◆◇◆元◆◇◆

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91世界@名無史さん:2006/11/13(月) 19:30:31 0
杉山正明の講談社現代新書ブクオフで上下800円で売ってたけど
財布の中身が厳しくて買えなかった。無理してでも買えばよかったよ。
ブクオフ遠くてそう簡単に行けないんだ。
92世界@名無史さん:2006/11/14(火) 09:36:01 0
>>80
偉大なる大帝ピョートル陛下も、
我らが救い主のこの世の父君も大工にあらせられたでなひか。非礼者め!w
93世界@名無史さん:2006/11/14(火) 10:46:49 0
>>91
それは惜しい。

岡田英弘の同タイトルの新書が百円で売ってるの見たことある。
やたらと朱線引いてあるので買わなかったが。
94世界@名無史さん:2006/11/25(土) 18:46:45 0
age
95世界@名無史さん:2006/12/26(火) 23:44:09 0
スレタイに元とモンゴルを併記すれば人が来るのに
96世界@名無史さん:2006/12/27(水) 21:49:48 0
あんちゃん、
「◆◇◆はだしの元◆◇◆」にすれば人が来るのにのう。
97 ◆O.K.H.I.T. :2006/12/27(水) 22:22:51 0
あんちゃん、わしゃわからんよ
98世界@名無史さん:2007/02/13(火) 16:55:59 0
モンゴル系スレって数は多いけど、どこも寂れてる・・・
99世界@名無史さん:2007/02/26(月) 20:22:53 0
【韓国】「あのとき日本に勝っていさえすれば」 … 『高麗・モンゴル連合軍の日本征伐』出版 ★2 [02/25]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1172468291/

■『高麗・モンゴル連合軍の日本征伐』、中世東アジア関係史に新たな光

モンゴルは、13世紀に世界征服を夢見て全世界の70%を征服した帝国だった。高麗軍と
モンゴル軍の連合軍は日本征伐に乗り出したが、勝利を目前に巨大台風で最強艦隊が
沈没して野望も散り失せた。その背後にあった歴史的真実は何だろうか。

『高麗・モンゴル連合軍の日本征伐』(キムヨン社)は、高麗・モンゴル連合軍の日本遠征
を通じて、中世東アジア関係史を新しい視点から見た本だ。モンゴルと高麗、日本がたど
った13世紀東アジア史を描いている。

歴史上の人物探求に力を注いできたフリーランサー作家の鄭スンテ氏が2003年から1年
間「月刊朝鮮」に連載した現場検証記事を追補したものだ。

第一回遠征時の高麗の将帥である金方慶(キム・バンギョン)の活躍、人口200万に過ぎなか
ったモンゴルが世界征服を成し遂げた秘訣、三別抄の抗争過程と意義などを詳しく説明
する。

鄭氏は、この戦争が第二次世界大戦のカミカゼ特攻隊を生み、21世紀の教科書歪曲や
靖国参拝にまでつながる日本民族主義の子宮だと分析する。700年前の高麗・モンゴル
連合軍による日本征伐の失敗が、壬辰倭乱(訳注:秀吉の朝鮮出兵のこと)や日本の韓
半島強占といった痛切な現実として現われた、というのだ。

鄭氏は、この戦争が高麗・モンゴル連合軍側の勝利で終わっていれば我が国の歴史は
丸っきり変わっていたはずだ、と口惜しがる。

▽ソース:スポーツ朝鮮(韓国語)(2007/02/25 12:16)
http://sports.chosun.com/news/news.htm?name=/news/life/200702/20070226/72z23003.htm

▽前スレ: http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1172378829/
100世界@名無史さん:2007/02/28(水) 00:59:23 0
100ゲット
101世界@名無史さん:2007/02/28(水) 02:35:39 0
高麗人を母に持つ皇太子が誕生→大元ウルスが中国喪失→クビライ王朝断絶

あの法則がまた一つ。
102世界@名無史さん:2007/03/24(土) 14:06:08 0
くだらん
103世界@名無史さん:2007/03/26(月) 18:49:52 0
略奪婚はモンゴル人の風習
104世界@名無史さん:2007/03/31(土) 23:41:04 0
モンゴルってこの時代以外はパッとしないね
105世界@名無史さん:2007/04/14(土) 17:44:52 0
次点は匈奴か。
106世界@名無史さん:2007/06/16(土) 01:43:38 0
age
107世界@名無史さん:2007/08/17(金) 11:15:53 0
モンゴル人のおかしな名前はどこの地方が由来なのかな
漢民族と全然違うし
108世界@名無史さん:2007/10/04(木) 00:37:28 0
>>107
モンゴル人の名前はそもそもは、テュルク系やツングース系の民族の名前に近い。
モンゴル トルコ
テムル ティムール
トゥリル トゥグリル

モンゴル 満州
ドルゴル ドルゴン

但し、モンゴルがチベット仏教を受け入れた後に、チベット語やサンスクリット語の名前が
使われたりしてわけわかめ状態になった。

例:センゲリンチン - チベット語で宝の獅子
109世界@名無史さん:2007/10/04(木) 01:59:54 0
ヨーロッパでピーター(ペテロ)とかポール(パウロ)とか
セム起源の名前を平気で使ってるのと同じ。
110世界@名無史さん:2007/10/04(木) 04:59:21 0
>>108
いや、「テムル」に関してはモンゴル語でもテュルク語でも読みは変わらない。
「ティームール」とか「ティムール」で読むのは(アラビア文字に写したものの)ペルシア語読み。
「トグリル」なんかもそうだけどはテュルク語のγ音(アラビア文字ではghで表される)が一部
モンゴル語では無声化して ' 音になるため「トオリル」とかになる。

テュルク語         モンゴル語
tuγ(u)ril / toγril     to'oril     

テュルク・モンゴル系の王族でも信仰している宗教によって名前が色々と違ってくる。
例えば、チャガタイやクビライ、モンケ、テムルなんてのは純粋にテュルク・モンゴル系由来の
名前だけど、チャガタイ家の第五代当主のムバーラク・シャーなんてのはばりばりイラン系の
イスラーム文化を受けたムスリム王侯の名前だし、生まれた時からイスラム教徒だったことで
有名なジョチ家のベルケなんてのも、読み方をちょっと変えるとアラビア語で神の「祝福」を
意味する単語になる。(barakaのこと) 

大元朝の皇帝アユルシリダラなんてのは普通にチベット仏教からだけど、サンスクリット語や
チベット語の(仏教由来の)語彙はやたらと長くて、しかもそれをモンゴル語訳したものとかも
あるので名前はさらに長くなる。数は少ないはキリスト教徒の場合はやはりキリスト教関係の
人名になる。例えば、ケレイトのオン・ハンの祖父はマルクズ・ハンと言ったが、これは
そのまま使徒のマルコ(マルクス、マルコスの音写)に由来する。ケレイト王家やオングート
王家はネストリウス派のキリスト教徒だったため。
111世界@名無史さん:2007/12/03(月) 10:39:07 0
sage
112梵阿弥:2008/01/22(火) 21:44:29 0
授時暦は優れていたそうで
113世界@名無史さん:2008/02/24(日) 12:08:35 0
age
114世界@名無史さん:2008/02/24(日) 13:47:11 0
>>108
>モンゴルがチベット仏教を受け入れた後に、チベット語やサンスクリット語の名前が
>使われたりしてわけわかめ状態になった。
モンゴル人的にはチベット語がしゃれて聞こえるらしくて
女の子の名前なんかチベット風が多かったりするらしいよ
日本で女の子にまりあとかつけるような感覚なのかね
115世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:23:46 0
>>110
資料も多様な言語に渡るし、
名前もそれだけ多様だと、研究者は大変だな。
116世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:54:36 0
杉山正明センセによれば
本格的にモンゴル帝国の研究をしようと思ったら、
20種類くらいの言語を習得する必要があるとか。
117世界@名無史さん:2008/05/03(土) 03:44:53 0
人づてに聞いた話だと、ラテン語ができればな〜と仰っていたとか。>杉山センセ

実際、同時代史料だけとっても、(古典)モンゴル語、(古典)ウイグル語、ペルシア語、
アラビア語、漢語、チベット語、日本語(鎌倉時代の)、女直語(満州語)、グルジア語、
アルメニア語、シリア語、ラテン語、中世フランス語、(中世)ギリシア語、ロシア語など。
サンスクリット語や東南アジア、インドの言語も場合によっては必要だから、
軽く見積もっても同時代史料の言語だけでも16言語は必要。これにフランス語とかドイツ語とか
イタリア語とか、19世紀、20世紀の研究文献の言語も加わる。
契丹語が解明されていたらまたかなり状況が違うんだろうけど。
118世界@名無史さん:2008/07/26(土) 18:45:50 0
 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃M                  ┃
 ┃ ̄      上   ゲ        ┃
 ┃         あげ          ┃
 ┃       AGE         ┃
 ┃ ____________,.┃
 ┃/       /    /        / ┃
 ┃ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ┃
 ┃南成岩          知多武豊┃
 ┣━━━━━━━━━━━━┫
 ┃                  ┃

http://page.freett.com/nassy/m_052.jpg
119世界@名無史さん:2008/07/26(土) 21:13:16 0
あの時代に不換紙幣を流通させただけでもすごいと思うのだが、
今のアメのドルも金の裏づけない不換紙幣だが、
堺屋太一の論文によると、ドルの下落率と、元の不換紙幣の下落率は
ほぼ同じだそうだ。
120世界@名無史さん:2008/07/26(土) 22:07:16 0
>堺屋太一の論文

何てタイトル?
121世界@名無史さん:2008/07/27(日) 08:30:44 0
      _ ●●●            ●●●●●
    /    \ ●     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ●
   /  元    ヽ●    /    元       \●
   | − −    |●   /   − −        |●
   |         |●   |               |●
   | / − ヽ   | ●.  |   / − ヽ       |●
.   ヽ|      |  / ●  |   |      |       | ●
     ヽ ___ /ヽ    ヽ              /
     / |__/  ^ヽ   \             /
     | |      |  |     l━━(t)━━━━┥
122世界@名無史さん:2008/07/27(日) 09:02:05 0
>>121
それは満州人の髪型
123世界@名無史さん:2008/10/18(土) 14:04:02 0
age
124世界@名無史さん:2008/11/14(金) 19:24:42 0
中国に臣従する異民族とだけ交易する。中国は地大物博、バランスの取れた
あらゆるものがあるから、周辺の惨めな連中に恵んでやるという思想。
これは中国とそれ以外の国に物流において明確な壁を作ることになる。
それが現実化したのが万里の長城や海の長城だ。

しかし、この中国の主張には嘘がある。中国が飛びぬけて強いから朝貢貿易
をするのではなく、朝貢貿易をしなければ中国が崩壊してしまう。それどころか
中国というものが消えてしまうという恐れがあるからなのだ。

これはモンゴルがもたらした、海上のシルクロードと大陸のシルクロードの
完備による中国のローカル化。つまり、中国は物資の豊かな一地方としか
扱われなくなってしまったということ。

その痛みは現代人にもよく分かる外国への財の流出、安価な商品の流入
国家の統制をとびこえる商人。実際に元朝でもたらされた改革は「中国の
植民地化」。そしてそれは之までの十八史でまとめられてきた「偉大な中国」
が消えた瞬間でもあった。

システム、構想、領域すべてモンゴルが中国を越えていたからだ。これを
中国人が認めないから歴史的な混乱が起こる。中国人に歴史を尋ねると
モンゴルのところで支離滅裂になる。これは結構歴史好きな中国人でもそう。
これはこの時代に起こった内容を本当にはっきり書いてしまうと、中国人の
アイデンティティが崩壊してしまうから。だから中国の王朝史のなかで元だけが
格段に歴史資料としての質が落ちるといわれている。これは異民族王朝を
馬鹿にしたのではなく、書くわけにいかなかったことが多すぎたために
支離滅裂になったのだと思う。

そして元のあとに生まれる明は「モンゴルを倒して漢民族王朝を復興させた」
といわれるが、俺は「モンゴルのDNAを受け継いだ漢民族王朝の名を借りた
過去の歴史と断絶された中国」「そして、漢民族というものを完全に腐らせた王朝」
と位置づけている。
125世界@名無史さん:2009/01/05(月) 01:16:13 O
元寇でサムライは集団戦に苦戦したと言うが、実際は直ぐに対応して互角だったらしい。
126世界@名無史さん:2009/01/12(月) 18:05:13 O
それは戦後になって公立中学教師が言いふらしてたんだろ。
日教組の吹き込みだよ。
127世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:02:47 0
>>125
武士はもともと集団戦闘。
伝統的な九州防衛ドクトリンに基づいて、
福岡平野に誘引して騎射戦→突撃の必殺コンボで圧勝した。
128世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:11:16 0
逆に元軍は日本の武士の、槍持ちなどと構成した少人数ユニットで組織された日本軍の攻撃に
そうとう混乱したらしい。
129世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:22:04 0
当時日本には槍なんてまだないんじゃない?
130世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:30:09 0
鉾と言うべきか。
131世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:32:56 0
現在では矛と槍を区別することは無意味と考えられている
それはともかく、槍が再出現する直前の時期に当たっていると思うんだがね。
132世界@名無史さん:2009/02/15(日) 00:39:35 0
平家物語とかだと「手鉾」が小長刀の意味で使われてたりして割と混乱してるとか
133世界@名無史さん:2009/02/18(水) 02:11:26 0
世界最強鎌倉武士団
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172215786/
このスレの内容を見れば日本最強ということが分かる。
134世界@名無史さん:2009/04/28(火) 05:29:01 0
元の朝廷で主に使われていた言語や文字ってモンゴルのものなんでしょうか?
それまで中国にあった文化は完全に消滅させたんですか?
135世界@名無史さん:2009/06/22(月) 22:40:37 0
age
136世界@名無史さん:2009/07/12(日) 09:21:15 0

                   ∩
                   ||
              京大  ||                   ((⌒⌒))
                ↓  || ⌒ヽ                 l|l l|l
               ∧_∧|| ⌒ヽ   ベシ!      〃  ∧_∧  おまえなんか虫なんだよ虫 !!
アンタノセイデ       ( # ´Д`))   ベシ!           (゚ Д゚ #/゙)
 イメージガ        /  ⌒ノつ=(======∧==⊃     ⊂    <  ← 東大文
    ダイナシドス !! .(O   ノ     (((`Д´;)―-○))     〉 iヽ_⌒)  
             )_)_)      ⊂⊂  (  ノ      (_) 
                         ↑ 帝京理               
                                                
              ∧_∧      ∧_∧       ∧_∧     
              (    #)     (#    )      ( #   ) 
                ↑        ↑          ↑  
               北大       名大        九大

招待工作などに気をつけませう
137世界@名無史さん:2009/09/14(月) 22:57:31 0
リンダン・ハーン以降の元の宗族はどうなったの?
138世界@名無史さん:2009/09/15(火) 22:58:48 0
>>137
こちらに詳しいよ。

【北元から】その後のモンゴルを語ろう【革命まで】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1119756439/
139世界@名無史さん:2009/12/26(土) 09:46:14 0
age
140世界@名無史さん
文化遺産観光庁長官「マルコ・ポーロはスパイ目的でシルクロードを旅した」
2010年01月10日付 Mardomsalari紙
http://www.mardomsalari.com/Template1/News.aspx?NID=69346

 文化遺産観光庁長官は、マルコ・ポーロの旅は政治目的によるものであり、
西洋を東洋に対して対抗させることが彼の真の狙いだったと述べた。同長官に
よると、マルコ・ポーロの旅には、恐らくスパイ的な側面があったのであり、
西洋人のために情報を収集することが彼の目的だったという。というのも、
彼らにとってシルクロードは極めて重要で、彼らはシルクロードという道を
経済的観点から大いに活用したからである。

 バガーイー長官はまた、「シルクロードは、遠い過去において、中国人と
イラン人が互いの利己的な利益に縛られることなく、互いに結びつきを
保っていたことを示す実際の証拠である。経済的な結びつきは、彼らの
関係を図るパラメーターの一つに過ぎなかった」と指摘、その上で、
「長い歳月の中で、シルクロードでは様々な戦争が起きたが、この道が
封鎖されるようなことは一度もなかった」と述べた。

 バガーイー長官はさらに、「異なる地域の人々が結びつくことは、
人類の思考の深化にとって必要条件である」と述べ、次のように指摘した。
「西洋諸国はいつも、人類の必要を自らの利益のために利用しよう試み
ている。より多くの結びつきを手に入れようと、西洋人たちが植民地獲得
ゲームを始め、東洋の知や文明を利用するために、植民地を支配しようと
考えたのも、そのためであった。現在も、西洋諸国は別の形で、自らの
利己的な利益を獲得しようと企てている」。

 バガーイー長官は最後に、「シルクロードは単なる交易ルートだった
のではない。むしろこの道を通じて、様々な文化的・社会的交流が
行われたのだ」と指摘した。