>>950 仏教では“別の一切”は認められていません。
ですから、私がこのことを述べようとする際には、「一切」と「一切外」(その一切の外)の二つなのです。
そしてなんと、原始仏教においては本来、この一切には涅槃は含まれていませんでした。
ここが、また一つのミソ(伝統信奉者の受け入れ難い部分)なのです。
『ところで仏教で一切法とは存在するすべてのものを指すのであるが、原始仏教時代に関するかぎ
り、それは生滅変化する現象の法に限られていた。一切法を五蘊・十二処・十八界などとした場合、
それらはすべて時間と空間の中にあってわれわれに認識され得る現象界だけを意味した。(p112)
われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教では一切
とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。(p127)』
(水野弘元著『仏教要語の基礎知識』新版第1刷/春秋社刊)