら弟子道へと入り、
更には、弟子に対する教えと出家修行者に向けた教えも含まれているというのが、
総体的な仏教の教えなのでしょうから。
従って、
世俗の人々の反応や彼らに対する説き方(の重要性)というものも
予め想定される必要があるわけです。
197 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/04(木) 23:56:32 ID:daU4ZPbR
>>185 >宝珠さんは、たとえ火あぶりにされても、八つ裂きにされても、磔にされても、
>ライオンに食わされても、自分の「神」を棄てることはできないでしょう。
>どうですか、宝珠さんw。キリスト教の殉教者たちが、その好例です。
確かに・・・
「それでも人は転生する」www
(『それでも地球は動く』ガリレオの心境)
けれども、私は殉教(死)はしません。
何故なら、生き続けるほうが更なる善行を続けることができるからです。
死んでしまったら、また次の転生がいつとはちょっと見えてこない・・。
生存中の善行と修行でなければ・・・意味薄です。
だから、私は踏み絵があれば“踏む”(笑)
198 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 00:02:50 ID:kRfSVVrZ
>>192 スルーかと思ってたら、レスつけたか、セブン。
俺が
>>184 を書いた理由は、このスレでも非常によく見られるが、自分と
異なる見解を述べたものに対して、その瑕疵を具体的に指摘するのではなく
「それは仏教ではない。」という言い方で、相手の見解を否定する仏教徒が
多いからなんだ。 ならば『仏教』とは何ですか? と、こう問いかけたく
なるわけさ。 例えば、輪廻転生を認めない宗派は仏教を名乗ってはいけないのかい?
と、こういうことなわけよ。 いわゆる主流派といわれるグループが輪廻転生を是と
しているのは、勿論知っている。しかし、それを是としない非主流派は仏教では無いのか?
釈迦自身が、輪廻業報を『説いていたか否か』に疑問符が付くのに、輪廻業報を
認めなければ仏教ではないと断じるのは、極めて乱暴な話だろう?
『仏教か否か?』の試金石に「輪廻を是とするか否か?」を用いるのは、不適切であると
俺は考えるわけよ。 そこで、セブンの表現『仏教という枠組み』 これに
引っかかったわけだ。 出来れば『輪廻業報を是とする仏教主流派の枠組み』という表現を
用いてもらいたいとね。
199 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 00:18:33 ID:j+MvjS6Z
もう少し、言葉を足すと、 ここにいる輪廻肯定論者たちは「まず、輪廻転生業報を認めること。 これが『仏教の大前提』である。輪廻転生を認めないものは、仏教 ではない。」 と、こうくるだろ? そこに関して、多分に疑問を感じるわけなんだな。 釈迦自身が「輪廻を説いたか否か」さえ、はっきりしないのに、 その後の歴史的経緯を見て「輪廻を是とした宗派が多い」からといって 「輪廻を認めなければ仏教ではない」とするのは、いかがなものかと 考えるわけだ。
200 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 00:23:23 ID:2RvF4o+W
>>138 >仏教では、あくまでも「悪因悪果・善因善果」システムをベースにしますから、転生というも
>のを設定する場合も、人間が動物になったり、動物が人間になったり、という両方向性の輪廻
>転生モデルを想定するのであり、それ以外ではあり得ないと思います。
善悪を基準にするからこそ、動物が人間になったり、人間が動物に生まれ変わることがないのです。
私のシリーズ中に何度かこのことを繰り返してきたのですが、人間外の、つまり人間よりも下位の生
命体には善悪の概念などは存在していますか?いえ、存在などしません(存在し得ない)。
虫けらや蜘蛛が人間に生れるための善行とは何か?そもそも、彼らには善なる行為などは存在し
ないのですよ(その逆に悪行もない)。善行のない世界においては、人間に生れることのできる行為
や積徳すらもないのです。
ジャータカのたしか・・・ゴータマ前世物語よろしく・・・ヒモジイ人間を助けるために自ら食べられる
ウサギなどいうことは起こり得ますか?善行が動物には起こり得ないのは明白なことです。
これは読み手側に、さすが仏陀の過去世だなぁ〜ということで感情的に訴えて、(自己犠牲と慈悲
深い行為)による感動を与えようとしたものです。そのことによって、悪行から離れて善行へと仕向け
る為の方便としての寓話なのであって、つまりは、フィクション(空想)の世界なのですよ。
201 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 00:26:44 ID:2RvF4o+W
蜘蛛が再び人間に生まれ変われる善行とは何か?このことが示せないのならば、人間から蜘蛛に 生れることは在り得ないし、その逆も起こり得ないでしょう。 善悪の価値観は人間が成長するためのものです。そのために説かれているのです。人間が更に 成長するためのものであって、悪事を犯すと動物に転落していく・・などというのは、戒めのための方 便です。 ゴータマは弟子達に“三種の浄肉”といって肉食を認めていました。恐らく、ご自身も食べていたの かもしれない・・・。このことを見ても、自分の愛する家族や敬愛すべきご先祖さま方が生まれ変わっ たのかもしれない動物肉を食する行為を止めない筈はない、と見なすことが可能でしょう。ジャイナ が肉食を許しますか?相手が微小生命ですらも殺生をしまいと徹底するというのに、もしも家族やご 先祖かもしれない肉を食べるというのは、どういう意味合いとなるか? 神智学的には人間より下位の生命体というのは、オーバー・ソウル(グループ魂)であり、人間のよ うに個別化していません。生前の獲得した経験(情報)は動物界全体として、グループとして共有さ れる。彼らには人間とは別の法則が規制しています。 何が方便で何が実際上のものであるかを自分で識別摂取していくのが、また学習だろうと思いま す。「これが方便です」などとは、当然、経典中には決して書かれてなどいないのですから・・・。 >ヒンドゥではどういう輪廻転生モデルを説くのかは私は知りません。愚者さんは知ってますか? 古代聖典では基本的には同じであり、善悪に基づく、悪行においては動物にもなるということで しょう(「五火二道説」)。こうすることで効果があるのであれば(古代人には確かに有効なものでしょ う。)、現代でも迷信深い(同時に信仰深い)、一般信仰者の多くには伝統のままに継続されていま す。しかし、近代に出現されたラマナ・マハリシのような覚者はそういうことは述べていないと思いま す(私は知らない)。
202 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 00:30:26 ID:2RvF4o+W
『さて、この世のおいてその素行の好ましい人々は、好ましい母胎に、すなわち、婆羅門の母胎か、 王族の母胎か、庶民ヴイシュアの母胎にはいると期待される。しかし、この世においてその素行に 汚らわしい人々は、汚らわしい母胎に、すなわち、犬の母胎か、豚の母胎か、賎民チャーンダーラ の母胎にはいると予測されるのである。 また、何度でも生きかえってくるこれらの下等動物たちは、二道(神の道と祖霊の道)のいずれを も通って行かない。『生まれよ』『死ね』と(いとも簡単に)いわれる、これが第三の立場である。こう いうわけで、あの世は(死者で)一杯にはならないのである。それゆえに、人は素行を慎むようにす べきである。』(「バラモン経典原始仏典」チャーンドーギャ・ウパニシャッド第5章-輪廻/第10節7-8) >愚者さんの話によると、神智学で説くらしい、一方的に上昇するだけの輪廻転生モデルというの >は他にも見られるものなのでしょうか? 基本的には宗教というものは、殆どが古代の世界宗教を起源に端を発するものばかりです。仏 教は25-600年を経ており、キリスト教は2000年、イスラム教は1400年・・・。このような古代社会の 人々に教え諭すためには分りやすい逸話と方便の利用は不可欠のものでした。方便というのは 騙すという悪意ではなくて、悪事を働くと次は人間にはなれない(動物以下)などと説くことで、精 神的に訴える実に効果的な戒めとして機能するものでしょう。 対する神智学というのはブラヴァツキーに始まった、まだ全く新しいものです(協会設立は1875年)。 また、これは信仰をもたらすためではなく、(古代の宗教が述べてきた事柄についての)真実を明 らかにすることを意図したものであり、姿勢とアプローチがこれまでの諸宗教とはかなり異なるもの です。従って、理由付きで動物以下への転生を否定するのが神智学ですが、これが唯一かどうか は知りません。 手元のヒンドゥー、近代アヴァターラ方の教えを著した書籍、ヨガナンダ、ユクテスワ、ラーマクリ シュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ラマナ・マハリシ・・・などの中では、これといった言及はなかったよ うに思います。勝義的な表現としてでしょうが、輪廻転生そのものがない、という言い方などはあり ます(既出)。
203 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 00:33:23 ID:j+MvjS6Z
>>201 おい、宝珠、お前があげた6経文の解説はどうした?
あれらの経文が、輪廻に言及しただけなのではなく、
『輪廻を説いた』ものである経文であることを説明してくれるんだったな?
どうした?
204 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 00:33:48 ID:2RvF4o+W
尚、“上昇するだけ”というのは語弊が起こると思います。ヒトラーがそうであったように、まさに 地獄行きまっしぐらのような下降線の人生を示す者もいます。また、高度な進化系(宇宙的に)か らこの地球に“転落してくる人(魂)”もいるといわれています。覚者以外のレベルではすべて転落 する可能性があります。ただし、人間より下位の生命体へは下降転生しません。 >私個人としては、かなりダーウィンの進化論モデルに影響を受けて、 >それを神話学に転用したアイデアだという印象があります。 ダーウィンの進化論は不正確ながらも、神智学の説く上昇弧の進化についての生命の“形態の 側面”を扱ったものだといえます。形態の側面においてのダーウィンの不備は、ウイルス進化論な どの突然変異的な要素が省かれている点です。神智学は形態を重視するのではなく、その内面 に潜在する霊的な性質に視点を置いています。形態(物質肉体)というのは、その霊的な本質の ための道具に過ぎないのです。教会の進化論否定などは霊的部分だけを見て形態(外見)を度 外視してしまった極端な面なのです(信仰の狂信性による)。 >要するに、神智学的輪廻転生モデルは、転生云々以前に進化論的等級付けシステム(愚者さん >がお好きであろうベンジャミン・クレーム氏はこの方面で活躍されていますね)にその特徴、本義 >があるのではないかと。このあたりの、点について、愚者さんは、仏教の「悪因悪果・善因善果」シ >ステムと神智学の進化論的システムの両者の違いと、進化論的システムの方を選択する特別な >理由はあるのでしょうか? もしくは、神智学で、そのような進化論的システムを真理とする理由 >づけはなされているのかどうか(それともそれは単に「大師がこう言った」という以上の理由は知 >られていないのか)、お知りでしょうか? 私にとっては、神智学は論理的で納得がいくものだからでした。尚、仏教も基本部分は同じであ ると思います。古代宗教の特徴である信仰心に訴える手法、つまり、悪業=動物に生れると説い て人々を戒めるという方便を使わないことを除けばです。 理由はすでに述べた通りで、生命の霊的進化の法則に沿った現象が転生というものだからなの です。
205 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 00:45:50 ID:2RvF4o+W
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1262698032/222-223 >実際に、「輪廻転生モデルの提示自体が仏教の教えの核心である」
>という説・解釈は、寡聞にして聞いたことがありません。
これを「核心」というのか?または「本質」というのか?または、ただの「前提」であるという言い方
をするのか?というのもありますが・・・。少なくとも仏教というものは、パラモン教の説く業報輪廻思
想を殆どそのままに継承しており、つまり、輪廻転生を前提(そのような法則の作用がまずあって)
として、では我々人間はこれに対してどうあるべきか?を説いているのが仏教思想である、という
扱いになっている筈です。珍説(新説)を除いてすべて。「聞いたことがない」という意味が不可解に
映りますです。
どの学者も一部の珍説者以外は共通しています。ただ多くの学者は、自分個人としては「真実と
しては信じていない」ということ。これは奈良康明氏であれ皆、同じです。しかし、それが仏教という
ものだと解説している筈なのです。
>そういった神智学の背景に知らずの内にか、愚者さんは影響されて、
基本部分は同じです。私は仏教との出逢いが一番先です。次いでヒンドゥーでした(神智学は最
後です)。神智学は仏教が説くことをしなかったメカニズムを明かにした、というのが決定的な違い
(特徴)です。
206 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 00:48:18 ID:2RvF4o+W
>>203 心配は無用です。
まだ、まったく書いてはいませんが、
脳内にはすでにあるのでたぶん執筆は早いでしょう。
>>124 、
>>139 も、ちゃんとやりますからね!
207 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 00:56:18 ID:j+MvjS6Z
>>204 >生命の霊的進化の法則に沿った現象が転生というものだからなのです。
それでいいんですよ。
あなたにとっては、それでいいいんです。
だけど、わざわざ仏教スレまで来て、これ見よがしに必死に叫ぶのはカッコ悪いですよ。
客観的事実であると証明できない限り、自分とお仲間だけに留めておきなさい。
ましてや、証明できないことがらで、相手を事実上責めて苦しめてはいけません。
判らなくとも、なるようになるのです。
それより、今わかることを、やるべきことを、なすべきです。
それでいいのです。
>虫けらや蜘蛛が人間に生れるための善行とは何か?そもそも、彼らには善なる行為などは存在し >ないのですよ(その逆に悪行もない)。 概念による必要はなく、特定の条件を満たしたことによっても、異なる生物種間の 転生を仮定することは出来ます。人間の場合「人間的な」善悪と言う形をとっています。 動物に人間からは見えないだけの心を仮定することもできるでしょう。 聖書でロバが喋り、コーランで創造時に天や地が口をきいているように。 ゲルク派版の「チベットの死者の書」の解説では植物には心がないので転生しないと 応答がされてましたが、上記の理由で植物でも仮定はできます。 >蜘蛛が再び人間に生まれ変われる善行とは何か?このことが示せないのならば、人間から蜘蛛に >生れることは在り得ないし、その逆も起こり得ないでしょう。 人間がいいことをすれば良いところに生まれられるのは、それが人間にとって善であるからではありません。 世界の仕組みとしてそうなっているからです。水が百度で沸騰するのと同じことです。 水が個体になるのが0度だからといって、鉄や銀まで同じでなければならない理由はありません。
211 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 02:43:42 ID:QgdB+Ik8
>>195 >釈迦仏教は生死を越える中道の教えだ
釈迦が、その鬱病ゆえに、また、布教の手段として、生きることの「苦」ばかりを
やたらと強調し、「喜び」を教えなかったことが、自殺者の増加に影響している。
彼がどこかで、「生命の尊厳」「生命の絶対性」を説いたか。
自殺の多くは、鬱病または鬱症状である。
「生死を超える」などアホなことを教えたら、自殺が容易になるのは当たり前
である。
>>185 >それを、宗教の信者、特にキリスト教系の宗教の信者に対して言っても無理でしょう。
>彼等は、自分の宗教の「真理」が、全人類に通用すると信じ込んで止まないの
>ですから。
まあ、その通りだと思いますw
> それが、宗教の持つ、治癒不能な「病理」です。宗教自体の撲滅が必要な所以です。
ただ、私は「撲滅」する必要が有るとは思えません。
他者に押し付ける行為すら止めていただけるなら、個人がどのような思想を持っていようと、自由だと思いますから。
むしろ、「撲滅」するということは、ある意味、自分の考えを唯一無二の正当なものであるとして他者に押し付ける行為であり、
貴方が嫌う『宗教』の行為そのものじゃないですかね?
>>193 > 従って、現代における苦の軽減に関しては、宗教の苦悩除去力は、無に等しい。
> 例えば、虫歯で歯が激しく痛むとき、宗教では絶対に治らないが、バッファリン
> 1錠飲めばピタリと治るw。
果たしてそうでしょうか?
確かに、ご指摘のように「実存苦」の大部分は科学の進歩により、解消されつつあります。
「科学技術によってどうにかなる部分」についての「苦悩除去力」は、科学が圧倒的に有効です。
もし科学が「死」すらも克服し、全てが自分の思うままになる、「全能」の存在になれば、「苦」も存在せず、
貴方の仰るように「生命」にしたがって生きるだけで、苦の無い生活が送れることでしょう。
ですが、寡聞にして、科学が死を超克したとは聞いた事がありません。
全能の神ではない人間には、「どうにもならない部分」が未だ数多く残っており、そこにこそ宗教の出番があるんじゃ無いでしょうか?
また、多数の人間(=自分ではない存在)と生きる限り、「自分の思うがままになら無い」現象は必ず起こり、そこに「苦」が生じるのは確実だと思います。
従って、数多くの「どうにもならなかったこと」が科学技術によって解消されつつある現代だからこそ、
むしろ「残った、どうにもならないこと」から生じる苦が、今まで以上に明確になり、
今こそ、仏教の必要性が出て着ているんじゃないでしょうか?
>>195 確かに、苦の感じ取り方は個人差が大きく、「死」よりも大きな苦を感じ、自殺する人は数多く居ます。
ですが、日本の人口は1億以上です。
自殺(願望)者が500万人居たとしても、全体から見れば、少数派だと思います。
「大多数の人間にとっては」死が最大の苦痛なんじゃないでしょうかね?
まあ、「全ての人間にとって死こそが最大の苦痛である」とも読める、
>>193 は確かに言いすぎだと思います。
「死」は、未だ数多くある、科学でも解消できていない「苦」の一部に過ぎないと言う意見なら賛成です。
>で、隠居はそういう追い込まれた人々にどういう活動をしているのか言ってみろよ。
>コタツでミカン食いながら、レジャーで思いつきを書き込んでいるだけだろう。
>落第だ。
他人へのレスなのに、私にグサッと刺さりましたw
スレに関係ない私事ですが、基本的に私は、自分が苦しまなければそれでいいと言う超自己中人間です。
貴方の仰るような事は、自分の目の届く範囲内で苦しんでいる人がいて、自分の出来る範囲内で出来る事があるのならば、やれば良いんじゃないかと暢気に考えています。
まあそれも、「苦しむ人を見て、苦しみに共感することで、自分が苦しむのを逃れる為」という自己中的発想ですがw
私と何も関係のない人が、私の知らない所で苦しんでいるのを、自分の人生を投げ打って助けに行く等と言う、
ジャータカに出てくる様な「菩薩の無限の慈悲」のような行為は、私には無理だと思っています。
せいぜい、知人が悩んでたら相談に乗ったり、困っている人を見かけたら手助けしたり、
募金箱を見かけたら財布の中の小銭をはたいて突っ込んだりする程度が、自己中人間の限界です。
>>197 >『それでも地球は動く』ガリレオの心境
もしかして「迫害されるという事は、正統の証拠である」と暗示したいんですか?w
>>200-201 ……何度も指摘してますが、ダブルスタンダードが酷すぎませんか?
なんで、蜘蛛から人間に転生するのがありえないことであり、人間から人間に転生するのはありえることなんですか?
蜘蛛には、人間の善悪が適用できないから、蜘蛛は転生しないと仰りたいようですが、
「人間における善悪」が、普遍的なものであると言う根拠は何なのでしょうか?
「善」や「悪」というのは、文化的背景によって異なったり、相対的なもので、見方によって異なります。
再び人間に生まれ変わる「業」とは、どのようなものなのか?
時代や場所、文化によって変化しないものを明示できないならば、
人間から人間への輪廻が起こる事も、あるとは言いがたいと思います。
輪廻の概念が、人間の成長を促す為の寓話であると言う可能性を、貴方は明確には否定されていません。
悪業を犯すと悪果がある…などというのは、戒めの為の方便である可能性を考慮した事は無いんですか?
>何が方便で何が実際上のものであるかを自分で識別摂取していくのが、また学習だろうと思います。
その通りだと思いますが、「輪廻が方便ではない」と貴方が判断した論理は一体、どのようなものなのですか?
>>204 貴方(神智学)の唱える魂の進化論と、ダーウィンの進化論の決定的な違いは、「根拠が有るか、検証したか」です。
ダーウィンの進化論は、実際の現象を観測した上で仮説を立て、その仮説を元に検証実験を行った結果、妥当で有ると結論しています。
それに対し、貴方の説は、ダーウィンの進化論を真似て「生物と同じように、魂も進化する」と主張しているだけで、
根拠となる現象も無ければ、検証も経ていません。
これでは、単なる妄想を呟いているのと一緒です。
>私にとっては、神智学は論理的で納得がいくものだからでした。
貴方が神智学の霊的進化論を信じる根拠として提示したものは「論理的」であるからという事のみですが、
その考えには、問題点が二つあります。
@ある理論が正しいと仮定して矛盾がないとしても、それは、矛盾のない理論であることを示しているだけであって、
その理論の正しさを証明していません。
なぜなら、たいていの場合は、その理論が間違っていると仮定しても矛盾が生じないからです。
例えば、貴方の否定している蜘蛛から人間への転生についても、
>>209 のような矛盾のない論理を組み立てる事は可能です。
そして、輪廻そのものがないと仮定しても、全く矛盾は生じません。
Aそもそも、貴方の提示した霊的進化論が論理的とは思えません。
ご自分の都合のいい事だけを認める、ダブルスタンダートが酷すぎるように見受けられます。
> 理由はすでに述べた通りで、生命の霊的進化の法則に沿った現象が転生というものだからなのです。
循環論法に陥ってませんか?
217 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 15:41:54 ID:muxLq/l5
>>212 >ただ、私は「撲滅」する必要が有るとは思えません。
宗教(特に一神教系宗教)が、その「不合理な要素」を自己の宗教内だけに止めておくことが不可能なら、、
宗教そのものを撲滅する以外には方法はありません。あなたは、現在では、とくに「輪廻転生」に限定して
その不合理性を批判されているが、それに匹敵する不合理は、どの宗教にもあります。たとえば、キリスト教
の、神、神の子、復活、罪、贖罪、再臨、死後の裁き、永遠の生命などは、「輪廻転生」そこのけの不合理
です。
>>213 >>213 科学技術でどうにもならないものが、宗教でどうにかなるのでしょうか。医学の発達によって、
平均寿命が年々延びているといる事実は、死さえ、ある程度は、克服の途上にあるということです。
個体の究極の死は、種属としての生命の維持のためには、必要不可欠な新陳代謝であることを、
忘れてはなりません。
宗教の起源は、人間の生存のための「手段」です。古代人にとっては、現代の科学の代替品
でした。科学の目覚しい発達により、その代替品の役目は終わりつつあるのです。
218 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 22:00:33 ID:2RvF4o+W
>>209-210 はい、ですから・・・。
悪行によって蜘蛛になってしまった人が、今度、再び人間に生れるためには、この蜘蛛はどうした
らいいのか?と、私はいってるのですよ。わかります?
それを仮に「善行」と呼ぶことにしましょう(「悪行」によって蜘蛛になったのであれば、人間に戻るの
はやはり善行なのではありませんか? しかし、「善行」には拠らないという人が、もしもいましたら、そ
ういう人はその持論について説明を希望します)。
ところで、その方法(善行)のことをこの蜘蛛は知り、理解し、学習し、そして、自ら再び人間に生れよ
うと努めて精進することができるのですか?と、こういっているのですよ、私は。で、蜘蛛にどうやって
“すべきこと”を教えるの?蜘蛛は理解し、実行できるのですか?で、その蜘蛛にとっての「善」とは、
一体、何ぞや? と・・・。
私は、これらについて論理的に説明できないのならば、一切、認められません。要するに、これも信
仰の話なのですから、動物⇔人間を行き来する転生論を支したい人は、それぞれ好きにするがいい
のです。別に止めません・・・。
ただ、どうも私は迷信(非論理的)が嫌いなものでして・・こればかりはすみません。
何も、「ウイルス進化論」でなくても何でもいいのです・・・これは一つの事例として上げたまでのこと。
ただ私がいっているのは、ダーウィンの説には突然変異の理論が組み込まれていない為に、現実の
自然界/動物界の実態を説明する論理に矛盾的な穴が空いていると(私は何も、アカデミックな進化論
うんぬんに詳しいわけではありません)。
219 :
不説(規制解除) ◆AnATTa/dJc :2010/02/05(金) 22:08:13 ID:qmrLzP7M
>>200-202 ,
>>204-205 宝珠愚者氏
回答ありがとうございます。神智学では、動物を「グループ魂」とみなすということですが、そ
れについては、神智学のどなたが最初におっしゃっているのでしょうか? ブラヴァツキー夫人
ですか? もし、具体的な著作などありましたら、それもついでに教えていただけるとありがた
いです。
仏教的な見解について私の考えを述べると、ウサギや蜘蛛にも、人間社会の俗世間的な意味での
善悪ではなく、仏教的な意味での善悪はあります。人間社会的な善悪というのは所詮、(愚者さ
んが忌み嫌う)唯物論的な人間社会の現実感覚で把握できる善悪観念の範囲のものです。仏教で
は、それを超えた観点から善悪を取り扱い、その上で、双方向的な輪廻転生が可能であると設定
しています。
愚者さんのコメント内容は裏を返せば、
神智学では、善悪の判断を、人間社会の俗世間的な意味での善悪価値観に基づいて行ない、それ
によって人類限定の人類内における輪廻転生の上昇下降がある。
ということになると思いますが、愚者さんの考え方としてだけでなく、神智学の一般的な考え方
としてこれで正しいのでしょうか?
>>218 宝珠愚者氏
関連する話題について入れ違いでコメントされていましたね。
>私は、これらについて論理的に説明できないのならば、一切、認められません。
唯物論的な範疇という意味での「論理的な」説明は期待できないでしょう。
ただ、少くとも、愚者さんの想定しておられる「善業」は、唯物論的なスケールでその有無・大
小を測っているものであるらしいことは言えます。
例えば、『ディヴィヤ・アヴァダーナ』というジャータカの一種の経典には、コーサラ国王プラ
セーナジット(パセーナディ)が権力・財力にものを言わせて、三ヶ月の間、仏陀を始めとする
比丘団に食事の布施をし、それぞれの比丘に高価な衣を布施し、一千万の油壺を容易して灯明を
布施したことが書かれています。
このことによって王が特別な(特記すべき)功徳を得ていないのに対し、王の布施を耳にしたと
ある物乞いの女は、物乞いで得た油で灯明を灯し、ゴータマ仏陀が夜に経行される場所に布施し
て、「私も釈尊のような仏陀になれますように」と祈願しました。すると、仏陀自ら、その女は
将来仏陀になるであろうことが授記されます。
以上の王と物乞いの女の布施のように、唯物論的な人間社会の俗世間的な判断スケールにおける
大小が、善悪行の「大小」に当てはまらないことは明確です。同様に、善悪行の「有無」につい
ても当てはまらないことは理解していただけるでしょうか?
自分の「我」にとって理解できるものしか「理解しようとしない」というのは、おそらく「愚者」
と「賢者」の資質的な分かれ目です。南方仏教アビダンマでは、二因者と三因者という区別をし
ますが、二因者には慧根自体がそもそもないので、仏教を本質的に理解することは不可能です。
今回の不説は、やけに辛口だなw どうしたんだ?w
>>218 >悪行によって蜘蛛になってしまった人が、今度、再び人間に生れるためには、この蜘蛛はどうした
>らいいのか?と、私はいってるのですよ。わかります?
ですから、条件を満たせばいいのですよ。内容については聖者か神に尋ねるほかありませんね。
ここで私が考えてもいいのですが、矛盾のない理論であること自体はあまり意味がありません(
>>216 )。
> ところで、その方法(善行)のことをこの蜘蛛は知り、理解し、学習し、そして、自ら再び人間に生れよ
>うと努めて精進することができるのですか?と、こういっているのですよ、
「心」がある場合はできるでしょうし、人間的な精神を持ってなくても別種族への転生は可能です。
理由は前に書いた通り。
> 私は、これらについて論理的に説明できないのならば、一切、認められません。
論理的にどこに問題があるのか、指摘出来ていません。宝珠愚者さんは
業報が常時、あなたが考える倫理に符号していなければならない、という前提を繰り返しているだけです。
>何も、「ウイルス進化論」でなくても何でもいいのです・・・これは一つの事例として上げたまでのこと。
>ただ私がいっているのは、ダーウィンの説には突然変異の理論が組み込まれていない為に、現実の
>自然界/動物界の実態を説明する論理に矛盾的な穴が空いていると(私は何も、アカデミックな進化論
>うんぬんに詳しいわけではありません)。
よく知りもせずに、矛盾が云々ですか。
223 :
神も仏も名無しさん :2010/02/05(金) 23:30:23 ID:j+MvjS6Z
要は「ウサギの角は鋭いか、鋭くないか?」って話か?
>>221 セブンさん?
愚者さん本人は真摯に受け止めてくれると思っています。特に辛口のつもりはない
んですけどね。私は、オカルティストにはオカルティストとしての矜持があると考
えています。「カルト」と「オカルト」を混同して、オカルトという言葉をほぼレ
ッテル張りのネガティブな意味で使っている人は少なくないようですが、私は特に
オカルトという言葉にネガティブな心象はありません。むしろ、仏教神話学的な側
面においてはオカルト的な視野というのも役に立つと前向きに考えています(この
辺が割と縁起氏に近い気がしますが、縁起氏はオカルト的な視野を特に神話学に限
定はされていないでしょうし、反面関心を向ける方面については仏教分野内に限定
されているらしい点が、私と違うのかもしれません)。
「オカルト」というのは「隠された」「目に見えない」物事を意味するところから、
特に、唯物論的な意味での一般社会的に「知覚可能」な範囲の外の物事に積極的に
取り組んで行こうとする姿勢がオカルティズムのはずです。また、超常現象主義者
でもないはずです(であれば「スーパーナチュラリズム」です。もちろん、世の中
には、超常現象主義のつもりでオカルト主義を名乗っている人もいるかもしれませ
んが)。
そのオカルティストの端くれであろう宝珠愚者氏が、仏教の輪廻観やジャータカの
表現について、「迷信」と簡単に切り捨てる、唯物論的な狭量な態度を示すのは、
あまり相応しくなかろうかと思うのです。
225 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 23:53:26 ID:2RvF4o+W
>>219 とにかく、
規制解除〜おめでとうこざいます^^
>神智学では、動物を「グループ魂」とみなすということですが、それについては、
>神智学のどなたが最初におっしゃっているのでしょうか? ブラヴァツキー夫人ですか?
>もし、具体的な著作などありましたら、それもついでに教えていただけるとありがたいです。
はい、ブラヴァツキーです。
ブラヴァツキーの理論を体系的に詳細解説した『神智学大要』がお奨めです。
希望の解説については第4巻にあります。
『神智学大要』第四巻コーザル体(上)
アーサー・E・パウエル編著/仲里誠桔訳
ISBN4-915497-65-8 C0014 四六並製 初版/2002年12月 2700円+税
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『「人間を知ることは神を知ることである。神を知ることは人間を知ることである。」(アニー・
ベサント)。H・P・ブラヴァツキー『シークレット・ドクトリン』を基に、神智学の精髄を解説し、そ
の理論を体系的にまとめ上げた、神智学研究の記念碑的名著の全訳。旧版(たま出版)に全
面的に改訂・改訳を施した決定新版。世界中でロングセラーを続ける不朽の書。』』
http://www.shuppansinsha.com/sub_sinti6.html *第九章群魂の概要
*第十二章動物の群魂
226 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/05(金) 23:54:25 ID:2RvF4o+W
>仏教的な見解について私の考えを述べると、ウサギや蜘蛛にも、
>人間社会の俗世間的な意味での善悪ではなく、仏教的な意味での善悪はあります。--中略--
>愚者さんの考え方としてだけでなく、神智学の一般的な考え方としてこれで正しいのでしょうか?
>>220 を含め・・・どうも、誤解が起こっているようです。
「人間社会の俗世間的な意味での善悪」という意味ではなく、
善悪を知り、理解できるのは人間だけだといったまでです。
法則の作用に沿った上昇弧の流れに添う行為が善行、下降弧は悪行です。
人を霊的に進歩向上する進化的な行為が善行であり、進化を阻害する行為が悪行です。
仏教的な善悪というのは、これに合致するものでしょう。
---取り合えず、
動物⇔人間/転生論についての話題はここまでにしたいと思います。
次は、『スッタニパータ』の件についてに移ります。
>>224 ほう。
解り易く、明解で、且つ唸らされる一レスだな・・。
最後3行はその通りだと思う。
が、
ただ、彼の基準は神智学なんで、それ(224で指摘する事柄(特に最後3行))は、
「神智学という枠組み自体が抱える問題」かと思われる。
(その意味で、その指摘は、宝珠一人に帰すわけにもいかないのでは?)
貴方が訝しむ通り、『神智学自体が、224で指摘されるような枠を持っている』ということだと思われます。
228 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 00:20:25 ID:V/+130zN
結局は「神智学で説く輪廻転生論と仏教で説く輪廻転生論は異なる」 ってだけの話。 その輪廻転生自体が、論証されていないのに どっちのシステムが是か?などというのは、「ウサギの角の議論」と 何ら変わることなし。 違うか?
宝珠愚者さんは「俺は神智学の言う事を信じる」と書いているだけとも言えますね。 取捨選択した上での他宗教の流用も信仰上のスタイル。 成立が新しいせいか、その善悪観・業報観も世俗的現代人とも比較的近い。 そのため神智学的観点を【自明なもの】として語ってしまうのでしょう。
>>226 宝珠愚者氏
他の議論をかかえている所、お手間をかけました。私の方でも、紹介された本など
をそのうち目を通したいと思います。今はどうぞお移りください。
231 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 00:58:07 ID:V/+130zN
ご隠居が「宗教撲滅論」を声高に叫んでいたが、さすがに、 疑問符がつくな。 しかし、「輪廻転生業報論」に限定するならば これは、はっきりと「撲滅論」に同意する。 その理由は極めて明快に、この思想が「差別思想」であるからである。 よって、この思想の支持者は、わずかでも良心というものがあるのであれば @決して、人前でこの思想について、「それが真実であるかのごとく語ったり あるいは、そのシステムの詳細の解説または、議論を行う」ことは慎んでもらいたい。 Aどうしても、それについて語るのであれば、まず、それが普遍的現象であることを 立証した後にしてもらいたい。 Bまたは、この現象が「それを信じる一部の宗教信者限定」であることを はっきりと述べた上で語ってもらいたい。 C「俺は差別主義者だから、他人にどのような不快感を与えようが、 全く構わない。言いたいことを言うだけさ。」← このように、開き直るゴミならば 一刻も早く、消えてください。 以上です。
232 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 00:59:13 ID:qyAfUfgv
>>226 >善悪を知り、理解できるのは人間だけだといったまでです。
果たしてそうか。それは、「人間」の勝手な思い上がりではないか。
人間以外の動物も、種類によっては、人間よりもはるかに長く「共生」によって生存を続けている。
人間とは違って、生存には関係ない宗教のために、殺し合ってはいないように思われる。
これは、「善」ではないのか。「善悪」を語るまえに、その「定義」をしなければ無意味である。
233 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/06(土) 01:21:39 ID:yUhzvr/+
>>230 了解!
>>232 >殺し合ってはいないように思われる。これは、「善」ではないのか。
まったく違います。
単に、種の保存と存続を第一とする本能意識に基いての行動(反応)に過ぎません。
その姿と様子を見て、勝手に「善悪」のレッテルにてカテゴリー分けしているのは人間。
彼らそのものは善悪で行動しているわけではありません。
>>228 「真偽を論証するスレ」というわけではありませんから、少なくとも、その論者の
取り上げている輪廻転生論が《第三者に対する立場として》「神智学の枠組み内の
もの」なのか「仏教の枠組み内のもの」なのかを明確にしておくことは、無駄では
ないと考えます。「是か?」というのは「仏教的な輪廻転生として是か?」という
ことになります。そしてそれに対する私の今のところの答えとしては「否」(仏教
の枠でも認められうるレベルの十分な論拠は得ていない)だと。
つまり、1.宝珠愚者氏が真偽を論証するにせよ、それは「神智学で説く輪廻転生」
の枠内での真偽ということになる。また、2.そもそも仏教はその輪廻転生モデルを
「これが真なり・善なり」と提示する教えではない。という2点が現時点での私の
見解です。
>>233 宝珠愚者氏
横レスなので、議論の邪魔をするつもりはないのですが、
>種の保存と存続を第一とする本能意識に基いての行動
という分析もまた、人間の側の自然科学者的な(唯物思想の一種による)判断
なのですよ(
>>229 の縁起氏のコメントも参照)。
『ジャングル大帝』とか『ライオンキング』のような、擬人法的な子供向けの
善悪の投影だけを否定すればいいわけではないと思います。
236 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 01:45:45 ID:qyAfUfgv
>>233 >彼らそのものは善悪で行動しているわけではありません。
それこそ、人間である君の、勝手なレッテル貼りではないか。君は、「善悪」の具体的意味も
分らずに、単にその「言葉」に「自己陶酔」しているだけ。
殺し合いしないで、長い長い年月の間「共生」を続けることが「善」ではなかったら、他に
どんな「善」が有り得るか。
生存に無関係な宗教など勝手にでっち上げて、数千年間にわたって殺し合いを続ける人間こそ、
「犬畜生にも劣る存在」ではないのか。
宗教者は、さかんに「善悪」を語るが、その意味を定義できた者は皆無である。
単に、自分でも意味の分らない言葉を唱えて「自己陶酔」しているに過ぎない。
私は、「善悪」を次のように定義する。
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」
237 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/02/06(土) 02:14:58 ID:VVRwulbh
>>236 >「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」
素晴らしい。「他者」を自分自身をも含めた、「あらゆる生命」とすれば仏教的な善悪と
も合致すると思います。
あとは、誤った観念に染まっている者に対してもまた、あらゆる生命のうちの一つの生命
として、物理的行為によっても、言語的行為によっても、意識的行為によっても、害せず、
圧迫することもありませんように。
彼ら自体、自身の誤った観念による、第一の犠牲者です。
誤った観念は、人間の心に源を発する。仏典に登場する悪魔とは心のことだとも言われて
います。
誤った観念を持つ、誤ってしまった他者を、これまた許せない気持にさせ、批難させる行
為に駆り立てるのもまた、心という悪魔のなせるわざ。
仏教とは各人に己自身の心(自我)の呪縛を破り(→無我)、打ち克つことを説く教えで
はないかと。
238 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 02:29:23 ID:V/+130zN
>>234 >「真偽を論証するスレ」というわけではありませんから、・・
このスレは、10氏の疑義に対して、宝珠が「輪廻転生が真実であることを
論証する」意味合いでスタートしたと認識しているが、違ったかな?
また、さらに
>>231 に書いたとおり、輪廻業報が「神智学、或いは、仏教というフレーム
の中」において、真偽いずれであるか? などは、仏教徒、神智学徒以外には
全く関係ないこと。 問題は、お宅の言う「仏教的な輪廻転生」とやらは
「仏教徒限定」で、他者には干渉しないものなのか?
そこが問題なわけだ。 「それは、それを信じる仏教徒限定の思想です。」
と言うのであれば、「ああ、そうですか。あなたがたは、そのような思想を
信じているのですね。」 で、話は終了だ。
しかし、「それは違います。これは、仏教徒以外にも、適用される普遍的
現象です。」と、言うのであれば、「ちょっと待て」となるわけだ。
お宅の言う「仏教的輪廻」とは、
@「仏教徒以外の他者にも干渉する現象か?」
A「そして、その思想は差別思想であるとの批判に反論できるのか?」
B「あなたは、その思想を認知、支持するのか?」
以上にお答えいただきたい。
>>238 1.前段について
私は
>>1 に書かれた内容から判断しております。誰かのコメントが「2ちゃんねる
の利用法」から見て抵触するとお考えであれば、しかるべき手続によって行動を
なさるとよろしいのでは?
2.後段について
残念ながら、ご要望にはお応えいたしかねます。
240 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 03:09:05 ID:V/+130zN
>>234 もう少し論旨をはっきりさせておくと、
お宅が、宝珠と議論していた「輪廻は人間のあいだのみか?或いは
他の生物間にもありえるか?」 について、宝珠の主張する輪廻
システムは「仏教の輪廻とは異なる」ということは分かる。
問題はそこではない。お宅の言うところの「仏教的輪廻」というものは
@「仏教徒以外の他者にも干渉する現象か?」
A「そして、その思想は差別思想であるとの批判に反論できるのか?」
そして、お宅はその仏教的輪廻を肯定するのか? ここが問題なわけだ。
もし、『輪廻業報を肯定する』のであれば、二人の肯定者が、その
システムの詳細について語り合っているに過ぎない。それは、まるで
『黒人の血は汚い』というスレが、確かこの宗教板にもあったが、
その『黒人の血は汚い』ことを『前提として』
どこが、どのように汚いかを論じ合っているのと同じことだ。
違いますかね? そのようなことを論じるのであれば、まず、
『黒人の血は汚い』ことが、間違いなく真実であることを論証した後に
語るべきであると考えますがね。
241 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 03:23:51 ID:V/+130zN
>>239 >残念ながら、ご要望にはお応えいたしかねます。
この回答拒否には、その理由も明記されていませんね。
答えたくない問いに対しては、勿論、答えない自由もありますが
(宝珠がしょっちゅう、この自由を乱用するが) お宅も同じ
スタンスなわけですか?
私は、今まで、この輪廻業報が、明らかな差別思想であり、これに関して
>>231 のように主張してきました。 これ対して、回答拒否をするのは
「自己が業報思想の支持者であり、かつ、その批判に対して有意な
反論ができないから」 あるいは 「その他の理由」
「その他の理由」であるならば、きちんとそれに付いて説明をするべきでは?
少なくとも、お宅はここで、輪廻について語ったわけであるから、
自己の発言に関して、文責をもつべきでは?
242 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/02/06(土) 03:34:10 ID:VVRwulbh
>>240 何らかの問題を問題としているのはあなた自身の行為です。以前にも似たような
ことを述べましたが。
>『黒人の血は汚い』ことが、間違いなく真実であることを論証した後に
>語るべきであると考えます
では私は、あなたが、そのようなことを論じるのであれば、まず、仏教における
輪廻観が間違いなく「思想である」ということを論証した後に、語るべきである
と考えます。
私はそもそも思想だとは思っていません。どうか「間違いなく」「思想である」
と私に納得させてみてください。私のように、それがもともと教えの範囲外の、
文献に言及された物事に過ぎないと見なしている人間に対して論証を成功させる
必要がありますし、一方で、それが真実であると見なしているオカルト主義の人
たちに対しても論証を成功させる必要があります。どうかやってみてください。
それがあなた自身でお望みの「行為」です。自分でおやりください。
243 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 03:58:47 ID:V/+130zN
>>242 >何らかの問題を問題としているのはあなた自身の行為です
全くの意味不明。このような抽象論では、受け取る側により勝手に解釈可能
です。より詳細な解説を。
以下は完全な「言葉狩り」つまり、揚げ足とりですな。私は、別に「思想」
という表現にこだわりませんよ。「差別的『認識』」と言い換えても良い。
仏教内に在る「前世において、悪行をおこなえば、今世においてその報いを受ける」
このような「考え」「認識」が、仏教内にありませんか?
そして、仏教徒が過去において、そして現在においても、このような仏教内の
教義にもとづき、「差別的発言を繰り返してきた。」 それを問題ないことと
認識するのですか?あなたは。
>一方で、それが真実であると見なしているオカルト主義の人
たちに対しても論証を成功させる必要があります。どうかやってみてください。
それが可能かどうかは別にして、ずっとやってきてますよ。
「業報思想は差別です。それを語りたいのであるならば、まず、それが真実である
ことを立証した後にしてください。それができないのであれば、『それを信じる者
限定の現象であると明言した後に行ってください。それもできないのであれば、
公の場での公言は慎んでください。」 と何度もね。
もちろん、このスレの差別主義者は、なかなか聞き入れませんが、それでも
そのような声をあげることは大切であると考えますよ。
あなたも、同じような差別主義者であるなら、もちろん、その言動に批判を
加えさせてもらいます。
244 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 03:59:38 ID:qyAfUfgv
>>237 >あとは、誤った観念に染まっている者に対してもまた、あらゆる生命のうちの一つの生命
>として、物理的行為によっても、言語的行為によっても、意識的行為によっても、害せず、
>圧迫することもありませんように。
>彼ら自体、自身の誤った観念による、第一の犠牲者です。
当然のことです。私が宗教を批判するのは、宗教の思想・システムを批判している
のであって、「人間そのものとしての信者」を聊かでも批判しているのではな
い。しかし、残念なことに、 宗教信者は、開祖や教義の批判を、自分自身に対
する人格批判として受け取ってしまい、感情的に激昂するのです。これが、宗
教というシステムの持つ、最大の「病理」です。これは、開祖や教義という
「見知らぬ他者・異物」によって、心が占拠されてしまい、それに操られ、人
間としての自立性が失われるからです。精神医学では、この現象を、思考鼓吹、
思考奪取、させられ体験などと呼び、統合失調症の症状の一つです。
245 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 04:15:37 ID:V/+130zN
さらに補足すると >私のように、それがもともと教えの範囲外の、 文献に言及された物事に過ぎないと見なしている人間・・・・ この記述は、輪廻転生を 『仏教のもともとの教え(つまり釈迦によって説かれた教え)以外の すなわち、仏典の中にある輪廻の記述をもとに語られている物事に過ぎない 、言い換えれば、『地球は丸い』などのような高度の蓋然性を有する 普遍的現象ではない。』とこのような見解の持ち主であれば、私は 「ああ、あなたは輪廻転生を単なる妄想、あるいは、どの宗教にもつきものである ファンタジーの一種と解しているわけですな。」 で、終了ですが。 あと、あなたにお願いすることは「あたかもそれが普遍的現象であると 誤解を招くような語り」は、ご遠慮願いたいということだけですが。
246 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 04:24:52 ID:qyAfUfgv
>>237 私が、「自己の生存」を含めなかったのは、「善悪概念」が、あくまで
共同体における共生のための「技術的概念」と考えるからです。人間が
独りで生存しているのなら、「善悪概念」など生じません。自分がやり
たいことが「善」であり、やりたくないことが「悪」であるに過ぎません。
しかし、共同体においては(人間界は本質的に共同体です)、生命も
無数の縁起の産物であり、他者から見れば、自己も他者なのです。
生命は自分ひとりの所有物ではないという自覚があれば、「他者の生存」
に「自己の生存」も含ませることが出来ると思います。
「善悪概念」は、多くの宗教者が誤解しているような、「自己満足」
「自己陶酔」「それ自体で価値ある」概念ではありません。あくまで、
共同体における共生のための「技術的概念」「道具」なのです。
247 :
不説 ◆AnATTa/dJc :2010/02/06(土) 05:11:53 ID:VVRwulbh
>>243 1.前段について
「言葉狩り」等、やはり、それはあなた自身の行為です。どうせ、同じ繰り返し
になることが目に見えているので、私による回答の有無はあくまでも任意という
のは、既に述べた通りです。
2.後段について
「試み」ではなく、「成功」させてください。そうでないと、あなたはあなた自
身の言葉について、この点に関してだけ言っても、文責を持っているとは言えな
くなります。私はそもそも文責の必要性の有無について主張していませんから、
他者(この場合はあなた)がこの点について言い抜けなさっても、それでも構わ
ないと思っています。が、少なくとも、文責を他人に課そうと主張する人が、そ
の人自身は自分の発言に文責を負っていない場合に、私の方で文責を追わされる
という不合理を受け容れることが合理的な選択ではないことも明らかです。
>>245 最後の2行
あなたの要望がそのようなものであるということは把握しておきます。
しかし本質的に、
他人に依存せず、あなた自身で(あなた自身の行為として)為されますように。
他人の行為(この場合は「輪廻転生に関する語り方」)によって、自己の本質が
何ら左右される(べき)ものではないはずです。
輪廻転生が普遍的現象でないのであれば、あなた自身が輪廻転生で想定されてい
るルールを覆してみせることが、あなた自身の行為で為すということです。
人(例えばあなた)の業を他の者(例えば私)が為すことはできません。
>種の保存と存続を第一とする本能意識に基いての行動 人間の善悪もこれの一環ではあるまいか。人間には 高い知能があるため、恥はかき捨て、というわけにもいかない。 おかしてしまった「悪」は他の個体にも情報伝達され、共同体内での 自分の生活を脅かすことにもなる。犯罪者の親類に向けられる視線は 太古の昔からもあったろう。せっかく生んだ子供の婚活を阻害すれば 結局自分の遺伝子も残しづらい。そのためそうした行動を避けるようになる。 前世が何であれ、人間の体に生まれつけば人間風の「種の保存と存続を第一とする本能意識に基いての行動」 を行うようになるのか。それとも、人間風の道徳を行い易い魂を引き込むように人類が進化してきたのか。 全ての生類(生物種)で行われる「ある傾向を持つ魂の引き込み」の連なりが業報輪廻を形作っているのかもしれない。 この観点に立てば種によって生まれるための基準が違うことは、各生物種の生存に合理的に作用している。
249 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 10:20:00 ID:V/+130zN
>>247 >・・・私による回答の有無はあくまでも任意という
のは、既に述べた通りです。
また、回答拒否ですか。あなたh、どうも都合が悪くなると、同じ文言を
繰り返して逃げる癖があるようですね。 いいですか?私が問うたのは、
>仏教内に在る「前世において、悪行をおこなえば、今世においてその報いを受ける」
このような「考え」「認識」が、仏教内にありませんか?
そして、仏教徒が過去において、そして現在においても、このような仏教内の
教義にもとづき、「差別的発言を繰り返してきた。」 それを問題ないことと
認識するのですか?あなたは。
私が問うたのは、あなたの認識ですよ。それが何故、「私自身の行為」が問題と
なるのですか? あなたは、単に私に責任があるかのように述べて、回答拒否してるに
過ぎません。
250 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 10:21:47 ID:V/+130zN
>「試み」ではなく、「成功」させてください。そうでないと、あなたはあなた自 身の言葉について、この点に関してだけ言っても、文責を持っているとは言えな くなります。・・・・ これ以下については、はっきり言って何を言ってるのか、さっぱりです。 いいですか? 私が「文責」という語を用いて、主張したことは 「自分の発言には最低限の責任はもってくださいよ。」ということですよ。 例えば「Aは〜である。」と述べたのであれば、そのことについて、疑義、 反論があったならば、最低限、一般人の理解できるレベルにおいて、解説 するなり、再反論をあげるなりして、「説明責任」を果たしてくださいよ。 ということなんですがねえ。 このスレに限らず、「自己の見解を一方的に 語り、反論、批判は一切受け付けない。」という姿勢の者がいます。 そのような姿勢を貫くつもりであるならば、はっきり言って他のものにとっては 迷惑以外の何ものでもありません。そのような、行為は自己のブログ内で好きな だけやってくださいと、以前にもいいましたね? ところが、あなたは、何を勘違いしたのか、「Aは〜である。」と述べたのならば、 それを「反論者に納得させろ」と言う。それができないのならば「文責を果たして ない。」と私を批判するわけですが、これは、もう、無茶苦茶でしょう? 自分の言ってることを本当に理解してますか? 反論者の中には、たとえ、正当な主張でも全く理解する能力のない者も当然 含まれます。その者たちを納得させられないのならば、文責をはたしていないとは 正気の主張とは思えませんよ。
251 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 10:22:37 ID:V/+130zN
>他人に依存せず、あなた自身で(あなた自身の行為として)為されますように。 他人の行為(この場合は「輪廻転生に関する語り方」)によって、自己の本質が 何ら左右される(べき)ものではないはずです。 これも全く論点を把握してないコメントですね。 「他人に依存せず・・」などではなく、業報は差別であるので、語らないように と要求しているのですがね。 わかりませんか? >輪廻転生が普遍的現象でないのであれば、あなた自身が輪廻転生で想定されてい るルールを覆してみせることが、あなた自身の行為で為すということです。 もう、何度もやってますよ。 「輪廻転生が普遍的現象であると主張する者たちの論証を全て、否定しきってます。 (勿論、彼らがそれを納得するか否かは別の話です。)」 そして、輪廻を普遍的現象であるとする彼らの論証を成功させたことは、 ないつもりですが。
252 :
中学生 :2010/02/06(土) 10:50:51 ID:qMHJBj5U
なんで輪廻するのに 子供は弱いのでしょうか 輪廻するのでは気が強いのでは
253 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 11:24:04 ID:V/+130zN
論点がぼけてはこまるので、経緯を整理すると、 まず私のスタンスは
『輪廻業報は差別的考え、または認識論であり、この考えに基づき行われて
きた差別的言動は、決して看過すべきものではなく、撲滅するべきものである』→#
これが、最初から一貫した私のスタンスです。
ところが、不説氏、あなたは宝珠と長々と「輪廻のシステム」について議論して
きました。そこで、私は「輪廻が『普遍的現象であることを前提』として、そのシステム
の詳細について語ることは→#の観点からも、不適切であると考えました。
差別的内容を含むと考えられるものごとを語るのであれば、まず、それが
事実であることを立証した後に語るべきであると『黒人の血は汚い』 ということを
例にとり説明しました。以上の理由から、
あなたの見解をまず、初めに聞いたわけです。ところが、あなたは回答拒否でした。
その他のポイントのずれたレスについては,
>>249 〜
>>251 で回答しました。
改めてお聞きします。
@「輪廻業報という考え、認識は差別であると、あなたは思いますか?
また、この考えに基づき行われてきた差別的言動は、特に問題なしとの
認識ですか?」
A「輪廻業報は蓋然性の極めて高い、普遍的現象であるとの認識ですか?
あるいは、これは宗教によくある、『ある一定の教えを説くための物語、
ファンタジー』であり、普遍的現象ではない との認識ですか?」
あなたの認識をお尋ねします。
254 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 11:26:35 ID:okCFd4FL
ジャンプするためには、まずは身をかがめて小さくならねばなりませぬ。
255 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 11:46:31 ID:okCFd4FL
業報説は悪いことばかりなのか、良いこともあるのではないか。
256 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 12:03:57 ID:V/+130zN
>>255 >業報説は悪いことばかりなのか、良いこともあるのではないか。
良い面もありますよ。現世→来世 の視点でみたとき、
「悪いことをすれば、来世で同じようなひどい目にあう。だから、
悪いことはしてはいかん。」 という、倫理的要請からの肯定論。
たとえば、宮元啓一氏などは、この点を強調し、過去世→現世は
見ずに 現世→来世 のみを説くべきだ と主張していたが、これは
はっきり言って成立しないでしょう。 また、「来世でひどい目にあう
から」悪いことはするべきではないという理論もどうかと思いますが。
最も問題なのは、現世において好ましくない現状にある者を指して
「これは過去世の悪行が原因である」と規定すること。
それを信じてる者に対してのものであるならば、まだしも
全くその思想に関して無関係のものにとっては、「勝手にそのように
規定された」のでは、たまったものではない。
要は「自己の信じる信仰、価値体系をもって他者に干渉するなよ。」
ということですな。
257 :
195(1) :2010/02/06(土) 13:54:13 ID:iWQL9X+u
>>211 (隠居)
>>213 >>214 (前々々々々スレ10)
今朝、あるホームレスのおじいちゃんが重篤な状態から脱せられず、亡くなった。
親戚その他の身近な人は誰も来なかったよ。合掌。
>釈迦が、その鬱病ゆえに、また、布教の手段として、生きることの「苦」ばかりを
>やたらと強調し、「喜び」を教えなかった
アキメクラの論とは上記のようなものだろう。
煩悩と苦しみを白紙に戻って考え直すがいい。
ブッダの苦しみ(煩悩)といういわば質的問題と苦痛という量的問題を混同している。
科学で扱えるのは数字で扱える後者の問題だ。
たとえば生存年齢が伸ばせても前者の苦しみ(煩悩)が減るわけではない、かえって増大するだろう。
我執のままの、「喜び」とやらは直ちに「苦しみ」に転化する。
問題の解決にならない。
縁起現象に実体はない、ゆえに世俗言語という道具による分別・論理(科学もその一種)が必要になるというのが仏教だ。
>「生命の尊厳」「生命の絶対性」
唯物論ではそもそもこの価値判断は導きだせない、口当たりのいい借り物思想だ。
たとえ相互依存という借り物思想でまとっても、他の生命を殺戮し食料とすることで個体を維持するのが生命というシステムだからだ。
目の前のミカンも生命だぜ。生命の尊厳・絶対性を唱えながら、平然と生命を食って生き延びている隠居の矛盾。
勝義から世俗を還滅する仏教の縁起思想でなければ、この矛盾は解消できない。
258 :
195(2) :2010/02/06(土) 13:58:15 ID:iWQL9X+u
>生死という二項相対分別には実体がない←「生死」を越える。時空際断。 勝義を体得し、勝義からの世俗の還減が仏教の本懐。 ここでは、隠居の好きな中論を引用しておこう。 中論第十一章および十二章参照。 『偉大な聖者(ブッダ)は生死の前の究極(本当の始まり)は知られないと説かれた。 実に生死は無始無終であり、それらには始まりもなく終わりもないからである。』(龍樹 中論11-1) 『生死に始まりも無く終わりも無いのに、どうして生と死の間が存在するであろうか(存在しない)。 それ故に、(生と死には時間的な)前も後も同時も成立しえない。』(同11-2) ⇒生死には時間的順序がない。だから、生死そのものが存在し得ないのである。 このことは、実は生死のみならずあらゆるものごとも、同様に存在し得ないといいいうるのである。 縁起による実体のない現象にそもそも前生も後生もヘチマも「計る基準」がない。 煩悩のゆえにわざわざ「計る基準」を妄想して苦しむ。 これを迷いという。 そういったことが直覚体得できることを悟りという。 時空際断。 当然、生死の迷いがなくなれば輪廻転生論など鎧袖一触の噴飯モノのインチキ妄想であって、 子供だまし(方便)にしかすぎないと了得できる。 除苦にわずか一歩でも達せられれば、仏陀の本懐へ近ずくのである。 (同11-7. 同2-12「いかなる時制においても<去ること>は始められない」参照) 龍樹の大乗仏教を持ち上げペクりながら、隠居の単純唯物論は龍樹と矛盾しており、既に破綻している。 *我執耄碌隠居には何のことかわからんだろうな。
259 :
195(2) :2010/02/06(土) 14:02:58 ID:iWQL9X+u
× ペクり 〇 パクり
260 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 15:47:00 ID:b4rzAcCz
>>257 そのおじいちゃんは、何故亡くなったのか。家や、食物や、薬品という具象物、
それを入手するための金がなかったからである。
苦と楽とは、相互依存・縁起の関係にある。一方がなければ、他方も存在し得ない。
苦のみを強調した釈迦は、縁起を知らなかった。
唯物論者は、具象物としての身体を大切にするから、人を殺さない。「身体は死んでも、
心は死なない」などというアホなことは考えないからだ。
竜樹は、生命を初めとする万物が「実在」するからこそ、その相互依存性を説く。
実在はするが、相互依存性により「自性はない」と言っているのである。神も仏も
開祖も経典も、「自性はない」のだから、執着するに値しない、と言っている
のである。初めから「無い」ものについて、相互依存性・関係性を論じるのは
無意味である。生死は無始無終と言っているのは、生命を以って生命を判断する
ことは不可能の意味である。
竜樹の言葉の表面ではなく、その言わんとする意味を理解すること。
261 :
セブン :2010/02/06(土) 17:06:17 ID:wtrHpGaR
ワシも、原始仏教に“カブレている”一人だがw、不説もまた、同じ“カブレ”た人種らしい・・。 ワシも、自分が出来ているかどうかはわからんが、 少なくとも第3者から見て、不説の態度は、 ≪咀嚼しきれないままの、ファッション的な『倣い』≫にしかなってない。 彼の態度を、釈尊以来の伝統としての、 「論争に浸らない、参加しない、勝負・是非を不問とする態度」に比することは到底出来ない。 今回も、『卑怯で、狡猾な態度』だと俺は思うよ。
262 :
セブン :2010/02/06(土) 17:08:32 ID:wtrHpGaR
「 >自分が出来ているかどうかはわからん 」
じゃなくて
「 自分が出来ているとは思わんがwww 」
だな(笑)
>>261 2行目
規制が解除されて、凄まじい伸びですねw
>>217 >宗教(特に一神教系宗教)が、その「不合理な要素」を自己の宗教内だけに止めておくことが不可能なら、
>宗教そのものを撲滅する以外には方法はありません。
私が言いたいのは、「宗教の不合理な要素を自己の宗教内に止めさせれば、撲滅は必要ないんじゃないか」という事です。
決して、宗教が不合理な要素を撒き散らす事に賛同している訳ではありません。
また、「撲滅する」という事は、「自己の主張を相手に押し付ける行為」であり、
まさに貴方が嫌う「宗教的行為そのもの」じゃないかと指摘しているのです。
さらに、世俗の事で言えば、「宗教の撲滅」とは、信教の自由を侵す、思想統制そのものかと思います。
以上の理由で、「撲滅」するのは、行き過ぎだと思います。
(まあ、某方の言動などを見ていると、心情的には賛同したい所ですがw)
>科学技術でどうにもならないものが、宗教でどうにかなるのでしょうか。
いやいや、宗教の祈りで、虫歯が治るといっている訳では有りませんよ?
宗教で「どうにかしよう」と言うのではなく、「どうにもならないこと」に対する現状での唯一の対処法が、
「どうにもならないこと」であることを明確に認識して、それについて「諦める」という事であり、
それが仏教では無いかと主張したんです。
>死さえ、ある程度は、克服の途上にあるということです。
つまり、死は克服されていないという事です。
未来において、もし不老不死が実現されれば、仏教の役目もその分、小さくなるかとは思います。
ですが既に指摘した通り、全知全能の存在にならない限り、「どうしようもない事」は残り、
仏教の役目は続くんじゃないでしょうかね?
>>213 主張にはほぼ同意しますが、↑でも書いた理由により、「撲滅」には反対します。
>>224 ナルホド。貴方の立場は理解しました。
オカルトについての理解はその通りだと思います。
ですが、
「公の場で、特定の主張を普遍的事実であるかの様に語るなら、
『オカルト(≒隠された物事)』だけを根拠に話すのは、非常識である」
という事だけ指摘しておきます。
もちろん、ニュートンのオカルティックフォース然り、
人間には俄かには受け入れがたい事実を「オカルト」とレッテル張りする風潮はありますが、
「オカルト=近未来に真実だと明らかにされる事実」ではありません。
ですから、オカルトについて語りたいのであれば、
「これは、知覚範囲内に根拠は無いんですが……」と、個人の妄想の範囲である事を明確にしてから語るか、
あるいは、隠されていた事実が公に知覚可能になってから、公の場で語りだされたほうがよろしいかと思います。
そして、何度も言っていますが、「輪廻が存在する」という前提で、
「輪廻のシステムはこのようなものである」と議論をなさりたい方は、
既に専用スレッドが立っていますので、移住してください。
【仏教徒限定】仏陀は輪廻を説いた【否定無用】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260529269/
>>229 >宝珠愚者さんは「俺は神智学の言う事を信じる」と書いているだけとも言えますね。
>取捨選択した上での他宗教の流用も信仰上のスタイル。
いや、実際にはもう一歩進んでいて、
「神智学は絶対的に正しい。
仏教が神智学の論理に従っているのならば、神智学の権威を高める為に仏教の名前を使う。
もし、仏教と神智学の論理に齟齬が生じれば、仏教を誤った宗教として捨てる。」
というスタンスのようですよ。
>>234 え〜と、主張はごもっともなんですが、何人にも指摘されているように、
「仏教や神智学の枠内で是か?」を議論する前に、
より広い範囲の「世間一般の枠内で是か?」を議論した方が宜しいんじゃないでしょうか?
例えば、目の前に物体Xがあったとします。
そのときに、「これは野菜か?肉か?」と議論をする前に、
「そもそも、この物体Xは、食べ物か?」を議論した方が宜しいんじゃないでしょうかね?
その結果、「食べ物じゃない」となれば、「これは野菜か?肉か?」という議論自体を、する必要がなくなります。
>>236 これまでの貴方の主張をまとめると、
「自然界の生き物は生存本能に従って、助け合って生きている。故に、他者の生存を助ける行為が善である」
という主張であると見受けられます。
しかし、前にも指摘しましたが、「自然界の生命=共生する素晴らしい生き物」ではありません。
観測される限りにおいて、自然界における生命の基本方針は、あくまで「自己の保存、および自己の子孫の繁栄」であり、
もし、その方針に有利であれば、「共生する事もある」というだけの話です。
また、人間の、同種族間の殺し合いを特に「悪」と定義しているようですが、「共食い」は、自然界では非常に一般的な現象です。
結局貴方は、自然界にご自分の理想を投影した妄想を根拠に、善悪の基準を決定しているだけじゃないですか?
まあ、善悪の理想としては賛同しますが、自然界を根拠にするのは無理が有るかと思います。
>>239 >>247 既に散々指摘されたあとですが、私も、
「質問に答えない、しかも回答を拒否する理由を明確にしない。」
というのは、「議論の放棄」であり、議論の場である2chでは、もっとも恥ずべき行為だと思います。
>>257-258 ホームレスのおじいちゃんに黙祷……。
で、なんで私にアンカーされたのでしょうか?
よく分からないんで、コメントしようが無いんですが……
>>261 そのような釈尊に倣った態度をとりたいなら、そもそもこのスレに来ている時点で、
すでに間違っているんじゃないですかね?w
>>260 >竜樹は、生命を初めとする万物が「実在」するからこそ
龍樹が>万物が「実在」する とした論書上の論拠を提示してください。
ところでビッグバン以前には何があったのでしょうか?
273 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 23:16:49 ID:V/+130zN
さて、不説氏の返答を待っているのだが、忙しいのか? それとも、回答拒否かな?
274 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/06(土) 23:22:26 ID:yUhzvr/+
>>224 >そのオカルティストの端くれであろう宝珠愚者氏が、仏教の輪廻観やジャータカの
>表現について、「迷信」と簡単に切り捨てる、唯物論的な狭量な態度を示すのは、
>あまり相応しくなかろうかと思うのです。
ごめんなさい!
個人的には、
バクティー的なアプローチがかなり嫌いなものでして。
仏陀の過去世物語として、ひもじい人間に自ら食べられようとするウサギといった・・・
読む人の感情に訴えようとする手法/創作フィクションの利用の在り方などがです。
つまり、
私のいうバクティーとは一般庶民(向けのため)の信仰形態のことであり、
信仰的な献身(信愛)の道、その全般を指します。
教祖への賛美と過剰な神格化、尊崇の念と崇拝行為の高揚推奨などなど。
これらは確かに、庶民には効果絶大なものですが、
しばしば深い迷信と、そして宗教の狂信性へと繋がり、
今でも殺戮と戦争の原動力にもなっているものです。
たぶん、誤淫虚に近い見方でしょう
悪行から遠ざける手法として戒めの方便を説くというのは、
すべての宗教が採用してきたものです。
当然、これは仏教とて例外ではありません。
ただし、私がいっているのは史実のゴータマがそうだったというのではなく、
仏教として今日、伝わっているものについてに対する意見です。
275 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/06(土) 23:23:32 ID:yUhzvr/+
>>236 >殺し合いしないで、長い長い年月の間「共生」を続けることが「善」ではなかったら、
>他にどんな「善」が有り得るか。生存に無関係な宗教など勝手にでっち上げて、
>数千年間にわたって殺し合いを続ける人間こそ、「犬畜生にも劣る存在」ではないのか。
>
>>248 >>種の保存と存続を第一とする本能意識に基いての行動
>人間の善悪もこれの一環ではあるまいか。
まったく違います。
自然界の野生動物たちに作用としているものとは、
利己的遺伝子からの生存本能に反応する結果にしか過ぎません。
尚、彼らの中のより高度な生命体においては、感情作用は発達してきています。
「辛い」「悲しい」「楽しい」「可哀想」といった、かなり人間に近いものを感じ摂ります。
要するに、これらは自分にとっての「快」「不快」として受け取るのです。
ただし、「善悪」としてではありません。
けれども人間は違う。
人間同士での殺戮/戦争行為から見ても分る通り、
生存本能や共生意識などとは別の意志で行動するのです。
動物より劣るというあなたの評価がそのことを十分に分ってるようですがね・・・。
動物界においては、
決して仲間同士(同種族間)では意図的に殺すことはない、といわれているのはご存知の通りです。
肉食動物ですから、余計に草食動物を捕食(殺す)ことはありません。
人間同士、殺しあうという動物は人類だけです。
それは人間の中にだけ善悪の概念があることと連動しているのです。
そして、仏教(覚者)が説く善悪というのは更に世俗の価値観を超えたところのものです。
生存本能どころか、肉体生命の維持を最重視するわけではありません。
これはただの形態に過ぎない。
276 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/06(土) 23:25:06 ID:yUhzvr/+
>>215 >もしかして「迫害されるという事は、正統の証拠である」と暗示したいんですか?w
全然、違いますね(笑)
単に、何といわれようが「真実は一つであり、
(真実は)変えられない」という意味です。
あなたが理解するしないは別問題です。
あなたが知る、または理解する以前から、真実というものはあるのです。
万有引力の法則が説かれ、認知されてから、この法則が作用を始めたわけじゃないからw
誤解しないように。
>>266 >「神智学は絶対的に正しい。
> 仏教が神智学の論理に従っているのならば、神智学の権威を高める為に仏教の名前を使う。
> もし、仏教と神智学の論理に齟齬が生じれば、仏教を誤った宗教として捨てる。」
>というスタンスのようですよ。
全く違います。
(別に10さん宛じゃないけどw)
本当は仏教がどんな教えであろうと関係ありません。
それと、私がいうときの一般的な「仏教」という言葉は、
“今日の仏教徒らの説く見解”という意味合いにおいてです。
277 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/06(土) 23:30:03 ID:yUhzvr/+
>>272 ビッグバンとは質料の拡散のことでしょう?
つまり、ビッグバン以前とは質料の凝縮した点と
それ以外の空間(無質料)が存在しているという意味に過ぎないのでは。
って、
こんなレスをつけてる場合ではないw
278 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 23:34:02 ID:jPE6pjiA
>けれども人間は違う。 >人間同士での殺戮/戦争行為から見ても分る通り、 >生存本能や共生意識などとは別の意志で行動するのです。 >動物より劣るというあなたの評価がそのことを十分に分ってるようですがね・・・。 どこらへんが別なのでしょう。相手から搾取し、身内に有利に進める。 十分に生存本能や共生意識に則っていますよ。 人種差別主義者は自分達の血が汚れる(混血によって劣化すること)を 本気で憂慮していますし、ムジャヒディンの鉄砲玉の方々にはウンマの未来を嘆く心がありましょう。 >肉食動物ですから、余計に草食動物を捕食(殺す)ことはありません。 食い切れないだけ殺しても、他の奴が食べるだけですからね。 余剰を生かすために必要な貯蔵を行うことが出来ませんから。 無駄なことをしてエネルギーを浪費し、無駄骨を折る個体は優先的にサヨナラですね。
>>276 『真実』など観念しえない、というのが仏教だ。
宝珠の御託はすべて分別妄想にしか過ぎない。
280 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 23:38:35 ID:i38iBstm
>272 >龍樹が>万物が「実在」する とした論書上の論拠を提示してください。 「もろもろの『存在』は、どこにおいても、いつでも、決して自己より生じたもの、他者より、 両者より、さらに無因より生じたものとして『存在』するのではない。」(中論の頌1:1) 論書によらずとも、竜樹自身が、「もろもろの存在」を前提としている。『 』は引用者が付加。 >ところでビッグバン以前には何があったのでしょうか? それは、今後、科学が解明する対象。宗教の出る幕ではない。なお、上記中論の引用を参照されたし。
281 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 23:43:02 ID:jPE6pjiA
ここでも宝珠さんは世俗的現代人が抱きがちな前提を表明されたように見えます。 地球市民とでも言いますか「人類はひとつ」という発想です。 殺戮/戦争行為を生存本能や共生意識に矛盾する、とみる考え方は 人類がひとつのまとまりであり、【それ故に】殺戮/戦争行為は人類全体にとって 害であり、無益であると言う感じ方なくしては恐らく出てきません。
>>280 落第。
それは実在の否定以外の何ものでもない。
縁起現象=存在≠実在=自性的恒久存在
隠居は常に答えやすそうな表相のみに反応する。
隠居はかすみを食って生きているのではない。
絶対尊厳とやらの根源「生命」を奪って食って生きている。
>それは、今後、科学が解明する対象。
科学は分別対象が限界。
超時空をどうして数字で分別するのかなw
やっぱり直覚力=自頭が悪すぎる。
283 :
神も仏も名無しさん :2010/02/06(土) 23:56:30 ID:i38iBstm
神智学は、キリスト教由来。大乗仏教の「空の思想」によって、己が 棄てきれない「神概念」が吹っ飛ばされるのが恐いだけ。たとえ殺されても、 己が信じ込まされた「神」を棄てることは出来ない。キリスト教の多くの 殉教者たちを見よ。 本当の神なら、「私を棄てて生き延びよ」と語りかけていたはずだが、 イエスで狂った彼等には、その神の声が耳に入らなかったのである。
宝珠の観念論も隠居の唯物論も、しょせん戯論(形而上的妄想論)でしかない。 子供だましなのだ。 経験的に万人に証しうる議論ではない。 両者ともアホであることの経験的な自己証明は十分になされた。 戯論の消滅というめでたい縁起=中道を説かれたブッダの偉大さに改めて敬礼する。
285 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 00:18:40 ID:7lUlBU1C
>全く違います。 >(別に10さん宛じゃないけどw) 「神智学は絶対的に正しい。」というところまでは正しい。 少なくとも最も真実の探求に肉薄した神秘思想、実践の在り方ではありましょう。 ただ、他宗教を利用しているという形式はとってはいません。神智学が正しいなら、 他の時代、地域で真理に近づいた聖者もまた神智学に近い考えであるに違いないという発想に見えます。 >単に、何といわれようが「真実は一つであり、 >(真実は)変えられない」という意味です。 そして神智学が真実とくれば、真実とは神智学思想か、少なくとも神智学が目指すもの以外ありえません。 誤りがまじったか、そのままでは真実ではない「仏教」(今日の仏教徒らの説く見解)から 真実のゴータマの教え・境地を抽出する、という形式をとるのは自然な流れと言えます。 イスラム教徒がアブラハムをムスリムとみなすのに通ずるところがありますね。 バハーイー教徒がさらに釈迦やゾロアスターをも神からの伝令の系譜に加えるのにも似ている。 むろん彼等にも聖書やヘブライの伝統を利用していると言う発想はありません。神智学、宝珠氏スタイルでは 対象が至ったのが真実である、と言う前提のもと修正を加える枠が遥かに大きく設定されているということですね。 それを感覚的に裏付けているのが、世俗的現代人らしい業報観・善悪基準と、既存宗教によって限定・制約されていない共感なのです。
>>261 セブン氏、
>>269 前略スレ10氏
あなた方の見解については、とりあえず把握しておきましょう。
>>265 前略スレ10氏
私は基本的に
>>1 に書かれた内容に基いてこのスレに参加しておりますが、2ちゃんねるの利用
法上、それほど問題のある行動でしょうか? また、その判断は、スレ立て人である、宝珠愚者
さんの同意するところなのでしょうか? 私としては、今スレからの進退については、スレ立て
人である宝珠愚者氏の意向については従う用意があります。
287 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 00:26:21 ID:gLYSBmUN
>>282 竜樹のいう「存在」が、少なくとも「ものの存在」、即ち「実在」を含む
ことは明らか。「実在だが無自性」、従って「自性的恒久存在ではないから、
執着の対象にはならない」と言っているだけのこと。
科学者は人間だから、「超能力」はない。「超能力」など肯定したら、そもそも
科学は成立しない。
>>294 戯論を消滅させたのは、竜樹であって、釈迦ではない。釈迦は、戯論だらけ
である。竜樹は釈迦にゴマをすってるだけw。
>>285 >神智学が真実とくれば
神智学はしょせん二項相対分別思考にしかすぎない。
問題の解決にはならない。
仏教は無常=無我=縁起=空=中道の教えであって、
分別満載俗論神智学ごときが及ぶところではない。
「真実」?←自己中な真⇔偽の判断を前提としているではないかw
>>287 >実在だが無自性
実在なら無自性にならない、自性そのものだ。
実在=実体はない、しかるがゆえに名称と形態が無明煩悩によって妄想される、というのが仏教だ。
これをはずしたら仏教ではない、消えろ!
290 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 00:38:01 ID:P4L0Z2zl
不説氏、あなたの書き込みに対する、レスは
>>249 〜
>>251 にあげておきました。
回答しますか? それとも、また回答拒否ですか?
>>253 にもお答えください。
>>244 そうですか、批判によって感情的に激昂させてしまうということは、結果としては、
「善とは、他者の生存を助ける行為。悪とは、他者の生存を害する行為」
を全うできないことになりますね、残念です。言うは易し、行うは難し、です。
あなたの崇高な理念を、「いかにして行為として実現していくか?」というところ、
是非、精進なすっていただきたいものだと思います。
見解ではなく行為を重視する釈尊の教えに、抜かりはないものだとつくづく思います。
292 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 00:45:24 ID:gLYSBmUN
>>284 竜樹が発見した「相互依存性・関係性」の原理は、万物について科学的
証明が可能。例えば、原子の相互依存的・関係的集合による物質の構成。
従って、形而上ではなく、形而下の原理である。
釈迦の言説には、科学的に証明できない形而上の要素があるのでは
ないか。釈迦の言説の一つ一つを、厳密に検討し、分析・批判・訂正す
べきである。竜樹は、その幾つかを、的確に指摘し、批判している。
>>274 相変わらず人の意見を理解できないようなので解説しておくと、
不説氏は、(そして私も、)貴方のダブルスタンダートを非難していると思うんですがね?
不説氏は、輪廻という「オカルト」を肯定するなら、
ジャータカという「オカルト」も切って捨てるべきではないという意見だと思います。
輪廻は貴方の好きな神智学に一致するから肯定し、
ジャータカは迷信と言って切って捨てるというのは、
態度が一定していないと批判されてしかるべきだと思いますよ。
そして、何度も指摘していますが、
なんで、ジャータカはバクティー的なアプローチであって、
輪廻は、バクティー的なアプローチでは無いと決め付けられるんですか?
貴方がそう考える理由を明示していただけませんか?
もしかして、「神智学に一致するか?」という判断基準しか、
判断の根拠はないんじゃありませんか?
>>275 >動物界においては、
>決して仲間同士(同種族間)では意図的に殺すことはない、といわれているのはご存知の通りです。
既に指摘済みですが、「共食い」は極普通の自然現象として存在しますよ。
>>276 >単に、何といわれようが「真実は一つであり、(真実は)変えられない」という意味です。
つまり、「私はガリレオの如く、真実を説いているのに、世間が認めていないだけだ!」と仰りたいんでしょ?w
再度言いますが、「迫害された理論は、将来肯定される真実の法則である」というのは、妄想です。
大多数の理論は、否定されて、そのまま忘れ去られています。
ごく一部の理論のみが、「検証の結果」蓋然性が高いとして認められただけです。
ガリレオの事例は、否定された後に肯定された希少例だからこそ、後世に残ったのです。
まあ確かに、輪廻が真実の法則である可能性は(僅かながらに)あります。
もし、ガリレオのように主張をなさりたいなら、さっさと根拠を提示していただけますかね?
>全く違います。
いやいや、今までの貴方の言動を見ると、違うとは思えませんね。
>>277 >ビッグバンとは質料の拡散のことでしょう?
>つまり、ビッグバン以前とは質料の凝縮した点と
>それ以外の空間(無質料)が存在しているという意味に過ぎないのでは。
全くもって、間違っています。
>>286 物理的に今回のスレを立てたのは「私」なんですがねw
まあ、冗談は置いといて、
確かに、>>1のテンプレは問題が多すぎるんですよ。
根本的問題は、テンプレ(の補足)に書いてあるように、>>1の記述内容はあくまで、
「宝珠愚者様の意見」であって、スレの住民全員の総意ではない事ですね。
だから、前回きちんと問題点をハッキリさせようと、スレを二つに分けたんですが、
アリンコ脳みそさんが、「俺の立てたテンプレじゃなきゃ嫌だ!」と我侭を仰って、
重複スレを立てたんですよ。
結局そのスレの方が消費が早くて、このスレが立ったわけです。
まあ、蛇足的スレの歴史についてはおいておいて、
私が言っているのは、テンプレがどうのこうのという事ではなくて、
@「2ch全体の暗黙の了解」として、「質問には答える」というルールは守るべきだ。
A「一般社会のルール」として、公の場で根拠も無く差別する用な発言はすべきではない。
という事です。
そして、
「どうしても、「質問に答えたくない」「根拠も無く差別発言をしたい」というのなら、
輪廻を無条件で信じる人以外も見るこのスレ(公の場)ではなく、
輪廻を無条件で信じる人達だけのスレに移住して、そこで発言してください。」
と言っているのです。
少なくとも、>>1のテンプレには「輪廻を信じるもの以外来るな!」とは書いてないんですから、
輪廻を信じるもの以外についても考慮した発言をする義務が有ると思います。
297 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 00:52:13 ID:gLYSBmUN
>>289 釈迦は、「世界を空と観ぜよ」と言っている。即ち、世界の実在を前提
としている。世界が実在しないのなら、わざわざ「空と『観じる』」必要
はない。また、「観じる」ことも不可能。
一部の仏教者だけが持つ、大いなる誤読・誤解である。
>>287 >釈迦は、戯論だらけ
隠居のいう「釈迦」ってどこのだれなの?
確定できるのか?
説一切有部などのスコラ部派経典が書いているのをいうのか?
彼らは仏教ではなく、マハーカッサバ教の末裔だw
ジャイナ教やらヒンドゥ教やらタニマチ商業資本の謀略乱交カオスペーパーだぜw
そんなスコラ部派を徹底批判して、原初のブッダに帰ろう(帰敬序)としたのが龍樹じゃないか。
299 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 00:57:31 ID:pvZfEZrU
>>288 エッ!!
「中道」を理解してない方が?w
(理解しない人ほど「中道・・」と煩い傾向があるwww)
>>286 >また、その判断は、スレ立て人である、宝珠愚者さんの同意するところなのでしょうか?
>私としては、今スレからの進退については、
>スレ立て人である宝珠愚者氏の意向については従う用意があります。
心配には及びません。
基本的にはスレタイに沿っていれば、誰からの参加でも歓迎します。
どうも一部に煩い方々がいますがw、
このスレは10さんのためということではなくて、
「仏教質問箱」スレ上での輪廻議論の様を見て(そのときにこの話題で参加していたのが10さん)、
質問スレの邪魔をすることなく、別に議論する場がやはり必要だな、
という見方から前シリーズの続きとして再開したものです。
趣旨としては、輪廻転生をテーマの中心とし、また、その他の仏教思想(教義)全般なんでも
の議論の場として設けたのです。
大それた“証明”などといった裁判所や検証の場という意味合いはなく、
各自の意見を自由に交える為の会議場としてです。
意義ある意見や価値ある情報、引用紹介なとせは大歓迎します。
300 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 01:03:01 ID:gLYSBmUN
>>289 釈迦がいう「無明煩悩」も、「存在はする」が、無自性ゆえに「空」である。
存在しないのなら、釈迦が言及する必要は、初めからない。
中論の頌第23章を熟読し、その言わんとする意味の把握に努められたし。
>>297 >世界を空と観ぜよ
「縁起の現観」という。あるがまま。
我執前提のおまえには了解不可能だ。
“世界の実在を前提”と曲解してしまうのは煩悩による分別我執による。
手前勝手な御都合主義分別論理的曲解を平気でやる。
隠居、お前のことだよ。
>>261 胸にセブンの傷のある男よ
こちらはあなたと違って(書き込み)体力に限界があるんですよ(死兆星が、コフッ…
有情破顔拳を使う余裕もなくなってきたじゃないですか。
……それとも、我々は二人とも、偽者の方ですか?w(かもしれませんねww)
先天的に秘孔の効かない方(?)もお待ちですよ(私に引導を渡してはくれませ
んでしたねw
>>299 )。
>>299 >「中道」を理解してない方
それは宝珠おまえだよ。
たとえば真偽、善悪、右左、美醜、生死などこれらは時空前提の相対判断だ。
時空際断においてこれら既成分別観念はどういう意味を持つか。
言語論理は時空を前提とする。
宝珠、隠居、ともに応えろ。
304 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 01:15:06 ID:pvZfEZrU
業報輪廻について、 “(自分で)考える機会/刺激”を皆さんに提供したい。 これが今回における、この私の2ch転生の真意です。 議論の参加に意義を感じない方や、 この種の議論そのものを辞めるべきだと見なす方は、 どうぞ参加されないように・・。
>>302 「バーチャル預流果」という表現をしたのは貴方でしたよ?w
ノシ
>>297 >>299 外道 宝珠、隠居
時空際断=空において「存在」という“観念”自体がありえない。
言語論理は時空を前提とするからだ。
「存在」という観念が生み出されるバッファー、それを「縁起」という。
307 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 01:23:40 ID:pvZfEZrU
>>303 「言語論理は時空を前提とする」
その世界を超越するのが仏教の究極目標であるニルヴァーナなのです。
これは現象界の性質を超越した概念であり、そういった極限の境地なのです。
それを理解しない人が勝手に、世俗の倫理道徳家や心理カウンセラー紛いのことをいう。
「中道」というのは、
現世快楽主義と狂信的苦行といった偏った生き方をしないことであって゜、
仏道を歩む上での修行姿勢のことです。中道によって現象界を超越した境地に到達するのです。
とにかく勝手なことをいわないで、仏教書の基本ぐらい自分で開くことです。
引用を紹介しますか?w
(何度も既出ですが・・他の部分もあるか?www)
308 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 01:26:43 ID:P4L0Z2zl
なるほど、不説氏、 あなたは私のレスには全く答える気はないのですね。 結局、あなたは自己に都合の悪い指摘は、意図的に無視し、 自己の見解だけを一方的に述べるというスタンスなわけですね。 これでは、宝珠と全くかわるところが、ありませんね。まさしく類型です。 セブンには「卑怯、姑息」と指摘され、10氏には「もっとも恥ずべき行為」という 指摘をされても「把握した」という、言い回しで了解したかのように 言いながら、その実、「全く聞く耳もたず」というのが真意でしたか。 まあ、今回のやりとりも、あなたが、どのような人物か理解が深まった だけでも良しとしますか。
>>296 前略スレ10氏
あなたの主張内容としては、そのようなことであるということは把握したつもりです。
が、それが客観的に受容すべき適正な内容かどうか、その点について私に疑義が残る
限り、私の側としては何とも応じかねます。
スレタイ
>>1 の内容に基づかず、スレ立て主の意向に反した、特定の者の間で特定の
経緯に基づいて合意されたと主張されるルールを盾に、スレからの退去を迫る要求に、
応じるというのが、2ちゃんねるでは、推奨されているのかどうか? それが推奨さ
れているということを私自身が納得すれば、自ら退去いたしますが、今のところ納得
できておりません。
あと、そこで、すかさず論点をマクロな方に広げて
@「2ch全体の暗黙の了解」
などといった別の論点を出されていますが、「暗黙」などというものを持ち出す
のは、あなたのやり方としてフェアなやり方なんですか? あなたがフェアとい
うことに拘らないし、他人にもそれを押し付けない、というような寛容なスタン
スの方であれば、私は別にそれで構わないのですが……。
310 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 01:28:54 ID:gLYSBmUN
>>291 創唱宗教は、生存を重視しない、むしろ生存を害する行為です。その宗
教を批判する行為は、私の定義では、「大いなる善」です。
そもそも釈迦には、「善悪の定義」さえ、全く出来ていません。
311 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 01:30:08 ID:P4L0Z2zl
おい、宝珠。 スッタニパーターの6経文の解説は、どうした? また、お前、得意の引き伸ばして、うやむや狙いか?
>>309 >2ちゃんねるの利用法上、それほど問題のある行動でしょうか?(
>>286 )
との事ですので、確認してきました。
2chのルールとして、
「議論を妨げる煽り、不必要に差別の意図をもった発言、第三者を不快にする暴言や排他的馴れ合い、同一の内容を複数行書いたもの、過度な性的妄想・下品である、等は削除対象とします。
地域・人種などの差別発言は人権問題板で、蔑視的思想発言は政治思想板で、それ以外は削除対象になります。」
とあるので、「差別発言」は、「2chのルールとして」許容されていないようです。
「議論または会話が成立しないほどの状態になった場合は削除対象になります。」とか、
論理的でなく主観のみに基づく発言等が削除対象になると言う意味の事も書かれて有るので、
「議論の放棄」についても、「2chのルールとして」許容されていないようです。
313 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 01:34:43 ID:pvZfEZrU
>>311 着手していますよ
ヽ(`Д´)ノプンプン
314 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 01:35:59 ID:P4L0Z2zl
>>309 >あなたのやり方としてフェアなやり方なんですか?
「フェア?????」 お宅が「フェア」を口にしますか?
一方的に自己の見解を述べ、それに対する批判、反論を一切拒否する
お宅が「フェア」「2ちゃんルール」を口にしますか?
>>280 隠居
>「もろもろの『存在』は
>『 』は引用者が付加。
>もろもろの『存在』は←は完全な誤訳だ。
正しくは「事物」=(縁起)現象をいう。
龍樹は第一章冒頭で決然として「不生」宣言を行ったのだ。
説一切有部への必殺パンチである。
ヘーゲル的Werdenの否定であって、反弁証法論だ。
反実在論の冒頭宣言である。
アホか。
>>310 そうですか、「あなたの」定義ですか。おそらく、様々な宗教の教祖も、その宗教に
おける「私の定義」による善に基づいておられるのでしょう。我の定義と我の定義と
では、他者を納得させることは難しいのではないかと考えます。
我とはそのようにして苦を生むものなのでしょうね。
317 :
315 :2010/02/07(日) 01:42:16 ID:Z76IilIu
ねむい。 明日は炊き出しをやる。 おまえらコタツミカン連中をかまっている場合ではない。 落ちる
318 :
315 :2010/02/07(日) 01:46:42 ID:Z76IilIu
隠居よ。 まともに議論の相手になってほしいなら、 インチキやるな!!!!! 寝る
319 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 01:59:03 ID:P4L0Z2zl
一つ、はっきりと確認しておきたいことがあるのだが、ここは 『自己の見解を一方的に語り、それに対する異論、批判、反論等を 一切拒否して、ただ、上から目線にて「私は教えてあげているのです。 理解できない愚か者には、返答しません。」』というような姿勢が許容 されるのかい? 俺が考えるに、この2チャンのような掲示板においては、 「自己の書き込みに対して、最低限の説明責任というものがあると 思うのだが。すなわち、自己の書き込みに対して、疑義、批判、異論等 が提示されたのなら、(それが、全く理不尽なイチャモンで無い限り) それに対応すべき責任が当然伴うと考えるのだがな。 確かに、他のスレなどでは、批判は一切受け付けないと公言し、延々と 自己の見解だけを垂れ流すコテも見かけるが、そのようなオナニーに 類する行為をこのスレでも許容するのか? そうであるならば、ここも最低のスレになるのも時間の問題だと 思うがな。
320 :
315 :2010/02/07(日) 02:08:16 ID:Z76IilIu
>>307 >現象界を超越
完全な意図的誤解、仏教ではない。
我執分別による「相」が異なるだけだ。
おまえは外道マハーカッサバ教の経典を御都合主義で利用しているにすぎない。
「世間(生死の世界)はニルヴァーナといかなる区別も存在しない」(中論25-19)
区別して「超越」を論じるのは、縁起一代も宝珠も我執分別の境地にしかいないからだ。
しょせん、アキメクラだ。
御都合主義アキメクラが妄言曲解をばら撒くな!!!
言っとくが、マハーカッサバ経典からでは、ブッダの金口の説法は提示できない。
確立した学説だ。
321 :
315 :2010/02/07(日) 02:15:04 ID:Z76IilIu
「存在」という観念が生み出されるバッファー、それを「縁起」という。
>>305 (私の前世?における)その発言、思い出しましたw
ありがとうございます。
323 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 02:24:04 ID:pvZfEZrU
>>320 仏教の説く「法」(法則)とは現象界の性質のこと。
これを「有為」と呼ぶ。対するニルヴァーナはこれを超越したものであるから「無為」という。
両者は全く異なるものです。あなた嫌いな対極のものですw
これを理解する姿勢が「中道」ね。
駒沢に確認します?
私は自信があるけどwww
てかっ、前回の問い合わせについての
音沙汰(返信)のない大学ですねぇ〜(涙)
324 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 02:25:45 ID:pvZfEZrU
では、お待たせ〜\^^
>>124 >>139 >>164-165 >>170-171 は、
また後日にやります。
779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜
き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。
--------------------------------------------------------------------------------------
ここでいう「想い」とは、パーリ的に「名称と形態」のことであるという。つまり、現象界に対する理解を知り
尽くすことで、「激流を渡れ」といっている。この仏典中における川の流れの表現は業報作用のことであり、
激流という表現によって業報作用によって止むことのなき恐ろしい輪廻の大河に押し流される様をいう。
その輪廻の流れを超えろと述べている。
所有欲といった煩悩を根絶する修行に専念して、現世(現象界)の生存も天界の生存(死後における至
福の世界)の望まず、涅槃を目指すという意味。
786 邪悪を掃い除いた人は、世の中のどこにいても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が
存在しない。邪悪を掃い除いた人は、いつわりと驕慢とを捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴くであろ
う か?かれはもはやたより近づくものがないのである。
--------------------------------------------------------------------------------------
邪悪と偽りと驕慢を捨て去ってた者は輪廻しない。逆にいえば、これらを捨て去っていない者はすべて
輪廻している。様々な生存における偏見(来世における不安)は現実のものとなる。
801 かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがな
い。 諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居は、かれには何も存在しない。
--------------------------------------------------------------------------------------
“最上”の境地にある彼には存在しないが、その他の人間には種々の生存(この世や来世)=固執の住
居は現実そのもの。
325 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 02:26:43 ID:pvZfEZrU
803 かれらは、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。かれら は、 諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもな い。 このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。 -------------------------------------------------------------------------------------- このような人は還ってこない。でない人は還ってくる。つまり、来世の生存を受けると。パーリ的に、このよ うな人とは「真人」、解脱者のことをいう。 865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関し て いだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」 -------------------------------------------------------------------------------------- そのものズバリです。それに基いて起こる(成就する)ものとは、欲望による来世の転生です。それに基 いての「それ」とは、「縁」のこと(「それを縁として起こる」『ブッダのことば』岩波文庫/昭和48年・第18刷発 行の別訳--訳注ではジャイナ経典の引用を上げて、欲望/渇愛が迷いの元であり、迷いに基いて業が生 じる意味だと解説している)。 898 戒律を最上のものと仰いでいる人々は、「制戒によって清浄が得られる」と説き、誓戒を受けている。 「われわれはこの教えで学びましょう。そうすれば清浄が得られるでしょう」といって、<真理に達した者> と称する人々は、流転する迷いの生存に誘きこまれる。 -------------------------------------------------------------------------------------- これもズバリ、「流転する迷いの生存」といっており、これらの人々は輪廻から逃れられないという意味。 以上
326 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 02:38:44 ID:P4L0Z2zl
不説氏、あなたは「避難所スレ」で『自分を釈迦に擬えていましたね』 それは良いでしょう。 また 『自分を賢者と規定していましたね』 自分を賢者であると思うのも良いでしょう。 しかし、このスレにいる多くの者は、「賢者である、あなたの教えを 聞く為に、ここにいるのではないのです。」 ですから、当然、あなたの見解に対して異論を唱える者もいます。 そのような者たちに対する、あなたの意識は 「自分の言うことが理解できないのは、お前が馬鹿だから。」 このようなものでしたね。 自分を賢者と規定されてるわけですから 当然ともいえますが、 そのような姿勢を今後も貫くつもりでいるのならば はっきり言って、このスレの住人として迷惑なのです。 私自身は言うまでも無く、このスレの他の住人も、おそらく 「対等の関係における」 『対話、討論』を希望しているものと推測します。 つまり、あなたの『御高説をお聞きする』ことを望んで、ここに集まって きているわけではないと思います。 その、あなたのいる高位の場所から降りてきて、対等の関係で議論 する気にはなれませんか?
327 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 02:54:44 ID:P4L0Z2zl
こら、こら、予想通りのレスとはいえ、もう少しは何とかならんかったのか?(笑) お前これでは、単なる語句解釈で、いったいどこが 『輪廻を説いている』ことになるんだ? 俺は、こうなることとを予想して、初めからはっきりと 『輪廻に言及しているからと言って、輪廻を説いていることには ならない』と繰り返し、言ってきたよな? いったい何を読んでた? これらの経文は全て、 @聖者のすばらしさを礼賛するもの A聖者になること、すなわち、執着を脱し解脱への道を歩むことを 推奨するもの これが趣旨であり、輪廻への言及は、その動機付けにすぎんだろうが? 『言及してたら』 それで、その事例を真実と認め、『説いた』ことに なるわけかい? お前の脳内では。 「悪いことすると、地獄で鬼に折檻されるぞ。」との説教の話を お前は『地獄と鬼が実在する』ことを主張する話と理解するわけだ? もう少し、文章読解力を身に着けような。
328 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 03:06:39 ID:pvZfEZrU
>>327 言及?
これらは、「輪廻転生という現象は“ある”」という文意ですよ。
ハテ、あなたはどこをどう読んでいるのでしょうか??
地獄に鬼がいないであれば
地獄に鬼などいないから、「地獄で鬼に折檻されることはない」と述べるでしょう。
何でも方便にしないようにしましょうか。
輪廻転生を前提としないならば、全ての仏教理論は崩壊するのです(成立しない)。
一見、成り立つように見えるものとは、単に現代心理カウンセラーレベルの話であり、
それだったら、最初から仏教などは無用というものです。
仏教は宗教なのね。そんな唯物論じゃないから。
辞書を開こうw
私の解説のどこが間違いなのか?
駒沢に聞く?
329 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 03:26:19 ID:P4L0Z2zl
>>328 は〜〜〜〜〜〜?
>言及?
これらは、「輪廻転生という現象は“ある”」という文意ですよ。
ハテ、あなたはどこをどう読んでいるのでしょうか??
いったい、どこをどう読めば、これらの経文が「輪廻が真実である
ことを説くのが趣旨の経文」であると読めるの?
いいか?釈迦在世当時、輪廻は忌むべきものだった。これが一般民衆
の常識。 ならば、当然、そのようなものに煩わされない、最高の
存在である聖者を讃え、聖者を目指す道を歩むことを推奨することにおいて
『輪廻に言及するのは寧ろ当然』でしょ?
お前の脳内では、言及されたことは全て真実になるわけか?
>地獄に鬼がいないであれば
地獄に鬼などいないから、「地獄で鬼に折檻されることはない」と述べるでしょう。
これに至っては、もう無茶苦茶だね。いいか?
大人が子供に「ウソをつかないように指導するとき」
『ウソをついたら、死んだ後、地獄に行って、鬼に折檻されるぞ。
だから、ウソをついてはいかん。』
このような表現で、子供らに「ウソをつかないように指導」してきた
ことは数多くあったよな?
このとき、このように発言した大人は、『地獄があって、鬼がいることを
真実であると認識している』と言えるか?お前は、この大人は
このような発言をしたのだから、間違いなく地獄と鬼の実在を信じていると
主張するわけか?
また、さらに、この発言をもって、『これは地獄と鬼の実在を主張する発言』
であると言うわけか?
とりあえず、小学生並みの読解力をつけな。
330 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 03:37:26 ID:P4L0Z2zl
んじゃ、最初のひとつを見てみるか? >779 想いを知りつくして、激流を渡れ。聖者は、所有したいという執著に汚されることなく、(煩悩の)矢を抜 き去って、勤め励んで行い、この世もかの世も望まない。 なあ、いったいこれのどこが、『輪廻を説いた』経文なの? おまえ自身が、 これは >所有欲といった煩悩を根絶する修行に専念して、・・涅槃を目指すという意味。 と解説してるじゃん(笑) つまり、この経文の趣旨は『聖者を目指して、がんばりなさいよ。』 って、こと。 これが本旨。 これのどこが 『輪廻ってのがあって、それは、これこれこういうもので、そして ・・・・・』と、『それを読む者に輪廻が真実であると伝えようとする』 経文であると読めるわけ? ホントに大丈夫か?
331 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 03:49:22 ID:P4L0Z2zl
>私の解説のどこが間違いなのか? 駒沢に聞く? 聞いて来い(爆笑) いいか、必ず聞けよ。 その際、論点が あやふやになっては、いかんので 「これらの経文は @聖者のすばらしさを讃え、あるいは、聖者への道を目指す(煩悩を滅し解脱する)ことを 推奨する趣旨の経文であるか? あるいは、 A輪廻業報が真実であり、そのことを、読むものに理解させることが趣旨の 経文であるのか?」 このいずれであるかを聞いて来い。
332 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 03:50:13 ID:pvZfEZrU
>>330 あなたこそ仏教大とかに問い合わせたら、笑われますよ。
そう。『聖者を目指して、がんばりなさいよ。』 といってる経文でいいでしょう。
では、その聖者(覚者)とは何か?輪廻の流れを渡った存在であり、
輪廻はそのための前提として説かれているのです。
あなたの理解する仏陀とは何?
どうせ・・勝手な唯物論なのでしょうが!
そんなの宗教じゃないから。当然、仏教でもない。
では、仏教大にでも確認してみますか?
これは聖者になるよう頑張れという経文であって、
輪廻が事実として在ることなど意味しないのだと。
その解釈が妥当かどうか?てか・・返信来ないからねぇ(笑)
じゃーあなたの見解を正しいと認める仏教宗派とはどこ??
そこに本当かどうか、確認を取らせて貰うので明示願いますか!
その宗派名、団体名を教えてください。
333 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 03:52:47 ID:pvZfEZrU
>>331 >このいずれであるかを聞いて来い。
ですから、「前提」として述べてるのですよ。
何故か?輪廻(してる)という理論はもう当たり前のものとしているからです。
そこから、どうするのかが仏教の教えなの。
334 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 04:00:29 ID:pvZfEZrU
だから、 何のための世俗を捨ててまだ修行するのか?ということ。 それは、輪廻から脱するという究極の目標のためですよ。 生まれ変わりを前提(当たり前)とするから、 今生の残りの生涯を脱俗しても全く悔いがないのです。 つまり、これまでの何十という生涯は世俗で生きてきた、 と考えるからですよ(これがゴータマの教え)。
>>299 宝珠愚者氏
一応、最近のこれまでの愚者さんへのレスとして明示したコメントで、私が
「一仏教者のつもりで」、愚者さんの見解に対して感じたことを大方述べさ
せていただいたと思います。これらは、特に、愚者さんから問われて答えた
というよりは、私の側の率直な意見ですので、直接、愚者さんの側の考え方
を変えようとするような意図は持っていません。もし、愚者さんの方で、今
後何らかの事で私にお尋ねになりたいこと等ございましたら、三帰依文でも
お唱えになるなどしていただければ、私がつられて寄ってくるかもしれませ
ん。
(今すぐ去るというつもりではないですが、述べるものを大体述べてしまっ
た後は、レスのペースも自然減少して2ちゃんねるからも再び足が遠退くこ
ことも考えられますので、予めお伝えさせていただきたいと思います)
とりあえず、神智学大要については、今後の宿題とさせていただきます。
336 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 04:04:50 ID:P4L0Z2zl
あのなあ、論点をすり替えるなよ。 いいか? 焦点は、「最古層と言われるスッタニパーターの第4、第5において 「輪廻を説いたといえる経文は存在するか?」 これが論点だったな? 「輪廻という理論が当たり前の常識」というのは認めよう。ただし、 釈迦在世当時の『一般民衆間において』だ。 『釈迦が』輪廻を当然の真実と認めていたという証拠は「最古層」には 存在しない。 お前は、「最古層において『輪廻を説いている』経文を列挙する」と 言ったな? さあ、論証してもらおう。 お前の列挙した経文は どう読んだら『輪廻を説いている』と読めるんだ?
337 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 04:16:22 ID:pvZfEZrU
あなたが輪廻転生ということを信じないのはと自由なの。 しかし、それは仏教ではない、と私はいってるのです。 奈良氏も信じてはいない、ようだけれども、 仏教の思想としては、輪廻から解脱して涅槃に入ることだと説明するでしょう!(している) これならばいい。当たり前のことですから。
338 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 04:23:35 ID:pvZfEZrU
>>335 はい、ありがとうございました^^
>三帰依文でもお唱えになるなどしていただければ
私も読経の習慣は何年も体験しています。
当然、三帰依文を唱えるのも含まれます。
けれども、
今はもう、「読経」には興味がありません。
仏典は読んで解すもの。
私は仏典・聖典を読誦したり、
特に礼拝行為は行っていません(卒業)。
339 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 04:26:20 ID:P4L0Z2zl
>>337 >あなたが輪廻転生ということを信じないのはと自由なの。
また、これかい。反論できなくなると、出てくるいつもの決まり文句。
少しは、違うセリフでも考えろ。
いいか?論点をすり替えるな。 お前は自分の言ったことに責任を持ちな。
俺が輪廻を信じる、信じないなど、全く関係なし。また、
輪廻の存在が、『お前のいう』仏教か否か?なども全く関係なし。
論点は、あくまで
>最古層と言われるスッタニパーターの第4、第5において
輪廻を説いたといえる経文は存在するか?
だったな? お前は、その『輪廻を説いた』経文を列挙すると言った
わけだから、 自分であげた経文が『輪廻を説いていること』を論証
する責務がある。 さあ、論証してください。
どう読んだら、「輪廻を説いている」と解釈できますか?
340 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 04:47:21 ID:P4L0Z2zl
俺の主張は以下の通り、 「いわゆる最古層といわれる資料には、釈迦が積極的に輪廻を説いた 記述は見られない。すなわち『輪廻というものが真実であり、そのことを 読む者に伝える趣旨によって書かれたと思われる経文』が皆無である。 『輪廻への言及』が見られる経文は存在するが、それらは全て、輪廻が 真実であることを伝えることを目的とした経文であるとは、とても言えず 全て「聖者を讃え、聖者を目指すことを推奨すること」が趣旨の経文である。 よって、最古層の資料からは、釈迦が輪廻を真実の現象であると認識していたか 否かは判断不能である。少なくとも、釈迦が輪廻を肯定していたと結論付ける ことはできない。」 以上ですな。 さあ、宝珠。 お前は「最古層資料に『輪廻を説いた』 経文を列挙すると明言したわけだから、しっかり、論証してくれ。 期待してるぞ。
341 :
前世は一在家 :2010/02/07(日) 08:23:05 ID:R91Q0yU7
>>329 >これらは、「輪廻転生という現象は“ある”」という文意ですよ。
原始仏教には「輪廻」に関する記載が多数確認されます。
「輪廻」は「因果応報の法」を前提にします。
「因果応報の法」の前提は「因果の法」です。
「因果の法」から「時間」を除いたのが「縁起の法」でしょう。
「縁起の法」を机上で証明し「空」の理論を展開したのが天才哲学者の龍樹。
以上、釈尊の教え(原始仏教)を現代の大乗仏教に変えた最大原因の検証
と致しております。
342 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 13:14:55 ID:pvZfEZrU
>>339 >最古層と言われるスッタニパーターの第4、第5において
>輪廻を説いたといえる経文は存在するか?
>>340 >「いわゆる最古層といわれる資料には、
>釈迦が積極的に輪廻を説いた記述は見られない。
>
>『輪廻への言及』が見られる経文は存在するが、それらは全て、輪廻が
>真実であることを伝えることを目的とした経文であるとは、とても言えず
積極的ではないのは(消極的)、
輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。
それらは、もうすでに当たり前のものとして、それを前提として、
ではその実態を前にして我々は如何にあるべきか?
を問うているものだからですよ。消極的とはいってもそういう意味です。
もう、一つの消極的な意味合いというのは、
輪廻というものはそもそも耐え難く、とても宜しくない状態として見なしているからであり、
その忌むべき輪廻から脱したいがための姿勢(意志)が表現されているからです。
そして更に、後代となり経典中においては、
輪廻転生を事実として詳細に述べていることはご存知の通りです。
ところが、あなたのやってることというのは、
殺人犯が投獄を逃れようとして逃亡旅行をしている様子を伝える文章があったとして、
これは確かに、殺人行為については言及してはいるが、
しかし、この文章はただ旅行の行き先についてアレコレ主張したいものであって、
彼が殺人を犯したこと(疑いの濃厚な可能性)を示すものではない。
といってるようなものです。
こんなことでは、どうやって検察官は勤まるのでしょうか?
343 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 13:21:21 ID:pvZfEZrU
追記: で、できれば私の質問にお答え頂ければ有難い。 1.あなたの理解するところの、仏教が目指す覚者(仏陀)とはどういう聖者のこと? 基準や能力や境地、或いは精神性についてできるだけ具体的に解説を希望します。 2.あなたの自説が認められている仏門(仏教信仰団体)はどこに存在するのですか? 私は、そこへ問い合わせ確認しますから?所在/連絡先をスレ上に明示して下さい。
344 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/07(日) 13:26:31 ID:pvZfEZrU
追記2: 私からのお願いです。 1.については、“教典の引用付き”(コピーor打ち込み転載)でお願いします。 原始経典群中であればどんなものでも構いません。
345 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 13:46:32 ID:BfqMUbps
「転生」とは「身体」に関する現象だから、生物学や医学の専門分野。 宗教が出る幕ではない。 経典に書いてあろうとなかろうと、現代科学の水準では、明らかな誤り。 釈迦は、科学の発達前の人物だから、釈迦の誤りは訂正してあげるのが、 「現代の」仏弟子の義務。何時までも釈迦の誤りの恥をさらし続けるのは、 釈迦の冒涜、釈迦に対する名誉毀損である。「当時における」最先端の 改革者であった釈迦の意図にモロに反することは、明らかである。 釈迦が現代に生きていたら、輪廻転生などアホなことを説くと思うか。 大昔の釈迦が何を言ったか、ではなく、釈迦が現代に生きていたら何を 教えるか、を常に追求するのが、現代における佛教である。 ヒポクラテスは、「医学の父」と呼ばれているが、現代においてヒポク ラテスの教科書で治療したら、患者は皆死ぬ。身体という具象物のことは、 科学の進歩に委ねるべき。 宗教文献的には、並川氏の最新の研究によって、既に解決済み。
346 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 13:56:07 ID:YWVgpKXs
>釈迦が現代に生きていたら、輪廻転生などアホなことを説くと思うか。 発想が宝珠さんですね。
347 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 14:00:50 ID:BfqMUbps
>>346 宝珠氏は、大昔の文献にしがみ付いているのだから、全く逆である。
348 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 14:06:18 ID:YWVgpKXs
自分の評価する人物は、持論にとって好ましい存在でなければならない、という物の考え方は全く同じです。
とにかく、宝珠・在家の観念論、隠居の唯物論は、 ともに経験的に検証できない戯論(形而上学)を根拠とするものであり、 釈迦中道仏教と相容れない、というより論外だ。 かれらの「仏教」上の根拠はいずれもインチキ経典の御都合主義引用および 龍樹の意図的歪曲・誤解にもとずくものであって、いずれも却下されるべきものである。 なんで、かれらが仏教スレにしがみつこうとするのか、不思議だ。 よほどお仲間のレベルが低いのだろうw
>>342 >後代となり経典中においては、
>輪廻転生を事実として詳細に述べていることはご存知の通りです。
だれが述べたのか?アビダルマのスコラ坊主どものでっち上げではないことを立証せよ。
ブッダ→サリープッタ・スプーティの大乗の流れを変転・歪曲させたのがマハーカッサバ一派(小乗の流れ)であり、
ブッダの大乗の原点に帰らせたのがナーガールジュナだ(帰敬序)。
大乗とは、釈迦一仏ではなく、だれでも等しくブッダと同じく悟りの境地に達しうることをいう。
釈迦仏教≠原始仏教=マハーカッサバ教(ジャイナ教×ヒンドウゥ教謀略潜入)
マハーカッサバ教はその実、ジャイナ教(スッタニパータにもブッダ否定の苦行者文学汚染残滓多数)の影響大なのだから、
ヴェーダの権威を否定しつつも、実質アートマン肯定論であり、輪廻転生論を説くのは当然。
おまえら迷いの外道が輪廻転生論にしがみつくのは常態だが、
釈迦仏教のアイデンティティは初転法輪にある。
輪廻転生論など完全に無視されている、歯牙にもかけていない。
ヤーニュージャヴァルキアのインチキ迷妄論なのだから当然だ。
>>309 > それが客観的に受容すべき適正な内容かどうか、その点について私に疑義が残る
> 限り、私の側としては何とも応じかねます。
客観的に判断する素材として、「2chのルール(
>>312 )」を提示しましたが、
まだ判断は付きませんか?
私が主張しているのは、2chのルールを守りたくないのなら、
初めから「このスレはルールを守らなくてもいいスレッドです」とテンプレに書かれたスレッドに、
移住をすべきじゃないかと言う指摘です。
まあ、専用スレ自体が2chのルールに反しているという指摘は当然あるべきだと思いますが、
その程度の寛容性はあってもいいんじゃないですかね?w
もし、専用スレも許容しないというのであれば、貴方の言動は専用スレでも許されるものではなく、
貴方は、2chを退去すべきだという結論になります。
まあ、雑談系や、政治思想板、オカルト板にいけば、貴方のような言動も許容されるようですよ。
もう一度言いますが、2chの退去要求(≒削除依頼)する事は、ルール上できると、私は思います。
それを敢えて一歩譲って、専用スレに移住する事をお勧めしたんですが、それの何処がまずいんでしょうかね?
>「暗黙」などというものを持ち出すのは、あなたのやり方としてフェアなやり方なんですか?
お望みの通り、キチンとしたルールを引用しておきました。(
>>312 )
>>323 >駒沢に確認します?
>私は自信があるけどwww
>てかっ、前回の問い合わせについての
>音沙汰(返信)のない大学ですねぇ〜(涙)
前に聞いた時「メールした」といっていましたが、一体、何処にどのような内容でメールしたんですか?
駒沢大のHPを見てきましたが、対応するような窓口のメールがチョット見つからなかったんで、
何処にメールしたのか、アドレスを含めて、部署を教えていただけますか?
まさか、総務部広報課
[email protected] ですか?w
それから、出来れば、公開質問状形式を模して、前回送信したメールの内容も教えていただきたいところです。
もし、アドレスや内容を公開する意思が無いなら、「なぜ公開しないのか」を明確にしていただけますか?
まさか、「本当は送って無いから」なんて理由じゃないですよね?w
そして、前にも指摘しましたが、さっさと回答して欲しいのでしたら、なんで電話しないんですか?
対応の優先順位としては、「メール<<電話<<<直接訪問」だと思うんですが。
>>324-325 ……質問に対する回答になってませんね。
>これのどこが「輪廻を『説いている』経である」と言えるのか?(
>>158 )
という質問に対し、
>この私が6経文の全部について解説します (“輪廻転生を真実のものとして示している”という意味において)。 (
>>162 )
と、回答を確約しているにも関わらず、その結果がコレですか……
これらは、単なる経典の(貴方の解釈による)解説であって、
「釈尊の発言に、輪廻と(貴方が)解釈できる部分がある」と言っているにすぎず、
「釈尊の発言のこの部分が、輪廻を『説いている』部分だ」という回答になってません。
小学生の国語のテストなら、質問と回答が一致していないと言われて、0点ですよw
一々全部に突っ込むのは某人がやるかと思うので、別の切り口から、何点か指摘しましょう。
細かい所から揚げ足を取れば、これらの解釈には、「なぜそのように解釈できるのか」という理由が書かれていません。
それでは、779 を、
「この仏典中における川の流れの表現は「経済における資金の流れ」のことであり、
激流という表現によって「経済における資金の流れ」によって、
止むことのなき恐ろしい拝金主義の大河に押し流される様をいう。 」
という解釈をしても、いい事になってしまいます。
なぜ、激流=業報作用による輪廻 と解釈できるのかの理由の提示が必要です。
もしかして、「この詩句は、輪廻について釈尊が説いたものだから、全ての表現は輪廻の比喩である」という、
循環論法に陥ってませんか?
>>324-325 より致命的なのは、「この世もかの世も望まない。」と言う事は、来世を望む事を否定しているだけで、
来世がある事を説いている訳ではありません。
しかも、「元々ないものだと気が付いて、望まなくなる」と言う解釈が可能であり、貴方はその可能性を否定していません。
これは「逆・裏は真とは限らない」という論理学の基本中の基本を理解していない事に原因を発しています。
例えば、「タマは猫である」が真であるとき、「猫であるならタマである」「タマで無いなら猫でない」は真ですか?
よって、釈尊が「ある命題を真であると説いた」としても、「その命題の逆や裏を真であるとして説いた」事にはなりません。
以下の主張についても同様です。
「逆にいえば、これらを捨て去っていない者はすべて輪廻している。」
「このような人は還ってこない。でない人は還ってくる。」
「その他の人間には種々の生存(この世や来世)=固執の住居は現実そのもの。 」
以上、貴方の主張からは、「釈尊は、輪廻を『説いた』」とは言えませんね。
>>342 >輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。
ああ、つまり簡単に言うと、「Sn.4-5章は、輪廻を『説いている』経ではない」と言う主張ですね?w
>>341 前世は一在家さん、またこのスレに舞い戻ってきたんですねw
移住したんじゃなかったんですか?
>>342 >ところが、あなたのやってることというのは、
>殺人犯が投獄を逃れようとして逃亡旅行をしている様子を伝える文章があったとして、
>これは確かに、殺人行為については言及してはいるが、
>しかし、この文章はただ旅行の行き先についてアレコレ主張したいものであって、
>彼が殺人を犯したこと(疑いの濃厚な可能性)を示すものではない。
>といってるようなものです。
>こんなことでは、どうやって検察官は勤まるのでしょうか?
つまり貴方は、殺人者かどうか分からない容疑者がいて、
その容疑者が、「殺人事件がニュースでやっていた」と、ある殺人事件に言及し、
かつ「警察から逃亡中である」と言う日記を書いていたら、
「私はこの殺人事件の犯人である」という既述が無くても、
「殺人犯ではないと主張しないと言う事は、殺人犯であると言う事だ!」とか、
「殺人事件に言及し、警察から逃亡しようとする奴は、この殺人事件の犯人である!」と決定するべきだと主張するんですね?w
「窃盗犯が警察から逃げつつ、ニュースを見ただけ」などの、他の可能性は一切考慮する必要が無いというんですね?
貴方みたいな検察官がいたら、凄まじい冤罪が頻発するでしょうね……。
>>343 横レスですが。
質問を間違っていると思いますよ。
まず、1は「仏教」を定義しないと、「釈迦の仏教、原始仏教、初期仏教、上座部仏教、大乗仏教、現代日本仏教…」
それぞれの立場で、全く違う回答になると思います。
そもそも、ここで議論しているのは、「仏典の最古層(≒歴史上の釈尊)が輪廻を説いたかどうか」と言う議論ですから、
現代仏教における仏陀の定義なぞを議論しても意味がありません。
質問として適当なのは、「あなたの理解するところの、歴史上の釈迦が目指した覚者(仏陀)とはどういう聖者のこと?」
であるべきかと思います。
まあ、それにしても質問の意図が不明ですがw
そして、2は更に意味不明です。
もしかして、信じる人の数が多ければ正しいという主張をまたするんですか?
もしそうならば、「古代に於いては、大地は亀の背中に乗っていた」と主張なさりたいんですね?w
>>345 前にも指摘したと思うんですが、
生存中〜死亡までは医学の範囲だとは思いますが、
「死後の世界」は、生物学や医学の分野じゃないと思いますよ。
そして、「転生は明らかな誤り」とは、断定できないと思いますがね?
「輪生が存在しない積極的証拠」はあるんですか?
無いのならば、「転生があると言うのは誤りである蓋然性が高い」程度に止めておくべきかと思います。
361 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 17:45:59 ID:g8+BR24Z
聖賢が人に教えるには、その人の理解力に応じた教え方をする。 お医者さんの薬の処方のようなものであろう。 その人がちゃんとしてしまえば用のないもの、無用の長物でしかない。 後代の人はどのような人に対して語られたのかを考えずに 語ったこと語らないことをもって、これのみが真実であるとかそうでないと 言うがとんでもない間違いである。
362 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 18:00:16 ID:kwq0u0nf
>>360 >生存中〜死亡までは医学の範囲だとは思いますが、
>死後の世界」は、生物学や医学の分野じゃないと思いますよ。
世界は、生命の機能としての知覚・認識によって成立します。生物学や医学は、この生命機能が
不可逆的に消滅するところまで確認します。死体を放置すれば、感覚器官も思考器官も腐敗して、
その機能を失います。死者には、いかなる生命現象も不可能です。
「死後の世界」とは、人間の知覚機能・思考機能が消滅した後の世界ですから、それを生存時
の知覚と思考に基づいて語るのは矛盾で、ナンセンスです。宗教や2chを含め、人間のすべて
の営みは、生命の営みです。死後の世界があろうとなかろうと、生きた人間にとっては無関係。
生命の機能によって知覚・認識・思考することは、絶対に不可能な世界なのですから。
死後の世界の可能性など信じていたら、輪廻転生を批判することなどできないはずです。
よく
>>361 のような意見を目にするが、(言わんとする主眼も解るが)、
伝承・継承される間に【何人の思考を経て(経由して)】きているかが
すっぽり抜け落ちている。
まるで、「創唱者」と「今、伝承文献に触れている人物」と二人しか居ず、
「創唱者の言葉が」「そのまま」「今現在の当該人物の目に触れている」かのように・・。
もし、そうであるなら361の指摘は100点満点だろうが、実際はそうではない。
≪間に立った伝承者・継承者達は、
【この文章、この文言を】【この意味で】【残そう】という意図の下に文献を編纂している≫んだよ。
つまり、語られていること(→伝えられていること(→正統とされる文献に記されていること))は、
【その枠内では(→その共同体内部では)、真実と見做す義務が生じる】わけさw
364 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 21:17:44 ID:P4L0Z2zl
>>342 >輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。
お前が、もう自分で結論、言ってんじゃん(笑)
>それらは、もうすでに当たり前のものとして、それを前提として、・・・
いったい、『誰が』 輪廻を『もうすでに当たり前のもの』『それを前提』と
してるって? 釈迦か?
釈迦が輪廻を『もうすでに当たり前のものとして、それを前提として、』いる
すなわち肯定している証拠は 『最古層資料』にはない。
それは、ただ、お前が「そうあって欲しい」「そうあるべきだ」と願望を
投射しているだけ。 そもそも、『釈迦が輪廻を当然のものとして、それを
前提として肯定しているか否か? その証拠が最古層資料の中に見られるか?』
が、焦点なのに、お前の論理は『釈迦は輪廻を当然のものと思ってる。肯定し
ている』という断定から始まっているわけ。これでは、なんの論証にもなって
なく、単なるお前の『願望告白』に過ぎないの。
そのくらいは理解せえよ。
365 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 21:18:50 ID:P4L0Z2zl
>そして更に、後代となり経典中においては、 輪廻転生を事実として詳細に述べていることはご存知の通りです。 だからなあ、それも前にいったろ? お前は何を読んでるんだ?いいか? 「後代の経典が最古層資料の詳細な解説、補完を行っている」とは限らないの。 『後代の弟子たちの勝手な改変、増稿の可能性』が排除できてないでしょ? さらにお前が言うように「後代のより詳細な資料」ほど信がおけるという論理で いくなら、さしずめ、ダイアモンドヘッド経が最も信頼できる経ということになるぞ。 >殺人犯が投獄を逃れようとして逃亡旅行をしている様子を伝える文章があったとして、 これは確かに、殺人行為については言及してはいるが、 しかし、この文章はただ旅行の行き先についてアレコレ主張したいものであって、 彼が殺人を犯したこと(疑いの濃厚な可能性)を示すものではない。 といってるようなものです。 これ至っては、お前の頭を本気で疑ったぞ。(笑) お前のこの喩え?は、初めの設定からして、まるでダメ。お前は、最初から 「殺人事件が事実としてあった」としているわけ。このように、「殺人事件を既成の事実」 として設定するならば、以下、どのように話を進めようが「殺人事件があったことは覆ら ない」 当たり前だ。 初めに「殺人事件があったこと」にしているわけだから。 これを現在の事例に比すると、 最初から釈迦が輪廻を当たり前のものと認識し、それを前提としての語りであると断定 し、それが事実であるとの設定から論証をはじめることになるわけ。 わかるか? つまり、お前は自己の好む結論を最初に事実と断定した上での話ししかしてないの。 今、問題となっているのは「本当に殺人事件があったのか否か?」「釈迦は本当に 輪廻を肯定していたとの証拠があるか否か?」 お前の話は、「喩え」にも何もなってないの。
366 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 21:20:02 ID:P4L0Z2zl
>>343 >1.あなたの理解するところの、仏教が目指す覚者(仏陀)とはどういう聖者のこと?
基準や能力や境地、或いは精神性についてできるだけ具体的に解説を希望します。
前にも言ったが、俺は仏教徒ではないし、勿論、解脱した体験はないし、聖者でも
ない。 よって、聖者がいかなるものであるかは、分からないし、それついて
語ることもしたことはない。( 聖者、涅槃が仏教でどのように語られているか、
セブンに尋ねたことはある。) よって、部外者である俺が「仏教で語る聖者とは
〜であり、また、涅槃とは〜である。」と語ること自体、不遜であろう。
勿論、経典内にある記述の最大公約数的な解説、「聖者とは、無常、無我の概念を
了解することにより、全ての妄執を滅し、苦を消去し、・・・・」などと分かった
ような解説をすることは可能であるが、仏教徒たちに言わせると、聖者、涅槃とは
そのような言語表現を超えたところにあるものとのことだ。俺は、「そんな言語で
理論的表現不能なものは、『全て』認めない」というようなスタンスを取る者では
ないので、「聖者も涅槃も嘘っぱち」、などと語ることはしないし、また、
仏教徒たちが目標としている聖者を「〜のような者」と外から解説を試みることも
しない。 そのようなことは、それを目指している仏教徒に尋ねるべきだと思うが?
367 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 21:29:05 ID:P4L0Z2zl
>2.あなたの自説が認められている仏門(仏教信仰団体)はどこに存在するのですか? 私は、そこへ問い合わせ確認しますから?所在/連絡先をスレ上に明示して下さい。 これも何が言いたいのか、分からんな。いいか? 俺の説とは「釈迦が輪廻を『説いた』とする証拠は、最古層資料には見られない。」 こういうものだ。 このようなことを「主張している仏門」が、ある方が不思議 だがな。 例えば「Aさんは昨日寝なかった」という文を指して、わざわざ、 「この文は、Aさんが昨日、食事をとらなかったことを述べている文ではない。」と 説明するものがいるか? 通常は読んで文意が明らかなものは、あえて、「これは 〜ではない。」などと否定する必要性もない。 つまり、「これは、輪廻を説いて いる経文である。」と主張する仏門が存在しないのであれば、それは、そのように (つまり、最古層資料の経文を輪廻を説いている経文と)認識している仏門はない ということであろう? 事実、輪廻を肯定している宗派も、その根拠とする経は 古層以下の経であると思うが、最古層の経文をもって輪廻の根拠としている宗派が あるのか?
368 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 21:34:28 ID:P4L0Z2zl
先に10氏が批判を加えていたので、違った視点により、反論をあげた。 さあ、宝珠、忙しいぞ。 きっちり、それぞれについて『適切な反論』を提示してみな。
>>362 >死者には、いかなる生命現象も不可能です。
その通り。そもそも、定義として、個体の生命現象が終わった者を「死者」と言うんですから、当然です。
そして、だからこそ、「生命現象」を扱う生物学や医学では、「生命現象が無くなった後」の事は扱えないんですよ。
勘違いしてるようですが、私は、「死後も生命現象が続く」と言う、定義に矛盾した主張をしているわけではありません。
「生命現象が無くなった後に、『それとは別の形態で』継続される何かがある可能性は否定できない」と言っているんです。
>「死後の世界」とは、人間の知覚機能・思考機能が消滅した後の世界ですから、
>それを生存時の知覚と思考に基づいて語るのは矛盾で、ナンセンスです。
その通り。そして、貴方が主張なさっている事は、
生存の知覚と思考に基づく学問(=生物学や医学)を元に、
人間の知覚機能・思考機能が消滅した後の世界(=死後の世界)を語る事ができると言う、
ナンセンスそのものの主張です。
>死後の世界があろうとなかろうと、生きた人間にとっては無関係。
>生命の機能によって知覚・認識・思考することは、絶対に不可能な世界なのですから。
だからこそ、肯定できないのはもちろん、「否定も出来ない」と言っているんですよ。
>死後の世界の可能性など信じていたら、輪廻転生を批判することなどできないはずです。
「可能性は否定できないが、現状でそれを主張するに足る根拠は無い」ので、
「輪廻が有ると主張するのは無理がある」と批判しているんです。
「輪廻などない!」とは主張していませんよ。
議論すればするほど、中道釈迦仏教のめでたい縁起の理を納得するばかり。
371 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 22:49:07 ID:csXcflVm
>>369 >「輪廻などない!」とは主張していませんよ。
では、あなたは「輪廻があるかもしれない」という可能性は、何を根拠としているのですか。
宝珠氏は、その根拠を仏典に求めているが、あなたは「宗教外には通用しない」として
否定しておられる。あなたの「宗教外にも通用する」根拠は何ですか。
死ねば腐敗し、元素に分解するのは「宗教外でも通用する」自明のことですが、あなたは、
死後の世界を、どこで、どうやって知覚・認識するお積りですか。「違った形態で残るもの」
とは、どのようなものを、何を根拠として想定しているのですか。
現在、知覚・認識を「客観的に」証明できるのは、心理学や医学だけです。
「宗教外部でも通用する論理」でお答えください。
>>371 馬鹿だろ?
「100%での肯定も100%での否定もできない」と言ってるだけだと思われるが?
よって、【君が、100%での否定立証をしなければならない】んですよw
解ります?wwwww
373 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 22:58:34 ID:97bLkfaj
輪廻の実在を伺わせる耳寄りな来世エピソードがある、とかいう話ではなく そこに首を突っ込んで直に確認する方法がない以上、肯定も否定も 原理的に不可能なんだよ、という文章に見えるんだが。
374 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 22:58:57 ID:P4L0Z2zl
>>371 あのなあ、隠居。横レスだが、この世界に
100%ないと言えることなど、厳密にいえばないわけ。確率上100%と
0%が存在しないのは常識。そのようなものがありえるのは、数学上
設定された理想空間のみ。 いえることは、限りなく0%に近い事象
というだけ。 10氏が言ってるのは、その意味における
>「輪廻などない!」とは主張していませんよ。
な、わけだろ。 その限りなく0%にちかい事象を言語習慣上
「ない」と表現するか否かは、また別の問題だ。
375 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:03:09 ID:97bLkfaj
隠居は単語レベルで脊髄反射するんじゃなくて
もっと相手の言おうとすることを理解する努力をすべき。
>>371 は
>>369 の文面を見るのをあと10秒伸ばせば
しないで済んだレスじゃないのか。
376 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:08:28 ID:csXcflVm
>>374 10氏は、「宗教外で通用する」ことを求めている。宗教外では、100%
でなくても通用する。
私は、100%ではなくても、その「可能性」の「根拠」を聞いている。
100%や完全を求めるのは、宗教だけだ。
377 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:13:40 ID:csXcflVm
>>375 10氏が「死後の世界」と言う以上、それは「具象物」のことである。
「具象物」である以上、「ある・ない」は一義的である。「あるのか
ないのか分らない具象物」があったら、人間社会は成立しない。
378 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:19:22 ID:P4L0Z2zl
>>376 だから、『厳密に言えば』 どのような事象も存在確率
0%と言い切ることはできないの。そのようなものは存在しないの。
論理上、存在確率0%と言えるものは『存在確率0%と言い切ることが
できるようなもの』だけ。 例えば、
ウルトラマンが存在することも、「厳密に言えば」0%ではないわけ。
その意味で「輪廻がないとは、厳密には言えず、それが存在する可能性も
(限りなく0%に近い確率であるが) 否定しきれない。」と言ってるわけ。
>>371 私が言っているのは……、
と書き込もうとしたら、3レスも私の意見を代弁してくださった方が居ましたw
>>372-374 の仰るとおりです。
380 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:25:56 ID:97bLkfaj
>>377 >「あるのか ないのか分らない具象物」があったら、人間社会は成立しない。
現に成立しているので誤り。宗教信者は「ある」と処理し、そうでない人は気にもとめないか、
「ない」とする。「ない」とする場合の処理の一つは、いま隠居に教え諭されているもの。
381 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:33:26 ID:csXcflVm
>>379 私が聞いているのは、輪廻転生の「可能性」を認めるあなたの「根拠」です。
少なくとも、何らかの根拠がなければ、可能性がある、とはいえません。
物事に100%はない、ということは、可能性の根拠にはなり得ません。
「宗教外部に通用する論理と根拠」でお答えください。
382 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:39:04 ID:97bLkfaj
「ない」とするのは妥当。 もし輪廻が実在しなくても思想として生まれ定着する精神的・社会的理由もある。 0%と言い切ることはできないのは、あくまで原理的な理由。 原理的な理由をウヤムヤにして、とりあえず0%と言い切っても意味はない。 しかも、それに使われる理屈が、 >生存の知覚と思考に基づく学問(=生物学や医学)を元に、 >人間の知覚機能・思考機能が消滅した後の世界(=死後の世界)を語る事ができると言う、 ものなら >ナンセンスそのものの主張です。 と言わざるをえない。 隠居が批判されているのは輪廻があるからでもないからでもなく、 単に隠居の論理の運び方が不適切だから。
383 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:44:31 ID:csXcflVm
>>382 私は、ないことの根拠は充分に挙げている。単に、物事に100%はない
という一般論では、あることの可能性の根拠にはならない。すべてのこと
について、可能性があることになってしまうではないか。
それに10氏は、「宗教外の一般人に通用すること」を終始条件としている。
384 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:45:56 ID:97bLkfaj
この後、10さんが
>>378 に賛同するレスをつけるなりすれば解決だな。
よもや
ウルトラマン実在の「可能性」を認めるあなたの「根拠」を…!
とはこないだろう。さすがに。
385 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:46:16 ID:P4L0Z2zl
隠居さん、俺も輪廻転生の「可能性」を認めるぞ。 その根拠は「存在確率0%のものなど、存在しないからだ。よって、 輪廻転生も例に漏れず、『可能性』はある。」 勿論、その存在確率は限りなく0に近いが、0ではない。よって、 厳密な表現をとれば、「可能性はある」 と、こうなる。 >物事に100%はない、ということは、可能性の根拠にはなり得ません。 これは、ご隠居だけの見解だろう。 「全てのものごとは存在確率0%とはいえない」→「ならば、全てのものごとは たとえ限りなく0に近いとはいえ、0ではない存在確率、すなわち、存在可能性 を有する。」
386 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:51:32 ID:SSfal9Kj
そもそも人口いくらだったか。 今は人口増えてるんだろ? じゃあ増えた分(差分)の魂はどこから来たんだ?
387 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:52:57 ID:csXcflVm
10氏は、「輪廻転生」のみは批判するが、宗教は肯定している。 他の宗教、例えばキリスト教が、その外部には通用しない不合理を 外部に押し付けていることについては、放置するつもりなのかね。 それでは、単なる「宗教間紛争」に過ぎないではないか。 それに、「ない」ことの証明は、悪魔の証明として不可能であることは、 証拠法の鉄則。10氏が「輪廻がある可能性」を主張する以上、少なくとも その一応の証拠(prima facie evidence)を提出すべきもの。
389 :
神も仏も名無しさん :2010/02/07(日) 23:59:25 ID:P4L0Z2zl
>>383 あのなあ、「限りなく0%に近い事象」を一般的、
言語習慣上、「可能性はない」と表現することは別問題。
10氏、および、俺も「死後の世界」「輪廻転生」などが、「あるとは
思ってないよ。」 そのようなものが存在する確率は、限りなく0%
に近いと認識している。 ただし、原理上、「存在確率0%のものなど
有り得ない」から、厳密性を重視し、「完全にない」とは表現しないの。
『完全にない』と主張するのであれば、「その不存在証明」を行う責務も
付随するわけ。そして「不存在証明」は、これまた、証明不能。
何故ならば、「0%のものなど有り得ないから」
いいかい?隠居さん。お宅の言う「一般的言習慣上の視点」から、
「可能性」論議は、全くステージの異なる事例についての、ポイントの
ずれた批判にしか、すぎないわけ。 理解できた?
>>387 いや、「他の宗教、例えばキリスト教が、その外部には通用しない不合理を外部に押し付けていること」については、
私も反対しているんです。
その上で、「宗教を撲滅する」と言う事は、
「貴方の理論(宗教にとっては通用しない不合理)を、宗教に押し付けること」になると言う理由で、
宗教の「撲滅」に反対しているんです。
>それに、「ない」ことの証明は、悪魔の証明として不可能であることは、
>証拠法の鉄則。10氏が「輪廻がある可能性」を主張する以上、少なくとも
>その一応の証拠(prima facie evidence)を提出すべきもの。
貴方本当に悪魔の証明について理解していますか?
「無いことの証明は不可能である」=「存在しないとは言えない」と言う事です。
そして、私は、「輪廻がないとは言いきれない」といっているだけで、「輪廻が存在する」とは主張してませんよ?
391 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 00:08:02 ID:4AXU52pC
>>387 >10氏は、「輪廻転生」のみは批判するが、宗教は肯定している。
他の宗教、例えばキリスト教が、その外部には通用しない不合理を
外部に押し付けていることについては、放置するつもりなのかね。
それでは、単なる「宗教間紛争」に過ぎないではないか。
これついては、俺が回答するべきものではないな。10氏に聞いてくれ。
>10氏が「輪廻がある可能性」を主張する以上、・・・
これはダメ。 「輪廻があるという主張」と「輪廻がある可能性が存在する
という主張」は全くの別物。 「輪廻がある」と主張するのであれば
当然、そこには「立証義務」が付随する。
しかし「輪廻が存在する『可能性』がある」との主張は、今まで
散々、言ったように「存在確率0%のものごとは、有り得ない事から」自明のこと。
392 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 00:26:45 ID:A7DOQWg8
>>389 あなたは「あるとは思っていない」という否定だから、立証責任は無い。あなたは
賢いw。しかし10氏は「「輪廻などない!」とは主張していませんよ」という。
これは「輪廻はある可能性がある」ということだから、肯定であり、少なくとも
「一応の根拠」を提出する必要がある。「輪廻」と特定している以上、「物事に
100%なはい」という一般論では、根拠にはならない。それに、「宗教外に
通用する」という条件も加わっている。
原理的には、10氏も宝珠氏も、同じ穴の狢である。
>>392 >「一応の根拠」を提出する必要がある。
いやだからですね、「輪廻は有る可能性がある」事の根拠は、
貴方が既に言ったように、「完全否定は悪魔の証明だから」ですよ。
原理的に「ないことの証明」は不可能であるから、「存在の可能性は残る」と言っているんです。
そして、389さんと、私の意見は完全に一致してますよ?
私も、「輪廻が有るとは思えない」と、個人的推測では思っていますが、
それでも、「輪廻がある可能性は残る」と言っているんです。
>原理的には、10氏も宝珠氏も、同じ穴の狢である。
むしろ、貴方の方が……
「有るか無いかの二択しかない。無いと証明できないなら有るんだ!」と言ってるがアリンコ脳みそ氏で、
「有るか無いかの二択しかない。有ると証明できないなら無いんだ!」と言っているのが貴方です。
>>393 ワロタwww
終2行 GJ!! (ゝ_ )b
395 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 01:07:07 ID:A7DOQWg8
>393 私は、取り敢えずは、挙証責任の話をしている。証拠法のルールは、個人としての絶対的存否とは 必ずしも関係ない。存否を外部に主張できないだけです。だから冤罪も生じる。あなたが「輪廻の 存在の可能性を肯定」される以上、その「宗教外にも通用する根拠を出してください」と言ってい るのです。あなたが常に宝珠氏に言っていることと同じです。 その根拠は、さっぱり出ませんね。宝珠氏は、少なくとも仏典を根拠として提示している。 宗教外の根拠がないのなら、あなたの宗教内の根拠でも結構ですよw。
396 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 01:22:01 ID:4AXU52pC
う〜〜〜ん、なんと言うか、もう、お手上げって感じだね。
抜けた。(笑) 隠居に正論を理解させるのは、サルに因数分解を理解
させるよりも難しいことは、わかった。(笑)
蓋然性の話題が出てきたので、もう少し、
>>366 に補足するか。
>基準や能力や境地、或いは精神性についてできるだけ具体的に解説を希望します。
「基準」「境地」「精神性」については、すでに述べたとおり、俺が解説すべき
ものとは考えない。しかし、「能力」 これについては一言
いわゆる、仏陀釈迦についての超人的記述は、後世の創作であると考える。
つまり、「超人的な眼、足、舌、」などを持ち、生まれてすぐ歩き、唯我独尊を
宣言したり、空中飛行などの六神通を表したり等、などは、真実であるとは考え
ませんね。その理由は蓋然性の高低の問題ですな。
勿論、2500年前の人物の事例を直接、検証する手段はない。よって、
「そんなことは絶対ない。」と言い切ること、すなわち「完全否定」は不可能。
ただし、「完全否定が不可能であること」が、「それが真実である」とは、
もちろん帰結されない。 要は蓋然性の問題だね。
@それが真実であるとする根拠は、「仏典の記述」のみ。
Aそれが真実でないと考える根拠は、現在まで、そのような人物が実在した
との実証例が皆無であること、および、現時点での知見にそれを肯定する根拠
が全く見当たらないこと。
これの比較検討をするしかないわけで、「私は仏典の記述を信じる。」と言う
ひとには、「ああ、そうですか。あなたは、それを信じるのですね。」としか
言えませんね。
>>395 だからですね、挙証責任は、既に果たしていますよ?
「存在しないとは言い切れない事の根拠」は、「貴方がご自分で」言ってるじゃないですか。
>「ない」ことの証明は、悪魔の証明として不可能であることは、証拠法の鉄則。(
>>386 )
存在しないことの証明は不可能である=存在しないとは言い切れない=存在する可能性は残る
この論理の、何処に不備があるのでしょうか?
具体的に指摘していただけますか?
立派に「宗教外にも通用する根拠」だと思うんですが。
もしかして、「輪廻の存在の可能性を肯定=輪廻の存在を肯定」という誤解をしているんですか?
どうやら貴方は勘違いしているようですが、「私は輪廻の存在する事を肯定していません」
むしろ、「輪廻が存在する可能性は極めて低い」と考えてますし、何度もそう主張してます。
(もちろん、輪廻が存在しない事も肯定していません)
あるいは、「ないことの証明は不可能であるが、輪廻に於いては、存在しない事の証明が可能である」と主張なさっているのですか?
398 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 01:28:36 ID:A7DOQWg8
否定しながらも、肯定の要素をちょっぴり交えるのが、カルトによる 洗脳の常套手段です。常に自己正当化を必死で求めている信者は、その 1%の「可能性」を大きく拡大し、それに縋りつき、自己の宗教的確信 を強める。このスレでも、観察できますね。 10氏が、宗教は認めながら、輪廻転生のみを批判されているのに違和感 を感じる。宝珠氏に手一杯で、その余裕がないのかも知れないが。 他のすべての宗教も、輪廻転生程度の不合理は持っており、それを「外部 にも通用する道理」だと信じ込み、外部に押し付けようとする。これが 宗教の持つ「病理」なのです。
>>398 >否定しながらも、肯定の要素をちょっぴり交えるのが、カルトによる
>洗脳の常套手段です。常に自己正当化を必死で求めている信者は、その
>1%の「可能性」を大きく拡大し、それに縋りつき、自己の宗教的確信
>を強める。このスレでも、観察できますね。
だからですね、私は、「可能性は限りなく小さいと思う」と、何度も主張してます。
一体私の主張の何処をどう読んだら、「可能性は0じゃない」というだけの主張が、
「1%の「可能性」を大きく拡大し、それに縋りつき、自己の宗教的確信を強める」という主張だと解釈されてしまうんですか?
>10氏が、宗教は認めながら、輪廻転生のみを批判されているのに違和感を感じる。
いや、だからですね、私は「宗教が他人に、信念を押し付けること」に、明確に反対しているんですよ?
その上で、「宗教の撲滅」=「貴方が宗教に、ご自分の信念(宗教は抹消すべきである)を押し付けること」に反対しているのです。
貴方は、「他人に信念を押し付けること」に嫌悪感を示しながら、
ご自分自身が、「全く同じ行為」をしようとしていることに全く気が付いていません。
私は、それを指摘しているのです。
400 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 02:08:38 ID:A7DOQWg8
>>399 転生は「身体」が生まれ変わるということですよ。身体に関する唯一の「客観的解明」である
生物学や医学の教科書には、「転生」などという言葉は一言も出てきません。従って、転生の
可能性などは、宗教外部には通用しない道理であると結論してもよいのでは。それでも、可能性
を肯定されるのではれば、その事実上の根拠をお聞きしているのです。
「生命」は、「すべての人間に共通する唯一の普遍の事実」です。「信念」ではありません。
生命を以って生命を対象化することは不可能だから、宗教の対象ではありません。宗教とは異
なり、他者に押し付けることも、その必要もありません。私は、ただ、この事実を指摘している
だけです。宗教では、その「観念過剰」の故に、この「唯一の普遍の事実」がすっかり忘れ去
られているからです。
>>400 いやだからですね、
「生物学や医学の教科書には、「転生」などという言葉は一言も出てきません。」という事は、
「転生は肯定されていない」というだけであって、「転生が完全否定された」という事ではありません。
貴方は、アリンコ脳みそさんと、全く同じ論理的誤りを犯しています。
もちろん、何人にも指摘されていますが、言語習慣上、「存在する証拠が無い=極めて蓋然性の低い事」を、「ない」と言う事はあります。
ですが、私が指摘しているのは、言語習慣上ではなく、「厳密に言えば」、存在する可能性が残ると言ってるんです。
>それでも、可能性を肯定されるのではれば、その事実上の根拠をお聞きしているのです。
すでに、「貴方が」、「ご自分で」、「輪廻が存在する可能性の根拠」を述べてくださっています。 (
>>397 )
何度も言っていますが、私が反対しているのは、宗教の「撲滅」についてです。
貴方が嫌う、「宗教が、信仰を他人に押し付けている行為」と、
「自分と異なる思想を持つ集団(=宗教)に、ご自分の考え(=宗教は撲滅すべきだ)を押し付ける行為」は、
同じ行為ですよね?
「宗教の撲滅」は、信教の自由を侵す行為としか思えないんですが?
違うというのでしたら、具体的に反論していただけますか?
402 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 05:20:23 ID:A7DOQWg8
>>401 まず、あなたには時代錯誤があります。現代は、科学がいかなる宗教の
奇跡も及ばない発達を遂げた時代です。あなたの言われる「可能性」は、
科学の発達前の考えです。転生は、身体に関する科学上の重大な問題で
あるはずです。その科学が、過去の転生の事実も、将来における可能性
も一切触れていないということは、可能性自体を否定したと考えるべき
でしょう。
貴方の心理は、例えばイエスの再臨の「可能性」を信じて、2000年
間待ち続けているクリスチャンの心理そのものです。現代の科学では、
「一度完全に死んだ人間が生き返る可能性」は完全に否定されているのではあり
ませんか。それこそ、当該宗教外では、一切通用しない妄想です。
証明とは、「事実・具象物」による証明のことです。単なる論理や議論は、
主観的な「主張」に過ぎず、裁判所は「証拠」としては採用しません。
中東では、殆ど毎週、死後の世界を信じ込まされた自爆テロリストに
よって、多数の人命が失われているのを目の当たりにしながら、宗教や
死後の世界の可能性を肯定するあなたの神経は、理解不能です。宗教こそ、
古代人の妄想の遺物の惰性的残存、現代の人類にとって、除去すべき最大
のがん細胞であることは明らかです。圧倒的多数の人間の努力は、専ら
「生命の維持」の方向に向けられているのに、殺しあっているのは、宗教
だけではありませんか。
403 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 05:25:05 ID:A7DOQWg8
>>402 の続き
この人命軽視の傾向は、キリスト教を初めとする一神教、及び一神教類似の
宗教に、特に著しい。私が、キリスト教及び、原始仏教、神智学、その他
キリスト教の影響を受けた、若しくはキリスト教と類似性・親和性を有する
宗教を批判するのは、それが理由です。マルクスもヒットラーもクリスチャン。
スターリンは、グルジアの神学校を卒業したキリスト教の聖職資格者、アフリカ
における現在の「民族浄化」の主導者も、キリスト教のリーダーです。
あなたが宗教を肯定しているのなら、宝珠氏を批判する資格はありません。
お決まりの不毛な「宗教間・宗派間」紛争に過ぎないではありませんか。
自分の信じる宗教の教義が、自分の宗教内だけに通用する真理だなとと
考えている宗教者はいないのですから。
宝珠氏の挙げている証拠は、現実から遊離した、観念の産物としての
仏典です。私が証拠としているのは、専ら現実界を対象とした科学です。
現実界(具象界)のみが、すべての人間にとって等しく通用する対象です。
これに対し、宗教観念は、宗教ごと、宗派ごとに百人百様であり、客観的な
証拠にはなり得ません。宝珠氏も、あなたの「死後の世界」や「輪廻転生」の存在の「可能性」の
肯定を知って、勇気百倍し、「輪廻転生」の存在についての確信を、飛躍的に強めたことでしょう。
あなたと法宝珠氏との「宗教間闘争」を、興味を持って観察させていただきます。
404 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 09:58:39 ID:PbJXTBp8
>>188 を読もう。
宗教の「撲滅」を本気でやろうとすれば、どうなるか、
どういうものになるか、を考えてみたらいかがだろうか。
405 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 10:19:42 ID:PbJXTBp8
>>402 >よって、多数の人命が失われているのを目の当たりにしながら、宗教や
>死後の世界の可能性を肯定するあなたの神経は、理解不能です。
これはどういう理屈なんだろう。それを防ぐのに都合がいいから、とりあえず0%と言い切れ!
ということをいいたいのか。社会的要請を真実性・妥当性の担保にするなんて、
まさに宝珠愚者氏の写し鏡のような男だなあ。女でも萌えないけど。
>>403 >宝珠氏も、あなたの「死後の世界」や「輪廻転生」の存在の「可能性」の
>肯定を知って、勇気百倍し、「輪廻転生」の存在についての確信を、飛躍的に強めたことでしょう。
今まで何読んできたんだか……これで揶揄した気になってるのか?
>>402 ……ホント、何度言っても理解しませんね。
>「ない」ことの証明は、悪魔の証明として不可能であることは、証拠法の鉄則。(
>>386 )
存在しないことの証明は不可能である=存在しないとは言い切れない=存在する可能性は残る
この論理の、何処に不備があるのでしょうか?
不備が有るというのなら、具体的に不備を指摘して下さい。
>>402 >その科学が、過去の転生の事実も、将来における可能性も一切触れていないということは、
>可能性自体を否定したと考えるべきでしょう。
だから、その推論が間違っていると指摘しているんですよ。
言語習慣上は、貴方の推論が採用される事もあるでしょう。
ですが、「厳密に言えば」、「肯定していない=否定した」ではありません。
「肯定していない=存在する可能性はのこる」です。
>貴方の心理は、例えばイエスの再臨の「可能性」を信じて、2000年
>間待ち続けているクリスチャンの心理そのものです。
全く違います。
何度も言っていますが、
私は「可能性は残る。だが、可能性は0に近い」と考えているんです。
貴方の例示したクリスチャンは、「可能性は残る。そして、その可能性は高い」と考えている人たちです。
>>402 >「一度完全に死んだ人間が生き返る可能性」は完全に否定されているのではありませんか。
……え〜と……あの……ご自分で、
>「ない」ことの証明は、悪魔の証明として不可能であることは、証拠法の鉄則。(
>>386 )
と仰った事をお忘れになったんですか?
「悪魔の証明」が、転生に関してだけは例外的に可能であると主張なさるんでしたら、
実際に「一度完全に死んだ人間が生き返る可能性を完全に否定」して下さい。
(予め言っておきますが、「科学が転生の可能性に触れていない」事は、
「肯定していない」だけであって、「完全否定」の根拠にはなりません。)
ちなみに、一番簡単な(おそらく唯一の)証明方法をお教えしましょうか?
もちろん、貴方の要求するように「事実・具象物」によって証明しなければなりません。
ですから、まず、全人類を抹殺します。(一人の例外も認めてはいけません。)
そして、未来永劫(ビッグクランチの「後」に至るまで)それらの人々が生き返らない事を確認してくだされば、「転生を完全否定」出来ます。
>>402 >中東では、殆ど毎週、死後の世界を信じ込まされた自爆テロリストに
>よって、多数の人命が失われているのを目の当たりにしながら、宗教や
>死後の世界の可能性を肯定するあなたの神経は、理解不能です。
むしろ、貴方の神経の方を疑うんですが。
貴方が例示したような自爆テロに至る背景には、「論理性の無視」があると思います。
貴方の言動こそ、論理よりご自分の感情を優先(=テロリストと同じ思考)しているように見受けられますがね?
>殺しあっているのは、宗教だけではありませんか。
前にも指摘したと思いますが、全く持って違うと思います。
宗教が原因で殺しあう「場合もある」だけだと思いますね。
個人的にはむしろ、「生存の維持の為」に殺しあう方が多いと思います。
>>403 >あなたが宗教を肯定しているのなら、宝珠氏を批判する資格はありません。
だから、「宗教を肯定」しているんじゃなくて、「宗教の撲滅に反対」しているだけですよ。
貴方の行為こそ、「民族浄化」と全く同じ思考ですよ。
何度いっても理解していただけないようですが、
「宗教は自分の信仰を押し付けてよい!」などとは、一言も言っていません。
至極簡単に言えば、「信教の自由は守られるべきだ」といっているのです。
ですから、他人が自分の信仰を押し付ける事は、その人の信教の自由を侵す行為であるため、
「宗教が他人に自分の信仰を押し付ける事」に反対しています。
その一方で、宗教を撲滅するという事も、「他人に自分の考えを押し付ける」行為であり、
信教の自由を侵す行為です。
だから、「宗教の撲滅に反対」しているんです。
>お決まりの不毛な「宗教間・宗派間」紛争に過ぎないではありませんか。
むしろ、貴方の方が、「自分の思想を相手に押し付けあう」と言う意味において、
「宗教間・宗派間」紛争であると言えますね。
>宝珠氏も、あなたの「死後の世界」や「輪廻転生」の存在の「可能性」の
>肯定を知って、勇気百倍し、「輪廻転生」の存在についての確信を、飛躍的に強めたことでしょう。
いくらアリンコ脳みそ氏であろうと、そこまでアホだとは思えませんね……。
やはり相対立するは結論出るまじ(道元) 二項相対論者間の論争とはこんなもんだろう。 耄碌隠居の単純唯物断滅論はタコ壷スジ金入りだなw 議論すればするほど、中道釈迦仏教のめでたい縁起の理を納得するばかり。 スッタニパータ878〜参照
412 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 11:52:46 ID:4AXU52pC
いや〜〜 >いくらアリンコ脳みそ氏であろうと、そこまでアホだとは思えませんね……。 ここは、わからんぞ。宝珠の馬鹿さ加減は、底なしだからな。 案外 「お、10氏は輪廻肯定論に変更したか。よしよし。」 くらいに思ってるかもしれん。(笑)
413 :
411 :2010/02/08(月) 12:28:01 ID:82Po0zdH
我執の眼でみるかぎり、死後のことは知りえない。 知りえないことについて、知っているかのように語られる あらゆることは『物語』である。 だから輪廻転生は物語なのだから、ウソでもホントウでもない。 ウソだと論難することは、野暮である。 ウソでもいいから信じ、真実だと主張することで、 人生の意味と理由が与えられたように思うのが輪廻転生論者である。 一種のロマンティストだろう。 だから、輪廻転生論者の人生は、あらかじめ書かれた『物語』に過ぎないのである。
414 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 14:20:22 ID:FmCgh7F5
>>401 >存在しないことの証明は不可能である=存在しないとは言い切れない=存在する可能性は残る
>この論理の、何処に不備があるのでしょうか?
それは当たり前のこと。ただし、証明されなければ、その可能性を他人に主張することは出来ない、
ということです。あなたは、その証明されいない可能性を、他人に主張しているのです。
冤罪が生じる可能性があるから、裁判制度は廃止せよ、と言っているのと同じことです。あなたは、
証明の意味を理解していない。
例えば、神が存在しないことを証明するためには、すべての人間の鼻の穴からパンツの中、すべての
家屋の屋根裏から床の下まで探さなければなりません。あることの証明は、神を一匹捕まえて檻に入れ、
写真に撮って公衆に提示することだけで可能です。ある液体の中に、ある物質が存在しないことの
証明は、その物質に反応する試薬を入れ、反応がないことによって証明します。このように、ないこと
の証明は、あることの証明の不可能性によって行います。それでも「ある可能性は残る」と自分で
信じるのは勝手ですが、それを他人に主張できない、ということです。
ここは人間界です。人間であるあなたが、人間には不可能なことを唱えてみても、無意味です。
「絶対ないとは言い切れない」。これがカルト特有の論理です。
>宝珠愚者さん
10氏と私とのやり取りに関する、あなたの感想を聞かせてくださいw。
415 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 14:45:59 ID:FmCgh7F5
>>409 >宗教が原因で殺しあう「場合もある」だけだと思いますね。
>個人的にはむしろ、「生存の維持の為」に殺しあう方が多いと思います。
それが、宗教者特有の「なりふり構わぬ自己正当化」です。ある宗教者は、
その論文で、「ビンラディンは宗教者ではない」と言った。彼が聞いたら
激怒するでしょう。
生存には関係ないのが、宗教戦争の特徴です。ビンラディンは大富豪だし、
他の自爆テロリストも裕福な者、特にキリスト教からの改宗者が多いと、
現場で調査を行ったジャーナリストが近著で述べていました。
生存のための戦争であれば、相手を皆殺しにすれば、自分の生存にとっても
不都合であるという計算が働き、適当なところで和解が可能になります。
生存のためではなく、架空の神概念のための戦争では、この計算が働かず、
相手を皆殺しにするまで、やめることは不可能です。
勿論、宗教戦争にも、宗教以外の多くの要素が関与している場合もあるが、
宗教が最大の憎悪要因であることは、否定できません。
宗教がある限り、中東紛争の解決は、未来永劫に不可能でしょう。
オバマは宗教者だから、そのことに気付かないだけです。解決の兆しは、
全く見えていませんね。
隠居が住む地球の中東地域では、国同士の争いやそれによる民族の抑圧もなく、 貧富の差もなく、自分達の置かれている不遇をもっぱら西洋の責任にして 憎悪を煽ったりされることもないらしい。イスラム教徒にも同胞意識が乏しく、 他のムスリムが苦しい目に遭っていると強調されても、 西洋やイスラエルへの敵愾心が吹きこまれることもないらしい。 なんて平和なんだ。
>>414 え〜と、何を言いたいのかもはや意味不明なんですが…。
>ただし、証明されなければ、その可能性を他人に主張することは出来ない、
「何を」証明しろと言う要求なんですか?
「存在しないことの証明は不可能である」と言う命題は、
「貴方自身が」真であるとお認めになった命題ですよね?(
>>397 )
そして、この命題と等価な命題が、「存在する可能性は残る」と言う命題であることを、
「あなた自身が」、「それは当たり前のこと。」と、お認めになりましたよね?(
>>414 )
つまり、「存在する可能性は残る」と言う命題は、
「貴方が」提示した根拠によって、
「貴方が」お認めになった論理で、真で有ると証明されたわけです。
で、何を仰りたいんですか?
マサカとは思うんですが、
「存在する可能性がある」=「存在する」と言う主張で有ると勘違いして、
「存在する可能性がある」=「存在しない可能性がある」と言う意味だと言う事を、
理解していないんじゃないでしょうね?w
>>414 >冤罪が生じる可能性があるから、裁判制度は廃止せよ、と言っているのと同じことです。
全く違います。
裁判制度を廃止(改善)するかどうかは、冤罪の確率がどの程度であるかの問題であり、
冤罪が存在するかどうかの問題は、別問題です。
私が言っているのは、「裁判で冤罪が起こる可能性が有る」と言う主張であって、
「裁判は全て冤罪である」と言う主張でも、「裁判では冤罪は無い」でも、
「裁判では高確率で冤罪が起こるから、裁判制度を廃止せよ」でもありません。
>>414 後半については、悪魔の証明を力説なさってますが、
貴方が力説なさっているように、不在の証明が不可能であるからこそ、私の主張につながるわけです。
>このように、ないことの証明は、あることの証明の不可能性によって行います。
全くもって違います。
「言語慣習上」、無いと言うだけならば、貴方の主張は正しいですが、
何度も言っているように、「厳密に」、無い事を証明するには、
存在しない事を証明する必要があります。
神を一匹捕まえて、檻に入れることが出来ないからといって、宇宙の反対側に神が存在しない事にはなりません。
神が存在しないことを証明したければ、「全宇宙を同時に観測して、何処にも神が居ないこと」を確認する必要があります。
試薬反応であれば、検出限界以下に存在する可能性が残るだけです。
その物質が存在しない事を証明したければ、一分子ずつ確認していって、全ての分子がその物質で無い事を確認する必要があります。
そして、転生の場合には、先に示したように、
全人類を抹殺し、未来永劫それらの人々が生き返らない事を確認する必要があります。 (
>>408 )
これらようなことが出来ますか?
出来ませんよね?(悪魔の証明だから出来なくて当然です)
出来ないのなら、存在の完全否定は出来ない=存在の可能性は残る と言う結論になります。
>>414 >「絶対ないとは言い切れない」。これがカルト特有の論理です。
違います。
カルトの理論は、
「絶対無いとは言い切れないから、存在するんだ」と言う主張です。
そして、貴方の理論は、
「絶対有るとは言い切れないから、存在しないんだ」と言う、カルトと全く同じ発想の理論です。
私の主張は、
「(原理的に)絶対無いとは言い切れないし、(現状において)あるとも言い切れないので、
存在する可能性も、存在しない可能性もある」
と言うものです。
>>414 >>宝珠愚者さん
>10氏と私とのやり取りに関する、あなたの感想を聞かせてくださいw。
私も聞いてみたいですw
>>415 戦争を起こす指導部が、「戦争の理由付け」として、「宗教」を持ち出す場合が多い事は認めましょう。
ですが、戦争の「本当の原因」は、経済格差や、資源争奪なそ、宗教対立以外の要因であったり、
末端の戦闘員は、「自分が殺されない為に、相手を殺す」と言う、
「生存の維持の為」の殺し合いだったりするんじゃないかと、私は言っているんです。
>生存のための戦争であれば、相手を皆殺しにすれば、自分の生存にとっても
>不都合であるという計算が働き、適当なところで和解が可能になります。
「自分を殺そうと考えている相手を、皆殺しにすると、自分の生存が不利になる状況」とは、
一体どんな状況なんですか?w
是非、具体的な事例を交えて、詳説してください。
>勿論、宗教戦争にも、宗教以外の多くの要素が関与している場合もあるが、
>宗教が最大の憎悪要因であることは、否定できません。
例えば、イラクでは、現在スンニ派と、シーア派が争っていますが、
戦前は、お互いの信者が、お互いのモスクで祈っている事が普通にあったと聞いています。
よって、「宗教が最大の憎悪要因」であるとは思えません。
政治、経済などの、教義以外の要因で始まった殺し合いにおいて、宗派単位で争った結果、
対立する集団の攻撃から身を守るためや、対立する集団に殺された親族の報復をする為に、
二つの集団(=二つの宗派)が、殺し合いをしているのが現状だと思います。
つまり、宗派間で争っているのは、教義の違いが原因ではなく、
争った二つの集団が、二つの宗派だったと言うだけだと思います。
423 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 16:38:23 ID:FmCgh7F5
>>411 >議論すればするほど、中道釈迦仏教のめでたい縁起の理を納得するばかり。
>スッタニパータ878〜参照
釈迦の「中道」では、「空」は成立しない。「中道」とは、両端の実体を前提
としているからだ。その両端間のどこをとっても「空」ではない。
釈迦は、苦をやたらと強調するが、苦楽は相対関係・相互依存関係だから、
苦などないのである。「苦あれば楽あり。楽あれば苦あり」の一言ですむこと。
二項対立的に苦を排除するのではなく、苦楽が合一すれば、苦はなくなる。
「中道」の本質を、「相互依存性・関係性」として解明したのは、竜樹の稀代の
頭脳である。
キリストは、神様の身分でありながら、神と等しい者であることに、固執されず、 かえって御自分を無にして、しもべの身分になられました、そして人間と同じ者になられたのです。 人間の姿で現れになり、へりくだって、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで忠実であられました。 このため、神様はキリストを高く上げ、全ての名にまさる御名をお与えになりました。 こうして、天にあるもの、地上にあるもの、地の下にあるものすべてが、イエス様の御名にひざまずき、 すべての舌が、「イエス・キリストは主です」と公に宣べて、父なる神様を褒め称えるのです。(フィリピ人への手紙 2-6〜11) リンゴ訳
425 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:09:24 ID:YoptigJQ
満員御礼(・∀・)イイ!!
*議論の活性化は歓迎します
----------------------------------------------------------
>>195 >>257 ホームレスの皆さんへの奉仕活動に、心から敬服します m(__)m
私は礼拝するだけの宗教者たちよりも、実社会の改善のために奮闘、
或いはボランティア活動に精を出されている方々のほうを遙かに上位に見ます。
いずれ、聖者方からの祝福があるでしょう。
とはいえ・・・
議論上では容赦しませんが・・。
-----今後とも宜しくのほどを。
426 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 17:10:41 ID:FmCgh7F5
>>419 ここは人間界であり、人間界では、あくまで「種属としての人間の認識能力の
範囲内」で物事を判断するのだよ。範囲外のものは、人間とは無関係。論じるに
値しない。人間には、犬の臭覚も梟の視覚もない。それともあなたは「人間」
ではなく、他の動物なのw。
427 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:19:17 ID:YoptigJQ
>>294 >つまり、「私はガリレオの如く、真実を説いているのに、
>世間が認めていないだけだ!」と仰りたいんでしょ?w
「世間が」ではなく、それはごく一部の(少数で)堅物な唯物主義者たちが、ですよ。人類の大部分
というのは唯物主義者などではなく、その中の更に多くの割合が(漠然とながらも)“生まれ変わり”に
ついても、ごく自然な感覚で肯定的にみなしています。
『死後の世界や生まれ変わりを信じる人の割合は確実に増えてきているようである。東京大学付属
病院医放射線科准教授の中川恵一氏によるアンケート調査では一般人34.6%が死後の世界を信じ、
29.7%が生まれ変わりを信じていると報告されている。』
(<死生観>がん患者「死後の世界」信じる割合低く/東大調査(1月14日11時18分配信 毎日新聞))
>>353 >まさか、総務部広報課
[email protected] ですか?w
はい、そうです。佛教大学のときもそうでしたから、窓口を経由してから対処を考えるのでしょうから
いいんですよ。一応、回答者の適任かと思いましたので、できれば片山先生を希望すると付け加えました。
>さっさと回答して欲しいのでしたら、なんで電話しないんですか?
>対応の優先順位としては、「メール<<電話<<<直接訪問」だと思うんですが。
佛教大学のときにも1ヵ月ほどは返信を貰うのに時間を要しましたから・・・。どうしても回答が来なければ、
何か特に困るという問題ではないので、様子を見ています。直接訪問ねぇ・・^^ まっ、あなたならやるかも
知れませんね(笑)
メール内容そのものは、見られて特に困るものはありませんが、基本的にメールというものは個人的(プラ
イベート)なものですから憂慮します。どういうことを聞くのかは、すでに述べた筈です。あとはもう少し詳しく、
そして在る程度の丁寧な言葉使いにしただけです。
428 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:21:02 ID:YoptigJQ
>>354 >それでは、779 を、
>「この仏典中における川の流れの表現は「経済における資金の流れ」のことであり、
はい、なりませんから!!
子供じゃないんだからさ。そんなあなたしか通用しない屁理屈などは笑止千万です。
「うん、そうだよなぁ10さん」などと賛同するのは何も知らない人たちだけです。
仏教学の専門家やプロの僧侶にいってごらん。あなたが笑われるだけですから。
>>356 >>輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。
>ああ、つまり簡単に言うと、「Sn.4-5章は、輪廻を『説いている』経ではない」と言う主張ですね?w
だから、主旨(目的)ではないといってるのです。
輪廻転生はすでに当たり前のものとして、これを前提として、
“ではどうするのか”を述べているのです。
429 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 17:25:48 ID:FmCgh7F5
>>422 >「生存の維持の為」の殺し合いだったりするんじゃないかと、私は
>言っているんです。
「生存に関係ない宗教上の争い」の為に、生存が危うくなるのだよ。
> 「自分を殺そうと考えている相手を、皆殺しにすると、自分の生存が
>不利になる状況」とは、一体どんな状況なんですか?
簡単なこと。相手を皆殺しにすれば、相手から得られるはずであった、
自己の生存に必要な物資やサービスが得られなくなる。
宗教戦争では、生存に関係ない「架空の神」の信仰からくる「憎悪」が
原因だから、生存のためのこのような計算が働く余地がない。
>よって、「宗教が最大の憎悪要因」であるとは思えません。
すべての宗教戦争が、「異なった宗教・宗派間に生じている」という
事実が、「宗教」が原因であることを如実に証明している。
430 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 17:33:52 ID:FmCgh7F5
>>422 宗教者は、「宗教が政治に『利用された』」とよく言うが、宗教的信念
をくすぐられると簡単に激昂し、「利用される」ことこそ、まさに宗教の
「病理」ではないか。
「政教分離」の原則が広く採用されつつある。しかし、政治は、人間の
安全と生存にとっては、最も重要な営み。宗教が、この重要な政治から
排除されなければならないということは、宗教が、人間にとって如何に
有害な営みであるかを、証明している。
431 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:33:52 ID:YoptigJQ
>>320 >「世間(生死の世界)はニルヴァーナといかなる区別も存在しない」(中論25-19)
>区別して「超越」を論じるのは、縁起一代も宝珠も我執分別の境地にしかいないからだ。
あなたの論理(勝義の誤用)というのは、一切の修行(宗教的実践)を無意味とする暴論です。それ
は、ニルヴァーナに到達した覚者には、もはや二元性などは消散するからです(一元性の自覚体験)。
しかし、我々(凡人)というのはすべて、その二元性の中で生き、それしか知覚することができない。
その二元性の中で如何に生きるべきかを説くのが仏教なのです。
無知なようですが、そういう勝義はヒンドゥーでも説きます。そういう意味では、「輪廻転生は外道、
バラモン・ヒンドゥーの迷信だ!」などという括りなどは無意味です。私からは、ラマナ・マハリシについ
て知ることを強く推奨します。
『無知が存在するかぎり、輪廻転生は存在する。本当は、輪廻転生などまったく存在しない。
いまも、いままでも、そしてこれからも。これが真理である。』 (ラーマナ・マハリシ)
432 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:36:19 ID:YoptigJQ
>>364 >釈迦が輪廻を『もうすでに当たり前のものとして、それを前提として、』いる
>すなわち肯定している証拠は 『最古層資料』にはない。
>それは、ただ、お前が「そうあって欲しい」「そうあるべきだ」と願望を
>投射しているだけ。そもそも、『釈迦が輪廻を当然のものとして、それを
>前提として肯定しているか否か? その証拠が最古層資料の中に見られるか?』
私に、
「佛教大学教学部教務課」を経由して着信したメール、
08.12.23付での並川孝儀氏によるワードパット返答では、
初期仏教の段階としては輪廻を認めていると見なすことも妥当だとしています。
ただし、それがゴータマそのものの自説であったかどうか、
その証拠の確定はまだできない、というものでしたね。
433 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:38:28 ID:YoptigJQ
>>345 >宗教文献的には、並川氏の最新の研究によって、既に解決済み。
これも同様。
434 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:58:24 ID:YoptigJQ
>>365 >お前は、最初から「殺人事件が事実としてあった」としているわけ。
>このように、「殺人事件を既成の事実」として設定するならば、以下、
>どのように話を進めようが「殺人事件があったことは覆らない」
>当たり前だ。初めに「殺人事件があったこと」にしているわけだから。
>>358 >つまり貴方は、殺人者かどうか分からない容疑者がいて、
ハッ?
私は、「殺人者が文章を書いた場合」という話をしているのですよ。
435 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 17:59:05 ID:YoptigJQ
>>366 >前にも言ったが、俺は仏教徒ではないし、勿論、解脱した体験はないし、聖者でもない。
>よって、聖者がいかなるものであるかは、分からないし、
>それついて語ることもしたことはない。--中略--
>そのようなことは、それを目指している仏教徒に尋ねるべきだと思うが?
分らないなら、黙ってるべきでは?
(縁起氏口調w)
>>367 >このようなことを「主張している仏門」が、ある方が不思議だがな。
もちろん、研究はご自由でしょう。
しかし、誰にも認められていないということです(仏門においては!)。
>最古層の経文をもって輪廻の根拠としている宗派があるのか?
上座部系等は全部そうでしょう。
最古層を含めた経典を拠り所とする。
436 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/08(月) 18:00:10 ID:YoptigJQ
>>410 >いくらアリンコ脳みそ氏であろうと、そこまでアホだとは思えませんね……。
>>412 >宝珠の馬鹿さ加減は、底なしだからな。
ヽ(`Д´)ノプンプン
>>396 >いわゆる、仏陀釈迦についての超人的記述は、後世の創作であると考える。
>つまり、「超人的な眼、足、舌、」などを持ち、生まれてすぐ歩き、唯我独尊を宣言したり、
>空中飛行などの六神通を表したり等、などは、真実であるとは考えませんね。
超常部分の全否定はただの唯物主義。宗教でも仏教でもありません。
覚者としての人智を超えた部分と後代の過剰な神格化部分を識別するのが学び。
>>414 >10氏と私とのやり取りに関する、あなたの感想を聞かせてくださいw。
暫く参加する意向ならば、
とにかく、分り難いからコテハンにして下さい!
あとで・・。
>>430 アイデンティティに関わるもので利用され得無いものなんてあるのか?
438 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 19:16:27 ID:kZxyYPvu
>>437 宗教は、真偽、正誤、正邪の現実的判断基準が皆無な「神」「教祖の言葉」「教典」などの
「観念」に基づいており、しかもそれが信者の人格の一部をなしているから、それらに対する毀誉
褒貶に感情的のみに過激に反応し、極めて利用されやすいからだよ。即ち、信者には、現実的・
自主的・理性的判断は不可能。
>>429 >簡単なこと。相手を皆殺しにすれば、相手から得られるはずであった、
>自己の生存に必要な物資やサービスが得られなくなる。
はじめから成り立っていることがなぜか前提になっているが、
取引関係が成立するのもタダじゃないんだべ?取引する相手だって他にいる。
殺るか殺られるかの状態になったらそれどころじゃない。
不安や不信に囚われたら終わらせどころを見つける理性も曇る。
>すべての宗教戦争が、「異なった宗教・宗派間に生じている」という
>事実が、「宗教」が原因であることを如実に証明している。
そりゃそうだ。宗教が同じなら、宗教を理由に挙げると言う理屈が成立しないんだから。
同じ民族の間で「民族」戦争なんてわけわかめだろ。
やるとしたら「堕落してる」とかいう理由になるな。
いずれにせよ、差異を強調して上下を印象付ける形になる。
>>438 >現実的・自主的・理性的判断は
できてる実例があるからこれも誤りだな。
>>426 >ここは人間界であり、人間界では、あくまで「種属としての人間の認識能力の
>範囲内」で物事を判断するのだよ。
「種属としての人間の認識能力の範囲内」ではこれ以上のことは言えない、と言われれている。
隠居は「どうせ調べる方法はないし、まあいいや、とりあえず0%!」と言っている。
そんな隠居に対して、言語習慣上は「ない」に該当するが、0%とするのは厳密には飛躍だろ、
飛躍して断言するならそこで根拠が要求されるだろと言われている。
そこで「絶対有るとは言い切れないから、存在しないんだ」(
>>420 )を
同語異句に繰り返すもんだからそろそろ匙を投げかけられている。
>範囲外のものは、人間とは無関係。論じるに値しない。
今までつきあってきたのはなんなんだよ。
>>426 だから、何度言えば分かるんですかw
「種属としての人間の認識能力の範囲内」で物事を判断するかぎり、
「存在しない事の証明は不可能だ=存在の可能性は残る」と言っているんです。
「存在しない事の証明が可能である」などという、
種属としての人間の認識能力の範囲「外」で物事を判断しようとしているのは、
私ではなく、貴方の方です。
私は、既に、輪廻が存在する可能性がある事を論証しました。
「その論証に対しての」反論をお願いします。
そして、もう一度言いましょう。
輪廻が存在しないと断言するなら、「輪廻が存在しない事」を証明して下さい。
>>440 全くその通りです。
>>427 >「世間が」ではなく、それはごく一部の(少数で)堅物な唯物主義者たちが、ですよ。
また、数の理論ですかw
いい加減、「数が多いから私の意見は正しい」と言う論調には飽きました。
何度も言っていますが、古代に於いては、陸地が亀の上に乗ってたんですか?w
そして、「世間が」と言う部分にのみ突っ込みを入れたと言う事は、
>>215 は、ほぼ図星だったと言う事ですね?w
>>427 > 『死後の世界や生まれ変わりを信じる人の割合は確実に増えてきているようである。東京大学付属
>病院医放射線科准教授の中川恵一氏によるアンケート調査では一般人34.6%が死後の世界を信じ、
>29.7%が生まれ変わりを信じていると報告されている。』
>(<死生観>がん患者「死後の世界」信じる割合低く/東大調査(1月14日11時18分配信 毎日新聞))
……何処から突っ込もうか迷うぐらい、突っ込みどころ満載なんですがwww
相変わらず自分の主張を否定する資料を探し出してくる事にかけては天才的ですねw
まず、このアンケート結果を正確に読めば、「死後の世界を信じる人は、全体の1/3に過ぎない」と言うことであって、
「過半数以上(2/3)は、死後の世界を信じていない」という結果ですよ?w
そもそも、このアンケートの題名「がん患者「死後の世界」信じる割合低く」を見れば分かるように、
死を身近にして、死について真剣に考える人ほど、死後の世界を信じる割合が低いと言う結果が出てるんですがね?
>>427 >>まさか、総務部広報課
[email protected] ですか?w
>はい、そうです。
ほー、広報課ですか……。まあ、いいでしょう。
>佛教大学のときにも1ヵ月ほどは返信を貰うのに時間を要しましたから・・・。
……は?
つまり貴方は、前回の経験から、一ヶ月はかかると予想してたのに、
「返事が遅い。大学の対応が悪い」と、文句を言ってたんですか?
そもそも、自分は、私の質問に対して、三ヶ月も(しかも二回)回答期限を延ばしておいて、
他人には、「何で早く回答しないんだ!」と怒ってた訳ですか!?
そして、メールの内容を聞いたのは、
@本当に送ったのかどうかの確認
A送ったメールの本文に不備があって返信がなされていない可能性の確認
をしたかったんですがね。
まあ、プライベートだからと言う理由を主張なさるなら無理強いはするつもりはありませんよ。
>>428 >はい、なりませんから!!
>子供じゃないんだからさ。そんなあなたしか通用しない屁理屈などは笑止千万です。
いやwww だから、人の主張はきちんと読みましょうよwwww
久しぶりに腹筋が痛くなるほど笑いましたwww
私は、「激流=資金の流れ」であると主張しているんじゃないですよ?w
「激流=資金の流れ、と解釈する事は、無理がある」と言っているんです。
そして、「激流=輪廻」と解釈するだけで、
「解釈の根拠(なぜそう解釈できるか)」を提示していない貴方の主張も、
同程度の無理があると言っているんです。
>>428 > >>輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。
> >ああ、つまり簡単に言うと、「Sn.4-5章は、輪廻を『説いている』経ではない」と言う主張ですね?w
> だから、主旨(目的)ではないといってるのです。
つまり、「輪廻を説くのはこの経の主旨ではない=輪廻を説いている経ではない」と言う事です。
顔を真っ赤にして、そんなに何度も強調しなくても良いですよwww
>>429 > > 「自分を殺そうと考えている相手を、皆殺しにすると、自分の生存が
> >不利になる状況」とは、一体どんな状況なんですか?
> 簡単なこと。相手を皆殺しにすれば、相手から得られるはずであった、
> 自己の生存に必要な物資やサービスが得られなくなる。
……え〜と?
つまり、
貴方が打ち殺した人の子供が、爆弾抱えて近づいてきても、
殺さずに置くと、自分に有利なサービスをしてくれると言うんですね?
貴方が殺した男の兄弟が銃を片手に近づいてきても、
殺さないで置くと、物資を供給してくれるんですね?
あるいは、完全自給自足でやっている農村地帯に住んでる農民達なら、
その他の地域の人間を打ち殺しても何の問題も無いって事ですね?
貴方は素晴らしい天国にお住まいのようですね……
>>429 >すべての宗教戦争が、「異なった宗教・宗派間に生じている」という
>事実が、「宗教」が原因であることを如実に証明している。
……原因と結果を取り違えている可能性はありませんか?
争った集団が別々の信仰を持っていた場合に、「宗教戦争」と名づけられているんじゃありませんか?
あるいは、スンニ派と、シーア派は、「同じイスラム教」です。
あるいは、争い始めた同じ宗派の集団が、いつまでも分派せずに一緒の宗派でいると思いますか?
貴方の挙げた根拠で、宗教が原因であるという結論を導くのは無理があります。
>>430 また
>>437 に先を越されましたw
敢えて付け加えるとすれば、
政教分離は、二度の世界大戦を経て、国家神道の反省の元、
政治「が」宗教「を」悪用しないように分離した物だと思うんですがね?
なお、貴方は勘違いし易いので言っておきますが、
私は、「宗教は戦争に利用されない」とは言っていません。
むしろ、宗教が戦争に利用された事例は枚挙に暇がないと思っています。
その上で、「いわゆる『宗教戦争』の原因の多くは、宗教が原因ではないんじゃないだろうか?」と言っているんです。
>>434 >私は、「殺人者が文章を書いた場合」という話をしているのですよ。
あのですねぇ……(頭の悪い会話をし続けて、いいかげん頭が痛くなってきました)
既に指摘されているように、
「殺人者が文章を書いた場合」と仮定してる貴方の主張は、
「Aさんが殺人者だった場合、Aさんが殺人を「自白していない」としても、Aさんは殺人者なんだ。」(
>>342 )
という主張になります。
つまり、貴方の主張は、「Aさんは殺人者であるとする。よってAさんは殺人者だ。」と言っているだけです。
この主張は何の意味ありません。
ですから、「Aさんが殺人者かどうか」と言う議論をするなら、
スタート地点は「殺人者かどうか分からない容疑者がいて」と仮定しないと、意味が無いわけです。
そしてその仮定の上での話が、
>>358 になります。
>>435 横レスですが、余りに酷いので…
>分らないなら、黙ってるべきでは?
自分で議論に関係ない質問をしといて、回答したら「黙ってろ!」と言うのは、酷すぎませんか?
もしかして、「最古層資料に『釈迦が輪廻を説いた』という既述が有るか無いか」という議論に、
「聖者の定義」が関係してくると主張するんですか?
>>437 「特定の価値基準であり、人格の一部をなし、
それらに対する毀誉褒貶に感情的に過激に反応し、極めて利用されやすい」
と言うのは、別に宗教に限った話ではなく、アイデンティティに関わるものでは、極一般的な特徴だと思いますがね?
例えば、「男のプライド」なんか、まさに当てはまるものだと思いますがね?
453 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 21:57:36 ID:kAp4pfjr
>>439 >不安や不信に囚われたら終わらせどころを見つける理性も曇る。
そんなことはない。日本とアメリカは戦争したが、現在では世界一仲良しになり、共存共栄
している。日本も危なく一神教国アメリカに皆殺しにされそうになったが、戦争を止めさせた
昭和天皇が偉かった。終戦を決定した御前会議は、世界史の中でも、最も感動的な場面である。
中東の一神教は、1000年以上和解ができず、宗教がある限り、将来も出来る可能性は乏しい。
>できてる実例があるからこれも誤りだな。
自分では出来てると思っても、外部者から見れば、あくまで「宗教の範囲内」での判断に過ぎない。
特に、「熱心な信者」には出来ない。宗教は、いい加減に信じれば信じるほどマトモになる、という
特質を有する。根本が間違っているからである。
454 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 22:09:54 ID:kAp4pfjr
>>452 >例えば、「男のプライド」なんか、まさに当てはまるものだと思いますがね?
宗教者で無い限り、「男のプライド」を傷つけられても、相手を殺すことはしない。
ましてや、非宗教者の場合は、自分の会社の社長(宗教の教祖に相当する)を批判されても、
激昂することなどない。「確かにそんなところもあるな」「その通りだ」と相槌さえ打つ
だろうw。信者と教祖との関係とは、全く異なる。
>>453 横レスですが、
>日本とアメリカは戦争したが、現在では世界一仲良しになり、共存共栄
>している。日本も危なく一神教国アメリカに皆殺しにされそうになったが、戦争を止めさせた
二つの集団が争っていて、それらの宗教が違えば、「宗教戦争だ」と言う定義なんですよね?
貴方の定義にしたがえば、太平洋戦争は、
「神道集団である日本と、キリスト教集団であるアメリカとの、宗教対立による戦争」
になるんじゃないですか?w
>>454 >「男のプライド」を傷つけられても、相手を殺すことはしない。
いやいやw
遥か昔から、劇の題材になるぐらい、ありふれた事ですよw
ttp://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51820359.html >ましてや、非宗教者の場合は、自分の会社の社長(宗教の教祖に相当する)を批判されても、
>激昂することなどない。「確かにそんなところもあるな」「その通りだ」と相槌さえ打つ
>だろうw。
だから、極端な事例を持ち出して議論してもしょうがないですよw
大多数の宗教者は、宗教の教祖を批判されても、激昂せず「確かにそんなところもあるな」「その通りだ」と相槌さえ打つでしょう。
少数の非宗教者は、自分の会社の社長を批判されたら、激昂するでしょう。
食指の動かん、そそられん、つまらん流れだな・・w
>>457 まったくですねw
折角ですから、つまらんと言っているだけじゃなくて、新しいネタを投下して頂けませんか?
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】15
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1252710272/ 755 旧7 sage 2009/09/22(火) 15:01:25 ID:Ws0NLxwH
>> 735 テーマ及びスレタイ案
大乗仏教の特性:その長所と短所
【長所】大乗仏教の誕生と発展及び意義【短所】
「涅槃」或いは「悟り」或いは「縁起」或いは「苦」の主観的限界。客観性を持たせ得るか?
(→結局は、どこまで行っても、『自身にとってどうなのか』でしかない。 →他者には当てはめ得ない。)
《畢竟『仏教は「自覚の宗教」』であり、言及できる部分(分野、領域)は極端に少ない》。
【主観?】「涅槃」及「苦」は個人的自覚【妄想?】
仏教に於いて、(現在その全てが(理念通り)履行されているかどうかはともかく)、
《「聖」と「俗」》《「勝義諦」と「世俗諦」》
《「隠棲」と「市井」》《「脱社会」と「社会性の維持」》
《「非生産者」と「生産者」》《「法施」と「財施(=食施)」》
《「無所有」と「所有」》《「社会的責務の免除」と「社会的責務の遵守」》
などの区分(≒結界)は本当に必要か?
(→在家無き仏教はあり得るか? 逆に出家(者)の無い仏教はあり得るか?
寧ろ、両者のハイブリッドこそが理想形か?)
或いは《「聖なる領域」は「世俗の最大・最高規範」の上位に位置づけ得るか?》
或いは《他の宗教に於ける「聖と俗の対比」と、どこが相似し、どこが異なるのか?》
【出家】「聖」と「俗」の交錯点【在家】
『三世に跨る業報の不完全性』、『因果の取捨選択は枠組み次第(≒恣意的)』
『「転生」という概念の曖昧さ』、『過去生の想起は果たして可能なのか』
《当人の自覚以上のことを、他者、第三者が断定し、告げ、思い込ませていいのか?》
【輪廻】その果は何を因としているのか?【業報】
【自覚】その果は何を因としているのか?【告知】
【授記】その果は何を因としているのか?【断罪】
461 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 23:12:48 ID:aNwsfav9
心はどこにありますかと問われて 頭にあるという人と、胸にあるとい二通りの人がいる。 この違いはどこからくるのでしょう。 後天的なものなでしょうか、遺伝なのでしょうか。 それとも、そのように考える心の傾向性をもって 生まれてくるのでしょうか。
>>461 「脳に於いて思考している」という学習をしない限り、
【おそらく例外なく】、【人は】【胸を押さえる】と思う。
「頭にある」と言う人は、そうした学習をして、且つ頷いた人だろう。
※「胸にある」という判断は、
ハートという図像、何かあると鼓動が早くなる、鼓動が心理的高揚・昂揚とリンクしていること、
などなどに目を向ければ、当然の帰結と思われる。
他: 胸に石を載せられた古代人の遺骨、ど素人(脳と意識と心を考えてる人でも)に芝居をさせたら、
感情表現の際、自分の本音・想いを強調する時、などには【とっさに胸を押さえると思う】。
更に他: はるか昔、新聞の投書欄に、こんな記事があった。
若い母親が子供と(漫画)映画を見ていた時、子供が言ったそうだ。
『ママ! 何? これ何? なんか、胸の所が熱いの!』 と・・・。
母親は、(うるうるしながら)、この感性を大切にしたいと記していた・・・。
心って、どこにあるんだろうね・・・。
463 :
神も仏も名無しさん :2010/02/08(月) 23:44:33 ID:kAp4pfjr
>>455 >「神道集団である日本と、キリスト教集団であるアメリカとの、宗教対立による戦争」
>になるんじゃないですか?w
宗教戦争の要素も多分にあるね。アメリカにとっては、黒船以来の、キリスト
教の世界布教の一環。日本は「戦争をやらされた」のであることは、明らか。
日本側も、開戦時には、法華信者がかなり動いている。擬似宗教としてのマル
クス主義者の世界革命のための陰謀でるとの説もある(日米のマルクス主義者)。
しかし、日本は神道国であると共に、佛教国でもあり、一神教国ではなかった。
昭和天皇は、神道であっても、狂信者ではなかった。それが、日本が皆殺しにされる
まで戦わなかったことの理由である。一神教同士なら、終戦は不可能で、日本は
皆殺しにされ、焦土と化していたであろう。一神教や一神教類似の宗教(例えば、
ヒンドウー教)では、和解は困難である。
日本が無謀な戦争に巻き込まれたのも、蒙古が台風シーズンに来寇したのに
過ぎないのに、「神風」などとして自信を持ちすぎたことも原因のひとつで
ある。先の大戦も、宗教の弊害の一例である。
464 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 00:15:11 ID:Y36zVQSq
また、例のごとく、バカ宝珠が、姑息なレスをつけてるな。
>>432 >初期仏教の段階としては輪廻を認めていると見なすことも妥当だとしています。
ただし、それがゴータマそのものの自説であったかどうか、
その証拠の確定はまだできない、というものでしたね。
ここで言う「初期仏教」とは、どの範疇までを含めてのことだ?
「古層資料」を含めての話であるならば、いま争点になっている「最古層資料」
における議論には関係なしだな。さらに、並川氏は、その著書の中ではっきりと
「最古層資料には、釈迦が輪廻を積極的に説いた証拠は見られない」と主張してるな。
さあ、論点をずらすなよ。ここで、はっきりと確認しておくぞ。
「お前は、最古層資料に輪廻を説いている経文が多数あり、それを列挙すると
言って6経文をあげた。しかし、どの経文も『輪廻を説いているもの、すなわち、
輪廻が真実であり、読む者にそれを伝える趣旨で語られたものではなく、単に
言及されたに過ぎないもの』であった。そこで、お前は自己の主張を修正し、
それらは、輪廻の真実を伝える趣旨のもではなく、
『釈迦が、輪廻を当然のものとして認め、それを前提として語った
ものである』→# と言い始めた。
ならば、当然のこと、→#と言える、すなわち断定できる根拠を
『最古層資料の中から』提示しなければならないのに、お前は全くそれを
しない。お前は、ただ、「釈迦は輪廻を当然のものとしていた。」と自己の
願望を繰り返すのみで、その論拠を一切、提示しない。
さあ、やってもらおう。逃げるなよ。
「釈迦が輪廻を当たり前のものとし、それを前提として語った。」と判断できる
資料は『最古層資料』のどこにあるんだ? 経文を挙げてみろ。
465 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 00:17:22 ID:Y36zVQSq
>>434 >ハッ?
私は、「殺人者が文章を書いた場合」という話をしているのですよ。
つまり、「殺人事件があったことを前提にしての喩え」だったと言うわけだな?
ならば、
>>365 に反論してみろ。
>>435 >分らないなら、黙ってるべきでは?
(縁起氏口調w)
お前はひとの書き込み、読んでいるのか?
>>366 >よって、聖者がいかなるものであるかは、分からないし、それついて
語ることもしたことはない。( 聖者、涅槃が仏教でどのように語られているか、
セブンに尋ねたことはある。) よって、部外者である俺が「仏教で語る聖者とは
〜であり、また、涅槃とは〜である。」と語ること自体、不遜であろう。
ちゃんと、「聖者、涅槃が如何なるものかについては、語ったこともないし、語る気
もない」と言っておろうが。 バカか?お前は。
466 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 00:18:35 ID:Y36zVQSq
俺のスタンスは初めから一貫している。 俺はお前のように「他宗教の信仰に類する事に関して、外部から余計な干渉をする」 ことは、できるかぎり慎むべきことだと認識している。すなわち、「〜は、間違って いる。本当は〜なんだ。」と、外部から規定し、解説を加えることなど、それを 信仰している者にとっては、まさしく「余計なお世話」であろう。ましてや、 「聖者、涅槃」は、仏教徒にとっては、最終目標ともいえる至高の事項なのであるから 「仏教徒でもない者」が、ああだ、こうだと勝手に外から、規定することには問題 ありとの認識だ。 お前のようなバカが、勝手に「仏教の本当の教えは〜なんだ。」と 干渉してくることは、真摯な仏教徒にとっては、迷惑以外の何者でもないと思うぞ。 しかし、輪廻業報は真逆だ。 俺は他者の信仰に干渉する気は全く無い。ただし、 それが『個人の信仰の範疇』であるならばだ。 個人の信仰、価値体系をもって、他者 に干渉してくるのならば、黙ってない。 輪廻業報思想は、まさしく、これなわけだ。 輪廻業報思想の肯定者たちに、何度も繰り返し言ってることは、 『自分たちだけの思想、価値体系をもって、それに無関係なものたちを規定するんじゃ ねえ。』 こういうことだ。
467 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 00:26:53 ID:Y36zVQSq
>435
>しかし、誰にも認められていないということです(仏門においては!)。
>上座部系等は全部そうでしょう。
最古層を含めた経典を拠り所とする。
何言ってんだ?お前は真正のバカか?
いったい、どこに「輪廻の根拠を最古層資料に求める」仏門がある?
輪廻を肯定している仏門が、その根拠としているのは
@古層以下の文献
A師匠などからの伝承
のいずれかだ。 それらによって「輪廻は真実である」と認識し、『その
視座に立って』、最古層資料の中の輪廻に関する記述を見るとき、それが
真実であるとしているに過ぎんわ。 つまり順序が逆だ、アホ。
>>436 >超常部分の全否定はただの唯物主義。宗教でも仏教でもありません。
覚者としての人智を超えた部分と後代の過剰な神格化部分を識別するのが学び。
その識別基準は? お前の好みか?
神智学の教義にあっているのが、本物で、合わないのは「神格化」ってわけか?
客観的識別基準をあげてみろ。
>>453 >日本も危なく一神教国アメリカに皆殺しにされそうになったが、
そりゃ聖絶や十字軍ですらある時点で終わっとるわ。まったく物は言いよう、だな。
それまで終わらせられなかったからズタズタにされて原爆も落とされたんだろ。
>自分では出来てると思っても、外部者から見れば、あくまで「宗教の範囲内」での判断に過ぎない。
無害の枠に収まってるならば、範囲内で何の問題があるんだ?
>特に、「熱心な信者」には出来ない。
叩きやすい奴だけを「熱心な信者」扱いすることにしてるだけだろ。
あとな。
>>447 をスルーするすべきではないな。
そうだ。もう一つ聞きたいことがあった。 隠居の言う宗教の撲滅ってのは具体的にどういうもので、 どのようにして行われるべきものなわけ? もちろん「必ず完遂させる」目的としての撲滅なんだよね? 敵対ポーズをとって、多少悪口を挟むだけで計画遂行してる気になるなんて ぬるい内容じゃないよな?
470 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 01:16:26 ID:6qCZgMOr
>>441 >私は、既に、輪廻が存在する可能性がある事を論証しました。
>「その論証に対しての」反論をお願いします。
転生は、身体という「物質」に関することだから、「事実」によってその可能性
を証明しなければならない。「輪廻転生」と特定しているのだから、その事実に
ついて「可能性の存在」を証明しなければならない。「ないことの証明は不可能
だから、あるという可能性は常に残る」などという一般論では、「輪廻転生」の
可能性の証明にも、「一応の証明(疎明prima facie evidence)」にもならない。
私は「身体に関する唯一の客観的解明」である生物学や医学において、輪廻転生の
実例も、その可能性についての記載もないという事実により、証明、少なくとも
疎明している。
なお、人間は機械ではなく、その観察・測定には常に若干の誤差はあるのだから、
可能性を主張するためのは、その可能性が「有意(significant)」なもので
なければならない。試薬反応において、「試薬の検出限度以下の存在の可能性
はあります」などという但し書きを一々付けることはない。試薬に反応しなければ、
「存在の有意の可能性はない」ということだ。少なくとも、反証を挙げない限
り、公衆に対して「存在の可能性はある」と主張することはできない。
医学においても、検査値の統計の「有意でない(insignificant)」差は、考慮に
入れない。これは、物質を取り扱う科学のすべての分野に共通することだと
思う。「極く極く微小な可能性」は無視するのが、大人の会話の前提だ。
宗教の人が「神や霊は絶対にないとは言えない」というのは、宗教の影響による倒錯
であり、社会常識からの逸脱の結果としての、病的心理である。
471 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 02:07:22 ID:6qCZgMOr
>>469 >隠居の言う宗教の撲滅ってのは具体的にどういうもので、
>どのようにして行われるべきものなわけ?
宗教信者の皆さんの反応を見ながら、その方法を模索しているところだ。
皆さんの「貴重な体験」に基づき、よいヒントがあれば教えてくれw。皆さん
の入信過程の逆を辿ればよいわけだから。
宗教、特に創唱宗教は、現実界には基盤を置かない、1開祖の「思想」である。
思想だから、宗教ごとに、その崇拝の対象も、教義も、百人百様、てんでばらば
らである。真偽、正誤、正邪を判断する確固たる現実上の基盤がないから、
宗教・宗派間に争いが絶えない。このスレだけでも、見事に証明されている。
思想は、その基盤次第で、百人百様である。従って、思想には、争いが生じない
ほうが不思議なのである。
「すべての人間に共通する普遍の基盤」に基づけば、対話も可能になり、争いも
なくなる。そのような基盤としては、「生物的生存本能(生命)」以外にはない
と考えている。
「宗教多元論」が唱えられているが、その宗教多元論を巡ってさえ、宗教・宗派間に
争いが絶えないのが現状である。宗教多元論に起因して、殺し合いが起きる
可能性もある。宗教学者も絶望的である。
ある宗教学者は、解決方法に付き、議論の対象を、「精神性」などでなく、
「身体」に限ることを提案している。これは興味ある提案と言えよう。
具象を離れた精神性は、狂気の原因となる。
国連で、「如何なる宗教といえども、その教義や宗教行為を、人間の生命に
優先させてはならない」という決議をし、その決議の法律化と遵守を、各国に
義務付けるのも一つの方法であろう。また、すべての創唱宗教は、開祖の精神
障害から発生しているのであるから、精神医学による信者に対する薬物療法や
集団カウンセリングも必要であろう。
472 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 02:11:03 ID:6qCZgMOr
>>447 それはすべて「戦争中」の状況だろ。その戦争を終わらせるための「和解」の
話をしているのだよ。
>>471 >宗教信者の皆さんの反応を見ながら、その方法を模索しているところだ。
そんなとこだろうと思ったw
具体的に仮定しようとするならどこかで手を汚すことを想定せざるを得無いからな。
泥臭い手間と過程をすっ飛ばしてきれいな終末だけを設定した「絵に描いた餅」でしかない。
>よいヒントがあれば教えてくれw
ないな。前にいた女の子口調の金魚のフン(自演かもしれんがw)くらいしか支持者を作れず
どこのスレでも不誠実さと非論理ぶりを振りまく人間に誰がついてくると言うんだ?
おまけにそれをカバーし得るような才能や魅力があるわけでもない。
何をやっても無駄だよ。
>宗教・宗派間に争いが絶えない。このスレだけでも、見事に証明されている。
>「すべての人間に共通する普遍の基盤」に基づけば、対話も可能になり、争いも
>なくなる。
宗教戦争が起こるのは信仰の「違い」によってであることを隠居も認めているわけだ。
当然の帰結として「同じ」宗教・宗派であれば宗教戦争は起こらない、という理屈になる。
そりゃそうだ。同じ民族の間で民族戦争が起こらないのと同じ意味で、確かに起こることはなかろう。
起こるとすれば内側から「異端」が沸いて思想上の他者が発生したときのみだ。
で、だ。隠居教が唯一絶対の世界宗教になったとして、共同体内から異物が発生することを止められるのか?
隠居や隠居教にひとをひきとめる力がないことは、これまでの推移をみても明らかだろ?
内なる呪術的思考により再発生した宗教信者や同情的なシンパを抹殺するか?
それとも隔離するか手術で頭をいじるかね?金品で釣れなかったらどうする?
>国連で、「如何なる宗教といえども、その教義や宗教行為を、人間の生命に
>優先させてはならない」という決議をし、
撲滅するんじゃなかったのか?
>精神医学による信者に対する薬物療法や 集団カウンセリングも必要であろう。
問題を起こしている訳でなくても、「信者である」事そのものを理由にして
思想を改造することは精神医学会で認められているのか?
>>472 和解する過程もすっ飛ばしてるんだな。
475 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 11:30:21 ID:KHhidRPC
>>462 「脳に於いて思考している」という学習をしない限り、
【おそらく例外なく】、【人は】【胸を押さえる】と思う。
「頭にある」と言う人は、そうした学習をして、且つ頷いた人だろう。
心は頭に中にあると思う人がかなり多くいるのだと2chに来て
初めて知りました。
普段こんな話はしないのでとっても貴重な経験です。
476 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 12:25:08 ID:aOCXI1xJ
>>461 胸に手を当てるのは、心臓は鼓動しているから、自己の「生命」の存在を
最も容易に確認できるからである。手を当てる動作の指示は脳から来るが、
その脳も、心臓の鼓動が数分間止まると、機能は不可逆的に停止する。人
間は、思想ではなく、肉体的生命がすべての根源であることを、生来的に
知っているのである。
477 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 13:42:06 ID:aOCXI1xJ
>>478 >共同体内から異物が発生することを止められるのか?
従来の宗教は、「生命」という普遍の基盤に基づいていないから、異端が発生する。
宗教は、異端と内紛の歴史である。
>撲滅するんじゃなかったのか?
取り敢えずの応急措置である。
>問題を起こしている訳でなくても、「信者である」事そのものを理由にして
>思想を改造することは精神医学会で認められているのか?
「思想の改造」などではなく、「病気の治療」である。中東その他での殺し合い
が、問題ではないのか。狂気以外の何物でもないではないか。
>従来の宗教は、「生命」という普遍の基盤に基づいていないから、異端が発生する。 基づいていれば、異端が発生しないという主張に根拠はない。 ・そもそも「捉え方」である時点でオリジナル(本尊)と同一ではない。 ・真理であったとしても、真理であること自体は「誤解」されないことを意味しない。 ・真理であること自体は、別個の誤りとセットでは支持されないことを意味しない。 ・真理でなくても精神的要請にかなえばひとはそれを信じるし、許容範囲と感じれば存在を容認もする。 宗教を生む源泉に目的論的思考があるが、その産物である陰謀論を 開祖自身が適当に口走ってしまっている。開祖がこの程度なら隠居教の平信徒がさらに 劣化してしまっても特段驚くべきことではない。 >取り敢えずの応急措置である。 後で掌をひっくり返すのか?それとも事前に後に続く本番の前振りですよと伝えて置くのか? 国連に集まる人間、国々をどうやって説得するんだ?山吹色のお菓子でも包むのかw >「思想の改造」などではなく、「病気の治療」である。 言い換えはいいから。で、認められてるの? >殺し合い、 を考えておらず、争いをこのまず、共存を望んでいる人間でも 「信仰を持つ」ことそのものを理由にして思想改造しちゃうことは。 それとも彼らにも黄金色のお菓子を包まなくてはいけないのかね?
479 :
神も仏も名無しさん :2010/02/09(火) 21:14:22 ID:LK1YoUD8
>>478 >基づいていれば、異端が発生しないという主張に根拠はない。
普遍の基盤に基づかない、しかも開祖の精神障害の結果としての口から出任せ
の従来の宗教よりは、異端の発生の可能性は、極端に少ない。
>後で掌をひっくり返すのか?
後でひっくり返さなければならないような応急措置をやる者はいない。「最も
緊急で重要な点」から抑えるのである。国連が、「世界平和」を標榜する機関
である以上、拒否する自由はない。国連は、強制力も有する。「教義や宗教行為
を人命に優先させてはならない」という決議案に大っぴらに反対できる宗教が
あると思うのかね。それでは「殺人目的の宗教」ではないか。
>で、認められてるの?
自傷他害の恐れがあれば、当然認められる。その程度にまで至らなくても、
宗教により人為的に「思想の改造」をされた信者は、人格侵害の犠牲者である。
宗教により生来の人格が変容されれば、そのこと自体が人格の蹂躙であるし、
他害の恐れも常にある。開祖、教祖、教義に容易に操られるからである。
若し「異教徒は殺せ」と命令されれば、良心の呵責なく、嬉々として殺せる
ようになるのが、宗教特有の心理状態であることを忘れてはならない。
>>479 >の従来の宗教よりは、異端の発生の可能性は、極端に少ない。
願望を述べているだけだな。こちらは開祖の低劣さなど具体的な理由を挙げている。
害意も問題も無くても「異物」という理由だけで頭をいじる実権を与えることが
どれほど危険な状況をもたらしうるか、考えることもできないらしい。
>後でひっくり返さなければならないような応急措置をやる者はいない。
容認に見せかけて後で撲滅に転じるのは「ひっくり返す」にあたるな。
>である以上、拒否する自由はない。
なんだこれは?隠居の俺ルールには無条件で従ってくれるのか。便利だな。
>自傷他害の恐れがあれば、当然認められる。
恐れが無いなら当然認められないということだな。その先は精神医学の見解ではなさそうだな。
害意がなかろうが問題を起こしてなかろうが、救ってやりたいがために精神を塗り直すことに疑問を抱かない。
極端な事例のみを取り出し、別の状況で生きる各人が他者との関係をいかに築いているかを見ようとはしない。
「お前のお仲間が他所でやらかしたからどうせお前も同類だし救済してやらんとな、異論は認めない」とこういうわけだ。
個人を無視する発想が医療に由来するわけが無い。
>拒否する自由はない。 は国連にかかってるのか。ここは訂正しておこう。 後でひっくり返さない、なら容認のままということになるな。 じゃあ撲滅はいつなされるのか。自然にどうにかなって(中略) 六十億総隠居教化なんて適当なことは言わないでおくれよ。 それにしても、 いつも通りのグダグダだな……まあ、自分に甘く自分に都合よく 心地よい未来絵図を描いてるだけだから無理もないか。 グダグダの一因に、自分が手を汚すルートを仮想するのを 強引に避けようとしているという点を挙げることが出来る。 あらゆる意味で責任を負わされることを嫌っているということ。 そしたらその点では優位を主張出来るなるからね。 で、どうにかこうにか、綺麗に唯一絶対思想の座を射止めるルートを模索しているのが現状。 でも現実世界での広がり方を想定する以上、そんなものはありえない。 強引にねじ込もうとすれば、さらに自己満かつ非現実的な仮定を加える羽目になる。 よって、何時まで経ってものらりくらりを維持するだけとなる。 それに付き合うことに意味を見いだせなくなってきた今日この頃。
>>458 新しくはないが、ネタの再掲はしたぞ?w
ま、あれらこそが、これらのテーマの中核なので、
(当時もw)誰も触れるものが居なかったわけだが・・・。
唯一、縁起馬鹿だけが、
『そんなもの中核でもなんでもない!』『(西洋的)実在論、存在論に基づく転倒だ!』
と気炎を上げるのみだった・・・。
きちんとした、(仏教系での)注目すべき論客は、彼と閻魔くらいのもんだろうよw
輪廻と我を両立させようとする見方を 三位一体説のような(信者による)矛盾の辻褄合わせとみるか。 釈迦もそんな感じでそっち方面に行っちゃってたとみるか。
×我→○無我
>>463 >しかし、日本は神道国であると共に、佛教国でもあり、一神教国ではなかった。
>それが、日本が皆殺しにされるまで戦わなかったことの理由である。
はて?
たしか、「宗教は相手を皆殺しにするまでやめることは不可能」だから、
「宗教は撲滅すべき」と言う主張だと思ってたんですが?
もしかして、仏教と、神道は、「宗教」ではないということですね?w
例外が存在するなら、全ての宗教を「撲滅」する必要は全く無いと思うんですがね?
むしろ、大切なのは「他人に自分の思想を押し付けようとすること」を禁じる事であって、
何もしていない信者の宗教観を全て「撲滅」して、
強制的に貴方の生命教に改宗させることではないと思います。
>昭和天皇は、神道であっても、狂信者ではなかった。
あれ?
宗教の信者は、「信者には、現実的・自主的・理性的判断は不可能」で、
必ず狂うから、宗教を撲滅しろといってたんじゃなかったんですか?w
狂わない人がいるなら、狂信者がいるからと言って、
狂わない人も一緒くたに「撲滅」するのはまずいんじゃ無いですかね?
>>470 こりゃ、もう何言っても無駄ですねw
まあ、一応レスつけますか……。
>「輪廻転生」と特定しているのだから、その事実について「可能性の存在」を証明しなければならない。
私が、「輪廻転生は存在する」と言っているのならば、
確かに「事実に基づいて輪廻が存在すること」を証明しなければなりません。
ですが、私が主張しているのは、「可能性の存在」です。
よって、「存在の証明」をする必要は全くありません。
また、「可能性が存在する事は、既に証明しました。(
>>397 )
反論をなさるなら、「可能性の存在」を「貴方の主張を元に」行った論証(
>>397 )の「論理に反論」してください。
そして、何度も言うように、「輪廻転生が存在しない」と主張なさるのなら、
「輪廻を肯定する根拠が無い」という証明になっていない主張ではなく、
「輪廻転生が『存在しない事』」を、証明してください。
>>470 >「ないことの証明は不可能だから、あるという可能性は常に残る」などという一般論では、
>「輪廻転生」の可能性の証明にも、「一応の証明(疎明prima facie evidence)」にもならない。
だから、何度も言うように、私は、輪廻の存在云々に関わらず、常に成立する、「一般的論理学」の話をしているんですよ。
「完全に否定できないなら、肯定される可能が残る」と言うのは、どのような場合にも通用する、論理です。
もちろん、輪廻の場合にも通用します。
そして、貴方の、「存在の証明が出来ないなら、否定したものと見なす」と言うのは、
あくまで習慣上の論理であって、「一応の証明(疎明prima facie evidence)」なんです。
「厳密に」あらゆる場合に通用するような「一般論理」を考えた場合では、
貴方の主張は通用しません。
>私は「身体に関する唯一の客観的解明」である生物学や医学において、輪廻転生の
>実例も、その可能性についての記載もないという事実により、証明、少なくとも
>疎明している。
だから、「疎明」レベルなら、貴方の主張は正しいと言ってるじゃないですか。
「厳密に言えば」間違っていると指摘しているだけです。
「輪廻転生が存在しない」と、「厳密に」証明できますか?
できないなら、「存在の可能性は残る」と言ってるんです。
さあ、「輪廻転生が存在しない」と、「厳密に」証明してください。
>>470 >なお、人間は機械ではなく、その観察・測定には常に若干の誤差はあるのだから、
そのとおり。必ず誤差が存在するから、『厳密に言えば』誤差の範囲内で、存在する可能性が残ります。
>試薬反応において、「試薬の検出限度以下の存在の可能性はあります」などという但し書きを一々付けることはない。
だから、「慣習上」は、「無い」として扱っているだけで、
「厳密に言えば」一々但し書きをつけなければならないんですよ。
>試薬に反応しなければ、「存在の有意の可能性はない」ということだ。
試薬反応において、反応が出ないと言う結果が意味しているのは、
「試薬の検出限度以上の存在は無い」というだけで、
「試薬の検出限度以下の存在」を否定する結果では無い事を、常に意識しなければなりません。
例えば、10ppm以上で反応する試薬を試して、反応が無かったとしましょう。
貴方は、この結果から、「存在しない」と言い切ってしまうわけです。
しかし、存在量が1ppmの場合、10ppm以上で反応する試薬では、当然反応が出ません。
ですが0.1ppmに反応する試薬を使用すれば、反応が出ます。
コレが、「試薬の検出限度以下の存在の可能性はあります」と言う事の意味です。
蛇足ですが、もちろん、0.1ppmの試薬で反応が出なくても、「存在しない」事にはなりません。
0.01ppmに反応する試薬を使用したら、反応が出るかも知れ無いからです。
>「極く極く微小な可能性」は無視するのが、大人の会話の前提だ。
何度も言いますが、「大人の会話」であれば、それで構いません。
ですが、「厳密な会話」では、それは許容されないと言っているんです。
>>470 >宗教の人が「神や霊は絶対にないとは言えない」というのは、宗教の影響による倒錯
>であり、社会常識からの逸脱の結果としての、病的心理である。
この部分にだけは、個人的に同意しましょうw(まあ、病的と言う部分にちょっと引っかかりますが)
私の場合と、宗教に嵌っている人の場合では、言っている事は一緒に見えますが、意味が全く違いますw
>>472 >それはすべて「戦争中」の状況だろ。
>その戦争を終わらせるための「和解」の話をしているのだよ。
>>447 で議論していたのは、「戦争中に」どのようにしたら戦争を中止できるか
と言う議論だったと思うんですがね?
「>その戦争を終わらせるための「和解」の話をしているのだよ。 」
と主張なさると言う事は、「和解」が前提じゃないと、
「自分を殺そうと考えている相手を、皆殺しにすると、自分の生存が不利になる状況」は、
生まれないと言う事ですね?
そうであるならば、和解する意思のない「戦争中の」人間には、
「自分を殺そうと考えている相手を、皆殺しにすると、自分の生存が不利になる状況」を理由に、
戦争を止める事は出来ないということになります。
よって、戦争を中止できるかどうかは、「和解する意思があるかどうか」のみが関わってくるだけで、
「宗教」とか、「生存が〜」は、全く関係ないという結論になりますね。
>>476 >手を当てる動作の指示は脳から来るが、
>その脳も、心臓の鼓動が数分間止まると、機能は不可逆的に停止する。
ほー、知らんかった。人工心肺をつけた人は、既に死んでたんだw
まあ、冗談は置いといて、厳密に言えば、
『脳への「酸素と栄養素の供給」が止まると、「脳の機能が」不可逆的に停止し、人は死ぬ。』
ですね。
つまり、「思想ではなく、肉体的生命がすべての根源である」と言う主張は、微妙に間違ってます。
脳も確かに肉体の一部ですし、脳が無ければ思想も無くなるので、間違いではありませんが、
厳密に、これらの事実から言えることは、
「心臓の鼓動ではなく、脳の機能が人間の根源である」というべきかと思いますね。
なぜなら、心臓が止まっても、体の一部が欠損しても、人間じゃなくならないのは既に指摘したとおりですし、
それに対して、脳の一部でも欠損すると、人格が損なわれてしまうからです。
>>482 新しい議論のネタを投下するなら、もう少し論点を絞ってくれませんかね?
どれを議論しようか迷った挙句に、まとめてスルーしちゃいましたw
>>492 絞る必要は無かろう?w
あれだけ列挙できれば、「不完全性を示すには十分」だ。
あとは、個別に議論したい人間だけがすればいい。(私は遠慮するが・・w)
また、大乗の功罪についても、やりたい人がやればいい。
私が興味があるのは『聖と俗の境界』の方だが、
ここに目を見張るような切り込み方(レス)をしている人間に、まだ2chで出会ってはいない・・・。
この辺が2chの限界かな・・・と思う今日この頃w
ノシ
494 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 01:56:33 ID:HM4ml368
>10氏へ あなたは、手をいくら洗っても、「厳密には」細菌が残っている「可能性」が あるから、何度も手を洗う人ですかw。 精神医学では、これを「強迫観念(obsession)」と呼び、精神障害として治療の 対象とします。 なお、人格が損なわれると死ぬのなら、宗教によって人為的に人格が損なわれ た人は、死んでいることになります。 人工心肺は、心臓が停止する前か直後に装着して、機械により心臓の鼓動を 代行させるものです。その間は、人間として自立的に生きているのではない。 心臓が停止して3分以上経過すれば、脳には不可逆的な障害が生じます。
495 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 02:01:47 ID:HM4ml368
>>493 >私が興味があるのは『聖と俗の境界』の方だが、
まず「聖」と「俗」との具体的な定義をしてください。
ダニヤと釈迦とでは、どちらが「聖」で、どちらが「俗」ですか。
496 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 02:24:35 ID:HM4ml368
>>493 「2chの限界」などと言うのは、実は「あなた自身の限界」のことでは?
497 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/10(水) 11:00:40 ID:7cHsnhTb
>>442 >いい加減、「数が多いから私の意見は正しい」と言う論調には飽きました。
そうではなく、
多くの一般庶民はもっと心が素直で開いているという意味です。
あなた方とは違ってね。
>>443 >まず、このアンケート結果を正確に読めば、「死後の世界を信じる人は、全体の1/3に過ぎない」
>と言うことであって、「過半数以上(2/3)は、死後の世界を信じていない」という結果ですよ?w
違います。
1/3は「分らない」という回答であり、「信じていない」というのは1/3です。
「在り得ない」とか「証明しろ」などと煩いのは1/100ですわw
しかも、ここで重要なのは、
「一般人34.6%が死後の世界を信じ、29.7%が生まれ変わりを信じている」という部分。
つまり、死後の世界を信じるということは、その大部分は生まれ変わりを想定してるわけです。
エーと誰だったか・・・これはインドで信じられてきた思想だからこの日本では無理。
日本では馴染みの薄い思想(概念)だから、とても受け入れられない、
といった意見が投稿されたことがありましたが、実際には全然、違うということ。
498 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/10(水) 11:01:32 ID:7cHsnhTb
>そもそも、このアンケートの題名「がん患者「死後の世界」信じる割合低く」を見れば分かるように、
>死を身近にして、死について真剣に考える人ほど、
>死後の世界を信じる割合が低いと言う結果が出てるんですがね?
ガンと人の性格との因果関係を明らかにしたアメリカの心理学者リディア・テモショックと
サイエンスライターのヘンリー・ドレイアの話があるそうですよ。
免疫を司るNK細胞などは精神面に左右されることも分っていますし・・。
--ネットより--
世界的に有名な心理学者、アイゼンク博士(1916〜1997)は、
人の性格を4つのタイプに分類し、タイプごとのガン死亡率を調べた。
アイゼンク博士は、旧ユーゴで約2000人を対象に11年間の調査を行いました。
その結果、【タイプ1】のガン死亡率は46%、一方【タイプ4】は観察期間中、ガンにはまったく罹らず、
他の病気での死亡も最も少なかったのです。
【タイプ1】
「情緒的に高い価値がある対象(自分にとって大切な人や仕事など)が、
自分の幸福にとって重要だとみなし、依存している。」
【タイプ4】
「人格的自律型といわれる。自律性とは、自分を幸せにしてくれるものが
自分の外にではなく内側にあると考えている。」
以上、ネット情報:
http://www.gan-jiten.com/more/01/post_31.html つまり、唯物主義者(死後の世界を信じない人)というのは、
価値の依存を外部の対象に向け、それに依存しているということがいえると思います。
この統計的には、ガンになりやすい人なのかもしれませんね。
499 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/10(水) 11:03:45 ID:7cHsnhTb
>>444 >@本当に送ったのかどうかの確認
>A送ったメールの本文に不備があって返信がなされていない可能性の確認
「送った」といってるでしょう!!!
不備なんてありません。
>>450 >ですから、「Aさんが殺人者かどうか」と言う議論をするなら、
>スタート地点は「殺人者かどうか分からない容疑者がいて」と仮定しないと、意味が無いわけです。
そんな話は私はしていない。
殺人者かどうかの議論などは不要です。
“あなたの話というのは全部”、アイザック・ニュートンの登場によって万有引力が作用を始めた、
といってるも同然ですからね・・・。話が分らない相手ならば、スルーします。
まず会話が成立しないので、時間の無駄ですからw
>>451 無駄www
500 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/10(水) 11:06:49 ID:7cHsnhTb
>>445 >そして、「激流=輪廻」と解釈するだけで、
>「解釈の根拠(なぜそう解釈できるか)」を提示していない貴方の主張も、
>同程度の無理があると言っているんです。
常識だからですよ。
『この輪廻の生存は恐ろしいものである。ときには輪廻の生存を、波濤 ・渦巻など水の動揺のある
恐ろしい大海に譬えていることもある。この輪廻のすがたを如実に知った人が、ブッダ、目覚めた人
(buddha)である。--中略--
また理想の境地は“彼岸”とも呼ばれている。これもジャィナ教では最初期から用いられている名称
である。輪廻の濁流をわたったかなたにあるところという意味であろう。《何ものをも所有せず、欲に
執着しない。かれは確かにこの煩悩の流れをわたった。かれは彼岸に達して、心の荒びなく、疑惑も
ない。・・・彼は生と老衰とをのり超えた。》(Sn.1058-1059)
このように修行を完成した人のことを「流れを渡った人」とよぶ。これはジャィナ教などで聖者のこと
を「流れを渡る人」「流れを渡った人」とよんでいたのを、仏教がとり入れたのであろう。』
(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』p101-103/NHKブックス刊)
『この世において誰が激流を渡るのであろうか?この世において誰が大海を渡るのあろうか?支え
なくよるべのない深い海に入って誰が沈まないのであろうか?』(Sn.173)
『註-173激流/迷いの輪廻の生存を激流または海に譬えるのである。』
(中村 元訳『ブッダのことば』岩波文庫)
501 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 11:21:16 ID:9ylwxQfN
>>496 事実その通りだと思うよ。
議論を引っ張っていく(或いは何がしかのヴィジョンを提示する)自信はまだない・・。
503 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/10(水) 12:37:23 ID:7cHsnhTb
504 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 12:46:05 ID:deUX9HSJ
>>500 「転生」とは、文字通り「身体」に関することですよ。生物学や医学について
無知蒙昧だった時代の人間である釈迦の言葉に、いくら縋っても無駄なこと。
君は、とんでもない時代錯誤に陥っている。「釈迦の誤り」として訂正して
あげれば済むこと。釈迦も、自分の誤りを現代に持ち出されて、迷惑だと思うよ。
505 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 13:20:18 ID:deUX9HSJ
>>502 大昔の原始仏教などに嵌っているから、その限界を一歩も超えられないのだよ。
ダニヤの章だけでも、釈迦が「カルト教祖」に過ぎないことは明らか。ダニヤの
人格を破壊し、その家族の平和を奪った。悪魔パーピマンにさえ、完全に突っ
込まれている。
「聖俗」をいうなら、ダニヤこそ、人生の真実を覚り、心の安定と平安を得た
聖者であり、釈迦こそ、「我のみ良し」の思い上がりに過ぎない、苦に対する
執着にまみれた、低俗極まりない「俗人」であるといえよう。
>>494 >あなたは、手をいくら洗っても、「厳密には」細菌が残っている「可能性」が
>あるから、何度も手を洗う人ですかw。
何度言っても理解しない人ですね。
「通常の生活を送る範囲」では、一回手を洗えば、「生活に障害が出ない程度に」綺麗になるでしょう。
ですが、その上で、「厳密に言えば、細菌が残っている可能性がある」と言っているんです。
例えば、石鹸で一回手を洗った程度では、細菌がいるかどうかを調べれば、
常在菌がうようよ検出されます。
ですが、それら常在菌は健康に害がありませんし、
常在菌以外の病源性微生物が残っていても健康に害が無い程度の数しか存在しないので、
「通常の生活の範囲」では、問題がありません。
ですから、私も、普段は一回しか手を洗いません。
しかし、私がかつて細菌の培養実験などをした時には、
培地に手の菌が混入する可能性を極限まで減らす為に、
3度手を洗い、更に薬品で消毒した上で、消毒済みの手袋を使用しました。
そこまでやっても、混入する事がありましたけどねw
>>494 >なお、人格が損なわれると死ぬのなら、宗教によって人為的に人格が損なわれ
>た人は、死んでいることになります。
その通りですね。
人格に変化があれば、「それまでの自分」は死んだ事になります。
ただし、人格がそこなわれるのは宗教だけに限定された話ではありません。
例えば、映画を見て感動したとしたら、見る前の自分とは、別の自分になっているわけです。
極論すれば、生きている限り、常に自己は変化し続ける(=死に続ける)という事です。
この考えこそが、「無我」の概念じゃないですかね?
>>494 >人工心肺は、心臓が停止する前か直後に装着して、機械により心臓の鼓動を
>代行させるものです。
まず、事故などによって、突然の心停止などに陥った場合に、
心停止「後」しばらくしてから、人工心肺を接続する事は、行われます。
ですから、心停止「前か直後」に人工心肺を接続しないと死ぬと言うのは間違いです。
>その間は、人間として自立的に生きているのではない。
「自立的」には生きていませんが、何か問題があるんですか?
まさか、人工心肺につながれていたら、意識があって普通の人間と同じ反応があったとしても、
その人は「人間じゃない」とか出だすんですか?
>心臓が停止して3分以上経過すれば、脳には不可逆的な障害が生じます。
一応言っておくと、脳が不可逆的ダメージを受けるのは、一律に3分後ではなく、
2分以内で10%程度、4分では50%、5分では75%程度の人です。
1分で死ぬ人も居ますし、冷水に落下した場合や子供の場合などでは、心停止から10分後でも、
全く後遺症が無く回復した事例もあります。
そもそも私が指摘したのは、人工心肺の接続時間云々の問題ではなく、
人工心臓などを使用し、「自分の心臓ない状態でも、人間としての活動が可能だ」という事です。
例えば、61歳男性バニー・クラーク氏は、自分の心臓を切除された上で、
人工心臓を埋め込まれて、自己の心臓が存在しない状態で、112日間生きました。
つまり、「心臓=人間ではない」と言う事です。
>>497 >多くの一般庶民はもっと心が素直で開いているという意味です。
だから、何度も指摘しているように、
「多くの一般庶民が貴方の意見を支持すること」と、
「貴方の主張が正しい事」は、全く無関係です。
そして、今議論しているのは、「貴方の主張が正しいかどうか?」であって、
「貴方の意見が一般庶民に支持されるか?」ではありません。
よって、議論に関係ない貴方の主張は、
「数が多いから私の意見は正しい」という主張を意図しての発言と私は推測しました。
違うと言うのなら、なぜ、今の議論に関係ない「貴方の意見が一般庶民に支持されるか?」
と言う話題を持ち出したんですか?
>>497 >1/3は「分らない」という回答であり、「信じていない」というのは1/3です。
>「在り得ない」とか「証明しろ」などと煩いのは1/100ですわw
また、正確にデータを引用しないで、自分の都合のいい部分だけの引用ですかw
何度も言うように、全ての情報を引用しないと、論拠になりませんよ。
もっとも、私の
>>443 の言い方は、曖昧でしたね。
私は、「死後の世界が無いと信じている人が過半数だ」と言っているのではなく、
「死後の世界を信じている人では無い人が過半数以上(2/3)だ」といっているんです。
つまり、(このアンケートから言えることは)
貴方の「死後の世界の存在を信じる人は、たくさんいる」と言う主張は間違っており、
「死後の世界の存在を信じる人は少数派である」と言う事です。
>>497 >「一般人34.6%が死後の世界を信じ、29.7%が生まれ変わりを信じている」という部分。
>つまり、死後の世界を信じるということは、その大部分は生まれ変わりを想定してるわけです。
揚げ足取りですが、この主張は間違いです。
死後の世界は信じるけど、生まれ変わりは信じない人が34.6%、
死後の世界は信じないけど、生まれ変わりは信じる人が29.7%いた場合、
死後の世界も生まれ変わりも信じる人は0%です。
少なくとも、両方とも信じている人が29.7%であるような考えは、大間違いです。
実際に、アンケートデータを分析し、
「死後の世界と生まれ変わりを両方信じる人の割合」を出さないと、貴方の主張はいえません。
>>497 >エーと誰だったか・・・これはインドで信じられてきた思想だからこの日本では無理。
>日本では馴染みの薄い思想(概念)だから、とても受け入れられない、
>といった意見が投稿されたことがありましたが、実際には全然、違うということ。
もし、私の事を暗示しているのでしたら、間違いです。
私が言っていたのは、「インドの輪廻観と、日本の輪廻観は違う」と言う主張です。
つまり、インドの輪廻観は、「何度も生まれ、何度も『死ぬ』」と言うものですが、
日本における輪廻観は、「死んだら極楽(や地獄)に生まれて、そこで『生きていく』」と言うものが主流です。
だから、インドの輪廻観を『そのまま』持ち込んでも、受け入れがたいだろうと言っているんです。
さらに、現代日本に於いては、旧来の日本の輪廻観すら受け入れがたくなっているのに、
なじみの無いインドの輪廻観は、「さらに」受け入れがたいだろうと言ったんです。
>>498 ……え〜と?
「タイプ1の人は、死後の世界を信じない人であり、
タイプ4の人は、死後の世界を信じる人であり、
癌にかかるのはタイプ1の人だから、
癌にかかった人の死後の世界を信じる率は低いんだ」
と仰りたいんですか?
なるほど。説明としては面白いですね。
ですが、問題は、
@貴方の提示したソースの正確性
(一次資料とは言いませんが、曾孫引きは酷いんでは?w)
A「タイプ1=死後の世界を信じない人」と言えるのかどうか
むしろ、神を信じて死後の世界を信じる人の方が、
「情緒的に高い価値がある対象が、自分の幸福にとって重要だとみなし、依存している。」
=タイプ1じゃないですかね?w
さらに言えば、唯物論者というと、
「自分を幸せにしてくれるものが自分の外(神)にではなく内側(自分自身)にあると考えている。」
=タイプ4の方じゃないですか?w
少なくとも、貴方の引用した部分だけでは、貴方の仮説は検証されえません。
>>499 >「送った」といってるでしょう!!!
>不備なんてありません。
まあ、なにしろ貴方は「読んだ事の無い本を批評する」方なんで、
「送ってないのに送った」と言っていないか、確認したかっただけですよ。
あと、貴方は、まともな論理を構築できないようなので、
質問が論理的に破綻してて、返答できない可能性が無いかも、確認したかったんですよ。
>>499 >そんな話は私はしていない。
>殺人者かどうかの議論などは不要です。
今まで、「殺人者かどうかの議論」=「輪廻が有るか無いかの議論」をしてたんじゃないんですか?
『違うと言うのなら、一体何を議論してたんですか?』
まさか、「殺人者なら、証拠が無くても殺人者である」、
つまり、「輪廻が存在するならば、証拠が無くても輪廻が存在する」と言うことを話してたんですか?w
>>499 >“あなたの話というのは全部”、アイザック・ニュートンの登場によって万有引力が作用を始めた、
>といってるも同然ですからね・・・。
いったい、何処をどうよんだら、そんな話になるんですか?w
「具体的に」私の発言を引用して、指摘していただけますか?
この例で言えば、貴方は、
「地球の周りを太陽が回っている場合の話をしているんだから、
天動説が唱えられる前から、天動説が存在していて、
天動説が唱えられた時に太陽が地球の周りを回り始めたんじゃない!」
と言っているようなものです。
まずは、太陽が地球の周りを回っているのか、地球が太陽の周りを回っているのか
(=輪廻が存在するのかどうか)を議論しないと、
いきなり「天動説が正しい(=輪廻が存在する=Aさんが殺人者の場合)」と仮定して、
それを前提に議論しても意味がありませんよね?
>まず会話が成立しないので、時間の無駄ですからw
コレだけは完全に同意しますw
>>500 >常識だからですよ。
だから、「貴方の常識」を解説してくださいと言ってたんですよw(
>>354 )
それが何で、私が激流=お金の流れでると信じているかのような受け取り方をしますかね?w(
>>428 )
で、結局、「ジャイナ教で使われていた比喩だから」と言う事ですね?
518 :
神も仏も名無しさん :2010/02/10(水) 16:48:47 ID:deUX9HSJ
>>506 >「通常の生活の範囲」では、問題がありません。
>ですから、私も、普段は一回しか手を洗いません。
一安心しましたw。
前レスを若干訂正。「馬鹿馬鹿しいと思いながらも、何度も手を洗いたくなる」
のが、「強迫性障害(oppressive compulsive disorder)」。「馬鹿馬鹿しいと
さえ思わないで何度も手を洗う」のが、本来の精神病(統合失調症及び双極性
障害、即ち、躁うつ病)。
なお、人工心臓で心臓を「代行」させているから生きていられるのです。
心臓が停止したのに、「(広い意味での)心臓以外の器官」を代行しても、必
ず死にます。
さらに、医学における数値には、若干の「個体差」があるのは、当然の前提。
あくまで「平均値」です。
>>518 >一安心しましたw。
だから、「『習慣上は』無いと言っていい」、「『厳密に言えば』有る可能性が残る」と、
最初から言い続けてるでしょうに。
勝手に自分で勘違いした挙句に、
勝手に人の事を精神病呼ばわりして、
勝手に一安心するとは……
>なお、人工心臓で心臓を「代行」させているから生きていられるのです。
>心臓が停止したのに、「(広い意味での)心臓以外の器官」を代行しても、必
>ず死にます。
……もはや貴方が何を言いたいのかさっぱり分からないんですが。
心臓が停止した時に、腎臓の代行(=人工透析)しても死ぬと言いたいんですか?w
それとも、心臓が停止して、人工心臓で代行させても、いずれ死ぬと言いたいんですか?
前者ならアホ、後者なら間抜けの意見ですね。
私は、「人工心臓を移植すれば、不死になる」とは言ってません。
「心臓が止まっても心臓の機能を代行させれば、人間としての機能が維持される。」
と言ってるだけですよ?w
そして、この事実から導かれる結果は、
「大切なのは、心臓と言う器官ではなく、心臓の機能(血流)である」と言う事です。
つまり、「心臓=人間」と言う考えは間違いだと指摘しているだけです。
さらに言えば、心臓に対して、脳の場合は、一部でも欠損すると、人格が損なわれてしまうので、
「心臓ではなく、脳(の機能)が人間の根源である」というべきだと主張しているんです。
520 :
神も仏も名無しさん :2010/02/11(木) 01:22:45 ID:vQz78g4H
>>519 「脳死が人の死であるか」の問題ですね。脳死に関する膨大な議論を参照される
とよいと思います。
脳死でも、心臓が鼓動している限り、身体の組織は「生きて」います。だから、
臓器移植が可能になる。一方、心臓が停止すれば、組織は腐敗します。
脳機能が狂った精神病者、宗教の開祖や信者、脳細胞が減少したアルツハイマ
ー病患者、脳に重大な障害を受けた患者でも、心臓が動いている限り、「生き
て」います。しかし、心臓が停止すれば、身体は腐敗します。
佛教でも、心臓を生命の根源としているようです。
「赤肉団(心臓)上に、一無位の真人あり、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ
証拠せざる者は、看よ看よ」(臨在録)
「無位の真人」とは、「いかなる格付けをも拒否する真の主体」、即ち、「生命」の
意味。
ちなみに、心臓の主たる機能は、脳を含む身体の組織に「酸素」を供給すること
により、生命を維持することです。生命は、酸素という「物質」がなければ
維持は不可能であることを、示しています。即ち、生命は、いわば「唯物論者」
なのです。
>>520 生命という既成概念(名称と形態)はそういった多因多果のネットワークによって、
現象している。
したがって、そのものとしての実体はなく、空であることは当然。
>「赤肉団(心臓)上に、一無位の真人あり」
こんなのは臨済(*在ではない、初心者め)の上から目線からのハッタリのニンジンさw
比喩であって、そんなのはいないと了解できれば修行が進んだ証拠だ。マチガエルナ。
ちなみに、ヤージュニャヴァルキアの輪廻転生論に対抗しうる新たな世界観を提示するものとして、
ブッダの縁起の思想があり、それによってバラモンの道徳観を完全に否定して見せられたのだよ。
輪廻転生論なんて縁起の思想からみれば、おとな向けの物語でしかない。
嘘でも本当でもないフィクションなんだから、目くじら立てるほどのものではない。
フィクションの実在証明なんていわれたら、作者ヤージュニャヴァルキアも困惑するしかないがなw
輪廻転生フィクションの真実証明を求めたれた宝珠も困惑して、 いかにインチキ・ハッタリをやるか研究中だす。 浦島太郎の竜宮城の実在をどーやって証明するか、楽しみだ。 浦島太郎は日本の輪廻転生「物語」なんだよ。 残酷だよね。 善因→楽果(?)→苦果だもんな 日本の輪廻転生物語のほうがシビアだな。
523 :
神も仏も名無しさん :2010/02/11(木) 02:38:47 ID:vQz78g4H
>>522 >浦島太郎の竜宮城の実在をどーやって証明するか、楽しみだ
「仏典同様、古い物語に『書いてあるから』」と答えるでしょうw。
524 :
神も仏も名無しさん :2010/02/11(木) 10:24:20 ID:FzI4uZtm
浦島太郎の経験することはないだろう。 しかし、転生は経験するかもしれない。
玉手箱を開けるな!
>>511 >死後の世界は信じないけど、生まれ変わりは信じる人が29.7%いた場合、
生まれてくる先が、この世界なら、それを「死後の生」とは言っても
「死後の世界」とは言わないな。「死後の世界」という括り方は、
この世と別の世界があるという発想において出てくる。
魂が行く先にある光に満ちた世界を「死後の世界」とは呼んでも、
前世持ちが生まれてくるこの世界のことを「死後の世界」とは呼ばない。
輪廻がこの世界内限定なら、「来世」はあっても「死後の世界」はない。
527 :
神も仏も名無しさん :2010/02/11(木) 17:13:19 ID:D3QqspvB
>>520 >脳死でも、心臓が鼓動している限り、身体の組織は「生きて」います。
単に、「細胞が生命活動していること」を、「生きている」と定義なさるんですか?
それは、単に「生命活動をしている」と言うだけであって、
「人間として活動している」事にはなりませんよね?
例えば、事故で千切れた指は、切断後数時間は生命活動をしていますが、千切れた指は「人間として生きて」いるとお考えですか?
あるいは、「培養したがん細胞」も、「人間として生きている」事になりますか?
そして、単に細胞が生命活動をしている事を「生きている」と表現しているだけなら、
>>520 は、今の議論には全く関係ない話ですね。
なぜなら、いま話しているのは、
「人間を人間たらしめている要素は何で有るか?(人間の根源は何か?)」という議論ですよね?
>>520 >だから、臓器移植が可能になる。
ちなみに、私は、「人間として」活動している事を、「生きている」と定義しています。
私の定義によれば、もちろん、脳死患者は「死んで」います。
「死んでいる」からこそ、脳死患者からの、移植が倫理的に可能なんだと思うんですがね?
貴方の定義によれば、脳死患者は、「生きて」おり、
移植は、「生きた人間から臓器を奪う」と言う行為になります。
>一方、心臓が停止すれば、組織は腐敗します。
何度も指摘しているように、
「心臓が停止しても、心臓の機能を代行してやれば、組織は腐敗しません」
ちなみに、貴方と同じ論調で言えば、
「脳(脳幹部)が機能停止すれば、心臓以下全ての生命活動が止まり、組織が腐敗します」
なお、貴方が指摘した、脳機能が狂った精神病者、宗教の開祖や信者、
脳細胞が減少したアルツハイマー病患者、脳に重大な障害を受けた患者等も、
「人間としての活動が不可能なほど」脳が破壊されていれば、
それは「死んだ」ものと扱うべきかと、私は思います。
もっとも、通常それらの方々は、「機能が低下」しているか「通常と違う機能を発揮」しているだけで、
「機能が停止」はしていないので、「生きている」の方に分類すべきだと思いますが。
>>520 >佛教でも、心臓を生命の根源としているようです。
>「赤肉団(心臓)上に、一無位の真人あり、常に汝等諸人の面門より出入す。
>未だ証拠せざる者は、看よ看よ」(臨済録)
「赤肉団=身体、肉体」と言う意味であって、
ピンポイントで「心臓をあらわす単語」ではないと思うんですがね?
なお、私は、「肉体(や、心臓)が人間の根源(構成要素)ではない」と言っているのではありません。
肉体は、もちろん、人間を構成する大切な要素の一つです。
ですが、心臓が壊れても、心臓の機能を代行すれば人間は死にません。
一方、脳が機能停止すれば人は死に、脳の機能を代行する術は(現在の所)ありません。
よって、「肉体や心臓より、脳(機能)の方が、より根源的構成要素である」と言っているのです。
>ちなみに、心臓の主たる機能は、脳を含む身体の組織に「酸素」を供給すること
>により、生命を維持することです。
だから、その機能を代行してやれば、脳が存在しなくても、生命は維持できます。
よって、「人間の構成要素」として、心臓は不可欠な物ではありません。
531 :
神も仏も名無しさん :2010/02/11(木) 22:50:48 ID:/B4oElEr
>>530 「赤肉団」の一般的解釈は「心臓」である。
胎児でも、心臓の原基は、脳神経系よりも先に発生する。
脳死者の臓器は、移植されて、recipientの生命を維持する。臓器の細胞が「生きている」
からである。
>>531 >「赤肉団」の一般的解釈は「心臓」である。
まあ、私は臨済宗じゃありませんから、「貴方の一般的解釈」で心臓だと言うのなら構いませんよ。
(後学の為に、「赤肉団=心臓」と言う意味であると、解説している文献などを引用していただけませんかね?)
で、臨済宗で、心臓が生命の根源と考えられていた事と、
現代の科学知識を基に「人間の根源的構成要素は何で有るか」を考える事に、何の関係があるんですか?
まさか、某人みたいに、「仏典に『書いてあるから』真理なんだ」と答えるんですか?w
>>531 >脳死者の臓器は、移植されて、recipientの生命を維持する。臓器の細胞が「生きている」 からである。
人の意見はきちんと読みましょうよw
私は、「脳死患者の臓器の生命活動は停止している」などとは、一言も言ってませんよ?w
私が言っているのは、
「脳死患者の細胞が生命活動をしている」という事と、
「人間を人間たらしめている要素は何で有るか?(人間の根源は何か?)」という議論は、
全く無関係だという指摘です。
さらに蛇足を言えば、
「脳死患者が『生きている』と定義するのならば、脳死患者から臓器を奪う事は、
『生きている』患者から、臓器を奪う事になり、倫理的に問題があるんじゃないか?」
と言う指摘です。
535 :
神も仏も名無しさん :2010/02/12(金) 00:18:44 ID:jiHrWY/j
>>532 >(後学の為に、「赤肉団=心臓」と言う意味であると、解説している文献な
>どを引用していただけませんかね?)
「岩波佛教辞典」の「赤肉団」「一無位の真人」の項目。あくまで、臨済録の
用語の意味。
発生の順序が、生命の維持に必須のものから始まると考えるのも、無意義ではあるまい。
>>535 突っ込みどころ満載ですなwww
>「岩波佛教辞典」の「赤肉団」「一無位の真人」の項目。あくまで、臨済録の用語の意味。
私は、「引用してくれませんか?」と聞いたんですがね?
貴方の論拠の「場所」を聞いたんではなく、論証の「内容」をお聞きしたんです。
本当にあなた方は、「この書物に書いてあるから正しいんだ」と言う論調がお好きですねw
>>535 >発生の順序が、生命の維持に必須のものから始まると考えるのも、無意義ではあるまい。
今話題にしているのは、「人間」にとって、必要不可欠な要素の話ですよね?
「生命の維持=単なる細胞の生命活動」に必須なものの話題ではなかったと思うんですが?
第一、チョットでも生物学を齧ったことが有る人なら、
「発生の順序から考えて、生命の維持に一番必須なものは心臓である」なんて事は言えないはずです。
なぜなら、仮に、貴方の主張の通りに考えた場合、
「一番必須なもの」は「心臓」などでは無く、『肛門』ですwww
発生の一番最初に現れるものは、肛門だからですw
(厳密に言えば「皮膚」かもしれませんが。)
まあ、少なくとも、心臓は発生の中盤以降に現れるものなので、一番とは言いがたいですね。
また、「発生の順序=『人間』にとって不可欠な構成要素の順位」ではありません。
なぜなら、「受精卵→ 胚 → 胎児 → 乳児 → 成人」という、
過程の何処からが「人間」であるかと言う問題があるからです。
つまり、「人間」となる前に形成される器官は「人間」にとって不可欠な構成要素とはいえません。
(受精卵=「ヒト」とは言えますが、少なくとも「人間」としての活動は行えません。)
538 :
神も仏も名無しさん :2010/02/12(金) 11:28:12 ID:vqb3y14n
鬼便
539 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 00:35:17 ID:Qb+YJnYb
え〜と、ここの住人のみなさん 大変申し訳ないが、質問箱スレで、縁起一代の「劣化版」というか「たいこもち」 というか、まあ、そんなクソやろうに、いちゃもんつけられまして、 あそこで、言い争いしても質問希望者に迷惑がかかるもんで、少し このスレを拝借させてくださいな。 早よ、こいよ、「たいこもち」
540 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 00:41:19 ID:XiO5PAAG
>>539 このスレは
“議論のための場”ですから、まったく構いません。
スレが荒れて険悪な流れとならないよう、
どうか健全な議論で宜しくお願いします。
541 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 00:45:54 ID:Qb+YJnYb
>>540 宝珠か。
>スレが荒れて険悪な流れとならないよう、
どうか健全な議論で宜しくお願いします。
これの保障はできんがな。 あのバカしだいだ。
って言うか、逃走か?
あの「たいこもち」は、以前から、野次のような下らんレスしか
付けられんようなクソだから、逃走も十分、考えられるが。
542 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 01:28:27 ID:XiO5PAAG
>>541 ハァ〜あなたでしたか?
って、誰よ!(笑)
いい加減、ちゃんとコテにして下さいよ。
あなたへの投稿文を今、書いている最中なのでした。
ですが、明日から温泉旅行に出かけるので、またお時間を貰います。
どうもすみません・・・。
取り合えず、できたものだけを投稿しておきます。
あなたへの宿題付きなので、これで時間を稼ぎますw
是非、回答のほどを宜しくお願いします。
543 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 01:33:33 ID:XiO5PAAG
>>464 >>501 >>527 遅くなりました。
「初期仏教」とは、『釈迦が生きていた時代を含み、釈迦の死後およそ100年から200年間までの間
の仏教をいう。』(Wiki)という意味合いで良いものと思います。
並川氏の見解というのは、つまり、実際のゴータマは輪廻転生などというものは現在、考えられてい
るような教義的意味合いとしては全く教えてなどいなかった、というものだろうと思います。ということ
は、ゴータマの死後100-200年に到る間において、すでに歪曲が生じてゴータマが説いていたことに
なってしまった、ということなのでしょう。要するに、史実のゴータマが説いてなかったことを示す、その
名残りが最古層の経文であると・・・。違うでしょうか?
で、私からみれば、そもそもこの説の出発点であり、根拠となっているその最古層の経文の解釈が
不可解そのものだということ。
>しかし、どの経文も『輪廻を説いているもの、すなわち、輪廻が真実であり、
>読む者にそれを伝える趣旨で語られたものではなく、単に言及されたに過ぎないもの』であった。
はい、問題はココでしょう!「言及されたに過ぎない」というのが意味不明なのです。では、どう言及
したというのか?「そんなものはない」とでも言及したのですか?その言及部分が経文全体としての
意味と関りの中でどういう解釈となるのか?
それを、あなたがあの6経
>>324 について説明、解説をしてみて下さい。私は、全く納得などできま
せんので・・・。こんな主張は恐らく、殆どのまともな仏教徒の誰もが認めないでしょう。
>「最古層資料には、釈迦が輪廻を積極的に説いた証拠は見られない」と主張してるな。
すでに説明した通りですよ。
>>342 >お前は、ただ、「釈迦は輪廻を当然のものとしていた。」と自己の願望を繰り返すのみで、
>その論拠を一切、提示しない。さあ、やってもらおう。逃げるなよ。
>「釈迦が輪廻を当たり前のものとし、それを前提として語った。」と判断できる
>資料は『最古層資料』のどこにあるんだ? 経文を挙げてみろ。
544 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 01:34:57 ID:XiO5PAAG
『このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。』(Sn.803) “このような人”、つまり解脱者は涅槃に達して、この現世/現象界には還ってこない、といってるの です。ならば、解脱者でない者は還ってくることを意味するでしょう。違いますか?つまり死後、再び 輪廻転生して母胎へと宿るのです。 『また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。』(Sn.865) “それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり、それに基いて来世の成就は起こると いっているのです。 <宿題> この2経文でもいいですよ。今度は、私からあなたの解説を希望します。パーリ語的に根拠があるな らば歓迎します。つまり、中村氏のこの訳文は間違いに過ぎないと。私としては、パーリ語からも肯定 的に説明できる方の解説を歓迎しますが、現在、残念ながら誰一人、そのような投稿者がいません。 証拠も何も・・・ハッキリと述べてると思いますが?そして、ゴータマの思想というものは輪廻転生を 前提として認めないと成り立たないことを幾らでも提示可能です。 あなたがたのように、ただの「苦」からの解放などというものには根拠はなく、輪廻を前提とした上 での「苦」としてみないと仏教理論的には崩壊するのです。でないと、ただの心理カウンセリングのレ ベルに留まるのであり、仏教などは特に無用ということになるのです。 では、また〜^^
>>544 御都合主義神痴学の宝珠へ
もう、うんざりだ。
マハーカッサバ教=実質ジャイナ教の後裔アビダルマ・スコラ坊主経典の御都合主義引用と解釈はいいんだってw
縁起の思想と業報輪廻転生「物語」は両立しない。
そもそもブッダは経験主義者だ。
ブッダは凡夫に対して導師として接せられるのだから、
・「メッタグーよ。伝承によるのではなくて、“いま眼のあたり体得される”この理法を、わたしはそなたに解いて明かすであろう。」(スッタニパータ1053)
・「ドータカよ。伝承によるのではない、“まのあたり体得される”この安らぎを、そなたに説き明かすであろう。」(スッタニパータ1066)
・「“よく吟味熟考した上で理性と経験によって承認できること”」(カーラーマ・スッタ)
上記文言からみても、ブッダは凡夫の理性と経験によって承認・了解できる、いま眼の当たり体得されうる理法を「実証」とする経験主義的証明を重んずる態度だ。
悟ればわかるとか、信じたらわかるとか、書いてあるとかは経験的証明ではない。
輪廻転生なんてまったく経験主義的証明ができていない知りえないことなんだよ。
知りえないことを知っているかのごとく語るのを「物語」=フィクションという。
フィクションを真実と主張したらアフォです。
アビダルマ経典は「伝承」と自称するが、そのような自称「伝承」によるなと言っているのがスッタニパータ1053,1066、カーラーマスッタだよ。
あんたがやるべきことは、経験主義的に輪廻転生を実証することだけだ。
あとはどーでもいい。
546 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 02:53:31 ID:Qb+YJnYb
>>543 だから、何度も何度も何度も繰り返し、言ってるだろうが? いいか?
「釈迦在世当時、輪廻業報は一般民衆にとって、まさに当たり前、
常識的概念であった。」→ これはいいね?
「そして、釈迦は妄執を除去することによる、苦の消滅を説く事」が
その主眼だった。 →これもいいね?
ならば、釈迦は、その「最も教えたいこと、伝えたいこと」を聞き手に
より分かりやすくするために「当時、誰もが了解していた輪廻業報思想」
に言及して語ってもおかしくないでしょ? というより、釈迦の対機説法
というスタンスからも、寧ろ当然でしょ?
わかる? 最古層資料は全て、「輪廻が真実であること」を伝えようとした
趣旨で語られたものではないの。 それ以外のこと(聖者の賞賛、修行の推奨)
を伝えようとしたものであることは明らかなの。
つまり、『最古層資料からは』、「釈迦が輪廻業報を信じ、肯定していた」という
結論は導けないの。お前が言ってることは、古層以下の資料、または、伝承をもとに
「輪廻業報を釈迦は肯定していた」という視点をもち、その前提にたって、
最古層の記述を解釈するから、そういう結論になるわけ。
『順序が逆だ』と、何度も言っとろうが。
> すでに説明した通りですよ。
>>342 アホか? それは全てお前の願望表明だろうが。何の根拠も示してない。
おまけに「殺人犯」の喩えも、初めから「殺人事件が既成の事実」とするなら
喩えにもなっとらんと指摘しとろうが? お前は何を読んでるんだ?
547 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 02:55:07 ID:Qb+YJnYb
>>544 >『このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。』(Sn.803)
“このような人”、つまり解脱者は涅槃に達して、この現世/現象界には還ってこない、といってるの
です。ならば、解脱者でない者は還ってくることを意味するでしょう。違いますか?つまり死後、再び
輪廻転生して母胎へと宿るのです。
だからなあ、「聖者は輪廻という苦から、解放されたすばらしい存在なんですよ。皆、がんばって
聖者をめざしましょう。」 って言ってるわけだろ?
「それを賞賛し、その修行を推奨する」のに、「つまり、それを聞くものに強く訴えるのに、輪廻に
言及した」からと言って、釈迦自身が「輪廻を肯定していた」ことには、ならんと何度いったら
わかるんだ?お前は。
865 「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に
関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。」 (中村訳)
はて? 何が言いたいのかわからんが。 また「来世」という語句が、あるから釈迦は輪廻を肯定
したと言いたいのか?
548 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 02:56:15 ID:Qb+YJnYb
> “それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり、それに基いて来世の成就は起こると いっているのです。 ちょっと待てよ。>“それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり ここはいいとしても、「それに基いて来世の成就は起こる」 お前はこれを「来世への生まれ変わり」 と規定しているが、『中村氏がそのように解している』のか?その部分の解説をあげてみろ。 ちなみに、他の訳では、「成就」は「目的」と訳されていた。 全体の趣旨は「執着、妄執、貪りは欲望に基づいて起こる。また、来世への願望も同様に欲望による縁 により起こる。どちらも、修行にとっては好ましくないものである。」 このようなものであると思うが、違うか? お前はこれを「今世の業報の縁起により、来世の生まれが決定する」との業報思想を語った経文である と主張するわけだな? さて、本当にそうなのか? > 証拠も何も・・・ハッキリと述べてると思いますが・・・・・ だから、何度も何度も繰り返し言ってるだろうが?お前はホントに記憶力というものがあるのか? 古層以下の資料、伝承により「釈迦は輪廻を肯定していた」という前提を立て、その視点から、最古層 資料を見るのは、順序が逆だと何べん言ったらわかるんだ?お前は。
549 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:05:12 ID:XiO5PAAG
>>545 >縁起の思想と業報輪廻転生「物語」は両立しない。
それは、あなたの勝手な解釈です。
業報輪廻は縁起理論に基きます。
輪廻転生とは縁起の部分です。
>そもそもブッダは経験主義者だ。
>輪廻転生なんてまったく経験主義的証明ができていない知りえないことなんだよ。
確かに凡夫には確認しようがないから、議論などは奨励しないでししょう。
だから、自分で“体験しなさい”と説いてるわけです。
ゴータマは修行によって輪廻転生の神秘を如実に体験しました。
神秘体験のない聖者/覚者などはいません。
あなたの話は宗教ではなく、
ただの道徳観や倫理、そして、ただの心理カウセリングのレベルです。
それだったら、現代社会にはすでにいっぱいあり、益々、需要が叫ばれ大活躍しています。
仏教など無用ですね。
あなたの話こそが、ただの身勝手な願望に過ぎません。
あなたの話を正しいものとして認める仏門などはありません。
あれば、ここに所在を提示してください。
問い合わせます。
では引き続き、どう「ただの言及」なのか?を、
あなたによる経文の解説を宜しくお願いします。
(楽しみにしています)
550 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 03:07:34 ID:Qb+YJnYb
いいか?論点をずらすなよ。 今、ここで問題となっていること、すなわち焦点は 『最古層資料の中に、釈迦が輪廻を肯定していたとの証拠はみられるか?』 だ。 古層以下の資料、伝承をもって「釈迦は輪廻を肯定していた。」と規定し、 その視点から、「よって、最古層の中の言及も、釈迦は輪廻を当然としていた上での言及である」 と帰結するのは、全く意味がない。 お前は、延々とそれを繰り返しているんだよ。 いい加減に自覚せえ。
551 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:08:56 ID:XiO5PAAG
を、すでに投稿が始まったのですね^^
552 :
セブン :2010/02/13(土) 03:09:14 ID:gDo3HnwU
>>549 極論を述べておくわw (縁起馬鹿が顔を真っ赤にしそうだがwww)
ワシは、「仏教は《心理カウンセリング》である」と考えているよ。
反論をたっぷりとどうぞw (宝珠でも縁起馬鹿でも、どっちでもいいぞw)
(´ー`)y━~~
553 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:14:12 ID:XiO5PAAG
あーーーぁ..... ななっ!! ヽ(`Д´)ノボッキアゲ
554 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:17:16 ID:XiO5PAAG
>>552 コテ名乗ってるだけは評価しますわ (〃*`Д´)
てかっ、体調不良になる..
555 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 03:19:02 ID:Qb+YJnYb
おら、おら、宝珠。 レス返したぞ。 早よ、反論してみい。
556 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:24:04 ID:XiO5PAAG
>>124 >釈迦の目指したものは、あくまでも「現実の、今そこにある」苦の排除であり、
>釈迦の探求したものは、その方法論である。その結果、たどり着いたのが「無我」という
>認識の一大変換であり、至った境地を涅槃と呼んだのではないだろうか?
>無我を教義の根幹とし、「個」の基体を否定した釈迦が転生を説いた?
>この論理矛盾を解消しない限り、輪廻が仏教の前提であるとする主張は論理的整合性を
>有しませんな。それとも、無我を捨てて、輪廻転生をとりますか?それも無理でしょう?
だから、仏教というものは、基本的に世俗(でいうところの“幸せ”)には否定的なアプローチなのです。
ただの苦の滅なら仏教は無用なの。それなら、心理カウンセルにでも伺えばいい。お悩み相談するところ
も沢山あります。
あなたの理論では、何故、仏教においては世俗を捨てて出家修行を理想とするのかが説明できません。
普通に幸せを求めて感受する道がいいのではありませんか?できれば健康で長生きできて、対人関係も
良好で人付き合いが楽しく、人々にも親しまれ、または尊敬され、ある程度の財も得て不自由なく生活がで
き、欲しいと思うものは難なく手に入り、理想の異性と巡り合い伴侶を得て、子供にも恵まれて仲良く暮らせ
れば、何もいうことないでしょう。
出家するとは、それらの望むことなく放棄する生涯(後世)を自ら選択するということ。その必要がどこにあ
るのか?あなたの論の中では説明不能なのです。
仏教的には、世俗の生活というのはこれまでの繰り返し転生の人生で経験済みだということ。この得難い
機会を逃すことなく、解脱の道を進もうとして、世俗の幸せなどに目をくれないのです。でないと・・再び、世
俗生活の中で悲哀の人生を繰り返すだけだからです。これが無限的に続いていくと。涅槃という価値観に目
覚めた修行者は世俗(でいう幸せ)を捨てるのです。
「無我」とは、この現象界には“確たる自己など存在しない”ということ。
従って、仮和合の五蘊なる自己は無我であるから、転生現象も無我である。
>>36
>>556 >ただの苦の滅なら仏教は無用なの
はあ? ・・・・・・ (゚д゚;)
苦の滅以外に何があると言うんだい?w
558 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 03:29:16 ID:Qb+YJnYb
559 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:30:21 ID:XiO5PAAG
>あるいは、「修行への動機付けくらいになれば良し」とする
>程度の認識であったと考えるのが最も妥当ではないかと考えますね。
方便的に説いたとでも?違います。ゴータマは超常的な能力で如実に輪廻の様を見て体験したからです。
>仏教徒諸君、あなたたちは、やっぱり、釈迦を超能力者にしたいですか?
超常部分を排除したら「宗教」とはいわない。唯物論者の犯す間違いは、すべての宗教の聖典経典から
神秘を除外すようとすること。彼は後世の信仰者による神格化と実際の神秘部分の区別が付かない無知。
『宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、そ
の観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。一般に、キリスト教、
イスラム教、仏教は世界宗教とよばれ、人種や民族、文化圏の枠を超え広範な人々に広まっている。』(Wiki)
>>164 >「かの世」「来世」「彼岸」 これらの語句が見られる経文も全て、
>@聖者(解脱者、覚者)の、すばらしさを礼賛するもの
>A聖者への修行を奨励するものである。
>
>聖者というものが、いかにすばらしい存在であるかを説き、それを
>目指すことが、いかにすばらしいことであるかを説くために輪廻に言及することは、当然ありえる。
>
>(すなわち、聖者は輪廻などの 苦を超越してますよと、
>聖者のすばらしさを礼賛すことにおいて、言及はする)
だから、あなたのいう聖者、
いや修行完成者/解脱者/仏陀とは如何なるものか?と、私は質問したのです。
そしたら、自分は仏教徒ではないから、仏教の目指す究極目標をあれこれ軽々しく述べる不遜はできない、
などといった返答をしてきましたね。
だから・・・分らないのに、聖者を讃えるための方面・・・みたいな言い方をするとは何んぞや?ということですよ。
まっ、分らないからこんなことばかりいうのでしょうね。それは確かなようです。
560 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 03:31:19 ID:Qb+YJnYb
>>556 お前が引用している文も、確かに俺が書いたものだが、
今の論点とは違うな?
561 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:32:20 ID:XiO5PAAG
>>545 対抗して、
こっちも最古層からよい経文を提示しましょう!
旅行から帰宅後にね。もう、プンプンだぁ
>>547 >輪廻に言及した」からと言って、
>釈迦自身が「輪廻を肯定していた」ことには、ならんと何度いったらわかるんだ?お前は。
こっちこそ意味不明ですわ。
これを仏教の何も知らない学生に質問したら、素直に肯定している文章だと答えるでしょうね。
唯物論やマハーカッサパ・インチキ経説に毒されてないからね。
また、あとで。。。
>>559 >超常部分を排除したら「宗教」とはいわない
仏教(→釈尊の教え)を≪『宗教』という(後代の学術的分類)型枠≫に押し込めるなw
563 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 03:36:27 ID:Qb+YJnYb
>>559 はいはい、そこの引用も全て俺の文ですよ。
その下らないレスも、十分、論破してあげるから、まずは、
論点ずらさずに「最古層資料問題」を片付けようね。
564 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 03:42:01 ID:XiO5PAAG
>>562 ななっ!!なんてことを...
褒めたら、いきなりコテ外すし・・たくっ
ヽ(A`*)ノ≡ コラァァァ!!
エエカゲンセヨー!!!!
565 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 03:43:10 ID:Qb+YJnYb
>>561 >こっちこそ意味不明ですわ。
これを仏教の何も知らない学生に質問したら、素直に肯定している文章だと答えるでしょうね。
お前はホントに理解力というものがないね。
「大人が子供にウソを付かないように、地獄や鬼の話をして指導する」
例を全く理解できないわけね。
『言及した』からと言って、『肯定してることにはならない』と
何度言ったらわかるんだ?
567 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 04:06:29 ID:Qb+YJnYb
>>559 >だから、あなたのいう聖者、
いや修行完成者/解脱者/仏陀とは如何なるものか?と、私は質問したのです。
そしたら、自分は仏教徒ではないから、仏教の目指す究極目標をあれこれ軽々しく述べる不遜はできない、
などといった返答をしてきましたね。
だから・・・分らないのに、聖者を讃えるための方面・・・みたいな言い方をするとは何んぞや?ということですよ。
まっ、分らないからこんなことばかりいうのでしょうね。それは確かなようです。
何が言いたいんだ? 「自分は仏教でいうところの聖者」は、如何なるものか
よく、わかってますよ。 って言いたいのか?
それは大したものだ。
俺は、わからんわ。 同様にキリスト教徒にとっての神、イスラム教徒にとって
の神も、わからんね。
そのようなものは、「その宗教を一片の迷いも無く信仰している信徒がみる
もの」と、「外から知識によって理解したものがみるもの」とを同列に扱うのは
不適切であると考えるからだ。
俺はたとえ、「いわしの頭」を一心に信じて信仰してる奴がいても、その信仰が
心の底からのものであるならば、決して「それはただの魚の頭部であり・・・」
などとケチをつけるようなことはしないの。『個人の信仰』は、あくまでも尊重し、それに
対して外部から、ああだ、こうだと干渉はしない。
これが何べんも言っている俺のスタンスだ。否定したければご自由に。
568 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 04:13:51 ID:Qb+YJnYb
しかし、聖者が如何なるものかわからんでも、「仏教徒にとって、それが 目標とすべき聖なるもの」ということは、俺にもわかる。 よって、それを讃え、修行を推奨するのに、出来うる限りの表現をもって 聞き手に理解させようとしたこともわかる。 俺の論理のどこが、おかしいか?
569 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2010/02/13(土) 08:12:16 ID:XiO5PAAG
>>565 おはようございます。
だから私は、
「言及した」か「してない」かではなく、
これが、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であるか、
または「否定してる」文意であるか、もしくは、「そのどちらとも摂れない」文意となっているか?
と、こう問うているのです。
どう読んでも、
これらは、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であり、
そうすることで全体の文章としても整合性が成立している、
といってるのです。
それを普通に誰でも認められるでしょうと。
ところがあなたは、
ただ輪廻転生の事実性を認めたくないから、
そんなことをいってるだけでしょう。
私に文法解説もやれとかいうのですか?
呆れる・・・。
てかっ、並川氏が悪い。
パーリだとそうなるの??(笑)
では、行ってきます。暫くさようなら・・・。
570 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 09:18:52 ID:Qb+YJnYb
ホントに信じられないくらい、理解力のない奴だな。 いいか? 釈迦が聞き手に「聖者のすばらしさ」を理解させようと思った。 聖者というものが、どんなにすばらしいものであるか分からせようとしたわけだ。 そこで、釈迦は「聞き手には勿論、当時の民衆全ての常識」となっている、 「輪廻」に言及した。 「解脱して、苦を滅すると、二度と生まれ変わって苦しまなくともよくなるよ。」とね。 この過程において、釈迦が「本当は輪廻なんか、ねえよ。」と相手が感じてしまうような 語りを行ったら、どうなる? 全く言及した意味がなかろうが? あくまでも、「その語りの中」では、「輪廻を事実」として話を進めなくては ならない。 しかし、その言及をもって「釈迦が輪廻業報を肯定していた」と言えるか? 大人が子供に「ウソをついては、いけない」ことを指導するために 「いいか?ウソをついてはいかん。ウソをつくと死んだ後、地獄に落ちて鬼に折檻される ぞ。」と 言ったとする。 この語りの中では、当然「地獄も鬼」も実在するものとして 語られている。当たり前だな。 子供が「なんだ、地獄も鬼もウソじゃないか。」 などと 思ってしまったら、「言及」した意味がない。 あくまでも、『語りの中では』 本当のこと として話すに決まっておろうが? しかし、この大人が、このように語ったとして 「地獄や鬼の実在」を信じていると結論づけられるか? できないのは、わかるね? この話からだけでは、この大人は「地獄や鬼の実在を信じているかどうか」は不明なんだよ。 つまり、釈迦についても「言及した」からと言って、輪廻業報を真実として認識していたとは 結論づけられないの。 わかった? 最古層の経文の中に 「人は死後、今世の業により、来世の生まれが決定される。」あるいは 「人は死で終了ではない。その後も何度でも生まれ変わる。」 このように、他の重要事項を伝える趣旨ではなく、『輪廻のみ』のことを語った経文が あるか? あるなら、あげてみろ。
571 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 10:05:47 ID:C2NCZORK
>>570 スッタニパータを読む限り、宝珠氏が「誤解」するような表現が沢山ありますよ。
原始仏教自体がカルトだから、カルトに利用されるのは当然でしょう。
原始仏教自体を、「現代には適用できないカルト宗教」として否定しなければダメ
でしょう。釈迦は、「生きとし生けるものに幸いあれ」などという一方、「出家者
にあらざれば、人にあらず」という態度。「我のみ良しの思い上がり」や「具体的
意味不明な抽象観念」が多すぎる。
572 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 10:44:33 ID:r8/29n0u
人が悪く見えるときには、自分の中に同じものがないのか反省しなければならない。 人が良く見えるときには、自分の中の良いものと共感していると喜んでいい。 人の思想を中間から捉えることは出来ない。 どうしても、どうしても自分の今ある立場からしか捉えられない。 この壁はどのようにして越えればいいのでしょう。
573 :
神も仏も名無しさん :2010/02/13(土) 12:19:51 ID:V9gxITkH
>>572 そのことは、さかんに「善悪」を語る宗教の開祖や宗教信者についてこそ、
当てはまる。
574 :
545 :2010/02/13(土) 12:27:48 ID:UC3iCVMF
>>569 アフォ外道の宝珠
悟ればわかるとか、信じたらわかるとか、書いてあるとかは経験的証明ではない。
あんたがやるべきことは、経験主義的に輪廻転生を実証することだけだ。
あとはどーでもいい。(
>>545 )
575 :
545 :2010/02/13(土) 15:35:39 ID:UC3iCVMF
>>569 >これらは、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であり
もう、うんざりついでに念を押しておくが、
マハーカッサバ教=実質ジャイナ教の後裔アビダルマ・スコラ坊主経典では、
肯定するかのような文言を出すのは当然なの。
その背後には結局、アーリアのマハーカッサバ教と、非アーリアの釈迦仏教という歴史的流れが
一次結集からずっと連綿とあるのだ。
だから中心的であったろうはずの非アーリアのシャカ族の諸弟子(たとえばアーナンダ!)が
みな中傷され、アーリア系の長老マハーカッサパの権威的神格化工作が行われている理由が分かる。
こーゆーのは、宝珠の御都合主義読みでは把握できない。
また丸呑み概念仏教主義(たとえば宮元啓一)ではわからない。
ブッダの説いた教えは、従来のバラモン教の苦行主義を否定する革新的なまさに反アーリア的発想だったが(初転法輪:中道的価値観)、
教団を継いだマハーカッサパや彼らの教団はブッダが否定された苦行者的な人物で、アーリア的価値観の範疇にあった人であった。
だからスッタニパータもジャイナ教的苦行主義文学表現に満ちているではないか!
言っておくが、苦行なんかやったら悟れない。
で、ナーガールジュナが(当然彼が研究把握し、イメージする)本来の釈迦大乗仏教に帰ろう(帰敬序)としたのだ。
>>543 > はい、問題はココでしょう!「言及されたに過ぎない」というのが意味不明なのです。
>では、どう言及したというのか?「そんなものはない」とでも言及したのですか?
>その言及部分が経文全体としての意味と関りの中でどういう解釈となるのか?
相変わらず、「否定されて無いんだから全面肯定したんだ理論」ですか……
貴方は、
「輪廻転生の真実を伝えたいが為の経文というわけではないからです。(
>>342 ) 」と、
明確に「Sn.4-5章は、輪廻を『説いている』経ではない」と主張したにも関わらず、
「輪廻を否定する文章が無い」と言う事だけを根拠に、「釈尊は輪廻を説いた」と主張しています。
何度言っても理解されないので、小学生レベルに落としてもう一度説明しますが、
貴方の主張は、「ウルトラマンが存在しない事を論文に書いた科学者は居ない」事を根拠に、
「科学者はウルトラマンが実在すると主張している」と、言っているようなものです。
「否定していない=肯定した」ではありません。
「肯定した」と言いたいのでしたら、
「否定していない」ではなく、「肯定した」と言う論拠を提示してください。
>>544 >“このような人”、つまり解脱者は涅槃に達して、この現世/現象界には還ってこない、といってるのです。
>ならば、解脱者でない者は還ってくることを意味するでしょう。
>違いますか?つまり死後、再び輪廻転生して母胎へと宿るのです。
違いますw
何度も言いますが、「A⇒B」が真であっても、「¬A⇒¬B]が真であるとは限りません。
簡単に言えば、「タマならば猫である」が真であっても、
「タマで無いなら、猫で無い」は真で有るとは限りません。
(何故なら、ミケという猫である場合があります。)
同様に、「解脱者⇒還ってこない」が真であっても、
「¬(解脱者)⇒¬(還ってこない)」すなわち、「解脱者で無い⇒還ってくる」が真であるとは言えません。
>『また人が来世に関していだく希望と成就とは、それにもとづいて起る。』(Sn.865)
> “それ”とはつまり、欲望に基く縁(業報の縁起)のことであり、それに基いて来世の成就は起こると
>いっているのです。
コレについては、
>>548 の通りだと思いますね。
>>544 >でないと、ただの心理カウンセリングのレベルに留まるのであり、
>仏教などは特に無用ということになるのです。
>あなたの話は宗教ではなく、ただの道徳観や倫理、そして、ただの心理カウセリングのレベルです。
>それだったら、現代社会にはすでにいっぱいあり、益々、需要が叫ばれ大活躍しています。
>仏教など無用ですね。
>ただの苦の滅なら仏教は無用なの。それなら、心理カウンセルにでも伺えばいい。
「なんで、仏教がカウンセリングじゃいけないんですか?」
「なんで、仏教が無用じゃいけないんですか?」
「ただのカウンセリングじゃ嫌だ、仏教が無用じゃ嫌だ」というのは、貴方の願望に過ぎません。
貴方の主張は、貴方の願望を根拠に「こうあって欲しい仏教」を投影しているだけです。
>>549 >あなたの話を正しいものとして認める仏門などはありません。
だから、何度も指摘しているように、「仏教で認められるか」と、
「真実はどうであるか?」は、全くの別問題ですよね?
例えば、貴方は「南無阿弥陀仏」と唱えれば成仏できると唱える宗派があるから、
それは真実であると主張するんですか?
どうせまた、「俺の意見は多数の人が信じているから正しいんだ!」と仰りたいんでしょうが、
「多数派だから正しい」とは言えません。
中世ヨーロッパにおいては、数人を除いて全ての人が天動説を信じていましたが、
太陽は地球の周りを回っていたんですか?w
>では引き続き、どう「ただの言及」なのか?を、
>あなたによる経文の解説を宜しくお願いします。
>(楽しみにしています)
貴方の要求は、「釈尊が輪廻を説かなかったと言う証拠を出せ」と言う、
「悪魔の証明」を求める行為ですよ?w
「説いた」と主張したい、「貴方の方」に「説いた」と立証する責任があります。
なお、某氏が言っているのは、
「説いたという証拠は無い」から「説いたとは言えない」と言う主張だと思うんですがね?
>>556 >あなたの理論では、何故、仏教においては世俗を捨てて出家修行を理想とするのかが説明できません。
>普通に幸せを求めて感受する道がいいのではありませんか?
既に何回も指摘されていますが、「出家の価値観」と、「在家の価値観」の違いでしょ?w
在家のまま、世俗の楽しみを楽しむ代わりに、苦しみからは逃れられないか、
出家して、世俗の楽しみを捨てる代わりに、根本的に苦から逃れるか、
そのどちらを選ぶかと言う問題に過ぎないと思いますがね?
>>559 >超常部分を排除したら「宗教」とはいわない。
>唯物論者の犯す間違いは、すべての宗教の聖典経典から神秘を除外すようとすること。
>彼は後世の信仰者による神格化と実際の神秘部分の区別が付かない無知。
主張をするのに、根拠を提示しないなら、同じ論調で、こうもいえますな。
超常部分を認めたら「釈尊の教え」とはいわない。
輪廻肯定論者の犯す間違いは、聖典経典の神秘を盲目的に認めること。
彼は後世の信仰者による神格化を、実際の神秘であると誤解する無知。
ついでに言えば、ここで議論しているのは、
「仏教は宗教か?=仏教は超常現象を信じるか?」ではありませんよ?w
「歴史上の釈尊が輪廻を説いたか?」ですよね?
だから、wikiの宗教の定義を引用しても無意味です。
論点をずらそうと頑張っているようですが、この板には、それに釣られる論者は少ないようですよw
>>561 >これを仏教の何も知らない学生に質問したら、素直に肯定している文章だと答えるでしょうね。
「多数派だから正しい」の次は、「素人意見なら自分の意見の方が支持される」ですかwww
なんで、「仏教を何も知らない学生」の意見が、
仏教の論議に影響を及ぼすのか、とっても知りたいですw
例えば、「血液型占いは正しいか」を、女子高生に聞くと「むっちゃ当たる!」というから、
「血液型占いは正しいんだ」と言うんですか?w
>>569 >「言及した」か「してない」かではなく、
>これが、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であるか、
>または「否定してる」文意であるか、もしくは、「そのどちらとも摂れない」文意となっているか?
「言及しただけ=そのどちらとも取れない」であると言ってるじゃないですかw
>これらは、(輪廻転生の事実性について)「肯定している」文意であり、
いや、だから、それを散々議論して、
貴方は「説いていない」(
>>342 )とご自分で言ったじゃないですかw
あなたは、ただ輪廻転生の事実性を認めたいから、
「書いて無いけど釈尊の真意は輪廻を説く事にあったんだ」といってるだけでしょう。
>そうすることで全体の文章としても整合性が成立している、
だから、何度も指摘しているように、(
>>216 )
釈尊が輪廻を説いたと仮定して矛盾がないとしても、
それは、矛盾のない理論であることを示しているだけであって、
その理論の正しさを証明していません。
なぜなら、「釈尊が輪廻を説いていない」と仮定しても矛盾が生じないからです。
よって、
「釈尊が輪廻を説いたと仮定すると、文章に整合性があるから、釈尊は輪廻を説いた」
と言う主張は無意味です。
「釈尊が輪廻を説いた」と主張なさりたいんでしたら、
「否定していない」「矛盾しない」などではなく、
「説いた」事をお示し下さい。