492 :
世界@名無史さん:2009/09/21(月) 19:24:15 0
秦の強さは西方に強大な勢力がなかったこととそして何より商王央の変法が大きいからなあ
趙、魏はともかく韓なんて七雄の味噌っかすだし
同じく南方に強大な敵がなく、しかし途中で改革をやめてしまった楚が後に始皇帝ほぼ一代で滅ぼされたのを考えると
晋が一国のままなら勝てたというものではないと思う
そういう意味だと分岐点は魏が商鞅を登用しなかったことかもね。
魏は色んな人物がやってくるから重用されず、また他国へ流れて流れた先でその人物が活躍するケース多くない?
白起の登場もでかいと思う
伊闕の戦いの前の秦は、韓、魏に押されてたみたいだし
496 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 16:08:27 0
韓信が?通の薦め通りに独立してたらその後どうなったと思う?
>>491 智氏も六卿の内から魏氏、韓氏と組んで他を叩いてたわけだし
史実が示すようにちょっと裏切られるだけですぐに形勢逆転するような勢力情勢だった
ということは、智氏が六卿の中で強大だったと言えども、他に冠絶したとかそういうレベルではなく
過半数でも何でもなかったということ
結局、史実の三晋とは別の形ではあるが、いくつかに分裂するだろうし
その後も趙武霊の登場が確約されないから北方から騎馬民族にジワジワとぶっ殺されて史実より酷い可能性もある
498 :
世界@名無史さん:2010/01/12(火) 22:33:07 0
499 :
世界@名無史さん:2010/01/16(土) 21:56:55 0
中国史で名著って何?
500 :
世界@名無史さん:2010/01/16(土) 22:16:31 0
中国史で名著って何?
501 :
世界@名無史さん:2010/01/17(日) 02:47:49 0
>>56 いやいや診療君が普通にぶっちぎりでしょw
宮城谷の小説バッカ読んでないで史書も参照しろよ
502 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/17(日) 22:48:45 0
このスレで『古代中国の虚像と実像』(落合淳思著、講談社現代新書)読んだ人いる?
「有名な逸話は全部講談の作り話」てな内容で、漏的には不満多しだったが。
いやでも史記は9割フィクションだと思うよ
史記は小説ぐらいに思えば
>>503 残り1割のノンフィクション部分ってどこ?
100パーセントフィクションなら考古学的資料すら残ってる王朝が存在しなかったことになるでしょ
質問ばっかじゃなくてちょっとは頭使えよ糞害児
糞馬遷と同じ障害者
可哀想だから
ちょっと相手にしてやったらこれだよ。
┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・
莫迦に関わるもんじゃないね。
確かに、もうちょっと考えるべきだった。
相手が、まともな人間かどうか。。。
司馬遷に感情移入する害児ww
509 :
世界@名無史さん:2010/01/20(水) 23:47:06 0
春秋は本来何のための書物だったのですか?
510 :
世界@名無史さん:2010/02/06(土) 11:59:02 0
511 :
世界@名無史さん:2010/02/07(日) 20:48:37 0
孔子が編纂。歴史教育と道徳教育をごっちゃにするため
>>511 ごっちゃにするためw
人文分野なんてどれも道徳につながっちゃうけど。
513 :
世界@名無史さん:2010/02/07(日) 20:55:33 0
でも昔の人間は真実と思って読んでたんだろ
514 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 05:54:54 0
>>509 周の正史は当時既に湮滅されていたのだとおもう。
>>511 箇条書きメモ程度の極度に簡潔な春秋に道徳もへったくれもないだろ。
516 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 14:06:43 0
「道徳教育」というのは春秋本文ではなく、「孔子がこう表現した意図」を「註釈」した儒学徒の仕業
だったらそれは穀梁伝と公羊伝の話しだろ。
518 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 02:57:50 0
左氏伝も
左伝は別カテゴリという話があったような。
>>518 左伝は歴史事実についての解説書であって「道徳教育」とやらには該当しないはずだ。
歴史の思想的解釈を記したものは穀梁伝と公羊伝だ。
521 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 19:47:06 0
項羽と劉邦では、劉邦が受けのような気がしますが、
劉邦と張良では、どちらが受けでしょうか?
>>521 どう考えても項羽と張良が受けだろ
劉邦は攻め以外考えられない
>>522 最初は劉邦が攻め、あとで偉い人だと気付いた劉邦が受けに回る
524 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 00:19:12 0
ttp://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030901001079.html 二千数百年前の酒と断定 中国陝西省で出土
【北京共同】中国の通信社、中国新聞社などによると、陝西省の考古学研究者は9日、
同省宝鶏市郊外の農村で昨年10月末に出土した二千数百年前の戦国時代から秦代にかけての
青銅の酒つぼ内にあった液体を鑑定した結果、当時造られた酒と断定したことを明らかにした。
同省では2003年にも、西安市郊外の前漢(紀元前202年〜紀元8年)早期の
高級貴族の墓から出土した青銅器の中に、当時の醸造酒が入っているのが見つかったが、
今回の酒はさらに200年余り前に造られたことになるという。
酒つぼ内に残っていた酒の量や状態は不明だが、黒っぽい色をしており、アルコールの含有量は低かった。
原料の特定などには、さらに鑑定が必要としている。
2010/03/09 22:21 【共同通信】
陝西省は戦国時代なら秦か
526 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:05:58 0
>>502 史記は、というか世のあらゆる史書というものは様々な種本の集成。
史記も様々な情報源から情報を持ってきただろうが、その中には多分に民間説話
から引っ張ってきたと思しきものが含まれている。当時はまだ文献批判の技術なども
未発達だから司馬遷としても情報源は全部ぶち込むしかなかったでしょうな。
ただ、有名な逸話は全部作り話ってことはないと思う。細かい会話内容などにはかなり
脚色(多分、各情報源の段階で脚色されていたのでは?)が入ってるだろうけど。
情報源のソースが確定できるものも中にはあって、そういうのは信頼できるのでは?
たとえば楚漢戦争などは、情報源の多くは劉邦の幕僚の一人だった陸賈の著書「楚漢春秋」に
依っているというのが分かっている。実際に現場にいた人間が情報源だからね。
もっとも残された楚漢春秋の断片を見るに、陸賈自身がかなり吹いてるっぽいのが困りものだが。
列伝は歴史劇的なものもかなり混ざってるらしいな。
読み物として面白いくらいだからな。
個々の事件自体は実際にあったことが多いと思う。
その細部はさあてね。
刺客列伝で言えば有名な荊軻の始皇帝暗殺未遂事件自体は実際のことだと思っている。
ニュースソースがはっきりしている→始皇帝付きの医者であった夏無且
また、漢代の画像石でこの事件を題材に取ったレリーフがあちこちで発掘されている。
ただし、荊軻の出身地や身分は良いとして、実際に秦の宮殿にやってくるまでの個々のエピソードは
かなり尾ひれがついてるんでは?
清末に両江総督馬新胎暗殺事件と言うのがあって、無頼漢による何の面白みもないただの刺殺事件なんだが、
事件発生後数年経たぬうちに、なぜか暗殺実行犯の過去エピソードがあることないこと
創作されて、やがては映画化されてたりする。→ブラッドブラザース刺馬、ウォーロード
馬新胎暗殺事件自体は事実なんだけど、それにまつわる話はかなり創作込み。
歴史伝承というのは多分こんなもんなんだろう。今も昔も民衆はゴシップが好き。
元禄赤穂事件もそのようなもんだな。
530 :
世界@名無史さん:2010/03/24(水) 20:01:52 0
古代の中国で、戦争に勝った側が、負けた側の兵士の遺体で山を築く
風習があったと思ったが、なんて呼ぶんだっけ?
531 :
世界@名無史さん:2010/03/24(水) 20:38:42 0
京観
532 :
世界@名無史さん:2010/03/24(水) 20:58:20 0
そうだ。京観だった。
教えていただいて感謝します。
533 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 13:28:53 O
秦はチベット系の
国だったの?
534 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 16:04:44 0
この時代の中国はまだ生食や正座が一般的だったんだよなー
535 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 16:30:49 O
今日授業で習ったんだが、匈奴って最強じゃね?
536 :
世界@名無史さん:2010/06/09(水) 05:53:56 0
>>534 何時からだろ、中国の生活様式や雰囲気がガラッと変わるのは
やはり唐〜宋への移行期だろうか
欧米では、秦以前の王朝は伝説、神話ということで
実在はしていなかったということになっているな
殷以前ではなくてか。
殷も遺跡が発掘されるまでは中国内でも実在が否定されていた
殷墟も大分怪しいからな
発見当時だって進歩的な学者や左っぽい人たちは本物と認めていなかった
今は党の方針が中国四千年の歴史とか言い出すナショナリズム指向になっているため
夏殷どころか三皇五帝まで実在したということになっている
ところでyoutubeで殷の宮殿の再現CG見たけど
藁葺き屋根と戦国時代の櫓みたいなのがあって
結構壮大なスケールの宮殿だったんだな。