【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】9

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1神も仏も名無しさん
---論題---
 無霊魂論としての仏教
   http://www.nagoya30.net/temple/kyosin/sin-iti/lekcio/seminar2.pdf

前シリーズ、【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】に続き、
今回は、無我の問題について議論します。
仏教は無我を説くことでバラモン教との違いを明確化したといわれています。
しかし、仏陀は本当に「アートマンは無い」と説いたのでしょうか?
「それら(五蘊)はアートマンではない」(非我)としか説いていない、とも云われており、
中には、「仏陀はアートマンを説いていた」という意見も・・。
再び、当スレではこの仏教の根底を覆しかねない大問題について討論します。

*仏陀の教説として最も信頼性が高いとされる原始仏典からの引用と解説は特に歓迎します。
(投稿「750-800」を目安に善意の方どなたか次スレを立てて下さいm(__)m)

前スレ 【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1246545905/

 **全過去スレ/リンク集 http://houjugusya.web.fc2.com/link.html
 「2ch DAT落ちスレミラー変換機」 http://www.geocities.jp/mirrorhenkan/

まとめwiki.   .: ttp://www28.atwiki.jp/buddha/
パーリ三蔵.  .: ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
大正蔵経DB .: ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/
2神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 01:03:17 ID:K/hYm6+6
隠居は前スレ>>997から逃げないように。
3神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 01:11:15 ID:niWB0TYD

前スレ>>999 隠居へのレス

利己心に基づいて、人のものを盗む。人を傷つける。人を殺す。
これらは全て悪だ。おまえよ、いちいちなにが悪いことで、なにが善いことかも
他人様から教えてもらわないとわからないわけ?

>悪質宗教は、輪廻転生で信者を脅かして、信者の精神を狂わせ、また、財産を
>騙し取っている。

因果応報を正しく理解すいれば、利己心から、信者を脅かして精神を狂わせ、財産を
巻き上げている宗教者は、その報いを受けることになる。因果応報を正しく理解すれば
このような宗教者は出てこないし、騙される信者もいない。因果応報という真理が悪いのではなく、
それを正しく理解しない無知と、それを悪用する悪人が悪いのだよ。因果応報を正しく
理解されたのなら、世の中はもっと住みよい、いい社会になる。それともなにか?包丁を凶器に
殺人が行われたら、君は包丁そのものが悪い。包丁を世の中から抹殺せよとでもいうのかね。
4神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 01:15:53 ID:niWB0TYD
現に、己のエゴを満足させtるため、信者から財産を巻き上げ、信者や他人を殺した
オウムの麻原は、見事因果応報によりその報いを受けているわけだが。隠居よ、因果応報による
裁きのどこが悪いのかね。おまえも、やましいことをしているなら、おそかれ早かれ、
いずれその報いは受けることになる。
5神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 01:29:51 ID:niWB0TYD

前スレより隠居の存在論への矛盾の指摘及び反論。

あらら、この人ぜんぜんわかっていないや。あんたの理屈は、
神という存在を認めないと成り立たないわけ。
まぁいい。で、あんたの話だと、宇宙は、宇宙を認識できる生命がいて初めて存在できるそうだが、
その初めの生命って、なによ?あんたの理屈だと、
この世界を認識できる生命体じゃなきゃいけないわけだが、あんたの理屈でいうと、
宇宙誕生と同時に、目、耳、鼻、識の備わった高等生物も誕生したことになる。
これじゃ、生命誕生の原因と結果の因果率はもちろんのこと、
進化論をも否定するものだ。あなたは、現代科学を否定するのですね?

隠居は、これからも自説をここで述べたいと思うのなら、これらの反論から逃げないで答えるよう。
もちろん答えても、論破されたままなら、隠居はここで能書きを垂れるべきではない。
6神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 01:31:17 ID:wRjJFuMe
>>スレ7の975
> 他人の命を奪う権利は何者にも与えられていない。

宝珠愚者は輪廻を認めているんだろう?
じゃあ動物を殺す権利も何者にも与えられていないってことでいいのか?
7神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 01:52:23 ID:1Ls+nG3e
>>4
>オウムの麻原は、見事因果応報によりその報いを受けているわけだが。

麻原が罰せられるのは、人間共同体秩序維持のための、人間の行為。佛教の
因果応報とは無関係。麻原が捕まらなければ、罰せられることはない。「悪い
奴ほど、よく眠る」という言葉もある。

数千光年前の星の存在も、その光が知覚されることによる。知覚されるまでは、
星の存在は「証明」されない。

そんなことよりも、君の日常生活で、物の「実在」「非実在」をどうやって
判断しているかという、身近な経験から帰納したほうが、手っ取り早い。

人類は、その発生以来、五感の知覚により物の「実在」「非実在」を判断して、
生存を続けてきたのではないのかね。知覚できる足元の地面が実在しなければ、
一瞬にして奈落の底だ。

五感の知覚により実在、非実在を判断しなければ、部屋の中で身動きもできない。
目に見える床が実在せず、目に見えない壁があるかも知れないからだ。勿論、
危なくて、道路も歩けない。電車は止まるし、飛行機は落ちる。五感の知覚に
よる実在・非実在の判断がなければ、人間社会は瞬時に崩壊する。
8神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 02:01:36 ID:niWB0TYD
>>7
おまえは因果応報を全く理解していない。
因果応報とはなにも超自然的なものが行うものではなく、あくまで
人間社会の現実として現れるものだ。それはキリスト教のいう裁きも同じこと。
パウロはこの世の権力者に逆らうなという話で、そのことを語っている。

>数千光年前の星の存在も、その光が知覚されることによる。知覚されるまでは、
>星の存在は「証明」されない。

は?お前のその能書きは、おまえの実在論に対する反論への反論になっていないんだが。
おまえ、国語力ないの?
9神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 07:58:52 ID:5rrtVOe7
>>7
>数千光年前の星の存在も、その光が知覚されることによる。知覚されるまでは、星の存在は「証明」されない。

だからさ、いま「知覚」された分析されたことで、人間がいない時にもその光は進んでいた
ことがわかってるんだろ。「証明」を行えるような連中がいなかっただけで、
その当時にも地球や宇宙が存在はしていた、と今の人間が「証明」しているわけだ。

隠居は、見る側の意識の問題としての「在る無し」と、実際の「在る無し」を混同しているだけだ。
見る側にとって「無いも同然」である事、それ自体によって物が存在しない、という結果は生まれはしない。
「証明」出来るかどうか、と物が存在するかしないかとの間には何の因果関係も無い。
10神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 09:48:16 ID:3eDGycF5
これが悟りの基本だろう

<存在の大別> ・・・ 簡単な存在論
 生物 ・・・ 物質 + 生命 → 生命活動 > 精神活動 > 識
無生物 ・・・ 物質 → 実体がある OR 実体がない ・・・ 審議中
 
<精神活動> ・・・ 簡単な認識論
現実       ← 認識 ・・・ 判断のない識 ・・・ 直接知覚
 生物・無生物
           判断 ・・・ 判断された識 
          判断基準 ・・・ 苦楽・善悪・愛憎など ← 縁起
11神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 09:52:10 ID:3eDGycF5
参考・・・他スレからコピペしておく。

釈尊は、生きることは苦であり、苦の原因は欲望であると悟った。
苦から逃避する方法も数々提案した。

1、欲望を掻き立てる世俗から離れ、無為に暮らすやり方
2、すべては実体のない幻だからどうでもいいわ、と納得するやり方
3、何かをひたすら唱えラリってしまうやり方
4、この世の苦を我慢しておけば来世でシアワセになれるという妄想に浸るやり方
5、わざと余計な苦痛を自分に与え、もともとの苦を忘れるやり方
6、現在のことをひたすら実況中継して苦を考えないようにするやり方

今2と6が流行している。
12神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 10:00:57 ID:3eDGycF5
647 :神も仏も名無しさん:2009/07/15(水) 14:43:15 ID:I/Mq0bIG
  <認識能力の考察>
 
1 認識能力は五層になっている。
  五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)、意識、マナ識、アラヤ識、根本識
  意識、マナ識、アラヤ識、根本識のそれぞれに五識(眼識など)が備わっている。
 
2 認識能力には方向性がある。
  対象 ←見る・聞くなど←意識←マナ識←アラヤ識←根本識(アートマン)
 
3 マナ識、アラヤ識に眼識などがあるので、
  可能性は少ないけど、根本識(アートマン)見る可能性がある。
  これが明星の悟りと言われているものである。 
13神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 10:04:40 ID:3eDGycF5
ゼロ次元(黒)→二次元・言葉(黒・白)→三次元・空間(天然色)→四次元・時間(透明)
 
こうやって並べれば、言葉の役割や限界が見えてくるし、相関関係と因果関係の位置づけも
 
できるかもしれない。意外にも、相関関係のほうが因果関係よりも格下になっている。
14神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 10:19:19 ID:3eDGycF5
>>1 スレ立て乙
 
22日に皆既日食があるという。
欠けた部分は、認識できず、もはや宇宙に存在しない(~~)
15神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 10:50:11 ID:PdtqpbX6
>>7
>人類は、その発生以来、五感の知覚により物の「実在」「非実在」を判断して、
>生存を続けてきたのではないのかね。
五感による知覚すなわち現量だけでは実在・非実在を判断できないし、そのように
して生存することは少なくとも中枢神経系として脳を持つ動物ではありえないね。
脳の記憶をもとにした推測による判断すなわち比量は生存に必須だろ。
犬やイルカでさえ条件付けによる学習はできる。
16宝珠愚者:2009/07/19(日) 11:06:48 ID:jqA+2+Qn
スレ建てご苦労様でしたヽ(´ー`)ノ
-------------------------------------
>>10-14
あなたは“基本部分においては”私の主張の賛同者ですか?

>22日に皆既日食があるという。

22日朝(10時56分)、鹿児島県のトカラ列島などで皆既日食。
その他、全国各地でも部分日食が見られるとのこと。
日本国内から見られる皆既日食が起こるのは46年ぶりだそうです。
自然の営みを体感できることは素晴らしいことです。
ただし、食通過ラインの直下(及び食分0.6以内も危険)はこの1週間程度、
巨大地震に注意が必要でしょうね-余談:参考まで

http://homepage2.nifty.com/turupura/nissyoku/2009tokara/zentaizu.html
(日食全体図/提供:NASA)


>>6
人は肉体を維持しなければ生存ができません。
食する行為は肉体維持という人間として最小限の必要止む無き行為(カルマ)です。
従って、必要分の食料としては認められます。
それ以外の動物殺害及び虐待などは以ての外でしょう。
また、更に進んで動物肉の摂取を辞めるという菜食の道(理想的)もあります。
ただし、これは選択の過程であり、一般人に強要されるようなものではありません。

また誰かに出されそうだから、先にこちらからいっておきます。
神智学上、転生は進化の法則故、
人間が動物(人間より下位の生命体)へと転生することは在り得ません。
そのような“迷信”は拝しない(神智学は迷信を排除します)
仏教の伝統信奉原理主義者は勝手に“祖先が転生した動物肉”でも食べてなさい。
17宝珠愚者:2009/07/19(日) 11:12:23 ID:jqA+2+Qn
>>7
>麻原が罰せられるのは、人間共同体秩序維持のための、人間の行為。佛教の
>因果応報とは無関係。麻原が捕まらなければ、罰せられることはない。「悪い
>奴ほど、よく眠る」という言葉もある。

それは別にいいとしましょう!
たまたま捕まらなくても、次の生では果報を受ける境涯に生れ落ちる。
例えば〜来世では防ぎきれない他殺などの目に遭うことでしょう。
それが因果応報というものです。

>五感の知覚により実在、非実在を判断しなければ、部屋の中で身動きもできない。
>目に見える床が実在せず、目に見えない壁があるかも知れないからだ。勿論、
>危なくて、道路も歩けない。電車は止まるし、飛行機は落ちる。五感の知覚に
>よる実在・非実在の判断がなければ、人間社会は瞬時に崩壊する。

もう子供じゃないんだから、いい加減に理解すべきです。
それらはいいのですよ別に。誰もそんなことを否定などしていない(よね?)。
話は存在についての認識論(価値観)ということであり、
それらは仏教では無常/空、ヒンドゥーではマーヤーと呼ばれているということ。
もちろん、人間の生存も仏道修行も同様であり、
五感の知覚を使いながら進むのです。当たり前のことです。

五感の知覚に左右されない無執着な意識状態になるよう訓練するということ。
その意識の制御が修行なのです。しかし、五感の知覚に囚われて生きてしまう
のが凡夫であり、そこから苦悩が生じると説く。
18宝珠愚者:2009/07/19(日) 11:16:10 ID:jqA+2+Qn
>>スレ8/984
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/984
素晴らしい解説に感謝です(アンカー直して再掲!)

>>スレ8/942、917
>中村訳:自己こそ自分の主である  片山訳:自己こそ自己の寄る辺なり
>原文は attA hi attano nAtho ですが、「主、寄る辺」に当る原語 nAtho は、男性/単数/主格です。
>もし中性/単数/主格なら nAthaM となるはずです。
>
>ところでモニエルによれば nAtha の意味は、中性形が n. refuge(避難,避難所,保護)
> , help
>男性形は m. a protector , patron , possessor , owner , lord ですから、
>片山訳の「寄る辺」は中性形の refuge の意味に近いかも知れません。
>
>それはわきに置いといて、本題の>>スレ8/923に移ります。
>>自己こそ自己の主(あるじ )>>スレ8/915
>>自己こそ自己の寄る辺なり>>スレ8/917
>>が、真我を意味している可能性は大いにあるでしょう。
>
>>>スレ8/915の訳文から分かるように、
>//自己が自分の主である。
>//他人は自分の主でない。
>「自己」(attan)を「他人」(para)と対比させています。
>
>>>スレ8/314の「原始仏教聖典におけるattanとbrahman」で引用されている経典の、
> 自分(attan)を苦しめず、自分を苦しめる実践に耽らず、
> 他人を苦しめず、他人を苦しめる実践に耽らない人 (MN I, pp.348-349)
>でも、自分(attan)を他人(para)と対比させて説いています。「他人」(para)と対比される
>この「自分」(attan)とは、やはり、五蘊仮和合の我のことではないでしょうか。
19宝珠愚者:2009/07/19(日) 11:18:11 ID:jqA+2+Qn
しかしながら、
//自己が自分の主である。
//他人は自分の主でない。
での「自分」が、“五蘊仮和合の我のこと”であるのは、
この文意からみて当然のことです。

そうではなく、「自己が自分の主である」での「自己」、及び
この二文の「主」の部分が何か?ということなのです。
でなければ、「五蘊仮和合の我」が「五蘊仮和合の我」の主である、
という意味のない文になるでしょう。これでは通らない。
当然ここは、五蘊仮和合の我ではない“別の自己存在”を示していることは明らかです。

是非、わかる方に回答を希望します!
20神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 11:41:08 ID:CAEq5c5A
「五蘊仮和合の我」が「五蘊仮和合の我」の主である
「五蘊仮和合の他」が「五蘊仮和合の我」の主であってはならない
21宝珠愚者:2009/07/19(日) 12:12:41 ID:jqA+2+Qn
ご隠居の不可解な主張!
------------------------------
彼によれば、
人類科学が捉えた6000年前の宇宙の彼方からの光を、
それは科学技術で捉えられて認知された瞬間に初めて生じたなどいう、
量子論の不確定性原理を持ち出しているものと思われる。

これは一見すると、唯心論哲学に傾倒しているかにみえるのに、
“超自然”(神や超常現象といった現代科学が認めていないものごと)
といわれる全てを否定する唯物論を主張する。

当スレのアートマン議論においては、
自分、独りだけでアートマンは「息」(つまりは肉体生命)のことだとして当然、
それは“在る”ものだと一辺倒を強弁。
“現象界を超絶した我”の摂取という議論から完全にハミ出して邪魔をする。

ゴータマの説く業報輪廻を否定しておきながら、都合良い部分だけに固執する。
22神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 12:14:24 ID:PdtqpbX6
>>19
>そうではなく、「自己が自分の主である」での「自己」、及び
>この二文の「主」の部分が何か?ということなのです。
「主」は自身のことでしょう。だから自己自身ということでしょ。
中村訳のほうが
>>男性形は m. a protector , patron , possessor , owner , lord ですから、
に忠実に訳してるだけとおもう。
いずれの訳も自己、自分、主(自身)はすべて五蘊仮和合の「自己」で
十分意味が通る。ここにアートマンの出番は無い。
23宝珠愚者:2009/07/19(日) 12:30:24 ID:jqA+2+Qn
>>20
また、そういう屁理屈をいう・・。
それで経文とはまったく違う文意でしょう。

「五蘊仮和合の我」は真実の自己ではないから、
それらへの囚われから離れなさいと仏典はいっているのです。
そのことから、「主、寄る辺」とは「五蘊仮和合の我」とは他の、
別のものであることは当たり前でしょう。

これも同様です。
 『悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真実であ
るか虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に尊いアートマン
を汝は軽視している。---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠そうとする汝は---。』

(アグッタラニカーヤT,p.149G.)

「尊いアートマン」(尊い自己)です。
悪がある自己とは明らかに“別の自己”のことです。

そんなにアレルギー反応が出るなら好きにすればいいのです。
こんな主張は仏教の伝統原理主義者だけです。他には誰も相手しない。
まっ、あなた方自身は他思想は全て外道扱いしかしないでしょうから
別に気にもしないでしょうが・・。
24宝珠愚者:2009/07/19(日) 12:38:08 ID:jqA+2+Qn
>>22
>いずれの訳も自己、自分、主(自身)はすべて五蘊仮和合の「自己」で
>十分意味が通る。ここにアートマンの出番は無い。

 『自己こそ自己の主(あるじ )である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。』(Dhp.160)

での「主」は当然、従うべき存在として述べています。
だから、「主」というのですよ。仏典の主張はあくまでも、
「五蘊仮和合の自己」とは捨て去られるべき存在として説かれています。
25神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 12:40:17 ID:yKKkFeNP
>>15
>脳の記憶をもとにした推測による判断すなわち比量は生存に必須だろ

五感の知覚は記憶できる。その「脳の記憶」の基礎となるのも、五感の
知覚である。どんなに偉い宗教者でも、飯を食うとき、この目に見える
飯は、果たして実在するか、などと考えて食う者はいないw。

精神(感情と理性、魂)は、人間の生物的生命を維持するためにある。
生命がなければ、宗教を初めとする人間の如何なる営みも不可能である。
26神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 12:46:45 ID:CAEq5c5A
色が我であると言うのでもなく、
受や想や行や識を指して、それが我であると言うのでもない。
あるいはまた、それらを離れて別に我があると言うのでもない。
27神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 12:47:08 ID:yKKkFeNP
>>17
>たまたま捕まらなくても、次の生では果報を受ける境涯に生れ落ちる。
>例えば〜来世では防ぎきれない他殺などの目に遭うことでしょう。
>それが因果応報というものです。

そんなことは、一切証明されていない、また証明不可能な「妄想」に過ぎない。

子供どころか、幼児以下なのは、君の方だろう。

君のいうとおりなら、人間界の法律など一切不要ということになるね。
28神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:02:19 ID:CAEq5c5A
>>27
現世の法律、来世の境涯すべて、業がつくりだす幻です。
29神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:08:00 ID:yKKkFeNP
>>21
>当スレのアートマン議論においては、
>自分、独りだけでアートマンは「息」(つまりは肉体生命)のことだとして当然、
>それは“在る”ものだと一辺倒を強弁。
>“現象界を超絶した我”の摂取という議論から完全にハミ出して邪魔をする。

アートマンとは何かの定義も出来ずにアートマンを論じ、「現象界の我」が
「現象界を超絶した我」など論じることの「滑稽さ」を自覚すること。
30神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:10:49 ID:CAEq5c5A
人間は熱していない火箸を触っても想像で火傷してしまう
ttp://yabou.web.infoseek.co.jp/diary/hanpera/baki-2.htm
31神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:19:02 ID:yKKkFeNP
>>30
想像で一万円札が現われてくれれば、誰も生活の苦労はしないし、働く
必要もない。

実在とは、現実界に作用を及ぼすものをいう。目に見えない、即ち非実在
の神にいくら祈っても、全世界の宗教者が同時に祈っても、路上の石こ
ろを1ミリたりとも動かすことはできない。しかし、人間が指先でちょっと
押せば、簡単に動く。これは何故か。
32神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:22:04 ID:CAEq5c5A
互いに同じ作用現象を見ているのは、互いが同じ想像をしているからである
これを共業という
33宝珠愚者:2009/07/19(日) 13:22:19 ID:jqA+2+Qn
>>26
>あるいはまた、それらを離れて別に我があると言うのでもない。

確かに、
そういう表現も仏典にはあるということは分りました。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1247232994/920
(スレ8/703、920)

 問題はそこですね。経が編纂された時点ですで誤っていたのか、或いは後代の
改変か・・。もしくは、ゴータマの説法ぶりからは、本当にとそう説いた可能性も高い

かもしれない・・・。その場合、ゴータマの真意は何だったのか?ということ。

 「自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」>>24は、これを私流に意訳すると、
「低我(表層意識と肉体及び各諸体)を制御したならば、得難き真我(真実の自己意
識=モナド/バラモンの説くアートマンである必要はない)に意識が以降する。」となる。
34神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:28:49 ID:CAEq5c5A
出典を探してから出直してきなさい
35神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:30:13 ID:yKKkFeNP
>>32
想像(空想)と現実との区別をつける訓練から始めること。目に見えない
(即ち空想上の)飯を食っても、生命の維持はできない。生命がなければ、
空想も不可能。
36神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:33:31 ID:CAEq5c5A
>(即ち空想上の)飯を食っても、生命の維持はできない。
これはあなたの想像が足りないからです。
共業を捨てるのです。古いあなたが死んだ後、天に生まれることが可能です。
私はしませんが。
37神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:36:27 ID:yKKkFeNP
>>36
君がまず死んでから、そのことを証明してくれ。やはり恐くて出来ない
のだろw。
38神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:39:11 ID:CAEq5c5A
私はみなを救うために人間の共業を維持しているのです。
あなたは疑っているのですか?
因果を撥無すれば地獄にいきますよ
39宝珠愚者:2009/07/19(日) 13:41:20 ID:jqA+2+Qn
>>33
訂正
 ×「意識が以降する」
 ○「意識が移行する」

>>28
>業がつくりだす幻です。

それは勝義です。
五蘊に意識の焦点がある我々には、それで済むような問題ではありません。
「幻」といういい方は誤解を招き反発されるから、辞めたほうがいいと思います。

*ところで最近、頻発しているこの「幻」という言葉は、
経の訳語として使われているのですか?或いは解説文として??
40宝珠愚者:2009/07/19(日) 13:43:44 ID:jqA+2+Qn
>>27
それをゴータマが証明してみせたのです!

>君のいうとおりなら、人間界の法律など一切不要ということになるね。

そうはいってない。
自分たちがより良く生きるためのマナーやルール化ということであり、
罰則規定も効果がある見なされれば用いられるでしょう。
ただし、行き過ぎ(死刑)は論外です。

法律による裁きは果報の裁量にも加減を与えるでしょう。
つまり、今生での法律上の厳罰を受けた者は、
来世での果報は軽減されるでしょうね。

>>29
皆んな、同じアートマンについて議論してますよ。
超絶的な存在としてのアートマンです。
宗教思想上、この同じお餅を論じてるのです。

違う絵に描いた餅を食べようとして頑張ってるのは、あなただけですよ。
肉体生命がないなどという話は誰もしていません。当たり前のことですから。
しかし、その生命というのも、アートマンが肉体に宿って初めて生存できる
というのが基本的な霊魂観というものなのです。
もちろん、あなたが「そんなものはない」というならば、それが議論に沿う形となります。
41神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:44:24 ID:yKKkFeNP
>>38
地獄で「脅迫」する者が、真っ先に地獄に行くのは確かだねw。脅迫は
悪業の最たるものだからだ。

ここで「来世」だの「天国・地獄」だの妄想垂れてる人間は、まず自分が
死んでみて、来世や天国・地獄の様子を見てきてから報告してくれ。
何故、すぐにでも自殺しないのか。信じていない明らかな証拠ではないか。
42神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:48:36 ID:CAEq5c5A
脅迫してませんよ。あなたを思って忠告です。
愛です。

>自殺
自分を殺すことも殺生罪に入るのですよ
また、報告はしてるじゃないですか。今
過去世に何度もあなたみたいな人にそう言われ
証明してきましたが、そのたびに同じ事を言われるだけです。ふぅ
43神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:50:03 ID:PdtqpbX6
>>24
>「五蘊仮和合の自己」とは捨て去られるべき存在として説かれています。
五蘊仮和合の自己は捨てるだけなら自殺しろという勧めになるでしょ。
仏教はそんなことはいってない。自己をよく調えよというのだから
捨てる自己の部分もあれは捨てないで伸ばすべき自己の部分もあるという
ことだね。仏教では自己はひとつの主体であるなんていってないのだからね。
あくまでも五蘊の寄り集まったものが自己だね。
44神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 13:58:13 ID:yKKkFeNP
>>40
アートマンを思考し、論じているのも、生命の機能。生命がなければ、思考も
議論も不可能。生命とそれが宿る肉体は、すべてに優先する。君は基本的順序
を間違えている。それを倒錯と呼ぶ。

なお、他者の唯一の生命を理由なく奪った者は、己の生命を以って償う。これ
は、殺人者を人間として遇し、尊重していることであることに、思い至って欲しい。
45神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:01:51 ID:yKKkFeNP
>>42
>また、報告はしてるじゃないですか。

自分も見たこともないことを報告するのは「虚言」であり、それこそ
地獄直行の罪だよw。
46神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:03:15 ID:CAEq5c5A
生命など存在しない。
筋肉が痙攣しているだけだ
47神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:06:43 ID:CAEq5c5A
>>45
真実を知らないものに虚言は論じられない
48神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:08:28 ID:yKKkFeNP
>>42
>自分を殺すことも殺生罪に入るのですよ

来世や天国があるなどという者は、他者に自殺を勧めていることになるぞ。
これは、自殺教唆、自殺幇助という「犯罪」である。
自爆テロリストたちは、来世や天国の実在を「信じ込まされた」が故に、
自他の生命を奪い続けている。彼らの来世は、一体どうなると思うかね。
それを「信じ込ませた」者の来世はどうなる?答えてくれ。
49神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:09:44 ID:PdtqpbX6
>>25
>五感の知覚は記憶できる
そうだね。
その記憶をするのが心の作用であり、記憶されたものが意識だね。
だから、意識が無ければ生存できない。
50:2009/07/19(日) 14:11:29 ID:v2augHv0
オーラの泉みたいな話?
51神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:12:22 ID:CAEq5c5A
真実を知らない者が信を論じることはできないでしょう
52神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:15:25 ID:PdtqpbX6
>>48
>来世や天国があるなどという者は、他者に自殺を勧めていることになるぞ。
>これは、自殺教唆、自殺幇助という「犯罪」である。
まったく同感であり同意する。
特に権威付けて命令するなんてもってのほかだね。
53神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:15:27 ID:Y2TDpbta
>>22
>中村訳のほうが
>>>男性形は m. a protector , patron , possessor , owner , lord ですから、
>に忠実に訳してるだけとおもう。

片山先生はアッタカターに忠実で信用できる。
アッタカター:nāthoti patiṭṭhā「ナータ」とは拠り所

因みにPTS Dic:
Nātha [Ved. nātha, nāth, to which Goth. nipan (to support), Ohg. gināda (grace)]
protector, refuge, help A v.23, 89; Dh 160 (attā hi attano n.), 380; Sn 1131 (Nd2 has nāga);
DhA iv.117; PvA 1. lokanātha Saviour of the world (Ep. of the Buddha) Sn 995; PvA 42.
-- anātha helpless, unprotected, poor J i.6 (nāthânāthā rich & poor);
PvA 3 (˚sālā poor house) 65. Cp. nādhati.

なぜ、モニアーなのか理解に苦しむ。
54神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:18:18 ID:wRjJFuMe
>>24
>  『自己こそ自己の主(あるじ )である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
> 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。』(Dhp.160)
> での「主」は当然、従うべき存在として述べています。
> だから、「主」というのですよ。仏典の主張はあくまでも、
> 「五蘊仮和合の自己」とは捨て去られるべき存在として説かれています。

捨て去るべきと書かれていますか? 私の読んだところでは「整えられるべき存在」として説かれています。
捨てるか整えるかは大分違います。

誰かが既に指摘してくれていますが、すでに完璧なものであれば整える必要もありません。
完璧ではないものを整えて「それを用いる」のです。

完璧なものとそうでないものが別々にある、というような考え方、
真我と低我がそれぞれに存在している、というような考え方は、ここには見てとることができません。
むしろただ未熟な心があり、それを整えて清浄な心にしていく、という考え方が見てとることができます。


>>33
>  >>24は、これを私流に意訳すると、

主観でねじ曲げた解釈をオウムのように繰り返しても無意味だと思います。

> 皆んな、同じアートマンについて議論してますよ。

ではその定義をどうぞ。過去スレを見る限り宝珠愚者自身のアートマン解釈も
一定しているようには見えませんので。
55神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:19:54 ID:CAEq5c5A
>>52
もちろん、何か権威付けを使って他人をだますことはいけませんね
56神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:22:56 ID:wRjJFuMe
>>16
> 食する行為は肉体維持という人間として最小限の必要止む無き行為(カルマ)です。
> 従って、必要分の食料としては認められます。

唐突で理解不能なのですが、一体誰が認めるのですか?

> また、更に進んで動物肉の摂取を辞めるという菜食の道(理想的)もあります。
> ただし、これは選択の過程であり、一般人に強要されるようなものではありません。

では殺人をしてはいけない、というのは一般人にも強要されるものだということでしょうか?

> また誰かに出されそうだから、先にこちらからいっておきます。
> 神智学上、転生は進化の法則故、
> 人間が動物(人間より下位の生命体)へと転生することは在り得ません。
> そのような“迷信”は拝しない(神智学は迷信を排除します)
> 仏教の伝統信奉原理主義者は勝手に“祖先が転生した動物肉”でも食べてなさい。

あなたは知らないみたいですが、神智学でも上の方にいくと実は動物と人間の間で輪廻転生しあうということが
開示されます。今のところ一般に開示されないのは人間の日常生活において多大な混乱を招く危険性があるからです。
57宝珠愚者:2009/07/19(日) 14:22:58 ID:jqA+2+Qn
>>43
>あくまでも五蘊の寄り集まったものが自己だね。

 『ラーダよ、色(肉体)は無我である。受(感覚)は無我である。想(表象)は無我

である。行(意志)は無我である。識(意識)は無我である。ラーダよ、そのように
観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪りを
離れる。貪りを離れることによって、解脱するのである。』(相応部経典23-17/無我)


 「五蘊は自己ではないから厭い離れなさい」というのが仏典の要です。これを「幻」

という表現を使って説明する人がいるから、誤解が生じています。「捨てる」というの

は、五蘊を自己だと誤認する意識であり、囚われの執着心のことです。自殺とは無
関係です。

 「ととのえる」とは、修行によって五蘊を制御することであり、低級性質が消滅する

ことで真実の自己の特質が顕現できるようになる。結果的には五蘊にあったところ
の美徳とは真実の自己表現の僅かな部分であった、ということが結論的にわかるよ
うになるのです。
58神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:26:43 ID:wRjJFuMe
>>57
>  低級性質が消滅することで真実の自己の特質が顕現できるようになる。

残念ながら、このような表現は仏典には未だ見出すことができないのですが。
これはご自分の創作ですか?それとも引用ですか?
59宝珠愚者:2009/07/19(日) 14:28:24 ID:jqA+2+Qn
>>31
>実在とは、現実界に作用を及ぼすものをいう。

ゴータマもイエスもできたし、実演しましたね。
ただの説法だけなら、数千年単位で伝承されることはありません。
それたでけならば、ただの妄想か道徳観を説く哲人の一人に過ぎない扱いとなります。

自分ができず、科学の手法で実演できないからといって否定されては困る。

>全世界の宗教者が同時に祈っても、路上の石ころを1ミリたりとも動かすことはできない。
>しかし、人間が指先でちょっと押せば、簡単に動く。これは何故か。

いえ、一般の人間が動かすことができないものまで作用を及ぼしましたね。
あなたが知らないだけのことで、それを己れの無知という。

>>41
>ここで「来世」だの「天国・地獄」だの妄想垂れてる人間は、まず自分が
>死んでみて、来世や天国・地獄の様子を見てきてから報告してくれ。

はい、ゴータマは自らの体験によって教えました。
それでもあなたは認めないではありませんか!!
60宝珠愚者:2009/07/19(日) 14:29:26 ID:jqA+2+Qn
>>44
>アートマンを思考し、論じているのも、生命の機能。生命がなければ、思考も
>議論も不可能。生命とそれが宿る肉体は、すべてに優先する。君は基本的順序
>を間違えている。それを倒錯と呼ぶ。

私は別にそんなことは否定しない。
医学を無用と主張するのはクリスチャンサイエンスの類です。実にくだらん・・。
生存中は肉体も整備(医学も応用)しながら修行するのです。

>なお、他者の唯一の生命を理由なく奪った者は、己の生命を以って償う。これ
>は、殺人者を人間として遇し、尊重していることであることに、思い至って欲しい。
>

理由をつけた殺人行為に妥当性はないといってるのです。
死刑とは、理由付きでなされる“同じ殺人行為”です。
人間の理解を超えたこの命という存在が尊いのであり、
理由つきの殺人はその命の尊さの否定ですよ。
死刑は、あなたの主張とは矛盾する行為です。

「殺していい」(犯罪者は)などとは、あなた自身が生命を創造したり、
死人を蘇らせることができるようになってから初めていいなさい!
61神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:30:09 ID:PdtqpbX6
>>57
>「五蘊は自己ではないから厭い離れなさい」というのが仏典の要です。
また、勝手な書き換えをする。

 「五蘊は我ではないから厭い離れなさい」と言ってるのだろ。
「我」と仏教で言う「自己」とは違うと言うことだね。

62神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:33:21 ID:wRjJFuMe
>>59
> はい、ゴータマは自らの体験によって教えました。
> それでもあなたは認めないではありませんか!!

あなただって、ゴータマの「涅槃は論じる対象ではない」という発言を
認めているようには見えませんが。

> 「殺していい」(犯罪者は)などとは、あなた自身が生命を創造したり、
> 死人を蘇らせることができるようになってから初めていいなさい!

感情論は結構ですから、何故そういえるのかその発言の論拠を提示してください。
63析空:2009/07/19(日) 14:40:27 ID:s6RECVLk
共業って何ですか?

撥無って何ですか?
64神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 14:43:13 ID:CAEq5c5A
ググることです
65:2009/07/19(日) 14:56:21 ID:v2augHv0
>死人を蘇らせることができるようになってから初めていいなさい!

宝珠さん
これはちょっと書き方変えたがよろしいかと。
これだとあんたに死人を蘇らせる能力があるよ
うにとれなくもない(笑)
66宝珠愚者:2009/07/19(日) 15:02:10 ID:jqA+2+Qn
>>54
>捨てるか整えるかは大分違います。

>>57>>23で述べています。

>むしろただ未熟な心があり、それを整えて清浄な心にしていく、
>という考え方が見てとることができます。

それでは、何故こんな言い回しになっているのかについての説明になりません。

>主観でねじ曲げた解釈をオウムのように繰り返しても無意味だと思います。

アートマン・アレルギーによって素直に文意を受け取らないほうが問題でしょう。

>ではその定義をどうぞ。

最近、定義を記載したばかりでしたが・・。
では、--後で--やります!

>>56
>唐突で理解不能なのですが、一体誰が認めるのですか?

人間も自然界に生存する上で動植物の区別なく、
肉体機能の維持と肉体の要求に対する自然な反応の結果として、
それらを摂取していました。そのこと自体に悪という認識はありません。
肉食動物も同様です。彼らには悪という概念はありませんし、実際に悪ではない。
あなた個人が認める認めないはご自由です。
67宝珠愚者:2009/07/19(日) 15:04:46 ID:jqA+2+Qn
>では殺人をしてはいけない、というのは一般人にも強要されるものだということでしょうか?

強要ではなく、絶対にすべきではない行為であるとして“教える”ということ。

>あなたは知らないみたいですが、
>神智学でも上の方にいくと実は動物と人間の間で輪廻転生しあうということが開示されます。

是非、「ソース」を強く希望します。
できればその部分の引用文。または文献、著者名、或いはリンク掲載・・・。

>>58
>残念ながら、このような表現は仏典には未だ見出すことができないのですが。
>これはご自分の創作ですか?それとも引用ですか?

引用のわけがないしょうw
自然な当然の“理解”ですよ。

私個人ではなく、神智学、バラモン/ヒンドゥー、ジャイナもそうでしょう。
これは、普通の感覚からしてそうだと思いますが。
68宝珠愚者:2009/07/19(日) 15:19:56 ID:jqA+2+Qn
>>65
どこからそんなことに?www

他人の生存を奪う権利など何者にも与えられはいない、
と主張しているのです。私は、殺人(死刑)の肯定者などではありませんから、
この私が、「死人を蘇らせる能力」を有す意味とはなりません。
69:2009/07/19(日) 15:30:19 ID:v2augHv0
>>68 宝珠氏
では、
死人を蘇らせることができるなどと宣う異常者と同じですよ!

なんて書くとよかったかもw

どうであれ、蘇えらせれるようになってからというのは
どうかと感じただけだよ
70宝珠愚者:2009/07/19(日) 16:16:36 ID:jqA+2+Qn
>>62
>> 「殺していい」(犯罪者は)などとは、あなた自身が生命を創造したり、
>> 死人を蘇らせることができるようになってから初めていいなさい!
>感情論は結構ですから、何故そういえるのかその発言の論拠を提示してください。

理由は、>>60で述べた通りです。
何故、自殺がダメなのかというと、「命」とは与えられたものだからであり、
自分のものではないからです。他人さまの命も同様です。
自分のものでもなければ誰のものでもない、から勝手にそれを奪う権利は誰にもないということ。
それが命に対する畏怖と尊厳を人は認めるということに他ならないのです。
唯一、認めざる得ないのは肉体維持のための最小限の食としての摂取に限ります。
これは、そのような存在として与えられた肉体性質の故(法則)です。>>16>>66

この与えるこのできる根源の力存在そのもの、
もしくはその根源に到達したものだけが、「命」をあれこれいうことが許されるでしょう。
死人を蘇らせることができるようになってから言え!とはそういう意味です。

こんなことすら理解できないというのは思考の硬直化です。
漢訳仏教辞典の読み過ぎによる弊害ですw

>>69
暁さん、分りましたか?
71神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 16:28:09 ID:HEp2wQGA
>>60
>人間の理解を超えたこの命という存在が尊いのであり、
>理由つきの殺人はその命の尊さの否定ですよ。

殺人犯に殺された人間の生命は尊くないのかね。殺人犯は人間ではない、機械
だから、己の罪を償わなくてもよい、というのかね。

理由なく他者の生命を奪った殺人犯が、己の生命を以って償うことは、彼が
土壇場で、自己の人間の尊厳を保ったことになるのだよ。
72宝珠愚者:2009/07/19(日) 16:39:18 ID:jqA+2+Qn
>>71
誰それの命は尊く、誰それ(犯罪者)の命は下等などと識別できる権利(及び能力)は誰にもない。
万人の命の等しさを認めることが命の尊さについての自覚なのです。
それを教えることが大切であり、死刑(人殺し)はそれを自ら破る行為です。
処刑とは--殺人行為--です。

生命の尊厳を主張するならば、
まず、その基本部分から考え直すことを推奨します。
73宝珠愚者:2009/07/19(日) 16:48:26 ID:jqA+2+Qn
>>71
>殺人犯は人間ではない、機械だから

そのような意識があるから、
現代社会というのは世の中の犯罪を無くすことができないのですよ。
彼ら(犯罪者)がごく普通の我々と変わらない人間に過ぎない、
という正しい理解がないから犯罪を無くす智慧が生じない。

明日は我が身となみすべきであり、
人(他者)にすることは自分がされるものとなるのです。
「悪人は抹殺すればいい」という思考が無くせない限りは、
犯罪の発生原因の追究には行き届くことができない。


みんなで勉強しましょう!
http://homepage2.nifty.com/shihai/
74神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 16:57:30 ID:HEp2wQGA
>>73
人を殺しても、己の生命を以って償わなくてもよい、などという意識が
あるから、殺人が絶えないのである。それは、君が、「殺人犯は人間
ではない、機械に過ぎないから、人間としての償いをしないくてもよい」
と思っていることになるよ。

「理由なく他者の生命を奪った者は、原則として、己の生命を以って償
う。」これが「人間の尊厳」である。
75神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 17:08:22 ID:wRjJFuMe
>>66
> >捨てるか整えるかは大分違います。
> >>57>>23で述べています。

57の経典には自己という言葉自体でてきません。23にも66に該当する返答は見あたりません。
関係ないことを述べても意味がないと思います。

> >むしろただ未熟な心があり、それを整えて清浄な心にしていく、
> >という考え方が見てとることができます。
> それでは、何故こんな言い回しになっているのかについての説明になりません。
> >主観でねじ曲げた解釈をオウムのように繰り返しても無意味だと思います。
> アートマン・アレルギーによって素直に文意を受け取らないほうが問題でしょう。

根拠がしっかりしていることについて何か異論をはさんだでしょうか?
あなたの発言が宙に浮いているからこのような指摘を受けているのです。
そのことを素直に受け止めるだけの謙虚ささえ持ち合わせず、
相手のアレルギーのせいだと断定するのは、少々行き過ぎではないでしょうか。
人のことを言う前に、あなたご自身を顧みてはどうなのですか?
ゴータマの「無記」という意見を無視して、いつまで「我流の」意見を言い続けるつもりですか?

> >唐突で理解不能なのですが、一体誰が認めるのですか?
> 人間も自然界に生存する上で動植物の区別なく、
> 肉体機能の維持と肉体の要求に対する自然な反応の結果として、
> それらを摂取していました。そのこと自体に悪という認識はありません。
> 肉食動物も同様です。彼らには悪という概念はありませんし、実際に悪ではない。
> あなた個人が認める認めないはご自由です。

で、一体誰が認めるのですか? 
私自身が認めるか否かの自由など、
そもそも質問もしていない上にあなたにどうこう言われる筋合い自体ない問題です。
勝手に問題を創造して返答することで、本来の問いに答えたような雰囲気だけを作るのはやめてください。
76神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 17:13:07 ID:wRjJFuMe
> >神智学でも上の方にいくと実は動物と人間の間で輪廻転生しあうということが開示されます。
> 是非、「ソース」を強く希望します。

残念ですが禁則事項です。一応あなたのレベルに開示できる範囲では開示しました。

> >残念ながら、このような表現は仏典には未だ見出すことができないのですが。
> >これはご自分の創作ですか?それとも引用ですか?
> 引用のわけがないしょうw
> 自然な当然の“理解”ですよ。

つまり「本人にとって自然」と認識されているだけの「創作」ということですね。

> 私個人ではなく、神智学、バラモン/ヒンドゥー、ジャイナもそうでしょう。
> これは、普通の感覚からしてそうだと思いますが。

いくら「先生、みんなもそーいってます」と言ったところで、
自分に合った意見を都合良く収集しているにすぎません。残念でした。

あなたは「自然」「素直」「普通の感覚」などの言葉を何度も繰り返して
「イメージ作り」をしているだけで実のあることは殆ど言っていません。

反対意見を持っている者からすれば、あなたの方が「不自然」「ねじ曲げている」「異常な感覚」
ということになるわけです。自分だけが絶対的な正義に立っているという思いこみがあるために、
相手もまた同じロジックが使えるということが認識できませんか?

無意味なイメージを言い合っても意味がないことに早く気づいて、
実のある内容を書き込むようにしてはどうですか?
77神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 17:40:10 ID:wRjJFuMe
> それでは、何故こんな言い回しになっているのかについての説明になりません。

言い回しを理由に「アートマンがある」と主張しているのはそちらですが、
こちらはこの言い回しに不自然さなど感じないのです。それ故に「こじつけ」に見える。
何故不自然であり、何故「こんな言い回し」という表現になり、何故それに説明が必要とされるのか、
まずはそれについて書いてはいかがですか?

「何故こんな言い回しになっているのか」について説明する必要があるのか、
こちらにとっては意味不明になるだろうという予測がまったくついていないようですが、
自分の考えしか見えなくなって盲目になるのは大概にして、
相手の視点に立って考えるということも少しくらいはできた方がいいですよ。
78 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 18:13:20 ID:NHEpUFZg
>>16 
>あなたは“基本部分においては”私の主張の賛同者ですか?
 
お互い重なる部分もあれば重ならない部分もある。
宝珠氏もカラス氏も在家氏も・・・同じ。お互いさまですね。
79神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:18:54 ID:wRjJFuMe
重なる部分もあり、重ならない部分もあるというのは至極当然な気がするが、
賛同者かどうかを聞いてくるというのは、敵か味方かでしか物事を考えられないのかもしれんな。
80 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 18:26:08 ID:NHEpUFZg
石頭の頓珍漢の旧7はやっぱし石頭の頓珍漢だった。
今まで読まないでスルーしていたけど、
気の毒なので少しだけ前スレを読み返して見た。
しかし濁っていて読めない。何ですっきりしないのだろう。
基本的なところで混乱しているように思う。
やっぱしスルーで正解だった。
81神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:36:05 ID:KMyZNZmc
今、NHKテレビで、目を覆うようなガザ地区の惨状を報道している。
「一神教の聖地」であるはずの中東が、いまや世界で「最も呪われた地」
である。

このような惨状をもたらさなかったという事実だけでも、佛教がいかに
偉大な宗教であったかが自明であろう。

このスレにも、佛教に一神教的要素を持ち込もうとしている者がいる
ことに対しては、厳重に警戒しなければならない。
82 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 18:39:27 ID:NHEpUFZg
旧7は本を読んだり考えたりしているようだが、
知らないことを話しているだろう。だから混乱している。
体験したことだけを話すなら混乱しないだろう。
83:2009/07/19(日) 18:41:04 ID:v2augHv0
>>70 宝珠さん
>この与えるこのできる根源の力存在そのもの、
もしくはその根源に到達したものだけが、「命」をあれこれいうことが許されるでしょう。

その根源に達したものとは一体何なんだ?
根源に達したものを想定した上での見解だよな?

それが何であるかを示したら如何かな。つか、あんたのその余計な一言に
多数の人がアレルギーを示してるんじゃないかしら
84神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:42:37 ID:gZ0j9pr4
>>82 体験したことだけを話す?
お前が、今まで書いてきたことは全て体験してきたこと
だったのか?
85:2009/07/19(日) 18:44:16 ID:v2augHv0
そういえば九条の会発起人が人殺してたな。

本末転倒とはこのようなことだな。

人権派ですら紙一重なんだよ。
86神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:49:39 ID:KMyZNZmc
>>83
「死人を甦らせることができる者」と言っているのだから、イエスに決
まっています。

宝珠氏も、佛教を一神教化しようとして必死になっている者のうちの
一人であることは、明らかです。イエスの洗脳と狂気は、それほど根深いの
です。
87 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 18:49:41 ID:NHEpUFZg
このスレにも一神教的要素にアレルギー反応を示す者がいる。
まあいてもいいのだけど、そんなことより大乗仏教の空・幻という思想が、
島国日本に及ぼした影響についても検証するべきだろう。
 
北欧の大巨人スエデンボルグによれば、
霊界にはアジアの東の方からやってきた猿のような人々がいるらしい。
88神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:53:14 ID:KMyZNZmc
>>87
君も、イエスで狂った人間の一人だな。

これだけ人を殺しまくる一神教にアレルギーを示さない君が、狂っている
のだよ。
89神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:55:03 ID:gZ0j9pr4
>>87 「いるらしい」?

お前が「体験したこと」ではないのか?
90 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 18:55:57 ID:NHEpUFZg
空幻論者・暁氏は、虚空が無為法だと言っていたけど、
それを証明してない。言いっ放しの無責任だ。
自分の言葉に責任を持つべきではないか。
91神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:58:17 ID:C+lRDiSe
一神教の信者でも友好的な隣人なら問題なし

性犯罪が増えるからエロゲを取り締まれってのと同じだぞw
92神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:58:37 ID:KMyZNZmc
>>87
スウェーデンボルグも、イエスで狂ったカルト宗教の源泉。何が「北欧
の大巨人」か。
93神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 18:59:03 ID:gZ0j9pr4
>>90 お前ま>>84 に答えてないな。

自分の>>82 の発言に責任をもつべきだな
94神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 19:06:51 ID:KMyZNZmc
>>91
>一神教の信者でも友好的な隣人なら問題なし

人間としての信者のことでなく、宗教としての教義・思想の問題。

一神教と仏教との思想・教義の巨大な相違にも気付かないのでは、
仏教徒ではなく、一神教徒(キリスト教徒)だな。
95 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 19:13:35 ID:NHEpUFZg
>>88 
>これだけ人を殺しまくる一神教にアレルギーを示さない君が、狂っている
>のだよ。
 
その論法でいくと、世界の半分ぐらいが狂っていることになる。
総人口を約65億人とすれば、少なくても32億人が狂人。
そんなことを言う人はまともなのか?
96:2009/07/19(日) 19:17:51 ID:v2augHv0
>>90
つかあんた最近コテ付けたの?


空を想定してしまえばそこで空見に陥るわけ。

わかりますか?言ってる意味が。
97宝珠愚者:2009/07/19(日) 19:22:17 ID:jqA+2+Qn
>>74
あなたの論理からですと、
犯人を捕まえて刑罰に処さない限りは当人の償いにはなりません。
つまり、運良く(悪く)捕まった者だけに適応されるものであって、
それは犯罪者らには、捕まった者はヘタッぴだったのであって、
逃げ切れば問題はない、という理屈になる。

しかし、業報は違う。
これは、たとえ警察に捕まるまいが、
犯した行為に等しい果報を必ず当人が受けるというもの。
誰かか見ている見ていないに関係なく、良い行いにはその結果が返り、
悪い行いにはそのような報いがあるというものです。

これを万人が正しく理解したときこそ、
刑罰の有無などに関係なしでこの地上に浄土が建設されるのです。
98 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 19:28:44 ID:NHEpUFZg
>>96
そんなことを聞いているのではなく、
あなたが言っていた虚空が無為法という根拠を聞いている。
空言論者・暁氏、言ってることがわかりますか?
 
それから空を具体的に表示してくれ。
空、空と言ってるけど、何のことやらさっぱりわからない。
99神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 19:29:17 ID:gZ0j9pr4
>>95 あれ?都合の悪いことには、完全スルー?

それで、他人の書き込みには平気で批判を行う。

カスだね、お前は
100神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 19:39:16 ID:jwBuks1e
龍樹は、「去る主体」と「去る作用」は空と言ったが、
「去りつつあるもの」まで空とは言ってないよね。
全体的認識を個別に分別する、その分別された個々のものが存在しない(空)と
言ってるんじゃないか?
101 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 19:46:53 ID:NHEpUFZg
>>100
100 
>龍樹は、「去る主体」と「去る作用」は空と言ったが、
>「去りつつあるもの」まで空とは言ってないよね。
★ 言っている。
 
>全体的認識を個別に分別する、その分別された個々のものが存在しない(空)と
>言ってるんじゃないか?
★ その根拠がこれである。
102神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 19:55:05 ID:jwBuks1e
>>101
つまり、「去りつつあるもの」が個別に認識されたものということかな?
しかし、ここでは「さりつつあるもの」が全体的認識であるという仮定の元に、
話されてるんじゃないの?
103:2009/07/19(日) 20:03:18 ID:v2augHv0
>>98
「有為のもろもろの存在(諸法)はみな空であり寂滅であって、虚空のごとくである」
というようなものである。

そこで、非難して言う。「もしそうならば、二つはみな空であり無である。無を本質
とする法は虚空と同じであるから」
(方便心論、一.七.三.一)

最初が部派の異説ね。作られた、すなわち有為のものでも空であって寂滅していると
述べる人がいたわけ。「寂滅」とは涅槃を指す言葉(方便心論では)だ。

有為の存在は空、無為(涅槃)に等しいということになる。これだと有為、無為、それぞれ
に区別をする意味は無い。
だから有為、無為は空であると非難してるのね。

非難にあるように虚空も無を本質とするという点である。これは無為の存在の特徴である。

ここでこれが涅槃と虚空の二つが無為の存在だとわかるよね。

だから虚空は無為の存在の喩えになる。有為、無為を分ける場合、虚空を有為と
喩えたら駄目だということだよ。
わかりましたか?
104 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 20:04:29 ID:NHEpUFZg
>>99
気の毒だから言うけど、言い方や態度を根本的に改めたほうがいい。
たぶんあなたは、社会生活でも落第だろうと思う。
105:2009/07/19(日) 20:08:05 ID:v2augHv0
>>104
あんたも人格否定のようなことを宣う時点でどうかと思うよ

そういうのはやめなさいよ
106 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 20:12:35 ID:NHEpUFZg
>>102
去りつつある・・・これが作用。有部はこれを実体視している。
去りつつあるもの・・・これは別の存在であり主体、これも実体視。
 
そして竜樹は、主体と作用が相互依存しているから空であると言う。
全体的な把握はいいけど、実は主体と作用は相互依存していない。
107神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 20:24:55 ID:jwBuks1e
>>106
去る作用があるところには、必ず去る主体がある。
この場合の去る主体は、「もの」だと思うけどね。
「もの」は、去る作用がなければ「去りつつあるもの」にはならない。
逆に、「もの」だけでは、「去りつつある」が欠落する。
両者は互いに依存していると言える。
108神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 20:25:42 ID:PdtqpbX6
>>97
>犯した行為に等しい果報を必ず当人が受けるというもの。
それが業報なら人を殺した人は殺されて当然に成るのではないか?
死刑に反対する理由は無い。
目には目を、死には死を、だね。
109 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 20:38:35 ID:NHEpUFZg
>>103 空言論者・暁氏
>「もしそうならば、二つはみな空であり無である。無を本質とす法は
>虚空と同じであるから」(方便心論、一.七.三.一)
 
>・・・ここでこれが涅槃と虚空の二つが無為の存在だとわかるよね。
>だから虚空は無為の存在の喩えになる。有為、無為を分ける場合、
>虚空を有為と喩えたら駄目だということだよ。わかりましたか?
  
わっかりません。ポイントは<二つ>にある。
方便心論の二つは、有為法と無為法、あなたの二つは涅槃と虚空だろう。
どうしてスリ替えるの? 
これでは虚空が無為法であることにはならない。やり直し。
 
それから空を具体的に表示してくれ。
内容のない言葉は無意味である。
110 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 20:48:53 ID:NHEpUFZg
>>107
残念だけどそれは違う。
それでは去るに実体をみる有部の立場に舞い戻る。
 
竜樹は、有部を批判したあと、有部に舞い戻るのではなく、
純粋に、主体と作用の関係に縁起・空を見ている。
両者が縁起しているから、空であり、主体が存在しないという推論である。
111 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/19(日) 20:54:13 ID:NHEpUFZg
>>105 空言論者・暁氏
>あんたも人格否定のようなことを宣う時点でどうかと思うよ
>そういうのはやめなさいよ
 
実際の社会生活で、「お前」とか「あんた」とか言っているのか。
他人のことを言う前に、自分のことを反省してよ(~~)
112神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 21:01:28 ID:gZ0j9pr4
>>104 は? 何それ?
反論できないと、論点ずらして相手の人格攻撃かい?
ホントにお決まりのパターンだね。

反論できないなら、黙って逃げればいいものを
悔しいから、一言反論めいたこと言って
かっこつけるわけ?

情けない奴だな
113神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 21:11:17 ID:gZ0j9pr4
はいはい、「お前」が気にいらなかったわけね。

それなら、言い換えよう。
お宅は「体験したことことを書け」
とのことだが、ならばお宅が今まで書いてきたことは
自ら体験したことを書いてきたのかい?

さぁ、答えてもらおう。
114旧7:2009/07/19(日) 21:11:55 ID:+XS2a8bv
痛快で面白いが、ID:wRjJFuMeは容赦ないな・・・w



てか、すげー進み具合だなw
どうしちゃったんだ?
115神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 21:25:09 ID:KgmJd3IY
禁則事項……レスの文がみくるの声で再現されてしまった。
116神も仏も名無しさん:2009/07/19(日) 22:36:34 ID:gZ0j9pr4
>>111 どうしたんですか?

答えられないのかな?
お宅は>>90で他人には「自分の発言に責任を持つべきだ」と言って
おきながら自分の発言には責任をもってない。

これでは、俺に対する人格攻撃も結局は、自分が答えられないことを誤魔化すための
論点ずらしにすぎないということになるね。

せっかくコテも付けて、これからもこのスレで自己の主張を
書いていくつもりだろうが、こんなことでは、お宅の書き込みに信をおく人など
いなくなるよ。
117旧7:2009/07/19(日) 22:40:38 ID:+XS2a8bv
>>80
「なんとなくそんな気がする」ってだけか・・・w
具体的にどうこうというわけじゃないのね・・・。
何か強烈な批判(点)でもあるかと思ったが、がっかりだなw

具体性が無ければ、詐欺の手口にすらならんぞ。
新宗教等の勧誘は、具体性と観念性の巧みな融合にあるんじゃないか?
そんなんじゃ、信者獲得は難しいと思うぞwww



おやすみw ノシ
118:2009/07/20(月) 01:20:23 ID:MXXADpm+
新宗教の布教か…

どうりで
119神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 01:28:09 ID:KfoMXjJB
>>95
>その論法でいくと、世界の半分ぐらいが狂っていることになる。
>総人口を約65億人とすれば、少なくても32億人が狂人。
>そんなことを言う人はまともなのか?

すぐにそうやって「数」や「力」で威嚇してくるのが、キリスト教の著しい
特徴。約20億人のキリスト教徒が狂っているからこぞ、世界に戦争や争いが
絶えないではないか。なお、イスラム教はキリスト教の影響を受けた、いわば
キリスト教の焼き直し。イスラエルの建国(シオニズム)も、キリスト教の
影響が大きい。

イエスの「きれいごと」の言葉の裏に潜む、あるがままの人間に対する恐ろしい
憎悪と狂気が、それらの人々にとって理解できないからである。
120神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 02:01:43 ID:M00Ynmou
>>108
>それが業報なら人を殺した人は殺されて当然に成るのではないか?
>死刑に反対する理由は無い。
>目には目を、死には死を、だね。

そのとおりだね。それに、「自己の意思」を以って償うのでなければ、償い
にはならい。共同体による決定は、「自己の意思」を擬制しているものである。
共同体の圧倒的大多数の人間に、「他者の生命を奪うことは最大の悪であり、
自己の生命を以って償わなければならない」という共同意思があるからである。

輪廻を逃れるという「自己の欲望」のために善を行うことも同様。これは、エ
ゴの行為であり、「他者への思いやり」から出た行為ではない。従って「善」
ではない。

輪廻転生は、人間にあらざる者の威嚇や甘言により人間の自由意志を抑圧して
人間を操作しようとするものであり、「人間の尊厳」を真っ向から否定するも
のである。
121神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 02:58:26 ID:mf1f9T3o
>>119
やはり119の論法によると、20億人以上の人間を改宗もしくは殺害しないと
世界の戦争や争いは無くならないということになりそうだな。
122神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 03:29:18 ID:5PKpW6c3
>>121
結果的には、そうなるのではないかw。キリスト教が存在する間は、人類に
戦争と争いは絶えないだろう。

しかし、人間である信者を絶対殺してはならない。彼らは、イエスと聖書の
「犠牲者」なのだから。

元凶であるイエスと聖書を、徹底的に批判することで足りる。
123神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 06:56:18 ID:ODObb1Hf
>>122
おまえのような、他人の価値観を認めない我の強い奴がいなくなれば、
人々の間から争いは無くなるんだと思うよ。心配しないでもお前のような恐ろしく我の強い、
己のエゴに忠実な獣に過ぎない者は、もうすぐ粛清されるから。一神教の争いはその為にあると言ってもいい。
イエスの言葉に聞き従わず、ひたすら我の強い、おまえのような者がいる限り、
理想の社会はいつまでたってもやってこない。
人々の間から争いを無くすのは、イエスの言葉を聞き入れる人々の手で行われ、
イエスの言葉を受け入れる人々だけの社会が実現して初めて達成できる。
おまえのいう人々の間から争いのない理想社会は、
おまえ達唯物論者ではなく、キリスト教が達成させるのだ。今の一神教の争いは、
その為の仕組まれたもの。ここでなんの悪意の無い人々にひたすら憎悪の炎を燃やし、
不愉快な書き込みを続けるおまえは、存在自体が不快だ。
繰り返すが、おまえのような獣に過ぎない我執の鬼は、もうじき粛清される。
おまえのようなエゴイストがいない世の中がくれば、さぞや住みやすいだろうよ。
124神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 07:11:07 ID:8kNsJPxb
>>123
キリスト教のような、「人を殺しまくる価値感」は、人間界における「価値感」
とは言わない。

すべては、イエスの、「我のみ良しの思い上がった独善性」「人間差別」「あるが
ままの人間に対するあくなき憎悪」「人間性の洞察と人間そのものに対する愛の
欠如」「創造(現実の人間と具象としての自然)に対する畏敬の欠如」「論理矛盾」
が、諸悪の根源であることを見破らなければならない。

彼にとって、「人に仕えること」も、「自分が一番先になるための手段」に
過ぎなかった。

イエスの最大の欠陥は、「あるがままの人間に対する愛の欠如」である。
125神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 07:41:18 ID:teRuCX7Y
>>120
>「自己の意思」を以って償うのでなければ、償いにはならない。
 それいいね。死刑手段として「切腹」も復活させるべきだね。
死にたいけど自殺が嫌だから、殺人犯になって死刑を希望する
やつが減るだろう。
そういうやつには「切腹を申し付ける」のがいい。
126神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 08:06:02 ID:HTiQqhj1
>>125
呉智英は、切腹どころか、「敵討ち」の復活を提案しているw。

現代の法学者は、応報刑でなく、教育形を主張しているが、共同体においては、
「応報」こそ最大の「教育」であることを見落としている。
127神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 08:08:14 ID:ODObb1Hf
>>124
おまえがいくらここでピーチクパーチク吠えようとも、俺の書いた通りになる。
何度も教えてあげてるが、宗教が人を殺してるんじゃない。
人を殺しているのは、おまえのような、エゴイストがしているんだよ。
おまえのようなエゴイストが宗教にはまると、宗教の名のもとで、人殺しをしている。
イエスの教えを理解し、受け入れ守るなら、人殺しどころか、争いすら起こり得ない。
宗教が無くなっても、おまえのようなエゴイストがいなくならない限り、
人々の間から争い、殺し合いは無くならない。だからおまえのようなエゴイストは粛清される。
おまえよ、実際に世界を動かしているのはキリスト教だってことを忘れんなよ。
128神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 08:55:03 ID:mf1f9T3o
>>127
粛正が起きるのはいつですか?
129神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 09:28:20 ID:mf1f9T3o
>>123
> 人々の間から争いを無くすのは、イエスの言葉を聞き入れる人々の手で行われ、
> イエスの言葉を受け入れる人々だけの社会が実現して初めて達成できる。

つまり、キリスト教徒以外の人間を全てキリスト教に改宗させるか殺害するかして初めて
理想社会が達成できるということか?
130神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 09:35:43 ID:/wNRKDyw
神智学でいうと日本人は神経回路が違うらしい。
日本人の国民性は、たとえば犯罪被害に合うと、被害にあったお前が悪いと
なる。これはテーブルにあるコップの水をこぼしても、そこにコップを
置いた奴が悪いと開き直る中華思想に相通じる。つまりなんでもかんでも人のせい。
決して悪いことをした本人を攻めるものではない。このひずみは
少年法などが最たるもの。あと交通事故など、歩行者と車じゃ、なんでもかんでも
車のせいにされる。また犯罪被害にあって反撃して犯人をあやめようものなら、なんと
正当防衛は認められず、過剰防衛として厳しく処罰される。ちなみに欧米では
自分の家に不法侵入してきた犯人を撃ち殺しても、罪に問われることは無い。
学校のいじめ問題も、いつも問題にされるのは、いじめるほうより、いじめられるほう。
とにかくこの国の国民性は、悪いことをしても、なんでもかんでも人のせい。
この人のせいにするところは、この隠居とよばれる嵐を観察しても、うかがい知れる。
世の中の悪い部分は、人間の潜むエゴイズムはさしおいて、なんでもかんでもキリスト教のせい。
また日本人は、自分達は特別な民族だとよほど思いたいらしく、たとえばノストラダムス
の予言解釈本などを読めば、日本人の解釈者は皆一様に、日本からキリストの再臨者が
でるだの、とにかく日本人は特別だとみたがる解釈者が多い。それはここの
隠居と呼ばれている人の言動をみてもよくわかるだろう。こんな幼稚な現象は、現代の先進国では
日本人だけである。また、この国の民族は、圧倒的多数は無神論者である。
仏教をただの唯物論にしてしまった末法仏教がここまで発展したのも、日本である。
冒頭にも書いたが、神智学では、日本人は、神経回路が違うらしい。ユダヤ教でいう、ゴイム達の国。
獣は人にあらず。だから先の大戦では、原爆が落とされた。次の神の仕組んだ大いなる最後の大戦では、
日本はなんと中国につく。この戦いは、無神論者と神を信じる者との戦いとなる。
勝利はもちろん、神を信じる者達の手に落ちる。この戦いで多くの無神論者達の国(代表格が、中華民族と日本人)
その民族が絶滅の危機に瀕するまで死に絶えるだろう。これは宿命なのだ。この先にくる」
良き時代を迎える為に。
131神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 09:39:23 ID:dU/Ww2OU
神智学関係ねーだろw
132神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 09:43:39 ID:/wNRKDyw
>>130 続き
ひどい話だと思うかもしれないが、
勘違いしてならないのは、この世界は獣の為に造られたのではない。
あくまで「人」の為に造られたのだ。己のエゴを愛してやまない者は、決して
イエスの言葉を受け入れず、本能的にイエスを憎悪する。彼が自分達は悪い存在で
滅びるべき存在だと明かしているからだ。だから彼らは、本能的にイエスを憎悪する。
己のエゴイズムに忠実な者は獣に過ぎない。獣はエゴのまま生きる。
獣は人にあらず。獣は殺しても、世俗では罪になるが、勝義においては罪にはならない。
あくまで罪になるのは、人を殺したときなのだ。君らも金剛乗の思想は知っているだろう。
今世界を動かしている人々が、金剛乗を行っている。君ら仏教徒じゃないんだよ。
133神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 09:44:58 ID:zeJ53uaH
>>119
誰も殺すことなく死んでいく大多数の信者のことを忘れてる、と指摘されてるだけだ。
アタマを冷やしたまえよ。
>>129
隠居の投薬理論と大して変わらんなあ。いやロボトミーか。
134神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 09:58:17 ID:/wNRKDyw
>>128
それは、今の大統領の時代に始まる。
彼は初の黒人の大統領だ。今の教皇が退任し、次の教皇が決まったとき、
時は近いと知るだろう。民主党は政権をとる。彼らの瓢箪みたいなマークがあるだろ。
よくみると、したの丸はいびつにゆがんでいる。あれはメーソンのシンボルだ。
また党の建物の屋上には、漫画のような目がこれ見よがしに描かれている。
あれは一ドル紙幣にも描かれている、プロバンスの目。全てを見渡す目だ。それは
ルシファーの目とも呼ばれる。あの目は、ピラミッドの頂上に描かれる。
ピラミッドといえば正三角錐。三角形はそれぞれの線が互いに関係しあい始めて
成立する。これは仏教で言う縁起をあらわす。その頂点にプロバンスの目。
全てを見渡す目。ルシファーの目がある。それは縁起で成り立つものの、頂点なのだ。
彼らはこの地上世界に神の国を建設する。その時代に始めて人々は真理に即した
生き方を選択、実行でき、救われるのだ。その前に海の苦しみがある。
鳩山氏は有名なメーソンのメンバー。民主党が政権をとり、今後アメリカとは距離を置き
中国とより親密となっていくだろう。中東が選ばれたのは、あの土地には石油がでるからだ。
経済的に大いに発展した中国は、この後、石油がらみで追い詰められる。日本も見えざる手により、
歯車のひとつとして、大きなうねりの中に飲み込まれていくだろう。彼らの目指す究極は
ワンワールド。文字通りのワンワールド。日本人ももちろん絶滅するわけではない。
だが神を信じる多く尾日本人は、純血の日本人ではない。純血の日本人は、神経回路が違うの
だから(苦笑)

135神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 10:08:07 ID:/wNRKDyw
>>129
>つまり、キリスト教徒以外の人間を全てキリスト教に改宗させるか殺害するかして初めて
>理想社会が達成できるということか?

それも違う。次の時代には宗教と言う概念は無い。というより、長引く破滅的な
争いの中、糞の役にも立たない既存の宗教に人々は絶望し、今の宗教はことごとく
滅びるだろう。それはキリスト教も含まれ、日本の末法仏教も含まれる。
有事のとき、無神論者はなんの歯止めもないので、人間の最悪の部分を引き出す。
それは先の大戦でも垣間見えたものだ。
この争いの中、神を持たない無神論者達の、神をも恐れぬ残酷な行為を我々は目撃し
また、何の役にも立たない既存の宗教に人々は絶望するだろう。人々は絶望の中、
新しい価値観を切望する。そのときに普遍の真理である、ルシファーの知恵が人々に明かされる。
それはいままで喩えや、わかりにくい言い回しなどではなく、今度は比較的ストレート
に真理が明かされるだろう。そのとき初めて、言葉は受け入れても実行できなかったイエスの
言葉を、人々は実行できる社会を築くだろう。新しい時代の幕開けである。
136神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 10:17:04 ID:/wNRKDyw
ま、与太話だと思ってもらって結構だが、この先の
世の中の動きをよく見守っていればいいよ。中国が軍事的に動いたら始まりだから。
神との旧い契約、旧約はイエスの十字架で成就した。だが
神との新しい契約、新約は、未だ成就していない。それは現在進行形なのだ。
137 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/20(月) 10:27:15 ID:3mTzA063
>>118 空幻論者・暁氏
>新宗教の布教か…
>どうりで
 
たとえネットでも、まともな心があるなら、こんなことを言わないだろう。
かんぐり旧7に乗じたにせよ、失礼だとは思わないのか。
 
あなたは自分の発言、虚空が無為法である、という説明ができていない。
それから空を具体的に表示してください。
この二つを語ることで、あなたの誠実さが示されると思う。
138宝珠愚者:2009/07/20(月) 10:32:48 ID:JQJ++RXk
>>108
>それが業報なら人を殺した人は殺されて当然に成るのではないか?
>死刑に反対する理由は無い。目には目を、死には死を、だね。
>
>>120
>そのとおりだね。
>それに、「自己の意思」を以って償うのでなければ、償いにはならい。

犯罪者を殺せば同じく殺人です。
それは、今度は死刑執行者が悪しき業報を背負うことになる愚かな行為です。
業報の基本法則とは、そんな浅はかな人間たちが自分で考え出した法律や
裁判や罰則ではなく、自然界の摂理(法則)のことをいうのです。
139宝珠愚者:2009/07/20(月) 10:34:17 ID:JQJ++RXk
>>78
>お互い重なる部分もあれば重ならない部分もある。
>宝珠氏もカラス氏も在家氏も・・・同じ。お互いさまですね。

もちろん、そうですが・・
私は、「自覚できる自己(低我)と、
今は認識できないが求めるべき真実の自己(真我)がある」というアプローチ。
そして、到達すべき涅槃とは永久永遠なる境地である、
という基本的な部分が合致さえしていれば、
その他の細かな相違点などはいい(大した問題ではない)と見なしています。

>>79
>敵か味方かでしか物事を考えられないのかもしれんな。

人聞きの悪い表現は辞めて下さい!
私は完璧な人間などはいないと見ていますし、
自分も多くの間違いを犯すただの凡人だと見ています。
自分と他者が完全に同一見解などということは在り得ないものです。
また、アプローチの違いもあるだろうし、
方法論は多様であっても良いという見なし方をしています。
一つの狭き限定手法では限られた者にしか到達はできない。
140宝珠愚者:2009/07/20(月) 10:36:48 ID:JQJ++RXk
>>56
>あなたは知らないみたいですが、神智学でも上の方にいくと実は動物と人間の間で輪廻転
>生しあうということが開示されます。今のところ一般に開示されないのは人間の日常生活に
>おいて多大な混乱を招く危険性があるからです。
>
>>76
>残念ですが禁則事項です。
>一応あなたのレベルに開示できる範囲では開示しました。

 しかし、よくもそんなデタラメが吐けるものですね。こうとでも言えばこの私がドキッ!とする
とでも思ったのですか?それほど原理主義を死守したくて、もう何でもありですか?完全に末
期症状ですね・・呆れました。

 人類の進化は現在、10在るスキームの一つで7連鎖中の第4連鎖における第4環(ラウンド)

の第5根人種です。動物王国からの人間王国への進化のドアーが閉じられたのが、第4環

の中期でした(審判の日)。進化の遅れをとった動物界の生命魂はドアーの封鎖後はそれが
許されずに現在に到っています。現在の動物たちの総ては死後、大きな一つなる動物魂(オ
ーバー・ソウル)に吸収されるのみで個別化がありません。
 個別化していないモナドが、如何にして人に転生できますか?逆に個別化している人間の
魂が、如何にしてオーバー・ソウルへと溶け込めますか?
 神智学の説く転生とは進化の法則の故、人類から下等生命への転生は在り得ません。そ

のような見解は転生による経験の獲得を全く無始した暴論です。
141神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 10:39:31 ID:TKtx1hRA
>>137 他人への批判を書き込む前に、まず
自己の発言に責任をもちましょう。

>>113 >>116
は完全スルーなのかな?
都合の悪いことはスルー?
それで他人には説明を求める。
他人に誠実さを求めるなら、まず自分の態度を改めたら?

で、返答は?
142神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 10:42:34 ID:/wNRKDyw
>>140
そう「人」はもう獣には落ちないでしょう。「人」はね。
だが獣は違う。人の姿をしていても、己のエゴの奴隷は獣に過ぎない。
彼らが人の姿をしていても獣は、獣。獣は六道輪廻の輪からは、
逃れられないのですよ。
143 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/20(月) 10:50:59 ID:3mTzA063
>>103 空幻論者・暁氏
★ あなたの話は混乱している。再掲するので再検討してください。
 
「有為のもろもろの存在(諸法)はみな空であり寂滅であって、虚空のごとくである」
というようなものである。

そこで、非難して言う。「もしそうならば、二つはみな空であり無である。無を本質
とする法は虚空と同じであるから」
(方便心論、一.七.三.一)

最初が部派の異説ね。作られた、すなわち有為のものでも空であって寂滅していると
述べる人がいたわけ。「寂滅」とは涅槃を指す言葉(方便心論では)だ。

有為の存在は空、無為(涅槃)に等しいということになる。これだと有為、無為、それぞれ
に区別をする意味は無い。
だから有為、無為は空であると非難してるのね。

非難にあるように虚空も無を本質とするという点である。これは無為の存在の特徴である。

ここでこれが涅槃と虚空の二つが無為の存在だとわかるよね。

だから虚空は無為の存在の喩えになる。有為、無為を分ける場合、虚空を有為と
喩えたら駄目だということだよ。
わかりましたか?
144神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 10:52:29 ID:teRuCX7Y
>>142
六道輪廻はすべて人の心のうちの世界だろう。
人でなしには六道輪廻はないだろう。
145神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 10:57:56 ID:teRuCX7Y
>>143
その説明のどこがあなたにとって理解できないのか指摘しなければ
暁氏も答えようが無いのではあるまいか?
なぜどこがわからないと指摘しないのだろう?
146 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/20(月) 11:00:14 ID:3mTzA063
>>139 宝珠愚者氏
>私は、「自覚できる自己(低我)と、
>今は認識できないが求めるべき真実の自己(真我)がある」というアプローチ。
>そして、到達すべき涅槃とは永久永遠なる境地である、
>という基本的な部分が合致さえしていれば、
★ 言葉の使い方は別にしてほぼ合致しているでしょう。
 
>その他の細かな相違点などはいい(大した問題ではない)と見なしています。
★ 輪廻転生、前世の記憶、神通力などに対する味方に違いがあると思う。
147神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:02:16 ID:TKtx1hRA
暁氏および、このスレの各位へ

今までの経緯を見ても明らかなように
>>143 の人物は自己に都合の悪い指摘に対しては
人格攻撃による論点ずらしを
行うのみで一切答えようとはしません。

このような人物とこれ以後討論を進めても、都合の悪い指摘にはスルーを
繰り返すのは明らかであり、有意な進展など全く期待できません。

この人物のレスには以後、関わりあわないことを推奨いたします。
148神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:03:02 ID:/wNRKDyw
>>144
>六道輪廻はすべて人の心のうちの世界だろう

そんなこと仏典のどこに書いている?
創価を代表するなんでも唯物論的に解釈して悦に入る、末法仏教の解釈は
ここでは通用しない。
149神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:11:18 ID:zeJ53uaH
からかってやったんだろうけど、禁則事項で終わるなら、
隠居の「さる学者がオウムは中村元の影響を受けていたと語った」
というエピソード語り並に無意味。
検証する術もないことを議論の場で語るのは全く不毛。
150 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/20(月) 11:12:41 ID:3mTzA063
>>146 ×味方 → 見方
>>145
空幻論者のレス内容が混乱しているという指摘である。
他人の混乱を教えてやるほどお人よしではない。甘えるな。
混乱を指摘されただけでも感謝しろ。
151 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/20(月) 11:16:57 ID:3mTzA063
>>147
あなたは他人の話を捻じ曲げているばかりでなく、
もともとの当事者ではないではないか。
152神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:28:49 ID:TKtx1hRA
>>151 話をねじまげている?

どこが?

元々の発端は>>82 で、お宅が旧7氏に対して
「体験したことだけを話すべき」という批判的レスをつけたことに始まる。

そこで、俺が「お宅の今までの書き込みは全て体験したものなのか?」
と尋ねたわけだ。

どこがねじ曲げてるのかな?

さらに、当事者ではないとのことだが、その指摘も全くおかしなものだろ?
お宅は今まで自己が討論中以外の書き込みに対してレスを付けたことがないのかな?

ここでは、皆が各書き込みに対して自由に自己の見解を述べる
ことが普通に行われていると思うがね。
153神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:36:24 ID:TKtx1hRA
さて、六道輪廻の話だが、人間が他の生物にも生まれ変わるとするならば、
全ての生物に等質のアートマン即ち霊が、存在することになるが
犬、猫、などはまだしもバクテリアなど細菌にも霊はあるのか?なんて話も出てくる。
いったい、何処で線引きをするのかな?
154神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:43:57 ID:teRuCX7Y
>>138
>犯罪者を殺せば同じく殺人です。

違うだろ。犯罪者は殺されるのではなく自業自得で死ぬだろ。
業報とはそういうことだろ。それに死刑執行人は当然殺人ではないね。
法律が人を殺すのだ。別に人の操作は要らない。
刑の執行なんて機械でも済むことだね。
155神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:50:12 ID:/wNRKDyw
>>153
>私はすべてである。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。
>木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、
>私をそこに見出すであろう”

万物は彼である。君は最初からやり直しだな。
156神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 11:56:22 ID:TKtx1hRA
>>155 いや、あのね、それでは何の回答にもなっていないんだが。

引用は聖書なのかな?
そういうのを論拠として出されても、キリスト教スレなら、良いとしても
ここでは論拠足り得ないだろ?
157神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 12:05:11 ID:TKtx1hRA
俺が聞いているのは「人間も他の生物に生まれかわる」
という見解の持ち主は
「細菌類にも人間と同じようなアートマン(霊)があると思っているのか?」
ということ。
「ある」というなら、それはそれで構わない。
もし、細菌類にはない、というなら何処で線引きするのか聞いているの。
158宝珠愚者:2009/07/20(月) 12:20:15 ID:JQJ++RXk
>>146
はぃ、了解しましたヽ(´ー`)ノ


>>154
>刑の執行なんて機械でも済むことだね。

機械が勝手には動くことはありません。
必ずそれを動かす人の関与、設備を起動した人為(意志)の存在があります。
恐らく執行人は任務として渋々、行っているのでしょう。
問題は死刑を支持している多くの人々です。
これらの人々は、皆んな殺人を肯定する愚か者です。
自分の手を直接、掛けていないだけで殺害しているに等しい。

スレ違いだから、もう辞めておきますが、
「誰々は死んでいい」(犯罪者は殺してもいい)などという決定権は人間にはない。

仮にも仏典を開く人間に死刑支持者がいることが非常に残念でなりません。
そういう人は何故、ゴータマはアングリマーラを国王に引き渡すことなく弟子入りさせたのか?
・・何も理解していない。

死刑(殺人)を支持しながら仏典をいくら読んでも無意味です。
159神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 13:24:55 ID:teRuCX7Y
>>158
>問題は死刑を支持している多くの人々です。
死刑を支持している人には何の問題も無い。
死刑になるような犯罪をする人が問題だろ。
人を憎まず犯罪を憎めばよいのだ。
160神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 13:36:39 ID:jT6ht3zu
宝珠愚者さんって神智学関係だけじゃなく仏教関係のスレにも
良く来るよね。
161神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 14:53:54 ID:yOuXSCGl
>>149
>隠居の「さる学者がオウムは中村元の影響を受けていたと語った」
>というエピソード語り並に無意味。

オウムが原始仏教系であることと、中村元が原始仏教について書きまくった
ことは、佛教関係者には、検証するまでもない、明らかな事実。

裁判においても、「裁判所に顕著な事実」は、証明を要しない。

中村元が、オウムを本質的に批判できた資料があれば、挙げてくれ。
162神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:04:29 ID:yOuXSCGl
>>158
>「誰々は死んでいい」(犯罪者は殺してもいい)などという決定権は人間に
>はない。

君は、結局、「死刑は悪いが、犯罪者が無実の人間を殺すことは悪くない」と
言っていることになるぞ。殺人犯に理由なく生命を奪われた人のことは、一体
どう思っているのか。殺人の抑止はどうする積りなのか。現代人で、輪廻転生
などアホなことを本気で信じている者は、たとへ佛教信者であっても皆無だろう。
163神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:10:59 ID:yOuXSCGl
>>158
人間にあらざる者による「輪廻転生」の甘言と脅迫は、「人間の尊厳」
を真っ向から軽視・否定しているということだ。輪廻転生の「脅迫」に
より人間としての自由意志を抑圧されて行う「善」は、「エゴの行為」
に過ぎず、「善」とは言わない。
164神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:23:00 ID:yOuXSCGl
>>156
>引用は聖書なのかな?

その引用は、現行聖書に含まれていない外典からのものと思われる。キ
リスト教が排除した外典だから、キリスト教の立場はそれと反対という
ことになるので、外典をいくら引用しても無意味。

もしそうでなければ、引用の現行聖書における出典を示すべきだろう。

その引用が現行聖書のものなら、キリスト教は崩壊する。
165神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:34:44 ID:yOuXSCGl
>>155
イエス自身が、「万物に神性を認めた言葉」は、聖書には皆無である。

「万物(創造)」に神を認めることが絶対にできないのが、イエスの
狂気と倒錯なのである。イエスにとっては、神とは、万物(創造)どこ
ろか、「自分(の父)」だけなのである。
166神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:41:29 ID:yOuXSCGl
旧約聖書では、神自身の言葉による自己定義として、「ありてるもの
(全実在)」となっている。しかし、キリスト教は、それを絶対に認め
ることが出来ない。聖書の和訳では、「わたしは、ある」などという、
意味不明の日本語で誤魔化している。「唯一の神」としてのイエスの立
場がなくなり、イエスの面目が丸潰れになるため、キリスト教が崩壊する
からである。
167神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:45:19 ID:0dPVwIEy
>>161
明らかであることを示せてないな。
むしろ、ニューエイジや密教系のオカルト趣味にまみれている。

仮に原始仏教の影響があったとして
オウムが自前でパーリを訳してた事実もあり、
中村元の存在を必要とする理由は無いな。

勝手に勘違いした連中の責任をとらされる理由もまた無い。
168神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:46:28 ID:yOuXSCGl
>>166の訂正
×「ありてるもの
○「ありてあるもの(I am that I am)
169神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:49:57 ID:yOuXSCGl
>>167
麻原が、中村元に依存しないで、原始仏教を解釈したり、翻訳したりで
きた、とでも言うのかねw。
170神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:50:32 ID:0dPVwIEy
学者というのは基本的に自分の業績にならないことはしないんだよ。
科学者でも擬似科学批判に手をつける人は全体から見ると少ない。
アホを相手にしたところで研究成果の積み重ねにはならないからね。
相対性理論を否定するコンノケンイチを真っ向から批判した物理学者がいたら教えてくれ。

>、「ありてるもの(全実在)」となっている。

捏造英文法のアレか。中学からやり直せ、とか言うから参考書で調べたら
やっぱり無かったぞ。これもちゃんと教えてあげるように。
171神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:52:06 ID:/wNRKDyw
>>164
アホか貴様。外典だの何だのと決めた連中は
イエスのおしえなど何も理解してない連中だろうが。
その連中が認定した外典、正典などの区分けは何の9意味もねぇんだよ。
グノーシスは聖書の内容となんら矛盾しない。
どうみても狂ってるのは、お前の悪意に満ちた、曲解に過ぎない屁理屈を
書き込み、異常なしつこさで、キリスト教、イエスに憎悪の炎を燃やしてるおまえだろ。
貴様、いいかげん真理を愚弄する、悪意に満ちた、不愉快な聞き込みはやめとけよ。
172神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:57:18 ID:mf1f9T3o
>>140
スレ違いだと何度いったら分ってもらえるのでしょう。
いい加減にしてください。

大事なことなので二度言います。

ス レ 違 い で す 。

非常識にもほどがあります。
173神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 15:57:47 ID:yOuXSCGl
>>170
君は例の粘着クリか。このスレがクリスレであることが、如実に証明され
ているな。

「神が全実在」であれば、キリスト教は崩壊することは、君も認めるだろ。

ユダヤ教徒であり、当代切っての哲学者であるレヴィナスは、「神とは何か」
について思いあぐんだ末、「神とは全実在。一神教は無神論」という結論に
到達せざるを得なかった。
174神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 16:04:55 ID:0dPVwIEy
中村元が原始仏教について書きまくるのは当然だ。だってそれが仕事だもの。
他の宗教や文化でも同じだ。だからもしそれに絡んで何かコトが起きれば、
誰かのせいにできる。学問はかなり広い分野をカバーしてるからね。
で、問題は因果関係があるか、それを示せるか、ということなんだ。
原始仏教に大量殺人OKという教えが無いのは既に知っているから、
「観念語」のふしぎパワーに頼っているんだろうが、
説明文をとりあえずつけるだけでは疑似科学になるべ。
>>169
翻訳チームがいたんだよ。パーリ語辞典そのものは水野 弘元さんも書いてる。
オウムはインテリ揃えてたから英パーリ辞典や文法書も参照できただろうな。
>>170
まーた、レッテル貼りか。不毛な返事してないでちゃんと答えなさい。
出典を示せるのか?

利害関係者という理由で即有罪なんて裁判じゃありえんだろw
175神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 16:10:00 ID:0dPVwIEy
>「神とは全実在。一神教は無神論」という結論に

それは純粋に哲学・思索によってだろ。
もしかしてレヴィナスさんも文法捏造やらかしたのか?
もしそうならその記述がどこに書いてあるか知りたいな。
176神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 16:18:51 ID:0dPVwIEy
とりあえず>>174の170を173に訂正しておこう。

今日中に「英文法」の出典を示してくれることを期待しよう。
書題を示したらきちんと取り寄せて確認することを約束する。
177神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 16:37:27 ID:yOuXSCGl
>>174
学者も、他の職業と同様、社会的責任を負うのだから、自分の見解が
人々に悪影響を及ぼさないか否かを、事前に慎重に考慮する必要が
ある。「学者だから、何を言ってもよい」ということにはならない。
すべての学問も、人間とその社会のために存在するのである。たとえ
法律で有罪に出来なくても(これは法律に欠陥があるからだが)、社会
的批判の対象には充分になり得る。

このスレにも、イエスや、「東南アジアの宗教」や、中村氏や水野氏に狂
わされた連中が、相当数入り込んでいる。

一昔前、マルクスで狂わされた若者たちが、自分の人生を台無しにした
ばかりか、残酷な殺人まで犯したが、マルクスを手放しで持ち上げた元
凶には責任がないというのは、やはりおかしいのではないか。

最近は、中沢新一が、オウムの精神的指導者であったとして激しく批判
されているが、中村氏には、責任は皆無と言えるだろうか。

中村氏が、オウムを批判した資料があったら、あげてくれ。

オウムの若者たちも、生来的には善良で純粋な人々である。宗教に嵌った
ばかりに、このような悲惨な状況が生まれた。彼らを慈しみ育てた両親
にとって、これ以上の苦しみと悲しみがあるか。処刑されるべきは、宗教
の犠牲者である信者たちではなく、宗教を無批判で賛美した宗教学者や
宗教者たちではないか。

やはり「信教の自由」の再考慮が、喫緊であろう。人間を守るべき法律
が、人間を害する宗教を守るとは、法律の自己矛盾である。
178神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 16:50:35 ID:0dPVwIEy
>>177
>「学者だから、何を言ってもよい」ということにはならない。

んなこと誰も言ってないけど。
直接書籍等で批判していないことは、批判するべき対象に賛同していることも
批判的に観ないことを意味するわけではないということだが。

>法律で有罪に出来なくても(これは法律に欠陥があるからだが)、社会的批判の対象には充分になり得る。

「とにかく何かコイツ関わってた!だから悪い!」なんて法律でも社会でも通用する理屈じゃないだろ。
どんな因果関係があるのか、いい加減示しなさい。

>マルクスを手放しで持ち上げた元凶には責任がないというのは、やはりおかしいのではないか。

マルクスについてはよく知らない。仮に彼に殺人推奨の言葉があったとしよう。
ここでマルクスと原始仏教を同列に並べるには、原始仏教に殺人を推奨する言葉があることを
示さなくてはならない。今からでもそれをしなさい。

>中村氏が、オウムを批判した資料があったら、あげてくれ。

>>170上段
179神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 16:55:43 ID:yOuXSCGl
>>176

複雑な言語事象を、文法の教科書だけですべて表わせると考えるのは、
宗教の教典で世界が表わせると思い込むのと同じ倒錯。宗教の教典をす
べて集めても、木の葉一枚に宿る神秘さえ、明らかにはできないのである。

常時、日本語同様に英語を駆使している専門家の「言語感覚」が信用でき
ないのなら、「自明の事実」について、重箱の隅をつつくような「出典の
詮索」など、一切やらない。教育あるnativeにでも聞け。彼らも、文法書
など参照はしないぞ。Nativeとしての「言語感覚」で答えるだろう。
文法とは、膨大な言語活動の極く一部を記述し得るに過ぎないのである。

それよりも、「神が全実在」であったら、どんな不都合があるのかねw。
「素晴らしい宗教」になれるだけではないか。
180神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:02:13 ID:yOuXSCGl
>>178
全く分っていないね。

イエスの「敵を愛せよ」という言葉で、一体、何億人の生命が奪われたか。
181神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:03:25 ID:0dPVwIEy
>>179
中学からやり直せ、というもんだから、それレベルのものにも書いてある
超基本的事柄だと思ったんだが、違うのか。まあこの際「教科書」じゃなくてもいいよ。
もし実在するなら、何でも良いから(聖書英訳の俺解釈は除く)、その例が載っているものを出せ、ということだ。

>「自明の事実」について、

世界中の英語圏のクリスチャンは神を唯一とし、被造物と峻別している。
よって彼らの立場から経てば隠居解釈が誤りであることは「自明の事実」だw
ソースを出せないが故の言い訳に過ぎないので、こうして返されてしまう。
なぜなら隠居が「自明の事実」だよ!と主張しているだけだからだ。
隠居に出来ることといったらもう一方の「自明の事実」を陰謀論で処理することくらいだろう。

>それよりも、「神が全実在」であったら、どんな不都合があるのかねw。

これ自体には何ら不都合は無い。ただそれに至る理屈付けが不適切なだけだ。
182析空:2009/07/20(月) 17:05:13 ID:dweO/eCc
因果応報という言葉はよく聞きますが、
因果の法則と、因果応報は、同じものですか?
別のものですか?
183神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:07:57 ID:0dPVwIEy
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
という言葉がキリスト教徒の侵略・搾取を招いた、という。だが、
人に侵略されたがる者がいるだろうか。搾取されたがる者がいるだろうか。
ノリで口走ってるだけだからこの程度の矛盾にも気づかない者がいる。
>>180
で、原始仏教は?
184神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:08:26 ID:yOuXSCGl
>>181
どんな理屈をつけても、イエスで狂わされた者たちが信じることが出来る
とでもw。

目の前に事実を突きつけられても信じられないのが、「妄想患者」なの
である。
185神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:11:45 ID:0dPVwIEy
>>184
理屈を信じられないのには二つの理由が考えられる。
まず、信念と反すること。
次に、その理屈自体に根拠がないこと。
隠居の場合は後者にあたる。

架空のサイレントマジョリティに縋り、陰謀論をぶちまけるだけで
事実であることをいっこうに示せないのが隠居なのである。
186神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:12:12 ID:6DU2b66V
yOuXSCGl さん

宗教が人々にもたらしてくれる知恵と
宗教”団体”が実際にやってきたことは
別の問題だと思いますがいかがでしょうか?
187神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:16:17 ID:0dPVwIEy
>>186
「宗教者特有の自己正当化〜」うんたらかんたら
以上。

これまでのレスを流れさせたいがために長文かつ連投で披露してくれるかもしれない。
188神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:19:26 ID:yOuXSCGl
>>186
そこが宗教者の勘違い。宗教団体とは、当該宗教を熱心に信じる者たち
の集まりである。宗教団体に問題があるとすれば、その原因は「宗教自体」
にある。宗教の「知恵」が、本物ではなかった、ということだ。
189神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:24:11 ID:yOuXSCGl
>>186
宗教に嵌った者は、宗教や教祖は一切批判できない心理状態に陥って
しまうから、その無意識のストレスが、専ら、他の人間に対する非難・
攻撃として現われるのである。
190神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:25:30 ID:pvm7NQj/
分った、法律で全ての宗教を禁止すればいいんだな
191神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:26:17 ID:0dPVwIEy
人々はわざわざスラングについての本を読んでスラングを言うわけではないが、
スラングについての書物は存在する。ではこの捏造英文法は?

Nativeに聞いて「それはないw」と答えられたら
そいつはキリスト教に惑わされてるんじゃー!と処理するだけだろ。
仮に信じて無くても、キリスト教文化で育ってしまったために刷り込まれてるんだ……、ってなる。
数が増えても「そいつらは」になるだけ。

それに、尋ねてきたという事実関係自体(とくに匿名環境である)掲示板のスレでは示せない。
議論において他人でも確認できるもの(ソース)を出すべき、とされる理由がわかったか?
192析空:2009/07/20(月) 17:27:27 ID:dweO/eCc
>>179
神が全実在ならどんな不都合があるかというと、
常見に陥るという不都合があります。
神は全仮有なら問題ありません。
193神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:29:11 ID:yOuXSCGl
>>183
>「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」

その言葉は、「イエスの誤り」として、聖書も最後のほうで訂正している
そうだよ。

キリスト教徒は「人にしてもらいたいこと(イエス信仰)を、人にも
するため」、他国を侵略し、異教徒の改宗を迫り、従わない者を皆殺し
にしたのである。イエスの言葉に忠実に従った結果である。
194神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:35:50 ID:6DU2b66V
どの教団も、時と共に変質していきます。
最初の教義からかけ離れた教えを説いているのも珍しくありません。
昔から宗教の組織化は、教義を変質化させました。
組織化することで、教祖の神格化が生まれ、信者の上下関係が生まれ、
カルト化していくのです。
仏教もキリスト教もその道を歩みましたが、
教祖が説いた教えは、教団が犯した罪とは関係ありません。
195神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:41:12 ID:0dPVwIEy
>>193
>訂正しているそうだよ

新約聖書なんて検索サイトもあるし、それ自体大して分量は無いんだから確認ぐらいしなさい。

>キリスト教徒は「人にしてもらいたいこと(イエス信仰)を、人にもするため」、

改宗しないで死んだら地獄行き、イエス信仰も出来なくなるのに
なぜ「人にしてもらいたいこと」になるのか?
障害を排除し、土地や富や収奪の対象を得るという目的があったんだよ。

さて、>>185>>191から逃げないように。
196神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:42:17 ID:yOuXSCGl
>>190
>分った、法律で全ての宗教を禁止すればいいんだな

結局はそういうことになりますね。一般的に、宗教とは、科学がなかっ
た時代の古代人の妄想の遺物であり、現代では全く妥当しないし、人間
を現実から離脱させ、人為的な狂気を作り出す代物に過ぎないからです。
但し、現実と人間とから絶対に離脱しない宗教であれば、禁止する必要
はないでしょう。

人間に有害であり、禁止すべき宗教の定義は、「現実界に還元できない
単なる観念に、最大の価値を認める営み」となります。ここで、現実界
とは、「(必要な場合には観測装置を使って)人間の五感で知覚できる
世界をいうが、知覚された人間の、肉体的本能や自然の感情を含む」
と定義します。
197神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:42:59 ID:ODObb1Hf
>>173
神が全実在だとしてもキリスト教は吹っ飛ばねぇよ。
君はキリスト教も仏教も全然理解していないのに、
自分の願望でしかない妄想を垂れ流しているだけ。
好きなように自分勝手に解釈するのが時灯明だとかトンデモさん丸出しだし。
君さ、自分のわがままが、自灯明だなんて、君、言ってて恥ずかしくない?
それと、キリスト教に狂わされているのは、キリスト教徒ではなく、
どうみても君だから。君のキリスト教に対する憎悪。その粘着力は、異常だから。
198神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:53:22 ID:AtwaZr+O
>>182
>神が全実在ならどんな不都合があるかというと、
>常見に陥るという不都合があります。
>神は全仮有なら問題ありません。

そもそも、佛教には「神概念」などなく、すべては「空」ですから、
そのような配慮は、初めから不要なのでは。

折空さんは、小乗仏教の方ですか。
199神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:55:59 ID:0dPVwIEy
まーた、ふしぎパワーを帯びてるらしい「観念」を引き合いに出してるけど
(現行法じゃ実際に犯罪をおかしてなければならないからね)
その害を証明できていない時点で規制の条件にするなんておかしなものだ。
そんなものは「単に気に入らないから排除する」って考えでしかないんだが。
つまり好みでしかないものを他人に押し付けるばかりでなく、
実際に法的な力を持つものとしたがっている、ともとれる。けっこう危険な欲望だな。

※くれぐれも>>185>>191から逃げないように。

>そもそも、佛教には「神概念」などなく、

アブラハムの宗教とは違うだけで「神概念」そのものはあります。
200神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 17:58:51 ID:pvm7NQj/
でも仏教ですら浄土真宗みたいなのが出てくるんだよね
そして日本で一番流行ったのが、浄土真宗という・・・
201神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:02:24 ID:mf1f9T3o
浄土真宗では低我を自分、真我を他力と認識している。(あえて当てはめれば、だけど)
名号を唱えることで往生するというのは呪術。密教と同じ。

超能力を認め、真我を認めるという意味では、アートマンを認めるひとたちに近い宗派ではないかと。
202神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:02:59 ID:AtwaZr+O
>>199
>※くれぐれも>>185>>191から逃げないように。

君は本当にしつっこいな。「Native並みの、俺の言語感覚」と言ってる
だろ。ソース、ソースというなら、「神」や「宗教」の「現実上のソース」
を挙げてくれ。「皆無」だろw。


203神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:06:48 ID:AtwaZr+O
>>194
>教祖が説いた教えは、教団が犯した罪とは関係ありません。

そうやって、教祖や宗教自体は絶対に批判できないのが、宗教団体の
諸悪の根源、宗教の病理なのだよ。君自身のその言葉が、はっきりと証
明しているではないか。
204神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:10:01 ID:AtwaZr+O
>>197
俺も、イエスで狂った人間の一人としておいてくれw。
205神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:12:21 ID:mf1f9T3o
>>204
狂ってるんじゃあ、言ってることをまともに取り合っても仕方ないな。
206神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:13:18 ID:0dPVwIEy
>>202
>君は本当にしつっこいな。

それは隠居のせい。さっさと出してれば即座に終わっていたんだよ。

>「Native並みの、俺の言語感覚」と

ただそれだけ、なんだな?

>、「神」や「宗教」の「現実上のソース」を挙げてくれ。「皆無」だろw。

自分が「神」や「宗教」のレベルに肉薄してしまったことに恥ずかしさを感じないのか。
207析空:2009/07/20(月) 18:13:58 ID:dweO/eCc
>>198
そのような配慮とは?
仏教に神の概念がないのは、神の概念が常見だからですね。
私の発言のままで良いのでは?

「小乗仏教の方ですか?」と問われて、「ハイそうです」と返答する人は、
世の中に一人もいないとおもいますけど。

小乗という用語が、差別用語であるということを知っていますか?

大乗仏教徒が、説一切有部を蔑んで、小乗と呼んだということを知っていますか?

自らの仏教信仰を小乗仏教と呼ぶ仏教徒はいません。
208神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 18:28:58 ID:ODObb1Hf
>>195
そいつはキリスト教に対する悪意でしかものを言ってないから、
どんなに筋な通った話をしても、通じないよ。
そいつ、悪意で気が狂ってるから。
209神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 19:09:26 ID:ODObb1Hf
>>196
心配しないでも、粛清されるのは君の方だから。
人々の間から争い、戦争の無くなった次の時代には、君のような、
自分のエゴを他人に押し付けるエゴイストは、不要だからね。
210宝珠愚者:2009/07/20(月) 19:23:47 ID:JQJ++RXk
>>154
>法律が人を殺すのだ。

追記:
法律は勝手には裁かない。
人間がつくり、人間が裁いている。

ゴータマは殺人鬼のことを、
「自業自得だから、自分の死を以って償え!」などといって国王に引き渡さしたりはしなかった。
イエスは、「人を裁くな。裁く者が裁かれる」といい、「汝の敵を愛せ!」ともいった。

(これを「敵」を認めたなどと馬鹿をいう人がいる・・。
我々が敵と見なしている者を愛せとは、敵ではないと教えていることに決まってる)

あなた方の考え方のように、
ゴータマがあの時、殺人鬼を国王に裁くよう差し出したり、
イエスがあの時に、「姦淫の女が悪い。決まりに従って罰するのだ」といい、
民衆と一緒になって女に投石などしていたら、
この両者の名声が数千年単位で讃えられることは決してなかった。

「悪い者は殺していい。思想が違えば殺していい」などと、
自分を“正義と称して”正当化を図り、戦争をし、
相手を責め滅ぼそうとする行為をイエスが支持する筈がない。
後世の勝手デタラメをした者たちをイエスのせいにするな。
本当、自己責任を棚上げして他人のせいにする愚行です。

以上
211神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:18:03 ID:Ho87LbF/
キリスト教徒は昔から二枚舌
212神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:22:52 ID:W6eKaWJK
>>210
これが、「イエスは絶対に批判できず、すべての責任を、専ら他の人間に押し付ける」
という、「キリスト教の病理」の見本。

その「罪の女」をイエスが本当に助けたいと思ったのなら、何故体を張って
助けようとはしなかったのか。多勢に無勢で敵わないと思ったのなら(イエス
のこの判断は正しい。彼も所詮は一人の無力な人間に過ぎなかった)、少なく
とも進み出て、「君たちも、石で打たれたら痛いだろ。女が可哀想だから助けて
やれよ」とでも言えなかったのか。法句経の「己が身に引き比べて」である。

それをしないで、陰湿にも、群衆たちに「罪の意識」を植え付けたのは、石打
よりもはるかに大きな罪ではないのか。

群衆たちは、共同体の秩序を守るために、女を処罰しようとしていたのである。
私心からではない。イエスは、他の犯罪者も同様に助ける積りだったのか。
その場合、共同体の秩序維持は、どうする積りだったのか。それとも女に性的
魅力があったから、特別に助けたのか。それでは、イエスは「心の中で姦淫に
罪を犯した」ことになる。

最後に、イエスは、結局、石を投げなかったのか。そうだとすれば、イエスも
「罪を犯した人間」の一人であることになる。

イエスの論理矛盾を示す、一例である。このように、イエスの「すべての」教え
は、誤りである。
213旧7:2009/07/20(月) 20:29:21 ID:bPZ00ixE
2日弱で200レス。勢い117.2か・・・w

レス数は膨大だが、中身がすっからかんだなw
214旧7:2009/07/20(月) 20:33:38 ID:bPZ00ixE
それと、
誰がスレ建てしたか知らんが、>>1の前スレリンク、「前前スレ」になってるぞw

スレ建て人は気を付けような。 (´∀`)b
215神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:40:06 ID:teRuCX7Y
>>210
>法律は勝手には裁かない。
そうだね。だから人が人を裁いてはいけない。法が人を裁くのだ。
>人間がつくり、人間が裁いている。
 人間と人はまったく違う。人間は人と人の間にある関係だろ。
個人のわがままで法律を作れないのは当然だね。
 法は人が作る物事ではない。縁起によって作られるのが法だ
 と仏法はいう。
>ゴータマがあの時、殺人鬼を国王に裁くよう差し出したり、
ゴータマに人を裁く権利は無い。国王が決めたことだろ。
216承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/20(月) 20:41:43 ID:GmDMpV3u
(^。^;)小姑みたい・・・
217神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:45:46 ID:WzXoqU04
8スレ>913 宝珠氏
今回のレスは本当に呆れました。教証はおろか、概説書に依拠することすらも放棄し、
神智学の布教と理論武装と権威付けを隠そうともしないのであれば、カルトそのものですよ。

>つまり、それは現象界のことを一切といっています。真我(真実の自己)は現象界を超越しているのです。

第一に、教証は何ですか? 今回は概説書の引用すらもありません。
単なる神智学的偏見に基づく無根拠な感想文の披瀝でしかない。
8スレ>690に拠り、ついに水野先生の恣意的引用するも不可能になったということですね。
いつまで「ありもしないもの」を説き、釈尊を愚弄し続けるのですか?

第二に、貴方の邪見は言語慣習を無視しています。「一切」が説かれており、更には、それ以外の「一切」を説くならば、
「ありもしないもの」を説いていると明言しているのに、その「外」が有ると言い出すならば、
当然「『或るもの』と『その外』こそが“一切”」だと貴方は邪見しているのです。
そしてそれは、SN.35.23への疑問の余地など全くない背反であり、釈尊を嘘つきに仕立て、愚弄しているのです。


>その部分を引用紹介してもらえます?

貴方こそ、教証を挙げてもらえます?
218神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:46:20 ID:W6eKaWJK
>>206
>>「Native並みの、俺の言語感覚」と
>ただそれだけ、なんだな?

釈迦も、イエスも、ムハンマドも、いちいち、ソースを挙げたかw。いつも、
「ただ、それだけ」の「言いっぱなし」だろw。イエスは、自分の「権威付け」
のために、時々、旧約を引用したが、「神が、自分のパパだ」というソースは
ないな。

仏典をソースに挙げるのはよいが、それなら引用した仏典のソースも、その
ソースのソースも挙げる必要があるのではないのかね。そうやって、「ソースの
根源」を突き止める必要がある。「神」だの「仏」だの言っても、それは人間の
観念の産物だから、究極のソースにはなりえない。「究極のソース」は、ソース
を考えている人間の生命と、その生命を維持している自然ということになる。
219旧7:2009/07/20(月) 20:47:02 ID:bPZ00ixE
>>216
お、 IDがV3。


   ヽ ノ
 .( O三O)
220神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:48:07 ID:WzXoqU04
>>217の続き

>誤解しているのかもしれませんが、転生している媒体は真実の自己ではありませんよ!

「誤解」? 誰がですか? 一人称と二人称の区別は付いていますか?
第一に、「転生」に「媒体」は不要だと、SN.5.9-10に拠りすでに証明済みです。
第二に、『中論』18.1に拠り指摘したように、もしも我が五蘊と同一ならば無常だし、
別異ならば五蘊相を如何にしても持ち得ません。
即ち、もしも我が五蘊と関係するならば無常であり「常住」ではなく「真実の自己」ではない。
もしも「真我」が「現象界を超越しており」「一切“外”の常住で無我ではない場所」ならば、
五蘊と完全に無関係ですから「真実の自己」足り得ない。
更に「常住」であるから法を転ずることも全く不可能です。


>Dhp.160

SN.1.3.5を引用した上で、釈尊が我や我所に言及するならば、
「言語表現のみのもの」であると、指摘済みです。


>低我、真我

「低我」という語と、「真我」という語、それぞれのパーリ語の原語を挙げて下さい。
それとも、相当する語も無いのに、神智学的偏見で「低我」だの「真我」だのと呼称しているのですか?
そうであれば、「無我」だとする論者を批判することは許されません。
一方で、「無我」ではなく「非我」だ、と言い出すときには、教証を強調しながら、
他方で、「低我」だの「真我」だのと言い出すときには、教証を無視して神智学的偏見で感想文を垂れ流すならば、
「無我」だとする論者を批判することは全く許されませんよ。
更に、もしも「低我」「真我」という訳語が、anAtmanに対しての「無我」という訳語と比較して、
原語に忠実ではないならば、「無我」と訳すことが不適切なわけがありません。
221神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 20:51:33 ID:WzXoqU04
>>220補足
>更に、もしも「低我」「真我」という訳語が、anAtmanに対しての「無我」という訳語と比較して、
>原語に忠実ではないならば、「無我」と訳すことが不適切なわけがありません。

「原語に忠実ではないならば」というのは、
当然ながら、“原始経典の”「原語に」ということです。
222承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/20(月) 20:56:20 ID:GmDMpV3u
>219
(^。^)俺はアマゾンが好きだったな♪(笑)
223神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 21:17:09 ID:WzXoqU04
度々で申し訳ない。

>>217修正
× 第二に、貴方の邪見は言語慣習を無視しています。「一切」が説かれており、
〇 第二に、貴方の邪見は言語慣習を無視しています。「或る一切」が説かれており、


>>220修正
× anAtman
〇 anattan
224神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 21:33:45 ID:ODObb1Hf
>>216
よぉ、その隠居って引きこもり、嘘も方便と嘘ついてるが、
そいつ、お前と同じ草加なんだってよ。そいつ邪魔だから
お仲間のお前が引き取ってくれよ。
225神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 21:36:32 ID:ODObb1Hf
>>216
ところで草加。
草加にはまると、皆ここの隠居みたいに気が狂うのか?
怖いよな、カルトは。
226旧7:2009/07/20(月) 21:37:50 ID:bPZ00ixE
一つ、野次っとこうか・・・w

>>33
> 問題はそこですね。経が編纂された時点ですで誤っていたのか、或いは後代の
>改変か・・。もしくは、ゴータマの説法ぶりからは、本当にとそう説いた可能性も高い
>かもしれない・・・。その場合、ゴータマの真意は何だったのか?ということ。


前シリーズで、このような方向性・姿勢を有したアプローチの仕方を、
「“伝承(継承してきた弟子達)・記述”を“信頼・信用しない”外道の態度」
として非難してきたのは、どこのどなた様でしたっけ?w
227旧7:2009/07/20(月) 21:40:58 ID:bPZ00ixE
相変わらず、カラスのレスは「判」り易い・・・w



おやすみ ノシ
228承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/20(月) 21:46:08 ID:GmDMpV3u
>225
ん?
俺は創価じゃないけど。
あんな池田某なんてチャンコロを拝む趣味は無いぜ。
あと、隠居も違うだろ?(笑)
まぁ、真如円辺りのカルト信者には、ミンナ創価に見えるんだろうがな。(笑)
229神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 21:49:01 ID:wqWMh90S
>>218
>釈迦も、イエスも、ムハンマドも、いちいち、ソースを挙げたかw。いつも、
>「ただ、それだけ」の「言いっぱなし」だろw。

自分が「神」や「宗教」のレベルに肉薄してしまったことに恥ずかしさを感じないのか。

では最終確認

「Native並みの、俺の言語感覚」だけ、なんだな?
230神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 22:12:20 ID:wqWMh90S
ところで何故イエスと同じような行動をすることを許容できたのか、
ぜひとも知りたいな。普通ならイエスのような真似はしたくない、となるはずなのだが……。
いったい何故なんだ?
231神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 22:14:03 ID:tWJiKeym
>もしも「真我」が「現象界を超越しており」「一切“外”の常住で無我ではない場所」ならば、
>五蘊と完全に無関係ですから「真実の自己」足り得ない。

現象界を超越してるんだから、そう単純に語れないだろう。
超絶的な神通力を駆使して現象界を隈なく調査できたとしても、絶対に見つけられない(対象化できない)ものだよ。
絶対に見つけられないという意味で「無我」と呼ぶなら、全く正しい呼び方だな。
232神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 22:18:57 ID:tZ2EQwuc
>>229
>自分が「神」や「宗教」のレベルに肉薄してしまったことに恥ずかしさを感
>じないのか。

それは、イエスに言ってくれw。

> 「Native並みの、俺の言語感覚」だけ、なんだな?

そういうこと。英文法勉強したいのなら、可算名詞、不可算名詞、集合名詞、
抽象名詞、あたりをよく勉強したら、君でも理解できるかも知れない。

ちなみに、「わたしは、ある」は、日本語として、あまりにもおかしい。
太郎さんも、花子さんも、皆、「わたしは、ある」と言えるね。「神」とは、
太郎、花子、トム、メアリーなどのうちの一人に過ぎないのかねw。

レヴィナスは、旧約の"I am that I am"という言葉から、「神とは全実在」
「一神教は無神論」という結論に達したのである。
233神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 22:30:19 ID:wqWMh90S
>>231
>それは、イエスに言ってくれw。

>>230
>ちなみに、「わたしは、ある」は、日本語として、あまりにもおかしい。

私は存在する、という意味だな。「〜〜する」という意味になったり、
名前の意味が文章のようになる、という例がヘブライ語にあることも
ずいぶん前に書いてあげたよな。

>そういうこと。

つまりただの独断である、と明らかになった。

>「神」とは、太郎、花子、トム、メアリーなどのうちの一人に過ぎないのかねw。

過ぎないんだよ。たとえば「猟師である」という名乗りに当てはまる者は
世界中にいるが、だからといって全ての猟師が同一の存在になるわけではない。
これはその存在そのものを持ち上げるか貶めるか、という問題ではない。
単なる文章読解力の問題だ。

>レヴィナスは、旧約の"I am that I am"という言葉から、「神とは全実在」
>「一神教は無神論」という結論に達したのである。

もちろん出典はあるよな?
234神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 22:52:02 ID:wqWMh90S
フランス語の数え方にケチをつけた石原都知事のことが思い出される。
ある言語からみて違和感を感じること、珍しいことは
言語やその言語における表現そのもののおかしさ
異常さを意味するわけではない。
235神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:07:12 ID:m58UlXBI
http://www.tomabechi.jp/archives/50316486.html

とりあえず、初心者はここから読むべし
236神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:14:20 ID:tZ2EQwuc
>>233
>私は存在する、という意味だな。

ならば、何故「存在する」と訳さないのか?そこが問題なのだよ。「ハーヤー」
も「存在」の意味。「存在」という言葉を、よほど避けたいらしいな。

神の名が、「わたしは、太郎です」では、おかしいとは思わないのかね。
「我は、全存在である」といったほうが、はるかに威厳があり、神に相応しい
のでは。

レヴィナスに関する、最新の文献から取ったものである。
237神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:37:40 ID:wqWMh90S
ぐぐったらレヴィナスの本からの引用を見つけたんだけど……
ttp://gospel.blog.drecom.jp/archive/412
>アウシュビッツのあと、もはや神を信じることはできなくなったと言い放つユダヤ人に向かって、エマニュエル・レヴィナス老師
>(20世紀を代表する哲学者、彼もアウシュビッツで家族を亡くしたユダヤ人)はこう語った。
(以下が引用部分)
> 罪なきものが苦しむ世界に私たちはいる。そのような世界でいちばん簡単な選択は無神論を選ぶことだ。
>無神論を選ぶ人はこんなふうに考えている。神さまというのはよいことをした人間には
>報償を、悪いことをした人間には罰を下す存在だ、と。
>つまり、神さまとは、正義の配分をつうじて、万人を『幼児』として扱うのだ、と。
>無神論とはそのような考え方をする人がとる選択肢である。
>そういう理屈で、あなたたちは天空から住人を追い払ってしまった。なるほど、
>そうやってこちらのつごうで簡単に店立てを喰わせることができるということは、
>ずいぶんと低級な存在がこれまであなたがたの頭上には住まっていたわけだ。ではあなたがたに問いたい。
>このからっぽになった天空の下、あなたがたは、なぜまだ意味があって善ある世界がありうると思えるのか。

> 秩序なき世界、すなわち善が勝利しえない世界における犠牲者のあり方、それを受苦と呼ぶ。
>この受苦が、いかなるかたちであれ救い主として顕現することを拒み、地上的不正の責任を
>すべておのれの身に引き受けるような人間の成熟をこそ要求する神を開示するのである。

> 不在の神になお信を置きうるとき、そのときこそ人間はみずからの弱さを熟知した成熟した大人となったと言いうるのである。
238神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:39:22 ID:wqWMh90S
>『「造物主」にとっての栄光とは、「造物主」が神話と熱狂の威光のなかに包まれている限りは、
>それに異を唱え、それを否定し、そののちに造物主を肯定する、
>そのような存在者を創造されたことにあります。神にとっての栄光とは、神から隔てられつつ、無神論から出発しながら、
>なお遠く神を探し求め、神の声に耳傾けることのできる存在者を創造されたことにあります』エマニュエル・レヴィナス「困難な自由」内田樹訳/国文社。

どう見ても「無神論」を否定的に、乗り越えられるべきものとして語ってるんだけど。
彼のは神を信じる価値や意味を支持する思考であって「一神教は無神論」という言い回しをするとは思えんなあ。
引用部分の記述と噛み合わない。

出典部分をもう一度読み直したほうがいいんじゃないの?文脈無視してる可能性が非常に大だな。
>>236
書誌名書こうね、と言われなきゃできないの?まだるっこしいな本当に。
239:2009/07/20(月) 23:44:34 ID:MXXADpm+
>>235
サイゾーオーナー

一時公安と左翼を同時に敵にまわした人だw

この人の話は面白い
240神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:45:04 ID:wqWMh90S
>>236
「ある」と「存在する」って同じ意味だろ……どうせ
私は「存在する」というものだ、と訳されててもケチつけてただろ。

>神の名が、「わたしは、太郎です」では、おかしいとは思わないのかね。

>>234
241神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:52:18 ID:ODObb1Hf
>>228
おやおや、お宅の定義だと、真如を語ればカルトかよ。
この智恵遅れぶりをみろよ。さすが空理空論でしかない中論信者のおつむは違うようで。
あのさ、カルトっていうのはさ、自分達のエゴを望まない者に押し付け、
他人の思想の自由、信仰の自由を認めない。そして、お宅や、隠居のように、
他所様の宗教のスレまでいって、そこの住人に不愉快な書き込みを続け、
荒らして攻撃するような人のことを言うんだよ。
で、お宅、草加じゃないって?いよいよお宅も、嘘も方便かい。
そりゃ草加じゃ恥ずかしくて教義を論じるスレに参加できねぇもんな。
え?隠居も草加じゃないって?そりゃ、こんな人格障害者、恥ずかしくて仲間だっていえないわな。
242神も仏も名無しさん:2009/07/20(月) 23:53:47 ID:tZ2EQwuc
>>238
>書誌名書こうね、と言われなきゃできないの?まだるっこしいな本当に。

ソースにしか縋れない、思考停止した君たちとは違って、俺は、ソース
のそのまたソース、究極のソースを探っているのだから、書誌名など関
係ない。

最新の文献を多数読んでいるのだから、どれかとは全部再読しない限り
探せないが、その趣旨のことが書かれていたことは確かだ。
243神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 00:01:40 ID:HPRWsF3f
×ソースにしか縋れない、
○ソースを明らかにすることを議論の上でのマナーとする

>>242
また逃げるのか。情けないにも程がある。

>俺は、ソースのそのまたソース、究極のソースを探っているのだから、書誌名など関係ない。

他人と交流しないならそれでもいい。だがここはどういう場所だ?

>その趣旨のことが書かれていたことは確かだ。

言うだけなら仮に嘘でも出来るんだよ。そして「言いっ放し」だけでは
他の人は確認できない。なぜ議論の場でソースを明らかにすることが
大切とされるか、前にも書いたはずだが?
244:2009/07/21(火) 00:03:23 ID:ojgCyXuy
>>241
承狂氏が言ってるのは、おそらくその真如ではない

245神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 00:15:47 ID:ATM4Xrew
>>243
釈迦も、イエスも、ムハンマドも、ソースなどに縋らず言いっ放しだろw。

ソースを求めるなら、彼らに対してやってくれ。

ソースにしか縋れない君たちの思考停止振りは、実に嘆かわしい。もっと、
現実の観察に基づき、世界の誰もが言っていないことを言ったらどうかね。
「他人の借り物の見解」ばかりでは、何らの進歩もなく、2chの貴重なスペ
ースの無駄使い。

自分の生活に基づいて、自分独自の見解を作り上げてこそ、「日本の実力」と
しての2chの意味があるのではないかね。

君たちは、有名人や権威に依存しすぎ。これでは、ブランド漁りするミーハー
の姿と同じではないか。
246神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 00:28:27 ID:PwHxOinl
>>245
>ソースを求めるなら、彼らに対してやってくれ。

>>230(これでループを起こすのはかなり情けないことだと思うんだが)

>ソースにしか縋れない君たちの思考停止振りは、実に嘆かわしい。

×ソースにしか縋れない、
○ソースを明らかにすることを議論の上でのマナーとする

>現実の観察に基づき、世界の誰もが言っていないことを言ったらどうかね。

>何らの進歩もなく、2chの貴重なスペースの無駄使い。

宙ぶらりんのまま疾走し、それがまかり通る場でペチャクチャやることが
「現実の観察」とは思えないし「世界の誰もが言っていないことを言」うことに
つながるとは思えないね。3時間ほど前に排泄してきたウンコは厳密に言えば世界で一つしかない存在だが、
だからといって価値があるわけではない。「2chのスペースの無駄」ってはまさにこれだろ。
やるべきことを怠ってクダをまくってのは、それこそ
これまで腐るほど多くの人間がたどってきた珍しくも無い道ではないのか。

>君たちは、有名人や権威に依存しすぎ。

単なる無自覚無頓着は、権威に惑わされないこととは別物だと思うがね。
247神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 00:42:38 ID:PwHxOinl
メモ・ノートをつけ整理整頓する習慣をつけていたら隠居もソースを示せた、かもしれない。
これによって、自分独自の見解を作ることが阻害されることはないはずだ。
阻害されるとすれば、書き手の名前や人格が気になって、中身をロクに見れなかった場合だ。
これを理由に否定するとすれば、それこそ中身ではなく有名人や権威に惑わされている証拠だ。
まさに「現実の観察」が出来ていない人間だ。こういう人間に「世界の誰もが言っていないことを言」うなんて芸当は無理だろう。
他人の意見に左右されるどころか、外面を見て勝手にあっちこっち向いてしまうんだから。
248神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 00:47:35 ID:XlwEi6Xn
ここにいる糞尿共は一体議論もすすませないで何がしたいの?
日中から暇すぎんなおまえら
おまえらができる最善は死ぬことだぜ
249神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 00:53:19 ID:PwHxOinl
ソースが明らかになれば検証し直すことができるようになり、
判断の上で捨ててしまうことも可能になる。
「縋っている」という表現はこの点でも誤りだな。
250神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 01:10:38 ID:p8H9zins
>>247
自作自演はいいんだよ、隠居。恥ずかしい奴だな。
おまえの話が今まで誰も言わなかった凄い話?
あほか、お前の話は誰でも思い付く下らない凡夫の知恵ばかりだし、
仏教思想からみたら間違いだらけだと皆からコテンパンに論破されてる
ガラクタばかりじゃねぇかよ。みえすいた自演で自画自賛までして、
おまえ本当、頭おかしいよな。
251神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 01:40:06 ID:4doBViCh
>>140
>  神智学の説く転生とは進化の法則の故、人類から下等生命への転生は在り得ません。そ
> のような見解は転生による経験の獲得を全く無始した暴論です。

つまり神智学以外は暴論だと。

宝珠氏はこれまで度々インドの伝統的な考え方を称揚してきましたが、
インドの伝統的輪廻説には、神智学的な進化(人間になったらもう動物に生まれ変わらない)は、
まったく含まれていません。

そしてまた神智学系以外では、下等生命への転生はありえないが転生自体は認める、という思想を
私は知りません。

つまり、宝珠氏は神智学と一致する限りにおいてインドの伝統的な考え方を称揚してきたのであって、
結局のところ、神智学以外は暴論だといっているということですね。

しかもブラヴァツキーとかアーサーEパウエルとかの古い神智学でないとダメみたいですね。
252神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 05:41:07 ID:4doBViCh
>>139
>>敵か味方かでしか物事を考えられないのかもしれんな。
> 人聞きの悪い表現は辞めて下さい!

実際のところどうなのです?
敵味方をハッキリさせるために質問しているように見えるのですが、違うのですか?
そのところを明確にせずに被害者ぶられても、お気の毒ですが
一人で気分を盛り上げて悶えているようにしか見えません。

大体、人聞きの悪いことを止めてもらいたいなら、
まずご自分が人聞きの悪い表現をやめたらいかがですか?
人には禁止しておいて自分だけやりたい放題の形を作りたいとしか思えませんが。
あなたには、人には「人格攻撃」といっておきながら
その舌の根が乾かぬうちに人格攻撃をしてきたという前科もあります。
253析空:2009/07/21(火) 06:13:11 ID:mGlbf/Sg
>>236
「存在」という言葉には、人間に
「存=知られている」という意味と
「在=場所」という意味があり、
「ある」という言葉の方が、守備範囲が広いのでは?
254析空:2009/07/21(火) 06:19:17 ID:mGlbf/Sg
>>248
死ぬことが最善?
その根拠は何ですか?

不幸な輪廻を繰り返すだけだと思います。

つまり、死ぬことは最善では無いでしょう。
255一在家:2009/07/21(火) 06:36:15 ID:SmQuqLvM
一神教と仏教とに関する議論があります。

原始仏典では多神教です。
複数の梵天や神が登場します。
釈尊の前世の転輪聖王はブラフマン界へ往かれました。

梵天のどなたかの預言者が立教された一神教もあるかと存じます。
神は預言者に自分は唯一最高神だと伝えます。
命がけの布教に誘う方便でしょう。
256神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 06:43:18 ID:s7IsIuWh
それは方便という名の侮辱だよ。
257析空:2009/07/21(火) 08:01:33 ID:mGlbf/Sg
>>255
「命懸けの布教」が尊いと思うのは、貴方のこだわりです。

こだわりは苦しみの元です。

こだわりは棄てましょう。
258走召 糸色 文寸 ネ申:2009/07/21(火) 08:40:59 ID:N7Z2yD6R
>>255
原始仏教はバラモン教を否定しておらんだけだ。
なぜなら、そんなことは些事だからだ。
くっくっく。
259一在家:2009/07/21(火) 09:36:32 ID:BXvqxIa8
>>256
仏も現世限りの寿命だと思わせる方便を使ったそうです。

永遠の存在、常住だと伝えると、また会えると思って衆生が
有り難く思わないからだそうです。

出典:法華経「如来寿量品」
260神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 11:42:05 ID:AexL3DjL
現実上の根拠皆無な宗教を信じながら、根拠に拘ることの不思議。

根拠は、「現実上のもの」でなければならない。そうでない根拠を、「妄想」
と呼ぶ。
261神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 11:47:50 ID:4doBViCh
イエスに狂わされた人が何をいっても無駄。
262走召 糸色 文寸 ネ申:2009/07/21(火) 11:54:11 ID:N7Z2yD6R
>>260
現実をどうするかが佛法なんだよ。
くっくっく。
263一在家:2009/07/21(火) 12:10:49 ID:HvTb+Gfa
>>153
>さて、六道輪廻の話だが、人間が他の生物にも生まれ変わるとするならば、
>全ての生物に等質のアートマン即ち霊が、存在することになるが
>犬、猫、などはまだしもバクテリアなど細菌にも霊はあるのか?なんて話も出てくる。

小学生の頃読んだお釈迦様のお話では、釈尊は猿を初め色々な動物に転生された
とか。

私自身の霊的な体験でも、人が動物に転生する事例を知っております。
(例1)
・前世で非常な恨みを持ったまま殺された。
・子孫代々に憑依して命をうばってきた。
・蛇の姿になって、蛇に転生する。

元々蛇の魂が人間として生まれることは存じませんが、元々人間の魂が生前の
行為や想いのカルマで動物に転生することは時々霊動現象でも現れてます。
他にも事例は多数ありますが、スレ違いなので、お後はよろしいようで。
264神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 12:19:46 ID:AexL3DjL
>>253
>「ある」という言葉の方が、守備範囲が広いのでは?

I am that I am の最後の"am"は、完全自動詞で、「存在する」の意味。
"God is."とだけ言えば、「神は存在する」の意味となる。"I am a God"
(わたしは、神である)の"am"(不完全自動詞)とは、意味が異なる。

I am that I amのthatは、"that which"の意味の古い関係代名詞で、
「物」と「人」との両方に使われる。最近の聖書の英訳では、I am who
I amに変えている。何とかして「物」を排除しようととする、キリスト
教の見え透いた小細工である。
265神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 12:58:46 ID:AexL3DjL
>>262
>現実をどうするかが佛法なんだよ。
>くっくっく。

未だに、佛教の{空」を、「幻」だなどと勘違いしている仏教徒もいるなw。
266一在家:2009/07/21(火) 13:40:24 ID:BXvqxIa8
>>165
>イエスにとっては、神とは、万物(創造)どころか、「自分(の父)」だけなのである。

イエスは自らを「人の子」と言っておられます(マタイの福音書)。
「イエス=神自身」としたのはヨハネの福音書の書記(自称イエスに愛された弟子)、
それを担いだのがエイレナイオス、アタナシウスというのが私自身の読みです。

グノーシスの智慧を借りなくても、3つの福音書とヨハネの福音書とを
読み比べれば複数の相違点を悟れることでしょう。

目下、「非我=無我」と訳して大乗仏教徒に誤解を与えた張本人も探しております。
267神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 13:52:53 ID:ssyWnDur
ああ? 非我と無我が違うがどうしったってんだ。
アホか?
268一在家:2009/07/21(火) 14:00:41 ID:HvTb+Gfa
>>180
>イエスの「敵を愛せよ」という言葉で、一体、何億人の生命が奪われたか。

敵もまた「神性を宿す」という教えが、改竄されているからのようです。
クリスチャンと同様に、仏教徒、ムスリム、無神論者も神性を宿します。

死海文書(エッセネ派ユダヤ教)には「全ての人は光の箇所を宿す」とあり、
異端視されたトマスの福音書では「どこから来たと問われれば、光から来たと答えよ。」
とイエスは説かれております。

「イエス=神自身」としたのはヨハネの福音書の書記(自称イエスに愛された弟子)、
それを担いだのがエイレナイオス、アタナシウスというのが私自身の読みです。

本スレは仏教スレですが、「全ての人は神性を宿す」という真理は、
「全ての仏子はやがて仏になり得る」という法華経の真理とも通じておりますので
スレ違いではないかと存じます。

まあ、輪廻を否定して、現世だけで「仏になる」というのは無理が多いように
思いますが。
269神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:03:35 ID:ssyWnDur
センスゼロ。

仏教とは、諸々の煩悩、概念をなくしていくやり方。

前世より、引き継いだ「何か」をもったつもりになって仏になど成れるはずが無い。
270神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:05:12 ID:HvTb+Gfa
>目下、「非我=無我」と訳して大乗仏教徒に誤解を与えた張本人も探しております。

「我にあらず」=非我→無我→無霊魂、仏教は無霊魂説だと思い込んでいる人が
増える「因」を生じてますよという意味です。
271一在家:2009/07/21(火) 14:09:17 ID:HvTb+Gfa
>>269
>前世より、引き継いだ「何か」をもったつもりになって仏になど成れるはずが無い。

釈尊は前世は転輪聖王だったこと、ブラフマン界へ行ったことなどを
記憶したまま仏に成りましたよ。
272神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:10:25 ID:ssyWnDur
大乗仏教はオカルトバリバリだし、
竜樹はオカルト電波ユンユンだ(笑)
カルトの連中は竜樹が唯物論者だと決め付けて敵対心持ってるのは筋違い(笑)
273神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:13:29 ID:ssyWnDur
>>271
良く調べてみろよ。
記憶を持っていたのでなく、瞑想により、「思い出した」であるはずだ。
それの真偽は確かめる術がないけどな(笑)
274一在家:2009/07/21(火) 14:26:53 ID:HvTb+Gfa
>釈尊は前世は転輪聖王だったこと、ブラフマン界へ行ったことなどを
>記憶したまま仏に成りましたよ。

長部経典における出典は本スレで提示済みです。
菩薩のみ、入胎、出胎にも記憶を失わないと説かれております。
275神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 14:31:44 ID:ssyWnDur
>>274
で、あんたは、どうなんだ?
真面目に仏道をやって涅槃に入る気があるのか?
これだけ、仏教を勉強してるなら、煩悩を絶つことが涅槃であることは知ってるはずだ。
来世を望むということは、「知っておきながら業を重ねる」という、
より重い罪を作るとはおもわないのか?
276一在家:2009/07/21(火) 15:03:43 ID:BXvqxIa8
>>275
>真面目に仏道をやって涅槃に入る気があるのか?

私は仏教徒ではないですし、涅槃入りを目標にしているわけでも
ないです。
また私自身は「涅槃」より「衆生済度」を望みます。

冷静に世界を見ますと、既成宗教が無力化して葬式・結婚式・正月用
とビジネス化し、贅沢を追求する人類が地球温暖化を加速しております。
海面上昇、熱帯ウィルスの北上、大災害と大旱魃による食料危機、
22世紀以降は再生するまともな肉体も無くなりそうです。
277神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 15:05:40 ID:ssyWnDur
衆生済度というのは、衆生に涅槃に入る方法をはっきりと示す事だ。
衆生を輪廻に迷わせる事を衆生済度とするなら
その罪は重いぞ。
278神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 15:16:37 ID:NOt3ZCKK
>>259
来世の転生といてるじゃん。無理ありすぎだね。

「方便」も濫用されやすい言葉だな。
279神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 15:21:56 ID:HvTb+Gfa
>>219
>   ヽ ノ
> .( O三O)

旧7氏は論理を重んじますが、論理を超える日が来るかと
ふっと直感しました。

根拠は絵文字のセンスが非常に良いからです。
美術的才能は右脳の才能であり、霊感にも通じるからです。
280神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 15:25:26 ID:ssyWnDur
オバサンの仏教論、所詮井戸端会議レベルか。ヤレヤレだ。
281神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 15:42:09 ID:NOt3ZCKK
>>264
空論かつ只の陰謀論だねえ。
>>279
それたぶん彼のオリジナルじゃないよ。
ttp://www.geocities.jp/sakisms/1line-rider.html
少なくとも改変元があるとおもう。
282神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 16:20:25 ID:31M4xOkE
>>281
>空論かつ只の陰謀論だねえ。

だったら、何故、thatをwhoに変えたのか、説明できるか。何故、「妬む神」を
「熱情の神」と変えたのか。

宗教が、「自己正当化」のためには、あるゆる小細工を弄する事は、非宗教者に
とっては常識である。
283神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 16:35:54 ID:C0e2kovy
>>277
凡夫が衆生済度などできんよ

一般人の仏教知識はほとんど江戸時代の心学レベルだから
使い方が雑で安易な方向にすぐ流れる
しまいにみんな心はひとつという少年マンガなみの風呂敷のたたみ方でおわるから
みんあ白ける

役人が悪いだなんだえらそうなこと言って結局全体の把握もなにもしていない
おばさんと同じ

旧7氏がいなくなって途端にレベルが下がった気がする
284神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 16:50:41 ID:31M4xOkE
>>283
佛教って、「自称佛教専門家w」専用の「精密科学」なのかw。それじゃ信者
はついてこないぞ。
285神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 16:53:49 ID:YAo+OArE
で?結局、アートマン肯定派諸氏は
仏典による論拠提示はこれまでのところは、なされていないようだが
どうしたのかな?

期待してるのだが
286一在家:2009/07/21(火) 17:44:45 ID:HvTb+Gfa
>>285
>>655/8 ※提示済みです。
>説法、「修行完成者は再び母胎に宿ることはない。」
>アートマン肯定論者が積極的にその実在を主張するのであれば、
>その論拠を提示しなくてはならない。

仏典のなかに釈迦が
「再び母胎に宿ることはない。」と説いているものがあるのか?
在るのならば、まず其れを提示し、それが

1> 方便などではなく、「再び母胎に宿る存在」を説くものであること

2> その資料が他のものに比して信頼性が高いものであること。
A. スッタニパータとディーガニカーヤが出典なり。

3> さらに、そこで説かれている内容が、他の主要教義に矛盾しないものであること。
A.「再び母胎に宿る人」と「再び母胎に宿らない人」の存在を度々説いている。

4> その経典の中の語彙に対する解釈が恣意的ではないこと。
A.「再び母胎に宿ることはない。」をそのまま解釈しただけである。

以上、考察です。
287神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 17:45:43 ID:p8H9zins
>>285
論拠なら宝珠氏あたりが今までさんざん書いてきてたと思うが、あんた頭おかしいの?
論拠というなら、否定派の人達のほうが、皆無に等しい。
288一在家:2009/07/21(火) 17:48:00 ID:HvTb+Gfa
>>285 ※前スレで紹介済みのコピペ
長部経典では第九経の「布藻g樓経(ポッタパーダ経)」に詳しく
記載されてますので、一部紹介します。
説法対象者:遍歴の行者ポッタパーダ、象使いチッタ(後に阿羅漢)

【アートマンの三種の分類】
釈尊、「ポッタパーダよ、次のような三種のアートマンの概念があります。
すなわち、物質的なアートマンの概念、意よりなるアートマンの概念、
非物質的なるアートマンの概念です。」
・物質的なアートマン:形態があり、四つの元素からなる
・意よりなるアートマン:形態があり、すべての感覚器官を備える
・非物質的なるアートマン:物質的でない、心理作用からなる

釈尊、「(象使い)チッタよ、たとえばそれは、牛から牛乳が出てきて、
その牛乳からヨーグルトができ、そのヨーグルトから生バターができ、
その生バターからバターができ、そのバターから醍醐が生じるようなものです。
牛乳が生じるとき、それはヨーグルト、生バター、バター、醍醐と呼ばれる
ことがなく、ただ牛乳と呼ばれます。」

※釈尊はアートマンを否定はせず、世の中の三つのアートマンの分類を
世間の単なる名称、言い表し方、概念に過ぎないと説かれております。

「ポッタパーダは、異教の見解・忍耐・目的・実践・師によっているから
『心理作用とアートマンは異なる』ということを、知り難いのです。」
(※文脈から見て、釈尊を師とすれば悟れるという意味でしょう。)
289神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 17:50:03 ID:Us28ZqfG
>>286
>「再び母胎に宿ることはない。」と説いているものがあるのか?
因縁生の我は否定していない。
アートマンはないということでいいですか?

>>287
論破済み
290一在家:2009/07/21(火) 17:50:33 ID:HvTb+Gfa
もしアートマンが仏子の持つ仏性ならば、それが人間の「本質」であり、
(猿、犬、花の本質と異なり)体・五感・意識・想念という「相」の変化
である「無常」に左右されないことになりますね。

「無相とは、自性の無いこと」が多くの見解ですが、本当の自己の本質
である仏性(真我)を覚る・悟ることにより涅槃に至るという意味にも
とれるかと存じます。
291神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 17:52:40 ID:YAo+OArE
>>286 あのな、在家よ。
いい加減にせえよ。

それは前回お前が提示したとき「それは修行完成者即ち解脱者は二度と輪廻を
繰り返さない」
との趣旨の文であり「アートマンが実在することを説いたものではない」
と言っただろうが。

あのときは、そのまま黙ったくせに、ほとぼり覚めたと思ったらまた出してきやがる。

お前のそのやり方なんとかせえよ
292神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 17:52:45 ID:Us28ZqfG
>・物質的なアートマン:形態があり、四つの元素からなる
→境
>・意よりなるアートマン:形態があり、すべての感覚器官を備える
→根
>・非物質的なるアートマン:物質的でない、心理作用からなる
→識

一切におさまります
293一在家:2009/07/21(火) 18:00:49 ID:HvTb+Gfa
>>289
>因縁生の我は否定していない。
>アートマンはないということでいいですか?

因縁生の我を「魂」、「アートマン」と見なしている人もおりますし、
私の見解もそれに近いです。
肉体の寿命と比べて、「魂」の寿命は桁違いに長いですが、誕生も
成長も消滅もあり、常住不変ではないことになります。

もし「アートマン」は常住不変の存在だと定義すれば、「魂」とは
異なることになりますが、それも名称と定義の問題かと存じます。

同様に「ブラフマン」を究極の唯一神と定義しますと、長部経典に
登場する複数のブラフマン(大梵天達、梵天達)と異なりますが、
これも名称と定義の問題かと存じます。
294神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:04:24 ID:Us28ZqfG
>「無相とは、自性の無いこと」が多くの見解ですが、本当の自己の本質
>である仏性(真我)を覚る・悟ることにより涅槃に至るという意味にも
>とれるかと存じます。

有と思うのはあやまりです。
私の言うすべては妄言である。と自省したとき、この言葉だけが例外と受け取られるのと同じです。
その言葉が真実であること一つをとって、自省を破ることはむしろ、この言葉を否定しているのと
同義だからです。
295神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:06:24 ID:Us28ZqfG
>因縁生の我を「魂」、「アートマン」と見なしている人もおりますし、

因縁生の我は常住ではないので、仏性ではありえない。
また、常住でないという意味で使われるアートマンは
すなわちあなたがたのいう低我、日常認識されているところの私に他ならない。
296神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:07:16 ID:YAo+OArE
>>287 は? 「アートマンの実在を説いた経典」を提示した?
どれ?
そんなのあったか?

挙げてみ。

言っておくが「そのようにも読める」なんてのは話にならんぞ。

297一在家:2009/07/21(火) 18:08:28 ID:HvTb+Gfa
>>291
>それは前回お前が提示したとき「それは修行完成者即ち解脱者は二度と輪廻を
>繰り返さない」
>との趣旨の文であり「アートマンが実在することを説いたものではない」
>と言っただろうが。

換言すれば、「それは修行完成者即ち解脱者以外は輪廻を繰り返す」との趣旨の文
であり、「輪廻する存在が実在することを説いたものである」ということが認識
されますが。

>あのときは、そのまま黙ったくせに、ほとぼり覚めたと思ったらまた出してきやがる。

釈尊も黙して答えない時もありましたね。それから週末はパソコンを使える時間
に制約があり、回答できない方々も多数ございました。
298神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:09:28 ID:YAo+OArE
>>288 それも何度もアートマンの実在を釈迦が認めたものではないと繰り返し指摘されてきたろ?

なんで何回も繰り返すわけ?
299神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:12:58 ID:YAo+OArE
>>291 だから輪廻説も輪廻基体を仮設しない輪廻説もあるわけで、輪廻を前提としても輪廻基体のアートマンが
実在することにはならないと前回も指摘したろうが?
もう忘れたの?
300一在家:2009/07/21(火) 18:19:20 ID:HvTb+Gfa
>>299
>だから輪廻説も輪廻基体を仮設しない輪廻説もあるわけで、輪廻を前提としても
>輪廻基体のアートマンが実在することにはならないと前回も指摘したろうが?
>もう忘れたの?

「輪廻説も輪廻基体を仮設しない輪廻説もある」はよく覚えておりますよ。
あの時、出典や更なる解説を求めませんでしたので、私が了解したと貴兄が
認識していることが分りました。

今回は出典と解説をお願いします。
301析空:2009/07/21(火) 18:21:22 ID:mGlbf/Sg
>>297
輪廻する主体が想定されていると思うのは、間違いです。
「ミリンダ王の問い」で、輪廻する主体が無くとも輪廻が可能であることが説明されています。
簡単に説明すると、魂は蝋燭の灯のようなもので、蝋燭という五蘊によって縁起しています。
灯が消えれば、灯は何処にもありません。
302神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:55:08 ID:ELarU9yd
輪廻の終焉とは、五蘊が消滅して意識が消えて完全に死ぬこと?それが解放なの?
303神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:58:18 ID:9oq90BUs
8スレ>913 宝珠氏 (>>217を修正版)
今回のレスは本当に呆れました。教証はおろか、概説書に依拠することすらも放棄し、
神智学の布教と理論武装と権威付けを隠そうともしないのであれば、カルトそのものですよ。

>つまり、それは現象界のことを一切といっています。真我(真実の自己)は現象界を超越しているのです。

第一に、教証は何ですか? 今回は概説書の引用すらもありません。
単なる神智学的偏見に基づく無根拠な感想文の披瀝でしかない。
8スレ>690に拠り、ついに水野先生の恣意的引用も不可能になったということですね。
690で引用して指摘したように、水野先生に拠れば、「現象界を超越している」などと言い出すのは、
「原始仏教」ではなく「部派仏教」です。
いつまで「ありもしないもの」を説き、釈尊を愚弄し続けるのですか?

第二に、貴方の邪見は言語慣習をも無視しています。
「一切」なのに「外」があるならば、その「一切」は「一切」ではない。子供でも理解可能なことです。
そして、SN.35.23では、「十二処が一切」だと説かれており、しかも、それ以外の「一切」を説くならば、
「ありもしないもの」を説いていると明言しているのにも関わらず、その「外」があると言うのであれば、
「『十二処』と『その外』こそが“一切”」だと貴方は邪見しているのです。
つまり明らかに「それ以外の一切」を説いているのだから、
SN.35.23への疑問の余地のない背反であり、釈尊を嘘つきに仕立て、愚弄しているのです。


>その部分を引用紹介してもらえます?

貴方こそ、教証を挙げてもらえます?
304神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:58:52 ID:YAo+OArE
>>300 あのね、それもかつて真言氏が述べていただろ?

なぜ同じことを繰り返すの?
詳しくしりたかったら「龍樹と輪廻」「石飛氏」を読め。
ネットで見れるから
305神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 18:59:40 ID:9oq90BUs
>>303の続き(>>220の修正版)
>誤解しているのかもしれませんが、転生している媒体は真実の自己ではありませんよ!

「誤解」? 誰がですか? 一人称と二人称の区別は付いていますか?
第一に、「転生」に「媒体」は不要だと、SN.5.9-10に拠り指摘済みです。
第二に、『中論』18.1に拠り指摘したように、もしも我が五蘊と同一ならば無常だし、
別異ならば五蘊相を如何にしても持ち得ません。
即ち、もしも我が五蘊と関係するならば無常であり「常住」ではなく「真実の自己」ではない。
もしも「真我」が「現象界を超越しており」「一切“外”の常住で無我ではない場所」ならば、
五蘊と完全に無関係ですから「真実の自己」足り得ない。
更に「常住」であるから法を転ずることも全く不可能です。


>Dhp.160

SN.1.3.5を引用した上で、釈尊が我や我所に言及するならば、
「言語表現のみのもの」であると、指摘済みです。


>低我、真我

「低我」という語と、「真我」という語、それぞれのパーリ語の原語を挙げて下さい。
それとも、相当する語も無いのに、神智学的偏見で「低我」だの「真我」だのと呼称しているのですか?
そうであれば、「無我」だとする論者を批判することは許されません。
一方で、「無我」ではなく「非我」だ、と言い出すときには、教証を強調しながら、
他方で、「低我」だの「真我」だのと言い出すときには、教証を無視して神智学的偏見で感想文を垂れ流すならば、
「無我」だとする論者を批判することは全く許されませんよ。
更に、もしも「低我」「真我」という訳語が、anattanに対しての「無我」という訳語と比較して、
原始経典の原語に忠実ではないならば、「無我」と訳すことが不適切なわけがありません。
306一在家:2009/07/21(火) 19:26:59 ID:K/wA+8NZ
>>305
>第一に、「転生」に「媒体」は不要だと、SN.5.9-10に拠り指摘済みです。

SNはスッタニパータですか? 手許に無いので週末に確認致します。
307承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/21(火) 19:30:40 ID:IqelzkCz
(^。^;)だから、前から言ってるだろう?

バカどもには、
輪廻は無い
って言ってりゃイイんだよ♪(笑)

それとも、わざと話をヤヤコシくして遊んでんのか?(笑)
308神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 20:31:33 ID:Us28ZqfG
我は五薀を離れて存在しない
そして、我の因縁の結びつきが失われた死後どこかの母親の胎内に入るという。

ならば、胎内に入ると予想されるのは、色受想行識のうち受想行識のどれかだろう
十二縁起によれば、三世両重の因果で来世の因として示されるのは
無明、行、愛、取、有。
無明が彼我の区別を起こさせ、行があらゆる存在をつくり、
やがてそれに愛着をおこさせ、私有したいという所有欲を起こさせる。
そして、それが来世での生存を決める。
つまり、転生とは五薀すべての転生ではない。
現生の我が五薀を離れて存在しないにもかかわらず、来世の我は五薀を離れている。
つまり、現世の我と来世の我は仏教では必ずしもまったくの同一であることを示しておらず
一部の転生、つまり行だけの転生にすぎないということだ。
さらに行とは現存在を決定づけている因縁であることを考えれば
つまり、死んでもこの目の前に展開されている世界が存在し続けるという答えと同じである。

おそらくアートマン信者は世親菩薩をたのんで、業識である阿羅耶識を仮設し
それをアートマンであるとするのが精一杯であろう。だが、世親菩薩は阿羅耶識を因縁生である、
とは言っても我であるとは一言も言っておられない。
世親菩薩の示すところの阿羅耶識は、つまりはミームのようなものと言える。
309神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 20:39:05 ID:Us28ZqfG
たとえば、釈尊の言い方を借りれば
腕をきりとって、他の誰かに接いだとしても、我は転生したと言える。
腕を誰かに移植し続け、それが一万年生きたとしたら、
一万年、我が転生を繰り返したというのが行の転生の感覚である。

つまりは、私が我があるという虚妄を前提とした社会に参加し、あたかもそれが真実であるかのように
振る舞ってつくった業によってその社会がその虚妄の社会を存続せしめつづけるなら
私のつくった業によってできた社会(行)はその慣性によって自己増殖し
死後も、あらたな若者をその社会に参加せしめつづけるだろう。あたかも
その行は若者たちに私の魂が乗り移ったかのように。

釈尊の言う転生とはこのようなことである。
310神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 20:52:01 ID:aOqWkIWn
>>282
thatって訳してるKJVは都合に合わせてシェオル(陰府)を
「地獄」と「墓場」に訳しわけてるが、thatはthatだな。
別に問題が生まれるわけでもなかったんだろう。
キリスト教徒により訳され、キリスト教徒(native並どころか
nativeそのものな人々)の間で問題なく使われ続けてきたこと。
それこそがthatが爆弾でも何でもなかったことの証左である。
神は人格的存在だし別にwhoと訳しても問題無いだろという流れと思われる。
言うまでも無いことだが、捏造英文法と異なり、
「地獄」と「墓場」は確認が出来る(問題点が実在する)突っ込み所である。

さて、前に宝珠愚者に言われていたことがある。
「説明をつけるだけで正しい」とするのは誤りである、と。
隠居はこれを他山の石とすべきである。
翻訳が適切かどうかはヘブライ語の素養がある人に判断を任せよう。
わからないことは正直にわからない、という事、それは最低限の知的誠意というものだ。
無知を下種の勘繰りで補完したところで自己満足に過ぎず発展は無い。
311神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 21:05:41 ID:aOqWkIWn
彼はなぜか裁判を持ち出すが、説明さえつければいい、
という考え方だと冤罪事件が大量生産されてしまう。
こうした安易な考え方はあってはならないでっち上げの源泉ではないか。
慎重さの無い捜査や裁判、しかも相手をただ攻撃するという
目的に貫かれているとなればゾッとせざるを得ない。
312神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 22:43:17 ID:4doBViCh
>>297
> >あのときは、そのまま黙ったくせに、ほとぼり覚めたと思ったらまた出してきやがる。
> 釈尊も黙して答えない時もありましたね。それから週末はパソコンを使える時間
> に制約があり、回答できない方々も多数ございました。

人の話を無視した上に自説をゴリ押しするのは、コミュニケーション能力の低さであって、
釈迦が無記を貫くのとは全く意味が違います。

釈迦になぞらえて、自分の行為を正当化するのは恥ずかしいことです。

以前も凡夫が黙っていられないことと、菩薩が黙っていられないことを一緒くたにしていましたが、
今回も同じような混同を起こしています。
313旧7:2009/07/21(火) 22:54:33 ID:aCGqIkw4
ホンっっっっっっっっっっっっっっとに、
在家も宝珠も屑だな。
314旧7:2009/07/21(火) 23:05:38 ID:aCGqIkw4
もし、私のことを憎むのなら、
前シリーズでの
≪業報思想の不完全性≫
という疑義への解答、及び、今シリーズでの
≪「非我」→「無我」という流れが、「不自然で」「仏典の記述に反していて」本来の釈尊の意図を歪曲している≫
という根拠・論拠・経証を示していただきたい。
315 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/21(火) 23:07:33 ID:jp5n+41c
人間は死んだらどうなるのだろう。
 
常住であるアートマンが存在しないなら、
死体を燃やされて煙となり、燃え残った骨は大地に帰るばかりである。
アートマンを否定する立場は明らかに断滅に偏している。
316旧7:2009/07/21(火) 23:11:58 ID:aCGqIkw4
>>315
釈尊を無謬だと考えればその通りだ。
だが、もし、もし、世界が・・いや、人の意識が断滅だったとしたらどうするよ?w
317神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 23:22:54 ID:u/h8fuof
>>53 前スレの984です。ひとこと、おことわりしておきますが、>>22は別の方のコメントです。
>片山先生はアッタカターに忠実で信用できる。

片山先生のような、ビルマ第六結集版の本文と註疏という、ひとつの確固とした体系を
日本語に移すという堅実な作業も、今後の研究発展の礎石として大変重要なことですし、
中村先生のような、古代東部マガダ語やサンスクリットの知見を援用し、また各種資料を
博捜して原初の語形・語意に迫ろうという試みも、これもまた重要であると思います。

モニエル梵英辞典を引用したのは、そういう中村先生ですから、サンスクリットでの、性による
語義区分等も勘案した上で、当初の語義を推定されたのではないか、ということでした。
ナータの解釈はメインテーマではなかったので、説明が簡略すぎました。

ちなみに、いろんな方がダンマパダを和訳してきましたが、片山訳「自己こそ自己の寄る辺
なり」の前例としては、1934年ラジオ放送の『法句経講義』で高名な友松円諦師の訳「おのれ
こそ おのれのよるべ」がありますし、中村訳「自己こそ自分の主(あるじ)である」(1978年)の
直前には前田恵学訳「自己こそ自己の主である」(1974年)があります。

「おのれこそ おのれのよるべ」というと、ダンマパダ188のようなことや自帰依法帰依なども
連想されますし、個人的には、157の「自己をよく守れ」と関連づけて、感覚器官あるいは心を
守る、という意味でprotector(守る者)と解することもできるのではないか、と思います。

>>22 自他の対比の件ですが、これは、ドラマ『天地人』が人気のようなので、城の攻防戦に
たとえると、城を守ると言うのは、結局、城の人々が自分たちを守るために戦う、ということに
なりますが、自己が自己を調えるなどと言うのも、そのような言い回しだと思います。
318 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/21(火) 23:42:22 ID:jp5n+41c
常住であるアートマンを否定するなら、あの世はまったく無意味であり、
業も果報もない、死んだら終わりの虚無主義になるだろう。
 
大乗仏教はアートマンを否定するが、
これでは死んだら終わりの虚無主義を説いていることになる。
 
こんな主張は、犯罪者が喜ぶ犯罪者の理屈のようなものであり、
尊敬ではなく軽蔑すべきものであり、恥ずべきものである。
 
大乗は、アートマンを否定し空を掲げるため、見事にひっくり返った。
319神も仏も名無しさん:2009/07/21(火) 23:45:55 ID:Us28ZqfG
なんで?
仏教は別に死んだら自分の我がなくなる、消滅するとは言ってないだろ
自分には我があるという妄念も相続される。
有無の見に堕するな
320 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/21(火) 23:57:10 ID:jp5n+41c
アートマンを否定する者は、死んだら終わりだと思っている。
チャンスがあれば、言いたい放題やりたい放題のことをするだろう。
押さえるものがないので本質的に犯罪者である。
321神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 00:16:51 ID:ZOcU1Awi
キリストは犯罪者、というのと変わらないね
322神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 00:22:15 ID:H/H8MjB/
>>320 あれ?また出てきたの?

ならば、>>152 >>141へのレスは?

間が空いたと思って、しらっと無視してやりすごそうと
思ってるのかな?

そんなことではいけないな。
そういう態度ならば、俺としては何度でも
>>147 の書き込みを繰り返し、このスレの各位に注意を呼びかけることとします。
323神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 00:58:18 ID:mJtjfSrb
>>320
>アートマンを否定する者は、死んだら終わりだと思っている。
>チャンスがあれば、言いたい放題やりたい放題のことをするだろう。

死んだら終わりであるからこそ、この世をよりよく生きる意欲が生じる。
来世の甘言と脅迫の下に生きることは、「奴隷としての人生」「操り人形
としての人生」であり、人間そのものの否定である。
324承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/22(水) 01:06:26 ID:otU2uRyg
>323
ハゲ同♪
てか、社会性とか個人としての矜持とか、いろいろ欠落してるわな♪(笑)
325神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 01:13:39 ID:mJtjfSrb
>>310
>神は人格的存在だし別にwhoと訳しても問題無いだろという流れと思われる。

ヘブライ語の原語が、「人」と「物」の両方を含みうるのなら、「人」に限定
するwhoは、聖書の捏造である。「神が人格的存在」か、それとも「物」も含む
のかは、あくまでヘブライ語の原語から判断すべきであろう。「最初のnative
の訳者」は、その両方を含むと解してthatを使ったのである。
326神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 01:19:53 ID:03KTjsUr
君らの先祖である猿が、死ぬ前に個人のプライドなどを問題にしたかね
自分にはこのような価値がある、権利がある、おこがましいとは思わんかね
327神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 01:25:26 ID:mJtjfSrb
>>325
それは猿に聞いてみないと分らないことだ。

「人間の祖先である猿」は、少なくとも「来世」の奴隷や操り人形と
してではなく、「一度きりの生」を精一杯生きたはずだ。
328神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 01:40:03 ID:mJtjfSrb
>>326
イエスの生まれるはるか前に生まれた猿(従って、イエスの大先輩)は、
「罪概念」の奴隷としてではなく、「無原罪の存在」として生きたはず
だな。この意味で、キリスト教発生後の人間は、イエスを含め、「猿に
も劣る存在」に堕落させられたことになる。

なお>>327も、>>326に対するレス。
329神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 01:52:00 ID:03KTjsUr
猿は精一杯生きた、君も精一杯生きればいい、何が問題かね
自分はこれが不服だ、自分にはもっと生を享受する資格がある、おこがましいとは思わんかね
330神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 01:54:26 ID:03KTjsUr
猿は罪など知らなかったよ、だが無駄な争いをしたことがあるかね
罪を知る者を罪を知らぬと言い、自分は罪を知ると言いながら罪をつくる、おこがましいとは思わんかね
331神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 03:14:16 ID:g3/az0bX
>>320
アートマンがなくても輪廻は可能だという話が前に出てるじゃないか。
332神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 05:08:46 ID:U235mzlC
>>314
業報輪廻の不完全性ってなんだ?
お宅がそんなこと言ってたなんて完全に見落としてた。
論破してあげるから、その不完全性とやらを
ここにやかりやすく説明してみな。
333神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 05:41:15 ID:6RQUa/e8
皆わかってると思うけど、>>323は隠居な。

>>324
おやおや、さすが草加同士。気が合うようじゃねぇか(嘲笑)

おまえには、隠居のレベルがお似合いだよ。
334神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 05:46:43 ID:R6sCD6IW
お前は統一教会だろが。
いつも火病でテンパッテルから、間違いないわ(笑)
335神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 07:33:30 ID:ZuPQ0BBg
>>325
>聖書の捏造である。

指している意味・範囲が同じである以上、捏造とは言えない。
聖書のほかの部分からも、「ある」に自然物を含んでいないことは明らかである。
そもそも捏造英文法は空想上のものに過ぎないため、
これを当てはめること自体がナンセンスである。

>「最初のnativeの訳者」は、その両方を含むと解してthatを使ったのである。

「最初のnativeの訳者」、この訳を使い続けてきた人々双方が汎神論者だった事実は無い。
唯一神教の信者の間で問題なく使われてきたのである。
336神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 08:00:43 ID:bOQOJFXt
>>320
>アートマンを否定する者は、死んだら終わりだと思っている。
そのように考えるのが断見であり仏教から外道といわれた立場だね。
自分の死んだ後がどうなるかなんて自分では不可知だろ。だから
釈迦はそういうことに対しては無記とした。
どうとでも考えられ現実で証明できない事柄だから。
これは現代の科学の合理主義の立場とも同じだろう。
君は何でアートマンが無ければ死んだら終わり、何も残らないと思うのか?
唯物論では死んだら生命が無くなり身体はもとの元素に還る、とする。
唯物論でも決してすべてが終わりになることはない。
337神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 08:16:18 ID:5eqHEI3a
この場面は新約のエゴーエイミネタにも結びつけられる重要部分である。
その訳が汎神論的内容ならすぐに修正されていただろう。
が、問題なく使われたのは勿論、他の訳でも同じ訳され方をしている。
単なる翻訳上のバリエーション、パターンに過ぎないことはここからも示される。
338神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 08:45:01 ID:bOQOJFXt
>>317
>自己が自己を調えるなどと言うのも、そのような言い回しだと思います。
>>22をアップしたものです。>>22ではその元の引用部分を見ただけで文法
的には中村訳のほうが合っている説明をしてるのになぜ片山訳のほうを
採ったのだろうと不思議におもったからだけです。
「自己が自己を調える」ならその自己は可変の自己で無ければならないから
不変の「我(アートマン)」ではありえない、というのは普通の論理的帰結
でしょう。
339一在家:2009/07/22(水) 10:29:51 ID:Rzl/zjMq
>>308-309
これまでの「転生など無い」という方々とは違って、
「これぞ釈尊が説いた転生だ」と解説いただきまして
有難うございました。

貴兄の論拠とされた経典は何かご教示いただきたく。
340旧7:2009/07/22(水) 11:18:45 ID:ClndziRK
夕べは酔って帰ってきたせいか、外道バリバリな発言(>>316)をしとるなwww
さて・・・

ん? カラスか?
>>332

まとめ的なもの
・【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】7
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1232767495/183-184
・【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/680

内容
・【最終】仏陀は転生(再生誕)を説いた!?【決着】11
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1235556630/
  〔 665-675、677-681、682-683、686、696 、(774)〕

お気に召すかどうか知らんがw、めんどくさいんでこれで勘弁しろw
341神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 11:43:51 ID:03KTjsUr
日食見れなかったお(';ω;')
342 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 13:09:40 ID:aTB9mYeS
>>336
唯物論のごとく、死んで物質に帰ることを、「死んだら終わり」と表現する。
君の自分という本質は、君が死んだ後どうなるのかな。
最初から本質を認めていないなら、それはすでに死人同然なのであり、
仏教で言う断見であり外道ということになる。
343神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:15:15 ID:g3/az0bX
本質がある、とするのが断見で外道。
344宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:18:47 ID:kvh5Yrhb
>>303>>305
あなたの真摯な姿勢には頭が下がります。
私も一応、これでも大真面目にやっているのですが・・^^

 すみませんが、すでに幾つか反論すべき内容は思考内にありますが、ここで文章化に

暫く時間を貰いたいと思います。
 スレでは皆さんも熱心に投稿を続けているようであり、意見を述べたり、質疑に対して自
分で考えるということは基本的に良いことです。〜ということで、どうかマッタリモードでお付
き合い下さい。

 ただ残念ながら、伝統的な無我論者たちに比べて、こちら側(非我論者、及びアートマン
論者)には仏典に詳しい人の比率は少ないかもしれません。閲覧者の中から、更なる助っ

人の登場を期待したいところですが・・しかし、自分自身でも努力すべく、この数日間、遠方
へと足を運んで大きい図書館にでも行ってみたいと思っています。
 他に、更に決定的な根拠(経文なり)や名解説がないかを探してきます。無我は後代の誤
りだとする仏教学者が事実いるのですから、きっとどこかに詳しい解説がある筈です。


老衰と夜勤ボケで思考力がありませんでしたが、
やや回復してきたところです。
だんだん見えてきましたw
345 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 13:22:55 ID:aTB9mYeS
空論者が尊大で横柄で傲慢になる理由
・・・チャンスがあれば、やりたい放題、言いたい放題
 
1 いっさいを空とし、自分が世界の支配者になったつもりになる。
2 いっさいを空にするから、その人を押さえつけるものがない。
3 そうでなくても、知らず知らずのうちに唯我独尊になる。 
346神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:23:09 ID:bOQOJFXt
>>342
>君の自分という本質は、君が死んだ後どうなるのかな。
自分という本質などない。自性は空だね。それが仏教だね。
自性は生きているうちも無いのだから、死んだ後も関係ないね。
自己の生命が無くなって死んでなくなるのはその生命だけであって
五蘊の我、すなわち色受想行識のどの要素も変化することは合って
も無くなることはない。
347宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:24:51 ID:kvh5Yrhb
>>226
私は“原理主義者ではない”
として最初からズーと一貫しています。

>>313
>在家も宝珠も屑だな。

まっ、「屑」でも結構ですけど。
もう少し、ご自分の品位?というものを持つようにしたほうがいいのでは?
巷では、“品格”という言葉が流行だそうですよ(笑)

>>314
>≪「非我」→「無我」という流れが、「不自然で」
>「仏典の記述に反していて」本来の釈尊の意図を歪曲している≫
>という根拠・論拠・経証を示していただきたい。

 要するに、仏教辞典で硬直化した人間よりも、何も知らないごく普通の人の方が、私の提示
してきた経文を読めば理解できるでしょうね。
 何故、「自己と自分」とか「自分の主」などという二重の自己の言い回しをしているのか。それ
は当然、二つ(二種類)の自己について述べようとしていることは明白ですよ。何度も述べた通
りですよ。自然に読めば分ることです。あなた方は条件付けられていて、思考が縛られているの
だと思います。

 これは、パーリ原語で単語へと分解したら同じになってしまうのでダメなのですよwww
文章の全体から文意を汲み取ることで二種類の自己であるとして理解されるのです。こうなった
のは、パーリの経典製作者の側に原因があるのかもしれない・・。これで仏教は(本来の本質的
意義を伝えることに)失敗したのです。
348神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:27:06 ID:g3/az0bX
>>344
> 更に決定的な根拠

更にと書いているが、いままでに決定的な根拠は提示されていない。
提示されてきたのは「こうも考えることができる」というもので
曲解であるとの指摘を受けている。

スッタニパータの「無記」の記述に対する反論は一切提示されていない。
349神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:31:22 ID:6qf+Hftk
実体的・固定的なアートマンを認めたら、アートマン同士の排他性が必然的
に生じる。異なるアートマン同士が、同一箇所を占めることは不可能だからだ。
一神教によって如実に証明されている。アートマン肯定論者は、この問題を一
体どうする積りか。

佛教は、アートマンも相互依存で、無自性として、この問題を解決したのである。
事実、アートマンこそ、相互依存の典型ではないか。

それに、実体的・固定的なアートマンが輪廻転生するというのも、論理矛盾
だな。
350宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:32:51 ID:kvh5Yrhb
>>306
「SN.」は
Samyutta-Nika^ya(サンユッタ・ニカーヤ)/相応部経典
の略号です。

参考:略号付/【原始仏教聖典】解説
http://www.sakya-muni.jp/goku01.html
---------------------------------------
>>172
それはごめんなさい!
しかし、話の流れとしては(僅かに)言及させてもらうことがあります。

>>201
真我は救済を願う対象などではありません。
これは救済を求めれば救ってくれるという阿弥陀信仰とは全く異なります。
真我の実現とは自己意識の変成であり、
それは自己修養(鍛錬)によってもたらされるのです。
それに浄土真宗では転生思想を認めません。
根本があまりに違い過ぎます。
351神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:33:04 ID:g3/az0bX
>>347
> >>226
> 私は“原理主義者ではない”
> として最初からズーと一貫しています。

そのことと旧7氏に指摘されている宝珠氏の一貫性の無さについての事柄とは
関係がないように思います。宝珠氏は自分の一貫性の無さについて有効な反論ができませんでした。

> >在家も宝珠も屑だな。
> まっ、「屑」でも結構ですけど。
> もう少し、ご自分の品位?というものを持つようにしたほうがいいのでは?
> 巷では、“品格”という言葉が流行だそうですよ(笑)

ご自分は品位があると思っているのですか?

> >>314
> >≪「非我」→「無我」という流れが、「不自然で」
> >「仏典の記述に反していて」本来の釈尊の意図を歪曲している≫
> >という根拠・論拠・経証を示していただきたい。
>  要するに、仏教辞典で硬直化した人間よりも、何も知らないごく普通の人の方が、私の提示
> してきた経文を読めば理解できるでしょうね。

旧7氏「この読み方が普通かどうかではなく、根拠を提示してください」
宝珠「この読み方が普通です。明白です。」

宝珠氏はコミュニケーション能力に欠如があると言われても仕方のない状況になってきました。
352宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:35:56 ID:kvh5Yrhb
>>251
>つまり神智学以外は暴論だと。
>しかもブラヴァツキーとかアーサーEパウエルとかの
>古い神智学でないとダメみたいですね。

 私がいってる暴論とは、「人間と動物間で転生し合うものと神智学で説かれている」>>56
などという嘘のことです。アグニ・ヨガ/A・A・ベイリー/B・クレーム、M・ドーリル等々〜

どこへいってもそんなデタラメはありません。

>宝珠氏はこれまで度々インドの伝統的な考え方を称揚してきましたが

 伝統宗教は何れも時代の変色を免れていません。下等生命への転生は大衆を戒め
る目的としての方便であり、それらは例え話としての逸話です。人間が家畜動物に生ま

れ変わるのであれば、自分の親族や先祖の生まれ変わりかもしれないというのに、ゴー

タマが三種の浄肉といって肉食を弟子たちに許容する筈がありません。迷信と法則(真

実)とをごった煮で混同すべきではない。

 また、アストラル憑依現象を以ってして、人⇔下等動物間での転生だと誤解されること
もあります。しかし、憑依と転生とは全く異なる出来事です。
353神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:36:33 ID:g3/az0bX
>>350
> それに浄土真宗では転生思想を認めません。

極楽往生というのは極楽に転生するのではありませんか?
「後生の一大事を心にかけて」というのは来世があるという認識があるのでは
ありませんか?
法蔵菩薩は輪廻を繰り返していたのではありませんか?
354 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 13:39:50 ID:aTB9mYeS
>>323
>死んだら終わりであるからこそ、この世をよりよく生きる意欲が生じる。
 
死んだら終わりの断滅論者であるなら、どう生きるべきかの基準が存在しないから、
「よりよく生きる」ことはできないだろう。
その場合、生きる意欲は、言いたい放題・やりたい放題に費やされることになる。
長時間PCとにらめっこしていて目が疲れませんか(~~)
355神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:40:18 ID:g3/az0bX
>>352
>  私がいってる暴論とは、「人間と動物間で転生し合うものと神智学で説かれている」>>56
> などという嘘のことです。アグニ・ヨガ/A・A・ベイリー/B・クレーム、M・ドーリル等々〜
> どこへいってもそんなデタラメはありません。

いずれも神智学がソースなのではありませんか?
つまり神智学以外は暴論だといっているのではありませんか?

> >宝珠氏はこれまで度々インドの伝統的な考え方を称揚してきましたが
>  伝統宗教は何れも時代の変色を免れていません。下等生命への転生は大衆を戒め
> る目的としての方便であり、それらは例え話としての逸話です。

方便であるという根拠がインドの文献の中にあるのですか?
それともそれはあなたの思いこみですか?

> 人間が家畜動物に生ま
> れ変わるのであれば、自分の親族や先祖の生まれ変わりかもしれないというのに、ゴー
> タマが三種の浄肉といって肉食を弟子たちに許容する筈がありません。迷信と法則(真
> 実)とをごった煮で混同すべきではない。

ゴータマは菜食主義だったのですか?
356宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:40:56 ID:kvh5Yrhb
追記:もうひとこと

>>159
>死刑を支持している人には何の問題も無い。死刑になるような犯罪をする人が問題だろ。
>人を憎まず犯罪を憎めばよいのだ。

 ごく普通の何でもなかったような人がある日、突如として犯罪に走るのです。彼らを特別、
(自分とは異なる)変わった人間だと見なす限りは犯罪発生の原因を解明し、低減させるこ
とはできません。また凶悪犯の共通する要因には必ず、生まれ育った環境と家庭内の問

題が見つかる。
 凶悪犯というのは、不適切な社会システムと歪んだ家庭環境によって精神を蝕れた病人
なのですよ。原因としての社会環境の改善という視点に立たずに、ただ精神の壊れた人間
は排除する。その人を抹殺すれば済むなどという論理が犯罪を無くせないでいる根本理由
です。病気は根本原因であるところの環境の改善、そして病人に対しては治療が必要なの
だということを理解する必要があります。

 仏教者(学ぶ者)ならば死刑反対は当然であって、死刑支持など在り得ない見解です。少

なくとも仏典を読む人間ならば、これまでの考え方を改めて欲しいものです。

 『(一)仏教は、生きとし生けるものを殺してはならない不殺生を説く。あらゆる生き物の生命
(いのち)を尊重する観点からすれば、人が人を殺生する死刑制度は廃止すべきであろう。』
(天台宗「死刑制度に関する特別委員会」)
http://60.43.152.48/sougya/sikei.html

参考:死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明
(2009年1月30日/真宗大谷派宗務総長 安原 晃)
http://www.tomo-net.or.jp/info/news/090203.html
357宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:45:30 ID:kvh5Yrhb
>>162
>君は、結局、「死刑は悪いが、犯罪者が無実の人間を殺すことは悪くない」
>と言っていることになるぞ。

誰もそんなことはいってません。
如何なる理由があっても殺人を認めないということが、
つまり、命に対する平等な尊厳というものです。

>殺人犯に理由なく生命を奪われた人のことは、一体どう思っているのか。

もちろん可哀想であり、大変な悲劇だと思います。
しかし、犯人を死刑にしたところで死者は二度と帰っては来ません。
死刑とは、更に殺人という行為がなされるということに過ぎない。
犯罪が発生するような社会の改善が必要であり、
その根本には業報輪廻の教えと非暴力思想の浸透は不可欠です。

>殺人の抑止はどうする積りなのか。

死刑制度が犯罪の抑止力となっていないことは明らかです。
あなたような考え方が、公開処刑や見せしめ拷問といった
これらのおぞましいものを考案してきたのです。
358宝珠愚者:2009/07/22(水) 13:47:25 ID:kvh5Yrhb
>現代人で、輪廻転生などアホなことを本気で信じている者は、
>たとへ佛教信者であっても皆無だろう。

事実、現存する仏教諸派の殆どが支持しています。
以前に何度もあなたに教えた通りですよ。
当然、信仰の世界ですから本気で信じているでしょうね。

>>212
>その「罪の女」をイエスが本当に助けたいと思ったのなら、
>何故体を張って助けようとはしなかったのか。少なくとも進み出て、
>「君たちも、石で打たれたら痛いだろ。
>女が可哀想だから助けてやれよ」とでも言えなかったのか。

『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。』(ヨハネ8-7)

群集の投石から身を挺して救い出したということが、
(あなた以外の)誰の目にも明らかなことです。
359 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 13:51:11 ID:aTB9mYeS
>>346 
>自分という本質などない。自性は空だね。それが仏教だね。
>自性は生きているうちも無いのだから、死んだ後も関係ないね。
 
大乗が誤っていたら、人生を台無しにするかもしれない。
「本質がない」なら、自分が存在しないと言っているようなもの。
  
>自己の生命が無くなって死んでなくなるのはその生命だけであって
>五蘊の我、すなわち色受想行識のどの要素も変化することは合って
>も無くなることはない。
 
「本質がない」のであれば、五蘊の我も存在することはない。
大乗の祖師、竜樹はそう説いているはずである。
360神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:54:19 ID:6qf+Hftk
>>354
君の信じる創造主は、君の言うような「不完全な人間」「知恵遅れの
人間」を創造したとでもいうのかね。それでは、まんま、創造主への
非難と冒涜、創造の否定ではないか。
361神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 14:05:10 ID:bOQOJFXt
>>359
>「本質がない」のであれば、五蘊の我も存在することはない。
本質が無いから五蘊和合の仮の我が成り立つと、竜樹は説く。
本質のある実体からはいかなる存在も成り立たない。
362神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 14:08:40 ID:6qf+Hftk
>>358
>当然、信仰の世界ですから本気で信じているでしょうね。

信じている者がいるとしても、それは宗教から「信じ込まされた」だけ。
生来の自由意志で信じているのではない。

>『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。』(ヨハネ8-7)

イエスも、結局は、石を投げなかったw。その他、指摘したイエスの行動の数
々の矛盾について答えていない。この場面において、最も罪深いのは、群衆で
はなく、イエスであることは明白。群衆には、私心はなかった。私心のあったのは
イエスだけ。
363神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 14:54:25 ID:g3/az0bX
>>352
> 人間が家畜動物に生ま
> れ変わるのであれば、自分の親族や先祖の生まれ変わりかもしれないというのに、ゴー
> タマが三種の浄肉といって肉食を弟子たちに許容する筈がありません。迷信と法則(真
> 実)とをごった煮で混同すべきではない。

途中で切れてました。
ゴータマは菜食主義だったのですか?
雑食主義だったのですか?
私は一応、雑食可ということで認識していますが、
生類憐れみという観点からすれば、菜食でなければならない気がしませんか?
それを「自分の親戚関係だから」という理由で肉食しないのであれば、
自己の利益で食べるか否かを判断しているわけで、結局エゴではありませんかね。

あなたはゴータマは「人間が家畜に生まれ変ることはない」と認識していたという前提をもっているのですか?
364宝珠愚者:2009/07/22(水) 15:00:50 ID:kvh5Yrhb
>>347で、述べたように。
他にも私と、同じ不可解部分について言及しているウェブを見つけたので紹介しておきます。
皆さんの考察のためのネタにあげておきます。
これは、


>「低我」という語と、「真我」という語、それぞれのパーリ語の原語を挙げて下さい。>>305

とも関わる部分です。「真我」は
「パラマートマン」(parama-aatman)に該当するのかもしれませんが、
仏典中の経文に使用されているかについいて、まだ未確認です。
-------------------------------------
『結論から言いますと、同じ単語です。
 レグルス文庫 三枝充悳「初期仏教の思想(中)」P439には、
ダンマパダ380がこのように記されています。

 「実に自己こそ自分の主であり、自己こそ自分の拠り所である (attA hi attano
nAtho, attA hi attano gati) 。それゆえ、自分を (attAnaM) 制御せよ。」
 アルファベットは、パーリ語。Aは長母音、Mはmの下に点。
(この表記法はサンスクリット語におけるHK式表記でパーリ語でも使っていいのか、
曽我は知らないまま使っています。)
 attA(アッタ−)は、サンスクリットのAtman(アートマン)にあたるパーリ語の単語です。
無我(アナートマン anAtman)は、パーリ語では anattA となります。
365宝珠愚者:2009/07/22(水) 15:02:09 ID:kvh5Yrhb
 ですから、
試みに attA を機械的にアートマンに置きかえてみると、ダンマパダ380はこうなります。
 「実にアートマンこそアートマンの主であり、アートマンこそアートマンの拠り所である。
それゆえ、アートマンを制御せよ。」

 如何でしょうか?どう読まれます?一見アートマンを主張しているように感じられますが、
よく考えて見ると意味を為しているのでしょうか?
 アートマンを制御する超アートマンがいるのでしょうか?それがわたし?だとしたら、

わたしに制御されるアートマンって何?』
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha146.html


この“二重の言い回しが使われる意図”を考慮せず、
或いは無視をして、ただ勝手に日常生活で使われる普通の自己のことに決め込むのでは、

経の文意が損なわれるのは当たり前ではないでしょうか?
以下は、同じ経文の中村氏訳です(「よるべ」も使われています)。

 『実に自己は自分の主である。自己は自分の帰趨(よるべ)である。
故に自分をととのえよ。──商人が良い馬を調教するように。』(Dhp.380)
366神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 15:31:28 ID:g3/az0bX
> 如何でしょうか?どう読まれます?一見アートマンを主張しているように感じられますが、
> よく考えて見ると意味を為しているのでしょうか?

自分でアートマンに置き換えておいて、アートマンを主張しているように感じられるというのは
どうかと思います。

アートマンに置き換えた前提で、アートマンを制御する超アートマンを夢想するのも、どうかと思います。
367宝珠愚者:2009/07/22(水) 15:33:36 ID:kvh5Yrhb
>>363
旨くは説明できませんが、
要するに“極端という固執”を避ける姿勢(意識)にあったのだと思います。
そのために、不殺生についてもジャイナのような極致にはならない。

自分が直接、生物を害しないように努めるというのが主眼であり、
食事については三種の浄肉は問題なしとして弟子に説いたということは、
やはり、自らも食したのだと思います。
でないと、師が食べないのに我々が食べることはできない、
といって弟子たちも食しないでしょう・・。

『三種の浄肉(さんしゅのじょうにく)とは、初期仏教の僧が托鉢の際、自らが戒律中五戒
の不殺生戒を犯さない布施の場合は肉食してよいというもの。その条件は、次のとおり。

 殺されるところを見ていない
 自分に供するために殺したと聞いていない
 自分に供するために殺したと知らない。(見聞知)』(Wiki)

>あなたはゴータマは「人間が家畜に生まれ変ることはない」
>と認識していたという前提をもっているのですか?

はぃ、私はそう見なしています。
でなければ、三種の浄肉とて食することはなかったでしょう。
転生を見通す力を持たれているゴータマならば、
「それはあなたの祖父祖母の転生した姿(家畜の肉)であるから、食べるのは止しなさい!」
といって弟子たちが食べることを制する筈です。

それと、
方便の理由というのは基本的にはそこでは述べない(書かれない)と思います。
368神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 15:37:12 ID:G5c1mGhs
>この“二重の言い回しが使われる意図”を考慮せず、
>或いは無視をして、ただ勝手に日常生活で使われる普通の自己のことに決め込むのでは、

なぜおかしいか説明しないとおかしいと説明したことにはならないよ。
わかりますか?

「私が私の主であってはおかしい。」

なぜですか?

察するところ、私の所有するものは私ではないから、
私の主(所有者)が存在するのであれば、私を所有する主体をさらに仮定しなければ
説明できない。というところでしょうか?

でも、釈尊の言葉を思い出してください。
@私が所有しているところの五薀は私ではない。
A五薀を離れて私は存在しない。

五薀は私の所有であり、かつまた私そのものでもあるのです。
つまり、私は私のあらゆる部分の所有者でもあり、かつまた私の所有物でもあるのです。

仏教では「私の所有するものは私ではない」という前提が、普遍的で誰でも納得できるものであると
置けないということです。
仏教外のどの世界からどの常識をもちだしてきても、仏教にのっとった前提を
無視するなら、それはもはや仏教とはよべないしろものになってしまいますよ
369神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 15:41:24 ID:g3/az0bX
>>367
> 要するに“極端という固執”を避ける姿勢(意識)にあったのだと思います。
> そのために、不殺生についてもジャイナのような極致にはならない。
> 自分が直接、生物を害しないように努めるというのが主眼であり、
> 食事については三種の浄肉は問題なしとして弟子に説いたということは、
> やはり、自らも食したのだと思います。

同意します。

> >あなたはゴータマは「人間が家畜に生まれ変ることはない」
> >と認識していたという前提をもっているのですか?
> はぃ、私はそう見なしています。
> でなければ、三種の浄肉とて食することはなかったでしょう。

三種の浄肉の条件は、自分が殺生の原因にならないように、殺生と自分が関わらないように、
ということでしかありませんから、人が家畜に生まれ変わるかどうかとは関係ないように思います。

> 転生を見通す力を持たれているゴータマならば、
> 「それはあなたの祖父祖母の転生した姿(家畜の肉)であるから、食べるのは止しなさい!」
> といって弟子たちが食べることを制する筈です。

転生であっても、自分がその殺生に関係していなければ食べても問題ないように思いますが?

> 方便の理由というのは基本的にはそこでは述べない(書かれない)と思います。

では、どの仏典に書いてあるのですか?
370一在家:2009/07/22(水) 15:44:26 ID:8aGtTlHs
>>350
>「SN.」は Samyutta-Nika^ya(サンユッタ・ニカーヤ)/相応部経典
>の略号です。

有難うございます。
SN.5.9-10は持っておりませんので、ご存じの方はご教示いただきたく。

>それに浄土真宗では転生思想を認めません。

私の亡き祖父は浄土真宗だったのですが、浄土では阿弥陀の足元にいた菩薩の
生まれかわりとして、エドガーケイシーのように、睡眠中に250回以上
語りました。
なお随所に「南無阿弥陀仏」の六語が出てまいります。

語った内容の一部を2chの親鸞スレにアップして出典をウォンテッドして
おりますがレスがありません。誰も知れないのか、シカトでしょう。
371神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 15:46:19 ID:8aGtTlHs
(前世話の例1の概要)
・ハンガリーの方へ山を越えて移動した仏教徒の集団があった
・ついた土地はキリスト教の国だった
・一緒に移動した仏教徒は次々にキリスト教に改宗して一世帯のみ残った
・その一家も改宗しようかと迷っていた
・生まれて10日の赤子が「南無阿弥陀仏」と唱えて、息を引き取った
・両親は感涙し、ここに居ては駄目だと悟り、また山を越えて故郷に帰った
・その話を聞いた元仏教徒達も反省し、クリスチャンを止めて故郷に帰った
・生まれて10日の赤子が済度したという話

(前世話の例2の概要)
・獅子の子が崖から落ちて、羊の群れの中に入った
・獅子は羊の群れで育ったが、乱暴もので羊達から嫌われてた
・ある晩、遠くの方から別の獅子の遠吠えがあった
・その遠吠えを聞いた羊に育てられた獅子は一目散で駆けつけた
・(本質を思い出して生きるという何かの仏説のようですが)

浄土系の方で出典をご存じの方はご教示いただきたく。
372神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 15:47:10 ID:G5c1mGhs
>>369
六道輪廻という言葉も知らないようですね
373神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 15:54:45 ID:bOQOJFXt
>>368
>@私が所有しているところの五薀は私ではない。
私が所有する五蘊なんて仏教では言わない。
私が所有することができないから五蘊は私では無いという。
374神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 16:11:58 ID:G5c1mGhs
>>373
別に我所が実相であるとは言わない
慣用的な言葉の用法として、釈尊は五薀を我の所有であり、我が所するところと言っている。
375宝珠愚者:2009/07/22(水) 16:18:06 ID:kvh5Yrhb
>>372
>>369
>六道輪廻という言葉も知らないようですね

この私に、「畜生道」も知らないのか?という批判かと思いますが、
私は六道輪廻も方便を踏まえていると見ており、
実際に動物に転生していくこととは見なしてはいません。
一つは中有の、転生するまでの地獄のような世界の存在(これもアストラル界)
について説いているのと、もう一つとしては、
人間扱いされない動物同等の仕打ちを受ける生涯であると見なします。
餓鬼も同様・・一つは中有。もう一つは貧困の生涯のことです。

尚、経典中に根拠を求めても、方便だと明かされている筈はないのです。
仏教に限らず、悪事を為さないよう大衆を戒める方便というは、
どんな古い宗教にも付き纏います。

ごめんなさい・・
私は迷信が嫌いなもので。
376宝珠愚者:2009/07/22(水) 16:31:25 ID:kvh5Yrhb
>>370
はぃ、手元の文献で確認しました。
私の理解では、>>305/ID:9oq90BUsさんの読み違いだと思いました。
すみません。今はなかなか投稿に時間がありません。
377神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 16:51:14 ID:G5c1mGhs
>一つは中有の、転生するまでの地獄のような世界の存在(これもアストラル界)
>について説いているのと、もう一つとしては、

仏教では、人間に生まれることは難しいと説いているのですが
おたくの説だと簡単そうですね
378神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 16:55:04 ID:H/H8MjB/
ダンマの380 は>>365のリンク先の曽我氏の解釈で何ら問題はなかろう?

あれはアートマンの実在を前提とした趣旨ではなく、あくまでも、他人の言に惑わされることを戒めた
文意ととるのが妥当だと思うがね。
いわゆる自灯明だろ。

自己をさす表現法に二種あるから、一方がアートマンであるなどという主張は
こじつけに過ぎないだろう。
379旧7:2009/07/22(水) 17:39:28 ID:ClndziRK
380一在家:2009/07/22(水) 18:08:56 ID:Rzl/zjMq
>>375
>この私に、「畜生道」も知らないのか?という批判かと思いますが、
>私は六道輪廻も方便を踏まえていると見ており、
>実際に動物に転生していくこととは見なしてはいません。

本スレでは宝珠氏または神智学と私の見解は最も近いですし、
カラス氏またはグノーシスとの見解が似ている時もあります。

さて「畜生道」に関しては下記のように伺っております。
・人の魂が堕落して動物(虫含む)に転生することは度々あります。
・なお元々動物の魂が人に転生する事例は知りません
・動物に転生した人魂が再び人として生まれることはあります

釈尊の六神通で見れば、元人間の魂が宿った動物と元々動物の魂が
宿った動物とは区別がついていたことと思量します。
ただし、死んで肉を食べられる時点では、元人間の魂も元々動物の魂も
同様に抜け出ておりますので、肉としては同じかも知れませんね。

人の言うことをよく理解する賢いペットは、元人間の魂が宿った動物の
可能性が高いので特に大切にした方が宜しいでしょう。
381旧7:2009/07/22(水) 18:15:12 ID:ClndziRK
参:Dhp.62(NHK出版「ダンマパダをよむ-下巻-」/p.185)

「私に子あり 私に財あり」
 愚かな者はこのように悩む
自己さえ自己でないものを
 どうして子がある財がある

"puttA me atthi dhanam me atthi"
 iti bAlo vihaJJati
attA hi attano na atthi
 kuto puttA kuto dhanaM.

 ※(直接の関連は無いが)、この時、Sn.18-34偈が思い起こされることがあってもよいと思う※
 ※連声の解きは自信無い・・w
382神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 18:17:12 ID:lcoMTuZN
>>365
>P404 スッタニパータ916  『われ考え、われ有り』という「迷わせる不当
>な思惟」の根本をすべて制止せよ。・・・

驚いた。私は、デカルトのコギトを「西洋哲学の誤謬の根源」として批判した
が、釈迦も、同じことを言っている。
383一在家:2009/07/22(水) 18:26:28 ID:Rzl/zjMq
>参:Dhp.62(NHK出版「ダンマパダをよむ-下巻-」/p.185)


スッタニパータ、ディーガニカーヤの邦訳を読んでおりますが、
ダンマパダを読んでいないので、皆さんと話がかみ合わないことを
悟りました。

週末にでも岩波文庫版を買って、拝読することに致します。

384神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 18:40:49 ID:lcoMTuZN
アートマン肯定者は、自己が信じ込まされた「唯一絶対神」の観念が
捨てきれず、佛教を「一神教化」しようと必死になっているだけ。

若し釈迦がアートマンを肯定していたら、それは「忌むべき一神教」
であり、廃棄されるべきもの。

アートマンを肯定した場合に、必然的に生じるアートマン同士の「排他
性」はどうするのか。アートマン同士は「同一の場所」を占めることが
出来ないから、必然的に排他性が生じる。

それを解決したのが、釈迦の無我の思想であることを、忘れてはならない。
385神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 18:41:03 ID:G5c1mGhs
>>380
>釈尊の六神通で見れば、元人間の魂が宿った動物と元々動物の魂が
>宿った動物とは区別がついていたことと思量します。

仏教では、元々人間であった魂と元々動物であった魂などと分けませんよ
盲亀浮木の喩えがあるように人間に生まれるのは、永い生死の中でも
とてもつもない確率であると示されている。
一度、人間の生を受ければ、次にまた人間に生まれてくることはほぼないと
言っていいでしょう。死ねば化生、卵生、湿生いずれかに生まれると見ていいと思います。
386神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 18:48:27 ID:H/H8MjB/
俺は仏典ね記述には、そう詳しくないので知らないが
宝珠の主張するように
「人間は人間のみに生まれ変わる。人間は他の生物に生まれ変わることはない。」
と説く経典というのはあるのかい?

もし、全くないのであれば(直接、そのように説かなくても、明らかにそれを前提として説かれているものでもよいが)
それはもう仏教とは言えないものだろ?
387神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 19:05:42 ID:bOQOJFXt
>>384
>アートマンを肯定した場合に、必然的に生じるアートマン同士の「排他
>性」はどうするのか。
>アートマン同士は「同一の場所」を占めることが出来ないから、必然的に排他性が生じる。
これはウパニシャッドでいうアートマンには当てはまらない。
アートマンは個我の原理ではあるが、排他性は持たないし、その存在は時間空間に依存しない
遍在的で不変的なものであるから、梵我一如ともいわれる。
アートマンが個物に乗り移っている場合だけその個物としての排他性が働く。
アートマン自体はブラフマンと同様に時間空間に無限定な存在ではないか?
388神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 19:25:32 ID:lcoMTuZN
>>387

その「唯一絶対性」には、変わりはないのではないか。

仏教は、すべての超越性・絶対性を排した「相対性」「相互依存性」「関係性」
である。
389一在家:2009/07/22(水) 19:41:57 ID:YNbq9oLi
>>385
>仏教では、元々人間であった魂と元々動物であった魂などと分けませんよ
>盲亀浮木の喩えがあるように人間に生まれるのは、永い生死の中でも
>とてもつもない確率であると示されている。

そうですか、貴兄の信じておられる経典にはそう記載されているのですか。

元々は神々(ブラフマン/梵天達)が存在しましたが、この物質で構成される
三次元界を創造した際に神々の「分魂」を持った人が造られたと、神の似姿、
「神の子」が造られたと伺っております。(外教です。)

法華経にはやがて仏となり得る「仏子」が記載されておりますが、合い通じる
ところがあると思っております。 「神の子」と「仏子」は名称違いでしょう。

そういう意味では進化論は否定する立場になります。
「お猿さんの魂は、いつまで経ってもお猿さんの魂」だからです。
390神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 19:44:52 ID:YNbq9oLi
>>388
>仏教は、すべての超越性・絶対性を排した「相対性」「相互依存性」「関係性」
>である。

岩波文庫の「法華経」でも、「仏は常住」と説かれておりましたが、
同じ大乗でも中論とは矛盾しておりますね。
391 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 19:47:19 ID:dWbZY9QT
>>361 
>本質が無いから五蘊和合の仮の我が成り立つと、竜樹は説く。
 
『中論』の何章何詩のことを言っているのか?
392一在家:2009/07/22(水) 19:56:52 ID:YNbq9oLi
>>387
>アートマンが個物に乗り移っている場合だけその個物としての排他性が働く。
>アートマン自体はブラフマンと同様に時間空間に無限定な存在ではないか?

私もよく似た見解です。
30年以上、多くの憑依霊現象を見て参りましたが、一人の肉体に複数の
霊魂(アートマンに近い意)がかかる場合を知っております。

本霊(肉体のオーナー)の意識ははっきりしておりますが、体が勝手に動いて、
他の人の声で話したり、指で文字を書いてメッセージを送ってきます。

これら憑依霊の他に守護霊や指導霊もおられますが、危機で守る時以外は
肉体にはかかりません。
日蓮上人はこれらの霊(同名天)について釈尊も説かれたと真筆で残して
おられます。(出典:日蓮大聖人御遺文集)
393神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:03:40 ID:g3/az0bX
>>375
> 尚、経典中に根拠を求めても、方便だと明かされている筈はないのです。

それでは仏典の中に根拠もなく、ただそう信じているだけということになりますね。

大川氏が仏陀の生まれ変わりだといおうと、唯一神エルカンターレだといおうと、
仏典との矛盾を突かれても「それは方便であり、しかもそれが方便だと明かされている筈はない」といえば、
いくらでも通りますね。

> 仏教に限らず、悪事を為さないよう大衆を戒める方便というは、
> どんな古い宗教にも付き纏います。
> ごめんなさい・・
> 私は迷信が嫌いなもので。

問題は神智学の方が迷信である可能性が全く検討されていないことです。
この辺は盲信といわれても仕方ないかもしれませんね。
394神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:04:26 ID:H/H8MjB/
は?釈迦が霊魂について説いた?

まさに、このスレのテーマそのものだな。

で?それは、どの経典にどのように説かれているのかな?

挙げてみてくれ。
395 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 20:04:56 ID:dWbZY9QT
>>360 
>君の信じる創造主は、君の言うような「不完全な人間」「知恵遅れの
>人間」を創造したとでもいうのかね。それでは、まんま、創造主への
>非難と冒涜、創造の否定ではないか。
 
自由意志を持つ、不完全な人間を創造したから、神は完全なのですね。
人間が完全だったら神の奴隷であり、神の意志に従うロボットにすぎない。
自由意志があるから、神の友になれる可能性があるのですよ。
これが創造の目的ではないですか?
396一在家:2009/07/22(水) 20:05:05 ID:YNbq9oLi
「人の身には同生同名と申す二のつかひを天生るる時
よりつけさせ給いて影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず」
日蓮花押 四条金吾殿女房御返事
397神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:08:09 ID:0bPNvum/
人間に神を認識することは出来ないよ
出来るのは信じることだけ
398一在家:2009/07/22(水) 20:12:11 ID:YNbq9oLi
又云はく「身の両肩の神尚常に人を護る。況んや道場の神をや」云云。
人所生の時より二神守護す。所謂同生天・同名天、是を倶生神と云ふ。
華厳経の文なり。

日蓮 花押道場神守護事

※出典は華厳経のようですね。本スレの華厳氏の解説を待ちます。
399 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 20:18:17 ID:dWbZY9QT
 
>>343 :神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 13:15:15 ID:g3/az0bX
>本質がある、とするのが断見で外道。
 
常見ならまだしも、断見では意味が不明?
400神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:22:13 ID:bOQOJFXt
断見とは独りよがりの断定見という意味であろう。
401神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:28:19 ID:H/H8MjB/
憑依霊、守護霊、指導霊について「釈迦が説いた」と記述されている経典はまだですか?

華厳経には、はっきりとそう書かれているのかな?

402 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 20:30:26 ID:dWbZY9QT
>>397 
>人間に神を認識することは出来ないよ
>出来るのは信じることだけ
 
それなら宗教は誕生しなかったと思う。
神が存在することを説いた人がいる。それが宗教として残っている。
 
神とは「わたしはある。わたしはあるという者だ。」
それは信仰ではなく、事実として「神が在る」ということだろう。
403神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:34:24 ID:bOQOJFXt
>>363
>あなたはゴータマは「人間が家畜に生まれ変ることはない」と認識していたという前提をもっているのですか?
ゴータマ・ブッダなら当然、「人間が家畜に生まれ変わることは無い」と認識していたであろう。
釈迦が業報・輪廻思想を使って説法したのはその当時のインド社会の常識に合わせていた
だけだろう。説得は相手の知識を考慮して相手のわかる言葉でしなければ何の効果も生み出さない。
少し社会の風を感じて営業経験をした人なら常識として肌で感じてることだね。
インターネットで仮想の名無しさん相手に議論しててもわからないだろうね。
404 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 20:38:02 ID:dWbZY9QT
空論者が尊大で横柄で傲慢になる理由
・・・チャンスがあれば、やりたい放題、言いたい放題
 
1 いっさいを空とし、自分が世界の支配者になったつもりになる。
2 いっさいを空にするから、その人を押さえつけるものがない。
3 そうでなくても、知らず知らずのうちに唯我独尊になる。
405神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:38:16 ID:bOQOJFXt
>>402
>それは信仰ではなく、事実として「神が在る」ということだろう。
それこそ信仰の産物で事実ではないね。信仰を捨てれば神など存在しない。
苦しいときの神頼みというエゴそのままだね。
406神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:41:52 ID:R6sCD6IW
>>404

アートマン論者が尊大で横柄で傲慢になる理由
・・・チャンスがあれば、やりたい放題、言いたい放題
 
1 いっさいを神(梵天)とし、自分(梵天)が世界の支配者になったつもりになる。
2 いっさいを神(梵天)にするから、その人を押さえつけるものがない。
3 そうでなくても、知らず知らずのうちに唯我独尊(梵我一如)になる。
407神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:46:03 ID:R6sCD6IW
>>400
断見とは、死んだらそれで終わりとか、悟りを開かなくても死んだら涅槃に入れるということちゃうの?
408神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:52:00 ID:bOQOJFXt
>>407
>断見とは、死んだらそれで終わりとか
だから、自分が死んだらどうなるかわからないと思うのが普通じゃないか?
それを自分勝手に死んだらそれで終わりと恣意的に断定してるだろ。そういう
独りよがりな断定を断見というんじゃよ。死んだらどうなるか、君は報告できるのか? 
409神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 20:55:37 ID:R6sCD6IW
ねえ、一応仏教スレなんだから、一応仏教学の専門用語を尊重してくださいよ。
各々が自分で辞書作って偏見ぶちまけられたら話しがかみ合わないでしょ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E8%A6%8B
410旧7:2009/07/22(水) 21:01:53 ID:ClndziRK
>>406
今一つだなw
改変するならこうだろ?w


アートマン論者が尊大で横柄で傲慢になる理由
・・・チャンスがあれば、やりたい放題、言いたい放題
 1 “世俗や日常に染まり、身動きとれない自己”の奥に、“清浄で、善なる、本来の、真の、自分(我)”が居て、
   そうした真の自分(我)は、「無謬で、世界で最高の価値ある存在」と思ってるから。
 2 「本当の自分(我)はこんなんじゃない!もっと素晴らしいんだ!」と思ってるから、その人を押さえつけるものがない。
 3 そうでなくても、知らず知らずのうちに唯我独尊になる。

   ※ 3の唯我独尊。 この改変に於いて、なんと字句通りの表現になっていることか・・・w
411神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 21:03:46 ID:0bPNvum/
>>402
不完全な人間は、神を認識することは出来ない、何故なら人間は全知全能では無いから
全知全能の存在を理解し、認識できるのは全知全能の存在だけ
人間が神を理解し、認識できるなんていう考えはおこがましい
ただ、人間の理性、認識の外側に神が存在する可能性はある
だから神が存在すると信じれば神は存在するし、信じなければ存在しない
人間には神が実在するかどうかは分らない
412承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/22(水) 21:04:22 ID:otU2uRyg
因みに、俺は輪廻転生は無いと言うが、死後の世界は認めている。
また、死後の世界が生前の業に依り様々な果をもたらすとも常に言っている。

(^。^)これを断見派って言うのが最近の仏教らしいぜ♪(笑)
413神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 21:19:21 ID:R6sCD6IW
ここは、本当に仏教学のスレだな(笑)
言葉の定義をする作業から入らないと、議論が成り立たない。
まあ、仏教用語ちゃんと理解してればこんなスレ成り立たないんだがな(笑)
なんていうか、言葉の意味を正確に調べて自己解決したほうがいいんじゃね?としかいいようがない。
ほとんどヤクザのいいがかりレベル。
414神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 21:34:26 ID:R6sCD6IW
>>410
大乗仏教の「清浄」は善悪の判断基準を否定した上での「清浄」なんですがね。
こんなこというと、早合点したキリスト教徒が発狂するけどね(笑)。
415神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 21:58:25 ID:4Om7mT6z
アートマン(真我)が現象世界(一切)を超えたものを指しているのだろうから、
「無我」の我に該当せず、無我とアートマンは両立し得る。
416神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:07:55 ID:H/H8MjB/
>>415 だから、現象界、認識可能域を超越した
世界にアートマンが存在するという論拠は?
417 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 22:11:57 ID:KM/JOgPg
>>415
なかなかの指摘。そういうことだろうと思う。
418神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:16:04 ID:4Om7mT6z
>>416
論拠もなにもないけど、「現象世界を超えた主体」というテーマにおいては、ごく自然な考え方ではないかと。
419神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:16:47 ID:R6sCD6IW
それ、ヒンズー教の定義だから。
だから、それは仏教で定義する所のアートマンじゃないんだよ。
それだけの話。
420神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:17:54 ID:G5c1mGhs
我々が感知できない一切は存在するかしないかの議論を完全に離れている。

あなたの目の前に、
目に見える形にすることもできず、
音に聞こえる形にすることもできず
嗅ぐこともできず
味わうこともできず
触ることもできず
思うことも出来きず
また、その存在を仮定しなくとも現実を矛盾なく説明できる、何か
例えば、テーマパークがあったとする。

我々は、想像上のテーマパークを妄想することはできても
このテーマパークについて語ることはできない。
なぜなら、誰かに想像されたテーマパークは一切に含まれているからである。
421神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:19:23 ID:4Om7mT6z
>>419
つまり、仏教はヒンズー教の定義するアートマンを否定していない、と。
422神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:23:09 ID:H/H8MjB/
>>418 いやね、認識不能域に関しては釈迦は無記というスタンスなわけ。
それを更に進めて「認識不能域にはアートマンは存在する」と主張するのであれば当然
その論拠が求められる。
「僕はそう信じています」という、単なる信仰告白であるならば、
「ああ、そうですか」としか答えようがないが
少なくとも、ここはそのようなスレではないよね?
423 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 22:24:10 ID:KM/JOgPg
>>412
承狂氏と同じで、霊界は認めるけど、輪廻転生は霧の中。
しかしこれが断見になるの? 信じられないね。
424神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:28:45 ID:4Om7mT6z
>>422
有る/無い、と言い得るのは、現象世界に属する物事。
現象世界を超えている、ということは、単純に、有るとか無いとかを超えている。
現象世界を超えている意味でのアートマンは、だから、有るとか無いとか言えない。

論点がもしあるとすれば、主体は現象世界に属するかどうか、かな。
425神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:34:55 ID:R6sCD6IW
>>421
否定してないと、断定はできないなあ(笑)
仏教において梵我一如を否定した経典があるんだけど、
それは梵我一如を習得した人が最後の修行段階においてそれを否定せよ、ってことだったと思う。
その段階に来ていない我々凡夫がそれを目標としても悪い事ではないだろう。
段階を踏まない頓悟派には否定されちゃうけどね。
なんにせよ、自我を否定する方向であれば仏道からはなれてないんじゃないのか?
426 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 22:37:47 ID:KM/JOgPg
>>421
大乗の祖師・竜樹の『中論』にはアートマンが真正面から論じられている。
もちろん否定しているのだが。
427神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:40:21 ID:R6sCD6IW
否定も肯定もぶったぎり、
これが「中」なんだよ。
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/churon27.htm
428神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:40:52 ID:H/H8MjB/
>>424 現象界においては釈迦は、はっきりとアートマンの存在は否定してるね。
それは、今まで提示された経典から明らかであり、
そこは論点足り得ない。
429神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:55:00 ID:GVWQ90oq
>>424
>現象世界を超えている意味でのアートマンは、だから、有るとか無いとか言
>えない。

精神医学では、現象世界を超えている存在の「ある」「ない」を語る者を「妄
想患者」と呼び、抗精神病薬による治療の対象に過ぎない。

釈迦は、妄想患者だったのかねw。
430神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 22:57:22 ID:4Om7mT6z
「現象界と、その現象界を超えた主体」という構図の捉え方・アプローチの仕方の違いが
無我であったりアートマンであったりするんじゃないかな。

現象界の物事を「主体」と見なす間違いを否定し尽くすアプローチが仏教。
直接的に「主体」へアプローチするのがアートマン派?
431 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 23:03:04 ID:KM/JOgPg
そういえばスエデンボルグの霊界日誌に、
きわめて珍しい事例として転生の話が出ていたのを思い出した。
432神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:07:55 ID:GVWQ90oq
>>431
君も、精神科で治療をうけること。抗精神病薬の注射一本で、「霊」な
どいなくなるw。
433 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/22(水) 23:11:50 ID:KM/JOgPg
>>429
ご隠居は病気の定義から学習したほうがいい。
通常の社会生活が営めるなら病気とは言わないだろう。
434神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:19:39 ID:GVWQ90oq
>>433
君は、既に社会生活に支障がありそうだな。職場で、神だの霊だのと口
走ったら、上司も、同僚も、友人も敬遠することは間違いない。

狂気(精神病)とは、「現実との接触の喪失(Loss of contact with reality)」
と定義される。
435神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:29:41 ID:GVWQ90oq
仏教徒なら、誰でも知っている「色即是空・空即是色」の理解から始める
ことだな。この言葉を、非信者に自信を持って解説できる者が、このスレに
いるのか。

小乗仏教徒には、理解は初めから無理だが。
436神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:30:22 ID:LbGnVwUS
>>332
業報輪廻の不完全性は、ただの感情論でしょ。
説明理論としては万能の輪廻なのだ。

でも、カラスはいいよ。
カラス、隠居、承狂、◆xQ2N4RcE0Eはもういいよ。
437神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:37:46 ID:GVWQ90oq
>>436
>説明理論としては万能の輪廻なのだ。

善いことも、悪いこともした人間(すべての人間がそうであろう)の輪廻は
どうなる?「善い」「悪い」を判断する具体的基準と判断者は誰?

感情論ではなく、現実に立脚した(日常生活用語での)論理で答えてご覧。
438神も仏も名無しさん:2009/07/22(水) 23:46:51 ID:GVWQ90oq
>>390
>岩波文庫の「法華経」でも、「仏は常住」と説かれておりましたが、
>同じ大乗でも中論とは矛盾しておりますね。

「久遠実成の本仏」とは、「人類の生命の象徴」であると解する。さもなければ、
法華経はオカルトになってしまう。

その「久遠実成の本仏」も、「相互依存性・関係性」の産物として、「自性は
ない」。
439神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 00:05:29 ID:bUDfAAEx
>>325
Ex 3:14

KJV: And God said unto Moses, I AM THAT I AM: and he said, Thus shalt thou say unto the children of Israel, I AM hath sent me unto you.

ASV: And God said unto Moses, I AM THAT I AM: and he said, Thus shalt thou say unto the children of Israel, I AM hath sent me unto you.

RSV: God said to Moses, “I AM WHO I AM.” And he said, “Say this to the people of Israel, ‘I AM has sent me to you.’”

口語訳:神,はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。

新共同訳:神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

新改訳:神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」
440神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 00:08:33 ID:bUDfAAEx
>>325
Geneva: And God said unto Moses, I {n} AM THAT I AM: and he said,
Thus shalt thou say unto the children of Israel, I AM hath
sent me unto you.

(n) The God who has always been, am, and shall be: the God
almighty, by whom all things have their being, and the
God of mercy, mindful of my promise.

MHCC: A name that denotes what he is inhimself,
I AM THAT I AM. This explains his name Jehovah, and signifies,
1. That he is self-existent: he has his being ofhimself.
2. That he is eternal and unchangeable, and always the same, yesterday, to-day, and for ever.
3. That he is incomprehensible; we cannot by searching find him out: this namechecks all bold and curious inquiries concerning God.
4. That he is faithful and true to all his promises,
unchangeable in hisword as well as in his nature; let Israel know this,
I AM hath sent me unto you. I am, and there is none else besides me. All else have their being from God, and are wholly dependent upon
him. Also, here is a name that denotes what God is to his people.
The Lord God of your fathers sent me unto you.
Moses must revive among them the religion of their fathers,
which was almost lost; and then they might expect the speedy performance of the promises made unto their fathers.

441神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 00:10:56 ID:BxKnsTm8
>>439
あなたもわたしも、彼も彼女も、「わたしは、ある」w。

イエスも、神の真似して、「わたしは、ある」と言っているw。
442神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 00:11:06 ID:bUDfAAEx
>>325
Wesley: 1. A name that speaks what he is in himself,
I am that I am-This explains his name Jehovah, and signifies,
1st, That he is self-existent; he has his being of himself, and
has no dependence upon any other. And being self-existent he cannot but be self-sufficient, and therefore all-sufficient,
and the inexhaustible fountain of being and bliss.
2dly, That he is eternal and unchangeable, always the same,
yesterday to-day, and for ever: he will be what he will be,
and what he is.
3dly. That he is faithful and true to all his promises, unchangeable in his word as well as in his nature,
and not a man that he should lie.
Let Israel know this, I am hath sent me unto you.


443神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 04:04:37 ID:8am/rW+V
>>439
I am that I am の最後の"am"は、明らかに「存在する」という意味の完全
自動詞であり、ヘブライ語の原語「ハーヤー」も「存在する」の意味。この
文章を書き換えれば、I am that which exists(わたしは、存在するところの
もの。私は存在である)となる。Nativeであれば、必ず「存在」の意味に解する
であろう。何故、日本語訳は、「わたしは、ある」などと意味不明な日本語
なのか。それも、「在る」としないで、わざわざ「ある」などとする。
「存在」という言葉を使うと、「わたしは、全存在である」と解釈されかねな
いので、怯えているのではないか。

I am that I amは、聖書における神自身の言葉による唯一の自己定義であり、
聖書の他の箇所から解釈することは、許されないものである。

次の2レスで引用された英文の解釈も、何らの根拠も無い恣意的な解釈に過ぎ
ない。

さらに、そこでの神は、イスラエルだけに遣わされたもので、全人類に対して
などではない。
444神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 06:19:14 ID:y++06otO
既に在るは、所詮造られたもの。

創造主のレベルではないな。

こんなものが神だとすれば、神は如来の下だと言わざるをえない。
445神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 06:37:36 ID:bUDfAAEx
>>443
さて、英文法のみの妄想と以下の聖書註解が一致して認めることと
どちらをとるべきかw

流石はトンデモ本を根拠とする男、ソースを示さないのは妄想がばれることを畏れてか?
たしかサムサーラに輪廻の意味はないとかいってたのも君だろ?
ヘブライ語もサンスクリット、パーリも読めないのにw

Geneva: Geneva Study Bible
Originally printed in 1560, believers can read the Scripture along with study assistance unashamedly rooted in the theology of Calvin, Luther, Zwingli, and other Reformation leaders.
http://en.wikipedia.org/wiki/Geneva_Bible
http://www.nishikobe-kyokai.or.jp/bible/GenevaBible.htm

MHCC: Matthew Henry Commentary on the Whole Bible
Originally written in 1706, Matthew Henry's six volume Complete Commentary provides an exhaustive look at every verse in the Bible. Also included is the one volume Concise Commentary.
http://en.wikipedia.org/wiki/Matthew_Henry

Wesley: Wesley's Explanatory Notes
John Wesley's commentary on the whole Bible was produced between 1754 and 1765.
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Wesley
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ウェスレー
446神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 06:51:55 ID:WcV1rcwi
仏教は「死んだら終わり」というのも事実であり、
「死んでも存続する」というのも事実である、
ということだと思う。
つまり外道の見解である、アートマン、魂はない、
という思想も無記でもって、実は認めている。
これはバラモンにはないと思う。
しかし当時の釈尊の立場は、あきらかに
バラモン、梵天や悪魔の対話があるように、
死後の霊存在を認めている。
ようは何らかの形(霊存在)で釈迦は
いまも存続していることを認めるかどうかだろう。
447神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 08:31:46 ID:9yAx5Pk1
>>437
>善いことも、悪いこともした人間(すべての人間がそうであろう)の輪廻は
>どうなる?
仏教では自業自得だね。
>「善い」「悪い」を判断する具体的基準と判断者は誰?
判断者は自分で判断基準も自分で決める。それが仏教である。
子供でもわかる理屈と従来言われてきた。
しかしそれを実践するのは八十の老人でも難しいとも・・・。

 諸悪莫作
 衆善奉行
 自浄其意
 是諸仏教
448神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 08:37:58 ID:9yAx5Pk1
一応、この掲示板スレでも「仏教」が語られているのだから、
「釈迦」は名前としては今も伝承されているし、その「教え」
とされる事柄も伝承されている。そういう「情報」としての
釈迦はいまも生きているといえるだろう。仏教が死語となる
ことは当分無いのではあるまいか?
仏教を生活の糧にしてる人たちも現在でもいっぱいいるのだから。
449一在家:2009/07/23(木) 08:49:10 ID:4MzMhM2p
>>429
>精神医学では、現象世界を超えている存在の「ある」「ない」を語る者を
>「妄想患者」と呼び、抗精神病薬による治療の対象に過ぎない。
>釈迦は、妄想患者だったのかねw。

貴兄の定義だと悪魔と語った釈尊とイエスは「妄想患者」となります。
そして彼らの教えを信じて伝える信者達も「妄想患者」となります。

優れた精神科医(否、普通の精神科医)は、仏教徒やクリスチャンや
ムスリムに「あなたは妄想患者です。」と診断するでしょうか?
450一在家:2009/07/23(木) 09:04:22 ID:4MzMhM2p
>>438
>>岩波文庫の「法華経」でも、「仏は常住」と説かれておりましたが、
>>同じ大乗でも中論とは矛盾しておりますね。
>
>「久遠実成の本仏」とは、「人類の生命の象徴」であると解する。さもなければ、
>法華経はオカルトになってしまう。

繰り返し「仏は常住」と記載されております。
それを「人類の生命の象徴」と解釈するのはあなた方の教団の都合かと
存じますが。
他の法華経帰依者も「常住の仏」は信じていないというのであれば
ご意見を頂戴致したく。

日蓮大聖人御遺文集では、天照大神、八幡大神、同名天、同生天の存在を
日蓮自身が度々説かれております。
形而学上の存在の認識をご真筆で残しておられますので、日蓮宗以外の方々が
信じられないのであれば宜しいかと存じます。
451神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 09:23:03 ID:TIx8hkV1
>>435
ある宗教・信仰を奉ずることは、それが直接
空気を読まずにところかまわず言って回ることを意味しない。
政治や趣味でも同じことが言える。
>>441
各々が別々に独立した存在としてな。
>>443
>「存在」という言葉を使うと、「わたしは、全存在である」と解釈されかねないので、怯えているのではないか。

隠居のアタマにしか沸いてこない妄想に怯える必要性は何処にも無い。

>次の2レスで引用された英文の解釈も、何らの根拠も無い恣意的な解釈に過ぎない。

聖書の他の部分から読み取れる神の性質が反映されているな。そしてこの読み方は
聖書の神観と矛盾しない。当然ながら汎神論説をとると食い違ってしまうため

>聖書の他の箇所から解釈することは、許されないものである。

という無根拠な俺ルールを採用しなければならなくなる。
452神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 09:30:08 ID:TIx8hkV1
>>445
生粋のNativeの皆さんだな。
453神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 09:38:05 ID:TIx8hkV1
>>435へのアンカーを>>434に訂正するついでに考えて見よう。
職場で、資料や情報の出所を聞かれても、何もソースを出さず
「俺の○○並みの感覚がそう言っている」「そんなこと聞くのは権威主義だ」
「出典なんて関係あるか、俺は究極のソースに基づいているんだ」などと
口走ったら、上司も、同僚も、友人も敬遠することは間違いない。

と思うのだが、どうか?
454一在家:2009/07/23(木) 09:39:51 ID:4MzMhM2p
>>444
>既に在るは、所詮造られたもの。
>創造主のレベルではないな。
>こんなものが神だとすれば、神は如来の下だと言わざるをえない。

私は外教(仏教徒でないの意)ですが、長部経典で神と仏との関係を
見ております。
菩薩は死後ブラフマン界に往きますので、梵天クラスでしょう。
釈尊も前世の転輪聖王の死後にブラフマン界に往き、ト卒天経由で
入胎されてますし、ブラフマンと共生していたと説かれてます。
外教の大神クラスも梵天クラスでしょうか。
(※神は預言者に「私は唯一絶対神だ」と説かれることが多いようです。)

また仏典に登場する神々は梵天より下位で、外教では自然霊か天使か
高級指導霊か、せいぜい氏神クラスのようです。

「神」という名称の定義の仕方が異なるので、混同されます。
もし仏教徒が「神は仏より下位だ」と言っても、クリスチャンや神道信者
が目くじらを立てる必要もないかと存じます。
455神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 09:55:30 ID:HpX//ou6
>>449
>優れた精神科医(否、普通の精神科医)は、仏教徒やクリスチャンや
>ムスリムに「あなたは妄想患者です。」と診断するでしょうか?

精神医学者は、最近の論文で、「妄想と宗教的信念とを、実質的に区別
することは出来ない」と言っている(「こころの科学」日本評論社発行、
2006年3月号、妄想特集)。

あまりあからさまに言わないのは、宗教に遠慮しているだけ。祟りが恐い
から。医師のシュワイツアーは、「イエスの精神医学的考察」という
論文で博士号を取ったが、イエスを統合失調症と判断している。

非宗教者から見れば、宗教とは現実上の根拠皆無な妄想以外の何物でも
ない。あなたは、「神と天国の実在を信じ込まされて」自他の生命を奪
い続ける自爆テロリストたちは、狂人とは思わないのですか。
456神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 10:50:55 ID:JSofrJ2y
>>455
> あなたは、「神と天国の実在を信じ込まされて」自他の生命を奪
> い続ける自爆テロリストたちは、狂人とは思わないのですか。

ツッコミどころ満載すぐるわけだが、
まず、テロリストが自爆で命を奪うことができるのは一回だ。
だから奪い続けることは原理上できない。

信仰を持っているテロリストが狂人だというのは認めても構わないが、
じゃあ唯物論者のテロリストは狂人ではないのか?とまず聞きたい。
457一在家:2009/07/23(木) 10:52:57 ID:wxO9JUNr
>>455
>非宗教者から見れば、宗教とは現実上の根拠皆無な妄想以外の何物でも
>ない。あなたは、「神と天国の実在を信じ込まされて」自他の生命を奪
>い続ける自爆テロリストたちは、狂人とは思わないのですか。

大量破壊兵器を使用した無神論、唯物主義の共産国家は狂人集団とは
思わないのですか?
そういえばお隣のミサイル発射国は非宗教者の国家でしたね。

大量兵器使用は指摘せず、自爆テロを批判するのは偏った見解の
ように思いますが如何でしょうか。

アジアの共産国も昔は仏教国だった場合も多く、法滅の果でしょう。
458神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 10:53:44 ID:HpX//ou6
"I am that I am."

To New Age author Eckhart Tolle, God is and God is omnipresent, in
everyone and everything. A name, like all words, is just an abstract
label, a "sign post" that points to a meaning: God is presence. God is
real. "And what is God's self-definition in the Bible? Did God say,
"I have always been, and I always will be?" Of course not. That would
have given reality to past and future. God said: "I AM THAT I AM." No
time here, just presence."[2]

[edit] References
「2」 Tolle, Eckhart. The Power of Now: A Guide to Spiritual Enlighten
ment. Novato, CA: New World Library, 2004. ISBN 1-57731-152-3

要旨:

「神(I am that I am)とは、すべての人と物に遍在し、時間に関係ない『存在』
『実在』である。」
459神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:06:57 ID:HpX//ou6
>>457
共産主義は、唯物論を自称するが、実は、キリスト教から発生した、
「共産主義ユートピア(神の国)」の観念信仰の、宗教の一種です。
「擬似宗教」と呼ばれています。バートランド・ラッセルは、キリスト
教と共産主義との相似性を、明確に分析・指摘しています。宗教だから
こそ、あのような大量殺戮が可能になったのです。

マルクスは、ユダヤ教から改宗したクリスチャン。ヒットラーもクリス
チャン。スターリンは、グルジアの神学校を卒業した、聖職資格者です。
現代のアフリカにおける「民族浄化」の主導者も、すべてキリスト教の
リーダーです。

ルターは、ホロコーストのプログラムを、殆どそのまま提案しています。
460神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:12:25 ID:HpX//ou6
>>458の訂正
×時間に関係ない
○過去や未来に関係ない、現時点における
461神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:16:00 ID:erAs8PK6
馬鹿が宗教やると悪い方向へ自己催眠かけるんだよ
462神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:26:21 ID:JSofrJ2y
>>459
あなた自身もキリスト教の影響を受けたことがあるのではありませんか?
スターリンがそうであるように。
463一在家:2009/07/23(木) 11:30:08 ID:4MzMhM2p
>>458
>「神(I am that I am)とは、すべての人と物に遍在し、
>時間に関係ない『存在』『実在』である。」

「一切衆生悉有仏性」に通じる真理かと存じます
464神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:47:38 ID:HpX//ou6
>>463
「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「草木国土悉皆成仏」もありますね。
465一在家:2009/07/23(木) 11:48:20 ID:4MzMhM2p
>>455
>非宗教者から見れば、宗教とは現実上の根拠皆無な妄想以外の
>何物でもない。

2500年前に人の心を読みながら対機説法で精神を救った聖者が
おりました。

2000年前に病める人々に手を置いて癒したり、取りついた悪霊を
追い出して救った聖者がおりました。

ずっと後世には聖者たちを敬い、彼らの教えを「信仰」する人々が多数
おりますが、彼らの「信仰」は「妄想」だと決め付ける人がおります。

万馬券をイメージした人は妄想でしょう、美人が振り返ることをイメージ
した人も妄想でしょう、学会で自説が賞賛されるシーンをイメージした人も
妄想でしょう。

果たして生涯を通じて、一度も嘘をつかない人や、一度も妄想を抱かない人
がいるのでしょうか。
一度でも妄想を抱いた人が他者を「妄想者」と呼ぶことは人格の問題かと
存じます。
466神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 11:54:15 ID:erAs8PK6
誰か465を翻訳して
467神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 12:09:05 ID:TIx8hkV1
>>458
そこに「存在するもの(あるもの)」とそれが「存在する(ある)場所・領域」は別。
その引用文でも両者はイコールで結ばれてはいない。
468神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 12:09:15 ID:a1002gXG
>>465 俺は宗教者全てが妄想患者だとはおもわないが
お前のようにオミタマ握りしめて、手かざしやってる奴はやはり、妄想患者だと思うぞ。
469神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 12:17:26 ID:TIx8hkV1
「水の入ったコップ」は「水の入った水」ではなく
「水に沈められたコップ」は「水に沈められた水」ではない。
470神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 12:36:59 ID:JSofrJ2y
>>465
> 一度でも妄想を抱いた人が他者を「妄想者」と呼ぶことは人格の問題かと
> 存じます。

妄想の程度にもよるんじゃないでしょうか。
万馬券をイメージしたところで、すぐに現実に立ち返るなら問題ないと思います。

しかし、万馬券を当てたという夢想を、さも事実のように人に語り、
いつまでもそのイメージを現実だと認識しつづけ、他者から批判を受けても
覆さない場合は、やはり妄想者と言われても仕方がないように思います。

通常レベルの「空想」と、修正不可能な「妄想」とはやはり違います。
この手の指摘は三回目です。
471:2009/07/23(木) 13:28:53 ID:yFOS5+Mq
>>345
>1 いっさいを空とし、自分が世界の支配者になったつもりになる。
>2 いっさいを空にするから、その人を押さえつけるものがない。

先ずは仏教における縁起を理解したら如何?

縁起するが故に空。縁起するが故に無自性。無自性であるが故に空。
「空」とは常に帰結。言ってる意味が分かる?空故に縁起、空故に無自性とはならない。
縁起はつねに理由。無自性は縁起に対しては帰結、空に対しては理由である。

『中論』以前に著された大乗経典は、既に「空」を説いていたが、その「空」に対して、
君のように疑見を生じる人が現れたために、龍樹は「何の因縁の故に空であるか」
を説明するために、「空」とは縁起だということを、君のような間違った理解者に、
そのような意味ではないということを『中論』において説いた。「空」に関する疑見
を、縁起によって基礎づけたわけである。
472一在家:2009/07/23(木) 14:29:04 ID:4MzMhM2p
>>470
>通常レベルの「空想」と、修正不可能な「妄想」とはやはり違います。
>この手の指摘は三回目です。

コテハン無しで、いきなり「指摘は三回目です」と精神的にプレスを与える
やり方は精神医学的に宜しいのでしょうか。

コテハンつけた住人達は多くの批判にも正々堂々としておりますし。
「精神医」氏としては如何でしょうか。
473神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 14:42:11 ID:SSe4Cix6
>>467
>そこに「存在するもの(あるもの)」とそれが「存在する(ある)場所・領
>域」は別。そのそこに「存在するもの(あるもの)」とそれが「存在する(ある)
>場所・領域」は別。

"God is and God is omnipresent, in everyone and everything."(神は、存在
であり、神はすべての人間と事物に遍在する)と、ちゃんと場所が示されている
ではないか。最後に、"just presence(存在そのもの)"と念を押している。

最初の"God is"の"is"は、「(神は)存在する(である)」という完全自動詞。
I am that I amの、最後の"am"に対応する。

佛教は、この一神教の神概念(全実在)よりも一歩進んでいて、その全実在
そのものが「相互依存性・関係性」により「無自性・空」とする。一神教は、
この「全実在の関係性」には、全く思い至っていない。
474神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 14:52:54 ID:FQKavKqf
>>472
>と、ちゃんと場所が示されているではないか。

場所が書かれていないとは一切主張していない。ある場所を占めることは
その場所そのものとの同一性を意味しないということだ。>>469で書いたようにね。
「中に入っている」と「入れ物」までそれに変わってしまうのか?
あるいは最初からそうだったことになるのか?そうではない。
Inと書いてあるように、この場合「人間」や「事物」が入れ物にあたる。
475神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:10:37 ID:erAs8PK6
聖書って至るところに神を擬人化した言い回しがあるんだけどおかしくないの?
神を”存在”と仮定すると、全然話が通じない
聖書を編纂した人が神の認識を間違えてた?
476神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:12:22 ID:FQKavKqf
>>475
人間に対して「大切な存在」って言うじゃない。
477旧7:2009/07/23(木) 15:15:16 ID:xdLeiDU7
気だるい午後に戯れてみる・・。


tam MosaM etad avoca "sayambhavaM ahaM Mose" 'ti,
athAparaM etad voca “vadeyya Mosa tayA evaM
"sayambhavena Avuso idaM ahaM IsraelaputtaM tumhesu tumhaM Agameti"”ti".
478神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:21:13 ID:SSe4Cix6
>>474
"In"とあるだけで、容器とその内容物との区別など書かれていない。
「人間」や「事物」全体に浸透しているとも解されるではないか。
その場合、「人間」と「事物」自体が神なのである。「内容(神)」
と「容器(人間・事物)」が別個であれば、「内容」のみが「容器」
から離れることがありうるのであり、その場合「すべての人間と事物
に遍在する」という命題が成立しなくなってしまう。

スピノザの「神即自然」は、神が自然に「宿る」のではなく、「自然そ
のもの」が神なのである。
479神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:24:57 ID:FQKavKqf
No time here, のくだりも聖書註解と重なるな。
神は永久であり、不変である。つまり時間に縛られることが無い。
被造物と違い、時間によって存在するか存在しないかを左右されたりはしない。
存在の仕方のレベルが違っている。何によっても制約されずに存在し、
神としてわざを行う、まさにjust presenceだな。
480旧7:2009/07/23(木) 15:31:03 ID:xdLeiDU7
>>474
《「中身」と「場所」の別》って、
《「時間」と「空間」の別》《「時間」と「存在」の別》の関係に似ているね・・・。


漢訳には、「色(rUpa)」の訳語として「質礙」があるが・・・。
さて・・、「名(nAma)」の場合はどうなるか・・・。



何かが存在するには、
≪まず「存在する為の“場所・空間”」が必要。
 その“何か”よりも先に、その“何か”が収まるべき“場所”がなければならない。≫
という考え方か・・・。


ん?
ということは、「神よりも先に、神が存在する為の場所が既にあった」ということか・・・。
ふ〜む。難しいな・・・w  (´・ω・`)
481神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:32:45 ID:FQKavKqf
>>478
えーと、聖書の神が意思を持つ人格神で、
人間には及びもつかない超常的能力の持ち主、
でもって神は全ての被造物を支配している、
っていう設定は覚えてるか?

>「内容」のみが「容器」から離れることがありうるのであり、

いや、元々融合してるわけじゃないから。
「そこに存在し、影響力を及ぼす」だけだ。
482神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:33:46 ID:SSe4Cix6
>>475
>聖書を編纂した人が神の認識を間違えてた?

"I AM"という、「神の唯一の自己定義」からすると、それ以外の結論
は出ないね。あくまで「外在の神」を求めるバチカンやキリスト教徒
の説明は、一切信用できない。レヴィナスが「神は全実在。一神教は
無神論」という結論に達せざるを得なかったのは、この「神の唯一の
自己定義」に忠実に従った結果だと思う。
483神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:35:48 ID:FQKavKqf
>>482
>レヴィナスが「神は全実在。一神教は無神論」という結論に達せざるを得なかったのは、

この話に否定的な情報が出てるんだから、せめて、
自分で探して、見つけてからにしないか。
484神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:48:26 ID:JSofrJ2y
>>472
> コテハン無しで、いきなり「指摘は三回目です」と精神的にプレスを与える
> やり方は精神医学的に宜しいのでしょうか。

精神医学が人のモラルについてどうこう言ってくるということはまずないと思います。
一部の行為障害とか反抗挑戦性書害とか、特定のものについて多少あるくらいでしょうか。
あなたが何らかの病気を患っている場合はまた別ですが、
どこかの精神科にかかっていたりするのでしょうか?

> コテハンつけた住人達は多くの批判にも正々堂々としておりますし。

人によるとは思いますが、
逃げるなと言われているのに、逃げつづけてみたり
強引な論理、人の話を聞かない、罵倒、蔑みなど
ずいぶん卑怯な人も見受けられます。

> 「精神医」氏としては如何でしょうか。

誰ですか?それは。
485神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:49:35 ID:FQKavKqf
>>478
>"In"とあるだけで、

隠居はジョンさんがアメリカで何々である、という文を見た時、
ジョンさんとアメリカを区別しないのか?

>「人間」や「事物」全体に浸透しているとも解されるではないか。

ほら、「浸透する主体」と「浸透する対象」を分けてるだろ?
486神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:53:14 ID:SSe4Cix6
>>479
No time hereは、その前のDid God say,"I have always been, and I
always will be?" Of course not. のことを言っている。ヘブライ語
の原語では、I AMは未完了形だそうである。即ち、「無限の未来の
人間や事物」にも遍在するということである。この点、未来について否
定している原文とは矛盾するが、未完了形ということと、no time here
という言葉を考慮すれば、そのようにも言えるであろう。即ち「永遠の
今」ということである。しかし、未完了形を使ったとは、誠に慎重な
配慮である。未来の限定はないのである。さすが「神自身の言葉」で
ある。
487神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 15:53:14 ID:bUDfAAEx
>>483
その人はさんざん明らかになったようにインチキ本をネタに妄想を振りまいて
得意になりたいだけだから、「かね」とか「生命」とかでその人と認定できたら、そっとしとくのがよいと思います。
488神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:00:32 ID:SSe4Cix6
>>485
「すべての人間と事物に『遍在』する」という命題から逆に考える
必要がある。「遍在」なら、「主体」と「対象」の区別はできない。
489一在家:2009/07/23(木) 16:06:38 ID:4MzMhM2p
>>484
>> 「精神医」氏としては如何でしょうか。
>誰ですか?それは。

本スレでただ一人、精神医学という言葉を振り回す、貴兄ですよ。
490神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:18:48 ID:SSe4Cix6
>>489
>貴兄ですよ。

それは人違い。しかし、宗教と精神医学とは切り離せない。「ない」ものが
「ある」、「ある」ものが「ない」という営みだから。あくまで、「現実
から離脱した心理現象」として、精神医学の対象となる。

宗教とは、「人為的に精神病を作り出す営み」といえる。
491神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:19:46 ID:JSofrJ2y
>>489
人違いです。
492神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:25:46 ID:FQKavKqf
>>486
>Did God say,"I have always been, and I always will be?" Of course not.

神の時間における居場所を否定したものに見えるな。その後に
過去と未来を創造した、という旨の文章が続くわけだから。
時間を創造する側であって、そこに住む者ではない、と解せる。
「今まで/これからもいつもここにいる」やこれからもそうである事という意味で否定すると
現に今「ここに存在する」万物であることも否定することになる。
関係性を持ち出すなら、過去なくして未来は無いわけだから
今起こっていない、これから起こることも同時に否定することになるな。

これ以上はエックハルトスレで彼の思想・神観を聞いてきたほうがよさそうだな。
それによって彼がこの文章をどういう意図で書いたのか、正確な答えが出るだろう。

【神秘】マイスター・エックハルト【思想】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1159857194/l50
>>488
「主体」と「対象」の区別をつける遍在は既に在るわけだし、どちらか正しいのか(事実という意味じゃなくてね)
という議論の場で、単に結論を先に持ってくるだけでは意味が無い。
493神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:27:53 ID:FQKavKqf
ミスったw

エックハルト・トールはもっと評価されるべき
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1248020119/

エックハルト違いだったわ。では早速質問してこよう。
494神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:29:06 ID:SSe4Cix6
>>489
非宗教者から見れば、宗教信者は、基地外以外の何者でもないことを、
忘れてはならない。

すべての創唱宗教の開祖は、精神医学的要素があり、信者は、それが感染
したものである。精神病は、患者に接する者に感染する。精神医学では、
これを、「感応精神病(induced psychosis)」「二人組み精神病(folie
a deux)」と呼ぶ。その症例は、宗教関係が圧倒的に多い。
495旧7:2009/07/23(木) 16:46:46 ID:xdLeiDU7
>>490 16:18:48
>>491 16:19:46


ワロタw
揃ってツッコむ芸人かよwww
496神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 16:50:44 ID:a1002gXG
それでは俺も突っ込んでおこう

「人違いです。」(笑)
497旧7:2009/07/23(木) 17:03:15 ID:xdLeiDU7
てか、日も暮れないうちに聖書解釈で50レス消費か・・・w

ここ、何のスレだっけ?www
498一在家:2009/07/23(木) 17:10:04 ID:wxO9JUNr
>>497
>ここ、何のスレだっけ?www

「人違いです。」(笑)でなく、「すれ違いです。」(笑)
499神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 17:18:41 ID:FQKavKqf
ヘブライ語って動詞に単数形と複数形が無かったっけ?
まあ、あっても万物を一つにまとめてしまえば一緒か・・・。

次に根拠を出すなら言語学的ものでお願いしたいね。
>>497
悪い悪い。次からは誘導してやることにしよう。
500 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 19:18:22 ID:p51Z2o29
>>471 空幻論者 暁君
空、空と言うからには、空の定義ができているのだろう。
空の定義を具体的に簡潔に表示してくれないか。
縁起・仮設・中道では言葉の言い換えにすぎない。言い換えではなく、
だれにでもわかるように具体的に表示してくれないだろうか。
 
それから般若灯論の引用を解説した君の文章、ひどく混乱していたけど、
その件はどうなった? 空ですますわけ。
当の本人が理解できない引用など、みんなに迷惑なだけだろう。
501神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 19:22:37 ID:vcCYso/g
空とは素粒子である
全ては素粒子である
502 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 19:39:18 ID:p51Z2o29
>>501
それでは物質に実体があることになる。(参考) E=mC^2
 
★「わたしはある」という聖書の言葉は、神への信仰ではなく、
神がいることは事実である、という主張のようなものではなかろうか。
たぶん、神自身がそう語ったのではなく、アブラハムの思いか、
創世記執筆者の思いではなかろうか。そう推測する。
 
神への信仰ではなくて、神がいることは事実なのだという思いが、
「わたしはある」に結晶したのではなかろうか。
503:2009/07/23(木) 19:55:58 ID:yFOS5+Mq
>>500
言い換えではなく同義だよ

勘違いしないよーにw
504神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 19:57:28 ID:eT/yTcaD
空=無なんて話は聞いた事無いんだが・・・
505神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 19:58:28 ID:7xgNh4LD
>>500 外道、◆xQ2N4RcE0E君
空、空と批判するからには、空の定義ができているのだろう。
空の定義を経論を引用・指示して簡潔に表示してくれないか。
君の文章、ひどく混乱してるけど、もしも経論を挙げられないなら、
たとえ同じ「空」という語に言及していても、
仏教・大乗・竜樹とは何の関係もないから批判にならないよ。
当の本人が理解できない語についての無根拠な批判など、みんなに迷惑なだけだろう。
506:2009/07/23(木) 20:00:25 ID:yFOS5+Mq
スマヌ

私がレスしたばっかりに(笑)
507 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 20:07:01 ID:p51Z2o29
空論者が尊大で横柄で傲慢になる理由
・・・チャンスがあれば、やりたい放題、言いたい放題
 
1 いっさいを空とし、自分が世界の支配者になったつもりになる。
2 いっさいを空にするから、その人を押さえつけるものがない。
3 そうでなくても、知らず知らずのうちに唯我独尊になる。
 
この話にレスした >>404 >>410 >>471 を比較すれば、
石頭トンチンカンエロQかんぐりの旧7がいちばんすっきりしない。
センスが悪い。
 
ところで旧7は、どうして石頭トンチンカンエロQかんぐりの旧7
と言われるかわかっているはずだ。
これらは相手に投げつけた言葉であり態度である。
こうやって並べてみれば旧7の人柄がにじみ出ていてなかなかいい味がする。
そういえば断滅外道もあったか。
508神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 20:09:09 ID:XPpBw73f
ほかの言葉と食い違う自己定義。
それは一貫してないだけの「能書き」である。
言行不一致は発言の価値と
意味を無くさせてしまう。言葉がいい加減に使われてるだけだからである。
509神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 20:14:07 ID:eT/yTcaD
ちょっとごめん、素朴な疑問なんだけど実体の無い物質って何?
510神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 20:15:32 ID:XPpBw73f
警察とか規範とか地獄とかの怖さって空にするくらいで
抑止力をなくすの?
本来なら、ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.htmlから和訳してみるべきだろうが
とりあえず、概要だけ提示しておく。
「片山入門」によれば、ウダーナ(自説)の構成は以下のようになっている。
1、菩提の章(計10経)/2、ムチャリンダの章(計10経)/3、ナンダの章(計10経)/4、メーギヤの章(計10経)
5、ソーナの章(計10経)/6、生来盲目の章(計10経)/7、小の章(計10経)/8、パータリ村民の章(計10経)
そして、度々出てくる引用は、
8の〔1.第一涅槃関係/2.第二涅槃関係/3.第三涅槃関係/4.第四涅槃関係/5.チュンダ/6.・・・・・・10..第ニダッバ〕
の中の『3.第三涅槃関係』であろう。(ウダーナ8.3とあるので。)

つまり、少なくとも、パーリ仏教に於いては、『涅槃』という表題が付けられ、
しかも、その他に更に三つ、涅槃について説かれているということだ。
ここに何が書かれているか、カラスは確認した上で発言しているのか?宝珠は確認した上で発言しているのか? どうなんだ?w
そこに、「これらはアートマンについても言い得ることである」 みたいなニュアンスのことでも述べられてるのか? あ゛?
だから、お前らの方をこそ、意地汚いツマミ喰い野郎だと言うんだ。


また、如是語(イティヴッタカ)は、(多いので該当箇所だけにするがw)、
「2.2.6-7」(経の順序で言えば、43-44経ということになるが)、2、二法集/第二章の「6不生、7涅槃界」ということになろう。
 (http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1244362051/314http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1244362051/317

ここでも、パーリ仏教としては「涅槃」の表題が付く。或いは章の前後の関連から「涅槃」に関連している。
現存仏典からは、アートマン是認の記述は見出せない。
少なくとも、「肯定せず」「肯定せず」「肯定せず」「肯定せず」「肯定せず」・・・・・・と積み上げて、
一切とは諸法であり、諸法は非我であり、そして、我々(人)が把捉するのは一切であり、「我」を捉える事はない。
故に、涅槃を目指す際には考慮しなくてよい。だから《「無我」という“言い方”》が許容される。
こういう流れだ。
  ※(→だから宝珠は、「『伝統』が、『継承のされ方』が誤っていた。誤解されてきた。」という発言をするしかない。)
そして、attanが肯定的に述べられている時には、
文脈や前後の語句との関連性から『“所謂”アートマン』とは読めず、
「実存的に、今ある生を生き、より善なる生き方を(或いは涅槃を)希求する意志を持つ」者を称する為の、
まさに、日常言語としての『自己』として、伝統的には読まれてきている。
(※このベクトルの極が、禅宗の「本来の面目」となる。)

アートマンを温存するには、記述に拠ることはできない。恣意的に読み解く・解釈するしかない。

そう、まさに君たちによる
「語義解釈としては《非我》だろ?《無我》ってのは深読みし過ぎじゃないのか?誤った、恣意的解釈じゃないのか?」
という指摘の鏡像のように・・・。
─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─
ちなみに、各節のパーリ表題は↓な。
1. paThama nibbAna paTisaMyutta suttaM
2. dutiya nibbAna paTisaMyutta suttaM
3. tatiya nibbAna paTisaMyutta suttaM
4. catuttha nibbAna paTisaMyutta suttaM
513 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 20:33:09 ID:p51Z2o29
>>509
実体のない物質なんて考えられないよね。
>>510
そんなに甘いもんじゃないよね。冤罪事件が多発していることを思えば、
大乗の空がウソであることはすぐにわかる。
 
空は殺人者には歓迎されるけど、事件の被害者は否定するだろう。
要するに、空は、普遍的な真理ではないということだろう。
514 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 20:49:01 ID:p51Z2o29
幻術師・竜樹に幻惑されて混乱してるようだから再掲する
 
ゼロ次元(黒)→二次元・言葉(黒・白)→三次元・空間(天然色)→四次元・時間(透明)
 
こうやって並べれば、言葉の役割や限界が見えてくるし、相関関係と因果関係の位置づけも
 
できるかもしれない。意外にも、相関関係のほうが因果関係よりも格下になっている。
515神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 20:51:49 ID:JdQ0qSn1
わけわかめ
516神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 20:55:19 ID:eT/yTcaD
俺には空は理解できないわ
実体の無いものって何だよ、無いものは無じゃないのか
517 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 21:04:59 ID:p51Z2o29
竜樹の空は、三次元から二次元へ、二次元からゼロ次元へと落ちていく。
そういう話が空である。空間と時間の消滅である。
 
しかし竜樹が忘れているものがある。それは<生命>である。
生命は、ゼロ次元から二次元へ、そして三次元・四次元へと歩んでいる。
わたしたちは四次元にいる。わたしたちは後戻りしない。
生命には正体不明の方向性をもった未知のエネルギーが存在する。
それは後戻りしない。
518 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 21:12:28 ID:p51Z2o29
>>516
その理解で正解だろうと思う。
有るものは有る、無いものは無い。
 
しかし竜樹は、有と無とを相互依存・相互限定で理解している。
明らかに竜樹の方が誤っている。
 
有るものは有るのであり無いものは無い。有と無とは相互依存ではない。
竜樹が誤っているなら、大乗仏教が誤っていることになる。
519神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 21:29:36 ID:JdQ0qSn1
>>517
進化・退化は人間の主観で決めてるらしいよ
ミミズのあの格好も手足をなくし退化しているとも言えるが
土の中でより動きやすくするため進化したとも言える。
方向性とは、現在から過去を見たときに残された足跡、そして
その過去からの流れを未来に投射させようとする動きにすぎない。
つまりは、存在の物語付けにすぎない。
520源源:2009/07/23(木) 21:32:13 ID:nc2izEYj
真光隊員の捏造お導き(勧誘)それでも霊主なの?
そうやってみ教えも捏造してんじゃないないの?
陽光子統一版、オフ会仲間中心の馴れ合いサイト。
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/mahikari/bbs_plain

11292 返信 来年の上級研修会 青い青年 2009/07/15 21:17

7月と8月の研修会に友人のお導きをしました。
道場長が話があるといって幹部室に呼ばれて、お導きを真光隊にゆずってくれるよう
に頼まれました。私は、彼らに真光隊の話はまだしてない、と言いました。

道場長は、真光隊に入る話じゃなく、「真光隊の人がお導きしたことにしてほしい」、
と言いました。来年、真光隊だけの上級研修会があるので真光隊の受講者が必要だが、
真光隊の人たちがお導きできないので、お導きの数が7人になるように、組み手さん
みんなにお願いしている、ということでした。

真光隊が100人上級研修を受けて、教え主様に喜んでいただきたい、と言ってました。
真光隊に御神体をいただいてほしいとも言ってました。
私は正直腹が立っています。

こんなことを教え主様が知ったら、本当にお喜びになるでしょうか。
条件を満たすことができる真光隊が10人や20人にしかならなくても、本当に7人お導
きした人だけが研修会を受けるべきじゃないでしょうか。
それに、お導きしてない人が御神体をいただいて、神様が喜ぶのでしょうか。

521神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 21:34:26 ID:a1002gXG
>>506 暁氏よ、 こいつは、前に書いたようにスルー推奨です。

できるだけ、構わないようにお願いしますね。
522神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 21:34:46 ID:JdQ0qSn1
相関関係ってのは、長いに対する短いとか、遅いに対する早いとか、右に対する左とか

単独では存在できない概念のことでは?

龍樹の空は、非空間、つまり時空を飛び越えた関係性も含むよ

たとえば、アメリカに滞在中の姉が子供を出産した瞬間、日本にいる俺は

その事実を知らなくとも、叔父になっているわけだが、俺には一_たりとも新たな物質が

付加されたわけでも、奪われたわけでもない。

俺の中に叔父という存在の実体を求めるなら、一_も見つけられないだろうな
523神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 21:36:34 ID:bUDfAAEx
◆xQ2N4RcE0E >90 自分の言葉に責任を持つべきではないか。
>104>気の毒だから言うけど、言い方や態度を根本的に改めたほうがいい。
>たぶんあなたは、社会生活でも落第だろうと思う。

>111 >実際の社会生活で、>>507>石頭トンチンカンエロQかんぐり
>111 >とか言っているのか。
>他人のことを言う前に、自分のことを反省してよ(~~)

>137
>たとえネットでも、まともな心があるなら、こんなことを言わないだろう。
>かんぐり旧7に乗じたにせよ、失礼だとは思わないのか。
524神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 21:59:28 ID:bUDfAAEx
>>516
言い習わし、日常生活での指示対象を言い習わしのなかで実体と言うことは仏教でも認めます。
これは「私」「我」と言って通常の指示対象としての「私」「我」を同一性を持って指すことと同じです。

ですが、本来はそのような指示対象や同一性を持った実体がないというのが空。

例えば、河を見る。利根川という指示される対象があります。
しかし、その川の水は流動して同一性などありません。
人が仕来りや言い習わしに従って同一性を妄想してるだけです。

こういう意味で「私」「我」には実体がないと言うのです。
逆に「私」「我」の実体とは何でしょう?
身体でも心でもそれらの一部にもないことは簡単に了解できるでしょう。
では、全体が「私」「我」だとするなら、もし、その一部がなくなったら
「私」「我」でないことになってしまいます。
しかし、そんなことはない。だから、「私」「我」に実体などない。

これはただの推論ですが、仏教はそれを戒定慧を用いて体得するのです。
なぜなら、我意識こそが苦の根源だからです。
525 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/23(木) 22:17:49 ID:p51Z2o29
ところで旧7は、どうして石頭トンチンカンエロQかんぐりの旧7
と言われるかわかっているはずだ。
これらは相手に投げつけた言葉であり態度である。
こうやって並べてみれば旧7の人柄がにじみ出ていてなかなかいい味がする。
そういえば断滅外道もあったか。
5261/2 旧7:2009/07/23(木) 22:19:32 ID:xdLeiDU7
ついでだ。ウダーナ〔8.1〕の全訳な。(片山入門p.282)

第一涅槃関係経
このように私は聞いた――
あるとき、世尊は、サーヴァッティに近いジェータ林のアナータピンディカ僧院に住んでおられた。
ちょうどそのとき、世尊は比丘達を涅槃に関する法によって教示し、訓誡し、激励し、喜ばせられた。
かれら比丘は熟考し、思惟し、すべてに心を集中し、耳を傾け、法を聞いた。
そこで、世尊はこの意味を知り、そのとき、次の感嘆のことばを発せられた。
 「比丘たちよ、このような【境地】があります。そこには、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
  空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、
  この世もなく、あの世もなく、月・太陽の両者もありません。
  比丘たちよ、【私は】そこに来ることも、行くことも、止(とど)まることも、
  没することも、生まれかわることも【説きません】。
  【拠り所のないもの、生起のないもの、所縁のないもの】が、すなわち【これ】です。
  【これ】がすなわち【苦の終わり】です」と。――

 ※【 】は引用者が挿入
5272/2 旧7:2009/07/23(木) 22:20:26 ID:xdLeiDU7
原文な。

1. paThamanibbAnapaTisaMyuttasuttaM
71.evaM me sutaM. ekaM samayaM bhagavA sAvatthiyaM viharati jetavane anAthapiNDikassa ArAme.
tena kho pana samayena bhagavA bhikkhU
nibbAnapaTisaMyuttAya dhammiyA kathAya sandasseti samAdapeti samuttejeti sampahaMseti.
tedha bhikkhU aTThiM katvA manasi katvA sabbaM cetaso samannAharitvA ohitasotA dhammaM suNanti.
atha kho bhagavA etamatthaM viditvA tAyaM velAyaM imaM udAnaM udAnesi -

''atthi, bhikkhave, tad 【AyatanaM】,
yattha na eva pathavI, na Apo, na tejo, na vAyo,
na AkAsa-anaJcAyatanaM, na viJJANaJcAyatanaM,
na AkiJcaJJAyatanaM, na nevasaJJAnAsaJJAyatanaM,
na ayaM loko, na paraloko, na ubho candimasUriyA.
tatra-apa-【ahaM】, bhikkhave, 【na】 eva AgatiM 【vadAmi】,na gatiM, na ThitiM, na cutiM, na upapattiM;
【appatiTThaM, appavattaM, an ArammaNaM】 eva 【etaM】.
【esa】 【vanto dukkhassA】''ti.

 ※【 】は引用者が挿入
528神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 22:41:13 ID:E14mM8/8
■ネットリサーチ

次の衆院選はどの党に投票しますか?自民党、民主党、幸福実現党

http://research.news.livedoor.com/r/30847
529宝珠愚者:2009/07/23(木) 23:12:48 ID:4akCbsQF
>>472
>コテハンつけた住人達は多くの批判にも正々堂々としておりますし。
>>484
>人によるとは思いますが、逃げるなと言われているのに、逃げつづけてみたり

名無し投稿が2ch-BBSの面白さであることは認めます。
が、しかし、こういったシリアスな議論の場においては
決して相応しいものとはいえません。
名無し投稿は、これまでの自分の意見とは矛盾する内容を
今度は平気で別人になりすまして展開できるという逃げが通用するからです。
「その投稿は私ではない」といって、都合が悪くなると態度をひるがえすのです。

自分の主張に強い信念があり、
同じスレで投稿を続ける意志があるならばコテハンにすべきです。
それは、“過去の同一者としての投稿を誰もが追える”からです。
それが自己の主張に責任を持つ姿勢に繋がる。

「名無し投稿でも問題ない。
投稿された内容が真理であるかを判断し、評価すべきだ」という意見は無意味です。
投稿内容を吟味するのは当たり前のことであって、
問題は過去の同一者の投稿が見えるか見えないか、という点にあります。

コテハンとて何処の誰なのかは分らず、
それらのプライベートは議論の本質とは異なる。
530宝珠愚者:2009/07/23(木) 23:15:38 ID:4akCbsQF
おおっ!!
気紛れで試したら、PCから直で投稿できました!!
規制解除です。何ヶ月ぶりでしょうか・・。
またいつダメになるか分りませんが、取り合えず投稿が楽になりました^^
----------------
>>455
>自爆テロリストたちは、狂人とは思わないのですか。

死刑(制度)も、
被害者側の報復感情を満たすものとしてもみなされている。
パレスチナに集約して見られる“ヤラレたらヤリ返す”という報復行為が、
この世の地獄を現じているのは明らかであり、およそ宗教者の見解とはいえない。
ましてや、非暴力/不殺生の教えがある仏教者が死刑制度の支持を表明するなどは論外です。
531宝珠愚者:2009/07/23(木) 23:17:30 ID:4akCbsQF
>>480
>ということは、「神よりも先に、神が存在する為の場所が既にあった」ということか・・・。

矛盾することをしていてもダメだと思います。
それは、神という現象界を超越した概念を
“存在する為の場所”といった現象界の性質にて示そうしているからです。

>>511
>宝珠は確認した上で発言しているのか? どうなんだ?w
>そこに、「これらはアートマンについても言い得ることである」 
>みたいなニュアンスのことでも述べられてるのか? あ゛?

すみません。
---全文を読める状況にはありますが、まだ読んでません。
私はウダーナ8-3がアートマンを示しているというのではなくて、
現象界を超越したもの(すなわち涅槃)をゴータマは認められているという点を指摘しています。
そのことからすれば、バラモンの説くすべてを超絶しているアートマンですらも該当し得る
という意味になるという話です。

>>526
ニルヴァーナの性質についての解説ですね。
最初からそこにあるのであるから“行く”ようなものではないということですね。
はい、特に何の意義はありません。
532神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:26:01 ID:XPpBw73f
神には始まりも終わりも設定されない。

起源を云々すると、ではその場のはじまりは何だ。
という話になる。
神の居場所があるならそれを作った原因があるに違いない・・・。
せっかくだから神の時点で話を打ちきることにすれば神の手柄になる。
533神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:27:56 ID:JdQ0qSn1
>死刑(制度)も、
>被害者側の報復感情を満たすものとしてもみなされている。

これは誤りですね。
ちょうど、神に動物の肉を捧げるように共同体の秩序のためにささげられる肉です。
この行為によって我々は死刑者より多くの命を守ることができるのです。
534神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:28:40 ID:WcV1rcwi
>>512

アートマン=バラモン(ブラフマン)を肯定しないということだろう。
なにかとバラモン僧がアートマンを持ち出してうるさかったんではないか。
釈迦はクシャトリヤで仏陀になったわけだから、法としてはアートマンを
否定しないかぎり成り立たなかったのだろう。
535神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:39:18 ID:XPpBw73f
そのためには論理とか因果とか超越してたほうが良い。
超越(束縛されないこと)していることで
論理や因果に縛られるものに対してと同じ理屈では
突き崩されないようにする。

神をつくる方法(生まれる過程)はもの・世界にパワーを加えるのと
パワーをもの・世界から独立させるという二種類であるのかもしれない。
536神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:43:53 ID:XPpBw73f
死刑についての考え方については、
ガイア教の天使クジラ
でぐぐると見つかるブログが参考になる。
かなり興味深いのでおすすめ。
537神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:47:03 ID:JSofrJ2y
>>529
> 名無し投稿は、これまでの自分の意見とは矛盾する内容を
> 今度は平気で別人になりすまして展開できるという逃げが通用するからです。
> 「その投稿は私ではない」といって、都合が悪くなると態度をひるがえすのです。

コテハンでも都合が悪くなると完全にスルーしたり、
態度を翻したり、最初から別の意見だった風を装ってみたりするので、
あまり変らないような気がします。

> それは、“過去の同一者としての投稿を誰もが追える”からです。
> それが自己の主張に責任を持つ姿勢に繋がる。

それは理想論であって、現実にはコテハンの人でも自己の主張に責任を持っている人ばかりとは
思えないですよ。スルー多すぎますしね。何度言われてもスレ違いの投稿繰り返していたりとか、
反省もしないし、酷すぎです。
538神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:50:01 ID:JdQ0qSn1
>矛盾することをしていてもダメだと思います。
>それは、神という現象界を超越した概念を
>“存在する為の場所”といった現象界の性質にて示そうしているからです。

たとえば、闇夜の庭に浮かぶゆうれいがいます。こしを抜かしそこで気絶しました。
翌朝目覚めると、そこにはTシャツが一枚。
男は、ここでゆうれいなどいないと得心したとします。

ゆうれいという概念が否定されたとしても、ゆうれいという概念がしめていた心の領域というのは
存在します。なぜなら、ゆうれいが存在しないなどと完全には否定できないのですから。
ゆうれいは経験的に否定されましたが、非経験的なゆうれいは否定できません。
(ゆうれいがいるという前提でなされるコミュニーケーションの経験はここで除外します。)
理屈に合わなくとも、言葉では表せないという言葉を使えば、言葉はいくらでも虚妄をつくりだせます。
この空虚な心の領域。それを虚空といいます。

ここではゆうれいの例を出しましたが、妖怪でも、狙撃者Xでも、ねずみ人間でもいいです。
このような人間の認識を離れて想像されるあらゆる存在も、
存在を認めたり、仮定することで、その瞬間より一瞬早くなのか分かりませんが、
無意識に前提として存在を用意するための空間を設けます。
カントはそれをアプリオリとしました。しかし、おそらく空間とは人間の六根の知覚に固有の、あるいは
共通の場なのでしょう。知覚に必要な前提として用意され想起される環境条件ということです。

神とてその例外ではないでしょう。
539神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:53:04 ID:XPpBw73f
宝珠の場合カルマがガス抜きになってるんだろう。
クズは来世で相応の報いを受けるという
輪廻転生の世界観が前提としてあるため
現世でそこ(死刑)までやることに執着する動機がない。
540神も仏も名無しさん:2009/07/23(木) 23:57:20 ID:XPpBw73f
トリップまでつけて、そうして名乗ったレスのみ正式とする
でもなければ成り済まし防止としてのコテハンの益は語れまい。
541宝珠愚者:2009/07/24(金) 00:25:09 ID:NJePf9Sc
>>539
>現世でそこ(死刑)までやることに執着する動機がない。

根本的な話です。人間の命に対して“誰それは死んでいい”
などいう判断も決定権も人間には持ち合わせていないということ。
人の命は等しく尊いという価値観がなければ、「殺人はいけない」ものとして説くことはできない。
それだけのことです。
---------------------------
>>540
トリップ付き限定などといっても、多くの人は守れないし守らないでしょう。
他者が成り済ました別人の嘘投稿という悪意ある出来事でもない限りは、
通常はそこまでしなくても問題はないと思います。
強制や限定付きは気軽な投稿参加を憂慮させます。
基本的には、同コテは同一者という信頼性にあります。
内容と文章表現も加味すれば殆ど問題はないし、
悪意ある別人投稿が起きた場合には、すぐに判明するものです。

>>537
あんなたのいいたいことは、もちろんわかります。

しかし、それに対して敢えていうと、
相手のスルーする自由も認めてあげる必要があるということです。
犯罪の取調べにおいてすら、黙秘権は認められています。
答えたくないのも本人の自由であり、それは何か答えたくない理由があるのです。
それが反論できないからなのか?他の理由に拠るかはいろいろです。
相手に質問したり、ものごとを追及するのも自由ならば、
相手がそれを答えないことも自由です。

ただ議論上では、スルーした側が不利を受け
反論できない劣勢へと回ったものと見なされることで閲覧者による自然な評価となるでしょう。
違いますか?
542神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 00:43:55 ID:Dn899rvQ
>>541
>根本的な話です。人間の命に対して“誰それは死んでいい”
>などいう判断も決定権も人間には持ち合わせていないということ。

これは単に共同体原理によるもの。根源的な生命に対する慈しみではない。
なぜなら、人は蚊を殺すことに躊躇しないし、ゴキブリを見れば蛇かつのごとくこれを嫌い、存在を認めない。
人命の尊重は自分の命を尊重するための担保でしかない。

543神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 00:50:55 ID:Dn899rvQ
>トリップ付き限定などといっても、多くの人は守れないし守らないでしょう。
>他者が成り済ました別人の嘘投稿という悪意ある出来事でもない限りは、
>通常はそこまでしなくても問題はないと思います。

あなたは四六時中カキコミをしていますが、ある宗教団体信者の複数人による共同カキコミということも
考えられますね。なりすました嘘投稿ではないと誰が証明できますか?

>相手のスルーする自由も認めてあげる必要があるということです。
>犯罪の取調べにおいてすら、黙秘権は認められています。
>答えたくないのも本人の自由であり、それは何か答えたくない理由があるのです。
>それが反論できないからなのか?他の理由に拠るかはいろいろです。
>相手に質問したり、ものごとを追及するのも自由ならば、
>相手がそれを答えないことも自由です。

ならコテハンでない自由もあるでしょう。
スルーする自由に浴したいということは逆に言えば、言わないことによって降りかかる責任も
負う覚悟をもつことを前提としています。自由は放縦ではないのですよ?
あなたは、スルーしたいし、責任も負いたくないとのことですが、
あまりに無責任すぎますね。ここは裁判所ではないのですから、あなたをいくら裁いたところで
あなた無視しつづけるだけで逃げるだけ。誰があなたの言い分に耳をかたむけましょうか。
544神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 00:51:47 ID:HVBAqDz8
>>517
>しかし竜樹が忘れているものがある。それは<生命>である。

生命こそ、関係性の集合体ではないか。まず、男と女の関係から始まるw。
その男と女の生命も、人類の生命の発生以来の無数の関係性の中にある。
そして生命は、自然や無数の他者との相互依存なしでは、一瞬も維持できない。
545神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 01:05:26 ID:HVBAqDz8
>>516
>俺には空は理解できないわ
>実体の無いものって何だよ、無いものは無じゃないのか

「空」を「無」「幻」などと誤解するから、理解できない。「無」「幻」どころ
か、「相互依存性・関係性」による「最も強固な実体」である。すべての物質は、
原子の関係的集合により構成されている。従って、物質そのものの自性はない、
ということだ。個々の物質の性質は、「原子の関係的集合の態様」の結果に
過ぎないから、その物質そのものの自性ではない。質量も、その物質を構成する
原子の質量であり、その物質そのものの質量ではない。
546神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 01:09:42 ID:HVBAqDz8
要するに、「個は他との関係性の中においてのみ存在し得る」ということ。
これが、佛教の「縁起・空」の意味である。
547神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 02:25:34 ID:iS9I17Ii
>>541
> 相手のスルーする自由も認めてあげる必要があるということです。
> 犯罪の取調べにおいてすら、黙秘権は認められています。
> 答えたくないのも本人の自由であり、それは何か答えたくない理由があるのです。

ではその理由くらい明らかにすればいいんじゃないでしょうか。
ここをきちんと答えてくれなければ議論にすらならない、というような重要な事柄に関しては
そのくらいはしないとまずいんじゃないでしょうかね。

> ただ議論上では、スルーした側が不利を受け
> 反論できない劣勢へと回ったものと見なされることで閲覧者による自然な評価となるでしょう。
> 違いますか?

議論として成立していることならスルーによって劣勢という事もあるでしょうが、
議論の以前部分でそうなった場合は、その人がその後議論を進めること自体にNGが出ますね。

いずれにしてもスルーばっかりしてるようならコテハンつけてても意味はないんじゃないでしょうか。
責任回避も一度くらいならともかく、反論できなくなる度にスルーするようではね。
548神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 02:29:51 ID:iS9I17Ii
>>546
然るに、何故キミは他者の発言を無視し忘却し、
関係性を破綻させることばかりを繰り返すのか。
549宝珠愚者:2009/07/24(金) 02:41:03 ID:NJePf9Sc
>>847
あなたの意見は正しいとは思います。
コテハンを使用することは、理由を明示することなしに
スルーを続ける個人も閲覧者には歴然となるのです。

>>543
>ならコテハンでない自由もあるでしょう。

もちろんそうです。

尚、名無しを希望する人は個人批判の対象になることを避けたいためと思われます。
要するにAの主張があり、それに同意もしくは近い意見の人が複数人で投稿している場合、
このAに対する批判意見は、Aを主張していた一個人に過ぎない一人のコテハン者に対して
集中する傾向があるからです(名無し投稿の場合には批判が集中しても、
あれは別人のものとして開き直ることができる)。

コテハン使用者は批判対象になるといわれるのはこのためです。
つまり、名無しを続ける理由とはこれを避けたいが為と、
自己の主張をその都合に合わせてコロコロと変えられるようにしておく為です。

私がいっているのは、同一者の投稿として誰からも追えるようにすべきというものです。
これは私のコテハン/名無しに対する考え方に過ぎませんが・・。

まっ、これに関して議論の意図はないのでここまでにします。
550神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 02:48:11 ID:iS9I17Ii
>>549
> 尚、名無しを希望する人は個人批判の対象になることを避けたいためと思われます。

というより、コテつける人というのは自己顕示欲が強い人が多いでしょう?
根拠もなく、思いこみで結論を語り、それに対する批判をスルーして、自説を繰り返す。
こんなことをする人間の同類にはなりたくないわけです。
つまり私にとってはコテというのは厚かましさの象徴のようなものですね。

> 自己の主張をその都合に合わせてコロコロと変えられるようにしておく為です。

それはコテつけてる人だってやってるじゃないかと、さっき書いたばかりじゃないですか。

> 私がいっているのは、同一者の投稿として誰からも追えるようにすべきというものです。

で、私が言っているのは、スルーしまくってるようじゃ追えたところで意味ないよなーってことですよ。
これらの意見に対してあなたは「あなたの意見は正しいとは思います」と書いたんじゃないんですかねぇ。
551神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 02:53:12 ID:xxaCfY2O
>>547
>議論として成立していることならスルーによって劣勢という事もあるでしょうが、
議論の以前部分でそうなった場合は、その人がその後議論を進めること自体にNGが出ますね


同意。
以前、宝珠の態度の二重性を問題としたときも、結局、何ら反証せずに
人格攻撃でスルーをし、一方的に終了させるということをしてきたからね
こいつは。
552宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 04:08:46 ID:NJePf9Sc
>>551
返答は述べたと思います。
ただし、それが必ずしもあなたの望む通りになるとは限りません。
私は皆の邪魔になるから、もういい加減に辞めるようにいったのです。


>>550
>というより、コテつける人というのは自己顕示欲が強い人が多いでしょう?

そういう人はいるかもしれません。
ですから、「誰の投稿かは問題ではない。内容の正しさで評価すべき」
といった意見については、この私は賛同するのです。
コテハンの名前なんかはどうでもいいのです。
同一人者の投稿を示すことが理由とその目的です(続けて参加投稿するならば)。
一応、今からトリップ付けます。

>それはコテつけてる人だってやってるじゃないかと、さっき書いたばかりじゃないですか。

同一者として閲覧者の全員に認知されます。

>で、私が言っているのは、スルーしまくってるようじゃ追えたところで意味ないよなーってことですよ。

意味はあります。
そういう同一人者として閲覧者の全員に認知されます。
それが、その人の評価に繋がる。

---終わりにしますm(__)m
553宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 04:43:26 ID:NJePf9Sc
>>303
すべてはあなたの誤解だと思います。

>他の閲覧者のためにも、もう一度繰り返しておきましょう。
>『相応部』35.23に拠れば、十二処が「一切」である。即ち縁已生法が一切。
>更に、それ以外の「一切(例えば、五蘊と我が一切)」を説くならば、
>ありもしないものを説いていると明言している。

 『比丘たちよ、なにをか一切となすのであろうか。それは、眼と色(物体)とである。
耳と声とである。鼻と香とである。舌と味とである。身と触(感触)とである。意と法(観
念)とである。比丘たちよ、これを名づけて一切というのである。
 比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、
そのように言うものがあったならば、それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の
問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。何故であろうか。
比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」(『相応部』35.23)

注解
 この経題は「一切」(Sabba=whole,all)である。その語によって、釈尊がここにいうところ
のものは、存在一般であり、人間にとっての世界である。内と外の六処をあげて、その
ほかの「一切は」考えられないとする釈尊は、まことにリアリスティックな思想家であった
といわねばならない。』(増谷文雄著『阿含経典/第三巻』筑摩書房刊)

 経文の示す通りですよ。現象界のことを一切、現象界の中で生存する人間を構成す
る五蘊が自覚できる一切です。つまり、これは現象界に限定した話であり、現象界を
元々、超越した概念であるものには通用しないといっているのです(『相応部』33-1.2も
同じです)。その限定外である一切が通用しないものとは、ニルヴァーナとバラモンの
説くアートマンです。>>415/ID:4Om7mT6zさんの意見に、私は強く同意します。
554宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 04:45:20 ID:NJePf9Sc
>「『十二処』と『その外』こそが“一切”」だと貴方は邪見しているのです。
>つまり明らかに「それ以外の一切」を説いているのだから

 「それ以外の一切」や「その他を含めた一切」ではなく、「客観的には示すことのできな
い“一切ではないものがある”」ということです。

>ここで、「一切外の常住で無我ではない場所がニルヴァーナ」だという教証を挙げろ、
>と繰り返し述べているのにも関わらず、それを無視して中村氏や、
>水野先生の恣意的引用※により「ありもしないもの」を延々と説くならば、
>釈尊を嘘つきに仕立てて愚弄し、神智学の布教と理論武装と権威付け
>しか考えていないと批判されても仕方がない。

 それがこの経文だといってるのです。現象界ではないものがあるから、現象界からの
離脱をそれとして覚知できるのだ、といっています。

 『比丘たちよ、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」
でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在する。比丘たちよ、もし、
その、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成
されたもの」でないもの(涅槃の境地)が有ったことがないとしたら、この〔世において〕、
「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為されたもの」「形成されたもの」からの出離
は、覚知されないであろう。比丘たちよ、しかしながら、まさに、「生ぜられたもの」でなく
「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」でなく「形成されたもの」でないもの(涅槃の
境地)が存在するがゆえに、それゆえに、「生ぜられたもの」「有らせられたもの」「作り為
されたもの」「形成されたもの」からの出離が、覚知されるのである。』(ウダーナ8.3)
555宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 04:47:05 ID:NJePf9Sc
>※恣意的引用と断定するのは、第一に、『要語』p132に拠れば、
>「しかし原始経典で説く無為とは存在論的なものではなく、涅槃が生死輪廻を超えてい
>るとされるため、生死にわたらないということを無為といったものであって、それは主観
>的の心情をのべたもので、客観的事実としてのものではない。
>それを部派仏教では不生不滅の客観的事実としての存在として無為を考え、有為とい
>う存在に対するものとした。これは原始仏教で説かない概念であって、仏教本来の立場
>を逸脱したものである。」とある。したがって、「一切外の常住で無我ではない場所がニ
>ルヴァーナ」だなどと言い出すのは、「原始仏教」ではなく「部派仏教」に他ならない。
>
>更に、『同』p133に拠れば、
>「現象としての存在には三界世間の迷いの法と出世間無漏の悟りの法とがある。涅槃
>は悟りの法であって、仏教にとってはこれが真実の存在である。悟りの法は真実であっ
>ても客観的な不生不滅の存在ではない。 しかし、この理想の状態が理法としての真理
>(文脈から当然ながら、p132の「縁起や四諦の道理」を指す)と混同されることがある。」
>( )は引用者。とある。
>
>つまり、貴方のそれは「混同」に他ならない。このように、水野先生に依拠するのだとし
>ても、貴方の如き立場は「ありえないもの」なのである。

 ここでいう主眼は、“客観的事実としてのものではない”“客観的な存在ではない”という
点にあります。ゴータマはニルヴァーナは客観的には示せないといっているのであり、同じ
くアートマン存在についても客観的に示せる存在ではない、として教えているのです。
 客観的に捉えようとするのが現象界の性質なのです。五蘊の何処にもアートマンはない、
五蘊を離れたところにもアートマンを客観的に捉えられないとして教えた。
 やっと寝ボケも解けたので、この経文がそうだとして理解されました。
556宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 05:12:22 ID:NJePf9Sc
 『友よ、私は、色が我であると言うのでもなく、受や想や行や識を指して、それが我である
と言うのでもない。あるいはまた、それらを離れて別に我があると言うのでもない。友よ、私
は、五蘊の仮和合において我を見るのであるが、またそれを〈わがもの〉と見るのでもない
のである。』(『相応部』22.89)

 水野氏『要語』を読むならば、一切とは現象界の性質に限定されることは明白です。これ
以上の説明は、今の私にはできないので再掲しておきます。私の言葉はまったく加えず抜
粋転載文のみです。

 『存在についても、原始仏教では生滅変化する現象法だけを一切法としていたが、部派
仏教では現象としての有為法だけでなく、生滅変化しない常住不変の無為法をも存在の中
に加えるようになった。この意味で、阿毘達磨においては法処の中に有為法や無為法が摂
せられ、原始仏教とは違った性格のものとなった。』(p143)
 『われわれにとっての世界は現象界のみである。この意味における一切の現象界を仏教
では一切とか一切法とか呼んでいる。仏教が取り扱うのはこの現象界に限られる。』(p127)
 『一切行苦とは、一切皆苦、諸行皆苦ともいう。五蘊・十二処・十八界などの一切の現
象法が苦であるということである。原始経典の現象法は無常であるから苦であるとされ
ているのはそれである。』(p167)
 『理論的には「無常であるが故に苦なり」とか「無常であるが故に無我なり」とかいわれ
るように、苦や無我の理由として無常が説かれた。』(p158-159)
 『この諸法は諸行と同じく、現象としての一切法ということになる。』(p160)
 『諸行とは生滅変化する一切の現象法を指し、有為と同義である。すべての現象は一瞬
の停止もなく、無常にして生滅変化するというのが諸行無常である。』(p158)

 アートマンは客観的には捉えられないから否定意で表現するのです。これは仏典に限ら
ずなされてきた伝統です。
 また、“「アートマンはない」という断定は一つの極端”であり、無記とは相成れない矛盾し
た発言ということになると思います。正しくは、「アートマンは客観的に示すことができない」
だと私は思います。
557宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 05:14:00 ID:NJePf9Sc
 『アートマンは客体化することのできない認識主体である。見ることの背後にある見る主
体を、だれも対象化して見ることはできない。対象化されたものは、もはや真の主体では
ない。対象化されたものは、把捉されないもの、どのような述語によっても限定されないも
のである。ただ、「甲に非(あら)ず、乙に非ず」という否定的表現を用いる以外に、それを
表示する方法はない。この「非ず、非ず」neti netiという表現は、ウパニシャッドにおける最
も有名な語の一つである。』(長尾/服部著『バラモン経典/原始仏典』中央公論社刊)

 『初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に
承認している。・・・更にアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥られている
のであるから、アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではないだろうか。聖
典自身は明らかにこの立場を認めており、原始仏教においては自己を自己として追求する
ことが正しい実践目標として示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めてい
るのである。
 ---かりに『無我説』と呼ぶにしても、それは決して『アートマンが存在しない』と主張したの
ではない。ただ客観的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。
(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』NHKブックス刊)

スレ8/690
>『相応部』22.56等に拠れば、
>その「一切」たる五蘊は、過去、現在、未来の三世、即ち、「一切時」に我ではない、
>とされる。したがって、我の密輸の余地は全くない。

 一応、確認しましたが、その文意がどの部分になるのか私には不明でした。ですから、私
は引用するよう求めたのです。
 それと、このわたしがいってるのは、皆さんがわかるようになるべく経文のその部分を引用
して下さい、ということですよ。私も分らないときがありますし(その経が手元になく、ネット上
でも見つめていない場合がある)、また見ている皆さんがあなたのように○○経何番・・だけ
では分らないといってるのです。
558宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 05:15:46 ID:NJePf9Sc
 私の理解によれば、転生の主体である「魂」(過去、現在、未来の三世に跨る存在)は自己
の本体ではなく、スパーンの永い縁起的存在です。従って、これをゴータマが我ではないと述
べても何ら矛盾とはなりません。私のいう魂とはこの『要語』説明と同意です。

 『人格の主体としての業(ごう)を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これ
を認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として業や経験に従って常に変化しつつ
連続する有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。』
(p164)

>>305
>第一に、「転生」に「媒体」は不要だと、SN.5.9-10に拠り指摘済みです。

 そうは述べられていないでしょう。業報の作用で肉体が生じたという意味合いでしかありません
(行数削減のために、無かった濁点を入れました)。

 『この身はみずから作りしものならず、この身は他者の作りしものならず、因あるによりて生じ
たるなり、因なきによりて滅するなり、たとえば、一粒の種子ありて、そが田にまかれたる時、地
味と曖昧の二つにより、やがて萌えいずるがごとし。かのごとく、四大・五蘊ならびに六処のこの
身もまた、因あるによりて生ずるなり、因滅してまた滅するなり。』(『相応部』5.9)

>第二に、『中論』18.1に拠り指摘したように、もしも我が五蘊と同一ならば無常だし、
>別異ならば五蘊相を如何にしても持ち得ません。
>即ち、もしも我が五蘊と関係するならば無常であり「常住」ではなく「真実の自己」ではない。
>もしも「真我」が「現象界を超越しており」「一切“外”の常住で無我ではない場所」ならば、
>五蘊と完全に無関係ですから「真実の自己」足り得ない。
>更に「常住」であるから法を転ずることも全く不可能です。

 『もしも我(アートマン)が【五つの】構成要素(五蘊)であるならば、我は生と滅とを有するで
あろう。もしも我が【五】蘊と異なるならば、我は【五】蘊の相を持たぬであろう。』(『中論』18.1)
559宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 05:35:22 ID:NJePf9Sc
 「魂」は五蘊とは異なる存在期間の永い主体です(涅槃に到達するまで継続する)。魂その
ものには五蘊の相はありませんが、魂に蓄積した転生毎における獲得した経験(経験情報)
に基いて、次の転生における五蘊は形成されるのです。ですから無関係ということではありま
せん。
 真我は魂を反映しており、転生が止めば不要となって真我へと吸収されて消滅するのです。
バラモン教典のアートマンは真我として述べています。対するゴータマは、私の理解によれば、
「五蘊の自分(アートマン)は無常であるから、バラモンの説くアートマンではない。それ(バラ
モンの説くアートマン)は五蘊の外においても客観的に捉え得るものとしては確認できない」と
いうこと。
 それについては無記であり、であるから、存在について示すような議論は意味をなさないから、
修行に専念するようにと諭したということ(これが無記の姿勢)。

>「低我」という語と、「真我」という語、それぞれのパーリ語の原語を挙げて下さい。
>それとも、相当する語も無いのに、
>神智学的偏見で「低我」だの「真我」だのと呼称しているのですか?
>そうであれば、「無我」だとする論者を批判することは許されません。
>一方で、「無我」ではなく「非我」だ、と言い出すときには、教証を強調しながら、
>他方で、「低我」だの「真我」だのと言い出すときには、
>教証を無視して神智学的偏見で感想文を垂れ流すならば、
>「無我」だとする論者を批判することは全く許されませんよ。
>更に、もしも「低我」「真我」という訳語が、anattanに対しての「無我」という訳語と比較して、
>原始経典の原語に忠実ではないならば、「無我」と訳すことが不適切なわけがありません。

 「真我」は、「パラマートマン」(parama-aatman)に該当するのかもしれませんが、 仏典中
の経文に使用されているかについいては、まだ未確認です。
 しかし、仏典中の文意からは明らかな二つ(二種)の自己存在について述べているのです。
>>364-365
560宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 05:36:52 ID:NJePf9Sc
 中村氏や三枝充悳氏の訳文を見ても分るとおり、「自己は自分」などと表現して、同じ
「attA」(アートマンの意)の語でも「自己」と「自分」の二つの表現で使い分けしています。もち
ろん、これは同じ語であっても使われ方が異なるからです。ですから、経文を分解して単語だ
けを取り出して、原典的には同じ「attA」に過ぎないなどと論じても無意味です。これは使われ
方によって当然、示す自己(自分)は変わる。文意からは五蘊としての低級な存在と、もう一
つは高次の求めるべき仏教の理想形としての存在です。
 これを私は、「低我(低級我)と高我(高級我)/真我」として表現してるのです。どう明確でしょ?

 『実に自己は自分の主である。自己は自分の帰趨(よるべ)である。
故に自分をととのえよ。──商人が良い馬を調教するように。』(Dhp.380)

 「自己」と「自分」と使い分け、「自己は自分の帰趨(よるべ)である」という。「帰趨」とは、『[名]
(スル)物事が最終的に落ち着くこと。行き着くところ。帰趣。「勝敗の―を見とどける」「人心の
―するところを知らない」』(Yahoo!辞書)ということですから、自分の求めるべき最終ゴールが自
己存在だという意味になります。私がいうところの“真我の実現”と同意ではありませんか?

 『二つの自己-----最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことがわ
かる。一方は悪徳煩悩の基体としての自己であり、凡夫の日常生活のうちに認められる。
 --略--これに反して他方は理想として実現さるべき自己であり、その真実の状態は聖者が具
現しているものである。簡単にいえば、小我と大我、と呼んでもよいであろう。ただその両者は
相即しているものなのである。』(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』NHKブックス刊)


尚、教証/論証については
今後、更にネタ捜しに努める所存です(時間を要します)。
現時点においては、これ以上の返答はなかなか困難です。

以上、今回はこれまでの纏め的な投稿としましたm(__)m
561神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 05:41:46 ID:Qo+n4JML
アートマンて何ですか?
562宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 06:56:19 ID:NJePf9Sc
>>559
これが私のアートマン定義になるかと思います。


>>410
では、その逆バージョンというのは在り得るのですか?www
たとえばこのような?

 1 “世俗や日常に染まり、身動きとれない自己”の奥に、更に“不浄で、悪なる、本
来の、真の、自分(我)”が居て、そうした真の自分(我)は、「無謬で、世界で最低の無
価値な存在」と思ってるから。
 2 「本当の自分(我)はこんなんじゃない!もっと最悪らしいんだ!」と思ってるから、
-------------------------------------------

>>386
>「人間は人間のみに生まれ変わる。人間は他の生物に生まれ変わることはない。」
>と説く経典というのはあるのかい?

 普通はないでしょうね。もしも書かれてあれば、それまでの方便が役立たずと化します
から。「方便」とは、ただの嘘とは異なり、「衆生を教え導く巧みな手段」「真実の次元に
導くための便宜上の教え」「正当なる目的を実現させるためにつく真実ではない言葉」
ということでしょう!http://www.st.rim.or.jp/~success/houben_ye.html

 人が動物や虫けらに生まれ変わるというのは、古代における当時の一般大衆に、「悪
を行わず、善を成すよう仕向けるための戒めであった」というのが、この私の理解です。
 「人間に生れることは奇跡に等しいくらい有難いこと」といういい方も同様です。この種
の教えは、どんな宗教にも付きものの定番なのです。

 転生は進化の法則です。それは物質現象界で経験を積むためであり、当然、人生経
験を獲得することで進歩することになる。それが悪行悪報であったとしても、その経験に
よって学習がされたので次に同じ過ちに陥らないでしょう。つまり、人は失敗によって悪
が悪であることを知り、善が最良であることを知るのです。
563宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 06:57:49 ID:NJePf9Sc
 これは現象界を見れば一目瞭然であって、生命は進化の法則に沿っています。動物
というのは基本的に異種間での交配が成立しません。また突然、人間が猿を産んだり、
猿から人間が産まれるということもない。生命の形態の部分退化ですらも進化の結果
です。意識の発生もこの進化の法則の故です。

 万物の仕組みは一定の法則上に築かれているのであり、これを諸教では「意志」とい
い、そこに神を想定するのです。
 人類というのは善悪の概念を知り、そこに価値観を見つけて成長しています。従って
1度、人間として生存した体験を持ちながら、今度は善悪の概念を認識しない動物界へ
と転生することは在り得ない(当然、その逆もない)。動物には善を成すということはでき
ないので、1度、動物に転生したらそれで終わり、という矛盾に陥ります(ジャータカのゴ
ータマ前世物語とか、自分が過去世では自ら死んで食べられてあげた・・といった物語
も、悪をせず善を勧めるための教訓とする意図のフィクションです)。

 以前、動物も善悪を区別すると主張する人もいましたが、あくまでも動物は自己の喜
びとして感じることを行おうとするだけです。それが、たまたま人間の目から見て善の方
向性であったに過ぎない(善悪からではない)。

 たぶん、あまり害にはならないとは思うので、2500年を経た現代でも動物間との転生を
信じたい人は、別にそうすればいいのです。
 また、経典聖典は文字通りに受け摂るべきと主張し、それ以外の理解を一切、否定す
るのを原理主義といいます。

 ただ、この問題に関しては、このスレの本質部分とは直接は関係がありませんので、
私は人それぞれ認識に違いがあっても別に構わないと見ています。信じるのは自由で
すから(この問題もここまでです。これ以上はスレ違いなので)。
564宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 07:36:21 ID:NJePf9Sc
>>538
「神」とて人間の概念です。
しかし、あらゆる人間の生み出す概念は(それぞれのレベルにおいて)存在しています。
存在しないものは人間の概念には上らないのです。

それは仏典のどの記述ですか?といった質問は辞めて下さい!w
(私は、仏典が魔法のごとく何でも説かれているとは見なしていません)
565神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 07:56:29 ID:7PYRm2cR
隠居って中論読んでたっけ。
566一在家:2009/07/24(金) 08:20:56 ID:1JRoTMYV
>>558 宝珠氏 ※代わりに下記を回答いただきまして有難うございます。

>>305
>第一に、「転生」に「媒体」は不要だと、SN.5.9-10に拠り指摘済みです。

 そうは述べられていないでしょう。業報の作用で肉体が生じたという意味合いでしかありません
(行数削減のために、無かった濁点を入れました)。

 『この身はみずから作りしものならず、この身は他者の作りしものならず、因あるによりて生じ
たるなり、因なきによりて滅するなり、たとえば、一粒の種子ありて、そが田にまかれたる時、地
味と曖昧の二つにより、やがて萌えいずるがごとし。かのごとく、四大・五蘊ならびに六処のこの
身もまた、因あるによりて生ずるなり、因滅してまた滅するなり。』(『相応部』5.9)
567宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 08:21:05 ID:NJePf9Sc
>>565
私の記憶が確かならば、然りですw

彼は、ゴータマをカルト思想を説く間違った師であり、
正されるべき方だとし(ゴータマが正しいならば、経文が間違った虚言となる)、
日本の大乗を賛美します。龍樹は大乗の祖と見なしているでしょうから、
たぶん読んでおり、彼なりの理解において支持してると思います。

どうせ、コピペとループの同じことばかりしか言わないので、
「隠居」のコテを名乗ればいいのです(大勢からそう呼ばれているのだから)。
ただ発言の締め括り方が「〜〜かね」で、
内容までも酷似した表現文体の人が数名いるので注意が必要ですwww
568神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 08:26:41 ID:1JRoTMYV
>>563
>人類というのは善悪の概念を知り、そこに価値観を見つけて成長しています。従って
>1度、人間として生存した体験を持ちながら、今度は善悪の概念を認識しない動物界へ
>と転生することは在り得ない(当然、その逆もない)。

私の伺いました教えに基づく理解ですが、アートマンは神の分魂なので
「全ての人はやがて仏(神)になり得る」ということは紹介しておりますが、
正確には「全ての人は神にも獣にもなり得る」ということです。

アートマンは人のまま、恨みや執着が強すぎると霊体、幽体が獣化して
しまい、動物に転生してしまいます。

まあ、見解の僅かな相違ですので、引き続き宜しくお願いします。
569神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 08:54:49 ID:neaOsI++
>>568
>アートマンは神の分魂なので
仏教で言う「我(アートマン)」とは全然関係ない話だね。
自分勝手な定義で言葉を操作しても議論にはならない。
570宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 09:03:25 ID:NJePf9Sc
>>568
>アートマンは人のまま、恨みや執着が強すぎると霊体、
>幽体が獣化してしまい、動物に転生してしまいます。

 すみませんが、それはアストラル体のカーマローカ(想念形態)についての歪んだ
情報だと思います。世間一般では霊・魂・心は混同されており、完全に混乱を起こし
ています。
 人は情緒的に怨みや何かの熱望が強いと中有において、アストラル界の地獄的
状態に留まる期間が長引き、魂が次の転生に入るための準備を妨げます。しかし、
情緒的に安定した人の死後は、その人のアストラル体は速やかに分解・消滅します
(こうして次の転生準備に入れます)。
 また、別の現象としては、アストラル体が他の人間や動物などに憑依すること(動
物の想念形態が人間に憑依することもある)。この時の症状が人間・動物間の転
生と混同される話となっている可能性があります。

 アートマン(魂)はその次元においては完璧なのです(これが神の分魂/分霊的な
意味合いです。>>569同じレベルでごめん^^)。従って、アートマンそのものが地獄
に落ちたりといった悪趣には合わないのです。死後の地獄を見るのは五蘊であった
心の部分であり、神智学の説くアストラル体(心霊主義の説く「霊」)です。五蘊は死
後の分解に一定の時間を要します(分解速度は各諸体それぞれであり、そして個人
によっては異なり、アストラル体として永く膨大な時間を存続します)。

〜以上、参考意見まで。
そういう見解もあるという程度で結構です(受け入れる必要は全くありません)。
もっと詳しい説明も可能ですが、仏典にない話を続けると叱られるのはここまでw
571一在家:2009/07/24(金) 09:33:20 ID:1JRoTMYV
>>569
>>アートマンは神の分魂なので
>仏教で言う「我(アートマン)」とは全然関係ない話だね。
>自分勝手な定義で言葉を操作しても議論にはならない。

確かに「人の主魂は神の分魂」は外教の教えです。
ただし、仏教で言う「アートマン」とは無関係でしょうか?

法華経には「全ての仏子はやがて仏になり得る」という菩薩向けの
説法があります。(出典:岩波文庫「法華経」)
涅槃経にも「仏性」に関する説法があります。

果・起「仏になり得る」には因・縁があるはずだということを
一度も考えたことはないでしょうか?>住人各位
572神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 09:50:56 ID:neaOsI++
仏教とは仏に成るすなわち成仏のための教えという意味もあるだろ。
日本の葬式仏教のように死んで戒名を受け中有に入り、49日過ぎたら
誰でも成仏するという安易な仏教も有る。
上座部仏教も受戒し出家し仏道に入ることが仏に成る修行だろ。
だれでも仏になる可能性があることが仏性だろ。
573宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 10:50:24 ID:NJePf9Sc
>>571
 伝統仏教的な解釈でいえば、「仏性」なる恒常的な概念などは認めないでしょうね。
あくまでも縁起の法における人の行為の末の結果として、初めて仏陀と成ることが
できるのだと。仏性を認めるということは、縁起を否定することになると・・。

 私が大乗の説いた概念の中で価値を見るのは、この「仏性」と「菩薩道」です。「仏
性」は如何なる人間にもその可能性を見るといった希望を照らすものであり、「菩薩
道」は万人に眠る仏性を目覚めさせるべく働きかけるものとしての己れの仏性の顕
れを示す行動だといえるでしょう。

 尚、私的には、「仏性」とはアートマン性質そのものであると解するので、何ら問題
はありません(たぶん、一在家さんとほぼ同じでしょう)。この性質は捉えられない現
象界を超越したところから発露するので、ゴータマが否定した非我には抵触しない。

 以下:ネットで見つけた参考情報です(なんだそうです)。

 『仏教学者の服部正明博士によれば、原始仏典には仏性について「清浄なる心の
本性」として説かれており、この教えは釈尊の教えとして権威を認められていたので
すが、上座部が仏説を整理して聖典を編纂し、学説を体系化していく過程において
切り落とされてしまい、説一切有部のアビダルマ仏教では完全に無視されてしまい、
龍樹によって般若心経の空の悟りの基となった「光り輝く心」として原始経典にある
「清浄なる心の本性」がやっと見直されることになったと語っています。』
(角川文庫『仏教の思想』4認識と超越<唯識>)
574一在家:2009/07/24(金) 11:21:14 ID:1JRoTMYV
>>573 宝珠氏
>私が大乗の説いた概念の中で価値を見るのは、この「仏性」と「菩薩道」です。

それらにプラスして、大乗の中では成立時期の古い法華経の「如来寿量品」では
「仏は常住」と繰り返し、繰り返し説かれております。
575一在家:2009/07/24(金) 11:24:01 ID:1JRoTMYV
>「仏は常住」と繰り返し、繰り返し説かれております。

多分、龍樹帰依者は必死で否定するでしょう。

そして「仏も縁起で常住でない」と言うでしょう。


576神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:24:32 ID:3e8kl1iC
俺凄いことに気がついたんだが、神こそ素粒子じゃねーの?
577神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:30:44 ID:neaOsI++
仏は常住などといえば、道元の若かりし日の難問に
行き着くだろ。
仏が常住なら何で仏道修行しなければならないのか、と。
何もしなくても悉有仏性だろ。
578宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 11:32:43 ID:NJePf9Sc
---原始経典の説く「仏性」

 『比丘たちよ、心は輝いている。ただ、客塵煩悩によって汚(けが)れている
増一阿含経(増支部)に、このようにあり、心性本浄説といわれる。』(wiki)
http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%98%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86

 やっと大乗の「仏性」の元となったらしき経文を見つけました(そういうものは無いのかと思っ
ていました)。『仏教学者の服部正明博士によれば、原始仏典には仏性について「清浄なる心の
本性」として説かれており、この教えは釈尊の教えとして権威を認められていたのですが、』>>573
の出典かと思われます。

 『この心は清浄である。しかし、これは本来的なものではない煩悩によって汚染されている。
…教えを聞かない凡夫たちは如実にこれを知らない。それゆえ、凡夫は心を実修していない
と私は説く。…教えを聞いた尊い弟子はこれを如実に知っている。それゆえ、教えを聞いた尊
い弟子は心を実修したと私は説く。』(『増支部経』I)
579神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:35:13 ID:iS9I17Ii
>>552
> 返答は述べたと思います。
> ただし、それが必ずしもあなたの望む通りになるとは限りません。

望む通りになるとは限らない、という言い方で、満足するかどうかは質問者の問題だという
雰囲気を作っていますが、
宝珠愚者の返答とは、質問に対して「全く関係のないこと」を話続けてみたり、
「相手が質問してもいないことに勝手に答える形を作ってみたり」、
「相手が言っていることを無視して、ただ結論だけを繰り返したり」
というもので、「返答」とさえいえないものです。これは質問者の問題ではないのですが、
「なんとなく」質問者の責任にすりかえるようなことを、宝珠愚者はここでもしています。

> 私は皆の邪魔になるから、もういい加減に辞めるようにいったのです。

これも「なんとなく」のイメージ工作で、実際に皆が邪魔だと思っているとは限らないわけです。
しつこいと発言しているのは、宝珠氏とカラス氏というアートマン論者だけで、その他の人は
むしろ「まともな回答」を待っていた可能性があるわけですが、その可能性は無視して
質問者を悪者にしようとするわけです。実際、私はまともな回答を待っていました。

> >それはコテつけてる人だってやってるじゃないかと、さっき書いたばかりじゃないですか。
> 同一者として閲覧者の全員に認知されます。
> >で、私が言っているのは、スルーしまくってるようじゃ追えたところで意味ないよなーってことですよ。
> 意味はあります。
> そういう同一人者として閲覧者の全員に認知されます。
> それが、その人の評価に繋がる。

「普通と思う根拠を出してください」と言われて「普通にそう読めますから」と言うような回答は
回答にならない、会話にもならない、ということに早く気づいてください。
それはスレッドを無駄に消費することになります。
580宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 11:40:02 ID:NJePf9Sc
>>574
はい、大乗には明確な常住論があることは、もちろん知っています。
しかし、元々から大乗は創作経典にて「何でもあり!」との評価(批判)なのです。
従って、それらを根拠にはできないものと思います。

原始経典のこの記述から、
大乗のこの教えは顕れたとする根拠が示せれば意味は出てきますが・・。
581神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:41:58 ID:iS9I17Ii
>>553
>  比丘たちよ、もし人ありて、< わたしは、この一切を捨てて、他の一切を説こう>と、
> そのように言うものがあったならば、それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の
> 問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るだろう。何故であろうか。
> 比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」(『相応部』35.23)

「この一切以外に他の一切は存在しない」と明言されていますね。

>  経文の示す通りですよ。現象界のことを一切、現象界の中で生存する人間を構成す
> る五蘊が自覚できる一切です。

「この一切」とはつまり、現象界のことということでよいですね?

それを踏まえて「この一切以外に他の一切は存在しない」を敢えて読み直すと

「現象界の一切以外に他の一切は存在しない」ということになると思います。

> これは現象界に限定した話であり、現象界を元々、超越した概念であるものには通用しないといっているので

これはどこに書いてあるのでしょうか。指摘してください。
582神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:44:40 ID:s2VBww9a
「仏」って集合知のような域に達した存在のことだろ。縁起の法則の世界観そのもの。
仏という個人というような解釈をするからおかしくなる
ブッダは自他の区別の無さ、梵我一致を唱えたのであるよ。
我なんか実は無い。目が曇ってるだけだとね。今既に一刻一刻梵じゃないかと。
我は否定したけど梵を否定したのではない。既に我々の日々の行いが梵であり、
この一刻一刻がこの世界の中で輪廻しているという考え方こそが縁起説。
空などの縁起による世界の説明と、「仏は常住」はなんら矛盾しないよ。
そういう世の中の全てを包括した概念が仏だ。=法である。
縁起を把握とは、自己が今ここに法そのものであり、仏であるということを知覚すること。
仏とはこの世界なのだから「在る」。そういう空の考えこそがそれをも含め仏なのだ。
583神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:47:35 ID:xxaCfY2O
>>551
返答は述べたと思います。
ただし、それが必ずしもあなたの望む通りになるとは限りません。
私は皆の邪魔になるから、もういい加減に辞めるようにいったのです


宝珠よ、なんだこのレスは?
まるで、俺に非があり、自分は全く問題なしというわけか?

>返答は述べたと思います
論点をずらしたレスでいかにも、回答したように見せかけただけだろ?

>ただし、それが必ずしもあなたの望む通りになるとは限りません
俺が望んだのは、指摘に対する明確な回答。
全くなかったが。

>私は皆の邪魔になるから、もういい加減に辞めるようにいったのです
お前が明確に回答すれば、すぐにすんだことだ。それを、得意の二枚舌
を使い分けて逃げ回るから、長引いただけ。

なんなら、もう一度やるか?
からすの書きこみから始めて、お前のレス全て再掲して、いかに姑息に
逃げ回ったか検証してもいいぞ。

今度はきっちりと答えるかな?
584神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:49:23 ID:iG3WZuQN
>>552
>返答は述べたと思います。
>ただし、それが必ずしもあなたの望む通りになるとは限りません。
>私は皆の邪魔になるから、もういい加減に辞めるようにいったのです。

おそまつすぎますねえ
明確に答えを返さないお役所対応と同じです。
コテハンでも、無謬主義で誤りを認めない我慢に凝り固まっているのなら
コテハンにしている意味がないですよ。
忘れ去られるのを待つなんて、それでも神を語るものなんですかねえ
恥ずかしいことです。

>>553
> 経文の示す通りですよ。現象界のことを一切、現象界の中で生存する人間を構成す
>る五蘊が自覚できる一切です。つまり、これは現象界に限定した話であり、現象界を
>元々、超越した概念であるものには通用しないといっているのです

人間が知覚できない一切外にあるものを人間がどう知覚できますか?
一切外に神やアートマンなんてものを想像するのは勝手です。好きにすればいいと思いますが
知覚できないところに知覚できない、神という存在があると、知覚もせずにどうして言えるのですかね。
だから、現実逃避していると言われるのですよ。

いいかげん成長なさい。

>ニルヴァーナとバラモンの説くアートマン
この二つは全然別のものです。ニルヴァーナは存在ではありません。状態です。
アートマンは個我です。仏陀はこれを明確に否定しています。
585宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 11:49:24 ID:NJePf9Sc
>>579
そうですか・・。

では、私としては「どうも、すみませんでした!」としか、
もう言いようがありません。

これからも未熟者にて、いろいろと気分を害することもあるかと思いますが、
特に悪意はありませんので、どうかごめんなさい。
---皆さんへ、ここに謝罪します
586神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 11:55:55 ID:xxaCfY2O
>>585 初めからそのように
「私が間違っておりました。まことにどうもすみませんでした。」

と言っておれば、それですんだこと。
それを、ころころと二枚舌を使い分け、言い逃れしようとするから
おかしなことになる。

以後、気をつけるように。
587一在家:2009/07/24(金) 11:57:47 ID:1JRoTMYV
>>577
>仏が常住なら何で仏道修行しなければならないのか、と。
>何もしなくても悉有仏性だろ。

ずっと仏性(アートマン)は輝いている。
ただ客塵煩悩によって汚れていて、それが分らない。
仏道の修行が完成すれば輝きが悟れる。

以上、宝珠氏のヒントを参考に致しました。

588神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 12:11:07 ID:xxaCfY2O
>>587 ちょっとまて。
仏性=アートマン  といつ決まった?
589宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 12:18:58 ID:NJePf9Sc
>>584
>人間が知覚できない一切外にあるものを人間がどう知覚できますか?
>アートマンは個我です。仏陀はこれを明確に否定しています。

通常、現象界に生存する凡夫には知覚されませんが、
それを可能にするのが修行です。そうでなけば、
現象界を超越しているニルヴァーナにも到達できないことになります。
ゴータマが否定したのは、現象界に常住するアートマン存在でしょう(それはないと)。
590神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 12:20:54 ID:xxaCfY2O
「縁へのそのつどの対応である自分だけが自分の主であり、他にいかなる超越者もいない。誰の指示を仰ぐ事も出来ないし、
誰に責任転嫁することもできない。自分という対応をよく観察し、よく分析することによって、実体視し妄想してきた
自我(宗教的・形而上学的概念としてのアートマン)はない事を知り、あらゆる執着を吹き消す事ができる。
そのためにはまず、中道を歩み、戒定慧の三学を学び、八正道を守り、日々の対応を整え、自分という対応に
正しい癖をつけなさい。」

これは、先にお宅がリンクしたページの曽我氏の解説だな、宝珠よ。
これのどこに「二種の自己の表現があるから、アートマンを認めている」
との趣旨が読み取れるのかな?

591神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 12:30:01 ID:3e8kl1iC
>>590
曽我氏はいい事言うね〜
592神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 12:35:46 ID:neaOsI++
>>589
>現象界を超越しているニルヴァーナにも到達できないことになります。
ニルヴァーナは現象界を超越してるわけでもなくまして我(アートマン)
であるわけでもないと釈迦は言ってたね。
ニルヴァーナは無我そのものだね。
593宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 12:42:14 ID:NJePf9Sc
>>590
>これのどこに「二種の自己の表現があるから、アートマンを認めている」
>との趣旨が読み取れるのかな?

これは、<「自我」と「自己」は同じものなのか?「自己を拠り所に」というという場合
『自己』は、アートマンと同じなのか?或いは別の単語なのか?>
という質問者に回答する形式のページです。

これは回答者が、
二種の自己表現を理由にアートマンを認めたというものではありません。
読めば分る通り、回答は旧7氏とほぼ同一のものといえます。

ただしかし、私はその回答では正解とは見なしてはいません。
何故ならば、これでは全く二重の言い回しをしている理由説明とはなっていないからです。
残念ながら今の私では、>>560程度しか言及できません。


*取り合えず、私の主張見解をある程度ここへと纏めることができたと思います。
 どうかよ〜く読んで見てください!>>553-560(皆さんへ)
594宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 12:44:43 ID:NJePf9Sc
>>592
ウダーナ8.3 >>554
595神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 13:03:26 ID:iG3WZuQN
>>554
>「それ以外の一切」や「その他を含めた一切」ではなく、「客観的には示すことのできな
>い“一切ではないものがある”」ということです。

仏陀が一切といい、それ以外には一切はないと言ったそのことを無視して
一切の外に何かを設けようとしているではないですか。
客観的とは、独断に偏らず、普遍性をもっているということです。
つまり、あなたの言う、客観的ではない一切外とは、あなたの思いこみ以外の何物でもないです。

>それがこの経文だといってるのです。現象界ではないものがあるから、現象界からの
>離脱をそれとして覚知できるのだ、といっています。
> 『比丘たちよ、「生ぜられたもの」でな・・・・・・・
>・・・・・・・・・・されたもの」「形成されたもの」からの出離が、覚知されるのである。』(ウダーナ8.3)

涅槃とは私たちが知覚するものではありませんよ
現象界から離れて別に存在するというものでもありません。
〜が、〜をするという主客判断を離れているから、アートマンでなく、神でないのです。
596宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 13:17:26 ID:NJePf9Sc
>>595
>仏陀が一切といい、それ以外には一切はないと言ったそのことを無視して

ゴータマのいう「一切」とは現象界に限定されます。>>556
現象界が仏教語で「有為」、ニルヴァーナは「無為」であり、区別されています。
ウダーナ8.3>>554は、そのことをいっており、
ニルヴァーナは現象界とは別のものだといっているのです。
そして、これらの説明はアートマンにも該当することになるといっているのです。

ゴータマの説く「五蘊無我」とは、
五蘊はアートマンではなく、五蘊によってはアートマンは捉えられないということ。

これまでの常識とは異なる話なので今すぐに分る必要はないです。
どうか、時間を掛けて下さい!
597神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 13:18:13 ID:iG3WZuQN
>>555
> ここでいう主眼は、“客観的事実としてのものではない”“客観的な存在ではない”という
>点にあります。ゴータマはニルヴァーナは客観的には示せないといっているのであり、同じ
>くアートマン存在についても客観的に示せる存在ではない、として教えているのです。

ちがいます。
ゴータマは、どんな一切も五薀、十二処に収まると言っているのです。
客観的に示せないものでも、人間が知覚するものなら一切に収まります。

> 客観的に捉えようとするのが現象界の性質なのです。

現象界に意志は存在しませんよ。我々が捉えたものが誰でも確認できる普遍的なものだから
主観におちいっていない、イコール客観的だと言われるのです。
客観とは一人では決められないのです。
反対に、意識で思っていることは誰にも確認できません。
ここは現象界と言えど、客観のない世界です。

>五蘊の何処にもアートマンはない、
>五蘊を離れたところにもアートマンを客観的に捉えられないとして教えた。

客観的に捉えられないとは言われていませんよ。

”””五薀を離れたところにアートマンは「ない」”””””

と言ったのです。お経を勝手に改竄しないようにして下さい。
598 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 13:26:43 ID:z7cKs/s9
スルーされるのはスルーされる理由があるのだろう。
 
言葉だけの関係にしても多少のルールは必要である。
だれかの発言に対して、どんなレスをつけても君の自由だろう。
しかし、そのレスに返事をしてもらえるかどうかは、君の自由ではない。
相手の自由である。かん違いしなように。
 
イ 「お前」とか「こいつ」などと言ったらまず相手にされない。
ロ 相手の話を捻じ曲げていたら相手にされない。
ハ レス内容がくだらない場合も、やはり相手にされないだろう。
599神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 13:30:01 ID:iG3WZuQN
> 水野氏『要語』を読むならば、一切とは現象界の性質に限定されることは明白です。これ
>以上の説明は、今の私にはできないので再掲しておきます。私の言葉はまったく加えず抜
>粋転載文のみです。

その通りです。
心の中に現れてくる形象もまた現象の一つです。
ゴータマはこれらすべての知覚対象を一切とよびました。

>アートマンは客観的には捉えられないから否定意で表現するのです。これは仏典に限ら
>ずなされてきた伝統です。
>また、“「アートマンはない」という断定は一つの極端”であり、無記とは相成れない矛盾し
>た発言ということになると思います。正しくは、「アートマンは客観的に示すことができない」
>だと私は思います。

仏教における涅槃といった真理が、人間に思量できないものであるのはそうでしょう。
よって、思量されるあらゆる概念を否定することによって明らかにされるのです。
涅槃は、私固有ものでもなく、神に属するものでもなく、誰の所有でも、何かの本質でもありません。
涅槃はアートマンでも神でもないのです。

アートマンという断定は極論でしょう
また、そのような虚偽の前提の上に乗っかって、同じ地平からアートマンはないというのも極論です。
アートマンという問題提起そのものがまちがいなのですから。
600神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 13:30:52 ID:gg0Zo3np
>>596
現象界以外の存在を考え、信じることを「妄想」と呼ぶ。それは、百人
百様だから、何の普遍性もなく、従って真理でもない。「口から出任せ」
の妄言に過ぎない。

君は、まず、君の思考から「妄想」部分を一切排除する努力から始める
こと。「妄想」では、そもそも人間が「生きられない」ことを自覚する
こと。

人間を含むすべての動物は、生まれた瞬間から妄想と現実とをしっかり
区別し、生存に務める。
601宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 13:32:04 ID:NJePf9Sc
>>597
>客観的に示せないものでも、人間が知覚するものなら一切に収まります。

現象界を超越したものについては、一般人は普通には無理です。
また万が一、知覚できたとしても、それを第三者にそれとして示すことはできないのです。
第三者に示せないものは客観的事実とはいえません。
アートマンとは元々、そういうものなのです。
バラモン/ヒンドゥー経典は読みます?アートマンの意味を知らないのでは
どうしようもないと思います。ですから、仏教を学ぶにあたってはその前提となるべき
バラモン教を知る必要があるといわれるのです。

>”””五薀を離れたところにアートマンは「ない」”””””
>と言ったのです。お経を勝手に改竄しないようにして下さい。

それは、後代の仏教者の誤解(解釈間違い)だと思います。
私だけの、或いはこのスレに投稿している僅か数名だけの主張ではなく、
名立たる学者の中でも、それを主張する方が何人もいます。
これから、私はその明確な根拠を捜しますm(__)m
602神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 13:45:53 ID:iG3WZuQN
>>557
>・・・も有名な語の一つである。』(長尾/服部著『バラモン経典/原始仏典』中央公論社刊)
ウパにシャッドというのはこれが最古の思想というのは判別不可能なものです。
そして、古層から確認できるものから判断できるものは、所詮仏教の思想を前提にした
バリエーションの一つ程度のものにしかならないでしょうね。
残酷と思われるかもしれませんが、これが現実です。

>ではない。ただ客観的実体的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。
>(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』NHKブックス刊)

これはこのスレでなんども論破されてきた内容ですね。
仏教で言及される我とは因縁生の我です。また涅槃に至った後に帰ってきた
我は煩悩にとらわれず広大な智慧を有すため、小我に対し大我と言われることもあります。
アートマンという、常住不変の存在でかつ、一切に含まれない存在を指したものではありません。
603 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 13:53:14 ID:z7cKs/s9
アートマンを否定する空幻論者は、
それを肯定するような記述を経典に指摘されても、
それを認めようとはしないだろう。
空幻論者は空の思想でアートマンを否定しているからである。
 
空幻論者の洗脳を解くには、空の思想を哲学的に基礎づけた、
竜樹の『中論』を崩すのが効果的だろうと思う。
604神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:02:20 ID:iG3WZuQN
>私の理解によれば、転生の主体である「魂」(過去、現在、未来の三世に跨る存在)は自己
>の本体ではなく、スパーンの永い縁起的存在です。従って、これをゴータマが我ではないと述
>べても何ら矛盾とはなりません。私のいう魂とはこの『要語』説明と同意です。

魂という語は、みなアートマンの意味で使っているものですよ
あなたが、魂とアートマンを別々のものと認識しようとするのは勝手ですが
経典に魂という訳語がでてくるのですか?
それとも経典には存在しないもうひとつのアートマンがあるとの説ですか?
宝珠教を建てるなら、宝珠教スレでも立てて下さい。

> 『人格の主体としての業(ごう)を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、これ
>を認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として業や経験に従って常に変化しつつ
>連続する有為法である。唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。』(p164)

唯識では、アートマンを認めていませんよ。
ゴータマのころには輪廻の主体は想定されていませんでしたが
唯識のころに輪廻の主体として阿羅耶識が仮設されたのです。
阿羅耶識は魂とよべるものではなく、業がおさまっていると仮定されるシステムの一つです。

>『もしも我(アートマン)が【五つの】構成要素(五蘊)であるならば、我は生と滅とを有するで
>あろう。もしも我が【五】蘊と異なるならば、我は【五】蘊の相を持たぬであろう。』(『中論』18.1)

五薀を離れて存在しない我々は、アートマンを有さないということですね。
605神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:05:11 ID:gg0Zo3np
>>603
万物(現象界)の相互依存性・関係性(縁起・空)を解くことは「洗脳」
とは言わない。現代科学によっても完全に証明が可能であり、それなし
では、そもそも人間が生存できないのだから。

「目に見えない神や霊が実在する」と宗教から「信じ込まされる」こと
こそ、「洗脳」の典型。一刻も早く目覚めるべきだ。この洗脳は、人間
社会に巨大な害毒を流し続けていることは、宗教戦争の歴史と現状や中
東の情勢を見ただけでも、あまりにも自明ではないか。
606神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:15:20 ID:iG3WZuQN
>「魂」は五蘊とは異なる存在期間の永い主体です(涅槃に到達するまで継続する)

誤りです。涅槃は五薀を離れていますが、それゆえどこにも存在すると言えます。

>魂そのものには五蘊の相はありませんが、魂に蓄積した転生毎における獲得した経験(経験情報)
>に基いて、次の転生における五蘊は形成されるのです。

誤りです。魂(私という意味でのアートマン)は五薀を離れて存在しません。
行薀とは、経験ではなく、世界に影響を及ぼす潜在的な力のことを意味します。
人を殺せば、警察が来る。
この力を業力といい、行動することによって世界に内在される潜在的な力を業と言うのです。

>真我は魂を反映しており、転生が止めば不要となって真我へと吸収されて消滅するのです。
>バラモン教典のアー・・・・・・・・・得るものとしては確認できない」ということ。

すでに述べた通りです。真我はアートマンではありません。

>>364-365
これもすでに論破しました。>>368参照のこと。

607一在家:2009/07/24(金) 14:17:20 ID:1JRoTMYV
>>603
>空幻論者の洗脳を解くには、空の思想を哲学的に基礎づけた、
>竜樹の『中論』を崩すのが効果的だろうと思う。

貴兄も龍樹の洗脳の可能性を認識されておられるようですね。

法華経の成立時期と龍樹との時代関係がよく理解できて
おりませんが、「仏は常住」という釈尊の説法を
「仏も縁起」と言い切った天才が野心家でなかったら
宜しいのですが。
608神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:20:48 ID:iG3WZuQN
>中村氏や三枝充悳氏の訳文を見ても分るとおり、「自己は自分」などと表現して、同じ
>「attA」(アートマンの意)の語でも「自己」と「自分」の二つの表現で使い分けしています。
>もちろん、これは同じ語であっても使われ方が異なるからです。ですから、経文を分解して単語だ
>けを取り出して、原典的には同じ「attA」に過ぎないなどと論じても無意味です。これは使われ
>方によって当然、示す自己(自分)は変わる。文意からは五蘊としての低級な存在と、もう一
>つは高次の求めるべき仏教の理想形としての存在です。

その通りです。文脈をみればバラモン教的な意味でのアートマンは否定され、
日常的な意味で使われる私という意味のアートマンは許容されています。

609一在家:2009/07/24(金) 14:21:49 ID:1JRoTMYV
それから「目には見えない神仏の存在を信じる」行為は
一般的には「信仰」であります。
この「信仰」を「洗脳」だと言う人を見かけて驚いております。

「阿弥陀如来の衆生済度の祈り」を信じている人達に、お前らは
洗脳されていると言ったら如何でしょうか?
610神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:30:32 ID:iG3WZuQN
>>589
>通常、現象界に生存する凡夫には知覚されませんが、
>それを可能にするのが修行です。そうでなけば、
>現象界を超越しているニルヴァーナにも到達できないことになります。
>ゴータマが否定したのは、現象界に常住するアートマン存在でしょう(それはないと)。

ゴータマはまったくそのようなことは言っていませんよ。
まだ基礎もできていないのですねえ。
苦と苦の原因を見て、苦を滅した状態のあることを知る、そして苦を滅していくことが修行です。
ニルヴァーナは苦が滅された状態であり、
知覚できないアートマンを知覚する、という矛盾を可能にすることが修行ではありませんよ。
空を飛べない人間が空を飛ぶことが修行だと思っているなら、あなたはドラゴンボールの見過ぎです。
成長しましょう
611神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:39:12 ID:iG3WZuQN
>>596
>ゴータマのいう「一切」とは現象界に限定されます。>>556
>現象界が仏教語で「有為」、ニルヴァーナは「無為」であり、区別されています。

>>597で説明しておきましたので、参照してください。

>>601
>現象界を超越したものについては、一般人は普通には無理です。
>また万が一、知覚できたとしても、それを第三者にそれとして示すことはできないのです。
>第三者に示せないものは客観的事実とはいえません。

人間が知覚したものは一切に収まるということです。
想像された非現実的、非客観的な物事は行薀に含まれます。

>それは、後代の仏教者の誤解(解釈間違い)だと思います。
相応部経典です。確認してください。
612神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 14:47:42 ID:iG3WZuQN
>>607

>>609

洗脳ってなんですか?w
613:2009/07/24(金) 15:00:53 ID:322+Gn5o
方便心論の一節を引用
もし、論に到達するなら、おのずから善悪の特徴と空の特徴を理解して、
仏教の反対派であれ、他学派の者であれ、謬見をもつ者であれ、みな悩みな
くさまたげをなすことがない。それ故に、わたしは人々の利益となるように
望むために、このような論を造るのである。

また、まさに正しい法を世に広めようと望んでいるのである。たとえば、マ
ンゴーの果実を育成しようとして、外に広く荊棘の林を植えるのは果実を守
るためであるように、今わたしが論を造るのも、同じく正しい仏法を守ろう
と望んだからであって、名誉を求めたからではない…
(一・〇・三)

これには善悪、空の特徴と述べてある。これは二つの真理、すなわち善悪は
世俗諦、空は第一義諦となる。この二つの真理のうち、善悪の特徴、つまり
世俗の真理を中心とするのがこの書であるという。外教徒は仏教においては
世俗の世界にかかわるからです。また空にも触れているが、これは第一義諦
も見据えているからである。

正しい仏法を広めとは、外教徒もあるが、部派仏教の異説に対してのもでもある。

正しい仏法をマンゴーの実に喩えて、この論法を荊棘の林としたわけです。
つまり、荊棘の林により、他教徒の難癖(ここで言えば各カルト思想の皆さんか)
からブッダの法を守り、中に異説が侵入するのを防ぐためである。

それと在家氏、君の帰依する崇教は洗脳そのものではないか。何を言ってるんだ。
614一在家:2009/07/24(金) 15:34:05 ID:0Yy7pNxQ
>>607 修正
貴兄も龍樹の「改竄」の可能性を認識されておられるようですね。

法華経の成立時期と龍樹との時代関係がよく理解できて
おりませんが、「仏は常住」という釈尊の説法を
「仏も縁起」と変更した天才が野心家でなかったら
宜しいのですが。

釈尊の教えの「改竄」の可能性を「洗脳」と言った訳ですが
皆さんのご指摘の通り「洗脳」という言葉は適切でないよう
ですので、以後「改竄(変更)」とすることにします。
615神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 15:40:47 ID:iG3WZuQN
残念でした。
法華経の成立は、龍樹の生没の後です。
大乗の潮流をつくった龍樹を改竄とするなら、法華経も改竄ということです。
616神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 16:25:02 ID:neaOsI++
>>594
涅槃は>>526だろ。
 「比丘たちよ、このような【境地】があります。そこには、地もなく、水もなく、火もなく、風もなく、
  空無辺処もなく、識無辺処もなく、無所有処もなく、非想非非想処もなく、
  この世もなく、あの世もなく、月・太陽の両者もありません。
  比丘たちよ、【私は】そこに来ることも、行くことも、止(とど)まることも、
  没することも、生まれかわることも【説きません】。
  【拠り所のないもの、生起のないもの、所縁のないもの】が、すなわち【これ】です。
  【これ】がすなわち【苦の終わり】です」と。――
これが涅槃(ニルヴァーナ)であり、苦滅であり解脱であり、悟りだろ。


ほら、釈迦は「私はそこにはいない」といってるじゃないか。
617神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 16:41:51 ID:xxaCfY2O
『比丘たちよ、「生ぜられたもの」でなく「有らせられたもの」でなく「作り為されたもの」
でなく「形成されたもの(有為)」でないもの(涅槃の境地)が存在する。

このウダーナの前半をアートマン肯定論者は、よく引用するが、これを誤読
してるわけだろ?
涅槃の境地・・・・・・・・・『境地』

これをまるで、解脱後に覚者たちが存在する「場所」みたいな捉え方をするから
おかしなことになるわけで、「苦を完全に滅した解脱した『状態』」と
捉えれば良いだけのことだろ?だから、有余涅槃?とかもあるわけで。

違うのかい?
618一在家:2009/07/24(金) 16:49:12 ID:dHKkhzEC
>>615
>残念でした。
>法華経の成立は、龍樹の生没の後です。
>大乗の潮流をつくった龍樹を改竄とするなら、法華経も改竄ということです。

早速のご教示有難うございます。 f(^_^)
ということは「仏も縁起」という龍樹の説法もよく知りながら、
法華経の作者は「仏は常住」を繰り返し記載したことになります。

本スレでも紹介しましたが、法華経のあちこちに原始仏典の引用が見られます。
法華経の作者は原始仏典を熟知していたことが分ります。

龍樹の説法を知りながら、菩薩乗では「仏は常住」と明記した中々気骨の
ある方だったようですね。f(^_^)
更に菩薩乗として「仏子は仏となり得る」とも記載。

三段論法だと「仏子は常住」となり、常住のアートマンとも矛盾がないようです。
619神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 17:00:22 ID:iS9I17Ii
>>589
> 現象界を超越しているニルヴァーナにも到達できないことになります。

現象界を超越したところに行くというイメージのようですが、
涅槃とは煩悩が尽きた状態です。
尽きることと「超越したところに行く」というのは大分違うと思います。
涅槃に超常的なニュアンスを見ることには疑問があります。
涅槃に超常的なニュアンスがあるという「前提」で話を進めるのではなく、
まずそこについて議論を尽くしてください。

> ゴータマが否定したのは、現象界に常住するアートマン存在でしょう(それはないと)。

現象界に常駐するアートマン「のみ」を否定しているという「限定」がどの経典にありますか?
ゴータマの発言としてそのようなものが無いのであれば、
ゴータマがそのような形で否定したとはいえないですよね。
620神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 17:18:29 ID:iS9I17Ii
>>560
まず最初に図式化しておきますが、

Dhp 整えていない自己 → 整えた自己 (変容)

宝珠 整えていない自己(低我)→消去
   整えた自己(真我)→顕現

Dhpでは、自己を整える対象として認識しています。つまり自己は完全なものではありません。
Dhpでは、「整えられていない自己」の状態変化について語っており、整えられた自己は
整えた結果そうなった自己のことですから、整えられていない自己がそのまま整えられた自己に
変化しています。Dhpは「自己の成長」ということを示しています。

宝珠解釈では、真我は完全なものであり、整えられるべきものではありません。
宝珠解釈での整えるとは低我を消去することです。
宝珠解釈においては、自己は最初から二つあり、最初から混じることも変化することもありません。
ただ低我が消去されるというわけです。
そして「自己の成長」という概念もありません。ダメな自己は最初からダメ。いい自己は最初からいい。
完全な二元論です。

さて、次に方法論について書きますが、
自己と自分の二つの訳語があるからといって、二つの訳語にそれぞれ別の意味を当てはめるのが
妥当かどうかは、原文に遡って考える必要があります。
原文において同一の単語であれば、それは同一の単語でしかない。
訳文で別々の単語に見えるのは訳者のフィルターでしかないということです。
この時点で別々の訳語を用いることへの妥当性に関してはイエローカードが出てしまうわけです。

その訳語に対してそれぞれ別の意味をあてはめるのは、間違った前提に論理を構築するのと同じことで
こちらの方が無意味です。

もし訳語の違いについて厳密にトレースしたいのであれば、訳者が何故に別の単語を用いたのか、
ということに対する論拠が必要になります。
621神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 17:23:31 ID:iS9I17Ii
>>560
>  『二つの自己-----最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことがわ
> かる。一方は悪徳煩悩の基体としての自己であり、凡夫の日常生活のうちに認められる。
>  --略--これに反して他方は理想として実現さるべき自己であり、その真実の状態は聖者が具
> 現しているものである。簡単にいえば、小我と大我、と呼んでもよいであろう。ただその両者は
> 相即しているものなのである。』(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』NHKブックス刊)

「実現さるべき自己」とありますが、これは実現すべき自分の理想像という意味ではないでしょうか。
つまり「まだ実現できていないが、そのうち実現したい自己」ということであり、
言い換えれば「未だ存在していない自己。そしてそのうちそんな自己を実現できるといいなと思っている自己」
のことであり、理想とする自分が「既に存在している」という意味ではないと思います。
622神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 17:24:09 ID:iG3WZuQN
>>618
>早速のご教示有難うございます。 f(^_^)
>ということは「仏も縁起」という龍樹の説法もよく知りながら、
>法華経の作者は「仏は常住」を繰り返し記載したことになります。

そうだね。そうしないと法華経が偽物になるもんね。

>本スレでも紹介しましたが、法華経のあちこちに原始仏典の引用が見られます。
>法華経の作者は原始仏典を熟知していたことが分ります。

どの経典もそうですよ。

>龍樹の説法を知りながら、菩薩乗では「仏は常住」と明記した中々気骨の
>ある方だったようですね。f(^_^)
>更に菩薩乗として「仏子は仏となり得る」とも記載。

法華経が大乗の流れにない可能性はあるかもしれませんね
如来蔵思想は、説一切有部の影響をあからさまにうけていますから。
大乗初期の黎明期における前大乗的、脱部派仏教的な中間集団から創作された可能性があります。
世親菩薩もそうした集団に属していました。
623神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 18:09:59 ID:iS9I17Ii
>>618
> 更に菩薩乗として「仏子は仏となり得る」とも記載。
> 三段論法だと「仏子は常住」となり、常住のアートマンとも矛盾がないようです。

仏は常住である。
仏と仏子は同じではありません。
故に仏子は常住であるとはいえない。

三段論法を用いるのは無理だと思います。
将来的に仏になりうる可能性がある、ということと、
現に仏であるということの間には雲泥の差があると思います。

もしこの三段論法が可能ならば、仏子は三十二相を備えているとか、
いろいろおかしなことが論証できてしまうでしょう。
624神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 18:14:14 ID:iS9I17Ii
何度も同じ論法を使ってくるので、この辺で押さえておきたいのですが、

「矛盾がない」ということと、ゴータマがアートマンを説いたということとは、関係がありません。
「矛盾がない」ということと、アートマンが存在する、ということとは関係がありません。

矛盾がないのは必要条件のひとつにすぎないのであって、十分に論証できる条件ではないのです。

以後、矛盾がないということを「根拠」のように書くのは謹んでいただきたい。
それは無意味な雰囲気作り、イメージ工作でしかありません。
625 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 18:21:48 ID:1ZwTyS9x
この蒸し暑い時に、長文レスは基本的にスルーですね。
 
>>618 在家氏
竜樹の生没年、法華経の成立時期については明確ではないようですね。
わたしは竜樹が法華経に目を通していたと理解しています。
 
岩波文庫の法華経(下)解説にもそうあるし、
講談社学術文庫『世親』の仏教関係年表からもそう読めますね。
626神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 18:28:07 ID:2Y6xiM77
確かにな。
釈迦は現象界以外、すなわち、認識可能域以外のことからには
無記とした。
そこにつけこんで「否定しなかったのだから、存在するかもしれない。
いや、存在するにちがいない。」
と様々に自己の信じる宗教に都合の良い解釈をして、
あたかも、「釈迦がアートマンの存在を説いた」かの
如く主張するのは、いかんね。
やはり、「釈迦がアートマンを説いた」ことが明らかな論拠を示さなければ話にならん。
「このようにも考えられる」
では、ダメだね
627神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 18:35:21 ID:gg0Zo3np
>>625
>この蒸し暑い時に、長文レスは基本的にスルーですね。

この蒸し暑い時に長文レスを書いてくれた人に対してスルーとは、失礼
ではないかね。

それこそエゴの典型。君はそれでも宗教者か。
628 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 18:38:25 ID:1ZwTyS9x
>>605 
>万物(現象界)の相互依存性・関係性(縁起・空)を解くことは「洗脳」
>とは言わない。
 
相互依存や関係性はいいけど、この現実を空・幻にするのはどうなのか。
明らかに病的な主張であり、有害無益な妄想にしか思えない。
マスコミの洗脳と同じように、竜樹の空仮中もまさしく洗脳だろう。
629 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 18:49:31 ID:1ZwTyS9x
スルーされるのはスルーされる理由があるのだろう。
 
言葉だけの関係にしても多少のルールは必要である。
だれかの発言に対して、どんなレスをつけても君の自由だろう。
しかし、そのレスに返事をしてもらえるかどうかは、君の自由ではない。
相手の自由である。かん違いしないように。
 
イ 「お前」とか「こいつ」などと言ったらまず相手にされない。
ロ 相手の話を捻じ曲げていたら相手にされない。
ハ レス内容がくだらない場合も、やはり相手にされないだろう。
630旧7:2009/07/24(金) 18:56:10 ID:X4p/KyuA
>>622
>どの経典もそうですよ。

禿同w その通りだな。
簡潔にして痛快至極なレスだw
お見事。



>>625
「読みたくない理由」をカモフラージュするには旬でふさわしい台詞だなw  >>蒸し暑さ


当然、宝珠のレスもスルーしてるんだよな?w
631神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 18:57:43 ID:2Y6xiM77
>>627 無駄です。この人物に何を言っても

このトリップだけをつけたコテは
他人には発言に責任を持てと要求するのに自己の発言には
全く責任を持ちません。
また、レスも自分にとって都合の悪いものには人格攻撃をし、スルーします。
(自己に対して『お前』等の呼称は許さないのに、旧7氏などには『エロ坊主』などの罵倒
を繰り返します)

すなわち、この人物は対話以前の問題であり、
私はスルーを推奨してきました。

以後、差し支えなければスルーでお願いします。
632神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 18:58:30 ID:iS9I17Ii
>>629
ニ レス内容を認めてしまうと自分の立場がなくなる場合も、やはり相手にされないだろう。
633 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:00:30 ID:1ZwTyS9x
>>630
また石頭エロQ頓珍漢かんぐり外道の旧7か。いい加減にしろ。
634旧7:2009/07/24(金) 19:04:08 ID:X4p/KyuA
>>633
ところで、「Q」は何を表わしてるんだ?w
635 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:07:08 ID:1ZwTyS9x
だれがエロ坊主などと言っている。
そうやって他人の話を捻じ曲げてはだめだろう。正しくはエロQだな。
636 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:10:33 ID:1ZwTyS9x
>>634
毛が三本のオバQじゃないか。古かった?
637旧7:2009/07/24(金) 19:11:37 ID:X4p/KyuA
>>635
ほう・・・w

これ↓は貴方だと思ってましたけどね・・w

【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】7
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1246545905/940
940 神も仏も名無しさん sage 2009/07/10(金) 20:38:45 ID:95693F8d
エロ坊主か。いい加減にしろっ、と言ってるのがわからないのか。
相変わらず読解力のないヤツだな。


専ブラを舐めない方がいいw


>>636
了解w
638神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 19:13:58 ID:2Y6xiM77
また、そうやってウソをつく。だから、スルーすべきだと言われるんだ。

自分のレスを読み返してみろ。
お宅がエロ坊主、『坊主』と言ったから初めて俺は旧7さんが、坊さんであるとわかったんだよ。(ホントに旧7さんが、坊さんであるかどうかは不明)

人の話をねじ曲げる?
ねじ曲げてるのはお宅だね。
639 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:19:19 ID:1ZwTyS9x
>>637
エロ坊主と言っていたことをすっかり忘れていたよ。
まあエロQと似たようなものか。
そんなことより、過去をほじくる旧7は、やっぱし嫌なヤツだな。
ほじくり旧7かwww
640神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 19:25:26 ID:2Y6xiM77
他人を「話をねじ曲げるな」と批判しておきながら
間違いを指摘されると誤魔化して逃げる。

このスレの各位へ

以上のやりとりからも、この人物がどのような者かが明らかであると思います。

以後、よろしくスルーお願いします。
641神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 19:26:09 ID:iG3WZuQN
>>625
バカにへんな知恵をつけるのはやめてもらおうか

一子地、すべてをわが一人子のように慈愛する境地があるが一見矛盾している
一人子を愛するとは他を差別することだし、そもそも愛するとはそういう行為のはずだからである。

いわば、これは逆説的に出される答えであるように思う。
仏の慈悲、これは衆生を教化しようとする動きである。
これは歴史上の仏陀本人のそれもそうだが、涅槃そのもの、あるいは修行者を涅槃に導く不可知な
存在、原因すべてに対する畏怖も含まれている。法身、報身がそれだ。
修行者がある境地に至り、仏陀の教法と知恵に感嘆し、このような不可思議な境地へ
導いた過去の原因を見るとき、上のような概念の仏が自分を一人子のように育てた苦労を想像し
これを偲んだのだと思う。
結果、衆生にこのような体験をさせる仏の力、あるいは境地が想起され、
その境地を一子地と呼び慣わすことにしたということだろう。
642 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:29:22 ID:1ZwTyS9x
どうでもいいけど、粘着君も変なヤツだなあw
643神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 19:32:44 ID:iG3WZuQN
アートマン信者も年貢の納めどきだ。しっぽをつかまえたぞ
644 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:34:15 ID:1ZwTyS9x
641 
>バカにへんな知恵をつけるのはやめてもらおうか
 
こういった発言はまさしく空論者のものである。
恥じたほうがいい。
いずれ清算しなくてはならない時が来る。
645神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 19:38:26 ID:iG3WZuQN
>>633でその根拠のない決めつけも破綻した。

そろそろお縄にかかれ
646 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 19:44:22 ID:1ZwTyS9x
そんなことを言うなら、もう一回アップしてやるよ。
 
空論者が尊大で横柄で傲慢になる理由
・・・チャンスがあれば、やりたい放題、言いたい放題
 
1 いっさいを空とし、自分が世界の支配者になったつもりになる。
2 いっさいを空にするから、その人を押さえつけるものがない。
3 そうでなくても、知らず知らずのうちに唯我独尊になる。
647神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 19:48:08 ID:7PYRm2cR
「そうでなくても」の一文が万能の理論にしているな。
648神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 20:02:22 ID:iG3WZuQN
>>646

論破!

>>633>>644の合わせ技から

◆xQ2N4RcE0Eは
1 何を言っても論理が通じず、無駄に自分が世界の支配者になったつもりでいる
2 論理が通じないから、押さえつけるものがない。
3 そうでなくても、知らず知らずのうちに周りをイライラさせる。

と診断される。
649 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 20:05:08 ID:1ZwTyS9x
>>647
そうだよ。仏教だけではなく、キリスト教なども視野に入れている。
などとも思うけど、指摘されて初めて気がついた。
デジャビューのような気分がする。
650神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 20:07:46 ID:I/piYX1k
ようするにアホの垂れ流しだな。
651神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 20:22:46 ID:iG3WZuQN
どうやらアートマン信者は調伏されたようだ
652 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 20:32:25 ID:1ZwTyS9x
『中論』の基本の基本である有と無
 
1 有と無とは相互依存、相互限定なのか。
2 そうではなくて、有と無とはまったく異なる別のものなのか。
  竜樹も有と無とが同時に存在することは矛盾であると認識している。
3 それでは有と無とは何か。
653神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 20:38:51 ID:I/piYX1k
中論というのはだね、有るも否定する。無いも否定する。
言葉遊び(戯論)の消滅が、中論の骨子。
なんで自分で読んで理解しようとしない?
654神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 20:43:37 ID:neaOsI++
>>652
>竜樹も有と無とが同時に存在することは矛盾であると認識している。
有と無は同時に存在するから相依関係となる。有と無が同一空間に同時に
存在することが矛盾となる。赤と青が同一空間に同時に存在できないのと
同じだ。色は重ねあわせて別色になる存在だから。
655 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 21:02:07 ID:1ZwTyS9x
>>654
>有と無は同時に存在するから相依関係となる。
★ 有と無は同時に存在していいの?

>有と無が同一空間に同時に 存在することが矛盾となる。
★ そうだよね。有と無とは同時に存在できない。
656 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/24(金) 21:07:05 ID:1ZwTyS9x
>>653
有と無とは依存関係にないから、非有非無にならないのではないか?
有と無とが同時にあったら矛盾だよね。
つまり竜樹の中道は不成立。
657神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:14:07 ID:I/piYX1k
無いという概念なくして、有るという概念は無い。
658神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:18:17 ID:I/piYX1k
>>656
偶然だがよくできました。
故に中論で言われるところの「去る」という一瞬は捉えることができない。
659神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:34:00 ID:neaOsI++
>>655
>★ 有と無は同時に存在していいの?

アリバイ(不在証明)を考えて見なさい。
あそこに存在したことが確かならここに存在しなかったことが
証明される。同時でなければアリバイは成立しない。
660神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:39:08 ID:I/piYX1k
中々の詭弁家ですな。
無の存在という言葉がおかしいのですよ。
無は非存在であるともいえるわけですからな。
661神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:42:12 ID:18q47Oyi
こういうこと?

0or1 -> 1 有か無 → 有     つまり  有もしくは無であるという状態は存在する
0and1 -> 0   有かつ無 →無    つまり  有であり無であるという状態は存在しない

not 0 or not 1 -> 1    つまり 有ではない、もしくは 、無ではないという状態は存在する
not 0 and not 1 -> 0    つまり 有ではなく、かつ、無でもないという状態は存在しない
662神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:46:58 ID:18q47Oyi
記号で表しちゃったら、すごい簡単だしわかりやすいじゃん

龍樹の 有るも否定、無いも否定 ってのを記号で表すとどれになんの?
663神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:47:28 ID:neaOsI++
>>660
>無の存在という言葉がおかしいのですよ
「無」という言葉があるかぎり「無」は存在する。
言葉は存在だ。
664神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:49:24 ID:neaOsI++
>>661
0も1も二つの異なった状態として存在する。
665神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:49:31 ID:I/piYX1k
判断するコンピュータがポンコツだから、何を入力しようが、出力は信用しないということです。

論理以前。論理を組み立てるものを否定するのが仏教のやり方。
666神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:53:26 ID:I/piYX1k
>>663
では、「鹿児島県出身のミス火星代表」も
私が言葉にしたから存在なのですね。
有難うございました。
667神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 21:59:57 ID:neaOsI++
>>665
中論24−8
二つの真理に依存して、もろもろのブッダは法を説いた。
世俗の覆われた立場での(言葉による)真理と、究極の
立場から見た(直観による)真理とである。

中論24−10
世俗の表現に依存しないでは、究極の真理を説くことはできない。
究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することは
できない。(ニワトリが先か、タマゴが先かのパラドックスだ)
668神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:03:53 ID:neaOsI++
>>666
>「鹿児島県出身のミス火星代表」
・・・は「ウサギの角」や「丸い三角」とおなじ「絶対無」という
存在だね。
669神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:05:57 ID:I/piYX1k
存在にこだわる理由がわからん。
670神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:09:00 ID:I/piYX1k
>>667
三諦円融でも勉強してください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1314182318

671神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:12:16 ID:neaOsI++
>>670
それは天台が中論を誤解したものだね。
672旧7:2009/07/24(金) 22:15:45 ID:X4p/KyuA
>>666
「鹿児島県出身のミス火星代表」という概念は存在するよね。
けど、
「鹿児島県出身のミス火星代表」という、具体的に空間を占め、五感で知覚できる対象としては存在しないよね。

術語を使えば、
「鹿児島県出身のミス火星代表」という名(nAma)は存在するが、
「鹿児島県出身のミス火星代表」という色(rUpa)は存在しない、
と言えるのではなかろうか。
673神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:16:50 ID:I/piYX1k
>>667
仏教において真理とは到達するものではなく、
真理にありながら、無明の為に自ら進んで離れていっていると考えるべきでしょう。
674神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:19:22 ID:I/piYX1k
>>671
良くわかりませんね。
解るように説明してください。
675神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:21:57 ID:I/piYX1k
>>672
いやね、「鹿児島県出身」なのに、「ミス火星代表」なんかになれるのかって、
つっこんでくれなきゃ(笑)
676旧7:2009/07/24(金) 22:33:33 ID:X4p/KyuA
>>675
そこかよwww

てか、マジレスすると、たとえば、「ミスアメリカ」の、そうした資格・基準って設定できるかい?
それこそ、鹿児島出身だけど、小学校からアメリカ在住、国籍取得してたら、
既に彼女はアメリカ人であり、ミスアメリカたる立派な資格を有していないか?w

たとえば逆に、今の時代は、
アメリカ人だけど、ミス鹿児島に選ばれる娘さんが居てもいいと思う。
鹿児島現住の日本の若い子たちより、
鹿児島を愛し、鹿児島のことを知り、鹿児島の未来を描く娘なら、
誰よりも、ミス鹿児島にふさわしいと思うぞ。

そう、釈尊は仰った。
生まれにより「ミス」になるのではない。行為によって「ミス」になるのだ、とw
677神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:35:57 ID:neaOsI++
>>674
中論24−18
どんな縁起でも、それをわれわれは空と説く。それは仮に設けられたもの
であって、それはすなわち中道である。

龍樹は単に縁起・空・仮設・中道が同意語だといってるだけ。
678神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:36:05 ID:18q47Oyi
>>672が言ってることは

アートマンという概念は存在するが、
物理空間にアートマンはない、っていうことだな。

こう言えばわかりやすいと思うぞ。
679承狂 ◆TptLNQXPVWuJ :2009/07/24(金) 22:37:48 ID:EfAqAdyP
>676
つまり、マースの寺フォーミングは既になされていて、鹿児島出身の女性が住んでる訳だな?

(^。^)ブラックメンに気をつけろ♪(笑)
680神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:38:09 ID:I/piYX1k
「行為」をしても「ミス」でいられるのか。
色々考えさせられますね。
681神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:38:42 ID:neaOsI++
>>676
>行為によって「ミス」になるのだ、とw
行為によって「ミセス」になるのだ。www
682神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:40:43 ID:18q47Oyi
これは俺が至った境地だけど
困った時は
アートマンとブラフマンで例えると最もわかりやすい。

アートマンは数学上の点 面積はなく体積もないがそこに存在するという 概念 でしかない
物理空間にアートマンは存在してはいけない。

抽象的な概念はすべてアートマンだと説明すれば、ややこしいことは起こらない。
683旧7:2009/07/24(金) 22:41:03 ID:X4p/KyuA
>>681
座布団5枚やるwwwww
684神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:41:18 ID:neaOsI++
>>678
>物理空間にアートマンはない、っていうことだな。
もともと、ウパニシャッド哲学でもアートマンは色では無く
名(原理)に過ぎないけどね。
685旧7:2009/07/24(金) 22:43:50 ID:X4p/KyuA
>>680は座布団3枚w
686神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:45:14 ID:I/piYX1k
えー;;
まだゴールデンタイムだのに。
下品なのはダメよ。
687神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:46:14 ID:18q47Oyi
これはアートマン、これはブラフマン、という風に
アートマンとブラフマンに全てを分類していけばいい
そして完全に分類することができるようになったときが

悟り、だ。

悟りの定義は、ブラフマンとアートマンを分類できる境地のことだろう

どれがアートマンでどれがブラフマンなのかを考えていくことが、問題を簡単にする最短の方法だと思うよ。
688神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:50:25 ID:18q47Oyi
ここまで悟りを定式的に定義できたのは
人類で俺が始めてかもな。

釈迦ですら非定式的だったものを、2009年にやっと俺が完成させた。

ちゃんとお経に載せてね?
689神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 22:53:25 ID:neaOsI++
>>673
>無明の為に自ら進んで離れていっていると考えるべきでしょう。
無明から苦の滅までは12支縁起の長い道程があるだろ。
風が吹けば桶屋が儲かる、くらいの到達確率だろ。
690:2009/07/24(金) 23:20:31 ID:322+Gn5o
>>688
苫米地英人が同じこと言ってたが君は本人かw
691神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 23:24:01 ID:18q47Oyi
>>690
いや、真似してみただけwwwww
でも俺なりに理論を発展させてみた

けっこう良い線いってると思うんだがどうだろうか?
692神も仏も名無しさん:2009/07/24(金) 23:48:25 ID:18q47Oyi
まあ簡単にいえば、

あらゆるものを実存(ブラフマン)と非実存(アートマン)に分類できるようになること

これが悟りだと思う。
693:2009/07/24(金) 23:59:23 ID:322+Gn5o
>>691
苫米地さんの巨乳になる着うたとかはどうか思うが、
変性意識とホメオスタシスフィードバックなどの話は
面白い。

また、よく三諦偈を語るよね。台密と関係ある
じゃなかったかな。
694宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/24(金) 23:59:29 ID:NJePf9Sc
つい述べたばかりのことを再び繰り返し書いても仕方ないので、
基本的に暫くは、(スレ題の議論としては)これにて静観するようにしたいと思います。

-------------------------------------------
>>599
>アートマンという断定は極論でしょう  また、そのような虚偽の前提の上に乗っかって、
>同じ地平からアートマンはないというのも極論です。
>アートマンという問題提起そのものがまちがいなのですから。

 私が批判するのは、ゴータマは「“アートマンはない”などとは説いてはいない」のに、
ゴータマの説く無我とは「アートマンがないこと」であると断じる見解に対してです。また
逆に、ゴータマが「アートマンがある」と説いたなどとこの私は主張しません。少なくとも
現時点でいえることは、「ない」とはいっていないというだけに留めたいと思います。

 私個人の見解としては、>>558-559の通りであり、バラモンの説く真我/アートマン存
在に意識が定まる状態が、ゴータマの説くニルヴァーナと同じなのです。しかし、ゴータ
マは真我/アートマンは客観的に捉えることはできないものだと説いたということ。そし
て、輪廻する主体をゴータマは説かなかった(無記)が、それは私は「魂」として、後に阿
頼耶識として述べられているものとして認めます。これは輪廻の間だけの無常存在です。
 ま〜これは、あくまでも私個人のものに過ぎませんから、恐らくは仏典で確認もできな
いであろうし、スレ上の議論の対象とされる必要はありません・・。

>>602
>ウパにシャッドというのは--中略--
>残酷と思われるかもしれませんが、これが現実です。

 原始仏教はウパニシャッドの思想、及び表現を(アートマンに対する表現も)継承した
といわれています。
695宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:01:51 ID:SIpu8cJh
 『悪い行いをする人にとっては、世間に秘密の場所というものは存在しない。人よ。真
実である か虚偽であるかを、汝のアートマンが知っているのだ。証人よ(sakkhi)。実に
尊いアートマンを汝は軽視している。---自己のうちに悪があるのに自分らのために隠
そうとする汝は---。』(AN.T,p.149G.)
 これはバラモン教のほうで『マヌ法典』において、
 『自己(アートマン)こそ実に自己の証人(sa^ksin)であり、また自己は自己の帰趣(gati)
である。諸々の人間にとって最高の証人である自分の自己を軽視することなかれ。』
(Mann YU ,84.)
 という思想に対応するものである。』(中村 元著『自己の探求』青土社刊)
http://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1243/12436/1243666615.dat
(スレ3/852-853)

 『考えることを排斥している。そうして修行者はまず「わがもの」という観念を捨てねばな
らぬという。したがって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである。
 初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれ
を無我説と呼ぶことを躊躇する。「無我」という語は誤解をひき起し易い。初期の仏教にお
いては決して「アートマンが存在しない」とは説いていない。むしろウパニシャッドなどの思
想と多分に密接な連関を有するのである。』(中村元著『自我と無我』平楽寺書店刊)
696:2009/07/25(土) 00:02:55 ID:QCnx7cqJ
>>691
天台宗ハワイ別院国際部長だった
697宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:03:15 ID:NJePf9Sc
 『「このブラフマンの都(身体)の内ある小さい蓮華の形をなす一住居----その内部に小
さな空処がある。その内にあるもの(アートマン)、それを尋ね求むべし。実にそれを知ろう
と欲すべし。」(チャーンドーギア・ウパニシャッド[.1.1) 
 ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そして原始仏教
においては、「自己を知る人」が尊重されているのである。
 「自己の利を知って常に自己に専念せよ。たとえいかに大事であろうとも、自己ならざる
他のものの利の故に、自己の利を捨て去ってはならぬ。」(ダンマパダ:166) 
 こういう表現は、古ウパニシャッドにおけるアートマン論と著しく類似している。--中略--
 原始仏教では自己を愛することを教えている。アートマンは愛しきものである。ある小さな
神が《子に等しい愛しいものはない。》といったのに対して、釈尊は「自己(アートマン)に等
しい愛しいものはない。」(アングッタラ・ニカーヤ:U.21)と答えた。これは明らかに古ウパニ
シャッドにおいて哲人ヤージニャヴァルキヤが・・・などと説いた教えにちょうど対応するもの
である。』(中村 元著『原始仏教-その思想と生活』NHKブックス刊)

 『原始仏典のうち成立が遅いとされる散文では、人間を構成する五つのものの集り(五蘊)
ひとつひとつについて「これはわがものではない」「私ではない」「私のアートマン(我)ではな
い」と知るべきことが説かれる。この表現形式は、ウパニシャッドのアートマン思想と密接に
かかわることが指摘されている。』(インド思想史略説/第2節-原始仏教の教理)

>また涅槃に至った後に帰ってきた我は煩悩にとらわれず広大な智慧を有すため、
>小我に対し大我と言われることもあります。アートマンという、常住不変の存在でかつ、
>一切に含まれない存在を指したものではありません。

 大我というならば問題ありません。ただし、それが永遠不変の状態であると説くならばです。
仏教は一時だけの境地のために、命懸けの修行に入ったりするものではありません。無常
なるものに対する囚われから離れるよう、つまり、一時に過ぎないものは無価値であると一貫
して説いています。従って、ニルヴァーナが一時だけの状態でないことは明白です。
698宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:06:06 ID:NJePf9Sc
>>606
>>「魂」は五蘊とは異なる存在期間の永い主体です(涅槃に到達するまで継続する)
>誤りです。涅槃は五薀を離れていますが、それゆえどこにも存在すると言えます。

 もちろん承知しています。これはそういうことではないのです。

>誤りです。魂(私という意味でのアートマン)は五薀を離れて存在しません。
>--中略--潜在的な力を業と言うのです。

 そういうことではありません。これはすみませんが、あなた方が知らない内容であり、
また、恐らく仏典に確認を求めても難しいでしょう・・。所詮、知らない人に話しても無理
なので、これは忘れて貰ってもいいです。

>真我はアートマンではありません。

 「真我」という言葉は(バラモン教の説く)アートマン存在の性質を良く表現したものであ
り、これは広く認知されているものです。あなたのいいたいこととは、「仏教ではバラモン
教の説くアートマン存在は真我とは見なさい」という見解なのでしょうが・・。

 『アートマン(Atman) は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にあ
る個の根源を意味する。真我とも訳される。最も内側 (Inner most)を意味する サンスク
リット語の Atma を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。
それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対
象にはならないといわれる。』(Wiki)

 『我(が、われ、サンスクリット:aatman ??????、パーリ語:attan ??????)とは、バラモン教
(のちヒンドゥー教)及び仏教上の概念。アートマン(梵我)。 仏教ではその教義的立場から、
我というものに関して、実我(じつが)、仮我(けが)、真我(しんが)という区別を説いている。
このうち、「実我」(aatman)については、仏教はこれを否認して無我(anaatman)といい、非
我(niraatman)という。
 真我とは大我ともいわれ「パラマートマン」 (parama-aatman) であり、最高の我の意味で
ある。もちろん、この我は外道の我でなく、仏果の徳の上につけた名である。。』(Wiki)
699宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:10:12 ID:SIpu8cJh
>これもすでに論破しました。>>368参照のこと。

 >>680も同様です。ですから、「アートマン(アッタン)」という語がすべて、日常の自分を示す
ことでしかないのであれば、どうして二重の言い回し表現をしているのか?と問うているので
す。私は高次の自己と低次の自分の二つを示すための表現であるといってるのです。>>560 
 認めないのは自由ですが・・。

>>610
>ニルヴァーナは苦が滅された状態であり、
>知覚できないアートマンを知覚する、という矛盾を可能にすることが修行ではありませんよ。

 違います。結果として同じなのです。ニルヴァーナという状態は真実の自己に目覚めた状態
なのです。真我を実現するということはニルヴァーナ境地に到達したことを意味するのです。

>>611
>人間が知覚したものは一切に収まるということです。
>想像された非現実的、非客観的な物事は行薀に含まれます。

 教えの説く、アプローチの仕方と視点の位置による違いなのです。アートマンは知覚されな
いものとして説いています。これは修行完成者が結果として、自己がアートマンであったとして
最終的に認知するものなのです。
700宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:11:12 ID:SIpu8cJh
>>617
>涅槃の境地・・・・・・・・・『境地』これをまるで、解脱後に覚者たちが存在する「場所」
>みたいな捉え方をするからおかしなことになるわけで、

 旧7氏もそうでしたが、これは全くの誤解というものです。ていうよりは、「場所」という
理解があるという話すらも、私は聞いたことがありませんね。
 涅槃は現象界を超越しているといっているのに、一体、どこから「場所」といった話が
出てくるのでしょうか? 仏教では「境地」というものなのです。これ常識ですから!(そ
ういう表現なのです)。以下は、水野氏『要語』からです。

 『涅槃とは--略--または一切の煩悩の火が吹き消されている状態をいう。すなわち最
高の悟りの境地である。』(p28)
 『しかし涅槃と同じく生死輪廻を超えた悟りの境地として、バラモン教では古くから不死
(amrta 甘露)の語があり、仏教でも不死は涅槃と同義語とされた。』(p171)
 『滅とは一切の煩悩が滅尽した状態であり、それは涅槃のことである。--略--仏教の
理想としての涅槃の境地が滅とされている。』(p200)
701宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:13:08 ID:SIpu8cJh
>>619
>現象界を超越したところに行くというイメージのようですが、
>涅槃とは煩悩が尽きた状態です。
>尽きることと「超越したところに行く」というのは大分違うと思います。

これも同じです。そういう表現なのです。
こちらの話す「存在」「状態」「場所」を混同/誤解して批判しているようです。
まっ、私の説明が悪いといえば確かにそうでしょうが・・。

>現象界に常駐するアートマン「のみ」を否定しているという「限定」がどの経典にありますか?
>ゴータマの発言としてそのようなものが無いのであれば、
>ゴータマがそのような形で否定したとはいえないですよね。

ゴータマのいう「ない」とは、現象界についてのものであるからです。
幾つもの多くの経文はそのことを説くのです。
現象界(有為)に限定した話であることを理解すべきです。>>556
「一切法」に無為を含めるようになったのは後代のことです。
702宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 00:19:38 ID:SIpu8cJh
>>620
>そして「自己の成長」という概念もありません。
>ダメな自己は最初からダメ。いい自己は最初からいい。完全な二元論です。

 自己の低級性質が消滅していくことが“整えられる”ことになります。これを自己制
御といいます。無くなるのは低級性質であり、整えられてコントロール化に成功する
ということ。これが仏教的な自己の成長過程です。これが完全に成されたときに、二
者であった自己は一者と化すのです。
 正確には、元々から真我である一者なのです(勝義)。これは視点の置き方と説き
方のアプローチ次第で、一元論にでも、不二二元論にでもなり、何学派にもなるのです。

>訳文で別々の単語に見えるのは訳者のフィルターでしかないということです。
>もし訳語の違いについて厳密にトレースしたいのであれば、
>訳者が何故に別の単語を用いたのか、ということに対する論拠が必要になります。

 経文の文章全体の文意に対する理解から、これらは当然なされた二種の表現という
ことなのです。論拠/理由は二つの自己であるとして述べられています。『二つの自己
-----最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことがわかる。』
>>560
703神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 00:39:50 ID:jy4iultu
>>656
相対的な概念は相互依存してるだろ。
長は短と比較することによって、初めて長と成りうる。
短が無ければ長も無い。
有と無も同じで、無との比較によって有があり、
有との比較によって無がある。
704宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 01:10:53 ID:SIpu8cJh
訂正
>>702
×「一元論にでも、不二二元論にでもなり」
○「ニ元論にでも、不二一元論にでもなり」

>>621
>言い換えれば「未だ存在していない自己。
>そしてそのうちそんな自己を実現できるといいなと思っている自己」のことであり、
>理想とする自分が「既に存在している」という意味ではないと思います。

 実は二つの意味合いがあります。一つは修行者としての姿勢についての理想形の
話。そして、もう一つは“真我の実現”であり、その真我は最初から完全なものですが、
そこに意識が定まるためには、修行によって低級性質である、即ち煩悩を消滅させる
必要があるのです。そうしなければ、真我は立ち顕れることができないのです。
 意識の焦点を移行させるといういい方もあります・・。すみませんが、すべて基本的
な事柄ばかりなので、まずはインド思想についてもっと知って下さい。
 仏教はその伝統の中に出現したのであり、インド思想における解脱のアプローチや
修行について知らないことには理解は困難です。
 当然、インド思想について知っている筈のヒンドゥー教徒や、そして神智学徒ならば、
私の説明は容易に理解されますが、何故か仏教徒だけが理解に困難を覚えるのです。

 それは、神智学徒もヒンドゥー側(高い意識レベルに到達している聖者ならば)も共に、
仏教の祖である仏陀を同じく解脱した大覚者として賞賛していますが、逆の仏教徒側は
バラモン/ヒンドゥーの基本思想・・というだけでもう外道認定。とても理解しようという意
志がないことが上げられます(仏教学者ではなく、平均的な仏教徒についての話です)。
705神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:22:25 ID:bKDE/qjF
だから、「低級我を滅し、最初からある真我に意識を定める」

このような思想は神智学、およびヒンドゥーの思想だろ?
神智学ではこう考えると主張したいのであれば、そのスレがあるのだから
そこでやればよいだけの事。
ここは、仏教スレ。
706神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:28:50 ID:5O6pbtmG
>>694
> 逆に、ゴータマが「アートマンがある」と説いたなどとこの私は主張しません。

へぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜今頃www

> 輪廻する主体をゴータマは説かなかった(無記)が、それは私は「魂」として、後に阿
> 頼耶識として述べられているものとして認めます。

は? アラヤシキというのは宝珠さん自身が「捏造」として否定した大乗仏教じゃありませんか。
そんなもの認めるんですか? さっきまで否定してたのに、自分の都合に合わせて??
707宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 01:45:24 ID:SIpu8cJh
>>705
>ここは、仏教スレ。

はい。更に「二種類の自己」について、
或いは、「涅槃は永遠である」ことについての教証が進むよう努めます。

>>706
阿頼耶識はバラモンの説くアートマンそのものではありませんが、
ゴータマが説くことを控えた事実存在(輪廻主体)であるとして、
私は認めたいと思います。

大乗は確かに、ゴータマの説かなかった概念を幾つも提示しましたが、
その中には有益で役立つものや、そしてゴータマが説かなかっただけで
真実として考えられる内容があります。

それすらもなければ、大乗の存在意義は皆無でしょう。
708神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:47:09 ID:5O6pbtmG
>>701
> >現象界に常駐するアートマン「のみ」を否定しているという「限定」がどの経典にありますか?
> >ゴータマの発言としてそのようなものが無いのであれば、
> >ゴータマがそのような形で否定したとはいえないですよね。
> ゴータマのいう「ない」とは、現象界についてのものであるからです。
> 幾つもの多くの経文はそのことを説くのです。
> 現象界(有為)に限定した話であることを理解すべきです。>>556
> 「一切法」に無為を含めるようになったのは後代のことです。

そんなことは聞いていないのです。仕方がないので同じ質問を繰り返します。
現象界に常駐するアートマン「のみ」を否定しているという「限定」がどの経典にありますか?
それともあなたの想像にすぎないのですか?
ゴータマの発言としてそのようなものが無いのであれば、
ゴータマがそのような形で否定したとはいえないですよね。
709神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:53:55 ID:bKDE/qjF
それでは、参考資料を少し

インドの一般の諸哲学においては、人間の自我の中に、中心となるものを認め、
これが常住であり、一なるものであり、主宰するものであると考えて、
これを「我(アートマン)」と呼ぶ。仏教以前のウパニシャッド哲学では、
この我の意義が力説され、宇宙我であるブラフマンとの相即が説かれた。
また仏教興起時代の異端の諸哲学においては、我、すなわち霊魂が実体として
存在すると想定していた。ブッダはこれに反対して、「我という実体は認められない」
といって、これについては、ありともなしとも断定を控えるという無我の立場を強調し、
存在は、縁起によって起こるものであると説いた。
(中村元、『仏教語大辞典』「我」158頁)
710神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:54:41 ID:bKDE/qjF
つまり、ブッダの言わんとするところは、まず、自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、
二つには、自己には常住不変の実体があるとみなすこと、三つには自己の本質というものがある
とみること、これらを否定することが非我の内容であると説きます。

(中村元、中村元・田辺祥二著『ブッダの人と思想』、NHKブックス、95頁)
711神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 01:55:24 ID:bKDE/qjF
「心身関係」対「個体のアイデンティティー」の本性についての、ブッダの見解は、
無我論の原則にしたがっています。その原則は、存在を構成するスカンダ(蘊)、
つまり心理・身体的集合体のほかには、それから独立の、自律性を持った、
永遠に生き続ける魂などはない、というものです。これは、仏教のすべての宗派に
共通で、普遍的な教義です。





(ダライ・ラマ、『ダライ・ラマ、イエスを語る』、角川書店、108頁)
712神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 02:01:26 ID:5O6pbtmG
>>702
>  自己の低級性質が消滅していくことが“整えられる”ことになります。

それは既に私が書いたことです。

> 御といいます。無くなるのは低級性質であり、整えられてコントロール化に成功する
> ということ。これが仏教的な自己の成長過程です。これが完全に成されたときに、二
> 者であった自己は一者と化すのです。

低我と真我がひとつになるというのですか?

>  正確には、元々から真我である一者なのです(勝義)。これは視点の置き方と説き
> 方のアプローチ次第で、一元論にでも、不二二元論にでもなり、何学派にもなるのです。

神智学の思想は知っています。が、あなた自身の思想は完全に二元論です。
概念として不二一元論的なニュアンスがたまに出るだけで、
真我と低我、真実を知るものと知らないもの、といった二項対立的な思考形式しか
今のところ出てきていません。

> >訳文で別々の単語に見えるのは訳者のフィルターでしかないということです。
> >もし訳語の違いについて厳密にトレースしたいのであれば、
> >訳者が何故に別の単語を用いたのか、ということに対する論拠が必要になります。
>  経文の文章全体の文意に対する理解から、これらは当然なされた二種の表現という
> ことなのです。論拠/理由は二つの自己であるとして述べられています。『二つの自己
> -----最初期の仏教においては、二種の異なった自己を想定していたことがわかる。』
> >>560

「これらは当然なされた」の「当然」の意味を聞いているのです。
どこがどう当然なのですか? 何度も聞かなくては答えに行き着かないのは大変に疲れます。
713神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 02:10:30 ID:5O6pbtmG
>>704
>  実は二つの意味合いがあります。一つは修行者としての姿勢についての理想形の
> 話。そして、もう一つは“真我の実現”であり、その真我は最初から完全なものですが、
> そこに意識が定まるためには、修行によって低級性質である、即ち煩悩を消滅させる
> 必要があるのです。そうしなければ、真我は立ち顕れることができないのです。

実は二つ意味合いがあるというのは何故ですか?
何故、「もう一つは」があるのですか?
あなたは「真我について釈迦は説いたとは主張しない」のではなかったのですか?

>  意識の焦点を移行させるといういい方もあります・・。すみませんが、すべて基本的
> な事柄ばかりなので、まずはインド思想についてもっと知って下さい。

いやぁ、なんでそんなに上から目線なのでしょうか。
もう少しなんとかなりませんか。
ご自分が絶対正義の立場に立っていると強く信じていることは伝わりますが。

> 私の説明は容易に理解されますが、何故か仏教徒だけが理解に困難を覚えるのです。

どう思っているか知りませんが、私は個人的な趣味として神智学の本もそれなりには読んでいますし、
個人的にその世界の人とのつながりも持ってきました。
私は神智学でどう言っているか、どういうことが真実であると述べているか、ということについて疑問を
はさんでいるわけではないのです。

テキストの解釈に疑問があるから疑義を挟むのです。
神智学を前提に「仏典」にもこの記述があった、と探していくような読み方は、
仏典をありのままに読む姿からは遠く隔たっているからです。曲解やコジツケの類だからです。
仏典の外部から概念をもってきて仏典に当てはめるのではなく、
仏典の内部からそれらの概念を引き出すのでなければ
「強引」な読み方と言われても仕方のないことなのです。
714神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 02:15:09 ID:5O6pbtmG
>>707
> 阿頼耶識はバラモンの説くアートマンそのものではありませんが、
> ゴータマが説くことを控えた事実存在(輪廻主体)であるとして、
> 私は認めたいと思います。

認めるのは構いませんが、それを根拠のようなニュアンスで書くのはどうかと思います。
一旦、自分が「大乗は捏造なので根拠にはできない」と言ったのであれば、
自分が認める思想があるからといって、自分の思想の根拠であるかのように用いることは慎むべきです。

> 大乗は確かに、ゴータマの説かなかった概念を幾つも提示しましたが、
> その中には有益で役立つものや、そしてゴータマが説かなかっただけで
> 真実として考えられる内容があります。

そんなことは皆既に何度も指摘しているのです。
あなたが捏造だから存在意義がないと否定してきただけのことです。
715神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 06:10:28 ID:C3Cq/H3u
なにこれwルサンチマンでも居るの?

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716神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 06:41:02 ID:/ePxCwmj
宗教とサブカルって無関係なのに
宗教に詳しい方ってオタクが多いんだよなぁ
717神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 08:47:43 ID:Ifpd/Mb5
>>707
>阿頼耶識はバラモンの説くアートマンそのものではありませんが、
>ゴータマが説くことを控えた事実存在(輪廻主体)であるとして、
>私は認めたいと思います。

阿頼耶識は有為法であなたの言う現象界であることを承知してそれが
アートマンといってるのですか? 作られたものが我(アートマン)
であるわけ無いといってなかったか?

718神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 09:00:44 ID:Ifpd/Mb5
>>716
>宗教とサブカルって無関係なのに
いや、おおいに関係があるだろ。
仏教はインド社会において常にその非正統文化でありヒンドゥー対抗
宗教であった。だから13世紀までにインドでは仏教が衰退しヒンドゥー
教に習合されてしまったといわれている。
たしかに出家至上主義は反社会主義であり健全な社会の発展に障害となる。
四住期説に基ずくヒンドゥー社会でこそ13億人のインド社会が成立する。

719神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 09:08:10 ID:/ePxCwmj
>718
とても面白い意見だけど、なんかこじつけてる気がする。
これは単純に感受性の問題だと思うよ。
720神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 09:24:23 ID:Ifpd/Mb5
>>687
>アートマンとブラフマンに全てを分類していけばいい
>そして完全に分類することができるようになったときが
>悟り、だ。
「悟り」を「解脱」と解釈するとこれはバラモンの
ウパニシャッドの梵我一如とまったく逆の見解だね。
ブラフマンもアートマンもその究極はまったく同じだと
するのが正統ヒンドゥー文化だろ。仏教はその「我」を
認めないから、非正統ヒンドゥー文化であった。
721 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 09:41:28 ID:STmozD49
>>703 
>相対的な概念は相互依存してるだろ。
>長は短と比較することによって、初めて長と成りうる。
>短が無ければ長も無い。
>有と無も同じで、無との比較によって有があり、
>有との比較によって無がある。
 
相対的な概念であるかどうかの判別は、
同一のものについて、同時に成立するかどうかによってなされる。
 
たとえば長短は、あるものに対しては長く、あるものに対しては短い、
という表現が可能なので相対的な概念になる。
 
しかし有無の場合は、同一のものに、同時に成立することはない。
同時に成立したら矛盾である。
もともと有無は、存在の有無であり、有るか無いかのどちらかになる。
つまり有無は相対的な概念ではない。
 
竜樹は有無を相対的な概念にしている。→ 竜樹は基本で混乱している。
722 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 09:53:40 ID:STmozD49
>>721 の続き
竜樹が有無によって何を論じているかといえば、
それ自体・自性(中論15章)であり、アートマンのことである。
アートマンが有るのか、無いのかということは、相互依存していない。
有るか無いかのどちらかになる。
 
それゆえ竜樹の、非有非無の中道は混乱の産物ということになる。
723 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 10:07:32 ID:STmozD49
仏教がアートマンを問題にしたのかどうかについては、
竜樹が『中論』でアートマンを否定的に論じ扱っているから、
その当時、仏教内部において、アートマン論争があったことを推測させる。
 
18章6詩・・・もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、
無我なるものも無い」とも説いた。
724神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 10:15:02 ID:Ifpd/Mb5
>>719
現在において宗教・文化として「仏教」が残っている世界の
国々を見ればなぜ残っているかわかるだろ。
それらの国々ではやはり仏教が生活にとけこんで習俗化してる
ハズだ。日本では仏教は神道と混合して神仏習合文化となっている。
生活に根ざさない「宗教」は所詮、新宗教とおなじで流行で終わってしまう。
725神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 11:00:47 ID:glOioQDK
> ◆xQ2N4RcE0E

竜樹を全く理解していない。竜樹の頭がよすぎるから、君には理解できないのか。

竜樹は、あるものがない、などとは言っていない。すべてあることを認めた上で、
それらは縁起(相互依存性・関係性)によるものだから、「実体(自性)」は
ない」と言っているのである。「ない」ものについて、どうしてその関係性が
論じられるか。

その意味で、神も如来も「相互依存性・関係性」故に「無自性」「無実体」で
ある。

すべては「有」にして、「相互依存性・関係性」故に「無自性・無実体」。
これが佛教の極意である。
726神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 11:29:51 ID:svK6C0NC
やっぱ仏教すげーな
宗教界の最先端行ってるわ
727神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 12:14:16 ID:M7WjGTj1
               /ヽ v1
             |Y ゝくY :!
             | |Yゝク  |
            f三 へ三ニト
            {ゝ二 二kミ!
            | ー 一 Y
            U、 ー ,U
           >'1ミ二彡^ヽ、
          /  个 ー イ 彡ヽ
         /  i  ト/ミy@┬ ヘ
         /| ̄|ヘ / ,h  /| ̄ |
         7|> '  /n `タ._k  |
         ゝ _ /彡イ `〜 、...,,_}
       __ >彡 '_ゞ_ゝニゝ、_
      < ミ三三彡彡へ r‐ァニ三彡ハ
      〉ーニ二三彡彡1 l キニ三二−ヲ
      f⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒ハ
    f⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒Y⌒⌒ 〉
     ゝ⌒X⌒ヽ〜‐-<⌒⌒ メ⌒Y  / ヘ
    ( \ \     〉-‐rく   ,.-く   ノ
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antara-h0  15cm   22cm   間伐杉   \300,000     \9,980
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※現世の迷妄に囚われた愚かな衆生に優しいお顔で仏法(ホーマ)を説き諭す仏様です。
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728 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 13:18:06 ID:zoBjSpDx
>>725 
>竜樹は、あるものがない、などとは言っていない。すべてあることを認めた上で、
>それらは縁起(相互依存性・関係性)によるものだから、「実体(自性)」は
>ない」と言っているのである。
 
★ それでは相互依存を簡単に定義し、犬と猫との相互依存を示してほしい。
相互依存についての誤解があるように思う。
 
>「ない」ものについて、どうしてその関係性が論じられるか。
★ 竜樹は、有と無とを関係させ、非有非無の中道を説いている。
 
>その意味で、神も如来も・・・「無自性」「無実体」である。
★ 次元が異なるので、この世の理屈を超えている。

>すべては「有」にして、「相互依存性・関係性」故に「無自性・無実体」。
>これが佛教の極意である。
★ この考え方は、いわゆる断見であり、死んだら終わりの断滅である。
仏教の極意どころか、断滅外道である。
729神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 13:56:59 ID:F90rVhxJ
わりやすくしよう

アートマンのそもそもの意味は、「〜である」というものではないという意味だから、
「何ものでもない」がアートマンの言葉の意味
つまり「無」

何ものでもないものが、「無」という言葉をもつことさえも許されてはいけないはず
無は無ですらない、というのが無

無という概念は存在するが、物理世界には存在してはいけない

それがアートマンだ

んで、馬鹿なやつは抽象的な概念を物理世界にもちこむから、わけのわからないことになる
無なんてのは抽象的概念の世界の中でしか取り扱えないもの
言葉遊びでしかないのだよ

そして、釈迦は「そんな存在しないものについて深く考える暇があったら、他にやることあるだろ」と言っている
730神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 13:58:22 ID:F90rVhxJ
ミス わかりやすくしよう
731神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 14:02:05 ID:F90rVhxJ
そして、ちょっと考えればわかることだが

「無」は存在する  ← とてもおかしな文章でしょ

「無」が存在していいのは抽象的概念の世界の中だけ

論理学で表記してみよう

無は存在する つまり  0 and 1 -> 0  

答えは「そんなもの存在しない」
732 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 15:34:44 ID:BnXVst0N
>>729-731
>アートマンのそもそもの意味は、「〜である」というものではないという意味だから、
>「何ものでもない」がアートマンの言葉の意味
 
まったく違います。辞書でアートマンの意味を確かめたほうがいい。
  
アートマンとは人間の本質であり、形を持っている実体である。
それは生命である。
733神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 15:40:40 ID:M7WjGTj1
>★ それでは相互依存を簡単に定義し、犬と猫との相互依存を示してほしい。
>相互依存についての誤解があるように思う。

犬猫は相関関係にある対概念じゃないだろ
人間のペットとなる二大メジャーであるけれど

犬という概念は、対関係概念ではなく、抽象化概念。
具体的ないくらかの動物の中から、これはひとつひとつ事象を指さないと説明できないものだが
あれ、これ、といったものの中から、このグループに入るか入らないかを決めていったのちに
犬という抽象概念が成立する。
つまり、犬という本質がそこにできるわけだが、例えば四つ足、しっぽに舌が長い鼻が湿っているなど。
じゃあ、犬ってなんなのかというと明文化することはできない。
犬が足を交通事故で失ったからといって犬でなくなるわけではないし、
生まれたときから体の半分を先天的に失っていたとしても犬とカテゴライズされる。
つまり、犬概念というもの自体、存在を認識しにくいあやふやなものである。
たとえば、パターン認識という概念があるが、
コンピュータにネジ一本認識させるのも一苦労である、同一のネジをあらゆる角度から写真をとり
どの写真も同一の物体であると打ち込んでいかなければならない。
同一のネジでさえ煩瑣であるのだから、ことなる品種の犬を同一と判断するには一体どれほどの
認識記憶領域をつかっているか分からない。

このことから、犬概念は、抽象⇔具体の相依関係を内に含んだ、やはり相対概念であり
具体例の複雑化でたえず境界がゆらいでいる概念である。とすると
これもまた単独で成立できない概念と言える。
734神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 15:57:53 ID:F90rVhxJ
>>732
馬鹿だろ。

アートマンが実体?
釈迦は無我だと説いてるのに、アートマンは実体だと言うのか?
概念としてのアートマンはあってもいいが、アートマンという実体はどこにもないぞ

お前は精神世界の概念と物理世界の概念を一緒だと言ってるんだぞ
梵我一如だと言ってるようなもんだ。

レベルが低すぎる。
735 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 16:02:02 ID:BnXVst0N
竜樹の非有非無の中道 15章10詩
 
生命が有りというのは常住に執著する偏見であり、
生命が無しというのは断滅を執する偏見である。
故に賢者は、生命が有りということと
生命が無しということに執著してはならない。
 
生命が有るのでもなく、生命が無いのでもない・・・
これが非有非無の中道である。
 
空の悟りは脳死状態に似ている(~~)
736神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 16:04:17 ID:F90rVhxJ
>>732が言ってることはオカルトだな

アートマンが実体とか、どんだけ馬鹿なんだよ・・・
737神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 16:08:08 ID:bKDE/qjF
>>736 だから、かまっちゃダメだと言っている。
対話が成り立つレベルに成長するまで、待つしかない。

犬と猫の相互依存を示せとか、もう完全に対話以前。
738神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 16:11:32 ID:F90rVhxJ
すまん・・・
事を荒げた俺も罪がありますね
申し訳ないです・・・
739 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 16:14:37 ID:BnXVst0N
>>733
具体的な犬は、抽象と具体の相互依存によって空になるのだろうか。
 
いま問題にしているのは、相互依存性・関係性があれば実体(自性)が
ないという >>725 の主張の正否である。

740神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 16:25:03 ID:M7WjGTj1
具体的な犬は、あくまで抽象的な犬の集合に入るから犬なのであり
また、抽象的な犬は、具体的な事象によってたえずゆらいでいるから
犬という概念そのものが実体としてあるわけではないということだよ。

犬とは何かととことんつきつめていけば、犬とは何か?という疑問に達せざるを得ない。
そもそも犬というものに本質などない。犬は経験的かつ直観的に判断される。
つまりは空。
741神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 16:41:26 ID:imWv5JjR
どんな物事であれ言葉で名前をもって呼ばれる物事は
それを構成する部分や要素に分解できる、逆に言えば
それらの部分や要素の集まりが曽野なめで呼ばれるところ
の物事だ。これが物事は縁起しているということで現代の
物理学でも定説となっている。独立自在の不変の実体を有する
物など何もない。すべての物事は素粒子の集合からなる物と
物の関係からなる。
742 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 16:54:03 ID:BnXVst0N
>>740
抽象と具体の関係は、認識を可能にする機能ではないだろうか。
縁起とは無関係であり、空とも無関係だろう。
 
また話の後半では、犬の本質を否定する理由が問題になる。
この問題については、『中論』2章、主体と作用で論じられている。
そこでは、経験的・直感的ではなく、論理的に追及されている。
743 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 16:58:46 ID:BnXVst0N
>>741
物質に関しては、E=mC^2により、その実体は<E>である。
生物については<生命>がその実体である。
744神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 17:25:13 ID:M7WjGTj1
空は、現実の物質(色)が常住の本体を持たないという
もの自体、というかものか、ものが空であると言う。
だが、それだけでなく、人間がものであると認識する、その認識に対しても
空であるとする。

このような現象がおこるのは、我々がものを見るとき、ここに決定的なズレがあり、
かといって、我々の認識のズレによって、我々が認識に裏切られることは
ほぼないと言っていいからである。

対象と認識と言った場合、我々は、対象は対象そのものに焦点を当て
認識は、対象に対する周囲との差異に焦点に当てていると思う。
科学とは、対象を周囲の同意により、不変のものと扱い、認識をやりとりするものであると思う。
簡単に言えば、記号論理である数学の、現実世界への応用が科学であると言える。
ここに決定的な問題があるのは、現実世界は記号のように名称と対象の一対一対応が
かならずしもうまく行かないということであろう。

対象と認識の両方、つまり対象がそれ自体で常住でない(対象の内的な空)ということだけでなく、
認識もまた、対象と、把握するすべてから焦点を限定していく態度を内包しており(対象に対する外的空)、ズレていると認識しないかぎり、空思想は虚無主義と混同されつづけるように思う。
745神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 17:31:50 ID:+v5pBow2
釈迦の見解は次の通り

1・・現象界、即ち認識可能域においてはアートマンなるものは存在しない。
(これは各種経典により疑問の余地なし)

2・・認識不能域においては、そのようなこと(つまり、アートマンがあるか否か)
を推測および議論すること自体が『おろかな考え』
『独断』であると激しい言葉により、排斥。

以上、1と2により
「釈迦がアートマンを説いた」とする説は全く論拠のないものであるとの結論に達する。

これにて、スレタイの疑問は決着。
746 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 17:39:10 ID:BnXVst0N
ときどきというか、繰り返しというか、
出典もなく「釈迦は無我だと説いてる」という主張が登場する。
 
それならなぜ竜樹は、アートマンを否定するために『中論』を書いたのか。
アートマンの有無が議論されていたからだろう。
 
18章6詩・・・もろもろのブッダは「我(アートマン)が有る」と仮説し、
「無我(アナートマン)である」とも説き、また「アートマンなるものは無く、
無我なるものも無い」とも説いた。
 
これで「釈迦は無我だと説いている」の意味がはっきりする。
じつは釈迦ではなく、
「<竜樹>が無我だと説いている」という話なのである。
747神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 17:43:14 ID:M7WjGTj1
だから有部だろ
748 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 17:48:19 ID:BnXVst0N
竜樹の非有非無の中道 15章10詩
 
生命が有りというのは常住に執著する偏見であり、
生命が無しというのは断滅を執する偏見である。
故に賢者は、生命が有りということと
生命が無しということに執著してはならない。
 
生命が有るのでもなく、生命が無いのでもない・・・
これが非有非無の中道である。
 
空の悟りは脳死状態に似ている(~~)
749神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 17:50:05 ID:+v5pBow2
「釈迦は無我などは説いてなくて」、無我を説いたのは龍樹?

もう一度、最初から仏教のお勉強をしてこようね。
750 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 18:01:13 ID:BnXVst0N
空の悟りは脳死状態に似ている(~~)
 
大乗においては、空は最高の境地であり、悟りと同義である。
修行僧は、空を体得し、空を見ることが目標なのだろう。
そんなことは不可能だと思うのだけど、そういうことらしい。
 
しかしその空は、判断停止の、脳死状態に似ている。
檀家にとっては、まったく有り難くない代物であり、尊くもない。
空に導かれる大乗は見事にひっくり返った。
751 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 18:08:27 ID:BnXVst0N
<妄想にはまった人たちへの薬>
 
ゼロ次元(黒)→二次元・言葉(黒・白)→三次元・空間(天然色)→四次元・時間(透明)
 
こうやって並べれば、言葉の役割や限界が見えてくるし、相関関係と因果関係の位置づけも
 
できるかもしれない。意外にも、相関関係のほうが因果関係よりも格下になっている。
752神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 18:11:31 ID:M7WjGTj1
なんで零次元から二次元にとんでいるのか

つっこみ待ってるの?
753神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 18:13:50 ID:aP0mt8x3
あぼーんしとけよ!!!
754 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 18:16:24 ID:BnXVst0N
>>751
その理由を自分で考えるといい。少し前進できる。
755机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/25(土) 18:28:27 ID:M9UCrcsi
仏教は四次元論ですね。
ですから因果関係より相関関係が優位にあります。
(これが縁起・空です)
t(時間)がxyztとなりますからね。
xyz→三次元
xyzt→四次元
756神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 18:28:55 ID:mdRQrrfl
中論の頌をざっと読んでみたが、竜樹の言いたいことは、現代的に言え
ば、結局は、原子と物質との関係ではないかな。物質は、原子の相互依存
的・関係的集合体だから、自性はない、ということ。物質の性質は、原
子自体の性質でもない。犬と猫も、原子の集合体であるから、初めから
自性はない。自性のないものを比較しても、無意味だということ。

竜樹によれば、主体が自性がないのだから、4苦もない。これだと、修
行も解脱も無意味だな。

さらに言えば、原子は、万物を流転する。

ものが「ない」などと言っているのではない。「ある」からこそ、その
存在の本質を追求しているのである。

「戯論をこえて破壊されない仏陀、戯論する人々は、すべて戯論によって
害せられて、仏陀を見ることができない。」
「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である。如来の無
自性の性格が、そのまま生類の無自性である。」
757 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 18:29:09 ID:BnXVst0N
坊主には二種類のタイプがある。
 
1 小難しい顔をしている横柄で尊大な坊主
  まるで蛇に咬まれたようである。
 
2 困った顔をしている親切そうな坊主
  たぶん空の悟り=脳死状態に納得できないのだろう。
758神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 18:40:39 ID:+v5pBow2
これは、また懐かしいコテの登場ですな。

お帰りなさい、机氏。(
759 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 18:40:47 ID:BnXVst0N
>>755 机龍之介氏
>仏教は四次元論ですね。
>ですから因果関係より相関関係が優位にあります。
 
赤いアートマンさん、しばらくぶりですね。
いまは正反対の主張ですが、いずれ転向することになるでしょう。
760 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 18:48:20 ID:BnXVst0N
>>756 
>竜樹によれば、主体が自性がないのだから、4苦もない。これだと、修
>行も解脱も無意味だな。
 
主体が存在しないのだから、
解脱も輪廻もニルヴァーナも如来もない。
これこそ道元の眼横鼻直であり、煩悩即菩提であり、
人間は最初から悟っているという退廃のきわみ、恥ずべき虚無主義。
761旧7:2009/07/25(土) 18:49:48 ID:z/MFBaZP
さて・・・
宝珠(やカラス)は、自分達の立場が、前シリーズと今シリーズとで、
まるで鏡像の如く入れ替わっていることに気付いているだろうか・・・。
762机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/25(土) 19:04:52 ID:M9UCrcsi
>>758
アクセス規制で、暫く書込みが不可だったのでつよw
>>759
私は根拠があって書込みしとるんですよ(笑

因果は必然でなく偶然ですから、法(普遍)には成り得んのです。
(これが釈尊が悟った四次元論なんですね)
縁起は偶然ではない・・・だから法として空と言うとるんです。
763神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 19:15:19 ID:F90rVhxJ
◆xQ2N4RcE0E

こういう勉強が中途半端というか、元々頭が悪い人間が仏教を知ったような錯覚をして

オウムのポアの思想とか、スピリチュアリズムを作り出しちゃうんだよ

空観を間違って理解した人間が行き着くところは、「殺人の肯定」だ

こういうやつが一番危ない
764 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 19:27:31 ID:BnXVst0N
世尊の説いた、苦集滅道、十二支縁起は因果関係ですね。
法になりえない偶然なら、世尊はなぜ説いたのでしょうか。
 
竜樹の縁起は、相関関係であり、静止画のようなものでしょう。
だからむしろ、偶然の積み重ねが竜樹ではないですか。
必然の喪失、縁起が単なる偶然に退行している。
765神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 19:31:35 ID:Ifpd/Mb5
>>762
>因果は必然でなく偶然ですから、法(普遍)には成り得んのです。
因果律は必然の法則だね。
>縁起は偶然ではない・・・だから法として空と言うとるんです。
縁起は偶然ではなく確率的因果律だね。
シュレーディンガーの確率状態方程式と同じ思想だね。
766神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 19:38:14 ID:Ifpd/Mb5
ブッダの因果律は此縁性で判別される因果だね。
因果必然でもなくそこに条件としての縁が含まれる。
現在の哲学なら確率的因果論に分類される。
そしてそれは科学的実在論の立場でもある。
767 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 19:39:21 ID:BnXVst0N
>>763
君の主張にはまったく根拠がない。
君のようなカキコが、名誉毀損の罪になるのだろうと思う。
ネットでも、言っていいこと悪いことがある。
768神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 19:39:47 ID:Ifpd/Mb5
確率的因果論は確率的決定論でもある。
769神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 19:52:35 ID:Ifpd/Mb5
>>735
中論15−10
<有り>というのは常住に執着する偏見であり、<無し>というのは
断滅を執する偏見である。ゆえに賢者は<有りということ>と<無し
ということ>に執着してはならない。(龍樹 中村元著 講談社学術文庫)
770神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 20:03:29 ID:+v5pBow2
>>767 自分が他人を罵倒するのは、構わないが
他人が自分を罵倒するのは許さないってか。

随分、勝手な理屈だな。
771 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/25(土) 20:06:49 ID:BnXVst0N
>>770
具体的にどこで相手を罵倒している?
772神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 20:07:43 ID:yGAhDmMZ
>>770
ほっとき
773神も仏も名無しさん:2009/07/25(土) 20:20:33 ID:+v5pBow2
>>772 そだね、相手にしてもスレ汚しにしかならんね。
774机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/25(土) 20:53:00 ID:M9UCrcsi
>>764
>世尊の説いた、苦集滅道、十二支縁起は因果関係ですね。

そうですね。
因果関係で世俗諦ですね。
第一義空諦になりますと、無苦集滅道となります。

>法になりえない偶然なら、世尊はなぜ説いたのでしょうか。

世俗諦でなければ説法は至難だからです。

>だからむしろ、偶然の積み重ねが竜樹ではないですか。

偶然といいますのは積み重ならないですね。
xyztですから、xyzという“相関関係”においてtはあるんです。
(tは普遍ではない。ってことを釈尊は悟っておりました)

便宜上において時間tというのがあるだけです。
(この便宜上においてあることを・・・世俗諦といいますね)

まあ、おいおい語ちてまいりまふ。
では、おやすみ^m^
775宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/25(土) 23:58:13 ID:SIpu8cJh
>>755>>762>>774
机さん、復活おめでとうございます^^
大変、ご無沙汰でしたm(__)m やっぱり規制だったんですね-ホント長かったですねぇ。
時折、もし机さんだったら、たぶんこんな投稿をするんだろう?・・
などと想うこともありましたよw

机さんの再投稿で、
またまた、更に面倒なことになるのでしょうかねwww
776宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 00:00:01 ID:iopT6Ryp
>>761
はぃ、ご指摘に感謝です!!
もちろん、私は分ってやってるのですよぉ(ご心配には及ばす)^^

では、ここで
この当シリーズの存在意義について説明しておきます(笑)

前シリーズは、業報輪廻の肯定論を私は説きました。
それは伝統解釈と合致したものであり、
それに否定する異端派と相対して議論するという図式なのでした。
従って、それは仏典の説く記述を最大根拠としました。

しかし、今シリーズというのは違う。
これは無我説の「アートマンはない」解釈に対する私の否定論です。
それは伝統解釈と相対して議論する図式なのであり、
従って、今度は仏典における解釈の間違いについて論じようとするものです。
ただ経典の記述があまりにも曖昧なために難儀するのです。

元々、当シリーズはすべて、
伝統仏教の正しさを証明しようとするためのものではありません。
これは伝統解釈を全面肯定する立場の方はそのように論証すべきであり、
仏教の異端派はまたそのように論じるべきであり、
外教(すなわち仏教枠外)から仏教徒の間違いについて述べたい側はそうすべきである、
というものです。

どう?
なかなかスリリングでチャーミングで面白いでしょう??
ま〜以上は、私自身の立場としてですけどねぇ^^
777宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 00:22:47 ID:iopT6Ryp
>>745
私は、
あなたのこの意見には反論はありません。

もしも、如いていうならば、
ゴータマは確かに、(私の知る範囲では)「アートマンがある」とは説かれなかったが、
しかし、涅槃とは永遠であり、永遠なる仏陀の自己意識を示唆できることを随所に臭わせた。
という見方は可能だと思うわけです。そうしないと矛盾する事柄が随所に出てくると。
その矛盾について、この私は論じています。

まっ尤も、
論じるそのものに無価値の烙印を押されれば、
もう、それで話は終わりなのですが・・w
しかし最低でも、「アートマンはないと説いた」はないだろうと!
778旧7:2009/07/26(日) 00:50:52 ID:lzrqwea4
>>777
「文言上は非我であり、文脈上(或いは認識上)は無我である」
というのが伝統解釈(の構図)だと思うよ。

「文脈上も非我」であり、且つ「(認識可能なものとして)我の在所を示し得」れば、貴方方の勝ちだw
(それは、「文献上」でも構わないし「追体験」によるものでも構わないだろう・・。)



おやすみw  ノシ
779神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 00:55:27 ID:mHpLoCMR
そもそもスレタイがおかしいと思うんだが・・・

@仏陀はアートマンが有ると説いた
A仏陀はアートマンについて説いた、説明した

2つの意味でとれるから、わかりにくい

まずそこをきっちりしてほしい
780神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 00:56:11 ID:GwIuHLo7
>>776
> これは無我説の「アートマンはない」解釈に対する私の否定論です。
> それは伝統解釈と相対して議論する図式なのであり、
> 従って、今度は仏典における解釈の間違いについて論じようとするものです。

旧7が言っているのは「仏典に従わないなら仏教やめれば?」みたいに言っていた
あなたの態度のことですよ。

> これは伝統解釈を全面肯定する立場の方はそのように論証すべきであり、
> 仏教の異端派はまたそのように論じるべきであり、
> 外教(すなわち仏教枠外)から仏教徒の間違いについて述べたい側はそうすべきである、
> というものです。

外教はやめてください。
仏陀の発言をめぐる議論であるべき、このスレの趣旨とは異なると思います。
大体「私が仏陀の生まれ代わりなんだから、私がアートマンがあるといったらあるんだ」
とか言い始めたらどうにもなりません。新興宗教はお断りです。
781神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 01:45:57 ID:T37cOOCs
>外教(すなわち仏教枠外)から仏教徒の間違いについて述べたい側はそうすべきである

例えば、キリスト教徒が「絶対なる神の存在を信じない仏教は話にならない。」
と、このような批判を加えても仏教徒にすれば、余計なお世話だ。
他教への批判がこれまで多くの悲劇を生んできたことをしらないわけでは
あるまい。
「神智学的に解釈すると・・・・・・・」
「キリスト教の見地に立ってみれば・・・・」
これらは、全く意味がない。自己の信じる宗教の教義について語りたければ
そのスレで語れば良いだけのこと。
782宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:06:16 ID:iopT6Ryp
>>780
>旧7が言っているのは「仏典に従わないなら仏教やめれば?」
>みたいに言っていたあなたの態度のことですよ。

 キツイ言い方かもしれませんが、別に悪意はありませよ。この私は伝統解釈には従わ
ないから仏教徒を自認しませんね。
 つまり、伝統解釈に従わない者は「異端派」か(これ自体が伝統信徒の立場からは外
道認定の筈です)、もしくは、自称仏教徒とはいえないでしょう。違いますか?
 そんな発言程度で、この私をアレコレいうのであれば、この私にはこれまで一体、どん
な発言がされてきたでしょうか??

>外教はやめてください。
>仏陀の発言をめぐる議論であるべき、このスレの趣旨とは異なると思います。

 もちろん、「仏教」について論じているのです。ただこのスレでは伝統解釈を絶対視し、
そこに甘んじるのは辞めるべきです。教えと理解の正当性は議論による論証によって
なされるべきです。伝統教理の正しさの主張はあなたからの説明によってして下さい。
伝統論者は、無知や懐疑論者からくる質問にはしっかりと説明する義務があります。

>大体「私が仏陀の生まれ代わりなんだから、私がアートマンがあるといったらあるんだ」
>とか言い始めたらどうにもなりません。

 どうしようもなくないですよ。ゴータマがその意志を示した記録など皆無なのですから。
これは私が説明したものです。勝手に自分が仏陀の生まれ変わりをいうことなどは誰に
でもできることです(事実、精神科とか行けばいますから)。見てるこちらが恥ずかしい。
 普通は、恥ずかしいから自分からはしないだけです(精神を疑われる)。稀に信徒から
仏陀の生まれかりなどと讃えられる教主は現れていますが・・。

*伝統信徒だけによる内輪だけの井戸端会議をしたい人には、すでにそういうスレがあり
ます。しかし、それでは無意味でしょう。
 基本的には誰にでも参加資格はあります。ただし、スレ題に沿ったテーマで仏教につい
て論じる目的であればです。
783宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:10:04 ID:iopT6Ryp
>>708
>現象界に常駐するアートマン「のみ」を否定しているという「限定」がどの経典にありますか?
>それともあなたの想像にすぎないのですか?

 バラモンの説くアートマンは現象界を超越した存在です。ゴータマはそれを「ない」と
いったのではなく、「それら五蘊はアートマンではない、またその外にも知覚されない」
と説いたのだと思います。
 そして、ゴータマの説いたアートマンに対する「常住」の否定意とは、この現象界につ
いて限定される話であるとして理解します。
 経を特定して欲しいということなので・・では、そのことを示す経文についてはこれか
ら特定できるよう努めてみます。
784宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:12:37 ID:iopT6Ryp
>>779
エーと大変、良い視点です!www
実に私は、わざといろいろと受け取れるような、
複雑な思いを過ぎるように逢えてこのタイトルにしたのです。

「エッーーー!!説いたって?」
「いや、そんな筈はないよ。説かないよ絶対!」
「違う違うよ。アートマンについては述べたが、“ある”とはいってないのだよ」
「いや、私は説いたと思うな。ないとオカシイしさ・・」
「そうじゃないって!“ない”と説いたんだってば!!」

って感じで
スグに議論の意欲をソソるでしょ ( ̄ー ̄)ニヤリッ
えっ、ソソらない??

タイトルそのものが、
肯定意なのか疑問意なのか・・どっちなのか?という微妙さを出したかったw
ごめ〜ん!これはこの私の恥ずかしいセンスによるものです ( ´Д`)
785宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:17:59 ID:iopT6Ryp
補足:
>>782
>この私にはこれまで一体、どんな発言がされてきたでしょうか??

は、「旧7氏によって」という意味合いではありません。
------------------------------------------------------------------
>>712
>低我と真我がひとつになるというのですか?

 つまり、唯一者である真我だけになるのです。低我とは低級性質/煩悩についての
表現であるので、それが整えられて最終的に完全なるコントロール下に成功した際に
は、パーソナリティーとしては肉体と清浄化した各諸体となり、結果的には低我として
は消滅したに等しくなって、魂は真我に引き上げられて融合する。
 そして各諸体は無余涅槃に至っては、それぞれの時間に応じて分解されて消滅して、
最終的には真我だけが残るのです。

>神智学の思想は知っています。が、あなた自身の思想は完全に二元論です。
>概念として不二一元論的なニュアンスがたまに出るだけで、真我と低我、真実を知る
>ものと知らないもの、といった二項対立的な思考形式しか今のところ出てきていません。

 それは理論の視点の置き方とアプローチでどうにでも説け、また解すことが可能なの
です。ただ「低我」という場合には、これは自覚できる消滅されるべき自己であり、また
「真我」は立ち顕れるべき無自覚の自己であるとして明確に区別される必要があります。
そうでないと、真我の意味を理解しないことになるからです。
786宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:22:29 ID:iopT6Ryp
 いいでしょうか?唯一者と見なす「一元性」とは勝義であり(その次元に視点を置いて
述べている)、これは解脱を果たした結果としての状態を指すのです。対する「二元性」
とは、現在の我々の状況をそのまま表したものであり、解脱への道程というものはすべ
て、この低我側に視点を置いたアプローチと表現であるとして理解する必要があります。
 二元性を現じているこの我々が如何にして、一元性の本質へと回帰できるのかは、必
ず低我からの視点で述べられるのです。勝義は理論として理解するものであり(そして、
それだけ)、現実の実際における実践面では、あくまでも低我の二元性の視点から語ら
れるのです(私は無意味なことは嫌いなのですよ)。
 現在、インドの哲学者はシャンカラ思想の伝統に属する学者たちであり、彼らは一様に
「われわれが経験している領域においては二元対立がある。しかし絶対の境地において
は不二、分けられていない一元である」として説きます。
 これ以上はどうか、ご自分で一元論と二元論の関係について確認して下さい。

>「これらは当然なされた」の「当然」の意味を聞いているのです。
>どこがどう当然なのですか?何度も聞かなくては答えに行き着かないのは大変に疲れます。

 この私に、文法の説明まで解説しろとでもいうのですか?しかもパーリの??
同一単語が、その他の語との前後配列や結び付きでその意図する使われ方が変化して
いくというのは、ごく当たり前ではないのですか?英語でも何でも・・(私には旨く説明がで
きない)。
 ま〜認めたくない気持ちは理解はしますが・・しかし、決定打に欠けるのは私の側の不備
ですから、できればもっと、決定的な根拠が示せるようにしたいところです。
787宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:26:33 ID:iopT6Ryp
 低我と真我の二種の自己を立てるのはバラモン/ヒンドゥーだ、として見なしているかもし
れませんが、バラモン/ヒンドゥーでも同様、基本的には同じ「アートマン」という概念の中で
論じているのです。
 『自己すなわちアートマンを根源的な自我すなわち絶対者と同一視し、それをただアート
マンと呼ぶこともある』『個人存在の主体としての自己と絶対者としての本来の自己との間
に密接な連絡があると考えて、そのいずれをもアートマンと呼んだのである』『やはり両者と
もに「アートマン」(我)、という一つの類概念の中に包摂さるべきものであると考えていた』
(下記、転載文から)---ということからすれば、仏典中において「アッタン/アートマン」の同
一語で記述していたことも、ただの伝統表現であるのかもしれません。

 『インドで最も有力であった思想潮流、すなわちウパニシャッドからヴェーダーンタ哲学、
ヒンドゥー教にいたる系統においては、自己すなわちアートマンを根源的な自我すなわち
絶対者と同一視し、それをただアートマンと呼ぶこともあるが、また限定を付して「最高我」
(parama^tman)と称することもある。すなわち、これらのインド人は、個人存在の主体とし
ての自己と絶対者としての本来の自己との間に密接な連絡があると考えて、そのいずれを
もアートマンと呼んだのであるが、ときには両者を区別して全者を「個我」(Jiva^tman)、後
者を「最高我」(parama^tman)と呼んだのである。しかしそれにしても、やはり両者ともに
「アートマン」(我)、という一つの類概念の中に包摂さるべきものであると考えていたことに
は変わりない。』(中村 元著『自己の探求』青土社刊)

>>713
>実は二つ意味合いがあるというのは何故ですか?
>何故、「もう一つは」があるのですか?
>あなたは「真我について釈迦は説いたとは主張しない」のではなかったのですか?

 そのものズバリが書かれてなくても(ごく自然な当たり前としての)理解の問題だと思いま
すよ。今回、投稿したばかりの経文はいいと思います。『この心は清浄である。しかし、これ
は本来的なものではない煩悩によって汚染されている。』(『増支部経』I)>>578
788宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:30:46 ID:iopT6Ryp
 バラモンの「常楽我浄」に対して、仏教では「無常、苦、無我、穢(不浄)」の四念処を説い
たといういい方がありますが、私から見れば、これは相反するものではない。ここで「浄」に
対する仏教の「不浄」観も、こうしてみると「本来は清浄である」という意味であったことが理
解されます。この“本来は清浄”という性質は明らかに真我の特質そのものなのです。文字
通りに書かれてなくても、十分に“理解”が可能です。

>テキストの解釈に疑問があるから疑義を挟むのです。
>神智学を前提に「仏典」にもこの記述があった、と探していくような読み方は、
>仏典をありのままに読む姿からは遠く隔たっているからです。曲解やコジツケの類だからです。
>仏典の外部から概念をもってきて仏典に当てはめるのではなく、
>仏典の内部からそれらの概念を引き出すのでなければ
>「強引」な読み方と言われても仕方のないことなのです。

 すみません・・・。
何故ならば、仏教の伝統解釈は疑問の疑問・・。不審の不審だらけたからです。

 では、それを簡単に示してみましょうか?
あなた方は涅槃は場所のことではない。状態だといいましたね。当然のことですよね!で
は、それは何の状態のことですか?肉体が勝手に涅槃に到達しますか?
 違います。これは意識の状態が涅槃にあるということですよね!ここまでは異論なしです
か?では、肉体を失った後の無余涅槃ではどうなのです??涅槃に到達した意識が勝手
に消滅して断滅するのですか?こういうと今度はあなた方、伝統解釈側の多くは「無記」だ
として返答を辞めてしまいます。つまり、こうしてすべての返答を曖昧にして、肝心な部分に
なると無記と言い出すのです。

 恐らくこれまでも、インドにおいては仏教徒らとバラモン/ヒンドゥー教徒の間の議論が随
所で繰り返し起こった筈です。きっとこのような同じ問いに対して、これらの不可知論的な
姿勢を仏教徒らは取り続けたのでしょう。
 目指すべきゴールには自己が無いなどと語っていたら、そんなものは無価値で「空(から)
っぽ」だと相手にされなくなるでしょう。その態度の末に支持を失いインド仏教は消滅したの
ですよ。
789宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:36:34 ID:iopT6Ryp
 伝統解釈では縁起で涅槃に至るという。それ自体はそのものは正しいでしょう。しかし、
縁起とは無常な現象界についての性質を教えたものの筈です。物質界の事物には実体は
ないから、実体のないものには価値がないものには執着するなと。であれば、涅槃も無常
なら無意味でしょう。もし価値があるならば、それは無常ではなく永遠の境地に決まってい
ます。

 あなた方からみれば、恐らくこの私は外敵であり、平穏に過ごしてきたこの伝統の教えに
対し、ただ突然イチャモンをつけて絡んできたチンピラのようなものでしょう。しかし、私の側
としては、本当は親しむべき同類同胞として近づいているのです(本当の真意は)。

>>717
>阿頼耶識は有為法であなたの言う現象界であることを承知してそれが
>アートマンといってるのですか? 作られたものが我(アートマン)
>であるわけ無いといってなかったか?

 「真我は魂を反映しており、転生が止めば不要となって真我へと吸収されて消滅するので
す。」>>559
 これは私の理解なのです。「真我」がバラモンの説くアートマンであり、神智学のモナドです。
「魂」は阿頼耶識に相当し、輪廻転生の続く間だけの有為存在です。ゴータマは、「五蘊(心
理作用含め)は、アートマン(真我)ではない。五蘊の外にもアートマン(真我)を客観的に捉
えられない。故に、アートマン(真我)ではないものを自己と同一認することなかれ!」といった
のだと、私は理解します。これが非我の真意であると。

 ここに、石飛道子氏のBBSから一部を紹介します。

 『『これ我がものにあらず。これ我にあらず。これわが我(アートマン)にあらず。』と、このよ
うに正しき智慧をもって、あるがままにこれを見なければならぬ。比丘たちよ、耳について言
うも同じである。鼻について言うも同じである。舌について言うも同じである。身について言う
も同じであり、また、意について言うも同じである。」(サンユッタニカーヤ 35:1、増谷訳)
790宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 02:39:15 ID:iopT6Ryp
 35-1ですね。これは、増谷先生の訳の通りです。anattan(無我、我ならざるもの)の語は、
ブッダも使います。ブッダの教えの中で重要な用語です。これは、「主語+述語」の文の、
述語に置かれます。「苦であるものは、我ならざるものである(=我ではない)」ということで、
「無我」は「我がない」という意味ではありません。「我ではない」という意味です。
 ブッダの教説の中では、attanが主語におかれて「我がない」とか「我がある」とかいう文は
作ることはできないのです。『ブッダ論理学』の【難問5】にあります。彼の教説は、生じ滅す
るものだけを扱うからです。しかし、生じ滅する「色」が、我ならざるものであることは、述べる
ことができます。述語には、規定はありません。だから、「無我(我ならざるもの)」という言葉
も出てきます。
 ただ、いつの頃からか「無我(anattan)」に「我がない」という意味が混入してきますね。
(部派時代頃かな)これは、経典を作りかえたとかそういうことではなくて、解釈として、この
ような解釈が入ってくるということです。』
http://homepage1.nifty.com/manikana/keijiban/25uii24880.html

 私にはパーリの原語文法など分りませんが、ご先生のこの解説は重要かと。真言氏、絶
賛推奨の女史は無我ではなく、「非我」論者であるということが明確な記述です。
 本来は、「我ではない」という意味でしかなかったものが、後代に「我はない」となって、そ
れが混入していったことを示唆するものであり、中村氏のこの主張を補足するものです。
791神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 02:51:49 ID:T37cOOCs
つまり、ブッダの言わんとするところは、まず、自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、
二つには、自己には常住不変の実体があるとみなすこと、三つには自己の本質というものがある
とみること、これらを否定することが非我の内容であると説きます。

(中村元、中村元・田辺祥二著『ブッダの人と思想』、NHKブックス、95頁)
792神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 03:03:10 ID:T37cOOCs
中村元氏は、『非我』の内容をはっきりと>>791のように
解説しているな。

二つには・・・・
三つには・・・・・

このところは、かなり明確なアートマンも否定のように読めるが
中村氏は、それをもって『非我』の定義としたようだな。
793宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 03:09:17 ID:iopT6Ryp
>>790つづき

 『したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。「無我」という語は誤解をひき
起し易い。初期の仏教においては決して「アートマンが存在しない」とは説いていない。むしろ
ウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するのである。--中略--ところで散文の
部分で強調されている思想を受けて、後世になると遂に『アートマンは存在しない』という意味
の無我説が確立するに至った。』(中村元著『自我と無我』平楽寺書店刊)。』

 『仏教は無我説を立てることで有名であるが、その思想内容は歴史的にかなりな変遷があ
る。それにともない「諸法無我」の解釈にも変化がみられる。--中略--当初の「諸法無我」は、
無執着の立場から、「すべての事物は我(自己)ではない」と説かれたものである。したがっ
て無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。』
(インド思想史略説/第2節-原始仏教の教理)
794神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 03:17:13 ID:T37cOOCs
>したがっ
て無我(我がない)説というよりは非我(我ではない)説であった。

なるほど、その『非我説』の内容が、中村氏によると
>>791  のようになるわけですな。
795神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 03:30:34 ID:K5XYa090
>>793
君やカラス氏のように、佛教を自分の信じるキリスト教や神智学に合致
させようという「言外の意図・底意(ulterior purpose)」に基づく
議論や「他者の見解の利用」は、「佛教の議論」とはいえないから、問
題外。
796神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 03:45:02 ID:K5XYa090
>>793
釈迦の教えの中心は、「執着を去る」ことであるのに、肝心の自己
(アートマン)に執着しているのでは、初めから佛教ではない。
単なる「エゴの行為」「唯一絶対神の信仰」に過ぎないではないか。
797宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 04:43:36 ID:iopT6Ryp
>>796
>肝心の自己(アートマン)に執着しているのでは、初めから佛教ではない。

執着とは意識と姿勢の在り方の問題のことです。
(真実の)自己の求めることそのものは推奨されるべきものです。
『婦女を尋ねることよりも、自己を尋ねることのほうが勝れている。』(AN.Wp.113;DN.V.p.252.)
財物を盗まれて遊女を探し回る若者たちに、
ゴータマはこう教え諭して悟りへ導いたといわれています。
------------------------
>>709
ありがとうございます-資料の提出は大歓迎です^^

>「我という実体は認められない」

「存在しない」「無い」ではなく、「客観的には捉えられない」という意味だと思います。

>ありともなしとも断定を控えるという無我の立場を強調し、

それは、ゴータマの確かに示した姿勢だと認めます。

>存在は、縁起によって起こるものであると説いた。

それは現象界の性質のことであり、アートマンはそれを超越した概念です。
798宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 04:44:59 ID:iopT6Ryp
>>710>>791
>自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、

異議なし。

>自己には常住不変の実体があるとみなすこと、

現象界の性質は無常であり、そこには常住不変の実体はないと解します。

>自己の本質というものがあるとみること、

この現象界には自己の本質はないと解します。

>>794
もしかすると中村氏自身が混乱、
混同していた時期もあったのではないかと私は推察しています・・。

如何に判断が分り難い経文の表現であるかということです。
常識的には、最も理解してもいい筈の多聞第一(及び記憶力随一とも)の
アーナンダが混乱していたともいわれていることにもそれは顕れています。

>>711
ダライ・ラマ法王は“典型的”な無我論者(涅槃にもどこにもアートマンはない)のようです。
以前に、『智慧の眼をひらく』(春秋社刊)について私は取り上げています。
799神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 05:10:13 ID:GwIuHLo7
>>782
> >旧7が言っているのは「仏典に従わないなら仏教やめれば?」
> >みたいに言っていたあなたの態度のことですよ。
>  キツイ言い方かもしれませんが、別に悪意はありませよ。この私は伝統解釈には従わ
> ないから仏教徒を自認しませんね。

最初「仏典に従わないなて仏教やめれば?」と言ってる時は、ゴータマの弟子のような顔をして
人を非難する。そして立場が変れば「別に仏教徒じゃないし」という。
こういう部分が二枚舌と言われるのではないかと。
実際に自分がやっていることを認識しないから、人から言われるのだと思いますよ。
私も2ちゃん歴はそこそこですが、あなた程多くの人から二枚舌と指摘されている人を
見たことは今までありませんでした。

> >外教はやめてください。
> >仏陀の発言をめぐる議論であるべき、このスレの趣旨とは異なると思います。
>  もちろん、「仏教」について論じているのです。ただこのスレでは伝統解釈を絶対視し、
> そこに甘んじるのは辞めるべきです。教えと理解の正当性は議論による論証によって
> なされるべきです。伝統教理の正しさの主張はあなたからの説明によってして下さい。
> 伝統論者は、無知や懐疑論者からくる質問にはしっかりと説明する義務があります。

無駄に繰り返させないでいただきたいのですが、
別に伝統解釈を絶対視しなくても構いませんが、外教はやめてください。
このスレの趣旨は仏陀の発言をめぐる議論であるべきであって、そこに外教は関係ありません。

> これは私が説明したものです。勝手に自分が仏陀の生まれ変わりをいうことなどは誰に
> でもできることです(事実、精神科とか行けばいますから)。見てるこちらが恥ずかしい。

同様に仏典に書いてないことを「仏典の記述にそう書いてあっても、
方便として書かれているだけだ。そしてこれが方便であるということが仏典に書かれるはずはない」
といって、自説を仏説であるかのように展開することも、誰にでもできることです。
見てるこちらが恥ずかしいので、二度とやらないでいただきたい。
800神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 05:12:34 ID:GwIuHLo7
>>783
> >現象界に常駐するアートマン「のみ」を否定しているという「限定」がどの経典にありますか?
> >それともあなたの想像にすぎないのですか?
>  経を特定して欲しいということなので・・では、そのことを示す経文についてはこれか
> ら特定できるよう努めてみます。

つまり、根拠はなく想像にすぎないということですから、今後は根拠を提示するか、
少なくとも自説にすぎないという但し書きをつけて書き込むようにしてください。
いちいち質問する手間とスレの消費が抑えられますから。
801神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 05:27:04 ID:GwIuHLo7
>>785
> >低我と真我がひとつになるというのですか?
>  つまり、唯一者である真我だけになるのです。

結局私の書いた通りでしたね。
宝珠解釈では、低我と真我があり、低我が消滅し、真我が残る。
低我と真我がひとつになるわけではないということです。

>>786
ここで二元論というのはアナタの言うように見方によってどうこうという話ではなく、
あなたの見方が二元論だといっているのです。前にもそう書いたのですがね。
後ほどまた書きましょう。

> >「これらは当然なされた」の「当然」の意味を聞いているのです。
> >どこがどう当然なのですか?何度も聞かなくては答えに行き着かないのは大変に疲れます。
>
>  この私に、文法の説明まで解説しろとでもいうのですか?しかもパーリの??

それは当然であることの理由を知らない当方には量りかねることです。
文法説明によって「当然」であると初めていえることならそれが必要になるでしょう。

> 同一単語が、その他の語との前後配列や結び付きでその意図する使われ方が変化して
> いくというのは、ごく当たり前ではないのですか?英語でも何でも・・(私には旨く説明がで
> きない)。

それは当然ですが、この場合「アートマン」と認識されるほどの差異なのかどうかという話をしているわけです。
非常に基本的な質問なのですが、この質問の意味と重要性も分らないのでしょうか?

「この私に」「しかもパーリ語の?」などと言って、さもこちらの要求が過大であるかのようなイメージ工作をしていますが、
要するに説明できないことを正当化したいだけでしょう?
まー、自分がテキトーなことを書いたということを認めたくない気持ちも分りますが・・・
802宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 05:49:22 ID:iopT6Ryp
>>799
>最初「仏典に従わないなて仏教やめれば?」と言ってる時は、
>ゴータマの弟子のような顔をして人を非難する。
>そして立場が変れば「別に仏教徒じゃないし」という。

 私は元々からして、伝統仏教者を正しいゴータマ思想の解釈者たちであるとは
見なしていません(キリスト教徒も同様であり、イエスの教えに従わず最も遠く離れ
た人たちです)。
 また、私は1度たりとも、自分が仏教徒であると述べたことはありません(過去ロ
グすべてにおいて絶対にない!)。この私の摂る姿勢は常に当初から一貫したも
のであって、これまでも変更したことではありません。

>別に伝統解釈を絶対視しなくても構いませんが、外教はやめてください。
>このスレの趣旨は仏陀の発言をめぐる議論であるべきであって、
>そこに外教は関係ありません。

 別にあなたのためではなくて、閲覧者の理解が容易となるよう意図した私からの
説明なのでしたが、もういいです・・。以降〜なるべく控えます。

>といって、自説を仏説であるかのように展開することも、誰にでもできることです。

 では、あなたがいっていることは、仏典中で自ら間違いを告白してない限りは、その
間違いを決して証明できないことになりますね。まるで原理主義の典型姿勢そのもの
ですよ。
803宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 05:50:17 ID:iopT6Ryp
>>800
>つまり、根拠はなく想像にすぎないということですから、今後は根拠を提示するか、
>少なくとも自説にすぎないという但し書きをつけて書き込むようにしてください。
>いちいち質問する手間とスレの消費が抑えられますから。

 こっちはこれでも下出に回って遠慮してるのです。本来であれば、無我を説く殆どの
経文が現象界について述べているものだと読むことができるものですよ。私はこれまで
も何度も経文を提示していました。それ以上の明確性がないのはわたしのせいではなく、
仏典そのものの性質によるものです。
 はい、更に良い経文が見つかったら提示します。

 では、逆に「無為/涅槃境においてもアートマンはない」と明確に記された経文をご存知
であれば、それを提示してもらえるのですか?
 逆質問は禁止でしたか??
804神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 05:54:11 ID:GwIuHLo7
>>787
>  そのものズバリが書かれてなくても(ごく自然な当たり前としての)理解の問題だと思いま
> すよ。今回、投稿したばかりの経文はいいと思います。『この心は清浄である。しかし、これ
> は本来的なものではない煩悩によって汚染されている。』(『増支部経』I)>>578

宝珠解釈が二元論だというのは、真我と低我が「最初から二つある」ということと、
真我と低我は決して交わったり互いに影響を与え合ったりしないという思想を持っているからです。

この経文では「清浄な心は汚染されている」ということを言っていますが、
汚染されることがない真我の話とは、微妙にニュアンスが違うように思います。

しばしば指摘されていますが、涅槃と真我とはそもそも違うように思えてならないわけです。
>>599に対しても、結局涅槃はアートマンではないということに対して反論は為されていません。

一旦涅槃に到達してしまえば、二度と煩悩に汚染されることはないかもしれませんが、
涅槃に到達する以前は、将来的に涅槃に至るであろう「心自体」が汚染されている、
というのが私の解釈です。

その意味で、真我と低我という考え方のような二元論とは違うと思います。
805神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 05:59:48 ID:GwIuHLo7
>>787
> >あなたは「真我について釈迦は説いたとは主張しない」のではなかったのですか?
>  そのものズバリが書かれてなくても(ごく自然な当たり前としての)理解の問題だと思いま
> すよ。今回、投稿したばかりの経文はいいと思います。『この心は清浄である。しかし、これ
> は本来的なものではない煩悩によって汚染されている。』(『増支部経』I)>>578

どう読み返してみても、あなたは真我について説かれているという前提をもって、>>713を書いています。
表向きでは「真我について釈迦は説いたとは主張しない」と言いながら、実は「説いた説いた」と内部で確信している
という裏に隠れたやり方になっているように思えます。

本当に真摯に向き合うのであれば、先に増支部経の清浄なる心の話の検討からしなくてはならないのに、
それを「前提」に「真我の実現がもうひとつの目的です」みたいな書き方をするのは、
「真我について説いたと主張しない」と一方でいいながら
「でも言ってるよね〜」という態度をとっていることになります。
806神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:08:32 ID:GwIuHLo7
>>798
> >自己の本質というものがあるとみること、
> この現象界には自己の本質はないと解します。

原文にない「現象界には」という限定を勝手に追加して、自分の解釈に引き寄せるのは
いかがなものでしょうか。
追加すれば、どんな風にでも解釈を変更できるのです。

私は殺人をしました。「夢の中で」。と言うようなものです。
自分に都合のいいような勝手な追加はやめましょう。

> >>794
> もしかすると中村氏自身が混乱、
> 混同していた時期もあったのではないかと私は推察しています・・。

あなたの引用部分について人が「もしかすると中村氏も混乱していたんじゃ・・」と書いたら、
あなたはきっと「まぁ、認めたくない気持ちも分らなくもないですが・・・キビシイようですが・・・」と
書くと思いますよ。
今度はあなたがそう言われる番ということです。

> 如何に判断が分り難い経文の表現であるかということです。

いや、それは混同していた場合の話であって、そうでなければスッキリしたものでしょう。
アートマンを主張する解釈をしたい人にとっては、そのための判断がワカリにくくなったかもしれませんが。
807一在家:2009/07/26(日) 06:08:58 ID:ZrAO4cZX
法華経「方便品第二」より、「人は仏となりうる」という説法を
中心に紹介します。

有佛子心浄 柔軟亦利根 無量諸佛所 而行深妙道
仏子にして、心きよく、柔軟にまた利根にして、
無量のもろもろの仏の所にて、深妙の道を行ずるものあり。

為此諸佛子 説是大乗経 我記如是人 来世成佛道
このもろもろの仏子の為に、この大乗経を説き、
我かくの如き人は、来世に仏道を成就せんと、記するなり。

舎利弗當知 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異
舎利弗よ、当に知るべし、我はもと誓願を立て、
一切の衆をして我の如く等しくして、異なることなからしめんと欲せり。

説諸盡苦道 示之以涅槃 我雖説涅槃 常自寂滅相
もろもろの苦を尽くす道を説き、これを示すに涅槃をもってす。

諸法従本来 常自寂滅相 佛子行道已 来世得作佛
諸法は本よりこのかた常に自ら寂滅の相なればなり。
仏子は道を行じおわれば、来世に仏となることを得ん。
808一在家:2009/07/26(日) 06:10:13 ID:ZrAO4cZX
法華経「如来寿量品第十六」より、「仏は常住」という説法を
中心に紹介します。

如来如実 知見 三界之相 無有生死 若退若出
如来は如実に三界の相は、生まれること死すること、
若しくは退すること若しくは生ずることなく、

亦無在世 及滅度者 非実非虚 非如非異 
また、世に在るもの及び滅度する者もなく、
実にも虚にも非ず、如にも異にも非ず、を知見して、

不如三界 見於三界 如斯之事 如来明星 無有誤謬
三界のものの三界を見るが如くならざればなり。
かくの如きの事を如来は明らかに見て、あやまりありことなし。

為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
衆生を救わんがための故に、方便として涅槃を現すも、
しかも実には滅度せずして、ここに常住して法を説くなり。

我常住於此 以諸神通力 令顚倒衆生 雖近而不見
我はここに常住すれども、諸の神通力をもって、
顚倒の衆生をして近いしと雖もしかも見ざらしむ。

809宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 06:17:51 ID:iopT6Ryp
>>804
>宝珠解釈が二元論だというのは、真我と低我が「最初から二つある」ということと、
>真我と低我は決して交わったり互いに影響を与え合ったりしないという思想を持っているからです。
>この経文では「清浄な心は汚染されている」ということを言っていますが、
>汚染されることがない真我の話とは、微妙にニュアンスが違うように思います。

 『本来的なものではない煩悩によって汚染されている』(『増支部経』I)ということは、つ
まり、本来は清浄なのだが汚染されているということであり、従って、最初から清浄のま
ま生存している凡夫などは“皆無という意味”になります。であれば、低我が消滅しなけ
れば(清浄であるところの)真我は立ち顕れないこととは相反する内容ではないです。

 両者の互いへの影響に関しては、真我からは影響を及ぼせますが、低我からは無理で
あり、また通常は覚知することもできません。真我からの影響力を増すのは低我の制御
によるもので、低級性質の消滅と共に真我の特質を表現するようになっていきます。基本
的には無自覚でなされますが、突発的な影響力は神秘体験として自覚します。
 説明を控えます・・。
 
>一旦涅槃に到達してしまえば、二度と煩悩に汚染されることはないかもしれませんが、
>涅槃に到達する以前は、将来的に涅槃に至るであろう「心自体」が汚染されている、
>というのが私の解釈です。

はぃ、同意します。
810神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:18:15 ID:GwIuHLo7
>>797
> (真実の)自己の求めることそのものは推奨されるべきものです。
> 『婦女を尋ねることよりも、自己を尋ねることのほうが勝れている。』(AN.Wp.113;DN.V.p.252.)
> 財物を盗まれて遊女を探し回る若者たちに、
> ゴータマはこう教え諭して悟りへ導いたといわれています。

この場合、婦女を尋ねること、つまり財布を取り返すことに意識を向けず、
そうしている自分の心を見つめることが大事だと言っているわけです。
「自分が何をやっているのか自覚せよ」、つまり内省せよ、
という意味にはとれますが、「真実の自己を求めよ」「真我を求めよ」とまでは
読めないのではないでしょうか。

> >「我という実体は認められない」
> 「存在しない」「無い」ではなく、「客観的には捉えられない」という意味だと思います。

実体が認められないというのは、実体があるとはいえないという意味です。
客観的にはという限定は、この原文からは見てとることができません。勝手な追加だと思います。
少し前にも書きましたが、勝手な限定を追加するのは曲解の基本ですから、やめるようにお願いします。

> >存在は、縁起によって起こるものであると説いた。
> それは現象界の性質のことであり、アートマンはそれを超越した概念です。

その場合のアートマンは外教の概念ですね。仏教とはとりあえず接点がないようです。
811神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:22:33 ID:GwIuHLo7
>>788
>  恐らくこれまでも、インドにおいては仏教徒らとバラモン/ヒンドゥー教徒の間の議論が随
> 所で繰り返し起こった筈です。きっとこのような同じ問いに対して、これらの不可知論的な
> 姿勢を仏教徒らは取り続けたのでしょう。

不可知論と無記は違うと、指摘されてませんでしたっけ?

>  目指すべきゴールには自己が無いなどと語っていたら、そんなものは無価値で「空(から)
> っぽ」だと相手にされなくなるでしょう。その態度の末に支持を失いインド仏教は消滅したの
> ですよ。

まぁ実体論者からするとそうでしょう。でもあなたは「真実を知るのは少数」だといっていたのではありませんか?
大多数が理解しないからといっても関係ないかのように言ってきたではありませんか。
この指摘も以前受けたのに、また繰り返すとは。
812神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:25:54 ID:GwIuHLo7
>>789
> なら無意味でしょう。もし価値があるならば、それは無常ではなく永遠の境地に決まってい
> ます。

あなたが言ってる価値はないと思いますよ。そういう煩悩が尽きた状態が涅槃でしょう。
813神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:34:37 ID:GwIuHLo7
>>802
> グすべてにおいて絶対にない!)。この私の摂る姿勢は常に当初から一貫したも
> のであって、これまでも変更したことではありません。

自分がとってきた態度が人にどう映るかについて、
周囲とご自分との間に齟齬があるということです。
私一人ならいいですけど、ちょっと著しいのでこの自覚の無さについては
反省した方がいいんじゃないでしょうかね。

> >といって、自説を仏説であるかのように展開することも、誰にでもできることです。
>  では、あなたがいっていることは、仏典中で自ら間違いを告白してない限りは、その
> 間違いを決して証明できないことになりますね。まるで原理主義の典型姿勢そのもの
> ですよ。

何がいいたいのか分りませんが、つまり
「これは方便として書いただけだ」「でも、方便だとは仏典に書いてあるはずがない」という形で
好きなように自説を展開してもいいというわけですか?
これは、幸福のなんたらの人がやっていたと思いますが、これだと全部言ってることが正しいことに
なっちゃうわけですが、まったく問題ないと?
そしてこういうことに問題提起したら、原理主義者扱いなんですか?
814宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 06:39:59 ID:iopT6Ryp
>>810
>「真実の自己を求めよ」「真我を求めよ」とまでは読めないのではないでしょうか。

自己の美徳となる性質とは真我の表現とみなされるのです。

> >「我という実体は認められない」
> 「存在しない」「無い」ではなく、「客観的には捉えられない」という意味だと思います。

>>811
>不可知論と無記は違うと、指摘されてませんでしたっけ?

では、「アートマンはない」という断定意は辞めるべきです。
それは無記ではないでしょう?

>大多数が理解しないからといっても関係ないかのように言ってきたではありませんか。
>この指摘も以前受けたのに、また繰り返すとは。

仏典の読む人間の中では、非我論者は圧倒的に少数派です
(正しいことの根拠とはなりませんが)。

>>812
>そういう煩悩が尽きた状態が涅槃でしょう。

一体、それは「何の」煩悩が尽きたのですか?無余涅槃の場合にて説明して下さい?
815神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:41:08 ID:GwIuHLo7
>>803
>  では、逆に「無為/涅槃境においてもアートマンはない」と明確に記された経文をご存知
> であれば、それを提示してもらえるのですか?
>  逆質問は禁止でしたか??

あなたも今では私の意見を受入れたようですが。
私はアナタより先に無記だと言っています。

論じる対象でない、という思想をもっているのに
「無い」と記した経文を私が出す必要が分らないのですが?
816神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 06:51:23 ID:GwIuHLo7
>>814
> >「真実の自己を求めよ」「真我を求めよ」とまでは読めないのではないでしょうか。
> 自己の美徳となる性質とは真我の表現とみなされるのです。

それは外教の思想でしかないのではありませんか?

> >不可知論と無記は違うと、指摘されてませんでしたっけ?
> では、「アートマンはない」という断定意は辞めるべきです。
> それは無記ではないでしょう?

どうも勘違いしているようですが、
私はずっと無記を通していて、アートマンはないとは言っていませんよ。
アートマンという概念自体がどうも仏教の思想の中には無さそうですが、
アートマン自体があるかどうかということさえ、あまり重要な論議とは認識されていないような
相手にされていない感じがします。

> >そういう煩悩が尽きた状態が涅槃でしょう。
> 一体、それは「何の」煩悩が尽きたのですか?無余涅槃の場合にて説明して下さい?

質問の意図がわかりません。「何の」というのは煩悩が何かの所有物という前提があるのですか?
その前提がおかしいかもしれませんよ。

> >この指摘も以前受けたのに、また繰り返すとは。
> 仏典の読む人間の中では、非我論者は圧倒的に少数派です
> (正しいことの根拠とはなりませんが)。

そしてまた、同じ論法を繰り返す。どうしてそういう論法を使うな、というこちらの意図が伝わらないのでしょうか。
自分が少数の時は「真実を知るのはいつも少数」
自分が多数の時は「そういう論者は圧倒的に少数派です」
こういう二枚舌的な態度の一貫性の無さについて、結構私だけでなく、嫌気がさしてる人はいますよ。
817宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 07:04:05 ID:iopT6Ryp
>>813
>自分がとってきた態度が人にどう映るかについて、
>周囲とご自分との間に齟齬があるということです。
>私一人ならいいですけど、ちょっと著しいのでこの自覚の無さについては
>反省した方がいいんじゃないでしょうかね。

自分で仏教徒を自認するならば、仏典の記述を無視するのはナンセンスだろうといったのです。
私は仏教徒を主張しない、したこともない。
そして、自称仏教徒が最もゴータマの教えに近いとも見なしてはいない。

>好きなように自説を展開してもいいというわけですか?

そこに、もし論理性があって、内容的に認められれば意味があるでしょう。
内容次第では?でないと、カルト教団の信徒に教団の教義の間違いを示す場合において、
そのカルト教団内の出版物からしか根拠に使えないならば、どうなります?
信徒らというのは教団外の記述については、
教団外であるという理由だけで無価値と見なしますよ!
(誰かさんのように、仏教徒がカルトなどいってるのではありません)

>>816
>自分が少数の時は「真実を知るのはいつも少数」
>自分が多数の時は「そういう論者は圧倒的に少数派です」
>こういう二枚舌的な態度の一貫性の無さについて、
>結構私だけでなく、嫌気がさしてる人はいますよ。

随分、ナィーブですねぇ。
<自分が多数の時は「そういう論者は圧倒的に少数派です」>こういう言い方は当然ありですよね!
問題は、「真実を知るのはいつも少数」というのが余計な一言であり、嫌味になると。
分りました-これも辞めます。

取り合えず、ここまでにしたいと思いますm(__)m
818宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk :2009/07/26(日) 07:16:27 ID:iopT6Ryp
>>815
はぁ〜あなたは「無記論者」ね!
では、「無我論者」は誰々ですか??

コテハンにして下さい (^◇^;)
819一在家:2009/07/26(日) 07:19:06 ID:ZrAO4cZX
方便品の「人は仏となりうる」は果・起でしょう。
如来寿量品の「仏は常住」は因でしょう。
「仏の教えを聞き、行じる」が縁でしょうか。

整理しますと、
因「仏は常住」
縁「仏の教えを聞き行じる」
果「人は仏となりうる」

龍樹は「仏は常住」という当時の常識を知っていて、
敢えて「仏も縁起」と説いたのでしょうか。
それとも、「仏も縁起」という龍樹の説を知っていて、
法華経の作者は「仏は常住」と明記したのでしょうか。

仏教史に関わるようですので、浅学の私はこれ以上は
無記と致しましょう。
820一在家:2009/07/26(日) 07:23:03 ID:ZrAO4cZX
「無記」とは、釈尊の場合は「黙して答えず」ですね。

私の場合は「知らないので答えられない」です、済みません。
821机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 07:23:13 ID:/bYSuQY5
>>775
>机さん、復活おめでとうございます^^

ありがとうございます。

>机さんの再投稿で、
>またまた、更に面倒なことになるのでしょうかねwww

拙者に絡んでいた御仁が何人かおりましたが、
そういう絡みのなかから気づいて逝くんですね。
「悟り」ってのはそういうもんです。
閃きですね。
822机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 07:23:58 ID:/bYSuQY5
で、>>774の続きで縁起について書いてみます。

縁起ってのは生起して生滅することですね。
しかしながら、相依関係ですから生起する。ってのは論法的矛盾なんですよ。
(基本的に主客未分ですから生起する主体はない)
龍樹は「生起するけど・・・そのまま生滅する」。と
これも非常に難解な解説です><

ようするに、これが世俗諦の限界なんですね。
世俗諦を即否定することにおいて、第一義諦への悟入への切っ掛けとする。
って手法は、
古典・阿含経においてもなされてました。
まあ、先達の智慧の集積があったからこそ、龍樹の存在も有り得たわけで、
やはり縁起ってのがどういうもんか、
これが解らんと因果も解らんようになります。
(下手な解釈をしちまうようですね)
823神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 07:40:23 ID:c5NnsSv9
一在家氏へ…もっとも完全な真実を述べるなら、過激ではありますが、すでに「可能性」ではなく、我々は仏であります。あなた以外どこに仏がいるのですか?また、眼に見えるすべての存在は仏です。わたしはインドでそれを実感しました
824机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 07:43:46 ID:/bYSuQY5
>>819
>整理しますと、
>因「仏は常住」
>縁「仏の教えを聞き行じる」
>果「人は仏となりうる」

拙者流に解釈しますと、
仏というのは法(つまり普遍性)のことですね。
普遍性ですから、もともと“なりえたり”、なりえなかったり”することはない。

つまり因縁果は第二義的なものですから、
第一義空からすると全て意の消失になる。
結果的に
「人は仏となりえる」。
あくまでも世俗諦として“仏となりえた”
第一義からすると、全く意味はない。
825神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 07:45:00 ID:c5NnsSv9
インドでパトナという街から夜行列車で朝方、ちいさな名も無き駅に停車しました。野牛、のら犬、乞食が寝ていました。あたりは農村だったと思います。すべてが仏の現われと確かに実感したのです
826神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 07:48:11 ID:c5NnsSv9
あなたは法華経が好きですね?「南無妙法蓮華経」のお題目はインド人もやってます。ただし、日本人より美しく音楽的な題目でありました。
827神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 07:55:18 ID:i6VAt99e
>>816
>こういう二枚舌的な態度の一貫性の無さについて、
>結構私だけでなく、嫌気がさしてる人はいますよ。

全く、仰る通りだと思います。
結局、神智学の布教と理論武装と権威付けしか考えていないと思います。
828神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 08:01:02 ID:gms57Qne
>>818
>コテハンにして下さい (^◇^;)
「我」に執着するところが我論者の面目躍如だなぁ。www
匿名掲示板で名前にこだわっても仕様が無いだろ。
誰が言っても法は法である、とも釈迦は言っている。
829神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 08:06:00 ID:gms57Qne
>>820
>私の場合は「知らないので答えられない」です、済みません。
それを仏教では無明とか無知というね。
今後は「私は無知です」といえば誰にも通じるよ。
830神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 08:26:35 ID:Po8EylHm
アートマンって、スピリチュアルで言う魂の事ですか?
831神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 08:51:42 ID:nV0ysr3m
聖闘士星矢でいうところの小宇宙(コスモ)じゃね?
832神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 08:56:09 ID:54pyHEQr
アートマンが何かっていうのが一番の謎だわ
833旧三代スレ170:2009/07/26(日) 08:58:51 ID:0dtB7CAO
>机龍之介 ◆8Z1PfzdK1
復活したと思ったら、また本スレと直接関係ない持論を
滔々と語りだし始めましたね…

そのうちジャズの話でも始めますか?
834神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 09:03:18 ID:+F8A49JS
>>833
エロ話をかたちないでくださいw

ほっとき
835旧三代スレ170:2009/07/26(日) 09:13:18 ID:0dtB7CAO
>>>833
>エロ話をかたちないでくださいw
>
>ほっとき
ふむ。
野暮な事を書いてしまいましたね。
すんません<(_ _)>
836神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 09:35:30 ID:GwIuHLo7
>>817
> 自分で仏教徒を自認するならば、仏典の記述を無視するのはナンセンスだろうといったのです。
> 私は仏教徒を主張しない、したこともない。
> そして、自称仏教徒が最もゴータマの教えに近いとも見なしてはいない。
そうやって自分に都合のよいう解釈だけを自分で見続ける限り、
人にどう映るか理解することはできないでしょう。
私ひとりならいいですけど、他の人からも指摘を受けているということは謙虚に受け止められた
方がいいかとは思います。

> >好きなように自説を展開してもいいというわけですか?
> そこに、もし論理性があって、内容的に認められれば意味があるでしょう。
外教は内容的に同意が得られているものではないと思います。

> 内容次第では?でないと、カルト教団の信徒に教団の教義の間違いを示す場合において、
> そのカルト教団内の出版物からしか根拠に使えないならば、どうなります?

どうも何もそのカルトの教義がいかなるものかを知りたいのであれば、カルトの資料のみによって
判断する他ないでしょう。無関係な宗教の教義をもってきても意味がありません。

> >こういう二枚舌的な態度の一貫性の無さについて、
> >結構私だけでなく、嫌気がさしてる人はいますよ。
> 随分、ナィーブですねぇ。
こちらの問題に「すりかえ」るのはいかがなものかと思います。

> <自分が多数の時は「そういう論者は圧倒的に少数派です」>こういう言い方は当然ありですよね!
そうは思いません。多数がよいとは限らないと思います。ですが、そういう思想の人もいるでしょう。

> 問題は、「真実を知るのはいつも少数」というのが余計な一言であり、嫌味になると。
そうとも思いません。それもまた真実であることもあるでしょう。ただ、相手の方が真実である可能性もあるでしょう。
私が言っているのは自分の立場次第で使い分ける二枚舌のことです。
837旧三代スレ170:2009/07/26(日) 09:40:53 ID:0dtB7CAO
宝珠愚者さんあたりが聞いてきそうなので、
先まわりして自分の見解を述べておきますか。

「お釈迦さんはアートマンが有るとか無いとかそんな話はしていない」

五蘊がアッタンでは無いという話はしている
…が、この話から抽象的なアートマンの有無の議論を引き出すことは不可能だと思う。
よって
>仏陀は本当に「アートマンは無い」と説いたのでしょうか?
の問いには「説いてない」としか答えようがない。
ちなみに「アートマンは有る」と説いたのでしょうか?
と聞かれた場合は、これまた「説いていない」としか答えようがない。
だって、語ってない事は語っていないとしか答えようがないじゃない。

仏教側の解釈としては、旧7さんの書く通りですね。
(しかし旧7さんは面倒見がいいね)
>「文言上は非我であり、文脈上(或いは認識上)は無我である」
>というのが伝統解釈(の構図)だと思うよ。
シンプルかつ過不足のない回答だと思います。
838一在家:2009/07/26(日) 09:47:27 ID:ZrAO4cZX
>>824 机氏
初めまして。コメントを有難うございます。

>仏というのは法(つまり普遍性)のことですね。
>普遍性ですから、もともと“なりえたり”、なりえなかったり”することはない。

法とは、万有引力のようなものでしょうか。

>舎利弗當知 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異
>舎利弗よ、当に知るべし、我はもと誓願を立て、
>一切の衆をして我の如く等しくして、異なることなからしめんと欲せり。

仏=法が誓願を立てるというのは不自然な文章ですね。

>結果的に「人は仏となりえる」。
>あくまでも世俗諦として“仏となりえた”
>第一義からすると、全く意味はない。

私は法華経の帰依者ではないですが、5千人の修行者が退席した後に、
これまで説いた方便(世俗諦?)でなく真理(第一義?)を説くと
前置きされてから釈尊は「人は仏となりえる」と説かれてます。

以上、ご挨拶とさせていただきます。>机氏
839神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 10:28:42 ID:T37cOOCs
宝珠よ、それはダメだろ?

>>791 をさして「それは中村氏が混乱していた」と否定してしまうのであれば
今までお宅があげてきた多くの解説も全て
「それは〜が混乱していたのだ。」と否定されてしまうことになる。

自分にとって都合の良い見解だけをとりあげ、都合の悪い見解は
「混乱していたのだ」と切り捨てる態度が正しいと思っているのかな?
840机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 13:40:11 ID:/bYSuQY5
>>838
>法とは、万有引力のようなものでしょうか。

万有引力というのは、
質量の大きいもんと、質量の小さいもんの相依関係のことですね。
法というのは、この関係性のことであって、
質量の大小の対立は含まれておりません。

対立(相対)するもを世俗諦と言うておるんです。

法においては
>もともと“なりえたり”、なりえなかったり”することはない。
というような「成り得る」⇔「成り得ない」という対立関係はないのです。

故に、
>前置きされてから釈尊は「人は仏となりえる」と説かれてます。
というふうに、釈尊は世俗諦で説法をする他ないんですね。

言語というのは、相対があってこそ成り立つ概念ですから、
多大な言語を駆使しまして、釈尊は民衆に法を開陳されましたけど、
その真意とは・・・
拈華微笑に象徴されるやに思ひますね。
つまり対立概念からの解脱です。
841 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 13:40:19 ID:HArsy/kM
>>822 机龍之介氏
>縁起ってのは生起して生滅することですね。
>しかしながら、相依関係ですから生起する。ってのは論法的矛盾なんですよ。
>(基本的に主客未分ですから生起する主体はない)
 
生起する主体がない? 竜樹はその論証に成功しているのですか。
主体と客体の相互依存とは、具体的に何と何とが依存しているのですか。
  
>龍樹は「生起するけど・・・そのまま生滅する」。と
>これも非常に難解な解説です><
 
これは『中論)の何章何詩ですか?

>ようするに、これが世俗諦の限界なんですね。
>世俗諦を即否定することにおいて、第一義諦への悟入への切っ掛けとする。
 
竜樹は世俗諦のほかに第一義諦(空・中)を説いているけど、
空を具体的に表示しないと無意味ではないですか。
内容のない言葉は無意味だと思う。
842 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 13:50:07 ID:HArsy/kM
>>840
>言語というのは、相対があってこそ成り立つ概念ですから、
>・・・つまり対立概念からの解脱です。
 
釈迦の説いた解脱とは、言葉だけの、頭の中だけの話なのですか。
言葉だけなら、その解脱は中身のない空理空論でしょう。
843机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 13:58:51 ID:/bYSuQY5
>>841
>生起する主体がない? 竜樹はその論証に成功しているのですか。

龍樹の論証というのは、
実有論へのアンチを表明しているだけでありまして、
中論というのは、もともとそういふベクトルで書かれたもんですね。

生起する主体といいますのは、つまり差別相のことでありまして、
無差別相と差別相の関係を、般若心経では「色即是空」と書かれています。
主体と客体を分別するのは「色即是空」の「色」にあたりますね。

>主体と客体の相互依存とは、具体的に何と何とが依存しているのですか。

日常的には五蘊のことですね、
五蘊があって、主体とその対象を分別できる。

>空を具体的に表示しないと無意味ではないですか。

月(真理)を指し示すことは出来ましても、
真理そのものを語ちるのは困難です。
何故ならば、
言語は相対概念で成り立つ訳ですから、
相対では、一如の法門を語ちるのは・・・
そもそも次元が違うんですよ。
844机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 14:09:28 ID:/bYSuQY5
>>841
>これは『中論)の何章何詩ですか?

中論以前でも、古典・阿含経にも書かれていますよ。
(第一義空経)

ここには「生起するけど、生起することはない」。
と前文を否定してますね。

名文です。
一度ご覧になったらどうですか?
845机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 14:22:18 ID:/bYSuQY5
第一義空経
国訳一切経阿含部一

是の如く我れ聞きぬ。一時、佛、拘留搜の調牛聚落に住まりたまへり。
爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく、
「我れ今汝等が爲に法を説くべし。初・中・後・善く、
善義善味、純一滿淨にして梵行清白なり。所謂第一義空經なり。
諦に聽き善く思へ。當に汝が爲に説くべし。云何が第一義空經と爲す。
諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。
是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。
俗數法をば除く。耳・鼻・舌・身・意も亦是の如く説き俗數法をば除く。
俗數法とは謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す。
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す。
是の如く廣説し乃至純大苦聚滅す。比丘、是を第一義空法經と名づく」と。
佛此の經を説き已りたまひしに諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、
歡喜し奉行しき。
846 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 14:27:37 ID:HArsy/kM
>>843
>月(真理)を指し示すことは出来ましても、
>真理そのものを語ちるのは困難です。
>何故ならば、
>言語は相対概念で成り立つ訳ですから、
>相対では、一如の法門を語ちるのは・・・
>そもそも次元が違うんですよ。
 
言葉は相対概念を表示するだけでなく、事物を表示する語や、
因果概念を表示する語などもあります。
 
世俗諦では表現できるけど、第一義諦では表現できないという主張は、
第一義諦・空が存在しないからではないですか。
 
ただ空、空と言い続けているだけでは何も伝わらない。
内容がないのだから、有り難くも尊くもない。
847 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 14:41:33 ID:HArsy/kM
>>843
>生起する主体といいますのは、つまり差別相のことでありまして、
>無差別相と差別相の関係を、般若心経では「色即是空」と書かれています。
>主体と客体を分別するのは「色即是空」の「色」にあたりますね
 
差別相において、主体と客体とが相互依存するにしても、
「生起する主体がない」ということは証明されていないですよね。
  
>日常的には五蘊のことですね、
>五蘊があって、主体とその対象を分別できる。  
 
主体と客体の意味に関しては了解。
たとえば、主体は人間であり、客体は周囲の対象ということですね。
848 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 15:04:25 ID:HArsy/kM
>>845
目を通したが、こういった文章は不慣れで十分に理解できない。
引用はなるべく口語訳でお願いしたい。
849 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 15:11:00 ID:HArsy/kM
机氏は、縁起は生起し生滅することであると言う。
しかし中論では、縁起は不生不滅であると説かれている。
 
机氏と中論では、話がちょうど正反対になっている。
どう折り合いをつけるのだろう。
850机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 15:27:08 ID:/bYSuQY5
>>846
>世俗諦では表現できるけど、第一義諦では表現できないという主張は、
>第一義諦・空が存在しないからではないですか。

存在するか?しないか?って発想がそもそも仏教ではない。
ここのとこを説明しましょう。

xyzがあって、それにt(常住として)がある。ってことなら。→これが三次元論法
xyzが存在するかどうか?が論題になるけど、
そもそも仏教はxyztですから、時空は切り離せない。

よって、xyzがそれ自体で存在するか?しないか?は戯言ですねw

つまり簡単に言いますと、xyzがある。ってことならtもある。ってことですよ。
逆にいったら、xyzがなければtもない。

xyzが諸行無常(横軸)、tが諸法無我(縦軸)、その十字の交差するとこが涅槃寂静と考えたらいい。

「来るものは来ることはない、去るものは去ることはない」。→龍樹

>内容がないのだから、有り難くも尊くもない。

内容があるか?どうか?の対立から解脱した位相が、三法印の意味ですね。
(これはなかなかひと言だけで悟れるもんじゃ〜ないですが)
851神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 15:30:34 ID:+RMmCA7T
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1248577187/
ニュー速VIPに犯罪者出現!
たいーほですよwwwwwwww
852机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 15:37:45 ID:/bYSuQY5
>>849
>机氏は、縁起は生起し生滅することであると言う。
>しかし中論では、縁起は不生不滅であると説かれている。
>机氏と中論では、話がちょうど正反対になっている。

正反対でも意味は同じですね。
「生起し生滅する」が世俗諦ですし、
「不生不滅」が勝義諦ですから。

色即是空の意味は、
「世俗諦、これ即ち勝義諦である」。ってことが書いてあるんですから。
これは仏教のビギナーの話になります。
こういうことは仏教徒の方は、大体解っておるようですね。
背者が説明することもなく・・・
853 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 16:00:34 ID:HArsy/kM
>>850
竜樹は、時間、変化を認めないから、xyzの空間に相互依存を見る。
しかし概念や命題の相互依存だから、
解脱(空)は言葉(二次元)で仮に言い表したものにすぎない。
  
しかし、時間tがなければ空間xyzも存在しないから、
言葉の話(二次元)どころか、実際には虚無(ゼロ次元)である。
実は、これが縁起であり空であり中道である。
そして涅槃寂静も虚無(ゼロ次元)のことである。
 
こういった理解でいいでしょうか?
854神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 16:11:14 ID:je/5u0yy
アートマン=化城
いいから先へ進め
そこは折り返し点だ。
855 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 16:15:02 ID:HArsy/kM
>>852
確かにビギナーだけど、世俗諦や勝義諦という言葉に、
生・滅と不生・不滅という正反対の言葉をイコールにしてしまう
魔力があるはずがない、という素朴な疑問です。
 
それならば最初に帰って、
「生起する主体がない」とした方がよほどスジが通る。
856 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 16:19:34 ID:HArsy/kM
<空という妄想の解毒剤>
 
ゼロ次元(黒)→二次元・言葉(黒・白)→三次元・空間(天然色)→四次元・時間(透明)
 
こうやって並べれば、言葉の役割や限界が見えてくるし、相関関係と因果関係の位置づけも
 
できるかもしれない。意外にも、相関関係のほうが因果関係よりも格下になっている。
857神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 16:30:32 ID:QgoQz7f9
>>856
「神」「霊」「霊魂」という妄想の解毒剤こそ、是非書いてくれw。

「因」「果」それぞれが相関関係だから、「格下」であるわけがない
だろう。
858 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 16:52:11 ID:HArsy/kM
>>857
普通、因果関係は、時間の流れに沿った不可逆的な関係をいう。
たとえば種から芽が出て成長するようなものである。
この意味での因果関係なら、相関関係のほうが格下になる。
 
因果関係を知り、それを操ることは未来を支配することである。
未来を支配すること、これ以上に貴重なことはない。
 
これに対して相関関係はどんな役割を果たしているのか。
その役割を思い出すことができない。
竜樹はいったいなぜ相互依存を説いたのか? 不明。
859机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 16:54:14 ID:/bYSuQY5
>>855
>生・滅と不生・不滅という正反対の言葉をイコールにしてしまう
>魔力があるはずがない、という素朴な疑問です。

じつに素晴らしい書込みですね。
実際、そういう疑問が生起することが重要なんですよ。
これを仏教では「大疑のもとに大悟あり」。なんて逝ったりする。

何故疑問があるんでしょ?
それは論理的矛盾に気づいて逝く一歩手前だからです。
世俗諦は論理矛盾があります。
そこからの解脱が勝義諦ですね。

法というのは、そういう疑問がないと解き明せないですね。


860机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 17:05:18 ID:/bYSuQY5
>>858
>普通、因果関係は、時間の流れに沿った不可逆的な関係をいう。
>たとえば種から芽が出て成長するようなものである。

時間というのは流れたりはしないですねw
もし時間というのが流れるのであれば、その主体が流れているんです。
あなた自身が流れておるんじゃ〜ないでしょうか?

種といふ主体であるなら、種の時間は流れておらんでしょ?

これが論理矛盾の典型ですよねw
861 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 17:29:34 ID:HArsy/kM
>>860
竜樹はいったい何のために空を説いたのですか?
そこのところが不明になっている。
862神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 17:41:10 ID:hc0GTOyV
>>861
空を説いたのは、釈迦。竜樹は、それを解釈、敷衍したまでではないの。
863机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 17:52:26 ID:/bYSuQY5
>>861
釈尊が悟ったのは中道ですから、
このベクトルでは実有論は中道から偏るんじゃ〜ないでしょうか?

中道ってのは、実有でもなく実無でもない・・・って意味ですから。

つまり説一切有部などの実有論以前の・・・
原点回帰を果たそうとしたのが龍樹なんじゃないでしょうか?
(原典とすれば阿含経などありますから)
この流れからして空に辿り着く。
864 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 17:54:44 ID:HArsy/kM
>>862
世尊の説いた縁起・空と、竜樹の説いた縁起・空のちがいは何ですか。
 
また、それぞれの目的は何ですか。
865机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 18:08:12 ID:/bYSuQY5
>>853
>実際には虚無(ゼロ次元)である。

仏教はゼロ次元ではなく、四次元ですね。
時間というのが常住としてある訳ではないので無記とする他ない。

っていうか、人間というのは経験でもって思考するから・・・
その範疇なら四次元しか思慮は不可能です?

もしかしたら釈尊は、もっと多次元を悟っていたのかも知れませんけど、
果たして釈尊以降の行者が、それを悟っていたのかは解りません。
866 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 18:08:37 ID:HArsy/kM
>>860
時間については、固体の中に存在する観念だけではなく、
この宇宙に存在するものだろう。
 
人は太陽・月・星などの運行から時間を割り出している。
その時間に従って社会は営まれている。
主体が流されているというような、不確かな時間ではない。
867神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:12:18 ID:hc0GTOyV
>>864
釈迦は、漠然と「世界を空と観ぜよ」「これがあるから、あれがある」と言っ
ただけだが、竜樹は、その「縁起・空」が実は同一であり、「相互依存性・関
係性」であるという「正体」を突き止めたのだと思う。

私は、前レスで、「これがあるから、あれがある」という命題における「これ」
と「あれ」との実体性を批判したが、竜樹も同じような批判をしている。

釈迦の場合の目的は、固定した実体(アートマンや事物)に対する執着を去って
精神的な苦から離脱するため、竜樹の場合は、己が万物との相互依存性・関連性
に中にあることを自覚することにより、精神の安定と平安及び他者との共生を
可能にするためだと思う。
868神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:25:29 ID:hc0GTOyV
>>867の追加

竜樹は、また、「相互依存性・関係性」という万物に通じる原理を
発見することにより、現代の人類の思想と科学が向うべき方向を示した
とも言えよう。
869神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:28:44 ID:UK9dvBz4
でもよー、勝義諦の本質っていうのは実際に涅槃に到達しないと理解できなく無い?
知識や理論として知ってるのと、実際にその境地に至るのでは雲泥の差があるように思えるわ
870机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 18:29:47 ID:/bYSuQY5
>>866
>人は太陽・月・星などの運行から時間を割り出している。

人間の利便性のために計測して導き出されたもんは・・・法ではない。
こういった世俗において価値が見出されるもんを世俗諦と言うんです。

つまり、法と天体の運行は別もんですね。
人間が経験的に“天体の運行は規則正しい”という概念がインプットされているだけです。
人間は経験的に狂いのない天体の運行を信じきってるだけです。
(これは間違いではないですけど)

法というのは、そういった既成概念を捨置するところから
開眼の第一歩が始まるんです。
(これがなかなか至難なんですけど)
871神も仏も名無しさん:2009/07/26(日) 18:35:17 ID:hc0GTOyV
>>869
「世俗的なことにもとづかなければ、第一義は説示され得ない。」
(中論の頌 第24章10)
872 ◆xQ2N4RcE0E :2009/07/26(日) 18:47:47 ID:HArsy/kM
>>865
竜樹は中論19章<時の考察>で時間の存在を否定している。
2章<運動の考察>では変化を否定している。
だから竜樹が見ていたのは、四次元ではなく三次元である。
 
さらに18章<アートマンの考察>7詩に
「心の境地が滅したときは、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、
実にニルヴァーナのごとくである。」とある。
 
これによって言葉(二次元)からさらに後退し、
ゼロ次元(虚無)に落ち込むことが予想されのであり、
そこが真理であり、ニルヴァーナだと説いていることになる。 
虚無であれば、不生不滅であり、中道ではある。
873机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2009/07/26(日) 19:04:18 ID:/bYSuQY5
>>872
>虚無であれば、不生不滅であり、中道ではある。

虚無とは違いますね。
無というのもいろんな意味あいに受止められる。
絶対否定的な意味もありますでしょうし、
また、絶対肯定的意味もあります。

こういった、否定⇔肯定の対立のない境地こそがニルバーナやに思いまふ。

まあ、仏教が2500年も続いていることを鑑みなされば、
どんな境地なのかは想像するも答えは明白なんじゃ〜ないでせうか?
874 ◆xQ2N4RcE0E
>>867 
>私は、前レスで、「これがあるから、あれがある」という命題における「これ」
>と「あれ」との実体性を批判したが、竜樹も同じような批判をしている。
 
中論1章10詩で「それ自体の無いもろもろのものには
有性が存在しないが故に、<このことがあるとき、このことがある>
ということは可能ではない。」
 
こう言って竜樹は、世尊の縁起を否定している。
なぜなら、主体の無いもの同士、縁起のしようがないからである。

>釈迦の場合の目的は、固定した実体(アートマンや事物)に対する執着を去って
>精神的な苦から離脱するため、
★ 世尊の場合は、実体とは関係なく、精神的な苦からの解放が目的。
 
>竜樹の場合は、己が万物との相互依存性・関連性
>に中にあることを自覚することにより、精神の安定と平安及び他者との共生を
>可能にするためだと思う。
 
竜樹の場合は、やはり精神的な苦からの解放が目的なのだろうが、
そのために、あの世を否定し、アートマンを否定し、
世の中を幻にしてしまったということか。
他者との共生などは言っていない。→ それは世尊ではないか。