1 :
世界@名無史さん :
2010/03/18(木) 08:13:11 0
2 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 08:15:30 0
では早速 前スレでも質問したけど ネット上でよく言われている朝鮮人=ワイ族説はいかなる根拠に基づいているのですか?
戦国〜前漢の頃、吉林・遼東・北朝鮮・韓国北部のあたりに「ワイ/カイ(穢)」と総称される多くの人々がいた。 一部のワイの首長は、漢と争ったのち数十万人を率いて帰順し、ワイ王の印を授けられている。 前漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼして四郡を設置したのち、ワイ王の印を持つ首長は北方の鹿山に逃れて「夫余」を建国した。 その他のワイは故地に住んで漢から県侯などの称号を受け、自治を認められていた。 やがて漢の支配が弱まると、日本海沿岸のワイは「沃沮」、鴨緑江付近のワイ(ないしワイの一部族である狛)は「高句麗」として独立。 ワイと名乗る人々は部族国家(東穢など)のまま江原道周辺に残り、後漢時代には高句麗王国に服属するようになった。 「後漢書」や「三国志・東夷伝」などには以上のように記されている。 ワイが何者かは諸説あり、ツングース系と考えられることが多いが、まあさまざまな部族の寄せ集めであろう。 夫余は広く満州地域を支配したのち、同じくツングース系の勿吉に滅ぼされ、その後は渤海・契丹などに同化したらしい。 高句麗(狛)や百済の王族が夫余系であることは、彼らの建国神話にも残っている。 もっとも半島南部の韓人までもがすべてワイ系とは思えないので、いわゆる朝鮮民族はこれらの混血により形成されたと考えられる。 北朝鮮人ならワイ系の血が濃いかもしれないが。
ネット上でたまに見かける説に、 「穢族は臭穢不潔な野蛮人で、中央に便所のある竪穴住居に住み、豚を飼い、人尿で体を洗い、 食器を使わず、普段は裸で、冬になると豚の脂肪を体に塗りつける」 というのがあるが、これは穢より北のユウロウ(古の粛慎)の風習として三国志などに出ているもの。 穢族が古代にこうした風習を持っていたかは不明だが、少なくとも後漢時代の穢族は比較的文明化されていた。 ユウロウと穢系諸族は言語が違うという。また穢と倭は同音(wei)ともいうが、別種であろう。
しかし、穢といい、倭といい、勝手な名前付けるもんだな 周辺民族みんなにこういうネーミングなんだもんな 欧米が土人というのと同じ感覚
>>5 中華王朝は基本的には周辺民族にはロクな名前付けないよ。
文明と国力が圧倒的だと、どうしても傲慢になってしまうね。
まあ、これは近代の欧米列強や現代の先進国にも言えることだが。
7 :
世界@名無史さん :2010/03/18(木) 23:13:53 0
クズネッツがGNPを発明する前は、各国の経済規模や経済動向の主な指標は何だったんでしょうか?
なんでソ連と中国は仲たがいしてしまったのですか? 当時の共産主義国家ではスターリン批判はそんなに問題だったのでしょうか?
なんでアジア人はイギリスによって民主化される以前は足し算も引き算も 知らず、科学を知らなかったのでしょうか?
貴方はどこの星または別世界にお住まいでしょうか?
13 :
世界@名無史さん :2010/03/19(金) 15:28:37 0
>>12 メッ!触っちゃいけません!
とは言ったもののこのスレは初心者も来るわけだし誰もが荒らしが見分けられるとは限らないよな
いっそのこと運営にアク禁にしてもらった方がいいだろうか
そうまでいかなくても次からテンプレに注意書きを加えておくとか
円周角の定理などで有名なミレトスの数学者ターレースとかは? 紀元前六世紀アジア人だけれど。
>>10 そうではない。毛沢東がソ連の干渉を排し、党内のソ連盲従主義者を追い落とすには、
ソ連型社会主義モデルは中国には適合しないと訴える必要があった。
スターリンの指導のおかげで国共内戦に勝利した毛沢東はスターリンには全く頭が上がらなかったが、
スターリンの死去でソ連の子分である立場を脱する機会が到来したのだ。
そしてソ連との決別の意思を示したのが1956年の十大関係論だ。
毛沢東は中国はソ連を反面教師として独自の社会主義を目指すべきだと謳ったのです。
それが国境問題などがからんで中ソ対立として国際社会に知られることほどの対立に発展した。
ソ連はソ連でスターリニズムと決別する都合があってスターリン批判をしたが、
それはたまたま時期がかぶっているだけで中国には関係ないことです。
スレ違いかもしれません。 もしそうでありましたらお手数ですが誘導お願いします。 現在神戸の関西国際文化センターで開催されている、 ”ハプスブルク帝国の栄光〜「華麗なるオーストリア大宮殿展」”という展示会に興味があるのですが、 会場を調べてみると2chでよく悪い噂を聞く創価学会の会館であることが分かりました。 この会場に足を運ぶだけで宗教の宣伝をされたり、また入場に住所が必要であとで宣伝チラシが放り込まれたりすることはありませんか? こういった展示会に足を運んだことがなく、初めて行くことになるのがここなので不安です。 ただ有名な展示会の展示会場に利用されるだけで宗教的なことは何もないのでしょうか? 行った方は教えてください。 よろしくお願いします。
>>10 大問題です。スターリンは言ってみればそれまでは
共産主義者の「神」とも言える存在でした。
表すなら「太陽」とも言える絶大な威信です(ユーゴなど例外はありますが)
またスターリンを賛美し、その力を借り、その思想(スターリン主義)・手法(個人崇拝など)によって
指導的地位についた者も多かったので、それらにとって批判は死活問題でした。
実際、共産主義各国は大きく揺さぶられました。
毛沢東がソ連と公然と反目する種は批判でまかれたのです。
毛沢東はスターリンとの関係で苦い思いをしたことが何度もありましたが、
威信や実績から基本的にはスターリンに尊敬の念を持っており、
事あるごとにスターリンを称え、模範としてきたのです。
それが批判されたとなれば、国際的共産主義運動への影響のみならず、
国内的にも毛沢東の威信を損なうものだったのです。
その他にも中ソ関係悪化の要因はありましたが、基本的には毛沢東のこの不信感が
ベースになっています。
>>16 以前に東京八王子の創価学会の建物で『大ナポレオン展』があったけど、特にそんなのなかったよ。
ただ、歴史好きのツボにはあまりグッとくる事は少ないかも。
展示物のメインは、ティアラとか宝石類やら池田大作の自慢のコレクションとコネクションを見せ
られ不愉快を覚えました。
つうか、この手の催事は展示がお宝系になるのは当り前でしょうけど。
19 :
世界@名無史さん :2010/03/19(金) 20:55:19 0
>>16 創価やら天理やら、ある程度の規模の新興教団はそういう展示場を持ってるもんだ。
別に勧誘とかもされんと思うよ。
ただ、記名するコーナーがあっても、それはスルーした方がいいかも知れんが。
自分たち、怪しくないよ文化的だよってアピールの場だからな。
イメージアップ大作戦だな マネーロンダリングならぬ、カルチャーロンダリング
ググったら東京富士美術館が企画で2/21までは岡山県立美術館でやってたみたいだな 大抵の企画展は巡回してるから他にどこまわってるか調べてみたら安心できると思うよ てか仏教系の展示会とかで協賛にもろに宗教法人が出てるやつでも勧誘なんてされないよ
>>16 2ch云々ではなく創価は「ヤバイ」ってことが常識になってないのかな?
勧誘はないし、普通の展覧会とさして変わらんよ。そこはかとなく立ち込める
創価臭に鼻をつまめば。
でも、創価主催もしくは協賛の展覧会なんて行かないほうが良いよ。
間接的にでも手を貸したり係わり合いになるからね。
分かりやすく言えば、アーレフとか革マルが関わっている展覧会なら行くかね?
23 :
16 :2010/03/19(金) 21:48:51 0
>>18-22 みなさんご丁寧なレスをありがとうございます。
安心しつつも油断せずに行ってこようと思います。
入場料もありますし間接的にでも協力ということになるとは思いますが、今回は知り合いとの約束もあるので行かせてください。
ありがとうございました。
>知り合い ・・・。 まさかな。 大丈夫だよな? ただの取り越し苦労であってくれw
>>24 大丈夫ですw
神戸でオーストリア展があるのは知っていたようですが、
一緒に行こうと誘ったのは自分ですし、今メールで創価の話をしていました。
某海外イケメン俳優も創価だと聞いてショックだったなどと言っておりました。
幼稚園に入る前からの知り合いなので大丈夫です。
ご心配ありがとうございました。
>>15 >>17 ありがとうございました
毛沢東がソ連とは違う独自の社会体制をつくるきっかけがスターリン批判だった事に気付けませんでした
27 :
世界@名無史さん :2010/03/19(金) 22:33:11 0
ハイドンって1809年に亡くなったのに、なんでロココ時代の鬘かぶってるの?
バトゥ率いるモンゴル軍に、東欧諸国が蹂躙されている頃、西欧諸国やローマ教会は 何かしら対策を立てていたんでしょうか? それと仮定になりますが オゴタイが死なずに遠征が続いた場合 フランスやイングランドが協力して迎え討ったとして モンゴル軍を撃退できたと思いますか?
>>28 その時点では、ヨーロッパで、モンゴルの恐ろしさを本当にわかっていて危機感を持っていたのは、リーグニッツ
などで直接戦った諸侯を別にすれば、イスラム世界と仲のよかったシチリアのフリードリヒ2世と、あとはせいぜい
商業国家のヴェネツィアぐらいと言っていいでしょう
で、オゴデイが死なずに遠征が続いた場合……
そのほぼ唯一の君主フリードリヒ2世は、教皇から破門をくらっている身なので、なんとかしたいと思っても、諸侯
を糾合することができませんし、まして教皇から諸侯に号令してもらうこともできません
神聖ローマ皇帝もローマ教皇も旗頭にならないとなると、諸侯は兵は出し合うかもしれませんが、真の意味での
連合軍にはなれず、互いに連携をとらずに、それぞれの部隊が勝手に戦い、各個撃破されるというリーグニッツ
の二の舞になるのが関の山です
十字軍で末期のアイユーブ朝(というか、初期のマムルーク朝というべきか)に惨敗したフランスのルイ9世聖王や、
そのルイ9世に負けているイングランドのヘンリー3世程度の君主の指導力、戦闘指揮能力では、協力したところ
で、モンゴル相手にそれほど有効な戦いができたとは私には思えませんね
モンゴルは海や船には慣れていないので、海戦持ち込んで渡海さえ防げればイングランドは持ちこたえられるかも
しれませんが、ひとたび大軍の上陸を許してしまったら後はもう征服されるだけでしょう
目を東に向けて、難攻不落のコンスタンティノープルはというと、この次期はビザンツではなくラテン帝国のもので
せっかくの城壁があってもそれを守るべき兵力が不十分で、攻略は簡単です(事実、しばらくしてニケーア帝国に
奪回される)
フリードリヒ2世とヴェネツィアなどは、外交的にうまく立ち回って助かるかもしれませんが、それ以外はイタリア
半島もヴァルカン半島も、ドイツ諸侯もフランスも、そしておそらく少し遅れてイングランドも、滅ぼされるか、降伏
して支配を受け入れるか、といったところではないでしょうか
ミュンヒハウゼンの馬は胴体が半分に切断されても生きていたそうですが、 その強靭な生命力を受け継いだ子孫の馬は現存してますか?
31 :
世界@名無史さん :2010/03/20(土) 14:06:04 0
>>14 タレスもアリストテレスも金髪碧眼、長身無表情だったのは有名。
アジアのサルが算数を知ったのはイエズス会がもたらせた「ピュタゴラスの定理」という
書物以後。
アジアが足し算を知ったのが西暦1500年以後で、幾何学を知ったのは
明治時代のときのお雇い外国人がもたらせたものだからなんと19世紀wこいつらバカすぎwwww
いまさらレスして自演すか
東西貿易の中継地として繁栄し、マレー半島全域に影響力を広げ、 アユタヤやアチェなどの地域大国と争うほど強大な国力を誇ったマラッカが、 どうして数カ月で遠路はるばる遠征してきたポルトガルの少数の軍勢にあっさり滅ぼされてしまったのですか? 特にマラッカが衰退していたとか言うこともなさそうだし、 東西交易していたなら、当然進んだ武器などもマラッカ軍は装備していて、 インカのように極端な技術力の差で負けることもないと思うのですが。
34 :
世界@名無史さん :2010/03/20(土) 14:44:44 0
白人の戦闘力は530000、IQは30000だ。 古代ギリシャ人の直系の子孫であり、世界で初めて文明を形成した。 アジアなんて 売春婦しかいないだろが。張り合えると思ってるなよwwwww
>>33 強大な国力なんてない。マラッカ王国は漁村が港湾都市国家になっただけだ。
過大評価もいいとこだ。所詮、ポルトガルの敵ではない。
レコンキスタで鍛えられたポルトガルに敵うわけがない。
>>31 あえて釣られてやるが、逆だ
そろばんは古代メソポタミアで発明され(中国という説もあるが)て、ギリシア、ローマに伝わったんだから
君の大好きな白人に算数を教えてあげたのはアジア人
しかも白人たちはやがてそのそろばんも忘れさり、幕末に通貨の交換レートを交渉した日本の侍がパチパチ
そろばん弾いて正確に、しかも自分たちが筆算するより早く計算してしまうことに驚いている
あと、今の数学の数式の元になっている代数学や幾何学は、西欧のサルは中世の間にそれを完全に忘れ
去っていたので、アラビアから輸入しなければならなかった
で、そう指摘された君は、次に、アラビアの数学はギリシア起源だと主張するんだろうが、どっこい、その
ギリシアの学問も、先行するメソポタミアやエジプトの影響を受けて発展したものだ
37 :
世界@名無史さん :2010/03/20(土) 14:57:14 0
自演うぜえええええええええ
>>33 なにをもって「国力」としているのか、前提がわからんが、
マラッカは経済力が相対的に東南アジア有数だったというだけ
軍事的に大国だったわけじゃない
>>34 IQを自慢したいなら覚えときな
IQってのは、大人ならどんな天才でもせいぜい160程度、子供でも200を超えるぐらいが限度
3万なんて数値には絶対にならない
あと、古代ギリシャ人の直系の子孫は、オスマン・トルコに征服され長く支配されたため、今
残ってる直系の子孫は、トルコ人との混血だ
嘘だと思ったら、今のギリシャ人を見てみ? トルコ系の顔立ちで、髪も肌も色が濃い人が多い
>>35 マラッカはマレー半島南部やスマトラ東部を支配していたんだから、
都市国家の域を超えた地域大国だと思うが。
あと、マラッカを攻略したポルトガル軍は戦艦18隻と800人。
特に内紛や疫病があったわけでも、内応者がいたわけでもないのに、
この程度の兵力相手にこれだけの大国があっさり滅ぼされるのは、
良く分からないのだが。ポルトガルがレコンキスタで鍛えられたとはいえ、
マラッカだって軍事力で周辺地域を制圧した東南アジア屈指の軍事大国だぞ?
>>38 東南アジア最大の大国アユタヤを何度も破ったり、
マレー半島南部やスマトラ東部を武力で制圧したりしてるんだが。
これだけのことができれば、東南アジアにおいては十分軍事大国だろ。
首都をいきなり18隻の戦艦で包囲されたら対応できなかったんじゃ? それにマラッカを陥落させたアルブケルケはゴアを2000人程度の人数で攻略してるし
そうだね、韓国は、先進国日本の漁船を何度も沈めたり拿捕したり、 竹島を武力制圧したりして、勝ちっぱなしだね。 これだけのことができれば、世界最強の軍事大国だろうw
シュリーヴィジャヤ朝と呼ばれる事実上の港湾都市同盟がすっかり衰えた隙を突いて 土地を盗むように建国し、死に体の港を奪って勢力を拡張したのは面白い話だが。 町内の剣道競技に優勝したのに、 全国大会上位者に全く歯が立たなかったのは何故? と訊かれてもなあ
古代中国の商人って、よく史記とかに載ってたりして有名ですが 明・清みたいな近世で、歴史に名が残るぐらい有名な中国の商人っていますか? 大航海時代の明なんかには多いような気がしますが…
王直 李旦 鄭芝龍 …まあ、商人というか倭寇の親玉だが。
要するに中国の財閥の創設者っつう事だよね。 安田の安田善次郎、三菱の岩崎弥太郎、伊藤忠、丸紅の伊藤忠兵衛、豊田の豊田佐吉みたいな。 軍閥はいっくらでもいるけど。
47 :
世界@名無史さん :2010/03/20(土) 20:03:12 0
日本は、暦の月(month)を、旧暦では睦月〜師走のところ、1月(いちがつ)〜12月(じゅうにがつ) と呼びますが、欧米では現在も、January〜Decemberと、数字を使用せずにややこしく呼びますよね、 200年前、十進法へ色々と改革に成功したフランスでさえ、ヴァンデミエール〜フリュクティドールと、 衒学馬鹿丸出しの、覚えられるなら覚えてみやがれ。なありさまです。 習慣といってしまえばそれまでですが、なぜスッキリと数字で呼べないのでしょうか? 改革の先駆者のイスラームは、ムハッラム(1月) 〜 ズー=ル=ヒッジャ(12月)で、これまた 然りです。 ほかの国ってどうなんでしょうか? 調べ方がわかりませんので教えてつかあさい。
英語の暦はもともとは数字だったんだよ(ラテン語)。 それを途中で固有名詞挿入して数が会わなくして(ジュライとオーガスト)、 しかも数称名詞の変遷と対応させなかったからわけわかんなくなっただけで
ローマはもともと春分の頃を年始にしてたので、そこから月の名前を数えていた。 第1月のマルティウス(英語でマーチ)はロムルスの父である軍神マルスの月。 次のアプリリス(エイプリル)とマイユス(メイ)、ユニウス(ジューン)は女神の名前に由来するらしい。 それ以後は数字をあてはめ、第5月(クインティリウス)、第6月(セクスティリウス)、 第7月(セプテムベル)、第8月(オクトーベル)、第9月(ノウェムベル)、第10月(デケムベル)と呼んだ。 冬至からの2ヶ月間は月の名がなかったが、二代目のローマ王ヌマが暦を改正し、 ヤヌアリウス(門の神ヤヌスの月)とフェブラリウス(疫病神フェブリスの月)を付け加えた。 しかし紀元前153年の暦改正でヤヌアリウスを年始にしたせいで、月名の数字も2ヶ月ずつずれた。 英語で9月をセプテンバー(7月)、10月をオクトーバー(8月)などと呼ぶのはこのため。 のちユリウス・カエサルはユリウス暦を造ったが、月名は変更しなかった。 初代皇帝のアウグストゥスが、クインティリウス月をユリウス(ジュライ)、セクスティリウス月をアウグストゥス(オーガスト)とした。 その後もいろいろ変更はあったが、結局この月名が後世まで残ることになった。
>>47 貴族が農奴を支配する為には、ややこしい方が都合が良いのです。
そういうややこしい暦を楽々理解しているから貴族は農奴から尊敬されるのだ。
日本だって1月、2月というようになったのは明治維新後の話。それ以前にはアラビア数字自体が
導入されてない。だから、睦月、神無月とか呼んでました。
なんのことはない。ヨーロッパと同じようなものです。
ちなみに江戸時代は農事暦といって文字が読めない農民でも使えるような漫画のような暦で
数字はサイコロの目で表現してました。
詳しくは知らないけど、ヨーロッパでも似たような暦が作られていたのではないかな。
つうか、極東以外では月名を数字で数えるほうが少ないな イラン暦はゾロアスター教の神々の名だし、インドの暦は二十七宿の名だし 他の暦でも「開始の月」とか「霜の降りる月」とか「○○の祭がある月」とかそんなんだし
52 :
世界@名無史さん :2010/03/20(土) 22:33:17 0
ここ数百年来の歴史を欧米発の文明社会がリードし、他の文明もすっかり感化してしまうようになったのは歴史の必然だったのでしょうか? 地政学やほどよい気候風土からして、欧米が最終的な歴史の勝者になることが約束されていたように思えてしまいます。 あくまでも仮の話ですが、逆にアフリカやアジア発の文明がヨーロッパ諸国を占領して住民を奴隷にするような可能性もあったのでしょうか?
>>33 滅んだといっても、大勢はマラッカを脱出しジョホールに拠点を移している。
ただ単に「マラッカ王国」と呼べる存在がなくなっただけ。
どうせ略奪して火をかけて終わりだろうと甘く見てたら、ポルトガルがそのまま
要塞を築いて留まるというまったく予想外の暴挙に出たためこうなった
ドイツ帝国の国歌のメロディが、英国の女王(国王)陛下万歳と同じだって本当ですか?
>>52 >逆にアフリカやアジア発の文明がヨーロッパ諸国を占領して住民を奴隷にするような可能性もあったのでしょうか?
フン族、マジャール人、ウマイヤ朝イスラム帝国とその後継諸国(イベリア半島占領支配、コンスタンティノープル包囲)、
モンゴル人、オスマン・トルコ(ウィーンを2回包囲、長期にわたりバルカン半島を占領支配)と、可能性まで含めるなら
何度もその危機はあったろ
戦争捕虜や、征服時に抵抗した市民は、当然奴隷にもされている
「ここ数百年来の歴史を欧米発の文明社会がリード」というが、むしろ、ここ数百年になってやっとヨーロッパは
立場を逆転したのであって、それまではたいした文明じゃなかった
「地政学やほどよい気候風土」のおかげで勝者になれたって考え方では、それまでの低迷の説明がつかないと思うが
>>52 最終的なってどういう意味?現代だって単なる途中経過に過ぎないのに。
まだまだ歴史は続くんよ。
>56 どうせ「もはや歴史は終わった」とか言う考えなんだろ。
58 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 06:57:47 0
>>36 山川世界史ではルネサンスによって文明を生み出し、その後の世界の
科学や思想の基準となった、と記述されてる。さりげなくウソつくなよ。
>>55 彼らは科学をイスラムから、政治経済をユダヤから教えてもらったことを
完全に無視して「ルネッサーンス、はっはっはっはっは」だからなあ。
冷涼な気候のために、農業技術が発達するまでは、1の小麦を蒔いて、やっと1.2ぐらいの 収穫しかなかった地域だもんな ちょっと不作になれば、0.9とか、蒔いた種より少ない収穫しかなくなる 当然、翌年の種にする小麦が不足するから、いったん凶作になれば、不作が連年続いてしまい、 持ち直すのに何年もかかる
62 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 12:01:48 0
ムハンマド(マホメット)が昇天した(7つの天に昇った)夜 乗っていた動物・ブラーク(Buraq)※について 記載のある教科書は何ですか? ※ボラク Borakとも。 イスラームの伝説上の動物。 名前は「稲妻」の意。 頭が冠をかぶった人間の女性、体が馬、尾がクジャク。 背中に翼がある場合もある。 見える限り遠くまでの距離も、ひと跳びで駆けるという。
>>54 18世紀に英国が「国王(女王)陛下万歳」を国歌としたのを受けて、
欧州各国で同じメロディが国際的な礼式歌として採用された。
現在のリヒテンシュタインの国歌も、帝政ロシアの国歌(初期)も、
英国から独立したアメリカの国歌(1831〜1931年まで)までもが同じ。
別に大英帝国の権威がどーたらではない。
この時プロイセン王国も(非公式な)国歌として同じメロディのドイツ語の歌を採用。
のちプロイセンを主体としてドイツ帝国が成立すると、これが国歌「皇帝陛下万歳」となった。
しかしプロイセンが嫌いな南ドイツなどでは受け入れられなかったという。
なお今のドイツ国歌はオーストリア帝国の「皇帝賛歌」と同じメロディ。
64 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 14:36:41 0
>>33 その場で運用・動員できた(数や武器の性能だけじゃなくて練度とか統率とかも含めた)軍事力ではどうも
ポルトガルの方が上だったようだ。マラッカ攻略には9日かかってるし、そこそこ激しい戦闘だったが最終的
にポルトガル側がこれを制している。
マラッカは元々食糧の自給すら出来ない土地なので、マラッカ王はいったん退いたあとに体勢を立て直す
つもりだったようだが、避難先で内紛が起こって組織的・効率的反撃体制を作ることが出来ず、自壊してしまった。
各地の植民地化でよく見られる光景だね。
マラッカに集っていた商人は、別に支配者がポルトガル人でもそれまで通り商売できれば問題ないので、
大半はおとなしくしてたんだが、ポルトガル人が戦勝の余波をうけて略奪したり、マラッカ側に内通してる
商人を粛正する過程で戦闘になったり、要塞作るためにモスクぶっ壊したりしたのでムスリムの商人が
逃げ出してしまった。
>>52 そういうの興味あるんなら「銃・病原菌・鉄」とか読むといいよ。
大学初年級でも読めるレベル
(というか海外では大学生必読の教養書になってるパターンもある)
「なぜ、ヨーロッパが世界を制し、われらは支配されたのか」って
ニューギニア人に問われたアメリカ人が1万3千年の世界史を通覧した書。
66 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 14:52:51 0
天文学はコペルニクスとニュートンが起源ですが、それ以前に誰か天体の観測などは行われて いなかったのでしょうか?
ってか発想が半世紀前の発想だな 構造主義でも勉強したらいいんじゃね
>>66 アリストテレスが「天体論」書いてる。
ていうか、「天体観測」って農業やってる文明なら大抵やってる。
(作付け始めるとか、暦が重要な場合は天体観測する)
紀元前2500年ころのイギリスの遺跡ストーンヘンジも天体観測装置という説もある。
「脳」の各文明・学説での解釈を教えてください。 最近、以下を見聞しました。 古代エジプト :「脳は鼻水をつくる器官」 アリストテレス:「脳は血液を冷やす器官」 他にも、「現代から見たらとんでも解釈」な「脳」の機能の説明があると思います。 お知りの方のコメントをお願いします。
>>68 やっぱり古代ギリシャ人が天文学の起源なのですね!
シュメル人とアッカド人とアッシリア人とカルデア人とエジプト人とシナ人とマヤ人がアップをはじめました
こんな言葉知ってる? 「荒らしはスルーすべし」
軍事板で回答がなかったのでこっちで聞かせてください ドイツとイタリアがスペイン内戦への干渉に費やした費用、 ムッソリーニのエチオピア攻略に費やした費用はどのくらいで両国の予算のどれほどを占めるんでしょうか?
ギリシアが何でも起源というのは、 それまで世界各地で蓄積された経験知・技術知を体系的にまとめ、 今に続く学問体系がそこから始まった、って意味でしょ? プラットフォームがギリシア起源であって、各種コンテンツは それぞれ起源があるといえばいいのかな?
76 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 16:34:27 0
77 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 17:54:18 0
ヤフーの地図で東欧を縮尺(右下の距離)50kmで見ていると、 モルドバ共和国南部に中国の万里の長城の様なものがあります。 凸凸凸凸←これの底辺をとったような感じです。 北側はTiraspol(ティラスポリ)から西へ約80km位、 南側はTatarbunaryから西へCahul(カフル)辺りまでです。 これは歴史的な遺構でしょうか? 最近、中東欧史に興味を持ち始め、フン族やモンゴル遊牧民族の 侵入に備えたものだったのかなと勝手に夢想しています。 どなたかお詳しい方がいらしたらご解説をお願いします。
78 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 18:13:21 0
>>66 おいおい、ニュートンの成果はケプラーの法則無くしてあり得ないぞ。ケプラーの法則は
ティコ・ブラーエが長年観測した結果をケプラーが分析してまとめたもの。
データーのでっちあげなくしてニュートンの成果も無かったわけだが…
>>77 詳しくはないが、オスマン帝国の侵攻に備えて建設された城塞遺跡があるんじゃなかったかな。
結局は併合されたが。
82 :
世界@名無史さん :2010/03/21(日) 20:58:22 0
>>81 ありがとうございます。オスマン帝国に対してなのですね。
以前、ヨーロッパの対東方遊牧民用の石塁?城址?の写真を
見た覚えがあってそれを探しているのですが見つけることができなくて。。。
もう少し頑張って探してみます。
ナチス→ハイルヒットラー 大日本帝国→天皇陛下万歳 北朝鮮→マンセーキムジョンイル ソ連ってなんていうんですか?
ハラショー
イギリスはノルマンディー公に征服されましたが、 今の王室もその子孫、系統を名乗っているのでしょうか
>>85 イギリスの王位に就くの家系は何度も変わっていて、
今の王室はノルマンディー公とは縁もゆかりもないドイツの貴族出身ですが。
>>86 ありがとうございます。
途中で切れてるんだ。
>>85 思い切り傍系だけど、細々と血はつながってる。
跡継ぎが途切れると家系をさかのぼってつながりのある人を連れてくる。
女王が出ると夫の家系に移るので家名が変わる。
>>86 のいう「ドイツ貴族」は妻がヴィクトリア女王なので
その子どもはちゃんとそれ以前の王室の血を引いてる。
>>86 一応、王様として呼ばれてくる理由が、前の王朝との血縁だよ。
ハノーバー王朝初代のジョージ一世は、スチュアート朝ジェームズ一世の曾孫。
ジェームズ一世は、四代遡ると、チューダー王朝のヘンリー七世。
そこから五代遡ると、プランタジネット朝のエドワード三世。
エドワード三世を母親から辿ると七代、父親から辿ると八代で、ノルマンコンケストまの
ウイリアム一世にたどりつく。
ウイリアム一世も后のマティルダ・オブ・フランダースも、フランス王室を介して、
アルフレッド大王(ウェセックス王)の血を引いている。
なんでそうまでして血統を尊ぶの? キリスト教圏のヨーロッパじゃ、君主は天子だとかキリストの末裔だとかいう要件は必要ないのでは?
92 :
世界@名無史さん :2010/03/22(月) 08:16:37 0
>>91 血統以外にどうしろと?選挙でもしよってのかぃ?
適当な後継者が居ないと何処かの王様とかが継承権を主張したりしてメンドクサイ事になるから、
適当に血のつながった後継者を担ぐ必要がある。
93 :
世界@名無史さん :2010/03/22(月) 08:47:12 0
血統を否定した結果、フランスでは1世紀半に渡って内乱・政情不安が続いたんだが
94 :
世界@名無史さん :2010/03/22(月) 10:49:34 0
血統を否定してgdgdになったのがポーランド。最後は国がなくなった。
>>93-94 ユーグ・カペーは選挙じゃなかったか
合羽のユーグから尊厳王フィリップ二世までは簒奪王朝じゃなかったか
列強に植民地化される前のアフリカ(地中海沿い・エジプト除く)ってどういう状態だったんでしょうか? 昔からずっと今みたいな部族戦争やってたとか、けっこう文化レベルの高い国があったとか、色々聞きます。 アフリカといっても広いし色んな所があったでしょうが、総じてどうであったか、発展していたところで どういうレベルのものだったのか教えて下さい。
オゲレツ帝国やおフランス帝国がその地に来る前は、 ポルトガルやイスパニアが植民地を築いていた。 だがさらにそれ以前にイスラム教徒が そこで公益をしてモスクなどを建てていたことは無視されている。 日本人は白人の奴隷になるような世界史を学ばされているんだよ。 本当の知恵を出してウソを見破りなね。
>>91 それは土地などといった財産の相続問題があるから
それを体系化してまとめて、欧州の王族一般が使ったのがサリカ法
法制化はいちいち相続の際に揉めないようにするため
家督が絶えてしまった場合どうしたかというとポーランド王国の場合は
現在のアメリカ大統領制のような選挙王制
ところが民主主義の制度整備のペースが現状変化の速さについていかなかったため
最終的に制度破綻したのがポーランド分割
ヤン3世王やスタニスワフ2世王は近代的な立憲君主制による世襲王制への転換を図ったが
うまく行かなかった
当時はポーランドのようなレッセフェール自由主義の民主体制(黄金の自由)か、
あるいは他国のような専制君主による絶対王政かのどちらかしかなかったため、
国内の有力者の間でも立憲君主制がどういうものかがなかなか理解されなかったんだろう
スタニスワフ2世王とポーランド議会は民主憲法の公布に成功したが、既にポーランド王国の国力は衰退しきっており、
ロシア帝国が軍を差し向けて全部だめにしてしまった
開明派が立憲君主制を声高に推しても、他の有力者はそれを見て、
それは黄金の自由を否定するような絶対主義反動ではないか、と疑って
なかなかついてこなかった、とうのもある
>>97 日本人はリシャルト・カプシチンスキの本を読まなければならない
101 :
世界@名無史さん :2010/03/22(月) 16:00:23 0
?淵の盟って、いわゆる経済的支配下に置かれたってことでいいんですか?
102 :
世界@名無史さん :2010/03/22(月) 16:32:04 0
アジア産の香辛料をアラブ商人が地中海世界へ持ち込み それをイタリアの商人がヨーロッパに売りさばき、莫大な富を得ていた その他、中国産の絹や陶磁器などもイスラム圏を介して欧州へもたらされ アラブ商人は中継貿易で大儲けしていた というような説明が大航海時代が始まる動機の一つとして良く使われれる ことが多いと思うのですが こういう「高価なアジア産の商品」を購入するために、ヨーロッパ側は、一体 どんな商品をアラブ商人へ代価として支払っていたでしょうか?
>>102 金・塩・奴隷
ポーランド王国はウクライナ人を狩って奴隷としアラブに売って香辛料を得ていた
その後13世紀に塩坑を開発して、奴隷より実入りがいいのでウクライナ人狩りをやめて、
もっぱら塩を売って香辛料を狩った
奴隷はユダヤ人がアラブに売り、香辛料はアルメニア人がアラブから運んできて売った
ルヴフ(現在のウクライナのリヴィウ)の市は昔は奴隷と香辛料を取引していたが、
のちには塩と香辛料を取引するようになった
ウクライナ人が増えて邪魔くさいので、ウクライナ人を農奴にして
モンゴルがいなくなったウクライナで大規模な農地開発をやった
それでポーランドは穀物輸出も大きな収入源となり中世欧州最大最強国家へと
変貌していくことになった
キエフ・ルーシ時代からのウクライナの公たちもポーランド貴族になって ウクライナの地方支配者としてウクライナ人農奴を使って農地開発 16世紀に入るとその農奴生活が厳しくなってきた アメリカからの輸入穀物との価格競争が激しくなって穀物相場が下落 生産性を上げるために以前は農奴一家あたり週延べ2日などの領主への賦役で済んでいたのが、 ついには週延べ8日にまで増えてしまった これではウクライナ人の農奴一家の父ちゃん一人では毎日働いても手が足りないので、 母ちゃんや兄ちゃんや姉ちゃんやジジババまで総出で賦役分担しなくてはならなくなった この生活が嫌になって領地を逃げ出してザポロージェの中州の湿地帯に集まって共同生活を はじめたアウトローたちがコサック
リトアニア大公国も昔はウクライナ人を狩って奴隷にして売り払ったのが主な国庫収入源 ポーランドもリトアニアも、ウクライナ人を全部排除したのではなく、 ちゃんとした家柄のウクライナ人は自国の貴族として平等に扱った ウクライナで奴隷狩りを直接やっていたのは王国と大公国のウクライナ人貴族 より正確にはルテニア人貴族 ウクライナとベラルーシのあたり全体をひっくるめてルテニアと呼ぶ
ウクライナ人つーか、スラヴ人・キプチャク人・タタール人かな 黒海北岸のクリミア半島にはイタリア商人のコロニーがあり、ここを拠点としてイスラム世界へ白人奴隷が輸出された 当時のイスラム圏はテュルク系の軍人政権が多かったので、こいつらはマムルークとして重宝された 14世紀にはここから欧州全土へ黒死病が広まってしまったが
大航海時代初期の時代は主にルテニア人(今のロシア人の一部とベラルーシ人とウクライナ人)が商品奴隷 ポーランド、リトアニア、クリミア・タタールがこれで儲けた この仲介業務にユダヤ人、イタリア人、アルメニア人などが関与し口銭を得て儲けた
王国の帝国化って戴冠か自称ですよね ではですよ 帝国の王国化とは言わないのは何でですかね
>>108 帝国とは多君主国の連合で、構造上あくまでも下部に多くの君主国を抱えているため、
皇帝が王になったら下部構造の君主国の元首たちはみな格下げになってしまう
たとえばすぐ上に出てくるポーランド=リトアニア共和国は、 ポーランド王国、リトアニア大公国、キエフ・ルーシ大公国の3者の同君連合の建前だが、 ポーランド王が残り2つも兼ねることで、形態上は皇帝であり帝国だが、 ヨーロッパの建前上、皇帝や帝国を名乗ることはない 同様にUKもイングランド王はスコットランド王も兼ね、イングランド王太子がウェールズ公を兼ねるのに 建前上、皇帝とは名乗らないが、国の形態上は帝国 皇帝とはローマ教皇に対する世俗的な社会全体の長の意味合いがあるから イングランド王がインド皇帝となったのはあれはヨーロッパでなくインドの基準で皇帝だから
>>109-110 「事実上の帝国化」(米・ソあたり)とは言っても「事実上の王国化」とは言わないのは何故か
大空位時代を「形式上の王国化」と言わないのは何故か
そこらへん何でなんですかね
>>111 >>109 が答えだろ
市場などを支配するとその企業は○○王国を築いたと言う
王国とは一つの内部に同質性のあるネイションを意味するから
帝国の場合は多数のネイションの連合体だから内部は同質ではない
>>29 レスありがとうございました
仮に遠征が続いたとしても欧州は一致団結して迎え討つ体制はとれそうになかった
戦ったとこでリーグニッツの二の舞
となると、各国の王家滅亡・ローマ教皇も処刑された可能性も高いでしょうし
欧州に〜汗国のようなウルスができると考えると
欧州の歴史は数百年ぐらい大きく変わった可能性が高そうですね
>>111 帝国が王国になる時は、帝国が崩壊して王国に縮小する時だから、
事実上だけでなく、名目ともに王国になるから。
大空位時代は皇帝が不在だったけど、
帝国の枠組みは健在だったから。
ちゃんと帝国としての形は残っていて、
貴族も帝国に忠誠を誓っていて、帝国は成立していたから、
皇帝がいないだけで帝国が形式上の存在になったわけでは無い。
>>113 世界最高の文明そして自由な文化を誇ったバグダッドはモンゴルに侵略されて以来
二度ともとの繁栄を取り戻すことはなかった
>>112 財閥の総帥になれば皇帝ですかね
では財閥解体となったときに王国化と言いますか?言わないでしょう?
ポーランド王国も12世紀から14世紀まで大空位時代で下位の各公国に分裂していた事実があるんだが、 それぞれの公位はピャスト家で占められており同質性がある これは国体自体が一つのネイションだから王国 神聖ローマ帝国の場合はドイツ王国とイタリア王国の連合という時点で2つのネイションの連合国家 このドイツ王国とイタリア王国の結合が国体として維持されている限り、皇帝位が空位であっても、 国体は帝国
>>118 親戚だらけのヨーロッパで、何を以て同質性と言うんですかね
>>116 それは「市場が〜」だからですよ
市場が○○の王国ないし帝国という場合すでにその市場を支配している意味が含まれますね
そして財閥の場合は各業種の市場特に金融機能を含めて支配していることになる
この各業種を全体的に支配しているのが財閥の特徴でこれは帝国と呼ばれますが、
この帝国は下位の各企業がそれぞれの市場を支配しているかというと支配しているとは限りませんね
三菱も三井も住友も、下位の各企業がそれぞれの市場でことごとく圧倒的だったかというとそうでもない
そして解体してしまったら全体支配が消滅し、支配的でない個々の企業が残る
それぞれの企業の市場はそれらの王国にさえなりませんね、そういうことです
もしも後にその個々の企業が発展して市場支配をしたとしたらそれは王国になりますね
松下とかトヨタとか、ああいうのがそうです
>>119 母語と家(姓ないし故地)でしょうね
当然のことながら
母語や土地の観念があるからこそ、ネイションの概念があるわけで
>>120-122 三菱UFJGと三菱自動車がぶっちぎりのトップというわけではないだろうと
なるほど
○○生まれだが血統から引っ張られる
なんてことがザラなのに、貴族と民が同じ言葉を喋ってるんですか?
>>119 つまりですね企業の市場支配の形態のメタファーオンリーとしての帝国や王国と、
国家のように体制の名目上の形態・実際の支配形態の両方(後者の場合はメタフォリカル)で帝国や王国と呼ばれるもの、
ちゃんとそこのところを区別して考えないといけません
たとえばUKやポーランドを支配形態で見てメタフォリカルに帝国と呼んでもいいし、
同じようにアメリカやソ連を帝国と呼んでもいいのですが、
体制の名目で言えば当然ながらこれらはそれぞれ連合王国、君主国(連邦)=共和国、
連邦共和国、連邦共和国であって、帝国じゃないのです
>>123 違います
ネイションは部族の発展概念です
ネイションの長を据えるとき、そのときの条件で有力者同士の利害関係がもとでちょうど良い人物が選出できない場合、
御しやすい外国の有力者を連れてきて長に据える、というのはよくあることです
キエフ・ルーシのリューリク、モラビア王国のサモ、など
サリカ法のせいで男子が絶えた王家の場合外から婿養子を取って王に据えることも普通に行われます
そういったばあい、王家や連れてくる貴族たちが外様なので、母語が土地の貴族や庶民と異なることがあります
125 :
47 :2010/03/22(月) 19:05:17 0
遅くなりましたが、ご返答頂いた方々ありがとうございました。
>>124 メタファーとして用いる場合は「帝国崩壊」で「王国化」ではないのですね
御しやすしと見ても、血統で選ぶと領土と家臣が付随しませんか?
バランスを取るどころか崩す原因となるような
>>126 男子の絶えた王家の後に誰を据えるかを決める要素は血統だけではないですよ
血統は大概の場合は必要条件で、それら縁戚が何人か候補に挙がり、
そのうち国の内部の有力者の政治力学で決まる
それが宮廷に普段出入りしている小さい内々の貴族グループで決まることが普通
(例外としてポーランドは全ての貴族の参加する選挙で決めたという稀なケース)
であるからその国では新君主は国王よりも地元の宮廷貴族たちのほうが政治力があります
たとえば政治力で見るとザクセン王はポーランド王に選出されてもポーランド政治での実権は
大貴族・議会にあり、王にたいした発言力はなく、王位は名誉職のようなものです
財産から言えばザクセンにあるこの王領地はポーランド王のものではありませんから関係ありません
逆も同じでポーランド王国の王領地がザクセン王のものになることはありません
流動資産ならばポーランド王国に多額の寄付をしますが
つまり外様の人物がポーランド王になっても領土はついて来ないこともあり、それはすべて契約
家臣をその行き先の国の貴族にするかどうかも同じ
この場合を、人的(国家)連合といいます
一方、ポーランドとリトアニアのように人物だけでなく財産まで連合君主一人の所有に帰する場合、
そういうものを、物的(国家)連合といいます
この2つの連合形態は区別されているので、王が統帥権を盾に個人的にプッツンしないかぎり
国家連合の制度自体が直接混乱を引き起こすことはありません
ポーランドで言えばプッツンのケースが17世紀あたりのスウェーデンやロシアとの戦争
だからこのとき議会は国王の政策に反対で、両者は激しく対立しました
ビザンチン帝国なんて、領域が街一つ港二つ半日で歩いて横切れる分しかないのに、 最後まで「帝国」で、それを攻め落としたオスマン国は差し渡し1000キロくらいの領土が あったのにベイリクで、王国よりもさらに下の、公国か伯領かの扱い。
>>89 >>90 ありがとうございました。
イギリスの歴史まったくしらない所に、詳しい話なので頭がくらくらしました。
その後 wiki で七国史など読みましたが、日本の戦国みたいな時代がけっこう長かったんですね。
スルタンとエンペラー、どちらも帝国の皇帝なんじゃないんですか?
>>131 エンペラーは皇帝だが、
イスラム世界のスルタンは地方の一首長や小国の王から大国の支配者が幅広く名乗っている。
スルタンだから皇帝ってことは無い。
中世以降のスルタンは大ざっぱに「王様」程度の意味で考えればいいと思う。
>>130 氏のついでに、
イギリス(イングランド)の代々王朝をあらましで理解し易い通史本を教えて下さい。
また、どの時代をポイントにすれば、前後史が理解しやすいかもご教示頂けたら。
よろしくです。
>>129 ググっていたら「オスマン侯国」という表記も見つけました
候から公、公から太公、公から王を名乗る時の基準って何ですか
>>133 古代は古代として捉えて、
ロロ以前とロロ以降の英仏を見ていくのがわかり易かった
本については別スレがある
>>134 いつの時代?どの地域?どの世界?
あとまあ、分かると思うけどヨーロッパの侯とイスラム世界の侯は違うよ。
>>136 イスラムのベイリク(=日本語訳で侯国)なのを見つけましたよと
そう言えば話は変わりますが、古代から近代のヨーロッパにおいて、
候から公、公から太公、公から王を名乗る時の基準って何ですか
>>137 古代には爵位は無かった。中世・近世・近代の時代と地域ごとに、
侯や公や大公や王を名乗る基準は違い過ぎる。
また、人に爵位を与えられて名乗る場合も自称もある。
もう少し時代と地域を絞り込んでください。
あとしつこく言うが、君侯国(ベイリク)の君侯とヨーロッパの侯爵は全然違う。
君侯国の君侯は大小問わず立派な一国の君主。
ルーシのクニャージだって、英語のキングやドイツ語のケーニヒと同じ語源なのに 「公」とか「大公」とか訳されるしな 漢語でも「伯」が伯爵だったり覇者(方伯)だったり
>>138-139 という日本語訳を見つけましたよというだけの話
古代に伯はいないんですか?
アンジュー伯とかも中世になるの?
>>140 ヨーロッパの爵位は中世フランク王国の官職が起源だからね。
だから、当然ローマや部族がヨーロッパを支配していた古代には無い。
伯も古代にはいない。アンジュー伯とか思いきり中世なんですが。
>>141 古代と中世の境目について御高説拝聴します
141じゃないけどアンジュー伯は古代と中世の境目がどうこうのレベルじゃないだろ
ユーグ・カペーの先祖ってアンジュー伯じゃなかったっけ カペーって最強豪族じゃなかったっけ 豪族と貴族が古代と中世の分かれ目だと思ってました
とりあえず教科書の歴史年表から読み直せ、な!
いろいろと異論もあるんだろうけど、古典的・一般的なヨーロッパの時代区分は、
西ローマの滅亡(476)までが古代で、それから東ローマの滅亡(1453)までが中世でしょ
>>144 ユーグ・カペーは、10世紀の人だ
その先祖がアンジュー伯かどうかは俺は知らないが、伯だとしても別におかしくはない
>>144 ユーグ・カペーはパリ伯。あと、アンジュー伯とは縁もゆかりもない。
でもユーグ・カペーの親父のロベール1世のとこには >アンジュー伯ロベール(ロベール・ル・フォール)の息子で、 って書いてあるね。英語版にも。
袁世凱が即位するにあたって、清朝の皇族と明朝の末裔、そして孔子の末裔から 帝位の承認を受けたって話は本当ですか?
>>146 世間的にはいい加減に認識されてるよ
映画板の質問スレでしばしば出てくる、
『ニューヨークの恋人』ていうタイムスリップラブコメの一方の舞台が19世紀後半だが、
それを「中世」呼ばわりされるし
『天山回廊〜ザ・シルクロード』て活劇に至っては20世紀が舞台なのに、「古代」だそうだ
古代中国にカメラや内燃機関があったと思われているらしい
西洋人の東洋停滞史観的には清朝末期までが「古代」なんじゃねえか?
なんでそこで世間的な話と映画の話をしだすんだろうマジで。
学問用語限定の定義を振りかざしても 世の中では通用しないってことか
中国政府の公式見解は、中国史のアヘン戦争以前はすべて古代じゃなかったっけ。
実際に清朝の時代も律令時代だから、古代だろ。
古代から段階を経ずに突然現代に生まれ変わるなんて、 奇跡の国日本よりもびっくりですね
>>137 例外はいろいろとあるけれども、
・とりあえず自力で他国から干渉されにくい統治機構を作り上げると、「公国」。
キエフ公国、ブルゴーニュ公国など。
なんちゃって国家の「シーランド公国」が公国を自称するのも、この定義から。
・周囲に干渉するような政治機構がなければ、「公国」相当のものはは自動的に「王国」になる。
初期ローマ、アバール王国、エジプト王国など。
・或る概念的な政治圏の一つで丸ごと全体に影響力を持つ政権が成立すると、「帝国」で元首は皇帝。
ローマ帝国、ペルシャ帝国、ムガル王朝インド帝国など。
日本の元首が帝爵なのも、この定義から。
・一度帝爵を得ると、実力が低下しても、帝爵を保持。
ビザンチン帝国、ローマ教皇領など
・或る程度の実力のある政権が、帝爵を譲り受ける、帝爵の政権を戦争によって滅ぼすと、
帝爵を得たとみなされる。
譲り受けた例……神聖ローマ帝国、ロシア帝国(自称)
滅ぼして得た例……オスマン帝国、ナポレオン帝国。
・帝爵の政治機構から元首によって帝爵・王爵で承認されると、それぞれ「帝国」「王国」。
西ヨーロッパ視点での「ロシア帝国」はこの定義から。帝爵の神聖ローマ帝国の影響が及ばず、
同格以上の大国として扱わざるを得ない国力のバランスから。
・帝爵もしくは王爵の政治機構から承認されると、干渉を受けても、「大公国」「公国」「侯国」「伯国」など。
>>158 議論はしたくないけど、それ、だいぶ違うと思う。
例によって皇帝に帝国は必要だが帝国に皇帝は必要ではない
北宋・南宋が戦争するごとに負けたのは、文官を軍事上の最高責任者にして 岳飛みたいな現場の意見を無視しただからってよく言われてますが この文官を補佐した、参謀本部的な軍事機関はあったんでしょうか?
いや、100%負け通しじゃねーじゃん
164 :
世界@名無史さん :2010/03/23(火) 20:25:57 0
革命期以外はほとんど文官が最高司令官なのだが。
武官は単式簿記しか知らないから
>>164 文官の武官に対する優位が決定的になったのは、宋代以降じゃね?
それ以前は最高司令官は武官と文官が半々ぐらいだと思う。
武官には財政学の知識がないので政府に対してどうしてもクレクレ厨になってしまうからよくない
まるで文官には財政学の知識があったみたいな言い方だね
また妬みレス・・・
>>167 武官でも最高司令官になるぐらいの奴なら、書類仕事が多くなるから一定の実務能力は備えてるし、
仮に軍事能力だけで実務能力が無くても、最高司令官ともなれば、
実務能力がある幕僚が大勢付くので、クレクレ厨にはならない。
と、俺は信じてる。
>市場などを支配すると王国が なんで市場?関係ないだろ。ただの文辞とか比喩だろ。 トヨタ帝国とかマイクロソフト帝国とかニンテンドー帝国とか 普通に言うよ。ただの修辞の話なんだし。
もともと中国では、文官が武官より上位に見られる傾向はあった
武官は科挙に合格しなかったやつの出世コースということなのかな 日本のキャリー、ノンキャリーと同じか
科挙受かった官僚が人事異動で武官になって、その後武官の出世コースを歩むこともある。 また、科挙受けるような層と最初から武官としての出世狙う層は受ける教育も家柄も違うので、 科挙失敗したから武官になると言うことは無い。
176 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 03:09:19 0
ふと思った疑問なんだが、貴族とか音楽家が被ってた真っ白で巻き巻きの 「カツラ(装身具)」をつける文化っていつ頃から始まったの? 被ることが義務付けられていたりしたの? 教えてカツラに詳しい人。
>>108 ttp://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0228320/top.html 吉村忠典著「古代ローマ帝国の研究」、著者からのメッセージより
>ローマ帝国という言葉は誤解を招きやすい言葉である.というのは,帝国というからには必ず皇帝がいるだろう,
と思いがちだからである.
では「帝国」とは本来何なのであろう.意外なことに,中国には「帝国」という言葉が,19世紀の終わり近くまでなかった.
この言葉はじつは18世紀の末葉に日本人が創り出し,19世紀の終わりごろ中国や朝鮮に輸出された「和製漢語」である.
たしかに世界史の教科書を読むと,中国には秦漢帝国以来明清帝国まで「皇帝」がいる.
秦の始皇帝は「皇帝」という号を定めた.しかし,「帝国」という国号を制定したという事実はない.
もともと「帝王の国」という意味で日本で作られた「帝国」を,19世紀はじめの長崎の洋学者は
英語の empire の訳語にあてた.だがそこには勘違いがあった.Empire には皇帝が存在しなくてもよいからだ.
Empire は imperium というラテン語が永い間に音韻変化を遂げたものである.
この語は初め古代にローマン・エンパイアについて使われたが,その時ローマは共和国であった.皇帝はいない.
だが,前1世紀後半から近代に至るまでの西洋において,もろもろの「エンパイア」には皇帝が存在するのが
普通であったので,西欧人自身もときとして勘違いをするようになった.
それならば,「皇帝」という夾雑物を取り払った本来の empire = imperium とは何ものなのか.
それを理解しておかないと,近代にいたって現れる西洋の「ローマ理念」と「帝国主義(imperialism = empire + ism)」
との繋がりも,「国民国家」に絶望を覚えた現代人の中に新しい「帝国」を求める声が沸き起こっていることも,
正しく理解することができない.
学術的にざっくりゆうと、「帝国(Empire)」とは「覇権国家」てこと
>学術的にざっくりゆうと、「帝国(Empire)」とは「覇権国家」てこと 引用文との関係性も希薄で訳が分からない。 古今の歴史全体を包含する帝国だの王国だのの一元的定義付けは困難。 また、邦訳の問題もある。 各時代や各地域・各国別に説明する方が現実的だ。
もう中国には、光緒or宣統に生まれたって人はいないんですかね?
180 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 08:55:49 0
>>174 武官も科挙の中の武官になるための試験を受ける。
だが人気はいまいちだった。
>>177 そもそも「世界全体は皇帝の土地」という立場であるなら「皇帝のおわす国」という
言い方は矛盾を生じるからね(当然ハッタリの類で騎馬民族にはなすすべがなかったが)。
「帝国」の定義 An extensive group of states or countries ruled over by a single monarch, an oligarchy, or a sovereign state. 要するに複数の国家から成り立つ連合国家で、そこにリーダーとしての人物ないし国家が存在すること。 帝国主義 Supreme political power over several countries when exercised by a single authority. 社会の暗喩として An extensive sphere of activity controlled by one person or group. ビジネスの暗喩として A large commercial organization owned or controlled by one person or group. 上のほうでポーランドをネタに熱く話してる人が正しい。
武官採用試験て、「武挙」というやつじゃなかったっけ? 宋代にあった用語だと思うが
歴史学の賞で最も権威のあるものって何なんですか? 例えば自然科学で言うとノーベル賞みたいな
184 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 12:21:02 0
ノーベル賞とオリンピック金メダルに権威を感じるのは世界水準だと 思ってるなよ、売春婦の子孫、日本人。
185 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 12:33:40 0
>>158 「公国」って「公爵が治めてる地域」だ。で公爵は普通「王の弟」が
なる。公爵家ならその一族、というわけだ。
古代オリエント諸国の税制システムはどんな感じだったのでしょうか。 また、インドの諸王朝についても同様にお願いします
188 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 14:21:00 0
>>182 武挙は唐代から始まって清まで続いた制度だよ。
科目は武術試験と兵法書の試験。
受かっても出世には結びつかなかった。
武挙受かっていないのに武官一筋で出世した人物はいくらでもいたし、
武挙受かっても下級武官で終わる人物も多かった。
科挙と比べると受かるのがはるかに簡単な代わり、
武官としての将来が約束されるわけでもなく、
科挙合格者ほど優遇も尊敬もされなかったから、
科挙と比べると、武挙ははるかに人気が無かった。
だから、受かった人物もあまり質が良くなかった。
>>185 公爵位は王族が与えられることもあれば、
地方や宮廷の権力者が与えられることもあれば、
周辺に強力な王権のない地域の地域の有力者が自称することもあった。
ヨーロッパの公爵位は、王の弟だけがなるものではない。
君主でも無視できないような力があればなれた。
また、公国は自立性が強い公爵の領土や、上に君主を戴かない自称公爵の領土のことだ。
公爵の領土だからといって、すべてが公国になるわけではない。
190 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 15:21:16 0
ブルゴーニュ公領なんてのは「公国」とは言ってないわな。 下手な王国より広いくらいなのに。
DucalやDuchyの和訳のときに便宜的に領にしたり国にしたりしてるだけ。 日本では、属国のように主権が制限されている場合、領と訳してるっぽい。
まあ、中世のフランスあたりの「○○公領」は、実質的に独立国みたいなもんだけどな
>>191 なるほど
そういえばDucalやDuchyには外交主権のあるなしの区別は含まれてないな
194 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 18:08:09 0
>>189 それじゃ「公爵」の公じゃなくて諸侯の侯の字が適当に見えますね!
内モンゴルと外モンゴルって、いつどのような状況の下で誕生した区分なんですか? そもそも内と外ってどうやって決めたんですか?
>>195 内陸アジアの遊牧民勢力が清国軍に屈服してからというもの、
清が中華民国に取って代わっても遊牧民は中華民国の下に従属する形になっていた。
中華民国の中央からの統制が弱体化した隙を突いてソビエト連邦が干渉し、遊牧民族国家を分離させた。
そのときに内モンゴルと外モンゴルの区分が生まれた。
もともとが明確な国境を持たない遊牧民だけに、境界線は打算の産物。
中華から近い方を内モンゴルとして、そのまま中華の国の領土ということにし、
遠い方を外モンゴルとして、新規分離国モンゴル人民共和国の領土ということで手を打った。
197 :
世界@名無史さん :2010/03/24(水) 19:57:10 0
清朝が近いほうを「内蒙古」、遠いほうを「外蒙古」と決めた
「内」は中華(や満洲)に近い方、「外」は遠い方。だいたいゴビ砂漠の南北で、漠南と漠北に漠然と分かれる。 金の時代には漠北との境に長城を築いてタタルとモンゴルの対立を図ったりしていた。 16世紀初頭にバト・モンケがモンゴル高原を再統一してダヤン・ハーン(大元皇帝)を称すると、 左翼にチャハル、ハルハ、ウリヤンハンの三大部隊を置いて東方を鎮めさせた。 これと接する満洲族は、ハルハ部の二大氏族のうち、近い方を内ハルハ、遠い方を外ハルハと呼んだ。 外ハルハ(七旗ハルハ)は16世紀末から強大になってアルタン・ハーンを称したが、 やがて清朝の朝貢国となり、17世紀の末にはロシアやジュンガルに敗れた。 外ハルハは康熙帝の援助で「外蒙古」を支配するようになったが、自治権を失い清朝の「藩部」とされた。 今のモンゴル国の国民は多くが外ハルハの末裔という。 内ハルハはあまり大きくならず、満洲近くではチャハル部が強大となったが、やがて満洲族の王ホンタイジに敗れた。 チャハル部のハーンは1635年ホンタイジに降伏し、彼に「大元の玉璽」を捧げた。 ホンタイジは翌年「モンゴル(大元)から天命が移った」として国号を大清とし、全モンゴルのハーンを称する。 チャハル王家はその後も清朝の親王家扱いで続いたが、これも康熙帝の時に反乱したため取り潰され、 旧チャハル領は皇帝直轄の「内蒙古」として遊牧地を分割統治された。 清末には大量の漢民族が内蒙古に入植して農地開発を行い、モンゴル族の遊牧地はますます少なくなっていった。 このため1911年に外蒙古が独立しても、内蒙古は中華民国の領地にとどまった。
>>195 モンゴルは昔、米が育たない土地でした。だから農耕民族である漢人は見向きもしなかった。
しかし、清の時代になって、漢人はモンゴルにも米は無理だが、コーリャンや蕎麦なら栽培できる
地域があることに気づいたのです。それなら農耕民族である漢人でも生きていける。こうして漢人の入植が
進んだ地域が内モンゴルと呼ばれる地域です。辛亥革命が起こって清が滅亡しました。
それを機にモンゴル人は独立しようと考えた。しかし漢人の入植が進んだ内モンゴルでは
モンゴル人が少数派になってしまっていて、中国に残りたいと考えた漢人が多数派だったのです。
だから内モンゴルは中国の一部となりました。外モンゴルはコーリャンや蕎麦も無理で
農耕民族である漢人は入植しなかった。だから外モンゴルだけは独立することになりました。
これが内モンゴルと外モンゴルの違いです。
漢人たって、清代華北の農民はコメなんて作らんぞ。ソバやコーリャン、粟や麦がせいぜいだ。 それに外モンゴルにもちらほら川や谷があって、その周辺では多少の農耕もしていた。
つーか満州人自体がもともと半農半猟じゃなかった? 一概に遊牧民とは言えないんじゃ。
>>201 満州人は狩猟採集・牧畜・農耕・漁労を全部やってた。
騎馬民族ではあるけど、遊牧民ではないな。
>>200 くだらん突っ込みだな。わかりやすく話を単純化しただけだ。
>>201 どこから満州人の話になるんだ?
一から十まで出鱈目まみれなのが「わかりやすく話を単純化」っすかwww
>>204 馬鹿だなお前は。回答って知識自慢の場じゃないんだよ。
オリジナル理論のお披露目場でもありません
モンゴルも(帝国時代はともかく)南北分断国家と言えるな ロシアに奪われたとこもあるし
パウロは何故生まれながらにしてローマ市民権を得ていたんでしょうか?
使徒行伝あたりに市民権持ってたって書いてあったはず
パウロはユダヤ人だが、ユダヤ本国ではなくキリキア属州のタルソス出身で、職業はテント職人であったという。 ローマ市民権を獲得する条件はいろいろあるが、実はタルソスは紀元前66年ローマに征服されたとき、 キリキア属州の首都として「全ての住民にローマ市民権を授与する」という特典にあずかっているのだ。
ということは、もともといい家の生まれ、お金持ちだったんだ
自由人の家系ではあったろうね
市民権はいい家の生まれでも金持ちでなくても、 ローマが「この地の住民にはもれなく市民権を与える」と決めた土地の住民なら、 誰でももらえるんだが。
214 :
世界@名無史さん :2010/03/25(木) 18:54:40 0
西フランクと ユーグ・カペーからのフランス王国って 血統はつながってないの?
ユーグ・カペーの父方の祖父は西フランク王ロベール1世、なので、 直系と言えないこともない。 もっとも、カロリング家の王に対する対立王なんだけど。
>>181 イギリスなんかは、英連の部分を含まない、同じ王様を戴いてるカナダとかオーストラリアとかを除いた、
ヨーロッパの北西沖にある島の部分だけでも、「帝国」なのか?
リーダーとしての人物として王様が居るし、イングランド王が連合王国の王を兼ねるからイングランドが
リーダー国であると言える。
自称も連合王国だし、概念的に4つの国家の連合、法域は少なくとも3つ(もしくは8つ)あるから、3つ
ないしは8つの国の連合といえる。
>>213 でも実際には自由民だけに対してで、その自由民というのは自前の生産手段を持っている者とその家族。
自前の生産手段を持っていていなくて生産手段を持っている人に雇われて糊口をしのいでる人の身分は
「奴隷」だったからなあ。
それは「無産市民(プロレターリ)」というやつじゃないか?
「奴隷」は買い取られてて職業選択の自由がない人間だろ。
>>218 自前の生産手段を持たない雇われ人のローマ市民や、
働いてすらおらず、国に食わせてもらってるローマ市民もいたがね。
特にローマには国から支給される食料で食いつないでいる無職のローマ市民がたくさんいた。
ローマ市民は有産無産にかかわらず、奴隷以外ならば、
もれなくローマ市民権を貰える土地の住民だよ。
奴隷であるか自由民であるかどうかということと、
自前の生産手段を持っているかどうかとは関係ない。
>>221 もともと市民だったものが没落してそうなったものはあっても、新たに市民にしてもらうには、
ローマに編入された時点でそこそこの有力者になるか、兵員としてしばらく駆り出されるかと
いう条件がついただろ。
幕末の洋書の訳で、civilとかdemosとかが「士」と訳されてるだろ。
本邦の幕藩時代の士分がローマやギリシャの市民、民がローマの奴隷に相当。
民から士分になるのは結構大変だが、士分の家に生まれれば、浪人になって傘貼りして
暮らしていても名字・帯刀の特権は保持されていた。
>本邦の幕藩時代の士分がローマやギリシャの市民、民がローマの奴隷に相当。 んな訳ねーだろ。幕末レベルの翻訳でそうであったとしても。 そんな滅茶苦茶な理由付けで電波飛ばすな。
>>181 全然納得できる答えになってないと思うけど?
何の引用か知らんが、そこから分かるのは欧米人も帝国と使用する際には
勢力拡大、強大で盛ん栄えているさま、異なる勢力にも支配下に置いてるような事が
感じられる時に使っているというだけ。
ポーランドをネタに語ってる人間も別のレスで否定されてる皇帝の有無とかで
絡めてる時点で矛盾をきたしてるのにそれを正しいと結論されても意味が分からん。
むしろ極論として国家や政治体制としての「帝国」というものは存在せず、
単に上り調子で強大化してる国への名誉的な称号、「皇帝」もその主権者への桂冠のような意味合いでしか
ないように見える。共和制だの大統領だの如何を問わず。
ビジネス等々にいたってはただの比喩にすぎないから問題外。また歴史上のことでも
いけいけどんどんな状態を欧米的な大げさなレトリックで「帝国」とか表現して、それを読んで
帝国と使用できると混同してしまってるのも多々ありそう。
>>222 翻訳された結果の日本語に捉われて、西欧の概念を理解することなんて不可能。
アプローチが倒錯してます。
>>224 言葉は時代によっても意味が変わる。近代においては「帝国」は国民国家、民族国家の
アンチ・テーゼのニュアンスが強い。中世は領主貴族の称号で同じ国が「帝国」にも「王国」にも
「公国」にも変わるだけだから、一つの定義で説明するのが土台無理。
始皇帝の時代の中国軍と、明までの中国軍って 純装備面(財政・動員力を排除)から見た軍事力は殆ど差がないって本当ですか?
明は火器豊富に持ってるし 元はそもそも他所の軍制持ってきたわけで装備面で差が無い事は無いと思う
"て本当ですか?"の、いつものネタ質問荒らしじゃないか 相手するなよ
230 :
208 :2010/03/26(金) 14:20:21 0
ありがとうございました!
なんでエチオピアは19世紀の欧米列強によるアフリカ分割の流れの中で独立を保ち、 20世紀にイタリアに侵略されるまで、植民地にならずに済んだのでしょうか? 国力が強かったからですか?近代化に成功したからですか?うまく外交面で立ちまわったからですか? それともタイのように緩衝地帯として残されたからですか?
>>231 近代化に成功した。国力もつけた。外交でも立ち回った。全部当たってる。
緩衝地帯だけは外れ。
キリスト教国なのも関係してるかもね
エチオピアは19世紀半ばまで諸侯による戦国乱世状態で、1855年にようやく皇帝テオドロス2世により再統一された。 彼はイスラム勢に対抗するためイギリスと結び、近代化を進めたが、諸侯の反発とイギリスの干渉で失敗した。 その後はしばらく帝位を巡る内戦が続き、イタリアがこれに乗じてエリトリアなどを征服。 イギリスも「フランスよりイタリアの方が組みし易い」としてこれを黙認。 近代兵器をイタリアから提供されたメネリク2世が内戦を制し皇帝になると、 イタリアは「じゃあ俺の保護国にしていいよな」と勝手な条約を結んだが、メネリクはこれに反抗し、第一次エチオピア戦争となる。 メネリクは、イタリアと対立していたフランスと結び、多数の武器を提供された。 地の利もあってイタリア軍を撃破し、アフリカ分割を進めていた欧州列強に衝撃を与える。 こうしてエチオピアは独立を認められ、列強の干渉を受けつつも近代化を進めた。 それも一国に偏らず、列強諸国からさまざまな近代文明を導入した。 まあ、列強の緩衝地帯としての面もなきにしもあらず。
235 :
世界@名無史さん :2010/03/26(金) 21:16:58 0
「近代化」w
えーじゃあ「19世紀末当時の西欧諸国の諸制度や文化を導入した」で
近代化なんて死語になってしまえと思っていても ヨーロッパ化、オスマン化、ロシア化、以外でどう言えというんだ
近代という区切りは西欧の価値観ですが つまり西欧の制度導入したら近代国家
239 :
世界@名無史さん :2010/03/26(金) 21:41:45 0
「無からすべてを生む出した欧州」w
西欧化、だろ
今の軍隊が昔の軍隊と戦ったら圧勝できるでしょうけれど、 銃が一般化するまで、例えば100年戦争の軍隊が、ローマ軍とかフン族とかと 戦闘したら、常勝だったり圧勝したりできるんでしょうか?
じぶんでかんがえてください
十字軍が対仏大同盟のような大連合軍となりえなかったのは何故でしょうか 余力が有り余っている気が
第1回には、大連合軍になったじゃないか
百年戦争の頃じゃ厳しかろう。 だってね、古代と軍隊の規模が全然違うんだ……。
十字軍:11世紀末〜13世紀 百年戦争:14世紀〜15世紀
>>231 戦略的価値に乏しく、分捕りあいの後回しにされて、結果的にさいごになっただけ。
アビシニア高地なんて、通りにくい、特別な産品も無い、畑にするような良い土地も無い。
たとえば、特別な産品がなくても、周りが通りにくくて一箇所だけ通りやすいような場所というものは、
早くから取られてしまう。ジブラルタル、スエズ、アデン湾、ホルムズ、マラッカなんかな。
特別な産品があると、取り合いになる。ボーア戦争なんかそうだろ。
イギリスのインド占領、植民地化も150年くらいかかり、 その間ずっとインドのあちこちで戦争継続
>>247 いや19世紀のアフリカ分割ってのはそういうのじゃないから。
工業化によって要求された市場の拡大と、原料供給のためのプランテーション栽培用土地の確保
および列強間の競争意識の発露が主な原因だったので、
だから獲れる土地は(その後も支配を維持できるなら)委細を構わず軍事力の差にまかせてまるで
紙を切り取るようにガバリと確保し、徹底して保護領・植民地化して市場経済に組み込む、その様子が
従来の領土拡張と大きく異なっていたから、”アフリカ分割”という用語が存在する。
無論「アフリカ分割」の過程でも、通常の領土拡大がなされるケースも多々あったが、”アフリカ分割”に
おいては毛色の異なる…乱暴な言い方をすれば、アフリカ分割の中では珍しい・例外というべきだろう。
ボーア戦争なんてその際たるもの。
そしてその(例外的な)通常の要衝を押さえる領土拡大なんだが、ちゃんとエチオピアはその被害を受けている。
(1889年ウッチャリ条約により現エリトリア領をイタリアに割譲)
で、
>>231 が聞きたい点は
「どうして(例えば横断政策みたいなものに巻き込まれず)”アフリカ分割”における
典型的な切り取り侵略から免れられたのか」だろ
欧米列強だって馬鹿じゃないんだから、食べやすいところから食べるのだ。 最後まで食べられずに残るのは不味いだけが理由じゃなく、食べにくいのが理由だ。 イソップ物語のきつねとぶどうの話みたいな。
>>245 市場の拡大 ⇒ アビシニア高地は人口希薄地帯
プランテーション栽培用土地の確保 ⇒ 畑にするには良い土地が少ない
とりあえず、人口も多い畑にするには良いエジプトとか、これまた畑にするに向いている
ケニアとか、それより南の鉱産資源の多いところ、交通のために押さえておきたい
アデン湾両岸とかはさっさと支配に組み込むけれど、そこらを支配したり取り合いしたり
するのに忙しい間は、アビシニア高地なんて後でいいから放置プレイ、ってなものだろ。
アデン湾は交通の要衝だし、1869年にスエズ運河が開通して重要性が増した。 一番狭いところは、アフリカ側かがフランスに取られてる、アラビア側がイギリスの支配圏。 ソマリアとかエリトリアに手をつけたのは、ここら辺の事情からだ。
253 :
世界@名無史さん :2010/03/27(土) 14:15:04 0
実際「プランテーションによる植民地は欧州起源」とされてるけど、実は2000年以上前に 支那の漢がインドシナ、内モンゴル地区でやってるんだよね。原住民を戦争などで服従させ、 農耕に適した土地に田畑を作らせる。モンゴル平原は「塩の多い土」だったので最後まで 支那が手を出すことはできなかった
>>244 余力を感じさせるのは何故ですかね
破門されていたからですか
>>254 十字軍に余力を感じるのは、地方や国の中で無数のもめごとがあって、
モンゴルやオスマンやナポレオンのような、
一致団結しなければみんな食われてしまうような脅威がなかったからだ。
まあ、つまり「俺そんな遠くの国のことなんか関係ないもんね」
「うちも近所ともめ事抱えていてそんな余裕ないんだよ」と言う感じで、
キリスト教圏諸侯の多くにとっては、自分の都合を放り出してまで、
十字軍ははるばる遠くまで兵を出す意義のない人ごとだったと言うことだ。
蹄鉄について質問です 日本でも馬沓を使用するところから蹄を保護する考えはあったようですが 明治期になるまで蹄鉄が導入されなかったのは何故でしょうか また、他国にも蹄鉄を使用していなかった国はあったのでしょうか
日本で蹄鉄が導入されなかった理由 導入しなかったから。そもそも馬の使用頻度が非常に低い 他に蹄鉄を使用していなかった国 蹄鉄が発明される以前の全ての国
>>256 >理由は簡単。技術が無かったからです。
>また、他国にも蹄鉄を使用していなかった国はあったのでしょうか
もちろんあった。てゆうか蹄鉄は西洋文化だし。
本来、自然の馬は蹄鉄つけて生まれてくるのではないのですよ。
蹄鉄つけてる方がおかしいと思いませんか?
>>253 もともとその土地に産しない農産物を、全量、外に持っていくようなやりかたでは
やってなかったろ。
単に、古代社会でやってるような奴隷制だったり、前近代のどの地域・時代でも
やっているような物納の租税だったり。
漢が安南で米穀を作らせオルドスやら朝鮮半島で粟を作らせて本国に運んだのと、
ローマがシチリアやカルタゴやエジプトを征服して麦や葡萄やオリーブ油を
作らせては本国に運んだり他国との交易の対価として使ったりしたのと、
どう違うのか?
その前に、アケメネス王朝が紀元前6世紀頃、同じ時期の支那は春秋五覇とかの
活躍し時代、バビロニアとエジプトの支配権を手に入れて穀物を本国に運ぶように
なっている。これはプランテーションではないのか。
蹄鉄は普遍的な馬具だと思っていたのですが、むしろ世界的には使用していない例の方が多いのでしょうか 中東の軽騎兵や中央アジアの遊牧民などは蹄鉄を使用していないということですか?
遊牧民のように毎日暮らしの中で走らせてたら蹄鉄なんて付ける必要ないほど蹄が強くなるから
遊牧国家は馬が使い捨て出来るほど転がってるからだよ。 連中どんだけ馬の扱いが酷かったか知ってるか?遊牧民は馬と友達みたいなイメージがあるけど全然だよ 日本は少なくとも馬を長持ちさせ走行距離を伸ばすために馬沓を使うだけの工夫はあったんだから ただ鉄を使うという発想に思い至らなかっただけだろ。
>>263 使い捨てなんてしてないよ。過保護にしないで厳しく躾け育てるのがモンゴル文化だ。
過保護が当たり前みたいな自己中心的な考え方は止めてくれ。
蹄鉄の存在はさすがに知ってたろうから ほんとに必要なかったんだろうね 日本馬はひづめが強かったとか
266 :
世界@名無史さん :2010/03/28(日) 07:28:54 0
実際に、スペインのマニラ総督やスペイン王国が松平忠輝や伊達政宗に肩入れして 日本を植民地にする計画ってあったの?事実なら本国側に書類があると思うんだけど。
268 :
世界@名無史さん :2010/03/28(日) 14:38:50 0
ヨーロッパは石畳の文化だったからとか聞いた事が
石畳の舗装道路を作ったローマ人は、蹄鉄じゃなくて革のサンダルを履かせてたが。 蹄鉄の発祥はケルトとかゲルマンらしい。
>>267 スペインのマニラ臨時総督が日本を植民地化する考えを持っていたけど、
たんなる思い付きで具体的な計画や行動は何一つしなかった。
地中海世界において量・質・戦術・組織力ともに最強の軍事力を誇っていたローマ帝国の軍事力が、 次第に弱体化して、外敵の侵入を抑えきれなくなり、 あげくの果てに領内を蹂躙されるまでになったのはなぜでしょうか? 弱体化の過程と原因を教えてください。
いろんな要素があるので一概には言えないが 国が拡大しすぎて、全方面の国境を守らねばならないために、軍の維持が大きな 負担になってしまった 文化的に発展して市民が戦いに出るのを嫌うようになり、軍にゲルマン人などを 使わざるをえなくなっていった そのゲルマン人たちがローマの戦術や軍制を吸収し、軍事的に対等以上の存在に なっていった
その最強ローマ軍が、ひとたび内戦になると皇帝の首をすげかえたり好き勝手やる。 また内戦によって守備兵が少なくなった隙をついて蛮族が国境を荒らしまわる。 国境付近の住民はいやになって、安全そうな大都市へと難民になって流入する。 となると、国境にいくら軍隊がいても、それを支えるインフラが崩壊する。 要塞はボロボロになり、道路網は寸断され、軍需物資は生産・流通が滞る。 辺境地帯で農業をやめると、砂漠や森に放棄された村々が飲み込まれる。 ただでさえ2世紀末から天災や気候悪化やインフレが続くうえ、ろくな皇帝がおらず悪政がまかりとおる。 大都市に流れ込んだ難民にも、軍隊を維持するための高物価や重税がのしかかる。 難民は盗賊になるか、新興宗教のキリスト教に帰依してその共同体(教会組織)に加わる。 軍隊に入ると皇帝や異教の神々に宣誓せにゃならんので、キリスト教徒には人気がない。 文明が爛熟しすぎて軟弱になったローマ人は役にたたず、剽悍な蛮族のほうが軍事的には使える。 こうしてどんどん悪循環が進んで、ついに西ローマはゲルマン人の傭兵に乗っ取られましたとさ。
>>272 一つは市民権。ローマ軍が強かったのは、属州民でも兵役を務めればローマ市民権を得られるという制度にあった。
権利が欲しけりゃ、体で国家への忠誠心を証明しろという話で、それは一理ある制度だと思う。アメリカも似たようなもんだ。
ところがカラカラ帝がアントニヌス勅令で自由民に無条件で市民権を与えてしまったから、誰も志願兵がいなくなった。
そうなればゲルマン人を傭兵として雇うしかない。ゲルマン人を持ってゲルマン人の侵攻を防御するといった
わけのわからん話になってしまった。カラカラ帝が浅はかな考えでローマ帝国を滅ぼしたといってもいいぐらいの愚挙だと思う。
>>271 日本側はルソンや朝鮮とかもアジアを植民地にする計画を持ってたが、
かなりの部分でただの計画には終わらなかったな。
松倉氏はルソン侵攻の戦費捻出に重税かけたことで島原の乱引き起こすし、
反カトリックのオランダに命じて城のキリシタンを砲撃させたり。
はたまた台湾ではオランダと権益めぐって小戦闘やらかしたり。
近衛隊長上がりのローマ皇帝と 傭兵隊長上がりのイタリア王 短命とは言えオドアケルが不憫な気がします
>>275 でも、市民権持ってたローマ市民兵も強かったよね?
市民権を得るために戦った連中の存在は否定しないが、
ローマ軍の主力は市民兵だったし、市民兵は志願兵だったよね?
市民権ほしさに戦う連中がいなくなったから、志願兵がいなくなり、
傭兵に頼らざるを得なくなったと言うのは、違うのではないか?
ローマ市民の志願兵の方が遥かに多かったわけだから。
市民権は多くの理由の一つにすぎないからそれほど悩まなくていい 皇帝のいる軍団が動ける範囲には限りがあるし 皇帝のいない軍団は強力なら反乱をおこす 防衛線はとにかく長くて安く雇える市民権希望者がいないので高い傭兵を雇う そのへんのリスクを考えると金で戦力を維持して防衛するより金で平和を買った方が安くなる 実戦をやらなきゃ弱くなるので防衛に必要な兵力は増えかかる金はもっと増える 結局維持費が割に合わない
>>264 使い捨てなら、なして、兵員1人に7頭とか10頭とか付けていたよ?
次々に使い捨てたとか言うきではないだろうな。
少し走っては、乗り換え、荷物を載せ替えて、馬が疲れないようようにしていた。
大切にしてるだろ。
反論する相手を間違えてますよ
安価ミス位許してやれよ
むしろ鉄製の方が異常だったりして。
284 :
世界@名無史さん :2010/03/28(日) 21:12:48 0
>>279 金で平和を買うって具体的に何してたの?
あと、金で平和を買ったはずなのに、兵が弱くなったから防衛に必要な兵力が増えるってどういうこと?
金で平和を買ったなら、兵力削減できるんじゃないか?わざわざ弱い兵をたくさん増やす必要ないんじゃないか?
モンゴルの草原を走る馬には蹄鉄なんかいらない。 モンゴル馬は小型で体重の負担も少ない ヨーロッパは大きくて体重の重い馬が石畳の町とか硬い土の上を走るから。 しかも馬車や荷車を引くから足の負担が大きい。
>>287 モンゴルにも日本にも石畳なんか無かったからな。それは良いヒントだね。
>蹄鉄は普遍的な馬具だと思っていたのですが 単に質問者が激しい思い込みをしていただけだから、 誤解が解ければ済むことなんだけどね
いつも思うけど、ここにいる人達ってみんな趣味で歴史やってる人ばかりなのかな 歴史のプロとアマの違いってなんだろう。学者になりたいんだが、大変なのかな、やっぱ
291 :
世界@名無史さん :2010/03/29(月) 13:36:14 0
東洋史学会スレ見たら、学者の世界の陰湿さ、いやらしさが実感できるよ。 あそこに書き込んでる自称「若手研究者」どもは、みんなゲスみたいな輩だ。 趣味とちがって、仕事になると、ギスギス・ドロドロになるのは仕方ないとはいえ、 あいつら陰湿すぎ。
292 :
世界@名無史さん :2010/03/29(月) 14:25:36 0
「定職なく、カネなく、嫁なし」の「三ない」だもんな、彼らは。
>>290 肩書きがあると公金で研究できる&一次資料に接しやすくなる&紀要が発表できる
逆に言えば一次資料を読む能力のないプロはプロの資格がない
単に歴史の研究をしたいだけなら、他に本職を持って、アマチュア研究家として 活動したっていいじゃない
295 :
世界@名無史さん :2010/03/29(月) 15:50:16 0
>>290 司会者「問題です。〜は〜というものが起きて以来・・・」
ポーン「1492年!!!!!」
・・・・・・
「ピンポーン!!正解〜」
「ウホウホ!!!!!」
こんなのは歴史学者に最も向いてないぞ。
1396年のニコポリス十字軍や、1444年のヴァルナ十字軍は、いずれもローマ教皇の呼びかけた 正規十字軍なのに、なぜ第9回、第10回十字軍と数えられないのでしょうか?
高校の先生が地元の歴史研究してて結構評価されてるとかときどき見るよね
>>296 第八回十字軍以降、十字軍に否定的な意見が急増し、
時の教皇が聖地奪回のための新たな十字軍を計画しないことを公式に表明したから。
ヴァルナ十字軍やニコポリス十字軍は聖地奪回のための戦いでも、
聖地奪回のための拠点作りをする戦いでも無かったから。
299 :
世界@名無史さん :2010/03/29(月) 16:38:13 0
>>295 でも、歴史好きってのは年代の暗記とかよりは人物とか事件に興味あるんじゃないのか?
まあ、どっちにせよ史料読まされる段階で、世間一般の歴史好きは脱落しそうだが。
タイが列強の緩衝地帯として機能した理由を教えてください。 東南アジアでは最も豊かで植民地化すればかなりおいしい土地だし、 戦略的にも交通的にも要所だし、 他の列強の植民地と境界線を接することになっても、 手に入れたい土地だと思うのですが。 緩衝地帯にしておくにはあまりにももったいないような気がします。
>>300 タイは英領ビルマと仏領インドシナの隣接を防ぐため。
それと追記でタイの独立が緩衝地帯という言葉一つで
かたずけるのはちょっと違う。
タイはカンボジアやマレーを割譲しながら現在の
タイ領を守ってきた。
>>301 英領ビルマと仏領インドシナが隣接すると、
何かまずいことがあったんですか?
英国とフランスはそんな緊張関係になかったはずですが。
タイはカンボジアやマレーを取られたなら、
本土まで取られてもおかしくなかったと思うんですが。
次々と土地を割譲させて、最後は全部取ってしまうのが当時の列強のやり方ですから。
英領ビルマと仏領インドシナを隣接させないようにするというメリットは、
タイ本土の豊かな土地を植民地化して、大きな市場と豊富な産物を得るメリットより大きいのですか?
303 :
世界@名無史さん :2010/03/29(月) 22:50:46 0
>>302 タイが豊かと言っても中国市場(それが丸ごと自由になるとして)と比べたらたいしたことない。
イギリスもフランスもタイだけ見て何かを決めているわけではないことに注意。例えばイギリスの
場合、インドに比べたらタイの価値なんて全くたいしたことないでしょ。
手に入ればそれにこしたこと無いけど、全面戦争するほどの価値を見いだせなかったんだよ。
どっちかと言えば、フランスの方がアグレッシブだったんだけど、そこでタイがイギリスべったりになって
保護国なんかになったら丸ごと全部イギリスに行っちゃう。タイはタイで双方に「あんまりやり過ぎると、
相手陣営に付いちゃうぞ」という姿勢を見せつつ、イサーンやランナーといった半独立勢力を傘下に収めて
いった。タイが領土を割譲し続けたってのは、半分ウソ。実質的な統治が及ぶ地域はむしろ拡大してる。
>>303 要するにタイの立ち回りがうまかったから、植民地化をまぬがれたという解釈でOKですか?
305 :
世界@名無史さん :2010/03/30(火) 00:28:54 0
>>304 それは間違いではないけど、択一問題じゃないんで、一個の正解があるわけじゃない。
フランスやイギリスの思惑・両国が置かれた世界情勢も要因の一つ。
日本を植民地化するメリットって西欧列強にはあまりなかったのですか?
>>306 あったけど西洋列強が植民地を拡大した時代に
日本は幕藩制度のせいで国内の海岸線のどこにでも人と兵士がいるから上陸征服が難しかったので
征服するのに予想されるコストが予想される利益に見合ってなかった。
日本は外人に対しては秀吉時代から警戒してシステマチックに対応してたし、
だから当時もルイス・フロイスなどは日本の植民地化は面倒だろうと言ってたし。
>>306 ない
メリットがあるなら、近くのシナ大国によってとうに植民地にされていた
309 :
世界@名無史さん :2010/03/30(火) 10:09:28 0
ただ、対馬とか彦島とかが、ジブラルタルみたいに局地的に植民地にされる危険性はあった。 あと、開港後の横浜は英仏軍が明治初年まで駐屯していた。 樺太は、ある意味、ロシアに植民地化されたといえるかもしれない。
310 :
世界@名無史さん :2010/03/30(火) 10:54:46 0
彦島の租借には高杉晋作が頑強に抵抗したんだっけ
311 :
世界@名無史さん :2010/03/30(火) 11:11:48 0
1880年代に入ると、エジプト、チュニジアなど、近代化政策を進めていた国が、 財政能力を超える近代化政策が原因で次々に英仏の保護国に転落していってたから、 その時期でも明治政府の指導者には植民地転落への危機感は強く存在していた。
>>311 いまでもEUの西欧諸国による中欧・東欧・南欧政策がそれ
ポーランド1国だけそれに抗ってがんばってる
19世紀のアジア・アフリカの近代化ってほとんど失敗してるからな。 オスマンですら近代化できなかった。
定義の無い印象論ですな
実際、成功例がほとんどないじゃん。
316 :
世界@名無史さん :2010/03/30(火) 22:15:39 0
パンパンの子孫は近代化が「いいこと」だと考えすぎだな。 それは単にオゲレツ帝国やダメリカを基準にした国にすることにすぎず、 いつまでたっても実は「近代化」ができなくなるという矛盾に 気づかねーんだ。バカだから。 滅べ、ステイツパンパン
>>313 > 19世紀のアジア・アフリカの近代化ってほとんど失敗してるからな。
> オスマンですら近代化できなかった。
??意味不明
トルコは車走ってるし、地下鉄もあるし、選挙もあるし、女性も投票権あるし
タンジマートや洋務運動などは 「富国強兵により植民地になるのを防ぎ、あわよくば列強につらなる」 という(明治維新的な)面では失敗した、といいたいようだが
トルコといえば世俗派の軍人が次々拘束されてるな 差別主義はよくないと思いつつも やっぱりイスラムは害悪と言わざるをえないんじゃないか
クーデターはでっちあげの陰謀だ イスラムは悪 はいはいわかりました
イスラムはかつては世界で最も柔軟で寛容な宗教の一つだったのに、 なんでいつの間にかこんなに硬直化した不寛容な宗教になっちまったのかねえ?
323 :
世界@名無史さん :2010/03/30(火) 22:51:50 0
関東のヤクザはどうしてもこうも仁義に篤いんだろう?
オスマン・トルコは、ヨーロッパに近すぎたので第1次大戦にモロに巻き込まれてしまったのが不運 それなりに近代化はしていたが、さすがに列強と対等に戦えるほどではなかった
第一次世界大戦前からオスマン・トルコはガタガタだったがな。 むしろ、第一次世界大戦まで良く崩壊しなかったと思う。
ケマルが出たのが大きかった エジプトはスエズ運河のためにイギリスにがっちりつかまれ、 イランはロシアとイギリスに挟まれてぐちゃぐちゃになってたし
327 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 00:49:59 O
>>322 一般のイスラム教徒と原理主義者を混同しないように。
>>322 莫大な原油収入で職業宗教、宗教ビジネスが肥大化したため。
働かなくてもいいので教条化する。
いちいち馬鹿の相手すんなよ
330 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 01:31:12 0
欧米のメディアの中でのイスラム像では そんな風になる。 ステイツパンパンは 夫(アメリカ人)の悪口はいえないの?w
イェニチェリつぶそうとして失敗したあたりからオスマンの凋落が恐ろしく進んだよな。 それまでもスルタンがニート状態だったけど。
>>331 イェニチェリってどうしてオスマンの癌的存在になり果ててしまったんだろう?
中国とかアフリカの状態にとどまるなら、 近代化した方がよっぽどまし。
とパンパンが白人の汚い混血児を残して恥をさらすんだろ?wwwww 死ねよ
米兵「Ohhhhぅ・・さすがにジャパニーズのオマンコは 一味ちがいマ〜ス・・・・」 パンパン「ああん、マッカーサーラインのようにいきり立った チンポ・・立派で源氏物語」 米兵「ジャップ、メスしかいない、OK?」 パンパン「男はみんなシニマシタ」 米兵「これからは俺たちがハズバンド、OK?」 パンパン「イエス、ソーグゥ・・ハアハア、天皇皇后リョウヘイカ!」 米兵「イエス、ヒロヒト ツグコ バイシュンフ!」 パンパン「コレデ ニホンハ ハクジンダ!」 米兵「イエス、オマンコソーグゥ!」
米兵(パンパンパンパンパン!!!!!!) パンパン「イエス、イエス、イエス!!!!」 米兵「オォウ・・シーイズソーセクシー・・」 パンパン「この子はキットアタマがヨクナリマス・・・・」 米兵「イエローがちっとはデモクラシーに近づいたかな?」
パンパン「今日からアナタもワタシもホワイトで〜す」 米兵「本国に本当のホワイトのワイフいます、帰りマ〜スハッハッハッハ」 パンパン「民主化をありがとうございますです!」 米兵「文明化もデスネ」 パンパン「ニホンはこれからいいことばかりおきるでしょうか?」 米兵「そんなことは考えなくてもいいのデ〜ス」 パンパン「ああ、帰らないでマッカーシー!!!!!」 米兵「ミソサザエが鳴く頃かえるさ、オマンコさん」
あはは、面白いなぁ。きっと学校でも人気者なんだろうな君は
339 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 08:17:29 0
昔の中国かなんかの話だったと思うが 大量の戦死体積み上げて建物みたいにしたもののことを何と呼ぶのか忘れてしまったので名称教えてください
1640年からのポルトガル独立戦争について調べています。 具体的な事件や人名が記載されている本はないでしょうか? いくつかの本を調べたのですが、概略的な説明が多く困っています。
基地外はアメリカの近代的なインターネットなんか使わず、 砂漠で原理主義者と掘り合いしてればいいのにね。
344 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 11:37:18 0
345 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 11:51:47 0
>>342 「京観」は現代北京語のピン音でどう表記しますか?
>>106 辞書調べるか中国方言字音データベースでググれ
348 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 14:05:09 0
あぼーんなっかり
近年、ヨーロッパ諸国の中央集権体制が見直されて 行政的地方分権体制に実際に移行しているようですが、どういうことがキッカケなんでしょうか? 日本でもそういう議論はたまにうっすらと聞こえるんですが、 恐らく欧米の真似だと思って・・・違ってたら恥ずかしいですけど。
351 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 17:24:12 0
jing平 guan去
352 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 19:08:29 0
東京観光はとバス
353 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 19:42:04 0
>>350 基本的に世界は宗教で回ってる。おそらく中央集権的なカトリックと
それに逆らうプロテスタントの思想的違いがそれに繋がってるのだと思う。
354 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 19:43:50 0
第二次大戦後のカトリックは踏んだり蹴ったりで、 「あの」ドイツ人がカトリック教皇になったり、 オゲレツのブレアがプロテスタントからカトリックに改宗したりしている。 これは完全な「裏切り」であり、彼らからしたら信じられないほどの 背信行為なんだ。
もともと、ヨーロッパはどこも地方分権のようなものだろ。 スイスやオランダのような大して大きくもないところが連邦制だったりする。
>>355 ドイツも連邦だし、イギリスは独自の法律と議会を持つ4つの地域の連合国家だしな。
もともと中央集権的だった国の方が少ない。
世界的には中央集権から地方分権に移行しようとしてる国より、 地方の独立性が強過ぎて、国家としての行動の足引っ張ってるから、 中央集権しようと頑張ってる国か、 中央権力が弱いから仕方なく地方に権限を与えている国の方が多いと思う。 中央集権から地方分権に移行しようと言う国は、 中央権力が強くて、地方分権しても国家としての行動の足を引っ張られる可能性の無いかなり贅沢な国。
世界史スレで聞く質問か解らないんですけど、 社会の体制は一番良いのは独裁(?)だが、腐敗すると最低になる。 民主主義はあんまり良くないけど腐敗してもまだそこまで酷くないから一番マシ。 みたいな事言ってた人が誰だか解りませんか? ちょっとアバウトすぎる質問だとは思うんですけど、 高校の授業で聞いたんですが昔のこと過ぎて覚えてなくて。 誰か解る方いたら教えてくださいお願いします。
チャーチルだろ
361 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 22:07:20 0
韓非子も言ってるしアリストテレスも同じこと言ってます
362 :
世界@名無史さん :2010/03/31(水) 22:08:45 0
日本の世界史の教科書は欧米の白人をすべての起源にしてるから 騙されるなよ。ちゃんと古典読んでくれよ。 「今の若い人たちは最も学び盛りのときに耳目をふさがれている」 とは白川静先生の言葉。
>>362 どこの国のどの時代の古典を読めばいいですかね?
興味のあるところから読むといいですよ。 世界史の教科書なんてクソ拭く紙にもなりませんから。
それと「解剖の起源はオランダ人」と習いませんでした? 古代エジプトを除けば おそらく支那元代に編集された むえんろく むゑんろく 【無冤録】 中国元代の法医学書。王与(おうよ)が宋代の「洗冤録」と「平冤録」を参考に1308年刊。 室町末期に朝鮮半島を経て日本に伝来。 が最も古い法医学(解剖)の書物です。 白人のウソに気をつけてくださいね。
>>364 私は大学とかに所属してないんで、
図書館や書店にあるヨーロッパか中国の古典しか読めないんですが、
それで十分ですか?
十分ですよ。本当に興味のあるやつから適当に読んで「ここで紹介されてる、 あるいは引用されてる同時代の書物はどんな内容なんだろう」って読んでいるうちに ふたたび関心がわいたらまたそれを探して読む・・そんな感じでやれば どんどん読み進められます。
350です。様々なレスありがとうございました。
太平天国は一時期華中から華南にかけての広い地域を支配しました。 短期間でこれだけ広い地域を制圧した、 強い太平天国が中国で最も豊かな地域を押さえたにもかかわらず、 ガタガタの清を倒せなかったのはなぜですか?
太平天国もガタガタだったからです。
>>370 じゃあ、ガタガタの太平天国がなぜ、華中から華南を抑えられたのですか?
ガタガタなら、そこまで広い地域を支配する前に潰されてると思うんですが。
エゲレスが清を支援してから大勢が変わったの
女性の提督について調べているのですが ラスカリーナ・ボウボウリナ(ブブリナ?)と ケウマラ・ハヤティについて 日本語で読める書籍はありますか?
>>372 横レス済まんが、太平天国が不利になったのは、
太平天国の内紛と清軍が強くなったからじゃないか?
イギリスは大勢がひっくり返るほどの支援したか?
外患が無くなったからだろ
>>356 イギリスの主要部分の議会・法域は3つだよ。
ウェールズの法域はイングランドと同一、独自の議会も無い。
イギリス諸島での法域は9つ。アイルランドを含まなければ8つ。
イギリスってすごいよね。大英帝国に民主化されなかったらアジアっていまだに 経済が物々交換だったし、算数もできなかった。 やっぱり人類で始めて宇宙にいったのも、数学や科学を発見したのも白人だし、 やっぱアジア人って死んだほうがいいよね。いるのはジミントーみたいな女の 腐ったようなやつらと売春婦ばっかりだし。
いつもの人
>>350 アメリカは、ご存じの通りで、中央集権の度合いが異常に低い。
現実には、強固な連邦政府が存在するわけだけど、人々の中央集権政府への
抵抗感が強い。連邦政府がすることは全て悪。そんな考えの保守派がゴロゴロ
いるわけだから。保守派のラジオショーのホストとか、州の独立を真面目に語るからね。
半分冗談だとは思うけど。
国が健康保険制度を定めたら、個人の権利を侵害すると、保守派が猛反発。州の権利を
侵害する憲法違反だと、14州が連邦政府を提訴。
アメリカの場合、(保守の)国民の強い抵抗に遭いながらも、現実的な必要性から、中央集権化が進行している
ところだと思う。
欧州は良く知らないが、以前と比べたら、地方の独自色が薄れ、国家の中央集権化が進み、
更に欧州統合へと進んでいるところじゃないの?
米も欧も「行政的地方分権体制に実際に移行している」なんて事実はないと思う。
ナポレオンその人ではなくて家族兄弟、所謂ボナパルト一家の足跡について 詳しく書かれた本とか無いですかね? 当時どんな生活をしてどう人生が流転していったのか興味が湧いたのですが 該当していると思える本が見当たらず困ってます。
>>381 あー、私も探してます。日本語希望。
リュシアンの伝記とかないですかねえ。
>>380 欧州についてはEUによって国家の役割が低下してその反面として地方自治体の強化が進んでる
開発には中央集権の方が適してるがそれが一段落したら自分の金は身近で使いたいって話で
地方分権化の流れは欧州の先進国に限られるが存在してるのは確か
日本の場合も開発事業が一段落して地方での金の使い方まで中央がコントロールするのは無駄だって考え方から動いてる
EUなんて形骸化してるじゃないか
強力な中央集権国家でなければ生き残れない時代は過ぎちゃったからね。 政治的に緩やかな地方分権の波は抑えられないだろ。 経済のグローバル化と合わせて、むしろ長い目で見たとき国家の方が形骸化しそうだ。
386 :
世界@名無史さん :2010/04/03(土) 10:24:20 0
アメリカの侵略史、インディアン、メキシコ、フィリピン、ハワイ等々に 焦点を当てた、洋書(英語で、コンパクトなもの)、英語サイトを紹介してください。 へらへら日本の悪口をいう馬鹿ヤンキを黙らせたいんです
>>385 国や地域によるだろ
中国やロシアじゃ絶対無理だし
てか、民度か
日本も無理だな
388 :
世界@名無史さん :2010/04/03(土) 11:42:22 0
>>386 「俺たちの先祖つぇぇぇwww」って反応されて終わり
389 :
世界@名無史さん :2010/04/03(土) 16:06:14 0
アメリカは実戦に強くない、ベトナム、朝鮮、イラク、アフガンを見よ ただ、アメリカは勝てずとも、挫けない
390 :
世界@名無史さん :2010/04/03(土) 16:41:26 0
>>389 アメリカは強いと思うけど
アメリカが作る傀儡政権のダメさは異常
旧日本軍の傀儡政権の方がましなレベル
>>390 赤狩りでアジア諸国との人脈が潰れたからという話を聞いたことがある
392 :
世界@名無史さん :2010/04/03(土) 19:11:51 0
>>391 いやラテンアメリカでも変な政権ばっかりですやん
>>387 国や地域によるのはスピードの差だよ。各国の経済格差によるね。
EUは比較的各国差が小さかったから時代に先駆けて統合が進んだ。
現在アジアやアフリカや南米やその他地域も経済発展が目覚ましい。日中も経済的繋がりは深まる一方だろう。
歴史という大きな観点で見れば世界中でEU化は進んでいくよ。それが済めばその先も有るかもしれない。
文明が進めば豊かになるし、豊かになると人類がやることは一定の法則が有ると思う。
今年から新大学1年で世界史の教師に思ってるんだけど、 大学1年のうちにナビゲータか青木の実況中継と資料集を徹底的にやろうと思う でも本当にこれだけでいいのかな?足りない? そもそも参考書でいいのかな?もっと違う部類のやつ買うべき?
スレ違いか すまん
いまさら実存主義ですか 70年代の学生ですか?
>>398 哲学や思想の話ではなく、歴史や現実を見れば実際そうだって話をしてるんだけどね。
なんか勘違いしてるな 哲学を何だと思ってるのか
何の話がしたいんだい?
考えが古いと言ってるのに歴史はそうだ!!とかおかしいでしょ?
>>393 を具体的に否定していないとこがミソだな。
全ての物語の類型は聖書で既出、 みたいな名言知りませんか?
>>393 >>文明が進めば豊かになるし、豊かになると人類がやることは一定の法則が有ると思う。
人類は単一の理想的状況に向かって進歩していくなんて考えはヨーロッパでは非主流です
大統領制度が布かれた後
。
世界はやはり地球連邦へと向かってゆくのですか?
元朝下の話でしたか、 モンゴルによる政権が儒家を軽んじ、 社会制度、社会構造に儒の要素を組まなかったことを表す言葉って ありますか? 格言的に
歴史用語的な言葉でも教えてください
「一官・二吏・三僧・四道・五医・六工・七猟・八農・九儒・十丐(こじき)」。 モンゴルは宋代までのような科挙によらず、縁故と血統と実力で人材を登用した。 先祖がモンゴルに従ってどんな功績を挙げたか、いつ家臣になったか、姻戚関係はどれほど近いかで「貴族」としての格が決まる。 官僚は実務家として有能なイラン系のムスリム商人が登用されることが多かった。 しかし、モンゴルはチンギスの子オゴデイの時代から儒教を「宗教のひとつ」としては保護しており、 曲阜の孔子廟を再建して孔子の子孫を保護したり、儒学を世業とする人々を「儒戸」として戸籍に登録したりした。 1315年には小規模ながら科挙を復活し、南宋では弾圧もされた朱子学を正統な経典解釈として採用した。 明代に朱子学が「国教化」したのは、これを受け継いだものである。
414 :
世界@名無史さん :2010/04/05(月) 23:41:40 0
アドレスを適当に削れ。
416 :
世界@名無史さん :2010/04/06(火) 07:12:02 0
417 :
世界@名無史さん :2010/04/06(火) 08:21:48 0
李氏朝鮮ってインターネットで探しても末期の話ばっかりで前〜秀吉の出兵くらいの情報が少ないように思います。王朝草創期はまともだったんですよね。李成桂から三代ぐらいはなんか応永の外コウとかもやって外国出兵もしてるし。 文禄・慶長の役ぐらいまで戦争ふっかけられたこともなく、国内平和だったんですよね
燕山君 四大士禍 三浦の乱 後期倭寇
420 :
世界@名無史さん :2010/04/06(火) 15:52:41 0
1979年の中越戦争についてなんですが、 勃発の原因を中国側は「国境付近でのベトナム軍の度重なる挑発行為」とかなんとか言ってますけど、 実際のところベトナムのカンボジア侵攻への反発と考えていいんですか? 中ソの対立も絡んでたりします?
ヨーロッパの歴史について質問です。 外国語でメールしているんですがメル友と ヨーロッパの歴史の話になりました。 でも私はヨーロッパの歴史はほとんど分からないので メル友のメール内容をきちんと理解出来ているか分かりません。 なのでメル友のメールの和訳↓の内容が正しいか 教えて下さい。
422 :
421 :2010/04/06(火) 21:31:05 0
「イスラム教もユダヤ教もキリスト教も元は同じ宗教なのに なぜ同じ宗教同士で争っているのか?」という質問の回答。 キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒は同じような神を信仰しているが、 神の名前がなんなのか議論は始まっています。 手短に書くと、ユダヤ教徒とキリスト教徒は キリストが神の息子であるかそうでないかで区別します。 ユダヤ教徒はキリストを詐欺師だと思っています。 キリスト教徒はユダヤ教徒が信じる事とキリストの教えを信じます。 イスラム教徒はユダヤ教徒とキリスト教徒の信仰の一部を引き継ぎ、 さらにマホメットの教えを受けています。 特に中世ヨーロッパ人とアラビア人は どちらの宗教が神の「正しい」代表かを賭けて戦争しました。 それに関連して、3つの宗教とも「不信者」は罪人か悪魔と見なし、 同情すべきでないと教えています。 その後、キリスト教徒は16〜17世紀に彼らが「新世界」を見つけた後に戦略を変え、 「未開人は善意を使って納得させる」と決めましたが・・・ その際の「善意」はここの文脈では16世紀の「善意」と見なすことです。
423 :
世界@名無史さん :2010/04/06(火) 21:40:40 0
つづき ローマ帝国が滅亡(約6世紀)した後にその部分に入れられていたヨーロッパと 中東(アラビア)と北アフリカは混沌に陥り、 そして以前ローマと戦争をした全ての民族は今お互いに戦争しました (それは日本の戦国時代に似ています)。 若干の時の後、バチカン(今だ尚彼らはローマに存在しています)は ヨーロッパの王達の依頼から介入し、 キリスト教徒はお互いに戦うべきではないと決めました。 それが引き続き王たちなら、それらを今避けれる事を試します。 その時、イスラム教徒は自分自身でローマ人から解放され、 お互い集まり、それはキリスト教徒と争いが起き、その上だけで人は一致し、 キリスト教徒はキリスト教徒を攻撃すべきではありませんし、 イスラム教はイスラム教徒を攻撃すべきではありません。 このテーマはとても長いですが およそ16世紀でほとんど全ての宗教戦争が終わりました。
424 :
世界@名無史さん :2010/04/06(火) 21:43:40 0
以上ですが、内容はあってますか? 若干の時の後、バチカン(今だ尚彼らはローマに存在しています)は ヨーロッパの王達の依頼から介入し、 キリスト教徒はお互いに戦うべきではないと決めました。 の後の それが引き続き王たちなら、それらを今避けれる事を試します。 は、何を意味していますか??
英文でおk
426 :
421 :2010/04/06(火) 21:53:55 0
>>426 だって原文も並べないと正しい訳が出来ているかどうか
わかんないじゃん
「メールの和訳の内容が正しいか」ってのは正しく和訳出来てるかではなく 内容が歴史的事実に即しているかってことだと思われ。 訳の正誤判定ならEnglish板でやれって話しだし。
429 :
421 :2010/04/06(火) 22:56:37 0
>427 あの、世界には英語以外の言語も沢山あるわけで・・・ >428 はい 見て頂きたいのは 内容が歴史的事実に即しているかです。
>神の名前がなんなのか議論は始まっています。 →ユダヤ教ではヤハウェ、イスラームではアッラーだが、使う言語によりけり。 ユダヤ教徒やキリスト教徒のアラブ人は神をアラビア語でアッラーと呼ぶし、 キリスト教徒でもギリシア語ならテオス、ラテン語ならデウス、フランス語ならデュウ、英語ならゴッド。 >キリストが神の息子であるかそうでないかで区別します。 →イエスが神の子だの神だのと言うのはキリスト教徒だけで、ユダヤ教徒は詐欺師か、せいぜい預言者やラビ(教師)とする。メシア(キリスト)はまだ来ていない。 ムスリムはイーサー(イエス)を預言者で神の使徒で、終末のときに再臨するマスィーフ(メシア)だとはするが、 神でも神の子でもなく人間に過ぎず、アッラーが彼に授けた福音も弟子たちによって歪められたとする。 >どちらの宗教が神の「正しい」代表かを賭けて戦争しました。3つの宗教とも「不信者」は罪人か悪魔と見なし、同情すべきでないと教えています。 →ユダヤ教徒は、2世紀にローマに滅ぼされるまでは過激派も多かった。その後は世界中に散らばり、特に宗教戦争は起こしていない。 イスラーム拡大時の異教徒への条件は「クルアーンか剣か、あるいは貢納か」で、戦争や強制的な改宗よりは貢納を求めた。 あまり大勢が改宗されると平等に扱わねばならないので、アラブ人ムスリムの分け前が減るためでもある。戦争も大いにしたが。 降伏した異教徒は、本来は同じ神を崇めるがクルアーンを受け入れない「啓典の民」とされ、人頭税を課された。 キリスト教徒は、まあ十字軍とか異教弾圧とか魔女狩りとか、いまさら言うまでもない。
>ヨーロッパの王達の依頼から介入し、キリスト教徒はお互いに戦うべきではないと決めました。 →キリスト教徒同士の戦争は枚挙に暇がない。百年戦争なんかはどうなる。ムスリム同士だって同じことだ。 >それが引き続き王たちなら、それらを今避けれる事を試します。 →共和政だから戦争が起こるのであって、教皇の下の王政なら現代でも戦争が起こらないとでも?そんなバカな。 >およそ16世紀でほとんど全ての宗教戦争が終わりました。 →17世紀の三十年戦争は、一応カトリック陣営とプロテスタント陣営の戦いだったはず。 十字軍やイベリアでのレコンキスタは終わったかも知れんが。トルコによるウィーン包囲は宗教戦争の範疇だろうか。
優れたキリスト教ヨーロッパにおいて他教徒の地となったからヘタレ とはまた素晴らしい発想
むしろ後ウマイヤ朝の時代は欧州で一番輝いてただろ 10世紀のコルドバとか50万人規模の超先進的大都市だぞ
435 :
世界@名無史さん :2010/04/06(火) 23:41:35 0
個人的にはオスマンのウィーン包囲は宗教戦争って感じではないなー。
何事であれ、中国政府の言い分を鵜呑みにして受け取る人は少ないと思いたいが…。 当然、中ソの対立も、ベトナムのカンボジア侵攻も絡んでいる。 だいたい「あの」ポルポトを支援してカンボジアを支配させてたのが中国だぞ。 ベトナム人はそもそも中国が歴史的に大嫌いで、ホーチミンなど 「中国人の糞を百年食うより、フランス人の糞をしばらく食うほうがましだ」と言ったとか。 ベトナムでも中国派とソ連派の対立はあったが、ニクソンが中国を訪問したことなどから決定的に反中国になった。 国内の華僑・華人は弾圧されて海外へ亡命し、これが日本にも来たボート・ピープル。 怒った中国はベトナムを「裏切り者」となじり、大挙して攻め込んだが大損害を被った。
438 :
421 :2010/04/07(水) 00:30:45 0
まったく関係ないですけど 戦国時代の時代劇で日本人キリスト教徒が「でうす様」とか言ってたのは ラテン語の関係があったんですね、へぇ〜。 >アッラーが彼に授けた福音も弟子たちによって歪められたとする。 なるほど、イスラム教でもキリストが登場するんですね スペインについて アラビア人に6世紀ぐらいから15世紀ぐらいまでスペインを押さえられた。 つまり(キリスト教視点から)スペインはヨーロッパのお荷物という意味だったんですね。 それが引き続き王たちなら・・・について 私の和訳が悪いかもしれません。調べ直してみます。 ちょっと情報量が多くて 理解が追いつかないので また来ると思います ありがとうございました
>>438 >なるほど、イスラム教でもキリストが登場するんですね
しません。
キリストは、キリスト教徒が抱く概念です。
ナザレのイエスと呼ばれる自称預言者を、当人が言った通りのキリストだと認定するのがキリスト教。
イスラム教ではナザレのイエスを、アブラハムやノアやモーセといった歴代預言者と同等の、
数多ある預言者の一人としか看做しません。
そしてイスラムの考えでは、最終の救世主は未だ現れていません。
従って、イスラム教にキリストは登場していません。
もしあなたがキリスト教徒でなければ、ナザレのイエスをキリストと呼ぶことはできないのです。
日本においては情報不足から、キリストとはナザレのイエスを指す人名だと誤解されていることがしばしばありますが、
大間違いです。
・ユダヤ教 イエスはキリストじゃないよ。キリストはまだ降臨してないよ。イエスが預言者を自称したのは騙りだ。 ・キリスト教 イエスこそキリスト。最後の預言者にして救世主。イエスの教えは全て正しい。神の化身かもしれない。 ・イスラム教 イエスは歴代預言者の一人だが、キリストではない。 後の時代の預言者ほど正しい。だから現状ではムハンマドの教えが相対的に一番正しい。
441 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 16:07:37 0
現代のアメリカにはたくさん「キリスト」が生まれ、どういうわけか愛人を囲って 乱交したりシャブを吸ったりしてるらしいw
じゃあ、キリストって何よ?
443 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 17:07:32 0
メシア(救世主)のギリシャ語の訳語だよ ブッダもたくさんいるだろ そのうちブッダと言えば普通はゴータマ・ブッダ、お釈迦様のこと それと同じで、普通はキリストといえば日本だったらイエスのことを思い浮かべる
キリストはメシヤだよ
445 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 17:10:47 0
一神教の「主」は古代支那でいえば「天(天帝)」であり、 一神教の「救世主」とは「乱世を終わらせた聖人(聖王、後王)」ということであり、 キリスト教だのユダヤ教だのイスラム教だのは「諸子百家」ということだ。 儒、墨、道、刑名(法家)、陰陽、彼らは大抵その他の学派をそしり 自らが正当であるとする。だが戦争を起こして白黒つけようというのは 一神教の特徴だわな。やつらはバカだから「理論としてどの宗教が正しいか」が 理解できないので「戦争に勝ったほうが正しい」と思ってるんだ。だから 途方も無い数の侵略戦争を繰り返す、「俺の考えが正しい、他の国は俺に 従え」とか平気で言い出す。その最大の根拠は「戦争の勝敗」なんだ。 一神教徒ってバカだろ?
446 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 17:13:47 0
でもバカでも理解できる故にどんな世界でも広まるんだ、タチの悪い 伝染病みたいに。ユダヤ教やイスラム教はまだマシだけどキリスト教に 至っては正直幼稚園児でも信じることができると思う。でも「数」が 多くなるからキリスト教徒の帝国は世界の覇権を握ることができたんだな。 実に世界は皮肉だよね。
447 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 17:16:47 0
>>445 対抗宗教改革後のローマ・カトリック教会はそれを明確に否定
特にヨハネ・パウロ2世
ヨハネ・パウロ二世は偉大すぎる 彼こそメシア、キリストであった
>>446 いや、キリスト教の神学概念は、むしろ理解は難しい方だぞ
一神教で神は1人のはずなのに、イエスを「神の子」と規定してしまったために、それを説明するために
「父と子と聖霊は三位一体」などという妙ちきりんな理論を構築して、イエスは神でもあり人でもある存在
としている
その点、ユダヤ教、イスラム教の唯一神の説明の方が単純明快だ
キリスト教が広まったのは、理解のしやすさよりも、食習慣のタブーをなくしたことが大きい
ユダヤ教には、たとえば鱗のない魚介類を食べてはいけないなど、さまざまなタブーがあったから、
グルメなギリシア人やローマ人には受け入れられなかった
まして、飲酒を禁じているイスラム教は、それこそ戦争で征服でもされないとなかなか広まらない
450 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 18:03:54 0
ああ、イエスっていうのが個人名で キリストっていうのが職業みたいなものなのですね。 たしか歴史の授業で 右手にコーラン、左手に剣 という文章がかいてあったような。
職業みたいなものって、どういう見解やねん かの人の職業は木工職人、あるいは大工といったものですがな
>>450 「救世主」を職業というのもなんか語弊があるが
せめて、称号と
それはともかく「コーランか剣か」ってのも誤解を招くもので、ヨーロッパ人が色眼鏡で見たイメージ
イスラム教徒の進撃は、どっちかというと、信仰を広めることよりも、異教徒を支配してジズヤ(イスラム国家が
異教徒に課した人頭税)をとるという、経済的な目的の方がメイン
結果的に、征服地ではジズヤを払いたくない者がイスラムに改宗したので、イスラム教が広まることになった
>>449 に補足すると、イコン(聖画像)を認めていたことも、キリスト教普及に役立った
本来、一神教宗教では、唯一神は、肉体を持つわけではない超越的な存在、いわば概念的な
存在なので、姿を絵に描くことはできない
だから、ユダヤ教でも、イスラム教でも、神の画像を拝む行為(偶像崇拝)を否定している(偶像
崇拝をしてはならないというのは、モーゼの十戒の一つにも入っている)
キリスト教でも神そのものを描くことはできないが、キリスト教では神は人を救うため、地上に
人となって生まれた(それが、神の子であるイエス)ということになっている
イエスは神であるが、肉体を持った人でもあるから、その肉体を描くことが可能ということになる
そこで、イコンが描かれ、人々に視覚的イメージとして示すことができた
庶民のほとんどが文字の読めない時代に、言葉だけで「神とは、こういう存在で……」などと
小難しい概念的な説明をするしかないのと、「これが神の地上での姿だ」と絵を見せて視覚的
イメージで示すことができるのと、どちらが布教に有効か、言うまでもないだろう
メシア(メシヤ、マシーアハ)はヘブライ語やアラム語で「油を注がれた者」の意。 ギリシア語で意訳してクリストス(ハリストス)、英語でクライスト、訛ってキリスト。クリトリスとは何の関係もない。 「油を注ぐ」とは何かというと、もともとユダヤの王様や祭司が即位・就任するとき、 頭の上にオリーブ油を注いで聖別する儀式があったことから。ダビデやその子孫の王、大祭司などはみな「メシア」であった。 が、バビロニアにユダヤが滅ぼされてから、ユダヤ人は国のない民になってしまった。 アイデンティティを保つためか、彼らは黙示文学という幻想的な預言を作り出し、 「やがてダビデの子孫から英雄的な大王が現れて俺たちを救ってくれる」と信じ込んだ。 このように、メシアに神秘的・超人的なイメージがついたのはバビロン捕囚以後になる。 どうもペルシアに広まってたゾロアスター教やミトラ信仰に未来の救世主伝説があったようで、その影響だろう。 捕囚からユダヤ人を解放したペルシアのキュロス大王までメシアと讃えられたりしている。 その後もハスモン王朝などが出たが、独立王国としてはパッとせず、ローマに征服されてしまう。 いよいよ被害妄想が強くなったユダヤ人の一部過激派は、テロに走ったり黙示文学の執筆にふけったりする。 ナザレのイエスが出た頃にも無数の「自称メシア」がおり、ローマに反抗していた。 イエスが「わざとローマに処刑された」のも、預言書に記されたとおりの「受難のメシア」を演じきったためかも知れない。
件の三宗教におけるイエスへの見解についての乱暴な解説が出たけど、 原点に帰り、三宗教をすっごくいい加減に単純化した説明を試みてみる。 社会情勢に応じて神が与える戒律に修正が加わるという考えは、三宗教とも共通。 で、神の意思を伝える役割を持つ者を預言者といい、 新しい預言者ほど正しく、重視すべき、という考えに基づく。 三預言者を時系列的に並べると、モーセ→イエス→ムハンマドの順になる。 ユダヤ教 モーセが正しい預言者。イエスは偽者。ムハンマドも偽者。 (個人的にモーセ教と呼んでやりたい) キリスト教 モーセも預言者。しかしイエスが、より正しい預言者。ムハンマドは偽者。 (個人的にイエス教と呼んでやりたい) イスラム教 モーセもイエスも預言者。しかしムハンマドが、より正しい預言者。 (個人的にムハンマド教と呼んでやりたい)
イエスとその教団は、結局はユダヤ教の異端の一派に過ぎなかったが、その弟子たちがイエスを「唯一の真なるメシア」として祭り上げた。 さらに妄想は進んで、イエスは死んで三日目に復活したとか、唯一神の分身だとか息子だとかロゴス(真理)だとか、 人類の罪を背負って清めたとか、未来には再臨して悪を滅ぼすとか信じられ、だんだんに新約聖書がまとめられた。 神の子も死んで復活する救済神も、これまた地中海世界にはたくさんいたので、そのパクリだろう。 まあついていけない人々もいたようで、イエスは神ではなく優れた人間だとする分派もいたが。 さて、イスラーム出現以前のアラビアやシリア、エジプト、エチオピアなどには、 古来の多神教(偶像崇拝)やらユダヤ教やらキリスト教やらゾロアスター教やらが、多くの分派も含めて混在していた。 クルアーンは神から直接授けられた啓典だとムスリムは信じているが、ユダヤ・キリスト教由来の伝説も多数入っている。 キリスト教国エチオピア(アクスム)は、一時アラビア南部を征服していたこともあった。 クルアーンにおけるイーサー(イエス)は、マルヤム(マリア)に神が天使を遣わして処女懐妊させたとされ、 マスィーフ(メシア)の称号も帯びているが、断じて神でも神の子でもない。アダムが土から創造されたのと同じく、被造物に過ぎない。 彼はアッラーのみに仕えよという信仰(イスラーム)を「福音」として説いた使徒にして預言者である。 磔刑にされたのも実は別人で、神によって天に挙げられており、終末の前に再臨して偽メシアを倒すのだという。 なおマスィーフと呼ばれるのはイーサーだけで、イスラーム(特にシーア派)における救世主的な存在としては、マフディーやイマームがいる。 偽メシア・反キリストが無数にいるように、偽マフディーや偽イマームも歴史上では多数出現した。
えーと、ムハンマドは最後の預言者で、コーランは天国にある
神が自ら石版に刻んだ内容と一言一句違わず同一のものですから。
なので、ムハンマドの教えは相対的とかじゃなくて絶対的に正しい
のですよ
>>440 少なくともムスリムにとっては。
458 :
世界@名無史さん :2010/04/07(水) 21:09:33 0
リシュリューのすごいところってなんでしょうか?
ちなみにクルアーンは神の言葉であってムハンマドの言葉ではないのに注意が必要
460 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 01:02:37 O
>>455 キリストは「預言者」ではありません。
「預言者」は神の言葉を「預かって」伝える人。
キリストは今までの解説どおり「救い主」。
そしてキリストが人の罪を贖う救い主である、という教えを
一番強力に広め、新約聖書の多くの部分を書いたのがパウロ。
461 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 01:56:05 P
現代において「経済が発達する」ってのはなんとなく理解できるんですが、ローマ時代とか大昔において「経済が発達した」っていう事のイメージがわかないです 具体的にどうなったら経済が発達していったという事になるんでしょうか
金さえ出せば手に入る商品の数が増えた状態
生産物(総生産)が増大すれば経済成長にはなる。 新しく田畑を開墾するとか、労働人口が増えるとか。
農業生産に余裕が出る ↓ 非農業人口を支えられるようになり都市が発達する ↓ 人が集まってると物が売れるので交易と商業が発達する。貨幣経済が広がる。 ↓ 手工業や娯楽産業が発達し、文化が花開く 概ねこんなもんでしょ
465 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 08:33:08 0
>>449 キリスト教の「三位一体」は仏教徒なら簡単に理解できるはず
あんたがそれが理解できないのは、「聖霊」が何なのかわかってない証拠
466 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 08:41:35 0
欧米のキチガイに「イエスの当時の姿(再現図)」を見せたらすごくショックを受けてたw 本当にやつらって人種差別しかとりえがないのな。偽キリスト教は白人によって広まって白人と共に滅びそうだ
467 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 08:47:15 0
>>461 まず「平和」になることが第一条件で、
次に各地の産物(穀物、塩、畜産物、鉄など)の生産量が増える、
次にそれを中央や大都市などの大量消費地に運ぶために輸送路の
整備が必要となり、輸送用の陸上車、運河・治水・港湾整備などが進み、
さらに次にどれだけ取引したかという現物をいちいち運ばずにすむ「為替」が
必要となるので文字が必須となり、紙幣が現れ・・ってな話。ちなみに
現代の経済の基礎は支那宋代のもの。史記の時代に「陸運より海運の方が
大量に物が運べる」とかインフレ・デフレの概念、借用書、金融などがあった。
468 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 08:49:25 0
と、こういうと恐らく「産業革命のレトリック」で「経済の起源は オランダの東インド会社」と来るだろうし「中央銀行はイギリス起源」 などと言い出すだろうし「国の介入の一切ない株取引が欧州で行われてから 初めて経済活動が始まったといえる」などと誰かが言い出すだろう。 だがあえて俺は答えを出さない。考えてくれればいい。
469 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 08:54:06 0
ちょっと気になって wikipediaの「為替の起源」の記述を開くと・・ 「古代エジプトやイスラムにすでに為替はあったが、 >>起源として不適切だといわれている >>>>>>起源は13世紀イタリアの公証人制度だ」 だって。 日本人は何でもかんでも白人が起源じゃないと落ち着かない生き物なのか?w
470 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:24:58 0
モンゴル帝国にも為替はあったが
471 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:25:25 0
それより唐帝国にも為替はあったが
472 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:26:57 0
ただし白人がすごいことは確か 彼らは制度全体をうまく段取りつけて取り仕切るのが上手い 日本人には不可能 これは知能の差である
473 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:30:02 0
白人がすごいのは人類による知恵の蓄積と発展を無視して「すべて俺が発見した」と ウソを堂々とつけることだ。これは彼ら以前にはなかったことで、まさに「歴史革命」だろうw
474 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:33:22 0
>>472 今日に関係するような世界制度を作ったのはユダヤ人ですw白ブタは
彼らの手のひらで踊らされて戦争で命落とすのが精一杯。
475 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:42:00 0
劣等だな、日本人
477 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:48:22 0
白人が全てを発見したのは事実だろうが
478 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 09:48:55 0
科学を発明したのは白人 科学なくして世界のしくみは分かりません
479 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 10:20:56 0
近代国際関係史の始まりって、通常いつ頃とされてるんですか? 自分はウェストファリア条約の1648年だと思ってたんですが、 人によってはフランス国王がイタリアに侵攻した1494年、 いよー国が見えたぞコロンブスの1492年とする学説もあるようなんですが まぁ厳密に何千何百何十何年かと考えること自体アホらしい気もしますけど
この板IDつかないかな
ナチス,スターリン,ユダヤ,朝鮮 age厨なんとかなりませんか
何でフランス語は一時期ヨーロッパ圏の国際語と成りえたのですか? ラテン語は、聖書がラテン語で貴族や聖職者必須言語で ラテン系の民族もいるし、ヨーロッパ圏はキリスト教国家ばかりなのでわかるのですが
↑ラテン系の民族っていうのは変か スペイン語・フランス語・イタリア語・ルーマニア語は ラテン語の流れを汲むんですよね、的な意味合いです
国際語とは、学術面においてのことを言っているのか?
読んだ本に、ヨーロッパの宮廷ではフランス語話せて当たり前 今でもイギリスの貴族はフランス語習うって書いてあったので疑問に思った次第です
言葉の選び方が悪かったのか、ごめんなさい どうしてヨーロッパの王侯貴族の間では、フランス語が共通語になったのですか?
ブルボン王朝の宮廷文化が当時の欧州でもっとも洗練されていたから、というが
欧州ではフランス語を話せないと上流から馬鹿にされるよ 田舎言語のドイツ語なんかいくら習っても高級にはなれないんだよ なんといってもまずは日常共通語としてオールマイティーな英語、 そしてセレブ語としてフランス語 これが大事
商業・大衆言語としての英語、文化言語としてのフランス語だな
ノルマン朝もプランタジュネ(アンジュー)朝もフランスから来た王室だし、 英語には無数のフランス語が含まれていることは言うまでもない
492 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 23:06:26 0
英語の三割はフランス、もう三割がドイツ、さらに三割がラテン語でできており、 最後の一割だけがブリテン(ケルト)語であるという。彼らが如何に外国から来た 王侯貴族にすべてを支配されてきたかといういい例ですな。 英語は英語というより欧州複合語とでもいうべきだな。
>>492 言語って、どれもそんなもんだよ。
ドイツ語もケルト語も、日本語も、アラビア語も、
>>493 これは、日本もやれという意味だな。
CMに外人多すぎを何とかしてくれ。
ああ多いと、外人=良い、美人 という洗脳だ。
495 :
世界@名無史さん :2010/04/08(木) 23:38:21 0
「3年前の米軍ヘリによるイラク市民銃撃映像、告発ネットが公開」 だってさ。すごい動画だ。クソ米兵が有色人種や異教徒をどう思ってるか分かる。 パンパンの子孫である日本人はぜひ見るべき。 お前たちのご先祖もこうやってオモチャみたいに殺されたんだぜ。
続きは雑談スレで。 質問どうぞ。
497 :
世界@名無史さん :2010/04/09(金) 01:32:44 0
近代国際関係史の始まりって、通常いつ頃とされてるんですか? 自分はウェストファリア条約の1648年だと思ってたんですが、 人によってはフランス国王がイタリアに侵攻した1494年、 いよー国が見えたぞコロンブスの1492年とする学説もあるようなんですが まぁ厳密に何千何百何十何年かと考えること自体アホらしい気もしますけど
ああ、きみは自分がアホだと分かっているようだな
お前がアホ 普通にこれは論争の種
>>492 アングロサクソンってもともとドイツ北部にいたザクセン人とかの末裔だろ?
501 :
487 :2010/04/09(金) 16:50:08 0
フランス文化が最先端だったので、フランスかぶれになったってことですか 意外というか、単純というか、もっと何かしらの理由があると思ってました ありがとうございました
>501 かつて医学の分野でドイツが世界をリードしていたから、医学を学ぶ者はドイツ語を学ばねばならなかったし 今でも医学部では必須だろ、それと同じさ 宮廷での作法、貴人の服飾や宮廷の料理などの分野ではフランスがリードしていたのさ
503 :
世界@名無史さん :2010/04/09(金) 18:37:13 0
英語は欧州各地の単語を英文法に載せてしゃべってるだけ。
ところで「史記」の本紀の1となぜか3をダブって注文して届いて返品不可に なっちゃったんだけど、誰か要る人いない?ただでやるぞ。2800円分w
ヤフオクで売れ
でも残念なことにどうやって贈答したらいいか分からんのだよ
ステア度でもとってメール交換しろよww 近所なら手渡しできるぞww
そこから始まる恋の予感
「史記」と2chがきっかけの恋ってwww
のちの「史記男」である
電車男ふたたび
515 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 01:21:45 0
荊軻と始皇帝との禁断の愛!
史記といえば、覇王項羽と虞美人でしょjk
スレ違いはここまで
ちなみにユダヤ教におけるメシア(救世主)の代表はダビデ。敵を倒しユダヤ人を導く指導者。
現世的政治指導者であってイエスのように天国の話をするとは限らない。
>>465 それはどういう理屈だ?
>>518 如来と菩薩と明王の関係で「三位一体」
さらに蔵伝仏教・格魯派だと、転生活仏まで加わって「四位一体」
仏教自体には、「梵我一体」が根本にあって
個々の人格=我は、梵に帰納して消滅というか融合というのを理想とするのです。
空の論理とか即非の論理で、そこは論理的に支えられているのですが
キリスト教とは、論の立て方が違うんで、質問スレッドぐらいでは、対比検証できないですね。
520 :
519 :2010/04/10(土) 06:35:22 0
仏教の極楽とキリスト教の天国は違うものです。 「梵我一体」「梵我一致」というのは、涅槃 ≒です。 この世で、その境地は得ることは困難である。 ならば、阿弥陀如来の主宰する世界へ転生すれば難易度が減る。 そのためには、無条件に帰依することが必要なのです。 その帰依したいという気持ちは、もともと人間に与えられているとしているので 人間には、原罪というものはありません。 また、仏教には最後の審判はありません。あったとしても方便です。
521 :
519 :2010/04/10(土) 06:48:40 0
個々の人格の消滅を理想とし、徹底した即非の論理という点で 道教もゴールする地点は似ているかもしれません。 仏教でも、唯識はまた違う論理の立て方があるのですが そっちは、自分の言葉で解説できません。あしからず。
522 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 08:04:11 0
>>500 ちがうよ
アングル族やサクソン族やジュート族はドイツやデンマークから来たが、
いまアングロサクソンと呼ばれているいわゆるイギリス人は、ケルト人だと判明している
523 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 08:05:55 0
しかもそのイギリスのケルト人も、ケルト人ではなく、ピクト人だと判明している いわゆる「言語交代」と呼ばれる現象が大規模に少なくとも2度は起きているということ
ピクトはスコットランドでしょ
525 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 09:46:46 0
ちがう 言語交代が起きているのでイングランド、スコットランドなど関係なくピクト→ケルト→アングロノルマン これらを総称してブリトン人と呼ぶ
526 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 09:48:58 0
いわゆる「まつろわぬ民」というのが辺縁部に残され、 それがアイルランド、ウェールズ、コーンウォール、スコットランド 要するに関西人=イングランド人 熊襲・アイヌ・蝦夷・土蜘蛛等=まつろわぬ民=アイリッシュ・ウェルシュ・コーニッシュ・スコティッシュ等
527 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 10:38:40 O
イングランドでは言語交代は起きたが人種交代は(ほとんど)起きなかった、ということ?
>>522 奈良弁→京都弁→東京弁→標準語(日本語)
こうなのか
あずまことば→江戸弁→東京弁→標準語(日本語)
それともこうなのか
529 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 11:49:45 0
>>527 ブリタニアがローマ軍に征服されたとき、ローマ軍は異民族・異人種の混成集団だったから
すこしは混じったと思われ。
>>510 でもおまいらに俺のメアドさらしたら住所特定されてレイプされそう・・
どうしようかな。文庫だから近所の図書館とか受けとらなそうだし。
何で渡す方が困ってんの?w住所晒すのは受け取るほうでしょ普通
アングロサクソンに追い出されたブリトン人はフランスににげてきてブルターニュ地方にすみついとるし。 あのへんは複雑すぎるわ。 実はイギリス人とフランス人て文化はちがうけどおなじものじゃないの?
だから適当なフリーメールアドレスを取得するんだろw
>>506 出典付きを消すと、ソース出しているのに消したとしてブロックされるだろう。
むしろ、書いている著者がでたらめだと言うソースを探す方が早いぞ。
あ〜ん またスターリン関連スレageまくってる子がいるわぁ
ニューファンドランド島に住んでたベオトック族の頭皮に 英国政府が賞金をかけた理由ってなんだったんでしょうか?
ウマイヤ朝がわずか数年であっけなくアッバース家に倒されたのは、 何が原因でしょうか?西はスペインから、東はホラーサーンまで支配した、 ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアにまたがる大帝国にしては、 あっけない最期ですよね。アッバース家が味方に付けたホラーサーン人とシーア派だけの 軍事力では無理だと思うのですが。 他にはどんな要因があって、ウマイヤ朝の人々はアッバース革命を受け入れたのでしょうか?
受け入れるもなにも、ウマイヤ朝の血統の人間は、ほとんど全員、一気に殺されちゃったよ (かろうじてアブドゥル・ラフマーンだけは生き延びてなんとかイベリアに逃げたけど) 残された人々は、アッバースを受け入れる以外ないじゃん
>>537 語弊がありました。私が言ってる「ウマイヤ朝の人々」とは、「ウマイヤ朝の血統」ではなく、
アッバース家の支配を受け入れたウマイヤ朝の支配地域の人々の事です。
これだけ広い地域を支配していた帝国が、武力革命であっさり滅亡して分裂もせず、
あっさり後継王朝が支配領域全土を継承できたことが不思議なのです。
あれだけの規模の世界帝国が急速に滅びたら、支配下の人々は独立して、
いくつかの国家に分裂する方が自然だと思うのです。
それがなぜ皆アッバース家の支配を受け入れたのか不思議なのです。
アッバース家を受け入れずに独立すると言う選択肢もあったし、
それを許さないほどアッバース家の力が隔絶していたとも思えないので。
>>539 支配を受けてきた人々ってのは、むしろ、自分たちを支配してきた人々がひどい目にあうのは喜ぶもんだぜ
もちろん、その支配者を倒した奴らは新しい支配者になるだけなんだが、その当初は喜んで迎え入れるさ
>>519 >如来と菩薩と明王の関係で「三位一体」
一瞬判ったような気もするが、やっぱりよく判らない。仏教だと同じ者の違う現れ方でしょ。
キリスト教のイメージでは神の隣にイエスが立ってる訳で。あと聖霊もよく判らない。
俺はイエスは人の子の方がスッキリすると思うなぁ。
その前に、ウマイヤ朝自体が腐敗・衰退していたからこそ「アッバース革命」は成ったわけで。 ウマイヤ朝はしょせんは「アラブ人の王朝」でしかなく、ペルシャ人などの非アラブ人は差別されたし、 成立自体が「正統カリフ」のアリーと対立したムアーウィヤによる世俗的なもの。 シーア・アリー(アリーの党派)やその分派(ハワーリジュ)は歴代ウマイヤ朝カリフに反抗を続け、 ウマイヤ朝に従う人々も「不当だけどしょうがない」という消極的な態度をとる者が多かった。 アッバース家はウマイヤ家より預言者ムハンマドに近い一族として尊敬されており、 こうした反政府勢力を「ダーイー」という秘密工作員でまとめあげて決起した。 各地で反乱を起こしていた人々もなだれをうってこれに加わり、ウマイヤ朝はあっけなく滅んだ。 しかしアッバース家は、革命成立後はこれらの勢力を粛清し、カリフを神聖な絶対君主とする体制を整えた。 まあ100年もするとタガがゆるんできて、各地で自立政権が生まれだすが。
543 :
世界@名無史さん :2010/04/10(土) 20:26:32 0
広域を治めれば治めるほど実は王権ってのはその各地方の言いなりになるもんなんだよ。 つまりバラまきね。これができなくなると手のひらを返したように地方は王族の統治を 認めず反乱が起きる。「国家はでかければでかいほど強大である」のは間違いなんよ。 実際はその逆になる。でかくなればなるほど巨大な内乱の危険性がますんです。
>>541 個々の人格=我は、梵に帰納して消滅というか融合
1+1+1=3 → 1+1+1=1
逆もまた起こる
1=1+1+1 → 1+1+1=3
個は分割したり融合したり、融通無碍。シームレス
液体のイメージの個
酒器に注げは分割され、甕に戻せば一体化
ビザンツ帝国末期の臣民はオスマン帝国をどう受け入れたのでしょうか それとも生き残ったギリシャ人ほぼ全員で亡命したのでしょうか
侯「なぜ私の土地には法を犯すものが多いのか。私はそれが悩みでならない」 孔子「それは殿様が法を民草を捕らえる罠として御用いだからと存じます」 侯「法を罠にするとはどういうことか」 孔子「いったい古の聖人が行う法はまるで民が川を渡るに深みや流れの急な箇所を知らせる標識の ように扱い、民を損なわないように導くものとして用いました。民というものは 単に罰が厳しいだけの法ではそれをまぬかれることだけに熱心になり、法に触れなければ何をしても 恥ずかしいとは思わず、間違った風俗に染まるものなのです。これを某は民を罠にかける法の 施行のやり方と申しました」 侯「よいことを聞いた」
>>547 富裕層や文化人の中にはキリスト教圏に亡命した奴もいたが、
オスマン帝国の宗教政策は寛容だったので、
大抵のビザンツ人はオスマンの支配を受け入れた。
>>546 酒器は存在するのか?
酒器が存在しなくても液体は存在するのか?
氷温になれば、液体は酒器の形で凍るのか?
方便というのは、プレゼンテーションの技術の一部なのですよ
プロの僧侶は、禅問答でその力を磨くのです
歴史を、「現在の意識の中で加工された過去」と表現した人って誰ですか。 どうか宜しくお願いします。
中世・近世辺りのフランスで「提督」という役職があり、 軍人で陸戦の司令官を勤めていたりするものの、 特に海軍の高官ではないようなのですが、 これはフランス語で「提督」を示す語が、この頃は陸軍でも使われていた ということなんでしょうか?
韓国は 日本に仏教を伝えて上げたのは自分達だ と自負し教科書でもそう教えているらしいですが、 実際にはそれ以前から仏教は伝わっていたそうですが、具体的にどういう状況だったのでしょうか?
仏教がワープして伝わってないとすれば、新羅+百済に初期の仏教拠点があったと考えられます。 高句麗よりも南の新羅側で支持されていたと考えてよいでしょう。 海印寺大蔵経が残っていることから、特に新羅での影響力は無視できません。 なにぶん、李朝になってから強力な廃仏毀釈政策がとられて、全容を知ることができなくなっています。 僧侶が還俗してしまい、石工や土木の集団も何らの転身をしていると考えられます。 シャーマニズムのムーダン(巫堂)に仏教の影響が残っていますが、神おろしのほうが中心です。 李朝以降は、儒教朱子学でオモテは硬直しているが、ウラに巫堂のバイパスが設けられたわけです。 仏教が伝わった頃は、仏教と巫堂の祖形が習合したような状況だと考えられていますが 詳しいことは、まだ研究途上かとおもわれます。巫堂系文化の研究にスポンサーがなかなかつきません。 そういうところが、韓国のジレンマです。仏教を伝えたのは韓国だと思いますが、李朝が弾圧して新羅から続くものを 抹殺してるため説得力を欠くわけで、蓋然性ある証明をしようとするとオモテの秩序が崩壊しかねない(藁々)
日本の切腹と同じく、 公式の自殺制度があった国はありますか?
557 :
555 :2010/04/12(月) 11:29:15 0
それで、韓国(当時は新羅)経由で日本へ伝わってないとしたら、どこから伝わったのか? ワープして来たとしか言えなくなりますね。 日本の仏教は、北朝側の経典が主力で、南朝側の影響は臨在とかが入ってきてからなのです。 韓国が仏教伝来の路を主張すればするほど、自分達の秩序を崩壊させる作用があるので 彼らは、それにものすごく強力なブーメラン効果があることを薄々自覚しているでしょう。
李朝は後ろ盾だった中国の明朝が滅んでから後に 狂いだして暗黒社会へ突き進んだ 士林派のセクト化が強烈になり民の暮らしを顧みなくなった
>>550 いやあの、一応、禅問答はプレゼン技術の修練じゃなくて、悟りを開くための
ブッダ「直伝」の修行法ですから……。
>>554 高麗・李朝スレがあなたの診療科に決定いたしました。
こうどなかいとう
三韓・後三国スレで、セカンドオピニオンを受けることが可能です。
>>556 関連質問
自爆テロ多いですが、これは日本の神風が起源ですか?
それとも中東にそういう文化があってのことですか?
中東の文化。日本の神風(なんのことだ?)とは無関係 大麻を用いて洗脳に類似した教育を施して暗殺者”アサシン”を育て、ターゲットを暗殺する結社があった アサシンは生還する可能性が無く、暗殺に成功しても失敗しても、体制側刑吏によって殺された 実際、イラン地方の政権の大物(宰相だったかな?)も暗殺教団によって殺されてしまい、傾いたこともあった
>>564 ありがとうございます。
そう言えば聞いたことがあります、たしかモンゴルが手こずったやつですね。
(神風は神風特攻隊)
日本のなかでも自爆テロは歴史的に一般的だったのでしょうか? 滅びの美学でしかないという人もいますよ・・・ だとしたら中東とは何の結びつきもないし、中東の思想も自爆テロの思想を持ってないというし・・・ 難しいすぎます。心理学でアプローチしたほうがいいのかなぁ・・・・・・・・・・・・・・・
その中東のアサシンを最終的に壊滅させたのが意外にモンゴル帝国
モンゴル帝国はモンゴル単独でないからね。絶対に漢人勢力がいます。 地下水脈を絶って渇水攻めにしたか何かでしょう。
日本の「カミカゼ(特攻)」は、「自爆テロ」ではない。 自爆テロは、テロリストが民間人などを巻き添えにして死ぬ「テロ」であるのに対し、 カミカゼは、国家に属する戦闘員による、他国の戦闘員・軍事施設への「戦争における戦闘・攻撃行為」。 どっちが正義とかではないが、少なくとも日本軍が民間人に対してカミカゼをやったことはない。 イスラム過激派では、自爆テロをすれば殉教者として天国へ行けると信じている人もいるが、 カミカゼで死ねばせいぜい靖国へ行けるぐらいであろう。
東アジアでは、戦争で死んでも神格は得られないし、極楽転生もないのが伝統。 得られるのは、英雄or模範の格であるのが普通。 神のヤシロを祭るのは、災いを起こすからであって、生贄を供えて(しかも人肉だ)鎮める 黄河文明の殷商そのものではないだろうか・・・ 滅びの美学とは、人肉の生贄なのだよ とか書いてしまうと、UH学認定されちゃいそうね。
571 :
世界@名無史さん :2010/04/12(月) 18:19:19 0
“自爆テロ”が最初に歴史上に現れたと言われているのは「テルアビブ乱射事件」 (勿論、近現代史以前で似たことはあっただろうが、 「個人」が確立して以降、個人の権利を滅して 目的のため生存したままの帰還を問わないテロを行った初めて、とされてる)
日本の影響を強いていうなら、カミガゼよりも、1972年の日本赤軍によるテルアビブ空港事件だろうな 自動小銃乱射テロの後、手榴弾で自爆した(1人は自爆前に取り押さえられたが) これが対イスラエルの武装組織内では英雄的行為として美化されたのは想像に難くない
>>557 南朝→南朝支配下の山東半島→百済→倭国、というルートが七支刀や倭の五王の頃からあるが。
梁の武帝なんかは仏教狂いだし、6世紀の倭国に仏教が伝わったのは百済を介してだ。
日本も韓国も、南朝の真諦訳よりも北朝の鳩摩羅什訳が 量的に多いのが、北朝経由説の根拠。 でも、量だけで計量するのは危険なので、南朝経由説と両論併記かな? 唯識か中観かと質的なところを検討すると、日本人が好きなのは北朝になってしまう。 難しいところだね。
量的には、こういう関係になってしまう (北朝) (南朝) 鳩摩羅什+仏駄跋陀羅 > 真諦 嗜好的には、こういう関係になってしまう (北朝) (南朝) 中観 > 唯識 質問スレ的には、ここらへんまでにしておきます?
真諦は南朝末期の人で、西天竺から招かれて来たはいいがすぐ戦乱に巻き込まれた。 また訳経も各地を放浪しながらの事業で、やがて南朝も北朝系の隋に滅ぼされてしまった。 すでに200年近く前の羅什訳は権威があっただろうし、これではなかなか伝わりにくいのでは。
マダガスカルの原住民にインドネシア似の人たち(風貌や言語)がいるらしいですが どうやって渡ったのでしょう。 ポリネシア、ミクロネシアなどは中国南部、台湾などがもともとの出発地域らしく 風とか海流で説明が付きますが、マダガスカルは見当がつきません。
真諦のは伝わらず、仏駄跋陀羅の訳した経典が南の宋のほうで発展して 禅宗が盛んになり、日本に入ってきた。 だから、南朝側の仏教も強いという印象はあるね。
インドネシア似というか、マレー人の分流です。 インドネシア人もマレー人の分流みたいなものなので、近い先祖が共通しているとも言えます。 似ているとは、そういうことでしょう。 渡ったルートは、マラッカ海峡付近のマレー半島かスマトラ島あたりから、 西南西に向かって船でインド洋を横断しました。 残念ながら飛行機とか宇宙船とか、夢のような話ではありませんでした。
>>577 船で、海上を移動した
見当がつかないって、世界地図を見たことはないの?
>>577 スマトラからマダガスカルまでは6000kmもある。ボルネオからだと8000km以上。しかし貿易風に乗れば一ヶ月の航海でつくそうな。
海洋民族マレー人にとっては、舟(大型カヌー)の上で何ヶ月も暮らすのは朝飯前。
東アフリカ沿岸のスワヒリ地域は、古来アラビア・ペルシア・インドを介してインドネシアともつながっていた。
船乗りシンドバッドはヒンドゥバード、ペルシア語で「インドの風」という意味だというが。
ただ、マダガスカルにはマレー人以前に人類はいなかったそうなので、
なんでわざわざそこまで移住したかとなるとちょっと不明らしい。火山噴火や大地震でもあったのかね。
>>578 …六朝の劉宋(5世紀)と、趙姓の南宋(12〜13世紀)を混同してないか?
菩提達磨は梁代に来たというが北魏に渡っちゃったし、禅宗が発展したのは確かに江南ではあるけど唐代以後だし…
まあ気候風土的には江南のほうが日本文化に近いとはいえるが。
>>569 よく特攻に関して「こういう予め計画された死」による攻撃は
欧米には理解できないとか引用されることあるけど、
アジア的視点で見れば果たして特殊か、って疑問もあるんだよね。
実際韓国人で特攻隊に志願して死んだ奴もいるし、日本人が国の為にやるなら
わかるけど、侵略者の為にそこまで献身したのは初かもしれん。
戦後にあっちが言ってるように、そこまで日本の支配が極悪だったのなら、
悪の帝国日本の為に生命まで自己犠牲として差し出した韓国人らはどんな奴だよって話になるし。
仏典にも説話としてもてなす物が無いからウサギが自分の体焼いて釈迦に差し出したとか、
中国の権力者の訪問に自分の妻を殺して肉を出したとか、この手の話しが残ってるって事は
美談として賞賛し感じる心があったって事だろ。
鉢の木も元ダネは東アジア圏に流布してた話はず。
>>582 仏教の説話は、インドからひきついだ方便で、釈迦は母子虎に食われた話も該当します。
中国は、殷の紂王の話とか、タブーとして封じようとする勢力が昔から存在しているのですが
元以降にまたまた復活してくる。
粤と呼ばれる広東の近辺はなんか最近まで残っていた根強くその噂あります。
東南アジアにも、殷の紂王の再来みたいなのあります。
でも、タブーとして封じようとする勢力が勝ったので、特殊になってしまったのでしょう。
そろそろ仏教スレ池
食人を嫌う部族 ↓ 坑=穴を掘らせて生き埋めにするのを好む部族 ・・・ 公式の自殺制度 これアジア的視点で重要な。
特攻は武器も燃料も尽き果てて 他に攻撃のしようがなくなったから 片道燃料で突っ込んだだけだろ。 ちゃんと物資があったら そんなことしなかっただろう。
片道とはいえ特攻機を飛ばす燃料と積載する爆薬があるなら、武器も燃料も尽き果ててねーじゃねーか
生還してどーするw
特攻ってヒロポンでらりぱっぱになった自殺志願者に死に場所を与える、てゆうか いわばまともな戦力にならない者のための不良債権処理みたいなカンジ まともに戦える技量があったら特効する必要なんてないし ゼロ戦のエースは誰も特攻してないしスイーツ!
どう見ても平和な真珠湾で宣戦布告も無しに罪も無い住民を殺戮した真珠湾の騙まし討ちは、 天皇の軍隊である皇軍による軍事テロリスト攻撃だよな
592 :
世界@名無史さん :2010/04/13(火) 04:53:57 0
>平和な真珠湾 >住民を殺戮 まずそれを証明せよ
証明???歴史的事実じゃんか まさか真珠湾攻撃も隠蔽して、無かったことにするつもりかよ
>>天皇の軍隊である皇軍 頭痛が痛いみたいなもん?
違うな、「頭の痛さである頭痛」と言ったようなものだ
一応の補足説明を兼ねた強調、とも言えます 皇軍を「奪い尽くし犯し尽くし焼き尽くす三皇作戦をした軍隊だから」だと思っている人も多いですから
シンガポールっすか?
真珠湾攻撃についてだまし討ちか否かで論争があるのは知ってるけど 真珠湾攻撃以前に日米が戦争状態ではなくしたがって真珠湾が平和であったことについては異論があるとは思わん
サンコウサクセンなら三光作戦と書く
なんか国民党のまるだしの台湾人・・・ 釣り上げたか
板違い
602 :
世界@名無史さん :2010/04/13(火) 15:52:33 0
>>598 真珠湾がハワイ人の漁場であるのを強奪して軍港にしたのに何が平和なもんか
603 :
世界@名無史さん :2010/04/13(火) 17:14:14 0
ああ、その通りだ。パンパンの子孫である汚い遺伝子をもつ日本人は フィリピンやハワイがダメリカの植民地であったことを知らないんだよ。 つーか。 パンパン生息地の日本がそもそも植民地だからなー。 おまえらいい時代に生きてるよw
604 :
世界@名無史さん :2010/04/13(火) 17:16:04 0
ちなみにペリー以降パンパン列島にたくさんのアメリカ人がやってきて、 その度に「性処理人間」を要求したんだわ。これが「ラシャメン」ってやつね。 この頃から白人男性の子孫が急激に増え、パンパン列島の住民は鼻が高く 彫が深くなったんだわ。 パンパン列島の住民はいい肉奴隷っす。死んでくれ。
605 :
世界@名無史さん :2010/04/13(火) 17:32:11 0
ではおみゃーから
>真珠湾攻撃についてだまし討ちか否かで論争があるのは知ってるけど 陰謀論者が妄想膨らましているだけじゃねぃ? >真珠湾攻撃以前に日(独)米が戦争状態ではなく 宣戦布告さえしていなければ戦争状態でないと日本の大陸進出で語ればマスコミが気違いのように喚きはじめるってのは俺にも分かる。
>>553 フランス語のamiralはアラビア語の「海の指揮官(アミール・ル・バハル)」の訛りだから、海軍大将のはずだが。
陸軍と海軍で階級名を統合しようという発想は英語圏にはないんですかね キャプテンなんて紛らわしくて統合運用の支障にしかならないと思うんですが
タイは植民地になったことがないのに、経済が従属的な地位にあるのは何故なんでしょうか?
1. タイ人のなかにもシャン族(ミャンマーでの呼び方)がいて、中国とのパイプが強い。 2. 隣国ラオスもタイ系の民族であり、やはり中国とのパイプが強い。 3. 華僑と混血している家系が多く(50%以上?)ので、中国とのパイプが強い。 タイ語と中国語のバイリンガルで交易に携わる華僑らしい華僑というのもいる。 4. メーオ(Hmong)と呼ばれる中国から来た少数民族もいて、中国とのパイプが強い。 5. 日本との合弁事業が多い。 6. EUとの合弁事業も多い。 経済規模が大きくないので、ワンストップ・ワンセット型は目指していない。 自給自足(Autarkie)志向は低い。 もともとベトナムと並んで、米の輸出国だったので、相互依存関係もノーマルと考えているみたいです。 自給自足でも相互依存でも、どちらでも選択できるのがタイなのだという人いますね。
従属的というほどひどく従属してたわけでもなかったよ それなりに経済力も発展して、スペインから空母買ったりするぐらい余裕があった しかし、タイでも1996年にバブル経済が崩壊 翌1997年には通貨バーツの価値を支えきれなくなって、一気に経済力ガタ落ち IMF(国際通貨基金)に支援を要請した せっかく買った空母は、維持費も捻出できずお蔵入り 経済立て直しを期待されたタックシンの政権も腐敗するばかりで、しまいにゃクーデターで失脚 でその後もゴタゴタが続いて、今、あの状況
613 :
世界@名無史さん :2010/04/15(木) 01:05:58 0
タクシンは経済立て直したよ。 ただ腐敗とばらまきも酷かったかし、既得権益層と衝突したからバンコクのエリート達に嫌われて追い出された。
で結局どっちが勝つの?
てかまぁ近いうち行われるだろう選挙しだいか。
616 :
世界@名無史さん :2010/04/15(木) 05:48:41 0
欧米の気に入らないやつが当選すると「不正があった」とかいって 米軍や英仏軍が登場するぞw
619 :
世界@名無史さん :2010/04/15(木) 20:00:55 0
第二次世界大戦でアメリカ軍の被害は 対日戦と対独戦のどっちによるものが大きかったんですか?
陸軍…対独戦 海軍…対日戦
621 :
世界@名無史さん :2010/04/15(木) 23:16:19 0
父親(1950年生まれ)が 「学校の世界地図にモンゴルが無かった」と言ってるんですが これは見間違え・記憶違いでしょうか?内モンゴル自治区と誤解してるのではと言いましたら、違うといいました。 モンゴル人民共和国があったはずですし、国連加盟してます。 どなたかお答えおねがいします。
学校の世界地図ってのがなんかのかわからんが モンゴルが独立する前のかなり昔の世界地図を見たんじゃね?
>>622 モンゴルが独立したとたんに、日本の世界地図にモンゴルが登場したとはおもえないんですが。
http://map.digi2.jp/map2.html これ見ると、独立して10年以上経っているのに載ってませんが。
この1935年の状態が、ずーと続いていたのではないかと思ったんですが。
それで父親の話聞いて、初めに↑の地図が思いつきました。
このへんの話は複雑で調べてもよくわかりません。
624 :
世界@名無史さん :2010/04/16(金) 07:27:13 0
>>614 普通に選挙やったら多数派の赤服(タクシン派)が勝つ。
それを必死に阻止しようと反赤服はいろいろやってる。
赤服が勝てばタクシン政治の復活。タクシンが帰ってくれば、
そこそこ経済活性化するかもしれんが、そうでなければただの
ばらまき路線。
少数派の反赤服はこれまでも議員立候補資格を大卒以上に
絞ったりして衆愚政治阻止を図ったけど、逆から見ればバンコク
の中流以上のインテリ既得権益層による支配。
渡来人が日本列島に来た理由って、よく中国戦国時代の戦乱を避けて逃げてきたことがあげられてるけど いくら戦乱があるとはいえ、古代中国人って、東シナ海を渡って島があるかどうかも分からないような土地に逃げるようなものなんですか? まだ越南とか満州とかに逃げ場があるような気がするんですが…
黄海からでないと無理でしょう。 遣唐使船だって、最初は黄海の航路ですから。
>>625 古代に満州は存在していないよ
それはともかく越南などの陸続きに亡命した例は、日本列島に渡った数よりも圧倒的に多いだろう
ついでに言えば、大陸の東に島があることは古くから知られていた
海を渡る気で亡命する者がいても、不思議でも何でもない
>>625 満州寒いし、陸伝いに朝鮮南部まで逃げてきたら、現地人に
海の向こうにあったかくて居心地いいところあるよ、
俺も小舟でそこから来たんだよって言われて
どうやら毎日のように海からの向こうから交易船がやってくるから、それに乗って行ったら
あら不思議、蓬莱の国でした。
629 :
世界@名無史さん :2010/04/16(金) 21:11:36 0
> 渡来人が日本列島に来た理由って、よく中国戦国時代の戦乱を避けて逃げてきたことがあげられてるけど 別にたいして挙げられてないと思うが。中国の戦国時代って日本じゃ弥生時代だろ。
徐福が来たとか、孔子が「イカダに乗って東海の彼方へ行こうかな」と言ったとか
よく航海術もないのに、大陸の人が東方に国があること知ってたね。 情報があるってことは日本にたどり着いた人がまた中国に戻ってこれたってことだよね?
632 :
世界@名無史さん :2010/04/16(金) 22:09:21 0
遣唐使のイメージで昔の航海=危険ってイメージがあるけど あれは当時の日本が朝鮮(というか新羅)と仲悪くて、沿岸航海出来なかったからだぞ 対馬海峡横断や沿岸航海だったら普通に昔からあったし安全 そもそも昔とあまり変わらん造船航海技術で万単位の軍を古代日本が朝鮮へ派遣しとる
>>631 『西遊記』『封神演義』は、もともと中国の持っていた猿の神話か何かが下敷き。
孫悟空の生まれた東勝神州というは、島国の存在を示していて
口承文学ではかなり古くからあったらしい。とはいえ山海経以前はわからぬ。
猿神話自体は東南インドのハヌマーンの話と類似していている。
インドの西北側のアーリア人側の神族ではない。
インドでは、東南側の住民のほうが古い住民らしい。
東南側の代表的な集団はタミル人で、現在の居住地だと
偶然にもスリランカが海上にある。
タミル人の神話は、猿が結婚するのが島(ランカ)の姫君になっている。
『西遊記』も島(ランカ)の存在を捨ててないんだよね。
その安全な選択を鑑真は何故選択しなかったんだろうね。
蓬莱島は九州なのか四国なのか本州なのか それとも淡路島なのか
蓬莱は、始皇帝から金を引き出すための徐福のデマカセだろ 日本に来たってのはマユツバ
徐福は東夷(徐国)の末裔。 彼の出身地である斉(山東)は、当時のシナではもっとも学芸の盛んな場所である。 渤海湾を渡れば燕の国があったが、ここは朝鮮や倭人を服属させていたらしい。 また春秋末期から戦国初期にかけて、南方の越王が中原に攻め込んで覇者となり、一時は山東に都を移していたこともある。 越人は稲作、断髪、鯨面(入墨)、熟鮓など、倭人と共通点の多い文化を持つ。
越人は、宋(960-1279年)まで稲作をやっていませんが
どういうこと? 思いっきり稲作の文化だと思うけど
稲作は行われていましたが その担い手は越人ではないみたいです
君の言う越人の定義って何なの
「宋史」食貨農志上一農田の部に現れる閩が 稲作の担い手です
7000年も前から長江中下流域では稲作やってるんだが… 越人がやらなかったとしても、王国の中には苗族や楚人もいただろうし
史記にも南の人はお米食べるって書いてるのに
閩人は稲作をやって米食ってましたね
?越は戦国時代に楚に滅ぼされた越の末裔だが。
ありゃ、出ない ビン(門+虫)越な まあいつもの自分理論の人みたいなんで次
649 :
世界@名無史さん :2010/04/17(土) 02:11:29 0
650 :
世界@名無史さん :2010/04/17(土) 02:24:23 0
>>647 閩粵と書けば、言いたいことが伝わるのでは?
>>633 「東勝神州」は、仏教の世界観(須弥山世界)における四大洲のひとつ「東勝身洲」から。
『西遊記』の一番最初には宇宙の発生を説くが、そこに出てくる。
宇宙の中心には須弥山が聳え、その下は大海に覆われており、大海の四方に四つの大洲(大陸)が浮かんでいる。
いわく東勝身洲、南贍部洲、西牛貨洲、北倶盧洲。
http://www5.plala.or.jp/endo_l/bukyo/syumikai.html 人類(インド人)の住むのは逆三角形の南贍部洲(インド亜大陸)であるとするが、
仏教が東伝するとシナ(震旦)も南贍部洲のうちとされ、中世の日本国は南贍部洲の端に浮かぶ「粟散辺土」と自ら認識していた。
そのため「西遊記」では、南贍部洲を「大唐の領域」とし、西牛貨洲(本来はペルシア方面)に「西方極楽浄土」「天竺霊山の大雷音寺」があるとする。
猪八戒の住む烏斯蔵(ウスツァン、チベット)も、孫悟空が封じ込められていた両界山(五行山)の西側、「韃靼の領域」である西牛貨洲にある。
シナはインドと地続きだが、アラビアや南インドからは海を通ったほうが早いので「海の彼方のシナ」と認識されていた。
また東南アジアにはインド文明が伝播しており、ギリシアでは「黄金の国(クリュセー)」と呼ばれた。
こうした伝承が「東勝身洲(東方の優れた身体を持つ人の住む大島)」として結晶したのであろう。
南インドのハヌマーン伝承は、おそらく東南アジアから南海経由でシナの南岸に伝わったと推測される。
これが土着のサル神、特に淮水の悪神とされる無支奇などと結びついて孫悟空が誕生したようだ。傲来国や花果山は架空だが。
>>638 斷髮、文身・・・呉太伯世家に記述ありますわな。
王族の「越人」ではなく、大族の「百越」なら閩粵諸族まで含みます。
「百越」ならば、稲作はやっとったでしょう。
>>651 仏教もインドも古代ギリシャ人が造ったんですが。
654 :
世界@名無史さん :2010/04/17(土) 10:32:36 0
ポリネシアとかイースター島とか、そこの島の開祖となった人たちは何をとち狂ってあんなとこに 住み着いたんですか?チリとかの漁師が航海中に流れ着いたとか?
東南アジアから順繰りに島々を大型カヌーで渡って来た。 南米から来たんじゃないかという説もあるが。
フラン=ブロックにポルトガルが組み込まれているんだが何故?
東北雪国の俺もまったく同じことを思うのですが、俺の祖先は何をとち狂ってこんなとこに 住み着いたんですか?
昔は今よりも温暖だったのかもしれませんが、それはさておき・・・ 雪が積もると雪解け水があるので、地下水の利用できない時代でも水を確保し易い。 また、冬季の食糧確保も、貯蔵にそれほど工夫はいらない。 いろいろメリットがあったのだと思われます。
どこが世界史?
人類学の範疇か
まあ、ポリネシアとかに移住した人々を とち狂ったなんて頓珍漢な見解を挟んだ語り口に 嫌味を返しただけだと思うがね
海の彼方には、天空と海が接する「ハヴァイキ」という常世国があると信じられていたらしい 転じてハワイとなったが
現代史の独裁者で、国家の発展への貢献が大きい人物といえばどんな人がいるでしょうか? 国内的には独裁体制を敷いていたけれども、対外的には協調路線だったり、 自国の安定や発展に多く寄与したような人物です ケ小平、蒋経国、リークアンユー、朴正煕、フランコ将軍・・・といった人 物が浮かび上がるのですが、 他におりましたら教えて下さい
マハティールが入ってくると思われ。 メドヴェージェフもいれときますか・・・ プーチンとメドヴェージェフで継続して見れば現在進行形。 江沢民は、入らないでしょう。むしろ経済発展は朱鎔基の功績とされとるし。
フランコがありなら、ポルトガルのサラザール、旧ユーゴのチトー、インドネシアのスハルトあたりも 入るでしょう おもしろい独裁者としては、ドミニカ共和国のホアキン・バラゲール 彼が自国の自然保護に力を入れたおかげで、同国は観光業で栄えており、同じエスパニョーラ島の 隣国ハイチが森林伐採で荒廃してしまったのと対照的な結果になっている
それにしても、今現在への影響の大きさという視点から見ると、 ケ小平の偉大さが際立ってるな
東漢氏が、後漢の献帝の子孫だって説はどれくらい信憑性があるんですか?
>>664 アジェンデの改革とセットで考えた時のピノチェト。
どちらか一方だけではなく、二人セットで考えると、チリ経済の近代化が見えてくる。
小粒だけどモロッコのハッサン2世とチュニジアのブルギーバも、
アラブ近代化の解釈者として考えられるかな。
二人とも原理主義勢力やパレスチナとの距離の取り方が見事。
国土が豊かなのにもかかわらず、というかむしろ豊かだからこそ、
モブツのような国家として統治する機構の整備が遅れた(遅らせた)アフリカ諸国の
独裁者の中では、ボツワナのセレツェ・カーマが一際輝いている。
その他にも実現した経済成長のパフォーマンス的には低いけれども重要な人物としては、
タンザニアのニエレレとモザンビークのシサノの名を挙げることが出来るかも知れない。
個人としての独裁者じゃなく、官僚集団の代表としての軍事独裁政権で考えるならば、
ブラジルの軍事政権(1964-1985)は、左翼だった頃のF.H.カルドーゾによって経済的発展を果たしたことが
実証されてる。尤もリオやサンパウロの都市犯罪問題なんかが拡大したのもこの時代な訳で、
「BRICsの一角としての基礎を築いた」と手放しで褒めたたえるわけにはいけないけど。
>>666 サラザールはカーネーション革命を招いたからその例だと微妙かも。
あれも上手いこと西側に入れたから良かったものの、一歩間違えれば社会主義化してたかもしれなかった訳だし。
後はコートジボワールのウフェ=ボワニや、アルジェリアのブーメディエンなんかがいるけど、 この人達は、そのカテゴリに入りかけたけど後が続かなかったから、 結果的には失敗した人物とみなすべきかも。チトーやカストロもこっちかもしれない。
ウフェ・ボアニはあんまり独裁者って印象じゃないな 政権は長かったけど、選挙で選ばれてるし、話し合いによる解決を重視した人だし
672 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 13:28:34 0
私のみな(人種差別に凝ってるキチガイは除く)に解決してもらいたい 疑問点は以下のものです 1、アリストテレスの偽書(機械の問題)に歯車は古代の遺産であると 書かれている(少なくともギリシャ人wではない) 2、アレクサンドロスの遠征が書かれたのは400年後のローマ人が書いた史書なのに、 なぜこれをすべて史実だと言い張る者が多いのか? 3、アレクサンドロスが「到達」してできたエジプトの都市は彼らが着てから「ヘレニズム」が おき、都市名もアレクサンドリアになり、初めて地球の円周を計測した学者もリビア生まれでその 都市で学んだだけなのにギリシャ人だという。その根拠はなにか? 4、古代ギリシャの著作とされているものは本当に2400年前の記述なのか? です。 碩学の書き込みを待ってます。
673 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 13:29:42 0
それとさらに「楔形文字と古代ギリシャ文字とされてる文字体系は本当に まったく別のものなのか」。 これも重要だと思います。なぜならある一つの文明に複数の言語で何かが 記されている場合、それらのすべてを独立した文明の人々が使っていた言語だと するとその字で書かれていた内容はすべて「その一つの文字を使用していた 文明を担っていた人の起源」となってしまうからです(現代の韓国人の主張と 同じですね)。
674 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 13:31:01 0
それが支那の字体の変化程度のもの(文明・文化の継承ともとれる)であれば それが連続したある一つの文明によって形作られ、変化し、進化したものだと 分かるのです。たとえば漢字で時代ごとに書かれた字を「甲・乙・丙・丁」と 順番にならべた場合、仮に乙時代の字がまるごと「他の文明」で記されていると すれば、それ以後の丙丁は「乙起源の文明」にされてしまいます。連続しているの ですから。この「取替え」がもしかしたら人種差別に凝っていた白人たちが やらかしたのではないかと。
675 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 13:32:27 0
例えば古代エジプト→メソポタミア→インド→ビザンツ・・といった 西洋文明の「流れ」の途中に「古代ギリシャ」を入れて 古代エジプト→メソポタミア→古代ギリシャ→インド→ビザンツ・・にし、 途中の古代ギリシャで書かれてる内容を「すべての起源」とし、それ以後の 文明の「基準、起点」としてすり替え(例えば東洋に科学はなく経験則、とかね)、 その「神格化された捏造文明(ナチスのアーリア文明と酷似w)」を 白人が自らの直系の先祖としたのではないかと。
676 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 13:33:11 0
・・しかしその流れをさえぎるには誰にでも分かる「運び屋」がいないと 説得力に欠けます。これが「アレクサンドロス三世」だったのではないかと。 古代ギリシャ人のアリストテレスを師匠に持ち、古代ギリシャ人の軍隊を 率いたアレクサンドロスは当時の世界の半ばを多い、世界を「ヘレニズム(ギリシャ化) させたのだ」といい、そしてその「征服された土地はすべて古代ギリシャ文明の 末裔(本当に白人の学者がこう言ってたぞ。プトレマイオスやインド北西部はそうなんだってw) なのだ」」とし、「つまり世界の起源は古代ギリシャである」とする。まさにナチスや 白人が理想とした「アーリア人の支配する世界」ですwこんなに胡散臭い話って他に あります?
>>672 3について
リビアのキュレネは、ギリシャ人が作った植民都市であり、そこに住んでいたのはそもそもギリシャ人
したがって、そのキュレネで生まれたエラトステネスはギリシャ人
ついでに言うと、彼はアレクサンドリアに来る前に、アテネで教育を受けている
俺は韓国人が作った植民地だときいた
679 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 14:53:06 0
何でもかんでも「ギリシャ人が造った」ってやつ?世界史板のレベルって 低いね。
680 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 14:54:05 0
昔の中国の役人で、火薬ロケットで宇宙に行こうとして木端微塵になった人って誰でしたっけ
楔形文字はシュメル人が絵文字から作り出し、何千年もかけて変化した。 系統不明のエラム人も、セム系のアッカド人・アモリ人も、セム系混血のアッシリア人も、 印欧系のヒッタイトもメディアもペルシアも、記録を残すツールのひとつとして楔形文字を使った。 しかしもとが絵文字なので、構造は漢字のように複雑であり、時代が下ると簡略化されていった。 別の系統にはエジプトの神聖文字があり、これはまったくの絵文字。 こちらも段々簡略化され、ついに西方セム系のカナン人(フェニキア人)などにより、 単なる音節をあらわす20前後の文字=アルファベット、アブギダが発明される。 楔形文字もフェニキアには入っており、こちらもアブギダにまで簡略化されたが、結局はエジプト系のアルファベットが世界的に広まる。 クレタ文明やミケーネ文明で用いられていた線文字は、楔形文字ではないがアルファベットでもない別系統の文字。 これらの文明が崩壊したのち、フェニキアとの交流によって新たな文字体系がもたらされた、とされている。
>>680 ワン・フー(Wan Hu)
その話の出典は中国の史書ではなく、アメリカ人が書いた本なので、史実とは考えにくい
また白人コンプレックス野郎か
686 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 17:37:15 0
白人の基礎知能はIQで200くらいあるらしいよ・・ で、すべての古代都市は白人の古代ギリシャ人が植民地にしてて、 そこで生まれる偉大な人物はすべて古代ギリシャ人なんだ。 ウソじゃない、そう世界史で習うだろ?でも最近はどういうわけか 韓国人がそれを主張してるんだ。「世界はウリナラ起源」って。 日本はこういったバカなアジア人を殺さないといけないよな。
687 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 17:39:15 0
>>681 なんで古代ギリシャだけ「まったく別系統の孤立した文字体系」なのですか?
やはり彼らは人類にとって特別な存在だったのでしょうか?
大人のIQは、天才でも130程度 大人でIQ200はありえない
>>688 このスレの奴らにも105〜110ぐらいはゴロゴロいそうだな
130の奴らってものすごく優秀で五ヶ国語ぐらい喋れそうな気がするが
690 :
世界@名無史さん :2010/04/18(日) 17:59:42 0
精神年齢 ÷ 生活年齢 × 100だったか
たった1つの例だけで「すべて」の古代都市? 「すべて」古代ギリシャ人? 古代ギリシャ「だけ」別系統の文字体系? はいはい、君にとって古代都市ってキュレネ1つしか存在しないんだね 君にとってエラトステネス以外に古代の偉大な人物は存在しないんだね 君にとって、古代ギリシャ以外に「別系統の孤立した文字体系」は存在しないわけだ すべてウリナラ起源と主張するのと同程度のバカだな
>>690 読み書きのできる3歳児ってそんなにおかしくないよな
大学に行く小学生(大学生?)はすげえと思うが、それだけだ
話は変わるが脳年齢のピークが20歳ってのもおかしいよな
>>687 >>691 相変わらず妄想力だけはたくましいな。
人の文章に勝手に「すべての」とか「だけが」とか付け足して改ざんしといて「おかしい」とわめき出すのも相変わらず
安禄山は「六つの蕃語」が話せたそうだが、 ペルシャ語・ソグド語・テュルク語・契丹語はいいとしてあとはなんだろう 鮮卑語とか高句麗語とかかな
>>694 史籍通り解釈すると、唐代の「蕃」は、吐蕃とかシナチベット語族ですな。
吐蕃のは、唐代の文語で残っとり、今の蔵語。
人口から考えてリストアップすると
蔵語・白語・彝語・哈尼語・納西語・羌語の6つ。
彝語と哈尼語が近縁としてマージしてもう一つ入れるとビルマ語。
696 :
695 :2010/04/19(月) 00:09:46 0
正史の記述は、「安禄山通晓六国語言」 「六つの蕃語」は日本語訳として× レベルが低い翻訳をつけた人がおるねw
ペルシャ語・ソグド語・テュルク語・契丹語・鮮卑語・高句麗語 崩壊 安禄山の正体は、シナ・チベットでした〜
痛々しい人がいるな 次
父がソグド人などという来歴はあてにならん証拠 豊臣秀吉が天皇の落胤などではないのと同じ
701 :
世界@名無史さん :2010/04/19(月) 00:55:49 0
>>694 唐代当時ペルシャ語とかテュルク語とかそういう括りがあったとはとても思えんのだが。
六人の通訳というエピと似ているから烏蕃かもしれないですね。 烏蕃は方言がきつくて通訳が何人も必要としてたとかいう話がある。
じゃあ波斯語・粟特語・突厥語か
一民族一言語って考え方自体が既に近代特有な物な上 ペルシャテュルクソグドも「民族」とは言えないわけで
そういや安禄山は、アレクサンデルの音訳って説もあったな かなりマユツバだと思うけど
ハッ!!
>>691 なぜ古代の偉人が生まれたところは必ず古代ギリシャ人が殖民都市にしてるのでしょうか?
彼らはもしかして宇宙人だったとか・・・・
はいはい、おじいちゃん、「必ず」に対してツッコミ入れると、また
>>693 みたいに
勝手に付け加えた、改ざんしたと言い出すんでしょ
自分で「すべて」「だけ」と書いておいてそれも覚えてないんじゃ、そうとう
アルツハイマーがすすんでますねー
いいから、徘徊してないで、老人ホームにもどりましょうねー、おじいちゃん
今の北京辺りの中国人が歴代王朝にタイムスリップしたとして、言語が通じるのはどの王朝まで? 宋ぐらいまでは通じるかな?
712 :
世界@名無史さん :2010/04/19(月) 15:05:49 0
>>688 精神科でウェクスラー式とかいうので測ったら145だった俺はどうすれば・・・
まあちょっと自慢だけど
>>711 筆談NGならば清朝まで
音韻がそり舌音やer化で激しく変化している
え…マジ? 明の時代でニーハオマ!ウォーシーリーベレンとか言っても駄目なんだ…
東南西北白發中 トウナンセイホクハクハツチュウ トンナンシャーペーハクハツチュン それぞれどの王朝に当たるの?
筆談についても今の中国人は漢籍をあまり読めんらしい 発音以外に語彙も文法も全然違うとか 「是」だって意味違うしな
718 :
世界@名無史さん :2010/04/19(月) 22:51:58 0
国王に即位する時、母親に 「あんたは夫(先代王)の子じゃないよ」 っていわれたのって誰ですか? ヨーロッパ(たぶん北欧)のどこかの王だった筈ですが名前が思い出せません
>>710 悪いことは言わないから水と二酸化炭素から人生をやり直すんだ
720 :
719 :2010/04/19(月) 23:59:44 0
まだ居ついてんのかあのキチガイ
中韓だけ隔離スレ作りゃ良いのに
>>716 日本語は北方の漢音に、呉音が加わって、唐(宋)音が最後に乗っかるので
漢和辞典を調べると判明しますよ。
ハク・ハツ・チュンはもとが別のセットでしょう。
今だとBai Fa Zhong
パイ・ファ・チュンのほうが自然。よく無地牌をパイパンというでしょう。
724 :
693 :2010/04/20(火) 00:15:40 0
>>711 北京語は北京の方言だから、長安とか開封とか南京とかへ行ったら
時代にかかわらず通じない。
726 :
世界@名無史さん :2010/04/20(火) 03:48:18 0
ガンジーの非暴力抵抗でインドが独立したとか信じられません 真相はどういうことなんでしょうか? インドの人口が多くて 仮に暴動が起きた場合イギリスの兵力では鎮圧しきれないとみて イギリスがヘタれたのでしょうか?
イギリスは第二次大戦で大没落してたので ヘタレもヘタレで斜陽といっていいレベルでした
ガンジーの非暴力主義はよく誤解されがちだが、逆にいうと暴力以外のあらゆる手段を使って 英国支配に抵抗したということ しょせん英領インドで英国人は数の上では少数派、住民の圧倒的大多数は現地のインド人だ その大多数にストライキ、サボタージュ、デモ、ボイコット、軍務拒否をされてみろ その状態が続いても、そういうことをする者を片っ端から弾圧しても(きりがない)、どちらにしても、 英国人社会も、その経済も、軍事力もすべて成り立たなくなる 特に第2次大戦期、兵力の大供給地であったインドで、兵士に背かれるわけにはいかない インドに協力態勢をとらせるには、将来的な独立を認める方向性を示してインド人をなだめるしか なかった
729 :
世界@名無史さん :2010/04/20(火) 07:25:55 0
>>691 誰が「キュレネは古代ギリシャ人の都市」と決めたのでしょうか?
紀元前600年ごろからティラ島のギリシャ人の都市とされてますが何を根拠にそうされているのでしょうか?
卑弥呼が親魏倭王の印綬をもらってから300年後ぐらい後に隋朝ができましたが その間日本には何が起こっていたんですか? 中国だと五胡十六国・南北朝の出来事がはっきり分かるのに、日本だけ邪馬台国の後は蘇我氏の 話に飛ぶんだもん…
日本史だわな
中国の府って、省の主都が府って名づけられているのかと思ってたんですけど、 古地図を見てたらひとつの省にいくつもの府があります。 いったい中国における府と県ってどういう仕組みになっているんですか?
>>730 「空白の四世紀」だねえ。
なお、念のために言っておくと、南朝に倭の五王が朝貢してるので、蘇我氏まで
飛ぶわけではない。
>>713 筆談OKにしても識字率はどれぐらいだったんだろうねえ
>>732 「府」は本来は「政庁」の意で、大宰府や国府、鎮守府や幕府、総督府や内閣府などのように用いる。
国内の主要な都市や王族・皇族の邸宅も「府」と呼ぶが、行政区分としては州とともに県の上に属する。
省都にかならずしも府とつくわけではない。
もともと、漢〜魏晋には州―郡―県という行政区分であった。
州はいくつかの郡をまとめるもので13あり、戦国時代の王国サイズ。
郡・県は古代の都市国家サイズで、城壁を巡らした都市のこと。郡はいくつかの県をまとめ、県の下には郷や亭、里があった。
しかし西晋が滅んで江南へ大量の難民が移住すると、江北にあった州を江南にもむりやり設置したため、
どんどん州が細分化されて郡と同じサイズになってしまった。
唐代にはついに郡が廃止されて州や府となり、その上に漢代の州ぐらいの「道(のち路や省となる)」を置いた。
州は刺史や知事が、府は節度使が駐在して地方行政や軍事を担った。
その下には相変わらず県が置かれ、古代から近代まで県の数はほぼ1500前後。
>>734 2,000文字種程度に限定すると3〜4割ぐらいいくのではないかな?
古文書でも、民家から出てくるのは文字種が少ない。
漢字は20,000文字種ぐらいあるといわれるけど
1割の2,000文字種ぐらいで日常生活は事足りる。
>>736 そんなにいたんだ
結構庶民も字を読めるのね
歴史を眺めて行くと不思議な事に気が付く。 どんな大帝国も弱小で勢力が小さい時期は破竹の勢いで領土を広げて行くのに、 勢力が大きくなるにつれて拡大の速度が落ち、 領土が最大になると、戦争に勝てなくなって、分裂したり縮小したりしていく。 普通に考えれば、勢力が小さく領土が狭い膨張期より、 勢力が大きく領土が大きい時期の方が動員力や財力が大きくて、 より戦争に勝ちやすくなるはずなのに。 古今東西、この法則に当てはまらない大帝国は無いが、なぜだろうか?
イスラムも、言語問題があって 周辺へいくとムリッド教団や東干人やネシア系回教になって 求心力がおもいきり低下しているの見れば何となく理解できない?
740 :
世界@名無史さん :2010/04/20(火) 20:44:45 0
>>738 >勢力が大きく領土が大きい時期の方が動員力や財力が大きくて、
管理に国家財政が使われすぎてどの帝国も財政問題でコケてそこで地方の民族独立運動などが起きて崩壊している
>>739 宗教と国家は違うでしょ?宗教は信者の文化によっていくらでも変容していくわけだし。
>>740 管理に使う国家財政とは、官僚の人件費や軍隊の維持費やインフラや防衛線の維持費などですか?
大帝国の膨大な税収でも賄いきれないんでしょうか?
戦前の各国経済規模ランキングってわかりますか?
743 :
世界@名無史さん :2010/04/20(火) 22:58:13 0
>>741 税収は人口に比例して算術級数的に増えるが、
国土面積はその2乗のペースで増え歳出はそれに比例するので、そのうち賄いきれなくなる
>>742 当時は総生産などの統計調査が進んでおらずそういった比較は困難
購買力平価などから恐ろしく大雑把な概算を出したものは見たことあるが
人口の多い中国が2位になってたりしてハッキリ言って無意味
>>728 イギリスより日本の方が統治手腕が優れてると
良く分かる話だな。
746 :
世界@名無史さん :2010/04/20(火) 23:19:20 O
国土が広がりすぎると中央集権が情報伝達に手間取って機能しにくくなるんだろ で、地方に権力を委譲していくとそれは独立にしかならんからな
全く歴史とは関係ないが 2乗3乗の法則ってのがある 平たく言うと図体が3乗で大きくなるのに対しそれを支える筋力は2乗でしか大きくならないっての
>どんな大帝国も弱小で勢力が小さい時期は破竹の勢いで領土を広げて行くのに、 →ローマ共和国は建国から500年でようやくイタリア半島を統一した。 ポエニ戦争の過程で地中海を覆う覇権を確立していく。 秦も建国から700年後ぐらいに始皇帝が出て、ようやく六国を統一した。 >勢力が大きくなるにつれて拡大の速度が落ち、 >領土が最大になると、戦争に勝てなくなって、分裂したり縮小したりしていく。 →帝国が拡大するほど、敵対する勢力も強大かつ多様になり、それと戦うために時間がかかる。 ある程度折り合いがつくなら、属国にしたり同盟国にしたりして国境線を決める。 あとはこの国境を守りつつ国内を安定成長に導けば、その域内での「平和と繁栄」は成り立つ。 なにがなんでも匈奴を潰そうとした漢の武帝の半世紀の治世では、国内は重税にあえいでいた。 結局は匈奴も漢もガタガタになり、武帝の死後に和平を結んで平和が回復した。
経済学でもコストは三次関数型で与えられることが多くて ある一定量を超えると追加的なコストがどんどん増えちゃって失敗する
明らかに日本史っぽくてすみませんが、質問させていただきます。 古代、朝鮮の一部は日本の支配下にあったとよく聞きます(事実韓国にも古墳ありますし) しかし、新興(?)の大和朝廷に、他国へ攻め入るほどの国力があったんでしょうか? さらに、著しく航海技術の劣る当時は、難破率も高かったと思います。 時代の進んだ遣唐使船ですらかなりの割合で難破していましたから、軍船の難破率はかなり高かったと思います。 もしかして、当時は陸続きだったんでしょうか? このあたりに詳しい方、教えてくださりませんか?
戦争に勝てば勝つほど軍閥の発言力が強まって、 その中で権力争いが始まって内乱になったりもする。 あとはもともと国が「私有財産」と見なされている場合、 遺産相続の過程で子孫に「分割相続」されたりする。 また相続でもめて内乱が起こるのは現代の一般家庭ですら見られる。
新羅との国交断絶のため、遣唐使船は東シナ海をつっきって直接シナへ向かっていた。 それ以前は普通に朝鮮海峡を渡れば半島南部に着く。
最近邪馬台国が奈良県ということでほぼ確定したし 古代から日本は内陸部でもそれなりの国力を備えていたのかもね
>>751 古代の九州と朝鮮南部は同じ経済圏だったんよ。
だから、交易が盛んだったし、船も頻繁に行き来してた。
航海は基本沿岸航海だから、そんなにやばくない。
ありがとうございます。 陸続き説が有力って聞きましたが、いつまで大陸とつながっていたんですか?
そりゃ超大昔の話だろ
>>751 の事柄とは比べ物にならんほど古い話と思うよ
大昔の日本海は湖だったそうだね
氷河期には遠浅の東シナ海は干上がり、マンモスを追って人類が歩いて渡れた。 現在のように大陸や半島から離れたのは1万2000年前ぐらいらしい。 倭国が新興国といっても、卑弥呼が立ったのが2世紀末で、4世紀頃には畿内に大古墳を築くぐらいの国力はあった。 倭人は古来海に親しく、巨大な丸木舟や小舟ですいすい移動した。古墳時代には準構造船もあったらしい。 河内湾から瀬戸内海を通って筑紫に着き、そこから壱岐・対馬を経由して釜山などに着ける。 博多には大和の出先機関として古くから一大率(のち大宰府)が置かれ、大陸や半島との交渉を担当した。
そうなんですか。無知ですみません。 遣唐使船はよく難破したのに……
遣唐使船は杭州近くの寧波とかに行こうとするから、恐ろしいことになるんじゃよ。 今でも天津塘沽との往復だったら、海上保険の掛け金は上海近辺往復より廉いがな。
なるほど、勉強になります。
長崎から見て、中国が良い印象の国になっているのは、天津が窓口だったからで 今みたいに、上海とかアモイが窓口では、長崎の人達も中国嫌いになっているだろうよ。
>>738 >どんな大帝国も弱小で勢力が小さい時期は破竹の勢いで領土を広げて行くのに、
そんなことないと思う。
小さい時、これに負けると絶滅という戦争に何度か勝っている。
勝ち残りには偶然、運の良さも必要。
指導者が優秀+運、これだすな
時間を短縮したい場合は、早く陸路に上がれる煙台港を使いますわな。 東シナ海をウロつくより、黄海の中に入ってしまったほうが、全然安全だと思います。
日韓併合から第二次大戦終結までの、朝鮮半島を日本が統治していた時代で、 最も激しかった抗日暴動?って、どのようなのがありましたでしょうか? (治安回復に赴いた警察や日本軍鎮圧部隊に死者が多数でるような規模の) どうも、東学党の乱以後の大規模反乱って記憶に無くて
6世紀初頭まで日本と半島とは地続きだったが、突如隕石が落下してきて一夜にして対馬海峡が生じた。 倭国と半島の住民の9割が絶滅、北魏やグプタ朝は滅亡し、はるか東ローマ帝国では疫病が猛威を振るった。 この時代を日本では天岩戸神話で伝え、イスラム教ではジャーヒリーヤ(無明時代)といい、 「天地が暗くなって悪霊が暴れ狂った」とフランク王国の年代記にも記されている。 〜民明書房刊『対馬海峡冬景色』より〜
>>765 1919年の3・1独立運動。7500人が死亡したという資料と、550人が死亡したと言う資料があるが、
朝鮮半島全土に広がった最大の反日暴動。全土で暴徒と化した民衆が警察署や役所を襲撃し、
放火や破壊、リンチ、殺人の嵐が朝鮮全土に吹き荒れた。軍も出動したが、
鎮圧まで一年かかると言う未曽有の暴動だった。警官や兵士にも犠牲者は出ているが、
正確な数は分からない。まあ、死亡者の数から考えても、そんなにたくさん死んでないと思う。
>>738 >>741 他の人たちが指摘しているような数学的な問題もあるし、たとえそれがなかったとしても
文化の違いも大きい
自分たちと同じ文化、言語、宗教、価値観を持つ本国は、比較的楽に統治できる
だが、占領地が拡大していけば、遠い地方ほど、それらが本国とは違ってくる
現地住民には、占領されたという反感もあるだろう
そういう地域を、本国と同じ効率で統治はできない
占領地では、徴税も徴兵も治安維持も国境防衛も、それだけ人と金と手間暇がかかる
しまいには、占領地から上がる税収より、占領地の維持費の方が高くつく赤字経営に陥る
ゆえに、国がでかくなればなるほど、国家財政は悪化の一途をたどる
対日感情の違いから察するに、日本の台湾統治と朝鮮統治には大きな違いがあったのでしょうか?
>>769 台湾は、高山族とか高砂族とよばれる原住民族がおり、霧社事件などが発生しています。
もともと漢語を操る高い情報交換能力を持つ漢人とは、別の民族がいたわけです。
高山族を優先的に皇民化して、漢人を弾圧するように仕向けれる政策も選択肢に入ります。
シナ風の中華思想を逆手にとった統治方法なので、漢人には思いつかない奇手です。
当時の日本は、英国領インドの時代に、英国がとった統治方法を研究していると思います。
一方、朝鮮人の中の差異は地方の差異でしかなく、朝鮮語自体も高い情報交換能力を
備えていたので、英国式の統治は最初から選択肢にはなかったのです。
中華思想の統治方法は、諸葛孔明の統治方法の例でだいたい説明つくかな? 先住民が自分達よりも高度な文明を持っていた場合、 李冰にはダム工事などをやってもらって自尊心を満足してもらう。 異質な文明を持っていた場合、 孟獲を何度も捕らえては放して、自分達に敵対しないように諭す。 孟獲勢力を使って、李冰勢力をぶっつぶすのが英国式の統治法。
>>771 新彊がうまく収拾しないとみたら、中国はカザフ人にウイグル人をぶっ潰させると思うよ。
あそこは中華思想で予定調和になる可能性低い。
むしろ、中華の異民族政策は、伝統的に、夷をもって夷を制するのが基本 宋も明も、北方遊牧民族を部族どうし互いに争わせていた(そして、結果的には、 その中の1つを強大にしてしまい、国を潰されることになった)
諸葛孔明は、北方民族やムスリム系異民族の問題にあたったことがない。 では、曹操はどうしていたんだろう? 漢末の匈奴は再起不能状態が継続?
曹操は匈奴を魏の領内に引き込んで、漢化する政策をとったので匈奴は弱体化。
山西に定着していた南匈奴や、烏丸の騎兵を戦力に組み込み、活用した。 華北地域では戦乱で人口がかなり減少したので、それを補う面もある。 結局は軍閥化した匈奴勢力が西晋を滅ぼしてしまうことになるが。
東南の百越族に対しては、孫権がそれほどあれこれ考えた記述が無いが 百越は、そんなに高い文明も高い攻撃力も無く、軟弱だったと解釈しよう。
山中の反乱民である「山越」の鎮圧に兵を裂かねばならんから 北方へはなかなか大挙遠征ができなかった 山越を退治して彼らを自軍に組み入れるのが、孫呉の武将の主な仕事
>>729 ヘロドトスの『歴史』にも書かれているし、ローマの属州になった時点でも住民の大多数は
ギリシャ系だった
なにより、今日にも残っているゼウス神殿、アポロン神殿などの遺跡を見れば一目瞭然、
ギリシャと同じ建築様式だ
(念のためにいっておくと、建てられたのは、プトレマイオス朝がその地を征服するより前だ)
もし仮に違う民族の都市だったのなら、これまでの考古学的な調査でなにかしらその証拠
(建築物だけでなく、石像とか陶器、あるいはそれらに描かれた文字や絵などでもいい)が
見つかっていなければおかしいが、そんな物が発見されたという話はない
したがってギリシャ人の都市であることを疑う理由は何一つありはしない
平地のやつらより山地のやつらのほうが手ごわいみたいだわな
>>780 そりゃあ山地を攻める側は、地形のために大軍を運用しにくい、兵糧の輸送が困難という弱点があるし、
また攻め込まれた山岳民族側は地形を生かした山岳ゲリラ戦を展開できるから
逆に山岳民族側が平地に攻め込む時は、そうはいかない
>>781 山岳戦では、圧倒的な兵力と優秀な兵器を有するソ連軍が、
アフガンで貧弱な戦力しか持たないムジャヒディンのゲリラ戦に苦しみ、
10年かけても小国アフガンを制圧できなかった。
ジャングル戦でも同じことが言えるな。
物量でも質でも圧倒的に勝っていたアメリカが、
ジャングルを天然の防壁として戦う北ベトナムとベトコンに勝てなかった。
地の利をうまく使ってゲリラ戦を展開すれば、近代兵器と訓練された大国の正規軍にも勝てる。
783 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 17:28:17 0
>>782 日本も山と森ばっかりだったから、本土決戦に持ち込めばアメリカに勝てたのでは?
>>783 日本は島国だから、海上封鎖されれば、
アメリカは一兵たりとも本土に上陸させなくても、
物資の供給を断たれた日本が勝手に自滅してくれる。
アフガンのムジャヒディンや、ベトナムが勝てたのは、
陸続きの外国から物資を調達できたから。
>>784 薩摩芋植えてジワジワ生き延びるぞw
敵の立場に立ったら
ジャップにゲリラ持久戦採られれば本当にキリがない
実際に本土決戦やってた場合は、ソ連の計画通り
アメリカの苦戦を口実にして四カ国分割統治が実現してたとは思うがな。
で、皇軍がゲリラ化して、今のアフガンみたいな状態に。
米軍は竹槍を作れないように竹林を燃やすだろう
ま、実際は米軍が本土に上陸したら、天皇は輸送機と潜水艦を乗り継いで満州に脱出、 遷都する予定だったんだけどね 満州と朝鮮半島にはほとんど無傷の150万の関東軍が控えていたからね もちろん本土に置き去りにされた日本人どもは、時間稼ぎのために肉弾特攻する予定だった それがおじゃんになってしまうのは、ソ連軍の満州侵攻が米軍の本土上陸より先になってしまったため もしもタイミングが少しずれていたら、天皇は満州で捕らえられて人民裁判にかけられていただろうなw
>>783 >>785 その場合、まだ爆撃されてなかった中小都市もすべて空爆されて焼け野原になり
日本人が生きられるのは田舎だけになったろうけどな
スレ違いの板違い 次の方どうぞ
790 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 20:18:02 0
もし日本が昭和二十年八月以降も連合国に屈せず戦争継続を選択し、 山岳地帯にこもって本土決戦を行っておれば、必ずや勝利していたであろう。 ベトナムのように、最終的には米軍を一兵残らず叩き出せただろう。 日本の過ちは、戦争を始めたことではない。 勝てる戦争を途中で投げ出して敗戦国(=アメリカの属国)に落ちぶれたことである。 その意味において、天皇はじめ鈴木貫太郎以下閣僚どもは戦犯であるといえる。
>>790 まあそんなことしたらお前さんの先祖は全滅してお前さんもこの世にはいないだろうな
792 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 20:20:20 0
アメリカ軍は上陸作戦でアメリカ兵が100万人死亡すると計算していたわけで、 負傷するアメリカ兵はそれ以上になる。 アメリカ兵が100万人も死亡する激戦になったら、アメリカは財政破綻して恐慌になり、 戦後のアメリカ経済の繁栄など無くなるのである。 あの戦争、もし日本が無様に白旗を挙げなければ、本土決戦で国土が焦土と化しても、 ベトコンやイラクのアルカイダやアフガンのタリバンのようにゲリラ戦を続行するなら、 アメリカ軍に大出血を強いたに違いない。 負けない戦争に試合放棄によってみすみす破れ、 国体護持のためという魔法の合い言葉に洗脳され、魂を抜かれたのが「戦後日本」なのだ。
793 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 20:23:00 0
アメリカ兵を10万人ばかり殺してしまえば、アメリカの世論は厭戦に傾き、 アメリカ政府は日本との戦争を諦めるであろうことは明らかであった。 しかし日本はそれをしなかった。おろかの極みである。 日本は負けないはずの戦争を試合放棄によって落として敗戦国に成り下がった。 そして日本人としての尊厳を失った。 アメリカの犬=属国として数十年にわたり経済的繁栄というか虚栄を手にしたが、 もはやベトナムのような民族の誇りは永遠に失われてしまった。 あのとき戦争を続けていれば、日本は独立を守り通すことができた。 それは利益の勝利ではないだろうが、全てを失ってもなお、後世に遺すべき魂を守る勝利だ。
よそでやれ
多くの民族を抱えていたオーストリア=ハンガリー帝国では、 各民族の民族運動が盛んで帝国政府を悩ませていましたが、 なぜ彼らは独立ではなく、自治権の拡大のみを求めたのでしょう? 隣国で同じく多民族国家のオスマンでは、どの民族も分離独立を求め、 面白いように独立していきましたが、 なぜオーストリア=ハンガリー帝国では分離独立を求める動きが起きなかったのでしょうか?
いわゆる二重帝国の時代ですか?
全然起きなかったわけではなく、ドイツやロシアやセルビアが「同じ民族」につけこんで帝国解体を狙っていた しかし民族運動側も、民族自立派と多民族連邦支持派に分かれて内ゲバしていた 結局は皇太子暗殺事件が起き、大戦敗北でとどめをさされて崩壊した あのへんは「民族」なんぞというもんで無理やり分けてもモザイク状にならざるを得ず、 ローマもビザンツもオスマンもユーゴスラビアも多言語・多宗教・多文化の国だった
WWTは 主軸はセルビアとオーストリアの戦争なのに 気が付いたらイギリス対ドイツのイメージしか沸かなくなってくるから不思議だ 三十年戦争に性格が近い気がする
欧州列強間の溜まりに溜まった鬱憤を晴らすのが主な理由で始まったからなあ…
日本海海戦で沈んだバルチック艦隊って引き上げられてないの?
>>797 二重帝国の時代です。
>>798 それでも自治権拡大運動ほど激しい分離独立運動は起きなかったように記憶してます。
二重帝国の少数民族が多民族連邦を求めていたのが不思議です。
引き上げて日本海軍に編入させたやつとかあるよ
804 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:20:47 0
まあ、結論として本土決戦は、やるべきだった
本土決戦やめるなら、元々開戦自体やめとけよって感じはするかもな 戊辰戦争の江戸降伏といい、この国は不完全燃焼で終わるのが好きなようだ
806 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:28:14 0
この国?軍部だろ 大蔵省の主計局は開戦に大反対していた どう計算しても資金的に無理だからって でも軍部がお金のないは根性で何とかするって言い張ったからもうどうしようもなかったのだ
808 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:34:27 0
第二次世界大戦で、戦後処理ではなく対戦中にアメリカは部隊単位でもいいのですが、ドイツに部隊を 展開させたことがあるのでしょうか? 先日シャッターアイランドと言う映画を見てきたのですが、映画中そんな描写があったのですが、 私は日本人のためか、先の大戦でのアメリカは対日戦争と言うイメージが強すぎるので違和感を持ちました。 wiki等を見ても良くわからなかったので、答えもそうですがサイト等紹介していただければありがたいです。
ちょっと意味が分からない アメリカは対独戦のほうが死傷者でてるよ
810 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:40:16 0
開戦さえしなければ、日本国内に外国軍隊(米軍)が常駐するという、 独立国として最大の恥辱は免れたのにな。 昭和の軍閥指導者は、幕末明治の先人が苦労して守ってきた日本の独立を、 すべてパーにしてしまったのだ。 日米安保を「日米同盟」なんて言ってるけど、全然対等の同盟じゃないだろ。 敗戦国が占領されて、講和後も駐兵権を半永久的に認めさせられてるわけで、 そんな戦後の日本人に、かつての中国を馬鹿にする資格はないわ。
811 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:40:49 0
ありがとうございます。 アメリカの対独戦の事を詳しく書いたサイトなどありますでしょうか。
>>808 アメリカは欧州戦線に百万単位で兵力送り込んでたが。
欧州戦線の連合国軍の総司令官もアメリカのアイゼンハワー。
アメリカは第二次世界大戦では、対日戦より対独戦に力を入れてた。
つまり、日本は全力じゃないアメリカにボロ負けしたわけです。
814 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:49:51 0
>>812 ありがとうございます。
wiki等見ても「アメリカは」とかは書かれていないのは、居るのが当然だったからなんですね。
基本的に第二次世界大戦のことは教科書の通り一遍のことしか知らなかったので、
教えていただきありがとうございました。
815 :
世界@名無史さん :2010/04/21(水) 23:52:38 0
「抑止力」ねえ・・・ 要するに自分の国を自分で守る覇気も能力もありませんって公言してるようなもんだろw 自民とか民主の旧自民系の連中って、結局対米依存から永遠に脱却できないチキンばっかりだな。 普通なら、冷戦終結のときに安保は見直して、駐留なき日米協力体制に転換すべきだった。 米軍の駐留兵力が突出して多いのは、第二次大戦の敗戦国である日独という事実は、 日本がアメリカの属国、事実上の保護国って現実を思い知らせてくれるな。
自民も民主も官僚も、所詮は売国奴。 植民地自治政府の現地人官吏みたいなもんだ。
>>814 教科書にもノルマンディー上陸とかは大きく書いてあるよ
対独戦は上陸のあと陸戦になったんで犠牲者が膨らんだ
対日戦は海戦と島々の戦いが中心なんで、その差はあるかと
>>815 米軍が駐留しなくなれば、日本は自衛隊だけで軍事大国の中国やロシアと対抗しなきゃいけないわけだが、
それでもいいのか?米軍抜きで中国やロシアの相手は無理だぞ。
日本は軍事に金をかけず、米軍を傭兵代わりに使って、経済に金を突っ込んできたから、
経済大国になれたわけだが。日本の国力で単独で中国やロシアに対抗できる兵力を揃えようとしたら、国が傾くぞ。
>>802 >>798 の言うとおり、民族がモザイク状ではっきりした境界線が決めにくく、
いきなり「独立」はハードルが高いので「自治権」から…ということに
なっていただけで、独立したくなかったわけではない。
ただ、ハプスブルクの都、ウィーン自体が人口構成が多民族混じり合っていて
多民族が混在して共存しているのが当たり前だという雰囲気があったことも確か。
>>820 その時代だと経済的に自立できるか否かは大きいのでは?
今とは経済の仕組みが違うので、経済封鎖されたらオワタになってしまうので拘束条件になる。
>>818 そう言う時は、互いに対立させればよい。
中国 対 米+ロ+印 だと最高。
※ただし戦場は日本本土
スレ違い 質問どうぞ
この板ID付けばいいのにマジで
>>825 それ、7年前からずっと思ってるわ。
昔コテやってたけど、自演する奴や粘着と議論するとマジ疲れた。
>>825 回線繋ぎ変えて、単発IDだらけになるオチがあるから意味なしだと思う。
>>826 教条的で単調な主張で、情報に価値ないのは疲れるのは事実ですね。
828 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 08:48:20 0
将来的に西欧諸民族を全て同化して一つの民族にしてしまおうという試みがEU 西はアイルランドから東はポーランドまで 北はスウェーデンから南はギリシャまで
829 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 09:15:47 0
どくりつしても、ロシアに飲み込まれる可能性が高かったってこともあるのでは<二重帝国時代 現に、独立してすぐにハンガリーは短期間だがロシア傘下になった
キリスト教文化圏で、王族同士の婚姻さかんで血縁関係が複雑だったヨーロッパでは、その結果の
相続によって同君連合という形の国家になることが珍しくなかった
複数の王国の君主が同じ人物だが、じゃあそれは1つの国かといえば、それぞれ別の政府や議会が
あったりする
オーストリア・ハンガリー二重帝国もその典型だが、ハプスブルクだけが特別なわけじゃなく、昔は
同君連合の国はヨーロッパにはけっこうあった(イギリスもそうだね)
とりあえず、ハンガリーのようにその形にさえしてもらえれば、大幅な自治権を得られるから、なにも
完全独立までする必要はない
>>796 氏は、オスマンでは独立を求めたのに、と比較しているが、非キリスト教国のオスマン帝国には
そういう同君連合の伝統がない
「独立はしません、スルタンを我らの君主と認めますし税金は納めますけど、この地域だけの政府や
議会を作らせてください」なんて言ったって、オスマン政府は「はぁ? 何言ってんだこいつら?」と
反応するだけだろう
だからオスマン領内では独立を目指すしかなかった
>>831 ヨーロッパは、モンゴルの大ハーン位と似た構造だな。
大ハーンが君主だが、その下に盟主がいて大幅な自治権。
清朝の時代は、君主が何と満州族という具合。
833 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 12:30:00 0
ちがう、古代ギリシャの政治体制が起源。捏造するな汚らしいアジアン
834 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 12:34:15 0
ヨーロッパに文明をもちらしたのは チンギス・ハーンの三男オゴデイ・ハーンである
モンゴル軍の馬の管理について教えてください。 1人あたり数頭も持っていたといわれていますが、それの維持管理費、 調教、繁殖法はどうなっていたのでしょうか?
>>832 モンゴルのハーン位や征服王朝の清のケースとは違う
ヨーロッパの同君連合は、王族同士の婚姻の結果、父方と母方(あるいは、祖父とか
伯父などの親族から)2つの国を同一人物が相続した結果として成立した
軍事的な征服ではなく、いわば、婚姻政策、外交による征服
そういうのはヨーロッパ以外ではあまり聞かない
モンゴル人と馬が密接な関係を築いていることはいうまでもなく、 いやしくも(少なくとも前近代の)モンゴル人たるもの、馬を所有し、子供の頃から乗りこなしているのが普通。 馬を維持管理するにはけっこうな労力が必要だが、それは遊牧民にとっては生活の一部。 牧草や水を求めて移動するのも、羊など他の家畜も連れて動くのだから当然。 また馬は本来群れを成す草食動物であり、群れで飼うのが普通である。 馬群(アッドー)の基本構成は以下のとおり。 種馬となるオスが1頭選ばれ、これがリーダー(アズラガ)となって1つの群れ(彼のハーレム)を形成する。 この馬は乗用とされず、たてがみを切ることもしない。 メス馬(グー)には、馬乳(グーニー)を出し次代の馬を生む役目があるので、これも乗用にはしない。 残りのオスは、群れの中でメスを巡る争いが起きないように去勢され、乗用馬となる。これを去勢馬(モリィ)という。 このような馬群がいくつも集まって人間に所有されている。いくつ所有するかは家族や部族の勢力しだい。
モンゴル軍が遠征するときは、兵士1人につき馬を5〜6頭づつ連れて行った。 同じ馬に乗り続けると馬がつぶれるので、別の馬に乗り換えてどんどん行軍する。 こうすると機動力が損なわれることなく、敵の不意を打って襲い掛かることが可能。 全員が軽騎兵なので、現代で言うと戦闘機が飛んでくるのに近いだろうか。 乗り捨てた馬は殺してしまうわけではなく、犬のように帰巣本能があるので、 道草を食べながら勝手に群れを作って故郷の草原へ帰っていく。 たとえ猛獣がいても、気が荒いモンゴル馬の大群なのでそうそう近づけないだろう。 ただ、道々に草や水がないと飢え死にするので、遠征を行う前には予定進路の下調べをし、 その途上では一般人の遊牧を行わせないようにしておいたそうだ。 遠征が長引けば退却するか、援軍が換え馬や軍需物資(弓矢や保存食など)を持ってやってくる。
乗り捨てた馬ってジンギスカンみたいにして食ったと思ってた。 ジンギスカンの元ネタってなんなの?
日露戦争で余力のあったロシアが、アメリカの和睦仲介に応じたのはなぜでしょうか? 当時、日本が優勢でしたが、日本にはこれ以上戦う余力が無く、 ロシアには莫大な軍資金と物資と予備兵力が残っていました。 あと数カ月戦いを継続するだけで、ロシアは日本を大陸から追い落とせたのに、 どうしてその好機をみずみす逃したのでしょうか? 講和のきっかけとされる国内の厭戦気分や反戦感情や革命運動も、 数ヶ月ぐらいなら押さえこめると思うのですが、 それができないぐらいロシアもまた追い込まれていたのですか?
>>839 日本発祥。
長野県伊那谷もしくは北海道・北東北が起源。
北海道の調理法は、日本全国に普及。
日露戦争での敗北、血の日曜日事件につづく「第一革命」で、ロシア皇帝の権威は失墜した。 またロシアとしては、バルチック艦隊がへとへとになるほど遠い極東へ遠征するよりも、 近場の欧州・バルカンへの進出のほうが楽だと考えられ、「汎スラヴ主義」を唱えて民族運動を煽り立てた。 英国もユーラシアを舞台にしたグレートゲームをそろそろ終わらせたかったので、 ロシアの極東進出の頓挫を機会に英露協商を結び、ドイツ帝国に対抗することになる。
843 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 21:53:42 0
4月から、世界史の授業を予備校でとったんだけど、テキストに共和制ローマ時代からはじまっていて、アテネ・スパルタら辺には触れていないのはなぜ?入試にでないの?
844 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 21:55:31 0
ジョチとかオゴデイとか言われてもピンとこない。 やっぱりジュチとオゴタイだろ? ジョチウルスとか言われてもピンとこない。 やっぱりキプチャク汗国だろ?
847 :
世界@名無史さん :2010/04/22(木) 22:32:08 0
だがカエサルとかアントニウスはピンとこない。 やっぱりジュリアス・シーザーやアントニーだ。 プルタルコスの対比列伝もピンとこない。 やっぱりプルターク英雄伝だよな。
勝手にしな。
>>844 キプチャク汗国と呼ぶ奴は当時はほとんどいないがな。
ジョチ・ウルスかゴールデンホルドが一般的な呼び名だった。
ジュリアス・シーザーやアントニーなのに オクテイヴィアスじゃなくてオクタビアヌスな不思議
>ゴールデンホルド 英語読みならホードでは
853 :
世界@名無史さん :2010/04/23(金) 04:56:54 0
金帳汗国のことか
>>852 発音記号調べたらやっぱりorの部分がorderとかcordと同じ発音だったよ
856 :
世界@名無史さん :2010/04/23(金) 18:53:46 0
金帳汗国ってのは、キプチャク・ハン国の当て字だろ?
欽察汗国
察合台汗国
キプチャクというのは、ハザールが滅びモンゴルが来る以前の11世紀頃から、 中央ユーラシア北西部の広大なステップ地帯に住んでいた、テュルク系の言語を話す遊牧民集団のこと。 ハンガリーではクマン、ルーシではポロヴェツ(黄色っぽい連中)とも呼ばれ、 ペルシア語では彼らの住む地域を「キプチャク草原(ダシュト・イ・キプチャーク)」と呼んだ。 彼らはイスラム世界に優秀な奴隷戦士(マムルーク)として輸出され、各地に王朝を築いたりした。 ジョチ家のモンゴル王家がここを征服すると、ヴォルガ下流の都市サライに「黄金の帳幕」による宮廷を構えた。 それでこの宮廷や王朝を「アルタン・オルド」といい、スラヴ語で訳してゾロター・オルダーと呼んだ。 キプチャク汗国というとキプチャク族の王朝のようなので、しいていえば「キプチャク草原を治めるカンの国」か。 血統からいえばジョチ・ウルスと呼び、この王家はサライの政権が滅んだのちもクリミアに移って繁栄した。
ヨーロッパという、 分裂5帝國の中では真っ先に奪回されそうな部門の土地だったのに、 よく300年も維持したな
861 :
世界@名無史さん :2010/04/23(金) 20:57:22 0
だが、「金帳」と書いてあると、ついキプチャクと読みたくなってしまう。 あと「ジョチ」って表記にはなじめないなあ。 やっぱり「ジュチ」って言わないとしっくりこない。
あそこはまだ遊牧民だらけでしょ モンゴルの統治は相性よかったんじゃない
863 :
世界@名無史さん :2010/04/23(金) 21:00:59 0
遊牧と農耕ってどちらが歴史が古いでしょう?
豊かなペルシャを支配していた大帝国ササン朝がわずか数十年で、 貧しいアラビアから攻めてきたイスラムにあっさり滅ぼされたのはなぜですか? ヘラクレイオスとの戦いで消耗していたからですか? ヘラクレイオスがササン朝との戦いで消耗した隙を付かれてイスラムにシリアを奪われたように、 ササン朝もまた、ヘラクレイオスとの戦いで消耗した隙を突かれてイスラムに征服されたんですか?
>>863 農耕じゃないかな
採集してきた種がこぼれて芽をつけるのって発見が容易そうだし
何より植物は逃げたりしない
>>863 放牧と遊牧が違うものとすれば、
遊牧は歴史が新しいかもしれない。
>>860 キプチャク平原の遊牧民はモンゴルと次第に同化して行った。
ルーシは単独ではジョチ・ウルスに対抗できない規模の小公国が乱立してて、
ジョチ・ウルスの宗主権を認めていた。
当時のヨーロッパには、ルーシに攻め込み、ヨーロッパからジョチ・ウルスを追い出せる大国は無かった。
ジョチ・ウルスが内紛から分裂しまくり、その隙に他の諸公国を併合しまくって
力を付けて自立したモスクワ大公国と、ジョチ・ウルスから分裂した諸ハン国に攻撃されまくって、
ようやくジョチ・ウルスは滅びた。
>>863 遊牧は今から一万年前から四千年前からの間に始まったと推定される。
農耕が始まったのは一万二千年前。
>>864 アレクサンドロスが大帝国アケメネス朝を瞬く間に崩壊させたのと同じ。
中東の土地は広大だが、人の居住できる土地は意外に少なく、
各地に大幅な自治権を持つ太守や王侯を置いて「諸王の王」として君臨するのが帝王。
こいつらは独立心旺盛で忠誠心が薄く、「諸王の王」が戦争で大敗しようものなら、
たちまち雪崩を打って新しい支配者を迎え入れる。なぜって、強いものが正義だからだ。
でもササン朝ってかなり長く続いてるでしょ 時代の流れで片付けていいんじゃね
実は、たぶんそれより前から農耕は行われている ただし、人類ではなく ハキリアリというアリは、その名の通り、葉を切って巣にためて発酵させ、そこにエサとなるキノコを栽培する これすなわち農耕である おそらく人類が農耕を始める前から、アリさんは農耕をしていた
>>869 で戦闘力が530000でまだアレクサンドロスは本気出してなかったんだろ?
873 :
世界@名無史さん :2010/04/23(金) 22:58:44 0
アレクサンドロスというよりアレキサンダー大王っていってほしいな。
>>872 >戦闘力が530000
そういうゲームあるの?
アケメネス朝じゃなくてハカーマニシュ朝と パルティア王国じゃなくてアルシャク朝と ササン朝じゃなくてサーサーン朝と呼べい
>>718 フランスのシャルル七世と母后イザボー・ド・バヴィエールにそんな話があったような。
なんでフランス王家は女で苦労したんですか? 末期じゃなくて初期からの話?
世界中で苦労してるよ
外国女で苦労してる。
>>877 何朝の事?フランス王家と言っても、何代も王朝が入れ替わってるわけだが。
2つ質問があります 砲丸投げの砲丸って大砲の弾ってこと? てことは大砲ができてからの競技なの? 調べるのがめんどくさいので誰か教えてください
ここに質問の文章書き込むのはめんどくさくないのか?
>>882 >>砲丸投げの砲丸って大砲の弾ってこと?
そのとおり。
キャノン砲ができた16世紀のフランスが発祥のスポーツだよ。
かのナポレオンが得意だったのは有名な話。
大公開時代のインドネシアとかルソンには、相当数の日本人が渡っていたみたいだけど なんで華人みたいに現代までそのコミュニティーが現地に残らなかったの?
世界史の勉強法なんですけど、 ナビゲーター→ナビゲーター付属の→詳説世界史B学習ノート上・下→二次私大世界史B問題集 ってな感じで大丈夫かな? 法政経済 明治中央商・経営志望です
日本人町が解散させられたケースがある アユタヤの場合は、放火されて終了
>>885 そりゃあ、本国が鎖国して、金と人が流入しなくなったから
日本人町が栄えたのは、そこが現地と日本との交易の拠点となったからであって、交易が途絶えれば、
経済的に力を失う
また、本国から新しい人が来なくなれば、現地だけで世代交代が進み、現地人との混血も多くなる
子供は母親が育てるから、母親の文化を受け継ぎやすい
代を重ねるうちに日本人としてのアイデンティティーは失われていき、現地社会に同化されていく
890 :
世界@名無史さん :2010/04/24(土) 15:45:10 0
今度スペイン旅行でアルハンブラ宮殿へ行くのですが、レコンキスタについて軽くでも勉強してから行こうと思いました レコンキスタについて背景から知ろうとしたら成立直後のイスラム史と、西ローマ帝国、西ゴート王国についてもある程度学ばねばなりませんよね? その辺りについて学ぶのに良い本などありましたらご教授願えませんか?
>>890 美水かがみの「らき☆すた」から入門するのが近道ではないかな
とりあえず単行本とDVDを買え
893 :
世界@名無史さん :2010/04/24(土) 15:59:18 0
>>892 ありがとうございます。そちらで書き込みしてみます
遊牧民って、戦争の時はどれくらいの人数で戦っていたの? さすがに万単位はないと思うけど、どうなんでしょうか?
かつて明は1億を超える人口を擁していたが それを征服した女真族は100万程度だったと言われている 基本的に遊牧民は土地に対して養える人口が少ないが 代わりに当時は遊牧民の能力が即戦力になったので動員能力は高め 単なる部族争いなら数百、数千くらいの戦いで済むだろうが ある程度まとまった集団になれば万を擁すこともあったろう 中国の史料でも頻繁に異民族との交戦が書かれるが 平然と何万とか書かれる(そんなに確証ある話でも無いが) それから、遊牧民というくくりはペルシャとかトルコとかも一応含むので 一概に過疎化した社会体制を指す訳じゃないのかなと
匈奴の冒頓が漢の劉邦を白登山に包囲したとき、30万の騎兵が四方を取り巻いていたという。 突厥の始畢可汗が唐の李世民を脅迫したときも数十万の軍勢であったという。 これらはまあ遊牧帝国の君主がシナの皇帝を脅すためのパフォーマンスだし誇張もあるが、 遊牧民は人口が少ないとはいえ、いざとなれば成人男性(スキタイとは女性も)全てが軽装騎兵になりうるので、 人民を徴兵して無理やり遠征させにゃならん定住民の国より、軍事的には長らく優位に立てた。
満州国建国の時、女真国とか刀伊国とかにしなかったのは何故ですか?
満州族が女真族のことだから
>>898 なんか萌え系になっちゃうじゃないか!?
文殊菩薩の音写がマンチュリアなんだから
それを使ったほうが政治的には王道でしょう
「刀伊」は遠い過去の呼称 「女真」「女直」は漢民族が呼んだいわば蔑称で、「満州」は当のその民族の自称 たとえば、もしも仮に、ある国が20世紀前半の日本列島を支配することに成功して、 ここに傀儡政権の国家を建てたと仮定しよう そして、その国家名称は「倭」か「日本」のどちらかがいい、ということになったとする 国民感情を考えれば後者を選ぶと思わないか?
>>900 傀儡国家・ジャパンとか、傀儡国家・ヤマトとか
そういうことなんじゃねえの
印欧語族なら平気で前者を採用する気がする
じゃあ、満国で。
文殊さんってそんなにありがたいの?
>>903 日満の関係は大日如来と文殊菩薩であると
そこまで考えていた…のか…?
文珠さんて密教ではどういうあつかい? 満州族は文殊信仰、密教信仰だったってきくけど
>>900 >「女真」「女直」は漢民族が呼んだいわば蔑称で
そうだったのか、一つ賢くなった。
なま女直、熟れ女直
>>905 毛深い犬みたいなのに乗ってるのが文殊 〜 男性っぽいの姿
象に乗っているのが普賢 〜 女性っぽい姿
ペアで登場するのは、釈迦三尊で描かれる時
毛深い犬=シーサー、獅子、狛犬さん
森林の民、半農半漁猟の民とは言うけど、遊牧民じゃないな
だが狩猟する騎馬民ではあったので、騎射はできた。 遼が滅んだ直後に金の使節団17人が騎馬で北宋の領内を通過した時、 地方兵団2000人の歩兵に襲撃されたが、巧みな騎射攻撃で壊乱させて無傷で帰還したという。 敗れた北宋側の史書に書いてあるから事実だろう。 それにまあ、入関前の満洲族には内蒙古の遊牧騎馬民も多数合流していた。契丹とか遼河流域出身だしな。
北宋との戦いでは騎兵が活躍して、北宋から恐れれたくらいだから、 そりゃ騎兵の質は高かったのだろう しかし遊牧民とされるほどには遊牧に重点が置かれず、定住傾向が強かった
>>913 明を滅ぼしたのは漢人の反乱軍だが、
明の残存勢力や軍閥化した反乱軍を討伐して、
明の領土を征服して、清を建国したのは満洲族と名前を変えた女真族だよ。
もちろん、満洲族だけで中国を征服したわけじゃなくて、
蒙古人や漢人も多く従えていたけど。
女真族は遊牧もやるよ 朝鮮民族や漢人を誘拐して農業やらせてるだけで
>>915 都陥落の報を受けた山海関の守将呉三桂は、
当初、同じ漢人である李自成の支配を受け入れる予定だったが、
李が自分の妻に手を出したと聞いて逆上、
異民族の女真を利用して復讐に転じた
というのが裏話な。
赤壁の周楡みたいな男ではあるが
どちらも女性が歴史を左右したといえる
どっちも下世話な巷説じゃねえかという
ちんえんえんか
妻を寝取られたなんて外聞が悪い。面子の問題だよ。
>>916 女真族は狩猟採集・牧畜・農耕・漁業全部やってた。
基本的に定住民で遊牧はやらないし、農業も自分でやってた。
>>920 異民族の軍を招き入れてその配下となるのは、寝取られよりも外聞悪いと思うのだが
ちんえんえんは妻なんか?愛人だろ?
つか。 森で遊牧は出来ない。 草原がないのに遊牧なんか出来ない。
草原は強いものが占拠していたんだ。 チンギスハンも弱いころは遊牧できなかった。 草原のヘリの森の中で地ネズミ(タルバカン)をつかまえて生きてたんだぞ。 もともとの満州族ってのもそういう存在。
926 :
世界@名無史さん :2010/04/25(日) 10:41:30 0
>>922 それは、歴史を真摯に学んで無いテロリストが英雄の国、また学ばなくてもよいように
育った平和な国の人のちょろい理想論だとおもゆよ。
ヨーロッパの国々も君主は外様ばっか。賞味期限が来れば切りやすい(撤退しやすい)
異邦人の支配下に入るのは流動的な文明社会ではそう問題視するところでは無い気が
するし、むしろ人の歴史の醍醐味。
満洲族は帰る土地がなくなっちまい、逃げ先の国が戦敗した点が問題なのね。
…と、思うがどうか。 折れは単なる安月給の日本人だけどよ。
>>926 ポーランドの人(例えばショパン)にそんな事言ってみろ。
他国の支配を受けた事の無い日本人の戯言と言われるわ。
ポーランド北西部の人はどう思ってんのかね
民族主義かぶれのクラヲタはリストやショパン聞いて黙ってろって話です。
中国史って漢人政権と夷荻政権が交替交代だな 今の中共政権の場合、少数民族出身で党・軍の有力者って居るだろうか
いません。
>>930 閣僚クラスになら何人か。かつては副首相にウイグル人がいたり、
政治局員にモンゴル人がいたりしたこともある。
軍は知らん。
いませんたらいません。
934 :
世界@名無史さん :2010/04/25(日) 12:05:35 0
>>927 日本も1945年以来、思いっきり他国の支配を受けてるけどな。
GHQ時代はもちろん、いま現在だって防衛・外交のフリーハンドのない属国状態だし。
いませんいませんいません! ああいません! そんなひといません! いませんたら!
そのネタ、3回で終わっとこう(藁
>>930 共産党は、イ族、トウチャ族、ペイ族が多いな。
毛沢東の祖先は、ナシ族地区。族譜にもそっち系の人がつらなる。母系の王氏は絶対にナシ族か何か。
いわゆるチベット・ビルマ系には、有力者が大変多い。
よって、ラサは自分達のモノという意識は自然にあるだろう。
あと、ミャオ族、満州族、蒙古族にも党の有力者が多いな。
人口が多いばかりで、タイ系のチワン族はさっぱりダメ。
全然ダメなのは今のウイグル族。カザフ族のほうが圧倒的に強い気がする。
>>930 漢族でも本貫が少数民族になっている者のほうが多いと思うぞ。
先祖が蒙古なんて漢族はザラにいるからw
楊姓は、鮮卑人だというマークみたいなもので もともと慕容姓だったんだよな。 馬姓は、東干人だったというマーキング。
>>922 彼としての言い分は
主君明王朝を倒した李自世を異民族の力を借りてあだ討ちだろうね
941 :
世界@名無史さん :2010/04/25(日) 13:35:51 0
質問です。 アラスカはロシアからアメリカへ売却されたそうですが、ロシアは何を考えてそんなことをしたんでしょうか? 地政学的に見れば、アラスカを保有していたほうが戦略的に有利になっていたはずだと思うんですが。
942 :
世界@名無史さん :2010/04/25(日) 14:09:04 0
> チベット・ビルマ系には、有力者が大変多い。 > よって、ラサは自分達のモノという意識は自然にあるだろう。 ねーよw
>>927-928 >>934 ポーランド王国は支配層の主体が貴族「シュラフタ」層(のちにマグナートという特に裕福な大名層)にあって、
政治の実権は議会にあって、王様は長い間お飾り的なものだったそうで、
しょっちゅう外国から外様の王様を呼んできて王座に据えていたそうだが?
ポーランドの貴族層は建国以来の王家であるピャスト家をも警戒していて、
ピャスト家よりもチェコ人のプシェミスル家の人間をわざわざ呼んできて王様に据えたり。
ポーランドに呼ばれて王座につかされたフランス人のアンリは「それではまるで軟禁と同じではないか」と考えたらしく、
フランスへ夜逃げしてしまった。
そこでポーランドの貴族層が次に見つけた王様はハンガリー人で、この人は我慢強い性格で、
それだけにかえって議会の信頼も得てかなりの実権を任され、
後に名君としてポーランド人に好かれている。
実際にポーランドが外国元首の独裁的な支配を受けたのはポーランド分割後だね。
>>934 イラク戦争に反対できないし、Show the frogだけど安全保障をアメリカに押し付けて
経済発展に専念させてもらう程度の自由はあった。
>>941 当時はぜんぜん、戦略的な意味も価値もなかったからです
シベリア鉄道もまだない時代、ロシアの中央の皇帝や貴族たちにとって、極東ははるか遠い
辺境世界
そこからさらに海を越えた極寒の地なんて、毛皮商人以外、誰も魅力を感じませんでした
もしも仮に、当時のロシアが英領カナダやアメリカと戦争するような事態になったとしても、
アラスカ側から十分な攻撃をすることはできず、大西洋側から攻撃したでしょう
むしろ、アラスカなんか持っていても、そんな事態なら、そこを簡単に奪われるだけです
そうならないように基地を作って軍を常駐させようとすれば、莫大な維持費がかかります
地球を半周して兵と物資を送らないといけないのですから
だから、最初に言ったように、当時アラスカには、戦略的な価値はなかったのです
ちなみに、アメリカだって、アラスカに価値があると思って買ったわけではありません
モンロー主義という建前上、アメリカ大陸からヨーロッパ勢力を追い出したかっただけです
買収を交渉した国務長官スワードは、当時、国民から非難され、アラスカは「スワードの
冷蔵庫」などと揶揄されていました
なんにせよ、ロシアにしてみれば、そんな遠くの役に立たない土地が高く売れるなら、文句
などあるはずがありません
まさか1899年にアラスカで金が発見されてゴールドラッシュになるなどとは、その時は誰も
思いもよらなかったことでしょう
アメリカの東海岸の白人たちがゴールドラッシュ前に 西へ向かったのは何故でしょうか 現在のメキシコ北東やカナダ南東という選択肢はなかったのでしょうか?
そこで言う「西へ向かった」のは”東海岸の白人たち”じゃない ”東海岸の白人たち”より後に上陸した連中だ
いつもの荒らしにいちいち真面目に回答する姿勢に脱帽
950 :
世界@名無史さん :2010/04/25(日) 18:30:43 0
>>773 互いに争わせたというより、そうしてないと
独立が維持できないという面がある。近代もそのパターン。
はるばる大月氏へ張騫を派遣したのも独立戦争の為に
外国勢力の力を借りるというやり方で、世界史によくある。
近代も、独力じゃ日本に絶対勝てないからアメリカに頼って日本を倒してもらう
しかない。日本も軍内部の内紛で統帥が乱れてたのも幸いした。
武帝は匈奴を破った時はよっぽど嬉しかったのか、封禅の儀式までやったが、
これは一種の独立宣言だな。戦後の共和国建国の声明と同じで日本からやっと独立できたみたいな感じ。
どうでもいい蛮族を駆逐したぐらいじゃそこまでやらんだろ。漢が一時的とは言え、やっと属州から独立できたんだ、と。
951 :
世界@名無史さん :2010/04/25(日) 20:40:05 0
中国史の記述って近代史学的な面で 一番遅れてる部分じゃないのか? 今時日本史だって征伐だの、時代がかった表現は改められてるし 皇国的、ナショナリズムの面でさえ改革は免れず、アイヌも一方的な記述はできなくなってる。 アメリカの保守派でさえ昔のフロンティアだの西進、正義の合衆国対外戦争マンセーだけの 見方はできないだろう。 自国の事でさえリベラルな視点はかなり入ってるというのに、中国史だと 朝貢華夷だの「帰順」だの「叛乱」中国vs周辺の蛮族みたいな誤解を受けかねない。 ヨーロッパあたりだったら、当時の漢は大国匈奴の属州にすぎないみたいになるんじゃね。 文字資料が無くて昔は中国側の視点になるのは分かるが、現代の史学なら容易に批判的に 客観的に乗り越えられるだろ。 古代中国の歪んで偏った価値観とか対外意識が残存してる分野だな。 あっちも日本の教科書に文句つけるより感謝すべきじゃね? 中国寄りの視点を取ってやってんだし。
匈奴側の史料が限られているから、前漢側の記述しか使えない。 よって、前漢と匈奴を教科書の記述からごっそり落とすしかなくなる。
漢の西域都護班超は独力でタリム盆地からカスピ海に至る中央アジアの都市国家50余りを支配し、 漢土本土より広い地域を支配し、独自に外交を行うなど、 実質上中央アジアを支配する大帝国の皇帝のように振る舞っていましたが、 なぜ自立しなかったのでしょうか?班超が独立したとしても、 漢土からタリム盆地まで班超の大帝国を打倒できるほどの討伐軍を送り込むことはできないでしょうし、 独立すれば班超は即漢に匹敵する大帝国の皇帝になれたのに。 本土の指示を仰がずに遠征や外交を行い多数の国を無断で従え、 西域で専権を振るう班超に野心が無かったとは思えないのですが、 異国の地で皇帝並みの権力を振るうことに満足して皇帝になる欲望は無かっただけですか? それとも、別の要因があったのですか? あと、班超の築いた西域の勢力は、なぜ班超の召還後、漢が引き継ぐことができずに、 班超一代限りで終わってしまったのですか?
>>950 >>951 属州と言うのは、宗主国の代理人が常時駐在して、内政・外交・軍事すべてに介入される土地だ。
漢は匈奴に屈辱的な和平を結ばされて、貢物を送らされ続けたものの、
匈奴は漢の内政・外交・軍事に一切介入してないし、漢の皇帝に優越する代理人も置いてない。
武帝期までの漢と匈奴の関係は、覇権国家匈奴と、朝貢国漢と言う関係で、
漢は匈奴の属州では無く、立派な独立国だ。
>>951 前趙の劉淵は、晋の記録でも匈奴だと書かれていて
しかも冒頓単于の末裔とも書かれてる。
よって、前漢時代の匈奴の後継者である可能性が残っているし
まだ鮮卑化していないと期待できる。
前趙の記録と前漢の中行という使者の記録から匈奴の歴史を再構築し
考古学からの成果と連携させて、匈奴の実像に到達できるかどうか。。。待つしかないな。
肥沃な農耕地が広がるシナ本土と、砂漠に点々とオアシス都市が連なるだけのタリム盆地では、 たとえ面積が同じでも抱えられる人口がぜんぜん違う。 班超が官位を投げ打って帝位を号すれば付き従う人々はいただろうが、 これまで彼が戦ってきた匈奴が「反逆者を討伐して進ぜよう」とか言い出して、 本国たる漢と結んで挟撃してきたらどうしようもなかろう。
班超といえば いちかばちか!っていったひとだよね。
>>958 半か?丁か?ええい!勝負だ!って意味でしょ?
班超の個人的なカリスマ性というものが大きかったんだろうね。 なぜ独立しなかったのかはわからない。
>>956 あの当時の分裂した匈奴になら勝てたんじゃない?
班超は大国クシャン朝も破ってるわけだし。
あと、外征に消極的な漢にタリム盆地まで兵を送る意思はないと思う。
独立したら追認したんじゃないか?
>>937 >毛沢東の祖先は、ナシ族地区
麗江のナシ族?、知らんかった。
タクラマカン沙漠周辺に点在するオアシス都市を従えて「蛮族」の皇帝になるより、 漢帝国の将軍でいたほうが地位も名誉も報酬も高い。
>>962 史籍に登場しない個々人の族譜は神話学カテでよく話題にされているよ
この板ではあまり知られていないことも論じられる
965 :
世界@名無史さん :2010/04/26(月) 11:09:21 0
後漢の公的な使者・甘英はローマにたどり着くことは出来なかったのですが、 漢の商人は直接インド洋を経てローマまではいけなかったのでしょうか?
>>965 海洋交易路自体はあったが、交易路があることと、ある国の商人がその交易路の端まで行くかは別の話
後漢時代ぐらいの中国の船や商人なら、直接行ったのは東南アジアとか、遠くてもせいぜいインドぐらでしょ
交易路の地図を見ると錯覚しがちだが、たいていの国の商人は隣の国や、無理せずに航海できる範囲内の
地域と交易するだけで、マルコ・ポーロのようにその先まで直接自分で行くのは、むしろ例外
交易路上の国々がみなそのような交易をするから、結果的に商品は順送りに移動し、遠くの国に届く
たとえば、我が国の正倉院にペルシアの物産が残っているが、だからといって奈良時代の日本人商人が
ペルシアに直接交易に行ったことにはならない
967 :
世界@名無史さん :2010/04/26(月) 13:38:12 0
マルコ・ポーロって又聞きじゃなかったっけ?
又聞きでしかない部分もある、ってだけでは?
969 :
世界@名無史さん :2010/04/26(月) 16:56:43 0
監獄に入っていたマルコが語るほら話を、同じく入獄していたルスティケロ・ダ・ピサが書き取ったもの。 というのは知っているが、その聞き取りが入獄中なのか、出獄後に思い出しながら書いたのか、を俺は知らない。
マルコじいさんってたしか 誰にでも語るんだよな、ついてない人生をあれこれと
マルコ・ポーロは元まで来て、黄金の国ジパングの噂を聞いた、とされている。
>>965 甘英は後漢の正式な使者では無く、
中央アジアで半自立状態にある班超が勝手に送った使者。
漢の本土から出発したわけでなく、
班超の本拠の中央アジアから陸路でシリアにまで至ったわけだから、
インド洋など通りようが無い。
>マルコ・ポーロって又聞きじゃなかったっけ? 抽象的すぎて質問の意味がわからん
最近の、「マルコ・ポーロは中国には実際に行っていない」って説のことじゃないか? 中国まで来ていれば、万里の長城とか、纏足の習慣とか、もっといろいろ珍しいものに言及して いそうなものなのに『東方見聞録』にはそれらの記述がない、ってのがその説の主な根拠 しかし、今のような立派な万里の長城ができたのは明代だし、マルコがアラビア人やペルシャ人 といった色目人たちのコミュニティーで暮らしていたとすれば、何年も中国に住んでいても、漢人 の風俗習慣を知らないままでいても不思議はない
>>959 それは乾坤一擲だろ
項羽と劉邦のことだね
日本とロシアが満州ドンパチやってた時に、満州の持ち主の清朝って何やってたの? 別に満州全土を租借に出したりしてなかったよね?
>>976 日清戦争の賠償金を払うためにロシアから金借りて権利あげたの
>>974 最近とは十年以上昔のことも含めて言うのかどうかはともかく、
そんな珍説の論拠が成り立たないものばかりだという反論もされ尽くしていて、
今更そんな珍説に拠って立つ輩がいるはずがないだろう。
マルコ・ポーロ(が語った内容から記述に至る過程)って又聞きじゃなかったっけ?
マルコ・ポーロ(が誰かから仕入れた情報)って又聞きじゃなかったっけ?
(東方見聞録ではなくて「マルコ・ポーロ」という題名の伝記)って又聞きじゃなかったっけ?
どうとでも解釈の余地がある。
そろそろ次スレ頼む
三十年戦争があんなに長引いたのに、戦場がドイツの外に波及しなかった理由を教えてください。 普通、あれだけの大規模な国際戦争が起きれば、参戦国がドイツじゃなくて、 敵対国の本土に進攻しようという動きを見せたりもすると思うのですが。 特にスペインが隣接するフランス本土に直接侵攻せず、 ドイツで戦った理由が分かりません。 あと、カトリック大国のポーランドが参戦しなかった理由も。 ポーランドとスウェーデンは宿敵だし、 ポーランドを味方に付ければ、カトリック陣営はスウェーデンの本国に侵攻できるのに。
あーあー。ムチムチムッチンはこまるのぉ〜
じゃあ、君が説明してごらんなさい。
>>974 万里の長城があんなに立派な建造物になったのは明の時代。
元の時代は本国首都ザナドゥと植民地首都ハンバリクの間にあったけれども、整備する必要も無いし、
その前の時代に支配した金・遼、五胡十六国は北方系の種族でやはり事情は同じ。
宋・晋は支配域が万里の長城の近辺に及ばず、隋・唐も北方系の王朝なので特に万里の長城を必要とせず。
大体、ヨーロッパや中東にはローマの造った長城跡が至るところにあったんだから、特に注意を引かなかったんだろう。
>>980 そりゃ、封建制だから。
いざ鎌倉、ってのは名目だけで、主君(王様)たりとて配下の諸侯・騎士を号令一本でほいほい
動かせたわけではない。
しかも、ヨーロッパの封建領主は「忠臣ニ君に見えず」というようなことは無いし、近くの
国の近いランクの領主とは縁続きだから、場所によっては国内事情で戦争ができない。
>>984 でもスウェーデンもデンマークもフランスもスペインもはるばるドイツにまでは遠征できてますよね。
配下の諸侯や騎士にとっては、ドイツ行く方が大変だったと思うのですが。
>>985 だからあのころのドイツは一昔前のベトナムみたいなもんだったの。
ベトナムで戦争しても中国本土、アメリカ本国への攻撃はしなかったろ?
ぞこまでの戦争はしたくなかったからだ。
場合によっては米中戦争勃発の危険はあったけどね。
30年戦争もそう。
大国の利害のために大国の軍隊がドイツを戦場に戦ったけど、あくまで建て前はドイツの同盟諸侯に肩入れするってことだったからさ。
自分らの国土を戦場にするほどのやる気はなかったんだよ。
ハプスブルグがドイツ諸侯を支配下に組み込んでいこうという戦争に介入して援軍を送り込んだ形だね。
国民半数死亡の未曾有の混乱を教訓に、宗教戦争がヨーロッパから消滅した訳だが ここまで事が大きくならず、ウェストファリア条約が発効されなかったら ナポレオン戦争も共和主義vs教会伝統の宗教戦争になってたのだろうか 第一次大戦も新教勢(英独墺)vs旧教・正教勢(仏伊露)とか
>>987 前々から皆、宗教戦争とかやる気なくなってたし。
30年戦争でフランスがプロテスタントに肩入れしてるところからしてさもありなん。
その前でも、サン・バルテルミでユグノー派ぶっ殺しておきながら、ネーデルラントの新教と手を組んでたりするしね。
アウグスブルグの宗教和議からの一連の流れの終着点であって、条約1つだけ取り上げて語ることでもないと思うが。
加えてオランダとベルギーの様に、宗教対立が消えたわけでもない。
人は条約1つくらいで変われないけど、その一方、大きな時間の流れで徐々に変わっていくものだし。
欧州の宗教がらみの問題でややこしいのは、結構昔から皆それなりに宗教と政治を割り切ってやってるところに、
時々むやみやたらに宗教的情熱に動かされた輩が出てくるところだと思う。
空気読めてないというか。
マルクスだって教祖だもん。 鳩山だって教祖だもん。
>>980 ポーランドは対モスクワ戦争のあと、対トルコ戦争の真っ最中で、
ドイツに介入するのは財政的にきつかった
しかも当時のポーランド王はヴァーサ家から選挙で引っ張ってきた連中で半分スウェーデン人だから、
宗派同士の戦争である三十年戦争に介入したらポーランドにとっては余計に面倒くさいことになる
また、対モスクワ戦争で王の暴走により懲りたためポーランド議会は他国の戦争に介入するのに反対した
そういうわけでいわゆるモンロー主義を貫いた
その後(1648年)、ポーランドとトルコの和解に不満を持ったコサックの大反乱が起きて、
こんどは国内が滅茶苦茶に
>>980 あともう一つあった
ポーランド王国は伝統的に宗教や宗派に寛容で、
ネーデルランドやスコットランドからのプロテスタント難民を大量に受け入れていて、
また国内もこの当時はシュラフタ層の2-3割程度がプロテスタントだった
国内にはイスラム教のタタール人の貴族もいたほど多文化主義を貫いた、
当時のヨーロッパとしては非常に特殊な社会だった
だからそもそも特定の宗派同士の利権がらみの争いに介入したくない、
というのがポーランド(議会)側にあった
>>976 質問する前に
「シベリア鉄道」「東清鉄道」「鉄道付附属地」
ぐらい調べよう。
シベリア超特急なら全部見ました!
>>976 たしかに清はおかしい!
「けんかすんならよそでやってくんな!うちの店の迷惑だからよ。」っていって日本海に押し出してしまえばいいのによぉ
台湾沿岸部に傀儡国家をつくっておかなかったのは何故なんでしょうか? 対露はよくて他はダメなのかと
>>978 しょうがないだろう。
最近だって「鄭和艦隊がアメリカ大陸に行った」とかという珍説が出た。
しかも、イスラム文献を完全にスル―している時点で著者は「反イスラム主義者」なんて疑惑まで受けた。
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