【最終】仏陀はアートマンを説いた!?【決着】5

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569旧7
>>562
Dhp.160  attA hi attano nAtho , kho hi nAtho paro siyA.
DN.16.35  tasmAt iha Ananda, attadIpA viharatha attasaraNA anaJJasaraNA,

もし、「 attan 」を「アートマン」とのみ読む(解す)のであるなら、
上記は明らかに『アートマンを肯定的に拠り所とすべきである』という文意となる。



>>567
漢訳中にも、「無我」でなく「非我」、「無常」でなく「非常」、と訳されているものは多い。(検索してみるとよくわかる)
が、(南伝北伝問わず)各種註釈による解釈・解説は、圧倒的に『無我』『アートマンは無い』というスタンスでなされている。
著名な漢訳経典の多くが「無我」を採用していることも影響しているだろう。
だから、主流・定説であるとは言える。しかし、それは、あくまでもメインストリームとしての歴史的解釈に過ぎず、
「アートマン」という語の定義次第では、(消去法で残るような形で)準肯定される可能性は消えていない。

或いは、「自己」の指示対象を換骨奪胎して捉えることもできる。
禅宗が、(意図的ではなく、結果的にではあろうが)、その手法でもって「己事究明」を成立させている。

しかしおそらく、宝珠氏やカラス氏の言う「アートマン」は、そのように換骨奪胎されたものであってはならないのだろう・・・。