1 :
諸行無常:
教えて下さい
2 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:02:21 ID:atcGCSdz
3 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:10:45 ID:m0MHodh0
教祖の死に様が違う。
4 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:15:04 ID:c5NnsSv9
ヴェーダーンティックな解釈で比較すると、仏教は一元論であり、キリストも同様であったが、理解度に応じて二元論を引きずった。どちらも「俺は聖者だ、偉いんだぞ!」ってな傲慢さがあったな
5 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:18:58 ID:c5NnsSv9
ちなみにもし、俺がキリスト時代に「バラバか?イエスか?」と選択を求められたら、「バラバを!バラバを!」と他のユダヤ人と共に絶叫し、イエスを張り付けにし「ザマァみろ!」と舌を出したろう。それが人間ってもんよ。人間は正論であっても妬みで従わない
6 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:21:41 ID:c5NnsSv9
なにが、キリストだ、なにがブッダだ!世界で一番偉いのは「このおれさまよ!ククク…」こういうセリフが吐ける強い人間になりたいものです。もしくはゴルゴ13みたいな無感情に
7 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:25:05 ID:OXBYfgIR
>>5 イエスは選挙区でよく乱入してくるカルト政党みたいなもん。
自公の悪政に虐げられていた民が、新政党による政治を望んでいるのに、
割って入ってきたからイエス氏ね!コールが起きる。これ当たり前の力学ね。
8 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:33:33 ID:R35BdFXl
仏教では愛を否定的にとらえている。キリスト教では愛が要。
仏教の教えの根源としてはどうやら、無心や無我の境地を目指しており、
あらゆることは空だとか煩悩だとかと言って、多くを根本から否定した上で、
廃人のようになることを目指すようだ。悪人も救われるとする。
キリスト教では悪人は救われないが罪人は救われるとする。
悪人は下から出たサタンの者とし、そもそも救われない。
罪人は罪を悔い改めるならば、救われる。
晴れるや!ラーメン!などを合言葉に、礼拝し、お祈りし、賛美歌をうたい、カレーを食べる。
9 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:36:10 ID:czzkETFJ
愛と言ってるキリスト教が戦争ばかりやってきた(やっている)一方で
仏教は慈悲を説く。愛では突っ走りやすい。慈悲に高まることが先決じゃないか。
10 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:41:26 ID:YlP28adJ
>>1 構造的に根底が異なります。根底が違うがゆえに、
枝葉もまた変わってくるわけです。
キリスト教(イスラムもユダヤもですが)は、
万物の創造主を立てます。いわゆる神です。
仏教は立てません(ただし、神を否定しているわけではない)。
仏教はお釈迦さまの出家という所から始まっていて、
現在の苦しみを如何に解決するかという姿勢がその根底を成しています。
対して、キリスト教は創造主たる神の意志、言葉=真実という事を根底とし、
それを預かったキリスト(イスラムならマホメット)の言葉に従って生きること
=神の意志に従う良き人間って事になります。
11 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:44:41 ID:c5NnsSv9
それは違うな…俺がナチス党員なら、いくら相手が慈悲深い尊敬できる人間でも、虫けらみたく殺すだろう。人間は立場ってもんがある。そして心の底からアドルフ・ヒトラーに忠誠を誓うだろう。人間はなぁ、理屈じゃねえんだ
12 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:50:58 ID:c5NnsSv9
おっと横道に話が逸れちまった。仏教とキリスト教の違い?それは、リアリズムと偽善の違いかな?まあ、どちらもロクなヤツラはいないよ。ほんと。
13 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:59:58 ID:mNI8iRQ+
仏教でいう仏とは、あくまで人間。
キリスト教の神は、人間を土くれから作った超越者。
仏教では、仏になる方法を教える。
キリスト教では、神の作った楽園に入る方法を教える。
仏教では殺生が禁じられている。
キリスト教では改心しない異教徒ならば殺すことを勧めている。
14 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:18:31 ID:c5NnsSv9
机上の空論では共通している。不邪淫戒でもオナニーしないヤツはいないし、不殺生でもゴキブリや蚊、毒蛇なら平気で殺す。だいたいからして、宗教の教祖ってエゴイストだよ。ブッダが人間なら、そいつに従う義務などない(そりゃ上座的解釈だ、大乗では神の中の神)
つうか、仏教で愛を否定したことはない。
無我という全的気付きが愛そのものであって、
言語化することで、概念に落ちてしまうのを避けた。
特殊な一人が達成することではなく、
誰でも達成出来るようにしたのが、釈迦であり、
宗教の教祖というより、教師だったのだろうね。
16 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:21:03 ID:c5NnsSv9
キリスト者が「アッラーは偉大なり!」と発言することは有り得ない。逆もまたしかり。マイケル・ジャクソンさんでさえ、ひどい目にあった。フーズバード?
>>15 愛は否定してます。ただの性欲とか、その延長線の特定の対象への愛などは自己愛にすぎないから、
仏教でもキリスト教でも否定してます。
>>17 自己の貧しさを原因とするものは、愛ではないんですよ。愛着ですね。
原因を持たない物事の本質が愛です。
ただそれは、善悪で物事をひたすら裁いている人間には見えません。
物事を素直に受け入れる器がいるんです、
その器づくりの教師として釈迦もイエスも、
これ以上ないくらい分かりやすく説明してくれたのだと思います。
19 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:35:35 ID:9rtcFLCB
とりあえず天理教信者な俺に簡潔に説明してくれ
20 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 21:15:42 ID:TCUwiD7m
キリスト教:イエス様を信じれば救われる
仏教:アミダ様を信じれば救われる
21 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 21:17:58 ID:R35BdFXl
共通点:「ま、信じる者は救われるということで。」
弥陀は信じない者を信じさせるのも含むが
キリストは信じろと強要し、武力で殺戮を行って信じさせているのが違う
宗教を戦わせることで、簡単に操れる馬鹿が沢山作れるから
それに乗るは前時代的で、愚かなんだと思うよ。
24 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 21:57:17 ID:c5NnsSv9
仏教(部派伝承)ならただの無神論で宗教ではない。キリスト教は十字軍を組織し、ムスリムを殺してきた。しかしムスリム人口は10億以上、殺し尽くせるもんじゃないよ
25 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:02:09 ID:c5NnsSv9
俺って案外映画に影響されやすい。最近じゃ、日本でも部派伝承派と大乗神話派が冷戦状態にある。大乗にとってダンマ・パダなんぞクソでしかない。ターミネーター4みたいな戦争が近未来に起こる可能性はある。
26 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:07:42 ID:c5NnsSv9
お互い、自分たちの教義に忠実にプログラムされた殺人マシン…俺は大乗派だから長期的視野に立ち、「慈悲」を持って上座派を攻撃、皆殺しにしたい。宗教は涙とは無縁なのだ。キリスト教、イスラム、仏教における内戦…熾烈な戦いとなるであろう。
27 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:37:41 ID:3Bp5hEJu
キリストは愛の行いをすることによって容易に救われる大乗仏教を広めた人だよね
28 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:44:56 ID:c5NnsSv9
憎しみ無くして愛はない。「良く憎み、良く愛せ」ろじん
29 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:46:58 ID:c5NnsSv9
「フェアプレイにはまだ早い」など、ろじんの文学手法は今でもドストエフスキー同様、光を放つ
30 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:48:06 ID:R35BdFXl
仏教の教えには、八正道というのがありましたよ。
ネットで調べたことがあります。
無我、無心、色即是空、空即是色、よりはっきりするんじゃないですかね、
それがまこと効力あるのかないのかがね…
聖書のみまことでしたよ。
31 :
神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 22:55:26 ID:c5NnsSv9
では大乗派にとってきみは、少なくとも「抹殺対象」ではない(笑)
神が人より偉いのがキリスト教。
仏がどんな神よりもどんな人よりも偉いのが仏教。
キリスト教の神であるデウス(天主)様とは元はギリシャ神話のゼウス神のこと。
ゼウス神の大本・源流はインドのヒンドゥー(バラモン)教やイランのゾロアスター教にまで遡る。
対する仏教の神話体系ではヒンドゥー教の神はほぼ全員が仏の守護神として取り込まれた。
ヒンドゥー教の神が変化した神に過ぎないキリスト教の神=GODは
結局、ヒンドゥー教や世界中のどんな神よりはるか上位の存在である仏には絶対に敵わないことになるのだ。
神も仏も権威を望まない。
邪な人間だけが、上位下位と差別をつけたがる。
そして、差別をするがゆえに、見えないのが神や仏。
>>33 奇麗事はいらんよ。
実際問題、上下の差別は社会秩序の維持に絶対必要不可欠のものだ。
差別が絶対いかんなら蛆虫とお前自身と神と仏とを一ミリたりとも上下差別するなよ。
そのままでいいものを比較するからおかしくなる。
神は神のありよう
仏は仏のありよう
人は人のありよう
虫は虫のありよう
どちらが偉いかは、権威に興味がある人のエゴだけが決める。
36 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 05:33:20 ID:DKhM0vET
キリスト教は人と動物を区別する・これを悪用して有色民族と
区別してどんなことをしてきたか歴史が語ってる
仏教は人も虫けらみたいなものまで生き物とて尊いものと説く
キリストは人間愛を説くが仏教は慈愛そのものを説くようですね
ここからどっちが寛容な宗教かが分かるな
37 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 05:35:15 ID:DKhM0vET
もう一つ言えばキリスト教の対象は地球だけ
仏教の対象は宇宙そのもの
捕らえ見据えてる世界がまるで違う
いやいや、キリスト教の対象はユダヤ地域だけ。
仏教は個人内部のみを救う教え。=全宇宙を救う教え
40 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 12:18:37 ID:KyWLQpP8
↑うーむ。なかなかやるな
41 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 12:37:37 ID:DKhM0vET
座布団1枚だなw
42 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 12:41:14 ID:4/U9Ex7w
仏教はすなわちアートマンはブラフマンであり、人間自身が神であると
あからさまにといている。
内宇宙=全宇宙 なのだ。
そしてそれはインチキである。
唯物論者かよ
仏教だと、人間は人間だよ。
最後に思い上がりを折られる仕組みになっている。
45 :
神も仏も名無しさん:2009/07/27(月) 18:35:39 ID:QEkg/luI
君がいま居るその場所は、最後なのか?
凡夫と阿羅漢が同じなのか?
キリスト教はA型主義
仏教はB型主義
キリスト教の強い欧米ではA型が40%以上いるのが普通
ついでに言うとアジア女はB型好きが多く、
白人黒人の女はA型好きが多い。
日本で駄目なのにアメリカでうまく行く奴はA型が多く、
日本で調子こいてるのに欧米でKOされるのがB型。
>>45 凡夫だろうと釈迦だろうと
一歩たりとも同じ場所を動いていない。
どこの遠くに行きたいのですか?
悟りを開かれた釈尊は、その初説法で、四つの真理(諦)を説かれたという。第一の真理は、この迷いの生存は苦である、という現状認識。
第二は、その苦は飽くことなき欲望から生ずる、という原因究明。第三は、その欲望の滅した境涯が苦のない悟りであること。
第四は、悟りを得るには正しい八つの方法に依るべきこと、である。ここで注意すべきは、仏教が、我々の苦悩の原因を、我々の飽くなき欲望、我々の無知に帰している点である。
ややもすると、我々は、自分の苦悩は、社会が悪いから、あの人のせいだからしょうがないといって、「あきらめる」ことでよしとする。
逆に、それは自分の欲望、無知に基因すると「諦める」ことができれば、現状を受け入れ、解決の方法をみつけやすい。
それでは、この四つの真理に通ずる仏教の根本道理とは何か。それは、一切は相対的な存在でしかない、と諦らめ、執着しないことである。
50 :
神も仏も名無しさん:2009/07/31(金) 04:43:19 ID:Rc34eQE/
要するに、愛だの恋だのほざくこと自体無意味だってことだね?
51 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 20:26:26 ID:e0BpgLMV
age
52 :
神も仏も名無しさん:2009/08/11(火) 22:33:22 ID:OTaMsVIF
仏教=女性は救われへん
53 :
神も仏も名無しさん:2009/08/12(水) 23:55:56 ID:l5uHcdHc
伝統宗教に突きつけられる決断
さて「霊魂説」を論じるとき、最も厄介なのがキリスト教に代表される“伝統宗教”です。
心霊現象をすべて頭から“悪魔の仕業”だと決めつけ、敵対的態度に出てきます。
スピリチュアリズム(近代心霊研究)は、唯物主義という宗教全体の敵に対して決定的な
打撃を与えました。
本来ならば「唯物主義」こそが、キリスト教にとっての最大の敵であったはずなのです。
しかしキリスト教は、一番の味方となるべきスピリチュアリズムを敵視するようになりました。
率直に言ってキリスト教会は今後、勇気を持って間違った教義を改めないかぎり、いずれ地上から
姿を消すことになってしまうでしょう。
キリスト教会はイエスの死を、大袈裟(おおげさ)に考え過ぎています。確かにイエスの死は
感動的ですが真理のために生命を捧げた人は他にもいます。
イエスの真価は、その“気高く美しい人生”にあるのであって“死”にあるのではありません。
イエスが死後、弟子たちの前に現れたという現象は、すでに述べたように単なる「幽霊現象」に
すぎません。それをもって“将来イエスが復活し再臨して人類を救う”などと考えるとするなら
それは大きな間違いです。
では、仏教はどうでしょうか。キリスト教会のようにスピリチュアリズムに対して露骨な反対に
出ないところは仏教のよい点と言えるかもしれません。しかし先に述べたように仏教の教えの中には
明らかに根本的な間違いがあります。
シャカは、明確に「霊魂」という実体を否定し、霊魂があると考えることを“錯覚”としましたが
霊的事実に照らしてみるとそれは完全な間違いです。
霊魂は事実存在しますし、人間は死後、霊となって霊界で永遠に生きていくことになります。
こうしたスピリチュアリズムの考えを受け入れることは、ある意味で仏教の根幹を揺り動かす事態と
なります。しかし事実の前には、自らの考え方を訂正していくことしか生き延びる道はありません。
その意味で仏教も、やはりキリスト教会と同様、自らを改めていく勇気が問われることになります。
こうした問題は、キリスト教や仏教だけに限ってのことではなく、地球上のすべての
宗教に当てはまることなのです。
54 :
神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 04:21:19 ID:w8bEhnQz
キリスト教には、神が苦悩を取り払ってくれるという嘘があり、仏教には、人が修業によって、自ら苦悩を克服できるという嘘がある。
55 :
神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 04:30:02 ID:9MgClpYp
キリスト教は、排他的な唯一神信仰のカルトでしかなく、仏教は穏やか極まりない包容力ある宗教である。
例えば、基督教の牧師で荒井英子=目時英子という女の話を耳にしたことがある。
このスベタは確か「東北(岩手県?)の朝鮮人部落の出身だった」と聞いた憶えがある。
なんにせよ欲求不満のかたまりで、誰もが恥ずかしくなるような猥褻極まりない説教をして憚らず、
なおかつ卑しいゲス特有の勘ぐりを繰り返しては、立派な人々を中傷して陰口を叩いて回るといった最低最悪のブス女らしいね。
そのうえ業病筋の家の出だから東京へ来てから後も、誰からもまともに相手にされないとのこと。
先年の東北地方の地震で岩手県の癩病筋の部落が崩壊してしまえば自己の素性を隠しおおせたのに、などと残念がっているそうだ。
実におぞましい化け物でしない醜女の老婆だよね。
それにしても、今時はチョンしか牧師にならない世の中になってまったのか!
56 :
神も仏も名無しさん:2009/08/13(木) 21:53:22 ID:94dspNnA
キリスト教って宗教用語ばかりで誤解されることが多いが、
自らの全てを捧げて他人に尽くしましょう(=愛しましょう)って非常に道徳的な教え。
しかし、唯一神信仰かつ他人に干渉し続けないと成り立たない=価値観の押しつけに繋がりやすい上に、
悔い改めればどんな罪でも赦される=赦されるからどんな罪(殺人とか)でも犯せると曲解も出来る。
ゆえに権力と結びつくと悲惨な結果を招きやすい。
理想は高いが、最後の壁(エゴ)がどうしても越えられない。(仏教もかな?)
57 :
神も仏も名無しさん:2009/08/15(土) 12:18:00 ID:mv/un6GK
仏教はありとあらゆる欲を捨てろととく
価値観や愛すら欲から出てきたものとして捨てろととく
有るのは慈愛のみ
仏教の教えを守ろうとするなら人をやめないと駄目なようです。。
欲を捨てろとは言って無いさ。欲を少なくしなさいと言っているのさ。ちょっぱりよ。
59 :
神も仏も名無しさん:2009/08/21(金) 22:47:10 ID:nPluN2mo
仏教は⇒死に対しての解決をなさない。偶像崇拝。
キリスト教⇒正しい。
60 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 13:20:13 ID:RICwUfxt
キリスト=人間は神が創りしもの人間のためだけに宇宙は存在する
仏 教=命は皆等しく尊いもの地球があるおかげでわれわれは生きている
61 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 16:02:24 ID:wwFnOQBQ
>>59 あんた仏教知ってんの?
アーガマ読んだことあるの?
知りもしない他宗教を論評しないこと。バカ丸出しだよ。
62 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:12:48 ID:TQDWhWTC
>>1 全て反対だと思えば間違いはない
神は宇宙の法則さえ自由に思うがままに操れます
神前法後と言いますが
仏は宇宙の法則を理解した人です。法則を変えることはできません
法前仏後ですね
キリスト教では神に選ばれて神の国に入ること、すなわち永遠の生命を得ること
を救済としますが、仏教においては輪廻から解脱すること、つまり永遠の死を得る
ことを救済とします
他にも予定説と因果律、時間の観念などなにもかもがあべこべと断言してよろしいかと
63 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 18:42:46 ID:ggsNmJIu
仏はただの人。
神ではない。
一番偉いのは、神。
64 :
神も仏も名無しさん:2009/08/23(日) 19:41:28 ID:/A8a7TAK
ブッディズムは 世界最高峰の哲学!!!
クリスチャニティーは 唯一の救い!!!!
65 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 10:12:25 ID:IRwbkskt
>>63 神様たちも仏様が説法をするとなれば聴きにくるわけだが
66 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 11:31:22 ID:Xw4Lwl+X
神様たちって発想なんが、仏教。
よって、どの神が偉いのかわからず、神を統括するものが
いるのかどうかもわからん。
神は唯一というのが、キリスト教。
67 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 11:34:05 ID:xCAjVtcx
>>1 遠藤周作の『私にとって神とは』の中に
「私はなぜ仏教よりもキリスト教に心ひかれるか」
という章があるから読んでみるといいよ。
「仏教の根本原則は執着を捨てよだから、私には無理だと思うのです。」
「(キリスト教は)執着しているものを通して救いが来るという考え方を私は嗅ぎとるのです。」
「私は、すべてを捨てて高野山にこもるなどということはとてもできない。」
「私は、自分が死ぬ時、釈迦のように悟りを開いて静かに死ねる境地に達するという自信
が全くありません。」
68 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 12:28:15 ID:QtHXVYRS
止観の瞑想をせずに執着なんか捨てれるわけがないがね。
キリスト教 = 仏教
神 = 法
イエス = 応身
聖霊 = 仏性
永遠の命 = 不死の境地(悟り)
愛 = 慈悲
天の御国 = 涅槃
律法でなく信仰= 戒取(戒への執着を取る)
罪 = 煩悩
キリスト教は、ユダヤ教徒を神の淘汰から守るために、
異教徒をダシにしてユダヤ教徒のみを救うために
ユダヤ教徒に嫉妬を起こさせようとして異教徒を誉めたりしただけなのに、
のぼせ上がった異教徒のアホどもが、悪行三昧して暮らしていても本気で救われると思ってしまったというもの
イエスは異教徒がどうなろうが興味はないわけで、異教徒が勘違いして地獄に落ちても構わないから
ユダヤ人には嫉妬に悶えてイエスの話を聞いて欲しかったわけ
同じ民族、同じ国の仲間のために尽くしたいというのは当たり前の気持ちだから
イエスは普通の人であるが、よその国の人のことはどうでもいいという考えだから
現代の道徳と比べて優れているとまではいえない
釈迦も方便は使ったが、
嫉妬を起こさせたりして救うというのは、聖書には多いけど
仏教にはあまりない
弟殺しのカインから始まって、聖書は嫉妬の本、「嫉妬の神である」とまで書いてある
イエスは「悪人」を贔屓することによって信者に嫉妬を起こさせることばかりしていた
70 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 20:02:59 ID:7sTI2J4q
>>63 あんた、どこの神の話をしてんの?
ユダヤ教の神とキリスト教の神は違うよ。神を十把一絡げに
考えてるらしいが、バカ丸出し。処女マリアを妊娠させた神と
させていない紳士的な神を混同しないように。
71 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 21:35:24 ID:WXp9x1MD
言っておくが、
仏教は無神論
キリスト教は三位一体神論(唯一神論)
という違いがありますな!
72 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 21:55:44 ID:HePra6mg
>>70 あとついでに。ユダヤ教の神とキリスト教の神が「違う」のは、
ユダヤ教徒がキリスト教の神を「差別化」したためです。
歴史的な流れで言えば、キリスト登場の約400年位前から、
ユダヤ教徒の中での霊的な指導者が登場しませんでした。
そんな中で彼らは更なる外敵、すなわちアレクサンドロス大王のマケドニアや、
セレウコス朝のシリア、更にローマなどの脅威にさらされるのです。
そんな彼らがいろいろ妥協を図りつつ、何とかユダヤの地で暮らして来れたわけですが、
1ミリでも「妥協を図った」ことは、彼らユダヤ教徒の中に後に至る大変な問題を育んでいきました。
彼らは時の権力者との妥協のために、キリストをリスペクトできなかったのです。
それゆえに彼らの中で、離散後にキリスト教の神と「差別化」されていったわけです。
少なくとも離散前までは、何とかキリスト教徒を説き伏せて、
ユダヤ教徒に戻したかったのでしょうが、キリストとその弟子たちが残したものは
彼らの間では余りにも大き過ぎ、かつ重過ぎたのです。
富と律法と地上的しがらみから逃れられなかったのです。
73 :
神も仏も名無しさん:2009/08/24(月) 22:22:39 ID:Xw4Lwl+X
わかっていない奴が多すぎる。
>>1 基本的には同じようなもの。たとえば、どっちも因果応報を説いている。
木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。
茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。
ルカによる福音書 6章44節
偽預言者を警戒しなさい。
彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。
茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。
マタイによる福音書 7章 15〜20節
キリスト教が説く因果応報その2
「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」
(マルコ福音書4章26−29節)
「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 それは一粒のからし種のようなものである。
地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」
(マルコ福音書4章30−32節)
仏教はそもそも宗教ではなく、人生の処世訓みたいなものだったでしょ
それがいつのまにか複雑怪奇なものに変貌させられたのが大乗
これが正解ね
因果 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C 釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。
そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。
因果の道理は大きく3つに分けられる。すなわち、善因善果(善を行えば、善い結果が返る)・悪因悪果(悪を行えば、悪い結果が返る)・自因自果(自分の行いの報いは、自分に返る)の3つである。
また、これらを知れば当然、廃悪修善の心が起きてくるものである。
原始仏典に含まれる法句経の「七仏通戒偈」には「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(もろもろの悪事をなすなかれ。もろもろの善事を行え。自分の心を清めよ。これが諸仏の教えである。)と説かれている。
もろもろの悪事をなすなかれ。もろもろの善事を行え。自分の心を清めよ。
これがキリストと仏陀の共通の教えのすべてである。
79 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 00:51:53 ID:Dp+q+Ncu
>>69 ろくに知りもせずによくもそんなに妄想ふくらませられるね
ある意味感心するわ
>>79 逆に聖書を捨てないとわからないだろうな。
>>80 イエスは異教徒のためではなく、ユダヤ人のためにしか活動してないし、許されてもないんだ。
異教徒が助けを請うても、冷たくあしらっている。
83 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 02:35:41 ID:ojZ5GiiW
それどころか異教徒に「犬は選民が食べこぼしたパンを食ってろ」
とまで言って、徹底無視してる。
これはさすがにショック。
でもちゃんと書いてある事実なんだね。
84 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 02:49:09 ID:ojZ5GiiW
クリスチャンは、ありもしない幻想に縋りすぎてる。
これを人間心理の面から正しく矯正した実像が
>>69
85 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 05:54:54 ID:mZgT24lX
それどころか異教徒に「犬は選民が食べこぼしたパンを食ってろ」
とまで言って、徹底無視してる。
これがキリストの本音
神の子でもなんでもないってこと
理想はユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための地上であり
あとはいらないってこと
なら他の民族虐殺しても心が痛むわけないわな
「ブタに聖なる教えを聞かせたって無駄だ。
せっかくブタ共に教えてやっても逆に襲撃されるだけ。」
みたいなことも言ってる。
そりゃそうだろう。差別主義の選民思想など語ろうものなら
ブチ殺されて当然。
自分のやってることを棚に上げて、人のせいにする。
それがヤソ。
87 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 19:06:53 ID:dCJKwpYM
『聖☆おにいさん』
88 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 19:23:07 ID:avTvgJe+
十十十 カトリック182 十十十
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1246147952/l50 1 :神も仏も名無しさん:2009/06/28(日) 09:12:32 ID:xTf0zC9e
カトリック信者以外でも、未信者、他宗教、の方々、
どなたでも安心して、お気軽にどうぞ。
713 :神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 13:29:30 ID:QHagieVR
>>705 麻生さんの言うことは正しいよ。
それだけ、結婚というのは大切なもので、双方が責任を持たなくてはならないということ。
簡単についたり離れたりするものではないということ。
カトリックの価値観がちゃんと根付いている証拠。
最近のぬるま湯の社会に のほほ〜んと生きてる者には耳が痛いだろうけどな。
89 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 19:52:33 ID:mZgT24lX
カトリックですか
虫唾が走るぜ
90 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 19:53:37 ID:mZgT24lX
カトリックですか
虫酸が走るぜ
91 :
神も仏も名無しさん:2009/08/25(火) 20:08:41 ID:X6EiKNyX
仏教の奴がキリスト教を攻撃していますね。
金で結婚するのか?w
まあカトリックらしいな
93 :
自民党:2009/08/26(水) 13:36:31 ID:mgLSxE94
金の無いやつは結婚するな。
そんなのアタリキンタマハツドウキだ!
女房、子供を食わせることが出来ないだろう。
金を稼ぐには就職先が無いって?
馬鹿なこというんじゃあないよ!
職探しを死にもぐるいでせずに怠けやがってな!
何したっていいんだよ!
怠け者が!
反省しろってんだ!
怠け者の政党の代表が民主党で、以下続く社民党、共産党だ!
94 :
神も仏も名無しさん:2009/08/28(金) 12:19:27 ID:BwaoTpkp
竹内行夫(たけうちゆきお)
第2小法廷行政官出身
66歳
2008年10月21日任命
小泉内閣時代に外務事務次官として、憲法違反の自衛隊のイラク派兵を推進した責任者。
〈判決・決定〉●町田痴漢冤罪事件で不当決定
てすと
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11
13
15
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25
30
31
96 :
神も仏も名無しさん:2009/10/06(火) 13:27:13 ID:kMYaD4Y0
おかねがかかるのはおなじだ
97 :
神も仏も名無しさん:2009/10/13(火) 01:56:00 ID:Dr8XIcMF
99 :
神も仏も名無しさん:2009/10/28(水) 00:33:10 ID:83IhVEGL
100 :
神も仏も名無しさん:2009/11/26(木) 20:12:05 ID:V+rb3V2W
仏教の方が物凄〜くお金がかかります!
101 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 13:59:57 ID:fsiBCKQW
それは日本の檀家制度だろ。
102 :
神も仏も名無しさん:2009/11/27(金) 22:37:16 ID:z8suF0CJ
キリスト教と仏教どっちもどっち。
103 :
アオイ:2009/11/27(金) 23:51:17 ID:maSG+ee0
いずれも、当たらずと言えど遠からず。
切り口が違うだけだ。
私の切り口は
仏教は解脱
キ教は法悦
104 :
神も仏も名無しさん:2009/12/01(火) 21:37:00 ID:SgHaYzLV
仏教は金額が高い上に回数が多すぎる!
人生の役に立たな過ぎる!
誰も救えない!
坊主ばかりが儲ける!
檀家はいるが信者は少ない!
キリスト教の方がかなり益しに思える!
どっちもどっちだがキリスト教の勝ちで良いと思う!
105 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 00:56:02 ID:4iEMp34u
それは日本の檀家制度だろ。
106 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 01:01:43 ID:BJyNF8KA
>>1 遠藤周作「私にとって神とは」の
5章「私はなぜ仏教よりもキリスト教に心ひかれるか(一)」
6章「私はなぜ仏教よりもキリスト教に心ひかれるか(二)」
を読まれることをお勧めします。
仏教とキリスト教の違いもよくわかります。
107 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 02:11:09 ID:tRPhPCe1
仏教は哲学
キ教は宗教
という切り口もある。
108 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/02(水) 03:40:34 ID:FGB8oZD9
仏教は道を示し
キ教は魔神を示す
(^。^)腐れヤソなんかと比べんな♪(笑)
109 :
神も仏も名無しさん:2009/12/02(水) 04:13:14 ID:tRPhPCe1
君の言い分は当たらない。
ここは「比較」のスレだ。看板を見ろ、愚か者!
110 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/02(水) 04:26:59 ID:FGB8oZD9
>109
(^。^)ウヒャウヒャ♪(笑)
論理的客観的に比較した結果の当然の帰結を言ってんだ♪たわけ者♪(笑)
111 :
神も仏も名無しさん:2009/12/03(木) 00:44:18 ID:ONCYn/wt
仏教は金がかかりすぎる。
何とか成らんのか?
112 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/03(木) 03:47:52 ID:gM9rjfkt
檀家なんか辞めたら?無理して仏教徒のフリしても意味ないんじゃない?
113 :
仏陀:2009/12/03(木) 03:53:33 ID:Pyi+5cRF
仏教は知る。キリスト教は信じる。知る事は百パーセントだが、信じる事は常に五分五分の不完全なもの。
>>111 節子それ佛教やない
基督教(唯物論)に狂った欲ボケカルトや
仏教系の幸福の科学の大川隆法【主エル・カンターレ根本仏エロヒム】はヤハウェの書いた聖書を読んでもキリスト教系の宗教団体は病気の原因と言う評価しか出せませんでした。
118 :
神も仏も名無しさん:2009/12/11(金) 22:31:04 ID:ME2agmlG
日蓮宗はお金かからないの?
119 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 01:04:41 ID:SX4AlILI
120 :
神も仏も名無しさん:2009/12/13(日) 23:24:00 ID:FcgpoOJM
>>119 お金儲かっても、あの恥ずかしいカッコが嫌!
121 :
承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/12/13(日) 23:38:16 ID:3TpkIhFU
>116
(^。^;)あのカルトは仏教系ではありません。
頭の悪すぎるインネンは付けないで頂きたい。(笑)
122 :
神も仏も名無しさん:2009/12/16(水) 19:22:19 ID:lC1Gwf5U
キリスト教は仏教より安いの?
キリスト教の人は、人のために自分の金を使ったりして「ほめてもらう」ことを生きがいにしてるんで、
金はかかります。
家族は辛いです。
>>122 そんなことは無い
仏教でもキリスト教でも、金のかかるところもあれば金のかからないところもある
うちの父は、働きもせず、母が一人で働いて、
稼いだ金は教会のためといって何から何まで買ってあげて持って行きますし、
いつも教会に行ってます
それで、いい人だと思い込んでます
働かずに
批判するとキレます
それがクリスチャンです
私の家は商売をしていますが
私も名義は社員になってますが、
私の給料は父が私に振り込んだことにして、私の通帳を持ってて全て父が使います
家もある、自分の給料も私の何倍もある、なんでそんなにお金がいるの?と思いますが
クリスチャンは強欲だと思いますよ!
127 :
神も仏も名無しさん:2009/12/18(金) 00:36:34 ID:qjRA4fSA
キリスト教徒の家族も大変なんですね。
128 :
神も仏も名無しさん:2010/02/03(水) 15:19:41 ID:oESjY6uf
キリスト教は戦争好き 異教徒を認めずに十字軍の遠征以来戦い続けている。
129 :
神も仏も名無しさん:2010/02/03(水) 21:14:33 ID:7GC8IelD
とりあえず仏教は宗教じゃないから。一緒にしないでほしい。
そうか
131 :
神も仏も名無しさん:2010/02/04(木) 17:06:54 ID:ehZ5jl2Z
仏教は宗教だよ。
心の安らぎや拠り所っていう点では宗教だろうね。
信仰を否定してるけど。
133 :
神も仏も名無しさん:2010/02/05(金) 23:21:03 ID:5636ByB0
仏教は心が安らげません!
お金が掛かり過ぎます!
回数も多いです!
日本の仏教にはお釈迦様もお怒りのことでしょう!
仏教は信者を苦しめ、坊主の生活を守るために有る教えに成っています!
どうか、ブツバチを坊主たちに下してくださいお釈迦様!
どこの仏教?
135 :
神も仏も名無しさん:2010/02/06(土) 01:52:57 ID:9DKZWj+L
世間は仏教の事を誤解してる。
日本や中国や大乗小乗とかの仏教は本来の仏教じゃないからね。
どう生きれば苦しみが無くなるか、楽しい人生を送れるのか。
ということを釈尊ていう人が研究したものが仏教。
神の事や霊の事なんてでてこないし、お経を唱えなくてもいい。お金もかからない。
ただ釈尊は我々が幸福に生きれる方法を見つけ、伝えただけ。
しかし時間が経つにつれ、変な解釈が生まれ、釈尊事態を崇拝するようになった。
>>133 お金かからない。
回数とかない。
会員とか集会とか寺に篭ったりしなくてもできる。
日常生活が修行の場となる。
136 :
神も仏も名無しさん:2010/02/06(土) 02:03:52 ID:E/D3pSpa
世間って誰
137 :
神も仏も名無しさん:2010/02/06(土) 06:40:03 ID:ekMuOYjh
テスト
138 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/02/07(日) 00:10:42 ID:Hu/x72aK
釈尊やイエスは、「決して死を味わうことの無い境地=彼岸」を唯一の神として、つくられざる存在(神)と
つくられざるその人を悪しき者(妄執)に従わない永遠に生きれる人だと説いた。
荒野で断食やわずかな食物で暮らす生活を守り、欲念を全て滅ぼし尽くして、悪しき者(妄執)に従わず、神
通力=あなたがたは何でもできる神の領域=平安と安らぎの境地に至り、この世では教えの状態が悪しき者(妄
執)に従わず、つくられざるあなたであり、永遠に通じるあなたであると。
―真理を見る人には何ものも存在しない―
人間の欲望や快楽・その他物質的な喜びの無い所=つくられざる存在=神 に安住できず、『権威や栄華の拡大
と冷酷・無慈悲・残忍・怒り・憎しみ・敵意』など人間のありとあらゆる悪の原因を人間の内に潜ませて、畜生
と同じように肉で滅びゆく存在にしたのが、天上の悪の霊である。
思考も意識も心さえも悪しき者(妄執)によって造られたのであり、神といっても、人間は欲念を滅ぼし尽くし
て、不死の境地に至らないと神を知れることはない。偶像を抱いて信じる心は、悪魔信仰となってしまう。何も
ものか思い描くことすら、悪しき者(妄執)に従った人間の境地にあり、不死と神通力の領域はわからなくなっ
ているからである。
修行して欲念を断ち、不死の境地に至らないと神を知れず、「あなたがたはからし種一粒ほどの信仰もない」
「信ずることなく」というのは、真実を知り尽くした存在の言葉である。
139 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2010/02/07(日) 00:12:44 ID:Hu/x72aK
人間の状態・世の状態から全く離れて、「何ものも存在しない」ような清浄の状態から、欲念が生じたため、
天上の悪の霊により、権威や栄華を貪る悪しき境地を得、神からして地の奴隷として悪の業を行い続ける人とな
ったのである。
荒野で欲念を断ち、悪しき者(妄執)に従わず、不死の境地に達し、「何でもできる神の領域=神通力」を得、
神に義(神とひとつになった)釈尊とイエスが、そこに達し得ない在家の人々にも、自分を信じる者への救いの
教えを説いた。行いにより誰も神に義とされることはないが、天上の悪の霊に敗れず、妄執に従わず、人として
救われるためである。
「その日の苦労はその日のみのことで十分・あくせくした営みから離れよ・肉の欲、目の欲、持ち物の誇りなど
の自制」「他人の過失を見ない・あやまちをゆるす」「敵意・憎しみ・怨みを抱かず、母が己が独り子を命を賭
けても護るような生ける者への慈しみ」「妻子を愛し護る幸せ」「富に仕えず、誠実に人々に仕える・何ものか
を与えて交友を結ぶ」「耐え忍び」「分かち与える、貧窮なる人々へ配慮ある者となること」「修行完成者はあ
われみ」「世のことに思い煩わず、森や林で楽しむことのほうが清い、さみしい所も好むであろう」
解脱して完全になれない世の人々に対して、悪しき者(妄執)に従わない戒めの教えを説いた。
―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、―これが仏の教えである。わかち与え
る人には功徳が増大する―
イエスも愛やあわれみを教え、悪しき者(妄執)に従わないように教えた。そして、悪しき者に従い得た人間の
境地で思い描ける偶像礼拝は貪欲他ならないと。
人には人知を越えた「あなたがたには何でもできる=神通力」の境地しかないということを知っている。
清浄な境地の世界では、人は何ものも存在しないくらいなのである―真理を見る人には何ものも存在しない―
140 :
神も仏も名無しさん:2010/02/09(火) 21:11:44 ID:pjWXaAiD
キリスト教は毎週お金が掛かる。
仏教は毎月お金が掛かる上に盆や節分にもお金が掛かる。
どっちが得かは一概に言えない。
141 :
神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 11:51:28 ID:EQ536cAT
坊主に上から目線で説教を受けたら
なぜかむかつく
仏教は地球 キリスト教は宇宙
仏教は一人で心を眺めて思うもの キリスト教は神とともに永遠に生きること
仏教はオナニーするが
キリスト教は隠れてオナニーする
しかし神はそれを見てる。
どのようなイメージを持ったか、どんな妄想してるかまでも。
あーほんとキリスト教でなくてよかった。
145 :
神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 22:45:46 ID:Y6gb7eRh
キリスト教の神様はなんか意地悪だよね!
仏教の法は感情が無いから意地は悪くは無いね!
146 :
神も仏も名無しさん:2010/02/11(木) 23:20:26 ID:UhOvpOTX
キリスト教って輪廻転生しないんでしょ?
2get
149 :
神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 00:34:44 ID:6YkpzEeC
仏教は自慰行為はしません。
フリーセックスも禁じられてます。
150 :
神も仏も名無しさん:2010/02/12(金) 16:43:28 ID:Qn7Ad2e3
仏教は坊主の金儲け!
151 :
神も仏も名無しさん:2010/02/13(土) 22:36:17 ID:CL2VZmzs
皆さん
泥棒の肩を持つ
>>5みたいのにはリアルではよーく御注意ください。
おまえは子供だなぁ。世間に出てみろよ。
>>135 テーラワーダ信者はカルトだなあ
部派仏教の末端の1支流にすぎないスリランカ仏教が
原始仏教だなんて学術的には大笑いの珍説ですが
権威主義者はスマナサーラが言うからと真に受けるわけだ
部派仏教というのはバラモン教文化の土壌の中で
仏教の出家者が権威化、特権化していった果てでしかない
こんなものは原始仏教でもなんでもない
釈尊は母親の脇の下から誕生した。
[315] 今朝、会員の宇根君から来た学問研究メールは、すばらしいので、早速ここに載せます。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2006/08/24(Thu) 18:28:37
http://snsi-j.jp/boards/sample1/89.html はじめまして、会員の宇根康裕です。27歳で京都で技術開発をしている会社員です。今回メールする
目的は、最近道場で話題になっている宗教に関して、最近読んだ「スピノザ」 (上野修著NHK出版)
をヒントに、私が考えたことをとを書くためです。
いきなりですが、結論は
キリスト教は、キリストを信じる「信仰」であり、スピノザ、ウィトゲンシュタインは、真理を証明する「哲学」である。
初期仏教は真理を理解する「哲学」であり、各種大乗仏教は、「信仰」のあつまりであり “仏教”ではない。
老荘思想は、儒教と対立していて、道教は、道を信じる「信仰」で、間違った政治(間違った儒教)に対抗している。
以下のブッダに関する記述は、主に宮元啓一氏と石飛道子氏の本を読み、私が理解したことである。ブッダは12因縁を
順逆に観じ、悟りを得た。ブッダが発見したのは、 西洋にはない、因果の論理学であり、ブッダはその論理学を用いて、
ついに真理を“発見”した。
これまでの ヒンズー教は、信仰であったが、信仰とは別の世界、真理の世界に入った。
仏教は真理を発見する哲学であり、信仰ではなく、必死で考えなければならなかった。考えて、考えて、考え抜いた先に、
真理を見ることができるのであって、信仰をいくらやっても、真理には到達しえない。
輪廻の輪から抜け出すということは、当時の信仰の輪(ヒンズー教)から抜け出すということである。
ブッダは信仰から抜け出して、真理の世界へ行った。
勘違いしてはならないのは、ブッダは輪廻を前提として、その輪廻から抜けたのではなく、輪廻など
考え無くて良しというところにいったのだ。輪廻は真理でないと悟ったのである。
また、ブッダは、信仰を捨てて真理の道へいくことが、自らの体験で難しいとわかっているから、
信仰をすてるための修行をさせている。しかし、民衆は修行に耐えれなくなった。そこで、民衆は
真理ではなく、信仰を求めるようになった。
これが大乗仏教である。空なんだと思え、あるいは、唱えろ、極楽を信じろ、という信仰だと考える。
大乗仏教は信仰であるがゆえ、よいと思った信仰はどんどん取り入れられる。こうして、大乗仏教は、
どんどん派生していったのだろう。大乗仏教は信仰である以上、本当の仏教(哲学)ではない。袴谷
(はかまや)氏の批判仏教からは、ハッキリみてとることができなかったが、私は初期仏教と後の
仏教は、真理(哲学)か信仰(宗教)か、の違いだと考える。
以上から、初期仏教と大乗仏教は、まとめられないことは明らかである。
宮元啓一氏と石飛道子氏の本は、ブッダの論理学の核心、大乗仏教の核心(=般若心経の核心)に
最速で迫る書物である。
「浄土真宗キリスト教」を宜しく。
160 :
神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 16:10:37 ID:EvYTwmNk
最近はキリスト教のなかに禅キリスト教という運動が発生しているようだ
姦淫ですな。
162 :
神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 18:00:40 ID:EvYTwmNk
禅マスター(師家)になった人とかいるぜ
163 :
神も仏も名無しさん:2010/05/01(土) 18:05:45 ID:EvYTwmNk
>>158 禅は大乗仏教だと思うけど、禅も信仰でくくられちゃうの?
164 :
神も仏も名無しさん:2010/05/06(木) 18:13:53 ID:0+WDwJIW
キリスト教と仏教の最大の違いは、
前者は他者と向き合うことが重要であると説いているのに対して
後者は自分と向き合うことが重要であると説いていること。
165 :
神も仏も名無しさん:2010/05/06(木) 19:29:51 ID:LJdyBsu+
166 :
神も仏も名無しさん:2010/05/06(木) 19:44:28 ID:uAb2S62y
仏教は心が安らかになる、内省的な道
キリスト教は情熱的・行動的な教え
キリスト教徒の一部には「仏教は哲学か心理療法の一種であって宗教ではない」
という意見もあるらしい。
167 :
神も仏も名無しさん:2010/05/06(木) 23:53:24 ID:X/KxyUry
キリスト教:最後の審判で神(と呼ばれる人)に○印をもらうことが目的。
仏教 :宇宙の摂理(仏教的な)を理解することが目的。
キリスト教の場合は神に褒められたいが為に愛という言葉を借りて人間の価値観
のみで 良し とされることを実践して神に媚びます。
仏教は、宇宙の摂理を理解することにより、人間が感じる苦しみが宇宙の摂理の
による一つの現象でしかないんじゃとあきらめます。
キリスト教は社交術、仏教は哲学。
168 :
神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 13:49:01 ID:hCHClzcQ
仏教は実は国際派だ。御鰻国際教とも言われてる。
169 :
神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 18:58:16 ID:WTtDD64l
―ちょっと仏教を勉強してみた―
仏教は約2500年前にインドにて発生。釈迦が死亡(仏滅)して後、出家者集団は個人個人が聞いた
釈迦の言葉(仏典)を集める作業(結集)を行った。やがて弟子たちは釈迦の教えを哲学的に
まとめる方向へと傾いていった。そのうえ教団を形成するものは出家修行者たちだったので、
世の中からかけ離れた抽象的な教理を作り上げていった。それに伴って多様な説が生まれる
ことになり、死後百年頃〜数百年の間に多くの学派に分裂した。(部派仏教)
釈迦の教えは本来、分かり易く単純なものだったが複雑で難解な哲学へと変化していった。
世俗から離れ閉鎖的な世界で安住している仏教教団に対して一般民衆から批判が起こった。(大乗仏教運動)
しかし大乗仏教は一般民衆が起こした運動であるため、経典にあたるものがない。
そこで彼らは経典を自分たちで作るようになった。大乗の理念に賛同した伝統仏教徒もいたらしく、
彼らを中心に経典の創作が行われていったとみられる。
経典作りはある程度伝統に基づいていたが、ほとんどが自分たちの主張を盛り込んだ
創作だった。しかも彼らの主張は必ずしも一致しておらず、グループごとに主張するところを
経典にまとめていき様々な教えの経典が作り出されていった。大乗仏教の形成過程では
ヒンズー教の影響(輪廻転生、ヒンズーの神々)も大きく他にもあらゆる宗教を
取り込んでいき、釈迦の教えから大きくかけ離れたものになっていった。
(釈迦は死後の世界に言及していない。仏教・釈迦は本来「無神論・無霊魂論」)
従って大乗仏教の経典は価値の有無はともかく釈尊の説いたものではなく、
後世に作られたものだとされた。(大乗非仏説)
大乗仏教はシルクロードを通り中国に伝えられるとまず経典の翻訳がなされる。
翻訳が終わると元本は捨てられ、やがて翻訳者の思想が入り込んだ漢訳のみが世に出回った。
そのため翻訳した人物の思想が後の仏教に大きな影響を与えることになる。
そして日本に伝わったのはこの大乗仏教のほう。
釈尊が生存時に説いてないからといって
大乗が釈尊の意に全く沿っていない、ということにもならない。
171 :
神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 21:44:48 ID:Nk0vwQXH
―仏教的世界観、教えの中核―
この世は悪であり人にとって苦悩の原因である。すべてのものは移り変わる。変わらず存在するものはない。
変わり行くものに執着してはならない。一切は虚しいと悟り、執着や欲を断つ。
こうして悪である世界から離脱することによって救われる。(世界に対して完全に無関心な状態?)
仏教は宗教というより思想・哲学だといわれる。
仏教は宗教学分類上、無神論に分類されることが多いという。
>>171 「希望の扉を開く」(ヨハネ・パウロ二世/同朋社出版)p101・102の要約だなw
173 :
神も仏も名無しさん:2010/05/22(土) 22:04:53 ID:u/AKphSB
「悪である世界」というけど、仏教では世界そのものは善でも悪でもないんだけどな。
悟りが「世界に対して完全に無関心」というのも誤解。
もしそうなら初転法輪もなかっただろう。
>>173 キリスト教カトリックの親玉の発言ですからwww
ほんとか。
ヨハネ・パウロ二世ってろくなもんじゃねえな
177 :
神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 19:20:26 ID:g3zkmczf
幼子が死んだとき
キリスト教=幼子には天使がついていて、幼子の魂をいつも天国と神に結び
付けている。だから死んだ幼子は真っすぐに天国へと昇ると信じられている。
仏教=幼子のとき死んだ者は業が深いとされ、浄土に行くことができずに
賽の川原で鬼にいじめられ苦しんでいる。
178 :
神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 19:33:48 ID:z+3pXggn
地蔵菩薩がやってきて子どもをたすけてくれるそうです。
179 :
神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 20:20:08 ID:I4SENqbo
>地蔵菩薩がやってきて子どもをたすけてくれるそうです。
それは民間信仰
180 :
神も仏も名無しさん:2010/05/25(火) 20:24:23 ID:z+3pXggn
賽の河原で鬼が責めるのも民間信仰じゃないの?
中国仏教の中の地蔵菩薩には特別子供を大切にするという信仰はないよ
つまり、教典的な論拠以外のものが働いているんじゃないの?
大乗大集地蔵十輪経 と月明菩薩経を読んでみて
182 :
神も仏も名無しさん:2010/05/27(木) 18:33:26 ID:nhYXCxEe
Q:人間〕
「神様、あなたはすべての道において、私を支え一緒に歩んでくれると思っていました。
でも私が人生で一番辛かったとき、後ろを振り返ると、一人分の足跡しかありませんでした。
神様なぜ私を見捨てたのですか?」
A:基督教〕
「誰でも疲れている人よ、わたしに寄りかかりなさい。わたしは、あなたと共に居る。
一人分の足跡しかなかった。
それは、あなたが人生で一番辛かったとき、わたしは あなたを背負って歩いていたからです。
その悲しみに耐える力を、あげましょう。
喜びも、悲しみも、最後にはすべて、あなたの益となるようにしてあげましょう」
A:仏教〕
「人生は苦じゃ。あんたが不幸になるのは前世が悪かったんじゃ。すべては因果応報、業、カルマじゃ。
世の中に実体のあるものはな〜んも無い。辛いと思うから辛いんじゃ。何物にも囚われんことじゃ」
A:創●学●〕
「それはワシんとこの御本尊様を拝まないからだ〜。
俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたりする〜。
日蓮正宗以外の宗派はすべて人々を不幸に落とすのだw」
http://shunpo.ld.infoseek.co.jp/dakkai.htm 分かり易く言うとこんな感じですか ?
決定的に違うところは仏教は個人で組織に依存してないところだな
185 :
神も仏も名無しさん:2010/05/29(土) 10:43:13 ID:e0QxaMR6
成長の家の教えでは
キリスト教も仏教も同じだそうです
このスレ
終了
>>183 悟りが目的だからね。
還相回向もあるが。
>>186 ちがいますよ
仏教の本質は成長の家らしいですよ
そう聞きましたけど
188 :
神も仏も名無しさん:2010/05/29(土) 15:51:36 ID:3vTuYx6D
業=カルマ=テイルズオブジアビス。
神=ネ申=中川しょうこ。
キリスト教の一派の中には子供でも地獄に落ちる考え方が有るかもよ。
190 :
神も仏も名無しさん:2010/05/30(日) 14:45:59 ID:3IC+oqY2
予言小説 「来たるべき人」
ロシアの有名な神秘哲学者ソロウ”ィヨフが、その著書の中で予言した
サタンの化身=反キリスト。
そこには、30歳から33歳にかけて世界的なベストセラー
「自由な道」を発表した「来たるべき人」が、
大いなる知名度を得た後、EC(ヨーロッパ共同体)の発展形態である
ヨーロッパ連邦の総統になり、
ついには新ローマ帝国ともいうべきヨーロッパ合衆国の
終身大統領=ローマ皇帝に迎えられる、という獣=反キリストの
出現の経過が具体的に描写されている。
191 :
神も仏も名無しさん:2010/05/30(日) 21:02:55 ID:No+IJfeX
>186
部派仏教では、阿羅漢になって涅槃にいたったという人は
おびただしくいるのに比べ、大乗仏教で仏になった、涅槃に入った
という人物はひとりもいないんだって
だって衆生を救うまでは解脱しちゃいけないんでしょ。
よくわからんけど
194 :
神も仏も名無しさん:2010/05/31(月) 19:17:33 ID:FPy2GjIK
195 :
神も仏も名無しさん:2010/06/12(土) 14:01:28 ID:AADonlNd
フランス芸術文化勲章、偉大な日本人受賞者リスト
大屋政子 -実業家・タレント。1979年コマンドゥール
池田大作 - 宗教家。1992年シュヴァリエ
北野武 - コメディアン・映画監督。2010年コマンドゥール
学会の悪口はやめてくれ
キリスト教は突っ込みどころ満載だな
198 :
神も仏も名無しさん:2010/06/26(土) 16:12:21 ID:fOopemiI
>>198 モーセのハイは薬に寄るものか?
証拠は有るのか
200 :
神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 00:27:13 ID:EAriPThU
>>199 ちゃんとソース読めよww
書いてあんだろ
>>200 記事が見当たらんが、取り合えず真に受けるな、な。
202 :
神も仏も名無しさん:2010/06/27(日) 12:04:24 ID:EAriPThU
>>202 ウイルスバスター2010によりWebサイトをブロックしました
このWebサイトを開くとセキュリティを脅かす可能性があります
204 :
神も仏も名無しさん:2010/06/30(水) 23:18:25 ID:2C65mHNo
キリスト教は守らなければならない戒律を神から受け取り、善悪の判断も神が行う。
人間はあくまで不完全で罪人であるから罪を償う為に神に従う。
仏教では仏も人間と基本的になんら変わらない。多数の概念を身に付け何が
良いことで何が悪いことか自分で判断できるようになり、最終的に自らも仏となる。
205 :
神も仏も名無しさん:2010/07/09(金) 16:55:32 ID:O4z7RiXN
7・11のせいで日本中自爆テロの嵐になる。
日本はこの中東屈指の親日国に、これまでさんざん失礼なことをしてきた!
「トルコ風呂」を筆頭に、江頭、お見合いドタキャン、
そしてワールドカップ中継の不当な扱い。
こんどはいやしくも国民の大半がイスラム教徒であるトルコの名を騙って、
イスラム教徒ならその姿を見ただけでゲロを吐くほどけがらわしいとされる
豚肉を!豚肉を!豚肉を!!!!!!!!ッ使ってるんだ!!!!!!!!!!!
許されると思ってんの課!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
まちがってトルコ人がトルコライスのトンカツなんか食べちゃったら、
戦 争 で す よ 。
イスラム教徒を差別するな!!!!!
イスラム教徒を差別するな!!!!!
イスラム教徒を差別するな!!!!!
イスラム教徒を差別するな!!!!!
イスラム教徒を差別するな!!!!!
イスラム教徒を差別するな!!!!!
イスラム教徒を差別するな!!!!!
206 :
神も仏も名無しさん:2010/07/09(金) 19:22:51 ID:kqfTBe7U
77 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2009/04/30(木) 10:27:26 ID:tYbKGLt1
末法仏教徒共はよくいう。ゴータマは信仰を捨てよと言った。とね。
これは大変な誤謬だ。というよりこの馬鹿共は、ろくに原始仏典すら読んだことも
ないのだろう。
〜スッタニパータ
>182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。
>実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」
>183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか?
>いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」
>184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、
>知慧によって全く清らかとなる。」
ここにも書かれているように、ゴータマは信仰の大切さを説いているばかりか、
信仰こそが、この世の最上の富であり、信仰こそが、激流を渡り、彼岸へと渡るよすがとなる
と言っている。ゴータマが否定したのは、当時の誤謬に満ちた、祭祀宗教に成り果てた
当時の自称バラモン達が教えるバラモン教であり、それに対する信仰は捨てろと言ったんであって、
正しい信仰は、むしろ推奨している。業報輪廻転生なのだが、これは凡夫には確かめようのない
ものだ。ではどうしてゴータマの業報輪廻転生を信じるのか?これはもはや、信仰でしかないんだよ。
信仰についても、ぢうせ判断するなら、自分達の都合のいい一節だけ引用して結論
するんじゃなく、賢い人は仏典全体を読んで、筆者の伝えたいメッセージとは何かを読み解くものだ。
君ら偏見に満ちた末法仏教徒達の迷いは、とてつもなく深いものだ。仏典全体を読めば、
どこをどう読めば、ゴータマは、信仰そのものを否定したと言う見解になるのか、不思議でしょうがない。
こいつ馬鹿だろ?2chにはこんな程度の馬鹿しかいないのか?本の注釈くらい読めよ。
それとも自分の主張を馬鹿共に流布するためにsaddhaの意味をねじ曲げる事をわざとやってるのか?
207 :
神も仏も名無しさん:2010/08/12(木) 05:33:52 ID:DIJNFkxx
誰かに祓ってもらうことはできない
自分で祓わなくてはならない
イエスや釈迦が汚れを取ってくれるんじゃない
何もしてくれない
イエスが身代わりになってくれる?冗談はやめなさい
210 :
神も仏も名無しさん:2010/12/15(水) 20:24:55 ID:ApZIQ+am
age
211 :
神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 02:32:34 ID:68Dppshz
212 :
神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 02:33:14 ID:68Dppshz
http://www.studentinjapan.com/a/eni2.html また輪廻転生説は公正をもたらすものだと主張する人たちがいます。
カーマの法則(変わることのない普遍的な法則)によると、
私たちは自分のむくいをその人生に体験するのだといいます。
つまり良い行いをしたり、悪を行なうとそれが次の人生に影響を
及ぼすというものなのです。カーマの考えでは、全ての人が自分の
した悪の報いを受けているというのです。
足がないまま生まれてきた子ども、また暴行を受けた女性は
それぞれその報いを受けているということになります。
そこには「恵み」とか「赦し」、また「あわれみ」
という概念は存在しません。
恵まれない境遇で育った人って、過去世で、とんでもないことばかりしてたんですかね?
213 :
神も仏も名無しさん:2010/12/17(金) 02:35:53 ID:68Dppshz
仏教には,財施(ざいせ),法施(ほうせ),無畏施(むいせ)という
3つの 布施の行があるといわれています.地位や財産がなくても、
誰もがいつでも容易にできる布施の行,それが「無財の七施」です
http://berry.nagaokauniv.ac.jp/home-hal/muzai.html 1 眼 施 がんせ 慈眼施、慈しみに満ちた優しいまなざし
2 和顔施 わげんせ 和顔悦色施、いつもなごやかで穏やかな顔つきで。
3 愛語施 あいごせ 言辞施、優しい言葉、思いやりの態度で言葉を交わす
4 身 施 しんせ 捨身施、自分の身体で奉仕をすること。
聖書には、実際の場面で色々と役に立つ知恵が書かれている。
たとえば「批判に反論するよりも、じっと聞くほうが信頼される」などなど。
仏教は経典を紐解けば世界の謎が解けるというのような教えがあり、
それを解釈すると悟りが開けると考える宗派が多いようです。
ところがそれで悟った瞬間に、実はよく考えて行動しないだけの人になる可能性がある。
経典以外の「人のために生きよ」という教えを実戦するだけの人になるようです。
悟ったと思い込むから、よく考えて行動しなくなるようです。
>>214 ちょっとでもいいから仏典読んでから比較しろw
216 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 00:17:20 ID:6ovi5ikp
目の前に膨大な大衆紙 漫画がある
→読む必要はない
目の前に膨大な経典がある
→読む必要はない
>>214 批判に反論するよりも、じっと聞くほうが信頼される。などといいながら、
よく知らずに仏教批判するのがクリスチャンなのだよ。
218 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 01:34:31 ID:6ovi5ikp
日本仏京にとって
キリスト京は金ずるを横取りされる脅威だから
ネガティブキャンペーンをするだろう
キリスト教にとって、
仏教は、その根幹を全否定する脅威だから
ネガティブキャンペーンをするだろう
220 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 01:41:15 ID:6ovi5ikp
バカ宗教信じているアホは
言葉遊びが好きだろうが
現実的にはキリスト教は
仏教なんてほとんど気にしてないだろう
有無を言わさず爆弾落とす宗教はそうでなくちゃ
222 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 01:51:18 ID:6ovi5ikp
そうハワイにね
バカ宗教信じているアホは
言葉遊びが好きだろうが
現実的には仏教は
キリスト教なんてほとんど気にしてないだろう
224 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 02:00:12 ID:6ovi5ikp
キリスト教15億人
仏教3億人
世界の人と仲よくしたいのなら
キリスト教を気にしようよ
不毛な争いはやめましょう。仏教徒は来世を信じているので
行いを正しくしなければなりません。来世を信じていない
キリスト教の人は理解を持ち得ないのだから、可哀想です。
世界人口69億、
世界の人と仲よくしたいのなら
キリスト教を気にする必要はないな
仏教はどう世界を認識すればいいか、について、キリスト教はどうすれば他人を
助けることができるか、について重点的に考えられてると思う
とりあえず、
六方礼経と慈経くらい読んどけw
ノシ
229 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 02:15:15 ID:6ovi5ikp
来世を信じるかどうかは個人の自由だが
不毛な経典を呼んで
人生の貴重な時間を無駄にしてはいけない
しぶといなw
Godを信じるかどうかは個人の自由だが
不毛な聖書を呼んで
人生の貴重な時間を無駄にしてはいけない
ノシ
>>229 来世を信じないことが人生の時間の無駄です
来世を信じなくてもいいですが、時間が全てパーです。これほど無駄な浪費はありません。
232 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 02:22:17 ID:6ovi5ikp
宗教なんて無駄
>>232 そうですね。宗教は、スピやニューエージの前座みたいなもんです。
234 :
神も仏も名無しさん:2010/12/31(金) 02:29:42 ID:6ovi5ikp
個人個人が 漠然と宗教観があるだろう
来世についても個人個人が思うところがあるだろう
それが 何々教由来と考える時代は終わっただろう
235 :
神も仏も名無しさん:2011/01/11(火) 17:08:13 ID:8UZOdjo9
いまごろ見たけど、大晦日まで皆さん熱心ですね
236 :
神も仏も名無しさん:2011/02/07(月) 01:55:35 ID:uzAQCnCT
プリンスの要請だから仕方なくやらせているが、偶像崇拝の写真撮影などもってのほか!!
と、言わんばかりですが子は抱くの?激しい痛みとか言ってた人がいた。
すし詰めにしてピストン輸送にかかるとか?。
237 :
神も仏も名無しさん:2011/02/13(日) 22:51:00 ID:AzwkoDkE
スピやニューエイジに嵌ってつままれて持ってこられ
せっつかれこずかれ攻撃的に性搾取されてきた人も仏教に触れ安泰ですかね。
「誰が落胆しているか」という問い。そのような餌食になっているエゴの妄想なのです。
眠りの状態が正常な状態なのです。人はある種の平安を見出す。
それが進歩の前兆なのです。
制御と瞑想の間には不断の闘争があります。
瞑想自身があなたを捜し求める事に、あなたは確信をもっていいでしょう。
238 :
谷口雅宣:2011/03/23(水) 21:40:28.67 ID:8zk2GKkB
『真の裕(ゆた)かさは愛の心にある』
意識の世界に於(お)いては物質の豊富よりも、
愛念のゆたかさによって、幸福の幅と広さと深さとが変わって来るのである。
物質の豊かさによる幸福は儚(はかな)いものであるけれども、
愛の豊かさによる幸福は、愛は神より来り、神は永遠の存在であるから、
永遠に消えることはないのである。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様有難うございます
守護神様有難うございます
天皇陛下有難うございます
仏教ではカレーをたべます。キリスト教ではたいていビーフをたべます
240 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 04:59:24.04 ID:qMNF7kCP
結婚しようとも思わない、何か長持ちするものを作ろうとも思わない
宗教と言うのは、「宗とする教え」の事を言う
父や母、教師、友達に言われたことですら捨てないといけない
世間で言われてることはすべて否定する人間になる
当然バスに乗ったりして人を見に行く
バスがきちんと目的地に行くと信じて
金が増えれば幸せになれるとは思ってないし
幸せは一律とも思ってない
一体何を目的にして生きてるのかわからないのが多いが
お父さんには解る事。
とはいえ本能のままに生きることもできない。
それは一種の、欲望信仰だから。
241 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 07:53:38.01 ID:jBaaJVnR
キリスト教は、神を信じれば救われるかもしれないという宗教で、
その開教の契機は、キリストの復活、ペンテコステ、聖霊降臨、奇跡にある。
ほぼ徹頭徹尾不合理である。教義に観られる若干の合理性は、ほとんどギリシャ的なもので、ほとんど仮面だと思われる。
これに対して仏教は、釈尊が自分で体得した楽に至る道であり、信じるなら実践してくださいというもの。
完全に楽になった仏、楽になる教えである法、その法を伝える僧という三宝を信じ、
僧から教えである法を聞き、その法の意味を思索して了解し、了解した法を修行するという聞思修という三学によって仏に至る道です。
ほぼ徹頭徹尾合理的です。
それは初期仏教の特徴で、
国内の仏教は、かなりキリスト教化してますよ。
243 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 14:48:14.21 ID:jBaaJVnR
>>242 >それは初期仏教の特徴で、
そんなことないですよ。
大乗仏教の方が、見解が高いので常識では理解しずらい所はありますが。
>国内の仏教は、かなりキリスト教化してますよ。
キリスト教の影響を明らかに受けてるのは、浄土真宗の清沢満之の見解に従う見解ですね。
確かに浄土教はキリスト教に一見通じるように見えますが、
よく知れば全く違うという分かると思います。
浄土教に関しては山口益先生か七里恒順先生のものを読むのがいいと思います。
科学的な合理性を求めるなら、釈迦直伝の初期仏教だと考えます。
それ以降の仏教は、キリスト教同じく物語信仰的な非合理の世界観が多く見受けられます。
そもそも、釈尊は得体の知れない神や仏や、
また信仰なども否定しております。
滅後、かってに神格化され信仰の対象となってる事など、
釈迦の本意ではないと考えています。
246 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 20:27:27.01 ID:jBaaJVnR
>>244 >科学的な合理性を求めるなら、釈迦直伝の初期仏教だと考えます。
はて? その科学とは、ただの素朴実在論や、本質の同一性を前提とするような論理学ですかな?
だとしたら、それは縁起と全く相容れない。
それこそが我・本質に他ならないのですが。
>>245 >そもそも、釈尊は得体の知れない神や仏や、
>また信仰なども否定しております。
恐らく、アナタは伝統にも依らず、原典を読まずに和辻とか並川みたいな常識に阿った出来の悪い学者の説に依っているだけだと察しますが?
パーリ・ニカーヤでも北伝系の梵蔵漢のアーガマでも神も仏も信仰も認めてますよ。
「信仰を捨てよ」という文は、確かにありますが、それは単に今までの古い信仰、別の教えへの信仰を捨てよという意味であって他ではありません。
速くそんな適当な仏教観は捨ててください。
実に、信仰とは盲目的なものですな。
根拠の無い、実証もされたこともない、
不合理なものだからこそ、信仰が必要となりますし、
教義の違いによる宗教戦争が今もたえないわけです。
科学で戦争が起こったことは、無いわけですから。
正しいか、間違っているかそれだけです。
間違いであれば正せばよい。
そもそも、信仰が必要となるような、摩訶不思議なものたちは、
実証しようという試みすらされないわけですが。
248 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 20:58:11.96 ID:jBaaJVnR
>>247 >正しいか、間違っているかそれだけです。
>間違いであれば正せばよい。
正にこの言葉がアナタの頭に降りかかるでしょう。
なぜなら、以下の言葉は文献的に容易に反証されることですから、
この間違いが認められず、ただせない。なんともはや。
>
>>245 >>そもそも、釈尊は得体の知れない神や仏や、
>>また信仰なども否定しております。
>実に、信仰とは盲目的なものですな。
アナタが信仰なしに生きてると思っているなら、それはただ自省なく愚かだと告白するようなものですよ。
なぜなら、アナタの今日の短文から、容易に素朴実在論、あるいは亜科学信仰が強烈に匂い立っているからです。
>根拠の無い、実証もされたこともない、
いえ、仏教は根拠も実証もありますよ。
ただ、アナタが知らないだけです。
>不合理なものだからこそ、信仰が必要となりますし、
>教義の違いによる宗教戦争が今もたえないわけです。
これもセム系宗教には当てはまりますが仏教にはあて嵌りません。
249 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 21:01:41.99 ID:jBaaJVnR
>>247 >科学で戦争が起こったことは、無いわけですから。
例えば、共産主義は科学を詠ってますから、簡単に反証されちゃいますね。
単にアナタが無知で何も知らない、唯、唯、常識に安住してるだけってことでしょう。
それを自覚してくださいね。
実証といってるのは、訳のわからない教典同士を比較してるだけでしょう。
大学とかでよくやってますけど、それ意味ないですわ。
信仰対象となってる、どっかで聞いたことのあるような根本の神仏さまの
存在が確認されたとか、聞いたことも無いですわ。
実証というのは、それを実際に行ってみて、
自身がその効果を確かめられるかという事をいっとるわけです。
経典を暗記して、唱えても意味ないですわ。
書かれたことを実践してみて、効果を得てみろといっとるわけです。
密教の修行の方がまだましですな。
釈迦とは全く関係ないですが、摩訶不思議な効果は体感できますわ。
ゆえにその術は使えます。
信仰が必要になるのは、盲目的に信じる事が必要とされるからです。
ちがうもの同士を信仰する者たちが、結果争うことの原因にもなるわけです。
今の日本の仏教も同様。話し合いの余地ないです。異端ですからね、お互い同士。
ああ、悲劇的です。
251 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 21:57:09.15 ID:jBaaJVnR
>>250 みっともない。アナタは自分の発言である以下の誤りが認められないので、
ただゴネてるだけですよ。ヤクザと一緒。
>>
>>245 >>>そもそも、釈尊は得体の知れない神や仏や、
>>>また信仰なども否定しております。
実証というのは、文献学などではなく、伝統仏教における追体験を指します。
2500年ほど聖者によって実証されてきました。
今でもビルマとチベット系で、たくさん実証されている方が存在します。
ただし、西洋近代主義が前提とするような普遍妥当性ではありません。
普遍妥当性こそ、妄想だというのは現代の量子論などでも観測されるでしょう。
>今でもビルマとチベット系で、たくさん実証されている方が存在します。
原始仏教の体験と思いますが、それは釈迦の追体験の事ではないですか?それは誰も否定していませんが。
釈迦の教えを守る原始仏教と、
国内のキリスト的物語的大乗の教義は全く事なると思います。
大乗のご本尊様の実証は確認されたのでしょうか?
その方の功徳がなけれが無力だとおもうのですが。
間違いであれが正してください。
釈迦直伝の原始仏教は、科学的論理的で釈迦が体得した境地を追体験可能ですが、
大乗は、口悪く言うと非科学的非論理的でとても出来ないものと考えます。
大乗は仏様神様が存在しなければ、
全く成り立たないものと認識しています。
そもそも、念仏をとなえたところで何も変わりません。だれも助けてくれません。
253 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 22:26:09.48 ID:1sQHqnMY
キリスト教は質問に対して、イエスと答える。
仏教は質問に対して、ほっとけ と言う。
誤:>そもそも、念仏をとなえたところで何も変わりません。だれも助けてくれません。
正:>そもそも、誰もいない所に、念仏をとなえたところで何も変わりません。だれも助けてくれません。
255 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 22:34:32.11 ID:jBaaJVnR
>>252 >大乗のご本尊様の実証は確認されたのでしょうか?
>その方の功徳がなけれが無力だとおもうのですが。
>間違いであれが正してください。
本尊が実在するという見方は、既に縁起・空が分かってないだけのことです。
>釈迦直伝の原始仏教は、科学的論理的で釈迦が体得した境地を追体験可能ですが、
>大乗は、口悪く言うと非科学的非論理的でとても出来ないものと考えます。
全くの誤解でしょう。典拠はなんですか?
>大乗は仏様神様が存在しなければ、
>全く成り立たないものと認識しています。
>そもそも、念仏をとなえたところで何も変わりません。だれも助けてくれません。
上に書いた通りです。
山口益先生の『仏教思想入門』を読むといいと思います。
256 :
神も仏も名無しさん:2011/03/27(日) 22:42:52.66 ID:IjVO61NK
仏教は
何もしない
ご愁傷さまとしか...
大乗仏教が偉いとおごる人はこんなもんなんですか?
悲しいです。
信仰は捨てましょう。
脱会も難しいでしょうし。
釈迦も、教えが宗教化することを恐れたと推測します。
>>256 よくご理解されている。
他からの救いも無いのです。
>>258 中論は、大乗、原始仏教、どっちだい?
>>252を読む限り、大乗仏教どころか日本仏教すら見えていないのが明白だな・・。
学部一年生からやり直して来い。
ましてや追体験云々なぞ百億年早い。
260 :
神も仏も名無しさん:2011/03/28(月) 06:07:03.30 ID:R9i5ac3f
>>257-258 いやはや、何も知らないのに、なんで釈尊の意図が分かるのか
>>259 >中論は、大乗、原始仏教、どっちだい?
そりゃ、大乗に決まってる。
カルパハナなどが指摘した典拠がアーガマだけというのは、
部派にも抵抗なく受け入れられるように書いただけだと思われる。
宗教に関わる人間は世間一般の価値とは反対を行く。それは当たり前。世間でクスリとされるものが宗教からみたら毒なのだから、すべて粉砕してしまえ
俺は仏教徒だけど、妻が「宗教ぎらい」で、時々カッ!となってぶん殴ることもあり、世間一般の薄っぺらい価値観に従う虫けらと気づいた時点で離婚を切り出した。まあ、娑婆の無責任な人間がどうなろうと知ったことではない
怒るのは心が地獄におちてるよ
間違ってる仏教は地獄におちやすいよ
264 :
神も仏も名無しさん:2011/03/31(木) 15:37:03.83 ID:uevE1kwp
これしか仏教じゃないよ
266 :
神も仏も名無しさん:2011/03/31(木) 20:02:20.93 ID:uevE1kwp
>>265 日蓮は仏教じゃないだろ。
三宝に帰依しないは、我が強いは、政治家でナショナリストのトラブルメーカー
きっちり、麻原に被る
267 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 01:32:58.01 ID:jk56B+3w
キリスト教と仏教の本質的な差異
【1】時間認識的世界観の差異
キリスト教:直線的な時間認識に立つ。創造→終末 が明確
仏教:円環構造的な時間認識に立つ。創造/終末 は不明確
【2】超越的次元の存在の差異
キリスト教:神は絶対的な創造主であり、超越的である。
人の子イエスは三位一体を構成する、受肉した神である。
人は死後、最後の審判を待つ。
仏教:絶対的な超越者はいない。解脱は輪廻の輪から脱却することであり、
解脱者そのものが超越的創造主であるわけではない。
人は死後、あらゆる何かに転生する。
【3】聖典/正典の存在
キリスト教:『聖書』が唯一絶対である。
仏教:唯一絶対の正典は持たない。
268 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 05:09:25.11 ID:cBWdyNYs
269 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 08:15:22.65 ID:RwdUDrjc
>>241 キリスト教では神とは三位一体の神のことだけど、
仏教は誰?宗教なら神がいるはずだけど。
あと合理、不合理の 意味がよく分からないな。
キリスト教では神の教えに従ったものだけが天国、逆らったものは地獄。
これ程明確で合理的な教えはないと思うが。
270 :
hitomi-k:2011/04/01(金) 08:21:35.19 ID:APWe5OjC
確かなことは、ブッダもキリストも、
地球が丸いことを知らなかったことでは?
271 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 09:33:07.54 ID:cBWdyNYs
>>269 >キリスト教では神とは三位一体の神のことだけど、
そもそも三位一体が不合理じゃないか
>仏教は誰?宗教なら神がいるはずだけど。
なんで居る必要があるのか?
>あと合理、不合理の 意味がよく分からないな。
>キリスト教では神の教えに従ったものだけが天国、逆らったものは地獄。
>これ程明確で合理的な教えはないと思うが。
キリスト教の教父自体、その不合理性を認めてるでしょ。
そもそもキリスト教は、パステスマを信じるか信じないかや、
ロマ書3.28のように単に「信じるものは救われる」という、
信じるか信じないかだけでしょ。これは君も言っている。
しかしながら、これを合理的と言うのは相当宗教的に偏向していると言わざるえない。
合理性というのは、一般的に論理的整合性があること、
筋道が通っていることを指す。
ところが、キリスト教は、あらゆる面で筋道が通ってないだろう。
例えば、「信じるものは救われる」というのは何故か?
ブッダは地球が丸いことも青いことも知っていたと思うよ…だって一切知者だから。ビートルズの歌にもあるだろ?ビコーズザスカイイズブルー?イッツ・メイクスミークラ〜ア〜アイって…ブッダはとなりのトトロも知っていた。トトロの樹は有名(インド通なら)
273 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 11:21:24.60 ID:RwdUDrjc
>>271 宗教とは神の下での人間の活動、
信仰とは神の教えを間違いないこととして疑いを持たず信じるということでは?
でカトリックにおいて必ず信じなければならないことは、
1.三位一体
2.キリストの復活
キリスト教(カトリック)では最低これは絶対信じなければならない。
で、三位一体とは神の位格(ペルソナ)が三つあること。
ちなみにペルソナとは知性と自由意思をもった霊魂のことで、
それを持っているのは神と天使と人間のみ。天使と人間はもちろん一つだけ持っている。
274 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 11:22:43.14 ID:RwdUDrjc
第一位のペルソナが父なる神、第二位が子なる神イエズス・キリスト教、第三位が聖霊。
三つあると言っても、多神教のように三つの神がいるわけではなく、
分かつことなく三つのペルソナは完全に一致し、一つであり、初めも終わりもなく永遠の存在。
その教義はある程度人間の知性で理解できるが、神の究極の奥義なので完全には理解できない。
275 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 11:28:53.54 ID:RwdUDrjc
信じるものは救われるとあるが、厳密に言うと、
信じることができれば救われるということ。
実際
>>271さんは三位一体を信じることができないし、
100パーセントカトリックの教義を信じることができるものが天国に行ける。
明確で合理的じゃないかい?逆に仏教はどうなの?
俺には仏教は曖昧で何が仏教の教義なのか宗派で全くバラバラだし、
そもそも神自体がどういう存在なのかはっきりしない。
是非明解な説明を聞きたい
276 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 11:51:57.04 ID:cBWdyNYs
>>273-275 一応、キリスト教史とか読んだから、そのぐらいは分かるよ。
>>275 >100パーセントカトリックの教義を信じることができるものが天国に行ける。
>明確で合理的じゃないかい?
その文だけは筋が通ってるよ。例えば、「交差点で三時にお祈りすれば天国に行ける」という文も筋は通ってる。文としてはね。
しかし、その根拠を合理的に説明できないという意味で、不合理なわけだ。
合理的だってんなら、説明してくれよ。
君が説明したのは、とにかく信じろということだけだぜ。
その合理性が全く示されてない、例えば、三位一体とキリストの復活(ペンテコステ、聖霊降臨)を信じれば、なぜ天国へ行け、信じないとなぜ天国へ行けないかが全く説明されてない。
この問題については、オイラが知る限りキリスト教神学では未解決なんで、
説明できる人はいないと思うぞ。
不合理故に我信ず、とかの無茶なヤクザ論理しかないと思う。
あるなら、教えてくれ。
オイラは
>>241で仏教についても説明してるぜ。
277 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 12:16:06.12 ID:RwdUDrjc
>>276 ならなぜ三宝というのを信じなければならないの?
キリスト教の教義を信じることとどう違うの?
>>277 仏…苦の滅を体現し、その理と行(≒方法論)を示したから。
そして、そのようにして到達し得るものだから。
法・・・世の在り様・人の心の在り様(≒苦)及び苦の滅への理であるから。
そしてそれは万人に検証可能だから。
僧・・・そうした「おしえ」を自ら行じ、体現し、且つ、そうした理を説く者達だから。
279 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 13:10:27.03 ID:cBWdyNYs
>>277 必ずしも信じなくてもいいよ。
信じなくても独覚のように解脱できるものもいるから。
しかしながら、そのような人はまれだから、
完全に解脱した人である仏と、その解脱への道を教える法、
その法を伝える僧という三宝に頼る方が確実だから、信じるわけ。
しかも、信じるのは盲信するわけではなく、自分でよく検討して、
納得して三宝に帰依してくださいというんですが。
譬えていうなら、巧みな演奏家がいて、彼の楽譜と奏法を伝える団体がある。
優れた演奏をできるようになるには、独学でも可能だが、
現代の演奏家を観れば分かるように、ほとんどそのような伝統を伝える所で学んでるでしょ。
まして、覚りへの道は、より微妙で難しい独学はほとんど不可能。
だから、三宝を信じるわけだ。
なぜなら、信じずには学べないからだ。
なぜかというと、もっとも重要な部分は自分の認識誤りを修正することにあるからだ。
例えば、世間で認識が異常な精神患者が、治療するために医師を信頼しなければ、自分の誤った認識や習慣を改めることができないように。
分かった?
280 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 13:11:36.65 ID:RwdUDrjc
>>278 いや、だからなぜそうした者達の教えを信じなければならないの?
それは正しいことなの?正しいとしたならなぜ正しいの?
>>280 >>279にもあるけど、「must」じゃないよ。どちらかと言えば「advice、recommendation」。
「もし望むなら選びなさい、信じなさい」ということ。
仏教は、「必要な者に対して開かれた門」なんだよ。門の前を通り過ぎてもいいし、潜ってもいい。
ただ、潜るなら、潜ろうと思うなら信じなさい、ということ。
282 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 13:27:15.81 ID:RwdUDrjc
>>279 悪い、下まで読まないで書き込んでしまった。
独覚のように解脱できるとは具体的にどういうこと?
あと三宝とは何?
確実かどうかは別にして、なぜその三宝を伝える僧の言うことを信じなければならないの?
キリスト教では神は全知全能で完全な善で、
間違いはないからその教えを信じるんだけどね。
その僧は間違いを犯さない神なの?
仏教では僧の言うことは絶対間違いないという教義(ドグマ)があるの?
あとキリスト教(カトリック)も自分でカトリックの教義、ルールを学び、納得した上で洗礼を受けるんだぜ?
自由意思でね。あなたの言うことと変わらないんだけどね。
283 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 13:35:42.55 ID:RwdUDrjc
>>278 仏というのは神じゃなくて人間なのかい?
具体的に理と法とはどういうこと?
行とは具体的に何をすることなの?
悪いが説明が抽象的過ぎて分かりづらいんで
284 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 13:55:41.75 ID:cBWdyNYs
>>282 君、文読めないか、読んでないでしょ。三宝について説明してるぜ。
>キリスト教では神は全知全能で完全な善で、
>間違いはないからその教えを信じるんだけどね。
>その僧は間違いを犯さない神なの?
それを保証するものは何もないでしょ。
逆に反証ばっかだ。神の国は来ないは、ユダヤ、キリスト、イスラムに分かれてるは、その三宗教のせいで争いばっかだし。
>あとキリスト教(カトリック)も自分でカトリックの教義、ルールを学び、納得した上で洗礼を受けるんだぜ?
>自由意思でね。あなたの言うことと変わらないんだけどね。
それは違うだろ。中世なんか強制だし、異端審問もあったわけだし、
ユダヤ、キリスト、イスラム、及び、カトリックとその他の宗派で常に殺し合いしてきたし。
全然違うよ。ブルトマンとかは結構賢いと思うが、シュバイツァーの宗教論とか君よりはちょっとはましだが、大同小異でぜんぜん話にならんな。
要するに正しいと信じるから、正しいと言ってるだけだよ。
>>282 演奏家の喩えを読んで無いのか?w
>その僧は間違いを犯さない神なの?
んなわけ無いw
未達の者が殆どだよ。つか、寧ろ、「未達の者の共同体」が「サンガ、僧伽」(“僧”の語源)と言っていい。
達したならば、彼は“仏”(≒阿羅漢)だよw
だからこその、戒であり律であり学処なわけさ。
(参:
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1300383406/33)
>>283 >仏というのは神じゃなくて人間なのかい?
当たり前ですwww
>具体的に理と法とはどういうこと?
278内の「理」は、仏教内の術語としての理じゃなく、理論・理屈・整合性といったような意味。
「法」とは、最広義は「世の在り様の理(ことわり)」、中義としては「釈尊が説かれた内容」、
最狭義としては、涅槃へ至る爲の方法論。
>行とは具体的に何をすることなの?
「諸法(諸々の存在(想い・感情等含))が縁起性のものであることを知る・見る」
「八正道〔見・思・語・業・命・精進・念・禅定〕の実践」。
見は上の文。思は決意・向上心・求道への真摯な思い、語は嘘をつかない・戯論に興じない、
業は悪を爲さず善を爲す、命は日々の生活の端々まで、善く、清く、清浄たること、
精進は求道に際しての真摯な努力、念は常に気をつけ、自省・自戒を怠らないこと、正確に観察すること(→四念処)、
禅定は、正確な方法で瞑想すること。
>>285訂正
あ、「法」の最狭義は「(諸々の)存在」だなw
「方法論」は、中義の「説かれた内容」に組み込まれるべきか・・。
287 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 14:18:51.27 ID:cBWdyNYs
>>285 >未達の者が殆どだよ。つか、寧ろ、「未達の者の共同体」が「サンガ、僧伽」(“僧”の語源)と言っていい。
ちがうぞ。本来、サンガは聖者のみ。『要語』のこの記述は秀逸で感動的ですらある。
凡夫の僧はオマケ。
>>287 それは、律蔵大品等の定型句による「開法眼→受戒(≒サンガ入団)」をベースにしてるんだろうが、
実情に即していないと思われる。
>本来、サンガは聖者のみ であるなら、「律」など不要だ。
随犯随制されてきた“事実”は、そのまま「未達の者、これから行じ始めようという者が、サンガ内に居た」ことを意味する。
建前・理念、或いは原初の形態はそうであったかもしれないが、それは長く続かなかったと見るべきだろう。
289 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 14:41:35.14 ID:RwdUDrjc
>>284 >>241のことかい?
楽になる法=三宝?としか書いてないが。
じゃあ楽とは?法とは何?
具体的に仏になるとはどういう状態なの?
そのためには何をするの?
どうも専門用語?が多過ぎて分かりづらいんだよね。
ちなみにキリスト教では目的は天国に行くことで、
そのためには教義を信じて守る、十戒を守ることだから。
290 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 14:52:13.40 ID:cBWdyNYs
>>289 いや、単に君が文章読解能力ないだけだろ。以下の部分だ。
>>241 >完全に楽になった仏、楽になる教えである法、その法を伝える僧という三宝を信じ、
>>279 >完全に解脱した人である仏と、その解脱への道を教える法、
>その法を伝える僧という三宝に頼る方が確実だから、信じるわけ。
こんな短文も正確に把握できないんだから、文字による議論は無理。
よって、オイラは君との話はおしまいにするよ。
291 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 14:52:28.28 ID:RwdUDrjc
>>284 保証するものはあるよ。全知全能の神であるイエズス・キリストの存在。
ちなみに釈尊は神なの?普通の人間でしょ?
>>289 >どうも専門用語?が多過ぎて分かりづらいんだよね。
お互い様だろ?www
自分の使うキ教用語は、(その解釈も含め)一般的だとでも思ってんのか?
(だから、西洋系思想、キ教系の傲慢さは、仏教インテリ以上なんだよw
自分達を中心に世界が回ってると思ってやがる。 反吐が出るぜw)
293 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 14:55:27.89 ID:RwdUDrjc
>>290 そういうこと言ってるんじゃなくて、解脱とか、法とか、理とか、
日常で使う分かりやすい言葉で、具体的にどういう内容なのか教えてもらいたいだけだよ。
それじゃ仏教を学びたいまるで知識ない人にどういう風に教えるの?
学びたくても学べなくないかい?
294 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:02:03.58 ID:cBWdyNYs
>>288 いや〜、それは言葉の対象を一義的に取りすぎてると思うよ。
少なくとも帰依三宝の僧宝は、『要語』107以下のことだと思うよ。
確かに僧団としての僧は、もちろん凡夫も含むものだけど、
それは水野先生がいうようにオマケじゃないか?
『遮破戒経』に釈尊が信仰によって与えたものを享受する罪悪を教えた時、五百のビクが不浄な戒律なので信仰によって捧げられた食を享受することができないと言って還俗しました。
他のビクが彼らを貶めたので、教師が「そう言ってはならない。後悔を持って家に居る者は信という法だから、これらが死んでトゥシタ天に生まれ、後にミロクの集会に始めに入るだろう」と仰られました。
また、二百のビクは涙を流して、「私たちは死んでも果は得られるまで、信仰によって与えられた行乞を一口も享受すべきではない」と言ったので、教師は「聖者よ! 善いかな」というお言葉を賜れました。
『ミロク獅子吼経』にも「一日に百度出家を捨てることは、不浄な魂の戒律で信仰によって与えられたものを享受こと、そうではいけない」と、『ビク親愛経』に「出家の学処を学ばずに出家の装いをして財を用いる者は、正直な在家になるのが善い」と説かれました。
ですから、具える功徳と放つ功徳の二つを具えた方以外、信仰によって与えられたものを一口食べても千倍の報いを味合わなければなりません。
曰く経典に「施主が信仰によって与えられたものは、具え放った私は許される。具えない者が一口食べても、 [困難に] 直面しスメル山ほど食べるだろう」 と説かれました。
『律分別』に「炎立つ鉄球を食べるのはよいが、戒律を犯した破戒者は行乞を食ざれ」と、
また『ネハン経』に「第二に焼け石を食べるることや、銅溶液を飲んでもいいが、自分に戒が無いものが信者の食を無理矢理に食べてはいけない」と、
また『宝積経』にも「破戒者たちが法衣を纏っても信によって与えたものを消費することは焼けた錐を飲むのと同じだ」と説かれています。
>>293 連投規制3回、一レス32行・180KB、の制限の中で何を期待してんだ?
本屋で立ち読みしてこいよ。
てか、ネット環境あるなら、Wikiの仏教関係の項を読んでみようとすら思わないのか?
どれだけ他人任せだよwww
このようなスレタイに書き込んできて、【且つ、大上段にキリスト教の優位性をぶち上げる】レスを重ねてれば、
対話者は、【当然、両者についての基礎知識を踏まえた上】だと認識するさ。
それを、兎の毛ほども仏教について知らないようだから、
(レスの制限の中)噛み砕いて解説してやったのに、それは無視。
ただただ「ねぇねぇ、わかんないよ。教えて教えて〜w (゚∀゚*)」とねだるだけ。
自分で調べようなんて、これっぽっちも思ってない。
あまつさえ、自分の読解力の欠如、先入観による誤解・誤読を相手にせいにする。
お前は人間として最低だよ・・。屑野郎が・・・ ( ゚听)、ペッ
296 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:09:11.99 ID:cBWdyNYs
>>292 いやいや、キリスト教に比べて仏教は格段に難しいと思うよ。
縁起・空・仮設なんて分かってる人が少ない。
それに対してキリスト教の本質は、ペンテコステや神を信じるか信じないか、
それだけだから。
諸教父や神学者の理屈は、ほとんどギリシャ、アラビヤ系のものにユダヤと東洋思想が入っただけだし、キリスト教自体に理路整然とした合理的体系はもともとないから。
素朴な奇跡信仰に歴史が長いので、理屈がついて体系が立てられただけ。
297 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:14:24.93 ID:cBWdyNYs
>>295 >ただただ「ねぇねぇ、わかんないよ。教えて教えて〜w (゚∀゚*)」とねだるだけ。
>自分で調べようなんて、これっぽっちも思ってない。
そりゃそうだろ。どうせ、質問攻めにして矛盾が出たとこ突いて、
「ほら、やっぱり間違ってますね」って言いたいだけなんだから。
>>296 人口に膾炙している「天国」「地獄」と、キ教で言う「天国」「地獄」は、
その解釈、意味するところが同じだと思うかい?
「神」概念についてはどうだい?
「教会」の意味するところは?「愛」とは?「赦し」とは?「原罪」とは?「キリストの血と肉」とは?
「三位」とは?「父と子」とは?「イエスは人の子であり且つ神の子である」とは?
どれもこれも、説明無く理解できるかい?
そういうことを言ってるんだよ。説明なくして理解できないのはどちらも同じだ。
299 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:20:30.28 ID:cBWdyNYs
>>298 そりゃ、違うでしょ。
でも、辞典とか概説よめば、そんな難しくないと思うよ。
それに比べて、縁起・空・仮設は難しいでしょ。
300 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:25:07.92 ID:cBWdyNYs
補足しとく。
どの程度難しくないかといえば、オイラの感覚ですが。
ハイデガーやブルトマンの歴史解釈は、ちょっと難しいけど、熟読すれば直ぐ分かる。
それより、キリスト教神学は難しいようなものには思えない。
まあ、オイラの浅薄な理解だけど。
それに対して縁起・空・仮設は、何年もかかってやっと分かった。
このぐらい違いがあるということ。
>>299 だからw
そういう深深の真意を言ってるんじゃないよw
今の(対話の)流れでは、辞書や解説書レベルの知識(→つまり、自分で簡単に調べられる知識)について、
「それを付加して用語を使え!」と、奴が喚くから、指摘したんじゃないか。
そんな深意を言い出したら、キ教だって同じだと思うよ。
キ教的実践をしていない貴方に、解説書以上の評ができるのかい?
それはあまりにも傲慢だと思うぞ。
302 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:34:15.10 ID:RwdUDrjc
>>295 気を悪くしたら申し訳ない。
ただ仏教が合理的でキリスト教が合理的じやないとか、どこからそういう考えが出てくるのか疑問だったから。
ちなみに俺は求められればキリスト教の教えを分かりやすく説明するがね。
303 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:41:06.20 ID:RwdUDrjc
>>297 矛盾があったらそれは間違いな思想かもしくはその思想をよく理解してないかどちらかだと思う。
俺の仲のいいカトリックの信者さんは、俺のどんな幼稚な質問にも分かりやすく説明してくれたし、
矛盾見出だせなかったけどね
304 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:43:09.39 ID:cBWdyNYs
>>301 ですから、浅薄なオイラの感覚ではと言ったのですが
キでいいと思うのは、ベネディクトゥス、ベルナルド、フランチェスコなどの修道士。
トマス・アキナスやルターもそんなとこがある。
で、修道士は、どうもキリスト教っぽくないんだよね〜
行者っぽくて。
彼らのやってることは、どうも思・修っぽい。
ただし、止どまりだと思うけど。
305 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:56:52.88 ID:cBWdyNYs
>>303 そりゃ、君がアホなだけだろ。
教父が「不合理故に我信ず」と言ったことを君は軽視するわけだ。
ローマ教皇庁が1992年に天動説を放棄し、地動説を承認した。
これはそれ以前の態度と矛盾しないのかい?
306 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 15:56:59.77 ID:0OjjjUEV
どこへ行ったかと思いきや、こんなところで遊んでのかい?セブンと縁起一代はww
哲板や神社仏閣はあきたか?w
>>294 言いたいことは解るが、貴方の謂いもまた、一義的なもの(「聖者(の集まり)を指す」)だということに気付こうw
喩えて言えば、(その成立順序は逆だが、相互の関係性として)、
レスキュー隊員も一般消防士も、どちらも消防隊員であることに変わりはない。
この時、消防隊員とはそもそもレスキュー隊員(より優れた資質を持つ者)のことを指す、というのも、
一般消防士のみを指す、というのも、どちらも一義的なものだろ?
そして、レスキュー隊員のみを消防隊員とするのは、実情に即したポピュラーな語義ではない、ということさ。
或いは、消防士と地域の消防団員でもいい。外野にとってはどちらも消防士さんだ。
(こっちの方が、より当てはまるかな?)
>>302 >>277へのレスに対する
>>278が「三宝」の列挙だと気付かなかったか?
>>285も読んだか?
そういう反応無くレスを重ねるから、“いちびってる”ようにしか見えんのさ。
しかも277の問い方は、【既に「三宝」について知っている】上でないと(普通は)出てこない問いだよ。
そして、
>>280とレスを続けているから、論点は
《『「三宝」とは何か』でなく、(→「三宝」とは何であるかを踏まえた上で)、『「三宝」信じる(べき)理由』を問うもの》
だと、普通は流れを理解する。だから、「初学者へ説明するが如き解説」を省いた形で術語を使用し続けることになる。
「三宝」が何かを知らなければ、【普通は】277を問う前にその語義を尋ねるもんだ。
でなければ、何を聞いても(信じるに値する理由を聞いても)チンプンカンプンの筈だ。
だから、ふざけるな!となるw
>>306 一般ユーザーは、3ヶ月置きくらいしかスレ建てられないからねw
>>296 釈迦の創始した教えに神などない。
∴
宗教ではない。
どっちかというと、科学だ。
ちなにみ、一般にいうところの仏教は、釈迦の教えではない。
なのに、仏教って何?って問われると、釈迦の教えの部分だけ選んで抜き出して説明しやがるから、
わけワカメになる。
310 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 20:28:37.26 ID:cBWdyNYs
>>309 いやいや、君こそほとんど何も知らないんじゃないか?
どっかで、読んだようなテキストだなw
XdrlpART みたいなシッタカじゃないよね?
>>306 いえいえ、飽きるなんて。場がないだけのことですよ。
311 :
神も仏も名無しさん:2011/04/01(金) 23:22:02.09 ID:RwdUDrjc
ようやく分かった。
>>241の言うことは大体当たってるか。
キリスト教は神の神による神のための教え。
仏教は人間の人間による人間のための教え。
>>241ではキリスト教は不合理とあるが、正確には非科学的、非現実的って意味だろ?
キリスト教は神の啓示による超自然的な教えだから。信仰のない人間から見たら非現実的にしか見えない。
>>241の教えはより良い人間になるための方法、処世術。宗教とは違う。
だから
>>241のいう仏教とキリスト教は比較するのが間違ってる。
処世術と宗教は違う次元の話だから
312 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 05:53:20.51 ID:5Guws04x
>>311 >
>>241ではキリスト教は不合理とあるが、正確には非科学的、非現実的って意味だろ?
全然違う。なんでそんな理解になるのか理解に苦しむ。
君は基本的知識を欠いていて読解力や理解力がはなはだ弱いと思う。
仏教も所謂、科学という意味で使われる素朴実在論や本質主義とは全く相容れない。
合理的というのは、筋の通った説明体系が提示されるという意味。
言い換えれば、説明体系に論理的整合性があるということ。
キリスト教の場合は、ギリシャ的論理性を取り入れようとパウロ以来努めてきたが、そのようなものは達成されなかったというのがキリスト教史を教えるところ。
>キリスト教は神の啓示による超自然的な教えだから。信仰のない人間から見たら非現実的にしか見えない。
だから、「不合理故に我信ず」ぐらいしか言えないってことだ。
ところで、君は「不合理故に我信ず」って言葉、知ってるのか?
オイラは君がキリスト教に関する基本的知識も欠いているように思える。
>
>>241の教えはより良い人間になるための方法、処世術。宗教とは違う。
>だから
>>241のいう仏教とキリスト教は比較するのが間違ってる。
>処世術と宗教は違う次元の話だから
仏教は「より良い人間になるための方法、処世術」みたいなつまんないものじゃない。
仏教から言えば、キリスト教の神も輪廻にいる、輪廻に居るものの教えによって、輪廻から解脱することはできない、と言われる。
313 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:01:18.10 ID:5Guws04x
以下、仏教思想入門 / 山口益著、東京 : 理想社, 1968、109-113頁
これを辞書ひいて十回ぐらい読んでくれ。
さて仏陀は、彼に正覚の開発されていった前夜において、直前にいう縁起の道理を繰り返し繰り返し観察し、<如実>を知見するはたらきを透徹して、虚妄の心を克服し、迷妄から解脱して、正覚の智慧に到達して仏陀となった。
従って、彼れ仏陀にとっての真実・まことなるものとは、その縁起の道理であった。彼はしばしば、
この縁起の法(=道理)は、その法を覚証する如来(仏)が世に出ても出なくても常住であり、法住(まこととして定まっているもの)であり、それが真如であり不顛倒である。
云々の語を繰り返す。「仏が出世にも不出世にも常住である」ということは、その縁起の道理が、とりも直さず永劫の真理であることを示している。
仏陀は、その真理を自ら覚って、迷妄を解脱し、作すべきことを作し了えた、と宣言するのであるから、仏陀のことを自存者 といい、仏陀の智慧を自然慧、無師自然妙智といい、仏陀の正覚を、無師独悟などともいう。
そういう点からいって、仏陀の正覚の智慧において歴史を出発した仏教は、啓示の宗教としてのキリスト教と、その性格を異にする。
キリスト教では、人知をもって知ることのできない神秘を、神自らが人間に対する愛の故に蔽いを取り除いて啓わした。
その啓示は、人類の罪を贖うために、イエスが、人類の間へ遣わされて救世主となったという事実である、とする。
そのようにして、絶対他者としての人格神の啓示に基づくキリスト教が有神論(theism)であるのに対して、仏陀の正覚の智慧において出発した仏教は無神論(atheism)と称せられる。
314 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:03:23.21 ID:5Guws04x
神の問題がとりあげられると、そこに神による宇宙創造説を尊祐論 (creative deity による production; creation の思想) の名の下に批判する。仏陀の言葉として次の如くにいう。
尊祐論は、われわれが楽、苦、非苦非楽等と領受している感覚の一切は、神の創造するところであると説くが、果たしてしからば、神の創造という原因によって、人が殺生罪を犯すということになるであろう。
また神の創造によって邪まな見解の持ち主にもなるであろう。神の創造ということをかたく捉えるならば、“これは行うべきである”“これは行うべきでない”とする意欲も努力もないことになるであろう。
云々と。もっとも、キリスト教における、神による宇宙の創造については、信仰上の理由と、理論的解釈との調和を見出すために、少なからぬ困難が続出した、とも称せられているが、
それはしばらく別として、少なくとも、仏教にあっては、縁起の道理の相依相成の故に、内なるものにしても外なるものにしても、それがあらかじめ決定的 (predestinated) に存在し、
それによって、いま一方のものが成立し、もって具体的なわれわれの存在が現存していくとされるような思想は認められないのであるから、“全能なる神が存在しておって”ということで出立するような尊祐論は、承認せられないことになるのである。
それと同時に、仏教では、縁起の道理をさとった智慧から出発しているのであるから、その智慧の出所として主体的な心の存在をまず措定し、その心の独自自在性 (self-dependentness→self-willingness) を獲得して、
そこから正覚の世界が顕われ出たという観念論的な思想も許されない。言い換えれば主体的な心が先にあって、それを本真のものとして、そこに自我を捉え、
その自我の自主性において正覚が成立するというような、我を基本にした思想は仏教ではありえないのである。縁起における無我の旗標の前には、それは許されえないのである。
315 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:07:13.73 ID:MP9Jfmny
>>313 神々の扱いが絶対者・唯一者じゃないからって
無神論扱いというのは乱暴だと思う。
西洋中心的?というか。
316 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:18:54.54 ID:5Guws04x
そのようなわけであるから、仏教は絶対他者としての神を外に認めず、また内に我を認めない点で、結局、仏教は無神論 (ナースティカ) である。
殊にその後者におけるような理由の故に、仏陀がみずから縁起をさとったというけれども、
縁起の道理の前に、我は、うちたたかれているのであるから、そこに自分だけが縁起の道理をさとったという思想は、仏陀には見出されない。
“真理は自分の手許だけにあって他にはない”という真理の毒性は、仏教の許さないことである。
そこで先に述べた「仏が世に出ても出なくとも縁起の道理は永劫の真理である」とする思想との関連において、仏陀が正覚を得たということについて、次のような心情が吐露せられる。
わたしは、古の聖者たちが歩まれた、その道を歩んだのに過ぎない。恰もそれは白白皚皚たる雪の降った平原に、鹿が歩いた足跡が点々として続いている。その足跡に従って歩いてきたようなものである。
と。仏陀においては、縁起の道理の上に正覚が開発せられたのは、彼が始めであり、ただ彼れ一人であるということは、その正覚の性格上ありえなかったのである。
317 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:22:40.38 ID:5Guws04x
>>315 あ〜あ、途中で挿入された。
無神論というのは、ナースティカという意味で、インドでも言われてますよ。
要するに、創造主、尊祐論としての神を認めないという意味ね。
言葉ってのは、その文で使われてる意味を探らないと読めません。
318 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:33:06.22 ID:Dn6vl05f
途中で書き込んで悪かったよ……。
319 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 06:41:21.89 ID:Dn6vl05f
たしかにギーターのクリシュナ(ヴィシュヌ)も絶対者だな。
もしかしたらセム系、インド以外でも絶対者としての神という概念はあるのかもしれない。
三清もそれっぽいがそうかもしれない。
320 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 07:06:28.49 ID:v1SmFGcZ
自分が聖書は非現実的だと感じるのは、6000年前に世界が創造されたり
イラクで人類が創造された、って部分かなあ。
単にイエスが処女懐胎だと信じられるかもしれないが、
もし全人類がじつは処女懐胎で生まれている、と説かれていたら
絶対に信じられない。言い方は矛盾してるかもしれないが、
超自然なのは構わないが、現実とあからさまに矛盾しているのが確認できる超自然はやっぱ飲み込めない。
321 :
hitomi-k:2011/04/02(土) 07:08:09.61 ID:6vtIi36c
同じじゃない? 人の上に立つ神仏と人間社会別に宗派が
分かれたのなら、同じと考えていいと思う。
322 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 07:14:29.90 ID:v1SmFGcZ
サロメおたぁは、三位一体をそれぞれが自由に行動できる
(何せ神だから肉体には囚われない)三重人格としてとらえていたな。
ID:RwdUDrjcもそういう説明を受けたのだろうか。
しかし多重人格者から元人格を除く全ての人格を分離して、
それぞれに肉体のような媒体を提供して活動できるようにしたのなら、
彼らは既に「一人」とは数えられないのではないか。
そこが説明として「三つのペルソナ(位格)」だけでなく「唯一の実体」が必要な理由なのだろうが。
323 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 07:17:05.63 ID:v1SmFGcZ
>>321 宗教内での諸宗派のことではなく、各宗教間のことで
そういっているのなら、自分は無理を感じる。
324 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 07:32:37.70 ID:v1SmFGcZ
日蓮が仏法僧に帰依していない、というのは、
法)れっきとした釈迦の教えを邪悪なものとして否定した
僧)法脈を受け継いできた僧侶たち、諸宗派を否定した
仏)よって(正しい意味で)仏に帰依しているわけでもない
ということか。
これは他宗教でもあてはめられるな。
仏法僧にしたがうなら宗派を選べても他宗教は選べない(仏の説いた法とは別物だから)
仏法僧に帰依していると言いつつ他宗教を信じたりするなら、
実際には仏法僧に帰依していると言えない。
325 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 07:53:57.48 ID:5Guws04x
>>319 超越論にしても内在論にしても同じ。
ほとんどの存在論は、原子論か神の創造論、虚無論のいずれか
>>324 法脈が無いのも間接的に被さるけど、教義として三宝帰依しないでしょ。
>仏法僧にしたがうなら宗派を選べても他宗教は選べない(仏の説いた法とは別物だから)
本来の仏教は、方便の違いはあっても他の方便を否定することはない。
ただし、排他的な姿勢や、誤った見解を否定することはある。
>仏法僧に帰依していると言いつつ他宗教を信じたりするなら、
>実際には仏法僧に帰依していると言えない。
これは正にその通り。ただし、他宗教も尊重する。
ここでオイラはキリスト教を批判してるわけではなく、
あくまで違いを述べてるだけのつもり。
326 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 07:59:07.07 ID:v1SmFGcZ
ヤクザ論理、と呼ぶのは批判ではないの?
327 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 08:27:22.99 ID:5Guws04x
>>326 そこら辺は、対話者次第、オイラの出来が悪いので、大目に見てくれ。
>>313 作者は元大乗かな?
大意で大乗的だし、釈迦の意図とはチトずれてる。
釈迦は自身で尊大な態度をとってない。
329 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 09:54:58.65 ID:5Guws04x
>>328 何も知らないんだから、黙っててくれないかな〜
そこに書かれていることはパーリ・ニカーヤにも説かれるし、
北伝系の梵蔵漢でも確認できるんだよ。
つまり、あらゆる部派共通の内容だ。
330 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 10:15:42.53 ID:v1SmFGcZ
的、とか、チトとか、具体的じゃない。
「わたしは、古の聖者たちが歩まれた、その道を歩んだのに過ぎない。」
とあるし、尊大には見えない。
331 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 10:26:53.00 ID:RgHphmdY
釈迦もイエスも、「我のみ良し」の独善性の塊であり、釈迦仏教もキリスト教も、開祖盲信の
カルトである点では、両者は同じ。いずれも、「苦概念」「罪概念」の植え付けという「脅迫」
とそれからの「解脱」「救い」という「甘言」を布教の手段とする。
但し、大乗仏教は、絶対性・実体性を認めず、「縁起・空(相互依存性・関係性)」を教義の
中核とする点で、両者とは本質的に異なる。
332 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 10:34:55.73 ID:v1SmFGcZ
まだ在庫があるみたいだから、岩波文庫の大乗起信論を買って読んだほうがいいよ。
あの本のなかで、どういう流れで衆生心という言葉が用いられているか踏まえたら、
大乗仏教=俗世の気分&常識という誤解は解けるはず。
333 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 11:03:25.69 ID:hHYTmg4G
>>331 隠居〜、不自由な環境で必死に書き込みか?
お前はホントに2ちゃんを離れられないなww
334 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 11:29:47.43 ID:c5y1pJxO
>>312 仏教はブッダがこの世の苦悩に直面したとき、そこから逃れるための人生学であり処世術なんだよ。
仏教はその後あらゆる宗教や信仰、思想を取り入れて、今の形態になった。
元は宗教じゃない。
あなたの言っているのは仏になるための方法論を語ってて、それが合理的という。
一方キリスト教は三位一体、キリストの復活、童貞マリアの懐胎等これらを不合理だという。
確かに不合理だ。このような現象は理に叶っていない。
だけどなぜその部分を仏教の方法論と比較するんだ?
仏教が仏になったり、涅槃に至るのが目的なら、
キリスト教は天国に行くのが目的。
その天国に行くために善行を行う。互いの目的に至るための方法論を比較すべきじゃないか?
あなたは知識は豊富かもしれないが、説明力はあまりないね。
あとキリスト教の教父が不合理故に我信ずとはキリスト教の超自然的な奥義(三位一体等)について言っているだよ。
それが理に適った人間的な知識ではなく、明らかに神から来る啓示的知識であり、だから我は信じると言っている。
あとキリスト教がギリシア思想を取り入れたというのは同意。
ユダヤ、キリスト教は神からの啓示宗教。
その啓示された教えを理性で説明して証明し、
具体的にどのように神がこの世に関わるのか、それを説明する手段としてギリシア思想を採用した。
聖アウグスティヌスは新プラトン主義に傾倒し、スコラ哲学はアリストテレスを採用した。
聖トマス=アクィナス等の教父は論理的に神の存在や神のこの世への関わりを説明してみせている。
あなたがキリスト教がギリシア思想を取り入れて失敗したというが、
どのように、どんな失敗したのか知りたいね。
335 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 11:46:04.17 ID:5Guws04x
>>334 >仏教はブッダがこの世の苦悩に直面したとき、そこから逃れるための人生学であり処世術なんだよ。
>仏教はその後あらゆる宗教や信仰、思想を取り入れて、今の形態になった。
>元は宗教じゃない。
これは全くの誤解なんだが? 君は短文も正確に読めず、
勝手に妄想入れて分かったつもりになるって、よく人から言われないか?
全く話にならんは。
>>335 けど
>だけどなぜその部分を仏教の方法論と比較するんだ?
>互いの目的に至るための方法論を比較すべきじゃないか?
という指摘は当たってないか?w
337 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 13:12:46.13 ID:c5y1pJxO
>>335 ブッダは自分の母親が亡くなった時、あらゆる困難に直面した時、
人生は苦のみだと気付いたんだよ。
そこから逃れる方法を探し求めた。
それを口伝で彼の弟子が伝えたとある。
もしかしたらこれさえもあなたが指摘しているみたいに妄想かもしれないね。
なぜならその話が記されている文献は4世紀ごろのものだから。
だから少なくとも
仏教=処世術(後生の人間に宗教にさせられた)
キリスト教=宗教
338 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 13:35:36.46 ID:c5y1pJxO
ちなみにある仏教の寺院でブッダの教えだとされていた経典があったが、
ある歴史学者が調べたところ、マニ教の経典だったという調査結果もある。
仏教初期は口伝だったので、
ブッダの直接の教えが書いてある書物はないとされている
339 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 13:54:34.55 ID:pI18Pzps
人生は苦などではない
冷夏商法で稼ぐ集団に気
をつけろ
340 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 14:33:58.17 ID:c5y1pJxO
>>314 あとこの文なんだけど、こんなカトリックの公教要理の初級の疑問垂れ流して、
キリスト教を批判するのは止めてくれないか?
別に仏教の処世術の方法論はそちらで語ってくれても構わないが、
キリスト教は否定しないとか書いて、キリスト教否定してるじゃん
341 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 14:49:22.69 ID:1Pa1XcG1
前世と来世を語り、超自然的事柄を語っていても
宗教ではなく人生論になる、というのは
いくらなんでも無理がある。
342 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 16:43:59.90 ID:5Guws04x
>>336 当たってないと思う。
オイラの知る限り、キリスト教の場合、パウロ以来、信じることが唯一の救い、方法なんだよ。
修道士とか、神学者にはちょっと違う説を採る人もいるけど、それは東方宗教から来た外来のものとされるようだ。
そして、それに対する説明が筋の通ってない、不合理なもので、
その代表がテルトゥリアヌスの credo quia absurdum 不条理故に我信ず
仏教の釈尊以来の完成した体系と全く違う。
インド思想は釈尊によって極めて合理化され、他説も尊重するから平和になったけど、
西洋思想はキリスト教によって排他的で不合理になったということが思想史的にハッキリしていると思われる。
>>342 たとえば、単純にモデル化して
仏教を「信・戒・定・慧・(信)」とするなら、「戒・定」の部分が、今言われている「方法論」に当たる。
最初の「信」が、その前に三宝云々で言われた点になろう。(そして、そこは共通要素、と言い得るのかもしれない。)
であるならば、キリスト教に於ける「仏教で言う戒・定」に当たる部分の比較が要るんじゃない?ということ。
それがあるのかどうかは判らんが・・w、そうした対比に於いて、
やっぱりキリスト教は「信・信・信・神の愛・(信)」だ、となれば、貴方の言う通りだ。
だが、本当にそうなのかどうかは吟味の余地がありはしないか?
344 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 17:37:54.18 ID:c5y1pJxO
>>342 >パウロ以来信じることが唯一の救い
え?キリスト教の母体なるユダヤ教から信じることは唯一の救いだが?
でイエズス・キリストが具体的にその救いの方法論を説いたんだが。
聖パウロもキリストの教えに従ってるだけ。
あなたの言う修道士がだれを指しているのか分からないし、その修道士がどういう考えなのか分からないが、
キリスト教(カトリック)信者は全てキリストの教えを信仰し、
日々実践している。
それに異なるを唱える信者は異端として退けられている。
で、具体的にキリスト教が排他的とはどういうこと?
教義が時代や人間によって変わらない不変のものだから?
345 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 18:27:43.84 ID:zNkTTLJ4
「ヘビにそそのかされて、アダムとイヴはリンゴを食べてしまった」
神様ってのは、それも予期出来ないくらいバカなの?
それとも、そうなることが分かっていながら予防措置を講じなかったのか?
どっち?
346 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:08:19.24 ID:5Guws04x
>>343 >だが、本当にそうなのかどうかは吟味の余地がありはしないか?
キリスト教側のまともな人が出てくれば、ちゃんと話したいと思う。
c5y1pJxOじゃ話にならないっす
347 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:29:44.74 ID:c5y1pJxO
>>346 あなたは仏教については詳しいがキリスト教(カトリック)の基本である公教要理さえ知らないでしょ?
それさえも知らないでキリスト教の間違ってる知識を振りかざないでくれる?
何も知らない人が誤解する。
あとあなたの言うまともなキリスト教って何?
あなたの妄想のキリスト教じゃ話にならないが
昔、某シリーズで「フーテン」てコテがいたんだが、
彼なら、気の利いたレスを返してくれそうなんだがなw
あと、そのスレじゃないが、「ロリポップ」とかも結構良かった気がする。
サロメや希美は“アク”が強いからな・・w (煽りに主眼置いてるしw)
(ま、テキストや正統解釈に裏打ちされた知識量としてはサロメは抜きん出てると思うけど。)
そういえば、キ教系のねらーにはΨ電波Ψ氏系の人材って少ないな・・。
>>348 そうなんだ。
あまり触れてはいけない人だったかな?
350 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:44:55.14 ID:1Pa1XcG1
フーテン氏って隠居が得意気にスレ潰した、
って言ってた人?
351 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:47:24.63 ID:5Guws04x
>>348 サロメはだめだ。電波男と同じ、ある程度知識はあるようだが、間違いを認められない。
それじゃ、話しても無駄でしょ。
352 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:47:52.33 ID:1Pa1XcG1
イエスって具体的な方法論、を説いたっけ?
むしろ、信仰を方法論なるものに落とし込むのとは
逆をいっているように思える。
353 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:48:14.02 ID:zNkTTLJ4
354 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:51:52.79 ID:1Pa1XcG1
架神さんの旧約聖書を読むツイッターまとめを
読めば聖書の神のキャラはわかると思う。
355 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 20:56:28.97 ID:zNkTTLJ4
キリスト教の神様ってのは、全知全能の神様じゃないのか?
自分の作った人間がヘビに誘惑されることも、わからんくらいアホなのか?
>>349 すまんw
アンカー忘れたんで誤解させたようだな。
>>348は
>>346宛。
5Guws04xは、仏教関連では2ch屈指の論客だよw
(多少、大乗色・チベット色が濃い気もするがwww)、
仏教関連の話に関しては、2ch一信頼に足るレスを入れる奴と思っていい。
>>350 そう。 (潰されたスレがあるのかどうかは知らんが?w)
気になるなら、膨大な“スレ”数になるが、スレURLだけでも貼ろうか?w
(彼の書き込み数はかなり少ないけど)
>>351 ふむ・・w 重要なポイントではあるが・・w (^^;
357 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:24:48.48 ID:1Pa1XcG1
相手からいろいろ仏教ネタについて訊いたわけだから、
自分も公教要理とかキリスト教知識を提示すればいいのでは?
358 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:28:56.80 ID:c5y1pJxO
>>356 確かに仏教の知識は凄いみたいだね。
>>355 神が人間を自分に似せて知性と自由意思のを持った存在として造ったからだよ。
359 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:32:09.22 ID:zNkTTLJ4
>>358 だからね、神様はなんで、ヘビに誘惑されるのを許したの?
全知全能の神様なら、予め、そのようなことが起こらないように出来たでしょ?
って言ってるわけ。
360 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:36:52.03 ID:c5y1pJxO
>>359 人間は自由意思で善も悪も選べる。
それがなかったら本能だけで生きる動物として造ればいい。
で、人間はその自由意思で悪の誘惑に傾かずにそれを乗り越え、
より善なる人間になるのを望まれて人間を造ったとされている
361 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:38:21.97 ID:c5y1pJxO
ゴメン、間違い
3行目の人間→神
この宇宙は非線形物理学的だということだな。
サイコロを全く同じ条件で同じ振り方をしても、同じ出目が出るとは限らない。
因果応報は成立しない。
363 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:47:07.70 ID:zNkTTLJ4
>>360 全く回答になってない。
俺が言ってるのは、キリスト教の神様ってのはヘビに出し抜かれるほど
アホなのか?ってこと。
何でそれを食い止めなかったの?
そのようなことが起こると予期することも出来ないボンクラだったの?
364 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:52:36.10 ID:c5y1pJxO
>>363 だから人間のために悪の存在を許されてるんだよ。
人間に悪の試練を乗り越えさせ、「人間の自分の力で」天国に行かせるために。
アダムとイヴは後に心の底から神に逆らったことを後悔し、
天国に行ったとされている。
365 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:54:33.96 ID:OWaVy+Jl
>>360 それは違うな。原罪とは、「人間が自然状態を離れて神のようになり、善悪
を知るようになったこと」。旧約聖書をよく読まれたし。「木の実を食べた」
とは単なるたとえ。そんな毒性の強い木の実はない。
従って、イエスは、原罪の塊ということになる。
一神教徒は、その原罪故に、神の怒りに触れ、中東で果てしない殺し合いを続
けている。
366 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:59:19.35 ID:1Pa1XcG1
原罪とは・・・という話をしていない相手に
違うな、原罪とは・・・と出てもいない相手の意見を
修正にかかる。
この意味不明さ、まさに隠居だな。
367 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 21:59:41.93 ID:zNkTTLJ4
>>364 キリスト教の神様ってのは、全知全能なんだろ?
なら、ヘビの誘惑に対してアダムとイヴが、どのように反応するかも当然、わかってたわけだ。
誘惑に屈するように作ったのが神様自身なわけだからな。
それに対して原罪とか言うのがおかしいでしょ?
始めから、そのようになるように作ったのが神様なんだろ?
368 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:04:13.03 ID:1Pa1XcG1
自由意思つき、という希望のために
何億とこれから先生まれてくる脱落組を切り捨てる。
別に不自然ではないな。
だってヤハウェだから。
そういうキャラだから仕方ない。
369 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:10:46.79 ID:1Pa1XcG1
唯一神論をとりつつ、古代からのユダヤ人(ひいては全人類)の苦境を説明するためには
あの性格にするしかない。
370 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:16:13.64 ID:OWaVy+Jl
>367
論理的にはその通りだが、キリスト教は、神が全知全能でなければ成立しえないから、
「木の実をたべたこと」を、単に「神の命令に反したこと」にすり替えている。
旧約聖書のこの話は、実は、人間についての物凄い真理を語っているのだが、
キリスト教は、絶対に「文字通りの解釈」はできない。
自分が神になりたい、なった積りのイエスには、創造主による創造、即ちあるがままの
人間と自然が疎ましかったからである。
371 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:17:42.75 ID:zNkTTLJ4
つまり、自分の作った人間がどのような行動をとるかも予測できないアホなんですか?
なら、全知全能でも何でもありませんな。
372 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:25:43.38 ID:OWaVy+Jl
>>371 そもそも、神など人間の空想の産物であり、どこにも実在しない。
宗教の開祖のアホさ加減を言い出したらキリがない。釈迦もイエスもムハンマド
も例外ではない。
373 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:29:12.92 ID:pI18Pzps
良くも悪くも
キリスト教は何かをする
仏教は何もしない
原発が暴走し
日本人に収拾できず アメリカ フランスが収拾する
374 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:30:26.92 ID:1Pa1XcG1
アホにアラビア半島制圧なんて無理。
ムハンマドの実務能力・指揮官としての才覚は
世界史レベルでも上位にくるだろうな。
375 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:32:10.63 ID:1Pa1XcG1
373
今回の災害で、仏教徒も動いてるよ。
>自分の作った人間がどのような行動をとるかも予測できないアホなんですか?
それは、神が何のために宇宙を作ったのかが分からなければ確定的な答えは出せないが、
ゲームに例えると、一般論として、ゲーム上に登場するキャラの動きが完全に予測できてしまうゲームより、
乱数表などを利用してデザイナーですら動きが予測できないようにしたゲームの方が評価は高いし、
そういうゲームを製作したデザイナーの方が能力も高い場合が多かろう。
377 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 22:57:03.17 ID:uMGgkBdm
>>373 宗教を離れた、むしろその対極としての「生命の至上性」の立場から動いている。
宗教そのものは、自然災害に対しては全くの無力。釈迦もイエスも、津波に飲まれたら、
アップアップして死ぬだけ。
あるがままの人間と自然の力は、宗教などとは比較にならない。
378 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 23:26:06.01 ID:c5y1pJxO
>>371 あなたは人間を完全な善の存在として造るべきだと考えているのかい?
何度も書くが、神は「人間を自由意思がある、自分の意思と責任で行動する存在」として造ったんだよ。
悪を犯すも自分の意思と責任。
その悪を乗り越えて、善に行くよう神は手助けするんだよ。
それが預言者の出現や神の十戒や、イエズス・キリストの存在。
たとえもし戦争や自然災害で理不尽な死を迎えても、
生前に神の御旨に適った生活を送っていれば永遠の至福を得られる。
379 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 23:33:36.74 ID:hHYTmg4G
>>376 それだと、以前あった「全知全能の神ってのはあり得るか?」
っていうスレと同じお題になるな。
全知全能の神様は、自分でも予測不能のゲームを創れるか?
創れなければ、全知全能ではないし、創れたら「予測不能」より、全知全能
ではなくなる。 つまり、全知全能の神様などあり得なくて、せいぜい
人間よりは能力は高いが、不完全な神様しかあり得ないことになる。
380 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 23:41:43.13 ID:hHYTmg4G
>>378 なんで、完全なる善として創ったらいけないんだ?
なんで「悪を犯すように」創ったのか?
そして、悪を犯したものを地獄に落とす。
神様ってドSですか?
蛇が誘惑しないように、取り計らえばアダムやイブも平和に暮らせて
いたよね?
何で蛇が誘惑することを許したの?
始めから、蛇なんて作らなければいいじゃん?
わざわざ、蛇作って誘惑させて、「あ!やっちゃったね!お前ら追放!」
って、めちゃくちゃ嫌な奴じゃん。
>>379 予測しようと思えばできるけど敢えてしない、という状態が有り得るからな。
能力さえあれば全知全能にはなるんで、実際に予測するかどうかは関係ない。
382 :
神も仏も名無しさん:2011/04/02(土) 23:50:16.32 ID:hHYTmg4G
>>381 なるほど、「予測しようと思えばできるが、敢えてしないと」
つまり、ホントはそれぞれの人間たちが、将来どのように行動し、どのような
結果になるのか分かるのに、敢えてそれを見ないようにして、結果がでたら
「はい、お前は天国、お前は地獄ね」ってわけかw
とんでもねえやろうだな、神ってのは。
俺たちは神のオモチャかい?
>>382 神から離れてるような者は神が支配しているような世界に行くことを無理強いされない方がむしろいいんじゃないのかなあ。
そういう者は神に立ち返ることをせずに、むしろ神に反して罪にまみれた生活をしていて、
恐らく神をあまり好んでもいないのだろうから、神の世界に行くことなど望んでいないのでは?
因みに、罪と一口で言っても、完全に心が神から離れた状態のものと、
神から離れてはいないのだが、弱さからつい過ちを犯してしまっただけの状態のものとでは異なる扱いをするよ。
384 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 00:23:04.51 ID:NaxzUumo
>>383 お宅は ID:c5y1pJxO かい?
ならば、まるで回答になってない。 それでは論点ずらして逃げてるだけだぞ。
別人ならば、「ポイントずれた横レスするなよ」ww
>>366 ああ、今回は、より本物っぽいなw
無事で良かったよ・・ ・゚・(ノд`)・゚・ >>隠居
被災者支援にでも行ってたのか?w
386 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 09:07:19.26 ID:7OsFnIZe
地獄に行くことを望む人なんてどこにいるんだ?
この点では、ヒンドゥーや仏教のほうが合理的に見える。
神を信愛して合一したい人はそうする。輪廻を脱したい人はそうする。
そうする気が無い人、できなかった人は転生してまたチャンスを待つ。
べらぼうな時間を要する気の長い話だが。無限の地獄よりはマシだろう。
でも現実世界で来世観として説くなら、セム系のほうがマシ。
前世を設定するということは、苦難にある人を過去世の悪人にすることだから。
一長一短といったところか。
>>386 >苦難にある人を過去世の悪人にすることだから。
そう。
そここそが、輪廻思想(或いは三世に跨る業論)の抱える、最大にして最後の難問なわけさ。
フレームとしての因縁業果を破棄できない以上、
今のところ、そこをフォローするのは
「自覚・自省・謙譲」と「信」であり、「自己以外への断定を避ける」
くらいのことしかない。
388 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 11:50:12.47 ID:vEvyB5qx
>>382 神はできるだけ多くの人間に天国に行って欲しいと望まれている。
なぜなら三位一体の第二位のペルソナである、
イエズス・キリストを被造物に過ぎない人間にさせてまで人間を救おうとされたから。
だけどその救いを受け入れるのは人間次第なんだよ。
実際今あなたはキリスト教の教えに触れている。
この書き込みでキリストの救いに気付いてキリスト教信者になることもできるし、
拒否することもできる。
ルシフェル等一部の天使はたった一度傲慢さと偶像崇拝の罪で有無を言わさず地獄に落とされた。
だけど人間はどのような罪を犯そうと何度でも許される。
これほど人間は神に愛されているんだよ
389 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 12:12:51.98 ID:upPDK+vy
>>388 全くわかってないな。
俺が言ってるのは、なんでわざわざヘビなんか作って人間を誘惑させたの?
神様なら、当然、そのようなことを阻止できたんでしょ?
アダムとイヴを平和に暮らさせとけば良いじゃん。
そうはさせずに、わざわざヘビを使って、追放させて、その後、天国組と地獄組に分ける。
人間使って遊んでるだけでしょ?神様は。
全くトンでもねぇ野郎だろ?
390 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 12:32:39.07 ID:cIcLExKR
>>389 その人と話しても無理、相手の主張すら理解できないから
>>386 地獄に行くことを望まない人つまり救いを求めている人は、神に向かっている人だろう。
神を拒んではいないのだが、弱さから過ちを犯してしまう。そういう人は悔い改めることで神による赦しが得られる。
神から遠ざけられるのは、神を拒み神から完全に反し恐らくは神を嫌っているような者だよ。
そのような者はむしろ神が支配しているような世界に無理に連れていかれることは望むまい。そういう個人の意志さえも最大限尊重されるということ。
392 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 13:52:30.44 ID:vEvyB5qx
>>9 キリスト教も慈悲を説いているぞ。
何より聖書では当時罪人とされていた異邦人や徴税人、癩病患者さえキリストは哀れみ、
むしろ罪人のために自分はこの世に使わされたと言っている。
あと人間が戦争をやるのは人間の過度の欲望のせいで、
キリスト教のせいじゃない。
なぜならイエズス・キリストの教えに欲望のためなら、
他人を傷付けたり殺していいという教えはないから。
393 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 13:53:54.51 ID:vEvyB5qx
すまん、携帯で見にくくて昔の書き込みにレスしてしまったw
>>392 なのに、異端者は殺しても良いというから、なんだかなんだよな。
ようは、キリストを信じないものは、死ねってわけだよね。
395 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 14:49:57.79 ID:UjBGS6mU
391
だから、宗教心とか別にしても、
炎で焼かれたり悪魔にあれこれされるのは嫌だって。
396 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 15:02:22.50 ID:UjBGS6mU
388
望むとかいう以前に最初から全て知っているんだが。自分が最後の審判するまでに誰が地獄行きになるのか天国行きになるか。
全て神の知っている通りに動く。
地獄行き組は、創造以前からきっちり定額通りに決まったコストだよ。
予定説を唱えたのはカルヴァンだっけか?
あまり主流の考え方じゃない。
398 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 15:31:48.13 ID:UjBGS6mU
394
イエスはそんなことは言わない。
イエスは
イエスを拒んだサマリア人燃やしていいすか?
という弟子の持ちかけを断ってる。
じゃあ何でキリスト教徒があんなことになってしまったかというと、
凡夫向けのマニュアルが用意されなかったからだと思う。
具体的には、自分たちが優位にあるとき、異教徒をどう扱うか、という。
イスラムはそれができたので歴史的にはキリスト教徒ほどではない。
が、そのかわり、定められたレベルより改善することはできなくなった。
少なくとも教義的、心情的には。
キリスト教はそもそも定めてないので
別に異教徒をクリスチャンと全く同じかそれ以上に扱っても
教義的には問題ない。心情的には嫌がる人がいるだけ。
399 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 15:41:18.28 ID:UjBGS6mU
397
カルバンの思想については
よく知らないが、神が全知であるとする限りは
こうならざるを得ない。
神が途中で方針や対応をかえるにしても、
それも創造以前から本人が知っている通りの流れとタイミングで起こるだろう。
「予定説」、という字面につけ加えるとしたら、
「わざわざ予定されるまでもなく決定されてる説」か。
>>399 でもさ、
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカによる福音書 / 15章 4-7節)
という記述が聖書にはあるのだが。
誰が悔い改め神に立ち帰るのかということが全て分かっているなら、「ああ、想定内。」で終わりになるんじゃないのかいな?
想定外のことが起こったから、大いなる喜びや驚きがあったりするんだろう。
401 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 16:46:31.95 ID:UjBGS6mU
神を全知としないなら、問題は無いね。
仏教とは知恵を美徳とし、罪を見ない。キリスト教とは善行を美徳とし、罪を見る。罪を見るのは罪人だけだ。罪無き者は罪の概念さえ知らない。
俺が他スレで地震で死んだヤツらは事故責任とか、男らしさを実践するためなら幼女のレイプも肯定したらしつこくバッシングするヤツらがいるが、彼らは罪人ゆえに他の罪を見てしまう。おとといきやがれ!By華厳
404 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/03(日) 21:01:24.88 ID:P8EuCs+Y
体験
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし―(ブッダのことば)
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一)
―世間は妄執によって導かれる〜妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
―多くの神〜あるようではあるが、わたしたちひは、父なる唯一の神のもがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰す
る―(コリント)
決して死を味わうことのない境地・神通力、あなたがたは何でもできるという言葉が真実となる世界・無量の慈しみ、慈悲深い神と共に在る境地、
そこに安住できなかったので、妄執・悪しき者に従い人間の心を得た。
―われらは一物をも所有していない〜光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
―キリストが神の右に座しておられるのである〜地上のものに心を引かれてはならない―(コロサイ)
天上で罪を犯し、人間(下界)の者となった。神々は、神の右の者のように、肉の欲・目の欲・持ち物の誇り・衣食があれば足りるような暮ら
らしを心得、永遠の者となれ・・・―聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)森に住み、心静まり、清浄な行
者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
405 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/03(日) 21:03:47.18 ID:P8EuCs+Y
―貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理をさとることは容易ではない。これは世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であ
るから、欲を貪り暗黒に覆われた人々は見ることができないのだ〜ああ、この世は滅びる。ああ、この世は消滅する―(悪魔との対話)
救世主・・・神などの人格は絶対を求めるから、誰も信仰ありとはされない―からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海
に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
荒野で修行した釈尊と修行僧・聖霊に満ちて衣食があれば足り、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨てたイエスを肉体を得ながら神の義(永遠)
をできたものと信仰をし、何もできなくとも、むしろ諸々の欲望を制した人々を勝れた者と認め、人間の生活活動(行為)をする多くの人々は、
あわれみの心から離れてはいけない。
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない―(神々との対話)
学び修めた賢明な人
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は〜食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施し
として与えよ―(神々との対話)
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い―
(マタイ)
406 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/03(日) 21:05:38.70 ID:P8EuCs+Y
悪しき者(妄執)によって人間の境地となったが、つくられざる境地・つくられざる存在・清浄な状態は、貪りも無く、憎しみも無く、行為も無く、
無量の慈しみで、何でもできる力・神通力(霊力)とともに在る。
この世で、「わたしの兄弟」とされる肉の欲・目の欲・持ち物の誇りが得られない人々・離欲を達成した釈尊と修行僧、自然のままで肉の欲・目の
欲・持ち物の誇りを得られない状態でも耐え生きている人々(働けない状態でもよい)、―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない
(悪魔との対話)―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、苦労し努力して働き続けた―(テサロニケ人)働いてあわれんで分かち与える
人々は何でもできる霊力と共に在る。耐え忍び・あわれみ・慈悲は、何でもできる力と共に在る。衣食住のない人々、困っている人々、苦しんでい
る人々を助けようとする心と行為は何でもできる力と共に在る。
― 一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)―未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神
々との対話)
人々の富のため、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りのため、権威や栄華のためあくせくする行為は、つくられざる境地・何でもできる唯一の神の霊
力(神通力)から離れ、大きな患難を生み出し滅びへと導く。
言語表現だけのものとして教えのみに執着することもない。現代もありのままの現象として現れている。一時的に多くの人々の心は一つとなった
がすぐ忘れてしまい、世の流れに従い、富に仕え、人々の肉の欲・目の欲・持ち物の誇りにあくせくする日々を送り、滅びに向かっていく。
この思慮なる人物がいまだ原始仏教の虜になっているのが不思議だ…華厳経ぐらい学べばいいのに…まあ、俺もいまだに大乗仏教の虜だから同じようなもんだが…人間のタイプによるんだな仏教も
408 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 22:35:04.37 ID:cIcLExKR
原始仏教は宗教ではないからね。
華厳経ぐらいつう事は、入信しろという事に等しいわけだな。
410 :
神も仏も名無しさん:2011/04/03(日) 23:04:12.20 ID:cIcLExKR
>>409 まだ、言うか。
分かってないのが分からないかな〜
自分の、どこが解ってないの?
>>401 でも全知全能であるという教義は捨てられないから、そこをどう説明するかが問題。
413 :
神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 06:43:20.78 ID:++EvvwPa
>>409 >原始仏教は宗教ではないからね。
ここ。
確かにキリスト教のいうリリジョンではない。
しかし、宗教って言葉は元々仏教で使われてた言葉だからね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99 定義 [編集]
「宗教とは何か」という問いに対して、宗教者、哲学者、宗教学者などによって
非常に多数の宗教の定義が試みられてきた[10]とされ、「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」といわれる[11][1]とされる。
代表的なものだけを取り上げただけでもかなりの数になる[12]とされ、
例えば、ジェームズ・リューバの著書[13]の付録には48の定義およびそれに関するコメントが書かれており、
かつて、日本の文部省宗務課が作成した「宗教定義集」[14]でも104の定義が挙げられている[15]といい、
その気になればさらに集めることも難しくはない[16]という。
415 :
神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 09:12:33.22 ID:++EvvwPa
>>414 定義って、言葉ってのは、それぞれの文脈でしか意味はないって。
定義なんてのは、ソクラテス以来の西洋人の妄想なんだって、
>>415 だから、【定義によっては】原始仏教も「宗教」だろ?w (religionかどうかはともかくとしても。)
馬鹿じゃねーの?wwwww
417 :
神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 13:46:03.30 ID:++EvvwPa
>>416 同じことを、用法という意味で言ってるんだが、
>>413 定義の何がいやかってのは、自分勝手に決めちゃう姿勢ね
それと、一義的な正しい意味があるとするような無意識の思い込み。
>>417 religionではないが宗教である、ってことだろ?
だから、
>>415は
>>413的謂いを無力化してるだろ?
ということ。
《文脈上、定義上、「原始仏教は宗教と言い得る」》という413に対して、
《定義自体が、(個別のケースに於ける)あやふや・曖昧な妄想である》となれば、
「○○を、宗教である、宗教でない」云々すること自体の否定となるわけだから、
413をすっ飛ばして415でいい。
413は、あくまで、(たとえ便宜上といえども)文脈による定義を認めないと成立しないレスなのだから。
419 :
神も仏も名無しさん:2011/04/04(月) 15:18:16.35 ID:++EvvwPa
>>418 >413は、あくまで、(たとえ便宜上といえども)文脈による定義を認めないと成立しないレスなのだから。
オイラとしては、本質主義の旗印である「定義」という言葉は、我と一緒で使うべきじゃない言葉だということね。
まあ、使われている意味は「用法」と同じなんだけど、背景にある形而上学が妄想であるという意味。
>>419 やっぱり、「歴史上実在した」という言明のときと同じケースだったかw
だから、
>>414を踏まえた
>>415として
>>409が否定されるべきだろ?
「或る文脈上、原始仏教は宗教である」(
>>413) と・・。
414が、文脈の多様性を示すものなれば、コンセンサスをとった上での定義付けは重要だし必要だろ?
(それなくして議論・考察は無い。まさに、「世俗の言辞無き所に勝義の説示があり得ない」ように。)
宗教法人として、税の優遇を受ける為には、
「神」や「霊」や「魂」という要素が無いと難しいと聴いた事があるのですが。
釈迦が発見した”知恵”の様な、哲学、科学、あるいは心理学のようなものは、
信仰という概念がないので、本当は宗教にはあたらないと。
>>421 いやいやw
税制の話なら、単純に「政策」の問題でしょ。
対象となる宗教団体の教義がどのようなものか、という深い考察は必要ない。
そこでどのようにお金が動き、(行政による、その動きの管理がどこまで可能なのか)、
関係する人々の「習慣」や「心情」との兼ね合い等にさえ気をつければいい。
ぶっちゃけ、そういう点さえクリアできれば宗教活動への課税だって可能かもしれない。
(たとえば、今回の震災によって、僅かながら課税しますとなっても、【世論は】反対しないだろうw)
でも実際難しいわけでしょ?
釈迦直伝の教えだと、信仰の対象もないし、
カルチャー教室の瞑想クラスや、ヨガや自己啓発のセミナーに近い。
科学的に真正であると証明されていない命題、価値体系を信奉していれば全て宗教だろ。
共産主義すら宗教だとする見方もある。
神や仏などの存在は関係ない。
もちろん科学的に成立し得ない因果応報や輪廻などといった荒唐無稽な説を唱える仏教がまさに宗教であることは言うまでもない。
>>423 うん。難しいw
理由は幾つか考えられるが、そのうちで重要な点については言及されないのが事実w
(この話のときに、皆の頭に浮かんでいるのは、学会を始めとした(新興)宗教団体でしょうw)
理由
1:利益減を嫌がる有力団体が反対するから
2:「寄付」「布施」という行為に課税をすることがマイナスイメージになってるから
*(そういえば、今回の震災での民主党への募金は、免税にならないそうですねw なぜでしょう?)
・収める側の心理面では、相手方に対して収めているのであって、国に対して払っているわけではないから
・受け取る側の心理面では、「内税」扱いにせざるを得ないし、その減額は結構痛いから
・実務面では、計算が煩雑となり、会計士に頼らざるを得ないから
・波及が危惧される事案としては、もともと、「相場」や「定価」或いは「原価」が無いので、
増額の大義名分となり、その分上乗せして布施や寄付の要求があり得るから
3:小さな宗教法人は、維持費・人件費等を考えると、困窮が必須だから。(→税率設定のテクニックで対処できる?)
4:3と絡んで、(明治以降取り上げられた面積は莫大だがw)土地を所有している寺院も多く、
そこへ課税されたら、収入以上の税額となる宗教法人も多いから
また、土地は少なくとも、大きな建物・施設であることが多く(勿論、相応の土地サイズとなる)、
当然、収める税額も高くなる。よって、小さな宗教法人は悲鳴をあげることになる
5:そして、圧倒的に多いのは、そうした小さな宗教法人だということ。
たとえていえば、トヨタやホンダのような大企業が、学会等の宗教団体であり、
殆どの寺社や教会は中小零細企業みたいなもんだ。田舎の寂れたボロ寺も、都心の豪奢な宗教施設も、
どちらも【平等な】個々別々の宗教法人だ。
年収100億でも年収1000万でも、区別無く『一宗教法人』だよ。
で、企業のように「中小企業」「零細企業」といった分別は無い。
ネット上の各種質問サイトでも、「納税義務」と「信教の自由」は抵触しない!(キリッ 、と
のたまってる馬鹿がいるが、問題はそういうことじゃない。
>>424 論旨がちがうっす。
>>425 税制で大きく有利だから、宗教団体として認められるかは重要だと思うし、
なかなか申請が通過しないと聞いてるね。
反面、お寺とかだとカナリ緩いと。
>>426 >なかなか申請が
ペーパー宗教法人は、実際、相当数あるらしいし、マネーロンダリングの一端としては
これほど魅力的なシステムは無い。そこを通すことで、免税となり、且つクリーンな金とすることができる。
徐々に厳しくなってきてはいただろうが、新興宗教バブル以降、統一・オウム以降、
行政の姿勢として明確になったと思う。
4・5年前から、「不活動宗教法人」への対策も具体的なものとなってきてるし。
>お寺とかだとカナリ緩いと
そりゃ、背景に、信頼が醸成された「伝統」があるからだし、
大抵は、大きな伝統宗派の末端だから。(加えて、昔あったお寺の復興というケースが多いのでは?)
たとえば、一見さんにツケを許可する店は少ないだろうけど、
以前に常連が連れてきた人、常連の紹介、とかだったら、OKかもしれない。
だから、「信」ってのは重要なのさ。
428 :
神も仏も名無しさん:2011/04/05(火) 20:30:27.90 ID:zGDsvX+f
念仏を唱えれば浄土にうまれることができる、
という教えはキリスト教より合理的なのだろうか?
合理的な大乗なんか無いよ。
430 :
神も仏も名無しさん:2011/04/05(火) 22:42:32.84 ID:zGDsvX+f
前のレスで、
「これこれの教義を信じれば救われる(キリスト教)」
が文章としては成立してるが、
それ単体では何の筋も通っていない、
という意見が仏教の人から出された。
「不合理ゆえに我信ず」とあわせて
キリスト教の非論理性の現れとされた。
うってかわって仏教は合理性論理性の点でキリスト教を超えているという。
でも自分は、あまり変わらないと思う。
けっきょく経典や伝統が言うことを信じるかどうかの話で、
信じるというハードルを越えた先で
各々で理屈を受け入れてるだけなのではないか。
不合理云々言われてるのもこのハードルの部分であって
飛び越えられない人にとっては非論理不合理として見え続けるだけでは。
>>430 聡明ですね。
その通りです。
ただ、仏教に於いては、最初の「信」の手前にも理屈の提示はあるわけです。
それを、試考の結果、「お、その通りかもしれない」と思えた時にハードルは越えられ、
追体験(或いはミニサイズの相似体験)の上に「ああ、確かにその通りだ」という頷きが来る。
それが、真の意味での「信・戒・定・慧」の「信」となる。
大胆にアレンジすれば、「信→(戒→定)→慧→信→戒→定→慧」という二段階のようなものかもしれません。
そして、前者の「慧」は、所謂一般的「理解」「理屈」ということになる。
(「頭で理解する」「わかっちゃいるけど・・w」といった類のものです。)
で、後者の「慧」が、所謂「悟り」と言われるレベルである、と。
その意味で、仏教に於けるハードルは随分と低いと思います。
ただ、その後、途中に立ちはだかる壁が異様に高いというだけで・・wwwww
432 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 00:38:32.24 ID:BrgMbSvA
「相」とか「験」とか「徴」とか言われるものを証として出す人がいるかもしれないけど、
それって自分ルールでしょ?と思えてなりません。
各宗教宗派で、自分とこの行や信を実践して出てくるものを証として認定してるだけ。
ここまで条件や項目を満たしてるんだから、残った部分(真理かどうかという
肝心かつ最終的な部分まで)もそうなんだよ、と暗に
過程をすっ飛ばした納得を迫っている。
433 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 01:55:55.53 ID:BrgMbSvA
434 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 03:42:55.47 ID:WtlOaahx
>>433 イエスも聖書を書いた者も「人間」だから、むしろ「想定外」のことばかり
だろう。聖書を引用しても無意味。
今回の大震災を想定していたとしたら、それを予告せず、また防がなかったことは、
巨大な犯罪に相当する。
なお、聖書で言う羊とは、実は蔑称。迷った一匹の羊を探すのは、それを見つけて
殺して食うか、売り飛ばすためである。当時、羊は、殺して食うか、皮を剥ぐか、
売り飛ばすために飼育した「処分用の財産」であったことを、忘れてはならない。
羊と呼ばれて喜んでいるクリスチャンの気持ちは、滑稽極まりない。
435 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 03:59:09.32 ID:UiDfM4Ey
>>432 その人にとって宗教が何かによる。仏教にしても善巧を求める
ある人が幸福を求めて宗教を始めたとしよう。その時に結果が出せたとしよう
それが隠された犠牲を伴わないなら仏教としては非難する理由はない
この隠された犠牲を根絶するための無我である
無我は社会構造と個人の複合的な幸福があることを示す。
三所攻めwマルチコンプレックスな幸福
また、ある層においての解決が次の層の始まりである場合も多い
経済的な問題の解決が、より高次の精神的な追求に向かう場合と
余暇に仕事からのはけ口やストレス解消を必要とする場合がある。
人生の50年と言うスパンから見た場合合理性があるとみなされる場合がある
神仏からみた、大局的には稚拙な、成就も成就である。
現実の人間は基準によって無条件に完全とも、生涯未完とも言いえる
結果の出せない方便は廃れる
現実の人間は特徴があるから証が歪んだものでも問題ない
幸福は現実の人間と証の複合物だから、それぞれが完璧である必要はない
この見切りがうまい人≠足るを知る人
00000000000000000000000000000
今、効果があることはそれが長期的に効果があるわけでない
金融工学、イスラム金融は倫理と論理の力学について興味深い
社会的に有害な社会関係を為す者で、証を重視するものは、社会に排斥される
436 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 04:05:00.09 ID:UiDfM4Ey
隠居が無事でよかった
>今回の大震災を想定していたとしたら、それを予告せず、また防がなかったことは、
>巨大な犯罪に相当する。
宗教系でなく、学者で何人かいるようだがそちらの責任追及はするのか?
437 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 05:00:20.49 ID:UZ24XFEQ
イエスキリストの死体が消えて、後日マリアが彼と会った。フカシっぽくないか!?キリスト教の陰謀だな。
438 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 06:06:46.91 ID:UiDfM4Ey
験、証でおもしろいのは
自分の行いに対して何らかの結果が出る
しかし、その結果に思いもかけないことが含まれる点
これは悔い改めもそうだと思う。
意図して行うのだが結果がそれをこえている
新たな知見が加えられるというより、
それまで西を向いていたのが気がついたら南を向いていたような 不思議だね
439 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 06:19:45.14 ID:G+ClGHfo
440 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 10:48:31.44 ID:WnyFhxRm
>>436 >宗教系でなく、学者で何人かいるようだがそちらの責任追及はするのか?
宗教とは異なり、「全知全能」を自称するような「愚かな」学者はいない。
「己が知らざることを知る。これ知るなり」。
無知の知。
>>433 でも、まさにその同じ詩編の中に、
「神よ、わたしを究めわたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。」
という記述もあるわけだろ。何でも知ってる存在に「〜を知ってください」とは願わないだろう。
知らないこともあるんじゃないの?
443 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 21:15:08.00 ID:WVZFZL4w
単に、神が神だけで自己完結してしまってると、
信仰型宗教がテーマとする「神と人との対話」として成立しないということだと思います。
だから人間側からのアプローチ・交流の余地が残してある。
444 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 21:24:11.10 ID:djG1T/mH
>>443 >「神と人との対話」
神も、人間の観念作用の産物、即ち人間の空想・妄想の産物であり、どこにも
実在しないのだから、「神と人との対話」という命題は成立しない。どこまで
行っても「人間」の考えに過ぎない。
>>442 その場合の「知る」は、単に「知覚する」といった情報的なもの(find、discover、informed)でなく、
(いや、キリスト教的には、これも重要な視点かとも思うが)、
「受容し、赦し、抱きとめ、愛でる」といったニュアンス
(sympath、know、consider、compassionate、care)のレベルと見るべきでは?
たとえば、隣町の太郎君のことを「知って」はいても、
それがそのまま、太郎君を「庇護」することとはならないように・・。
あ、こぴぺ繰り返してたらsympathyのyが抜けたw
447 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 21:50:55.38 ID:WVZFZL4w
この部分については、べつにヤハウェが唯一絶対神じゃなかった頃の
神観が反映されてる、とか考える必要は無いでしょう。
目に見える、わかる形で強要されたり、
行動を左右する環境の影響にもよらず、
自分のやることなすこと考えること全てが
決定されている、というのは大多数の人間にとっては腑に落ちないはずです。
なにせ日常的に、働きかけや環境を踏まえた上で自分で考え自分で選択し自分で行動してるのですから。
そうせざるを得ない状況、にも必ず意識できる要因があります。
なので理屈(教義)上ではそうなっていると頭でわかっていても
ふいに普段なじんだ常識(発想)がポロっと出てくる。
448 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 21:53:43.08 ID:djG1T/mH
>>445 架空の存在である神が、どうやって「受容し、赦し、抱きとめ、愛でる」のかね。
具体的に説明して欲しい。
>>448 知るかよ、そんなことw
クリスチャンにでも聞いてくれw
聖書に収録されているような文書の執筆者は、そんな「大多数の人間」ではなくて、神からの啓示を受けるぐらいの特別な選び抜かれた人間だろう。
そのような人物が、このような重要な文書に、真理とは異なる勝手な常識を不注意にも記述するとは考えられない。
もし仮にこの文書がそんな迂闊な人物によって書かれたものだとするなら、そんな文書を神が全知全能であるとすることの書証として採用することには躊躇いが生じることになる。
>「受容し、赦し、抱きとめ、愛でる」といったニュアンス
同一の文章の中で、同じ言葉を、断わりもなく違う意味で使う、ということがあるかな?
仮にそうだとしても、それはそれで「誰が救われ誰が裁かれるかは既に全て定まっている」とする説とどう整合的に説明するか、という問題は生じると思うが。
あ、「誰が救われ誰が裁かれるかは既に全て定まっている」というのは俺じゃなくて
>>396の説ね。
>>451 たとえば、
朝、出勤すると、いつも机周りが片付いてる。雑務や掃除のおばちゃんが、朝一で片付けてくれている。
この「机周りが片付けられている」という状況を、
「当然のこと」(→決まりきったこと→あらかじめ決まっていること)と受け止めるか、
「スペシャルに有難いこと(文字通りの“有り”“難い”こと)」と受け止めるか、で
本人の成長や人間的資質・魅力の今後が変わるでしょ。
ましてや、前者について、「誰かが掃除してくれている」という“誰か”の存在を思いもしない・想像すらしない、
「片付けられてることが当たり前」などと考えている場合に、
その人の心の在り方というものが、評価できるものと思うかい?
そういう方向で、「決まっている」ことへの『気付き』『自覚』が重要なんじゃね?
そしてそこに、『思い遣る』『感謝』といったベクトルの発生が重要なんじゃね?
>>453補
ああ、この、>「決まっている」ことへの『気付き』『自覚』 そこへの >『思い遣る』『感謝』といったベクトルは、
浄土系の 「既に救われている」、その「(稀有なる)救われていることへの確信・感謝」 と
やっぱり似てるなw
455 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 23:12:09.22 ID:djG1T/mH
>>453 宗教板では珍しく、「最も重要なこと」を言っているw。
しかし、感謝の対象はあくまで「人間としての他者」であり、対象が「架空の神」で
あれば無意味になる。
456 :
神も仏も名無しさん:2011/04/06(水) 23:29:21.79 ID:+bDdANPr
情報的な意味で知らないことがある、というなら
139篇の冒頭の「あなたはわたしを究め わたしを知っておられる」
知らないことを残して「究め」るはないだろう。
6節の「その驚くべき知識は私を超え あまりに高くて到達できない」
当の『私』に対して知らないことがあるのに『私を超え』てると評するか?
7章の「どこに行けば あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば御顔を避けることができよう」
ここまでキッチリ被造物と密着してるのに知らないことがあるなら、
もはや神が自身の記憶を消してるとでも解さなくてはならなくなる。
>>456 >>445をよく読めよwww
全て「知っていて」、その上で更に、
《「私が、貴方(神)を想い、感謝し、共にあることを疑いなく信じている」ということを『認可』してください》
という叫びなんじゃないの?
そして神は、当人に【そうした自覚を生じせしめるために】、「徴を顕しはするが全面支援はしない」
ということなんじゃないの?
ちょうど、親が子供に勉強させるために、本人のやる気が出るGスポットを
あの手この手で刺激するが如くw
458 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 00:01:32.21 ID:+bDdANPr
あの一節を情報的に知らない、という意味だととると、むしろ
本文で言っていることと辻褄が合わなくなる、というレスなんだが。
>>458 いや、だからw
情報的に知ってるけど、それを表に出さない(→認めない、示さない、伝えない)ってことじゃ駄目なの?
誰も「情報的に知らない」なんて言ってないと思うけど?
つか、今レスに書かれてきた文章以外との整合性を言うなら、
未確認なんでwさっさと撤回するけど?w
460 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 00:27:03.12 ID:28mhf6UR
少なくとも
>>442は言っている。
139編23節をそのように解している。
>>453 いやそういう話じゃなくて、誰が救われ誰が裁かれるかは既に全て決まっているなら、赦しや受容を願っても詮無きことなんじゃないの?、ということ。
>>460 じゃあ、なんで俺にレスするんだよwww
意味不明な奴だw
463 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 00:41:53.42 ID:28mhf6UR
ID:Sg/Ctqgr=442にみえたので。
別にアンカーしなくてもいいかなと。
>>461 「願う」のではなく「気付く」だよ。
それは、仏教に於ける「縁起する私(わたくし)」という自覚(≒観察)、「無我なる私」という自覚(≒観察)、と
軌が相似する。
《「諸法が縁起するのみで私なぞどこにもない」ということを踏まえた、「私が縁起している」という自覚(≒見)》こそが
入り口でありゴールであるように。
>>463 時間とタイミングから、ワシにレスしてる“形”にしかならんが?w
こういう入り乱れた対話の時は、よほど明瞭な「応答の繋がり」がない限り、
アンカー無しは混乱の元だ。廊下に立ってなさいw
465 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 01:13:52.30 ID:28mhf6UR
明らかに「情報的な意味で知らない説」でない人に、
その意見を叩いてると誤解されたことに驚いた。
「詩篇の作者もそこまで深く考えてねーだろww」というレスならともかく。
これほど意見がはっきり分かれてる場でも、見分けがつかなくなるものなの?
>>465 ・>時間とタイミングから
・ID:Sg/Ctqgrは、>情報的に知 っているかどうかという言い方をしていない。
また、そのような限定的意味で「知る」を分けていない。
・上記を承けて、
>>458は、『>情報的に知 るかどうかという分別でいくと・・・』というレスなので、
形上、「直前の
>>457及び
>>445に対してダイレクトに繋がったレス」となる。
>>456も同じ。
>>445 いや、英文でもどちらもknowで表現されている。同じ意味で理解するのが自然かと。
>>456 >知らないことを残して「究め」るはないだろう。
英文ではhave searchedという表現が使われているんだよね。調べたとか、探し出したみたいな意味でしょ。
日本語でも「極める」とは書いてないし。全てを知り尽くしている、という意味ではないような・・・。
Psalm 139
1 You have searched me, LORD, and you know me.
23 Search me, God, and know my heart;
test me and know my anxious thoughts.
468 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 01:38:34.15 ID:IGEGKCVI
>>464 >「無我なる私」という自覚
自覚するのは、「我(私)」。釈迦の矛盾の典型。
>>467 私を、「特別な者・選ばれた者・『貴方の意向に隨う者』」として
【抽出(注目)してください、目をかけてください、(→特定してください)】(search)
という意味には読めるな。
そして、そうした私を、【「貴方の意向に合致した者、貴方の御意に叶った者として」知ってください】(know)
と。
>>470 だからw、「阿弥陀様に既に救われている」という考え方と相似形じゃね?と。
救われてるから、どうであってもいい(→何をしてもいい、悪業を爲してもいい)とはならんでしょ。
そのこと「救われていること」に気付き、そのことを大切に受け止め、わが身の在り方へと投射するが如く・・。
神の御許へ行くことが決定していて、それを誠実に感謝することもまた決定しているとしても、
そのこと「全てが見通されていること」に気付き、そのことを大切に受け止め、わが身の在り方へと投射することが、
御意の顕れであり、神の愛を受ける者の義務であると受け止める、と。
決まっていること(≒御意)に粛々と隨ってこそのキリスト者である、と。
472 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 02:13:51.75 ID:IGEGKCVI
>>471 浄土真宗は、キリスト教と同じという訳か。ならは、浄土真宗は、仏教ではない。
「神の御意」を、誰がどうやって確認したのか。神とは、人間には計り知れない
存在のはずだが。「神の御意」が人間に判るのなら、もはや神ではなく、単なる
人間の恣意。
詩篇139−1と139−23とは、明らかに矛盾している。強いて言えば、
139−23は、「更によく調べて、もっとよく知ってくれ(即ち、まだ知らない
ことがある)」ということ。
聖書には誤りや矛盾が無いという「誤った前提」で、誤りをなりふり構わず正当化
しようとするクリスチャンが誤っているということ。聖書は、矛盾や誤りの塊で
ある。
>>467>>472 ポイントは、どちらも人間の【側】(神でない側)の台詞だということだろう。
つまり、神の御心(みこころ)が >計り知れない もので、
そして、救ってくれる(くれている)、その愛が既に十分に注がれているとしても、
「今の自分の境遇の不遇さに対する嘆き」から発せられている、という点じゃなかろうか。
今の自分の置かれた状況からすると、「神から愛が注がれている、既に救われている」ことへの信頼が揺らいでいる、
或いは、その証・徴を欲している、と・・。それを確認できる何かが欲しい、と。(まるで、恋人が、相手の愛の証を求めるかのように・・。)
ややもすると、信頼がぐらつき、信心を失ってしまいそうな私に、「救われている」こと「既に愛は注がれている」ことを
示してください、信じさせてください、と・・。
勿論、神にとっては、当人のこうした煩悶も予定内・想定内のことだろう。
だから、「試練」という言葉がセットで用いられることが多いのでは?
だから、常に【人間の側の】問題なのでは?
474 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 09:07:26.28 ID:dH6O5Itu
聖書では、セクロスも「知る」と書く。
聖書での「知る」には「関係を深める」という意味もあるのかもしれない。
475 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 09:27:42.81 ID:I4jEYvrE
>>473 >だから、常に【人間の側の】問題なのでは?
人間の問題に「架空の神」をいくら持ち出しても無意味・ナンセンス。
人間を救うのは人間のみ。「空想上の神」には、いかなる能力もない。
神概念は、科学について無知蒙昧だった古代人の妄想。例えば、恐ろしい地震が
起きてもその原因が皆目分らないのだから、神の仕業にする以外には方法はなかった。
科学の驚異的発展により、自然現象の仕組みはほぼ解明された、解明されつつあるの
だから、古代人の神は消滅したのである。義務教育の理科を学んだ者が、神など
考える必要は、もはやない。義務教育を受けた現代人なら「神と言う妄想」は
一切捨て去るべき。
目に見えない放射線でも、ガイガーカウンターで測定できる。神の「測定装置」を
研究開発している会社が1社でもあるか。研究開発費の無駄であることが、
初めから分かっているからである。通販でも、そんなものを販売しているところ
は、どこにもないw。
神という言葉は、もはや廃語にすべきもの。「流言飛語」の最たるものである。
476 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 11:09:16.02 ID:qx8Kj5G/
>>475 その「神」を「生命」や「心」と入れ替えても同じなんだが
477 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 11:35:22.53 ID:zQJUSLic
>476
生命や心は、「肉体」によって知覚することができ、肉体の生死を共にする。
神を語るのは、ガイガーカウンターによって測定されない放射線が存在する
と流言飛語を飛ばして脅迫しているのと同じく、悪質な行為。
神という言葉は速やかに廃語にして、「人間と自然」「生命」で置き換えれば、
問題は解決する。人間同士が「空想上の神」の為に殺し合うという、愚かさ
極まりない行為も無くなる。
478 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 14:18:35.35 ID:qx8Kj5G/
479 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 15:10:47.11 ID:kGPylxIO
>>478 馬鹿なのは、お前等すべての宗教信者。ありもしない「放射線」に怯えまくり、
人一人助けられない。いくら宗教をやっても、自然の力に対しては一溜まりも
ない。開祖も信者も、津波に飲まれれば間違いなく死ぬ。
科学が宗教のいかなる奇跡も及びも付かない発達を遂げた現代において、科学に
ついて無知蒙昧だった古代人の妄想から、いい加減で目覚めよ。何のために
義務教育を受けたのか。
>>473 いやそれだと、神が全てを知っている、ということも人間の思い込みに過ぎない可能性がある、ということになり、自己矛盾をきたすばかりか、
更には聖書の記述にそのような人間の思い込みに過ぎないものがあるとすると、正当性を担保する他の書証がなければ、聖書の記述の全てが思い込みなのではないか、ということにもなりかねず、手が付けられなくなる。
色々書いてきたが、当然全て推論だ。そして、「仮の」整合性、辻褄合わせでしかない。
私個人としては、この辺がキリスト教の抱える限界(最後に残る非整合性)だろうと思っている。
神に「全知全能」という要素を明確に付加することによって生じた齟齬ではないか?と。
全てが、予定調和的に仕組まれたものであったとして、人間に与えられる様々な危難・苦難が、
それらも含めた形での(―無難な、一色だけの世界でなく、多彩に彩られたキャンバスの如き世界としての―)
神の国の姿なのではないか、苦悶・煩悶あってこその人間世界(被造界)、逡巡や迷いあってこその「幸」「安心」ではないか、と。
人間に自由意志が与えられ(それはつまり煩悶を経験することもまた必然的義務として負わされているということだが)
そうして右往左往することもまた、御意・御心である、と。敢えて、人間に自由にさせている、と。
これは、全て【現況の不遇さ、艱難苦難を正当化する(→理不尽さの払拭)爲の苦肉の策】と言うこともできる。
業論が、現世の苦難を前世に遡るように・・・。
新約も含め、聖書全てを包含して解釈できる・形成し得る整合性ということだが、
創世記に於ける「世界創造」を完全なもの(つまり人間の自由意志すらも御心のうち)としてしまうことによる齟齬ではないか、と。
「知恵の実」「蛇」「エデンの追放」等のエピ、「人間の自由意志」を考慮するなら、
上の方で誰かが言ってたが、創世記時代に於ける神は、その原初に於いて「全知全能」ではなく、
世界を創造する巨大な能力を持った存在というだけでしかなかったのではないか?と。
もっと素朴な創造神、民族の神fだったのではないか、と。
また、「慈愛に満ちてはいるが、同時に怒りの神ではないか」と。
*(個人的には、アニミズムの進化形・変異種と考えるが・・。)
世界を造りはしたが、そこに人間の選択、自由意志を盛り込み、世界完成の一翼を担わせた、と。
決定論的「全知」でなく、全てを操作する・強制作用させる「全能」でなく、
「見通している」という意味での「全知」、indefiniteなブレを許容する限定的「全能」、「世界創造」という点での全能という意味で。
(こっちの方が筋は通り易い気はする。創世記(及び旧約)に於いて、
「所謂」全知全能ということが言われているのかどうかは知らんがw)
初めから地獄行き天国行きが決まっている、というのは、実に決定論的だ。
「希望願望」含め(たとえば、敵対民族敵対共同体は、地獄行きが決まっている、とか)、
『通常の「決定論」』同様、後付理論、ファンタジーの域を越えられない。
しかしながら、そこにこそ「肝」があるのかもしれない・・。
信心も改心も、(その後の幸も)、ともに決定されている。
あとは、【それに気付くかどうか】。
気付いた者は(→信じた者は)、【結果論的に、「救われた存在であった」と見做し得(自覚、安心でき)】、
気付かない者(→信じない者は)、【上記以外の者として】、「裁きを受け、責めを受ける存在であった」と
見做し得る(批評し得る)、と。(当人は無自覚なまま、最後の瞬間に知ることになる。)
だからこそ、気付きなさい(≒目覚めなさい、信じなさい)と言われる。
信じれば、そこに改心と神への祈りがあれば、【そのことによって、救われていることが証明される】、と。
後から判ることであり、「信」「気付き」のない者には知りようがない。
何度も言うようだが、こうした構図が、実に浄土系の思想、阿弥陀信仰に近似していると感じる。
(一代は、キリスト教との親和性を近代真宗教学に帰しているが、それのみでもないと思う。)
483 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 20:42:52.34 ID:dH6O5Itu
そういえば、仏にも一切智者とかいう呼び名があったな。
字面だけなら「全知」に通ずる。
仏の知識・知覚はどれくらいをカバーしてる(とされる)んだろうか。
>>483 千差万別。
伝統的にというか、最大公約数的に言えば、(宝珠とのやり取りを思い出して欲しいがw)、
「一切」が何を指しているか?ということに尽きる。
本来は、【百科事典的知】ではない、ということは押さえられるべきことなのだ。
つまり、「諸法が縁起すること」「諸法が縁起してあること」、それを知っている、という意味での「一切知者」ということになる。
中論を待つまでもなく、一切が縁起するものなれば、
縁起という理(ことわり)を知ることは、すなわち、世の一切を知ることに他ならない。
これが、最大公約数的第一義の「一切知者」。
もう一つは、上記(勝義としての「世の在り様」)も含め、且つ、
世の様々な事象、【世俗としての様々な事象、案件】について、その在り様(→なぜそうなのか?)を
縁起という考え方から、その骨格・本質を知り得る、という意味での一切知者。
この辺まで。これ以上の、《「所謂」神の全知》みたいなものでは決してないし、
そこまで行ってしまっては、少々逸脱が過ぎてしまう。(大乗仏教が陥った罠と言ってもいいかも?w)
485 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 21:55:26.77 ID:QWtBaWSI
>>484 ああなたのいう「縁起」とは、一方向的(因果関係)、それとも相互的のどちら?
「小乗仏教が陥った罠」も考えられるのでは?
一切衆生は、意識的・無意識的に、「相互的縁起」に基づいて生存しているが、
かれらは「一切知者」ではないのか。1個人に過ぎない開祖ではないと思うが。
486 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 22:01:47.83 ID:QWtBaWSI
>>484 縁起とは、気付かなければならないものなのか、それとも、その中で生きる
ものなのか。
>>485 wwwww
今の論点に於いては、どちらであっても一分の変わりもありませぬw
相変わらずズレた横レス乙ですなw
>>486 どちらもあり、です。
ただ、気付いた方が、「唐突な苦」「恨み言を誘うような苦」「打ちのめされるような苦」等は、遥かに軽減される、ということです。
孔子は四十にして迷わずと言いましたが、「気付かずにいても、適切安全な道程を進み得る」人もいるでしょう。
ただ、気付いていれば、自らの歩みを、「意図的に」平坦なものとしてゆくことが可能となるのです。
気付いていなければ、様々な苦を、回避可能な苦までをも、何度となく繰り返すことになるだけです。
気付けば、それを軽減する方途が開かれる、ということです。
しかし、どちらか一方は地獄行き、という二極的断絶ではありません。
常に、回避・離脱の可能性は開かれています。
488 :
神も仏も名無しさん:2011/04/07(木) 23:26:45.51 ID:bJFmLaxl
大乗仏教徒でもないのに「小乗」なる蔑称を用いるのは
ムスリムでもないのに「カーフィル」という語を使うのに似ている。
何の意味があるのかわからない。
大乗、小乗の大小とは、
釈迦からの劣化具合を表すと考えれば良い。
490 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 00:06:12.69 ID:NeIihYjN
>>489 >釈迦からの劣化具合
「釈迦が一番偉い」という、開祖盲信の洗脳信者か。
むしろ、釈迦の誤りの是正だろう。
491 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 00:18:43.01 ID:NeIihYjN
>>487 >今の論点に於いては、どちらであっても一分の変わりもありませぬw
>相変わらずズレた横レス乙ですなw
一方向の縁起(因果関係)と相互的縁起の違いも理解できないのですか。
仏典の正当化に焦るあまり、ずれているのは貴方のほうでしょう。
あなたは、悪い事をしたから地獄に墜ちた、とは教えるが、地獄に墜ちた
から悪い事をする、などと教えますか。信者は、目白黒でしょう。
原子炉が壊れたから放射能が高くなった、とはいうが、その逆はあり得ません。
双方向の縁起では、「因」「果」という概念は生じません。
苦は、意識すればするほど強まります。苦がなければ楽も存在し得ない
のだから、苦だけを強調するのは、全く無意味で、ナンセンス。釈迦の
大いなる誤りです。
492 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 01:49:14.51 ID:iLgDVFnB
問題です。
[今の論点に於いては、]
480-487でのやりとりにおいて、論点になっているのは何でしょう?
493 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 02:56:26.48 ID:smS0PiWz
>492
読み直すのも面倒だが、「神の全知全能」と「一切知者」の話だろ。
まず、神は人間の空想の産物に過ぎないのだから、「神の全知全能」と
いう論題そのものが成立しない。
「全知全能」「一切知」を判断するには、判断者も「全知全能」「一切知者」
でなければならない。採点する教師が生徒以上でなければ、「完全な答案」
という判断はできない。従って、「全知全能」「一切知」などという言葉を
軽々しく使わないほうがよい。笑われるだけ。
ちなみに、米国の心理学者ウイリアム・ゼームスは、「神の全知全能とは、
人間の全知全能の心理的投影だ」と言っている。すべて人間の判断だからだ。
これなら話が分る。つまり、「全知全能」「一切知者」とは、すべての人間
のこと。
494 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 03:38:55.77 ID:yG4bsQPb
>>491 お前のは、仏教の縁起じゃなく、唯の妄想の押しつけだろ。
キリシタンらが震災のドサクサに紛れて全国で土葬してる。
墓からゾンビのように這い出てきて最後の日に裁きを受けると聖書に書いてあるから。
結局、肉体への執着を捨てないで永遠に肉体を持って生きようとするさもしい連中だ。
496 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 08:57:18.83 ID:qYZmI0as
神は全知全能である、とされる
仏は一切智者である、とされる
という命題は成り立つ。
なので宗教思想としてはどうなっているのか、という会話が成りたつ。
で、いま現に議論がなされている。
「どちらであっても一分の変わりもありませぬ」という発言は、
縁起の内容がどっちであれ、
>一切が縁起するものなれば、
>縁起という理(ことわり)を知ることは、すなわち、世の一切を知ることに他ならない。
というレスに関連する。
497 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 09:08:04.13 ID:qYZmI0as
ところで双方向の縁起ってなあに?
>あなたは、悪い事をしたから地獄に墜ちた、とは教えるが、地獄に墜ちた
>から悪い事をする、などと教えますか。信者は、目白黒でしょう。
>原子炉が壊れたから放射能が高くなった、とはいうが、その逆はあり得ません。
「悪いことをしたから地獄に堕ちる」+「地獄に堕ちるから悪いことをする」
「原子炉が壊れたから地獄に堕ちる」+「地獄に堕ちるから原子炉が壊れる」
これこそ双方向の縁起そのものに見える。
たしか時間順の縁起は、時間の流れが絶対的になるから違う、とか言ってた気がするが。
隠居のは、「双方向の縁起」という字面(だけ)から連想されるような
単なる「お互いに影響しあう」では無いよね。
498 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 13:00:41.19 ID:S4Qrta9g
>>496 >なので宗教思想としてはどうなっているのか、という会話が成りたつ。
その宗教思想そのものが、現実上の根拠皆無な妄想なのだから(不合理故に
我信ず)、宗教外部では、会話は成り立たない。
すべての存在は、「縁起内」においてしか存在し得ないのだから、その理(こと
わり)をことさら「知る」必要はない。というか、すべての存在は、無意識に
それを知っているからこそ、存在し得ているのだから。
499 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 13:11:06.26 ID:S4Qrta9g
>>497 >隠居のは、「双方向の縁起」という字面(だけ)から連想されるような
>単なる「お互いに影響しあう」では無いよね。
その通り。竜樹の「空」では、「因」「果」という概念は出てこない。
お互いに影響し、影響される実体自体が空(無自性)なのだから。そこを
誤解したのが釈迦仏教である。だから、忌むべき「業報論」が生まれた。
実体が二つ以上無ければ、影響し合うことはないよね。
その「影響し合っていること」そのことを「関係性」と言ってるよね。そのことを「無自性」と言ってるよね。
さて・・。
当の「実体」は無自性なんでしょうか?自性を持つんでしょうか?
持たないとするなら、その「実体」もまた関係性の上に成立しているものということになりますね。
ということは、或る「実体」は、『実体』と『実体』の関係性にあり、
さらにその『実体』もまた《実体》と《実体》の・・・ 以下略
さて、この入れ子構造は、どうやって回避し得るのでしょう?
501 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 14:53:39.14 ID:yG4bsQPb
>>499 >その通り。竜樹の「空」では、「因」「果」という概念は出てこない。
何も分かってない。沢山出てくるだろ。お前は勝義と世俗の違いすら分かってない。
ただのアホ
業報に依らない伝統仏教なんかないつーの
やはり、釈迦に返るべき。
神や仏など幻。
503 :
神も仏も名無しさん:2011/04/08(金) 22:14:40.77 ID:05V6klT5
>>500 その永遠の入れ子構造こそ、まさに竜樹の「空の思想」。
>>501 「勝義」は、根拠皆無な妄想以外の何物でもない。
「世俗諦」は、「真如としての衆生心」という、確固たる真理基盤を有する。
504 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 00:06:53.28 ID:j1t1Ti5T
505 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 00:32:22.78 ID:j1t1Ti5T
宗教外部でこそ、話が通じる。「思想を扱う」ものと割り切って
同じまな板に乗せているのだから。それに意味を見出さないなら
ここを離れて、別のことに時間を用いたほうが良い。
>>499 >その通り。竜樹の「空」では、「因」「果」という概念は出てこない。
>お互いに影響し、影響される実体自体が空(無自性)なのだから。
それなら双方向と呼ぶのは誤りだね。方向そのものがどこにもないのだから。
>>503 >その永遠の入れ子構造こそ、まさに竜樹の「空の思想」。
いや
入れ子構造を認める事自体、隠居の竜樹観を否定することである。
なぜなら連関し合うものとしての「実体」の存在を認めていることになるから。
506 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 00:37:15.52 ID:j1t1Ti5T
影響し、影響されること自体が「因」と「果」だよね。
「因」と「果」が無いのなら、永遠に停止するだけ。
そもそも時間すら存在しない。
業論を否定したいなら、単にカルマとか輪廻を「俺は信じない」と否定すればいいだけであって
上記のような無茶をする必要は無い。相手側から「実は仲間な論者」を引き抜く必要も無い。
507 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:10:27.46 ID:mwJ8kqBz
>>505 現実上の根拠の無い、即ち、不合理な思想は、宗教外部では論議の対象とは
できない。
一方向の因果関係なら馬鹿でも分ること。釈迦がそんな分りきったことを
わざわざ言う必要はない。
入れ子構造が無限に続けば、実体はゼロとなる。
入れ子構造とは、単に「関係性」のたとえ。関係性は抽象概念であり、実体で
はない。
>>506 相互的な関係性は、いずれもが同時に因であり果であるのだから、「因」「果」
という概念は存在し得ない。「因果関係」は、一方が他方を「支配する」実体
関係。「空」などどこにも成立しない。
508 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:16:33.49 ID:mwJ8kqBz
>>506 >「因」と「果」が無いのなら、永遠に停止するだけ。
「因」と「果」があるのなら、それらは刹那的には停止した存在。「相互依存関係」
だから、動きや発展があるのである。これが竜樹の「空」の思想。
509 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:22:10.42 ID:mwJ8kqBz
ところで、キリスト教には、仏教のような「相互依存性・関係性」の思想は、
その片鱗すらない。常にイエスの「俺が、俺が」の独善性だけ。この独善性
は釈迦にも見られる。
510 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:24:04.31 ID:j1t1Ti5T
>>507 >現実上の根拠の無い、即ち、不合理な思想は、宗教外部では論議の対象とは
>できない。
あれ?宗教学とは何だろう。
>一方向の因果関係なら馬鹿でも分ること。釈迦がそんな分りきったことを
>わざわざ言う必要はない。
余人にはわからない一面なら説明の必要がある。
来世や前世のこととか。何せ本人が思いついたことだから、
言われなきゃ他人にはわからない。
>相互的な関係性は、いずれもが同時に因であり果であるのだから、「因」「果」
>という概念は存在し得ない。
【因であり果である】【「因」「果」 という概念は存在し得ない。】
一つの文章で矛盾してのけるとは流石だな。
511 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:30:33.50 ID:j1t1Ti5T
>>508 >「因」と「果」があるのなら、それらは刹那的には停止した存在。
一瞬を切り取れば、そりゃ停止してるわな。で、それがどうした?
一瞬というものは、切り取られる対象としての時間(の流れ、経過)を前提にしてる。
一瞬を選んで抜き出せるから時間が存在しない、というのはもはや飛躍ですらない。
512 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:35:11.46 ID:j1t1Ti5T
>>507 >「因果関係」は、一方が他方を「支配する」実体
>関係。「空」などどこにも成立しない。
実体関係、って何だ?
513 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:37:43.39 ID:mwJ8kqBz
>>510 宗教学者は、「宗教思想」については論評も批判もできない。ひたすら、宗教
という営みのありようを記述するだけ。
「被が萌えれば熱い」「原子炉が破壊されれば、放射線が漏れる」。いずれも
馬鹿でも分ること。「前世」や「来世」は、そもそも現実的な根拠の無い妄想
だかあら、部外者の論議の対象にはならない。宗教者だけが一生懸命議論して
いるだけ。
債務者が債権者を相続すれば、債権債務は消滅する。簡単な話。
514 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:41:02.01 ID:j1t1Ti5T
例えば「自由」という言葉が世の中にはある。
でも「自由」という割には無制限ではない。
ある部分では律した上で「自由」であるのが尊ばれたりもする。
「空」もそれと同じで、何でもあり、と強引に解する必要は無いだろう。
名前や呼び名は言葉にすぎない。
515 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:41:17.73 ID:mwJ8kqBz
516 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:46:29.12 ID:j1t1Ti5T
>>513 いや、普通に、「俗欲を超越してるらしい
浄土というわりにはゴテゴテと金ぴかで飾るじゃねぇ」の、
という文章が岩波文庫版の浄土三部経の解説んとこに載ってるけど。
まぁ、どうせ「論議」や「論評も批判」の定義を自分なりにやりくりして
調節して対応しようとするだけなんだろうけどね。
そこんとこは正直、最初からあまり期待はしてない。
517 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:48:37.61 ID:mwJ8kqBz
>>511 仏教者なら、中論第一章くらいは読んで、理解されたし。
518 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 01:51:02.12 ID:j1t1Ti5T
うわあ、勝手に仏教者にされちゃったよ(笑)
>>1 世俗的な答え。
◎自分の心を清らかにし、執着から離れることができれば、悩みが無くなり、死ななくても魂が安らぐ。
そして、魂が安らぐ精神世界が有ることを『通り』や『理』をもって理解し信仰する。
その心を清らかにする為に、『八正道』と『六波羅蜜』が大切とされる。
これが仏教。
◎自分の心を清らかにし、神様から認められることができれば、死んでから魂が安らぐ世界に行ける。
そして、魂が安らぐ精神世界(天国)が有ることを『聖書』や『神父』から聞かされ、思い込みでもって妄想する。
その心を清らかにする為又は、神様に認められる為に『十戒』等…戒律が大切とされる。
これがキリスト教。
まとめ。
仏教は、生きている間に魂の安らぐ精神世界が有ると教える為に、神や創造主等を必要としない。
キリスト教は、死んでから魂の安らぐ精神世界(天国)が有ると教える為に、神や創造主等を、必要とする。
仏教もキリスト教も、『自分の心を清らかにする』と言う点では、共通しているので、悪い物ではなさそうです。
520 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 02:13:26.82 ID:j1t1Ti5T
共に悪い方向への利用価値も高すぎるのが難点。
>>520 それは『教義をどの様に解釈したか?』と言う、我々人間側の問題であって宗教その物の問題ではない。のでは…
僕は、あまり詳しくないけど…
522 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 02:30:57.62 ID:mwJ8kqBz
>>519 >これが仏教。
それは小乗仏教。日本は大乗仏教の国ですよ。両者は「異なった宗教」。
>これがキリスト教。
キリスト教的に言えば、創造主が創造した人間とは、「清・濁」、「美・醜」、
「善・悪」を「併せ持つ」もの。それぞれの「前者」は「後者」の存在を前提
とします。人間が「清い心」だけしか持たないのなら、「清くない心」しか
持たないのとちっとも変わりはない、この理屈が分りますか。キリスト教の
そのような考えは、創造主が創った人間を否定するものであり、創造主の軽視
に該当します。大乗仏教の中心教義である「空(相互依存性・関係性」の思想
と比較すれば、幼稚極まりない、小児的な思想。だからキリスト教は、「清い
心」や「愛」を唱えて、無数の人間を殺しまくっているのです。
523 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 03:17:23.33 ID:XnIqKMMp
>>522 出ぇ―――――――――――――――――――――――たぁ―――――――――――――――――――――――っ!ヽ(゜ロ゜;)ノ
思い込み中学二年生♪w
( ´艸`)
>それは小乗仏教。日本は大乗仏教の国ですよ。
大家族から核家族へと時代が流れた中で、先祖供養と言う考え方が弱くなり、お寺から檀家さんがどんどん離れ、然も変な新興宗教団体のせいで無宗教者が増えているのに、大乗仏教の国ですかぁ…w
それに、テーラー・ワーダ仏教が日本国内で布教するようになったり、又は学者によってパーリ仏典の現代語訳が沢山出版され、それを独自で読んで独り仏教をする人が増えている昨今、
未だに、日本は大乗仏教の国ですよ。と言う人が居るとは…
意味が分からんし〜♪w
┓( ̄∇ ̄;)┏
>両者は「異なった宗教」。
上座部仏教(小乗仏教)も大衆部仏教(大乗仏教)も三宝に帰依をしていて、『諸行無常』や『諸法無我』等…教義も同じで、『八正道』と『六波羅蜜』の大切さを教えているのに…
『異なった宗教』って…
やっぱり…
意味が分からん♪w
(´□`)
駄目だ!!
こりゃぁ!!
┓( ̄∇ ̄;)┏
それに、世俗的な答えとして書き込んだのに…
524 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 03:30:20.39 ID:Quixhz+D
>>503 >「勝義」は、根拠皆無な妄想以外の何物でもない。
おいおい、お前が妄想に利用してる中論の1-25章は、ほとんど勝義なんだが
>「世俗諦」は、「真如としての衆生心」という、確固たる真理基盤を有する。
龍樹菩薩はどこで「真如としての衆生心」なんてといてんだ?
また、起信論の「衆生心」は、お前の妄想と全く違うぞ。
たく、文脈と全く関係なく言葉だけ拾って妄想展開する、
お前は断章取義の典型というか、この上なき断章取義だなw
525 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 03:32:46.17 ID:Quixhz+D
>>523 >駄目だ!!
>こりゃぁ!!
ほぼ、最悪の妄想王でしょ。
自分の妄想だけで、文も読めない、相手の主張も分からない。
大声で妄想を喚いてるだけ。
小乗と大乗って根本が違うように感じるな。
大乗ってやっぱキリスト教と同じ匂いがぷんぷん。
527 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/09(土) 07:25:58.05 ID:kG/rj/0g
神(神々)は存在していたということ。
人格ある霊は、人間界を知っているということ。
離欲の世界をよしとして安住しようとせず、「あなたがたは何でもできる」「神通力}ある霊のものから失楽し、悪しき者(妄執)の支配下である
下界(この世)に人間として生まれ続けるということ。
信仰(他を信じたりする行為)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(仏教)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
霊(光輝く神々)のように、離欲を達成した状態が神(他者)に信仰ありとされること。世間の中でも、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りから離れ
て、欲求に満ちた世との交渉を自制して、世と自己とに思い煩うことを避け、悪の思い、悪の行為をせず、信仰に熱心な人々は信仰をしているとい
うこと。(宗教行為を戒めとして離欲と悪の思い、行為を離れる)
多くの地で生き続ける人々
『父母から離れる奥義』『からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に抜け出して海に植われと言ったとしても、その言葉どおりになるであ
ろう』善い行為より、離欲を達成して欲求が満たされない状態の人々を「わたしの兄弟」として求め、このような文明的な暮らしを全く否定される。
―神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―(ヤコブ)
528 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/09(土) 07:30:32.74 ID:kG/rj/0g
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―
(ローマ人)
神は身体のない世界を義とし、善い行いを求めず、―わたしの兄弟であるこれらの最も小さいもの―(マタイ)欲求が満たされない状態の人々をよし
として認め、地上のものに心を引かれない神の右の者たちもいると御使いを私に与えた。
―神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ―離欲を達成し、執着するものを捨て去った人しか信仰できない(ブッダのことば)
この世でどんな災難に遭っても、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りから離れ、世捨て人のように生き、私の国に生まれようとしないから悪い。
悪魔に手渡し、地の奴隷として生き、ついには土に帰る。「狂った世」として、人々の肉の欲・目の欲・持ち物の誇りに仕えても、神は一切認めな
い。
富を得ようとあくせくすること、権威や栄華を求めてあくせくすること、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを喜ぶこと(人間の貪欲)は悪魔から得た
ものである。
罪人=監獄の囚人=下界=神の左=この世の救い
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―(ブッダのことば)
全てを失っても、心落ち込んで失望しない人々のように、大自然に憩いを感じている人々のように、森に住まなくとも、荒野で完全な信仰の者とな
らなくとも、貪らないで自己と世に思い煩わないよう努めている人々は、何でもできる霊力(神通力)とともに在る。
529 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/09(土) 07:32:37.47 ID:kG/rj/0g
―「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚かと
考えれば、すなわち賢者である―(真理のことば)
―自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない=奥義―(エペソ人)
―在家の生活を営む人に〜この世に誠実、自制、施与、耐え忍び〜父母につかえること、妻子を愛し護ること〜悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつし
み―(ブッダのことば)
―自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである〜眼のある人は、不平
等のようなことがらに勇敢に打ち克つ。たとい何かが存在していても。賢者は、この命あるものどもの世界において、悪いことがらを全く避けるべ
きである―(感興のことば)
神(他者)は全知で、善い行いよりも釈尊や修行僧・イエスのように離欲を達成することを強く求める。人類に御利益・偶像礼拝により、他者を頼
りにすることはできない。しかし、修行完成者として― 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜母が己が独り子を
命を賭けても護るように〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―
(ブッダのことば)
悪しき者(妄執)によってつくられなかった状態(唯一の神)が、無量の慈しみで神通力・何でもできる神とともに在る。愚かにも離欲を達成でき
ない人々は、苦難があっても耐え、生ける者の安穏・安楽な暮らしのために仕事をし(衣食住のない人々に衣食住を)、富に仕える・権威と栄華・
肉の欲・目の欲・持ち物の誇りのためにあくせくする悪魔を制して、怨みや敵意・憎しみを制して、神(他者)を頼りとしない人間の愛が、何でも
できる神通力とともに在る。・・・「地の者は愛」信仰のない地で生き続ける人々だから「愛」で世の中を救え=救いは人の内の神。
530 :
hitomi-k:2011/04/09(土) 07:51:21.48 ID:Olu4UXql
神と仏を一緒くたにして布教活動しているのが、幸福の科学
531 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 08:38:09.29 ID:Quixhz+D
>>526 誤解だろう。ダライラマ猊下『智慧の眼を開く』か山口益先生『仏教思想入門』を読むといい
532 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 08:49:03.33 ID:ucU/c4es
大乗の「大」とは、「(多くの人間を仏にできる)大きさがある」
というよりむしろ「偉大」という意味なのでは?
あまりに難しすぎる。少なくともこの現世で成果を出せる人数に
あまり大きな差は無いのでは?
533 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 11:44:53.54 ID:HCLXC8pE
>>524 >龍樹菩薩はどこで「真如としての衆生心」なんてといてんだ?
竜樹は、「世間の慣習」を無条件の前提としている。中論をよく読んで理解せよ。
釈迦もイエスも、衆生心に思い至れなかった時点で、すでに終わっている。
534 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 12:04:37.33 ID:Quixhz+D
>>533 >竜樹は、「世間の慣習」を無条件の前提としている。中論をよく読んで理解せよ。
「世間の慣習」つまりヴィヤヴァハーラだな。一般に言語習慣、
漢訳で言説と訳される言葉で、記号も意味も
「真如としての衆生心」と全く違うぞ。
お前は、適当に結び付けて妄想解釈してるだけだからな。
それを指摘されると、古代の経典に拘るなとか言い出す。
だったら、仏教を初めから論じるなよ。
ほんと、馬鹿だっていったい何時になったら、気がつけるのか
535 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 12:37:26.37 ID:zpwPeT50
>>534 「世間の慣習」とは、「衆生心の表現」のことである。
君は、宗教批判者はすべて「妄想」だというが、宗教自体の妄想性は一切批判で
きないのか。
妄想とは、現実に反する思い込みをいう。宗教こそ、妄想の塊ではないか。
宗教のどこに、「現実上の根拠(合理性)」があるか。宗教者自身も、「不合理
故に我信ず」と「自白」しているではないか。
不合理なことを信じるのは人間の宿命。
日本人が白人と対等である、平等である、などという信仰も合理的根拠のない不合理な妄想である。
537 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 14:51:57.79 ID:8Xsj4zgO
>>536 >不合理なことを信じるのは人間の宿命。
それは、科学が充分に発達していなかった時代のこと。科学が宗教のいかなる
奇跡も及ばない発達を遂げた現代では、「不合理(現実上の根拠の無いこと)」
を信じるのは、もはや許されない。現代の文明社会は、「現実性・合理性・科学性」
に基づいて形成・維持されている。宗教は、現代社会の崩壊を招くことは明らか。
現代社会において不合理性が完全に排除されている、という信じ込み自体がそもそも不合理な妄想。w
539 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 17:57:42.24 ID:gifwpAvF
>>538 すぐに「完全に」とか「すべて」とか、物事の極端から極端に走り、その中間
の無数のニュアンスが考えられないのが、カルト信者の典型的な心理状態。
社会の部門によて程度の相違はあるが、すべての部門において、完全な合理化
への努力がなされていることは、常識の範囲。いずれにせよ、宗教よりははるかに
マシ。
>>539 いや、
>>537で
>「不合理(現実上の根拠の無いこと)」
>を信じるのは、もはや許されない。
とかいうからだよ。w
不合理性を信じることが許される余地があることを認めた、ということでいいな?
541 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 20:04:49.42 ID:Quixhz+D
>>539 >すぐに「完全に」とか「すべて」とか、物事の極端から極端に走り、その中間
>の無数のニュアンスが考えられないのが、カルト信者の典型的な心理状態。
なるほど、以下は自分の発言じゃないよなw
>>535 >君は、宗教批判者はすべて「妄想」だというが、宗教自体の妄想性は一切批判で
>きないのか。
オイラは<宗教批判者はすべて「妄想」だ>などと言ったことはないよ。
全て個別に指摘してる。
宗教批判も、批判内容が合理的に筋が通っていれば認めるぞ。
お前の場合は、上のように自己矛盾するは、文の読みは妄想だは、
要するに何も分かってない、ただのアホだってことだ。
もう、暫くお前にはコメントせんよ
542 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 21:20:16.21 ID:mGzhnPR5
>>541 >宗教批判も、批判内容が合理的に筋が通っていれば認めるぞ。
では、「合理的な」宗教(開祖)批判をやってみろよ。待ってるぞ。
どうしても、批判はできないんだろw。
なお、相手にアホなどと悪態をつくのは、合理的な批判ではないぞw。
>>542 貴方の言説が矛盾のミルフィーユであることは、何度も何度も、詳細に論証して差し上げたでしょう?w
2chでも珍しいですよ? 貴方ほどの支離滅裂ぶりはw
544 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 21:49:36.76 ID:mGzhnPR5
>>543 開祖の言説が矛盾のミルフィーユであることは、一切論証・批判できないw。
545 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/09(土) 21:59:35.22 ID:kG/rj/0g
いつ行ったか?
―正しい者たちは〜主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て―(マタイ)
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない―(神々との対話)
―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い〜これが仏の教えである、わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)
神は善い行いを人に教えない。人のためとして懇願しない―これは実際神と話したからわかったことであり、
―神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ―(ブッダのことば)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが―(神々との対話)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を四十日のあいだ〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)
神の義は、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを一切捨て去ろうと努める離欲。信仰深いと自任しながら、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問題
ないとする人々は、「うじが尽きない地獄に落ちる」と(神)―避けてはならぬ(=必ず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、
邪まな見解をいだいて、悪いところ(=地獄)におもむく。
神に信仰深いと自任する者は、必ず「肉の欲・目の欲・持ち物の誇り」を捨て去らねばならぬ。信仰すれば罪意識。信仰しない人々は、最終的に離欲
を達成し、今の世では自制と悪から離れることをよしとすること。
546 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/09(土) 22:02:35.88 ID:kG/rj/0g
多くの人々が、地で生き続けるこの時代(父母から離れよ=偶像礼拝)
―言語表現だけのものとして、〔仮に〕そのような表現をしてもよいのである―(神々との対話)
―見られたことは見られただけのものであると知り、聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたものは同様に考えられただけのも
のであると知り―(感興のことば)
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して〜足ることを知り〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし―
(ブッダのことば)
―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ〜いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたが
たの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ―(ルカ)
イエスは神の義の者を示すため聖霊に満ちた・避けてはならぬことのために修行者は人里離れた荒野で修行した。多くの人々は―今日われらは美し
いたいようを見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった〜人のいない林は楽しい〜愛著なき人々は楽しむであろう―(真理のことば)
―ああ、この世は滅びる〜この世は消滅する〜貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理をさとることは容易ではない。これは世の流れに逆ら
い、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り暗黒に覆われた人々は見ることができないのだ―(悪魔との対話)
547 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/09(土) 22:04:48.34 ID:kG/rj/0g
富に仕え、権威と栄華を貪り、人々の肉の欲・目の欲・持ち物の誇りのため、あくせく仕えさせる滅びの悪魔
欲望を自制することをよしとして、あくせくする営みを慎み、森や林の大自然は楽しいとか、美しく晴れた朝は素晴らしいと楽しんだり、所有物の有
無にこだわらず、自分自身があることを幸せに思ったり、困っている人々・苦しんでいる人々・衣食住がない人々に衣食があることをよしと思い、な
んらかの行動をしたり、自制と他者への配慮は「何でもできる神の霊・神通力」と共にあり、言語表現に囚われなくとも、―律法を持たない異邦人が、
自然のままで、律法を命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法―(ローマ)として在る。
自制と慈しみ(他者への配慮)は、自然のままでも在り、地上で何でもできる霊力とともに在る。
貪欲な世の流れで滅びても
―世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう―(神々との対話)
―滅亡が近づいたとさとりなさい〜山へ逃げよ―(ルカ)
―すでに有ったものが存在せず〜太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている―(感興のことば)
世と世にあるものとを喜び、貪欲であわれみも慈しみもなく他者へ与えることをよしとせず、物質的なものへの執着のある人々は、最後に自らの行い
によって、いまだかってない患難の後滅びる。しかし、人間の欲望もなく、貪りによる苦悩もなく、慈悲(他者への配慮)を善いことだと常に受け入れ
て努めている人々は、そのようになる。信仰(宗教)をしていても、貪欲で他者への配慮をよしとして心得ていないと、そのようになれない。
548 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 22:24:38.47 ID:Quixhz+D
>>543 だよね〜
唯の思いつきと、その場凌ぎの言い逃れ、それすらその場で上のように矛盾する始末。
普通のネラだと、それを指摘されれば恥じて書かないものだが、コイツは違う。
549 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 22:37:54.81 ID:oL6SwwhN
>>548 就航信者は、開祖の誤りを指摘されたら、恥じて、信じるのを止めるのかね。
「普通のネラ」などというが、宗教板には、宗教批判スレが溢れている。
批判スレは、一切読んでいないのかw。
>>544 宝珠の最終決着シリーズの第一弾での私のスタンスは、
そうした批判サイドのものだった筈だが?w
正負両方について、それぞれきちんと言及してきたが?w
貴方のような、自説の瑕疵の隠蔽・スルーなぞしたことはありませんが?
批判・指摘には全て明確に返答してきましたが?w
このスレだけでなく、対話の際には常にそうしてきましたが?w
(最終決着シリーズ以外でも、遥か昔から、
貴方のような稚拙なイチャモンでなく、核心を突いた多くの批判にも答えてきましたが?w)
批判や指摘をスルーして宿題溜め込んでるのは貴方ですよ?
551 :
神も仏も名無しさん:2011/04/09(土) 23:46:41.64 ID:oL6SwwhN
>>550 釈迦仏教で既に深く洗脳されているあなたには、釈迦批判者に対する合理的な反論
など不可能だと思いますよ。これは、すべてのカルト信者に通じることです。
>>551 何度コピペをし、何度URLを貼って差し上げたことでしょうw
明確に矛盾の証拠及び反証を提示されると、だんまりを決め込むか雲隠れw
証拠のレスが過去に(DATに)流れると、「言葉だけの」批判と強弁。
相変わらずの姑息さに安心するよw
553 :
神も仏も名無しさん:2011/04/10(日) 20:53:05.46 ID:IKWm379Z
仏教もキリスト教も一枚岩でないことは共通点だなw
554 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 00:29:56.69 ID:wnGGXBXS
仏教とキリスト教はどう違うの?というスレですか。
お二人の聖者が伝えられた共通の真理(法)と片方のみが伝えた真理(法)を整理してみる
のも宜しいかと存じます。
まず、共通の真理の事例をば。
1)全ての人には神性(仏性)が宿る
法華経の方便品で有名な法ですが、ユダヤ教や原始キリスト教にも似た教え(真理)があります。
エッセネ派ユダヤ教徒の宗教規則要覧(死海文書文献の一つ)には、全ての人は光の霊と闇の霊
とを宿しており、神にも獣にもあり得るとのことです。
アナタシウスら初期教父によって焚書にされたトマスの福音書のイエスは説かれました、
「私達は光から来た、そこで光が自ら生じたのである」と言いなさいと。
またルカの福音書では、「神の国は人の内(within)にある」と明記されております。
2)肉体の死後も霊魂は存続する
原始仏典(スッタニパータ、長部経典)では、度々「再び母胎に宿ることはない」という文章が
登場しますし、輪廻に関わる神通力(六神通、三明智)の記載も多いです。
さて、新約聖書でも肉体の死後に霊が存在する一節がありますので紹介します。
555 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 00:33:39.97 ID:wnGGXBXS
>>554 >さて、新約聖書でも肉体の死後に霊が存在する一節がありますので紹介します。
普通に日本語訳の聖書を読めば、肉体の死後の霊魂の存続も明記されていると思います。
(証拠の事例:マタイ17:1、マルコ9:2、ルカ9:28以降)
六日の後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように
白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
(証明)
預言者達(モーセ、エリア)は肉体を持って生まれた人間であり、神や天使ではありません。
彼らの霊魂は肉体が滅びた後も存在していたことが新約聖書に明記されております。
彼らの存在する世界を霊界と定義しても問題はないかと思料します。
>>554 捏造乙。
>「再び母胎に宿ることはない」
とは、「外から何かが入ってくること」ではなく、「単に生物的発生をすること」でしかない。
仏典的言い回しをすれば『生を受ける』ということ、『(人として)誕生すること』ただそれだけでしかない。
「霊魂やら何やらが【別に】存在して、それが入り込む」という意味は含意されてないし読み取れない。
他の文脈と照合すれば、寧ろ否定される考え方だ。
ほとぼり冷めたら「でっち上げ」を再開する、その腐りきった根性は、
いつもながら惚れ惚れするよwww
557 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 00:51:32.76 ID:ihpZBR+y
>>555 お二人の聖者が伝えられた共通の真理(法)が現代ではまったく分からなくなった原因を
この数年間調べまして、シンプルな仮説を立ててみました。
【キリスト教側の因の仮説】
旧約聖書の創世記には人は「神の似姿」と人の神性を説かれていたのですが、ヨハネの福音書
の筆記者がイエスを神(天の父)と同一視する際に、人には神性(光)が無いという表現を
使われたのが一つの原因だと思料します。
またパウロが神性よりも人の原罪を強調したのが二つ目の原因でしょう。
【仏教側の因の仮説】
原始仏典に記載の輪廻の法は「因果の法」を前提とします。
でも大哲学者の龍樹が「因果の法」の時間と運動を否定した「縁起の法(空)」を提唱し
現代ではそちらの方が主流になったと思料します。
龍樹は「中論」の中で「八不」の証明として「去りつつあるものは去らず」と運動を否定
しましたが、これは机上(現実世界でなく言語論理世界)で空を論じたということでしょう。
最近、中論研究者の石飛先生は「去りつつあるものは去るか去らないか分からない」という
のがより正しいと指摘しておられたと記憶します。
558 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 00:59:44.32 ID:ihpZBR+y
>>556 >ほとぼり冷めたら「でっち上げ」を再開する、その腐りきった根性は、
>いつもながら惚れ惚れするよwww
批判したもの勝ちというのでしょうか。
そこまで仏教に詳しい貴兄が長部経典に記載の六神通の内のいくつかは
前世のカルマを読み取って苦しみの原因を特定する能力だということを
ご存じないはずもないでしょう。
まあ、原始仏典に記載された内容は後世の「でっち上げ」だというスタンス
ならばご自由にどうぞ。
559 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 01:06:02.24 ID:ihpZBR+y
>>558 出典:「スッタニパータ」中村元訳(岩波文庫)
最古層の原始仏典の中で、釈尊は説かれました。
「真理は一つであって、第二のものは存在しない。
その真理を知った人は、争うことがない。
彼らはめいめいに異なった真理をほめたたえている。
それ故に諸々の「道の人」は同一の事を語らないのである。」
もしイエス、シャカ、聖者達が同じ時代におられましたら、
争うことはなかったでしょう。
560 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 01:15:31.51 ID:ihpZBR+y
共通の真理の事例
3)複数の神々が登場する
原始仏典の長部経典や法華経を読みますと、大梵天、梵天、神々と多数の神々が
登場します。
旧約聖書でも異教の神々が登場する一節があります。
(詩篇81章)
81:8 わが民よ、聞け、私は汝に勧告する。イスラエルよ、汝が私に聞き従うことを臨む。
81:9 汝のうちに他の神があってはならない。汝は外国の神を拝んではならない。
81:10 私はエジプトの国から汝をつれ出した汝の神、主である。汝の口を広くあけよ、私は
それを満たそう。
(詩篇82章)
82:1 神は神の会議のなかに立たれる。神は神々のなかで、裁きを行われる。
82:6 私は言う、「汝らは神なり、汝らは皆いと高き者の子だ。」
82:7 「しかし、汝らは人のように死に、もろもろの君の一人のように倒れるであろう」。
なお天使達を神々と呼称しているだけだとの見解もあるでしょう。
561 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 01:25:11.50 ID:ihpZBR+y
>>556 >「霊魂やら何やらが【別に】存在して、それが入り込む」という意味は含意されてないし読み取れない。
アビダルマ的色彩の濃い長部経典33経「等誦経」の中で、『輪廻』(死後の世界)に関係の
ある教えを一部紹介します。
(3つ一組) 60法
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない、A入胎時のみ意識あり、
B出胎時のみ意識を持たない、C三時に意識を持った
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
・五種類のこの世に戻ることのない人。
@色界での寿命の中間で完全な涅槃に達する人、
A色界に生じて寿命の半分以上過ぎて完全な涅槃に達する人、
B苦労して完全な涅槃に達する人、C苦労をせずに涅槃に達する人、
D上の世界に向かいアカニッタ天に達する人
562 :
神も仏も名無しさん:2011/04/11(月) 05:30:14.45 ID:yow5qf2Q
>>556 そうだろうか? 確かに永遠不滅の実体・実在としての霊魂はないが、
仮設としての霊魂、意識、自相続は認めているでしょう。
それは現在の「私」が実体・実在しないけと言語習慣として仮設されるのと同じように。
これはパーリ・ニカーヤでもサンユッタ・ニカーヤのスシーマ、ゴーティカで観られるし、中村先生もそこに出てくるヴィンニャーナ、識を魂のようなものが考えられていたとしているし、水野先生も仮設の霊魂は認めると要語149にかかれているよん。
563 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 06:34:54.36 ID:G3DR5uwU
>>562 >水野先生も仮設の霊魂は認めると要語149にかかれているよん。
そうですね。また水野先生は釈尊は相手に応じて4通りに法の説き方を
変えているとも解説しておりましたね。
異教徒や修行開始者からの霊魂の存在のような質問には釈尊は「無記」、
黙して答えずだったので、霊魂は存在しないと思っている仏教徒が多い
ようですが、サーリプッタ等の高弟には普通に前世や輪廻に関する法を
説かれておりましたね。
564 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 06:37:54.74 ID:G3DR5uwU
>>563 >また水野先生は釈尊は相手に応じて4通りに法の説き方を
>変えているとも解説しておりましたね。
出典:「仏教要語の基礎知識」水野弘元著(春秋社)
「仏が人々に法を説かれる場合には、相手の智慧経験の
高下浅深によって、同じ教理を示すにしても、その説き方を
違えられた。(四悉檀、中略)最後の第一義悉檀とは、右の
ような方便施設を用いず、高い智慧や能力のある者に対して、
仏法の第一義的な真実義をそのまま説かれることである。」
565 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 06:45:34.30 ID:G3DR5uwU
>>564 「四悉檀」の水野解説を読みまして、大きく四通りの修行ステージがある
かとまず考えまして、長部経典で釈尊が説法した相手を四通りに分けました。
第一義:舎利弗や目蓮クラス
第二義:その他の阿羅漢
第三義:釈尊の弟子達、異教の指導者
第四義:異教の修行者、象使いチッタ、バラモンとその弟子
四通りの入胎の法の中で、釈尊は舎利弗と阿羅漢との差を説き分けております。
つまり阿羅漢には説かずに、菩薩のみに説いた法があったのでは推察した次第。
釈尊が「何を説いたか?」よりも、「誰に説いたか?」ということに留意するのが
寛容かと存じます。
566 :
神も仏も名無しさん:2011/04/11(月) 06:46:53.23 ID:7K5t1Ohk
キリスト教は2次元の世界とお釈迦様が言われていた。仏教の足元にも及ばないね。
567 :
神も仏も名無しさん:2011/04/11(月) 10:00:31.19 ID:yow5qf2Q
>>563 君の場合は、魂が実在して輪廻すると言いたいんだろ。
そのように解釈したサーティ比丘という人が、
釈尊から馬鹿、アホと罵られてるぞ。
魂とか意識というのは、あくまで仮設だよ。
現在、我々が感受している一切の現象も仮設。
それらも無我で、空性に他ならない。
その両方が分からないと仏教の基本が分からないんだと、
なんど言ったことだろうか?
「魂」を自我の本性と考えるならば迷いの森からは抜け出せぬであろう。
「我」とは我欲・我執をして我と云う。
欲執から離れた我は既に我とは言わぬであろう。
「無我」とは「我欲・我執」を脱ぎ捨てて「空」に帰するを云う。
空に帰して仮に己を魂あるいは佛という言い慣わす。
自我の滅却(無我)とは無に帰するに非ずして空に帰するのであるが、
ここが誤解され易いように思える。つまり空と無を混同してしまう。
存在の本性としての空は無より高次の言葉であることに注意したい。
俗な言い方をするならば「死んだら無」なのではない。
空は空と言っているのであって無と言っているのではないと解している。
569 :
神も仏も名無しさん:2011/04/11(月) 17:04:40.28 ID:ETZZ/+g/
567
釈迦にも、そうやって馬鹿、アホと言うときがあるのか・・・
570 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 22:29:00.13 ID:WuWWIGYc
>>567 >それらも無我で、空性に他ならない。
縁起も空も龍樹の机上空論(言語論理世界で空を証明した)だと何度
仮設したことでしょうか。
釈尊は四諦と八正道を繰り返し繰り返し説かれて、空や縁起を説かれた
という訳ではないかと存じます。
まあ、説法の相手が菩薩を目指す修行者であれば、空に近い教えを説かれた
かも知れませんが。
足元のアリさんをじっと見ながら「去りつつあるものは去らず」と108回
唱えてみれば、何か悟ることもあるかと存じます。
また、産婦人科で「不生不滅」と唱えたら、多分病院から追い出されますよ。
これが言語論理世界と現実世界との差異だということです。
571 :
神も仏も名無しさん:2011/04/11(月) 22:44:58.79 ID:5D1sPZjd
よくわかんない
>>570 馬鹿垂れが!w
四諦こそ、「縁起」の究極モデルだろうがw
573 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/11(月) 23:27:46.38 ID:UkNYAIOY
>>572 >四諦こそ、「縁起」の究極モデルだろうがw
「固執」と「苦しみ」が同時ならば、縁起ですがね、
「固執」の積分が「苦しみ」の原因でしょう。
積分には時間が存在しますから、因果の法です。
もともと自我っていうものは
さまざまな出来事にどうやって対応するかっていう相対的なものにすぎん
快不快に始まり、さまざまな環境でどう対応していくかを選択していった結果
その多様性がゆえに個別性だと勘違いして、それを自我だといっているにすぎない
我などない あると勘違いしているだけ
主体性などない
仏教は、
徹底した観察に裏打ちされた世界観(いや、人間観(「心」観))であるということが、
なかなか理解され難い・・。
576 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 06:04:40.65 ID:S5pqIhUz
>>570 何訳の分かんない妄想くりひろげてんだ。
サーティ比丘という人が登場する『サーティ経』ってのは、
パーリ・ニカーヤにも漢訳のアーガマにもあるぞ。
つまり、恒常な魂みたいなものを認めるものは、伝統仏教では異端しかない。
オイラが知る限り、チベットのチョナン派と現代真言宗だけだ。
妄想もいい加減にしたらどうだ。
577 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 06:28:41.25 ID:7thaYefk
578 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/12(火) 06:44:13.80 ID:eLV7TKCv
>>576 >つまり、恒常な魂みたいなものを認めるものは、伝統仏教では異端しかない。
>>562 そうだろうか? 確かに永遠不滅の実体・実在としての霊魂はないが、
仮設としての霊魂、意識、自相続は認めているでしょう。
永遠不滅ではないが、カルマの蓄積媒体でしょうか。
579 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 06:45:14.49 ID:7thaYefk
違うだろ。ちゃんと勉強しろ。
580 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/12(火) 07:26:45.84 ID:LNuvsWxd
>>576 >サーティ比丘という人が登場する『サーティ経』ってのは、
>パーリ・ニカーヤにも漢訳のアーガマにもあるぞ。
>>565 :前世は一在家
>釈尊が「何を説いたか?」よりも、「誰に説いたか?」ということに留意するのが
>寛容かと存じます。
>>561 :前世は一在家
>アビダルマ的色彩の濃い長部経典33経「等誦経」の中で、『輪廻』(死後の世界)に関係の
>ある教えを一部紹介します。
「等誦経」は舎利弗に説かれた経典です。「自歓喜経」も舎利弗に説かれた経典で同様の
釈尊の説法が記載されております。
もし釈尊がサーティ比丘とサーリプッタに同じように説法していたのであれば、秘書の
アーナンダは混乱することもなく悟りが遅れることはなかったかと存じます。
581 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 07:36:30.75 ID:A2oPaIA4
悟るかどうかって知的理解に依存してるの?
582 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 08:41:37.20 ID:S5pqIhUz
>>578 だから、仮設なんだよ。単純にいえば、何かxとされる、仮設されるものは皆妄想に過ぎない。
>>580 だから、仮設として輪廻は認める、魂も認める、それは現在の現象一切と全く変わらないだって。
『自歓喜経』については、『梵網経』との比較で君の説が間違いだって何回も指摘されてるでしょ。
君も宝珠とか生命教と同じで、自説の権威付けに仏教を用いるのは止めてくれないかな〜
>>578 在家様
正直に告白致しますと仏教というものは実に分からないのです。
何かの書籍などから知識を得ようとしますと確かに知識を得ますしその時はそれなりに理解した気になります。
しかし、私の場合それを重ねれば重ねるほどどんどん分からなくなって行くのです。
それである時に一切知識を得ようとすることを止めました。ただ日々のお勤めをするだけにしたのです。
このように知識から離れてお勤めだけにすることによって私は甘美とも言い得る安心を感じました。
何故なのか自問自答しても分からないままでいます。
霊魂(この場合亡くなった私の御先祖)の存在について。
たとえば私の亡くなった祖父の霊魂は「存在する」と「感覚」しています。
そう感じるのであってそれ以上の理由などはありません。
そこで御教授くだされたくお願いする次第ですが、結局仏教ではその人の霊魂ありとしているのでしょうか。
「方便として有る」ではなく、実際に有るとしているものなのか無いとしているものなのか。
実はこんなことでさえ益々分からなくなってしまったのです。(皮肉なことに知識を得ようとしたことによって)
私は「有る」と感じております(それは日々のお勤めを通して感じているだけです)。
ただ霊魂の状態は変化するとも感じております。個としての霊魂が個を失うことなく清いものへと変化する。
その方向性の定着が成仏であり、個としての霊魂が御本尊様と一体化する過程の秩序のうちに組み入れられているのではないのか。
曼荼羅などを目にしながら漠然とそういう感覚(知識ではありません)を持っております。
在家様の感想など頂ければ幸いに存じます。
伊勢
584 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 16:23:05.23 ID:6E58Zgre
仏教で供養できる先祖って、いま餓鬼道にいる人だけ?
>>584 六道すべての所謂「仏さん」と既に六道を離れた仏さんにもすべてに有効と感じています。
しかし例えば自殺して地獄へ堕ちた仏さんを引き上げるのは極めて困難なことのように思えます。
かつて恥ずかしながら私の御先祖に畜生道で苦しんでいる者がいたので(それは不思議な事から知ることが出来ました)
お寺の先生に相談して教えて頂いた供養をしました。
すると仏さんからお知らせがありました(何故そのようなことがあるのか本当に不思議だと思います)。
以上は経験的にそう感じていることです。
586 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/12(火) 20:45:11.55 ID:F5GQe/dI
>>583 >そこで御教授くだされたくお願いする次第ですが、結局仏教ではその人の霊魂ありとしているのでしょうか。
>「方便として有る」ではなく、実際に有るとしているものなのか無いとしているものなのか。
異教徒や修行途上の者が同じ質問をされた場合は、釈尊は「黙して答えず(無記)」でしたから
一般的な仏教徒は「無いとしている」と認識しているようです。
でも長部経典の半数以上の経典には前世、輪廻、六神通等の説法が見られます。
釈尊自身も前世の事や過去六仏を回想されている経典もございます。
カルマを蓄積しながら輪廻する存在を「霊魂」と呼びましたら、仏教では霊魂を否定している
訳ではないかと存じます。
尚、最古層と言われてます原始仏典のスッタニパータにも、地獄のことが結構詳しく説かれて
いますので、ご自身でお読み下さい。
587 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/12(火) 20:56:05.99 ID:IMa7jTUJ
>>582 >『自歓喜経』については、『梵網経』との比較で君の説が間違いだって何回も指摘されてるでしょ。
>君も宝珠とか生命教と同じで、自説の権威付けに仏教を用いるのは止めてくれないかな〜
もし『梵網経』の中に世間の見解として「中論」が入っていましたら、やはり釈尊は否定されたの
でしょうね。
どの教え(経典)が正しいかということでなく、一つの教えに固執することは止めなさいという
のが釈尊の『梵網経』での教えだったのではないかと、読後感です。
自説の権威付けではなく、本来の釈尊の説法はどうだったのかという「原始仏教」探しを
しております。同様に本来のイエスの教えはどうだったのかという「原始キリスト教」探しも
しております。
実際ニケーヤ公会議やアタナシウスの復活祭書簡の前には、多くのキリスト教共同体が存在して
それぞれがイエスの教えと信じる福音書を護持しておりました。
それが今では4福音書のみが残り、他はすべて焚書されましたが、神の経綸により近年次々に
復活(発見)しております。
588 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 21:36:53.31 ID:HJatUVJW
「探求」の体裁をとった「投影」だと指摘されてるんだよ。
589 :
神も仏も名無しさん:2011/04/12(火) 22:12:05.66 ID:S5pqIhUz
>>587 >もし『梵網経』の中に世間の見解として「中論」が入っていましたら、やはり釈尊は否定されたの
>でしょうね。
何いってんの?
話にならんは。
>>580 だからwww 嘘をつくな嘘をw
「自歓喜経」は、舎利弗が釈尊を賛嘆し、これまでに聞いた教えを(目録的に)略説し、釈尊からお墨付きを貰った経。
「等誦経」は、舎利弗が、疲労し、身体の痛みを訴える【釈尊の代わりに】、
同席する比丘達に、これまで釈尊が説いてきたことを目録的に(数で括って)示した経。
どちらも「舎利弗に対して・舎利弗の爲に説かれた」ものではない。
つか逆w
「舎利弗が説いている」といっていい経。
何度同じことを言わせれば気が済むんだ?w
このスレなら、他の人間を騙くらかせると思ったか? 甘いよw
在家 様 ありがとうございます。
(キリスト教の立場)
・自我の主体となる不滅の「霊魂」が実在する。(つまり不滅の霊魂を自我の身体の如くみなしている)
・神(キリスト)によって「霊魂」は救済される。(不滅の霊魂の救済は自我の肯定的永続性を保証する)
・肉身とは霊魂を宿り合せた身体である。(つまり自我の善悪とは霊魂と肉身の一致の上で為されたものである)
・死とは「不滅の霊魂=自我」と肉身の分離である。(つまり死によって自我が消滅するのではない)
・死後に「不滅の霊魂=自我」は神に裁かれて(私審判)天国・煉獄・地獄の何処かへ行く。(この状態では肉身を伴わない)
・世の終わりに「不滅の霊魂=自我」は、全ての人類と同時に、再び復活させられた元の肉身に宿り合わされて神に裁かれ(公審判)天国または地獄へ行く。
以上から明らかなように、キリスト教の立場では「不滅の霊魂=自我」が「死」や「神の審判」に関わらず継続するとされている。
このキリスト教に於ける「不滅の霊魂=自我の継続性」の定義は、仏教との違いを知るうえでの微妙且つ重要な入口であることに気付かされます。
キリスト教(カトリック)で定義する霊魂は、仏教の業識と比較されるものなのでしょうが、さて、業識においては自我の継続性が否定されているように思えます。
個としての識は業(身口意の三業)に於いてのみ不滅・継続なのであって自我は死に伴う転生によって不連続となると思われるのですが・・・?です。
この転生と業識の継続について仏陀が語られたことが阿含経にあるとのことで聞いておりますが、世間一般で使われている「霊魂」とは自我の継続性を前提にしていると思われ、
その前提に立つならば仏教において霊魂説は否定されていることになります。
しかし、私はここのところがどうも腑に落ちません。
経験的にはカトリックの霊魂観にも仏教の霊魂観にも違和感をぬぐい切れずにいます。
仏教つっても、
・釈迦
・原始(釈迦以後・釈迦直後)
・小乗
・大乗
で、ぜんぜん違うんだよ。
593 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 06:43:14.92 ID:dDqGtHNZ
>>590 >どちらも「舎利弗に対して・舎利弗の爲に説かれた」ものではない。
>つか逆w 「舎利弗が説いている」といっていい経。
ほぼ貴兄の分かり易い訂正、補足の通りだと認めます。
換言しますと「舎利弗に説かれた」法が含まれているということです。
ここで異教徒、他の弟子達に説かれなかった教え(法)はどれかという
特定が重要です。
長部経典、中部経典や他の原始仏典で記載の無い教え(法)がその候補と
なるかと思料します。
>「自歓喜経」は、舎利弗が釈尊を賛嘆し、これまでに聞いた教えを(目録的に)略説し、
>釈尊からお墨付きを貰った経。
次に「四悉檀」を考慮すれば、舎利弗が釈尊からお墨付きを貰った経は第一義の
可能性が高いということも重要なポイントでしょう。
舎利弗が第二義、第三義、第四義の教えで釈尊を賛嘆したと考えますか?
594 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 06:47:58.99 ID:dDqGtHNZ
>>592 >仏教つっても、(中略)で、ぜんぜん違うんだよ
貴兄もよくご存知ですね。
私は原始(釈迦以後・釈迦直後)を調べるようにとの師の言葉を受けて、原始仏教と
原始キリスト教徒を調べております。
595 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 07:02:10.53 ID:AGovwUnP
>>591 :Johannes
>この転生と業識の継続について仏陀が語られたことが阿含経にあるとのことで聞いておりますが、
>世間一般で使われている「霊魂」とは自我の継続性を前提にしていると思われ、
>その前提に立つならば仏教において霊魂説は否定されていることになります。
>しかし、私はここのところがどうも腑に落ちません。
>経験的にはカトリックの霊魂観にも仏教の霊魂観にも違和感をぬぐい切れずにいます。
北伝の阿含経の長阿含が今回私が紹介している南伝の長部経典(ディーガニカーヤ)の
ことでして、原始仏典として分類されます。
「仏教において霊魂説は否定」という文の仏教は上座部、大乗仏教のことでしょうか。
カトリックの霊魂観にも仏教の霊魂観にも違和感とのことですが、
原始キリスト教と原始仏教との霊魂観はあまり違和感がないと存じます。
焚書され近年復活した「マリアの福音書」では、人には心魂と欲心とが宿っていると
説かれており、この心魂が法華経の仏性であり、欲心が四諦の対象だと認識すれば
全く違和感も無いですね。
596 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 07:05:08.18 ID:ljsngDRB
釈迦だのイエスだの、1個人の思想からすべてを演繹しようとすることは、
「方法論的」に全くの誤り。1個人では、不足もあれば、思い違いもあれば、
誤りもあれば、独断もある。特に、我のみ良しの思い上がりと謙虚さの欠如
が著しい。
真理は、一切衆生の衆生心においてのみ存在する。開祖のみに縋り、衆生心と
いう真理の基盤に思い至らなかった釈迦仏教やキリスト教は、方法論において
完全に誤った欠陥宗教、単なる開祖盲信のカルトである。
597 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 07:13:46.20 ID:AGovwUnP
>>595 >北伝の阿含経の長阿含が今回私が紹介している南伝の長部経典(ディーガニカーヤ)の
>ことでして、原始仏典として分類されます。
北伝と南伝とを読み比べますと、北伝の方に多くの省略が見られます。
まあ、南伝に後世の追加があると反論もあるでしょうが。
特に輪廻、再生、梵天や神々、六神通に関する南伝にはある説法が大幅に
北伝では割愛されております。
中国のお坊さん達が何かの事情で削除したのかも知れませんが、その後の
大乗仏教にも影響していると思料します。
龍樹の縁起の法では、因果の法を前提にした輪廻の法は不都合な真実でした
から、龍樹を大乗の開祖と仰いだお坊さん達の仕業かなと仮説しております。
598 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 07:20:31.03 ID:ljsngDRB
>>697 >特に輪廻、再生、梵天や神々、六神通に関する南伝にはある説法が大幅に
>北伝では割愛されております。
現代人にとってはどちらが妥当であるか、の見地から、批判的に判断すべきで
ある。
開祖が言った、言わない、は、真理にとっては全く無関係。真理とは、「誰が
言っても真理」のことである。
599 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 08:59:15.78 ID:Ch5LVwgh
>>597 そら、主に翻訳の問題だろ、漢訳アーガマのサンスクリットやチベット訳と、
パーリ・ニカーヤを比べれば明か。
これは物理的に明かな例だが、解釈も君のは話にならない妄想ばっかだ。
600 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 09:05:08.87 ID:Ch5LVwgh
601 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 10:13:20.01 ID:Dn80LOkJ
>>600の論文で引用されている 三枝充悳の中論訳もだめ?
602 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 10:48:08.97 ID:Ch5LVwgh
>>601 たしか、三枝さんの訳は国訳と現代語訳が付いてたと思いますが、
現代語訳は参考に留めた方がいいでしょう。
603 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 10:49:06.40 ID:Ch5LVwgh
>>601 因みに三枝さん自体の仏教理解は全然だめね。
604 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 11:24:01.85 ID:wh0yWvcz
彼の法華経の翻訳本を800円で買ってしもうた・・・
くまらじゅう訳の妙法蓮華経のいい現代語訳はないすか?
現代語の法華経という法華三部経の訳があるけど
こっちも何となく危なそうだな・・・
キリスト教は宗教、仏教は哲学
仏教が釈迦から始まったことは事実であろうしキリスト教がイエズスから始まったことも事実でありましょう。
しかし初期の仏教にせよキリスト教にせよそれが例えば中世近世期よりも真理迫っていたとは個人的には考えておりません。
教父時代のキリスト教と中世近世期のキリスト教の相違変化を指摘して中世近世期の逸脱と考えるのは間違いだと考えます。
仏教とキリスト教では神(佛)・霊魂・霊界(あの世)・時間(歴史)などの定義枠組みがそもそも異なると考えており、
そこから演繹される世界観と教理をすり合わせることにはそもそも無理があるものと考えます。それは比較するに留まるものでしょう。
人それぞれでしょうが私はその様な立場でおります。
キリスト教については使徒時代から教父時代にかけては福音書正典化の過程にあるわけですが、
そもそもは使徒直系の「口伝」が主体であり文章は口伝を補佐する忘備録の位置づけであったと推定しています。
従ってヨハネ以外の共感福音書は最初から現在の形であったのではなくばらばらの文書集であったと推定します。
聖書学者はいろいろな主張を展開していますが実際には何段階かの経緯を経て現在形(最古写本)に定着したものでありましょう。
根拠については割愛しますが、マタイは原マタイ文書集が、ルカにおいては原ルカ文書集が、それぞれ先在していたと考えるのが自然です。
近代聖書学者(カトリックを除く)は語彙・記事の比較考証からマルコを最古の福音書とするものがほとんどですが、私はその思考法と方法論を否定します。
彼らの仮説の産物であるQ資料は誤りの象徴的存在でありましょう。
キリストの時代に於けるユダヤ系グノーシス系混在の新興宗派の乱立盛衰のなかでキリストの出来事(事件)は格好の材料となったと思われ、
伝聞されたイエズスの出来事を自派宗旨に応用して使徒名などを冠した多くの捏造談が発生することで偽書・偽典の成立をみるに至った。
福音書正典化のプロセスに於いては使徒直系の口伝伝承が正典偽典の判断基準として用いられたと考えるが優位にあるものとします。
新約正典以外にある思想性はイエズス本人に帰されると云うよりもユダヤ系グノーシス系混在の新興宗派に帰されるというのが本当のところでしょう。
しかし宗教の何を求めるかの姿勢の違いによってそれの思想性の評価は必ずしも無意味ではないでしょう。
そこに仏教とキリスト教の中間を埋める思想性の存在が発見されたとしても驚くものではありません。
尚、私の信条として、信仰とは単純明快であるべしとしています。
難解な知識と理解がなければ魂の救済につながらないのであれば衆生万人救済の目的と明らかに矛盾するでしょう。
上述したことは私の信仰そのものという訳ではありません。
608 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 20:29:43.25 ID:S1y7V5gT
>根拠については割愛しますが、
しないでください。
609 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 20:44:53.63 ID:Hlbiak2o
>>600 >龍樹菩薩関連で読むべきものは、山口益、瓜生津隆真、梶山雄一、石飛道子、
>丹治昭義ぐらいだ。
私は石飛先生と中村元先生の龍樹解説本を読んで所感を書いております。
尚、仏教スレでは石飛先生は縁起の法を運動も時間も含む「因果の法」として認識しておられるから
怪しからんという批判も仏教議論スレでありましたね。
610 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 20:45:58.89 ID:Hlbiak2o
>>607 :Johannes:2011/04/13(水) 16:34:09.28 ID:nSTTHzYG
>根拠については割愛しますが、マタイは原マタイ文書集が、ルカにおいては原ルカ文書集が、それぞれ先在していたと考えるのが自然です。
>近代聖書学者(カトリックを除く)は語彙・記事の比較考証からマルコを最古の福音書とするものがほとんどですが、私はその思考法と方法論を否定します。
>彼らの仮説の産物であるQ資料は誤りの象徴的存在でありましょう。
マルコ伝とルカ伝だけですと貴兄の説もあり得ますが、近年復活した「トマスの福音書」も加味しますと
Q資料が存在する確率は格段に向上したという学者がハーバード大やプリンストン大の学者達の間で
増えていると伺っております。
以上、反論ではなくご参考まで。>Johannes氏
611 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 20:53:55.45 ID:Hlbiak2o
612 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 20:58:08.12 ID:Hlbiak2o
たとえていうなら、余命いくばくも無い病人に対して
「死んだ後は天国に行けるから安心しなさい」というのがキリスト教
「死ぬのが怖いなんてただの思い込みだよ」というのが仏教
プロパガンダの一種として政治的に発展してきたのがキリスト教
東洋哲学として発展してきたのが仏教
現代的感覚では聖書は読めたもんじゃないが
仏教自体はそれなりに面白く読めるよ
614 :
神も仏も名無しさん:2011/04/13(水) 21:32:08.40 ID:Ch5LVwgh
>>613 >東洋哲学として発展してきたのが仏教
片腹痛い、「東洋哲学」って何よ?
「発展」って何?
615 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/13(水) 21:42:51.88 ID:6ujFPubk
>>613 たとえていうなら、余命いくばくも無い病人に対して
「神を信じて死んだら天国に行けるから安心しなさい」というのがキリスト教
「執着をとって死ねたら極楽に行けるから心配ない」というのが仏教
いずれも心魂の救済をもたらす宗教かと存じます。
>>610 教会伝承に照らすならばマルコ福音書はむしろ記事編集に於いてマルコのみの判断で行われたとみています。
そう考えるならば特にマタイ福音書の時系列的記事編集の類似性に納得がゆきます。
共観福音書にトマスを加えたところでQ資料仮説が補強されたとは考えません。
そもそも福音文書成立の前提とする史的ファクターの認識を異にする立場なのですから権威による論証以前の否定となります。
マタイ福音書とルカ福音書に原型資料文書集の存在を肯定する立場からすれば比較考証の分析方法で影が浮き出て当然なのです。
その影をQ資料としたところで影は影に過ぎないと考えます。
グノーシスの流出論を被せた霊魂説は仏教の真智開発・業識解脱に類似性があることは認めます。
そこに仏教との親和性が生じないと言えば嘘になるでしょう。
ただ私が強調したいのは、それは既存の宗教として現存するキリスト教(カトリック・プロテスタント共に)とは異なると云う事なのです。
もしナグハマディ文献を組み込むならば、それはキリスト教系新興宗教(良い悪いの意味ではなく)として別に位置付ける必要が出て来るでしょう。
>>615 興味深いたとえで案外と考えさせられます。
キリスト教の「神」を信じるにはキリストの贖罪の意味をどうしても知らねばなりません。
それを信じることが神を信じることになるのですが・・現実には余命がそれなりに必要です。
「執着をとって死ねたら」と言うならば「執着とは?」と返されることでしょう。
何も知らぬ人が二言三言の説明で納得出来るものなのか。変に知識がある人ならば「極楽」と言えば「転生は?」と返されるでしょう。
やはり現実には余命がそれなりに必要です。
そして何れにせよ自我主体の霊魂不滅論を暗黙に前提していますが・・どうなのでしょう。
そして「心魂(霊魂)」の定義がキリスト教と仏教では異なるとしか思えません。
仏教では自我の主体と云う意味では霊魂を否定します(その辺がどうも腑に落ちないのですが)
決して茶化しているのではありません。現実にあり得る難しい課題に思えるのです。
釈迦は、「心魂(霊魂)」とやら、念仏とか、転生とか否定してますよ。
>>614 西洋哲学にカテゴライズされない東洋で成立した哲学(と見なされる)
学問を東洋哲学というんだよ
というか字をみればわかるじゃないの
発展とは宗教の場合でいえば
解釈論から始まる宗派の成立、世俗化形骸化その他もろもろ進歩の過程をいう
浄土教に関して言えばキリスト教とほとんど同じだね
信じれば救われるってやつ。唱えたり札を買えば救われるってのも大同小異
布教のために民衆にわかりやすい餌をもうけたら
それはもう世俗化といってもいいだろう
仏教はオリジナルに近くなるほど思想哲学の傾向が強くなるというのは
説明不要じゃないか
620 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 01:13:06.59 ID:bQwC2Dy7
>>615 >たとえていうなら、余命いくばくも無い病人に対して
>「神を信じて死んだら天国に行けるから安心しなさい」というのがキリスト教
>「執着をとって死ねたら極楽に行けるから心配ない」というのが仏教
>>617 >やはり現実には余命がそれなりに必要です。
>そして何れにせよ自我主体の霊魂不滅論を暗黙に前提していますが・・どうなのでしょう。
霊魂は常住不変ではないが肉体の死後も存続するという前提の人ならば別の言い方が
ありますね。
「あなたが上の方からあなた自身を見たり、私や家族や友人たちにいくら話しかけても
誰も答えないという時がありましたら、あなたの肉体は死亡したことになりますよ。
やがてあなたの先祖だと名乗る人が迎えに来たら、私達のことは気にかけずに同行されて
下さい。」
621 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 01:14:18.61 ID:bQwC2Dy7
>>617 >仏教では自我の主体と云う意味では霊魂を否定します(その辺がどうも腑に落ちないのですが)
水野弘元先生の「仏教要語の基礎知識」では、仏教は霊魂を否定している訳ではないとの
解説がございます。
「外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、
これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、
業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。」
622 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 01:34:10.34 ID:bQwC2Dy7
道端のタンポポが毎年咲く。
この時、タンポポの花を「常住の存在」と言うかどうかというスタンスの違いだろう。
タンポポの花は、条件・状況に従って、あたかも
「毎年【同じ】花が咲いている」と見做される。
しかし、本当に【同じ】だろうか?
公園の隅に、いつもできる水溜りがある。
この時、その水溜りを「常住の存在」と言うかどうかというスタンスの違いだろう。
水溜りは、条件・状況に従って、あたかも
「毎年【同じ】水溜りができている」と見做される。
しかし、本当に【同じ】だろうか?
植え込みの隙間に、いつも蜘蛛の巣が張る。
この時、その蜘蛛の巣を「常住の存在」と言うかどうかというスタンスの違いだろう。
蜘蛛の巣は、条件・状況に従って、あたかも
「毎回【同じ】巣が張られている」と見做される。
しかし、本当に【同じ】だろうか?
自己がある。
この時、その自己を「常住の存在」と言うかどうかというスタンスの違いだろう。
自己は、条件・状況に従って、あたかも
「常に【同じ】自己が継続している」と見做される。(死を間に挟んでも、継続していると見做される。)
しかし、本当に【同じ】だろうか?
本当に【同じ】自己が【継続】しているのだろうか?
意識(識)がある。
この時、その意識(識)を「常住の存在」と言うかどうかというスタンスの違いだろう。
意識(識)は、条件・状況に従って、あたかも
「常に【同じ】意識(識)が継続している」と見做される。(死を間に挟んでも、継続していると見做される。)
しかし、本当に【同じ】だろうか?
本当に【同じ】意識(識)が【継続】しているのだろうか?
霊魂がある(とするw)。
この時、その霊魂を「常住の存在」と言うかどうかというスタンスの違いだろう。
霊魂は、条件・状況に従って、あたかも
「常に【同じ】霊魂が継続している」と見做される。(死を間に挟んでも、継続していると見做される。)
しかし、本当に【同じ】だろうか?
本当に【同じ】霊魂が【継続】しているのだろうか?
625 :
神も仏も名無しさん:2011/04/14(木) 02:08:32.40 ID:eSjBAaLg
>>615 >「神を信じて死んだら天国に行けるから安心しなさい」というのがキリスト教
>「執着をとって死ねたら極楽に行けるから心配ない」というのが仏教
死に行く人にまで嘘をついて騙すとは、地獄落ちに値する犯罪だな。
私は嘘でも人が助かるならいいと思うけどね
形骸化した日本仏教にしても
「死んだら葬式あげてお経を唱えたら幸せな世界に行けます。」
って言ってくれる人がいたら
死に行く人も残された人も慰めになるだろ
まともな精神では耐え切れぬ程の恐怖や喪失感を
嘘ひとつで和らげられるなら安いものだ
ところが支持されすぎて世俗権威化して
フィクションが現実の人間に命令を与えるところにまでくると
これは弊害というものが大きくなりすぎてくると
>>621 そこで使われている「霊魂」とは「業識」の言い換えのように思います。
確かに業識は不滅継続なのでしょう。
しかし業識に於いて「自我」は不滅継続しないとされています。
人間は自分が自分であることに執着しますが、それこそが自我であり記憶の連続性が従属します。
しかし、ほぼ全ての人間が自分の生まれる前の記憶など持っておりません。
これは転生に於いて自我は不連続で転生の都度消滅するとしか言いようがありません。
現代深層心理学で云う無意識の領域に阿頼耶識として過去世の記憶がアーカイブされているとしても、
意識出来ぬのならば、やはり自我は不連続で転生の都度消滅するとしか言いようがありません。
仏教に於ける霊魂説は自我の有無で謂うならば否定されるものなのでしょう。
あなた(つまりその人の自我)は、転生すると言うにせよ、あなた自身は消滅すると言うほかありません。
浄土真宗では極楽往生を約束(少なくとも六道転生はしないと)しているようですが、
仏教として霊魂説を否定するならば極楽に行くのは「私(自我)」ではないことになる。
どうも腑に落ちません。
仏教とキリスト教の比較において、霊魂説の相違は軽視できるものではなく、
その人「自我=霊魂」の救いに於いて同じものとはとても言えないように思われます。
628 :
神も仏も名無しさん:2011/04/14(木) 05:01:35.03 ID:C69bPwDL
人のために宗教があるのであって
宗教のために人があるわけではない
いつのまにか布教が目的となって
あれしろこれしろうるさいこと
適当ちゅうこと知らないんだろう
イエス様とお釈迦様に違いがあろうが
なかろうがどちらも好きなんだが
まあどうでもいい
629 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 06:29:38.05 ID:aAG9mHm9
>>627 >現代深層心理学で云う無意識の領域に阿頼耶識として過去世の記憶がアーカイブ
>されているとしても、 意識出来ぬのならば、やはり自我は不連続で転生の都度
>消滅するとしか言いようがありません。
先に紹介しました舎利弗の整理した2つの経典でも、前世の意識を持ったまま
再生するのは菩薩だけという法が説かれております。
退行催眠で前世の記憶を思い出したという話はキリスト教国を含む世界中で
レポートがあります。
また前世の性格や才能はある程度継続するという報告もあります。例えば天才的な
歌手の場合は前世も唄っており、前世女性だった男性は今世は物腰が柔らかいし
なで肩が多いとの話も心霊関連の話ではよく伺います。
尚、私事で恐縮ですが、憑依霊が本人の忘れた前世のことを詳細に話すという事例は
この35年間に数多く目撃しております。
カルマの清算に憑依霊が関与する法は仏典にはなかった思いますが、新約聖書では
悪霊にかかられた人々という記載が多くあります。
630 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 06:47:04.07 ID:kropHdwD
>>625 >死に行く人にまで嘘をついて騙すとは、地獄落ちに値する犯罪だな。
一つ譬え話をしましょう。
薬には副作用があることは衆知ですが、実は主作用も効く人の率が
薬ごとにある程度分かっております。
平均的には60%〜70%程度で、薬ごとにかなり違います。
私はこの事実を5年以上前にゲノム創薬の開発者の論文で知りましたが。
もし医師が「実はこの薬は20%の人にしか効かないのです。」と正直に
言わずに、重病人や死に行く人に「この薬はよく効きます。」と嘘を
つけば、地獄落ちに値する犯罪でしょうか。
631 :
神も仏も名無しさん:2011/04/14(木) 08:40:08.25 ID:aQtA4m2X
偽りの記憶の捏造で社会問題をもたらした退行催眠なんて挙げちゃだめです。
632 :
神も仏も名無しさん:2011/04/14(木) 11:37:00.99 ID:+/5h/twC
>>630 すり替えに過ぎない。
二重盲検法で薬効が確認された薬は、有為な比率で(例え20%でも)「本当
に効く」のである。死に行く人は、その20%に希望を繋ぐ。「天国」は100%の
嘘である。
>>632 >天国」は100%の嘘である。
これは100%の嘘である
634 :
神も仏も名無しさん:2011/04/14(木) 12:54:38.63 ID:GPhnEqZz
>>633 20%の薬効は検証されている。天国を検証した人間は、史上、唯の一人も
いない。従って、天国がある、というのは、100%の「嘘」である。
時の流れは無慈悲にして
良き事も悲しき事も思い出となり
やがては遠い記憶となって
遂には夢となり果てる
人の命ははかなくも夢に生きて夢と消えるが如し
せめて美しき光と静かなる闇を求めたい
良き夢なればこその命なれば
仏教浄土門ではただ南無阿弥陀仏と唱えれば、死んで必ず極楽浄土に往生すると教える。
極楽浄土とは何であろうか。阿弥陀如来の世界と教える。
ならば問いたい。
死後の霊魂による自我の継続を否定するのが仏教の基本教理とするならば一体誰が極楽浄土へ行くと云うのか。
少なくとも自分(私)は失われ、消滅し、転生した誰かだとするならば、自分にとって何の意味があるのだろう。
救われたいとの願いは「自分(私)」が救われたいと願うものに違いあるまい。
また、残された遺族も亡くなった「その人本人」の極楽往生を願うものに違いあるまいに。
そもそも阿弥陀如来の世界とは何なのか。
阿弥陀如来の本願によって救われた霊魂(それは否定されているはずなのだが)は、
如来にでも転生するのが阿弥陀如来の世界なのか。悪人が末期に南無阿弥陀仏とすがりつけば如来になるのか。
それとも涙を流して善人となった人間のままなのか。どう考えても不条理であろうと思われる。
もしそれらが救いの方便と云うならば方便でない何かがあるのだろうか。しかし聞いことがない。
そうだとすれば、何だか分からぬものの方便を教えとしていることとなり、それはつまり「嘘」であろう。
「嘘」で騙して安心させるだけであろう。まさに死人に口なしと云う訳だ。
浄土門に限らず法華門とて「霊魂」を方便としているならば結論は浄土門と変わらない。
仏教とは(嘘で塗り固めた)方便教がその本質となっているのではないのかとさえ思えて来る。
だから私には仏教が分からないのである。そして分からないのは私だけではなかろうに。
この様に考えるならば、はたして方便(嘘)を信じて何になろうかと思う。
上記問題の核心は「霊魂」の定義にあるように思えてならない。そこが最も曖昧に思える。
大乗仏教は質的に異なるもので
宗教というよりは認識論といった方がしっくりくる
釈迦が伝説となるほどの智恵者だったということは
その言行録であるお経を読めば現代人でも理解できることだと思うね
彼の思想というのは科学的ではないにしても
恐ろしく論理的で深い洞察の上に成り立っている
しかしそういった偉人が出て年月を経るほどに
解釈の相違から宗派の別が生じて
信者獲得競争のためにアホでも理解できる内容に噛み砕かれ形骸化が進み、
天国や地獄といったエサや脅しがでっち上げられていくものでね
ただ、霊魂なる概念が100%嘘っぱちなのかというと
私はそうでもないと思うね
そのへんに生えてるアブない道草を食ったら
常識じゃ説明がつかないヤバイ存在を見ちまった、
幽体離脱しちまった恐ろしいから拝まなきゃ
みたいなことは大昔でもある、
というか原始宗教の多くはそういうものだし
切断して無い筈の手足が
さもそこにあるかのように感じられる幻肢という症状も
おおいに幽体の存在を確信させるものだったろう
639 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 22:03:47.57 ID:rhAlQmvU
>>636 :Johannes:2011/04/14(木) 15:44:23.04 ID:aByQnCc0
>ならば問いたい。
>死後の霊魂による自我の継続を否定するのが仏教の基本教理とするならば
>一体誰が極楽浄土へ行くと云うのか。
>少なくとも自分(私)は失われ、消滅し、転生した誰かだとするならば、
>自分にとって何の意味があるのだろう。
前世の記憶があると現世での修行の邪魔になるので、菩薩以外は前世の記憶を
忘れて再生するという法(法則、真理)があり、出典も紹介済みです。
でも、顕在意識では忘れても潜在意識の中ではアーカイブされております。
長部経典の「沙門果経」には、修行完成者達は前世も前々世の記憶も全て思い出す
という修行の果が詳しく説かれております。
多分、正しい瞑想の達成者の中にも同様に前世記憶を思い出す人たちがあるかと
思料します。
640 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/14(木) 22:10:28.82 ID:rhAlQmvU
私は長部経典の邦訳として春秋社「長部経典」(中村元監修)を参考に
しております。
全四巻で1冊6千円〜7千円ですから、安い本ではないですが、龍樹ら
の大乗仏教の囚われから解脱できると思えば高くはないでしょう。
色即是空
空即是色
受想行議
亦復如是
現代的に言うならば「我」が実存するとは錯覚しているに過ぎず、その真相は「空」である。
我に執着することで苦しみ怖れるのだから、その真相は空と悟って執着を捨てなさい。
そうすれば苦しみ怖れは無くなります。死を怖れることもなくなります。
仏教に於ける人間の救いとは、どうも此処に尽きるように思えてなりません。
上述の悟りは自我の消滅を否定するものではなく、また魂の存在を求めるものでもありません。
自我の不滅を前提に自我の救済を目的とするキリスト教では魂の存在が必須となります。
人間の救済は、仏教とキリスト教では、全く異なる原理で構成されていると思うものです。
現在のところ、私の見解としては、仏教とキリスト教は共通の真理を持つとは考えられません。
ただ「人間の救済」という目的を同じくするのみです。
しかし、それは「宗教」としての教理を考察することにより到達する答えなのであって、
私の経験と観察に照らすならば納得出来ない何かが残る感を禁じ得ません。
>死後の霊魂による自我の継続を否定するのが仏教の基本教理
はあ?
それは大乗だろ。
釈迦とはえらい違いだ。仏教ではない。
>>642 それを私に言われても困ります。
お寺の御本山に言ってください。
644 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 00:42:23.18 ID:8VD/rXtn
>>641 >その真相は「空」である。
「空」は「縁起の法」で大乗というか、龍樹の哲学でして、釈尊の教えは
「因果の法」でしょう。
欲心から生じる「固執」が「苦しみ」を生じるまでには時間がかかり、
刹那ではないということが(言語論理世界でなく)リアル世界、現実
世界だと感じております。
「空」は机上空論にて、四諦や八正道の実践こそ涅槃に至る道かと存じます。
645 :
神も仏も名無しさん:2011/04/15(金) 01:25:12.39 ID:Hxd1Qj9S
>>644 竜樹の「空(相互依存性・相対性・関係性)」は、「もろもろの存在の構成原理」でり、
机上空論などではない。現代科学による物質界(現実界)の構成そのものである。
釈迦の言う「因果関係」なら、馬鹿でも分ること。大発見でも何でもない。
「修行して解脱し、涅槃に至ろうとする」ことこそ、「欲心」の最たるものでは
ないのかね。
大昔の1個人である開祖からすべてを演繹しようとすることは、方法論的に誤り。
真理は、一切衆生の生存努力の中にのみ存在する。
>>644 私は真言宗を軸に仏教を展望しているので「空」を支持しています。
実に仏教と一言で言っても何を以てして仏教なものなのか。
浄土真宗も仏教と言いますが、はたして本当に仏教なのか。
私は現存する仏教宗派の何れかを基準としますが、それが真言宗ということです。
それはキリスト教で「カトリック」を軸に展望している姿勢と同じです。
あくまで現存する「宗教」から考察する私の方法論或いは流儀と云うほかありません。
従って在家様の姿勢や目標を批判するものではありません。
考察課題の表題に人それぞれ差異があるのはむしろ当然なことです。
いろいろと御指摘有難うございます。考えを進める良い動機となっております。
647 :
神も仏も名無しさん:2011/04/15(金) 02:15:35.47 ID:FReKanX3
>>641 >自我の不滅を前提に自我の救済を目的とするキリスト教では魂の存在が必須となります。
>人間の救済は、仏教とキリスト教では、全く異なる原理で構成されていると思うものです。
同意。しかしキリスト教と類似の、またはそれに影響された仏教宗派や他宗教も多い。
648 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 06:07:43.20 ID:PonRhrKW
>>645 >「空」は机上空論にて、四諦や八正道の実践こそ涅槃に至る道かと存じます。
一応、私見ですが簡単に根拠を示します。
(中論24章10節)
「世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。」
有部は世俗表現の一つの「言葉」を用いて、「運動」を表現して、否定(論破)
されただけです。現代ならば「マルチメディア」を用いて、「運動」を凡夫に
説明することができるでしょう。
(中論24章11節)
「不完全に見られた空は智慧の鈍いものを害する。」
龍樹にしては珍しく、なんら根拠を示さずに断定しており、脅迫的ですね。
ふと「裸の王様」の大人の心境を思い出しましたね。
この経典の意訳はどうかな?一番わかりやすいと思うけど
詳しくは本でぞうぞ ちなみに瞑想のやり方はほとんど書いて無くて仏教書です
「ちょうど、牛から牛乳を取り、牛乳から凝縮乳をつくり、凝縮乳からバターをつくり、
天然バターから加工バターをつくり、加工バターからクリーム状の脱脂乳をつくるようなものだ。
牛乳は、凝縮乳や天然バター、加工バター、クリーム状の脱脂乳とはべつのものと考えられる。
それと同じで、どの時点においても、過去や未来ではなく
いまこの瞬間に存在している姿のみを真実と考えるべきである。」
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 春秋社
650 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 06:09:39.04 ID:PonRhrKW
>>648 「八不」の中の「不一不異」を例に取りますと、言語の論理世界で「運動」を
説明しようとした有部説の矛盾を示したに過ぎません。
代わりに実在論にて「人は去る」を見ますと、人(主体)が去る(働き)だけで
両者の「一異」という問題は起こらないでしょう。
龍樹を学習すればするほど、「言語の論理世界での大哲学者」だという認識が
深まります。換言しますと彼が言語の論理世界で「空」理論を証明したのは
事実ですが、後の仏教徒が現実世界でも「空」が証明されたと誤解したまま
今日に至ったように思量します。
現代はマルチメディアの時代ですので、一度「去りつつあるものは去らず」と
連続奏上しながら、足元のアリさんをじーっと観察することをお奨めします。
現実世界において、「運動」と「時間」が存在するのか否かを認識できたら、
一言「アリがとう」と言えば(中論24章11節)の呪縛も消滅するでしょう。
651 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 06:17:59.15 ID:PonRhrKW
>>649 >それと同じで、どの時点においても、過去や未来ではなく
>いまこの瞬間に存在している姿のみを真実と考えるべきである。
元本は長部経典ですね。
牛乳、バター、ヨーグルト、クリームといくら姿を変えましても、
「乳製品」という本質は変わらないという教えにも理解できます。
この譬え話の「乳製品」という本質は輪廻する際の「アートマン」の
譬えとして興味深いものです。
652 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 06:29:17.05 ID:tZ04CSkx
>>645 >「空」は机上空論にて、四諦や八正道の実践こそ涅槃に至る道かと存じます。
「空」とは相反する経典として、法華経から少し紹介しましょう。
「方便品第二」では、これまで「常住不変のものは無い」と声聞、縁覚に
説いてこられた釈尊が一転して、菩薩には真実を告げると前置きします。
更に「実は仏も実相は常住不滅である」と 説き、弥勒菩薩ら高弟でも
愕然とした次第です。(如来寿量品第十六)
653 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 06:33:14.16 ID:tZ04CSkx
「常住不滅の仏など存在しない」と言い切るのは、自称大乗仏教徒の中でも
龍樹の中論の熱烈ファンくらいかも知れませんね。
>>651 それは完全に否定してやったろ?w
予想通りの横レス入れやがって・・www
臍で茶が沸いてしまうわw
その喩えで言われているのは、
(恒常普遍な、あるいは一切合財に通底する)「本質などない」ということだよ。
もし、もし、強いて一つ挙げるとするなら、それが「縁起(性)」だったり「空性」だったりするわけさ。
655 :
神も仏も名無しさん:2011/04/15(金) 07:17:06.23 ID:NRWjVNp7
656 :
神も仏も名無しさん:2011/04/15(金) 08:36:30.82 ID:sR1oH+R2
>>651 >牛乳、バター、ヨーグルト、クリームといくら姿を変えましても、
>「乳製品」という本質は変わらないという教えにも理解できます。
それは誤読ではないか。ちゃんと「別のもの」と言っている。
道元の「前後裁断せり」である。道元の「正法眼蔵」を読めば、君の
カルト思想など吹っ飛ぶ。
君等カルトは、竜樹や道元には絶対近づかない。原始仏教ばかり。
原始仏教が仏教カルトの源泉であることを証明している。
657 :
神も仏も名無しさん:2011/04/15(金) 13:32:11.08 ID:vMyLsESw
釈迦の根本仏教がカルトとか言ってる馬鹿発見・・・www
>>(恒常普遍な、あるいは一切合財に通底する)「本質などない」ということだよ。
>>もし、もし、強いて一つ挙げるとするなら、それが「縁起(性)」だったり「空性」だったりするわけさ。
支持します。
一つ現実に目を向けるならば肉体の「痛み」から来る苦しみをどう解釈するのかという問題があります。
例えば虫歯の痛みでも構いません。
くだらないことのようですが、これに回答するのは案外と難しいと思う。
仏教の悟りで「痛み」の苦しみから解放されるでしょうか。
カトリックの祈りで「痛み」の苦しみから解放されるでしょうか。
常識的には無理です。歯科医院に行くほかないでしょう。
キリスト教では肉体を唯物実在としているので合理的・機械論的に捉えますから歯科治療を当然とします。
それが西洋医学の基本的理念になっています。
一方仏教ではどう捉えるのでしょうか。私は現世利益に通じるものと考えております。
空性に於ける因縁生起としての痛みであるならば、同様に痛みと対になる現世利益を否定出来ないことになる。
だから現世利益の実現としての因縁を求めることになるものです。
それは西洋医学とは異なる治療概念につながったものと考えられます。
歯科治療による痛みの除去も現世利益の実現としての因果と考えて構わないように思われます。
観自在菩薩の観音妙智力・能救世間苦・具足神通力は空性縁起によらずしては有り得ないでしょう。
この点を見るならばキリスト教の神と仏教の神通力(神)が全く異なることが分かります。
観音様の現世利益とは自我執着を逆手に取った悟りへの導きとして実に有難いものです。
理趣経百字の偈にあるとおりです。
660 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 21:16:44.40 ID:PmgIFqtm
>>651 >牛乳、バター、ヨーグルト、クリームといくら姿を変えましても、
>「乳製品」という本質は変わらないという教えにも理解できます。
この譬え話の「乳製品」という本質は輪廻する際の「アートマン」の
譬えとして興味深いものです。
仏の智慧が無くても現代人ならばバターやヨーグルトを食して前世が
牛の乳だったと認識ができるでしょう。
同様に赤いジャムやマーマレードを食して前世がイチゴやオレンジで
あったことも認識できるでしょう
換言しますと、バターの先祖はイチゴではなく、ジャムの先祖が牛乳
ではないということです。どんなに姿、形状を変えましても継承されて
いる分子構造(本質)があるということでしょうか。
長部経典「ポッタパーダ経」の譬えは、実に釈尊の「アートマン」の譬え
として興味深いものです。
>>660 いいか、あの経は、《お前が言うような「本質」》は無い、ということを示す経なんだよ。
参:
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1248609075/359 >更についでに、それを受けてチッタに語りかける際の註も記しておく。
>
> 〈そこで世尊は、かれに “色(rUpa)などがここ《世界》における法《自性法(sabhAva-dhamma)》である。
> しかしこの我の獲得は《五蘊を取って》ただ名前(nAma)であるにすぎない。
> それぞれ色などがあれば、このようなもろもろの慣用語(vohAra)が生じるのである”
> ということを示そうとされ、かれの話だけを捉えて、名前と概念により説明するために、以下のように言われた〉。
> それぞれ色などがあれば、このようなもろもろの慣用語(vohAra)が生じるのである”
→それぞれの「色」等の諸条件によって、種々の名称が生じている(付けられている)。
それぞれの「色」等の諸条件によって、『何ものかが(そこに)ある』と見做される。
664 :
神も仏も名無しさん:2011/04/15(金) 22:51:01.71 ID:P1jYW8MI
一在家さんは岩波文庫のウパデーシャ・サーハスリーを読んだほうがいいよ。
まだ在庫あったっけ?
アートマンに日本的な霊魂観を投影すると誤解する。
梵我一如と云う考えが仏教にあるとは聞いたことがありません。
むしろ釈尊は本質論としての梵我一如を否定して因縁生起を説いたものでしょう。
また因縁生起に於ける関連性に着目して俯瞰するならば必然的に空性観が導き出されるでしょう。
また本質論の否定とは即ち霊魂の否定に他なりません。
何度も言いますが霊魂(自我)説に立つキリスト教とは全く異なっています。
666 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 23:08:07.04 ID:zc6NWQzG
>>663w
>>更についでに、それを受けてチッタに語りかける際の註も記しておく。
異教の修行者のポッタパーダと象使いのチッタに釈尊が第一義で説かれた
といまだに信じておられるようですね。
またサーリプッタが第二義以降の説法で歓喜したはずもないでしょう。
捏造乙wwwと貴兄が思われるのはご自由ですが。>ウルトラ7
>>666 現在の我々が知り得るあらゆる資料が、
お前の説の全否定になってるんだよw
668 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 23:20:33.19 ID:pHr8iD2B
>>666 輪廻の法、入胎の法、死後の往く先などはサーリプッタら高弟には言わずもがな
でも、異教徒や修行未完成者にはかえって修行の邪魔になるから、釈尊は無記を
通したり、そのようなものは無いと言ったり、四諦を説いたりしたという方便の
可能性も否定はできないかと存じます。
水野先生が解説された釈尊の対機説法における「四悉檀」を鑑みてですが。
669 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 23:28:25.89 ID:pHr8iD2B
>>667 >現在の我々が知り得るあらゆる資料が、お前の説の全否定になってるんだよw
あらゆる資料が「四悉檀」の何れに属するのか分かっておりましたら、現代でも
仏教諸派は争うこともないでしょう。
原始仏教の中からの引用が上座部や大乗の教えにも多数散見されますが、原始仏典
に元還りしなければ、その教えが一体「誰に説かれた?」ものであったのかは、
分からないままかと思料します。
670 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/15(金) 23:37:34.27 ID:pHr8iD2B
イエスも釈尊も譬え話をよく使われた点では共通しておりますね。
イエスも使徒達には真理をそのまま第一義で語ったのではないでしょうか。
671 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/15(金) 23:44:29.20 ID:9jAkT1Eb
―ああ、この世は滅びる・・・世の流れに逆らい、微妙であり、深遠で見がたく、微細であるから、欲を貪り闇黒に覆われた人々は見ることができないのだ―
(悪魔との対話)
―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと〜わたしに属するものではない―(悪魔との対話)
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである〜神の御旨を行う者は、永遠にながらえる〜彼らはわたしたちから出て
行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである―(ヨハネの第一)
□つくられざる清浄な状態・つくられざる存在・唯一 = 人間では思考も及ばず意識外
地上のものに心を引かれず、無量の慈しみ・あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ(ブッダのことば・ルカ)
神通力の領域・あなたがたは何でもできるという言葉が真実となる世界
―多くの神〜があるようではあるが―(コリント)―われらは一物も所有してはいない〜光り輝く神々のように―(真理のことば)
人格神は、神の右に座し、地上のものに心を引かれず、五欲の対象も喜ばず、一物も所有せず、諸行無常・一切皆苦・諸法非我を極め、下界(人間)を
一切助けない。偶像礼拝は貪欲他ならない。
672 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/15(金) 23:48:44.45 ID:9jAkT1Eb
―森に住み、心静まり〜日に一食を取るだけであるが、その顔色は〜明朗〜未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな〜一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
―妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するものが輪廻に堕している―(神々との対話)
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一)
心も無常で、起動(行為)も存在しない清浄(善)なものの世界。悪しき者・妄執に従い人間となる。神は信じても信じられず、―イエスは聖霊に満ちて〜
荒野を四十日のあいだ〜そのあいだ何も食べず―(ルカ)多くの人々にとって、からし種一粒ほどの信仰もない存在となった。
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
―学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ〜貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ
―(神々との対話)
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し〜正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは
―(マタイ)
673 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/15(金) 23:49:54.77 ID:9jAkT1Eb
―言語表現だけのものとして―(神々との対話)
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法を命じる事を行うなら〜彼らにとっては自分自身が律法なのである。彼らは律法の要求がその心にしるされている
ことを現し―(ローマ人)
思考も及ばず、意識もできない、何でもできる(神通力)の領域は、快楽を貪らず森や林は楽しい、大自然の静かな所は心が安らぐ、全てを失っても、五欲の
対象が満たされなくとも、悲観せず耐え、忍耐強く立派と思われる行為や、衣食住・困っている人・苦しんでいる人々を助けても、自分自身を信仰深いとか、善
人と自任せず、自然に行っている人々、園に植え、橋を作り、休息所を与え、人々の安穏・安楽な生活に努めている人々は、つくられざる清浄な状態・つくられ
ざる存在とともに在る。滅びから救う力を世に与えている。
―意識もそなえ心もある一尋の身体に即して―(神々との対話)
悪しき者・妄執の滅び
富に仕え、権威や栄華を貪り、人々の肉の欲・目の欲・持ち物の誇りにあくせく仕え、富を得、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りの貪りを楽しむ。
地道に人々の安穏・安楽な暮らしのために努力している人々は光―肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを得ることを良いことのように思わせ、富に仕え、滅びに向かわせ
る人々・・・変化しないその人のつくられざる唯一の状態に逆らう行為で苦難を生み出す。人間が自分たちを救いたかったら、そういったことを見極め行動すること。
知者と自任して努力し行動しても、つくられざる唯一のものに逆らうことは、想定外の災難を生み出す。
このスレは仏教とキリスト教の違いを考えるスレです。
その意味では仏教なりキリスト教なりの内部論に傾いてどうもスレチになりがちで難しいですね。
>>670 カトリックの私としては、使徒たちがキリストの示した真理に覚醒したのはキリスト復活後と思っております。
キリストの譬え話はキリストの復活の光に照らされて始めて生命を得た言葉となりました。
675 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 00:15:40.94 ID:mgDmOCZK
>>672 サンユッタニカーヤ「ブッダ神々との対話」とダンマパダ「ブッダの真理の言葉」ですか。
もう一度読んでみます、ご紹介を有難うございます。>思慮氏
ご紹介の通り、新約聖書と整合性がとれていて共通の法(真理)のようですね。
>>668 > 輪廻の法、入胎の法、死後の往く先などはサーリプッタら高弟には言わずもがなでも、
釈尊が言葉にしたこと(そのような機会)が、経典に述べられたエピソードだけだと思ってるのか?
あちこちで、様々な相手に説かれているんだよ。
勿論、その内容やレベルが、相手によって異なっていたことも容易に創造出来る。
また、少なくともそこに挙げられた3例は、高弟云々・異教徒云々・新参者云々関係ない。
内容が伝えられていない説法のエピは至る所にある。
(たとえば、上に出た等誦経の出だしは、マッラ族(の在家者)への法話の場面から始まるが、その内容は記されていない。
教えを説き、教誡し、喜ばせた、とあるだけだ。 こんな例は五万とあるw)
どういった内容が、どういった者に「主なる相手として」説かれたか、
(―それは、上記のように省略されずに伝承されているという点で重要な教えだということだが―)、
という着眼は大変意味のあることだ。そのこと自体を否定したことはこれまでも無い筈だ。
寧ろ、そうしたことを主張し続けるなら、ちゃんと経蔵全てを精査して統計とって研究してみろよ。
そうして得られた傾向を見て、「このように解釈できる」、と言えよ。
それをせずに強弁を繰り返すから、現時点ではお前の全ての発言を「捏造」と指摘せざるを得ないんだよ。
> 異教徒や修行未完成者にはかえって修行の邪魔になるから、釈尊は無記を通したり、そのようなものは無いと言ったり、
> 四諦を説いたりしたという方便の可能性も否定はできないかと存じます。
寧ろ逆だろwww
施論戒論生天論って言葉すら知らんのか?
四諦や無我(三法印)、或いは縁起こそが、後から詳説される主眼となる教えだろうがw
> 水野先生が解説された釈尊の対機説法における「四悉檀」を鑑みてですが。
お前も隠居も、(そしてやはり宝珠も)、
願望に基づく予断と妄想で仏典を読むから、その文意を、結果捻じ曲げて解釈することになる。
お前の場合、自覚のある意図的なものと見えるから余計に性質が悪いw
677 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 02:08:58.83 ID:mxrkoNP3
>>674 >このスレは仏教とキリスト教の違いを考えるスレです。
>その意味では仏教なりキリスト教なりの内部論に傾いてどうもスレチになり
>がちで難しいですね。
内部紛争、内部抗争が、宗教の特徴的病理ですよ。厳然として実在するするすべて
の人間とその生存を支えてくれている自然を信じないで、神や霊、大昔の1個
人に過ぎない開祖など、あやふやなものばかり信じ、依存しているから、自分
に確固たる自信が持てず、常に焦燥感や疑心暗鬼や迷いが生じる。キリスト教
における、新教と旧教徒の血を血で洗う殺し合い、プロテスタントから発生し
た無数のセクトなどが、その例です。
仏教でも、原始仏教と大乗仏教では、内容的には別の宗教。
復活などと言われるが、あなた方は、完全に死んだ人間が生き返るという、
ホラー映画の世界を、本気で信じているのですか。
原始仏教のさらにその前には、
宗教化してしまう前の釈迦そのものがある。
釈迦は、宗教化することを恐れ拒んだが、
その言いつけは、後世の弟子にもろくも破られた。
679 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 07:41:52.65 ID:gv13wPix
>>676 >どういった内容が、どういった者に「主なる相手として」説かれたか、
(―それは、上記のように省略されずに伝承されているという点で重要な教えだということだが―)、
という着眼は大変意味のあることだ。そのこと自体を否定したことはこれまでも無い筈だ。
寧ろ、そうしたことを主張し続けるなら、ちゃんと経蔵全てを精査して統計とって研究してみろよ。
そうして得られた傾向を見て、「このように解釈できる」、と言えよ。
それをせずに強弁を繰り返すから、現時点ではお前の全ての発言を「捏造」と指摘せざるを得ないんだよ。
貴兄の本意がよく分かりました。
「ちゃんと経蔵全てを精査して統計とって研究してみろよ。」というアプローチは
仏教学者のライフワーク的な仕事量で、中村元先生や水野先生級の方々の道かと
思料します。
私もまず長部経典に含まれる34経が誰に説かれたのかをリストアップしました。
平行して、輪廻、再生、六神通、地獄などに関する説法がある経典が70%以上
あることと、逆にそれらを否定するような経典が20%以上あることも確認しました。
同じディーガニカーヤ(漢訳は長阿含)においてもです。
異教の修行者、バラモン、修行途上者に対しては、「輪廻の法」や六神通(三明智)は
説かれずに、「黙して答えず」ということが多かったことも確認しております。
私が強弁?を繰り返すのは、貴兄が提示された研究を発願される仏教徒の台頭を待って
いるからです。
その理由は原始釈尊のことは仏教徒が、原始イエスのことはクリスチャンが調査して
語ることが最も相応しいと思うからです。
680 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 07:49:32.53 ID:gv13wPix
>>677 >復活などと言われるが、あなた方は、完全に死んだ人間が生き返るという、
>ホラー映画の世界を、本気で信じているのですか。
復活後のイエスの姿はかなり変容していたようですね。
実際マグダラのマリアや使徒達でもすぐにイエスだとは気付かなかったと
新約に記載されておりますので。
681 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 07:51:02.74 ID:dBbg5sXi
>復活後のイエスの姿はかなり変容していたようですね。
キリスト教は嘘つき団体だな。
682 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 08:54:33.68 ID:PjvWtVGl
>>679 >私が強弁?を繰り返すのは、貴兄が提示された研究を発願される仏教徒の
>台頭を待っているからです。
少なくとも中部経典他も加えた原始仏典での「誰に説いた?」リストアップは
異教の私には荷が重過ぎますが貴兄らにはそうでもないかと存じます。
683 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 09:09:16.26 ID:PjvWtVGl
長部経典33経「等誦経」は舎利弗が釈尊の説かれた法を編纂した
アビダルマ的色彩の濃い経で、『輪廻』に関係のある教えが具体的に
記載されております。
舎利弗以外の「誰に説いた?」経典なのかはよく分かりませんが、
上座部や大乗でも引用されることが多かったと思料します。
(3つ一組の法) 60法もある
・3つの明知。前世を想起する智、生ける者の生まれ死ぬことについての智、
漏泄がなくなったことを知る智。
(4つ一組) 50法
・四つの修行者の結果。
@悟りへの流れに到達した境地、Aこの世へ一度だけ戻る、
Bこの世へ二度と戻ってこないあり方、C阿羅漢の境地。
・四つの輪廻に結びつけるもの。
@欲望、A怒り、B間違った戒律や規則、Cこれが真実であるとの執着。
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない、A入胎時のみ意識あり、
B出胎時のみ意識を持たない、C三時に意識を持った
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
684 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 09:10:03.61 ID:PjvWtVGl
>>683 続
(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
・五種類のこの世に戻ることのない人。
@色界での寿命の中間で完全な涅槃に達する人、
A色界に生じて寿命の半分以上過ぎて完全な涅槃に達する人、
B苦労して完全な涅槃に達する人、C苦労をせずに涅槃に達する人、
D上の世界に向かいアカニッタ天に達する人
出典:春秋社「長部経典」中村元監修
>>683 >長部経典33経「等誦経」は舎利弗が釈尊の説かれた法を編纂した
最初からそう言っていれば、まだ可愛気があるものを、
「舎利弗【に】説いた経」などと言うから、「全く読んでいないか」「捏造か」と指摘するんだよ。
(しかも、【何度も指摘され、その都度訂正しているのに、改めてレスするときは、
その指摘や自分の訂正すら無視して、『間違った情報』を垂れ流す】。 これが屑の所行でなくて何だというのか・・。)
普通に読めば、【書いてある通りに】「釈尊に代わって比丘達に語った経」であることは明白なのに・・。
加えて言えば、その内容も、目録的であり(→個々の内容についても概説だったり、名前(≒分類)や標語的なものも多い)、
且つ、お前さんが抽出するものは、1〜10でまとめられた全229個のうちの幾つだ?
今、683と684からすれば(過去のレスも同様だったと思うが)、6つだな?
229のうちの6つだ。そして、この229のうちで優劣(重要性の差異)は基本的に設けられていない。
当たり前だ、(学習に資するようにということかもしれんが)、単なる分類なのだから。
(強いて言えば、最初の1法という部分が、
「経(聖典)・教え」というものの存在意義を或る角度から示すものとしての部分と言い得るかもしれないが。)
重要性の差異や、誰(修行レベルの差異)にと関係なく並べられた『229のうちの6つ』に、
いったい、どれほどの意味を見出そうと言うのか・・。
(だから、宝珠同様、【自分達の願望・妄想を満たす為の恣意的抽出】だと言うんだ。)
いずれにしろ、情報の扱いがいい加減すぎるから横レス入れるんだよ。
自分の辞書に「誠実さ」という項目を書き加えておけ。
>>683 >>685で触れたように、229のうちの10にも満たない、しかも重要性の強調さえされていない例を挙げて、
>・・・の濃い経で、『輪廻』に関係のある教えが具体的に記載されております。
と、「あたかも、輪廻等に関して大きく説かれた経である」という言い方をするところが姑息だと言うんだ。
名前の羅列だけでなく、具体的内容について記載されているのは輪廻等に関することだけじゃない。
他にも概説されているものは多い。
その中で、【輪廻等に限って強調すべき理由なぞ、どこにも無い】。
単に、お前の願望に合う所だけを提示して、
まるで「等誦経が《それを主題とした》経である」かの如く見せる印象操作にしかなってないんだよ。
だから、姑息で厚顔無恥な最低野郎だと言うんだ。
687 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 12:00:23.58 ID:H2rxHAqZ
>>678 原始仏教を批判されると、今度は仏典に書かれていない「釈迦そのもの」などと
言い出す。釈迦が書いた仏典など皆無なのに、「釈迦そのもの」のことなど分
るはずがなかろう。
そうやって、大昔の1個人に過ぎない「開祖そのもの」は絶対に批判できず、
すべての責任を「他の人間」に押し付けることが、まさに宗教の「病理」の
根源であることを、自覚されたし。
このことは、イエスについても全く同じ。
要するに「有名人信仰」「イメージ信仰」「ミーハーのブランド信仰」である。
釈迦やイエスに対するそのような「生理的愛着」から離脱しない限り、宗教の
病理は途絶えることはない。
たしかにキリストも釈迦も後世に著作を遺さなかったからこそ
カリスマが衰えないのかもなあ
>>687 >>原始仏教を批判されると、今度は仏典に書かれていない・・・
はあ?
釈迦以降は、キリスト教同じく、宗教フィクション小説だと思っております。
>>687 >>釈迦が書いた仏典など皆無なの
ひとつも無いかと思いますが。
唯一、釈迦を知る手立ては、釈迦の言葉を一言一句そのまま纏めたといわれる
結集ぐらいでしょうな。
それ以外は、やっぱ小説ですわ。
小説サーガは、その後登場人物が数多く乱立して、
まさにハリーポッターのような様相を見せますがね、
興味御座いません。
692 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 18:28:48.76 ID:GV/mfP8F
>>683 :前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 09:09:16.26 ID:PjvWtVGl
>長部経典33経「等誦経」は舎利弗が釈尊の説かれた法を編纂した
>アビダルマ的色彩の濃い経で、『輪廻』に関係のある教えが具体的に
>記載されております。
舎利弗により整理された229法の中に『輪廻』に関係のある教えが10近く
具体的に記載されております、と誤解の無いように訂正しておきます。
693 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 19:28:53.72 ID:ruX5AqPz
>>690 論語は、非現実的なことや、不合理は語らないので、宗教ではないと思う。
「子は怪力乱神を語らず。」
「鬼神(神)は、敬してこれを遠ざく。」
「未だよく人を知らず。いずくんぞ鬼神(神)を知らんや。」
>>963 その点について異議なしです。
しかし孔子は常に「天」を意識していたと思われるが。
695 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 19:57:40.44 ID:ruX5AqPz
>>694 天や大自然と、チンケな1個人に過ぎない釈迦やイエスとは全く違う。
不思議に思うのは、旧約聖書の「創造」とは「あるがままのすべての人間と大
自然」のはずだが、イエスやキリスト教には、この創造に対する畏敬が全く認
められない。イエスにあるのは、常に「俺が、俺が」の思い上がった独善性のみ
である。
>>695 つまりキリスト教にとって、それらは「被造物」に過ぎないからです。
日本人古来の自然への感謝と畏敬の念(それは神道です)はありません。
最近、個人的に米国の親戚宅に二週間滞在して、いとこ達と生活を共にしましたが、
キリスト教の彼らにはそういう感性がないと思います。
何回か渡米する度に、日本は「神国日本」であること痛感し愛国の情を新たにしています。
697 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 20:40:22.59 ID:TwurQuKN
>>696 ちょっと貴方に聞いてみたいのだが(スレちはご容赦願おう)
貴方はカトリックとのことだが、やはり創造論支持で人間が単純生命からの段階的変移の
帰結であるとする説は否定するのかな?やはり、神様が現在の形態で人間を創ったと信じてるの?
国民性に大なる影響を及ぼしている伝統文化や宗教が
発展過程においてアニミズムやシャーマニズムから離陸してるかどうかで
その国民性も少し変わってくる
山河に神を見出す神道の影響を受けている日本人は
個を自然の一部と見なすので
他者との関わりにおいて融和や埋没を欲するのに対して
個を自然と切り離し、神を経由して繋がっていると捉えるキリスト教由来の文化を持つ国の人は
イメージ通りの個人主義的傾向になる
一時期流行した「空気読め」なんて言葉も
まさに日本人の気質を如実に表してるといえるね
言い換えれば「黙って溶け込め」
そういうことだから
>>697 私は一人の人間として主体性を失わぬよう注意しています。
(☆注意:以下はカトリックの立場として答えるのではなく私個人の答えです。)
>>やはり創造論支持で人間が単純生命からの段階的変移の
>>帰結であるとする説は否定するのかな?
創世記は数ある神話の一つです。それは人が人たるに至った魂の由来を神話形式で表現したものです。
当然、科学的知見に基づく史実ではありません。
>>やはり、神様が現在の形態で人間を創ったと信じてるの?
その意味では信じていません。
カトリックから得るところは大きなものがあります。
同様に神道からも仏教からも得るところは大きなものがあります。
更には論語を封建的過去の道徳観として捨て去るのは大きな過ちだとも思っております。
私自身、自分が何か完成された悟りに至ったとか真理を発見したとは思っておりません。
700 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 21:12:33.28 ID:TwurQuKN
>>699 なるほどね。俺は宗教部外者なんだけれども、各宗教の聖典の記述、教説と現代の科学的知見の
矛盾を宗教者達がどのように認識してるのかちょっと興味があってね。
中には、6500年前にこの世界が創られたと信じきってる人もいた。
信仰としては尊重するが、事実判断としてはかなり怪しい訳で、それが真実であると主張する人は信仰と事実判断の境界がわからん人だと思うわけよ。
貴方は違うみたいだなw
701 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 21:16:07.71 ID:bxBVvHb6
6500年前に世界が作られたというのは新興宗教。
伝統宗教は非科学的な話を迷信と退ける。
新興宗教は反知性主義で電波な人が多い。
702 :
神も仏も名無しさん:2011/04/16(土) 21:33:06.72 ID:ruX5AqPz
>>701 すべての新興宗教は、伝統仏教を母体として発生し、そのテクニックをすべて
利用している。両者には、「原理的」には何らの相違も無い。
仏教もキリスト教も、バラモン教やユダヤ教から分離した当時においては、新興
宗教、それも超カルトであった。
>>698 多くの日本人がイメージする「個人主義」とは実は利己主義のことで、真の意味でのキリスト教的な個人主義とは全く違うので注意が必要だけど。
704 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/16(土) 23:59:30.05 ID:Ujsp58Tw
>>683 ※一部修正し再掲
長部経典33経「等誦経」は舎利弗が釈尊の説かれた229法を編纂した
アビダルマ的色彩の濃い経で、『輪廻』に関係のある6つの法が具体的
に記載されております。 ※「自歓喜経」と入胎の法は重複
舎利弗以外の「誰に説いた?」経典なのかはよく分かりませんが、
上座部や大乗でも引用されることが多かったと思料します。
705 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/17(日) 00:24:16.73 ID:PLILJ2Gh
>>683 長部経典33経「等誦経」
>(4つ一組) 50法
・四つの入胎。
@入胎・住胎・出胎の三時に意識を持たない、A入胎時のみ意識あり、
B出胎時のみ意識を持たない、C三時に意識を持った
※解説では、@は凡夫、A80大弟子、Bは舎利弗と目連、Cは仏陀
>>684 >(5つ一組) 25法
・五つの赴く先。
@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天。
この法を鑑みますと、常住不滅の意識は菩薩(仏)だけに存在し、
舎利弗や目連クラスでも再生時に過去世の意識を保てないという
ことになりますでしょうか。
法華経の如来寿量品第十六に説かれた「仏は常住」の元ネタの可能性大
だと考えます。
別の見方をしますと、普通の人々(凡夫)が意識を保てないのは入胎時で
あり、肉体の死後の五つの赴く先(@地獄、A畜生、B餓鬼、C人、D天)
に向かう際に意識を保つことは否定されておりません。
この点ではキリスト教で説かれる肉体の死後も存続する霊魂と必ずしも
(大乗ではない)原始仏教とは矛盾しないことになるかと思料します。
小説を判断の拠り所にしても意味が無い。
707 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/17(日) 00:46:15.95 ID:FwFxTLMD
>>705 長部経典2経「沙門果経」では、修行完成者(舎利弗、目連、他高弟)は
前世の記憶を想起すると説かれておりますので、入胎の法にて顕在意識に
前世の記憶が無くても、潜在意識に記憶が保たれているので正しい修行と
瞑想にて思い出されるということかと存じます。
708 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/17(日) 00:48:57.52 ID:FwFxTLMD
>>706 >小説を判断の拠り所にしても意味が無い。
原始仏典の全てが釈尊の言葉だとは保証されていないでしょうが、
小説だと見做すのも浅はかな見解でしょうか。
>>699 あなたは随分常識的というか
現代的感覚と科学的知識があるように見受けられますが
批判的考察とは相容れない筈の、聖書の何を信じているんですか
結局、検証不可能な記述を個人の「信じる/信じない」に委ねている宗教全般が、
科学的見地からは否定されるべきものではないですか
アダムとイブから人間が始まったという話や
イエスが復活したという話は
聖書の核心とも言えると思いますが
何の証拠もなく真実だと言い切る人を信じることが出来ますか?
”それ”は保証されていないが、
”それ”の後に現れた、突拍子も無いぐらいかけ離れた怪奇小説レベルのものを
釈迦の教えと考えて、取り違えるほど馬鹿ではない。
>>709 >>聖書の核心とも言えると思いますが
>>何の証拠もなく真実だと言い切る人を信じることが出来ますか?
経典も同じですよ。
仏教からあらゆる不確かなものを取り除くと、
入滅後に結集1回目あたりで編纂されたものだけが残りますが、
ほとんど哲学のような学問で、宗教色はなく信仰というものもありません。
712 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/04/17(日) 01:59:39.55 ID:TkiJIFcy
>>268 普通にたくさんあると思いますよ!
新興宗教系の仏教教団だと、
ご本尊に向かってお経お題目を一心に唱えたら、
ズーとできなかった彼女が嘘のようにパッとできました。
もう感謝でいっぱいです。
といった類の、
体験発表の大会が信徒らにとってのご自慢でしょ。
713 :
宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2011/04/17(日) 02:01:37.52 ID:TkiJIFcy
714 :
宗教的人格詐欺罪:2011/04/17(日) 02:05:59.17 ID:lR3oZv25
宗教的人格詐称差し止め請求
歴史的宗教家であるところの釈尊を、自分自身の前世と名乗る教祖が、
その主張と行動面(罵詈雑言霊言、教義の歪曲、私生活の不品行、日本国民にたいする誹謗)において
歴史的釈尊の名誉を著しく傷つけたと認められる場合、
既成仏教の信徒は、
「釈迦」を大川の前世固有名称とするHSによる勝手な使用の差し止めを訴えることが法的に可能である。
同時に、釈迦であることを騙りながら植福行為の勧進をしたことは、
過去2500年に渡る仏教の歴史を振り返っても例の少ない詐欺行為である。
本人の精神鑑定を行って法的責任能力が問える場合、
教組にたいして宗教的人格詐欺罪という、新たな法的犯罪の実行犯としての責任を問うことができる。
>>709 生命とは何か。心とは何か。何故私は私なのか。何故これらは存在するのか。
命に価値があるならばその価値とは何か。人生に意味は有るのか無いのか。
真善美の認識と基準は何故定まるのか。死は消滅するだけなのか。幸福とは何か。
喜怒哀楽をどう位置付けるのか。苦悩や悲しみ、死の恐怖に救いはあるのか。等々
人間はこれら問題に正面から向き合うならば明解な答えを得られるのだろうか。
五感による観察と理性による認識は本当に存在の全てを認識できるのだろうか。
また上記の疑問にまで通用するものだろうか。
なかなか上手く表現し切れませんが、人間は太古からこれらのことを考えて来ました。
科学的な原理の発見や構造の解明は進みましたが先に挙げたような問題全てに手が届くものではありません。
それは世界中で宗教の領域とされています。先進諸外国では無宗教者はこれらに向き合おうとしない人達とされる
場合もあります。(つまり人として軽蔑される)
私の家では昔から神道と仏教を宗旨として来ました。
これとは別に異なる原理の宗教であるキリスト教を個人的に導入しました。
私は各宗旨を混合させるのではなくはっきりと区別した上で正統と思われる教理を追求しました。
このスレは仏教とキリスト教の違いを考えるスレですから私は基本的にカトリックの立場を取っています。
(つづく)
(つづき)
前置きが長くなりましたが質問にお答えします。
>>結局、検証不可能な記述を個人の「信じる/信じない」に委ねている宗教全般が、
>>科学的見地からは否定されるべきものではないですか
世の中で最も都合のよい言葉として「全能の神・奇跡・悪魔」があると思います。
どのような論証でもこれらの言葉を上手く挿入するならば正当化出来る手品のような言葉です。
しかしだからと言って、カトリックが全否定されるべきかと云うならばそれは違うと考えます。
先に挙げたように人間にとっての全ての問題に科学は対応しないからです。
意味論・価値論についてはお手上げの領域だと思います。
ですから宗教全般が否定されるべきものとは考えません。
>>アダムとイブから人間が始まったという話
これについては
>>699を以って答えと致します。
しかし、意味論・価値論としての「神話」の有効性が消えるものではありません。
>>イエスが復活したという話
それはまさに核心部分です。これは神話と考えるべきではありません。嘘か本当かのどちらかです。
>>何の証拠もなく真実だと言い切る人を信じることが出来ますか?
私はその人を信じることは出来ないでしょう。
しかし福音書・使徒書簡に基づくならばキリストの復活の可能性を全否定出来なくなります。
信じ難いながらもそれら証言は一つの証拠であることに違いありません。
もしそれが事実ならばキリストの教えが真実であることの決定的証明となるでしょう。
実に「信仰」とは可能性に希望を置いて求めることで個人的な確証にまで至ることなのです。
私はカトリックを無理強いするものではありません。
しかし人間は何かの信仰によらずしては人間存在(自分自身)の意味と価値を見い出せないものとも思います。
人は欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在ではないと考えるからです。
>>もしそれが事実ならばキリストの教えが真実であることの決定的証明となるでしょう。
おお、これは非合理の極み。
詐欺の手口のひとつでもある。
TVのショッピングチャンネルでも定番の手口。
ひとつだけ明確な事実を印象付けて、その後に続く嘘、過大妄想まで信じ込ませる。
思考の弱い文型脳が良く引っかかる。
あきれる。
718 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 05:39:31.23 ID:bckA7LpT
>>716 >それはまさに核心部分です。これは神話と考えるべきではありません。嘘か本当かのどちらかです。
現代の科学的知見に基づくならば、「嘘」となりますな。
要は、福音書・使徒書簡と科学的知見のいずれを信じるか? に帰結されるわけだ。
福音書・使徒書簡を信じるならば、キリスト教徒ということになり、それは
科学の否定に繋がるね。
>しかし人間は何かの信仰によらずしては人間存在(自分自身)の意味と価値を見い出せないものとも思います。
人は欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在ではないと考えるからです。
人間存在に特別の意味を付加する必要性があるのかな?
信仰を持たないものは、欲望に支配されて生きるだけのロボットかい?
随分、上から目線の断定だな。 無宗教者はロボットかいww
>>695 >イエスにあるのは、常に「俺が、俺が」の思い上がった独善性のみである。
いえいえ。
イエスは世に仕えられるためではなく、仕えるために来られました。
自分だけは宇宙で唯一尊い、などとおっしゃったどこかの勘違い王子様とは一緒になさらないで下さい。
720 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 06:37:51.17 ID:RraJC7w2
>>718 >無宗教者はロボットかいww
端的に言えば、イエスにとっては、自分(イエス)を信じてくれない人間は
「裁かれるべき存在」。つまり、ロボット以下なのです。
だから、イエスは、「隣人を、『そしてすべての人間を』愛せよ」とは口が
裂けても言えなかったのです。
721 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 06:42:47.47 ID:ifojkB4Y
>>719 >イエスは世に仕えられるためではなく、仕えるために来られました。
イエスは、「人に仕えるのは、一番先になるためだ」と言っていますね。
723 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 06:49:58.63 ID:fnVmvaOc
724 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 06:52:04.11 ID:FPXPAssD
>>718 >科学の否定に繋がるね。
繋がらない。人間が発掘した科学の範囲内の科学は全面的に肯定する。
しかし、科学では神を捉えられないとする立場。
725 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 06:59:19.37 ID:/IVYIED8
江戸時代の日本人はブッタはこの上ない傲慢者と言ってたっけ。
だって、天下天上唯我独尊なって言ってたもの。
でも本当の意味は「この世に独りしかいない自分を限り愛してやれ」だよね。
それに引き換えイエスは自分を信じないやつは裁かれる存在ですか。
十字架になったのは当然だな。
>>725 そんな現代的価値観で曲解した解釈を振り回されても・・・
727 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 07:07:39.65 ID:/IVYIED8
>>726 意味がわからんから、もう少し分かりやすく言ってくれ。
>>725 裁かれるのはイエスを信じないからではなく、原罪を背負っているからですよ。
729 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 07:15:17.45 ID:/IVYIED8
余計に意味がわからんw
>>727 誕生偈と呼ばれる偈文には、
天上天下唯我独尊
今茲而往生分已尽
という一節が記されている。現代語に訳すと「全世界で私が一番尊い」という意味である。
「天上天下唯我独尊」の意味を「全世界で私たち一人一人の人間が一番尊い」といった意味で解釈する説もあるが、経典上の根拠が全く無い説である。
「全世界で私たち一人一人の人間が一番尊い」みたいな意味の解釈は、
現代的な、というよりキリスト教的な個人の尊厳の考え方を借用して捏ち上げたものである。
731 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 07:22:06.39 ID:FPXPAssD
積極的に裁かれる、というのではなく、消極的に自然に裁かれる、ということ。
「神の言葉一つ一つで生きる」ことがなければ、
自然と檻から出てくることはできないように人間の心は創られている、ということ。
732 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 07:24:51.91 ID:/IVYIED8
>>730 それ本当なの?
「この世で独りしかいない自分を限りなく愛してやれ」はどこで聞いたのだろ?
後者の方が悟りを開いた者らしい言葉だがね。
733 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 07:27:23.12 ID:/IVYIED8
734 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/17(日) 09:27:57.42 ID:xjHzcKis
>>674 神の上に宗教を作ってはならない。
神に信仰深いと自任しながら、―わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去っていく。ただ、衣食があれば、それで足れ
りとすべきである―(テモテ)
―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである―(ヨハネの第一の手紙)
牧師や神父であっても、神に信仰深いと自任しながら(他人に信じよと勧めながら)、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを何も問題ないとする人々は、「うじが尽きな
い地獄に落ちる」と神が語られた。
もし、神を信じて、それらを一切捨て去ろうとしないなら、「神様、罪人のわたしをおゆるし下さい」信じずに生きている人々は―わたしには子がある。わたしには財が
ある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない〜もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者でる―(真理のことば)
―自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)
―身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人―(ブッダのことば)
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となべきである。この奥義は大きい―(エペソ)
―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
肉体ある自分を愛し、他人に配慮もある人間となって、神に信仰ある上の状態から離れたということ。
神様の解説によると、肉欲を満たせる状態でありながら、「愛・慈悲・あわれみ」が神への信仰ではなく、わたしの兄弟とできるような、肉欲を満たせない状態が、神への
信仰であると。
735 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/17(日) 10:11:43.23 ID:xjHzcKis
全世界は悪しき者・妄執というひとつのものに一切のものが従属し、人間の状態となった
聖霊に満ち荒野・荒野で修行
地上で罪をゆるす権威「地上の罪をゆるす権威ではない。」
私は、聖霊に満ち荒野で人間の欲求を捨て、生きながら不死の者となり、神とひとつになった・・・神という人格信仰は、完全な者しか認めないので、偶像礼拝はなく、
不死の領域に達し、一番正しいとする者を尊敬し見習おうとすることで、その人のつくられざる状態・つくられざる存在に近づけ世を救う。
>>677 悪しき者・妄執に従い、神通力の領域を失った。上では(このような今のような生存状態でない)なら、全知全能である。
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
働かない不死の清浄な状態から、衣食住、その他人間に必要なものを得させるために、人間の思いを得させた。苦労に耐え、行いもできる人間。
修行僧があくせくした営みから離れたように、その日の苦労はその日一日だけで十分と説かれたように、妄執(悪しき者)に従わない清浄な状態も心得、この世に全能
の領域をもたらし滅びから救う。悪しき者・妄執に従った人間が分裂しただけで、悪しき者・妄執に従わなかったら、ひとつでしかない。
マホメットの説く天国に夢中になる人間の気持ちは私にも理解できる。
また、自然の驚異を畏敬する人間の気持ちも分かる。だが、キリスト教の
無味乾燥な天国だけは分からん。生きている間はワーグナーのすばらしい
音楽に聞き惚れていた君らが、死後、シュロの枝を振りながらハレルヤを
歌うしかない世界、赤ん坊と老人しかいない世界に行くのだぞ。キリスト教!
これは腐った脳味噌の産物だ。これ以上に無意味でひどいやり方で神を馬鹿に
した宗教はない。パンと葡萄酒がキリストの体と血だなどと真面目に信じて
いる人間よりは、タブーを信じている黒人の方がはるかに上等だ。
737 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 11:47:09.55 ID:kuT9gkGO
私はイエス・キリスト様を信仰する人々の中の小さな一人です。
スヴェーデンボルイの著書を基盤とした新教会の元で、
主であるイエス・キリスト様を唯一の神として信じています。
キリスト教徒であれ、仏教徒であれ、宗教が教えている大事な事は
自分勝手な悪感情から離れる努力をしなさい、善を尽くしなさいという
「善を実行する事」に尽きるので、それを実践することこそが
重要なのであって、人間個人が勝手に思い描くイメージで
キリスト教と仏教を比較をすることは意味が無いと思います。
特に聖書は主に導かれた啓示ですから、そこには霊的意味があります。
なので文字面だけを追って読み進めると、とんでもない勘違いを起こします。
多くのたとえが用いられているからです。
私は実際に、愚かなことですが過去にも現在にも何度も読み間違えています。
イエス・キリスト様を唯一の神として信仰していたスヴェーデンボルイの
著書「天国と地獄」には、イエス様を信じているけど行動が善に伴わなかった
ために天界にいけなかったキリスト教信者や、キリスト教では無かったけれど
神様の存在を信じて良心に従った生き方を送っていたので天界に行けた
他宗教の信者の方の話が出てきます。
(スヴェーデンボルイはイエス様のお導きによって霊的視力を開かれた人です。
天界や地獄といった霊界全体の様子を見聞きして、それを著書として
まとめ、信仰の真実を伝える為にこの世に多くの本を残されています)
主は唯一の存在です。そして主は全ての人間を救おうと導いてくださいます。
そのため、人間が神を認め、神に導かれて道徳的生活を送れるように
万民に宗教があります。以上の事は「天国と地獄」の中で明言されています。
人が地上のどこに住み、異なる文化の中で育とうとも、善を尽くすという
神様の教えを受けることが出来るように、主は配慮してくださっています。
ですからキリスト教と仏教を比較する事は意味が無いと思います。根源は1つだからです。
>>717 >>718 私ははっきりと言います。
私は誰にも「キリスト教を信じなさい」などは一切言っていません。
この件では、私は質問「された」のであって「した」のではない。
あなたがキリスト復活を馬鹿らしい作り話と断定するのは自由です。
また人間にとって宗教のカバーする領域の存在そのものを否定するのも自由です。
私は「もしカトリックを信仰を問われるならば」の前提で「それはこうなる」と私個人の説明をしただけです。
その点くれぐれも誤解なく。その意味では宗教どうこう以前の心根の悪いスレチな人だと思う。
このスレは仏教とキリスト教の「違い」を考えるすれであって、キリスト教の正誤を問うスレではない。
カトリックではなく仏教で質問されたならばスイッチを切り替えて「もし真言仏教を問われるならば」の前提で
「それはこうなる」とカトリックとは異なる説明していたことでしょう。
739 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 14:38:52.04 ID:bckA7LpT
>>738 おい、ふざけるなよ馬鹿たれが。
すれ違いは、始めにことわっている。それが気に入らないのであれば、
それなりのスレに誘導するか、あるいは始めから「スレ違いなので」と
レスを拒否しろ。それを、自己の見解に否定的レスをされると、途端に
スレちと言い出すか。
俺がお前のレスに引っかかったのは
>>しかし人間は何かの信仰によらずしては人間存在(自分自身)の意味と価値を見い出せないものとも思います。
人は欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在ではないと考えるからです。
これだよ。
この上から目線の断定なんだよ。 お前は
>私は誰にも「キリスト教を信じなさい」などは一切言っていません。
こういっておきながら、その実「信仰の無いものを『 欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在』
と断定している。」
今まで一人もまともなキリスト教徒とであったことがないので、
お前はちっとはまともに話せるかと思ったが、また勘違いしたわw
消えろ、クソやろうが!
>>738 このスレを見てて、良くわかること。
・仏教 (といっても原始・小乗・大乗以前の、純粋に釈迦が発見したもの。法。) = 合理的、学問的、実践的。
・キリスト教 (異端含めて) = 非合理的、宗教的、崇拝的。踏絵的。
釈迦は解脱にいたる理論を解いて、弟子それぞれが体得し後世に受けつぐ事を望んだ。
そして、実践し間違いがあれば、それを正せば良いという考えでもあり、人類、科学の進化に柔軟だ。
そのため、教えを文字に書いて固定化することを恐れた。
実践による相伝であり、信仰というものを全否定する立場。
キリスト教は、根本が聖書を禁断の真実の書とすることに始まってるから、
それらを無条件絶対信仰することが必要とされ、故に、そこかから一切の発展、進化が起こらない。
といっても、仏教も原始〜大乗に分化するにつれて、
創作された経典信仰に重きを置くようになり、キリスト教と同質化した。
741 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 15:43:07.58 ID:1km4qfsM
736
これって誰の発言だったっけ?
ぼんやり記憶にはあるんだが、思い出せない。
ニーチェかな?
>原始・小乗・大乗以前の、純粋に釈迦が発見したもの。
そんなものあるの?
釈迦の存在ですら弟子たちの捏造に過ぎないという説すら存在することから考えて、全てが弟子たちの作り出したフィクションかもしれないし、
仮に釈迦は実在したとしても、彼が言ったとされるものは弟子が伝えたものしか存在していないわけだから、弟子たちが伝えているものの中から純粋に釈迦が発見したとされるものを抽出するのは不可能かと。
>>739 君はそれでも日本人か。日本人なら恥を知るがよかろう。
俺はこのスレの趣旨に従ってカトリックの立場からも時に仏教(真言)の立場からも比較考察している。
君は俺を勝手にキリスト教と決め付けているようだがそれは大間違いだ。
俺は>699でこう言っている。
>カトリックから得るところは大きなものがあります。
>同様に神道からも仏教からも得るところは大きなものがあります。
>更には論語を封建的過去の道徳観として捨て去るのは大きな過ちだとも思っております。
>私自身、自分が何か完成された悟りに至ったとか真理を発見したとは思っておりません。
君はこう言う。
>>「信仰の無いものを『 欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在』
>>と断定している。」
何故捏造するのだ。原文はこうなっている。
>しかし人間は何かの信仰によらずしては人間存在(自分自身)の意味と価値を見い出せないものとも思います。
>人は欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在ではないと考えるからです。
俺個人の所感としての「思う」こと「考える」ことだと言っているだけであろう。
これをして他者への押し付けであるかのように決め付ける君の頭を疑う。
>>消えろ、クソやろうが!・・とは言ってくれるね。
どんなコンプレックスを持っているのかは知らぬが宗教を否定したいだけなら他スレへ移動したらよかろう。
そんな姿勢ならば、このスレではスレ違いも甚だしい。
それに俺の第一の宗教は「神道」かのだ。第二宗教は「佛教」。カトリックは第三番目の宗教だ。
俺の本心で言う。君は穢れている。
745 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/17(日) 15:54:41.74 ID:xjHzcKis
地上のものに心を引かれない世界、神とともに在る世界を嫌がり、無量の慈しみ・神通力=あなたがたの父なる神が慈悲深い・からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむか
って・・・状態から失楽させ、悪いこともしでかすかもしれない人間の状態と富や権威・栄華・肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪りによる滅びを許可された。
―神は、罪を犯した〜許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた―(ペテロ)
下界はこの世であると。
―悪人に手向かうな―(マタイ)―罪がないのに〜なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり―(真理のことば)
地上のものに心を引かれたため、善しかないものに、悪をもしでかすかもしれないそのままの人間を許可された。
信仰深いと自任する人々に、衣食があれば足り・肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努め、「先に来られる者となれ」と。信仰深いと自任しながら、それらを何も
問題ないと認め、他人にも信仰を勧めるだけの人々は、「うじが尽きない地獄に落ちる」と。善しかないものから、悪をもしでかすかもしれない人間の状態を許可された方は、
善い事をして、みんな幸せ(人間の幸せ)を望んでおられず、人間界を知り、困難が起きるかもしれない場合でも、何も警告されない。
746 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/17(日) 15:56:21.92 ID:xjHzcKis
慈悲深い神という偶像は存在せず、肉欲・目の欲・持ち物の誇りへの恐れがあり、離欲に努め、自分の命を憎むことのできない多くの人々、つくられざる状態になるよう
日々努めることができない多くの人々の救いとして、代理信仰(仲保者)の救いがあるだけで、地上で罪をゆるし天上を示すことはあっても、地上の罪をゆるす権威ではない。
聖霊に満ち、荒野で修行をし、神に信仰ある存在となった釈尊やイエス。信仰深いと自任するなら、人の状態でそれを行わねばならないが、多くの人々にとって、富に仕えること
をよしとせず、人々の貪欲のためにあくせくする営みをよしとせず自制して、世と自己とに思い煩わないよう努め、
―人のいない林は楽しい―(真理のことば)―美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い―(ブッダのことば)森や林など大自然にふれ、清々しい心に努め、つくられざる自身
を護らねばならない。もちろん五感も起動(行為)もない人は、清浄なもののように勝れている。
一時世の多くの人がひとつとなったように、衣食住がない人々に衣食住を、困ったり苦しんだり人々を助けても、それによって善い者・信仰深い者と自任せず、その人の心の内で
納得して行い、つくられざる自身を保持しないといけない。
世にもあるように、つくられざる清浄な状態・つくられざる存在は、信仰の有無にかかわらず完全であり、人の思いで、信仰行為・信仰対象に分裂することなく一つである。
知らぬ間にそのような現象となって現れ、自己への執着により害われる。言語表現だけの、見たこと聞いたことの違いにより、五感で感じられること、意識できることへの執着
によっても害われる。
747 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/17(日) 16:03:02.19 ID:xjHzcKis
世で人の活動をして生きねばならない多くの人々は、人格神(他)を頼りとせず、そのように自分の心の内を磨いて、この世で神通力・全能の領域に近づいて救われるしかないと。
愛されているのは肉欲が全く満たされない状態の私の兄弟の人々で、五欲の対象を多少でも享受することのある多くの人々は、恐れて清浄な心に熱心とならねばならない。
>>742 そいう事いいだすと、歴史学は全部成り立ちませんね。
749 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 16:11:54.42 ID:bckA7LpT
>>743 最初からレスの流れを検証した。全面的にこちらの勘違いと認める。
貴方の
>しかし人間は何かの信仰によらずしては人間存在(自分自身)の意味と価値を見い出せないものとも思います。
人は欲望に支配されて生きるだけのロボットのような存在ではないと考えるからです。
は個人の信仰告白の範疇をでていない。それを無宗教者への誹謗ととったのは
俺の早とちり。全面的に、今までの無礼なレスを謝罪する。
(人間なんだから間違うこともある。許してねww)
>>738 私の知る一般的な宗教者には似つかわしく、
冷静に中立的に情報を分析することの出来る人だと思ったので
スレチを承知で質問させていただきました
いやほんとにそういう人は珍しいので。
そしてやはり信仰者というよりは研究者といったほうが
しっくりくるようだとも思います
仏教キリスト教双方をルーツに持つあなたの立ち位置は
このスレを面白くするのに大変有用だと思うので、
引き続き書き込みを続けてもらえると幸いです
>>740 むしろ逆じゃないかな?
聖書には信仰にとって最低限必要なことしか書かれておらず、それについては無条件絶対信仰することが要求されるとしても、
それ以外のことについては人間の自由な探求・思索・検証による探知に委ねられている。
だから、本来はキリスト教信仰と科学的思考とは両立しうる。
むしろ、この世界は創造主たる神によって創造されたとする信仰からは、この世界に共通して存在する普遍的な法則があるはずだという仮説を生み出させ、
自然現象や事物の背景に存在するそのような普遍的な法則を発見しようとする営み、つまり科学的探究を人々に行わせる動機付けが行ったとする指摘もある。
ただ、残念ながら教会権力の暴走によってそうはならなかった不幸な時代もあったようだけどね。
それにひきかえ仏教はどうかといえば、仏教経典には宇宙観に関するようなことまで分かったようなことが書かれているから、科学の発達を阻害する恐れが高いと思う。
>>751 あなたの読解力に疑問を感じる。
→ ”原始・小乗・大乗以前の、純粋に釈迦が発見したもの。法。”
っていってんでしょ。
>>751 そして、それ以外のものは、フィクションだよ。
だれもその内容が真実である事を確認していない。
>>751 >つまり科学的探究を人々に行わせる動機付けが行ったとする指摘もある。
たとえば純粋論理の世界に生きる数学者ですら
複雑高度な議論がときとして一行の単純な公式に帰結したときなどに、
その不可解なほどの美しさに"何者かの作為"を感じる
という話もありますし、その指摘は恐らく正しいと思います
神や造物主の存在を信じる科学者は確かに少なくありません
ただ、そういったことと絶対信仰の対象となる聖書の記述が
事実であったと認められるかどうかは関係がありません
キリスト教の核心ともいうべき原罪の成立経緯もキリストの復活も
その最低限の絶対信仰の対象とならざるをえませんが
検証も再現も不可能である以上、科学的見地からすれば
無数に存在するトンデモ説と並列されるべきデタラメにしかならないわけです
恐らくキリストからすればこういう私は救済の対象から外される人間なんでしょうが、
仮に釈迦に対して「輪廻転生?嘘っぱちだね!」と言ってみたところで
それは争いや議論の種になることはあるでしょうが
呪われたり超常的な罰を被るといった報復を受けることはないでしょう。
その点仏教は幾分に柔軟かつ寛容であると思います
755 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 18:25:45.83 ID:VsBTN/pc
>>754 本質を突いたいい指摘ですね。あなたがプロテスタントではなく、カトリック・神道だから
いえることだと思う。クリスチャンにしておくのは勿体無いw。
>>754 >>神や造物主の存在を信じる科学者は確かに少なくありません
そんな話し聞いた事が無い。
最新の科学で、絶対的な神が存在しない事は証明されている。
よく聞くのは、物理学者が仏教の科学的先進性に驚嘆するという話ばかり。
そもそも、釈迦は神や仏などを否定している。
というわけで、学者で仏教に興味をもつ人は非常に多い。
757 :
てすと:2011/04/17(日) 18:45:48.08 ID:yrAVSlyi
検証可能というが、医者の言う事を追実験でいちいち検証する人は少ない。
ただ「権威」が移動しただけでしょ。
>>756 最新の科学であっても不存在の証明は不可能じゃないでしょうか。
「神が存在しないことを証明した論文」などは
見たことも聞いたこともありません
もしあるのなら後学のためにぜひとも紹介してもらいたいくらいです
先述した「神の存在を信ずる科学者もいる」というのは
科学追求の結果、宗教家になったということではなく、
科学追及の過程に遭遇することになる
さも”何がしかの意思のある主体に設計されたとしか思えないような様相を呈した”法則
と、神という概念を関連づける発想のことです
わからない事を誰かのせいにしたがるのは人間の常ですが、
現代においても理解し難い領域は残っており、
そこにおいて神という概念は格好の逃げ場として用いられるものです
これはどちらかといえばファンタジーよりはSF的なものだといっていいでしょう
極端なたとえになりますが、
分子、原子、素粒子と物質の最小単位をミクロに追求していくと
ただエネルギーとしか捉えられなくなるそうですが、
ともすれば宇宙とは無の中をエネルギーが偏在している状態、ということになりますが
こういう仕組みが明らかになったとしても、
その仕組みの発生自体の仕組みを科学的に辿っていくと、
最後に「それはなぜ?」という疑問に対しては科学は無力になります。恐らく永久に
ちなみに般若心経の内容がこの事と奇妙な一致を見せており
仏教はそこまで見通していたと言う学者もおりますが、私は眉唾だと思ってます。
>>754 仏罰が下るみたいな考え方は仏教にもあるんじゃないの?
まあそんなのは後世に捏造されたもので本来の原始仏教にはそんなものはない、とでもまたいうのかな?
そうだとして、柔軟とか寛容といえば聞こえがいいが、いくら学問だ科学だといっても何でも許されるべきではないでしょう。
例えば、遺伝子操作とかクローン人間を作るような研究は倫理的見地から規制を掛けるべきであろう。
問題はそのときにそういう規制をすることをどう説明するかが問題となる。
キリスト教的には「人間の生命は神聖不可侵なものであって、人間がみだりに触れてはならないものである。人間の生命については神のみが関与するものである。」という説明が可能。
それにひきかえ仏教だと「神のみが人間の生命に関与するなんて考えは人間の迷妄の産物であって、執着してはならない。人間の生命の起源に科学が土足で踏み込むことも自由に認めるべき。」みたいな事にもなりかねないが、
それでは多くの人が共有する常識からみて問題がある結論なんだよ。
760 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/17(日) 20:47:42.07 ID:pjx0C3nT
今日は映画「The Rite エクソシストの真実」を見てきました。
二人の司祭の実話を基に、今なお行われている悪魔ばらいとバチカンにおける正式な職業
であるエクソシストの全ぼうに迫る衝撃作でした。
私も過去数回似たような場面(憑霊現象)に遭遇しましたので色々と考えさせられました。
イエスや使徒達は幾度も憑依した悪霊を除霊されましたが、現代では統失という分類に
なっているということが印象として残りました。
仏教では肉体の死後も霊魂が存続するということは多くの人達に信じられておりますが、
執着の強い生者に憑依するという法はこれまで調べた経典には説かれていなかったと
思います。
>>740 >>といっても、仏教も原始〜大乗に分化するにつれて、
>>創作された経典信仰に重きを置くようになり、キリスト教と同質化した。
「キリスト教と同質化」との考えには同調しかねます。
釈尊の悟りとは、それまで当然とされていた本質的存在論としての梵我一如(ブラフマン・アートマン)の否定であって因縁生起こそが真相であるとしたものでしょう。
空性とは竜樹によって新たに発見された訳ではなく、釈尊の因縁生起を追求から必然に導き出された。つまり因縁生起の概念に必然内包されていたことが解明化された。
更に空性から三法印「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」が解明されるに至り釈尊より発せられた悟りと教えが宗教としての「佛教」の成立をみたと考えるものであります。
空性・三法印に於いては、自我とその主体としての霊魂も人間意識の深奥根源にある本質存在とされた神性真我(アートマン)も当然に否定される。
そうでなければ仏教とは認められないものでありましょう
一方、キリスト教に於いては既に
>>591に示したとおり「不滅の霊魂=自我」が「死」や「神の審判」に関わらず継続するとされているのです。
自我の不滅を前提に自我の救済を目的とするキリスト教では魂の存在が必須なのです。
人間の救済は、仏教とキリスト教では全く異なる原理で構成されていると云う事実は動かし難い仏教とキリスト教の相違でありましょう。
762 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 22:01:39.28 ID:fbxFLgSP
復活、悔い改め その時何が継続するのだろう
私にとっては継続するものがない、そこにはまさしく死があるだけです
砕かれた私、貧しきものの傍らに立つ私のないキリスト教を夢想するのはやめろ
復活があるとしたら私の死の後だけ
「誰が?」という浮き輪を手放せない業欲な者がカトリックを理解することは絶対にない
>>758 複数あるから、ぐぐってくださいな。
・不確定性原理
・ビッグバン理論
・グリムの定理
etc..
仏教と科学のかかわりに関しては、「ダライ・ラマの科学への旅」 が面白い。
彼が仏教徒として最新科学にたいしてどのように接しているか良くわかる。
そもそも、進化論を否定して、ビックバンも否定せねばならないとなると、
学者しては致命的だよね。学会では、変人に等しい扱いを受けざるを得ないだろう。
764 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:00:58.78 ID:A/Fkc17d
>>758 >最新の科学であっても不存在の証明は不可能じゃないでしょうか。
簡単に可能だよ。例えば、おる液体中のある物質の不存在は、その物質に反応
する試薬を入れ、反応の不存在により証明する。「無い物」の「存在」など、
最初から論理矛盾だからだ。従って、不存在の証明は、存在の証明の不可能性
により行う。
現代科学は、あくまで現実(実在物)を追求するものだから、非現実の要素
(Something Great)など考慮に入れたら、現実の厳密な観察が狂い、そもそも
科学が成立しない。従って、宗教者である科学者でも、少なくとも仕事中は
非実在の神など考えない。科学者が感動するのは、現実そのものの素晴らしさ
である。
765 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:16:27.41 ID:1km4qfsM
761
法華経=聖書のパクリ説
をクリスチャンの人が唱えてる。
海外ページではバガヴァッド・ギーターが聖書のパクリというのもあった。
766 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:19:16.34 ID:1km4qfsM
763
ご隠居という変な人が
ビッグバン=クリスチャンの陰謀説を唱えてたな。
あと、キリスト教信仰と進化論を認めることを
両立させている人はいる。フランシスコ・アヤラとか。
767 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:24:18.02 ID:1km4qfsM
ダライ・ラマって大乗非仏論について
どう考えてるんだろう。
かなり興味がある。
パーリも直説じゃない、大乗よりも成立が遅いものもある。
(中略)つまり大乗もパーリも全く同じなんだよ、というふうに落とし込むのかな。
768 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:35:58.00 ID:1km4qfsM
仏教から人間をモノのように扱うことを肯定する理屈が出てくるとは思えないなあ。
クローンも遺伝子治療にもブレーキはかかるでしょ。というよりも、人間が感じる違和感の表明として
宗教が使われるというか肉付けになる、という形をとるように思う。
>>764 それって、試験管の中という極めて狭い空間に限り、しかもその物質の存在を検知できる試薬をもっている、という極めて稀有な状況においてのみ可能なことだろ。
たくさんの前提条件が揃った場合にのみ成立することであって、一般化するのは無理があると思う。
770 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:43:51.45 ID:9QElBOJs
日本の仏教なんて
封建時代の単なる体制の犬で
民衆を祖先 来世まで精神的に支配し
奴隷化し身分制に固定するためにあっただけで
宗教として扱っていいかどうか
>>767 「ダライ・ラマの科学への旅」 を一読されれば?
かれが、素粒子論について、一般以上の知識がある事が解るし、
それに関連して、神というものに関して、
かなり科学的な方面から捉えてるような感じを受けるけど。
>>770 かっては統治目的だし、
現代は営利でしょうね。
坊主は明らかに職業ですし、
お寺は、集客目的のスピリチュアルテーマパークだと思います。
773 :
神も仏も名無しさん:2011/04/17(日) 23:53:42.43 ID:9QElBOJs
今や 西洋化された民衆が
過剰に進歩的な思想に走らないようにするための
くさび 見たいなものだろう
>>「誰が?」という浮き輪を手放せない業欲な者がカトリックを理解することは絶対にない >726
何を言いたいのか分かりずらい文章ですが。
カトリックの教理に忠実であるなら絶対神の前に立つ「私(自我)」そのものが常に問われることになります。
自我の消滅などは決して許されるものではなく(それは有り得ないことなので)徹底的に報いを受け続けることになります。
「砕かれた私」と表現しようが何と表現しようが、それは「私=自我」の継続に他ならず逃避することは不可能です。
良き報いを受けるのか罰としての報いを受けるのかは全て「私=自我」に他なりません。
私はキリスト教の「信仰」のことを言っているのではありません。宗教としての「教理構造」のことを言っているのです。
唯一絶対神に対する教理構造の本当の姿を直視するならばそこには「恐ろしい(或いは厳しい)」ものがあります。
キリスト教信仰はこれら宗教としての構造的な理由に由来する強迫観念に晒される可能性を否定出来ません。
「自分(自我)」の主張する信仰表明に頑なになる(ある種病的とも思える)人がやや見受けられるのも納得されて来ます。
これはキリスト教信仰の弱点として意識的に注意する必要があるでしょう。
カトリックには聖母マリアを筆頭に聖人の執り成しがあり告解の秘跡のあることが一定の柔軟性となっています。
それらを認めないプロテスタント諸派はカトリックよりも「脅迫観念」が「攻撃感情」に転化し易いでしょう。
悪化すれば信仰と攻撃感情が一体化してしまうことさえあるでしょう。
>>「誰が?」という浮き輪を手放せない業欲な者がカトリックを理解することは絶対にない
カトリックの教理構造を十分理解したうえで言っていることなのかどうかまでは分かりませんが、
なかなか考えさせられる言葉です。
775 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 00:27:00.54 ID:PCvkBlIZ
客観的なようで全部が他人事w
そう思われて構いません。
信仰告白しているわけではありませんので。
>>763 不完全性定理もビッグバンも概要は存じてましたが
グリムの定理なるものは知りませんでした
しかしこの理で否定されているのは
神の全知全能性であって、存在そのものではないとも思いましたね
少しこじつけ臭いというか。
ただ少なくとも「聖書の記述には矛盾がある」ということは
現代では疑う余地の無いことでしょう
>>764 その例はなかなかわかりやすいですが
・物質の実在
・さらにその物質が特定の反応をすること
・限定された空間であること
の証明を条件にしているので一般化はできません
極端な話ここで私が
「私には今年6歳になる娘がいる」
といったところで、あなたにはこれが嘘だと証明することは
私の協力なしには不可能なことでしょう
どんなに身辺を捜索して「いない」と言おうとも
「火星にいるよ」とでもいってしまえば火星に行かなきゃ証明になりませんから
無論真実であることを証明しろと言われても、私には不可能なんですけどね
嘘だから
778 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 00:43:44.86 ID:PCvkBlIZ
>>696 >日本人古来の自然への感謝と畏敬の念(それは神道です)はありません.
>最近、個人的に米国の親戚宅に二週間滞在して、
>いとこ達と生活を共にしましたが、
>キリスト教の彼らにはそういう感性がないと思います.
絶対に看過できない。日本人特殊論もいい加減にしてもらいたい。
779 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 00:45:23.32 ID:5/hVZ8f3
>>769 広くても狭くても、「不存在の証明は、存在の証明の不可能性による」という原則
には変わりはない。
存在の証明は、専ら、「(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚すること」
による。
例えば、目の前のPCの実在の証明は、それが五感で知覚できるということである。
知覚できなければ「不存在」である。日常生活の経験から機能すれば、あまりにも
自明。例外は皆無である。
神や霊は知覚できない。従って非実在、不存在、空想、妄想である。
なお、人間は本質的に共同体であるから、実在の証明は、その不特定多数の成員の
ほぼ共通の知覚による。知覚異常者、妄想患者、宗教患者などの知覚を除外する
ためである。
>>778 自分の極めて狭い体験だけで全てを感得できたと信じられるようなイタい人なんだから仕方ないのでは?
アメリカには収穫を感謝するための祝日まであるなんてことも知らないようだし。
781 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 00:58:09.40 ID:9LCHHzYW
>>777 「娘(という物質)の実在」の証明も、五感の知覚による。少なくとも、母親
は知覚している。また、共同体の不特定多数人(家族や近所の人々)も知覚しうる
状態にある。
782 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 01:07:22.09 ID:ckop5hEU
>>774 キリスト教、ひいては宗教全般の的確な心理学的分析だと思う。
キリスト教は、カトリックのマリア崇敬により、初めて「人間」と繋がった。
「脅迫」と「甘言」は、すべての創唱宗教に共通する不可欠な要素。
783 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 01:28:05.96 ID:K7US/f/b
>>780 >アメリカには収穫を感謝するための祝日まであるなんてことも知らないようだし。
キリスト教は、自然(創造)を崇拝することなど絶対に教えない(教理上、教えられない)
のだから、当然のことではないの。
キリスト教国に収穫祭があるとすれば、それは自然ではなく「神」に感謝するためで
るか、若しくはキリスト教以前の自然宗教、民族宗教の名残であろう。
>>779 人間の五官で知覚できなくても存在しているものがある以上、五官で知覚できないことをもって不存在を証明することはできなかろう。
現在でも新たに星が発見されたり生物種が発見されたりしているが、発見されるまでは人間の五官では知覚できていないわけで。
人間の五官で発見された瞬間にそれらが生成されたとは考えられないから、発見される前には、存在するが人間の五官では知覚できないという状態があったことになる。
>>781 「母も一緒に火星で暮らしてます。本当なので探しに行ってください」といったらどうですか
10人中10人が嘘だと思うでしょう。でも嘘であることの証明は不可能です
こうやってなんとでも言えるところが
信仰を否定し失わせることの困難なところです
つまり私が言っているのは積極的証明のことであって、背理や推理ではないわけです
とまあ、脱線しつつあるのでこのへんにしときましょう。
お互いにデタラメはデタラメと捉えているところは共通ですから
言葉のアヤをとりあっても面白くはないでしょう。
786 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 01:34:16.16 ID:Tb97hQvd
>>784 五感の知覚によって、初めて実在が「証明」される。それ以前は、あく
まで仮説・空想に過ぎない。
知覚前のどの時点から実在したかは証明できないのだから、結局は、
知覚と同時に実在した、とする以外には、方法はない。
787 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 01:56:29.18 ID:pkyka5N5
>>786 隠居、「知覚実在論」はそれくらいにしとけww
お前のその下らない馬鹿話で混乱するのは飽きたw
788 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 02:24:34.60 ID:84oLCds1
思想を片隅で行じる修行者は
一層多くを知った人間である。無限の知恵の鉱脈を捨てることについぞ発見があり
そして、覆いがゆっくり取り除かれることを、我々は学ぶようになる。
林檎の実が落ちるのが暗示を与えて、自分の心を研究するようになる。
総ての思考に今までの循環を行き止まりにして心の中で再編成する人間は
再編成した環、すなわち引力の法則と呼ぶものを発見した。
大宇宙のカバーを、すっきりはずしてしまう引力のある人間が全知全能のひじりになる。
人類の覆いが「おーーーい」と呼ぶなら、一番暮らすのが嬉しい状態であっても
全部置きざりにして、一層多くを知らなければならないことになる。
生の片隅であっても、心が研究するに充分なものであることはいうまでもない。理想は科学だろうが異常なヒーリング呪術であろうがだ。
>>783 造物主が神であることを認めるか、自然そのものを神とするか、の違いがあるのだから当たり前だろ。
ただ、自然からの恵みや収穫を神に感謝するという心性がアメリカ人にはあることは事実。
>>778>>780 スレチを覚悟で端的に補足します。
アメリカのキリスト教徒に「神道」の宗教観とこれに基づく感性はないと思うと言ったまでのことです。
もし彼らにも日本の神道と同じものがあると言うなら逆に教えてほしいと思います。
神道の自然観・生命観・存在観は神道の神々である御神霊そのものと切り離せるものではありません。
キリスト教徒である彼らが感じる自然からの恵みとは創造主が自然を介して与える恵みなのであって神(創造主)に感謝する。
彼らが自然そのものに御神霊(そもそも御神霊を知らないのだから)があると考えることはありません。
私はそのことを一体験所感としても「そう思った」と言っただけのことです。
日本語の「ありがとう(有難い→有難う)」は人にのみ向けられる言葉ではない。
自然や物それ自体に向けても使われる言葉です。また御先祖様を守護霊としても使われる。
「thank you」「謝謝」と比較すれば異質特異な構造の言葉と分かるはずです。(日本人なら)
本来の日本語としての「ありがとう」は人間も含めて森羅万象に宿る御神霊を意識して成り立つ言霊なのです。
人の真心ばかりではなく、水や空気やお日様などがあって当たり前とは考えないから「有難い」とするのです。
存在と現象を八百万の神々の御霊と一体としているのですから「大和(日本)神道」はキリスト教からみれば明らかに特殊です。
だから
>>696で「キリスト教の彼らにはそういう感性がないと思います。」と書きました。
それに「>(それは神道です)」との注釈も添えたではありませんか。よく読み直してください。
>>778 絶対に看過できない。日本人特殊論もいい加減にしてもらいたい。
>>780 >>自分の極めて狭い体験だけで全てを感得できたと信じられるようなイタい人なんだから仕方ないのでは?
もし私が、仏教との比較に於いて述べたキリスト教の解剖的所見に御立腹召されたキリスト教の方か在日外国人の方でしたら、
それはもう仕方ありませんね。私は仏教と(この場合は神道とも)違うと重ねて言っています。当然「何が」となるでしょうから。
792 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 12:23:40.88 ID:gr1wOsak
こういう感性、という書き方をしておいて
それは苦しいとおもう。
793 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 12:27:22.00 ID:gr1wOsak
下半分を見てなかった。
撤回はしよう
>>791 そこまで分かっているなら尚のこと疑問は深まる。
繰り返しになるが、造物主が神であることを認めるか、自然そのものを神とするか、の違いがあるのだから、そういう違いが生じるのは当たり前だと言っている。
太陽を昇らせ、雨を降らせ、作物を実らせる創造主の存在に気付かず無視する日本人と、
自然そのものは被造物なのだから自然そのものは感謝の対象と捉えない米国人というかキリスト教徒、
という違いが生じるのは当たり前。
感謝する相手が違うだけなのに、どうしてそのことから
>日本は「神国日本」であること痛感し愛国の情を新たにしています。
とするまでの違いがあるというのか。
てっきり、「あいつら自然からの恵みを感謝することも知らないんだぜw」みたいな話だと思っていたんだが。
795 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 16:01:48.40 ID:VmOGn3b/
>>794 作物の収穫は、自然の恵みと耕作者の努力のお陰であり、非実在の神のお陰など
ではない。神などに感謝するのは、自然の恵みと耕作者に対する忘恩の行為で
る。ヨハネスさんは、キリスト教の誤りに気付いているからではないか。
神道では、神と自然とは一体であるから、意味合いが違うのである。
イエスは、「人はパンのみで生きるのではない」などと言ったが、額に汗して
麦を作り、パンを作って、イエスを生かしてくれている人々の前で、こんな言葉
が吐けるか。
796 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:00:12.51 ID:gr1wOsak
一体って、どういう意味で一体なんだろ?
天照大神は熱と光を発する天体だ、
と神道では考えられているのか?
それとも太陽のはたらきを司り運営しているとみなしているのか?
後者なら聖書における神と自然と、あまり関係性は変わらない。
聖書の場合は何でもかんでも一柱の神が運営しているというだけ。
>>795 いや、八百万の神々なるものこそ非実在。ただ自然物が存在するだけのことであって、八百万の神々の恵みなどではない。
神道の誤りにこそ気付かなければならない。
>>795 耕作者も自由市場経済の下では作物が高値で売れないと分かると作物を廃棄するのであって、経済活動をしているに過ぎない。
799 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:32:35.93 ID:gr1wOsak
797
証明はできないよね。
不毛なだけだと思う。
800 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:36:46.06 ID:gr1wOsak
神と生産者両方に感謝は出来るし、
パンだけで生きてるわけじゃない、
と言われてもそりゃそうだ、と返されるだけかと。
無理に二者択一にしなくてもええべ
801 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:44:29.17 ID:uo3Oh3N/
天照大神は、太陽の「象徴」か、若しくは古代に先立つ時代に大きな功績を
なした実在の人物の記憶のイメージ化であろう。例えば、大国主命は医師だった
のだろう。古事記の神々は、極めて「人間臭い」。これらの偉人たちによる
治世は、複数人の協議・協力によらざるを得ないから、八百万の神が本則である。
キリスト教では、創造主は、あるがままの人間や自然との関連が全く無い。
両者には、埋めることが不可能な断絶がある。両者を関連させたり、並列
させたりすることは絶対に許されない。「創造」とは「あるがままの人間と自然」
なのだから、これは極めて異常なことだ。空想の産物としての神を知るため
には、人間が認識しうる被造物からしかないはずだから。
802 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:46:56.53 ID:uo3Oh3N/
>>801の続き
バラモン教のアートマンも、「人間が対象化できないもの」即ち「人間の生命」
が本来の意味であった。しかし釈迦は、これを「我」として対象化してしまった。
概観すれば、本来的には「人間の生物的生存」と密接な関係を有していた古代人
の神々を、創唱宗教の開祖の狂気による「観念過多」の結果として観念化、抽象化、
精神化し、人間の生存との関係を切断してしまったものと言える。
803 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:53:46.94 ID:mQhanEmc
>>800 自分の女房や恋人に向って「俺は女はお前だけじゃないぞ」と言ったら、相手は
どう思うかねw。
804 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:55:52.37 ID:gr1wOsak
アートマンについて指摘されたことをきれいさっぱり忘れてやがる。
議論を仕切り直すならまだしも記憶を仕切り直すのはいただけない。
805 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:58:21.16 ID:HQZFSKur
>>804 Wikiの「アートマン」の解説を読んでご覧。
806 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 18:59:38.54 ID:gr1wOsak
803
嫌がるがそれがどうした?
母も姉妹も娘も大切な女性だ、
という言い回しなら裏切りのニュアンスは無いがね。
言い方と文脈に気をつければいいだけ。
一般人にはそれができるし、故に気にしない。
807 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 19:02:17.78 ID:gr1wOsak
805
宗教概念化された用語で
それについていろいろ言われてます、
という内容が書いてあるが、それがどうした?
人物や自然物は、どんなに偉大であっても、どんなに人間に恵みをもたらすものであっても、人物や自然物に過ぎない。
これらを神格化することは無知蒙昧な古代人の迷妄的盲信である。
809 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 19:04:20.17 ID:gr1wOsak
「対象化」という言葉も何となく使ってるだけだろうなあ。
雰囲気はあっても定義なんてない。
810 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 19:12:51.67 ID:gr1wOsak
聖書の神のアイデアはユニークだから
多神教の神々と違って創作じゃないぜ
ということにはならないだろう。
>>802 >しかし釈迦は、これを「我」として対象化してしまった
いやいやいやいやw
アートマンとは「ああいうものだ」「こういうものだ」と掘り下げまくってる
バラモン教、ウパニシャッドといったヒンドゥ文化こそが、「対象化」の極地じゃないですかw
それに比べたら、仏教のアートマンへの言及率は微々たるものですよ?w
*(だからこそ、若き日の田上は、ああした論文が書けたわけで・・w)
自然について神が人間に与えたものと捉えるキリスト教では
自然とは畏れの対象になりさえすれ敬いの対象とはならず、
征服し利用するものとして考えるため
このような精神が科学発生の土壌となったと指摘する人もいますね
一方神道は仏教その他外来宗教の影響を受けながらも
アニミズムの段階から根本的な変革を遂げていないので
自然に対する敬いの気持ちは失っていないと
要はインディアンやアボリジニの精霊信仰のような、
原始的なものが残っているわけです。
どちらがいいとは思いませんが
813 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 20:41:06.97 ID:t5Lh5W4c
「自然宗教において流された血は、創唱宗教におけるそれよりも、はるかに少ない」
(ヒューム)
塵や埃が奪った命は、火薬が奪ったそれよりも遥かに少ない。
815 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/18(月) 21:46:58.93 ID:CXPdLFH6
>>810 >聖書の神のアイデアはユニークだから多神教の神々と違って創作じゃないぜ
「ブッダ 神々の対話(サンユッタ・ニカーヤ)」中村元訳、岩波文庫より
(中村元先生の解説)
仏教においては、世界創造者としての唯一神は、これを認めない。ありてあらゆる
ものは、因縁、すなわち無数に多くの因果関係によって形成されるというのである。
その代わりに、人間よりもすぐれた者として多数の神々の存在を認めた。
天にも、地にも、日月の中にも、樹木の中にも、多数の神々がいるということを
想定したのである。
それらはいずれも仏教成立以前から、民衆の間で信奉されていた神々であり、
その信仰は民衆に定着している。その神々の性格は多分にギリシャの神々やまた
わが国の神々と類似している。
仏教的な定義で言えば、キリスト教の天使達も神、天ということになるでしょう。
816 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 23:00:27.48 ID:024/IaLw
>>815 >仏教的な定義で言えば、キリスト教の天使達も神、天ということになるでしょう。
天は、文字通りには「天体」即ち自然の一部であるが、「天使」は架空の存在。
天を、サンスクリットのdeva(神)と解しても(バラモン教には無数にある)、
その多くは「自然現象」が神格化されたものである。
神の概念は仏教の救済論には本来不要であるが、バラモン文化の影響下に仏教に
取り入れられたものである。
従って、キリスト教の「唯一人格神」の概念とは、本質的に異なる。
817 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 23:05:08.96 ID:QcEpX/jv
>>816の続き
旧約聖書における唯一の神の自己定義は、「在りて在るもの」即ち「全実在」
の意味であるが、キリスト教では絶対にこのような解釈はしない。イエスの
立場がなくなるからである。新約聖書の最近の和訳では、「私はある」などという
日本語として意味不明の訳語に変えている。
818 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 23:27:10.21 ID:ZNj4UplT
>「在りて在るもの」即ち「全実在」
架空の英文法や、うろ覚えのレヴィナスが根拠だったな、コレ。
820 :
神も仏も名無しさん:2011/04/18(月) 23:43:31.90 ID:ZNj4UplT
その設定ははじめて見たな。
前に同じこと書いてたからふりかえってみるか
http://2chnull.info/r/psy/1296741863/346 >しかし、単に「ある・存在する」では、太郎も花子も、ジョンもメアリーも、誰でも「わたし
>はある(存在する)」といえるのだから、神の名としては無意味。「わたしは全存在である」
>と訳すべきである。
「だから」の前後が繋がっていないのはいつも通り。彼を都合に応じて「自分がどう感じるか」と
「取り上げてる思想がどういうものか」という区別を(意図的かそうでないのか)無くしてものを言うよね。
821 :
神も仏も名無しさん:2011/04/19(火) 00:14:07.82 ID:LxlHh/z7
【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】9
ttp://unkar.org/r/psy/1247932847 【即ち「全実在」】の論拠みっけ。
>>206 >Native並みの、俺の言語感覚
おもしろいおっさんだよなあ。これで議論になると思ってんだから。
>>218 >釈迦も、イエスも、ムハンマドも、いちいち、ソースを挙げたかw。
ホント、隠居って教組のみなさんのお仲間になるのが大好きだよなあ。
隠居が涅槃仏の図像や聖骸布のコピーで抱き枕を作っていても多分俺は驚かないだろう。
822 :
神も仏も名無しさん:2011/04/19(火) 00:27:55.31 ID:LxlHh/z7
なぜ隠居は教組スタイルにここまで実践的なのか。
ぎこちない彼なりの愛なのか、実は近親憎悪に過ぎないのか
それとも最低水準を満たす手間をかけるよりは軽蔑する相手と
同レベルに落ちる方がいいとお考えであらせられるのか……
823 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/19(火) 07:08:01.30 ID:xvyvCY3P
>>815 >仏教においては、世界創造者としての唯一神は、これを認めない。
法華経では「常住の仏」が説かれている。
長部経典でも輪廻を繰り返しても「意識が継続する菩薩」が説かれている。
「創造主」と「常住の仏」との関係を考察するのに足る文献は原始仏典の
中にある仏と梵天との対話が参考になるかと存じます。
長部経典の「大本経」では、悟りを得た直後の仏は衆生に教えを説くことを
断念します。そこへ大梵天の中の一方が現れ、天眼通にて最初の法輪対象者を
示しながら仏を説得し、ついに仏も心変わりして説法に立ち上がりました。
仏教徒の多くは「梵天勧請」と呼んで仏は梵天(神)より上位だと信じている
ようですが、人類愛のもとに仏を心変わりさせた大梵天(大御神)は尊く有難い
と感じる次第です。
824 :
神も仏も名無しさん:2011/04/19(火) 07:27:59.26 ID:gHUBfkFn
>>818 これ書くと、決まってクリが騒ぎ出す、クリ鑑別法。どうやら、特定の人物の
ようだ。
ヘブライ語の原語が、動詞ハーヤーの1人称不完了形だそうだから、「存在する、
存在(形成)しつつある」の意味は免れない。不完了形はかなりの外国語に見られ、
英語で言えば進行形。「進行(形成)しつつある存在」だから、言うなれば
「諸行無常」か。
825 :
神も仏も名無しさん:2011/04/19(火) 07:29:56.75 ID:gHUBfkFn
>>824の続き
意味はまだ誰にも判ってはいないそうだから、見出せば、学界・宗教界の一大ニュース
となる。キリスト教はひっくり返る。なお、I am that I amは、ギリシャ語訳
からの英訳だそうだから、厳密には誤りらしい。
いずれにせよ、「わたしは、ある」の訳語では、日本語として意味不明だし、
神の名としては、意味上、ナンセンスであることは、前レスで述べたとおり。
レヴィナスの解釈は、重視せざるを得ないだろう。ユダヤ教の思想は極めて深い。
新約聖書の比ではない。
826 :
神も仏も名無しさん:2011/04/19(火) 09:23:34.65 ID:cL3/wNaV
同じネタで同じ応酬を繰り返すのが嫌なだけだ。
>>824 >これ書くと、決まってクリが騒ぎ出す、クリ鑑別法。
レッテル貼りはやめろ。見苦しい。
>意味は免れない。
「存在する」というほうは否定してないってば。
>>825 >いずれにせよ、「わたしは、ある」の訳語では、日本語として意味不明だし、
自分の日本語力を一般化するなって。
>神の名としては、意味上、ナンセンスであることは、前レスで述べたとおり。
「だから」をとりあえず文章の間に挟んだだけでは論理的に説明したことにならないぞ。
>レヴィナスの解釈は、重視せざるを得ないだろう。ユダヤ教の思想は極めて深い。
再掲する位なんだから出典を確認した上で書いてるんだよな。
返答レスに、いつもの定型文はいらない。出典の明記が第一。
827 :
神も仏も名無しさん:2011/04/19(火) 10:03:50.67 ID:53SGDRUY
中心的な存在が人格を持つか持たないかの違い
神か法か。
829 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/20(水) 06:33:36.43 ID:vLLf2eQq
>>815 サンユッタ・ニカーヤで釈尊は、「修行者らよ。昔、三十三天に属する或る神が、
歓喜園において、(略)」
解説では、リグ・ヴェーダにおいて神々が三十三いると考えていたのを受けている
のである。
別の章には、
「その時に或る神が、夜が更けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、
尊師のものとにおもむいた」とあり、こちらは森の精霊みたいな存在のように思います。
同じく最古層の仏典と呼ばれているスッタニパータでも釈尊はこのような神々と多数
対話をしております。弟子達には神々の姿も見えませんし、声も聞こえませんが、
いきなり釈尊が誰かと対話しているという記載は散見されます。
神ではないですが、バラモンの弟子達が心の中で質問した際も、釈尊はいきなり答え
出したというそうです。所謂、六神通の一つの読心通です。
830 :
神も仏も名無しさん:2011/04/20(水) 09:31:33.15 ID:/Y0Ks5hD
無神論的な見方をするなら、超自然的存在との対話が挿入される余地があるということは
(仏滅後すぐに仏典が編纂されたのなら、相手は人間に限られていただろう。
釈迦がそういう宗教体験をしていたとしても、その体験談を語る形に留まったと思われる)
同じく超常的な菩薩や彼らとの対話が仏典内に収録されてもおかしくはない。
神々やら阿修羅やら夜叉やらの対話が当たり前のように既存の仏典に収まっていた当時において、
大乗仏典の製造者は、「創作」という意図すら持たず、自ら編纂した新経典に
そうした菩薩を登場させていった可能性も考えられる。
831 :
神も仏も名無しさん:2011/04/20(水) 09:42:50.01 ID:/Y0Ks5hD
新しいネタが伝承となり、それが事実とみなされるプロセスってどんなだろ?
さすがに大乗仏典も、経典化される以前には、
最初は自分達の見解、解釈(釈迦の真意を割り出した、と本人たちは考えてたにせよ)
という形だったはず。仏教そのものに対する一種の「注釈」とも言える。
「注釈」はどのようにして「本文」に混入し、やがて全体を染め上げる程になったのか。
阿含経にも自利利他の教えはあるのに、どうしてそうした経典への「原点回帰」という形をとらずに
経典を新たに作り出す方向が生まれていったのだろうか。
批判に批判で応じることが普遍的に好ましい姿勢だった、
という固定観念を捨てれば少しわかってきませんか
神や仏といった絶対的に正しい主体が登場してしまうと
後世はその言葉の些細な矛盾や批判の種に
辻褄を合わせるために創作しなければならないのです
仏教が他の神々を取り入れていったのも
当時の世界では常識的に信じられていたものの不在が
布教の妨げになったとしか考えられません
A説だけ伝えたくても、既に支持を得ているB説から批判を受けるのは避けがたいので
A説にB説との関係をはじめっから内包させることで説得力を増すという論法
833 :
神も仏も名無しさん:2011/04/20(水) 19:57:02.42 ID:DKDZFnDg
ヴェーダの神々が、
仏教にとって「他の神々」という認識を持たれていた時期はあるのでしょうか?
釈迦も周囲の人々も、もともと馴染んできた世界観では無いのでしょうか。
アブラハムの宗教でも、イスラムではアラブ土着のジン(精霊)が教義に含まれますね。
ニューエイジでも、イエスを否定することなく、イエスを自分達側のものとして語ります。
ニューエイジとキリスト教では人間観も神観も異なりますが、イエスの否定、という形にはならない。
クァン・イン(観音)といっしょに大天使ミカエルなどを共存させたりもする。
「いるもの」として肌に馴染み、特定の教義に依存するものと見なされなかったのなら、
「戦略」という意図がなくとも、案外すんなりと教義に取り込まれるのではないでしょうか。
仏教にとってのデーヴァ、ヴェーダの神々とは、イスラム教にとってのジンのようなものではないでしょうか。
>>831 大筋は
>>832だと思う。
今、試みに別角度からの喩えを提示してみれば、
大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ
南海ホークス→ダイエーホークス→ソフトバンクホークス
毎日オリオンズ→毎日大映オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズ→千葉ロッテマリーンズ
これらが、何が継承され、何が変わったのか(≒何が付加されたのか)?
これらを、同じチームとして応援し続けることができるかどうか?といった問題と相似形。
擁護サイドから言葉を添えれば、
「伝えるべき真意の掘り出し(強調)と、伝え方の工夫」による表面上の変化・変遷であり、
「その内実・真髄には兎の毛ほどの変更は無い!」という自負の許での語り口の改革だからだと思う。
その姿勢に同意する者は容認するだろうし、そうでない者は「異説・異端」と見做すだろうし、
実際、そうした歴史的闘争は存在したと思う。
835 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/20(水) 20:45:45.61 ID:oBBFPDJv
常住の仏と常住の絶対神。似ているような、違うような。
常住の仏と一切縁起は、似ていないし、違うようですね。
原始仏教の大梵天と日本神道の大天津神も似ているような。
>>835 毎年、庭先の桜の花が咲く。
この時、去年の花と今年の花を、
【同じ】花と見るのが常住派、【違う】花と見るのが縁起派。
【違うけど同じ】と見るのが法身派。
837 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/20(水) 21:28:06.67 ID:09x7gjBn
>>836 >【同じ】花と見るのが常住派、【違う】花と見るのが縁起派。
>【違うけど同じ】と見るのが法身派。
どなたか存じませんが、乙ですね。
釈尊の悟った因縁生起から解明される存在論としての空性・三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)は、
同時に四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)及び八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)と当然に整合性がある。
仏教に於ける救いとは正しく実践することで真理を見抜き遂に空を受け入れて悟りに至ることではなかろうか。
空性に於いては自我とその主体としての霊魂は否定される。(必要とされない)
自我は本質存在ではあらぬから悟りへのプロセスで浄化され遂には如来大悲の本誓の内にに吸収される。
それは自我の消滅であると同時に無上の安心に安住する命を得ることに他ならぬのかと思う。
仏教とキリスト教の相互理解には一致点(例えば類似した聖句があるなど)を探るよりも、構造的相違点を明快にすることが先と思う。
違いを明確に認めるで始めて本当の意味での接点を模索できるものと信じたい。(簡単ではなかろうけど)
キリスト教に於いては既に
>>591に示したとおり「不滅の霊魂=自我」が「死」や「神の審判」に関わらず継続するとされている。
ここで注意せねばならぬことは佛教で定義付けられる自我を安直に当てはめて即断的に否定してしまうことでありましょう。
キリスト教カトリックに於ける信仰とは自我の本質にある情動性そのものに定性的浄化と定量的調和をもたらそうとします。
究極的にはキリストの心(=真の愛)にまで自我そのものを変容させることを前提とした自我の継続と云うことなのです。
主な聖句をいくつか挙げてみます。
(つづく)
(つづき)
(ローマ人への手紙6章10&11)・キリストにおいて死んだ者は一度そして永久に罪に死に、生きる者は神のために生きる。
同様にあなたたちも、自分は罪に死んだ者、キリスト・イエズスにおいて神のために生きる者だと思え。
(ローマ人への手紙12章1&2)・それでは兄弟たちよ、あなたたちの体を生きた清い神に嘉せられるいけにえとしてささげるように、
私は神のあわれみによってあなたたちに勧める。それは道理にかなった崇敬である。この世にならわず、かえって神のみ旨は何か、
神のみ前に、善いこと、嘉せられること、完全なことは何かをわきまえ知るために、考え方を改めて自分を変えよ。
(コリント人への第二の手紙5章15)・すべての人のためにキリストは死なれたのは、生きる人々が、もう自分のためではなく
自分のために死んでよみがえったお方のために生きるためである。
(ガラツィア人への手紙2章19&20)・私は神に生きるために律法によって律法に死に、キリストとともに十字架につけられた。
私は生きているが、もう私ではなく、キリストが私のうちに生きたもうのである。私は肉体をもって生きているが、
私を愛し、私のためにご自身をわたされた神の子への信仰の中に生きている。
(ガラツィア人への手紙5章24&25)・キリスト・イエズスにある者は、肉をその欲と望みとともに十字架につけた。
私たちが霊によって生きているなら、また霊によって歩もう。いどみ合い、ねたみ合って、虚栄を求めることのないようにしましょう。
(つづく)
(つづき)
キリスト教内部では「信仰義認」を問題とする人達がいる。これについては私個人として「信仰によって義とされる」
そして「行いによって救われる」と解釈したい。何故なら心と行いは一致しており分離していないからである。
仏教に於いては実践(行い)が求められるが、聖書にある主な聖句を挙げてみます。
(ローマ人への手紙2章6&7)・神はおのおのの業に従って報い、根気よく善業を行いながら光栄と名誉と不滅を求める人々には、
永遠の生命を報いられる。
(ローマ人への手紙6章12&13)・だから罪の欲に従うことのないように、あなたたちの死すべき体を罪に支配させるな。
あなたたちの肢体を罪に与えて不義の道具とせず、かえって死を逃れて生きる者として自分を神にささげ、
その肢体を神のために正義の武器とせよ。
(ローマ人への手紙6章22)・罪から解放された今、神の奴隷となって聖徳の実を結べば、その果ては永遠の命である。
(ローマ人への手紙8章13)・あなたたちが肉に従って生きるなら死に定められており、霊によって体の行いを殺すならあなたたちは生きる。
(ローマ人への手紙12章16&17)・互いに心を一つにせよ。高ぶったことを望まず、低いことに甘んじ、自分を知者だと思うな。
だれに対しても悪に悪を返すな。すべての人の前で善いことを行おうと努めよ。
841 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/20(水) 23:54:05.32 ID:yRBg6lKU
>>840 :Johannes:2011/04/20(水) 22:51:02.16 ID:BhT2kms7
>キリスト教内部では「信仰義認」を問題とする人達がいる。これについては私個人として
>「信仰によって義とされる」 そして「行いによって救われる」と解釈したい。
>何故なら心と行いは一致しており分離していないからである。
>仏教に於いては実践(行い)が求められるが、聖書にある主な聖句を挙げてみます。
原始仏典のサンユッタニカーヤにも信仰と行いのことが説かれておりますね。
それは解脱に至る為の五つの力「五根」のことです。
1)信:信仰、仏陀の教えを心底信じる
2)精進:実践、励行する
3)念:心を落ち着け、気をつけている
4)禅定:心を統一して動揺させない
5)智慧:真理を見通す
842 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 00:00:18.00 ID:Fl732uzg
>>939 >キリストの心(=真の愛)
聖書におけるイエスの言動から、彼に「あるがままのすべての人間」に対する
愛があったなど、どこにも認められません。あるのは、自分の気に入らない者
に対する憎悪・非難・排斥と人間差別だけです。パリサイ派に対する憎悪、
祭司やレビ人に対する憎悪、富める者に対する差別など、実例は無数です。
彼は、ユダヤ人の生活者の間で、日々、無言で「実行されている」愛に気付く
ことができなかったのです。
彼の十字架における処刑は、ユダヤ教社会における神の冒涜罪という己自身の
大罪によるもの。「他人の罪を贖う」などという意図はどこにもない。罪人に
他人の罪が贖えるわけがありません。
843 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 01:15:19.27 ID:Ie4A7O2d
「在りて在るもの」即ち「御心境」のことです。
キリスト教では絶対にこのような解釈。ああこいつら人間ですね、と感じられる登場人物に主の一瞥で
「わたしは、ある」
と言いながら暮らしている様子なんですよ。
イエスの
立場がなくなるわけがない。
そして御遊戯に絶命してる人たちに我らが欲望を味わいと思う人たちに囲まれて
草の根運動の小人達を押しのける御立派な野郎ども
が一押しになった事を嘆きお蔵入りになった。
だから、旧約聖書の意味は誰でも解るであろう。
人生のやっつけ手のあり方が活き活きと描かれておる。
キリスト教において I am that I am の「生きていれば私のようになれる」というぐらいな
対象を持たずして「在る」と認識できているものに
「あれだあれだあれだ」と足場なく浮いている有様は、
人間ですか?というぐらい異常な意思のように見えるのだ。
「わたしはある」は土壌として基本の程が過ぎる言い草のようで
I am that I am は小気味の良い誤りのような感じの手合いの云いそうな事に思えるそうだーーー。
844 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 01:17:30.54 ID:Ie4A7O2d
だから、夢ではなく血の中の記憶が蘇り動物の手具合じみた
根源的意思に触れることが
連動こそしているが、つまらない商品にしか手を出せなくなったふつつか者を通しても
無欲になれる子達なら、精神の奥底からの炎があがる可能性がある読み物で御座います。
例えば、「それはそうだな、こいつは凄い」
とか思ってるものを取り払う心持ちを持たすに最適な天に帰るアイテムともいいます。
動物のように物を嗅ぐ術を覚えさせる行為の果実を
「イエスを見よ」と申し合わせつつ、学ばせるものがありーーー
生の一つ一つの物事に対する洞察力を強める人間の事情をしるものになるためにーーー在るーーー
現実秘話のようなものだ。
それが
旧約聖書らしい。
「わたしは、ある」が
意味がないと思うのは良からぬものに慢性疾患きたした
陳腐な欲望に横取りされた渦みたいな存在としておまみえする除菌なし腐女子の有様で御座いませんか。
何しろ、
神の名として「わたしは、ある」が一生のものであるならば仏より偉い。
あってはならない残忍な見ものでもあるが、真の自慢の真実で御座いますな。
兎角ナンセンスであると述べたがる、異常自慢がいるけれど
子供心に対する陳腐なお調子者ぶった「般若」心の犠牲でもあり
無駄口によるエゴイズムの行為の果実として機能しているーーー
内部にある権力の情緒として御覧になる方もおりますーーー
旧新約聖書「私はある」などという 歴史ーーー
845 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 01:23:30.44 ID:Ie4A7O2d
↑旧新約聖書 罰
旧約聖書○
この「前世は一在家」って人
大川隆法と大して変わんないねw
でも金儲け考えてなくて趣味の妄想だけだから可愛いよw
847 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 08:05:46.33 ID:sVh3W/Hg
>>835>>837 ものすごい昔のことではあっても、
ある時「悟りを開いた」というのが法華経での記載だったような。
少なくともヒンドゥーの絶対神やセム系一神教の唯一神とは全く異なる。
これらはある時点で「神になった」「絶対者になった」わけじゃないから。
848 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 21:05:59.75 ID:1AIirnjX
本屋でマハーヴァストゥという本を立ち読みしたところ、
釈迦として地上に生まれるのを決めたのは菩薩でした。
如来になっているのに、また生まれた、というなら
これは「仏陀再誕」になってしまわないでしょうか。母から生まれたように見えたのも方便なのかもしれませんが・・・
849 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/21(木) 22:17:32.78 ID:d3mFnHXV
>>848 >釈迦として地上に生まれるのを決めたのは菩薩でした。
イエスとして地上に生まれるのを決めたのは神の御子でした。
菩薩が入胎したのが釈迦で、神の御子が受肉したのがイエスで
ともに生まれる前から真理(法)を悟っていたということでしょう。
850 :
教えて 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 :2011/04/21(木) 22:23:13.50 ID:4xcvjHAn
神を外に見るか。内に見るか。じゃないかな
851 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 22:41:02.04 ID:1AIirnjX
849
聖書の世界観でいうなら、「菩薩が下界に生まれる」に対応するのは
ロゴスないし神の御子ではありません。
如来でも正確ではないでしょう。
聖書のは、菩薩や如来みたいに後天的になるものではありませんから。
無始の存在という意味では「先天的」とすら言えない。
852 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/21(木) 22:41:59.76 ID:d3mFnHXV
>>850 >神を外に見るか。内に見るか。じゃないかな
神の国、仏性、光の霊は受肉し内にあるという出典を色々と出すことはできます。
ルカ伝、死海文書、トマス伝、マリア伝、法華経、等々。
853 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 22:43:47.64 ID:1AIirnjX
ヒンドゥーのアヴァターラのほうが、
より対応はしているでしょう。
854 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 22:50:36.08 ID:1AIirnjX
光の霊は神が与えた(貸し与えた)もの。
神の国は神の統治、ないしそれを自覚することによる安息。
仏性は誰かが与えなくても生類、とくに人間である限り備わっているもの。
何か特別な行程(魂を吹き込まれたり)を必要としない。
自然にあるもの。
この差は大きい。
855 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 22:59:29.77 ID:1AIirnjX
7人のシェイクスピア、という漫画で
キリスト教における人の命は、
使用権は神から人に与えられてはいるが、
所有権はいぜんとして神にある、
という説明がありましたが、なるほどと思いました。
こうした観点から、神の国、光の霊、仏性その他の概念も俯瞰できると思います。
856 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:01:59.90 ID:8W4L3LUu
>>654 神や霊は、人間の妄想・空想の産物で「非実在」。
仏性(生命)は、人間の生命活動から認識可能な「実在」。
大乗仏教は、聖書同じくフィクションだよ。
858 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:12:23.97 ID:8W4L3LUu
>>857 小乗仏教も、専ら弟子の伝聞、解釈、創作である点で、フィクションであること
には何らの相違も無い。
大乗仏教は、小乗仏教の「欠陥」を、大幅に改善・除去したもの。
859 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:23:44.89 ID:1AIirnjX
856
仏性=生命ではないですね。
858
気に入った部分を抜き出してるだけでしょう。
860 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:28:46.31 ID:1AIirnjX
四福音書がイエスの教えそのものでないことと
水瓶座福音書や聖イッサ伝やACIMがイエスの教えそのものでないことは
意味合いが大分異なります。
アゴン経と大乗仏典にも同じことが言えると思います。
861 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:45:58.28 ID:1AIirnjX
大乗仏典は「フィクションとしては」二流だと思います。
真実味を醸し出すために事実であるという主張(如是我問)に頼っているからです。
フィクションのままで目的を果たせないのなら
フィクションとしては中途半端です。
文学や作劇という割り切りのもと発表されていたのなら、
その点で評価はできてました。釈迦や旧来の仏教を乗り越えた、
とは言い難いと感じます。結局旧来のフォーマットや釈迦の権威にズブズブです。
世の宗教や神話にありがちな只の拡張ではないですか。
862 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:57:40.06 ID:1AIirnjX
大乗仏典が、事実である経典として世に出た。
ということは、これを産み出した人々にとって
旧来の仏教徒は赤の他人になっていたというけとでしょうか。
一体感が保たれていたのなら、相手方の一切経に大乗仏典が入ってないことに
違和感を覚えたはずだ、と思います。
なぜ同じく釈迦の言葉たる大乗仏典を彼らが「小乗」的に解釈(曲解)する、という状況になっていないのだろう?
それ以前に、そもそもどうして彼らは大乗仏典を聖典にすらしてないのだろう?
という問い(疑問)はなかったのでしょうか。
863 :
神も仏も名無しさん:2011/04/21(木) 23:57:41.56 ID:Bc9In5sH
>>861 釈迦が書いた経典など皆無のだから、小乗も実質的には「如是我聞」。
大乗が「利他」「空の思想」「衆生心」を加えたのは、巨大な進歩。
小乗は、「利己」の塊で、世の中にはクソの役にも立っていない。
隠居の言う「実在」ってのは、
【観察可能であるもの】のことを指すんかいな?w
そういう基準取りならば、「愛」や「友情」も、「親切」も「思い遣り」も、「怒り」も「憎しみ」も『実在するもの』
ってことにならないか?w
当然、オカルトマニアや心霊厨は、「霊や魂も観察されている!」と言うだろうよwww
865 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:01:33.05 ID:vvG9/Lxn
863
860をご覧ください。
ちなみにアゴン経にも利他はあります。
だからこそ大乗が不可解です。
パーリ仏典には、隅々まで利他が溢れているというのに・・w
「空(空性)」なんて「縁起」の言い換えにしか過ぎないのに・・w
「衆生心」なんて、「本覚思想」を理解しない限り、その重要性には辿り着けないのに・・w
どこまでもどこまでも愚昧な輩よ・・・
>>863 (;´ー`)y━~~
867 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:17:39.46 ID:nwhXnXZ7
いずれにせよ、釈迦が書いた経典は皆無なのだから、釈迦個人は考慮する
必要がなく、また考慮すべきでもない。釈迦にとっても迷惑な話だろう。
868 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:23:36.75 ID:nwhXnXZ7
>>864 いい大人が、まだ、「実在」とは何かがわからないのか。生まれたばかりの赤ん坊にでも
教われ。
869 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:25:38.93 ID:vvG9/Lxn
書いたかどうかはあまり問題じゃないのでは。
一度書いたら後は書き写していく形になりますが、
それは複数人のあいだで記憶に刻み確認しあい受け継いでいくのと相似形です。
複製も簡単で、保存に適した紙があり、保存し続けられる環境のある現代の感覚を
古代に投影してしまってる気がします。
870 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:30:36.39 ID:nwhXnXZ7
>>866 ならば、何故大乗が発生しなければならなかったのかね。バラモン教から釈迦が
発生しなければならなかったのと同じことだ。
>>868 貴方の言う『生命』が、人間等生物の諸相の観察から推測されるのみで、
【その「実在」は一切担保されていない】ということは証明して差し上げましたよね?w
貴方はそれに対して、何一つ有効な反論ができていませんが?w
ましてや《「仏性」が「実在」である》なんてwww
するってぇと何ですか?
「仏性」は、テーブルの上のリンゴの如く、どこかに「ある」っつーことですかいな?
寝言は寝てから言えw
>>870 大乗と小乗については、詳細に講義して差し上げたでしょう?w
ほんと、鳥頭ですねw
873 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:41:33.92 ID:vvG9/Lxn
たぶんあまり合理的な理由は無いです。
小乗とかいう批判も、キッカケではあっても不可欠なものでは無いような。
べつに経典に原典回帰すればいいだけですし。
切っ掛けと結論(理由付け)だけがあるというか。
一旦形作られた方向性に新進の信仰心がドーンと爆発してしまったのでは?
もし、あの時(旧来仏教への批判をするとき)できた方向性が
経典への原典回帰というものだったのなら
大乗仏教は生まれておらず、あるいは出来ても下火になっていたのかも。
874 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:45:55.58 ID:nwhXnXZ7
>>871 君のその書き込みで、生命の存在は証明きれているではないか。君が
死んだら、書き込みは一切できないのだから。
生命とは、「生命現象を現す肉体」と再定義しておいたはずだ。従って、愛
や友情は、肉体によって表現される「行為」によってのみ、認識可能である。
「友情の行為」は実在であるが、友情そのものは心理現象であり、実在(物質)
ではない。
875 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:48:38.66 ID:vvG9/Lxn
右に左に再定義が繰り返されてきたのなら
今はどっち?となります。
前のは何だったんだ、とも。
876 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:52:23.19 ID:nwhXnXZ7
>>875 小学生にでも判るように、例で示してあげただけだよ。
877 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 00:55:11.69 ID:vvG9/Lxn
と、言いますと?
>>874 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
爆笑させんなよw
貴方の言う『生命』も同様だと言っているのですw
>「生命現象を現す肉体」 は、あくまでも「肉体」でしょう?w
それを単に「生命」と呼び換えたに過ぎません。
・>愛や友情は、肉体によって表現される「行為」によってのみ、認識可能
・『生命』は、生命現象の観察によってのみ、認識可能
この構図が指摘されて以降、「肉体=生命」説にシフトしましたよねw
もう一つ別の定義がありました。「生命は、(カメラや眼球が自身を見ることができないが如く)、把捉不能」だと・・。
しかし、「(生命現象を現す)肉体」なれば、他者からは勿論、自身に於いても、用意に把捉、認識が可能です。
また、「肉体」なれば、【全てに先んじる存在】【根源的存在・実在】とは到底言えませんよね?w
まさか、生物の発生過程の現代的知見を無視するわけでもないのでしょう?w
よしんば、百歩譲って「生命現象を現す肉体」という言明を受けたとしても、
それが「仏性」であるとは・・・w どんな仏典にも、どんな最新の解説書でも、そんなことは書かれていないでしょうw
>「友情の行為」は実在であるが、友情そのものは心理現象であり、実在(物質)ではない。
「生命現象が現れている肉体」は実在であるが、生命現象そのものは文字通り現象であり、実在(物質)ではない。
「生命現象」は、実在する肉体の観察により認識可能であるが、生命そのものが認識されているわけではない。
>>863 大乗の本質は、神・仏が存在しての他力だろ。それが嘘なら、お笑いだ。
小乗は、自己修行でよき道を歩むというのが本質。向上心が必須の厳しき道。
881 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/22(金) 01:31:58.50 ID:988pjBcJ
―われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう―
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)
―ユダヤにいる人々は山へ逃げよ〜夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
―多くの神〜あるようではあるが、わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリ
ストのみがいますのである―(コリント)
―悪魔の征服者〜みずから彼岸に渡りおわり〜善悪の両者に汚されません―(ブッダのことば)
聖霊に満ち荒野・・・大自然で不死の境地のまま、山をも動かす力を得、慈悲深い神とひとつの境地(無量の慈しみ)で、万物を慈しんで治める。
神は、霊体のみを義とし、―信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためである。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがし
ておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ人)
882 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/22(金) 01:33:03.16 ID:988pjBcJ
不死の境地はあるが、妄執(悪しき者)に従い失楽した人々(人間)を、神は愛とか慈悲とか道徳的な教えで幸せを望んでいると思っていた。
ある時、神が言葉を発し、地上のものに心を一切引かれない、わたしの兄弟のみをわたしの義としている。衣食があれば足りるような暮らしを心得、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを
捨て、土に帰らず、わたしの国に生まれられるようになれ。楽しみとしてゆるされたのは大自然を楽しむくらいであった。人々の富のため、権威や栄華のため、肉の欲・目の欲・持ち
物の誇りのため、あくせく働くことは、「地の奴隷・悪魔の子・土に帰る」だけの者であると。神に信仰ありと自任しながら、それら(人の貪欲・人の貪欲のために仕えること)を捨
て去ろうと努めない者は、「うじが尽きない地獄に落ちる」と。
道徳的な教えのみに止まらず、完全な者(離欲)を行い、わたしの国に生まれられるようになってはじめて、わたしに愛される者となれると。神ひとりではなく、複数(多くかも)の
地上の者に心引かれない神の右(地上のものに心を引かれた者は神の左・地の奴隷と言われる)の者がいることを示された。
御言葉を受け入れることは人として当たり前のことで、愛など他者への配慮ある人のみならず、一日の苦労は、その日一日だけで十分(人々の貪欲のためにあくせく仕える過労は悪)と
いう教えは、善悪の知れる人間としては当たり前(悪魔の子・畜生でない限り)であると。
聖霊に満ち荒野・断食・・・そこまでしなくとも、衣食があれば足り、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを信仰により熱心に捨て去ろうと努め、土に帰らず、霊体に生まれることが神の
義であると。あわれみの行為ができる者があわれみの行為をすることは当たり前で、少々善いことをしたから(一時的に)といって、神に信仰ありとされることはないと。
883 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/22(金) 01:34:54.06 ID:988pjBcJ
―むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない〜神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―(ヤコブ)
からし種一粒ほどの信仰のない、左の多くの人々も「地の者は愛」により救われる。困難や苦難のある地は私たちが悪いという悔い。地上のものに心を引かれたため、「土に帰り、地
で生き続ける者となる」、妻子を愛し「目の前の人にもう逢えない」(命への執着)、人間の命の尊さ・大切さをなによりも思う人々。
自分の命を憎む者はなく、だれにも負担をかけまいとして働き、目の前の人が死んでしまえば無くなるとして命の尊さを思い、人としては今の世はまだ救われている。
敵意や憎しみという行為の戦争を悔い、衣食住など人々の必要なものへの働き、富や贅沢を良いことのようにしたバブルの崩壊、富に仕え、経済の拡大による大借金、持ち物の誇りなど、
贅沢ほど正しいを戒める地球環境破壊、人の手で作られたものの貪りを自制しなとも、知者と称する人々が回避できると自任した、想定外の苦難・・・神は人格的に「いる」が、「離欲」
という信仰の持てない人類の運命を、つくられざる状態と、悪しき者につくられた状態(御言葉がわからない)状態に任せている。(人々の安穏・安楽な暮らしのために働くことは苦難
から遠ざかり、富のため、貪欲のために熱心になれば、やがて苦難をもたらすことをわからねばならない人)
「神に信仰のある者よ」として衣食があれば足り、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努め、わたしのところに生まれられるようになれとわれたが、できず地の奴隷として生き
る者の苦悩は、あなたが悪いと。
884 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 01:36:10.68 ID:CQHXDEht
古代のバラモン教でも、アートマン(生命)とは、「人間が対象化できないも
の」として、正しく把握しているぞ。
そのことが理解でき無くて、アートマンを対象化し、あるとかないとか言い出
したのが釈迦である。
885 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 01:42:40.41 ID:CQHXDEht
>>880 「よき道」「向上」とは具体的にはどういうことか。その基準は何か。
「正しい」「正しい」と8回も唱えながら、「正しさとはなにか」につては
さっぱり説明できなかったのが釈迦である。
他人の力にすがって、楽になろうとか浅ましいとは思わぬか?
蜘蛛の糸にぶら下がる、信者の様が見て取れる。
>>884 何にも知らないんだなw
アートマンを対象化して把捉しようとしたのが、バラモン教やウパニシャッド等ヒンドゥ文化。
対象化を避け、蚊帳の外へ配置したのが仏教。
あるとか無いとかにこだわり、「ある筈だ!」と探求したのがバラモン教やウパニシャッド。
「無い」(少なくとも把捉し得ない)と喝破したのが仏教。
>>885 貴方が読んでいないところに、様々な語り口で散りばめられておりまするw
随分と昔のことなので詳細までは覚えていないがカトリック聖職者から出された仏教への疑問として内容だけは覚えている。
「もし転生するとしても自分自身が失われるなら何の意味がありますか」と云うものであったと思う。
仏教側として何と答えるべきであろうか。
私ならばカトリック側のこの「問い」と対になる問いがあることをまず提出出来るものと思う。
それは「新しい生命の誕生に何の意味がありますか」と云うものです。
カトリック側は「神に望みを託されて祝福された人生を送り神に嘉せられる為に新しい生命が誕生します」と答えるであろうか。
これに仏教側としてはこう答えたい「転生とは死と同時に新しい命の誕生です。新しい命の誕生に意味があるならば転生を無意味と言えなくなる」
それにしても業識(業力)の継続(輪廻転生)とは何であろう。
その原理を無条件に受け入れていたことに気付いたならば、そこに疑問を持つものであろう。
輪廻や転生については釈尊以前からの印度的生命観として存在していた。
しかし釈尊の因縁生起から空性及び三宝印が解明されるに至り、自我とその主体としての霊魂はこれに反するとして否定された。
そうであるならば、自我とその主体としての霊魂を否定した仏教は転生の原理を何と説いているのであろうか。
空性に於ける因縁生起として変化する連続性のなかで自我の消滅と発生の連続性は否定されるのであろうか。
もしそうならばやはり矛盾と云うべきでありましょう。
般若心経には「色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」とある。
「識」は他の人間構成要素の作用を統一する意識作用なのであって事物を認識する意識である。然らば自我は識に属している。
仏教の存在論は「自我」と「識」を空性との整合に照らして探求を進め「唯識」に到達した。
仏教に於ける唯識は大乗存在論の終着点なのかも知れない。
自我意識とは唯識階層の海に漂う泡と譬えるが、それは良い譬えだと思われます。
なんつうか、数学とか全く出来無そうな人の気がする。
本人は理詰めで考えてるつもりなんだろうけど・・・・。
そんなにいじめないでおくれ。
仏教とキリスト教はどう違うのか。(スレタイ)
接点はあるものなのか。
俺なりにずっと真面目に考えているのだよ。
答えは見付からず実に難しいというほかない。
カトリックよりも仏教側に難しさがある。
比較する上で「これが仏教」と言いづらいのだよ。
仏教は、@釈迦時代と、A原始仏教、B小乗、C大乗と全部違いますよ。
なのに、国内大乗と釈迦の教えを混ぜて語るから、訳ワカメになる。
特に大乗は釈迦の教えとは180度異なるから、完全な別の宗教ですよ。
小乗とて、釈迦の教えとはだいぶ違いますが。
釈迦の教えに、神様仏様とか、念仏とか、お経とかそんなのありませんし、
都合のいいときだけ、釈迦の権威を借りるのはやめてもらいたいものです。
892 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 05:37:16.61 ID:n3xIBF3l
なぁ、隠居よ。「対象化」ってなに?
具体的に、どういう意味で使ってんの?
893 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/22(金) 06:51:40.95 ID:J3WJRn7d
>>888 :Johannes:2011/04/22(金) 02:27:44.30 ID:l1OHcAr2
>そうであるならば、自我とその主体としての霊魂を否定した仏教は転生の原理を何と説いているのであろうか。
>空性に於ける因縁生起として変化する連続性のなかで自我の消滅と発生の連続性は否定されるのであろうか。
原始仏典では「入胎の法」にて、いつ意識(自我)が失われるか具体的に説かれております。
意識といっても顕在意識であり、潜在意識では過去世の記憶をアーカイブしております。
その根拠は「沙門果」として、修行完成者は過去世の記憶を想起できると説かれております。
>>891 >仏教は、@釈迦時代と、A原始仏教、B小乗、C大乗と全部違いますよ。
舎利弗が編纂した229法の中の輪廻に関する6つの法が、大乗仏教から割愛されたのが
縁で仏教徒ですら輪廻が分からないという果が生じているようです。
894 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 10:03:31.05 ID:T68bpq1W
内在のデータチップのようなものから過去世の情報を取り出しているのか
輪廻してきたルートをたどって過去世の様子を見ているのか。
895 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 18:01:34.86 ID:vH5J9p/C
>>892 「対象化できない」とは、文字通り、観察、認識、思考、解釈、崇拝、取捨などの
対象とならない、ということである。行為者と行為対象とが同一であるから、その
ような行為は初めから成立せず、ナンセンスであることは、自明であろう。
896 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 18:14:15.50 ID:vH5J9p/C
>>893 原始仏典に書かれている妄想や誤りをいくら語ってみたところで無意味。
妄想や誤りは、廃棄するか訂正すればよいだけのこと。
897 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 19:26:13.58 ID:vvG9/Lxn
思いっきり思考や解釈の対象にしてますね。
思考や解釈という言葉を具体的にどういう意味で使われてます?
隠居は、millefeuille aux inconsistencyの菓子職人だからなw
899 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 19:47:38.40 ID:CULEB33/
>>897 生命そのものをいくら思考・解釈してみても、それも生命そのものの機能なの
だかから、思考・解釈の正誤は何ら担保されない。死者には一切不可能だからだ。
大人なのに、そんなことも理解できないのか。
>>896 まあ、スッタニパータ位しかあまり信用出来ないね。
>>900 スッタニパータは、
当時の流行フレーズそのままである可能性を、大きく考慮に入れておくべき。
902 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/22(金) 20:42:06.56 ID:sgC1LYlJ
>>901 >スッタニパータは、
>当時の流行フレーズそのままである可能性を、大きく考慮に入れておくべき。
「彼はもう二度と母胎に宿ることは無かった」という幾多のフレーズのこと
ですか。
>>902 それも可能性はあるが、それだけじゃない。
お前は輪廻関係の台詞しか思いつかないんだろうがな・・w
904 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 20:57:37.21 ID:XPw8znd8
>>899 アンカーをふるのなら、きちんと
>>897に答えてください。
思考や解釈という言葉を具体的にどういう意味で使われてます?
あと、せっかく文章の間に「だから」をつけるなら、前後できちんと論理性を持たせてください。
全く繋がっていないです。いつものことですが。
905 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 21:32:34.78 ID:XPw8znd8
間違っていても思考であることには変わりありませんし、
誤解があっても解釈であることには変わりありません。
対象化していることに変わりありません。
後出しジャンケンで自説を調整するのは良いですが、
その場合は修正部分についてハッキリさせるべきです。
その部分は誤りであったと認める。これ以後は否定する、とか。
ほとぼりが冷めた頃にこっそりUターンするのは不誠実です。
906 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 21:42:27.52 ID:cC5OnVeP
>>904 >>905 その調子で、君の宗教の開祖や教典を徹底的に批判してみろ。それはだけは絶
対に出来ないことが、狂っているというのだよwwwww・
907 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 21:46:27.15 ID:cC5OnVeP
908 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 21:52:17.57 ID:gWSgBl0g
>>906 アンカーをふるなら内容を対応させ、アンカー先のレスの内容にきちんと答えるべきですし、
答えられないからと言ってレッテル貼りに逃げてはなりません。
大人なら。
909 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 21:55:19.58 ID:cC5OnVeP
>>908 宗教で狂わされた狂人とは、対話はもはや成立しない。
911 :
神も仏も名無しさん:2011/04/22(金) 22:01:20.15 ID:gWSgBl0g
繰り返すようですが
答えられないからと言ってレッテル貼りに逃げてはなりません。
大人なら。
わたしが904-905で述べたことに論理的に誤りがあるのなら、
それを具体的に指摘すればいいまでのことです。
苦し紛れに架空の人物像を叩くことに終始するなら、不毛なだけです。
むなしくならないのですか?
912 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 01:32:56.15 ID:/4WEClHQ
913 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 02:04:22.83 ID:YMy5kwkw
>>912 創唱宗教とは、「開祖の精神病の集団的一大感染(感応精神病)」と定義する。
現実から遊離した妄想と観念の遊戯ばかり。
イエスが基地外であったことは、聖書で、イエスを直接によく知る家族、郷里の人々、
仲間のユダヤ教徒が証言しているし、釈迦が、苦をやたらと苦にする一方、急に陽気に
なる双極性障害(躁うつ病)であることは明らか。ムハンマドも、中年以後に発病し、
長い山篭りをしているうちに変性意識(神懸り)を生じた。
現代の精神医学では、精神病は感染することが認められている(感応精神病)。
914 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/23(土) 11:07:38.27 ID:avYLfM3+
>>913 >長い山篭りをしているうちに変性意識(神懸り)を生じた。
変性意識(神懸り)を精神病と定義した。
悟って涅槃に入ることをうつ病と定義した。
他称ご隠居を「言った者勝ちの定義者」と定義した。どうですか?
なかなか面白い定義ですがちと一面的に過ぎますな
何をもって明らかとするのか具体的な根拠を示さなければ
思い込み以外の何物でもないですよ
ソース出せって言ってるわけじゃなくA→BのAを出せってことです
信者の増加が感染によるものなら
教義の内容を引き継いでいる後代の信者(現代含む)も
みな精神病だと言ってるようなものでしょう
それとも今と昔の創唱宗教は医学上に異なるとでも言うんですかね
軸となる内容である死生観と宗教者と精神病に強い相関がある
と言っとく程度にしとけばまだ説得力はあるかもしれませんが
あーでもよく考えるとこれはホントかもしれませんね
916 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 11:27:53.70 ID:WsQTcJyG
>>914 「言った者勝ち」とは、まさに宗教の開祖のこと。
「わたしは神の子」(イエス)
「わたしは解脱した」(釈迦)
「わたしは最後の預言者」(ムハンマド)
「わたしは釈迦の生まれ変わり」(大川)
精神医学ででは、これらを一くくりにして「宗教妄想」と呼ぶ。「憑依現象」
「禅病」「祈祷精神病」なども、教科書には精神病として記載されている。
精神医学者は、その論文で、「宗教的信念と妄想とを実質的に区別するのは
不可能」と言っている。
>>916 >精神医学者は、その論文で、「宗教的信念と妄想とを実質的に区別するのは
不可能」と言っている。
そりゃそうでしょうよ
精神医学の教科書を開くまでもなく
なんらの証拠も無い発言記述全般はでたらめと扱われるのが今の世ですから
ただあなたはもう少し批判の対象とする宗教の内容を理解してから
妄想であると断言したほうがいいですよ
妄想としか捉えられない記述もありますが
宗教が果たしてきた役割はそれ以外にも
プロパガンダ、倫理教育、科学以前のメインカルチャー、漫画
とまあ色々あるわけで
漫画ってのは美術関連のことか?
919 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/23(土) 11:55:33.12 ID:bpIm1qT8
>>916 >「わたしは神の子」(イエス)
>「わたしは解脱した」(釈迦)
「この薬を飲めば良くなります」(内科医)
「この治療を続ければ回復します」(精神科医)
一塩基多型が原因で主作用も効かず、副作用のみを受ける患者の
比率をある程度知りつつ、お客に暗示をかけてませんか。
病院経営が苦しい時に患者のリピーターを望んでませんか。
名医ならば少なくともリピーターは減ると思います。
30年前に比べて、医師、医療機関、製薬会社が訴えられて裁判で
敗訴になる判例が増えておりますのに、「医学教」の妄信者がまだ
おられるようですね。
若い奥さん達でも子供達の予防接種に躊躇する昨今です。
まあ、医学教も信仰の自由ですからご自由に。
PS
私は医療関係者が多い家庭で育ちましたので、薬漬けで大変でした。
920 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/23(土) 14:10:57.88 ID:GrHoQ9Ck
□命の木
聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―人のいない林は楽しい―
人の欲楽のためにあくせくする行為を自制し、森や林など大自然の安らぎの中で、世と自己との思い煩いのない世界を味わうことも宗教として行わねばならない。
□言語表現だけ、自然のままの律法
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々―
―あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、苦労し努力して働き続けた―(テサロニケ)
―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)
― 一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)―未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)
―あなたがたも慈悲深い者となれ〜兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか―(ルカ)
―他人の過失を見るなかれ〜ただ自分のしたこととしなかったことだけとを見よ―(真理のことば)
921 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/23(土) 14:12:03.97 ID:GrHoQ9Ck
―他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人〜実に真理を見ることから遠く隔たっている―(感興のことば)
―自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して―(ルカ)
からし種一粒ほどの信仰もない・律法を持たない異邦人の自然のままでの律法・形あるものへの執着信仰は悪魔ナムチ
偶像礼拝・神など他者への執着信仰など人々はできないが、人々は自分の欲得のために生き、他者への配慮もない状態で、つくられざる清浄な状態・つくられざる存
在から離れ、何でもできる霊力・神通力から離れる。
人なら普通、善悪感の生じる教えは身に具えているはずだと。
動物のように、肉だけで生きる人間により害われてしまうので、自然のままでの律法の(言語表現だけのものとして)教えがある。微妙なものの影響は、人間の思考
の正しさ、自己の執着によりわからず、現象となって現れる。
922 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/23(土) 14:13:49.11 ID:GrHoQ9Ck
たとえば、病気の人がそのことにくよくよと思い煩い失望したり、酒を飲んだり、五欲の対象を貪ったり、生活のこと世のことにくよくよと思い煩ったりするより、少しで
も安静にしたほうが病気の治療に役立つはず。
医者でも富のこと、名声を心得て治療するよりも、生ける者の安穏・安楽を心得て治療に集中したほうが、病気の治療に役立つはず。
―適宜に事をなし、忍耐づよく努力する者は財を得る。誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ。信仰心あり在家の生活を営む人〜もしもこの世に誠実、自
制、施与、耐え忍び―父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと―(ブッダのことば)
―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない〜父母を離れて〜奥義〜自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい〜肉による主人に従い
なさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく―(エペソ)
全てを失った人々がそのことに失望し、悲しみ、自殺などを考えるよりも、それらの思いを取り除き、平静に努めているほうが、勝れたものとともに在る。どんな信仰も御
利益はないが、人々の安穏・安楽な暮らしに努める人々により、世に利益がもたらされる。
923 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 14:38:42.10 ID:5stgVEhO
>>919 自然科学と宗教との区別くらいは、はっきりしてくれ。
前者は専ら「現実」に対応する。薬剤の効力は「二重盲検法」によって客観的に
検証する。君の宗教は、二重盲検法で検証したのか。
薬剤は、身体にとっては異物だから、副作用が生じることがあるのは当たり前。
その場合は、薬を代えるか、休薬すればすむこと。薬学の専門書を読めば、すべて
の薬剤に副作用が殆ど無数に記載されているが、現実に生じるのは、そのほんの
一部に過ぎない。薬剤の使用は、常にその効果と副作用との利益考量による。
虫歯で歯が激しく痛むとき、いくら祈っても、世界中の宗教者が同時に祈っても
絶対に治らないが、消炎鎮痛剤1錠のめば、ケロリと治る。科学と宗教とでは、
どちらが「ご利益」が大きいかは明らかだろう。病気の時、宗教などに頼れば、
必ず悪化し、最悪の場合に死に至る。実例は、周囲に無数存在する。
ここのスレタイは個人的にとても興味深いものがあり実に考えさせられる。
しかし非常に難しいものとも思う。「仏教とキリスト教はどう違うのか?」(スレタイ)ですが、
時に仏教の内部議論に傾き、時に宗教否定肯定議論に傾くブレの大きさが課題の困難さを証しているように思う。
残りのレス数も少なくなるなかで私個人としては何か息詰まるようなもどかしさも感じます。
私個人としてはまず仏教とキリスト教の霊魂観の違いを切り口にして比較しながら考えを進めることで、
仏教とキリスト教の教理構造の違い、特に「存在」認識於ける原理及び構造が全く異なるものであることを
一定程度明らかに出来たものと思っている。
しかしそこから先において双方の接点の発掘、また新思考による双方の共通性の発見にまでは至っていない。
残レス数を考えるとあせりも感じるが私一人の自己満足の世界に閉じこもるのは全く変なことでもありますから仕方ありません。
最後に仏教に於ける観自在菩薩とキリスト教カトリックに於ける聖母マリアの比較考察には重要な「鍵」があるとの直感を示します。
全く原理・構造ともに異なる宗教ではありますが、仏教に於ける智慧による悟りも、カトリックにおける真愛の完成も共に簡単ではない。
凡人の此れに至る道は極めて困難と言わざるを得ず、そうであれば救いの実現もまた困難を極めることとなる。
キリスト教に於ける救世主の実現も、仏教に於ける如来大悲の誓願も、その本旨は万人衆生救済の為に他ならない。
人間自力による知解と実践による道程の困難さを知り給う故に特別な助力を下さり導きを垂れて下さることは道理なのでしょう。
救いに至る道筋として、此処に神通力の道を開らかれて万人に解放されたものなのでありましょう。
この単純明快な信仰こそが不思議であっても偽りなき救いの道として万人の安心として成就されたものと思うものです。
何か分かりづらく締め括ることに心苦しさと非力を思いながらも後に更なる希望を託します。
そりゃ反論しているような体裁をとりながらも関係の無い話にすりかえて
自分が言いたい「宗教は非科学である」という
ありふれた主張を述べているだけでしょう
かれが皮肉で言っていることは
医薬の用法の誤りであって
医薬の効能そのものではない
宗教嫌いで宗教家によるものらしきレスを見たら
食って掛かりたい気持ちなのは十分伝わりますが、
それじゃ誰も説得できないどころか
一般のキリスト教信者さんはこれを「迫害」と捉えて「信仰」へと転じるだけですよ
926 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 17:28:10.38 ID:cApNLhfj
>>925 >一般のキリスト教信者さんはこれを「迫害」と捉えて「信仰」へと転じるだけですよ
自分の宗教や開祖に対する批判は絶対に受け入れられず、それを「迫害」にすり変えるのも、
宗教の著しい病理。既に信仰に嵌っているから、そうならざるを得ないのである。順序が逆。
927 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 17:56:36.41 ID:cApNLhfj
>>924 宗教は、1個人に過ぎない開祖に対する無条件の思い入れ、生理的ともいえる
執着が強すぎるのではないか。それでは、個人崇拝、偶像崇拝ですよ。
教典を初めからありがたがらないで、「批判的に」通して読み、開祖の人格を、
人間的に、特に精神医学的に分析・批判することが必要。人格的には、低劣その
ものとしか思えません。
批判のないところには、理解もありえませんよ。
542 生命論(仮) sage 2010/10/31(日) 10:34:30 ID:puqlTDVF
【主論】
『生命』によって『生命』を把捉することは不可能。
・カメラや眼球が、自身を見ることがないように。
・「知覚認識、考察」も『生命』の「機能」であるゆえに。
『生命』そのものは、認識・考察が不可能。
・観察される様々な「機能」「現象(生命現象)」は、『生命』によっている(引き起こしている)。
・それ故に、観察される様々な「機能」「現象(生命現象)」によって、『生命』があることが知られる。
・「死」によって、上記諸々が消失するから『生命』が消失したことが知られる。
・それ故に、「『生命』はある」、と知られる。そして、『生命』は「肉体」と不可分なものである。
人の(生物の)様々な行為(思考・思想含)は全て《『生命』の機能》。
・『生命』があるから、それら「機能」は現れ、発動し、また機能する。
人の(生物の)生理的メカニズム・システム、誕生・生育等も、全て『生命』によっている(引き起こされている)。
・受精・細胞分裂、或いは遺伝子の発動等も同じ。
総じて、
『生命』は、「生きていること」の「原動力として」、ある。
『生命』は、「上記諸々の行為や機能」「生体の種々の生理的働き」の「発生源として」、「ある」。
『生命』は、他の何ものの追随も許さない「最上」「絶対」の価値を持つ。
543 生命論(仮) sage 2010/10/31(日) 10:35:19 ID:puqlTDVF
【各論】
・「苦」は、危険危機察知、回避として、なくてはならない必須の『生命』(生命)維持の為の機能。
・また、諸々の「楽」や「幸」が感受されるのも、それが輝くのも、「苦」あればこそ。
・主論を踏まえ、そうしたものとしてある『生命』の価値を低く扱い(それよりも上位の価値を据え)、
時に「無視」し「否定」する各宗教は、反『生命』の悪しき存在である。
・また、各宗教によって『生命』より上位に置かれる種々の価値も、
(主論を踏まえ)『生命』から発しているので、自己矛盾に陥っているナンセンスな主張。
・また、同様に「聖―俗」の対比も、最上の価値である『生命』に基づく「人の生」(=俗)と
別なる価値を設定し、それを上位に位置付けるので、悪しき考え方であり、また妄想である。
『生命』に基づく「人の生」(=俗)のみがあり、「聖なる価値観」など存在しない。
・キリスト教の「罪概念」も、最上の価値である『生命』に基づく「人の生」(=俗)を
「罪」として、「悪しきもの」として位置付けるので、反『生命』の思想である。
・仏教の「苦概念」(一切皆苦)も、最上の価値である『生命』に基づく「楽」や「幸」を無視し、
「人の生」を悲観的なものと位置付けるので、反『生命』の思想である。
・「苦」と「楽」も、相互に関係し合い、その存在を支え合う対概念であるので、
一方のみを見、また一方のみを排除するのは誤り。双方ともに排除するのも、悲観的で誤り。
30 【総括】 sage 2010/11/03(水) 00:25:35 ID:pGaQbqKj
さて・・。
隠居相手の長丁場も、どうやら区切りが付きそうだ。
・ループ1 -宗教否定に始まり宗教否定に還る-
→ 〈生命教と言われる理由:構造編〉及び〈否定というアイデンティティ〉に見る、過去の宗教被害疑惑へ
・(特に精神的)病症の健常・異常の判断 -その平均的健常性とは-
・ループ2 -苦を巡って-
→ 〈最大カテゴリとしての「苦」批判〉へ
*但し、「苦」というラベリング自体への疑義は『常識的疑義』として残されて良い
**常識的生き方の許容も認められて良い …(→〈隠居発言の一部擁護〉へ)
→ 〈その他若干の「苦」を巡る応答 -ラベリングの意義、必然性- 〉へ
・ループ3 -原典・文献学・原語無視の俺様基準- &権威主義
→ 〈vyavahAra , vohAra解釈及び直訳か意訳か〉へ
・大乗と小乗/無明=生命 -レッテル貼りと(日本の)現状の誤認、及び基礎知識の不備-
→ その他術語の根本的誤解と知識不足、短絡的盲進を含
・縁起の時間性(因果)排除と相互依存 -主に中論を利用して-
…(刹那に於ける「停止・静止」と「実体・実在」/ヒトの認識システムの限界との絡み有)
・「○○即××」という単純イコール(〈○○の機能という飛躍〉と同位相)
・「○○の機能」という飛躍 -その文学的言辞-
・生命教と言われる理由:構造編 …そのアニミズム的性格
・生命教と言われる理由:動機編 …〈根源性、発生源の希求〉
・生命教と言われる理由:未確認不可知編
…〈『生命』の存否確認は何によるか -現象確認でどこまで辿れるのか-〉
・生命論概説
今後、相手が代替わりしていこうとも、
その応答(≒論点)は、凡そ、上記のような形で網羅されるだろう。
(なんとなく、過去のリンク先URLの表題とは異なったものとなったw)
>> 606中のもの、及び他若干のレスのURL化もしておいた方が良いのかもしれないが、
これで本当に一段落かもしれない・・。 (ホントか?w ワシの我執も相当だからな・・・w(自嘲))
長い戦いだった・・・w
931 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 20:18:29.25 ID:6BaAEeRc
>セブン氏
見事なまとめ多謝。
一言付け加えれば、
@生命論には、開祖も教典も存在しない。あるがままのすべての人間とその生存を
支えてくれている大自然とが、一大聖典である。
A宗教の起源は、(人間の生存努力の手段としての)アニムズムであることが、宗教学
の定説。
B生命論にとっては、既存の創造宗教は、原理的に理解不能、理解不要。狂人である
開祖のたわ言に過ぎない。その狂気が、信者に感染したもの(感応精神病)。
287 神も仏も名無しさん sage 2010/10/22(金) 13:39:44 ID:qlDDvGqh
>> 286
それも何度か言われてるよね。宗教相手にトラウマがあるんじゃないか?と・・。
それは、
「主張したいこと(テーマ)があって、その筋道・論立てがあって、
そこにどっしりと依拠して発言がされる、言葉が紡がれる」 のではなく、
その発言の多くが、
『(宗教的なるものの)否定が、まず意図としてあり、
その為の言葉が選ばれ、紡がれ、それを後支えする為に、
そこに後付としての主張(テーマ)や論立てが行われているかの如く見える』
所からも伺える。
そして、どっしりした太い幹としての主張の土台ではないので、
相手側の論立てや構造を、不可抗力の如く、否定に際して取り込んでしまう、
という図式が成立しているとも言えるか・・。
288 神も仏も名無しさん sage 2010/10/22(金) 13:53:17 ID:qlDDvGqh
つまり、
『否定の為の発言』でしかないということだ。
(自説の主張は、あくまでも《否定の正当化・裏付け》として利用されているだけであり、
なんら「理」(教理、理論、骨格)としての力を有してはいない。)
それは、『否定することでのみ、発言が(もっと言えばアイデンティティが)成立している』ということに他ならない。
だから、反論・論破されてはならない。
『「否定」こそが主軸であり、それこそが(それだけが)内容であるから』。
だから、『発言の内容としての「否定性」は、何が何でも護持され続けねばならない』。
(瑣末な部分では妥協したとしても・・。)
「否定」こそが核であり、言いたいことであるのだから、
それが取り下げられるということは(現時点では)あり得ない、というのが、実状なのだろうとは思う・・。
(だから糠釘だし、リフレインとなる。 「応答は(現時点では)無力」、という指摘も尤もなことではあるのだが・・。)
293 隠居生命教脳の解析wの成功w 2010/10/23(土) 18:23:40 ID:0D8dju/M
隠居の論法は冤罪事件の大阪地検の検事のストーリー作りに近いだわなw
結論が先で、
結論に基づくでっち上げの論法だからw
生命教の真理が先に結論が立てる。
証拠は唯一、「生命がないと全て無し」と言うだけで、
人間の精神とかの人間生活に重要な要素を無視して、
全て生命で解決すると言う乱暴な結論から始める訳だがw
934 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/23(土) 20:51:37.06 ID:I8vroRTw
>>932 >『否定の為の発言』でしかないということだ。
龍樹の破邪の法と似てますね。
もし一切有部が「去りつつあるものは去らず」と言っていたら
必ず言語論理学で否定していたでしょう。
「去りつつあるものは去らずにあらず」ってね。
>>926 順序が逆?
いや同じことを言ってるように見えますがどこが逆なんですか
まあそれはおいといて
「批判的」という言葉を使いながら
「否定的」に宗教を捉えるのみで
まるで「崇拝」ともいうべき精神医学至上主義から
宗教に対して邪なものというレッテルを貼り
罵倒を浴びせるあなたの姿勢はまるで「妄信的」であると思いますよ
つまり見苦しいんです
あ、ちなみに私も神の類は一切信じてないんで
「己への批判を崇拝対象への批判とすり替える自己欺瞞」
はしないように
936 :
神も仏も名無しさん:2011/04/23(土) 23:42:03.62 ID:hAALeXQz
>>935 >まるで「崇拝」ともいうべき精神医学至上主義から
あなたは、精神の病気については、精神医学を至上としないで、一体何を
至上とするのですかw。
>>936 「宗教=精神病」として定義して語るのは結構ですが
他人もその定義を前提して語っているとするなら大した思い込みですよ
そこも妄信的と言っていいでしょうね
ああ肝心の「私は何を至上とするのか」に答えてなかったですね
至上とする見地などありません
そも
>>917で述べているように
宗教という現象は社会心理の産物であったり
あなたの言う様に個人的な精神病であったり
政治の道具、美術の対象、文学、娯楽、伝統芸能であったりと
包括的な文化と呼ぶに相応しいほどの多面性を有しているので
一視点のみを絶対視するような姿勢はナンセンスであると言ってるわけです
「精神医学上では”病理”として定義されている」はなかなか面白い話になりえますが
「その病理以外の何物でもない」と豪語するのは狂信的だというのがわかりませんか
940 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 00:35:09.52 ID:/EI5N7Np
>>939 至上とするものがないのなら、宗教や開祖批判に対してそれほど激昂されるのは
不可解ですね。
史上の宗教戦争や現在の中東での殺し合いを目の当たりにしながら、正気の沙汰
ではないと思えないところに、既に狂気があるのでは。
>>940 宗教の開祖を精神の病気だと言いたいのか。
神主・僧侶・神父のほか神棚・仏壇を祀る人・神社参拝・お寺参りする人を精神の病気だと言いたいのか。
それと>939氏が激昂しているとは思えないが。
>>940 激昂してるように見えますかね。どのへんが?
私がどのレスにおいて宗教批判や開祖批判に対して何かを言及したんですか?
ヒューマニズムから宗教嫌いになったわけですか?
そして宗教と敵対するのが己の正義だと?
それを他人に押し付けるのが素晴らしいことだと?
いやはや根拠の無い言動ばかりで疑問符しか出てきませんね
ちなみに私が宗教をどのようなものとして関心の対象にしているかを述べておきますと、
「監獄」です。
これは人間にとって非常に有用なものだと思いませんか
943 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 01:07:24.00 ID:8E7oa/zE
>>941 最新の本格的な精神医学の教科書を数冊読み、開祖の言動と照らし合わせながら、
ご自分で判断してみてください。
最古の創唱宗教と言われるゾロアスター教の開祖も、大麻の常用者であったと
言われています。
信者は、開祖の精神病が感染した「犠牲者」に過ぎません。犠牲者には、罪は
ありません。
944 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 01:09:30.64 ID:MuQ13GcS
>>942 「監獄」とは、犯罪者を収容する施設ですね。「すべての人間は罪人」という
キリスト教の思想ですか。
>>944 お前は、どうしてもっと大局的に物事を見れないんだ?w
キ教限定でなく、【およそ『宗教的なるもの』が持つ影響力、効果】についての評だろw
そして、「監獄“的”」であるという意味だから、中の者を犯罪者と見做しているのではなく、
【その置かれる立場、状況が、あたかも監獄の中の如く相似している】ということだろ?
「犯罪者だから」「監獄」という喩えが出るわけではない。
こういう場面で、即座にキ教限定にシフトする、早合点する、思い込む、ところに貴方の病理があるんですよw
短絡的に、「犯罪者」という語に脊髄反射して944のようなレスを返すところに貴方の病理があるんですよw
何度も指摘して差し上げているようにw、「構図」を見る癖・習慣を付けた方がいいですよ。
>>934 例えばキリストは自分で何かを書き残してはおりません。
キリストについての証言を書き残したのはヨハネであったりパウロであったり何人かの人達です。
もしかしたら証言した彼らは精神の病気だと言いたいのですか。
精神の病気かも知れない彼らの証言をあなたは「信じる」から、あなたはあなたなりにキリストは精神の病気だと思うのですよ。
その同じ彼らは、キリストは死んでから三日目に復活した(生き返った)とも証言しています。
あなたは、精神の病気かも知れない彼らの、ある部分の証言を信じる一方である部分の証言は信じないことになりますよ。
それは支離滅裂というほかありません。
>>941 別に隠居を擁護するわけではないがw、
「そういう見方」が可能であることは留意していていいと思うぞ。
「泡だつ妄想共同体」(野田正彰/新潮社)とか読んだことある?
あ、新潮社じゃない、春秋社だw
>>944 キリスト教に関して言えば唯一神を一望監視塔とするパノプティコンだと見ています
「こちらからは見ることが出来ない」けれども
「あちらから常に己を監視し、規律に従わなければ処罰する主体」を設定することで
性悪説に基づく教育を行う機構です
これだけとれば利益のみを与えてくれる優秀な装置であるといえますが
教育が不要な収容者の自由を阻むこともあるという点で「監獄」なわけです
いずれにしろ教育の成功による利益が不成功による不利益に勝っている限りは
この装置は社会にとって有用であり人類の幸福に資すると思いますね
仏教に関しては、同様の機能を備えた宗派や組織形態も存在すれども
その根本内容が内観と論理的思考による死生観の追求、
そういったものだと捉えるので「科学以前の哲学」として評価できるものと考えております
>>947 可能性を否定するつもりは全くありません。
カルト宗教の教祖や狂信者。
伝統宗教でも狂信者となってゆく人もそれなりにいるでしょうね。
彼らには精神の病気の可能性が高いものと思います。
>>950 いや、そういう極端な例、或いは「信」の度合いの過多を言うのでなく、
そもそもの本質や出発点(或いは動機)自体に、そうした要素・側面が含まれる、という意味だよ。
そこに幅の広さはあったとしても、「程度の問題でしかない」という意味で・・。
ノシ
952 :
参:2011/04/24(日) 02:10:24.03 ID:TE6YqZpj
371 神も仏も名無しさん sage 2010/10/27(水) 23:08:26 ID:wym37YXJ
>> 330
> お話にならない。
いやいやいやいやいやw 「 > お話にならない 」のは貴方のこのレスでしょう?w
> 兎に角、釈迦の鬱病の症状である「苦」を健常者に植え付けて洗脳するという
> 悪質な宗教勧誘行為はお止めください。 >> 328-329(>> 294>> 295>> 296>> 297)
それから、「 > 健常者 」と言いますが、その線引きは、怪我をした時のように明確ではありません。
平熱に個人差があり、熱に浮かされる体温基準も様々です。
或いは、心の病的な部分は、顕著に症状がでない限り、その境界は曖昧です。
(貴方は、どこまでが健常で、どこからが異常かという線引きができますか?
その線引きは、数値化するが如く、一定のものですか? (違うでしょう?w))
それらよりも、更に個人差のある領域なのです。
「苦」の感じ方、その程度、痛み、重さ、耐え難さ、そして深刻さ・・。
この個人差の、どこに「健常」「異常」の線引きがし得ると言うのでしょう?
貴方の言辞は、いつもいつもステレオタイプで定型的で、
時に権威に寄りかかり、時に風説流説に流され、【現実に即していない】のです。
*(だから、独善妄想と言われるのです。
そして貴方こそが、過去の傷により、未だに病んでいるのではないか? と勘繰られるのです。)
深刻に受け止めている者には、その軽さを、
浮かれて気付いていない者には、その重さを、
それぞれ、慰撫し、示唆し、その因と縁への視線を促すなのです。
> キリスト教が「罪概念」を植え付けて洗脳しているのと全く同じ。
> 地獄に墜ちるに値する極めて悪質な布教手段です。
部外者なので踏み込んだ発言は控えますが、おそらく、同じ構図になると思いますよ。
どちらも、
≪(実存的に)自身の「生」(人生)を見つめ、その上での
自分の行為(想い、行動)の『自覚』こそが必須である≫という意味で・・。
ま、貴方には「同じ穴の狢」「同じ病理、同じ勧誘手段」としか見えないのでしょうけどね・・w
ちなみに、貴方に、「自身の想いや【行為】の自覚」はあるんでしょうかねぇ・・・。
953 :
参:2011/04/24(日) 02:12:43.60 ID:TE6YqZpj
608 蛇足1 sage 2010/11/02(火) 19:51:40 ID:iBZYKRBS
>> 371補足として。(〔 平均を外れるとはどこから? 〕)
*(数学・統計学には疎いので、間違っている部分が多いかもしれない。)
>> 379(>> 421)
> 「狂気」とは、共同体の成員の
> 平均的認識、思考、感情、行動からの著しい偏倚のことである。
「【著しい】差異」であるなら、よほど鈍感な者でない限り、気付くし、【異常】(常と異なる)だと認識するでしょう。
しかし、それを定量化できますか? 平均値よりどれほど差があれば異常なのですか?
いや、そもそも、【『平均値』自体に幅がある】ことを忘れてやしませんか?
身長を例にとりましょう。(エクセルで軽く計算してみた。数値は以下、
140、142、143、144、146、147、148、153、156、159、168、169、171、173、174、176、176、178、179、180)。
今、140cmから180cmまでの人間が20人いたとします。計算上の平均身長は161cmだったとします。
その近辺には168も居れば169も居れば171も居ます。159も居れば156も居れば153も居ます。
或いは逆に、【平均数値から大きく離れた者ばかり】になることもあるかもしれません。
どこまでが平均の幅ですか?
どこからを、180cmに近い「背の高い者」と称すのですか?
どこからを140cmに近い「背の低い者」と称すのですか?
棒グラフにしてみると、その困難さがよくわかるでしょう。
精神科の門を叩く者も、こうした幅の中に居る者です。
それぞれ、明確に病認定される場合も、軽度の○○とされる場合も、
相談だけで済んでしまう場合も、種々あるでしょう。
そこに、明快な境界はありません。
「誰もが、程度の差こそあれ病んでいる」とか「誰もが悩みを抱えている」とか
臭いことを言いたくはありませんがw、この境界上を無視しているのが、貴方の「(宗教)精神病論」なのです。
> 従って、平均的成員には、容易に判断可能。
お馬鹿さんですねw
大病かと思って診察受けたら、「風邪ですね」「疲労ですね」と言われることは、あり過ぎる事例なわけですw
また逆に、単なる風邪だと思ってたら肺炎だった、なんてこともあるわけです。
貴方が、いかにマニュアル的で、理論上だけの、機械的区分による思考をしているかの典型例です。
954 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 02:27:45.98 ID:tWzOra1I
>>946 「聖書上のイエス」を批判されると、今度は「聖書には書かれていない真実
のイエス」を持ち出したり、弟子に責任を押し付けたりして、イエスは絶対に
批判できない。それが、宗教の病理としての「個人崇拝」「偶像崇拝」なのです。
955 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 02:30:38.94 ID:tWzOra1I
>>954の続き
キリスト教の発生時、それがどれほどの超カルトであったかを、想像してみて
ください。世俗人であるピラトは、イエスを処刑するつもりは無かったが、
ユダヤ教徒たちの「殺せ、殺せ」の大合唱に押されてやむを得ず処刑したことは、
宗教と世俗との対照を際立たせるものとして興味深い出来事です。
宗教を精神病理と決め付けるのはどうかな
文明社会で失われた種としての本能のかわりに
社会を安定的に維持しようとして発生する現象だと思う
そりゃ白血球だって過剰に分泌されれば立派な病気だが
適切に機能すれば有効で有意義
精神医学の諸派も宗教みたいなもんだし
マルクス主義の宗教弾圧も宗教への嫉妬だね
>>954 そんなことを言っているのではありません。
あなた自身の論理に矛盾があると言っているだけです。
>>955 あなたは、その証言者(キリストの弟子)の証言を「信じている」のですね。
959 :
956:2011/04/24(日) 04:36:34.77 ID:IdP/RmxA
もしかして、宗教そのものが精神病理っていうんじゃなくて、
シャーマンや預言者のトランス状態のことを疾患の一種と考えるなら
わからなくもない。大脳生理学などでかなりのことが分かっているようだし。
でもそれだって社会に対する機能という点では、社会の自己回復機能の表れだろう。
支離滅裂なうわ言に対してすら、人はそれを神秘視し聖化し整理して解釈を加えて
道徳へと導いていくのだ。
医者の住みたがらない辺境でも金のかからない民間療法で回復する健康だってあるし、
蒙昧な迷信に見えても土地神を崇めることで守られる生態系だってある。
科学が宗教を駆逐できるというのなら、科学者がすべての人間の苦しみを完全に
解決できるようになりそれを自ら行動で示し続けてはじめて宗教を断罪できる説得力が持てるというものだ。
960 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 06:30:21.16 ID:ysd8SXCZ
宗教妄想
誇大妄想の延長上、またはひとつの症状として考えられる。統合失調症のひと
つの症状としても考えられているが、自分自身に何か超次元的で特別なパワー
があると信じたり、霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあ
らゆる病気を癒す力を授けられたなど、内容が極めて非日常的で壮大なもので
あり、訂正不能な強固な確信があることが特徴である。
961 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 06:40:05.07 ID:7GvEbdFR
>>960の続き
例えば自分はイエス・キリストの再来であるとか、釈迦の生まれ変わりである
とか、人類滅亡から世界を救うための救世主または預言者であるとか、現実世
界からは考え得ることのできない壮大なスケールによって描かれる妄想が大半
である。つまり自分自身を“神”であると信じてしまう症例である。
962 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 06:43:16.17 ID:7GvEbdFR
>>961の続き
人格崩壊まで至るケースは稀であるが憑依妄想を共に発症するケースが
ある。これが極端になると新興宗教の 教祖にまでなってしまうケースも
見受けられる。
963 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 07:17:27.90 ID:D7ZUZnxn
だーかーらー、この板には自分が神や仏になってる馬鹿教祖がたくさんいるんだよっ!
いや、神仏になってるならまだいいほうかもしんねーぞ。
すでにてめえは釈迦やキリストより偉くなってるって馬鹿も多いからなw。
964 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:12:32.29 ID:e4CgtKzZ
>>916 >「言った者勝ち」とは、まさに宗教の開祖のこと。
>「わたしは神の子」(イエス)
>「わたしは解脱した」(釈迦)
人類教となるような開祖の場合は、教えのみではなく「救い」がありましたことを
神懸かりと普通の統失との相違点として挙げます。
薄汚れたおっさんが「神」を説いても誰も相手にしませんから、感染など皆無です。
ただし、そのおっさんが重病人や気がふれた人達を現代医学のいかなる名医達よりも
短時間で大勢癒した場合は例外です。
真の預言者と偽の預言者とを見分ける場合にシンプルかつ有効な判別法です。
同様に薄汚れた坊さんが心で考えただけで、いきなり的確に回答したら、誰でも腰を
抜かして心服しますね。しかも、自分しか知らない苦しみの原因を現代のいかなる
精神科名医よりも瞬時に語り癒した場合は例外です。
「奇跡」は目的ではないですが、神仏から遣わされた開祖たちは、「人々を救った後に
教えを説かれていた」ということです。
論文を沢山書く人が偉大な科学者ではなく、宇宙法則(法、真理)を悟った人たちが
偉大な科学者であり、その法で人類に恩恵(救い)をもたらしてきたということです。
以上、預言者と統失者との見分け方です。>ご隠居と感染者一同
965 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:14:44.82 ID:e4CgtKzZ
>>916 >「わたしは最後の預言者」(ムハンマド)
>「わたしは釈迦の生まれ変わり」(大川)
信者の方は一度心の中で質問されたら如何でしょうか?
966 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:24:47.92 ID:e4CgtKzZ
>>964 >「奇跡」は目的ではないですが、神仏から遣わされた開祖たちは、「人々を救った後に
>教えを説かれていた」ということです。
イエスは著作を残しませんでしたし、四福音書も実際は誰が書いたかは分かりません。
しかしエイレナイオスは原始キリスト教時代の目撃した奇跡を彼の著作に残しており
ますので再掲します。
(聖エイレナイオスの証言)
師のポリュカルポスは夢の中で枕が燃え、「私は生きたまま焼かれる」と予言していたのでエイレナイオスは奇跡を否定しないし、彼自身啓示を受けていた。
「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語を語り、人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
「真の彼の弟子は、本当に悪霊を祓う、未来に起こることを予見する人々もいる。
幻視を見て予言を語るのだ。また、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体にする人もいる。
然り、さらにまた、既に述べたように死者さえ蘇った事例がある。」とエイレナイオスは語った。
出典:Irenaeus,Libros Quinque Adversus Haereses 5.6.1 (Cambridge,1851)
967 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 09:33:58.32 ID:e4CgtKzZ
>>966 >「私は教会の多くの兄弟姉妹が預言の能力を持ち、霊を通じてあらゆる国の言語
>を語り、人間の目から隠されている事柄を明らかにし、神の秘密を啓示するのを見ております。」
余談ですが、先週見ました映画「The Rite. エクソシスト」では、悪魔が同様の能力を
持っておりました。この映画は実話で、登場人物の二人のエクソシストも実在とのこと。
ただし悪魔が「悪霊を祓う、手をかざすことによって病を癒し、完全な健康体にする人もいる」
というのはないことは新約で(悪霊のボスと批判された)イエスが説かれてましたね。
また何伝の何章だったかは探しておきます。
968 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 11:01:25.11 ID:odM9LFWb
日本でも狐つきをはらう、なんてことをやってたが、そういう事実があるからといって
実際に人間に憑依する悪魔や霊がいることにはならない。
969 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 11:12:17.94 ID:odM9LFWb
>薄汚れたおっさんが「神」を説いても誰も相手にしませんから、感染など皆無です
大川みてみなw
口がうまけりゃ騙される馬鹿は後を絶たないw
970 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 11:51:14.19 ID:RMPH0/BQ
>>969 >大川みてみなw
>口がうまけりゃ騙される馬鹿は後を絶たないw
それは現代の日本が衣食住で豊かだからでしょう。
イエスや釈迦のいた当時の生活環境とは違うでしょう。
971 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 12:20:02.77 ID:YnGFdxkx
>>970 関係ない。まずしい国では騙されるバカはいないのか?
頭のおかしい詐欺師でも口がうまけりゃ、騙されるバカは後を絶たない。
972 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 12:24:08.09 ID:vsgTjeys
ご隠居説に似ていますね。
豊かではない、昔の時代には人間はピュアで
「真実」への理解力があった。
発想としてはそれほど珍しいものでは無いのでしょうが。
973 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 13:16:40.74 ID:RvYLXeuj
>>972 >豊かではない、昔の時代には人間はピュアで
>「真実」への理解力があった。
昔の時代には精神医学が存在しなかったので、基地外が「病気」であることが
判らなかっただけ。しかし、いつの時代でも、病気は病気である。
974 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/24(日) 13:53:18.14 ID:8iAye7pq
□命の木
聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり
―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―人のいない林は楽しい―
人の欲楽のためにあくせくする行為を自制し、森や林など大自然の安らぎの中で、世と自己との思い煩いのない世界を味わうことも宗教として行わねばならない。
人々が自然にパワースポットと感じられることもあるように、内的に人の要素を持つ者は、大自然の安らぎの中で、滅びない力を得ることができると。偶像礼拝的に何も
ものかを信じても御利益はないが、日々の暮らしの中で、そういったこともするから、命を得ることができる。
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは〜未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々のことば)
―イエスは聖霊に満ちて〜荒野を〜(ルカ)イエスは昼のあいだ宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)
975 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/24(日) 13:54:21.08 ID:8iAye7pq
■家畜(悪魔の子・地の奴隷)
肉の欲・目の欲・持ち物の誇り、人々の富への執着、人々の権威や栄華のためにあくせく仕え、金を得て、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを貪り喜んでいる人々は、地の奴
隷、神の左であると。
動物を人より劣りだと思うのではなく、人々の貪欲のためにあくせくする人々も、家畜なのである。
神の左であり、滅びの人々である。
976 :
思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/04/24(日) 14:12:20.44 ID:8iAye7pq
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである―(ローマ人)
―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)
全世界に公平・平等の存在で、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを自制して〔人の欲望を貪ることのできない人は、わたし(神)の兄弟〕、聖霊を喜び、大自然の
安らぎの中で楽しみ、滅びない命を得ることもするだろうか。
肉だけの人々はそれがなく、地のことにあくせくするだけであるが、内的に人の要素がある者は、それを行う。
>>943 そのまえに、精神医学とやらが、他の医学と違って嘘っぱちだ。
何人廃人にすれば気が済むのだい?
>>973 >しかし、いつの時代でも、病気は病気である。
アホやw
文化や時代が、それを「病気」と定義したに過ぎないw
時代や文化が違えば定義(の基準)も違う。
>>977 確かにw
「嘘っぱち」かどうかはともかくw、
その治療効果や治癒判断が、(経過観察を踏まえた)「蓋然性」や「見做し」に依っている、ということは留意されるべきだろう。
また、「どこをもって(何をもって)“治癒した”と判断するのか」が、恣意的領域を脱しきれない。
どれだけ多くの事例(臨床例)を重ねようとも、それぞれが個別の(唯一の)ケースであることを排除しきれない。
所謂「心の病」と言われる領域に於いての、肉体等の器質的疾患との決定的差異がそこにある。
979 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 15:21:44.23 ID:7zvNAkZy
>>978 病気とは、精神を含めた身体の特定の障害のことである。「定義」で病気に
なるのではない。
大昔の癌も現代の癌も、症状は同じ。
君は、精神病者と健常者との区別も付かないのか。聖書の時代でも、イエスを
身近によく知る家族や郷里の人々は、彼を基地外だとちゃんと判断しているぞ。
精神医学は、
一応、医学に分類されるが、唯一人を治せない医学であり、
その内容も如何わしいものが多い。
さすがに、ロボトミー手術はやめたらしいが、
電気ショックなんか、いまだに鬱病レベルで行われているポピュラーな治療法だ。
>>979 >>952-953、
>>978>所謂「心の病」と言われる領域に於いての、肉体等の器質的疾患との決定的差異
>>980が言うように、精神医学の領域は、
決定的治療法・対処法(≒不特定多数に最大公約数的に効果を見込めるものとして)を未だ見出し得ていない、模索中である、
という謙虚さを忘れない方がいい。
精神医学より、釈迦を実践したほうが治るな。
スレ最終局面で完全にスレ違いな流れとなりました。残念です。
「仏教とキリスト教はどう違うのか(スレタイトル)」であるにも関わらす、
宗教の功罪議論、宗教開祖の精神病認定議論になってしまいました。
仏教とキリスト教の違いについての意見・議論が見られないのが本当に残念です。
宗教の発生と展開のプロセスを汎精神病として捉えるのもその人の自由ですが、
それを主張する人の書き込みからは感情値の高さを窺い知る事が出来ます。
その人にとって「宗教汎精神病論」はイデオロギーとして固着しているものと推察するものです。
私はその人に対し「イデオロギー汎精神病論」が成り立つかどうかも考えて頂きたいと願うものです。
何れにせよ所謂スレチな横レスごり押しであることくらいは自覚して頂きたいものです。
984 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 16:48:45.68 ID:JhGQOmsz
985 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 16:57:27.43 ID:tn+St6cY
>>980 >仏教とキリスト教の違いについての意見・議論が見られないのが本当に残念です。
まあ、思慮さんが原始仏典と聖書との共通箇所を小まめに紹介して下さった
だけでも成果でしょう。
私も共通箇所を提示しましたが、それ以外は違い、オリジナリティでしょう。
仏教の五根の中にも信仰がありますし、イエスへの信仰と相通じますので、
ともに哲学ではなく宗教かと存じます。
仏教の五根の中にも実践がありますし、キリスト教の行いと相通じますが
そのウェイトはかなり異なるようです。
986 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:01:22.79 ID:JhGQOmsz
隠居が「いつもの話」をやって、それにツッコミが付随しただけ、とも言える。
スレ、話題ごとのネタを隠居が試案しない限り、どのスレでも起こり得る。
987 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:18:46.37 ID:JhGQOmsz
サロメもムハンマドをパラノイアって呼んでたなあ。
この話題は感情的になりやすい・
>>985 >哲学ではなく宗教かと存じます。
そもそも哲学と宗教を分けるのが西欧的、キリスト教的です。
仏教では哲学を進めて行くと宗教体験が得られ、サトリに通じて行きます。
それを明らかにしたのが龍樹(ナーガールジュナ)です。
大乗仏教哲学というのは龍樹から始まります。
989 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 17:58:32.98 ID:O/JM75Ny
>>983 >それを主張する人の書き込みからは感情値の高さを窺い知る事が出来ます。
感情値の高いのは、宗教信者のほう。自分の親でもない赤の他人の、しかも実
在の程も定かでない「教典上の開祖」を批判されると、感情的な罵詈雑言だけ
しか返せない。
990 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 18:02:00.27 ID:O/JM75Ny
>>989続き
仏教もキリスト教も「精神的な営み」なのだから、その相違を知るには、心理学的、
精神医学的アプローチは不可欠ではありませんか。さらに進んで、開祖の症状
を精神医学的に区別すれば、両者の相違が浮かび上がる。「現実から遊離した
観念の遊戯」の応酬で、一体何が決着するというのですか。
精神医学は非科学だよ。
何一つ確実なものが無い。
>>991 >精神医学は非科学だよ。
同意。
大脳生理学が飛躍的に進歩しない限り、精神医学は医学の名に値しない!
一蹴するつもりは無いがw、概ね同意。
>>991-992 乱暴な言い方をすれば、
(現時点では)「血液型占い」と同質、相似形であることを謙虚に受け止めるべきだ。
∴
精神非科学的アプローチなど、ありえない。
先人達に失礼だよ。
995 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 19:31:44.54 ID:4np1Ljze
>>988 >大乗仏教哲学というのは龍樹から始まります。
多分、原初の釈迦の教えを変更した最大の縁は龍樹ですね。
因果の法から時間と運動を削除して縁起の法=空の哲学が
始まりました。
中論の八不の証明は「机上空論」、「机上=言語論理世界で」
「空論=空を証明した」と認識しております。
尚、私の所属グループの見解でなく、中村元先生と石飛先生の
龍樹解説本を読んだ後のあくまで私見ですけどね。
大体電子回路ならば縁から起までの刹那もあり得ますが、生物の
命を支える化学反応には因から果までの時間を要し、中卒以上
ならば自明かと存じます。
有機化学反応が刹那だと信じる限り、龍樹のマインドコントロール
からは解脱できないでしょう。
>>995 >私の所属グループの見解でなく、・・・
一体、何のグループなのでしょうか?
幼稚な頭で龍樹の哲学が解ったつもりになるなど、盲人が象のしっぽの毛に触って、
その毛が象だと思うようなものです。
997 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:46:26.25 ID:vsgTjeys
一在家氏による竜樹思想の捉え方はご隠居に近い・・・
でも評価は逆。
998 :
前世は一在家 ◆2o6x38TRbE :2011/04/24(日) 19:48:32.82 ID:4np1Ljze
>>996 >幼稚な頭で龍樹の哲学が解ったつもりになるなど、盲人が象のしっぽの毛に触って、
>その毛が象だと思うようなものです。
大乗の開祖、稀有の天才哲学者の「龍樹」。。。
裸の王様の寓話を連想します。大人たちはマイコンされ、子供が解きました。
999 :
神も仏も名無しさん:2011/04/24(日) 19:50:41.97 ID:vsgTjeys
>>996 真光か、サイ科学会か、古神道系のどこかですかね。
龍樹の哲学は道元禅師の 「正法眼蔵」 の哲学と同じであることが解らないようなら、
龍樹について物を言わない方がよいでしょう。馬鹿者であることがバレるだけです。
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