仏教議論スレッド55

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1神も仏も名無しさん
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仏教議論スレッド54
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2神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 10:10:24.45 ID:toR/kFMY
ウホッ
3神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 10:37:59.26 ID:PPJ/98W+
衆等羅拝 >>1
4神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 10:41:25.62 ID:oU278kQa
一切が試行錯誤の妄想を駆使しての宙に浮いた権威付けであるということを
観ぜよ
5前世は一在:2013/01/19(土) 11:13:00.16 ID:TE03+mcC
>>994 大滝氏
>空であることは、からっぽではありません。からっぽという観念そのものがありません。
>
>慈悲も菩提心も間接現実での「心と心の作用」(サンユッタニカーヤ31-1-3)です。
>しかし、菩提心は未達者のモチベーション(色→空)であるに対し、
>慈悲は達悟者(覚者)の還滅世俗(無分別の分別)の心の様相(空→色)を言います。

慈悲が根本となって全ての人々を救おうとする決意(菩提心)が生じる、と聞きます。
慈悲が縁で菩提心が生じる、ということでしょうか。
6前世は一在:2013/01/19(土) 11:21:08.67 ID:TE03+mcC
桃色や橙色は「赤色」ではなく、「赤色ではない」わけでなく、それらの共有でも無色でもない。
現象世界も極端なものはほとんどないようです。

現時点での四句分別の認識です。
現代では分けれないものは分別せずに、ファジー状態とします。
7神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:28:35.32 ID:VfADCydS
池田晶子は言う。
『しかし、自分が「存在」するということは、それ自体で生死を超越しているのだから、「生前」「死後」が眼中になくなる。
 逆に、存在の不思議(神秘)の前にはそういった神秘体験なるものはすべて物語りだということがはっきり見えるのである。
 生きていることの神秘を実感すれば、死後の神秘に用はない。
 つまらない物語を追うまえに、一輪の花が咲く、地球が廻る、我々が生まれ死ぬ
ーそういった当たり前の神秘に驚かずに、人生の意味と理由が理解できるはずがない。
 カルト、オカルト霊媒師が宇宙開闢以来のすべてが見え、あなたのカルマはこうだといっても、私はなにを理解したとも感じない。
 かれらが物語を語った、たんにそれだけのことである。
 人生が存在する、存在が存在することの神秘は、
 いかなる仕方によっても理解することができないということを、私は理解しているからである。』
               (池田晶子 週刊新潮2006/7/13号 人間自身158 改)
8神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:35:45.87 ID:oU278kQa
釈迦は当たり前のことしか説いていない。
それで全てを説ききったという。
即ち何も説いていないのと同じである。
しかしそれが全てを説いていることに相違ないのである。
示すところは当たり前の追求である。
9神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:40:17.03 ID:PDwqregX
>>6
四句分別の遮断は、そういうファジー状態と掴むことじゃないんだけどな〜

なんか、最終的に曖昧な感情論に行くよね
10神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:44:59.48 ID:PPJ/98W+
彼の場合、やっぱり、原点の真光に回帰しちゃうんじゃないかね・・。
宝珠が、高次の意識体、大いなる宇宙意思等へ着地するように・・。
11神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:49:51.94 ID:PDwqregX
>>10
誰でも掴んでる見解から抜けるのは難しいよ〜

だから、信や帰依が重要なんだけどね

なかなか信や帰依なしに自分が間違っていると認めることは難しい
12神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:50:11.31 ID:PPJ/98W+
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1357979649/992

8:1 (因縁略)。
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。
そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、
空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、
無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、
この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。
比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、
没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
13神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:52:35.52 ID:oU278kQa
>>7
嘘をつくな。池田晶子
当たり前が神秘のはずはなく驚きがあるはずもない。
人生の意味と理由などあろうはずがない。
即ちそれも試行錯誤の妄想を駆使しての宙に浮いた権威付けである。
しかしカルトやオカルト霊媒師と比較すれば、まだましである。
14神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 11:59:45.92 ID:PDwqregX
池田晶子のこの言いよう、正に生命教と同じ詭弁だよね

日本仏教は和辻以来こういう詭弁家が多い

そんなんでいいなら、仏教はいらんは

単なる倫理、道徳でいい。

それも『梵網経』でキッチリ釈尊が説かれている通り。
15神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 12:02:31.51 ID:oU278kQa
当たり前が苦の終わりなのも、また当たり前の話である。
16神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 13:04:56.50 ID:JEDXUBdB
>>995:神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 07:48:53.33 ID:R5FkDJwm
>>994
>>もう、ひょっとしたらココからは卒業させていただくかも分かりません。

>それがいいよ。場違いの自分語りなんだから
 
 
腐し方のうまい人だねえ。
17神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 13:41:41.91 ID:R29/zDkM
>>14
最大の詭弁は、「己の我を以って無我を説いた」釈迦。詭弁にも至らない
初歩的論理ミス、勘違い。

要するに「存在の神秘」に盲目だっただけ。頭が極端に悪い。
18神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 15:43:08.90 ID:A2VWCI1U
詭弁を極めることが末法仏教の悟りです。まちろん中身はすっからかん。
なにせ彼らの悟りは空なのですから。
19Johannes:2013/01/19(土) 16:33:35.37 ID:LQh39DlM
>>17
>>18

おまえら.仲がいいな. 

.
20神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 16:41:47.06 ID:y025msFT
誇大広告の大風呂敷に美辞麗句と机上の空論詰め込んで
ドヤ顔してる仏教の現状に苛立ちを覚えるのでしょ。
21神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 16:45:07.60 ID:5Nr3QBnv
大滝さんは「空」と「慈悲」を実践している。これが他の人と違う。
 
ノスもセブンも凡夫一代もダメなのは実践しないから。
 
本当に「空」だと思うなら、現実の生活で「慈悲」を実践したらいい。
 
身をもって確かめたら、本当かどうかがわかる。
22Johannes:2013/01/19(土) 16:50:55.33 ID:LQh39DlM
.

風邪をひいて発熱するなら薬を服用する.
薬の成分が.人体に作用するメカニズムを理解するまで.薬を服用せずに.つべこべ言い続けるなら.
彼は愚者と呼ばれるだろう.

.
23神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 17:05:28.98 ID:5Nr3QBnv
「空」という言葉がよくない。
 
「空」には「無」ではないと思わせるフィクションがある。  
 
しかし般若心経を見ればわかる。
 
字数を数えれば、「空」より「無」の方が多い。
24神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 17:21:15.57 ID:5Nr3QBnv
宝珠愚者さんも実践してないね。
 
実践しなければ本当のことはわからない。
 
本を読んでるだけでは落第生。
25神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 17:31:19.29 ID:5Nr3QBnv
御隠居の場合は、
 
もしかして実践なしでもと思わせるようなフシがある。
 
それは悟りの法則を覆す例外であり、
 
期待してますよん(*^_^*)
26神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 17:46:22.54 ID:A2VWCI1U
で、君らの唯物末法屁理屈仏教で実践したところで何の意味があるわけ?
千の屁理屈、詭弁を述べたところで、とどのつまり人間死ねば終わりなんだろ。
27前世は一在家:2013/01/19(土) 17:46:44.62 ID:TE03+mcC
>>11
>誰でも掴んでる見解から抜けるのは難しいよ〜
>だから、信や帰依が重要なんだけどね

信や帰依が縁で見解が起きる場合も多いですよ。

仏や菩薩があるのか?←信や帰依が無くても宜しいか。
菩薩道の特質は慈悲と菩提心と智慧?←信は不要ですか。

自身が梵網の中にいないと分かる人はこの板でどれだけおられますか。
岡目八目と他人のことはよく分かるものです。
28前世は一在家:2013/01/19(土) 17:59:43.50 ID:TE03+mcC
>>26
>で、君らの唯物末法屁理屈仏教で実践したところで何の意味があるわけ?
>千の屁理屈、詭弁を述べたところで、とどのつまり人間死ねば終わりなんだろ。

横レスですが、私の信や帰依の対象の教えには、人間は死んで終わりでなく肉体から意識が抜け出ると説かれております。

これは原始仏教のカルマを蓄積しながら輪廻を繰り返す意識(阿頼耶識)と似ていると思っております
先日も30代の女性がいきなり「ノウマクサンマンダラ」で始まる経文を5分近く奏上しました(異教の霊動現象)。
また別の女性はいきなりフランス語で話しだしました。この時はその場にフランス人がおりましたので、その場で検証されました。

現代でも原始仏教や原始キリスト教(例、異言)のような現象を確認しておりますので、段々と信や帰依を深めている次第です。
私の開設したホームページ「浄土への道標」もその一例に過ぎません。

以上、屁理屈よりは実践、プラグマチズムが重要との御意見には同感です。
29神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:02:35.56 ID:5Nr3QBnv
>>26
真理に関しては一筋縄ではいかない。
神がいると思っていたら、やっぱし神がいた、と思うのと
神はいないと思っていたら、神がいた、のどちらが衝撃が大きい?
 
創世記の「ヤコブの話」が「空」の参考になる。
天国に至る階段が「空」であり、それは道具のようなもの。
30神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:15:27.18 ID:vsy8eQsI
>>23
>「空」という言葉がよくない。 
>「空」には「無」ではないと思わせるフィクションがある。 
>しかし般若心経を見ればわかる。 
>字数を数えれば、「空」より「無」の方が多い。

釈迦カルトやチベット仏教が、開祖盲信故に、釈迦の単純ミス、勘違いに過ぎ
ない「無我」「無明」「無常」という「言葉」に引きずられて、空を解釈して
いることが原因。中村博士のように「中論の空は厳然たる実在だが、その構成
原理が、相互依存性、関係性、相対性という「抽象性」であるに過ぎない」と
解釈すれば、一発で解決する問題。

般若心経の「無」は、ここの釈迦カルトが狂気の如く執着している「宗教観念
(戯論)」をすべて否定しているだけ。「無も亦無」とはっきり言っている。

「色即是空」、されど「空即是色」。この両句を「並列」したことの深遠な意味を
全く理解できていない。

すべては、釈迦カルト特有の「開祖の言葉(戯論)盲信」が原因。大乗仏教は、
開祖盲信を離脱しえて、「釈迦個人」は「象徴」としての「飾り物」の地位に
追いやっていることを理解しなければならない。大乗仏教は、「一切皆苦」も
もはや問題にはされず、「常楽我浄」である。

生存努力という「最大の修行」を離れた、人為的な、「解脱という煩悩故の修行」
によって得られた「変性意識」には、「生存本能」を「法の中の法」とする
「人間」の真理が、聊かでもあり得るはずはない。
31神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:19:22.15 ID:5Nr3QBnv
>>28
在家さんを頑固だと言う人は、自分の発言が、
 
自分が頑固だと言ってることに等しい、とは気がつかないのですね。
 
こういう連中は気にしない方がいいでしょう。
32神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:25:10.64 ID:A2VWCI1U
>>28
君に聞いてるんじゃなく、唯物末法屁理屈仏教の人達に聞いてるんだよ。
33神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:37:28.59 ID:oU278kQa
>>26
何の意味だと?円滑な社会生活に決まってるじゃねーか
死ねば何もない。
意識が抜け出るのは面白いファンタジーだが、
考えることができない以上いたって無意味
真理は神はいないで一貫している
34神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:55:19.07 ID:A2VWCI1U
>>33
屁理屈乙。別にお前が慈善活動しなくても世の中円滑に動いてんだよ。
死んで終わりなら慈善活動は他人にまかせて自分は利己的に生きて現世利益を追及するのもOKだよな。
手に入らないものは潔く諦める心だけもてばそれでいい。ちゃうか?唯物アホ仏教徒。
35神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:58:55.47 ID:o0XzM4JX
無常と仏陀がいってるのに、金剛不壊とかいってる宗派もある(密教とか)。
こういった矛盾も、議論対象になってるの?
それとも矛盾に見えて矛盾じゃない理屈あるとか?
36神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 18:59:44.28 ID:oU278kQa
>>34
はぁ?仏教徒でも、唯物でもないんですけどwww
せいぜい理屈皆無のファンタジーで人生台無しにして下さいなw
37神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:07:38.22 ID:A2VWCI1U
>>36
はいはい。我々は唯物でも観念でもない中道れす。てか?
お前らの詭弁は聞き飽きたんだよ。
38神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:11:19.97 ID:A2VWCI1U
>>35
詭弁を駆使すればなんでもOKです。
39神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:12:13.48 ID:oU278kQa
>>37
はぁ?じゃあ何が詭弁じゃないと思ってんの?
自分の思い通りじゃないと嫌なの?
お子ちゃまなの?
お前の詭弁を言うてみwww
40神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:39:12.25 ID:toR/kFMY
君らに少し言ってみたいのは自分が一番大事だと思っているものを離してみたらどうだろう
あるいは間違っていると言われている方を最大限弁護してみるとかさ
きっと、そうしてさえ、自分が自分で勝手につくった枷ってものに囚われていることが分かると思うよ
自分にとって大事なものをトコトン壊してみて、そうしてはじめてフラットに考えられるんじゃないかな

こういう考え方って少しキモイと思う
大事なものが自分の家族や恋人だったらどうするんだろ
宗教の教祖がそうしないと高いステージに行けないとか言ったらそいつはしたりするんだろうか
俺は怖い。
差別とか問題で大切なのはお互いの個性を認め合うことであり、それは自分が大事なものを捨てることじゃない。
ではお互いを認めあうとは何かと言えば、殴り合いで適切な距離を見つけるしかないのだと思う
ホームとアウェイ、セッションと3パターンあると思うが、セッションは一座を設けるような邂逅であるが、
ここではお互いの譲歩でさして問題は起こらない、しかしそうした世俗の付き合いが
深く神聖性にかかわっていくにつれ、お互いの譲歩のような単純な図式ではいられなくなる
決して、全体主義やファッショと一言で片付けていいものではなくなると思う
今必要なのは、己をかぎりなく透明にして誰にでも踏み込まれるような割れ物細工をつくることではなく
一時のセッションが終わったあとに駆け込めるホームづくりであり、そのような駆け込み寺の整備である。
41前世は一在家:2013/01/19(土) 19:41:46.98 ID:TE03+mcC
>>28
>私の開設したホームページ「浄土への道標」もその一例に過ぎません。

現代でも変わらず衆生済度を祈って下さる阿弥陀如来、その足許の菩薩の下生と地蔵さん達の御活躍。

まず不可思議な現象があり、信が深まり、帰依が起こるのは、2500年前も、龍樹、空海、親鸞らの頃も変わりないと信じております。
何回も紹介しましたが、初期教父のエイレナイオスも彼の時代でもイエス存命中のような奇跡が起こっていたことを証言して残しております。(参照:異端反駁)

時代に残る開祖たちの多くはまず衆生を救い、その後に法を説いたと推察します。
多分、釈尊と弟子達は当時のカウンセラーだったのでしょう。現代のカウンセラーとの違いは読心通と苦因のカルマを読む神通でしょうか。
42神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:45:59.10 ID:n22MiXlO
奇跡なんて存在しないよ。
錯覚か手品。そんなもんに頼るな、と仏陀は言ってるわけなのに。
後代のおかしいのが付け加えてどんどんおかしくなった象徴やんそのへん。
43神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:46:13.98 ID:A2VWCI1U
>>39
ハイ。論点ずらしの詭弁が始まりました。だからよ、
死んで終わりなら無理に慈善活動する必要もないだろうって聞いてんだよ。その答えが
社会を円滑にするためときた。なら別に仏教徒が無理にする必要もねぇだろって言ってんだよ。
おまえらの唯物末法屁理屈仏教じゃ、なぜ慈悲の心が必要なのか、なぜ行が必要なのか
合理的な説明が出来ない。あ、そうか。そういうときは、
詭弁という魔法をつかえばいいんですね。わかります。
44神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:50:09.97 ID:A2VWCI1U
>>42
ゴータマさんも随分神通力について語っているんだが。
日本の末法仏教徒はゴータマの仏教をなにもかってない人が多い。君はそのいい例だ。
45神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 19:57:18.64 ID:PDwqregX
>>27
>自身が梵網の中にいないと分かる人はこの板でどれだけおられますか。
>岡目八目と他人のことはよく分かるものです。

そういうこといってもなあ

梵網経の凡夫や聖者の立場を仏教と捉えてるようじゃ、仏教が分かってないという指針なんで、体得してたら、そりゃブッダですよ

それと在家さんの場合は、入中論の訳より、評釈を読んだ方がいいと思うので、勧めたんですけど。
46神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 20:07:24.54 ID:toR/kFMY
公的な事柄についてはその共同体の公共性の範囲内でそれに資するための最低限のことを
守る必要はあるだろう。しかし、その他の人的営為については世俗であり、どんな人にもフラットに
触れ合えるようにするべきである。人と人の利害がぶつかれば互いが求める利益に応じて
取引できるラインを導き、それでお互いが合意できるなら取引が成立する。
しかし、世俗そうしてフラット化していくと自分が安心して独自性を強調すべき場所が失われてしまう
歴史、伝統といった共同体の独自性は公共性として認められるものもあろうが
そこから離れた独自性については、共同体の中に小さなコミュニティをつくることが重要である。
それはあくまで、上位の共同体に反さない程度のコミュニティでなければならないが。
47神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 20:09:22.47 ID:oU278kQa
>>43
まず、お前が何のためと聞いた。それに対して現行通りの社会円滑と答えた。
ここまでは問題ないな。
まさか、お前が慈善活動に拘ると思ってなかったのは事実だ。
そして、その答えは、したくもないならそんなことをする必要はないだ。
慈悲の心も同じく趣味の範囲だ。
行が必要なのは思考が必要ということで当たり前のことだ。
48神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 20:22:34.05 ID:oU278kQa
>>44
暇だからその神通力とやらを列挙してくれ。
手かざし教みたいのなら勘弁して欲しいがw
49前世は一在家:2013/01/19(土) 20:34:54.81 ID:TE03+mcC
>>45
>それと在家さんの場合は、入中論の訳より、評釈を読んだ方がいいと思うので、勧めたんですけど。

はい、分かりました。
これから熱海の方へ行きますので、明日の晩に戻ったら読むことに致します。 合掌
50神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 20:48:25.18 ID:oU278kQa
大別して仏教ファンタジー物語主義と釈迦絶対主義と
生命神秘主義と竜樹賢けースゲー主義が主流だな。
51宝珠愚者@(規制代行):2013/01/19(土) 22:04:55.13 ID:7Vrfif+K
>>12
ウダーナ8:1は涅槃について述べた稀少なもの。
 『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
特に、この後半部分を見るならば、
“縁起しないもの”が涅槃であると明確に述べていることがハッキリと分ります。
このことが、一切とは現象界の性質たる縁起する世界であり、
その一切外である涅槃は縁起しない世界なんだということ。
現象界の縁起する性質が「空」であるから、
縁起しない涅槃が「空」であるわけがないのです。
「空」についての理解(悟り)には価値がありますが、
自身が「空」であることには価値はありません(無価値)。
ですから、自分のことを無我・空であると誇示する仏教者など
本家インドにおいては誰にも相手されないのです。
どう、皆さん分ります?
まっ、もしわかったのなら伝統仏教は
これまで同様には支持できなってしまうでしょう・・・。
(信条を)捨てる勇気、改める勇気には強い意志が要りますから。
52神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 22:06:25.02 ID:xcK6YBj8
宗教的にも科学的にも厳密に言うと
現時点ではこのようであると言えるが・・・・・ぐらいで
「よくわかりません」でもいいんじゃないんでしょうか?
53神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 22:48:56.90 ID:oU278kQa
>>51
わかりますよ。縁起しないものは無です。
他一切は縁起します。
54神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:10:13.84 ID:PPJ/98W+
>>51
> その一切外である涅槃は縁起しない世界なんだと
だからw  『世界』じゃないでしょ。『境地』でしょw

> 現象界の縁起する性質が・・・・・・相手されないのです。
 
 ◎宝珠「涅槃を自覚するのは誰か?」URL集集

 〔「涅槃を自覚する主体は?」URL集〕
 仏教 議論スレッド その2
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1272850647/23

 〔「涅槃を自覚する主体は?」 補URL集〕
 仏教 議論スレッド その3
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/642

 〔「涅槃を自覚する主体は?」 補補URL集〕
 仏教 議論スレッド その3
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/602

 〔「無為なる意識?」 URL集〕
 仏教 議論スレッド その3
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1274492365/643
55神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:12:54.00 ID:F+k8ZmMJ
>>992 宝珠さん
>仏教では“別の一切”は認められていません。
>ですから、私がこのことを述べようとする際には、「一切」と「一切外」(その一切の外)の二つなのです。

いやいやいや、「別の一切」は「一切外」という意味で俺は使ったんだよ

>>993
>一体、誰が何処でそんなことをいってるのですか?
>まさか・・・「寂静」「寂滅」 を以って空っぽだと?
>或いは、涅槃も空であるとして(ではないのだが)、
>「空」とは“空っぽ”のことなんだとでも理解しているのかな?

大正蔵のsatで「涅槃空」で調べてみなよ、まあ引っかかるのは大乗経典だけどね

あと、水野さんの文言を引用するなら、あなたがそれをどういう根拠に基づいて同意するか言ってくれない?
56神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:19:46.67 ID:g3blAww0
釈迦のアートマン説については
毎度、同じ提言と前と同じ突っ込みがされるな。
前回は何番目のスレのどこらへんでだったっけ?

梵網経のは、悟りの深度だの性質だのとは直接関わらない、
大前提となる見解の話に見えるんだがなあ。

出発点から、方向性からして間違ってるので駄目ですよ的な。
57神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:28:01.72 ID:F+k8ZmMJ
>>51
涅槃は空だと思うよ
涅槃が空ではないと仮定すると、空は無為ではなく、有為であることになる
空が有為であるなら、空は生ずる性質のもので、滅する性質のものということになってしまう
空はこのように滅んでしまうものか? それはないだろう
そうだとしたら、それは「空」ではなくて「空見」だよ
空見は空というものが実体視されて、執られ、掴まれたもの、それは有為

空と涅槃は、何か実体視され、執られるものでも、掴まれるものでも、壊れるものでもない
逆に言って、何かを執って掴んだなら、それは有為で、無常で滅びゆくものでしかない

現象界がそのまま涅槃、諸法実相だよ、それらの関係は、1粒の水滴と大海の関係のようなもの
水滴として執ればそれは縁のあるものだが、執らずに大海として見れば縁のないもの
58ドクターフリッツ:2013/01/19(土) 23:36:11.70 ID:yYwGmmru
奇跡は存在する。
59Johannes:2013/01/19(土) 23:50:48.12 ID:LQh39DlM
>>43
いやだ・いやだのヤダモンかw  甘えるなよ.末法耶蘇野郎.


>>とどのつまり人間死ねば終わりなんだろ。
人は死んで無に帰するのではないと知れ.
つか.お前は末法耶蘇の外道だろう.外道には語る義理はない.


>>神通力 ・・相手を選ぶ.お前みたいな末法耶蘇がいくら粘着しても無駄.

.
60神も仏も名無しさん:2013/01/19(土) 23:51:41.35 ID:g3blAww0
ことばの捉え方の違いが出てて面白い。

ウダーナの涅槃を語る文面を、
縁起一代やセブンは、六道にはないもの、六道内では成立しないもので表現される境地として捉え、
宝珠愚者は、物質世界やそこらの神々が棲む程度な霊的世界とは
隔絶した、(言うなれば)上位レイヤーにある超世界・超存在について語ったものとみなしてるわけだな。
61神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 05:18:37.58 ID:xCtB33ns
正論を述べる者が慢心しなくなるのはいいんだけど
頭がおかしいと言っていいようなアホな突込みが多すぎる。
そんで、頭のおかしいやつに正論で返しても意味が通じない。
そのために困難ではありますが正論を述べる者が必要なんですかね?
62神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 06:30:59.31 ID:aqcKCzOr
>>61
そんなとこ、その人のためというよりロムとか、後で読む人のためにね
63神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:00:28.44 ID:HtsQvyl/
>>47
ハイ。よくできました。
そう。その通り。お宅らの唯物末法仏教じゃ
慈悲の心も、慈善活動も無理にする合理的な理由もなければ
素直に答えればお宅の言うとおりしたくなければそんなことする必要なければ
そんな心も持つ必要もないだ。ところがゴータマさんはこういっている。
64神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:04:05.46 ID:HtsQvyl/
>>63 続き〜スッタニパータ
究極の理想に、通じたものが、この平安の境地に、達した後に、為すべきことは、
次の通りである。有能であり、心が真っ直ぐであり、正しく、言葉優しく、柔和であって、
思い上がらない者でなければならない。足る事を知り、僅かな物を食べ、雑務が少なく、
生活も簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明であって、昂ぶることなく、他人の家で貪らない。
他の識者の非難を受けるような、下劣なことを、行ってはならない。
すべての、生きとし、生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
どんな生物生類であれ、弱いものも、強いものも、長いものも、短いものでも、微細なものも、粗大なものも、
見えるものも、見えないものも、遠くに住む者も、近くに住む者も、生まれたものも、
生まれるものでも、一切の生きとし生けるものに、幸あれ。
何人も、他人を欺いてはならない。いつも、他人を軽んじてはならない。
相手を悩まそうと、怒りの想念を抱き、苦痛を与えることを、望んではならない。
さながら、己が独り児を、母が、命を賭けて守るよう、一切の生きとし生けるものに、
無量の慈しみの心を起こすべし。
上に、下に、横に、障害なく、恨むことなく、憎むこともなく、全世界に、慈無量心を起こすべし。
立ちながらも、歩きながらも、座りながらも、臥しながらでも、
眠らない限りは、慈無量心を持て。これは、慈悲喜捨、梵住と呼ばれる。
邪見を捨て、戒律を守り、智慧を具え、諸々の欲に関する、貪欲を除いたものは、
決して、再び母胎に宿ることがないだろう。
65神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:06:59.67 ID:aqcKCzOr
>>64
カラスがやってることの全く逆だけど、そんな文引用したら、
カラスがだめだって自分で言ってるようなもんじゃないか
66神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:14:53.39 ID:HtsQvyl/
>>64 続き
さて、ゴータマさんはこんな子と言っていますが、唯物末法仏教の方々は困りましたね。
君らが千の詭弁をはこうとも本音は人間死ねば終わりだ。ならば別にこんなことをしないでも
手に入らないものは潔くあきらめると言う気持ちだけもち、人間いつか死ぬんだという
事実を受け入れ、心構えさえできれば現世的な苦の滅ならほとんど解決し、全世界に、
慈無量心を起こす必要もないわけだ。いずれにせよ、お宅らの唯物末法仏教じゃ
なぜゴータマが究極の理想に、通じたものは全世界に、慈無量心を起こさないといけないと
説いたか合理的な説明はできない。おっと、お得意の詭弁を使ってならできるってか(苦笑)
詭弁で法を捻じ曲げ衆生を惑わしている貴様らは、報いを受ける。ま、俺は、なぜゴータマが
究極の理想に、通じたものは全世界に、慈無量心を起こさないといけないと説いたか
合理的に説明できるがな。
67神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:17:43.35 ID:HtsQvyl/
>>65
そうか?俺はまだ大丈夫だぞ。
ま、ヨーガといってもいろいろあってな。
68神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:23:11.31 ID:aqcKCzOr
>>67
だろうな

だから、ほとんど誰も信用しないんだよ
69神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:42:09.80 ID:HtsQvyl/
アーナンダよ。ここにお前の持ち物を奪いお前の命をも奪う者がいたとする。
アーナンダよ。お前はその者をどうするか。

師よ。私は、私の持ち物を奪い、私の命をも奪う者を決して恨むことなく愛しましょう。

アーナンダよ。私はお前に教えることはもう何も無い。
70神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:50:21.20 ID:aqcKCzOr
>>69
カラスよ。ここにお前の誤解を奪いお前の無知をも奪う者がいたとする。
カラスよ。お前はその者をどうするか。

お前ら。俺様は、私の誤解を奪い、私の無知をも奪う者を決して赦すことなく罵倒しましょう。

カラスよ。私たちはお前に教えることはもう何も無い。
71神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:51:40.90 ID:mZKd64AR
カラスさんの話は、
慈悲心を忘れ、空論に耽っている空論者への批判じゃないか。
 
カラスさんのよさは、温室で読書に専念するのではなく、
社会で苦労しながら発言しているところにある。
他の人より鍛えられている。
72神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:56:12.88 ID:HtsQvyl/
>>70
その言葉はそっくりお宅らに返すよ。
73神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:59:02.57 ID:IbxZDZsM
カラスはひねた現実主義者
74神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:59:18.16 ID:mZKd64AR
>>70
それじゃ、ただの悪口だよ。
75神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 09:59:53.66 ID:IbxZDZsM
カラスはニヒル
76神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:02:25.79 ID:aqcKCzOr
2ちゃんで相手を不特定多数の三人称で呼ぶ輩は、相手の話を聞かずにとにかく貶す傾向があるように思います

恐らく、不満を不特定多数の人にぶちまけることで解消してるんでしょう

加藤とか宅間とかみたいなかんじかと妄想
77神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:04:56.76 ID:IbxZDZsM
議論に負けそうになるとサイコパス認定してくる人がいたっけ。
78神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:08:26.02 ID:mZKd64AR
>>76
そういう言い方が悪い。よく恥ずかしくないね。
79神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:14:18.21 ID:HtsQvyl/
>>76
ま、なんと思われても結構だが、真理の言葉をキリスト教では聖霊といってね、
それを茶化すのはやめたほうがいい。ま、君らに言っても仕方がないが。
仏教は君らのような人から真理を守る為に、君らを真理から隔離する為に作られたような
ものだからね。そういう意味では無我思想はよくできている。誤謬を起こす
のに実によくできている。
80神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:17:59.46 ID:aqcKCzOr
そうか、エゴのために経典を引用するのはいいのかな〜

よく考えた方がいいよ

もう、止めとくけど
81神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:18:22.62 ID:HtsQvyl/
>>78
かばってくれてとりあえず礼は言っておく。ありがとう。
ちゅうわけでとりあえず落ち。
82神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:22:54.28 ID:mZKd64AR
神の否定が空論だよね。
 
神は愛だと言われるが、空論が愛の説明に困惑するのも無理がない。
 
空論者にすれば、釈迦が慈悲を説いているから弱ったね(*^_^*)
83神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:39:31.66 ID:mZKd64AR
>>30
御隠居の長文は反応しにくいですね。
内容に虚実が入り混じっているような印象を受けるのだが、
その辺を承知して書いてるような・・・
もうちょっと考えさせてほしい。
84神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 10:59:33.04 ID:xCtB33ns
それは日本にもともとあったのですが、ジブリのアニメには余計なものが含まれていますので
子供に見せるのはどうかと思います
85池田晶子:2013/01/20(日) 11:37:20.24 ID:QA/PnV0n
>>13>>14

池田晶子は言う。
『しかし、自分が「存在」するということは、それ自体で生死を超越しているのだから、「生前」「死後」が眼中になくなる。
 逆に、存在の不思議の前にはそういった神秘体験なるものはすべて物語りだということがはっきり見えるのである。
 “生きている”ことの不思議を実感すれば、死後の神秘に用はない。
 つまらない物語を追うまえに、一輪の花が咲く、地球が廻る、我々が生まれ死ぬ
ーそういった当たり前の不思議に驚かずに、人生の意味と理由が理解できるはずがない。
 カルト、オカルト霊媒師が宇宙開闢以来のすべてが見え、あなたのカルマはこうだといっても、私はなにを理解したとも感じない。
 かれらが物語を語った、たんにそれだけのことである。
 人生が存在する、存在が存在することの不思議は、
 いかなる仕方によっても理解することができないということを、私は理解しているからである。』
               (池田晶子 週刊新潮2006/7/13号 人間自身158 再改)

この池田晶子の境地を得心できるものはこのスレにはいない。
境地の深さは如何ともしがたい。

キーワードは「不思議」だ。
86神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 11:45:13.28 ID:0ajQLWmY
>>85
元祖カルト・オカルト霊媒師は、釈迦とイエスに決定。
87神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 11:58:37.04 ID:xCtB33ns
天国と地獄の概念は広く知られていて
天使と悪魔、菩薩と鬼などのイメージもすでにある。が、
とりあえず人間様をもっと観察して知るべきと思いますが?
88池田晶子:2013/01/20(日) 12:46:09.72 ID:QA/PnV0n
>>85 の故池田晶子の文言は以下の道元と同趣旨。

『尽界は心地なり。尽界は華情なり。尽界華情なるゆゑに、尽界は梅華なり。
 尽界梅華なるがゆゑに、尽界は瞿曇の眼睛なり。而今の到処は山河大地なり。
 到事到時みな「吾は玆土に本来し、法を伝へ迷情を救ふ、一華は五葉を開き、結果は自然に成ぜん」の
 到処現成なり。西来東漸ありといへども、梅華而今の到処なり。而今の現成かくの如くなる、成経荊棘といふ。』
                           (道元 正法眼蔵 梅華より)                               
89神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:33:30.42 ID:AMiS8ocV
>>88
元祖カルト・オカルト霊媒師釈迦とは、根本的に異なる。釈迦は、不要・有害。
90池田晶子:2013/01/20(日) 13:37:13.63 ID:QA/PnV0n
>>88
>釈迦は、不要・有害

『尽界は瞿曇の眼睛なり』(道元)
91神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 13:54:18.67 ID:AMiS8ocV
>>90
釈迦は、一切世界の「象徴化」されている。「釈迦個人」とは、似ても似つかぬもの。
誤解してはならない。
92パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/20(日) 14:11:39.67 ID:i4jz7+a2
>>91  こら、隠居w

キチガイカラスが、好き勝手喚いてるだろうがw
噛み付かねえのか?www

こいつは、それこそ、お前が言う「イエスに狂わされたキチガイ」の
典型的見本だろうがwwwwwww

下手に宗教を間違って「混ぜちゃう」と、こんな廃人が出来上がっちゃうよ
と、ここでこそ、お前の主張を展開すべきだろうが?ww

どうした?w  しっかりせんかいwwww
93神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 14:19:54.00 ID:IbxZDZsM
パーピマンキター(≧∇≦)
94神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 15:11:50.36 ID:mZKd64AR
池田晶子は読んだことがない。
>>85 に紹介された程度で、何かがわかったとは少しも思わないが、
生きていることはそれだけですごい、という主張だろうか。
 
生きることが楽しければ、生きていることを大切にするだろう。
逆に苦しければ、何で生きているのかと考え始める。
 
2006年は亡くなる直前、彼女の言葉には悲しさを感じる。
95Johannes:2013/01/20(日) 15:27:00.96 ID:5B7NGHJx
>>カラス唄

末法耶蘇野郎が何をほざいたところで.やはり末法耶蘇のドめくらだな.
耶蘇頭で仏教は無理と知れ. 
仏教の信心がキリスト教の信仰とは根本的に異なる事も知らぬようだな.

馬鹿みたいにコピペ貼って.それが何時から耶蘇の聖書になったのだ.
オマエは猫の糞なのだから.
キリスト教の聖書読んでパウロと一緒に死んでいろ.
.
96神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 15:33:39.71 ID:TysE7AiE
生きていることに不思議さを求めるのはそうでなければ無意味である現実に耐えられないからだろう
一瞬一瞬に生をまざまざと刻み込み、自分が存在する意義をなんとかして残そうと渇望する。
彼女は求めようとして求めきれなかった、そうして、ついにはどのようにしてもどうにもならない
その現実すらやがては手放していかなければいけない理不尽さに直面したとき
どうにもならなかった不満足なはずの現実をはじめて愛惜するに至った。
彼女は何も手に入れられなかったのだろう。生きる意味も、生きることすらも。
しかし、生きている者は、生きているという前提の上に何かを求めている。生きる意味を。
彼女の孤独な叫びは、永遠に世俗に届かない。世俗を愛してやまない彼女の心は
何が優先されるべきか人生の大事がそばにあっても、無いことを憂いつづける人の業をよく表している。
私はただ彼女の冥福を祈るのみ。
97神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 15:35:46.08 ID:mZKd64AR
人間とは何か、神はいるのか、生きる意味は何か
  
仏教もこれらの問題を扱っている。ここを離れたら的外れ。
議論が迷路をさまようのは、非日常的な仏教用語を乱用するから。
できるだけ、わかりやすい日本語を使った方がいい。
 
生きる意味なら、聖書や儒教や神道から学ぶのもありだろう。
急がないと死神に追いつかれる。
98宝珠愚者@(規制代行):2013/01/20(日) 15:57:04.36 ID:ZdxqkwsU
>>54
>だからw  『世界』じゃないでしょ。『境地』でしょw

ご心配は無用!
森羅万象の現象“世界”に対しての表現に合わせて述べたまでのこと。
縁起しない世界は“縁起しない境地”によって初めて到達します。
涅槃を無我にしたがってるようですが、そもそも「境地」とは本来、
“個人の状態(心境)”を指すということを理解していっていますか?
99宝珠愚者@(規制代行):2013/01/20(日) 15:59:00.71 ID:ZdxqkwsU
>>55
>あと、水野さんの文言を引用するなら、
>あなたがそれをどういう根拠に基づいて同意するか言ってくれない?

ん?繰り返し述べてきていますが・・・。
あなたはまだ参加して日が浅いためではありませんか?

>>57
>涅槃が空ではないと仮定すると、空は無為ではなく、有為であることになる
>空が有為であるなら、空は生ずる性質のもので、滅する性質のものということになってしまう

それで正解です。

>空はこのように滅んでしまうものか? それはないだろう
>そうだとしたら、それは「空」ではなくて「空見」だよ
>空見は空というものが実体視されて、執られ、掴まれたもの、それは有為

誤解しています。
現象世界(有為)は流転変滅を繰り返していく性質であるから、
これを実体視するなということ。
つまり、「実体ではなくてこれが空なんだ」ということをいっています。
100宝珠愚者@(規制代行):2013/01/20(日) 15:59:50.47 ID:ZdxqkwsU
>空と涅槃は、何か実体視され、執られるものでも、掴まれるものでも、壊れるものでもない
>逆に言って、何かを執って掴んだなら、それは有為で、無常で滅びゆくものでしかない

仏教では“実在としては説かない”という意味では、確かに「空」も「涅槃」も同じです。
そのために平均的仏教徒は皆、混同しているのです。
(部派は諸法を実体視し、ヒンドゥーでは涅槃を実体視した)。

>現象界がそのまま涅槃、諸法実相だよ、それらの関係は、1粒の水滴と大海の関係のようなもの
>水滴として執ればそれは縁のあるものだが、執らずに大海として見れば縁のないもの

いいたいのことの意味としては近いけれども、しかしやはり、
現象界そのままイコールで結ぶことは宜しくないです。
「諸法実相(諸法空)」も「空」も共に原始仏教の縁起を伝えて示したものです。 
ですから、縁起しない境地(ウダーナ8:1)である涅槃は縁起する有為とは異なるものです。
従って、涅槃を空で結ぶことはできません。

従来の伝統というか、
一般的に流布されてきたものはすべて「仏教は無我空を説くもの」とされ、
これが仏教の目指すべき境地であるかのごとく見なされてきてしまった・・・。
けれども、これらは後代になって改変されてきた誤解であり、
本来は違うということが徐々に明らかになってきたのです。

極端にいえば、
“無我空からの解脱”こそが本来の仏教なのです。
101神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 15:59:59.88 ID:mZKd64AR
旧約聖書に「ヤコブの話」がある。それほどの量ではない。
仏教徒もこれを読んでほしい。
 
28章にあるヤコブの夢、「先端が天にまで達する階段が
地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり
下ったりしていた。」〜 これが「縁起の階段」である。
 
縁起や空は、無意識の世界に入って行く「道具」である。
102神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:02:43.04 ID:xCtB33ns
日本の宗教はお上品過ぎます。
海外だと日本の暴力団ぐらい、
もしくはそれ以上の勢いがあります。
103神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:03:54.68 ID:l+N09bsU
池田晶子は、あくまで、「『人間』が存在することの不思議さと至上性」を言っている。
一切世界を認識・思考できるのも、「人間の生命」だからだ。

換言すれば、「すべての人間の、生命における等価と至上性」。

このことは、元祖カルト・オカルト霊媒師の釈迦やイエスの念頭にも浮かばなかった
こと。彼等の「宗教」とは対極にあるもので、明確に区別する必要がある。
104神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:20:51.49 ID:TysE7AiE
彼女の思想が人道主義に結びつくのなら、人間のエゴの傲慢へと収束していくだろう
それは自然の克服と統制である。
所有概念の無限拡大であり、その肥大化したエゴはやがては真実によって裏切られる。
それは愛惜へと着地し、永遠の夢となって人類を覆う。
個人はその夢を見ながら、自然や人の悪意、現実のすべてを憎しみつづける
天に積み上げられた万人の屍の塔はさらなる億万の屍を渇愛し、その実何人も救われぬ
105神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:29:22.32 ID:l+N09bsU
>>104
「人間は、エゴ(欲望、煩悩)がなければ、そもそも生きられない。その
エゴから、他者のエゴへの思いやり、慈悲、愛が発生する」。終了
106神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:36:15.07 ID:TysE7AiE
その愛や慈悲は一味平等なものではない
大慈悲とは自己を殺すことである、自己と他己の心身を脱落させることである。
107神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 16:37:52.24 ID:mZKd64AR
>>96
共感するなあ。池田晶子にも共感する。
>>103
御隠居はヘソ曲りなだけかよ。
108神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:13:51.03 ID:mZKd64AR
ヤコブの夢
 
上ったり下ったり ・・・ 単純な縁起ではない。
 
善と悪は縁起してるから空、では十分じゃない。これは下りかな。
 
上りは? ひとつコインの裏表が善と悪。
109神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:20:38.54 ID:l+N09bsU
>>107
元祖カルト・オカルト霊媒師釈迦・イエスの盲信により、君たちのヘソが曲がって
いるだけ。

>>106
慈悲は、自己(エゴ)からのみ発生する。自己を殺せば、慈悲の発生源も死ぬ。
発生源は、自己(我の生命)以外に何処にあるか?何処にもないw。
110神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:29:32.64 ID:FrR6Xo45
>>109


>発生源は、自己(我の生命)以外に何処にあるか?

そうじゃないんだなぁ・・w (^^;
う〜ん・・

『ドーナツの穴』はどこから発生するの? (今一だな・・w)



「事象というのは、諸条件が整って初めて顕現する」というアプローチじゃ
みんな、物足りないんだろうなぁ・・
何か発生源が無いと納得できないんだろうな・・
で、ここを納得できなければ、ずっと、仏教を理解できないままになるんだろうなぁ・・。

このスレは、そういう納得できない人の見本市か・・w
111神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:32:08.51 ID:xCtB33ns
宗教の本を読んで分かることは知りたいことが書かれていないという落ちで
112神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:50:09.15 ID:IKRXRftC
不幸なものへの同情へ意識の焦点をかえることで
不幸から逃れようとする防衛機制
113神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:56:45.35 ID:l+N09bsU
>>110
>『ドーナツの穴』はどこから発生するの? (今一だな・・w)

「ドーナツの穴」は、「ドーナツの縁」があるから発生する。簡単なこと。
これが中論の「空(相対性原理。相対的であらざるもおはない。)」。いま
一つだなw。
114神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 17:59:37.06 ID:l+N09bsU
>>113の訂正
×あらざるもおは
○あらざるものは
115神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:01:59.34 ID:FrR6Xo45
>>113
そうだよね。よくお分かりで。


「ドーナツの穴」という実体が、どこかにあるわけじゃないよね?w
「ドーナツの穴」(の素、元)がどこかにあって、そこから発生したわけじゃないよね?w
「ドーナツの穴」の真実の姿・存在(真我ならぬ“真ドーナツの穴”w)がどこかにあって、
それが現れてきているわけじゃないよね?w
「ドーナツの穴」という自性があるわけでもないよね?w


 諸条件によって、そこに、穴として知覚認識される事象が成立している、

ということ以上の何がそこにあるというのでしょう?
116神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:14:36.56 ID:mZKd64AR
>>111
答えが書かれているのに、読者がそれを理解できないだけ
 
理解するには、時間をかけてじっくり煮込む。
117神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:24:01.06 ID:xCtB33ns
あなたは医者とお坊さんと看護婦と葬儀屋のどれになりたいですか?
118神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:28:41.18 ID:l+N09bsU
>>115
>ということ以上の何がそこにあるというのでしょう?

「人間」は、それを「穴がある」と言うだけの話。「ある・ない」を「一義的に」
区別しない限り、人間は一瞬も生存できないから。

ゴキブリならどう思うのかは、ゴキブリに成り変れない限り、人間には判らない。
119神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:34:09.62 ID:FrR6Xo45
>>118
だから、ポイントはそこじゃないwwwwwwwwwwwwwwwwwww
120神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:37:43.34 ID:NtY7EC/r
>>119
いや、問題はそこじゃないかな。
実際問題、毛の筋ほどにも役に立たない見識を、
それ以上のもの扱いするところに仏教徒と非仏教徒の溝があるんじゃないか。
121神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:52:07.41 ID:SvZBHCZs
戒律を守って生き、瞑想を実践して、悟れるかどうかはともかく苦から脱する道を模索するのが仏教徒でしょ。
でも、まさにどうでもいいレベルの瑣末な理屈ばっかり積み重なってわけわからんくなった。
しかも日本の仏教って、最低限の戒律とか行さえ守ってないじゃん。
122神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 18:58:08.56 ID:l+N09bsU
>>119
>だから、ポイントはそこじゃない

それ以外にポイントはない。ポイントがあると思っているのが、宗教者の、
「人間としての迷妄」。すべて、開祖の精神病の症状としての「迷妄」の感染
による。
123神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 19:23:08.04 ID:FrR6Xo45
>>120
マジで言ってんの?
118は、単にラベル(呼称)の問題でしかないんだが?

それこそ、
≪日本語で「リンゴ」と称され英語でappleと称され、鳥には・・栗鼠には・・・という何ものか≫
があったとき、上のように記述される“対象”を話題にしなければならないなら、
上記のように冗長な呼称は不便だろ?
だから、(日本語では)リンゴとラベリングして情報を共有するわけで。
118は、「そのラベルは色々あって何を貼るかはそれぞれだからラベルに意味はない」
というレスなわけだが、ポイントはそこじゃないってのがわからん?
124神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 19:24:13.50 ID:FrR6Xo45
>>122
いつもいつも、一番重要な文章をスルーするんだもんなぁ・・w
125神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 19:32:18.75 ID:NtY7EC/r
>>123
>「事象というのは、諸条件が整って初めて顕現する」というアプローチじゃ
>みんな、物足りないんだろうなぁ・・
から通して読んで、ラベリングだけの話を価値あるものとする姿勢が問題なんだろうねと。
呼称や名前が何でもいいし、本質に関係しないことくらい世の中の常識でしょ。

それに、自性、勝手に事象が起きると思ってた古代人でもあるまいし、
事象は元になる前事象、前事象は前々事象をの無限遡及を有難がる現代人なんていないでしょ。
だから、役に立たない、これが一番の問題じゃないかなって。
126神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 20:36:21.75 ID:kKtjzzEz
>>123
>「そのラベルは色々あって何を貼るかはそれぞれだからラベルに意味はない」

当たり前のこと。生存に関係する事物にラベル(記号)を付けないと共生が不
可能だから、そうしているだけ。

その単なる「記号」に過ぎない言葉に、それ以上の意味があると思い込んで、
穿鑿しまくっているのが宗教者。宗教の教典は、このような記号の羅列に過ぎず、
別に「ありがたいもの」ではないはずだがw。
127神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 20:49:56.02 ID:IKRXRftC
そうそう、そんな認識は仏教徒じゃなくても
誰だってしてるわけだが、執着は消えないんだよ。
128神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 21:00:50.89 ID:kKtjzzEz
>>127
記号に過ぎない言葉に対する執着が最も強いのが宗教者。

具象物を指示しない抽象語・観念語は、言語の本来の目的としての具象物に
対応していないため、その意味は各人の百人百様で、言語としての機能も
果たしていない訳だが、宗教の教典は、そのような抽象語・観念語の塊。
客観的内容は、実は「ゼロ」なのである。
129神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 21:07:18.97 ID:aqcKCzOr
ネットで記号以外に何を、どうしようというのだろう?
130神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 21:15:11.61 ID:TysE7AiE
>>126
それは、あるラベルからある一つの心の状態へ意図的に導くことが人間にはが困難で
伝統的な方法によってなされることが望まれるからだろう
131神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 22:04:00.87 ID:wexkBp0a
>>99 宝珠さん
>現象世界(有為)は流転変滅を繰り返していく性質であるから、
>これを実体視するなということ。
>つまり、「実体ではなくてこれが空なんだ」ということをいっています

うん、そうだね。そして、あらゆる諸法について
これが「空なんだ」ということを知り尽くしていくわけだよね。
これは、諸行を滅し尽くしていくとも言い換えられると思う。
このように、諸行をすべて滅し尽くし、諸法がすべて空じた境地が涅槃。
で、その境地が、水野さんの言うところの「教説」として語られると無為法となる。
この法を仮に「もの・存在」という方でとるなら、その内実は「空・無我」ということになる。

法を「教説」としても「もの」としても、
諸法無我の諸法に無為法の涅槃を含めて、どんな矛盾があるのかが分からない。

大智度論の三法印を見てみると、
「仏法の印に三種有り。一には、一切の有為法は念念に生滅して、皆、無常なり。
二には、一切法は無我なり。三には、寂滅は涅槃なり。」
「一切有為法(諸行)は無常である」と「一切法は無我である」という風に区別してるよね?
132前世は一在家:2013/01/20(日) 22:15:50.53 ID:pdEnoxwl
>>48
>暇だからその神通力とやらを列挙してくれ。
>手かざし教みたいのなら勘弁して欲しいがw

・南伝の長部経典では、六神通(神変、天耳智、他心智、宿命智、死生智、漏尽智)。
・北伝の長阿含では、三明智(宿命智、死生智、漏尽智)。
・何れも如来でなくても修行完成者は得られる功徳とのこと(沙門果経)。
・神変:一身多身、飛行、水上浮沈、他
・天耳智:距離に関係なく天と人の両方の声を聞く。
・他心智:テレパシー。スッタニパータでも多用。
・宿命智:幾多の過去世の出来事を見通す。
・死生智:生けるもの達の行為に応じた転生先を洞察する。
・漏尽智:苦しみの原因を洞察し諸煩悩を滅する智慧。

相手に憑依した霊(意識)がその人の前世やカルマを語る(霊動現象)手かざしとは全く異なります。
133前世は一在家:2013/01/20(日) 22:20:58.29 ID:pdEnoxwl
>>131
>・何れも如来でなくても修行完成者は得られる功徳とのこと(沙門果経)。

IF 沙門果として神通明記 AND 誰も神通が無かった THEN 釈迦は嘘を言った OR 菩薩達ですら修行完成しなかった。
134前世は一在家:2013/01/20(日) 22:35:08.65 ID:pdEnoxwl
>>129
>ネットで記号以外に何を、どうしようというのだろう?

ネットでは空性のA氏のかきこが縁で空性のB氏の批判(かきこ)が起こる。
これを際限なく繰返し、過去世(スレ)を重ねる。

空性のA氏も空性のB氏も縁起しているだけなので互いに怒って三毒を積むのは愚。
135前世は一在家:2013/01/20(日) 23:07:56.63 ID:pdEnoxwl
釈尊が「一切皆苦」と説かれた場合の「一切」は現象界(有為)のことであると某先生から伺っております。

もし苦のない涅槃にいる如来を「一切」に含みますと、「涅槃は苦」、「如来も苦」となり論理矛盾にならからです。
136前世は一在家:2013/01/20(日) 23:27:23.63 ID:pdEnoxwl
>>45
>それと在家さんの場合は、入中論の訳より、評釈を読んだ方がいいと思うので、勧めたんですけど。

評釈を書いている中沢さんは真言宗の僧侶で48歳位。
オイラ氏と似た波動を感じるので多分お知り合いでしょうか。

石飛先生もこの中論入門書は絶賛されてましたし。
137神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 23:29:19.56 ID:QA/PnV0n
>>135
>某先生から伺っております。

類(愚者カルト)は類(愚者マヒカリ)を呼ぶ。
138神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 23:48:35.90 ID:5Fwg633M
>>132
そりゃ仙人思想みたいなもんだな
一番簡単な水上を走るヤツや空飛ぶヤツがいるなら見たいもんだ
そんなヤツは過去に一切いたとする記録がなく現状もいる筈もない。
そういや麻原はちょびっとだけ浮いてたっけなw
139神も仏も名無しさん:2013/01/20(日) 23:52:01.91 ID:5Fwg633M
>>134
ネットが記号だと?
当たり前だw自分というものも記号みたいなもんと知れ
140神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 00:00:41.91 ID:qXjsenhL
>>135
一切皆苦は現象界ではない。
車が動くのが苦か?
苦つーのは感覚だ。苦を感じるのはどこかつーことよ。
苦のない境地、それは我のない境地に決まっとる
141風の旅人 ◆aOLjRoi1zs :2013/01/21(月) 00:37:54.51 ID:vMuHOxxF
>>140
いろんな形で反論できるんだが、
まぁ、とりあえず、では、なぜ《一切皆苦》なのか?
人間は喜怒哀楽の生き物だから、“一切”が“皆苦”ではないはず。
それから、悟った人間は、本当に《我》がないのか?
そんなバカな!
《自己暗示》や《思い込み》ではないのか?
火で手をあぶっても痛くない人間なんているだろうか?
その論理だと、“苦”を感じたら、即刻、《我》があることになり、釈迦ですら悟っていないことになると思う。
142神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 00:40:20.27 ID:IKc86e9z
>>141
百年ROMってから来いw
143風の旅人 ◆aOLjRoi1zs :2013/01/21(月) 00:48:57.85 ID:vMuHOxxF
ついでにもう1つ反論を書いておく。
感覚は調子が悪いことを知らせる《信号》だと言われている。
だから、車が調子が悪いとそれを知らせる《信号》が出たりする。
エンジンが変な音をたてるなど。
人間にはわからなくても、車の《苦》の叫びと言えなくもない。
144神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 00:58:14.60 ID:qXjsenhL
>>141
心でクヨクヨ思い悩むことがない程度のニュアンスに過ぎない
思い悩むのは我であり、思い悩まないのも我であるのは確かだ
火で手をあぶってアチーと叫ぶ我は後者だ。
145風の旅人 ◆aOLjRoi1zs :2013/01/21(月) 00:59:28.50 ID:vMuHOxxF
>>142
100年とは行かないけど、ロム専にもどることにする(-_-)/~~。
146神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 01:04:44.92 ID:qXjsenhL
>>143
なるほど。無常苦ってやつだな
まぁいずれにせよ、それを感じるのは人間だ
147ハエとり壷:2013/01/21(月) 01:08:33.17 ID:toshBfCT
>>141

また、愚かなハエが飛び込んできた。
仏教議論スレッドは“ハエとり壷”(ウィトゲンシュタイン)なんだぜw

Was ist dein Ziel in der Philosophie?
―Der Fliege den Ausweg aus dem Fliegen-glas zeigen.
お前の哲学の目的はなにか?
  ―それは、ハエにガラスのハエとり壷から脱出する出口を示してやることだ。
                              (哲学探究より)

ここにいるハエどもは一匹として、“知”という餌がおかれた底面に降りて、入ってきた逆ルートで
外へ脱出できる奴はいない。

Die Grenzen meiner Sprache bedeuten die Grenzen meiner Wert.
私の言葉の限界が、私の世界の限界である。(『論理哲学論考』より)

「はじめに言(ことば:ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった」
                              (「ヨハネ福音書」より)
  これが迷妄の起源である。
148神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 04:08:40.54 ID:PCq+df8s
>>136
そりゃ、ここを見てりゃ分かることでしょう

そういうことは聞かないでください
149神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 04:11:05.43 ID:PCq+df8s
>>147
ウィトゲンシュタインは仏教に接近してるけど
残念なことに戒定慧という道がない
150前世は一在家:2013/01/21(月) 06:51:26.10 ID:DmSvrjR4
>>147
>「はじめに言(ことば:ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった」
>                              (「ヨハネ福音書」より)
>  これが迷妄の起源である。

言葉は無常、空性ですが、有ります。

「これが迷妄の起源である。」←コレ言葉(世俗)にて検証済みです。

言葉が不要な神代は勝義諦だったかも知れませんね。
151前世は一在家:2013/01/21(月) 07:21:19.28 ID:DmSvrjR4
>>148

大変失礼しました。>M氏ファン各位
152前世は一在家:2013/01/21(月) 07:55:08.14 ID:DmSvrjR4
>>141 風の旅人氏
>それから、悟った人間は、本当に《我》がないのか?
>そんなバカな!

悟った人間にも《意識》はあります。

《我》=《意識》と仮設した人には、人間には《我》があるとなります。

《我》=《常住不変の意識》と仮設した仏教徒には、人間には《我》が無いとなります。

同じ言葉でも意味が変化するのでよく誤解が生じますが、言葉が空性なので仕方ないようです。
以上、現時点での異教の認識です。
153カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/21(月) 08:58:54.24 ID:DvNHNpQH
>>147
迷妄してるのはお前らアホ仏教徒だよ。
ロゴスがなければ何にも無いの。だが幻のようなものだけど
この現象世界は今ここにある。なぜゴータマが慈悲の心を説いた
の件もそうだけど、お前ら末法仏教はなぜこの現象世界が
ここにあるのかも説明できない。おっと。お得意の詭弁を使えばなんでもありか。
どの道おまえら詐欺師は仏教をただの詭弁にしてしまった。
名称は識別するもの。名称は言によって成る。
初めに言があった。神は言われた。「光あれ」光は闇と識別された。
創造の第一日である。お前らの大好きな縁起の始まりだよ。
ま、真理から隔離されたアホ仏教徒にいくら教えてあげても聞く耳もたずだろうけど。
154カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/21(月) 09:05:54.83 ID:DvNHNpQH
>>141
どんなに楽しくても人。いや生き物はどうあがいても死ぬだろう。
元々仏教の苦とは、思い通りにならないと言う意味だったと聞くが
その際たるものが死。人はどんなに生きたいと願っても
死は免れない。どんな幸せな人生でも必ず死(苦)を迎え、死で終わる。
簡単に言うと一切皆苦とはそういう意味。
155カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/21(月) 09:08:09.23 ID:DvNHNpQH
ま、アホな末法仏教徒は滅びを目指してるわけだ。
まさしく馬鹿は救いようが無い。
156神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 09:13:22.40 ID:WTytXdzt
死は苦か?
157神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 09:55:24.26 ID:28081Ni+
雨乞いしても雨降らないカラッカラ食うものが無い死ぬつーのが末法の指すところだと思う。
学校で南の国の飢饉で木の皮まで食ったと習った。
158神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 10:04:05.60 ID:AYDSodsZ
>>154
死を克服する方法を教えてやろう
それは人生でいつ死んでも良いと思えるほどの幸福を手に入れることだ
世界よ、おまえは美しいと思える瞬間を見つけなさいな
答えは自ずとでてくる
仏ってのは自分が救われたいとは露ほども思わない存在
対して衆生は自分が救われたいと思う存在
両者は相対する関係でありながら、隔絶している
その間を埋めるのは、まさに答えを探そうともがいた者の悲痛さだけだ。
159神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 10:13:47.22 ID:IKc86e9z
>>158
詩人だね・・。
切なくて良い文章だw
160ハエとり壷:2013/01/21(月) 10:22:59.73 ID:toshBfCT
>>149
>残念なことに戒定慧という道がない

ウィトゲンシュタインにとって戒定慧という道など不要だろう。
仏教的には彼は悟ったのだから。
・世界の中にはどんな価値も存在しない。
・倫理的な命題はありえない。
・これまで哲学的な問題について述べられてきた命題の多くは誤りなのではない。
 ナンセンスなのだ。哲学的な問いに我々は答えることはできない。
 それが無意味であることを証明できるに過ぎない。            (論理哲学論考より)
哲学に終止符を打った以上、することはない。「生きているのはひまつぶし」(深沢七郎)だ。
彼は父親から受け継いだ財産を放下し、無一文となってまるで隠者のような良寛のような生き方をする。
『哲学探究』のアフォリズムを書き続けているとき、すでに身体中がガンに蝕まれていた。
各地を彷徨い死ぬ。
『私は素晴らしい人生を送った。みなにそう伝えてください』と言い残した。1951年4月29日だった。

「ハエとり壷」の哲学、“なにも説明せず(できず)、なにも結論しない”哲学が残った。
161神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 10:37:58.66 ID:PCq+df8s
>>160
人生も遺言も哲学も立派だけど不幸としか言い様がないし、もちろん、解脱とも涅槃とも悟りとも無関係な破綻した人だったとしか思えない

トゥルーミンの『ウィトゲンシュタインのウィーン』読んだ? 読んでないなら読むといいよ。見方が変わるかもしれない。

池田晶子とかウィトゲンシュタインとか、論理に結びつけて譬喩として語るなら分かるけど、仏教的に悟ったなんて言い出すのはもはや、飲み屋の酒飲み話以外の何ものでもないな

生命教と同じなんだよな〜
162宝珠愚者@(規制代行):2013/01/21(月) 10:43:18.55 ID:VNb6gMNF
1-2 >>131
>うん、そうだね。そして、あらゆる諸法について
>これが「空なんだ」ということを知り尽くしていくわけだよね。
>これは、諸行を滅し尽くしていくとも言い換えられると思う。

はい。

>このように、諸行をすべて滅し尽くし、諸法がすべて空じた境地が涅槃。

ココはちょっと同意できません。
諸行は最初から空なのです。到達すべき境地などではありません。
空であることを理解するのは何も難しくないです。凄いことでもなんでもない(仏教的には)。
もちろん、ただし諸行が実際に空であることを身を以って体感するには、
当然、書籍や経典を読んだだけでは到底できない。
163宝珠愚者@(規制代行):2013/01/21(月) 10:45:00.61 ID:VNb6gMNF
2-2
>法を「教説」としても「もの」としても、
>諸法無我の諸法に無為法の涅槃を含めて、どんな矛盾があるのかが分からない。

今、このままの状態で最初からすでに無我だからですよ。
しかし、これを以って「最初から涅槃だからこれでいい」という結びにはできないからです。
どう、これならば分りましたか?
これをやり出してしまうのが野狐禅の輩たちです。一元論の信奉者たちもこれと近いことを言い出す。
彼らは、「最初から涅槃であるから何もする必要はない。
何かをしようとすることは涅槃であることを否定する行為になるからダメだ」などというのです。

>「一切有為法(諸行)は無常である」と「一切法は無我である」という風に区別してるよね?

同じく現象界の法を示すものである筈なのに、何故、こうして区別しているのか?
これは要するにこういうことですよ。「諸行」という場合には特に濃密物質の意味合いが強く、
「諸法」という場合には自己意識に関して示しているということ。
殊、人間存在に関する現象界についての領域をみれば分る通り、
五蘊無我の五蘊とは意識の部分、つまり、心的作用を大きく含むわけです。
これと質量的な物質とは一応、分けて示しているということだと理解できます。
仏教においては、人間の心的作用も物質現象界における働きの中へと含めています。
164宝珠愚者@(規制代行):2013/01/21(月) 10:45:37.86 ID:VNb6gMNF
>>135
同意します。
在家さんはこの辺りについては、以前からしっかりと理解されていることが明らか。

>>140
横レス

もちろん濃密物質そのものは苦痛を感じません。苦痛を感じるのは意識だからですよ。
仏教的には、人間を構成している意識の大部分も現象界に分類されているのです。
165神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 10:52:00.73 ID:PCq+df8s
>>162
>諸行は最初から空なのです。到達すべき境地などではありません。
>空であることを理解するのは何も難しくないです。凄いことでもなんでもない(仏教的には)。

 なるほど。

>もちろん、ただし諸行が実際に空であることを身を以って体感するには、
>当然、書籍や経典を読んだだけでは到底できない。

 じゃ、どうする? 何のために縁起・空性が説かれると思う?

 しかも縁起・空性は、戒定慧の慧だよ。

 戒定はヒンドゥーにもある。慧、縁起・空性こそが仏教の特徴であり、本質であることは『梵網経』それを聞いてシャーリプトラが悟ったという縁起法頌、
 五比丘などの悟りの表明、釈尊の遺言にも明らかだ。
 
 ただし五比丘などの悟りの表明、釈尊の遺言が縁起の本質を表していることが、文献学会では知られてないけれど。
166ハエとり壷:2013/01/21(月) 11:00:02.64 ID:toshBfCT
>>163>>164
>「諸行」という場合には特に濃密物質の意味合いが強く、
>「諸法」という場合には自己意識に関して示しているということ。
>>161
>解脱とも涅槃とも悟りとも無関係な破綻した人だったとしか思えない

ハエとり壷の水に宝珠と一代の死体が浮かんでいる。
『思えない』と妄想する愚かな霊魂などどこにもいない。
167神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 11:21:46.82 ID:AYDSodsZ
もし、現象が脳の夢だったらどうする?本当は水槽の中の脳の夢だったら
でも、その現象は絶対存在するとは言えないでしょう
大切なのは、あなたが今ある一つの現象の因果の中にいるということです
実在するかどうかはあまり問題じゃないのでは?
168ハエとり壷:2013/01/21(月) 11:26:22.77 ID:toshBfCT
>>161
>不幸としか言い様がないし

ホンネは世俗的相対観しかない俗物凡人の感想でしかない。
『私は素晴らしい人生を送った。みなにそう伝えてください』

>仏教的に悟ったなんて言い出すのはもはや

 下記はウィトゲンシュタインの言語観と同趣旨。
『尽界は心地なり。尽界は華情なり。尽界華情なるゆゑに、尽界は梅華なり。
 尽界梅華なるがゆゑに、尽界は瞿曇の眼睛なり。而今の到処は山河大地なり。
 到事到時みな「吾は玆土に本来し、法を伝へ迷情を救ふ、一華は五葉を開き、結果は自然に成ぜん」の
 到処現成なり。西来東漸ありといへども、梅華而今の到処なり。而今の現成かくの如くなる、成経荊棘といふ。』
                           (道元 正法眼蔵 梅華より)            
169ハエとり壷:2013/01/21(月) 11:37:32.86 ID:toshBfCT
追加で、下記はさらに同趣旨が明確

『このゆえに、花開の万木百草、これ古仏の道得なり。古仏の問処なり。
 世界起の九山八海、これ古仏の日面、月面なり。古仏の皮肉骨髄なり。
 さらに又古仏の行仏なるあるべし。古心の証仏なるあるべし。古心の作仏なるあるべし。
 仏古の為心なるあるべし。
 古心といふは、心古なるがゆえなり。心仏はかならず古なるべきがゆえに、
 古心は椅子竹木なり。』
         (道元 正法眼蔵 古仏心より)
170神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 11:47:03.94 ID:q/9u+PjI
>>169
道元とは異なり、釈迦は「一切世界がすべて」という心境には達し得なかった。
釈迦は、悟ってなどいなかった、ということ。
171神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 11:51:37.78 ID:AYDSodsZ
幸福へ至る道がどんなにイバラの道であっても
幸福に至ったなら艱難辛苦はすべて幸福への花道に見えるもの
感謝と報恩の気持ちでいっぱいになる
憎しみも悲しみもすべての世界がキラキラと輝いてみえてくる
あなたに幸福をもたらしたものが自然であるなら自然への帰依になり
仏なら仏への帰依となる、神なら神へ、家族なら家族へ
およそそれぞれの帰依を起源としてあらゆるものが荘厳されてゆく
万法、一切法に有漏の尽された世界を見る
風に揺れる大樹、静かに降り積もる雪の音に悟らされるものだ
172神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 12:23:17.11 ID:B6bpBDb0
>>136
自分や関係者の本をネットにかじりついて販促? 
 
でもそんなことはありえないと思いますよ。 
 
まさかねえ(*^_^*)
173ハエとり壷:2013/01/21(月) 12:26:54.01 ID:toshBfCT
<スッタニパータ>
Sn.520『 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、
──このような人がきさにその故に<道の人>と呼ばれる。』
同800『 かれは、すでに得た(見解)[先入見]を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。
   人々は(種々異なった見解に)分かれているが、かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。』
同802『 かれはこの世において、見たこと、学んだこと、あるいは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。
    いかなる偏見をも執することのないそのバラモンを、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?』
同803『 かれらは、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。
   かれらは、諸々の教義のいすれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。
   このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。』
同837 『師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。
    諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、
    省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。』

<ウィトゲンシュタイン>
・世界の中にはどんな価値も存在しない。  *←無意味・無価値・無実体⇒空・中道
・倫理的な命題はありえない。       *←善悪を捨て去り、塵を離れ      
・これまで哲学的な問題について述べられてきた命題の多くは誤りなのではない。
 ナンセンスなのだ。哲学的な問いに我々は答えることはできない。
 それが無意味であることを証明できるに過ぎない。        *『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。            
                    (論理哲学論考より)
174神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 13:09:42.74 ID:QxxH4XpL
涅槃が一切の一部だとすると、一切皆苦の一つ、ということになってしまう。
なので涅槃は一切ではなく、よって一切皆空の一つでもない、真我なのだ。

というふうに解する必要はあるのかなあ。と、
他の「矛盾する文言」も見た自分は思う。

「神が人となったのは、人が神になるためであった」という神成(テオシス)の教えが
キリスト教にはあるが、唯一なはずの神様がポコポコ殖えまくるという意味ではとられていない。
なんでこんなけったいな言葉遣いをするか、という説明も(彼等はそう信じてるのだが)
どうも苦しいように見えてならない。
ttp://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/sekaikan01.html
しかし、だからといって、「実は人が神になる超人化の行法であったのだ」とか
空想しても、それは想像でしかない。特定の誰か(イエスとか有名人)に
代弁させても、それは何かを解明したことにはならないだろう。

自分と他人とは違う人格を持つのであり、言葉について、表現について、その元となるものについても
違いがあってもおかしくはない。それは古代の聖人と呼ばれる教祖たちも同じだ。

キリスト教で言うなら、
梵網経の記載は、押さえておくべき大前提となる基本的な立場(神が唯一であるとか、創造主と被造物は隔絶しているとか)
ウダーナの記載は、異教と多少ネタかぶりする文言だが、基本的な立場に矛盾しない前提で読まれる「神成(テオシス)」の教え
に相当すると自分は考える。
175前世は一在家:2013/01/21(月) 13:24:47.32 ID:DmSvrjR4
>>132
>・北伝の長阿含では、三明智(宿命智、死生智、漏尽智)。

(スッタニパータ 656)
三つのヴェーダ(明智)を具え、再び世に生まれることのない人は梵天や帝釈(と見なされる)である。

この板で梵天も神も輪廻すると主張された方がおられましたが、この原始仏説とは異なるようです。
仏や菩薩以外のにも輪廻を超えた無為があるようです。
176神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 13:29:30.24 ID:6mISpmzq
少なくとも、ヴェーダ宗教の帝釈天(色ボケの略奪大好き戦闘神)とは違うだろうね。
177前世は一在家:2013/01/21(月) 13:32:51.52 ID:DmSvrjR4
(スッタニパータ 653)
賢者は縁起を見るものであり、行為(業)とその報いとを熟知している。

釈尊の説かれた縁起が分かり易いかと存じます。
178神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 13:43:32.10 ID:6mISpmzq
人間でもなれる聖者の例えとして、帝釈天や梵天が引き合いに出される。
この二柱の後代における零落ぶりの先がけなのかもしれんね。

クリシュナのかませ犬と化すインドラ、ヴィシュヌとシヴァの引き立て役と化すブラフマー。
179神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 13:56:58.59 ID:PCq+df8s
>>175
>三つのヴェーダ(明智)を具え、再び世に生まれることのない人は梵天や帝釈(と見なされる)である。

それは中部のヴァーセッタ経にも入ってますね。

それは梵天や帝釈が恒常な存在なのではなく、三つのヴェーダや梵天や帝釈を最も優れたものと見做すバラモンのヴァーセッタに譬喩として説いているだけでしょう。

だからこそ記号は三つのヴェーダそのものでも三つのヴェーダそのものを指示するのではなく三明智(宿命智、死生智、漏尽智)を指すように、

記号は梵天や帝釈そのものでも梵天や帝釈そのものを指示するのではなく、
アルハットやブッダ、如来を指しているのでしょう。

もし、梵天や帝釈そのものを指示しているなら、あまりに他の文と矛盾するでしょう。

いや、仏教が知りたいのか、それとも仏教は恒常な実在を認めてるとこじつけたいのか
180神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 14:23:14.82 ID:xEKkmqyV
宿命智、死生智、漏尽智

それぞれ三ヴェーダのどれに対応するのかな。
数だけ?
181神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 15:10:25.97 ID:QyRFoImE
>>180
>宿命智、死生智、漏尽智

それぞれ、いかなる具象物に対応するのか。具象物に対応しなければ、百人百様の
概念で、言語として無意味。
182ハエとり壷:2013/01/21(月) 15:12:02.41 ID:toshBfCT
>>177
>賢者は縁起を見るものであり、行為(業)とその報いとを熟知している。

Sn.653『 賢者はこのようにこの行為を、“あるがままに”見る。←意図的欠落
    かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。』

カルト・マヒカリはどこまでも姑息な根性だ。
その引用では、ホンネでは世俗世間オンリーの御隠居と変わりがない。
       また、世俗世間+超越妄想の宝珠やマヒカリの根拠をご都合主義で作っている。

ハエである『愚者はこのようにこの行為を、“あるがままに”見ない』
183神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 15:12:11.80 ID:a4yjE+9Q
このスレくると議論の内容殆どわかんないんだけど安心するんだよな
184神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 15:29:29.48 ID:QyRFoImE
>>182
>行為(業)とその報いとを熟知している

根拠の無い「先入観」に過ぎない。「あるがまま」とは対極。
185神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 15:29:35.63 ID:PCq+df8s
>>180
ヴェーダ、パーリだとヴィッジャという記号には智慧という意味があるんで、
数だけですね。


>>181
まさに言語を写像としたウィトゲンシュタインは、それが誤謬だと放棄してるし
より単純な、しかし生命教よりは真っ当な論理実証主義は、

 1 「直示的にのみ理解可能」な言語という規定、
 2 直示的には理解できない語彙を、直示的に理解可能な言語の語彙に「還元する」手続きという想定、
 3 直示的に理解しうる文は、即、検証可能だ、とする想定、
 という三つを基盤に全てが直示的にのみ理解可能な記号に還元できると考えたけど、それが不可能だと分かって崩壊したのは有名な話。

 それに反対するなら君が用いた以下の文のうち、
>>181
>それぞれ、いかなる具象物に対応するのか。具象物に対応しなければ、百人百様の
>概念で、言語として無意味。

「それぞれ」「いかなる」「具象物」「に」「対応する」「のか」「なければ」
「の」「概念」「で」「言語」「として」「無意味」以上は「それぞれ、いかなる具象物に対応するのか」一つ一つ列挙してもらおうかw
186神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 15:31:38.37 ID:PCq+df8s
>>183
そりゃ良かった、心がいいんだよ〜 きっと、随喜、随喜
187ハエとり壷:2013/01/21(月) 15:54:20.80 ID:toshBfCT
>>184
>「あるがまま」

「あるがまま」とは何か?
188神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:03:44.63 ID:QyRFoImE
>>185
いずれも具象物を指示・特定できるよ。助詞などは、話者と具象物との関係を特定する。

ヴィトゲンシュタインは、具象語と観念語とを混同したから、行き詰まったのでは
ないかな。彼には、言語とは、「『生存共同体の合意』に基づく記号に過ぎない」という
理解はあったのだろうか。彼の言うような「私の言葉」などないのであるw。
よって「私の言葉の限界が、世界の限界」という命題は誤り。人為的な言語が特定・指示
し得るのは、世界(認識)の一部に過ぎない。言語が付されていない対象でも、認識は
可能である。「誰も見たことの無い対象」を認識した場合は、どうなるのか。例えば、
顕微鏡による微生物の発見。
189神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:07:25.82 ID:PCq+df8s
>>188
>助詞などは、話者と具象物との関係を特定する。

関係は「いかなる具象物に対応するのか。具象物に対応しなければ、百人百様の
概念で、言語として無意味」じゃないのか?

こういう矛盾に全く無頓着だよな〜

まあ、分かりきったことだけど
190神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:09:23.37 ID:QyRFoImE
>>187
>「あるがまま」とは何か?

不特定多数の人間が(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚できる対象。

これを「現実」と呼び、人間は現実に100%依存しない限り、一瞬も生存できない。
生存できなければ、人間の如何なる営みも存在し得ない。
191神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:20:16.79 ID:QyRFoImE
>>189
生存共同体においては、話者と対象との関係を指示しなければ、共生は不可能
である。言語の多数の格変化や時制の変化も、このような「関係」を指示する
必要から生まれた、と、現在仮説している。たとえば、「君を殺す」と、「君
は殺す」とでは正反対。また、時制もそうだね。例えば、「ライオンがいる」
と「ライオンがいた」どでは、生命維持のための緊急度が違うw。
192神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:32:14.17 ID:PCq+df8s
>>191
その関係というのは具体的でなく抽象的なもんだから、
最初の主張である以下が全然成り立たないって、分かんない?

>>181
>それぞれ、いかなる具象物に対応するのか。具象物に対応しなければ、百人百様の
>概念で、言語として無意味。

分かんないなら、そうとう理解力が低いと自覚しないとな〜
分かっててコジツケてるなら、だからほとんど誰にも相手にされないと自覚しないとな〜

いずれにしろ、常識的に話せる相手というのは、こういう単純ないい誤りや誤認を認められる人なんですよ
193神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:37:46.90 ID:QyRFoImE
>>189
>こういう矛盾に全く無頓着だよな〜

「起源的」には、具象物の特定・指示から始まった。対象との関係は、最初は
身振り手振りで伝えたのだろうね。伝達手段は言語だけではないことを、
理解すること。
194神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:41:37.80 ID:QyRFoImE
>>192
赤ん坊が言語を習得する過程を観察すれば、自明だろう。最初は「物」だよね。
「悟り」や「無我」や「苦」や「涅槃」ではないw。
195Johannes:2013/01/21(月) 16:45:41.29 ID:2G5j5fsJ
>>153 カラス唄
>>初めに言があった。神は言われた。「光あれ」光は闇と識別された。
>>創造の第一日である。お前らの大好きな縁起の始まりだよ。

やそ頭全開 ニダ(笑  ヤハウェと一緒にカトリック教会で死んでいろ.

>>ま、真理から隔離されたアホ仏教徒にいくら教えてあげても聞く耳もたずだろうけど。

 ・・そう思うなら黙っていろ.
.
196ハエとり壷:2013/01/21(月) 16:48:26.26 ID:toshBfCT
>>190

『その引用では、ホンネでは世俗世間オンリーの御隠居と変わりがない。』(>>182)

ハエである『愚者隠居はこのようにこの行為を、“あるがままに”見ない』


問題は何も解決してないにかかわらず、問題はないと居直るしかないのだ。

眼を瞑るものに徹底現実(シュルレアル)の悟達はありえない。
197神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:49:27.57 ID:PCq+df8s
>>193-194
何がやりたいんだか、ほんとこの人は
198神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:57:47.69 ID:O0CPZj6J
>>162 宝珠さん
>ココはちょっと同意できません。
>諸行は最初から空なのです。到達すべき境地などではありません。

「同意できません」の後にくる文が、俺の考えていること同じなんだけど…w
仰る通り、諸行は空だから滅する性質のものだね。俺の言葉が「到達すべき境地」と言っているように聞こえたなら、
「本来元々、諸法の空、無我なることに気付いた境地」とでも解釈し直しておいてください。
大乗では、こういう本覚っぽい言い方の方が強調されるかもね。

>同じく現象界の法を示すものである筈なのに、何故、こうして区別しているのか?

だから、その前提がどっからきたんだと聞いてるんだよwww
いや、こっちは大智度論だしたんだから、そっちが
「"無為法を除く"すべての諸法は無我である」ってことが書いてある経か論を持ってきてくれよ〜。
あるいは、「涅槃は虚妄ならざる法、無為法であるため、この法は諸法には含まれない」とかね。
(一切皆苦の一切は有為であるってのは、同意するよ)
199神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 16:59:08.09 ID:B6bpBDb0
御隠居の方が正しいと思うぞ。
 
凡夫一代の負け。
 
いやーおもしろいやり取りありがとう。
200神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 17:07:03.93 ID:B6bpBDb0
凡夫一代がテキストテキストと騒いでいる理由が
 
何となくわかってきたよ(*^_^*)
201神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 17:20:26.04 ID:O0CPZj6J
>>173 ハエトリ壺さん

ヴィトゲンシュタインって倫理命題を否定した一方、事実に関する命題は写像可能で語り得るってしたよね
たぶん、仏教を参考にすると、その事実の命題ですら厳密には語り得ないと思うよ
詳しくは>>185にあると思うけど
202神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 17:33:16.63 ID:B6bpBDb0
>>183
>このスレくると議論の内容殆どわかんないんだけど安心するんだよな
 
どうでもいいことに熱中しているから安心するんだろうね
それとも凡夫一代のこれ? → >>186
203神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 17:41:30.15 ID:WTytXdzt
うーん。言葉がいいんだよね
出てくる単語が
あとあまり汚い言葉で罵りあってないし
みんな文章が上手だ
204神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 17:47:19.75 ID:B6bpBDb0
>>203
何を言うか。神経戦をやっているのだよ。
205遅レスにして上目w:2013/01/21(月) 17:47:21.08 ID:ieYcscH3
>>22
発熱はウィルス、菌への防衛反応であり、ほとんどの場合、抑えることは
有害であります。
頭を冷やし、体はあっためて寝ましょう。
構造を知ることは大事
206神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 17:50:56.12 ID:WTytXdzt
>>204
そうなの?
感情的にならずにみんなすごいよね
207前世は一在家:2013/01/21(月) 17:52:05.55 ID:DmSvrjR4
>>182 :ハエとり壷氏
>>177
>>賢者は縁起を見るものであり、行為(業)とその報いとを熟知している。
>
>Sn.653『 賢者はこのようにこの行為を、“あるがままに”見る。←意図的欠落
>    かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。』

『 かれら(賢者)は縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。』
の方の抜き出しで、意図的な省略ではないですよ。

賢者は、あるがままに行為(業)を見て、その報いを熟知している、ということで縁起を理解しているかと。

>ハエである『愚者はこのようにこの行為を、“あるがままに”見ない』

さて行為(業)とその報いとを相互依存性だと信じ込んでいる方は賢者ですか?愚者ですか?
壺は周囲を見ずにハエを取ることに一生懸命だったようですね。
208神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 18:11:09.48 ID:B6bpBDb0
気持ちはわかるが、ハエとり壺は言霊からして、いいコテだと思わない。
 
別のコテに改めたほうがいいでしょう。
209神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 18:24:45.31 ID:IKc86e9z
>>199
御隠居の方が正しいとかw

 たとえば「てにをは」の『が』は、【どんな《具象物》に対応している】んだ?

代わりに君が答えるかい?

>>194
赤ん坊は「てにをは」を、
【何を見て】、【どんな具象物を五感で知覚認識して】
習得するんだ?

Aはどういうことなの? と質問されて、
 Bはこうなっている!
いや、Bのことはわかりました。Aはどうなんですか?
 BだけでなくCにも問題がある!
いやいや、BやCでなく、Aについて答えてくださいよ。
 既に過去スレで答えている。また、BやCの案件の方が重要である!


で、最後の最後までAについて答えずに済ますんだもんなぁ・・(^^;
210前世は一在家:2013/01/21(月) 18:25:53.01 ID:DmSvrjR4
>>179 多分、オイラ氏
>記号は梵天や帝釈そのものでも梵天や帝釈そのものを指示するのではなく、
>アルハットやブッダ、如来を指しているのでしょう。

中村元氏の注では、「帝釈、(中略)恐らく「識者のうちで最も能力のある人」という意味も含めていたのだろう。
梵天や帝釈は当時インド人が最も崇敬していた神々である。」

>もし、梵天や帝釈そのものを指示しているなら、あまりに他の文と矛盾するでしょう。

スタニパータでは、輪廻する人/しない人のことを少なくとも十回は例示しておりますので、梵天や帝釈は輪廻するという主張には??と思った次第です。
八回の箇所:29(仏自身)82(バーラドヴァージャさん) 152 278(修行僧) 486 535 547(サビア長老)
569(セーラさん) 725 754 (以上、三章まで) 

バーラドヴァージャさん、サビア長老、セーラさんは輪廻しないと釈尊は保証しましたが、梵天や帝釈は輪廻するという主張には???
211神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 18:31:26.13 ID:IKc86e9z
宝珠も在家も、ヘンな所で字句通りにとるんだよなぁ・・w
で、重要な語句については、「誤伝なので、譬喩なので、誇張なのでetc.、解釈し直すべき」と。
212神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 18:32:31.13 ID:0UKvnCES
仏教全体が、後付理論をいろいろでっち上げた連中はおろか、仏陀ですら過ちがあってヘン、という可能性は考慮しないの?
213神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 18:33:10.48 ID:IKc86e9z
ああ、そうだ。
以前、長野の竈と鹿児島の灰の話をしたけど、
これも、二人にかかれば、長野県と鹿児島県の問題で、
他県のことは考慮に上らないんだろうな・・w
214前世は一在家:2013/01/21(月) 18:35:03.12 ID:DmSvrjR4
>>206
>感情的にならずにみんなすごいよね

私は異教ですが、仏教徒の皆さんは釈尊の教え「言い争うな」をよく守っているかと存じます。

尚、龍樹も「方便心論」にて論争しない方法を詳しく解説されておりますので。
(一例は「初同後異」の話法。)

勿論、慈悲と菩提心の実践を2chでも。。
215神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 18:40:23.01 ID:28081Ni+
宗教と科学のずれているところ

宇宙について地球について
☆昔は天に行くために山に登った

ヒト・生命・生きることについて
科学的に生きていることと死んでいない程度のことと
宗教的に「生きていると言って良い」ことの指す意味の違い

まだあるが言わない
216前世は一在家:2013/01/21(月) 18:48:42.79 ID:DmSvrjR4
>>211
>宝珠も在家も、ヘンな所で字句通りにとるんだよなぁ・・w

1 まず釈尊の教え(原始仏教の口伝)を字句通りにとります。
2 テキストがあれば、北伝と南伝とで比較(変更、削除、追加の有無確認)を行います。
3 次に説いた相手を調べて、四悉壇の何れであったのかを検討します。
4 同じようなレベルの相手に異なる悉壇ならば、誤伝か後世のでっち上げかと考えます。

まあ、仏教哲学者でないので、この程度の読み方です。
217前世は一在家:2013/01/21(月) 18:55:31.07 ID:DmSvrjR4
>>215
>宗教と科学のずれているところ

宗教は法(真理)を直感で悟り、科学は実験で積み上げてきた。

20世紀後半の科学者は電子顕微鏡で物質を見て、それらがほとんど真空(からっぽ)であることを確認した。
または望遠鏡で見た宇宙マクロと、電子顕微鏡で見たミクロとの類似性に驚愕した。

21世紀に入り、宗教と科学とは収斂していくかと存じます。
218前世は一在家:2013/01/21(月) 19:09:19.56 ID:DmSvrjR4
>>205
>発熱はウィルス、菌への防衛反応であり、ほとんどの場合、抑えることは有害であります。

55年ほど前に師がこのことを言った際には皆から大変バカにされたそうです。
防衛反応の発熱で、体に蓄積された食品添加物や薬物も汗や痰や便に交じって体外へ出ます。
遺伝子コピーの際の刺激物が減り、細胞が癌化(コピーミス)されにくくなります。

でも発熱で体力(生体エネルギー)を使いますので、体力の無い人は薬で抑えることも涵養かと存じます。
この辺は他称ご隠居がよくご存知かと。。
219前世は一在家:2013/01/21(月) 19:19:45.93 ID:DmSvrjR4
>>218
>遺伝子コピーの際の刺激物が減り、細胞が癌化(コピーミス)されにくくなります。

この文章は師からの教えではありません。
ヒトゲノムの本を読んでいた際の私自身の気付きです。

コンピュータでも大量にデータのコピーや書き換えを行う際に、ディスクにかすかな傷があったり、わずかな振動や、わずかな電圧の振れがあれば、一部コピーを失敗します。
このミスが原因で暴走すれば、システム全体を破壊しかねませんね。
220神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 19:21:57.62 ID:B6bpBDb0
>>209
「てにをは」が、具象的か抽象的かを答えればいいのか。
 
幼児でも「てにをは」が使えるのだから、具象物の関係も具象的なんだよ。
 
それとも君は、幼児が抽象思考をするとでも思っているの?
221神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 19:27:58.11 ID:IKc86e9z
   >具象物の関係も具象的

   >幼児でも >使えるのだから

頭沸いてるとしか思えんな・・・。


>幼児が抽象思考をするとでも思っているの
寧ろ、しないと思える神経を疑うわw

つか、抽象思考をできるようになるから、てにをはが使えるようになるんじゃねーの?w


これでも読んどけ。

つ「赤ちゃんには世界がどう見えるか」(草思社/ダフニ&チャールズ・マウラ著/吉田利子訳)
222神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 19:49:47.55 ID:qXjsenhL
天真爛漫な幼児を見ると悟っているように見える
彼にはいささかの迷いもない
全てが彼の意のままであり、それは周囲の力とも言える

しかし。。彼の性質とは縁起の力だけだろうか
天使の如き天真爛漫さは親からの遺伝だけで片付けられるだろうか
子供同士の差異とは偶然の産物のみで片付けられるものだろうか
私はそこに何らかの因縁めいたものを感じるのである
223神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 19:51:10.90 ID:B6bpBDb0
>>221
君は幼児が抽象思考すると思ってるのか。ふーん。
 
永遠とか神とか無常とか無我とかが幼児にわかるのか。アホと違う。
 
君とはこれ以上話したくないな。
 

 
224神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 19:55:40.91 ID:IKc86e9z
>>223


2億年ROMってから出直して来いよ。 ノシ
225神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:04:28.42 ID:B6bpBDb0
>>224 
幼児が愛だとか平和だとか考えていたら
気持ち悪いだろ
 
お前こそ2日でいいからROMってろ。ボケ
226神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:05:42.03 ID:PCq+df8s
>>206
してない、してない。

まあ、してる人もいるんでしょうけど

>>209
恐らく唯一の支持者 AAちゃんなんじゃないかと
彼女は何を言ってもしょうがないと思う

>>210
仏教において輪廻しないというのは解脱した、涅槃した、アルハット、ブッダになったという意味だよ〜

神々も輪廻するというのが通仏教的見方、あの箇所は相手に合わせた譬喩でしょう。間違いなく。
227神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:26:23.82 ID:qXjsenhL
食べ物は臭いとは思わない
むしろいい匂いである
しかし、うんこになれば臭い
これが因縁である
何かと何かの化合であり、
元々はいい匂いも臭いもない
しかし臭い以上は体にとって悪い因縁には違いない
私が感じた因縁とは、まさに縁起の法である。
228神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:28:29.15 ID:Gf0Zjv+R
納豆・チーズ・くさや「……」
229前世は一在家:2013/01/21(月) 20:36:28.61 ID:DmSvrjR4
>>222
>子供同士の差異とは偶然の産物のみで片付けられるものだろうか
>私はそこに何らかの因縁めいたものを感じるのである

再生度数もカルマも異なる意識が母胎に宿りますので、赤ちゃん同士の差異となります。
一卵性双生児でも意識、知能は異なります。

「因縁めいたものを感じる」のは当然で、釈尊の説かれた因果の法のままでしょう。
偶然はなく、報いには相応の行為(業)があることを、スッタニパータで記載済みでしょう
230神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:38:38.01 ID:qXjsenhL
>>228
想定内の反論であるが(私はドリアンを想定した)
言いたいことは因縁と縁起の法のみである。
まぁ良薬口に苦しともいうが、
確かに臭い苦いが悪いに直結するはずもない。
釈迦はうんこ食ったのだろうか?
231神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:43:46.75 ID:WTytXdzt
>>214
ありがとうございます
勉強になります
232神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:50:25.52 ID:qXjsenhL
仏教的には肉体も精神も意識も何もかにもが化合である。
これこそがまさに縁起であると言える。
真我的要素はどこにもないの発見でもある。
我とは縁起の産物であり即ち仏法とは良縁の探求でもある。
良縁とはうんこではないはずである。
233神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 20:53:16.54 ID:Gf0Zjv+R
ハエ・フンコロガシ「……」
234神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:00:10.07 ID:Y+wCBcdQ
乳児が2語文を使えるようになるのは、2歳の前半から。それでも「ママ イナイ」
などの単語の羅列。

すべては母親などの口真似から。自分で「言語」を作り出すことなど、絶対にない。

「言語模倣」(生後6ヶ月過ぎ)→「自分の名前に反応を示す」(10か月
ほど。つまり我を知る)→「有意語」(生後1−1歳半)→「2語文」(2歳
前半)→「3文節文」(3−4歳ころ)→「ほぼ正しい会話」(5歳)、という
順序で、言語が発達する。

しかし、生まれると直ぐからでも、誰からも教えられないのに、母親のオッパイに
しゃぶりつき生きようとする。生存本能は、人為的言語に先立つ。
235神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:03:52.61 ID:qXjsenhL
>>233
なるほどハエはうんこ食うだろう。
しかし人間がうんこ食うだろうか?
サザエ等のうんこ食ってるといえる…
ここにおいて食べ物に良縁、悪縁はないと言えるか?
毒は悪縁には違いない。
ある個人においてアレルギー物質は毒そのものだろう
236神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:06:12.97 ID:Gf0Zjv+R
美食は舌に毒だね
237神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:06:29.81 ID:Y+wCBcdQ
「ママ イナイ」という、半ば抽象観念が早期から可能なことは、「ある・ない」
の一義的区別が、「生存にとって不可欠」だからである。
238神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:12:41.53 ID:qXjsenhL
>>236
なるほど、一概にそうともいえないと思うが、
食べすぎが悪縁に違いなく栄養の偏りも悪縁に違いない
考えすぎは悪縁に違いなく考え方の偏りも悪縁かもしれない
239神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:12:49.38 ID:Y+wCBcdQ
大人になっても「ある・ない」の区別がまともにできないのが、
「宗教患者」であるw。
240神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:17:22.93 ID:Gf0Zjv+R
>>238
一度味わえば二度目が欲しい。
口に出来なきゃ心が渇いて仕方ない。
基本、麻薬と一緒だよ。
あれもこれも悪縁ですがな、2chもな。
241神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:22:19.30 ID:qXjsenhL
>>239
化合物としてあるのである。そして一切である以上何もかもである。
それは単に「ある」で何も問題ない。

ここにおいて涅槃(静寂)が一切に含まれるかどうかだが、
含まれるに決まっている。
あの世というものがなく、この世の循環しかない以上含まれる。
それは釈迦のぐーたら涅槃像もそれを示している。
242ノスタルジア:2013/01/21(月) 21:30:56.88 ID:F1iSTEKO
穢土ってのはねー辺際ってことなんだ。つまりスミッコ。私達はスミッコを
作り続けているんだ。
浄土ってのは辺際(=スミッコ)がないんだよ。どこでも真ん中なんだよ。
僕達はスミッコに人を追いやろうとするでしょう?邪魔者は排除したいからね。
でもそれじゃあだめなのさ。
浄土は本願のはたらく世界(=場)であるのだよ。しかし実体的に浄土を考えてはいけない。
信心発起にとらえればいいのだよ浄土を。

他力というは如来の本願力なり

って言葉あるんだけど、その本願力に目覚めることを信というんだ。
それが第十一願の必至滅度つまり入正定聚であり、苦しみの穢土に立ち続けることをいうのだよ。
それは念仏のサンガに生きる者になるということであり、釈迦の悟りと等しい者になるということだよ。
つまり易行難信ということ。

今日学校で習ったことだよ。分かるかな?分かってもらえれば嬉しいな。
243神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:42:38.56 ID:qXjsenhL
>>240
心の渇きは何故起こるだろうか?
誰かに怒られたからかもしれないし、
冬だから寒いのかもしれない、
あるいは腹が減ってるかもしれない。
あるいはその化合物の可能性も高い。

しかし、その渇きは菓子で満たされることもあり、
2chで満たされることもある。
満たされれば心の渇きがあると言えず、悪縁とも言えない。
しかし麻薬やその他一切は体や精神に害や毒が生じるほど摂取すれば、
やはり悪縁だろう。
244神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:46:12.35 ID:Gf0Zjv+R
>>243
満たされることが既に次には毒に転じるんだが。
幸せを遠ざけても苦しく、手にしても苦しくが基本だろう?
245神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:50:02.39 ID:qXjsenhL
>>244
菓子で満たされたぐらいで毒とはこれ如何に
246神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:53:33.66 ID:Gf0Zjv+R
>>245
いかもたこも、また食べたくなる煩悩につながるだろが。
一度快感を記憶してしまうとどうしてもな。
247神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:56:29.32 ID:qXjsenhL
>>246
人間は食べ続けないと生きては行けない。
食べ続けるぐらいで煩悩を感じていては、
苦が滅するはずもない。
そんなことは当たり前だと観ずれば苦は滅するのである。
248神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 21:58:28.25 ID:Gf0Zjv+R
>>247
>そんなことは当たり前だと観ずれば苦は滅するのである。
はいはい、出来てから言ってね。
249神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 22:04:13.60 ID:qXjsenhL
できたから言っているに他ならない
一切が当たり前である。
250神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 22:07:23.82 ID:Gf0Zjv+R
一切が当たり前なら、毒やら良縁・悪縁などと世迷言の一口両舌はいかんなぁ。
251神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 22:12:50.37 ID:qXjsenhL
>>250
じゃあ毒を口にするがいい。
毒を口にしないのはそれが当たり前であり世迷言でないからである。
252神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 22:14:04.50 ID:Gf0Zjv+R
まぁ、がんがれ。
253神も仏も名無しさん:2013/01/21(月) 22:18:55.35 ID:qXjsenhL
>>252
ぐーたら涅槃に生きるものは、がんばる必要性がなく
気が向いたらがんばるだけである。
254神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 00:15:29.52 ID:v8B6+5fv
アルジェリアで日本人7名の死亡が確認された。「異教徒は殺せ」と言っていた
という証言から、宗教が原因であることは明らか。

「開祖の盲信と五感で知覚できないものが実在する」という、すべての宗教に
共通する、赤子にも劣る狂気、倒錯が原因であり、その意味で宗教の連帯責任
であることを自覚すべきである。

イスラム教は、キリスト教の影響を大きく受けて発生した宗教であることも、
忘れてはならない。

しかしながら、上記の通り、すべての宗教は、「原理的」には、全く同一なの
である。「開祖と五感で知覚できない存在のために、人を殺す」ことに対する
歯止めは、一切存在しないのである。
255神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 01:13:13.54 ID:N9TrwFFQ
対立の問題点を「宗教」の一言に矮小化してしまう危険性を考えないところが隠居らしいよなw

そんなことだから、いつまで経っても
先進国と途上国、西欧と中東、西欧とアフリカの対立が解消されないんだよ。
(いや、寧ろ根本解決をしたくないから、宗教の問題としてるのかもな・・。そう、同和利権の如くに・・。)
256神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 02:00:02.49 ID:syni10b4
>>242
え?辺地ってなんなの?
257神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 02:58:01.70 ID:tDUd4caC
これがライトノベルの元祖「ブラックロッド」だ!
http://ecx.images-amazon.com/images/I/61u7FVgDBSL.jpg
装甲車、自走砲、機動明王、走輪自走菩薩など、200両に及ぶ戦闘車両。その中央には、装軌式の大蓮華座に結跏趺坐する巨大仏。
座高30メートル、本体重量2800トンを超える機甲折伏隊(ガンボーズ)の本尊、重機動如来〈毘盧遮那(ビルシャナ)〉。
『現行相解析終了、目標は希臘系百手巨人族、30秒後に欲界に出現!』
『金剛陣展開、迎撃用意!』
『―――金剛陣展開、迎撃用意!』

護摩壇が点火され、送風機の唸りと共に大量の白煙を吐き出した。発動機に連結された変速装置が作動し、
祈祷車の回転数をトップに乗せた。自走菩薩や倍力袈裟が背負った法輪型の光背ジェネレーターが回転し霊光と妙音を発し始めた。
『本尊機動準備よし!有線結集!三、二、一、三昧(サマディ)!』
巨大な礼盤に結跏趺坐を組み整列した500名の羅漢が、ヘッドギアを結線し、一斉に読経を開始した

『本尊開眼!』

〈毘盧遮那(ビルシャナ)〉の巨顔が、眠るように閉じていた眼を半眼に開いた。
同時に白豪――額の中央にある螺旋状の白毛から一条の光線が放たれ、中空を一閃、翼もつ魔物が一気に蒸発した。
 次いで、巨大な脚が趺坐を解き、蓮華座から降りた。千輻輪相――法輪を備えた足の裏が接地すると、
大地が鳴動し、地にある魔物が全て分解した
258てすと:2013/01/22(火) 05:31:07.19 ID:lq42fymI
>>255
宗教対立を頑なに無視する宗教界の方が危険性あると思うけど。
経済格差も原因の一つと吠える前に、一度ぐらい自浄してみろっつうの。
259神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 05:53:23.29 ID:LJpcxhin
寧ろ争うのが自然な状態、子供がやることとヤクザがやることと、未熟な政府がやることは余り変わらない

少なくとも仏教は争いは止めるように教えてきた

シャカ族殲滅、アショーカ王、カニシカ王、イスラム侵攻、
シナ、チベット、モンゴル、日本の戦乱も緩和した

チベットもシナに侵攻されて基本的にテロは行ってない。
これは明らかに仏教のおかげだろう

そうでない時もあるけど、それは日蓮宗のような偽仏教の場合が多い
260神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 06:44:56.11 ID:EFCr7Ino
>>255
言い訳無用。そのような「宗教のあくなき正当化」こそが、テロの原因。
チベット仏教や南方仏教も、例外ではない。

幾ら言い訳しても、前記「宗教の原理」は、聊かも変わらない。

すべての宗教を撲滅しない限り、理由無きテロは絶対に絶えることはない。
宗教は、その性質上、自己浄化、自己反省など不可能。開祖に対する批判は、
殺されてもできない病的心理状態に陥っているのだから。
261神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 07:16:57.66 ID:FXjBxZ4r
中国共産党も宗教みたいなもんだから一概に宗教オンリーでもない。
262神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 07:19:28.59 ID:pqcWshDu
   
ここには、自分や関係者の本をひたすら宣伝している、
 
凡夫一代という恥知らずな坊主がいる。本の宣伝が目的だから、
 
真剣に議論している参加者に悪影響を及ぼすこと甚だしい。
 
スレの私物化が許されるのかどうか、大いに疑問なのだが、
 
安心して話せない場所であることは確かである。
 
263前世は一在家:2013/01/22(火) 07:40:02.01 ID:mzLO9WC9
>>262

入中論、方便心論からの引用を度々しているのは私ですが。
その何倍も春秋社「長部経典」から引用しておりますし、他称セブン氏は片山著作を引用しております。

引用したら販促とは言いがかりではないでしょうか。>住人各位
264神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 07:44:38.24 ID:b8w6Ei0n
>>261
マルクス主義は、キリスト教に起源し、「現実には存在し得ない、共産主義
ユートピア(神の国)」という「観念信仰」の宗教の一種。一般に「擬似宗教」
と呼ばれる。宗教であるからこそ、良心の呵責なしの、あれほどの大虐殺が
可能になったのである。

マルクスはクリスチャンだし、スターリンは、グルジアの神学校を卒業した
聖職資格者。ポルポトも、キリスト教と南方仏教である。
265神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 07:47:28.75 ID:jlL/T5Hu
宗教を人身統一の為に使うのは手っ取り早い
でも宗教を無くしてもどうせ別の策略を持ち出してくるよ
266神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 07:58:13.84 ID:LJpcxhin
>>263
その人はほっとき、どうみても粘着中傷でしょ

別に中傷されても、どうってことないし
267ノスタルジア:2013/01/22(火) 09:51:33.07 ID:9LPFrfDS
>>256 化身土の巻と行の巻や信の巻や証の巻は違うよ!
だから、穢土と化身土はまた別物であるんだ。
俺もよく分からない。
習ってないし、自分で読み込めないし。まだ。
268神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 11:45:01.50 ID:W3hflyos
ll
269宝珠愚者@(規制代行):2013/01/22(火) 12:34:34.75 ID:3D6GBmlZ
>>174
>涅槃が一切の一部だとすると、一切皆苦の一つ、ということになってしまう。
>なので涅槃は一切ではなく、よって一切皆空の一つでもない、真我なのだ。
>というふうに解する必要はあるのかなあ。と、
>他の「矛盾する文言」も見た自分は思う。

結論から云えば、然り。

>神成(テオシス)の教えが

元々は、
人間に内在する神性(キリスト意識)を如何にして具現していくかがイエスの教えであったのですが、
自分がキリスト意識に目覚めていくという考え方は伝統教会によって不敬の烙印を押されました。
こうして、イエスの御心から遠く離れた教会が世界に氾濫していった。
270宝珠愚者@(規制代行):2013/01/22(火) 12:35:29.26 ID:uaDzEliu
>>216
>まあ、仏教哲学者でないので、この程度の読み方です。

いやー、
ホント大したものだと思います。
なかなか出来ることではありませんよ。

私などは自分の直感だけですから。
(それとも、お不動様にお伺いを立てるべき?)
271宝珠愚者@(規制代行):2013/01/22(火) 12:39:15.18 ID:uaDzEliu
>>226
>あの箇所は相手に合わせた譬喩でしょう。間違いなく。

そのようですね!

ただし、
梵(梵天)は輪廻を生じさせている側の力の根源であるが故に
始めから梵天が輪廻するも何もないと思います。
梵天勧請を始めとするバラモン教の神々が帰依したり、嘆願されたりというのは、
仏教信奉者側による外道を下位を置くための意図的な神格化でしょうね。
272前世は一在家:2013/01/22(火) 12:57:04.10 ID:AjWOM7CE
>>269 宝珠氏
>人間に内在する神性(キリスト意識)を如何にして具現していくかがイエスの教えであったのですが、
>自分がキリスト意識に目覚めていくという考え方は伝統教会によって不敬の烙印を押されました。
>こうして、イエスの御心から遠く離れた教会が世界に氾濫していった。

横レスで失礼します。
「人間に内在する神性」は、死海文書のエッセネ派宗規要覧、ナグハマディ文書のトマスの福音書、マリアの福音書にも明記されておりました。

ヨハネの福音書の「イエスのみ神の子」という教義を担いだ初期教父エイレナイオス、彼を崇拝した大司教アタナシウス。
大司教アタナシウスは復活祭書簡を発して現在の聖書以外のユダヤ教、キリスト教関連文献の焚書を命じて、今日に至っております。
第二次大戦後にこれらの幻の文献が次々に復活し、容易に読めますのも神仏の御経綸かと思料します。

(注)
上記の宗教史的考察は私見にて、所属するグループの見解ではございません。
文献研究者や屁理屈者は皆無に近く、メンバーは毎日正座して黙って手かざしに専念しておりますので。
273神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 13:07:58.57 ID:GaeSCBfs
>>234 >>237
御隠居が言うように、言葉は本来、具象物に基づいていると思う。
幼児は具象物の名称を単独で切り離された状態で理解しているのではなく、
具象物同士の関係を把握しながら理解しているのではないだろうか。
具象物の名称を単独で覚えていても意味がない。
 
具象物同士の関係を示す接続詞、助動詞、助詞などは、
幼児が抽象的思考をするから使えるのではなく、
具象物同士の関係を理解しながら言葉を覚えているからだろう。
274神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 13:23:04.72 ID:GaeSCBfs
>「それぞれ」「いかなる」「具象物」「に」「対応する」「のか」
>「なければ」 「の」「概念」「で」「言語」「として」「無意味」
>以上は「それぞれ、いかなる具象物に対応するのか」
>一つ一つ列挙してもらおうかw
  
これは凡夫一代の文章だが、病的な感じがする。>>185
 
この人、どうかしたのか。
275神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 14:03:37.55 ID:6NneS7A6
仮説にすぎない自己に執着するなといいながら
なんで仮設にすぎない世俗締を守らなければならないか?
仏教はなんと説明してるのでしょうか?
276神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 14:15:58.78 ID:VVnYrAm/
>>275
仮設の苦が生じるから

この場合の苦は三苦のうちの苦苦ね
277神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 14:18:32.75 ID:GaeSCBfs
御隠居の、言語は具象物に基づくべきだという主張は、
あいまいな仏教語に酔っている凡夫を覚醒させる一撃かもしれない。
 
たとえば「空」という言葉もそのひとつであり、これを自分たちの
周囲に探せば、これに該当するものは「無」でしかない。
しかしそう思えないなら、そう思えない思いが、
仏教語に洗脳されている思いということになるだろう。
 
仏教語の「空」なんか絶対にわかるはずがない。
なぜならそれは「無」そのものだから。
278神に恋した女:2013/01/22(火) 14:21:56.89 ID:9pgIts5x
マザー・テレサの場合

http://www.youtube.com/watch?v=F3eJxVAy9h0
279神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 14:27:16.58 ID:GaeSCBfs
>>275
勝義が「無」であると理解すれば、仮設という仏教語もなくなり、
あるのは世俗だけになる。こう理解するのが健全ですね。
280カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/22(火) 15:31:10.43 ID:kxo3/V0+
>>279
うまいな。まさに空理空論中論教患者のいう勝義とは
君の言う通り、”言葉で表現するなら” 無でしかないんだよ。
それをなんとか言葉で理屈をこねるから空虚な空理空論になる。
彼らの勝義は元々何にもないんだから、彼らの言うとおり彼らの主張は
元々何にもないわけだ。つまり聞くだけ無駄。
まさに空理空論中論教患者のいう勝義とは、”言葉で表現するなら” 無
そこだけを目指すなら滅びしかない。空理空論中論教患者はアホだから
自分達の空理空論中論教がいかに意味のないものかもわかってないと思うけど。
識別智の言葉は人を殺した。だが言葉による知恵だけが人を救う。
つまりロゴスだけが人を救うんだよ。仏教は真理から違う人々から隔離する
為にできたようなものだ。ゴータマはビシュヌの化身。
唯物末法空理空論中論教患者の主張は屁理屈だらけでもっもらしい事を
言ってるようだがが中身がまったくない、実に下らないものだ。
281神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 15:57:56.66 ID:Jbh+8/KV
空は無である、とかいう経典あったっけ?
282神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:02:18.72 ID:9pgIts5x
 ここはホ〜ントにヒドイ状態だなw

 ここにはカルトと外道と幼稚な未達者しかいない。

 ここには仏法を悟達した it も、
     可能性のある it も現在存在しない。

『勝義が「無」であると理解すれば、仮設という仏教語もなくなり、
 あるのは世俗だけになる。こう理解するのが健全ですね。』(>>279)

         ↑ もう、ハチャメチャw ↑
  アホ(>>280)らしくてコメントする気にもなれん。
 
283カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/22(火) 16:17:30.19 ID:cAK6Aut/
>>281
空とは本来、縁起=無自性=空。という意味だが、おまえらアホ仏教徒はいつのまにか中道=空という意味で使う間抜けもいるし、
空という言葉はごちゃごちゃになってんじゃん(苦笑)。
たく、中道の性質は自性だって。まるで正反対のことをごっちゃになって語ってる
アホ仏教徒をみろよ。智恵の欠片もない。因みに本来の意味の、縁起=無自性=空は
この現象世界の説明でしかなっていない。しかも君ら末法仏教の語る本来の意味での
縁起=無自性=空は、観られる側の空でしか語っていないので非常にレベルが低い。
284神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:28:29.05 ID:cAK6Aut/
末法仏教徒はよく上から目線でお前は違う、間違ってるとかいうが、
じゃあどこが間違ってるのかと彼らは決して自分の意見を言わない。こんなのも
誤魔化しなんだよ。特に禅系の坊主に多いんだけどさ。皆さん、
くれぐれも詐欺師共には騙されないように。
285神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:30:39.01 ID:PSf+2O6O
>>282
>ここには仏法を悟達した it も、可能性のある it も現在存在しない。

ハチャメチャなのは君のほう。上の文を具象語で置き換えてみよ。不可能だろ。
それこそハチャメチャ。itは代名詞だから、具象語に置き換えられるはず。
その具象語は何か?悟達に対応する具象語は何か?

すべて現実上(具象上)の意味不明な宗教語を使うのは、言語の冒涜。赤子にも
劣る狂人の独り言に過ぎないことを自覚せよ。赤子でも、「マンマ」「ワンワン」
などと具象語を使える。生存に無関係な、百人百様の意味が生じる、意味不明
な抽象語(宗教語)は使わない。
286神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:33:13.62 ID:9pgIts5x
>>283
>空とは本来、縁起=無自性=空。という意味だが

やっぱり、アホ(>>282)だw

何の意味もない。
意味という観念そのものがない。
287神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:41:03.36 ID:VVnYrAm/
>>283
縁起=無自性=空=中道

これは間違ってない
これを間違っているというのは『中論』24.18や『勝義空性経』『カーティヤーヤナへの教え』を間違ってるということになる。

ただ以下のように仮設を加えないと現象や言葉の意味は説明できないけど、
戯論寂滅への道なら上だけで充分だ。ただし正確に理解し修行しなければ無意味だけど

縁起=無自性=空=中道=仮設
288神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:42:17.04 ID:cAK6Aut/
>>286
アホはお前だろ。空という言葉はアホにかかればなんでもありだ。
世俗でまともに会話の成立しない中論教患者は立派な病気な。お前の能書きも一つの観念だってんだよ。
もちろん龍樹の中論もな。アホにいくら言っても無駄だろうけど。
289神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:42:16.55 ID:+U3Db/Q4
>>283要約
@>空とは、縁起=無自性=空。という意味
A>中道=空という意味で使う 者もいる
B>空という言葉はごちゃごちゃになって いる

C>中道の性質は自性 というのは >正反対のこと 。それを語っている者がいる

D>本来の意味の、縁起=無自性=空は、この現象世界の説明でしかない

Ea>末法仏教は >縁起=無自性=空 を、 >観られる側の空でしか語っていないので非常にレベルが低い。
Eb>本来の意味での縁起=無自性=空は、( >観られる側の空 なので )>非常にレベルが低い。

Bを受けた場合、@はごっちゃになってる? →本来の意味が、既にごっちゃになっている?
A縁起=無自性=空に、一項「中道」が加わったから、ごっちゃになった?
 (3項のみなら、ごっちゃではなかった?)
C語っている人はどこに?どのレス?
D『縁起=無自性=空』以外が“ある”(宝珠・カラス・在家の立場)
Ea/Eb どちらの意味? 語の関係性を明確にしてほしいところですw


 >本来の意味の、縁起=無自性=空は この現象世界の説明でしかなっていない。
 >しかも君ら末法仏教の語る本来の意味での縁起=無自性=空は、
 >観られる側の空でしか語っていないので非常にレベルが低い。

   「末法仏教の語る」縁起=無自性=空は
    観られる側の空なのでレベルが低い。
   「本来の意味での」縁起=無自性=空は
    観られる側の空なのでレベルが低い。
   「末法仏教の語る」「本来の意味での」縁起=無自性=空は
    観られる側の空なのでレベルが低い。
290神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:42:32.85 ID:9pgIts5x
>>285
>itは代名詞だから、具象語に置き換えられるはず。

上記のitは非人称表現だ。主体言語が不立状態だ。
したがって、具象語に監置不能。
“It rains.”のItと同じ。
291神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:47:34.72 ID:PSf+2O6O
>>283(カラスさん)

中論の「空」を、中村博士のように「相互依存性・関係性・相対性」と
解すれば、意味は一発で明快。

釈迦の「無」「業報」「輪廻転生」で洗脳された釈迦カルトたちが、
そのような解釈が絶対に出来ないのは、釈迦が吹っ飛ぶから。釈迦カルト
の石飛氏は、中論の空を、ありとあらゆる注釈書を漁って「因果関係」と
解している。そう解さないと、「釈迦の業報論」が崩壊するからだけに過
ぎない。

中論第一章は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を明白に否定して
いることを忘れてはならない。中論の空とは、似て非なるものだからで
ある。
292神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:50:35.94 ID:9pgIts5x
>>287
>『中論』24.18や『勝義空性経』『カーティヤーヤナへの教え』を間違ってるということになる。

間違っているということもないし、間違っていないという事もない。

これをきっかけに、象徴的に言えば 、It を直覚することだ。
293カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/22(火) 16:52:04.24 ID:cAK6Aut/
>>289
俺は縁起=無自性=空以外があるなんて言ってないぞ。
一元は他と縁起して成る。ま、今は出先だ。また時間のあるときにお邪魔しよう。
真理からもっとも遠いアホな末法仏教徒を馬鹿にするのは気分がいいからね。
294神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:58:06.86 ID:PSf+2O6O
>>290
>上記のitは非人称表現だ。主体言語が不立状態だ。
>したがって、具象語に監置不能。
>“It rains.”のItと同じ。

発生的には、あくまで「天候(weather)」「目に見える、現実としての自然の状態」
という「具象物」。The weather rainsでも意味は通じる。The weather is rainyと
すれば、より明白。
295神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 16:58:25.58 ID:VVnYrAm/
>>289
縁起=無自性=空=中道(=仮設)は現象、仮象、表象で、
実在としての神とかアートマンとか何らかの記号で示されるものがあるのに
それを見ない、分からないというような単純なことでしょう。

もちろん、そんなの間違いだけど。根拠は以下
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/31.html

でも、彼と話しても無駄だと思うよ
296神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:04:41.25 ID:9pgIts5x
 “It feels.”&“It doesn't feels.”
  これが『勝義空性経』さw
297神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:07:40.95 ID:VVnYrAm/
誤読してそれが正しいと強弁するだけ

それは独り言
298不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/22(火) 17:08:26.34 ID:WgP9BVOx
>>294 御隠居殿

閻魔大師の反論は中途半端でしたが、

仮主語のit

は中学生でも習う初等英語の常識で、結局は閻魔大師の元の主旨通りです。
299神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:15:11.74 ID:9pgIts5x
>>294
“It thinks=It doesn't thinks”

これも『勝義空性経』さw
300神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:18:58.39 ID:GaeSCBfs
議論が紛糾するのは、
悟りの道が一筋縄でないことに起因している。
 
どれも真理をかすめているけど完全な真理ではない。
だから議論になる。紛糾する。
 
縁起の考え方も必要だと思う。でもそれは道具にすぎない。
301神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:31:21.56 ID:mDX+ehtJ
テキストに基づかずに自分の読みたいように読んで、
それに同意できない人を罵って憂さ晴らしをするだけだからなぁ

議論自体も、相手の意図が分かってないのに反論してるものがほとんどでしょ
302神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:38:27.90 ID:PSf+2O6O
>>296
> “It feels.”&“It doesn't feels.”
> これが『勝義空性経』さw

Feelは、その文では動詞だから、「動作の主体」がなければ、文章も論理もハチャメチャ
である。動作の主体は何か。幽霊か?wItは「代名詞」だから、すべて具象物に置換できる
はずである。

人間の言語は、すべて、人間である「我」から発するものであることを忘れてはならない。
「無我」を説いたのも、「具象物」としての釈迦の「我」である。
303神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:44:45.85 ID:GaeSCBfs
神を認めるか、神を認めないかのどちらか。
 
どちらもあると思うが、わたしは神を認めない、から出発した。
 
この世は陰陽が渦巻いている太極図のように思えたよ。
 
仏教を知らないから、「空」ではなく「無」だとしか思わなかった。
 
でも「無」なら、周囲の役に立つことをしたいと思ったね。
 
こういう思いは、結局は思い上がりであり、やがて潰れる時が来る。
 
しかしその時、自分の非に気づき、潰れることを受けいれたよ。
 
そしたらその直後に、神に出会った。
304神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 17:53:32.10 ID:GaeSCBfs
釈迦は、空と慈悲の両方を説いている。
 
でも、神がいないと、神がいるとでは、正反対になるではないか。
 
だから説き方が難しい。そのために誤解され、
 
空こそが悟りだ、みたいな流れが出てきたのじゃないかと思う。
 
確かに、そう思い込む時期も必要なんだけどね。
305不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/22(火) 17:57:32.25 ID:WgP9BVOx
>>302 御隠居殿
> > “It feels.”&“It doesn't feels.”

> Feelは、その文では動詞だから、「動作の主体」がなければ、文章も論理もハチャメチャ
> である。動作の主体は

第2文型なので「動作」も何も……
306神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 18:04:37.32 ID:GaeSCBfs
御隠居の話を読んでいると、あとほんの少しだと思う。
 
悟りはすごいよ。般若の智慧だよ。
 
あまり勉強してないのに般若の智慧が得られる。これは本当。
307神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 18:09:56.72 ID:9pgIts5x
>>302
>Feelは、その文では動詞だから、「動作の主体」がなければ、文章も論理もハチャメチャ

 そーゆー<S+V+O+C>という既成概念に捉われて実在視いるからアカンのや。

 『論考』当時のウィトゲンシュタイン「写像」論から、あの厄介な独我論に突っ込むことになるが、
 これは隠居には無理。

 ウィトゲンシュタインの飛躍は、無分別直接智覚を掴むことで、非人称ゆえにItは無主体なのではなく、
 超一人称的な独我論の徹底→「我」は超強力で特異だからこそ消去され、
 無分別直接智覚は無主体的というカタチで、仏法と邂逅することになる。
308神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 18:18:59.72 ID:GaeSCBfs
凡夫一代を始め、みんな考えてることが逆なんだよ。
 
神は不幸や絶望の彼方に隠れている。
 
精神的に、自分から潰れることが悟りなんだよね。
309前世は一在家:2013/01/22(火) 18:20:55.89 ID:AjWOM7CE
>>302
>人間の言語は、すべて、人間である「我」から発するものであることを忘れてはならない。
>「無我」を説いたのも、「具象物」としての釈迦の「我」である。

我=意識←否定されない
我=常住不変の意識←仏教では否定される

「常住不変の意識は無い」を説いたのも、「具象物」としての釈迦の「意識」である。
↑ごく普通の文章でしょう。「我」という言葉が空性で意味が複数あるので混乱するだけかと。
310前世は一在家:2013/01/22(火) 18:24:20.88 ID:AjWOM7CE
>>300
>議論が紛糾するのは、
>悟りの道が一筋縄でないことに起因している。

別の理由としましては、空性の言葉の意味を各自が仮設していて、それが異なれば紛糾します。
311神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 18:29:38.76 ID:+U3Db/Q4
>>308


>みんな考えてることが逆

「paTisotagAmin」「anusotagAmin」って言葉知ってるか?
梵天勧請の際の躊躇の理由(の諸説)を知ってるか?

知識自慢を腐したいのはわかるが、適切な情報取得と分析なければ意味がない。
(今回のアルジェリア事件で、情報がイギリスや現地政府に完全依存だったことを思い出してみてもいいぞ。)



>>310
悔しいがw、巧いこと言うな・・ ><;
312神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 18:43:21.84 ID:+U3Db/Q4
anusota- [anu + sota, in -M as adv. or acc. to expln. under anu A a.]
in anusotaM (adv.) along the stream or current, down -- stream (opp. paTisotaM against the stream
  anusotagAmin
  "one who follows the stream", i. e. giving way to ones inclinations, following ones will
  (opp. paTi-); Sn. 319 (= sotaM anugacchanto Sn A 330); Pug 62.

http://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.0:1:1197.pali



paTisotaM (adv.) [paTi+sotaM, acc. of sota] against the stream (opp. anusotaM)
  paTisotagAmin
  going against the stream, toiling, doing hard work S i.136; A ii.6 (opp. anu-), 214 sq.

http://dsal.uchicago.edu/cgi-bin/philologic/getobject.pl?c.2:1:1358.pali
313ノスタルジア:2013/01/22(火) 19:36:25.11 ID:E8MrRrPk
真っ白い球形体から細ーい円柱がいくつも均等に出ているのが印象的でした。

それが真っ白な仏像の左右や木々の枝の隙間なんかにいくつも宙に浮いていました。

それは夢で見たことなのですが、その一種異様なまさに華咲くその映像を見たら

驚くことでしょう。これを私は蓮華蔵世界だと解釈しています。あの毘盧遮那仏の

浄土であるのです。なんかぶっ壊れているところもありました。というか全体がぶっ壊れてて

一部の残骸になるのをまぬがれたところの街路樹のある一本道をずーっと真っ直ぐ

行くという映像だったのです。簡素な真っ白なビルのようなものもいくらかあり、

木々の並びに、唐突にビルが違和感なく配置されていました。その真っ白な、

世界観を見て、私は何かいろいろと考えました。何より球形体の細い円柱突起の、

まぶしいばかりの光のようなその像には驚きと興奮を感じました。私は何を見たのだろう?

そして私の夢の記憶庫にそれがまだ平然と、ぶっ壊れはしているが、残されているのを

見ると、何かすごく重大なことを言われているようでならない。
314神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 19:56:09.53 ID:1FJEOLmT
「此れあれば彼あり」
ここは全然重要じゃない。
「此れ滅すれば彼滅す」
ここが重要なのである。
此れと彼の間に何があるかというと、
関係性、必要性に他ならない。
空という言葉があるから戯論が起こるのであり、
空という言葉がなけりゃ戯論は終わる。
必要性がなくなりゃ戯論は終わる。
いったい空という言葉の何が必要であろうか?
必要であるものを満たせばいいだけである。
315神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:02:07.94 ID:VVnYrAm/
>>301
まあ、そういう場だから

もともと隔離スレだし
316神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:04:50.60 ID:VVnYrAm/
>>310
話し合う時は、その意味のズレをすり合わせて、
相手の意味を確認してからやるもんですよ

ただ、それに乗らない人は独り言なんで話にならない
317神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:07:12.05 ID:VVnYrAm/
>>312
順逆とか、沿う逆らうとか言えばいいのに
318神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:13:42.03 ID:1FJEOLmT
釈迦は必要なく、仏教は必要なく、宗教は必要なく、慈悲は必要なく、
食い物は必要である。即ち、金も当然必要である。
319神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:44:41.30 ID:1FJEOLmT
必要である衣食住なら無常とはいえ事足りている。
安全も事足りている。
然るにこんなどうでもいい2chの空ごときで言い争いは起きるのである。
そこに必要性は皆無といえる。
何が必要であり、何が不足しているのか?
それはスルー力とも言える。その根本は力なのである。
そこに至っては肉体的力を必要とせず、精神的力を必要とするのみである。
精神的強靭性あるいは剛性。これこそが迷いを打ち消すものである。
320神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:51:40.05 ID:1FJEOLmT
然るに釈迦以前の者達は苦行を説いたのだ。
それは当然とも言える。
しかし、釈迦はバカだから徹底的にやりすぎて死にかけた。
そこで苦行のやりすぎを悟ったのである。独り相撲といえる。
321神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 20:56:08.63 ID:mDX+ehtJ
〜であるって流行りなのか?w
322神も仏も名無しさん:2013/01/22(火) 21:06:01.39 ID:1FJEOLmT
>>321
言い切ることは是であると誰かがつぶやく。
〜であるの発信源は縁起性空であろう。
俺も後から読んで呆れてしまうのが事実だ。
流行りでなく、そこにはスルー力が必要であろう。
323前世は一在家:2013/01/22(火) 22:36:31.67 ID:AjWOM7CE
>>319
>然るにこんなどうでもいい2chの空ごときで言い争いは起きるのである。
>そこに必要性は皆無といえる。
>何が必要であり、何が不足しているのか?

在家者の法(六波羅密)の中の忍(心を護る)とその本質の慈悲が不足するから言い争いが起きるかと存じます。
↑宝行王正論を参考にした私見です。
324前世は一在家:2013/01/22(火) 22:51:19.77 ID:AjWOM7CE
>>323
>在家者の法(六波羅蜜)の中の忍(心を護る)とその本質の慈悲が不足するから言い争いが起きるかと存じます。

我が子がおもらししても、平常心でおむつを替える母親に似た心境かと思料します。
325SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/22(火) 23:20:09.58 ID:6klT+HW0
>>141
世の一切の感受、すなわち人々(=衆生)が六識(眼耳鼻舌身意)によって感受するすべてのことは、つまるところ苦であるということを一切皆苦と言いならわす。

ここで、一切がつまるところ苦であるというのは、人々が楽であり喜びであると感受したことが、後にそれとまったく同じことを感受しても苦としか認知されないという意味ではない。

一切がつまるところ苦であるというのは、人々が楽であり喜びであると感受したことがそのままの形で、それそのものがその本当のところは苦に他ならないということである。
326SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/22(火) 23:22:17.60 ID:6klT+HW0
実に、錯綜した認知が苦の真実を歪め、人々が苦をそのまま苦であると正しく認識することは出来なくなっている。その不幸なありさまを知って、もろもろの如来はこの世はすべてが顛倒している(さかさまである)世界であると語るのである。

実のところ、人々にとって苦は苦として認知されることは無く、たとえ正しい認知を生じつつあったとしても結局は苦ではないものを苦であると誤認して認知する心の仕組みが出来上がっている。

そして、この誤認の仕組みこそが名称と形態(nama-rupa)の作用に他ならない。その結果、人々には迷妄と妄執とがつきまとうことになる。
327SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/22(火) 23:24:34.08 ID:6klT+HW0
人々が名称と形態(nama-rupa)とを心に有する限り、一切皆苦の真実を正しく認知しその仕組みを理解することは期待できない。たとえ、如来が説く「一切皆苦」という言葉を知っていたとしても、その真実を正しく認知し、理解することはできないであろう。

しかしながら、ここなる人が聡明であって、一切皆苦の真実を知ろうと熱望し、あり得べき正しい観を行なうならば、その観の完成に伴ってついには一切皆苦の真実を知ることができると期待され得る。

***
328神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 00:19:07.00 ID:va0YzfdV
>SRKブッダ

「苦楽」は名称でも形態でもない。何処の国の人でも、また言葉を知らない
赤子でも、苦しい時は苦しく、楽しい時は楽しい。

「一切皆苦」は、釈迦の鬱病の症状に過ぎないのだから、精神医学の対象。
健常者が猿真似する必要はない。
329神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 00:19:58.60 ID:A3Mm8Bve
プリのアタッチメントデッキ弱ぇ…
Divine Connectionとか出したってアタッチメントの手札ロス取り返せないっつーの
Lingering Essenceとかそう何個も壊したいアタッチメント無いっつーの
330神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 00:20:33.63 ID:A3Mm8Bve
誤爆!
331前世は一在家:2013/01/23(水) 00:21:21.26 ID:5Pnj4/QQ
>>327
>「一切皆苦」という言葉を知っていたとしても、その真実を正しく認知し、理解することはできないであろう。

阿弥陀如来(他の如来も)は現代も変わらず「我汝を救わずば正覚をとらじ」と祈られているそうです。

「苦」=如来から見た「救われ」に入っていない状態、と言葉の意味を仮設します。

人々が楽であり喜びであると感受したとしてもそれは長続きしないので「救われた」とは言えないでしょう。
よって「一切皆苦」とは「衆生はまだ救われていない」という意味かと思料します。

イエスであれば「迷える子羊達はまだ天国の門に入っていない」と説かれるかも。
332SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/23(水) 00:28:48.52 ID:UkF3ptC1
もろもろの如来は、作られざるもの(智慧)を見て、作られたものによって起こる一切にまつわる苦悩の本質とその終滅を知る。

人は、一切皆苦の真実を知ったときに解脱を生じる。(苦諦)それが法(ダルマ)である。しかしながら、人々(衆生)が一切皆苦の真実を識るのは容易ではない。それで、もろもろの如来は「一切皆苦」と説くのである。

***
333神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 00:37:35.25 ID:va0YzfdV
>>331
>「苦」=如来から見た「救われ」に入っていない状態、と言葉の意味を仮設します。

苦楽は、各人の主観的感情。如来などの他人には分らぬもの。「救う」など
「余計なお世話」「ありがた迷惑」。

人間は、己が「ひたむきに生きる」ことによってのみ救われる。

君らクリスチャンが、「羊」と呼ばれて喜んでいるのは理解不能。羊とは「蔑称」
であり、「迷った一匹の羊を見つける」のは、殺して肉を食うか、売り飛ばして
金にするためであることを理解すべし。
334神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 00:58:26.02 ID:o0mo5Oys
>>331
>阿弥陀如来(他の如来も)は現代も変わらず「我汝を救わずば正覚をとらじ」と祈られているそうです。

はぁ〜、如来さんは「正覚」はんとちゃいますって新説登場で〜すw
すぐそーゆー解ったふーなウソを尽く。

『華厳経』
『如来は此の宝獅子(ほうしし)の座に処(いま)して一切の法に於て最正覚(さいしょうがく)を成(じょう)じたまい、
 三世(さんぜ)の法の平等なることを了(さと)り、・・・其の身(しん)は遍(あまね)く一切の道場に坐したまいて、
 悉(ことごと)く一切衆生の所行(しょぎょう)を知る。』
                    (「世間浄眼品」より)

あんた、というよりここのハエは「一切皆苦」が掴めてへんから、ハエなんやで。
335神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 01:07:35.53 ID:o0mo5Oys
>>332(SRKWブッダ )
>人は、一切皆苦の真実を知ったときに解脱を生じる。(苦諦)それが法(ダルマ)である。
>しかしながら、人々(衆生)が一切皆苦の真実を識るのは容易ではない。それで、もろもろの如来は「一切皆苦」と説くのである。

にーちゃん、ホンマにそう掴んでんのなら、エーとこまで来てるで。

御参考に
436 :神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 19:01:45.87 ID:MiqyN0Bu

一切が苦なら、苦そのものが観念できない。一切が黒なら色の観念はない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて苦があり、黒がある。

一切が楽なら、楽そのものが観念できない。一切が白なら色の観念がない。
矛盾(苦⇔楽、黒⇔白)と分別と執着があって、はじめて楽があり、白がある。

その意味で、一切皆苦は逆説的な無分別の悟り=縁起の現観⇒涅槃寂静である。

これを煩悩即菩提(即煩悩即菩提)といふ。間接現実の様相である。
直接現実の如きにては非煩悩非菩提と示唆しうる。

このまったき悟達で本懐円満成就でっせ。おきばりやす。
336神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 01:10:59.15 ID:ZjudwC+S
大通智勝仏、十劫坐道場、仏法不現前、不得成仏道
337神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 01:23:59.65 ID:o0mo5Oys
>>332(SRKWブッダ )
>もろもろの如来は、作られざるもの(智慧)を見て、作られたものによって起こる一切にまつわる苦悩の本質とその終滅を知る。

このあたりが宝珠と同様なウダーナ8-3についての誤解?の怪しさがあるなあ。
『作られざるもの(智慧)を見て』??
危ういねえw

縁起撥無の超越論なら、またまた反仏法の心霊主義の登場やw
338不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/23(水) 01:25:10.53 ID:QbIOnYg0
>>335 閻魔大師

さて、SRKW師も大師同様、主として禅宗の背景をお持ちの方のようですが、私にはS師の一切皆苦に関する説明表現の方が「より適切なもの」に聞こえます。
339神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 01:43:03.74 ID:cEwul1tE
>>338
禅宗でも、「苦楽」という分別や、「一切皆苦」などという観念に捉われて
いるのかね。それでは、永遠に悟れないだろうw。

「苦」を「楽」で置き換えても同じこと。
340神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 01:43:58.56 ID:o0mo5Oys
>>338
「論考」以降、後期に於ける
『ウィトゲンシュタインの飛躍は、無分別直接智覚を掴むことで、非人称ゆえにItは無主体なのではなく、
 超一人称的な独我論の徹底→「我」は超強力で特異だからこそ消去され、
 無分別直接智覚は無主体的というカタチで、仏法と邂逅することになる。』(>>307)

「一切皆苦」は 「一切皆苦」ではない。「一切皆苦」と名づける。
341神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 01:50:35.04 ID:cEwul1tE
>>340
> 超一人称的な独我論の徹底→「我」は超強力で特異だからこそ消去され

最初から「無我」なら、それは不可能だね。やはり、釈迦の無我は誤り。
342SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/23(水) 02:02:24.34 ID:UkF3ptC1
この世には、大きく二つの人がいる。一人は覚りに至る人である。もう一人は、覚りに至らない人である。

その違いは、次のことである。

『真理を耳にして、それが真理であると正しく理解する人が、(因縁を生じて)ついに覚る』

***
343神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 02:04:30.94 ID:wwQQMULM
>>340

動作の主体が消去されるという点で、ウィトゲンシュタインは、ニーチェの影響を受けてるのかな?

作用の主体と作用が同一であるとして、作用の主体を消去し、仏教に接近した人としては、ニーチェが先輩だね。
344神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 02:06:13.93 ID:cEwul1tE
>>342
覚りとは何か。真理とは何か。具体的に定義せよ。
自分でも具体的意味の分らない言葉を濫りに使って、自己陶酔してはならない。
345SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/23(水) 02:14:19.26 ID:UkF3ptC1
>>344
自己陶酔することそれ自体は、覚りの道の障碍とはならない。問題は、真理を真理だと理解できるかどうかである。

何となれば、すべての如来は、真理を真理だと理解してついに覚りに達したからである。

***
346不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/23(水) 02:18:28.90 ID:QbIOnYg0
>>340 閻魔大師
>  超一人称的な独我論の徹底→「我」は超強力で特異だからこそ消去され、
>  無分別直接智覚は無主体的というカタチで、
>(>>307)

それだと梵我一如では?
347神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 02:23:10.83 ID:wwQQMULM
>>346
>それだと梵我一如では?

「梵」に相当するものを実体視することがなければ、梵我一如にはならないよね。

ウィトについてはよくしらないが、ニーチェは実体論ではない。おそらくウィトも同じだろう。
348風の旅人 ◆aOLjRoi1zs :2013/01/23(水) 02:32:46.43 ID:pTFp5a07
>>335
閻魔大王さん。
なるほどな、と思った。
『無分別』の悟りというものを。
で、良寛の次の言葉を連想した。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。」
つまり、災難や死といったものと《一体》になる時、つまり、それになり切る時、“恐怖”が消えていく。
そして、《不動心》みたいなものが生まれる。
そういうものが仏教の悟りではないかと。
349神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 02:43:05.27 ID:KA03c+3G
>>345
循環論法に過ぎない。
350神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 02:50:02.10 ID:KA03c+3G
>>347
>「梵」に相当するものを実体視することがなければ、梵我一如にはならないよね。

無理に、「釈迦の初歩的論理ミス」に近づけなくてもよいw。
351神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 07:39:25.67 ID:EaO4Zuol
>>340
どうみても妄想だな
352神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 08:43:36.03 ID:5XUHh8Yd
質問させてください。
この写真の人型のものはインドの神様らしいのですが、それが
なんという神様か分かりますか?仏教スレならインドの神様にも
明るい方がいるかと思いまして…
353神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 08:44:15.12 ID:5XUHh8Yd
すみません、写真はこちらですhttp://beebee2see.appspot.com/i/azuYpoPdBww.jpg
354神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 09:18:04.91 ID:EaO4Zuol
>>353
こう特徴ないとわかんないと思う

特徴は兜と本持ってることぐらいかな
355宝珠愚者@(規制代行):2013/01/23(水) 11:30:09.63 ID:zpe2Pq5V
1/3
>>198
>「"無為法を除く"すべての諸法は無我である」ってことが書いてある経か論を持ってきてくれよ〜。
>あるいは、「涅槃は虚妄ならざる法、無為法であるため、この法は諸法には含まれない」とかね。
>(一切皆苦の一切は有為であるってのは、同意するよ)

>>135>>269を認められているのであれば、
結論的には私と相違がないわけです。
ならば、もう話は早いでしょう。

 一般的に、「諸行」(一切行無常)は“有為”の物質的意味合いとして統一されているのですが、
「諸法」(一切法無我)の場合には、「“無為”も含めて無我である」という言い方がされてきました。
しかし、これが全くの間違いであり、本来の原始仏教にはなかったことなのでした。
 この一切(法)の中に涅槃(無為)も入れてしまったのは部派仏教(阿毘達磨)なのです。それで、
>>135>>269に見られるような論理矛盾が生じてしまうことになった。そのことを水野氏は述べてい
るわけです。
356宝珠愚者@(規制代行):2013/01/23(水) 11:30:47.72 ID:zpe2Pq5V
2/3
 『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関する
かぎり、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界などとし
た場合、それらはすべて時間と空間の中にあってわれわれに認識され得る現象界だけを意味し
た。(p112)
 われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一
切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)
 存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派仏教では
現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるように
なった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂せられ、原始仏教とは
違った性格のものとなった。(p143)
 さて説一切有部によれば法処(法境)の内容としては、(a)法処所摂としての無表色と、(b)心相
応法としての心所法と、(c)行蘊の中の心不相応法と、(d)五蘊に含まれていない無為法とを含む
とされた。(p144)
 部派仏教は「何があるか」という一切法(有為だけでなく無為をも含めた)を客観的に詳細に考察し、
原始仏教の態度と異なったものになった。(p151)
 原始経典には一般に三法印とか四法印とかの説はない。しかし五蘊などの諸法の無常・苦・無我
については無我相として随所に説かれ、これを有為の三相としている。パーリ仏教もこの説を受けて
いる。有為を脱することによって寂滅涅槃が得られるから、以上四つで四法印とされたものであろう。
(p155)』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
357宝珠愚者@(規制代行):2013/01/23(水) 11:31:19.47 ID:zpe2Pq5V
3/3
 「諸行」も「諸法」も、共に同じく物質現象界の有為(法)を意味することは間違いがなく、中には三
法印の無我にも「諸行無我」として使われている場合があることから見ても明らかです。
 ただ通常、「諸行」「諸法」で使い分けし、無常には諸行が、無我には諸法が付くのは恐らく、単に
(同じ食事でも)人間の食事の場合はエサとはいわない程度のものだろうと私は思います。
 >>163でも述べたように、諸行の「行」は、「物質の性質は無常である」ということで、私にはより濃
密物質的な意味合いが色濃い使い方のように思われます。使い分けされる理由についての明確な
根拠は分りません。

 【なお『増一阿含』系等にも、三法印は出る。パーリ AN.voI.TT,P.286; 南伝大蔵経、第17巻、
472頁はパーリ法句経と同じ。AN.voI.W,P.442; 南伝大蔵経、第20巻、214頁以下では、「一切行
無常、一切行苦、一切法無我、涅槃楽」の四法が説かれている。ただし漢訳『増一阿含』巻18、36
では、ともに「一切諸行無常、一切諸行苦、一切諸行無我、涅槃為永寂」となっており、 ここでは
「諸行」を無我と見ている。(p49)】
(『東洋思想5/平川 彰著「初期仏教の倫理」』東京大学出版会刊)
<ほぼ同じ内容の解説が、水野『要語』p154-155にも見られる>
358前世は一在家:2013/01/23(水) 11:36:49.10 ID:5Pnj4/QQ
>>334
>『如来は此の宝獅子(ほうしし)の座に処(いま)して一切の法に於て最正覚(さいしょうがく)を成(じょう)じたまい、
> 三世(さんぜ)の法の平等なることを了(さと)り、・・・其の身(しん)は遍(あまね)く一切の道場に坐したまいて、
> 悉(ことごと)く一切衆生の所行(しょぎょう)を知る。』

涅槃に入られた後も阿弥陀如来(宝蔵菩薩の頃)の本願「我汝を救わずば正覚をとらじ」と。。
それとも涅槃に入られたら、一切衆生の所行を知っても衆生済度(救い)をお忘れだと思いますか。
如来は輪廻は難しいかも知れませんが、意を介した菩薩や地蔵たちは活動中のようです.
↑根拠は祖父母の神秘体験にて。
359神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 11:52:25.72 ID:ZjudwC+S
>>348
それは「禅」。
「通仏教的に」どうか?或いは「涅槃の原点」としてどうか?
と言ったときには、若干のズレがあると思われる。


>>357
ミスLEAD

>共に同じく物質現象界の有為(法)を
どこの誰が、(お釈迦さんから水野・片山・中村・奈良等に至るまでw)、
 『物質現象界』 だなんて言ってんだ?
名色の名はどこへ行ったんだ?五蘊の後四蘊は何だ?根境識の識は何だ?

>諸行の「行」は、「物質の性質は無常である」ということで、
>濃密物質的な意味合いが色濃い使い方のように
心の動き、感情の波は行でない、と?因により縁により生じ来たったものではない、と?
それとも、御隠居説に鞍替えしたのか?
それらもまた(生理的反応という意味も含め)物質同士の関係性、物質(肉体)の状態変化だとでも言うかい?

水野さんのそうした説明を、貴方のように読んでるのは貴方だけだと思いますよ。
彼のお弟子さん達誰一人そのように読まないし、そのことを水野さんが「解ってない」と諫めたことも
おそらくないでしょう。
それくらい突飛な読みだということは自覚しておいてください。
360宝珠愚者@(規制代行):2013/01/23(水) 12:07:10.87 ID:j9IrQPnJ
>>271:訂正
 ×「外道を下位を置くための」
 ○「外道を下位に置くための」

----------------------------------
*誤解を起こし、混乱している人のために提示しておきます。

 『原始経典には一般に三法印とか四法印とかの説はない。しかし五蘊などの諸法の無常・苦・無我
については無我相として随所に説かれ、これを有為の三相としている。パーリ仏教もこの説を受けて
いる。有為を脱することによって寂滅涅槃が得られるから、以上四つで四法印とされたものであろう。
(p155)』(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)

----ポイント----
 無常・苦・無我の無我相→
   “これを有為の三相としている”
 “有為を脱することによって寂滅涅槃が得られる”
 (つまり、『ウダーナ8:3』にある通り、有為とは異なる無為があるからこそ、
 有為からの解脱がそれとして覚知されるということ)
361神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 12:14:39.40 ID:ZjudwC+S
8:1 (因縁略)。
『比丘たちよ、このような境地(Ayatana)があります(atthi)。
そこには、地(paThavI)もなく、水(Apo)もなく、火(tejo)もなく、風(vAyo)もなく、
空無辺処(AkAsAnaJcAyatana)もなく、識無辺処(viJJANaJcAyatana)もなく、
無所有処(AkiJcaJJAyatana)もなく、非想非非想処(nevasaNNAnAsJJAyatana)もなく、
この世(loka)もなく、あの世(paraloka)もなく、月・太陽(canima-suriya)の両者もありません。
比丘たちよ、私は、そこに来ること(Agati)も、行くこと(gati)も、止(とど)まること(Thiti)も、
没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))。
依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』



「ある」というのは、
「物質的に」ある、「空間的世界として」ある、ことに限定されるものではないでしょう?

愛や友情が、どこかに粒子として存在してるんですか?
優しさや厳しさが、どこかに世界として存在しますか?

なんでもかんでも『(物質的・空間的に)“存在”していなければならない』という強迫観念を、
一代は「(西洋的)実在主義」だと指摘するんじゃないですか?それは、反仏法である、と・・。
362神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 12:28:19.27 ID:EaO4Zuol
>>361
>なんでもかんでも『(物質的・空間的に)“存在”していなければならない』という強迫観念を、
>一代は「(西洋的)実在主義」だと指摘するんじゃないですか?それは、反仏法である、と・・。

それについてもルノーワール『仏教と西洋の出会い』は的確かと

 西洋人たちがどれほど神秘主義やオカルティズムに夢中になったとしても、
 手放そうとしないであろうものが二つある。
 「何らかの神的なもの」の存在と、個人の不死なる根源の存在である。[177頁]

これだけじゃなく仏教がどのように西洋に受け入れられ、その過程で神智学がどのように生まれたのかも明解なので、是非、宝珠さんには読んでいただきたい。

それ以外にもどのように仏教が誤解されやすいかを知る上でも、西洋の仏教研究史としてもとてもいい本だと思うよ〜
363SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/23(水) 12:37:02.55 ID:UkF3ptC1
>>361
これは法界(諸仏の住み処)のことである。釈尊はそれを述べるに先だって次の如く説いている。

21 不生なるものが有るからこそ、生じたものからの出離をつねに語るべきであろう。 作られざるもの(=無為)を観じるならば、作られたもの(=有為)から解脱する。

22 生じたもの、有ったもの、起こったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、老いと死との集積、虚妄なるもので壊れるもの、食物の原因から生じたもの、──それは喜ぶに足りない。

23 それの出離であって、思考の及ばない境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくるはたらきの静まった境地である。

***
364神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 13:05:58.96 ID:uy1sA/OY
>>363
その釈迦の初歩的誤りへのあくなき盲目的執着は醜悪で見苦しい。まず、その
執着を去れ。
365宝珠愚者@(規制代行):2013/01/23(水) 13:12:01.60 ID:j9IrQPnJ
1/2
>>359
水野氏が「現象界」といってるわけですよ。
これを分りやすくいえば、「物質現象界」ということになる。

>心の動き、感情の波は行でない、と?

我(自己意識)を示す言葉としては、「諸法」が使われているという意味であり、
濃密物質的な使い方としての「諸行」とは使い分けているのではないか?ということ。
その諸行の「行」というのは、広義的な意味としての“現象界(物質現象界)”を指します。
五蘊中の「行」とはイコールで解しないようがいいです。
水野氏も、諸行と五蘊中の「行」は別個に解説されていますよ。
(良かったら引用しますよ?)
366宝珠愚者@(規制代行):2013/01/23(水) 13:13:51.60 ID:j9IrQPnJ
2/2
>因により縁により生じ来たったものではない、と?

ん?
物質現象界のあらゆるすべてが縁起で生じています。
濃密物質であれ、原子や素粒子であれです。
どうされましたか??

>それとも、御隠居説に鞍替えしたのか?

ご安心下さい!
仏教が説く現象界(物質現象界)には、元々、人間の心理作用も含めていますから。
更に云えば、物質科学が未確認の領域にも及び、縁起が作用しているものと説きます。
(『Sn.754-755』に明確!)

>>361
それは失礼。
人間の精神活動や感情を度外視した話のつもりではありません。
それらもこの物質現象界で営まれているという意味ですから。
367神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 13:17:20.52 ID:o0mo5Oys
 このあたりのオカルト心霊主義者の妄想はすべて論破済み

  蒸し返すな
368神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 14:00:12.24 ID:ZjudwC+S
>>365
wwwwwwwwwwww

笑わせてくれるw

>これを分りやすくいえば、「物質現象界」ということになる。
↑これが、隠居や在家同様の捏造でなくて何さw

>五蘊中の「行」とはイコールで解しないようがいいです
あったりめーだろw
つーか、イコールだろうがワコールだろうが、ポイントはそこじゃない。

いいか?

 「行」は、作られたもの(→所縁によって顕現したもの)を指すのであって、
 物質的な事象中心じゃないの。
 寧ろ、心的在り様に焦点を当ててこそ仏教なんだよ。

根本からズレているということだ。
369ノスタルジア:2013/01/23(水) 14:05:08.74 ID:I+whsVoD
同じ文章で、熟語や四字熟語や動詞や名詞などを併用する人がいるが、その
未熟さに、呆れることにしたい。同じ言葉の真意は違わない。

必至滅度つまり入正定聚は【現在!】に、そして【現地点!】で起きうる、
等正覚というお釈迦様の悟りと同等のものである。

阿弥陀仏による回向(=男の子と女の子が一方通行の道を犬を追いかけて行った。
それを救えるか?、出来るならこれである)されている信心を受容することにより、
それが成し得るのである。

称名念仏によって、その生き様が、顕れ来ると私は思っている。
つまりのところ、苦悩の穢土に立ち続けることこそがそうなのである。
そこにあるのは断絶ではなく、人格である。

≪その後の世界の軌跡≫
完成者は自分を考えるべきであり、その過程によってなぜ分裂が起きるのだろう?
例えば、白色華厳であり、ギリシャ(=キリスト)であり・・・etc
↑人々は無数に建造、向上していくのです。
370ノスタルジア:2013/01/23(水) 14:33:39.99 ID:I+whsVoD
◆アミターバに親近するということは、南無阿弥陀仏ということである。

なぜ名号というものさえ、忘れるのかというと、それほど意識が興味があるものが
あるからである。僕は意の識は仏陀であると決定付けてみたことが、固定化したことがある。
よく固定化は良くないものだといいますが、それは甚だ可笑しい。
固定化という言の葉のどこに否定が含まれているのだろう?
執着しているからそう考慮するのではないだろうか?
五根だけでみんなは生き続けてて、六根ではないのだ。
自分がそうでないなら誰か中に居るものがそうなのである。
ここで敵対心や敵意が出てくる。話は側面に至ることが多いのですが、
ちゃんと四角錐の底面は残してあるのです。

◆つまり、諸仏はアミターユスではないのである。生死の苦はないが・・・。
371神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 15:08:45.80 ID:VvKMi7dg
>>348
 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬが
 よく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。
 
良寛の文章には、何とかしなければ、という気負いや焦りを
和らげてくれる効果がある。不幸な時にジタバタすると、しばしば
事態をいっそう悪化させてしまうものだ。良寛はこういった
経験を踏まえ、運命のウネリのようなものを、
友人に思い出させようとしている ・・・ のではないか。
372ノスタルジア:2013/01/23(水) 15:12:37.37 ID:I+whsVoD
一つのレスや文章で、同じ言葉を二度も使うことは愚かなことである。
自己主張が度を過ぎている、あかし、である。そんなに言われると迷惑である。

言の葉を変えて言うべきである。それが高みへの階段ではないのか?

まあ、それはいいとして、「◆」で書いた二点についてちょっと話させてもらおう。
諸仏の王が阿弥陀仏なのでありまして、それはどういう事かと伺いますと、
未だ、アミターユスに至ってない神仏のことを真に不死に至っていない者と提示いたします。
アミターバは十二に分裂して考えることが出来るのでありまして、十二光で検索すれば、
分かることでしょう。その光仏に親近する経緯が、369の二段落と三段落と四段落に
書いたことであります。そのブッダに帰命することで寿命無量になるのであります。
釈迦如来は説法で阿弥陀仏如来を、私達に教えてくださいましたが、私達は
仏や如来になることを目指していて、目覚めること開眼することを、前置きに
していません。それがごっちゃになっていて、何もかもアヤフヤで済ませています。
アヤフヤを暴きたい。自分の枠から一歩も外に出ない自称者には絶対ならないようにしましょう。
それが正しいか不正であるかということではなく、それ以前に君達は魔界(=地獄)
の下の人間界にいて彼らの配下にいるでしょう?って話なんです。ここは迷界であって
横超し解脱しないといけないのです。一語々々の真意は、迷妄に左右されない!
373神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 15:17:13.00 ID:VvKMi7dg
仏教徒には → ハエトリ壺を
 
キリスト教徒、イスラム教徒には → 麻薬を
374神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 17:47:22.80 ID:VvKMi7dg
プレゼントしましょう
375神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 17:50:52.12 ID:CaCsM8aV
不要です
376神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 18:02:58.90 ID:VvKMi7dg
それじゃ、強制する! 
 
ハエトリ壺を強制着用、極楽に行け
 
麻薬マリファナを強制吸引、天国に行け
377神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 18:08:29.42 ID:98eCT9k2
ばかだなどんなに足掻いたところで
皆極楽に行くのだ
378前世は一在家:2013/01/23(水) 18:24:06.91 ID:5Pnj4/QQ
>>372 ノスタルジア氏
>釈迦如来は説法で阿弥陀仏如来を、私達に教えてくださいましたが、

原始仏典の長部経典の「大本経」では、過去7仏のことを釈尊は説かれました。
過去7仏の何れが、阿弥陀如来(西方)、大日如来(中央)、薬師如来(東方)かは分かりませんが、如来も複数おられそうです。

上座部と大乗のテキストによればそうなりますが、空想だとか創作だとか揶揄される自称仏教徒も増えて来ているかと存じます。

尚、シナイ山で正視できないほど眩しい光の中からの声をモーゼは聞いたそうです。
時代と国が変われば大日如来とか天照大神とかの名称が付いても不思議ではないと思料します。
379前世は一在家:2013/01/23(水) 18:31:52.19 ID:5Pnj4/QQ
>>377
>皆極楽に行くのだ

そうですね。
スッタニパータの第三「大いなる章」の「10.コーカーリヤ」を読めば皆の往き先が分かり易いです。
380神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 18:37:59.23 ID:VvKMi7dg
 
ハエトリ壺の水底にまたひとつ、水死体が増える
 
そこは極楽じゃないのに(TT)
  
381神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 18:40:08.52 ID:tAMu7lEs
ぼくらは半分の人が死ぬ時代を生きた人の末裔だから運もあるんでしょきっと
382神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 18:43:08.85 ID:tAMu7lEs
キリストさんが冷静に自己分析してたけど
いまわの際に思い出すのは生前に持っていたイメージらしい

http://img02.shop-pro.jp/PA01006/590/product/8371755_mb.jpg

知らない人は当然浮かばない
383神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 19:12:06.50 ID:6urZeZPC
苦の最も近いニュアンスが苦行じゃないか?
だから一切皆苦はどうも怪しい気がする。
だとすれば涅槃というのは苦行からの解放のニュアンスが強い気がする。
前提にあるのは苦行であり、ある程度の(どこまでかは疑問だが)
耐久性の後に現れるものじゃなかろうか?
個人的にはベストを尽くすぐらいの程度だと思うのだが。
384神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 19:29:52.76 ID:6urZeZPC
まぁ結局言いたいのは胆力であり、
絶対に欠かすことのできない要素と捉える。
385前世は一在家:2013/01/23(水) 22:18:27.77 ID:5Pnj4/QQ
>>379
>スッタニパータの第三「大いなる章」の「10.コーカーリヤ」を読めば皆の往き先が分かり易いです。

修行僧コーカーリヤは釈尊に舎利仏と目連の悪口(陰口)を三回言いました。
まもなく彼は全身に腫れものができて(癌かも)苦しみながら死去し紅蓮地獄に生まれました。

立派な聖者をそしる人、嘘をつく人は地獄へ落ちるとの釈尊の説法が続きました。
貪欲にふけり口汚く言葉で他人をそしる者は地獄に落ちるとのこと。。2chとはいえお互いに気を付けましょう。
386ノスタルジア:2013/01/23(水) 22:48:11.49 ID:I+whsVoD
無我説や空論にとらわれてても、一向に良くならないのはなぜでしょうか?
我否定、実体否定によって、釈迦一龍樹の系譜に、皆さん、もてあそばれていませんか?
それらは彼の、神存在、浄土教、有、霊魂などの否定に他なりません。
否定即否定の境地は恐ろしいものがあります。

【ニルヴァーナに至る方法論は無数にあるが、それらは人は認識が出来る】

肯定即肯定の位階に変更しませんか?なぜ仏陀と名乗る人がいても、悟る人はいないのだろう?
ここまで考えれば、私は自称覚者に、手柄を横取りされることもありません。
自分が菩提を得た時に・・・。

肯定者が否定者に打ち勝つ必要はありません。肯定者はただ言語を紡ぎ出せばいいだけですから。

像末法滅同悲引

一生造悪値弘誓

至安養界証妙果
387神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 22:57:59.12 ID:CaCsM8aV
ここに集う人々は皆、極楽へ行きます
無駄な抵抗はやめて、素直に極楽へ行きなさい
388神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 23:13:38.42 ID:6urZeZPC
>>385
そんな迷妄に騙されるようじゃどうしようもねえな
釈迦自身は食中毒で苦しみの果てに死んだ
単に自業自得という意味に過ぎない
389前世は一在家:2013/01/23(水) 23:47:49.59 ID:5Pnj4/QQ
>>388
>釈迦自身は食中毒で苦しみの果てに死んだ

IF 釈迦が苦しみの果てに死んだ
THEN 目撃した弟子達は布教を行う意欲を失う


仏教の核心、仏教の最大の特徴はどこにあるかと尋ねられたならば、
私は、教祖みずからが老いに直面し、なおかつ、これをそのまま受け入れ、
そしてこれを楽しみ、静かに一生を終えた、という点にあると考えます。
(参照:「仏教のこころ」中村元)
390神も仏も名無しさん:2013/01/23(水) 23:52:54.72 ID:EaO4Zuol
>>389
>仏教の核心、仏教の最大の特徴はどこにあるかと尋ねられたならば、
>私は、教祖みずからが老いに直面し、なおかつ、これをそのまま受け入れ、
>そしてこれを楽しみ、静かに一生を終えた、という点にあると考えます。

いや、縁起でしょ
391神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 00:40:10.84 ID:8NpI+5LE
>>390
釈迦の縁起と中論のそれとは、むしろ正反対なのだが、どちらの縁起なのか?

釈迦の縁起は、単なる一方向的因果関係。忌むべき業報論の論理に過ぎない。
空などどこにも成立しない。「世界を空と『観ぜよ』」。まんま、世界の実在を
前提としている。

日本の大乗仏教は、中論の縁起による。釈迦の縁起ではない。
392神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 00:50:43.49 ID:Y9ceVfU+
>>355 〜 >>357 宝珠さん
>>135>>269を認められているのであれば、
>結論的には私と相違がないわけです。ならば、もう話は早いでしょう。
ってやっぱり思わせちゃってるよね〜…。
本当に、宝珠さんとほとんど同じことを言ってるけど、わずか後1歩が違うんだ。

>仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが
ここだ、有為法は存在するものを指すけど、無為法(涅槃)は存在としてあるのではないから、指されるものではない。
いや、もちろん、仮には「ある」と説かれるのだけれど、それは掴まれるものじゃない。

>仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる
そうだね、この現象界、有為をすべて無我だと知り、空じた境地が無為なる涅槃。

>部派仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中に加えるようになった
一切法や諸法に無為法が含まれる、という点で部派に同意だけど、それを「存在」としてしまってる点では部派に同意できない。

>五蘊などの諸法の無常・苦・無我については無我相として随所に説かれ、これを有為の三相としている
「五蘊などの」という部分に注目!五蘊はすべて有為だよね、有為なら当然、無常・苦・無我だね。

>中には三法印の無我にも「諸行無我」として使われている場合があることから見ても明らかです。
>ともに「一切諸行無常、一切諸行苦、一切諸行無我、涅槃為永寂」となっており「諸行」を無我と見ている

そりゃそうだ、諸行が有為っていうのは俺も認めてるよ〜。
393神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 01:06:12.97 ID:Y9ceVfU+
>>355 〜 >>357 宝珠さん
もう1つ大智度論から引用するよ。

★問い、何故、但だ『作法(諸行)』のみが『無常』であり、『一切法』は、『無我』なのか?
答え、『不作法(諸行ならざるもの、無為法)』は、『無因』、『無縁』である!が故に、
『不生』『不滅』である!『不生』『不滅』である!が故に、『無常』といわない!のである。
復た次ぎに、『不作法』中には、『心』が生じて、『顛倒』に、『著する!』ことがない。
是の故に、是れは、『無常』である!とは説かないが、『無我』である!となら説けるのである。★

ってことで、諸行は有為、一切皆苦の一切も有為だけど、諸法は有為も無為も両方意味すると思うよ。
あとは、宝珠さんが龍樹を支持するか、水野さんを支持するかって話になるけど、
俺は龍樹の権威を抜きにしても、つまり、理屈だけで考えても龍樹の言ってることの方が厳密だと思うよ。
394神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 01:14:53.31 ID:hEeg/aPi
あらゆることは我が作り出して見ている影のようなものですので、
その中に我はいないだろう
我によって作ったり消したりできるので、常ではないだろう
395Johannes:2013/01/24(木) 01:16:19.72 ID:NuxlY46M
>>391
>>釈迦の縁起と中論、むしろ正反対なのだが、どちらの縁起なのか?
・・それはそもそも誤った認識である.

>>釈迦の縁起は、単なる一方向的因果関係。忌むべき業報論の論理に過ぎない。
・・「>>〜過ぎない。」・・誤りである.

>>空などどこにも成立しない。 ・・間違い.必然的に成立する.

>>日本の大乗仏教は、中論の縁起による。釈迦の縁起ではない。 ・・誤った結論である.
396神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 01:52:50.11 ID:8NpI+5LE
>>395
君が、カルト教祖釈迦に洗脳されているだけの話w。

竜樹は、その稀有の知性(批判力)によって、釈迦の洗脳を離脱した。
397Johannes:2013/01/24(木) 02:38:54.77 ID:NuxlY46M
>>396
隠居の独断なと屁の突っ張りにもならぬわ.

元精神科医だけあって.香山リカと似て居るなw
宗教分野で隠居が診断を下すような真似は愚かと言う他無し.

ド素人の分際で断定すること自体が.俺には精神を病んでいる者に思える.
398SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/24(木) 02:52:23.82 ID:eDG39T8E
もし人が、他人の過ちを見聞きすることによって覚りの境地に至り得るのであるならばそうするがよいであろう。しかしながら、人は、他人の過失ではなく自らの行為を省察してその過ち(勘違い)に気づいたとき、やすらぎに至る確かな道を見い出すのである。

やすらぎを求める人は、他の人の過失を見聞きしてもそれによって自ら重ねて過失を犯してはならない。

***
399前世は一在家:2013/01/24(木) 04:40:59.78 ID:eNiQ/nYQ
>>395
>>日本の大乗仏教は、中論の縁起による。釈迦の縁起ではない。 ・・誤った結論である.

同感です。
中論の冒頭で龍樹は「〜という縁起の理を仏は説いた」と言い、「私には主張は存在しない」とも。

上記のどこに釈迦の縁起への批判があるのでしょうか。
400神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 06:50:12.57 ID:tWdCWUJc
>>391
一緒だよ

というか、中論の縁起こそが釈尊の縁起そのもの

生命教だよね、君は何も分かってないというか、分かろうとしない
401神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:01:45.63 ID:x094V7VF
無我であるということは自己というものは縁起物である。
差はどこにもない。
402前世は一在家:2013/01/24(木) 07:02:58.82 ID:eNiQ/nYQ
また私が使用する際の「言葉」の意味を明示しておきます。

無我や非我の場合の「我」=アートマン、常住不変の意識←仏教は認めない
自己を燈明とせよの場合の「我」=意識、行為の依り所。カルマを蓄積し輪廻する。←仏教も認める
403神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:09:32.51 ID:x094V7VF
カルマは仏教ではない
釈迦は意志が業であるとしたのみ
404神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:13:02.37 ID:x094V7VF
意志の縁起性は誰もが認める所である
しょーがないから釈迦でさえ、その点は認めちまった
405神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:25:19.89 ID:tWdCWUJc
>>402
>自己を燈明とせよの場合の「我」=意識、行為の依り所。カルマを蓄積し輪廻する。←仏教も認める

この「我」は仮設です。世間の言い習わし、世間で流通している見方、言い方です。

その世間で流通しているから仮に方便として認めるだけのことです。

それと灯明でなく「洲」ですね。灯明が暗示されることはあっても、主たる意味は洲です。
406前世は一在家:2013/01/24(木) 07:30:52.23 ID:eNiQ/nYQ
>>403
>カルマは仏教ではない

「カルマ」=業、行為。今の自分が未来の自分を決定する。自己責任。

むしろ仏教の特徴かと思います。
407神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:32:22.60 ID:KWnhUXha
カルマはヒンズー教だろ
408神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 07:50:01.88 ID:tWdCWUJc
仏教はカルマだよ。釈尊自身が業論者とも言っておられる。
409神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:19:43.15 ID:cfqUIjfS
>>400
>中論の縁起こそが釈尊の縁起そのもの

中論第一章で、釈迦の縁起(これあれば、あれあり)を明確に否定している。
釈迦の因果関係は、実在論だからである。
「世界を空と『観ぜよ』」も「世界の実在」を前提とする。最初から空なのなら、
わざわざ「空と観じる」必要はない。完全な矛盾。
中論では、「無」という概念を認めない。「非有非無」、即ち「関係性」である。
中論の帰敬序は、すべて竜樹の思想。釈迦の言は一言も無い。「釈迦は何の
教えも説かなかった」。

>>402
>無我や非我の場合の「我」=アートマン、常住不変の意識←仏教は認めない

無我を説いたのは、釈迦の我。非我は、まんま、我を前提とする。
カルマは実在なのか。輪廻転生は実在なのか。涅槃は実在なのか。
釈迦に対するあくなき執着は、信者の我である
釈迦が「己の我を以って無我を説いた」のは、小学生にでも分る、釈迦の滑稽な初歩的
論理矛盾、単なる「勘違い」である。
非信者である欧米の学者は、「釈迦と中論とは、全くの別物」と解釈している。
池田晶子も、中村博士の「龍樹」について、「学問の仕事は、あくまでも、
体験を論理によって普遍化することである。体験をもって絶対化しがちな
宗教だけでは、我々はあまりにも危うい。こういう人(中村博士)が、時に
人類に現われることの必要と不思議とを、私は思う」と述べている(「中村
元(生誕100年)河出書房新社2012年9月30日新装新版初版発行、定価¥1600)。
410神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:20:25.03 ID:x094V7VF
>>406
お前は業の所物だ
釈迦の業は縁起性
411神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:28:25.86 ID:tWdCWUJc
>>409
そりゃ、生命教得意の誤読上等術でしょ

誤読だと指摘されても、平然と強弁してるだけ

テキストの基いていないことを指摘されると、解釈論に逃げる

だったら、最初からオレチャンの妄想では、こうだって言えばいいだけ

君が、半端にテキストや辞書使ってるのは、単にカモフラージュなんだろうけど、
もはや、このスレでは一人を除いて誰もそのカモフラージュに欺かれないし、
その一人は、テキストや辞書を使わなくても賛同してくれるだろう

なんで、無駄にテキストや辞書使うのか?

要するに自分自身を欺きたいだけか、直視できず
412神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:33:14.72 ID:cfqUIjfS
>>406
>「カルマ」=業、行為。今の自分が未来の自分を決定する。自己責任。

人間は、人生において多くの善悪の行為をなす。そのうちの一体どの行為が
「未来の自分」を決定するのか。それに答えられない時点で、「輪廻転生論」は
完全に崩壊。
413神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:40:46.36 ID:cfqUIjfS
>>411

中村博士も、基本としてはテキストを重視しているが、テキストだけで、それを
上回る思考の出来ない者に対しては、厳しい態度を取った。

そもそも、注釈書は「テキスト」ではないw。
414神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:42:29.20 ID:tWdCWUJc
>>412
生命教の言い草って「そんなの法律に書いてない、国会で決まったのか」というような子供の言い方か、
「あいたた、骨折れてもうたわ」みたいなヤクザの言い草なんだよな

相手の論理を全く理解せず、自分だけの論理で裁断して、それが誤解だって指摘されても、知らん顔
415神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 08:44:36.14 ID:tWdCWUJc
>>413
つか、中村先生に限らず、どんな文献学者も君の読みには噴飯物で誰一人として頷かないのは明らか

君のは解釈とか異見という問題じゃなく、話にならない誤読、曲解、妄想だから
416神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 09:32:21.29 ID:mpp6NczU
トンデモの人も自分をガリレオになぞらえたりするよね。
隠居見てるとそれ思い出す。
417宝珠愚者@(規制代行):2013/01/24(木) 12:18:03.40 ID:97wL+RMW
>>383
>だとすれば涅槃というのは苦行からの解放のニュアンスが強い気がする。

では、
彼らサドゥーたちは、
“苦行を辞めさえすれば涅槃入りする”という意味になりますが・・・。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200912/29/60/d0139660_203199.jpg
http://25.media.tumblr.com/tumblr_lvkz4tD8mP1qzqyn6o1_500.jpg
http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/tirakita/cabinet/7/pcd-god-170.jpg?_ex=250x250&s=2&r=1
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/takapapa/20050219/20050219195305.jpg
418神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 12:20:09.10 ID:tWdCWUJc
>>417
そんな感想に反応しなくてもいいんジャマイカ
419宝珠愚者@(規制代行):2013/01/24(木) 12:20:16.22 ID:97wL+RMW
>>392-393
レスありがとうございます。

おっしゃる意味は理解しますが、
「諸法」だけは有為のみならず無為も含むという部分は同意できません。
では、ここだけですね。相違点は!

「一切諸行無常」(一切行無常)----有為法
「一切諸行無我」(一切法無我)----有為法+無為法
同じ「一切」についての説明で、無我についてだけは無為法をも含むというのはどうも納得しかねるところです。
水野氏による解説の文意をそのまま素直に受けるならば、
あくまでも現象界(有為)に限定するのが一切法であると繰り返し明言されているので、
その方がウダーナ8:1-8:3にも符合するもの思います。

私は、“部派が本来の原始仏教にはなかった無為法も一切法に含めた”という説明がこのことと理解します。
とにかく、あなたとの合致点と相違点が明らかになったことに深く感謝します。
420宝珠愚者@(規制代行):2013/01/24(木) 12:20:46.50 ID:97wL+RMW
>>368
>「行」は、作られたもの(→所縁によって顕現したもの)を指すのであって、
>物質的な事象中心じゃないの。
>寧ろ、心的在り様に焦点を当ててこそ仏教なんだよ。

いや、別にそういうことを私は否定などしていませんが・・・。
水野氏は、その心的在り様は“時間と空間の中で展開される”ということをいってるわけですから。
つまりは現象界においてです。私はこれを単に“物質現象界”といったまでのこと。
(因みに神智学においては、「情緒アストラル界」及び更に上位の「識心メンタル界」も広義的な
物質界として規定していますし、人間の転生は普通に物質現象界の生存といっています。
また、“思考(マインド)的な人間は即物的だ”ともいい、まさにこの仏教スレの印象そのものかとw )

↓文句があるなら水野氏にお願いします。
まっ、そんなに気に入らないのならば、「現象界」という言葉に留めておいても別に構いません。

 『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関する
かぎり、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界などとし
た場合、それらはすべて時間と空間の中にあってわれわれに認識され得る現象界だけを意味し
た。(p112)
 われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一
切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127) 』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)
421神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 12:23:38.24 ID:tWdCWUJc
>>420
水野先生は現象界意外の実体みたいなもんは認めてないでしょ
422神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 12:30:44.01 ID:Q/H5pbRj
>>420

 >われわれにとっての世界は現象界のみである
 >仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる


 >われわれにとっての世界は現象界のみである
 >仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる


 >われわれにとっての世界は現象界のみである
 >仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる



「 >原始仏教時代に関するかぎり、それは生滅変化する現象の法に限られて 」
おり、それ以外がないんだよ。
だから、ウダーナ8の如き言表になるんだよ。禅的言辞になるんじゃないの?w



何度も何度も言うように、 『願望の投影』 に従う仏教なぞ認められるわけないでしょう?w(>>361-362

  >なんでもかんでも『(物質的・空間的に)“存在”していなければならない』という強迫観念
  >手放そうとしないであろうもの >「何らかの神的なもの」の存在と、個人の不死なる根源の存在 )
423不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/24(木) 12:40:20.58 ID:2xzJQ5Hs
>>409 御隠居殿
なぜ、無我に関する話の流れで突然、中村先生の態度を賞賛する話題に転じたのか少々いぶかるところですが、それはおくとして、

池田晶子氏の
>学問の仕事は、あくまでも、体験を論理によって普遍化することである。
>体験をもって絶対化しがちな宗教だけでは、我々はあまりにも危うい。

その文意だけを評しますと、

学問の仕事:体験→論理(言語化)→結論
宗教の傾向:体験→結論

というわけで、いずれも体験をまず第一としている点は同じです。体験抜きで、言葉による理屈による是非判断だけで良しとするわけでは「決して」ありません。池田氏の文意はそういうことになります。

そして、その池田氏の文意からすれば、一代氏の主張する態度こそ、擁護するものとなります。自前の判断(自己の経験で即結論に移る)ではなく、テキストに照合する(言語化による普遍化)という過程を挟んで、判断していこう(結論に至る)というスタンスです。
424神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 12:48:22.47 ID:CRl9vehW
 テキストを歪曲曲解して心霊主義妄想を強弁するのは仏教ではない。

 縁起を破壊する心霊妄想は最も酷い反仏法だ。

 その代表が「無為法」であり「如来蔵」思想であり「業報輪廻転生論」などの“成りすまし空”の実質有我論だ。

 その集約がオイラ氏、宝珠の成りすまし仏教の真言密教である。 
425神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 12:55:57.21 ID:CRl9vehW
 テキストは仏教ではない。

 そもそも仏教なるものは存在しない。

 無明既成概念で「解釈」した仏教に仏法は顕示しうるわけがない。

 一切業無常なるがゆえに、自由なのだよ。掴めないでしょうが・・

 もうこのスレはマジでハエとり壷です。
426神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 13:05:13.61 ID:CRl9vehW
宝珠も一在家も本来の古巣スレにいればいいが、

あまりにアホでレベルが低すぎるうえに、まったく人気がなく人が集まらないという

台所事情がある。

だから、ここでかまってもらうしかない。

どうせ成りすますなら、オイラ氏みたいに徹底して成りすませばいいのに、中途半端なんだよ。

しかし、看る人から看れば、仏法を掴めていない成りすまし「仏教」(テキスト)出しかないことはわかる。
427神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 13:19:06.64 ID:tWdCWUJc
オイラは分かってるとは思わないが、
あまりに酷い誤解は分かる

妄想で現状肯定するような観念悟りも、アートマンのような実体を想定する表象/実在解釈も誤解なのは確か
428神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 13:24:56.51 ID:tWdCWUJc
それにしてもルノワール『仏教と西洋の出会い』はいいな

1990年以降は自分の体験と重なるので、よくわかる

それ以前も文献的に親しんでいたので、よく書けていると思う

もちろん、誤認もあるけど、些細だし
429神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 14:59:33.93 ID:CRl9vehW
亀レスご免
>>201
>ヴィトゲンシュタインって倫理命題を否定した一方、事実に関する命題は写像可能で語り得るってしたよね
>たぶん、仏教を参考にすると、その事実の命題ですら厳密には語り得ないと思うよ

その通りです。
だから『探求』では『論考』の写像対象の意味の表示を放棄し、
「言語ゲーム論」に収斂させました。
その核心はすべて一切を言語的存在であり、意味的存在と視る(言語以前の実体的存在を認めない)ことです。
これが、一切は空であるという中論や般若心経に通低することは明らかです。
430神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 15:04:57.89 ID:CRl9vehW
亀レスご免
>>254
>キリスト教の影響を大きく受けて発生した宗教であること

キリスト教の狂いは、
ある程度の教義の統一見解を得られた紀元325年の「ニカイア会議」以降だ。
この会議では「何が正しいのか?」についてなんと!“多数決”で決めた。
間違いを犯す可能性のある「人間」が多数決で神の意志を決めるのだ。
神は民主主義者である?

ゆえに多数決で神の死を宣言すれば、神は死ぬ。
神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったことを「ニカイア会議」で認めたことになる。

何が正しいかは多数決で決める隠居の信仰と同構造だ。
だから隠居にはキリスト教を批判する資格はない。
人間の多数決で決まったことだからだ。
431神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 15:15:51.45 ID:CRl9vehW
亀レスご免
>>348>>371
>死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候

良寛という悟達者の出世間のまなざし(←慈悲)です。
無分別の分別ともいう。
(しかし、悟達という前提抜きで上記を語っても未達者には誤解される虞がある。)

良寛は「随縁且従容」といい、道元は「自受用三昧」と、娑婆での無分別の分別の境地を示しました。
432神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 15:56:24.52 ID:CRl9vehW
亀レスご免
>>346(不説)
>それだと梵我一如では?

「一切皆苦」は 「一切皆苦」ではない。「一切皆苦」と名づける。(>>340)

一切が我なら我は観念できない。一切が我なら梵なるものもありえない。

 梵我一如は不二一元だ。
 一切皆苦は不一不二→ 〜元という観念そのものがない。

 ゆえに一切皆苦は一切皆空である。
433神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 16:31:47.15 ID:WGiHg/xV
仏教に興味が無い人読む気もない人はあの世とかどうなるんですか?どうなんですか?
434SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/24(木) 16:47:57.02 ID:eDG39T8E
仏教に興味があっても、悪行を為せば地獄に堕ちる。

仏教に興味がなくても、徳行に篤く精励すれば功徳を積んで安らぎに近づく。

想いによってではなく、行為によってその人の顛末と帰趨は決まるからである。

***
435神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:05:09.92 ID:KWnhUXha
地獄になど落ちんよ
みんな極楽に行くのです
436神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:19:58.33 ID:X3PEIJMm
そうはいかん
 
このスレにも地獄に落ちる者がいる
 
その最右翼は空論者だな
 
437神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:27:10.98 ID:WGiHg/xV
生まれたときからあの世についてそのように教えられるので大変ですよね。
すでに事実とかどうでもよくなってるし。ただし、目前に置かれては
定めがあるほうが楽ですが。
438神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:32:38.28 ID:BjfnjZ8G
>>429
>その核心はすべて一切を言語的存在であり、意味的存在と視る(言語以前の実体的存在を認>めない)ことです。

ヴィトゲンシュタインは、「言語とは、発生的に、生存に関係する具象物を特定・指示する
ための、共同体の合意で認められた人為的記号に過ぎない」という、言語の本質を理解して
いたのであろうか。具象物の存在は、それを特定・指示する言語に先立っているのである
439SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/24(木) 17:42:09.62 ID:eDG39T8E
愚かな者は、笑いながら地獄に堕ちていく。

その恐ろしさに注視して、こころある人は小さな悪にも手を染めるな。

***
440神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:43:42.19 ID:X3PEIJMm
SRKWブッダ? SRKWの意味は何だね。
すでに中国語の好きな?氏がいるが、今度は英語の好きな人か現れたか。
 
中道は日本語にあると思うが、SRKWはどう思う?
441神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:45:16.50 ID:BjfnjZ8G
>>423
>というわけで、いずれも体験をまず第一としている点は同じです。体験抜きで、言葉による>理屈による是非判断だけで良しとするわけでは「決して」ありません。池田氏の文意はそう>いうことになります。

池田氏は勿論のこと、中村博士も、特に熱心な仏教「信者」であるわけではない。池田氏は
哲学者、中村博士は、仏教学者である。

池田氏は、学問一般、特に仏教学について語っているのであり、仏教信者の宗教行為による
結論が、論理によって裏づけらられなければ、普遍的学問たり得ない、ということ。

宗教の教典は、あくまで「宗教の麻薬性」によって既に影響された「結果」であり、普遍的な
論理の文書ではない。
442神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:48:15.51 ID:WGiHg/xV
あまり深入りして根源をそこに求めてしまうと
自分の考えが無くなります。
443神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:49:03.89 ID:WGiHg/xV
むしろ自分の考えが間違っていると置き換えられてしまいます。
その場合、答えはひとつだけです。
444神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:52:01.88 ID:X3PEIJMm
いつもいつも御隠居のレスには学ぶべきことが多い
 
このスレの良心は御隠居にあり
445前世は一在家:2013/01/24(木) 17:55:26.40 ID:eNiQ/nYQ
>>436
>このスレにも地獄に落ちる者がいる

地獄に往けばまた輪廻できます。
でも輪廻を認めない人の意識が肉体を離れた時、自分は生きていると思っております。

極楽にも地獄にも往かず、意識が現世に留まり、執着がある知人に影響を及ぼす。
イエスは悪霊と呼びましたが、元々は普通の人々です。
尚、この法は仏典ではまだ見かけてはおりません。
446SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/24(木) 17:56:42.95 ID:eDG39T8E
自分が福運に恵まれているに違いないという驕りと、自分が悪業にまみれているであろうという自己嫌悪の両方を(正しく)払拭し、そのどちらにも汚されない道が中道である。

偉大な人が、中道を歩む。かれは両極端をこころに知りつくして、よく考えて、両極端にも、そして中間にも汚されないからである。

***
447神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 17:58:00.17 ID:X3PEIJMm
ウィトゲンは知らないが、大王の「ハエトリ壺」は気に入ったよ。
 
これからも使わせてもらうね。
448神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 18:01:12.70 ID:TBV7I00z
 
>>440 ID:X3PEIJMm さんへ
> … すでに中国語の好きな?氏がいるが …

私の場合は

パーリ、サンスクリット、チベット、漢訳、英語も、さっぱり、わかりません

( ↑ 一応、念の為 )
449神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 18:08:57.09 ID:X3PEIJMm
>>448
了解しました。?氏は謙虚ですね。
450神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 18:23:46.27 ID:TBV7I00z
 
>>449 ID:X3PEIJMm さんへ
> 了解しました。?氏は謙虚ですね

ゲルク派の解釈かもしれないけど

ダライ・ラマの 「 中論 」 講義 第18・24・26章

などの日本語の解説を読んで勉強している段階でございます
  _  _  _

礼拝帰依 ブッダン サラナン ガッチャーミ

  屮(_ ._)屮  屮(_ ._)屮  屮(_ ._)屮
451神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 18:44:53.30 ID:X3PEIJMm
御隠居の話は、どういうことなのかと考えた時に啓発される。
今回の言葉の問題もそう。
 
具象物やそれらの関係があって言葉が成立しているが、
子供の反応がまさにそれ。言葉を真実だと思って受け止めている。
かれらは「具象物→言葉」ではなく、「言葉→具象物」という転倒を
無意識に行っている。この象徴がラスコーの洞窟壁画。
ヴェーダーの成立にしても「言葉→具象物」を背景にしている。
 
言葉から、人間が抱えている宿命が見えてくる。
452神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 19:05:08.49 ID:X3PEIJMm
やっぱし、御隠居の言う通り、
事実や具象物に基づかないと、人間は混乱し、だまされると思う。
 
空とは何か。具体的に示せない以上、そんなものは虚構であり、
空のベールをはがせば、無、虚無に他ならない。
無、虚無には、何もイメージさせない厳しさ、峻烈さがある。
空に夢見る思いを無情に切断する。
453不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/24(木) 19:26:58.67 ID:2xzJQ5Hs
>>441 御隠居殿
>勿論のこと、中村博士も、特に熱心な仏教「信者」であるわけではない。

中村先生が篤信の仏教徒(信者)であることは間違いないでしょう。

ドサクサに紛れて、不熱心な信者というレッテルを貼って中村先生を毀損しないでください。

これまでこのスレ(の特に仏教者側)で、中村先生を仏教徒としてネガティブに評した人は(私の記憶の限り)誰一人としていません。

今回の御隠居殿が初めてです。まあ、御隠居殿は、仏教徒じゃないですから、仏教徒(である中村先生)に対してネガティブなコメントをしたとしても、わからないではないですが……。

このスレで一代氏やセブン氏といった仏教者側に問題にされているのは、中村先生は仏教という「教え」を判断し自己の考えを語る資質のあるなしについてであって、中村先生が日本における仏教情報の普及のために尽した貢献は偉大なものです。

アショーカ王や、アナータピンディカ長者といった在家信者たちのように。

しかし、アショーカ王も、アナータピンディカ長者も、彼等が「教え」を語る側として賞賛の的にされているわけではありません。
454神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 19:46:40.91 ID:X3PEIJMm
最近知ったのだが、釈迦は「信仰を捨てよ」と言っている。Sn.1146
 
このスレでも仏教、キリスト教など、クロスオーバーな方を見かけるが、
釈迦の意向に沿っており、いい傾向ではないかと思う。
何かの宗教を信じると、それによって成長することもあるだろうが、
それによって害されることも多いと判断したのだろう。
信仰を捨てよ、には大賛成だなあ(^^)
455ノスタルジア:2013/01/24(木) 20:14:24.63 ID:X3DJELiC
あなたたちは自我を持っている、それが此処じゃないどこかへ送られるのが、
四法印ということである。自我はもう無くなったので、というか無に帰したので、
あとはもぬけの殻の、精神だけが残っている。精神を削られることは、四苦に
のたうちまわるということである。最終的に精神が零になる。零ポイントに至れば
もうその人はいなくなったということである。重要なことは、四苦にのたうち回る
前に、自我が無に帰したことでもう勝敗は決まっていると思ってよい。
なぜなら成す術がないのであるから。後は、法則によって、四苦にのたうち回るという
罰がくだり、その罰を全うして永久消滅するだけである。
このような結末に至りたいだろうか?至りたくないだろう?だから、ダーマ(=法)を
受け取らないといけない。だから仏になること、法に目覚めることなど当たり前なのだ。
そこからいかにして、目を見開き、真の人を見るかが問題である。
そういう点でいうならキリストという真の人がまずどこにいるのか誰についているのか
知らなきゃいけない。とにかく救済は法を受け取るところにあるだろう。
456神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 20:37:13.62 ID:X3PEIJMm
中論なら、中村先生の『龍樹』で十分だろう。
 
まずは仏教の世界的権威であった中村先生の『龍樹』を読もう。
 
中村先生は研究者だから、悟っていたかどうかは二の次。
 
中論や原始仏典が日本語で読めることに感謝。
 
457神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 20:50:06.84 ID:X3PEIJMm
中村先生をけなす凡夫一代の発言には
 
いつも呆れていたよ
458神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 20:55:45.14 ID:x094V7VF
>>417
正直言って写真の人物達は正気の沙汰じゃねーだろ
そりゃ釈迦じゃなくても否定したくなるだろ
「もしもし、何してるんですか?」と
苦行は否定しないが、まだ禅の方が近いんじゃなかろうか?
嫌悪感の問題かもしれぬが…
459神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:02:41.78 ID:Q/H5pbRj
>>457
中村訳は、大量生産品、ベルトコンベア製品なんで粗略なんだよw
ま、“解”りゃしないだろうが・・。
460神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:12:08.26 ID:tWdCWUJc
>>459
分かるもなにも腐したいだけだから

中身、関係ね〜、中身、関係ね〜
461神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:15:30.02 ID:X3PEIJMm
>>459
>>459
やっかむな凡夫
 
中村先生の『龍樹』は、凡夫にはもったいない本だよ
 
じっくり読んだらどうかね
462神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:20:13.74 ID:dRU2gA4b
>>430
ニカイア公会議でやったのは「追認」だよ。
三位一体支持の人達と、アリウス派の人達が議論した。
その場の議論で三位一体というアイデアが生まれたわけじゃない。
三位一体という用語の初出はもっと昔のテルトゥリアヌスに遡る。
三位一体という解釈をとらなくてはならなくなった原因になった文章が載っている
ヨハネ伝や書簡ですら、一世紀に成立している。
463神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:20:16.19 ID:Q/H5pbRj
>>461


ま、近いうちに、南伝のテキストは片山訳で定着するさ。
中村訳(岩波青)は役目を終えてると思うよ。
464神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:24:15.21 ID:dRU2gA4b
仏を「いのち」とする仏教辞典の記載から、
中村元先生が創価学会と繋がりがあったのではないかと妄想している。

自分は仏を(宇宙)生命として扱う団体としてはあそこしか知らない。
もしかして、他にもあるのだろうか?
465神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:24:49.64 ID:x094V7VF
本に意味などねーよw
466神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:28:11.06 ID:Q/H5pbRj
>>460
知識の種類と方向性から、顔文字(昆布もどき)かな、とも思うけどね・・w
467神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:29:46.84 ID:x094V7VF
>>454
確かに拘りされなければ正しく観れる
それは「もしもし?何してるんですか?」を極めた境地であり
「バッカじゃねーの?」を極めた境地であろう
468神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 21:58:35.41 ID:X3PEIJMm
>>467
信仰など、醒めた目で見ればそうかもしれないね
469神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 22:30:57.22 ID:tWdCWUJc
>>466
だよね。腐すしかないのは可哀想っす
470神も仏も名無しさん:2013/01/24(木) 23:29:02.35 ID:Q/H5pbRj
〔「なぜ、《この私》は《この私》なのか?」「なぜ、《この肉体》に《この私》なのか?」〕

【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/343
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/344
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/346
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/348
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/349
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/350
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/351
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/354
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/367
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/369
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/370
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/373
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/376
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/380
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/381
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/403
【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/133
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/134
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/135
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/142

ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html


宝珠、在家、カラス、の言ってることは、ここ↑の「最高位」が言ってることと
何にも変わらないんだけどね・・・。 まったく仏教じゃないんだけどね・・。

見えないんだろうねぇ・・。
471暗道:2013/01/25(金) 00:12:57.86 ID:hdL5u+MK
哲学者最高位先生が復活なされたようです。
讃えましょう・・・。
472神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 00:21:34.94 ID:VHBDNnx6
>>471
マジ?
最近哲板見てないから知らんかったw


って、今更参戦する気もないけど・・(^^;
473暗道:2013/01/25(金) 00:54:19.02 ID:hdL5u+MK
>>472
参戦する必要もなければ意味もない。
474神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 00:56:02.12 ID:VHBDNnx6
>>473
けど、
自分の立ち位置を炙り出すのには大いに役立ったよ。
475神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 03:06:36.54 ID:mQBkPAsj
>>459
一代氏とは違って、中村博士は「テキスト乞食」ではないということ。
常に「生きるための仏教」を目指しているから、考えて翻訳する。

チベット仏教については、殆ど論じていないようだ。胡散臭さに気付いたの
だろう。

中村博士は、語学も大秀才で、ドイツ語はトップ。ドイツ大使館から表彰
された(「中村元(生誕100年)」より。
476神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 07:15:40.35 ID:VGBLgXR4
仮に中村氏が自分の思想と研究内容を峻別できない人間なら、
ほかでどんな才能やテクを持とうが立派な肩書き持とうが
研究者としての資質には何の意味も無いと思う。

エッセイでやれ、としか言いようがない。
477神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 08:51:45.57 ID:V92UJ3Ad
>>431
>良寛は「随縁且従容」といい、・・・
 
友人に送った手紙の意味は、「随縁且従容」そのものですね。
これが良寛が達した悟りの境地なのか、うーん。
究極かどうかは疑問。
道元の「自受用三昧」は意味がわからない。
478神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 09:14:05.91 ID:V92UJ3Ad
「具象物→言葉」が本来的な順序なのだろうが、
「言葉→具象物」という転倒例も探せばかなりある。
 
子供の軽い痛みは、母親の「痛いの痛いの飛んでけー」で消える。
催眠術も、この種の転倒を利用しているのだろう。
言葉の代わりに、絵画や彫刻を使うケースもある。
 ラスコーの洞窟壁画、仏教の彫刻や絵画、キリスト教の壁画など
 旧約聖書にもこの種の話が出てくる(エゼキエル冒頭)
神道の祝詞も、仏教の呪文も、言葉→具象物を目論んでいる。
 
「言葉のひとり歩き」という現象なんだろうが・・・
479神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 09:37:43.14 ID:V92UJ3Ad
宗教を信じること、仏教の「空」を信じることは、
 
「言葉→具象物」という転倒そのものか。
 
釈迦が「信仰を捨てよ」と言ったことにもつながるね。
480神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 10:59:24.43 ID:J1OixPqd
紙幣は、生存に必要な「物資とサービス」を購入できるからこそ価値が
あるのに、そのことを忘れて、紙幣そのものに価値を認めるという倒錯に
陥ったから、金融危機が生じた。購買力がなければ、単なる紙切れ。

宗教も、同じ倒錯に陥っている。だから、殺し合いや争いが絶えない。
釈迦もイエスも、生存にはクソの役にも立たない「紙切れ」に過ぎない。
481神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:23:57.65 ID:J1OixPqd
>>476
>仮に中村氏が自分の思想と研究内容を峻別できない人間なら、
>ほかでどんな才能やテクを持とうが立派な肩書き持とうが
>研究者としての資質には何の意味も無いと思う。

君は、釈迦で洗脳されたせいか、「学問とは何か」さえ理解していない。
すべての学問も、そして宗教を含むすべての営みも、究極的には、「人間が
生きるため、存在するために」にある。

「種々の異なった哲学的諸概念を相互に比較し、人間の命の内奥の本質と
関連せしめる実験によってのみ、われわれは真理に到達することを期待
することが出来る」(中村元著「思想をどう捉えるかーーー比較思想の
道標」より)。
482神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:34:03.07 ID:J1OixPqd
>>481の訂正
×生きるため、存在するために」にある。
○生きるため、存在するため」にある。
483神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:40:14.81 ID:433Fx8e6
釈迦の思想を、仏教を「こういうものだ」と研究・解明することと、
思想内容を支持するか否かは全く別の問題だ。

研究対象を自分色に染めなくても、生きるうえで何の支障もないので
エッセイでやれ。少なくとも「学問」と称するのはやめましょう。
お素晴らしいお話では御座いますが、カテゴリーエラーです。
中村さんが隠居のコピー君なら、肩書きにかまわずこの言葉をかけます。

その引用文は>>476を否定するものではないようだがね。
484神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:51:42.42 ID:J1OixPqd
>>483
君とは違って、中村先生は、「テキスト乞食」ではなかった、ということ。

学者でも、「外部に発表する場合は」、「社会人」としての責任を伴う。

「反論不能な」大自然とは異なり、釈迦は、誤りも多数ある一介の人間に過ぎ
ないのだから、無批判に信じることは、すでに「学問の方法論」として誤り。
485神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:55:08.55 ID:433Fx8e6
最初の二行すら読まない。いや、読めないのか。
486神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 11:59:17.67 ID:J1OixPqd
>>485
「学者でも『外部に発表する場合は』」が、読めないのか。
487神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 12:04:31.52 ID:433Fx8e6
どういう「責任」なんだね?

隠居が言ってるのって別の例で言うなら、

女性差別を生むから、という理由で
八敬法や女人不成仏説を批判するんじゃなく、
もともと釈迦や仏教がそれを説いていなかったことにする
という思考回路だよね?

釈迦は八敬法といてるし、女人非成仏説は仏教の伝統としていますが、
私は差別的な説だと思います、と事実と自分の意見を区別したほうが
健全だよね、というのが俺の思考回路なのだが、
どこかおかしいところがあるかね?
488神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 12:13:59.93 ID:hUTXON7J
>>487
宗教とは、「開祖は絶対に批判できない」という「不可逆的な異常心理状態」
であることを、考慮する必要がある。

中村博士も、信仰者であったが故に、釈迦の「批判」は十分ではないと思う。
そこが彼の学者としての限界である。ただ、社会人としての責任から、解釈と
翻訳について考慮された。
489神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 12:25:51.39 ID:433Fx8e6
「釈迦は○○という思想」を持つことにすることによって、○○を擁護する、という論法は、
「釈迦が言った」ということに権威(正しさを担保する根拠)を認める発想なんだがね。
「批判」とは真逆の発想だ。
社会的な効果を狙って意図的にやるなら、そりゃ少なくとも学問じゃない。
世論操作とかプロパガンダというものだな。

>ただ、社会人としての責任から、解釈と
>翻訳について考慮された。

これは君の妄想だよね。

「考慮」したというなら矛盾しているな。意図的にやれてるわけだ。
エッセイやチラシの裏に書かず、研究成果に捻じ込んだ。
異なる立場からの突っ込みという形での注釈でやらなかった場合、
意図せずにやったのなら学者としての資質が問われる。
意図的にやったのなら、学者を名乗るのを辞めるべきだ。
490SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/25(金) 12:26:27.42 ID:IcUMlIwP
>>487
女性が仏になれるか? という問いならば、不明。

女性が阿羅漢になれるか? という問いならば、「なれる」というのが答え。事実、女性の阿羅漢を私は知っているからである。

***
491神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 12:28:33.41 ID:433Fx8e6
学者を名乗るの「は」辞めるべきだ。

と書き直そうかな。それ程でもないか。
>>490
女性は阿羅漢にはなれるが、正等覚者(ブッダ)になれない。
少なくともこれが伝統的な仏教の立場。
492反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 13:01:40.63 ID:bc7XdsDu
『後代の要素を能うかぎり排除して、歴史的人物としての釈迦の生涯を
 可能な範囲において事実に近い姿で示そう』

 『道を求め、人生観を確立したいと思う人は、
  既成教団とは無関係に古今の哲人・思想家と面と向かって教えを受け、
  あるいは対決しようと希望することになる』

 上記をまともに実行されると、自らの化けの皮・成りすましぶりを暴き立てられることを
 怖れる魑魅魍魎連中が中村博士を攻撃する。
 「ガクモン的」という化けの皮を装って。

 マハーカッサパ教に歪曲された「仏教」なるものは無効である。

 マハーカッサパは縁起無視の心霊主義者(スピチュアリスト)であった事実をわすれるべきではない。

 
493反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 13:10:53.27 ID:bc7XdsDu
 隠居が攻撃している「釈迦」とは、

 マハーカッサパ経典ででっち上げ「如是我聞」妄想された釈迦像だ。

 後代の心霊主義潤色釈迦像でしかない。

 歴史的人物としての釈迦にとっては、なんら与り知らない虚像である。

 隠居も毎度の虚像攻撃、ご苦労!
494神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 13:11:34.15 ID:433Fx8e6
ん?誰のことかな?
495神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 13:15:25.92 ID:433Fx8e6
イエスは同性愛を否定しない。
ヴェーダは本来カースト差別じゃない。

という当事者たちもこんな気持ちなのだろうなあ。
大好きな人やイコンに自分を支えてもらいたいわけだ。
496神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 13:28:28.71 ID:V92UJ3Ad
中村先生ほどの権威になれば、著作での個人的感想も許されるし、
 
読者もそれを聞きたいと願っている。
 
2CHの凡夫風情が中村先生をねたむのはみっともないぞ。
497宝珠愚者@(規制代行):2013/01/25(金) 13:29:41.91 ID:QzrvmIE2
>>458
恐らく、
彼等のような存在が仏教以前から続く伝統的な苦行者の姿と思われます。
38年間、右腕を挙げ続けて腕は細くなり手も変形してしまっている行者なども典型的かと・・・。

私は、彼等の心境は理解できるつもりなので、
可能ならば友達になってみたいくらいですよ!(文通でもしてみたいなぁ^^)。
二千五六百年前のゴータマも正にこういう状態であったに違いない・・・。
(シヴァ派の象徴<青黒色>として全身に灰を塗りつけているのは、当時にはなかったろうとは思うけれど)
498宝珠愚者@(規制代行):2013/01/25(金) 13:30:34.53 ID:QzrvmIE2
>>470
>まったく仏教じゃないんだけどね・・。
>見えないんだろうねぇ・・。

こちらは仏教学的根拠にも添った主張をしています。
まっ、認めたくない気持ちは分りますが、
あなた方の論理矛盾は隠せませんよ!
499神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 13:32:22.12 ID:433Fx8e6
個人的感想なら問題ないよね。
500反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 13:34:34.72 ID:bc7XdsDu
>>498
>仏教学的根拠(爆笑

→マハーカッサパ教に歪曲された「仏教」なるものは無効である。

 マハーカッサパは縁起無視の心霊主義者(スピチュアリスト)であった事実をわすれるべきではない。

お前もあの中に飛び込んで、くたばってこい!

心霊口先だけ大明神様には、とーぜんやる気はない。

なんせ成りすましが得意技ですからw
501神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 13:35:43.98 ID:433Fx8e6
宝珠と閻魔に聞きたいんだが、

釈迦は(自分から見て)矛盾した言い回しをしない、という大前提は
どこから来てるの?
502反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 13:45:42.29 ID:bc7XdsDu
>>501
>釈迦は(自分から見て)矛盾した言い回しをしない、という大前提はどこから来てるの?

その質問内容自体が相応しくない。

歴史的人物としての釈迦が矛盾があったかどうか(生身なら迷いもあったろう)は、
二の次。
そのような前提そのものが、「待機説法」(中論18-6)の精神に反する。
また、矛盾なきを矛盾の内に説くという趣旨にも相応しくない。

ブッダはあくまで高性能な筏です。

自帰依←大疑団(間接現実)―フィードバック―(直接現実)菩提心→法帰依

上記での、ファクターでしかありません。

最終的には「法」も捨てます。
503神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 14:01:51.81 ID:433Fx8e6
>>502
>歴史的人物としての釈迦が矛盾があったかどうか(生身なら迷いもあったろう)は、

なら中村さんの研究にケチつけても問題ないよね。
リアル釈迦は溶暗インド人でしかないけど、後の仏教徒によって
ブラッシュアップされたり、溶暗ぶりが強化されたりもしたと
考えても差し支えない。

>そのような前提そのものが、「待機説法」(中論18-6)の精神に反する。

何の問題ですか?
504反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 14:03:57.44 ID:bc7XdsDu
>>497
>二千五六百年前のゴータマも正にこういう状態であったに違いない・・・。
>(シヴァ派の象徴<青黒色>として全身に灰を塗りつけているのは、当時にはなかったろうとは思うけれど)

お前は馬鹿か?

修定主義も苦行主義も捨てたという初歩的なことが分かっていない。

妄想心霊主義レイシズムの巣から出てくるな。
505反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 14:10:17.54 ID:bc7XdsDu
>>500
>なら中村さんの研究にケチつけても問題ないよね

批判はどうぞご自由に。

>何の問題ですか?

矛盾を矛盾の内に説く、か
矛盾なきを矛盾のうちに説く、の相の違い。

自帰依←大疑団(間接現実)をもっとやってください。
506SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/25(金) 14:11:01.43 ID:IcUMlIwP
釈尊は、最後に残された修行方法として苦行を6年間修した。しかしながら、それによって覚りを得ることは出来なかった。

そこに善知識(化身)が出現した。そのとき、スジャータは乳粥を釈尊に差し出しながらあることを言ったのである。それが法の句(善知識)に他ならない。

ここにおいて釈尊はさとり、さとり終わって、苦行が無益であると理解したのである。

けだし、正法は快楽にも苦行にもよらないところにあるものだからである。

***
507神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 14:28:29.16 ID:hUTXON7J
そもそも「一切皆苦」という概念が「中道」に真っ向から反している。釈迦は、
論理矛盾が多すぎw。やはり出発点は、釈迦の「鬱病」以外にはない。
508反仏法マハーカッサパ教徒の狂乱:2013/01/25(金) 14:32:26.97 ID:bc7XdsDu
>>507

「一切皆苦」は「一切皆空」で中道ですよ(>>432)

  あなたには「無理」です。
509宝珠愚者@(規制代行):2013/01/25(金) 14:40:36.77 ID:QzrvmIE2
>>501
最初から
ゴータマ御自身(の教説中)において矛盾が生じているかどうか・・・
ということですよね?
まぁ、その可能性は“ゼロ”ではないとは思います・・・。

が、しかし、
要するにこれはゴータマに対する信頼性なのですよ。
私(たち)は、その信頼に足り得るものという判断を伝え残されている経典から読取るからです。
(盲目的に信じるのではなく、内容の意味を理解することによってです)
それは、あの簡潔な“初転法輪の四聖諦”において、
ゴータマが真実にして解脱を達成された本物の如来であることを知らしめたということ。
経典全体のあらゆる教説は、すべてこれ(四諦)に添った肉付けなのです。
もしも、その細部において論理矛盾が生じる場合には、
私はまずは、2500年以上もの歳月による経典伝承の過程における劣化や
附加・歪曲・着色、等々から疑います。

もちろん四聖諦そのものに矛盾があるならば、
その経典には価値はありません。


>>504-506
私は、六年の苦行に明け暮れた
当時のゴータマの姿を彼らの中に見るという話をしたのです。
ただそれだけのこと。
510前世は一在家:2013/01/25(金) 15:18:08.42 ID:RDwwjDFr
>>461
>中村先生の『龍樹』は、凡夫にはもったいない本だよ

私の読後感想です。
・まず龍樹はワルだったが改心したエピソードで始まる。
・彼は有部を帰びょう法で終始批判しただけで、主張はない。
・机上空論(言語論理世界で空、八不を証明した)。

中村先生自身が龍樹は大好きという波動が伝わって来なかったですね。

逆に石飛先生の著作では龍樹大好きがよく伝わってきました。
511神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 15:19:39.45 ID:bc7XdsDu
>>509
>“初転法輪の四聖諦”

初転法輪には妄想心霊主義も業報輪廻転生論も、ただの一片たりとありません。

>私はまずは、2500年以上もの歳月による経典伝承の過程における劣化や
>附加・歪曲・着色、等々から疑います。

 あなたは最初からボタンを掛け間違えているのですから、
 妄想超越心霊主義による歪曲を放棄して、有言実行をやってください。
512神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 16:48:19.30 ID:8HrZZ5sv
中村先生のように、世界的な権威になってから
ケチをつけるべきだと思う。
 
凡夫風情が偉そうなこと言ってもダメだよ。
お前のは女のような嫉妬。
513承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/25(金) 17:17:33.94 ID:g4IpxiAx
(^。^)(多分、虎の威を借る狐って言いたかったんだろうな。全く、最近の若い連中は……)
514神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 17:25:31.85 ID:8HrZZ5sv
御隠居が提起した言葉の問題は興味深い。
 
「具象物→言葉」は実在論であり、唯物論に区別されるだろう。
「言葉→具象物」が問題だが、どうもこれはインド型唯名論という
代物に他ならないのではないかと。
仏教やヒンズーのヴェーダンダ学派がここに分類されている。
 
未開人が写真で魂を抜かれると恐れたような意識、
それと共通するようなものが唯名論であり、仏教であり、
説一切有部なのではないだろうか。
痛いの痛いの飛んでけー、が唯名論のような気がする。
515神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 17:43:49.88 ID:8HrZZ5sv
承狂さんは、空論を実践してるから評価している
 
陰ながら応援してるよー
516神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 18:00:41.72 ID:8HrZZ5sv
説一切有部を「素朴な実在論」だと思っている人がいたが誤り。
わかりにくいけどやっぱし唯名論になる。
かれらは、言葉そのものに、ある種の力を認めている。
 
言葉に力を認める → 空海がそうだったし、念仏や題目もそう
517神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 18:16:24.54 ID:zSg0utEd
>>509
>ゴータマ御自身(の教説中)において矛盾が生じているかどうか・・・
>ということですよね?

外から目線ではそういうことになる。

>要するにこれはゴータマに対する信頼性なのですよ。

この信頼性(自分と同じ言葉遣いと「真理」観を持つ、という意味だと解する)というのが、
いったいどこから来てるのか、よくわからない。

たとえば、遠い昔の神学者が三位一体だのテオシスの教えを書いていた、とする。
「こんなしっちゃかめっちゃかな話wwねーよwww」とは思っても
その神学者が三位一体やテオシスを支持しておらず、後世の写字生やら
後輩によって歪められたりしたんだ、とは考えないだろう。
なぜなら彼は、閻魔大王の言葉を借りるなら「スコラ坊主」でしかないからだ。
一介のスコラ坊主に過ぎない人間ならおかしなことを主張してもおかしくはない。

しかし宝珠愚者はどうやら
釈迦(おそらくイエスも)をみょうちくりんな間違いもする人間、滅茶苦茶なことも言う人間、
「スコラ坊主」のカテゴリに入れていない。これはなぜなんだろう?
518神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 18:29:24.33 ID:zSg0utEd
蝦夷の人々を羅刹に例えた時点で、空海を自分と同じ思考回路を持つ人間と見ることは諦めたし、
尼僧に対して男僧への屈辱的振る舞いを要求した時点で、釈迦を自分と同じ思考回路を持つ人間と見ることは諦めた。
同じ人間である以上、多少の共通点はあるだろうが、時代も文化も価値観も違う以上、
自分にとっては「おや?」と思うことが彼らにとっては自然、ということは他にもあるだろう、
と考えるきっかけになったな。
519神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 18:37:14.92 ID:zSg0utEd
パーピマンはどう考えてるのかな。
520神通力獲得セミナー:2013/01/25(金) 19:27:20.16 ID:bc7XdsDu
あるカルトとおぼしき団体のパンフに以下のことが書いてあった。

『次の能力が得られます

天眼通   千里眼、予知能力、透視能力
天耳通   地獄耳、遠くの物音を聞くことができる
他心通   読心術、テレパシー
宿命通   前世、今世、来世のことがわかる
神足通   テレポート
漏尽通   悟りを開く』

あれれ?これって、皆さん御存知、どっかにかいてありましたねえw
521神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 19:39:19.75 ID:VHBDNnx6
そ。
一代は苦い顔をするだろうがw、
古今東西、神通・超能力と言われるものって、類型的に決まってんだよね・・。
「ありきたり」というか、「俗人の願望そのもの」というか・・。
 ( 空を♪自由に♪飛びたいな♪ ハイ!タケコプター!♪ )

で、宝珠や在家・カラスの言ってることってのも、タケコプターと大差無いわけで・・。
522神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 19:40:43.82 ID:H/n3ylnk
雲の上と下界とシャバ
523神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 20:14:51.85 ID:Tx1MDUS8
パーピマンは完全に悟ってるな
524前世は一在家:2013/01/25(金) 20:31:16.52 ID:RDwwjDFr
>>520 >>521

長部経典第十一経「堅固経」を一部紹介しましょう。

・ある在家信者が釈尊に神通力を弟子達に使うように命じて信者を増やそうと提言しました。
・釈尊は神通力は魔術でも行えるという欠点を指摘し、彼の願いを退けました。
・更に釈尊は説法による奇跡(輪廻することのない)を説きました。
・最後に四種の基礎要素(水、火、地、風)は意識の消滅とともに消滅するとのこと。

当時の弟子達は修行完成者が多く神通力があったようですが、
逆に神通力があれば修行完成者だったという訳ではなかったようです。

尚、異教では神仏の光や聖霊にて心身を癒す神通も伝わっております。
525神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 20:36:57.14 ID:04HVm2l+
宝珠愚者@(規制代行)先生

先生は悟ってますか 
悟りとはなんですか
絶対な真理を理解することでしょうか
 
なにをもって悟ったと自覚できますか
526前世は一在家:2013/01/25(金) 20:39:41.98 ID:RDwwjDFr
>>524
>尚、異教では神仏の光や聖霊にて心身を癒す神通も伝わっております。

2世紀の初期教父エイレナイオスは信仰心の篤いクリスチャンが手かざしで病を癒し、死者まで蘇らせた、と証言を残しております。
皮肉なことに、彼を崇拝したアタナシウスが勝利したニケーア公会議以降はそのような奇跡の記録は残されているでしょうか。
527前世は一在家:2013/01/25(金) 20:55:19.98 ID:RDwwjDFr
>>525
>悟りとはなんですか
>絶対な真理を理解することでしょうか

横レスで恐縮ですが、神道の言霊的には、悟り=さとり=差取り。
神仏と人間との差を取る(限りなく近付く)ことだと伺っております。

換言しますと、人は創造時に神性(仏性)を宿しておりますのでそれに目覚めることです。
この覚醒をテオシス(神成)とか、到彼岸とか呼ばれているようですが。
法華経では「仏子は仏となり得る」とも説かれております。
528神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 21:01:30.46 ID:NOjgIIFS
>>521
今は妄想の闇鍋祭りだから、
知らぬがホットケーキ食べよう
529神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 21:02:23.92 ID:Tx1MDUS8
パーピマンは悟ってたな
530前世は一在家:2013/01/25(金) 21:04:50.49 ID:RDwwjDFr
>>525
>なにをもって悟ったと自覚できますか

梵天界(神界)へ上昇する条件は長部経典第十三経「三明経」に分かり易く説かれております。
またテキストを切り出しますと批判を頂戴しますので各自お調べ下さい。
531神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 21:37:20.55 ID:OoCilTdA
親しげなのがおかしい奴ばかりなのが悲惨すぎるよなこのスレ
532神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 22:13:22.20 ID:Ulyh7Rov
心理学者の河合ハヤオ先生は
人が幸せに生きるためには魂の物語が必要だとおっしゃってます

前世は一在家さん
そう思いますよね
533神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 22:45:54.50 ID:VHBDNnx6
>>498
 >仏教的じゃない と言ったのは、
「根源・基点として“私(我)”“真我”を立てること」「“私(我)”“真我”ありきで世界構築すること」
を指してるんだけどね。まるで御隠居の得意フレーズそのままにね・・w
(案外、御隠居と意見が合うんじゃないか?w 神智学と生命教って親和性高いんじゃない?)

いずれにしろ、
それが「反縁起」であるという基本ラインが押さえられなかったらどうしようもないわけで・・。
534パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/25(金) 22:58:00.42 ID:+l+QySrg
>>519
>パーピマンはどう考えてるのかな。

何についてだ?ww 対象が今一わからんw
535前世は一在家:2013/01/25(金) 23:09:27.01 ID:RDwwjDFr
>>532
>人が幸せに生きるためには魂の物語が必要だとおっしゃってます

人が善行を為すためには魂の物語(輪廻の法)が重要だとは思います。

IF 死んだら終わり THEN 自己中で快楽に生きる。
IF 善行を為すのも空 THEN 悪行も空で変わらず。

以上、貴兄の問いがやや意味不明なので、仮設しつつレスまで。
536神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 23:22:29.04 ID:K0/Ac+aQ
>>534
蝦夷の人々を羅刹とか言ったり、
最高齢の尼僧でも青二才の男僧侶に屈従せよという仕組みを作ること
について。
537神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 23:24:05.72 ID:d12oAxu0
http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM
悟りとは、左脳の働きを抑制し、右脳にシフトすることではない
でしょうか

上記は脳科学者が体験した悟りの世界です。
538神も仏も名無しさん:2013/01/25(金) 23:45:01.61 ID:pp+C9xap
>>507
快楽があるから苦があるのであり、
中道とは二極を消す道であり、目指すものである。
人体保護装置が働く限り苦は消え去るものではない。
もちろん人体保護装置が働くから絶えず苦というわけでもない。
方法論として、人体保護装置に打ち勝つものとして挙げられるのが
苦行であり、苦をもって苦を制して中道に至る道である。
一切皆苦とは現実論でなく方法論であり、肉体面でなく精神面の苦行に
重きを置く手法である。
その一つとして挙げられるのが執着と欲望を取り除く苦行である。
539神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 00:09:26.22 ID:SITiEHeI
もちろん人体保護装置自体が悪者ということではなく、
苦作用を生むものを問題視しているものであり、
それを仏教では悪と仮定しているのは間違いない。
540宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 00:30:52.43 ID:QMWPs8pK
1/2
>>533
>いずれにしろ、
>それが「反縁起」であるという基本ラインが押さえられなかったらどうしようもないわけで・・。

では、
セブンは“反縁起だからこそ涅槃である”とでも押さえといて下さい!
その恒常性は、まさしくアートマン性質そのものである、と。
縁起は現象界(有為)に限定する法です。

↓仏典に対し、素直で忠実に理解しましょう。
541不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/26(土) 00:31:03.57 ID:HRJ7dsfI
>>537
日本語字幕ではなぜか原語「ニルヴァーナ」を「天国」と訳してますね。

明らかに、テイラー博士が体験した平穏な境地は西欧人にとっての天国(Heaven)とは全く違った印象の体験だったのでしょう。

仏教でも天界(梵天界・無色界も含む)と涅槃は完全に別個ですから。

ただし、テイラー博士の体験した世界が実際に涅槃だったのか、梵天界だったのかは不明です。
おそらく、西欧人にとっての一般的な天国のイメージは欲天のそれでしょうね。

梵天(主宰神)のいる梵天界や、具象物なき意味のみの世界である無色界を、これ最高の境地なり涅槃なりとして勘違いするのは、外道の陥る典型的な思考パターンとして梵網経などにおいて仏教では看破されています。

禅定を悟り(涅槃解脱)と同一視するのであれば、それらの宗派同士では万教帰一ですし、象にたかる群盲ですが、仏教はこれら(禅定と涅槃解脱)を峻別します。
峻別するポイントが仏教を唯一無二なものとしているわけですし、その峻別するポイントがない(思考回路に欠落している)から非仏教(外道)の思想体系なわけです。
542宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 00:31:56.73 ID:QMWPs8pK
2/2
 『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
(『ウダーナ8:1』)

 『これは最上の究極であり、無上の静けさの境地である。一切の相が滅びてなくなり、没すること
なき解脱の境地である。』
(ウダーナヴァルガ26:29)

 『生きものを殺すことなく、つねに身をつつしんでいる聖者は、不死の境地(クニ)におもむく。そこ
に至れば、憂えることがない。』(Dhp.225)
 訳注:不死の境地---accutam tha^nam.直訳すれば「没することのない所」。
accutan ti sassatam tha^nan ti akuppattha^nam dhuvattha^nam.(Comm.vol.V,p.321.)
けっきょくニルヴァーナのことであるが、「常住の場所」「常恒の場所」と解していることに注意。』
(『ブッダの真理のことば』中村 元訳/岩波文庫刊)

 『何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)
よしなく、欲望を捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。』(Dhp.97)
 訳注:作られざるもの---skata=nibba^na.(Ckmm.)作られたもの(有為)は転変し、生起消滅するが、「作られ
ざるもの」すなわちニルヴァーナは永遠不変のものである。有為は迷い、無為はさとりの境地である。』
(『ブッダの真理のことば』中村 元訳/岩波文庫刊)
543パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/26(土) 00:33:50.30 ID:qj4EAOEo
>>536 www
まず、空海についてだが、実際の記述にあたってみたw
性霊集だなw これは四六駢儷体で書かれているわけで、その「過度の修辞」による
誇張表現というのを割り引いて考えなければならんとは思うが、それでも、
やはり、空海は蝦夷を「討伐すべき敵」と捉え、仏道に帰依させ、救うべき対象・・・
というような捉え方はしてないように思えるねww

以前にも、書いたが、オレはそもそも空海という人物をあまり好まないのよww
何ていうか、如何にも「世間師」という臭いがあってねw
(五筆和尚のエピなんて、特にねww)
だから、空海がそのような差別的視点、少なくとも、全ての生命が等価に尊いと
考えていなくとも、全く驚かないわww
544宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 00:44:09.42 ID:QMWPs8pK
>>525
真理というものは普遍的で永遠恒常のものですが、
ただ、知られているコレだけというものではなくて、広くて多様性があります。
仏教は素晴らしい真理を説いたものですが、
仏教とは異なる仏教では説かれていない真理もあるということ。

「悟り」とは段階的なものであり、
意識(認識)が拡大していくことによって広がった視野で新たなものが見えたときに、
「おおっ、コレだ!!」という強い頷きが起こることかな。
そんな感じです。

当然、私には私なりのレベルの悟りがあります。
(これら日常的にも生じる悟りと、究極の完成としての覚りとは同じに解さないように)
545宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 01:01:18.04 ID:QMWPs8pK
>>540>>542
追記:
*縁起の道理
 「これ滅するが故に、これ滅す」

*涅槃(無為)の性質
 『一切の相が滅びてなくなり、没することなき解脱の境地である。』
 (ウダーナヴァルガ26:29)
 『没すること(cuti)も、生まれかわること(upapatti)も説きません(na vacAmi(vadAmi))』
 (ウダーナ8:1)
546神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 01:09:21.83 ID:KLfapxhj
>>540
>その恒常性は

だからw
それは、『常に存在し続けているから』『(常に)ある』と言うのではなく、
寂滅・寂静なる境地が可能であり、そのような境地が「あり得る」という意味での
『(常に)ある』なんですよ。 (少なくとも片山論文や、季刊原仏の小論はそういう解釈だよ。)

だから、(一代が指摘する西洋的実在論の如く)、
『何かが』『(根源、基体、源泉等として)なければ』『世界は成立しない』
という思い込みに依拠する思考だと言われ、それは仏法とは言えないわけです。
547神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 02:08:21.82 ID:A7aum65F
>>537
釈迦の「悟り」が、「脳の病気」に過ぎなかったことが、このビデオで
はっきりしたねw。
548前世は一在家:2013/01/26(土) 06:30:49.89 ID:sz0recOa
>>544 宝珠氏
>仏教とは異なる仏教では説かれていない真理もあるということ。

その(真理)を知った人は争うことがない。
それ故に諸々の(道の人)は同一の事を語らないのである。
(スッタニパータ 884)
549前世は一在家:2013/01/26(土) 07:01:28.24 ID:sz0recOa
>>544 宝珠氏
>仏教とは異なる仏教では説かれていない真理もあるということ。

その(真理)を知った人は争うことがない。
彼らはめいめい異なった真理をほめたたえている。
それ故に諸々の(道の人)は同一の事を語らないのである。
(スッタニパータ 884)

↑1行抜けておりました。
550前世は一在家:2013/01/26(土) 07:13:34.69 ID:sz0recOa
>>549
例えば、イエスは人に憑依した霊を除く法や死者を甦生する法を知っており使徒達にも伝えました。
聖霊にて人々を癒す法もあり、これらは法を悟った者の神通に近いかも知れません。
551神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 07:34:48.49 ID:SITiEHeI
>>542
それは、ごく単純に心境というものだ
心境が静けさにあるに過ぎない
実はたったこれだけのことが仏教の全て
方法論が多岐に渡り過ぎるに過ぎない

どこかにトリップすることでは決してない
それは単に脳内妄想という。
552前世は一在家:2013/01/26(土) 08:09:38.50 ID:sz0recOa
>>524 :前世は一在家
>長部経典第十一経「堅固経」を一部紹介しましょう。 (中略)
>・最後に四種の基礎要素(水、火、地、風)は意識の消滅とともに消滅するとのこと。

もしかしたら意識の消滅が涅槃かも。だから正しい瞑想から至るとも。
世俗、衆生の意識はこれは望まないでしょう。
553神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 08:21:24.89 ID:SITiEHeI
意識消失ではない
それは即ち、冷静になれであり、頭を冷やせである
これは単純なようで単純でない
仏教文化が貢献した証である
554神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 08:22:10.52 ID:1g+q7eRg
通りに、見るからに怪しそうな店がある。
 
賢い人はそこに入らない。
555神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 10:14:36.64 ID:qj4EAOEo
>>536 あと、八重法についてだが、
まず、釈迦が本当にそんなこと言ったのかい? という疑義の提示もあるが、
オレは、「言った」のだと思う。  但し、釈迦に「女性蔑視」の見解があった
のか?  となれば、それはなかったと思いたいw

元は、養母ゴーターミーの出家志願に対する釈迦のスタンスのエピに基づく
わけだが、アーナンダとの問答の中でも、「女性の宗教的資質」について、
男性と等価に評価している。唯、三度にわたる拒否については、諸説あり、
「釈迦の真意」というものが何であったのか、不確定だわなw
(一説によると、修行の厳しさを理解させるためとか、慢心を払拭させるため
とかww)

オレが思うには、(以下、私見だがw)
「当時の社会状況」というものを無視するわけにはいかないと思うのよw
ヒンドゥーの影響もあり、女性を男性の下位におくことが当然のこととされていて、
それに対して男性は勿論、女性たちも多くがそれに疑問をもたなかった。
そのような状況下で、比丘集団と「全く同等の権利」を有する「比丘尼集団」の
存在を認めたら、到るところでトラブルが生じ、結局は比丘尼のためにもならないと
判断したのではないかと考えるのだが。
勿論、現代的視点をもって見れば、明らかに差別的取り扱いだが、現代的視点を
そのまま当時に適用するのにも無理があるとw
釈迦の真意は、あくまでも、比丘集団と比丘尼集団との良好な関係だったと思いたい
のだがね。
556パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/26(土) 10:15:26.83 ID:qj4EAOEo
まあ、現代の日本社会に住む俺たちからすれば、計り知れない事情というものも
あったと推測されるのだが。
修業半ばの比丘たちの中には、女性を真近に見れば、余計な煩悩を呼び起こす奴らも
いるだろうし、女性を男性と等価に扱えば、世間的な風あたりというのも、現代とは
全く違うものだったとも思える。 それらを考慮すれば、在家のまま、仏道を歩むことが
結局は女性自身のためにもなる・・・・と、釈迦が考えたのではないかと推測するのだけどw

まあ、八重法の記述は、勿論、現代では全く許容出来ないし、仏教が歴史的に
女性に対して差別的見解を持ち続けたという事実も否定出来ない。
ただ、  釈迦は本当に女性を蔑視していたのか?・・・・となると
オレにはそうは思えないのだが。
当時の社会情勢の中で、女性を出家させ、比丘尼集団を形成させる上で、最もトラブルを
回避できそうなシステムとして受容したのであり、本質的に女性が男性より劣っている
との見解から生じたものではないと考えるのだがw

(比丘集団が先にあり、その後に比丘尼集団が出来たわけだから、先達に従うべきだ
・・・・という先後論もあるが、それは論として、ちと弱いと思うww
繰り返しいうが、八重論の差別的側面を否定しない。それは確かにそのとおり。
ただ、釈迦の真意ということになると・・・・無我を説いた釈迦が、男性を女性の上位に
置くというような見解を本当に持っていたとは思えないんだがww)
557ゲイとしてのブッダ:2013/01/26(土) 10:40:14.82 ID:b1QAvdZT
 男女問題の流れから、思いきって言うと・・・

まあ、前から気づいていたんだが、

 実は釈迦は同性愛者で、ゲイ・ホモだったのではないか?

 ゴータマさんとアーナンダはゲイ恋人関係だったのではないか?

 ゴータマさんが「家族」をおいて出奔したのは、嫁との同居(性)生活に耐えられなかったからではないか?

 不邪淫戒はあくまで異性間のものだろう。
558神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 10:51:31.11 ID:NY1PBp3U
>>557
ありえん妄想、律にキッパリと同性でも獣でもオナニーでもだめだって書いてあるよ

そういう現象の問題じゃなく、本質は愛着という心の動きだから、その方向にあるのものは性的なものはもちろん、何でもダメなわけだ

八重法は、否定されると思うけど当然だと思う。

これは経験からなんだけど、明らかに女性の方が愛着が強くて判断力を失うことが多く、集団を破壊する行為が多いんだよね。

もちろん、男にもそういうヤツはいるが、女の場合普段判断力が高い人でも愛憎が絡むと判断が鈍ることが多いので。

流石、釈尊だと思う。
559神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 10:54:21.35 ID:3LoxxaiI
ttp://www.systemicsarchive.com/ja/a/buddhism.html
う〜ん。釈迦も、この手の一般化をしてしまうくらいにはズブズブの
女性蔑視をヒンドゥーから受け継いでいるように思える。

「良妻賢母」や際立って能力と功績が大きい女性が褒められるからといって
女性全体が尊重されているかといえば……???
>>557
同性愛(の性交)関係は僧の戒律で禁じられてたよ。
560ゲイとしてのブッダ:2013/01/26(土) 11:10:15.62 ID:b1QAvdZT
>>558
>ありえん妄想、律にキッパリと同性でも獣でもオナニーでもだめだって書いてあるよ

まあ、タテマエ上、当然想定内の反応なんだけどねえ・・(ゴニョゴニョ・・w
561神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 11:37:59.66 ID:pLySh0V0
キリスト教みたいに禁欲するとホモになるね。
562神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 11:46:19.23 ID:UvaX2qWL
釈迦カルトたちは、釈迦、釈迦と、釈迦に対するあくなき執着を、いい加減で
棄てよ。

「執着を去る」などと唱えながら、そのあくなき執着は一体何?醜悪を通り
越して、滑稽極まりない。釈迦の「脳病」の感染以外の何物でもない。

中論は、内容的には、釈迦を完全否定している。
563SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/26(土) 12:21:10.56 ID:ES2hlOLp
女性が仏になれない理由は見当たらない。強いて挙げるならば、それは女性が言葉を使うことが不得手であるということである。

ユングエンマが言うように、女性の精神的なものは、未発達な幼児的または原始的な性格をもつ。知識欲のかわりに好奇心を、判断力のかわりに偏見をもち、思考のかわりに表象や夢を、意思のかわりに願望をもつ からである。

人は、言葉を縁として発心し、言葉を縁として智慧の解脱を生じる。そこで、言葉を用いることに問題があると、これらが正しく働かないということである。

***
564神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 12:39:57.31 ID:JXlPCa0z
女性が悟ることは本質的に無理。役割が違う。
 
男性でも至難の技なのに、女性がどうして悟れるだろうか。
 
釈迦は身をもってそれを知っている。
565神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 12:48:45.21 ID:JXlPCa0z
女性は巫女とか霊媒師に向いている。
 
女性が悟ろうとしたら、その全員が精神的に壊れると思う。
 
男だっておかしくなるのに、無理無理。
566神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 13:00:45.12 ID:JXlPCa0z
釈迦や空海など、どれほど苦労をして悟ったのか。
 
創世記にある、ヤコブの話やヨブ記を一度読んだ方がいい。
 
とんでもない苦労をしている。
 
瞑想をしただけで悟りました 〜 これは絶対にない。
567ノスタルジア:2013/01/26(土) 13:20:37.83 ID:dNW5pk2L
>>563 あなたが説く理法とやらは、本当の理法ではない。理法に親近してない。
だから理法の怖さをあなたは知らない。しかし知る必要もない。ただ理法を甘く見ない方がいい。
理をあなたの思惟に加えることで、あなたは理に食われていたと気づくだろう。気づかなくてもいい。
背理をし、理外に逃げないことには、女人成仏などという基地外じみた、ものさえも、
受け入れてしまうのである。理に染まり、理法を説くあなたに、なぜ人々は
覚りを得ることは出来ないのだろう?面白おかしく理について語るあなたに共感出来ない。

これはあの法(=ダルマ)を作ったとかほざいている、あなたの同類にも言っている。
568ノスタルジア:2013/01/26(土) 13:23:15.92 ID:dNW5pk2L
>>563スジャータは女だ。それが善知識であるというのが、あなたの意見だが、
その意見に賛同しかねる。善知識は男であると言わざるを得ない。
569神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 13:35:58.03 ID:LtGKFzOK
>>568


( -Д´ - )カァーッ ( -`д-) 、ヘ゜ッ」
570ノスタルジア:2013/01/26(土) 14:00:49.63 ID:dNW5pk2L
囲碁とはただの、算数的思考の打ち合いである。それは、ああくればこうくるというただの慣れ合いである。
そこには正義はない。

将棋の打ち合いは、単純極まりない決められた言葉の羅列での思考の打ち合いである。
それは与えられた範囲でのことなのであるが、魔(=マーラ)が大量に導入されているので、
捨て駒なんかも出てくる。

遊戯王カードのデユエルは、正義である。そこには仏(=ブッダ)としての
やり取りがあるだけである。

まあ、ほとんどの人々は囲碁の打ち合いに止まっているが、中には将棋の打ち合いを
しだす輩もいる。それを私は↓と言っているのだ。
【理・法】(=ラウ≒世界線で人を惑わす者と悪党の使う言葉)に騙されるな!

浄光仏の親近は、四人である。諦と龍と慧と智の四人である。

囲碁の打ち合いをする人々は、将棋の打ち合いの輩に包含されている。
571神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 14:05:32.32 ID:LtGKFzOK
>>570
>遊戯王カードのデユエルは、正義である。

   _  _
 ( ゜∀゜)
572宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 14:26:09.72 ID:QMWPs8pK
>>549
その通りですね。
ある者が一頭の巨象の脚を触れては、
「象とは○○だ。これ以外は認めないぞ!」という具合で頑迷に主張する姿と同様です。

>>552
>意識の消滅が涅槃かも。

自我(エゴ)意識、低我(低級我)の消滅。
自己意識の完全なる死の体験/魂(ソウル)の消滅を以って完成に至る、と。
神智学的には、イエスの十字架/磔刑死(自己の磔死)やゴータマの苦行によって“象徴”される。

>>546
>寂滅・寂静なる境地が可能であり、

寂滅するのは煩悩(汚れた意識)です。
煩悩を消散した後に本来の清浄な自己意識が立ち現れる。
これが“自性清浄心”です。

本来、最初から自性清浄なのが本当の自己(如来蔵思想へと発展)。
つまり、アートマン性質の一つです。

 『この心は清浄である。しかし、これは本来的なものではない煩悩によって汚染されている。
…教えを聞かない凡夫たちは如実にこれを知らない。それゆえ、凡夫は心を実修していないと私は説く。
…教えを聞いた尊い弟子はこれを如実に知っている。それゆえ、教えを聞いた尊い弟子は心を実修した
と私は説く。』(増支部/AN. I, p.10, ll. 11-18. cf. ibid. p.10, ll. 5-8)
573神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 15:52:57.69 ID:ke3aIKRr
test
574神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:04:57.52 ID:j9+DKAmD
人は愛されることで愛を知る。
 
男は女を愛する。男に愛された女は、その愛で子供を愛する。
こうやって人類はここまで生きてきた。
 
この流れをよく見るがいい。男 → 女 → 子供になっている。
男と女の役割は違うじゃないか。
 
女は、子供を産み、育てることの中に悟りがある。
575神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:05:51.10 ID:PPXncG5a
人類の歴史と悟りは無関係です
576神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:37:52.83 ID:j9+DKAmD
男の愛が細れば、女の愛も細り、子供の愛も細る。
時代とともに愛が細くなっていく。
そのままほっとくと、人類はいつの日か滅びてしまうだろう。
 
だから愛をよみがえらせる必要がある。
ハレの日がなくてはならない。それが悟りじゃないだろうか。
悟りとは、神(愛)との出会いを言う。
577神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:41:14.75 ID:KLfapxhj
人は愛されることで愛を知る。
 
女は男を愛する。女に愛された男は、その愛で食い物を得、外敵を排し、子供を養い愛す。
こうやって人類はここまで生きてきた。
 
この流れをよく見るがいい。女 → 男 → 子供になっている。
男と女の役割は違うじゃないか。
 
男は、稼ぎ、敵を倒し、親族を護ることの中に悟りがある。
578神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:46:13.20 ID:j9+DKAmD
>>577
その流れはダメだと思う。
  
女 → 男が、色仕掛けの計算なんだね。
579神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 18:56:40.47 ID:KLfapxhj
>>578


百億年ROMっとけ。
580神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 19:09:31.52 ID:j9+DKAmD
>>579
女の尻にしかれ、人生を子育てに費やしてろ
 
581神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 19:22:02.90 ID:j9+DKAmD
>>567
>女人成仏などという基地外じみた、ものさえも、受けいれて・・・
 
ノス君の言う通り、女人成仏という考えは誤り。
法華経に竜王の娘が男になって成仏するという話があったね。
582神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 20:02:07.68 ID:KLfapxhj
>>580
>>574>>577も、
ともに世俗の、皮相的な顕われでしかないだろw どちらが云々なんて話じゃない。
自分で >の中に悟りがある なんて言うなら、勝義から見て、差異なしとすべきだろ。

でなきゃ、悟りと結びつけずに、
「社会的文化的な、共同体・社会にとっての必要性として」男尊女卑の形式の価値を唱えればいい。
世俗的には重要なことだよ。世俗的には、ね。
が、悟りとは無関係だ。
583神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 20:19:57.09 ID:SITiEHeI
女から感情抜いたら何も残らん
女にゃ無理
本質的、本能的に無理
584神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:08:54.90 ID:SITiEHeI
理由はやはりアートマンを男女ともに持たないことに起因する
女は子を育てるという本能がありアートマン的幻想が男に比べ強いといえる。
不可能でないかもしれぬが自我の捉われからの解放は男に比べ難易度が
桁違いに高いといえるだろう。
585神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:09:55.30 ID:KLfapxhj
男からプライド抜いたら何も残らん
男にゃ無理
本質的、本能的に無理
586神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:14:47.55 ID:KLfapxhj
理由はやはりアートマンを男女ともに持たないことに起因する
男は他を押しのける・従えるという本能がありアートマン的幻想が男に比べ強いといえる。
不可能でないかもしれぬが自我の捉われからの解放は女に比べ難易度が
桁違いに高いといえるだろう。
587神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:23:04.83 ID:K5P6UFK5
女は成仏できるでしょう
尼さん少ないよね
僧侶界も男界
役割が違うだろね
588神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:26:24.16 ID:SITiEHeI
プライドというものはない。
傾向として無いものに捉われるのは女の方だ。
589神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 21:41:14.89 ID:KLfapxhj
感情というものはない。
傾向として無いものに捉われるのは男の方だ。



つか、マジレスすると、
空理空論、観念論を好む男の方が、お悟りから遠いような気もするけどねw

(御隠居じゃないがw)、世の観念的な宗教・思想を形成、支えてきたのは、男衆の妄想だと思うしw
590承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/26(土) 21:50:40.66 ID:AJQnmLCo
(^。^)これだから上座の連中は。(笑)

お前ら勝鬘経も維摩経も知らんのだろうな。(笑)
591神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:09:19.44 ID:SITiEHeI
>>589
感情がない?
泣き笑い怒り喜び悲しみがお前には無いんだな。
いい根性だ。それが本当ならそれでいい。
592宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 22:10:12.43 ID:t//iNfC+
---女性問題---
神智学的には、
女性の覚者(の輩出)いないのは、この惑星(惑星ロゴス)の進化レベルと関係があり、
現在までこの世界に顕現している物質性の側面(これもロゴスの作用の一つ)と関連しているからです。
結果的には、最終段階における転生先の肉体に男性を選択しているためです(女性の肉体は不都合)。
決して、覚者方が女性を軽視し差別しているわけではありません。
そうではなくて、寧ろ逆に女性解放運動の背後にある刺激などは覚者方からくるものです。

昨年10月放送のTV、さんまの『ホンマでっか!?』では、
心理学の植木理恵女史から、女性というのは男性よりも腕力が弱く、
特に受胎中と育児における肉体的不利を補って生存力を上げるために、
なんと「女性の方が言語能力や空気を読む能力が高い」というものでした。
認知科学の中野信子女史からは、「女性は情報収集する能力が男性よりも高く優れている」とも。
恐らく、これらの指摘は正しいものと、私もこれまでの体験から痛感しています。
因みに、神智学系の私たちのグループなどでは、サークルやイベントの主導者は殆どが女性であり、
また敢て、意図的に女性主導のグループにすることですべてが旨く運用されています。
神智学運動の歴史もその中心にはブラヴァツキー、ベサント、メイベル・コリンズ、
アリス・ベイリー、ヘレナ・レーリッヒと女性が多かった。

尚、あと400年もすれば女性の肉体を使用する覚者も現れるといわれています。
593神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:15:26.16 ID:KLfapxhj
>>591
?w

一般論でいきたいの?個別の(対話相手の)プライバシー領域でいきたいの?(´・ω・`)
594神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:15:43.96 ID:SITiEHeI
神はなく仏もない。慈悲もなく愛もない。霊もなく輪廻転生もない。
それが本当ならそれでいい。
595宝珠愚者@(規制代行):2013/01/26(土) 22:18:07.79 ID:E3X4fber
>>592つづき

仏教の八重法に関する話題については、
>>555-556のパーピマンが素晴らしい投稿をされていると思う。
私もほぼ同感にて、特に私から投稿できるものはありません。
女性に対しては特に厳しくしておかないと、様々な問題を引き起こし兼ねなさいという現実があったと思う。
596神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:27:48.46 ID:SITiEHeI
>>593
一般論の中にしか正解はない。
>>592
>特に受胎中と育児における肉体的不利を補って生存力を上げるために、
>なんと「女性の方が言語能力や空気を読む能力が高い」というものでした。

この能力こそが不都合に働く、自我に捉われる作用を引き起こす。
597承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/26(土) 22:28:00.25 ID:AJQnmLCo
>594
それが腑に落ちたと感じたら、
次に
「神は居る、仏も居る。慈悲もあり愛もある。霊も在り輪廻転生もする。」
と観じな。
両極を知らねば中道は歩めないからな。

(^。^)今日はカッコイイな、俺♪
598神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:32:17.60 ID:SITiEHeI
>>597
無いものを有るとは余裕でできない。
両極を知る必要も無い
599神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:35:05.66 ID:KLfapxhj
>>596
wwwwww

一般論を軸にするのに、>>591では >お前には と、
特定の個別事例に特化するのかw   都合のいい奴。 ┐(´ー`)┌
600神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:36:34.80 ID:SITiEHeI
>>599
個別性というのもまた一般論
601神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:42:23.75 ID:K5P6UFK5
宝珠愚者@(規制代行)先生

女はこわい
脳の構造が違うらしい
602神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:43:07.17 ID:53yj7YeL
>>597
女は駄目だってのは、お前をみれば一目瞭然なわけだが。
603承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/26(土) 22:45:09.24 ID:AJQnmLCo
>598
自心が仮設なのだから、OSを一つに絞る必然性は無い。
領域は無制限なのだから、現に流通しているOSは全て入れてから最適化すべき。

(^。^)初歩だよワトソン君。
604神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:50:41.17 ID:SITiEHeI
>>603
二つに絞る必要性もまたない
領域は無制限にない
初歩以前の常識だ
605承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/26(土) 22:53:33.93 ID:AJQnmLCo
>604
君の脳髄には前世紀までの知識しか入らなかったのかね?

(^。^)ならば仕方ないか。(笑)
606神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 22:59:36.51 ID:SITiEHeI
>>605
知識に捉われるあまり現実さえ見れぬ盲者なのかね?
607神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:05:28.29 ID:KLfapxhj
>>606
現実見えずの理念先行は貴方でしょう?w
608承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/26(土) 23:09:05.66 ID:AJQnmLCo
>606
無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無知亦無得以無所得故


(^。^)まぁ解るまいが一応だ。(笑)
609神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:15:16.80 ID:SITiEHeI
>>608
それが、自心が仮説ということかw
そう思いたいならそう思っとけ
610神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:17:23.00 ID:Iz4lJG31
社会に遠慮して引き続き女性を差別する規定をつくった、というのは
社会に遠慮して引き続き輪廻を説いた、という見方とどう違うのだろう?
611神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:20:53.67 ID:KLfapxhj
>>610
違わない。
612神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:29:38.89 ID:Iz4lJG31
だよねえ……
>>559のリンク先で引用をしてた人でさえ
釈迦は女性に対する偏見はなかっただろう、と書いていて
びっくりした。これが例えば俺や隠居だったら
こういう言葉はかけてもらえないだろう。

釈迦にはどうも、やむにやまれぬ事情があって仕方なく……的な
擁護をしたくさせる何かがあるらしい。
613神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:33:48.82 ID:CcE649bg
>>419
>レスありがとうございます
いえいえ、こちらこそ〜。

>では、ここだけですね。相違点は!
ですね!

>「一切諸行無常」(一切行無常)----有為法
まあね〜、僕は「有為なるもの」くらいにしてるんだけどね。
鳩摩羅什さんは一切有為"法"って訳しちゃってるけど、行と法は一応区別した方が良い気がする。
ここら辺、とくに行については僕は説明できない。法については>>131をみてね。石飛先生にヒントを得てる。

>その方がウダーナ8:1-8:3にも符合するもの思います。
僕が言ってることとも符合するように見えるんだけど…w

>とにかく、あなたとの合致点と相違点が明らかになったことに深く感謝します。
これは、勿体なきお言葉…。この相違点を明らかにするまでの、僕の説明がへたくそすぎましたねw
614神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:37:41.73 ID:KLfapxhj
>>612
>・・・はなかっただろう、と

なんつーのかな・・。 説かれている内容との整合性からの類推かね・・。
615神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:49:00.85 ID:Iz4lJG31
「これは差別じゃない。区別なんだ」

が許される人間と許されない人間がいる。思想・宗教においてもそうだ。

ギーターに女性でさえ救われると書いてあるので
ヒンドゥーは女性蔑視ではない、と考える人は(日本においては)、
釈迦は女性蔑視でない、とする(したい)人よりは少ないだろう。
616神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:58:12.31 ID:SITiEHeI
俺は女にゃ無理としか書いてない
別に女性蔑視ではない
女が何をどう思おうが勝手だ
釣り針に見事に引っ掛かったといえ
それが即ち無理の証明でもある
617神も仏も名無しさん:2013/01/26(土) 23:59:12.45 ID:KLfapxhj
>>616
アホやな・・。
何にも解ってないw
618神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 00:06:54.71 ID:l7rfoVqy
>>617
現象は如実に示す
嘘偽りはどこにもない
619神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 00:08:00.83 ID:j1a+jiX4
>>618
だったら、>>582の感想を聞かせてもらおうか。
620神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 00:12:09.59 ID:l7rfoVqy
>>619
くだらない
6211/2:2013/01/27(日) 00:23:52.03 ID:j1a+jiX4
>>572
(墨括弧は引用者挿入。大括弧は引用者による註。)

ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/20/2/20_2_503/_pdf
「心性本浄の意味」水野 弘元/印度學佛教學研究, Vol. 20 (1972) No. 2 pp.503-511 (著作選集2巻p219〜)

 『心性本浄説については、今日までわが国多くの学者によって取り上げられ、すでに論じ尽くされているといってよい。
 しかし、本浄説の源流は阿含経の原始経典、パーリ仏教や法蔵部などのような上座部系の文献にも見出され、
 それは大衆部系の心性本浄説から発達したとされる大乗仏教における如来蔵説や仏性説では、
 清浄なる本性としての【常住不変とも見られる心性】が考えられているのに対して、
 原始仏教や上座部系の部派では、そのような常住の心性は考えられず、
 【むしろ現象として生滅変化する心相が清浄であると】説いていると考えられるからである。
  元来原始仏教では、外教で説くような常住不変の実体を問題とせず、経験可能の現象界だけを考察して、
 これを一切法と呼んだ。従ってそこには常住の心性というような考えが入る余地はないのである。
 周知のように、仏教が【存在するもの(一切法)】として現象界だけを考察の対象としたことは、
 外教の説く形而上学的実体を排除するためであった。ところで積極的自主的に作用する心のあり方について、
 外教ではこれをどのように説いていたかといえば、正統派[バラモン、ウパニシャッドの系譜]と
 非正統派[正統以外の遊行者達、沙門と呼ばれる系譜]ではまったく違った解釈をしていた。
6221/2:2013/01/27(日) 00:24:55.33 ID:j1a+jiX4
>>572

  正統派では転変説(pariNAma-vAda)[≒継続するモノの変化変遷]に立ち、
 有機的な生命体としての我(Atoman)という実体を立て、これを不生不滅の本体的存在とした。
 我は心の中心となって自主自律的に活動する主体である。
 これに対して、非正統派では積集説(Arambha-vAda)[≒物質的、機械的集合離散及び作用による存立]に立ち、
 精神的存在をも物質的に考え、我(霊魂)を不生不滅の本体であると説くとしても、
 それは自主的な積極活動をなすものではなく、他の力によって機械的に動かされるにすぎないとした。
  周知のように、仏教では外教の本体説と違って、【心を生滅変化する現象としてのみとらえ】、
 心に自主自律の積極作用があるとしても、それは他の種々なる条件(縁)によってはじめて作用するという
 無我縁起の説を立てた。
  このように仏教では生命活動や精神作用を自主自律のものとして認めるとしても、
 【その奥に常住の本体があるかないかはこれを問題とせず】、【現象として表面に現れているものだけを】考察した。
 この意味の生命や精神の自主的活動力のことを仏教では根(indriya)と呼んだ。[生物学的器官も含。]
 根の概念は仏教以前のウパニシャッド等で既に説かれており、仏教もこれを採用しつつ、仏教独自の立場から解釈した。』


補:ttp://fallibilism.web.fc2.com/051.html
623宝珠愚者@(規制代行):2013/01/27(日) 03:36:21.78 ID:/LDXGIP6
>>596
>この能力こそが不都合に働く、自我に捉われる作用を引き起こす。

はい、いいたいことは分ります。
そういうマイナス面があるというか、
そう成り易い気質であるということは確かにいえるでしょうね。

>>601
らしいですね!
よって、永久的に男女の両者は互いを理解できないとのこと。

聖書の物語では、アダムからイヴ(エヴァ)が創られたとありますが、
生物学的には女性の肉体の方がより原初的であり原型とのこと。
つまり、男性が後から登場した女性よりも進化した肉体ということらしい。
624宝珠愚者@(規制代行):2013/01/27(日) 03:44:00.78 ID:/LDXGIP6
>>613
はーい、宜しくです。

エーと、私の見方としてはつまり、
龍樹も恐らく、本来はなかった「無為」も「一切法」の
中へと投じてしまった部派の影響を受けたのだろうと思います。
そのために無我は無為についても適応されるものとされた。
原始経典は部派によって所蔵されていたわけですから、
ゴータマの教法の内容を受け継ぐとしたならば、結果的にそうならざる得ませんから。
625カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/27(日) 06:42:59.75 ID:3iz4E6mx
なんだ。世界メジャー宗教の中でも下らなさじゃ一、二位を争う
唯物末法仏教はなぜ宗教は女に対して差別的、否定的な記述が多いのか、
宗教的な意味での男とは何か?女とは何か?も説明できないんだな。
ま、空理空論中論唯物末法仏教はただの哲学で、宗教的にはまったく価値がないので
仕方ないといや仕方ないやね。ちなみに生物学上の女は執着心が強く、
嫉妬深く、妬み深く、独占欲が強く明らかに男より業が深い。彼女らが涅槃に入るのは
男より難しいだろ。だが、DNAの命令に逆らって生きることができるのは
言葉で思考できる人だけであり、彼女達も全く涅槃に入ることはできないと言うことはない。
現にテーリガータ(尼弟子の告白)を読めば、ゴータマの時代(正法の時代)には
尼弟子も男の弟子同様、阿羅漢になっていたようだしな。結論から言おう。









女は駄目だ。
626前世は一在家:2013/01/27(日) 08:44:54.19 ID:AKXg+QkW
(参照:浄土への道標 昭和5年 第57回)

女人成仏の御話(歓喜心の話)

ブラサーダと云う事が梵語に有る。梵語のブラサーダと云う事はお釈迦様の御説法に屡々御用いになった御言葉である。
近くは浄土の三部経の中の大経と云う書物の中にお用ひになっておる。
康僧鎧と云う人が四十八願の中の第三十五の願の女人成仏の願文の中に歓喜信楽とあらわせてあり、又第十八願の成就の文には信心歓喜と説いて有る。
ブラと云うは前知と云う事、サーダはサーダー変化してと云うのは前に座る、道に進み行くと云う意味になっておる。或は進み出て座ると云う意味をなして居る。
貴女方でも私でも仏様の大慈悲心を信としたる上からは、歓喜心を以て進み出て仏の前に座わる、之を信じて疑わざる実状である。
丁度子供の喜びは子供心の純真なる喜びが満面に現われる。外の事は取捨てて只、其の事のみ顔面に現わす。
大人は取繕ろいをするでそのまま現われると云う事は無い、子供はそのままで顔面に現わす。お互い子供心にかえりたい。
子供に心にかえったらば苦しみは無い。歓喜心と云うのは親が先に喜ぶのである。御釈迦様はお譬喩によりて此の心理を得させて下さったが先達てのお話に有る。
尚たとえを一つ申せば、母親が十月満ちて赤字を産みおといた時には身体えらいのも何もかも打忘れて懐妊の苦しみも出産の苦しみも打忘れて子供の顔を見て喜ぶが、之が信心歓喜と同じ様なものじゃ。
627神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 09:56:16.12 ID:l7rfoVqy
歓喜とは所詮その程度の話
おもちゃで遊んでいるに過ぎない
信心歓喜もまた同様
おもちゃ遊びの領域を脱しない
だが、形あるものいつかは崩れる。滅ぶ。
それは構造的に苦と言えるものではあるが、
根本的に苦という相はなく学習不足からくる誤解であり、
つまるところは当たり前のことである。
所詮は寝言である。
628神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 10:04:36.39 ID:cFulV7xV
>>624
>龍樹も恐らく、本来はなかった「無為」も「一切法」の
>中へと投じてしまった部派の影響を受けたのだろうと思います

そっかw 宝珠さんは法を「もの・存在」の意味でとってるんだっけ。
有為法は、「有為なるもの」とそれを言葉にした「教え」を意味してるんだよ。
無為法は、「無為なるもの」とそれを言葉にした「教え」を意味してるんだよ。

法が「もの」だけを意味して、「教説」を意味しないなんてことは、基本的にはないよ。
629神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 10:06:49.43 ID:/tKFPtmD
>>624(宝珠)
>>625(カラス)
>>626(前世は一在家)

おお、お笑い三オ馬鹿ルトのそろい踏みかあw

いつもいつも、妄想心霊主義物語で笑わしてくれて、ありがとう!

俺は無条件の母性に菩薩を観る。
630SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/27(日) 10:18:45.53 ID:djLPBOqH
もろもろの徳のうちでは「情欲を離れること」が最もすぐれている。そのような人を菩薩と呼ぶ。

***
631神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 10:30:21.78 ID:l7rfoVqy
学習不足におもちゃ遊びは欠かせない
本読みしてもいいし、じっくり考えてもいい、外界で経験を積むのもいい
一切がおもちゃ遊びであり学習不足はおもちゃ遊びにて補われる。
しかしそれは単なる玩具であり遊びであることを忘れてはならない。
632心霊本質主義批判:2013/01/27(日) 10:31:26.43 ID:/tKFPtmD
>>572(宝珠)
>煩悩を消散した後に本来の清浄な自己意識が立ち現れる。
>これが“自性清浄心”です。

   立ち現れません。ハエ連中の勝手な妄想です。

縁起の直接現実=空・中道に“自性”や“清浄”という分別観念そのものがありえない。
空であることを、空っぽとか、ゼロとか、頭まっ白程度という分別性でしか掴めない未達者の妄想です。
“自性清浄心”なんて、マハーカッサパ教スコラ部派“大衆部”の無批判なパクリだw
「自性」とはプラクリティですか?スバヴァーヴァですか?
清浄って誰が、どこで、どのように確認したのですか?
本質主義は明確な反仏法です。
まったくの形而上学的妄想=戯論でしかない。

だいたい存在(現象)を有為と無為に分別する時点でナンセンスそのもので、スコラ部派は完全に終わってる(中論7-33参照)。

縁起を無視する様相を認める時点で心霊本質主義への堕落だ。

それはフィクション妄想への執着→苦の原因の妄想作出に他ならず、仏法の本懐に明確に反する。
『最上の<想いからの解脱>において解脱』(Sn.1072)する趣旨がまったく掴めていないことの証明だ。

>(増支部/AN. I, p.10, ll. 11-18. cf. ibid. p.10, ll. 5-8)

このでっち上げ仏教典を書いたスコラ坊主が悟っていないことは明白だ。
633神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 10:32:47.74 ID:i5kRqIzl
>>630
中村訳『ダンマパダ』273 に誤伝で「そのような人を菩薩と呼ぶ」を付けたみたいね。

「情欲を離れる」徳持ちなら菩薩じゃなくても声聞・独覚はもちろん、外道の聖者にもいそうだ。
634心霊本質主義批判:2013/01/27(日) 10:37:35.64 ID:/tKFPtmD
>>621(水野 弘元)
>大衆部系の心性本浄説から発達したとされる大乗仏教における如来蔵説や仏性説では、
>清浄なる本性としての【常住不変とも見られる心性】が考えられているのに対して、

水野は「心に理想追求への積極的な可能性や能力としての如来蔵や仏性を認めなけれ
ば、修行証果の可能性も説明できないことになる」という。

しかし、そうではない。
如来蔵や仏性論は直接現実の様相に善⇔悪、良⇔否,清浄⇔汚濁の価値判断を密かに持ち込む
神秘主義・心霊主義・分別主義にほかならない。
成りすまし反仏法である。

「外教のアートマンなどと混同しない」などと言い訳がましく付け加えるが、
現象の背後に本来的な形而上的実体を認める本質主義という点で同根の誤謬である。
635ノスタルジア:2013/01/27(日) 10:45:42.74 ID:6PmNg1LC
(・悪人(感情移入する者)
(・偽善者(分かり切っていると錯覚する者)
(・日常者(仏教的概念を無意識的に使う者)
(・外道(ラウで騙す者)
(・善(言葉を紡ぎ出す者)

海とはつまりのところ、誓願海、言音海、大義海、一切の菩薩の諸根海、
煩悩海、善根海、聖功徳海、法海、一切諸佛の海、大愛楽歓喜の海、名号海、
大喜楽福徳の海、愛欲の海、行海、欲海、法門海、願海、辯才の大海、
信解海、大悲海、智海、一切の衆生海、心海、行門海、衆海、劫海、
方便願海、如来の功徳の大海、智慧海、荘厳海、解脱海、生死海、陀羅尼海、
大悲心相応海、神通智慧海、一切の佛の功徳海etc

白馬の騎手
そして、わたしが天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、
「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。その目は燃え盛る炎のようで、頭に
は多くの王冠があった。この方には、自分のほかはだれも知らない名が記されていた。また血に染まっ
た衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清
い麻の布をまとってこの方に従っていた。この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち
倒すのである。また自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これは全能者で
ある神の激しい怒りが込められている。この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。
636神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 10:49:26.18 ID:i5kRqIzl
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/30.html

法界、如来蔵、仏性は、空性に他ならず、
有るといっても仮にそのような戯論寂滅した本来の状態を指しているだけで、
実在としてあるわけじゃない。

批判仏教などの妄想如来蔵批判を真に受けてる人は可哀想としかいえない
637ノスタルジア:2013/01/27(日) 10:56:39.48 ID:6PmNg1LC
ヨハネの黙示録にこう書いてある。
16の2に、
そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を
押されている人間たち、また獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。
↑ >>635 の五者中の前四者は、16の2に書いてある、そのような者達のことである

ヨハネの黙示録の16の3にこう書かれている。
第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、
その中の生き物はすべて死んでしまった。
>>635 の真ん中の文章で書いてある海のすべてが、16の3の海である。

そして最後の白馬の騎手は僕のことだと思っているwwwwww

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【種を蒔く人としての僕のたとえ】
・男の子と女の子が一方通行のところへ犬を追いかけて行った、二人を救えば
回向である。

この話はどういうことだろう?

・街が輝いてないと、あなたの聖書にちゃんと書いてある。

この話はどういうことだろう?

・ドラえもんを教会で復活させ、勇者二人で不死鳥と戦う。

この話はどういうことだろう?
638ノスタルジア:2013/01/27(日) 11:04:41.03 ID:6PmNg1LC
みんな獣の数字にとらわれすぎじゃね?まあいいけど、聖書の虚妄を見破らないと・・・。
そして、自分のために書かれたということ、誰のためでもなく自分のために書かれたということを
ちゃんと認識しないと!そうしないと駄目駄目だと思います。
639心霊本質主義批判:2013/01/27(日) 11:15:19.53 ID:/tKFPtmD
>>636
>法界、如来蔵、仏性は、空性に他ならず、

いつもどーりの、空性と付け加えれば“何でもあり”ですか、ハァ(苦笑

それを世俗世界では、適法なようにみえても「脱法行為」=実質違法行為というのです。

成りすまし仏教に他なりません。

たんなる形式論でしかない。
640神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 11:37:15.07 ID:i5kRqIzl
オイラが言ってるわけじゃなくて、ブッダ、諸聖者が言ってるんだけどね
法界、如来蔵、仏性は空性だって。なんでか、分かんないのは自分が理解してないだけのこと。

そのようにテキストの記述と自分の妄想が食い違うと、テキストが間違ってるとか、
そういうこと言うなら、テキストを引用する意味がない。

単に権威付けのために引用しているだけ、もっと言えば詐欺と変わらない。
641心霊本質主義批判:2013/01/27(日) 11:44:50.04 ID:/tKFPtmD
>>640
>ブッダ、諸聖者が言ってるんだけどね

書いてあるだけ。

経典創作者が「ブッダ、諸聖者」であることを証明してください。

>テキストの記述と自分の妄想が食い違うと、テキストが間違ってるとか、
>そういうこと言うなら、テキストを引用する意味がない。

龍樹にも同じ文句を言ってください。
642神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 11:49:50.47 ID:i5kRqIzl
>>641
>書いてあるだけ。
>
>経典創作者が「ブッダ、諸聖者」であることを証明してください。

 そんなの信って前提で読まなければテキストを扱う意味がない。
 妄想に一致する断章取義では、単なる詐欺でんがな。

>>テキストの記述と自分の妄想が食い違うと、テキストが間違ってるとか、
>>そういうこと言うなら、テキストを引用する意味がない。
>
>龍樹にも同じ文句を言ってください。

 何、龍樹菩薩が経典が間違ってると言ってるっていうのかい?
 そりゃ、何処よ。ただの誤読だと思うけど。
643心霊本質主義批判  カーラーマ経:2013/01/27(日) 11:56:56.52 ID:/tKFPtmD
>>640

1 聞いたからとて信じることなかれ
2 語り継がれたこととて信じることなかれ
3 人々が噂をしていたからとて信じることなかれ
4 教本に引用されていたとて信じることなかれ
5 論理だけで信じることなかれ
6 推論だけで信じることなかれ
7 様相だけで信じることなかれ
8 自分の見方に一致するからとて信じることなかれ
9 説者が堪能とて信じることなかれ
10 師なりとて信じることなかれ

「如理作意」であり
自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。

「信仰」重視の信仰「仏教」と明らかに一線を画す。

 「まず、みずからを依りどころとせよ」
 
 それが、ブッダがもっとも重視していた点だ。
644心霊本質主義批判  カーラーマ経:2013/01/27(日) 12:00:17.09 ID:/tKFPtmD
>>642
>龍樹菩薩が経典が間違ってると言ってるっていうのかい?

龍樹「わたくしには主張は存在しない。まさにそのゆえに、わたくしには理論的欠陥が存在しない。」(廻諍論29・30 )
645神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 12:15:16.76 ID:l7rfoVqy
>>643
そんなことは当たり前であり、
テキスト主義は4番目の倒錯に陥っているといえる。
当たり前だから(フィードバック)
んなもんどうでもええわであり(菩提心)、
当たり前に従うだけである(法帰依)
法とは当たり前に過ぎない(自帰依)
646神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 12:29:52.92 ID:i5kRqIzl
>>643
しょうがないな、遊びに言っても無駄だけど、勘違いする人が居ないように訂正しとくは

まず、以下の根拠を示せないなら、間違いハッタリだってことね。

>>641
>>テキストの記述と自分の妄想が食い違うと、テキストが間違ってるとか、
>>そういうこと言うなら、テキストを引用する意味がない。
>
>龍樹にも同じ文句を言ってください。

筆が滑ること誰でもある、問題はそれが認められない人だ。
そういう人とは話しても無駄なんだ。
なぜなら自分の妄想が正しいとがなりたてるだけだから。

カーラーマ経はまあいいとして。

> 「まず、みずからを依りどころとせよ」
 
 「まず」っていう言葉を「第一に」と採ってるんだろうけど、
 「まず」なんていう意味に相当する言葉がテキストにあるのだろうか?
 私は知らないけど、勝手に付けたんでないなら、示してみて。
 示せないなら、これも詐欺ね。

> それが、ブッダがもっとも重視していた点だ。

 こんなの妄想でしょ。なんの根拠もない。
 自洲ってのは仏教を修行できる人身という拠所という意味で、
 自分の認識に依れという意味では全くない。

 自分の認識ってのは倒錯してるから無明なんだぜ。
647SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/27(日) 12:30:09.29 ID:djLPBOqH
真実を知ろうと熱望する人が、菩提心ある人である。
懺悔し終わったならば、法帰依をしたことになる。
ここに因縁があれば解脱が起こる。

これが覚りの道の全貌である。

***
648神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 12:31:10.44 ID:i5kRqIzl
>>644
経典が間違ってるなんて言ってないだろ。

主張がない、見解がないって意味だ。

誤解だな。さて、認められるか?
649神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 12:36:12.80 ID:l7rfoVqy
真実とは現象としてゴロゴロ転がっている。
それを真実でないとの偽りこそが倒錯である。
650心霊本質主義批判  カーラーマ経:2013/01/27(日) 12:50:21.46 ID:/tKFPtmD
>>646
しょうがないな、オイラ氏に言っても無駄だけど、勘違いする人が居ないように補足しとくは

>なぜなら自分の妄想が正しいとがなりたてるだけだから。

そっくりそのまま『「信仰」重視の信仰「仏教」』さんへお返しします。

>「まず」なんていう意味に相当する言葉がテキストにあるのだろうか?
>こんなの妄想でしょ。なんの根拠もない。

菩提心で掴んだ仏法のゲシュタルトの片鱗ですから、テキスト字句を問うのはナンセンスです。
キチンと
『「如理作意」であり
自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
上記が法に違えているというなら、菩提心自己で示すべきです。

経典も、見解も分別です。自性分別妄想批判では変わりがない。

『誤解だな。さて、認められるか? 』
651SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/27(日) 12:54:49.59 ID:djLPBOqH
世に真実が現れることは稀有である。

しかしながら、人と世の真実を見極めた人は、真如を見、その真実の実在を(微かに)覚知する。

そこで因縁があれば智慧を得て、一切から解脱する。ここにおいて、識別作用が滅し、真実の真相が明らかとなる。

その真実を知った人は一切と争うことがない。一切と争うことが無くなった人は、その真実を知ったのである。

***
652神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 12:56:58.59 ID:l7rfoVqy
あとは死ぬだけどーでもええわってことだw
653神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 13:02:19.80 ID:l7rfoVqy
智慧に拘る馬鹿もどーにかならんかねw
654神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 13:13:32.95 ID:l7rfoVqy
智慧なんてものは観察記録の集積でしかない
学習能力のない馬鹿はいつまでたってもテキストに拘る
655神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 14:02:36.93 ID:i5kRqIzl
>>650
で、オウム返し以外に典拠は示せないわけね。しかも誤解だったとも認められないと。

>菩提心で掴んだ仏法のゲシュタルトの片鱗ですから、テキスト字句を問うのはナンセンスです。
>キチンと
>『「如理作意」であり
>自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
>上記が法に違えているというなら、菩提心自己で示すべきです。
>
>経典も、見解も分別です。自性分別妄想批判では変わりがない。
>
>『誤解だな。さて、認められるか? 』

 要するにオレチャンはこう妄想しますってことでしょ。
 で、オレチャンが思うことと違うのは間違ってると。
 池田晶子なんかが正しくなって、伝統仏教が正しくないと。
 これは妄想で、仏教でもなんでもないって真っ当な人なら誰でも思うと考える。

 こんなこと言われて間違ってました、アナタの仰ることが仏教ですなんていうヤツいないは。
 但し対面して語外に偉大な行為を示す場合は違うよ。

 ところが遊びは、単純な間違いも認めらない、オイラがオウムだというような完全な悪意の誹謗中傷もする狭く下劣な行為しか見られないのにだよw

 まあ、以上で当分充分でしょ。また、時がたって遊びを信用するかもしれない雰囲気になったら、書くかもしれない。
656心霊本質主義批判  カーラーマ経:2013/01/27(日) 14:22:49.57 ID:/tKFPtmD
>>655

『「如理作意」であり
自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
上記が法に違えているというなら、『「如理作意」であり
自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
上記が法に違えているというなら、菩提心自己で示すべきです。


>>655の妄想揶揄はとうてい「菩提心自己」によって発せられたものではありえない。
応答するに値せず。

>伝統仏教が正しくないと

伝統仏教などは存在しません。ましてや存在しないものに正しいもなにもない。
ですからアタシは仏教者ではありえません。

仏法のゲシュタルトそのものの崩壊、それが悟達です。

仏法のゲシュタルトとは何か、それは誰も識りません。
657心霊本質主義批判  カーラーマ経:2013/01/27(日) 14:27:29.11 ID:/tKFPtmD
656訂正
× 『「如理作意」であり
自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
上記が法に違えているというなら、『「如理作意」であり
自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
上記が法に違えているというなら、菩提心自己で示すべきです。

〇『「如理作意」であり
  自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依 だ。』 と提示しています。
  上記が法に違えているというなら、菩提心自己で示すべきです。

 
658SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/27(日) 15:05:57.24 ID:djLPBOqH
法(ダルマ)は、我が身に体現しない限り、その真実を知ることはできない。

ただ、真実を知ろうと熱望する人は、因縁によって解脱し、ついに法(ダルマ)の体現者となる。

それゆえに、こころある人は、真実を知ろうと熱望せよ。その先に、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)が確かに存在しているからである。

***
659神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 18:27:45.88 ID:6O4+z1o0
真実かどうかの検証方法
 
@ 体験できるような主張は、真実以外の何ものでもない。
 
A 論理的に正しければ、その主張は真実である、かもしれない。
 
B カビの生えた経典は根拠にならない。疑った方がいい。 
660神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 18:40:01.95 ID:6O4+z1o0
大王はいいね。釈尊の教えの、核心をつかんでいる。
 
カビ臭い頭には理解できないのだろう。
実践が伴わなければ、どんなに学んでも何にもならない。
 
百歳八萬の法蔵を談論すとも
三毒の賊いずくんぞ調伏せんや 空海
661神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 18:56:54.49 ID:6O4+z1o0
恋の至極は忍恋と見立て候 〜『葉隠』
 
男から「好きだ」と言っては落第、女に「好きだ」と言わせる。
ひたすら忍耐し、穏やかに少しづつ表現する。
うまくいかなくても忍び通す。
662神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 19:30:35.91 ID:6O4+z1o0
「言葉→具象物」の典型的な事例
 
創世記冒頭、神が「光あれ」と言ったら、光があった。
ヨハネ福音書冒頭、初めに言葉があった。
 
「具象物→言葉」から、「言葉→具象物」という転倒が生じる。
この転倒に、聖書は最初の最初から侵されている。
663前世は一在家:2013/01/27(日) 21:19:51.65 ID:AKXg+QkW
>>662
>創世記冒頭、神が「光あれ」と言ったら、光があった。
>ヨハネ福音書冒頭、初めに言葉があった。

貴兄が提示された事例だと、下記のように解釈できるかと存じます。

神が「光あれ」と言ったら、光があった。=初めに言葉があった=初めに神の意志があった
664神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 21:43:12.63 ID:l7rfoVqy
神の意志もクソも類人猿からの進化の過程に過ぎない
光あれとは意識の覚醒以外の何物でもない。
これが後の煩悩を呼ぶ原因となっただけのこと。
進化の過程においての痴は反逆罪といえるかもしれない。
665神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 21:49:29.62 ID:9/GYxXFW
そんなわけで一卵性双生児だが性格が違う。
オヤジはもっと低レベルの姉妹に引っかかったらしいが
666神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 21:50:14.32 ID:9/GYxXFW
まなかなー
667神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 21:50:45.90 ID:9/GYxXFW
どうすんのこれ?
668神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 21:50:53.23 ID:l7rfoVqy
三毒だが、いい大人が貪も瞋もねーだろ。
残る癡のみが対策要因かもしれないが、
確かに瞑想による観想しかねーかもしれないな。
669SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/27(日) 22:03:40.33 ID:djLPBOqH
>>668
三学(戒定慧)によって三毒(貪嗔痴)を制するのではない。智慧の解脱を果たしたとき、三毒は三学に転じることになるのである。

すなわち、覚った人には貪瞋痴が無くなり戒定慧が現れる。たとえば、大人になったとき、子どもじみた心は無くなり、遊び心が確立するようなものである。

観(=止観)は、覚りに向けた一つの方法となり得るが、観そのものによって解脱が起こるのではなく、観の完成を機縁とし、因縁を生じてついに智慧の解脱が起こるのである。

***
670神も仏も名無しさん:2013/01/27(日) 22:42:10.87 ID:l7rfoVqy
一切が大人方向であり、一切が遊びだつーの
夢は現在の心境を如実に現わすものとして面白いな。
夢で命のままに共産猿を一刀両断に成敗したが、悪いことしちまった。
大人と言えず、遊びとは言えないなw
671ノスタルジア:2013/01/27(日) 23:06:31.97 ID:6PmNg1LC
(・悪人(感情移入する者)
(・偽善者(分かり切っていると錯覚する者)
(・日常者(仏教的概念を無意識的に使う者)
(・外道(ラウ(理・法)で騙す者=大淫婦バビロン=仏国土建設)
(・善(言葉を紡ぎ出す者)

海とはつまりのところ、誓願海、言音海、大義海、一切の菩薩の諸根海、
煩悩海、善根海、聖功徳海、法海、一切諸佛の海、大愛楽歓喜の海、名号海、
大喜楽福徳の海、愛欲の海、行海、欲海、法門海、願海、辯才の大海、
信解海、大悲海、智海、一切の衆生海、心海、行門海、衆海、劫海、
方便願海、如来の功徳の大海、智慧海、荘厳海、解脱海、生死海、陀羅尼海、
大悲心相応海、神通智慧海、一切の佛の功徳海etc

洪水(=災い)に飲まれる人間は多い、ほとんどと言っていいだろう。
あなた方に警告する。神の刻印が押されることを願うならば、言葉を紡ぎ出す
ことを始めよ!144000人が救われる。言霊の弥栄の日本国を作ろう!

12の王の軸が必要だと思われる。天才的な人間12人がそれぞれ己を合わせた12000人の人々を統治する。
どのような方法でだろう。12の方法があることは確かである。だって12人いるんだからね。

俺が出来るのは12000人を、この手で、クトルフ神話のように、一人の創案から見事に、
広がっていく。九人の指揮官が私を一人の頂点に加えているはずである。
その一人一人が1200人を統治するのである。だから私は12の天才の長でありながら、
9人の指揮官の頂点に立つ総長でなくてはならない。次に隊長としての私は部下を九人持ってて
その私達10人はそれぞれ120人を統治しなければならない。さらに院長としての
私は、係員を九人持っているということになる。そしてその十人それぞれが、
12人を統治しなければならない。その十二人は間接的ではなくて、私の大事な人
を当て嵌めないといけないのか?それとも・・・、分からない。
実質144000人を束ねるのは、私ではない、私がやれるのは12000人を
統治するということだ!その重荷を快く私は受けよう。
672神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 08:50:32.85 ID:3d1C2/de
>>663
> =初めに言葉があった=初めに神の意志があった
 
どうかした? 論点が完全にズレている。
 
>>664
>神の意志もクソも類人猿からの進化の過程に過ぎない
>光あれとは意識の覚醒以外の何物でもない。
 
こういった解釈はありえるだろう。
673神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 09:08:26.98 ID:OA+G2atY
悟った先には善も悪もありません
674神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 09:42:34.45 ID:3d1C2/de
>>668
>三毒だが、いい大人が貪も瞋もねーだろ。
 
年齢に関係なく、元気がありさえすれば三毒が顔を出す。
年甲斐もなく、と言われないように注意(^^)

>>669
あなたのは本で学んだ知識ですね。
実戦的でなく、たぶん解脱の役に立たない。
675神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 09:45:21.87 ID:dC0MYg9i
>>674
ここで体験から語ってもねえ

それでも語りたいなら、せめてみんなの目の前に現れるような神通でも見せないと

話にならないと思うけどねえ
676神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 10:45:02.63 ID:67vmfqo1
だいぶSAN値が下がってきてるな
677オウムの神通:2013/01/28(月) 10:49:50.24 ID:1KRBShWV
>>675
>せめてみんなの目の前に現れるような神通

カルト根性剥き出しだなw

520 :神通力獲得セミナー:2013/01/25(金) 19:27:20.16 ID:bc7XdsDu
あるカルトとおぼしき団体のパンフに以下のことが書いてあった。

『次の能力が得られます

天眼通   千里眼、予知能力、透視能力
天耳通   地獄耳、遠くの物音を聞くことができる
他心通   読心術、テレパシー
宿命通   前世、今世、来世のことがわかる
神足通   テレポート
漏尽通   悟りを開く』

実は上記はオウム真理教のパンフレットだ。
これに反応した一在家はもちろんカルトだが、
>>675がオウムの資質があることが分かる。
678神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 10:58:41.74 ID:dC0MYg9i
>>677
アホだな、だから体験から語ってもしょうがないが、
体験から語るなら、そのぐらい見せないとって意味だ

体験から語ると、それぞれ体験があるわけだ。
誰もが各自の体験こそ真実だと思ってる。
その体験が真実であるという最低基準として他人が知覚できる証拠を見せてくれという意味

こりゃ、体験だけでなく言っていることの妥当性も同じ。
誰もが各自の理解こそ正しいと思ってる。
自分の論理では完結して正しいと思ってるからだ。
だから、その論理の妥当性の根拠としてテキストという他人が知覚できるものがないと、
その言葉・論理を信じるか信じないかという問題になるのがなんで分かんないかな。

で、仏教の話に池田晶子とかを根拠として出す妄想の滑稽さに何で気づかないか不思議としかいえないわけだ
要するに自分の論理・妄想に合ってると正しいと思ってるだけなんだけどね
生命教とかカラスなんかと同じことしてるんだって、分からないかな〜
679オウムの神通:2013/01/28(月) 11:27:22.85 ID:1KRBShWV
>>678

何か、ワメいて誤魔化そうとおりますが、

やっぱり、効いてますねえw ハリセンボンですな。

池田晶子を根拠にしたことはありませんが、
池田晶子は、『信仰仏教』のあなたと違って
如理作意[yoniso manasikara:マッジマ・ニカーヤ Sabbasava sutta(一切漏経)]の人ですよ。
“ただ「yoniso manasikara(根源的に意を注ぐ)」ことにより、知り、見ることのできたときにのみ、
 「漏煩悩を消滅し尽くす」解脱となる”

池田晶子もアタシも物語りは物語だと指摘しているだけですよ。

信仰に執着している以上、仏法のゲシュタルトの崩壊はありえません。

                       以上
680神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 11:39:14.86 ID:dC0MYg9i
>>679
オイオイ、パーリもサンスクリットもできないのにハッタリで引用すんなよ

>如理作意[yoniso manasikara
>yoniso manasikara(根源的に意を注ぐ

どう対応して、なんで意味がつながるだい
二つの訳で一致するのは「意」だけだ、それが何に対応し
他が何に対応して、なんでそんな訳になるのか、説明できないなら恥ずかしすぎるは

その他は妄想以外のなんでもないしw
681神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 13:06:04.39 ID:67vmfqo1
おれも>>678に賛同するけどな
悟りというものの定義づけが体験なら、千差万別同じ境地を共有することなどできない
できるなら、それはたんなる日常にすぎないのであって悟りではない
682SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/28(月) 14:16:44.78 ID:2LAVu/U1
解脱したときには、解脱知見を生じる。

また、解脱と同時に三種の明知を生じる。

さらに、智慧の解脱、および身解脱(形態(rupa)の解脱)では識別作用の滅を見る。

それで、正しく解脱したと分かる。修行者は、汚れが消え失せるまでは油断するな。

***
683神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 17:52:44.73 ID:VSGpFG95
体験は神通力だけではないだろう。
 
神通、神通、神通力、神通力とヒステリックに喚いているのは、
 
凡夫の極みだな。お前はやっぱし凡夫だよ。
684神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 18:06:06.62 ID:67vmfqo1
>>679
それって喉カラカラのときに水うめ〜ってなるのと何がちがうん?
こいつ死にそうになったときに、生きてるうめ〜ってなったんちゃうん?
自殺したがり少女のパイプカットと同じやろ
685神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 18:11:34.16 ID:VSGpFG95
大王は荒削りだから誤解されるのかもしれない。
 
カラスさんの霊的波動はいいよ。しかしやはり誤解されるかも。
 
絶対神もいい。かれの話はできるだけ読んでる。
 
名無しでこれはいいと思っても、名無しだと目立たないね。
686神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 18:20:08.05 ID:VSGpFG95
>>673
>悟った先には善も悪もありません
 
そんなことはないって。善悪が無くなったら幼児帰りだろ。
釈迦はなんで「八正道」を説いたのか。
正しいことが善、正しくないことが悪ではないだろうか。
687SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/28(月) 18:55:17.32 ID:2LAVu/U1
>>686
悪は、とどめ、滅ぼすことができる。けだし、悪は欲心に宿るものだからである。

善は、知り、体現することができる。けだし、真の善は作られざるものだからである。

正しい道をまっすぐに歩む人は、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に達する。何となれば、それが法(ダルマ)だからである。

***
688神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 21:22:51.54 ID:VSGpFG95
>>687
あれこれ想像するのはいいけど、仏教用語はなるべく使わない方がいい。
読む人を混乱させるだけでなく、自分自身も混乱してしまう。
日本語、それも日常用語を使うべきだと思う。
689神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 21:36:35.38 ID:2LAVu/U1
正しく説かれた理法の言葉を耳にして、理解し、実践するならば、誰もが覚りに達し得る。それを説くのが仏教である。

しかしながら、正しく説かれた理法の言葉を耳にしても、それを理解する人と、理解出来ない者、曲解する者、聞く耳の持たない者、最後まで聞かない者がある。

もろもろの如来は、広く対機の法を説く。私もまたそのように説く。

覚りは、最初から最後まで各自のことがらである。こころある人は、正しく説かれた理法の言葉を耳にして、理解し、実践し、自らの因縁によってこの円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達せよ。

***
690神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 21:51:45.32 ID:VSGpFG95
正しく説かれた理法の言葉とは何。
 
簡単に説明できる?
691SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/28(月) 22:01:54.39 ID:2LAVu/U1
>>690
およそ世の中において説かれる理法の言葉には四種ある。これら四種の言葉は、それぞれの因縁によってときとして世に現れ出て、この世を清浄ならしめんとするのである。

@ 見事に説かれた言葉(法の句)
A 正しい理を語った言葉(理法)
B 耳に好ましい言葉(思いやる言葉)
C 真実を指摘する言葉(虚妄ならざる言葉,真理)

それぞれの言葉は、如来が説く。また、〈道の人〉が語る。また、善知識(化身)が発する。

これらの言葉を耳にして、人と世の真実を見極めたならば覚りの機縁を生じる。そのような人が、自らの観(=止観)を完成して真如を見、また解脱の因縁を生じたならば、それぞれの解脱が起こる。
一つは慧解脱であり、一つは身解脱(形態(rupa)の解脱)、そして心解脱である。

これが覚りの全貌であり、すべては理法を耳にするところから始まる。

***
692神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 22:07:41.58 ID:Sx2hXNDB
へぇ〜 そうなんだ〜
693神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 22:13:18.77 ID:VSGpFG95
>>691
だから、正しく説かれた理法の言葉とは何。
 
具体的に書いてほしい。
 
694SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/28(月) 22:21:53.63 ID:2LAVu/U1
>>693
正しく説かれた理法の言葉で、もっとも重要なものは正法である。

何となれば、人はこの正法によって、この正法の通りに、智慧の解脱を果たして仏になるからである。

すでに世に説かれた正法にはいくつかあるが、その例を示す。

釈尊: 諸々の尊敬さるべき人が、安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。(スッタニパータ)
法華経: 諸仏世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現したまう(方便品)
維摩経: 衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる
勝鬘経: 真実の教え(正法)をしっかりと身につけること自体が、真実の教えである
SRKWブッダ: 人をして安穏の境地に至らせ、そこに安住せしめる不滅の法(ダルマ)の存在とその威力についての正しい信仰があり、
その法を知って自らがブッダになろうと決心する正しい発心を起こした人が、徳行において精励し、聡明であって、真実の教えを聞こうと熱望し、
善知識が発する法の句を聞いてそれが正法そのものであることに気づき理解し、諸仏の智慧を一つでも自らのものとするならば、ついに覚りの境地に至る。

なお、理法、耳に好ましい言葉、真理について説かれた言葉は無数にあり、ここでは割愛する。

***
695神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 22:34:25.14 ID:VSGpFG95
>>694
>なお、理法、耳に好ましい言葉、真理について説かれた言葉は
>無数にあり、ここでは割愛する。
 
肝心なところは割愛だって? それじゃ話にならない。
情けないな。一例ぐらい挙げたらいいのに。
696SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/28(月) 22:37:43.35 ID:2LAVu/U1
>>695

ホームページ『覚りの境地』を参照されたい。

http://www.geocities.jp/srkw_buddha

***
697神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 22:47:36.31 ID:VSGpFG95
>>696
どうして答えられない。
 
肝心な部分を隠そうとするのは怪しいぞ。
698SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/28(月) 22:53:35.26 ID:2LAVu/U1
この世には、種々さまざまな怪しげなものがある。怪しげなものを怪しげなものと見たならば、近づかないに越したことはない。

賢者は、真っ当なものに近づき利益(りやく)を得るが、怪しげなものには近づかない。そうして、賢者はついに真理に到達するのである。

***
699神も仏も名無しさん:2013/01/28(月) 23:08:22.03 ID:VSGpFG95
本人は内心、悟ったと思っているかもしれないが、

やっぱし、SRKW氏は悟ってないな。
 
値踏み通りだった(^^)
700前世は一在家:2013/01/29(火) 00:01:19.12 ID:9yyOt8lw
>>677 :オウムの神通
>宿命通   前世、今世、来世のことがわかる

神通を語れば皆オウムですか。 理解しがたい論理ですね。
釈尊は2500年前に六神通や三明智を説き、私の祖父は80年前に前世のことを寝言で語りました。

参照:「浄土への道標」 
生をうける
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/6nen4951.html
御涅槃の御話
http://minamotonoshin.life.coocan.jp/6nen2223.html

尚、これらの話は私が浄土宗(前世)の頃に聞きました。
701神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 01:17:12.60 ID:nlJcYFuJ
        <暴かれた真光>

http://space.geocities.jp/mindmanipulate/hikari/mahikari.html
702神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 01:25:09.08 ID:nlJcYFuJ
<国際カルト真光>

   http://mahikariexposed.com/jarchive.htm
703神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 02:36:55.19 ID:2lbUsjQv
超カルトの真光や神智学が、例外なく釈迦とイエスに群がってくるのは何故か。
この両開祖が、超カルトの要素を有するからである。

すべての宗教者は、猛省が必要。
704前世は一在家:2013/01/29(火) 06:28:43.99 ID:9yyOt8lw
>>700
>釈尊は2500年前に六神通や三明智を説き、私の祖父は80年前に前世のことを寝言で語りました。

私が紹介した「浄土への道標」は真光立教より30年以上前の出来事で、真光とは一切関係なく、浄土宗、浄土真宗を始めとする仏教に関わる話です。
705前世は一在家:2013/01/29(火) 06:46:32.89 ID:9yyOt8lw
>>703
>この両開祖が、超カルトの要素を有するからである。

ともに当時の新興宗教だっただけでしょう。
706神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 10:20:43.90 ID:ROpFdR8z
>>705
>ともに当時の新興宗教だっただけでしょう。

現在でも、実態は微塵も変わっていない。
707神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:01:43.04 ID:/sMh6Zq1
何か天災があると人を埋めたりするのが昔の常識ですが?
708神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:09:34.68 ID:3gqjNjsg
神通力は・・・ウソなのか方便なのか。
 
かりに本当だとしたら、それらは有為法なのか無為法なのか。
 
神通力があったら「空」に矛盾しないのか。
709神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:11:49.00 ID:nlJcYFuJ
>>704
>私が紹介した「浄土への道標」は真光立教より30年以上前の出来事で、真光とは一切関係なく、浄土宗、浄土真宗を始めとする仏教に関わる話です。

そもそも、カルト・マヒカリがなぜここで妄想を垂れ流したがるか。
これだけの被害者を出し、岡田一族を豚のように太らせながら。

マヒカリも大本系、それだけで十分だろう。

>>釈尊は2500年前に六神通や三明智を説き、私の祖父は80年前に前世のことを寝言で語りました。

なんらの挙証に耐えうる根拠がない。
人間は妄想・洗脳を含め経験的な既成概念として脳のデータベースに蓄積されたコト以外は語れない。
現代の脳科学に耐え難い。
710神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:14:35.81 ID:WfZLEph1
>>681
そう。釈尊も諸聖者も悟りとか涅槃を定義したり、直接指示したりしてないよ。
間接的に譬喩表現はしてるけどね。

だから、尚更、悟りとか涅槃みたいな言葉を超えたことをここで話してもしょうがない

釈尊も諸聖者も悟りとか涅槃へ至る道、方法を教えたわけ。
それがブッダの教えという意味で仏教。
その教えの内容をテキストに沿って話し合おうというのがこのスレの基本だと思ってる。

なぜなら、テキストならそのマテリアルな面はもちろん、説かれている内容の解釈についてもある程度の妥当性、それはありえない解釈だということが言えるから。
711神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:17:20.39 ID:WfZLEph1
>>708
>神通力は・・・ウソなのか方便なのか。

 どちらでもない。縁起・空性・仮設ですよ。

>かりに本当だとしたら、それらは有為法なのか無為法なのか。

  有為法でしょう。

>神通力があったら「空」に矛盾しないのか。

 全く矛盾しない。世界の現れ、体験、知覚で縁起・空性・仮設でないものはありません。

 こういう問いをするのは縁起・空性・仮設が分かってないということを示しています。
712神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:25:12.55 ID:3gqjNjsg
神通第一と言われた目連は敵対勢力に殺され、
釈迦も毒キノコにあたって死ぬ。
これだけで神通力など作り話なのが明らかではないか。
 
中論22章16詩「如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性
である。如来は本質をもたない。この世間もまた本質をもたない。」
713神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:29:38.56 ID:/sMh6Zq1
神の怒りを静めるのに人を埋めるという常識に挑むのは大変だったでしょう
714神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:30:23.93 ID:/sMh6Zq1
今の常識も未来においてはおそらく常軌を逸しているといわれると思う
715神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:54:54.16 ID:8ROFk9zU
仏教的には、神通力とメジャーリーガーの剛速球との
間には大差はないんだろうなあ。
716神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 11:58:14.53 ID:nlJcYFuJ
>>711
>世界の現れ、体験、知覚で縁起・空性・仮設でないものはありません。

ブッダの本懐(四諦)に反するまたは余計なウソ、インチキ、謀略、妄想「仮設」が
溢れかえっているという現実を無視するノーテンキなテキスト主義が批判されている。
717SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/29(火) 11:59:26.25 ID:r/hN2jGI
世人が考え、思いつく、ありとあらゆる力、神通、不可思議をすべて具有し、さらにこの世のただ一人の統治者になったとしても、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)には遠く及ばない。

ニルヴァーナは、無上の楽しみだと知られるからである。ここに至れば苦悩がない。ここに至れば憂いがない。

***
718SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/29(火) 12:01:15.98 ID:r/hN2jGI
世人が考え、思いつく、ありとあらゆる力、神通、不可思議をすべて具有し、さらにこの世のただ一人の統治者になったとしても、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)には遠く及ばない。

ニルヴァーナは、無上の楽しみだと知られるからである。ここに至れば苦悩がない。ここに至れば憂いがない。

***
719神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 12:02:09.94 ID:ROpFdR8z
>>710
>その教えの内容をテキストに沿って話し合おうというのがこのスレの基本だと思ってる。

そのテキスト自体がカルトだったら無意味。釈迦仏教は、昔も今も超カルト。
720神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 12:06:46.94 ID:nlJcYFuJ
>>718
>ニルヴァーナは、無上の楽しみだと知られるからである

ニルヴァーナは勝義ですか、世俗ですか・
721神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 12:11:50.99 ID:ROpFdR8z
>>714
>今の常識も未来においてはおそらく常軌を逸しているといわれると思う

人間が「五感の知覚によって現実(ある・ない)を判断して生存に努める」のは、
人類発生以来の「常識」「法の中の法」。その常識(法)から逸脱した唯一の
営みが「宗教」。開祖の精神病の症状としての「現実離脱」「幻覚」「妄想」の
感染が原因。
722SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/29(火) 12:11:57.51 ID:r/hN2jGI
>>720
ニルヴァーナは、世間を出離した境地である。釈尊が説くように、

 ニルヴァーナによりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、ニルヴァーナにおいて思惟せず、ニルヴァーナより思惟せず、このニルヴァーナが自分のものとは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。(中部経典)

からである。

***
723神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 12:18:00.89 ID:ROpFdR8z
>>722
>釈尊が説くように、

精神病者のカルト教祖釈迦を信じること自体が、無意味で有害。

「世間を出離」したら、一瞬も生存できない。釈迦も、究極目的は「托鉢」
だった。
724神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 12:20:51.55 ID:nlJcYFuJ
>>718(SRKWブッダ )
>ニルヴァーナは、無上の楽しみだ

このあたり、サルのオナニーと変らんなあw

分別妄想を垂れながしているSRKWブッダとやらはその浅薄さにおいて
宝珠とたいして変らない。
ヒマが出来たら批判検討する。
725神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 12:23:53.73 ID:nlJcYFuJ
>>722
>世間を出離した境地

これは勝義なのか世俗なのか、と問うている。
726SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/29(火) 13:09:44.71 ID:r/hN2jGI
問いの形式を備えていても、内容が伴わないものがある。この場合、その問いは問いとは言えず、答えることができない。

修行者は、能く問う人であれ。能く問われたことは、必ず適切で利益(りやく)ある答えが得られるであろうからである。

***
727神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 13:23:43.79 ID:nlJcYFuJ
>>726
>その問いは問いとは言えず、答えることができない。

あなたの文言に沿った
内容を伴った問いですよw

ついでに『作られざるもの(智慧)』(>>332(SRKWブッダ ) )とは何か、
どういう根拠で判断したのか?
『作られたもの』(同)の分別の関係を述べよ。
728神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 13:25:44.96 ID:/sMh6Zq1
そのためにも自給自足から共存になったし自分の役割を果たさねば社会が回らない
729ノスタルジア:2013/01/29(火) 14:21:19.75 ID:/kY+aV0S
>>671諸々の海に溺れ死ぬか、ヨハネの黙示録に出てくる第四の騎士である「死」に殺されるかのどっちかなんだよね。
それは四苦をのたうち回り、最終的に四法印を体得するってことなんだけどね。

因果によって早くなるか、遅く来るかってことであって、死か生かであって、

ほんでねー地獄には僧が多いってK氏言ってたなー。僧ってのは、もちろん仏法を
信じるものだよ。だって仏法僧の三宝の僧には【仏・法】しかないからね。

だから、そのような仏教の言葉に惑わされないことが大事かな。

どうすればいいか海に溺れているなら船に乗ればいいのであり、
第四の騎士に殺されそうなら、ヨハネの黙示録に出てくる第二の騎士の赤い馬に乗っている者につけばいいのさ。
730神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 14:37:23.38 ID:Pc35GQ3+
【韓国】日本で盗まれた国宝級の仏像、釜山港から搬入・・・通関の鑑定は『贋作』[01/29]
http: //awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1359434862/
731SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/29(火) 14:38:37.68 ID:r/hN2jGI
>>727
智慧は不生なるものであり、作られざるものであると言う。その真実は、覚った人だけが知っている。

作られざるものの真相を知った人は、作られたもの(生死)から解脱する(覚りに達する)からである。これが法(ダルマ)の実際である。

知った人だけが、そのことを知っている。知らない間は、それを知ることはできない。ただ、語られた理法の言葉を聞いて、その真理を覚知した人が、この真理によって解脱の機縁を生じる。

こころある、いとも聡明な人が、正しく作為して、法(ダルマ)に則って解脱を果たすことになる。これが覚りの道の全貌なのである。

***
732SRKWブッダ ◆qj7I8AavIk :2013/01/29(火) 14:53:46.30 ID:r/hN2jGI
縁起の中にあって識別作用に翻弄されている人々にとって、縁起はまさしく実在のものであると感じられる。

しかしながら、不生なるものを識る人(つまりすでに苦が縁起せず、苦の源泉たる識別作用を滅ぼすに至った覚者)は、縁起が作られたもの(=生じたもの)に他ならないことを知っている。

そうしてもろもろの覚者は解脱の理法を、すなわち生じたものからの出離を語るのである。

 『作られざるもの(=無為)を観じるならば、作られたもの(=有為)から解脱する』

したがって、縁起を「常住不変の本質」の対義として想定されるものであると考えることは大過ないことである。なんとなれば、(完全ではないが)この考えに従い、

 『常住不変なるものを求めるのではなく、作られたもの(=有為)からの解脱を願う』

ならばそれは一つのすぐれた考えであるからである。

***
733ノスタルジア:2013/01/29(火) 15:18:16.11 ID:/kY+aV0S
仏教の釈迦と日蓮は結局のところ相違性を主張している。その主張はけな気な
ものであるが、凄まじいものである。それにひかれて、第三の獣である日蓮に
従う者になるか、または勝利の上の勝利をおさめる者つまり釈迦に従う者になる
かの二択で相違性は成り立っている。どこまで行ってもその二人の歴史上人物は、
無我でありそれに従う者達のどんな偉大な個性も無常であり、その人々は苦の極み
でしかなく、しかしあの寂静つまり、ニルヴァーナを生か死のいずれかで、
果たすだろう。生死生死生死生死その繰り返し、まさに輪廻から抜け出した
者になるだろう。しかしその逆の立場があると知ることは私を知ることでしかありえない。
それを一行開けて書き込む。勘違いをしてほしくないのが、釈尊に従うということと、
勝利の上の勝利をおさめるということはまったく違っている。私が言いたいのは
仏教を信じてもいいことはない。むしろ・・・。

言葉を紡ぎ出すということである。言葉を紡ぎ出すことで人々は一応、狭き門から
くぐる。それは門番との問答により承諾されたということである。しかしその中に
入っても獣の刻印の者達はいる。言葉を紡ぎ出すということが144000人の
神の刻印を押された者になるのではなく、戦う決心をついたものが、神の刻印を
押されるのだ。それは第二の騎士(赤い馬)と第四の騎士(青白い馬)は同一人物である
ことを示唆している。赤い馬が真実で、青白い馬が方便である。
734神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 15:20:08.84 ID:R9+m0xnx
>SRKWブッダ

意味不明のたわ言。釈迦そのまま。

全文を、「日常用語」と「具象語」を使用して書き直せ。
735神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 15:20:46.84 ID:WfZLEph1
>>712
>神通第一と言われた目連は敵対勢力に殺され、
>釈迦も毒キノコにあたって死ぬ。
>これだけで神通力など作り話なのが明らかではないか。

 神通によっても業は変わらないんだけど?
 神通を勘違いしてないか?

>中論22章16詩「如来の本性なるものは、すなわちこの世間の本性
>である。如来は本質をもたない。この世間もまた本質をもたない。」

どう誤読してるのか分からないけど、要するに如来も世間も無自性・空性だってことだよ。
言い換えるなら、如来という記号も世間という記号もあらゆる法は仮設だということ。
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=record&vid=27&mid=119847
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=record&vid=27&mid=119846

仮設というのは、言い習わしによって記号と意味がxとして仮に付けられて分節され知覚され、現れるというような意味ね。
736ノスタルジア:2013/01/29(火) 15:31:46.31 ID:/kY+aV0S
第一の騎士(白い馬)は相違性、第二の騎士(赤い馬)は同一性、
第三の騎士(黒い馬)は相違性、第四の騎士(青白い馬)は同一性である。

第一の騎士と第三の騎士の違いは、白か黒かである。白は白道を歩むだろう。黒は黒道を歩むだろう。
それは子羊(親鸞聖人)が言っていることである。まあ、専門的に言うと、
七つの神の霊(七高僧)と神(光炎王)とキリスト(炎毛)と白馬の騎手(毛線火)とか
の話になってくるのだが・・・。火や炎というのは情熱ということです。
情熱の系譜があるということ、それは、預言者親鸞聖人が言っていることだが。
まあ偽預言者である釈尊も親鸞聖人は、真、仮、偽の譬えで説明済みであるが。
つまり真とは親鸞聖人、仮とは日蓮大聖人(笑)、偽とは釈迦聖者(半笑)。

凄いことになって来たwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そして親鸞聖人の婚宴は無事成功(鎌倉時代に終了している)。
子羊の婚宴での花嫁は恵信尼。
その恵信尼が、親鸞聖人のことを夢のお告げにより、観音菩薩であると自覚していることを
恵信尼消息に書いてある。
737神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 15:32:26.71 ID:nlJcYFuJ
>>732
あかんなあw
アンタも結局、宝珠とか在家とかと同じ浅薄な神秘主義でしかない。

>作られざるもの(=無為)を観じるならば、作られたもの(=有為)から解脱する。

これ、落第です。
縁起は、<作られざるもの(=無為)でもないし、作られたもの(=有為)でもない。>
<無為⇔有為>は未達者の分別妄想でしかない。
『以上(中論7章)のように、<生>と<住>と<滅>とが成立しないから、有為は成立しない。
また有為が成立しないなら、どうして無為が成立するだろうか(成立しない)。』(龍樹 中論7-33)

法(ダンマ)に意味や理由を掴んだら、仏法になりません。
テキストをこねくり回して分かった気になっても、分別妄想でしかありません。
738神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 15:37:33.90 ID:WfZLEph1
>>737
遊びなら、>>680に答えんとあかんよ

答えられないなら、「すんません。読めないのにハッタリかましました」って謝んないと全く信用失うぞ

もっとも、もう既に失ってるんで、やぶれかぶれかw
739ノスタルジア:2013/01/29(火) 15:40:38.07 ID:/kY+aV0S
http://www.insightsofgod.com/downloads/formerbuddhistJAPANESE.pdf#search='%E9%87%88%E8%BF%A6%E3%81%AF%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AB%E3%81%84%E3%82%8B'

君達、イエス・キリストの重要さがまだわかってないみたいだ。
740神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 15:59:52.24 ID:nlJcYFuJ
>>738
>>680に答えんとあかんよ

揚げ足取りをやってるつもりで喜ぶ下司根性かw


「如理作意」のパーリ語は、yoniso manasikara (ヨーニソ・マナシカーラ)です。

もちろん、手段にこだわって目的を見失って、いまだに法を掴めない下司には、
鏡を視よと言っておこうw

いまだ「如理作意」を掴めない下司にとっては古代の死語が根源なのだろうw
741神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 16:19:28.59 ID:WfZLEph1
>>740
揚げ足取りではない。

オイラは原語が読めなくても分かってるなら、それでいい。

だが、読めないのにハッタリでパーリとか引くのは、色々分かってなくても経や中論を引用するのと同じだろ。


>「如理作意」のパーリ語は、yoniso manasikara (ヨーニソ・マナシカーラ)です。

こんなのパーリ分かんないのに言って何の意味がある。
しかもローマ字表記するなら、ヨーニソー・マナシカーラと長音を音引きで示すか、ヨニソ・マナシカラと音引き無しにするかのどちらかしかない
もちろん、意味も適当だ自洲を自灯明と読み、自分の判断に依れと勝手に解釈してるのと同じ

同様に色々無根拠な妄想発言を繰り返して全く反省しない。
恥ずかしくないのか?

懲りないと言う意味で、生命教やカラスと全く同じなんだは
742神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 16:40:16.17 ID:nlJcYFuJ
>>741

『テキストをこねくり回して分かった気になっても、分別妄想でしかありません。』(>>737

この言葉をあなたにも献上しましょうw

毒(言語)によって、毒(言語)を制することは不可能です。

それ自体が毒(言語)に他なりません。

よっぽどアタシのフリースタイルが気になるんですねえ。
この小心者が、夢の如くに文句をつけてござる。

お気に召さるなw
仏教なんてありもしません。
743神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 16:46:57.51 ID:WfZLEph1
>>742
特に気にならないよ、もちろん

ただ、あまりに酷い時は他の人のために言ってるだけ

君は聞く耳持たないのは、最初の対話で分かったから

妄想もたいがいにしといた方がいいぞ

君のは単なる観念的安心だろ。松本史朗とかああいうようなタイプ
政治的な平等論が根源にあって、適当に禅とか諸経論をコジツケてるだけ
744神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 17:01:13.67 ID:nlJcYFuJ
>>743
『君は聞く耳持たないのは、最初の対話で分かったから

  妄想もたいがいにしといた方がいいぞ 』
745神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 17:03:37.49 ID:kKAR2Erd
<汝はこの法と律とを知らぬ、われはこの法と律とを知っている。汝にはこの法と律とを知ることはできまい>とか
<汝のすることは間違っている。わたしのすることは正しい>とか
<わたしの言い方が正しい。そなたの言い方は正しゅうない>とか
<そなたは前に言うべきことを後に言い、後に言うべきことを前に言った>とか
<そなたの論議は非難せられた>とか
<そなたの言論は微塵に砕かれた>とか
<汝の説を脱せんがために巡遊するがよい。もし可能ならば自ら否定するがよい>というが如く
争論に夢中になっているものもあるが、そのような争論のことに夢中になることを慎む。
これも又、比丘の戒をなすものであります。

とお釈迦様が言ってるんだが
とりあえずお前ら争論ぐらいしたいだけすればいいと思うが議論の最後には必ず
<そなたの言論はわたしの言論によって微塵に砕かれた>って決め台詞今後付けるんだぞ
746ノスタルジア:2013/01/29(火) 17:26:35.44 ID:/kY+aV0S
舌切り雀ってのは、悪い結果の話である。
この物語での重要点は、お爺さんとお婆さんを雀達に対比するということである。

お爺さんは、千年王国にいる戦うことを諦めた人々であり、
お婆さんは、獣の刻印を押されたすべての人々である。

そして雀達は144000人の神の刻印を押された、言葉(キリスト)と子羊(親鸞聖人)を宿とする人々である。

これらは何を意味しているのだろう?
つまりお爺さんは、どれだけ凄い言葉を紡ぎ出しても隠居(脱落者)でしかないのである。
そしてお婆さんは、どれだけ凄い言葉を紡ぎ出しても死者(敗北者)でしかないのである。

その点、雀たちは、凄い言葉を紡ぎ出し尚且つ、戦っている者達である。

お爺さんはこういうだろう、でも時間が解決すると・・・。それは赤い竜を見ていない証拠だ。
お婆さんはこういうだろう、でも時間が解決すると・・・。それは赤い竜を見ていない証拠だ。

雀たちには逆がない。逆があるのは、お爺さんとお婆さんであり、矛盾を抱えた人間であることの証明でもある。

雀のお宿はどーこだ?(笑) 汝らは、その構造を見るだろう。私が分け与えたのだから。
でもお宿はどこにあるか知らないのが事実ではないか?構造を見ることは出来るが、
お爺さんとお婆さんは、視点が違うので、お宿を客観視してしまうだろう。
見つけたとしてもね。だんだん明らかになって来た。
747前世は一在家:2013/01/29(火) 17:51:20.04 ID:9yyOt8lw
>>712
>釈迦も毒キノコにあたって死ぬ。

イエスもゲッセマネで十字架を予知していましたが、あえて回避しなかった。
(天の父に「この盃は取り除いて下さい」と懇願しましたが。)

釈迦も寿命を知っていたので、あえて回避しなかったのでしょう。
ミッションを終えた意識は肉体を離れる時が来ても自殺する訳にもいかないでしょうし。
748神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 17:56:08.45 ID:/sMh6Zq1
意味ありげなことを述べて結論を言わないでは過去の人と同じですよ
749神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 18:07:24.59 ID:cw/eHL10
 
空もまた。戯論でしかない、という可能性はないのだろうか。
 
750前世は一在家:2013/01/29(火) 18:15:46.22 ID:9yyOt8lw
>>747
>イエスもゲッセマネで十字架を予知していましたが、あえて回避しなかった。
>(天の父に「この盃は取り除いて下さい」と懇願しましたが。)

参照:マタイ伝26:39 マルコ伝14:36 ルカ伝22:42
注:ヨハネ伝ではこの重要なシーンは割愛(筆記者の意図でしょうか。)
751神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 18:17:45.88 ID:cw/eHL10
>>742
>お気に召さるなw
>仏教なんてありもしません。  

こういう柔軟さが大王のいいところ。
悟りは一筋縄ではいかない。いくつかのステージがある。
このスレのみんなは、そのステージのどれかひとつにいる。
おおらかに言えばそういうこと。
752神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 18:19:51.31 ID:+sKGU2fJ
>>731

数学の公理みたいなものですか?
ユークリッド幾何学における三角形の内角の和が一定、といった
あるいは正三角形のイデアといった
これって「作られざるもの」ですよね?
753前世は一在家:2013/01/29(火) 18:23:18.10 ID:9yyOt8lw
>>749
>空もまた。戯論でしかない、という可能性はないのだろうか。

それは分かりませんが、有部が縁で龍樹の中論が起こりました。
つまり有部がいなければ、中論は起こらなかったかも。

龍樹には主張が無く、ただ有部への帰びょう法のみかと、中村元先生の「龍樹」を読んで感じました。
754神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 18:29:45.26 ID:cw/eHL10
空海は五穀断ちをして実質、自殺している。
現在から思えば、最澄も早死に、空海も早死にだろう。
 
あの時代は、水銀を不老長寿の薬だと思って口にしていた。
人間は往々にして正反対のことをやっている。
 
人間は・・・妄想をチェックする能力を持ってない。
755神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 18:49:16.44 ID:cw/eHL10
人間は・・・妄想をチェックする能力を持ってない。
 
御隠居はこれを指摘しているのではないだろうか。
あなたの主張は、現実の具象物に基づいているのか、と聞いている。
神がいるにしても、いないにしても、ここから出発すべきであり、
少なくても、あなた自身は体験しているべきだと。
 
実践して体験しないとダメだろ。
756神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 19:34:09.17 ID:q8JHJnRA
なんか、つまんないスレになったな・・・。






(もしかして、悟りスレもこんな感じなんだろうか・・?w)
757神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 19:43:06.66 ID:mMC3RjrX
ノスタルジアうぜぇ
758神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 19:44:53.45 ID:KSUvACk5
現実を楽しめるか否か辺りに悟りの分岐点があるな
現実を楽しめる者はどうしたって物事は好転する。
現実を楽しめない者はザマーミロってことだなw
759神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:00:47.72 ID:WfZLEph1
>>749
そりゃ、言葉なんだから戯論だし、仮設ですよ。
760神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:03:07.30 ID:WfZLEph1
>>753
>それは分かりませんが、有部が縁で龍樹の中論が起こりました。

別に有部に限定されませんよ。

ただ、有部が流行していたんで主たる導きの対象になったということはできるでしょう。
761神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:08:39.48 ID:KSUvACk5
>>759
イメージもそう。仮設だな。
それにまつわる感覚や感情もそう。仮設だな。
じゃあ何のために仮設はある?
意味もなくあるわけねーだろw
762神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:19:31.61 ID:WfZLEph1
>>761
仮設というのは、言い習わしによって記号と意味がxとして仮に付けられて分節され知覚され、現れるというような意味ね。
テーラワーダがいうラベリングの方が理解しやすいかも

記号論や認知論みたいな方向で考えた方がわかると思う。

別に意識的に仮に設定するわけじゃないですよ。
763神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:22:38.13 ID:mMC3RjrX
>>756
ノスタルジアのせい
764神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:34:06.52 ID:KSUvACk5
>>762
そのものズバリを言ってるんだがね
わかんなきゃ思慮が足らん
765神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:37:57.39 ID:WfZLEph1
>>764
そうか? じゃ、典拠は何よ?
766神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:38:23.13 ID:/sMh6Zq1
筋が通ると申しますが・・・・・字のごとく
767神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:45:01.95 ID:XO/SAeBv
>>749
>空もまた。戯論でしかない、という可能性はないのだろうか。

「空」に限らず、「無我」や「無常」も、見解として述べれば戯論になりますよ〜。
特に、諍いのために用いられると、です。特に、見解としての空は「空見」と言われます。
768神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:48:00.65 ID:cw/eHL10
セブンはつまんないヤツだった。
 
分類と類型化の好きなヤツで、つまんないの2乗ぐらいだったな。
 
ホントに、ご愁傷様でした。チーン
769神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:49:43.83 ID:/6+T0f+Z
>>758
今回の日揮のテロ犠牲者達でそれを説明してみ
悟りで説明してみ
770神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:50:44.51 ID:WfZLEph1
>>767
全く。

ちなみに、戯論は「戯れの論」とか「ざれごと」というような意味でなく、
言葉という抽象的な広がり、言語思考の空想力・妄想力

何か言葉で対象をxと知覚すること自体が言語思考の空想力・妄想力としての戯論で、言い習わしに添った意味で用いても戯論に他ならない。
771神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:51:28.66 ID:XO/SAeBv
>>752
>あるいは正三角形のイデアといった
>これって「作られざるもの」ですよね?

はい、アートマンと同様、「作られざるもの(無為)」ですが、法には入りません。
「アートマンや正三角形が無為ならば、それは認識されない。それらが認識されるならば、それは有為である」
と覚えておくと、良いと思います。
772神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:54:47.00 ID:cw/eHL10
 
空性という言葉も戯論に過ぎない
 
773神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:55:30.27 ID:WfZLEph1
>>772
そうだけど、だから?
774神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:55:59.04 ID:XO/SAeBv
>>759
>そりゃ、言葉なんだから戯論だし、仮設ですよ。

う〜ん…仏さんのように、行を滅している者の、導きのための言葉も戯論と呼ぶのでしょうか。
私は、それをあまり戯論とは呼ばないのですが…。
まあ、戯論というものを定義する気は無いのですが、一応。
775神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:57:19.43 ID:KSUvACk5
>>769
済んだことはしゃーない
次回ガンバロー
776神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:59:03.37 ID:WfZLEph1
>>774
大乗だと言いますね
777神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 20:59:46.44 ID:WfZLEph1
>>775
唯の妄想ですな
778神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:00:51.33 ID:KSUvACk5
>>777
日揮のテロ犠牲者達がな
779神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:02:09.98 ID:cw/eHL10
悟りも涅槃も神通力も戯論なのか、
 
それでいいのか。
780神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:02:30.25 ID:XO/SAeBv
>>708
>神通力があったら「空」に矛盾しないのか

神通力に限らず、因果を説くといった一切の言語活動もまた、空だから可能となります。

>>776
そうなんですね、典拠を聞いても良いですか。
781神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:09:59.64 ID:+sKGU2fJ
>>771

そうですか?
概念としての正三角形は明確に認識できますけど。自然言語にも数式にもできますので。
「互いに等距離にある3点を線分で結んだ形状」とか
「AB=BC=CA を満たす△ABC」とか

蛇足ながら、このような3点はみごとに「平等」です。
782神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:10:55.65 ID:KSUvACk5
>>779
間違いなくパーフェクトに戯論だ
済んだことはしゃーない
次回ガンバロー
783神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:18:03.38 ID:XO/SAeBv
>>781
>概念としての正三角形は明確に認識できますけど

そうなんですか?線の幅が0じゃないと成り立たない、
しかし幅が0だと頭の中でも見ることが出来ない、とどこかで聞いたような…。
この辺りの事について、詳しく教えてください。

>自然言語にも数式にもできますので

それは「文字」ではないでしょうか。
784前世は一在家:2013/01/29(火) 21:37:27.54 ID:9yyOt8lw
>>770
>ちなみに、戯論は「戯れの論」とか「ざれごと」というような意味でなく、
>言葉という抽象的な広がり、言語思考の空想力・妄想力

戯論=言語思考の空想力=物語=フィクション、とまず定義しますと、
非戯論=ノンフィクション、となります。

例えば輪廻はフィクションかノンフィクションかが今回の問いです。
意識は肉体を離れて存在するのか否かが拡張された問いです。

私の場合は事例をいくつか体験しているので、「意識は肉体を離れて存在する」と認識しております。
事例1)仏教の知識がなかった祖父が寝言で仏説を語って、目覚めるとまったく覚えてない。
事例2)主婦がノウマクサンマンダラで始まるお経を5分近く奏上した。
事例3)女性が知らないはずのフランス語を話し出し、その場にいたネイティブが保証した。ref.異言
事例4)家族にも見つからなかった故人の遺品の場所を、他人が話して、家族が見つけた。

よって因果の法、輪廻の法を説かれた釈尊は正しかったとの信を持っております。

また、肉体を離れた意識が他者に憑依して悪霊と呼ばれることを説いたイエスは正しかったとの信を持っております。
785神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:55:55.33 ID:WfZLEph1
>>779
言葉だとそうですよ

悟りや涅槃そのものの境地では無戯論なんで、言葉がない。

>>780
なんでもそうでしょう。
ただし、法身や受用身は無戯論で、受ける側も言葉で教えを受けるわけではありません。
色身、化身の場合は、解釈が分かれると思います。
しかし、受けて側から見れば言葉なのでそれは戯論でしょう。
786神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:57:38.37 ID:WfZLEph1
>>784
それでいくと輪廻はフィクションで、涅槃がノンフィクションです。
ただ、こういう言い方をすると誤解されるでしょう。

在家さんは、何か素直に取らないんですよね。
787神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 21:57:45.57 ID:KSUvACk5
>>784
寝言をさも事実のように言うなw
勝手に信じとけ
それがお前の限界だ
788神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 22:02:19.77 ID:WfZLEph1
>>787
アナタの方がもっと酷いとおもうけどなあ

理解も心も
789神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 22:04:29.10 ID:XO/SAeBv
>>785
>ただし、法身や受用身は無戯論で、受ける側も言葉で教えを受けるわけではありません。
>色身、化身の場合は、解釈が分かれると思います。
>しかし、受けて側から見れば言葉なのでそれは戯論でしょう。

な〜るほどね、さっすがですね!
まさか、落とし所もぴったり同意ですw
790前世は一在家:2013/01/29(火) 22:19:24.36 ID:9yyOt8lw
>>784 前世は一在家
>事例1)仏教の知識がなかった祖父が寝言で仏説を語って、目覚めるとまったく覚えてない。

>>787
>寝言をさも事実のように言うなw

寝言は233日分記録として残っております。
1回目は祖母のみが隣におりましたが、それ以降は同居していた両親や子供達も加わり、
近所の人達やお寺から来た数人まで同席して聞いていたそうです。
次第にこの不思議な出来事は話題になって地方新聞(岐阜日日新聞)にも紹介されたとの記録があります。
国会図書館かで調べられる方は一度お願いします。

(浄土への道標 昭和8年 第1回)
寝言「ふんふん初めの中は皆が信じなかったが、新聞でああ云う記事が出たので(日日新聞夕刊紙上に「昭和の怪奇霊と人との対面」と題して記事あり)人が追追と信じる様になる。」
791前世は一在家:2013/01/29(火) 22:31:26.10 ID:9yyOt8lw
>>790
>(浄土への道標 昭和8年1月1日 第1回)
>寝言「ふんふん初めの中は皆が信じなかったが、新聞でああ云う記事が出たので(日日新聞夕刊紙上に「昭和の怪奇霊と人との対面」と題して記事あり)人が追追と信じる様になる。」

(昭和6年5月5日 第49回)
この間の土曜日に大垣仏教座談会にて講演せられ八十余名の聴衆に感動を与えられたる由(当日泥酔にて帰宅の折、仏のお送りを受け仏様より委細承わりたり)

大垣の方(浄土系)でこのような話を聞かれた方は御一報いただければ幸甚に存じます。

>>786
>それでいくと輪廻はフィクションで、涅槃がノンフィクションです。

釈尊、龍樹、月称、空海、法然、親鸞らの頃は、輪廻も涅槃もノンフィクションだったと、オイラ氏は素直に取らないんですか。
792神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 22:39:05.48 ID:KSUvACk5
>>790
仮にそれが霊として、どこかのアホのおっさんの言に違いはない
だからそれは無価値であり誰もが無視する所以である
793神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 23:06:52.95 ID:nlJcYFuJ
>>791(前世は一在家)

あなたが信じたことだから、他者にも信じてほしいという感情は分からないでもないですよ。

しかし、そのようなことはあなたのお仲間内だけにされたらいかがですか。

ここでは、あなたを支持する人、共感する人は約一名を除き、誰もいません。

なぜあなたは、ココに居つこうとするのですか?ここまでほとんど軽蔑されながら。

はっきりいって、あなたはスレ荒らしになっています。

岡田家を豚のように太らせるカルトに用は有りません。カルトに対するマトモな反論も有りません。

荒らしですから、直ちに書き込みをやめ、立ち去ることを命じます。
794前世は一在家:2013/01/29(火) 23:18:28.23 ID:9yyOt8lw
>>792
>仮にそれが霊として、どこかのアホのおっさんの言に違いはない
>だからそれは無価値であり誰もが無視する所以である

(昭和5年10月16日)
仏 木ケン子経にいわく佛のたまわく
「若し煩悩を滅せんと欲せば将に百八の木ケン子を常に身に従がい、帰
依佛、帰依法、帰依僧と唱えかくして一子をすぐべし、かくの如くして百万遍に充たんには、百八煩悩の結合を断じて常に楽界を得べし」

(昭和5年11月16日)
御仏は阿弥陀如来より他に無い、矢張り絶大の権威、往生を決定さして貰えば勇躍歓喜となる。祖師以来伝燈の他力の一本槍は是より他は無い。
「本願力に会いぬれば空しく過ぐる人ぞなき、功徳の宝海満ち満ちて煩悩の濁水へだて無し」とおっしゃる。

↑「どこかのアホのおっさん」が(寝ながら)かまずに言えるセリフとは思えませんね。精神科医(弟)もこの点に注目しました。
795前世は一在家:2013/01/29(火) 23:31:09.08 ID:9yyOt8lw
>>793
>しかし、そのようなことはあなたのお仲間内だけにされたらいかがですか。

何度も断っておりますが、私の仲間には話しておりませんし、所属グループにも一切関係ありません。
私が生まれるずっと以前に起こった出来事が仏教に関係があるから紹介しているだけです。

因果の法を説いた釈尊よりも、龍樹の縁起の法を評価する人々に話しております。

>荒らしですから、直ちに書き込みをやめ、立ち去ることを命じます。

一体、あなたは誰ですか?
796神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 23:34:45.53 ID:XO/SAeBv
>>793
それマジレスで言ってるの…?

縁起の立場に立てば、一在家さんのような経験は何も驚く話じゃないよ〜。
797神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 23:40:34.50 ID:nlJcYFuJ
>>796
>縁起の立場に立てば

もうこのフレーズだけでアウトですよ。
798神も仏も名無しさん:2013/01/29(火) 23:51:09.82 ID:nlJcYFuJ
>>795
>一体、あなたは誰ですか?

 識りません
799前世は一在家:2013/01/29(火) 23:54:23.44 ID:9yyOt8lw
>>796
>縁起の立場に立てば、一在家さんのような経験は何も驚く話じゃないよ〜。

真言系か浄土系では時々ある話ですか。 それならば幸いです。

時間・運動を否定しない縁起の法=因果の法、と私は定義しております。
輪廻の法 ⊂ 因果の法 です。

輪廻の法では、悟るまでは意識は母胎に宿ったり、肉体から離脱したりを繰り返しますので、私の体験のような話は世界中で起こっていると存じます。
尚、大智度論では時間・運動を否定してはいないと読んでおります。
800神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 00:12:27.86 ID:kSrvPj8P
>>799
>輪廻の法では、悟るまでは意識は母胎に宿ったり、肉体から離脱したりを繰り返しますので、

 そのように断定されるのなら、明確に検証して証明をお願いします。

 仏法はあなたのような心霊主義ではありません。
 

>>786
>それでいくと輪廻はフィクションで、涅槃がノンフィクションです。

 仏法は、フィクションでもなく、ノンフィクションでもありません。
801宝珠愚者@(規制代行):2013/01/30(水) 00:14:56.54 ID:XdcihdYM
1/2
>>621-622
セブン、とてもためになる引用投稿をありがとうございました。

>『心性本浄説については、今日までわが国多くの学者によって取り上げられ、
>すでに論じ尽くされているといってよい。---中略---
>原始仏教や上座部系の部派では、そのような常住の心性は考えられず、
>【むしろ現象として生滅変化する心相が清浄であると】説いていると考えられるからである。
> 元来原始仏教では、外教で説くような常住不変の実体を問題とせず、
>経験可能の現象界だけを考察して、これを一切法と呼んだ。
>従ってそこには常住の心性というような考えが入る余地はないのである。

 私もこういうことは、もちろん知っています。しかしながら、これらの指摘については私は同意しません。
仏典の記述はあくまでも“本来は清浄である”といっているわけですから、どう読んでも「元々、これは最
初から清浄である」ということをいっている(原語は読めませんけれど・・・)。
 つまりは、不変的な性質を意味していますから、これは消滅変化する現象界の有為(一切法)ではなくて、
涅槃同様に分類されるべき“無為”だということになります。水野『要語』の解説にもある通り、「清浄」は
涅槃の顕著な特質であり、そして同義語なのですから。(『要語』「涅槃の同義語」p170-171)。
802宝珠愚者@(規制代行):2013/01/30(水) 00:15:38.40 ID:XdcihdYM
2/2
 私は、たとえ仏典といえどもパーフェクト100%の完全無欠の記述であるとはみなしていません。
 『原始仏教や上座部系の部派では、そのような常住の心性は考えられず、【むしろ現象として生滅変化
する心相が清浄であると】説いていると考えられるからである。』
といった具合には綺麗に収まるものではないでしょう。あまり変に拘り過ぎると重要なメッセージの理解に
失敗すると思います。ここは素直に読んで受け止めるべきでしょう。

 『仏教学者の服部正明博士によれば、原始仏典には仏性について「清浄なる心の本性」として説か
れており、この教えは釈尊の教えとして権威を認められていたのですが、上座部が仏説を整理して聖
典を編纂し、学説を体系化していく過程において切り落とされてしまい、説一切有部のアビダルマ仏教
では完全に無視されてしまい、龍樹によって般若心経の空の悟りの基となった「光り輝く心」として原始
経典にある「清浄なる心の本性」がやっと見直されることになったと語っています。』
(角川文庫『仏教の思想』4認識と超越<唯識>)

 私は、“自性清浄心/仏性”というのは大乗が気付いた重要過ぎる仏教の真理だと思います。これにつ
いては“テルマ”だといってもいいでしょう。

 “一切諸法は自性清浄なるが故に我もまた自性清浄なり”(浄三業)
803前世は一在家:2013/01/30(水) 00:24:02.87 ID:Rcl2ACCE
>>800
>仏法はあなたのような心霊主義ではありません。

 仏教は形而上学的原理としてのアートマンを否定し、そのためにこの思想立場は無我説と呼ばれていますが、
それは決してアートマンを否定したのではありません。
客観世界に見出されるいかなる実体もアートマンではない(非我)と主張したのです。
アートマンが実在するか否かということについては、まったく沈黙を守っていました。
 このことから仏教は無霊魂説と解するのは誤りです。
仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認しました。
(参照:「仏教のこころ」中村元)
804神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 00:44:57.23 ID:kSrvPj8P
>>803
>それは決してアートマンを否定したのではありません。

 否定していないから、肯定しても構わない(霊魂肯定) というのが在家とか宝珠などの

 外道“脱法主義者”の「立場」であり、形而上学的断定(戯論)であり、反仏法だ。

 一切内では検証可能で無我(なし)、検証不能の一切外では無記。ゆえに戯論に非ず。

 既に論破済み。学習効果がなさ過ぎる。

 世俗に於ける日常自我や菩提心自己を仮設されるのは当然で、
 霊肉二元論の心霊主義とは関係がない。
805神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 00:45:39.71 ID:/etHh069
>>801 >あくまでも“本来は清浄である”といっているわけで
>>802 >ここは素直に読んで受け止め

まったくもって、その通りだと思いますよw
「本来清浄であり、煩悩や(悪)業に染まっている」と。
が、ここで重要なのは、「清浄なる」とはどういうことか?ということです。
仏教の文脈では、それは、「煩悩や悪業に染していない」ということ以外にありません。
それはどういうことかといえば、(中観的には浄も不浄もないのでしょうがw)
勝義に於ける諸法は、因により縁により生じきたり滅しゆくものであり、
そこには、善悪や浄不浄といった分別の働かない、
フラットな、無味無臭な、相の変遷があるのみです。その意味で、清浄なるものなわけです。
だから、煩悩や業といった染料を除けば、諸法が縁起するのみの、「清浄なる」世界が立ち顕われるわけです。
 *(以前言いましたよね?私見ですが、仏教に於ける事象の発現は“偶然”である、と。
  まさに、この意味です。 棒線が引いてあったとして、それを
  「シャーペンの芯が落ちてる」と見るか「一文字に結んだ口の絵」「切り傷」「罫線」と見るか。
  そうではなく、煩悩に染まって(→分別計らいが働いて))何かだと当てはめるのでなく、
  単なる線として認識される(→清浄なる)事象である、と見るべきなのだ、と。
  決して、目的的に、褒賞・懲罰的に事象が発言するわけではありません。
  決して、清浄なることは、【隠れていた】【素晴らしい上物】が、皮膜を除かれて顔を出す
  (→もともとそこに清浄なるものとしてある)ということではないからです。)
806神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 00:51:39.88 ID:kSrvPj8P
>>801>>802

論破済み →>>629>>632>>634
その他、膨大な過去レス参照。
807神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 00:52:58.54 ID:Iqeevsw/
もう繰り返させるなよ
808神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 01:04:12.29 ID:kSrvPj8P
>>805

 全文章が誤解です。

>煩悩や業といった染料を除けば、諸法が縁起するのみの、「清浄なる」世界が立ち顕われるわけです。

 「清浄なる」世界が立ち顕われません。立ち顕われたら、破壊してください。

 結局、分別から一歩も出ていない。分別+妄想それだけであって、到底悟達には程遠い。
   
809神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 01:05:55.80 ID:kSrvPj8P
>>807
>もう繰り返させるなよ

     同意  心霊妄想主義は秋田県。
810神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 01:24:41.90 ID:6j3EeP4f
シャクフクしたのかい?
811神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 01:34:29.31 ID:n3J9Imto
>>803
>仏教はむしろ人間の行為の依りどころとしてのアートマンを承認しました。

釈迦の「無我」が、あまりにもひどい勘違いなので、釈迦信者である中村先生
がそれとなく訂正しているだけ。「霊魂」とは、原義からして生命の意味。
812不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/30(水) 02:24:23.49 ID:TAB8e5vm
>>808 a.k.a. 閻魔大師
> >>805
>
>  全文章が誤解です。

相手構わず噛みついていたらキリがありませんよ。

セブン氏が神秘主義的な発想に懐疑的なスタンスなのは知っているでしょう?

彼が「分別計らいなき清浄」という形容詞をあてがおうとしていることは、あなたの「無分別の慶安」と同様のものに思えますが。

神秘主義的な何か別世界という意味で「清浄が現れる」訳ではなくて。

そもそもそれ(>>805)は神秘主義寄りの宝珠愚者氏へ向けられた愚者氏への対論として出てきている表現であって、セブン氏があなたと意見を交わしているシチュエーションであれば、神秘主義的な話題自体、話の俎上にも上がることなく屑籠直行でしょう。

単語に脊髄反射するときはその分冷静さが低下してると考えるべきです。(ですよね?>御隠居殿)
813宝珠愚者@(規制代行):2013/01/30(水) 02:32:50.91 ID:9nkt7D6b
---“手かざし”について---
 私は、真光(崇教真光)等々の教団の実態については全然わかりませんが、“手かざし”そのもの
については宗教的な意味としては肯定的に捉えています。
 “手当て”によって癒すなどともいいますけれど、ある程度の霊的なレベルに達した者なら手からの
霊的エネルギーの放射で病気治癒を行えるのは間違いがないこと。

 ただ凄く気になっているのは、ほぼ素人(同士)によるそのような行為というのは、通常はとても危
険であるということ。対面治療というのは患者の病気を受けやすく、ましてや、これらの手かざし行為
は病気を吸収しやすい。恐らく教団では、教祖のエネルギーを磁化させたお守りやパワーグッズを身
に付けさせることで、その危険性から保護されるとしているだろうと推察しますが、果たしてどうか?

 因みに以前、私からの話題として紹介した中国気功術師の極楽師(カメハメ波を放って日本人気
功師を吹っ飛ばして勝利した強者)についてです。その後、私が道場に問い合わせしてみますと、な
んと師はすでにこの世から亡き者となっていたのです。師の後継者からの説明によれば、施術で患
者の癌を受けてしまったらしく、それまで超人的を謳って健康そのものだった先生が突如、倒れて、
見る見る内に悪果して亡くなったのだという・・・。
 私の個人的な印象ですけれど、こういった武道家(気功師)が気を操る術を身に着けて、それを相
手に放射できるようになって病気治療もできるようになる。ただ、基本的に彼らは武道家なので、病
気に対する知識と理解についてはどうなのか?ということと、患者からの病気を受けてしまうという
よく見られるこれらの失態からは、どうも霊的(エネルギー)問題については無知なのではないか?
と思われてならないのです。
 ナディ、イダー管、ピンガラ管、スシュムナー気道、プラーナ気、サマーナ気、アパーナ気、ウダーナ
気、ヴイャーナ気・・・といったヨーガの知識なしでの治療行為は、あまりに危険過ぎて無理だと思う。
(私の心配し過ぎならいいのですが・・・)
814神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 02:38:57.08 ID:W9nSrNVf
>>812
清浄と慶安とでは、ニュアンスが異なる。前者は極めて観念的・分別的だが、
後者は、単なる「清濁を分別しない心の安らぎ」。釈迦は清らかという言葉を
さかんに使っているが、極めて違和感を感じる。
815神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 07:10:59.16 ID:/wPCyRS6
仮説:輪廻とか魂が引き継がれるとする概念は
    たまに親にうり二つの子が産まれるので生じた
816神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 07:24:56.04 ID:OuHdlgH6
>>791
>釈尊、龍樹、月称、空海、法然、親鸞らの頃は、輪廻も涅槃もノンフィクションだったと、オイラ氏は素直に取らないんですか。

アナタの言い方に合わせるとそういう表現になりますよ。
みな同じことを仰ると思います。

今、凡夫である我々が知覚・経験する全ては輪廻で戯論でフィクション、幻だと。
817神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 07:26:47.06 ID:OuHdlgH6
>>793
>荒らしですから、直ちに書き込みをやめ、立ち去ることを命じます。

オイオイ、勝手だな。自分のいい加減さを棚に上げて。
君よりは話になると思うぞ。
818神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 07:56:09.48 ID:OuHdlgH6
>>795
在家さんって、結構読まないで書いてるでしょ。読めば直ぐ分かる。

遊びとか大王とか名乗り、直接事実と間接事実、仏教はなく仏法だとか言ってるヤツでしょ。

自分の頭でひねり出した妄想を仏教に投影して、それに反すると認めない人。

本質的に賛同する人は誰もいないとおもうけどなあ。

生命教信者が、敵の敵は味方とばかりに持ち上げるのと、パーピマンが面白がってるぐらいで

ただ、そのおじいちゃんの体験をここで語るのはスレ違いだと思いますけど、
やりたければどうぞ。なんでもありみたいなスレでしょ。
もともと荒らしの専用スレなわけだし。>795
819神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 07:57:40.15 ID:OuHdlgH6
意見や考え方が違うのは当然。

問題は単純な誤りが認められないことや、ハッタリや虚偽を述べる人。

こういう人は話してもしょうがない。
820神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 08:06:19.36 ID:tTRIJYX2
問題は寝言の流暢さにあるのではなく、その内容にある。
煩悩が108あると規定したとして、それを数えた人を
究極の暇人として称えよう。しかし、それが真である必要はない。
規定概念の範疇にスッポリはまっているのみであり、
肝心の内容が無いようなのだ。阿弥陀如来とか最たる例。
821神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 08:16:51.82 ID:tTRIJYX2
釈迦の悟りはスジャータ物語を真とするなら、
乳粥と苦行の比較論に過ぎない。
伝承はここが源であり、発展しているに過ぎない。
伝承が偽であるなら全てが崩れる。
伝承的には釈迦が脇から生まれたとか明らかに偽も含まれる。
仏教という空の形成においては全てが真でないのは言うまでもないが
取捨選択の作業は必要性に際して行われるべきであり、不必要を
とやかく言っても何もないと断言できるものである。
822神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 08:38:33.71 ID:OuHdlgH6
>>821
それは常識を基準に伝承の真偽を判断するってこと?

そんなことするなら仏教の意味がない。

なぜなら、常識を一歩も超えられないから。

これが以下『梵網経』にいう「凡夫たちの如来に対する賞賛は、つまらないことを語り述べる」ということでしょう。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html
823神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:09:16.80 ID:tqWuBI2q
凡夫に説くなら凡夫に説くように説けば良かろうに。
824神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:11:03.08 ID:OuHdlgH6
>>823
もちろん凡夫にも説いてるでしょ。
825神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:13:00.49 ID:tqWuBI2q
まあ超常現象などを頼りにするのは
凡夫の極みと言えようか。
超常現象を必用とするのは身に過ぎた煩悩であると言えよう。
826前世は一在家:2013/01/30(水) 09:26:28.75 ID:Rcl2ACCE
>>813 宝珠氏
>恐らく教団では、教祖のエネルギーを磁化させたお守りやパワーグッズを身に付けさせることで、そ
>の危険性から保護されるとしているだろうと推察しますが、果たしてどうか?

教えでは貴兄の推察通りです。
自力での手かざし、ペンダントをかけずに手かざしは禁じられております。
相手の因縁を受ける、憑依霊の影響を受けるというような意味合いがありますので。
827神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:33:03.84 ID:OuHdlgH6
>>825
それが問題なんじゃない。

凡夫の認識自体が誤っていて、それを治す道が仏教なのに
凡夫の認識を基準に仏教を判定しても意味がないということ。

例えば、精神異常者を治療する医療があって、
その医療の妥当性を精神異常者が判定するようなもんだ。

もちろん、仏教を信じないのは結構。
ただ、仏教を凡人の常識で全く別のものを仏教と言われるのは違うと言ってるだけ。
例えば、和辻仏教や批判仏教、ニューエイジ仏教なんかがそう。
828神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:35:58.52 ID:tqWuBI2q
超常現象に信じるタイプの凡夫に対してそれを説き
神への恐れにより悪事を留めるなら効果的といえなくもない。
それ故に超常現象が無いと断言することは必ずしも正しいことではない。

しかし、生老病死はそのままいただくものである。
これを超常現象で捻じ曲げようなど執着以外の何モノであろうか。
829神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:40:54.20 ID:kSrvPj8P
>>812(不説)
>彼が「分別計らいなき清浄」という形容詞をあてがおうとしていることは、あなたの「無分別の慶安」と同様のものに思えますが。

違いますよ。
彼が言うのは(誤解された)勝義の様相を言おうとしているのでしょう
あたしは「無分別の慶安」などというマヌケなコトを言ったことは一度もない。
「慶安」も分別であって、世俗での覚者の『無分別の“分別”』の様相(サンユッタ・ニカーヤ33-1-3「心と心の作用」)です。
『清濁を分別しない心の安らぎ』(>>814)であって、隠居にしては珍しく的確な表現をしている。
不説よりマシだ。

>単語に脊髄反射するとき

単語ではなく、その背景の妄想心霊主義そのものを仏法に相応しからざるモノとして批判している。

残余のレスは、コメントするに値するレベルに達していない。
日常自我であって、菩提心自己から発するものではない。

もっとしっかり、
『「如理作意」即ち、
  自帰依←大疑団 ―フィードバック― 菩提心→法帰依』をやってください。
 
もっとしっかり、坐れ。

                 以上
830神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:41:46.24 ID:OuHdlgH6
>>828
だから、超常現象は問題じゃないって。

そこに拘っても仕方ない

まあ、話す気がないなら、これで止めとくけど。
831神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 09:43:55.14 ID:OuHdlgH6
ケルアックの『ダルマ・バムズ』っての知ってる?

禅系から妄想するヤツってまあこんなかんじだと思う。

アメリカだと半世紀以上前の話、日本はいまだこんなヤツがいるからな〜
832829:2013/01/30(水) 09:59:36.53 ID:kSrvPj8P
『隠居にしては珍しく的確な表現をしている。』

誤解されると困るので隠居の>>814 について一言。

>釈迦は清らかという言葉をさかんに使っているが、極めて違和感を感じる。

ココで隠居の言う『釈迦』はマハーカッサパ教スコラ部派連中の都合による釈迦像のこと。

大切なことは、ブッダがなにを言ったかが問題なのではなく(ブッダはなにも説かなかった)、

法=縁起の直接現実の様相=縁起の現観に達っし、仏法のゲシュタルトを直覚することだ。

                               おきばりやす。
833神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:06:09.69 ID:aWgkvy8S
Test
834神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:07:03.20 ID:OuHdlgH6
「ブッダはなにも説かなかった」というのは、戯論寂滅の境地である涅槃について。

そこに至る道、方法、修行法については沢山説かれている。

それが仏教であり、法も教え、言葉という意味で使われる。
つまり、仏法も仏教も全く同じことで、記号が違うだけに過ぎない。
835830:2013/01/30(水) 10:07:22.55 ID:kSrvPj8P
『仏法のゲシュタルトを直覚することだ』

ここの連中は誤解というより曲解するのが好きなので、念を押しておく。

<仏法のゲシュタルトが完全崩壊すること>、これが悟達ですよ。

                   では修空華万行に出かけます。

 
836神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:08:25.83 ID:aWgkvy8S
境地としてみれば無分別でも、言葉にすると分別してるように見えるんだよ
いきなり煩悩即菩提とか、有にも無にもよらないとか言っても分かるわけないし
837神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:10:11.92 ID:kSrvPj8P
>>834
>そこに至る道、方法、修行法については沢山説かれている。
>仏法も仏教も全く同じことで、記号が違うだけに過ぎない。

 835で言った尻からこれ(曲解)だからハナシにならん(苦笑
838神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:11:49.80 ID:OuHdlgH6
>>836
その通り。そしてそういう境地についてここで話すのも意味あると思えない。

だけど、みんなそういう難しいとこばっか言いたがるんだよね〜
839神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:15:12.87 ID:aWgkvy8S
涅槃は、まあ、四句を離れているとか戯論寂滅とか。
あと、空!無相!無作!だね〜
840神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:17:22.28 ID:OuHdlgH6
>>839
ですね。

何かを直覚したら、それはもうそうではないです。
841神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 10:19:10.36 ID:aWgkvy8S
このあたりは宝珠さんに縁のありそうな話なんだけどな〜(チラッ
842神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 11:10:30.15 ID:QnBXqZRx
>それは常識を基準に伝承の真偽を判断するってこと?

>そんなことするなら仏教の意味がない。

>なぜなら、常識を一歩も超えられないから。

「常識を一歩も超えられない」からという理由で、その伝承、経典の記述を
そのまま,『全て』事実であると主張するところが、今まで多くの者から
指摘されてきた一代の欠点だよw

A→「地球は丸い」
B→「釈迦は脇の下から生まれた。」

この二つの事例は、勝義視座からの物言いであれば、どちらも「仮設」された
「現れ」であり、等価なわけだ。(それ以前に、判断すること自体が無し・・という
ことも言えるがww)

では、この二つの世俗における現象・・・「現れ」をどちらも
等価とすることが妥当なのか?
843神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 11:23:00.46 ID:OuHdlgH6
>>842
それは因果がなんでもありか、それとも限定があるかってことだよね。

それは限定がある。特に凡夫の現れには限定がある。
それが常識であり、現代日本だと科学的な見方ということもできるでしょう。

それはそれでいいよ。そういう凡夫の共業の縁起。

ただ、その凡夫の現れで全て仏典を解釈しようというのは無意味だと思う。

それなら仏教を信じなければいいだけではないでしょうか。

あるいは自分が信じられる部分を行う、参考にするという手もありだけど、
常識に反する部分を切り捨てるというのは倒錯ですよ。

なぜなら、常識、見たままの世界が実在し、自分が実在するという根源的な認識こそが誤認で、それが苦の根源だというのが仏教であり、
その誤認、無明による不如理作意をなくして、明による如理作意にしようというのが仏教だから。
844パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/30(水) 11:24:24.18 ID:QnBXqZRx
この世俗では、それこそ途切れることなく無数の現象、現れが無常に進行
しているわけだ。その中の一つが、地球であり、現時点で「丸い」と称される
形態を持って現象している。これは、(勿論、世俗でのという限定はつくが)
他の様々な手段によって検証され、その真実性が担保されている。
では、「釈迦が脇の下から生まれた」という現れは、どうだろうか?
過去に、本当にそのような事実があったのか?
(仏教的言えば、「そのような現れが、縁起によって仮設されたのか?」)

それを担保するものは、経典の記述のみであり、他の知見は全てそれに否定的である。
だから、現在では多くの仏教徒さえも、それを「釈迦の神格化の一端」と捉え、
「過去に起こった事実(過去に仮設された現れ)」とは、看做さない。
・・・・・・勿論、そこで「いや、釈迦が脇の下から生まれたのは事実である。」と、
言い切るのも良しだ。www (オレはそういうのも嫌いじゃないww)
・・・・が、しかし、それはあくまでも「信仰の範疇」のこと。それを自覚することは
重要だよ。  それを「信仰の範疇」を飛び越して、「それは事実である」・・・と
やりだすと多くの弊害を生み出すことになるw

「常識を一歩も超えられない」・・・・・と、「常識を無視する」ことは
違うと思うぞw
「常識」というのは、言うまでもないが、「それに盲目的に従う」ことはよろしくないが
逆に無視するのもオカルトバカや脳内お花畑の巣窟になってしまうww

「常識」というのは、それまでにある程度、様々な事実によってその真実性が検証されて
来たからこそ「常識」となったわけで、それを否定するのにはそれなりの理由が必要な
わけさw  その「否定する理由」が,「経典にそのような記述がある」・・・・だけでは
どうにも説得力がなく、別の視点からも考察することが必要なのでは?・・・・・というのが
多くの仏教徒も含めた見解だと思うがねw
その多元的考察を「現代常識への阿諛」とするのは、どうかな?・・・と思うわけよww
845神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 11:26:23.64 ID:OuHdlgH6
>>842
そうそう、そういう真っ当な批判やご意見は大歓迎なので、
上に限らず、おかしいという点はどんどん言ってください。
846神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 11:38:27.16 ID:aWgkvy8S
あえてこういう言い方をするけど、主観は客観を包括するよ
科学は客観されるものだけをあるとするけど、
仏教は客観されるものだけでなく、主観されることもあるとされるよ
だから一応、脇のしたから生まれたのも、認識されたから記述されてるんだと思う
847神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 11:43:02.93 ID:OuHdlgH6
>>844
常識に反することは結構、現代でもビルマ、チベット圏では起きてるけどね。

それも伝聞でしょ。写真があるとしても、自分で知覚したとしても、
結局は信じるか信じないかだよね。

>>846
客観が基準になるのはある共業の中だけ、
あるいはある言い習わしだけの中だけじゃないでしょうか?

ちょっと前までは外界実在論がカッチリと信仰されてたんで客観主義が強力だったわけですけど
848神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 11:48:04.56 ID:vc2GPzAT
>>832
>(ブッダはなにも説かなかった)

それは、中論における釈迦に対する痛烈な批判。Snでは、釈迦はしゃべり過ぎる
ほど饒舌に語っている。彼の双極性障害における躁状態である。

釈迦に対する執着が聊かでもあったら、「仏法のゲシュタルトの完全崩壊」は
絶対に不可能。

>>844
中村博士は、「釈迦は当時の常識に基づいて語っただけ。独創性は皆無であった」
という趣旨のことを言っている。

仏教徒が聊かでも釈迦に学ぼうとするなら、「徹底的に現代の常識に基づいて」
思考し、語るべきであろう。
849パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/30(水) 11:58:11.16 ID:QnBXqZRx
>仏教徒が聊かでも釈迦に学ぼうとするなら、「徹底的に現代の常識に基づいて」
>思考し、語るべきであろう。

しっかし、なんでお前はすぐ、そうやってメーターの針が振り切れちまうほど
極端に走るのかね?wwwwww
850神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 12:00:15.21 ID:OuHdlgH6
>>849
そりゃ、話したいんじゃなくて、言いたいだけだからでしょ

あんな妄想語っても、ほとんど誰も頷かないんだけど
851神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 12:01:56.17 ID:aWgkvy8S
>>847
ああ、すみません、本当は主観とか客観といった区分はしてないのですが、
なにかパーピマンさんが掴んでくれると思って、おいてみました。
852神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 12:11:09.59 ID:vc2GPzAT
>>849
「中道に真理はない」ことを知ってるからだよ。

「中道政党」って奴を観察してみよ。すべて雲散臭い。
853神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 12:27:50.45 ID:HpUWZqTx
仏教の「空」は、だれにも体験できないわけだから、
釈迦が脇の下から生まれた話と同じで、ウソか妄想じゃない。
体験に基づかないから空論になる。 

だいたい「空」は、無為法なのか有為法なのか。
これさえもはっきりしない。
854神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 12:33:38.02 ID:HpUWZqTx
「空」や「無我」は、だれにも体験できない。
 
これは事実だから、仏教の全体が戯論、
ウソと妄想で出来上がったトンデモなのかもしれないね。
855神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 12:52:28.48 ID:HpUWZqTx
体験できない「空」を延々と議論しても有害無益。、
 
このスレの書き手は、 
「具象物→言葉」という常識傾向の強い人と、
「言葉→具象物」という転倒妄想の強い人とに分類できるね。
 
856ノスタルジア:2013/01/30(水) 13:38:05.07 ID:Xmh5FOcB
あなた方は諸々の海に溺れているだろう。海に溺れていて誰もたすけなかったら、
海に溺れている者達は死ぬだけだろう。それが厳然たる事実である。助けてほしいのに
意地を張って助けてほしいと言えない人々があなた達である。

すこし分かる人々は私のこれからいうことが分かるだろう。しかしあなた方の中からは分かって
それを自分のものとする人が出てくるだろう。つまり横取りするのである。
その人はさも当たり前の顔をして、私の物真似をするだろう。それは辯才を
全然出ず、辯才海を溺れているだけである。

A、正直者は、私に証明するだろう。自分も【言葉を紡ぎ出すことを思いついた】と・・・。
そして私はそれを丁寧に礼儀を持って迎え撃つだろう。もし通れば、あなたは、
もう言葉を紡ぎ出すことを思いついた者になったのである。私の仲間入りをしたのである。

B、でも言葉を紡ぎ出すことが正しいことだと確信する場合の人もある。
その人の願があるなら、それを私は問う。もしそれが正当なものであったら、
私はその人を通すであろう。

そのようにして通ったAとBの人々は、当然言葉を紡ぎ出さなければならない。
もし言葉をこのパソコン上で紡ぎ出さなければ、ただの悪ふざけをしに来た
ものであったのだと、思わなければならない。このようにして種々様々に、
正否を問われる。そういう世界があるのだということを言いたかった。
どんどん高みにいくのだが、当然脱落者や敗北者が出てくる。それは仕方のないことだ。
それをもし認めないなら、ただの妥協をする1人間に過ぎないとこの世界では
思われるだろう。
857前世は一在家:2013/01/30(水) 14:04:01.63 ID:Rcl2ACCE
>>818
>ただ、そのおじいちゃんの体験をここで語るのはスレ違いだと思いますけど、
>やりたければどうぞ。なんでもありみたいなスレでしょ。

2000年前のテキストと1000年前のテキストと80年前のテキスト(記録)があります。
私は主に2000年前のテキストと80年前のテキストとを比較、検討しております。

同じことをある研究者の方がされました際のコメントです。
・両方のテキストで釈尊が語った言葉は異なるが趣旨が一致している。
・仏様達が語ったという不思議は否定はできない。

約2000年前のテキストは市販されており、80年前のテキストはホームページで掲載。
私は同じ意識が2500年前のインドと現代の日本とに居れば、趣旨の一致も自然だと思っております。

なんでもありみたいなスレの底辺にて失礼します。
858神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 15:17:00.81 ID:OuHdlgH6
>>853-855
そう思うなら、ここを見ても時間の無駄でしょう。
859神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 15:18:19.14 ID:OuHdlgH6
>>857
比較というより、仏教と同じだと言いたいようですが

どうぞご自由に
860前世は一在家:2013/01/30(水) 15:35:52.56 ID:Rcl2ACCE
>>859
>比較というより、仏教と同じだと言いたいようですが

むしろ2500年前と同じことが現代でも起こると言いたいのかも知れませんね。
861神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 15:39:01.26 ID:/etHh069
とある、タトエ国の軍に、
13世紀のジャガー将軍の、
「戦場では全力で走れ!」
という言葉が残っていたとする。

16紀のゼブラ将軍が、
「戦場では全力で走れ!」
という言葉が残っていたとする。

さて、二人は、【“同じこと”を言った】のだろうか?




22世紀、朽ちた宮殿から歴史書が見つかり、
その語が発せられた状況が従軍記者によって記録されており、
ジャガー将軍は、勝利を確信し、逃走する敵兵を追うときに発していた。
「逃がすな、捉えたら殺せ。反撃の芽は確実に摘め」と。
ゼブラ将軍は、敗北を予想し、撤退する際に発していた。
「反撃もしなくていい、ただ、地の利を生かし、退却しろ。一人でも多く砦へ帰還できるように」と。
ホース将軍の言葉も見つかった。
「全力で走れ。勝利を確信し、敵が逃走していれば、
追いたて、囃し立て、自軍の力と優越を見せつけ、相手に染み込ませろ」と。

文脈(テキスト、伝承(師・先輩・先達)、系譜等)或いは周縁の語句は、結構重要だし、
【それを無視して物語を構築する】のは愚だと思えるよね・・。

誰それの傾向と名指しはせんが・・w
862神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 15:41:05.47 ID:OuHdlgH6
>>860
そんなことは当たり前でしょ

誰でも生まれメシを食ってウンコして死んでいく

アナタが言いたいのは、おじいちゃんの特別性が仏教と同じだでしょう

で、同じこともあるし違うこともある。
アナタは違うことは認めませんよね。

素直になった方が、繰り返しとか面倒くさくなくてみんなのためだと思います
863神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 15:46:56.19 ID:OuHdlgH6
>>861
だって独り言のために仏教を用いたい人は、
仏教が何をどのように説いてるかを知りたんじゃなく

自分の主張に利用できる記号・言葉・文字が知りたいだけだから
その経論が何を言おうとしているかなんて関係ないでしょ。

そう公言してるのは二人かな?
864不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/30(水) 15:51:16.88 ID:TAB8e5vm
>>842 セブン氏
> A→「地球は丸い」
> B→「釈迦は脇の下から生まれた。」
>
> この二つの事例は、勝義視座からの物言いであれば、どちらも「仮設」された
> 「現れ」であり、等価なわけだ。

「仮設された」という点《のみにおいて》等価なだけであって、総論としては全く不等価だということになると思いますよ。仏教(縁起)的視点を適用するならば。

(詳細はまた夜に時間があるときにでも…)
865神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 15:52:39.94 ID:/etHh069
>>864

 ( ̄ー ̄)ニヤニヤ
866不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/30(水) 16:04:04.48 ID:TAB8e5vm
>>864-865

失礼、>>862はパーピマン氏でしたね。
867不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/30(水) 16:05:39.40 ID:TAB8e5vm
868パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/30(水) 16:06:11.35 ID:QnBXqZRx
>>865 wwwwwwwwww  セブンか?

何、   ( ̄ー ̄)ニヤニヤ   してんだよ?ww
まあ、いいやw

 >・・総論としては全く不等価だということになると思いますよ。

なぜ、こうなるのか? 御高説を聴こうやw
869神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 16:07:48.11 ID:OuHdlgH6
オイラも楽しみ
870神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 16:09:25.06 ID:Yt5xUDAQ
宗教板からニューズ速報板へ初デビュー記念カキコ。昆布君、どうだろうか。
宗教板は全くクダランから、ニューズ速報の方が現実感覚が取り戻せる。

「日本国民が国債を所有する限り、国民が債権者で国家が債務者。国民が国家を
支配していることになる、究極の民主主義である。

逆に、国家が膨大な富を所有したらどうなるか。究極の独裁国家が出現する。
これほど恐ろしいことはない。

「国の借金」に怯えている連中は、完全な考え違い。

最も重要なことは、国民の生存を維持する物資やサービスが十分に供給可能
であること。これがなければ、国民は本当に死に、国家も解体する。」
871 忍法帖【Lv=4,xxxP】(2+0:3) :2013/01/30(水) 16:12:35.92 ID:H2UZUHTp
勿論僕も楽しみですよ!?♪。
872神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 16:16:11.71 ID:/wPCyRS6
みんながちょっとがんばって働けばいいだけの話
873神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 16:21:11.09 ID:OuHdlgH6
>>872
いや、税金払わない多国籍企業とか金融企業などが世界の中心であるなら、
そう単純じゃないでしょ

まあ、そういう世俗の縁起はあるがままでいいけど
874神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 17:06:09.46 ID:/etHh069
>>868-869
何が楽しいのか知らんが・・w

不説自身が何か言うんじゃない? 横から私見を挟むことも吝かではないがw

「勝義に於いて等価」というのは、宝珠へのレスとして
縁起の無目的性やら業報の非公平性やらとして触れたことがあるが、
「>総論として」かどうかはわからんが、(寧ろ、総論として等価であり各論として不等価だと思われるけれども)、
《地球(≒一般的に惑星)が丸い》というのは、データ(情報)が集積されて《共有できる「事象」》である一方、
《人間(≒釈尊)が脇の下から生まれる》というのは、
データが集積されても(―そもそも集積し得るデータが存在しないと思うがw―)《共有できない「事象」》と思われる。
勿論、共有できないわけではない。
例えば、スーパーマンの映画を見ているとき、観客はその世界観を共有し、
クラークケントがクリプトン星から来たと「認識している」。
が、それは、或る条件でもって、不足する情報及びデータの不確実性を捨象するから。
映画館の外で、事故がおきそうになった時、タイミングがよければスーパーマンが駆けつける、
と「本気で」考える者は居ない。
仲間内の隠語についても同じことが言える。
その意味を共有できないということは、即ち不等価ということであり、
幾つかの条件を共有するから、その共有に依存して、或る表相(言語・隠語)が共有される。
他のコミュニティでは、共有できない・等価でない言表ということになるのではないかと考えます。
875承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2013/01/30(水) 17:15:34.77 ID:KjNc6i2G
(`o´)つまらん!お前らの話はまったくつまらん!
876前世は一在家:2013/01/30(水) 17:33:43.30 ID:Rcl2ACCE
>> 862 オイラ氏
>アナタが言いたいのは、おじいちゃんの特別性が仏教と同じだでしょう
>で、同じこともあるし違うこともある。 アナタは違うことは認めませんよね。

(寝言テキストに含まれる祖父の特別性の整理)
・前世は釈尊の弟子の一人だった
・この度、衆生済度を発願して再生した
・前世のことはすっかり忘れてしまったが、寝言で語った

(検証したいこと)
・寝言の内容が真実か否か

(検証方法)
・当時の祖父の仏教知識の有無、レベルを確認する→祖母はほとんど知識は無かったと証言
・寝言で語った内容によくマッチする経典を探して、言葉レベルと意味レベルで確認する

(私も違いを認めた事例)
・寝言では祖父は菩薩だったが前世を忘れてしまった
・自歓喜経では菩薩は前世を入胎〜出胎まで忘れないとある
・IF 自歓喜経が正しい THEN 祖父は菩薩レベルでなかった
877神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 18:00:50.23 ID:6j3EeP4f
>>875
ドンガラガッシャン

鼻が詰まったばい
878神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 18:12:58.10 ID:/etHh069
876は、マトモなレスのように見えるけど、
(その内容も、各種指摘を踏まえてのものだけれども)、
それが、百回言われて初めて居住まいを正す感じだからねぇ・・(^^;
それまでは、毛ほども指摘や批判を反映させないんだから・・w
そして暫くするとまた、876のような姿勢を忘れて、いつものように、
指摘を無視した、オリジナル物語の語り部に逆戻りw ┐(´ー`;)┌
879伝聞証拠禁止の原則:2013/01/30(水) 18:13:41.35 ID:kSrvPj8P
>>876

あなたの一方的な主張は、公開の場でなんらの反対尋問による検証も経ていない。

信用するに値するか否かを検討するレベルにも達していない。

単なる一方的な物語でしかありません。

宝珠の与太話と同じレベルです。

もういい加減にしたら?
自分のブログだけにしとけよ。

                   却下します、お引取りください。
880神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 18:42:46.57 ID:/wPCyRS6
働いてお給料もらってご飯作っておいしく食べましょ♪
881神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 19:27:55.89 ID:DuAgPksQ
>>872
>みんながちょっとがんばって働けばいいだけの話

その働く仕事がないのが、問題なのだよ。公共事業をやれば、国家の財産が増加して、
結局は国民が豊かになる。

富や欲望を憎悪する、釈迦やイエスの勘違い思想が原因。
882神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 19:36:07.42 ID:tTRIJYX2
脇の下なんかどうでもいいだろw
さらに生まれてすぐ二足歩行で歩き出し、
「天上天下唯我独尊」と我丸出しでのたまわった逸話は
ギャグ漫画としか言えないだろう。
即ち多くの逸話がギャグ漫画であり、可能性としては
100%ギャグ漫画である可能性もないことはない。
では、ギャグ漫画でないもので実際の有用性のある話が
どれだけあるんだ?ってことであり、例えばダニアなら
無一文生活でも生きていけるよという励ましであり、
精神的薬用効果があるのは否定できないものであるが、
それ以外に有用性も必要性も皆無と言っていい。
883ミルキーウェイ:2013/01/30(水) 19:43:11.36 ID:6j3EeP4f
>>881
人間の飽くなき欲望には、釈迦さんやイエスさんも手をこまねいたと言う話ですよ。
何でもかんでも神様仏様のせいにしてはいけません。
ガンジーも言っているように、
「地球には全人類を食べさせるモノはあるが、一人の欲望を満たすだけのモノはない」と。
884神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 19:46:48.78 ID:HpUWZqTx
中国や東南アジアが豊かになったのは、
日本が貧しくなったから。
 
885神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 19:57:07.57 ID:HpUWZqTx
釈迦と仏教、イエスとキリスト教を区別しよう。
仏教は龍樹教であり、キリスト教はパウロ教になっている。
どちらも邪教、人類を迷わしている。
886前世は一在家:2013/01/30(水) 19:58:44.75 ID:Rcl2ACCE
>>879:伝聞証拠禁止の原則
>あなたの一方的な主張は、公開の場でなんらの反対尋問による検証も経ていない。

>>883
>「地球には全人類を食べさせるモノはあるが、一人の欲望を満たすだけのモノはない」と。

それでは次のような寝言を検証下さい。
1)その話は聞いたことがない 2)○○経にある話だ 3)○○経にある話と似ているが異なる

(昭和5年12月4日 第65回)
昔一人の男があって、「どれ丈でもお前が走って行った所迄領地をやる」と仰せになった。
其の処で其の男が走って走って昼夜不絶に走れる丈走ってとうとう行き倒れた。其処でもう走る力が無くなったのでのたった。
もうのたる事も出来ぬ様になったので転がった。転がる丈転った。しまいに死んでしまった。
それだけのお話である。これは慾にばかり冒頭して千を得れば万を望み、万を得れば億を望む我利我利者を御戒めになった御言葉なりと信ぜらる。有難い事である。

以上、ミルキーウェイさんのかきこを縁として問いを起こしました。
887神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 20:09:25.05 ID:tTRIJYX2
>>886
童話以外の何物でもなく、そんなものをありがたがるなら、
童話は全てありがたいものである。有用性は童話を超えてない。
ありがたくもなんともない。

ありがたいものとは釈迦でいえば乳粥であり苦行ではない。
888前世は一在家:2013/01/30(水) 20:15:49.07 ID:Rcl2ACCE
>>885
>仏教は龍樹教であり、キリスト教はパウロ教になっている。

(龍樹教のイメージ)
中論のみを読んで、釈尊の因果の法の間違いを龍樹は指摘し縁起の法を説いた、と信じている人達。

(パウロ教のイメージ)
人は神の似姿ではあるが「原罪」があるので自力では聖霊が宿って神成(テオシス)することはできない、と信じている人達。

貴兄に御指摘のような人達は散見されますので、原始仏教や原始キリスト教(二ケーア公会議以前)にまで遡って検証が必要かと思料します。
2chの議論板でもしばしば検証がなされているようです。
889前世は一在家:2013/01/30(水) 20:19:16.84 ID:Rcl2ACCE
>>887
>童話以外の何物でもなく、そんなものをありがたがるなら、
>童話は全てありがたいものである。有用性は童話を超えてない。

出典は仏教関連の童話との御回答を有難うございます。
890神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 20:23:26.12 ID:tTRIJYX2
自業自得の因果の法はモロに縁起の法やで。
釈迦は苦行に有用性を見出せなかった。
乳粥に有用性を見出した。
それだけの話。
そこに因果律を見ただけのこと。
891神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 20:24:48.56 ID:DuAgPksQ
>>885
その「開祖」の盲信こそが、「宗教の病理、諸悪の根源」であることを知れ。

竜樹は、その「開祖」を内容的に全否定できた、稀有の知性の持ち主。
パウロも実は、イエスは問題にしていない。
892神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 20:28:39.30 ID:tTRIJYX2
>>889
いや3匹の子豚程度の話と思っただけで、3匹の子豚が仏教関連と
思いたいならどうぞご自由に
893神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 20:54:40.22 ID:OuHdlgH6
>>874
相変わらず読みにくいw

>>876
意味があるかどうか別にして、だったら『チベットの死者の書』や『倶舎』とか見れば
894Rei:2013/01/30(水) 21:00:06.23 ID:zjWJ5hBg
先日、モスクで聞かれてこたえた
間違いがもしあれば教えてくれませんか


仏教では、神は唯一か?
→はい、宗派問わず崇拝対象は唯一です。普遍的な法・阿弥陀仏・久遠実成の釈迦など名前はいろいろです。

仏教では、唯一の神以外に神はなしと信じるか?
→はい、宗派問わず崇拝対象は一元的です。いろいろ拝むことはありません。


仏教では、預言者ムハンマドが真実を語ったと信じられるか?
→はい、ムハンマドが覚者、阿羅漢、妙好人などだと認められます。


なるほど、では仏教というのは完全にイスラームだ
895神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:04:54.27 ID:tTRIJYX2
竜樹は縁起の法を説いたに過ぎない
依存性とは必要性
脇から生まれる必要性は存在しない
896神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:10:49.30 ID:OuHdlgH6
>>894
>仏教では、神は唯一か?
>→はい、宗派問わず崇拝対象は唯一です。普遍的な法・阿弥陀仏・久遠実成の釈迦など名前はいろいろです。

 唯一の神、創造主、命令者のようなものは認めません。
 但し、神々は輪廻の存在として認めます。

>仏教では、唯一の神以外に神はなしと信じるか?
>→はい、宗派問わず崇拝対象は一元的です。いろいろ拝むことはありません。

 上のようにそうではありません。

>仏教では、預言者ムハンマドが真実を語ったと信じられるか?
>→はい、ムハンマドが覚者、阿羅漢、妙好人などだと認められます。

 認めないでしょう。
 但し、それを否定することはありません。
897神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:10:57.13 ID:HpUWZqTx
>>891
御隠居のことは高く評価している。
開祖とその後の展開を区別する話も、御隠居の話を参考にしている。
内容的には正反対になるけど、お互いのステージの違いであり、
どちらの見方も成立するのではないだろうか。
 
神を認めるか、認めないかの違いだと思う。
898神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:20:44.93 ID:gkKOPMk/
むしろ一体どこから894みたいな話が出てきたのかが不思議すぎる。
899Rei:2013/01/30(水) 21:21:06.67 ID:E6bfRZS6
896
早速ありがとうございます。
>唯一の神、創造主、命令者のようなものは認めません。但し、神々は輪廻の存在として認めます。


本当にここまで言えますか?アビダンマや般若思想に偏りすぎてる感じがしますし、こうした思想群では空性が神格といえませんか

また、初期中期密教の大日如来は?浄土の阿弥陀仏は?法華系の久遠実成仏は?

唯一神教に近いメンタリティは仏教はそもそも持っているのではありませんか?
900神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:22:31.71 ID:OuHdlgH6
>>898
まあ、本来質問箱なんだろうけど、
あっちが上で見つからなかったといったようなことじゃなかろか
901神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:23:39.13 ID:tTRIJYX2
神を認めるか、認めないかは重要でない
神が必要か必要でないかが重要なのである。
釈迦にとっての神は明らかに格下の三下であり、
神の必要性を真っ先に否定するものである。
902神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:26:22.66 ID:HpUWZqTx
>>898
妙好人とかあるから、浄土真宗に関係する人ではないか。
空論を知らない一般信徒なら考えられる。
903神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:31:39.12 ID:OuHdlgH6
>>899
確実です。

>本当にここまで言えますか?アビダンマや般若思想に偏りすぎてる感じがしますし、こうした思想群では空性が神格といえませんか

 神格というか、万能の創造主ですね。それをあらゆる仏教は認めません。

>また、初期中期密教の大日如来は?浄土の阿弥陀仏は?法華系の久遠実成仏は?
>
>唯一神教に近いメンタリティは仏教はそもそも持っているのではありませんか?

 全くの誤解です。法身も空性ですよ。空性というのは中身空っぽという意味で、何らかの実体、実在ではありません。

 もし、信じられないのでしたら、
 文献学者で、
 テーラワーダ寄りの最高権威・水野弘元『仏教要語の基礎知識』『原始仏教』
 大乗寄りの最高権威・山口益『仏教思想入門』『大乗としての浄土』

 伝統仏教の代表として、
 テーラワーダ代表・パユットー『仏法』
 大乗代表・ダライラマ『智慧の眼を開く』

 以上を見てください。文献学でも伝統仏教でも上の点では全く一致しています。

 仏教とイスラームは全く違います。若干似ているのはスーフィーぐらいでしょう。
904神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:31:48.53 ID:tTRIJYX2
しかし俺は激痛に襲われた時は真っ先に神に祈ることにしている
異様な勢いで緩和すると言える。
然るに、この作用こそが信仰心の証であるとは断言できる。
もちろん俺は無神論者だが、そんなことは問題でないと言える。
905Rei:2013/01/30(水) 21:33:45.88 ID:6peKsy5T
神が必要か必要でないかが重要なのである。釈迦にとっての神は明らかに格下の三下であり、


初期仏典はじめ、天部の扱いはそうでしょう。
ただ、なぜそれがイスラームのアラーと同じ中心的なエクリチュールとして規定されますか?

イスラムに言う、ジン、精霊と同じで周辺的な話じゃないですか?

呼び名にとらわれてませんか?
906神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:36:25.67 ID:HpUWZqTx
>>899 >>901
仏教は無神論だよ、如来でさえ世間だから。
格下の、梵天や帝釈天などの神々も、名前だけの存在ですね。
907神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:38:14.41 ID:gkKOPMk/
ムハンマドが「覚者」はともかく、阿羅漢や妙好人て。自分で
お話を作っていつのまにか「自明のこと」にしてしまうタイプの人に見えるなあ。

「モスクでのエピソード」も894の頭の中にしかなかったりしてな。
908Rei:2013/01/30(水) 21:39:39.23 ID:2UNR2tT2
>全くの誤解です。法身も空性ですよ。空性というのは中身空っぽという意味で、何らかの実体、実在ではありません。

空性を実体化したのが密教の般若父母やターラー系諸尊だといえます

また三論・禅でも、仏性の多様な現れと実体性を語っており、単なる空っぽと言うのは偏っていると思います。

現に、挙げられた参考書は全部、アビダンマか般若系だけじゃないですか
909神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:40:44.15 ID:tTRIJYX2
>>905
いやいや、どうでもいい、くだらない話は抜きにしろ
アラーとか神というくだらん呼び名はすっとばせ
>>904で俺は真理を書いた。
これこそが相互依存性ともいえる。
何ら実体的なものはないが、念に対象物が必要なのだ。
小石を握って殴るとパンチ力が上がるようなものである。
910Rei:2013/01/30(水) 21:43:49.39 ID:2UNR2tT2
このスレはすばらしいかたが多いですね
感動です
911神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:45:28.80 ID:6j3EeP4f
仏教とキリスト教の根本的に違う所について述べると、
仏教は「法」を根本として示すのと、キリスト教が「人格」または「神格」を根本とする違いがあります。
「人格」ないし「神格」を根本とする限り、その「実在」は現実の人生や社会、また世界から離れた所に求めざるを得ません。
故に、キリスト教では「天」にその実在の場を求めたのですね。
それに対して「法」は、この現実の人生、社会、そして世界の現象の底に、また、それらを包含するものとして実在するとしています。
故に、「仏界」は現実社会から離れた何処かにあるのではなく、人間の個々生命の中に、この宇宙生命の中に常住するとされているのです。
912Rei:2013/01/30(水) 21:47:29.30 ID:RyVuc2dB
なるほど、911さんのご説明はほんとにすばらしいです。
知識的な些細な突っ込みをする意味がまったくありません
ありがとうございます
913Rei:2013/01/30(水) 21:51:08.48 ID:RyVuc2dB
>>911 さん
仏教かつキリスト教、という、単なる混交ではなく、二つが結合されさらに
止揚されたものはありえますか?
914神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 21:56:51.43 ID:HpUWZqTx
>>911
仏教の法をどう理解するかはけっこう難しい。
しかしどうやら「言葉→具象物」という転倒が法ではないかと。
これだと概念だけでなく命題も対象になる。
その前提として「具象物→言葉」がある。これが世間。
 
仏教とキリスト教の根本的な違いは、
無神論と有神論ですね。
915神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:03:13.69 ID:HpUWZqTx
>>911
>「人格」ないし「神格」を根本とする限り、その「実在」は現実の
>人生や社会、また世界から離れた所に求めざるを得ません。
 
これは完全にまちがっている。
キリスト教は、実在したイエスを神と同等にしている。
916Rei:2013/01/30(水) 22:03:37.54 ID:uG9K8LTN
>>911 さん

総論の見解は伺ったので各論です

イスラームのハナフィー学派通説では、タウヒードとして、神はどこにも在らず、かつ遍在するといわれます

キリスト教の聖霊も、この世に働きとして充満し、父と子と位格は全く同じだとアタナシオス信条で定められました

そして、仏教の法も現実世界の基底にあるわけですよね

この最後の、法と、前二者の質的な差異は、究極的には何だと思われますか?
人格性の有無でしょうか
917Rei:2013/01/30(水) 22:07:06.11 ID:uG9K8LTN
>>914

>仏教とキリスト教の根本的な違いは、
無神論と有神論ですね。

これ、どういうことか甚だ曖昧だと思います。
何がどうだと神ですか?
918神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:08:56.35 ID:tTRIJYX2
いやいや絶対に対象物は具象物だけではない。
対象物は抽象物に依存しているのが法である。
即ち法の縛りに屈しない強靭性を身につけることが
仏法であり即ち暑さや寒さあらゆるものに打ち勝てである。
919神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:13:08.40 ID:tTRIJYX2
慈悲とは強靭性の裏返しのようなものである。
気は優しくて力持ちみたいなものである。
ドカベンみたいなものである。
920神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:14:46.09 ID:/etHh069
>>917
マジで解らないの?(´・ω・`)
最初の一歩から理解できて無いじゃんw

別の言い方をすれば、
「世界を作った者」が居ると考えるか居ないと考えるかの違いだよ。
911にあるように、
創造者及び監督・観察者など居らず、
一切が、因により縁により生じ滅しゆくものであるとならば、
有神論や創造神論等と重なるわけなかろう?
921神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:16:56.63 ID:HpUWZqTx
>>917
神を体験しないとわからない。Rei氏も体験を目指そう。
なんか911と同一人物のような気がするけど、
けっこう勉強していることはわかった。
>>918
なんだって? よくわからない。
922神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:22:27.54 ID:tTRIJYX2
>>921
よくわからないのは修行が足らない、
念が足らない、強靭性が足らないだけ
神を体験?
馬鹿かお前は
923神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:25:51.90 ID:gkKOPMk/
>この世に働きとして充満し

聖霊には父なる神やイエスにあるような人格が認められてます。

>父と子と位格は全く同じだと

他の信条の文面も併せて、再確認してきたほうがいいです。
父=子=聖霊ではありません。
位格はそれぞれ違います。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Shield_of_the_Trinity
位格同士の関係は、図としてはこのように表されます。

ベネディクト16世の『イエス・キリストの神 三位一体の神についての省察』を
読まれるといいでしょう。
924Rei:2013/01/30(水) 22:26:44.75 ID:0FOku2uN
>>920
縁起説と創造論が重ならないのは、論理的になぜですか?

法華経でも大日経でも、久遠実成仏も秘密主も、世界を作ったと規定されていますがそのこととの整合性は?

入門書的な「ぶっきょう」「きりすときょう」で安直なイメージ遊戯して分かった気になってるだけではありませんか?
925神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:28:47.11 ID:OuHdlgH6
>>908
あの、質問しにきたのでしょうか、それとも論争しにきたのでしょうか?

論争でも付き合いますが、その場合、異論があるなら根拠をしめしてくださいね。

ちなみに水野先生は自ら曹洞宗の禅師で、山口先生は浄土真宗の僧侶です。
926Rei:2013/01/30(水) 22:29:22.19 ID:0FOku2uN
>>923 さん
なるほど、初めて知りました。ありがとうございます。
読むようにします。恥ずかしながら、この三位一体の図も初めて見ました。
911さんですよね?正直、弟子入りしたいくらいです。
927前世は一在家:2013/01/30(水) 22:30:15.13 ID:Rcl2ACCE
>>899 Rei氏
>また、初期中期密教の大日如来は?浄土の阿弥陀仏は?法華系の久遠実成仏は?
>唯一神教に近いメンタリティは仏教はそもそも持っているのではありませんか?

私は 仏教徒でなく異教ですが、横レスします。
御指摘の通り、如来は無量寿、無量光とも呼ばれており、他教の神とも見かたによっては似ております。
ただ仏教の基本スタンスは常住不変な存在は認めない(空性)、というのが上記の皆様からの御回答でしょう。
多分、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、神道の方々から見れば、「無量寿だが常住不変ではない」という見解は理解しがたいかと存じます。

また釈尊が説かれた因果の法をイエスも説いております。「善い実には善い果実」、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」と。
尚、因果の法では因と果との間に時間が存在しますが、縁起の法(時間の無い相互依存性)を主張する仏教徒(龍樹信仰者?)も多いようです。

以上、仏教と言いましても、仏教哲学から浄土信仰まで様々な宗派がございますので、どの宗派からの回答かを予め聞いておきませんと質問者が混乱するかと存じます。
元々、釈尊自身も質問者に応じて異なる方法で回答しましたので、側近のアーナンダは悟りが遅れたというエピソードも聞いております。
928神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:31:16.46 ID:OuHdlgH6
>>924
>法華経でも大日経でも、久遠実成仏も秘密主も、世界を作ったと規定されていますがそのこととの整合性は?

え、テキストを示してください。
929神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:32:18.16 ID:tTRIJYX2
>>924
世界ができたのは微妙な位置関係
ちょいと位置がずれれば死の星に変わる
位置のずれが苦なのは仏法の通り
930Rei:2013/01/30(水) 22:34:49.20 ID:0FOku2uN
>え、テキストを示してください

五百千万億那由他阿僧祇三千大千世界 仮人抹微塵
東方五百千万億那由他阿僧祇国過 一塵下如 微塵尽き如
931神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:35:14.40 ID:HpUWZqTx
Rei氏はよく勉強してるし、おもしろかった。
>>922 も漫画ばっかり読んでないでしっかり勉強しろよ。
 
大日如来は「虚空」〜ブラフマンだよね。
ただの「空」でないことはご愛嬌。あとはセブンに任せた。
932Rei:2013/01/30(水) 22:43:01.48 ID:0FOku2uN
>>927
真摯なご意見ありがとうございます。僭越ですが、とても熱心にご信仰されていらっしゃるのが
行間からわかります。
あえて比較宗教的な微妙かつ曖昧な問いをさせて頂き、どのくらい深まるものか
と思いましたが、ほんとによかったです。

みなさんありがとうございました
933神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:43:25.01 ID:tTRIJYX2
>>931
馬鹿かお前は?
抽象物が空であり、それ故にしょーもない戯論に依存してるのがお前らだ
そんなものの必要性は皆無であることを知れ
934前世は一在家:2013/01/30(水) 22:47:40.57 ID:Rcl2ACCE
>>923
>父=子=聖霊ではありません。 位格はそれぞれ違います。

また横レスで恐縮ですが、同感です。

論拠はゲッセマネでイエスは天の父に「この盃(十字架処刑)を取り除いて下さい」と懇願されましたので。
近い将来に起きる出来事への見解の相違が生じております。

別の例では、旧約聖書の神はユダヤ人に敵対するエジプト人の幼子を大量に殺害しましたが、イエスは「汝の敵を愛せよ」でした。
935Rei:2013/01/30(水) 22:48:44.54 ID:0FOku2uN
蛇足ですが、私は神託をおろす行法の洗練を、心理学見地から行っているカウンセラーです。
メンタリティーには仏教が参考になりますが、神託を頂く対象についての考察
は、やはり一神教神学が参考になります。

そして、キリスト教の教父よりもイスラム教神学の方が、当然ですが神観の唯一
性が徹底していて参考になります。
興味ある方はぜひ、イブン・タイミーヤとか、読んでみてください。浄土系の方は、
ご信仰への参考になるかもしれません。
936神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:49:47.16 ID:OuHdlgH6
>>930
>T0262_.09.0042b12: 善男子。我實成佛已來。無量無邊百千萬億
>T0262_.09.0042b13: 那由他劫。譬如五百千萬億那由他阿僧祇
>T0262_.09.0042b14: 三千大千世界。假使有人4末爲微塵。過於
>T0262_.09.0042b15: 東方五百千萬億那由他阿僧祇5國。乃下一
>T0262_.09.0042b16: 塵。如是東行盡是微塵。諸善男子。於意云
>T0262_.09.0042b17: 何。是諸世界。可得思惟校計知其數不。

これですね。これはブッダが成仏してから、数えきれない時間が経っているという意味で、世界を作ったとは読めませんね。

岩波文庫本、下巻12頁なので確認してみてください。
13頁の梵本訳も異同はありますが、その意味では同じです。

これは誤読だと認められますか?
937神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:51:21.94 ID:OuHdlgH6
>>935
イブン・アラビーとスルラワルディ、ルーミーは好きでしたよ
938不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/30(水) 22:52:23.77 ID:TAB8e5vm
>>868 パーピマン氏
>>・・総論としては全く不等価だということになると思いますよ。
>
> なぜ、こうなるのか? 御高説を聴こうやw

>>842がセブン氏(仏教徒)でなかった時点で基本的に話せることはありません。

あなた、というよりも厳密には非仏教徒に対して、高いも低いも何らかの「説」を「説く」言葉は生憎と持ち合わせていません。

私個人の話としてもそうなりますし、仏教一般というものが本来そういうものだと思っている故のそもそも私のHNの由来です。

というわけでパーピマン氏に対するコメントとしてはこれで終了です。
939神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:54:13.19 ID:6j3EeP4f
>>911では「キリスト教」と言いましたが、正式には「ユダヤ系一神教」です。
>>924
ユダヤ系宗教では「天地創造」や「万物の創造」と言われていますが、大乗仏典(思想)では宇宙も生命も無始無終と言われていますよ。
940神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 22:54:47.91 ID:OuHdlgH6
>>938
え〜、それは残念
941神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:02:37.10 ID:tTRIJYX2
マジでこいつらは神がいると思っているのだろうか?
942神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:13:36.37 ID:tTRIJYX2
神がいる=サンタクロースがいるの如くであり、
精神年齢は幼児クラスといえる
そのような幼児性、脆弱性、精神病性が
宗教にまつわる悲劇を生むことになるのは
当然のことである。
943神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:32:48.38 ID:7gz+I+9F
科学的、経済的合理性こそ至高という発想も多くの悲劇を生みだしてきたと思うけどね
944神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:37:01.73 ID:tTRIJYX2
故に精神病と宗教は絶対に切り離せないものであり、
此れがあるから彼があるの如くである。
多くは宗教でなくオタク方向に依存方向を変更するのが
真理であろうが、どちらも醜い執着と観ぜられるものである。
その差異には重度と軽度の症状があり、何ら等しいものでない
945神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:40:54.62 ID:tTRIJYX2
>>943
当然、そこにあるのは幼児性、脆弱性、精神病性の成せる業である。
宗教となんら変わるところはない。
946神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:44:36.81 ID:/etHh069
>>931
>あとはセブンに任せた

そういうのやめてよ・・・w  (^^;
その件でレスできることはあまりないよ・・・(´・ω・`)


>>924
聖書は創世記から新訳まで(JBS版だが)しっかり読ませてもらったし、
コーランも、(井筒岩波じゃ不十分という声もあるかしれんが)しっかり頁を繰らせてもらった。
第2バチカン会議記録も目を通した。「希望の扉を開く」も読んだ。
(ま、それら全部入門書だと言われたらそれまでだがwww 寧ろ入門書系は読んでないよw)
その上で、「炙り出される世界観」に、同一性どころか、相違しか見えてこないからだよ。
そして、その分析は、(各種各所で触れる感触として)外れてはいないと思う。
それでも、もし、安直なイメージだと言うなら、
キ教に於いては、「神が誕生した因や縁を、神学ではどう推測しているのか?」
仏教に於いては、「世界の(この場合、空間的意味を超えて、だが)創造神が述べられているテキストなり伝承なりがあるのか?」
を提示していただきたい。(ヒンドゥの系譜とは別立てで。)
947神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:44:39.41 ID:JS54ct+7
>>945
じゃあ、「幼児性、脆弱性、精神病性」がないのは
どういう状態?
何が条件で、たとえばどんな人?
948宝珠愚者@(規制代行):2013/01/30(水) 23:46:03.66 ID:grByfVnQ
>>805
>*(以前言いましたよね?私見ですが、仏教に於ける事象の発現は“偶然”である、と。

全然、偶然じゃないと思います。
縁起の考え方そのものからして、必然性を謳っていますよね。
結果には必ず、必然的な要因(因と諸縁)があります。
偶然、成り立っているいるものなど一つもありません。
必ず、因縁生起すべき必然の原因がある。
縁起の作用(法則)そのものすらも、理由があって生じています。
949宝珠愚者@(規制代行):2013/01/30(水) 23:47:16.99 ID:grByfVnQ
>>826
了解

>>844
>では、「釈迦が脇の下から生まれた」という現れは、どうだろうか?
>過去に、本当にそのような事実があったのか?

以前にも指摘していますけれど、
それは歪曲(誤伝)された誤解であって、本当は全く違うのでは?
そういう霊夢を見て懐妊したということならば全然、有りでしょう!

 『結婚の後、ながく子に恵まれず、二十幾年の歳月の後、ある夜、
白象が右わきから胎内に入る夢を見て懐妊した。』(『仏教聖典』仏教伝道協会刊p14「仏伝」)
950神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:49:45.64 ID:gkKOPMk/
それをいうなら偶然ですら、ある程度の法則と流れに従ってるよ。

偶然にも俺の金玉が三時間後に二つの太陽になることはない。
951不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/30(水) 23:50:08.93 ID:TAB8e5vm
少なくとも大乗的な、龍樹尊者の、空の思想というのは、テーラワーダ側には積極的に受け容れられているわけではありません。

三法印(無常・苦・無我)と同等の、前面に押し出す概念としては扱われていません。

そのようなテーラワーダ仏教徒である私の観点から見ても、一代氏の強調する縁起的な発想については、概ね理解でき、特に疑義を感ずるようなことはこれまでのところ記憶にありません。

釈尊の誕生譚にしても、縁起的発想を適用したのであれば、同様に受け容れ可能なものです。

地球が球体であるとか、E=mcでもE=mc^3でもなくE=mc^2であるといった自然科学的事実に善悪はありません。

仏教が問題にしているのは、「結果がどうであるか」ではなく「縁起がどうであるか」です。

「善く縁起したものか」「悪く縁起したものか」です。

(「善悪無性なる縁起(自然科学の対象=仏教の「色」)」については敢えて取り上げる必要はない。cf.マールンキャプッタ経)

釈尊の誕生譚等、仏教経典の種々の情報は、それは「善く縁起したもの」であるが故、経典として残され、語り継がれているわけです。

他方、「空かどうか」といったような話になると、それは縁起の「結果物(結果としての表われ)」の方(とその是非)に焦点が集まってしまうことを避けにくい語弊があると思います(もちろん、仏教的文脈理解に問題ない者同士なら何も語弊は生じないはずのものですが)。
952神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:51:39.73 ID:tTRIJYX2
>>947
釣られたということは、答えが見えてるだろ
答えは全てその逆である
953神も仏も名無しさん:2013/01/30(水) 23:56:30.21 ID:/etHh069
>>945
隠居節はいつも冴えてるなぁ・・w

「悪いのは僕じゃないよ!アイツだよ」
「悪いのは僕じゃない。このハサミだ」
「悪いのは僕じゃない。このマニュアルのせいだよ」
「悪いのは僕じゃない。だって、こう教わったんだもの」
「悪いのは僕じゃない。同じチームだけど、頭の鈍いアイツのせいだよ」

としか聞こえないんだが・・・w



ま、返レスも予想はつくが・・。  「 >それは宗教者の方 」 と・・・。
954素朴な疑問なんだが:2013/01/30(水) 23:56:52.79 ID:q8YwwyjH

ここの住人は
仏教はいらない
と思ってる人なの
955神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:04:47.98 ID:g/yvUuVL
>>948
>>874の >無目的性 >非公平性 という言い方と併せて読んでね(´∀`)b
また、
>>805>決して、目的的に、褒賞・懲罰的に事象が発現するわけでは ない
も、読み落とさないでね(´∀`)b
ついでに、>>361-362>>422>>521、も読み直しといてね(´∀`)b
956前世は一在家:2013/01/31(木) 00:10:19.62 ID:T0sAUbS3
>>942
>科学的、経済的合理性こそ至高という発想も多くの悲劇を生みだしてきたと思うけどね

「科学的合理性」も時代とともに変化する空性でしょうか。
つい最近までは原始の周りを分子が回っており、ほとんど真空と思われておりました。
この頃は次々に性質の異なる素粒子が発見されておりますし、真空は真の空っぽではないかも知れません。
957前世は一在家:2013/01/31(木) 00:32:12.74 ID:T0sAUbS3
>>946
>仏教に於いては、「世界の(この場合、空間的意味を超えて、だが)創造神が述べられているテキストなり伝承なりがあるのか?」
>を提示していただきたい。(ヒンドゥの系譜とは別立てで。)

長部経典の梵網経には、大梵天(異教では創造神)の誕生のエピソードが説かれております。

世界は消滅→生けるもの達の心は光音天へ移動→光音天から梵天界に最初の梵天(大梵天)が再生→世界の生成
↑これを知って説く如来は無量寿でしょうか。
958神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:32:21.27 ID:54ZgUXYg
>>954
>ここの住人は仏教はいらないと思ってる人なの

 というより、ここは仏教をネタにしている精神病患者のカルト隔離病棟ですよw
959神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:34:55.57 ID:g/yvUuVL
>>957
相変わらず狡猾だなw
960神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:38:21.02 ID:g/yvUuVL
>>957
ちなみに、梵天誕生以前には世界は成立してんの?してないの?
梵天が世界を作ったの?
仏教では、梵天が世界創造した神なの?
仏教の縁起って、梵天が第一原因なの?
961神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:41:33.05 ID:g/yvUuVL
そういえば、神智学も縁起の第一原因を設定してそうだなw

ああいう考え方と縁起という考え方は相容れないってのが、何で解らないんだろうな・・。
962一在家:2013/01/31(木) 00:42:27.78 ID:jAXEmnLq
「神が誕生した因や縁を、神学ではどう推測しているのか?」

霊の揺らぎです。エンソフオウル→エンソフ→神へと神性の流出が起こったんだよ
963一在家:2013/01/31(木) 00:46:59.70 ID:jAXEmnLq
>ああいう考え方と縁起という考え方は相容れないってのが、何で解らないんだろうな・・。

人に明確に説明できないことというのは、根拠なきイメージであり、ただの固定観念だよ
自分はわかり他はわかっていない、という世界の像自体がエゴイズムそのもの
964神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:48:37.40 ID:g/yvUuVL
>>962
じゃ、創造神じゃないよね? 被創造神だよね?
第一原因じゃないよね? 初めに居たわけじゃないよね?
全てを作りし者ではなかったわけだね。
創造神もまた、被造物だったわけか・・。 なんて気の利いたジョークw
965神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:48:42.47 ID:54ZgUXYg
特に重症なのが、マヒカリ『前世は一在家』と神智学『宝珠』という妄想霊魂主義者

両方共に宗所のお仲間はアホばかりですから、かまってもらいたくて

健気にも仏教隔離スレまで出張されて恥をさらしておられます。
966神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:49:13.34 ID:g/yvUuVL
ん? カラス?w
967パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 00:49:16.01 ID:h09lSrrK
>>938 仏教徒以外とは、きく口もたねってか?wwww

なら始めから、ID確認する位の注意はらえや、バカタレがww
968宝珠愚者@(規制代行):2013/01/31(木) 00:49:48.35 ID:eGt7LJh1
>>960-961
ロゴス(神)はすべてのすべて
ロゴス(神)なくして縁起も作用できない
ロゴス(神)なくして輪廻も生じ得ない
ロゴス(神)なくして一切智者(解脱)も生じ得ない
ロゴス(神)から出られるものはなし

>>802
“一切諸法は自性清浄なるが故に我もまた自性清浄なり”
 は、こちらの方が或いは正解かもしれません。
“一切諸法は無自性空であるが我は本来自性清浄なり”
969前世は一在家:2013/01/31(木) 00:50:36.96 ID:T0sAUbS3
>>960

テキスト(梵網経)に準拠して私見を回答します。
Q.梵天誕生以前には世界は成立してんの?してないの?
A.現在の梵天の誕生の前に、一つ前の世界があったことになります。

Q.梵天が世界を作ったの?
A.新世界の創造には貢献したでしょうか。

Q.仏教では、梵天が世界創造した神なの?
A.新世界の創造には貢献したでしょうか。

Q.仏教の縁起って、梵天が第一原因なの?
A.それは違うでしょうが、第一原因は何かは無記かと思います。

以上、異教の一個人のテキスト(梵網経)の解釈ですので、他の仏教徒の解釈をお待ちします。
970神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:51:21.25 ID:g/yvUuVL
>>968
だから神智学は、反仏教、反ゴータマなんじゃないwww
971神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:57:12.50 ID:54ZgUXYg
>>968>>969

その三文言説と無常=無我=縁起=空=中道との関係を述べよ。
972神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:58:11.32 ID:g/yvUuVL
>>970
んと、醜悪な性格だな、お前は・・・。
そういう論点ずらしは隠居と双璧だよ。

>A.現在の梵天の誕生の前に、一つ前の世界があったことになります。
だから、世界創造者じゃないだろ?

>A.新世界の創造には
姑息な回答しやがって(怒
「それはAですか?」と問われて、「Bです」かよw
「それがAでない」という表現を、決してしない(自説の瑕疵を決して認めない)よな(怒
お前は隠居か?w
>A.それは違うでしょうが
違うんだろ? そこで問答は終了だ。
第一原因を問うことが無記であることと、梵天が第一原因でないことは両立するだろw

んとに腐りきった性根の野郎だ。 ( ゚听)、
973神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 00:59:12.61 ID:g/yvUuVL
あー、アンカーミスったw  寝るか・・・orz


ノシ
974前世は一在家:2013/01/31(木) 01:01:42.79 ID:T0sAUbS3
>>968
>ロゴス(神)なくして縁起も作用できない

(「無為法」WikiDharma)
仏教では、原因や条件(因縁)によって作り出されたものでない、不生不滅の存在をいう。
つまり、あきらかに単なる現象諸存在でも、また現象存在の構成要素でもないことを指す。
それは、常住不変の状態にあるもの、あるいはそのような状態を言っている。

この定義だと梵網経の大梵天は常住不変ではないので有為法でしょうか。
宝珠氏が提示したロゴスは無為法でしょうか。そして如来と涅槃も。
975神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 01:03:59.18 ID:54ZgUXYg
 それにしても、一在家と宝珠という出張妄想心霊主義者の根性の醜悪さには、

         宗教者としての姿勢がまったくない。

        ことごとく縁起を無視している。


       
976不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/31(木) 01:06:30.52 ID:4+1srJC/
>>967 パーピマン氏
(このスレのテーマである)【仏教について説くための】言葉を知らないということですよ。
977パーピマン ◆OUG4LLcHY6 :2013/01/31(木) 01:11:13.01 ID:h09lSrrK
>>976 は〜〜〜〜〜???

何言ってんだ? お前はww
いいか?  お前はおれの書き込みに対して、それは違うとレスしたわけ。
だから、その理由を聞いたんだろうがw

んで、お前はオレが仏教徒ではないから、答えんとww
いい加減にせえよ、バカタレがww
978前世は一在家:2013/01/31(木) 01:11:55.82 ID:T0sAUbS3
>>965
>健気にも仏教隔離スレまで出張されて恥をさらしておられます。

隔離スレの住人だったのですか。 それは存じませんでした。
これまで真面目に考察している仏教徒が多いと思っておりましたので。
979神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 01:12:13.57 ID:54ZgUXYg
>>978

ブッダが示されるすべてが無常だという意味は、ダルマ自体も無常だということだ。 
実存苦の超克というブッダの本懐からすれば、その原因となる我執の主体も対象も縁起であり、
縁起であるがゆえに実体(自性:自立性・単一性・恒常性)が認められないからこそ、還滅を提示できるのである。

ましてや、縁起しない実体(自性)である「無為法」の存在はブッダの教えとはまったくかけ離れた妄想だ。

アビダルマ馬鹿坊主の妄想だ。

カルトはやはりカルト妄想に集う。類は類を呼ぶ。
980神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 01:14:16.79 ID:54ZgUXYg
>>978

腹黒いうえにやっぱりアホか。

質問箱の隔離スレじゃんw
981神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 01:16:21.09 ID:54ZgUXYg
>>978

その三文言説と無常=無我=縁起=空=中道との関係を述べよ。
982前世は一在家:2013/01/31(木) 01:23:40.42 ID:T0sAUbS3
>>980
>腹黒いうえにやっぱりアホか。

>>981
>その三文言説と無常=無我=縁起=空=中道との関係を述べよ。

アホだと決めつけた(縁)他人に質問(起)をしておりますよ。

>>975
>ことごとく縁起を無視している。

???
983神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 01:44:07.09 ID:54ZgUXYg
>>974 >>982
>仏教では、原因や条件(因縁)によって作り出されたものでない、不生不滅の存在をいう。
>それは、常住不変の状態にあるもの、あるいはそのような状態を言っている。

この「無為法」WikiDharmaの説明が、どれだけ誤謬に満ちているかを指摘せよ。

これが解けるまで、出てくるな!
984神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 02:07:34.62 ID:BfJO7Ohh
釈迦ほどのアホは、さすがにいないようだなw。
985神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 02:44:43.48 ID:qE+rLP2t
「神を知らぬ者は心に言う 『神などない』と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。
善を行う者はいない。」
986カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/31(木) 03:28:41.36 ID:/Vjp/JQe
>>946
なに言ってんだろこの人。神が誕生した因や縁だってよ(苦笑)。
このカス仏教徒は仏教徒の癖に自性の性質も知らんらしい。自性と呼ばれているものの本質は
言葉で表現すれば無。だからゴータマさんは自性などはないと詭弁をつかって皆を惑わしたんだよ。
だが全てはそこから生じたのだからそれを完全な無というより、基点のゼロとみるべきだし、
見方によれば初めもなく終わりもなく基からあり、縁起によらず単独で成立しているそれは自性そのもの
である。だから他の聖者は唯一絶対の神。もしくは単独者として説いたんだよ。その方が混乱は少ないからね。
君ら末法仏教は本当にレベルが低い。それ以前に宗教的な価値は全くない。
君らには気の毒だが仏教は唯物論者を真理から隔離する為につくられたようなものだ。
唯物論者から真理を守為にね。
987カラスの唄:2013/01/31(木) 04:02:41.85 ID:/Vjp/JQe
ヨーガスートラをみてもわかるように自性と真我はちゃんと別けて書かれている。
ここのアホ仏教徒達は自性とブラフマンの違いすら理解しとらんだろ。
988不説 ◆zanKI/5r4A :2013/01/31(木) 04:02:43.21 ID:4+1srJC/
>>968 宝珠愚者氏
> >>960-961
> ロゴス(神)はすべてのすべて
> ロゴス(神)なくして縁起も作用できない
> ロゴス(神)なくして輪廻も生じ得ない
> ロゴス(神)なくして一切智者(解脱)も生じ得ない
> ロゴス(神)から出られるものはなし

これって愚者さん自身の見解?

それとも神智学の何らかの典拠からの引用(公式的見解)でしょうか?
989宝珠愚者@(規制代行):2013/01/31(木) 04:21:16.01 ID:FS+nVGOi
訂正:>>813
 ×「中国気功術師の極楽師」
 ○「中国気功術師の悟楽大師」

追悼:在りし日の素晴らしい気のパフォーマンス(再掲)
(ニコニコ掲示板の茶化した文が邪魔ですが・・・)
http://www.nicozon.net/watch/sm7933586
990一在家:2013/01/31(木) 06:54:43.71 ID:ACg3i9I5
>ここのアホ仏教徒達は自性とブラフマンの違いすら理解しとらんだろ。

理解の有無は別にして、体験的な自己意識をそんなに明確に分けられないでしょ
教義の確認じゃなくて議論的な探求だから、当然曖昧にはなるよ。
991神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 06:55:49.35 ID:PeFdlIEC
>>987
いつから、『ヨーガスートラ』が仏説になったのか?
992神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 06:57:10.52 ID:PeFdlIEC
>>990
いや、そうじゃない。

自己意識があると思ってる限り、仏教ではないでしょう
993カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/31(木) 07:15:00.42 ID:AAffPSm2
>>991
一緒じゃドアホ。ゴータマが悟りを開いた瞑想は
あくまでヨーガなんだよ、アホめが。仏教は当時のヴェーダを誤謬に満ちた
バラモン達の教えを正しただけであり、本来はヴェーダそのものなんだよ。
それを違うものにしてしまったのが君らアホ仏教徒だろ。
ま、意図的に後世には末法になるような説法してるんだがな。
ま、違う人達にいくら言ってもわからんだろうが。
994カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/31(木) 07:17:36.70 ID:AAffPSm2
>>992
俺は自性とは人格神だのと一言も言ってないぞ、たわけが。
995Rei:2013/01/31(木) 07:18:05.24 ID:IUIoosYG
>自己意識があると思ってる限り、仏教ではないでしょう

チベット仏教的にいうと、俗義と勝義をごっちゃにしてるよ。
修行完成後の法心においては自我は限りなく虚構だが、修行そのものは自我にむけて行うとしないと虚説となる。
諸法無我ということと、自我をどうするか、と修行において考えることは矛盾しません。
996神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 07:22:42.32 ID:RUv5C2aY
修行のための修行では駄目。
997神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 07:25:57.85 ID:PeFdlIEC
>>995
オイラはチベット仏教を20年ほどやってきてるんですけど。

俗諦、仮設の自己意識という意味ではないでしょ。
自性とブラブマンを問題にする体験的な自己意識なんで。

それより、上に書いた通り、
アナタが>>924で以下のように発言した

>法華経でも大日経でも、久遠実成仏も秘密主も、世界を作ったと規定されていますがそのこととの整合性は?

その根拠として示した『法華経』の以下の文

>>930
>五百千万億那由他阿僧祇三千大千世界 仮人抹微塵
>東方五百千万億那由他阿僧祇国過 一塵下如 微塵尽き如

これは>>936の通り誤解ですよね。これが誤解だと認めますか?
>936
998Rei:2013/01/31(木) 07:26:18.79 ID:P3jRt70b
>ゴータマが悟りを開いた瞑想は
あくまでヨーガなんだよ

そうだとして、ヨーガ=仏説であることをどう証明してるんだっけ?
ごめん、よくわからない

また歴史的には、パタンジャリは釈迦より随分後だし、現在のいわゆるヨーガを釈迦がやってる云々というのはありえず、よりわけがわからない。
999神も仏も名無しさん:2013/01/31(木) 07:30:15.35 ID:KkDJI6QA
一在家は、ひとから指摘された誤りを直さない、というよりは
コピペ元のメモ帳を訂正しない、というほうが正しいんじゃないか?
写す元を直さないから、思い出したように、そのままコピペをスレに張り続ける。

>>972への(無)反応から見ると、天然じゃなくて意図的の可能性も高いけどね。
1000カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2013/01/31(木) 07:31:24.33 ID:AAffPSm2
>>998
ヨーガは仏教の成立より随分後にできたと思ってやがる。
話にならん。
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